1 :
人間七七四年:
2 :
人間七七四年:2012/12/25(火) 22:45:36.96 ID:CgAqDl2k
●研究書・概説書
高柳光寿 「明智光秀」 吉川弘文館 野望説
桑田忠親 「明智光秀」 講談社文庫 怨恨説
桐野作人 「だれが信長を殺したのか」 PHP新書 複合説
立花京子 「信長権力と朝廷」 岩田書院 朝廷説
同 「信長と十字架」 集英社新書 イエズス会説
藤田達生 「証言 本能寺の変」 八木書店 幕府説
鈴木眞哉 「信長は謀略で殺されたのか」洋泉社 検証本
藤本正行
谷口克広 「検証 本能寺の変」 吉川弘文館 検証本
亀岡市史編纂委員会 「新修亀岡市史 資料編第二巻」 亀岡市
3 :
人間七七四年:2012/12/25(火) 23:16:23.61 ID:kuhp3ZY7
4 :
人間七七四年:2012/12/25(火) 23:50:01.66 ID:hrLPUfIq
可児市ってとこの入り口に
「明智城」っておっきな看板があった。
森ランマル生誕地ってのもあったし
隠れた観光地としてはなかなかのもの
じゃないかとは思う。
5 :
人間七七四年:2012/12/28(金) 12:50:59.38 ID:IfEA7CEj
どうかんがえても本能寺について朝廷や天皇の直接または間接影響はあるのに外そうとするのはイデオロギーのためかな?
6 :
人間七七四年:2012/12/28(金) 12:53:13.38 ID:/VWf/rLz
7 :
人間七七四年:2012/12/28(金) 21:30:11.28 ID:IfEA7CEj
8 :
人間七七四年:2012/12/28(金) 21:42:20.69 ID:1AiQYZAn
>>7 どこで話題になっているのか知らんが素人のトンデモ本は却下な。
9 :
人間七七四年:2012/12/28(金) 22:52:37.69 ID:Y60eeujY
素人のトンデモ本の京子ちゃんもリストに入ってるんだからいいんでね
10 :
人間七七四年:2012/12/28(金) 23:04:19.08 ID:D2nU7MF5
今はもう本能寺の変は黒幕説は完全に全否定されてるみたいだね
それでも単独説にしては上手く出来すぎてる事件だけど
本当にこの事件に黒幕がいたら黒幕の完全勝利だね
あと、頭のおかしな人が調子にのるから釘を刺しとくけど朝廷説は論外
11 :
人間七七四年:2012/12/29(土) 01:18:17.38 ID:xn9jWjnh
10さんの視点に同意。
たしかに、変の経緯をはじめ、はっきりしないところがかなり残っている。
しかし、朝廷黒幕説は成立しようがない。これは、公武の対立がどうの、という以前の話。
12 :
人間七七四年:2012/12/29(土) 01:26:42.48 ID:GROOt73s
このスレをずっと見てるけど朝廷黒幕説を唱える人はいないな
光秀単独説だろ
井尻千男 『明智光秀 正統を護った武将』
が最有力で、前スレではこれを推す人を全く論破できずに終わっている。
13 :
人間七七四年:2012/12/29(土) 08:08:30.88 ID:iKdh6kSr
>>12 壊れたスピーカーみたいに基地外の妄想を垂れ流しただけで論破ですか
もううんざりだから別スレでやれ
14 :
人間七七四年:2012/12/29(土) 16:22:29.56 ID:+zVoz7zL
ずっと独り芝居
15 :
人間七七四年:2012/12/29(土) 17:23:03.85 ID:MbnFo8Qc
単独は『説』じゃなく『史実』です。
16 :
人間七七四年:2012/12/29(土) 18:53:54.60 ID:4SuBWgEP
構ってもらえるだけで嬉しいからずっと繰り返すんだと
17 :
人間七七四年:2012/12/30(日) 11:13:56.33 ID:qN4CjQX0
もはや自演と釣りの巣窟
18 :
人間七七四年:2012/12/31(月) 12:06:33.09 ID:2a0DMIEt
前スレを読むと朝廷が関わっていないと考える方が無理だな
19 :
人間七七四年:2012/12/31(月) 13:56:39.36 ID:SVpHkuK9
朝廷対信長の公武対立をまとまった説として世に問うた最初期の事例は
やっぱり今谷明氏ということになるのだろうが
朝廷黒幕説について今谷氏は
「ムリが多すぎだろうが、ボケ。
お前らのせいで公武対立説までバカにされて迷惑なんだ、ダボ」
と否定している。
朝廷黒幕説をメジャーに押し上げた功績者なら
桐野作人氏と立花京子氏ということになるのだろうが
その後桐野氏は「明智光秀単独犯行説」に鞍替えしている。
朝廷黒幕説はムリが多すぎて撤回しないと説明がつかなくなったらしい。
その後立花氏は「イエズス会黒幕説」に鞍替えしている。
朝廷黒幕説はムリが多すぎてさらに黒幕がいたことにしないと説明がつかなくなったらしい。
20 :
人間七七四年:2012/12/31(月) 15:36:18.36 ID:51iDIK3S
公武対立説だけを見れば、まじめな歴史研究内の要素はある。どの程度の
対立か、非和解的な対立なのかは別にして、まったく軋轢がないことなど
ありえない(だからといて、根本的に対立していたという論には賛成でき
ないが)。それが、黒幕論に迷惑を被ったのはその通りと思う。
また、(現在は19さんがいうように離散した)朝廷黒幕論の立場からでも、
他の論者にとって、さすがに井尻本は迷惑だろう。
21 :
人間七七四年:2012/12/31(月) 16:33:29.02 ID:FqVOLvfM
>>18 良書も読んだことのないお前にはそう考えられるのだろうよ。
22 :
人間七七四年:2012/12/31(月) 19:12:53.14 ID:7+pE7Ix8
>>19 朝廷関係説はあの井沢ですら否定したくらいだからなあ。
23 :
人間七七四年:2012/12/31(月) 19:23:17.34 ID:SVpHkuK9
>>20 俺も公武対立説は難しいと思うが、
公武対立説と朝廷黒幕説をベツモノ扱いで論じられるあたり、
今谷明氏はさすがに一線までいった研究者だと思う。
立花氏や藤田氏はこれができなかった。
>>2 立花本や藤田本を入れるなら
八切止夫大先生の「信長殺し、光秀ではない」も入れないとダメだろ!w
あと、桐野本なら「真説本能寺」の方が地道な検証に徹していて
参考になる点が多い。
24 :
人間七七四年:2012/12/31(月) 19:25:51.92 ID:SVpHkuK9
>>22 井沢元彦氏や加来耕三氏も
朝廷黒幕説から単独犯行説への転向組だね。
まあ本気で考えていたわけじゃなくて
出版社側のリクエストで
もっともらしいことを並べただけみたいだけれど。
25 :
人間七七四年:2012/12/31(月) 19:53:48.55 ID:4o+s+Xqz
本能寺物は割合読んだが、井尻本に迫ると感じたのは「明智光秀冤罪論」(井上慶雪)。
まったく内容がないのに自己宣伝、自己陶酔の(気持ちわるい)凄さというところなどよく似ている。
26 :
人間七七四年:2012/12/31(月) 20:27:28.76 ID:FqVOLvfM
あらゆる黒幕説が変から四百年後に突然湧いて出たモノばかりだからなぁ
同時代人は、天下の主たらんとの謀反だと思ったのかな
27 :
人間七七四年:2012/12/31(月) 20:41:24.95 ID:nmtpIubp
×あらゆる黒幕説が変から四百年後に突然湧いて出たモノばかりだからなぁ
○あらゆる黒幕説が八切止夫先生の著書が売れたから柳の下のドジョウ狙いで湧いて出たモノばかりだからなぁ
28 :
人間七七四年:2012/12/31(月) 20:42:08.98 ID:2a0DMIEt
>同時代人は、天下の主たらんとの謀反だと思ったのかな
日記の改ざんやら何やらたくさんあるけどな
同時代で尊王からの単独説をぶち上げると殺されるからなぁ
29 :
人間七七四年:2012/12/31(月) 21:11:26.51 ID:BCXyU2Kx
>>24 朝廷黒幕説からの撤退、桐野、立花だけでなく、この人たちもいたことを忘れていた。
たしかに、黒幕説で売って、その後、「新見解」でまた少し売れる。
悪い商売ではない。
30 :
人間七七四年:2012/12/31(月) 21:19:25.30 ID:SVpHkuK9
禁裏のむしろがけを放っておいたり
二条御所から皇太子一家が立ち退くのに
乗り物の一つも用意しなかった明智が尊王・・・?
31 :
人間七七四年:2012/12/31(月) 21:24:36.20 ID:BCXyU2Kx
>>30 前スレで、里村紹巴が輿を用意していたという話があったが、これは、応急の
とにかく乗れるだけのみすぼらしいもの。光秀が裏から手をまわして親王に
ふさわしい輿をあらかじめ用意したという解釈が成立する(もともとありそ
うもない)余地もまったくないと考えていい。
32 :
人間七七四年:2012/12/31(月) 22:12:30.73 ID:INRa0FTC
明智は尊皇って思いたい人は、28が言ってる日記の改竄も明智との関係隠すためって解釈しちゃうんだよな〜
それを裏付ける史料がない以上、全く逆の解釈だって成立つのに。
個人的憶測では消された日記内容もこんな感じ
「うっひゃあ〜信長ちゃん最高〜っ そんなに天皇思いだったとは嬉ぴぃ〜」
33 :
人間七七四年:2012/12/31(月) 22:26:43.24 ID:2a0DMIEt
神社神道が尊王なように古典派文化人は尊王だろ
だいたい当時の一般常識が尊王だろ
神社神道が日本人の宗教として大切にされていた時代
どうも単独説否定派は当時の宗教やら風習、常識ってのを無視しすぎる
井沢元彦に最も笑われるタイプだな
34 :
人間七七四年:2012/12/31(月) 23:02:23.51 ID:JLm2aOaK
光秀が伝統重んじてたら、寺社領押領して勅勘くらったり
門跡領押領して天皇から信長に還付するよう要請いったりしないだろ
常識的に考えて
35 :
人間七七四年:2012/12/31(月) 23:22:31.19 ID:FqVOLvfM
古典派文化人(笑)って具体的にどんな人間だ?
中世の一般常識が尊王? では、何故あんなに朝廷が衰微してたか説明してくれ。
36 :
人間七七四年:2012/12/31(月) 23:37:06.58 ID:2a0DMIEt
>中世の一般常識が尊王? では、何故あんなに朝廷が衰微してたか説明してくれ
このレベルと話をしたくないんだけど・・
北畠は伊勢神宮を崇敬していなかったのかな?
37 :
人間七七四年:2012/12/31(月) 23:45:17.35 ID:dHjUaIzp
>>36 では、中世の一般常識は、尊仏ということにもなる。
こじつけも甚だしい。
38 :
人間七七四年:2012/12/31(月) 23:58:07.93 ID:nmtpIubp
伊勢神宮や朝廷に寄進を奮発した信長を討った
光秀が尊皇ねえ
まあ幕府贔屓の孝明天皇の意向を勝手にくんで討幕進めた連中や
勝手に昭和天皇のまわりから奸臣を除くといって二二六事件を起こした連中も
確かに尊皇か。天皇側にとってはひどい迷惑だが。
39 :
人間七七四年:2013/01/01(火) 03:01:34.57 ID:AIBIZRh9
>>33 では君が井沢元彦に最も笑われるタイプだねw
当時の宗教やら風習、常識ってのを無視しすぎてる
40 :
人間七七四年:2013/01/02(水) 09:00:45.23 ID:4pfIRk3x
>>35 あの時代ってのは、国道が整備されていて治安も良い今とは異なるんだが・・
41 :
人間七七四年:2013/01/02(水) 14:40:05.04 ID:xA5GM7Y2
インフラが整って治安が安定してれば如何したんだ?
42 :
人間七七四年:2013/01/02(水) 18:08:18.21 ID:9MngAmqn
>>32 >明智は尊皇って思いたい人は、28が言ってる日記の改竄も明智との関係隠すためって解釈しちゃうんだよな〜
>それを裏付ける史料がない以上、全く逆の解釈だって成立つのに。
明智は尊皇って思いたくない人は、28が言ってる日記の改竄も明智とは全然無関係って解釈しちゃうんだよな〜
それを否定する史料がない以上、全く逆の解釈だって成立つのに。
43 :
人間七七四年:2013/01/02(水) 19:01:20.77 ID:4w0u82ME
32ではないが、32さんは、どちらの解釈も可能なので、尊皇の根拠にはならないと言っている。
別に、この改ざん問題だけで断じているわけではない。
現代語の普通の理解すらできないで、どうやって史料を分析するのやら。
44 :
人間七七四年:2013/01/02(水) 19:25:16.92 ID:Kc1gpo9G
ホントに朝廷黒幕説や光秀尊皇説に見込みがあるなら
かつての支持者がどんどん離れていったり
公武対立論者からいっしょにされて迷惑扱いされたりしないだろ
45 :
人間七七四年:2013/01/02(水) 21:21:26.78 ID:OIobnQFf
>>42 その史料自体がどの論の根拠としても成り立たないことがまだわからないとはね
ご愁傷様
46 :
人間七七四年:2013/01/03(木) 01:20:18.59 ID:rZWa9d0h
光秀は自分の謀反を正当化するために「俺はミカドのために信長を討ったんだ!」とアピールしただけだろ。
47 :
人間七七四年:2013/01/03(木) 01:52:06.20 ID:QwVCfw1G
そんなアピールしてない
48 :
人間七七四年:2013/01/03(木) 09:42:05.14 ID:/5wrQpZm
>>46 そうアピールして落ち着いたらミカドも殺すつもりだった。
皇族への不遜な対応を見てもこれは明らか。
49 :
人間七七四年:2013/01/03(木) 12:21:43.40 ID:3+HI+XmC
>>38 元亀4年に京洛に放火し略奪虐殺した為に公家の間で
まったく支持されず、暗黒寺からも信長の世は長く続かないと予見されている惨澹たる状況で
再び、畿内情勢が織田に不利になってきたために
朝廷の関心を買うために公家にちょっとだけ土地を与えて
これからは自分に仕えるように&公家にしろや!ってことでやっただけだろ。
朝廷も信長の不興を買うとどんな恐ろしい目にあうかわからんから
信長へおぼえっか使ってるだけだし。
50 :
人間七七四年:2013/01/03(木) 16:12:30.45 ID:dg40Y8Z2
Xへの不遜な対応とか、Xは尊崇せねばならぬとか一方の対象に過度に肩入れする者に
公平な物事の観方などは出来ない。
まあ、研究者でもないしここは2ちゃんだからなんでもありだろうがな。
51 :
人間七七四年:2013/01/03(木) 18:30:08.19 ID:qSpV/A5s
>>50 根本的なところですね。
確かに、こうした観念をもつ人は、僅かの史料を手がかりに史実を探求してゆくことなどできない。
思い入れの意味付与、牽強付会が横行する。
52 :
人間七七四年:2013/01/03(木) 20:18:07.01 ID:wIZdr5L4
>>49 朝廷は不興を買うとどんな恐ろしい目にあうかわからんから光秀へもおべっか使ってるというわけか
なるほど
53 :
人間七七四年:2013/01/04(金) 09:59:04.78 ID:9qx5ou1n
いまだに本能寺の変を、朝廷黒幕説だの
光秀が朝廷のために信長を殺したとか
馬鹿げた話を信じている奴が結構いるのに驚きです。
もしそうなら天皇は秀吉に殺されるか島流しだよ。
54 :
人間七七四年:2013/01/04(金) 10:13:28.03 ID:v7Qs07qp
まさか秀吉は信長に惚れていたとでも?
55 :
人間七七四年:2013/01/04(金) 10:34:56.38 ID:jhHnQISL
今月山本が秀吉本出すぞ。
堀もいる。
秀吉伝説を覆す系ね。
56 :
人間七七四年:2013/01/04(金) 10:36:31.09 ID:9qx5ou1n
>>54 天下統一後の秀吉は悪く言われがちだが
天下を統一し、朝鮮、中国、果てはインドまで手中におさめようしたのは
信長も同じ。信長の意思を継いだ行動に過ぎない。
57 :
人間七七四年:2013/01/04(金) 10:38:57.17 ID:v7Qs07qp
話かみ合ってないかな
58 :
人間七七四年:2013/01/04(金) 10:43:53.54 ID:9qx5ou1n
本能寺の変の当日、誠仁親王が二条御所にいた。
二条御所での信忠の対応次第では、親王が戦いに巻き込まれて死亡した可能性が高い。
要は光秀は、信忠を殺すためなら、誠仁親王も巻き込まれて死のうが仕方なしな構えで攻め込んだことになる。
59 :
人間七七四年:2013/01/04(金) 10:48:14.74 ID:9qx5ou1n
>>57 要は信長の死後の秀吉は、信長の劣化コピーだ。
もし黒幕が朝廷で信長が変で生還していたら、天皇家は皆殺しだろ?
60 :
人間七七四年:2013/01/04(金) 11:06:37.76 ID:v7Qs07qp
劣化コピーなら皆殺しにしないんじゃない
61 :
人間七七四年:2013/01/04(金) 12:04:44.38 ID:9qx5ou1n
>>60 だが黒幕ならただで済むわけないだろ?
まあ黒幕などいないのだが
山崎の戦いで、光秀に手を貸し協力した者が少ない。変の後から、その準備を進めようとしたが間に合わなかった。
62 :
人間七七四年:2013/01/04(金) 12:14:24.52 ID:ebTqBer/
劣化コピーなんだから黒幕だとわからなかったんじゃない
63 :
人間七七四年:2013/01/04(金) 12:31:40.40 ID:9qx5ou1n
>>62 黒幕がいれば情報が漏れる可能性がある。情報が漏れれば、光秀は死ぬ。
。
犯行前日のギリギリまで側近にすら謀反の意思を打ち明けない単独犯行だから成功した。そして単独犯行が故に、山崎の戦いで協力者を集める時間がなかった。
64 :
人間七七四年:2013/01/04(金) 12:42:00.05 ID:+kWS6bg4
光秀が天皇を守るために単独でテロを起こしたってのが最も説得力があるな
65 :
人間七七四年:2013/01/04(金) 12:42:52.54 ID:RmWu27QF
怪しい朝廷関係者なんて秀吉に容疑かけられて調査されてシロだってもう結論出てるからな。
朝廷ガーというやつはほんとアホ。
66 :
人間七七四年:2013/01/04(金) 12:46:36.97 ID:RmWu27QF
67 :
人間七七四年:2013/01/04(金) 12:54:04.60 ID:9qx5ou1n
>>64 光秀が尊王派なら
>>58のように、親王が死んでも構わんバリにソッコーで二条御所を攻めたりはしない
68 :
人間七七四年:2013/01/04(金) 14:04:45.17 ID:fvf/vPG+
>>65 怪しさといっても変に加担した嫌疑じゃなくて
主・信長が討たれると掌返して光秀に接近した無節操さ(銀子受け取ったり)を咎めるのが
信孝・秀吉の目的だったと思うわ。
69 :
人間七七四年:2013/01/04(金) 14:25:29.19 ID:pq2asezi
>>49のいっている京洛焼き討ちの際
朝廷関係者に被害が出ないように
信長はちゃんと警備の兵を出している。
信長が尊王だったとは思わないが、
利用価値を認めてちゃんと配慮ができている。
光秀はそんな配慮をまるで怠っていて
皇太子一家は危うく巻き添えになるところだったし
御所の難民キャンプ状態は放置。
これでどこが尊王・・・?
70 :
人間七七四年:2013/01/04(金) 14:54:47.21 ID:9qx5ou1n
>>7>>12 京都御馬揃えは朝廷を威圧するためという説と、天皇側から査閲を希望したという説とがあるが…
どちらにしても、その運営を任されたのが光秀。
大和、山城、摂津、河内和泉、の五畿内の諸将を動員して家中でも一番目立っていたはず。
これが威圧なら奴が一番威圧したことになる。
71 :
人間七七四年:2013/01/04(金) 15:27:09.57 ID:WTsxzUxJ
ID:9qx5ou1nのせいで朝廷黒幕説が優勢になったな
72 :
人間七七四年:2013/01/04(金) 15:28:35.06 ID:9qx5ou1n
光秀は比叡山焼討ちに納得できなかったみたいな架空の話を出す者がいるが…
近年、光秀が和田秀純に宛てた書状が発見されている。
これによると光秀が焼き打ちの10日前に早くから比叡山の攻め口などの分担を練り、周辺土豪の和田氏や八木氏らの懐柔をしながら、信長による比叡山攻めの号令を待っていた様子が伺える。
この発見により、むしろ彼は焼き討ちに賛成していたはずとみる見方に変わってきている。
何しろ、比叡山焼き討ちの準備をして尚且つ一番活躍したとされるのだから…
73 :
人間七七四年:2013/01/04(金) 16:29:05.52 ID:+kWS6bg4
>72
それいくつか前のスレで原文載せて同じような事言ってる人がいたが、「いう事きかないと大変なことになるよ〜、信長のいう事聞いた方が絶対良いって」みたいなニュアンスだった気がする。
朝日新聞並みの飛躍解釈だった気が・・。
74 :
人間七七四年:2013/01/04(金) 16:38:15.33 ID:WTsxzUxJ
ID:9qx5ou1nみたいな奴のことをしししんちゅう飲むしって言うんだよ
75 :
人間七七四年:2013/01/04(金) 16:47:23.65 ID:AUde8iyu
>>73 あれ読んでどうやったらそんな解釈になるんだよw
76 :
人間七七四年:2013/01/04(金) 18:28:23.93 ID:9qx5ou1n
>>73 焼き討ち10日前、元亀2年9月2日
土豪 和田秀純あて
「此度の忠節、我らに対し候ては無比の次第に候 <今回の(比叡山攻めへの)協力は我々にたいして最高のことだ
鉄砲の筒ならびに玉薬のこと 勿論入れおくべく候 <鉄砲と弾薬はもちろん用意する>
仰木の事は是非ともなでぎりに仕るべく候 <仰木(比叡山の地名)の事は皆殺しにするべきだ>
77 :
人間七七四年:2013/01/04(金) 19:45:52.29 ID:86vESgDD
WTsxzUxJ のような方の病気を統合失調症と言います。
78 :
人間七七四年:2013/01/04(金) 19:52:21.79 ID:BuxZICN7
習いたての単語を直ぐ使いたがるのはID:86vESgDDの悪い特徴ですね
79 :
人間七七四年:2013/01/04(金) 20:12:30.11 ID:AUde8iyu
>>55 これ?
・「偽りの秀吉像を打ち壊す」柏書房
豊臣時代が中心のようだからこのスレ的には関係無さそうやね
80 :
人間七七四年:2013/01/04(金) 21:29:20.11 ID:8Cm02zxE
藤田達生の『秀吉神話を覆す』を思い出した。かなりひどい内容だった。
流れとは関係なしに、突然『武功夜話』偽書説に怒りをぶちまけたところなど笑える。
81 :
人間七七四年:2013/01/04(金) 21:49:32.93 ID:nFGygn5k
そちゃ藤田だもん。何を今更。
82 :
人間七七四年:2013/01/04(金) 21:54:35.41 ID:sVTb18Qx
二つとも良書じゃん
83 :
人間七七四年:2013/01/05(土) 08:58:04.09 ID:DGs+fQUn
光秀が信長配下のNO1だったところから話を勧めないと読めないと思う
84 :
人間七七四年:2013/01/05(土) 08:59:14.34 ID:DGs+fQUn
明智 柴田 秀吉 滝川 →→丹羽
5宿老の実質的な順位
85 :
人間七七四年:2013/01/05(土) 18:47:12.66 ID:DGs+fQUn
仰木って誰?
86 :
人間七七四年:2013/01/05(土) 21:52:57.66 ID:eVawVozC
アホレスがこうも続くとスレの流れが止まるのも已むを得んか(笑
87 :
人間七七四年:2013/01/06(日) 06:58:38.89 ID:8FUKfPa8
秀吉がそいつらと同列は無い
88 :
人間七七四年:2013/01/06(日) 12:28:39.05 ID:9IXWoJ3b
秀吉は織田一門で棚ボタ人事で出世しただけだし
明智柴田滝川佐久間あたりのが遥かに上
89 :
人間七七四年:2013/01/06(日) 23:45:07.50 ID:b9gLgNzn
そのとおりです
90 :
人間七七四年:2013/01/06(日) 23:46:39.74 ID:CxolQk/U
だがさん発狂自演モード入りました
91 :
人間七七四年:2013/01/19(土) 15:52:51.19 ID:yQ0kJIpu
92 :
人間七七四年:2013/01/20(日) 07:03:16.60 ID:R6lBdLKW
まあ、よく頑張ったよ
93 :
人間七七四年:2013/01/27(日) 00:35:07.33 ID:MxsUBzNc
本能寺の変の3日前に書いた福屋隆兼への書状見る限りにおいては
この時点ではまだ信長への叛意は抱いてないんだよね
6月1日の夕方に突然謀反を家臣達と相談してる
これは光秀は信長を何時何処で討つのかを直前まで全く決めてなかったということだ
下手したら謀反のことすら全く考えてなかった可能性もある
このような無計画ぶりで謀反を大決定するには軍事的によほど大きな勢力の支援がないと動けないと思う
94 :
人間七七四年:2013/01/27(日) 01:26:53.87 ID:rYu/INMc
>>93 「軍事的によほど大きな勢力の支援」とは?
どのようなものなのか、イメージできないので、乞う説明
95 :
人間七七四年:2013/01/27(日) 07:01:47.01 ID:41icU3ar
>>94 もし孤立しても助けてくれるだけの実力を持った軍事勢力との同盟
つまり、本能寺の変のあとそいつらに梯子を外されたのではないのではないのか?ということ
96 :
人間七七四年:2013/01/27(日) 18:17:22.70 ID:yC8GhY9m
そんなもんと連絡取ってたら謀反発覚するっつーの
そんな簡単なことが何故わからない
97 :
人間七七四年:2013/01/27(日) 20:35:37.52 ID:5+w5/UpR
だから必要最小限度のやりとりで完全に極秘
もちろん側近にも知らせていない
光秀は書状に見られる通り他の大名や国人と堂々と取次できる立場にあったからそれくらいの情報統制は朝飯前
98 :
人間七七四年:2013/01/27(日) 20:41:02.29 ID:yopiKfC7
で、呼応してくれた勢力はほぼ無し、と。
99 :
人間七七四年:2013/01/27(日) 20:48:26.73 ID:5+w5/UpR
光秀にとって想定外だったのは自分になんの落ち度もなかったのに知らぬ間に同盟相手に梯子を外されたこと
あの体たらくではおそらく死ぬまで梯子外されたことに気づかなかったと思われる
要するに光秀は同盟相手に完全にハメられた
100 :
人間七七四年:2013/01/28(月) 02:08:43.05 ID:+Vm66GVZ
「軍事的によほど大きい勢力の支援」があった(はずである)→しかし「梯子を外された」(はずである)
―――これで一体、何が解明されて、何が変わるの? どうみても振り出しに戻っただけだ。
101 :
人間七七四年:2013/01/28(月) 02:48:29.90 ID:OFfws2lY
>>93 なぜそうなる?逆に考えるけどなあ
ギリギリまで叛意がない→計画的犯行ではない→黒幕などいない
チャンスが来たから信長を討とうって気になったんじゃないかなと思う
光秀が細川藤孝に宛てた書状には「今回の謀反は忠興のためにやったことで、将来は自分の嫡男と忠興に天下を任せる」とあるらしく
リップサービスもあるだろうが、大した理由がないってことの証明でもある
黒幕がいるのであれば、光秀の口からその黒幕の名前が出てくるはずだが
光秀は明智と細川で天下をまとめようと言っている
102 :
人間七七四年:2013/01/28(月) 04:39:59.13 ID:PtJSf1Z0
>>101 やっちまってから必死で仲間を募ってるだけだよなw
103 :
人間七七四年:2013/01/28(月) 08:33:14.58 ID:PoKeBKtT
>>100 状況推理の一つなんで「はずである」とは言えない
証拠消されてると思われる以上断定は不可能
>>101 黒幕ではなく同盟相手
謀反を起こしたのはあくまで光秀の判断
同盟相手はケツ持ちの約束をしたに過ぎない
光秀の口から名前が出ないのは名前を公表しないのが条件だったから
こう考えるとどうだろう
104 :
人間七七四年:2013/01/28(月) 11:12:30.81 ID:PtJSf1Z0
>>103 > 光秀の口から名前が出ないのは名前を公表しないのが条件だったから
相手が呼応してくれないのに一方的に約束を守る光秀の紳士さは銀河一やで!
105 :
人間七七四年:2013/01/28(月) 17:07:15.39 ID:1dsFKRC7
>>103 大体が、大きい勢力による軍事的支援とは、隠しようもなく表に出ることでしょ。
「大きい」軍事的支援をするが、(百歩譲って、事前の話は置いておくとしても)
成功した後も名前を出さないで欲しい、などという話がありうるのか、ちょっと考えれば分かるw
加えて、こんな話を光秀が信じるなら、その人の良さは多元宇宙一だ。
106 :
人間七七四年:2013/01/28(月) 19:18:59.82 ID:rWQe2AZ3
>光秀の口から名前が出ないのは名前を公表しないのが条件だったから
都合が良過ぎる解釈過ぎて吹いたわw
107 :
人間七七四年:2013/01/28(月) 20:13:32.44 ID:5WQO8gUq
>>103 何の手助けもしないのに同盟もクソもないだろw
そもそも信長を討てたのは光秀だからだし、誰かの力を借りる意味もその必要性も全くない。
問題はその後の話なんだよ
その後の混乱時に何の協力もせず表に出てこなかったら
その同盟者の存在意義がわからないw
108 :
人間七七四年:2013/01/28(月) 20:24:40.73 ID:5WQO8gUq
>>103 本能寺の変を起こすことができるのは、信長の動向を良く知り
畿内に拠点を持つ光秀だけだった
よその誰かに告げる必要もないし、見守っててくれとかいう必要もない
何の協力もできないしその必要もないんだから
問題はその後だよ
仮に同盟者がいたとして、その同盟者の協力を得る必要が出てくるのは。
しかし光秀になんの軍事的協力もせず、おのおの討たれるのを
見守ってるだけの同盟者なんて、同盟者とは言えないだろw
もっと当時の情勢とかきちんと理解したうえで、考えてみろって
歴史なんてのは結果ありきなんだから、結果から逆算して考えるのは素人以下のただのバカだよ
109 :
人間七七四年:2013/01/28(月) 22:52:44.74 ID:4n06mGjr
>>108 同盟者が約束を破った理由は光秀を全く信用していなかったから
光秀の謀反が成功しても失敗しても無関係を装って最初から切り捨てるつもりだった
光秀にとってそいつらは同盟者だったがそいつらにとって光秀はダメもとで信長の脅威から脱するための手段の一つでしかなかった
しかし、光秀はそいつらが信長に完全に敵対している以上信長を討てば混乱に乗じて絶対にそいつらが支援してくれると思っていた
それが光秀の最大の誤算だった
光秀の謀反は成功したがそいつらはうまく立ち回り誤算が生じて光秀の支援が難しくなったふりをして予定通り見放した
光秀は慌てたが時すでに遅し、同盟者と思っていたそいつらの意図を見抜けないまま孤立して討伐軍に討たれてしまった
こう考えるとどうだろう?
110 :
人間七七四年:2013/01/29(火) 06:50:32.97 ID:UEeiEJzY
>>109 具体的にはどの勢力をどの動きを想定してるん?w
111 :
人間七七四年:2013/01/29(火) 07:16:38.04 ID:JkPimI/L
支援て…あの日あの時あの場所で細川筒井以上に泣きつけた軍事勢力いたん?
梯子外されたら一気に明智軍死亡確定しちゃうくらいの戦力がさ
112 :
人間七七四年:2013/01/29(火) 19:01:52.45 ID:LTCdJ92D
>>109 「そいつら」っていうのは具体的にどの勢力が候補に挙がるのか?
なんかよくわからんけど信長に敵対した勢力がいたんだろうなあ程度の
知識レベルで妄想するのはやめてくれないか?議論にすらなってないから
113 :
人間七七四年:2013/01/29(火) 19:11:35.80 ID:LTCdJ92D
あともう一言
>>109 自分がこれから人を裏切ろうとしているのに
そんな信用できない奴と同盟なんかしないだろ常識的に考えて
先にも述べたように、光秀は単独で謀反を起こすことが出来るのだから、誰かの協力は必要ないんだよ
(これから謀反を起こします。とか余計なことを広めるのはかえって危険)
信長を討ったという「既成事実」をもってして、他の勢力を畏怖させることで
味方につけるのが常套手段だと思うけど?
やる前なら本当に成功するかもわからないし、何の同盟なのか意味がわからないことになってるぞ
第一その同盟とやらは光秀にとってメリットあるのか?w
何度も言うけど頭つかって考えろって、
114 :
人間七七四年:2013/01/29(火) 21:28:53.92 ID:wnc7NZuB
>>113 支援とは謀反後の光秀が畿内を平定する段階での話です
光秀にとっての同盟のメリットは細川宛の書状に見られる通り時間をかけてじっくり畿内を平定できるということ
つまり同盟者の支援によって有力な討伐軍がなかなか来ないということ
あと、そいつらにはそれまで織田の反乱分子を支援していたという実績があった
なので光秀は自分も謀反を起こせば必ず支援してもらえると錯覚していた
なにせそいつらには上洛しなければならない理由もあったからである
光秀にとって細川、筒井が簡単に呼応してくれないのは想定内だったがそいつらが動かないことは全くの想定外だった
115 :
人間七七四年:2013/01/29(火) 22:11:53.24 ID:MOPzfqHE
そいつらってどいつだってんだよwww
116 :
人間七七四年:2013/01/29(火) 22:52:20.33 ID:UEeiEJzY
架空の状況をいくら夢想しても何の実りもない。
もっと具体的にどの勢力が光秀と同盟したのか?
名前を公表しない条件だったのは何故か?
ケツ持ちの約束なのに不利な状況の時に全く名前を出さない理由が全く思いつきません。
117 :
人間七七四年:2013/01/29(火) 23:13:58.69 ID:zJX4A967
500年以上あとまで名前をださない約束なので、ここでも言えないのではw
118 :
人間七七四年:2013/01/30(水) 01:27:14.49 ID:QsxO1z8e
>>116 名前を公表しない条件としたのは家の体裁が悪くなるから
また戦略上でも警戒されて動きづらくなるからという理由です
もしかすると光秀は名前を出してたかもしれません
が、光秀を信じていないそいつらにとってそれは既に想定済み
光秀が謀反前ではなく謀反後に初めてそいつらに支援を要請したという話にしてしまいました
というわけで謀反前の関係性についてはそいつらは誰にも全く疑われることはありませんでした
こう考える
119 :
人間七七四年:2013/01/30(水) 02:36:44.03 ID:0JeWj3nU
>>118 体裁ってw
そして、誰に警戒されるのを恐れてたんだよ?
変が終わったあとでさあ?
「ケツは持つよ?状況が良ければ。具体的には、オレ、なにもしないけどwだから光秀さん、同盟を結ぼ。そして、信長を討ってねw」
こんなヤツと同盟を組んだ光秀に討たれた信長さんが可哀想過ぎですw
120 :
人間七七四年:2013/01/30(水) 06:26:23.11 ID:NgJDu8NI
>>114 細川筒井が動かないのは全くの想定外でしょ
なかなか動かない細川に対しては、必死になって何度も手紙送ってるし
畿内の大部分を与えるとまで言ってるし、天下が治まった後は細川忠興に任せるとまで言ってんだぞ
それでも細川が動かないから、かなり裏切られた気持ちになったんだと思う
あなたのやってることは、何の根拠も手がかりもないのに自分に都合のいいように夢想しているだけ
正確に記録が残ってあることを無視して何の意味があるの?
121 :
人間七七四年:2013/01/30(水) 06:48:18.49 ID:NgJDu8NI
>>118 >また戦略上でも警戒されて動きづらくなるからという理由です
って自分で言ってるけど、それは光秀にとっても同じだよ
変を起こす前に「オレこれから謀反します」なんて言っちゃうとは思えないんだけど
あと、光秀にとってメリットが
時間をかけてじっくり畿内を平定できるということ って言うけどそれはおかしいよ
現実に秀吉が想定外の速さで軍をまとめて戻ってきた事実があるからそう言ってるだけで
当時は毛利と交戦中で釘付けになってるから、そう簡単には動けないと見ていたはずでしょ
毛利と結んで秀吉の動きを止めるという考えは当然あっただろうけど
それは変後の話でしょ
やる前から毛利と同盟を、なんて全く不可能な話だと思わんのか?
それに対しての見解をどうぞ
122 :
人間七七四年:2013/01/30(水) 08:32:55.71 ID:f8/xDyjO
>>121 光秀は毛利が必ず動くという確証が欲しかった
でなければ早々に孤立してクーデターが失敗すると当然わかってた
そして確証を得たときにもっと先のことだと思ってたチャンスが突如最高の形で到来、この時しかないと思い
その他の準備不足、計画不足は謀反後でも補えると考え謀反を決断した
以上、光秀が策略家らしくできるだけ希望的観測に頼らないで動いてたらという観点に基づいて
推理してみました
表面だけ見たら光秀はほんとに無計画で突然謀反を起こした頭の悪い人か気の触れた人にしか見えないので
話はこれで終わります
123 :
人間七七四年:2013/01/30(水) 13:31:13.30 ID:tEUglEuM
結局何が言いたいのかよくわからんな
言ってることも少しずつ変わってるし
無計画で謀反起こすのが頭悪いとか、気が触れたとか、それは違うと思うけどな
後世の人が作り上げた勝手なイメージになぞらえて考えようとすることが
間違っているよね、俺から言わせれば
策略家だから絶対裏があるとか、そんな考え方では史実には迫れないと思う
人間なんだから失敗もするし、感情で動くこともあるだろうし。それはわからんだろ
124 :
人間七七四年:2013/01/30(水) 22:33:26.64 ID:ughdTgsR
フロイスなんかが、乱の直前に信長が光秀蹴っ飛ばしたって書いてるが、
それがホントなら当時の武士なら当然復讐するだろうな。
125 :
人間七七四年:2013/01/30(水) 23:50:02.67 ID:plF+47NE
>>124 光秀「蹴飛ばしたね?親父にすら蹴飛ばされたことないのに!」
どこのガキだよ
126 :
人間七七四年:2013/01/31(木) 01:24:38.91 ID:VAolKjN3
光秀は信長の出自より高貴な家柄なので
上級の武家のプライドが許さないんじゃないかな
怨念説って数年前までは一蹴されてた感じだけど、結局この説が一番有力になっている気がする
フロイスの日本史はかなり信憑性高いと言われているし
127 :
人間七七四年:2013/01/31(木) 03:46:47.44 ID:71ZRINtX
上司を焼き殺した上に息子まで死なせて、上司の家に押し入り金品強奪、同僚の家を占拠
そして「だって蹴られたんだもん!」と友人に泣きつく
というのが足蹴り説であるw
128 :
人間七七四年:2013/01/31(木) 07:10:56.51 ID:rnWsM+Ym
高貴だろうが低身分だろうが、恥をかかされたら必ず報復するのが当時の武士だよ。
理屈じゃない。そうしないと周りから舐められる。
129 :
人間七七四年:2013/01/31(木) 07:39:21.18 ID:qvGjdBub
>>126 本人が信長に取り立ててもらうまで石ころ同然の身分だったで白状してるのに?w
フロイスの日本史でも卑しい身分だったって書いてるのに?w
130 :
人間七七四年:2013/01/31(木) 07:44:17.11 ID:xHsRSlRm
>>128 恥をかかされて主君を打った人が沢山いたって事?
131 :
人間七七四年:2013/01/31(木) 07:46:50.51 ID:rnWsM+Ym
132 :
人間七七四年:2013/01/31(木) 07:59:36.92 ID:qvGjdBub
光秀「恥をかかされたので主君を討つぞ」
家臣「てめーだけでやれや」
こうなるわなw
133 :
人間七七四年:2013/01/31(木) 08:27:16.82 ID:xHsRSlRm
喧嘩両成敗なんて時代と国によって法律が違うじゃん。江戸時代の切捨御免だって厳しいルールがあるし、主従の喧嘩の場合もルールは別
光秀は謀反だって変の後に自分で言ってるし
134 :
人間七七四年:2013/01/31(木) 18:31:08.13 ID:8TZVphIZ
>>132 てめーだけでやれなんて思わないと思うけどな
現に光秀の配下はみんな最後までついていったし
135 :
人間七七四年:2013/01/31(木) 19:25:28.30 ID:Rp7UydsU
>>126 >光秀は信長の出自より高貴な家柄なので
え?
136 :
人間七七四年:2013/01/31(木) 21:44:42.95 ID:gItX5oiC
>>128 周りはむしろ同情するだろ。
災難だったなと。
信長が周囲からどう見られてたか全く考慮に入れてないよね。
光秀の動機は積もりに積もった将来不安による自己保身が最も有力だと思うよ。
頑張り屋の成り上がりが何よりも恐れるのは失脚だからね。
137 :
人間七七四年:2013/01/31(木) 21:55:13.21 ID:MYycPN6I
オイラは被害妄想な気がす。
「やっやられるぅ〜〜」と独り言。
138 :
人間七七四年:2013/02/01(金) 23:18:59.41 ID:YFbx8IS4
いわゆる三職推任問題
どっちが言い出したかが分かるだけで史実にグッと近づけるのに
あの日記書いた公家ももう少し書き足しとけよと思う
139 :
人間七七四年:2013/02/02(土) 03:56:02.50 ID:v2Bqyc6J
>>130 蘆名盛隆が大庭三左衛門にした嫌がらせとか
武田信玄は軟弱と罵られ疎まれてたとも
光慶が不明過ぎて細川への書状も本心より調略の印象がある
140 :
人間七七四年:2013/02/02(土) 23:26:54.30 ID:jb24/bP4
黒幕は利休だな
本能寺に信長を手引きしてるのこいつだし
さすがに某漫画のように秀吉が信長を殺すのはトンデモだがw
141 :
人間七七四年:2013/02/02(土) 23:51:29.40 ID:ZBcaPllB
>>本能寺に信長を手引きしてるのこいつだし
どっからこんな与太話が…?
142 :
人間七七四年:2013/02/03(日) 00:11:49.42 ID:0Q+kLpjg
>>139 調略っていうか、細川を味方につけないと負けると思ったからそこまで言ってんだろ
もしあそこで負けたら先はないってのは光秀も思ってただろうし
あの内容からして、光秀が精神的にもかなり追いつめられていたのは事実でしょ(自分が謀反しときながらアレだけど)
光秀は最初から天下獲りを目的としていたつもりじゃないだろうから
嘘ついてるわけではないと思うよ
もし勝った場合は細川にはそれだけの恩賞があって然るべきだし
143 :
人間七七四年:2013/02/03(日) 02:39:39.55 ID:55Dwwuky
結果的に細川家の天下の為に信長の傀儡も立てずに織田家潰すの?
144 :
人間七七四年:2013/02/03(日) 09:36:59.41 ID:CFdKYbfa
「摂州でどお?」とは言ってるけど細川に天下渡すとは言ってないよな。他の織田領はどうする気だったんだろう?柴田とかの取引材料かな?
145 :
人間七七四年:2013/02/03(日) 12:47:28.44 ID:55Dwwuky
望む物は全て叶え隠居し後事は光慶と忠興に託すと書いてる
柴田から勝定が来て毛利文書だと柴田は明智方
146 :
人間七七四年:2013/02/03(日) 13:57:23.11 ID:JncczzFz
「天下」の概念も個々人で違うからな。
京を中心とした畿内の静謐くらいならば、あるいは儂にも可能か?と光秀は思ったのかもしれん。
日の本全土となればさすがに無謀過ぎるわけで。
147 :
人間七七四年:2013/02/03(日) 16:43:49.78 ID:TW5l95Vh
信長父子の死を痛んで髪を切られた由、 私も一時 は腹が立ちましたが
考えて見れば無理もない事と了解いたしました。
この上は私にお味方され、大身の大名になられるようお願いいたします。
領地の事は、内々摂州(兵庫県)をと考えておのぼりをお待ちします。
但馬・若狭の事はご相談致しましょう。
この度の思い立ちは、他念はありません。
50日100日の内には近国も平定できると思いますので
娘婿の忠興等を取りたてて自分は引退して
十五郎(光秀の長男)・与一郎(細川忠興)等に譲る予定です。
詳しい事は両人に伝えます。
摂津を領地にあげるから味方して、近国平定したら引退して後を任せるだから
天下のことなんてとても考えてるとは思えない。
天下のことは誰かに任せるつもりだったんじゃないの?
148 :
人間七七四年:2013/02/03(日) 17:49:31.48 ID:55Dwwuky
但・若は同前って書いてるけど
怨恨説や神経衰弱説のとりあえず信長を討てるならやっちまえって事?
149 :
人間七七四年:2013/02/03(日) 23:14:46.94 ID:pEG0GWjh
>>147 この書状は光秀の認識が甘すぎてアホにしかみえないな
やっぱり信長討った後のことを想像できなかったただのアホだったんじゃないの?
150 :
人間七七四年:2013/02/04(月) 07:00:37.76 ID:yx4ABkb8
信長「天下は朝倉殿持ち候へ」
秀吉「天下は丹羽殿と持ち回り」
151 :
人間七七四年:2013/02/04(月) 09:04:21.09 ID:9bZ63nk7
光秀が高貴な出自ってのは一般では良く
言われてるみたいね、たぶん清和源氏の血を引いてる
って話だと思う。
何も根拠はないし、相手にしても仕方ないが。
細川への手紙はかえって相手に対する正直で
冷静な心情が表れてるわな。
2人のそれまでの微妙な間柄を考えると
タテマエだらけとはいえかなり
重要で面白い内容だ。
152 :
人間七七四年:2013/02/04(月) 09:30:19.96 ID:yg5v5CyO
>>147 この手紙は確か2通目以降のもの
最初の手紙にはなんて書いてあったのか気になる
最初の手紙は残ってないのにどうしてこの手紙は残っているのかも疑問
153 :
人間七七四年:2013/02/04(月) 12:23:45.89 ID:TQ0CZFuK
154 :
人間七七四年:2013/02/04(月) 19:26:22.93 ID:Cl7isR2j
結果から推察するのは愚かだよ
信長や秀吉のときとは明らかに状況が違うし
孤立した光秀にとって、細川が味方につくかつかないかは生死を分けるほど大きいこと
信長も秀吉も最終的に朝倉や丹羽の力を必要とせず天下を取ったってだけの話だろ
最初から嘘つくつもりでいたわけじゃないからw
状況は常に動いているんだよ
155 :
人間七七四年:2013/02/04(月) 21:02:22.39 ID:0MYImW2v
丹羽は秀吉の策略で信孝の腹を切らせたとき
「あの猿めが」と烈火の如く怒り狂ったらしいね
156 :
人間七七四年:2013/02/04(月) 21:40:13.86 ID:5aYoeeTk
親しき中にも礼儀あり
相談もなしにいきなり謀反したらそりゃ誰もついてこないよ
クーデターの成功の秘訣は事前の多数派工作にすべてかかってる
バレるから相談しないという論理は馬鹿の論理
157 :
人間七七四年:2013/02/04(月) 21:49:09.83 ID:qcMJ2sOE
親しき中にも礼儀あり(笑)
158 :
人間七七四年:2013/02/05(火) 06:33:10.00 ID:d1ldv4nU
約束してる風でもないのに「私も一時は腹が立った」とか言ってるしな
細川も中国地方に行く事になってたし「過労死するわ〜w」とか藤孝が愚痴ったのをKY光秀が真に受けて「これなら加勢してくれるはず」とか思ったんじゃね?
159 :
人間七七四年:2013/02/05(火) 08:09:24.79 ID:teaLGHvd
なんか多数決を持ち込んでるやつがいるぞ・・
160 :
人間七七四年:2013/02/05(火) 21:05:54.93 ID:Wh9TiAZ6
>>147 >考えて見れば無理もない事と
今まで考えてなかったんかい!w と突っ込まざるを得ない。
まあ建前だろうけどこれはない。
こんなすっとぼけたこと書いてたらますます細川は協力を拒むわ。
161 :
死:2013/02/06(水) 00:36:05.75 ID:+oSUoD0z
やっぱりどっから見ても光秀に勝ち目は無いよね
光秀なら読めたと思うんだけどな
それでも謀反したんだからよっぽどムカついてたんだな
162 :
人間七七四年:2013/02/06(水) 01:54:47.84 ID:ykmWyuLB
本能寺の結果伝えて、次の指令だしたら
もう出家するんで関係ないですと返答されたからの援軍要請だろ
163 :
人間七七四年:2013/02/06(水) 02:42:11.48 ID:E/aZmRw5
本能寺に行く前に、坂本に玉子を呼び出しておいて人質にする。これで忠興ゲットだぜ!
164 :
人間七七四年:2013/02/06(水) 15:59:33.00 ID:Fmv0TUC7
しかし、それをやれば、幽斎の反感を買うこと必至なのでできないだろうw
165 :
人間七七四年:2013/02/06(水) 21:54:26.27 ID:Lh8/ZV6A
3日前までなんの兆候もなしに普通に信長の命令通りの行動をしていたってのが謎すぎる。
166 :
人間七七四年:2013/02/06(水) 22:11:09.38 ID:7VVunpc4
誰にでもわかるような兆候を見せてたら疑われますがな
167 :
人間七七四年:2013/02/07(木) 07:52:03.42 ID:R0SE1t8B
>>122からちょっと補足
福屋隆兼宛の書状の解釈だがこれは要するに福屋は早まって毛利を裏切るなという意味だと思われる
具体的に言うと秀吉と合流してから様子を見ながら山陰地方へ向かうまでに信長を討つつもりなので
早まって協力者の毛利を混乱させるようなことはするなと釘を刺した
当初の予定では細川らと合流してから中国地方遠征途中のどこかで信長を誘き出して討つつもりだったのだと思う
しかしその絶好の機会が本当に来るのかどうかはいまいち不透明だたった
ところが遠征に出立する前に本能寺という絶好の機会がすぐさま訪れたので当初の予定を変更して即決起
仲間集めという準備不足も把握してたが毛利と組んでるんだから時間があるしなんとかなると思ったのではないのか?
