戦国ちょっといい話20

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1人間七七四年
戦国のホロリとくるエピソードを挙げていこう

戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/
書き込む際にネタがかぶっていないかなどの、参考にしてください

前スレ
戦国ちょっといい話19
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1269393777/

姉妹スレ
戦国ちょっと悪い話19
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1270721428/

このスレの武将などに対する愛称等の、用語解説はこちら
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2161.html

逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
2人間七七四年:2010/05/17(月) 21:05:37 ID:jOWnqalp
武者は犬ともいへ、畜生ともいへ、>>1乙することが本にて候
3人間七七四年:2010/05/17(月) 21:42:15 ID:XEcmkZW1
>>1よ、この度の働き誠に大義であった。褒めてつかわす。
4人間七七四年:2010/05/18(火) 15:47:30 ID:zBtyv3Ar
ケチつけられてかなり腹が立ったので
いい話を無断転載しまくることにする。
5人間七七四年:2010/05/18(火) 16:11:03 ID:zBtyv3Ar
(福島正則らの石田三成襲撃の話は省略)
 (三成が佐和山へ蟄居するに際して路次の安全がおぼつかないとして家康は)
秀康公に三成を送ることをお命じになり、生駒近(親)正・中村一氏(一説に堀帯刀一人)をお副えになった。
秀康公が三成に「今日、私は必ず卿を佐和山にお送りいたします。卿の家臣を二手に分けて前後に配置し、
私の家臣どもには馬廻りを包んで守らせ、何か事が起こったときには力を尽くして防ぎ戦い、
万一それも叶わなかった時には私と卿とで馬上で差し違えようと考えておりますので、
そのお覚悟をご家来にもお申し付けありますように」と仰せになり、手勢には腹巻や胴丸などを着込ませて、
鉄砲の五挺に一挺づつは火縄に火を付けて持たせて、軍令を厳しくお決めになり、閏三月十一日の早朝に三成と道の中央に乗りだしてご出立なさった。

 醍醐・山科に至る頃にはすでに佐和山より迎えに来た三成の手勢をとても多く目にするようになってきたので、
三成は秀康公の護衛を固辞したけれども、しばらく行った膳所の大樹のあたりに至って、
三成は下馬して、秀康公の鎧をつかんで涙を流して恩を謝し、「既にそれがしの従者が追々参っておりますので、ぜひともここでお帰り下さいますように」と述べた。
 秀康公は「佐和山のこちら側の切り通しまでお送りいたします」と仰せになったところ、
三成は「そのようなことがあってはそれがし、男が立ち申しません。ふたたび世間に顔出しができません」と却って迷惑であることを申したので、
秀康公は「それならばここから戻りましょう」とご了承なさった。そこで三成は今は亡き太閤秀吉公より拝領した名器で、腰に帯びていた正宗の刀を秀康公に捧げた。
秀康公は家臣に命じてこれをお受け取りになり、御自らもご返礼としてそれに相応しい脇差をお送りになって東西に分かれてお帰りになった。

 近正は帰還してこの出来事を家康公に詳しく言上したので、家康公はとてもご満足そうであった。
三成も家臣に向かって「私が秀康卿のお人柄を見るに、雄才深慮あって、一言一句でさえおろそかにしない。
年齢が三十にも達していないのに、進退・動静の推測がはずれることはない。誠に並ぶ者がない名将であろう」と
評したということをのち石田家の家人が語ったと言うことである。

三成が贈った刀を「石田正宗」といった。また槍や剣の傷が二・三か所あったため、「切込正宗」とも言い伝えて家に伝来している。

http://www.page.sannet.ne.jp/kuranosuke/story.html

これにコメントつけろ
6小田さん:2010/05/18(火) 16:18:49 ID:zHkjztJk
>>1さん乙!
僕いいこと思いついたんだけど・・・
7人間七七四年:2010/05/18(火) 16:20:07 ID:zBtyv3Ar
伝え聞くところによれば、朝日丹波守源重正は、国松丸君(直政)をお育て奉っていた。
重正の嫡子、千之助は忠直公の御小姓であった。
 ある日、忠直公は千之助に対してお怒りになってお叱りなさったので、千之助は自殺してしまった。
秀康公は不憫にお思いになって国松丸君をお下しになり、のち(国松丸=直政は)大野城を御拝領なさったので、重正は長く御傅の臣になった。


urlは上
8人間七七四年:2010/05/18(火) 16:23:46 ID:zBtyv3Ar
アク禁を避けるために、1日に3レスまでしか転載をしない。
>>1に揚げ足や煽り禁止と入れないとこれを続ける。
9人間七七四年:2010/05/18(火) 16:26:53 ID:WpyjxO5d
          ____
        /      \
       /  ─    ─\
     /    ⌒  ⌒  \     ハハッ わろす
     |       ,ノ(、_, )ヽ    |
      \      トェェェイ   /   
       /   _ ヽニソ,  く
10人間七七四年:2010/05/18(火) 16:29:24 ID:zBtyv3Ar
もういい和解案を提示したのに煽られたからもう続けることに決めた。
コメントつけるから法律違反じゃない。
重複の逸話には、被っていると攻撃するのでスレ自体終了だな。
11人間七七四年:2010/05/18(火) 16:32:11 ID:fqfIJOCv
>>7-8
今後も続けるんなら
成りすまし防止に
トリップでもつけとけとけよ
おぅ早くしろよ
12人間七七四年:2010/05/18(火) 16:33:56 ID:zBtyv3Ar
NGにするんだろうからトリップはつけない。
ふざけた煽りについてスレで禁止すればいいだけの話だ。

それやらないなら、このスレに攻撃をし続ける。
13人間七七四年:2010/05/18(火) 16:38:05 ID:WpyjxO5d
いや、お前が現れたらNGにつっこめばいいだけじゃん…無駄なことしてないで働けよ<ID:zBtyv3Ar
14人間七七四年:2010/05/18(火) 16:40:47 ID:zBtyv3Ar
荒らすことはできるから無意味じゃないな。何人も釣れるだろう。
人を無職とか妄想しているみたいだが、お前みたいなアホがいるからスレが荒れるわけで
俺が出す条件をのめばいいだけだ。

テンプレに
逸話への煽りや個人同士の雑談や話は隔離板でお願いします。とでも書けばいい話で
それすら拒むならむかつくので徹底して荒す。
15人間七七四年:2010/05/18(火) 16:40:57 ID:AOgJflyY
構ってちゃんを総出で構うのはある意味いい話なのか。
荒らし宣言してるんだから触らなきゃ普通にアウトだったのに何やってんだお前ら。
16人間七七四年:2010/05/18(火) 16:58:03 ID:zBtyv3Ar
>>1に攻撃的なことは隔離スレでとルール化するなら荒らしはしない。
それを拒むならこのスレ荒らす
17人間七七四年:2010/05/18(火) 17:21:52 ID:9bhuwJ06
>>16
何、急に弱気になってんだよ
仲直りして欲しいのかカスw
好きに荒らせよ
センスの無いレスで恥書いて
その挙句にはスレ荒らすwだって
せめて今日一日ぐらいは頑張って荒らせよw
18人間七七四年:2010/05/18(火) 17:52:29 ID:zBtyv3Ar
煽られて腹が立ったんでね。荒らす当初から言っているが>>1に煽り禁止を入れろ。
恥をかいたのではなくて煽りはよくないだけだ。逸話としても十分だからな。
普通に逸話としてまとまってない程度なら俺は怒らなかったんだが、
逸話としてまとまってないよ程度なら俺は怒らなかったんだが。
あれは転載だから。それなりにがんばった作業で、煽られたら腹がたつから。
このスレであおりをやめてほしいだけだ。煽りをやめさせろというだけの話だな。

かなりそのレスは腹が立っているようで笑えるが俺の条件を受け入れずに煽るだけなら、このスレは荒らしつくすだけだ。
まあ、関連スレも荒すから、楽しみにしてるやつがは申し訳がないが荒しつくすだけにする。
19人間七七四年:2010/05/18(火) 17:56:12 ID:oOwoQvTY
1に煽り禁止なんて入れないよ

だから死ぬまで頑張って続けていいよ
20人間七七四年:2010/05/18(火) 17:58:58 ID:zBtyv3Ar
じゃあこのスレ荒らしつづけるね。
俺への反感を優先して、正論を無視するというのは住人が被害くらうだけだ。

しかし、はんば暴言に近いことをやっておいて怒らせたら煽るだけなんだから、
幼稚園児が多いね
21人間七七四年:2010/05/18(火) 18:16:38 ID:yDyLxqVV
半ば
×はんば
○なかば
22人間七七四年:2010/05/18(火) 18:20:31 ID:0Ux1dBYG
仮面ライダー555と聞いて
23人間七七四年:2010/05/18(火) 18:22:51 ID:0Ux1dBYG
ハンダだった
24人間七七四年:2010/05/18(火) 18:25:55 ID:l9wZbtBU
>>20
まあまあ落ち着いて。むかし静御前の薙刀論争って頃はもっと
突っ込みまくられて、本当に投稿やめたろうか!って思った事
もあるよ。
でも逸話を楽しみにしてくれてる人達も少なからず居て、
まとめwikiで拍手貰うのが嬉しいじゃない。
落ち着いたノリで行こうよ。貴方の投稿も評価してる人は必ず
居ますよ。
25人間七七四年:2010/05/18(火) 18:27:10 ID:zBtyv3Ar
まとめサイトなんてどうでもいい
26人間七七四年:2010/05/18(火) 18:30:17 ID:KIQ/jNbP
>>25
はんばねえw
27人間七七四年:2010/05/18(火) 18:31:31 ID:zBtyv3Ar
揚げ足取りはダサいよ。

次のスレから>>1にとっとと個人への煽りや雑談、逸話への煽りは隔離スレにお願いしますとかけ。

ゴミどもそれを誓え
28人間七七四年:2010/05/18(火) 18:32:29 ID:2019JpKZ
そんなにそれが嫌なら自分で立てたらどうだ、ガキじゃあるめーし。
29人間七七四年:2010/05/18(火) 18:32:59 ID:zBtyv3Ar
だから
30人間七七四年:2010/05/18(火) 18:33:38 ID:1C3u0HhL
いやガキ以外の何者でもねえだろw
31人間七七四年:2010/05/18(火) 18:34:23 ID:zBtyv3Ar
煽りはよくないから隔離スレでやれ。
32人間七七四年:2010/05/18(火) 18:36:38 ID:KIQ/jNbP
Q なんで1に煽り禁止なんて書いていないんだと思う?

A それはID:zBtyv3Arなんていうとんでもないバカが存在することに人類が気づいていなかったからだよ
33人間七七四年:2010/05/18(火) 18:38:57 ID:zBtyv3Ar
みんな荒らしじゃないか。正論無視してるだけだが。
34人間七七四年:2010/05/18(火) 18:40:37 ID:2019JpKZ
どこが「いい話」か、「逸話」ですらない経歴紹介書いておいて
「せっかく調べたのに(ウィキペディアレベル)煽られたからムカつくんで荒らしてやる!!」
そんなガキは毬栗押し込まれてしまえ。
35人間七七四年:2010/05/18(火) 18:41:29 ID:3vmrSABB
36人間七七四年:2010/05/18(火) 18:43:21 ID:zBtyv3Ar
いい話でも逸話でもある。足りないのは事実だが、辞世通りにはなっているんでね。
経歴とかほざいているけど1年で経歴になれるなら凄いよ。

逸話でないなら、逸話としてまとまっていないとか、もう少し書き加えろとか書けばいいわけで
暴言で煽るのはかなり問題だと思われるので、煽ったほうに原因がある。

荒らされて当然なんだよ。そんなことにも気が付かない幼稚園児は切腹しろよ
お前らが大好きな戦国時代の人間のように。
37人間七七四年:2010/05/18(火) 18:45:07 ID:zBtyv3Ar
論点をずらしているアホがいるがウィキの転載は法律違反じゃないし、
逸話なら十分でね。

逆に転載してきた文章とか書いた文章に暴言で煽るのが正当なわけないから
隔離スレで書き込めばいいんだよ。

いい加減に非を認めろ
38人間七七四年:2010/05/18(火) 18:52:00 ID:1C3u0HhL
論点どころかお前さんが一人で迷走してるだけじゃないか
確かに決めつけ的な煽りは良くないとは思うが、
だからといって発狂してスレを荒らして良い理由にはならんだろ
それに前スレの投稿の何処が「いい話」なんだ?実際

煽り耐性の欠片も無いならさっさと回線切って頭冷やせよ
39人間七七四年:2010/05/18(火) 18:52:03 ID:DdjIFuNq
(・∀・)ニヤニヤ 
40人間七七四年:2010/05/18(火) 18:53:39 ID:zBtyv3Ar
煽りを規制しないなら荒して当然だな。禁止するまで2スレは荒らす。
41人間七七四年:2010/05/18(火) 18:58:30 ID:TkAx0nha
2スレは荒らす(キリッ
42人間七七四年:2010/05/18(火) 18:59:48 ID:5j5bImY6
NGIDして相手しないように
43人間七七四年:2010/05/18(火) 19:00:28 ID:zBtyv3Ar
次スレから>>1に個人間の雑談や逸話や個人への煽りは隔離スレで行ってください。逸話に問題がある場合は意見を書いてください。
また議論は隔離スレでお願いします。

とだけ入れればいいのに、それすら拒むんだからダメ人間の集いだよな
44人間七七四年:2010/05/18(火) 19:01:32 ID:3vmrSABB
煽り禁止なら今んトコお前のレスのほぼ全てがスレ住人を煽ってるわけだから
お前も二度と書き込まないってことでいいんだよな?

早く率先垂範してくれよ
45人間七七四年:2010/05/18(火) 19:02:41 ID:zBtyv3Ar
俺自身は>1に入れるなら隔離スレに移動し、このスレでは煽りや暴言は書かないが
このスレで禁止されてないから荒らしではない。
46人間七七四年:2010/05/18(火) 19:04:26 ID:1C3u0HhL
「ぼくのいうとおりにしなきゃヤダヤダ!」つって
泣き喚けば思い通りになると思ってる幼児よりゃ遥かにマシだな

ま、粛々とNGIDにぶっ込んどきましょうか
47人間七七四年:2010/05/18(火) 19:05:54 ID:zBtyv3Ar
煽りおkなら荒らし行為おkなんだろ。なら、俺がやっている行為は問題ないはずだ。
48人間七七四年:2010/05/18(火) 19:09:32 ID:WbQbV1pM
みんなとりあえず、パンツ脱いで踊ろう。
話はそれからだ。
49人間七七四年:2010/05/18(火) 19:11:37 ID:zBtyv3Ar
俺の論理のほうが正しいんだから屈しておけよ。
煽りを排除するというのは。
50人間七七四年:2010/05/18(火) 19:15:23 ID:oOwoQvTY
書き込みって20秒ごとにできるんだぜ
荒らしたいならもっとがんばれよバーカ
51人間七七四年:2010/05/18(火) 19:21:23 ID:WbQbV1pM
荒らしが出たら、やることは一つ。

まず全裸になり
             (  : )
        ( ゜∀゜)ノ彡
        <(   )
        ノωヽ

 自分の尻を両手でバンバン叩きながら白目をむき
           从
       Д゚  )  て
        ( ヾ) )ヾ て
           < <

      人__人__人__人__人__人__人__人__人__人__人
    Σ                           て
    Σ  びっくりするほどユートピア!        て人__人_
    Σ         びっくりするほどユートピア!      て
     ⌒Y⌒Y⌒Y)                          て
             Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒
 _______
 |__       ヽ(゜∀゜)ノ
 |\_〃´ ̄ ̄ ヽ..ヘ(   )ミ
 | |\,.-〜´ ̄ ̄   ω > (∀゜ )ノ
 \|∫\   _,. - 、_,. - 、 \ (  ヘ)
   \   \______ _\<
    \  || ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ |
      \||_______ |

これを10分程続けると妙な脱力感に襲われ、解脱気分に浸れる
52人間七七四年:2010/05/18(火) 19:24:49 ID:O9txg9CL
そろそろ終わりにしようじゃないか。
煽られたぐらいで頭に血が上り他人に迷惑をかけるような輩に
構うこともない。
53人間七七四年:2010/05/18(火) 19:25:50 ID:K843V8uD
2スレってなんのことだ?
54人間七七四年:2010/05/18(火) 19:26:23 ID:zBtyv3Ar
煽りを許容するのか、ひどいな
55人間七七四年:2010/05/18(火) 19:30:50 ID:9bhuwJ06
みんなちょっとカリカリしてるみたいだから、話題を変えるためにとっておきのいい話を投下しますね

織田信孝は1582年に四国征伐の総司令官に任ぜられ、織田氏の宿老・丹羽長秀や従兄弟の津田信澄らを付される。
堺にて渡海の準備の最中に本能寺の変が勃発。
しかも逃亡兵が相次いだため、積極的な行動はできず、
従兄弟の津田信澄を殺害した程度である。
その後摂津国富田で「中国大返し」後の羽柴秀吉軍に合流、名目上は総大将として山崎の戦いに参戦し、仇である明智光秀を撃破した。

清洲会議では信長の弔い合戦の総大将であったにも関わらず、その存在は羽柴秀吉によって無視され、
織田氏の後継者は信孝の甥の三法師に決定し、信孝は三法師の後見役として兄・信忠の領地であった美濃国を与えられる。
その後、織田氏宿老格の柴田勝家・滝川一益らと結び、
同年12月、三法師を擁して秀吉に対して挙兵する。
しかしこの挙兵は秀吉の迅速な行動によって降伏せざるを得なくなり、降伏して人質を出し、三法師を秀吉に引き渡した。

翌、1583年、賤ヶ岳の戦いが起きると、信孝は再度挙兵する。
しかし同年4月に居城の岐阜城を包囲され、頼みの柴田勝家も北ノ庄城で自害すると開城して降伏した。
信孝は尾張国知多郡野間(愛知県美浜町)の大御堂寺(野間大坊、平安時代末に源義朝が暗殺された場所)
に送られ、迫られて自害した。享年26。命日は4月29日(西暦6月19日)と5月2日(6月21日)の二説がある。

辞世の句は「昔より 主を内海の 野間なれば 報いを待てや 羽柴筑前」(「内海」を「討つ身」とかけている。
信孝の秀吉への激しい怒りが感じられる句となっている)。
この辞世が現実のものとなるのは、それから32年後のことであった。
56人間七七四年:2010/05/18(火) 19:33:23 ID:zBtyv3Ar
くだらねえ煽りしかできないやろうだな
57人間七七四年:2010/05/18(火) 19:34:28 ID:zBtyv3Ar
煽りを許し続ける人たちだからな。なら俺がここに常駐して煽り続けよう。それもありだろ。
58人間七七四年:2010/05/18(火) 19:35:56 ID:zBtyv3Ar
しかしろくに文を考えることができず、考えたと思えばガキレベルの転載作戦しかできない
しかも煽り許容派なんだぜ。煽りを許して煽りまくりのみんなは俺の同士だ
59人間七七四年:2010/05/18(火) 19:43:49 ID:zBtyv3Ar
俺は煽りをやめようよ、指摘だけにしよう隔離スレに移動しようよと書いているのに
敵対者は煽り万歳と書いてるんだから敵対者が荒らしでしょう。
敵対者が許されるなら俺も許されていいよね。転載煽りとかも荒らしだから
60人間七七四年:2010/05/18(火) 20:56:32 ID:qvSUjiFz
前々から意味不明な投稿を繰り返してると思ったら、本当に只の餓鬼だったのね
おやおやまあまあ
61人間七七四年:2010/05/18(火) 21:01:42 ID:zBtyv3Ar
人格攻撃しかできないんだね

俺は煽りはこのスレではやるな、隔離スレでやれと書いているのに
それを認めない。違法集団だ
62人間七七四年:2010/05/18(火) 21:13:09 ID:5j5bImY6
荒らし報告してきた

【単独スレ】スクリプト・コピペ報告スレッド192【全板共通】
http://qb5.2ch.net/test/read.cgi/sec2chd/1273752523/85
63人間七七四年:2010/05/18(火) 21:13:42 ID:KBlcsbV+
1000 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/05/18(火) 15:35:18 ID:zBtyv3Ar [2/2]
久々に真剣に腹が立ったので、サイトから無断転載しまくって逸話を全部なくしてスレ終了させる

気は済んだか?
64人間七七四年:2010/05/18(火) 21:22:54 ID:zBtyv3Ar
無断転載はリンク貼ってコメントを求めるので引用形式になるはず法律的には

荒らしとかいっているけど、俺が煽りをやめろと書いていてそれに同意していない時点で
俺の煽りはありなんだからあきらめろよ
65人間七七四年:2010/05/18(火) 21:34:26 ID:Gyf7WKsp
>ID:zBtyv3Ar
法律ってなんのことだ?
どの法律の何条にそういうことが書いてあって、だから何が大丈夫なんだ?
迷惑だから法律とか関係なくやめて欲しいんだが、やたら連呼するから気になった。
どの法律に照らして大丈夫と言っているのか詳しく教えてくれ。
勉強したいから。
66人間七七四年:2010/05/18(火) 21:36:12 ID:she8WnZ2
NGにしてくださいとばかりに律儀に同IDで荒らしまくってるアホに
わざわざID名指しで絡んでる奴ってなんなの
67人間七七四年:2010/05/18(火) 21:37:37 ID:zBtyv3Ar
引用目的なら無段転載しても問題ない。
もし転載が法に引っかかっていたとしても2ちゃんなんて無断転載あふれているので問題はない。
裁判所は利害関係以外で判決出したことないはず。
68人間七七四年:2010/05/18(火) 21:40:53 ID:zBtyv3Ar
迷惑だからやめてほしいなんて意味不明なことをいっているが
このスレは煽りとか個人間の雑談が提示されていないので、俺がやっている行動はありだ。

煽りをやめろというレスを無視しておいて、俺の行為を否定するなんて話にならないよ。

煽りは別にやってもいいだろう。俺の提案に賛成せずに、俺に対してだけ攻撃するなんて空気だけを読み続けるきもい精神性
を持っている時点で、対話なんてしたくもないんだけど、煽り禁止に賛成しろよ。

書いた文章に煽る行為をしたから問題になっているんだよ。べつにいいんだろう。煽っても。
69人間七七四年:2010/05/18(火) 21:45:26 ID:WI69Vdqa
とりあえず、スレの趣旨に沿って、つたないながら逸話(?)を投下。

今、郵便などを出すときは糊で封をするけど、それを最初に行ったのは、石田三成であるらしい。
さすがに官僚の中の官僚、事務の達人という感じがする。
「緘」も三成かどうかはわからないが。

堺屋太一「大いなる企て」にあった話。
70人間七七四年:2010/05/18(火) 21:46:49 ID:zBtyv3Ar
ダメ話だね
71人間七七四年:2010/05/18(火) 21:50:26 ID:wrGugWCK
論点がずれすぎ
いまさら信孝の辞世の句なんて超有名なものひっぱりだしてくるわ
それがまだいい話ならまだしも、どこがいい話なのかもわからん
誰もがすぐにわかるような良い話ならば自然と相応しいレスがつくもんだ
72人間七七四年:2010/05/18(火) 21:53:29 ID:zHkjztJk
正直、「緘」が読めなかった・・・orz
73人間七七四年:2010/05/18(火) 21:53:35 ID:K4a19dTb
>>69
むしろそれまでどうしてたんだろう?
74人間七七四年:2010/05/18(火) 21:53:47 ID:zBtyv3Ar
論点がずれてるのはそちらでしょ。
いい話なのかわからないなら、煽ったりせずに指摘だけすればいいわけで
煽りを行ったことに問題があるんですよ。
ふさわしいレスなんてつける必要性は全然ないんだよ。
煽りをやめればいいだけの話だろ。
75人間七七四年:2010/05/18(火) 21:54:00 ID:KIQ/jNbP
>>62
がリンクしちゃったらあっちにも自分に都合のいいことだけ書き込んでやがる
76人間七七四年:2010/05/18(火) 21:55:24 ID:zBtyv3Ar
無断転載自体はスレの方向にそっているから問題ないね。
引用形式だし
77人間七七四年:2010/05/18(火) 21:58:41 ID:j2/iQVWL
>>72
自分も読めなかったwから調べた
「かん」と読むんだね
今でも時々その漢字の判子を
封をした上から押してるのを見る
78人間七七四年:2010/05/18(火) 21:59:23 ID:zBtyv3Ar
何がいい話なんだ。少し発明したくらいだろ
79人間七七四年:2010/05/18(火) 22:06:14 ID:5j5bImY6
>>66
自作自演してるんだよ。
荒らしの相手するものも荒らし。

ついでに逸話投下

天正18年(1590)3月、伊達家中は真っ二つに割れていた。
小田原役の勃発により遂に小田原城を大軍で取り囲んだ豊臣秀吉に対し、抗戦を主張する
伊達成実を中心としたグループと、恭順を主張する片倉小十郎景綱を中心とするグループとで
議論は全くまとまらなかったのだ。

悩んだ伊達政宗は夜半、小十郎の屋敷を訪れ寝所にまで入ってその真意を質した。
小十郎は言う

「秀吉の軍というのは、蠅です」

「ハエ?」

「そう。それも大発生をした蠅です。

殿、大発生をした蠅にたかられれば、これをいくらたたき潰しても後から後から湧いてきて
切りがありません。
秀吉の大軍と言うのもそれと同じなのです。2,3百の敵を売って、2,3度防ぐことが出来ても、
秀吉は後から後から大軍を繰り出し、結局防ぎきる事など不可能なのです。

そしてこのまま重臣の意見が一致せず殿が決断することがなければ、伊達家は間違いなく
滅びるでしょう。だが、これをよくよく肝に銘じてください、伊達家が滅びても、家臣たちは
機会さえあればまた、他家に仕えることが出来るのです。

殿、これらを良く考えて、ご決断を。」

これにより政宗は秀吉への恭順を決断したと言う。
片倉小十郎の政宗説得、のお話。
80人間七七四年:2010/05/18(火) 22:06:16 ID:hnpbq7RD
三成は柔軟な所と柔軟でない所の差が大きすぎるな
秀才の代表格みたいだけど、
逸話的には天才肌だよな
81人間七七四年:2010/05/18(火) 22:07:25 ID:zBtyv3Ar
政宗はハエのようなきもい男だったけどな
82人間七七四年:2010/05/18(火) 22:17:15 ID:K4a19dTb
なんか最後の方何気にひどいこと言ってないか?w
83人間七七四年:2010/05/18(火) 22:23:08 ID:KBlcsbV+
いや、そういったシビアな面も臆せず忠告できるのが景綱と政宗の信頼関係ってことだろう。
84人間七七四年:2010/05/18(火) 22:52:47 ID:PnFSHHiG
遅ればせながら>>1乙です

>>55
これいい話なのか?ww
自分の行いは自分に返ってきますなー気を付けねば
85人間七七四年:2010/05/18(火) 23:27:38 ID:iwHeB8Gr
>>82
いや、「『家臣の意見が纏まらないから』とかいって傍観してると一番ババ引くのはあんたなんだよ」
と背中を押してくれてるんだろう。多分
86人間七七四年:2010/05/18(火) 23:41:18 ID:9bhuwJ06
>>84
俺がせっかくいい逸話を投下してやったのに批判するのか
むかついたから俺もこのスレを荒らしてやる
最低2スレは荒らしてやる
87人間七七四年:2010/05/19(水) 00:03:02 ID:2Uxn+XMc
マジレスすると、自分も>>55がいい話かどうか判断が付かない
教訓になるという意味で「いい話」なのか?
88人間七七四年:2010/05/19(水) 00:08:59 ID:3mPlvQ20
>>84
>>87
前スレで荒らしの書いた奴だって。スルーしよう。

戦国ちょっといい話19
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1269393777/988
89人間七七四年:2010/05/19(水) 00:48:38 ID:4QuC8xr2
片倉さんはラスボスをハエよばわりしたりサルよばわりしたり結構言いたい放題だよね
90人間七七四年:2010/05/19(水) 00:53:25 ID:o1RqYGnb
>>69
手紙の出し方で思い出した


例によって三斎さんから忠利くんにお手紙ついた
(前略)
一、其元別ニ替事も無之由、珍重候事。

一、文箱之上之書付ニ無事之状と被書付候。其元より之状ハ何事かと存候ニ、先札見て安堵申候。
  明地(明智)日向殿いつも如右之文箱之上ニ被書付候つる、理之済みたる儀ニ候事。

(お前の方は別に変わった事も無いとのことで、何よりだ。

ところでお前が出した書状の箱の上に、『無事の知らせ』と書いた札が貼ってあったな。
当主であるお前からの書状ということで、「何か起きたか」と思ったが、札を見て安心したよ。

明智光秀殿が生前、いつもその様にして書状を書いていた。理にかなったやり方だと思う。)



謀反人のレッテルを貼られても、その娘である妻が死んでも、三斎さんは…お舅さんのことを……
91人間七七四年:2010/05/19(水) 02:27:09 ID:KLPgrn0a
>>79における片倉の話は三国志の赤壁前夜における孫呉家臣の論戦と真逆なんだな

三国志では、徹底抗戦を主張する周瑜と、恭順降伏を主張する張昭との間で論戦がかわされ、
曹操の大軍にはまず勝てない、今は恭順の意思を示して時期を伺おう、という張昭に対し、
勝算は有る、一戦も交えず恭順の意思を示せば、二度とは天下を伺えない、と周瑜が応じる

結局、下のような魯粛の発言が孫権に決断を下させる

「このまま決断をあぐねていては、まぁ、まず負けますな。
 ですが、考えてもみてください
 張公(張昭に対する敬称)のような華夏に名の鳴り響いた大人物はともかく、
 私の様な商家上がりのものは曹操に降ったところで、うだつはあがらないでしょう
 ご主君の孫家も、言っちゃ何ですが大した家じゃありませんし、降ってしまえば数多くの臣の一人
 その上、叛軍の大将とくれば、どんな目に遭わされるか分かったもんじゃあ、ありませんぜ
 そもそもですな
 降ろう降ろうと大声で言ってる輩は、みなそれぞれ魂胆あっての事でして
 つまるところ、降った後の自分の身の安全が確保されているから、好き勝手にのたまっているのです
 ご主君の未来を第一に考えての発言ではないんですな。これが」

そして、孫権は赤壁で勝利し、呉帝即位の儀式を迎えるわけだが、魯粛はその時既に亡くなっていた
で、めでたい席で孫権は張昭に対し、満座の中痛烈な皮肉を浴びせる

 「もしもそなたの申した通りに降伏していたら、朕は今日を迎えられなかっただろう
 魯粛こそが、朕を皇帝たらしめてくれたのだ」

その後ひきこもってしまった張昭と孫権のやりとりはみなご存知だろうから割愛するとして
片倉の話とこの話の対比は興味深い
92人間七七四年:2010/05/19(水) 02:27:52 ID:KLPgrn0a
うわ、ageちまったすまん
93人間七七四年:2010/05/19(水) 02:28:00 ID:STc5QpPj
ナチュラルに「そういや、おれの舅さんもさぁ」て感覚だったんだな
屈託がなかったのだろうか
94人間七七四年:2010/05/19(水) 05:09:00 ID:GDmyaVp4
>>93
いとしい、たまちゃんのパパさんですし……
95人間七七四年:2010/05/19(水) 06:40:44 ID:eW/NirDN
>>90
光秀ってそんなに周りから憎まれてたって訳じゃ無さそう。
本能寺以後も状況的に味方が少なかったってだけで同情した
人は多いのかもしれない。
丹波地方じゃ昭和初期まで信仰対象だったと聞くし人徳は
有ったんだろうね。
96人間七七四年:2010/05/19(水) 07:09:07 ID:dPAflNVH
謀叛する時は根回しがとっても大切なんやで
97人間七七四年:2010/05/19(水) 08:23:11 ID:95cHaG63
明智光秀がやると謀反で、斉藤道三がやると下克上
98人間七七四年:2010/05/19(水) 08:44:19 ID:S3/kwy8d
反逆が成功しても、短期間に終われば謀反、長期間持続すれば下克上ってことか
竹中半兵衛のそれは何だろうなぁ
99人間七七四年:2010/05/19(水) 09:12:42 ID:7O3q6YUv
正当化できるかどうかが違いじゃないのか
結局、判断するのは後の時代の人とか第三者さ
100人間七七四年:2010/05/19(水) 09:26:34 ID:4tLe2o68
家康がやると謀反や下克上ですらない
101人間七七四年:2010/05/19(水) 10:00:14 ID:FLiq2+AI
根回しは大事なんだけど、その根回し中に事が露見するんだよなw
ここが難しいんだろうけどwww
102人間七七四年:2010/05/19(水) 10:25:33 ID:cMQHOeXW
>>86
間違っているね
投下した文章に煽りをつけたから煽りを禁止しなきゃ荒すといっている。

ゴミみたいな逸話しかない。ゴミなんだからもっと書き込め
103人間七七四年:2010/05/19(水) 10:27:07 ID:cMQHOeXW
いい話かどうかわからないという同じことしか書いていないが具体性に欠けているので
俺に反論したいだけだということが見え見えだ。

転載だから書き足せばよかったし分かりずらい及び意味不明なものにになってしまったが
それならそれで批判で返せばいいだけで、煽るなんてするのは煽りで返して問題ない
104人間七七四年:2010/05/19(水) 10:38:08 ID:95cHaG63
>>100
確かに家康の場合は良い言葉でしか表現されないな
パクス・トクガワーナだっけ?
やはり短期か長期かの違いなんだろうか
105人間七七四年:2010/05/19(水) 11:06:02 ID:VGufp1NZ
時代としてはギリな感じだが、まとめになかったので試しに投げ。

荒木宗太郎とアニオーさん

幕府が軌道に乗ると海外渡航などが禁止される鎖国制度で、貿易は出島のみで行われてたのは周知の事。
でも実は鎖国が取られるまでの約40年間、朱印船という幕府公認商船が東南アジアまでぶいぶい交易に出ていた。
そんな朱印船を預かる豪商の一人に荒木宗太郎という人がいる。
この人生年など詳しい事は不明だが、元は肥後熊本の武士で豪胆な性格の人だったらしい。
普通は朱印状を受けても資金だけ出して自ら行かないものだが、この人の場合は乗船し船長まで勤めて渡海した。
まさに海の男である。
そんな性格が幸いしたのか広南国(今の中部ベトナム)王・阮福源にかなり気に入られてた。

阮福源「俺の娘にいい子いんだけど、太郎ちゃんとマブになりてーし良かったら貰ってくんね?」
王加久「・・・・・・」
宗太郎「ドギャ━━(#゚Д゚#)━━━ン!!も、もちろん頂きます!!!(゚∀゚*)」

その上よほど王加久さんが気に入ったのか、長崎に連れ帰って正妻としておき生涯添い遂げた。
当時は現地妻として現地におくのが普通だったらしい。
さすが海の男、荒木宗太郎は型にハマらない。
そんな王加久さん、長崎の人にはアニオーさんとして親しまれた。
夫婦仲も良かったと思われ、多忙を極めたであろう宗太郎との間に一女をもうけ、長崎でその生涯を終えた。
仲の良い夫婦をしのんで、今も長崎くんちではアニオーさんの輿入れ行列が催される。
そんな国際結婚のちょっといいお話。
106人間七七四年:2010/05/19(水) 11:26:44 ID:aOSv7DgU
>>105
ロマンですなぁ
107人間七七四年:2010/05/19(水) 11:27:48 ID:cMQHOeXW
夫婦仲が良かったってうそだろぼけ
108人間七七四年:2010/05/19(水) 11:32:53 ID:eW/NirDN
>>105
珍しいよね、当時の国際結婚で日本に奥さん来るとか。
言葉とかやっぱり懸命に覚えたんだろうか…異文化の
国の生活って大変だろうに。
良い話だなぁ
109人間七七四年:2010/05/19(水) 11:34:17 ID:ATFm9UnF
>>90
忠興はそれなりにお舅さんを尊敬していたと思いたい
光秀好きとしては
110人間七七四年:2010/05/19(水) 11:38:28 ID:cMQHOeXW
夫婦仲が良かったと思われ断言するな禿
111人間七七四年:2010/05/19(水) 11:42:25 ID:dVCNzmNL
伊達家の人も国際結婚してたよね
鄭成功も確か日本人とのハーフだ
言葉の壁とかあんまり気にしないのかな?
112人間七七四年:2010/05/19(水) 12:08:18 ID:3mPlvQ20
>>100
足利将軍家、尾張守護斯波家、織田宗家に対する信長や
織田家に対する秀吉もそうだろ。
あと大内尼子に対する毛利とか、龍造寺に対する鍋島、一条家に対する長曽我部。

結局ある程度安定して、旧主家を超える権威と権力を打ち立てると
「下克上」と言う言葉は無意味になるってことなんだろうな。
113人間七七四年:2010/05/19(水) 12:25:32 ID:9cG5AjAy
>>111
東南アジアはいろんな国の商人が集まってるから、あんがい珍しくないんじゃないのかな
114人間七七四年:2010/05/19(水) 14:07:41 ID:hMZ8jUIy
鄭成功も子供の頃、母(日本人)と一緒に平戸で暮らしてたよな。
115人間七七四年:2010/05/19(水) 19:15:48 ID:Qw1CfX2v
>>112
ギン千代に対する宗茂
信之に対する幸村(知名度的に)
信繁に対する幸村(本名的に)
もそうでしょうか?
116人間七七四年:2010/05/19(水) 20:56:07 ID:7O3q6YUv
>>101
直家「コツを教えてほしくば、わしの茶室に来るがよい」
117人間七七四年:2010/05/19(水) 21:04:30 ID:avKxI/lV
>>111
荒木宗太郎に関しては、オーナーで船長なら現地の商談交渉もある程度自分でやってたろう。
日常会話程度なら夫婦間の意思疎通はハナから問題なかったんじゃないかな。
それでも一国の王女が国を出るのはかなりの勇気がいったと思う。
宗太郎もその辺分かってたのか王加久以外に妻を迎えてないし、かなり大事にしてたんじゃないかな。
118人間七七四年:2010/05/19(水) 21:18:58 ID:h4BtA9wt
>>90
忠興って光秀のことを尊敬していたとどこかで小耳に挟んだけど
こういう手紙が根拠になってるのかな
119人間七七四年:2010/05/19(水) 21:43:38 ID:PYPAY52L
>>110
まとめブログから力作が完全スルーされてやんのw
120人間七七四年:2010/05/19(水) 21:46:17 ID:3mPlvQ20
>>119
自作自演のマッチポンプはもういいから
121人間七七四年:2010/05/19(水) 23:42:02 ID:dVCNzmNL
>>117
でも海の男ってことは旦那が家を空ける事も多かっただろうに
その間他人との意思疎通が辛そうだぞ
覚えたのかもしれないけど
122人間七七四年:2010/05/20(木) 00:46:34 ID:SZAj+nz0
まとめじたいが偏向サイトだから仕方ないな。
あれは転載しただけだから力作でもないしどうでもいい。

まとめは書いた人間の許可とらずに無断転載し続けてるアホサイトだから、俺がFC2にクレーム入れてもいいよ
123人間七七四年:2010/05/20(木) 00:49:41 ID:SZAj+nz0
糞話ばかりだな
124人間七七四年:2010/05/20(木) 01:09:04 ID:V8mZXMI/
>>123ホント最近糞話が多いよね。なのでちょっと力作つくってみたよ。読んで感想のひとつでも聞かせてよ。


織田信孝は1582年に四国征伐の総司令官に任ぜられ、織田氏の宿老・丹羽長秀や従兄弟の津田信澄らを付される。
堺にて渡海の準備の最中に本能寺の変が勃発。
しかも逃亡兵が相次いだため、積極的な行動はできず、
従兄弟の津田信澄を殺害した程度である。
その後摂津国富田で「中国大返し」後の羽柴秀吉軍に合流、名目上は総大将として山崎の戦いに参戦し、仇である明智光秀を撃破した。

清洲会議では信長の弔い合戦の総大将であったにも関わらず、その存在は羽柴秀吉によって無視され、
織田氏の後継者は信孝の甥の三法師に決定し、信孝は三法師の後見役として兄・信忠の領地であった美濃国を与えられる。
その後、織田氏宿老格の柴田勝家・滝川一益らと結び、
同年12月、三法師を擁して秀吉に対して挙兵する。
しかしこの挙兵は秀吉の迅速な行動によって降伏せざるを得なくなり、降伏して人質を出し、三法師を秀吉に引き渡した。

翌、1583年、賤ヶ岳の戦いが起きると、信孝は再度挙兵する。
しかし同年4月に居城の岐阜城を包囲され、頼みの柴田勝家も北ノ庄城で自害すると開城して降伏した。
信孝は尾張国知多郡野間(愛知県美浜町)の大御堂寺(野間大坊、平安時代末に源義朝が暗殺された場所)
に送られ、迫られて自害した。享年26。命日は4月29日(西暦6月19日)と5月2日(6月21日)の二説がある。

辞世の句は「昔より 主を内海の 野間なれば 報いを待てや 羽柴筑前」(「内海」を「討つ身」とかけている。
信孝の秀吉への激しい怒りが感じられる句となっている)。
この辞世が現実のものとなるのは、それから32年後のことであった。
125人間七七四年:2010/05/20(木) 01:10:20 ID:SZAj+nz0
同じ作戦ばかりで脳がないんだね
126人間七七四年:2010/05/20(木) 01:11:16 ID:SZAj+nz0
面白い話かけよ誰か。ゴミどもには不可能か
127人間七七四年:2010/05/20(木) 01:13:03 ID:SZAj+nz0
おうむ返しとか模倣は低脳がやることだから許可取らずに2ちゃんのレス転載してるアホな低脳まとめサイト管理人と
あほ住人しかいないんだからアホスレということで潰すのが一番
128人間七七四年:2010/05/20(木) 02:08:27 ID:9jvGsYjo
>>121
旦那の周りの使用人もバイリンガルじゃないとやっていけないと思うぜ
リーダーが海に出てるんでその間は陸で商売できません!じゃ話にならないし

