毛利輝元が大阪城に立て篭もった!!

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1人間七七四年
「そちが、毛利中納言か、余を頼むぞ」
城には毛利本隊に立花宗茂などの無傷の九州勢が数万。関ヶ原の敗軍も集まり10万近い兵力。
島津義弘、立花宗重、小野木公重などの西国の名だたる無精が揃い踏み。
前田や豊臣恩顧の大名などは大阪城には当然、刃を向けれず。。
家康はどう動く?
2人間七七四年:2008/04/24(木) 02:18:55 ID:/DPAGSGj
駄スレ終了。。。
3人間七七四年:2008/04/24(木) 02:20:08 ID:iG4zyz9a
素通りして毛利領を切り取り自由にするでしょうな
当然、豊臣恩顧の大名は領地欲しさに殺到するでしょうな
おまけに吉川も連帯責任取らされてアボンですな
4人間七七四年:2008/04/24(木) 02:30:38 ID:/DPAGSGj
< 3
信長の野望をやりすぎ。ゲームのような発想です。
5人間七七四年:2008/04/24(木) 02:31:58 ID:l/61V/i2
そこで黒田の出番ですよ
6人間七七四年:2008/04/24(木) 02:39:16 ID:iG4zyz9a
>>4
はいはい毛利厨毛利厨

大坂城に立て篭もってる兵は五万くらい
家康も三成も秀頼のためという大義名分を掲げてるのに
無理に力押しするわけないだろうが
むしろ攻めるとしたら吉川こそ先陣を切らされることになるだろうよ
で、両方アボン

毛利なんか所詮は負け組み
好きなように料理できるんだよ
むしろ、120万石全部いただけるんだから棚ボタなんだよ
7人間七七四年:2008/04/24(木) 03:09:44 ID:xv5aypYn
小野木公重って誰?
8人間七七四年:2008/04/24(木) 03:18:16 ID:+Z5tEkA9
>4
>信長の野望をやりすぎ。ゲームのような発想です。
そうでもないだろう?
よく考えてみろ。
徳川家康本隊だけなら厳しいが徳川秀忠の旗本部隊がいることを想定しろよ。

そんなに無理なことか?
9人間七七四年:2008/04/24(木) 03:27:55 ID:+Z5tEkA9
まあスレ立てた本人が>>2で「駄スレ終了」と言っているわけなんで終了!
10人間七七四年:2008/04/24(木) 07:37:56 ID:AVRXBxAG
マジレスすると上杉が最上を滅亡させた時点で伊達が西軍化確定し佐竹義宣も腹を決めて宇都宮復興をかけて協同で下野乱入し結城・蒲生・那須らを大破し利根川を渡河し江戸へ進出。
家康は急遽秀忠を江戸へ向かわせる一方で大坂方へ和睦交渉。
豊臣恩顧の東海大名の寝返り外交活発化。
北九州が黒田如水と加藤清正によって制圧され第三勢力化する。
関ヶ原戦勝に伴い石田や小西らが捕われ失脚化した時点で福島らも家康から距離をおき始める。
家康が江戸を奪われたあげく大坂に和睦して伊豆一国安堵。
豊臣家から上杉に五大老筆頭に任じられ相模・武蔵・越後・会津などを支配
佐竹が下総・上総・安房と寄騎として下野の宇都宮家再興を許される。
11人間七七四年:2008/04/24(木) 10:25:12 ID:/oB8fBuq
>>10
反石田・小西だけで東軍についた奴が実際いるわけないだろ…
12人間七七四年:2008/04/24(木) 10:31:52 ID:Be66mdmS
上杉は最上にフルボッコされてますが・・・
13人間七七四年:2008/04/24(木) 10:37:48 ID:+DWTV022
上杉厨とみせかけた佐竹厨か
14人間七七四年:2008/04/24(木) 12:36:21 ID:YPKXsAmw
昔々のことじゃ。
仙台藩に姉歯武之進なる武士がおってな、大層執念深い男だったそうじゃ。
武之進は和平の交渉にやってきた長州藩の藩士を福島まで追いかけて惨殺したそうじゃ。
あろうことかその首を肥溜めのウンコに漬けて、それを眺めて楽しんだそうじゃ。
おかげで仙台藩は朝敵とされ、三百年の栄華を誇った仙台藩は壊滅させられたのじゃ。
怖いのう・・・

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   ( ´Д`)      i    (・д・) ∧∧::::::::::
  /::: Y i     ,-C- 、( y  (゚Д゚ ) ::::::::
 /:::: >   |    /____ヽ (___、|_y∩∩ ::::
 |::::: "   ゝ   ヽ__ノ   (__(Д` ) ::
 \:::::__  )//    // っ⊂L∧ ∧
                   ∧ ∧ (  ;;;;;;)
こんな昔話は子供の教育に悪いのお・・・きょうてえのぉ・・・
こらえてつかあさい
15人間七七四年:2008/04/24(木) 14:44:22 ID:a7sRH7Y1
普通に総攻撃で秀頼処刑 輝元改易だろ
豊臣を庇う奴なんていないよ
16人間七七四年:2008/04/24(木) 14:51:07 ID:l/61V/i2
この段階で秀頼攻撃すれば福島が家康を討つよ
17人間七七四年:2008/04/24(木) 14:51:44 ID:4rZP7aSb
宇喜多の残党に殺されて終了
18人間七七四年:2008/04/24(木) 15:09:07 ID:iG4zyz9a
しかし

毛利=秀長=信秀=三好厨の立てるスレは

相変わらずゲームレベルだな
19人間七七四年:2008/04/24(木) 17:06:39 ID:+Z5tEkA9
>>18
うぜえ!
20人間七七四年:2008/04/24(木) 18:01:00 ID:lhGvdr1N
>>18
三好自演厨の立てたスレなんか放っておけよ
こんな自演カス、どこ行っても叩かれてるゲーム脳だし
相手するだけ損
21足利義満:2008/04/24(木) 21:14:39 ID:+Z5tEkA9
>>20
うぜえ!
叩くだけなら消えろ!

すでに>>9でも言っているがこのスレは終了!
22人間七七四年:2008/04/24(木) 21:31:43 ID:T1hCjGvr
まともな兵が立て篭もった大坂城は力攻めでは落としようがないし、兵糧攻めにしようにも
大坂の米を回収された後なら、十数万の東軍のほうが飢え死にしてしまう。

ただ関ヶ原の戦いがあったのは10月21日、各地から集めれば米は足りるかもしれない。
だけど冬になればますます厳しくなるだろうし、東北ではにっちもさっちも行かなくなる。

東軍は空中分解。三成等は改易。数年後に秀頼が大将で家康と激突。
23人間七七四年:2008/04/24(木) 22:11:10 ID:+Z5tEkA9
兵糧なら関ヶ原で敗れ去った西軍の物を回収すればいい。
さらに東海道沿いの兵糧・関東の兵糧があるから何とかなるだろう。
それでも不満なら前田から兵糧を徴収することもできる。

