戦国ちょっといい話22

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1人間七七四年
戦国のホロリとくるエピソードを挙げていこう

戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/
書き込む際にネタがかぶっていないかなどの、参考にしてください

前スレ
戦国ちょっといい話21
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1277714759/

姉妹スレ
戦国ちょっと悪い話21
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1279557942/

このスレの武将などに対する愛称等の、用語解説はこちら
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2161.html

逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
2人間七七四年:2010/09/11(土) 23:40:40 ID:d6oOn7Ik
  /i (~) iヽ
 《 ヾ⌒ソ /
.  {ヽ,二,,ノ}
∠(´●ω・´)ゝ >>1乙でがんす 一緒に陸中で遊ぶでがんす
  (:::::::::::::::)
   しωJ
3人間七七四年:2010/09/12(日) 01:30:47 ID:+X1aoMU2
徳川家と榊原家みたいな恩賞のやり取りなんて
現代じゃあ皆無だよな。 大事なものを失ってるよ (´・ω・`)
4人間七七四年:2010/09/12(日) 03:32:37 ID:ByDgAZAN
>>2
まーくん、ふんどしくらいしめなさい。
5人間七七四年:2010/09/12(日) 11:42:05 ID:VD6Cw1dM
>>1 大儀であった どれでも好きな茶を選ぶが良いぞ

  ∧ ∧                               (ハハ)
 ( ´・ω・)                             (ヮl` ) 
 ( つ旦O                            O旦⊂ヽ
 と__)__) 旦   旦   旦   旦   旦   旦    (_(_つ
      濃茶  薄茶 玉露  煎茶  番茶  出涸し 日当山一のちゃのみ

                            ;; コポ
       旦   旦   旦    旦    旦 コポ 旦       旦    旦    旦
       生茶  雑巾汁 烏龍茶 ほうじ茶 ウラン  お〜いお茶  髭茶 八女茶 狭山茶


       旦   旦   旦     旦    旦   旦    旦   旦
       緑青 静岡茶 宇治茶 鹿児島茶 紅茶 福寿草 白湯  ミユキのお手製太陽バクバク茶
6木俣守勝:2010/09/12(日) 14:05:07 ID:L1JXzw9C
>>3
村雨の壺も貰えない、そんな世の中なんて・・・
7松永久秀:2010/09/12(日) 14:11:54 ID:S6mz0h0w
ポイズン
8人間七七四年:2010/09/12(日) 14:41:19 ID:YYe6rzAF
>>5
まともな茶が増えたなw
9人間七七四年:2010/09/12(日) 14:42:09 ID:YYe6rzAF
>>1さん乙です
10人間七七四年:2010/09/12(日) 15:00:59 ID:ZO3cs8no
>>8
いい話スレですゆえw

>>1乙、ささ、心づくしのてんぷらを思う存分お食べください
11人間七七四年:2010/09/12(日) 17:37:50 ID:O63dT8eT
いい悪いスレでも一時期話題になったことがあったが、『人国記』という書物がある。
室町時代に、日本各国の地理・風俗・人情なを書いたものだ。

さて、この人国記の、甲斐国の記事を見てみよう

「甲斐国の風俗は、人の気質はトゲトゲしていて頑固であり、その根性は他の国五カ国分の欠点を
合わせたほど好ましくない。死ぬことを厭わず、傍若無人の行いが多い。

これによって上は下を苦しめ、下は上を敬わず、身分の低い者に少しでも過ちがあれば主人はすぐに
これを罰し、主人が大身の家臣に対して無理なことをすれば、本来であれば大身の者なら忠信を専らとしてこれを
諌めるべきなのに、そんなことは頭からすっかり忘れて主人を恨み、小身や身分の低い者達は
直ぐに憤りを発し人に危害を与える計画を立てる。

どんな事も道理をわきまえず無道なのだが、その勇気だけは大変に強く勇ましく気丈で、
例えば合戦において親が眼前で討たれようとも、子はそれを見てその死骸を踏み越えて共に討死を遂げ、
逆に子が眼前で討たれても親もまた斯くの如し。

されば甲斐の人間の本質は、勇を持って始めとし勇を持って後とす。
と、言うことならそのあたりの機微の分かる人間を遣わせて、厳然と威を正しくして公平な治世を教えこめば
自然と道理に服すことも、あるいはあるだろうか?


とにかく甲斐の人間というのは、善1に対して悪10を持っている連中である。」


まあ、ボロクソである。

ところでこの人国記を愛読していた武将がいた。
誰あろう、その甲斐の太守、武田信玄である。

信玄は愛読するだけでなく、その記事を書いた扇を常に手元に置き、各国に送り出した間諜からの情報で
人国記と異なるものがあれば、それも合わせて扇に書き足し、それを見るのが常々のことであった、と言う。

そんな、甲斐国の人間が上下共に悪し様に書かれているにもかかわらず、そんなことも気にせず
側に置いて有効活用した、武田信玄の度量の深さを感じさせるお話。
12人間七七四年:2010/09/12(日) 17:57:03 ID:Itm2cm1l
信玄 (。。。この本いいこと書いてあるなあ)
13人間七七四年:2010/09/12(日) 18:00:57 ID:8UUBZtYZ
武田家滅亡時を考えたら、本当にその通りなのかもねえ
14人間七七四年:2010/09/12(日) 18:18:45 ID:kN0otPje
ネコ好きじゃないのに、役に立つという理由でネコを飼う男だからな。
信玄は感情に流されないできる男。
15人間七七四年:2010/09/12(日) 18:42:46 ID:vllunWMp
てか山梨県民って、大抵性格が悪くて嫌われてる。
16人間七七四年:2010/09/12(日) 19:10:32 ID:pJ5FUXEv
寒さに強くて始末がいいんだお(`・ω・´)
17人間七七四年:2010/09/12(日) 19:11:03 ID:ImuWsS8U
山梨県民は他人に対して二言目には平気で「バカ」って言葉を使う
18人間七七四年:2010/09/12(日) 19:25:33 ID:OIxIQCVY
アホと言われるのは人間性を否定されるようで嫌だけど馬鹿ならいいよ
19人間七七四年:2010/09/12(日) 19:31:04 ID:BcucYCNG
関西の親戚は「アホ」と「バカ」を使い分けてるみたいだったけど、関東育ちの
オレの周囲では両方とも同じ意味。もしくは「アホ」は関西弁で「バカ」という
意味だと思ってる。
20人間七七四年:2010/09/12(日) 19:46:13 ID:9xOUmoYY
関西人だがアホは罵倒用語ではないよ。
「アホみたいに強い武将」=「とても強い武将」って意味でつかう。
しかし、バカと言われると全人格を否定されたようでかなり凹むわ。
21人間七七四年:2010/09/12(日) 20:17:28 ID:Go8XjjVq
「アホ」は茶目っ気があって、「バカ」は色っぽい女に言われると嬉しい
俺関西人
22人間七七四年:2010/09/12(日) 20:18:54 ID:asTIViZJ
前スレの鍋島さん特集読んでみると、教育ってのは恐ろしいなぁ・・・
クマさんの影響が色濃く残ってた佐賀藩が幕末になるとあんなピリピリした藩風になるなんてw
23人間七七四年:2010/09/12(日) 20:22:32 ID:2dFrsPZc
関西では「アホ」=「可愛い奴、面白い奴」、
        「バカ」=「ダメな奴、使えない奴」
24人間七七四年:2010/09/12(日) 20:24:35 ID:kN0otPje
ちょっと戦国の話から外れるけど、ここ10数年くらいだよね。
「バカになれ」とか言って、『馬鹿』が一種の褒め言葉として使われるようになったのは。
これ以上世の中に馬鹿を増やしてどうすんだ?って思ってるけどw
25人間七七四年:2010/09/12(日) 20:29:43 ID:rlrfksl1
なんで俺の書いたヤツを採用しないんだよ、馬鹿野郎共
26人間七七四年:2010/09/12(日) 20:43:39 ID:kN0otPje
>>25
バカだからです。
あきらめてください。
27人間七七四年:2010/09/12(日) 21:30:57 ID:VLobXEZk
>>24
どうでもいいことだけど、空手バカ一代とかあったから
結構前からあったんじゃないかな>、『馬鹿』が一種の褒め言葉


長野県上田市にある生島足島神社
少なくとも平安時代には存在したという長い歴史を持つ神社であるが
この神社には戦国時代には珍しい女性の願文が現存している。

右敬申上今度さん州
なか志の(長篠)におひて室賀被
致籠状(城)さおひなく罷帰侯者
為法樂能を五三番神
前ニ而可致之侯 仍如件

元亀四年八月十七日
みつのとの と り

壱 叶 
三かわ 


書き手の壱叶と三かわの夫である室賀信俊・経秀兄弟は前年より武田信玄の三河侵攻に従い
信玄の死による本隊の撤退後は最前線の三河長篠城に配属されていた。
当時長篠城は徳川家康によって攻められており、籠城中の夫達の身を案じた壱叶と三かわが
夫たちが帰って来ることができたなら、法樂能を五十三番、神前にて行うと捧げたのがこの願文である。

なお長篠城はこの直後に落城しているが、室賀信俊・経秀の兄弟は無事脱出し、帰還を果たしている。
28人間七七四年:2010/09/12(日) 21:36:48 ID:asTIViZJ
「仕事馬鹿」「役者馬鹿」とか、一途に何かに没頭するときに使う「馬鹿」はある意味、褒め言葉

>>24の「バカになれ」ってのは、頭で深く考えずにシンプル行動してみろ 的な意味で褒め言葉じゃないと思うが
29人間七七四年:2010/09/13(月) 00:35:11 ID:ASBPNTI0
無茶やって、ドジを踏んだ時
女性から涙目で「馬鹿!」とか言われるのはご褒美では?
あと某アスカとか…
30人間七七四年:2010/09/13(月) 00:49:38 ID:Zb4ssIHH
某ルリの「バカばっか」もお忘れなく
31人間七七四年:2010/09/13(月) 00:52:35 ID:CzQpY6s5
オレ…かあちゃんにバカなまーくんね、って言われるとご飯三杯くらい喰える…
32人間七七四年:2010/09/13(月) 01:11:17 ID:SVXNlj9Y
>>31
(●ω・)「母上、俺にもバカめ!と罵って」
義姫「バカなまーくんね。ご飯食べなさい」
鮭様「義の手料理が食えるとはうらやましい。どーれ、わしもひとつ味見を」
33人間七七四年:2010/09/13(月) 01:31:34 ID:SEX+kpBK
直家「最上殿お茶が入りましたぞ」
元就「元春は鮭を最後に食ったとか」
昌幸「ささ、一献」
大田原「お代わりならまだございますぞ」
直江「閻魔への紹介状がここに」
34人間七七四年:2010/09/13(月) 04:40:18 ID:W1nF5BK0
>>1
乙です!

>>20
へぇー、関西はそうなんだ
オレは尾張と美濃の県境に住んでるけど、バカ強い、バカ格好いい、は褒め言葉だよw
35人間七七四年:2010/09/13(月) 06:50:24 ID:BU+VY7go
  /i (~) iヽ
 《 ヾ⌒ソ /
.  {ヽ,二,,ノ}
∠(´●ω・´)ゝ >>33 IDから察するに松永殿か?
  (:::::::::::::::)
   しωJ
36人間七七四年:2010/09/13(月) 11:37:01 ID:+uQq1LeQ
>>33
ネ申降臨
37人間七七四年:2010/09/13(月) 12:43:00 ID:cN6+GgIV
まさかこのスレで神IDを見るとはw
38人間七七四年:2010/09/13(月) 14:08:04 ID:ONOU5HAM
>>33
SEX+くぱぁバックか。バックからくぱぁか。
39人間七七四年:2010/09/13(月) 15:00:25 ID:onCtZ3o8
ちなみに「人国記」は隣国に特徴を聞き取り調査してるので基本的に悪口ばっかりw

編纂した人間がガチでへこむくらい悪口ばっかりw
40人間七七四年:2010/09/13(月) 16:53:52 ID:UgnFNiEd
今で言ううわさの県民ショーみたいなもんか
確かにお国自慢とか面白いもんな  
41人間七七四年:2010/09/13(月) 18:00:22 ID:wMrUCSja
小堀遠州がある時弟子に、審美眼の良さについてこう言われた。

「本当に先生のコレクションは見事なものばかりで、私なぞため息をつく以外しようがありません。
こうして見ていると、先生の趣味はかの利休よりもはるかに良いものだと思わざるをえません。
先生は利休の収集品を鑑賞する目を持った、千人に一人なのですから」

これに遠州は悲しそうな顔をして答えた。

「それはかえって私の凡庸さを表しています。
利休は偉大でした。彼には自分の肌に合うものだけを愛でる気概がありました。
それに引換え、私は知らず知らずのうちに万人受けする趣味に迎合しているにすぎません。
実に、利休は茶人として千人に一人の人物です」

遠州の鬱屈した芸術精神と、利休への敬意を感じて俺は好きなエピソード。
42人間七七四年:2010/09/13(月) 20:47:52 ID:kWNHI+30
戦国の遺風が色濃く残る開幕直後、将軍家指南役たる柳生宗矩のもとに剣術の訓練をしたことがないと称する一人の入門志願者が現れた
しかし、その男の一挙手一投足を見ると、尋常の使い手ではないことが伺える。怪しんで追及すると
「武士は死を恐れてはならぬと父から強く教えされ、数年それを心がけ、今では死を恐れなくなりました」 と
宗矩は「それこそ兵法の極意にござる」として、即座に免許皆伝を許した
43人間七七四年:2010/09/13(月) 21:16:02 ID:rkiERr1p
>>42
>「武士は死を恐れてはならぬと父から強く教えされ、数年それを心がけ、今では死を恐れなくなりました」
もしこれが立花宗茂だとしたら・・・
44人間七七四年:2010/09/13(月) 21:34:55 ID:aMAi1fCm
幕府の老中・堀田正盛は土井利勝に目付にふさわしい人物像を質問した。

「そうですね…たとえば、あなたがさあご馳走を食べるぞという時に
『先ほどその汁に蝿が入ってました』なんて言う人は御家にとって
災いでしかありませんね。もっとも、毒が入っていると知りながら
伝えないような人は論外ですけどね(^^)」

そのように利勝は言ったと伝えられている。
45人間七七四年:2010/09/13(月) 21:37:47 ID:JH7U9OSl
33のIDのKがLだったら
46人間七七四年:2010/09/13(月) 22:10:46 ID:W1nF5BK0
>>42
武田信繁が書いた九十九箇条のなかで戦場では、
「命を惜しむ者がかえって死ぬ羽目に至り、死をいとわぬ者がかえって生をまっとうするものだ」
という呉子の兵法を紹介してるね。
葉隠の「死ぬこととみつけたり」もそうだけど、武士の言葉は表裏どちらでも意味の通じるものが多いと思う
47人間七七四年:2010/09/13(月) 22:21:37 ID:AIz6Iu9+
>>44
涼しげな顔の利勝と一瞬返事が遅れる正盛の図を想像した
48人間七七四年:2010/09/13(月) 22:54:02 ID:T4JGGBs9
>46
現代の歩兵の戦術を書いた本を読んだことあるんだが、その中で
「待ち伏せを喰らった場合は、撃ってくる奴の方へ即座に突撃せよ」
ってのがあったのを覚えてる。

何を馬鹿な、と思ってよく読むと
「逃げても弾より早く走れるわけじゃなし、何か仕掛けがしてあるかもしれん方に行くよりは、
撃ってる奴らの後ろに回り込んで、そいつらを始末した方が生き残る率は高くなる」
って言う理論なのな。(もちろん状況によって何パターンか対処法は違うんだけどね)

意味合いは違うかもしれんけど現代にも通じるものがあるんやね>死を恐れない奴の方が生き残る
49人間七七四年:2010/09/13(月) 23:05:28 ID:RSzcDjny
糞な話ばっか

俺の書いたのと大差ないじゃん
50人間七七四年:2010/09/13(月) 23:13:18 ID:eJzk18HW
お、戻ってきたのかwwww
51人間七七四年:2010/09/13(月) 23:14:19 ID:W1nF5BK0
>>48
なるほど
いざ戦場に出てしまったら頭で考えてから動くより、条件反射的反応で動かないと間に合わないのかもしれないね。
それを「死狂い」とか「死を恐れるな」と表現していたんだろう。
現代戦術はそれを個人の覚悟じゃなくて、徹底した反復訓練で覚えさせているとも言える。
逆に戦争直前までの政治、謀略は条件反射的な感情を相手に見せてはいけない頭脳戦てことになるのかも
52人間七七四年:2010/09/14(火) 00:15:03 ID:hDu57tcq
>>48
一木支隊長「その通りである!」
53人間七七四年:2010/09/14(火) 00:40:05 ID:6dq+El6y
>>48
仙石秀久「まったくその通りである!」
54人間七七四年:2010/09/14(火) 00:57:53 ID:pkTV6tzX
>>48
天庵「いいこと書いてあるな」
55人間七七四年:2010/09/14(火) 01:24:58 ID:ZQV5Zz9T
逃げちゃったら壊走して制御できなくなるから、
それよりは死地に陥ったと錯覚させて突っ込ませる事で、
部隊を制御しようとする指揮官の論理の気がする。
孫子に言う、死地則戦だし。
56人間七七四年:2010/09/14(火) 06:22:47 ID:Jr9k5Tbw
剣術の歌訣にも
「切り結ぶ太刀の下こそ地獄なり、一歩踏み込め、後は極楽」
とかあるね。
「敵に背を向けるな」なんてのも臆病を諌めるものでは無く
武術的に言うと対応しにくいし急所が集まっているから危険だからと聞いた。
57人間七七四年:2010/09/14(火) 07:04:00 ID:N2JLqA8g
伏兵鉄砲隊って大概は少数だしねえ(混乱させるのが意図だから)

それが壮大な「釣りですが何か?」がお家芸のとこもあるけどw
58人間七七四年:2010/09/14(火) 07:25:39 ID:RlUoS+Mm
>>52
そこは一木支隊長より牟田口軍団長だろうww
59阿部対馬守:2010/09/14(火) 09:46:41 ID:uHjhua1K
土井大炊頭が堀田加賀守に伝えたかったのは、何でもかんでも報告すりゃいいというものではないということかね?
60人間七七四年:2010/09/14(火) 09:56:34 ID:tEMaNAjO
>>44
ほうほう、それでその蝿はいつ入ってどこからやってきてどう処分したのですかな
61人間七七四年:2010/09/14(火) 10:13:41 ID:+aYvwnaC
>>60
吊り天井で潰されてしまえ
62人間七七四年:2010/09/14(火) 11:12:08 ID:XVw1ve6B
HONDA「吊れたww」
63人間七七四年:2010/09/14(火) 16:19:25 ID:N2JLqA8g
DOI「あとから吊れた宣言とかwww」
64人間七七四年:2010/09/14(火) 17:39:33 ID:kla6ezjp
前スレの真柄のお秀、ニコニコにあったよんw
ttp://www.nicovideo.jp/watch/sm12052050
65人間七七四年:2010/09/15(水) 00:48:37 ID:t9gYIwQz
>>58
仙石秀久「仲間を見捨てて一人だけ逃走とか最低だよな」
66人間七七四年:2010/09/15(水) 01:58:29 ID:foFxp0Dt
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/?mode=m&no=4610&cr=500b7d7bcfdf55a9a1fe60c42f3fbc26の酒井忠勝バージョン

由比正雪らの幕府転覆の陰謀が露見した。いわゆる<慶安の乱>であるが、駿府で自殺した由比正雪の遺品のなかから紀井大納言頼宣の判物(はんもつ)が出て大騒ぎとなった。
<判物>はハンモノともいい、将軍とか大名から目下の者に宛てた文書で花押のあるものをいう。つまり正雪らの陰謀に御三家の紀井頼宣も加担していた、という疑惑がもたれたのである
このとき忠勝は単身紀井家におもむき、頼宣に対面してその判物を見せ、「真偽いかが」と頼宣の膝元に詰め寄った。
うっかりするて紀井家存亡に関わる問題である。したがって忠勝も命がけである。
するとすかさず豪気な頼宣は「一向に覚えはないぞ」と、平然と答えた。
そこで忠勝は顔を緩め、「それは重畳。このような紛らわしい反古は焼き捨てるにしかず」といって、即座にその判物を傍らの大火鉢に投じて、証拠の品を消滅せしめた。
そして「これからはお身近の人々にもご油断なきように」と忠勝が言い、「さよう。近習の者どもにも心を配るようにいたそう」と頼宣が答えた時、
一人の小姓がつと立ち上がって縁側に出、腹に脇差を突き立てて自裁した。
この小姓に罪があるわけではなかった。しかし自分が罪を犯した形にして主君の急場を救おうとしたものであった。
「さてさて大納言様はよきご家来をお持ちでござる」といって、忠勝はそのまま帰って来た。紀井家は取潰しを免れた。
67人間七七四年:2010/09/15(水) 08:14:19 ID:K/2hezId
南龍公、まさか、本当に・・・
68人間七七四年:2010/09/15(水) 21:03:58 ID:/qn7Wm+k
秘書に責任擦り付けてのうのうとしてるどっかの政治家に通じるものがあるなw
69人間七七四年:2010/09/15(水) 22:06:58 ID:9kfiKJ0z
  /i (~) iヽ
 《 ヾ⌒ソ /
.  {ヽ,二,,ノ}   >>68
∠(´●ω・´)ゝ 沢山いすぎて「クリリンのことかー!」的コメントが出来ません
  (:::::::::::::::)
   しωJ
 と言ってみるでがんす
70人間七七四年:2010/09/15(水) 22:46:15 ID:l/cX/MKa
平議員はもちろん大臣クラスでもサクッと切り捨てられてね?
71人間七七四年:2010/09/16(木) 00:30:20 ID:bHcGGIHT
頼宣「もういいぞ」
小姓「うまくいきましたねぇ」
頼宣「小姓、お主も悪よのう」
小姓「いえいえ、貴方様ほどでは…」
頼宣「しかし正雪め下手をうちおって」
天井裏の影「…すぐにご隠居に知らさねば…」
72人間七七四年:2010/09/16(木) 03:11:42 ID:uW1ylClg
>>71
この時期のご隠居って誰だよw
73人間七七四年:2010/09/16(木) 06:43:28 ID:7U8BD/iF
三歳さ〜ん!
74人間七七四年:2010/09/16(木) 06:47:32 ID:/aE7IRhs
1651年由比正雪の乱
徳川光國(1628〜1701)
75人間七七四年:2010/09/16(木) 08:24:45 ID:sMqiiZhr
二十代でご隠居とはハンパねぇwww
76人間七七四年:2010/09/16(木) 10:53:01 ID:/aE7IRhs
ちなみに光國さんは結婚したのが25歳で藩主になったのが28歳です
77人間七七四年:2010/09/16(木) 12:41:12 ID:kzOxco7a
紀伊、水戸と話題に出たので尾張家の話

尾張家二代徳川光友は、柳生新陰流第6世を継承するなど、祖父家康に似たのか
運動能力に殊の外優れ、特に、これも家康からの遺伝だろうか、水泳が大の得意だった。

さて、光友は参勤交代で江戸に来ても、好きな水泳は欠かさなかった。
そんな光友の江戸でのメインプールはなんと、江戸城のお堀であった。

そんな人目に触れる場所で、しかも親藩トップである尾張家のお殿様が水泳をするのである。
話題にならないはずもなく、彼が水泳をするときは見物人があふれた。
光友もこれに気を良くし色々演出も入れ、彼の江戸での水泳は、現代でも見られる
ちょっとした古式泳法のショーのようになった。

終いには光友公、水の上に膳を浮かべ、泳ぎながらそれを食す、などということまでやり
お堀端のオーディエンス達から拍手喝采を受けたという。

凄いと言うか平和と言うか、家康の孫の水泳好きのおはなし。
78人間七七四年:2010/09/16(木) 12:52:10 ID:GsVmZG31
八丈島から泳いで参った人に比べればまだ甘い
79人間七七四年:2010/09/16(木) 12:52:51 ID:Rv3nSlSy
参ってねぇだろw
80人間七七四年:2010/09/16(木) 12:53:51 ID:Z+ZPHXQZ
なんか、八丈島のほうで「泳ぎなら俺だろ」という声が…
81人間七七四年:2010/09/16(木) 13:01:49 ID:axUNTC4I
尾張の殿様派手なの好きなのは血統だな、確信した。
82人間七七四年:2010/09/16(木) 13:04:49 ID:qU44D37f
>>77
すげーな。
競泳よりも水球やシンクロに適性ありそうだw
83人間七七四年:2010/09/16(木) 21:36:27 ID:+Slt8Uq0
壇ノ浦で鎧甲冑を着たままスイスイ泳いでたあの人に比べても甘いな
84人間七七四年:2010/09/16(木) 23:28:58 ID:/aE7IRhs
光友「ならば余は鎧を三重にして泳いでみせようぞ」
85人間七七四年:2010/09/16(木) 23:42:12 ID:Udmwyauv
>>72
>この時期のご隠居って誰だよw

もちろん忠輝のアフォです。

86人間七七四年:2010/09/16(木) 23:44:26 ID:csGXj6Af
>>77
将軍の城の堀を測るとは謀反でもするつもりか、といわれても文句は言えないと思う
87人間七七四年:2010/09/17(金) 01:06:59 ID:wP78mFxN
そういえば日本にシンクロを導入したのは古式泳法の人たちなんだよな
何でもチーム組んで同じ動きで泳ぐ、というのが古式泳法の演技にあるそうで
戦前はチケットが売り切れるほどの評判になっていたらしい
で。戦後5年ぐらいに東京で行われたシンクロの演技をたまたま見た古式泳法の人が
「これなら世界に勝てる」と確信したそうで
その演技から1年後にはシンクロのルールを整えて全国大会を開いてる
シンクロがオリンピック競技になったときには、1億円出して水中スピーカーと窓のついたプールを作った
この設備が今じゃ世界のスタンダードになってる

日本はオリンピックと世界大会通じて一度もメダルを逃したことのない唯一の国らしいぞ
88人間七七四年:2010/09/17(金) 02:53:38 ID:fB/WSKWQ
「神木の大銀杏」
天正14年(1586年)かの有名な筑前岩屋城の戦いが終わった頃、とある百姓のお婆ちゃんの話。
城攻めの際に島津軍の本陣が置かれた二日市に、地元の氏神として奉られる二日市八幡宮というお宮があった。
高橋紹運を討ち滅ぼした島津勢は紹運の苛烈な反撃に遭ってイラついていたのか分からないが
何を思ったか帰りにこの八幡宮の神木とされる大銀杏樹を伐ろうとした。
近くの百姓惣左衛門の後家の老婆がこの乱暴沙汰を耳にしてかけつけて一喝、
「この木は八幡宮の神木じゃ!そんなことをしとったら罰当たるぞ!」と言ってそのまま木に抱きつき
「この木を伐りなさるならばまずこの婆を斬ってからにせえ!」と身をもって阻んだ。
島津の雑兵たちはこの80歳ほどのババァの剣幕にビビったのか、斧を捨ててそのまま立ち去ったという。
このとき樹は半分ほど伐りこまれており、二日市八幡宮境内の大銀杏には今もその伐り跡が残っているそうだ。
89人間七七四年:2010/09/17(金) 06:51:10 ID:6YbJSr5s
>>88
ババァってあーたw
迷信深そうな島津軍が、撤退時という一番余裕ないときにわざわざ神木を切るって、すごく妙な逸話だ。
90人間七七四年:2010/09/17(金) 07:06:52 ID:MeYSykOr
木を切って資材にするつもりだったんじゃないか?
婆はともかく御神木なら切っちゃまずいから撤収したと
91人間七七四年:2010/09/17(金) 07:27:30 ID:2qiVuKdY
壇ノ浦の海底捜索したら、国宝とか色んなの出そうだよね。
92人間七七四年:2010/09/17(金) 07:49:33 ID:saCS6cRf
>>89
まだ撤退はしない
これから立花城攻め
93人間七七四年:2010/09/17(金) 12:48:48 ID:TzkdDgUs
>>88
斧だけに/( ̄0 ̄)\オーノー!!という事だな。
94人間七七四年:2010/09/17(金) 13:09:43 ID:l7ZDnRoj
【審議中】
    ∧,,∧  ∧,,∧
 ∧ (´・ω・) (・ω・`) ∧∧
( ´・ω) U) ( つと ノ(ω・` )
| U (  ´・) (・`  ) と ノ
 u-u (l    ) (   ノu-u
     `u-u'. `u-u'
95稲川風に:2010/09/17(金) 13:27:05 ID:vMIgfu9H
立花勢から小野和泉がヒッタヒッタヒッタとやってきて、>>93さんの首めがけて槍を一閃、
ギャーーーーッ、刺された瞬間スーーーッと意識が・・・
目を覚ますと二日市八幡宮の境内でポツーーンと立ってたって言うんですよ
そんな、不思議なお話、聞かせて頂きましたよ、えぇ・・・
96人間七七四年:2010/09/17(金) 13:48:06 ID:TlVQ/hrM
>>95
小野だけに・・・(略
97人間七七四年:2010/09/17(金) 16:10:41 ID:cN55iyrU
そういうのは各々が判断することだな
98人間七七四年:2010/09/17(金) 18:28:59 ID:4HlKzK8v
アホかおのれらは!!
99人間七七四年:2010/09/17(金) 19:05:27 ID:h5wMPLWL
アホだと! おのれぇぇ!
100人間七七四年:2010/09/17(金) 19:11:42 ID:6YbJSr5s
またアホバカの話かw
101人間七七四年:2010/09/17(金) 21:22:47 ID:S3oi7DG3
このボケナスが
102人間七七四年:2010/09/17(金) 21:52:50 ID:LQjAG5Nw
福井は本当に真柄十郎左衛門が好きだなw


戦国巨漢武将、真柄の下駄再現 長さ41センチ、重さ5・3キロ
http://www.fukuishimbun.co.jp/modules/news0/23713_1.html
http://www.fukuishimbun.co.jp/modules/news0/photos/20100917174126_1692989236.jpg

>  真柄は越前朝倉氏の大型♂ニ臣で、身長196センチ、体重は252キロを超えたとされる。
> 姉川の戦い(1570年)で討ち死にしたが、その奮闘ぶりは江戸時代の「姉川合戦図屏風(びょうぶ)」
> (県立歴史博物館蔵)のほか、同時代の活字本「信長記」や落語にも描かれ、勇猛さ、豪傑さは
> 無類と語り継がれている。

>  下駄は再現第2弾。長さ41センチ、幅27センチ、高さ14センチ、重さ5・3キロあり、
> 大人の両足が乗るサイズ。史料などを参考に大きさを決め、同協会メンバーが左右1組作った。
103人間七七四年:2010/09/17(金) 22:44:02 ID:cN55iyrU
196cmの252Kgってただのデ…

あれ?宅配便がきた。
104人間七七四年:2010/09/17(金) 23:37:11 ID:sEKW0D8z
KONISHIKIを想像したw
105人間七七四年:2010/09/17(金) 23:40:50 ID:6YbJSr5s
小錦よりも曙の方が体格近い
106人間七七四年:2010/09/18(土) 00:02:49 ID:sgz1tQBn
まな板履いてるようなもんだな・・・
107人間七七四年:2010/09/18(土) 00:24:37 ID:t4QP/JlF
252kg + 太郎太刀 + まな板下駄
で1トン超えそうだな

馬は大変だったろうな…
108人間七七四年:2010/09/18(土) 00:28:52 ID:f5wL+TE+
>>107
刀って目方は意外と軽いものだよ。太刀は10キロないんじゃないかな。
109人間七七四年:2010/09/18(土) 00:33:27 ID:t4QP/JlF
>>108

でも、太郎太刀は従者が5人がかかりでやっと運ぶことができたって話だよ

このおっちゃんは一人で持ってるけど、本物はもっとでかくて重かったんじゃないかな
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1909.html
110人間七七四年:2010/09/18(土) 00:35:58 ID:f5wL+TE+
>>109
そういう話は、真柄は30人力とかいう逸話と同じノリで読まないとねw
111人間七七四年:2010/09/18(土) 00:41:15 ID:cybCe3IO
最上義光の指揮棒が刀の倍で1750グラム。つまり刀一本は875グラムだな。
112人間七七四年:2010/09/18(土) 00:43:01 ID:t4QP/JlF
>>110
いやー最初からそのノリだったんだけどw
250kgの巨漢がマンモスみたいな馬に乗って、向坂兄弟のジェットストリームアタックを
迎え撃つなんてロマンじゃないか
113人間七七四年:2010/09/18(土) 01:05:50 ID:dlE442E3
大太刀では、重ねを薄くしたり、鎬地に棒樋を彫るなどの重量軽減化が計られている点はすでに指摘した。
さらに、著者は、平成六年(一九九四)一月に愛知・熱田神宮で開催された
『大太刀と小道具』展の展示と撤収のお手伝いをさせていただいたり、またその他の機会で、
前掲の古刀期最長の長船法光や飯野八幡宮の長船盛景大太刀・大長刀を何振りも実際に手に取っている。
その経験から言えることだが、長寸な太刀でも反り具合や柄の状態などの微妙な調整で手持ちは良くなるものである。
法光にしても著者は数回手にしているが、その重量は一四`近いものの、
実際に持ってみると、見かけの豪壮さに反し、意外と持ちやすい。

近藤好和 『騎兵と歩兵の中世史』より



近藤好和博士「大太刀は意外と持ちやすい(キリッ」
ttp://www.nolimits-gym.com/menbarkondo.html
114人間七七四年:2010/09/18(土) 01:33:43 ID:sgz1tQBn
まな板下駄の時点で逸話のノリでしょw
>>107は分かってて言ってると思う
115人間七七四年:2010/09/18(土) 06:23:01 ID:y0Ha0q+6
>>112
二頭の馬にまたがるとかどうよ
116人間七七四年:2010/09/18(土) 06:32:09 ID:hrwyfNHb
馬に乗れないのなら馬を担げばいいじゃない。
117人間七七四年:2010/09/18(土) 07:01:24 ID:f5wL+TE+
>>116
畠山重忠w
118人間七七四年:2010/09/18(土) 07:04:32 ID:oNenYMRc
馬に乗れないのなら馬に乗ってもらえばいいじゃない。アハンウフン
119人間七七四年:2010/09/18(土) 07:18:16 ID:FjzicoLj
黒王号なら

世紀末越前救世主伝説

少し後に破壊神が登場するのは内緒だ
120人間七七四年:2010/09/18(土) 09:50:36 ID:9wJ5HIeM
真柄と上泉信綱はどっちがつおいの?
121人間七七四年:2010/09/18(土) 10:34:05 ID:f5wL+TE+
戦場でなら真柄
果し合い・喧嘩なら上泉

もちろんこういうのは与太話だ。
122人間七七四年:2010/09/18(土) 10:36:57 ID:Kwup50bJ
真柄は石でも投げてたほうが強いんじゃねーか
123人間七七四年:2010/09/18(土) 11:55:48 ID:lyD2FSKc
信綱さんは長野家臣時代は普通に戦場を駆けており戦場のアドバンテージも
年齢の分だけ直隆さんより上回っていると思われるので、直隆さんは体格勝負に
持ち込むか得物のリーチを生かして挑みたいところだ。'
124人間七七四年:2010/09/18(土) 11:59:09 ID:UND4dUFw
でかい奴はいい鉄砲の的になる
125人間七七四年:2010/09/18(土) 12:49:15 ID:RG2IJuJt
ハート様を倒せる者など・・・
126人間七七四年:2010/09/18(土) 12:59:12 ID:DCqxpyTp
一揆をするのもめんどくせぇ・・・
127人間七七四年:2010/09/18(土) 13:21:13 ID:t4QP/JlF
山岡の小説では、真柄十郎左衛門直隆と本多平八郎忠勝が一騎打ちしてるね
決着は付いてないけど
128人間七七四年:2010/09/18(土) 13:34:54 ID:towE3kjo
真柄252kg 210cmvs本多156cm 60kg
勝負になりませんby外野
しかし実践では
MA真柄「触れれば木っ端みじんよw・・・・・・くそ、な、なぜ当たらない?」
MS本多「当たらなければどうということない」
129人間七七四年:2010/09/18(土) 13:59:00 ID:bVirW3h3
真柄って強い割には一般には無名よね。
「真柄斬り」なんて「ドラゴンスレイヤー」みたいな刀まであるというのに。
やっぱ主君のせいか?
130人間七七四年:2010/09/18(土) 14:06:32 ID:6zdtHlWp
真柄兄弟vs匂坂三兄弟
131人間七七四年:2010/09/18(土) 14:56:41 ID:Dy+wWLR4
真柄さんは大太刀を振り回すだけじゃなく
弓で2〜3人貫通させてみたり、槍投げて数人+馬を串刺しにしたとか言う
トンデモエピソードがあれば有名だったかもしれんね
132人間七七四年:2010/09/18(土) 18:44:37 ID:VSIcDHaI
やっぱピザ食ってたのかな?w
133人間七七四年:2010/09/18(土) 19:28:49 ID:WEotuqbR
>>113のURL、なんかのネタかと思ったら本当で噴いたん
そーかこういう人には現実的か…
134人間七七四年:2010/09/18(土) 19:41:33 ID:f5wL+TE+
>>113 >>133
戦国時代板には、この人の信者いっぱいいるんだよ。
実際に和式馬具で流鏑馬やってる人たちからは、
「この人の本は『そりゃムリだろ』って描写が多い」と言う声もあるけど・・・
135人間七七四年:2010/09/18(土) 20:46:47 ID:5TnoT2JC
俺の話を無視するくせに、そんな現実的じゃない話で盛り上がる馬鹿共が
136人間七七四年:2010/09/18(土) 20:52:22 ID:wZhVwCuW
もう中の人違うだろwww
137人間七七四年:2010/09/18(土) 21:41:43 ID:XAk7W4H8
上の話聞いて、真柄直隆ってこんな人かと想像した
http://www.toysrus.co.jp/i/3/4/8/348304500M.jpg

こっちは松永弾正
http://www.famitsu.com/game/coming/2007/06/15/h-104_73522_wario0620.jpg.jpg
138人間七七四年:2010/09/18(土) 22:02:10 ID:XAk7W4H8
うーん、貼った後で思ったけど、どう見ても鬼武蔵顔だなこりゃ
139人間七七四年:2010/09/18(土) 23:56:56 ID:rcHjXV8F
森さんは押尾師匠のような心の汚い美青年です
140人間七七四年:2010/09/19(日) 00:12:45 ID:NB7s9GRo
なぜか、松永ダンジョンスレを思い出した・・・
141人間七七四年:2010/09/19(日) 11:07:57 ID:vmd5IZaP
>>121>>123
塚原卜伝と真壁氏幹の逸話か小説で後者が軽くあしらわれたって話もあったけど、それと同じようなものになりそうw
142人間七七四年:2010/09/19(日) 21:15:38 ID:d0JeOeJS
真柄が有名になれないのは、
その時お隣で、小堀遠州の母方の爺さんが
大暴れして織田勢の中央突破して、織田の
背後にあった佐和山へ帰還していったからだと思う。
143人間七七四年:2010/09/19(日) 22:44:02 ID:RyTnRTCd
おはぎを38個食べた人か
144人間七七四年:2010/09/19(日) 22:44:48 ID:9kAptibN
サザエさんのご先祖?
145人間七七四年:2010/09/20(月) 06:20:19 ID:WKcVpH/2
>>144
磯野家の姓が『源』だという事実にビックリだよなw
146人間七七四年:2010/09/20(月) 10:08:25 ID:Ww+XgICc
磯野はあれだけ重用されたのに、何が不満で織田家を出奔したんだろう?
147人間七七四年:2010/09/20(月) 10:18:01 ID:A4oe4pCx
>>146
出奔したんじゃなくてリストラされたんだよ
148人間七七四年:2010/09/20(月) 10:39:53 ID:IU162Z4W
調べたら近江磯野家は一応源氏の系譜に連なる一族らしい。
あと福岡藩に仕えた磯野一族は鋳造師で技術者だった。
おそらく藻屑のおはぎ食いで気に入られて出世したのだろう。
149人間七七四年:2010/09/20(月) 11:04:45 ID:dszHtJWB
>>148
黒田二十四騎の一人、原弥左衛門の孫が磯野家に養子に入った、
という話を、昔2ちゃんのサザエさん考察スレで読んだことがある
一応磯野家は福岡出身の源氏姓らしいから、その子孫の可能性もなきにしもあらず
しかし、それなら波平は祖先として黒田二十四騎のほうを挙げるだろう。
また、磯野藻屑の日記がなぜか「慶応元年(元治二年のはず)元日」から始まっているのも不思議。
150人間七七四年:2010/09/20(月) 13:57:10 ID:E/IhGm5Q
>>147
ああ、そうだった。勘違いしてた。
ご指摘、サンキュー。
151人間七七四年:2010/09/21(火) 00:52:08 ID:YgMlFWqK
十月から煙草が値上げされますね.嫌煙家,愛煙家の方々といらっしゃる
でしょうが,煙草にちなんだ逸話をば(既出でしたら失礼).
薩摩は煙草の名産地として知られ,「花は霧島たばこは国分」と謡われた
ほど,「国分たばこ」といえば,有名でした.
この煙草の栽培を奨励したのが,島津家のお留守番名人こと島津義久.
鉄砲伝来とともに日本に入ってきた煙草の栽培を,初めは指宿ではじめた
ようですが,関ヶ原後には義久が家臣の服部左衛門宗重に命じて国分での
栽培を開始,やがて日本における一大産地を築いたそうな.
愛煙家にとってはいい話,嫌煙家にとっては悪い話?でしょうか.