というか姫のお付きの人も一緒に来たんじゃないか?
129人間七七四年:2010/05/20(木) 02:20:43 ID:5cQyctok
>ID:SZAj+nz0
オラオラ、もうちょっと頑張れよw
130人間七七四年:2010/05/20(木) 10:30:30 ID:Hs3yMOj1
この当時のベトナムの王ってどのくらいの規模と勢力なんだ?
131人間七七四年:2010/05/20(木) 10:32:22 ID:ID1OlGTB
まがりなりにも王女さまだからね
とうぜん何人かはついてきてたんじゃないのかな
そういった話を載せてるブログとかもあるみたいだし
あと、宗太郎ってオランダ東インド会社の旗を使用したエピソードがあるみたいだね

ちなみにサーチナにあった記事だと王加久は宗太郎より10年長く生きている
周りの人たちとは、おたがいに怪しいベトナム語と日本語とでやりとりしていたそうだ
そして宗太郎の命日の、宗太郎と同じ時間に亡くなったそうだ
ちなみに子供は男の子だったそうな
・・・サーチナだからなあ
132人間七七四年:2010/05/20(木) 10:49:46 ID:fRCbkK44
与太話的なことでもおkなとこが、このスレのいいとことなんじゃね?
133人間七七四年:2010/05/20(木) 10:53:36 ID:2YrjfZgm
阮ってグェンの漢字表記なんだって最近気づいた
134人間七七四年:2010/05/20(木) 10:58:10 ID:ID1OlGTB
>>130
戦国初期くらいの一時期には南のチャンパ(南ベトナム)や西のランサーン(ラオス)を隷属させたりもしていたみたいだけど
このエピソードの頃は奸臣により一度滅ぼされ復興した後で、権臣どもの政争でドロドロだったみたいだね
阮福源は黎王朝復興運動で先頭に立っていた阮淦って人の孫ね
ついでに後の南ベトナム王朝の祖にもなる人物

もともと黎王朝ってのは群雄の寄せ集めみたいな王朝だから強力な王がいなくなるとダメだったみたいね
でも、これは中世ならどこも同じか
135人間七七四年:2010/05/20(木) 11:05:31 ID:ID1OlGTB
>>133
グェン・バン・ヒューとかね
ま、冗談だけど

けっこうかっこよく感じるんだよなあ
阮愛国とかさ
136人間七七四年:2010/05/20(木) 11:11:44 ID:fRCbkK44
だから、マウリアは虎縞だったのか!
137人間七七四年:2010/05/20(木) 12:32:04 ID:IY2MWiw9
>>135
銀英伝かよっ!
138人間七七四年:2010/05/20(木) 13:07:48 ID:7MriegqC
広南国の属国・占城は日本とも交易を行っており、占城船の長崎入港は1693年が最後となっている。
139人間七七四年:2010/05/20(木) 18:50:00 ID:V6k2bjHA
史実かどうかはさておき、山田長政もアユタヤ朝の王女と結婚したという話もあるんだっけ
140人間七七四年:2010/05/20(木) 19:55:41 ID:uxqXSyzI
>>130
元寇の時代には元の侵攻を撃退してるし
昔から結構強いんだよな、ベトナムは。
141人間七七四年:2010/05/20(木) 20:03:42 ID:SdDrbH2j
>>135
>阮愛国とかさ

ホー・チ・ミンかよ!
142人間七七四年:2010/05/20(木) 20:20:46 ID:wiGMwEgN
今も昔も時間と距離と気候が最大の敵なんだろうな
143人間七七四年:2010/05/20(木) 22:51:11 ID:jNPUjX42
>>131
マジで?(;゚∀゚)すまん、そこまで確認してなかった。
一応自分の持ってる本には娘とある。
家須(やす)という女性で、その後男の養子を貰って荒木家を継いだということらしい。
白石一郎が書いてる「海のサムライたち」って本なんだが…まあこの人作家だしなあ。

当時のベトナムだが、東京と広南に事実上国が分かれて政局が安定してなかったそうだ。補足までだが追加しとく。
144人間七七四年:2010/05/20(木) 23:08:32 ID:vdE4bNC4
大永4年(1524)6月、松平清康の家臣大久保忠茂(彦左さんの祖父)は、敵対する岡崎松平氏、松平信貞の山中城を
風雨をついて夜襲し、これを攻略した。

この戦果に清康は大いに喜び、忠茂に言う
「望みどおりの褒美をとらそう!何が良いか!?」

「望み?いえ、特には。」

「何を遠慮しておる!何でも良い、望みを申せ!」

「望みと申されましても…。殿はまだまだ領地も少なく余裕もないので、これ以上知行をいただくわけには参りませぬ。
私ももう老い先短い年寄りですし、それに息子の新八郎(忠俊)、甚四郎(忠員)、弥三郎(忠久)にも既に、
それぞれの身に応じた知行を頂いております。それ故に、望みというものはございません。」

清康、苦い顔をして
「…はっきり言うな。」

「こういう事ははっきり申し上げないと。」

「そ、それでもなにか望め!」

ここまで言われても清康、諦めない、忠茂も面倒くさいが清康も充分に面倒くさいのだ。

「それでも、と言われましても…。うーん…。」

「何かひとつくらいあるだろう!?」

「ではせっかくですから、升取り(市場の公正性の監督官)にしてください。まあ、食い扶持くらいにはなるでしょう。」

「…あんまり嬉しそうじゃないな。」

「いえいえ、大いに喜んでおります。」

「うむ!ではそのような望みなら簡単なこと!升取りにしてとらす!」

「有難き幸せ。」

清康、大久保忠茂に褒美を与える、と言うお話。
145人間七七四年:2010/05/20(木) 23:12:24 ID:dGBnFRO4
ほとんど脅迫じゃねーかww
146人間七七四年:2010/05/20(木) 23:28:32 ID:SZAj+nz0
脅迫を逸話にするなボケ変なこと書きこむなアホ
147人間七七四年:2010/05/21(金) 00:06:50 ID:n1U8eKSd
ボケ変って確変の異種かと思ってしまった
148人間七七四年:2010/05/21(金) 00:12:35 ID:6O8uHCfF
その城をもらえばよかったのに。
149人間七七四年:2010/05/21(金) 08:03:35 ID:VXTaWOFO
そんなことを望めば謀反を疑われて
粛清されるんじゃね?
150人間七七四年:2010/05/21(金) 09:57:41 ID:iHoUGxWt
最上家と一国一城令

最上義光の死後一年ほどが経ち、時の将軍秀忠の名前で「一国一城令」が布告された。
この法令は一大名につき一城しかその領有を認めず、特に西国の大名の牽制を目当てに
公布されたという。

ここ奥羽の地でも「一城令」は他人事では無かった。
秋田の佐竹家でも関ヶ原以降の転地という理由もあり支城を幾つか認められたものの
安東氏以来の旧城はその大半を潰さざるをえなかった。

最上家に至っては安土桃山期以降も
上山城・長谷堂城・本庄城・長崎城・東根城・楯岡城・左沢城・大川城・寒河江城・山辺城・延沢城
真室城・酒田城・朝日城・新庄城・小国城・鶴岡城等
「城」とつくものだけで100城以上があったという。

城潰しの件で家中会議が焚決した際、義光の子で出来人と言われる山辺義忠がこう発言した。

「諸侯、最上の城は山形の城だけですな?」

ザワザワザワザワ・・・・・・

「ふざけるな!」
「我等の城を潰せというのか?」
「何をおっしゃる!」
「黙れ若僧が!」

家中の騒ぎを当主最上家親が遮った。

家親「義忠、わが弟とはいえ庇いきれんぞ。何か思惑でもあるのか?」

義忠「此度の件は城の破却が問題でございます。城で無ければ壊す必要性はございません。」

言葉のアヤを取るとは言え、秀忠に顔の利く家親と、義忠の幕府の実力者土居雅楽への手回しもあり
最上領の城の棄却はほとんど行われなかったという。

伊達領では「要害」と証したらしいが、
最上家では「館(たち)」と証したと言うものの、

長谷堂「館」では格好がつかないような・・・
151人間七七四年:2010/05/21(金) 10:09:30 ID:If62u3GT
あー、こりゃ山野辺義忠を当主に立てようって話も出てくるわけだ。
152人間七七四年:2010/05/21(金) 10:10:07 ID:eOEqHjof
ただの屁理屈じゃねーかw
153人間七七四年:2010/05/21(金) 10:19:45 ID:OnIf/gB1
  *      *
  *  館です  +
     n ∧_∧ n
 + (ヨ(* ´∀`)E)
      Y     Y    *
      義忠
154人間七七四年:2010/05/21(金) 10:21:19 ID:0VYOSGQu
館です→OK
要害です→OKOK
1個除いて全部潰しました→ご苦労
うちの城になんか文句あんのかゴルァ!!!→取り潰し

要領って大事だな
155人間七七四年:2010/05/21(金) 10:31:38 ID:vF39GtgY
建前を建前と見抜けないと江戸初期を切り抜けるのは難しい
156人間七七四年:2010/05/21(金) 11:01:06 ID:iHoUGxWt
一栗放牛と高春の意地

天正19年奥州仕置きで、DQ眼竜政宗は二万を越す大軍を引き連れ、
一揆勢が立て篭る佐沼城に押し寄せた。
佐沼城は周囲を川や沼に幾重にも囲まれ、それまで数々の戦でその堅固さを
示してきた。そこに集まった一揆勢は、葛西家一族の千葉信胤・信重兄弟を
大将に、旧葛西・大崎家臣や近隣の農民など、総勢一万人以上にふくれあがっていた。
そしてその中に、かつて大崎家にその人ありとうたわれた猛将・一栗豊後
(一栗兵部高春)の姿もあった。
小田原に参陣しなかった葛西・大崎両家は領地没収の憂き目にあい、
秀吉の代官木村親子とその家中の狼藉に耐えかねた領民たちは一揆を起こし、
大崎・葛西の旧臣もこれを契機に大規模な蜂起を起こした。
一栗放牛の孫、高春は当初、自らの居城である一栗城(現玉造郡岩出山町)に二百数十名の郎党とともに
立て篭り、領内各地の一揆を鎮圧しつつ北上してくる政宗を迎え撃って華々しく討死にしようと待ち構えていたが、
政宗は一栗城には目もくれず、東の栗原郡に向かって兵を進めた為
「小城ゆえに無視されたとあっては武士の面目が立たぬ!」と
怒り心頭の高春は、すぐさま郎党を引き連れ政宗の最終攻撃目標である
佐沼城へと馬を走らせた。
佐沼城に集まった旧葛西・大崎家臣たちは、かつては仇敵として長年争ってきたことも忘れ、
共に肩を並べて政宗率いる仕置軍と互角以上に戦った。
そんな両家の古強者たちが集う一揆勢の中でも、高春は目を見張らんばかりの働きを見せ
仕置軍を苦しめた。得物の大薙刀を車輪の如く振るえば辺りは血華の大輪で満ち、
また弓を射れば狙い違わず敵兵の身体を貫いたと伝えられている。

この戦の最中、仕置軍の陣営に短冊が結ばれている矢が撃ち込まれた。
広げてみるとそこには、

「伊達どのは木の葉猿にも劣りたり 一つ栗をば落とし得ざれば」
(伊達のDQ眼竜? 猿蟹合戦の 猿より劣る なんで柿一つ落とせないかな? プギャーw)

と書き付けてあった。

矢は高春が放ったもので、短冊の歌は一栗城を無視した政宗に対する恨みと嘲りを詠んでいた。

結局城は落ち、佐沼はDQ眼竜の撫で切りに合う訳だが、
この戦いで戦死した高春の祖父は満92歳とも言われ、
その武は最上義光にも「大崎家中随一の者」と評される程のものだったという。
157156:2010/05/21(金) 11:09:34 ID:iHoUGxWt
×柿一つ
○栗一つ

でした・・・orz

あと、「高春の祖父=放牛」も書き忘れ

吊ってきまつ・・・
158人間七七四年:2010/05/21(金) 11:12:51 ID:KM36ixxF
>>156
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2774.html
既出っぽいけど良い話だね
159人間七七四年:2010/05/21(金) 11:13:27 ID:eOEqHjof

      ||   /
         /
      /||
    / ∧||∧
     (    ヽ
      ∪  ノ
       ∪∪
         ∧ ∧,〜  イ`
        ( (⌒ ̄ `ヽ    _
          \  \ `ー'"´, -'⌒ヽ
         /∠_,ノ    _/_
         /( ノ ヽ、_/´  \
       、( 'ノ(     く     `ヽ、
      /`   \____>\___ノ
     /       /__〉     `、__>
160人間七七四年:2010/05/21(金) 12:23:30 ID:G3eQq1hj
独眼竜とか書かれるとなんか恥ずかしい。輸入物だし……。
161人間七七四年:2010/05/21(金) 14:12:39 ID:0aZxznYt
どこがいい話だボケ潰すぞ
162人間七七四年:2010/05/21(金) 15:34:24 ID:+mgGCKJs
じゃあ俺はボケ倒そうかな
163人間七七四年:2010/05/21(金) 16:08:33 ID:Gmz7NAcf
>>161
じゃあ良い話を一つ、神戸信孝の話なんだが

織田信孝は1582年に四国征伐の総司令官に任ぜられ(以下略)
164人間七七四年:2010/05/21(金) 16:30:58 ID:Gmz7NAcf
手直しを少し入れればそれらしくなると思うんだ。

「織田信孝と○○」
(まずはタイトル)

織田信孝は四国征伐を命ぜられ、渡海の準備をしている際に本能寺の変が勃発した。
(前文は簡潔に)

しかも信長の死により逃亡兵が相次ぎ、混乱もあって従兄弟の津田信澄を殺害に及び方面軍として単独では動けず
中国帰りの羽柴軍に合流し、「名目上」は総大将として山崎の戦いに参戦。仇である明智光秀を撃破した。

清洲会議で、その存在を秀吉に無視され、 織田後継者は甥の三法師に決定した。
信孝は兄・信忠の遺領美濃を与えられ、後に秀吉に兵を起こすが
降伏せざるを得なくなり、人質を出し秀吉に屈した。

賤ヶ岳の戦いでは再度挙兵。
しかし居城の岐阜城を包囲され、頼みの柴田勝家も北ノ庄城で敗れると自身も降伏。
信孝は尾張国知多郡大御堂寺に送られ、秀吉に迫られて自害した。享年は26という。

辞世の句は「昔より 主を内海の 野間なれば 報いを待てや 羽柴筑前」

この辞世が現実のものとなるのは、それから32年後のことであった。

ただ辞世が後に叶ったが、信孝の句と「どういう因果」で「羽柴(豊臣)が滅んだのか」を書かないと
(説明できないと)良い話にも悪い話にもならない。


まぁ、他人の話を聞くのも一種の社会勉強だと思いましょう。
165人間七七四年:2010/05/21(金) 17:08:15 ID:tuHhXVLj
このコピペ貼る人、病んでるのかな?ちょっと心配になってきたよ
166人間七七四年:2010/05/21(金) 17:33:19 ID:MD8HIGAe
>>156
>>158
同じ話みたいだけど、
書き方と抜粋する部分によって印象変わるね。
167人間七七四年:2010/05/21(金) 17:57:49 ID:WSXi5zMa
>>164
これだと、「やっぱり信孝の辞世の句ってインパクト
有るよな。その後の秀吉の運命も含めて凄い句だわ。」
とか感想を持つよ。
しかし、最初の投稿者も未だに粘着してるし凄い執念。
信孝並みに「報いを待てや」状態?
168人間七七四年:2010/05/21(金) 18:20:17 ID:IyQ1l49T
しかしいくら待っても何も起きないのであった・・・
169人間七七四年:2010/05/21(金) 18:41:02 ID:k2TrVp+s

本気で世界の支配を考えていた戦国武将

http://akiba.geocities.jp/pxzuwp/0203/39/267_1.html

数百年単位で歴史を作り上げていたのが徳川家康だった。
170人間七七四年:2010/05/21(金) 18:57:43 ID:0aZxznYt
ゴミ話しかかけないやつらは消えろよ自殺したほうがいいよな
171人間七七四年:2010/05/21(金) 19:08:48 ID:o3bYDNOi
>>170
そんなに自分の事悪く言うなよ
親が悲しむぞ
172人間七七四年:2010/05/21(金) 19:10:34 ID:eOEqHjof
>>169
ひっでぇw
これはひでぇw
173人間七七四年:2010/05/21(金) 19:22:10 ID:IyQ1l49T
>>171
既に親からも見捨てられているんじゃないの?(笑)
174人間七七四年:2010/05/21(金) 22:50:22 ID:4vYQ+MC4
>>171
まずは164に結論を「自分の考えで」書いてみよう。

自論はあってもただのコピーの切り張りなら
意見として通すのは世の中同様難しい。
私塾の先生からのアドバイスです。
175174:2010/05/21(金) 23:44:30 ID:4vYQ+MC4
>>170
タグを間違えた
176人間七七四年:2010/05/22(土) 00:39:57 ID:rAe1JH49
鮭ネタいらね
たまには鮭ネタを悪い話の方に書けよ山形土人が
177人間七七四年:2010/05/22(土) 00:51:37 ID:JpQIj1MA
政宗が一栗城を無視したのは、伊達軍が完敗した「大崎攻め」の際に
一栗氏が大崎家中の伊達派である氏家党に与していたので、
見逃した…という話もありますね。
大崎攻めの話を書きたくなってきたなぁ。

178人間七七四年:2010/05/22(土) 01:07:12 ID:MAf2C9uS
「織田信孝」の「修正版」の方がまとめスレに載っててワロタw
179人間七七四年:2010/05/22(土) 01:21:10 ID:MAf2C9uS
「伝書家伝」に「一栗豊後」「一栗兵九」「一栗道牛」の文字があったんで
一栗について見直してうpでもするか・・・
180人間七七四年:2010/05/22(土) 01:51:18 ID:MAf2C9uS
これも一種の乞食大名

大崎義隆は小田原不参によって奥州征伐後没領。
蒲生氏郷に属し、文禄の役に渡海。晋州城の戦いに参加した。
この時点では捨扶持客将扱いで1200石前後。
氏郷死後は上杉景勝を頼り、1600年には2700石を給されている。
義隆は会津で没しているが、以後その子義興が所領を没収されたとする説もあり
一家の悲劇として涙を誘うものがある。
181人間七七四年:2010/05/22(土) 02:06:26 ID:MAf2C9uS
諸行無常

奥州仕置きで主家を失った家臣達は今でいうところの
会社の倒産したサラリーマンに似ている。
大崎・葛西一揆を始め和賀・稗貫の旧臣で
他家での恩恵を受けられたのは
仙台伊達家に仕えた「千葉氏」「及川氏」「氏家氏」など一握りの旧臣だけである。
ただ、石巻大崎氏家臣四釜隆秀系の「四釜(しかま)」氏などのように
他家へ奉公し、現在も山形〜宮城に分布する
「志鎌」「色麻」「鹿間」各姓に子孫反映の心意気を感じる。
182人間七七四年:2010/05/22(土) 12:40:47 ID:kHM1D51c
色魔はいないかさすがに
183人間七七四年:2010/05/22(土) 12:56:00 ID:gSOmRZ+5
宮城県北の佐藤・千葉・菅原・小野寺姓の多さは異常。
184人間七七四年:2010/05/22(土) 14:12:59 ID:0qt3sTFt
加藤嘉明のもとを退転した塙団右衛門は、諸大名の間を渡り歩いたが、ひとまず福島正則家に厄介になった。
福島家で妖怪退治(?)をしたり(http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1146.html)、
充実した日々を送る団右衛門だったが、そんなある日、嘉明からの使者が福島家にやって来た。

「加藤左馬助嘉明よりの使いにござる。貴家でお預かりの塙団右衛門、主人嘉明に無礼を働き、奉公構に致した者。
すみやかに加藤家に、お引渡しあるべし。」

「お前、奉公構を食らっとったのか!?」正則に呼び出された団右衛門は、毅然として答えた。
「いかにも。加藤家に戻れば最悪切腹ですが、これ以上福島様に迷惑はかけられません。拙者をお引渡し下さい。」
「うーむ……どうだ、わしから左馬助に加藤家へ穏便に帰参できるよう頼んでみるか?」
「ありがたい仰せですが、もはや帰参する気はサラサラござらん。どうか、このままお暇を下さいますよう…」

「そうか…よし。誰かある!酒じゃ、上等の酒を用意せい。ああ、料理もせいぜい腕を振るえと、料理人に伝えよ!」
「末期の思い出に、馳走を下さるか。ありがたい。」
「ハァ?何をぬかす?誰がお前にオゴってやると言ったんじゃ!!」「え………?」

「さぁさぁ使者殿、もっと呑まんか!左馬助より使者など久しぶりじゃ、しかと歓待せねば正則の男が廃るわ!」
「も、もうこれ以上は……」
「なんだと。わしの酒が呑めんと言うんか!?」「い、いえ!そんな事はございません!」
「なら、呑め呑め。ほれ、料理もまだまだあるぞ!」「(うへぇ)……」

(ささ、団右衛門殿、今のうちじゃ。ああやって殿が足止めしている間に、逃げなされ。)
(…かたじけない、恩に着る………)

「(……頃合いか)さて、使者殿。御用の趣きは承ったが、団右衛門は既に当家をも退去した。申し訳ない。」
「さ、左様にござるか(なら早く言えよ)!」


上方に逃れた団右衛門は一時出家して加藤家の追及をかわすと、正則に代わるかのように大坂城に入り、
夏の陣で樫井の露と消えた。
185人間七七四年:2010/05/22(土) 14:25:42 ID:pyP8n8J8
正則ってこんな気持ち良い所のある男だったのか
186人間七七四年:2010/05/22(土) 15:02:37 ID:0fRhDkmN
え、市松は基本気持ちの良い男だろう?
187人間七七四年:2010/05/22(土) 15:08:23 ID:n84DLREN
アッー!
188人間七七四年:2010/05/22(土) 15:27:38 ID:1roHVILt
>>185
ガキがそのまま大人になったような人間のようで、大酒喰らって家臣に切腹命じて酔いがさめてそれに気づいて青ざめたりしてる所をやこの逸話を考えると結構繊細だし、気が回る所もあるしなあ。
酒が入らなければ多分豊臣の名が知れてる家臣の連中の中では付きあいやすい方なんじゃないか。

……その前提に無理がある?いやそれを言っちゃあおしめえよ。
189人間七七四年:2010/05/22(土) 15:53:39 ID:pyP8n8J8
采配のゆくえや天地人での描かれ方は、ちょっと違うんだね
190人間七七四年:2010/05/22(土) 17:09:29 ID:MTdfOIqS
ある日、晴信が出家し信玄と号した。

山本勘助 『なぁ・・・晴信公が出家しちゃったし、俺らも出家しね?』
小幡山城守『同意!激しく同意!!』

入道後・・・

山本勘助 『俺、道鬼なんつーカックイイ名前もらちゃったwお前は?』
小幡山城守『同意!激しく同意!!』
山本勘助 『えっ?』

勘助、入道後に道鬼と号す。
山城守、入道後に同意と号す。               完
191人間七七四年:2010/05/22(土) 17:17:01 ID:DXYmGW9j
ちょっと寒いスレでも作れ
192人間七七四年:2010/05/22(土) 17:22:53 ID:MTdfOIqS
>>191
激しく同意!




ごめんなさい、暇すぎて出来心でつい・・・
193人間七七四年:2010/05/22(土) 17:55:37 ID:2T9qekrg
もう五月だってのにやけに寒いぜ・・・
194人間七七四年:2010/05/22(土) 18:04:38 ID:vRhlFtjt
この流れでいくと
ドウシ
ドウチ
ドウニ
ドウヒ
ドウミ
ドウリまで行けますが

信玄公も命名中に流石にこれでは道理が通らぬとお気づきになったのでしょう
195人間七七四年:2010/05/22(土) 18:08:36 ID:7sciLTOR
急に悪寒がしたと思ったら風邪じゃなくてここのせいか
196人間七七四年:2010/05/22(土) 18:51:03 ID:MTdfOIqS
本当にごめんなさいwお詫びに投下

〜謙信公の義〜 

村上義清が信玄に敗れ越後に落ち延び謙信公に助力を願い出たときの事である。

義清『この度、上田原の合戦で信玄に敗れ誠に無念の事。この上は、何卒謙信公のお力添えを・・・
   ご助力を以って領地回復の暁には笠原の庄、木島という所を献上したします。』
謙信『・・・武田がために国を追われるは貴殿の武略が足らぬため、他力に頼らず貴殿の才覚で帰国すべきであろう・・・』

謙信のまさかのこの返事に驚いた義清、少しむきになりながら

義清『これは義に篤いと音に聞く謙信公の言葉とも思えませぬ・・・たとえ頼まずとも隣国のよしみ、
   ご加勢下さるは武士の習い。如何の思し召しで合力下されぬのか!』

と、問い詰める。これに答えて謙信公

謙信『先ほどの貴殿の申し出・・・加勢すれば笠原の庄、木島を献上すると・・・』 
義清『如何にも、そう申し上げた。』
謙信『僅かな領地を欲し、僅かな欲ゆえに貴殿の頼みを聞き入れたなどと世に思われるは当家の恥、弓箭の穢れでござる。
   その領地とて我が馬の飼料にも足らず・・・ただ一途の頼みなれば合力致そうが、欲のために味方致すは拙者には出来申さず。』

何気に酷い事言われながらも義清、自分の言葉を恥ずかしく思いしばらくうつむいたままであったが

義清『馬は疲れて毛長く、人は貧にして智短しの例え。粗忽の一言は御免を蒙り是非にお救い願い奉る』
   
と、頭を垂れて頼まれると謙信公は顔を和らげ

謙信『一旦は怒るといえども、強いて煩わしくも存じ申さず。弓箭の義理なれば、必ずご加勢仕ろう』

この答えに義清一党は安堵し大いに悦びあったという。
少しツンデレな謙信公のお話でした。
197人間七七四年:2010/05/22(土) 19:05:36 ID:8E6X5aHh
フィクションくせー
198人間七七四年:2010/05/22(土) 20:08:55 ID:73oAYjHN
謙信って領土欲のない人みたいだし不自然でもないような。
199人間七七四年:2010/05/22(土) 20:11:20 ID:D5v1P6AI
今は昔の戦国は日々フィクション
200人間七七四年:2010/05/22(土) 20:52:23 ID:YPnWHTRf
謙信「物で釣るとか俺を安く見るんじゃねーよ、頼み方を知らんな」

ってことか、プライドが高い人だなw
201人間七七四年:2010/05/22(土) 20:58:54 ID:dpQmXM9J
政治家にお願いにいくのにお菓子持って行くのもだめですか
黄金色のお菓子を…
202人間七七四年:2010/05/22(土) 22:53:01 ID:d8lm2LG4
>>201
TPOによる。
民主党→組織票
小沢→黄金色のお菓子
鳩山→支持率と鳩山家子供手当
菅→小沢の首
前原→鉄道模型

自民党→組織票と党員
社民党→大臣の椅子
国民新党→大臣の椅子
みんなの党→議席がとれる分の組織票
公明党→人間革命
その他諸派→とりあえず票

日本共産党→なにか持っていった時点で赤旗に氏名と住所と顔が乗り
      警察に突き出されますからやめましょう。
203人間七七四年:2010/05/22(土) 22:55:04 ID:x/fFckyH
(^ω^;)
204人間七七四年:2010/05/22(土) 23:05:12 ID:jZBleXcZ
天の声はあった
205丼 ◆14J3H3f/.A :2010/05/23(日) 00:43:13 ID:dz5Tt2V+
比治利丸は男のこ

奥州仕置きで豊臣秀次に見染まれた「東国の美姫」と称された最上義光の娘
駒姫が京へ旅立つという日、家族水入らずでの席が設けられた。

自慢の姉との別れという事もあって、まだ幼い弟の比治利丸は泣いて姉を引き止めた。

比治利丸「あねうえ、かんぱくさまなどという知らないひとへとつぐなどやめてくだされ」

駒姫「比治利丸は男のこでしょ、泣かないで。大きくなったらまた会えるから。
父上と母上、それに家族のみんなを頼んだわよ。」

比治利丸は姉に諭され、その行列を父に手を取られ山形から見送った。
しかしそれから間もなく秀次事件に際し駒姫は三条河原で身分の卑しい者に処刑された。

次々と山形城に入る凶報、右往左往する父、泣け叫ぶ母・・・

やがて豊臣家から遺品として駒姫の髪と辞世、小袖の片方が最上家に届けられた。

咽び泣く家臣、やるせなさを胸に肩を震わせる父・・・
駒姫の法要を行う山形に涙を眼に湛え、下一点を見つめる比治利丸の姿があった。

義光「比冶利、こういう時は泣いてもいいんじゃぞ・・・」

比冶利丸「比冶利は泣ぎません!ひじりはおどごのごにございまずっ!!!」

義光「皆の者下がれ。ちょっと家族だけにしてくれ。」

最上比冶利丸、後の山辺義忠の子供のころの話である。
206人間七七四年:2010/05/23(日) 00:50:06 ID:rmoLlAf1
フィクションくせー
207人間七七四年:2010/05/23(日) 00:54:18 ID:H1miPd7n
NHK大河ドラマ最上義光 第36話 「駒姫の悲運」の一場面です
208人間七七四年:2010/05/23(日) 01:18:41 ID:gJPj5ugN
元和九年(1623)4月のこと。
老中酒井忠勝は、途方にくれていた。

この13日に将軍世子徳川家光は日光東照宮への参拝を予定していたのだが、その家光からの番割(参拝における
行列の計画表)の提出が、遅れに遅れていたのだ。参拝とは言え将軍世子の行列である。当然規模も大きく
その移動には多くの準備が必要である。が、その計画表が上がってこないことにはどうにも出来ない。

焦る忠勝の元に、ギリギリになって番割は提出された。しかしホッとしたのもつかの間、忠勝はそれを見て驚いた。
それはごく細かいことまでありとあらゆることが指定された長大なもので、何と一巻の巻物になっていたのだ。

「そりゃあ時間がかかるわけだ」

と半ば呆れ半ば感心したが、忠勝に取ってはそう感心するだけでは事は済まない。この家光から出された計画表を
きちんと実行しなければ、自分の不手際になるのである。しかし…

「これを滞りなく実行するには、現場に最低でも数部をコピーして渡し、周知徹底させねばならない。
だが右筆たちに写させても。この長大な文章では、期限までに間に合わない!」

当時、写筆は一人が丸々書くのが常識だった。なのでどう考えても、期日までに必要な数の写しを用意するのは無理である。
そういうわけで途方にくれていたのだ。
と、

そこに通りかかったのが知恵伊豆、松平信綱である!

「たすけてー!知恵伊豆えもん〜!!」

知恵伊豆なら何とかしてくれる!酒井忠勝は信綱に泣きついた。

「しょうがないなあ忠勝くんは。ボクが何とかしてみるよ!」

信綱は番割の巻物を借り受けると、江戸城中の右筆数十人を呼び集めた!
そして彼らの前で

「ここからは知恵伊豆のターンだ!先ずこの番割の巻物、これを半紙一枚ごとの長さでカットする!」

「ええ!?切り刻む!?」

「そうだ!後で順番を間違えないよう印をつけた上でな!そして右筆一人当たり2,3枚を割り当てる!
お前たちはその自分に任されたものだけを写せ!そして書き上がったものを後で張り合わせる!」

「分業体制!!」

「それぞれの筆跡の違いを気にすることはないぞ?実務に使うテキストだ。そんなことはどうでもいい。
さあお前たち、一斉に書き上げろ!」

「ははーっ!」

こうして信綱はたちまち、数部の写しを作り上げた。
酒井忠勝は大喜びでこれを受け取り、家光の日光参拝は無事、滞り無く行われた。

当時の常識を持ち前の合理主義で軽々と飛び越え見事に目的を果たした、
知恵伊豆の名の面目躍如たるお話。
209人間七七四年:2010/05/23(日) 01:25:15 ID:dzH6RIJS
>>208
>「分業体制!!」
ワロタwww
こういう気の利いた(?)文章好きだわ乙
210人間七七四年:2010/05/23(日) 01:26:33 ID:dz5Tt2V+
>>208
「知恵伊豆」と聞いて志村伊豆守光安がそわそわしております。
211人間七七四年:2010/05/23(日) 02:03:52 ID:dz5Tt2V+
最上家親と琉球使節団

江戸の初期、江戸城に琉球からの使節団が琉球国王の親書を持って
来訪した。この時の饗応役は最上家親。

家親「薩摩の先からの使節団だけど、食事には何を出せばいいんだろう?」
家臣「‘りうきう’というからには鯛やヒラメはありがちですな・・・」
家親「南方・・・島嶼には珍しいものといえばアレか・・・」

「最上駿河饗応此胡桃与鮭・・・(最上駿河守家親は饗応料理にクルミや鮭を使い)」「徳川実紀」

最上の血は侮れない・・・
212人間七七四年:2010/05/23(日) 05:56:14 ID:VEYZrTQF
>>211
とりあえずどこがいい話なのか教えてもらえないか?
213人間七七四年:2010/05/23(日) 06:01:07 ID:9suGltsQ
(もう鮭の話題は)いい話
214人間七七四年:2010/05/23(日) 08:55:46 ID:0ZRNrwlS
鮭wwwwこりねえなw
215人間七七四年:2010/05/23(日) 10:20:47 ID:JTRZOSWF
>>196
この「その領地とて我が馬の飼料にも足らず・・・」って結構キツイなw
要はオメーがくれるって報酬は足代にもなりゃしねーからって言ってるようなもんだよな、謙信に悪気はなくてもw
216人間七七四年:2010/05/23(日) 10:53:01 ID:pYvCQOla
最上ネタはおもしろいんだが、鮭だけで無理矢理ひっぱるのとか、あきらかに
フィクションくせーのとか連投されるとハッキリ言ってウザイよ?
間隔おくとかしてくれよ。飯に鮭が並んだだの、そんなの最上以外でも別にあるだろうが。
217人間七七四年:2010/05/23(日) 11:03:16 ID:t7+ZNdcg
ケチ付けるんなら別の逸話を紹介して流すべきだろ
218人間七七四年:2010/05/23(日) 11:50:19 ID:jzYXCJll
廃絶したわけだし多めに見ようや
219人間七七四年:2010/05/23(日) 12:33:56 ID:dVHfmFQ1
最上以外の鮭の話を上げてみればいいじゃん。
それがほんとにありふれてることがわかれば、最上=鮭ネタも成り立たなくなってあがらなくなるだろ。
220人間七七四年:2010/05/23(日) 12:40:35 ID:pYvCQOla
つーかさ、ID:dz5Tt2V+が連投しすぎなんだよ。
知恵伊豆とかから志村光安に無理矢理もっていこうとしたり、
そういう強引なのをやられると最上厨ウゼーって思うわ。
そもそも一回コテハンつけたなら、ずっとそれでやれよ?
あと>>306、逸話の真偽はスレ違いとわかったうえで言うけど、いくらなんでもネタくさすぎないか
ただでさえ史料の少ない最上で、そんな幼い子供同士のやりとりとかどこにあるんだよ?

こういうあまりに強引なやり方とか、作り物ぽい話はなんか最上必死だなw
としか思えないんだよ。無理矢理このスレで最上をいい印象にしてんなーってしらけるわ。
221人間七七四年:2010/05/23(日) 12:49:48 ID:lKgHwOYL
最上厨ウゼー厨ウゼー
しらけるわ
222人間七七四年:2010/05/23(日) 13:50:52 ID:96Mxxyfn
306に期待
223人間七七四年:2010/05/23(日) 14:17:02 ID:ZEzdqQtE
別にいいじゃないか
大人しく逸話を投下しとる分には害もなし
害はないけど果てしなくウザイというのが昔からの最上厨の特徴だし
そういうただウザイだけの奴を排除してもこのスレ的に良い事なにもないし
224人間七七四年:2010/05/23(日) 14:20:01 ID:Vgn2QtDH
>>220
そういうお前が逸話を紹介しろ。御託並べるだけのやつがいちばんよくない。
225人間七七四年:2010/05/23(日) 16:41:11 ID:QeyGhyTU
>>220
>無理矢理このスレで最上をいい印象にしてんなーってしらけるわ
そうか?単に最上の鮭ネタは皆喜ぶ鉄板ネタだと思っているだけじゃね?
226人間七七四年:2010/05/23(日) 18:42:25 ID:dVHfmFQ1
そんなこと思った事ない(誰のどんなエピソードにも)から、
最上が嫌いなこととそのネタに対する悪意しか伝わってこない。
227人間七七四年:2010/05/23(日) 18:46:29 ID:1ZrYRdXm
勝茂は見なかった

鍋島勝茂は肥前藩二代目藩主である。
ある時、勝茂は家臣達と狩りに出かけた。獲物を探していると、遠くで笹が波のように揺れるのが見えた。
(猪だ!)
そう思った勝茂は、その笹の波の揺れをじっくり狙い銃弾を撃ち込んだ。笹の波は止まった。
家臣たちが笹を掻き分けると大きな猪が、白目を剥いて倒れていた。
藩主自らこんな大きな猪仕留めたのだ。こんなことは珍しい。家臣たちは勝茂の下に走り寄って口々に勝茂の腕を褒めた。
「何とも大きな野猪。これほど珍しい大物をお撃ちあそばされて・・・」
そう言われて勝茂も気分が良かった。そこで、(みなでこれを思うように食するように)と言おうとした時だった。
倒したと思った猪が、突如起き上がって暴れだしたのだ。
眼を血走らせ、牙を剥きだし、死に物狂いで暴れ回ったために、勝茂の周囲にいた者はみなビックリし、逃げ腰となった。
ある者は本当に逃げ出し、ある者は腰を抜かし、ある者は狩り用の弓を木に引っ掛け転び、ある者は頭を抱えて縮こまった。
そんな中で、勝茂は袖で顔を覆い、ひとり泰然自若としていた。
猪は、やがて鍋島又兵衛という剛の者が仕留め、騒ぎはおさまった。
この騒ぎから暫らくしてから、近臣が勝茂に言った。
「あの時は、みんな慌てましたねえ。撃ち倒したと思った猪が、実は生きていて暴れだしたんですから。」
これに、勝茂は言った。
「知らんな。何しろ埃が立って、袖で顔を覆っていて、何も見えなんだからな。」
勝茂は、部下達の狼狽ぶりを見なかった・・・のである。
228人間七七四年:2010/05/23(日) 18:53:01 ID:9te1731r
部下の面目を立てたいい話でOKですかね
229人間七七四年:2010/05/23(日) 18:59:35 ID:Pa09ypd9
味のある殿様じゃな
230人間七七四年:2010/05/23(日) 19:14:15 ID:NOJy5ie/
3歳「甘いわ」
231人間七七四年:2010/05/23(日) 19:56:06 ID:GJ3aNPJ5
ほんとこの人は根っからの「殿様」なんだなあ
232人間七七四年:2010/05/23(日) 19:59:04 ID:IJYa8fC7
中国の、王妃に痴漢した家臣をあえて見逃してかばう話を思い出した。
233人間七七四年:2010/05/23(日) 20:02:31 ID:TXcv+Bfy
そういうプレイ・・・じゃないよな
234人間七七四年:2010/05/23(日) 20:03:44 ID:gfovJhbB
>>232
宴で蝋燭が消えたときに、王妃にキスをした奴がいて
王妃のとっさの機転で相手の冠に髪飾りをつけて王に報告に行ったら
笑いながらそのまま蝋燭を点けずに宴を続けたって話だったか
235人間七七四年:2010/05/23(日) 20:06:37 ID:lKgHwOYL
>>234
なんか横山三国志で読んだ気がするなぁ、その話
236人間七七四年:2010/05/23(日) 20:14:19 ID:Pa09ypd9
楚の荘王か
237人間七七四年:2010/05/23(日) 20:16:11 ID:kY7AgelE
>>234
王妃が痴漢の冠の紐をぶちきったから、そいつを捕まえて! と頼んだら、王様が
「いっせーのせでみんな冠の紐ぶちきれよ」と切ってからパーティ続行。
あるとき王様をかばって戦で討ち死にした奴がいて、死ぬ間際に
「オレが田代でした ガクッ」と告白して王様感動という話だった。
238人間七七四年:2010/05/23(日) 20:32:01 ID:dVHfmFQ1
勝茂「だって俺殺したもん、生き返るわけねーよ見てねーし!あの猪討ちとったの俺ね!」
239人間七七四年:2010/05/23(日) 23:15:51 ID:IMhUwUgC
一方アラビアンナイトでは
王妃の元に忍び込もうとして、怒った王妃に髪を切り取られた男
次の日、怒り心頭の王様が部下を集めると、みんな髪が切り取られていた
実は、気づいた男が同僚全員の髪を切り取っていたのである

・・・いや、逃げるよりそっちのほうが危険だろが
240人間七七四年:2010/05/24(月) 00:20:16 ID:h0rU9RV4
あいかわらず強引な最上ネタには引く
悪いスレにも少しは書き込んでみろよ
241人間七七四年:2010/05/24(月) 00:35:12 ID:e8iEu6Hz
>>240
鮭をNG登録すれば不快にならないぞ!
今後は最上もNG登録する予定^^
242人間七七四年:2010/05/24(月) 00:37:59 ID:MnSkVuyk
>>240
まったくだ。たまには悪い話も書けよな、最上オタの工作マジうざいわ。
243人間七七四年:2010/05/24(月) 00:47:30 ID:naw/7cbq
最上アンチ(同一人物)の粘着がキモイ
244人間七七四年:2010/05/24(月) 01:06:49 ID:e8iEu6Hz
>>243
同一人物だと思ってるのか。。。
何で一部の人に嫌がられるか胸に手を当てて考えてみるといいと思うよ。
245人間七七四年:2010/05/24(月) 01:08:01 ID:T+bm6eFO
よそでやってね。
246人間七七四年:2010/05/24(月) 01:10:37 ID:gXLJY7cd
江戸時代、津藩では弓役という役職があった。
家中から弓の上手を二十人だけ選抜するという、非常に名誉な役であった。
彼らには、矢を入れるウツボという道具が下賜されるのが常で、他藩にはないことだったという。
なぜそんな習慣ができたのか?