毛利は大坂に立てこもる気だが総大将がいない本国の防衛機能は脆いぞ。
東からは東軍、西からは黒田が恩を売りに兵を進める。
瀬戸内からは加藤や生駒の軍船が接近。
本国の毛利領が劣勢、または壊滅しようものなら大坂城内の毛利の発言力は低下。
大坂城は開城派と籠城派に別れることは想像できそうだが。
24人間七七四年:2008/04/24(木) 22:58:42 ID:T1hCjGvr
挙兵の首謀者とされる三成が大坂城に居ない以上、責める理由がなくなる大名も少なくないだろうし、秀頼が
総大将に祭り上げられれば寝返りはしないまでも中立になったり、国元に帰ったりする大名も出てくるだろう。

九州にはまだ無傷の島津がいるし、状況が変われば黒田も、清正も、鍋島もどう転ぶか分からない。
毛利がいつまでも本国を離れていられないのも事実だが、それは徳川も同じ。
東軍と西軍、先に分裂したほうが負けなのかな。
25人間七七四年:2008/04/24(木) 23:18:25 ID:a7sRH7Y1
東軍についた大名は保身と豊臣への恨み憎しみが主な理由だからむしろ我先にと攻めかかるだろうよ
秀頼や輝元を討ち取ればこれほど家康への恩はないだろうしな
26人間七七四年:2008/04/24(木) 23:26:59 ID:iG4zyz9a
ID:+Z5tEkA9=痴呆症?

>>21で、
>すでに>>9でも言っているがこのスレは終了!

こんな泣き言叫んで勝手にスレを仕切っておいて
1時間には、もう自分でレスしてるしw

オマエ、言ってることとやってることが支離滅裂だな
さすがは三好=北条厨
27人間七七四年:2008/04/24(木) 23:36:42 ID:dHm/UokN
>>23
黒田なんて、状況が変われば、即座に裏切るんじゃね?
息子と違って、そもそも明確に東軍というわけではない。
28人間七七四年:2008/04/25(金) 00:34:26 ID:cXJJqS1P
いや、そもそも整理しときゃならないのは

東軍=反秀頼。西軍=豊臣正規軍

これは大間違いだからな

両軍とも豊臣家のためと騙って軍を召集してる以上
勝った家康がこの時点で秀頼を攻撃する形になんか持って行くはずないのさ
敵は毛利だ!と、毛利領を攻めるに決まってるんだよな

つまり>>1は最初の時点で、いきなり妄想が崩壊してんだよ
それが皆がゲーム脳とバカにする理由なわけで

毛利が自領を完全に駆逐されても大坂城に立て篭もり続けたとしても
それは大坂の陣を早める結果にしかならないわけで、自ら滅びに行くようなもの
29人間七七四年:2008/04/25(金) 01:18:08 ID:+hCC2FN4
ヒデヨリ押さえた毛利が圧倒的に優位じゃね?
30人間七七四年:2008/04/25(金) 05:46:16 ID:9TF+dsQM
>>27
>黒田なんて、状況が変われば、即座に裏切るんじゃね?
黒田如水は気を見るに敏なりな武将だから関ヶ原合戦が決着した以上、
家康に恩を売る行動に出ると思うよ。
毛利領に接した好条件の領地をわざわざ棒に振ることはあるまい。
逆に毛利に組したら九州勢の攻撃の矢面に立たされるよ。
息子の長政は家康派として終始行動している以上、
せっかくの勲功を放棄するとも思えないし。
31人間七七四年:2008/04/25(金) 07:16:02 ID:11Em17cm
大阪城はまず落城しないから徳川は包囲が限界。
如水は九州平定を優先するから毛利領で本格交戦しないし清正も同調してる…しかし島津はかなりの強敵。しかも如水も独自勢力になり息子に手紙などで東軍撹乱の謀略を指示しそうw
豊臣恩顧大名に関ヶ原で石田・小西が捕縛され失脚した以上は大阪城まで攻める理由がない。
上杉が最上を滅亡させれば東北は西軍化し佐竹も参加し江戸に秀忠を派遣せざるおえない。
上記の理由もあり毛利領が危機的になる事はないし宇喜多らの支援もあるから何とか意地できるし大阪城包囲組から兵を割いて派遣も難しい。
この状況下でいつまでも家康に味方するやつはいないだろうから石田らを捕えて闘う名目もなくなるわけだから西軍有利の和睦提案となる。
上杉・佐竹組がかなりの脅威になるだろう。
32人間七七四年:2008/04/25(金) 07:29:57 ID:r5rrV3rB
>>30
その「決着」というのが、何を指しているのか。
関ヶ原の戦場での勝敗「だけ」なのか、
佐和山が落ちたあたりの、追撃戦の勝敗まで含めたものなのか、
輝元の大阪城退去までを含めた総合的なものなのか。
如水は粗忽なタイプではないから、そのへんまで見極めて動きそうな予感。


輝元が大阪にこもれば徳川方が毛利領を攻めるとかは問題の外。
輝元が退去していない状態ならば立花他無傷の戦力がまだ温存されてるし
宇喜多秀家も岡山に帰り着く可能性が出てくる。
その状態で広島まで遠征は無理だろ。
33人間七七四年:2008/04/25(金) 07:50:08 ID:9TF+dsQM
>>31
>大阪城はまず落城しないから徳川は包囲が限界。
賛成。
長期戦ならまだしも短期戦で落とすことは無理でしょう。

>如水は九州平定を優先するから毛利領で本格交戦しないし清正も同調してる…しかし島津はかなりの強敵。
>しかも如水も独自勢力になり息子に手紙などで東軍撹乱の謀略を指示しそうw
九州平定は北部だけでいいんじゃないかな?
島津を攻める必要性は無いし島津は討って出ないと思うよ。(黒田が島津領に攻め込んだら別ですが)

>豊臣恩顧大名に関ヶ原で石田・小西が捕縛され失脚した以上は大阪城まで攻める理由がない。
西軍の総大将は毛利であって石田ではないよ。(作戦命令は毛利の名義で出ています)

>上杉が最上を滅亡させれば東北は西軍化し佐竹も参加し江戸に秀忠を派遣せざるおえない。
九月三十日まで上杉・最上戦が続いているよ。

>宇喜多らの支援もあるから
宇喜多騒動で戸川・岡・花房などのほとんどの武闘派家臣は東軍に参加している。
唯一の武闘派の明石も関ヶ原で壊滅、逃走中。

>西軍有利の和睦提案となる。
関ヶ原合戦で敗北していて有利になると言うのはチョット強引だと思うよ。
34人間七七四年:2008/04/25(金) 08:01:50 ID:9TF+dsQM
>>32
黒田如水は関ヶ原合戦の前から既に東軍として戦に望んでいます。
関ヶ原合戦で東軍の勝利の報に接しても西軍を攻めています。
この行動を元に家康に恩を売る行動に出ると書きました。

決着云々についてはこの行動を見て判断して下さい。
35人間七七四年:2008/04/25(金) 11:09:21 ID:rG5PrQe0
毛利が大坂で抵抗の姿勢を見せたら、まあ何処ら辺で手を打つかという話になるだろ。
36人間七七四年:2008/04/25(金) 12:15:32 ID:9G8xoLSE
上杉勢の勢いが止まらなくなりそうだ
37人間七七四年:2008/04/25(金) 12:19:34 ID:E+ouEyVz
輝元が大阪城を撤退した時の情勢は既に東軍勝利の段階だと思う。
勿論関が原が最大の理由だが、各地の情勢がそうだった。
詰まりここで言われているように、「篭城→手打ち→撤退」の条件を満た
したと言ってもいいのでは?