ところが光秀が50日100日はあると考えてた時間が毛利の裏切りによりなくなり
逆に毛利に支援された秀吉によって速攻で討たれてしまった
こう考えると光秀らしくない一見無計画にみえる行動にも納得がいく
168 :
人間七七四年:2013/02/07(木) 08:47:59.95 ID:qqlX1RLS
何で秀吉の後援受けて対毛利の最前線で踏ん張ってた福屋に
毛利を裏切るなとか伝えなあかんねん?意味不明過ぎるで
169 :
人間七七四年:2013/02/07(木) 09:44:24.06 ID:R0SE1t8B
>>168 すみません。
石見の国人とばっかり思ってたので完全に認識違いしてました。
調べてみるとだいぶ前に石見を追い出されてますね。
でも明智本軍が行くまで行動を自重してくださいという意味ではそう大差がないか。
どちらにしろ、毛利を困らせるようなことはするなと言いたかったのだと思われます。
170 :
人間七七四年:2013/02/07(木) 10:53:38.19 ID:pkj2arit
「伯耆国に行った時はよろしく」って挨拶状にしか見えん
171 :
人間七七四年:2013/02/07(木) 21:35:28.94 ID:HSKFYLxp
しかし、この書状を受け取った福屋さんは本能寺の変が起きてポルナレフ状態だったんだろうなw
つか光秀なんで大事な時にこんな書状書いた?w
172 :
人間七七四年:2013/02/07(木) 21:48:55.38 ID:qqlX1RLS
その時迄は事を起こす気が無かったんだろうね
173 :
人間七七四年:2013/02/08(金) 00:47:26.46 ID:wuwgxVlF
たしか川角太閤記ではなかったかと思うが、出陣直前に荷駄隊を西方に出発
させたという話があった。
事実とすれば、陽動作戦という解釈があるが、その可能性は充分ある。
謀反を起こそうとするときには、周囲に対して、過剰なまでに、予定通り出
陣する姿勢を見せたくなるのは当然だ。
とくに、明智家、織田家は主従で同陣営なのだから、スパイというほどでは
なくとも変な動きがあれば内包する者が明智家内にいる可能性はいくらでも
あるので、こうしたことに神経をつかうはずだ。
そうであれば、この手紙も、近くそちらの方に行く、という周囲(というの
は光秀の身近)へのアピールの可能性も考えられる。光秀の書状は、何人も
の手を通して送られるので、周囲の知るところとなる。
この程度の手は、いくつか打っていてもおかしくない。
この手紙を出した時点では謀反を決めていないとも考えられないではないが、
少し直前すぎるように見える。
174 :
人間七七四年:2013/02/08(金) 15:59:52.14 ID:Lmfe58v1
陽動作戦というか、両面作戦みたいな感じ
だったのかね。
100%確実に謀反を起こすかどうか、、または
起こせるかどうかは未来形でわからない。
だから通常通りの業務を遂行してたとしても
普通の話であって、油断させるため、と言い切るには
別の論拠が必要になってくるだろう。
175 :
人間七七四年:2013/02/08(金) 16:22:34.33 ID:+/wDPhSU
光秀が信長を殺すにしても
信長が本能寺で何者かに暗殺されたって体をとった場合どうなってたの?
176 :
人間七七四年:2013/02/08(金) 17:02:44.81 ID:4bHCWJqP
>>174 173です。
174さんの解釈に反対ではない。このような解釈の方が妥当かもしれない。
福屋隆兼宛の書状があることをもって、このとき、謀反を決意していなかった
(状況次第で踏み切る決意もなかった)、考えていなかった………など、この時点
での謀反否定の根拠とするのは無理があると考えてきた。
「両面作戦」の場合も、状況次第で謀反に踏み切る決意をしていたことになるので、
この捉え方で無理はないと思う。
177 :
人間七七四年:2013/02/08(金) 18:34:58.83 ID:yP1d1Vbo
光秀が謀反を起こすなら京でやるのがベストだと思っていたら、問題は信長がいつ京に入るかだよな。信忠の手紙でも、はっきりした日にちは決めてなかったみたいだし
数日中に上洛したら決行、来なかったら中止、みたいな
178 :
人間七七四年:2013/02/08(金) 19:14:36.03 ID:sZkn1aab
両面作戦計画は一見もっともらしいけど信長が京都に入るのを待ってたんなら
信長を討つチャンスがなくなったと判断してから書状出すだろう。
状況次第で山陰に行くかどうかもわからないのにこれから行くよなんて書状を出す必要ないのでは?
信長の行動を全く予期していなくて信長が京に入ったという情報自体が
荷駄隊が出発した後での寝耳に水だった可能性の方が高い。
179 :
人間七七四年:2013/02/08(金) 22:16:12.61 ID:+8YHyPYz
本能寺の変は主君である信長を光秀が自決に追い込んだように、本などに書かれているが
本当に光秀って思うんですよ。家康の企みちゃうのんて思うのです。
何か長男、奥さん殺されたんでしょ?動機は充分ちゃう?
信長の死後に、そんな事があったにもかかわらず自分も死ぬ言うたんでしょ?
わざとらしいと思えて仕方がない。
本能寺の変、山崎の合戦、逃げてるときに落ち武者狩りの農民に殺されたって
本で読んだ。農民が殺したのは光秀でなく、光秀の鎧を着てたヤツちゃう?
誰か、教えて!
180 :
人間七七四年:2013/02/08(金) 22:35:14.84 ID:sZkn1aab
>>179 よくわかりましたね。
光秀を操ってたのは家康です。
ついでに家康を操ってたのが秀吉です。
さらに秀吉を操ってたのが信長です。
つまり本能寺の変は信長の盛大な自作自演でした。
これで満足?
181 :
人間七七四年:2013/02/09(土) 00:52:37.14 ID:912rTDu8
>>179 信康、築山殿殺害を、信長に命じられて家康が泣く泣く苦渋の決断で行った、などと、まだ無条件に信じている者がいるのかw
182 :
人間七七四年:2013/02/09(土) 15:36:19.38 ID:MkYKKT82
大体歴史ってウソがあってもおかしくないんだから
妄想でええちゃうのん?
183 :
人間七七四年:2013/02/09(土) 16:38:32.73 ID:1gTh+Rkp
>>181 え?お前まさか家康主導でやったっていう、史料的に全く確認できない妄想仮説を信じてるのか!?
うわ…
184 :
人間七七四年:2013/02/09(土) 19:04:48.45 ID:0veZXiFi
信康の話になると張り切ってしまう人って…
185 :
人間七七四年:2013/02/09(土) 19:29:37.00 ID:sFD+mXW/
信康の話題とかスレチ過ぎるぜ
186 :
人間七七四年:2013/02/10(日) 00:23:23.16 ID:CzLmmJWM
>>178 「両面作戦」というかどうかともかく、戦国武将であるかどうかを問わず、
よほど直線的な人間を別にすると、行動について、いくつかの場合を考える
のは、むしろ普通のことと思う。
とりわけ、いくつかの場合に対して手を打つことが、相互に背反しないばか
りか、プラスになるなら、その手立てを多方面に打っておくことは、「戦闘
行動」と言う、相手があって、予期しないことが起こるのがむしろ普通であ
ることを生業とした戦国武将にとって、特別とは思えない。
光秀が謀反を決意したとしても、それを発動できない場合も想定して、その
側の準備や行動も並行させたことは自然に思える。
このことは、書状について、間違いなく(上の意味での)両面作戦だという
主張するものではなく、ただ、その可能性も否定できないという意味なのだが。
187 :
人間七七四年:2013/02/10(日) 10:00:46.62 ID:s0POV1e5
そそ。
両面作戦というのは言葉のアヤで
単に、どっちつかず、って意味なんだけどね。
愛宕山から降りてきて始めて信長が無防備で
京にいることを知ったとして、1日で決断するには
あまりに重大だからやはり事前から心中決断は
してたんだろう。
でもよく言われるように信長が京にこなかったり居場所不明だったり
したら起こしようがない。
このあたりは光秀の計画はいきあたりばったりではあるが
相手があることだから謀反の杜撰さに結びつけるのもまた
少し違うだろうし。
ワンチャンスをつかまえたのは素晴らしいという意味でね。
家康が京に向かうまさにその朝に起きたり
歴史というのは稀にこういう偶然とかが重なったりする。
それを全て陰謀に結びつけるのは面白いけど
こっからの3年はそういう有り得ないようなことが
続けて起きるからね。
188 :
人間七七四年:2013/02/12(火) 22:23:58.43 ID:7ptsDJrQ
>>186 ちと苦しいね
謀反を既に決断していたという前提だと失敗したための書状を出す必要がやっぱり全くないよ
無駄すぎる
そんなことほっといて謀反実行の計画を早々に練った方が有益
もし出す必要があるとすれば謀反を起こすため、どうしても早めに伝えたかった用件であったとしか思えない
内容が「山陰に行ったら我が軍と合流してね」だからクーデターの仲間を増やすために書状を出したのではないのかな?
189 :
人間七七四年:2013/02/12(火) 22:44:59.98 ID:HEyWgGkh
age
190 :
人間七七四年:2013/02/13(水) 03:26:59.51 ID:H/s0Iu3X
>>188 直線的な方ですねw
人は、実際のところ、自覚しないでも、いくつかの場合を念頭に行動をとっていることが普通です。
まして、敵の動きに応じる必要がある戦国武将では、より以上に、いくつかの場合を想定した行動をとるはず。
一つだけの目的・道筋に対する行動だけを行う人間とは、実は、自分自身も排した観念の産物です。
しかし、そのような傾向が強い人は確かにいるけれども、それでは、まず勝ち抜けません。
(複数の手を討ったからと言って、誰もそうしている以上、それで勝つことが保証されるわけではないけれども)
191 :
人間七七四年:2013/02/13(水) 10:49:40.80 ID:COCyeREp
かなりの専門家でも直線的に考える人多いよね。
人間は100%絶対合理的に行動する、みたいな感じで。
だから結果見て「こうしただけ」「誰でもそうする」みたいに論を
展開する。
このスレで言うなら、本能寺の前日の状態で
明日謀反が起きて信長死ぬよ、なんてこと前日に誰も
わかるわけがない。
そう考えると秀吉の大返しも決断ではあったろうし
家康の帰還も大変なものだったろう。
でも結果見て「誰でもそうするな」「逃げただけだろ」とか
そういう論が多いんだ。
どうなるかわからないからこそ
事前にいろいろ考えて事後でもいろんな選択肢がある。
「必要がない」「無駄」とかいう考え方こそが結果論からの
逆算で不思議だなとは思うわ。
192 :
人間七七四年:2013/02/13(水) 20:40:16.06 ID:OkokuN4j
>>190 >敵の動きに応じる必要がある戦国武将では、より以上に、いくつかの場合を想定した行動をとるはず。
それよりも本能寺のあとの状況をいくつか想定しとけよとw
本末転倒すぎる
193 :
人間七七四年:2013/02/13(水) 23:21:42.94 ID:zDjGxzHW
>>192 190です。
変の前であろうが後であろうが、人は複数の可能性を想定して考え行動して
いる。それを、後の時代の人間は、結果を知った観点から一つのコースとしてだけ、
あるいは一つのコースをもっぱら中心に捉えやすい。
………問題にしているのは、当事者と、それを後世から見る者との、この「乖離」だ。
光秀の行動が、どこまで「しっかり」必要な複数の可能性を洞察し行動をとれたのか、と
いう価値判断とは別領域。
しかし、すぐに、これを価値評価に結び付けて、むきになる人がいつもいる。
これは見当違い。
変の前に光秀が複数の場合を想定して(優れた)行動をとったかどうかとい
うことは別領域になる。その評価とは別に、変の前であろうと後であろうと、光
秀であれ誰であれ、(結果を知らない)人間の普通の法則に支配されて行動
しているということを言っているだけにすぎない。ただ、ここを踏まえない
と、(結果を知っている)後世の人間は、上の「乖離」に支配されて、過去
の人間の行動評価を一面的に狭めて捉えてしまう。
まだ本能寺の変が起きていないときに、光秀にとっても、本能寺の変がどこ
まで実感できていたか分からない。その条件ができない場合、状況が変化し
て実行できない場合も(洞察云々という以前に)実感レベルで持っていた可
能性の方がはるかに高い。ところが、本能寺の変が起こったことを知ってい
る後世の人は、変の前の光秀や関係の人たちも「本能寺の変一色」であった
と思いこみやすい。
191さんが言っている一つは、このことだろうと思う。
194 :
人間七七四年:2013/02/14(木) 00:53:49.74 ID:8XgFB883
>>188 >内容が「山陰に行ったら我が軍と合流してね」だからクーデターの仲間を増やすために書状を出したのではないのかな?
それは絶対違うと思うw
実際に中国への援軍に向かおうとしていて、そういう心の準備でいたのは確かでしょ
クーデターの仲間を増やすって何の意味があるんだ、そんな遠方の人間に対して
195 :
人間七七四年:2013/02/14(木) 01:03:43.92 ID:8XgFB883
>>192 変後を想定してなかったとも言えないし、
>>191さんの言うとおり
100%合理的な行動をとるとも限らないわけで、そこは断言できる部分ではない
資料が残ってないのと、結果的にあっさり敗れたからそーゆー印象持っちゃってるだけで
なんの想定もなかったバカ→→光秀は策略家だからそんなはずはない!!→→これは陰謀だ、きっと黒幕や協力者がいる
っていう論理を展開する人ってホントに多いよね
でもそういう考え方自体が大きな間違いなんだよ
196 :
人間七七四年:2013/02/14(木) 07:15:47.88 ID:zto2WZJC
197 :
人間七七四年:2013/02/14(木) 07:38:48.13 ID:UDnGd2+8
>>194 最初は中国戦線で反旗翻すつもりだったとすれば辻褄が合う。
細川や筒井は放っておいても行軍途中で合流予定だったわけだし。
あからさまに謀反を匂わせること書いて信長に注進されると困るしね。
>>195 信長討ったらどういう状況になるかは策略家でなくても当時の常識ある人なら簡単に想定できるでしょうに。
結果論以前にあまりにも一般常識がなさすぎな行動なんですよ。
だから信長さえ殺せばあとはどうでもよかった各種説やノイローゼ説でも納得できてしまう。
信長を討っただけで他に何もやってないのに細川や筒井が仲間になってくれて方面軍が戻ってこなくて
畿内を数ヶ月で制圧できるとか大真面目に考えてたのなら頭がお花畑すぎであきれてものも言えません。
秀吉がすぐ戻ってこなくても明智軍は孤立無援になってジリ貧で滅亡することは普通の人でも事前に想定可能。
198 :
人間七七四年:2013/02/14(木) 10:43:31.21 ID:FTzGGHe8
>>197 京での謀反が無謀なのに中国戦線で反旗なんて更に無謀だろ。やらない方がマシじゃない?
近江を平定して勝家の反転に備える。長浜、佐和山、安土の占拠。味方募集の書状発給。朝廷との交渉。安土の金をばら蒔く
などなど、地元にいたから手を打てたわけで
199 :
人間七七四年:2013/02/14(木) 10:52:25.80 ID:cpfw/0lV
>>196 なるほど。こういう説もあるのか。
特に三官推認への応答保留と安国寺恵瓊の手紙の整合は面白いね。
200 :
人間七七四年:2013/02/14(木) 21:35:22.39 ID:J1dCPxb/
>>198 何処で反旗を翻すかよりも事前に誰も仲間にしてないことが無謀なんですよ。
事後でいくら書状出しても金をばらまいても無駄無駄。
こういうことを理解できていないから光秀は常識のない馬鹿なことしでかしたと言われるわけです。
201 :
人間七七四年:2013/02/15(金) 00:05:14.04 ID:G8hfRZHt
>>200 だから京でも無謀だって言ってるじゃん
ただし状況次第では仲間になってた人もいたし。筒井とか秀吉がもう少し遅ければ合流していた
無謀ではあっても手を打つのは無駄では無いかもよ?って話
202 :
人間七七四年:2013/02/15(金) 00:52:20.98 ID:bwZFODHk
明智、荒木、松永、別所
皆無謀だよなぁw
大人しく信長に仕えてた方が余程長命出来ただろうに。
戦国人の人生観では長命なんぞ糞喰らえかも知れんが。
203 :
人間七七四年:2013/02/15(金) 01:14:34.31 ID:23MjAoJW
>>181 本当に親子不和だったのか?
本当に信康が独自の判断で武田に内通しようとしていたのか?
徳川穴山の取次ぎラインはいつの間に築かれたのか?
家康内通のためのラインをそのまま逆利用して穴山が恭順してきたのではないのか
かつて家康外戚の水野信元が武田内通で断罪されているが、武田崩壊により新証言が出たということはないか
信忠と家康の堺すれ違いは偶然か?水野忠重が二条城から逃げ延びたのは偶然か?
204 :
人間七七四年:2013/02/15(金) 01:28:46.65 ID:23MjAoJW
>>109に乗っかれば伊賀越えは光秀からの出兵要請をかわすための時間稼ぎと見る
思えば三河物語の城介乱心のクダリも不自然すぎるが、公儀に対しての仄めかしとみれば腑に落ちる
205 :
人間七七四年:2013/02/15(金) 01:38:17.03 ID:oyWgoKCf
結局光秀スレは陰謀論の巣窟になるんだなあ
206 :
人間七七四年:2013/02/15(金) 07:47:07.21 ID:fxxBmvAo
>>201 何か勘違いしてるようだけど筒井は秀吉が来なくても動いてないよ
合流するのは本能寺の変が起こらない場合での話
207 :
人間七七四年:2013/02/15(金) 10:09:05.10 ID:QUrVhFK3
一部の兵は近江に出したんじゃなかった?細川は山崎に出てないのに秀吉に感謝されてるが、筒井は叱咤されてる
208 :
人間七七四年:2013/02/15(金) 11:57:02.42 ID:Hh2mY6up
>>207 そのとおりだよ
「多聞院日記」によると、筒井は南方衆を近江攻略戦に参加させ、秀吉の大返しを知って郡山城に籠城してる
一方で、秀吉・信孝に味方するわけでもなく山崎合戦当日付書状でも「信長公の恩義を感じているなら山崎
に兵をだせ」と信孝にお叱りの手紙を送られる始末
まさにギリギリまで日和見に徹したという感じがするね
209 :
人間七七四年:2013/02/15(金) 14:38:35.75 ID:l4pKSIh5
細川も、二股かけての日和見でしょう。
「毅然として髻を切って光秀の誘いを拒否した」→のであれば、明智と戦うのが筋。
丹後から(手薄になった)丹波に圧力をかけるなり、攻め込むだけで、光秀の勢力は大幅に分断される。
「光秀側の砦を二つ落とした」→丹後と丹波の間は、光秀が丹波を制圧した後、何の緊張もない。小砦など廃屋に
ちかかったはず。そんなところを「落とした」などと言うこと自体、パフォーマンスがありあり。
「玉を離縁し幽閉した」→玉を幽閉した場所は、輿入りに細川家に献上した、もともと明智家の所領。
玉にとっては、家臣に囲まれた居心地のいい場所。ちょっとそこで寛いでいてくれ、と言う感じ。
そして細川は山崎にも参戦しない。
要するに、光秀が勝っても充分言い訳、対応できる巧妙な策をとっている。
秀吉の感謝状はかなり遅い。細川の本音を知った上で、利用価値があると判断したのだろう。
210 :
人間七七四年:2013/02/15(金) 21:36:30.98 ID:8wkPrNYz
日和見というより方面軍が戻ってくるまでの時間稼ぎだなあ。
細川も筒井も。
万が一光秀がそれらに勝っちゃったら軍門に下るしかないけど。
まずありえない。
211 :
人間七七四年:2013/02/16(土) 10:12:07.22 ID:Seko23iI
>>209 細川は山崎には時間的に参加できないだろ
それと下手に動いたら明智の友軍と見られるかもしれないんだから動かなくて正解
筒井も結局はそれを恐れたから籠城しちゃったんだろう
裏目にでて秀吉に叱られたけど
212 :
人間七七四年:2013/02/16(土) 13:32:13.20 ID:HxrG5vkS
裏目も何も、秀吉に味方すると決意したわけじゃないんでしょ
最初は近江に出兵して秀吉が帰ってきたら篭城、だったらどっちかと言うと消極的な光秀方って感じ
213 :
人間七七四年:2013/02/16(土) 16:30:24.66 ID:0Paxqfy/
消極的な光秀方って???
筒井は細川と違って援軍断ったら光秀にすぐ攻められる位置にいるから味方になるふりをして
各方面軍が戻ってくるまで絶妙な外交で時間稼ぎしてたと見るのが妥当。
方面軍さえ戻ってくればあとは光秀が攻めてきても籠城で何とか持ちこたえられるし。
山崎に出向いて行軍途中で襲われたらたまらん。
214 :
人間七七四年:2013/02/18(月) 08:12:17.00 ID:bVd1OQQS
絶妙な外交ならあとで怒られんだろ
215 :
人間七七四年:2013/02/18(月) 21:34:34.67 ID:yxp6wgmE
216 :
人間七七四年:2013/02/19(火) 10:57:32.95 ID:8edmajrr
そりゃあ朝廷だって諸大名だって馬鹿じゃないからなあ。
事態が落ち着くまで適当なこと言いながら様子見、ってのは普通の態度だ
217 :
人間七七四年:2013/02/19(火) 13:04:33.02 ID:ZSCDWEkd
>>216 だがそれが気に入らない!という感情も、まあ普通だしな。
218 :
人間七七四年:2013/02/19(火) 19:47:49.87 ID:eM3C3fcq
事前になんとかとかお花畑とかいうが
秀吉があんな早く戻ってこずに
毛利が逆に姫路を取り囲もうとするだけで
何もできない。
そうなったら朝廷や筒井たちはイヤでも
光秀につくしかないだろう。
天下がどうじゃなくて織田家内のケンカなんだから
そんなもの。
そのうちお金の力で、京都守護、みたいな任務を
もらえば一気に官軍、謀反大成功。
と、こうなるのが普通なぐらいで秀吉が
すごかっただけなんだ。
まぁ、誰だって大返しするだろ、という意見は
聞き飽きたし、それを持って光秀をバカにするなら
そのバカに討たれた信長はもっとバカってとこだ。
さらにそれにやられた武田や浅井はバカの中のバカになる。
戦国じゃなくてバカ時代だったってことだな。
219 :
人間七七四年:2013/02/19(火) 20:37:11.31 ID:Nr6+gYY6
>>217 それを気に入らないとかいうのはモノのわかってないガキだけだわ。
220 :
人間七七四年:2013/02/19(火) 20:43:54.86 ID:K0B673KS
>>218 >毛利が逆に姫路を取り囲もうとする
なんの確証もなしにこの認識がすでにおめでたい
各方面軍が戦線をうまく放棄してすぐ戻ってくる可能性を全く考えてない
221 :
人間七七四年:2013/02/19(火) 22:43:38.79 ID:eM3C3fcq
>>220 各なんとかとか、戦線放棄とかまったく意味が
わからんのだが・・
交戦状態にあった強い相手が内部混乱で
一方的に撤退、こんな時に少しでもイヤガラセで
姫路あたりの橋をこわしたり城下に火を
かけたりするぐらいはそんなにたいした攻撃でもなく
すぐにできるだろう。
光秀もまた、毛利が追撃して秀吉やっつけてくれたら
100%だがそこまで行かなくとも少しは足止めくらうだろうと
考えるのは普通。
甘いとかお花畑じゃなくて普通から緊急までいろいろ考えたが
まさか10日ちょっとお手紙作戦どころか本人がやってくるとは
さすがに考えないだろう。
そのぐらい異常な想定外が起きたからこそのわずかな
頂点だった。あれを、当たり前で誰でもそうする想定できない
光秀がアホ、というのがどうかしてる。
直線的な専門家がそういうのはすべての歴史解釈において
「当然である」という史観の元に言うからこれはこれで困った
もんなんだが。
222 :
人間七七四年:2013/02/19(火) 22:58:29.04 ID:K0B673KS
>>221 備中高松城救援目的でしか動いてない毛利が追いかけてくるわけがない
姫路城下で工作とかもうね・・・
秀吉や勝家がすぐ帰ってくる可能性も視野に入れないのはやっぱりアホと言わざるを得ない
想定できないのが当たり前とかオツムが足りない時の言い訳に過ぎない
223 :
人間七七四年:2013/02/20(水) 07:18:18.08 ID:M2m4REjN
光秀は信長が本能寺で茶会を開いてたことにブチギレして後先考えずに謀反を起こしたでいいような気がするよ。
224 :
人間七七四年:2013/02/20(水) 21:55:49.77 ID:XmieIslP
>>221 毛利が備中、備前を通り抜けて播磨の姫路まで攻め入るのは
さすがに不可能じゃないか?宇喜多もいるし、素通りは出来ないでしょ
「姫路あたり」とか言うけど、距離も離れた敵の本拠地を狙ってそんな簡単にやれるとは思えない
ゲームじゃないんだから
あと光秀追討に関しては
秀吉が動けなかったとしても神戸信孝とかがあっさりやりそうな気もするけど
225 :
人間七七四年:2013/02/20(水) 23:09:19.97 ID:qOGchsSi
>>224 >秀吉が動けなかったとしても神戸信孝とかがあっさりやりそうな気もするけど
四国遠征軍が大規模に四散しているので、信孝、丹羽長秀がどの程度の力をもっていたかどうか。
ただ、結果を知っている現在の論議では、光秀にとっても、各地の大名、武将にとっても、
方面軍だけが強力で、問題になるような前提に立っているように見える。
しかし、変が起こった時点では、1万五千の四国遠征軍と、安土城の勢力が、織田直轄軍として
より近いところにいるので、どちらの面からも、その位置は相当大きかったはず。
どちらの面からも、というのは、一方で、強力な勢力と映っていたはずであることと、他方で、
両者とも、あっというまに四散した意味とである。
こうした混乱と、そもそも、誰が変をおこし、だれが同調しているのかすら、当時、
多くの勢力にとって簡単に把握できなかったことは、上杉、毛利はじめ有力大名の
書状などにも表れている。
当時の、光秀や各勢力のおかれた状況、それらの見通しなどを、光秀vs方面軍に
単純化してとらえるのは、すこし機械的にすぎるように思う。
226 :
人間七七四年:2013/02/21(木) 00:59:27.10 ID:QnxuqOeh
わかりにくすぎる文章だな
何が言いたいのかわからん
227 :
人間七七四年:2013/02/21(木) 06:28:09.15 ID:CKbEQlz8
>>225 毛利は光秀と勝家が信澄を担いで起こしたクーデターって判断してたね。
確かにクーデター起こすならそれが一番もっともらしい形だけど実際は無関係でしたと。
228 :
人間七七四年:2013/02/21(木) 07:25:58.23 ID:2KWw7Z0E
光秀は北近江、南近江制圧してから摂津に向かってるから信孝・丹羽にも勝てる勝算あったんだろ
この辺りで秀吉の接近知って慌てて筒井に再度援軍要請をしてる
最初筒井無しで行こうとしたのは津田辺りと連携しようとしたのかもな
229 :
人間七七四年:2013/02/21(木) 13:09:33.32 ID:IzDyA/BF
非常に知りたい事の一つは、安土城があれほど簡単に手に入ると光秀が思っていたのかどうか、
安土城を落とせる可能性を、どのくらいと思っていたのか。
230 :
人間七七四年:2013/02/21(木) 18:07:57.09 ID:ZKD2zQw0
そもそも安土なんてものすごい時代遅れのへっぽこ城郭なんだが
231 :
人間七七四年:2013/02/21(木) 18:40:11.15 ID:kZlgm54j
馬鹿め
あれは戦闘用の城ではないんだよ
権力誇示の為の城
分かるか?
232 :
人間七七四年:2013/02/21(木) 18:47:16.28 ID:PFaghLHI
人がいなければ落とせるって踏んだんじゃない?長浜のねねたちも、篭城しないですぐに避難したし
233 :
人間七七四年:2013/02/21(木) 18:47:47.26 ID:ZKD2zQw0
そのくせあんな狭隘な土地に中途半端に山城にする信長の時代遅れ極まるセンス…
ともかく、だから安土攻め落とすなんて簡単つーこと。
安土誰が燃やしたかは知らんが、そういう、防衛に全く適さないってことを理解してたからだ。
234 :
人間七七四年:2013/02/21(木) 19:33:58.69 ID:SUlKHKML
もうあの頃は山城が時代遅れだろ。経済を考えたら山奥の城より平山城、平城に移らんと
235 :
人間七七四年:2013/02/21(木) 19:48:34.81 ID:8DaZdWDo
まあ信長は次に石山本願寺跡を城にしようと考えてたからな
今までの支配地の中で適地がなかっただけ
もちろん秀吉がその構想を引き継いだけどな
236 :
人間七七四年:2013/02/21(木) 19:50:16.34 ID:sHNFuUrO
>>235 > まあ信長は次に石山本願寺跡を城にしようと考えてたからな
そんな証拠は一切ねえよ。
信長公記は秀吉が大阪建設した後の書物だから後付け設定の可能性がすこぶる高い
237 :
人間七七四年:2013/02/21(木) 19:50:54.89 ID:1mXYmo+P
>>230 天正十年時点の最新鋭でイケてる城郭おせ〜て^^
238 :
人間七七四年:2013/02/21(木) 21:52:46.93 ID:Dja3HCi9
239 :
人間七七四年:2013/02/22(金) 17:17:26.38 ID:uSsVpLhu
ゲームじゃないんだから実際にどこまで
可能かはともかく、秀吉が撤退したのは事実だから
普通はそのチャンスを生かして少しでも自軍が有利に
なるように行動する、というのがそんなに変か?
撤退する敵を叩くというのは常道だし一番簡単に
やりそうなもんだが。
毛利が追いかけてくるわけがない、なんてどうして
言えるんだろう。明らかに結果見て言ってるだけだわな。
可能性を視野に入れる、と矛盾してるし。
それと高松救援目的でしかない、というのはなにかの冗談か?
勢力拡大してる敵が次に自分を襲うのはそれこそ
バカでもわかるしね。
秀吉だって、毛利がおいかけてくるわけない、と
ちゃんとわかってたのかね。講和してしまえば追撃は
絶対にない、なんて。
まぁ秀吉の大返しを想定できるのだから
現代の戦国ファンはすごいもんだわ。
オツムが足りないとまでいうのも感動モノではある。
240 :
人間七七四年:2013/02/22(金) 17:40:27.98 ID:uSsVpLhu
結局、「大返しして山崎の戦いをすれば天下が取れる」
とわかってるから「誰でもそうする」「想定もできない光秀はヘタレ」
になるんだが、山崎の戦いだって別に秀吉が勝つと決まってるわけじゃない。
完全に結果論の論理なんだよね。
前に「アホか、山崎の兵数を知らないのか、絶対に勝てる」とか
言ってたのもいたが、戦う前にというか、変を起こした時点で
12日後に山崎に現れる秀吉の兵数や誰が味方するかなんて
絶対に想定も不可能。
というか現れたこと自体が異常な出来事なんだから。
それを「可能性ぐらい考慮するだろ」とかまで言うのなら
どうしようもないということなんだな。
それなりの専門家でも詳細な分析の元の結論が
「誰でもそうする、想定可能」なんて言ってるのはいない。
つまり単に秀吉が規格外の動きをしたからこその
歴史であって、光秀の思惑はまた別の話、ということなんだが。
241 :
人間七七四年:2013/02/22(金) 18:29:04.48 ID:94XgDgIa
毛利が播磨まで軍勢進めてたのは境目の領主達が毛利側についてたからで
天正十年時点ではそれらの領主がほぼ織田側についてる
宇喜多も美作の領有権を毛利と争ってる状態で毛利側に寝返る要素は無い
備前くらいまでならともかく、姫路までの追撃なんて無理だよ
海賊衆も沖家騒動で分裂含みだし
242 :
人間七七四年:2013/02/22(金) 20:49:17.13 ID:aO+t3Q6w
>>241の言うとおり
毛利が播磨まで攻め入れると思ってるID:uSsVpLhuがただの知識不足なだけ
天正10年の段階ではどういう状況なのかを理解していない
可能性がどうとか結果論がどうとかじゃなくてそれ以下のレベルの話をしているわけ
>>224でも書いてるのになぜ理解できない
243 :
人間七七四年:2013/02/22(金) 21:10:01.41 ID:aO+t3Q6w
毛利は追撃したくても動けなかったと言った方が正しいかな
秀吉もそう判断したからああいう行動を起こせたと思うし
大返しが一か八かの捨て身の賭けみたいに伝承されてるのが間違いなんじゃないか
244 :
人間七七四年:2013/02/22(金) 22:59:07.05 ID:HaIsVkcW
>>243 いや動けないもなにも毛利は和議の直後に秀吉に武器を支援して大返しに協力的だから
安心して秀吉は戦線を離脱できた
245 :
人間七七四年:2013/02/23(土) 07:41:38.30 ID:SiR7Gi/p
>>244 大返しに協力とかまた珍説を唱えてきたな
246 :
人間七七四年:2013/02/23(土) 13:46:29.84 ID:Jv2J3ay6
>>244 秀吉は毛利軍が撤収するのを確認してから引き返しているし
途中沼城に入って追撃してこないか様子を見ているから
安心して離脱できたなんて明らかにウソだろう
247 :
人間七七四年:2013/02/23(土) 20:03:31.35 ID:ij4+nAOj
>>245 毛利側、羽柴側どちらの記録にも武器提供のことは載ってます
>>246 毛利が約束守ってさっさと撤収したから安心して大返しできたということ
248 :
人間七七四年:2013/02/23(土) 21:14:12.09 ID:fcSUwjji
>>247 解釈を間違えているか勘違いじゃないの?そんな説聞いたこともないが
ソースを出せや
249 :
人間七七四年:2013/02/23(土) 21:32:00.62 ID:fZjqajxQ
多分、江系譜と池田氏家譜集成のことじゃないの?
信頼性がどの程度あるのか判らないけど
250 :
人間七七四年:2013/02/23(土) 21:46:05.17 ID:ij4+nAOj
>>248 和睦相済み 同日秀吉より蜂須賀家政を以て 信長父子、明智光秀がために切腹を告ぐる事
毛利家より又悔やみの使者として 内藤越後守良正を遣はす
是により和睦堅く諾し 信長弔い軍として秀吉上洛
餞として銃五百挺・弓百張・籏三十本、内藤良正を以て送る
秀吉歓悦す
『江系譜』
『池田氏家譜集成』や『太閤記』にも同様の記述あり
251 :
人間七七四年:2013/02/23(土) 22:36:00.25 ID:fR/q8ZM5
銃五百挺て多過ぎない?てか、一丁5kgとして500で2500kg。重いよ!毛利の嫌がらせだなw
252 :
人間七七四年:2013/02/23(土) 22:47:49.74 ID:fZjqajxQ
桂就宣に対して、「筒も玉薬も払底してる」とか書いてるのにな輝元…
253 :
人間七七四年:2013/02/23(土) 23:12:00.83 ID:ij4+nAOj
>>252 そりゃ織田軍相手だと1000あっても全然足りないって言うだろうよ
254 :
人間七七四年:2013/02/26(火) 19:25:10.48 ID:FzJFfxTS
255 :
人間七七四年:2013/02/26(火) 21:15:49.97 ID:Lv/CBMzn
>>255 内容、大筋同意できるが、ただ、新しい見方、等々などと宣伝しているところは意味不明。
本文読まないと分からないのかもしれないが、紹介文を見る限り、新しい内容があるとは
思えない。
256 :
人間七七四年:2013/02/26(火) 23:41:36.00 ID:k4fnI85x
つか
>>254書いた奴、「人物叢書織田信長」を明らかにちゃんと読んでないぞ。
ななめ読みで適当に文章作ったのがまるわかり
257 :
人間七七四年:2013/02/27(水) 12:26:44.90 ID:DGyw0hEX
たぶん吉川公文館から金貰ってイヤイヤ書いたから、本の内容までちゃんと読むはずもなく…
258 :
人間七七四年:2013/02/27(水) 14:33:21.59 ID:blRfHGFD
素人ですが、日本人で天皇に疑問を持つ人はいない。
が、織田信長が初めて疑問を持った。
その瞬間、消された。
光秀にお鉢が回ってきた。
それ以降、豊臣徳川明治から現代まで日本人の精神構造は天下泰平。
ある意味、日本歴史の窮地を救った人。
259 :
人間七七四年:2013/02/27(水) 15:17:18.46 ID:Vogd7rXa
その疑問に解決にはとりあえず国語の勉強から始めることをおすすめする
260 :
人間七七四年:2013/02/27(水) 19:11:59.66 ID:ES4wp6I0
>>254は「人物叢書織田信長」のブックレビューでもないのに詳細求めんなよ
261 :
人間七七四年:2013/02/28(木) 12:22:21.98 ID:G5H+qb4h
>>259 いや案外勉強しない方がいいかも知れない。
うっかり史料なんか見ちゃったらもう大変なことに…
光秀が天皇の居所を×らしまくり、△△まで奪ってる様子やら、
秀吉や家康が親王を◯◯させ、あげくには天皇を□□してる様までザクザクと…
258さんにとっちゃ失神レベル。信長に全部背負わせた方が幸せなんだろ。
262 :
人間七七四年:2013/02/28(木) 12:28:01.40 ID:G5H+qb4h
念のため書いとく。
天皇、国民、ともども幸せだった時代。
・・・平安時代、安土時代、明治、大正時代・・・
263 :
人間七七四年:2013/02/28(木) 13:11:06.38 ID:buWfMGF5
安土時代なんて書いてるのは素人の極みだね
264 :
人間七七四年:2013/02/28(木) 13:24:02.56 ID:pvfoiOOR
262をみると、勉強しない方が良いという261さんの指摘あたっている。
265 :
人間七七四年:2013/02/28(木) 23:45:28.14 ID:bXKE1mfe
6月1日湿疹祭りやりまひょ
266 :
人間七七四年:2013/03/02(土) 15:41:51.65 ID:cko9eDc4
平安時代は名前だけ見ると平和そうだが
実際は、都の中心部ですらそこら中に死体が放置されてて
野良犬が遺体の一部くわえて屋敷内に乱入してきたり
女が一人で歩いてたら連れ去ってもokだったりで全く平安じゃない時代だ
267 :
人間七七四年:2013/03/03(日) 16:11:26.39 ID:vZjJQ9rw
今のところ将来不安&怨恨説が有力かなあやっぱり。
268 :
人間七七四年:2013/03/04(月) 17:08:07.96 ID:fn/cGuRI
>>266 それもよく自虐史観に利用されるなぁ。
約400年大きな内戦もなかった平和な時代と
現代との比較で清潔かどうかを同義にして
語ってもなぁ。
269 :
人間七七四年:2013/03/04(月) 18:00:56.86 ID:vJqMsuP/
>>268 266さんではないが、「自虐史観」なる概念が、どれほど下らない決め付け
で、歴史探求とは無縁のものであるのか、その一端を268さんのコメントが
示している。
たとえば、266さんは、同時期、あるいは同じ歴史段階の西欧なりほかの国
の実情について、なにも表明していない。
にもかかわらず、日本について、その社会の矛盾や生活困難な度(これは現
にある)に少しでも触れると過敏反応で「自虐史観」などと騒ぎたてる。下ら
ない時代遅れの国粋主義だ。
こんな色眼鏡で歴史を見ても、何も探求できない。
270 :
人間七七四年:2013/03/04(月) 19:54:40.23 ID:fn/cGuRI
>>269 そりゃお互い様だ。
こんな初歩の初歩のスレで
あいさつがわりのレスに
大げさな反応する方がアレだと思うぞ。
271 :
人間七七四年:2013/03/04(月) 21:04:22.84 ID:hAi2rEjg
∧_∧ ∧∧
( ´∀`). (゜Д゜,,)
( ) ( )
(( 人 Y | | ))
し(__,) し'ヽ)
∧∧ ∧_∧
. (゜Д゜,( ´∀`)
( ( )
| (( 人 Y
し'ヽし(__,)
∧∧ ∧_∧
. (゜Д゜,,) ( ´∀`)
( ) ( )
| | )) (( 人 Y
し'ヽ) し(__,)
ス レ 違 い
V V
. ∧∧ ∧_∧
(,゜Д゜,) ( ´∀` )
. ( c0m ( c0m
〈 fヽヽ / /ゝ 〉
U J (__)、_,)
272 :
人間七七四年:2013/03/04(月) 23:55:09.02 ID:ttd2wRJc
近代戦争正当化のための「自虐史観」批判を平安時代に持ってくるのはw
273 :
人間七七四年:2013/03/14(木) 12:49:17.95 ID:JiVdcW22
京都の新サッカースタジアムは亀岡(元亀山)に建設されることが決定していますが
名称に「明智スタジアム」とかどうでしょう
光秀ファンの皆さまよろしく
なお、亀岡へは大山崎 沓掛 新老ノ坂トンネルと高速がつながりました
274 :
人間七七四年:2013/03/14(木) 14:20:11.63 ID:eaNa8cOE
>>273 「スタジアムときは今」とか「水色桔梗スタジアム」はどう?
「スタジアム謀反」はまずいかw
275 :
人間七七四年:2013/03/20(水) 17:08:02.75 ID:H8lrUjNV
『信長政権―本能寺の変から何が見えるか―(仮)』河出書房新社は、明智光秀の前半生を語る際に『細川家記』を重要視している点に疑問を呈している。
国文学者の土田将雄氏が指摘するように、『細川家記』の幽斎の箇所は二次史料が多用されていて信が置けない。
276 :
人間七七四年:2013/03/23(土) 11:30:44.33 ID:Igax6sf5
光秀の前半生って苗字もない石ころ同然の身分だろ
『明智軍記』とかフィクションノベルでしかない
277 :
人間七七四年:2013/04/05(金) 17:39:40.65 ID:UiUaVrd/
>>275 これまだ出てなかったんだな
本屋で探しちまったぜ
278 :
人間七七四年:2013/04/08(月) 19:07:09.82 ID:8cE+dADC
279 :
人間七七四年:2013/04/08(月) 22:17:47.85 ID:BzkvSfyw
渡邊大門って織豊期より前の時期の西国地域が専門じゃなかったっけ?
どんな内容なんだべ?
280 :
人間七七四年:2013/04/08(月) 22:46:20.65 ID:U/mznFyg
幽斎が神社から油を盗んだってのは嘘っぽいw
281 :
人間七七四年:2013/04/15(月) 14:35:05.93 ID:BX5Lx2cS
まとめ管理人 &#8207;@1059kanri
渡邊大門先生の『信長政権』読み進めています。
織田信長の四国出兵は長宗我部元親相手のものではなかった!これは刺激的な見解ですね!
282 :
人間七七四年:2013/04/15(月) 15:08:38.04 ID:BTfH86D4
読んだけど、一次資料では織田と長宗我部が決裂したというのは確認できないっていうのは
そのとおりだろうけど、信孝への朱印状で伊予と土佐については信長が淡路に行ったときに決める
と言ってるのを信孝を鼓舞しようとしたってのはちょっと説得力に欠ける感じが…
少なくともその時点では長宗我部を考慮せずに土佐を差配しようとしていたらしいということを
重視した方がいいと思うけどなあ
283 :
人間七七四年:2013/04/15(月) 22:31:20.06 ID:iXsFmh0C
要するに山陰山陽四国九州全方面から毛利攻めをするつもりだったということか
その矢先に本能寺の変
タイミングドンピシャな出来過ぎてる事件だな
何か裏で工作があってもおかしくない気がする
284 :
人間七七四年:2013/04/16(火) 00:39:08.37 ID:ljQAgc6S
信長が長宗我部に与えたと云われる「四国切取り次第」のお墨付きさえ
一次史料では確認出来ないものなぁ。
285 :
人間七七四年:2013/04/16(火) 21:19:32.48 ID:CMg8+Ve+
渡邊大門先生お得意の「一次史料では確認出来ない」もだからなんだって感じなところがな
問題提起はいいんだけどそれまでの説だって一次史料で確認を出来ないのは
重々承知の上で関連資料から推測してるわけでなぁ
286 :
人間七七四年:2013/04/27(土) 16:25:47.56 ID:+3m6KtoS
>>281-282 歴史詐欺師の妄言を信じてる愚かさは笑える。
こういう馬鹿が実在する現実を見せてもらう機会も貴重か。
287 :
人間七七四年:2013/04/28(日) 12:01:40.98 ID:Kear42jq
288 :
人間七七四年:2013/04/28(日) 13:23:49.80 ID:Kwh9sNCz
970 :人間七七四年:2012/12/24(月) 16:27:10.92 ID:8VhasC6j
井尻本が上がっていたが、このスレの内容から、買う価値はなさそうと捉え
ていた。
ところが、年末小掃除で、それが出てきた(買ったことを忘れていた)。
買って読まないのは珍しいので、なぜだろうかと開いてみて、直ぐに分かっ
た。
まえがきや最初の1,2ページを見ただけで、あまりのひどさに、先を読む
気が失せたということだった。
のっけから、スターリンがブハーリンを粛清したのは、権力でも金でも色で
も籠絡できなかったためで、清廉潔白なものほど独裁者の対立物になる、な
どと、信長独裁者に対立した光秀に重ねようとする。
スターリンに粛清されたのはブハーリン一人ではないし、その中には、清廉
潔白でないものも膨大にいたはずだ。こんなことも自己点検できず、自分に都
合のよい事象だけをつまみ取り、またねつ造して書き散らした内容であること
は、ここからだけでも疑いない。しかし、それに止まらない。
信長を小泉潤一郎に重ねて、それが合理主義でなくニヒリズムであることが
重要だの、信長を光秀が止めたように、現代の光秀は誰なのか、この意味で
本能寺の変は現代的意味をもつなど、まあ、読んでいて恥ずかしくなる内容
密度の濃さはすごい。
ひどい本は多いが、それにしても、歴史分析・研究を装った著作で、これほ
どの幼稚な知性レベルはトップクラス(他にも少ないとも言えないが)。
売文家レベルの浅薄で思いつきの概念を振りかざす人の歴史分析など、まと
もな内容が出ることは100%ない。早々とくずかごに放り込むのが相当
だ(しかし、2000円も払ってしまった(泣))。
289 :
人間七七四年:2013/04/28(日) 22:05:19.84 ID:Kear42jq
そんな古い本じゃないし、内容の酷さに先を読む気が失せたという強烈な本を買ったことすら忘れるって稚拙な小説だなw
290 :
人間七七四年:2013/04/29(月) 07:01:42.53 ID:Zhfhzm2M
ま、信長と天皇の間には対立も暗闘も無かったとする立場の輩は、頭が腐ってるのは間違いないがな。
こういう連中は、信長は最終的には征夷大将軍や関白を目指していたとか、己の小物的発想で、信長を色眼鏡で見てしまうから、性質が悪い。
291 :
人間七七四年:2013/04/29(月) 07:34:54.26 ID:nZWX3+Nr
まただがが妄言吐きに来たのか
懲りない奴だな
292 :
人間七七四年:2013/04/29(月) 07:42:38.85 ID:Zhfhzm2M
では、妄言でない君の見解を伺おうか。
スルーして逃げるオチだけは勘弁してくれ。
293 :
人間七七四年:2013/04/29(月) 09:05:22.47 ID:K5nWS6j2
0か100しかないだがが何言ってんだかw
もっともだがの場合、織田−100、武田100だけどなw
294 :
人間七七四年:2013/04/29(月) 09:05:47.45 ID:3PRA5J/1
>>290 本当に自称歴史評論家のみなさんは政治ってのがわかってないよね
層化の池田先生が「皇太子を自分の家にかこって、天皇に費用出すから代替わりすれば?」ってやってれば、政治的に暗闘しているなと考えるのがふつう。
295 :
人間七七四年:2013/04/29(月) 09:22:23.18 ID:Zhfhzm2M
信長と天皇は国家主権を巡って暗闘していた訳だが、無能の徒にはこの真実が見えない。
信長の帝への譲位要求、右大臣辞官と左大臣任官要請拒否、三職推任の黙殺は、天皇主権の否定に他ならない。
信長は天皇に代わり、日本の国家主権者になろうとしていた。だから消された。
現代でも、民主主義否定の国民主権廃止法案を通そうとする政治家は、確実に消されるのと同じ。
天皇からすれば、信長は許しべからざる超危険人物だったのだからな。
296 :
人間七七四年:2013/04/29(月) 11:06:04.06 ID:lMEMeJXA
>>294 何で暗闘?譲位して治天とか上皇になるのは悪い話じゃないだろ
297 :
人間七七四年:2013/04/29(月) 11:23:25.90 ID:Zhfhzm2M
信長と天皇が融和していたとする論者は、その根拠として、朝廷側の史料に該当記述が見当たらずとする寝言をほざくが、
そんなの当たり前。
誇り高い朝廷が下賎の成り上がりにすぎない信長に圧迫されて崖っぷちまで追い詰められてるなんて、
公式に認める訳がない。
こういう輩は、本当は帝は譲位する気満々だったのだが、
信長の反対や即位の礼に多額の費用が必要だとの理由で、しぶしぶ帝位に留まっていたという笑止な寝言をほざく。
毛利元就でさえ拠出できた費用を、元就を遥かに上回る財力があった信長が支払えない訳がない。
馬鹿共は、各方面軍が子会社として独自財源を有してした史実さえ知らんのだから、恐るべき無能だ。
298 :
人間七七四年:2013/04/29(月) 11:25:58.71 ID:K5nWS6j2
>>296 暗闘してたって別にいいじゃん。
互いに相手を滅ぼそうと思ってたわけでもないし、相手のためだけに存在していこうと思ってたわけでもない。
暗闘してた?だから何?って話。
299 :
人間七七四年:2013/04/29(月) 11:26:49.92 ID:0q8LlLTo
はいはい。
俺だけは歴史の本当の真実を知ってるさんの書き込む場所はここではなく、SF板だぞ?
300 :
人間七七四年:2013/04/29(月) 12:22:18.73 ID:3PRA5J/1
>296
えっと・・
信長の圧力で退位した場合にそれができるかどうか考えてね
301 :
人間七七四年:2013/04/29(月) 12:24:50.40 ID:3PRA5J/1
ここの人達は歴史について凄く詳しいんだけど一般常識とか自分で考えるって事については拙いと思う。
302 :
人間七七四年:2013/04/29(月) 12:44:53.23 ID:lMEMeJXA
>>300 譲位=隠居じゃないし。何で圧力よw正親天皇は譲位を喜んでたし。譲位の費用工面は本来足利将軍家で用意すべきなんだぜ
303 :
人間七七四年:2013/04/29(月) 14:02:30.82 ID:0q8LlLTo
>>301 「現代」の一般常識で(それも怪しいもんだが)過去を見ようとするお前がキチガイなだけだ。
304 :
人間七七四年:2013/04/29(月) 17:11:51.01 ID:FclEeFH5
>>297 天正9年3月はやっとのことで周辺の反乱勢力を鎮めた段階でまだ織田家が安定しきれてなかった時期だろうが
信長としては毛利上杉武田を下してからでないと金があってもそんな重要イベント出来ない心境だったろうよ
305 :
人間七七四年:2013/04/29(月) 17:24:28.36 ID:Zhfhzm2M
>>304 内裏で軍事パレードの馬揃えができる信長が、即位の礼の挙行くらい朝飯前だろ。
どんだけの小物だ。
306 :
人間七七四年:2013/04/29(月) 19:05:07.29 ID:lBr1/xNw
天皇が10年もの間、信長の譲位要求から粘りに粘って
素直に譲位しようとしなかった時点で
信長の恐喝に面従腹背していたのは明白だろ。
新皇とか信長が呼んで厚遇してた親王が死ぬまで、
天皇が譲位しなかったのがなによりの証拠。
307 :
人間七七四年:2013/04/29(月) 19:12:26.77 ID:RWWE4Uuz
>>306 アホか。したくても出来なかったのは明らか。
「院」が形成できないことのほうが朝廷としては異常事態だっつーの。
お前は当時の「常識」を何もわかっていない。
308 :
人間七七四年:2013/04/29(月) 19:28:06.60 ID:lBr1/xNw
アホかw
それは太上天皇の尊号が確実に贈られる保証と
自らの院庁が組閣できる保証があった場合だな。
信長はそんな約束を一切提案せずに譲位を要求している。
天皇はなんの保証もされないままに譲位を強要されてる。
尊号が贈られないままに死ぬなんてのは最大級の屈辱なのも知らんのか。
悪政や不吉やら悪い不徳の天皇だから尊号がもらえなかったなどと言われるんだぞ。
しかも信長が親王を天皇に即位して意のままにするために
院庁なんて作ってやるわけもない。
309 :
人間七七四年:2013/04/29(月) 19:36:14.28 ID:RWWE4Uuz
>>308 うわー、なんかものすごい妄想史観だな
お前の言うことどれ一つとしてそれを補強できる史料が存在しないんだが。
お前の論拠となる資料を先ず上げてくれ。簡単だろ?