かつて、藤堂高虎がまだまだ小身だった頃のこと。
物見を命じられた彼は、供を三人だけ連れて出かけた。
ところが、運悪く敵に発見され、大勢に包囲されかかるという危機に陥った。
しばらく矢戦で退けていたものの、すぐに矢は尽きてしまった。
絶体絶命である。
ここで開き直ったのが、供の吉田六左衛門元直だ。
「もうどうしようもありません!
矢種は尽きましたが、ただウツボを開け閉めして矢を放つふりだけでもしましょう!
やらんよりはマシです!」
これに一同も賛成し、「どりゃー!おりゃー!」と必死の声を上げながら弓を引く真似をした。
敵は決死の高虎らに圧倒されて接近をためらったため、何とか逃走に成功した。

藤堂家では以来、ウツボには利益ありとして、弓上手に与えることとしたのだという。
247人間七七四年:2010/05/24(月) 01:19:06 ID:2uq/KATK
ハッタリでなんとかなったのか
運のいい話
248人間七七四年:2010/05/24(月) 01:42:36 ID:BPLXIy+d
ハッタリも気合入れて本気でやればそれらしく見える…か
噴き出す馬鹿が一人でも居たら全滅してたんだろうな
249人間七七四年:2010/05/24(月) 03:11:19 ID:T3Vw8qvx
>>248
「前田利家の影武者、前田利益これにあり!」みたいに?
250人間七七四年:2010/05/24(月) 10:23:36 ID:FiqbA0Tw
>>249
その人はスペックが……
251人間七七四年:2010/05/24(月) 15:43:38 ID:78+kxPjR
>>248
1人吹いたら残りの2人もこらえられんだろうな・・・まーそんな余裕ないと思うけどw
252人間七七四年:2010/05/24(月) 15:49:18 ID:p753RsQw
「おい、なんかあいつら笑ってんぞ」
「ああ、確かに笑ってやがる……」
「なんで笑ってんだ?」
「もしかすると実はあいつらは囮なのかも……」
「やべーな、こりゃー退くべきじゃね?」
「そーだそーだ」

ってな流れになるかもしれんよ。
253人間七七四年:2010/05/24(月) 16:17:56 ID:bbm/tSOW
その場合でも多分

古田織部が笑ってる→茶道具に出来る竹でも見つけたんだろ撃て撃て!
上田宗箇が笑ってる→策があるに違いない!警戒せねば!!

こんな風に分かれる
254人間七七四年:2010/05/24(月) 21:55:52 ID:nabULUC5
織田信長の死後、滝川一益は混乱に乗じた小田原北条家からの強襲を受け、神流川の戦いで一敗地に塗れた。
一益は上方へ退去することになったが、その際に傘下の土豪たちから取った人質を返還し、賞賛を浴びた。

「……が、我ら保科家は、嫡男の正光が一益に付き従ったまま、ここ諏訪の十王堂に至る、と。
このまま上方までついて行っても、寄騎をだいぶ失った滝川には期待できん。正光を取り戻し逃げねばなるまい。
だが、正光と我らは切り離され、正光は御堂の中、我らは外じゃ。どうする?」

タメ息をつく保科正直に、
「なーに、わしに考えがあり申す!」声を上げたのは、正直の家臣・井深茂右衛門だった。


夜、一益配下の番兵が見回りをしていると、怪しい火の手が上がるのが見えた。「な、何事じゃ!?」
驚いて番兵が火元に駆けつけると、茂右衛門がバリバリと御堂の板壁を引っぺがして燃やし、天を焦がしていた。
「おおーい!何をしておるんじゃ、お主はー!!」

「あァん?わしら陪臣はなぁ、ロクに兵糧も薪も与えられずに、ここまでお前さん方について来たんじゃ。
ようやくこの辺の百姓から残り物をもらい、こうしてムリヤリ焚き火を作って、湯を沸かし汁など作ろうという所よ。
文句があるなら、マトモな飯と薪を持って来いや!!」

「わ、分かった!今回は見逃す。あまりムチャを仕出かすなよ?」釘だけ刺して、番兵は立ち去った。
「……行ったか?」「ああ、行ったぞ!」「よし、今のうちだ。板を剥がして開けた穴から、若様を連れ出せ!」

まんまと若殿・正光を連れ出した茂右衛門一行は、正直と合流して十王堂を逃げ出した。
その後、徳川に通じた保科家は、正光の養子に秀忠の庶子を向かえ、会津松平家として天下に冠たる雄藩となる。

茂右衛門一族も、会津藩の重臣として栄えた。その子孫・井深基は戊辰戦争を生き延び、さらにその孫は、
戦後に東京で小さな電気店を始めた。彼は、先祖譲りの度胸と機転で生き馬の目を抜く業界を渡り歩き、
吹けば飛ぶような電気店を、世界に冠たる企業に育て上げた。

すなわち、井深大である。
255人間七七四年:2010/05/24(月) 22:09:37 ID:LsP68OmG
ご先祖さんもやっぱり・・・って感じしか受けないんだがw
256人間七七四年:2010/05/24(月) 22:11:14 ID:jnyX7g3y
SONY!?
257人間七七四年:2010/05/24(月) 23:24:03 ID:nJketzMF
>>256
井深でソニーがすぐ出てくるってことは君もおっさんだな、うん。やっほー!
258人間七七四年:2010/05/25(火) 00:12:19 ID:CPjSgGVP
創業者は立派なひとが多いね。
259人間七七四年:2010/05/25(火) 00:40:33 ID:6HEH1ITY
立派な創業者だけが記憶に残るのだ。
260人間七七四年:2010/05/25(火) 01:01:14 ID:MTGwD+sg
井深って白虎隊のやつしか知らんかったわ
261人間七七四年:2010/05/25(火) 01:01:26 ID:u8VJ90rf
そもそも、育て上げたこと自体が立派と言えないレベルの企業なら名前は売れてない。
262人間七七四年:2010/05/25(火) 12:02:41 ID:HpMINSyX
茂右衛門「救出はまかせろー!」バリバリ!
263人間七七四年:2010/05/25(火) 12:34:44 ID:G0J4yWyF
森家中「茂右衛門殿!ふとんふとん!」
264人間七七四年:2010/05/25(火) 12:45:50 ID:astWM3E6
島津 が わらっています
どうしますか?
・にげる
・なく
・やべ、ちょっとちびっちゃった
265人間七七四年:2010/05/25(火) 12:57:54 ID:by8LawWD
立派な創業者といえば、尾張徳川家現当主の徳川義崇氏は、日本のインターネット環境を構築した
JUNET設立者の一人。
ちなみに個人のHPも有ったりする(2006年くらいで更新止まってるけどw)
http://www.tokugawa.org/~toku/
266人間七七四年:2010/05/25(火) 13:45:04 ID:koUfE8gM
尾張徳川はいち早く家宝の散逸防いだり目端が利く印象が
267人間七七四年:2010/05/25(火) 13:50:44 ID:xMxg01ef
いち早く討幕軍に加わったりな
268人間七七四年:2010/05/25(火) 14:16:54 ID:2kO4SZjS
だって、紀州が嫌いなんだものwww
269人間七七四年:2010/05/25(火) 14:22:40 ID:L9hsxdEe
尾張は紀州と違って将軍出せなかったんだものw
270人間七七四年:2010/05/25(火) 14:40:37 ID:ChOWkV0I
慶喜「えっ?俺、水戸出身ですよ」
271人間七七四年:2010/05/25(火) 15:37:17 ID:kdDddMMo
会津の弟:薩長に徹底抗戦!
桑名の弟:徳川のため北海道まで行くも辞さず!
尾張の兄:我は官軍!

うーむ
272人間七七四年:2010/05/25(火) 15:48:39 ID:cyzvuEZ0
信之「勝ち組の兄は苦労しない、なんてことはないですよ」
273人間七七四年:2010/05/25(火) 16:07:33 ID:ChOWkV0I
>>271
この写真は何度見ても胸が熱くなるな

高須四兄弟1878年(明治11年)の写真
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/5/52/Takasu_quartet.jpg

右から

徳川慶勝 …二男、元尾張藩主  

一橋茂栄 …五男、元尾張藩主、後に一橋家当主。 

松平容保 …七男、元会津藩主 

松平定敬…九男、元桑名藩主  



274人間七七四年:2010/05/25(火) 16:32:34 ID:MTGwD+sg
>>273
みんな実年齢より老けてみえるわぁ
容保とか40代前半とはとても思えないわぁ
275人間七七四年:2010/05/25(火) 17:35:20 ID:wVPoxa/H
>>273
何だかみんな貴公子って感じを微塵も受けないねw
276人間七七四年:2010/05/25(火) 17:36:33 ID:qvYWoB1O
>>274
今なら50代後半と言っても疑わない老け方だな
それだけ苦労したってことか
277人間七七四年:2010/05/25(火) 17:40:33 ID:ps3QbH26
やっぱり殿様に洋服は似合わんな、殿様は明治になっても和服でいて欲しかった
278人間七七四年:2010/05/25(火) 17:43:31 ID:LHkoOikv
久光公こんなところでクダ巻かないでください
279人間七七四年:2010/05/25(火) 21:09:18 ID:2kO4SZjS
まぁ、幕末も乱世だけど戦国ではないからなぁ〜
280人間七七四年:2010/05/25(火) 22:37:32 ID:DM1B78ma
このスレの住人のソウルフードはこれだよな。
ttp://www.fritolay.co.jp/dentou1005/images/dentou1005_02.jpg
281人間七七四年:2010/05/25(火) 23:39:35 ID:Yos3GF4Y
>>280
俺はちまきだわ
282人間七七四年:2010/05/26(水) 00:06:56 ID:bky2v+6p
じゃあ僕ふんどし!
283人間七七四年:2010/05/26(水) 00:19:23 ID:IHjmw4zL
天正6年(1578)、別所長治が播州三木城で蜂起した際、別所家重臣の加古川城主・糟屋玄蕃朝正も行動を共にした。
朝正は、信長に組した小寺政職の妹の子であり、政職の家老である黒田官兵衛は、必死に朝正を説得した。

「わが殿の縁戚である貴殿を悪いようにはせぬ、降伏なされ。わしから筑前殿(秀吉)に、うまく取り成そう。」
「何と言われようと、今さら別所殿を裏切ることなど出来ぬ。」
「ならば、弟御の正之助殿だけでも逃がしなされ!正之助殿は、まだ別所の家臣ではない。逃げても後ろ指は差されん。」

官兵衛の、この言葉に納得した朝正は、正之助を呼びつけた。

「おまえは、わしと同じ母の腹から生まれた弟ではあるが、わが父亡き後、母上が志村助右衛門殿に嫁いで生まれた。
つまり、『糟屋』の血に縛られる必要もないし、別所の恩を受けた身でもない。

よって、これより実父の名を継ぎ、どこへなりと行くが良い。わしは父上と助右衛門殿に成り代わり、おまえに弓馬の道を
厳しく仕込んだつもりじゃ。おまえなら、どこへ行っても生きて行けよう。」


正之助改め助右衛門は官兵衛のもとへ行き、秀吉の小姓となった。しかし、彼は異父兄の情を忘れることが出来ず、
その恩に報いようと、『志村』ではなく『糟屋』姓を称し、糟屋助右衛門数正と名乗った。
のちに賤ヶ岳で、佐久間盛政配下の猛将・宿屋七左衛門を討ち取って七本槍に数えられた糟屋武則が、これである。



姉妹スレで「糟屋さんの逸話ねーなーw」とか言われててカッとなって書いた、反省はしていない。
284人間七七四年:2010/05/26(水) 01:20:55 ID:Y+IR63IN
あるとき徳川家光は外出しようとしておめかしをした。
その井出たちは短い羽織をつけ、茶せん髪を白紙を裂いた形にしたもので
結んだ当時流行のファッションだった。
その格好を養育係の青山忠俊が目撃した。忠俊はいきなり家光を後ろから抱きとめる。

「家光さま・・・。」
「えっ・・・?」
「なんですかその不埒な格好は!!」
忠俊は結んだ紙を引き抜いてしまった。
忠俊の遠慮ない諫止であったが、これが家光を怒らせる原因になったといわれている。
285人間七七四年:2010/05/26(水) 01:24:12 ID:W6oLDPA7
忠俊はいきなり家光を後ろから抱きとめる。

「家光さま・・・。」
「えっ・・・?」

忠俊の遠慮ない諫止であったが、これが家光を衆道に走らせた原因になったといわれている。
286人間七七四年:2010/05/26(水) 02:33:23 ID:S4PPiNqc
>>285
何してんだ養育係w
287人間七七四年:2010/05/26(水) 03:16:25 ID:3E21GW8C
>>283
糟屋武則かっこいいじゃねえか…
288人間七七四年:2010/05/26(水) 09:46:15 ID:nFwP3WUT
>茶せん髪を白紙を裂いた形
どんな髪型なのか、想像も付かない
289人間七七四年:2010/05/26(水) 10:42:36 ID:Yb+K6L3A
茶せん髪を
白紙を裂いた形にしたもので結んだ

こうじゃね?
290人間七七四年:2010/05/26(水) 12:07:33 ID:dcJ4K1Nk
紐じゃなくボロっぽくした紙で結った、のか?

あれか、いわゆる「アンティーク風リボンでフワくしゅルーズな
まとめ髪! クラシカルな雰囲気が大人の女を演出☆」的な何かか
291人間七七四年:2010/05/26(水) 12:40:18 ID:0N2iuzAx
難解な例えよりダメージジーンズの方が近くね
292人間七七四年:2010/05/26(水) 13:56:11 ID:9tUMQQpk
>>290
甘味(笑)
293人間七七四年:2010/05/26(水) 14:36:13 ID:+SMcyQzT
>>246
これに関連して

「藤堂高虎、流行モノに物申すの巻」

ある頃京都では寺の堂前での競射が流行し、
藩の子弟は私的に上京して競射を試み、
通し矢をした者は堂前の帳面に記帳してそれを名誉とした。

高虎はそのような風潮を聞いて、藤堂勘解由・藤堂主殿に命じた。

「今後、子弟の堂前での競射を禁じよ!
 弱い弓と軽い矢でどれほど射たとしても
 具足の裏まで突き通せるものではない!
 親や兄にねだり旅費を費やしてまでして、
 このような何の役にも立たないもののために京に出る必要はない!
 ゆらゆら矢が的に当たっても、ただ見苦しいまでである!」

こう言って高虎は、力量のある者に強い弓を引く事を稽古させるよう命じ、
虚しい名声を挙げる事を求めようとして堂前で競射をする事を禁止とした。

話の内容から察するに、おそらくは江戸時代の話かな?
戦乱の世が遠のいて弓矢の術もスポーツ化する流れがあったんだろうね。
294人間七七四年:2010/05/26(水) 17:19:59 ID:XriFAGnj
「藤堂高虎、流行モノに物申すの巻」

ある頃京都では寺の堂前での顔射が流行し、
藩の子弟は私的に上京して顔射を試み、
通し矢をした者は堂前の帳面に記帳してそれを名誉とした。

高虎はそのような風潮を聞いて、藤堂勘解由・藤堂主殿に命じた。

「今後、子弟の堂前での顔射を禁じよ!
 弱い弓と軽い矢でどれほど射たとしても
 具足の裏まで突き通せるものではない!
 親や兄にねだり旅費を費やしてまでして、
 このような何の役にも立たないもののために京に出る必要はない!
 ゆらゆら矢が的に当たっても、ただ見苦しいまでである!」

こう言って高虎は、力量のある者に強い弓を引く事を稽古させるよう命じ、
虚しい名声を挙げる事を求めようとして堂前で顔射をする事を禁止とした。

話の内容から察するに、おそらくは江戸時代の話かな?
戦乱の世が遠のいて弓矢の術もスポーツ化する流れがあったんだろうね。

295人間七七四年:2010/05/26(水) 17:54:15 ID:pariEO7E
>>293
アジャンクールの戦いの最新研究では
英軍のロングボウの鏃では、仏軍の甲冑を貫通することはできなかったとのことなんだけど
日本の戦国時代の弓矢で、具足を貫通することはできたのかな?

まあ、絶対に不可能ってわけじゃないし、
そもそも藤堂さんの時代には、弓が戦場の華である時代も終わってたんだろうけどさ。
296人間七七四年:2010/05/26(水) 18:39:29 ID:BXcrFpDP
名より実をか
高虎らしい
297人間七七四年:2010/05/26(水) 18:43:29 ID:QV5EDc8w
なんのために鎧を着けるのかといえば、弓や鉄砲から身を守るためだから当たり所が悪くない限りは致命傷にはならないのではないか。
298人間七七四年:2010/05/26(水) 18:49:09 ID:fYE9TnnU
これって三十三間堂の通し矢のこと?
でもあれは弱い弓じゃ通せないし
別の所の話なのかな
299人間七七四年:2010/05/26(水) 20:13:59 ID:MLcbsPSz
鬼武蔵 
「飛び道具なぞ当たれなければどうということ無いわ!」
300人間七七四年:2010/05/26(水) 20:20:50 ID:5BPzrD+7
武田信玄
「その通り。矢弾なんてそうそう当たるもんじゃないって。試してみようか?」
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3253.html
301人間七七四年:2010/05/26(水) 20:36:39 ID:2vzUUXrp
南北戦争で、北軍の将軍だったセジウィックの最後の言葉
「おいおい、銃弾が怖いからってそんなに隠れるなよ。
あいつら、この距離じゃ象にだってあてられるもんか」
302人間七七四年:2010/05/26(水) 21:27:39 ID:0h/g6xcb
日本語上手だったんだね
303人間七七四年:2010/05/26(水) 21:32:41 ID:enNhzuJo
玉当たっても雑談しながらほじくりだす人もいるしね
304人間七七四年:2010/05/26(水) 21:36:39 ID:Zx/JkEFe
アドレナリンってすごいなぁ
305人間七七四年:2010/05/26(水) 21:49:48 ID:dwx9sh94
武田勝千代(晴信)の姉は今川義元の妻であった。

あるとき、その姉から蛤貝が届いた。
数えてみると、3700くらい。

勝千代は諸士にいくらくらいあると思うかと尋ねた。
あるものは15000と答え、あるものは20000と答えた。

そこで勝千代曰く、5000の兵があればどんなことも思いのまま、と。


晴信、若年の時から聡明であったというお話。


5000のおはじきを見ると、確かにそれくらいに感じそう。
306人間七七四年:2010/05/26(水) 22:05:55 ID:IzNXnTMS
1300差じゃ巨泉は二アピンやらんぞ、きっと!
307人間七七四年:2010/05/26(水) 23:16:41 ID:2mR1FGAr
>>305既出じゃね?
308人間七七四年:2010/05/27(木) 00:48:28 ID:p2WivJve
まとめに顔射の方がのってやがる
うけるわー
309人間七七四年:2010/05/27(木) 06:52:18 ID:0esbdrjm
>>307
有名な話だからそうかと思ってまとめ見たら見つからなかったので。

既出だったらごめん。
310人間七七四年:2010/05/27(木) 08:14:02 ID:Q6/LqPD8
>>305
司馬炎の子供の頃の逸話が元ネタですかね。
311人間七七四年:2010/05/27(木) 20:43:50 ID:x7m83FIY
南部老臣の奮戦

関ヶ原合戦の時、南部家の重臣北信愛(松斎)は、上杉責めに出陣した南部利直の留守を預かっていた。
彼のいた花巻城(鳥谷ヶ崎城)は伊達との国境にあり、
奥州仕置によって没落した諸豪族がいまだ影響力を持つ地域だった。
南部信直とその息子利直はこの地を重視し、北信愛を城代として八〇〇〇石をもって封じたのだ。

そのかつての旧領に返り咲かんとしていたのは、隣国の伊達政宗に仕えていた和賀氏の遺児和賀忠親。
彼は伊達正宗から白石宗直・母帯越中を通じて武器や物資のみならず兵士まで融通してもらっており、
利直の留守を狙って決起、一揆勢・伊達勢により南部領の各城へ攻撃が行われた。
信愛は各方面で起こった一揆を制圧する為に自らの兵を増援に送る。
それこそが一揆勢の狙いだった。

「いまぞ好機!」

和賀忠親は夜を待って、手薄になった花巻城を急襲した。

この時花巻城にいたのは御年77歳、眼盲を患った北信愛を加えてもわずか十数名。
それに対して敵の数は和賀忠親を大将として稗貫旧臣や農民も加わり約千。
だが信愛も歴戦の武将、知らせを受けると素早く城内を固め、兵のみならず
城下の住人、女・老人まで総動員して防戦にあたる。
だが多勢に無勢、三の丸、二の丸は次々に破られ、ついに本丸に追い詰められてしまう。

「敵はもはや本丸近くまで攻め入ってきております!」

信愛は慌てず騒がず、落ち着いた様子で武具を着ると、ふたりの女中に命じて、
二丁の鉄砲に次々に火薬を入れさせ、本丸から空鉄砲を次々に撃つ! その絶え間ない音は、
まるで二〇挺のつるべ打ちのように聞こえた。
それを聞いた部下の熊谷藤四郎が、その意図を読めずにやってきて問うた。
「こんな時になんで空砲撃ってるんですか?! 敵をひとりでも討ってこそ味方の助けになるでしょうに」

「わかっとらんな、相手に応じて手段も変えるものだ。
 寄せ手は大概地下人だ、命を捨ててまで駆けてはこんよ。
 大勢を無勢で防ぐには、味方を大勢に見せかけ、さらに敵はひとりも討っちゃいかん。
 ひとりでも殺したりケガをさせたら、連中は興奮して遮二無二に突っ込んでくる。そしたらこっちは落城だ。
 こうして時間を稼げば、じき救援が来る。ひたすら鉄砲で防げ」

その言葉通り、一揆勢は絶え間ない発砲音にたじろぎ、
まだ相当数の兵が残っていると思ってか、足を止めてしまう。
そして一揆勢が攻めあぐねている内に夜明けとなり、報を受けた近傍の南部勢が到着、一揆勢は南へ後退する。
態勢を立て直した南部勢は追いすがり、岩谷堂にて激突、これを撃破し、一揆勢は岩崎城方面へと撤退した。
南部の老臣はったりで城を守りきる、の話。


ちなみに、花巻城を守った兵士のひとりに葛西旧臣だった新渡戸伝助という者が居る。
後の新渡戸稲造のご先祖さんである。
312人間七七四年:2010/05/27(木) 21:27:53 ID:YFO4jsR9
板倉勝重という人は商人の妻女でも屋敷に出入りすることを許していた。
妻女たちは身内が訴訟に関係すると勝重に懇願する。

「どうか、今度の訴訟では私の夫を勝たせてくださいまし!」
「おう、任せときな。」

訴訟が終わって…

「あのう…私の夫を勝たせてくれましたか?」
「お前の夫を勝たせてやりたかったんだがよう、お前の夫は俺が言って欲しいことを、
上手いこと言わねぇもんだから負けちまったよ。わりぃな。」
「そうですか…そこまでして頂いて負けてしまったなら、仕方ありませんわ。」

勝重はこんな風に対応したため、妻女たちに恨まれることはなかったという。
313人間七七四年:2010/05/27(木) 21:32:47 ID:vcACwl9J
>>311
さすが南部のドロドロ時代を治めた人は格が違ったか…

>>312
えっ、なにこのナチュラルなイケメン
314人間七七四年:2010/05/27(木) 21:50:35 ID:SxgvWFqk
秀忠なら

「どうか、今度の訴訟では私の夫を勝たせてくださいまし!」
「不届きな!死罪申し付ける!!」
315人間七七四年:2010/05/27(木) 23:12:33 ID:g972AdfZ
>>312
夫に責任を転嫁してるように見えるのは
俺の性格が悪いからだな、多分
316人間七七四年:2010/05/27(木) 23:31:19 ID:VDgj71J9
>>311
二丁の鉄砲を絶え間なく連射したら
ものの数分で銃身が焼け付いて、手で持てなくなると思うんだけど・・・

まあ、実際撃退してるのは確かなんだよねぇ・・・
317人間七七四年:2010/05/27(木) 23:36:01 ID:r7w6ad2y
>>316
ゴルゴでその解決法があったな、濡らしたウエスで冷却するという。
これなら当時でも十分可能なやり方だって。
318人間七七四年:2010/05/27(木) 23:50:37 ID:T5gxWwQl
>>311
この前年に利直の父の信直が死んで、北さんもいい年だったから隠居しようとしたけど、
利直にものすごい勢いで反対されたんだよね。
南部藩主は北さんにべったりだな
319人間七七四年:2010/05/28(金) 00:00:26 ID:8mhUH3LO
>>317
うん、そりゃ銃身を水に突っ込んで冷やす等工夫が行われたのは知ってるけど
絶え間なく連射してたら冷却する暇もないからどうしたのかな、っていう意味だよ。
不思議だね。
320人間七七四年:2010/05/28(金) 00:16:23 ID:hgRq0gC6
>>319
二丁をかわるがわるってことじゃ?
連射の感覚も当時と今じゃ違うのかもよ
321人間七七四年:2010/05/28(金) 01:59:45 ID:K7O9GsWA
音さえ出れば良いのなら、何とでも成るのでは?
322人間七七四年:2010/05/28(金) 02:57:53 ID:CE6REMo9
それでも稲富さんなら・・・
稲富さんならきっと何とかしてくれる・・
323人間七七四年:2010/05/28(金) 04:44:49 ID:MJwBxB9j
空鉄砲なら鉛玉は使わないので 紙の弾を入れる事になる
鉛玉を詰めるよりはスピードが速くなるだろうが準備に30秒以上掛かるだろう
十分冷却の時間は在ると思う

それに鉛玉と違って紙の弾は発射時の摩擦熱は出ない
(銃身が加熱するのは もっぱら発射時の弾による摩擦熱)
324人間七七四年:2010/05/28(金) 06:58:56 ID:o/WLjiJe
火薬の量も少なくてすみそうだしね
325人間七七四年:2010/05/28(金) 09:05:36 ID:++rDOfO8
紙の弾入れる必要あるの?
適当に火薬突っ込んで着火させれば音は出るんじゃね?
よく知らんけど
326人間七七四年:2010/05/28(金) 09:32:10 ID:Z45MadXo
きっと声の大きいヤツが、弾ごめしてる間は
「ばーーん!!!」「ばーーん!!」
って叫んでたんだよ。
空砲と混じったらわかんないって。
327人間七七四年:2010/05/28(金) 10:39:32 ID:Iz3yBX/O
どうでもいいはなしばかりだな
328人間七七四年:2010/05/28(金) 11:27:39 ID:LpO+Z3Ku
だがそれが(ry
329人間七七四年:2010/05/28(金) 11:28:31 ID:2MsXPUiy
       |              |                     |
      │   ヽ/ ``    !                     |    ヽ/ ``
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       /           |  ヽ  ∧ | U _,,... -‐ ヽ.し  !:|
      '⌒ヽ    |      |  /ヾ ノ:ヽ!  |/     ゙;  /:.:!       |
        |     |      |   !/ヽ:.:.:.:.ヽ !       ノ /:.:.:|      │
          |           |       ヽ:.:.:.:.:.`= 二ニ r 7|:.:.:.:|
        │    /     |      丶:.:.:i:.:ヾ_ |   ,!∠.:.:.:/       /
          |   /ヘノ    !      丶:.:|:.:.:\「:.7/.:.:.:/   ,ィ  /へノ
       |            ',          ヽ!:.:.:.:.:.ヽ':.:.:.:.:.:/ ,ィ´│
         | ,ヘ /⌒ヽ  /⌒丶          |:.:.:.:.:.:.トi:.:.:.:.://:.:i  | /⌒ヽ
         |/  !/     V               |:.:.:.:.:.:.|:l:.:.:.:.'´:.:.:.:.|  |/     \
           ′                   |:.:.:.:.:.:.|:.!:.:.:.:.:.:.:.:,イ  ′
                          `┬-、;,;,:. ri¬Tヽヽ

330人間七七四年:2010/05/28(金) 13:05:29 ID:I3g9Wj40
>>311
一方、もがみんは援軍が来ず甥っ子が寄越した軍勢も見ているだけで
長谷堂城が落城寸前になっていた
331人間七七四年:2010/05/28(金) 13:12:04 ID:3arLuENo
>>322
その人本番に著しく弱いからw
332人間七七四年:2010/05/28(金) 14:28:59 ID:MBf2ToN2
鉄砲の話が出ているので、対抗して弓の話でも。



日置流弓術vs松永弾正



永禄元年(1558年)、いろいろあってようやく京都に戻ることができた足利義輝だったが、
三好長慶の威勢はとどまる所を知らず、相変わらずの体たらくであった。

これに憤慨したのが、近江守護の六角義賢である。
永禄四年(1561年)、細川晴元の次男・晴之を擁立して京へと進軍した義賢は、
将軍山城に兵を入れて守りを固めさせ、自身は神楽岡に陣を張った。



これを撃滅すべく派遣されたのが、ご存知松永弾正こと松永久秀である。

守将の永原重澄を討ち取り、瞬く間に将軍山城を陥落させた松永軍は、
勢いそのままに義賢が布陣する神楽岡に矛先を転じた。
その数およそ一万。

一方義賢は、家臣の三雲三郎左衛門に弓兵を与え、林を背にしてこれを迎撃させた。
その数わずかに三百。



やがて、雲霞のごとき松永軍が、神楽岡に殺到。
敵味方の旗幟が今まさに入れ違おうかという程両軍が肉薄したその時、六角弓隊が火を噴いた。

松永軍の先手はバタバタと射倒され、動揺した兵は後退しかけるも、

「敵は所詮小勢、矢などにかまわず一気に押し込め!」

と久秀が後方で督戦するので退くにも退けず、再び突撃した。

が、いくら突撃しても敵陣を崩せない。
その間も六角弓隊の矢の雨はおさまらず、いたずらに死傷者を出すばかりであった。

これにはさすがの久秀もお手上げとなり、撤退せざるを得なかった。



六角義賢「さすがは日置流弓術!我が六角弓隊は天下無双じゃ!」
吉田重政「(・・・稽古したのワシなんだけど)」

そう、この三百人は、ただの弓兵ではない。
日置流弓術の大家、吉田出雲守重政が直々に鍛えあげた「数年稽古せし弓の上手共」だったのである。

この日置流弓術は、歩射を基本とした歩兵用の弓術であり、
矢の命中精度や貫通力に重きを置いた、実戦的なものだったという。

配下の弓兵が、そろいもそろって当時の達人から薫陶を受けた腕利きだったというのは、
自身が家伝を伝授された身である義賢にとっても、気分がよかったのではないだろうか。



下手な鉄砲云々などということは別次元な、恐るべき弓隊である。
333人間七七四年:2010/05/28(金) 15:47:15 ID:qo1vmuWs
>>332
これ、後の軍記物などでの長篠の戦い描写のモデルになったと言われる戦いだよね。
334人間七七四年:2010/05/28(金) 16:53:04 ID:AqOHyaic
やっぱ、イギリスのロングボウ部隊みたいに体が変形するほど訓練すれば弓が最強なのかな
335人間七七四年:2010/05/28(金) 17:53:53 ID:++rDOfO8
和弓も長い弓だから使いつづけてると体が変形したりするのかね?
336人間七七四年:2010/05/28(金) 19:23:39 ID:FWukdMFV
弓道部の友達は「右腕が太くなってTシャツが右腕だけ入らなくなったりする」って言ってた
337人間七七四年:2010/05/28(金) 20:56:22 ID:n0vMgPFM
そういえば、鎮西八郎為朝は左右の手の長さがかなり違っていたとかなんとかありましたね。
338人間七七四年:2010/05/28(金) 21:01:07 ID:1ZZY+aZV
ゲイト・オブ・バビロンだな
339人間七七四年:2010/05/28(金) 21:31:09 ID:n67fsImT
>>337
大庭景義「相手が弓を構えたら、左側へ駆け抜けろという教訓を思い出して助かった・・・」
340人間七七四年:2010/05/28(金) 22:03:59 ID:c+Oe4Rpu
>>339
為朝「馬上戦にこだわらず、遠くから槍を射れば倒せたのに・・・
とりあえず、そこの船を的に練習するか」
341人間七七四年:2010/05/28(金) 22:35:34 ID:8mhUH3LO
>>337
『生まれつき』左手が右手より長かったので、
名射手だったとされています。
342人間七七四年:2010/05/28(金) 23:42:59 ID:AraCQzLk
戦国時代は鉄砲が使われるようになったからだとは思うが弓使いの扱いが不憫だと思うわ
343人間七七四年:2010/05/28(金) 23:49:34 ID:6kN9HFXk
義経のエピソードを秀吉がパクって
体が小さくて大きい銃を持てないのが恥ずかしいので落とした銃を命がけで拾いに戻りました、とか
鎮西八郎のエピソードを雑賀孫市がパクって
銃撃ちまくって天下人に危険視されたので引き金が引けないよう腱を切って追放されたのですが、泳いで戻って昔以上に大暴れしました、とか
あれば面白いのにね。
344人間七七四年:2010/05/29(土) 00:09:50 ID:Hd9KEvxl
>>343
そして義経チンギス・ハン伝説がそのまま秀吉ヌルハチ伝説になったり、
鎮西八郎琉球王伝説が雑賀孫市鄭成功伝説になったり、と
345人間七七四年:2010/05/29(土) 03:33:49 ID:a2AcboVu
宇喜多秀家「この宇喜多秀家、あいや鄭成功、八丈島より泳いでまいったぁ!」
346人間七七四年:2010/05/29(土) 03:36:31 ID:+GoIH2LE
武田か
347人間七七四年:2010/05/29(土) 10:56:07 ID:i4JXiLIo
>>345
利常「カエレ」
348人間七七四年:2010/05/29(土) 11:23:36 ID:RtjGTe7j
実は現在使われてる弓胎弓の構造が完成したのは戦国も最末期になってから

地味に改良され続けてたんだよ
349人間七七四年:2010/05/29(土) 11:31:19 ID:Ob3Fopnd
NGMS「まあでも、戦場で種子島のが圧倒的に使えるからそろそろ弓矢はいらないね」
350人間七七四年:2010/05/29(土) 11:37:31 ID:6g9RsxsH
兵育成も含めたコスト的にはどうなんだろう。
鉄砲1=弓10くらい?
351人間七七四年:2010/05/29(土) 13:52:07 ID:IFRkJpc2
>>349
宗茂さんに自慢の鉄砲取られて涙目の長政さんですか?
352人間七七四年:2010/05/29(土) 18:04:06 ID:E9H8LoqL
>325
黒色火薬はしっかり突き固めないと
爆発まで行かないんよ(激しく燃焼はするけど)
そのために紙で栓をして突き固める必要がある
カンシャク玉と線香花火の違いと言えば判りいいかしらん?
353人間七七四年:2010/05/29(土) 20:16:23 ID:E7iTQ9i/
もう早合のあった時期だろうし、空砲用(信号用)の
早合くらいあるでしょ。
354人間七七四年:2010/05/29(土) 21:37:51 ID:P2gm6kK2
>95


某へらちやま市じゃ平成の御代になってさえ、光秀公を崇めておりますぞ。
ラスボスは猿山に閉じこめて見せ物にしておりまする。
355人間七七四年:2010/05/29(土) 23:35:50 ID:YKZFRoA5
徳川家康は後北条氏についてこう評した。

「小田原城は百日余の籠城を続けたが、松田某が裏切っただけであった。
北条氏直は高野山に行くことになったが、彼に付き添いたいと願う家臣は多かった。
これは初代・早雲以来の指導が家臣に正しく徹底され、家臣たちは節義を守ったからであろう」

大道寺の名が出ないのは家康は裏切りと見ていなかったのか、忘れていたのか。
356人間七七四年:2010/05/30(日) 00:00:34 ID:uG5/qDzS
>>355
大道寺どころか松田に関しても、裏切ったと言う著述が出てくるのは江戸期に入ってからで、
小田原の陣で本当に裏切りが有ったのかどうかすらよく解らないんだそうな。
357人間七七四年:2010/05/30(日) 00:15:21 ID:Yo9HWbLS
成田某「…」
358人間七七四年:2010/05/30(日) 00:35:16 ID:CiKQSXvU
>>357
結果的にお膝元が一番がんばっちゃったからなぁ
359人間七七四年:2010/05/30(日) 02:04:28 ID:joRtbO8S
>>355
松田某というのは息子の方かな。

父親は主家のために、という説を信じたい。
360人間七七四年:2010/05/30(日) 07:15:40 ID:PVt+f/tq
>>350
鉄砲兵は女性でもなれる
弓兵は膂力のある男性じゃないとまず無理
361人間七七四年:2010/05/30(日) 10:16:32 ID:DwKaD378
まぁ弓衆は馬上に次ぐエリートだしな。
362人間七七四年:2010/05/30(日) 10:43:14 ID:UQGOKoe3
素人でも拳銃では的に当たらないが
ライフルだと的に当たるから
弾込めさえできればそこそこ戦力にはなるだろ。
363人間七七四年:2010/05/30(日) 14:40:33 ID:83olmDHu
2chで見ただけだけど
弓は熟練が必要だけど鉄砲はそうでもないし、火縄銃は反動も小さいので女でも扱えて
男らしい武器扱いはしてもらえなかったらしい。
興味を持って鉄砲関連の本を何冊か読んでみたけど、そういった事は書かれてなくて、
本当かどうかはわからないんだけど、>>349のネタ元と思しい逸話で黒田長政が
「隆景や宗茂の言ってる事は尤もだけど、俺は別に鉄砲だけで戦しようって言いたいんじゃなくて
弓ばっかり持ち上げて鉄砲を貶すのはやめてほしいって言ってるんであってさ…」と
(別に誰も貶してないのに)ブツブツ言ってるところを見ると、普段から鉄砲を軽んじられて
思う所でもあったのかもしれんね。
364人間七七四年:2010/05/30(日) 14:50:41 ID:m0YSR4Ww
精密射撃がそれほど出来なかったってのもあるけどね
戦国初期の鎧でも貫通するかどうか程度の威力しか無かったから単品としての扱いは微妙
信長や雑賀衆がいなかったら評価されていたかも怪しい
365人間七七四年:2010/05/30(日) 15:31:59 ID:DwKaD378
信長が活躍する以前に関東等でも集中運用さてんだがね
366人間七七四年:2010/05/30(日) 15:44:06 ID:uG5/qDzS
畿内でも信長や雑賀以前から銃撃戦が既に合戦の主流になってる。
信長を戦術の画期と見る見方には全く賛同できない。
367人間七七四年:2010/05/30(日) 16:16:04 ID:uG5/qDzS
ついでに逸話投下

悪いスレでも出てた七将襲撃事件の家康側の対応。

大阪で七将に襲撃されるも脱出、伏見の佐竹義宣に保護された石田三成。
が、七将はなおも三成の誅殺を望み、徳川家康に三成の引渡しを求めた。

この時家康は本多正信と井伊直政を呼んで、こう語った

「さて、今回の石田の件だが、この事一応わしの取り扱いとなったものの、
七将の者達が聞き入れない以上、たとえこれを放置したとしても、わしが世の嘲りを
受けることはないだろう。
…が、少々思うことがあり、今は七将の者達をひたすらなだめておる。

さて、お主達は石田の身柄をどうするべきか、思案はあるか?」

これに本多正信

「では私の考えを申し述べます。

確かに石田殿は我が徳川家に対し、敵対心を隠さぬ人であります。
が、今石田殿を見放して七将の意のままに任せてしまっては、もし今後大名たちが徒党を組んで
やれ、誰の身柄を引き渡せ、誰を討ち果たすと言ってきた時、これを許可せずば

『石田の時には恨みを持つ人々の心のままにさせておいたのに、こちらはお庇いなさるとは
どういう事か!』

と、恨みを持たれ、これは天下兵乱の基ともなるでしょう。
このため、石田殿の身柄の引渡しはすべきではありません。」

家康これを聞いて
「佐渡の申すこと、尤もである。」

と、大いに同心したそうである。

本多正信、大所高所から三成の保護を進言する、と言うお話。
368人間七七四年:2010/05/30(日) 17:11:04 ID:CoR54Zl9
ひこにゃん「あれ、出番は?・・・」
369人間七七四年:2010/05/30(日) 17:32:14 ID:UEzBcMxN
ゴミども死ねよ
370人間七七四年:2010/05/30(日) 17:34:11 ID:UEzBcMxN
頭おかしいゴミ
371人間七七四年:2010/05/30(日) 18:38:33 ID:H3BZHAN0
>>367
井伊直政いねぇw

ってか似た者同士思う所があったのかなやっぱり
372人間七七四年:2010/05/30(日) 19:31:52 ID:NjO/ZLS5
    /i     iヽ
   ((/l ̄l\)) 
    ソ_∠ニ二ス     
   ∠シ ,, ・ェ・ )ゝ どうせオレなんて…
   //\ ̄ ̄旦~  
  // ※.\___\      
 \\※ ※ ※ ※ ※ヽ
   \`ー──────ヽ
373人間七七四年:2010/05/30(日) 19:54:43 ID:WGTFydNV
銭ゲバは嫌われて当然
374人間七七四年:2010/05/30(日) 20:24:09 ID:UEzBcMxN
カスどもは早く死ね
375人間七七四年:2010/05/30(日) 20:30:53 ID:NjO/ZLS5
誰を攻撃してるのかさっぱり分からん…
376人間七七四年:2010/05/30(日) 20:32:54 ID:Ce9G0vJ4
あれだろ、スレ立った頃に来てたかわいそうな子
377人間七七四年:2010/05/30(日) 23:49:36 ID:vmbSQvly
「知恵伊豆の名案?」

寛永年間に朝鮮から使節が江戸にやってきた。
その直前のことだが、暴風雨の影響で江戸城の櫓の表面がはげ落ちてしまった。
時の将軍徳川家光は使節に失礼だという理由で、至急修理するように命じた。

しかし、あまりにも突然の事なので役人は難儀していたのである。
その時、役人に助言したのが老中の松平信綱であった。

「私にいい考えがある。別の櫓の、使節の方々には見えない場所を切り外して
はげた所にはめこんでおけばよいのだ」
この助言に誰もが「さすが信綱様だ」と感心したのである。

「ちょっと待った!」
ところが反対した者がいた。大老の土井利勝である。

「それはよからぬ考えだ。無理なことは無理だと上様に知っていただくべきである。
できもしない事をできると、上を欺くのは臣下のやるべきことではない。

あなたのような知恵者ならばそうした細工もできようが、凡人には到底できない事だ。
そうなれば、ついにはその者の能力まで疑われる事になろう。
できない事はできないと、はっきり上様に申し上げよ」

信綱はこの言葉に感激して
「あなたの今のお言葉は生涯の教訓といたします」と利勝に言った。
378人間七七四年:2010/05/30(日) 23:56:38 ID:NjO/ZLS5
天才が天才に才を授け、授けられた天才はさらに完成度を高めてゆく
王貞治とイチローの会話のようだ
379人間七七四年:2010/05/30(日) 23:56:54 ID:2VUgCQ+B
知恵伊豆は政治家よりも、技術者の方が向いてるんじゃね?
発明王とかになれそうだ。
380人間七七四年:2010/05/31(月) 00:46:17 ID:tWi42994
本当に知恵者だよな。
鳩山にもこういうブレーンがいればな。
381人間七七四年:2010/05/31(月) 00:48:55 ID:wDer8lfn
ぽっぽは周りの話をあまり聞かないらしいよ
382人間七七四年:2010/05/31(月) 01:01:11 ID:pYrSVbRj
それにしても、このころの政治家はすごいのがそろってるな

ご意見番: 土井利勝
実行班: 酒井忠勝、松平信綱、阿部忠秋

こいつらを保科正之と水戸光圀の2名君が見張ってるんだから、
そうそう間違った政治をしようがない
383人間七七四年:2010/05/31(月) 02:06:01 ID:2oG2xUU5
凄くないと生き残れなかったのかもしれない
384人間七七四年:2010/05/31(月) 02:58:31 ID:aoSlgc1m
将の将の話じゃないが
天才ではないけど天才を扱うのが上手かったり
素直に助言を聞いて成功する指導者ってのはいるね
385人間七七四年:2010/05/31(月) 05:47:31 ID:mPW8kPYV
水戸光圀が名君?
386人間七七四年:2010/05/31(月) 07:22:50 ID:HoTKA+FB
>>384
劉邦とか?
387人間七七四年:2010/05/31(月) 07:25:58 ID:tWi42994
>>384
家康のことか
388人間七七四年:2010/05/31(月) 08:29:03 ID:7NOrKYoK
>>385
ID:pYrSVbRjは水戸黄門の見すぎなんだよ、きっと
389人間七七四年:2010/05/31(月) 08:33:44 ID:PJ5rFaUd
江戸初期三名君の一人なんだからべつにいい気が。
現代の目でどうかはさておき。
390人間七七四年:2010/05/31(月) 10:01:34 ID:+e5uATOz
たしか、黄門さまは気に入った植木を他人の屋敷からかっぱらったことあるよね
391人間七七四年:2010/05/31(月) 10:24:40 ID:PJ5rFaUd
信長「なんとそれはひどい!」
392人間七七四年:2010/05/31(月) 10:31:48 ID:ov6AWXyT
気に入って奪うのは他人の嫁に限るお!