9月15日に関が原で西軍が壊滅し、9月19日小西行長、21日石田三成、23日
安国寺恵瓊が捕らえられ、24日に輝元が大阪城を撤退する訳だが、各地の
情勢も東軍優勢であり、9月12日前田勢2万5千が金沢を出陣、20日には秀
忠3万8千も東軍に合流と24日以降も篭城したとしても勝てる要素が無いと
言える。

又、最大の要素は大阪の役とは違い大阪城には数万の軍勢を篭城させるだ
けの備蓄が用意されて居なかったと思われる。
38人間七七四年:2008/04/25(金) 12:28:10 ID:E+ouEyVz
>>36
上杉勢は既に関が原とは関係ないところで敗戦したよ。
勿論、関が原で西軍が勝っていれば伊達や佐竹の動向如何で上杉勢が押し
切ったかも知れないが、上杉が撤退する29日までに上杉勢の死傷者数は敗
戦ラインを超えていた。
39人間七七四年:2008/04/25(金) 12:43:07 ID:9TF+dsQM
>>38
付け加えです。

「関ヶ原で西軍敗退!」の報が届くと上杉軍(直江)は即座に退却。
大坂城の動向など完全に無視していたのが上杉軍の現状。
これは当然の処置で長谷堂城を攻め続けている方がありえない。
40人間七七四年:2008/04/25(金) 13:01:22 ID:E+ouEyVz
>>39
>「関ヶ原で西軍敗退!」の報が届くと上杉軍(直江)は即座に退却。
と言うのは後付けだね。上杉勢が撤退を開始した決定打は29日の総攻撃の失敗と
伊達の援軍の到着によるものだと思う。
41人間七七四年:2008/04/25(金) 13:16:33 ID:9TF+dsQM
>>40
上泉泰綱、討死!
42人間七七四年:2008/04/25(金) 22:10:33 ID:TcM0qfmI
東軍には伊達、佐竹、前田、福島、如水、鍋島、清正と情勢次第でどちらでも付くという
大名が多い。西軍にも長宗我部、島津と居るが、関ヶ原で負けてしまった以上今更徳川に
付いても手遅れだと考えるかもしれない。

伊達が西軍に付けば徳川の本領は一気に危うくなる、関ヶ原の小早川状態。
佐竹だけでも秀忠軍くらいは返さなければならない。
妹の旦那に頼まれれば前田も考えねばならんし、秀頼が矢面に立てば福嶋、加藤は
弓を向けるわけにはいかない。鍋島は息子が西軍に付いてる。

黒田如水は九州軍を率いて毛利領を攻め取るか、はたまた上洛して決戦の主役になるか。
43人間七七四年:2008/04/25(金) 22:49:50 ID:9TF+dsQM
>>42
>伊達が西軍に付けば徳川の本領は一気に危うくなる、関ヶ原の小早川状態。
上杉・最上戦に積極的な援軍を送らず傍観を決め込み、
東軍勝利の報に接しようやく本腰を入れる伊達政宗が、
関ヶ原合戦の勝敗を聞いた後に西軍に味方するもるというのも無理があると思うよ。
44人間七七四年:2008/04/25(金) 23:38:01 ID:E+ouEyVz
前田や伊達が西軍につけばそりゃ西軍も盛り返すが、関が原後に幾ら輝元が篭城
したからと言ってそれは無いな。黒田が西軍に付くのもありえないし東軍に叛旗
を翻して天下狙えるような馬鹿じゃない。

輝元が篭城するしない関係なく、鍋島も関が原後に速攻で詫び入れてる。
佐竹は三成が拘束された時点で、西軍に付く理由が無くなったと思う。

結局輝元が篭城して動くとしたら福島を筆頭とした武断派の連中だろう。
武断派としたら五奉行などの三成派が居なくなれば、自分達の時代が来る
と思っていたんだろうから徳川家臣団に管理されるような状況は作り辛い。
大阪城は包囲しても総攻撃は無いと思う。

逆に毛利は領内空っぽな状況でフルボッコ確定。輝元の大阪城退去は神の目
目線でも最良だったと思う。ただ、輝元が秀吉なら大阪城で御輿の守をする
ようなヘマは絶対しない。武力を背景に無理やり御輿を大垣城に連れて行く
だろ?
45人間七七四年:2008/04/26(土) 00:04:28 ID:Bheun5c0
籠城して、東軍が毛利領に動き出したら背後から攻めかかればいいだけだろ
小牧長久手の逆だ。今度は中入りに失敗するのは徳川の方になるだけ
46人間七七四年:2008/04/26(土) 00:34:48 ID:QZIgY3yg
家康が猿と同じ失敗するわけないだろ
47人間七七四年:2008/04/26(土) 00:44:31 ID:Bheun5c0
じゃあ毛利本土攻め案は廃棄するしかないじゃん
48人間七七四年:2008/04/26(土) 01:13:38 ID:MlAvVOka
立花、長曽我部なんて殆ど無傷じゃないの毛利本体や秀頼直轄軍も無傷だろうし。
49人間七七四年:2008/04/26(土) 01:16:58 ID:xWU+HJcl
東軍は秀忠勢、前田勢、小早川他西軍から寝返った兵力合わせて
15万以上いるわけだ。
まさか15万全部毛利領に攻めかかるとでも思うのか?
50人間七七四年:2008/04/26(土) 01:18:14 ID:xWU+HJcl
というか、逆に出てきてくれた方が家康にとってはありがたいのでは?
格好の確固撃破対象になるわな。
51人間七七四年:2008/04/26(土) 01:30:10 ID:cISkd+K0
>>49>>50
同意。
大坂城に立て篭もる兵なんて秀頼直轄軍がほとんどで
それを全部、毛利が自由に動かせたとしても5万程度しかいない

毛利本国に残る兵も多くても1万程度でしょ
東軍は3万くらい毛利本国に送ればフルボっコできる

逆に誘き出したいなら、ワザと尻を見せながら全軍で毛利本国に向かう
で、追撃してきたところを三方ヶ原の戦い風に叩く

すと毛利輝元は糞を漏らしながら大坂城に逃げ帰る・・と
52人間七七四年:2008/04/26(土) 01:47:34 ID:AUH5mwQN
しかしそのころ城はすでに・・・みたいなことになるんかな?
さすが狸。
53人間七七四年:2008/04/26(土) 01:56:53 ID:QZIgY3yg
秀頼はどうするんだ?
有無を言わさず斬首するのか強制出家させるのか
54人間七七四年:2008/04/26(土) 02:22:04 ID:Bheun5c0
>>49
小牧長久手も豊臣軍の方が多かったけどね
55人間七七四年:2008/04/26(土) 05:48:29 ID:0N0rayoS
>>51
大阪城下に居たのは殆どが毛利の兵だよ(苦笑)
56人間七七四年:2008/04/26(土) 08:08:58 ID:p7vOwwhs
大坂城に秀頼を総大将にして毛利が立て篭もった場合、徳川が毛利領に攻め込む口実って何?
豊臣の名前で天皇に仲裁を頼んだりしたら、もう徳川の侵略戦争になってしまう。
57人間七七四年:2008/04/26(土) 08:31:06 ID:rg2Qp9+O
>>56
>大坂城に秀頼を総大将にして毛利が立て篭もった場合、徳川が毛利領に攻め込む口実って何?
基本だけは押さえておいた方がいいよ。
前田利長に送った家康に対する檄文や伏見城明け渡しの要求などの西軍側の書状は毛利輝元の名が記されている。
天下を騒がした西軍の総大将である毛利輝元を討ち取るということが攻め込む口実になるよ。