ちなみに,義久さん,弟の義弘と連名で
「執着深い連中は,ヤニを細い竹キセルに詰めて、紙帳を釣って、こっそりやらかしている
みたいだけど,日本国中で禁煙令が出ているけど,我が国でも吸ったら駄目だからね.死刑
だからね!(『崎陽古今物語』)」という御触書を出しているようです.

指宿といえば,親指武蔵こと新納忠元が地頭として治めた地,煙草をくゆらす
デニーロさんは絵になりそうなんですけどねぇ.
152人間七七四年:2010/09/21(火) 01:09:18 ID:Axt4U2EC
JR職員「キセルに薩摩守?チケット拝見」
153人間七七四年:2010/09/21(火) 07:51:59 ID:K4od/mJu
キセルってどういう意味ですか? っ聞かれて・・・
そもそもの煙管の方は時代劇ででてくるアレで説明できたけど、定期使ったタダ乗りの方が返って説明難しかったw
154人間七七四年:2010/09/22(水) 00:29:07 ID:U7aDOytk
155人間七七四年:2010/09/22(水) 00:38:29 ID:DQ4ebLos
いかにも他人の言い分を聞かなさそうな人に見える
156人間七七四年:2010/09/22(水) 00:39:22 ID:DQ4ebLos
あ、でもなんで肖像画なのに猫が?
157人間七七四年:2010/09/22(水) 00:39:52 ID:MruxQVNP
説明文の一切つかない謎のぬこ
元祖ネコ好きだったと考えるほかはない。
158人間七七四年:2010/09/22(水) 00:49:15 ID:JV0WCY0n
手前の猫が小型のトラみたいで格好イイです
159人間七七四年:2010/09/22(水) 00:55:54 ID:aU4Nztn/
三楽斎が犬なら、俺は猫を使う!
・・・あれ?まったく言うことを聞かないorz


というのが目に浮かんだ
160人間七七四年:2010/09/22(水) 00:58:56 ID:Jor65R7C
手前のネコが天庵の本体
後ろの人は影武者
161人間七七四年:2010/09/22(水) 03:39:28 ID:bZuFwRHR
猫がすごいかわいいけど負け戦続きで安心して暮らせなそうで不憫
162人間七七四年:2010/09/22(水) 07:27:57 ID:juJVYHWJ
>>159
なぜか天庵様も、周りの言うことを
聞かなかったりするんですねわかります
163人間七七四年:2010/09/22(水) 08:19:15 ID:GEHOjsbd
つまり・・・

天庵様:のび太  猫:ドラえもん→菅谷さん ってことだろ?
164人間七七四年:2010/09/22(水) 09:46:51 ID:3er229ja
スネオ+出来杉→三楽斎
165人間七七四年:2010/09/22(水) 09:52:26 ID:miO93hCp
何の説明もなく猫がかかれるということは常に猫が周りにいるタイプか。

はっ…現法王様
166人間七七四年:2010/09/22(水) 09:55:09 ID:TJQAxPaR
犬好きとはいえ道灌の話知らん訳ない三楽が猫邪険にするとも思えんし
どう転んでも猫はのんびりしてたんじゃね
167人間七七四年:2010/09/22(水) 11:57:39 ID:N3fvr2oi
>>141
卜伝と氏幹って60歳くらい年齢差があるのにw
168人間七七四年:2010/09/22(水) 12:15:31 ID:xK+onQiG
>>64
何というか、タイムリーなことに来週のNHK教育「日本の話芸」は講談「真柄のお秀」です。
午後2:00から30分、一龍斎貞心。
ちなみにBS等で全部で3回くらい再放送あるはずなんで確認のほどを。
ttp://cgi4.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=001&date=2010-09-28&ch=33&eid=17731
169人間七七四年:2010/09/22(水) 13:56:12 ID:zRfLsS0h
170人間七七四年:2010/09/22(水) 14:37:17 ID:8zSTHjst
寺なんかの文書を扱うところではネズミを避けるために猫を飼ったというが
古典でも、だいたいえらい人のペットって猫だよな
171人間七七四年:2010/09/22(水) 16:25:36 ID:bPRGASxJ
>>170
光孝天皇・宇多天皇以来の伝統だな

墨のような毛色、寝てる姿は壁のごとく歩く姿は黒竜のようだよ
他の猫よりよくねずみ捕らえるよ
でもねずみ捕らえるから好きな訳じゃないんだからね、
単に先帝に貰ったから世話してるだけなんだから勘違いしないでよね!

全く日本のツンデレ文化ってのは根が深くて困る
172人間七七四年:2010/09/22(水) 17:52:35 ID:qP6kmNT5
そんな所で猫飼ったら柱とか古文書で爪研ぎしそうな気がするが。
173人間七七四年:2010/09/22(水) 19:03:44 ID:gFij+Q+a
>>172
  ∧,,∧
  (,,・∀・)
〜(_u,uノ  こいつらティッシュとかめちゃくちゃにするよね
174人間七七四年:2010/09/22(水) 20:16:05 ID:MruxQVNP
基本的に室町・戦国・安土桃山時代のネコの飼い方は、首に縄をつけてもふもふ愛玩するもので、
ネズミを捕らせるために放し飼いにしていた信玄の飼い方は、当時としては極めて異端的な飼い方だった。
175人間七七四年:2010/09/22(水) 20:38:39 ID:GEHOjsbd
さすが実利に敏い信玄さま・・・
176人間七七四年:2010/09/22(水) 20:43:12 ID:U7aDOytk
そういえば板倉勝重 の「猫放し飼い令」なんてのもあったな
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2540.html
177人間七七四年:2010/09/22(水) 21:00:49 ID:5oyECgY3
どっかの大名のぬこがお膳喰ったという話は、放し飼いだったからかな?
それとも愛玩用の紐が長かったのかな?
178人間七七四年:2010/09/22(水) 21:05:35 ID:GEHOjsbd
おっと鍋島さんちの話題はそこまでだっ!
179人間七七四年:2010/09/22(水) 21:58:41 ID:03Tc0mWd
青山忠俊は徳川家光の養育係として直言を繰り返してきた。
しかしあまりにも直言が過ぎたために、ついに家光の怒りを買った。
忠俊は家光が舞踊のために髪を結んでいるのを注意したことで
下総に流され、所領の岩槻五万石も召し上げられた。

「あまりのこと」と思う人々はいたが、忠俊は「いや、かえって安心だ。
上様はご器量がありながら、それをお示しになろうとされなかった。
今回の処置は見事と言うほかない。私は安心した」と恨み言ひとつ
こぼすことはなかったという。

その家光ものちに己の誤りに気づいて忠俊を戻そうとした。
しかし忠俊は「誤りを悔やまれたことはご立派です。上様がご自身の
誤りを悔いておられるなら、もはや私がお側におらずとも、私の言葉を
聞いていただいているのと同じことでありましょう」と申し出を断った。
180人間七七四年:2010/09/22(水) 22:10:41 ID:J/ff0AIe
元就が毛利宗家を相続した直後、弟である相生元綱を擁立し、反逆しようとした一派を
先手を打って殲滅したという事件があったことは皆さんご存知であろう。
その首謀者の一人、渡部勝の誅殺について「所用と言って郡山城に呼び出しておいて
刺客に集団で襲わせた」というのが通説であるが、異説がある。

元就「おお、渡辺殿、よく来られた。内密の話ゆえ裏庭で二人で話そう」
勝「(二人っきりになるってことは、俺が反乱に組みしてたってばれてないんだよな。
   ちょっとダメ押ししとこ)」
元就「…というわけで、尼子殿の元に使いをして欲しいのだが」
勝「承りました。 時に殿、弟御や坂殿へのあまりに苛烈な処分に家中では動揺が広まっております。
 ご一族や累代の重臣に対しては、慈悲のお心を持つことが大事ではないでしょうか」
元就「これは痛いことを言われるな」と言いながらすっと近づくと

元就「おのれ等がいらんカバチタレよったせいで、わしゃあ弟を殺さにゃならんようになったんじゃろうがぁ!」

と、勝の髻と頸をつかんで差し上げると、城の裏手の高所から投げ落とし、粉々にしてしまった。

謀将・知将のイメージがどこかに消えていく元就公若き日の1ページ。
181人間七七四年:2010/09/22(水) 22:39:16 ID:5oyECgY3
>>180
菅原文太で再生されたじゃねーかw
182人間七七四年:2010/09/22(水) 23:00:53 ID:yzaQ8lhU
>>179
いやー、忠臣すっなー
上に立つ者の養育係としては最適だろうなー
今の世の中でやったらただの親ばかだがw
183人間七七四年:2010/09/22(水) 23:05:13 ID:nNwUCSLx
>>179
出来すぎだ、青山出来すぎだ
184sage:2010/09/22(水) 23:07:47 ID:c7crK45k
>>181
を見て文太元就で再生しなおした。
カッコいいな。
185人間七七四年:2010/09/23(木) 00:11:23 ID:jZS1GAYF
通さんは粉々になった親父殿を見て何を思ったか
186人間七七四年:2010/09/23(木) 01:17:58 ID:PfFZszPi
小林桂樹さん亡くなったのか
大河ドラマでの「よいか竹千代」が忘れられない
オレはあれを見て、将来は飲んだくれ坊主になる!と誓ったのに

まあ坊主にはならなかったけど
187人間七七四年:2010/09/23(木) 01:18:42 ID:PfFZszPi
すまんかった
188安芸国人:2010/09/23(木) 12:55:22 ID:Q5iO0Dor
>>180
そういやぜんぜん気がつかなかったが、元就グランパも歴とした広島人なんだよな。
ドス効かせたバリバリの広島弁で恫喝かけてたとしてもおかしくないんだよなw
189人間七七四年:2010/09/23(木) 12:59:03 ID:V93oQrQm
>>180
つかこれいい話なのかよw
190人間七七四年:2010/09/23(木) 13:06:54 ID:QlzegUgz
部下に以後いらんカバチタレをさせないように頑張るきっかけとなった ならいい話だ
191人間七七四年:2010/09/23(木) 16:30:40 ID:Tl/eOD9d
>>180
勝さんが粉々になったのは
恐怖で固まってしまったからなのか
192人間七七四年:2010/09/23(木) 16:40:55 ID:aVbpiIBa
>>191
頭が潰れたトマトみたいになったんですよ
193人間七七四年:2010/09/23(木) 16:43:55 ID:ACI8jSm/
前田利家

不遇な時にこそ本当の友情がわかるものなのです。
私が信長様に罰せられた時、今までの友人が3つに分かれました。
一つはいい気味だと笑いに来るもの。
一つは私が逆恨みして謀反を起こさないか疑りに来るもの。
そして、もう一つが私のことを本当に心配してくれるもの。
194人間七七四年:2010/09/23(木) 16:54:17 ID:h7LG5a4c
>>193
 笑いに来る   佐々(ばっかじゃねーの。たかが茶坊主に刀使うなんて、男は拳で決めるんだよ)
 疑りに来る   権六親父(若い奴は切れやすいから心配だわ)
 心配してくれる 猿(ねねがお松さん貸した米と味噌の代金が回収でけんと困る)
195人間七七四年:2010/09/23(木) 20:07:38 ID:NkrS4jxp
その場で成敗されそうなのをかばってもらい、浪人時代の面倒を見てもらい
再仕の口添えまでしてくれたのに、賤ヶ岳で裏切った悪い話ですね
196人間七七四年:2010/09/23(木) 20:08:02 ID:0MNVPklp
笑いに来る   前田慶次
疑りに来る    佐脇良之
心配してくれる 織田信長
197人間七七四年:2010/09/23(木) 20:31:16 ID:Paj2O7dd
>>193
この人北条攻めで秀吉の不興を買った時も同じこと言ったエピがあったような
笑いに来たのが加藤光泰か嘉明だった覚えが
198人間七七四年:2010/09/23(木) 20:46:56 ID:SYuyIJCM
わざわざ笑いに来るやつってすげーなw
当時のメンタリティでは、そのまま斬り合いになっても全くおかしくないし、
相手の屋敷の中で笑ったりしたら殺してくださいって言ってるようなものじゃないかw
199人間七七四年:2010/09/23(木) 20:48:36 ID:xQeGZTHo
北条攻めの時に、嘉明が利家さんを笑いにきたとなるとかなりのものだろw
200人間七七四年:2010/09/24(金) 00:29:52 ID:CttbYzmK
嘉明さんなら多分利家を笑いものにしてる連中の脇で居眠りしてると思う
201人間七七四年:2010/09/24(金) 04:09:05 ID:OlY3ybj0
関ヶ原の直後のことである。
西軍方についた筑後柳川の立花宗茂は何とか領国に帰還したものの、
いつの間にか西軍方から東軍方になっていた隣国、鍋島直茂・勝茂に三万五千もの軍勢で攻め寄せられた。
一説によれば宗茂を討つことが徳川家康からの赦免条件だったという。
立花方も一万二千の軍勢を集めたものの、すでに天下の大勢は決している。
「領内に攻め込んできた敵と戦わなければ武門の恥辱。
しかし、家康殿には恭順を示さねばならぬので、殿は出陣しないで下さい」
宗茂は家臣たちの意見を受け入れ、次席家老の小野和泉守を大将に命じた。
一方、進撃する鍋島軍は成富兵庫を使者として決戦を提案。宗茂もこれを受け入れた。
かくして慶長五年十月二十日、江上・八院合戦が開始された。
小野和泉守率いる三千と鍋島軍三万五千は凄まじい激戦を繰り広げたが、やはり立花軍の被害は大きく、歴戦の将が次々に討死した。
その中に、侍大将十時摂津守の一門で、十時新五郎惟久という少年がいた。
彼は黒猫を飼っていて、とても可愛がっていた。が、この度の合戦で討死間違い無しと考え、猫に別れを告げて出陣していた。
そして乱戦の中、鉄砲に撃たれて落馬したところを討ち取られ、鍋島兵に首を挙げられてしまった。
が、その兵が惟久の首を持って引き上げようとして橋を通りかかった時、突然、黒猫がうなり声を上げて襲いかかってきた。
猫はひと噛みで兵の喉を喰いちぎり、惟久の首をとって口にくわえ、逃げ出す。
鍋島軍は慌てて鉄砲玉を浴びせ、橋の真ん中で被弾した猫は首とともに水中へ没し、そのまま首も猫も見つからなかった。
やがて合戦は黒田如水・加藤清正の仲介で終結。
戦の終わった後、村人たちが死体を片付けていると、
惟久の遺体のすぐ側に全身穴だらけになった黒猫が惟久の首をくわえたまま倒れていた。
黒猫は命と引き換えに大好きなご主人様の首を守りぬいたのである。
以後、この地域は「猫橋」と呼ばれ、現在も佐賀県みよき町にその名が残っている。
202人間七七四年:2010/09/24(金) 05:04:21 ID:AIwLrTUu
勝茂「また猫か!!」
203人間七七四年:2010/09/24(金) 06:41:05 ID:7YUO2HGu
にゃー
204人間七七四年:2010/09/24(金) 09:29:57 ID:4BLwI/fB
鍋島さんの家はよほど猫に嫌われているのだな。
205人間七七四年:2010/09/24(金) 11:09:38 ID:EfgujQbk
鍋島さんきらいー!
柳川の近くにもなんか勝手に住み着いてさ、
こう寄って来て首元にガブガブするとばたっとひっくりかえって
おなかをぽんぽん鉄砲で撃って葉隠葉隠葉隠てー!
206人間七七四年:2010/09/24(金) 11:17:14 ID:Rpx+V54Z
忠猫

チューネコってどっちやねんw
っあ、やめ・・・
207人間七七四年:2010/09/24(金) 12:16:26 ID:932S71LH
>>201
みやき町だよ
三養基(みやき)郡みやき町
208人間七七四年:2010/09/24(金) 13:17:23 ID:6dfSR/VS
利家もバカだよな。

茶坊主ごとき無茶苦茶に殴りまくって
逆らわないようにトラウマ作ってやれば良いのに、、、
209人間七七四年:2010/09/24(金) 13:27:07 ID:OeF6qM8e
天庵様「よし、南総里見八犬伝に対抗して、
北総小田八猫伝を・・・」
210人間七七四年:2010/09/24(金) 17:29:53 ID:Z3SXyFtc
菅えもん「いい加減にしてください」
211人間七七四年:2010/09/24(金) 17:50:53 ID:04jLyqvG
>>209
ちょっと読んでみたいなww
212人間七七四年:2010/09/24(金) 18:18:21 ID:zIShLSgh
小田「うわぁぁああーーっ」
太田「菅谷のいない貴様などひとひねりよ」
小田「くっ、強い・・このままでは」
太田「ふはは、死ねー・・ぬぅ?!なんだ、この攻撃的な気配は?!」
菅谷「俺は菅谷。俺は小田の当主が呼べば何度でも蘇える。たとえ冥府魔道に堕ちようともな!」
小田「菅谷!来てくれたんだね!!」
213人間七七四年:2010/09/24(金) 19:25:21 ID:Ft2qCJbO
>>209
それを言うなら「常南小田八猫伝」だろw
214人間七七四年:2010/09/24(金) 20:04:54 ID:cvQ5KMEH
江戸屋猫八って・・・
いや何でもない。
215人間七七四年:2010/09/24(金) 21:36:01 ID:TppyOS28
悪いスレでTERUの話題が出てるので、たまにはTERUのかっこいい話

第2次月山富田城攻略戦終盤、偵察に出ていた尼子十勇士が一人、柴原大力之助は崖下の山道に毛利輝元の部隊を発見した。
「やや、あれに見えるは毛利の当主! この大岩を投げ落として打ち砕いてくれよう」
頭上から次々と降ってくる大岩に毛利の部隊は大混乱。
その時、TERUは

「お前たち、何を騒いでいるのだ」

少しも慌てず部下を窘めた。危地にあって少しも動じないその姿に、流石は毛利の当主よと一同感じ入ったという。
216人間七七四年:2010/09/24(金) 21:47:36 ID:PZFUOW8f
人間が大岩を投げ落としたりできるか!って突っ込んじゃいけないんだろうなw
まあ逸話だから、100人力の人間がいても何の問題もないな。
217人間七七四年:2010/09/24(金) 22:03:52 ID:hSbGROvs
>>215
テルがすかさず安全な場所に避難して悠長な事を言ってる間にも味方がどんどん
大岩の下敷きに・・・

一同「さすが毛利の当主よ(本当に駄目だこいつ)」
218人間七七四年:2010/09/24(金) 22:30:27 ID:Z3SXyFtc
状況を把握しきれてないだけかもなw
219人間七七四年:2010/09/24(金) 23:14:56 ID:q6MTdSqd
>>201
いつも思うんだが、戦国時代の生き物全般に強すぎるだろw
猫や蛸どんだけ強いんだよw
220人間七七四年:2010/09/24(金) 23:23:08 ID:TppyOS28
>>216
そもそも大力之助が出てくるところに突っ込んでくれよ

…実在が確認されてないよね?
221人間七七四年:2010/09/25(土) 00:15:09 ID:34sxUbMN
このスレの逸話は1%の真実と99%のふぁんたじーで出来ているので無問題
222人間七七四年:2010/09/25(土) 00:20:25 ID:aOZsd9ej
人間が強すぎる時代なんだ
ネコやタコだって強いさ
223人間七七四年:2010/09/25(土) 00:39:56 ID:aFkIeFf+
タコは海女さんだけを襲っていればいいと思います。
224人間七七四年:2010/09/25(土) 00:51:46 ID:bzW3IP5f
>>220
すごい名前だよね、大力之助w


まあ、戦国時代の人々のメンタリティは平安時代の人とそこまで変わってないからな。
御伽噺の中で、俵藤太が大ムカデ退治したり、源頼光が鬼退治したことは、当時大半の人が信じてただろうな。
強い武士には超常のパワーがあって、妖怪や神仏とも戦えるものだとね。
鬼武蔵に殺される蛇や亀は、その名残だよねw
225人間七七四年:2010/09/25(土) 11:26:23 ID:fuDRKrjs
鬼武蔵の蛇亀退治(?)で思い出したけど、
何も悪いことしてない神だの妖怪だのが殺される話があるのは、
合理精神の普及となにか関係があるんだろうかね
226人間七七四年:2010/09/25(土) 12:57:59 ID:Z0TyBqUD
>>225
珍走団が警察煽って暴走するようなノリだったんじゃね?
227人間七七四年:2010/09/25(土) 13:16:51 ID:bzW3IP5f
>>225
関係は大有りだと思う。
平安時代の妖怪と比べると、ずいぶん弱弱しくてスケールが小さくなってるが、
超常現象へのおそれが薄れたんだろうね。
例えば、鹿島神宮の要石が押さえ込んでる地震を起こす存在は、
中世では龍神だと考えられていたが、江戸時代には大ナマズになった。
大ナマズなんて、間抜けそうだし、少しも怖くないよねw
228人間七七四年:2010/09/25(土) 17:43:45 ID:U/OipAQ4
大ナマズ…
そんなものが夜寝てるときに、布団に入ってきたらと思うと…((((;゜д゜)))ガクガクブルブル
229人間七七四年:2010/09/25(土) 18:10:01 ID:oAcE8u0w
そして明治になるとナマズは災害からすら外れ、偉そうにしている官吏の隠喩として
描かれるようになる。
ちなみに芸者は猫。
ナマズと猫がセットになっている絵は、つまりそういう官吏を揶揄しているわけだ。
230人間七七四年:2010/09/25(土) 19:55:27 ID:9dmu//xI
つか400年後の俺らも平成の日本人はこんなバカなことを信じていたとか言われてたりしてなw
231人間七七四年:2010/09/25(土) 20:12:16 ID:bzW3IP5f
絶対言われてるよw
その頃の日本はもう、アジアのどこだか分からない国になってるんだろうな
232人間七七四年:2010/09/26(日) 01:58:40 ID:5RmGsnTA
え、そういう話に持って行くんですか
233人間七七四年:2010/09/26(日) 04:43:20 ID:YrGJtvZ3
そういや小松明みたいなトンデモ武器って他にもあんのかね?
234人間七七四年:2010/09/26(日) 10:44:22 ID:DyMbKUrr
トン切ってごめん。昨日の中日新聞に彦左の話が載ってた。

お茶壺道中に居合わせた彦左(大久保忠教)は、茶壺付添いの武士に怒鳴られても
茶壺に頭を下げず(畏まったりしなかったってことかな? 意訳転載でごめん)、
「わしの知っておる上様は人間より茶葉を大事になさるようなことはしない!」って
怒鳴ったとか。

まとめでただの偏屈だと思ってたから、この話はちょっといいなと思ったw
しかしお茶壺道中ってすごく大変だったらしいね>近在の人達的に。
めちゃくちゃ威張られて、みんな関わり合いになりたくなくて「戸をぴしゃんと閉める」
→「トッピンシャン」になったとか
235人間七七四年:2010/09/26(日) 11:38:42 ID:7xIx1AOM
ttp://gensounobuki.fc2web.com/frame.html
戦国時代でぐぐると春秋・戦国に引っ張られるけどそれっぽいとこでたお
236人間七七四年:2010/09/26(日) 11:55:02 ID:bgI0snSh
何度読んでも「こまつあきら」に見える
で、小松姫が薙刀持って疾走してる姿が目に浮かぶ
237人間七七四年:2010/09/26(日) 11:56:42 ID:ZqTZrxR+
さぁ、ご一緒に

めんどくせぇ〜
238人間七七四年:2010/09/26(日) 12:32:36 ID:DgMgjVX8
俺の中での

小松=高木美保
239人間七七四年:2010/09/26(日) 12:37:12 ID:OS0IU9ND
>>238
おばちゃんじゃん
240人間七七四年:2010/09/26(日) 13:11:48 ID:bgI0snSh
オレの中では和田アキ子なんだが…
241人間七七四年:2010/09/26(日) 13:46:50 ID:UnNR8AW1
>>240
人外じゃん
242人間七七四年:2010/09/26(日) 13:48:28 ID:tO0kAVvZ
今風なら香里奈・・・、沢尻さんやろw
243人間七七四年:2010/09/26(日) 15:03:13 ID:PeIkm/EU
>>233
トンデモ武器は無いがトンデモ技ならあるよ
示現流の奥義「壱ノ太刀」は有名だが
開祖の東郷重位だけが使えた奥義マスター壱ノ太刀こと「雲耀の太刀」
その神髄は脈拍の8000分の1の速度で敵を両断する事なんだが
東郷重位(184p)、脈拍(分70)、太刀の刀身(1m)として
蜻蛉の構えから弧線距離で剣先の速度を計算してみると
雲耀の太刀の剣速は軽く秒速30万mを超える
現代兵器に換算すると実用型レールガンの2倍の速度
因みに雲耀とは雷光のことですがサンダーリードの速度は更に10倍
流石に雷速とまではいかなかったみたい
244人間七七四年:2010/09/26(日) 15:05:37 ID:kJ0IomXU
つまんね
245人間七七四年:2010/09/26(日) 15:07:38 ID:OS0IU9ND
>>243
まあほんの少し前まで(一部には今でも)
「私の正拳突きは音速に近い」とかほざく空手家いたからな。
武道家とその信者に誇大妄想は付き物だ。
246人間七七四年:2010/09/26(日) 17:03:21 ID:aeMo3vtX
殺されるはずだった人質などを助命した話しとかない?
247人間七七四年:2010/09/26(日) 17:14:20 ID:PCf1Tm/a
>>246
三斎「太閤も余計な事などせずに、さっさと斬り捨てておけば良かったのに」
248人間七七四年:2010/09/26(日) 17:32:47 ID:UUAz+ku0
>>247
ラスボス「半兵衛ちゃんに言ってちょーよ」
249人間七七四年:2010/09/26(日) 18:17:48 ID:bgI0snSh
>>247-248
まーここの住人ならこれで分かると思うけど
どうしてこう斜め右上の回答をするんだ
250人間七七四年:2010/09/26(日) 19:15:41 ID:BEdTIvEM
家康公は秀吉に
「高価な茶器は持ってないが、
命を投げ打つ家臣を宝物と思っている」
って言ってやったからなぁ。
251人間七七四年:2010/09/26(日) 19:19:00 ID:F0OTWzHV
秀吉から高価な茶器を貰って
石川数正はさっさと寝返り
252人間七七四年:2010/09/26(日) 19:33:46 ID:hbg7prsO
高価な茶器をもらうより 安くても忠義貫くほうが美しい
めんどくさすぎて 傷ついてる人もいるけど
さんざん我侭言ったあと 家康公への思いは変わらないけど
みえてる(秀吉の)優しさに 時折負けそうになる

ここにあなた(家康公)が いないのが寂しいのじゃなくて
ここにあなた(家康公)が いないと思うことが寂しい
WowWow

でも負けないこと投げ出さないこと逃げ出さないこと信じ抜くこと
徳川家に仕官するなら それが一番大事
253人間七七四年:2010/09/26(日) 19:38:50 ID:yjOvcgUs
>>252
この糞暇人がw
この歌はおっさんしかわからんだろwww
254人間七七四年:2010/09/26(日) 19:45:52 ID:C1D62bma
>>246貴殿がお望みの主旨とはズレると思われるが


天正12年(1584)、羽柴秀吉と織田信雄の間で緊張が高まる中、信雄の重臣・滝川雄利は、秀吉のもとに人質として
わが子を送り、秀吉はこれを脇坂安治に預けた。

ところが信雄は徳川家康と組んで秀吉に対することになり、雄利はなんとか子供を取り返そうと考え、安治に
「妻の病が重い。子供を一時こちらに戻し、対面させてやってほしい。」と申し出た。
安治は申し出を請けた。まんまと子を取り返し、後顧の憂いの無くなった雄利は、伊賀上野に築城まで始めてしまった。

上野城の話を聞いた秀吉は、激怒した。
「安治!雄利の子を連れて来い!!」「えー、あー、そのぅ、返してしまいました!」
秀吉の怒りは、頂点に達した。

「道理で、雄利め…この始末、どう付けてくれるつもりじゃ!!」
「も、申し訳ございません!これから上野城を攻め、討ち死にして参ります!」
「ふん!三千石取りの、おまえの配下など数十人しかおらんのに、どうやって城攻めが出来る?まさか、攻めるなどと
言いつつ、雄利に呼応するつもりではあるまいな?」
「なんで秀吉様の恩を忘れましょう?お疑いならば、私も母を人質として残して行きます。御免!!」

涙まで流して秀吉のもとを発ち、二十人ばかりの配下を連れて伊賀に入った安治は、それはもう必死で地侍に説いた。
「雄利を討つために、助太刀を願いたい。味方になり、功のあった者は所領を安堵し、先に取った人質も返そう。」
たちまち多くの地侍が味方になり、安治は上野城の攻略に成功し、戦後に摂津能勢一万石を与えられた。


世知辛い戦国の世に、あっさり雄利の子を返した事と言い、伊賀の地侍への説得のセリフと言い、好意的に見れば
実は人質を取るのが嫌いor卑怯な事と考えてたんじゃ?という、地味に漢な貂の皮の人の話。
255人間七七四年:2010/09/26(日) 19:47:53 ID:OS0IU9ND
どう見ても悪い話しでしょ・・・
256人間七七四年:2010/09/26(日) 19:47:54 ID:5OJRKoap
忠義(あい)は勝つ
257人間七七四年:2010/09/26(日) 19:48:30 ID:TZGgvw9J
>>253
ヒットしたのが20年前だもんな〜
258人間七七四年:2010/09/26(日) 21:26:18 ID:BJxN1NEL
>>251
石川数正の寝返りって結局なんだったんだろうね?
別にそれで豊臣側が大して有利になったわけでもないし、寝返ったことから嫌われてそうな石川家は徳川幕政下でもきっちり大名として生き残ってる。
山岡荘八の小説の「豊臣と徳川の架け橋になるために上方へ走った。家康も事情を理解していた」説が意外と本当じゃないかと思う。
259人間七七四年:2010/09/26(日) 22:00:40 ID:bgI0snSh
石川数正の出奔は、戦国最大の謎の一つになってるね

司馬さんなんかは、数正は姑息で冷徹な家康のやり方に嫌気が差した、という解釈をしてる
ただ、この件に関しては司馬史観はあまり広がってないように思う

山岡さんは、数正が本多作左衛門と共謀して、徳川方の強硬論を抑えるためにやったと言っている

以前見た映画では、秀吉が欲しかったのは数正よりも、以前数正の与力だった服部半蔵であり、
数正が半蔵を連れずに出奔してしまったので、秀吉は大層がっかりした、というお話だった

資料がない分、歴史作家としては話を膨らませやすいんだろう
260人間七七四年:2010/09/26(日) 22:05:17 ID:ZqTZrxR+
秀吉さんは、徳川家臣団のだれでもよかったんじゃね?
261人間七七四年:2010/09/26(日) 22:11:57 ID:49NCz2C3
秀吉の義弟の浅野長政が家康と親密だったあたり、世に言うほど家康は、打倒豊臣な陰険タヌキ親父一辺倒でもなかったんじゃ?
262人間七七四年:2010/09/26(日) 22:30:14 ID:OS0IU9ND
>>259
だって司馬遼太郎は家康大嫌いだものw

出奔まで数正は股肱の重臣として大活躍してたんだから
>>260みたいな意見はいくらなんでもかわいそうだ。
263人間七七四年:2010/09/26(日) 22:35:14 ID:6lsQRuHN
>>258
>寝返ったことから嫌われてそうな石川家は徳川幕政下でもきっちり大名として生き残ってる。
数正の系統は後できっちり全員改易されちゃったじゃん
家成の系統のことを言ってんの?
264人間七七四年:2010/09/26(日) 22:59:56 ID:hbg7prsO
>>263
> 数正の系統は後できっちり全員改易されちゃったじゃん
それは数正の出奔に関わる話ではなく、数正嫡男の石川康長、次男の康勝、三男康次も
関ヶ原では東軍について大名として所領安堵されている。

後に二人とも大久保長安事件に巻き込まれて改易されているが、これは必ずしも
数正の息子だからではなく、康長の娘が長安の嫡男の嫁という、長安にあまりに近いポジションに
いたためだと思うぞ。
265人間七七四年:2010/09/26(日) 23:51:26 ID:HjGqmWOn
>>258
徳川の軍制を武田式に変えなきゃならんかったから徳川にはダメージじゃね?
266人間七七四年:2010/09/27(月) 00:43:32 ID:Rcyh/AQx
いへやす:武田のとこ取巻くってたら徳川式と武田式が混ざって亀甲状態!
でんれい:石川が秀吉んとこにいっちゃいましたー
いへやす:武田式に全面改修(^o^)丿
267人間七七四年:2010/09/27(月) 00:54:55 ID:OVd4ODtk
実は武田マニアの家康が、軍制を武田流に変えたくて
策を仕込んだんじゃね?
268人間七七四年:2010/09/27(月) 02:28:10 ID:SRUmDyTG
>>264
>数正の息子だからではなく、康長の娘が長安の嫡男の嫁という、長安にあまりに近いポジションに
いたためだと思うぞ。