(本人の名誉のために氏名は伏せさせていただきます)
393人間七七四年:2010/05/31(月) 13:19:01 ID:ZEZdJW18
黄門様は兄を差し置いて家督を相続したから、わざとDQNのふりをしたという説があるよね








完全に後付の理由だけど
394人間七七四年:2010/05/31(月) 14:26:27 ID:K+jcudjb
越前黄門「黄門ですけど、兄を差し置いて家督相続されました。孫のときには『長幼の序』がどうとか言ってるんですよ」
395人間七七四年:2010/05/31(月) 15:46:08 ID:EpAjikhQ
つか水戸黄門って自分で事件の後始末したことないよね(あとで藩主or幕府から沙汰あるからで終わり)
396人間七七四年:2010/05/31(月) 16:18:18 ID:UmFG/XvV
あれは沙汰が来る前に切腹しとけよってこと。
本当に沙汰が来たら藩が取りつぶしになる。
397人間七七四年:2010/05/31(月) 16:44:22 ID:E9igaBbB
人の下に人を作らずの福沢諭吉だって
自分の娘は身分の低い者には嫁がせたく無かったんだぜw
398人間七七四年:2010/05/31(月) 17:11:28 ID:9QYA/Xqs
>>397少し違うような
福沢諭吉
「人は生まれながらに平等っていうけど、実際はそうじゃない
じゃあ、どこでこの違いが生まれるかというと学問に励むかどうかに
よるのである・・・」
まあ、「娘は士族に嫁がす」
と先天的なことを条件としている時点で矛盾しているけど
399人間七七四年:2010/05/31(月) 17:13:41 ID:Wwj6iUUL
諭吉にとって、士族以外の教養のない奴らは人間じゃなかったんだろ
何の矛盾もない
400人間七七四年:2010/05/31(月) 18:48:55 ID:UmFG/XvV
士族という身分は天が作ったのではなく、人が作ったものだからな
401人間七七四年:2010/05/31(月) 18:50:16 ID:HQuHKCK+
ゴミども死ね
402人間七七四年:2010/05/31(月) 19:19:55 ID:Kb4DFEO2
>>398
生まれながらに平等なら勉強する意味ないもんな

天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず

なんて最初にトリミングした奴誰なんだろう?
403人間七七四年:2010/05/31(月) 19:25:10 ID:3ISLh79c
名言って、他人の言葉を引用した部分が、その人の名言とされてしまうことがあるよね・・・福沢諭吉もそうだが
「参加することに意義がある」だって、本来は引用だったのに
404人間七七四年:2010/05/31(月) 19:35:19 ID:HQuHKCK+
馬鹿なやつ死ね
405人間七七四年:2010/05/31(月) 19:37:43 ID:HQuHKCK+
あほなんだよお前らは
406人間七七四年:2010/05/31(月) 19:39:09 ID:ow9QJkZz
くやしいのうwwww
407人間七七四年:2010/05/31(月) 19:44:40 ID:HQuHKCK+
運子供は早く死ねよ管らねえんだからよ
408人間七七四年:2010/05/31(月) 21:01:33 ID:PeBOaPKD
>>402
古田武彦「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず、という文言は
東日流外三郡誌の安倍貞任の言葉である
「即ち人に生る者、天日に照らしては平等なりと。
人を忌み嫌ふは人にして亦、人の上に人を造り人の下に人を造るも人なり」
の剽窃だったんだよ!」

東日流外三郡誌:和田喜八郎という詐欺師が安東氏を持ち上げるために作った偽書
409人間七七四年:2010/05/31(月) 21:06:46 ID:HQuHKCK+
どうでもいいんだよ早く死んで
410人間七七四年:2010/05/31(月) 21:34:53 ID:tzPu8f7K
関ヶ原の戦いで石田・小西・宇喜田・大谷など西軍諸隊が総崩れになる中、
ただ一隊、陣を崩さずにいた島津勢は壮絶な敵中突破→退却戦を敢行する。


陣していた北国街道から主戦場を南下して、伊勢街道に抜けようという計画
だったが、西軍総崩れの報により前進する徳川本陣の傍を通り抜ける形となった。
交錯する部隊が島津勢と知った井伊直政・松平忠吉・本多忠勝の軍勢が追撃するも
井伊・松平は負傷、本多忠勝も馬を撃たれて落馬する。しかし、自軍も島津豊久、
長寿院盛淳らをはじめ、多くの兵を失っている。


ようやく徳川勢の追撃を振り切った島津勢だが、今度は行く手に別の軍勢が現れる。
南宮山方面から退却してきた長束正家や長宗我部盛親の軍勢である。
同じ西軍ではあるが、寝返りの可能性がある。島津維新入道は両軍勢の去就を疑い、
伊勢貞成を撤退挨拶役として派遣し、彼等の真意を問い質した。

使者に立った伊勢はまもなく一人の騎馬武者を連れて帰還する。
結局、長束・長宗我部勢ともに自軍の退却で一生懸命であり、島津勢に害意はなしと
いうことであった。


同行した騎馬武者は長束正家の家臣であった。彼は言う。

「島津殿は地理不案内とお見受けする。我が主正家はほど近き近江水口の領主。
 地理に詳しゅうござる。それがし、主より島津殿ご案内の役を仰せ付かった。
 さあ、参りましょう。」

長束正家は自軍敗走の最中、遠方から来た島津勢のため親切にも道案内役を付けて
くれたのである。案内役は翌日の夜明けまで島津勢と行動を共にし別れている。


長束正家、あんまりいい話聞かないけど、こういうこともしているんですね。
奥さんが本多忠勝の妹っていうことも知りませんでした。
411人間七七四年:2010/05/31(月) 21:37:37 ID:Kb4DFEO2
>>410
自軍だけでも手一杯だろうに
そういう状況の中こういう細やかな気配りが出来る人って凄いよな
412人間七七四年:2010/05/31(月) 21:45:06 ID:PeBOaPKD
>>410
正室はもう死んでいたのかな?生きていれば
本多忠勝「わが婿の親兄弟、真田昌幸、信繁殿を殺すとなれば、殿と一戦つかまつる!」
何この差
413人間七七四年:2010/06/01(火) 00:37:09 ID:+BpItfbX
そりゃ娘と妹じゃ抱く感情は全く異なるだろ
414人間七七四年:2010/06/01(火) 01:23:16 ID:BAFJ9E2X
>>413
妹が嫌いなお兄ちゃんなんていません!!
415人間七七四年:2010/06/01(火) 01:57:07 ID:joYYf+pO
男兄弟とか一人っ子って女兄弟について変な妄想持ってるけど、

最悪だからw
416人間七七四年:2010/06/01(火) 01:57:13 ID:kd5JvEsA
>>414
最上義光「同意」
宇喜多直家「妹や娘の嫁ぎ先は大事にしなきゃね」
417人間七七四年:2010/06/01(火) 02:04:47 ID:CRuQ/l61
毛利元就「親兄弟なんてものわ、あっという間に死ぬるもんじゃ
      情なんぞかけた所で……くっ」
418人間七七四年:2010/06/01(火) 04:30:36 ID:RtVw4wJh
>>414
お市「それならば何故、兄上は長政様を助けてくださらなかったのですか?」
419人間七七四年:2010/06/01(火) 07:19:32 ID:10kaBIB3
古今東西、妹の彼氏なんて兄にとっちゃ一番の憎むべき敵だろ
420人間七七四年:2010/06/01(火) 08:36:30 ID:O0RFYuJR
>>419
ものすごい勢いで納得しました
421人間七七四年:2010/06/01(火) 10:37:30 ID:H3ehbI3r
>>419
信長の浅井氏殲滅の動機の最有力候補浮上
422人間七七四年:2010/06/01(火) 11:20:48 ID:STxdndYv
てかあれは信長が裏切ったんでしょ?



>>415
おまい「ら」が最悪なだけだろw
423人間七七四年:2010/06/01(火) 11:31:13 ID:RN2LNw4A
>>410
>関ヶ原の戦いで石田・小西・宇喜田・大谷など西軍諸隊が総崩れになる中、
>ただ一隊、陣を崩さずにいた島津勢は壮絶な敵中突破→退却戦を敢行する。

のちの男塾名物・直進行軍である。
424人間七七四年:2010/06/01(火) 16:12:20 ID:c5e7FaN5
慶長九年(1604)のある夜の事だそうだ。

その日徳川秀忠は大奥に渡った。この時小姓の松平長四郎、当時9歳が太刀持ちとして途中まで従い、
大奥の手前の薄暗い廊下の隅で控えた。が、そこでついつい居眠りを始めてしまった。

さて、しばらくして秀忠が戻ってくると、長四郎が居眠りしているのを見つけた。しかし秀忠

「慣れない勤めで疲れが出たのであろう。起こすのもかわいそうだ。」

と、黙って太刀置きの太刀を取り、そのまま戻ろうとした。ところが丁度この時、長四郎が目を覚ました

「何者!?」

目がさめたばかりの長四郎は、自分が居眠りしている間に曲者が秀忠の太刀を奪ったと考えた。
長四郎、秀忠の背中にしがみつき

「やるまいぞ!やるまいぞ!」

と叫び、太刀を取り返そうとした。

「馬鹿者、わしだ。」

そう言われ長四郎はようやく、自分がしがみついているのが秀忠だと気がついた。

「御無礼仕りました!」
すぐに秀忠から離れ畏まった。居眠りした上に主人を曲者と間違いしがみついた。幼い長四郎であっても、
これは重い罰を受ける、切腹もありうる。そう、覚悟した。
しかし

「長四郎?」

「ははっ」

「その心がけ、忘れるでないぞ。」

秀忠はそれだけをいい、長四郎の無礼を一切咎めなかった。
そしてこれから間もなく、松平長四郎は秀忠の嫡子、竹千代の小姓に抜擢された。

この松平長四郎、長じて伊豆守信綱と名乗る。そう、後の知恵伊豆とはこの人である。

徳川秀忠、知恵伊豆を見出す。と言うお話。
425人間七七四年:2010/06/01(火) 16:16:46 ID:joYYf+pO
むしろ斬らないとダメだろこれ
426人間七七四年:2010/06/01(火) 16:18:48 ID:5mfxDUmU
秀忠のいい話だとは思うが、見出すってのとは違うと思う。
427人間七七四年:2010/06/01(火) 16:25:59 ID:oQE/xcB5
長四郎「やるまいぞ!やるまいぞ!」
秀忠「ゆるさせられい!ゆるさせられい!てわしは次郎冠者かい」
428人間七七四年:2010/06/01(火) 17:10:16 ID:BV0sUGKQ
長四郎「俺の名前は引導代わりだ!迷わず地獄に落ちるがいい!」
429人間七七四年:2010/06/01(火) 18:03:05 ID:H8T/qTk4
>>427
わろww
430人間七七四年:2010/06/01(火) 18:22:55 ID:5oN1f8+3
>>428
長七郎w
そういや長七郎江戸日記って知恵伊豆でてくるんだよな
431人間七七四年:2010/06/01(火) 20:26:37 ID:6zCLT3Jf
知恵伊豆さんはこのスレでは実はかなり人気がある気がする
ネタじゃなく正統派系の
武の立花婿殿、文の知恵伊豆みたいな
432人間七七四年:2010/06/01(火) 20:33:07 ID:/SwKisrg
そうだね
すごいね、大人気だね
433人間七七四年:2010/06/01(火) 21:18:10 ID:+c49EMy3
434人間七七四年:2010/06/01(火) 21:20:22 ID:e99agKuM
才気ばしった知恵なんだろ
435人間七七四年:2010/06/01(火) 21:27:24 ID:CRuQ/l61
失敗から多くを学んだんだろう
つうか、愛されてなきゃ説教されないんだぜ…
説教って結構疲れるしな
436人間七七四年:2010/06/01(火) 21:46:16 ID:l+zhO2Mi
>>430
長七郎は駿河大納言の忘れ形見だったっけかね
伝説だと、それこそ黄門様さまみたいな感じで旅してるんじゃないかい
437人間七七四年:2010/06/01(火) 22:02:56 ID:NYf/qjT6
知恵伊豆さんは若い頃の官兵衛さんで土井さんは隆景さん って感じかな〜
438人間七七四年:2010/06/01(火) 22:28:40 ID:oQE/xcB5
しかし明暦の大火の後の手際が良すぎたせいで
なぜか陰謀論では保科正之とともに放火魔扱いされる知恵伊豆であった
(本妙寺が、本当の火元は隣の老中阿部忠秋の屋敷だ、といいだしたせいだけど)
439人間七七四年:2010/06/01(火) 23:11:35 ID:c5e7FaN5
>>438
小説だとその他駿河大納言忠長の改易、切腹も、荒木又右衛門の鍵屋の辻の決闘も、
もちろん島原の乱も(そして島原の乱の板倉重昌の討死も)、全部知恵伊豆の陰謀にされたりするなw

どれだけ恐ろしい男なんだ知恵伊豆。
440人間七七四年:2010/06/01(火) 23:14:00 ID:oQE/xcB5
>>439
ついでに由井正雪の乱の首謀者も知恵伊豆としている小説もあるな
(自分が知っている限り2冊)
441人間七七四年:2010/06/01(火) 23:23:40 ID:Zc1KHUrd
現代の作家はそんなに知恵伊豆が嫌いなのかw
当時の人には好かれていたのかな?
442人間七七四年:2010/06/02(水) 00:44:42 ID:7kzTi/0P
        ::::::::::::::::∧口∧   そうやってなんでも
        ::::::::: ( ::;;;;;;;;:)      知恵伊豆のせいにしてりゃいいさ…
          _..  /⌒:::;;;;;ヽ
-― ―'ー'-''―-''/ / ::;;;;;;;;:| |―'''ー'-''――'`'
 ,,  '''' .  ''''' と./ゝ_;_;_ノヽつ   、、, ''"
    ,,, ''  ,,,    ::;;;;;;;;;::: ,,  '''''  ,,,,
443人間七七四年:2010/06/02(水) 01:01:34 ID:d+3w5l+H
まるで三成だ
444人間七七四年:2010/06/02(水) 01:08:34 ID:iQ3v9O9R
知恵伊豆は明暦の大火の後、焼け落ちた江戸城の城門をほったらかしにして
江戸市街地の復旧を優先させるとか、民衆受けするポイントを心得てるよね
445人間七七四年:2010/06/02(水) 01:18:19 ID:ZVomUtX/
>>441
家光が死んだときに殉死しなかった〈家光の遺命で〉からって色々いわれたみたいよ。

伊豆まめは豆腐にしてはよけれども
役に立たぬはきらずなりけり
仕置だてせずとも御代はまつだいら
ここにいずとも死出の供せよ
とか
〈弱臣院殿前拾遺豆州太守殉死斟酌大居士(じゃくしいんでんさきのしゅういずしゅうのたいしゅじゅんししんしゃくだいこじ)〉
とかね
446人間七七四年:2010/06/02(水) 01:40:30 ID:6Bk3EFwR
>>445
それに信綱は「幼君残して殉死するような人間が忠臣とかアホか!」って言ってたな。
そういう合理的でスマートな意識の持ち主だった。
447人間七七四年:2010/06/02(水) 01:54:46 ID:VTJVT3D7
ほぼ同格の堀田正盛は殉死したよね
448人間七七四年:2010/06/02(水) 05:55:21 ID:pcIOTlHR
志木沢郁の『立花宗茂』では、宗茂が三成と知恵伊豆に同じキャラクタを感じ取っていたな
449人間七七四年:2010/06/02(水) 12:58:03 ID:mob09QnO
>408
na. nandatte^
450人間七七四年:2010/06/02(水) 13:36:07 ID:ucx9yC6+
戦国時代、屈指の名勝負として名高い武田信玄と上杉謙信の川中島の戦いの折。
上杉方の武将・直江兼続の斥候隊が武田方の弓部隊の待ち伏せに遭遇し窮地に陥った時に考案された戦法
死を決した四名の勇士が雨あられと飛来する矢に対し互いにしっかりと肩を組み、
自らの体を盾として前進し突破口を開き、後に続く味方が敵を全滅させたという。
以後、その戦法は至高の陣形とされ、盾となった四名は上杉家の軍神として讃えられた
451人間七七四年:2010/06/02(水) 13:38:38 ID:tCHxeB/9
民明書房かよ
452人間七七四年:2010/06/02(水) 13:40:32 ID:mxSHtQ17
与六の年考えろよ
453人間七七四年:2010/06/02(水) 13:48:31 ID:lumBKGsT
>>447
堀田正盛は家光とウホウホな関係だったからね。
454人間七七四年:2010/06/02(水) 14:02:41 ID:5XsmbjWZ
「虎」の由来

近江国愛知郡郷士三井出羽守乗綱の孫の源助は、十六歳で甲斐に渡った。
狩猟の帰路で源助を見た武田信虎は、その人品風格が秀でているのを見て、
直ちに部下に採用して騎馬の従者とした。
源助(後に与右衛門)は信虎の下に三年いて、
しばしば戦功を挙げたので信虎の一字を賜って「虎高」と命名された。
たまたま母衣二〇騎の一人が欠けていたのでこれに充てがったが、
他の者が虎高が年少な事を軽視してしきりに不満を訴えたため、
信虎はやむをえず虎高を故郷に帰した。

帰郷した虎高は浅井亮政に仕え、亮政配下の越後守良隆の婿養子となった。
同じく良隆の養女であった妻(奇しくも“とら”という名であった)との間には
二男一女をもうけた。
この次男の与吉が十三歳の時の事である。
虎高と兄の源七郎高則が主命を受けて賊を討ちに出掛けた。
与吉は父に同行を求めたが年少を理由に断られてしまう。
そこで母に願い出て、父の脇差を借り密かに父たちの後をつけた。
賊が籠もる家の裏口に潜んだ与吉は、父たちに襲われ逃げて来た賊の何某を
不意を打って一刀で切り伏せた。
年少と思っていた次男の手柄に喜んだ虎高は、自身の名を逆にして次男に授けた。

後の藤堂高虎である。

455人間七七四年:2010/06/02(水) 19:15:33 ID:JXj2uosF
>>446
合理主義者は、同時代人から色々と言われて後世に悪名を残して、現代になってから再評価されるむきがあるのかな
とんちの効く人は、同時代でも人気者にナリそうだが
456人間七七四年:2010/06/02(水) 19:40:30 ID:csbHwJ4X
当時も評価はされていたんじゃない?
評価と人気はまた別個でさ
457人間七七四年:2010/06/02(水) 20:19:54 ID:4fBfXoAT
豊臣政権の奉行なり江戸幕府の老中なり、最高級の評価を与えられてた証拠だろう。
458人間七七四年:2010/06/02(水) 21:58:07 ID:IJ/+T6No
一休さんはいつも人気者だろ
459人間七七四年:2010/06/02(水) 23:19:01 ID:6Bk3EFwR
>>458
現代の宗教史や中世史の研究者にはえらく不人気らしいw>一休さん
とにかく死ぬ死ぬ詐欺でゴネまくるので調べていくうちにどんどん不愉快になるらしい。
460人間七七四年:2010/06/03(木) 00:52:57 ID:joBqQdhM
>>454

虎の字を見ただけでまた信虎さんパネェ!
と思ってwktkしてしまいそうになってる自分ガイル
461人間七七四年:2010/06/03(木) 01:05:16 ID:jTCq7f/M
やっと規制解除された自分が、喜びのあまり逸話を書き込んじゃうぜ。

 
愛刀家で知られる上杉景勝。
ある時、竹俣兼光という太刀を修理に出すことにした。
この竹俣兼光は、家臣の竹俣朝綱が献上したもので、朝綱がこの兼光で鉄砲ごと敵をぶった斬ったという曰く付きの有名な太刀だった。
景勝が竹俣兼光を京の刀工へ修理に出すと、しばらくして刀は見事修理されて戻ってきた。
景勝「…………!」
直江「素晴らしい!流石は京の刀工、まるで新刀のようだ!
と、景勝様は喜んでおられる。
いや〜、綺麗に直って返ってきましたな〜!」
と、一同喜んでいたのだが、元の持ち主である竹俣朝綱は、
返ってきた刀を見て怪訝な顔をした。
朝綱「……殿、これはかの兼光ではありません。偽物でありましょう」
景勝「!?」
直江「ナ、ナンダッテ──!?」
朝綱「ほら、ここをよく見て下さい。
元の刀はですね、このハバキから一寸五分程の鎬(シノギ)のところに、
馬の毛を通す程の大きさの穴がありました。
ですが戻ってきたこれには、孔がありません。偽物です」
これを聞いた景勝は、すぐさま京に使いを出し、本物の行方を探させた。
その探し方はなかなか大掛かりなもので、
「おい、景勝様が兼光の刀がないかと探しておられるんだが、
何か良い物はないか?」
「へえ、どんなものをご所望でしょうか?」
「うむ。兼光の作で、長さは二尺八寸から三尺の物が良いそうだ。
売り物があれば、直ちに上杉に持って参れ」
「へへえ」
といった風にして刀剣業者の間を触れ回らせ、刀を片っ端から
持って来させたのだった。
するとほどなくして本物の竹俣兼光が発見され、
偽物に関わった者らはみな厳罰に処さることになった。
景勝は見付かった竹俣兼光をますます大切にしたという。
景勝の刀への情熱と、竹俣朝綱の物覚えのいい話。

しかしその後、この件を知った収集マニアのラスボスに、
竹俣兼光は召し上げられてしまうのだった…。
ここまで書くと悪い話になっちゃうか(´・ω・`)
 
462人間七七四年:2010/06/03(木) 01:24:08 ID:9/bfcFJR
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-588.html
兼光と秀吉で、↑の落語の別バージョンのオチ思い出した

秀吉「一番大きなものを狂歌にした者に、この刀をやるぞ」
お伽衆が狂歌を作るが(だんだん対象が大きくなる)、
そこに曽呂利新左衛門が現れて、「天地を丸めて呑み込む」という歌を詠み勝利
秀吉「よくやった、褒美の刀だ」
曽呂利新左衛門「ははー、兼光、頂戴いたします」
秀吉「これ、さやから出さずにどうして兼光と分かる?」
曽呂利新左衛門「竹でできていれば竹光、かねでできていれば兼光でございます」
463人間七七四年:2010/06/03(木) 18:44:00 ID:WqjTepqU
最近は知恵伊豆が話題なようなので便乗する。


松平信綱は領地の川越野火止の灌水計画を実行に移した。
三千両もの費用がかかる予定だったが、
信綱は「土地のためになるならこれもご奉公だ」と考えた。

計画の発案者は野火止代官の安松金右衛門。
まず多摩川から十六里ほどの溝を掘り、新川岸という所までひいたが、
水は流れないまま一年が過ぎた。

伊豆「開発はどうなっておる」
安松「はい、まだ水は流れません。しかし必ず流れます」

力強く答える安松だったが、二年目になっても水は流れなかった。

伊豆「水はまだ流れぬそうだな、金右衛門?」
安松「必ず流れるはずです。というのもあの一帯は乾燥して風も強いのですが、
   今年は何故か塵や埃が少なく、作物もよく育ちました。
   こんな珍しい事が起こるのは多摩川の水が地下一帯を湿らせているのです。
   必ず水は流れます」

しかし三年目になっても水は流れない。呼び出された安松は昨年と同じ説明をした。

伊豆「それは去年も聞いたぞ。そちは土地の高低を分かっておるのか?
   川の面より開拓地の方が高いから水が流れないのではないのか?違うのか?」
安松「それがしにすべてお任せください。必ず水は流れます」

金右衛門は信綱に問い詰められてもどうじる事なく、自信満々であった。

その秋に大雨が降った。このため溝には水が通じて開拓地を潤した。
元々、二百石だった土地は一気に二千石にまでなり、住民たちは歓喜した。

伊豆「いやあ、この間は無闇に責めたりしてすまなかったなあ。
   責められても自信を貫き通すなんて、そちはたいしたものだ!」

そう言って、信綱は金右衛門の俸禄を倍にしてやったのだという。
464人間七七四年:2010/06/03(木) 19:57:11 ID:0yO92qOf
ホントに金右衛門は自信があったのかなぁ…
465人間七七四年:2010/06/03(木) 20:06:39 ID:Atmx4rV1
>>464
おそらく金右衛門には過去に大雨の経験があって、
「こんなこともあろうかと」的に腹案を実現させたのかもね。
466人間七七四年:2010/06/03(木) 20:06:59 ID:7knymvTF
失敗しましたと認めたら切腹
467人間七七四年:2010/06/03(木) 20:08:30 ID:6Kb+/kFW
なんで、一旦大雨が降ると水が通じるんだ?
その原理が分からない。
伏越で雨水が呼び水になったとかなら分かるが。
468人間七七四年:2010/06/03(木) 20:28:23 ID:0AZf/ofu
高低差が少なければ水量でゴリ押しできるんでしょ
469人間七七四年:2010/06/03(木) 20:57:52 ID:5tMj2pI1
>459

畏れ多くも畏くも宗純王と申せば後小松帝の忘れ形見。
世が世であれば一天万乗の君と仰がれたお方だ。
マルクス史学に被れた赤学者共にとっては
470人間七七四年:2010/06/03(木) 21:08:42 ID:WqjTepqU
>>467
「大雨が降り、溝に水があふれ多摩川から溝に水が通じた」とのことで
471人間七七四年:2010/06/03(木) 21:58:31 ID:5Tdz97mv
3年経っても平然と信じた知恵伊豆すごいな。普通なら首を切るとこだ。
現代だったら大騒ぎだろう。
472人間七七四年:2010/06/03(木) 22:12:29 ID:0yO92qOf
洪水待ちってことかよ…遊水池を造ったようなものか?
なんかのんびりした話にも聞こえるなあ。
473人間七七四年:2010/06/03(木) 22:14:33 ID:BSjQyE5s
>>471
ぽっぽ辞任の翌日のためか、
「3年経っても平然と信じた」てところにあらぬ作為を感じてしまう
474人間七七四年:2010/06/03(木) 22:15:55 ID:IRP8QQMP
トンネルみたいに上流まで掘って行って
最後に貫通させるだけで良くね?

よく意味が分からん。
475人間七七四年:2010/06/03(木) 22:21:23 ID:6Kb+/kFW
>>470
だから、そうなる原理はなにかな、と。
伏越って知ってる?
476人間七七四年:2010/06/03(木) 22:27:28 ID:WqjTepqU
そう言われてもそう書いてるんだもん・・・。
wikiの安松金右衛門とかのほうが詳しいと思う。
477人間七七四年:2010/06/03(木) 22:36:58 ID:BSjQyE5s
なんとなく、サイフォンの原理っぽい気もしないでもない
溝を掘るだけ→高低差のため流れない
地面が湿ってきた→地面による毛細管現象で高いところでもそれなりに湿る
洪水→いったん水が連続して通じたため、川の終点が上流よりも低いところであれば
サイフォンの原理で途中の高いところでも、それ以後川は流れ続ける
478人間七七四年:2010/06/03(木) 22:42:46 ID:57z5U14z
つまり2年目の段階で既に水は、地下水流としては流れ込んでいて、地表上に水流が流れるのも
きっかけを待つだけだった、と言う状況だったってことか。
479人間七七四年:2010/06/03(木) 22:44:04 ID:jU6RVhz4
あくまで知恵伊豆の大度と、安松の自負心を称える逸話
信頼関係のある主従だったんだろね
480人間七七四年:2010/06/03(木) 23:39:19 ID:gDb1M3Jk
http://up3.viploader.net/jiko/src/vljiko021181.jpg

ちなみに今の野火止用水に流れてる水は100%下水処理水
481人間七七四年:2010/06/03(木) 23:45:13 ID:9Z9pSSt9
>>477
なんとなくだが、多摩川から16里(64Km)で終点が乾燥した土地の開拓地だから、
1年目;溝を掘る。→乾燥した土地のため、多摩川の水は途中で土中にしみこむだけ。
2年目;まだ、多摩川の水は溝の途中で土地にしみこむが、土中水分量が飽和状態に近くなったので、
    作物が育つ程度の水分量は土中に存在する。
3年目秋まで;夏の渇水期があるので、2年目と同様

ここまでは、砂漠で川が途中でなくなると言うのと同じ事。

3年目の秋;大雨が降り、開拓地の土中の水分量は飽和状態になるため、水が土中へ浸透しなくなると
      同時に多摩川の増水期が起きるので、用水路が完成する。

まぁ、結論から言えば、大雨が降らなくても土中水分量が多摩川の水だけで飽和状態になれば
溝に水が流れるということでしょうな。
482人間七七四年:2010/06/04(金) 00:14:12 ID:PvqPlSTd
成富茂安「水のことは」
足立重信「俺たちに」
伊奈忠次「任せて」
483人間七七四年:2010/06/04(金) 00:16:42 ID:HFSGy9U0
>>482
石田三成「駄目だ、私が全て統括する」
484人間七七四年:2010/06/04(金) 00:24:14 ID:H160jZQa
サイフォンの原理と言えば成富茂安さんだね
底を抜いた樽をつなぎ合わせて水を満たしたんだよね
ちゃんと空気を抜く穴もあって、結構こってる

それにしても、江戸の初期は治水のスペシャリストが多いね
川村孫兵衛、玉川兄弟、成富兵庫、北楯大学あたりが治水四天王かなあ
485人間七七四年:2010/06/04(金) 00:27:26 ID:6UCJW7np
>>484
北楯大学さんも加えてあげて…
486人間七七四年:2010/06/04(金) 00:28:03 ID:C5PRzVMn
>>483
成田氏長「忍城の時はありがとう
おかげで、水に不足することもなく篭城出来た」
487人間七七四年:2010/06/04(金) 00:42:12 ID:FeuqKrQu
やたらと最上関係者の名前を出したがる(入れたがる)のって
いかにも儲臭がして気持ち悪い

そもそも>484に北楯はもう入ってるわけだが
488人間七七四年:2010/06/04(金) 00:49:44 ID:6UCJW7np
>>487
すまんかった。見落としてつい書いてしまった。
確かに最上はこの間の出典無視の変な投下で悪い印象ついたよなー
489人間七七四年:2010/06/04(金) 00:55:25 ID:3tJt5AOM
吸出されるほどの密閉空間でもあったのだろうか?
490人間七七四年:2010/06/04(金) 09:03:16 ID:fjgCO7p+
>>484
四天王はちゃんと五人にしてあげないと。
491人間七七四年:2010/06/04(金) 11:03:52 ID:p0+Q4EuK
「主君に仕えるのは恩に報いるためであり、自分の出世のためではない。
出世のためと思って奉公すると、自分の思い通りにいかないときに
主を恨み、友人をそしり、非義を企てて主に背き、友人に見捨てられ、
ついにはわが身と家を失うのだ。恩に報いるために働く者は出世しなくても
不足の心なく、誰かを恨まず、心も安らかだ。」

以上、井伊直政のちょっと井伊話でした。
492人間七七四年:2010/06/04(金) 11:05:31 ID:MiXxcciM
井伊話って言いたかっただけちゃうんかw
493人間七七四年:2010/06/04(金) 11:48:22 ID:JA0RvVqa
TV東京の経済番組で、経営系にも通じるこういう良い話をもっと出して
経営者のマインドを変えさせるべきだよな。
494人間七七四年:2010/06/04(金) 11:49:33 ID:cr3bU9gc
>>490
大丈夫、玉川兄弟が二人だ
495人間七七四年:2010/06/04(金) 12:25:38 ID:O0Sgu4fj
さすがは知恵伊豆
496人間七七四年:2010/06/04(金) 14:46:16 ID:IfFsbaRa
>>491
人斬り兵部って渾名が着いた人物にそんなこと言われてもなw

そこらへんを反省したという最晩年の述懐なのかしら
497人間七七四年:2010/06/04(金) 15:30:48 ID:9XVAAym3
敵を斬るのが忠勤だろ!
498人間七七四年:2010/06/04(金) 15:38:55 ID:xVh41MS4
小田天庵「>>491が良い事言った」
499人間七七四年:2010/06/04(金) 16:56:39 ID:1AODacfe
>>491
これ良い話か?
えこ贔屓で他の徳川家臣団よりも高禄貰ってるくせに・・・。
他の徳川家臣が聞いたらブチ切れそうだぞwww
500人間七七四年:2010/06/04(金) 17:56:41 ID:ln+fijkb
自分が優遇されてるからこその言葉。
自分を律するあまりに部下にも同じこと求めた結果が人斬り。
しゃーない。
501人間七七四年:2010/06/04(金) 19:37:52 ID:NYo2pK/r
徳川家臣団では一番ひこにゃんが有能だったんだから、えこひいきじゃなかろう。
本多平八みたいな戦争しか能がない人に高禄与えてもあんまり意味ない。
502人間七七四年:2010/06/04(金) 19:40:47 ID:x405coB7
その発言は痛いぞー
503人間七七四年:2010/06/04(金) 19:41:46 ID:0zxMRnk4
本多平八は内政寄りの清正や勝家とかと比べると
調略もできるし、ただの戦馬鹿の代表ではないと思う。
504人間七七四年:2010/06/04(金) 19:46:50 ID:8M9Y94Ww
家康って三河武士を切り捨てたがってたんじゃね?実は
505人間七七四年:2010/06/04(金) 19:58:10 ID:gYH2PN56
さぁ、ご一緒に!