>豊臣の名前で天皇に仲裁を頼んだりしたら、もう徳川の侵略戦争になってしまう。
当然だが毛利輝元の全面降伏ということになるがそれでよろしければいいと思いますよ。
58人間七七四年:2008/04/26(土) 09:38:36 ID:4VdfceFu
「秀頼を総大将に」これがまず無理。
秀頼周辺はそもそも勝ち馬に乗る気満々だし、どちらかに一方的に
肩入れするつもりもない。
ex)石田三成の軍資金援助要請を秀頼側近が断った。
関ヶ原の結果によって、秀頼周辺の気持ちは東軍に傾いており、
そこにのこのこ毛利輝元がやってきて篭城しますからよろしく
なんて言われて了解するとは思えない。
輝元やその周辺に秀頼側近を黙らせるだけの政治手腕があるとも思えない。

となれば秀頼を強制的に総大将に祭り上げるほかなく、
東軍の豊臣系大名の反発は避けられないだろう。
59人間七七四年:2008/04/26(土) 10:56:22 ID:cISkd+K0
>>55
んん?
それは知らなかったよ。
大坂城に篭ってる兵は5,6万ほどだよね?
毛利兵は秀元が関が原に連れて行ってるから
大して残っていないと思ってたんだけど
大坂城籠城組は秀頼直属兵じゃなくて、ほとんどが毛利の兵だったの?

ごめん、詳しく知りたいからソース教えてくれるかな?
60人間七七四年:2008/04/26(土) 12:55:56 ID:JavEWa36
>>59
55じゃないけど、当時豊臣秀頼の直属兵って5000もいなかったって何かで見た。
文献名忘れちゃったけど、結構まともなのだった。思い出したらまたここに書き込みするよ。
61人間七七四年:2008/04/26(土) 14:12:26 ID:9xXsaT5w
関ヶ原で西軍が負けた後立て篭もる位なら
最初から総大将自ら5万を率いて大垣まで出ておけば
いい話。そうなれば小早川だってどうなったか分からん。
62人間七七四年:2008/04/26(土) 21:10:53 ID:cISkd+K0
ま、ぶっちゃけ、こんな妄想垂れ流しスレだったら

最初から大坂城には吉川と小早川を入れとけば済んだ話
大坂城乗っ取られようが秀頼殺されようが
要は関が原で家康を討てば済む話なんだから
輝元が死ぬ気で西軍指揮して立花が奮戦する
これだけで充分、勝機はあった

ま、その場合、東軍が関が原まで素直に出てくるか疑問だけど
逃げたりはしないだろうから関が原に全力を尽くせよ。と
後で籠城しても無駄なこった
63人間七七四年:2008/04/26(土) 21:40:41 ID:rg2Qp9+O
>>62
>輝元が死ぬ気で西軍指揮して立花が奮戦する
>これだけで充分、勝機はあった
オマエが一番の妄想垂れ流しw
当時の状況をまるで無視したご高説にプゲラ!
64人間七七四年:2008/04/26(土) 22:28:01 ID:cISkd+K0

なんだコイツw

負けてから籠城すんなら関ヶ原に輝元も参戦すれば良いというだけなのに
何、こんな妄想スレで
>当時の状況をまるで無視したご高説にプゲラ!
こんな訳わかんないこと騒ぎ立ててるわけ?

あっ、もしかしてオマエがこの妄想スレ立てた張本人!?
どうりで・・w
65人間七七四年:2008/04/26(土) 22:34:04 ID:rg2Qp9+O
>>64
はいはい、無知ですね。
訳が分からないなら君に分かるように書いてあげるよ。

>最初から大坂城には吉川と小早川を入れとけば済んだ話
これがそもそも無知。
大坂城に毛利輝元共々吉川広家や小早川秀秋を入れておく気か?
かなり無駄な部隊配置だな。

まさか大坂城に吉川広家や小早川秀秋だけを入れるとかじゃないよな?
大将の毛利輝元を前線に配置し家臣の吉川広家を後方に温存とか言わないよね?


どうせ目立ちたいからなんだろうが無駄に煽り文句を書いて騒ぎ立てるな。
66人間七七四年:2008/04/26(土) 23:07:20 ID:spiUJoz+
その前に小早川ってもう毛利の一門衆じゃなくね?っていう
秀包のほうなら納得だけど。秀包立花の活躍はみたいな
67人間七七四年:2008/04/27(日) 00:12:08 ID:lbNS4tiN
大谷義継の判断ミスだよ。
西軍の総大将にふさわしい人物は、この時点で黒田如水しかいなかったはずだ。
奴を九州から引っ張り出す位じゃないと
68人間七七四年:2008/04/27(日) 00:37:35 ID:50SkwNGX
ID:rg2Qp9+O

コイツやっぱり頭悪りぃぃぃwww

>これがそもそも無知。
>大坂城に毛利輝元共々吉川広家や小早川秀秋を入れておく気か?
>かなり無駄な部隊配置だな。

裏切り者の吉川と小早川入れといて、輝元は関ヶ原で戦わせろ
って言ってるのに、理解できてねーんでやんのw

>まさか大坂城に吉川広家や小早川秀秋だけを入れるとかじゃないよな?

やっぱり分かってなかったwww こんな読解力0のバカも珍しい。さすが三好厨

>大将の毛利輝元を前線に配置し家臣の吉川広家を後方に温存とか言わないよね?

史実でウダウダの西軍を奮起させるためにそうした方がマシって言ってるのに何一つ理解できない猿w
しかも裏切りもんなんか温存以前に別に隔離でもしとけって意味も分からないらしいw


それより何より
>はいはい、無知ですね。訳が分からないなら君に分かるように書いてあげるよ。

バカ丸出しw 結局、何一つ説明してねーしw ただ、質問上塗りしてるだけだしw
日本語崩壊だな 三好厨w 悔しいのお
69人間七七四年:2008/04/27(日) 00:40:04 ID:50SkwNGX
>>66
無理無理
ID:rg2Qp9+Oは
小早川って苗字だから
毛利の孫なんだろうと信じきってるくらい何も知らないゲーム脳だからw
70人間七七四年:2008/04/27(日) 01:45:43 ID:lbNS4tiN
論点がずれとるな。
大坂に入るのは、誰でも関係ないよ。という時点でこのスレの存在意義が問われるが?
71人間七七四年:2008/04/27(日) 01:47:13 ID:4jZmpGZE
福島正則 加藤嘉明 浅野幸長 寺沢広高
辺りがどう動くかだな
浅野は親父の方が豊臣見捨ててるから清正シンパの息子がどう動くかは微妙だ
72人間七七四年:2008/04/27(日) 01:59:59 ID:lbNS4tiN
漏れが一番なりたいのは、輝政かな?
動かない南宮山を笑いつつ三成の残党を毛散らすこれ最高(^O^)/
73人間七七四年:2008/04/27(日) 06:42:13 ID:SpSUWbaU
つか福島はもう軍事力皆無だ
宇喜多相手に差し違えた
74人間七七四年:2008/04/27(日) 07:23:28 ID:yTx44Vpq
>>68[ID:50SkwNGX]
頼むから日本語を理解してくれ。
日本語が理解できないなら私への返レスを書くな。
中身が無い返レスは目障りだ。