310 :
人間七七四年:2013/04/29(月) 19:44:50.27 ID:FclEeFH5
>>308 それ暗闘ではなくて完全に正面切って喧嘩売ってる状態だぞw
都合が悪いから消したなんて言い訳が通じないほど史料が全く残らないのがおかしいレベル
311 :
人間七七四年:2013/04/29(月) 21:23:05.80 ID:lBr1/xNw
>>309>>310 信長が太上天皇の尊号を贈る約束や院庁を作る資金を出す約束をしたとする一次史料をよこせやカスw
312 :
人間七七四年:2013/04/29(月) 21:52:28.32 ID:3PRA5J/1
>>308 言いがかりとしか思えない反論ばかりで大変ですねw
313 :
人間七七四年:2013/04/29(月) 21:54:01.12 ID:3PRA5J/1
314 :
人間七七四年:2013/04/29(月) 21:55:07.34 ID:RWWE4Uuz
>>312 いやだから史料を上げろよ。言いがかりでもなんでもないだろ、史料を出せというのは
315 :
人間七七四年:2013/04/29(月) 21:57:40.74 ID:0q8LlLTo
>>313 井尻千男って…
これはまた香ばしいのを信じているんだなあw
申し訳ないけどそれ素人の妄想だぞ?
316 :
人間七七四年:2013/04/29(月) 23:08:36.50 ID:FclEeFH5
まあ本能寺の変がなければ一段落ついてるから天正10年か11年で天皇は譲位してるだろう。
秀吉もだいたいそれくらいの勢力基盤広げてから譲位させてるし。
317 :
人間七七四年:2013/04/30(火) 02:38:37.73 ID:+rDJqCak
話題には出たものの、なかなか譲位出来なかったのは費用の問題かもな
318 :
人間七七四年:2013/04/30(火) 08:04:32.22 ID:LyQBWKNm
>>317 安土城まで作り終わってんのに
金がないわけねーだろ。
319 :
人間七七四年:2013/04/30(火) 09:00:53.44 ID:+rDJqCak
安土城にかかったのが今の金で1000億円くらい。まだ軍費とか何かと物入りな時期に、いくら信長でも譲位経費ポーンと出せる金額じゃないだがや
320 :
人間七七四年:2013/04/30(火) 09:39:51.80 ID:n10vFG7T
最低でも銀山保有している毛利を平定してからだな譲位の話は
321 :
人間七七四年:2013/04/30(火) 16:02:27.72 ID:As+xMx2V
井尻某のシンパって定期的に湧いて来るよな(嗤)
322 :
人間七七四年:2013/05/01(水) 01:19:17.52 ID:af9vzhwJ
第一織田を嫌って天皇が助けを求めるならまず毛利しか信頼できるパイプがない件
323 :
人間七七四年:2013/05/01(水) 17:59:02.46 ID:TzbKzSxx
ぶっちゃけ
信長と朝廷の対立がいくら深刻だと主張したって
明智光秀の謀反に朝廷が関与したことの証明にはぜんぜんならないんだけどね。
本能寺の変における明智光秀と朝廷の繋がりを証拠を揃えて論証できないなら
朝廷の事情をいくら並べたところで無意味無意味無意味。
信長に死んで欲しい事情があるだけで黒幕になれるんだったら
同時代の関係者は誰でも黒幕になれるんじゃないの?
324 :
人間七七四年:2013/05/03(金) 02:40:58.11 ID:cJIRsuUu
藤本レベルの低能は、単独犯説を吠えて、侮蔑の対象
325 :
人間七七四年:2013/05/03(金) 02:41:45.78 ID:cJIRsuUu
藤本レベルの低能は、単独犯説を吠えて、侮蔑の対象
326 :
人間七七四年:2013/05/03(金) 06:17:01.13 ID:bFcFPtWd
井上慶雪が又本能寺の変陰謀論っぽい本出したみたいだな…
今時恥ずかしくないのか?
327 :
人間七七四年:2013/05/03(金) 09:00:50.31 ID:3/5E1nIy
史実は小説より地味、本当は面白くない歴史の真実。実際ほとんどこんなものですよ。
328 :
人間七七四年:2013/05/03(金) 10:33:24.76 ID:niV13QZ6
黒幕の有無に関わらず光秀は失脚が怖くて犯行に及んだ可能性が高いと思う。
329 :
人間七七四年:2013/05/03(金) 19:39:06.60 ID:rNS5sQU2
単独犯説(笑
単独は「説」じゃなく「史実」だよ。
330 :
人間七七四年:2013/05/03(金) 21:37:24.05 ID:PdIBjcc3
>>320 えっ?織田は生野銀山保有してんだけどW
>>328 へぇ〜失脚を恐れたとする一次史料のソースくれよ。
331 :
人間七七四年:2013/05/04(土) 07:52:26.76 ID:cztiZSu1
>>322 だから毛利のもとにいる義昭を将軍解任しなかったんだろ
実際、足利尊氏は将軍を解任させられたりしてるし
朝廷が将軍を解任できないなんて馬鹿な話はない。
332 :
人間七七四年:2013/05/04(土) 09:11:29.03 ID:hhH728Ol
>>331 足利尊氏の時代と義昭の時代を単純に一緒に出来るわけ無いだろ。
尊氏を解任したのは南朝系統で、その後北朝系の系統に変わってる事の意味すらわからないんだね
333 :
人間七七四年:2013/05/04(土) 22:01:51.86 ID:dqmfzCal
334 :
人間七七四年:2013/05/04(土) 22:05:43.39 ID:hhH728Ol
>>333 アンチとかそう言う問題じゃないっつーの。
専門外の人間の妄想だって言ってるんだ。
335 :
人間七七四年:2013/05/04(土) 22:14:30.84 ID:vo0BNMh0
井沢元彦は
信長と天皇の暗闘は支持しているが
本能寺の変の朝廷黒幕説は否定、
てゆーか、巻き添えでトンデモ扱いされるから迷惑がっているんだけれど。
336 :
人間七七四年:2013/05/04(土) 22:56:32.43 ID:FpbL+zkr
井沢がトンデモではないと思っている奴がいるとは、世の中恐ろしいわ
337 :
人間七七四年:2013/05/04(土) 23:30:26.28 ID:dqmfzCal
別に井尻氏も朝廷黒幕説なんぞ唱えていないけどなww
アンチ井尻氏が支離滅裂な件ってアンチが特定思想なのかww
違うならもう少しシャキッとしてよw
338 :
人間七七四年:2013/05/04(土) 23:31:31.30 ID:FpbL+zkr
否定的な人間はみんなアンチなのか
ホント単純な頭の作りだな。幸せそうで何より
339 :
人間七七四年:2013/05/05(日) 07:53:41.47 ID:yIE/HqXk
>>328 佐久間、林らの追放と徳川接待の解任みるとそうかもな。
細川親子宛の書状も裏を返せば織田に仕えたままだと良くても息子の代で没落決定みたいな内容だし。
340 :
人間七七四年:2013/05/05(日) 12:27:47.62 ID:xqLgDPkZ
>>339 それは光秀にだけ当てはまることじゃないな。
織田家臣団すべてにほぼあてはまる。
つまり織田家臣団すべての総意で信長親子は虐殺されたってことだな。
341 :
人間七七四年:2013/05/05(日) 14:38:20.67 ID:Q8UBk4O3
犯人以外にも当てはまるからって全員共犯とかどんな推理小説脳だよ
342 :
人間七七四年:2013/05/05(日) 17:43:11.47 ID:dTDmXVrr
343 :
人間七七四年:2013/05/05(日) 18:19:22.39 ID:MkSLFWgY
340はともかく、秀吉の領地は秀勝に乗っ取らせるつもりだったんだろうね。信長的には。
柴田・滝川は実子が居ないから何とでも出来そうだし。
344 :
人間七七四年:2013/05/06(月) 19:22:08.88 ID:ULVT3vPS
秀吉らは目先の欲に目が眩んで気づかなかったがキレ者の光秀は気付いてしまったということだな。
345 :
人間七七四年:2013/05/06(月) 23:59:54.23 ID:G7mkNK39
筒井や細川の反応からすると根回しをしてたとは思えないし
織田家と交戦中の上杉・毛利は反転攻勢する姿勢は無い。これらにも事前通告は無かったのだろう。
発作的、衝動的にやってしまったんだろうな
346 :
人間七七四年:2013/05/07(火) 01:20:37.06 ID:3S0xTLwL
>>345 事前通告だろうが事後通告だろうが主君殺しを信用する者はいないから。
347 :
人間七七四年:2013/05/07(火) 08:46:11.75 ID:d8GOZ8cP
>筒井や細川の反応からすると根回しをしてたとは思えないし
そんな事して信長の耳に入ったらどうなると思ってるんだ?
アホと違うかお前
348 :
人間七七四年:2013/05/07(火) 18:04:47.48 ID:onytWvAD
事前に持ちかけられ、選択を迫られる側こそ良い迷惑。
信長に知られる危険がもちろん第一だが、それだけでなく、常識的な知力をもって
いれば、細川、筒井などを不要に追い詰める様な事前のもちかけなど光秀がやるは
ずがない。
何も考えずに「根回し」がどうのこうのという前に、少しは、それぞれのおかれた
立場を推察するくらいやってほしい。
349 :
人間七七四年:2013/05/07(火) 18:08:08.35 ID:x3VI8GSX
井尻を叩いている連中の浅はかな事よ・・
350 :
人間七七四年:2013/05/07(火) 19:32:07.29 ID:QnNF2Jye
センゴクの光秀はかっこいいな
色々突っ込みどころは満載だが
351 :
人間七七四年:2013/05/07(火) 22:32:25.67 ID:DBaBCW9X
【本能寺の変】明智光秀/惟任日向守を語る6
349 :人間七七四年[]:2013/05/07(火) 18:08:08.35 ID:x3VI8GSX
井尻を叩いている連中の浅はかな事よ・・
上杉謙信は戦国最強【信玄,信長,氏康,盛氏を圧倒】
860 :人間七七四年[]:2013/05/07(火) 18:09:07.50 ID:x3VI8GSX
信長と信玄はレベルが違いすぎるとも言っているな。
もちろん信玄が↑。
上杉謙信は戦国最強【信玄,信長,氏康,盛氏を圧倒】
861 :人間七七四年[]:2013/05/07(火) 18:10:57.09 ID:x3VI8GSX
西国>>>東国
とか平気で口にする奴って
中国>朝鮮>日本
って平然と言っていたんだろうなw
352 :
人間七七四年:2013/05/08(水) 12:46:48.22 ID:TtMObdXk
筒井は呼応する可能性はあったが細川が動かなかったから辞めただけじゃね。
細川にしたって幽斎が光秀に呼応しようと約束してたとしても
信長が忠興を厚遇し自筆の感状を送っていたり、
丹後を父ではなくお前にやるとかいってて
忠興には父と違い幕府や朝廷との縁も薄い。
むしろ父を嫌ってたんじゃないかと思われる部分もある。
丹後の支配は忠興である以上、幽斎が光秀や吉田神社と謀をめぐらせても阻止されるだろうね。
353 :
人間七七四年:2013/05/08(水) 19:44:43.43 ID:8C5dSiAL
筒井はともかく
細川は当時十万石級の中堅武将だし
実際のところ帰趨を左右するほどの力があったとは思えない。
354 :
人間七七四年:2013/05/09(木) 20:21:35.09 ID:1dPTL7Nn
355 :
人間七七四年:2013/05/10(金) 02:28:29.86 ID:3HKlC7ne
いや、惟任光秀からすれば、筒井順慶、長岡藤孝が与力すれば名分は充分に立つのだ。
筒井、長岡が与力すれば、花隈城主池田恒興、伊丹城主高山右近、茨木城主中川清秀がはせさん治
356 :
人間七七四年:2013/05/10(金) 19:10:30.35 ID:dFL4tdOE
>>352 幽斎にしたら、ガラシャを溺愛してる忠興なら光秀側に同意してくれると読み違えたのかも知れんね。
あと様子見してたら秀吉が信長が生きていたとか流し始め、
信長の首も京で晒せない失態ぶりも誤算だったのかも。
357 :
人間七七四年:2013/05/12(日) 15:26:18.72 ID:NHEO1Oe8
賊でもないのに信長の首を晒したら他の奴らに総スカンくらうのは確実。
そんな礼儀知らずに誰が味方するものか。
秀吉の信長生存のデマもすぐ嘘だとばれる代物だし、全く意味がない。
まあダメ元でとりあえずデマ流してみただけというのが見え見えである。
書状を受け取った奴らからにすれば秀吉が戻ってくるという情報の方が重要。
358 :
人間七七四年:2013/05/12(日) 16:55:45.00 ID:/zP1sqrB
実際はどうだろうと、「自分の正義、正当性」を主張して仲間募集するためには、相手の首を晒さなきゃ駄目だろ
359 :
人間七七四年:2013/05/12(日) 20:59:08.67 ID:NHEO1Oe8
アホか
突発的な主君殺しに最初から正当性なんてないわ
それは光秀自身が一番よくわかってる
実際書状で主張した正当性は息子たちのためとかいう極めて保身的なもので
こういう主張はすればするほど評判が下がる
360 :
人間七七四年:2013/05/12(日) 22:20:39.43 ID:ENp4RwxG
正統性なんてものは無いなら、いや無いからこそ自分らで拵えなくちゃならないのにな。
361 :
人間七七四年:2013/05/13(月) 00:29:37.53 ID:WKFMIV3h
「野心ありました。すんません味方して」とかじゃ勧誘は出来んわな
6月2日野口城主 西尾光教宛てに
「信長父子の悪逆は天下の妨げ、討ち果たし候」
って出してる
362 :
人間七七四年:2013/05/13(月) 08:51:11.63 ID:jO8Fj6I/
悪逆か……
主君討ちはそれ以上なんだが
だから一人も味方に馳せ参じなかったわけで
363 :
人間七七四年:2013/05/13(月) 22:32:50.82 ID:gWtohzdi
下克上なんて当たり前の時代になにをw
結局、信長が討ち死にした証拠をはっきり示せなければ
光秀の
挙兵が成功したかどうかわからんから
吉田神社や近衛や観修寺や細川も警戒して思い止まるわな。
364 :
人間七七四年:2013/05/15(水) 12:57:01.49 ID:iE87FkzI
親王がどう思ってたかが永遠の謎だよな。
365 :
人間七七四年:2013/05/15(水) 22:27:14.65 ID:tuuUO8SA
黒田官兵衛が密かに明智光秀に使者を送って京都の本能寺に信長の家臣50人位しかいないから
謀反を起こせと書状を送るのと同時に、徳川家康に天正伊賀の乱と長男信康恨みを晴らすために、服部半蔵使って
伊賀越えして明智光秀密かに倒せと炊きつけて、秀吉に光秀と家康が戦して疲労した所を大軍で中国大返しで二人を倒せば良いとけしかける。
どうせ勝った方は1カ月は戻ってくれないと思ってるからな。ひひひ。最後は秀吉が功労者だと私の右手を握った時に左手で
秀吉を刺殺して私の黒田幕府が成立だ。黒幕は黒田官兵衛
366 :
人間七七四年:2013/05/15(水) 22:50:18.54 ID:/WV08Gfx
マジかぉ(;^ω^)
367 :
人間七七四年:2013/05/16(木) 00:49:40.74 ID:910VgNv3
つまんね
368 :
人間七七四年:2013/05/18(土) 23:50:20.82 ID:FblrSAz3
本能寺の変に黒幕がいるとしたら荒木の謀反の黒幕と同一人物の可能性が非常に高い。
369 :
人間七七四年:2013/05/19(日) 12:18:37.01 ID:ApGBaV8o
本願寺包囲に長く関わったヤツらを信長は嫌っていたからね。
原田・佐久間・荒木・光秀・松永・別所・・・
みんな信長に追い詰められた被害者。
370 :
人間七七四年:2013/05/19(日) 17:13:26.47 ID:SGcWHEM3
371 :
人間七七四年:2013/05/20(月) 02:51:51.27 ID:Dac3t3/I
372 :
人間七七四年:2013/05/20(月) 19:04:45.75 ID:B63KYOVM
きたか…!!
( ゚д゚ ) ガタッ
.r ヾ
__|_| / ̄ ̄ ̄/_
\/ /
373 :
人間七七四年:2013/05/31(金) 00:07:16.14 ID:lxpgniDB
光秀はなんの根回しもなしに何を根拠にクーデターが成功すると思ったのだろう?
光秀の考える政権樹立構想がどうもはっきりしない。
普通に考えれば正統性のある足利義昭か織田信澄を担がなければいくら下剋上といっても誰もついてこないだろう。
374 :
人間七七四年:2013/05/31(金) 06:43:18.83 ID:fFrzY2w+
そもそも政権樹立したいから信長を討ったという考え方が間違いだろ。
信長を殺すことが目的で、その他はその後のことだ
375 :
人間七七四年:2013/06/01(土) 00:59:27.90 ID:I85kjAJC
6月1日 進軍祭り!!
376 :
人間七七四年:2013/06/01(土) 06:45:27.31 ID:pMhfQRaA
>>374 だから失敗しちゃったんだよなあ
陶の謀反と比べるとなめてんのかと思えるくらい事前の行動が稚拙
天正版嘉吉の乱でしかなくクーデターとして失敗するのは確定だった
377 :
人間七七四年:2013/06/02(日) 05:57:17.51 ID:e4Ophh1u
殺すことだけが目的な割には、事が済んだ後フラフラしてるな
結果的には死んだが生き残る為の行動をあーだこーだやってる
378 :
人間七七四年:2013/06/02(日) 06:26:38.84 ID:6GTTvB3E
>>376 典型的な結果論。
要は秀吉が常識外れの反転して来た想定外に拠る光秀の没落にすぎない。
秀吉が備中で立ち枯れしてたなら、光秀は畿内で一大勢力だ。
滝川は北条に破れ失脚、柴田は越前に帰還しても動かず、丹羽軍は崩壊etc.
379 :
人間七七四年:2013/06/02(日) 06:36:00.18 ID:ef3+Y2DT
>>378 >滝川は北条に破れ失脚、柴田は越前に帰還しても動かず、丹羽軍は崩壊etc.
これこそ典型的な結果論だろう
あんな杜撰な計画で野望説とかない
380 :
人間七七四年:2013/06/02(日) 06:47:17.23 ID:6GTTvB3E
>>379 滝川・柴田・丹羽の事例は光秀の生死とは何ら関係がない史実。
結果論の用い方さえ知らんか。
381 :
人間七七四年:2013/06/02(日) 07:07:42.83 ID:ef3+Y2DT
その史実になりえない状況も十分考えられる以上君の言ってることは結果論でしかない。
例えば信孝が信長ばりのカリスマ力発揮して速攻で討って出ればそれだけで光秀は即終了。
光秀の行動は他者の行動に対して運を天に任せすぎてる。
結果的に最も迅速な対応をとった秀吉が光秀を討てたに過ぎない。
他の者が光秀を討つ可能性も十分考えられた。
382 :
人間七七四年:2013/06/02(日) 09:19:01.06 ID:FIjOG5DF
光秀の評価は江戸時代ではどう言われたんだろ
やっぱ謀反人の悪人か、魔王とかいわれた人間を成敗した
義人とかどっちなんだろ?
383 :
人間七七四年:2013/06/02(日) 09:30:53.79 ID:6GTTvB3E
>>381 信孝には信長ばりのカリスマ性が微塵も無かったからこそ、信長暗殺の報で、あっという間に兵遁走という醜態。
つまり、信孝の統率力は、家来の方面軍司令官にも劣っていた訳だ。
下らん論争仕掛けんな。
光秀の本能寺襲撃は充分な成算あっての合理的行動。
それは柴田、丹羽、信孝、滝川の無能さで実証済。
秀吉の備中離脱こそ、運を天に任せすぎた奇跡にすぎない。
そんな奇跡も、結果論からすれば、当然の帰結になる。
信長暗殺も当然、関ヶ原の家康の勝利も当然etc.
秀吉の他に、誰が光秀を討てる可能性があったのか、具体名挙げてみ。
ま、与太話に終わるのが関の山なのは間違いない。
384 :
人間七七四年:2013/06/02(日) 09:38:18.55 ID:e8Ls+TEd
>>382 謀反人ともされたが、歌舞伎なども含めて一般的には「横暴な信長に耐えかねて謀反した悲劇の人」って感じだな。
決して単純に悪人とはされていない。
385 :
人間七七四年:2013/06/02(日) 10:03:49.00 ID:KrZvFxZg
まああの時代の悪人は高帥直
386 :
人間七七四年:2013/06/02(日) 11:13:56.42 ID:0udoxHiv
まあ秀吉は完全に棚ボタだっただけだけどな
毛利軍が秀吉の口から出任せ口述詐欺に見事ひっかかってあれだけの大チャンスに追撃もせず高松を明け渡して退却
普通に考えりゃ熊見川や美作攻防の2の舞で毛利に瞬殺されててもおかしくない状況だったし、秀吉に騙された毛利のアホさ加減と明智軍の兵力分散と
山崎での隘路での迎撃を捨てた恩恵にすぎない
そう考えると秀吉は圧倒的に運がよく、明智は不運だっただけ。何せ摂津の諸侯とか兄弟の契りしてる中川とか
信孝とか丹羽まで秀吉方に参戦して大軍に膨れ上がったのに対して明智は与力格がことごとく不参加、日和見だしな
387 :
人間七七四年:2013/06/02(日) 11:20:24.76 ID:aPq7v9qw
>>386 同意
毛利が史実で馬鹿なのが他にも実績があるからね
○毛利輝元は馬鹿なのは以下の通り史実での実績がちゃんとある
・対織田戦で熊見川で大勝しながら兵站の長さを理由に本国へヘタレ退却する
・天正4年〜7年時点でも織田方が他の方面での戦闘で忙しい時でも中国口を中途半端に火事場泥棒しただけで勝頼やらとの約定反故にして織田を討つ決定的チャンスを逃す
・本能寺の時も秀吉の口からでまかせ口述詐欺(数カ国織田から毛利へ割譲する)にひっかかって騙される
・関が原の後もやはり家康に騙されて大阪城明け渡した
・関が原の合戦に至るまでの間、総大将という最も権限軍隊ある立場にありながら関係ない伊勢湾四国伊勢などに軍分散させ見事大敗する
・総大将なのに西軍諸将からの援軍要請無視しまくり美濃口を突破され、その後も大阪に引きこもり秀元軍も使い物にならず見事大敗する
本能寺の時でも普通に秀吉方に戦闘挑んでたら間違いなく秀吉は壊滅しただけだろうしね
馬鹿すぎる毛利とそれによって救われた秀吉・逆にチャンスを失った光秀という結果が正しい
388 :
人間七七四年:2013/06/02(日) 11:25:02.20 ID:Y5n8nP8i
だがさんもう自演は止めてください
389 :
人間七七四年:2013/06/02(日) 11:35:26.94 ID:h+6AZa52
信孝の兵が遁走したのは光秀にとっちゃ運が良かっただけどな。光秀は勝算あると思ってたかもしれんが計画が中途半端過ぎる
例えば
>>361の手紙の続き
信長父子の悪逆は天下の妨げ、討ち果たし候、
其の表の儀御馳走候て、大垣の城相済ますべく候、
委細山田喜兵衛尉申すべく候、恐々謹言。
六月二日 惟任日向守光秀
西尾光教に大垣城を攻めろとか命令してるし。いきなりそんな事を言われたって動かないだろ普通
味方が増えなかったのは日和見のせいだけじゃないわな
390 :
人間七七四年:2013/06/02(日) 13:41:09.01 ID:n6vjeier
>>381 >信孝には信長ばりのカリスマ性が微塵も無かったからこそ、信長暗殺の報で、あっという間に兵遁走という醜態。
そういう結果でしか物事を判断できないことを結果論といいます。
結果論と騒ぐ割にはほんと全然理解できてないのね。
下らん論争仕掛けんなといいたいのはこっちの方。
>秀吉の備中離脱こそ、運を天に任せすぎた奇跡にすぎない。
はあ?きちんと相手とわだかまりなく和睦して引き返しているのに運を天に任せすぎた奇跡?
人事を尽くした当然の結果です。
相手が予想以上に協力的だったことは奇跡といってもいいですが。
>秀吉の他に、誰が光秀を討てる可能性があったのか、具体名挙げてみ。
君がほとんどあげてるからいいよ。
どうせ結果からでしか否定できないんでしょ。
確かに君の与太話に終わるのが関の山です。
>>389 いきなりこんな書状貰っても何言ってんだコイツ?ですよねえ。
信長らを討ったあと何がしたいのかさっぱりわからない。
さらに細川には息子らを取り立てるためだとかショボイ理由をわめく始末だし。
391 :
人間七七四年:2013/06/02(日) 14:16:43.75 ID:6GTTvB3E
>>390 信孝には一武将としての力量やカリスマ性が欠落していた。
よって信長の死の報が伝わると、配下の兵達は一斉に遁走した訳であり、他の蓋然性は皆無だ。
よって結果論でも何でもない。
では逆に聞くが、信孝軍自壊という結果以外で、当事象を判断しての評価を下してみ。
これで簡単に撃沈。
光秀から毛利に宛てた使者が秀吉陣営に捕縛されたのが、最初の幸運。
秀吉より先に毛利が信長の死を知ったなら、羽柴軍は間違いなく自壊だ。
安国寺が秀吉の為に清水宗治切腹に尽力したのも幸運。
宗治が安国寺の説得に応じ、切腹したのも幸運。
宗治が切腹して和睦しとかないと、羽柴軍は畿内に反転できんからな。
和睦後、信長の死を知った吉川が追撃戦の強硬論を唱えたのに対し、小早川が反対したのも幸運。
当然の結果でも何でもない。
で、予想通り、秀吉の他に光秀を討てる可能性があった固有名詞を挙げられない無能。
しっかり与太話に終わったな。
ご苦労。
下らん論争仕掛けんな。
信長らを討った後何がしたいのかさっぱりわからないのは、無能なんだから当然だ。
ちっとは己の無能さ加減を自覚しろ。
392 :
人間七七四年:2013/06/02(日) 14:47:01.90 ID:n6vjeier
>>391 >信孝軍自壊という結果以外で、当事象を判断しての評価を下してみ。
自分で結果論だって認めてるじゃねーかw
信孝は信長が四国遠征軍の総大将に抜擢している時点で高評価。
この時点で信長譲りのカリスマがある可能性はありますよ。
『天正記』でも「信孝もまた将軍の息男にして、智勇人に超えたり」と評価が高かった。
>光秀から毛利に宛てた使者が秀吉陣営に捕縛された
>和睦後、信長の死を知った吉川が追撃戦の強硬論を唱えた
信頼できるソースよろ。
どうせ軍記ものでしか出せないんだろうけど。
>信長らを討った後何がしたいのかさっぱりわからないのは、無能なんだから当然だ。
で尊大で有能()な君は光秀が何がしたかったのかわかっていたのかね?
その自信満々な御高説でもひとつ賜ろうかねえ。
393 :
人間七七四年:2013/06/02(日) 15:06:47.09 ID:6GTTvB3E
>>392 当然で必然の帰結に拠る結果判断は、結果論とは定義しない。
覚えときな。
結局、君自身も信孝軍自壊という結果以外では、信孝の武将としての力量を評価できん訳だろ。
なのに、なんで相手の言を結果論だとして否定できるのかね。
この矛盾に気づかないから無能と揶揄される。
信孝が四国遠征軍の総大将に抜擢されたのは、単に信長の息子だから。
他に理由は無い。
無能で名高い信雄でさえ、伊賀征伐の司令官に任命されてる史実で、それは簡単に実証できる。
史料以前に、光秀から毛利に宛てた使者が秀吉陣営に捕縛されたのも、
和睦後、信長の死を知った吉川が追撃戦の強硬論を唱えたのも、
否定している識者は存在するのかね。
しねーな。
そんな識者が存在しない事実が、全てを雄弁に物語っとるな。
簡単に論破されんな。
光秀が信長を討った後何をしたかったかなんて、畿内へと反転した秀吉と同じだろ。
織田の武将連中の多数派工作だ。
それに成功した秀吉は戦に勝ち、日数不足で失敗した光秀は滅んだ。
こんな簡単な理屈さえ分からんとは、どんだけの無能だ。
394 :
人間七七四年:2013/06/02(日) 15:58:39.80 ID:n6vjeier
>>393 >当然で必然の帰結に拠る結果判断
そりゃ結果論で判断するわけですから君にとっては当然で必然の帰結でしょうよw
>結局、君自身も信孝軍自壊という結果以外では、信孝の武将としての力量を評価できん訳だろ。
はあ?それまでちゃんと実績積んで四国遠征軍の総大将に抜擢されてるから高評価ですけど?
私が光秀だったら信孝は信忠同様信長と同時に消したい脅威ですよ。
>なんで相手の言を結果論だとして否定できるのかね。
もう一度言いますが信孝にカリスマがないという評価を事後の結果でしか判断してないからですよ。
事前に悪い評価があればわかりますがそんなものはありませんでした。
そういう意味では滝川も似たような存在です。
>否定している識者は存在するのかね。
なんだ本能寺の変の研究本すら読んでないのですか。
無知すぎますね。話にもなりません。
出直しといで。
>織田の武将連中の多数派工作だ。
だから多数派工作して光秀はどういう世の中にしたかったんだね?
要するに説明できないからごまかしてるだけでしょ?
395 :
人間七七四年:2013/06/02(日) 16:47:31.80 ID:6GTTvB3E
>>394 信孝が丹羽長秀を排して四国攻めの総大将に抜擢されるに値する実績って何だ?
具体的に示してみ。
信孝にカリスマ性が無いとの判断を、本能寺の変直後の兵の離散という結果で判断するのは当たり前。
統率力と威厳とカリスマ性があれば、こんな醜態は晒さないのだからな。
他の結果が起こり得た蓋然性が無い以上、結果論に該当しないのは、先に示した通り。
予想通り、当該識者の具体名は一人も示せずか。
で、苦し紛れに、本能寺の変の研究本すら読んでない云々の寝言。
本能寺の変の研究本は、まず君が読んだほうがいいな。
生き残りの為の多数派工作の真っ最中に、どういう世の中にしたいかなんて考えてる余裕なんてねーよ。
それは秀吉も同じ。
大返しの真っ最中に、明智討ち後の政権構想なんて、全く念頭に無かったのは、子供でも分かる理屈だ。
そもそも当該書き込みは、どういう世の中云々とは全く違う趣旨だろーが。
腐ったすり替え詭弁遣うな。
某大阪市長の国辱野郎かっつーの。
396 :
人間七七四年:2013/06/02(日) 17:16:39.37 ID:n6vjeier
>>395 織田信忠の実績?Wikiも見れないのかね?どんだけ情弱なの?
長島一向一揆平定戦
越前一向一揆平定戦
紀州征伐
有岡城の戦い
etc
行政官としての活躍も素晴らしかったみたいね。
それと毎度毎度逃げ回って下らんレッテル貼りばかりやってないでさっさとこちらの質問に答えてソース出してね。
>生き残りの為の多数派工作の真っ最中に、どういう世の中にしたいかなんて考えてる余裕なんてねーよ。
正当性のある権力を打倒して何も考えてないとかそりゃ生き残りに失敗して当然ですよ。
光秀は赤松同様無謀なテロリストで確定ですね。
397 :
人間七七四年:2013/06/02(日) 17:18:22.01 ID:n6vjeier
ミスった。
信忠じゃなくて信孝だったね。
398 :
人間七七四年:2013/06/02(日) 17:28:46.04 ID:6GTTvB3E
>>396 上記信孝の戦歴は、光秀を追いやってまで四国攻めの司令官にするには値せんな。
そもそも信長は信孝の軍事的指揮統率能力を信用していなかったからこそ、わざわざ丹羽長秀を信孝の副官に据えたんだろーが。
高評価ではなく、低評価そのものじゃねーか。
399 :
人間七七四年:2013/06/02(日) 17:34:10.98 ID:n6vjeier
>>398 信頼してなかった丹羽がそのまま四国遠征軍の総大将に就任して信孝は信雄と同じ扱いになってるでしょうね。
いいから逃げ回らないで早くソース出してね。
400 :
人間七七四年:2013/06/02(日) 17:41:03.45 ID:6GTTvB3E
>>399 信長が能力を信頼していなかったのは、丹羽ではなく信孝。
四国攻め司令官の信孝抜擢は、信孝に箔を付けさせるため。
実質的司令官が長秀なのは、専門家も認める常識。
異議が有るのなら、逃げ回らないでソース出せ。
ま、1億%無理だけどな。
401 :
人間七七四年:2013/06/02(日) 17:59:37.77 ID:n6vjeier
>>400 ほんと論点ずらそうと必死だね。
そりゃ信孝は信長の息子達の中でも実力があって更なる泊付けに値する武将だったからね。当たり前のこと。
信長の息子達の中でも実力がなかったら抜擢してない。これも当たり前のこと。
でやっぱりソース出せと言ったら逃げ回るのね結果論くんは。
光秀の使者が秀吉に捕まったというソース、元春が和睦を反故にしようとしたというソース早く出してね。
402 :
人間七七四年:2013/06/02(日) 18:35:31.05 ID:PtqSdMjL
403 :
人間七七四年:2013/06/02(日) 20:15:00.90 ID:0udoxHiv
史料見る限り丹羽は実質的指揮官の権限なんてないし副将のうちの一人にすぎず副将の中でも特別な地位にいたわけでもない事が史料でもわかる
つうかこいつはいつも丹羽は有能だとか妄想で触れ回ってるアホだろ
こいつの好きな信忠にも副将の地位で川尻森滝川が付けられ、一次資料見る限り総責任者は川尻だから信忠はよっぽど無能なんだろって話だな
現に森や滝川や梶原は信忠を無視してどんどん進んでたのがわかるしいかに部下からも軽んじられてるかがわかる
おまけに信忠領地の日比谷氏の違乱問題も信長が裁決している有様で、信忠は家督ついでも信長に何もかも助けられまくってるアホ
404 :
人間七七四年:2013/06/02(日) 20:32:15.67 ID:BOcLgSyh
だがさんはめんどくさいなぁ
405 :
人間七七四年:2013/06/02(日) 23:42:11.15 ID:zCGzL9xS
信孝って実力はあるんだろうけど運が悪すぎだと思う。
住吉本陣離れて丹羽とともに岸和田で鉢屋の接待受けてたときに訃報が入って慌てて本陣戻ったら
情報錯綜して軍が既に四散してるんだから。
406 :
人間七七四年:2013/06/03(月) 00:26:03.84 ID:55RIh862
大将っても兵は寄せ集めだからなぁ。信長の事は知ってても信孝の事はあまり知らなかったんじゃない?
407 :
人間七七四年:2013/06/03(月) 08:17:09.35 ID:ID/enaBV
信孝が現場にいなかったせいで信孝も殺害されたというデマが流れてたらしいしね。
そりゃみんな逃げるわ。
408 :
人間七七四年:2013/06/15(土) 04:36:57.31 ID:sGbdqRoD
家康が帰国できず、秀吉を山崎で破って摂津をある程度制してたとしてもこの人じゃ一年足らずで滅んでた気がする
409 :
人間七七四年:2013/06/15(土) 09:15:28.92 ID:19ECzMKR
信長を討った後の政権構想がまるでないからね
義昭を帰洛させるという最善の方法すら思いつかなかった間抜けだし
410 :
人間七七四年:2013/06/15(土) 09:53:45.36 ID:wTD5YiTE
思いついたってそんなことホイホイできるわけねーだろ。アホか。
411 :
人間七七四年:2013/06/15(土) 10:30:08.52 ID:w3FDH/ou
そもそも天皇と義昭を奉じていたんだが。
だいたい光秀は日のもとの土地で天皇の土地でないものはないと書いているくらい尊王。
光秀は天下=天皇という言葉を出してたり、義昭の帰洛を考えていたりとさまざまな動きをしている。
412 :
人間七七四年:2013/06/15(土) 14:40:23.22 ID:4n+cmVjc
尊皇とか、天下=天皇とか大嘘ばっかりで完全に論外だな。
413 :
人間七七四年:2013/06/15(土) 22:16:45.67 ID:2U+hvrBQ
義昭帰洛は信長だってやろうとしてたじゃん
414 :
人間七七四年:2013/06/16(日) 00:34:13.91 ID:VIP57rlR
将軍義昭を追放した信長ですら、将軍の息子・足利義尋を奉じてるね
一方、光秀は中国在国の義昭帰洛が難しかったら、義尋をスペアに使えたはず
しかも、義尋は変当時は奈良にいたのに、光秀はスルー
彼に「上位権威者を推戴する」というビジョンがなかった証拠
415 :
人間七七四年:2013/06/16(日) 00:35:26.83 ID:pxc+S1Ld
>>409 「思いつかなかった」って、実際、光秀は、土橋氏を通じて追求していますが(これは黒幕論とは関係のない話)。
事実認識もでたらめな上に、義昭を帰洛させることが最善の方針というのは、あまりにおめでたい。
こんなレベルで、「政権構想がない」などと決め付けるのは、なんとも。
416 :
人間七七四年:2013/06/18(火) 18:07:35.77 ID:8H5gQgKK
おめでたいのはお前の頭だバカw
417 :
人間七七四年:2013/06/24(月) 06:07:15.63 ID:pr/kAicp
>>415 それ土橋らの案なんですけどね
光秀の発案ではない
あと光秀は義昭に何の連絡も取ってない
418 :
人間七七四年:2013/06/24(月) 18:28:57.74 ID:vw3WTzMi
光秀から上杉家へ使者がきたこを知らせる河隅越中守→直江宛の急報の中で
当方無二の御馳走申し上ぐべき由来りどと書いていて
明らかに光秀より上位権力者がいて、その人物へ上杉は無二の御馳走するべきと言ってるじゃん
この人物とは、もう将軍か天皇しかいねーじゃん。
もっとも将軍なら名前を隠してる必要性ないから天皇のことだと思うが。
419 :
人間七七四年:2013/06/24(月) 19:49:45.63 ID:nNKZBze+
「〇〇のため」とか言っても、〇〇がまるっきり感知してないなんて普通にあるじゃないかー。
「天下のため」とか定型文だし
420 :
人間七七四年:2013/06/25(火) 01:54:17.71 ID:v6p7uqTT
それ、明智が上杉に馳走するって言って来たって話じゃないのか?
421 :
人間七七四年:2013/06/25(火) 08:35:04.09 ID:ePBeDeDk
違う
422 :
人間七七四年:2013/06/25(火) 14:53:06.18 ID:jWf4+/oE
参考
信長なんて恐怖で支配してただけで統治力もゼロ
なんせ尾張・美濃ですら面従腹背で人心は織田家から離れていたからな。
そりゃあ本能寺の変で尾張美濃兵が信長のあだ討ちなんてするわけない。
むしろ歓迎してたのは明らか。
なんせ天正10年10月十八日付け秀吉→信孝側近斉藤玄蕃・岡本太郎左衛門宛書状でも
信長が死ぬや謀反したので人質を出させて降伏を許すのでなく首を刎ねるべきと秀吉が書いてるなかで
江州の阿閉氏を挙げたあとで、さらに尾・濃の御成敗に言及してる。
濃州の面々、城を拵え、悉く御敵と成り、稲葉山えおは、既に、斉藤玄蕃允相上られ候といへども、
長浜へ罷り越し、我等に稲葉山、相渡さるべきに極められ候、其の外、国衆の人質、残らず我等請取り申候
長松へつれて馳せ向ひ候間、一国の者首を助け申し候事
其れより尾州へ罷り越し、又ぞろや、悪逆人成敗いたすべきと申し候処に、我等清洲の御城に居申し候へば、
国中の人質残らず、三河・信濃境迄出し申し候間、是非に及ばず候、是又首を助け申し候事
などと秀吉は尾張と美濃のまたぞろ現れた悪逆人を処罰をせずに人質を受け取ることで許す信孝を非難してる。
この不審な態度は信孝が信長・信忠暗殺の黒幕とも思える話で秀吉が激怒してる文である。
いかに信長が尾張美濃の人々からも憎しみを向けられ敵視され、隙あらば謀反自立しようとしていたかわかる。
そして秀吉は信長親子への謀反をした者どもと組している信孝を討って仇討ちをするのである。
光秀重臣の佐竹宗実を許してるなんて
朝廷が信長暗殺に加担していた傍証だよな。
この人の妹が吉田神社の兼見の妻だし
天正10年正月に兼見が坂本で光秀と会談したときに
取次ぎしたのが宗実の弟の佐竹弥吉だったし。
この人は秀吉に許され、丹羽長秀に仕えてる。
伊勢貞知は光秀重臣伊勢貞興の従兄弟で幕臣→光秀配下となり
山崎の戦いを記述した山科言経の日記のうちで
山崎での合戦で敗北し伊勢守(貞興)以下30余討ち死と
最初に名前があがるほどの人物だった。
貞知は幕臣→近衛前久に仕えて信長のために島津と大友の和睦に奔走した。
この明智方重臣の家も秀吉は許している、
その他にも光秀騎下の近江の土豪磯谷新右衛門の息子で
光秀が元服名付け親となっていた磯谷彦四郎なんかも秀吉は許している。
木村吉清とかも許してるしな。
津田信勝(盛月)
柴田の部下を斬って信長と柴田の怒りを買った張本人。
秀吉に密かに庇われていたが毛利攻め末期に備中陣にいるのが
信長にバレて責任を取って切腹させられそうになった時に本能寺の変勃発。
秀吉も津田信勝隠匿が露見し終了寸前。
津田といえば 光秀の養子の津田信澄の父も信勝・・・
やはり信長は朝廷・近衛・吉田神社・光秀・秀吉・信孝の謀議で殺されてるとしか思えない。
423 :
人間七七四年:2013/06/25(火) 14:55:18.31 ID:jWf4+/oE
天皇が義昭の将軍職を解任しないどころか、
天皇は国僧に快川紹喜を任命し、
国寺に恵林寺を任命するなど天皇は武田擁護しまくり。
織田はそれに対して快川を焼き殺し、恵林寺を焼き捨てて、天皇を脅迫。
天皇を辱めた織田に見切りをつけた光秀は、
義昭を奉じて信長を天誅した。
6月13日付け雑賀衆土橋重治宛光秀書状には、
将軍への奔走と入洛に言及してるし、
義昭も信長を討ち果たしたと書いてるしな。
柴田が光秀を討ちに行くことに消極的だったのめた義昭とつるんでいたから。
勝家は天正11年3月4日付け義昭近臣真木宛でも義昭上洛へ言及してるなど光秀の意向を勝家は引き継いでる。
結局、天皇をコケにした信長は家臣団に裏切られて義昭に敗北し、信玄を尊敬していた快川の死に方と同じやり方で信長は報復された。
朱印状貿易も信長が簒奪者の成り上がりだとして、到底正統とは認められず許可されなかったし、
本能寺の変後に義昭は毛利の乃美への「信長を討ち果たした」と勝利宣言をしているが、
島津義久には「織田は天命のがれがたく自滅した」と書くなど
義昭は実は天皇の天意を奉じて信長に天誅を加えたことに触れている。
信長の御勘気をこうむっていた教如を顕如が義絶していたが
本能寺の変の20日後にはさっそく天皇が
待ってましたとばかりに教如を赦免するように顕如を諭してる。
日本において天皇は神のように崇められているって宣教師も書いてる。その宣教師を厚遇する背教者信長。
丹波の御領回復に対して、天皇は馬・鎧などを下賜。
(朝廷との取次ぎ役以外の陪臣に対して下賜を行うのは稀有)
信長に欺かれていた光秀は、
信長の勤皇を称えたあとに、天下はすべて天皇の土地であるという旨の文書残してる。
「あまねく天之下王土」の考えは、仲の良かった吉田兼見や行祐からの影響だろう。
424 :
人間七七四年:2013/06/26(水) 10:11:43.30 ID:0CjpnzDI
薄氷の上の政権で、
恐怖と死を背景にした信長の専制独裁は
もはや矛盾の上にフタをして誤魔化せる状況ではなくなってたんだろうな。
家臣団は己の才覚を武器に苦労してきたから、
信長のおかげではなく自力で成した成果を、信長に横取りされているように考えるのは当然だし、
茶会や鷹狩りや相撲見物で遊んでいる信長に対して反感を持っていただろうし。
朝廷がちょっと遠回しに煽ればすぐ発火するような状況だったろうね。
なにしろどんなに遠征で遠くにいても年頭の挨拶で安土城に貢物をたんまり持って挨拶に行かなければ謀反を疑われる状況だし、
遠征先で苦労して帰順させた国人たちも安土城に呼び出されてブッ殺される始末だからな。
そりゃ誰も信じないわな。
425 :
人間七七四年:2013/06/26(水) 22:36:30.57 ID:M+EdVr7D
あんまコピペばっか貼ってっと運営からまたおこされちゃうよ
426 :
人間七七四年:2013/06/27(木) 01:04:46.17 ID:GMqfMo1m
やきぶーの嫉妬スレか…
427 :
人間七七四年:2013/07/01(月) NY:AN:NY.AN ID:lRqrAgHZ
信虎平生悪逆無道ナリ。国中ノ人民牛馬畜類共ニ愁悩セリ
塩山向嶽禅庵小年代記
信長文書研究で有名だった奥野高広氏の信虎評
「奉公衆が他国に逃げるような事態をひきおこすようでは、守護の地位を保つことはできないだろう」
武田研究で有名な上野晴朗氏
「天文5年以来の家臣団の離反が根にあり、義元と同盟したことで、北条氏をより強く敵に回したことで、
北条と今川の友好関係が破れた。
このような関係は武田家臣団の喜ばぬところであり、
対隣国関係の政策上で信虎と家臣団は二つに意見が割れた」
信虎のワンマン独断専行的態度に対する家臣団の不満と過酷な収奪による農民の疲弊。
これは道三や信長とも共通した性格であろう。
一方、信秀は類い稀なる器用の人と賞賛され、その才覚で人心を得た。
428 :
人間七七四年:2013/07/04(木) NY:AN:NY.AN ID:PnikgRVW
そりゃあ織田家臣団だって信長を見限るでしょうよ。
欲しい物があれば堺の商人を脅迫して出させる辺り
博多で茶器欲しさに脅迫して手に入れた秋月種実と同レベルのクズだもん。
429 :
人間七七四年:2013/07/07(日) NY:AN:NY.AN ID:fpYsqFXl
同盟者だった家康も安土城で従属させられてるしな。
家忠日記でも信長を御家門様とか大殿とか呼んでる始末だし
本能寺の変の時も一度、家康は火急の件で上洛しようとしてるし
実際、穴山を殺してるのも家康だろ。
伊賀越えも南近江の者と家康が連絡とってるから
実際は伊賀を越えずに南近江経由で伊勢に出たんじゃねぇのか。
しかも火事場泥棒的に三法師を掲げて尾張を火事場泥棒しようと思ったら
先に秀吉によって光秀を討たれたから引き帰るあたり非常に怪しい行動してる。
430 :
人間七七四年:2013/07/07(日) NY:AN:NY.AN ID:xk/RjgvK
はいはいあやCあやC良かったでちゅねー
431 :
人間七七四年:2013/07/10(水) NY:AN:NY.AN ID:+4KTj9CG
朝廷や将軍が黒幕だな。
安定していた三好長慶長期政権ですら、
永禄5年に懲りない義輝を黒幕にまたまた反三好で大規模蜂起があったし。
その時期の朝廷も三好批判を立入宗継や万里小路惟房らがやって、
三好には内密で織田に使者送ってるし。
三好長慶が永禄7年7月に死去するや、
たちまち三好政権が瓦解していくのも幕府や朝廷の上記のような動きから。
信長謀殺にしても義昭や朝廷の共同作業だろう。
長慶は結局、紀州を制圧出来ずに終わっているし、
信長もまた紀州を制圧出来ずに終わっている。
紀州勢力を平定しない限り畿内の安定は不可能でたびたび発作のように混乱する。
432 :
人間七七四年:2013/07/10(水) NY:AN:NY.AN ID:b85bLGKb
だがさん日本語でよろ
433 :
人間七七四年:2013/07/11(木) NY:AN:NY.AN ID:8bbTGnrZ
信長は能力不足だったから朝廷の人心を得ることが出来ず、
力で脅して無理やり従わせていただけだしな。
能力不足を補うために松永久秀を厚遇してただけだし。
久秀を殺した時点で信長と朝廷の人的つながりは消えたよな。
長慶はキリシタンの布教を認めた初めての畿内大名だし、
和歌で公家と友好し、真の武士たるものは歌連歌も精進すべきと奨励。
万葉、古今集を諳んじ風月を愛した文化人。
清少納言や紫式部や紀貫之や在原業平をも研鑽し朝廷でも大いに人心を得ているし、
連歌の発展に貢献している。
信長のような野人は朝廷は認めるようなことは無い。
434 :
人間七七四年:2013/07/11(木) NY:AN:NY.AN ID:B8+BmqO6
武田が朝敵とされた事実は消えないからアキラメロン
435 :
人間七七四年:2013/07/11(木) NY:AN:NY.AN ID:gFF5Iy62
>>434 比叡山座主覚恕法親王は正親町天皇の弟で延暦寺炎上後は洛中曼殊院や禁中に滞在して
比叡山再興を掲げる信玄の権僧正任官の斡旋活動をして信玄も僧正号宣下のお礼状を元亀3年10/3に出している。
信長追討綸旨発給の衝撃・・・・本人が関わる綸旨・宣旨を纏めていた勧修寺晴豊の旧蔵記録には
蔵人頭左中弁勧修寺晴豊→四辻大納言李遠宛て元亀3年9/20付書状
今度叡山炎上のこと、非常に嘆かわしく思っていたところ、法性院僧正が再び叡山を隆盛させるべく
入洛を計画しているとのことを聞き及びました。
叡山復興によって朝家の盛興するべく忠勤を励むとのこと。使者として直接談じ合ってくるように。
蔵人頭左中弁勧修寺晴豊→恵林寺(武田氏菩提寺)・長禅寺(信玄生母墓所)宛て元亀3年9/20付書状
あなたたちの寺を天皇の勅願所に決めましたので、宜しく国家安全と長久を祈り奉ってください。
これにより天皇は信長に与えた決勝綸旨を破棄し、将軍義昭に呼応する信玄の官軍認定をしたのである。
このことで物資と人の両面で困窮し追い詰められた朝敵信長の自暴自棄の報復が
御所まで類炎するのも辞さない上京焼き討ちによる公家・寺社への乱暴狼藉である。
謙信→長景連宛て元亀4年3/19付け書状を読むと
謙信も信長へ叡山再興をするように約束すれば信玄の大義名分が立たなくなると諭し
朝敵信長がそれを承諾しているのがわかるように、朝敵信長は比叡山の報復圧力に土下座しているのがわかる。
このように官軍武田軍が威風堂々と徳川・織田連合軍を瞬殺して上洛を目指していたのがわかる。
元亀4年1/11に僧正法性院信玄→将軍足利義昭側近上野中務大夫(秀政)宛てで
朝敵信長追討を受けた信玄は
義兵を起こし大軍が靡かせ発向し家康の大半の要害を破却したと宣言し、
信長・家康ら逆党を誅伐し天下を静謐にすると言上してる。
そして叡山での乱逆や、他者を軽んじ公家や寺社の人々を侮り、放言の数々
洛中洛外を徘徊しみだりに徳分の課役をして砂金財宝を横領しまくり、
朝倉と信長を和睦させたかたじけない天皇の勅命とそれに類する複数の起請文を捧げたのを
破って延暦寺を壊滅させるなど悪逆無道を為すなど5か条に渡って
信長の大罪を弾劾し讒巨乱国を救うと誓っている。
その檄文を将軍から入手した天皇は日本を救う救世主に感動して、
信玄の大義名分を筆写し醍醐寺理性院に納めて祈願したほど。
いかに信長が悪逆無道だったかがわかる。
醍醐寺理性院に残る天皇の写の日付は1/11だが、甲陽軍鑑では1/7とされている。
実際に書かれたのは1/7で出されたのが1/11なのかも知れない。
436 :
人間七七四年:2013/07/11(木) NY:AN:NY.AN ID:L5bgEPaO
本能寺の変を起こした明智光秀に対する態度とまるっきり似ているな
437 :
人間七七四年:2013/07/17(水) NY:AN:NY.AN ID:foIZN276
秀吉家臣団は明らかに絡んでるな。
黒田官兵衛が荒木に拉致られた時に、信長は長政を殺すように命じたり、
手取川の戦い前に柴田のケンカして勝手に帰り信長の不興を買っていたし、
宇喜多直家の降伏を許さず信長が激怒して秀吉を即刻播磨へ追い返したりしてるし、
中国戦線では信長への報告をせずに国人への安堵を発行して地盤作りやる一方で、
秀吉は年初に膨大な贈り物をして信長の猜疑心を宥めようと必死だし。
近江美濃から最も離れていて信長の目が行き届かない場所にいた為に、
信長が突然死んでも動揺しない自らの地盤を作り上げてから信長を殺して自立してる。
438 :
人間七七四年:2013/07/17(水) NY:AN:NY.AN ID:Aub0Nc5D
信長は官位はもういらないから、息子の官位を上げてくれと頼みつつ
息子には新しい官位は受けないようにする嫌がらせをしたり
自分を神とか名乗って拝観料を要求するとかキチガイ過ぎたからな。
439 :
人間七七四年:2013/07/17(水) NY:AN:NY.AN ID:4tOH/UvS
京の東北に位置する鬼門を護る比叡山を壊滅させた時点で、
京の結界が崩壊したと朝廷は考えた。
そして酒呑童子など鬼が住む保津峡の上流である丹波亀山と、
比叡山滅亡による鬼門崩壊した近江坂本を領地とした光秀が
祟りを撒き散らす怨霊に堕ちる前に魔王信長を討ち魂の救済浄化を吉田神社を通じて勧めた。
440 :
人間七七四年:2013/07/19(金) NY:AN:NY.AN ID:XvJfRcGw
朝廷(観修寺・近衛)と将軍と吉田神社による工作で信長暗殺が実行されたんだろ。
信長家臣団はそれをほぼ知ってたとしか思えない。
やはり尾張譜代だけはリストラされないって言う信頼が
佐久間潰しで根拠のない願望に過ぎなかったと悟ったからな。
神になった信長には誰も付いていけなかったので、周囲から見限られた末の謀殺死だったのだろう。
441 :
人間七七四年:2013/07/25(木) NY:AN:NY.AN ID:5D3pb/kR
秀吉は知ってたと思うな。
本能寺の変のあとに信孝の兵は四散し、80騎しかいなくなった。
しかたがな丹羽らは大坂へもどり、信澄と長束に大坂を守らせてから
信孝を奉じて光秀討伐のために守山まで進出した。
そこに秀吉から長束経由で
信澄が光秀に摂津半国守護を条件に加担したとの連絡が入り
光秀と信澄の挟撃を恐れて大坂へ戻り
千貫櫓を攻めて信澄の首を堺に晒した。
丹羽らは大坂の乾櫓に篭城して筒井の来援を命令したがシカトされ逼塞。
池田・中川・高山らはまったく信孝を支援しようとしないが、
そこへ秀吉軍が到着し、彼らは次々と秀吉に呼応。
そして丹羽らも秀吉に合流。
どう考えても秀吉が状況を操ってる。
442 :
人間七七四年:2013/07/29(月) NY:AN:NY.AN ID:V5jy5SNf
光秀は信長の事が大好きだったんだな。
信長の命を奪う事で、信長を永遠に自分だけの物にしたかったんだろうな、きっと。
ジョンレノンを殺した奴も、そんな感じだったんだろ?
