【宇都宮・那須】 下野の戦国大名2 【小山・佐野】
1 :
人間七七四年:
立てた
2 :
人間七七四年:2011/11/23(水) 09:03:56.51 ID:0crllVbL
3 :
人間七七四年:2011/11/23(水) 09:41:27.65 ID:RrwRCbfj
4 :
人間七七四年:2011/11/23(水) 11:26:13.48 ID:Df9pa0ru
やっとスレタイに那須や小山が入ったか!
5 :
人間七七四年:2011/11/23(水) 12:58:16.24 ID:9vNRn5sQ
両毛スレによる
佐野や足利の独立はまだなのか!
6 :
人間七七四年:2011/11/23(水) 16:29:16.74 ID:RrwRCbfj
佐野は単独スレあるじゃん。過疎ってるけど。
足利は長尾スレ、将軍家スレどっちもある。
7 :
林与一:2011/11/23(水) 19:16:59.42 ID:ddxelcQh
那須氏が那須与一の子孫というのはやはり伝説にすぎなかったか
8 :
人間七七四年:2011/11/23(水) 19:24:39.16 ID:Foxw4HOm
と言うか那須与一自体に非実在説がある
9 :
人間七七四年:2011/11/24(木) 07:46:01.82 ID:HDC0RiKI
非実在というよりも、平家物語ぐらいにしか出てこないのはおかしい、という程度では
10 :
人間七七四年:2011/11/25(金) 12:31:14.36 ID:oVfNjutT
那須与一の末裔を自称してただけなのか?
11 :
人間七七四年:2011/11/25(金) 13:07:09.00 ID:a7C5qOKR
>>6 両毛と言えば由良
伊勢原と館林と足利も謙信から貰ってるし。
12 :
人間七七四年:2011/11/25(金) 13:09:14.12 ID:a7C5qOKR
訂正
伊勢崎
13 :
人間七七四年:2011/11/25(金) 13:09:49.74 ID:bM7rzroW
皆川はだめ?
14 :
人間七七四年:2011/11/26(土) 04:52:53.73 ID:C7mr7Mpg
浮上
15 :
人間七七四年:2011/11/26(土) 08:06:45.47 ID:JqnuNlmv
皆川の場所って
あそこは両毛じゃなくね?
あと鹿沼なんかも両毛じゃないよね。
16 :
人間七七四年:2011/11/26(土) 09:21:21.24 ID:Iq7QwTBI
>>11 足利長尾氏と由良氏がごっちゃになってる。
17 :
人間七七四年:2011/11/26(土) 13:08:35.17 ID:3V7a8qek
長尾足利に由良の弟を相続に充てたのは謙信
18 :
人間七七四年:2011/11/26(土) 13:39:33.12 ID:Iq7QwTBI
>>17 縁談を謙信が纏めたという話は何を元に?
あと館林城は広田氏に渡されてるのでは?
19 :
人間七七四年:2011/11/26(土) 17:56:52.52 ID:9pAhxekh
永禄13年2月に謙信が足利長尾から接収した
館林を広田に宛がってるよ。
20 :
人間七七四年:2011/11/26(土) 20:13:28.09 ID:Iq7QwTBI
長尾政長って越相同盟締結の直後に死んでたんだね。
しかも謙信に嫌われてた?
21 :
烏山藩主・大久保下野守:2011/11/27(日) 03:56:35.11 ID:6W8+75Wl
増山さんや津軽さんから養子も入れてましたが、結局大名の座から転落したのは気の毒としか言いようがありません
22 :
人間七七四年:2011/11/27(日) 12:16:54.49 ID:NVsDtsLA
>>21 軍事とか内政はそこそこ頑張っていたが、中央政権の応接がまずかった。
23 :
人間七七四年:2011/11/27(日) 12:20:28.50 ID:2tx+n3+P
長尾当長=長尾政長
24 :
人間七七四年:2011/11/27(日) 16:51:08.10 ID:Br4byeDc
上杉憲当=上杉憲政の偏諱なんだね
もの凄い忠臣の予感
25 :
人間七七四年:2011/11/28(月) 22:35:50.41 ID:C9l5ia8L
長沼氏って、真岡(旧二宮)の本領から、会津田島に行ったと思ったら
戻ってきたり。かと思ったら栃木市(皆川)の方に行ったり、と思うと
会津の方にも残ってて伊達政宗に加勢したり・・・どなたか詳しい方、
大まかな流れを教えていただけますか??
26 :
人間七七四年:2011/11/30(水) 17:28:41.02 ID:ziXrSZ+Y
皆川は両毛ではないが両毛を含む東上野から下総北部にかけての秀郷流藤原氏地域の一員で
皆川広照の娘が結城晴朝の養女として由良国繁に嫁ぐといった縁がある。
由良成繁、長尾当長の妻は秀郷流佐貫氏を下克上した館林の赤井氏出身で
成繁と赤井氏の子の顕長が足利長尾氏を継いで館林を支配した(一旦取り上げられたが)のも縁があってのことだろう。
由良成繁、渡瀬繁詮、佐野房綱、皆川広照…
この辺は外交センスに長けた武将が多かったが結局(家としては)不運なことになったね。
27 :
人間七七四年:2011/11/30(水) 19:26:02.67 ID:d6WWGRD/
28 :
人間七七四年:2011/11/30(水) 19:39:53.24 ID:S86dvwTP
秀次付きの家老になってからは横須賀城だな
遠江横須賀3万石
29 :
人間七七四年:2011/11/30(水) 20:07:22.39 ID:d6WWGRD/
30 :
人間七七四年:2011/11/30(水) 20:31:50.17 ID:d6WWGRD/
古河公方勢力、最強の家臣って多分宇都宮氏だよね。
上杉氏のライバルだったし。
31 :
人間七七四年:2011/11/30(水) 23:50:37.60 ID:5lunXBn3
時代によって違うよ。
ってか「最大」じゃなくて最強ってw
まあ佐々木倫朗氏に言わせれば、佐竹が古河公方の与党だったか微妙な所らしいし、
里見は小弓方と考えれば、宇都宮が最強といえなくもないかもね
32 :
人間七七四年:2011/12/01(木) 01:05:10.37 ID:yHnDkoky
結城氏は宇都宮氏以下だろうか。
33 :
人間七七四年:2011/12/01(木) 01:22:21.38 ID:oKn325nw
>>32 市村高男氏によれば、天正期の結城氏単体での石高は、太閤検地後の数値に換算して一万石程度なんだって。
名目上は多賀谷・水谷は結城家臣だが、彼らの方が数倍強大だったみたい
34 :
人間七七四年:2011/12/01(木) 06:40:51.64 ID:I+h/MTt+
水谷正村ってやたら戦に強いよな。
宇都宮領を攻めとって宇都宮の討伐軍を常にボコボコにしてついには手出しされなくなった。
35 :
人間七七四年:2011/12/01(木) 11:30:26.88 ID:wQnWct3F
>>34 > 水谷正村ってやたら戦に強いよな。
外交能力もけっこう高かった。
36 :
人間七七四年:2011/12/01(木) 12:54:34.29 ID:v+LzrpNl
他の東国大名が、信長→秀吉ラインの外交をするなか
最初から家康を有力と見て外交していた先見性はすごいよね。
おかげで周りが譜代、親藩だらけの常陸で本土を安堵しているし、
正宗のときには外様から譜代扱いになったのもその故?
37 :
人間七七四年:2011/12/02(金) 05:51:57.58 ID:eCW4reRM
マイナーな藤堂高虎みたいな人だったんだろうな。
軍事も外交もそこそこできた。
38 :
人間七七四年:2011/12/02(金) 06:59:47.19 ID:P3oATlUS
関ヶ原後も生き残った水谷と佐竹の子分に成り果てた末に改易された多賀谷…どうして差が付いたのか
39 :
人間七七四年:2011/12/02(金) 07:53:50.73 ID:eCW4reRM
やっぱり徳川家との付き合い方の上手い下手でしょ。
40 :
人間七七四年:2011/12/02(金) 12:06:01.08 ID:pa/Dbbg5
むしろ水谷には中央との手管がなかったんじゃないのかね?
41 :
人間七七四年:2011/12/02(金) 12:26:50.78 ID:rQpXQdTu
北関東は上杉→石田ラインが多いからな
42 :
人間七七四年:2011/12/02(金) 13:40:34.29 ID:uHi1YnEq
>>40 織田家と信仰が深かった山科言継から運動を受け
禁裏料を朝廷に返納し、朝廷から正式に伊勢守を授けられている
(東国武将のほとんどは自称)ことを考えれば中央とのパイプは
あったんじゃない?
織田信長との会見も家康がセッティングして正村が京に
上る途中で本能寺の変が起きたせいで果たせなかったが…。
本田忠勝から正村の弟雅俊に、正村上京の際、
満足に接待できなかったことを詫びる書状もあり。
43 :
人間七七四年:2011/12/02(金) 20:52:07.24 ID:MSq26OC+
中央との繋がりがあったとしても大国と小国とでは自ずと差が出てしまうということだな
44 :
人間七七四年:2011/12/02(金) 22:59:45.40 ID:rQpXQdTu
ガン〜バ ガンバだガンバルウ こくごさんすう生活科
ガンバルウといっしょにガンバルウ
それいけドンドン
ガンバルウ〜
45 :
人間七七四年:2011/12/03(土) 09:41:39.32 ID:0nz2lteK
46 :
人間七七四年:2011/12/03(土) 12:33:25.12 ID:deT+ZiDR
下野スレなのに盛り上がっているのは水谷ネタ…
なんでよ
47 :
人間七七四年:2011/12/03(土) 13:59:37.20 ID:xZzJ3yFR
むしろ小国こそ中央の動きに敏感だったと言える
水谷氏の他も佐野氏とか江戸氏も結構中央政権と繋がりを強めていたし
佐竹氏や宇都宮氏は彼らと比べるとやや鈍い
北条氏や伊達氏になると更に鈍い
48 :
人間七七四年:2011/12/03(土) 19:52:06.10 ID:HUi4qs+H
>>46 宇都宮氏いいとこ無しだからじゃない?
活躍した話の代わりに、活躍されてしまった話しか出てこないw
49 :
人間七七四年:2011/12/04(日) 10:21:52.96 ID:VNR8jd+j
宇都宮も大家の割りには鎌倉以来ずっと良いとこないな
50 :
人間七七四年:2011/12/05(月) 16:49:39.33 ID:Sktz0vUJ
成綱の末期〜忠綱の代には、戦国大名化していたと言えなくはない。
佐竹・上那須に圧勝、鹿沼氏を殲滅、皆川当主を戦死させて従属下に置いた。
興綱の謀反が余りにも痛すぎる。
芳賀家中すら抑えられない奴が本家全体を纏められる訳ない。
しまいにゃ自害させられてるし。無能が出しゃばると最悪だな
51 :
人間七七四年:2011/12/05(月) 17:21:46.79 ID:TucyS98N
結城合戦で、領土、家臣ともに失った結城氏としては
調略で周囲の勢力を弱体化させるしかなかったからね。
52 :
人間七七四年:2011/12/05(月) 21:19:21.90 ID:BT/jWaqy
>>49 鎌倉時代までは同族の二条家とは婚姻も含めた交遊があったようだし
宇都宮辻子に幕府が置かれたり、元寇では派遣軍の司令官だったり
守護歴は下野・上野・越後・伊予・豊前、地頭職は数多。
成綱・忠綱路線が継続されてたら・・・
53 :
人間七七四年:2011/12/05(月) 21:30:00.66 ID:sBR9nOUE
54 :
人間七七四年:2011/12/05(月) 21:30:19.18 ID:7dDlOtql
>>50 この後また壬生綱房が台頭してコントロール不能になるからな
55 :
人間七七四年:2011/12/05(月) 23:08:11.81 ID:BnV52iRJ
せっかくだから、宇都宮四天王を選出してみた。
芳賀高経:兄の仇と子を追落し、興綱、尚綱親子の宇都宮相続に尽力した。
壬生綱房:ただ一人の主君・尚綱のみに仕え、宇都宮城を死ぬまで守り抜いた。
芳賀高照:高経の子。宇都宮氏と那須氏の戦いにおいて活躍し、見事父の仇を討ち取った。
壬生義雄:綱房の孫。壬生家を乱した叔父を討取り、北条氏と宇都宮氏の戦いにおいて活躍した。
56 :
人間七七四年:2011/12/06(火) 00:48:49.21 ID:X3g5/4d2
なにそれ
嫌味?
57 :
人間七七四年:2011/12/06(火) 19:54:07.59 ID:5x7y5GCV
益子の没落が地味すぎてもったいない
鎌倉以前からの重臣なのに
58 :
人間七七四年:2011/12/06(火) 20:37:20.56 ID:IlG+ZLy9
益子の子孫も水戸藩に仕えたのかな
59 :
人間七七四年:2011/12/07(水) 03:24:57.84 ID:YFwUh9ex
益子には宇都宮氏嫡流から縁組なかったのか
60 :
人間七七四年:2011/12/07(水) 11:00:14.23 ID:Uckz81Hh
江戸時代は益子って黒羽藩(大関家)の飛び地だったのな
それで宇都宮氏の菩提寺があったから宇都宮氏が法事やろうとして大関氏と揉めたと言う話しを読んだ記憶が
61 :
人間七七四年:2011/12/07(水) 12:36:31.16 ID:dCa6er0l
益子勝宗は宇都宮見限って、
水谷家に投降しちゃうし
62 :
人間七七四年:2011/12/07(水) 18:57:29.84 ID:M68AeEmO
水谷と多賀谷。なぜ、差がついたか。慢心、環境の違い。
63 :
人間七七四年:2011/12/07(水) 19:38:20.35 ID:c6Ei14Et
なぜ山内上杉は下野に侵攻できなかったんだろう。
宇都宮も佐竹も里見も結城も機能していないんだから、
実はいつでも勝てたような気がする。
64 :
人間七七四年:2011/12/07(水) 19:56:27.55 ID:bncHBuAl
古河公方の成氏とその手下の新田岩松が頑張ってたおかげで、下野どころか東上野への進撃すら撃退されてました
65 :
人間七七四年:2011/12/09(金) 10:00:47.71 ID:UxL2l7RU
山内上杉がまともに機能してたのは憲実の時だけだろ
66 :
人間七七四年:2011/12/09(金) 12:26:30.63 ID:nXjUnubi
憲実以降は暗殺連敗×2相続争い×2越相同盟殆どおじゃん相続争い関東撤退
67 :
人間七七四年:2011/12/09(金) 13:54:14.87 ID:5e7p8bjK
64に同意。普段はいがみあう佐竹、宇都宮、結城も
古河公方の鶴の一声で反上杉として動いた。
利根川の東岸には反上杉のための城が築かれ、逆に
西側には上杉勢の城が構築。結局この前線が
後北条と東国武将勢の最前線になった。
68 :
人間七七四年:2011/12/10(土) 18:11:08.29 ID:iF5COXw8
壬生周長って不思議だな。
兄の綱房と協力して宇都宮城を乗っ取る謀略家でありながら
広綱・高定に敗退後は一貫して親宇都宮派。
宇都宮から独立しようとした惣領の綱雄をブッ殺してまで
徹底的に宇都宮に服従。最期は義雄に討たれる。
壬生領と塩谷領は小田原征伐後、何で宇都宮に帰属しなかったんだろうな
69 :
人間七七四年:2011/12/29(木) 15:15:24.50 ID:/5DK788d
豊臣政権が宇都宮のことを好んでいなかったんじゃね
70 :
人間七七四年:2011/12/29(木) 17:38:03.75 ID:PZkWIRfq
71 :
人間七七四年:2011/12/29(木) 17:46:23.33 ID:3E1LBdXb
豊臣政権という曖昧な言い方はちょっと
浅野氏だよ
72 :
人間七七四年:2011/12/29(木) 21:13:27.80 ID:BG1/9aST
天下統一後の話で考えるなら石田氏も宇都宮氏を信用していないだろうな
あれだけ助言しても糠釘の宇都宮氏は使えない駒にしか見えない
73 :
人間七七四年:2011/12/30(金) 00:22:54.75 ID:D/Uq39ik
佐竹からの情報でこっそり小田原前に上洛してた大関は上手いタイミングで佐竹と縁切ったな
関ヶ原ではきっちり東軍に城を開けた
74 :
人間七七四年:2011/12/30(金) 01:26:39.02 ID:H5gcZjw2
縁を切ったと言うか豊臣政権下で分けられたのだよ
大関氏は宇都宮氏の与力大名に組み込まれて浅野長政の指導を受ける立場になったから
石田派の佐竹とは距離が空いた
宇都宮氏改易後は徳川氏に近い蒲生氏が入ったから更に徳川寄りになった
75 :
人間七七四年:2011/12/30(金) 18:22:32.58 ID:UqdErClK
>>72 石田からのあれだけ助言て、
一体何があったの?
殿下への土産品のこととか?
76 :
人間七七四年:2012/01/01(日) 21:19:49.82 ID:rafzYYOh
上洛のことかな?
結局やらなかったのが後々に響いたのかも。
77 :
人間七七四年:2012/01/04(水) 20:38:51.84 ID:H2Gtfvm4
秀吉の遠征前に上洛しても
最終的に改易された大友とかもいるから。
78 :
人間七七四年:2012/01/05(木) 01:03:13.43 ID:FQdNO1Bz
大友はなあ
彼だけではないとはいえ、その後の行動も悪すぎ
79 :
大友柳太朗:2012/01/05(木) 01:06:19.71 ID:KZTC6ULJ
朝鮮派兵で軍令違反した件ですか?
80 :
人間七七四年:2012/01/06(金) 00:58:49.37 ID:QWwUFYcQ
そう
援軍無視なら他にもいたがそれでは住まず敵前逃亡だからな
81 :
人間七七四年:2012/01/07(土) 17:19:28.84 ID:9cy5Htpn
横田氏
上三川氏
はどこいった?
82 :
人間七七四年:2012/01/11(水) 16:29:40.85 ID:QrKXkAFt
そんなことがあったんだ
石高を過少申告したのがばれたのは、あれは何なの?
83 :
人間七七四年:2012/01/12(木) 02:33:24.57 ID:65Y4OEmi
あれはデマじゃないか?
過少申告って言うけど、宇都宮氏改易後も石高が訂正された様子がない
やはり宇都宮氏改易の原因は浅野氏との確執だろう
84 :
人間七七四年:2012/01/16(月) 16:29:58.30 ID:D1ae2y1T
日光で誰が支配してた?
壬生氏?宇都宮氏?