>裏切り者の吉川と小早川入れといて、輝元は関ヶ原で戦わせろ
>って言ってるのに、理解できてねーんでやんのw
だからその君の言っていることが無知なんだよ!
わかる?
君の言っていることは妄想の垂れ流し。
毛利家当主を関ヶ原に送り家臣の吉川を後方に温存するって何?
家臣は当主の後ろに隠れて守ってもらうのか?
君の話には戦国時代の常識が抜けている。妄想にもほどがある。

自分の言葉に自信が無いからといってそれを人のせいにするな。
自分の言ったことに説明もできないレスなんかつけるな。
理解力が無いのは私ではなく君の方だよ!


で、よく分からんのは三好厨っていつからそんな話しが出てきてるんだ?
毒電波でも受信したのか?



あと私は小早川秀秋が毛利一族とかましてや元就の孫とか言っていませんよ。
どこにそんなことを書いたのか教えて欲しいところだ。
妄想はほどほどに。



最後にもう一度書くが、
どうせ目立ちたいだけなんだろうが無駄に煽り文句を書いて騒ぎ立てるな。
書くならもう少しマシなことを書きなさい。
煽り文しか書けないなら私への返レスは無用。
無理して返レスを書くな。(ここまで書いたんだから理解しろよ!)
75人間七七四年:2008/04/27(日) 07:35:36 ID:yTx44Vpq
>>71
>福島正則 加藤嘉明 浅野幸長 寺沢広高
>辺りがどう動くかだな
関ヶ原で東軍が勝利した以上、今更、毛利輝元に遠慮をすることはないんじゃないかな?
そのまま東軍陣営の中で軍事行動を取るかと。
豊臣秀頼に対して弓を引くことはないと思いますが、
毛利の手から秀頼様を取り返せという行動はアリかな?
76人間七七四年:2008/04/27(日) 07:41:43 ID:yTx44Vpq
>>73
>つか福島はもう軍事力皆無だ
>宇喜多相手に差し違えた
確かに死闘を演じきったが所領は尾張なのだから多少は増員・動員ができそうかと。
精鋭とまではいかないが数を揃えることはできると思うよ。
77人間七七四年:2008/04/27(日) 08:26:01 ID:C9VE+jAC
秀吉が生きてたら、色々やるんだろうけどな。
・家康は置いといて、他の大名と和睦する。とか
・関東周辺をそそのかして家康を還らざるをえなくする。とか
・母親を人質に出す。とか
・結城秀康に挙兵させる。とか
78人間七七四年:2008/04/27(日) 11:25:08 ID:SpSUWbaU
>>76
20万石で6千人動員してほぼ壊滅した福島に数を揃えるのは不可能かと思うが
79人間七七四年:2008/04/27(日) 11:30:36 ID:50SkwNGX
ID:rg2Qp9+O=ID:yTx44Vpqの頭の悪さにコーヒー噴いたw

>君の言っていることは妄想の垂れ流し。

俺の>>62
「ま、ぶっちゃけ、こんな妄想垂れ流しスレだったら
 最初から大坂城には吉川と小早川を入れとけば済んだ話」
って妄想垂れ流しスレ前提で語ってる日本語も理解できないしw

>毛利家当主を関ヶ原に送り家臣の吉川を後方に温存するって何?

>>68でその説明もなされてるのに2度目の全く同じ質問w日本語理解できない三好厨乙

>君の話には戦国時代の常識が抜けている。

コーヒー噴いたwこんな糞スレ立てといて、輝元が大坂城に籠城したら勝てたかな?
とか聞いといて、速攻でその愚かさを皆から叩かれるや糞スレ終了とか言っといて
戦国時代の常識が抜けてるってwww コーヒー噴いたw

>自分の言葉に自信が無いからといってそれを人のせいにするな。
>自分の言ったことに説明もできないレスなんかつけるな。

うわははっはw ウケタw それなんて三好厨?

>で、よく分からんのは三好厨っていつからそんな話しが出てきてるんだ?
>毒電波でも受信したのか?

うわはははw オマエのレスは毒電波ってか?そりゃそーだ

>あと私は小早川秀秋が毛利一族とかましてや元就の孫とか言っていませんよ。
>どこにそんなことを書いたのか教えて欲しいところだ。

バカが言い訳必死だなwwww  悔しいのうwwww悔しいのうwwww




80人間七七四年:2008/04/27(日) 12:21:38 ID:yTx44Vpq
>>79
煽り文しか書けないなら私への返レスは無用。
無理して返レスを書くな。(ここまで書いたんだから理解しろよ!)
…とわざわざ分かるように書いたんだが、
予想通り煽るだけの稚拙な文章で取るに足らない内容だったよ。
日本語が理解できないなら仕方が無いか。

所詮は煽るだけしか能が無い荒らしということが分かったからもういいや。



一応、書いておくが私への返レスは不要だよ。
無理して意味の無い返レスを書くなよ。
この言葉が理解できるとは思えないが書くだけ書いておく。
81人間七七四年:2008/04/27(日) 12:23:45 ID:yTx44Vpq
>>78
24万石なら6000(盛年兵・壮年兵)が妥当か。
留守部隊と老年兵・少年兵をかき集め再編成4000〜4500くらいにならないかな?
さすがに6000は無理というところはこちらも同意。
勿論、精鋭部隊といえるものではありませんが。
82人間七七四年:2008/04/27(日) 13:02:57 ID:50SkwNGX
>>ID:yTx44Vpq

自分が答えられないレスは全部煽りという言い訳で逃げてるから
いつまで経っても成長しないんだよ
何一つ説明できないんなら荒らしレスや煽りレスは自重した方がいいよ

一応、書いておくが私への返レスは不要だよ。
無理して意味の無い返レスを書くなよ。
この言葉が理解できるとは思えないが書くだけ書いておく。

83人間七七四年:2008/04/27(日) 20:56:22 ID:F+T3oPEU
短期決着がつくならともかく
いつ終わるかわからん包囲戦に国元空にしてまで参加できんよ