面倒くさい!!!!!!
506人間七七四年:2010/06/04(金) 20:26:53 ID:iAo4/BV7
信長・秀吉「面倒くさい部下は天下統一したら用済みだよね、基本」
507人間七七四年:2010/06/04(金) 20:46:17 ID:e2eF1s3T
劉邦「まったく、面倒くさいからって功臣を殺すなんて」
朱元璋「そもそも殺すのに理由っているのか?」
508人間七七四年:2010/06/04(金) 21:48:26 ID:HFSGy9U0
本多平八はあれがあれで何でもそこそここなすタイプじゃね…人に教えること以外は
509人間七七四年:2010/06/04(金) 22:03:53 ID:H160jZQa
本多忠勝は、平常時は昼行灯だが、戦場では百里を見通し、
十万の軍勢を手に取るように操ることができる…って、徳川家康が述べていた気がする

ソースはピンク板
510人間七七四年:2010/06/04(金) 22:34:33 ID:ac990Dw7
>491
自分だけ5千石しかもらえなかったのにずっと黙っていた安藤帯刀ならいい話なのにな。
511人間七七四年:2010/06/04(金) 22:38:40 ID:1GwIOO1w
秀吉「吉継に百万の軍勢を指揮させてみてえがや」
家康「忠勝なら十万の軍勢を手に取るように操る事ができる」

吉継は期待されてるだけだけど、忠勝プレッシャーだな
512人間七七四年:2010/06/04(金) 23:13:44 ID:SXMlq5Vg
大谷さんのあれは兵站奉行としての話の気もするな
基本的に槍働きは紀州攻めと関ヶ原ぐらいの人だし
513人間七七四年:2010/06/04(金) 23:20:45 ID:p7R9YIDo
忍城攻めにもいたよ
514人間七七四年:2010/06/04(金) 23:29:58 ID:H160jZQa
賤ヶ岳にも紀州攻めにもいたよね
515人間七七四年:2010/06/04(金) 23:29:59 ID:xRQ4UIfk
天文元年、木沢長政を河内国飯盛山城に攻め滅ぼさんとしていた三好元長(法華門徒)が、
元長の主君細川六郎晴元の陰謀で決起した一向一揆の襲撃を受け、逆に堺で自害に追い込まれた。
さらに晴元は自ら擁立していた足利義維や三好元長の子どもたちをも殺害せんとし、
これには阿波守護細川持隆の抵抗で失敗したものの近江国坂本に逃れていた義維の兄、第十二代将軍義晴を推戴して山城に連れ戻す。

しかし、一向宗という宗教勢力は到底晴元の手の内で抑えきれるものではなく、
いわゆる天文の錯乱と呼ばれる畿内一円での一向宗勢力の暴走を引き起こしてしまった。
これを鎮圧するために晴元・長政は今度は法華宗門徒を利用して山科本願寺を襲撃させ、
次には法華宗の蜂起が制御できなくなると六角定頼と比叡山の力を借りて武力鎮圧した(天文法華の乱)

……まあ最初から六角の力借りとけよ、という状況だが、ともかくこの時期の畿内の宗教事情は大混乱だった。

さて、一向宗と法華宗を使い捨てにして武力で押さえ込んだとはいえ、まだまだ両者とも力を温存している。
このままでは細川政権の基盤も揺らぎっぱなしでいつまた噴火するかわからない。
さてどうしたものか、と晴元が考えたとき、一人うってつけの人物がいることに気がついた。
そう、最初に使い捨てにした三好元長こそ法華宗の大檀那であり、その遺児千熊丸が阿波に隠れ潜んでいるではないか。

ああこれは生かしておいて都合がよかった、ということで早速晴元は阿波から千熊丸を召しだして宗教勢力との調停を命じ、
その期待に応えてわずか12歳の千熊丸は見事に一向宗との調停を成し遂げ、宗教的騒乱を収束させたのだった。

この時、奪われた父の旧領回復どころか恩賞すらなかったもんで(助命してやるんだからありがたく思え)、
いきなり千熊丸、即ち後年の長慶の謀反フラグを順調に打ち立てていく晴元公だがその辺はよしとして。

政界デビューからして宗教対策であった三好長慶の宗教的スタンスは、極めて信仰に寛容なものだった。
三好家は法華門徒であり、長慶もまたその例に漏れなかったが、個人としては臨済宗の大林宗套に深く私淑していた。
父の仇である一向衆とも安定した関係を築く一方、洛中や奈良の寺社にも配慮を示した。
キリシタンにも寛容であり、三好政権下の許可のもと弘治末年から永禄初年までには堺を拠点に伴天連の布教が進み、
永禄三年には長慶幕下の七十数人の諸将がビレラの手により洗礼を済ませた。

少なくとも、三好家という国主のレベルではいかなる教派であれ信仰の自由は保障されており、
長慶が畿内を治めた約二十年の間は、その自由の下に宗派間の大規模な衝突はほとんど起きなかったのである。

三好長慶、ひろく万人の信仰を保障し宗教的平穏を保ったお話。

……長慶が死ぬと、とたんに三好長治とか若江三人衆とか高山親子とか宗教的DQNが暴れ始めるけど気にしない。
516人間七七四年:2010/06/04(金) 23:39:49 ID:ehx1cKIL
長いから5行でまとめて!
517人間七七四年:2010/06/04(金) 23:54:39 ID:kmMDQb8N
>>516
三好一族から
長慶を
抜いたら
何も残らなかった
というお話
518人間七七四年:2010/06/05(土) 00:04:10 ID:e6eAdsh1
>>517
こうやって逸話だけを鵜呑みにして調べようともしないで適当な答えをする
他に二人、宗教に寛容だったのが三好氏に後二人いる、答えてみろ
519人間七七四年:2010/06/05(土) 00:05:25 ID:Af17Ok2p
>>517
十河存保が悲しそうに戸次川の川縁で黄昏ています
520人間七七四年:2010/06/05(土) 00:13:52 ID:ZbzXsnAa
こんにちわ、三次秀次です。
521人間七七四年:2010/06/05(土) 00:30:36 ID:I5hF4Huw
>>518
三好長治「呼んだ?」
522人間七七四年:2010/06/05(土) 01:07:18 ID:OjCUmnom
とある日常

桑名藩主として既に老境を迎えていた本多忠勝は江戸来訪の最中に突然真田邸を訪ねた
真田信之に嫁いだ娘小松は江戸人質として江戸にあったからだ
通常ならば手続き等々手間がかかるが流石は忠勝、アポ無し突撃である
予期せぬ父の来訪に小松は驚きつつも喜んだ
真田側には準備も何もないから邸内は急なもてなしに上へ下への大騒ぎであったのだが

帰途についた忠勝にふと従者が声を掛けた

「申し上げ難き事ながら小松殿の身なりは些か貧相に見受けられました。
 真田の内情は苦しいのでしょうか?」

これに忠勝

「ほう、お主は気付かなんだか?
 急の訪問であったが屋敷内は手入れが行き届いておった。特に武具の手入れは見事だった。
 身なりだけを見ていては地力を取り違えるぞ」


家計を遣り繰りした妻と広い視野を持った物わかりの良い舅のお話
523人間七七四年:2010/06/05(土) 01:10:45 ID:wKrDME7X
でも真田なんて全く信用ならんところに
よく娘をやったよな。
524人間七七四年:2010/06/05(土) 01:23:19 ID:Te7tWz/3
確か真田家の税率はかなり高いんだよね。
それでも装飾にはほとんど使われてなかったんだな。
525人間七七四年:2010/06/05(土) 01:38:50 ID:hAVNCoNd
>>524
この時代や江戸時代の税率って言うのが案外言葉のマジックで、例えば5公5民とか6公4民とか
言うのは検地の結果出た生産量である「本年貢」からの割合なんだけど、
通常農家の農業生産はこの本年貢の数倍から十数倍あったらしいのね。
で、その「本年貢」は、それぞれの領主の検地の厳しさによって量がかなり違ってくる。

なので下手すると「5公5民」の地域よりも「7公3民」の地域のほうが支払う年貢が少ない、なんて事
すらあった。

その地域が重税だったかどうかって言うのは、表向きの数字を見ただけじゃ解らないんだよね。
526人間七七四年:2010/06/05(土) 02:27:34 ID:U1+2TTOx
それうちの大学が手広く研究してるらしい。
527人間七七四年:2010/06/05(土) 03:16:32 ID:MsYq+SEg

江戸初期の話、福山藩の児小姓達が相撲をしていた
小姓達は相撲に熱中するあまり奥の間まで侵入した事にも気付かず『ソレいけ!ヤレいけ!』とそのまま相撲を続けていた
そのうち力んだ小姓の一人が相手小姓を襖へ豪快に投げ飛ばしてしまった

ガーン!
小姓『あっ!やっべ…』

そこでようやく自分達が奥の間まで入って来ている事に気付いたが時既に遅し

勝成『なにごとぞ!』

奥の間から太刀を持った目付きの悪い老人が飛出して来た。
ウゲッ鬼日向!小姓達は慌てて平伏、咎を覚悟してすぐに詫びを入れようとしたが勝成は小姓を見て

勝成『…?なんじゃお前らか』
とコロッと表情を変え

勝成『相撲は戦場(組討ち)で役立つのでとても良い、だが怪我だけはしないように』
とだけ言ってさっさと奥の間に引っ込んでしまった

怒られなかった小姓達は調子にのったのか顔を見合わせ、奥の間に引っ込んだ勝成をまた引っ張りだし

小姓『日向様にこれからお庭先で相撲大会を御献上いたしたいと思っております』
と言うと、勝成は小姓達の前にドカッと座り

勝成『うむ!やるからには心してかかる様に』と檄を飛ばし終始勝成はご満悦だったそうだ


528人間七七四年:2010/06/05(土) 09:18:08 ID:T6/PQd1M
あれ・・・面倒臭くない?!
鬼日向くんは色々なところいってるからかなぁ〜

>大正8年(1919年)従三位を追贈された。
って、wikipediaにあったんだけどこんなこともあるのね〜
529人間七七四年:2010/06/05(土) 10:21:26 ID:MsYq+SEg

>>528
勝成は家康の従兄弟だけどどっちかっつーと信長家臣だから三河武士じゃないぞ、たぶんw

あと追贈されてる奴は何人か他にもいたな〜忘れたけど
530人間七七四年:2010/06/05(土) 10:23:57 ID:ZbzXsnAa
水野家の領地は三河と尾張にまたがってたけど刈谷は三河だから三河武士でいんじゃね?
531人間七七四年:2010/06/05(土) 10:34:26 ID:hAVNCoNd
江戸初期だと勝成も、譜代大名水野家当主として名君路線を突っ走っていた頃だしな。

相撲といえば駿府城で若い連中が退屈のあまり相撲してたら家康に見つかって、
恐縮してたら「相撲とるときは畳を痛めないように裏返しにしておけ?後で怒られるからな。」
とだけ言って見て見ぬふりをした、って話もあったな。
532人間七七四年:2010/06/05(土) 10:37:10 ID:azVETluH
いい感じに年をとったな


若い頃が「やんちゃ」の一言では済まされないレベルだったけど。
533人間七七四年:2010/06/05(土) 10:56:20 ID:T6/PQd1M
一豊さん:みんな相撲が好きなんですね〜
534人間七七四年:2010/06/05(土) 11:21:00 ID:PzyJhntP
織田信長「オレも相撲が大好きでたびたび大規模な大会を開いたぞ」
武田信玄「わしも相撲が大好きで諏訪大社等でよく奉納相撲をやったぞ」
大内義隆「私も相撲が大好きな気がしてきた」(そんな記録があるか知らんが)
535人間七七四年:2010/06/05(土) 11:26:43 ID:GcB21tCZ
義隆は相撲より蹴鞠だろうな
夜の相撲は好きだったかも知れんが
536人間七七四年:2010/06/05(土) 11:30:02 ID:3NZOYSB+
>>534

どの顔も寝技の方が得意そうなんだが
537人間七七四年:2010/06/05(土) 11:33:11 ID:uiY0ntTl
戦国からは少し外れるが外国人が書いた日本の相撲
http://www.flickr.com/photos/85009674@N00/3200677526/sizes/o/
538人間七七四年:2010/06/05(土) 11:41:03 ID:E9i1V4OY
>>534
武田信玄「諏訪大社の建御名方の命に奉納相撲じゃ!
初めて相撲をとられた神だし」
建御名方の命「・・・その相撲の時、武甕槌に負けて、わしは手を握りつぶされたんだが」
539人間七七四年:2010/06/05(土) 11:41:36 ID:CoUxFK7q
城ってみんな広くて多きかったんかな。

コンビニサイズの城とか無かったの?
540人間七七四年:2010/06/05(土) 11:48:02 ID:ioVRY97e
それは砦だろ
541人間七七四年:2010/06/05(土) 11:49:15 ID:O48rCFyW
>>537
モンタヌスだっけ?
これが千手観音で後ろで燃えてるのが焼き討ちされてる比叡山だとか
http://www.flickr.com/photos/85009674@N00/3200419118/sizes/o/
伝聞の資料って一杯あるけど正しいとは限らないよなw
542人間七七四年:2010/06/05(土) 12:15:44 ID:N3gHhkSK
コンビニサイズだともう砦かどうかも……関所?
543人間七七四年:2010/06/05(土) 12:33:37 ID:/NDY9wSP
コンビニを襲撃する鬼武蔵が頭に浮かんだ
544人間七七四年:2010/06/05(土) 12:38:46 ID:B59V+/Y/
櫓の柱を一太刀で破壊するのが目に浮かんだ
545人間七七四年:2010/06/05(土) 13:07:36 ID:ozkcpPNS
陣屋って表現があるかな
546人間七七四年:2010/06/05(土) 13:18:32 ID:/fqX264U
親父と喧嘩して水野家を出奔する経緯を見るに少なくともメンタル的には
水野勝成は三河武士そのものじゃないかw
547人間七七四年:2010/06/05(土) 13:40:35 ID:CoUxFK7q
陣屋は戦いの為のモノじゃないでしょう?
548人間七七四年:2010/06/05(土) 13:41:00 ID:+GOcrTtg
コンビニだと関所とか櫓だろ。
陣屋だってよっぽどの豪邸レベルだし。
549人間七七四年:2010/06/05(土) 14:06:24 ID:CoUxFK7q
まともなに現存する城とかって
当時は上等なもんだったろう。

私が思ったのは、当時の掘っ立て城は
どんなもんだったのかなと思ってるの。

姉小路の三男とかどんな城住んでたのかな。
550人間七七四年:2010/06/05(土) 14:27:18 ID:1DTj54E8
うちの近くに徳川家の陣屋があるけど、あれは城の代わりにはならないよ
もっとも、家康が江戸城に入る前に長いこと停留してたらしいけど

ちなみにその陣屋だってコンビニよりはるかに広いよ
551人間七七四年:2010/06/05(土) 16:27:47 ID:FL1bA0NK
短パン
552人間七七四年:2010/06/05(土) 16:37:23 ID:qjiTq2n0
高山以外に陣屋なんて現存してるの?
553人間七七四年:2010/06/05(土) 16:50:22 ID:ZbzXsnAa
現存はともかく遺構はあちこちに残ってるだろう。
うちの高校も堀と土塁と大手門を利用した建築だった。
つまり高校がまるごと入ってなお、他の施設も敷地内に存在するくらい広い。
554人間七七四年:2010/06/05(土) 16:56:55 ID:ZbzXsnAa
>>549
掘っ立ての城というのはなんだろう、臨時の館みたいなもの?
信長以前の、防戦のための山塞なら普段は人が住んでないから
それこそ堀を掘って土塁を掻き上げたような木造の小屋だろうし、
政庁として城下町の中心にあるべき構造物なら掘っ立て小屋はありえない。

ちなみに田舎の山を登ると空井戸と土塁の一部だけ残ったような
草深い山道の先に碑が無いと気付かないような「城跡」はいくらでもある。
建物自体は想像もできないような状態であることがほとんどだけどね。
555人間七七四年:2010/06/05(土) 16:57:54 ID:hAVNCoNd
陣屋といえばこのニュースはゾクゾクした

大阪狭山・北条氏陣屋跡「障子堀」状の遺構確認
http://osaka.yomiuri.co.jp/inishie/news/20100129-OYO8T00478.htm
http://osaka.yomiuri.co.jp/photo/20100129-248063-1-L.jpg

大阪に行っても障子掘!流石北条。
556人間七七四年:2010/06/05(土) 17:22:41 ID:gnM9z4Fg
障子堀にしては浅すぎて堀として機能してないように見えるんだが
なんていうか水田跡にしか見えんw
557人間七七四年:2010/06/05(土) 17:28:38 ID:AaHQbu9p
愛知県の吉良町に東条城って城が残ってる
もちろん復元された城なんだけどそれがちっこくて
城というか砦で櫓門と物見櫓があるだけ

でも下手に名古屋城や犬山城みたいに綺麗でもなく
汚い感じで戦国の雰囲気が色濃く味わえるから結構俺は好きだな
558人間七七四年:2010/06/05(土) 18:54:44 ID:qjiTq2n0
↑ そうそう、そういうのを求めていた!!
今度里帰りしたら、絶対行ってみるよ。


戦国大名Aの重臣Bの甥の三男の居城とか
みんなで守るぞ!って感じがしてゾクゾクする!
559人間七七四年:2010/06/05(土) 19:13:10 ID:/eTzWy5K
そろそろ下記スレにでも移動してください

むちゃくちゃ小さい城を教えてください
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1242022068/
560人間七七四年:2010/06/05(土) 19:22:47 ID:AaHQbu9p
http://woodone3831.web.infoseek.co.jp/toukai/c-1-3-5-4-siro-TOUZYOU.html

スゲーしっかりレポートしてあるサイトを見つけた>東条城
どこのマニアが再現したんだろうなこの城
561人間七七四年:2010/06/05(土) 19:38:12 ID:qjiTq2n0
小さい城ネタじゃあ盛上らないでしょ。

小大名のスレもあるんだぞ!
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1273053429/l15
562人間七七四年:2010/06/05(土) 20:55:16 ID:AaHQbu9p
まあ、スレ趣旨から脱線が大きくなったら移動するべきだわ
盛り上がる盛り上がらないは関係ないよ

スレ汚しのお詫びに一つ雷おじいちゃんのお話

立花山城の城主として博多並びに筑前の要として周辺の敵対勢力に睨みを利かせていた時の事
当時博多は商いのために人が行き交う先進の国際都市
そのためか見世物小屋なんかもあり盛況であったという
その見世物小屋にお忍びで訪れたのが秋月種実
そう道雪にとっては毛利と組み、筑前を中心に反大友として蠢動する敵勢力の首魁である

お忍びで訪れているため当然種実は少人数が随行するばかり
これを聞きつけた立花家家臣の一人が道雪に種実を襲撃を注進する
しかし、道雪は「そんな卑怯な振る舞いはできぬ」と拒絶するのだが、これでは信用できないのか、黙って立ち去らすのもなんだと思ったのか分からないが
種実に
「なんか部下に襲ったらって言われたけど、気が進まないから止めました。
 でも、その部下が勝手に襲っちゃうかもしれないから警護をつけるからヨロシクね」
と一隊を派遣し警護をして無事に種実をその領地まで送り届けるのである

雷じいちゃんの正々堂々としたいい話
だけどこの時の秋月種実にしてみれば正直、護衛にいつ襲われるかって言う恐怖もあったんだろうな…

ちなみに元ネタは名将言行録の上うる覚えで乱文雑文、失礼しました
563人間七七四年:2010/06/05(土) 20:57:41 ID:i+7rVviq
うる覚え
564人間七七四年:2010/06/05(土) 21:11:45 ID:MuIPE1M4
川越城って、本丸御殿しかないイメージだけど、江戸時代はちゃんとした城郭だったのね
565人間七七四年:2010/06/05(土) 21:32:11 ID:Te7tWz/3
堺と同じで、博多はアジールだったから、領主間の争いは持ち込めない。
もし無視して秋月を殺してたら、博多での立花家の立場はかなり微妙なものとなっただろうな。
そこら辺も計算の上での行動だろうね。
566人間七七四年:2010/06/05(土) 21:43:09 ID:EyM1FYpi
>>555
山中城は1日も持たなかったんだから少しは学習して欲しかった・・・
567人間七七四年:2010/06/05(土) 22:04:20 ID:uiY0ntTl
山中城は未完成だし城の堅固さは図れんだろ
568人間七七四年:2010/06/05(土) 22:11:32 ID:i+7rVviq
大名クラスが討ち死にするくらいの猛攻で、無理やり1日で落としたわけで
569人間七七四年:2010/06/05(土) 23:33:23 ID:V/p8hpll
武士みたいな潔い実力者が皆無な現代だよな。

鳩山さんは比較的マシだったがw
570人間七七四年:2010/06/05(土) 23:58:31 ID:Ayast9+k
>>569
ハァ?寝言?
571人間七七四年:2010/06/06(日) 00:02:02 ID:LDS3bnC0
必死になるのが出てくるのでその辺で
572人間七七四年:2010/06/06(日) 00:15:46 ID:j1KRkyRW
本当に潔ければ、政権交代終わってからすぐ沖縄に詫び入れて辺野古案で終結させるか、
逆に米軍国外撤退まで、断固として譲らず持って行くかしただろう。
アメリカを敵に回すにせよ、沖縄を敵に回すにせよ、しなければならない決断を最後までせず、
挙げ句現行案に帰着しながら口だけ「自民党とは違うんです。」。

しょうがないで妥協する形の最高の形が自民党案、妥協しないなら社民党案しかなかった状況。
そして自民党案は、何年もかけて妥協にこぎ着けた案であったため、一度覆したらそれだけで最高の形ではなくなってしまう状況だった。
いつまで経っても自分が悪役になることを受け入れられず、禍根だけ残すのを潔いとは言わない。
573人間七七四年:2010/06/06(日) 00:17:04 ID:j1KRkyRW
>>571
すまん、リロードしてなかった。
574人間七七四年:2010/06/06(日) 00:23:59 ID:Y86P/Ki4
ははっワロス
575人間七七四年:2010/06/06(日) 00:26:36 ID:7NptHAIp
雑談うぜ
576人間七七四年:2010/06/06(日) 00:46:27 ID:nwCQYk4C
武士の時代も、ウダウダやってたのだろうか?

小田原評定以外は思いつかない。
桶狭間ん時なんか、凄い恐怖統率力だと思うしw
577人間七七四年:2010/06/06(日) 00:55:54 ID:Kmds25KX
足利尊氏をはじめとして、優柔不断な武士はごまんといたべ。
578人間七七四年:2010/06/06(日) 01:11:05 ID:ZNwKObRG
今日仲間を誤射してそれを苦に自殺ってニュースがあったけどそれを聞いて武士を思い出した
その人が武士みたいに云々じゃなくて失敗した時の潔さって点で
579人間七七四年:2010/06/06(日) 01:18:08 ID:Dccinpzr
>>543
変にブホって吹いた
580人間七七四年:2010/06/06(日) 01:20:08 ID:Kmds25KX
>>578
戦国時代にあんなことがあったら
互いの一族同士で戦争を始めて、他の勢力まで引き込んで収拾が付かなくなるんだろうな。
当事者一人を切腹させることで穏便に解決させるのは、まさに戦国時代の分国法の考え方だよ。
581人間七七四年:2010/06/06(日) 03:54:23 ID:nwCQYk4C
信長の弟も間違って殺されたりして云々って無かったっけ?
582人間七七四年:2010/06/06(日) 05:10:14 ID:rP8TsC8M
>>581
信長の伯父・織田信次の家臣洲賀才蔵が信長の弟秀孝を誤って殺しちゃった奴じゃね?

孫の中川重政も弟の津田盛月が領地が隣接してた勝家の家臣殺っちまって改易くらって
曾孫の中川光重は関ヶ原で大谷吉継の軍に捕まって前田利長を錯乱するのに利用されたり
曾孫の那古屋元春(織田九右衛門)もお気に入りの菖蒲刀にケチ付けられて工事現場で殺し合って死亡と
味方側に色々やらかす事には話題に欠かない家系だよ

玄孫の那古屋蔵人と那古屋市郎左衛門は特にやらかしたとかはきかないな
583人間七七四年:2010/06/06(日) 10:10:57 ID:c5JAcrVZ
津田兄弟もたいがいだし血なんかなぁ
584人間七七四年:2010/06/06(日) 10:12:36 ID:LDS3bnC0
秀孝は本当に事故なのかねぇ
585人間七七四年:2010/06/06(日) 10:58:54 ID:A3eVyy7G
この時代って、簡単な事でそれなりの人物が
ポンポン斬られて死んでるから
もう殺し合いはヤメテーって思う(′・_・`)
586人間七七四年:2010/06/06(日) 11:36:00 ID:Ec+CI0QV
羽柴秀吉の家臣、中西弥五作と柴田勝家の郎党、古田弥惣は親しい友人だった。

天正11年(1583)4月、賤ヶ岳の戦いにおいて弥惣は強敵と激しく渡り合い、ついに槍で相手を突き伏せ、
首を獲らんと相手にまたがり、その兜をつかんで押し上げた。

「!や、弥惣・・・・」
「・・この期に及んで要らん名乗りなどせぬ。早う斬れ!」
「・・・・・・・・




ナニ言ってんだ、おまえ?」
弥五作は弥惣を解放すると、手を取って引き起こし、鎧の汚れを払ってやった。

「お互い不思議な巡り合わせだのぅ!ガッハッハッハッハッ!!!」
「・・・・ふっ・・ははははは・・・・・・」

笑い合った二人は、何事も無かったかのように別れた。


その後、中西弥五作は関白秀吉の黄母袋衆に選ばれ、古田弥惣は惣左衛門と名を改めて
伊勢松阪領主・古田重勝に仕え、その子・重恒の代に家老にまで昇り、それぞれ出世を遂げたという。
587人間七七四年:2010/06/06(日) 12:05:03 ID:A5Ci1oMP
( ゚∀゚)フハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \
588人間七七四年:2010/06/06(日) 13:47:56 ID:+TWppsEP
>その子・重恒の代に家老にまで昇り

 重恒の代に古田騒動で古田家改易…
589人間七七四年:2010/06/06(日) 13:55:59 ID:Gn7+1fvL
この手のパターンだと泣く泣く相手を切るのが殆どだったが、これもアリなのねw
590人間七七四年:2010/06/06(日) 15:49:17 ID:VV0keakt
実際にはこっちのケースのほうが多かったんだろうな。
ただ、他の相手にこの後狩られることも多かっただろうけど。
591人間七七四年:2010/06/06(日) 19:56:43 ID:ita292Jl
『酒井忠勝と竹千代の病と鹿の角の兜』

 あるとき竹千代(後の家光)が疱瘡を患って危篤に陥り、側近の者たちがひどく心を悩ましていた時、国千代(後の忠長)派ではこれを聞いて大いに悦びあっていた。
そのうちに国千代が「食事をもて」と命じたので、御台盤の間が竹千代の薬などをほったらかしにして騒ぎ立っているのを見た酒井忠勝は、呆れてしばらくこれを眺めていたが、
係りの者どもが国千代の御膳部だけにかかりきりになっているのに腹を立て、
「ただいま竹千代君のご疱瘡が重らせられ、ひとりひとりが固唾をのんでご心配申し上げておるというのに、国千代君がご兄弟の御身で、どうしてそれをお悦びになっているはず
があろうか。食事も咽喉を通らぬはず。それなのにかかる御振る舞いとは心外千万。その御膳を差し上げてはならんぞ。」
と、声荒らかに罵って、御膳部を下げさせた。
 すると間もなく父の秀忠が見舞いにやって来て「讃岐守(忠勝)、前に立つべし」と命じた。
それを国千代に対する無礼のかどでお手討ちに逢うものと考えた忠勝は、「もとより覚悟の上、本望の至り」と畏まって、秀忠の先に立って竹千代の寝所に案内したが、
さいわい病気が峠を越えて顔色も少しはよくなっていたので、秀忠は大いに悦び、「いよいよ大切に看病せよ」と忠勝に声をかけ、再び忠勝を先に立たせて帰って行った。

 その後、竹千代は全快し、忠勝の行為は世の人に称賛されたが、忠勝の人物に感じ入った福島正則が、「いま天下の武将、御旗本の英雄とは貴殿のことです」といって
秘蔵していた鹿の角の兜を進呈したのはこの頃の話だといわれる。
592人間七七四年:2010/06/06(日) 20:15:18 ID:/d7vf/1Z
森武蔵「鹿の角の前立と聞いて」
本多平八「鹿の角の忠勝と聞いて」
593sage:2010/06/06(日) 20:38:14 ID:9Q28q30v
以前読んだ本にあった話だけどタイトル失念
ウロ覚えの部分はサイト検索で補完して投下してみる

関が原の戦場を脱出した宇喜多秀家公と家臣たち
伊吹山中を北上するうちに道に迷ってしまった
一方、近在の村々には触れが回って腕に覚えのある猟師たちが落武者狩りを始める
猟師たちのリーダーの名は矢野五郎右衛門
そして兵糧も尽きて二日間何も食べていなかった秀家公一行と矢野たちが山中で出会う
身なりを見て「これは大物だ」と思った矢野だったが何やら気後れして手出しが出来ずにいると
秀家公自らが矢野に話しかけた

秀家公「ワシは先の戦の副大将で権中納言宇喜多秀家じゃ。すまぬが湯漬けでも振舞ってくれぬか。その後であれば引き渡すなり何なりと自由にせよ」
堂々と名乗り、何の気負いも無い自然な秀家公の声音に矢野は圧倒されてしまった
矢野「と・・とても討つことなどできぬ」
秀家公の威に感じ入った矢野は逆に匿う決心をし自分の家の穴蔵に案内した
矢野はリーダーになるだけあって猟師たちから信奉があったらしい
宇喜多一行が潜伏していることを誰も口外しなかった
秀家公と家臣たち数名は40数日間に渡り匿われた
一説によると矢野は元前田家臣で宇喜多家臣、進藤の縁戚にあたる縁で匿ったとも言われている

10月半ば、秀家公を重病人に仕立て乗り物を用意し大坂に潜入
備前宇喜多屋敷で愛妻、豪姫と奇跡の再会を果たす
進藤が秀家公自害の偽装工作をして徳川家の追及を誤魔化しと云うが
その辺りは講談などで美化されてて真相はよくわからない
とにかく秀家公は薩摩に脱出することとなった

矢野に感謝した秀家公は黄金(枚数には諸説あるそうです)を褒美として与えるとともに
「自分が他日、再起したときには必ず訪ねよ」と言って朱印状を渡した
その後、みなさん御存知の通り秀家公は八丈島に流罪となって朱印状が役立つことは無かったのだが
矢野家では大切に保管し秀家公の高貴な人柄を子孫に語り継いで行ったそうだ


話が出来すぎてる?
そりゃ子孫フィルターで多少の美化はあるだろう
だが全くのデタラメでない証として「朱印状」は現存しており
八丈浮田家と矢野家の子孫は今でも交流があるそうです

以上、中納言様が泳いで参ったら仕官するはずだった男の話



594人間七七四年:2010/06/06(日) 22:05:24 ID:jFW7NHWs
いよいよ明日には菅内閣が発足しますね〜


本能寺の変余話

天正10年に京都・本能寺にいた信長を襲撃して京都の支配者となった光秀は、
明智政権のマニフェストを発表した。
それは「京都地子銭免除」である。

地子銭とは現在における宅地税に相当する税金で、光秀に限らず敵の都市を支配
した為政者の多くは数年分の地子銭を免除していたらしい。
ところが、光秀の地子銭免除は「永代免除」という破格の内容であり、京都の町人は
狂喜乱舞した。
そのままこの政策が維持されれば良かったのだが、光秀政権はわずか13日で崩壊し、
かわって光秀を滅ぼした秀吉らの羽柴連立政権が樹立された。

羽柴新政権は「謀反人の決定した法令の効力は認めることはまかりならぬ!」として、
地子銭免除を即時廃止して地子銭を復活させたのだが、その新法案に対する京都町衆
の反発は極めて大きかったため、秀吉は天正19年に廃案にしたはずの地子銭免除法案
を復活させられる羽目となり、なぜかに大坂の地子銭免除までも実行させられてしまった。

この政策は秀頼時代にも維持されたらしく、「京に地子銭なきは明智の恩」と「豊内記」に
記録されている。

豊臣政権を倒した江戸幕府もこの既得権を無視できなくなり、光秀のマニフェストは江戸
幕府においても存続した。
江戸中期の儒学者・荻生徂徠はその現状を見て「明智のような主殺しの恩徳を末代まで
有難がらせるとは何事か」を大いに憤慨したという。
595人間七七四年:2010/06/06(日) 23:51:07 ID:ybVdF+k5
菅は足利義満クラスの売国奴ですよ
596人間七七四年:2010/06/06(日) 23:56:49 ID:UTaIEz54
(住民にとっては)いい話だな
597人間七七四年:2010/06/07(月) 00:01:18 ID:82I+dd83
地子銭の免除・・十津川郷を思い出した
598人間七七四年:2010/06/07(月) 00:05:25 ID:MW5ptkYf
そういや菅直人は一応菅原氏の子孫となっているらしいが
仙谷由人とかも、四国だけに仙石秀久と関係あったりするんだろうか
599人間七七四年:2010/06/07(月) 00:11:38 ID:UtxJMYy9
系図に偽りが無いならば菅さんの祖先を大庄屋に取り立てたのは


森忠政「俺だよ、おめでとう」
600人間七七四年:2010/06/07(月) 00:12:09 ID:ADrqbNso
そう言えば菅さんは美作菅党の末裔か。
尼子→宇喜多と負け組に属して辛酸を舐め、森忠政の入国の時には
美作国人が反発する中、いちはやく森家について反森家国人の弾圧に協力していたw
601人間七七四年:2010/06/07(月) 00:19:49 ID:dyPWeE4h
静香じゃない方の亀井はガチ
602人間七七四年:2010/06/07(月) 00:25:29 ID:WyoiucEP
美作菅党は更に細かく言うと
尼子→浦上→宇喜多かな

小早川時代は浪人だが忠政入領でまた一発逆転。
603人間七七四年:2010/06/07(月) 01:10:21 ID:b94pS0o1
秋田県知事は北家だっけな〜
604人間七七四年:2010/06/07(月) 01:16:48 ID:m96SBktc
『軍功を上げるまでは無禄で』

 上杉謙信の家来に斑鳩平次という武士がいた。数々の武功をあげたのだが、事情があって浪人となり諸国を遍歴していた。
この平次の勇名を聞き及んだ加藤清正は、召抱えようと思い平次を呼んだ。そして条件を聞いた。
「上杉家での武功の様子は、つとに聞いておる。ところで禄高はいくらお望みか?」
 すると平次は意外なことを言った。
「多くは望みません。生きていくだけのものを戴ければ結構です。」
 清正は、平次が上杉家に仕官していた時は二千石以上を得ていたのを知っていた。そこでさらに訊ねた。
「これは異なことを。そちは上杉家では二千石以上を取っていたはず。それなのに微禄で結構というのは、解せぬ話だが。」
 それを聞いた平次は、
「確かに私は、上杉家では身に余る高禄を頂戴しておりましたが、それは上杉家に対してそれだけの軍功があったからです。
しかし、私は御当家に対しては何の功労も果たしてはおりません。それなのに上杉家の時は二千石の禄高を戴いておったなどと申すのは、貪欲と申すものです。
ご当家に仕官申し上げるのであれば、謙遜や冗談ではなく、最初は無禄でお願い申し上げます。
しかし、合戦の際、しかるべき軍功ありとお認め下さったとき、手柄一つにつき五百石を頂戴するということではいかがでございましょうか。
こうした約束をしておけば、行く末、いかに高禄を頂戴することになろうとも、故なく高禄を頂戴してると申されずにすみましょう。」
 この約束で、斑鳩平次は加藤家に仕える事になった。
 そして数年後、太閤秀吉の朝鮮出兵の際、平次も加藤家の武将として参戦、
抜群の功績を立てること七回に及び、彼の禄高も三千五百石に達していた。
605人間七七四年:2010/06/07(月) 01:48:01 ID:UtxJMYy9
ちょっと勘違いしてたんで訂正するが菅氏は森家に与した有元佐政より前に派生した分家だったらしいわ、すまん


菅(菅納)は宇喜多直家が浦上宗景を蹴落とすのに一役買ったみたい。
で、宇喜多改易で浪人してて有元の大庄屋出世で親戚の菅も庄屋になったってところか。
606人間七七四年:2010/06/07(月) 01:59:56 ID:Tr/kBFfd
菅氏は美作菅家党だけど、実は系図上でも戦国入る少し前に有元本家から分家した家だから
>>599-602の戦国時代に名を残し、後の大庄屋となった有元氏とは無関係。
美作南部の下神目村(久米南町)の庄屋ではあったのかもしれないけど。
607人間七七四年:2010/06/07(月) 03:58:32 ID:WyoiucEP
ちょっと調べたが有元は尼子再興軍に最後まで従って生き残りが宇喜多に合流したんだな。


宇喜多時代は先に従ってた菅の方が待遇上だったかもね。
608人間七七四年:2010/06/07(月) 07:48:15 ID:rsRXgUWS
>>604
斑鳩なんて名字の武将が居たなんてかっけーw
609人間七七四年:2010/06/07(月) 12:03:27 ID:G0qTqix8
>>604
公務員の天下りもこうすれば問題にならないのにな。
610人間七七四年:2010/06/07(月) 17:09:03 ID:doYjKioH
天下りに求められているものはこれからの功じゃなくて今までの功だからねえ
流石に相容れないものを求めるのも酷ってもんだ
611人間七七四年:2010/06/07(月) 17:24:25 ID:Gqfp6RWA
生きていく最低生活水準以上の年俸が
今までの功になるのは当然だと思うが?

これから貢献「しそう」だから年収アップとか
どんな社会構造だよと思うw
612人間七七四年:2010/06/07(月) 18:02:27 ID:bWafCY2O
名や格ってものが重要視されてるからなぁ
今の感覚でこういうもんをみちゃいかん
613人間七七四年:2010/06/07(月) 19:54:49 ID:Jtm05mZT
>>604
カッコいいねこうありたいものだ
それに実力のある人間にとっては逆にこう言う歩合制の方が気は楽かもね
614人間七七四年:2010/06/07(月) 19:57:19 ID:QqF/MbBh
ほとんどの浪人は前の主君にもらった感状とかもって必死に仕官先を探してる
615人間七七四年:2010/06/07(月) 20:14:33 ID:EBXG/xtD
>>604
武功20回で大名www
616人間七七四年:2010/06/07(月) 20:22:57 ID:ADrqbNso
>>615
武功20回って本多忠勝とかそのレベルだと思う。
617人間七七四年:2010/06/07(月) 20:26:24 ID:EBXG/xtD
>>616
だよねえ。後は武田四名臣とか。
618人間七七四年:2010/06/07(月) 21:04:15 ID:q6J7Tu5P
武功と感状って同じ意味? 采配御免とか意味は知らないけどかっこいいよね
619人間七七四年:2010/06/07(月) 21:11:12 ID:lwSO9LUE
>>618
采配ゴメンは推測するに、特別に指示を出さないので独自の行動を差し許すってことかな。
620人間七七四年:2010/06/07(月) 21:13:51 ID:KVvFfuE5
イチローがグリーンライト貰ってるようなもんか
621人間七七四年:2010/06/07(月) 21:25:19 ID:k4urIqNz
>>611
ヘッドハンティングってのは基本そういうものなんだが。
これまでの功績を鑑み、さらなる活躍を期待して、
今以上の収入待遇を餌に移籍を求める、と。
622人間七七四年:2010/06/07(月) 21:27:03 ID:maLmG5U5
舞台は本能寺。
攻め込んで来た明智勢に信長の近習たちが切り出た。
その中に矢代勝介なる者がいた。
明智勢「むっ!?お前は他の者たちとは違うだろう。早く逃げろ!」
勝介「ははは、笑止!」
明智勢の勧めを勝介は嘲笑い、ついに討死した。

勝介は関東から来た馬術家で信長に仕えたのはわずか数年だった。
しかし信長に目をかけられ、爆竹や馬揃えといった馬術家としての晴れ舞台を踏んだ。
少なくとも明智勢に織田の家来と思われていなかった勝介が信長に殉じたのは、
信長への恩義からであったのか。
623人間七七四年:2010/06/07(月) 21:38:07 ID:EBXG/xtD
>>618
感状=武功を称えるための、賞状みたいなもの。
武功があったからといって、必ず感状が貰えるとは限らない。

采配御免は、采配の使用が許されること。通常、足軽頭、侍頭以上になったときに許されるはず。
624人間七七四年:2010/06/07(月) 21:54:21 ID:OssFB6TM
>>622
爆竹って馬と何か関係があるの?
物音に驚かないようにするとか
625人間七七四年:2010/06/07(月) 22:02:27 ID:f1ikuyAg
爆竹=左義長=どんど焼
わかりやすくいえば、お祭りやね
626人間七七四年:2010/06/07(月) 22:04:19 ID:ADrqbNso
>>624
左義長って言う、正月15日に行われる火祭りの行事のこと。今でいうどんど焼きだね。>爆竹
天正九年(1581)の安土での左義長は、織田家の歴々が美々しく着飾り騎馬で爆竹を燃やしながら
走るという趣向だった。
627人間七七四年:2010/06/07(月) 23:08:24 ID:GBYVQui0
有名な逸話を省いた清正無双伝 その1

槍使として有名な清正だが、塚原卜伝系の剣術を塚原小才次から伝授されておりその腕は道場一と言われていた。
ある日町で市足久兵衛という者が酒に酔って暴れだした。
この久衛、腕はたつが酒癖が悪く、それが理由で出世が遅れていた。
久兵衛は刀を振り回し大暴れ。挙句に駆けつけた役人を斬り殺した。
役人も集まり久衛の拘束を試みるが逆に斬りつけられ手の付けようが無かった。

騒ぎを駆けつけた清正(15歳)は役人達の包囲を蹴散らして久兵衛と対峙すると瞬く間に久兵衛の刀を弾いた。

(゚Д゚)ポカーン としていた久兵衛はすぐさま包囲していた役人に捕らえられた。

この逮捕劇に秀吉も長浜の町も大いに感心して清正を称えたという。
628人間七七四年:2010/06/07(月) 23:43:04 ID:GBYVQui0
有名な逸話を省いた清正無双伝 その2
秀吉軍は因幡国鳥取城を攻めることになった。清正は蜂須賀彦衛門正勝と共に城の物見に出かけた。
正勝は裏手の門を調査するべくその向きを裏手に変えたが清正は正勝に意見した。

清正「城の裏手には森がありますよね?あそこには必ず敵が居ますよ。貴殿の様な老巧な方に拙者の様な若輩が差し出がましいのは
失礼とは存ずるがここは20又は30の手勢を率いて行くべき。」

正勝「はっはっはw君も若いな。確かに伏兵は居るかもしれないが私はこういう任は慣れきっているよ。大丈夫さ。」

っと二人で出発する事となった。

すると案の定、敵の伏兵30程に攻撃された。
清正は予め用意したおいた半弓を馬上からあらん限り乱射した。この乱射は強烈で、敵は攻勢に出ることが出来なかった。
矢が尽きると抜刀し敵陣に突入して一人を切倒し首を取った。このとき正勝も敵を一人倒し首を取った。

二人は無事に秀吉の陣まで帰る事が出来た。
秀吉「伏兵にあってよく帰ってこれたな!しかも敵兵を討ち取ってくるとは・・・・。」
正勝はおきた出来事を隠さず全て秀吉に報告した。
秀吉はこれに大いに感心し、
「清正は若年ながら目も心も利いた者よな、今日の功労、正勝に勝ること数などなるぞ」と言い、清正に砂金を与えた。

因幡国鳥取城を責め崩すべく着陣し、物見の為遣し候
伏兵起こりて候処、半弓を以て射退け、其上、太刀打之高名。
誠に以て神妙之至也。因って?に加増百石宛これを行わせ畢んぬ。
弥々軍忠を抽んずんば加増すべきもの也。仍て件の如し。

天正9年 6月29日
629人間七七四年:2010/06/08(火) 00:12:49 ID:6h20+uo+
有名な逸話を省いた清正無双伝 その3
さらに翌年天正10年3月備中冠城攻め。
清正は再度物見役として甲賀忍二名を連れて物見を始めた。
物見を始めて直ぐに飛び越せそうなくらいに壊れている壁を発見した。
清正それを見つけて何を思ったのか走って壁を飛び越えた。

゜゜(Д )゜゜(Д )っと見つめる忍びを尻目に清正大声で
「清正一番乗り也!!続け!!続け!!」と敵に向かって吠えた。

(゚Д゚)ハァ?(゚Д゚)ハァ?(゚Д゚)ハァ?(゚Д゚)ハァ?(゚Д゚)ハァ?(゚Д゚)ハァ?(゚Д゚)ハァ?