85 :
人間七七四年:2012/01/16(月) 21:25:20.48 ID:0eQUYzYm
日光山
86 :
人間七七四年:2012/01/17(火) 10:36:46.32 ID:WZrTRcJo
支配する支配されるではなく
領地を安堵してくれて、かつ勢いのある方に付くのが日光山だろ
87 :
人間七七四年:2012/01/17(火) 11:18:52.62 ID:BFqr7sIo
武士もそうだけど
88 :
人間七七四年:2012/01/18(水) 13:35:14.95 ID:Wdl45aO9
基本的に日光は自治領。
しかし、天正中期から後北条氏。
北条没落後は結城氏。
89 :
人間七七四年:2012/01/18(水) 18:35:33.97 ID:fTVtOOqF
日光山は、後北条方について宇都宮らと戦っただけで
日光が御北条領になったことは歴史上一度もない。
北条は日光領の検地も行ってない。
いわゆる、「国衆領」だ。
小田原征伐で、北条に味方した日光山は領土を没収され衰微する。
その後、日光領は、鹿沼領や小山領・榎本領と一緒に結城秀康に与えられる。
90 :
人間七七四年:2012/02/19(日) 09:05:58.55 ID:le1kyomc
那須は北の結城、佐竹、
南の宇都宮と敵対してたのに、よく生き延びたよね。
91 :
人間七七四年:2012/02/19(日) 14:54:43.20 ID:ab8T0jwT
地形が最大の味方だからな。世界史で言えば吐蕃みたいな勢力。
ついでにいうなら那須のが佐竹や宇都宮より強兵だからな
兵の数が物を言う平野部の合戦ならともかく山岳戦で那須が負けるわけない
93 :
人間七七四年:2012/02/19(日) 18:33:40.07 ID:IY72Uumw
山岳戦はアウェイ不利だからね。
94 :
人間七七四年:2012/02/19(日) 21:19:40.71 ID:le1kyomc
地形図で見ると平らに見えるんだけど。
大田原とか矢板とか。
95 :
人間七七四年:2012/02/19(日) 21:31:42.49 ID:ab8T0jwT
>>94 そこら辺は主戦場じゃない
佐竹と戦う時は那珂川沿いの辺りで東が山の狭い所、最悪烏山城下。
宇都宮が来たらさくらから筑紫山を結んだラインの丘が連続してる辺りが戦場になる。
96 :
人間七七四年:2012/02/19(日) 21:31:56.27 ID:FLxvQqGR
那須にとっての敵は身内だろw
いつ寝首かかれるかわからん。
97 :
人間七七四年:2012/02/19(日) 22:20:29.62 ID:o7VjYBPQ
白河からの敵は山は無いが血管のように張った小さな川が進軍を妨げる。
98 :
人間七七四年:2012/02/20(月) 03:06:46.76 ID:Qc+QZG8A
那須七騎の兵の動員力の無さは異常。リーダーの那須ですら1500程度が精一杯。
他の連中に至っては50人とか信じられん少人数で戦場に出てる。
99 :
人間七七四年:2012/02/20(月) 08:45:35.87 ID:/KP3mHWq
ただ、ホームゲームには強いんだよね。一時の南海ホークスみたいなもんか。
100 :
人間七七四年:2012/02/20(月) 20:20:19.72 ID:WslE8P3x
城攻めの敗走率もまた高い。守る相手を倒すには動員の頭数が足らなすぎる。
しかし一回でも潰走したらついでに討死してしまいそうな動員力で
那須七騎で討死した人物が全然いないな。伊王野資信ぐらいか。
101 :
人間七七四年:2012/02/21(火) 00:47:10.15 ID:+5LiVeMl
他の勢力の軍記物の兵数が盛ってあるだけで、
このくらいの勢力ならどこもそんなもんだったんじゃないかね
102 :
人間七七四年:2012/02/21(火) 01:38:44.29 ID:m4NGyK0G
民草まで戦争に駆り出すのは忍びなかったので
坂東武者の古き良き伝統を守り続けてただけだろう
103 :
人間七七四年:2012/02/22(水) 17:21:33.91 ID:XCRUi6Gs
国力的には佐竹、宇都宮、那須、白川結城はそんなに大差はない
ただ、佐竹なんかは同盟国を次々増やしていったから援軍や共同戦線で優位に進めていった
だが基本的には小田原北条や伊達のように広域に影響を及ぼす敵に対して結束するだけで
例えば佐竹の場合は那須、白川辺りと戦う時はほぼ単独で当たる事が多かった
だからなかなか決着がつかなかったのだろう
104 :
人間七七四年:2012/02/23(木) 06:14:26.96 ID:6mr1aDa5
佐竹は敵対してる北条贔屓の家を上杉に依頼して攻撃してもらう事があるが那須は標的にならなかったな。
105 :
人間七七四年:2012/02/23(木) 06:56:09.86 ID:rNb52ijV
>>100 > 城攻めの敗走率もまた高い。
那須は野戦には強いが、城攻めは無理。
106 :
人間七七四年:2012/02/25(土) 00:14:32.15 ID:Y4NptDGb
関東幕注文には那須氏いないんだね。
107 :
人間七七四年:2012/02/25(土) 00:42:08.51 ID:z17VI6XL
>>106 上杉の出兵要請無視したって事だわな。
那須資胤は兄の死の後ろ暗い経緯を足利義氏に揉み消して貰った恩もあるし、
上杉の足利藤氏擁立には賛成出来ない立場。
108 :
人間七七四年:2012/02/25(土) 22:22:12.74 ID:0ghzVDrC
小田倉の戦いは上杉に協力しない那須への突き上げって見方もある
109 :
人間七七四年:2012/02/26(日) 01:56:24.80 ID:jBxF82b8
岡部はここ?
110 :
人間七七四年:2012/02/27(月) 03:38:46.42 ID:JilYzxxA
>>107 那須にも要請があったのだろうか
那須、佐竹、江戸、大掾などの名前がないけど
単に距離的な問題だったりして
111 :
人間七七四年:2012/03/04(日) 17:33:45.52 ID:vUMiwvHe
112 :
人間七七四年:2012/03/04(日) 18:37:31.82 ID:Jctq25KB
113 :
人間七七四年:2012/03/04(日) 23:29:56.75 ID:IYi2SqIO
>>111 > 随分マイナーな中世城郭(家臣の城)のジオラマだ。
こりゃいい。
114 :
人間七七四年:2012/03/06(火) 10:32:23.18 ID:yWNGOv++
逆井城?
115 :
人間七七四年:2012/03/07(水) 16:43:34.02 ID:eC6POu9y
>>32 対結城連戦連敗な上に領土も奪われて
よくそんなことがいえるな
116 :
人間七七四年:2012/03/07(水) 19:30:11.26 ID:o8GT7L+c
>>115 もしも〜し! ちゃんと読んでるか?
32は宇都宮が結城より優位であるとは書いてないぞ
むしろ疑問を投げかけてるぞ……あれ、つられた俺?
117 :
人間七七四年:2012/03/07(水) 19:38:04.88 ID:WE0XrTCj
しかし大関とかがいてなんで滅亡しないんだ?
118 :
人間七七四年:2012/03/08(木) 04:55:53.36 ID:8hoWnP/6
119 :
人間七七四年:2012/03/10(土) 02:22:58.63 ID:TvT6eKe5
上那須衆は勢力範囲は広かったけど、割りと国力がなかったのだよ
大関、大田原、福原、伊王野、蘆野の五騎を合わせても那須氏の1/4程度
それに上那須衆は全てが大関方に付いたわけではなく、大関家中でさえ那須方に付いたものがいた
だから実際はかなり複雑で、上那須衆もそう簡単には動けなかった
そこで佐竹に支援を要請したわけだが、佐竹にしても洞中を総動員できないとそれほど兵は集まらない
そして烏山は防衛に適した土地だから、地の利を生かした戦いをすればそう簡単には負けない
120 :
人間七七四年:2012/03/13(火) 22:21:53.97 ID:bH55nhaq
>>110 謙信は那須氏に興味が無かったのかな。
小田原と逆方向だし。
121 :
人間七七四年:2012/03/15(木) 12:23:35.56 ID:g+mORqrs
那須氏は基本的に古河公方派(義氏・小田原北條氏)だから謙信に応じなかった
公方派だけど、同じく公方派の白川氏・葦名氏と争ったり
管領派(上杉氏)の佐竹氏と同盟結んだり争ったり、同じく管領派の宇都宮氏と争ったり立ち位置が複雑である
122 :
人間七七四年:2012/03/25(日) 10:47:40.70 ID:/xzVWuhZ
>>121 佐竹氏と宇都宮氏は、管領派じゃなく足利藤氏派・・・とはならないの?
123 :
人間七七四年:2012/03/25(日) 21:41:32.65 ID:jlzlpzuZ
121は適当
124 :
人間七七四年:2012/03/25(日) 22:16:22.36 ID:9S9mzoyj
那須氏は謙信が小田原を囲んだ時に謙信のもとに参陣すると書状を送っている。
だから米沢藩の正史『謙信公御年譜』では那須氏も参陣したことになっていたはず。
軍記物だと謙信が関東の諸侯を集めて小田原を包囲したということになっているが
実際には小田原を襲った後で諸侯と引見したくらいなものだったんだろう。
小山氏も同様に謙信が小田原を囲んだ時点で謙信に書状を送っている。
しかし謙信は(軍記物だと一ヶ月囲んだことになっているが)10日ほどで小田原から撤退したので
那須氏は途中で兵を引き返したのではないかな。
125 :
人間七七四年:2012/03/29(木) 22:05:50.00 ID:4Obe6QO9
宇都宮氏の華麗なる戦歴
1526年 ×宇都宮vs結城&芳賀&壬生○ 結城政朝、宇都宮忠綱を下野猿山において破る。芳賀興綱宇都宮城主となる。
1548年 ×宇都宮vs結城○ 宇都宮俊綱、結城政勝&水谷政村と争い敗れる。
1544年 ×宇都宮vs結城○ 結城家臣水谷正村、宇都宮方の中村城を攻略する。
1545年 ×宇都宮vs結城&小山○ 宇都宮俊綱、結城政勝&小山高朝と福土味で争い、敗北する。
1549年 ×宇都宮vs那須○ 宇都宮尚綱、那須高資と早乙女ヶ原にて戦い戦死する。
1555年 ×宇都宮vs結城○ 結城家臣水谷正村、宇都宮方の八木岡城を攻略する。
1555年 ×宇都宮vs結城○ 結城政勝、宇都宮方の小栗城を攻略する。
126 :
人間七七四年:2012/03/31(土) 04:59:01.35 ID:q88bW8u8
127 :
人間七七四年:2012/03/31(土) 11:53:29.86 ID:tNY7Jwjt
ちなみに調べても出ないのだけど400〜500年くらい前の江曽島〜市街地近辺の古地図ってないのかな?図書館にありますか?
>>125 常陸の常敗将軍こと小田天庵公には全然及ばないな
129 :
人間七七四年:2012/03/31(土) 21:25:22.87 ID:cd/lAY4r
確かに 江曽島城の絵図面あったら見てみたいな
130 :
人間七七四年:2012/04/02(月) 11:37:36.46 ID:uERi1r2U
保守
131 :
人間七七四年:2012/04/14(土) 20:21:57.11 ID:Zy2XQs3t
宇都宮広綱は早々に死にすぎだよ。
外交も戦も良かったのに。
132 :
人間七七四年:2012/04/16(月) 01:22:10.06 ID:bS1QVYID
どの大名家でも前後して不孝が重なる時期があるんだよな
大概は内乱と当主の早死にが重なってボロボロになる
133 :
人間七七四年:2012/04/16(月) 05:50:59.84 ID:axxfTQmO
昔は医療水準が低かったから、ちょっとした病気で死んじゃうからね。
134 :
人間七七四年:2012/04/16(月) 18:12:49.12 ID:VtB+kiL8
宇都宮は当主の遭難率が高すぎ。少弐並み
135 :
人間七七四年:2012/04/17(火) 02:04:50.74 ID:F1V+k2hP
那須氏も酷いけどな
小山や結城もそうだけど
136 :
人間七七四年:2012/04/17(火) 04:19:21.43 ID:e3jUo2+3
里見は戦死した当主がいたかな?
137 :
人間七七四年:2012/04/17(火) 04:21:48.26 ID:e3jUo2+3
房総半島を例にだしてすまなかったが、
「大名の戦死率」がなんとなく気になったもので。
島津は鎌倉時代以来、当主の戦死率は極端に低いと記憶しているが。
138 :
人間七七四年:2012/04/18(水) 12:07:21.98 ID:cDRRDF9p
大名クラスの当主が敵に討ち取られるのはレアケースだと思うけど
戦国時代(天正18年まで)でも、そんなに何十件もあるわけではないと思う
139 :
人間七七四年:2012/04/19(木) 08:13:21.12 ID:GijjqeNU
>>138 少弐氏の歴代当主は、畳の上で死んだ人より、戦死した人のほうが多いのではなかったか?
140 :
人間七七四年:2012/04/19(木) 17:27:16.46 ID:0o4hWq/2
佐竹氏最盛期:実高165万石(豊臣政権期)実高
佐竹氏 ・清和源氏を祖とする佐竹氏本家。 常陸下野下総陸奥南部54万5千4百石(実高80万石)三成、佐竹家の石高をまける
蘆名氏 ・当初は奥州の有力大名。義重の次男義広を蘆名家当主とした。 常陸5万石
岩城氏 ・奥州藤原氏と関係が深い。義重の3男貞隆が家督を継いだ。 陸奥東部12万石(実高10万石) 磐城平藩より
多賀谷氏 ・桓武平氏を祖とする名門。義重の4男宣家を養子と迎え当主とした。 下総北部6万石(実高20万石)
宇都宮氏 ・義重の甥、国綱が当主となるが浅野長政の不快をかい改易される。 下野18万石(改易)(実高40万石)改易理由
相馬氏 ・佐竹氏とは親戚関係。関ヶ原の戦い後一端改易されるが復権する。 陸奥東部6万石 (実高10万石)相馬藩より
141 :
人間七七四年:2012/04/19(木) 18:58:05.49 ID:NN5EnGoM
虚しくないか
142 :
人間七七四年:2012/04/19(木) 23:57:00.64 ID:W7d7ukSk
この訳のわからない荒らしは定期的に湧いてくるな
佐竹みたいなマイナー大名にもアンチがいるらしい
143 :
人間七七四年:2012/04/20(金) 14:26:06.33 ID:0ey5ERGK
アンチなのか?厨にしか見えんが
144 :
人間七七四年:2012/04/21(土) 04:31:15.45 ID:f1andFbD
アンチだよ
何で厨がわざと出鱈目書いて関連スレに貼り回る必要があるんだ
しかも佐竹スレで何度も住人と争ってるし
145 :
人間七七四年:2012/04/21(土) 11:19:39.30 ID:nhadt0Cg
アンチがいるのが大名(ただしアンチ里見は見たことがない)
いないのが小名とか半独立勢力(由利12頭、江戸氏、真壁氏など)
146 :
人間七七四年:2012/04/21(土) 16:34:02.35 ID:5CoG48uO
この板のアンチは例の人が一人で9割は占めているから
彼に目を付けられるかどうかが問題
里見をネタに奴を煽れば、里見スレがアンチコピペで埋め作られる事になる
147 :
人間七七四年:2012/05/18(金) 14:16:30.73 ID:ym9CElOB
リアル戦国女大名南呂院を大河ドラマに
148 :
人間七七四年:2012/05/19(土) 12:28:18.88 ID:HwKIYN03
149 :
人間七七四年:2012/05/20(日) 13:30:25.57 ID:+H26QtIs
>>148 それ言ったら相手だって単独で勝ったのは殆どないだろw
150 :
人間七七四年:2012/06/17(日) 20:43:59.21 ID:S7AF1bGw
>>138 宇都宮忠綱・・・追放後、暗殺?
宇都宮興綱・・・生涯
宇都宮尚綱・・・喜連川合戦で戦死(対那須)
那須資久・・・暗殺
那須資永・・・戦死(対下那須)
那須高資・・・暗殺
壬生綱房・・・暗殺?
壬生綱雄・・・暗殺
壬生周長・・・戦死(内紛)
皆川宗成、成明兄弟・・・川原田合戦で戦死(対宇都宮)
皆川俊宗・・・関宿城で戦死(対北条)
佐野宗綱・・・彦馬合戦で戦死(対足利長尾)
戦死暗殺ではないけど小山は断絶しすぎw
151 :
人間七七四年:2012/06/22(金) 02:45:11.22 ID:Jpn1QLHh
>>147 それは期待したい半面、彼女は逸話を考慮するとワンクールも厳しいかもしれん
152 :
人間七七四年:2012/06/27(水) 19:24:09.78 ID:8oDudBoe
三夜連続ぐらいか
第一話 姫から妻へ
第二話 夫の死と家督代行
第三話 家の行く末
153 :
人間七七四年:2012/06/27(水) 19:35:06.95 ID:meZcUz/o
金曜ロードショー枠ですねw
154 :
人間七七四年:2012/06/28(木) 00:05:47.40 ID:3J9AxBTE
一年ぐらい余裕だろ
ここ最近の大河なんて史実無視で9割方は脚本家の創作だし
いつもみたいに他人の逸話パクりまくれば良い
155 :
人間七七四年:2012/06/28(木) 11:28:42.90 ID:C3hBFpIr
まずは良い原作が必要。
とれんでぃな脚本家には何も期待できない。
素人受けし、玄人も少し楽しめる、宇都宮一族を描いた歴史小説が良い。
156 :
人間七七四年:2012/06/28(木) 15:43:00.51 ID:ava7UwwI
んなぁモン出来るわけが無いw
157 :
人間七七四年:2012/06/28(木) 20:21:05.08 ID:C3hBFpIr
じゃあ玄人も少し楽しめるという部分は諦める。
158 :
人間七七四年:2012/06/28(木) 22:56:15.85 ID:Gr3qS8ul
小山や宇都宮や佐野とか頼朝以来の名家が多いのに、江戸時代まで残ったのは
那須だけって案外悲惨だな=下野
159 :
人間七七四年:2012/06/28(木) 23:17:25.68 ID:ava7UwwI
本家が滅んでいるのは珍しくないのが戦国時代だろw
160 :
人間七七四年:2012/06/29(金) 00:56:52.12 ID:cbJOdNM1
その那須家もお家騒動で改易だから、幕末まで残った名家は喜連川くらいかな
喜連川は小弓公方系だから純粋な下野名家とは言えないかもしれんけど
161 :
人間七七四年:2012/06/29(金) 01:05:21.86 ID:1AoSV13O
現在でも男系が残っているのは宇都宮、大田原、喜連川か
162 :
人間七七四年:2012/06/29(金) 02:05:43.24 ID:yhJuiqVf
大田原は女系かと
喜連川も微妙な感じ
163 :
人間七七四年:2012/06/30(土) 12:24:48.48 ID:BHj/zsR8
>>160 大名として残ったのは大田原、大関ぐらいか。
旗本だったら皆川とか那須とか残っているけど。
164 :
人間七七四年:2012/06/30(土) 12:34:33.99 ID:PQS8vmrP
>>155 豊前宇都宮氏なら派手に滅亡したから可能かもしれんが、下野宇都宮氏はなぁ…
>>162 喜連川は何回か他家からの養子が入ってるから血筋は残ってないんじゃないかな
165 :
人間七七四年:2012/06/30(土) 21:14:20.67 ID:UlqRhtAb
菩提寺が無くなった名家は可哀相
166 :
人間七七四年:2012/07/01(日) 01:07:15.32 ID:Q5FM1rLt
>>163 大関の家は残ったけど血脈が途絶えたのが残念
167 :
人間七七四年:2012/07/01(日) 02:29:55.75 ID:AvJNWKic
>>166 中小大名や旗本だと、藩祖の血を引いていない当主もザラだしなあ。
那須氏なんかも、資弥以降も何度も養子が入っている
168 :
人間七七四年:2012/07/09(月) 00:33:35.93 ID:WpiYy88B
169 :
人間七七四年:2012/07/17(火) 00:35:19.03 ID:N0qFSfDJ
凄いいいね
城址スレに貼ってみた
170 :
人間七七四年:2012/07/19(木) 13:47:21.38 ID:hR43ibmv
宇都宮城も早く再建できたらいいのに…あといくらぐらい必要なんだっけ
171 :
人間七七四年:2012/07/20(金) 02:52:39.49 ID:kWDN9prk
あれで終わりです
172 :
人間七七四年:2012/07/21(土) 03:35:16.60 ID:tkEyD5oE
歩道や階段は仕方ないにしても
堀の底、土塁の壁、消防車?の出入口のコンクリ丸出しはマジ止めて欲しい。
酷すぎ。。。
173 :
人間七七四年:2012/07/21(土) 13:02:34.45 ID:0l+gWHLf
アノカタチになった時点で諦めました・・・・w
174 :
人間七七四年:2012/07/21(土) 23:43:28.71 ID:nXZMnR/z
しかもど真ん中に穴あけるセンスには脱帽だぜ
子供はああ言うものだと思っちゃうわな
175 :
人間七七四年:2012/07/23(月) 00:56:42.03 ID:Ae/TXi3J
画像でワロタw
ひょっとして城壁の上にちょこんと乗ったモノだけ?
本丸はどこだよ
176 :
人間七七四年:2012/07/23(月) 02:13:13.43 ID:5QcaafvS
四角い本丸の一辺
□ →「
この部分の土塁しか復原していないから他に何もないよ
内側は少し広場になっていて小さい資料館みたいなものがあるだけ
復原した建物は土塁の上にある櫓が二つ
ご丁寧に土塁はエレベーター付である
土塁の内部も鉄筋コンクリ製だから安全安心
177 :
人間七七四年:2012/07/23(月) 22:54:13.48 ID:Ae/TXi3J
>>176 解説サンクス
とりあえず「城」とよべるような代物じゃないことはよく分かった
やはり原因は資金不足か、それとも知識不足だろうか?
178 :
人間七七四年:2012/07/24(火) 03:45:06.64 ID:bx36N1ih
中途半端なのは資金不足だね
完全に都市化して遺構は煙滅しているから、本丸だけ復元するにしてもかなりの土地を買い上げる必要がある
民家も数十件あるが「城を復元するので立ち退いて下さい」と言っても全員が承諾してくれる可能性はゼロに近いだろう
だから大規模な復元は不可能と言って良いと思う
土塁や櫓自体は割と忠実に復元されているし、資料も遺されているから知識不足でコンクリ使ったり穴あけたりした訳ではないよ
あくまで遺跡ではなく公園+防災施設として建造されたものだから、利便性が重要視されたのだろう
まあ、近いなら観に行ってみてはいかが?