いや違う。創業当時の先祖の行いは関係ある。

榊原家は、問題起こしても康政の貢献度に免じて許されたことがある。

数正が出奔してなかったら、大久保事件で没落しても、再興できてる。
どうでもいいから潰れておしまい。
269人間七七四年:2010/09/27(月) 04:37:38 ID:4rO2uInj
榊原は家康直々の覚書とかあったからまた別な話でしょう。
四天王の家でも平気で処罰してるし佐渡様の処なんか……
270人間七七四年:2010/09/27(月) 05:08:31 ID:AF8tzVZH
>>269
正純の子孫は後に旗本としての再興を許されてる
康長の他に長安と縁戚関係にあった青山や富田だって子孫の代に旗本として再興してる
271人間七七四年:2010/09/27(月) 06:15:50 ID:7O5cEVJo
大久保忠隣も、孫の代で復活してるね
272人間七七四年:2010/09/27(月) 06:42:24 ID:JJcDdzYm
家光の代までは関係者が何をやったか直接知っているから「先祖の勲功」が勲功化しておらず
あんまり役に立たないので「改易ね」となりやすい
それ以降は勲功の方しか残らないので先祖は偉かったので再興しましょうかとなりやすい
273人間七七四年:2010/09/27(月) 06:44:22 ID:DeL8+Eti
康長には男子がいなかったんじゃなかったっけ?
流石に改易中に嫡流が絶えたから庶流を取り立てるのは、
よほどの名門や功臣の家じゃないと難しいと思う
274人間七七四年:2010/09/27(月) 10:04:02 ID:zdyMflof
まあ一度出奔したからには出戻っても精々新参外様の扱いだったんじゃね。
275さど:2010/09/27(月) 10:36:07 ID:fXhKOiVJ
新参外様並の扱いで結構
大領など不要
276人間七七四年:2010/09/27(月) 12:35:24 ID:14YKINKB
幕府的には数正の叔父、石川家成の系譜が続けばそれで良しって感じだったんじゃね?
277人間七七四年:2010/09/27(月) 13:23:42 ID:Fp+R2RHU
豊臣秀吉の九州征伐における、天正15年4月16日夜半、当主島津義久を大将とした島津軍によって、
日向国根城坂に陣取る宮部継潤らへの大規模な夜討ちが行われた。いわゆる根白坂の戦いである。
この合戦、藤堂高虎が戦闘参加を禁止した豊臣秀長の命令を無視して援軍に駆けつけたことなどが
有名だが、やや離れた場所に陣取っていた小早川隆景も、夜半の銃声を聞いて早速援軍の準備をさせた。

この時小早川隆景、出陣と同時にこのような命令を出した。

「いつでもこういう時は、軍兵は食事を取れなくなるものだ。粥を炊いておくように。」

と、大量の粥を終夜にわたって炊かせ、自らは軍を率いて出陣。先の藤堂軍と共に
島津軍を挟撃する形となり、翌朝には島津軍は、大損害を出して敗走した。

さて、合戦が終わると宮部継潤らの陣に小早川隆景からの使者が来た。

「兵たちは食事をとっておらず、手負いもまた多く出たようです、どうぞこれをお使いください。」

使者は大量の粥と酒を携えていた。
夜を徹した戦闘に疲れ果てた兵たちに、それらが多いに喜ばれたことは言うまでもない。

後でこの事を聞いた豊臣秀吉は

「小早川は何と気の付いた贈り物をすることだろうか!」

と、大いに感嘆したそうである。


小早川隆景、鉄砲の音を聞いて粥を炊かせる、と言うお話。
278人間七七四年:2010/09/27(月) 15:39:41 ID:3f3CqAqz
隆景できすぎだろー
279人間七七四年:2010/09/27(月) 15:51:25 ID:b0KgRrQL
賤ヶ岳や大返しあたりを考えると
一番評価しそうなタイプのエピソードだよね
280人間七七四年:2010/09/27(月) 16:56:30 ID:etF+37Vw
これが陪臣だからラスボスのいい話になるんだよな〜
大名だったら粛正予定リストに入れられてしまう。
281人間七七四年:2010/09/27(月) 17:44:38 ID:SRUmDyTG
>>276
家康無二の忠臣と言われ、その信任は厚かった。その経緯から家成死後、本来なら無嗣断絶するところを石川氏は存続を許されたのである。
282人間七七四年:2010/09/27(月) 18:16:54 ID:7O5cEVJo
十六松平でも、家康に忠実だった家系とそうじゃない家系では、扱いがかなり違うらしいね
283人間七七四年:2010/09/27(月) 18:22:51 ID:2jtL/1mK
十六松平って聞くと、片手技で母様の贅を凌ぐあの人を思い出してしまうw
284人間七七四年:2010/09/27(月) 18:45:16 ID:+21gZIs0
蔦吉姐さんはツンデレ
285人間七七四年:2010/09/27(月) 18:58:53 ID:mEqBcY3K
常々思ってたんだが、斬九の旦那はあんなんでも筵織ってた劉備なんかより
遥かに身分がしっかりしてるんだよな。

家格でいうと、その辺の小大名なんかよりもよっぽど高いみたいだし。
286人間七七四年:2010/09/27(月) 19:17:45 ID:JTO3S0ce
>>280
そいつの主君よりも優遇して内部分裂引き起こさせたりする場合もあるから困る
287人間七七四年:2010/09/27(月) 19:20:39 ID:72ZG448q
>>277
家康が関ヶ原後に生米をふやかして食べるよう指示を出したエピソードに通じるものがあるね。
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3483.html

さすが百戦錬磨の武人は気配りができるわ。
288人間七七四年:2010/09/27(月) 20:01:58 ID:6vEBMCrD
>>283
時代劇チャンネルで今週末から一挙放送開始だな。
毎週土曜日に4話ずつ放送。
289人間七七四年:2010/09/27(月) 20:32:56 ID:+J+LgG29
十六松平で思い出したが、『三河松平一族』によるともともと松平一族の本宗家は
岩津松平だったが、伊勢新九郎(北条早雲)による今川家の西三河侵攻でヌっ滅ぼされて、
それで本来分家だった安城松平が、この戦いでの活躍から本家になったんだそうな。
290人間七七四年:2010/09/27(月) 21:40:12 ID:sIVLtUOV
伊勢さんはホント業が深いでぇ
291人間七七四年:2010/09/27(月) 22:01:58 ID:7O5cEVJo
>>289
晩年はしょうもない抜け殻だったにしても、長親さんは頑張ったんですね
292人間七七四年:2010/09/27(月) 23:10:21 ID:aVtDGJyV
徳川家康の関東移封に伴い、上総大多喜の地を授かったばかりの本多忠勝が、新領内を見回っている時、
晒し首が置かれているのが目に止まった。
「哀れな。ロクな取り調べも無しに、打ち首にされた者であろう…せめて丁重に葬ってやれ。」

忠勝の家臣は、首を見ただけで事情を断じた主君の言葉を不審に思い、命じられた通り首を葬った後、晒されていた
罪人の素性を調べた。すると、忠勝の言っていたように、関東攻めのドサクサに紛れ、打ち首にされたものと分かった。

「確かに殿の言われた通りでした。しかし、なぜ首を見ただけで事情が分かったのですか?」

「なァに、簡単だ。月代が半端に伸びていたからよ。キチンと取調べをして、まともに刑が執行されたなら、
牢に長く居るので、月代は伸び放題になっているか、最後の情けに散髪をしておるはずじゃ。
半端な伸び方をしているのは、牢に居たのが短いか、粗末な扱いを受けたという事よ。むごい真似をしたものだ。」


百戦錬磨の武人は目配り・気配りが違う、という話。
293人間七七四年:2010/09/27(月) 23:12:29 ID:+J+LgG29
実際観察眼が優れていたからこそ、戦場でもあれだけ活躍できたのだろうな。
294人間七七四年:2010/09/27(月) 23:26:51 ID:72ZG448q
>>292
小田原征伐のどさくさで殺された首?
そうすると、真夏に少なくとも2.3ヶ月晒されっぱなしだったはずだが、月代を判別できるものだったのだろうか?
まあ、それほど平八の観察眼がすごかったということで。
295人間七七四年:2010/09/28(火) 01:51:48 ID:ITJ5Q5uI
大多喜城
一度行って味噌
滅茶苦茶いい加減な再建城だからwww
296人間七七四年:2010/09/28(火) 01:55:29 ID:DdTawuyR
>>294
「小田原征伐のどさくさ」ってのは、小田原の役の結果の北条家改易に伴う混乱も含まれるだろうから
そんなに長期間さらされていたものでもないだろ。
297人間七七四年:2010/09/28(火) 02:18:20 ID:CP9O+4F5
>>295
千葉県っていい加減な模擬天守の宝庫なんだな
千葉城、関宿城、館山城、久留里城、大多喜城、安房勝山城、万木城
298人間七七四年:2010/09/28(火) 08:41:20 ID:qrDlDwJ7
>>274
そういや地味加藤さんのところもそれに当てはまるのかな?
親父さんだけど。

秀吉に仕え始める際に浄土真宗はネックにならなかったのかな?
お墓が浄土真宗のお寺にあるから結局は信仰を捨てなかったっぽいけど。
299人間七七四年:2010/09/28(火) 09:17:35 ID:mt2dGB0o
>>298
秀吉は信長、家康に比べれば浄土真宗に比較的寛容。
今の西本願寺の土地を与えて安堵したのも秀吉。
で、次の家康が真宗を東西に分けて、東本願寺の土地を与えた。
その結果、幕末・維新にかけて西本願寺が新政府びいき、東本願寺が江戸幕府びいきという構図になった遠因とも言われてる。
300人間七七四年:2010/09/28(火) 09:59:33 ID:qrDlDwJ7
>>299
それって本願寺と和睦後とか信長死後の話ですよね。
秀吉が信長の家臣だった当時も寛容だったんですかね。
301人間七七四年:2010/09/28(火) 14:11:38 ID:bJOexUKZ
秀吉「信長様があぁだからあまりおおっぴらにはしないでね」とか言いそう

平民出かわからんけど
成り上がりの人だから宗教への傾倒はある程度共感できたかも
302人間七七四年:2010/09/28(火) 16:14:47 ID:4R7Lqedg
顕如と会見した大政所は、顕如を拝んだ

今で言うとダライ・ラマ的な感じだったんだろうな

303人間七七四年:2010/09/28(火) 16:20:17 ID:atoBDJZq
東郷重位さんの話

東郷さん島津義弘さんに従い京に上洛していました。
そこに天真正自顕流を伝える善吉和尚に出会いました。
タイ捨流免許皆伝で腕に自信のある東郷さんは立合いを申し出ました。
しかし、善吉和尚が箒を八相にとり、凝然と立ち尽した。その姿に慄然とした東郷さんはその場で指南をお願いしました。
すると善吉和尚も東郷さんを許して自顕流を指南を了解しました。
6ヶ月の間でしたが東郷さんは熱心に剣術に励み正伝を得ました。
そして、帰国の際に善吉和尚より東郷さんへ3巻の伝書と40の技法を授け、自顕流を東郷さんに託しました。

帰国後も熱心に剣術の修行を行い、屋敷にあった柿の巨木を昼夜三年間、休むことなく打ち込みを行い巨木を立ち枯らしてしまいました。
また、東郷さんの噂を耳にした剣士たちが他流試合を申し込んできましたが、其の事如くを打ち破り、求められれば門弟として向かいいれました。

まあ、ここにいる人ならわかると思いますがその噂を聞きつけた殿様の命により現指南役タイ捨流東権右衛門と東郷さんが立合をすることになりました。
東郷さん自信もタイ捨流免許皆伝で権右衛門より皆伝を受けています。
しかし、権右衛門との立合は47回に及んだといい、東郷さんは権右衛門に勝利をしました。
この結果、東郷さんは剣術指南役として薩摩藩で召抱えられましたとさ。

でもね、薩摩藩の藩主さまがた何にも起さないで剣術指南に任ずる訳がないとは思いませんか?
実はwikiからなんですが、時の18代藩主島津家久さんは47回立合った後の東郷さん(丸腰)に切りかかったそうな・・・・
まあ、懐の扇子で刀を叩き落とされたらしいですがne。
304人間七七四年:2010/09/28(火) 22:05:07 ID:ZSblyOze
まとめには載ってませんでしたが、「法曹夜話」にあった板倉重宗の話なんかは
さすがにスレ違いでしょうか?
305人間七七四年:2010/09/28(火) 22:34:04 ID:cLNlGhQO
取り合えず書いてみる!
306人間七七四年:2010/09/28(火) 22:55:35 ID:ZSblyOze
では、既に戦国ではありませんが板倉重宗の話を(出典:法曹夜話(岩波文庫))

板倉重宗は、父勝重の後を継いで京都所司代となり、父に勝るとも劣らない名声を博した。
35年勤めあげ、いよいよ辞職の際、抱えていた仕事は全て整理し、後任の手を煩わせないようにしたが、
ただ一つ当時世間で評判となっていた難事件については、片付けずにそのまま後任の牧野佐渡守親成に
引き継いでしまった。

「佐渡?誰それ。周防殿ですら解決できないものがこんな奴に出来る訳ねーじゃん( ´,_ゝ`)プッ」

と着任前から散々な言われようだった牧野親成、いざ着任してみれば明快な調査、公平な判断で
事件をあっという間に解決してみせ、
「佐渡殿すげえ!これなら周防いらねーじゃん!」
てな具合に、新任所司代の名声はいやがおうにも高まったのであった。

…が、実はこの事件、板倉重宗は既に完璧な調査を終え、後は判決を言い渡すのみとなっていたのを
辞職に当たってあえて残し、さらに詳細な意見書まで書いて引き継ぎ、牧野親成はそれをただ読んで見せた
だけなのであった。

自分の功を誇らず、お上の威信のために後任に花を持たせた重宗のいい話。
307人間七七四年:2010/09/28(火) 23:09:52 ID:vgZoZNko
板倉さんとこは親子でガチだね。
308人間七七四年:2010/09/28(火) 23:13:24 ID:ih/MKB6h
本多佐渡さん親子とは正反対だな
309人間七七四年:2010/09/29(水) 01:45:40 ID:Uyd8ZdRM
善吉和尚が住職をつとめた天寧寺という寺はなかなか面白いぞ
もともとこの寺、楠木正成の八男が会津若松に創建して蘆名の庇護を受けていたんだが、
その後、摺上原の戦いで政宗に焼かれて、会津若松と京都にそれぞれ再建されてる
さらに蘆名義広が角館に移ったときに、こちらにも会津の天寧寺を本寺として同名の寺を建てた
このときに開山として呼ばれたのが鉄山和尚で、後に新天流槍術の奥旨を編集して、横手の上遠野家へ伝えている

京都の天寧寺は、天正年間に10世の祥山和尚が焼け残った本尊や寺宝を収集して京都・鞍馬口に移転
直江兼続や板倉勝重の援助により堂宇を整備したそうだ
東郷重位は1988に天寧寺に参禅しに行って、善吉和尚と出会ったらしい
善吉和尚は1594年に亡くなっていて、天寧寺に葬られている。現在でも鹿児島から墓参りに来る人がいるらしく、
墓前に焼酎が供えられていることもあるよ。ちなみにこの寺には金森宗和の墓もある

ところでご存知の人も多いと思うけれど、会津若松の天寧寺には近藤勇の墓がある
政宗が天寧寺を焼いていなかったら、示現流は存在せず、近藤勇が隊士に「薩摩者の初太刀は外せ」と言うこともなく、
土方歳三が会津天寧寺に近藤勇の遺体の一部を葬ることもなかったかもしれない
意外なところで政宗の絡む、歴史の不思議さを考えさせるよい話ということで
310人間七七四年:2010/09/29(水) 01:53:17 ID:Uyd8ZdRM
1988じゃない。1588年の間違い
311人間七七四年:2010/09/29(水) 01:55:14 ID:KmZmqHm1
東郷、今も存命かな?
312人間七七四年:2010/09/29(水) 02:13:53 ID:2yVrjsND
東郷「わかった やってみよう・・・」
313人間七七四年:2010/09/29(水) 15:05:35 ID:7iCGrH1w
東郷「報酬は鹿児島信用金庫の口座に振り込んでくれ……」
314人間七七四年:2010/09/29(水) 16:16:30 ID:swFZP+Nc
G型鍬13本の注文か?
315人間七七四年:2010/09/29(水) 17:54:04 ID:TZmgv480
10%の才能に20%のDQN、そして30%の臆病さ…残りの40%は運だろうな
316人間七七四年:2010/09/29(水) 18:08:21 ID:UKZqk3CV
鬼武蔵「俺がいるから戦乱が起こるのではない。戦乱が起こるから、俺が存在するのだ。」
317人間七七四年:2010/09/29(水) 21:29:29 ID:406Etpr/
>>316
長久手の戦い
           カチャ
                          ,,,,,
          , ーっ--、_      / ̄ ̄ ヽ
_______,/ /'}=三ア─'    /;;;;;;;;;;;;;;;;  ヽ
           ムEミ}`ー゙      トミ;;;;;;;;;;;;;;;;;;; ノ
、_ ___ ,, -─ー--'"_ , - ──イミ;;;;;;;;;;  ,; 7,/
  ̄        , - '         \  イ,レ//
         /             ヽ ,/
        /                Y
        /           ,   鬼 ノ
       /            |   武/
       /            ノ  蔵/
318人間七七四年:2010/09/29(水) 21:32:48 ID:UKZqk3CV
稲富一夢「銃に異常はないようだな・・・」 チャッ
319人間七七四年:2010/09/29(水) 21:46:54 ID:2yVrjsND
稲富「この世界は、病的な用心深さと、それ以上の臆病さを持ちあわせている奴だけが、生き残れる資格を持っているのだ・・・」
320人間七七四年:2010/09/29(水) 21:46:57 ID:U5dwo9l0
>>307
孫も立派だよな
3代続くのは珍しい
321人間七七四年:2010/09/29(水) 22:16:38 ID:9GL5X6Hp
杉谷善住坊「(ミスファイア…!?)」
322人間七七四年:2010/09/29(水) 22:18:33 ID:VVrKShOZ
>>317
むしろこのシチェーションは富田さんだろうw
323人間七七四年:2010/09/30(木) 00:02:10 ID:0ST6YOXB
>>321
いや、あんたこないだ本当にG13に出てたや無いか。
銃身の膨張による弾道変化を理解出来ていない素人として。
324人間七七四年:2010/09/30(木) 00:42:24 ID:NIFXpTbi
泗川の戦いの知られざる英雄
泗川の戦いにて島津軍は当初お得意の釣り野伏せりで明軍を誘いこむと
釘や鉄片を大砲でぶっ放したり留守火縄の簡易地雷で明軍を迎撃した
本土からの大量の資材があった為に出血サービスで作戦を実行する事ができた
しかし島津史上最大火力の釣り野伏せりは明軍に通用……しなかった!!
そもそも釣り野伏せりとは敵軍が恐慌しないと成功とは言えない計略
敵の指揮崩壊がなければ寡兵を分けて大軍に勝てる道理など無い
そう、今回はあまりに明軍が多すぎて中央まで指揮崩壊しなかったのだ
そして明軍のターン、圧倒的大軍にて島津軍を泗川倭城に押し込むと
火器の本家本元の面目躍如、戦域に大量の爆薬を投入してきた
大軍だけでも島津軍を圧殺出来るのに更に大量の爆薬による火計
迎え討つ島津軍は此れに応戦出来る術などなく泗川倭城は風前の灯火となった
325人間七七四年:2010/09/30(木) 00:51:13 ID:NIFXpTbi
その時だった、明軍の火薬庫で大爆発がおこったのだ
陣僧の佐竹光明坊(※1)、若武者の瀬戸口弥七郎ら2名が明軍の火薬庫に特攻したのだ
特に瀬戸口弥七郎は明軍に斬られ射られるも爆薬壺付近に近づくと
自身にくくり着けた爆薬を引火させ自爆して果てた
明軍の爆薬庫はたちまち連鎖誘爆を起こし、軍は恐慌状態に陥った
皮肉にも大量に用意した爆薬が裏目に出てしまったのである
そして島津軍が指揮崩壊した勝機の瞬間を逃すはずがなく…
忠恒「ずいぶん待たせちまったな、俺のターンだ!(※2)」
こうして島津軍は泗川にて圧倒的寡兵による歴史的大勝を得たのだった
島津義弘は帰国すると彼らを島津家の守り神である狐に例え
若武者の瀬戸口弥七郎(享年19才)はその白糸縅の鎧より白狐の化身とし
陣僧の佐竹光明坊(生存)は赤糸縅の鎧より赤狐の化身として
稲荷神社に奉り歴代藩主はこれを氏神として信仰した
島津斉興公は京都のト部家に神階を請願までして正一位高麗稲荷大明神の神号を賜ったという
(※1 彼は軍師で別の人間が特攻した可能性あり)
(※2 この戦いの活躍で日本七柱槍の称号ゲット)
326人間七七四年:2010/09/30(木) 00:53:30 ID:hpCHniiC
自爆テロがいい話なのか・・・
327人間七七四年:2010/09/30(木) 01:07:39 ID:gQxUgFu8
特攻隊の基地は薩摩の知覧だったなぁ
328人間七七四年:2010/09/30(木) 01:26:01 ID:iWr6tVs3
圧倒的寡兵に笑ったwww
329人間七七四年:2010/09/30(木) 01:36:27 ID:zP0xYW11
何という爆弾三勇士www
日本人のメンタリティってこの頃から変わってないのか
330人間七七四年:2010/09/30(木) 02:03:13 ID:Ooq6UT6+
しっかし、撤退するためだけにとんでもないレベルの戦勝が必要になるというのが
悲しいところだ。誤った戦略の下ではどうにもならない事を示す好例の一つかも…
331人間七七四年:2010/09/30(木) 02:32:51 ID:V/fDrrzE
瀬戸口さんは死んでも爆薬を放しませんでした。
332人間七七四年:2010/09/30(木) 02:50:26 ID:cG5KsNkh
火薬庫爆破と言えば舩坂軍曹だろう
戦国じゃないけど
333人間七七四年:2010/09/30(木) 06:42:53 ID:EI8RElwL
ここは俺に任せて…ってシチュは漢なら誰しも憧れるよな
334人間七七四年:2010/09/30(木) 09:33:43 ID:qEJ3EqBM
「ここで俺が死ぬより生き残ったほうが全体のためだから代わりにお前死んで来い」っていうひとが好かれるはずもなく
335人間七七四年:2010/09/30(木) 09:36:53 ID:oWF3O8CM
天庵さんの事か…
336人間七七四年:2010/09/30(木) 09:47:53 ID:Xuar6Sc5
脳内画像が石川賢版ゲッターのムサシ特攻のイメージしか浮かばない…
337人間七七四年:2010/09/30(木) 10:15:53 ID:wL00lCxV
ふむ、つまりここ(軍神様相手の殿軍)は俺に任せてお前は宇喜多殿との酒宴に行け!といえばいいんだな
338人間七七四年:2010/09/30(木) 10:17:20 ID:iWr6tVs3
天庵さんは、そこまで我欲は強くないでしょwww
339人間七七四年:2010/09/30(木) 10:33:02 ID:wL00lCxV
   /菅\
   (;゚Д゚)   <殿ッ!!ここは篭城です、引いて守れば確実に勝てます!!
  (((φφ))    あ、あれなぜ、進撃命令が!?
   [ ̄ ̄]  ガチャガチャ

         / ̄ ̄ ̄\
       /  ─天 ─ \
      / -= =- -= =- \
      |::    (__人__)    |  全軍進撃、野戦にて憎き三楽めを討ち取るのだ
      \:::    ゙⌒"    /
      /;;.          `ヽ.
340人間七七四年:2010/09/30(木) 10:40:40 ID:g3zyRmCv
天庵様は天然だから、討ち死にした部下達も恨んでないよ










たぶん
341人間七七四年:2010/09/30(木) 13:03:23 ID:yyWXZGjT
佐藤家能
山田祐家
田中秀郷
鈴木師家
342人間七七四年:2010/09/30(木) 15:10:37 ID:SuBY0d5m
>>325
さすが忠恒さん、他人の犠牲を無駄にはしない男やでぇ……
343人間七七四年:2010/09/30(木) 20:13:45 ID:PqmzzJwF
>>340
菅エモンは本人はともかく息子達は?
344人間七七四年:2010/09/30(木) 23:47:59 ID:2xcDu0tW
大阪夏の陣でのエピソード。

道明寺の戦いと八尾・若江の戦いに勝利し、進撃を続けた徳川軍は、
平野と呼ばれるあたりで休息をとることになった。

家康本陣も前進し、このあたりで食事をすることにした。
陣のすぐそばに地蔵堂があったため、ここで飯を作ろうとかまどの火を焚いた。すると、


地蔵堂が木っ端微塵に吹き飛んだ。


実は、このあたりで家康が食事をすることを予測していた真田信繁が、退却時に
地蔵堂のかまどに地雷を仕掛けておいたのだ。

爆発に巻き込まれたと思われた家康だったが、この時たまたま厠に立っていたため難を逃れた。
この時吹き飛んだとされている地蔵の首が、今も近くの寺に残されている。

間一髪で危機を逃れた、家康の運のいい話。
345人間七七四年:2010/09/30(木) 23:50:26 ID:V/fDrrzE
なんという迂遠な作戦だw
旧日本軍の風船爆弾並みだw
346人間七七四年:2010/09/30(木) 23:50:46 ID:4jl7FgGg
天下人の運のよさはやはり違うな
三方が原の戦いでつちかった運のツキが味方したか
347人間七七四年:2010/09/30(木) 23:53:35 ID:+KJx6gGV
キスをするためかがんだら、暗殺者の弾丸がそれました。
348人間七七四年:2010/09/30(木) 23:56:21 ID:jEPqvY7S
その罠で家康をピンで狙ったっていうなら演義孔明並だなw
誰か引っかかって何か起きれば儲けって感じで仕掛けたのかね
349人間七七四年:2010/10/01(金) 00:32:24 ID:wG7QYOzZ
今日テレ朝で放送の日本史エピソダスが戦国ネタみたいだね
ここで既出のネタが多いだろうけど楽しみだ
350人間七七四年:2010/10/01(金) 01:14:04 ID:ShsJ54uY
側近は無事だったんだろうか
誰か重臣級がそばにいてもおかしくないと思うんだが
351人間七七四年:2010/10/01(金) 06:55:28 ID:rvbFoh1X
>>350
まともに考えると、んな総大将の真横で炊事なんかしないだろ。
距離があって、それでも被害が出るほどの大爆発だとするとどんな量の火薬を仕掛けたんだよ、って話になる。
逸話に整合性を求めてはならない。
352人間七七四年:2010/10/01(金) 11:39:00 ID:gOsbCT/o
爆薬仕掛けるとしたらむしろ大野治長じゃないかと思わんでもない。

毛利勝永と大野治房がそれぞれ大阪城に撤収する際、
爆薬を積めた箱を並べて炸裂させて追っ手を止めた、
って話からのイメージだけども。
353人間七七四年:2010/10/01(金) 11:48:25 ID:QkngufNZ
日本版ワルキュレーかよ
354人間七七四年:2010/10/01(金) 12:56:46 ID:iMVePJAZ
>>353
その表現は初めて見たw
355人間七七四年:2010/10/01(金) 13:05:36 ID:Y9Wkb8cD
いや、俺もヒトラー暗殺計画思い出した
あれもたまたま爆弾が机か椅子の足に遮られて難を逃れたんだよね
ジャッカルの日じゃないけどドゴールも何十回も暗殺の危険を避けてるし
356人間七七四年:2010/10/01(金) 18:01:30 ID:65PDQOhh
ナポレオンも劇場に行く途中で、爆薬を積んだ馬車が道をふさいでいたせいで、道を迂回して難を逃れたのがあったり
ルイ・フィリップも爆弾テロに会いかけて、身長2mの首相が巻き添えを食って死んでたり
357人間七七四年:2010/10/01(金) 18:19:45 ID:2n3PWEX4
::::::::        ┌─────────────── ┐
::::::::        |   信繁が失敗したようだな…    │
:::::   ┌───└───────────v───┬┘
:::::   | フフフ…奴は暗殺四天王の中でも最弱 … │
┌──└────────v──┬───────┘
| 暗殺を失敗するとは         │
| 我々の面汚しよ…          │
└────v─────────┘
  |ミ,  /  `ヽ /!    ,.──、      
  |彡/二Oニニ|ノ    /三三三!,       |!
  `,' \、、_,|/-ャ    ト `=j r=レ     /ミ !彡  
T 爪| / / ̄|/´__,ャ  |`三三‐/     |`=、|,='|  
/人 ヽ ミ='/|`:::::::/イ__ ト`ー く__,-,  、 _!_ /   
/  `ー─'" |_,.イ、 | |/、   Y  /| | | j / ミ`┴'彡\
   松永久秀     宇喜多直家   最上義光 
358人間七七四年:2010/10/01(金) 18:22:37 ID:xEkwg5kx
あんたらガチ過ぎてしゃれにならんのでネタ要員の4人目外さないでください
359人間七七四年:2010/10/01(金) 18:52:29 ID:Nf5I3NHn
暗殺四天王というか戦国暗殺ランキングは一度まとまったものを見てみたいな
実行した側と暗殺回避、残念な暗殺ランキングあたりでひとつ作れないだろうか
360人間七七四年:2010/10/01(金) 20:05:02 ID:jlmn4Vqi
真田信繁「…ミスファイア?」
361人間七七四年:2010/10/01(金) 20:07:23 ID:tJs+qKqT
>>359
面白そうだけど、実行側なんて実際、イメージとか伝説の類まで行くとねぇ…
上の三人に毛利元就が入るようなイメージ。謀殺の類を入れたら、ラスボスが
断トツだろうね。

ラスボス「ちょっとアイツ、何とかならねーかな?官の字。」
クロカン「こんな事もあろうかと、策を練っておりました。しからば…」

みたいな
362人間七七四年:2010/10/01(金) 20:08:51 ID:XMpHp95p
本当の暗殺のプロは後世に暗殺したとか噂されるようなへまはしない。



363人間七七四年:2010/10/01(金) 20:11:02 ID:65PDQOhh
公然とやる暗殺は、手打ちじゃない?悪久とか三歳様が得意な
364人間七七四年:2010/10/01(金) 20:16:25 ID:tJs+qKqT
回避側の逸話なら信長が一番多いんじゃない?
秀吉はあんまりターゲットになってないイメージ。
家康は最期が暗殺チックで、毒殺を恐れて薬マニアに
成ったって説も有るくらいだし。
365人間七七四年:2010/10/01(金) 20:22:33 ID:OT0lBooc
まぁ、難癖つけて刑死させちゃうって感じでラスボスって謀殺ってあんまりイメージはないな・・・
366人間七七四年:2010/10/01(金) 20:42:33 ID:jlmn4Vqi
>>364
悪久「家康が食べた天ぷらは魚の擦り身を揚げただけの物で
琉球料理のチギアギーを薩摩が改良して薩摩揚げとして江戸に伝えたらしいね」
政宗「いやいや、それは仙台発祥とされるジャコ天の事では?」
367人間七七四年:2010/10/01(金) 20:45:07 ID:yCQyviMv
律儀な佐竹さんが三十人以上まとめて謀殺したのを忘れないでください。
368人間七七四年:2010/10/01(金) 20:51:29 ID:tJs+qKqT
でも、この時代の毒殺って科学的根拠もないし、実際には
かなり不確実な方法だよね。致死量なんて概念の無い時代だし。
やっぱ何か理由を付けて呼び出して、本人を囲み殺すってのが
常套手段だろうな。宇喜多の弟も鎖帷子着て用心してたって話しだし。
369人間七七四年:2010/10/01(金) 20:54:07 ID:OT0lBooc
一休:いくら飲んでも死ねませんでした!!!!

まぁ、一休じゃないんだけどね
370人間七七四年:2010/10/01(金) 21:04:11 ID:HTv7FZOI
山内一豊「相撲大会に参加したい土佐の人この指とーまれ!」
371人間七七四年:2010/10/01(金) 21:11:59 ID:O7UnJUot
義姫「いいですか梵天丸。この壺の中身は附子といって、大変恐ろしい毒なのです。
けっして食べてはいけないのですよ」
(●Д゚)「母上の大事なお兄様と戦ってしまいました。お詫びにその附子を食べて
罪を償います(どうせ中身は上等な砂糖だろ・・・次郎冠者的に考えて)」
(`・ω・´)「計画通り」
372人間七七四年:2010/10/01(金) 21:20:59 ID:g5dBnx9I
信長「あいつが死んでくれると助かるなーって思ってると勝手に死んでくれるんだよね。信玄とか謙信とか」
373人間七七四年:2010/10/01(金) 21:28:02 ID:t0566sm2
義宣とか一豊とかは成敗!と言い張ることができるからなあ
信繁的な要人暗殺でいうと、やっぱり信長がらみの逸話が多いか
374人間七七四年:2010/10/01(金) 21:30:45 ID:TiMvh9J5
それを言うなら尾張統一戦
375人間七七四年:2010/10/01(金) 21:33:20 ID:g5dBnx9I
暗殺と嘘でおびき寄せてから騙し討ちするのは別物だろ
376人間七七四年:2010/10/01(金) 21:33:49 ID:OYcktZPo
ヤス「暗殺、暗殺って言われるようじゃ、人として終わっておるのう」
マサ「しかり、ところで大御所様、このごろひどい風邪が西国ではやっておるようで」
ヤス「清正とか、幸長とか輝正とか、近頃の若いもんは、養生が足りないのう」
マサ「大御所様の作られた薬を飲んでおれば良いものを」、みな拒みました故・・・・・」
ヤス「それが狙いよ。まさか毒消しと思うまいよ。ふふふふ」
マサ「大御所様の印籠には毒(消し)がとの、もっぱらの評判で、いや惜しい者どもを亡くしました」
377人間七七四年:2010/10/01(金) 21:42:50 ID:1YUlgqTZ
政宗の酒宴に招かれた後からすごく調子が悪い
378人間七七四年:2010/10/01(金) 21:56:18 ID:zq8vbZ1C
部下がお膳を交換したりするからですね
379人間七七四年:2010/10/01(金) 21:56:40 ID:OT0lBooc
かゆい
うま
380人間七七四年:2010/10/01(金) 21:58:55 ID:Mq29G1B3
黒田さんの鮭料理を食べてからすごく調子が悪い
381人間七七四年:2010/10/01(金) 22:00:38 ID:J0qrwTO9
おまいら、此処はいい話スレだw
382人間七七四年:2010/10/01(金) 22:01:39 ID:OT0lBooc
わたしの 意識も もも もたな る
383人間七七四年:2010/10/01(金) 22:50:23 ID:BrMA9QwP
元就さんはその辺、やったんじゃないか、やったんじゃないか、と言われながら証拠はつかませてないよね。
あと、誅殺したりするときにも、「なぜ殺さなくてはいけなかったのか」しっかり記録に残して、大義名分は自分にあると示している。

この辺、幕末の長州藩士のやり口にそのまま受け継がれてるような気がするな。
384人間七七四年:2010/10/02(土) 00:08:29 ID:4dqd/2JO
毛利元就、松永久秀、宇喜多直家、最上義光 
「あいつが死んでくれると助かるなーって思ってると勝手に死んでくれるんだよね。」
385人間七七四年:2010/10/02(土) 00:23:10 ID:5QbqenV7
伊達某「弟が邪魔だなと常々思ってたいたのですが、このスレを見ていたらどうやら伯父上がなにかやったようですね」
386人間七七四年:2010/10/02(土) 00:24:36 ID:xkpMBmpD
でも松永さんとか、実際どれだけ暗殺したか考察するとそんなでもないとか
合戦でいっぱい死ぬよりマシ、という考え方もありだ
387人間七七四年:2010/10/02(土) 01:23:40 ID:clnkx9Wz
東西南北で決めればいいんじゃない>暗殺四天王

北=関東東北
東=中部甲信越
西=近畿中国(東半分)
南=中国(西半分)四国九州

で。
388人間七七四年:2010/10/02(土) 01:28:50 ID:2VNms0HQ
確か義光もそんなに暗殺してないんだよな
敵の内部を混乱させることは得意だったみたいだけど
個人的に謀殺といえば松前氏
389人間七七四年:2010/10/02(土) 06:47:57 ID:rHWAJ5IN
松前は戦国時代・江戸時代を通して評判が悪いからよっぽどだろうな
そういう藩風を作った祖先がいるわけで
390人間七七四年:2010/10/02(土) 07:13:52 ID:0Weety+r
>>387
じゃあ中央は、石田三成(濡れ衣)で
391人間七七四年:2010/10/02(土) 09:40:30 ID:OvfGDIy3
北の横綱は大関さんでw
392人間七七四年:2010/10/02(土) 10:07:31 ID:mcqosblU
そういえばいい人で有名な山名豊国も暗殺経験があるんだよな
393人間七七四年:2010/10/02(土) 10:28:59 ID:w13yJNxh
子安観音像と稚児岩

昔々、森長可の家来で加藤彦右衛門という人が駄知に来て暮らしていたそうな。
この夫婦には子供がいなかったので、森長可にもらった観音様に一心にお祈りして過ごしておった。

ある夜、その観音様が夢に出てきて「ここの西南の山上に池がある、私をそこに安置すれば子供を授けよう」とお告げがあった。
夫婦は喜んですぐに観音様を捧げにやってくると、滝が洞と呼ばれる場所で不思議なことに観音様がピタリと動かなくなりそこに観音様を安置した。