っと当然敵が40〜50程攻め寄せた。
忍びもまずいと思い清正と共に城内に突入して3VS40の壮絶な戦いが始まったが
内部混乱の隙を突いて味方が門を突破し清正等を救出した。

秀吉の感状以下の如し

天正10年3月17日備中国冠城攻め崩す刻一番乗り仕り。
槍を合わせ高名の段、粉骨の至也。褒美之領地重ねて下知行うべき者也。
以て感悦の状件の如し。

お ま え そ れ で い い の か ?
630人間七七四年:2010/06/08(火) 00:28:42 ID:lvQtal+a
>>627-629
大作乙
清正って基本的に、合戦でのスタンドプレー大好きだよねw
まあこの時代の、しかも低い身分から成り上がった武士だからしょうがないけど、
一般的にイメージされてる正々堂々の勇将とか、そういったタイプの武将じゃないよなーw
631人間七七四年:2010/06/08(火) 00:30:00 ID:6h20+uo+
有名な逸話を省いた清正無双伝 その4
山崎の戦いにて秀吉の護衛を勤めていた清正は秀吉より再度 「物見」 の任を受け高山右近隊の戦況確認に向かった。
高山右近、大いに苦戦しそこに明智方、伊勢与三朗の家臣、進藤半助が鉄砲隊2、30を引きつれきて戦況さらに悪化。
之を見た清正、鉄砲隊の前に躍り出て、
「 好 敵 手 ご ざ ん な れ !!」と吠える、と進藤半助答えて出るも一蹴される。

さて戦況報告と進藤の首を受けた秀吉だが浮かない顔で清正に尋ねた。
「(´д`)いやね、君には物見を頼んだはずなんだけど。どうして首を取ってくるわけ?」
清正答えて
「もとより自分は戦を 好 み ま せ ん  が敵が来て  挑  む  のでやむおえずしてこのような仕儀に至りました。」
秀吉之を聞き脇差を与えた。
以下感状
武勇心がけものの、手柄ものの若者とは汝たるべし。いよいよ武功をつくすべし。
6月13日

工エエェェ(´д`)ェェエエ工工
632人間七七四年:2010/06/08(火) 00:34:52 ID:qUHollVp
長可「俺も殺し合いとか好きじゃないけど敵が襲ってくるんで(ry」
633人間七七四年:2010/06/08(火) 00:36:25 ID:tExhQry2
勝成「わかるわ」
634人間七七四年:2010/06/08(火) 00:39:29 ID:QGW8lxqp
家久(悪)「は? 自分から勝負挑むとか基地外すぐるw」
635人間七七四年:2010/06/08(火) 00:42:24 ID:PT2DnPI9
久秀「将軍様を殺すつもりなんてなかったんだ!三人衆がやれやれ言うから仕方なく・・・」
636人間七七四年:2010/06/08(火) 00:50:58 ID:6h20+uo+
有名な逸話を省いた清正無双伝 その5
四国攻めにて清正は軍目付の任を経て芸州御手洗から伊予の三ヵ城へ上陸予定となっていた。
しかし上陸日暴風でとても船が出せるような状況ではなかった。
森本「あっちゃーこりゃ渡海なんて無理だなぁ」
清正「何言ってんの?戦いには機って物があるんだよ。その機って物を逃がしたら勝てるものも勝てない!今すぐ渡海する!」
飯田「ξ゚听)ξあんたこそ何言ってんのよ!素人が暴風雨で渡海なんて死にに行くようなものだよ!!」
清正「その昔、源義経は〜」

渡海が決まった。

長宗我部方の三ヵ浜城主徳居刑部3千はまぁお約束だけど完全に暴風雨から警戒を解いており
突如現れた清正軍1千に隙を突かれて敗走した。
その際、槍をとっては四国一と言われた徳居九部右衛門を突き伏せた。

勢いに乗る清正軍は道後に攻め入る。四国勢の五十路兄弟が抵抗するもそれらを完全に討伐した。
中でも焼山城攻略戦では四国勢で猛将と名高い金子伝兵衛が頑強に抵抗するも、お家芸の城の後方からの強襲で陥落させた。

伊予攻略に大いに貢献した清正のお話。
637人間七七四年:2010/06/08(火) 01:20:35 ID:6GXoq4Bt
戦の最中なのに、どうやって首級挙げるんだろう?

チャンバラごっこの最中に、敵のズボン剥ぎ取るみたいなもんだよな?
しかも命懸けだぜ?
638人間七七四年:2010/06/08(火) 01:33:45 ID:6h20+uo+
有名な逸話を省いた清正悲愴伝

1600年。清正の母伊都が亡くなった。その落胆には凄まじいものがあった。
「(´;ω;`)ウエーンー」
清正は過度とも思われる母思いであり、朝鮮渡海時や外征時には一刀三礼して母の像を刻して、礼拝を怠ることは一度もなかった程である。
速く父を亡くし、自分の面倒をみてもらい、さらに自分を太閤にまで引き合わせてくれた母には感謝しても仕切れないという思いがあったのだろう。
酷く落ち込む清正だったが直ぐに一報が届く。

関ヶ原の戦いである。
清正「大友討伐するぞ!出陣だ!」
如水「もう倒しました。島津に備えてた方が良くね?」
清正「うっ・・・・じゃあ小西の宇土城攻めるわ・・・。」
飯田「ξ゚听)ξあんた昔(九州征伐時)宇土城周辺は湿地帯の沼地で深入りは危険って調べたでしょ!軽く包囲して出方を見る!OK?」
清正「ぐぅ・・・なら海軍を使って後方かく乱を・・・。」
森本「梶原助兵衛討ち死に!!!」
清正「げぇ!?゜゜(Д )」

関ヶ原の戦いは西軍の大敗で決着がついた。
さて九州で旗色の悪い立花家の為に清正は奔走する。そしてひとつの計画を立案する。

清正「立花君!立花君!君が忠を重視して西軍についたという事はきっと誰もがわかってくれるよ!
でもやっぱり心象が悪いよね。そこでこの計画なんだけど・・・ 島津家討伐! これだよ!」
宗茂「えっ?」
清正「立花家が先鋒で島津家に攻め入るんだよ!そうすれば立花家も安泰!!
大丈夫!軍は加藤家が全面的にバックアップするから!!!」
宗茂「はぁ・・・そうっすね・・・(島津とは一緒に帰ってきたんだけど・・・・。)」

後日

家康「m9(^ω^)おめぇの戦ねぇから!!」
清正「阿/^o^\山」

1600年の清正、いろんな事が不発で終わった不幸な年であった。

>>632 >>633 >>634 >>635
清正「貴方達とは違うんです(キリッ」

以上清正の少しひゃっはー伝でした。いやまぁこの時代どの武将もこんな物とは思いますけど。
少しでも清正の美化されたイメージがぶち壊れれば幸いです。
ちょっぴりひゃっはーちょっぴりマザコン。清正伝でした。
639人間七七四年:2010/06/08(火) 01:49:12 ID:uf6I53/L
宗茂さん、清正や正則が何か企んでたら俺になんか言ってくるだろうから
そのときは刺し違えても止めてあげますよって家康に答えたって話があったね

640人間七七四年:2010/06/08(火) 02:21:23 ID:9ZXiCH7W
>>627
大作乙。
清正って剣術もできたの?

司馬遼太郎のマイナーな小説で
清正が京の吉岡を呼んで剣術を初体験して、道場と戦場の勝手の違いを知るエピソードが載ってたから
彼は剣術槍術の類は素人なんだとずっと思ってた。
641人間七七四年:2010/06/08(火) 02:25:24 ID:545JDWLi
>>636
ソースは清正実記だと思うけど誤字大杉だろ

三ヵ城→三津ケ浜城
道後→洞古
九部右衛門→九郎右衛門
五十路→五十路井
642人間七七四年:2010/06/08(火) 06:49:06 ID:0ZbYgOQt
>>637
大抵、武将は従者とユニット組んで戦う。
首を獲る時は、片方が警戒する。
643人間七七四年:2010/06/08(火) 09:53:14 ID:hPNjulmP
細川家が、統治しやすくするために、
過度に清正持ち上げたところもあるしねえ。
細川家一同
「いやーすごいなー清正公立派だなー。
そんな立派な清正公の薫陶厚い民だもの、
もちろん幕府の命にはしっかり従ってくれるよねー。
清正公の名前に泥を塗るヤツなんていないよねー」

正直戦闘民族島津の抑えだけでも大変なのに、
さらに熊本藩の領民にまでそむかれちゃやってられんというに。
こっちゃ死ぬ覚悟で熊本城入城したのよ。
    
644人間七七四年:2010/06/08(火) 13:30:28 ID:7PgziLOD
>>642
では基本、主人と従者何人か同士で戦って
やられた主人が首級をあげるって事か。

時代劇ではあんまり見れない光景だよね。
645人間七七四年:2010/06/08(火) 13:45:05 ID:vD4he6kK
>>644
絵にならないのでしかたあるまい
646人間七七四年:2010/06/08(火) 14:23:22 ID:O3RdcuwC
>>644
姉川で青木一重が真柄直澄を討ち取ったシーンでは、
真柄は従者とはぐれて1人だけ、青木は50人くらいいた気がする

山岡の「徳川家康」では2人(+50人)とも正々堂々渡りあって
なんか美しく終わってた気がする
647人間七七四年:2010/06/08(火) 14:52:45 ID:0ZbYgOQt
>>644
白兵戦になれば後ろからも襲われたりするんだし、現実的では。
それなりの身分になれば従者くらいいるだろうし。
648人間七七四年:2010/06/08(火) 15:47:03 ID:cVBRuX8t
>>644
評判良いとは言えない「利家とまつ」だが
利家は村井長頼と二人掛かりで敵の大将を倒し
織田家の帰参を許されたエピがあった
649人間七七四年:2010/06/08(火) 15:49:31 ID:vEmCVPRO
それ大河ドラマのエピソードじゃなくない?
650人間七七四年:2010/06/08(火) 15:58:19 ID:cVBRuX8t
違ったっけ?その敵の大将役は元ラグビー日本代表の大八木で
戦いはまるでロードオブザリングのトロル対ホビット達のようだった
二人掛かりでもあまり卑怯には見えないという演出だったかも
651人間七七四年:2010/06/08(火) 16:51:41 ID:Kmq1Vvdr
首を取った家はある程度加増が見込まれるでしょう?
取られたその辺の大将の家は、減俸とかするの?
652人間七七四年:2010/06/08(火) 17:21:06 ID:lvQtal+a
>>651
討死もそれはそれで武功。所領は基本的にそのまま嫡男、もしくは跡継ぎに引き継がれる。
ただ嫡男が幼かったり跡継ぎがいなかったりした場合、所領の削減、もしくは没収はありえた。

ただ、戦国大名はどこも共通して、討死した者の家に対して出来る限り丁重に扱った事は
覚えておくべき。
653人間七七四年:2010/06/08(火) 17:23:39 ID:gN3Pb7G+
死んだら減封とかなら、命掛けの働きなんてバカバカしくて誰もしなくなるわな
654人間七七四年:2010/06/08(火) 18:27:51 ID:Kmq1Vvdr
そしたら加増する度に、大名自身の所領が減るの?
帳尻合わない気がするんだが、、、
655人間七七四年:2010/06/08(火) 18:38:07 ID:lvQtal+a
>>654
「加増」というのは土地に限ったことではなく、給金とか色々な利権とか、そういったものもあった。

家康の徳川家は三河時代からそう言うのは割合先進的で、直轄軍である旗本には所領は
与えられず、ほぼ完全に給料制だったらしい。なのでこれらへの「加増」は、「給金アップ」と
言うことだった。
本多忠勝とか榊原康政なんかも、家康が五カ国太守になる頃くらいまではサラリー武将。
656人間七七四年:2010/06/08(火) 18:39:58 ID:lvQtal+a
あ、「給料」っていうのはもちろんマネーのことじゃなく「給米」ね。
徳川家の管理する蔵から米が与えられていた。
657人間七七四年:2010/06/08(火) 18:55:20 ID:O3RdcuwC
>>655
その本多忠勝も、親父の平八郎忠高が主君(広忠)の身代わりとなって死んだから、
家康から好待遇を受けてるよね
まあ幕府を開く前だけだけど
658人間七七四年:2010/06/08(火) 19:07:42 ID:fhpeyziB
>>654
だから、戦国大名は版図を拡げるために戦争を続けたんだろう。
茶器や武具を恩賞としたのも自分が痩せないための工夫だっただろうし。
659人間七七四年:2010/06/08(火) 19:31:17 ID:VIiRNq4E
>>652
太平洋戦争時でも、戦死したら相続税は免除だったらしいね
660人間七七四年:2010/06/08(火) 19:46:21 ID:gN3Pb7G+
>>654
武士は本領安堵してもらう代わりに、基本ただ働きなのです。
ただし新領土を得ればおこぼれがもらえます。
大名はただ働きがいやなら、もっと働いて領土とるのに協力しろといいます。
一方部下は、領土取れないような無能大名や、けちな大名はいやなので他に移るといいます。
だから拡大路線の戦国自転車操業なんです。
661人間七七四年:2010/06/08(火) 20:02:59 ID:3KF2YFF3
新田開発とかじゃダメなのかなぁ(′・_・`)
662人間七七四年:2010/06/08(火) 20:11:37 ID:9ZXiCH7W
現代人には感覚として分かりづらいんだけど
どうして土地が金や米に比べて喜ばれたのかというと、
土地というのは、自分の家の子孫に対して、未来永劫に食べ物と住む場所が保障されるという証明なんだよね。
だから、命懸けで守ったり、奪い取ったりしてきたわけだ。
663人間七七四年:2010/06/08(火) 21:08:38 ID:wZ/ZtC42
>>661
農業を少しでもかじったことがある人間なら、新田開発ってそう楽な物じゃないよ?

はっきり言えば「ちゃんとした田んぼや畑を作るのに2〜3年掛かる」
(もちろん現代の話、戦国時代ならもっともっと時間かかっただろうし)

・土がちゃんと画一的に栄養が行き渡らないといけない
・地面が傾いていればちゃんとそれを直さないと水はけが悪くなる
・地面や農道を作るのも

つまり、土いじりから安定した田んぼや畑にするのには時間かかる、ものすごく。
しかも今と違って虫やその他の駆除とかでめがっさ苦労しまくりだし。
それを「基本人力のみ」でやるって、すごいよ?

で、新田開発って、基本上(豪族や大名)の人間がすることで、
↑でも言ったとおり数年は収益プラマイ0で我慢しなけりゃならんのに、
支出(新田開発で掛かる人件費)が割合多く、基本マイナスからのスタートなので、
新田開発は、地盤が固まった方がやること。
短期的に見れば、「奪ったほうが早い」んです。
664人間七七四年:2010/06/08(火) 21:16:29 ID:0ZbYgOQt
>>661
新田開発は時間も金もかなりかかる国家プロジェクトになる。
さらに、農業の技術者、治水の技術者等、専門家がいないと難しい。

「よしやってみるか」で、できるもんじゃないと思う。
665人間七七四年:2010/06/08(火) 21:56:10 ID:3KF2YFF3
庄屋さまではダメなの?
666人間七七四年:2010/06/08(火) 22:06:12 ID:1qKIaC9b
でもまぁその開発をやらないと人口も生産性も上がらないしな
667人間七七四年:2010/06/08(火) 22:12:04 ID:atg6N603
>>664
大げさ。戦がなくて暇な時期なら何処でもやってるよ。
668人間七七四年:2010/06/08(火) 22:51:45 ID:wZ/ZtC42
>667
開墾程度の事業ならそうだが、新田開発となるとこれはもう>>664の通り「巨大事業」なのよ。
しかも「この土は富んでいる(痩せてる)」ってのが分からなければ、
新田開発しても「巨額の資金投入しても回収できず結局失敗しました」じゃすまないしね。

物理的に新田開発できない場所もあるし。
669人間七七四年:2010/06/08(火) 23:00:24 ID:HCaKBVwj
内政やるくらいなら他国の領土を分捕った方が早い
670人間七七四年:2010/06/08(火) 23:01:32 ID:lvQtal+a
大規模な新田開発は結局、徳川幕府という強大な安定政権が出来るまでは無理だった。
そのかわり一旦新田開発が始まるとものすごい勢いで全国の土地が開拓、開墾、改良され
日本のそれまでの風景すら変わるほどの国土改造が行われた。
671人間七七四年:2010/06/08(火) 23:10:16 ID:DjvndABX
奪ってOKだった場合、余所が汗水流して整備したところを奪ったほうが早いし確実。
現代のアフリカあたりでもよくある話らしいし>収奪万歳
幕府の許可なく争えない、土地を奪われないって社会保障がついたのが大きいんだろうなあ。
672人間七七四年:2010/06/08(火) 23:10:36 ID:O3RdcuwC
>>667
田んぼにできそうな平地と水路があればいいけど、
林や丘を切り崩したり、沼地を埋めたりなんて個人ではできないよ
673人間七七四年:2010/06/08(火) 23:41:37 ID:zMh4yBk0
四国統一を達成したのが土佐の長宗我部なのも四国内で圧倒的に農業生産も商業経済も貧弱だったからってのをどこかで読んだな。
瀬戸内側は経済的に安定していた地域なので、わざわざ土佐を領土にするメリットがなかったけど、土佐側は生き残るために収奪する必然性があったと。
674人間七七四年:2010/06/08(火) 23:50:20 ID:JQqfSFnG
というか、新田開発ってのは水利権SAN値利権も含めて広範囲な地域にまたがる大事業になるので、
広大な統一政権なしにやろうとすると必然的に戦争が起こるだけ。

あと江戸時代初期に乱開発しまくった結果、各地で洪水山崩れなどの災害が頻発するようになり、
家綱の頃には無計画な開発の制限と自然保護の命令が出るようになった。
675人間七七四年:2010/06/08(火) 23:57:51 ID:i+VDqY0Z
>>674
「SAN値利権」って・・・いあいあ好きの方ですか
大ダコや半魚人や水没都市が出てくる話ってないのかな
676人間七七四年:2010/06/08(火) 23:58:01 ID:Nd6a7Nfw
言いたい事は分かるんだが正気度利権になってるぞw
677人間七七四年:2010/06/09(水) 00:04:32 ID:YRoQSAfj
大ダコは過去に出てたな。誰だったか、中村一氏さんだっけ?
678675:2010/06/09(水) 00:10:00 ID:vhPydHFL
>>677
おかげで見つかった、ありがとう
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-468.html
半魚人はないか、人魚なら八百比丘尼が出てくるんだけど
679人間七七四年:2010/06/09(水) 00:47:35 ID:roabuxQU
堺の柴山両賀・勘兵衛親子は、何艘かの船と土蔵を所有する「プチ小西家」的存在だったが、行長の影響を受けたか
「武士として良き大将に仕えて死にたい」と考えるようになり、豊後岡領主・中川秀成への仕官に成功した。
秀成は新参の柴山親子を厚遇し、知行として別府湾に浮かぶ瓜生島一千石を与えてくれた。

文禄になると、両賀は秀成に従い朝鮮へ従軍。身重の妻を持つ勘兵衛は留守を守ることになり、文禄5年(1596)7月、
妻は無事に一児を出産した。

異変が起きたのは、7月12日午後のことである。
突如、激震が走ると海水が見る見るうちに干上がって行き、島は別府湾と地続きになるほど異様な引き潮が発生。
それが止まると、今度はどんどん水位が上がって行った。

驚いた勘兵衛は、妻に赤子を抱かせると、自分は手槍と両刀、家系図等を納めた箱を持って天井裏に登った。
だが、天井裏もたちまち水浸しとなったため、脇差で茅葺きの屋根を斬り破り、屋根の上へ逃れた。
水位はさらに上がっていったが、幸いにも建造中の船板が流れて来たので、そちらに乗り移って助かった。

しかし、船板も引き潮に巻き込まれ、勘兵衛一家は沖へ流されるばかり。一家は何度も波に呑まれそうになった。
ようやく波風も落ち着いてきたころ、勘兵衛に気づいて船を寄せてくれる者が表れ、一家は今都留に上陸した。
しばらくすると、無事だった柴山家の家臣たちも合流し、勘兵衛夫妻は助かったが、生まれたばかりの子は
環境の変化に耐えられなかったか、息を引き取った。

主君・秀成は留守番に降りかかった不幸を思ってか、柴山家は新たに今都留の浜を領地として授かり、
勘兵衛自身は、中川家の船奉行に任命され、災難を払拭したという。


いい話ではないかもしれんが、一応スレの流れ上こちらに。
680人間七七四年:2010/06/09(水) 08:20:54 ID:uUpySfdc
7万石そこそこの中川家で町人にいきなり千石くれるんならすごいな…と思ってたら、
柴山さんって旧幕臣だし金もあるしでタダ者じゃなかったんだな
681人間七七四年:2010/06/09(水) 09:26:04 ID:sr2jTNxq
まぁ、土地が痩せてたり気候が厳しいとことかは、兵隊さんも強かったりするしね・・・
682人間七七四年:2010/06/09(水) 18:42:27 ID:daQXPwh2
>>679
瓜生島伝説って島だった説と岬だった説があるけどどっちなんだろうね?
この話の限りでは島で間違いなさそうだけど。
683人間七七四年:2010/06/09(水) 18:50:28 ID:j325ok+n
まんが日本昔ばなし「瓜生島とえびすさま」

http://www.youtube.com/watch?v=TM8_FVrUc74
684人間七七四年:2010/06/09(水) 18:56:39 ID:S/FgfAzh
正気度利権w
まあ戦国以前に、荘園拡大祭りあたりの段階で、あまり手をかけずに
開墾できそうなところは殆ど開墾されてたんじゃないかという気もする
なんとなく
685人間七七四年:2010/06/09(水) 19:25:23 ID:6Edc46Y/
あるいは島と一緒に沈めばルルイエにいけたのではないか
686人間七七四年:2010/06/09(水) 20:09:50 ID:kHSGsWv+
あるとき、徳川義直少年はお弁当を作らせていました。
これから鷹狩りに出かけるのでランチにしようというのですね。
おっと、お父さんの家康さんがやって来たみたいですよ。

家康「坊や、何をしているんだい?」
義直「はい。お弁当を作らせました」
家康「おお、そうかそうか。お弁当かあ。



Back come on!!
野宿上等の武士が弁当なんか作ってんじゃねー!!」

おやおや、義直くん怒られてしまいました。
この後、義直くんは疲れて休んでいると家来の人がやって来ました。

家来「お疲れでしょう。この焼き飯でも召し上がって下さい」
義直「あっ!?そういうのはダメだって父上が言ってたぞ!」
家来「はっはっは。大殿さまは『腐らない口糧にせよ』と仰りたかったのですよ」
義直「・・・・・・」

そういうオチだったんですね。
きっとこうして徳川家のめんどくささは受け継がれていったのでしょうめでたしめでたし。
687人間七七四年:2010/06/09(水) 20:13:42 ID:RmJYMvP5
ちょっとだけ開墾しても、軍隊に踏み荒らされて元の荒地に戻っちゃう。
百姓も新田開発なんて馬鹿馬鹿しく見えて、やる気にならなかっただろうな。
開発するくらいなら、逃散や飢死・病死・戦死で、そこら中にある休耕田を耕してたほうがよっぽどマシだった。

開墾なんて、所詮平和な時代の発想だ。
688人間七七四年:2010/06/09(水) 20:17:17 ID:sPOu5yAH
本気で捕りに行ってるのなら、荒らさないよなぁ?
689人間七七四年:2010/06/09(水) 20:19:26 ID:RmJYMvP5
>>686
まぁ、当時の『弁当』だから、今のケータリング頼むようなものだったんだろうな。
倹約家で、戦場では可能な限り身軽にするよう心掛けてた家康には、絶対に許せない所だね。
690人間七七四年:2010/06/09(水) 20:38:54 ID:RmJYMvP5
>>688
言わんとすることは分かるが、それも現代人の発想だよ。

「城を本気で取りに行ってるのなら、(城を)破壊しないよなぁ?」
と、言ってるようなものだ。
691人間七七四年:2010/06/09(水) 20:43:03 ID:Xs3bpVMc
>>686
立花宗茂「???腐る前にお弁当全部食べればいいじゃん。もちろん戦陣でも。」
692人間七七四年:2010/06/09(水) 20:48:45 ID:AS9oK0jJ
吉川広家「今、弁当食べてる最中」
693人間七七四年:2010/06/09(水) 20:50:23 ID:+r6mneRs
上杉謙信「酒と塩さえあれば、それで十分」
694人間七七四年:2010/06/09(水) 20:57:02 ID:uvh/uZtW
宇喜多さん家のあの人「皆さんお茶ドゾー」
695人間七七四年:2010/06/09(水) 21:10:29 ID:eDy/G+WH
旅の途中、小田原に立ち寄ったある高僧が氏康に言った。
「河越での戦いといい独自の善政といい、あなたは文武に優れた名将だと
他国でも知れ渡っていますよ。本当に素晴らしいことです!!」

対する氏康は、
「それらは私の功績ではありません。私の手となり足となり働いてくれた
家臣たちの功績です。褒めるならその者たちを褒めてあげてください」

僧はそれを聞いて、氏康の謙虚さに感心するばかりであったとか。
696人間七七四年:2010/06/09(水) 23:32:34 ID:4n0VcB4G
>>689
身軽なお陰で婆さんに追いかけられたりしてるけどなw
697人間七七四年:2010/06/09(水) 23:37:04 ID:vNJHUVxE
そして相変わらずつまらない優等生な受け答えをする北条さん
698人間七七四年:2010/06/09(水) 23:55:51 ID:mtMp3Dhw
大大名が増える戦国時代後期は新田開発もかなりの勢いでやってたがな
おかげで総人口が2割方増えてるし
100年で推定石高2倍の初期江戸時代にはさすがにかなわないが
699人間七七四年:2010/06/10(木) 00:06:35 ID:IIPoCnbL
686の家康の件は戦の練習も兼ねてるからまだ解るんだけど
氏康が氏政に怒ったと言う味噌汁の逸話の件はどうなんだろうか・・・
ただ単に味噌汁を多く飲みたくて好みで何回か入れたんじゃないだろうか?
だとしたら無作法かもしれないが無能扱いの氏政かわいそうな気が・・・・
700人間七七四年:2010/06/10(木) 00:09:31 ID:D+aWVsqZ
>>699
汁かけの話は氏政に限らずいろんな武将に似たような逸話が有る。
後世作られた創作ですよ。
701人間七七四年:2010/06/10(木) 00:13:01 ID:VK09JOSv
なんでこの逸話ってこんなにバリエーション豊富にあるんだろうか?
「ハーメルンの笛吹き」じゃないけどもしかしたらこの逸話の中にある歴史的真実が…!?
702人間七七四年:2010/06/10(木) 00:25:09 ID:L/GIMNIr
牛乳は噛んでから飲め、みたいな?
703人間七七四年:2010/06/10(木) 00:33:25 ID:oVlGKqj7
ハーメルンの笛吹きはドイツ騎士団の東方植民説か
少年十字軍説だっけ

無理やり伝説を捏造すると
「これじゃ飯が足りんな」と思って、落とした米粒を拾い、田原藤太秀郷から見放され、
殺された平将門の怨霊がなぜか氏政にとりつく。
飯に飢えていたのかわざと飯を多く盛らせて
汁かけの話になる→北条滅亡
704人間七七四年:2010/06/10(木) 00:49:54 ID:MsLzuQhw
「皮の厚さ一尺の鮭があれば、国と取り替えても惜しくない」
こう言ったとされる大名も、全国的にいる。
前田、水戸・・・
705人間七七四年:2010/06/10(木) 00:50:32 ID:L/GIMNIr
ハーメルンの笛吹きはマスターキートンの種痘説を思い出す
706人間七七四年:2010/06/10(木) 00:59:05 ID:+cyjqIk7
人攫いの伝承も世界的だしなぁ。俺の子供の頃、夜中騒ぐと親が「騒ぐと人攫いに連れて行かれる」と言われたもんだw
707人間七七四年:2010/06/10(木) 01:01:13 ID:EqpGFHMU
???「ほぅ、聡明そうな子だな。養子にするので連れて行くぞ!」
708人間七七四年:2010/06/10(木) 01:10:43 ID:oVlGKqj7
イタリア「悪いことするとハンニバルがくるぞー」
江南「泣いてばかりいると張遼がくるぞー(遼来々)」
日本「悪いことするとむくりこくり(蒙古高麗)がくるぞー」
709人間七七四年:2010/06/10(木) 01:15:52 ID:D+aWVsqZ
>>708
高知以外の四国三県「泣いてばかりいるとチョウスガメが来るぞー」
710人間七七四年:2010/06/10(木) 01:33:19 ID:+cyjqIk7
>>708
半島は石曼子が来るだっけか?
711人間七七四年:2010/06/10(木) 03:50:57 ID:XKRVIyN3
チェチェン人が来るぞー!
712人間七七四年:2010/06/10(木) 08:34:40 ID:MsLzuQhw
伊勢人「ガモウジ(蒲生氏)が来るぞー」
713人間七七四年:2010/06/10(木) 08:55:45 ID:uuy7cq01
>>710
石曼子って中国語読みだよな確か
714人間七七四年:2010/06/10(木) 09:07:16 ID:9H2gbuk/
半島じゃあ、ラスボスを除くと清正が一番有名だな。
715人間七七四年:2010/06/10(木) 10:17:50 ID:csKr/DAp
>>698
戦国時代後期は、それに加えて、
灌漑というか治水技術の向上もなかったっけ?
織田が急激に力を伸ばした要因の一つに、
今までは使えなかった流域部分を、
豊かな農地にできたのもあったとか。
716人間七七四年:2010/06/10(木) 10:19:02 ID:fw42g3/T
>>700
案外、すべてが創作じゃないらしいよ
戦国期の大名たちに汁かけ占いってのが流行ったって民明書房の本に書いてあった

>>707
道雪さん何をしてはるんですか?
717人間七七四年:2010/06/10(木) 10:19:08 ID:csKr/DAp
細川家「殿が来るぞー」
718人間七七四年:2010/06/10(木) 10:26:28 ID:FUuxbz7K
>>713
「シマヅ」の音に近い字を当てはめた。
その後『石曼子』と書かれた魔よけのお札が出回ったらしい。
719人間七七四年:2010/06/10(木) 13:03:38 ID:aT5ogL1h
>>716
そっちの人ならいいが鬼武…
720人間七七四年:2010/06/10(木) 22:46:13 ID:NfqAiUjE
既出の話だが、まとめにあるのは短すぎるので、補足、相違
点を交えてまとめ、再度紹介したいと思う。 この逸話は大好きなので
許して欲しい。
関ヶ原での挙兵相談を三成から聞かされ、勝算少なしと思いながらも、
義を選んだ吉継の頭にはきっとこの時の事がよぎっであろう。

「茶会での友情・刑部の涙」

石田三成と大谷吉継は幼少の頃から、秀吉に小姓として仕えていたため、
知己を交わし互いを「佐吉、紀之助」と幼名で呼び合う仲であった。
知勇兼備にて秀吉の覚えめでたい吉継の将来は、順風満帆に見えた。
しかし吉継は重いハンセン病に罹い、悪化するにつれ公務以外は内に
籠もる事が多くなった。 そんなある日、秀吉から諸侯を招いた茶会の
招待状が届いた。醜目を晒す事に気乗りしない吉継ではあったが、
主君から直々の招待とあっては断れじと重い腰をあげた。
さて、厳かに茶会は催され、気分を良くした秀吉が自ら茶をたてそれを
廻し飲む事になった。 吉継の病の事は衆知の事であったので、一座に
微妙な空気が流れた。吉継は脂汗をかきながらこの場をどう凌ぐか
思案してる間に、自分の順番が廻ってきた。 「それがしは結構」とは
言えず、吉継は飲むふりだけをして次の増田長盛に腕を渡そうとした所、
安心して気が緩んだのだろうか、茶の中に鼻水がポトリと落ちてしまった。
座席のものがそれを見、既に飲み終えたものは安堵し、未だの者には緊張が
走った。特に次に控える長盛は青くなり、吉継は恥ずかしさ惨めさに
真っ赤になった。 さりとて、中断する訳にもいかず長盛は口をつけないように
飲むふりをし次に廻したので、皆がそれに続いていくかと思われた。
しかし、このままだと問題が起きる。秀吉自らたてたありがたき茶が、
万座を廻したあとに波々と残っていたら大変無礼な話である。
そこへ一人立ち上がり、茶碗に向かって進みよる者がいた。三成である。
「其れがし喉が渇いて渇いて仕方ありませぬ。とても順番まで待てぬ、
失礼仕る」と、腕を奪い取りグビグビと飲み干した。 一同唖然と三成を仰ぐ中、
「やや!これは失念、あまりの渇きと茶の美味さにすべて飲み干してしまいました。
すぐに代わりを」と言い、側の者に代えを所望した。
その際、わざと茶碗を落とし「失礼いたした。皆々様に転げた茶碗では
恐れ多い、お取替えを。」
と腕も交換させ、恙無く茶会は終了した。
その際、わざと茶碗を落とし「失礼いたした。皆々様に転げた
茶碗では恐れ多い、お取替えを。」と腕も交換させ、恙無く茶会は終了した。
事の顛末に一同は安心顔、ご満悦なラスボスはニッコリであったが
一人だけ例外がいた。
吉継は茶会終了後、急ぎ屋敷に立ち戻り家人を下がらせ戸を塞ぎ、
寝所で男泣きに泣いた。そしてこの時に誓ったのである。
「左吉のためならば、この命如何様になりとて惜しくはない!」
これが後々三成との友情をさらに深め、関ヶ原での粉骨砕身の
働きに繋がるという、二人のいい話。
721人間七七四年:2010/06/10(木) 23:10:05 ID:TKK8kWc+
>>720
ずいぶん装飾されたバージョンだな

ちなみに確認できる一番古い出典のものでは、鼻水→病の為の血膿が鼻水として垂れた、で
茶を飲んだのは三成ではなく秀吉。隣にすわってた人物の名前などは出てこない。

あと鼻水が垂れた事は誰にもバレてないよ。
バレてないけどそのまま回すわけにもいかず、どうしようかと焦っていたところ
それを人知れず秀吉or三成だけが気づいて、上手くいい訳して順番とばしで飲んでくれたため、
失態にならずに助かった、という話なので
バレてたらその時点で失態丸出しなので秀吉or三成がフォローする意味がないから。
722人間七七四年:2010/06/10(木) 23:17:09 ID:meH9TQZb
まあ、いいんじゃないの?
まとめにあるのが簡潔だからってことなんだからむしろもっとも装飾されたものが出てきたほうが。
フォローに関しても刑部の失態のフォローではなく茶会を円滑に進める(無理矢理でも無事に終わらせる)ためのフォローだと思えば成り立たなくはない。
723人間七七四年:2010/06/10(木) 23:28:26 ID:lrOw3eY5
そこに居合わせた福島正則、加藤清正たち
「茶の湯の作法なんて知らねーぞ・・・そうだ、癪に障るが石田たちの真似しよう」
石田が鼻水ズズー
いやいやながら真似をして鼻水入れたり、それを飲んだり
後で細川忠興から笑われ、三成を逆恨みしたことがのちの七将襲撃につながるのであった

↓落語「荒大名の茶の湯」の改変
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2990.html
724人間七七四年:2010/06/10(木) 23:28:31 ID:TKK8kWc+
装飾されてんのはいろんなバージョンがたくさんあるからいいんだけどさ、
鼻水垂れたのが周りにバレてるのに回してたら、
刑部がずいぶん面の皮の厚い人になっちゃうなと思ったんで
元々はバレてなくて、隣に回せず困ってたって部分だけ訂正したかったんだ。
そんだけ、すまん。
725人間七七四年:2010/06/11(金) 00:11:02 ID:7w0XvRAU
秀吉「今日の茶は塩味が効いて珍味じゃのう」
726人間七七四年:2010/06/11(金) 00:12:00 ID:3nTsUtOr
鮭様とシスコンと

伊達家に残された鮭様の手紙がある。
妹、義姫当ての手紙の一文である。

「偽りは侍の道にあらず」

|ω・`) 「偽りって人の為だよね・・・」 になるのか

それとも

|ω・´)「計画通り!」 になるのか

直訳すると
「謀事は常識外れだ」になるんだけど

お兄ちゃんの事だから
「自分に嘘をついちゃいけないよ」って
シスコンを自己弁護する手紙で良いんだろうか?
727人間七七四年:2010/06/11(金) 00:20:20 ID:Sy2JLVB1
>>726
奥羽永慶軍記だっけ?
鮭様が、「味方をだましてはいけないよ」という、当時としては革新的な軍法を定めたのは。
728人間七七四年:2010/06/11(金) 00:37:01 ID:7w0XvRAU
そんなんじゃ高禄の家臣じゃなくても内通者がいたら作戦とか駄々漏れじゃね?
729人間七七四年:2010/06/11(金) 10:02:33 ID:OJasG42C
嘘はついてないよ!
事実を一部伏せて伝えただけだよ!

ってのは騙したうちに入るんだろうか
730人間七七四年:2010/06/11(金) 10:32:11 ID:VN3q0kWg
武略にござる。
731人間七七四年:2010/06/11(金) 11:22:08 ID:uzl+sw1p
隆景がやる→武略
官兵衛がやる→知略
秀秋がやる→騙し討ちか、所詮卑怯者は…
大関がやる→きたないなさすが大関きたない
732人間七七四年:2010/06/11(金) 11:25:32 ID:E93kT/Kn
忠興がやる→お玉ちゃん絡まないと有能なんだよな三歳様……
733人間七七四年:2010/06/11(金) 12:01:49 ID:AQCnOtKv
>>721
逸話であるものを、最古の出展はこうだ!メンバー違うだろ!
とか歴史検証でもしたいかの様な言いようだが、何が不満なんだ?
鼻たれても、回していくパターンもあるんだから
それじゃ意味がないとか訂正したかったとか
どんだけ自己認識中心で押し付けがましいんだ。
734人間七七四年:2010/06/11(金) 12:43:39 ID:oC8we4PG
落ち着け
735人間七七四年:2010/06/11(金) 14:16:20 ID:HlvhUHxg
まぁ「こんなパターンもありますよ」でお終いにしておけば良かったよな
>>733の言いたい事も分かる
736人間七七四年:2010/06/11(金) 15:50:25 ID:xIcTfLeS
心底どうでもいい


喧嘩は両成敗でござる
737人間七七四年:2010/06/11(金) 18:55:19 ID:OFIL91YB
徳川家康を祀る日光東照宮。ここには大量の彫刻が施されているが
これらは一つの統一されたテーマによって構成されている。

獏(バク)の彫刻は金属を食べている。金属とは「武器」の事である。
麒麟の彫刻は仁愛を表す。
白澤(はくたく、中国の伝説の聖獣)は徳の実践を表す。

子供たち(唐子)は人間としての生き方を
猿は人の育て方を
鳥や猫は泰平の世の中を表す。

つまり日光東照宮とは、ただ家康を祀った建物というだけではなく

『武器の必要の無い世の中にしよう。仁愛や徳にあふれた世の中にしよう。
子どもたちを大切に育て立派な大人に成長させられる、平和な世の中にしよう。』

と言う、幕府の政治の理想を表現した建物なのである。

徳川幕藩体制が確立したと言われる徳川家光の時代、為政者達は
こんな世の中を作ることを理想としていた、と言うお話。
738人間七七四年:2010/06/11(金) 20:02:33 ID:nX26FWXG
まあ勝ち組の上から目線だよな
739人間七七四年:2010/06/11(金) 20:09:51 ID:3GuS74T8
天ちゃん、そんなこと考えながら余生を送っていたのかあ
740人間七七四年:2010/06/11(金) 20:13:04 ID:IChcrZBA
天さんの晩年や余生は何歳からなんだ
741人間七七四年:2010/06/11(金) 22:19:27 ID:44tJLEsg
伝承で、昔読んだ本なんで証拠を出せと言われても
本のタイトルも忘れたんであくまで「逸話」として読んでほしい。

「主水の首のはなし」

上方で天下分け目の合戦が行われている頃、
ここ奥羽の地でも上杉と最上と言う大名の間で合戦が行われていた。

上杉は米沢と庄内を中継する領土としての山形を狙い、
最上は降り掛かる火の粉とでもいうべき上杉を追い返そうと必死だったそうな。

上杉方の大将は天下の陪臣直江兼続。
対する山形の大将は殿様自ら先陣が好きな最上義光。

最上は上杉に味方する素振りを見せ
支度金までせしめていたから余計に直江を怒らせたらしい。

直江は3万もの兵を率いて守将2千足らずの長谷堂城を包囲した。

ここで話は数日前に戻る。

最上領民「上杉が責めて来るそうな」
別な領民「最上の殿さまったって相手が上杉じゃ大人と子供のけんかのようなものじゃて」

最上義光は精鋭1500を長谷堂に送り
身代2000は老兵や農民しかいなかった。

義光「上杉からせしめた金もあるし、どれだけの浪人が雇えるかどうか・・・」

支度金を出すとの触れに浪人100人ほどが山形城に顔を見せた。

最上家臣「ちゃんと並んで、記帳したものから支度金を与える。ん?お主さきほども並んでおらんかったか?」
浪人「(汗)い、いいや、わしゃはじめてだがな!」
最上家臣「嘘をつけ!先ほども見たぞ!」
喧々囂々としてるところに義光が顔を出した。
義光「どうしたんだ?騒々しい」
最上家臣「いえ、こやつが二度も支度金を取ろうとするもんですから」
義光「本当か?」
浪人「い、い、いえ、滅相もございません(汗)」
義光「本人がこう言うのならまだ貰って無いんじゃろ。他人の空似じゃ」

長谷堂郊外で直江の外臣、上泉主水が討たれたのはそれから暫く経っての事。

「最上の殿様には名誉を守っていただきました。」
主水の首を山形城に持って帰ったのはその時の浪人だったという昔話。

とっぴんぱらりのぷー
742人間七七四年:2010/06/11(金) 22:27:13 ID:tfcjzJXE
同じ頃、九州の黒田官兵衛にも似たような話あったよな。
743人間七七四年:2010/06/11(金) 22:36:45 ID:tYnMPWSf
>>741
なんかそいつ要領いいから他人に討たせて首だけせしめて帰ってきたっぽいな。
744人間七七四年:2010/06/11(金) 23:03:37 ID:V7ezwA84
>>743
本当の要領がよかったら鮭も一緒に持ってくるはずだ!
745人間七七四年:2010/06/11(金) 23:13:27 ID:tYnMPWSf
浪人「鮭はありませんが、愛(兼続の首)なら今度獲ってきましょう。」
746人間七七四年:2010/06/11(金) 23:34:41 ID:IChcrZBA
北信愛「呼ばれた気がしたが…?」
747人間七七四年:2010/06/12(土) 00:22:05 ID:qqHKZfJl
悪い話スレでデ新納さんの可愛い…というかちょっと可哀想な逸話があったので
http://iiwarui.blog90.fc2.com/tb.php/4290-38d1df94

ちょっとフォローしてみる。

関ヶ原の戦後処理も一段落した慶長八年、
島津家久は新納忠元の多年の功績を称えて馬越前目の地を加増し、更に自ら愛用の帷子を贈った。

これに感激した忠元の詠んだ歌。

おほけなき君がみけしの香に触れて
  しばし我かと身をたどるなり
(分不相応にも立派な帷子を頂き、
  本当に自分のものであろうかと暫し我が身を顧みました)

この歌を受け取った家久は直々に忠元の居る大口まで足を運び、返歌を送った。

おおけなき身とも思はば唐ごろも
  着つつもなれよ幾年までも
(分不相応と思うのであれば、
  着慣れるまでいつまでも長生きして下さい)

せっかく来た主君を手ぶらで帰すわけには…という訳ではないであろうが、
これは良い機会、と忠元は一振りの長刀を献上した。

君に譲り奉りけん山賤の
  身は仙人の千代の齢を
(太閤殿下からいただいたものをいつまでも私しているわけには行かないので)
(ご主君にこの長刀と我が長命を献上いたします)

こうして忠元がかつて秀吉から拝領した長刀は家久の元に渡ったという。
(http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2324.html)

家久が老齢の家臣を気遣う歌を詠むなんてポーズじゃないの?
と思われるかもしれないけど、庄内の乱で老齢を押して奮闘した忠元には
家久も感謝していたのかもしれない。

歌の内容は超意訳なのでご容赦のほどを^^;。
748人間七七四年:2010/06/12(土) 00:23:20 ID:9MFOf+Du
義光「計画通り(ニヤリ」
749人間七七四年:2010/06/12(土) 02:08:29 ID:nIIPzvO2
>>738
これが上から目線に見えるなら、どんな理想も上から目線だわな
750人間七七四年:2010/06/12(土) 02:51:58 ID:CS1JPUiD
>>720
泣けた。。。。

三成は反豊臣や不正・怠惰には容赦ないが、交友の
ある相手なんかには下手な武将より熱いから
ほんと好き嫌い別れる性格しとるよね。
実際こんな出来事あったら、吉継じゃなくても
心震わさずにはいられない。
751人間七七四年:2010/06/12(土) 11:22:27 ID:5SlyQdyE
行政じゃないほうの殿中政治ができないからなー。
もう少し早く生まれて、秀吉のためには信長やその側近の機嫌を取るために道化演じなきゃいけないとか学んでいればな。
752人間七七四年:2010/06/12(土) 12:12:26 ID:SZBiME/9
>>749
徳川ファンで、結果から逆算して上から目線なんていつものこと
753人間七七四年:2010/06/12(土) 14:29:52 ID:17RfBOI7
後の時代からなら何とでも言えるからな・・
754人間七七四年:2010/06/12(土) 16:37:49 ID:EYvk5YZI
>>738はニヒル気取りの中二病だろ
755人間七七四年:2010/06/12(土) 16:39:36 ID:OqPLCUSE
だじゃれを言ったのは誰じゃ?
756人間七七四年:2010/06/12(土) 16:41:06 ID:OqPLCUSE
誤爆
757人間七七四年:2010/06/12(土) 17:08:27 ID:5SlyQdyE
どこに書き込むんだったら、そんなのが許されるんだ?
758人間七七四年:2010/06/12(土) 17:10:28 ID:M3ik85B4
>>757
ここじゃなかろうか?