遠くならわざわざ観に行く程のものではないけどね
エレベーター付き土塁はなかなか無いと思うよw
櫓も一応中に入れるし、トンネルの中に宇都宮城のジオラマとか少し資料もあって
係のおじさんが説明してくれる(今も居るか分からないが)
179 :
人間七七四年:2012/07/24(火) 08:32:30.28 ID:OCwvf6Ke
よっぽどな金持ちが不動産屋とつるんで中国みたいに
住人締め出しでもしない限り実現しないってことか〜
戊辰戦争が怨めしいよ…
180 :
人間七七四年:2012/07/25(水) 01:00:09.68 ID:7aoaGAra
建物は戊辰戦争で焼失したけど、堀や土塁は60年ぐらい前まで残ってたらしいね
戦後の都市計画で全て破壊されてしまっけど、80代ぐらいのお年寄りは良く覚えている
181 :
人間七七四年:2012/07/26(木) 07:48:57.51 ID:LuXUv2T5
建物は戊辰戦争で焼失したけど、堀や土塁は60年ぐらい前まで残ってたらしいね
戦後の都市計画で全て破壊されてしまっけど、80代ぐらいのお年寄りは良く覚えている
182 :
人間七七四年:2012/07/26(木) 08:39:04.51 ID:LuXUv2T5
何もやってないだろ。
183 :
人間七七四年:2012/07/30(月) 08:21:55.51 ID:bCqmDjZ3
184 :
人間七七四年:2012/10/22(月) 16:57:37.07 ID:0Kwf8E6O
宇都宮は鎌倉時代以降だんだんと弱体化したとは言うものの
そもそも頼朝にもらった石高とか最盛期の石高っていくらぐらいだったの?
185 :
人間七七四年:2012/10/24(水) 19:31:30.54 ID:SqIYoogS
鎌倉期の所領を石高で換算なんて無理だっつーの
186 :
人間七七四年:2012/10/25(木) 10:35:07.78 ID:FmMqOTEC
下野の領土的には戦国中期まで殆ど変わらないと思うよ
全国にあった鎌倉期の守護職や地頭職は戦国時代の領土とは少々異なるし
飛び地と言うより別家だ
187 :
人間七七四年:2012/10/30(火) 20:31:43.64 ID:1Mij6FVA
下野宇都宮氏の場合、忠綱の代が一番伸長したのかなと。
武茂・茂木・塩谷はまだ一門として残り、壬生・皆川・薬師寺は傘下。
188 :
人間七七四年:2012/11/03(土) 01:05:15.10 ID:NFcVNCET
その忠綱の代で思いっきり衰退しちゃったのがなぁ
先代の成綱の置き土産が炸裂した結果だけど、アレがなかったら下野一国の支配も夢ではなかった
189 :
人間七七四年:2012/11/04(日) 20:08:56.74 ID:q608iAiU
忠綱の代までは那須とも盟友だったしな
190 :
人間七七四年:2012/11/04(日) 21:25:23.10 ID:hE50oyEM
宇都宮も那須も家臣団の統制失敗で衰退してる希ガス
191 :
人間七七四年:2012/11/08(木) 21:41:08.20 ID:98hgiwjE
>>188 成綱は最後の最後でミスったな
結果論だが宇都宮家はどんだけ力持った家臣を粛清しようが別の誰かが力を手に入れる
決して当主が実権のすべて掌握し切れてないっていう
ただの怨み買い損になってる
192 :
人間七七四年:2012/11/10(土) 17:59:28.60 ID:+F2RonBm
ただ、やらない訳にもいかないから。
人の上に立つ人は恨まれるのも仕事かなと。
益子笠間みたいな譜代一門を粛清した国綱は頑張ったな。
頑張ったが・・・。
193 :
人間七七四年:2012/11/11(日) 14:14:46.63 ID:T0jW0egl
鎌倉以来の譜代(というかもはや一門)は扱いにくいだろうな
粛清が比較的うまくいった佐竹とはどこで差が付いたのだろうか…
194 :
人間七七四年:2012/11/11(日) 17:30:52.74 ID:hdbPQjTf
陸奥のDQN一家を見てとか
195 :
人間七七四年:2012/12/01(土) 01:39:23.71 ID:D6lSrdxQ
せっかくスレタイに入ったのに空気だな小山氏
196 :
人間七七四年:2012/12/01(土) 07:02:33.59 ID:y00A3Wax
aiu
197 :
【大吉】 :2012/12/01(土) 13:47:33.09 ID:a30u93NX
大吉ならば天庵さまが大勝利
198 :
人間七七四年:2012/12/16(日) 12:09:31.24 ID:MbjU1MUD
益子の地蔵院行ってきた。
宇都宮氏の歴代墓所は、江戸期の陪臣としてはよく整備されていると思う。
宇都宮氏は墓守の旧臣の方に恵まれているなと感じた
199 :
人間七七四年:2012/12/18(火) 06:46:05.60 ID:6cLio+sF
黒羽藩と揉めるぐらい益子の宇都宮旧臣は忠誠心高かったからな
200 :
人間七七四年:2012/12/26(水) 23:21:55.08 ID:9RIpu08E
信長の野望やってると佐野氏ってよく宇都宮か足利辺りの配下なってるけど、このお家は独立大名として本当は見て良いのん?
201 :
人間七七四年:2012/12/27(木) 09:34:23.99 ID:/0/oIj8L
よい
202 :
人間七七四年:2012/12/28(金) 12:14:29.13 ID:+l/IWTwh
一応、古河公方家の洞中に包括されてはいたけど実質的には独立大名だわな
203 :
人間七七四年:2013/01/01(火) 02:52:06.44 ID:02MPR2uP
明けましておめでとうございます
正月といえば佐野宗綱の足利長尾攻めですね
204 :
人間七七四年:2013/01/01(火) 15:06:45.72 ID:ZqUx3Qq9
あけましておめでとう
>>195 遅レスだけど。
小山と聞いてまっさきに義政と若犬丸が浮かぶ俺は少数派。
205 :
人間七七四年:2013/01/04(金) 10:39:48.78 ID:2RT3cVmS
宗綱って正月早々討死したのかよ
かなりやっちまった感がたるな
206 :
人間七七四年:2013/01/05(土) 18:50:38.29 ID:UXG39IIH
しかも奇襲が大成功したと意気揚々に攻め込んでな
207 :
人間七七四年:2013/01/06(日) 14:36:13.51 ID:pWpxGrlt
正月に実家に帰って先祖の出自を調べたら那須家だった
信憑性はないけど
208 :
人間七七四年:2013/01/09(水) 02:13:37.11 ID:+e4Qd0X1
俺なんか宇都宮家の分家の分家の分家の分家のぶんk(ry
って言われてんだけど絶対に薄過ぎる上に何か信憑性のあるアイテムも無いっていう残念状況
209 :
人間七七四年:2013/01/09(水) 03:30:55.49 ID:aZzbwdSM
宇都宮氏は古くからの名族なだけあって広範囲に散らばったよね
九州地方を調べてるとちょくちょく現れるw
しかも戦国時代でも一族のネットワークが健在だったり
210 :
人間七七四年:2013/01/09(水) 03:38:35.22 ID:cdMVgytk
>>207だけど西備名区って書物は信憑性高いのかな?
博識な方いたら教えてください
211 :
人間七七四年:2013/01/09(水) 15:52:27.28 ID:LQbTjXpu
>>210 県の重要文化財だし県史にも関わるんなら信憑性は高いと思う
出自は何で調べたの?代々の菩提寺の過去帳とかかな?
郷土資料館みたいなところに家系図があるとか聞いたことない?
212 :
人間七七四年:2013/01/09(水) 17:19:07.63 ID:cdMVgytk
>>211 途中で菩提寺が変わってしまっているのでまだ過去帳などは調べられていません
しかし前のお寺は江戸の初期頃からあるらしいのでまたお願いしてみようと思っています
出自は沼隈郡史という本で知りました
西備名区のこともそこに書いてありました
家系図がどこかに保存されているという話はきいたことないです…
213 :
人間七七四年:2013/01/09(水) 18:16:02.40 ID:LQbTjXpu
>>212 すまん博識ではないのであとは
先祖について詳しい親戚に聞いてみるとか
先祖代々の墓があればそこに身分や役職ががあるか調べる
くらいしか言えないな
214 :
人間七七四年:2013/01/09(水) 18:30:44.46 ID:cdMVgytk
>>213 いえいえ
ご助言ありがとうございました!
215 :
人間七七四年:2013/01/10(木) 08:23:12.88 ID:86iCRPTZ
そいや宇都宮国綱以降の血筋って絶えてる?
まだ残ってる?
216 :
人間七七四年:2013/01/11(金) 10:03:29.61 ID:+eUzeJBi
明治までは続いているけど、その後はどうなったのやら
廃藩の後、当主の正綱(33代)は益子に住んでいたようだが
217 :
人間七七四年:2013/01/12(土) 21:29:26.67 ID:UcYzZDOw
>216
33代目まで歴代の墓所は益子に並んでるけどね。
同じ下野の大名でいうと、皆川氏も歴代金剛寺に墓所があって、
現在の当主も健在らしい
218 :
人間七七四年:2013/01/15(火) 13:59:01.38 ID:j8uR2UOS
蘆野、大田原、大関、那須、福原あたりの子孫もどこにいるのだろうね
みんな大名や交代寄合で那須町周辺に領地を維持してたから一族の一人や二人は地元に残ってそうだが
水戸の50号バイパスに伊王野商店ってタバコ屋あるけど、間違いなく那須七騎の伊王野一族だろうな
伊王野氏は水戸藩士だったし、伊王野なんて姓は他にない
219 :
人間七七四年:2013/01/15(火) 21:59:25.66 ID:8owKFdIx
>>218 那須さんは冤罪の被害にあった方。
与一伝承館の名誉館長をされていたかな
220 :
人間七七四年:2013/02/14(木) 13:47:48.91 ID:2yy8nkX4
飛山城は、中世の城にしてはなかなかどうしての復元だった。
堀が浅かったけど、安全性なんたらの理由だろう。仕方ない。
あと空堀が3〜5メートルは深いと解釈しておく。
宇都宮城も堀の部分を表面だけでいいから土や漆喰風味に固めてくれれば良かったのにな
221 :
人間七七四年:2013/02/14(木) 13:49:33.71 ID:2yy8nkX4
漆喰ってのは、あの打ち立てコンクリ剥き出し門の部分に対してね
222 :
人間七七四年:2013/02/15(金) 13:59:19.32 ID:5fXpiSog
飛山城の堀切はほぼ完全に埋まっていたからねぇ
近場で往時の保存状態がいいのは さくら市氏家の勝山城
矢板の城もほぼ手つかずで保存状態がいい
223 :
人間七七四年:2013/02/18(月) 01:40:55.51 ID:YP+Iq6X0
変わり種は茂木城だな
あんな妙な縄張りは他に見たことない
224 :
人間七七四年:2013/02/18(月) 09:37:53.02 ID:oBHLqLf+
黒羽城は外郭が想像出来るいい感じで残っている
225 :
人間七七四年:2013/02/18(月) 10:29:23.65 ID:HadPBdZ/
那須の城にハズレ無し。
226 :
人間七七四年:2013/02/18(月) 11:26:39.49 ID:YP+Iq6X0
那須の城は小ぢんまりとした印象だが、どこの城も立地が良くて守りやすそうな感じ
街道を取り込む縄張りの城が好きだから、個人的には黒羽が一番気に入っている
でも杉とか高木は伐って欲しいわ
227 :
人間七七四年:2013/02/18(月) 23:17:46.95 ID:51zUyYq3
那須って防衛戦にやたらと強いけど、城跡からその一端が垣間見れそう
いつか行って見たいな
228 :
人間七七四年:2013/02/19(火) 10:55:38.86 ID:GAc4VDIe
あの辺りは地形も良いんだよ
山間で川沿いは高い崖が多いし、平地は狭く湿地が多い
だから大軍は展開しにくいし、多方面からの攻撃も受けにくい
でも大田原方面は平坦な土地が広がっているんだよね
だが宇都宮氏は大田原方面を何度か攻めたけど失敗している
229 :
人間七七四年:2013/02/19(火) 13:30:20.67 ID:rqBRxqhg
宇都宮が攻めるにしても大田原が守るにしても川を越えることがネックになる
逆も同じ
関ヶ原前哨戦の徳川軍が一気に攻め上る事を躊躇した事もコレ
230 :
人間七七四年:2013/02/19(火) 23:50:31.13 ID:GAc4VDIe
鬼怒川以外はそれほど大きな川はないと思うけど
もっとも細い川でも結構数があるんだよな
宇都宮氏も箒川でやられたし
231 :
人間七七四年:2013/02/20(水) 13:56:51.75 ID:9HBxK1s8
小さな川でも北にのぼると水量が少ない時期でも浸食に因る深さが在るから川を越えるのが難しい
川の渓谷を避ける為には南の方から迂回しなければならないからね
232 :
人間七七四年:2013/02/22(金) 11:23:20.04 ID:8QQ3fxgy
一人二人が川を越えるのなら何とでもなるが
数十人以上が戦いの装備ごと兵糧も含めて川を越えるのは大変なんだよね
それに大田原対宇都宮になると道の関係でホントに攻め口が限定されるし道が狭いから
守りやすく攻め辛い
233 :
人間七七四年:2013/02/23(土) 10:49:25.52 ID:uaC7OtAW
それでもまだ攻め易い経路なんだよな
烏山方面は絶壁や入り組む山に阻まれて進軍は困難
だから大田原方面が戦場になる事が多かった
だが結局どの勢力も突破できなかったけど
那須氏の領域はどの方角からも入り難い本当に守りやすく攻めにくい土地だ
関ヶ原や幕末にもあの辺りでお互い対峙して身動きの取りづらい状況だったし
234 :
人間七七四年:2013/02/23(土) 12:16:38.41 ID:32nxP+u3
太閤も那須を超えて攻め上るのめんどくさいから伊達に「奥州は任せた!」って云ったんだろw
235 :
人間七七四年:2013/02/23(土) 16:31:52.74 ID:i0dPa0CY
奥州なら陸路より海路のほうが楽だろうけどな。酒田とかなら兵站駅としても十分だろうし。チベットじゃなくて岩手は面倒だろうけど
236 :
人間七七四年:2013/02/23(土) 17:57:04.17 ID:32nxP+u3
海路で数万送るのは大変だろ
237 :
人間七七四年:2013/02/26(火) 08:45:40.50 ID:c8XjTx6e
船に慣れてないと酔いでまともに戦えないしな
238 :
人間七七四年:2013/02/28(木) 00:50:39.25 ID:xPRb0wzQ
それもあるかもしれないけど、人員物資が大変なことになりそう
万単位の陸戦部隊を輸送するのに一体どれだけの船と水夫が必要になるやら
補給物資やある程度の水兵も乗せなきゃならないだろうし
239 :
人間七七四年:2013/02/28(木) 14:48:22.51 ID:2VrNl8Bp
物運ぶなら船のほうが楽だけどな
240 :
人間七七四年:2013/02/28(木) 23:20:50.42 ID:x0WU5fUN
輸送量も速度も速いからな
特に戦国時代はそれほど街道が整備されていなかっただろうし
だから河川や湖沼の多い武蔵、下総、常陸南部辺りは舟による移動や輸送が盛んだった
まあ、舟と言っても小さなものだろうし海を渡るような舟とは比較出来ないが
241 :
人間七七四年:2013/03/01(金) 14:55:44.12 ID:s0bR5Ytw
ん?戦国時代に鹿島のほうから遡って江戸に抜けるルートって使えるんだっけ?
242 :
人間七七四年:2013/03/01(金) 15:14:46.03 ID:8fLcO00s
>鹿島のほうから遡って江戸に抜ける
海なのか陸なのか どのルートの事を聞きたいのか判らん
でも戦国時代に他人の領地へ行くという事はかなり危険なんだよな
243 :
人間七七四年:2013/03/04(月) 20:52:47.60 ID:6dDDsS4/
>>234 秀吉が奥州まで行ったのは那須ではなく鬼怒川沿い。
>>241 利根川が東遷するのは徳川時代の話。
>>242 関宿城攻防戦は、水系を北条方か上杉方かを抑える戦いでもあった。
氏康が関宿城を指して「一国に値する」と言った程だから、政治・軍事・経済の要地でもあった。
国府台合戦も利根川の双方の防衛ライン上で起こったもの。
244 :
人間七七四年:2013/03/04(月) 21:48:19.94 ID:xx+44I2P
秀吉本人は宇都宮近郊どまり その後奥州仕置軍は奥州街道を北上,白河から会津に入っているから 鬼怒川沿いルートでは無いような
245 :
人間七七四年:2013/03/04(月) 23:44:17.30 ID:sONBHET7
と言うか行きは奥州街道で、帰りは会津西街道を通ったようだが
246 :
人間七七四年:2013/04/04(木) 21:25:46.78 ID:+n5kyKqy
那須氏ってまだ残っているのかな
最近冤罪で当主なくなったらしいけど
247 :
人間七七四年:2013/04/04(木) 23:25:56.94 ID:Lvz3Ppvp
那須は知らないけど、大田原市辺りに行くと大関さんとか大田原さんってたくさんいるのな
あれ一族だろうね
まさかお膝元で偽者はそうそうおるまい
248 :
人間七七四年:2013/04/05(金) 00:17:26.23 ID:qs+WYzNO
大関さんや大田原さんだらけの街…
なにそれこわい
249 :
人間七七四年:2013/04/05(金) 00:32:56.50 ID:ETpsvNb6
>>246 37代目の当主が与一伝承館の名誉館長になっているそうな
(先代が例の冤罪被害にあった方)
250 :
人間七七四年:2013/05/02(木) 18:54:17.75 ID:V5nr7uJU
確か妹の子が養子になったんじゃ
251 :
人間七七四年:2013/06/26(水) 22:15:28.43 ID:KLqoCTQR
まったりしたスレだ
252 :
人間七七四年:2013/07/22(月) NY:AN:NY.AN ID:fEM7IfLJ
小山市に行ってきたんだが、市の発行しているガイドブックが想像以上に充実してて驚いた
Q&A形式で見開き8ページは小山氏と小山評定ネタ
問題もマニアック
253 :
人間七七四年:2013/08/06(火) NY:AN:NY.AN ID:eRl5dT3Q
小山が輝いてたのは鎌倉時代
室町になるとgdgd
254 :
人間七七四年:2013/08/06(火) NY:AN:NY.AN ID:4hWKMMHn
常陸や下総もそうだけど、下野も諸勢力が拮抗して最後まで統一勢力が現れなかったな
那須、宇都宮、小山、佐野、長尾の五強といった感じだったが
宇都宮や小山の衰退で壬生、皆川などが台頭し更に佐竹や結城が食い込んで来てカオスに
255 :
人間七七四年:2013/08/07(水) NY:AN:NY.AN ID:zW54ndC9
何度も滅びては蘇った小山一族(小山氏、結城氏)は地味に凄い
一族の内紛は武家の常だけどもう少しなんとかならなかったのとは思う
特に那須と宇都宮
256 :
人間七七四年:2013/08/10(土) NY:AN:NY.AN ID:QJCqshdN
きたない大関が配下にいなきゃなあw
257 :
人間七七四年:2013/08/10(土) NY:AN:NY.AN ID:r0hVd3gm
那須では大田原三兄弟が、宇都宮では芳賀・壬生が敵味方相手に大暗躍
汚いなさすが下野きたない
258 :
人間七七四年:2013/08/11(日) NY:AN:NY.AN ID:8Q5tRVHr
どれだけ相手を騙せるかで勝負を決する戦争で清い戦いなどある訳ない
むしろまだまだ温い
主家を滅ぼして伸長できなかった辺りは、結局大関も他の将と大差ない
259 :
人間七七四年:2013/08/13(火) NY:AN:NY.AN ID:6c9NJQVZ
主家を滅ぼすことなく大名になった大関らのやり方は賢いんじゃね
那須資晴を排除する際にも、秀吉をうまく利用してる
これは結果論になるが、下野にまとまった領地をもってても改易の危険が高い
先祖伝来の土地にこだわるのならほどほどが良いと悟ったのかも
260 :
人間七七四年:2013/08/14(水) NY:AN:NY.AN ID:GaWzShwR
そこまでの考えは無かったかと
大関ら上那須衆は佐竹の支援を受けて何度も宗家を滅ぼそうと攻め込んだが
結局攻めきれなくて和解した訳だし
関東の諸大名家は軒並み内訌で長期間混乱したが
これって単なる内訌と言うより関東管領(将軍家)と関東公方の争いの一端なんだよな
261 :
人間七七四年:2013/08/14(水) NY:AN:NY.AN ID:vYasxD4/
しかししぶといな。天庵さまには負けるが一気に滅びるってないよね?
262 :
人間七七四年:2013/08/17(土) NY:AN:NY.AN ID:a7iONK+O
おまえら 俺 那須与一の子孫だけど なにか?
263 :
人間七七四年:2013/08/18(日) NY:AN:NY.AN ID:9Gbc8mMO
でっていう
264 :
人間七七四年:2013/08/18(日) NY:AN:NY.AN ID:9AzprXDe
冤罪で牢屋にいたんだっけ?