443 :
人間七七四年:2013/07/29(月) NY:AN:NY.AN ID:GcFUEDU/
人前でカツラふっとばされた恨みで殺しました
444 :
人間七七四年:2013/08/02(金) NY:AN:NY.AN ID:yVSc22/N
尾張国は肥沃(地厚土肥)な大上国と記されており、
その富裕な農業生産力や畿内への地理的な近さを背景にして朝廷を支えていた
尾張は、昔から畿内覇権に関与してる。
継体天皇、大海人皇子は、尾張氏のバックアップが決定打とか言われてるし、
邪馬台国のライバル、狗奴国が尾張にあったという説まである。
尾張三河は頼朝、尊氏、家康を支えた重臣をたんまり輩出してるからな。
地力がある土地なんだよな。
岡崎城に隣接してる資料館では三河武士が鎌倉幕府も足利幕府も江戸幕府も作ったと書いてるよ。
看羊録によると尾張国は地が厚く、土地が肥えていて
種を蒔くだけで放置してても1000倍を得ることができ
里の多さでも日本国でも抜群に優れており大上国であると
尾張国のチートぶりを超絶賛!
(ちなみに三河国は土の層が浅く一尺ばかりしかないので
五穀があまり熟さないので下下の小国と書いているので
信玄が三河占領に興味が無かった理由もわかる)
実際信長の生涯の半分以上は尾張統一と美濃侵略に使われた訳で…
北条なら二年で美濃攻略してたろう
なぜなら北条は内政を整備し貫高に応じた兵数動員を賦課と兵站整備、
軍全体の統一された軍規や軍事編成で再編し
武器比率をその貫高に応じて指定し
武器ごとに兵を分割再編成をすることができる。
これは織田にはできなかったことだ。
そもそも織田には分国法もなく、ロジスティックス概念がまったくない。
あるのは武辺道の奨励と部下の才覚への過度な依存と猜疑による必罰追放と言う
ブラック企業経営者によるパワハラ恐怖支配と
威圧と恐怖を背景にする信長への妄信的個人崇拝と言う
現代で言えば洗脳手法が取り入れられたキチガイ新興宗教カルト組織でしかない。
朝廷のよって目を覚ました光秀はその恐怖テロ犯罪組織の教祖を殺して
日本を盗もうとしたカルトを潰すことに成功した。
445 :
人間七七四年:2013/08/05(月) NY:AN:NY.AN ID:+JW1NWGB
平家は将軍にはなれないのに
武田を征伐し、北条を従属させて
東夷平定を功に将軍になろうとしたから抹殺された。
446 :
人間七七四年:2013/08/10(土) NY:AN:NY.AN ID:xhpK7WjT
征夷大将軍は源氏じゃ無くてもなれる常識さえ知らん無知
447 :
人間七七四年:2013/08/10(土) NY:AN:NY.AN ID:VN0DNaE6
信長時代には征夷大将軍になれるのは源氏の子孫のみと
条件が非常に厳しくなっていたのよ
448 :
人間七七四年:2013/08/10(土) NY:AN:NY.AN ID:vGlLhTWo
どっかのタイミングで源氏を称していないと征夷大将軍になれなくなったのは
実際の結果から見て間違いないだろうね。
源平王朝交代説なんて俗説はゴミだし。
449 :
人間七七四年:2013/08/10(土) NY:AN:NY.AN ID:Ewdf0AZt
『どっかのタイミング』ってどこだ。
具体的に挙げてみよ。
ま、そんなもんねーから無理だがな。
450 :
人間七七四年:2013/08/11(日) NY:AN:NY.AN ID:UhDguSLw
足利尊氏あたりからだろ。
451 :
人間七七四年:2013/08/11(日) NY:AN:NY.AN ID:nMwLvpXU
まあ天皇も以前は女性でも天皇になれたが
いつの間にか男子のみになったからな
452 :
人間七七四年:2013/08/11(日) NY:AN:NY.AN ID:3AIXYzca
論点のすり替え
453 :
人間七七四年:2013/08/11(日) NY:AN:NY.AN ID:3AIXYzca
朝廷から信長への三職推任に拠り、将軍は源氏以外でも任官可能だと、歴史が証明している。
足利家に拠る単なる将軍職世襲を、源氏だけが将軍職に就ける前提だと勘違いする愚かさ。
454 :
人間七七四年:2013/08/11(日) NY:AN:NY.AN ID:3AIXYzca
徳川時代にも女帝は存在したんだが。
いつの間にか男子のみになったも糞もない。
455 :
人間七七四年:2013/08/11(日) NY:AN:NY.AN ID:VnE5wFhu
それにしても「本能寺」って寺の名前のカッコよさでこの事件の凄味の3割は増してるな
本能だよ「本能」、信長がくたばった場所として申し分ない名前だよな
これがもし「ぽんぽこ寺」とかで変が起こってたらこれほど信長も光秀も後世で人気が出ていたかどうか
456 :
人間七七四年:2013/08/11(日) NY:AN:NY.AN ID:78AJK9Lo
457 :
人間七七四年:2013/08/11(日) NY:AN:NY.AN ID:P9RHYdxN
>>455 的を得ている。
「ぽんぽこ寺」は笑った。
これは、「天王山」「洞ヶ峠」などにも言えるのでは。
これが「洞ヶ山」(での決選)「天王峠」(での日和見)でも良いわけだが、
それでは、この名が浸透しなかっただろう。そもそも、この名のおかげで、事実と
違うのに広まった。
458 :
人間七七四年:2013/08/12(月) NY:AN:NY.AN ID:7PEoGh+3
>>441 こんどは秀吉黒幕かよ
相変わらず妄想だらけだ
459 :
人間七七四年:2013/08/13(火) NY:AN:NY.AN ID:6bAMVrB2
今の官房長官みたいに出身は不詳だが如才ない人物。誰が闇討ちされると思うか。
460 :
人間七七四年:2013/08/17(土) NY:AN:NY.AN ID:y7uZTiZF
461 :
人間七七四年:2013/08/17(土) NY:AN:NY.AN ID:3zPDWVhL
>>460 先ず黒幕が居るに違いないというお前の珍妙な妄想を治せ
462 :
人間七七四年:2013/08/17(土) NY:AN:NY.AN ID:y7uZTiZF
黒幕がいないのに、何で光秀が本能寺をピンポイントで襲えたのか、教えてくれよ
463 :
人間七七四年:2013/08/17(土) NY:AN:NY.AN ID:i0KjMasR
そりゃあ光秀にも間者がいるがな
464 :
人間七七四年:2013/08/17(土) NY:AN:NY.AN ID:y7uZTiZF
その「間者」が、どうやって信長側近と接触して、信長の直近の予定を知りえるのかね。
教えて欲しいもんだ。
その「間者」は安土城さえ忍び込めんよ。
たとえ忍び込めても、そこが精一杯。
また、安土から京への道中、明智の間者が潜んでいたとしても、
それは信長の急な入洛予定を事前に知っていたという前提が絶対条件なんだが、
上記説明に拠り、それは無理。
愚か杉て、可愛そうになってくる。
465 :
人間七七四年:2013/08/17(土) NY:AN:NY.AN ID:7G04sdhR
別に信長が本能寺に居ることなんて秘密でも何でも無いんだが
頭のおかしいタイプか?
466 :
人間七七四年:2013/08/17(土) NY:AN:NY.AN ID:y7uZTiZF
織田家が完全に平定している治安の高い畿内を、信長が目立たぬ僅かな供回りで入洛しても、ニュース価値はゼロだ。
過去に信長は数え切れないほど何度も入洛しているのだからな。
しかも5月晦日の入洛は、ずっと以前からの予定ではなく、急な決定。
この愚かさは、底無しだな。
もはや末期で手遅れ。
467 :
人間七七四年:2013/08/17(土) NY:AN:NY.AN ID:7G04sdhR
ニュース価値って()
典型的な現在の価値観でしかものの見れない馬鹿だな
そもそも信長が光秀の主君であり、連絡取り合わないと話にならないってことが解ってないんだな。
お大事に
468 :
人間七七四年:2013/08/17(土) NY:AN:NY.AN ID:y7uZTiZF
情報の価値の大小は、現代も戦国の世も同じ。
こんな初歩の基本さえ理解できてない馬鹿では、話にもならん。
まして、戦国の世では、平和な現代以上に情報の価値を問われた時代だ。
信長から光秀には既に、備中行きが発令済なのだから、連絡を取り合う必要性は皆無。
しかも、信長-光秀間には信長側近衆が介在していて、両者の直接的意思疎通なんて無かった常識さえ知らん無知。
小早川秀秋も真っ青な無能ぶりはお見事としか言いようがない。
流石は足軽レベルの器の小物。
君がいかに頭が悪いか、改めて実検させてもらった。
469 :
人間七七四年:2013/08/17(土) NY:AN:NY.AN ID:3zPDWVhL
>>468 おまえ軍隊ってのが常に司令部と連絡を取り合わんと話しにならんってこともわからんのか…
なんかこう、うん…
お大事にな
470 :
人間七七四年:2013/08/17(土) NY:AN:NY.AN ID:y7uZTiZF
遠征している方面軍が、大小様々な決断を迫られてる時、
一々安土の信長のお伺いを立ててるようでは、機を逸してしまい、碌な戦果は挙げられん。
だから、各方面軍司令官には、大きな裁量権が付与されている。
こんな初歩さえ知らん、恥の上塗りの無知。
組織が肥大化すればするほど、部下に権限を委譲せなならんのは、戦国の世も現代も同じ。
何でもかんでもトップが採決する組織は、糞ゴミだ。
これ、常識。
ま、世間知らずの君は、権限委譲と丸投げの区別さえつかんのだからな。
頭の悪い君には敷居が高い概念だから、理解できないのは尤もだ。プッ。
471 :
人間七七四年:2013/08/17(土) NY:AN:NY.AN ID:YtU9gVzr
ID:y7uZTiZFは自分の言うことが理解できない相手を馬鹿と罵る前に、自分の言うことが馬鹿なんじゃないか疑ったほうがいいと思いますよ
472 :
人間七七四年:2013/08/18(日) NY:AN:NY.AN ID:ad5xue8h
>>462 じゃあ、その黒幕は、どうやって信長の位置をピンポイントで
確認して光秀に伝えたんだ?w
473 :
人間七七四年:2013/08/18(日) NY:AN:NY.AN ID:axtuQzDw
朝廷のお膝元の京で殺された時点で
完全に公家がグルではめられただけでしょ。
光秀なんて口封じされただけ。
織田を蔑ろにしてあっけなく、丹羽と池田を仲間に
秀吉が簒奪できたのも朝廷のお墨付きがあったからだろ。
474 :
人間七七四年:2013/08/18(日) NY:AN:NY.AN ID:V2KsGfKM
京都がいつ朝廷の支配下に入ったんだよ…
475 :
人間七七四年:2013/08/18(日) NY:AN:NY.AN ID:ad5xue8h
>>473 秀吉は3日で戻ってきたが、そこまで誰も光秀を
攻めなかったのは完全に運
信雄は岐阜、信孝は大阪の四国征伐軍
この辺りが上手く兵をまとめてれば1日で京都に攻め込める
476 :
人間七七四年:2013/08/18(日) NY:AN:NY.AN ID:axtuQzDw
477 :
人間七七四年:2013/08/18(日) NY:AN:NY.AN ID:bNfroID8
>>475 >秀吉は3日で戻ってきた
秀吉が備中を立ったのは6/4で
播磨に移ったのは6/6
摂津尼崎に6/9
6/12に富田着陣
6/13に山崎合戦だから9日〜10日かかってる
478 :
人間七七四年:2013/08/18(日) NY:AN:NY.AN ID:ad5xue8h
>>476 6月2日の昼の段階で信孝、信雄は変の事を知ってますよ?
その日の内に兵をまとめて次の日に攻め込んだとしても
秀吉が変の事を聞いたのは
6月3日夜から4日未明、変を知っていようがいまいが
これから行動を起こしている、どう考えても遅い
それと信雄の説明が一切されてないわけだが?
479 :
人間七七四年:2013/08/18(日) NY:AN:NY.AN ID:ad5xue8h
480 :
人間七七四年:2013/08/19(月) NY:AN:NY.AN ID:qTgyWJrW
信雄は実際、1万の兵で
近江甲賀郡土山まで出陣してるからな。
そこで伊賀の国衆が不穏な動きを見せたため
進軍を停止して戻ってるが
安土城にいた蒲生らの兵4千をまとめてれば普通にいける
これを秀吉に阻止するのは無理だろう
481 :
人間七七四年:2013/08/19(月) NY:AN:NY.AN ID:7Z3dqSlN
482 :
人間七七四年:2013/08/19(月) NY:AN:NY.AN ID:Az/J886A
>>480、481
信雄は、すぐに伊勢から出陣
甲賀まで進軍したところで背後の伊賀で一揆の兆候が見られたから
日野城に入って信長の家族の保護だったはず
詳細は勢州軍記、ググッタだけなので他にもあるのかな
483 :
人間七七四年:2013/08/20(火) NY:AN:NY.AN ID:6U74ndq8
>>472 ホンマに頭悪いな、君は。
黒幕が信長の所在をピンポイントで把握していたのは、信長を入京させた張本人だからだ。
光秀の空白の十日間のある日、信長暗殺計画を光秀に打ち明け、決断を迫った。
光秀は迷いに迷った挙句承諾し、それにより信長を丸腰で入京させ、殆どの公家衆が本能寺に参集して信長を上機嫌にさせた翌朝、狙い済ましの襲撃だ。
未だに光秀単独犯という寝言をほざいてるようでは、周回遅れも甚だしい。
484 :
人間七七四年:2013/08/20(火) NY:AN:NY.AN ID:ragO6W5T
> 空白の十日間
なにこれ?
485 :
人間七七四年:2013/08/22(木) NY:AN:NY.AN ID:A6VrlXEa
明智光秀が生き残ったという説は今ではないんだろうか
486 :
人間七七四年:2013/08/22(木) NY:AN:NY.AN ID:NfBiTfXW
アホの妄想意外存在してないな
487 :
人間七七四年:2013/08/22(木) NY:AN:NY.AN ID:SM6zWM2u
光秀空白の十日間さえ知らん厚顔無知
無知の分際で一丁前に反論すんな
488 :
人間七七四年:2013/08/22(木) NY:AN:NY.AN ID:JTga2D9N
489 :
人間七七四年:2013/08/23(金) NY:AN:NY.AN ID:c/pxcuqn
>>487 だから説明してみ、その空白の何日とかいうアホなもんを
490 :
人間七七四年:2013/08/23(金) NY:AN:NY.AN ID:XIwwE0mn
君お得意の『史料』で調べてみたまえ
質問はやるべき自助努力をやってからだ
子供か
491 :
人間七七四年:2013/08/23(金) NY:AN:NY.AN ID:c/pxcuqn
>>490 どー調べても空白なんて無いんだけどねえ…w
君の妄想の中だけに存在するものだからしょうがないけど
492 :
人間七七四年:2013/08/23(金) NY:AN:NY.AN ID:XIwwE0mn
何という史料を調べたのか、その名称を示してみたまえ
493 :
人間七七四年:2013/08/23(金) NY:AN:NY.AN ID:HybW21wK
お得意の史料逃げが始まったw相変わらずみっともないねぁ
494 :
人間七七四年:2013/08/23(金) NY:AN:NY.AN ID:z7B7LaTN
思い出しました。そうあれは変の一週間前、5月25日のことです。
私は斉藤利三に奇襲の説明をしたあと、細川藤孝の家老である松井康之に本能寺後の作戦についてもう一度詳しく説明し
納得をしていただけるまで話してから、誓書をいただくように厳しく申しました。
ですから私の手元に誓書が廻ってきたときは、既に利三のほうから細かな説明が為された結果だと判断して奇襲に踏み切ったのですが
藤孝殿が強要されたという感じを抱かれたのなら、それは私ではなく斉藤利三の言動についてだと思います。
そもそも私は日頃から挙兵に際して、味方につく諸将や家臣には実際の出陣の前に十二分な説明を行うようにと指導しております。
にもかかわらず斉藤利三が細川藤孝側に納得のいく説明をちゃんとせず、ただ闇雲に誓書を取ったのだとすると
利三に対する私の指導不足で、誠に遺憾なことという他ありません。
ただ私自身は、家臣の不手際は主君である私の命じ方に問題があったと認めざるを得ません。
495 :
人間七七四年:2013/08/23(金) NY:AN:NY.AN ID:KoNkC84j
>>482 勢州軍記は一次史料じゃないやんけ・・・
496 :
人間七七四年:2013/08/24(土) NY:AN:NY.AN ID:RHLcaQ5Q
497 :
人間七七四年:2013/08/24(土) NY:AN:NY.AN ID:DMKLNh1B
ほんとだがさん可愛そうな奴だよな
498 :
人間七七四年:2013/08/24(土) NY:AN:NY.AN ID:LAT4J9qL
相変わらず論破されると誰彼構わず見境なく
だがとレッテル貼って議論から逃亡して人格攻撃自演の馬鹿のワンパターン
499 :
人間七七四年:2013/08/24(土) NY:AN:NY.AN ID:1JUQC9mu
自分の自己分析だけは一丁前
500 :
人間七七四年:2013/08/26(月) NY:AN:NY.AN ID:WQt2lkK+
>>476 秀吉が畿内に戻るまで10日はかかってる
織田家の兵だけにしても
信雄が1万 信孝が2万 蒲生が4千
さらに畿内には高山、中川、細川、筒井、池田と織田に従順な大名だらけ
迅速にまとめられる奴がいなかったから秀吉が間に合ったが
これを全部、計算して操るのは不可能だろ・・・・
501 :
人間七七四年:2013/08/26(月) NY:AN:NY.AN ID:OZf0yGGv
中川は既に天正8年時点で秀吉と兄弟の契りを結ぶほどの濃密な関係だったし
摂津の他の諸侯も織田家中での長宗我部・毛利など対諸大名への処遇など
秀吉光秀間の派閥抗争においての秀吉勝利に収まり初めから秀吉方の陣営だったという見方が濃厚
502 :
人間七七四年:2013/08/26(月) NY:AN:NY.AN ID:WQt2lkK+
秀吉が黒幕だとすれば
最も納得がいかないのは、信忠が逃げられた可能性が高いって事だな
本来なら家康と大坂見物している予定を前日に変更して急遽、妙覚寺に宿泊。
たまたま光秀に討たれたが秀吉が黒幕なら、この辺をきっちり
しておかないと、織田家乗っ取りなんて不可能
503 :
人間七七四年:2013/08/26(月) NY:AN:NY.AN ID:1++fO3wz
>>500 ある程度の混乱で動けないor様子見と判断すれば大丈夫
>>502 信忠を殺しておかなければ織田家は一致団結して光秀を攻める
そうなれば光秀に勝ち目なし何らかの策があったと考えるのが普通
504 :
人間七七四年:2013/08/26(月) NY:AN:NY.AN ID:IG5jvuCv
そもそも宣教師が安土城下どころか尾張まで混乱の極みで、
白昼から犯罪多発の無政府状態になったと書いてるし、
織田家臣は本願寺に協力して下さいっていう土下座書状出しまくるほど、
一向宗蜂起にビビリまくり。
秀吉が戦後処理に関して、尾張美濃の謀反者達を処罰しまくると思ってたのに許すとか許せないって激怒してる書状もあるし、
尾張や美濃や近江の織田領が崩壊していたから、
背後を気にして光秀と決戦するような状況じゃないし、
家康も勝手に三法師を後継者にするとか言い出して尾張侵攻してくる寸前だったし、
地盤を固めて揺るぎなかった秀吉以外に明智光秀討伐は不可能。
505 :
人間七七四年:2013/08/26(月) NY:AN:NY.AN ID:IG5jvuCv
秀吉が光秀討伐に時間をかけると、
家康が尾張を盗む可能性が出てくる代わりに
北条が上野甲斐信濃をGETして、
駿河侵攻を開始する事態になるんだよな。
北条には旧今川武田領を継承する権利を持ってないことも無いし大義名分はある。
506 :
人間七七四年:2013/08/27(火) NY:AN:NY.AN ID:5yRy8fqN
>>503 なんだよなんらかの策って
具体的になんなのさ
秀吉黒幕説は成り立たないと考えるのが自然だろ
507 :
人間七七四年:2013/08/27(火) NY:AN:NY.AN ID:nskHnU4q
あ
508 :
人間七七四年:2013/08/27(火) NY:AN:NY.AN ID:MLOzhSQv
>>422 秀吉も信長に殺される寸前だったんだなぁ。
509 :
人間七七四年:2013/08/27(火) NY:AN:NY.AN ID:EpAkQMb+
>>504 あまり注目されていない変後の美濃・尾張の混乱や、その「謀反者」への秀吉
の処罰問題、家康の「尾張侵攻」(実際に、尾張に対する侵攻だ)など、重
要(というか情勢の核心にかかわるところ)に触れている。
清洲会議に至る過程では、家臣間(秀吉、勝家など)の争いばかり焦点が当
てられていて、最も肝心な織田家と家臣や他勢力との関係がすっぽりぬけて
いる研究、分析があまりに多い)また、家康も「仇討レース」の一員と捉える
至ると歴史分析よりも通俗物語だ。
そこで、504さんにお願い。
秀吉が激怒している書状ととは、「落ち武者狩り」に関係するものではないか
と推測しているが、この書状を教えていただきたい。
510 :
人間七七四年:2013/08/27(火) NY:AN:NY.AN ID:MLOzhSQv
511 :
人間七七四年:2013/08/27(火) NY:AN:NY.AN ID:D/3RjijD
秀吉が黒幕なら光秀は各所にだした書状に
秀吉も味方になったと書いてるはずだろ
おまけに何らかの合戦か何かで光秀が捕らえられた場合
光秀が喋れば秀吉は終わりだぞ
512 :
人間七七四年:2013/08/27(火) NY:AN:NY.AN ID:UsjG8HpF
朝廷が黒幕で、各武将ごとに各窓口があったんじゃないか?
だから武将同士の横のつながりがない。
光秀あたりは明らかに吉田神社が窓口だろうし。
近衛や勧修寺なども個別に窓口やってそうなんだよね。
513 :
人間七七四年:2013/08/27(火) NY:AN:NY.AN ID:vU322cFT
近衛さんの窓口は信長本人かもね。
近衛さんの信長追悼の句みれば仲良しこよしだし。
「信長の死は嘆いても名残の尽きない涙である、なおも慕われる亡き面影…」
514 :
人間七七四年:2013/08/28(水) NY:AN:NY.AN ID:VsGmL5Mf
まあそんなこと書いとけば秀吉に睨まれないだろうなあという考えから詠んだのかもしれんけど
515 :
人間七七四年:2013/08/28(水) NY:AN:NY.AN ID:AxDOD9xU
もともと近衛は義輝暗殺に関与してたと疑われたり、
三好政権派として義昭と対立していたし、
こいつはいろいろグレーだからね。
石山本願寺と親しく、太政大臣になったのもつかの間、本能寺の変を前にわずか3ヶ月で突如辞任する謎。
しかも近衛邸から本能寺は攻撃されたし、
秀吉や信孝からも疑われて家康の元に逃亡。
516 :
人間七七四年:2013/08/28(水) NY:AN:NY.AN ID:qpUNR0L+
公家の怖さは表面上、
円満・穏便を装ってるところだしな。
追悼の句なんて、結局、謀殺したために鬼霊の祟り除けの儀式に過ぎん
517 :
人間七七四年:2013/08/28(水) NY:AN:NY.AN ID:RN47r+XX
近衛の秀吉好きは異常
518 :
人間七七四年:2013/08/28(水) NY:AN:NY.AN ID:WakPPCcD
黒幕秀吉、光秀が本能寺行った時は殺されてた。家康、光秀他計画者以外は最後まで解らなかった。
519 :
人間七七四年:2013/08/29(木) NY:AN:NY.AN ID:/er+1p6d
暗殺実行犯の口封じまで他人にやらせて初めて一流の公家。
朝廷存続に成功した理由である。
520 :
人間七七四年:2013/09/02(月) 01:01:55.29 ID:1hbzwn/W
黒幕説なんて、それをネタにして楽にメシを食いたい奴が
議論をややこしくして解決から遠のかせたいがために唱えてるだけ。
521 :
人間七七四年:2013/09/04(水) 18:51:49.81 ID:rBfWt0P0
信長が光秀軍の接近に気付かなかったのは関所を撤廃したからだ。
自業自得、策士策に溺れるだな。
522 :
人間七七四年:2013/09/06(金) 00:21:56.30 ID:ZxLdLWOq
その関所の撤廃を否定している馬鹿がいるな
523 :
人間七七四年:2013/09/06(金) 12:14:11.33 ID:0I0DS03P
軍制内政改革を成し遂げないと位攻め戦略は可能とならず、戦国最初にそれを可能にしたのは信玄。
排便などの衛生管理は非常に重大な問題で 北九州の戦国研究で有名な吉永正春氏も
毛利や大友などを調査しても一戦場に3万が限界だと言ってる。
3月19日付けの書簡フロイス日本史に信玄は六万の兵を以て三遠に侵入し
軍兵をほとんど損する事なく占領した、という3月下旬の報告があるよ。
史料から、信玄軍の強盛振りと徳川の累卵が如き危うさを伺えるね
信玄すげぇな。6万も動員できるほどの改革と組織化を達成してたのか。
結局天下を取るのに大事なのは多く兵を動員できるか
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1322744022/l50 信長がただの暴虐なアホでなんらプランもないバカだったのもわかったが、
天才秀吉のおかげで過大評価されてたのが信長なんだって改めて分かったわ。
やはり数万単位の動員の場合の排便処理問題って大きいよね。
幕末の会津藩も籠城してたけど、わずか一ヶ月で ウンコ充満になって開城したしな。
秀吉は兵站補給概念を持っていて奉行衆による計画的な物資管理や
大軍進駐に伴う排便処理による衛生管理を編み出すことで
信長には不可能だった「位攻め」戦略を多用し瞬く間に天下を統一してしまった。
位攻めとは、圧倒的大軍を用いて相手の軍の士気を崩壊させ服属を強要する戦略。
秀吉の兵站物流革命と言えば、信長死ぬや早くも
天正10年10月には京の出入口に設けられていた関所を廃止し(禁裏領率分関)、
信長のやり方の否定を開始し、次々と経済振興策を繰り出し始め、
ついには「公家?武家?地下商人に至っては諸役を止め、座を破らる。
これに依りて悦ぶ者多く悲しむ者少なし」などと秀吉の政策は激賞され、
「日本国の諸役、京のみいり(関銭)、兵庫の関、津々役儀かくのごとく往古より有り来る役さへあがり候処」
と宣言し昔からあり続けた税の免除を開始。
「日本国諸役悉く上げ申し候処」
関所や港で商品にかける役銭をはじめとして日本国中のすべての役の賦課権を没収するまでに至り、空前の活況を示した。
信長のもとで関所や座の組合が経済活動を押さえ付けていたが(薄と言う公家が牛にまで税を賦課していたのも秀吉が完全廃止した)
これにより自由往来と自由通商が可能となり瀬戸内海から伏見〜京への河川流通網整備のため大河治水が開始された。
これが桃山文化と呼ばれ日本各地で城下町が整備され、日本史史上最も派手で豪勢な時代と言われている。
秀吉のように実力で押さえつけた全国統一と各地に蔵入り地設置をしなかった家康。
家康は諸大名の支持を取り付ける手法だったので 地方分権による幕藩体制に妥協していたので
秀吉が世界に見せた武威がなければ、植民地化の流れの前に
秀吉と違い、家康では政宗がスペインに内通とかで撃退できなかったかもしれない。
それに朝鮮出兵で陶器技術の向上が無ければ、しょぼい陶器を江戸時代も使っていただろう。
陶磁器技術は日本幕末でも主力輸出製品だったし、買取価格大下落していた中で貴重な特産品として現金収入源になっていた。
兵農分離の先駆けは天正13年卯月22日付けの秀吉朱印状が嚆矢。
紀州の雑賀・根来を討ったときに刀狩りを命じていて その際に頭領の者を選んで皆殺し、平百姓は許すと書いていて
明確に兵と農を区別して国人指導層を殺し、武器を没収して完全な農民にしている。
信長にはそういう思考はなく皆殺しの撫で切りや根切りや磔など残虐な極刑による地域消滅政策。
秀吉は兵站補給能力の整備のため農村の生産力確保維持政策が基本にある
(生産力・経済の概念は遠征補給兵站思想と、重商主義的な朝鮮出兵ビジョンが視野にあるから)
そのため島津に対して豊後の民を返還しろと命じたり、
宣教師に奴隷売買すんなや!と激怒し、宣教師が苦し紛れに
日本人が売るからポルトガル人が買うだけで私たちは苦しく思ってたと釈明していたり
キリシタン禁止理由として「本願寺一向宗のように国を奪い戦を起こすようにする企みがあり
しかも本願寺は百姓を惑わしたが、キリシタンはさらに悪質で領主層を惑わす。
秀吉が給付した領地の主人は変更することはあるが、其の地の農民の移動はない。
それなのにキリシタン大名が秀吉の許可も得ずに領地の寺社を勝手に燃やしたり略奪するのは許されない。
宣教師の企みを喝破できたのは日本の中でいまはまだ私だけだ」と言っている。
信長のようにただ単に興味本位で珍しい新しい物好きで宣教師を厚遇してるバカとは違う。
秀吉の諸政策は、織田狂信者のエセ作家によればすべて信長の脳内にすでにあったと捏造してるのが笑えるw
524 :
人間七七四年:2013/09/06(金) 14:45:05.82 ID:7n/8S6cU
秀吉が天下取れたのは100%棚ボタでしょ。
織田家臣だから当主の能力&恵まれた運や状況で織田家が膨張して大きく勢力拡張。山名&荒木&尼子残党&毛利の中途半端な介入で
ぐちゃぐちゃになってた播磨に運よく派遣されて戦わずして味方が多く集まって信長が光秀に殺されて光秀が主殺しの汚名負ったから味方が多く
あつまっただけ。毛利宇喜多上杉大友佐竹なども味方で対柴田戦でも勝家が雪に閉ざされて動けず佐々も対上杉で動けず
勝豊と勝家が不仲で信雄と信孝が不仲で稲葉が味方で前田や金森不破が戦の途中で兵を引いたから勝てただけ
秀吉の対戦相手なんて皆豪族国人連合の寄せ集め烏合の衆部隊の上に寡兵だもんなぁ
謀略・暗殺・家中の内紛による火事場泥棒ばかりで拡張し宇喜多南条始め寝返りばかりで
戦いのたびにドミノゲームのように勢力図の入れ替わるハリボテ西国大名毛利
前田・金森・不破が勝手に退却し稲葉らも美濃遠征で裏切りまくり結束力が0露呈した柴田
戦い当初から尾張では毛利、伊勢では神戸関信包田丸など離反の連鎖だった領国基盤ガタガタの信雄
徳政の連発・駿河も甲斐も南信濃も平定から時間がない上に領土安堵状を出すなど国人の自立統治を後押しする間接統治を行っただけで
譜代の石川ですら籠絡され木曽も離反し翌年小笠原も石川も水野も真田も離反するなど烏合の衆もいいところの徳川
まともな迎撃体勢すら整わずはなから離反の連鎖の応酬だった島津
わずか34500しかいない、戦意0で抗戦・主戦で割れていた北条
徳川に至っては北条氏政がたくらみが深い武将で家康留守中に背信して徳川領に侵攻するとのうわさが垂れ流されていた上
上杉も信濃方面へ侵入の構えを見せていたためかなりの兵力を本国に残したままだった。
家康が対秀吉時に四天王の他は大須賀康高、本多広孝、そしてその頃から秀吉に通じつつあり翌年に寝返った石川数正くらいで
数は8000程度。残りは信雄の軍に依存してた。しずヶ岳時も信雄味方で雪で勝家が出られない間美濃や伊勢で暴れ周り
勝家が出てきたら圧倒的兵力で襲えばよかっただけ(それでも柴田勝政らの撤退中を大軍で襲撃して持ち堪えられる始末)
山崎も兵力差圧倒的なのに光秀軍より多い被害だした。ただの雑魚
家康は遠江、駿河、甲斐、信濃の要衝となる城に24000程も配置してきたため
尾張には8000程しか連れてこなかったとある(吉村文書、豊臣秀吉辞典)北条氏政は
企みのある大将で家康の留守を狙って駿河に侵入するという噂があった上に
上杉が川中島を押領し猶も国中へ切って出る事が予想されたため、
駿河と相模の境の長窪に牧野康成、三河岡崎に本多重次、甲斐に鳥居元忠、平岩親吉、
伊那に菅沼、知久、晴近衆、松岡貞利、諏訪に諏訪頼忠、木曽に木曽義昌(三月頃秀吉方に寝返る)
佐久に柴田康忠・松平康国、安曇・筑摩に小笠原貞慶を置き、大久保忠世は伊那、佐久、小県、諏訪、
松本等を指揮して廻った上浜松に留守居。以上の武将を配置したというように総兵力の大部分を領国内に配置していた。
長久手戦参加の家康の主力武将は四天王の他はこの頃から秀吉に接近しつつあり翌年に寝返った
石川数正、大須賀康高、本多広孝・康重親子くらいで残りは刈谷の水野忠重等信雄の兵。
したがって小牧山で秀吉と対峙したときは1万6、7千と少なかった(『御当家記念録』『当代記』『御年譜徴考』『下伊那郡誌』)
525 :
人間七七四年:2013/09/06(金) 14:46:03.10 ID:7n/8S6cU
家康始め諸大名。あんなもん形式的にしたがってるだけでしょ
いわば実力のない公家や公方とかに形だけ頭下げてるのと同じ。
信濃では小笠原、木曽、真田が秀吉に帰属し家康の支配はわずか3郡
石川数正、水野忠重も秀吉に内応。譜代の離反&軍事機密が露見した状況で
母と妹人質に出さなきゃならん秀吉は終わってる
圧倒的兵力差があった上に秀吉の敵対勢力の敵を利用してん寝返らせたから屈服できただけ。
上杉と徳川は82〜83年にかけ信濃中部で争いその後も川中島〜安曇・筑摩・小県方面に積極的に出陣し
徳川方勢力と交戦。85年の上田城攻めにも援軍を派遣した。毛利も本能寺前で既に和睦の話が上がっていた。
宇喜多も直家死んで八郎人質取ってたからそうそう
裏切られない。両者とも本能寺時も運よく敵対しなかった。
長曾我部の敵対者十河、三好や河野、島津の敵対者大友、北条の敵対者佐竹、信濃での家康の扱いに不満を持った
木曽、小笠原、真田等の場合も同じ。元々敵対者同士だったか家康の扱いに不満があったのを利用したから勝てただけ。
単に圧倒的兵力差があったから勝てただけ。島津も先鋒勢蹴散らせたし
北条も支城に配した兵が少なかったからあっさり陥落したが本城は余力ありまくりの状態での降伏だった。
逆に秀吉側が兵站維持できるギリギリの所まで追い込まれてたくらいだった。
圧倒的兵力差があったし敵対者の対立を利用してん寝返らせて勝ってるだけ。
別に有利な状況も秀吉が実力で作ったわけじゃない。
織田家が当主の能力や運、状況に恵まれ拡張でき秀吉はあくまでその中の枠内で歯車のひとつとして働いていたにすぎない。
本能寺時点で大きな勢力持っていたのもひとえに織田が拡張したからであってその中で秀吉が果たした役割は
初期ではほんのわずか。後期でもあくまで軍司令官の一人、つまり一部分。
そこで光秀が運よく信長を討って逆賊の汚名も被ってくれたから逆賊打つという格好の名分を
おいしく頂いた。上杉と徳川は82〜83年にかけ信濃中部で争い家康の同盟者北条との関係の悪さからも秀吉側につくのは
自然な流れだし毛利も本能寺前で既に和睦の話が上がっていた。宇喜多も直家死んで八郎人質取ってたからそうそう
裏切られない。両者とも本能寺時も運よく敵対しなかった。
長曾我部の敵対者十河や河野、島津の敵対者大友、北条の敵対者佐竹、信濃での家康の扱いに不満を持った木曽、小笠原、真田
等の場合も同じ。元々敵対者同士だったか家康の扱いに不満があったのを利用しただけ。
家康なんか天正11年からの特政連発&木曽小笠原真田石川水野の離反と天正大地震の影響で
領内めちゃめちゃになったせいで従わざるをえなくなっただけだからなあ
しかもそんな状況で秀吉は母と妹人質にださなきゃならないほどヘタレぶりだったし。
まあ毎度の事だけど
秀吉なんて運だけで天下取ったようなもんだからな
織田家臣だから当主の能力&恵まれた運や状況で織田家が膨張して
大きく勢力拡張
山名&荒木&尼子残党&毛利の中途半端な介入でぐちゃぐちゃになってた播磨に運よく派遣されて
戦わずして味方が多く集まって信長が光秀に殺されて光秀が主殺しの汚名負ったから味方が多くあつまっただけ
毛利宇喜多上杉大友佐竹なども味方で対柴田戦でも勝家が雪に閉ざされて動けず佐々も対上杉で動けず
勝豊と勝家が不仲で信雄と信孝が不仲で稲葉が味方で前田や金森不破が戦の途中で兵を引いたから勝てただけ
526 :
人間七七四年:2013/09/06(金) 14:46:40.72 ID:7n/8S6cU
敵対勢力でも使うというより、そもそも単に敵対者の対立を利用して得た漁夫の利の棚ボタ勢力だから
敵対勢力を根こそぎ潰すなんてできるわけがない(実際信雄・家康を散々押し潰すだの攻め滅ぼすだの書状で書きまくっておいて戦うと
長久手で1万人戦死、戸木・松ノ木・浜田・蟹江・二重堀・神戸・東駒野など各城郭で負けまくったんだからそんな芸当無理)
対明知戦…摂津衆、神戸信孝・丹羽・中川など離反。対柴田戦…勝豊・稲葉ら美濃衆・前田・不破・金森・信雄
そこで上杉と徳川は82〜83年にかけ信濃中部で争い家康の同盟者北条との関係の悪さからも秀吉側につくのは
自然な流れだし毛利も本能寺前で既に和睦の話が上がっていた。宇喜多も直家死んで八郎人質取ってたからそうそう
裏切られない。両者とも本能寺時も運よく敵対しなかった。
毛利の敵対者宇喜多、南条、尼子残党、赤松、小寺、山名、別所、浦上、草刈
長曾我部の敵対者十河や河野、島津の敵対者大友や龍造寺残党・相良・阿蘇、北条の敵対者佐竹・結城・宇都宮・那須・壬生・皆川、
信濃での家康の扱いに不満を持った木曽、小笠原、真田や水野、石川
等の場合も同じ。元々敵対者同士だったか家康の扱いに不満があったのを利用しただけで取った中身のない天下だから
一々敵対勢力潰すなんてしてたらこいつらまで敵に回して滅ぼさなくちゃいけないからそんな実力到底秀吉にはない(対毛利戦や信雄戦で証明してる)
527 :
人間七七四年:2013/09/06(金) 14:48:10.65 ID:7n/8S6cU
圧倒的兵力差があったし敵対者の対立を利用してん寝返らせて勝ってるだけ。
別に有利な状況も秀吉が実力で作ったわけじゃない。
織田家が当主の能力や運、状況に恵まれ拡張でき秀吉はあくまでその中の枠内で歯車のひとつとして働いていたにすぎない。
本能寺時点で大きな勢力持っていたのもひとえに織田が拡張したからであってその中で秀吉が果たした役割は
初期ではほんのわずか。後期でもあくまで軍司令官の一人、つまり一部分。
そこで光秀が運よく信長を討って逆賊の汚名も被ってくれたから逆賊打つという格好の名分を
おいしく頂いた。上杉と徳川は82〜83年にかけ信濃中部で争い家康の同盟者北条との関係の悪さからも秀吉側につくのは
自然な流れだし毛利も本能寺前で既に和睦の話が上がっていた。宇喜多も直家死んで八郎人質取ってたからそうそう
裏切られない。両者とも本能寺時も運よく敵対しなかった。
長曾我部の敵対者十河や河野、島津の敵対者大友、北条の敵対者佐竹、信濃での家康の扱いに不満を持った木曽、小笠原、真田
等の場合も同じ。元々敵対者同士だったか家康の扱いに不満があったのを利用しただけ。
そもそも和議の前日に秀吉は馬を納めるつもりといってるし和議がなった時の書状でも馬を収めるつもりでいたら
信雄が種種懇望してきたと書いてる
完全に信雄がヘタレてラッキーで和議がなっただけ
11月10日秀吉→大井、土井 砦を数箇所構築したので納馬する予定である
11月11日秀吉→津田 砦以下を構築し、2、3日中に納馬予定でいた所、信雄より種種懇望があったので
講和について同心した。
11月13日秀吉→伊木、池田・荒尾書状
これって「秀吉の主観による信雄の心中予測」ってだけ
実際秀吉の予定とは全く別
ちなみに秀吉は10月28日にも丹羽宛書状で砦が出来次第、「大阪に」納馬する予定だと言っている
また浜田・桑名・長島・など圧倒的大軍に攻囲されながらなおも抗戦中
戸木も軍記では開城した事になってるが一次資料にはない
実際は苅田の応酬で領内荒らしまわった程度で大した戦果がないのが実態
んで福田氏も寝返るが結局長久保も奪回
ちなみに織田・徳川方は家康が領国に半分の兵を帰し1万足らずの兵力
どうみても苦戦しまくりでラッキーで和議が結べただけです
本当に(ry
ちなみに尾張松ノ木近辺の諸将は会戦当初から去就が微妙で
終盤になってから劣勢になりまくって裏切り続出といった流れではない
3/16信雄→吉村 松ノ木近辺の者が羽柴方についたとの報に接し兵糧等の支給を約束
3/18秀吉→尾張石田の毛利広盛で毛利秀頼に同調して内応した事を賞賛
美濃でも去就が定かでなかった池田・森が羽柴方について信雄は留守同然だった犬山城に襲撃を食らう
伊勢でも神戸・関・信包など地元諸将は多く羽柴方についたため&池田らに対応するため徳川が尾張方面に転進したおかげで
楽に侵攻できただけ
家康は3/1松平親宅に蔵役・酒役免除
3/3徳川家康定書 で三・遠両国で徳政
家忠日記3/4で三河・遠州徳政入、
信雄も3/17 尾張聖徳寺および寺内町の年貢諸役免除、違乱煩いを停止
3/25家康→尾張熱田の加藤景延らに信雄の了承の上で徳政免除を認めると
圧倒的不利な状況の下での会戦をしており
現に夏に半分兵を帰し一万足らずしかいなかった。
そんな圧倒的有利な状況&条件で長久手・蟹江・二重堀・戸木・松ノ木・長久保など各所で苦戦・敗戦を繰り返しまくって
尾張半国すら切り取れなかったのが秀吉
528 :
人間七七四年:2013/09/06(金) 14:49:01.95 ID:7n/8S6cU
秀吉って鉄砲の名産地長浜を根拠とし、その後も富裕地を領国としてるから
経済基盤でいえばかなりのものだし装備も当然充実させられるのに
こんなに雑魚なのは本人の指揮能力がクソレベルなんだろうな
秀吉が全軍で小牧山を攻めていたら織田信雄に大敗していたのは間違いない。
何せ信雄家臣の木造や吉村などにぼこぼこにやられた史実があるんだしな
しまいには小田原、韮山、山中、忍、松ノ木、太田など大敗や大損害を重ね、天下失った凡将w
犬山から小牧山にかけての羽黒、楽田、小口、楽田、青塚、岩崎山、内窪、小松寺山、田中、二重堀(最期の二つは小牧山城から真東)
これだけ秀吉方の拠点がずらっと並んでて要害として拵えられ、陣取りした前方には
芝のついた土手を築いて柵を付けている。そこに秀吉方が陣取っていて龍泉寺
にも根城をこしらえ、柏井、大草にも堅固に普請を申し付けられてる。
家康から見れば東、北は秀吉方拠点が並んでて包囲されてるみたいなもの。
中入り作戦なんてしなくても北と東から力づくで押し込める
あと秀吉は中入り軍を追撃していく軍の動きを把握していた事は明らかだが
ここですぐに軍を動かさずもたもたしてたから負けただけ。これは柏井にいる一柳直末にあてた書状から明らか。
皆もいってるけど単純に秀吉が雑魚すぎるだけだと思う
野戦するからにはある程度なんらかの傾斜物を超えなくてはならないのは自明の論理で、
あの場所は川とか沼地とか崖や山などに比べたら遥かに決戦しやすい上にその辺りが突破しずらいなら
戦場の変更とか転進とか兵力6倍以上ならいくらでもうつ手あるわけで。
中入り勢増やすもよし、西方面迂回するもよし。砦を一つ一つ兵力に物言わせて攻め取るもよし
支配力の弱い信濃や信雄の本拠の伊勢を荒らすもよし。結局何一つ有効な手打てないまま
だらだら対陣するしかなかった秀吉は弱すぎる
あのあとだらだらと木曽川筋の城を 攻めるばかりで、戸木城でも負け松ヶ島城で手こずり、
南伊勢でも反撃くらい 加賀の井城も正攻法で瞬殺できず滝川が作った大チャンスも無駄にし
夏の対陣でもこれまで以上の兵力差がありながら手も足もだせず、結局 晩秋に信雄の本拠地近くを
荒らしまわったら信雄がびびって降伏したから勝てただけ
当時を記した日記などや合戦参加者が書いた合戦記などの記録類によると
夏も春も砦間の小競り合い自体はあったため、ただ単純に手出し云々というより
秀吉が弱すぎて攻められなかっただけだと思われる
六倍以上もの兵力差あり小牧山の北と東をガチガチに秀吉方拠点で築き
さらに遥か南東の竜泉寺に至るまで秀吉方拠点で固める周到な準備しておいて
それを秀吉のアホ作戦で台無しにして奇襲を許した。
白山林で秀次が奇襲受けた時池田勢はずっと南方の岩崎城を攻めるというかなり縦長の陣容だったが
この時秀次勢に後続させて龍戦寺で二万程家康方に対する抑えを小幡方面に向けて置いてれば
こんな自体にはならなかった。秀吉は中入り勢に楽田〜龍泉寺に至るまで砦・拠点を堅固に普請させたり
途中の家康方拠点を攻撃させながらの隠密とは程遠い堂々とした行軍を無謀にもさせた。
奇襲許してしまったのもすべては秀吉のせい。
しかも柏井にいる一柳宛書状から秀吉は家康の動き把握してたのに
すぐ軍ださなかったorのろのろ山道を行軍させて間に合わずむざむざ家康を逃がした
正午の池田勢の敗報を受け取ってから平地部分を動いてるから竜泉寺にさっさとついてるから
朝に動けば絶対間に合ったのにそれをさせないあたり軍事的才能がなさすぎる
敵地の中で無謀な行軍を中途半端にさせたのが馬鹿としかいいようがない。
織田家で最も無能な上に重臣の謀反&粛清等があり、権力基盤弱い織田信雄の領土相手にこの醜態ってw
529 :
人間七七四年:2013/09/06(金) 14:55:14.56 ID:7n/8S6cU
大友や宇喜多に蹴散らされまくった雑魚輝元に敗北した秀吉w
史料総覧 毛利氏の軍、羽柴秀吉等と播磨上月城下に戦ひて、之を破る、
萩藩閥閲録
晋叟寺文書
毛利家日記
[参考]備前軍記
[参考]浦上宇喜多両家記
[参考]陰徳太平記
[参考]御答書
[参考]總見記
[参考]柏崎物語
【管理番号】020100216456
【編/冊/頁】10編911冊179頁
【綱文和暦】天正6年6月21日(15780060210) 3条
【綱文】 毛利氏の軍、羽柴秀吉等と播磨上月城下に戦ひて、之を破る、
晋叟寺文書
天正6年8/21
今度播州上月之城従芸州被催候処、
自京都為後巻信長代官羽柴、荒木被差出、去六月21日来之、鉾盾削、就中為
虎御粉骨之被合戦於鑓下、彦六兵衛遂討死、其他京勢数多討死、
成田五郎左衛門尉秀綱(花押)
晋叟寺 衣鉢閣下
荻藩閥閲禄巻91林平八
敵敗軍太慶候、上月もはや一着候、依去21日合戦之時、与二事別抽粉骨之由候、
輝元 御判
巻115の2湯原文左衛門
桂左衛門大夫書状披見候、其元長々在番辛労之段無計候、上月表之事敵悉敗軍候、此の節之儀候条、
其表之事堅固之儀可肝要候
天正6年六月二十八日湯原弾正忠殿
輝元 御判
天正10年5/4小早川→冷民少
如仰鴨城之儀逆意之者在之付、羽柴自身至外構詰寄、終日雖及防戦候、甲丸以堅固
之上合力即切崩、敵数多討捕之、大利得之事、
天正6年8/10毛利輝元→児玉
去六月二十一日両軍互下合終日防戦之時、敵数多討捕、
7/7輝元→児玉
去月21日於羽柴陣麓合戦之時、其方事頓懸付之由、心懸神妙候
天正7年4/20輝元→児玉
去年上月合戦之時、其方同道仕者共辛労之通、
天正6年7/2吉川・小早川連署状
一筆到啓上候、去21日合戦於羽柴陣麓合戦之時、児玉小次郎鑓に被相之無比類
被仕候、自盛重・隆重茂被加御褒美候様、
天正6年6/26輝元→児玉
態申遣之候、今度合戦勝利之段大慶候、小次郎事、無比類心懸宴神妙之至候、
6/26輝元
去23日之書状被見候、21日之合戦勝利之段大慶候、上勢与初之儀候二如此之仕合、
…中略 昨日之注進ニ敵陣悉敗北之桁由候、誠以大利之段、更々無申計候、於今者上月之儀は
一着不可有程候、申越候通路銘々可及返事候へ共、
以上児玉家文書
530 :
人間七七四年:2013/09/06(金) 14:56:08.22 ID:7n/8S6cU