それから夫婦は毎日お祈りしていると、ある日急に空がかき曇り恐ろしいほどの夕立ちになった。
その時谷底から『おぎゃあ、おぎゃあ』と赤ん坊の声が聞こえてくる、びっくりした夫婦は岩間を下っていくと
谷底には大きな岩があるだけで赤ん坊の声も止んだそうな。
暫くして夫婦には玉のような子供が授かり、それ以来この岩を稚児岩と呼ぶようになったということだそうな。
めでたしめでたし。

なお岐阜県土岐市駄知町滝ケ洞にはその子安観音像と
市の天然記念物となった稚児岩が今でもあるので見に行ってみるのもいいかもしれません。
394人間七七四年:2010/10/02(土) 10:39:01 ID:CM7Ms4Dc
その時谷底から『ヒャッハー!、ヒャッハー!』と・・・
395人間七七四年:2010/10/02(土) 10:46:52 ID:cX7UD6cm
>森長可にもらった観音様

鬼武蔵が部下に観音像をあげるところが想像できんw
396人間七七四年:2010/10/02(土) 10:48:53 ID:0bme+/ia
>>394節子、それ観音は観音でも官能や
>>395節子、それ観音は観音でもkanon砲や
397人間七七四年:2010/10/02(土) 11:06:51 ID:V0XspFH5
あれ、変だな……
鬼武蔵関連の話なのに死者が出てないぞ?
398人間七七四年:2010/10/02(土) 11:07:26 ID:Wwlq0/Du
鬼武蔵がどうやって観音様を手に入れたのか想像してみろ
399人間七七四年:2010/10/02(土) 11:19:05 ID:VDAyUinF
その話を聞いた鬼武蔵は「よし!おれがその観音を退治してくれる」と言って...
と続いてない!?
400人間七七四年:2010/10/02(土) 11:28:12 ID:aITsItpb
森武蔵でいい話?ということに不信をいだいて、ググってみたらこんなサイトが
ttp://www.geocities.jp/ukikimaru/ran/ranmaru/tounou.htm
上記の話の紹介に続き
"また、別の話に、彦右衛門を兄の仇と知った妻が彼を殺してしまうというものもある。
その後、産まれた子がこの岩で遊んでいて転落死したので「稚児岩」と言ったともいう。"

・・・こっちが正解だな。森武蔵的に考えて
401人間七七四年:2010/10/02(土) 12:01:22 ID:McvgxLqt
観音様から授かった子供なのに最後に転落死って・・・
まんが日本昔ばなしでやったら苦情がくるわwww
402人間七七四年:2010/10/02(土) 12:49:32 ID:w13yJNxh
>>400
知ってはいたが、いい話の方を採用してみた。
後この稚児岩は推定重量が13tで一説によると武蔵坊弁慶がわざわざ持ってきたとか…
403人間七七四年:2010/10/02(土) 13:22:36 ID:V0XspFH5
>>402
駄目じゃないか、鬼武蔵の関わる話でいい話の方を採用しちゃあw
404人間七七四年:2010/10/02(土) 13:32:03 ID:w13yJNxh
>>403
むしろこういうリアクションを望んでいたんだw
405人間七七四年:2010/10/02(土) 14:31:41 ID:lnYRLqnQ
鬼武蔵にもわりといい話あるよ
橋番のうち幼子のいる1人は殺さないであげた(半殺しで済ませた)…とか
406人間七七四年:2010/10/02(土) 14:45:45 ID:nF2opseC
>>405
さしもの鬼武蔵も幼子には弱い…てことか。
ねじり切っちまいそうだが。
407人間七七四年:2010/10/02(土) 14:53:33 ID:McvgxLqt
そんな鬼武蔵も娘の将来を案じて結婚相手は医者にするよう遺言
408人間七七四年:2010/10/02(土) 17:02:03 ID:GMgWa4Ld
外に厳しく身内に甘いってのはヤクザの(ry
409人間七七四年:2010/10/02(土) 17:21:58 ID:isWGfuoz
>>368
遅レスでゴメ。しかしこれだけは言いたい。
『致死量』って概念、戦国時代にだってちゃんとあるぞ。
本邦において古くは天平の昔から権力の周辺では毒殺が付き物なんだから、
科学的根拠どころか死んだっていう実績がバッチリある。
(何をどんだけどうしたらってあたりのノウハウは専門家が秘匿継承しがちだけど)
当時の忍びなんか薬(=毒)について研究してて必須教養だし。

近代以前でもちゃんと科学してます。昔を舐めちゃいけやせんぜ〜。
410人間七七四年:2010/10/02(土) 21:03:46 ID:4G9gYVJB
その子供、成長したら武蔵の再来と呼ばれるほどのヒャッハーになるんじゃ…
411人間七七四年:2010/10/02(土) 22:58:41 ID:5FYquMoc
>>396
長可「ボクの事、忘れて下さい」
412人間七七四年:2010/10/02(土) 23:09:02 ID:aITsItpb
>>411
そのカノンじゃねえw
謙信「四十九年 一睡の夢」
信長「人生五十年 化転のうちにくらぶれば 夢幻の如くなり」
光秀「五十五年の夢 覚めくれば一元に帰す」
秀吉「難波のことは夢のまた夢」
家康「浮世の夢は 暁の空」
鬼武蔵「夢、夢をみている」

あまり違和感はないか
413人間七七四年:2010/10/02(土) 23:14:25 ID:nk2k5FaC
>>407
立場とかで物理的に打撃を与えられないヤツを薬殺するために
医者を抱えこみたかったと考えてしまうのは毒されすぎなんだろうか?w
414人間七七四年:2010/10/02(土) 23:46:32 ID:anEMn6Cn
しかし鬼武蔵も数百年後に電子掲示板で自分のことを噂されるとは思わなかっただろうな
415人間七七四年:2010/10/02(土) 23:53:30 ID:OvfGDIy3
四百年後の未来でまで武勇を語られるのは武門の誉れw
416人間七七四年:2010/10/02(土) 23:53:47 ID:8qQCR0pb
>>407
そうそう、身内に医者がいるとヤバイあの薬も簡単に入手・・・
っておいw

人質同然な政略結婚が当然の戦国時代に娘の幸せを願ったいいい話なのに
ひどい言われようだw
417人間七七四年:2010/10/03(日) 00:29:40 ID:DOKnMM4F
むしろ鬼武蔵はいい話があるほうが恥だから。
418人間七七四年:2010/10/03(日) 00:50:53 ID:jpPPTztP
>>415
蛮勇じゃなくて?
419人間七七四年:2010/10/03(日) 06:29:22 ID:rDWF7/Cl
つか当時のひとも長可さんのことをこんな感じで噂してたりしてw
400年後の未来にさらにネタ化した鬼武蔵ががが
420人間七七四年:2010/10/03(日) 06:32:52 ID:2/reILwL
そのうちご当地のゆるキャラになったり萌美少女化されたり
挙句の果てには男の娘化したりされるんですねわかります
421人間七七四年:2010/10/03(日) 06:41:33 ID:rDWF7/Cl
ああ戦国ランスが歴史教科書になる日もあるかもな
422人間七七四年:2010/10/03(日) 07:42:17 ID:1Xhm9hOd
鬼武蔵「く くやしい でも感じちゃう!」
423人間七七四年:2010/10/03(日) 10:20:47 ID:mTXqrpKo
ビクンビクン!
424人間七七四年:2010/10/03(日) 18:45:35 ID:gqMYrL3k
いつもまとめサイト見てる者だけど、戦国浪漫南奥羽戦国記っていう福島のガイドブックに工場長のことが書かれてたwww


捨てる君主あれば拾う君主あり
蒲生氏郷
リストラされた武将を引き受け活躍させるエピソードが多く、プロ野球の「野村再生工場」をもじって「工場長」と呼ばれている。

鮭様のことも書いてあったwww
425人間七七四年:2010/10/03(日) 19:01:15 ID:NG8YTqy5
>>424
No2で力をふるう野心家をめざす

直江兼続

一部の家臣からは上杉を私物化している、「関が原」は直江と
「石田三成」の共謀とヤッカミをうけている。「毘沙門天」に仕える
夜叉、羅刹天のように、敵や農民を撫で斬りするなど

ボロクソ言われてて吹いたw

426人間七七四年:2010/10/03(日) 20:13:43 ID:nt7Bj7ku
DQNつながりで政宗の逸話を
短いけど

政宗は数え13歳で結婚した
嫁の愛姫は12歳(11歳だったかな・・・?)

幼くして輿入れした愛姫を政宗は憐れに思い、
愛姫に朱塗りのおままごと道具「御姫様御膳」を贈ったという


大河にこんなシーンあったが、逸話として残ってるらしい
DQN覚醒前のまーくんの話



427人間七七四年:2010/10/03(日) 20:15:43 ID:eZgozsAn
嫁にものを贈っただけで美談になるってある意味パネェなw
428人間七七四年:2010/10/03(日) 20:57:46 ID:LTvYY1Ck
政宗はママンへの仕送りをケチっても、めごサンへの衣装代は出したそうですし
429人間七七四年:2010/10/03(日) 21:01:23 ID:eZgozsAn
まーくんって確か朝鮮出兵のとき、いい歳こいてママンからお小遣いもらってたよなー
ママンかわいそすw
430人間七七四年:2010/10/03(日) 21:06:42 ID:mTXqrpKo
>>427
初々しい少年が少女に贈り物すんだぞ萌えるだろうが
431人間七七四年:2010/10/03(日) 21:10:44 ID:DX1iwron
初々しい・・・・?
432人間七七四年:2010/10/03(日) 21:36:42 ID:UX+jSbfS
あの偉い発明家も凶悪な犯罪者も
みんなむかし子供だってね
433人間七七四年:2010/10/03(日) 21:45:01 ID:QG3Me50q
13歳と12歳なら普通の結婚だけど、
前田利家って19歳で11歳のまつと結婚したんだよな

しかも、まつが結婚の翌年に長女を産んでることから、
結婚当初からやりまくりだった事が分かる
434人間七七四年:2010/10/03(日) 21:57:12 ID:oiOM3OaH
小早川隆景と問田の大方もなかなかだな
1533年生まれの隆景が数え年で19歳、
問田の大方はオヤジの没年(〜1543)と兄貴の年齢(1542〜)から考えて
1543年生まれだと仮定すると数え年9歳の時に結婚している

まあこっちはヤリまくってないようだが
435人間七七四年:2010/10/03(日) 23:21:08 ID:y/QFV79L
太閤殿下の面前であられるぞ
436人間七七四年:2010/10/03(日) 23:31:37 ID:WqkRDT2z
そりゃ小早川さんとかは「自分が死んで家が絶えても宗家さえ無事ならOK」だしな。
逆に「俺は立身してやるぜ」とか「俺跡継ぎだし」って野望っ気マンマンなら
子作りは徹底的にするだろうさ。
437人間七七四年:2010/10/04(月) 00:03:29 ID:xkjTaEmC
>>433
政宗と愛姫は幼すぎて仮祝言だったのにな
お江とかも若くして出産してるけど、誰か仮祝言にして待ってやりゃいいのに
438人間七七四年:2010/10/04(月) 00:08:03 ID:ZV7xX7bM
初潮がきていれば完遂できたんだよ、昔の結婚は。
まつは早くて愛姫は遅かったんだろ(政宗側の都合かもだが)
439人間七七四年:2010/10/04(月) 00:15:00 ID:A2vulWwx
兼続「義を母に、愛を妻に持ちながら、なぜこんなクズとなったのか
私には理解出来ない」
440人間七七四年:2010/10/04(月) 00:20:03 ID:cgm2U+uR
>>439
閻魔様に聞いて来い
441人間七七四年:2010/10/04(月) 00:20:19 ID:ZV7xX7bM
(`・ω・´)「伊達の血だ!」
442人間七七四年:2010/10/04(月) 00:23:51 ID:ATNtcmG/
隆慶一郎センセによれば、幼くして結婚してもすぐにヤル訳じゃなく、
ある程度夫婦になるまでの期間を設けるのが普通らしい。

そんなことを言ってる横で、10歳で結婚させられた幼女を毎日レイープする
小説を書いてるセンセの話だからあんまり信用ないけどw
443人間七七四年:2010/10/04(月) 00:31:51 ID:GNnugTJH
>>442
隆氏の小説って子供の扱いひどいよねw
生まれても全然親に喜んでもらえなかったり、
ぶん殴られ、捨てられ、レ〇プされ・・・
444人間七七四年:2010/10/04(月) 00:39:36 ID:X29dxj0t
初産で命を落とす場合もあるのでね・・・
まつの場合は無事だったから別にいいけどさ
445人間七七四年:2010/10/04(月) 00:45:52 ID:tZvoz2MA
隆慶一郎と峰隆一郎を間違えて買ったことを思い出したwww
446人間七七四年:2010/10/04(月) 00:58:16 ID:/39qa8GE
>>445
古本屋とかだと結構ごちゃごちゃにされてるからな。
それも仕方ない。
447人間七七四年:2010/10/04(月) 00:58:56 ID:tTKgzRWv
>>444
無事どころかまつは子ども11人も産んだってのに70歳まで生きたんだぜ・・・
珠姫は子ども8人産んで24歳で死んだけどむしろそれが普通だよ

結論:まつ様は超人
448人間七七四年:2010/10/04(月) 01:00:14 ID:jRuQwq40
>>426
可愛いらしいな
細川夫妻のかるたの贈り物もまたすてきだったなぁ
449人間七七四年:2010/10/04(月) 01:20:43 ID:xkjTaEmC
>>439
ワロタwそういや政宗って義と愛の武将だなww


十代前半で出産も大したもんだが、愛姫みたく四十代で出産も当時じゃえらいことだよな
昔の女性達は凄いなあ
450人間七七四年:2010/10/04(月) 01:26:29 ID:dpwkz2U7
秀吉「そう考えるとワシは女運が悪いの。茶々だけじゃわい。」
451人間七七四年:2010/10/04(月) 03:36:41 ID:8sWTtBvE
>>432
イエモン乙

隣国でお城が墜ちました うちの間者は嬉しそうに
「戦死者に当方の者はいませんですた!いませんですた!いませんですた!」
452人間七七四年:2010/10/04(月) 06:35:53 ID:RrJ8UELm
いまさらだけどノブヤボ天道の武将紹介の二ページ目についにお兄ちゃん達が。
http://www.gamecity.ne.jp/tendou/win/
453人間七七四年:2010/10/04(月) 08:58:16 ID:Olo9IGz5
>>452
お兄ちゃん達より右下でやたらとオーラを放ってる人に目が行った
メンツ的にも浮いてるし存在感ありすぎる
454人間七七四年:2010/10/04(月) 14:01:43 ID:YsrfZrf8
>>439
黙wれww
455人間七七四年:2010/10/04(月) 15:40:08 ID:AiXvbKM1
>>454
兼続「・・・と殿が言っています」
456人間七七四年:2010/10/04(月) 18:27:40 ID:4hcuX5yG
>>454
島津忠恒
家督を継ぐまでは遊蕩にふける生活を送り、父から行状をたしなめられたほどであったが、当主となってからは性格を一変させた。

えっ
457456:2010/10/04(月) 18:29:47 ID:4hcuX5yG
安価ミスったorz
×>>454
>>453
458人間七七四年:2010/10/04(月) 19:27:36 ID:uOQk2bZI
戦国時代の軍略にもそれなりに詳しいオレだが
実生活では彼女いない歴21年の童貞大学生。orz

去年のクリスマスも桶狭間をやって見事に撃沈。
なんか良い方法はないだろうか?

459人間七七四年:2010/10/04(月) 19:31:26 ID:ARa4Kn9w
スレ違い死ねカス
460人間七七四年:2010/10/04(月) 19:37:33 ID:GNnugTJH
>>458
女にアドバイスもらえ。
もてたいなら戦国板なんて見るな
461人間七七四年:2010/10/04(月) 19:42:32 ID:f+nMoPI7
>>458
>戦国時代の軍略にもそれなりに詳しいオレだが

すごい馬謖とか趙括の臭いがするw
まあ女ごときにもてない奴は仕事も出来ないし何してもダメだろ
462人間七七四年:2010/10/04(月) 19:44:11 ID:JIeHt6oS
そこで、男ですよw
463人間七七四年:2010/10/04(月) 19:47:38 ID:bpasrznO
これ以上スレ違いの話題引っ張るなよ
女にもてない話なんて戦国とは全然関係ない。
それ専用の板もあるしそっちへ行け
464人間七七四年:2010/10/04(月) 21:46:12 ID:P+mcFrK/
>>456
一転させたら悪家久じゃねえ!
465人間七七四年:2010/10/05(火) 00:03:50 ID:NYw6AFyQ
豊臣秀吉の九州征伐、日向戦線はとにかく極端な兵糧部速に見舞われていた。
そこに豊臣秀長が兵糧を持って合流したものの、諸侯の足元を見て高値で売るという商売を始めたため
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4695.html
このような事件も起こる始末であった。

さて上記の事件の2,3日後のことである。毛利家の兵糧船2,3隻が、日向に到着した。
これにより大量の兵糧が補充できた毛利輝元は、日向陣全体に向けてこのように言った

「我らのところに多くの兵糧が到着しました。
もし、諸将の中に兵糧が必要という方がありましたら、これをお貸しすることが出来ます。
この兵糧は九州役の終わったあと、京都においてお返しいただければそれで構いません。
今回届いた兵糧のうち、5割をこれに当てるつもりです。ご入用の方はどうぞ申請してください。」

多くの諸将は未だ兵糧が乏しかったため、これを聞くと、日向陣のほとんどの諸侯が輝元より
兵糧を借りた。


間もなく九州役が終わり、諸将が聚楽に集まった。


輝元に兵糧を借りた諸侯は皆彼のもとに集まって、これを返そうとした。
ところが輝元

「あの兵糧は今日このように、戦が終わり皆様が無事に集まれたことへの、祝いの贈り物だと思ってください。」

そう言って彼らの用意した米を一粒足りとも受け取らなかった、とのことである。


毛利輝元、貸した兵糧を受け取らず、と言うお話。
466人間七七四年:2010/10/05(火) 00:08:44 ID:D3Tu7YFP
>>465
慈善活動やで
467人間七七四年:2010/10/05(火) 00:11:01 ID:zOl6lafX
( ゚д゚) ・・・
 
(つд⊂)ゴシゴシ
 
(;゚д゚) ・・・
 
(つд⊂)ゴシゴシゴシ
  _, ._
(;゚ Д゚) …!?
468人間七七四年:2010/10/05(火) 00:22:46 ID:v0v91QyX
輝元って決して悪い奴ではないんだが戦国大名として何かが欠けてるよなw
469人間七七四年:2010/10/05(火) 00:28:32 ID:B1E4jIcr
だから世が定まってから後の内政面での手腕は良かったという話も聞くよね
470人間七七四年:2010/10/05(火) 00:32:11 ID:wYrV55Ju
きっぷがいいとはこういう事か。
471人間七七四年:2010/10/05(火) 00:35:20 ID:ymuLqkzo
厳しく育てられた割りには、良いところのお坊ちゃんって感じなんだよなw
内政では結構な手腕を持ってたし、決して無能ではないんだけど、
剛胆さとか腹黒さとかいった野太い物が足りない。

やっぱ、二代目お約束の家督相続紛争を経験してないのが原因なのかな?
472人間七七四年:2010/10/05(火) 00:37:53 ID:uj9yzvMX
信用を買ったと思えば安いもんだ
お陰で生き延びたわww
473人間七七四年:2010/10/05(火) 01:40:04 ID:oRBcaJSH
>>471
どっかの婿養子さんもいいところのお坊ちゃんだけど
戦も滅茶苦茶強いし内政も特に失敗はないけど潔癖で不器用だよな
ああこれも周りの信用信頼で復活したっけ
474人間七七四年:2010/10/05(火) 01:40:51 ID:EiW+v79n
TERU△
475人間七七四年:2010/10/05(火) 01:52:56 ID:pQ9TxKh9
おかしいな、やってることは前田利家とか徳川家康と同じことなのに、
出てくる評価や感想がこんなに違うw
476人間七七四年:2010/10/05(火) 01:58:21 ID:v0v91QyX
家康や利家がやる→さすが歴戦の武将だけあって気が利く
輝元がやる→お人好しすぎるけど大丈夫かこいつ…
477人間七七四年:2010/10/05(火) 02:01:58 ID:Y1cMcW/p
将来どうやってこの布石を生かして勢力を拡大するか
ちゃんと考えてる人とそうでない人の差。
478人間七七四年:2010/10/05(火) 02:02:05 ID:GqHWdv7p
家康は相手がピンチのときに肩代わりしたりチャラにする
今回の輝は単に気前が良いだけ
479人間七七四年:2010/10/05(火) 02:21:01 ID:ymuLqkzo
まあ、貸した時点で文字通り充分な貸しを作っているわけで、
余裕が出来て返しに来たのを断るのはちょっと蛇足だよね。
480人間七七四年:2010/10/05(火) 02:28:21 ID:nXeP+DfN
元就「受け取るつもりが無いなら最初から貸すとか言わずにあげろ。返しに来たのに受け取らなかったら相手の面目を潰す事となる」
481人間七七四年:2010/10/05(火) 02:41:09 ID:EiW+v79n
あげるより貸すのほうが相手は貰いやすいんじゃね
482人間七七四年:2010/10/05(火) 03:23:59 ID:8xlE4gD6
輝元「これが俺の全国デビューだお!」
483人間七七四年:2010/10/05(火) 05:13:38 ID:hGTeJX/r
>>481
そうだよね。物をあげるって取り様によっちゃ、「恵んでやるよ貧乏人ども」って
感じに受け取られる事もあるし、「豊臣家の力ではなく、毛利輝元のお蔭で
勝てたんだ」って風評を、「貸し」を作って抑えたかったのかもね。
484人間七七四年:2010/10/05(火) 06:22:29 ID:279POZxr
それじゃどれだけ輝さんがその貸しを回収できたかだけど、
日向表陣立の武将のすべてが輝さんから兵糧をもらったとして、

西軍についた人達…○ 東軍についた人達…×
黒田孝高 ×
蜂須賀家政 ×
宇喜多秀家 ○
亀井茲矩 ×
木下重堅 ○
小早川秀秋 ××
筒井定次 ○
溝口秀勝 ×
森忠政 ×
大友義統 ○
脇坂安治 △
加藤嘉明 ×
九鬼嘉隆 ○

…5/13。もちろんものすごく端的な指標にすぎないし、
兵糧をもらったぐらいで輝さんに味方するほど戦国時代は甘くはないのは承知してるけど
それでも肝心な所でその借りを活かせてるとは言いがたくないですか…
485人間七七四年:2010/10/05(火) 06:54:55 ID:AQWO5aIn
>>484

黒田長政「今度の戦は君側の奸、三成を成敗するもので、秀頼公や輝元殿に恨みはございません。
早々に大坂城から退去し、内府殿に敵意の無い事を示されるのが良いでしょう」

輝「(こいつの親父には貸しがあるお、悪いようにはしないだろ)そなたの言う通りにいたそう」
486人間七七四年:2010/10/05(火) 07:01:04 ID:hGTeJX/r
>>484
いくら「貸し」って言っても、家を潰してまで返すほどの「貸し」
とは言えないと思う。実際皆、戦後に返そうとしてるんだし、
そんな時に「あの時の貸しを返せ」って言っても野暮な話だろう。
487人間七七四年:2010/10/05(火) 07:11:09 ID:279POZxr
>>486
もちろんそれは重々承知してるんだけど、家康なら
これを機にさらに恩を着せるなり借りを作るなり婚姻関係を結ぶなりして
完全に自陣営に引き込んでたんじゃないかという気がしてさ。

単に気がするだけで、具体例はもっと歴史に詳しい人に任せるけどw
488人間七七四年:2010/10/05(火) 07:13:32 ID:WxHTVkVd
関ヶ原はテルの戦じゃないだろ?
489人間七七四年:2010/10/05(火) 07:15:59 ID:z9MlIy5D
>>487
豊臣政権下で大大名同士の婚姻外交をしろと?

>>488
だな。いちおう盟主になったとはいえ。
基本的に宇喜多秀家と石田三成だからなぁ。
490人間七七四年:2010/10/05(火) 07:16:13 ID:QR7VU+IQ
いい話も深読みして
悪い方に取り上げるんじゃどうにもならんな
491人間七七四年:2010/10/05(火) 07:23:03 ID:iz55H+Ev
TERUさんは、「いい人」で終わるタイプですから^^
492人間七七四年:2010/10/05(火) 08:50:09 ID:ir/F31+x
でも、"いい人"であることも一つの長所。

内政手腕もきちんとしていたというし、乱世向きの人材じゃなかったのかもね。
江戸中期とかだと、存外名君として采配していたかもしれない。
「いえいえ、皆さんを助けたかっただけなんです」ってニコニコしてる輝元さんは心が落ち着くじゃない。
某叔父どもにあんだけしごかれても、そういう人間的な優しさが抜けなかったと考えると、逸材かもしれないよ。

戦国時代に活躍するには、"いい人"ではいけないんだけどさ……
493人間七七四年:2010/10/05(火) 09:09:39 ID:279POZxr
>>492
杉元宣、熊谷元直、天野元信、内藤元珍、粟屋元豊が何か言いたそうです
494人間七七四年:2010/10/05(火) 09:11:28 ID:CFrwqZCa
本当にいい人なら正月にアホな行事を始めたりしないw
495人間七七四年:2010/10/05(火) 09:28:38 ID:N8MNeaRc
>遊蕩にふける生活を送り、父から行状をたしなめられたほどであったが、当主となってからは性格を一変させた。

一変して残忍になったのですね
496人間七七四年:2010/10/05(火) 09:52:13 ID:8WjpkSlv
>>487
元就の蒔いた種が多いから一族が多く見えるけど
実際九州征伐の辺りの毛利輝元・吉川元長・小早川隆景には
全員子供がいなくて養子もらってくるような状況だったから、
他家に政略結婚させられるような子は少なかったと思うよ

結局元長や隆景は生涯子供を持てなかったし、
テルちゃんだって寝取らなかったらどうなってたか分からん
497人間七七四年:2010/10/05(火) 10:06:34 ID:FI0gEAGf
そもそも減封後にやったのはただのいい人に出来る政治じゃないよ
498人間七七四年:2010/10/05(火) 10:08:47 ID:279POZxr
>>489
>>496
小松姫の例を見れば実の娘である必要もなかったと思うんだ。
まあ政略結婚は一例であって、何が言いたかったかというと
TELはここまで他大名には愛想を振りまいておきながら
親毛利派の大名をつくる努力はあまりしてなかったんじゃないかということ。
499人間七七四年:2010/10/05(火) 10:35:55 ID:GJjFTZLa
いつまで続けんの?
500人間七七四年:2010/10/05(火) 11:08:31 ID:t4W4JsRv
予想外に輝のいい逸話が出てしまったのでみんな戸惑ってるんだよ
501人間七七四年:2010/10/05(火) 17:49:26 ID:SU8lMau0
輝の行った事で評価出来るのは、本拠地を吉田郡山から広島に移して今日の広島発展の基礎を築いた事くらいしか無い
502吉見広長:2010/10/05(火) 18:17:26 ID:rwmnph/z
>>493
あ、ああの・・僕の名前が見当たらないのですがが
503人間七七四年:2010/10/05(火) 18:23:28 ID:v3aJbc2V
1609年(慶長14年)、島津氏は琉球へと侵攻した。
この時琉球側の中心となったのが謝名親方利山(じゃな うぇえかた りざん)である。

謝名親方は明よりの帰化人の子孫として那覇近くの久米村に生まれ
官費生として明への留学を果たした後、王の補佐官である三司官の一人となった。

島津氏の琉球侵攻に際し、琉球軍は精一杯の抵抗を示した。
謝名親方も自ら兵を率い、海上より那覇へと迫った島津軍を一度は撃退し
その後故郷久米村の三重城への立てこもり、三日三晩戦い抜いた。

しかし長く平和が続いた琉球の軍は
戦国の世で鍛えられ、最新の鉄砲を装備した島津軍に敵わず
尚寧王が和睦を申し入れて首里城は開城した。

この後王や三司官ら琉球王国の高官たちは薩摩に連行され
琉球統治に関する起請文に署名するように求められた。

他の高官たちが次々と署名していく中
「自由なくして生きるかい無し」とただ一人突っぱねたのが謝名親方であった。

島津氏は謝名親方を釜茹でにして処刑することとした。
処刑のとき謝名親方は脇にいた二人の刑吏の髻を掴むと
自ら煮えたぎる釜に身を投じた。
これに感動した尚寧王は、釜の中でぐるぐると絡まりあった三つの亡骸から
尚氏の家紋を「左三つ巴(ヒジャイグムン)」としたという。
504人間七七四年:2010/10/05(火) 18:28:55 ID:ARCNXVlR
>>503
撃退したのはあくまでも別働隊で、島津の主力はあっさりと運天港から上陸して、ほとんどなんの抵抗もないまま首里にまで迫ってしまった。なぜなら、
島津勢の上陸地点は那覇港のみと判断して、琉球軍の全兵力(2000人)を那覇と首里に集結させていたため・・・というと悪い話になるな
505人間七七四年:2010/10/05(火) 18:29:00 ID:Y1cMcW/p
いかにも琉球人の願望が作った逸話だな。
506人間七七四年:2010/10/05(火) 18:29:06 ID:QCqwVLbZ
どの辺がいい話?
507人間七七四年:2010/10/05(火) 18:45:29 ID:lmyC8c4t
もし悪久がいなかったら、沖縄は完全に中国領だったね。
政宗とか三歳がいなくても現在の日本に大して影響無かったけど
悪久が存在しなかったら歴史は大きく違ってた
508人間七七四年:2010/10/05(火) 18:53:44 ID:ARCNXVlR
>>507
ただ悪久は「首里で籠城された場合には、速やかに撤退しろ」とも命令を出してたんで、場合によっちゃ悪久が居ても
どうしようもなかった可能性もあったけどね。結果はご存じのとおりですが
509人間七七四年:2010/10/05(火) 19:01:55 ID:qaIgK9BW
歴史は偶然と必然の積み重ねだけど、
琉球の日本化は必然だと思う
誰が薩摩藩主でも琉球には攻めて行ったのではないか
510小田氏治:2010/10/05(火) 19:06:39 ID:pAiJvfLZ
速やかに琉球を併合する!
511人間七七四年:2010/10/05(火) 19:15:16 ID:ARCNXVlR
でもまあ、沖縄本島は頑張った方なんだよ

奄美大島・・・要塞の門を手筒で破壊されて、ビビッてしまいあっさり降伏
喜界島・・・攻撃ルートにする予定もなかったけど、勝手に降伏
沖永良部島・・・周囲をサンゴ礁に囲まれた天然の要害なため、大型船が接近できないから負けないと思ってたら、高波に乗ってあっさり上陸
          即座に降伏

それに比べたら、まだ頑張った方かと。徳之島?聞かないで
512人間七七四年:2010/10/05(火) 19:32:34 ID:MTn8HmrH
亀井さんがアップをはじめました
513人間七七四年:2010/10/05(火) 20:21:46 ID:LoZun9NJ
>>503
なんとなく眉間尺の焼き直しの気が

てきとうあらすじ
戦国時代、楚王が名刀匠の莫耶に命じて刀を作らせた。
莫耶は一組の刀をつくりあげたが、片方の刀のみを楚王に献上し、もう一振りは妻の干将に
預けた。それを知った楚王は莫耶を殺し、片割れを求めたが、干将は莫耶の子を宿したまま逃亡。
やがて干将莫耶の子供は、眉の間が一尺もあるほどの巨人に成長したため「眉間尺」と呼ばれた。
眉間尺は父の仇、楚王を討とうとしたがこれを知った楚王は眉間尺に懸賞金をかけた。
逃亡している眉間尺のもとに旅人が現れ、言った。
「お前の首を渡せ。そうすれば代わりに私が仇討をする」
眉間尺は快く自刎し、旅人は眉間尺の首を持って王のもとへ出向いた。
喜んだ王は沸騰した鍋の中に眉間尺の首を入れたが、なぜか煮崩れしないままであった。
不審に思った王が鍋を覗いた瞬間、旅人は王の首をはね、首を鍋に落とした。
王の側近も慌てて旅人の首をはねたため、鍋は眉間尺、王、旅人の三つの首が入ることとなった。
結果、鍋からはぼろぼろとなった三つの首が出てきたが、どれが王の首か判断できなかったため、
三つの首を王墓に葬ることとなり、眉間尺の復讐はなった。

いろいろツッコみたいし、この話も荊軻・樊於期・始皇帝の焼き直しの気がするが気にしない。
514人間七七四年:2010/10/05(火) 23:22:23 ID:CITQ/8+r
悪久本人はそこに弱そうな獲物がいたから本能のままに狩ったまでで
後世に与える影響なんか考えてなかったろ

ヘンリー8世が離婚したいという理由で国教会始めたけど、後世に宗教改革として
扱われてるようなもんだ
515人間七七四年:2010/10/05(火) 23:30:45 ID:dS6Xp7vh
>>511
>徳之島?聞かないで
どうして肝心のそこを飛ばすw
516人間七七四年:2010/10/05(火) 23:34:32 ID:NiXaZ5ex
琉球の風で奄美だったかの戦闘で、住民が熱湯を島津兵にかけてるシーンを思いだした
この大河で琉球について興味持ったんだよな。今キャスト見直してみたらさりげなく謝名親方いたわ
江守徹が演じてたとは知らなかった
517人間七七四年:2010/10/06(水) 02:40:53 ID:8W7NgoPN
琉球の風ってフィクションじゃ無かったのか?w
琉球の風は完全にNHK大河の黒歴史だろw

その後の炎立つは名作だったが琉球の風が糞過ぎたので補正
がかかってったのかもしれん
518人間七七四年:2010/10/06(水) 02:51:40 ID:IJWwayCD
日本人は他民族を殺さなすぎた。もっと開き直るくらい殺しまくってれば、こんなに罪悪感を感じずに済んだんだ。
519人間七七四年:2010/10/06(水) 02:53:38 ID:/sPbZNFN
子供心に琉球の風に出てたショー・ケイン親子のカンフーに燃えましたw
520人間七七四年:2010/10/06(水) 03:38:18 ID:dEfHcacY
茶屋四郎次郎に手篭めにされる主人公の弟の彼女のシーンだけ
なぜか鮮明に覚えてる…
521人間七七四年:2010/10/06(水) 03:59:09 ID:+glMIP8e
>>518
文禄・慶長の役…
多くの朝鮮人がゲリラ化していたため、日本における一揆衆と同じ扱いで
殺されまくり。

まあ、朝鮮人儒学者の姜が「生を好み、死を憎むのは人も生き物も
同じくするであろうに、日本人だけが死を楽しみとし、生を憎むのは、
一体どうしてなのか」なんて日本兵に問いかけるぐらいに、日本兵自身の
命も粗末にしてたわけだけど。
522人間七七四年:2010/10/06(水) 09:26:04 ID:oWaBfcag
>>517
思い出にケチをつける気はないが、炎立つは考証が適当で泣ける。
取りあえずアラハバキ出すのやめとけ。
523人間七七四年:2010/10/06(水) 09:32:24 ID:ylzRGq2Q
北条水軍に梶原景宗という将が居た

元は紀伊国出身の海賊と言われるので高尚な血筋でも剣豪の親戚でもない
近年では単なる水軍指揮官ではなく海運流通を取り仕切っていたのではないかとの説もある

秀吉の関東征伐において梶原景宗は九鬼、面倒な本多を中核とした豊臣水軍に敗れた
そりゃあもう、数日の内に伊豆から小田原にかけての水軍の拠点を悉く失うくらいに負けた
一部史書では死んだ事にすらされた

が、どっこい彼は生きていた
小田原の役で敗れ流された北条氏直に従って紀伊高野山に入っていた事が確認できる
譜代の臣下でもない彼が氏直に従った理由は不明
当時の氏直の生活は苦しく年賀の品を揃えるのに借金すらしていた
梶原景宗はそんな主君の年賀に彩りを添えようと走り回った
その成果は氏直近侍の山角直繁のテンションを上げるに充分であった

直繁「殿〜!」
氏直「何だ、騒々しい」
直繁「海苔が、海苔が!」
氏直「はぁ?」

江戸時代に養殖技術が確立するまでの海苔とは天然物の生海苔の事
沿岸出身の北条勢にとっては慣れぬ山間部での生活で光る宝石の様に思えたのかも知れない
ちょっと逸れるが海苔は温暖な海域を好む
当時は気象学的に地球全体が寒冷期であり、しかも季節は冬である
本当にどこから入手したのやら
ちなみに目録を読み上げる前に中身をバラしてしまった直繁は氏直に不作法だと怒られた

若葉の生い茂る頃、北条氏直は高野山での謹慎を解かれ大阪の旧織田信雄邸に館を移した
もちろん梶原景宗も主君の近所に移り住んだ
当初は所領を持った訳でもないので氏直や近従も懐は依然寂しいまま
この頃の借用書、返済計画書も現存している
そんな困窮下でも梶原景宗は主君に祝を送った

直繁「殿、梶原殿より転居祝いが」
氏直「ほう。で、何か」
直繁「目録。贈、鯖五十」
氏直「な…んだと…?」
直繁「ですから鯖五十匹」
氏直「この真夏にか?」
直繁「はい」
氏直「冷蔵庫に…」
直繁「殿、左様なオーパーツは。せめて氷室と…」

贈答書状は現存するがこの鯖が如何に食されたかは不明

半年後
僅かながら所領を与えられ妻の督姫も呼び戻し本格的に御家再興が叶わんとする直前に氏直は病に倒れた
死因は疱瘡とされる
鯖にあたった…訳ではなかろうがとにかく養子で叔父氏規の子氏盛が北条宗家を継ぐ事となった
氏盛は氏規死後にその遺領を相続し本格的に大阪狭山藩主として後北条家再興を果たすのである
しかし、狭山に梶原景宗の姿はなかった
彼は出身地の紀伊に帰り、帰農したとされている
524人間七七四年:2010/10/06(水) 09:34:53 ID:sVq6iNxj
>>517
年齢一桁の頃だったからね。それまで日本が舞台の大河や時代劇しか見たことがなかったんで
西洋人だの中国風の建物だのが出てくる大河は非常にインパクトが強かったんだよ
小2が歴史と文化を知るきっかけとしては、黒歴史の大河でも十分役に立ったと思うよ
525人間七七四年:2010/10/06(水) 09:44:45 ID:TfMZXjhH
子孫が創価学会第四代会長になるなどとは、この時誰も知るべくもなかった…
526人間七七四年:2010/10/06(水) 09:57:15 ID:NsKLDfJN
大河は娯楽番組でしょ。
だいたいあってればOK。
527人間七七四年:2010/10/06(水) 10:01:31 ID:NJCtQKg3
>>523
> 直繁「ですから鯖五十匹」
> 氏直「この真夏にか?」
> 直繁「はい」

わらたw
まあ保存用に干したものなんだろうけどw
528人間七七四年:2010/10/06(水) 10:05:29 ID:YUN4hJqp
大阪なら新鮮なサバでもおかしくない
529人間七七四年:2010/10/06(水) 10:07:30 ID:/sPbZNFN
真夏だぜ?
腐っちゃうよw
530人間七七四年:2010/10/06(水) 10:07:56 ID:tli2yO8o
サバの生き腐れという言葉があってだな
531人間七七四年:2010/10/06(水) 10:14:16 ID:YUN4hJqp
半日程度じゃ腐らないよ
532人間七七四年:2010/10/06(水) 10:25:48 ID:o3TVgZCu
こんにちは私アニー、氏直さんの胃と腸に旅しに来ました
533人間七七四年:2010/10/06(水) 11:11:22 ID:LK5owhGY
>>532

つ 炎炎炎
534人間七七四年:2010/10/06(水) 11:15:00 ID:Fg0rOEKz
紀伊の人なら、馴れ寿司用の発酵させた鯖じゃないかな

>>532
旅行と称して居座る不法滞在外国人のようだw
535人間七七四年:2010/10/06(水) 13:45:18 ID:LzGBAUyf
>>523
>ちなみに目録を読み上げる前に中身をバラしてしまった直繁は氏直に不作法だと怒られた
安心の北条クオリティだなw

伊豆海賊衆と言うと怪力の清水康英さんやいろんな物を禁止するきっかけになってしまう富永山随さんが思い浮かぶけど、
実は梶原さんも相当なポジションだよね。
536人間七七四年:2010/10/06(水) 18:42:59 ID:S2jsTeuZ
>>524
時宗は蒼き狼プレイヤーだったから楽しみにしてたが
フビライがアバカ(フビライの従兄弟)にしか見えなくて「?」だったな。
537人間七七四年:2010/10/06(水) 18:49:16 ID:NJCtQKg3
>>535
> 安心の北条クオリティだなw

さすが礼法の伊勢氏らしいよねw
538人間七七四年:2010/10/06(水) 19:16:58 ID:m98ymPd+
>>536
消防だったのでオルドの意味がよくわかりませんでした(#^ω^#)
539人間七七四年:2010/10/06(水) 19:46:15 ID:OoPRYZ7O
>>538
このぉw嘘つきさんめw
540人間七七四年:2010/10/06(水) 22:53:05 ID:UFreW+e3
>>532
氏直のお腹の中で「トゥモロー、トゥモロー♪」って歌い出すのかw
541人間七七四年:2010/10/07(木) 20:22:39 ID:w9Iow6TQ
ある日、徳川頼宣が居城の馬場で乗馬を楽しんでいると、にわか雨が降ってきた。馬場に近い櫓で雨宿りをした
頼宣は近習とともに、何とはなしに櫓上から見える、城を出入りする家臣たちを観察していた。

特に目を引いたのは、小姓・青柳伝四郎だった。上は練り絹の羽織に羅紗の合羽、下は緞子の袴に数奇屋足袋、
塗りの高下駄という豪奢な姿の伝四郎は、同じく美々しい装束の中間に唐傘を差させ、悠々と城を退出して行った。

そこへ二千石取りの番頭・藪三左衛門がやって来て、伝四郎を追い抜いて行った。洗いざらしの木綿羽織を着た
三左衛門は、袴をたくし上げスネを丸出しにして、いかにもむさ苦しく男臭い供の者と一団になり、裸足で泥だらけに
なりながら、あっという間に駆け去った。

「三左衛門どののアレは何じゃ、上士たる者が見苦しい・・・」
「三左衛門を見よ、あれこそ武士よ。」思わず笑い出した近習たちに、頼宣は逆の事を言った。

「二千石取る侍が、身なりに構わず泥にまみれて、疾く家に馳せ帰る。それに屈強の郎党が、遅れず付き従う。
あれが戦場で真っ先を駆け、一番槍の手柄をも立てる者の心意気!さすが若年を細川三斎のもとで過ごし、
厳しく鍛えられた男はモノが違う。

それに比べて、伝四郎が様子の鈍いことよ。あの格好では今にも事が起きれば、家に帰り具足に着替えるも苦労で
人に後れを取り、当家の恥となろう!