265 :
人間七七四年:2013/08/18(日) NY:AN:NY.AN ID:nO3OABGe
那須姓ってかなり多いよな
伊王野や蘆野はかなりレアだけど
266 :
人間七七四年:2013/08/19(月) NY:AN:NY.AN ID:7Z3dqSlN
那須与一は架空武将
267 :
人間七七四年:2013/08/19(月) NY:AN:NY.AN ID:K7TXJ32I
大関福原はいるが千本はあまりいないよね。
268 :
人間七七四年:2013/08/23(金) NY:AN:NY.AN ID:kO77JeRU
那須の子孫が冤罪でブタ箱、大関の子孫は陸軍少将や東大教授
不平等やね
269 :
人間七七四年:2013/08/24(土) NY:AN:NY.AN ID:E/jtm0dU
子孫と言っても、もはや誰の子孫なのやら
那須氏も大関氏も養子が入りすぎて、血縁上は殆ど他人っぽい
270 :
人間七七四年:2013/08/25(日) NY:AN:NY.AN ID:285/BHfV
夏休みに出自を詳しく調べてみたら那須与一の弟の末裔って記述があったんだが与一に弟いなくね?
271 :
人間七七四年:2013/08/27(火) NY:AN:NY.AN ID:kwCIRv7s
誰か宇都宮成綱の娘で結城政朝の妻になった方の名前知っている人いませんかね?
272 :
人間七七四年:2013/08/27(火) NY:AN:NY.AN ID:AkToMNcx
戒名が玉隣慶珎大姉だから
「たま」姫とかかもな
273 :
人間七七四年:2013/08/27(火) NY:AN:NY.AN ID:kwCIRv7s
>>150 綱房はそのころかなり老齢だったし、寿命で死没した可能性の方が高そうだけどね
274 :
人間七七四年:2013/08/28(水) NY:AN:NY.AN ID:AXiDJKmJ
>>191 でもあの時やらなければ宇都宮は芳賀高勝に乗っ取られてたからなあ。
成綱は頑張ったと思うよ。少なくとも宇都宮錯乱後で成綱が生きている間は家中の統制は十分できていた
1516年に没していなければ興綱の反乱も抑えられたと思うし、那須、佐竹、小山は家中でゴタゴタしてたからもっと躍進できただろうな。
275 :
人間七七四年:2013/08/29(木) NY:AN:NY.AN ID:w9gLdIaa
宇都宮、那須、小山、佐竹、小田、結城、大掾、白川結城
この時期、宇都宮の周辺勢力もみんな将軍家と関東公方家の争いに絡んで家中分裂起こして苦しんでいたな
なんとか内訌を克服出来た佐竹が勢力を伸ばしたぐらいで
他はずるずると後を引いて、結局下野常陸は統一勢力が現れなかった
係争地になって散々荒らされまくった上野に比べればまだマシではあったが
276 :
人間七七四年:2013/08/29(木) NY:AN:NY.AN ID:RC7CS/1y
みな平安・鎌倉時代から続く名族なだけに無常感が半端ないね
小山や大掾なんて見る影もなく衰退しちゃって…
個人的には鎌倉から長いこと不遇だった佐竹が最終的に一番の勝ち組になってるのがおもしろいわ
277 :
人間七七四年:2013/08/30(金) NY:AN:NY.AN ID:Yrd/ryDv
那須高資
大関宗増
大関高増
大田原資清
佐久山義隆
宇都宮成綱
壬生綱房
壬生徳雪斎
芳賀高定
多功長朝
多功房朝
益子勝宗
佐野昌綱
小山高朝
下野国だけでも有能な武将が多かっただけに最後まで
統一勢力が現れなかったのが残念だよな
278 :
人間七七四年:2013/08/30(金) NY:AN:NY.AN ID:UCtQMkPR
統一どころか半分も・・・
那須、宇都宮、小山で三分してた頃が一番まとまってたか
279 :
人間七七四年:2013/08/30(金) NY:AN:NY.AN ID:tZxZyPOH
考えてみれば三家とも藤原氏
秀郷流藤原氏の嫡流は小山氏だっけ?
280 :
人間七七四年:2013/09/02(月) 08:07:20.31 ID:+g5hERiA
>>278 忠綱の代に過半を超えて、ほぼ統一目前だったけどな
ふう
281 :
人間七七四年:2013/09/02(月) 12:01:34.05 ID:hvZBfXFL
あのあたり一強がいないんだろうな。でなきゃ天庵さん何度も復活できないじゃん
282 :
人間七七四年:2013/09/02(月) 22:42:34.98 ID:iLSjnxKY
宇都宮は成綱時代に、佐竹は義昭時代に、国内統一のチャンスがあったんだけどな
両者ともあと10歳長生き出来れば
283 :
人間七七四年:2013/09/03(火) 01:32:48.18 ID:LgK683ju
清党で唯一戦国の世を乗り切って旗本として残った岡本家。
泉騒動で結局改易されるが・・・。
ほんと、下野国は内紛が多いよな。
284 :
人間七七四年:2013/09/03(火) 10:29:02.71 ID:8SmaXlPR
宇都宮にある岡本家住宅って岡本氏の宗家なのだろうか
285 :
人間七七四年:2013/09/04(水) 09:46:50.74 ID:by/a1Jtm
宇都宮氏改易後、宇都宮氏の侍医だった人が宇津救命丸を作ったのは有名。
現在は高根沢から東京に移ったとか。
岡本氏の侍医だった一族の子孫が現県議会議員だったか?
旧河内町の元町長・玉生氏は宇都宮一族の子孫か?
286 :
人間七七四年:2013/09/04(水) 11:11:35.68 ID:EVv2PkOV
高根沢には広い敷地の古い家屋がいっぱい残っている
工場は今でも高根沢に在るし
287 :
人間七七四年:2013/09/04(水) 14:27:52.61 ID:35K/fJFk
栃木県で竜巻か。
重要な歴史的文化遺産が破壊されていたら嫌だな
288 :
人間七七四年:2013/09/06(金) 00:24:38.85 ID:M4Vvw4CX
現岩舟町付近で栄えた下野の小野寺氏・・・。
嫡流だったのにいつのまにか庶流だった仙北の小野寺氏が嫡流扱いされているって・・
289 :
人間七七四年:2013/09/08(日) 03:47:20.22 ID:P9pqFnsZ
>>281 天庵さんの頃にはすでに成綱がいないからなぁ
290 :
人間七七四年:2013/09/08(日) 06:41:34.06 ID:XsdrgKMh
宇都宮は短期間に居城を乗っ取られすぎだろ
絶頂期からの転落がやばい
291 :
人間七七四年:2013/09/08(日) 14:30:42.79 ID:P9pqFnsZ
大永6年(大永3年説もある)に芳賀興綱
天文18年に壬生綱房
元亀3年に皆川俊宗
に乗っ取られているからなぁ
宇都宮の戦国時代は特に内紛が激しかったね
292 :
人間七七四年:2013/09/08(日) 15:07:45.26 ID:XsdrgKMh
今wiki見たら、興綱は忠綱の弟説と解説されてた
おまけに芳賀氏も継いでいないだと…?
293 :
人間七七四年:2013/09/08(日) 18:22:18.08 ID:0uSHXHIU
内乱だと不意をつかれるから簡単に落城しちゃうんだよな
その点、敵に5回ぐらい居城を落とされた天庵様はある種の才能としか思えない
294 :
人間七七四年:2013/09/08(日) 18:53:04.93 ID:CRrfZWGO
周りの強敵って軍神、武田、北条、伊達、佐竹だっけ?バラバラでやられないってことはよほどカオスな土地なんだろうな
295 :
人間七七四年:2013/09/08(日) 18:55:40.96 ID:sWx/jSnc
武田と伊達は下野に絡んだことはない
296 :
人間七七四年:2013/09/08(日) 23:36:46.20 ID:ERo+GWWt
直接的な戦闘とかはなかったけど、武田とは同盟結んだりしてたな
伊達は天正17年に葦名を滅ぼして白川結城を支配下に置いた事で下野と隣接する事になった
それで那須氏と接近し始めたけど、数ヵ月後に小田原攻めが始まったから
それ以上の動きはなかったが
297 :
人間七七四年:2013/09/09(月) 11:45:03.27 ID:gci2LdU4
>>292 www2.harimaya.com/sengoku/html/haga_k.html
↑
ここでも高勝の跡は高孝が継いだって書いてあるね。
興綱は芳賀すらも統率できないのに宇都宮乗っ取ったのかよw
298 :
人間七七四年:2013/09/10(火) 22:46:22.39 ID:1lEXzmz+
>>297 そのサイトでは従来どおり、興綱は忠綱の叔父であり、芳賀を継いだという立場だね
芳賀景高
→高勝(宇都宮錯乱で粛清)
→高孝
→興綱(芳賀景高に養育され、芳賀氏歴代の受領名「左兵衛尉」を名乗っていることから)
という流れかな
299 :
人間七七四年:2013/09/10(火) 22:56:03.28 ID:1lEXzmz+
しかしあれだな
仮に忠綱の弟説に立つと、宇都宮城乗っ取り時の興綱は
1.幼少
2.支持基盤なし
3.少し前まで権勢を振るっていた重臣一族
…役満じゃねぇか
300 :
人間七七四年:2013/09/12(木) 02:11:26.54 ID:yGADbVmG
301 :
人間七七四年:2013/09/18(水) 03:09:33.40 ID:VkfIeQqA
下野の戦国大名で佐野昌綱以外に肖像画が存在する人物っているの?
302 :
人間七七四年:2013/09/19(木) 20:05:40.08 ID:qJiHg+xF
探せばたくさんあると思うよ
大田原には大田原家の歴代当主の肖像画があるし
大関高増や小山秀綱の肖像画もある
303 :
人間七七四年:2013/09/19(木) 20:29:26.91 ID:1OqN/0ih
旧い神社とか寺とか廻ればあるかもなぁ
304 :
人間七七四年:2013/09/19(木) 21:21:53.11 ID:8mmTPuW7
幕末まで残った家ならありそうだな
宇都宮や壬生はわからんな。
鎌倉時代の御家人だった宇都宮朝綱なら見たことあるが・・・
戦国大名の成綱や俊綱、広綱とかは見たことないね
305 :
人間七七四年:2013/09/20(金) 00:43:30.03 ID:4ZwpLDpj
宇都宮や那須は没落しちゃったからな
基本的に肖像画は死後数十年や百年ぐらい経ってから描かれる物が多いから
子孫が没落してしまうと、なかなか描かれる事はない
それに神社や寺に奉納されるから、主家が没落すると菩提寺や氏神も庇護を失って同時に没落してしまう場合もあるだろうし
306 :
人間七七四年:2013/09/20(金) 10:13:16.78 ID:tWHbqwlN
霊廟があれば、権力のある人物は木像、お金が無くなってくると肖像画が在るのが普通
307 :
人間七七四年:2013/09/20(金) 10:13:57.16 ID:tWHbqwlN
でも霊廟内部は非公開になっている場合が多いがw
308 :
人間七七四年:2013/09/20(金) 14:42:13.46 ID:tF0hyXtY
そりゃそうだ。俺らだって自分の部屋曝されたくねえだろw
309 :
人間七七四年:2013/09/21(土) 10:42:48.72 ID:J3TJFHwl
やはり宇都宮家レベルの古い名門になると改易されても相当な影響力持っているのだな
益子って江戸時代は黒羽藩(大関家)の飛び地だったけど、宇都宮家の菩提寺があるから何度も法事を行っているんだね
宇都宮氏は水戸藩の臣下だったから、益子は他藩の領地になる訳だけど
お構い無しに旧臣らを集めて盛大に法事を執り行っていた
益子の民衆も黒羽藩より宇都宮家を優先していたそうだ
よく、旧領主が旧臣らを集めて 一揆を扇動する事があるけど
100年200年経っても強く結び付いているのだから、確かに一揆起こすのも容易いかもしれない
そう言う点からすると、やはり改易や転封で帰農した遺臣らを取り込む事は新領主にとって重要な事だな
310 :
人間七七四年:2013/09/22(日) 12:15:20.30 ID:AnC5gjXE
311 :
人間七七四年:2013/09/22(日) 14:35:14.66 ID:veH309aX
>>309 大関家にとってはやりにくいけど、藪をつついて蛇を出したくはないだろうし
そのあたりは大目に見るほうが得策だろうね
312 :
人間七七四年:2013/09/22(日) 23:01:01.47 ID:sqH16l1n
黒田官兵衛といえば城井宇都宮の城井鎮房が殺害された話があったな
313 :
人間七七四年:2013/09/23(月) 23:04:44.55 ID:yKKPkd6Y
城井鎮房が本領召し上げ後すぐに蜂起し黒田勢を撃退できたのも、
城井谷との結びつきの強さを物語っているな
314 :
人間七七四年:2013/09/24(火) 00:26:54.45 ID:lNclkMbf
城井長房って遠く離れた豊前の分家なのに、なんで本家に深く介入できたんですか?
315 :
人間七七四年:2013/09/27(金) 00:53:40.29 ID:ul6nW65v
あれは話半分だろ
隠居して自由に動ける立場だった程度
316 :
人間七七四年:2013/10/19(土) 01:34:11.59 ID:z+Whj4du
下野の武将で辞世の句とかないかな?
宇都宮成綱や大田原資清、大関高増とかはありそうな気がするが
317 :
人間七七四年:2013/10/24(木) 23:30:46.28 ID:uGGk/yJQ
下野国三大謀将
壬生綱房
大田原資清
大関高増
318 :
人間七七四年:2013/10/28(月) 09:40:33.53 ID:7JIEi7nK
那須は蟲毒という表現がぴったり
最後まで勝ち残ったのが大田原一族
319 :
人間七七四年:2013/10/28(月) 14:11:56.82 ID:0skIU31f
関東公方-那須・壬生・小山・佐野
上杉-宇都宮・足利長尾 大雑把ですけど大体これであってますかね?
320 :
人間七七四年:2013/11/13(水) 20:15:47.10 ID:COR0f7gC
いつの時代区分だよ
関東公方は戦国時代には実質的にもういません
区分けもメチャクチャ
宇都宮成綱の女婿や外孫が古河公方だけど。
321 :
人間七七四年:2013/11/14(木) 12:47:55.91 ID:d9rz4l28
>>320 関東公方と上杉で分かれてるから享徳の乱じゃないか?
享徳の乱が戦国時代かどうかは意見が分かれるだろうが
322 :
人間七七四年:2013/11/14(木) 14:01:19.44 ID:iixbMlTN
各大名家の中でも公方派と管領派に分裂しているから複雑で明確な区別はし難いな
公方が失墜すると今度は管領派が分裂して争い、両上杉が失墜するとまたも管領が二家台頭してきて争い
更に自称管領家と副将軍が現れてカオスに
323 :
人間七七四年:2013/11/16(土) 00:18:32.23 ID:YhAVtngF
戦国時代の宇都宮家(成綱、忠綱、興綱、俊綱、広綱、国綱)で従五位下になれたのって国綱だけ?
324 :
人間七七四年:2013/11/22(金) 00:24:50.06 ID:GTZcLN0k
宇都宮氏は五位じゃなくて四位の家柄だろ
成綱は正四位下、あとは従四位下
325 :
人間七七四年:2013/11/22(金) 20:24:01.91 ID:/BGfIlfs
結城に付いていった皆川氏は続いてるのね
326 :
人間七七四年:2013/11/24(日) 14:32:03.61 ID:qIsg4+Lg
>>324 国綱が従四位下って記述はよく見るけど他の人物に関しては見たことないな
ソースよろ
327 :
人間七七四年:2013/11/24(日) 22:25:26.94 ID:YgYpLmfy
ソースはオリバー
328 :
人間七七四年:2013/11/25(月) 12:00:55.04 ID:CYCXQnst
おたふくじゃないの?
329 :
人間七七四年:2013/11/27(水) 02:01:46.66 ID:rwvobJVd
南呂院っておたふく顔だったのかな
330 :
人間七七四年:2013/12/01(日) 01:49:03.60 ID:2oiHkhlg
天徳寺が信長に仕えていた時って、どこの戦線いってたんだろうね?
331 :
人間七七四年:2013/12/03(火) 08:55:47.19 ID:enRTJVcP
房綱は信長には仕えてません
その頃はまだ佐野に居ました
332 :
人間七七四年:2013/12/04(水) 00:09:31.20 ID:j4o4VX8M
そもそもどこから信長に仕えていたなんてデマが生まれたんだろ?
333 :
人間七七四年:2013/12/06(金) 08:09:47.58 ID:0SaLQR1N
デンマーク
334 :
人間七七四年:2013/12/06(金) 11:53:00.08 ID:AQ1M9Zlw
粟野俊之『織豊政権と東国大名』
335 :
人間七七四年:2013/12/06(金) 11:57:13.82 ID:AQ1M9Zlw
信長の家臣 滝川一益の与力として働いていた事が書状などで確認出来るから
大きな流れでは信長の家臣という事が出来ないわけではない
336 :
人間七七四年:2013/12/06(金) 21:53:37.51 ID:ELI8xvd4
でも家臣じゃなくて陪臣だよね、それ
337 :
人間七七四年:2013/12/07(土) 01:38:23.30 ID:BDncvnB3
与力は直臣ですが
338 :
人間七七四年:2013/12/07(土) 09:42:49.71 ID:vIMrgTGu
339 :
人間七七四年:2013/12/10(火) 17:31:50.58 ID:VD/LGq+m
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340 :
人間七七四年:2013/12/10(火) 17:33:29.66 ID:VD/LGq+m
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341 :
人間七七四年:2013/12/10(火) 17:34:50.88 ID:VD/LGq+m
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342 :
人間七七四年:2013/12/10(火) 17:37:22.56 ID:VD/LGq+m
群馬県バンザーイ!!\(^O^)/ 群馬県民バンザーイ!!\(^O^)/
金山城バンザーイ!!\(^O^)/ 由良成繁バンザーイ!!\(^O^)/
群馬県民以外地獄に堕ちろー!!( ̄△ ̄)p
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343 :
人間七七四年:2013/12/10(火) 22:00:08.08 ID:VD/LGq+m
群馬県の新田金山城主・由良成繁は最強の戦国大名だ!!
由良成繁>>>>>>>>>>>>>>>織田信長
由良成繁>>>>>>>>>>>>>>>豊臣秀吉
由良成繁>>>>>>>>>>>>>>>徳川家康
由良成繁>>>>>>>>>>>>>>>武田信玄
由良成繁>>>>>>>>>>>>>>>上杉謙信
由良成繁>>>>>>>>>>>>>>>毛利元就
由良成繁>>>>>>>>>>>>>>>伊達政宗
由良成繁>>>>>>>>>>>>>>>島津義久
由良成繁>>>>>>>>>>>>>>>北条早雲
由良成繁>>>>>>>>>>>>>>>北条氏綱
由良成繁>>>>>>>>>>>>>>>北条氏康
由良成繁>>>>>>>>>>>>>>>北条氏政
由良成繁>>>>>>>>>>>>>>>今川義元
由良成繁>>>>>>>>>>>>>>>大友宗麟
由良成繁>>>>>>>>>>>>>>>尼子経久
由良成繁>>>>>>>>>>>>>>>尼子晴久
由良成繁>>>>>>>>>>>>>>>宇都宮成綱
由良成繁>>>>>>>>>>>>>>>佐竹義昭
由良成繁>>>>>>>>>>>>>>>佐竹義重
由良成繁>>>>>>>>>>>>>>>江戸通泰
由良成繁>>>>>>>>>>>>>>>小山高朝
由良成繁>>>>>>>>>>>>>>>壬生綱房
由良成繁>>>>>>>>>>>>>>>佐野昌綱
由良成繁>>>>>>>>>>>>>>>佐野宗綱
由良成繁>>>>>>>>>>>>>>>結城政朝
由良成繁>>>>>>>>>>>>>>>結城秀康
由良成繁>>>>>>>>>>>>>>>小田政治
由良成繁>>>>>>>>>>>>>>>小田氏治
由良成繁>>>>>>>>>>>>>>>芦名盛氏
由良成繁>>>>>>>>>>>>>>>陶晴賢
由良成繁>>>>>>>>>>>>>>>里見義堯
由良成繁>>>>>>>>>>>>>>>里見義弘
由良成繁>>>>>>>>>>>>>>>龍造寺隆信
由良成繁>>>>>>>>>>>>>>>南部晴政
由良成繁>>>>>>>>>>>>>>>朝倉義景
由良成繁>>>>>>>>>>>>>>>村上義清
由良成繁>>>>>>>>>>>>>>>相馬盛胤
由良成繁>>>>>>>>>>>>>>>浅井長政
由良成繁>>>>>>>>>>>>>>>本願寺顕如
由良成繁>>>>>>>>>>>>>>>杉浦玄任
由良成繁>>>>>>>>>>>>>>>最上義光
由良成繁>>>>>>>>>>>>>>>小野寺輝道
由良成繁>>>>>>>>>>>>>>>斎藤道三
由良成繁>>>>>>>>>>>>>>>長宗我部元親
由良成繁>>>>>>>>>>>>>>>宇喜多直家
由良成繁>>>>>>>>>>>>>>>畠山義綱
由良成繁>>>>>>>>>>>>>>>神保長職
344 :
人間七七四年:2013/12/13(金) 10:14:53.44 ID:idmL4jup
東京さ出て立派なマーボー那須になるだ
345 :
人間七七四年:2013/12/13(金) 11:30:03.14 ID:xFZZZtAB
宇都宮一族の茂木氏って戦国後期に佐竹家臣になる前は宇都宮氏の家臣だったの?