福島は馬鹿だからやりかねんが
84人間七七四年:2008/04/27(日) 22:49:06 ID:C9VE+jAC
まとめ

関ヶ原合戦敗戦後、西軍諸将は大坂城に集まり今後について
話し合った結果、史実と異なり籠城策をとることになりました。

城内に居るのは豊臣秀頼を筆頭に、
毛利輝元、毛利秀元、吉川広家、宇喜多秀家
島津義弘、長宗我部盛親、立花宗茂、織田秀雄
長束正家、増田長盛、前田玄以

石田三成、小西行長、安国寺恵瓊は捕縛されました。

今まで出た意見は
・東軍が全力で攻めれば、大坂城でも落ちるよ。
・秀頼を担ぎあげれば豊臣恩顧の大名は寝返るよ。
・大坂城は無視されて、毛利の領地に攻め込まれるよ。
・黒田は家康に恩を売るよ。いやいや天下をねらうよ。
・上杉、佐竹が頑張るよ。いやいや最上、伊達の勝ちだよ。
・一応、書いておくが私への返レスは不要だよ。
85人間七七四年:2008/04/27(日) 23:23:40 ID:4jZmpGZE
長束は自害してるぞ
86人間七七四年:2008/04/27(日) 23:31:12 ID:JJNqRc8w
>>84
お前にまとめる力は無い引っ込んでろカス!
87人間七七四年:2008/04/27(日) 23:57:04 ID:yTx44Vpq
>>84
宇喜多や島津の部隊は関ヶ原合戦で壊滅しているから戦力として期待はできない。
88人間七七四年:2008/04/28(月) 00:08:56 ID:/2c01THW
>>84
死ね!ゲーム脳!>>86の言うとおりだ!

粘着自演荒らししてるだけのゲーム脳全開カスのくせに
このスレ一のバカのオマエが調子に乗ってまとめんな!
89人間七七四年:2008/04/28(月) 22:30:53 ID:aaxcxQHl
別にこのスレ自体が妄想なんだからなんでも好きなように話なさせればいいじゃない?
そうこんなスレでかっかすんなよ、器が知れるぞ
90人間七七四年:2008/04/28(月) 23:02:08 ID:GSaQkUGi
荒れるの承知で書く佐和山に籠城すれば良かったのに。
大垣から佐和山直行でね。
立花と秀包の軍勢を合流させれば秀忠の軍勢も怖くない
91人間七七四年:2008/04/29(火) 00:31:02 ID:DPO+XD2M
妄想で言って一番勝てる可能性の高いのは
やっぱり輝元自身が関ヶ原に出向き士気を鼓舞する以外ないんだよな
で、布陣としては


92人間七七四年:2008/04/29(火) 00:35:47 ID:vrciiOoq
大垣城や南宮山周辺から佐和山へ移動中に背後から東軍に
追撃されて、結局なし崩し的に野戦になりそうな気がする。
93人間七七四年:2008/04/29(火) 00:46:55 ID:DPO+XD2M
《笹尾山》
輝元→吉川→小早川  ←黒田←細川←山内←池田

三成→島津→朽木   ←加藤←有馬←浅野

小西→長宗我部→脇坂 ←福島←田中←筒井

大谷→小川→赤座

                           家康《桃配山》

宇喜多        ←藤堂←京極←井伊
《松尾山》
                            秀元←長束←安国寺
                             《南宮山》

94人間七七四年:2008/04/29(火) 00:50:29 ID:DPO+XD2M
《笹尾山》
輝元→吉川→小早川     黒田←細川←山内←池田

立花→赤座→脇坂

三成→島津→朽木      加藤←有馬←浅野

小西→長宗我部   福島←田中←筒井

大谷→小川
                           家康《桃配山》
宇喜多        藤堂←京極←井伊
《松尾山》
                                秀元←長束←安国寺
                                   《南宮山》

95人間七七四年:2008/04/29(火) 00:54:22 ID:DPO+XD2M
ちょっと訂正するわ

96人間七七四年:2008/04/29(火) 00:58:21 ID:DPO+XD2M


《笹尾山》
輝元→吉川→小早川     黒田←山内

三成→島津→脇坂      細川←池田

大谷→赤座→朽木      加藤←有馬←浅野

小西→長宗我部    福島←田中←筒井

立花→小川      藤堂←京極←井伊
                           家康《桃配山》
宇喜多        
《松尾山》
                                秀元←長束←安国寺
                                   《南宮山》


97人間七七四年:2008/04/29(火) 01:06:15 ID:DPO+XD2M


《笹尾山》
@輝元→B吉川→B小早川     C黒田←C山内

@三成→A島津→B脇坂      C細川←C池田

@大谷→B赤座→B朽木      C加藤←C有馬←C浅野

@小西→A長宗我部      C福島←C田中←C筒井

@立花→B小川         C藤堂←C京極←C井伊

                           C家康《桃配山》

@宇喜多        
《松尾山》

                                @秀元←@長束←@安国寺
                                    《南宮山》


@西軍主力  A史実で西軍傍観組  B史実で西軍裏切り組  C東軍

 
98人間七七四年:2008/04/29(火) 02:18:01 ID:1/PUKq4X
関ヶ原までの過程である大垣城組、北陸組、松尾山組、南宮山組、大津組、大坂城組は考慮しておこうよ。
99全板トナメ戦国板の投票日は5/3!:2008/05/02(金) 22:28:24 ID:NFfon+AX
全板トナメ戦国板の投票日は5/3!
【第3回2ちゃんねる全板人気トーナメント】
明日5/3日は戦国板の投票日だよー

選対スレ
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1205796433/
投票方法
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1205796433/477
100人間七七四年:2008/05/22(木) 02:08:45 ID:AkWLmx/V
         ハ,,ハ  
        ('(゚∀゚∩_ おいらをどこかのスレに送って!
      /ヽ   〈/\ お別れの時にはお土産を持たせてね!
     /| ̄ ̄ ̄|.\/
       | .モツ煮..|/
        ̄ ̄ ̄
現在の所持品:たばこ・ライター・コーヒー・ブラックブラック・枕・ケータイ電話・睡眠薬・聖教新聞・ダッチワイフ
外付けSCSI340MHDD・ネットランナー4月号・TYG02・小嶋進社長・ゲルトモ・ディプスファンタジア・抵抗1kΩ(黄紫橙金)
  (途中10行略)
イーゼルボンバー・山田オルタ・麻枝・DDO・C鯖・ナカノ5+ニゼルsh→シャワフリ・胸パッド・日本酒・眉毛・包皮
オーストリー・北村ひとみ・辻野・幹事・デイジーコラージュ・草なぎ剛・バリカン・YAMAHAシネマステーション
GEOBIT・孫策・NIKON羊羹・風子・あっぴ・SD-W2002・0.6mmのほうのWiiストラップ・炊飯器・ハロプロ・高橋萌木子
モジャ公・耳・すりゅよ・D端子・Aカップ・臭作・征西府・松平容保・クシャトリヤ・ドアラ・ドアラ・ドアラ・段ボールまん
マケイン・ヒラリーいいえ、ケフィアです・カピ様・欝袋・おっぱっぴー ・新成人・ファ板・HARE・コシナツァイス
DT18-70 F3.5-5.6・悟リ・第一段階・ゴジラ・高岡蒼甫・おっぱっぴー・蒙古襲来絵詞・筑紫尚門・もみじ饅頭
101人間七七四年:2008/05/22(木) 21:50:27 ID:YngKkzJy
秀吉は生前に吉川も優遇しておくべきだったよな
102人間七七四年:2008/05/30(金) 16:13:41 ID:D/ggQNI5
馬鹿輝元www
103人間七七四年:2008/05/30(金) 17:00:13 ID:bbGf3/hx
関ヶ原の徳川軍7万4千
小早川・脇坂ら2万
前田利長軍2万
秀忠軍3万8千

15万超だ

104人間七七四年:2008/05/30(金) 21:14:24 ID:j8/fqlWv
>毛利輝元が大阪城に立て篭もった!!