・・・が、『主君の賢愚は家臣の善し悪しで分かる』というから、伝四郎の恥は、わしの恥でもある。」

そう言って頼宣は、ため息をついた。
542人間七七四年:2010/10/07(木) 20:29:29 ID:WdcBnVuU
どうでもいいことで家臣を一刀両断し過ぎじゃないのか、南龍公w
543人間七七四年:2010/10/07(木) 21:11:33 ID:bLv1JCUq
厳しく鍛える=お前も歌仙にしてやろうか!
544人間七七四年:2010/10/07(木) 21:38:03 ID:jKy8ICjc
南龍公は器が大きいなぁ〜
545人間七七四年:2010/10/07(木) 22:05:10 ID:JwZchOY6
でも世の中が収まると、上の人間が贅沢しないと経済が停滞しちゃうんだよね。
どっかで「無駄」なことしないと、消費が行き詰って生産がとまっちゃう。
546人間七七四年:2010/10/07(木) 22:32:57 ID:wKpsglzu
それは食料確保ができる時代の発想だろう?
547人間七七四年:2010/10/07(木) 23:57:11 ID:tGhN4JKU
>>546
尾張
548人間七七四年:2010/10/08(金) 01:32:28 ID:YxA8aj29
今で言うとリムジンで優唯に渋滞と共に退社するのと、
カブで渋滞をすり抜けながら退社する感じか。
549人間七七四年:2010/10/08(金) 08:52:02 ID:XtUM7Os2
社長がカブで通勤してるからカブ以上のものに乗っちゃまずいとなってチャリか徒歩ってなるのがこの時代
550人間七七四年:2010/10/08(金) 14:23:31 ID:yqxEQkQo
>>545
江戸時代の藩の多くは、
藩士が一切飲まず食わずでも赤字と言う恐ろしい状態なんだぜ
551人間七七四年:2010/10/08(金) 16:33:59 ID:/GtPGYY6
三河武士は(ry
552人間七七四年:2010/10/08(金) 17:01:14 ID:EOwd6o1G
徳川頼房は少年の頃、子の光圀同様に不良として知られ、常に黄金作りの太刀を持ち歩き、紅色の裏地の衣服をまとい、
家老の中山備前守信吉の諌めも聞かず、かぶき者とつるんで江戸市中を練り歩いていた。

そんなある日、信吉は老中から『明日の朝、江戸城に登城されたし』との書状を受け取った。何事かと出向いた信吉に、
老中は打ち明けた。「実は本日、貴殿をお呼びしたのは上様(秀忠)の仰せにござる。用向きは、我らも存じかねる。」

ピンと来た信吉も、打ち明けた。
「恐らくは、頼房様のご行状についてでしょう。しかし、正直に上様に申し上げれば、主君の非を言い立てる不忠となり、
だからと言って嘘を申せば、今度は上様をたばかる不忠となります。
私は、これで退出させていただきます。上様には、『備前は来なかった』とお伝え下され。」

「しかし、それでは貴殿が‥」「上様の命に背く私です。ご機嫌を損ね、御仕置を受けるも当然。」「‥良いお覚悟じゃ。」


藩邸に戻った信吉は、さっそく頼房に呼びつけられた。
「おう、備前よ!朝早くから御城に、お前一人が召し出されたと聞いた。いったい何事じゃ?」
信吉は城中での出来事を頼房に語り、言葉を続けた。
「もはや上様より、どのような罰を仰せつかろうと、私は腹を切ると覚悟を決めました。ただ、死ぬ前に三つだけ殿に
わが心残りを申し上げておきます。

一つは、私に成瀬隼人の機知や、安藤帯刀の胆力のような才無く、殿にわが異見をお聞き届けいただけなかったこと。
二つは、「頼房は若いが、備前を付けておけば安心だろう」という、大御所様のご期待に応えられなかったこと。
三つは、早くから気づいていながら、殿に良からぬ行儀をお教えする不届き者を、成敗できなかったこと。

心残りはございますが、私は死んでも魂となり、この藩邸で殿を見守り申す。なにとぞご行状を改められ、上様の覚えも
めでたきようになって下され。‥‥さて、あとは今生の暇乞いに、殿より盃と介錯を賜われば、幸いにござる。」
「‥‥よし、分かった。誰かある、わしの太刀を持て!」

黄金作りの愛刀を取り寄せた頼房は、小刀でこれを打ち壊し、その脇差の贅沢な細工を削り取った。また他の道具、
かぶき装束も持って来させ、あるいは壊し、あるいは小姓に分け与え、全て手元に残さなかった。
「これで良かろう。以後改めるゆえ、もう一度御城へ行き、報告して参れ。」

老中より全て報告を受けた秀忠は、「備前の了見が無くば、頼房の行儀は直らなかったであろう。」と賞賛した。
553人間七七四年:2010/10/08(金) 17:20:20 ID:GpZFLjJ7
天正18年の、豊富秀吉による北条征伐の時のことである。
秀吉は軍勢を東海道に集結させていた。
しかしこの時出された動員令は主に秀吉の旗本や直属の大名に向けたもので、
その他への指令は書かれていなかったという。

さて、この北条との戦争に対し、安芸の毛利家はこのように考えた

「我々も大大名であり、秀吉公は家康卿を動員している以上、次には
輝元様を動員されるに違いない。軍勢を登らせておくべきである。」

この判断により毛利家は輝元を先に上洛させ、順次京に軍勢を登らせた。
ところが輝元に対し秀吉は

「よくぞ上洛なさった。この聚楽を輝元に預ける。
秀吉が出陣している間、天下の仕置はここで天下殿(秀次)と輝元、お主とで
行うが良い。」

と言い、当時の天下の政調というべき聚楽を輝元に預け、さらに重要拠点である尾張の清洲城は
小早川隆景に、三河の岡崎城は吉川広家に任せた、という。

豊臣秀吉の毛利家への絶大な信頼がよくうかがえる逸話である。
554人間七七四年:2010/10/08(金) 17:58:28 ID:D+SH3lLH
また、人をたらしこむんすか太閤w
555人間七七四年:2010/10/08(金) 18:22:53 ID:EUiWP4RC
>>552
>「‥‥よし、分かった。誰かある、わしの太刀を持て!」

一瞬、介錯してやるのかと思ってドキっとした。
556人間七七四年:2010/10/08(金) 18:37:20 ID:WTaeVHhA
>>553
あれ、岡崎城ってこの頃は家康のものではなかったのか?
557人間七七四年:2010/10/08(金) 18:42:56 ID:Xq+wgCts
>>556
後詰的な意味合いででしょ。清州だって、信雄君のだし
558人間七七四年:2010/10/08(金) 18:43:42 ID:/GtPGYY6
TERUそれで知行増えたのか?
559人間七七四年:2010/10/08(金) 22:34:04 ID:ZwNvsvmV
>>552
いや、中山さん、あんたには三河者のめんどくさい理があるじゃないか!
さすが御三家の付家老田地は凄い。
知恵の成瀬に肝っ玉の安藤、そして理屈の中山か
560人間七七四年:2010/10/08(金) 23:02:08 ID:JodTH8yo
>>553
此頃の広家ってまだダメな餓鬼だった頃じゃ
561人間七七四年:2010/10/08(金) 23:09:32 ID:CWYhNf1S
>>559
朱に交わればなんとやら、
武蔵者も三河者に囲まれればすげえ面倒くさくなるんだなw
562人間七七四年:2010/10/08(金) 23:26:53 ID:PwA6h3t+
豊富はねーよ、って思ったら豊臣に次に変換された
563人間七七四年:2010/10/08(金) 23:34:18 ID:XC/SvdsY
>>555
あれ?俺がいる
564人間七七四年:2010/10/09(土) 02:35:10 ID:eZr+/PTm
でこの人は誰の事?

「すっとんころりのおとの様」
ttp://www.youtube.com/watch?v=aJnJF1LbCHQ
565人間七七四年:2010/10/09(土) 06:58:21 ID:/Wxge9DB
>>564
愛知のお殿様ねぇ…
566人間七七四年:2010/10/09(土) 07:36:46 ID:dz6uQ8/l
>>564
ちょい調べてみたけど、坂左右地蔵のことらしいな
落馬したのは西尾の殿様とあるので酒井正親か重忠のどちらかかな
567人間七七四年:2010/10/09(土) 13:15:13 ID:aQF8AhQl
葉隠から上杉謙信の話

山本常朝が藩の後輩田代陣基に言う。
「上杉謙信は、
『常に勝ってやるとかは思ってなかったよ。ただチャンス(機会)を逃さないことだけを身につけたんだ。』
と言っていたそうだが、これは面白い言葉だぞ。
戦場だけではなく、奉公人なども、話しかけるタイミングを逃すと言葉も出なくなると言うからな。
そのように、臨機応変な戦場での働き、内務での応対は相手の心に深く感じさせるものなんだ。
568567:2010/10/09(土) 14:12:34 ID:aQF8AhQl
最後に」を入れ忘れました。

>心に深く感じさせるものなんだ。」

と訂正します。
569人間七七四年:2010/10/09(土) 18:01:02 ID:DYF/lBoF
小田「チャンスには幾度となくチャレンジじゃ」
570人間七七四年:2010/10/09(土) 18:05:14 ID:iveouAtU
太田「チャンスあると見せかけとけば何度でも来るからな。読みやすくて結構」
571慶次さんのいたずら二題 その1:2010/10/09(土) 22:37:40 ID:b48f6Tf7
いつも楽しく読ませていただいております。
日頃のお礼も込めて投稿させていただきます、読みにくかったら&既出だったらすみません。

三壺記より
前田家のこまったちゃん、慶次君が伏見城で秀吉に謁見するときのこと。
我らの傾奇者はざんぎり頭に鎌ひげ、左右にのびた口髭という異相で長袴を着て次の間に控えていた。

浅野弥兵衛、猪子内匠らがこれを注意した。
「これはなんという格好じゃ、御目見えするときは長髪じゃいかん」

その場に畏まった慶次、おもむろにつけ髪、かけ髭を取り外すと
その下から髷も結い髪も剃った顔があらわれた。

慶次が秀吉の不興を買うこと内心ほくそ笑んでいた大名たちは
慶次のいたずらに乗せられたことに気が付き、興ざめしてしまったそうな。
572慶次さんのいたずら二題 その2:2010/10/09(土) 22:39:58 ID:b48f6Tf7
同じく慶次さんのお話
米沢地名選、鶴城叢談より
慶次が景勝に伺候するために正装して登城しました。
しかし慶次の素襖には紋が無く、これに気が付いた景勝はその理由を聞いた。

慶次「紋ならば付いております、よくご覧になってください」

景勝も家臣ももう一度見直してみると、小さな虱の紋が。
厳粛な空気は一転、笑いに包まれ、烏帽子を傾けて笑い転げる人も。

しかし慶次は笑わず、威厳を正したままであったという。


以上二題、前田慶次のいい(歳してなにやってんの)話でした。
573人間七七四年:2010/10/09(土) 22:58:14 ID:TdGmPHTa
>>572
そしてそこにはまったく笑ってない景勝の姿が・・・
574人間七七四年:2010/10/10(日) 00:30:28 ID:qpC7mjrT
>>562
千葉県にはホウフと書いてトヨトミと読む高校があるから、多分それだと思う。
575人間七七四年:2010/10/10(日) 00:31:20 ID:yd4GoK6Z
北条(キタジョウ)の蟻の旗の話とそっくりだな
576人間七七四年:2010/10/10(日) 00:47:03 ID:c3DUu+YK
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-597.html
初鹿野伝右衛門のムカデの旗の話にもそっくり
577人間七七四年:2010/10/10(日) 05:27:16 ID:cF8/S0V9
主張し過ぎない小さい紋がオシャレ!
578人間七七四年:2010/10/10(日) 07:14:09 ID:MSGwMeEK
戦国スイーツ(笑)
579人間七七四年:2010/10/10(日) 14:44:48 ID:0JygZ3hb
>>572
義久「今、笑った者を打ち首にしろ」
580人間七七四年:2010/10/10(日) 17:04:33 ID:AN9VeYtb
>>562>>574
姫路にもそんなランプ名があった
581人間七七四年:2010/10/10(日) 22:15:22 ID:zBMOHkFI
「紀之介に百万の軍勢を任せたい」これは大谷吉継に対する秀吉の評価だが、この話には続きがあった。
この話を聞いた徳川家康は
「ならば、豊家の軍勢の総大将は刑部殿という事でございましょうか?
 某や会津中納言殿では不足という事でしょうか?」

こう尋ねると秀吉はあっさりと言った。
「大老は政治を見る。軍事は刑部が良かろう。」

家康や景勝の面目が立つ上手い答えだった。所で、大老がそういう事なら毛利輝元や宇喜多秀家も
外れることになる。さらに家康は伊達政宗の名を出して問うた。

「ならば大崎少将は如何でしょうか?」
この問いに秀吉は
「紀之介は天才じゃ。大崎少将も軍事の天才だが、己が身を庇う。紀之介は
 大義の為に己を捨てられる。怖いのは刑部だ。」と答えた。家康は納得しそれ以上何も言わなかったという。

以上、大谷吉継に対する秀吉の評価に関する逸話でした。

582人間七七四年:2010/10/10(日) 22:22:21 ID:Vf8ER9W4
冴えてるころの秀吉はやっぱうめぇなw
583人間七七四年:2010/10/10(日) 22:39:29 ID:q7GN2F/O
家康の質問が、面倒くさい地域出身な事を思い出させてくれる
584人間七七四年:2010/10/10(日) 23:43:11 ID:e6L3Xnrx
>己が身を庇う

www
585人間七七四年:2010/10/10(日) 23:59:15 ID:dHItO5wo
信玄があと10年生きていたら?
信長が本能寺で討たれなかったら?
政宗があと30年早く生まれていたら?
太閤さんが晩年ボケなかったら?←NEW
586人間七七四年:2010/10/11(月) 00:14:53 ID:R2C/b/oX
>>585
このスレ的には
真田のお兄ちゃんがあと十年生きてたら
毛利のお兄ちゃんがあと十(ry
竜造寺のお爺ちゃんが(ry
北条の(ry
って感じかな?w
587人間七七四年:2010/10/11(月) 00:51:17 ID:PVBg6ezC
>>585
寿命ネタしかないのかよww
588人間七七四年:2010/10/11(月) 00:52:39 ID:PVBg6ezC
× >>585
>>586だった、アンカミスった
589人間七七四年:2010/10/11(月) 00:55:49 ID:j9RZrR4a
松永さんや直家さんの暗殺スキルがもうちょっと高かったら・・・
市松が酒を飲まなかったら・・・
天庵さんがもう少し菅谷さんの言うことを聞いていたら・・・
590人間七七四年:2010/10/11(月) 01:04:07 ID:/U1deDMs
秀頼があと10年早く生まれていれば
591人間七七四年:2010/10/11(月) 01:06:24 ID:7EPkGlmW
>>581
 家康のめんどくささばかりに目がいくが、大老の職責はと問うて
 「大老は政治を見る。軍事は刑部が良かろう。」と秀吉の言質をとる巧さに皆が気づかないとは
 さすが妖怪糞狸だけのことはある。
592人間七七四年:2010/10/11(月) 01:23:34 ID:r9SfY1b+
>>591
元々、大老は政治職
中老が判定職
奉行が行政職なのは、
豊臣家の決まりだよ
593人間七七四年:2010/10/11(月) 02:05:52 ID:K+rI7dj3
黒田孝高「殿下!殿下!
     大谷殿に100万の軍勢をとの御明察、最も至極にございまする!
     それに加えて某に100万石ほどお預けくださるならば
     もはや三国を平らげる事も安かろうと存じます!
     なにとぞ100万石を!」
594人間七七四年:2010/10/11(月) 03:04:41 ID:WfZCbWaa
>>589
>松永さんや直家さんの暗殺スキルがもうちょっと高かったら・・・

「被害者の会」が結成されてたでしょう。
対抗して松永さんや直家さんが「加害者の会」を結成したかもしれませんが。
595人間七七四年:2010/10/11(月) 04:41:50 ID:cVflhbrx
>>581
なんか小田原の時一瞬ついでにコイツもやっちまおうかと思った感が出てるなw
596人間七七四年:2010/10/11(月) 07:30:42 ID:jpSJGp1i
>>594
あんまりスキルが高すぎると、暗殺の史実が残らないんじゃねえ?
597人間七七四年:2010/10/11(月) 09:21:24 ID:zEcW7NJb
>>581
世辞的なものかもしれないけど家康が景勝の軍事能力を評価してるみたいでちょっとうれしい
598人間七七四年:2010/10/11(月) 09:27:23 ID:ae11A3Zs
世辞だろうなぁ
599人間七七四年:2010/10/11(月) 10:52:34 ID:/47BrKA9
景勝の軍事能力ってお世辞にも褒められたもんじゃないと思う…
600人間七七四年:2010/10/11(月) 11:09:15 ID:0g27W5jL
結構大坂の陣で活躍してるじゃん
601人間七七四年:2010/10/11(月) 11:18:55 ID:SYXrpjhd
>>581
家康としては、秀吉から陣羽織を授かっていて、
パフォーマンスとは言え軍事面での総大将(代理)は自分である、ということになってるからなあ
自分の立場を正しておかなければならなかったのだろう
602人間七七四年:2010/10/11(月) 11:20:53 ID:SYXrpjhd
重要なのは先輩と嵐子ちゃんがかわいいということだ
それ以外はどうでもいい
603人間七七四年:2010/10/11(月) 11:22:15 ID:SYXrpjhd
大変申し訳ない
604人間七七四年:2010/10/11(月) 11:44:54 ID:K8Ku1fqH
>>602
>>自分の立場を正しておかなければならなかったのだろう
605人間七七四年:2010/10/11(月) 11:48:51 ID:XYEvRy13
「えむえむっ!」スレの誤爆とは業が深いな…
606人間七七四年:2010/10/11(月) 12:34:01 ID:YRkFS7K+
戦国武将は基本MなのでおれらもMで問題ないよな。
607人間七七四年:2010/10/11(月) 14:09:15 ID:dFmbTja0
Sのほうが多い気がするがw
608人間七七四年:2010/10/11(月) 14:14:46 ID:rXIjmq1G
七難八苦を願ったY中さんとかはあくまで向上心とか、そういう意味だからな!
609人間七七四年:2010/10/11(月) 14:22:08 ID:rPbSHKdc
ウンコ漏らしたあとの自画像を描かせたのも自分への戒めの為だからな、決して羞恥プレイじゃないからな
610人間七七四年:2010/10/11(月) 14:24:32 ID:xOdy0BiS
家康:だからあれは、ミソだってばよ
611人間七七四年:2010/10/11(月) 15:10:59 ID:7PgGoBQk
殿が刹那糞を漏らしておられるわ〜pgr(・∀・)
612人間七七四年:2010/10/11(月) 15:13:53 ID:ae11A3Zs
彦左…
613人間七七四年:2010/10/11(月) 15:30:44 ID:Zh8clYYO
おまえらウンコとか本当に好きだな、小学生かよw
614人間七七四年:2010/10/11(月) 16:04:12 ID:SYXrpjhd
オレの誤爆のせいでうんこの話になってしまったようで、大変申し訳ない
615人間七七四年:2010/10/11(月) 17:12:16 ID:KjT0ZWWC
別に嵐子のスカトロプレイの話したわけじゃないんだから気にスンナ
616人間七七四年:2010/10/11(月) 18:22:24 ID:IiIInHiy
ウンコで喜んでいいのは小学生まで
617人間七七四年:2010/10/11(月) 19:33:34 ID:K+rI7dj3
楠木正成「糞尿弾を喰らえ!>>616
618人間七七四年:2010/10/11(月) 19:39:48 ID:yS9XBvMD
>>617
一瞬、鎌倉・室町スレかと思ったじゃないか
天草四郎「糞尿弾をくらえ!」
これも戦国じゃないし
真田昌幸は粥だし
619人間七七四年:2010/10/11(月) 21:01:15 ID:FACzjhgE
じゃあ小便鉄砲でいいよ
620人間七七四年:2010/10/11(月) 21:18:41 ID:KjT0ZWWC
俺のマグナムをくらいな!
621sage:2010/10/11(月) 22:34:51 ID:Yk+XzDPd
流れを変えよう。小ネタ投下。

九州征伐が終わった天正15年。
豊臣秀吉は高橋元種と立花宗茂を呼んだ。

ラスボス「両名は互いの父の代から争った因縁の家だが、今日よりは過去の遺恨を捨てて仲良くせよ。
そうだ!京都御所の右近の橘(立花から連想したらしい)左近の桜のようになるように、それにちなんだ官位を与えよう。」

そこで、ラスボスは高橋元種を右近大夫、立花宗茂を左近侍従とした。
以来、二人は互いを良きライバルとして意識しあうようになったという。


いろいろ突っ込みたくなる話だが、ソースは高橋元種の子孫のHPだ。

そのHPによると、高橋元種が改易になった時に、立花宗茂の棚倉藩お預かりとなったのだが、
宗茂は元種一家に様々配慮するだけでなく、高橋家の御家再興を何度か幕府に願い出てくれていたらしい。
残念ながら願いは叶わず、宗茂も棚倉を離れ柳川に復活することとなった。
宗茂は棚倉を去る時、次に棚倉藩主となった丹羽長重に「元種の子弟を、よしなに」と頼んでくれた。
そのお蔭で高橋元種の子は、丹羽家が二本松へ転封と共に二本松藩士として仕え、家名を残すことが出来たそうだ。

ラスボスに「過去の遺恨を忘れろ」と言われて、本当に実行したのは立花宗茂くらいだろうなぁ。
以上、宗茂の面倒見の良い話。

622人間七七四年:2010/10/11(月) 22:50:10 ID:/U1deDMs
宗茂はイケメンすぎて反則だと思う
623人間七七四年:2010/10/11(月) 22:52:18 ID:Zh8clYYO
ラスボス「お前らに肥後を半国づつ与える、互いに切磋琢磨せよ」
624人間七七四年:2010/10/11(月) 22:55:14 ID:OCgl31YU
立花宗茂はサッカーに例えるならメッシ

そんなイメージ
625人間七七四年:2010/10/11(月) 23:26:13 ID:nwmGXMUQ
メッシの人となりは知らないので、阪神のマートンを推薦
もしかしてメッシ→滅私だったらごめん
626人間七七四年:2010/10/12(火) 00:43:28 ID:WHJ5G//n
去り際の台詞がかっこいい
627人間七七四年:2010/10/12(火) 01:50:18 ID:S69k2RpL
メッシはねーわ
628人間七七四年:2010/10/12(火) 02:06:14 ID:wS4Uzzrn
ラスボス「過去の遺恨は忘れよ」
(●_ ̄)「(遺恨?伯父貴と佐竹と相馬と蒲生と…えーと)」
ラスボス「おい」
(●_ ̄;)「(うーんうーん)」
ラスボス「聞いとるのか!!」
(●∀・)「(あっ思い出したんだぜ!)りょーかいしやした」


浅野「あのぅ太閤様こんなものが」
ラスボス「」

629人間七七四年:2010/10/12(火) 03:07:13 ID:xtsHzVWz
戦国武将の例えに外人出す時点でそいつは何もわかっちゃいねぇ
630人間七七四年:2010/10/12(火) 06:32:15 ID:33/5VNJu
メッシってインタヴュアーが男か女かで態度が180°変わるってイメージしかねーやw
(某スポーツ専門チャンネルでの初見。)
631人間七七四年:2010/10/12(火) 06:38:32 ID:jWWhICjW
そもそもジジイとオッサンしかいないこのスレでメッシとか言っても誰もわからん



ガンダムで例えろ
632人間七七四年:2010/10/12(火) 10:34:38 ID:QdbgYz/D
>>631
「柳川城よ!私は帰ってきた!」
633人間七七四年:2010/10/12(火) 10:48:53 ID:Nc1KjtKU
そこまでメッシさんは我が強くない・・・
634人間七七四年:2010/10/12(火) 12:02:50 ID:Rp+ORauz
吉田松陰の優しさと高杉晋作の激しさを併せ持つのが立花宗茂公
635人間七七四年:2010/10/12(火) 12:17:54 ID:nUWVGYc9
シャア並みのチートさとシャナ並みのツンデレさを持つのが立花宗茂
636人間七七四年:2010/10/12(火) 14:05:11 ID:GjASAVop
しかし見た目はギレン・ザビなのであった
637人間七七四年:2010/10/12(火) 16:52:47 ID:HRsmET1U
>>632
そのガトーネタ見る度に思うんだが、それだと柳川に駐留中の部隊に奇襲しかけそうじゃね。
638人間七七四年:2010/10/12(火) 17:51:58 ID:sfaOhJdQ
性格、面倒見が良くてチート能力の持ち主のツンデレ?
シュバルツかキョウジ兄さんじゃん
639人間七七四年:2010/10/12(火) 19:56:04 ID:GLEJl2Ih
覆面レーサーX
640人間七七四年:2010/10/12(火) 21:19:51 ID:V5eKNuUg
>>637
上杉憲政「待ちに待った時が来たのだ 多くの家臣たちが無駄死でなかったことの証のために、
       再び関東管領の威光を掲げるために、越山の成就のために
       関東よ私は帰ってきた」
で、核弾頭(長尾景虎)を北条にぶち込むわけですよね。
641人間七七四年:2010/10/12(火) 21:24:53 ID:w+3bS3AK
完全に不発弾でした・・・

ってどんだけガンダム見てるんだよw
642人間七七四年:2010/10/12(火) 22:42:18 ID:ESq/ksSX
>>631
MS、MAで例えるならメッサーラ
643人間七七四年:2010/10/12(火) 23:51:34 ID:BzKmECN3
完全無欠の宗茂もァ千代だけは苦手です
644人間七七四年:2010/10/12(火) 23:55:20 ID:T1Vrtphw
ある時のこと、豊臣秀吉の側に細川幽斎、金森法印(長近)、そしてあと一人の3人が侍坐していた。
秀吉はこの3人に

「”吹けどもふけず、すれどもすれず”yぽい題にて、前をつけて歌を詠め」

と言い出した。

これに先ず残りの一人が
『わらわれて 数珠うちきってちからなく するもすられず吹きも吹かれず』
金森法印は
『笛竹の 割れてささらになりもせず 吹きもふかれずすれどすられず』
と、それぞれに詠んだ。

秀吉が「幽斎いかに?」と問えば幽斎

「お二人の歌はいずれも面白いものです。私の考えたものなど一向に埒のない
趣向でして、申し上げるのもおこがましいとは存じますが、こんなものもあると、まあ
思ってください。」

と、詠んだのは
『すりこ木と 火吹き竹とを取り違え ふくも吹かれずするもすられず』

秀吉はその歌の滑稽さに大いに喜んだ、とのことである。
一体何パターンあるのかわからない、細川幽斎とっさの気の利いた歌詠みばなしの一つである。
しかし歌を詠む前に自信があるくせにおもいっきり謙遜するのが、いかにも京都人らしい嫌味
ですなw
645人間七七四年:2010/10/12(火) 23:58:18 ID:9OYLn8kY
いけずだけど幽斎さんは完璧超人すぐる・・・
646人間七七四年:2010/10/13(水) 00:10:54 ID:ytKsGeWf
>>644
平成時代のオレが読んでも普通に笑えた。
細川幽斎のセンスは時代を超えてる。
まさに古今伝授
647人間七七四年:2010/10/13(水) 00:15:04 ID:0VaTR+gw
ムネリンが柳川まで連れて行って藩士には出来なかったの?
648人間七七四年:2010/10/13(水) 00:17:20 ID:XC9zTnwE
>>645
父親が完璧過ぎるとちょっとグレたくなるんだよ…
また嫁が完璧だったりすると…わかるよな。
649人間七七四年:2010/10/13(水) 00:30:14 ID:/91W0xIM
ガンダムに例えていいなら
 アリー・アル・サーシェスは鬼武蔵
 アレハンドロ・コーナーが信長
650人間七七四年:2010/10/13(水) 01:09:42 ID:xW0tMmx1
我が嫁が尺八演奏試みも
吹けどもふけずすれどもすれず



もう寝る
651人間七七四年:2010/10/13(水) 01:55:23 ID:VIn4QwUa
>>644
古文で爆睡してて赤点連発してた俺でもすんなり読めて笑えた。
幽斎すげぇよ。
652人間七七四年:2010/10/13(水) 02:08:55 ID:qmTvZrbe
>>644
幽斎さんの才能は本当にもう、すごいよな。
そら朝廷が必死こいて助けようとするわけだ。
653人間七七四年:2010/10/13(水) 08:38:17 ID:Jo3VJW3n
>>649
ちょっwそれは
信長はもうちょっとこう、なんかないのか

アレハンドロ大使は今川さんあたりでひとつ
654人間七七四年:2010/10/13(水) 09:33:40 ID:22feaARf
>>644
曽呂利新左衛門みたいな逸話だな
655人間七七四年:2010/10/13(水) 18:23:48 ID:02fx74We
とっさの歌詠みシリーズ。太田道灌編

太田道灌が初めて関東より上京した時の話だそうだ。
扇谷上杉家家宰として、さらに軍略家として既に高名であった道灌は
高位の人々の集まりに招かれた。そこで道灌が歌道をたしなむことが話題に出、
是非一首詠んで欲しい、という話になった。

これに道灌
「私は関東の田舎に住むものでして、なかなか京洛の堂上の方々にお目にかけるような歌など
あるはずもありませんが、ひとつ笑って聞いてください。これは田舎で詠んだ歌ですが」

と、こんな歌を詠んだ
『武蔵野の折るべい草は多けれど、露すぼこくて折られないもさ』

これにその場の人々は皆、どっと笑った。

この歌、現代人には少し説明がいるだろう。「折るべい」「すぼこくて」「もさ」
これは関東方言をあらわしたものである。
現代風に訳せば
「武蔵野には露が落ちて折られるべき草はいっぱい有るけんど、露が落ちてもすばしっこく
消えるんで折られやしないだんべ」

とでもなるのであろうか。

とにかくいかにも田舎風の滑稽な歌に皆が大笑いしている中、

「もう一首、こんな歌も詠みました」

と、道灌、次の歌を披露した。

『露おかぬ かたもありけり夕立の 空よりひろき武蔵野の原』
(天を覆った夕立が過ぎてなお、雨に濡れていない場所もある。なんと空より広い
武蔵野の平原ではないだろうか)

一転、この歌にその場の人々、大いに感心したとのことである。
656人間七七四年:2010/10/13(水) 19:21:45 ID:yAj0d7Zr
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3677.html
この話思い出したよ。

今でも上京した地方出身者はなまりを馬鹿にされないように気を使うけど
なまりをギャグにしちゃうのが一番いいのかもねw
657人間七七四年:2010/10/13(水) 19:36:22 ID:2GReGcx4
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-181.html
田舎者呼ばわりされるのがいやで引きこもりになった某南部さんもいるしな。
658人間七七四年:2010/10/13(水) 22:05:54 ID:/91W0xIM
>>653

>>649ですがあの後考えたら、戦いに狡猾なサーシェスは戦、謀略オールマイティに
強い人が適切かな、アレハンドロに関してはでリボンズ・アルマークと勘違いの大ボケしてました(´;ω;`)
 (訂正)
 アリー・アル・サーシェス=武田信玄
 リボンズ・アルマーク  =信長
  
  失礼しました
659人間七七四年:2010/10/13(水) 22:17:22 ID:VbFzocbB
ある兄弟の横顔

とある家に一組の兄弟がいた。
この兄弟色々と謎が多く、詳しい関係は分かっていないのだが
今に残る記録ではたびたび行動をともにしており、仲が良かっただろうことがうかがえる。

夏の日、兄弟は連れ立って父の墓参に赴いている。年の離れた弟に、兄は父の思い出を聞かせたことであろう。

雪の舞う日には狩に行き、4羽の鳥を獲った。弟は1羽撃ち落したそうである。

春の晴れた日には野駆けを楽しんでおり、兄は弟を前に乗せ、二人で一しきり駆けたという。


小田原参陣から2年前、穏やかな頃の伊達家の風景。
660人間七七四年:2010/10/13(水) 22:38:32 ID:CL3qp//k
弟と仲良くしただけで逸話扱いになるまーくん、相変わらずすげーな。
661sage:2010/10/13(水) 22:47:09 ID:DS4Z6nmW
>>647
遅レス、逸話を投稿したものです。