346 :
人間七七四年:2013/12/15(日) 13:19:54.87 ID:3ZrzCCIk
家臣というより一族
347 :
人間七七四年:2013/12/15(日) 16:31:21.30 ID:nF/63IJV
茂木は小田の庶流。
北関東の地頭が手近の八館等手近の大名と個別に契約関係を結ぶのは
在地の抗争が激しくなる戦国中後期に入ってからで、それ以前は独立的に行動し、
概ね公方家、もしくは管領家と歩調を合わせていた。
348 :
人間七七四年:2013/12/16(月) 04:10:12.46 ID:akKPk6Go
小田も宇都宮と同じく祖は宇都宮宗円(藤原宗円)だからその庶流である茂木も宇都宮氏族ってことになるのか
349 :
人間七七四年:2013/12/18(水) 14:19:29.45 ID:WM+BVv7k
宇都宮成綱って入道して継巌(継岩)って名乗ったらしいけど
上杉謙信や武田信玄みたいに表記するとしたら宇都宮継巌ってことになるんけ?
350 :
人間七七四年:2013/12/18(水) 21:39:43.96 ID:cAn5kv+u
>>348 宇都宮氏の氏祖・初代は藤原宗円。
2代目は八田宗綱(自称が八田)。
下館の八田地区を本拠としていた。のちに宇都宮に本拠を移す。
小田氏の氏祖・初代とする場合もある。
3代目は宇都宮朝綱。宗綱の長男。この代から宇都宮に改姓する。
八田知家は朝綱の弟。宗綱の次男。
小田氏の初代とする場合もあるし、2代目と数える場合もある。
彼の2代後に小田氏へ改姓。
茂木氏は八田知家の三男・茂木知基を祖とする。
小田氏族、小田の庶家でいい。
ただ、宇都宮氏と他人という訳でもない。
351 :
人間七七四年:2013/12/23(月) 14:24:14.70 ID:V5FxYayM
宇都宮忠綱ってなんで無能扱いされてるの?
俊綱や広綱、国綱よりは有能だったと思うのに
352 :
人間七七四年:2013/12/23(月) 18:48:42.90 ID:qaoGdrcK
>>351 無能扱いされて結城に認められず関係悪化させた忠綱
その後しっかり関係修復に成功させた俊綱
幼君で一番危ない時期ですら見放されなかった広綱
それだけで忠綱が下に見られても仕方無いよね
他国の評価酷いもん
353 :
人間七七四年:2013/12/23(月) 22:39:28.89 ID:V5FxYayM
>>352 小山・結城との関係修復に成功したのは俊綱じゃなくて興綱(というより芳賀高経・建高か)。
俊綱は結城政朝の娘との婚姻を一応成功しているけど、和睦の使者でやってきた水
谷政村の部隊を攻撃してしまったことや、那須政資と那須高資の家督争いで対立
したために外交は四面楚歌状態だったぞ。
政治面は専横甚だしい芳賀高経を排除できたのは良いけど、壬生綱房の専横を許し
てしまったし。
354 :
人間七七四年:2013/12/25(水) 21:22:56.04 ID:rVp1uYzj
>>351-352 軍事のみなら、それなりに評価できる。
対鹿沼、対佐竹、対皆川と連戦連勝。
が、『孫子』の「百戦百勝は善の善なるものに非ず」だな。
芳賀氏の謀反を察知できなかったのは、忠綱の驕りがあったのかもな
355 :
人間七七四年:2013/12/25(水) 23:22:28.28 ID:V6OPNNpY
>>353 そういや結城家と宇都宮家って結局は仲どうなったの?
尚綱が嫁貰ってからも仲良く対北条やってる時もあれば敵対してる時もあるしよく分からん
忠綱だけが悪いようには確かに思えんな
356 :
人間七七四年:2013/12/26(木) 01:29:13.19 ID:XI6mcWUb
>>355 秀康が結城家に入嗣するにあたって、結城晴朝は先に宇都宮家からもらってた朝勝を廃嫡して送り帰してるから、
両家の仲は最終的には悪化したとおもわれる
それが理由かはわからないけど関ヶ原、大阪の陣でも敵対してる
357 :
人間七七四年:2013/12/26(木) 02:00:09.07 ID:XzzVR1nr
関東の要地である結城に自らの縁者である秀康を送り込み、豊臣政権による関東支配の基地として掌握するための豊臣秀吉による思惑
隣地に実子が配置されることによって関東における地位を確固たるものにしようという関東移封された徳川家康の思惑
結城の名を後世に残したい結城晴朝の思惑
これらの利害が一致したことによって秀康が結城家に入嗣し、朝勝を廃嫡して宇都宮に送り飛ばしている
ちなみに宇都宮氏の改易は豊臣政権内の東国支配を巡って集権派(石田三成、増田長盛)と分権派(徳川家康、前田利家、伊達政宗)
による政争が原因とのこと
宇都宮氏、佐竹氏は当時石田派だったために家康は両氏を改易し、その地に徳川派の蒲生氏を入れ、関東から石田派を排除しようと企んでいた
石田三成の助けがなければ宇都宮氏と一緒に佐竹氏も改易されてた。宇都宮氏は間に合わなかったが・・・
358 :
人間七七四年:2013/12/26(木) 12:44:42.05 ID:1rTu4yLJ
佐竹は節目節目で変なカード引くような気がする・・・生き残ってるんだからそれでもいいんだろうけど
359 :
人間七七四年:2013/12/26(木) 17:08:07.40 ID:vCCf3SRL
生き残れなかった宇都宮ディスってんのかー?
あー!!!!!!?????
360 :
人間七七四年:2013/12/27(金) 11:55:46.20 ID:FYddvCQD
佐竹と宇都宮の差は当主の有能さ
佐竹と里見の差は北条氏からの距離
当主が有能で北条氏と直接やりあわないで済む位置にいればそら生き残るよ
361 :
人間七七四年:2013/12/27(金) 13:34:54.71 ID:LWj+2dop
どう考えても成綱期の負の遺産と尚綱がいいとこで死んだ悪い面を色濃く受け継いだせいだろ
当主単体で頑張れる基盤がねーよ
362 :
人間七七四年:2013/12/27(金) 13:36:11.79 ID:Yy2p5fMP
宇都宮は大永の内訌がなければあそこまでひどくならなかっただろうに・・・
宇都宮成綱がもっと長生きしていればなぁ
363 :
人間七七四年:2013/12/27(金) 16:46:07.28 ID:+0q0IVlw
むしろ明綱が21歳なんかで死んで断絶しなきゃ…
下手すると武茂も芳賀も台頭しなかったかもしれん
364 :
人間七七四年:2013/12/27(金) 19:34:36.57 ID:Yy2p5fMP
>>363 正綱は明綱の弟だから宗家は断絶してないよ
365 :
人間七七四年:2013/12/28(土) 03:31:12.55 ID:BCg4z0xC
既に明綱の頃も芳賀は増長してた件
まだ武茂が競合相手としていた頃だから戦国期よりはマシか
366 :
人間七七四年:2013/12/28(土) 08:16:06.07 ID:5i2a+QV/
武茂って堅綱の代から佐竹家臣だけどそれ以前は何してたん?
宇都宮から離れた時期の空白が分からん
367 :
人間七七四年:2013/12/28(土) 13:23:33.11 ID:BCg4z0xC
武茂は成綱が家督継承する際に芳賀との間で政争があって敗北
それ以降武茂は権力中枢からは脱落している
守綱の代で天正年間に佐竹と合戦して以降佐竹家臣になった
368 :
人間七七四年:2013/12/31(火) 08:30:31.34 ID:QQKD9T3J
宇都宮が没落したのは興綱が原因
…といっても傀儡として芳賀に利用されていただけだから被害者みたいなものか
369 :
人間七七四年:2013/12/31(火) 18:15:38.32 ID:G61GEXjM
そもそも興綱は自分の意志と関係無く擁立されただけだろ…
10歳の幼君にしては自立頑張ってた方だ
370 :
人間七七四年:2013/12/31(火) 18:23:08.42 ID:G61GEXjM
追記しとくと興綱が当主なった時点じゃ尚綱が当主でも1歳差だから結果は変わらんだろう
371 :
人間七七四年:2014/01/02(木) 11:14:56.65 ID:qiaphIch
成人してから興綱は積極的に軍事行動してたじゃないか
そのせいで氏家辺りが焦土と化したけどなw
372 :
人間七七四年:2014/01/02(木) 15:44:17.49 ID:FGUx/ISR
成綱の子はみんな軍事に積極的だなw
落合氏はよく知らんけど
373 :
人間七七四年:2014/01/03(金) 01:55:31.80 ID:M+/MqBlv
益子との血縁関係をもっと強化していれば芳賀の抑えとして機能していたのに
374 :
人間七七四年:2014/01/03(金) 04:52:30.40 ID:u6SDbmWW
勝清を見てると第二の高経になりそうな気もする…
375 :
人間七七四年:2014/01/03(金) 07:02:34.32 ID:ZZyHAbGm
芳賀派と益子派に分かれて内紛するんですね。わかります
376 :
人間七七四年:2014/01/04(土) 01:56:09.64 ID:+S+iNWoG
益子勝宗と芳賀高経が争っている間に一番おいしいところを掻っ攫うのが壬生綱房ですね
377 :
人間七七四年:2014/01/04(土) 14:34:51.97 ID:hFO8GsTk
一方、笠間は…
378 :
人間七七四年:2014/01/05(日) 14:50:28.05 ID:okx1bGq1
r、「iハ ハ/}n
rヽ レ7 ∩ /っ 争え・・・
`Y /´/ _ L ヽ ノ
>.--ヘィ'"´ ̄> '" ̄"'/ }、 ,.ハ、 `7 もっと争え・・・
ト--/ハ /. . . . . . . ヽ_/ハ / /7
ヽ {! ヘ //. . ./ハ. .i..fi..V/ヘ/ ./
ヽ i{!i. .}rリ'´リ.八ト+}..、..ヘ /
ヽ リv.トN⌒ . ⌒iハ∧ .} /
ヽ !ハ iフ ノ/ |. .l./
ヽ VV>, - ィi// レ'/
〉、 レヾ レf::ハiレ !| ∧
. /. . ヘ{ ハ = i/. . ヘ
/. . {. .ハ大 l::::l関 /. . . . ヘ
. //../..! . ヘ l::::l /. . . . i.ハV
379 :
人間七七四年:2014/01/06(月) 10:08:51.39 ID:WAU7wGCK
下野、上野、越後の三国を支配した大大名宇都宮氏綱公が戦国期に生まれていれば・・・
380 :
人間七七四年:2014/01/06(月) 13:28:18.42 ID:/hez+Z3h
氏綱という名前の武将に外れ無し
381 :
人間七七四年:2014/01/07(火) 01:15:52.54 ID:zE7dp2mQ
天正年間の宇都宮広綱期の重臣で真っ先に挙がるのが芳賀高継だけど、
それ以上に権力を持っていたといわれる岡本宗慶って一体何者なんだろうか?
382 :
人間七七四年:2014/01/07(火) 04:29:24.22 ID:eIWo+NUn
紀党の岡本氏と関係はあるのかどうか
そして詳細不明の宇都宮忠綱の息子の岡本家…
もし忠綱の孫辺りの人間だったなら有力な感じがする
383 :
382:2014/01/07(火) 05:08:37.30 ID:JXAbavBe
>>381 勢いで適当に書いちゃったけど俺も気になったから手元の資料を読み直してみた
簡単に説明すると元亀年間は芳賀高継はまだその存在感は無かったと見られる
芳賀氏は失脚してた時期もあり、その芳賀氏の年齢や実績も積み重なっていなければ別の氏が台頭する事もあると
そして尚綱期には既に頭角を現してたと思われる岡本宗慶は主に上杉家との外交関係を担っていたようだ
重要な外交担当なのに高継では無く芳賀分家の岡本家が担当してた事を鑑みるに当時はやはり年齢も実績も彼の方が上らしい
当然彼は親上杉派なので親北条派の皆川俊宗から見れば岡本宗慶は邪魔だったようで殺害したという経緯らしい
権力を有して居たのは当然として親上杉派の代表格っぽかったみたいだね
384 :
人間七七四年:2014/01/07(火) 20:50:42.26 ID:zE7dp2mQ
>>383 なるほど、一時期宇都宮が親北条路線をとっていたのは皆川俊宗が上杉派の核である岡本宗慶を殺害したことが原因だったのか
385 :
人間七七四年:2014/01/09(木) 18:13:22.03 ID:gnm1Odvw
戦国大戦っていうアケゲーに宇都宮国綱が下野国代表で参戦したみたいだけど弱すぎて涙目
大田原資清・宇都宮成綱・武茂兼綱・塩谷孝綱・落合業親・壬生綱房・宇都宮尚綱・宇都宮広綱・多功長朝・多功綱継・大関高増
福原資孝・大田原綱清・芳賀高経・益子勝宗・芳賀高定・芳賀高継・那須高資・小山高朝・佐野昌綱・佐野宗綱・佐野房綱・皆川俊宗・長尾景長
下野からはこの辺出せば良いのにな 知名度UPにも繋がるし
386 :
人間七七四年:2014/01/09(木) 18:42:42.45 ID:H1szDz4j
大田原のとこって誰が一番きたないの?
387 :
人間七七四年:2014/01/09(木) 19:57:11.72 ID:vH0SOa+L
>>385 戦国大戦に宇都宮ついに出たのかって調べたらショタ過ぎw
1.2まで遊んでたけどこの程度じゃ復帰するには到らんかな
ちなみにノブヤボで俺は宇都宮の家臣と一門を100名以上登録してる
388 :
人間七七四年:2014/01/10(金) 02:12:08.67 ID:lk0oueNq
ノブヤボで自作したとしても作品によっては
成綱みたいな戦国時代初期の大名はシナリオの時代のせいで登場すらできないというオチ
389 :
人間七七四年:2014/01/10(金) 03:54:18.54 ID:Lfnt5xB5
蒼天録は成綱登録しなくても出てるけどなw
390 :
人間七七四年:2014/01/10(金) 16:54:23.31 ID:juRFNdbk
391 :
人間七七四年:2014/01/10(金) 19:09:50.95 ID:/r/eL+1v
カタカナで書かれるとビビるw
392 :
人間七七四年:2014/01/12(日) 23:08:57.95 ID:qgUueIMj
芳賀高継は親北条に傾いたまではともかく
北条と結託して謀反起こしたら駄目だろ
393 :
人間七七四年:2014/01/13(月) 00:04:37.29 ID:Xgjmt/k0
高継って小田原までになんで一旦は親北条路線取ってたんだ?
養子問題の時と違って明確な利が見えない
394 :
人間七七四年:2014/01/13(月) 18:59:03.67 ID:g2yrrztp
八木岡貞家が水谷正村に討たれた後、宇都宮俊綱が武田信隆を総大将にして3000の軍勢で正村を攻めさせたらしいけど
この武田信隆って上総武田の武田信隆かな?
それとも下野にも清和源氏流の武田の一族がいたってこと?
395 :
人間七七四年:2014/01/13(月) 23:19:26.67 ID:UB0lzJ7A
>>394 同時代に真里谷信隆という武将が居るのは知ってる
でも俊綱が総大将云々の話は聞いたことがない…
どの資料?
396 :
人間七七四年:2014/01/14(火) 02:09:42.05 ID:wmkL1T8a
397 :
人間七七四年:2014/01/16(木) 20:35:51.47 ID:Ig2lfExv
結城政朝の妻って成綱の姉説と成綱の娘説の二つがあるらしいけどどっちなんだろうな
398 :
人間七七四年:2014/01/16(木) 23:28:17.38 ID:uNjOnfMs
>>397 去年の11月上旬に発売した書籍だと姉妹説だね
結城政朝の年齢を考えればその方が自然だし俺は姉妹だと思う
399 :
人間七七四年:2014/01/18(土) 11:21:10.83 ID:SSBslH6O
位置関係ってどうなってるんだっけ?
400 :
人間七七四年:2014/01/19(日) 10:55:08.58 ID:j2ITi3xr
>>393 可能性として
・北条に調略されてた
・秀吉が北条討伐に来ると思ってなかった
・芳賀氏当主に復帰したかった
・隣の益子が謀反していて危機感を覚えていた
・主家を乗っ取ろうとしていた
最後のは無理としても上4つが複合した結果かなと
401 :
人間七七四年:2014/01/19(日) 11:06:43.86 ID:j2ITi3xr
>>387>>389 下野国内の武将でトータルの数値なら宇都宮成綱、謀将なら大田原資清・壬生綱房・大関高増(他にもいっぱい)、
忠臣なら芳賀高定・多功親子という感じかな
芳賀高定・佐野房綱あたりは全体的にもっと能力高くていいはず
逆に宇都宮興綱の評価は高すぎ。もっと下げるべき
402 :
人間七七四年:2014/01/19(日) 12:35:07.09 ID:IlihrmEi
>>401 下野って謀将多いな
大田原資清・壬生綱房・大関高増から比べるとワンランク下だけど芳賀高経や益子勝宗、壬生徳雪斎周長とかもそれっぽいし
興綱は新説採用されたら忠綱よりもひどい扱いになりそうw
403 :
人間七七四年:2014/01/19(日) 13:40:42.20 ID:ALzPck1e
南に北条、東に佐竹、北には蘆名とかまーくんとかいるんだ。きのこるには黒くなきゃいけません
404 :
人間七七四年:2014/01/19(日) 21:16:38.07 ID:GmSQbkPu
>>401 最近の興綱ってどんどん下方傾向のような…
そもそも最近は34年シナリオから削除されてすら居るしw
新作の高定はエース級の能力でやばいよ
成長するし最後まで筆頭で使える
405 :
人間七七四年:2014/01/19(日) 22:41:51.25 ID:IlihrmEi
そういえば成綱も天道の1511年のシナリオに登場しなかったな
>>404 綱房も十分強いけどどちらも1560年には既に寿命でいなくなっちゃうのがなぁ
綱房が没してからは高定に頼りっぱなしになる
本来なら「武の多功」とまで言われている多功氏がノブヤボだとわけわからん能力になっているのが・・・
406 :
人間七七四年:2014/01/20(月) 01:50:28.94 ID:9aaTsrLc
>>405 水谷正村とか周辺の武将の能力を加味するとギリ納得が出来る範囲なんだよ
問題は有名武将との差だな
姫にすら負ける統率武力はさすがに萎える
407 :
人間七七四年:2014/01/20(月) 02:19:39.95 ID:bL23W4zO
多功綱継辺りの能力付けは難しそう
北条氏邦を撃退できるくらいの実力を持つ武将だから統率と武力は70〜75くらいはほしいけど
水谷正村のことを考えるとそういうわけにもいかない
そして那須高資が武力80越えに対してほぼ無敗な水谷正村の武力があの能力なのは納得できん
>>406 ほんとこれ
408 :
人間七七四年:2014/01/21(火) 14:52:28.12 ID:9rTpebv0
肛門科
409 :
人間七七四年:2014/01/21(火) 23:40:35.89 ID:iSHxWCkn
>>398 その本に宇都宮家の墓所の項目があるけど謎が多いよな
特に成綱と忠綱の石塔は彼らの生前のものらしいし
410 :
人間七七四年:2014/01/26(日) 01:09:14.62 ID:LabfH7CP
20年くらい前までは、あの五輪塔の一部はどの当主のものか分かってなかったらしいからね
天皇陵みたいに取り敢えず誰か決めておきました。という形にしてるのも数代いるようで。
もちろん口伝が本当の墓所になってる当主も居るんだろうけどね
411 :
人間七七四年:2014/01/26(日) 07:38:07.68 ID:jRbh06oJ
滅亡した大名ってのは資料が欠けてくから困ったもんだよな
412 :
人間七七四年:2014/01/26(日) 13:35:29.75 ID:LabfH7CP
何で益子に墓所が定められたのか、どうやって清原氏・紀氏を傘下に収めたのか、笠間に領土を広げたのか
3代目あたりの系譜など様々な経緯が解明されてないからな
三傑に取り立てられた大名の四大姓の系譜はほぼ確実に嘘だが、
それ以前に守護級の大名は嘘ではないにせよ謎が多い
島津ですら出自に関しては色々と不明な部分が残ってるし
413 :
人間七七四年:2014/01/27(月) 09:50:11.06 ID:zKVzDjvt
はっきりわかってるのって武田とか佐竹ぐらい?