○長久手合戦の戦死者は1万人以上
4/9織田信雄書状 一万人
4/10家康書状一万人
4/11家康書状一万人
4/13北条氏政・氏直書状1万人
5/2小早川隆景書状一万人余り
5/3織田信雄書状一万五千人
5/7織田信純書状一万人
家忠日記1万五千余り
顕如日記1万人余り
イエズス会年報1万人
フロイス日本史一万人
当代記2万人
池田家履歴略記・兼山記2万人
戦死者池田親子・森長可・木下祐久利ただ兄弟白井藤丸蟹江勘衛門大村定平
佐藤又座衛門鯨藤治今井長可今井長三郎秋田伝十郎生駒半座衛門香西又市
梶田喜八朗吉田甚内川越次郎河合助之丞岡田善衛門今鵜善衛門村岡十内長谷川伝三郎
森鳥八蔵片山喜平次阿部弥一衛門秋田嘉兵衛片桐与三郎梶浦兵七朗竹村小平太
また長久手合戦参加者の家記・家譜・合戦記なども全て1万人かそれ以上としてる
3000人としてるのはない。
アンチ徳川のアホ堀によれば顕如日記のその後の噂では3000人というのが正しいそうだが
文中に書かずに真横に書いてる時点で書き足してるのがミエミエ
ちなみに
家康が諸大名あてではなく身内にあてた書状や敵対勢力の毛利方の書状でも一万人戦死とでており
3000といってるのは顕如日記の「その後の沙汰(噂)」という所のみ
531 :
人間七七四年:2013/09/06(金) 14:56:48.96 ID:7n/8S6cU
●二重掘合戦で大敗し、楽田陣から敗走した秀吉w
細川家記
3月27日秀吉一に25日、秀吉公犬山に入り、楽田・羽黒辺まて諸大将衆はかり召し連れられ、
仕寄の下知など仰せ付けられ先つ小牧山に対し向城を高く構え、堀を二重に深くほり、柵を堅く結び
井楼を上させられる、是を二重掘の要害といい、この外岩崎山・小松寺山・青塚内窪山等の付城勢を
分ヶ守らせらる…(省略)
秀吉公二重掘に附城三ヶ所仰せ付けられ、忠興君を初大将数多くして守らせられ、
小松山寺を本陣とし、用心厳しくして合戦を持て数日対陣有り、二重掘には細川与一朗・蒲生忠三朗
堀久太郎…(省略)
五月遡日、信雄小牧山より見て一あてせんと有しを、家康公御無用とおおせられ、ぜひにと有りて御立候間、
家康公御家人を召され、尾張勢定立らるへし、もり返す用心せよと仰せられ候、信雄の勢は木村・長谷川等の手に食い付き、
芝手の中まてかけこみ、両手の軍士散々に敗走いたし候、忠興君御手廻討に走出られ、芝手の上に御揚り御下知、…(略)
長久手にて3大将討ち死に、秀次利を失われ、二重掘にても既に味方追崩され、秀吉公御気色悪かりしに、忠興君御手にて敵を
追い返し、勢ひつくのみならず、…
徳川家の軍勢小牧山より打ち出て二重掘の前に一戦せんと備ふ、秀吉公下知には敵馬を入れ来らは成へき程折敷て防くこと、…
二重掘の神子田半左え門一戦にも及ばず敗走す、寄手是を追討…神子田、太閤の御勘気を蒙ると云々…
二重掘の軍勢周章して伍を乱す、信雄兵其の気に乗じて攻撃多く首級を得たり、
532 :
人間七七四年:2013/09/06(金) 14:58:29.20 ID:9nvg3H2+
秀吉はヘタレ毛利が上月を攻め落とし織田軍を蹴散らしたのに
安芸からの兵站の長さを理由に退却する雑魚っぷりを披露し
毛利つかえねぇwwwwとみた南条・宇喜多が離反し
毛利は数倍の国力がありながらこいつらに大苦戦。
その隙に織田方は兵糧切れの三木・同じく織田方に裏切ろうとした山名が米を売るなど物資貧困状態の鳥取などを火事場泥棒
この頃毛利は宇喜多に数倍の国力差がありながら加茂崩れ・辛川合戦で大敗するなど苦戦しまくり翻弄されまくり備前はおろか備中・美作でも劣勢だった
この窮地を救ったのが鳥取を火事場泥棒した秀吉が宇喜多方に歩調を合わせ参戦してきた事で
宇喜多は戦闘ゴミレベルの秀吉のせいで忍山・祝山攻防などで大敗し窮地に陥る
備中高松の時も、秀吉は宇喜多単体に翻弄されまくっていた毛利に対し「うわwwwこえぇwwww」と
膨大な金銭や人員や時間を犠牲にし雨が降らなければ失敗していたであろう水攻めという博打に打って出るが
気概0のヘタレ毛利にはこの策が功を挺し廻りが離反だらけで劣勢な中、単独で宇喜多・羽柴を撃退するなど功を上げていた清水宗治を見事に見捨て、高松は落城。
運がよかったな
信長の力を見抜き土下座外交を必死でした北条氏政が秀吉に従わなかったのは
秀吉の力のなさを見抜いてたからだろうな
運悪く周辺諸大名があっさり秀吉になびいてしまったが秀吉の天下がなあなあで形だけのものだった事は
秀吉が死んだだけで脆く崩れ去った事で裏打ちされてる
氏政は十分先見性のある武将だろう
秀吉の力を見誤ったんじゃなくて家康と伊達などの動向を見誤っただけ。
ぶっちゃけ秀吉の天下は圧倒的国力差と敵対勢力が別に抱えてた多くの敵を利用して
運だけで取ったようなもん。
実力でいえば相当無能な部類だと思う。関東でいえば小山、小田あたりにも負けそう
秀吉は元々あった対立関係利用して漁夫の利得ただけ。
中身のないゴミ政権だからすぐにボロが露呈した。
信長に従い土下座外交してた氏政が秀吉に従わなかったのも秀吉の実力のなさを見抜いてたからだろうな
本能寺時点でも光秀が運良く信長を打ち逆賊の汚名被り毛利も運良く追撃せず
柴田戦でも運良く勝家が雪で動けないのを利用し勝家と勝豊の運よく不仲なのを利用し寝返らせ
運良く権力基盤が弱い信孝を攻め運良く稲葉を寝返らせてへタレ前田が運よく軍を引きやっと勝てただけ
533 :
人間七七四年:2013/09/06(金) 14:59:23.90 ID:9nvg3H2+
秀吉が広範な版図支配下においたといっても所詮一時期だけだしなぁ
所詮徳川に木っ端微塵にされて滅亡した雑魚でしかない。
小牧長久手は3月13日の丹羽宛書状で「酒の酔いを覚ますごとく半月程度で決着つけてやる」
3月22日渡辺清忠書状や23日桂書状で「家康が尾張境まで陣取ったので討ち果たされる由候て築州が美濃に陣替した」
「天下の弓膳一大事である」佐竹義重宛書状で清洲近辺まで押し詰めれば家康は出てくるだろうから
一戦におよび討ち果たすと述べ29日秀長書状で「家康打ち果たす事案の内に候」
敗戦前日の4月8日の丹羽宛書状に「家康さへ討果候へは」「家康を取巻、即時可討果候間」とあるように家康討伐のための
進軍でありまた「至参集表令手遣、可発向調儀間、九鬼右馬も船手にて彼の国へ差遣候」
とあるように家康本国へ陸海両面攻撃を想定した大掛かりなもの。龍泉寺に向かう途中での
柏井、大草の根城に山内一豊、生駒吉一、矢部家定、一柳直末を入れると記し、九鬼の水軍を
三河へ派遣し家康本国への陸海両面攻撃等の計画を細かく書いてて中入り作戦もその一貫である旨
を報じてる。北尾張に向けて出陣する時桂黄繁の書状では『徳川事、三介殿後見被仕候付被討果之由候
て尾州表へ陣替候』とあるし小早川秀包に同道してた渡邊清忠が『秀吉自ら北尾張の家康を攻撃する』
と記してる。長久手の敗戦後秀吉は木曽川筋の城を攻撃するがこの目的も『必家康後巻可仕儀にて候間、この口へ引き出、一戦に及び討ち果たす』(5月九日毛利輝元宛書状)
長岡越中宛5月11日書状 小牧表の人数が討ち入る時家康と一戦を遂げ討ち果たそうとした 『家康後詰可仕事案内与存』(佐竹義重宛)と伝えている事から家康を小牧山からおびき
出して戦う事にあったと考えられる。5月2日の小早川隆景の書状でも『来秋』(太陰暦なので7〜9月の事)
軍事行動を行う予定であった事が書かれてる。6月四日佐竹義重宛書状 家康が小牧に陣を張ったので
時を移さず10町15町に陣を張り、一戦討ち果たそうとした。家康が木曽川の敵城の中に乗り入れた所に後詰に来たら
討ち果たしてやる 六月25日⇒木曾 来月15日諸国の軍勢を集い尾張の右方へ出兵する。そのとき其の表(木曾)へも援軍送ります
と一貫して家康への討伐意思の表明があり蟹江合戦も谷口氏や愛知県史資料編の位置づけどおり
秀吉の敵地分断・三河侵攻計画だとわかる
7月3日秀吉は『8月15日に「西国・北国」の兵力を総動員して尾張、三河、遠江へ総攻撃かける』計画を報じている。
この計画は七月上旬〜下旬にかけて各方面に書状で報じておりその後も三河への侵攻計画を表明している。
8月中旬〜下旬にかけて再び北尾張に軍結集させ、この時は家康は帰国させてた兵も多く今まで以上に兵力的に優位だったのに結局和議の話があがっている
(これは決裂になったが)秀吉が信雄と講和した11月13日にも家康に対しては秀吉の「存念」が深いため三河に攻撃をかけてた
とえ年内であっても「家康分国へ乱入、所々令放火、日比之可散無念心中候」と報じている。一貫して秀吉は家康への総攻撃を表明している
7月3日秀吉⇒木曾 7月8日秀吉⇒東義久 7月8日秀吉⇒梶原政景 7月30日秀吉⇒下間頼廉
日付不明秀吉⇒津田小八朗で 来月15日に西国北国の軍勢を総動員して三河遠州尾張に総攻撃かける計画を報じる
8月18日⇒上杉景勝、須田満親 家康が小牧にいるので明日木曽川を越えて小牧表へ押し詰め、付城を申し付け家康が退却できないようにする
三河表へ出兵する予定である 9月6日秀吉⇒安井定次 鉄砲薬五斥とどく旨を賞する
同日 ⇒いわ やかて開陳する予定であると報ずる
9月16日秀吉⇒前田利家 尾張の砦、下奈良に一つ、宮後・幸田三ヶ所普請丈夫に申し付け過半ができた。
二三日中に兵糧・玉薬以下4000か5000軍勢を入れ置く2526くらいには岐阜まで開陣する
11月13日秀吉⇒伊木 家康が信雄を引き入れ相届かぬ儀があったので三州表へ押し詰め
534 :
人間七七四年:2013/09/06(金) 15:00:15.27 ID:9nvg3H2+
秀吉って鉄砲の名産地長浜を根拠とし、その後も富裕地を領国としてるから
経済基盤でいえばかなりのものだし装備も当然充実させられるのに
こんなに雑魚なのは本人の指揮能力がクソレベルなんだろうな
秀吉が全軍で小牧山を攻めていたら織田信雄に大敗していたのは間違いない。
何せ信雄家臣の木造や吉村などにぼこぼこにやられた史実があるんだしな
しまいには小田原、韮山、山中、忍、松ノ木、太田など大敗や大損害を重ね、天下失った凡将w
犬山から小牧山にかけての羽黒、楽田、小口、楽田、青塚、岩崎山、内窪、小松寺山、田中、二重堀(最期の二つは小牧山城から真東)
これだけ秀吉方の拠点がずらっと並んでて要害として拵えられ、陣取りした前方には
芝のついた土手を築いて柵を付けている。そこに秀吉方が陣取っていて龍泉寺
にも根城をこしらえ、柏井、大草にも堅固に普請を申し付けられてる。
家康から見れば東、北は秀吉方拠点が並んでて包囲されてるみたいなもの。
中入り作戦なんてしなくても北と東から力づくで押し込める
あと秀吉は中入り軍を追撃していく軍の動きを把握していた事は明らかだが
ここですぐに軍を動かさずもたもたしてたから負けただけ。これは柏井にいる一柳直末にあてた書状から明らか。
単純に秀吉が雑魚すぎるだけだと思う
野戦するからにはある程度なんらかの傾斜物を超えなくてはならないのは自明の論理で、
あの場所は川とか沼地とか崖や山などに比べたら遥かに決戦しやすい上にその辺りが突破しずらいなら
戦場の変更とか転進とか兵力6倍以上ならいくらでもうつ手あるわけで。
中入り勢増やすもよし、西方面迂回するもよし。砦を一つ一つ兵力に物言わせて攻め取るもよし
支配力の弱い信濃や信雄の本拠の伊勢を荒らすもよし。結局何一つ有効な手打てないまま
だらだら対陣するしかなかった秀吉は弱すぎる
あのあとだらだらと木曽川筋の城を 攻めるばかりで、戸木城でも負け松ヶ島城で手こずり、
南伊勢でも反撃くらい 加賀の井城も正攻法で瞬殺できず滝川が作った大チャンスも無駄にし
夏の対陣でもこれまで以上の兵力差がありながら手も足もだせず、結局 晩秋に信雄の本拠地近くを
荒らしまわったら信雄がびびって降伏したから勝てただけ
当時を記した日記などや合戦参加者が書いた合戦記などの記録類によると
夏も春も砦間の小競り合い自体はあったため、ただ単純に手出し云々というより
秀吉が弱すぎて攻められなかっただけだと思われる
7倍以上もの兵力差あり小牧山の北と東をガチガチに秀吉方拠点で築き
さらに遥か南東の竜泉寺に至るまで秀吉方拠点で固める周到な準備しておいて
それを秀吉のアホ作戦で台無しにして奇襲を許した。
白山林で秀次が奇襲受けた時池田勢はずっと南方の岩崎城を攻めるというかなり縦長の陣容だったが
この時秀次勢に後続させて龍戦寺で二万程家康方に対する抑えを小幡方面に向けて置いてれば
こんな自体にはならなかった。秀吉は中入り勢に楽田〜龍泉寺に至るまで砦・拠点を堅固に普請させたり
途中の家康方拠点を攻撃させながらの隠密とは程遠い堂々とした行軍を無謀にもさせた。
奇襲許してしまったのもすべては秀吉のせい。
しかも柏井にいる一柳宛書状から秀吉は家康の動き把握してたのに
すぐ軍ださなかったorのろのろ山道を行軍させて間に合わずむざむざ家康を逃がした
正午の池田勢の敗報を受け取ってから平地部分を動いてるから竜泉寺にさっさとついてるから
朝に動けば絶対間に合ったのにそれをさせないあたり軍事的才能がなさすぎる
敵地の中で無謀な行軍を中途半端にさせたのが馬鹿としかいいようがない。
織田家で最も無能な上に重臣の謀反&粛清等があり、権力基盤弱い織田信雄の領土相手にこの醜態ってw
535 :
人間七七四年:2013/09/06(金) 15:01:20.60 ID:9nvg3H2+
秀吉のアホ作戦で奇襲を許した。
白山林で秀次が奇襲受けた時池田勢はずっと南方の岩崎城を攻めるというかなり縦長の陣容だったが
この時秀次勢に後続させて龍戦寺で二万程家康方に対する抑えを小幡方面に向けて置いてれば
こんな自体にはならなかった。秀吉は中入り勢に楽田〜龍泉寺に至るまで砦・拠点を堅固に普請させたり
途中の家康方拠点を攻撃させながらの隠密とは程遠い堂々とした行軍を無謀にもさせた。
奇襲許してしまったのもすべては秀吉のせい。
しかも柏井にいる一柳宛書状から秀吉は家康の動き把握してたのに
すぐ軍ださなかったorのろのろ山道を行軍させて間に合わずむざむざ家康を逃がした
正午の池田勢の敗報を受け取ってから平地部分を動いてるから竜泉寺にさっさとついてるから
朝に動けば絶対間に合ったのに
軍事的才能がなさすぎる
敵地の中で無謀な行軍を中途半端にさせたのが馬鹿としかいいようがない。
池田・森が味方についたわかげで木曽川ライン超えられ、家康は伊勢方面から
尾張に転進せざるを得なくなり、伊勢南半分を蹂躙できたのに、緒戦で負け、本戦で6倍以上の兵力差がありながら
相手の5倍もの被害出す大敗を喫し池田森木下兄弟が死に、本多500に20000で足どめくらいそのあとだらだらと木曽川筋の城を
攻めるばかりで、戸木城でも負け松ヶ島城で手こずり、南伊勢でも反撃くらい
加賀の井城も正攻法で瞬殺できず滝川が作った大チャンスも無駄にし
夏の対陣でもこれまで以上の兵力差がありながら手も足もだせず、結局 晩秋に信雄の本拠地近くを
荒らしまわったら信雄がびびって降伏したから勝てただけ
あんだけ兵力差ありながら晩秋まで一進一退続いてるからな
池田・森が味方についたわかげで木曽川ライン超えられ、家康は伊勢方面から
尾張に転進せざるを得なくなり、伊勢南半分を蹂躙できたのに、緒戦で負け、本戦で6倍以上の兵力差がありながら
相手の5倍もの被害出す大敗を喫し池田森木下兄弟が死に、本多500に20000で足どめくらいそのあとだらだらと木曽川筋の城を
攻めるばかりで、戸木城でも負け松ヶ島城で手こずり、南伊勢でも反撃くらい
加賀の井城も正攻法で瞬殺できず滝川が作った大チャンスも無駄にし
夏の対陣でもこれまで以上の兵力差がありながら手も足もだせず、結局 晩秋に信雄の本拠地近くを
荒らしまわったら信雄がびびって降伏したから勝てただけ
つうか尾張口突破がそんな困難なら権力基盤弱い伊勢攻めるか
間接的統治を行うだけで支配力が弱く、木曽が寝返り、翌年に真田、小笠原が寝返るなど
不安定な支配の信濃を上杉とともに攻めりゃいいだけだろ
だらだら尾張口や木曽川筋で対陣続けて晩秋になるまで突破口見出せん秀吉は馬鹿すぎる
中入り勢は突出などしとらん
秀吉の命令通り動いただけ
6倍以上兵力差あり秀吉軍は家康の5倍以上もの被害出し装備などは当然
畿内持ってる秀吉>>>>貧国ばかりの家康 だから
戦闘能力でいえば家康は秀吉の30倍以上上手だろーな
秀次の補佐役で木下兄弟がつけられ戦死してるな
目付け役で堀・長谷川も加わってるし
お前らの論理だと秀吉は相手と近距離で直接戦闘をした経験はほとんどなく
ある程度距離がある味方に指令だすのが中心だったからわずか20町ほどの距離での
家康との対陣での敗北を秀吉の責任じゃないというなら秀吉が勝った戦もほとんど秀吉の功じゃなくなるな
敵地の中で無謀な行軍を中途半端にさせたのが馬鹿としかいいようがない。
池田・森が味方についたわかげで木曽川ライン超えられ、家康は伊勢方面から
尾張に転進せざるを得なくなり、伊勢南半分を蹂躙できたのに、緒戦で負け、本戦で6倍以上の兵力差がありながら
相手の5倍もの被害出す大敗を喫し池田森木下兄弟が死に、本多500に20000で足どめくらいそのあとだらだらと木曽川筋の城を
攻めるばかりで、戸木城でも負け松ヶ島城で手こずり、南伊勢でも反撃くらい
加賀の井城も正攻法で瞬殺できず滝川が作った大チャンスも無駄にし
夏の対陣でもこれまで以上の兵力差がありながら手も足もだせず、結局 晩秋に信雄の本拠地近くを
荒らしまわったら信雄がびびって降伏したから勝てただけ
536 :
人間七七四年:2013/09/06(金) 15:02:45.52 ID:9nvg3H2+
秀吉は元々あった対立関係利用して漁夫の利得ただけ。
中身のないゴミ政権だからすぐにボロが露呈した。
信長に従い土下座外交してた氏政が秀吉に従わなかったのも秀吉の実力のなさを見抜いてたからだろうな
本能寺時点でも光秀が運良く信長を打ち逆賊の汚名被り毛利も運良く追撃せず
柴田戦でも運良く勝家が雪で動けないのを利用し勝家と勝豊の運よく不仲なのを利用し寝返らせ
運良く権力基盤が弱い信孝を攻め運良く稲葉を寝返らせてへタレ前田が運よく軍を引きやっと勝てただけ
単に圧倒的兵力差があったから勝てただけ。島津も先鋒勢蹴散らせたし
北条も支城に配した兵が少なかったからあっさり陥落したが本城は余力ありまくりの状態での降伏だった。
逆に秀吉側が兵站維持できるギリギリの所まで追い込まれてたくらいだった。
徳川に至っては北条氏政がたくらみが深い武将で家康留守中に背信して徳川領に侵攻するとのうわさが垂れ流されていた上
上杉も信濃方面へ侵入の構えを見せていたためかなりの兵力を本国に残したままだった。
家康が対秀吉時に四天王の他は大須賀康高、本多広孝、そしてその頃から秀吉に通じつつあり翌年に寝返った石川数正くらいで
数は8000程度。残りは信雄の軍に依存してた。しずヶ岳時も信雄味方で雪で勝家が出られない間美濃や伊勢で暴れ周り
勝家が出てきたら圧倒的兵力で襲えばよかっただけ(それでも柴田勝政らの撤退中を大軍で襲撃して持ち堪えられる始末)
山崎も兵力差圧倒的なのに光秀軍より多い被害だした。ただの雑魚
そういう優位な状況は秀吉が実力で作ったわけじゃない。
織田家が当主の能力や運、状況に恵まれ拡張でき秀吉はあくまでその中の枠内で歯車のひとつとして働いていたにすぎない。
本能寺時点で大きな勢力持っていたのもひとえに織田が拡張したからであってその中で秀吉が果たした役割は
初期ではほんのわずか。後期でもあくまで軍司令官の一人、つまり一部分。
そこで光秀が運よく信長を討って逆賊の汚名も被ってくれたから逆賊打つという格好の名分を
おいしく頂いた。上杉と徳川は82〜83年にかけ信濃中部で争い家康の同盟者北条との関係の悪さからも秀吉側につくのは
自然な流れだし毛利も本能寺前で既に和睦の話が上がっていた。宇喜多も直家死んで八郎人質取ってたからそうそう
裏切られない。両者とも本能寺時も運よく敵対しなかった。
長曾我部の敵対者十河や河野、島津の敵対者大友、北条の敵対者佐竹、信濃での家康の扱いに不満を持った木曽、真田
石川の場合は秀吉の威信が強大になっていたのが大きく小笠原は石川が小笠原の人質もって逃げたから寝返った。
水野は元々外様だし石川と同じく秀吉の威信が高まりすぎたのが原因だろうな。
どれも秀吉が自力で作ったというより運よく強大な勢力を持てたのと元々敵対者同士だったか家康の扱いに不満があったのを利用しただけ
よく秀吉は城攻めの達人とか人たらしの名人とか言われるがこれも間違い。
どこの大名でも漁夫の利を狙うような芸当はやってるし
城攻めに関しても鮮やかと言われるのは対中国戦くらいだろう。しかも水攻めといい兵糧攻めといい
時間や金ばかり無駄に浪費した下策でこんなもんは織田家が経済的に圧倒的なものをもってるから
なせる芸当。少数しか兵のいない忍城や竹ヶ鼻城、紀州の城を正攻法で瞬殺できないのは終わってる
537 :
人間七七四年:2013/09/06(金) 15:20:24.91 ID:9nvg3H2+
朝鮮出兵なんて馬鹿な戦を
>帝国主義・重商主義の世界史的な流れを理解し 大陸進出により、日本が強国で植民地化が不可能だと悟らせた。
>看羊録には、秀吉の朝鮮出兵は諸大名の力を削いで 戦乱や領地を望む心を奪うためと書いている。
>戦国の機運を終わらせるためには強権発動も必要なのだろう。
>国内で変事を起こさせないように兵を消耗させ
>戦国の気風がある荒々しい武将どもの内乱意識を消す戦後処理を謀る意図があったとする。
>また土木工事も諸大名の経済力を奪い取ると同時にインフラ整備と経済活性政策であった。
こんなすり替え方してマンセーの流れに入れ替えるとか馬鹿すぎる。その結果が豊臣崩壊じゃねぇかw
秀吉厨のデタラメ
>>「一次史料を見ると信長も1万〜3万くらい
>>兵糧や衛生管理や屎尿対策の壁で一戦場3万が動員限界とされたのが戦国時代」
天正3年5/15奥平書状で織田徳川で7万騎動員してるのがわかる
毛利軍も高松攻防時5万と秀吉が本能寺後の書状で書いてる
柴田も上杉討伐の時45000の大軍を動員してるのが享禄以来年代記でわかる
手取川合戦では織田軍は主力級総メンバー連れており、少なくとも長家家譜のように4万越えはしてるはず
国力に対して課されるのが動因数で国力があっても大軍を集結できない大名なんていねぇよクズw
一揆とか国が疲弊・瓦解してるだけだろうがw
軍なんて鎌倉や南北朝時代の戦争でも動員されてるだろ
織田の場合は戦線が複数あったから一箇所に超大規模の大軍が集結しなかったというだけだし
信長公記基準だとかなり大軍動員してるし島津も大友も動員してる(耳川や水俣城攻防戦など)
足利軍30万騎とか書いてあるね。
多聞院日記や兼見卿記をみると15万とか10万とか天正5年で動員してるし
戦国期より遥かに兵站技術が遅れた鎌倉や南北朝戦争でも数十万の大軍が一遍に動いてるのに
兵の動員数に限界数値があるわけねーだろアホ
ローマ軍や清とか中国の王政はどうなるんだよ馬鹿がw
538 :
人間七七四年:2013/09/06(金) 15:21:13.93 ID:9nvg3H2+
>おいおい愛知県史ですら検討の余地ありとして、この写を偽書状認定してるだろ…
検討の余地ありは=偽書状ってことではない。本物でない可能性ありってだけだろ
>> あれ秀吉が自軍兵力を2万か3万でとか書いてて好い加減だろ。
本当にそれだけいるかどうかはともかく一次資料でいいなら上記のようにちゃんと大軍動員してる例はあるわけで。
>>そんなに兵力あるなら清水宗治を見捨てて和睦に応じないだろ。
有利な状況や大軍があっても味方を見捨てたりチャンスをむざむざ無駄にするのが毛利。
中国口の播磨但馬の攻防のときとか関が原の時とか本能寺の時とか見てれば毛利が天が与えた幸運や超有利な状況でも何もせず負ける馬鹿なのは
史実みてればわかる
>いやいやあんな戦国時代に思えない違和感バリバリの単語使った文章で(信長卿とか、盟約や婚姻など神仏に誓う文面じゃないのに、わざわざ天正とか
>書いてたり)さらに徳川が2万余騎を動員してるとかあり得ないし
そんな妄想いわれてもな
偽書状と判明とか書いてるならともかく検討の余地ありだけでは偽ってことにはできずむしろ
今のところ本物だが偽かもしれないってだけだろ
そもそも大軍なんて鎌倉や南北朝時代の戦争でも動員されてるだろ
織田の場合は戦線が複数あったから一箇所に超大規模の大軍が集結しなかったというだけだし
信長公記基準だとかなり大軍動員してるし島津も大友も動員してる
539 :
人間七七四年:2013/09/06(金) 22:00:01.40 ID:eLZgMx6i
また基地外織田厨のコピペ爆撃かよ。
駄文過ぎて読む気が失せるって言ってんだろーが!
少しは他人に読ませるって視点も持てやカス!
540 :
人間七七四年:2013/09/06(金) 22:02:26.79 ID:r3AMGQUI
全部NGでOK。
541 :
人間七七四年:2013/09/06(金) 22:50:01.99 ID:mWMFzwCn
542 :
人間七七四年:2013/09/06(金) 22:59:54.54 ID:/HV25qqu
秀吉厨の頭の悪さは異常
543 :
人間七七四年:2013/09/07(土) 23:54:23.10 ID:92TYC1lc
まーた基地外反日織田厨のアンチ秀吉コピペ爆撃荒らしかよ。
544 :
人間七七四年:2013/09/07(土) 23:57:16.94 ID:Sli8K5d+
545 :
人間七七四年:2013/09/12(木) 18:00:07.34 ID:HVEDDyVv
世紀の極悪人の集まり、明智氏を皆殺しにした秀吉軍は
正義の英雄。
546 :
人間七七四年:2013/09/13(金) 19:06:25.88 ID:MVpYSEtJ
明智光秀って頭脳明晰で冷静沈着なんだってなwwwwwww
光秀は信長みたいに悪を好まず威張らず聡明で謙虚な性格なんだってwwwwww
こいつら凄い嘘つくよな
547 :
人間七七四年:2013/09/13(金) 20:07:22.13 ID:ktR+Whfx
と、546さんがウソをついてます
548 :
人間七七四年:2013/09/13(金) 22:06:24.82 ID:v3oyyZEu
と、547がウソをいってます。家康は光秀を尊敬してるよ。
549 :
人間七七四年:2013/09/13(金) 22:13:55.80 ID:LDwYtLrP
550 :
人間七七四年:2013/09/13(金) 23:17:42.32 ID:v3oyyZEu
549は何故そう思うの?確実な資料でもある?
俺は資料はないけど家康がいうから、秀吉にはめられた、あいつに騙されたて。
551 :
人間七七四年:2013/09/14(土) 10:38:36.56 ID:NTBTrITd
552 :
人間七七四年:2013/09/14(土) 11:14:00.16 ID:0WT6pDWy
最近の政治家で言えば誰?
553 :
人間七七四年:2013/09/14(土) 12:03:25.43 ID:6fvs27Ee
まず信長が出てこないことには
554 :
人間七七四年:2013/09/14(土) 22:29:02.81 ID:T/jvcTTe
じゃあ参考までに二人のフロイス評を…
光:五畿内でもっとも智慮があり勇猛な武将
信:日本の歴史上未曾有の著名で傑出した武将
まあ光の場合、そのすぐ後で「はなはだしい悪行と非道を行なった」とか書かれちゃってるな。
上の、悪好まず聡明謙虚だの、どっから出てきたか不明…
555 :
人間七七四年:2013/09/15(日) 01:14:15.29 ID:IBg53vE8
政治家じゃなくて極道だろ
信長 4代目竹中
光秀 一和会山本
秀吉 5代目渡辺
家康 6代目司忍
556 :
人間七七四年:2013/09/15(日) 01:31:46.65 ID:AyUY/vMg
知らん
557 :
人間七七四年:2013/09/15(日) 09:00:56.01 ID:vD/VuENA
まあ極道と武士(というか民主制以外の形体での為政者全て)は紙一重ってとこはあるかもな。
558 :
人間七七四年:2013/09/15(日) 10:57:29.16 ID:lXYdEhLC
信長に対するフロイス評
全身に燃え上がったこの悪魔的傲慢さから、
突如としてナブコドノゾールの無謀さと不遜に出ることを決め自らが単に地上の死すべき人間としてでなく、
あたかも神的生命を有し、不滅の主であるかのように万人から礼拝されることを希望した。
559 :
人間七七四年:2013/09/15(日) 13:34:42.88 ID:bpRjFnaN
宣教師は信長がすぐ人を殺すと非難してるよな。
560 :
人間七七四年:2013/09/15(日) 15:04:07.81 ID:LoHbYQDH
宣教師も生身の人間だからその時々の感情で褒めたり貶したりいろいろなわけだ。
なので最終的評価を見ると整理しやすい。
その結果が
>>554 信長は散々貶したけど最後はベタ褒めってのフロイス評。
あ、光秀は息子を最終的なとこで褒めてるなフロイス。「西洋の貴人のような優美な人たち」だって。
561 :
人間七七四年:2013/09/16(月) 16:15:38.18 ID:D3zOFgHd
いやいや信長を褒めてたのは、宣教師が京で布教するのを許してくれた最初だけだが。
もっとも三好長慶も認めてたから信長がすごいわけでないわけだがw
562 :
人間七七四年:2013/09/16(月) 17:28:49.56 ID:H6rLkW8H
天正10年の武田攻めを語るスレ 4
984 :人間七七四年[]:2013/09/16(月) 15:56:58.67 ID:D3zOFgHd
2/3 暦の問題で信長が今年の美濃では12月閏年だと朝廷に申しいれてきてくる
(中国戦国時代に各王が持っていた元号を始皇帝が奪い取り刻の支配をしたように信長は朝廷から刻を奪おうとする)
濃尾之暦者である賀茂在政の意見を朝廷は拒否するも、そのまま武田攻めでとりあえず有耶無耶(噴火をネタに時間を稼ぐことになる)
2/7 村井貞勝がしなの国を半分などとデタラメを吐いて威圧。
2/9 秀吉も中国四国を平定したと誇張。
2/11 村井の配下であるはんとり六兵衛が庭田重保の邸へ強奪に入るなど公家を威圧(京を恐怖で支配)
2/14 浅間山噴火し、空が真っ赤になり、京の空から雪とは異なるものが降って来て、大気圧変化のためか和仁親王が体調を壊す。
2/16 五の宮やひめ宮も相次いで体調を崩されていたことから、この日の夜に病退散のために方違が行われた
(陰陽道における方忌みのこと。浅間山噴火方面からの忌の流入を避けるため)
2/25 竹内殿(信長に焼き討ちされた比叡山延暦寺166世天台座主の准三宮曼殊院覚恕で信玄を官軍に、信長を朝敵にした人)
による天神講(3/2夜執行?)に勧修寺晴豊が出席(延暦寺の大ボスと勧修寺の秘密会談。信長への叛意相談か)
3/2 織田軍が甲州之衆と戦い100討ち取る(織田の武田攻めの戦果はたったこれだけ。のちに信忠は高遠城に勝頼もいて苦戦したと大ウソを吐く)
3/4 明智軍が信濃に出陣する信長の警護のためちりちりに行軍。兵たちはしほしほとしたテンションだった(明智軍やる気なし。叛意漂う)
3/11 村井が吉田へ御運によって武田侵攻がうまくいったと主張した(織田の実力といわないのは噴火によるラッキーだから。
信長公記でも信長が死んだ天意を棚に上げてw武田の悪政とか因果とか書いて勝頼が天意の罰で滅びたように書くなど、
天意の報復は悪政が呼び込んだ惨事のように他力本願的勝利を匂わす)
しかし吉田は二条御所で俺や公家たちが信長のために千返之御楽で祈祷したからだと対立(噴火は祈祷力!!!天皇すげぇー!)
3/12 多聞院が天候不良と先頃の光物の影響で不安感を募らせる(浅間山噴火とその影響で穀物の不作など先行き不安がる)
3/15 正親町天皇が庭上之作法をやってたらなぜか雨が止んだ。天道之感応奇特だわ〜と公家達か感嘆した(濃尾之暦者って馬鹿じゃんw最近の天皇力すげぇな!)
3/23 穴山信君が裏切った理由って金子2000枚で買収されたんだってよ!などと多聞院が記録する(噴火で甲斐はどんだけ貧乏な生活に堕ちてるんだよw)
また最近の大風霰飛火逆雨の天候状況は天皇の祈祷力で信長の敵国の神を吹っ飛ばしたからだ(浅間山噴火による飛火や粉塵で日照も良くないようだ。こりゃ甲斐一揆くるな!)
まぁ戦後にはまたその神々も勧請してやろうが、まぁこれできるのは神力だけで、人の力じゃできない技だと書く(もうキチガイ信長と天皇どっち選ぶか決意しろや!)
もっとも早く豊臣を見限った大名は?
228 :人間七七四年[]:2013/09/16(月) 16:06:26.45 ID:D3zOFgHd
せめて織田秀信や豊臣国松だけでも生かしておいたら後世において
言い訳ができたけど、やったことは女子供関係なく大坂20万人を虐殺して
大坂城をいったん平地化するまで完全破壊してからの新大坂城建設と、
秀吉の墓を暴いて神号剥奪。自分は東照大権現として神になる暴挙だもんな。
偽新田源氏を標榜したところでクズの本性は直らなかったな。
織田家は秀信が家康によって野たれ死にに追いやられた後も
信雄親子も有楽斎親子もみんな豊臣擁護側のリーダーとされていたし。
豊臣と共に滅亡にならないギリギリまで織田家は大坂城で家康に抵抗していた。
どんだけ織田家は豊臣が大好きで家康が嫌いなんだよレベル。
結局、信長と信玄と謙信、誰が一番優れているの??
181 :人間七七四年[sage]:2013/09/16(月) 16:12:40.98 ID:D3zOFgHd
>>180 同じ理屈で甫庵信長記=信長記になるんだが大丈夫か?www
だから一次史料出せよ!
甫庵信長記の奥書に信長記なんて書いてねーよ捏造すんなw
>>藤本説
具体的な証拠は一切なく、信長公記信者のいつもの妄想。
本が完成してるなんて、まったく書いてないのに公記が完成していたなどと過程と経過を無視した
結果ありきの願望暴論だろwww完成してるなら本を見せてやれば早いのに暗誦ってwww
563 :
人間七七四年:2013/09/16(月) 19:26:19.02 ID:h2xgj1sc
564 :
人間七七四年:2013/09/17(火) 01:20:19.62 ID:vAyOLgj9
朝廷(=帝)黒幕説を否定している連中の論拠なんぞ、砂上の楼閣みたいなもんだからな。
ちょっと息を吹きかけたら、即座に崩壊瓦解だ。
565 :
人間七七四年:2013/09/19(木) 09:16:11.99 ID:zrHIHyCN
説得力あるのは天皇をお守りするために光秀が自ら逆臣信長をコロしたって事だな
566 :
人間七七四年:2013/09/19(木) 12:08:09.72 ID:mpJ5Z1G3
その光秀たん、その後天皇の財産強奪(信長が内々保管してたやつ)。
とても皇室守りたかったようには見えない。
あんまりキャラ作り変えちゃうと、光秀公に失礼ですぞ。
567 :
人間七七四年:2013/09/20(金) 04:39:12.04 ID:bEr9cBCw
信長ー光秀の強奪を最後に入手したのが秀吉で
大徳寺の信長葬儀に一万貫というべらぼうな寄進を
したのはその強奪財産の京の寺社へのおすそわけ
じゃないかと思ってる。
大徳寺は朝廷系の檀家でもあるしね。
秀吉が朝廷系に嫌われずにまさかの
関白就任というのもこういう生臭い実弾とか
恩返しとかが背景になかったか。
いかにも秀吉くさい行動でもあるし。
もちろん直接証拠はないから妄想でいいけど。
568 :
人間七七四年:2013/09/20(金) 20:51:38.49 ID:W9zIMxpf
光秀は天皇から奪った資産を自分の部下に大盤振る舞いでバラまいてるから、
秀吉がどれほど回収できたかは分からんよ。
569 :
人間七七四年:2013/09/21(土) 04:23:51.81 ID:YwlnTUTT
本能寺の変と浅井長政の裏切りは構図が同じ
本能寺の変と嘉吉の変も構図が同じ
570 :
人間七七四年:2013/09/21(土) 04:34:23.13 ID:xmQENV/f
>>568 光秀自身の財産だけでもすごいだろうし
部下に配ったって話はそんなに史実なのかな。
>>569 そりゃ明石が何十年も前に言ってるが
無断引用とかされてるんだろうなぁ。
571 :
人間七七四年:2013/09/21(土) 04:52:45.63 ID:hQrkoU+W
>>568 安土城にあった金銀を配下に分配したり天皇親王寺社に献上したってのは聞いたことあるけど
天皇から奪った資産をってのはどっから出てきた話なん?
本能寺の変の後のことでなく元亀の頃の押領のこと言ってるん?
572 :
人間七七四年:2013/09/21(土) 09:15:58.23 ID:L9XItWdU
光秀が天皇の財産を奪ったってのは、
前にも織田厨が言ってた大ウソだよ。
573 :
人間七七四年:2013/09/21(土) 12:06:46.78 ID:Sg0pBci2
息子共々、家臣にぶっ殺される信長w
しかも息子に至っては親王の二条御所に逃げ込む大迷惑をやっちまい
親王は織田に加担していると思われる恐れから
光秀に、俺、どうすればいい?切腹した方がいい?と自刃を覚悟するほど、
最強レベルで大迷惑をかけてる無能。
574 :
人間七七四年:2013/09/21(土) 20:09:52.45 ID:Oa4vgBH5
逃げこんではいないだろ。
信忠は最初から戦って死ぬつもりだった。
妙覚寺より二条御所のほうが戦いやすいからそこに籠っただけ。
575 :
人間七七四年:2013/09/21(土) 23:48:12.72 ID:J0JjR/9T
ウソ長公記と違って、フロイスの日本史では、
本能寺からわずかに一町を隔てた場所にある教会で
早朝からミサの準備をしていたカリオン司祭からの詳細な報告を記している。
そこには最初から光秀は信長と信忠を殺すつもりであり、
信忠が誠仁親王の邸に避難したと書いている。
また浅間山噴火はデウスが増長した信長を改心させる為に見せた恐怖であり、
これ程の光の力で最後のチャンスを与えたのに、
信長が陥っていた闇の根深さから悟りを得ずに、
ついに信長が破滅したとも書いている。
576 :
人間七七四年:2013/09/22(日) 02:04:36.96 ID:v9lBqGw7
本能寺の前に屋敷がある村井が信忠の所に行けたくらいだし、信忠の周りには明智勢はいなかった。京から逃げなかったんだし戦う気だったんだろうさ
577 :
人間七七四年:2013/09/22(日) 09:48:23.03 ID:z+10w9ZX
親王の二条御所には武器が一切無かったのに、
そんな中に身を寄せて、戦うつもりだったわけねーだろ。
親王に父の罪について土下座して御慈悲にすがって、
光秀に和睦するように勅使を出してもらうように父帝に働きかけてもらおうと下心があったが、
親王はそれを拒絶しただけだろ。
578 :
人間七七四年:2013/09/22(日) 11:21:42.14 ID:88K8nGjn
ノブタダは超無能で欲深い変態だったからなぁ。
宣教師相手に六戒の「汝、淫姦するなかれ」ってのさ、あれ絶対無理だからw
肉欲には勝てないから、とりあえずそれ削除でよろしく!
宣教師「無理です!」
ノブタダ「えっ?それデウスが考えたことじゃなくて、人間が考えたことだから利便性重視で変更してもよくね?」
宣教師「ルールを変えると私達の信用が失われます!人間の淫蕩的欲望でそれを変えたら神の教えじゃなくなります!」
宣教師の方々は変態SEX狂信者のノブタダにキレていいと思う・・・・
579 :
人間七七四年:2013/09/22(日) 12:59:56.57 ID:v9lBqGw7
世子はこの邸に入ったが、甚だ急いで刀のほかは携へず、同所は内裏の御子の居で婦人のほかゐなかったため、武器はなかった。イエズス会日本年報
単に場所を選んでる暇が無かったんだろ
世子(信忠)はよく戦ひ、弾創、矢傷を多く受け、明智の兵は遂に勝ち、邸内に入って火を放ち、多数の人は焼死した。世子もまた焼死者の中にあった。イエズス会日本年報
580 :
人間七七四年:2013/09/22(日) 13:09:43.29 ID:88K8nGjn
避難・身を寄せた
などと書いてるから光秀への降伏の仲介を親王にしてもらうために
わざわざ武器のない親王の二条御所へ行って庇護を頼んだのだろう。
しかし親王はそれを拒否。光秀は親王を殺すつもりがないからと帝の下へ行くのを許可。
逃げ場を失った信忠は、武器のない二条御所に逃げ込む愚策を後悔しながら、
攻め込む明智軍を相手に死ぬのは嫌じゃーって無駄な悪あがきをして、
京の市民に長く不安を与えて死んだ。
デタラメ信長公記は信長と合流して戦おうとしたとか、
雑兵の手にかかって死ぬよりは、ここで自刃すると言ったとかデタラメを吐くが、
宣教師の記述でウソが見事にばれる。
581 :
人間七七四年:2013/09/22(日) 14:00:47.72 ID:v9lBqGw7
>死ぬのは嫌じゃー
んじゃ「よく戦った」って言ってるイエズスもデタラメだなw
582 :
人間七七四年:2013/09/22(日) 14:11:36.02 ID:z+10w9ZX
そりゃ死にたくないからよく戦うだろよ。
普通なら戦況を悟り心静かに自刃するのが士たるものだがな。
583 :
人間七七四年:2013/09/22(日) 19:11:46.56 ID:tPe8HTqd
極悪人明智家を皆殺しにした
秀吉軍は、ガンジー並の英雄wwwww
584 :
人間七七四年:2013/09/22(日) 19:27:40.68 ID:DtLOBgqS
>>582 信忠もまだ若いからな。一矢を報いたいくらいは思ったかもしれん
有楽斎が逃げたのはその当たりの温度差かもな
585 :
人間七七四年:2013/09/23(月) 14:33:43.64 ID:f9fqgnGR
自称子孫氏また本能寺本出すみたいだね…
586 :
人間七七四年:2013/09/23(月) 17:04:33.26 ID:sIrCxqOt
自称子孫て、○ん○○ろ○ さんかな?ブログ見てみたけどちょいキモイな。
自分のハンドルネーム「天下布○」ってなんだ?
人のモノ我が者顔で使う人見ちゃった時の感覚に似てる。そこはかとないドギマギ感。
587 :
人間七七四年:2013/09/23(月) 17:11:41.16 ID:sIrCxqOt
チスレごめんなさい
>>570>>571 いや安土城ってさ、実は信長の城じゃないらしいんだよ。
ちなみに当時の人も「安土城」とは呼んでない。「安土山の○」。
588 :
人間七七四年:2013/09/23(月) 19:25:52.10 ID:wZCvgWhs
>>585-586 別に2ちゃんで伏字にする必要ないだろ
明智憲三郎氏はなんていうか、エンジニアっぽくない
589 :
人間七七四年:2013/09/25(水) 10:41:22.39 ID:Ugc35yGX
>>587 よくわからんが、安土城屏風、とは使われて
なかったかな。
590 :
人間七七四年:2013/09/26(木) 12:51:06.17 ID:VB/v5x/X
あ、そうなんだ。
あれ?でもそれいつの頃の史料?
591 :
人間七七四年:2013/09/26(木) 19:53:09.15 ID:wW/EMK/S
光秀スレにはいつもトンデモ君が集まる
592 :
人間七七四年:2013/10/03(木) 10:35:11.17 ID:eMPQ0TsR
説得力あるのは天皇をお守りするために光秀が自ら逆臣信長をコロしたって事だな
593 :
人間七七四年:2013/10/03(木) 18:55:07.03 ID:M6/gaMKB
菅沼は暢気にそんなこと言ってる場合じゃねーだろw
594 :
人間七七四年:2013/10/04(金) 12:20:44.45 ID:iSLWDuD6
兼見卿記6/15
吉田兼治が帰宅した際に
吉田兼見に向州事秘定と言った。
595 :
人間七七四年:2013/10/04(金) 12:26:35.07 ID:CG/WJVCu
必の当て字
596 :
人間七七四年:2013/10/04(金) 17:10:34.35 ID:kkbGeldU
菅沼行殺w
597 :
人間七七四年:2013/10/06(日) 20:16:51.50 ID:gtmdOODY
598 :
人間七七四年:2013/10/07(月) 09:13:15.59 ID:Ii6QlKTs
秘が必の当て字とかバカ過ぎw
当て字の方が字数が多く難易度高くなるわけねーだろw
秘とわざわざ字数増やすくらいなら必でいいだろwww
当て字は全く違う漢字になるのに、必の字が両方ともあるじゃんwww
599 :
人間七七四年:2013/10/07(月) 09:39:37.65 ID:o6fgSMv2
前後読めば光秀が一揆に討たれたという噂が入って
それが事実だったと言ってるって分かるだろ
いい加減自説に都合の良さそうな部分抜き出してミスリード誘う
詐欺師の手口はやめろだがよ
600 :
人間七七四年:2013/10/07(月) 09:59:57.25 ID:9Qau6oax
菅沼またもや瞬殺みじめ
601 :
人間七七四年:2013/10/07(月) 11:46:16.06 ID:/QcPYVrS
宛て字とかデタラメ吐いてたが論破されたので
今度はトンデモ論をぶちまける織田厨w
602 :
人間七七四年:2013/10/07(月) 19:28:54.10 ID:KSQpb4Tm
>>598 いいえ、なります。捏造はやめましょう。
603 :
人間七七四年:2013/10/10(木) 16:41:21.73 ID:vS+JGO0Q
光秀は長篠に参戦してたかはっきりしてる?
中央に光秀クラスを一人残すのも大事だし筒井細川がいなくて光秀だけいるのは変だと思うけど鉄砲の名手的にいることにされたりなのかね
604 :
人間七七四年:2013/10/10(木) 18:05:54.90 ID:DR51rmXY
五月十四〜十五日の間に坂本で何度か島津家久と会ってて
その時点で信長は既に東国に向かってるから参戦してないと思われ
家久に「信長が東国出陣してる最中に遊んでられない」というような
ニュアンスのことを言って会食を遠慮たようだし
605 :
人間七七四年:2013/10/10(木) 21:13:49.39 ID:vS+JGO0Q
ありがとう
606 :
人間七七四年:2013/10/12(土) 10:53:44.44 ID:+3j2IaQ0
>>603 センゴクって漫画は嘘がけっこう多いから
607 :
人間七七四年:2013/10/13(日) 18:51:59.15 ID:baJ7ybBk
また始まったよ、光秀にとって都合の悪いことは
『捏造」だとかほざくは馬鹿光秀ファンのセコい
戯言。
608 :
人間七七四年:2013/10/13(日) 19:01:56.41 ID:baJ7ybBk
これが光秀ファンの捏造
光秀は足軽だった!(嘘まみれ、百姓に殺されたかっこ悪い現実
を認めたくない光秀ファンの捏造)
光秀は延暦寺虐殺を指揮した極悪人です。(この情報も捏造だと言い張るの
だろうね)このような極悪人を正義だの持ち上げる行為はやめましょうね。
609 :
人間七七四年:2013/10/13(日) 22:21:19.01 ID:qJZljsl8
菅沼遼太君が何を言ってるかさっぱりだ
610 :
人間七七四年:2013/10/14(月) 02:18:05.35 ID:DTKpjAtw
>>607 どうして光秀が長篠合戦に参加してたという与太話が光秀にとって都合の悪いことになるの?