↑誰もいなくなった大坂城に毛利輝元が一人で立てこもってる姿を想像してワロタ
105人間七七四年:2008/05/30(金) 22:33:19 ID:4B4TsK5+
西軍の頭脳石田三成も自力で大坂城に帰還。
106人間七七四年:2008/05/30(金) 22:56:24 ID:v281jQXG
いや三成は徳川に捕まれ。
あいつがいると武断派が敵のままだ。
107人間七七四年:2008/05/31(土) 16:32:09 ID:ymkxDB0s
毛利信者て本当にキチガイだな。
輝元みたいな無能が家康に勝てるわけない
108人間七七四年:2008/05/31(土) 16:36:46 ID:ymkxDB0s
バカ輝元とアホ広家の無能コンビは三成のかわりに斬首

109人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/05/31(土) 22:39:55 ID:vdIRkeeY
名城佐和山城の石田が小早川秀秋軍を撃破。
秀秋は討死。
110人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/01(日) 04:33:34 ID:VtpwoFN/
大日本帝國陸軍に喧嘩売るってこと?>大阪城
111人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/01(日) 14:06:03 ID:pUNmn0qo
>>110
長州藩の初代藩主に銃を向ける気かね?
112人間七七四年:2008/06/15(日) 11:20:00 ID:duuVRLtj
関ヶ原って、名目上、毛利家と徳川家の私闘でしょ?。
なんで毛利家は取り潰されなかったの?。
宇喜田家(同じ山陽道の大名)同様、取り潰して然るべしの家じゃん。
113人間七七四年:2008/06/15(日) 11:21:10 ID:DAO0Oa6W
広い家さんのおかげでそ
114人間七七四年:2008/06/15(日) 11:53:46 ID:IFJr3iWY
>>112
つうか、三成が宇喜多と輝元を担いで出陣させていたことくらいは家康は知ってただろ

実際毛利は内応で動かなかったから取り潰しはない
115人間七七四年:2008/06/15(日) 13:31:10 ID:Ny7spPgG
てか普通に取り潰しされそうになってたんだけど
116人間七七四年:2008/06/15(日) 16:34:21 ID:6EdaHFH3
あれは大俸の毛利から領土を削るための方便なんじゃないの?
広家が自分の領土を差し出して毛利を助けるよう懇願することまで見越して取り潰しを言い渡したんだと思う。
もし仮に広家がそれを言い出さなくても、結局毛利の変わりに吉川が防長二国を領するだけだし、
徳川にとってはどっちが生き残ろうが良くて、ただ論功行の為の領土が欲しかったんだと思う。
117人間七七四年:2008/06/17(火) 03:10:55 ID:KJ0Tkw69
結果から逆算しすぎ
関ヶ原直後の家康には西国の大大名攻めなんてする余裕は無い
一番面倒な島津が丸々残っただろ
もちろん、どうしても、て言うなら合戦したろうけど
出来るだけやりたくなかったんだろうな
118人間七七四年:2008/06/17(火) 03:15:54 ID:WJx76FWx
毛利の領土は褒賞として魅力はあるけど、
島津の領土は島流し的な扱いでしかない。

正直、そんな土地は要らない。


119人間七七四年:2008/06/17(火) 05:12:16 ID:zUt2bTyb
たしかに薩摩なんていらんな・・・
120人間七七四年:2008/06/17(火) 12:09:48 ID:6iLwqGU9
毛利の領地にはウホウホの石見銀山があるし瀬戸内の制海権握れるし
関門海峡もわが手に出来るとなればこりゃもう宝の山だ

それに比べて石饅頭は・・・
121人間七七四年:2008/06/17(火) 16:47:44 ID:KJ0Tkw69
じゃあ、琉球と海外貿易もセットにしとくよ
122人間七七四年:2008/06/17(火) 17:00:53 ID:htQFnRGs
>>121
長崎や平戸で充分です
123人間七七四年:2008/06/17(火) 19:49:28 ID:lLUBEn6g
関ヶ原決着後の奥州ではさすがに上杉は粘れなかっただろうけど、西国毛利は恭順しない道もあったと思うよ。

島津なんかは和戦両用の構えでかなりしたたかに本領安堵を勝ち取っているわな。
まぁ毛利家にもそれくらいの甲斐性があったら、関ヶ原もあんなぶざまなことにはなってないだろうけどね。
124人間七七四年:2008/06/17(火) 20:56:23 ID:WJx76FWx
>>123
毛利が徹底抗戦するなら秀頼を拉致して広島に戻れるかどうかだな。


125人間七七四年:2008/06/17(火) 22:05:32 ID:htQFnRGs
つーか、大阪城内にも親徳川派は山ほどいるわけで。
輝元が変な動きしたら本丸と西の丸で戦争になってもおかしくないぞ。
126人間七七四年:2008/06/17(火) 23:11:42 ID:fKBPZMJ0
親徳川派っていっても、大坂城内にいるのは豊臣家の母衣衆とか奉行とかだろ。
史実でもそうだったが、あんなの自主性のない腰抜け連中だろ。
目の前に名高い義弘やら宗茂やら秀包やらがいたら何にもできないだろうな。

家康にとってもっと怖いのは、もし大阪城に籠もった相手にてこずってると
伊達や黒田あたりが勝手なまねしだして、更にそれに触発された連中もでてきて、
それこそ応仁の乱の再現になりかねないことだったんじゃないかな。
127人間七七四年:2008/06/17(火) 23:20:17 ID:htQFnRGs
>>126
お前は篭城戦を何もわかっていないな。
つーか、篭城のする側の利点と徳川方の不利な点「しか」見ていない。
128人間七七四年:2008/06/17(火) 23:53:47 ID:WJx76FWx
>>126
大坂城内で豊臣の譜代的な家臣を排除し、
外様的な大名の主張を優先するという光景が想像できません。


129人間七七四年:2008/06/18(水) 00:43:05 ID:rNE4Q1jv
大事なことは関ヶ原直後の家康ではまだ豊臣政権下の最高実力者に過ぎないこと。

いくつか事実関係を整理すると、豊臣家は家康に上杉討伐のお墨付きを与え、兵糧を下賜している。

家康が関東に下向すると三成を中心とする西軍が挙兵。豊臣家は内府家康の討伐を西軍に命じ、石田三成の指揮下に豊臣直参の軍勢も参陣させる。

関ヶ原決着。

関ヶ原は「大名間の私闘」というのが直後の豊臣家の見解。

毛利輝元が大坂退去。家康入城。豊臣家は敗北した三成らを逆賊として家康の戦功を讃える。

大名仕置きの開始。
論功公賞の知行財源は西軍側大名の処分によるもののみならず、豊臣家が諸大名に管理を委託していた天領も含まれる(これによって豊臣家は全国222万石から摂津和泉など大坂周辺に限定された66万石に削られる)
他にも直轄支配して政権を支えていた全国の金銀山などが家康の支配下に入る。