414 :
人間七七四年:2014/01/27(月) 23:44:49.55 ID:CXmGeaZ6
平安末期の宇都宮には藤原宗円を祖とする藤原姓宇都宮氏以外にも
佐々木定綱や中原姓宇都宮氏、紀姓宇都宮氏がいたみたいだな
その後どうやって藤原姓宇都宮氏が他の宇都宮氏を抑えて宇都宮大明神の座主になれたかは不明だけど
藤原宗円も実在を示す資料がまだ見つかっていないみたいだし
415 :
人間七七四年:2014/01/31(金) 22:12:51.76 ID:qlXRzApc
宇都宮は道兼流の公家でありながら二荒山神社の座主にして
鎌倉府の政所をつとめた有力御家人であり、元寇でも総大将として活躍したようですね。
中臣氏の血を受け継ぐ名門中の名門。
庶流城井鎮房に艾蓬の射法が相伝されているのも感慨深い。
那須与一や那須七党も宇都宮氏の血族だという説もあり武門の誉れ高い一族ですね。
416 :
人間七七四年:2014/02/01(土) 10:18:17.13 ID:BT+iG7RJ
那須与一自体も存在が怪しいのだけど、存在が怪しくなる前から既に那須家の与一出自が胡散臭かったという点に関しても興味深い
417 :
人間七七四年:2014/02/02(日) 12:07:53.14 ID:+khORzu6
宇都宮嫡流も「坂東一の弓取り」と賞賛されている上に芳賀禅可も弓なら負けないって自負しているもんな
418 :
人間七七四年:2014/02/04(火) 18:26:07.03 ID:ZmZa3EQS
弓だけでなく和歌にも優れた人物が多い宇都宮氏はまさに文武両道
百人一首のきっかけは頼綱だしね
419 :
人間七七四年:2014/02/04(火) 19:04:25.94 ID:GJTMiWC7
確か藤原定家と関係あったんだっけ?
420 :
人間七七四年:2014/02/05(水) 01:45:42.39 ID:d1nmd2TS
娘が定家の嫡男に嫁いでるから親戚だね
頼綱の住む小倉山の別荘を飾る色紙を選んでもらったのが百人一首の始まりらしい
421 :
人間七七四年:2014/02/16(日) 00:18:37.91 ID:BDOGGsjN
ウィキペディアで二階堂晴行の項目見てたんだけど、1536年に宇都宮と那須の合戦に関与してたんだね
これどっち側に関与してたかとか分かります?
出展元が記載されてないしネットで調べてみたけどいまいち分かりませんでした
422 :
人間七七四年:2014/02/28(金) 18:25:23.57 ID:eyPr2oUU
永正17年(1520年)に起こった浄宝寺縄吊し合戦って川井合戦のこと?
この合戦で壬生綱房が活躍したみたいだけど
423 :
人間七七四年:2014/03/15(土) 01:53:53.39 ID:mAUjpSGU
小山持政の生没年わかる方いませんか?
424 :
人間七七四年:2014/03/26(水) 12:23:43.05 ID:WRUqWYQ3
結局戦国大戦の1477に宇都宮成綱は出なかったのか
425 :
人間七七四年:2014/04/10(木) 01:37:13.97 ID:T3P2t4H6
>>417 東国の中でも武といったら当時は宇都宮だったのか
426 :
人間七七四年:2014/04/26(土) 02:32:40.52 ID:Q/STNhKb
多功長朝の生没年って何年なの
427 :
人間七七四年:2014/04/30(水) 23:13:30.35 ID:EJMAX6TJ
ノブヤボだと芳賀高定は土佐一条家の土居宗珊みたいなポジションだよね。上位互換が阿蘇家の甲斐宗運で。
広綱と阿蘇惟将はもう少し評価されていいかと
428 :
人間七七四年:2014/05/01(木) 09:30:30.37 ID:XMuOArnE
広綱壁書は何故偽文書扱いされているのか
429 :
人間七七四年:2014/05/04(日) 00:49:56.17 ID:9/J6hUBT
宇都宮成綱はもっと評価されるべき
信ヤボの能力低すぎ
430 :
人間七七四年:2014/05/28(水) 16:50:34.47 ID:348VlBgp
横田氏当主が上三川城に移った後の横田城って誰が城主だったの?
431 :
人間七七四年:2014/05/30(金) 12:52:05.34 ID:kBVhJ/8X
>>414 概ね、婚姻か養子で家まで一緒になった、取り込んで行ったのは想像つくんだけどね
5代目の頼綱が藤原定家の嫡男に娘を嫁がせてるのを見ると、少なくとも藤姓が入ってるのは間違いない
3代目の朝綱の代あたりは藤姓と中原系の両方の血は受け継いそうな気はする
432 :
人間七七四年:2014/06/20(金) 23:41:29.71 ID:eB/vWi8c
>>407 創造だと
統率=防御力
武力=攻撃力
だからいくら戦功が多くても宇都宮は尚綱の代以降攻めることよりも守戦の方が多かったから
宮中一の侍大将と呼ばれた多功長朝、多功房朝、多功綱継は統率>武力なステータスが無難
433 :
人間七七四年:2014/07/12(土) 00:54:29.80 ID:ElaBWlD9
>>427-428 短命だと、どうしても業績そのものが限られてしまうからな
広綱は尼子晴久と似てるかな。ビジョンはあったが、それを成し遂げる前に…
国綱はどう見ても家督相続時の状況が悪すぎだったが、よく戦った。本拠地の移転も大決断
養子問題が遠因で改易されたが、今でも男系が残ってるのは本当に救われる
慶長の役でも旧臣と一緒に渡海したりと人望はあったんだろうね
434 :
人間七七四年:2014/07/14(月) 03:45:55.14 ID:xL7jjyvr
とはいえ、広綱の代で宇都宮家の家中を大きく変化させることに成功したのは大きい
忠綱の代で勢力拡大に失敗して以降、弱体化し続け痺れを切らし、離反する一門衆(壬生、多功、武茂、松野、喜連川塩谷、簗)や家臣(益子、皆川)
と大変な中広綱はよくやったよ
435 :
人間七七四年:2014/07/20(日) 21:56:36.21 ID:CMHZx4oW
そもそも武茂や松野って、よくあの本拠地で宇都宮一族として永らえたよな
どう見ても地図では那須の勢力圏内
436 :
人間七七四年:2014/07/21(月) 07:02:07.49 ID:9OAsMvgt
あそこは完全に飛び地だよな
北はそのまんま那須地方で大関、福原、芦野、伊王野など那須七騎の本拠
西は大田原
南は那須宗家の本拠地だし
東は佐竹
完全に逃げ場なし
戦になったら連絡線を確保するのも困難だわ
まあ、結局は佐竹に吸収されたけど
437 :
人間七七四年:2014/07/22(火) 16:35:13.00 ID:m645Ei4x
宇都宮惣領家の方も忠綱〜俊綱の間は那須や小山・結城と争っている(天文期に小山高朝軍に贄木を突破されて宮中や宿町を焼き払われる多大な被害を被った)から
武茂や松野が佐竹や那須とかに攻められても助けに行けるような状況じゃないからな
438 :
人間七七四年:2014/07/23(水) 12:08:15.74 ID:FOOEmTEk
大関と大田原に囲まれてる地点でご愁傷様としかいいようがない
439 :
人間七七四年:2014/07/23(水) 13:07:50.46 ID:VyX9wRL3
宇都宮家臣の大金氏も武茂地方北部にいたけど武茂や松野が佐竹に従属した後どうなったのか気になるわ
440 :
人間七七四年:2014/07/24(木) 06:17:19.82 ID:AvDoENKA
大金氏や松野氏の動向って不明だけど、やはり武茂氏が那須氏に攻められた時は武茂氏の後詰めに行ったのだろうか
状況を見るに武茂洞中的な協力関係が築かれていたのかもしれないが
441 :
人間七七四年:2014/07/25(金) 07:08:47.95 ID:FBdhRDkG
>>438 でもある意味あの連中のお陰で存続出来たと言えなくもない
大田原一派が不穏な行動をとっていたから那須家中は一枚岩にはなれず
那須宗家も何度か武茂氏を攻めたが撃退されてしまった
佐竹宗家も100年に渡った山入一揆で瀕死に追い込まれ
常陸江戸氏によって現常陸大宮市の鷲子地域(旧美和村鷲子)を横領されてしまった
これによって武茂氏と佐竹氏の間に緩衝地帯が生まれた
また、武茂氏も鷲子地域に侵出し、城を築いて一族を配置して鳥子氏を名乗らせ勢力を拡大した
442 :
人間七七四年:2014/07/25(金) 17:01:31.28 ID:klwx+9XY
>>438 宇都宮城って基本的に防御には不向きなんだよな
特に南方は平野ばかりで、一度野戦で負けると宮中まで押し込まれてしまう
>>441 同意。武茂の半独立状態は俺も那須が上下に分裂したのが大きいと思う
元は那須神田城が本拠で、下那須はどちらかと言えば分家筋
上那須衆からすれば烏山から命令されるのは内心は面白くない
443 :
人間七七四年:2014/07/25(金) 17:05:04.55 ID:klwx+9XY
444 :
人間七七四年:2014/07/25(金) 18:15:44.00 ID:lOpH9nNK
武茂家臣ってどういう人物がいるんだ?出自は知らないけど北条義興くらいしか知らないわ
445 :
人間七七四年:2014/07/27(日) 21:53:20.95 ID:QLBPbR+L
鎌倉時代の宇都宮家は婚姻上手く活用して瞬く間に勢力拡大したよね。それ故に厄介な揉め事にかなり巻き込まれたけど頼綱、泰綱、景綱の時代はまさに黄金期ってほどにまで栄えた。当時の宇都宮家は実質的な執権北条一門だったし。
446 :
人間七七四年:2014/07/28(月) 07:28:59.83 ID:SahMODtm
宇都宮は結構良いポジションにいたんだけどね
最後の最後で躓いてしまった
あと3年耐えれば佐竹と共に名門大名として現代まで残れたものを
447 :
人間七七四年:2014/07/28(月) 17:48:05.85 ID:Gue0GLop
羽柴姓を秀吉から授かるくらいだったからな
秀吉がもう少し長生きしてたら大名復帰できてたかね
448 :
人間七七四年:2014/07/28(月) 21:27:36.91 ID:YVLiJNZ/
宇都宮にとって浅野長政は疫病神
449 :
人間七七四年:2014/07/29(火) 06:20:54.79 ID:wCxZ/E7U
せめて1万石でもいいから下野に残りたかったな
大田原や大関みたいに
いくら御三家といえども1000石の家老では寂しすぎる
陪臣だし
450 :
人間七七四年:2014/07/29(火) 09:06:48.82 ID:ejvXMZP9
高野山の奥の院に行ったら各地の大名の墓の中に
大関家の墓もあった
451 :
人間七七四年:2014/07/30(水) 11:11:55.26 ID:KzJBFV4l
>>447 でも関ヶ原や大坂の陣での結城朝勝の行動を見ていると仮に大名として残ったとしても西軍に味方して改易されそう
452 :
人間七七四年:2014/07/30(水) 11:58:03.52 ID:I28IXb57
453 :
人間七七四年:2014/08/01(金) 06:36:46.22 ID:Pxq7oPWU
佐竹、宇都宮、相馬、岩城、多賀谷は一蓮托生みたいなところがあったからな
結城もそうだったけど、晴朝が朝勝を追い出して秀康を迎えた事で離脱したが
454 :
人間七七四年:2014/08/01(金) 20:32:54.63 ID:tT0RPmgy
宇都宮と多賀谷だけ復活できなかったね
455 :
人間七七四年:2014/08/02(土) 07:14:21.03 ID:RA91I1rz
宇都宮氏は最後の最後で本領に戻ったけどね
宇都宮ではなく菩提寺のある益子だけど
でも結局、東京に出ていってしまったようだが
456 :
人間七七四年:2014/08/02(土) 12:18:49.75 ID:91Y6x6xl
結城も実質的には消滅したけど
457 :
人間七七四年:2014/08/02(土) 16:10:01.68 ID:7SrFwTdx
実家が那須の方なので松野や武茂の辺りはたまに通るのだけど
あの辺りってどこに領地があったのか分からないような狭い谷間みたいな土地だよな
豊臣時代で見ると松野氏の本領は確か600石だか800石だかそんなものだったけど
確かにあの辺りしか領地がなかったとするとそんなものだよな
6人役だとしても戦力は40〜50人か…
458 :
人間七七四年:2014/08/02(土) 17:23:33.61 ID:bwrQXeYT
>>455 というか名族は東京に行ってしまった家が多いと思う
>>456 祭祀だけはナントカ松平が一応継続してるらしいが、家名も血筋も消滅してしまった
晴朝は晩年に何度も家名復興の祈願文を奉納してたらしいし、後悔してたんだろうね
459 :
人間七七四年:2014/08/05(火) 10:42:37.77 ID:J+8fmNxY
あまり話題にならないけど芳賀景高ってかなりの切れ者だと思う
実は芳賀高益とは親子ではなかった説もあるみたいだし
460 :
人間七七四年:2014/08/06(水) 16:42:47.37 ID:hoB/mjdt
>>458 結城を潰した暗愚な人物なのに結城秀康が結城を代表する武将みたくなっているのがなぁ
461 :
人間七七四年:2014/08/06(水) 21:12:08.47 ID:pDXU8vlg
戦国時代の下野の初心者向けの本があったら教えてください。
ちなみに先祖は芳賀在住です。
462 :
人間七七四年:2014/08/07(木) 06:39:32.26 ID:Th8apNpc
結城を潰したのは晴朝
463 :
人間七七四年:2014/08/07(木) 10:48:30.28 ID:K23iIQyy
>>461 とりあえず栃木県史とか読んでみたらいいんじゃなイカ?
464 :
人間七七四年:2014/08/08(金) 03:02:09.54 ID:0CN6rdIa
皆川成勝の名前にある成の字について
1 父親である皆川宗成から成の字を授かった
2 古河公方足利成氏から成の字を授かった
3 下野国で猛威を振るっていた宇都宮成綱から成の字を授かった
4 上記以外
これらのうちのどれなんだろうな
465 :
人間七七四年:2014/08/09(土) 00:08:08.90 ID:IHkQiNos
>>461 戦国期東国の権力構造(荒井善夫 著)がオススメ
本はかなり高いけど下野の主要な勢力である宇都宮、小山、那須についての大まかな動向がこれ一冊でわかる
これで各勢力に興味を持ったらそれぞれの専門に掲載されてる本を購入すれば良いかな
466 :
人間七七四年:2014/08/14(木) 00:13:08.87 ID:bKe7UwhO
>>458 前橋藩主になった結城(松平)直基の系統が結城氏の祭祀は継続してて、
結城朝光750年祭のときにも、前橋松平家の当主(結城氏としては34代目)が
出席している・・・とはいえ、結城氏そのものが消えてしまったからなあ。
宇都宮から迎えた跡継ぎを放逐してまで家名存続に奔走した晴朝の結末
としては物寂しいものがあるな
467 :
人間七七四年:2014/08/15(金) 03:09:07.76 ID:kEnlRj7x
しかし信長の野望だと謎の高評価な晴朝さん
468 :
人間七七四年:2014/08/24(日) 16:05:10.43 ID:++mqlQ02
三傑の息子を引き取ったからだろ
469 :
人間七七四年:2014/08/24(日) 22:33:47.09 ID:NolqtP8r
代々守ってきた領地はおろか家名まで無くなるとはな
本末転倒にもほどがある
470 :
人間七七四年:2014/08/25(月) 07:12:15.57 ID:H2TO7K3a
養子押し付けを突っぱねた宇都宮と受け入れた結城
結局は同じ末路とは皮肉なものだ
そう言えば佐竹、宇都宮、結城の三家はみんな子供がいなかったんだよな(国綱は改易の翌年に義綱が生まれたが)
でも佐竹だけは養子の話を聞かない
471 :
人間七七四年:2014/09/01(月) 04:09:14.51 ID:2GJLzGwJ
浅野長政って国綱に嫌がらせしてたんだよな
文書からも国綱は明らかに長政を嫌っているのがわかるし
472 :
人間七七四年:2014/09/01(月) 06:31:56.94 ID:Hzww2UHy
なんで太閣の古参の近臣が片田舎の大名嫌うんだろうな?
普通は眼中にすら入ってないからスルーだと思うんだが
佐竹の取り次ぎが石田で自分は宇都宮程度だったのが嫌だったのだろうか
473 :
人間七七四年:2014/09/01(月) 13:19:07.30 ID:+bPGvzfY
いや、むしろ逆
石田や浅野といった重臣らは影響力を拡大する為に諸侯の取り込みに躍起になっていた
石田は佐竹や上杉といった大大名の取り込みに成功していたし
下野で最大の勢力を誇る宇都宮の取り込みも石田や浅野らにとって重要な事であった
そこで国綱に世継ぎのいない事に目をつけた浅野は自分の子供を養子に送り込む事で縁戚を結び、自陣に引き入れようとした
国綱や北條勝時、今泉高光といった重臣らは浅野と縁戚になる事で豊臣政権の中での地位を確定する為にこれを受け入れようとしたが
実弟の芳賀高武は強硬に反対し、北條勝時と今泉高光を殺害し両家を攻め滅ぼして浅野の縁組みを蹴った
これに怒った浅野によって石高詐称や家中不届きを理由に潰されたと言うのが真相だろう
474 :
人間七七四年:2014/09/02(火) 21:37:14.54 ID:ljpHdEp8
>>472 石田三成も宇都宮の取り組みに尽力していたぞ
この頃から既に浅野は家康の息が吹きかかってたから石田と浅野は対立してた
475 :
人間七七四年:2014/09/03(水) 07:21:13.14 ID:4tAa2mWA
宇都宮まで石田側に付いたら浅野的には面白くないからな
宇都宮と決裂した以上は、石田に付かれる前に潰してしまおうと考える事は必然と言える
結城の取り込みにも失敗していたしな
476 :
人間七七四年:2014/09/04(木) 04:59:08.83 ID:/B0cxchZ
>>475 家康にとっては江戸の近辺を親族の秀康や親家康派の武将(大関高増や水谷政村、皆川広照など)で関東を固めたかったらしいから
親秀吉(石田)の派の佐竹や宇都宮は邪魔だった。また、当時豊臣政権では集権派(石田三成など)と分権派(徳川家康など)とで対立があってその争いに巻き込まれる形で宇都宮改易は起こった。
石田三成は家康を牽制するために会津に上杉景勝を配したが、その際に家康に通ずる蒲生氏の改易を狙っていた。
しかし、それを不満に思う家康は浅野長政を使って宇都宮、佐竹両氏を改易し、その地に蒲生秀行を移そうと画策してた。
実際に宇都宮国綱が改易された後に宇都宮に移ってきたのは親家康派の蒲生秀行
佐竹氏も改易の危機が迫っていたけど国綱改易の後佐竹義宣は父義重に浅野長政に悟られる前に上洛するよう書状を送っている。(慶長2年10月7日の書状)
石田三成も佐竹氏改易を阻止するために奔走した結果改易を免れることとなった。
477 :
人間七七四年:2014/09/04(木) 17:12:06.83 ID:rxz6zNIy
那須とか大関さんが暗躍せずしっかり国造りしときゃ普通に宇都宮とかに勝てそうなのは気のせいだろうか?
478 :
人間七七四年:2014/09/04(木) 18:13:00.43 ID:ho28jxbV
土地が貧しいからね…
479 :
人間七七四年:2014/09/05(金) 05:31:12.05 ID:zJPs9D+M
宇都宮は別に攻めなくても勝手に自滅して弱体化したからな。
多功一族や小林豊後守、市田備中守とかそれなりの武勇を誇る将はいたけどやっぱり天文以降の宇都宮は弱いよな
那須はせっかく高資という革新的な人物がいたにもかかわらず大田原が潰しちゃったかな。
480 :
人間七七四年:2014/09/05(金) 07:12:49.01 ID:49Jtgl6I
上杉、佐竹、宇都宮、那須、結城、小田、小山、白川結城
近隣大名は全て内訌で苦しんでいたからお互い様かと
関東大名は公方家と関東公方家との争いに巻き込まれて、家中は真っ二つになってしまった
比較的早い時期に収める事が出来た佐竹は何とか影響力を回復させつつあったが
混乱しているうちに小田原北条を伸長させてしまって追い込まれていく事に
481 :
人間七七四年:2014/09/05(金) 18:04:24.17 ID:55Xptk23
小田って内紛してる余裕あったのかw
482 :
人間七七四年:2014/09/07(日) 06:53:03.22 ID:jHIeCwfS
>>481 小田政治が家督を継ぐ前の話じゃないの?