【疑問】スレ立てるまでもない質問 6【戦国時代】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1274877247/83

83 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/12(土) 10:12:05 ID:r2Ge7bM4
ダジャレ好きだった武将とか
実はこの人こんなダジャレを言った記録が残ってますとか
そう言うのないでしょうか?
759人間七七四年:2010/06/12(土) 17:24:44 ID:mU0D3qcQ
又左「正宗殿、その脇差は!
いや、さすが『伊達』な仕立ての物を持っておられるのぅ!!」
760人間七七四年:2010/06/12(土) 17:26:46 ID:mU0D3qcQ
>>759
又左「正宗じゃない、政宗だった」
加藤嘉明「いや、伊達殿の差料だし、さだめし正宗でござろうなwww」
761人間七七四年:2010/06/12(土) 18:16:11 ID:zofctuPz
>>755
いいよいいよー
もっともおっと〜
762人間七七四年:2010/06/12(土) 18:23:21 ID:sgWPVZc+
博労の孫六


孫六の父は徳川家に仕えていたが、三河一向一揆で一揆軍に加担したせいで落魄し、
幼子の孫六と諸国を放浪し博労として生計を立て、孫六も12歳のころからその商売を
手伝っていた。
そんな孫六が近江国長浜の市で馬を売っていたところ、加藤景泰という侍が孫六の馬
を見てこういった。
「この馬はなかなかの駿馬だが、癖が強そうだな。こう癖があっては使い物にならん。」
それを聞いた孫六は、
「お侍さん。これが癖馬なもんかね。おいらみたいな子供でも乗りこなせらぁ」と言い、鞍
も付けずに見事乗りこなして見せた。
孫六のたくみな手綱さばきを見てすっかり感心した景泰は、自分の主君である羽柴秀吉
の小姓に孫六少年を推挙した。

その少年とは後の賤ヶ岳の七本槍の1人、加藤嘉明である。
763人間七七四年:2010/06/12(土) 19:17:09 ID:d7zFPpLV
家康って、三河一向一揆の時に敵対した家臣をほぼ全員お咎め無しで受け入れてるよな。
加藤嘉明の父はなんで戻れなかったんだろ。
ちゃんとした松平家臣とも言えない様な下っ端だったのか、元々家康嫌いだったのか…
764人間七七四年:2010/06/12(土) 19:30:48 ID:M3ik85B4
>>763
信仰捨てるのが嫌だったんでしょ。
765人間七七四年:2010/06/12(土) 19:55:07 ID:9VUgLQLG
>>763
加藤嘉明の祖父は清康に仕えているぜ
766人間七七四年:2010/06/12(土) 20:04:59 ID:EYvk5YZI
本多正信が出奔したように、自分の意思で下野したんじゃないか
767人間七七四年:2010/06/12(土) 23:14:41 ID:OqPLCUSE
>>758
よく分かったなw
768人間七七四年:2010/06/12(土) 23:19:38 ID:OqPLCUSE
>>764
帰参した人はみんな天台宗に改宗したんだろうか?
769人間七七四年:2010/06/12(土) 23:21:08 ID:K6nZ6fmy
>>768
教義が似てる浄土宗でしょ。
770人間七七四年:2010/06/13(日) 02:01:09 ID:uyWYjjf0
三河一向一揆のころはまだ天海さんと縁がないしね
771人間七七四年:2010/06/13(日) 02:30:29 ID:0dUg+1vg
その頃は浪人してたしなw
772人間七七四年:2010/06/13(日) 17:43:16 ID:lcb5LuBC
>>771
そのあと足利義昭と織田信長の仲介を務めるんですねわかります
773人間七七四年:2010/06/13(日) 17:45:32 ID:fdpxY+vT
>>763
加藤家は、三河出身なのに外様として最後潰された。豊臣恩顧か。
何か気の毒。
774人間七七四年:2010/06/13(日) 17:54:39 ID:vBV9/IN8
豊臣など影も形もない1627年に40万石に加増されてるから
豊臣恩顧で警戒されてなどということはない
単純に息子が大馬鹿者だっただけ
775人間七七四年:2010/06/13(日) 17:57:43 ID:lrrmKpLS
三河出身ってだけで家康の幕府誕生までの過程にはさほど関わってないじゃん
776人間七七四年:2010/06/13(日) 18:25:35 ID:/RsKGWLo
手飼でも家来でもない三河出身というだけの武士を譜代として遇するのはどう考えてもおかしいだろ。
777人間七七四年:2010/06/13(日) 19:26:19 ID:EtUbOKxK
大久保・石川「左様、左様」
778人間七七四年:2010/06/13(日) 19:55:19 ID:/RsKGWLo
>>777
大久保長安「お二方、それがしに任せておけば代々お家を栄えさせてみせますからな!」
779人間七七四年:2010/06/13(日) 21:12:21 ID:3xLq7PIB
大久保忠隣「てめー、恩を仇でかえすマネしやがって・・・戯けたことをいうのはこの口か!?」
780人間七七四年:2010/06/13(日) 21:46:49 ID:1V8lJStY
加増された正純さんとか居るな
781人間七七四年:2010/06/13(日) 22:41:48 ID:YsihfLE6
三河者だしかの加藤家は大丈夫でしょう?みたいなことを言った犬千代さんを、
その三河者ですら調子にのせちゃうのが世間の流れなんだぜぇ!!!って家康さんが嗜めなかったっけ?

うん、物凄くいい加減に記憶を頼りに書きました。
すいません
782人間七七四年:2010/06/13(日) 22:48:48 ID:DB6KDsWx
>>781
それは司馬遼太郎の城塞ですな。司馬さんの創作です。
783人間七七四年:2010/06/13(日) 23:50:53 ID:Jbu1YzcY
>>781-782
「城塞」って、逸話の確度の低いものから、司馬の完全な創作逸話まで何でも使って、
大坂方の強さと、徳川方の情けなさをこれでもかとアピールする酷い小説だよねw
しかも司馬文体で、全て史実かのように読者に錯覚させるから恐ろしいよ。

10数年ぶりに読んだら、水野勝成が、非常に気弱な小役人として書かれててワラタw
784人間七七四年:2010/06/14(月) 00:03:41 ID:bAaSTBRk
司馬遼太郎叩くとエセ右翼やらネトウヨが沸くぞ
785人間七七四年:2010/06/14(月) 00:15:24 ID:mF5w56uY
いきなりネトウヨとか言い出す辺り、日頃2ちゃんのどの辺りをのたくっているのか想像つくな
786人間七七四年:2010/06/14(月) 00:28:12 ID:YQ5+sPmY
歴史書じゃなくて小説なんですが。
787人間七七四年:2010/06/14(月) 00:28:16 ID:7347L+XY
どちらにせよ小説家の話はここですることではないな
788人間七七四年:2010/06/14(月) 00:53:18 ID:/17IzvdE
もともと忍者ブームで一山当てた山田風太郎みたいなひとなんだし
789人間七七四年:2010/06/14(月) 07:51:43 ID:1qgqxBX1
司馬みたいに小説さえ書けない奴らが言うわ言うわ
790人間七七四年:2010/06/14(月) 08:11:47 ID:4NCltnz/
本格的にどっかいけよ
791人間七七四年:2010/06/14(月) 08:20:27 ID:QR5ThMFS
時代劇とかの板でもみょうにこまけーひといるけど娯楽は娯楽でわりきれないのかな
792人間七七四年:2010/06/14(月) 08:50:56 ID:rWe7ctBK
割り切れないんだろうなぁ
住人は、小説家よりも歴史の細部をたくさん知ってはいるけれど、
小説家にもなれない半端者たちだから嫉妬心で数多の小説家を馬鹿にしたがるわけだ
793人間七七四年:2010/06/14(月) 08:52:15 ID:3Zy+og1t
そんだけ司馬の存在が大きいというか、大衆に受けた作家だということだろうな。
盲信するのも批判するのも、フィクションの小説だということを忘れてる人ばかり。
794人間七七四年:2010/06/14(月) 10:14:38 ID:SDx7rC44
風魔小太郎って、身長57メートル・体重550トンあったんでしょう? みたいな話か
795人間七七四年:2010/06/14(月) 10:46:55 ID:ga/wVbke
このスレ的には司馬作品は創作が多いから出展にはならんなぁ 程度で収めておくのがベター
796人間七七四年:2010/06/14(月) 11:09:43 ID:aET8xGRs
>>794
コンバトラーVかよw
797人間七七四年:2010/06/14(月) 14:57:24 ID:O0PLrloj
>>793
言ってみりゃ「水戸黄門はどこまで史実か」レベルの話だもんなあ。
798人間七七四年:2010/06/14(月) 17:30:29 ID:uaGPztil
>>797
ただ、「水戸黄門は史実だ」って主張する人たちがこれまでそれなりの人数いたというのがね
799人間七七四年:2010/06/14(月) 18:19:56 ID:akZlDZ7l
水戸黄門はお話なんだよ、って言えばいいものをなぜか脚本家や監督を口汚く罵りだすからな。
どっちもどっち。
800人間七七四年:2010/06/14(月) 18:20:47 ID:UdNlke/c
しかしだれもおっぱいについては責めないのであった。
801人間七七四年:2010/06/14(月) 18:29:56 ID:94jZAwrc
永禄7年(1564)の事

東三河の仁連木城主、戸田重貞は、桶狭間以来衰退著しい今川家を見切り、東三河へと攻勢をかける
徳川家康につこうと考えていた。だが重貞の母親が、今川方の吉田城に人質にとられており、これを
何とかしないことには身動きが取れない。

その時重貞、吉田城の城代が双六好きなことを思い出した。ちなみにこの時代の双六とは、
今のバックギャモンのようなゲームである。

「そうだ!」
重貞は吉田城を尋ねると、城代にこう申し出た
「私も最近になって双六の面白さを知るようになりました。どうでしょう、御指南いただけないでしょうか?

その日より重貞はしげしげと吉田城に足を運び、城代と双六を楽しんだ。
ある時、重貞が下人に大唐びつ(衣服などを収納する箱)を背負わせてやってきた。

これには怪しいものは

吉田城の門前で番人の前で自分から唐びつを開けようとした。実際、その中には雑具など、
どうということの無いものが詰まっていた。番人たちは慌てて

「いえいえ、戸田殿の荷物なら確かめるまでもありません」

「そうですか、では通していただきます。しかしもし疑いがあるようなら、私は城内におりますので
いつでも言ってください。すぐに開けてご覧に入れます。」

「そこまでなさることはありません。よくわかっております。」

「では私がこの唐びつを持ってきたことを、よく覚えておいてください。」

そう言って城の中に入り、いつものように城代と双六を打って遊ぶ。その間に人質であった母親は、
予めの計画通り唐びつの中に隠れた。これを下人が抱え、番人に「先程の戸田様の唐びつです」とだけ言い
城の外に出た。

これを見届けた重貞の小姓が碁を打つ部屋の白洲に、しずしずと歩んできた。この合図に
重貞は双六を打ち終え退出、門を出ると馬上で薙刀をとり、唐びつから出した母を先にたてた。
するとかねてからの打ち合わせ通り仁連木より家臣たちが迎えに走ってきて、これらに守まれ
無事、帰城した。
これにより重貞は心置きなく、家康への臣従を誓った。

『これほど立派な人質盗みは、これまでに類がないほどだ』
戸田重貞の成功はそう、大きく讃えられたと言うことである。
802人間七七四年:2010/06/14(月) 19:38:40 ID:/oiKNLnt
重貞が童貞に見えてしょうがない
803人間七七四年:2010/06/14(月) 20:43:33 ID:1v3Urp2t
それは被害妄想w
804人間七七四年:2010/06/14(月) 21:41:36 ID:BfPUY3DD
>>801
いい話だけどやっぱり>>802と同じだw
805人間七七四年:2010/06/14(月) 22:29:26 ID:ZZSNt4AT
    (⌒⌒)
モチツケヨ l|l l|l  どどど童貞の何がいけないのでござるっ!
  ∧∧∧_∧
  (;゜Д(`・ω・´)") }}}
  ヽ 、と'^)  l^)´
  〜〉  ) )、 \
   (_ノ(__) ヽ_)))
806人間七七四年:2010/06/14(月) 22:44:55 ID:yd45jzAf
>>802>>804
俺の代弁をしてくれて感謝する
807人間七七四年:2010/06/14(月) 23:11:29 ID:sqEtQEmf
  小 面 童  /   ,、r'";;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;`';,、    ,r';;r"           _ノ
  わ が 貞  L_ /;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;\ ,';;/             )     何
  っ .許 が  //;;/´         `' 、;;;;;;;;,,l;;'            /ヽ  と と
  ぱ さ.    /.,';/              ヽ;;;;,l;L_      .,,、,--ュ、 ';;;;;;;;;i な 童
  ま れ   l |;|┌--‐フ  ┌----、、   |;ヾr''‐ヽ,  ,、ィ'r-‐''''''‐ヽ ';;;;;;く !! 貞
  で る   i  |l ~~__´ 、   ``'__''''┘  |;;;;;l rO:、;  ´ ィ○ヽ    'i;;;;;厶,
  じ の   l _|. <,,O,> 〉   <,,O,,>    |;;;;;| `'''"/   `'''''"´     !;;;;;;;;ヽ
  ゃ は   ._ゝ'|.    /   、       |; ,'  /   、        |;;;;;;;;;;;;;レ、⌒Y⌒ヽ
  ぞ    「 | |    (    )       .ソ l  ,:'   _ ヽ       .|;;;;;;;//-'ノ
        ヽヽ |    _,ニ ニ,,,,,_        ', ゞ,' '"'` '"       i;;;;;i, `' /
⌒レ'⌒ヽ厂 ̄  `| ,、ィ-‐''__'''‐-`,、     ''  ', i、-----.、       `''"i`'''l
人_,、ノL_,iノ!   ',   :i゙''''''''''`l'  ` _人__人ノ_ヽ ヾ゙゙゙゙ニニ'\        ,'  ト、,
      /    ヽ.   L__」   「 止 笑 L_ ヽ〈    i|          Vi゙、
ハ ワ  {.     ヽ.  -、、、、 '  ノ  ま い  了゙, ,ヽ===-'゙ ,'     ,   // ヽ
ハ ハ   ヽ.     ハ       )  ら が  |  ',.' ,  ̄ , '    ノ  /./    ヽ,
ハ ハ    >  /|ヽヽ、___,,,,、 'く  ん    > ヽ.  ̄´   / ,、 ' /     / \
ハ ハ   /  ノ. | ヽ       フ      /  ノ:lゝt-,-‐''" / ,.ィ゙     /
808人間七七四年:2010/06/14(月) 23:32:52 ID:7347L+XY
/ ̄ ̄ ̄ ̄\   |:::/, ─-.|  -──--、、 | ミ      / ̄ ̄ ̄ ̄
|         |  |::|    / l         ヽ ミ     |
|         |  |::|   .,l  .|   _ 、   /ヽ / ヽ ̄ ̄ .|
|    重    | -::::|-─-、  ,ヽ/ ̄::::─ヽ\_ミ( 丿   .|    私
|    貞    |/:::::::/┘::::::丶-ノ( ┘::::::::|/ ̄ |ミゝ___ |    は
|    だ    |\::::|ト.::::::::ノ| |  ゝ:::::::::ノノ ヽ  |ミ/ | |ミ|  |
|         |   .|  ̄'  | |  |  ̄ ̄    )   / |ミ|  |
|         |   |    (:  , _)      ノ   /  /ミ| |
|         >   |    .ゝ-/     イ   イ ̄ ヽヽ|.<
\____/     |   ,.====...、   |  |:::: _├  \____
         _── |           /── ̄ ̄
          | ::::::::::::::|  ::: ̄ ̄::::   | ハ :::::::::::::::::::::::::::
         | iiヽ ::::::::::::| ::    ::   | |iiヽ :::::::::::::::::::::::::
         | iiiiiiiiヽ ::::::::ヽ ::   :  /| |iiiヽ :::::::::::::::::::::::::
        | iiiiiiiiiiiiiii| :::::::::::ヽ___..,イ | |iiiiiヽ ::::::::::::::::::::::::
809人間七七四年:2010/06/14(月) 23:36:20 ID:5aJ+wn+C
どうって事ないでござる。
810人間七七四年:2010/06/14(月) 23:50:49 ID:YQ1hWeNn
この流れ何とかしなくては…
いあいあおにむさし!
あいあいおにむさし!
811人間七七四年:2010/06/15(火) 00:01:14 ID:cXXeR545
二階堂さん達とロベスピエールさんでは世界的知名度で格が違う気が・・・
812人間七七四年:2010/06/15(火) 00:11:09 ID:uaSF0TUj
>>810
邪神召喚やめいw
そういえばガリア戦記によると、ゲルマン民族は童貞を守る者こそが強い戦士
といわれていたらしい
日本ではそんな話はないのかな
813人間七七四年:2010/06/15(火) 00:15:25 ID:hVO8xgBh
軍神様とか魔法半将軍とか童貞守って超能力を身につけた人いるじゃん
814人間七七四年:2010/06/15(火) 01:19:02 ID:vgiUqWYF
なお、戸田重貞は妻を娶る前に亡くなってしまったので…
815人間七七四年:2010/06/15(火) 01:26:07 ID:bFomIM3T
>>813

だがちょっと待って欲しい
彼らはヤリ捲くれる立場にいたのにやらなかったから
魔法使いになれたのであって
やりたくてもやれない立場の我らは
到底魔法使いにはなれないのではなかろうか?
816人間七七四年:2010/06/15(火) 01:28:48 ID:vgiUqWYF
立場など関係ない
いかなることがあろうとも絶対にやらないという気概が大切なんだ
817人間七七四年:2010/06/15(火) 03:57:03 ID:d3DIXBQ8
スレ違いだが柳生連也斎なんてかなりの手練の剣士も童貞だとか
まあこのお人は死んだら海に遺灰を流してくれなんて言うメルヘンな方だから特殊かも知れんけど
武術系な人は昔から「セックスする=気が抜ける」と言ってオナヌーさえ嫌う人も多いよ
818人間七七四年:2010/06/15(火) 05:07:51 ID:4xE5h9GN
障害童貞大名っていないの?
819人間七七四年:2010/06/15(火) 10:31:56 ID:cUYJVoVT
大名クラスになると血筋を残すのが半ば義務だからまず居ないと思っていい
820人間七七四年:2010/06/15(火) 11:40:16 ID:UNwz/QUq
つまらん話してる暇があったら
週末の鶯谷で3万で女買って来いよw
821人間七七四年:2010/06/15(火) 12:45:09 ID:/jtsP0BA
>武術系な人は昔から「セックスする=気が抜ける」と言ってオナヌーさえ嫌う人も多いよ

ボクシングをやってる人が言っていたが
動きを見れば前日にセックスしたかどうか分かるそうだ
822人間七七四年:2010/06/15(火) 13:57:07 ID:iBFAot3x
>>821
そういや昔「試合の前日にオナニーorセックスはすんな!」って言われたことあったな
いまやってるW杯でもブラジル代表が宿舎に彼女連れ込みおkかで論争になってたっけw
前回大会のロナウジーニョの不調は色欲に溺れたからだ、いや違う、的な感じで
823人間七七四年:2010/06/15(火) 15:28:36 ID:YQUTEpXL
賢者タイムじゃ勝てない。むらむらした時のあの無尽蔵のエロパワーを力に変えるんだ!

昔から男って悲しい生き物だったんだな
824人間七七四年:2010/06/15(火) 17:26:14 ID:/jd8F+za
上杉謙信は童貞じゃないのか…ってあの人は別の楽しみがあったか
825人間七七四年:2010/06/15(火) 17:58:50 ID:7EkgkSez
じゃあタイガーさんはどうなんだろう。
依存症な位アレなのに、実績は至って良好という・・・。
826人間七七四年:2010/06/15(火) 18:08:43 ID:MRXjF5UN
>>824
謙信はガチホモだし、中年以降はアル中であっちの方もダメになってただろうね。
827人間七七四年:2010/06/15(火) 18:34:55 ID:fhQ2FLiw
男とはノーカンですか?
828人間七七四年:2010/06/15(火) 18:42:42 ID:4CLEEgHj
そんなことより空を飛ぼうぜ!
829人間七七四年:2010/06/15(火) 19:04:39 ID:2Zed8FTI
飛び加藤「呼んだ?」
謙信「出て行け」
信玄「死ね」
830人間七七四年:2010/06/15(火) 19:21:02 ID:V4JRzqct
>>828
あんたが子供作ってりゃ細川家は・・・
831人間七七四年:2010/06/15(火) 19:22:12 ID:UPPAw43a
ゆるスイングwww
832人間七七四年:2010/06/15(火) 19:23:24 ID:UPPAw43a
誤爆orz
833人間七七四年:2010/06/15(火) 20:28:01 ID:T405cNys
昨日の同じ時間位にスレ覗いた時から、30も進んでるから
何か逸話が投下されてると思いきや・・・・おまいさんたちはw
834人間七七四年:2010/06/15(火) 21:37:20 ID:cXXeR545
そう言えば一つも投下されて無いな
835人間七七四年:2010/06/15(火) 21:39:59 ID:GTzGs1q3
大規模規制中だからじゃね?
836人間七七四年:2010/06/15(火) 21:44:24 ID:Uw90f6ev
長篠の戦で鳥居勝商という武士が居て、、、
837人間七七四年:2010/06/15(火) 23:10:52 ID:ypW6T87q
軍歌(「いくさうた」…戦陣訓を和歌に詠んだもの)

【武田信玄】
戦には 物見なくては 大将の 石を抱きて 淵に入るなり
一戦の 日取時取(合戦前の吉凶占い) さし除き 物見をかけて かねてはからへ
【上杉謙信】
我が人数 弱きとみての 合戦をば 先を仕掛けて 突きたててみよ
ためしさねの 人数を持ちて 合戦せば 幾度成りと うけてせよせよ
【北条氏康】
夜戦(よいくさ)は 功のゆかねば 仕掛けても 味方討ちして 損となるべし
夜戦は ただ合印合言葉 敵と味方の 分けをあらせよ
【織田信長】
大軍を 請くは辺りを 地焼して 引き静まりて 神妙にもて
【豊臣秀吉】
山を越え 敵地へ入ると つまりつまり 丈夫に城を こしらへて押せ
【徳川家康】
敵へ寄せバ 大事々々と 心得て 合戦をむねに あてて近寄れ
又敵へ 仕寄りをするときつらしく 突て出でむと 心得てせよ
【柴田勝家】
取掛る 初日につよきことせねバ 後には敵の へのこ(兵の児)かたまり
つつと入るに 手痛きことを せぬ敵は 乱れ入ても 骨は切るまじ
【蒲生氏郷】
敵近く 成て人数を 立かぬる なりは中々 みるも見ぐるし
若き者 敵へ取りかけ 押すときは ひかへ過ても いかがあるべし
【蜂須賀家政】
後巻は しづと先手も 押え置き 旗本近く 成てしかけよ
敵ちかく 陣を張なば 水よりも 夜の目当を 専らにせよ
【荒木村重】
たびたびに 真先にかかる 大将は 敵も味方も 果ては討ち死に
敵大将 けなけて先へ 駆け出るは 手遠く伏せを 置きて狙へよ

>>833-834
ネタ切れにつきこんなので勘弁
わりとそれぞれの個性が出てるような・・・・
838人間七七四年:2010/06/16(水) 00:28:38 ID:znz6UINQ
大規模規制なんて無くね?
839人間七七四年:2010/06/16(水) 00:32:21 ID:TGNZP4Mh
>>838
ソフトバンクが全規制中
840人間七七四年:2010/06/16(水) 01:45:18 ID:h9LFgW6B
携帯ユーザの2割じゃんw
841人間七七四年:2010/06/16(水) 14:23:05 ID:DkkKrr7F
>>837
なんとなく合戦の傾向がわかるような気が…
842人間七七四年:2010/06/16(水) 23:47:20 ID:NkBMgWm6
DOCOMOは永久規制中でござる
843人間七七四年:2010/06/16(水) 23:49:17 ID:V+/agsSB
>へのこ(兵の児)かたまり

へのこ!?宮城でへのこって言ったら・・・
844人間七七四年:2010/06/17(木) 07:23:05 ID://JKFKj3
帯だな
845人間七七四年:2010/06/17(木) 20:29:42 ID:orFJcdMW
永久とな?
846人間七七四年:2010/06/17(木) 21:39:07 ID:9eHd/U8G
去年から流行ってるバルーンスカートって知ってる?

あれジオングみたいだと思ってたら、
江戸中期藩士の袴のほうが近いと思わないか?
847人間七七四年:2010/06/17(木) 22:34:00 ID:Nl+IlDKo
なんだい
藪からスティックに
848人間七七四年:2010/06/18(金) 02:57:07 ID:BgFAswax
まあまあ彼に言っても馬耳イーストウィンドだよ
849人間七七四年:2010/06/18(金) 06:47:20 ID:UqRKTClS
誰か>>837を分かりやすく訳してもらえると
大変ありがたい。
850人間七七四年:2010/06/18(金) 13:03:53 ID:sV1mHOem
なんでノレー大紫が紛れ込んでいるんだ。
851人間七七四年:2010/06/18(金) 14:10:15 ID:6jeMdcv7
犬紫だろ?
852人間七七四年:2010/06/18(金) 14:25:55 ID:JUSU8yGm
>>847
結構響きが良いな
853人間七七四年:2010/06/18(金) 19:21:42 ID:qQCUr4z4
秀吉の御伽衆って、ルー大柴みたいな奴なら取り立てられたのだろうか…
現代のお笑い芸人とか行けるんじゃない?
まあ失敗→打ち首とか覚悟してる芸人とか居ないだろうけど。
854人間七七四年:2010/06/18(金) 19:46:03 ID:fKbwEJaH
>>853
御伽衆って曽呂利新左衛門のイメージのせいか、主君に対して気の効いたことを言って喜ばせる、
西欧の宮殿の道化師みたいな感じに捉えられがちだけど、実際は君主の私的顧問、って役割が
強かったみたい。

徳川秀忠の御伽衆を見るとわかりやすいんだけど

・立花宗茂:九州関連
・九鬼守隆(九鬼嘉隆の息子):水軍関連
・脇坂安元(”貂の皮”の脇坂安治の息子):四国関連
・平野長泰(賤ヶ岳の七本槍の一人):豊臣家の事柄について
・佐久間安政(佐久間盛政の弟):北陸、奥州関連
・細川興元(細川藤孝の次男):畿内関連

と、それぞれの専門分野での助言や提言を期待されていたらしい。
面白い云々以前に、ある種のスペシャリストでないととても取り立ては無理だっただろうね。
855人間七七四年:2010/06/18(金) 20:36:24 ID:XmBC4h3c
家光の代には夜伽集とな
856人間七七四年:2010/06/18(金) 20:37:17 ID:zB0FdqR+
>>854
中国地方の担当・山名ちゃんも入れてあげろ
857人間七七四年:2010/06/18(金) 20:50:48 ID:SkzrRqgt
七本槍では地味な方の2人が、他の東軍4人よりも幕府からは重宝がられたのかしら
858人間七七四年:2010/06/18(金) 21:47:50 ID:BoeITsI2
所領小さいから全然脅威にならんし
859人間七七四年:2010/06/18(金) 22:43:50 ID:65EuhGuO
>>854
あかん、戦国鍋TVのSHICHIHON槍の♪大名じゃないよ平野長泰♪を思い出してニヤニヤ笑ってしまった。
860人間七七四年:2010/06/18(金) 22:55:02 ID:1irnzLyb
大名じゃない♪ だっけ?
861人間七七四年:2010/06/18(金) 23:03:58 ID:xKW7xCf1
でも、「あとは」の二人の方が惨めだよなw
862人間七七四年:2010/06/18(金) 23:23:13 ID:SkzrRqgt
正則&清正以外は、世間的には割とどうでも良いことを逆にネタにしてるような
地味加藤さんも孫六とか言われても・・・
863人間七七四年:2010/06/18(金) 23:58:20 ID:9z2PBjdg
>>849遅レス御免なれ
【武田信玄】
「戦の前に物見斥候を怠り、いきなり敵に当たるようでは、惨敗して石を抱えて入水して死ぬ羽目になるぞ。」
「吉凶占いなどで運勢をうかがうヒマがあったら、物見斥候を出して敵の様子をうかがえ。」
【上杉謙信】
「自軍が数で劣っても、先手を取って懸命に突き立てれば、優位を取れる。」
「キチンとした陣構えをもって戦に当たれば、大抵の攻撃は平気なものである。」
【北条氏康】
「夜襲は経験を積んだ兵でやらねば、同士討ちをしてしまい、かえって損になる。」
「夜襲を行うには、目印・合言葉をキッチリ決め、敵と味方の区別をハッキリさせねばならない。」
【織田信長】
「大軍と戦うには、自軍の周りを焼き払い、見通しを良くして静かに陣を構え、何が起きても動じないようにせよ。」
【豊臣秀吉】
「敵国へ攻め入るのは、野戦築城などして、持久戦の覚悟で臨むべきである。」
【徳川家康】
「敵との初接触は、一大事である。合戦の様子を確認しつつ、慎重に接するべし。」
「敵が静まりかえっているからと言って、近づいて仕寄りなど作るのは危険だ。まず、敵が討って出ると思え。」
【柴田勝家】
「敵との初接触で激しく攻めておかねば、相手は『弱し』と見て、次に当たる時、一気に倒さんと当たりが強くなる。」
「小手調べに、軽く攻めても手ごたえの無い敵は、無理攻めしても肉を斬っても骨は斬らぬものだ。ガンガンいこうぜ!」
【蒲生氏郷】
「敵勢に駆け入って、いざ槍をつける時に構えが揃わねば、見苦しいものだ(普段から軍規を整えよ)。」
「自軍の若者が猛って敵を攻めている時に、「自重せよ」というのも、いかがなものか(勢いを買え)。」
【蜂須賀家政】
「背後から襲う時は、普段のようにワーッと攻めるのでは無く、先鋒を静かに進め、敵の旗が近く見えてから一気に襲え。」
「敵勢の近くに陣を構える時は、水の確保よりも夜襲への注意を最優先にせよ。」
【荒木村重】
「大将が先陣を駆けているようでは、たとえ敵を討ち取っても、大将も討ち取られる。」
「敵大将が先陣を切って来たら、遠巻きに伏兵を置き、期を見て囲め。」

テキトー訳につき異論反論お待ちしております。
864人間七七四年:2010/06/19(土) 03:10:17 ID:QHQ4tiF5
二句あって両方とも夜戦がお題な氏康と、とりあえず焼討ちする信長はネタ担当か何かか

あと謙信の句がまったく参考にならねえ
そりゃあんたはそうだろうよ!
865人間七七四年:2010/06/19(土) 03:46:29 ID:ayiliG7c
天庵さま、小田天庵さまの句はいずこに・・・!!!
866人間七七四年:2010/06/19(土) 04:27:12 ID:M+wzNOsn
本当面白いくらいに特徴出てるな
867人間七七四年:2010/06/19(土) 06:14:57 ID:ot/0bqj8
いのちをだいじに
868人間七七四年:2010/06/19(土) 08:01:30 ID:RLYgUWeS
まったく謙信の強さは理屈じゃないなw
869人間七七四年:2010/06/19(土) 08:39:09 ID:nhNWqHog
家康さんの「人生は・・・」みたいに実際に詠んでるわけじゃなく後の人の創作だよね?
ホトトギスの三首みたいなに各人の特徴がでてるのかな〜
870人間七七四年:2010/06/19(土) 09:02:00 ID:iw3PMJBE
史実では占い大好きだった信玄が、そんな句を詠んだとはね・・・
871人間七七四年:2010/06/19(土) 09:51:53 ID:QUoYVJA8
信長の隠し子


信長の家臣団には異例の抜擢を受けた者や相撲取り・黒人など異色の者がいるが、巡礼
出身者もいた。
巡礼とは諸国の神社仏閣霊場を訪ね回り礼拝することをいい、そんな巡礼の一人である
埴原常安は諸国を遍歴していた途上、尾張清州の長光寺六角堂で昼寝をしていた。
「おいコラ。どこで昼寝しとる。」
鷹狩りをしていた信長もその六角堂を昼寝の場所と決めていたらしく、昼寝をしていた常安を
蹴とばした。
それが縁で常安は信長に仕官することになったという。

巡礼出身の武将は当時でも珍しかったようで「太閤記」「祖父物語」など江戸初期の書物に
彼の記事が見られる。
常安は美濃に20貫の知行を受けやがて尾張清州城代をつとめ、信長死後には尾張国守織田
信雄に仕え清州の町奉行となるも、信雄転封後は信長の長女・五徳付として一生を終えた。

そんな常安は信長とある秘密を共有していた。
それは信長の許に濃姫が輿入れした頃にさかのぼる。
信長は侍女の中条という女性を孕ませてしまい、それを知った家老の平手政秀は「正室を迎えた
ばかりなのに側室でもない女性に子供を産ませるのはあまりに外聞が悪い」と考え、懐妊した中条を
平手の養女として埴原に下賜したのだ。
やがて中条は男子を産み、信長はその子に「乙殿」と命名した。
その男子は長じて埴原左京と名乗り、常安死後埴原家の家督を相続して尾張藩に仕官し、信長の
血脈を明治まで伝えたという。
872人間七七四年:2010/06/19(土) 10:37:55 ID:LiQJjqL2
こ、これは「埴原も中条もじじいもみんな乙!」の意味じゃなくて
ただの幼名なんだからね!
873人間七七四年:2010/06/19(土) 11:46:19 ID:IRncMYzE
こういうのって公然と囁かれてたのか
それとも本人が触れまいてたとか?
874人間七七四年:2010/06/19(土) 11:52:07 ID:XkIxp4aP
「自分の家の由緒」って事で、藩が藩士の家譜を作るとき提出したりする。
875人間七七四年:2010/06/19(土) 13:28:30 ID:PhePMldt
ん〜、こういう話は眉唾ものだと思うがな
まぁ、信長が平重盛の末裔という話よりはあるかもしれんがw
876人間七七四年:2010/06/19(土) 14:17:22 ID:9wuHNMCa
>>870

戦吉兆占針盤
戦国時代、希代の名将とうたわれた武田信玄が中国の霊占をヒントに考え出したといわれている。
占針盤には100のマス目があり勝利の文字が書かれた99マスと
死の文字が書かれた1マスで構成されている。
戦の命運を占うために使われたものだが死と出るのは100分の1という
極めてわずかな確率のため出陣前の兵士の士気を高めるために用いられた
形式的な儀式といえる。
(民明書房刊「戦国武将考察」第五章「古今東西占術大全―当たるも八卦当たらぬも八卦―」より抜粋)


勝利賽子(しょうりジャイツ)
戦国時代、希代の名将とうたわれた武田信玄が考案したと伝えられる。
寿・吉・勝・祝・喜・生の六文字をそれぞれ六面に書き入れたサイコロを頭上高くに投げ
表に出た文字によって戦いの行方を占ったといわれる。
しかし、どの面がでても勝利を暗示する文字が書かれているわけで
いうなれば出陣の景気づけの儀式である。
(英学館刊「武家社会に於ける風俗・迷信」第二章「世はいかさま」より抜粋)

877人間七七四年:2010/06/19(土) 15:38:38 ID:QUoYVJA8
ちょっぽり甚右衛門


尾張津島に平野甚右衛門という男がおり、織田信長に直訴して織田家に仕官した。
彼は身長が低かったようで、信長から「津島小法師」(津島のチビ)とか「ちょっぽり甚右衛門」
(チビの甚右衛門)というニックネームで呼ばれていた。
もっとも、彼は小兵にも関わらず馬廻りに抜擢されるほどの勇士であり、どれだけ勇猛であったか
といえば、佐々・前田をさしおいて馬廻りの番付でナンバー1に輝く程の猛将であった。
しかし、血気にはやりすぎたのか天正3年の長篠の合戦において軍令違反を犯し、改易されて
まった。
「武家事紀」には彼を評して「匹夫ノ魁殿ヲトクル勇士」とあるから、スタンドプレーがすぎたために
改易されたのであろう。

さて、織田家を追放された甚右衛門は放浪の末、織田家の宿敵の加賀一向一揆に参加して
自分をコケにした織田家と戦うことに身をささげた。
そして、天正8年に織田家臣・佐久間盛政が加賀尾山城を攻撃した際には、甚右衛門は広済
寺・本源寺等を指揮して戦い、盛政の先鋒隊を三度返り討ちにするなどの意地を見せたのち討
死した。
現在の金沢城の西手下り坂を「甚右衛門坂」と言うが、ここが平野甚右衛門の戦死の場所であ
るとされている。

ところが、実は甚右衛門は無事に逃げおおせたようで、その後は上杉謙信に仕官した。「武家事紀」
「武功雑記」にも上杉家臣時代の甚右衛門の逸話がいくつか残っている。
やがて謙信が死亡すると家督相続をめぐって「御館の乱」が勃発し、甚右衛門は景虎方に味方して
こんどこそ討死したという。

反骨を貫いたちょっとかっこいい男の話。
878人間七七四年:2010/06/19(土) 17:54:00 ID:tlqf5pIZ
>>876
よく思いつくな…300年後のウィキあたりに
「…と言う説もある。」って残ってたら笑えるな。
…いや、もしかしたら今もすでに冗談が史実になっちゃった
例とか有りそうだ。
879人間七七四年:2010/06/19(土) 19:52:30 ID:aAIAywbn
>>878
男塾で見たネタのような気がする
880人間七七四年:2010/06/19(土) 20:14:10 ID:iw3PMJBE
>>876
検索したら本当に男塾で使われたネタだったw
確かに信玄がこういう占いしてたとしても不思議じゃないなw
881人間七七四年:2010/06/19(土) 21:26:44 ID:mr5MHrwP
俺も気になって探してみたら
男塾名物「大鐘音」の起源は武田信玄ではなくて
三国志の張楊だ、とか言うネタ見つけて吹いたw
882人間七七四年:2010/06/19(土) 23:03:07 ID:PhePMldt
このタイミングに鍋島侍の逸話を投下。


成富兵庫 『勝ちといふは』


佐賀の水神といわれる成富兵庫重安。

そんな彼が部下から「万事に勝つためにはどうすればいいでしょう」と聞かれたことがあった。

重安答えて曰く「勝ちといふは味方に勝つことなり」。

部下がそれはどういうことかと尋ねると重安はこのように答えたとされている

「味方に勝つといふ事は自分に勝つということである。

自分に勝つといふ事は気力で周りの不利な状況に勝つということである。

其の為には日頃から味方数万の侍の中に自分に続くものがいない程に心身を鍛えておく必要がある。

そうでなければ敵に勝つことは無理である」。

成富重安の良い(こと言った)話。

出来ればオランダに勝って…とまでは言わないが引き分けて書きたかった…。

ちなみに出典は『葉隠聞書』。

「武士道は死ぬことと見つけたり」のアレです。

戦国時代とは違う江戸時代の武士道を説いた本ですが結構戦国時代の逸話が多かったりするんですよ。
883人間七七四年:2010/06/19(土) 23:04:31 ID:2Kx2tuq5
合戦前の占いで凶が出たから兵を引いたって話ってあんの?
戦意高揚のための仕込みじゃないの?
884人間七七四年:2010/06/19(土) 23:04:33 ID:kmaTO4Dr
大鐘音が元ネタだと思うが、センゴクで武田勢が一斉に唸りを上げ
それを聞いた織田、徳川連合が戦意喪失しそうな場面があった。
885人間七七四年:2010/06/19(土) 23:12:22 ID:fASr5E8P
>>883
「悪い結果が出たらやり直し」ってコトはあったみたい。