詳細が分からないんだが、男子の方は引き続き「棚倉藩」にお預かりだったみたいだ。
丹羽さんの二本松へ転封の時に、元種の男子は丹羽さんに同行している。

ただ元種の娘が宗茂に同行して九州へ行ってるんだ。(女ならOKなのか?)
で、これまた経緯は調べきれなかったが、娘は薩摩藩士に嫁いでいるので、
高橋元種の女系が薩摩藩に残った。
現代の子孫が男系が残ってるのはHPでハッキリしてるけど、九州の女系が続いているかまでは未確認です。
秋月と高橋の子孫は仲良く交流してるよ。
662sage:2010/10/13(水) 22:48:41 ID:DS4Z6nmW
>>659

ちょっと泣けた。生きていた伝説が本当だったらいいな。
663人間七七四年:2010/10/14(木) 00:34:51 ID:qpGVOixJ
訛りが通じないから黙るのが東北人
訛りが通じないから実力で示すのが北陸人
訛りが通じなくても気にせず、それが通常だと笑うのが関東人
訛りが通じない者同士で差別化して喜ぶのが東海人
訛りが通じていないから暗殺するのが中国人
訛りが通じないのに気付いていないのが四国人
訛りが通じていないから南蛮人と親しくなるのが九州人
訛りが通じなくて喜ぶのが薩摩人
664人間七七四年:2010/10/14(木) 00:37:05 ID:My/PyKDt
>>663
 江戸時代では薩摩人は訛がが通じないと通報、または殺害だったがはず
665人間七七四年:2010/10/14(木) 01:11:08 ID:jcwc3uoJ
鳥居彦右衛門は島津義弘のなまりが理解できなくていくさになった、なんて話もあるね
666人間七七四年:2010/10/14(木) 01:15:48 ID:wbNC/ue3
もし鳥居元忠が赤備えだったら
島津義弘「赤い鳥居に弓を引いたら、お稲荷様から天罰が下る。わしは引くぞ!」
とでもなったのだろうか
667人間七七四年:2010/10/14(木) 01:29:18 ID:zTvBA4Vb
>>663
大戦中暗号が解読されていることに気付いた日本軍が薩摩弁の訛りが酷い奴に伝令させたって話は有名だなw
>>666
それならそれで劇団島津だしもっと上手いことやってくれそうな気がするがw
そういや鎌倉・室町の方でなんで狐が島津の守り神になったかって逸話が投稿されてたな
668人間七七四年:2010/10/14(木) 01:38:56 ID:wbNC/ue3
>>667
鎌倉・室町スレで島津稲荷ネタが出たから便乗した
そういや赤備えの方も、井伊の赤鬼(初代)は結果的に島津の鉄砲に斃れ、
井伊の赤鬼(幕末)は薩摩藩浪士に首を切られ、因縁があるのか無いのか
669人間七七四年:2010/10/14(木) 01:43:46 ID:VNWaa3Bu
だって井伊家の一番の仮想的は島津家でしょ?
670人間七七四年:2010/10/14(木) 07:14:19 ID:fAC7J8ij
>>660
仲悪いなら、有力な他家を乗っ取るための養子に出すことは無いだろうしな
671人間七七四年:2010/10/14(木) 08:53:47 ID:ODsOxZhO
訛りが云々のやつで、関西(近畿)はないのか?
>訛りが通じなくても気にせず、それが通常だと笑うのが関東人
これが関西人っぽいな〜と思ったんだが〜
672人間七七四年:2010/10/14(木) 09:08:01 ID:8DCLgm3W
戦国時代、日本の中心は近畿ですから。近畿以外の方言が訛りです
673人間七七四年:2010/10/14(木) 09:30:31 ID:ODsOxZhO
そういうことなのか〜
なるほど〜
674人間七七四年:2010/10/14(木) 15:12:29 ID:BZm9fy/X
>>663
うちの爺さん新潟出身なのにほとんど訛りが無かったから
兵学校入学の時、教官に「新潟県出身です」って言っても信じてもらえなかったそうなw
675人間七七四年:2010/10/14(木) 16:48:48 ID:VNWaa3Bu
今でも新潟の人って、むしろ関東の人より標準語に近いよね
6761/2:2010/10/14(木) 17:36:21 ID:bwxF3gue
豊臣秀吉の時代、慶長2年(1597)、4月の頃のことだという。

この時、京にあった伊達政宗は洛外にて花見遊山をした。
建仁寺の藤の森にて一両日を過ごし、大いに杯を重ね、政宗らしく派手に遊んだようである。
ところが、この政宗の遊ぶ音を聞いて、このあたりに巣食うならず者たちが集まり、大勢で政宗の周りを
ひしひしと取り巻き、こんなことを言ってきた

「我々は大変ふところを寂しくしている。あなたから金銀を頂きたい。」

ゆすりである。

これに政宗
「そんな事は容易いが、今我々は金銀を持ちあわせていない。」

「ならばお供の衆の腰のものを頂きたい。」

よりにもよって武士の刀をよこせという。数を頼んでかならず者共、政宗一行をなめきっているのだ。
政宗も後年であれば、こう言った連中相手に大立ち回りを演じたであろうが、このころは未だ
秀吉も生きている時代である。大事にしてはいけないと、理性が働いた。
政宗は屋敷に人をやり金を取り寄せ、それを渡してならず者たちを引き取らせたのだ。

さてこの事件、京伏見にあっという間に噂として広まった。
しかもその噂では、政宗自身の両腰までゆすり取られた、という事になっていた。

ところでこの頃、加賀大納言前田利家は伊達政宗とあまり上手くいっていなかった。
そんな時にこの風聞を聞いた利家は、使番の北村という若者を呼んでこう申し付けた

「政宗のところにこう使いせよ!昨今うけたまわった所では、貴殿は藤の森にてゆすりにあったそうだが、
大変笑止なことである!と。」

この利家の口上をたまたま聞いたのが、利家の側廻りの一人、徳山五兵衛則秀であった。
徳山は慌てて利家に言上する

「何と以ての外の大事なることを仰せになり、それを遣わされるのですか!?
そのような事を政宗殿に言えば、向こうから確認の使者が送られ、『その証拠を見せろ!』との
書状が来るのは間違いありません。

ところがこちらには、確たる証拠を持っているわけではありません。これでは前田家と伊達家の間で
大事になること、間違いありません!この徳山が考えるに、そのような使者を出すのは、害のみあって
全く無用のことです!」

こう諫言したが、前田利家という人は性格として一旦腹(一度口に出したことは変えない)であったので、
それでもなお

「かまわぬ!早々に使者を出せ!」

と言いはった。ここに徳山

「ならば私が使者として赴きます」

利家もこれを許可した。
6772/2:2010/10/14(木) 17:37:30 ID:bwxF3gue
ところが徳山、なんのかんのと理由をつけ、ずるずると出立を伸ばす。
もしかすると利家が心変わりするのを待っていたのかもしれない。
が、2,3日経って利家は

「政宗への使いはどうした!?」

これに徳山は問い返した
「これは大事の使者です。政宗殿からは殿が笑止と考えたに至る証拠を必ず求められますが、
その時はいかが致しましょうか?」

しかし利家
「政宗がゆすりにあったのは確実なのであろう!?ならば何の問題があるのか!
お主がゆかぬと言うなら他の者に任せる!」

そう言われてもはや致し方なく、「ならば私が、これより使い致します」と徳山則秀は政宗の屋敷を訪ねた。


前田家重臣の一人である徳山則秀を、政宗は白書院に通し自身で対面した。
利家の言を伝えたところ、政宗からの返事は案の定

「大納言殿がそのように言われるなら、その証拠を示すべきである!」

との事であった。
ところが徳山はこれを聞くと

「そのようなご返事では拙者、罷り帰る事叶わず!」

と言い出した

「そのような返事を持ち帰るだけなど、使者として不調法、不面目この上ないことでござる。
そうであれば大変申し訳ありませぬが、御縁を汚すことと相成ります。」

徳山はここで切腹する、と言っているのだ。
彼の強烈な覚悟を見て取った政宗は、ふと態度を改め

「あなた方が言われているのは、世間の風聞に過ぎぬものである。
大納言殿が聞かれたのはそのような、世間の無責任な悪口に過ぎない。
その噂のような事実は有りませんでしたので、大納言殿にはどうぞ、安心してほしいと
言ってもらいたい。」

と、徳山に直に言った。
ところが徳山

「今の政宗様のご発言には、その発言をしたという証拠がございませぬ。少々お待ちください!」

そう言って一旦伊達屋敷を出て、その近くに屋敷のあった糟屋武則、土方雄久の所に使いを立て
緊急に呼び出した。その上で糟屋、土方の両名と共に政宗の元へ戻り

「先のご発言、後に何かの問題が起こらないためにもこのご両人を証人として、もう一度
おっしゃってください!」

政宗は素直に、再び同じことを言った。

この時の徳山則秀の分別が正しかったため、この後この件で政宗と利家の間に問題が起こることは
一切なかった、と言う。


徳山則秀、前田と伊達の紛争の危機を見事な使者ぶりで防止する、と言うお話。
678人間七七四年:2010/10/14(木) 18:30:15 ID:HzK/UU5e
メンドクセーなーもうw
679人間七七四年:2010/10/14(木) 18:34:15 ID:GRhgb3zp
出典は知らんけど
この話には徳山の手柄話だけじゃない意図もあるのかもな。
いろんなやり方があるもんだし。
680人間七七四年:2010/10/14(木) 18:36:31 ID:HzK/UU5e
政宗って戦には負け続けて、中央からの命令を無視し、てやりたい放題だったのにたのに
何で領土広げて生き残ったんだろう・・・
681人間七七四年:2010/10/14(木) 19:01:16 ID:fAC7J8ij
面積は増えたが、石高は減ってる

未開の宮城を開墾したから、百万石相当の実高に戻っただけで
682人間七七四年:2010/10/14(木) 19:38:53 ID:qpGVOixJ
>>680
??「死ねば助かるのさ」
683人間七七四年:2010/10/14(木) 20:28:13 ID:XWr3f8GV
本当にゆすられたのなら前田利家が武士の立場から考えて怒る気持ちがわかる。
684人間七七四年:2010/10/14(木) 20:38:53 ID:o4T4dul+
まーくん晩年の頃に出てきて欲しかったなこの強請り
ならず者相手にヒャッハーしてくれると思ったのに...(´З`)チェッ
685人間七七四年:2010/10/14(木) 20:41:42 ID:VNWaa3Bu
政宗好きじゃないけど
利家も本当にくだらないことでお互いの家を滅ぼしかねない嫌味を言うよなw
利家に何の得があってこういうことをするんだ?

http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1843.html
景勝に嫌味を言った逸話もあるし、相当嫌味な性格だったのか、犬っころ?
686人間七七四年:2010/10/14(木) 20:58:17 ID:XWr3f8GV
当時武士は治安維持の役割も兼ねているから嫌味だけでなく、
武士の体面からの怒りもあったと思うけどな。
ゆすりをする集団は町人にも迷惑かけている可能性は高いわけで。
政宗の領地でのことではないから、義理はないと言えばそうだけど。
687人間七七四年:2010/10/14(木) 21:06:14 ID:Rw8J6i2k
まあ、犬っころの息子が浪人中の立花宗茂に「10万石で雇ってやるよ」と声をかけたら
「腰抜け風情の息子が何をぬかすか!」って一喝されたっていう話もあるしな。
土下座王に腰抜けの犬っころがけんかを仕掛けたという『けちな話だなw
688人間七七四年:2010/10/14(木) 21:55:11 ID:s8+Y2qM9
揺すられるような人数で領外出歩くなよバカ宗www
689人間七七四年:2010/10/14(木) 22:19:47 ID:qpAWh6j8
屋敷に使いを出したら応援呼ばれて逆襲される、という心配はしなかったんだろうか。
それとも山賊に高度な政治判断能力があったのかw
690人間七七四年:2010/10/14(木) 22:22:56 ID:pTw4fgIG
その後、山賊がどうなったかはかかれていない以上、
「その後山賊は政宗率いる応援部隊がおいしく頂きました」となってる可能性は高いのでわ?
691人間七七四年:2010/10/14(木) 22:47:20 ID:XWr3f8GV
幕末だと新撰組と力士集団が町で大喧嘩してるな。
その後、和解して侍と力士で大宴会してるw
692人間七七四年:2010/10/14(木) 22:50:12 ID:WWq5WD2S
>>691
あれ、てっきり芹沢鴨が暴走して相撲取りを返り討ちにしたと思ってた
693人間七七四年:2010/10/14(木) 22:54:20 ID:XWr3f8GV
>>692
きっかけは勿論、芹沢鴨w
その後に力士たちが新撰組のいる所におしかけてきて新撰組が応戦。
土方歳三、永倉新八といった主力級もこの喧嘩に参加してる。
694人間七七四年:2010/10/14(木) 22:57:33 ID:OzQQucne
>>690
スレ違いだがカエサルの青年時代にもこんな話があったな。
あっちは最後は賊はあの世行きだった。政宗が山賊見逃すとは思えんなあ。
695人間七七四年:2010/10/14(木) 23:05:19 ID:dxQ3z5oU
なんで利家は犬っころと呼ばれているんだ?
696人間七七四年:2010/10/14(木) 23:07:20 ID:WWq5WD2S
>>695
幼名が犬千代だから
697人間七七四年:2010/10/14(木) 23:13:03 ID:c2J+9xA+
四つんばいになるから
698人間七七四年:2010/10/14(木) 23:15:19 ID:FMN/Gz+R
信長とわんわんおだから
699人間七七四年:2010/10/14(木) 23:17:14 ID:Rw8J6i2k
>>695
愛玩犬 ノブ専用バター犬
狂犬  発病して茶坊主を食い殺す
忠犬  再就職後はね
番犬  柴田の親父さんの監視
迷犬  賤ヶ岳
駄犬  末森城から小田原陣
老犬  五大老時代

すべて犬ふがつく人生、ゆえに犬っころ

700人間七七四年:2010/10/14(木) 23:22:05 ID:OJxlTIXS
犬と聞いて、のびーの弟と道灌の孫がアップを始めました。
701人間七七四年:2010/10/14(木) 23:22:43 ID:sz+BS87Q
「嫐討ち(うわなりうち)」というのを御存知だろうか。
「嬲」じゃないぞ。「嫐」だぞ。

嫐討ちは、離婚した夫が新たな妻を娶ったとき、先妻が後妻のもとに
押しかけて乱暴狼藉をはたらくという日本古来の慣習である。
別名を「後妻討」と言う。

先妻側は仲間(全員女)を集め、ホウキとナベで武装して後妻の家に
攻撃をかける。後妻の家には前もって宣戦布告を通達し、後妻側に
迎撃準備の時間を与えるのがルールなのだという。

嫐討ちを実行した有名人には、源頼朝の正室北条政子がいる
(離縁はしてないけど)。
頼朝がよそに女をつくるたびに嫐討ちをかけまくったそうな。
頼朝さん涙目である。


さてここからが本題。
鍋島直茂の正室彦鶴姫。最初の夫と死別し、実家に戻っていたところを
直茂に見初められて結婚したことはご存知の通りだが、直茂も初婚ではなく、
慶円という前妻がいた。
西高木城主、高木肥前守胤秀の息女だったが、胤秀が大友義鎮についたため
やむなく離縁したのである。

そして直茂の後妻となった彦鶴さん、前妻慶円による「嫐討ち」を
受けることになった。
ところが彦鶴さん、『宣戦布告文書』を受けても迎撃態勢を取らず、
慶円の軍勢を穏やかな態度で迎え、茶菓子などで丁寧にもてなした。
接待された慶円らは毒気を抜かれたのか乱闘にはならず、戦闘は
回避されたという。


実家が大友に従っている慶円が、彦鶴さんの家に出向けるのかとか
疑問は残るが、賢婦人として知られた彦鶴さんのいい話ということで。
702人間七七四年:2010/10/14(木) 23:25:36 ID:c2J+9xA+
後の放課後ティーパーティーである
703人間七七四年:2010/10/14(木) 23:31:38 ID:VNWaa3Bu
司馬遼太郎の「夏草の賦」で解説されてたアレかw
現代女性みたいに悪い噂を流したり無視したりして戦うよりはずっと健全だよねw
704人間七七四年:2010/10/14(木) 23:39:04 ID:BkacIEwm
>うわなり討ち
同じく司馬の「妖怪」で日野富子がお側室のお今局宅を襲撃していた。
705人間七七四年:2010/10/15(金) 00:05:37 ID:fj5U43fq
勝茂「父が羨ましいわ・・・」
706人間七七四年:2010/10/15(金) 00:52:34 ID:xC7wApj/
>>701
おもしろい風習だよなぁ
怪我人とか出たのかな
707人間七七四年:2010/10/15(金) 02:13:53 ID:tgJyFTFg
>>701
暴れん坊将軍で嫐討ちやってた回があったなぁ
一通り喧嘩して「これで後腐れなしだよ」って感じだった
708人間七七四年:2010/10/15(金) 07:59:11 ID:jEQCdOcQ
>>706
正式ルールとして壊すのは物品のみだったはず
その攻防の結果として怪我人も出たかも知れんが
709人間七七四年:2010/10/15(金) 09:27:30 ID:55JcJEim
大名の毛利輝元が天下人の秀吉へたくさんの桃を献上した。ところが、石田三成が「季節外れの桃を食べておなかを壊したらいけない」
という理由でその桃を送り返した。
主君の秀吉の健康に気をつかったちょっといい話。
710人間七七四年:2010/10/15(金) 09:29:27 ID:dVdHeWFm
送り返された桃は絶対いっちゃてるなw
711人間七七四年:2010/10/15(金) 09:34:10 ID:n8ynXf2i
さすが喉が渇いても柿を食わなかった人だ
健康管理に気をかけるあたり家康とも似てる
712人間七七四年:2010/10/15(金) 10:15:53 ID:V6rYRzYq
秀吉「輝元め、こんな時期外れに桃なんか食えるか。」
   おい、三成。この桃どうにか処分しておいてくれ」
三成「はっ」

三成(…。よし、俺が勝手に送り返した事にしておこう)
713人間七七四年:2010/10/15(金) 10:36:31 ID:DyMueGyc
>709
焼味噌様は自分は食わずにみんなに分けたんだっけ。
やっぱ三成は嫌われ役なんだな。
714人間七七四年:2010/10/15(金) 10:37:05 ID:4LPaeAIt
>>709
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-954.html
細部は微妙に違うけど既出かと。
715人間七七四年:2010/10/15(金) 17:08:57 ID:55JcJEim
>>714
石田三成の項目しかチェックしていなかったから気づかずに季節外れの桃のネタを書きこんでしまった。申し訳ない。
716人間七七四年:2010/10/15(金) 20:54:20 ID:e8I/bJ8+
ラスボス「桃は上流の生娘に限る」
717人間七七四年:2010/10/15(金) 21:14:40 ID:Pxh5RIum
畠山義続「桃は毛が無いのに限ります」
718人間七七四年:2010/10/15(金) 21:16:22 ID:9Cz3ruGX
焼き味噌様「これは南蛮渡来の果物で・・・」
三成「橙だと!秀吉様を橙武者と侮る気か」
719人間七七四年:2010/10/15(金) 21:30:52 ID:z0icip+z
だいだいつか蜜柑って、中国原産じゃね?
720人間七七四年:2010/10/15(金) 21:39:18 ID:xC7wApj/
三成メンドクサイ
721人間七七四年:2010/10/15(金) 21:43:39 ID:4aatMAQ0
>>719
温州とかほとんど東南アジアに近くないか?
722人間七七四年:2010/10/15(金) 21:56:46 ID:jjyKM0p7
723人間七七四年:2010/10/15(金) 22:06:56 ID:dVdHeWFm
↑の氏政さんの逸話よんでると信玄さんが逆に可愛そうに見えて仕方ない・・・
724人間七七四年:2010/10/16(土) 00:26:23 ID:n0tNMc84
「ミカンが食いてぇ・・・」と洩らしたのは、前田利長である。

天正13年(1585)、父・利家から越中守山32万石を預かった利長だが、少年期を信長の小姓として畿内で過ごした
彼にとって、北国での生活は退屈なものだったのか、突然こんなことを言い出したのだ。
(ちなみに紀州や伊予でミカンの栽培が始まるのは慶長期を過ぎてからで、天正の頃は超高級品である。)

「・・・と、若殿が言っておられたが、この越中でミカンなんぞ手に入るのか?」
「まぁとにかく、方々に当たってみるしかあるまい。」
利長の近習たちは手分けしてミカンを求めたが、やはり京でも珍しい果実を、北国で探すことはできなかった。


そんなある日、近習の一人がある商家に立ち寄ったところ、菓子として見事なミカンを出された。
驚いた近習が亭主に利長の話をすると、亭主は四、五十ほどもミカンを持って来て、近習に渡してくれた。

翌日の朝、山盛りのミカンを見た利長は大いに喜び、四、五十もあるミカン全てを平らげた。
ところが、昼過ぎになって利長はひどい腹痛を訴え、病の床に着いた。医師の懸命の治療も、功を奏さなかった。

「これはいかん。若殿に万一の事あらば、我らは責任を取って腹を切り、後に続こう。」
近習たちは行水をして身を清め、ジッと利長の側近く詰めた。

夕方になってケロリと治った利長は、襖越しに近習たちの会話を聞いており、
「なにをしておる?わしの腹ごときで、お主らが腹を切る必要などないわ。早く帰って家族を安心させてやれ。」
と言って、早々に近習たちを解散させた。
725人間七七四年:2010/10/16(土) 00:29:10 ID:Rr8nHx4K
>>699
織田信包「老犬といえば私のこと」
>>709
森忠政「桃といえば私のこと」
726人間七七四年:2010/10/16(土) 00:38:24 ID:bSXqVZk4
いくら好きだからって、一度にみかん50個も食うなよw
というのは現代人的感覚なのかもな。
たった4,50年前の人すら、好物は今すぐ食べないと誰かに横取りされてしまうっていう感覚があったらしいから。
戦国時代なら、なおさら明日食うため残しておくなんて考えないだろうな。
727人間七七四年:2010/10/16(土) 00:42:09 ID:D/Lsq7hr
落語の「千両みかん」思い出した
(真夏に大店の若息子がみかんを食べたいとの思いが高じて病気になって、
みかん倉庫にたった一個だけあったみかんを千両だして買う話)
728人間七七四年:2010/10/16(土) 00:48:16 ID:v/kU6jxM
>>726
120万石の太守から横取り出来る人間などそうはいないだろw
729人間七七四年:2010/10/16(土) 00:49:55 ID:Plp4RxH7
これはちょっと食い意地の悪い話だろ
730人間七七四年:2010/10/16(土) 00:55:19 ID:bSXqVZk4
>>728
だから感覚の問題だって。
731人間七七四年:2010/10/16(土) 01:16:56 ID:YGAtepTY
あと、保存の問題で後で食べるって感覚はあまりないんじゃないのかな〜
732人間七七四年:2010/10/16(土) 01:22:14 ID:oBoZIyQh
保存の問題もあったんじゃない?
北陸で寒くても腐る可能性はあるしね

733人間七七四年:2010/10/16(土) 01:32:07 ID:1M5MplOg
みかんを雪に埋めてウマー。
734人間七七四年:2010/10/16(土) 01:46:51 ID:b5PNnxoc
ある時隠居した黒田如水は、息子長政にこんなことを言った

「お前は5つ、わしに勝った所がある。そしてわしは3つ、お前に勝った所がある。

お前が優れていることの一つは、公儀の覚えがめでたいことだ。わしは太閤殿下に仕えていたとき、
一角の大名になれると思っていたが、殿下の覚えが悪くそうはならなかった。

もう一つは一国の政治を完全に掌握していること。

もう一つは金銀をたくさん持っていること。

もう一つは子供を沢山持っていること。わしの子はお前ひとりだけだった。

最後の一つはお前の奥方だ。気丈で実に健気な女性だ。

この5つが、お前がわしに勝っている所だ。


さて、わしがお前に勝っていること、

一つは家中の者たちへの人望だ。

もう一つは博打の上手。

そしてもう一つはむごい事。

以上の3つである。

人望に関しては、わしは間もなく死ぬだろうが、そうなった時家中の者たちは、
代わってお前に仕えるよりも、わしの死の伴をしようとすることだろう。

そして博打とむごいことに関してだが、長政、世間が博打を打てる状況になれば、
ためらうこと無くむごい決断をしろ。

例えば江戸に人質として置いてあるお前の母、妻、子供たち、
これらと国の興亡、もしくは天下への望みを天秤にかける状況になれば、必ず人質の方を捨てるのだ。

お前の下の人数は1万ほどであろう。その家族も含めれば、5,6万の人々がお前を頼って生きている。
この人々を捨てる罪と、人質を捨てる罪、二つを比べれば人質を捨てる罪の方が浅い。
そう了簡すべきなのだ。」


黒田如水から、息子長政へのアドバイスである。
735人間七七四年:2010/10/16(土) 02:20:28 ID:bSXqVZk4
>>733
この時代には埋めた金や食い物を掘り起こすプロがいたから危険w
736人間七七四年:2010/10/16(土) 02:32:36 ID:3J6MWMbQ
>>734
これhttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1811.htmlの具体的なバージョンか
政治家ってこんぐらい現実的にやらなあかんとは思う
ほんま真面目にやったら厳しい職業なんだろうな
737人間七七四年:2010/10/16(土) 07:25:44 ID:tJfAgWrT
>>736
どういう行動をとっても悪人になる悪人と呼ばれることを避けられないこともある職業だからねい
だから善人になりたがる政治家は(以下略
738人間七七四年:2010/10/16(土) 09:53:06 ID:XN2TTu8X
そういう意味では、奇麗事を言って受けをとらないと政治家になれない続けられない民主制というのはかなり難しい精度なんだろうね
739人間七七四年:2010/10/16(土) 09:57:42 ID:KhOEJ2Sz
如水の言いたかったことこれだけじゃね?

>もう一つは博打の上手。
>
>そしてもう一つはむごい事。
740人間七七四年:2010/10/16(土) 10:58:09 ID:B7gTqxQl
子供と奥方あげといて支えてる人間をちゃんと考えて動けってことか
741人間七七四年:2010/10/16(土) 16:06:15 ID:/3qHqMfr
「俺は博打が上手」というのはどこをどう突っ込めばいいのかわからんなw
742人間七七四年:2010/10/16(土) 16:12:29 ID:8NKYYlBk
関が原の予想とか結構外してるけど、大負けはした事無いだろ。
743人間七七四年:2010/10/16(土) 16:16:40 ID:/3qHqMfr
有岡城幽閉とか、囲碁事件で切腹寸前までいったとかいろいろ
744人間七七四年:2010/10/16(土) 16:45:46 ID:e5huJFnN
ギリギリ死ななかった事を負けてないと言い張るなら
それはそれで戦国武将らしくていいかもしれん
745人間七七四年:2010/10/17(日) 02:52:53 ID:9tsj+Ash
伊達政宗は最強の博打うちだったのか
746人間七七四年:2010/10/17(日) 07:49:57 ID:kh8TV+a5
>>707
暴れん坊将軍のテーマ曲を背景に
嫐討ちやってる場面を想像してふいた

最後は前妻の「成敗!」とともに後妻がお仕置きされて終わるんだろうか
747人間七七四年:2010/10/17(日) 08:32:56 ID:yWpNRn0Z
>>670
信玄典廐同様に兄弟自身は◎、但し親と家臣団が
748人間七七四年:2010/10/17(日) 09:19:42 ID:dOgAmx+B
>>659
いい話を聞かせてもらった。
小次郎は謎な人物で名前も年齢もはっきりしないし、この逸話も知らなかった。
749人間七七四年:2010/10/17(日) 11:30:50 ID:wVsiHboP
織田と上杉が睨み合いをしていた頃、織田信忠配下として越中の護りに派遣された斎藤新五なる将がいた
彼は常願寺川のほとり、太田庄本郷に砦を築き上杉に備えた

その頃、彼の娘は酷い皮膚病を患い医者の薬も効かない有様であった
彼は近隣の刀尾神社に娘の快方を祈りに足繁く通い続けた

21日目、彼の枕元に弓矢を携えた刀尾権現の化身が立ち
「この矢の刺さりし場所を探し出す事が出来れば百薬の水が湧きいでておろう」
と言い、丑寅の方角に矢を放ち消えた

彼は見事に矢を探し出すと、果たして水が湧いていた
水の効能か彼の娘は無事回復
その湧水は地名をとって‘的場の清水’と呼ばれる様になったと言われる



斎藤新五という名は富山市の‘的場の清水’の案内看板準拠なんだが…
実質的に斎藤道三の末子斎藤利治の事である
この後、彼は織田信忠と共に二条城で戦死している

太田庄本郷の砦のあった、現富山市太田地区に彼の菩提寺の円光寺がある
‘的場の清水’もその近隣に遺構を残している
涸れてしまっているので遺構、残念ながらもう飲めません
750人間七七四年:2010/10/17(日) 11:57:05 ID:dOgAmx+B
いい話スレなのに評価の低い話が出ている前田さんの評価のいい話投下してみる。
まとめの方で既出(ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3872.html)なのだがもう少し詳しい話です。
751人間七七四年:2010/10/17(日) 12:25:04 ID:dOgAmx+B
[利家夜話]より

ある時蒲生氏郷は、前田利長・細川忠興・上田主水正・戸田武蔵守らを招き
雁鍋を振る舞った。
鍋を囲み談笑していたが話が進むうちに「秀吉公の次の天下は誰のものか?」という話題になった。

即座に氏郷が「それならその男の親父殿だろうよ」と利長を指さした。
「皆は合点が行かぬようだが、今上で加賀大納言殿の他にどれほどの人物がいようか。北陸三州を治め、京までの道筋を阻むものはない。
西国の毛利輝元が上洛を試みようとも、備前に宇喜多秀家が控えているし、関東の徳川家康が上洛しようとすれば、この飛騨が会津におる。即座に食らいついて、箱根を超えさせぬ」
と言った。
次に主水正が、息子利長がそこにいるにもかかわらず
「では、利家様が亡くなられた時には誰が天下を取るか」と問うと、氏郷は間をいれず
「その時は、この氏郷が取り申そう」と答えた。

752人間七七四年:2010/10/17(日) 12:31:25 ID:sxb9exRZ
レオンさん、家康さんと政宗さんどうするつもりだったんだろ・・・
753人間七七四年:2010/10/17(日) 12:56:36 ID:dYWb7bSP
>息子利長がそこにいるにもかかわらず
わかってはいるものの思わず噴いてしまったw
754人間七七四年:2010/10/17(日) 13:58:15 ID:O4v0a1PA
>>751
上洛すれば天下が取れるかのような物言いにひっかかるな
蒲生にとっての「天下=畿内を制圧」くらいの認識だったのかな。
755人間七七四年:2010/10/17(日) 14:00:22 ID:O4v0a1PA
>>749
明治以前の日本って疥癬病みがものすごく沢山いたらしいからな
756人間七七四年:2010/10/17(日) 14:04:54 ID:X+mL+MdS
>>752
「家康や政宗ごとき物の数ではない」といったところじゃないの?
757人間七七四年:2010/10/17(日) 14:25:59 ID:W9J6r3vl
同じ地理条件で、家康の関ケ原への転進を見過ごした上杉の立場は
758人間七七四年:2010/10/17(日) 14:44:21 ID:D5+ay5sf
>>749
トーチャンありがとう…
759人間七七四年:2010/10/17(日) 16:15:37 ID:ICqXT9yD
>>754
同じく左遷された黒田さんは「九州を平らげて威勢を増してから上洛しよう」と動き始めた
ラスボスに警戒された者同士でも、視野の広さと情報収集能力に差があるなー
前線指揮官と参謀の差なのか、蒲生は機内にこだわりがあったのか
760人間七七四年:2010/10/17(日) 19:20:02 ID:JPyH3Dws
三成は秀吉の死ぬ直前に九州の転封の話があったけど
都でなにかあったとき間に合わない、と断ったよね


761人間七七四年:2010/10/17(日) 19:45:37 ID:uc5EfMGE
黒田如水先生からの、情勢が急変した時の心構えアドバイス集

「急変した情勢を見極めたいからと言って、家中のものを集め今日も会議明日も会議、
というような事をやっていたら、そうしているうちに世間の情勢そのものが変化してしまうものだ。」

「どんな情報であっても、信用しすぎるというのは埒もないことである。
しかし、だからといってどんなことでも疑う、という態度では切りがない。
信じるべきことと疑うべきことの見極めこそが、もっとも重要なのだ。」

「具足箱の中には草履を一組、木靴を一組入れておくように。とっさの事態が起こったらこれを
履いて出よ。馬に沓をかけておくなど以ての外である。」


以上、1:判断、決断は素早く、2:情報の的確な判断、3:常に何があってもいいように準備を、
という如水さんのお言葉でした。
762人間七七四年:2010/10/17(日) 20:16:52 ID:O4v0a1PA
「どんな情報であっても、信用しすぎるというのは埒もないことである。
しかし、だからといってどんなことでも疑う、という態度では切りがない。
信じるべきことと疑うべきことの見極めこそが、もっとも重要なのだ。」

言ってることは正しいですが、凡人にはすごく難しいです・・・
763人間七七四年:2010/10/17(日) 20:46:13 ID:Fq4xz0Zv
(●∀・)「信に過ぐるは損をする。疑に過ぎても損をする。」
764人間七七四年:2010/10/17(日) 20:51:13 ID:VoorcZUI
>>760

「九州の惣主にしてやる」だっけか。
断った三成が関ヶ原の合戦直前に軍資金が足りず
「あの話を受けていれば」
と嘆息するという話につながる。

このあたりが本当だとすると、死の直前の秀吉の構想は日本各地に
それぞれをまとめる総括者を決めて、
その上に秀頼がいるという統治形態だったのかと思う。
765人間七七四年:2010/10/17(日) 21:03:48 ID:wjZU/OJl
>>754
このころの「天下」の概念は室町以来の、「畿内近国」をさしたものだと考えたほうがいい。
766人間七七四年:2010/10/17(日) 22:55:16 ID:vgp4L3MX
九州の惣主たって下に加藤・黒田が居るんじゃなぁ…
767人間七七四年:2010/10/17(日) 22:58:20 ID:ifs/XTcN
島津もいるし、大変なところを任そうとしていたってのは信頼の証かね
768人間七七四年:2010/10/17(日) 23:11:12 ID:J0j+5Sko
でもまぁ、島津とは義弘経由で仲が良いし、清正とも最初から不仲って訳でもないから
大丈夫なんじゃないだろうか?黒田との仲がこじれるのは朝鮮での囲碁問題からでしょ?確か。
769人間七七四年:2010/10/17(日) 23:26:19 ID:sxb9exRZ
そもそもラスボス、本気だったのか?
770人間七七四年:2010/10/18(月) 01:19:09 ID:8WTsWTzs
南部の話が少ないと思ったので小ネタを。南部晴政と奥さんの馴れ初め

南部晴政は北奥に覇を唱えた有能な大名だったが、不幸にも男子に恵まれなかった。
そのため晴政は娘たちを有力家臣の娘に嫁がせ、ゆくゆくは長女の婿に家を継がせるつもりでいた。

ある日、晴政は家臣を連れて鳥狩りに出かけた。
ちょうど田植えの季節だったが、城主を見た農民たちはその場に平伏した。
行列は何事もなく厳粛に通りすぎるかに見えた。

そのとき、突然田んぼの中から十七・八歳の美しい娘が飛び出してきた。
彼女は「殿様にお祝い申し上げま〜す!」と言い、笑いながら両手の泥を晴政の服と顔に塗りたくった。

凍りついたのはその場にいた家臣と農民たちである。
実は無病息災を願う泥を擦り付け合う風習は全国各地で見られるのだが、殿様相手では話が違う。

が、晴政は「おめでたいことだ」とニコニコ。
娘を叱りつけることもなく、全身泥だらけになりながら輿に乗ったという。


後日、この娘は晴政によって召し出され、やがてその寵愛を受け男子を生んだ。
晴政は諦めかけていた実の息子の誕生に大喜びし、この子を鶴千代と名付けた。
この鶴千代が後に元服して南部晴継となるわけだが… これ以上語ると悪い話になるのでやめておく。
771人間七七四年:2010/10/18(月) 01:44:12 ID:TQAlHth0
>>770
秀吉「つまり秀次を生かしておいては、秀頼が殺されてしまうという事だな」
772人間七七四年:2010/10/18(月) 06:57:04 ID:DH1jtz42
>>770
跡継ぎ無く養子をもらう→その後実子誕生→養子との間で対立
――ってお家騒動のテンプレのひとつだよね。
ラスボスといい高虎といい晴政といい
跡継ぎを選ぶタイミングって難しいんだなーとつくづく思う。
773人間七七四年:2010/10/18(月) 10:19:40 ID:2eG1xEP+
不動の後継者居ても本人長生きしすぎて跡継ぎに先に逝かれることもあるし後継者問題は色々難しいねぇ。