成治の子達が家督を争って殺し合いになっちゃった事件で、最終的に足利氏から政治を養子として迎えたってやつ
>>480 佐竹は地理的な関係でも他の関東大名より大分有利だったよ
当主も義舜、義篤と有能だったのも大きい
宇都宮は甲相同盟成立や度重なる北条の侵攻で家中が動揺して離反が相次いだ
まあ戦国末期の宇都宮のグダグダ感は忠綱失脚の影響がかなりあったらしいが
483 :
人間七七四年:2014/09/07(日) 07:46:06.29 ID:378tAQM+
>>482 特にどこが有利と言う事もなかったと思うけど
佐竹も義舜の代には本拠の太田すら奪われて十数年も家臣の所に居候したり山に籠ったりして滅亡寸前に追いやられた
この点、宇都宮広綱とよく似ている
その後も江戸、小野崎といった家中の半数近くを占める有力家臣の離反に苦しみ
更に小田、宇都宮、那須、白川結城に侵食され義昭の時代まで自領の回復すら出来なかった
義昭の代になると岩城、宇都宮と強固な盟友関係を築く事で
白川結城、小田、那須の三方面に絞られていく訳だが
白川結城と葦名が結んだ事で、葦名白川の攻撃に晒され、更に田村も巻き込んで北部方面は数十年に渡って係争地となってしまう
南部では長尾上杉と結んで小田との戦いを有利に展開していったが、これが小田原北条の介入を招いてしまい、以下は知っての通り
そして三代に渡って葦名、白川、田村との戦いに決着をつけたと思ったら今度は伊達と接触する事になる
北条や伊達の伸長を放置すれば自分の首を絞める事になるから、遠方の国の後詰め要請も放置出来ず
ひたすら後詰め後詰めで忙殺されて自国の領土を増やす戦いをする暇もなくなり
かといって出陣すれば洞中の諸将には褒美を与えなければならないから、勝っても負けても宗家は痩せ細るという悪循環
ある意味、一番苦しい戦いを強いられていたかもしれない
484 :
人間七七四年:2014/09/08(月) 12:20:00.01 ID:MfJ90f+l
>>483 上野勢や下野南部は北条だけじゃなくて武田からも圧力をかけれてたから別にどこも同じような状況だし佐竹だけ特別苦しいということはないと思う
北条の侵攻が過激になった頃は北条側以外の勢力はどこも防衛戦に徹してるから領土を増やすなんて当然できない
485 :
人間七七四年:2014/09/09(火) 15:49:06.36 ID:K+2upF8G
武茂城の場所おかしくない?
おもっきし那須氏の勢力圏じゃん
486 :
人間七七四年:2014/09/09(火) 23:32:47.67 ID:u7HGzvN+
那珂川を渡るのに苦労していたからな。
487 :
人間七七四年:2014/09/10(水) 00:57:08.26 ID:JTkezIJA
逆に言えば川さえどうにできればなんとかなる。他に要害になりそうなとこがないから
488 :
人間七七四年:2014/09/10(水) 06:33:58.30 ID:CLLW9hOn
むしろ馬頭の辺りって山ばかりだけど
しかも結構切り立った崖が多い
平地は那珂川沿いにしかないが、今みたいに堤防はないから湿地と水田が広がっていたとみて間違いない
どちらかと言うと黒羽や依上から山間を抜けて攻められる方が厄介だと思う
489 :
人間七七四年:2014/09/11(木) 00:04:47.66 ID:oo4nZ56x
稲積城がいい例だな。水城のようだったと。
490 :
人間七七四年:2014/09/12(金) 06:22:22.85 ID:WF/gFlCO
武茂や茂木はよく細々と生き残っていたよな
那須、宇都宮、佐竹ら有力大名が内訌で身動き取れなかったというのが一番の理由だろうけど
491 :
人間七七四年:2014/09/14(日) 15:54:18.91 ID:yoTDUKHF
久しぶりに黒羽城行ってきたが、なかなか良い城だ
でもあれで陣屋とか言うの無理があるよな
492 :
人間七七四年:2014/09/17(水) 19:38:55.89 ID:cUE8mltl
茂木も武茂も最終的には佐竹に降ったじゃん
宇都宮が内訌でボロボロになるまでは武茂も宇都宮家臣だったし
493 :
人間七七四年:2014/09/18(木) 07:48:58.98 ID:hLCqIRcP
武茂は家臣と言うか別家だな
仙台藩と宇和島藩のようなもので
それにしても大田原周辺ってあれだけ平地があるのに1万数千石しかなかったのは不思議だな
開墾すれば余裕で10万石ぐらいはいけそうだが
近代以前は平地が稲作に適さなかったと言うのはあるけど
494 :
人間七七四年:2014/09/18(木) 10:51:07.08 ID:yJCnlmPC
平地というかなだらかな坂だな。馬とか生産するにはいいとは思うんだが
495 :
人間七七四年:2014/09/18(木) 17:50:48.22 ID:veuDRrpl
那須疏水できたの明治期だからね。水利が悪すぎたんでしょう、那須野が原は。
496 :
人間七七四年:2014/09/19(金) 12:47:36.22 ID:FDoaW1L5
扇状地じゃないか。水田は無理だし水がなきゃ果樹園も作れんわな
497 :
人間七七四年:2014/09/19(金) 15:51:17.96 ID:oT0jlkrw
麦とか野菜ぐらいは作れそうなものだが
と思ったけどあの辺りは砂礫なんだな
作れても芋か蕎麦ぐらいか
それはそうと
先日、仕事で白河へ行った帰りに芦野城と伊王野城を見てきた
芦野城はこじんまりしていて、いかにも国人領主の城らしいものだ
3000石程度であったようだから士分が100人程で、郷士や百姓を入城させても300〜 500人ほどであったろう
その規模で守るには適した城だ
それと二ノ丸の東側奥に樹齢400〜500年の槙の木がある
芦野盛泰が居住していた頃からあって、もしかしたら彼も見ていたかもしれないと思うと感慨深いものがある
498 :
人間七七四年:2014/09/19(金) 17:13:38.13 ID:FDoaW1L5
野菜とかは諦めて馬放牧とかもあるな。ちなみに那須塩原は本州で一番牛乳が取れるらしい
499 :
人間七七四年:2014/09/20(土) 04:12:26.45 ID:xc4Ia187
>>492 家中には組み込まれてたけど家臣というには微妙な立ち位置
芳賀景高との争いに惨敗して家中内の地位はあっという間に没落した
500 :
人間七七四年:2014/09/20(土) 06:22:18.58 ID:Pj36GKZ8
ああ、確かに畜産業には最適だね
馬の生産はいいかもしれない
肉牛や豚の需要だって全く無かった訳ではないし
畜産なら表高を誤魔化しやすいしねw
501 :
人間七七四年:2014/09/28(日) 05:24:10.65 ID:4V23qYHw
その条件だともう適地適作でがんばった方がいいな
重要な戦略物資の米・麦が他領からの供給頼みになってしまうけれども
502 :
人間七七四年:2014/09/28(日) 13:50:18.96 ID:ev84d4DT
それが問題なんだよな
当時は米が金みたいなものだから、稲作が出来ないとどうしても外交上弱くなる
503 :
人間七七四年:2014/09/28(日) 19:36:36.47 ID:VCrdkJr2
那珂川で砂金採りするのもなあ。水さえなんとかすればできればOKなんだが
そいや那須って東北道のほうじゃなくてもっと下のあたりが本拠地だっけ?
504 :
人間七七四年:2014/09/29(月) 07:01:38.80 ID:4bgLpYVy
那須氏の本拠は那須烏山市(旧烏山町)だよ
思いっきり南東に寄っている
現代の感覚だと、開けた大田原辺りか勢力圏の中心部として黒羽か湯津上が良さげに見えるけど
近世に入るまでは稲作の適地は山間であったし、防衛上も山間の方が有利だったから烏山を本拠にしたのだろう
元々は那珂川町(旧小川町)の那珂川沿いに神田城という平城を築いて本拠としていたが
防衛上不利とみて本拠を移したのだろう
ちなみに神田城は中世の城らしい見事な長方形の単郭式遺構が残っている
中身は民家と田んぼになっているが、あそこの住人が羨ましいw
505 :
人間七七四年:2014/10/02(木) 08:25:00.27 ID:Rd+ncf4B
那須氏の本拠は那須城(福原城)でしょ
分裂後は上那須の本拠だったけど下那須が両那須統一したから結果的に烏山城が本拠になっただけじゃあないの?
506 :
人間七七四年:2014/10/02(木) 16:27:35.86 ID:bp8VYrNr
スケキヨが一番汚いでOk?
507 :
人間七七四年:2014/10/03(金) 08:49:58.54 ID:W8JFLr/Q
508 :
人間七七四年:2014/10/04(土) 22:27:45.75 ID:+h6FQhH1
大田原親子は遺伝子がしっかり仕事してるよね
509 :
人間七七四年:2014/10/06(月) 04:25:37.74 ID:iwbFLlxs
資清高増の陰に隠れがちだけど資孝綱清もかなりの切れ者
510 :
人間七七四年:2014/10/06(月) 06:28:37.06 ID:A6EOgBn6
切れ者というか狡猾というか
511 :
人間七七四年:2014/10/08(水) 14:26:34.48 ID:TCLUMhjd
真っ黒な家臣に囲まれてる那須さんが気の毒になってきた
512 :
人間七七四年:2014/10/09(木) 07:03:07.18 ID:5GoXm5SM
真っ黒な大田原三兄弟に主殺しの千本
反抗的な伊王野
マシなのは蘆野ぐらいか
那須七騎とかいっても結束力ゼロだな
513 :
人間七七四年:2014/10/09(木) 23:16:16.51 ID:I7gheGys
那須と宇都宮は厄介な人間が多すぎw
514 :
人間七七四年:2014/10/10(金) 16:38:28.52 ID:8V3p63+c
515 :
人間七七四年:2014/10/10(金) 18:49:45.95 ID:cqE+eXRd
広綱「息子とお爺ちゃんに先越されたw」って感じだろうなぁ
那須と小山、佐野からも誰か出てほしいね
スケキヨさんとかタカマスさんとか
516 :
人間七七四年:2014/10/10(金) 20:36:53.20 ID:vS+MsRWE
>>514 成綱って17代当主だよね?なんかイラストのコメント間違ってない?18代当主とか書かれてあるけど
517 :
人間七七四年:2014/10/10(金) 22:17:07.36 ID:qkmnIOhF
栃木の武将つったら大関高増かな。
518 :
人間七七四年:2014/10/11(土) 01:17:04.34 ID:A/C8PLjN
おれは那須高資が好き
519 :
人間七七四年:2014/10/11(土) 07:04:55.96 ID:6lqOPWH6
自分的には
大関高増
芳賀高定
佐野宗綱
の三人かな
大関高増は下野の奸雄ともいうべきか
あまり誉められたものではない行動も多かったけど権謀術数を巡らして上手く生き残った様は戦国らしい人物だと言える
芳賀高定は逆に忠臣というべきか
衰退した主家を良く守って復興させた
宇都宮家が存続出来たのは彼によるところが大きいだろう
引き際の良さも特筆に値する
佐野宗綱は中央政権と北関東の反北条方を上手く結び付けて一大反攻に出た事をみても、やり手であった事が窺える
だが、若年であっさり討死してしまった事が残念
520 :
人間七七四年:2014/10/11(土) 10:15:37.16 ID:pQZI6YmL
謀将
大田原資清、大関高増、壬生綱房、芳賀高経、芳賀景高
忠将
芳賀高定
勇将
多功長朝、多功綱継、佐久山義隆
知将
佐野昌綱、佐野宗綱、益子勝宗
豪傑
宇都宮成綱、那須高資
俺はこんな感じだな
521 :
人間七七四年:2014/10/15(水) 00:34:38.72 ID:yuYucXUO
成綱は高勝と対立した時に行った動き(塩谷に兄弟を送り込んだりなど)が策略家らしくて好きだわ
522 :
人間七七四年:2014/10/18(土) 09:50:44.43 ID:Q/NvASwp
落合業親は何者なんだ?
523 :
人間七七四年:2014/10/22(水) 14:23:00.77 ID:M+3VOrfJ
>>483 宇都宮も多気山城を改築して本拠地にしてからは北条氏直軍や那須資晴軍、壬生義雄軍による度重なる侵攻を受け続けた上に、そんな危機的状況でも家臣団は未だに内部分裂してたからまともに戦えなかったし、時には北条によって壬生や那須が連携して攻めてきたこともあった。
当然佐竹からも援軍を受けていたがそれによって同盟関係もほぼ佐竹の半従属みたいな状態にならざるを得ない状況だったんだよな
524 :
人間七七四年:2014/11/02(日) 15:03:50.48 ID:xDzNbzVV
下野の大名ってパッとしないねぇ
いや下野そのものが実にパッとしない
占領しても何の得もしない地域だったからかな
525 :
人間七七四年:2014/11/03(月) 07:09:43.84 ID:Sxsx63Dw
東北と関東を繋ぐ要所なのに何の得もないとか…
526 :
人間七七四年:2014/11/03(月) 14:19:35.48 ID:fG1bj615
那須は一応砂金獲れるんだがな。金山はどこだろ?
527 :
人間七七四年:2014/11/04(火) 00:58:11.90 ID:ejXyGezE
528 :
人間七七四年:2014/11/06(木) 19:03:58.94 ID:CplUQdEh
>>525 無知が中世都市の宇都宮は鎌倉と奥州間を中継する重要な拠点だったってことを知っているわけないだろう
武を司る宇都宮大明神も源頼朝や藤原秀郷の逸話などで名高いしカリスマ性もある。
秀吉もかなり宇都宮に拘りを持っていたし、宇都宮の滞在期間だって長かった
529 :
人間七七四年:2014/11/07(金) 06:42:09.05 ID:Y/T+1aIq
まあ、地理的に見ても陸路なら宇都宮(奥州街道)が最短ルートだからな
常陸まわりだと遠回りだし
530 :
人間七七四年:2014/11/07(金) 23:26:42.34 ID:WoJqJgdW
531 :
人間七七四年:2014/11/08(土) 11:53:43.61 ID:KlAuHZdB
>>524 北条家に謝れ
下野手に入れたくて長年苦労したんだぞ
532 :
人間七七四年:2014/11/08(土) 12:21:21.58 ID:hZB5V6Qt
手に入れても汚い一族に手を焼くと思われ
533 :
人間七七四年:2014/11/09(日) 04:27:54.77 ID:HwznWG1I
いくらあの北条でも宇都宮の民衆には手を焼くだろうな
なんたって改易後も関ヶ原合戦時にともかつさま(結城朝勝)に呼応して宇都宮にいた結城秀康に抵抗しようとしたくらいだし
534 :
人間七七四年:2014/11/10(月) 22:53:28.11 ID:MQKVE5pN
北条や壬生に嗾けられて
日光山の僧兵にも攻撃を受けて
宇都宮は、よく滅亡せず小田原まで持ったもんだ
535 :
人間七七四年:2014/11/11(火) 13:03:28.01 ID:0jQvhJY0
佐竹の援軍なかったらとっくに没落してたと思う
536 :
人間七七四年:2014/11/11(火) 20:08:57.26 ID:Lj5CJDVw
佐竹から養子を取って良かったな
537 :
人間七七四年:2014/11/11(火) 22:21:06.27 ID:8u5tSTCb
芳賀高定の外交手腕に救われたよな
あとは広綱が病弱じゃなければもう少し情勢は良かったかもしれない。
皆川が離反した原因の1つに広綱が寝込んでいたってのもあるし、皆川俊宗による宇都宮城乗っ取りがなければ外交手腕の優れていた岡本宗慶が殺されずに済んだし
538 :
人間七七四年:2014/11/12(水) 06:31:22.53 ID:HKCeCOPZ
佐竹義昭と芳賀高定が取り結んだ強固な盟友関係はその後の佐竹宇都宮両家にとって大きな財産になったわな
それだけに宇都宮の改易は痛かった
そこに結城の脱落も加わって豊臣家にとっても墓穴を掘る事になったな
佐竹、宇都宮、結城、相馬、岩城のラインが維持されていれば違った結末もあっただろうに
539 :
人間七七四年:2014/11/13(木) 12:24:14.88 ID:pT62P24Q
浅野長政は家康と共謀して宇都宮だけでなく佐竹も改易させてその旧領に蒲生を入れようとしていたんだぜ
540 :
人間七七四年:2014/11/14(金) 07:02:41.01 ID:gf0TrOVG
他の地域でも色々画策してるし
浅野が諸悪の元凶のような気がしてきた
541 :
人間七七四年:2014/11/14(金) 17:59:49.61 ID:7ED/giHo
乱心するしなw
542 :
人間七七四年:2014/11/14(金) 20:28:04.25 ID:uK2maJhN
浅野長政黒幕説か
543 :
人間七七四年:2014/11/14(金) 21:48:06.32 ID:Py6ANfr/
544 :
人間七七四年:2014/11/14(金) 23:21:22.46 ID:uK2maJhN
甲相同盟で宇都宮氏に圧力与えたってエピソードはあったけどさすがに勝頼本人は出陣できない余裕はないような気が・・・
せいぜい武田家臣で攻めさせるくらいが限界かもな
545 :
人間七七四年:2014/11/14(金) 23:26:49.18 ID:uK2maJhN
訂正
甲相同盟で宇都宮氏に圧力与えたってエピソードはあったけどさすがに勝頼本人は出陣できる余裕はないような気が・・・
せいぜい武田家臣で攻めさせるくらいが限界かもな
546 :
人間七七四年:2014/11/14(金) 23:40:49.68 ID:FrmREHHG
>>543 有り得ない。
天正二年十月には上杉謙信が関宿救援のために越山しており、
佐竹義重も謙信を焦らすため宇都宮城内か付近でプラプラしてた。
十一月初旬には勝頼は駿遠辺りに出ていたし、第一下野を攻める理由がない。
天正六年の五月は小川台合戦があり、宇都宮国綱の初陣があった。
おまけに越後は御館の乱の真っ最中で、この時期に勝頼が何をしてたか知らん奴はいないだろう。
547 :
人間七七四年:2014/11/14(金) 23:51:51.25 ID:Py6ANfr/
>>546 やっぱ、あり得んか
昔読んだ「武田勝頼のすべて」にも下野出陣したなんて記事無かったと思うし
御館の乱で北条との同盟が切れるまで、甲相同盟の一環として北条支援説も考えたが
駿遠に出陣してたんじゃ物理的に不可能だな。
548 :
人間七七四年:2014/11/15(土) 01:21:05.99 ID:fQE7ifyq
>>543のサイトにある永正11年の小山城の戦い、裳原(茂原)の戦いに関してもネットで探しても情報がないよな
549 :
人間七七四年:2014/11/15(土) 12:18:25.69 ID:NiNlpcl6
>>548 可能性としては同年に起こった那須口の合戦は宇都宮忠綱が成綱の名代として出陣しているから
成綱は宇都宮に残って政氏側の小山家らと戦っていたとか?
550 :
人間七七四年:2014/11/15(土) 19:22:51.50 ID:AYvYMIiL
表裏比興さんが日光の方からこっそり浸食してきたとか?