確かラスボスの九州攻略の際、迎え撃つ島津軍がどのルートで軍を出すか、
霧島神社でのおみくじで決めたんだケド、思ったような結果が出ないから
3回もおみくじをやり直した、こりゃけしからんコトだ。と島津重臣の日
記に残っていたような気がする。

886人間七七四年:2010/06/19(土) 23:27:32 ID:XkIxp4aP
占いといえばこんな話もあったな

片桐且元と占いの結果・いい話
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-298.html
887人間七七四年:2010/06/20(日) 00:22:02 ID:G8pBPS6m
昌幸「裏無いと聞いて」
888人間七七四年:2010/06/20(日) 01:20:21 ID:7G/Dn96B
>>877
天正8年って既に謙信死んでないか
889人間七七四年:2010/06/20(日) 09:04:17 ID:mySbNpo8
>>882
茂安ね一応ねんのため
8901/2:2010/06/20(日) 10:05:56 ID:5wJHgvnC
黒田家と鍋島家の間で国境を巡り訴訟が起きた際、鍋島家では有事に備え、国境の山へ家老の深堀新左衛門を
派遣し、「山内の者」と呼ばれる郷士を招集した。
集まって来た郷士たちは、みな襟に布切れを縫い付けていおり、不審に思った深堀は、山内の代官・鍋島普周に
理由を尋ねた。「もちろん理由のある事です。あれは私の先祖、六左衛門が……
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

「お前は、わしの死後、勝茂に意見できるか?」山内を訪れた鍋島直茂は代官の鍋島六左衛門に問いかけ、
「仰せとあらば、いくらでもご意見いたしましょう。」六左衛門は毅然として答えた。

「よく言ってくれた。ならば伝えておくが、ここ山内の郷士は、もともと神代勝利の家臣だった外様の者だ。
よって、事あるごとに恩を施し懐かせねばならぬが、勝茂が山内に来て彼らに褒美など与える時、「勝手に配れ」と
事情も知らずに言う者が出るだろう。
その際お前が意見し、勝茂の目の前で与えるようにせよ。勝手に呑ませたところで、それはただ禄を食わせている
のと同じで、恩を与えたことにはならん。そういう者は勝ち戦に付き従っても、負け戦の時には助けてくれぬものよ。」


数年後、勝茂が山内で狩りを行い、勢子として山内の郷士を使った。狩りが終わると勝茂は、タライで手足を洗いつつ
「山内の者、今日は苦労だった。酒など振舞ってやるゆえ、ここへ連れて参れ。」と命じたが、ある近習が、
「殿の御前で呑ませては、郷士たちも恐縮して楽しめますまい。酒樽ごと与えて、勝手にやらせましょう。」と言った。
「それもそうか。よし、
「なりません!直に与え、御前で呑ませるべし!!」六左衛門が、勝茂の前に飛び出して叫んだ。
8912/2:2010/06/20(日) 10:08:10 ID:5wJHgvnC
日ごろ温厚な六左衛門の強い口調にキョトンとした勝茂だが、我に帰ると手を洗っていたタライの水を頭からかぶり、
急いで衣服を改めると、六左衛門を上座に座らせ、その前に平伏した。
「この勝茂、ただいま過ちを申しました。なにとぞお許し下さい。」
突然の事にうろたえる六左衛門に、勝茂は笑って言った。
「お前が言ってくれたのは、父上のお言葉であろう。死してなお、オレを導いて下さる。さても有難いことだ。」
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

「その後も勝茂様は、怠ること無く山内の者の動向に目をかけ、折に触れ礼服や小袖を、ご下賜なされました。
郷士たちは、その事を忘れまいと、古くなった下賜品を裁ち、端切れを襟に縫い付けているのです。」
「なるほど。ようやくご当家の恩も染みたというわけですか……」


国境訴訟は鍋島家の勝訴に終り、佐賀に帰った深堀は同僚の鍋島庄兵衛らに、山内の郷士のことを語った。
「そういう事だったか。実は綱茂様(勝茂ひ孫)家督相続の際、山内の者が挨拶にやって来たので、酒を振舞うことに
なり、わしが綱茂様にお聞きした。
『酒は御前で与えましょうか、それとも勝手に呑ませましょうか?』
『当然、わが目の前で呑ませよ。この事、お家安泰の秘訣であると、父上から口伝を授かっておる。』



父の日を記念して。オヤジに、敬礼。
892人間七七四年:2010/06/20(日) 16:44:29 ID:622QiC02
決死の覚悟で諌言したら主君が水を被って土下座して来たでござる
893人間七七四年:2010/06/20(日) 17:03:58 ID:mAUw7NfN
主君にも、家臣の方にもきちんと受け継がれてるってのはいいな。
894人間七七四年:2010/06/20(日) 18:10:28 ID:lP3jfRbe
しかし勝茂も物分りのいいことだ
よく察したものよ
895人間七七四年:2010/06/20(日) 18:26:11 ID:zirhkKOj
>>863
849です。ありがとう。
こうやってみると、信玄の言ってる事が万事の心理だね。氏康や蜂須賀の「背後から〜」ってのもかな。
他の人が言ってる教訓は、賛否意見がわかれそうだ。
特に蒲生と荒木なんて、真っ向から対立しそうだしw
896人間七七四年:2010/06/20(日) 18:58:00 ID:1xhC6L/Y
>>893
他の三国に比べてマイナーだけど、薩長土肥の一角なだけはあって、維新を引っ張ってゆく下地はあったってことなのかな
897人間七七四年:2010/06/20(日) 19:24:30 ID:MDQATC5M
肥前の真骨頂は維新じゃなくて維新後だな
幕末で人材を失わなかった分、明治初期を支えた人材が豊富
藩に拘らず登用した木戸も偉いが
898人間七七四年:2010/06/20(日) 20:48:03 ID:aisd6KjM
近代化にがんばってたじゃないか。軍事じゃあアームストロング砲とか持ち出したりして援助したし
手法が強引だったから大隈重信がブーブー言ってたけど
899人間七七四年:2010/06/20(日) 21:03:30 ID:9hx33bkG
占いで思い出した、伊達政宗の易者、平野伊勢守の話。

人取り橋の戦を前に、政宗は易者の平野伊勢守に勝敗を占わせた。
その結果を受け「地水師(参考・ttp://kaiun.web.infoseek.co.jp/page027.html)」の卦を
旗に染めさせたが、どうしたことか逆さまになってしまい、
「水地比(参考・ttp://kaiun.web.infoseek.co.jp/page028.html)」になってしまった。
驚く政宗に、平野はますます吉兆だと進言した。
曰く、「三軍一和の占なり。軍中和親、一致して敵に向かえば、勝利必ず我に帰す」

人取り橋の結果は何度かスレで紹介されているので此処では割愛するが、
あたっているといえばあたっているような・・・・・・。
とりあえず、平野が機転を利かせたいい話かも。
900人間七七四年:2010/06/20(日) 21:42:41 ID:QVUlAqee
>>898
アームストロング砲は砲身が佐賀の建造した反射炉じゃ製造できないんで、
保有そのものは輸入の可能性があるんで別として、自作はかなり眉唾とされる
ぶっちゃけ戦場に意義のある数を投入できるほどの数を保有してたか疑わしい

実際には四斤山砲クラスの量産と保有が関の山だったんじゃないのかな
アームストロング砲云々は後から背びれ尾鰭がついた話なんじゃないかと

ただし、それでも当時の日本じゃ他藩の追随を許さないレベルだけど
901人間七七四年:2010/06/20(日) 22:20:42 ID:QZo9TtC5
>>900
山砲でも大砲を作れたのは凄いことだ。
902人間七七四年:2010/06/20(日) 22:45:52 ID:Oe4EYBGz
とにかく維新回天の世の流れを作った他の三藩とは違って戊辰戦争の戦力として重きを為したが故に
薩長土肥と並び称されるようになったという意味では、ちょっと独特な存在感ですよね。
903人間七七四年:2010/06/20(日) 22:46:25 ID:0vuNChVz
>>900
佐賀の藩校では西洋式軍学を相当前から教えてたんだっけ?
うる覚えなので聞いてみた
904人間七七四年:2010/06/20(日) 22:48:07 ID:mySbNpo8
フェートン号事件とかあって、海外に対する意識はトップクラスではあったみたいだな
あと黒船後に江戸幕府に大砲を頼まれてるとか最近読んだ本に書いてあった…ってそろそろスレチか
905人間七七四年:2010/06/21(月) 01:54:35 ID:EgyJUrxS
時は慶長二十年五月六日。
戦国時代の完全な終結を告げる大阪夏の陣の最中のこと。

この日の道明寺や八尾・若江の戦いに続き、翌日には豊臣軍と徳川軍の決戦が予期された。
天王寺口の徳川方先鋒大将は浅野長晟が予定されていたが、この日の会戦で少なからず損害を受け、
茶臼山方面へと下げられて代わりに本多忠朝がその任に当たることとなった。
忠朝にとっては念願の先鋒である。
喜び勇んだ忠朝はその夜、天王寺口第二陣のガラハゲ二世こと小笠原秀政の陣へと足を運んだ。

「ねんがんの うちじにのきかいを てにいれたぞ!」
「ころしてでもうばいとる」

兵力はこの正面に展開した徳川軍十五万に対し、豊臣軍は最大でも七万である。
だというのに、杯を交わすこの二人の将は討ち死にのことしか考えていなかった。
もちろん、それには彼らなりの理由がある。二人とも、この大阪の陣の間に拭いがたい恥辱を受けていたのだ。

忠朝は冬の陣の際、主戦線ではなく戦闘の発生しにくい今福に配され、配置換えを具申して家康に疎まれたと言う。
或いは、深酒が祟って合戦に遅参し、激怒した家康に面罵されたとも言う。
小笠原秀政は秀政で、夏の陣において自軍の進軍の遅れから秀忠にその怯惰を諸将の前で面罵され、
信濃の父祖の地死守のためにも生命をはなから捨てた働きをなすことを余儀なくされていた。

果たして翌日、死に物狂いの突撃を敢行する豊臣方毛利勝永の軍と本多、小笠原両隊は正面から激突する。
互いに死の物狂い両軍は一歩も引かない交戦を演じ、結果として本多、小笠原両隊は主将討ち死にという形で壊滅した。

この時の二人の死は、決して無駄にはならなかった。
結果として家康本陣まで豊臣方の突入を許したものの、討ち死にしてまで身を盾にしたのはこの二人だけ。
家康は涙を流して忠朝の兄忠政に「忠朝の死を無駄にしないように」と命じた。
兄忠政の家系が絶えた後、特に許されて忠朝の家系が少録ながらも大名本多家再興を許されたのは無関係ではないだろう。

小笠原秀政の系統も度々断絶の危機を縁者の相続許可によって特別に許され、
その温情を受けた上で宗家が絶えた後も次男の家系が唐津六万石を得て老中を出す栄誉に授かった。
その配慮の数々は、父祖の勲功、すなわち秀政が身をもって家康の盾となった故とされる。


ご先祖様、己の身命をもって子孫の危機を度々救うというお話。
906人間七七四年:2010/06/21(月) 02:13:23 ID:GK98L9UA
小笠原の本家は基本的に幕閣出せない家だしなぁ。
907人間七七四年:2010/06/21(月) 19:57:40 ID:lpF0lWJY
彼らの奮闘あっても旗奉行は旗を倒した
908人間七七四年:2010/06/21(月) 22:14:11 ID:+2uxxZe/
小笠原秀政って家康の影武者といわれている人物だよな?
事実を知ってる幕臣なら小笠原家を無碍にはできんわな。
でもなんで唐津にうつしちゃったんだろ?
909人間七七四年:2010/06/21(月) 22:32:29 ID:DTqHZ9Tv
大失敗した(弱い)大名に正面を預けるって、
危なくないか?
910人間七七四年:2010/06/21(月) 22:36:25 ID:gaLHNUsW
唐津だっけ?
小倉じゃなかったっけか・・・

幕末の小倉藩は小笠原ってのは覚えてるんだがな〜
911人間七七四年:2010/06/21(月) 22:50:54 ID:GNreA7DL
>>907
本多の面倒くさい爺様「倒れておらん!旗は倒れなかった!」
912人間七七四年:2010/06/21(月) 22:55:05 ID:s76c9VdC
>>911
彦左「き!きさま!わしの姓をあんな鷹匠上がりのものと間違えたな!?」
913人間七七四年:2010/06/21(月) 23:20:05 ID:5Cc2AET6
数日後、又一と共に死装束姿で彦佐と面会する>>911の姿が…
914人間七七四年:2010/06/21(月) 23:43:05 ID:Jj6Ph2uo
>>912
松平家忠「彦左がまたキレよったか・・・」
夏目吉信「フン…やつは三河武士文豪三銃士で一番の小物…」
915人間七七四年:2010/06/22(火) 00:02:43 ID:kVq3mY4/
>>912
本多の面倒くさい爺様と言うのは佐渡守ではなく鬼作左でござるよ。
山岡荘八では仲良かったではござらぬか。
許してあげなされ。
916人間七七四年:2010/06/22(火) 01:28:13 ID:DeyuEhHP
かんちがいも、さくざがしかる
917人間七七四年:2010/06/22(火) 02:40:42 ID:Bq+62bzK
>>910
本家が小倉。唐津は分家。

小倉藩は九州総目付の役割があるんで基本的に幕閣を出せない。
6代藩主だかが老中を目指して猟官運動した時に藩内が二派に分かれて
黒田藩やらを巻き込む大騒動やらかして取り潰されなかったのは
秀政・忠脩の活躍が大きいかと。
918人間七七四年:2010/06/22(火) 07:12:14 ID:92wo+7V+
文禄の終り頃、宇和島七万石の大名となった藤堂高虎は、家臣の居相孫作・服部竹助・大木長右衛門を呼んだ。

居相孫作は、高虎が羽柴秀長に従い、中国攻めに参加していた頃に召抱えた、但馬の土豪の次男である。
服部竹助は、そんな高虎に憧れて実家から飛び出し、そのまま高虎のもとに転がり込んだ同郷の士である。
大木長右衛門は、高虎が転々と主君を変え、近江をさまよっていた頃から若党として仕えていた男である。

いずれも高虎が無名に等しい頃から従っている、藤堂家最古参の男たちであった。
「ようやく、この高虎も大名としてデカい顔のできる身分になり、お前たちの苦労に報いることのできる立場になった。
そこでだ。この際、お前たちにそれぞれ千石を支給しよう!」

笑顔で宣言した高虎に、孫作は不満そうな顔を向けた。「な、ならば千五百石でどうだ!?」
竹助が、哀しそうな表情を浮かべてうつむいた。「うぬぬ…ならば二千石……」
「殿。」三人を代表して、長右衛門が不機嫌な声を上げた。「なんだ!何が不満だ!」

「千石も頂戴したところで、わしらに十人分の働きはできませんや。そんなら、わしらに下さるつもりの三千石で
百石の侍を三十人雇って下され。」(兎角拾人の働、壱人にてハ難仕得ば、百石づつにて三十人御召抱遊被候得。)

大名・藤堂和泉守の重臣として多大な知行を管理し、部下を使うことに追われるよりも。
軽輩でも良い、高虎の側近く仕え、侍・藤堂与右衛門の背中を追いかけていたい、というのだ。
「お、お前たち…」
三人の知行は元の六十石で据え置かれ、役目に応じて臨時収入の合力米があてがわれることになった。

その後、さらに高虎は出世し、伊賀・伊勢三十二万石の大大名となった。高虎は、また三人を呼んだ。
「これだけ家がデカくなると、古参にそれなりの待遇をせにゃ、若い者に示しがつかん。で、二千石でも三千石でも…」
「そんなら、茶なんぞすすって遊んで暮らせる程度に、もらっときましょうかね。」

三人は高虎の言葉をさえぎって言い、結局二百石以上は受けなかった。


ところで、この三人が『兎角拾人の働、壱人にてハ難仕』男たちだったかというと、大木長右衛門と居相孫作は、
高虎の各地での城普請の際、普請奉行を務めた。服部竹助に至っては、藤堂藩の飛び地二万石の代官を任された。
それでも一生を少禄で過ごし、高虎の側近く仕えた。そういう男たちだった。
919人間七七四年:2010/06/22(火) 07:48:35 ID:0Ezq00kI
本人たちはともかく家族/一族的にはどうだったのかね
現代人的な感覚からすると嫁や子供から疎まれそうな感じなんだが
920人間七七四年:2010/06/22(火) 08:29:16 ID:SZ/iZlMG
出世の白餅しかり、高虎さんの逸話って昭和テイストというか、コテコテな人情話が多い印象が
大河よりも、プロジェクトXとかALWAYS三丁目の夕日なんかの方が似合いそうな雰囲気
921人間七七四年:2010/06/22(火) 08:36:27 ID:2QQLZVTN
これは文句無しに良い話
922人間七七四年:2010/06/22(火) 08:52:03 ID:skn3RahF
>>919
こういう場合、奥向き同士で色々贈られたりするんじゃないかなあ
今でも田舎の方だと、零細社長の嫁さんが薄給部下の嫁さんに
色々気を配ってるみたいな
923人間七七四年:2010/06/22(火) 10:54:55 ID:SHe2mpS1
他の部下の手前もあるから、
そのあたりは奥向き経由でとか、
色々気は遣われてたんだろうね。
これはこれで面倒くさい話かもしれん。
924人間七七四年:2010/06/22(火) 17:38:17 ID:KJ5zVLR1
5ぴぴも動かんのじゃスキャるもできんw
925人間七七四年:2010/06/22(火) 17:40:18 ID:KJ5zVLR1
ゴメン誤爆w
926人間七七四年:2010/06/22(火) 18:45:31 ID:1FOE/wfd
kimo
927人間七七四年:2010/06/22(火) 20:58:16 ID:aEh4nY5I
FXか?
928sage:2010/06/22(火) 22:08:30 ID:FtuZjf/z
以前規制で投稿できないまま忘れてたのを思い出したので

「名将の降伏」1/2
大津攻めの後に柳川に帰還した立花宗茂だが鍋島軍の挑戦を受け止むを得ず戦った江上・八院合戦
何度も鍋島軍を蹴散らかすも多勢に無勢で敗北し立花軍総大将だった小野鎮幸も重症を負った
1600年10月23日深夜、宗茂は意を決し降伏するため加藤清正の本陣を訪れた
勝ったのは鍋島なのに何故訪問が加藤清正本陣かと云うと
立花軍総大将小野を討ち取るまで後一歩というところで加藤清正が鍋島軍に待ったをかけたからだ
宗茂に朝鮮の役で借りがある清正は宗茂を無為に死なせたくなかったし
黒田如水も鍋島軍と立花軍には消耗戦で兵力を損なわせず島津戦に使いたかった
そこで交渉は清正が受け持ち宗茂を助けるため鍋島に引き上げるように使者を送ったのだった
途中から東軍の鍋島にとって最初から東軍の清正と如水が相手では分が悪い
鍋島は名将の降伏というクライマックスシーンを清正に譲る羽目になった

清正は数名の供だけを連れて来た宗茂を丁重に迎えると言った
清正「毛利輝元と宇喜多秀家に謀られたのでしょう。
立花殿の行動は豊臣家への忠義のためにしたことなのは誰もが認めるところです
徳川殿には自分が取り成すので、これよりは東軍の先手として尽くされよ」

清正の言葉は宗茂の気持ちのどこかに響いたらしい。名将は落涙と伝えられている
宗茂は清正に丁重に謝意を述べると今後は東軍に従がうことを約束した
929sage:2010/06/22(火) 22:20:23 ID:FtuZjf/z
「名将の降伏」2/2

これで終るかと思ったら清正本陣でハプニングが起きる
何故か馬が1頭、突然暴れ出し引き綱を切って本陣ないを走り回った
清正の本陣は馬を押さえようと騒ぎになったのだ

さて、主君宗茂の帰りを今か今かと待っていた柳川城
3の丸から清正の本陣の騒々しさに気づき
立花兵「あの騒ぎ!さては主君宗茂を謀り殺したのではないか!」と勘違い
籠城だ!弔い合戦だ!と騒ぎ出し清正本陣の様子を見ようと3の丸に続々兵が集まりだした

一方、部下から騒ぎの報告を聞いた清正は、ただちに柳川城へ使者を出した
清正の使者は大声で柳川城に向かって叫んだ
使者「ただいまの騒動は暴れ馬のせいでござる!和議は無事整ったので、貴公らの主君は、間もなく戻られるゆえ安堵なされよ!」

柳川城内は半信半疑で今にも暴発しそうなのを留守を預かった薦野増時が必死で宥めた
立花兵にとっては気の遠くなるような待ち時間だっただろう
やがて宗茂が「ただいま」と何事もなく戻ったときには歓声が上がったそうだ

立花宗茂、生涯ただ一度の降伏の話でした
ソースは筑後郷土史研究会のHPより引用しました
930sage:2010/06/22(火) 22:27:01 ID:FtuZjf/z
>>928
×名将は落涙と伝えられている
○名将は落涙したと伝えられている

>>929
×切って本陣ないを走り回った
○切って走り回った

まとめに載せる時は3の丸も三の丸で

誤字ミスだらけで申し訳ない
宇喜多さんとこでお茶飲んで来ます
931人間七七四年:2010/06/22(火) 22:40:57 ID:ZxSHuiZ5
>>930
宇喜多つ旦←石見銀山茶
932人間七七四年:2010/06/22(火) 23:28:21 ID:80lelMCz
そういうので父も祖父も亡くした家康公が不憫だ。
933人間七七四年:2010/06/23(水) 09:14:49 ID:KfLH3pnh
暴れ馬はいつも迷惑だなwww
934人間七七四年:2010/06/23(水) 12:53:19 ID:i3aKJLJz
>>909
事前の戦闘計画がどーなってたから分からんから何とも言えんけど、
包囲殲滅を狙ってたとしたら正面は柔らかいほうがいい。
カンネーでハンニバルが正面にガリア人を配置したのと一緒。
935人間七七四年:2010/06/23(水) 15:19:37 ID:+ac/qmHm
肉を切らせて骨を絶つって作戦ですな!
936小田某:2010/06/23(水) 20:25:33 ID:MbvzIasE
正面に弱い味方を立てれば包囲殲滅できるのだな!

よし、憎き上杉輝虎の命運もこれまでよ
937人間七七四年:2010/06/23(水) 21:58:43 ID:raoaNg8M
あかん、あんたの隊が一番弱い隊や
938○十:2010/06/23(水) 22:44:00 ID:mlpTQ5iw
餌には本気で戦って敗走して貰うのが一番良い・・・
939人間七七四年:2010/06/23(水) 22:55:30 ID:joZyG2yA
ジャーンジャーン
940人間七七四年:2010/06/23(水) 23:02:39 ID:oUKT2PB2
げえ
941人間七七四年:2010/06/24(木) 02:02:16 ID:QcqK+GXM
鬼武蔵!?
942人間七七四年:2010/06/24(木) 02:33:38 ID:AJgfe+/W
>>941
南の方の鬼武蔵爺ちゃんですな
943人間七七四年:2010/06/25(金) 11:01:15 ID:kiHVykoh
>>410から時は流れ、多くの人に支えられながら一命を拾った島津義弘はもちろん、その子である忠恒も既に亡く、
二代藩主・光久の治世となっていた明暦のころ。
江戸に出ることになった光久の嫡子・綱久は、薩摩阿久根港から本州に向かう船を待っていたが、
阿久根に程近い出水の地頭のことを思い出し、関ヶ原の話など聞こうと召し寄せた。

齢八十にならんとする山田有栄は、
「この年になると、目も良く開きませんでな。」と、瞼を指で押し開いて綱久一行を見回すと、言葉を続けた。

「さて、かの退き口のこと、残らずお話しいたしましょう。



・・が、それには若殿はじめ皆様、三日ばかり絶食していただけますか?今の有様では、とても話せませんな。」

そう言って、また瞼を指で押し開いて綱久らを見回した。ここでようやく一同は、有栄が何を見ているかに気づいた。
有栄は、綱久の近習たちの着物を見ていた。粗末な木綿の裃を着た有栄に対し、近習たちは絹の羽織を着ていたのだ。

「食うや食わずで逃げた先祖の苦難も忘れ、贅沢にふける小僧どもに、中馬大蔵が絶句するほどの話を語れるか!」
と言ったところであろうか。綱久はじめ若者たちは、言葉もなく恥じ入ったという。
944人間七七四年:2010/06/25(金) 22:03:16 ID:RzAGyi7B
朝鮮征伐の頃のこと
本営名護屋において豊臣秀吉は無聊をかことうと、御前相撲を開催した。

さてその相撲において、加藤清正家臣、毛谷村六助(貴田孫兵衛)が強い強い。
その勝ちに興をそえようと、秀吉の御伽衆、曽呂利新左衛門は六助が勝つたびに
負けた相手の狂歌を作った。

石田三成の家臣太山伯耆(ふとやまほうき)は、六助に突き飛ばされると三成の前に吹っ飛び
なんとその頭を蹴り飛ばしてしまった。そこで曽呂利

『ほうきだけ 土俵の砂をかき下がり 主人の頭けるはふと山』

次に挑戦したのは渡辺勘兵衛了、これは六郎にあっさりと土俵の外に掴み出された。
そこで曽呂利

『渡辺は かねて手取りと聞きたるに つかみ出されてくやしカンベエ』

今度は可児才蔵が挑戦、こちらははたき込みで敗れた。
ここで曽呂利

『はさみ手を 取られてカニ(可児)の負け相撲 横にはうのを前にはうとは』


以上、落語『御前相撲』の一席でございました。
945人間七七四年:2010/06/25(金) 23:31:01 ID:B5OrUO8B
うまいなあ、よくもまあすぐに作れるもんだ
946人間七七四年:2010/06/26(土) 00:30:50 ID:eXmJn4T4
可児才蔵だったら相撲で負けた後に「次は槍で勝負するぞ」とか言い出しそう。
947人間七七四年:2010/06/26(土) 00:38:10 ID:YkMKvMQV
「次は槍で勝負しようぜ、ただしお前は一人で来いよ」ですね。
948人間七七四年:2010/06/26(土) 01:19:20 ID:58srF2uq
>>943
ほぉ、黄金の鞘の人は長生きしたんだな
この人はもうちょっと早く生まれておけばデ新納さん以上の大物になった気がするわ
949人間七七四年:2010/06/26(土) 08:33:49 ID:WadOYW56
信濃の国の鬼神退治

昔々信濃の国の虎空蔵山という所にに鬼神が住んでいて人民を悩ませていたそうな。
ある男がその鬼神を討伐に向かったのだが、とても人間が太刀打ちできるものではない。
そこで男は水内八幡宮で願いたてをすると槍を授かった。
その槍は不思議な事に夜になると松明に変わり、その槍で鬼神を退治する事ができたそうな。

やがて時が流れ、その男の息子が13歳の時に合戦に初めて参加する事となった。
男は息子に「まだまだ若いのに初陣なのだからこの槍を与えよう」とこの槍を授けた。

息子は長じて名将となりこの槍を持ち主を最後まで支え続けた。
その槍の名は小松明、息子の名は矢沢頼綱という。

小松明の由来のお話。
950人間七七四年:2010/06/26(土) 08:44:12 ID:0DfDK7C8
こまつ あきら?
951人間七七四年:2010/06/26(土) 08:46:20 ID:Z78R8Xrm
鬼と見て武蔵か!と思って読んでました・・・
すいませんでした;;
952人間七七四年:2010/06/26(土) 08:56:10 ID:v1iw5Pkl
俺も鬼武蔵が退治されるのかと思った。
953人間七七四年:2010/06/26(土) 09:02:28 ID:WadOYW56
一度でいいから見てみたい人間無骨を持った鬼武蔵と小松明を持った矢沢頼綱の合戦。
954人間七七四年:2010/06/26(土) 09:05:34 ID:C9MLQUdA
小松明のいんちき能力を前にしては、人間無骨はただの切れ味のいい槍でしかないなw
955人間七七四年:2010/06/26(土) 10:17:28 ID:/g19A0mp
夜は槍として使えないのか
956人間七七四年:2010/06/26(土) 10:30:03 ID:0DfDK7C8
夜襲に使えないな。
こちらの位置が丸わかりだ。
957人間七七四年:2010/06/26(土) 10:59:33 ID:55XHXEAE
>>950
小松明(こたいまつ)
958人間七七四年:2010/06/26(土) 11:01:03 ID:OMG0jZhh
なんか気の強い奥方のような名前ですねw
959人間七七四年:2010/06/26(土) 11:55:38 ID:WGdq1IHk
まーくんの直筆書状が新たに発見とな
960人間七七四年:2010/06/26(土) 13:54:27 ID:dVXxZFcv
>>956
しかし頼綱はフツーに夜襲しているという……
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3842.html
961人間七七四年:2010/06/26(土) 15:41:32 ID:aF+hBYFB
虎空蔵山って多田満頼も妖怪退治してなかったっけか
962人間七七四年:2010/06/26(土) 16:50:47 ID:sFb48Sr4
>>944
太山伯耆って大山伯耆のことだよね
落語ではふと山になってるのか?
963人間七七四年:2010/06/26(土) 22:56:36 ID:iKXMu6ng
>>962
実在人物を歌舞伎や浄瑠璃にする時に微妙に名前を変えるのと同じなんじゃない。
武智日向守とか真柴久吉とかさ。
964人間七七四年:2010/06/27(日) 00:43:36 ID:ggZ+o18t
杉原親憲「その程度の表記の違いはよくあること」
965人間七七四年:2010/06/27(日) 10:42:02 ID:+SDBbP42
>>949

こういう鬼退治の逸話が作られるってことは
真田頼昌はよっぽど武勇に優れてたってことか。

しかし幸隆には小松明を与えなかったってことだよねコレw
無くても大丈夫だろうと思ったのか、
持っててもしょうがないと思ったのか。
966人間七七四年:2010/06/27(日) 13:35:53 ID:cETv7P+I
>>964
秀忠「うむ。杉と水のような間違えやすい字の場合はいたし方あるまい」
967人間七七四年:2010/06/27(日) 21:36:09 ID:WknzRqrx
首都圏で霊的な良い話のスポット無いの?
968人間七七四年:2010/06/27(日) 21:47:53 ID:K2nNceci
>>967
おまえんち
969人間七七四年:2010/06/27(日) 22:36:01 ID:bpDOvLfE
市川茂右衛門と加藤甚九郎は、鳥居元忠の家来であった

慶長5年(1600)彼らは関東の元忠の所領にいたが、蜂起した石田三成等の軍勢により
元忠の主伏見城が囲まれたということを聞くと、取るもの取らず、急ぎ伏見に向かった。

ところがその手前に大津城主、京極高次によって関が設けられ、怪しいものが通らぬよう
人改めをしているという話が聞こえてきた。
そこでこの両人は急ぎ出家の姿になり、わずかばかり覚えていた経文をとなえ、
これによりどうにか関を通過した。

だが伏見城は西軍に厳重に囲まれ、どうにも入城する方法がない。
そこで二人は京に上り、鳥居元忠が常々懇意にしていた、佐野四郎右衛門と言う
町人のところに行った。

「我々は、どうにかして伏見城に入りたいのだ」

伏見城は大軍に囲まれ援軍の当てもなく、誰が見ても落城は時間の問題であった。

それでもなおこのように言う二人に、四郎右衛門は感動し、両人のため具足、槍、薙刀を用意、
密かに城内と連絡を取り、7月末日の夜、二人は無事、入城に成功した。

彼らは鳥居元忠と共に討死し、見事本意を遂げた。

また、この佐野四郎右衛門は、伏見落城の後、大阪で獄門に掛かっていた鳥居元忠の首を
盗み出し、京に持ち帰り葬儀を行ない、さらに知恩院の寺内に龍見院という寺を建て、そこで
元忠の霊を厚く弔った、とのことである。

町人、佐野四郎右衛門の、義侠についての逸話である。
970人間七七四年:2010/06/27(日) 22:49:34 ID:FuDqvqoT
>>969
出家の姿になり、というのは
頭も丸めたという意味なのかな。
971人間七七四年:2010/06/27(日) 22:51:13 ID:bpDOvLfE
>>970
そういうことですな
972人間七七四年:2010/06/27(日) 23:29:04 ID:EtqXN1hS
>>969
家来も天晴れとしか言えん奴らだな
イイハナシダー
973人間七七四年:2010/06/27(日) 23:42:33 ID:92jvn3n7
面倒臭い三河武士のことだから伏見城に入城した時に「何で殿の元へ行かなかったのか!」とか言われてそう。
974人間七七四年:2010/06/28(月) 00:16:43 ID:jGVV42iW
この者達の子孫は厚遇されているの?
975人間七七四年:2010/06/28(月) 00:51:09 ID:v+SPD03B
>>974

東照大権現「お前たちも自分の子孫が可愛いか!?」
976人間七七四年:2010/06/28(月) 00:57:39 ID:byBVe5DO
>>969
名のある武士にも出来ない事をやってのけるとはスーパー町人だなあ
977人間七七四年:2010/06/28(月) 09:39:20 ID:8iggxO7F
鳥居勝商はその辺の武将と同程度の立派なお墓だったが
子孫がどの様に扱われていたのだろうか?
978人間七七四年:2010/06/28(月) 12:52:52 ID:9VyHiFu3
鳥居勝商の子孫は奥平信昌の四男、松平忠明を祖とする奥平松平家に仕えた。
1500石だから大身だね。
奥平家にとっても家運を開く合戦だったわけだし墓も立派になるさ。
979人間七七四年:2010/06/28(月) 17:01:12 ID:AsMZk7bf
そろそろ新スレたててみる
980人間七七四年:2010/06/28(月) 17:03:35 ID:AsMZk7bf
だめだった…orz
誰か頼みます

↓スレタイ

戦国ちょっといい話21

↓テンプレ

戦国のホロリとくるエピソードを挙げていこう

戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/
書き込む際にネタがかぶっていないかなどの、参考にしてください

前スレ
戦国ちょっといい話20
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1274087812/

姉妹スレ
戦国ちょっと悪い話20
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1274696398/

このスレの武将などに対する愛称等の、用語解説はこちら
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2161.html

逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
981人間七七四年:2010/06/28(月) 17:43:47 ID:cOFsRFvL
ん。行ってくる
982人間七七四年:2010/06/28(月) 17:46:46 ID:cOFsRFvL
983人間七七四年:2010/06/28(月) 17:52:30 ID:AsMZk7bf
>>982
乙です。ありがとうー。
984人間七七四年:2010/06/28(月) 17:57:00 ID:9KDLaeHt
>>982
乙ー
985人間七七四年:2010/06/28(月) 23:15:07 ID:AsMZk7bf
埋めがわりに

慶長15年(1610)10月14日、徳川家康の滞在する駿府城において火災が起こった。
この時駿府城にあった松平正綱は、御納戸に向かいそこから晒し布を取り出しはじめた。

「火災の中そんなものはどうでもいいではありませぬか!?早く逃げないと!」
そんな非難に正綱

「そうではない、こうするのだ!」

彼はその晒し布を結びあわせ、数箇所の石垣の上から、地面へと垂れ下がらせた

「この布を伝って石垣の下に避難せよ!!」

正綱のこの機転によって、城中の多くのものが無事に退去できた。
家康は正綱の措置を大いに褒め、新たに三千石を加増、さらに自筆の御黒印を下賜したとの
ことである。

ちなみにこの松平正綱、あの有名な知恵伊豆、松平信綱の養父である。

知恵伊豆の養父も知恵者であった、と言うお話。
986人間七七四年:2010/06/29(火) 13:30:56 ID:aELtbzK+
>>978
現存する鳥居家見てみたいな。

にしても武将の墓ってショボ過ぎるよな!
うちのほうが遥かに立派だw
987人間七七四年:2010/06/29(火) 20:52:05 ID:hhJXXK2Y
埋めに大蔵系嫡流原田氏最後の姫君、輝姫の伝説「落石さま」

話は天正14年(1586年)4月、当主の原田信種が一人娘の輝姫14歳を逃がすとこから始る
当時は豊臣秀吉の九州征伐で、原田氏は島津に従がっていたので、いつ攻撃を受けるか分らない状況だった

信種「姫は乳母とともに乳母の郷里に逃げるのだ」
輝姫様「いやです!弟の嘉種も残るのでしょう?!姫も共に戦います!」
信種「嘉種は若年だが嫡男ゆえ城に残るのだ。女子のそなたは今後、原田の家がどのように零落しても生き延びるのだ!」
姫君は乳母と供を一人だけ連れ高祖(たかす)城を出た


乳母「おちいさま(輝姫を乳母は、こう呼んでいた)お労しい・・・」
城の中しかしらぬ姫君が慣れぬ足で歩き続け、乳母の郷里で漁村の野北(のぎた)浦に辿りついた
乳母の夫は「殿様が・・・ワシら夫婦を頼れを言って下さったのか・・・もったいねぇ!」
と喜んで受け入れ、村人たちも姫君の境遇に同情し海の幸、山の幸と食糧を提供した

やがて野北浦に父の高祖城が秀吉軍によって落城した話が伝わる
それを聞くと姫君は、立ち上がり振袖の裾を千切ると乳母夫婦に宣言した

輝姫「今日よりは一人の娘です。いつまでも人様の情にすがり続けるわけには参りません。私は魚を行商して稼ぎます」
乳母夫婦が必死で止めたが姫君の決意は固く、その日から魚を担いで村々を回り売り始めた
姫様は名前を輝姫からテルと改め、手広く行商し、かつて姫君として暮らした高祖まで売り歩きました


村人は「なんと雄々しい姫様じゃ。ワシらの娘にも見習わせよう」と褒め称え
野北浦では「娘は魚の行商を経験してからが一人前の女だ」とまで言われるようになる
やがて輝姫・・いえ、おテルは村の漁師と結婚し平凡だが幸せな家庭を築いたそうだ

姫君が亡くなると村人は彼女を「行商の神」として祀りお堂を建てました
それが福岡県志摩町野北の戒宝寺に残る「落石さま」堂です
名前の由来は、乳母が輝姫様を「おちいさま」と呼んでいたのが
「落石(おちいし)さま」に転化したと言われています
今は訪れる人も疎らとなっていますが、毎年9月1日が御祓いの日だそうです

ソースは糸島市史を紹介したHP
988人間七七四年:2010/06/29(火) 21:16:42 ID:3Wh1ryy3
おちいさまと結婚した漁師になりたい
989人間七七四年:2010/06/29(火) 21:24:36 ID:hhJXXK2Y
通常なら手が届かぬ高嶺の花で神様に祀られるほど稼ぐ働き者の女房
漁師は人生の勝ち組















料理の腕はメシマズな可能性
990人間七七四年:2010/06/29(火) 21:28:00 ID:ogfLxMdC
一瞬「原田氏最強の姫君」にみえて、筋肉モリモリの姫が巨岩を投げて戦う話かと思った。
991人間七七四年:2010/06/29(火) 21:37:09 ID:bQ3hroq7
ここのスレ見てるとそういう話もどこかにありそうに思えてくるから怖いw
992人間七七四年:2010/06/29(火) 21:38:26 ID:45Jml0ua
大坂で原田直政が死ななければもらったかも知れないのかな。
993人間七七四年:2010/06/29(火) 21:41:34 ID:hhJXXK2Y
>>990殿を婿候補として、ぜひ手合わせ願いたいと某本○家の姫君が捜してます
994人間七七四年:2010/06/29(火) 22:36:33 ID:7xqS2Teb
>>989
当時、一般庶民に『料理』って発想はねーよw

食えるかどうか、腹いっぱいになるかどうか、それだけ。
995人間七七四年:2010/06/29(火) 23:44:05 ID:ogfLxMdC
やっぱり白いお米のご飯が一番のご馳走かねえ…
996人間七七四年:2010/06/30(水) 07:57:55 ID:A2H6Iwv0
そらね
塩かければ何杯でもいける
997人間七七四年:2010/06/30(水) 16:40:25 ID:vBiJrs+f
直江「蓼は余計です」
998人間七七四年:2010/06/30(水) 18:01:58 ID:VJiXiCvV
麦や雑穀もそれなりだと思うんだけどな
999人間七七四年:2010/06/30(水) 18:59:42 ID:yEY2/giX
↓1000を取る権利をやろう
1000人間七七四年:2010/06/30(水) 19:03:34 ID:HH9fxIUN
戦国おっぱいパブ
乳御前で今日もハッスルハッスル!
10011001
      /    `ヽ、
      ー┬――─‐ァ
      / ̄ ̄ ̄ ̄,l,
    _/     ,、r'" _」
.    | ̄ ̄ ̄ ̄ ,、r:''゙ヽ、
   /`'''''''''''''''''''" ヽ::::::::::ヽ
   /  秀家    ゙ヽ:::::::::',   ごくろう。このスレはみごと統一された。
  ゙|゙゙゙'''   ‐‐''""'  ';:::;r==,、  さすればおぬしらには次スレの攻略を命ずる。
.  |エi> ,'  イiエ>  レ'゙,r .,l }  
  i.  /         Y./ノ   さあ泳いでゆけ、現代のもののふたちよ!
  l  {  .、          /      
  ',  ` ''  '       rTヲ
   '、 `'ー‐''"    / lzュ、__
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