出来のいい養子に死なれて覇気失った人もおるし…
774人間七七四年:2010/10/18(月) 10:36:31 ID:RUc9ZUTP
普通の家の財産分与だけでも揉めるのに大名なんかは跡継ぎ候補者の家臣の進退にも関わってくるからねえ
跡継ぎがポックリ逝くと家中の権力構造に穴が空くし…
775人間七七四年:2010/10/18(月) 11:26:54 ID:QKnVws/E
個人存在が家を極度に左右しないよう、行政を発達させた北条家
おかげで内乱も少なかった。しかし合議制のために動きが遅かった
776人間七七四年:2010/10/18(月) 12:47:35 ID:na5V9hNL
>>773
出来のいい養子に死なれた人の例が思い出せそうで思い出せないんだが
よかったら教えてくれ。
777人間七七四年:2010/10/18(月) 13:10:26 ID:iInS34rL
>>776
毛利兄弟、陶etcを大量に食いまくってたあの人
778人間七七四年:2010/10/18(月) 13:41:03 ID:vS/e5vM6
>>772
応仁の乱の原因もそれだしね。
779人間七七四年:2010/10/18(月) 17:17:27 ID:RUc9ZUTP
遅れて産まれた実子をもり立てるって非主流派の人間にとっては一発逆転のチャンスだからね
780人間七七四年:2010/10/18(月) 19:29:39 ID:Mj0jujb8
毛利はその点だけは上手くやったな
781人間七七四年:2010/10/18(月) 19:36:13 ID:97wlBPo/
>>780
養子の毛利秀元を跡継ぎに決めた直後に毛利秀就が生まれて、かなりキナ臭い状況に
なりかけたんだけどね。秀元が自分から身を引いて事なきを得た。

ただ江戸時代に入って秀就が藩主になると、この二人めちゃめちゃ関係が悪くなるがw
782人間七七四年:2010/10/18(月) 20:08:13 ID:D38Rr9KX
>>777
大内晴持は出来がいいっていうか将来を期待されてた子という感じ
和歌に蹴鞠に楽器演奏と義隆好みに教育されて
しかも剣の腕もそこそこあるという話は残っているが
戦績に関しては資料があまり残ってない

もしかしたら初陣が出雲遠征だったのかも
783人間七七四年:2010/10/18(月) 22:58:45 ID:d2mUGzDJ
>>781
なんで輝は問題を色々引き起こすんだろうか・・・
784人間七七四年:2010/10/19(火) 00:18:25 ID:k21QYfwK
養子の件はテンプレだからTERUさん責めるのは可愛そうです^^
785人間七七四年:2010/10/19(火) 01:02:32 ID:zO1ijVhk
悪久「養子か・・・ブサな嫁をもらった娘婿の居心地の悪さは異常」
786人間七七四年:2010/10/19(火) 03:37:41 ID:t3end+8X
輝に子が出来なくて毛利の後継者として関ヶ原に秀元が参陣してたら
どうなってたんだろうな。
787人間七七四年:2010/10/19(火) 03:56:09 ID:ao9elNTx
輝が一応とは云え総大将でアレだから大して変わらなかったんじゃないかな。
輝が死んで跡継いでたら別だけど
788人間七七四年:2010/10/19(火) 08:49:07 ID:2bwa7MwY
輝あるところに波乱あり
789人間七七四年:2010/10/19(火) 18:10:45 ID:ax1N1cKW
この話の

大内義興、足利義稙歓迎宴会メニュー!・いい話
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-848.html

将軍歓迎メニューが再現されたらしい


室町時代の豪華料理を再現

 室町時代に中国地方を中心に勢力を伸ばした守護大名大内氏が足利幕府前将軍をもてなした
豪華な料理が、このほど約500年ぶりに山口市内の観光拠点施設で再現された。
 再現されたのは、ホヤ、タラ、からすみなどさまざまな食材を使ったメニューで、32膳(ぜん)
101品に上る。
監修した食文化研究家の江後迪子さん(75)は「文献として現存する献立としては日本一の品数」と
説明する。
http://www.jiji.com/jc/c?g=jfn&k=2010101500515&mogi
http://www.jiji.com/news/kiji_photos/20101012bo01n.jpg
790人間七七四年:2010/10/19(火) 19:17:53 ID:FwBbE0O/
>>789
おもしろいね
記事読むと、やっぱ鶴やイルカはダメかー
鶴の吸い物とかいろんなとこで出てくるから、一回くらい食べてみたいw
791人間七七四年:2010/10/19(火) 19:25:30 ID:LxveChbw
ひこにゃん「醤油はないんですか?」
792人間七七四年:2010/10/19(火) 22:14:47 ID:5oHP6vcX
ひこにゃんが吉田松陰の墓参りに来るのはいいんだけど、水戸と薩摩は彦根にお詫びに行かないのかしら?
映画もあるし。

安倍晋三は会津までお詫びに行ったな。
ついでに彦根にも「芸州口でヘタリア対アメリカ並の勢いで粉砕してゴメンね」ってお詫びしてくればよかったのに。
793人間七七四年:2010/10/19(火) 22:23:13 ID:aUbGAMgQ
>>789
ホヤって山口でも食べてたのか
794人間七七四年:2010/10/19(火) 23:41:40 ID:uNWMaIa6
醤油もない時代の料理だろ
あんまり美味そうな気がしない
795人間七七四年:2010/10/19(火) 23:54:58 ID:Tv2naFzg
醤油の代わりに酒に梅干し入れて煮詰めた、煎り酒ってのがあったが、
これの考案が室町末期っていうから、ひょっとしたら使ってたりするのかなぁ。
796人間七七四年:2010/10/20(水) 02:24:26 ID:KdVZ1ggJ
醤油って結構昔からあるみたいだぞ
少なくとも原型の味噌と醤油の中間みたいなものはあった筈
797人間七七四年:2010/10/20(水) 03:18:52 ID:3XNpWj4G
>>791
醸造の醤油が一般的になるのはもう少し後で、この頃は醤(ひしお)なんじゃない?
798人間七七四年:2010/10/20(水) 03:32:42 ID:TjK5xz0G
799人間七七四年:2010/10/20(水) 03:39:01 ID:3XNpWj4G
ないとは言ってないんだけどね。逸話の類は成立時期の風俗とかの影響もあるしなぁ。
800人間七七四年:2010/10/20(水) 12:31:18 ID:PEEVABz9
一般に出回ったのが江戸期で暫くは伊勢の方だけのものだって何かで読んだんだけど、出展が思い出せない…
801人間七七四年:2010/10/20(水) 18:00:24 ID:CzCqT+wL
>>794
ホヤは延喜式の時点で既に出てくるくらいの伝統食なわけだが。
802人間七七四年:2010/10/20(水) 22:24:38 ID:57Jy+cZn
>>801
どうしてアレを食べようと思ったのか、延喜式には記録しておいてほしかった。
803人間七七四年:2010/10/20(水) 22:31:14 ID:TjK5xz0G
どうして・・・って
昔の人は何でも食べてみたし、不味かったり毒があれば、
どうにか食べる方法がないか工夫を凝らしたんだと思うよ。
食えるかどうかは最大の関心事だったんだから。
804人間七七四年:2010/10/20(水) 22:50:25 ID:h3nTBWBi
河豚すら食ってるんだからな。
河豚を食おうと最初に思った奴は凄い。
とてもあんなの喰えるとは思えないだろ…。
805人間七七四年:2010/10/20(水) 23:14:46 ID:OKuMDTwh
腹が減って死にそうだったので腐った豆を食ってみたら意外と美味かった(キリッ
806人間七七四年:2010/10/20(水) 23:19:38 ID:ucpN1bXv
始めて海鼠(なまこ)を食い出せる人は其胆力に於て敬すべく、
始めて河豚を喫せる漢は其勇気に於て重んずべし。
海鼠を食えるものは親鸞の再来にして、河豚を喫せるものは日蓮の分身なり。

夏目漱石「吾輩は猫である」より
807人間七七四年:2010/10/21(木) 00:25:11 ID:ITOJnpYg
フグを食えるかどうか試した時、間違いなく動物か人間が死んだはずだが
それを見てなお諦めなかったのはすごいな。
808人間七七四年:2010/10/21(木) 01:49:36 ID:mF4ZV+7k
藤堂高虎は、何でも珍しい種類の贈り物が届いた時は、酒井忠世、土井利勝らをよく招いた。
酒井、土井らは他に先約があろうともそれを辞退し、藤堂邸に訪れるのであった。
高虎夫妻自ら台所に来て、料理に念を入れるよう命じ、会食には高虎を上座に、左右に酒井、土井らを座らせた。
さて、念を入れたその料理の献立は、
鶴または雁の汁、二の汁は干し葉に打ち大豆か、もずくの冷汁など、
それになますか刺身を添え、煮物はあらめに田作り、そして漬物。
五菜を過ぎることはなかったという。

品数は少ないが。しょぼい、ようにも思うが。もてなそうとする気持ちがいじらしいじゃないか、ということで。
809人間七七四年:2010/10/21(木) 06:54:47 ID:lvNSGg8/
三人の二代目読んでると輝も案外苦労してたんだなと思ってしまった。

所詮は読み物でノンフィクションでは無いんだけどね。
810人間七七四年:2010/10/21(木) 07:01:22 ID:ffUiB8F9
バカが
811人間七七四年:2010/10/21(木) 08:21:58 ID:Sp9yLxUr
三河者乙
812人間七七四年:2010/10/21(木) 12:07:13 ID:YZ/vyeFE
>>807
腹が減りすぎて内臓まで全部食う → 死亡
流石に内臓はキモくてそれ以外を食う → 生還

それを見ていた奴
「あれ?死ぬかどうかは運なのか?じゃあ俺も…」
813人間七七四年:2010/10/21(木) 12:20:36 ID:vFXvlJOL
>>794
ホヤなんて宮城県民と韓国人しか食わないだろ
814人間七七四年:2010/10/21(木) 12:47:24 ID:uepXt6f5
ユムシは日本でも食うらしいけどフナクイムシはどうなんだろう
815人間七七四年:2010/10/21(木) 13:28:16 ID:hJQec6XK
>>812
石川県の名物料理ふぐの卵巣はすごいよ。
もちろん卵巣は猛毒なのだが塩水に1年、さらに糠の中に2年から3年漬け込むと
毒が抜けて珍味になる。
ここまでして猛毒を食べようとした昔の人の執念て物凄いよなw
816人間七七四年:2010/10/21(木) 13:33:23 ID:jsYTtfXw
俺はこんにゃくを作った人がすごいと思うよ。
なんでそこまでしてあの芋を食いたかったんだ……・。
817人間七七四年:2010/10/21(木) 13:35:18 ID:1E/WkLFx
飢饉でもあったんじゃない?
818人間七七四年:2010/10/21(木) 13:56:14 ID:87yH6h94
食い物関係だと発酵、特に臭いのキツくなるやつ。
よく口に入れようと思ったもんだ。
819人間七七四年:2010/10/21(木) 14:59:38 ID:YZ/vyeFE
山形だと上杉鷹山が色々民衆に飢饉対策の知恵を広めたから
ケンミンショーで「雑草を食う県」とか色々言われてるね
820人間七七四年:2010/10/21(木) 15:13:32 ID:Hu95LBaG
>>817
飢饉のときにあんな低カロリーの物食ったら死ねる
821人間七七四年:2010/10/21(木) 15:57:45 ID:0uY98ZBK
飢饉だとカロリー云々言ってられないんじゃないかと・・・
つか、干瓢とかもあそこまでして食う物なのか?って思うときもある
822人間七七四年:2010/10/21(木) 16:00:05 ID:OeV0SEWc
蒟蒻は縄文時代に植物のまま東南アジア伝来。
その後薬用として中国から製法が伝わる。
搗き砕き、灰汁で煮て餅状にし酢であえる食べ方。
これは糖尿病などの病をを治すとされた。
もしくは腫物・風毒の患部上に擦りつけるな薬のような用いられ方がされている。

平安時代になると間食などで食用にされるようになるが、
あくまで高級品であり一般庶民が食べるものではなかった模様。
灰汁で凝固させて食べる蜀国の珍味として紹介されている。
それも今と違い、秋から春の数ヶ月だけの期間限定で食されていた。

その後江戸末期になって凝固させるための荒粉と、粉のまま保存する方法が
水戸藩の久慈郡諸沢村(現在の茨城県常陸大宮市)の中嶋藤右衛門によって発見され、
年中食べたれるようになり庶民の食卓にも上るようになる。
更に水戸藩の専売品として藩の財政も潤した。
中嶋はこの発明と普及尽力によって名字麻上下着用を許された。


諸説あるんだが(伝来が仏教と一緒説とか)だいたいこんなところ。
823人間七七四年:2010/10/21(木) 17:01:33 ID:mgT6QvXu
>>821
干瓢は保存食ゲソ
824人間七七四年:2010/10/21(木) 19:37:42 ID:Jqyfcmfv
なぜか佐賀県に清正公の伝説がある。

文禄元(1592)年。加藤清正は本拠の肥後から、肥前名護屋城への参陣の為、
現在の佐賀市大和町の辺りを行軍していた。
が、ここで彼の乗馬が脚を停めて膝を折り、動かなくなってしまった。
一向に動こうとしない馬から降りて、ふと周囲を見渡すとなにやら字の彫られた奇妙な石塔が見える。

清正「南無妙法蓮華経?いや違う。蓮は書きかけだし、後の文字が無いぞ?」

不思議に思った彼は家来に命じて付近の百姓を連れてこさせた。

百姓「この書きかけのお題目は、昔、京から来られた日親上人が彫ったものです」
清正「なんで途中までしか彫ってないのだ?」
百姓「なんでも、一文字彫る度に町へ出て辻説法されてたそうなんですが……
   ほら、日蓮宗でしょ?他宗を攻撃しすぎて恨みを買い、命を狙われたんですよ。で、未完成のまま立ち去られたそうです」
清正「。・゚・(つД`)・゚・。 」

そう。何を隠そう清正は熱烈な日蓮宗徒なのである。

清正「なぜ馬が進まぬか解った!俺にこれを完成させろということだな!?」

彼は槍で石塔に残りの文字を刻み、その文字にそって題目を彫らせるよう命じた。
これが宝塔山親正寺にある「清正公(せいしょうこう)槍先の題目」の由来である。
日親上人と言えば公方足利義教の弾圧で、焼けた鍋をかぶらされる拷問にも耐えた有名人。
いわば日蓮宗スーパースターズの時代を超えたコラボレーションである。
え?実話なのかって?まあ、その辺は……ね?
825人間七七四年:2010/10/21(木) 21:02:41 ID:eHwrALlQ
>>824
>何を隠そう清正は熱烈な日蓮宗徒なのである。

足軽に貸し出した具足に大きく南無妙法蓮華経の文字が
書いてあるのにどう隠すんだよw
826人間七七四年:2010/10/21(木) 21:21:11 ID:ITOJnpYg
栃木県民だが、トチ餅もなんでそこまでして…って思う食べ物だわ。
アクぬきに3日、薄皮はがす工程に3日、ようやく下ごしらえが出来たところで
実をついて細かくして餅にまぜるんだが、びっくりするほど美味しくないw
商品化されてるのは砂糖やらなにやらで上手に菓子として仕上げてあるが。

タンパク質なら、別にどんぐりでもよくね?って感じだ。
827人間七七四年:2010/10/21(木) 21:32:00 ID:TuSFo9a3
下野國人には申し訳ないが、トチ餅よりもまずしもつかれの
我が道行き過ぎっぷりを…
828人間七七四年:2010/10/21(木) 21:38:52 ID:8o55AXQg
あの吐瀉物か…。
829人間七七四年:2010/10/21(木) 21:47:56 ID:zJOME8rh
神君味噌漬けよりはまし
830人間七七四年:2010/10/21(木) 22:33:07 ID:DxN7/Eko
立花宗茂は関ヶ原後も自領の柳川に戻って抗戦していたが寄せ手の説得により降伏開城した
その後、肥後の加藤清正の所に身を寄せる
九州の情勢はこの時期になっても未だ緊迫し清正も家康の命により島津討伐の準備を進めていた
そんな時の話

清正は宗茂に言った
「一緒に来て島津と戦おう。一戦して武功を挙げれば所領も回復出来るよ」

これに宗茂は
「今さら関東に忠節を尽して昨日の朋友に一矢を加えれば、
世間の人々は皆、私を貧寒のために志を失ったものと見なすだろう。
私はそのような事を深く恥じる。」
と返し固辞したという
831830:2010/10/21(木) 22:45:45 ID:DxN7/Eko
本当は

結局島津討伐は行われず立花家は改易、宗茂は浪人生活を送る事になる
浪人中は加藤清正の援助を受けていたが島津家も宗茂に援助していた
島津もまた宗茂の友情に答えたのだ

とかで締めるつもりだったけど
何処の本で島津が宗茂を援助していたって書いてあったのか見つからなかったから削った
どっかどっかで読んだと思ったんだけどなぁ
832人間七七四年:2010/10/21(木) 22:51:04 ID:71icVKMn
宗茂に関してはもう人格者過ぎて言う事ないな
俺男だけどうっとりくるわ
833人間七七四年:2010/10/21(木) 23:00:45 ID:wvGDu3xg
「今さら佐竹に忠節を尽して昨日の主君に一矢を加えれば、
世間の人々は皆、私を貧寒のために志を失ったものと見なすだろう。
私はそのような事を深く恥じる。」

ちょっと改変すると菅谷さんになる
834人間七七四年:2010/10/21(木) 23:09:48 ID:fF8mVeL4
こんだけ義に厚い人だったから人も寄って来る訳だな。

今も昔も義に厚い人は大切にされるわな
835人間七七四年:2010/10/21(木) 23:10:39 ID:EzPzHI8q
周囲の人もここまでの人格者っぷりをみると嫉妬する気もおきなかったのかも
836人間七七四年:2010/10/21(木) 23:21:28 ID:LlENNIWj
所領は武功で得るものといういかにも叩き上げっぽい誘いに
清正らしさが感じられる気がする
837人間七七四年:2010/10/21(木) 23:23:12 ID:q9hKCRQo
でも、義にあつくても夫としていいわけでもないのが…
838人間七七四年:2010/10/21(木) 23:24:25 ID:LlENNIWj
そりゃ言うだけ無粋ってもんだ
ここはいい話スレだぜ
839人間七七四年:2010/10/21(木) 23:29:49 ID:EzPzHI8q
>>837
そっちは別にどっちが悪いって話でもないと思う・・・
840人間七七四年:2010/10/22(金) 03:02:24 ID:EUbbdrvZ
今日は旧暦で関ヶ原のあった9月15日ですね。
そんなわけでちょっと関ヶ原に関係のある話を

関が原の合戦が終わってしばらくした頃、前田利長家中において、信長の時代より活躍した
長老というべき人々、高山右近、長九郎左衛門、山崎長門守、内藤徳庵の四人が雑談をしていた。
この時、こんな話題が出た。

家康公が関ヶ原で勝利され大阪に戻ってきたとき、前田利長様は家康公にこう申し上げた。

「秀頼公は大阪から遠国へと移し、大阪城は家康公が接収なさるべきです。」

この言葉に家康公は、直ぐにこう察せられた
『なるほど。これは肥前守(利長)と仲の良い大名たちが内々に談合し、
私が秀頼公をどのように処遇するか、それを聴こうとしているのだな。』

そして利長様にこう答えた
「今回のことはすべて治部少輔の仕業であり、ご幼少である秀頼公には
何の関係もないことです。
それ故に秀頼公にはこのまま、別状なく今まで通りに大阪城にあって頂きましょう。」


後で分かったことだが、利長様の問いは家康公が察せられたとおり、大名衆が談合して、
家康公の口ぶりを見たいがために行ったことであったそうだ。

それらをとっさに悟った家康公は分別が厚く、大くくりに時節をご覧になることが
実に上手な人である。
彼らこのように感嘆した、とのことである。

どうでもいいがこの時「そうだね。あなたの言うとおり秀頼公には国替えしてもらおう」などと
家康が言ったら一体どんなことになったのか、そんな事もちょっと想像させる
前田家の長老たちによる関ヶ原直後の回顧、のお話。
841人間七七四年:2010/10/22(金) 04:26:55 ID:Gzouhz79
>>830
別の説としては、降伏の条件として宗茂は島津攻めの先鋒を引き受けるんだけど、
清正と協議して、島津に書状を送り徳川と和睦交渉するように勧めたってのもあるね。
(確か島津家にその時の書状が残ってたと思う)で島津と徳川が交渉してる間は先鋒
であることを逆手にとって誰にも島津を攻めさせなかったそうな。結局和睦が成立して
島津家は助かるんだけど、島津を攻めなかった立花家は改易されたって話。
そのため島津家は浪人となった宗茂を支援して、義弘が死んだ後も立花家に友好的
だったらしい。
842人間七七四年:2010/10/22(金) 07:22:55 ID:knjSSFyD
関ヶ原の戦い後、帰領中に宗茂と義弘がばったり出会わなければ、
宗茂は島津を攻めに行ったかもしれんね。
843人間七七四年:2010/10/22(金) 08:01:53 ID:v3Jja4e4
841を読むと830が先鋒である事を盾に逸る清正を抑えている宗茂の図に見える。
別説というが一緒にしてもあんまり違和感ない。
ってか清正が支援してたのは知ってたけど島津も支援してたんだな。
844人間七七四年:2010/10/22(金) 08:17:26 ID:W44qA2YX
ここまでしてもらって支援しなかったら、それこそ鬼だなw
845人間七七四年:2010/10/22(金) 19:30:51 ID:xWGjq51T
そういや台湾のwikipediaの立花宗茂のページは日本語のそれよりかなり充実してたなw
あちらにも信者がいるらしい。
846人間七七四年:2010/10/22(金) 19:34:26 ID:XUFa6kp+
こっちの人間がやってたりするけどな
この板にも生息しているナッちゃんとか呼ばれているホモが
男色の英語ページをやたら充実させていた
847人間七七四年:2010/10/22(金) 20:25:40 ID:R9VZo56p
>>845
本当に日本語より情報充実しててわらたwwwwww

>>846
調べもせんで適当なこと言わん方がいいよ
立花宗茂のそれは履歴見れば分かるけど編集してるの主に台湾人だから
848人間七七四年:2010/10/22(金) 21:47:06 ID:Ug48fgZ5
中華の人たちは、仁義礼智信忠孝悌って倫理概念に序列があるんだよな。
だから真義レンジャーの宗茂のファンがいてもおかしくない。
849人間七七四年:2010/10/22(金) 21:51:20 ID:Z938dRZR
ちゅうか、向こうも光栄ゲー売ってるし、そういう経由で戦国好きも多い。
850人間七七四年:2010/10/22(金) 23:10:39 ID:OmUoIH4p
豊臣秀吉による九州征伐の時のことである。
細川忠興と蒲生氏郷の軍は、新納忠元の籠る大隅大口城を攻めていた。

ところでこの九州征伐、兵糧不足の話がそこらかしこに出てくるのだが、この大口城攻めも例外ではなく、
攻め手の豊臣軍は甚だしい兵糧不足に陥り、細川忠興すら一両日にわたって食事を取らず
なんとか凌ぐ、ということすらあったそうだ。

そんな時、大口城より一人の若党が下人たちに米俵を担がせ川を渡り、
忠興の陣の前まで来ると、このように大声を発した

「その筋違いの幟、長岡幽斎殿家中の陣と存ずる。
城主新納忠元よりの口上をお伝え申す!

さて、戦は兵糧のことを先ず第一にするものだと存じておりますが、
このたび、秀吉公においては兵糧がご不足の様子。誠に笑止なことでござる。

ところで長岡幽斎殿はわが主君、島津義久とかねてから殊の外懇意な間柄でござった。
その縁により、はばかりながらこの米をそちらにさし上げんと存ずる!」

なんと、半ば飢餓状態の忠興の軍に、敵である新納忠元が米を分け与えるというのだ。
嘲笑であると取るべきか、親指武蔵の剛毅さと見るべきか。
忠興はこれに大いに驚いたが

「我が軍に兵糧は潤沢にあり、そのような物は必要ない!」

と、強がりを言いこれを拒否した。


後年、忠興はこの時の事について、こんな述懐を漏らしたそうだ

「あの時は本当に苦しかった。新納忠元の申し出を聞いたときには感動のあまり、
つい米を受け取りそうになったものだ。」


新納忠元、敵に塩ならぬ敵に米を贈る。と言うお話
851人間七七四年:2010/10/22(金) 23:44:52 ID:eVZMlN8V
流石「じゃないほう」の鬼武蔵さんやで
852人間七七四年:2010/10/22(金) 23:57:02 ID:V4VGphNs
忠興、誘惑に打ち勝ったいい話
853人間七七四年:2010/10/23(土) 00:14:56 ID:pEYVtP/P
食欲に誇りが勝った面子守ったいい話だな
信長も言っていたな、飯がなくても誇りがあれば人は生きていけるって、ドリフターズで
854人間七七四年:2010/10/23(土) 00:21:56 ID:Z/AnLOdV
>>848
宗茂はそれ見事に揃ってるもんな。
大陸の人が好きそうだよね。

なのに九州から最も近い大陸の国からの観光客に遠慮してるのか柳川に宗茂の銅像とか無いんだよね、確か。

国内や中国台湾からの客も考えて柳川駅とか川下りの始点近くとか国道沿いとかに宗茂像立てれば良いのに。
855人間七七四年:2010/10/23(土) 00:22:22 ID:W/DO6eWo
幽斎さんなら上手い事言ってもらっちまうんだろうなぁ〜
856人間七七四年:2010/10/23(土) 01:10:51 ID:5PnQkWT9
幽斎にも送ってたりする→http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2996.html
デニーロはやっぱかっこええな
857人間七七四年:2010/10/23(土) 01:14:28 ID:cOudrbBa
幽斎さんなら名刀とか古筆を贈り返すんだろうなぁ。
858人間七七四年:2010/10/23(土) 07:28:34 ID:itB0OKdp
>>853
兵糧に毒盛ってあったら全員毒死の悪い話になってたな
859人間七七四年:2010/10/23(土) 09:17:48 ID:W/DO6eWo
幽斎さん、お米はきっちりいただいんだね^^
でも、武蔵さんも幽斎さんもかっけーなー

860人間七七四年:2010/10/23(土) 12:44:31 ID:6xFGWZcs
兵站の基本がなってないってどういうことなの……
861人間七七四年:2010/10/23(土) 13:07:28 ID:1REFYu5h
>>860
日本の伝統だろw
862人間七七四年:2010/10/23(土) 13:15:10 ID:hHQ2OI/L
>>860
織田系の兵站の基本って、合戦のある周辺で商人や農民から米穀を銭で買取り
それを兵站拠点に集積させ活用する、ということだったらしいのね。

で、これは畿内やその周辺といった、生産力が旺盛で余剰米も多く、また貨幣経済も
盛んだった地域では通用したのだけど、九州征伐の時の九州はちょうどひどい不作
だったこともあって、この「織田方式」が通用しなかったっぽいのね。

で、米のある地域から運ぼうとしても、このころは未だ「長距離の輸送力」という意味では
秀吉の軍も貧弱で、効率的な運搬が実現できず自軍の兵を多く飢えさせた、という状況
だった模様。

小田原の陣の時予め米雑穀20万石を集めておいたというのは。この九州征伐の時の
反省からだろうね。
863人間七七四年:2010/10/23(土) 13:47:14 ID:lM6oRg+8
九州征伐の際、兵庫尼崎では約三十万人分の兵糧、二万匹の馬の飼料など一年分を集め
輸送にあたったんだが、その膨大な物資輸送の様子を見て細川幽斎が一句

「米舟は国々よるも著きにけり あけても積まん倉なしの浜」

兵糧調達、供給もすごい一大事業だったようで
それでも足りなかったんだなぁ

ちなみにこの時の兵站奉行、ご存知石田三成、大谷吉継、そして長束正家
いつものメンツなら長束でなく増田長盛がいる所なんだが、
算術能力に優れていたという長束を起用してる所が、やっぱ大変な事業だったんだろうと思った
864人間七七四年:2010/10/23(土) 14:00:24 ID:JI91N8BU
>>850

太閤さんも賤ヶ岳で猛暑でダレてる兵達のために
近隣の村々から笠を買い集め敵方にも配ったという話があったね
865人間七七四年:2010/10/23(土) 14:56:37 ID:769u16WF
新納さん、やるじゃんwww
流石、島津の重臣
866人間七七四年:2010/10/23(土) 15:01:11 ID:HF5WshSf
>>853
可愛いよ三斎さんw
デニーロは普通に漢、カッコいい。
867人間七七四年:2010/10/23(土) 16:08:03 ID:JkzDgxmY
そもそも戦国時代は自弁です
部隊によって兵糧に差があるのは当たり前
868人間七七四年:2010/10/23(土) 16:09:13 ID:JkzDgxmY
>>861
WWUでは、各国とも兵站はボロボロだぞ
色んな国で色んな笑い話が残ってる
869人間七七四年:2010/10/23(土) 16:11:42 ID:J/g+UlTw
ナポレオン時代のフランス軍とかもひどいよな。
870人間七七四年:2010/10/23(土) 16:24:27 ID:G8uXonYt
>各国とも
程度がおおきく違うのに各国ともとひとくくりにしちゃうのはなんかちがうとおもうぞなもし
871人間七七四年:2010/10/23(土) 17:06:03 ID:35tlXNap
兵站を円滑に行うのはいつの時代だって平坦な道じゃないさ
872人間七七四年:2010/10/23(土) 17:09:51 ID:JkzDgxmY
>>870
場所や条件が同じ軍などこの世に二つとないんだから
比べようがあるめぇ
873人間七七四年:2010/10/23(土) 18:24:12 ID:iBZGMFqm
>>871 を凍蚓様付きのお伽衆に取り立てようぞ
874人間七七四年:2010/10/23(土) 19:23:24 ID:UX6ueWrd
兵站を
担当すべく
兵隊が
平坦な道を
兵站担ぎ
875人間七七四年:2010/10/23(土) 19:30:42 ID:HnL/Yjs6
>>874 を武蔵守様付きのお伽衆に取り立てようぞ
876人間七七四年:2010/10/23(土) 20:05:04 ID:bvROUpCb
877人間七七四年:2010/10/23(土) 20:06:04 ID:bvROUpCb
誤爆ですごめんなさいごめんなさいorz
878人間七七四年:2010/10/23(土) 21:02:55 ID:W/DO6eWo
ログインの付録(PC98の維新の嵐)の裏表紙が幕末志士の集合写真だったのを思い出した・・・
一人一人名前書いてあったんだけど、適当だったと後で聞いてめっちゃショックだったなぁ〜
879人間七七四年:2010/10/23(土) 21:10:29 ID:UtllSkfi
>>868
ところで水はありませんかね、パスタを茹でたいのだが
880人間七七四年:2010/10/23(土) 21:28:33 ID:LGavZRGT
徳川家光が壮年の頃、たびたび寵愛する酒井重澄の屋敷へと夜行したことがあった。

ある寒い夜のことである。
骨身にしみる寒さの中重澄の屋敷から帰ろうとした家光は履物が暖かい事に気が付いた。
不審に主ながらその夜はそのまま城へ戻ったが、その後も履物が暖められる事は続き
さては山城守の殊勝さよ、と尋ねるたところ「履物までは心づき申さず恐れ入る」と返された。
では履物を暖めているのは誰なのか?それ以来家光も気を配るようになり、ついに誰であるかが判明した。

それはなんと家光の守り役酒井忠勝だったのである。
寵愛のあまりの夜行を知った忠勝は、家光の身を案じてひそかに供をしていたのだ。
目立たぬように尾行し、重澄の屋敷に入るのを見届けてからは近所に身を潜め、帰りもまた尾行する。
そして凍えそうな寒さの夜には、家光の履物を懐に入れて暖め、戻しておく。それを繰り返していたのだ。

真実を知った家光は忠勝を召し出し「この頃のことはなんとも申しようがない」と言った。
忠勝は「今大切なる御身としては夜行などなさるのは以ての外、かようなことを近習の者が
 1人でも知れば大事ゆえ、人は多くとも頼みにできる者なく、数は少なくとも警護致しました。
 それにしても軽々しいことです。」と諌めた。

これを聞いた家光は感動のあまり落涙し、その後夜行することはなくなった。
881人間七七四年:2010/10/23(土) 21:51:53 ID:AO20nKeJ
昨日は関ヶ原合戦の日だったのですね。
ではこんな話を。

敵中突破を果たした後の島津義弘一行は伊勢から近江へと向かっていた。
但し、街道を堂々と行くわけではない。山中に潜みながら慎重に進んでいたのだが
運悪く途中で僧体風の男とばったり出くわしてしまった。

これはいかん、正体を偽るべきか、あやしげな素振りを見せれば口を封じるか、
物騒な雰囲気の中、一行の中から後醍院喜兵衛宗重が進み出て大声で告げた。

「あいや御坊、これより東軍へ行って告げられよ。
 こちらにおわすは島津兵庫頭、戦いに利あらずして本国へ引き上げるものである。
 されど決して遁走するのではないぞと申してくれよ」

馬鹿正直に正体を明かしたばかりかそのまま通してしまったのである。
これに周りの面々は大激怒。

「いま殿が難儀にあって潜行しようというのにわざわざ正体を明かすとは
 なんと馬鹿なことを!」

これに宗重答えて曰く
「卑怯なことを申されるな、わが殿は必死を帰して生存の御志はないのだ。
 この上は草葉の蔭まで名を残すのが薩摩武士というものぞ。」

義弘も宗重の言を良としたが、敵の捜索の手が迫っている最中である。
一行の言い争いを納めさせるとスタコラ山中を進み始めたとさ。

410年前の伊賀山中での会話でした。
882人間七七四年:2010/10/23(土) 22:32:20 ID:gTWJuGdj
大内義隆が子どもだった頃、義隆は子どもたちが銭を玩具にして
遊んでいるのを見て自分も銭で遊んでみたいと思っていた。

これを聞いた義隆の守り役、杉重矩は
「銭なんて汚らわしいものを、主君となるお方が見てはいかん!」
と思い、黄金の笄で銭を突き刺した。

そして「こんなものはポイだ!」と、
笄と一緒に銭を汚物の中に投げ入れる様を義隆に見せてやった。
883人間七七四年:2010/10/23(土) 22:40:25 ID:MD5hxvLH
>>882
いい話…なのか?w
義隆の金銭感覚のなさを見ると教育方法を間違ったようにしか見えん
884人間七七四年:2010/10/23(土) 23:09:42 ID:pEYVtP/P
>>880
秀吉かと一瞬思った
885人間七七四年:2010/10/23(土) 23:52:24 ID:vXXLfDL7
「立花宗茂は空腹だった・・・・・・」
 漢城郊外、碧蹄館の戦いで、立花軍の先鋒として、奮闘した安田作兵衛こと
天野伝右衛門は、腰兵糧の握り飯を取り出すと呼ばわった。
「腹、空いたもんは、おらんか? 」
「・・・・・・・・・・・」
 声をかけられた者は皆、首を振るか、無言で目を合わそうともしない。
 明国騎兵と必死の戦いを繰り広げた立花の猛者達は、緊張が未だに解けず、
握り飯を食うどころでは無かったのだ。
 立花の3、000は他の家の10、000に匹敵するとまで言われた連中の情けない
有様に呆れかえった源右衛門は、床几に腰掛け、戦況を見ている宗茂に握り飯を差し
出す。
「今、一戦の前にいかがでござる」
「お毒味を」
 脇に控えていた小野和泉が、差し出された握り飯を一つ手づかみにして、ようよう
一つ食い終えるやいなや、宗茂は握り飯を手に取りパクパクと食べ出した。
 二個の握り飯は、あっという間に消えた。
 三個目の握り飯を味わうように食べ終えた宗茂は、源右衛門に声を掛けた。
「馳走になった」
(聞きしにまさる大将かな)
 主君の平然たる態度に内心、舌を巻きながらも、負けじと源右衛門は握り飯を食べ
ようとした。
 しかし、食えない、食おうとすると喉がこみ上げて吐きそうになる。なんとしても
食えない。遂に諦めた源右衛門は、握り飯を投げ捨てると持ち場に戻
886人間七七四年:2010/10/23(土) 23:55:22 ID:vXXLfDL7
後ろが切れましたので付け足します。

 しかし、食えない、食おうとすると喉がこみ上げて吐きそうになる。なんとしても
食えない。遂に諦めた源右衛門は、握り飯を投げ捨てると持ち場に戻っていった。


887人間七七四年:2010/10/24(日) 00:05:53 ID:jzRNPIue
自分が一番情けなかったってオチ?
888人間七七四年:2010/10/24(日) 00:17:18 ID:CTSLqthd
>>887
 まあ、この戦いで源右衛門は、戦死した十時伝右衛門に一番槍争いで負けるわ、握り飯は
食えないわと散々な目に遭い、この後、立花家を去ります。
 情けない自分に愛想が尽きたのかもしれません。
889人間七七四年:2010/10/24(日) 00:32:18 ID:CTSLqthd
誤字脱字がありましたので、もう一度投稿します。

「立花宗茂は空腹だった・・・・・・」
 漢城郊外、碧蹄館の戦いで、立花軍の先鋒として、奮闘した安田作兵衛こと
天野源右衛門は、腰兵糧の握り飯を取り出すと呼ばわった。
「腹、空いたもんは、おらんか? 」
「・・・・・・・・・・・」
 声をかけられた者は皆、首を振るか、無言で目を合わそうともしない。
 明国騎兵と必死の戦いを繰り広げた立花の猛者達は、緊張が未だに解けず、
握り飯を食うどころでは無かったのだ。
 立花の3、000は他の家の10、000に匹敵するとまで言われた連中の情けない
有様に呆れかえった源右衛門は、床几に腰掛け、戦況を見ている宗茂に握り飯を差し
出す。
「今、一戦の前にいかがでござる」
「お毒味を」
 脇に控えていた小野和泉が、差し出された握り飯を一つ手づかみにして、ようよう
食い終えるやいなや、宗茂は握り飯を手に取りパクパクと食べ出した。
 二個の握り飯は、あっという間に消えた。
 三個目の握り飯を味わうように食べ終えた宗茂は、源右衛門に声を掛けた。
「馳走になった」
(聞きしにまさる大将かな)
 主君の平然たる態度に内心、舌を巻きながらも、負けじと源右衛門は握り飯を食べ
ようとした。
 しかし、食えない、食おうとすると喉がこみ上げて吐きそうになる。なんとしても
食えない。遂に諦めた源右衛門は、握り飯を投げ捨てると持ち場に戻

886 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/23(土) 23:55:22 ID:vXXLfDL7 [2/2]
後ろが切れましたので付け足します。

 しかし、食えない、食おうとすると喉がこみ上げて吐きそうになる。なんとしても
食えない。遂に諦めた源右衛門は、握り飯を投げ捨てると持ち場に戻っていった。

 立花宗茂のちょっといい話? 天野源右衛門にとってはちょっと悪い話?