551 :
人間七七四年:2014/11/15(土) 20:41:27.29 ID:Qtv9/Ygv
日光山の戦力ってどれくらいなんだろうな
宇都宮城周辺まで焼き討ちしたり
552 :
人間七七四年:2014/11/16(日) 02:18:12.96 ID:wqpGf8Mz
日光山の勢力は壬生綱房が日光山神領惣政所の地位を得たり、二男の昌膳を送り込んだりして聖俗両面から掌握していたから壬生氏の勢力だった。
壬生氏が天文期に離反するまで実質的には宇都宮氏側の勢力として位置付けられてたけど最終的に壬生氏に従って小田原北条氏に与することになったけど
途中で壬生徳雪斎(綱房の弟または子)が壬生綱雄を暗殺して日光山神領惣政所の地位を奪って宇都宮氏に寝返っており徳雪斎が討たれるまでの間日光山は宇都宮氏の勢力下だったとのこと
553 :
人間七七四年:2014/11/17(月) 06:41:19.37 ID:wtAzuVex
>>551 日光は寺領18万石と言われていたからね
勿論、誇張が入っているだろうし、領地と言うか総収入の話だろう
それでも千や二千程度は戦力を抱えていたと思う
554 :
人間七七四年:2014/11/17(月) 19:47:20.75 ID:qtvIy1Xf
日光山掌握に関して壬生の本拠である鹿沼城は重要な拠点だったからな
555 :
人間七七四年:2014/11/17(月) 20:44:30.11 ID:ri6F6P76
>鹿沼城は重要な拠点だったからな
なるほど
どおりで北関東の連合軍が執拗に攻めたわけだ
556 :
人間七七四年:2014/11/17(月) 23:54:11.63 ID:/uB+bEvm
連合軍が鹿沼を攻めまくったのはアホの義重が初めから落とす気が無かったからだな。
どうも義重は壬生を味方につけようとはしてたが、ブチ殺そうとまでは思ってなかったらしい。
んで壬生義雄が仲間にならんので、多気山城を取り立てるという回りくどくも面倒くさいことをして
日光と鹿沼の間を遮断、且つ壬生領に圧力を加えようとした。
557 :
人間七七四年:2014/11/18(火) 01:15:41.49 ID:JhDslJFv
宇都宮もかつての宿老衆の1つである壬生家を再び家中に戻したかったから殺す気はなかったんだよな
558 :
人間七七四年:2014/11/18(火) 06:50:28.86 ID:fEVxkplq
殺すなんてとんでもない
幕府や朝廷から命令や許可を得ているならともかく、私闘で滅ぼすなど滅多な事でもない限り有り得ない
ある程度痛め付けたら起請文を取り交わして和睦するのが従来の戦
これが壊れたのが戦国時代な訳だが、関東や東北などでは根強く残っていた
だからそのルールを守らない小田原北条や伊達は猛反発を受けた
559 :
人間七七四年:2014/11/18(火) 09:29:15.48 ID:6GQjHPff
那須高資もそのルールは守ってなかったな
高資は古河公方ら関東の勢力からの独立を図ったが大田原資清に阻止されて殺された
560 :
人間七七四年:2014/11/18(火) 10:14:00.63 ID:68RVszBy
東方の衆≒八家側は、室町幕府が滅んで全国的に
「やったもん勝ち」的にタガが外れたあとでも、
幕府が存在していた頃の通念で行動していたからのう。
小川台合戦、及び会白佐協定以降の連合体制を
豊臣側が「惣無事」として承認することで、
この体制がより強固に固められてしまった。
この辺の流れは面白い。
561 :
人間七七四年:2014/11/18(火) 11:46:37.09 ID:GhQdyHju
>幕府や朝廷から命令や許可を得ているならともかく
そういえば
秀吉に許可された後
佐竹はなんの躊躇も無く江戸大掾滅ぼしてたな
562 :
人間七七四年:2014/11/19(水) 06:22:43.42 ID:FPYQDUsC
その気になりゃいつでも潰せたんだな
563 :
人間七七四年:2014/11/19(水) 07:40:08.57 ID:2wwTZ2f5
散々手こずった鹿沼・小山城の防衛ラインも
小田原合戦で北条の増援なくなると、あっさり潰れたからな
564 :
人間七七四年:2014/11/20(木) 16:33:06.84 ID:11Ww0LAB
>>563 佐竹は北に伊達や南に北条に妨害されてたから全力で行けなかったし
宇都宮も那須、北条、壬生と挟撃の形で妨害されていたから全力で行けなかった
565 :
人間七七四年:2014/11/21(金) 07:34:36.84 ID:u+/gzPzQ
そもそも敵対勢力を潰さないで和睦を繰り返していたから北条や伊達の伸長を許してしまった
例えば佐竹は白川氏の全城を落として当主の義親まで捕虜にしたけど、結局すべて返還してしまったし
小田氏に関しても何度となく追い詰めたが、小田城周辺以外の領地は保障している
下野でも宇都宮氏らと共に皆川氏を攻めて本城以外を二十以上落としたが、これも結局返還している
他にも周辺の中小勢力と何度となく争って屈服させたが潰したものは一つもない
566 :
人間七七四年:2014/11/21(金) 09:30:45.25 ID:wFpi0bb8
白河義親を取っ捕まえたというのは史実とは確認されてない軍記物ベースの話だがな。
567 :
人間七七四年:2014/11/21(金) 16:40:57.28 ID:ZxbzlUt+
『造宮日記』(宇都宮市史)に書かれてあるもので疑問があるのだが
17代当主の宇都宮成綱の代(1478年11月18日)に宇都宮大明神の社殿造替を祝って神宮寺の慈心院で能が興行されたけど
@神宮寺と慈心院って同じ場所なのか?
A宇都宮俊綱が幼年期にいた場所と同じなのか?
B神宮寺及び慈心院は現在の宇都宮市にあるのか?
C塩谷戸部は誰なのか?
誰か知っているなら教えてくれ
568 :
人間七七四年:2014/11/21(金) 22:00:15.36 ID:Xskatgr8
皆川は敢えて生かしてやることで北条に対する防波堤にしてた感はあるな。
いちいち国人層や地侍を潰してたらキリがないし人が居なくなるから
そこら辺は大名達の中でも葛藤があったんだと推測する。
569 :
人間七七四年:2014/11/22(土) 00:39:19.81 ID:bJ9Eoeff
忠綱の時に皆川をうまく潰してれば宇都宮が飛躍できた可能性はあったのにな
570 :
人間七七四年:2014/11/22(土) 15:15:23.68 ID:BqA02It5
>>543にある永正4年(1507年)の小貫城の戦いで笠間側の武将である笠間綱親についてだが
俺が知ってる限りだと成綱の代に笠間城の城主だったのは笠間資綱で明応年間に成綱が笠間家宰の寺崎氏に送った書状の笠間孫四郎がそれにあたる
笠間綱親って名前はネットじゃよく見るけど一次資料だと確認していない
笠間資綱の子は笠間綱広であり、ネットで探してみたら笠間綱親の子も笠間綱広みたい
これってつまり笠間資綱=笠間綱親ってことだよな?
571 :
人間七七四年:2014/11/24(月) 18:21:08.20 ID:VzCJtcox
北条はともかく伊達はもともと強力だけどな。天文の乱なきゃ佐竹やばかったんじゃね?
572 :
人間七七四年:2014/11/24(月) 19:11:57.14 ID:yc5JPVo9
>>571 そんなこと言ったら佐竹も山入の乱がなければ弱体化はなかったし宇都宮も永正の内訌から始まる3度の内訌がなければ大分強かったよ
573 :
人間七七四年:2014/11/24(月) 19:33:04.80 ID:vE4XMdl7
んなこと言い出したら佐竹だって山入一揆がなければとか言えるだろうが。
大体戦国期の御家騒動は乱中は一時的に大名の主導権は分散するが、
克服しさえすれば、分割相続制から単独相続への移行、
または家中の所領の整理等を通じて相対的に大名権力が強化されるというのが定説。
574 :
人間七七四年:2014/11/24(月) 20:30:03.80 ID:xy1h4gOc
宇都宮氏は忠綱興綱がgdgdにしたせいで俊綱に負担が圧し掛かりすぎたんだよな
宇都宮氏が単独相続制への移行ができたのは広綱の時で佐竹や伊達から比べるとかなり遅れてしまった
575 :
人間七七四年:2014/11/25(火) 07:43:19.43 ID:TYFMb5fT
しかも本格的な戦国時代に突入した時期に尚綱がやらかしちゃったからな
もうああなると立ち直る暇がなかった
幸い、那須も小山も結城もグダグダだったから致命傷にはならなかったが
576 :
人間七七四年:2014/11/25(火) 08:33:31.50 ID:O+HdN7QU
戦国時代で特に重要な尚綱の時に宿老筆頭の塩谷孝綱が離反、芳賀高経が生涯され、壬生綱房・綱雄父子離反・後に宇都宮城乗っ取り、結城・小山連合軍に宮中まで侵攻される
皆川も離反しちゃったりなど悪い事態が重なりすぎた。
これも忠綱の時に起こった内訌が大体の原因になるよな。興綱は家中の傀儡だったから話にならないし
成綱クラスの名君が続けばこうはならなかったんだろうが
>>575 結城は政朝、政勝と有能な当主が続いたからグダグダではなかったぞ
577 :
人間七七四年:2014/11/28(金) 14:48:27.78 ID:+jg/Dhry
那須家って防衛線になると
異様な強さ見せるけど
自分たちから攻め込むと失敗ばかりな印象ある
578 :
人間七七四年:2014/11/29(土) 07:09:47.81 ID:tQWMBhPc
生き残った家はどこもそうだけどね
弱かったら滅んでいるし
579 :
人間七七四年:2014/11/29(土) 11:10:38.67 ID:zgRZtTSF
よく考えたらそうだな
宇都宮家もそうだけど、本城まで攻められたら必死になるしか家滅亡だもんな
580 :
人間七七四年:2014/11/29(土) 11:52:58.80 ID:4/DHAwOG
宇都宮家は城まで移動したくらいだし
そのせいで貴重な歴史物が北条に破壊されまくったが
戊辰戦争や宇都宮大空襲とかもなければもっと文献とかもあったんだろーな
581 :
人間七七四年:2014/11/29(土) 16:11:22.02 ID:zgRZtTSF
小田氏治も無闇に出撃する癖なくして
防衛に徹してたら今でも守りの名将と謳われてたかもしれない
582 :
人間七七四年:2014/11/29(土) 16:32:54.75 ID:H1qyR3N9
>>581 佐野昌綱や長野業正みたいな微妙扱いになりそう
583 :
人間七七四年:2014/11/29(土) 18:46:34.29 ID:nZLmW0vX
でも、大概は文書類を持って逃げるんだよ
当時でも文書は家宝的な扱いだったようだ
どこが本家かを文書の数などで争ったりするし、感状などは再仕官に役立った
ちょっとうろ覚えたけど小山だか結城だか、あの辺りの百姓(元武家)が佐竹義重から貰った感状を持っていて
参勤交代に寄った殿様に披露したら士分として取り立てられた話がある
感状貰ってから数代、100年後ぐらいの話なのに御先祖の活躍は素晴らしい
584 :
人間七七四年:2014/12/01(月) 10:48:17.75 ID:f7NiWkHA
多功原の戦いについて詳しく書いてる資料って無いかな。
氏政が一騎で逃げるほどの大戦だったらしいが
あんまり知名度ないよね。
585 :
人間七七四年:2014/12/01(月) 11:12:32.12 ID:og7ydOoy
>>561 宇都宮も益子と笠間を滅ぼしてる。
もっと前だと鹿沼も。
朝勝は結城から追い出されて、旧壬生領は結城領になり、皆川は徳川配下になって徳川からは無言の圧力
更に新取次・浅野との軋轢で国綱は短命だったんだろうね
586 :
人間七七四年:2014/12/01(月) 12:38:28.36 ID:YcJ5390c
>>585 笠間と益子は攻め滅ぼされてないんだよな
両方とも国綱に許された
でも改易された
587 :
人間七七四年:2014/12/01(月) 22:19:45.61 ID:du8jfQR4
588 :
人間七七四年:2014/12/02(火) 08:57:24.54 ID:NtDBNv7v
元亀3年の多功原
589 :
人間七七四年:2014/12/02(火) 16:01:26.51 ID:pqrL66xr
君もたまには自分で良質な一次資料洗いざらい調べたら?
590 :
人間七七四年:2014/12/05(金) 01:47:14.61 ID:aLnrEkkG
_,/ ̄ ̄` ̄\、/レ
// , /\ .i i V〈 争いの種が多いほど
/ / ∠ム/ ー-V l 「ヽ 暗躍する機会が増えるのです
j v、!● :::::● i ' ├' 争え、もっと争うのです!
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/ _ ,.イ , `ーゥ t-!,、_У
´ ' .レ^V´ V_,ィtー〈 「| 「|
/ `央ー'j \_|:| |:|
,/ー、{,_ノ /ー、! \::::]
591 :
人間七七四年:2014/12/06(土) 10:11:08.61 ID:vmlc49N3
592 :
人間七七四年:2014/12/28(日) 05:00:48.99 ID:HvoXVFq2
ねぇ宇都宮や佐野なんかの分限帳や旧臣帳ってどこで見られるのかな?
593 :
人間七七四年:2014/12/28(日) 12:57:29.33 ID:MJDnHQmN
594 :
人間七七四年:2014/12/28(日) 14:49:00.64 ID:mWwrPuI0
烏山城はあれだけ不安定な政情だったのにほとんど敵を寄せ付けない名城
目下最大の驚異だったであろう佐竹からめちゃくちゃ攻めにくい地形してる
595 :
人間七七四年:2014/12/29(月) 09:08:00.35 ID:BURn5C23
研究は地道にヤルしか無いよなぁ
596 :
人間七七四年:2015/01/04(日) 02:17:26.65 ID:jd7rTj2J
>>594 佐竹や宇都宮が本気で攻めてたら潰されてたよ。唯一本気で攻めた宇都宮尚綱は無能だからたまたま勝てたけど佐竹義重や宇都宮成綱が本気で那須を潰しに来たら那須の家名は残ってなかったかもね
597 :
人間七七四年:2015/01/04(日) 16:33:32.30 ID:Aif+np8p
>佐竹や宇都宮が本気で攻めてたら潰されてたよ。
まあね
烏山城は要害だったから落ちなかっただけで
那須領の城や砦は佐竹方に攻略されまくってたからな
598 :
人間七七四年:2015/01/05(月) 00:32:38.15 ID:i2IZ3k55
宇都宮は成綱の時代はともかく尚綱と国綱では無理でしょ
599 :
人間七七四年:2015/01/05(月) 02:51:04.82 ID:/msKAtpG
興綱「那須を小田と協力して何度も攻めたら氏家(宇都宮領)が焦土化したわw」
600 :
人間七七四年:2015/01/05(月) 07:23:55.79 ID:MDgo6chk
何だかんだで宇都宮や佐竹は群を抜いていたからな
北関東や東北ではいまだ鎌倉や室町からの体制を引き継いでいたから本気の潰し合いは行われなかっただけで
単に潰すだけなら天正18年〜19年の様に軽々と潰せただろう
でも、烏山城は本気で落ちなかったっぽい
佐竹の場合、那須氏を潰す気は全くなかったと見て間違いないが、北那須衆と共に当主を退け新当主を擁立し
自陣に引き込むつもりであったようだから、烏山は本気で落としたかっただろう
601 :
人間七七四年:2015/01/05(月) 15:23:22.39 ID:jTj2b364
烏山城を速戦で落とすためには
北条くらい兵力動員できないと無理ぽいな。
周りを敵に囲まれてる佐竹宇都宮には篭城戦で長時間城包囲するのは難しいだろうし
602 :
人間七七四年:2015/01/05(月) 16:41:59.44 ID://mvzv1P
烏山が攻められた時は城に取り付く前の野戦で殆ど撃退してるが隘路での待ち伏せだろうな
過疎の那須でもある程度は勝機が見える
603 :
人間七七四年:2015/01/06(火) 01:59:02.73 ID:AjQIi7Et
>>600 成綱・忠綱父子期の宇都宮も成綱の正室が上那須資親の娘だったから上那須の内紛に乗じて上那須に宇都宮一族を送り込もうとしていたことがあったな
白河結城による那須資永殺害の報復の可能性もあったからそれを危険視した下那須資房が統一へ乗り出した
604 :
人間七七四年:2015/01/13(火) 23:56:57.58 ID:KNzC6ZB2
那須氏って五月女坂の戦いで動員300人って少なすぎね?
605 :
人間七七四年:2015/01/14(水) 11:47:24.65 ID:dCv6U8K5
300人じゃなくて300騎じゃなかった?
606 :
人間七七四年:2015/02/09(月) 15:21:22.83 ID:37nCRNec
三百騎で、よく那須氏は勝てたよな。
607 :
人間七七四年:2015/02/09(月) 15:32:28.69 ID:37nCRNec
陸奥国寄上の変遷
那須氏 白河国の国造
那須氏 陸奥国白川郡の郡司
後白河院 御領
平重盛 平治の乱後
結城朝光 奥州征伐後
※太閤検地の際に常陸国久慈郡となる。
608 :
人間七七四年:2015/02/09(月) 19:57:47.97 ID:dFBo8zPa
>>606 三百騎となると1000〜3000人程度になるから決して少なくはない
609 :
人間七七四年:2015/02/10(火) 10:39:27.40 ID:fzUT8nB0
あんなロクに田んぼも作れない山がちなとこでよく3000人も養えるよな
主食は米じゃなくて雑穀だったのかな
610 :
人間七七四年:2015/02/10(火) 14:27:15.12 ID:Re2jeu9b
那須地方は奈良時代に約七万人だから戦国期は、もう少しいたと思いますよ。
主食は人それぞれ。米からいきなり稗や粟の雑穀はないでしょうね。米が厳しければ麦飯。
ただし当時は川の恵が素晴らしかった。天然ウナギや那珂川の鮭等。山の幸は、タラの芽や
ゼンマイ、わらび、猪、キツネ、タヌキ、雉、モツ等。
611 :
人間七七四年:2015/02/10(火) 22:15:15.56 ID:5Qfj2hLu
近世以前は山間の方が水田に適していたんだよ
612 :
人間七七四年:2015/02/11(水) 13:37:02.80 ID:uWgj92py
水がないぞ。まあ水さえあれば激しく開墾できるがそれできるのは明治だし
613 :
人間七七四年:2015/02/11(水) 14:23:01.94 ID:2z+S2DKX
那須12郷は、飛鳥から奈良時代に完成したと思われる。
それに加えて平安から鎌倉時代には、森田、佐久山、芋淵、福原、那須宗家、滝田、沢村、片田、稗田、千本の10郷。
非常時に備えて、各地にため池があるでしょう。地図見てくださいよ。
614 :
人間七七四年:2015/02/12(木) 07:55:07.29 ID:Tun/p1tU
山間部は沢や川が多いからね
ただ、水温が低いから溜池を作る必要がある
615 :
人間七七四年:2015/02/12(木) 13:08:33.28 ID:N+D+Or8j
そっか、那須インターのあたりじゃないんだな。もっと下流なんだな。
616 :
人間七七四年:2015/02/12(木) 19:43:54.81 ID:1dKJxexT
二期作を目指すわけでは有りませんから水温は余り気にする必要はないと思います。
一昨年の夏に宮崎産の新米を食べたけれどあまり旨くなかったなあ。
山田の中の一本足の案山子
この歌は、下野那須の山田郷によく似合いそうだ。
617 :
人間七七四年:2015/02/12(木) 22:10:02.90 ID:PCrNZv6m
壬生氏が小槻氏出身って嘘くさすぎる
618 :
人間七七四年:2015/02/13(金) 12:31:50.40 ID:QihNFQ8R
流れ者の壬生。那須紀を著した大金氏も流れ者。大金氏の先祖は美濃の守護大名とは本当か。?
619 :
人間七七四年:2015/02/14(土) 07:47:38.60 ID:O6jiY+xL
うちも大金だけど聞いたことないな
620 :
人間七七四年:2015/02/14(土) 08:40:56.58 ID:TlB0Ezz8
聞いたことあるなあ。土岐氏で1450年頃に大金にかえたと。坂本龍馬なんかも遠縁になるそうな。
1560年頃に佐竹氏の助っ人として突如として那須地方に現れたり。
621 :
人間七七四年:2015/02/14(土) 16:21:35.36 ID:sUlWR2a7
流れ者と言えば下野にも如水と同族の黒田氏がいるみたいだな
622 :
人間七七四年:2015/02/15(日) 10:04:04.78 ID:ynByz9Ga
>>620 それは嘘だな
下野の大金氏は那須の大金村の発祥であり承久記には既に登場している
つまり少なくとも鎌倉時代には大金氏として存在していた
623 :
人間七七四年:2015/02/15(日) 11:38:38.92 ID:YHO1BXdt
馬頭町史によれば、那須記を著した大金重貞の系譜として土岐氏→金山貞房→金山貞徳→( )→大金重宣(1566年下野国那須郡小口村に移る)となる。
南那須の大金さんは、別系統ではありませんか。苗字が同じでも全員が同族とは限らないでしょう。
624 :
人間七七四年:2015/02/15(日) 16:05:21.34 ID:5RxWzTku
そういや藤姓足利氏と源姓足利氏も全くの別物だしな
625 :
人間七七四年:2015/02/15(日) 16:34:52.85 ID:WDbLPcON
那須近辺は同族と考えるのが自然かと
全国でも那須近辺にのみ集中している訳だけど
いくつも系統があってたまたま那須にみんな移住してきたなんて事は絶対に有り得ないでしょう
西日本などにも極僅かに存在しているから別系統が全く無い訳ではないだろうけど
土岐氏云々は大金重貞の家系だけだと考えるべきかと
626 :
人間七七四年:2015/02/15(日) 23:44:39.13 ID:6MaVOr1Z
宇都宮氏は一時期美濃守護だったから、美濃と下野は交流がある。
有名なのは氏家氏とか。
627 :
人間七七四年:2015/02/16(月) 08:31:42.90 ID:6ZhyRrpQ
武茂(宇都宮)泰藤の室は、土岐頼直の娘である徳子。
その縁で泰藤は、上和田城(愛知県岡崎市上和田町)を築くことになった。
628 :
人間七七四年:2015/02/16(月) 10:39:00.62 ID:OMifS5Gy
>>626 氏家氏の嫡流は断絶したんだよな
断絶後に氏家城は芳賀氏庶流の居城になったし
629 :
人間七七四年:2015/02/16(月) 13:38:47.11 ID:vIH2wnHt
>>626 氏家氏は下野から美濃に直接じゃなく斯波氏の家臣経由してなかったか
630 :
人間七七四年:2015/02/25(水) 11:59:28.68 ID:078QHDhR
>>621 へぇ初耳
常陸の多賀谷氏の家臣に播磨赤松氏の一族いたけど、
同じように播磨から流れてきたのかな
南北朝時代の武将とか家って流動的だから
戦国時代になると意外な所に意外な家の末裔が土着してたりするな。
631 :
人間七七四年:
元々支配階級は流動的と言えば流動的だけどね
地生えの武士って殆どいないし