ちゃんと答えてね
611 :
人間七七四年:2013/10/14(月) 13:09:32.82 ID:8haUn3hT
その前の話題を指してるんだと思われ
「秘定」というのを何か本能寺の変にまつわる秘密事項の様に受け止めちゃったんだろう
彼は朝廷黒幕説の信奉者らしいし
文章読めば直前の一揆に討たれて首が信孝の元にもたらされたらしいという話と繋がってて
「必定」の意味で書かれてると判断するのが穏当だと思うけど
612 :
人間七七四年:2013/10/14(月) 15:29:34.51 ID:4sDzg63u
同時期の家忠日記も本能寺の第二報で信長が討たれたのは確実らしいと言うところで
「秘定」と書いてるから当時は必を秘と書いたんだろう。当て字じゃなくても。
613 :
人間七七四年:2013/10/17(木) 02:07:43.64 ID:nqn8GGwM
>>608 光秀が信長に取り立てられるまで石ころ同然の卑しい身分であったことは本人も認めていますけどねw
元々は苗字すらなかったという話もあるのでおそらく足軽以下の細川藤孝の中間(従者)だったのだろう。
614 :
人間七七四年:2013/10/17(木) 05:43:30.53 ID:+L6vVk82
615 :
人間七七四年:2013/10/17(木) 07:11:41.31 ID:95kuRYhA
実際石ころ同然って言葉からじゃどの程度の身分だったのか分からんよね
藤孝のとこで飯食ってたのは事実なんだっけ?
616 :
人間七七四年:2013/10/17(木) 19:34:48.01 ID:I4FY4gH2
足軽といってもいろんな意味があるからまずはそこからだな
身分制度の足軽と捕らえるのは短絡的。無知なだけだろうけど
617 :
人間七七四年:2013/10/19(土) 13:57:04.77 ID:bLmoQUbw
本能寺の変 〜信長の油断・光秀の殺意〜 藤本正行
618 :
人間七七四年:2013/10/19(土) 17:15:31.23 ID:dH1cAklN
>>615 フロイスの『日本史』や『多聞院日記』によりそれは事実らしい。
中間だから足軽のような主君の専属戦闘員というより主君の雑用人(足軽らの世話役)だったのでは?
光秀は交渉や接待系のスキルが高いし。
619 :
人間七七四年:2013/10/19(土) 18:32:45.85 ID:otVmQmf6
俺が思うから事実
620 :
人間七七四年:2013/10/19(土) 20:48:45.62 ID:76IzULlL
光秀には細川藤孝に仕えるまでは丹波亀山(内藤氏?)で弓大将を勤めてたという話もあるみたい
621 :
人間七七四年:2013/10/20(日) 00:06:11.04 ID:GUwHXBBv
いまの政治家と同じ
かばん持ちしてても経歴には何も残らない
622 :
人間七七四年:2013/11/04(月) 23:18:26.03 ID:mlTj+7Y9
テスト
623 :
人間七七四年:2013/11/05(火) 07:31:45.52 ID:9hz/9YVB
細川や朝廷との関わりがあったのはまちがいないな。
松永久秀も長慶と同格の実力者ってフロイスが書いてるように、
上洛前後の信長は当時、実力者と評判ある人物を採用していたのは間違いない。
尾張だけを治めていた時代から急速に拡大したので畿内統治の人材収集が急務だったからの。
624 :
人間七七四年:2013/11/06(水) 05:19:42.95 ID:M7IYF+Tz
可児の明智長山城、恵那の明知白鷹城とは無関係とは無関係?
625 :
人間七七四年:2013/11/06(水) 21:23:47.92 ID:Yu3Oa2Ch
足利将軍の奉公衆だった畿内明智氏の流れだな、光秀は
626 :
人間七七四年:2013/11/06(水) 23:57:42.88 ID:SkLQzQGT
出自は土岐氏→嘘
美濃の出身→嘘
毛利に仕官断られた→嘘
義昭を越前から岐阜に手引き→嘘
この人の前半生って
627 :
人間七七四年:2013/11/07(木) 06:38:14.66 ID:IijRfdOJ
>>626 > 出自は土岐氏→嘘
> 美濃の出身→嘘
> 毛利に仕官断られた→嘘
> 義昭を越前から岐阜に手引き→嘘
全部後世に作られた軍記物のフィクションだぞ
628 :
人間七七四年:2013/11/09(土) 22:06:24.94 ID:4dwMUXKz
>>626 まず最初から本当に明智姓だったかどうかも怪しいレベル
629 :
人間七七四年:2013/11/09(土) 22:11:13.14 ID:q0vbhdhd
小林正信乙
630 :
人間七七四年:2013/11/10(日) 22:59:49.74 ID:Zv0LhMoC
数々の史料から美濃の出身である事は間違いないよ
631 :
人間七七四年:2013/11/10(日) 23:58:26.54 ID:2jvVU3rN
親はどこの出身?
632 :
人間七七四年:2013/11/12(火) 07:58:37.17 ID:lY9RsCPa
なんで光秀って延暦寺の虐殺に関わってるのに悪人扱いされんの?
平気で3000人規模の坊主を虐殺しようとか言う奴だぜ?
信長や秀吉は散々悪だとか言われているのに...
633 :
人間七七四年:2013/11/12(火) 08:39:46.22 ID:Z3XmD+os
>>632 >なんで光秀って延暦寺の虐殺に関わってるのに悪人扱いされんの?
されてます
近代からずーっと悪評だらけです
小説等で無理矢理良い人に書かれることがあるだけです
>平気で3000人規模の坊主を虐殺しようとか言う奴だぜ?
平気だったかどうか知る由もありません
634 :
人間七七四年:2013/11/12(火) 20:24:21.94 ID:D8V9UlV7
光秀は前半生も性格もよく分からないから、好きにも嫌いにもなりようがない。
635 :
人間七七四年:2013/11/12(火) 21:20:10.27 ID:0pSCtFd1
>>630 信用度が極度に低いものばかりで何の証明になりません。
636 :
人間七七四年:2013/11/12(火) 22:03:41.73 ID:iLJYJvY0
『立入左京亮入道隆佐記』に「美濃国住人ときの随分衆也」と記述されているし
『兼見卿記』は美濃国に光秀の親類がいると記している。
当時の信頼できる2つの史料によってほぼ間違いないとみなしてよい。
637 :
人間七七四年:2013/11/15(金) 03:42:40.55 ID:vIobByPr
義昭の付き人になったのはどういう経緯で
638 :
人間七七四年:2013/11/16(土) 07:59:55.06 ID:tWbEMKb/
>>636 明智本人が「自分は石ころ同然の身から信長様にお引き立ていただき」と告白してるので
随分衆だったという高い身分であったことと矛盾が生じる。
おそらく宗継は光秀のついた嘘をそのまま信じたと思われる。
『日本史』や『多聞院日記』に記してあるように元が「細川藤孝に仕える低い身分だった」というのは
本人の告白と矛盾なく一致してるのでこちらの方を信頼すべき。
639 :
人間七七四年:2013/11/16(土) 10:08:03.50 ID:HLvBnH9I
秀吉も乞食やってたとか、
小さい時から信長に仕えていたと秀吉書状や安国寺書状やフロイスの日本史でわかるが、
当時、ある程度の高い出世をした者は、
昔は低い身分だったと言うのがブームだったのか、
本当に事実なのか判断に苦しむ。
主君信長マンセーの一環なのだろうか?
640 :
人間七七四年:2013/11/16(土) 11:57:22.48 ID:AVcsxdYj
いまでも国会議員してる親が落選したら「代議士の子息」→「失業者の家族」になるのと同じだろ
落選せずに定年まで勤め上げれば2世議員なら大臣になれる
641 :
人間七七四年:2013/11/16(土) 19:42:32.05 ID:1OCZvRpZ
土岐桔梗の軍旗なのも、美濃出身なのを明示してるし、
時を土岐の隠語にしていたのも説得力ある。
642 :
人間七七四年:2013/11/16(土) 21:05:15.06 ID:+CCAj7Oz
まだるっこしく話題振らんでもじかに憲さん新刊の話題出してもええんやで
643 :
人間七七四年:2013/11/17(日) 01:49:31.71 ID:2ZNlC5wt
>>641 残念ながらなんの説得力もない
光秀が京周辺の土岐明智氏出の身分の低い傍流だった可能性もあるし、泊をつけるため土岐明智氏の名跡を継いだだけ赤の他人の可能性もある
軍旗で美濃出身と判断するなど全くお話にならない
あと愛宕百韻などはこじつけや妄想と言われても仕方がないレベル
644 :
人間七七四年:2013/11/17(日) 02:44:18.64 ID:Y7gMH19D
愛宕で
自分がホントは土岐の出じゃなくても嘘でも土岐ということにしてたら使ってもおかしくないしな
645 :
人間七七四年:2013/11/17(日) 02:48:18.40 ID:ToqM1nOJ
時って言葉使いたかっただけなのに周りが勝手に土岐土岐言い出しました…
646 :
人間七七四年:2013/11/17(日) 08:48:42.29 ID:w2Sfg9EF
美濃出身を否定するに足る根拠が全くなく、
お前が思ったレベルの駄レスしかないな。
否定しようとすれば、明確な根拠がいらなければ何でも妄想を根拠に否定出来る典型だな。
斎藤氏を帰順安定家臣化できたのも本来の主であった土岐だったと いう理由であれば必然性ある事実関係であるし、
連歌などに隠語が使われるテクニックは当たり前の文化だから、特別穿った考察でもない。
647 :
人間七七四年:2013/11/17(日) 19:33:44.36 ID:TSqbRm15
>>646 まともな立証すら全く出来てない状態で何言ってるんだか。
それと光秀と土岐氏を強引に結びつけたいようだけど光秀が土岐氏について言及している史料なんか全くないよね。
稲葉一鉄のところにいた前美濃国主の土岐頼芸なんか完全に無視状態だし。
光秀にとって土岐氏なんてそれくらいどーでもいい存在なんですよ。
あと光秀が美濃出身なら美濃在住時の伝承がいくらか存在してもいいはずなんだけどまるで無いのは不思議と言わざるを得ない
648 :
人間七七四年:2013/11/17(日) 21:26:42.63 ID:DFFunjVq
>>636 なるほど。一次史料にそう書かれているなら美濃出身で間違い無いな。
649 :
人間七七四年:2013/11/17(日) 23:42:41.18 ID:TSqbRm15
>>648 自演乙!
残念ながら『立入左京亮入道隆佐記』は伝聞による二次or三次史料
一次史料というのは光秀本人が書いた史料
例を上げると「石ころ同然の身」と告白している書状である
これを無視することは絶対にできない
650 :
人間七七四年:2013/11/18(月) 03:29:56.97 ID:HHVEjze0
2ちゃんで相手を論破さえできれば真実などどっちでも構わないってことか
651 :
人間七七四年:2013/11/18(月) 04:22:08.79 ID:NMy2Bhr3
時は今 雨が下しる五月かな
真相はさて置き素敵な発句だと思うんだわ
652 :
人間七七四年:2013/11/18(月) 13:17:41.53 ID:jyLU5Ncb
『立入左京亮入道隆佐記』は一次史料だよ。
653 :
人間七七四年:2013/11/18(月) 14:16:14.86 ID:3cBD1xZ0
そのとおり
フロイスや多聞院日記は光秀が主君討ちという悪行の後になって書かれた
当然相当な色めがねが入って書かれている
それに対し『立入左京亮入道隆佐記』はその3年前に書かれた一次史料
どっちに信憑性があるか、幼稚園でも分かるよね
654 :
人間七七四年:2013/11/18(月) 16:29:28.13 ID:sk1Eoajb
美濃随分衆→幕府の細川藤孝に仕えた。
これで良くね。
丹波国主である現在に比べ、
藤孝の小間使い的身分を石ころとした自嘲しただけでしょ。
655 :
人間七七四年:2013/11/18(月) 17:24:00.67 ID:ndBjVkyK
細川のパシリのようなもんだったんだろ
そりゃあ城持ちの身分になったら、そんなもんは当然石ころだわな
656 :
人間七七四年:2013/11/18(月) 18:12:59.52 ID:BBVynBxD
藤孝って将軍家の御連枝だし和泉守護の養子だし義輝旗下の中でもかなり高位だったんだよね?
そういう人物に直接仕えてたとも思えん
実際は藤孝の家臣の家臣の家人とかじゃないの?
657 :
人間七七四年:2013/11/18(月) 20:56:17.01 ID:f8yaySX/
美濃国の随分衆だった人がわざわざ中間(雑用係)にまで身を落とすかね?
身分の高い武士だったら牢人になっても普通に武士として仕官すると思うのだが
光秀が美濃国の随分衆だというのはおそらく妻木氏がついた嘘だろう
娘を光秀に嫁がせてることを人に聞かれて婿の光秀がかつて身分の低い雑用係だったとは口が裂けても言えないからね
実は光秀は近所の高貴な武士だったんですと見栄を張ったことは想像に難くない
光秀が隆盛を誇っている間は権力でなんとかごまかせたが死んでからは真実を隠しきれなくなったといったところだろう
光秀の美濃での生活臭や噂話が全くないのもそのため
658 :
人間七七四年:2013/11/18(月) 22:44:07.75 ID:bxKK+FCN
妻木も嘘ついたし、光秀自身も嘘ついたっぽいし、いろいろ複雑そうだな。
659 :
人間七七四年:2013/11/18(月) 23:02:15.73 ID:bxKK+FCN
>>647 >光秀は稲葉一鉄のところにいた前美濃国主の土岐頼芸なんか完全に無視状態。
これはかなりビックニュース。まず土岐って稲葉のとこにいたんだ。
斎藤に追放され、その後織田に匿ってもらい、それからどうしたのか気になってた。
光秀はその稲葉には勝手な引き抜きやって困らせるし、織田も奈落の底に突き落とすし。
案外、土岐との関係は光秀の単なる自称で、実際はまったく関係ないって可能性もありそうだな。
660 :
人間七七四年:2013/11/19(火) 06:27:29.62 ID:5PMoO4vn
妄想願望ばっかり書いてないで一次史料を出してね。
661 :
人間七七四年:2013/11/19(火) 15:30:12.38 ID:IU7zCCvU
662 :
人間七七四年:2013/11/19(火) 20:35:46.54 ID:lKcGbBIC
結局、光秀が美濃随分衆だったと確実に裏付けできる一次史料は出せないのか。
やれやれだぜ。
663 :
人間七七四年:2013/11/20(水) 18:35:27.34 ID:WnyHmsPx
664 :
人間七七四年:2013/11/23(土) 22:14:47.01 ID:2ufhj+yn
そんな史料あったらとっくの昔に研究されて出自わかってるだろうなぁ
665 :
人間七七四年:2013/11/24(日) 22:41:11.93 ID:LarsEUUm
要は光秀自身の石ころ発言が出自を分からなくしてんだよな。
史料に随分衆ってあっても、いや随分衆はどうみても石ころじゃないだろっていう。
兼見卿記の美濃に親戚がいます記事も、賤民の親戚がいますって解釈もできるぞおい、みたいにね。
666 :
人間七七四年:2013/11/24(日) 23:25:39.76 ID:hFdDvJp3
下剋上でもなんでもありの時代に出自や身分なんてあってないようなものでしょ
戦で負けて敗走してすれば衣食住どころか命さえ危ない時代に
667 :
人間七七四年:2013/11/24(日) 23:51:43.06 ID:zLWhLx6j
>>666 > 下剋上でもなんでもありの時代に出自や身分なんてあってないようなものでしょ
身分や出自がすごい大事だったんだよなあ実際は
668 :
人間七七四年:2013/11/25(月) 01:05:29.96 ID:iGJ6cJ6M
美濃の上位階級の武士から細川藤孝の中間(武士未満)って再就職の仕方が不自然すぎる
669 :
人間七七四年:2013/11/25(月) 01:06:37.30 ID:WzELA4MO
室町期からの名家の旧守護勢力なんて衰退してて次々新興勢力によって倒されてる時代に
身分も出自も糞もないわ。
670 :
人間七七四年:2013/11/25(月) 01:09:19.50 ID:empw2kvT
守護大名は家臣の専横と傀儡化した大名の権力といった腐りきった権力構造抱えてたからな
新興勢力は逆に子飼いの家臣や自分が好きで登用できるような連中一杯持てた時点で有利さが全然違う。
両上杉と北条、大内尼子と毛利なんかがいい例
厳密に言うと在京守護である武田信虎とかは
家臣の掌握なんてまったくできてなかったからね。
しかも在京生活費を甲斐から搾取してるだけだから恨みすら買ってた。
同じ在京守護でも越後守護上杉房定などは在京を止めて越後へ帰国し
守護代長尾邦景・実景父子を攻め、邦景は自害させ守護権力を回復させ、
息子の上杉顕定を関東管領にし事実上の関東王状態になってるからね。
671 :
人間七七四年:2013/11/25(月) 01:46:44.83 ID:dpCZZf2j
>>669 > 室町期からの名家の旧守護勢力なんて衰退してて次々新興勢力によって倒されてる時代に
> 身分も出自も糞もないわ。
それが典型的な間違いなんだよなあ。
下克上史観はもう古い
672 :
人間七七四年:2013/11/25(月) 03:04:32.71 ID:empw2kvT
なんか勘違いしてるけどさ
武士とか名家ででもなんでもないよ
武士のあれって元々奴婢とか蝦夷のやる事だからさ
それか良民が渋々やってた
よくやったと言われるべきは外国からの防衛で戦った九州くらいのものだね
他の国内の戦は私利私欲の私戦でさ
何も生まない穀潰しの賊と変わらないろくなものじゃない
維新後にお国のための功あった武士は誇って良いけど
武士は本当に先祖代々武士なら百姓(良民)より下
名家と言えるのは皇室と公家だけです
673 :
人間七七四年:2013/11/25(月) 03:07:43.06 ID:MSsMo/o/
守護が下克上されないように守りねく難易度の高さは異常だからね
同じ在京守護でも越後守護上杉房定などは在京を止めて越後へ帰国し
守護代長尾邦景・実景父子を攻め、邦景は自害させ守護権力を回復させ、
息子の上杉顕定を関東管領にし事実上の関東王状態になってるからね。
守護でも現地に滞在してるタイプはまだマシ。
ではなぜ、守護が在京を止めたのかと言うと、これは室町幕府が全国支配を放棄したから。
幕府は公田段銭賦課方式を止めて、一国ごとに百貫を賦課する一国百貫賦課方式へ変更。
これは百貫さえ幕府に納めれば、あとはいらないから好きにしろというもので、
守護による一国支配の可能性を開いたものだった。そこで守護は在京を止めて
権益確保のために任国へ下向する者が現れていった。
そして実質的な支配をして税をネコババしていた
守護代と国人の癒着の関係から現地対立が生まれていく。
上杉房定は速攻で守護代を排除して守護による支配を確立。
在京守護やってたら尼子や武田がやりたい放題荒らし回って、在京打ち切りするハメになった大内義興。
三管領の一人として在京やってた斯波氏も畿内と任国との距離が遠かったので速攻で崩壊。
と言うか斯波氏は行政府自体を任国に作ってすらいなかった。
尾張は織田、越前は朝倉、遠江は今川にやりたい放題され、
最後は今川氏親に斯波義達が捕虜にされ、事実上崩壊。
斯波には公銭方や段銭方と言った任国の守護行政府が存在しなかった為、
簡単に下克上が出来て国が盗めた。
国人たちが重視する家格の差もあって守護代が守護権力を凌ぐことが出来ず、
守護代などが下克上に失敗敗北する長尾為景や斎藤道三や近江国人連合や長尾景春といった東国でよくあった、
いくら家格を上げようと必死になっても結局、権威で守護行政府を上回れず、下克上に失敗することによる困難に直面することが織田や朝倉には無かった。
言わば管領家の守護代が、家格をあげる努力をせずに割と簡単に主を傀儡に出来ることは特質だろう。
畿内近くに任国があるものでさえ、細川には三好、畠山には遊佐などいずれも家格上げ努力などしておらず明らかである。
674 :
人間七七四年:2013/11/25(月) 03:19:14.49 ID:RhD4xV/8
古来氏素性の確かな者が時勢によって帰農することはよくあること。
百姓が武士になり武士が百姓になっていたんだよ。
江戸時代で頭を固めるな。
江戸でも百姓から士分になることは稀にあったがな
675 :
人間七七四年:2013/11/25(月) 06:38:51.51 ID:mO0pu78D
今でいう893や芸能人みたいなもんだろ
卑しい身分だからせめて息子には大学行ってホワイトカラーや政治家になってもらいたかったりする
676 :
人間七七四年:2013/11/25(月) 07:20:11.49 ID:LhJF/zTH
>>674 だったら美濃で帰農するのが筋だろうに
わざわざ遠方まで行って身分を落とすってのが意味不明
武士続けたいならそのまま織田か武田にに再仕官すればいいだけの話
他のやつらは皆そうしてる
677 :
石田三成:2013/11/25(月) 12:11:40.09 ID:3AwjTOFH
明智光秀って延暦寺虐殺に関わってるのに、
「俺は悪くない、清廉潔白だ」
みたいなこと言い出すよね。
全く図々しくて卑しくて汚い人間の
象徴だね。
678 :
人間七七四年:2013/11/25(月) 13:06:23.41 ID:g8Xmb2aH
それにゴーサインを出したのは信長なんだから
悪いのは信長なんだよ
679 :
人間七七四年:2013/11/25(月) 13:21:45.35 ID:jja7QeOi
そりゃ光秀は信長に姉妹を人質に出してたから、
意を汲まざるを得ない
680 :
人間七七四年:2013/11/25(月) 16:37:56.56 ID:Jg/VcfV/
678
信長は、延暦寺を叩くと言っただけで、
虐殺しようと言ったのは光秀だから
光秀が悪い。
681 :
人間七七四年:2013/11/25(月) 17:04:28.30 ID:qqP8NIRP
682 :
人間七七四年:2013/11/25(月) 18:55:23.58 ID:p8CU3+UF
>>669 領国にいなかった守護から直接領国経営をしていた守護代が国を獲ったのを下克上というならそういう見方もあるかもしれんなぁ
古いけど
683 :
人間七七四年:2013/11/25(月) 19:32:03.75 ID:Mai5WVDs
新しくはなんていうの?
684 :
人間七七四年:2013/11/25(月) 19:49:28.85 ID:WzELA4MO
甲斐国は武田の支配した国中
小山田が支配した郡内
穴山の支配した河内
でほぼ三分されてる(少し国中が大きい程度)
この両者は独自に外交権を有して戦国領主として対等な立場にあったが、
天文末期に武田による介入が進み、介入からさらに国衆存続のための武田による保護へ変質した。
これは信玄による法整備と公正な裁判によるところが大きい。
たとえば郡内での領民の裁判などで、小山田一族の暴虐の裁きはまったく進まず
訴訟を信玄の元へ訴え、それを信玄が裁き、小山田の妨害を排したりと
介入し、さらに穴山などは信玄の発給文書様式と特徴を学ぶことで、
武田へ従属し領内権力基盤を安定させる方向性へ志向したのである。4
つまり天文末期の晴信時代に武田氏はその内治裁判の先進的整備を通じて甲斐国での民意の支持を得て
国衆への介入と知識提供を通じて、甲斐国の統一権力への進化と臣従を進めていき、
その内治による国力伸張を背景に他の国衆を凌駕し、武田による安全保障体制を構築提供するに至った。
しかも国中には専横重臣ばかりで晴信政権はその家臣団によって擁立された。
これは斉藤道三や長尾為景などと同様に一国の主の資格なしとして否定されたおとと同様である。
甲斐国は実質、武田、穴山。、小山田の三国の合同政権で しかも武田の支配していた地域は専横家臣だらけ。
結局、その専横家臣団によって武田の集権化を進め統合しようとした信虎はくにを追放され
専横家臣団に都合が良い傀儡として信玄が擁立されただけ。
専横家臣団の意向で信玄が当主に祭り上げられてたくらい武田当主なんて誰もやりたがらない傀儡守護職。
それは戦国時代に大半の守護が家臣による下克上で滅んでいることでもわかる。
信玄の国の整備と経営の努力によって指導力を発揮していったことを周りが認めていった結果だ。
国人たちによる合議政権だから信玄の意見だけで勝手なことができるわけねーだろ。
685 :
人間七七四年:2013/11/25(月) 19:49:58.56 ID:MSsMo/o/
名家とか旧幕府系勢力とか守護大名家が次々新興勢力に滅ぼされたり領土広げられてる時代に
歴史が深いとか名家とか何のアドバンテージにもならんだろ
686 :
人間七七四年:2013/11/25(月) 19:51:33.53 ID:empw2kvT
甲斐は鎌倉公方や古河公方などの関東勢と将軍との権力争いの修羅場だったからな。
双方ともどもの後ろ盾を得て代理戦争してたから守護代や国人どもが暴れまわり混乱に拍車がかかった。
この管轄外へも影響力を及ぼそうとするやり方には関東管領とそれに協力する将軍側の駿河今川氏も困惑していた。
>>685 信重の跡を継いだ武田信守は5年で死亡し、(上杉禅秀の乱での武田の失敗を機会に立場を逆転した跡部氏)
実権を持つ守護代跡部駿河守明海・上野介景家親子に暗殺されたと言われている。
さらに飢饉や疫病の蔓延、一揆の発生が多くなる時代へ突入した武田信昌が継ぐと穴山氏、大井氏、今井氏、小山田氏ら
国人層もどんどん力をつけてきて完全な甲斐戦国時代へ突入。
家督を信縄に譲った後に信昌は次男の油川信恵への家督相続を考え始めて、それぞれの国人が彼らを擁立し内乱発生し
混乱に乗じて北条早雲んぽ甲斐進攻まで招く。
東郡の栗原氏、西郡の大井氏はもはや武田氏の統制から離脱し穴山氏と離合集散を繰り返し
おまけに明応の大地震まで勃発し一揆は頻発し甲斐乱国とまで王代記に書かれる。
こんなむちゃくちゃな甲斐国を継いだのが信虎。もう国内政治内政を無視したとんでもない人だったから
甲斐国史上最大の暴君とされ、武田氏は怨嗟の泥まみれだった。だから甲斐国主の座を追放されてしまった。
信虎平生悪逆無道ナリ。国中ノ人民牛馬畜類共ニ愁悩セリ
塩山向嶽禅庵小年代記
信長文書研究で有名だった奥野高広氏の信虎評
「奉公衆が他国に逃げるような事態をひきおこすようでは、守護の地位を保つことはできないだろう」
武田研究で有名な上野晴朗氏
「天文5年以来の家臣団の離反が根にあり、義元と同盟したことで、北条氏をより強く敵に回したことで、
北条と今川の友好関係が破れた。
このような関係は武田家臣団の喜ばぬところであり、
対隣国関係の政策上で信虎と家臣団は二つに意見が割れた」
信虎のワンマン独断専行的態度に対する家臣団の不満と過酷な収奪による農民の疲弊。
これは道三や信長とも共通した性格であろう。
一方、信秀は類い稀なる器用の人と賞賛され、その才覚で人心を得た。
信虎は在京守護として、ほとんど京にいて公家たちと交際したり旅行行ったりで甲斐の財を湯水のように使うわ、
甲斐にたまにしか帰らないから、甲斐国人は統制されず、やりたい放題。
越後では守護の上杉房定が在京守護を止めて越後支配に乗り出し、検地をやって守護代や国人の横領を取り締まったりしているが、
信虎にはそんな意識もなく、たまに甲斐に帰国するや戦マニアの顔を出して戦乱三昧にして甲斐を荒廃させた。
権臣重臣たちによる晴信を御輿に担いでの悪人信虎の追放(妙法寺記)
此年六月十四日武田太夫様(晴信)親ノ信虎ヲ駿河ヘ押シ越シ申シ候。余リニ悪行ヲ成サレ候間、
カヨウニメサレ候。サルホドニ地下、侍、出家、男女共ニ喜ビ満足候コト限リナシ。
勝山記を読めばいかに甲斐が貧しく連年の災害に苦しんでいたかわかるんだが。
それを信玄が領内開発と法治による信賞必罰で
見違えるような国にしたんだよな。
織田厨の捏造歪曲の実例
信玄の外征で破綻したので「世の中一向悪くなる」と書いてあるよなw
はい、これ自然災害が多発していた晴信初期の国情を書いている部分であり
完全に織田厨の歪曲で、その後の晴信の内政治水の努力により、毎年災害多発の甲斐から
災害記録がなくなってしまうのが史実です。
そして甲斐では妙法寺記に「世間が富貴になった、先代にはなかったことだ」と賞賛され
数百年にわたって神として尊崇された 長野在住の学者も身近で信玄を悪く言う人がいないことに驚いているくらい
本当にまあ、そうやって織田の所業を武田におしつけて印象操作すれば騙せると思う、
姑息なゴミニートの印象操作はいい加減にしとけやゴミ
武田には徳役という税制があった。
これは有徳銭とも呼ばれ、富裕層にだけ税を追加で取るもの。
これを当時は悪政と言っていたが、
これらが河川改修などの災害防止にあてられていた。
逆に北条などは富裕層である高利貸しを優遇して
借金苦で家族を質に入れて流されてるケースが多発してる。
687 :
人間七七四年:2013/11/25(月) 20:14:23.69 ID:empw2kvT
簡単に言うと細川政元や細川高国や大内義興や細川晴元や三好長慶や浦上宗景や松永久秀らが
長い時間をかけ内紛と下克上の闘争を通じて努力し
京洛の権威の弱体化による更地化をしてやってきた成果の果実を信長は拾ったに過ぎない。
その成果の果実が信長をして彼らより大幅に時間短縮できて肥大化できた主たる理由。
むしろ信長は彼らに比べ、より何もやらずに果実だけを手に入れたと言える。
後発の利益が各地域での巨大勢力を生み出しているに過ぎない。
もちろん中国地方でも大内より肥大化した毛利が生まれているのが信長だけが例外・特別でない証拠。
地域の脅威に対して規模の経済や規模の軍事力による利益分配を国人達がより必要としたからに他ならない。
そういう時代の気運が反映したから信長が歴代畿内有力者より多少肥大化しただけのことで、
だからこそ信長だけを特別視するほどの差違も理由も無い。
果実を得た代償として信長は京洛において地盤やシステムを築かずに
ひたすら軍役をかけまくり乱暴性急に事を運び過ぎて親子揃って反発を買い謀反死を招いた愚者で死亡パターンは細川高国タイプ
まあ長慶や高国が暗殺されて、後継者がその仇討ちをして天下統一していたら
彼らは信長を超える評価をされていたのは間違いない。
将軍の式典などでの華美で派手な無駄遣いに反対して、
将軍から不興を買ってまで徳を以て天下に臨む態度こそ人心を得ると推奨していたし、
まさに岐山に発した周王朝の創始者武王の父の文王の如き仁君と称されたな。
688 :
人間七七四年:2013/11/25(月) 20:20:12.12 ID:N78oF6oH
なるほどね〜武田晴信や長尾景虎のスタートのキツさは壮絶を極めてるなあ。
689 :
人間七七四年:2013/11/25(月) 20:22:37.68 ID:U9QSNkKn
とうとうだがこと菅原遼太が発狂したか
690 :
人間七七四年:2013/11/25(月) 20:27:36.40 ID:WzELA4MO
誰も発狂してないじゃん
691 :
人間七七四年:2013/11/25(月) 20:32:28.53 ID:Mai5WVDs
菅原遼太は我慢できないからな
692 :
人間七七四年:2013/11/25(月) 21:10:14.83 ID:hIAV5EX8
正論書いただけで発狂したと受け取るとか、よほど自分に都合悪い事実から目をそらしたいんだなw
693 :
人間七七四年:2013/11/25(月) 22:11:36.96 ID:gsOp41el
そもそもスレ違いだが
694 :
人間七七四年:2013/12/01(日) 13:26:19.28 ID:GnjMAwGj
パンティー
695 :
人間七七四年:2013/12/10(火) 09:34:16.20 ID:xUSAaNnH
山中幸盛との対話で何かと名前が出てくる明智家臣の野々口丹波って野々口西蔵坊と同一人物?
696 :
人間七七四年:2014/01/02(木) 14:29:57.06 ID:lIttYTMY
あげ
697 :
人間七七四年:2014/01/04(土) 18:16:12.66 ID:IOAuWy04
698 :
人間七七四年:2014/01/06(月) 15:48:01.63 ID:K3EJd1Kw
ノブナガ・ザ・フールと言うアニメスレで
589 :風の谷の名無しさん@実況は実況板で:2014/01/06(月) 07:46:57.81 ID:ernY8IPSO
明智光秀は信長を殺害しようと決意した時、信頼出来る部下を必要としていた
そして自分が矢を放ったらその方向に必ず矢を撃てと命じた
狩りの猪を撃った際、怠った者はすぐさま手討ちにした
次に自らの愛馬や妻を部下に撃つように命じ躊躇した者を容赦無く切り殺した
そして信長の愛馬を撃った際には躊躇う者は一人も居なくなった
こうして遂に信頼出来る部下を得た光秀は本能寺に押し入り信長を撃ち殺したのである
と書き込みあったのだが、ほんと?初めて聞く逸話だから・・
出典知ってたら教えて
699 :
人間七七四年:2014/01/06(月) 15:54:37.96 ID:bI+czk1A
>>698 これは匈奴帝国の冒頓単于の逸話の改変だよ
700 :
人間七七四年:2014/01/06(月) 16:34:07.47 ID:K3EJd1Kw
>>699 ありがとうございます。冒頓とかなつかしい
ちなみにこのアニメの光秀は、ホモ設定ぽいです
701 :
人間七七四年:2014/01/08(水) 16:51:19.14 ID:oVjqZn5s
ホモ設定か。
信長に対する愛情から、信長を自分の手で殺して自分だけの物にしてしまおうとするのか。
702 :
人間七七四年:2014/01/23(木) 06:39:24.91 ID:eyVWWZEY
結論:光秀が殺らなければ他の香具師が下克上してた!当時の武将はみな下克上を狙う腹黒い香具師ばっかりだった!柴田勝家でさえ清洲会議に織田一族を参加させていない。織田家に美濃、尾張を安堵した太閤はんはむしろ忠義者だった!
703 :
人間七七四年:2014/01/23(木) 23:11:35.82 ID:1UHhlTNv
羽柴丹羽池田は織田一族だぞ?よそもんは柴田しかおらん
704 :
人間七七四年:2014/01/24(金) 09:31:07.71 ID:E8bC/bEs
光秀は山崎の戦いで討たれ、織田家後継者及び遺領の配分を決定することを目的に、尾張国清洲城(愛知県清須市)で開催された。
集まった織田家家臣は柴田勝家、丹羽長秀、羽柴秀吉、池田恒興の4人で、
滝川一益は関東地方へ出陣中で欠席した(直前の神流川の戦いでの敗戦を口実に、参加を拒まれたとの説もある)。
重要なことは織田一族が集まって後継者を決めたのではなく、重臣が決定し、織田一族は参加すら出来なかったことである。そして重臣が大名として領土を支配し独立し、織田家当主はただの名誉職になってしまった。
705 :
人間七七四年:2014/01/24(金) 17:03:16.68 ID:XSUgs9KP
どこのHP抜き出してるんだ?
丹羽は親子2代で織田から正室を貰い
池田は母親が信秀の側室
秀吉は言うまでもなく信長息子を養子に貰っている
あと会議のメンバーが4人しかいないというソースは?
706 :
人間七七四年:2014/01/24(金) 17:13:53.82 ID:upqVxnhp
>>704 もう少し知識をつけてから書いた方がいいな
707 :
人間七七四年:2014/01/24(金) 17:36:20.58 ID:8VMYl7Jv
素朴な疑問なのですが、
本能寺の変当時、京の治安維持は村井貞勝が担当していたと思うのですが、
いるはずのない、いや、いてはならない明智軍1万余が洛外に現れたことを、
貞勝の配下のものは、全く気づかなかったのでしょうか。
また、信長自身も、直属の諜報組織のようなものを持っていても不思議ではないと思うのですが、
亀山城を発した光秀の軍勢の不審な動きの情報は、
信長・貞勝、どちらのもとにも全く届いていなかったのでしょうか。
もし届いていたなら、何故何等の対策もとらなかったのでしょうか。
識者の方、よろしくです。
708 :
人間七七四年:2014/01/24(金) 18:45:54.81 ID:gCb+9r3v
>>707 あっという間だったし、誰何してきた相手は
殺してしまったでしょうね。
というわけで対策取る間もなかった・・
709 :
人間七七四年:2014/01/25(土) 06:57:35.45 ID:ErwK29vC
あと近隣や京都市民からの通報も一切なく、これは信長の京市民からの不人気を表していたとされる
710 :
人間七七四年:2014/01/25(土) 07:32:16.94 ID:1fNhz3+Q
前日深夜から当日未明の間の行軍なので光秀の謀反を察知するのは難しかったのでは
光秀を要注意人物として警戒していたわけでもなさそうだし
711 :
人間七七四年:2014/01/25(土) 11:58:38.93 ID:VlXaaMc5
712 :
人間七七四年:2014/01/25(土) 14:21:17.92 ID:KmsSEfhJ
でも、清州会議後に家臣面々は大名となった事は間違いない。
713 :
人間七七四年:2014/01/25(土) 14:48:08.25 ID:2e8X3j5C
本能寺の変を起こした理由を
犬HKでストーカーとして分析されてたの見て飛んできますた!
714 :
人間七七四年:2014/01/26(日) 04:51:07.04 ID:k1uXlNEz
>>707 信長が宿泊しているときに、やぐらに不審番をおかないとは考えにくいし、
本城惣衛門覚書によれば、門があいていたようだし(それも、南だけでなく
北側までも)、惣衛門がいた先頭部隊(のおそらく一方)は、本能寺に接近する
にあたって、最も見つかりやすい塀ぞいの行軍の上で門に到達するというあり得ない
行軍をしているし、(おそらく本能寺攻撃の指揮者である)秀光の母衣衆(側近)は、
敵地であるはずの本能寺の中を通って、反対側から入った惣衛門たちに指示を下しに
くるという常識外れのことをやっているし、わけのわからないことだらけですねw
万が一、気付かれて、信長に逃げられたら、それだけで破綻するはずの作戦としては
信じられないことの連続です。
無線もニュースもなかった時代に、村井貞勝の「本能寺は焼け落ちた」という言葉
だけで、信忠はじめ妙覚寺の全員?が、信長が死んだ者と確信して行動するのも
奇妙です。明智の兵が囲んでいる状況で、貞勝が、本能寺の中のことをつかめている
はずはありません。一般的にも、このようなときに、信長がどこかで生きている可能性も
含めて考えるのが当然だし、死んでほしくない人であれば余計、生存の可能性を考えて
行動するのがあたりまえです。
本能寺の変は、どうも分かりませんww
715 :
人間七七四年:2014/01/27(月) 07:00:03.82 ID:T646vWVQ
分からないのはややこしく考えるからだよ
この時代、人を殺すことは難しいことじゃない。光秀のような百戦錬磨の猛将に、不意打ちで襲撃されたら一溜まりもないってのは当時の人間なら誰でも分かるのでは?
本城の覚書は記憶違い、誇張も多々あるだろう。警備の仕事やってた時、自分も含めて人間の記憶なんてアテにならんなあって思ったな
716 :
人間七七四年:2014/01/27(月) 22:42:44.96 ID:lkQYAdkS
信長の死を確信してたというか
村井は息子を逃がしたかったから
半分ウソで言ったのだろうし
その他の寺の人たちは信用して
行動するしかない。
確信しようがしまいが結局は
同じ行動にはなったろう。
本能寺の中を通ったに関しては
女子供ばかりの無警備のような状況では
普通に好き放題通れたろう。
まぁ同士打ちを避けるために
合言葉や符号ぐらいは使ったろうが
そのあたりはあまり論しても仕方がない。
717 :
人間七七四年:2014/01/28(火) 10:27:32.42 ID:XpBs3Dnu
NHKでやってた、光秀が信長にゾッコンだったって話、マジ?
ウホホッ!
718 :
人間七七四年:2014/01/29(水) 19:44:15.29 ID:gJkMVO89
NHKの歴史番組を真にウケんなよ。
あれは視聴率取るために
視聴者にウケそうに話を作ってんだ。
本気にしたらバカにされるぞ。
719 :
人間七七四年:2014/01/30(木) 02:25:06.95 ID:j/Dlyq6e
なにしろ、プロジェクトXで正体丸裸になっているからね。
あの番組、2,3見て、毎回、同じ筋立てがあらかじめ作られていて、そこに
中身をはめこんだものとすぐに分かった。
とにかく、敵を作り(企業ものが多かったので上司など)にもかかわらず、それを
克服して、開発か何かに成功するというお涙ちょうだいだ。
そのことを回りに話したら、ひどい反発を受けた。なにしろ、子供に見せたい番組
第一位だったらしい。
だが、学校ものでばれた。
むきになって用語していた連中(優等生的な者が多かった)はお気の毒だった。
会社者では、宣伝になるので、悪役にされた者もすべて泣き寝入りだったのだろう。
だが、学校ではそうはいかなかった。
歴史物も同様。
昔は興味持ってみたが、毎回、一面性がひどい(一つの説ですでに決まっているような
描き方)。一人の学者なりを呼んできて、それだけを持ち上げる。
画像など面白いこともあるが、もう見る気がしなくなっている。
720 :
人間七七四年:2014/01/30(木) 09:17:02.48 ID:MGwOYrSr
「本能寺の変431年目の真実」(明智憲三郎)を読んでみたけど、
家康との密約が有った説あたりから暴走してるのなw
家光の光が、明智家の通字の光由来とか遊びすぎだろ
721 :
人間七七四年:2014/01/30(木) 09:24:34.57 ID:xy0WfMwB
富士遊覧が敵情視察にも笑ったな。
思いつくもんだわ。
722 :
人間七七四年:2014/02/01(土) 00:06:55.29 ID:wvr5C7Uy
>>720、
>>721 同感w
この著者、よく「考え抜いている」だけに、笑いどころ満載だ。
家康を本能寺に呼んで、家康に茶器を見せている間に信長が座をはずし、
そこを明智軍が襲い討たせるという「緻密な」計画に至っては、噴き出
すのを押さえられない。
信長を囮にする、こんな計画をだれがたてるものか。
一方では、こんな計画が成功するはずがない。無線も電話もない時代、
家康勢に気付かれずに、時間差で明智軍をうまく本能寺に到達させる計
画など構想できると思っているのだろうか。
しかも、信長を危険にさらすこんな計画を立てなくとも、同行した信忠
軍がいつでも家康を討てる。それどころか、その前、安土でいつでも討
てる。
これについて、なぜ、それをしなかったのか、著者は苦しい言い訳をし
ているが説得力はゼロ以下だ(説明が自己矛盾している)。
著者の評価では、信長に警戒感をもっていたことになっている家康が、
なぜ、呼ばれて安土に出て来たのかの理由づけも、あまりにひどい(ひ
どさが折り重なっていて、ひど過ぎ、簡単に書けない。直接読んで貰っ
た方が面白いw)。
本能寺の変の「入り組んだ」筋書きは、良く考えているだけに、完全に
三文小説になっているが、そう思って読めば、パロディとして(本人は
そのつもりでないだろうが)なかなか秀逸だ。
723 :
人間七七四年:2014/02/01(土) 09:13:30.95 ID:HPuJ+cs/
光秀の出自を考察した部分は良かっただけに、後半との落差は酷いw
724 :
人間七七四年:2014/02/01(土) 10:08:54.48 ID:iYopd6b5
>>722 遊び反論だが、信長自身が計画したからじゃないのかな。
明智軍じゃなくて寺の中に家臣を用意しておくだけでしょう。
義教とか信長自身も弟殺害で経験済だし。
安土でやらなかったのが苦しいが
あの時は家康に屈強な家臣がついてて
それを引き離すために信長が囮になった
とか苦しい説明ならなんとかならんかな。
お茶会というのは無粋な家臣を連れてかないし
京の名士たちの前ではさすがの家康も
丸腰に近い状態にならざるを得ないだろう、とね。
もちろん外見上の本能寺は普通のお寺で
こわい警備のお兄さんがいたら茶人たちだって
こわがって立ち寄らない。
とまぁ、冗談だがトンデモ説でも
反論がおかしいとかえって調子づかせるというのは
よくあるからなあ。
725 :
人間七七四年:2014/02/01(土) 22:26:31.50 ID:hEblPyhj
722だけど、
>>724コメントは楽しめた。
このような柔軟な思考実験は、楽しいだけでなく、ときには、新しいものに気付かせてくれる。
(どんな「完璧な」理論も反定立の無いものはない。反定立を通じて認識は発展する)
724の内容は、そのうち楽しんで検討させていただく。
726 :
人間七七四年:2014/02/02(日) 10:40:08.17 ID:BtNNTu2q
自称子孫もアホだが、藤田はもっとアホだな。
あれだけ批判されても自説を変えようとしない。
渡辺大門の説によれば、義昭と光秀は大した関係じゃなかったようだし、
義昭のために信長を討つはずがない。
727 :
人間七七四年:2014/02/02(日) 18:29:08.53 ID:LAuZof1L
武功をめぐっても、藤田の見苦しさは際立っている。
「秀吉神話」云々のなかで、突然武功に触れて絶叫しはじめたのには(といっても文字だけど、そう感じる)、
笑える以上に薄気味悪くなった。
藤田が上げている資料でも、出てくるのは、変の後、光秀が使えるなら義昭でも、という内容だ。
それを何が何でも「黒幕」にしようとする「努力」には言葉がない。
728 :
人間七七四年:2014/02/02(日) 20:37:56.86 ID:yM+SuBpK
本能寺の変の動機なんて分からないて結論にしかならないのにね
どの説を唱えても根拠のない妄想にしかされないだろうに
729 :
人間七七四年:2014/02/02(日) 23:49:22.25 ID:3SihbVzB
まぁ、そうやって議論を混乱させれば、学者等はラクに飯が食えるからな。
730 :
人間七七四年:2014/02/03(月) 15:49:27.18 ID:/ZtjltNL
>>725 楽しんでもらったならうれしい。
藤本と小島の本の抜粋?なんだけど
それなりに明智本の根拠にはなってたりしてね。
義昭のため、というのは小林説なんだが
一般書も出すようになったし、今度藤田のとこで
発表もするし、マジで今から楽しみだわ。
大門はこの頃よく見かけるね。まとめ的な立場で
独自の見解がないのが残念だが、そこは大人だもんな。
731 :
人間七七四年:2014/02/04(火) 02:07:47.94 ID:SVGdesuC
というか義昭を利用することって出来なかったのかな?
732 :
人間七七四年:2014/02/04(火) 12:37:34.96 ID:5P5SUQ05
そもそも信長と義昭を天秤にかけて
義昭を使い捨てにしたのは
光秀の方だしなあ。
いまさら光秀が義昭を利用しようと思いついても
義昭にとっては「ふざけんな、ゴルァ」という話だし。
義昭が光秀に命令して謀反を起こさせたという黒幕説も
同じ理由で賛同できない。
733 :
人間七七四年:2014/02/04(火) 15:54:29.54 ID:/89aM5ga
そもそも光秀を家中から追い出したのが義昭じゃね?
734 :
人間七七四年:2014/02/04(火) 16:52:26.80 ID:VAVe+LLJ
別に追い出してない。
735 :
人間七七四年:2014/02/06(木) 10:39:42.57 ID:9GECANgn
藤本鈴木本でも谷口本でも酷評されていたけれど
本能寺の変における黒幕説ネタ陰謀論ネタは
正直、このネタの元祖八切止夫が一番クオリティ高いだろう。
後発の本能寺本はどれもこれも八切の劣化コピーの域を出てないわ。
736 :
人間七七四年:2014/02/06(木) 13:00:40.28 ID:rvV6bjZR
大門の「信長政権」は面白く読めた
四国出兵が長宗我部征伐のためではなかった、というのは
新見解だし
桐野たちがどう反論するのか聞きたい
737 :
人間七七四年:2014/02/06(木) 16:22:03.74 ID:azKC9lDP
桐野は半分認めてるね。
その他の東大系お友達は
桐野に代弁させてるからそれで十分だろう。
738 :
人間七七四年:2014/02/08(土) 10:43:04.54 ID:zdkvJJOa
理由は知らんが、正親町は誠仁に皇位を継承させるつもりは毛頭なかったのだから、
誠仁を追い落とすには、その後ろ盾になってる信長を除去せな話にならん。
信長は信長で、正親町の誠仁嫌いを察知し、
朝廷分断策の一環として、誠仁を既存朝廷から切り離し、
己の保護下に置いた。
正親町とその下で使える公卿連中は、
誠仁が皇位を継承すると、100%冷遇され、閑職に追いやられ、主流から傍流へと失脚するのは必定。
下手したら、既得権全てを剥奪され、無職だ。
本能寺の変の前日の大茶会に参集した公家衆は、正親町系ばっか。
誠仁系は皆無。
事実、当の誠仁さえ、変前日の大茶会には出席していない。
これでも光秀単独犯説を唱えてる輩は、相当お目出度い。
739 :
人間七七四年:2014/02/08(土) 15:49:49.79 ID:ao33wSFc
そもそも正親町と誠仁が仲悪かったって、どんな史料を基にいってるん?
我が息子君でしょ?しかも息子は一人だけじゃなかったっけ?
大事な後継者と仲悪いってあんまピンとこない。
740 :
人間七七四年:2014/02/08(土) 16:23:15.75 ID:zdkvJJOa
誠仁が正親町をどう思ってたのかは知らんが、
正親町が誠仁を嫌っていたのは間違いない。
その状況証拠は、
正親町が「生前」譲位する機会は腐るほどあったのに、
実際に「生前」譲位したのは、信長が死に、誠仁が変死して間もなく。
つまり、誠仁が死んでくれたお陰で、
心置きなく、孫の一宮、つまり後陽成に譲位できた訳だ。
天皇の勝手な見贔屓は、正親町より過去にもあり、
後嵯峨は後深草より亀山を偏愛し、これにより朝廷分裂のきっかけを招いたのは、有名な話。
何故、後嵯峨が亀山を贔屓したのかは不明だが、そんな動機はどうでもいい。
肝心なのは「贔屓」の有無だけ。
足利義満も、義持ではなく義嗣を偏愛したが、理由は不明。
だが、この事実を疑う識者はいない。
741 :
人間七七四年:2014/02/08(土) 16:49:00.37 ID:zdkvJJOa
信長の傀儡にすぎない誠仁が皇位を継承すれば、
織田家の猶子となってる五宮が、自動的にその次の皇位継承者だ。
つまり、兄を差し置いて弟が皇位を継承するという、
絶対にあってはならない不文律破りが実現してしまい、
この悪い前例に拠り、皇位継承の正統性はずたずたに破壊される。
しかも、五宮は織田家の猶子なので、当然織田家の家長たる信忠より格下。
つまり、天皇は、他家に養子に出された信雄や信孝と同列扱いされるハメとなり、
天皇の威信失墜は甚だしい。
で、天皇をも膝下に従える織田家の家長、信忠の上には、現人神たる信長が君臨。
これこそ、信長が最終的に目指した国体の変更。
こんな悪魔の所業を、正親町が黙って見過ごす訳がない。
742 :
739:2014/02/08(土) 20:15:59.77 ID:ao33wSFc
レス感謝。
ただ〜 なんだ状況証拠か…
これほど現代人の思い込みが混じった証拠はない。
今の一部の人の常識が当時の人にとっても常識だったとは限らないのに。
例えば正親町の譲位機会だって、研究者によっては全然機会なかったっていう人もいなかったっけ?