890人間七七四年:2010/10/24(日) 02:31:16 ID:RMRJ/Zm4
>>860
日本の伝統だからしょうがない
弁当を現地調達しようとして失敗し、軍が壊滅した仙台藩や、資源を南方に求めて失敗した日本軍、現役世代から年金と医療費を巻き上げようとする日本政府・・・
891人間七七四年:2010/10/24(日) 06:47:56 ID:G2w6TS6x
あれだけの規模の遠征は初めてだったしね
領土を切り取っては少しずつ攻め込んでいくってスタイルが続いた後だし仕方ない面もある
892人間七七四年:2010/10/24(日) 09:43:22 ID:9FEmHDTU
おにぎりMOTTAINAI
893人間七七四年:2010/10/24(日) 11:05:15 ID:6J7BOAn4
織田信忠の本能寺の変においての決断は、人によって賛否両論が激しいですよね。
否賛成派の人にとっては、別にいい話とは思えないかもしれないけど、気にせず投下してみる。

天正10年6月2日、本能寺の変が発生。
近くの妙覚寺に宿泊していた信忠は、異変に気付くとすぐさま父・信長のもとへ駆けつけようとしたのだが間に合わなかった。
信忠は守りの薄い妙覚寺を移動し、五百名ほどの馬廻り衆と共に二条御所に立て籠り、間もなくして明智勢の襲撃を受けた。

寡勢のうえ武器も不足しており、多くが「素膚に帷一重」という状態ながら信忠勢はよく戦ったという。
明智方の重臣である明智次右衛門に重傷を負わせ、明智孫十郎などを討死させた。
また寄せ手を三度までも撃退したと伝わっている。
信忠自身も具足を付けて戦っており、日頃鍛えた剣法で敵兵を十七、八人斬り倒したのだとか。
そんな感じで信忠が奮戦しているところへ、下方弥三郎という小姓が駆け付けてきた。
見ると弥三郎は左足を負傷していた。
脇腹もやられており、腸がはみ出している。
この傷ではもう奉公が出来ないため、最期に信忠に挨拶でもしようと思ったのかもしれない。
「勇鋭と言うべし。今生で恩賞を与えることはかなわぬが、願わくは来世において授けようぞ」
信忠はそう声をかけた。
その言葉に弥三郎は感激して、笑いながら再び敵中に駆け出して行き討死したという。

絶望的な状況で善戦した弥三郎の様な忠臣達もそうだし、それに対して恩賞を与えてやりたいと思う信忠にもジーンとくるお話でした。
894人間七七四年:2010/10/24(日) 11:15:59 ID:UrFsPYUH
>>885
親父の教えを忠実に守ったわけだ
宗茂は
895人間七七四年:2010/10/24(日) 11:41:42 ID:l82GwbYr
親「何も食っていないだろう、飯を用意した」
子「や、もうたらふく食ってきたんで」
896人間七七四年:2010/10/24(日) 13:02:51 ID:Sttc9CAe
長政さんはその馬鹿正直なところが家康に気にいられたんだろうなw
家臣に思慮なきもなんて言われながらもなんだかんだで慕われてるところ。
如水さんとしてはそこは本当に食べなくてもいいから下がってみせる
押し引きの巧緻さを求めたのかもしれんが
897人間七七四年:2010/10/24(日) 14:01:50 ID:4/v5N+Hv
>>893
信長は危なくなったらスタコラサッサと逃げるのが得意だし、
有楽斎も「織田の源五は人ではないよ お腹召せ召せ 召させておいて
われは安土へ逃げるは源五 むつき二日に大水出て おたの原なる名を流す」
と揶揄されたとはいえ、あの状態から逃げ延びたのに、嫡男の信忠は
有楽斎と一緒に逃げられる状態なのにわざわざ討ち死にだらかなぁ。

なにかというとすぐに切腹する切腹するといいつつも、スタコラサッサと
逃げる家康と違って、本当に切腹しちゃうタイプだったんだろうなぁ。
898人間七七四年:2010/10/24(日) 14:14:31 ID:7xZx+Ryf
アレって有楽が信忠に
「逃走に失敗して討ち取られたら恥だから逃げずに戦った方がいい」
って言って信忠を戦わせてそのスキに自分は逃げたんじゃなかったっけ?
当主であり甥っ子でもある信忠を捨て駒にしたから
「有楽は人でなし」って言われたんだと思っていたんだが違うのか?
899人間七七四年:2010/10/24(日) 14:39:57 ID:8IUDjsp2
>>893
ちくしょう、なんかモニタがぶっ壊れた・・・(;−;)
900人間七七四年:2010/10/24(日) 16:10:22 ID:t0rHsU4p
逃げられる状態かなんて当時の信忠には分からん罠
ましてスタコラサッサ逃げる父親が討ち死してんのに。
妙覚寺には信忠の配下ほか、村井貞勝ら本能寺で一緒に死ねなかった信長直臣も居たが
信忠配下の連中は士気が高く、村井らは意気消沈としていたそうだ
人間的魅力においては織田では代え難い若様だったな。あの鬼武蔵の上司だし
901人間七七四年:2010/10/24(日) 16:21:40 ID:K5smnxaS
有能かつ挫折を知らない若者
もう少し苦い経験があればな
902人間七七四年:2010/10/24(日) 16:39:29 ID:t0rHsU4p
776 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:2009/04/16(木) 01:26:01
そりゃオメー
あの策謀多き人と呼ばれた明智っちゃんが親父殺した後なんだぜ?
まさか細川や筒井ですら協力してなくてラクラク逃げ出せるとか思いもよるめーよ
「信長さまは戦って華々しく討ち死したのに息子ときたら逃げようとして捕まってやーねー」
「あのみすぼらしい格好、とても一軍の将には見えませんわね、奥様」
「渋柿くうかw渋柿ww」
なんて状態になったら涙目だろ

777 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:2009/04/16(木) 01:30:26
漢、と書いてオトコと読むタイプだったんだろうなw

778 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:2009/04/16(木) 02:19:18
逆に無事逃げていたら今頃
「息子さんはちゃんと脱出したのに、信長さんったら明智なんかに殺されてやーねー」
「ま、しょせん桶狭間とか運とかだったのよ運」
「ホントに人生五十年で死んでやんのwwwテラワロス」
なんて言われていたんだろうな

779 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2009/04/16(木) 10:37:49
わっはっは。
巷に多い信長ファンにみせてあげたいな。

780 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:2009/04/16(木) 19:48:26
>>776
>>778
つまり歴オタにろくな人間はいないと



これ思い出した
信忠生きていたら生きていたで(その後、信忠が政権とったら)、信長は今ほど神格視はされてないかも知れん
逆説的にいえば、結果的に息子の信忠が及第点の死に方したから、信長の死に様は武将としても父親としても格を保ったみたいな
903人間七七四年:2010/10/24(日) 16:50:34 ID:ET+fE2H3
>>734
>お前の下の人数は1万ほどであろう。その家族も含めれば、5,6万の人々がお前を頼って生きている
戦国時代らしからぬ家族構成だな
904人間七七四年:2010/10/24(日) 17:22:25 ID:6J7BOAn4
>>900
>人間的魅力においては織田では代え難い若様だったな。あの鬼武蔵の上司だし

一番鬼武蔵の迷惑を被ってそうなのは信忠だろうに、疎ましく思ってる様な話がないのが凄い。
むしろ、何しでかすか分からない鬼武蔵を先鋒に起用したり、
鬼武蔵は返り血を浴びてるだけなのにケガをしてるんじゃないかと心配したり、
各務元正が負傷した時には信忠自ら医者を派遣したりとか気に入ってる感がある。
905人間七七四年:2010/10/24(日) 17:27:09 ID:57K5zd8g
漫画版ゲッターのようなブルブル目玉に悪人笑いをする信忠&鬼武蔵を想像して茶吹いた
906人間七七四年:2010/10/24(日) 18:14:58 ID:yjxctVYL
>>904
変な勘ぐりを入れて悪いが森さん家になんかあったら、親父殿に大目玉くらう可能性はない?
だから、過剰に心配をしているように見える
907人間七七四年:2010/10/24(日) 18:48:13 ID:41337owy
天正15年(1587)4月、関白秀吉の九州攻めに伴ない、黒田官兵衛は豊臣秀長の先鋒として日向から侵攻した。
途中、山田有信が籠もる要衝・高城を包囲した秀長軍だったが、島津軍は高城近くの財部城からしきりに兵を出し、
地の利を生かして思わぬ所から秀長軍の陣を襲い、上方勢を悩ませた。

「拙者が財部城近く進み、敵の隠れ道を探って参ります。探った後は伏兵を置き、潜んで来た敵を狩れば良い。」
そう言ったのは、若干19歳の官兵衛嫡男・吉兵衛長政だった。
「まだ若い長政殿に、そんな大事を任せるのは、いかがなものか?」秀長から派遣されて来た石田三成と尾藤知宣は
難色を示したが、官兵衛とその副将・蜂須賀家政は、長政の提案を良しとした。

栗山・母里等、老巧の士を引き連れ財部城の周りを調べた長政は、さらに敵城近く調べんと、耳川を渡って進んだ。

と、その時、財部城の門が開き、赤い装束の武者が飛び出して来ると、それに呼応するように、近隣の山陰から
島津軍の足軽隊が、鬨の声を上げて突き進んで来た。長政隊は耳川を渡り返すべく、急いで退き上げた。

「長政殿は若いに似ず、逃げるのが上手い。」
後方から見ていた三成が、褒めるとも皮肉ともつかぬ言葉を洩らして笑ったが、父・官兵衛は
「ほう、治部少には長政が『逃げた』と見えるか。まあ、もうしばらく見ていなされ。」と言うのみだった。

島津軍の足軽を打ち払いつつ、やっと長政隊は耳川を渡って逃げ切った
ように見えた、その時。「良き時分ぞ、かかれっ!!」
長政の号令が下るや、その部隊は身を翻し、一斉に島津軍へ襲いかかった。調子に乗って長政隊を追っていた
島津軍は、渡河の途中をいきなり叩かれて崩れ去り、財部城目がけて逃げて行った。

「・・・・・・」
「見たか治部少!『長政は良く逃げる』とお主は笑ったが、あれはわざと敵を川まで引き寄せ、討つための知略よ。
お主もわが子をよーく見て、殿軍など任された時の手本にされよ!」
この勲功等により黒田親子は豊前中津12万5千石を授かり、のちの繁栄の基礎を築くことになる。
908人間七七四年:2010/10/24(日) 18:48:54 ID:41337owy
・・・と、まぁクロカンがすげー嬉しそうなので、

島津軍の伏兵が出てきて、
NGMS「ヒャッハー!敵だあああ!かかれ―――っ!!」
家臣「ダメです!大将が段取り、無視しないでください!」

追いつかれそうになって、
NGMS「いいよな?!殺ろうぜ!」
家臣「こんな所で馬を返せば、逆に殺られるわい!」

耳川の川端まで来て、
NGMS「も、もうガマンできん!!」ハァハァ
家臣「ここで戦ったら、逃げた意味ねーだろ!川を渡れよ!!」

だとか、

“孝高心もとなく思ひ、吉田六郎太夫に仰せけるは、
「吉兵衛敵城近く巡見せば、薩摩は足軽達者なれば帰る時、付来る事あるべし。其時の用心のため汝を遣はすなり。」
伏兵を置て勝利あらん所を見て、道のかたはらの物陰に伏置き、敵来るを待て横合に鉄砲打立て追払ふべき由、
下知したまひ長政の後より遣わされける。”

なんかは、三成に黙っといてあげてください。
909人間七七四年:2010/10/24(日) 19:22:22 ID:RCcwekrt
織田系新世代組は戦場でハシャギすぎだw
嫡子の信忠からしてそんな気配あるからな
それに武蔵や工場長、MASAに三歳様とか
やっぱ子供の頃に信長を直にみた影響かw
910人間七七四年:2010/10/24(日) 19:48:14 ID:G2w6TS6x
逸話の多い時期に若かっただけって気もする
911人間七七四年:2010/10/24(日) 21:43:48 ID:5Ea6CCQq
後でクロカンにがっつり怒られたって話だよねこれ
でもまあ若者らしくていいのではないだろうかw
912人間七七四年:2010/10/24(日) 23:00:01 ID:zBxlMjHh
やべーこのスレ居ると長政が好きになるw
913人間七七四年:2010/10/24(日) 23:53:36 ID:lrtNyB7C
尼子経久の良い?話

尼子経久は客人が経久のものをほめると
それをあげる癖があって
ある日客人が庭にあった木をほめると
それをあげるとか言い出して
客人が「もって帰れない」っていったので
細かく切ってもって帰らせたという

尼子経久 ありがた迷惑な話
914人間七七四年:2010/10/24(日) 23:57:54 ID:WI33sReT
そんだけ暴れる事が出来る時勢だったってのもあるけど、やっぱ御館様の影響が多大にありそうだな

信長の教育方針ってどんなんだったんだろ…
915人間七七四年:2010/10/25(月) 00:08:09 ID:Yr5S85zv
>>914
 身内は、猫可愛がり(信雄、信澄が好例)、ただし後継者(信忠)は厳しく育てる。
 部下は、派遣社員か期間工扱い、重役は疲労死前提の仕事量をこなせない奴は、
即リストラ(ただし丹羽は身内扱いなので除外)
 取引先は、乗っ取り前提で提携関係を結ぶ(ただし徳川は身内扱いなので除外)
 
916人間七七四年:2010/10/25(月) 00:16:05 ID:Vhy24SHf
917人間七七四年:2010/10/25(月) 00:23:20 ID:qIr7TxZi
>>916
申し訳ない
918人間七七四年:2010/10/25(月) 00:24:46 ID:qIr7TxZi
これもででたらごめ

朝倉義景は、信長に破れて落ち延びるとき、
一人の農民に「東郷はどこじゃ?」と、聞いた。
農民「あちらの山路を進めば東郷でございます」
その路を進み辿り着いたのは、越前大野だった…。
居城とは全く違う方向に進んでいたのだ。
側に居た、一族の景鏡は(ここまでか…)と思い
義景を裏切り彼を討った。

東郷は朝倉氏の居城の側にある土地だが、
幾つもの山を超えた山深い盆地、則ち大野にもあったのだ。


919人間七七四年:2010/10/25(月) 00:27:33 ID:SEwew8HU
>>918
既出かどうか確かめるくらいしろよ
920人間七七四年:2010/10/25(月) 00:31:22 ID:gJIEWtTw
>>918
これは既出ではないな
が、どちらかといえば悪い話スレの逸話だ
まぁいいけど

嗚呼勘違い…としか言いようがないw
921人間七七四年:2010/10/25(月) 00:32:45 ID:qIr7TxZi
ああほんとだ

悪い話に投稿しとく  皆さんごめんなさい
922人間七七四年:2010/10/25(月) 08:31:59 ID:B+2QoeZX
項羽と劉邦に似た話あったな
923人間七七四年:2010/10/25(月) 12:41:47 ID:YMleIvJ9
小ネタ
奥州仕置きに葛西・大崎一揆で壊滅した葛西家。篭城組は例によって眼帯の人に撫斬りにされたりしましたが、その遺臣は土着の庄屋や郷士として残りました。
そこて、彼らは屋敷の門前に一本の木を植えます。その木の名はさいかち。
葛西勝ちにかけたとも、再勝ちにかけたともされます。
もしも貴方が宮城県でさいかちの木が植えられた家を見つけたなら、それは400年前を超えて残る主家への弔いのあかしかもしれません。


放牛おじいちゃんはガチ。でも逸話少ないぜ。
924人間七七四年:2010/10/25(月) 18:44:14 ID:K5dCmbpy
信長といい家康といい島津といい黒田といい
名将は引くのが上手いよな
925人間七七四年:2010/10/25(月) 19:02:57 ID:FW7WKhQw
小梁川宗朝と言い一栗放牛と言いと〜ほぐのお爺ちゃんはハンパなさすぎる
926人間七七四年:2010/10/25(月) 22:35:30 ID:jkxbSDOS
永禄12年(1569)、三好三人衆の襲撃を何とか防いだ織田信長は、将軍足利義昭の居城として
二条城を建設。これをわずか70日で終えると再び岐阜へと戻ることとなった。

この時将軍義昭より信長に、地位が高く、武芸達者な者を一人残していって欲しい、との
願いが届けられた。
信長は「委細其の意を得奉る」と了承したが、誰を残すかは即答しなかった。

さて、この事について織田家中では、誰が残されるかについて大いに予想が盛り上がった。

「地位が高く、又武略に通じておられると言えば佐久間左衛門尉(信盛)殿であろう」
「いや柴田修理亮(勝家)殿ではないか?」
「ここは丹羽五郎左衛門尉(長秀)殿ではなかろうか?」

そのような名前が取り沙汰される中、信長が選んだのは実に意外な人物であった

「木下藤吉郎を残す」

この決定に、織田家中は激高した
「よりによってあんな、出自も定かでないような奴を、このように重大なお役目に!?」

信長の思いもよらない選定に対し、怒りや不満が渦巻いたのだ。
と、その時、

家中の不満の言葉を聞いた佐久間信盛が、このように言った

「信長様の人物を見る目が、今まで間違っていたことがあっただろうか?
特に今回のような重要な役目を任せる人物の選択は、必ず当たっていたと私は記憶している。
そのような信長様の判断に対し、我らのような小智小才の人間が当否を批判するべきではないよ。」

そう、冷静に語った。
これには満座言葉を無くし、その後家中に、この人事に否を言う人間はいなくなったそうである。


佐久間信盛、信長の秀吉抜擢人事を擁護する、と言うお話。
927人間七七四年:2010/10/25(月) 22:49:35 ID:wMo9baae
後味悪いな・・・
その後の信盛さんを知ってるから〜
928人間七七四年:2010/10/25(月) 22:54:33 ID:0G/544ks
>信長様の人物を見る目が、今まで間違っていたことがあっただろうか?

(´;ω;`)ウッ…
929人間七七四年:2010/10/25(月) 22:59:53 ID:cNQPGpvg
>>925
鬼庭左月斎が恨めしそうに見ていますが…
930人間七七四年:2010/10/25(月) 23:36:19 ID:FD23Hiqp
>>925
北信愛も入れてあげてください。
931人間七七四年:2010/10/25(月) 23:49:48 ID:pibAk7yR
信盛、後に自分の運命も知らずに…
932人間七七四年:2010/10/26(火) 00:06:29 ID:fm6qfE1i
抜擢人事でミスるようになるのは人材を把握しきれなくなってったからなのかな
933人間七七四年:2010/10/26(火) 01:02:51 ID:mWTe6OFV
全く話は違うんだが、ここは中立だからここで聞いてもいいだろうか?
ふと思ったんだが、何で関が原のとき秀忠の軍は中山道を使ったんだろう?
真田昌幸がいるのはわかってたんだから、甲州街道を使えばよかったとも思うんだけど
934人間七七四年:2010/10/26(火) 01:08:10 ID:jRdGAN47
>>933
当時は中山道が畿内と東国を結ぶメインルート。
935人間七七四年:2010/10/26(火) 01:18:23 ID:mWTe6OFV
そうなんだ、知らなかった
秀忠を越後から大きく迂回させて前田と合流させて近江から京都をけん制させても面白かった
と思うんだけど、家康も最初から必ずしも短期決戦が可能と思ってたわけじゃないんでしょ?
家康の予想してた主戦場って何処だったんだろ
岐阜が落ちるまでは尾張落ちてからは美濃か近江だったのかな?
936人間七七四年:2010/10/26(火) 01:27:32 ID:kXt8VCeb
これ以上はこっちでやろうや

【西軍】関ヶ原の戦い総合スレ15【東軍】
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1264805400/
937人間七七四年:2010/10/26(火) 01:31:52 ID:mWTe6OFV
うん、そうする
ただ甲州街道ってwikiで調べたら江戸時代の参勤交代でもほとんど使われなかったんだね
インフラがあんまり整ってなかった上に物価も高かったって書いてある
938人間七七四年:2010/10/26(火) 02:05:49 ID:J3cVzbTf
越後から回って加賀へねえ
京都を牽制どころか着いたらもう何もかも終わってましたって状態になりかねん
越後じゃ上杉旧臣の一揆、加賀・能登じゃ利政の西軍寄り中立、そして越前では8月に前田をフルボッコにした丹羽が健在と問題山積
939人間七七四年:2010/10/26(火) 03:59:07 ID:F5oYoIMq
宇都宮にいたら中仙道いくのが近いんじゃね?
まぁ、家康さんは江戸にもどって東海道いったけどw
940人間七七四年:2010/10/26(火) 07:21:12 ID:++zh8FgL
>>933
昌幸も最初から西軍につきますよって旗色を鮮明にした訳ではない。
昌幸の目的は時間稼ぎ。
徳川方の出陣要請をのらりくらりかわしつつ、実は最初から西軍つきますよーみたいな。
ソースは俺の脳内。
941人間七七四年:2010/10/26(火) 08:07:12 ID:r2WvOBLm
どこで質問していいか判らないのでちょっと質問させておくれ。

長男なのに名前の通称(仮名)が次郎とか三郎とか、いかにも長男じゃなく何番目かの
子供だって思わせるような仮名の使う理由が何かを避ける意味だって聞いた覚えが
あるんだけど、そこの所をよければ教えてほしいんだ、よろしく願う。
942人間七七四年:2010/10/26(火) 08:27:09 ID:EG5+G/lg
>>941
親父(not長男)の名を継いだとか、親類の太郎が良く戦死するから避けたとかが一般的かな
943人間七七四年:2010/10/26(火) 09:16:28 ID:bzuc5YiA
太郎だと、長子的プレッシャーが半端なさそうではあるなw
944人間七七四年:2010/10/26(火) 09:17:04 ID:0Tg7dffL
あと親族の同世代での生まれ順というパターンもある
945人間七七四年:2010/10/26(火) 10:33:54 ID:vRz5Lyfk
慶長8年(1603)、将軍宣下を受けた徳川家康は諸大名に、江戸城など徳川傘下の主だった施設の改修を命じた。
いわゆる天下普請である。

江戸城は諸大名の普請により賑わったが、ここに主君が天下を取って何を勘違いしたものか、大身旗本たちが連日、
駕籠でやって来ては普請場に乗り捨て、江戸城を変わり行く様を見物して行った。
今で言えば、工事現場に本社社員が車を乗りつけて、メットも着けず見物して行くような物である。いい迷惑である。

城門を任された福島正則の普請場など、常に駕籠が二、三丁乗り捨てられ、ロクに作業がはかどらぬ状態だった。
たまりかねた家臣たちは、主君・正則に訴え出た。
「このままでは、工期に間に合いませぬ。いかがいたしましょう?」
「構わん、殺れ!殺ってよいぞ!」即答だった。

「え〜!いいんですか〜!!」
「普請場に、ジャマになる物を置いて行くような気のつかぬ阿呆など、どうなろうと構うものか!遠慮するな。」
「よっしゃーっ!お許しが出たぞおおおおお!!」

正則の家臣たちは駕籠に殺到したが、すでに旗本衆は駕籠を離れており、もぬけの殻だった。
残された駕籠は、正則の命により念入りに、粉々に打ち砕いて捨てた。その日の普請は、良く進んだ。

翌日、正則のもとを幕府の使者が訪れた。

「堀田勘左衛門と申す。福島殿が、普請場に置かれた駕籠の破却を命じられたのは、本当ですかな?」
「いかにも。通行の邪魔となり普請が遅れるので、片付けさせたが。」
「あの駕籠は、将軍直参の旗本衆のものですぞ!」
「!・・・なんと・・・なんということだ・・・・・・」
「事の重大さが、お分かりになったか。されば、さっそく旗本衆に詫びを・・・」

「将軍家のための普請を、直参旗本が遅らせていたとは・・・これはもはや裏切りに等しい!使者殿、その者どもの
名を教えてくだされ。この福島が、将軍家に代わって成敗してくれるわ!さぁさぁさぁ早く!!」
「・・・い、いえ!処分は当方でいたしますので!」「そうか、それは残念。」

その後、普請場に出入りする旗本は、いなくなったそうな。
946人間七七四年:2010/10/26(火) 10:45:04 ID:DYqJffCT
>>941
【疑問】スレ立てるまでもない質問 6【戦国時代】
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1274877247/l50

ちなみにおいらは名に 一 が入ってる
ダメ息子でごめんよ、とーちゃん、かーちゃん
947人間七七四年:2010/10/26(火) 10:52:32 ID:TE5Abu7X
>>945
ヘタレない市松かっこいい!
948人間七七四年:2010/10/26(火) 10:55:50 ID:J6yiK+d5
うん、これは使者が来たときは呑んでたな
949人間七七四年:2010/10/26(火) 11:06:37 ID:vBWNwN7G
>>943
実季「ウチは代々太郎です」
凍蚓「実季ちゃんは長男じゃないけどね」
950人間七七四年:2010/10/26(火) 18:32:18 ID:a6IqhJ/J
>>943
義久「我が家は私にちなんで以降は『どっどどどどうどどどうどどどう』です」(風の又三郎)。
951人間七七四年:2010/10/26(火) 18:50:05 ID:r2WvOBLm
>>942 >>946
どうもありがとう
952人間七七四年:2010/10/26(火) 20:40:53 ID:WH6uTnue
>>942
よそのスレの話題かもしれないけど、北条泰時なんかは嫡男じゃないからこそ「太郎」だったという話もあるか
父親の義時は四郎で、祖父の時政も四郎だったから。まあ、義時も嫡男じゃなかった説が有力らしいが
953人間七七四年:2010/10/26(火) 20:56:04 ID:m7iy0SyR
>>945
三河者よりめんどくさい市松w
954人間七七四年:2010/10/26(火) 22:30:50 ID:wlA5nhcA
>>941
その家の家祖の名乗りを・・・というケースも多いかな。
結城氏の場合、初代朝光が結城七郎を名乗っているため、その後の当主も七郎を仮名にしている。
955人間七七四年:2010/10/26(火) 22:36:52 ID:mWTe6OFV
市松はガソリンさえ入ればそれなりにできる子なんだがなあ・・・
しかし不識院様に比べると燃費の悪さは救いようが無いレベルだが
956人間七七四年:2010/10/27(水) 00:42:07 ID:QjxY2UDO
アルコール燃料ですね、わかります。
957人間七七四年:2010/10/27(水) 02:17:14 ID:QEwEFRZY
細川三代という本に出てたちょっといい話

秀次事件の時、細川忠興が秀次に借金をしていたことで窮地に陥ったとき、
徳川家康がその金を渡して事なきを得たという話は有名である。

で、実は忠興、その金を関ヶ原の後、秀次事件の時金策に回った家老、松井康之に持たせて
家康のもとに返しに行かせた。

松井康之から、忠興の礼の言葉と共に金を差し出された家康はにこやかにそれを受け取り
その律儀さを褒めると、改めて同額の金を、家康よりの下賜金として忠興に送ったそうである。

あの、忠興借金事件の後日談でした。
958人間七七四年:2010/10/27(水) 02:20:00 ID:w2ZUoG+C
>>945
酒の入ってない市松は割とまともだよなあ。
酒さなければ。
959人間七七四年:2010/10/27(水) 02:22:09 ID:4nmth1Zs
>>941
例えば真田信幸が「源三郎」だったりする(弟の信繁は源次郎)のだが、
「源太郎」とかにすると、実はそれが真田信綱(信幸の叔父であり、昌幸の兄)の名前であり、
しかも信幸元服前に長篠で死亡とかあるから、
験担ぎの意味で特定の名前を避ける、というのはよく行われていたと思われる。
960人間七七四年:2010/10/27(水) 03:55:35 ID:6etUHaiG
験担ぎで源太郎を避けたってのは、ちょっと違う気もする
家系図上手く書けないけど、幼名と通称を並べるとこんなんなんだし
次郎三郎(源太左衛門)-源太
                徳次郎
                源五郎
                源次郎-源三郎
                     源次郎
         
961人間七七四年:2010/10/27(水) 06:44:55 ID:zmhwas4i
>>958
割とまともってか、この逸話だけ見たら実務能力が高く頓知や機転の利く有能な武将にしか見えんな。

酒飲むとなんでああなるのか不思議なくらい。
962人間七七四年:2010/10/27(水) 06:48:50 ID:zdq94MD9
>>961
実は本人は本気だった可能性が高かったり
963人間七七四年:2010/10/27(水) 07:49:45 ID:ONpliI6T
飲むのを避けられないから、さけ
とじっちゃんが言ってた
964人間七七四年:2010/10/27(水) 07:56:00 ID:+0TaYfsV
>>961
なんでああなるのかって
酒はちょっと前まできちがい水ってよばれた悪魔の液体なんだよ。
ドラッグだからトリップしちまうのさ。
今で言えばアルコール依存症なんだろうね。
965人間七七四年:2010/10/27(水) 10:08:16 ID:xkp4fC8O
【鹿児島】戦国武将・島津義弘の苦難しのぶ 妙円寺詣り よろい姿で参拝
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1288103813/
966人間七七四年:2010/10/27(水) 19:50:22 ID:XV9N2/NH
>>957
どうせ返すなら関ケ原の前に
「かようなときは金子はいくらあっても足りぬもの。以前お借りした物を今お返しいたします。
また、それがし蔵にあった茶器など売って少ないながら金子に変えましたゆえ、これもお使いください。」
と言って渡せば家康の評価も違ったろうに。
関ケ原で負けてれば家康に返す必要なくなるし、家康が天下人になっちゃったからあわてて返しただけじゃん。
律儀さを誉めたって皮肉だったんじゃないの?
関が原で負けたら御家断絶のつもりであれば茶器なんていくら持っててもしょうがないだろうに。
如水あたりには所詮三流のお人よのうと馬鹿にされそうな話だ。
967人間七七四年:2010/10/27(水) 20:09:28 ID:FH+m84gc
三斎はそういう腹芸はできない人だからこそいい!
968人間七七四年:2010/10/27(水) 20:15:37 ID:9qgKj3Gq
>>945
車で乗り付けてメットを着けないで見学(よくわないけど)ならまだいいけど
車を乗り捨てられたらかなわんな
しかも、搬入口の前とかに止められたら確実に現場責任者ともめるね

969人間七七四年:2010/10/27(水) 22:30:39 ID:yNzYqujG
>>945
調べてみたら
堀田勘左衛門って堀田正盛の親父で市松さんの検死役もやってるんだね。

でも
堀田勘左衛門はこの時まだ幕府には出仕してないってwikiに書いてあった
970人間七七四年:2010/10/27(水) 22:54:22 ID:6pkmrpJo
酒癖の悪さに定評のある塙直之も、市松の下に仕えてればよかったのに。
971人間七七四年:2010/10/27(水) 23:08:08 ID:mY8EnDAc
どっちらも無傷じゃいられないなw
972人間七七四年:2010/10/27(水) 23:17:19 ID:Wc3/iY+S
>>970
加藤嘉明に仕返しされて追い出されるまでの間、どれくらい仕えてたが知らないが
たとえ数日間だったとしても、さすがの市松も引くほど暴れたかもしれないw
973人間七七四年:2010/10/27(水) 23:19:08 ID:EOc7LSgp
子供のような喧嘩が見られるだろうなあ、周りの被害はヤバそうだがw
974人間七七四年:2010/10/27(水) 23:33:31 ID:BuqUrwL6
市松 酔ってキレて成敗しようとする
  ↓
塙団 酔って逆キレで市松しょんぼり

こんな絵が浮かんだ
975人間七七四年:2010/10/27(水) 23:36:41 ID:Wc3/iY+S
市松に「おい、こいつに絶対酒は飲ませるな」と言わせることが出来る最初で最後の男かもな
976人間七七四年:2010/10/28(木) 00:41:04 ID:MDHlhG06
戦国酒乱オールスターズか
977人間七七四年:2010/10/28(木) 00:49:20 ID:InD1FPD7
>>970
福島家の皆さんは主君があんなだからしっかりものぞろいですよ。
減封の時引く手あまただったっていうしな。
978人間七七四年:2010/10/28(木) 01:05:45 ID:N/4HeqR6
一応まとめ検索してみたけど、既出だったらすまん。

文禄の役の折、加藤清正は渡海前に榊原康政のもとを訪れ、
「異国の戦にあっても、式部大輔殿の武勇にあやかり手柄を上げたいと存じます。
 ぜひ、あなたの馬印をお借りできないでしょうか」
こんなことを頼んだ。

清正と康政の交誼がいつ頃からが始まりか、よくわからないが
秀吉の関東征伐の折には、清正と康政は情勢を知らせる文を送りあったり、
また清正からは帷子を贈られるなど、誼を通じ合った様子が見られる。
康政は清正の頼みを快く了承し、康政の金の桔梗笠の馬印は
清正とともに海を渡り、彼の活躍を見届けたのである。
慶長の役の後帰国した清正は、馬印のお礼に朝鮮で手に入れた五倫書を康政に贈ったという。
後の話になるが、清正の娘古屋は、榊原家を継いだ康政の三男、康勝に嫁いでいる。

以上、地味に友好を深めていた家臣たちのちょっとハートフルな話。
それにしても康政って、大谷吉継といいなんやかんや微妙に顔が広いなw
979人間七七四年:2010/10/28(木) 02:21:34 ID:bZNih64W
馬印って生前から貸し出せるもんなのか
知らんかった
980人間七七四年:2010/10/28(木) 07:22:49 ID:b2DwIzeL
予備もあったんじゃね
981人間七七四年:2010/10/28(木) 09:18:25 ID:c/tKNVVP
>>978
榊原っていい意味で剛直ってイメージな人だしね
清廉潔白と言うか。
982人間七七四年:2010/10/28(木) 09:43:21 ID:KCVK1Lbh
武勇に長けた人や義を重んじる人は
敵味方関係なくお互いを尊重しあってる感じがいいな。
983人間七七四年:2010/10/28(木) 11:00:24 ID:GVcBUbk6
敵味方って考え方自体曖昧な気がする。
984人間七七四年:2010/10/28(木) 23:54:55 ID:HhMCxA7v
そろそろ新スレたててくる
985人間七七四年:2010/10/28(木) 23:56:16 ID:HhMCxA7v
できた。ここ埋まったら移動してくだされ

戦国ちょっといい話23
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/otaku/12973/1288277746/
986人間七七四年:2010/10/28(木) 23:58:40 ID:KY1Kr/xw
なぜしたらばなんだ
987人間七七四年:2010/10/29(金) 00:02:01 ID:xL3VDP+6
ひどい誤爆だなw
988人間七七四年:2010/10/29(金) 00:02:11 ID:9aBb5P9U
…ってうわわわわ誤スレ立てしてしまったすまんやりなおす!
989人間七七四年:2010/10/29(金) 00:04:30 ID:9aBb5P9U
出来た…。本当に申し訳ない、ここ埋まったらこっちに移動してください

戦国ちょっといい話23
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1288278217/
990人間七七四年:2010/10/29(金) 01:56:35 ID:ANokbiIw
やる夫板住民ですが
気にしてないので大丈夫ですよ〜
991人間七七四年:2010/10/29(金) 05:49:04 ID:pMHuCMbi
992人間七七四年:2010/10/29(金) 06:32:52 ID:mbpNxU3T
>>991
歳久「…国兼?」
993人間七七四年:2010/10/29(金) 16:15:05 ID:ocerXQx/
康がつく人は優秀なイメージ埋め
994人間七七四年:2010/10/29(金) 20:49:21 ID:s/wDwAYC
氏康うめ
995人間七七四年:2010/10/29(金) 20:57:59 ID:qG6QBLRN
隆がつく中国地方の人は…いや、なんでもない埋め
996人間七七四年:2010/10/29(金) 21:30:15 ID:rl5lEaeb
石田梅岩はちょっと時代違うか
997人間七七四年:2010/10/29(金) 21:31:53 ID:aqMSiu1f
ume
998人間七七四年:2010/10/29(金) 22:12:39 ID:3Ds/6UEF
うめ
999人間七七四年:2010/10/29(金) 22:16:25 ID:aAVoclCe
帰雲城埋め
1000人間七七四年:2010/10/29(金) 22:17:07 ID:peDCoowY
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