誠仁は信長の傀儡ってのも然り。
親子仲悪いの可能性完全な否定はしないけど、断言するほどの確実性もない。
743 :
人間七七四年:2014/02/08(土) 20:46:12.12 ID:zdkvJJOa
状況証拠で充分。
何故なら、状況証拠こそ、当人の本音を雄弁に物語っているからだ。
人間は口先では嘘をつけるが、行動では嘘はつけない。
これ、現代とか昔とか関係なく、人間行動の万古普遍の本質。
例えば、ある教育評論家が、TV番組で学歴社会を公然と否定はしても、
自分の子供は、有名大学に進学させようと、教育に血眼になってたりする。
つまり、この評論家の本音は、学歴社会の否定ではなく肯定だ。
家康は老衰しきって死に直面した秀吉に、秀頼の将来の安泰を誓ったが、
本音は、関ヶ原に至る一連の悪行の数々で明らか。
正親町の譲位機会が全然なかったとする研究者は誰かは知らんが、根拠はゼロ。
単なる妄言にすぎん。
史料にしっかり載ってるのなら、話は別だがな。
たとえ史料に乗ってたとしても、それが真実だとは限らん。
そもそも記録とは、雇い主が雇ってる祐筆に、己に「不都合ではない真実」を書かせてるにすぎんからだ。
言論統制の下で歪められた記述なんぞに、糞ほどの価値もない。
史料原理主義者は、
東スポの記事を真に受けるような間抜けだから、低能だと見下される。
744 :
人間七七四年:2014/02/08(土) 20:50:11.58 ID:DYVeuB5O
>>743 主観の入ったものを情況証拠とはいわんわボケ。おまえのは「思い込みによる断定」っつーの
745 :
人間七七四年:2014/02/08(土) 21:01:21.58 ID:6lQpSHJR
信長が天皇家をも下に置く現人神としての国体を目指したというのはわかるが
五宮のくだりはかなり強引だろう。秀吉も似たようなことやってるが
八条宮はどちらかといえば皇位継承争いに敗れる形で秀吉の猶子になってるし
五宮はせいぜい、織田家の庇護の上で朝廷要職につくくらいで、皇位はあくまで
誠仁の子孫が継いでいくことになるのが普通。もとより誠仁は織田と親密だし、本能寺が起きなければ
後陽成も織田と関係を密にしていただろうしな。
746 :
人間七七四年:2014/02/08(土) 21:02:23.63 ID:zdkvJJOa
状況証拠の背景にある人間心理を読み解く知性は、常識と教養と良識に裏打ちされる。
東スポ愛読者レベルの史料原理主義者には、常識と教養と良識も無ければ、その主観さえ無いのだから話にならん。
何せ、史料に書かれてる内容を鵜呑みにするだけで、思考能力ゼロだからな。
思考を放棄した人間は猿レベル。
そもそも人間の言動に、主観が入り込まないなんて有り得んだろ。
747 :
人間七七四年:2014/02/08(土) 21:06:26.87 ID:vhWweMPD
>>746 お前が『証拠」と呼んでいるのはお前の思い込みの事だっつーの。客観的事実だけを「証拠」と呼ぶんだよアホが
748 :
人間七七四年:2014/02/08(土) 21:14:49.71 ID:zdkvJJOa
秀吉が猶子した皇子は、始めっから皇位継承可能性ゼロ。
皇位継承争い自体が存在しないので、敗れるも糞もない。
秀吉は余剰皇子の厄介払い先の受け皿になっただけ。
帝との距離を緊密にするためにな。
織田家の猶子となった五宮とは、本質的に意味合いが全く異なる。
織田と関係を密にしていたのは猶子に入った五宮であり、
兄の一宮である後陽成ではない。
見苦しい歴史歪曲。
749 :
人間七七四年:2014/02/08(土) 21:36:08.30 ID:ao33wSFc
後陽成も信長の菩提を弔うとかしてるし、そんな疎遠でもないだろ。
750 :
人間七七四年:2014/02/09(日) 08:43:55.10 ID:fxBu++iY
751 :
人間七七四年:2014/02/10(月) 18:02:17.70 ID:8Ofz0zLM
>>750 『阿弥陀寺由緒之記録』ってのにあるよ。
「後陽成天皇が信長公供養のため直筆で認めた額を我が寺に下賜なされ・・・」みたいな感じで。
まあ一次史料と呼ぶにはちと難点あるかもだけど、寺宝で嘘付いてもすぐバレるからホントなんじゃ?
752 :
人間七七四年:2014/02/10(月) 21:15:16.87 ID:8eVJoA0e
>>751 それウソだろ。
なにせ、本能寺の変で寺裏で信長の遺体を焼いている時に、
遺骨を引き取って光秀らに見つからないよう逃走して墓を立て供養したとか書いてるしな。
753 :
人間七七四年:2014/02/11(火) 14:09:13.89 ID:XPuWB3FV
直接証拠がない、というのなら馬揃えが
「沈滞した京を盛り上げるため、天皇を
喜ばそうとした、両者は友好関係」というのも
直接証拠がないんじゃないか。
いかにも馬揃えの前の出来事を利用しようとした
こじつけにしか思えないのだけど
これに専門家やここでは答えはないような
気がする。
ちなみに、金子は誠仁親王との関係を調べているんだが
つっこまれて「自分の考えです」と述べてた。
つまり、公武友好論も「状況証拠からの
推測です」と認めてるわけだな。
黒幕説、は成立しないとは思うが
それを否定したいがための友好論というのもまた
「状況証拠からの推測」で結論ありきなのは
どっちもどっちであろう。
754 :
人間七七四年:2014/02/11(火) 15:12:25.93 ID:kPDMW3Pz
信長公記研究者はみんな朝廷と良好な関係と言いふらしているから信用できない。
755 :
人間七七四年:2014/02/11(火) 15:42:06.32 ID:jEqxeiEs
菅沼遼太の妄想よりはマシ
756 :
人間七七四年:2014/02/11(火) 15:44:08.95 ID:bFaElVWx
馬揃え見たいって言ったの正親町だろ
こじつけって程のことではないよな
757 :
人間七七四年:2014/02/11(火) 20:52:18.54 ID:uiYMF5RG
保身術で媚びただけだろ。
758 :
人間七七四年:2014/02/11(火) 21:34:31.07 ID:Wzs0BtgU
最初に声かけたのは信長じゃなかったか。
天皇はそれに対しイヤとは言わないだろう、普通。
だから、天皇が望んだ、という単純な解釈もまた
根拠にはならない。
信長側があくまで気を遣った、という解釈が
友好論の元なんだろうが、それに該当する直接的な
史料はないだろう、ということさ。
信長がずっと喪に服してたわけでもないしね。
759 :
人間七七四年:2014/02/11(火) 21:37:48.16 ID:BlB2Rfqs
普段媚びまくってる人は他人もそうだと思い込む
760 :
人間七七四年:2014/02/11(火) 21:44:57.50 ID:BlB2Rfqs
759は757のレス。
そもそも信長朝廷間が不和とする説は、どんな史料を根拠にしてるんだ?
761 :
人間七七四年:2014/02/12(水) 03:26:10.93 ID:2zCsv7iJ
今谷がこじつけたんだろ
762 :
人間七七四年:2014/02/12(水) 07:42:13.11 ID:kzjlNFWw
上京を焼き討ちして略奪虐殺した信長をどうやって信じろと?
フロイス日本史にも天皇に会いたいと申し出た時に信長は、
あんなもん何の力も無く、会っても無駄。
なぜなら俺こそが内裏だからだ!
などと宣言してるからな。
763 :
人間七七四年:2014/02/12(水) 09:18:20.92 ID:L/eS8NdN
他にも、右大臣辞任とか口だけ攘夷とかいっぱい
あるわな。
親王のお引越しなんかもそうだろうし。
不和、というか朝廷側から見たら
懐柔できない成りあがり権力者ほど
こわいものはない。
えっへっへ、と気を遣ってるのは朝廷側で
それを信長側から友好というのもなんかな
とは感じる。
ところで友好論の歴史みたいなのは
なんか本があるかな。
竹井が書いてたっけ?
764 :
人間七七四年:2014/02/12(水) 13:18:33.71 ID:Mzjwd/ps
>>763 渡辺大門の「信長政権」
信長と朝廷の対立はなかった、と書いてる
765 :
人間七七四年:2014/02/12(水) 16:01:29.58 ID:hPQbEiiC
大門さんは、対立はなかった、とは言うが
友好であった、とも断言はしないんだよね。
アカデミックよりじゃないから、もう少し自由に
述べてほしいとこなんだけど。
766 :
人間七七四年:2014/02/12(水) 19:36:25.95 ID:y4PUodgc
>>751 「京の冬の旅2014 特別公開寺院」と、いうことで阿弥陀寺を訪れましたが。
この特別公開のボランティアガイドさんはその公開寺院の「寺伝」を
「〜〜と、伝えられています」というのも「任務」なのでw、
ガイドのおじさんには罪は無いのだが
その解説で述べられた清玉上人の出生秘話というのが、何ともねwww
「信長の異母兄である信広がある戦に出陣したとき、
臨月の女性が苦しんでいるのを見かけました。
その女性は介抱のかいなく亡くなったのですが、
腹の子だけは助かるか?と考え、腹を裂いて子をとり出しました。
その男児こそ清玉上人です。
上人は織田家に引き取られて織田家で養育され後に出家し、
信秀に願って寺をおこすことにしました。それがこの阿弥陀寺です。
阿弥陀寺は織田家の菩提寺となりました」
と、いうことでw
他の拝観者の皆さんは真面目の面持ちで聞いてたけど
自分は椅子からズゴッと落ちそうになるのをこらえていた。
とても有りがちな伝説的だったからね
だいたい信忠の位牌と森「蘭」丸の位牌がほぼ同じ大きさw
あと信長が本能寺で使用wしたという手槍も公開されてました
「京の冬の旅」は3月までやってるので、興味があったら是非どうぞ
767 :
人間七七四年:2014/02/12(水) 19:45:29.69 ID:y4PUodgc
>>752 自分は毎年のように「京の冬の旅」の特別公開寺院に行ってるけど
阿弥陀寺の伝承や寺宝関係はとくに研究者の手がはいってないように思われた。
同じ日に出かけた(大河絡みの特別公開、黒田長政死去の寺)が、
移転前の寺域として歴博の洛中洛外図のコピーを掲示していたり
パンフの寺由緒にも「徳川実記 〇〇伝」等と出典を詳細に書いていたので・・・
ただ現在の阿弥陀寺はちゃんと寺として機能してると思うけどね。
(参らなかったけど、森光子の墓も有るそうだ)
信長関係の寺伝については怪しい点がかなり有るというのが感想
768 :
人間七七四年:2014/02/14(金) 01:13:31.11 ID:lZt2r8Kd
信長朝廷間関係が不和じゃなく親密だったと考察してる連中は、どうしようもない無能。
朝廷は信長を取り込もうと、無理難題を仕掛けられても、柳に風で必至に受け流してたにすぎず。
何しろ、辛抱しきれず暴発すれば、墓穴を掘って自滅する実例を、足利義昭で実地に見てるので、当たり前だ。
769 :
人間七七四年:2014/02/14(金) 05:51:09.63 ID:2MGA4dYY
>>768 そういう推測から、当たり前だという絶対的結論にとび移れることこそ無能を意味する。
自分は、友好論ではないが。
770 :
人間七七四年:2014/02/14(金) 07:01:35.21 ID:lZt2r8Kd
史実は一つ。
よって、それをしっかり読み解けず、真逆の解釈をしてしまう輩は、無能以外の何者でもない。
無論、歴史事象の背景を見通した故の根拠ある断定に対し、決め付けだという短絡的理由で難癖をつける輩も、無能。
771 :
人間七七四年:2014/02/14(金) 07:03:55.29 ID:TikiNmTP
0か100でしか語れない輩は、バカ。
772 :
人間七七四年:2014/02/14(金) 07:06:10.77 ID:lZt2r8Kd
なら、0でもなく100でもない論証をしてみ。
この設問一つで、あっさり論破される無能。
773 :
人間七七四年:2014/02/14(金) 07:39:01.42 ID:p1TPDtdt
信長研究者=信長公記盲信=信長信者=信長英雄視だからことごとくアホ。
信長研究などと言っても単なる複数公記を見比べるだけの読書会に過ぎ無い。
そもそも信長は内政も組織改革も民衆慰撫策も税制改革も軍事改革もなにもやってないから、
武田や北条研究者みたいな研究と論文がほとんどない。
774 :
人間七七四年:2014/02/14(金) 10:04:01.82 ID:KSLswviq
まー信長はただ単に死に体の足利幕府組織に寄生虫してただけだからな。
だから織田政権なんて呼び方がおかしいんだよな。
足利幕府の奸臣信長が本能寺の変で天誅され死んだだけだから。
775 :
人間七七四年:2014/02/14(金) 13:34:03.16 ID:PhCV0nNg
>>774 ここまでくると、歴史というより、忠臣蔵の物語世界ですね。
776 :
人間七七四年:2014/02/14(金) 15:34:51.72 ID:XfKN6Jf/
菅沼遼太はアスぺだからな
読書会どころか幼稚園のお遊戯会だよw
777 :
人間七七四年:2014/02/14(金) 16:21:11.01 ID:4giG0blC
「大徳寺総見院に濃姫の墓を発見!」の岡田正人っていま何してるの?
778 :
人間七七四年:2014/02/15(土) 01:47:45.19 ID:7jS3CP2T
もう20年前だけどどうなったかねぇ。
専門家も濃姫にはいっさい触れないからなぁ。
どっちかというと早くに亡くなったような気もする。
総見院の墓は「お鍋のもの」ってのもあったなぁ。
779 :
人間七七四年:2014/02/15(土) 07:27:14.06 ID:Fq4Sd32O
信長は秀吉や家康と違い、
既存権威の枠組みに収まる政権構想なんて、露ほども考えていなかったのだから、
足利義昭と同様、朝廷と相容れないのは必然。
信長は己が究極の高みに昇った新たな権威を打ち立てようとしていたので、
旧権威の総本山である帝は、踏み台にして追い落とさねばならない道具でしかない。
その手段は、相対化。
足利義昭追い落としに帝を引き立て、義昭を過小な存在に仕立てたように、
今度は信長自身を引き立てる道具として、帝を過小な存在に仕立てて家臣化する。
その道具が、誠仁と五宮。
傀儡にした誠仁を帝位に就けたら、
数日か数週間か数ヶ月かは分からんが、早々にお引取り願い、
織田家の猶子となっている五宮に禅譲させる。
帝を輩出した織田家は「准天皇家」扱いとなり、
当主である信忠は「准上皇」扱いとなる。
猶子の五宮は、秀吉の猶子として羽柴家に入った宇喜多秀家みたいな存在なので、
生涯当主の信忠を越えられない。
で、既に家督を信忠に譲り、形式的には隠居扱いだが、
実質的に「院政」を行使している最高権力者信長は、
必然的に上皇より上位の扱いとなる。
日本の歴史上、上皇より上の位は無かった訳で、
これに拠り信長は、前人未到の究極の高みに到達して、
新たな権威を創出できる。
光秀単独犯説を唱えてる連中は、信長の政権構想をちっとも考察しようとはせず、
たとえしても、己の雑魚レベルの価値観で、信長の意中の地位は征夷大将軍だったと結論付けるので、
永遠に歴史の真相には辿り着けない。
780 :
人間七七四年:2014/02/15(土) 15:26:03.36 ID:w3iZ20Kg
>>678 一つだけ自然石というのが疑問なんだけど、
あの総見院の織田家墓所の中に、興雲 とかろうじて読める石があり
それがお鍋(興雲院)の墓。
で、その隣の五輪塔が「養華」で摩耗がひどくで刻まれた字の判読は出来ないは
これが「総見院之図面」にある「濃姫の墓」だと云うこと
(岡田論) だったよね
やはり総見院の特別公開時に墓を訪ねたことがあったけど、
まあ寺としては「濃姫の墓である」というで説明をしている。
質問をしても、やはりw「濃姫の墓だと云う事です」の一点張りだし
色々と疑問点も多いことだけれど研究の進まない分野でもあるので、
もう既成事実的に「濃姫の墓はここだ!」体制でいくのだろうね。
時がたてばそれが真実らしく聞こえるようになっていくのだろうな
781 :
人間七七四年:2014/02/15(土) 15:34:43.53 ID:ei+P5L1l
普段人を道具としてしか捉えられず、なおかつ思い込みが激しい人は、
他人も自分と一緒だと信じて疑わない。
782 :
人間七七四年:2014/02/15(土) 15:42:46.82 ID:ei+P5L1l
781は787へのレス。
>>766 751だけど…
チスレすみません、レス感謝。
詳細情報もサンクス。
ただちなみに『阿弥陀寺由緒〜』は活字になったの全体見たことあるけど、そんなデタラメな感じはしなかったけどな〜
まあお寺機会あったら実際行ってみるわ、あんがとです。
783 :
782:2014/02/15(土) 15:45:52.53 ID:ei+P5L1l
またまちがえた…ごめんごめんご
781は779へのレス
784 :
人間七七四年:2014/02/16(日) 18:37:22.69 ID:c/vL9w02
単独犯行説の中の野望説って、何故か全然人気ねーな。
一番無理の無い考察だと思うんだが。
785 :
人間七七四年:2014/02/16(日) 19:58:09.53 ID:+dAhUbAD
なんの人気か知らんが、支持は最も得てるだろ。
786 :
人間七七四年:2014/02/16(日) 20:16:46.22 ID:5TNDWWeY
野望がなかったらそもそも主殺しなんてしないだろうから
野望は当然あったとして何が光秀を主殺しに踏み切らせたのかってことを議論してるんじゃない?
動機が何であれ私心が全くなかったというのはちょっと考えにくいし……
787 :
人間七七四年:2014/02/16(日) 21:05:12.40 ID:Abw98epI
野望説は、もともと、怨恨説への批判として出て来た。
特に高柳氏が、「怨恨」の事例を一つ一つ点検し、講談的な怨恨説の根
拠を論駁した。眼目はこの点にあった。
高柳氏が、戦国武将なら野望をもつ、と言ったのは、いわば、怨恨説を
否定した消去法のようなものと思う。
しかし、怨恨か野望かという論議は、光秀の「個人的動機」の論議にな
ってしまう。
その後、「黒幕説」が一時隆盛する。
鈴木・藤本本では、日本人の謀略好きを、その一因にあげている。
これを否定はしないが、黒幕説の流行は、怨恨・野望論議に比べて、よ
り社会的な広い視野での本能寺の変の要因追求のように受け取られた面が
あると思う。
たとえば、公武の関係、信長の権力の性格など。
しかし、黒幕説は、明智家の利害とは異なる利害を、光秀を従わせる
何らかの権威によって、光秀が「個人的に」受け入れる、という論理でな
いと「黒幕」と言う意味では成立しない。そのため、結局は、怨恨・野望
に劣らない「個人的動機」の狭い枠を超えられていない(たとえば、光秀
が朝廷を崇拝していた、足利幕府再興を願っていた、等々に頼る論理にな
ってゆく)。 明智軍が実行犯である以上は、明智家と異なる利害が外か
ら持ち込まれたのでない限りは「黒幕」などと言える存在の意味はない。
もし、外部の信長打倒を進めたもの、その策を献上したものがあったと
しても、明智家も、自身の利害からそれを求めていたとするならば、そん
なものは「黒幕」にはならず、たんなる示唆が相談相手のレベルになる
(利休や堺承認黒幕論など、黒田菅兵衛黒幕論などは、そもそも、黒幕と、
仮にあったとして参謀的な者との区別も弁えない、のっけから話にならな
い論議だ)。
従来の黒幕説では、単独説の方がはるかに説得力がある。
ただ、本能寺の変の実際の内容は、単独説で説明しきれない多くの矛盾
があることは事実なのだが。
788 :
人間七七四年:2014/02/16(日) 21:08:25.64 ID:2JjjWnpV
別に矛盾は無いよ
789 :
人間七七四年:2014/02/16(日) 22:43:21.72 ID:2VKEJyIj
790 :
人間七七四年:2014/02/17(月) 00:49:40.48 ID:DK1xvJZ2
テレビドラマ等では、ギラギラした野心に燃えて信長を殺す光秀が
なかなか描かれないと言う意味では、野望説はまるで人気が無いな。
791 :
人間七七四年:2014/02/17(月) 01:36:50.89 ID:+KRvgpmA
単独説でメジャーなのって怨恨・野望・危惧・ノイローゼくらいか?
どれもそれっぽいけど怨恨説は最近否定する声も多いよね
792 :
人間七七四年:2014/02/17(月) 03:01:11.70 ID:zSMeNnB1
同時代人も口をそろえて野望と言ってる以上は否定できるだけの根拠が無いとな
黒幕論に端を発した再検証の流れのなかで考察が進んで怨恨説すら難しくなった
793 :
人間七七四年:2014/02/17(月) 20:45:21.21 ID:4POQjxP4
>>780 ちょうどミクシでそんな議論してるのがいるけど
濃姫の墓としてる研究家が多いみたいね。
桐野とか。断言できるのが不思議だわ。
794 :
人間七七四年:2014/02/17(月) 20:52:24.80 ID:4POQjxP4
野望とか言うから別のニュアンスになってしまうだけで
光秀の意思、とすれば別に何の不思議もなく説明
できるんじゃないか。
直接朝廷との密約がなくても
自分が信長のかわりになれば朝廷は
悪くはしないだろう、ぐらいの考えだろう。
細川が協力しなかったこと、秀吉が想定外の
実力だったこと、これぐらいがミスになるだろうが
そりゃ結果論で仕方がない。
それと最近の公武友好論もなんだかねぇ。
両者の間がぎくしゃくしてたのは事実だろうに
そこはスルーで、結論ありき、になってるものね。
よほど信長を卑小化したいという前提が
あるんだろうけど。
795 :
人間七七四年:2014/02/17(月) 23:33:56.90 ID:9BK74e9j
本能寺の変の研究
結局、まわりにまわって
高柳光壽どころか、徳富蘇峰まで戻っちゃったというのが凄いよな。
直接的には千載一遇のチャンスと判断しての突発的犯行、
遠因は四国政策がこじれたからだってのは
徳富蘇峰の指摘そのままだし。
796 :
人間七七四年:2014/02/18(火) 13:50:24.09 ID:WGg59IAt
新しいとこでは小林と大門か。
藤井の書き方が一番しっくり来るけどな。
797 :
人間七七四年:2014/02/18(火) 18:44:59.84 ID:C67cCr0Z
脂ぎった野心家の老人光秀が登場するドラマも見てみたいな
798 :
人間七七四年:2014/02/18(火) 20:28:00.12 ID:k3Ty3MUp
最近のテレビドラマでは、イケメン枠では無くなってきたな。
昔なら、近藤正臣、村上弘明等のイメージだけど。
799 :
人間七七四年:2014/02/18(火) 22:07:39.99 ID:uiXbkPyV
>>793 岡田正人氏が歴史読本の巻頭カラーで「大徳寺総見院に濃姫の墓発見!」と
登場したのは 平成4年 のこと。
同年の大河の緒形主演の「信長」にちなんで「織田信長一族の女性たち」という
企画特集の号だった
で、そのネタで未だに議論してる奴なんて居るんだw
きっとこの板の過去の荒れて無い頃の「濃姫スレ」での議論と
たいして変わらない程度なんだろ
800 :
人間七七四年:2014/02/19(水) 14:36:43.78 ID:+YmGPjr+
>>799 濃姫スレよりレベル低いと思うな。
桐野を紹介してたり最近出た横山の
本の話とか。
あんな武功夜話を引用してる本を
参考になったという研究家がいるのがすごいわ。
それで大徳寺の墓を濃姫ですって断言されてもね。
801 :
人間七七四年:2014/02/19(水) 17:00:13.95 ID:1hFCoDSW
>>800 >濃姫スレよりレベル低いと思うな。
えっ? そんなんなの?
たしかに以前の濃姫スレは言継卿記なんて勿論のこと
「信長公御台平産」のあの近江の地誌の部分の検証も
信長の近江での定舎や寺のある地域の天候、郷土史まで掘り下げ
安土総見寺の過去帳の検討や「信長公寵妾」の部分に突っ込み
岡崎殿(五徳)の京都での住まいやお鍋の呼称にまで話がおよび
みなさんがすごく熱心で議論も白熱してて面白かったんだよね
自分もときどきレス書いて参加してたけど、とても楽しかった思い出がある
大徳寺のあの摩耗しきった五輪塔が濃姫の墓だという説が有ってもいいけど
説なら説らしく何か新しい素材や発見からの検証であって欲しいのにな、残念
で、
802 :
人間七七四年:2014/02/19(水) 22:47:50.12 ID:EQpAZBHG
>>801 懐かしいね、いつのまにか落ちてたけど
ところどころコピペしてあるわ。
五徳の京の住まいについてはどういう結論
だったっけ。あれは徳川研究者からなにか見つかる可能性は
あると思うのだよね。
他にも書いたけど、濃姫長寿として清洲会議には
どうして出なかったんだろう。
京で徳川の庇護下にあったならねねとか
江とかとの接触があってもいいとは思うけど
見逃してる記述とかもあるかな。
太閤記にだって出てきてもおかしくないぐらいなんだろうにね。
横山の本は読んだ?あれ見ると、早くに亡くなった、という
傍証の記録があるけどどうなんだろうね。
803 :
人間七七四年:2014/02/20(木) 02:32:42.97 ID:JYDBbVBH
キモイよな
804 :
人間七七四年:2014/02/21(金) 05:06:48.39 ID:a80yH4sn
光秀がもう1年長生きするには
・山崎で信孝秀吉長秀を撃退する
・毛利と結び秀吉を牽制する
・上杉と結び武田元明らと合力して柴田勝家を倒す
・どうにかして徳川家康との戦闘を避ける
これら全てを迅速に行わなければならない
805 :
人間七七四年:2014/02/22(土) 11:56:55.64 ID:d4yLTP6i
さて、公武友好論を評するか。
とりあえず今のトップは金子でいいか。
堀は山本あたりの秀吉に逃げちゃったかな。
806 :
人間七七四年:2014/02/22(土) 12:17:17.86 ID:+0LYz942
>>791 細川宛の光秀の書状からは将来不安のためとしか書かれてないけどね
怨恨・野望はまずないことが証明されてる
807 :
人間七七四年:2014/02/22(土) 12:27:47.96 ID:d4yLTP6i
そりゃタテマエってやつさ。
オレかっけぇからやった、なんて言える訳
もない。
ちなみに細川の行方は6月9日まで不明。
808 :
人間七七四年:2014/02/22(土) 20:18:56.43 ID:f27vMd/J
何故か信長が息子を取り立ててくれない。
このままでは自分が積み上げた功績を子孫に受け継がせることができない。
佐久間らを見てると将来自分も言いがかりをつけられ使い捨てにされる恐れがある。
信長の小姓の森も坂本の地を虎視眈々と狙ってなにやら動きが怪しい。
しかも最近四国政策、家康の接待の失敗で自分はかなり信長の不興を買っている。
このままでは状況が悪くなる一方だ。
幸い秀吉は援軍を頼むほど切羽詰まってる状況みたいだ。
丹羽もちょうど四国へ渡った頃合い。
柴田らも敵地へ深く攻め入ってすぐには戻ってこれまい。
イチかバチか一世一代の賭けに出て子孫のために自分で道を切り開くのは今しかない!
もっともな大義名分もないし天下のことはわからないがまず畿内を完全に制すことが先決だ。
信長に恨みを持っている連中は多いからそれを煽ればなんとかなるだろう。
細川、筒井も親密な関係だから事後に説得すれば必ず味方してくれるはず。
今は行動あるのみ!
(そして一段落ついたら息子を取り立てて潔く引退しよう。)
とまあ、こんな具合の突発的複合動機説なのでは?
809 :
人間七七四年:2014/02/22(土) 21:00:01.77 ID:5+1FnAVR
くだらない話をするようだが、個人的には本能寺の変の動機等よりも、
肖像画に描かれた光秀が戦国武将には珍しく
ヒゲを蓄えていない事が何故なのか気になっている。
810 :
人間七七四年:2014/02/22(土) 21:14:07.55 ID:ntzr7lwR
ひげが生えない体質だった
かもしれない。
811 :
人間七七四年:2014/02/24(月) 08:29:05.20 ID:HPHq8lib
小林は黒幕ちゅうか
公武対立、制度防衛でつっぱしってるなぁ。
藤井に批判的なようだが、対立ってとこでは
よく似てる感じがするが。
812 :
人間七七四年:2014/03/22(土) 22:37:15.18 ID:B1f6T/zb
歴史の大局的流れを読めば、暗殺の背景は見通せる。
だから、幕末の孝明帝は病死ではなく暗殺。
坂本龍馬暗殺の黒幕は、薩長。
両者共に、倒幕or反徳川の妨げとなる存在という共通点で一致。
信長暗殺も、歴史の大局的流れの中で洞察すれば、背景は透けて見える。
813 :
人間七七四年:2014/03/27(木) 03:01:24.04 ID:l7W8CKTH
精神科はここではありませんよ
814 :
人間七七四年:2014/03/29(土) 23:25:47.54 ID:VDYyVPKv
>>812 同様に、伊藤博文暗殺の実行犯は、通説の安重根ではなく、日本国内の朝鮮併合急進派。
彼らにとって、穏健派の伊藤は邪魔な存在。
安重根はJFK暗殺犯に仕立てられたオズワルドみたいな存在。
同様に、足利義満は病死ではなく毒殺。
過去、碌な病気一つせず健康そのものだった義満が、大願成就の直前に頓死するなんて偶然は、有り得ない。
815 :
人間七七四年:2014/03/30(日) 20:18:26.74 ID:QuyDEbE3
戦国時代よりは少し後になるが、今を去る1970年、「よど号」が赤軍派にハ
イジャックされたとき、当時、運輸政務次官の山村新治郎が人質の身代わり
になり、「身代わり新治郎」と讃えられた。
その22年後、山村は、自民党訪朝団の団長として北朝鮮を訪問し、「よど号」
ハイジャックの首謀者、田宮高麿との会見も予定していた。いろいろな思惑
もあり、双方ともに、この会談にかけるものは大きかったという。
しかし、訪朝の前夜、4月12日、山村新治郎は、自宅で、次女に包丁でめった
刺しにされ殺害された。
この殺害は怨恨によるのか野望によるのか、それとも黒幕が居るのか?
816 :
人間七七四年:2014/03/31(月) 09:47:55.15 ID:53sLbu4T
戦国時代よりも「少し」後では無い件について
817 :
人間七七四年:2014/04/01(火) 22:57:33.52 ID:ejZvKQGh
かごめかごめの唄は、
結局本能寺ノ変の唄だつだのか?
818 :
人間七七四年:2014/04/02(水) 00:15:45.12 ID:RVRrDl3y
坂本龍馬が居なければ、倒幕の中核となる薩長の連合は無かった訳だから、その点では、龍馬は偉大。
加えて、武力衝突を回避させて、平和的に幕府に大政奉還させた功績も偉大。
だが、龍馬の限界は、徳川を新政権に参画させて、慶喜をその中核に据えようとした構想。
これでは徳川の影響力が大きくなるので、日本の近代化は中途半端となり、不徹底に終わる。
龍馬は内戦回避を大前提にしていたので、薩長の武力討幕路線と一線を画していたのだが、
龍馬の新政権構想は、不覚にも大政奉還されて武力討幕の機会を失った薩長の怒りの限界を超えさせた。
薩長の政権構想は、徳川抜きが大前提であり、
徳川が中核となる新政権なんぞ、絶対に許容できない禁忌。
だが、龍馬が生きていれば、慶喜が新政権の議長的要職に就くよう動いてくるのは必定。
よって、薩長の唯一の選択肢は、龍馬の暗殺。
薩摩は龍馬の死後、武力討幕のきっかけを創出しようと、
なりふり構わず、江戸で卑劣なテロ行為に手を染めて、慶喜を挑発していたのだがら、
なりふり構わず、龍馬を暗殺するなんて、朝飯前。
龍馬が健在だったなら、王政復古のクーデターは無理だったし、
小御所会議で徳川の完全排除も実現しなかった。
龍馬の死で最も利を得たのは、望み通り新政府から徳川を完全排除できた薩長。
819 :
人間七七四年:2014/04/06(日) 00:53:50.72 ID:QYq8yDxJ
明智五宿老の1人、溝尾庄兵衛茂朝と光秀の代官として越前で政務を担当した三沢秀次は同一人物なんでしょうか?
もし同一人物だとしたら「光秀の介錯を務め首を持ち帰った」という伝承以外に特筆されない茂朝に、「光秀から内政手腕を買われていた」という新たな評価が加えられますね
820 :
人間七七四年:2014/04/25(金) 22:12:39.07 ID:dDXZ8NWk
『歴史読本』は明智の特集ですよ。
821 :
人間七七四年:2014/04/25(金) 23:12:51.97 ID:gsQ0+9aF
822 :
人間七七四年:2014/06/01(日) 12:10:35.87 ID:zhiYGrIu
6月1日進軍記念日
吉田山大茶会というのやってます
823 :
人間七七四年:2014/06/01(日) 17:01:15.05 ID:5mRsiJZc
渡辺大門「信長政権」のはじめに
史料的な根拠もなく論理の飛躍を積み重ね、妄説の類を主張する方
これって明らかに自称子孫のことだよな?本人はどう反論するんだ?
824 :
人間七七四年:2014/06/01(日) 17:35:52.95 ID:W8TGmKkM
同書がヤフーのレビューで評価低いので読む気しない
とか何とか自身のHPで書いてたような
まあ実際に大門も信長評と光秀評を間違えたりしてるし…
825 :
人間七七四年:2014/06/09(月) 02:15:21.20 ID:J78PCe0d
山崎の戦いって光秀が明智軍の倍の戦力の羽柴軍に自軍の損害以上の損害を与えたってのが通説だけど本当なら光秀ってかなり野戦は上手かったんじゃないの?
本能寺の変から数日で死んでる辺り戦略政略眼は無かったんだろうけど戦術級では秀吉以上だったんかな
826 :
人間七七四年:2014/06/09(月) 02:21:37.59 ID:dDUf2YDg
秀吉そのものがそんなに野戦は上手くはないし
秀吉側の先兵となってる中川や高山は元は明智の部下だから士気は上がらない
秀吉本体は急行軍で疲労困憊
そんな状況のあの時点で秀吉に対し局地戦で高い損害を与えたからと言って
特に誇れるほどの指揮力があるということの証左にはならない
827 :
人間七七四年:2014/06/09(月) 16:01:21.02 ID:5HTbb2Si
秀吉が野戦うまくないwww
中川や高山が元は明智の部下wwwww
828 :
人間七七四年:2014/06/09(月) 21:30:58.79 ID:wF54nY5c
いつもの在日織田朝鮮人だから無視。
829 :
人間七七四年:2014/06/09(月) 22:18:21.98 ID:eI1t0XiK
830 :
人間七七四年:2014/06/10(火) 00:34:31.90 ID:KTrLHi8O
戦場が山と沼の間に挟まれた細い道だったんで秀吉も大軍を活かして戦うことが出来なかったんだろう
>>826 摂津衆にとって光秀は元寄親でしかないよ
しかも筒井や細川みたく縁戚でもない
そして中国大返しは強行軍と呼べるような速度で進軍したわけじゃないでしょ
あまり両軍に士気の差は無かったと思う
831 :
人間七七四年:2014/06/10(火) 23:56:56.09 ID:AB7zA1C8
>>826>>827 秀吉自身野戦はうまくないというより滅茶苦茶弱い。
小牧長久手合戦では会戦そうそう伊勢・伊賀・信濃・美濃・尾張で信雄や家康の家臣が一斉に寝返り
重臣の石川まで篭絡されるという今川氏真が指揮を取っても楽勝で勝てそうな戦闘条件で
雑魚の信雄に135000の大軍で挑みかかって信雄領国は会戦早々尾張・美濃・伊勢・伊賀ともに寝返りの連鎖で崩壊状態だったほど
雑魚統制しかなかったのに秀吉方はいざ戦うと雑魚の信雄に1万人殺されたり
戸木浜田二重堀松ノ木東駒野河波蟹江長久保神戸など各城の攻防で奪回されたり蹴散らされたりするアホっぷりだったじゃん。
結局全く雑魚の信雄に歯が立たずあれだけ規格外の兵力差と、徳川の領国の崩壊状態(寝返りの連鎖や軍事機密露見や、
天正11年からの飢饉への対策として出した徳政連発)にも関わらず秀吉は家康や信雄に「ワシに従ってくれ〜」と必死に土下座して
母や妹を献上したり、関八州240万石の大領を与えなくてはいけないほど、家康に土下座状態だったから
豊臣家はあっさりと滅ぼされたんだろ。
結局事の始まりは秀吉が家康どころか雑魚の信雄に蹴散らされまくったせいで豊臣家を滅ぼされたんだから
秀吉が雑魚の信雄に大敗して、家を滅ぼされたって事だろ。
832 :
人間七七四年:2014/06/10(火) 23:57:50.86 ID:AB7zA1C8
秀吉に個人としての才覚なんて皆無だろ。
秀吉は直接対決でたかが防衛戦の熊見川合戦で3000人討ち取られるほどの雑魚っぷりを晒していたが
上杉佐竹毛利長宗我部木曽小笠原真田石川水野十河河野大友龍造寺前田
柴田勝豊金森不破信雄宇喜多など諸大名に土下座しまくって漁夫の利で力を借りて漁夫の利を得ただけの見せ掛け政権を作りあげることには成功した。
だが所詮土下座と漁夫の利を得ただけの中身のない傀儡政権なので秀吉がいなくなればさっさと崩壊するのは当たり前の事。対明知戦…摂津衆、神戸信孝・丹羽・中川など離反。対柴田戦…勝豊・稲葉ら美濃衆・前田・不破・金森・信雄
そこで上杉と徳川は82〜83年にかけ信濃中部で争い家康の同盟者北条との関係の悪さからも秀吉側につくのは
自然な流れだし毛利も本能寺前で既に和睦の話が上がっていた。宇喜多も直家死んで八郎人質取ってたからそうそう
裏切られない。両者とも本能寺時も運よく敵対しなかった。
毛利の敵対者宇喜多、南条、尼子残党、赤松、小寺、山名、別所、浦上、草刈
長曾我部の敵対者十河や河野、島津の敵対者大友や龍造寺残党・相良・阿蘇、北条の敵対者佐竹・結城・宇都宮・那須・壬生・皆川、
信濃での家康の扱いに不満を持った木曽、小笠原、真田や水野、石川
等の場合も同じ。元々敵対者同士だったか家康の扱いに不満があったのを利用しただけで取った中身のない天下だから
一々敵対勢力潰すなんてしてたらこいつらまで敵に回して滅ぼさなくちゃいけないからそんな実力到底秀吉にはない(対毛利戦や信雄戦で証明してる)
833 :
人間七七四年:2014/06/10(火) 23:58:51.17 ID:AB7zA1C8
柴田は上杉と交戦が続いてたのに対し秀吉は一応国境画定作業が残ってるとはいえ、
三か国毛利が割譲した上での和議が成立し、宇喜多とも本能寺前から一体化が進められ、もはや親藩的存在だったし
その差でしょ。そもそも単純に国力で見ても、かなりの開きがあるし。
柴田・信孝側からは美濃衆や勝豊などがボロボロ寝返ってるが
秀吉からは寝返りが皆無だし信雄領からも寝返りがなかったことから見ても
信雄よりも信孝領は遥かに不安定な状態だっただろうし秀吉は対柴田戦時自領600万石に加え宇喜多、毛利、上杉、信雄も味方で稲葉、勝豊、前田も味方につけられた。
この状況で秀吉と兄弟の契りを結んでた中川が殺され前田が兵を引くまで均衡を崩せず、しかも撤退中の佐久間盛政や柴田勝政を背後から大軍で襲撃して逆に撃退されるってどんだけ戦下手なんだよと
834 :
人間七七四年:2014/06/11(水) 00:00:14.57 ID:0/VQnvJo
いくら指揮・采配能力が桁外れに違っても数でごり押しすれば勝てるのが戦。
秀吉の場合は数でごり押ししても雑魚の信雄や輝元に全く勝てなかったり
防衛戦ですら家臣を殺されまくるほどの雑魚だったが
土下座能力はチートだったので信雄や顕如や家康や朝廷に土下座しまくって和議までこぎつけただけ。
顕如に11月に土下座したり家康の下に信雄送ったり朝廷に献品しまくったり土下座攻勢をかけまくってる。
結局それが原因で家康は大版図と秀吉縁戚の地位を得る事となり
豊臣家を楽に継承したんだろ。自力で歯が立たなかったから普通に豊臣家は滅ぼされただけ。
秀吉はどれだけ国力や兵力が大きかろうが敵の家臣がどれだけ秀吉方に寝返ろうが
本人の指揮能力や采配能力が糞すぎて雑魚の信雄や家康には到底敵わないため
信雄対策には顕如に必死に土下座して取り成しやってもらって強制的に和睦を結び
家康対策には重臣等を篭絡しまくり母や妹を差し出したり関八州260万石と秀吉外戚の地位を土下座して差し出す事で
慈悲深く、寛容で大儀名分を重んじる家康は、秀吉への牙を収めてやる事にした。
秀吉は必死に家康に土下座して、母や妹を差し出したり関八州260万石やったり高い官位と秀吉縁戚の地位やったりして
気を使いまくってたから、慈悲深く、温情あふれる家康は、秀吉生前中は、お情けで秀吉を生かしてやっただけ
835 :
人間七七四年:2014/06/11(水) 00:01:15.28 ID:0/VQnvJo
山崎の合戦
兵力比2.5倍で光秀方は山崎を捨てる形での不利な布陣を強いていたにもかかわらず
被害は秀吉軍のが多い秀吉の戦べたが露見した戦(ランチェスターの法則でいえば兵力差2.6倍なら被害差は6.25倍じゃないとおかしい)
しずヶ岳の合戦
勝家が攻撃してた中川の拠点守るため出兵しただけのただの防衛戦。
秀吉方は長大な塹壕を築き、柴田方は6分の1の寡兵で秀吉方塹壕を破壊し押しまくる。秀吉と兄弟の契り結ぶ程関係が親密だった中川清秀戦死。
秀吉は撤退途中の勝政・盛政を背後から圧倒的大軍で強襲したら 逆襲くらって不破・前田・金森らが兵をひくまで結局均衡くずせない始末
不和や前田などが撤退した棚ぼたにたまたま秀吉は救われる。
明智・柴田>>>>>>>>>>>>>>>秀吉
836 :
人間七七四年:2014/06/11(水) 00:03:57.41 ID:0/VQnvJo
山崎合戦なんて最初から勝敗の決まったデキレースでしょ
池田・高山・中川ら摂津の諸将は本能寺前時点で秀吉が光秀との政争勝利の結果から秀吉派軍閥だし
中川なんて天正8年時点で兄弟の契り結んでるほどで
光秀側は主殺しの汚名背負ったせいで細川・筒井ら与力連中に背かれ信雄・信孝・丹羽ら周辺諸将も基本みんな敵。
ありえないタイミングで信長が光秀に殺されたおかげで棚ボタ的に主殺しの敵打ちの大儀名分手に入れて
それを利用して次々に勝手に味方が増えたし、信長が殺されてから、わずか1日半でその報を知る棚ボタっぷり。
しかも毛利も都合いいタイミングで即座に難航することなく和議に応じてくれたし
837 :
人間七七四年:2014/06/11(水) 00:04:27.33 ID:GIPfqsGV
フロイスの日本史によると
明智方は高山右近が1000の兵とともに門を開き明智を目指して突撃し
高山と併進してきた羽柴方の二将が到着すると明智は戦意喪失し
背を向けて退却しだしたと書いてる。
その後明智は勝竜寺城に戦う事なく敗走し
その後こっそり夜をしのんで坂本に帰る途中に殺されたと書いていて
山崎合戦自体がなかったとされてる。
最初から明智軍は戦意0で崩壊状態だったようだな。
838 :
人間七七四年:2014/06/11(水) 00:06:53.27 ID:GIPfqsGV
>>秀吉は急行軍した
高松出発は6/4だろ
播磨に移ったのは6/6
摂津尼崎に6/9
6/12に富田着陣
6/13に山崎合戦だから9日〜10日かかってる
これでは特別早くないだころかむしろ遅いくらいだよ。
何せ秀吉が本能寺の変報を変からわずか1日半で到達するほどの距離だし
飛脚が1日半でつく距離を秀吉は10日もかけてのろのろ戻っただけ。
高松〜200キロを10日だから全く早くないわな。
大げさに講談でマンセーされてるだけ。
使者が1日半でつく程度の道のりを10日もかけるとかノロマすぎる。
勝家はガチで上杉とやりあってたしなぁ。でてこれないの当たり前でしょ。
滝川も北条が襲ってきたし小早川が買収されて秀吉に前面協力するくらい棚ボタっぷりだった秀吉とは全然違うわな
筒井や細川や丹羽らはそもそも単体での兵力が少なすぎて話にならないし
839 :
人間七七四年:2014/06/11(水) 00:08:18.51 ID:0/VQnvJo
○織田対上杉 謙信生前…1万8000程度の寡兵で柴田&織田家オールスター武将4万以上に正面衝突で大勝
謙信死後… 御館の乱やその後の内戦・新発田の乱につけこんで圧倒的大軍&長・神保等地元大名の活躍と調略で能登・加賀・越中を火事場泥棒したのに
越中中部で天正8年から天正10年半ばまで2年も足止めされた挙句土肥・小島・須田などに大苦戦しロクな防備もなかった平城の松倉の枝城にすぎない魚津城攻防で上杉が信濃に
派兵した隙をついて 居留守泥棒的に行ったにもかかわらず大苦戦。松倉の須田に手も足も出ずに苦戦し撃退
新発田は完全に新潟から排除されて下越で包囲され逼塞
連発した内戦による瓦解・信濃5000・越中加賀能登越前飛騨(美濃の諸将も援軍に来てた)55000・下越2000・奥州(?)・上野(20000)
から総兵力8万そこそこで動員兵力5000〜8000そこそこの上杉に信濃長沼で敗北越中中部で苦戦した織田軍
上杉37万石程度(御館の乱や新発田の乱で極端に瓦解)に 伊達・芦名・新発田と共同戦線で9倍の兵力差でもって
2年も越中中部〜魚津・松倉のわずかな区間で進めず立ち往生
金森ら飛騨口部隊も松倉に手も足も出ず 森は長沼攻防に敗北して以来眼前の長沼・仁科方面すら奪回できず
滝川2万は三国峠の戦いで上杉方カラス組奇襲部隊に蹴散らされ敗北 新発田・伊達・蘆名も下越で逼塞
上杉5000〜8000に対して総勢8万そこそこで廻りから総勢で攻め込みまくって勝てなかったのが織田家トップの柴田
武田対織田…
上村合戦…武田の圧勝。東美濃攻防戦…武田の圧勝 東美濃は完全に武田に帰属
三方ヶ原 武田の圧勝 織田家トップクラスの佐久間・平手・滝川・水野・前田兄の大軍2万が敗走、平手・前田兄戦死
岩村攻囲戦 兵力差6〜8倍&長篠後後詰も来ない状態で士気ガタガタ&徳川からも援軍貰ってる状態で半年かかっても落とせず騙し討ちにしないと勝てない醜態ぶり
高遠攻囲戦 兵力比50〜60倍で絶対的に兵力比が物をいう城外戦で一族織田信家始め大損害を出す
信濃の歌にも残ってしまう体たらくぶり。普通なら10分で終わりそうな戦闘で最低に見積もっても4時間以上戦われる雑魚っぷり
長篠の戦い…「まるで城のようだ」と思わせる堅固な陣地にこもった高性能鉄砲・弓で待ち構えた織田徳川の大軍に対して直前の雨でぬかるんだ地面の中、結束力0の烏合の衆で挑んだ
ガチンコ城攻めだったが天正6年成立の長篠日記によると武田軍の9時間近い長時間の猛攻後に撤退。 馬場隊700で佐久間隊6000を敗走させ柵まで追い詰め43人討ち取り
山縣隊1500で徳川隊6000を柵まで敗走させるも 大久保隊が側面へ回りこむのを必死に阻止 さらに馬場の第二次攻撃で佐久間隊崩壊寸前
まで追い詰めるも 鉄砲隊の反撃で武田は撤退。織田方6000討死。武田方7000討死
○武田と徳川…三方が原の戦いで織田の大軍2万&徳川8000を見事正面衝突で敗走させられる
勝頼時代も大いに苦戦し田中城に手も足も出ず高天神城に大苦戦
○織田と徳川…織田は大軍で寡兵の浅井に苦戦し当時の織田四天王の息子の坂井久蔵戦死。
徳川は寡兵で大軍の朝倉に勝利し、瓦解した織田軍を救って引き分けもで持っていく
秀吉…小牧長久手で家康より遥かに戦下手で織田家で最も無能で伊賀攻めに失敗し信長の勘気蒙り縁を切られそうになるアホ信雄に135000の大軍で挑んで
1万人殺される大敗。その後の攻防も二重堀・蟹江・前田・下市場・松ノ木・浜田・長久保・東駒野・河波・神戸攻防で敗北
二重堀合戦では防衛戦にもかかわらず1000そこそこの信雄勢に奇襲食らって楽田陣から見事に敗走させられる
蟹江・前田・浜田・下市場・長久保・神戸は秀吉方本陣から程近い距離にあるにもかかわらず見事に寡兵の信雄に奪回される
以上をまとめると上杉>>武田>>>>>>>>徳川>>>>>>織田>>>>>>>>>>豊臣
840 :
人間七七四年:2014/06/11(水) 00:09:50.42 ID:0/VQnvJo
豊臣…徳川家に滅ぼされる 信長&織田家…光秀に滅ぼされる 徳川家…天下を取る
武田家…織田・徳川軍に勝ちまくり両家ともに滅亡寸前にまで追い込む
上杉…武田に大勝する。織田を半分以下の兵力で瞬殺し1800人討ち取る
秀吉…織田で最も雑魚な信雄やアホ輝元に10000人&3000人殺される。滝川に伊勢で蹴散らされまくる 本多500に20000の大軍で敗北する
北条…滝川18000を瞬殺し6000人ぶち殺す
史実の戦績で本多500>>>>>秀吉軍20000(小牧長久手時の後詰妨害の攻防)
織田徳川16000〜17000>>>>>>秀吉軍135000(決戦しかけたら1万人戦死の大敗)
滝川6000〜8000>>>>>>>秀吉軍60000(天正11年の伊勢の攻防、ゲリラ戦で苦しめられまくり7月まで篭城
(3/4柴田→填島書状、滝川事書本多氏論文)柴田・信孝の降伏で勝ち目なく降っただけ)
だから滝川破った氏直は秀吉の20倍くらいの戦闘力はある
信長や秀吉は畿内・美濃に大苦戦。 家康は瞬殺した。その家康は諏訪高島で北条相手に敗走。
秀吉は信雄相手に7.5倍以上の圧倒的兵力で1万人以上ぶち殺された。
氏直は信雄より遥かに勝る家康相手に諏訪高島・乙骨で勝利し、全体でも引き分けした。
秀吉は6万の大軍を伊勢で滝川に蹴散らされまくり大苦戦。北条は三万で滝川18000を瞬殺し6000人討ち取った。
豊臣家は家康に滅ぼされて滅亡
北条家は江戸期も存続。旧臣らは家康配下で重宝され、統治システムも豊臣ではなく北条家の物が受け継がれた
小田原合戦時の陣立書で全国から215000&佐竹結城里見宇都宮ら2万で235000。
北条は毛利家文書の北条家人数覚書でわずか34500。秀吉書状で2、3万。兵力比7.5〜11倍もあるんだから勝って当たり前
そんな戦闘で重臣一柳や堀尾の子、前田重臣、平岩弟が戦死し、氏家行継負傷。韮山500に大苦戦し小田原1000程度や忍1000に手も足も出ない。
勝てたのは家康や上杉・真田・依田、佐竹・宇都宮などが北条方の兵力が集中した上野・武蔵・下総の諸城落としたおかげ(ちなみに勝ってない。講和開城しただけ)
北条側は主戦派抗戦派割れるなど戦意0で松田大道寺皆川北条氏勝など寝返り・抗戦意思なしで降伏する者ばかりの戦意0の状況
享禄以来年代記によれば豊臣軍は29万。また榊原書状や那須記など50万の大軍。にもかかわらず忍小田原韮山など1000〜500そこそこの拠点も落とせず
兵站維持できるギリギリのところまで追い込まれる
北条>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>秀吉
×武田が実力で信長に滅ぼされた
○甲江約定反故にによる武田の戦闘体勢解除につけこんだ圧倒的大軍での騙まし討ちと
タイミングよく起きた浅間山噴火による領内混乱と対北条徳川戦の疲弊と勝頼の失政自爆による財政破綻などによる
離反の連鎖につけこんだ火事場泥棒
こんな卑怯な手法&幸運があれば誰でも勝てる あんなもん完全にラッキーだっただけ
元々勝頼の自爆と対北条徳川戦で極端に弱りきってる上に天変地異による災悪
寝返りの連鎖でまともに戦う者皆無 今川氏真レベルでも5万もありゃ十分勝てる こんなもんを実力で滅ぼしたとか言わん
いわば火事場泥棒みたいなもん
本能寺後武田領国の織田軍が皆蹴散らされて周辺大名の草刈場になったのも織田が雑魚すぎたおかげだろうな
以上をまとめると武田>>>徳川・北条>>>>>>織田>>>>>>>>豊臣
841 :
人間七七四年:2014/06/11(水) 00:10:58.59 ID:f5WcONi5
圧倒的兵力差があったし敵対者の対立を利用してん寝返らせて勝ってるだけ。
別に有利な状況も秀吉が実力で作ったわけじゃない。
織田家が当主の能力や運、状況に恵まれ拡張でき秀吉はあくまでその中の枠内で歯車のひとつとして働いていたにすぎない。
本能寺時点で大きな勢力持っていたのもひとえに織田が拡張したからであってその中で秀吉が果たした役割は
初期ではほんのわずか。後期でもあくまで軍司令官の一人、つまり一部分。
そこで光秀が運よく信長を討って逆賊の汚名も被ってくれたから逆賊打つという格好の名分を
おいしく頂いた。上杉と徳川は82〜83年にかけ信濃中部で争い家康の同盟者北条との関係の悪さからも秀吉側につくのは
自然な流れだし毛利も本能寺前で既に和睦の話が上がっていた。宇喜多も直家死んで八郎人質取ってたからそうそう
裏切られない。両者とも本能寺時も運よく敵対しなかった。
長曾我部の敵対者十河や河野、島津の敵対者大友、北条の敵対者佐竹、信濃での家康の扱いに不満を持った木曽、小笠原、真田
等の場合も同じ。元々敵対者同士だったか家康の扱いに不満があったのを利用しただけ。
そもそも和議の前日に秀吉は馬を納めるつもりといってるし和議がなった時の書状でも馬を収めるつもりでいたら
信雄が種種懇望してきたと書いてる
完全に信雄がヘタレてラッキーで和議がなっただけ
11月10日秀吉→大井、土井 砦を数箇所構築したので納馬する予定である
11月11日秀吉→津田 砦以下を構築し、2、3日中に納馬予定でいた所、信雄より種種懇望があったので
講和について同心した。
11月13日秀吉→伊木、池田・荒尾書状
これって「秀吉の主観による信雄の心中予測」ってだけ
実際秀吉の予定とは全く別
ちなみに秀吉は10月28日にも丹羽宛書状で砦が出来次第、「大阪に」納馬する予定だと言っている
また浜田・桑名・長島・など圧倒的大軍に攻囲されながらなおも抗戦中
戸木も軍記では開城した事になってるが一次資料にはない
実際は苅田の応酬で領内荒らしまわった程度で大した戦果がないのが実態
んで福田氏も寝返るが結局長久保も奪回
ちなみに織田・徳川方は家康が領国に半分の兵を帰し1万足らずの兵力
どうみても苦戦しまくりでラッキーで和議が結べただけです
本当に(ry
ちなみに尾張松ノ木近辺の諸将は会戦当初から去就が微妙で
終盤になってから劣勢になりまくって裏切り続出といった流れではない
3/16信雄→吉村 松ノ木近辺の者が羽柴方についたとの報に接し兵糧等の支給を約束
3/18秀吉→尾張石田の毛利広盛で毛利秀頼に同調して内応した事を賞賛
美濃でも去就が定かでなかった池田・森が羽柴方について信雄は留守同然だった犬山城に襲撃を食らう
伊勢でも神戸・関・信包など地元諸将は多く羽柴方についたため&池田らに対応するため徳川が尾張方面に転進したおかげで
楽に侵攻できただけ
家康は3/1松平親宅に蔵役・酒役免除
3/3徳川家康定書 で三・遠両国で徳政
家忠日記3/4で三河・遠州徳政入、
信雄も3/17 尾張聖徳寺および寺内町の年貢諸役免除、違乱煩いを停止
3/25家康→尾張熱田の加藤景延らに信雄の了承の上で徳政免除を認めると
圧倒的不利な状況の下での会戦をしており
現に夏に半分兵を帰し一万足らずしかいなかった。
そんな圧倒的有利な状況&条件で長久手・蟹江・二重堀・戸木・松ノ木・長久保など各所で苦戦・敗戦を繰り返しまくって
尾張半国すら切り取れなかったのが秀吉
842 :
人間七七四年:2014/06/11(水) 00:12:06.51 ID:f5WcONi5
○長久手合戦の戦死者は1万人以上
4/9織田信雄書状 一万人
4/10家康書状一万人
4/11家康書状一万人
4/13北条氏政・氏直書状1万人
5/2小早川隆景書状一万人余り
5/3織田信雄書状一万五千人
5/7織田信純書状一万人
家忠日記1万五千余り
顕如日記1万人余り
イエズス会年報1万人
フロイス日本史一万人
当代記2万人
池田家履歴略記・兼山記2万人
戦死者池田親子・森長可・木下祐久利ただ兄弟白井藤丸蟹江勘衛門大村定平
佐藤又座衛門鯨藤治今井長可今井長三郎秋田伝十郎生駒半座衛門香西又市
梶田喜八朗吉田甚内川越次郎河合助之丞岡田善衛門今鵜善衛門村岡十内長谷川伝三郎
森鳥八蔵片山喜平次阿部弥一衛門秋田嘉兵衛片桐与三郎梶浦兵七朗竹村小平太
また長久手合戦参加者の家記・家譜・合戦記なども全て1万人かそれ以上としてる
3000人としてるのはない。
アンチ徳川のアホ堀によれば顕如日記のその後の噂では3000人というのが正しいそうだが
文中に書かずに真横に書いてる時点で書き足してるのがミエミエ
ちなみに
家康が諸大名あてではなく身内にあてた書状や敵対勢力の毛利方の書状でも一万人戦死とでており
3000といってるのは顕如日記の「その後の沙汰(噂)」という所のみ
843 :
人間七七四年:2014/06/11(水) 00:12:50.04 ID:f5WcONi5
●二重掘合戦で大敗し、楽田陣から敗走した秀吉w
細川家記
3月27日秀吉一に25日、秀吉公犬山に入り、楽田・羽黒辺まて諸大将衆はかり召し連れられ、
仕寄の下知など仰せ付けられ先つ小牧山に対し向城を高く構え、堀を二重に深くほり、柵を堅く結び
井楼を上させられる、是を二重掘の要害といい、この外岩崎山・小松寺山・青塚内窪山等の付城勢を
分ヶ守らせらる…(省略)
秀吉公二重掘に附城三ヶ所仰せ付けられ、忠興君を初大将数多くして守らせられ、
小松山寺を本陣とし、用心厳しくして合戦を持て数日対陣有り、二重掘には細川与一朗・蒲生忠三朗
堀久太郎…(省略)
五月遡日、信雄小牧山より見て一あてせんと有しを、家康公御無用とおおせられ、ぜひにと有りて御立候間、
家康公御家人を召され、尾張勢定立らるへし、もり返す用心せよと仰せられ候、信雄の勢は木村・長谷川等の手に食い付き、
芝手の中まてかけこみ、両手の軍士散々に敗走いたし候、忠興君御手廻討に走出られ、芝手の上に御揚り御下知、…(略)
長久手にて3大将討ち死に、秀次利を失われ、二重掘にても既に味方追崩され、秀吉公御気色悪かりしに、忠興君御手にて敵を
追い返し、勢ひつくのみならず、…
徳川家の軍勢小牧山より打ち出て二重掘の前に一戦せんと備ふ、秀吉公下知には敵馬を入れ来らは成へき程折敷て防くこと、…
二重掘の神子田半左え門一戦にも及ばず敗走す、寄手是を追討…神子田、太閤の御勘気を蒙ると云々…
二重掘の軍勢周章して伍を乱す、信雄兵其の気に乗じて攻撃多く首級を得たり、
秀吉の三大デタラメ
○秀吉は城攻めがうまい→デタラメ。松ノ木・三木・戸木・長久保・韮山・鳥取など大苦戦
圧倒的資金力と人心掌握と大規模軍隊が必要な水攻めや兵糧攻めや降伏勧告で楽に勝ってるだけ
○秀吉の一夜城→一次資料にない太閤記のデタラメ
○秀吉の中国大返し→事前に兵糧・街道確保など準備してたからできただけ
上方の圧倒的国力・先進的装備&135000もの圧倒的大軍の豊臣軍が
わずか22000程度で寝返り続出中で木造の傀儡状態で基盤ガタガタの信雄相手に大敗!!! 敗戦!!!!
ってまるで漫画だな。
アホすぎる
さすが戦国最強豊臣軍
秀吉の対戦相手なんて皆豪族国人連合の寄せ集め烏合の衆部隊の上に寡兵だもんなぁ
謀略・暗殺・家中の内紛による火事場泥棒ばかりで拡張し宇喜多南条始め寝返りばかりで
戦いのたびにドミノゲームのように勢力図の入れ替わるハリボテ西国大名毛利
前田・金森・不破が勝手に退却し稲葉らも美濃遠征で裏切りまくり結束力が0露呈した柴田
戦い当初から尾張では毛利、伊勢では神戸関信包田丸など離反の連鎖だった領国基盤ガタガタの信雄
徳政の連発・駿河も甲斐も南信濃も平定から時間がない上に領土安堵状を出すなど国人の自立統治を後押しする間接統治を行っただけで
譜代の石川ですら籠絡され木曽も離反し翌年小笠原も石川も水野も真田も離反するなど烏合の衆もいいところの徳川
まともな迎撃体勢すら整わずはなから離反の連鎖の応酬だった島津
わずか34500しかいない、戦意0で抗戦・主戦で割れていた北条
844 :
人間七七四年:2014/06/11(水) 00:13:21.53 ID:f5WcONi5
史料総覧 毛利氏の軍、羽柴秀吉等と播磨上月城下に戦ひて、之を破る、
萩藩閥閲録
晋叟寺文書
毛利家日記
[参考]備前軍記
[参考]浦上宇喜多両家記
[参考]陰徳太平記
[参考]御答書
[参考]總見記
[参考]柏崎物語
【管理番号】020100216456
【編/冊/頁】10編911冊179頁
【綱文和暦】天正6年6月21日(15780060210) 3条
【綱文】 毛利氏の軍、羽柴秀吉等と播磨上月城下に戦ひて、之を破る、
晋叟寺文書
天正6年8/21
今度播州上月之城従芸州被催候処、
自京都為後巻信長代官羽柴、荒木被差出、去六月21日来之、鉾盾削、就中為
虎御粉骨之被合戦於鑓下、彦六兵衛遂討死、其他京勢数多討死、
成田五郎左衛門尉秀綱(花押)
晋叟寺 衣鉢閣下
荻藩閥閲禄巻91林平八
敵敗軍太慶候、上月もはや一着候、依去21日合戦之時、与二事別抽粉骨之由候、
輝元 御判
巻115の2湯原文左衛門
桂左衛門大夫書状披見候、其元長々在番辛労之段無計候、上月表之事敵悉敗軍候、此の節之儀候条、
其表之事堅固之儀可肝要候
天正6年六月二十八日湯原弾正忠殿
輝元 御判
天正10年5/4小早川→冷民少
如仰鴨城之儀逆意之者在之付、羽柴自身至外構詰寄、終日雖及防戦候、甲丸以堅固
之上合力即切崩、敵数多討捕之、大利得之事、
天正6年8/10毛利輝元→児玉
去六月二十一日両軍互下合終日防戦之時、敵数多討捕、
7/7輝元→児玉
去月21日於羽柴陣麓合戦之時、其方事頓懸付之由、心懸神妙候
天正7年4/20輝元→児玉
去年上月合戦之時、其方同道仕者共辛労之通、
天正6年7/2吉川・小早川連署状
一筆到啓上候、去21日合戦於羽柴陣麓合戦之時、児玉小次郎鑓に被相之無比類
被仕候、自盛重・隆重茂被加御褒美候様、
天正6年6/26輝元→児玉
態申遣之候、今度合戦勝利之段大慶候、小次郎事、無比類心懸宴神妙之至候、
6/26輝元
去23日之書状被見候、21日之合戦勝利之段大慶候、上勢与初之儀候二如此之仕合、
…中略 昨日之注進ニ敵陣悉敗北之桁由候、誠以大利之段、更々無申計候、於今者上月之儀は
一着不可有程候、申越候通路銘々可及返事候へ共、
以上児玉家文書
845 :
人間七七四年:2014/06/11(水) 00:13:52.67 ID:oSa/V2MP
皆もいってるけど単純に秀吉が雑魚すぎるだけだと思う
野戦するからにはある程度なんらかの傾斜物を超えなくてはならないのは自明の論理で、
あの場所は川とか沼地とか崖や山などに比べたら遥かに決戦しやすい上にその辺りが突破しずらいなら
戦場の変更とか転進とか兵力6倍以上ならいくらでもうつ手あるわけで。
中入り勢増やすもよし、西方面迂回するもよし。砦を一つ一つ兵力に物言わせて攻め取るもよし
支配力の弱い信濃や信雄の本拠の伊勢を荒らすもよし。結局何一つ有効な手打てないまま
だらだら対陣するしかなかった秀吉は弱すぎる
あのあとだらだらと木曽川筋の城を 攻めるばかりで、戸木城でも負け松ヶ島城で手こずり、
南伊勢でも反撃くらい 加賀の井城も正攻法で瞬殺できず滝川が作った大チャンスも無駄にし
夏の対陣でもこれまで以上の兵力差がありながら手も足もだせず、結局 晩秋に信雄の本拠地近くを
荒らしまわったら信雄がびびって降伏したから勝てただけ
当時を記した日記などや合戦参加者が書いた合戦記などの記録類によると
夏も春も砦間の小競り合い自体はあったため、ただ単純に手出し云々というより
秀吉が弱すぎて攻められなかっただけだと思われる
六倍以上もの兵力差あり小牧山の北と東をガチガチに秀吉方拠点で築き
さらに遥か南東の竜泉寺に至るまで秀吉方拠点で固める周到な準備しておいて
それを秀吉のアホ作戦で台無しにして奇襲を許した。
白山林で秀次が奇襲受けた時池田勢はずっと南方の岩崎城を攻めるというかなり縦長の陣容だったが
この時秀次勢に後続させて龍戦寺で二万程家康方に対する抑えを小幡方面に向けて置いてれば
こんな自体にはならなかった。秀吉は中入り勢に楽田〜龍泉寺に至るまで砦・拠点を堅固に普請させたり
途中の家康方拠点を攻撃させながらの隠密とは程遠い堂々とした行軍を無謀にもさせた。
奇襲許してしまったのもすべては秀吉のせい。
しかも柏井にいる一柳宛書状から秀吉は家康の動き把握してたのに
すぐ軍ださなかったorのろのろ山道を行軍させて間に合わずむざむざ家康を逃がした
正午の池田勢の敗報を受け取ってから平地部分を動いてるから竜泉寺にさっさとついてるから
朝に動けば絶対間に合ったのにそれをさせないあたり軍事的才能がなさすぎる
敵地の中で無謀な行軍を中途半端にさせたのが馬鹿としかいいようがない。
織田家で最も無能な上に重臣の謀反&粛清等があり、権力基盤弱い織田信雄の領土相手にこの醜態ってw
846 :
人間七七四年:2014/06/11(水) 00:14:22.81 ID:oSa/V2MP
秀吉って鉄砲の名産地長浜を根拠とし、その後も富裕地を領国としてるから
経済基盤でいえばかなりのものだし装備も当然充実させられるのに
こんなに雑魚なのは本人の指揮能力がクソレベルなんだろうな
秀吉が全軍で小牧山を攻めていたら織田信雄に大敗していたのは間違いない。
何せ信雄家臣の木造や吉村などにぼこぼこにやられた史実があるんだしな
しまいには小田原、韮山、山中、忍、松ノ木、太田など大敗や大損害を重ね、天下失った凡将w
犬山から小牧山にかけての羽黒、楽田、小口、楽田、青塚、岩崎山、内窪、小松寺山、田中、二重堀(最期の二つは小牧山城から真東)
これだけ秀吉方の拠点がずらっと並んでて要害として拵えられ、陣取りした前方には
芝のついた土手を築いて柵を付けている。そこに秀吉方が陣取っていて龍泉寺
にも根城をこしらえ、柏井、大草にも堅固に普請を申し付けられてる。
家康から見れば東、北は秀吉方拠点が並んでて包囲されてるみたいなもの。
中入り作戦なんてしなくても北と東から力づくで押し込める
あと秀吉は中入り軍を追撃していく軍の動きを把握していた事は明らかだが
ここですぐに軍を動かさずもたもたしてたから負けただけ。これは柏井にいる一柳直末にあてた書状から明らか。
単純に秀吉が雑魚すぎるだけだと思う
野戦するからにはある程度なんらかの傾斜物を超えなくてはならないのは自明の論理で、
あの場所は川とか沼地とか崖や山などに比べたら遥かに決戦しやすい上にその辺りが突破しずらいなら
戦場の変更とか転進とか兵力6倍以上ならいくらでもうつ手あるわけで。
中入り勢増やすもよし、西方面迂回するもよし。砦を一つ一つ兵力に物言わせて攻め取るもよし
支配力の弱い信濃や信雄の本拠の伊勢を荒らすもよし。結局何一つ有効な手打てないまま
だらだら対陣するしかなかった秀吉は弱すぎる
あのあとだらだらと木曽川筋の城を 攻めるばかりで、戸木城でも負け松ヶ島城で手こずり、
南伊勢でも反撃くらい 加賀の井城も正攻法で瞬殺できず滝川が作った大チャンスも無駄にし
夏の対陣でもこれまで以上の兵力差がありながら手も足もだせず、結局 晩秋に信雄の本拠地近くを
荒らしまわったら信雄がびびって降伏したから勝てただけ
当時を記した日記などや合戦参加者が書いた合戦記などの記録類によると
夏も春も砦間の小競り合い自体はあったため、ただ単純に手出し云々というより
秀吉が弱すぎて攻められなかっただけだと思われる
7倍以上もの兵力差あり小牧山の北と東をガチガチに秀吉方拠点で築き
さらに遥か南東の竜泉寺に至るまで秀吉方拠点で固める周到な準備しておいて
それを秀吉のアホ作戦で台無しにして奇襲を許した。
白山林で秀次が奇襲受けた時池田勢はずっと南方の岩崎城を攻めるというかなり縦長の陣容だったが
この時秀次勢に後続させて龍戦寺で二万程家康方に対する抑えを小幡方面に向けて置いてれば
こんな自体にはならなかった。秀吉は中入り勢に楽田〜龍泉寺に至るまで砦・拠点を堅固に普請させたり
途中の家康方拠点を攻撃させながらの隠密とは程遠い堂々とした行軍を無謀にもさせた。
奇襲許してしまったのもすべては秀吉のせい。
しかも柏井にいる一柳宛書状から秀吉は家康の動き把握してたのに
すぐ軍ださなかったorのろのろ山道を行軍させて間に合わずむざむざ家康を逃がした
正午の池田勢の敗報を受け取ってから平地部分を動いてるから竜泉寺にさっさとついてるから
朝に動けば絶対間に合ったのにそれをさせないあたり軍事的才能がなさすぎる
敵地の中で無謀な行軍を中途半端にさせたのが馬鹿としかいいようがない。
織田家で最も無能な上に重臣の謀反&粛清等があり、権力基盤弱い織田信雄の領土相手にこの醜態ってw
847 :
人間七七四年:2014/06/11(水) 00:14:56.87 ID:oSa/V2MP
京の公家日記とか秀吉の捏造歪曲フィルターをかかった情報とかがそのまま伝わって公家日記に間違った情報がかかれてたりするけど
小牧長久手の敗報は秀吉のハッタリ誇大喧伝をもってしても打ち消せないほど衝撃的だったらしく京で騒動が数日間続き当合戦で1万人以上戦死したとの報が各公家日記に書かれてる
さらに秀吉の同盟者の毛利方の武将の書状にも1万人以上戦死の情報が書かれておりその他も悉く戦死したと伝わってるから秀吉の捏造をもってしても打ち消せないほど長久手の敗戦
の痛手はひどかったんだろうね 何せあの135000の規格外の兵力をもってしてわずか17000ほどの信雄家康と均衡状態どころか浜田長久保蟹江前田下市場神戸など奪回されたりしてるんだから
イエズス会年報とかフロイスの日本史とかも秀吉の下記のようなデタラメハッタリ誇大喧伝を間にうけて事実かのように書いてるけど
そんな秀吉マンセー軍記ですら小牧長久手の秀吉方戦死者は1万人とかいてるからね
秀吉は敗戦後諸大名にあてて負けはしたもののほんのさわりにもならないとか堅固に意思を固め、家康を討伐してやるとか書いてるけど
そんなハッタリを以ってしても覆い隠せないほど小牧長久手の敗戦のダメージは大きかったんだろ。普通に135000対16000なら半月くらいで決着がついてもいい兵力差だからな
848 :
人間七七四年:2014/06/11(水) 00:15:39.34 ID:EOAgqYfY
小牧長久手合戦でわずか16000そこそこの雑魚信雄勢に1万人もぶち殺された秀吉は
その後ビビリまくって、あれだけ周りに陣城だの砦だの堅固に普請させまくって準備したにもかかわらず
自分から敵領国に侵攻させる作戦はすっかり諦め、
秀吉は小牧山周辺の砦に留守居部隊2万以上を配置した上で、
徳川方が8分の1程度の兵力で後詰するのが危険すぎる木曽川筋の大河に挟まれた進退の効かないデルタ地帯を延々とこれ見よがしに攻めて
秀吉が毛利や佐竹あてで『必家康後巻可仕儀にて候間』『家康後詰可仕事案内与存』などと小牧山からつり出して殲滅する意図満々で必死に罠を張ってたが、
結局作戦が浅はかすぎて失敗に終わるんだよな。
結局この後は瀧川が折角作った長島と清洲を分断できる大チャンスを無駄にして、蟹江や前田や下市場を全て織田方に奪回され
眼前で8分の1の兵力で城攻めやってる織田徳川を殲滅する事すらできず、大阪にヘタレ敗走するアホっぷり。
こんな雑魚が総大将じゃ100年かかっても自力で信雄や家康を倒すなんて到底無理だわ
結局あれだけの兵力差・信雄方は会戦早々重臣含め悉く伊勢尾張美濃の味方が篭絡されてる状況でもって自力では全くといっていいほど秀吉は切り取れず
小牧山周辺の砦や、その他の地域の拠点(東駒野・戸木・松ノ木・長島・桑名・浜田・河波・長久保・前田・蟹江・二重掘など)は全て健在だし
849 :
人間七七四年:2014/06/11(水) 00:16:05.47 ID:GRQsKuS/
信雄方は6/19尾張下市場城攻略(家忠日記)6/23尾張前田城攻略(家忠日記)7/3尾張蟹江城攻略(家忠日記・7/6秀吉→羽柴秀長)
7/10頃に伊勢の浜田城攻略(7/14秀吉→津田)11/10尾張長久保城攻略(11/10信雄・家康→吉村)
最初から信雄陣営は重臣連中が秀吉方に人質取られた状態から会戦してるから岡田・津川・浅井の三重臣始め、伊勢の諸将は3月上旬時点で悉く
秀吉方に寝返ってるし逆に秀吉軍は自力では全くといっていいほど雑魚信雄の領国を切り取れてないわけだが。
家康のいる小牧山周辺に2万以上の兵力を置いて動けなくした上で家康が後詰にこれない木曽川筋の進退の自由の効かないデルタ地帯の小城数城をダラダラ攻め落とすのがやっとだったじゃん。
蟹江合戦という、瀧川の作った大チャンスも秀吉のいた大垣から眼前の距離にいた自軍の10分の1程度の兵力しかいないと思われる
家康相手にビビリまくって大阪までヘタレ敗走してるし。
秀吉が優勢だったのは伊勢で関岡本榊原信包小島津田富田八重羽岡田・尾張で毛利秀頼・毛利広盛・美濃で池田森・信濃で木曽
など一斉に離反がおきまくって、当初味方につくと思ってた池田と森が木曽川を超えて犬山を奪取し北尾張に進出してきた動きに対応するため
家康が伊勢戦線放棄して尾張口に兵力集めて南伊勢方面ががらあきになった三月の攻防だけだしな
伊賀も抗戦するものがろくになくただ降伏しただけだし
こんな居留守泥棒的に奪った南伊勢と伊賀を以ってその後の攻防も無視して秀吉優勢とか馬鹿かと
不意打ち的に尾張上陸・南伊勢居留守泥棒ができたのにその後の攻防では小牧長久手以外でも松ノ木浜田東駒野河波神戸二重堀蟹江長久保戸木と各城郭で負け続けて
135000の圧倒的大軍で以って尾張半国すら切り取れなかったし
850 :
人間七七四年:2014/06/11(水) 00:16:24.79 ID:oSa/V2MP
さしたる理由もなく信雄にいちゃもんつけて攻め込んだら
あらかじめ信雄の重臣の津川や富田らの人質を取っていたために
信雄重臣は悉く秀吉方に寝返り当初信雄につくと思ってた池田や森や尾張石田毛利氏や毛利秀頼や松ノ木近辺の諸将まで
味方につき、池田と森の南下の動きに対応した徳川方が伊勢戦線を諦め、尾張に進軍したため
火事場ドロ的に伊勢を奪えたにもかかわらず、8倍の兵力で臨んだ小牧長久手合戦では一万人戦死の大醜態。
その後は松ノ木城や東駒野城や戸木城など1000貫そこそこの雑魚領主が篭もったところに
1年一杯苦戦してろくに落すこともできず
瀧川が折角作った大チャンスも失い、蟹江前田下市場を奪回され
7月には浜田城、11月には長久保城まで奪回されるアホっぷり。
結局勝ち目なしと悟った秀吉が顕如に泣きついて取り成しを必死に要請したら
やれやれと思った信雄が仕方なく応じてやるんだよな。
851 :
人間七七四年:2014/06/11(水) 00:17:01.05 ID:EOAgqYfY
秀吉は完全に土下座状態だったからね
当時の家康なんて木曽小笠原石川水野真田と続け様に離反し、領国の軍事機密露見で
国力差でいっても普通に10倍くらい開きがあるし上杉真田木曽小笠原石川など遠征に協力する諸氏もアホみたいにいて
普通に考えりゃ瞬殺できないとおかしい地力の差があるのに直前まで侵攻計画諸大名に発布してたと思ったら
直前になったら信雄を送って仲介してもらって母や妹まで人質に出して土下座して戦いを避けるとか情けなさすぎる。
しかも関東八州250万石まで家康にプレゼントするヘタレっぷり。
852 :
人間七七四年:2014/06/11(水) 00:18:25.03 ID:EOAgqYfY
正直大将が秀吉じゃ誰が別働隊でも勝てないと思う。
秀吉の、宇喜多家臣長船、木曽義昌、あて先不明の三通の書状から
遅くとも敗戦翌々日の11日には秀長や蒲生など伊勢方面の攻略にあたっていた軍勢が到着した事がわかる
織田厨はわずか20町ほどの距離の敵に対してとった戦術を秀吉のせいとは考えず
池田森秀次に押し付ける馬鹿 そんなら秀吉が総大将として戦った戦なんて戦場から
ある程度はなれた場所にいたのがほとんどだから秀吉の手柄といえる戦なんて存在しないっつーの。
秀次の補佐役の木下兄弟も戦死し堀・長谷川は一旦的を退けたものの結果として味方見捨てて退却
池田・森はずっと南に移動し岩崎城陥落させていたが秀吉が丹羽、あるいは敗戦後の木曽や長船、その他あて先不明の書状に書いた内容だと
これらの行動を賞賛している。これは決して秀吉の命を無視した行軍ではなく完全に秀吉の命通りという事だ。
別働隊の暴走ではなく完全にその命を発した秀吉の戦術的敗北とわかる
秀吉が奇襲をやすやすと許してしまうような戦術を立ててしまったのがすべての要因
兵力差6倍を生かし、小牧山周辺砦を陥落させるかあるいは龍泉寺方面の中入り部隊を増やし
家康の動きにそなえる部隊を置きつつ家康方の後方拠点を落とし、三河からの連絡を分断・孤立させる策にするか
それも無理ならそもそも尾張口を無理に突破する必要もなく、基盤の弱い伊勢でも支配の弱い信濃でもどこでもいい
結局11月になるまでだらだら戦い続いてるしな
木曽川筋のわずかな城を落としただけで
南伊勢でも反撃くらい滝川が作ったチャンスも無駄にして
権力基盤が弱い信雄領国を荒らしまわってたら信雄がびびって降伏しただけだし
黒田官べえはきてる。3月上旬の秀吉の書状で中国にいる黒田よし孝を紀州の岸和田に移す旨を述べ、
三月下旬まで岸和田在番しててその後尾張に向かった。
三月下旬に黒田長政宛書状でそこにいる軍勢を尾張口に派遣するよう言ってる。
合戦時の陣立書にもはっきり名前がある
秀長、蒲生氏郷も遅くとも敗戦翌々日の4月11日には秀吉の陣所に着陣してる
(4月11日の秀吉の三通の書状でわかるし黒田、蒲生、秀長は陣立書にも名がある)
松ヶ島は4月7日時点で落城しており、その時留守居の富田と八重羽残して
攻略に当たっていた他の武将は秀吉陣に来るよう指示されてる
伊勢攻撃組のうち蒲生、長谷川、堀、日根野兄弟、甲賀州は敗戦前に来てる。
堀と長谷川は中入り組。
(戦死した池田親子、森の名がある敗戦以前に作成された陣立書のメンバーに入ってる)
3月の伊勢での攻防の時に関等地元勢に加え蒲生、長谷川、堀、日根野兄弟、筒井滝川、多賀、
池田景雄、山崎、浅野、一柳が配され、美濃口には秀次、秀長、秀勝、細川、加藤、堀尾、木村。
この段階では備前、美作、因幡の軍勢はそのままにされてるが3月26日に黒田長政宛書状で
「備前の衆(中国で領土の折衝に当たっていた諸将)をこちらへ来させる」と伝えているし
その他美濃、伊勢、甲賀等全ての諸将を集めている事が秀吉の書状から確認できる。
丹羽長重も派遣されてる。
信雄領伊勢方面の軍勢も尾張口に集められてる
北伊勢には羽柴方が滝川、岡本、津田、富田、八重羽、小島、田丸、榊原を残して信雄も
それに合わせ多く兵残してる。秀吉方は
秀長、筒井順慶、蒲生、日根野兄弟、山崎、池田景雄, 細川、多賀、浅野、加藤光やす、木村、
蜂須賀正勝、黒田孝高、前野長やす、赤松、明石、生駒、稲葉一鉄、 神子田、高山、中川、
長浜衆、木下一元、徳永、小川、高畠、毛利秀頼、牧村、松下 滝川益重、
蜂屋五郎介、柘植、池田和正、川尻、蜂屋頼隆、金森、丹羽長重、氏家行広、甲賀衆、
越中衆、伊藤祐時、加藤清正、加藤よし明、竹中重門、糟屋、佐久間、福島、
長久手方面進軍者を除きこれだけ主力武将を楽田あるいはその付近に結集させてる。
長久手方面進軍者は秀次、堀、長谷川、池田、森の他に、一柳、生駒吉一、矢部、山内
彼らが柏井の屋敷に在番してる。中国地方の兵も呼び寄せられてる
853 :
人間七七四年:2014/06/11(水) 00:18:56.93 ID:OlEPc0dv
戦国を代表する凡将織田信雄ごときに大敗を繰り返し1年かけてもまだ苦戦を続けていた秀吉は天正12年11/4本願寺顕如に信雄・家康への取り成しを依頼し
これにまんまと信雄が乗ってしまったため北条の変心と上杉の川中島〜中信濃への出兵への備えのため単体では8000しか対秀吉に動員できない家康は単独で
抗戦する名文も兵力も失い和議にのらざるをえなくなる。そしてこのときの秀康に関しては秀吉の命令で人質に入った等という資料はなく11/13秀吉→伊木、
池田、荒尾11/15→津田、11/18→前田で家康側から実子を差し出してきたと書いている。そしてこれを秀吉は人質としていたが家忠日記や多聞院日記でも養子となっているこの時点で家康は秀吉に従ったわけでもなんでもなく
翌年は軍備をちゃくちゃくと進め北条との同盟関係強化・家中の人質徴収、本願寺派の中心寺院の三河七か寺の還住を許可し動員を期待
している。また岡崎・当部城などの普請も初めている。秀吉側も天正14年初頭まで家康との対決姿勢を崩していない兼見卿記1/28秀吉が家康との再戦のため出陣準備を始めた
天正13年11/19秀吉→真田昌幸 この上は人数を出し、家康を成敗するべく相極候、秀吉の出馬の儀は当年無余日候間、其国(信濃)へも其方の申す次第に軍勢を入れ差し遣わす
11/20秀吉→一柳 来春の家康攻撃準備を命じ尾張星崎から三河の情報を収集するよう伝えている
ちなみにこの頃天正大地震の影響で徳川領国はめちゃめちゃになる(三河で大洪水が起きたりしている)
天正14年1/9秀吉→上杉景勝では去年申したように先勢を当月に差し遣わし2/10くらいに自身も出馬する
四国・西国の人数其の外兵糧以下の儀は船手を以って申し付けた。2月末・三月初めくらいに海上を自由にできる
其の方の人数は2月中旬くらいに信州へ人馬の足立申すべく候、信州・甲州・関東の儀は申すに及ばず
公事に抜かりないように。信濃へは其の方の人数だけでは足りないだろうから2・3万この方からも木曽口へ使わす
2/10くらいには尾張迄出馬する、などと事細かかに家康討伐計画と上杉の出馬要請を行っている
このように天正12年時点での和睦がそもそも臣従でも何でもないんだから人質でもなくただの和睦条件だったというだけ。
秀康が家康に嫌われていたというのは秀康の記録として信憑性高いといわれてる秀康年譜にあるな
家康は当初秀康を自分の子と認めず秀康の念願でなんとか家康との面談がかなったと書かれている
関が原にしても優秀とされながら凡庸と一般的に言われ真田の用兵にまんまと翻弄された秀忠の方を上方への派遣部隊としているし
諏訪から武田へ復帰し家を継いだ勝頼と違い秀康は結城からの復帰も認められずそのまま秀忠に嫡流を奪われ、小牧長久手時の和睦も家康側から差し出したのは
秀忠を疎んじていた証拠といえる
854 :
人間七七四年:2014/06/11(水) 00:36:26.71 ID:dfGopEBD
825ですが大して強くない秀吉に善戦した程度の光秀が別段戦上手というわけでないことは分かったのでもう長文は結構です
855 :
人間七七四年:2014/06/11(水) 06:51:43.12 ID:iaPrpOwT
山崎合戦なんて最初から勝敗の決まったデキレースでしょ
池田・高山・中川ら摂津の諸将は本能寺前時点で秀吉が光秀との政争勝利の結果から秀吉派軍閥だし
中川なんて天正8年時点で兄弟の契り結んでるほどで
光秀側は主殺しの汚名背負ったせいで細川・筒井ら与力連中に背かれ信雄・信孝・丹羽ら周辺諸将も基本みんな敵。
ありえないタイミングで信長が光秀に殺されたおかげで棚ボタ的に主殺しの敵打ちの大儀名分手に入れて
それを利用して次々に勝手に味方が増えたし、信長が殺されてから、わずか1日半でその報を知る棚ボタっぷり。
しかも毛利も都合いいタイミングで即座に難航することなく和議に応じてくれたし
856 :
人間七七四年:2014/06/11(水) 06:52:19.84 ID:gduiMe+C
『明智光秀 浪人出身の外様大名の実像』(谷口研語 洋泉社歴史新書)ってのが出てるけど、読んだ人いる?
857 :
人間七七四年:2014/06/11(水) 06:52:26.62 ID:NvmPv3c6
つーか本能寺の変は明らかに秀吉が仕組んでやった事だから最初から勝てて当たり前でしょ。
備中〜京都までの距離で信長が殺されて一日半程度で
情報が正確に伝達し、真偽も確かめず備中陣を引き払ってるなんてありえないし
秀吉が最初から画策して首謀者として信長を殺しただけ。
858 :
人間七七四年:2014/06/11(水) 19:09:54.93 ID:ZqVLPuuY
859 :
人間七七四年:2014/06/11(水) 21:21:51.17 ID:gduiMe+C
>>858 特に新説や発見とか無いですか(´・ω・`)
860 :
人間七七四年:2014/06/11(水) 21:30:25.89 ID:ie0DbJlf
>>859 俺は光秀についてそんなに知っているわけじゃないというのをまず言っておくが
俺の知識と照らし合わせた場合、特に新説や発見は無かった
強いて言えば「もし本能寺の変が起きなかったら、筒井氏は東国に国替えされていたのでは」って部分だろうか
ただ「普通の本」と言ったのは本の種別のことを言ったのであって、出来が普通なわけではない
光秀の生涯を万遍なく追っていってるから、光秀の人生について知るには良い本だと思うよ
861 :
人間七七四年:2014/06/11(水) 21:35:45.81 ID:+M57o89G
「筒井が東国に…」云々って武田攻めを理由に徴収したのを返還したって
のを谷口氏が誤読してる様な感じだけどな。
詳しい人どうなん?
862 :
人間七七四年:2014/06/12(木) 00:38:04.58 ID:TD1H+B1i
それを記述して、そこから推測して書いてある事なので誤読ではない
あとあと秀吉が筒井氏を国替えしてるから、信長が似たようなことを考えていた可能性はある
東国かはともかく
もちろん著者の推測で、そう書いてある史料があるわけではないから、これ以上はなんとも言えない
863 :
人間七七四年:2014/06/12(木) 00:53:36.00 ID:MUFS9PGG
誰が代わって大和支配するんだろ?
864 :
人間七七四年:2014/06/12(木) 08:55:19.27 ID:nEVGvP8J
そもそもあの時点で東国での国分けは終わってるから谷口のは説得力に欠けると思うな
国替えやるなら滝川や川尻等と同時に表明されてるだろう
865 :
人間七七四年:2014/06/12(木) 09:23:15.33 ID:hdbH1lJf
畿内近国は宿将から近臣に代えられ始めてたから長谷川秀一とか福富秀勝あたりかね
866 :
人間七七四年:2014/06/12(木) 14:05:24.07 ID:fx8Oimyq
867 :
人間七七四年:2014/06/13(金) 18:41:43.96 ID:AQpQpscM
>>857 秀吉が黒幕なら、家康はなぜそれを宣伝しないの?
それを宣伝すれば豊臣家滅ぼすの簡単だろうに
868 :
人間七七四年:2014/06/13(金) 23:09:45.27 ID:vIv/8Kgh
そりゃ家康が知らなかったってだけじゃないの
869 :
人間七七四年:2014/06/14(土) 01:33:33.49 ID:aNoEnR6Y
というかまず秀吉のプランなら光秀自身がそれを武器にして周りを勧誘してるわ
870 :
人間七七四年:2014/06/14(土) 01:59:55.48 ID:YoAGMveW
色んな風説がとびかってるのに、「黒幕が○○」ってのがどんな史料にも無いみたいだし
871 :
人間七七四年:2014/06/14(土) 09:19:56.24 ID:Lq6U0w/b
>>869 そんなもん実際に手を下した反逆者である事が確定してる光秀のいう事なんて誰も信じるわけねーだろ。
872 :
人間七七四年:2014/06/14(土) 19:30:07.11 ID:5f26aaNe
>>871 事変後じゃねえよ
事変前だ
事前に勧誘なんてしてたら殺害は成功しなかったと言うが
そもそも秀吉のプランというならば、前以て秀吉が光秀に計画打ち明けてる勧誘してること前提だから、それも成り立たない
大体そこまで細心の注意を払って身内にまで計画を打ち明けなかった光秀のような人間が
殆ど面識もない相手である秀吉の計画を飲むという前提からしておかしい訳だがな
873 :
人間七七四年:2014/06/14(土) 21:55:07.95 ID:yWzYFqRz
>>871 信じるか信じないかじゃなくてさ、光秀が変のあとに出した書状はいくつか残ってるけど、そこには公方様がうんぬんとは書かれてても
「羽柴も同心」とかそういったことは一切書かれてないからさ
874 :
人間七七四年:2014/06/14(土) 21:55:15.81 ID:ZeNbmkf0
>>872 反逆計画なんて秘密裏に行わないと
信長にばれて速攻打ち首だろ。
勧誘なんてしてたらバレバレで成功しようもないだろ
875 :
人間七七四年:2014/06/14(土) 22:34:36.66 ID:SG8rBlAO
秘密裏ってどうやって?誰か坂本と備中を行ったり来たり行ったり来たりしてたんか?
876 :
人間七七四年:2014/06/14(土) 23:18:39.61 ID:5f26aaNe
>>874 だからそう言ってるじゃないか
あんたの言ってる意見はそもそも秀吉が光秀に話を持ちかける可能性も否定してるだろ
877 :
人間七七四年:2014/06/15(日) 06:47:18.53 ID:EuHU5FOD
878 :
人間七七四年:2014/06/19(木) 16:56:01.10 ID:YSTXNj+V
確かに
879 :
人間七七四年:2014/06/20(金) 00:25:23.03 ID:o2FC1dOK
>>819 三沢=溝尾と取れるような史料は無い
三沢の通称も勝兵衛だか少兵衛だかで溝尾の庄兵衛と同音だけど他に関連を匂わすような部分って無いよ
880 :
人間七七四年:2014/06/22(日) 20:42:03.35 ID:UY7XAhjJ
惟任日向守光秀が、てえええええばあいいたす
881 :
人間七七四年:2014/06/22(日) 20:42:51.07 ID:OZDoK/TC
藤田が相変わらず光秀が足利義昭を奉じて、と言っているんだが、
家臣たちをどう説得したのか説明がない。
家臣たちが「やりません」と言ったら信長殺しは不可能。
家臣をどう説得したのか明らかにするべき。
882 :
人間七七四年:2014/06/23(月) 20:27:58.76 ID:lGR2mYiW
883 :
人間七七四年:2014/06/23(月) 20:55:47.95 ID:lGR2mYiW
884 :
人間七七四年:2014/06/24(火) 22:44:27.47 ID:4rTrd+Ic
写しじゃなくて書状そのものが石谷家に伝わってたって話なら
光秀や利三には届いてなかったって線もあるんかの?
885 :
人間七七四年:2014/06/25(水) 00:19:49.76 ID:8YtPti/x
もし届いてたら光秀も引っ込みついてたかと思うと切ないな
886 :
人間七七四年:2014/06/26(木) 08:48:49.07 ID:leJSBERt
天皇、将軍のためという公の御旗には正面切って反対し難いというのもあるでしょう。
887 :
人間七七四年:2014/06/26(木) 09:10:52.52 ID:MvjGa6k0
888 :
人間七七四年:2014/06/26(木) 12:51:20.81 ID:4sS479Hp
どういうやり方で運んでたのか不明だけど
元親と秀吉の書状のやり取りも一ヶ月以上掛かってたようだし
五月二十一日っていったら光秀は既に安土から離れて坂本に移動してた頃で
以後信長には会ってないし
届いてなかった可能性の方が高いけど届いてた考えても光秀の行動には
それほど影響してないっぽいって感じかな
889 :
人間七七四年:2014/06/26(木) 15:57:46.18 ID:iWKl4J9Z
一月あたりまでは元親やる気だったみたいだけど、やっぱ甲斐の事が影響したのかね
890 :
人間七七四年:2014/06/26(木) 23:41:58.53 ID:U8VYYSN4
秀吉政権になってから敵対→四国征伐直前に降伏文書送る→許されず征伐執行
信長んとき助かったのに同じこと繰り返してることになるな長宗我部
上杉との差・・・外交下手すぎやろ、そんなんやから子供も見誤って家滅ぼすんじゃw
891 :
人間七七四年:2014/06/27(金) 08:32:25.67 ID:sAzIDz5S
明智も柴田、滝川、羽柴の存在があって
信長・信忠親子を葬れば天下が転がりこんでくる
なんて当然思ってなかったよな
滝川は北条にフルボッコ、柴田は上杉軍の反撃で防戦に追われ
何故か毛利とさっさと休戦出来た羽柴が明智を討つ
892 :
人間七七四年:2014/06/27(金) 12:45:01.38 ID:wvsbQt0q
毛利との和睦は既に本能寺の変の時に成ってて
後は備中での宇喜多領と毛利との国境線画定作業が残ってただけだし
攻め取った丹波には秀勝?だったかを置いて、直轄領化があっさり実行できたのに対し
勝家の方は織田家時代の軍閥化がされてない、織田家旧来の寄騎関係にすぎない
後進軍隊だったからその弱点がモロに出ただけでしょ。
明智や羽柴は軍閥化が終了してたし、早くから陣立書や、直轄支配化、直接命令型の統治形態や軍隊が持てたけど
勝家は家康の信濃支配みたいな、弱い頼子寄親に頼った軍隊だっただけ。
前田や金森は信長直臣で家老柴田を監視する役目で付けられてるのであり もともと柴田の配下ではない。柴田に付与された与力は同僚じゃない。
信長直参の母衣衆出身者は超エリートで信長の指揮命令系統で動くのであり家老の柴田の命令なんて受け付けない。信長が柴田と相談するように命じてるから
柴田との会議で越前経営に同席するのであって柴田が彼らを家臣扱いすることは信長を軽視してることになる。
柴田・佐々・前田らはそれぞれに軍閥化したとするべきで賤ヶ岳の戦いではその弱点が見事に顕れた。
一方の光秀や秀吉は軍閥化に成功しており信長の仇討ちをスローガンに
摂津にいた池田恒興・高山・中川ら都市国家(都市軍閥)を同陣に誘い光秀軍閥を打ち破り指導力を確立した。
(賤ヶ岳の戦いで戦死した中川清秀について中川氏年譜は秀吉と中川が天正8年6/5に兄弟の契りをしてる書状がある)
893 :
人間七七四年:2014/06/27(金) 12:48:17.69 ID:wvsbQt0q
毛利軍が秀吉の口から出任せ口述詐欺に見事ひっかかってあれだけの大チャンスに追撃もせず高松を明け渡して退却
普通に考えりゃ熊見川や美作攻防の2の舞で毛利に瞬殺されててもおかしくない状況だったし、秀吉に騙された毛利のアホさ加減と明智軍の兵力分散と
山崎での隘路での迎撃を捨てた恩恵にすぎない
そう考えると秀吉は圧倒的に運がよく、明智は不運だっただけ。何せ摂津の諸侯とか兄弟の契りしてる中川とか
信孝とか丹羽まで秀吉方に参戦して大軍に膨れ上がったのに対して明智は与力格がことごとく不参加、日和見だしな
山崎合戦なんて最初から勝ったようなもんでしょ。池田・高山・中川ら摂津の諸将は
本能寺前時点で秀吉が光秀との政争勝利の結果から秀吉派軍閥だし中川なんて天正8年時点で兄弟の契り結んでるほどで
光秀側は主殺しの汚名背負ったせいで細川・筒井ら与力連中に背かれ信雄・信孝・丹羽ら周辺諸将も基本みんな敵。
ありえないタイミングで信長が光秀に殺されたおかげで棚ボタ的に主殺しの敵打ちの大儀名分手に入れて
それを利用して次々に勝手に味方が増えたし、信長が殺されてから、わずか1日半でその報を知る棚ボタっぷり。
しかも毛利も都合いいタイミングで即座に難航することなく和議に応じてくれたし
894 :
人間七七四年:2014/06/27(金) 13:03:12.27 ID:twgIeVwl
なげーんじゃボケ!
895 :
人間七七四年:2014/06/27(金) 19:24:55.17 ID:6BGRH1Wd
どうせ大したこと書いてないから無視でOK
896 :
人間七七四年:2014/06/27(金) 21:54:34.05 ID:znD8isTC
とても詳細に内容が書かれてて、非常にタメになる。
897 :
人間七七四年:2014/06/27(金) 21:59:50.82 ID:3XqRb7NQ
すこしは考えて自演しろよアホ
898 :
人間七七四年:2014/06/28(土) 08:58:34.43 ID:eah5YVF9
旧暦六月二日
899 :
人間七七四年:2014/06/28(土) 13:59:02.20 ID:cZt+vK5A
あの新発見書状は光秀の下についてたのかねぇ。
それが確定しなくては特に変との関連は
語りようがないわね。
まぁ、小説ネタの愛宕山での逡巡の根拠には
なるから、何かの時には使えそうだけど。
900 :
人間七七四年:2014/06/28(土) 19:51:52.47 ID:rTn4DnSo
>>897 多分長い糞レスじゃなくて見つかった書状に対してだろw
901 :
人間七七四年:2014/06/29(日) 02:44:38.74 ID:NLzeCujI
とりあえず大門の新説は否定されたことになるな
902 :
人間七七四年:2014/06/29(日) 09:39:20.70 ID:6jKPrhVI
小朝光秀は最初は違和感あったけど最近はしっくり。
朝臣たる光秀の活躍に期待。
903 :
人間七七四年:2014/07/01(火) 14:43:00.58 ID:YcO9Cf8v
>>891 秀吉は本能寺の件について明智は信長に処罰されそうになったから殺したんでしょ?
と言ってるから、多分両者間にトラブルが有った事を知ってた
だから即座に変を事実だと確信して動きが早かったんだろ
904 :
人間七七四年:2014/07/02(水) 00:10:12.67 ID:ZmXzy+J8
どの史料で言ってるんだそれ
905 :
人間七七四年:2014/07/02(水) 01:02:45.95 ID:7IoHdCYQ
脳内
906 :
人間七七四年:2014/07/02(水) 05:26:58.97 ID:wEvPeLK6
即座に変を事実と確信して動くってのはありえん
仮にトラブルあったと知ってたとしたならなおさら、嘘情報の可能性も考え裏づけを取る
400年以上前の人間バカにすんなよ
907 :
人間七七四年:2014/07/02(水) 08:53:15.36 ID:NpnYMWXK
>>906 実際、秀吉は事実と確信して即座に動いてないかい?
908 :
人間七七四年:2014/07/02(水) 17:57:42.39 ID:I3jRYmZv
だからどの史料でだよ
909 :
惟任日向守:2014/07/02(水) 18:14:43.32 ID:aJnQ8294
てえええばあいいたす!
首だ!首だ!飛ぶ長野首じゃああ!晒すのじゃあああ!
晒せば必ず天下は変わる!
910 :
人間七七四年:2014/07/03(木) 21:06:51.51 ID:Xnv/8a3T
マジレスもなんだが
秀吉は第一報をどうして100%信じたのだろうね。
何らかの符丁みたいなのはあったのかな。
それと、信じたからといって京の状況が
すぐに確認できるわけでもないし
すぐに戻る、という決断はさすがというか
大したものだとは思うな。
敵地だから逃げるのは当然として
あそこまで早急にというか
リスクはあるわけだからね。
タラレバだが、清水が数日でも交渉したり
毛利がその間に変を知ったりしてたら
秀吉も無傷というわけにも行かなかったろうし。
911 :
人間七七四年:
第一報を信じたかどうかは分からない