名実ともに政権が徳川に移行するのはこの仕置きから、家康が将軍宣下を受けるあたりだろう。

大義名分で論じるなら関ヶ原直後ではまだ政権は豊臣で家康は勝っても逆臣。大坂城を明け渡した毛利輝元こそ関ヶ原合戦最大の戦犯だよ。
130人間七七四年:2008/06/18(水) 01:14:30 ID:vPBNNe9/
>>129
> 大義名分で論じるなら関ヶ原直後ではまだ政権は豊臣で家康は勝っても逆臣。

誰が逆臣認定するんだよwその「豊臣家内部」に、毛利に大阪城から早く出て行ってほしい勢力が
山ほどいると言うのに。しかも関ヶ原の西軍の壊滅でその圧力は強まる一方。

だいたい毛利の側から見ても、豊臣の譜代の家臣でもなんでもない毛利が豊臣に自家利害を超えてまで
忠義を尽くす理由は、その軍事的強制力がない以上、何もないわけだが。
131人間七七四年:2008/06/18(水) 08:23:32 ID:rNE4Q1jv
>>130

豊臣家内部?
あのね、豊臣の家政は実質的に五奉行が執り仕切って来たわけ。それが後ろ盾になっていた前田利家の逝去後からバランスが崩れて大老家康のワンマン経営に変わって行く。

復権を狙った五奉行は三成を筆頭に関ヶ原で行ってるし、小早川や宇喜多ら一門筋も消えてる。

あの状況で家政を仕切れるほどの親徳川派とは誰?片桐且元とか言うなよ(笑)

親徳川でも親石田でもいいんだけど、そんな強い政治力がある奴が譜代に残って居たら、関ヶ原前後の支離滅裂な失政ぶりにはならないでしょ。家康に兵糧与えて、三成に旗本まで貸してるという(笑)

そしてそんな親徳川派が家政を仕切っていたなら、大坂の陣は起きなかった。
132人間七七四年:2008/06/18(水) 12:06:58 ID:vPBNNe9/
>>131
あのさあ、淀君の乳母であるの大蔵卿局の子、大野治長が東軍に参加しているんだぜ?
この事により当然淀君周辺にすら親徳川グループが存在するって普通に想像できるだろうが。
ましてや西軍は関ヶ原で大敗し佐和山も落とされている。その状況下では西軍と距離をおきたい人間は
加速度的に増えるってのが世の習いだ。毛利勢は大阪城内で既に孤立していた。城内ですら孤立している集団が
篭城戦なぞできるものか。3日と持たんわ。

君は三成贔屓なのかどうか知らんが、ものすごい偏ったものの見方をしているぞ。少し落ち着け。
133人間七七四年:2008/06/18(水) 22:30:43 ID:rNE4Q1jv
>>132

大野治長って(笑)ずいぶん小物が出て来たな。

関ヶ原直後の家康がまず何をしたか。残党狩りです。まぁ戦後だから当然だけどね。
これは西軍側の大名クラスが生き延びて大坂に入るのを厄介だと考えていたからではないかな。
まぁこれは私の推測でも妄想でもいいけど。

で、同時に着手したのは大坂城に居座る毛利輝元のことなんです。
これには福島正則、黒田長政、池田輝政らを派遣して西の丸退去の説得に当たらせています。

家康は毛利家に対して些かの悪意もない。所領は安堵。処罰を行わないことなどを確約してやっと輝元を退去させている。

もちろんこれは真っ赤な大嘘だったんだけどね。

家康にとって関ヶ原を正当化して政治的勝利とするためには大坂入城が絶対不可欠な要素であり、毛利輝元が居座ることが一番嫌だったと思うよ。
まさか城攻めやるわけには行かないし、しかし西軍を逆賊と決め付けて戦った都合上は敵方の総大将をそのままにするわけにはいかないわけだしね。


言いたいのはそういうこと。城内が親徳川派だったとか、毛利勢を追い出す勢いだったとか、具体的に大野の名前が出た時点でどうでもいいや(笑)

西軍に内府討伐を命じて置きながら、やむを得ず家康を大功臣として迎えざるを得なくなった事実関係から見ても、少なくとも淀殿が毛利退陣に酷く落胆したという話は本当だろうとは思うけどね。それも偏っている?(笑)
134人間七七四年:2008/06/18(水) 22:51:01 ID:YspF6Lvp
>西軍に内府討伐を命じて置きながら、やむを得ず家康を大功臣として迎えざるを得なくなった事実関係から見ても、
>少なくとも淀殿が毛利退陣に酷く落胆したという話は本当だろうとは思うけどね
西軍に内府討伐を命じた事実はどうやってわかるんですか?
関ヶ原で勝っても家康が逆臣となる理由がわかりません、新史料でも発見されたんですか?

>三成に旗本まで貸してるという
これも秀頼が貸し与えたと言う史料でもあるの?

大坂城の毛利輝元は本丸に軍勢すら入れられず、東軍に通じてると噂のあった(事実通じていた)増田長盛に、
嫡男の秀就を人質に取られて本丸に連れて行かれてるのに、豊臣家が毛利を信用していたとは思えんけどね

輝元が大坂に籠城しなかったのは本領への不安と勝敗決したのと、大坂での立場の悪さ、
家康が輝元退去を迅速に薦めたのは>>133の通り、両者の利害が一致したんだよ

ちなみに片桐且元は豊臣家の家政に影響力持っていたのは間違いない
三成失脚の際に輝元の仲裁に対して、豊臣家の支持を得られなかったのを片桐且元が反対したからと、
輝元が書状で残してる

三成らの奉行は豊臣政権の実務を担当していたのであって、豊臣家の実務を担当していたのではないよ
で家康はその上、奉行に指示する立場
135人間七七四年:2008/06/18(水) 23:00:50 ID:vPBNNe9/
>>134
> 三成らの奉行は豊臣政権の実務を担当していたのであって、豊臣家の実務を担当していたのではないよ
> で家康はその上、奉行に指示する立場

その「豊臣家」と「豊臣政権」を混合している奴多いよな。わざとなのかただの無知なのか知らんが。
136人間七七四年:2008/06/20(金) 15:05:37 ID:7UjPdkPV
輝元の評価は堂よ?
137人間七七四年:2008/06/20(金) 15:57:24 ID:cA0x6aWy
>>136
近世大名としては及第点。戦国大名としては赤点。一般的にはこんな感じじゃないか?
138人間七七四年:2008/06/24(火) 03:03:49 ID:VI68WsIP
元就の七光り
139人間七七四年:2008/07/20(日) 14:40:37 ID:bQQiIS46
>>136
日本一の馬鹿殿wwwww
140人間七七四年:2008/07/20(日) 15:24:15 ID:ploQfMTU
「そうせい」
141人間七七四年:2008/10/02(木) 04:09:48 ID:iU1FMW7P
これだけは言わせてくれ!
輝元バロスwwwwww
142人間七七四年:2008/10/02(木) 04:27:59 ID:iU1FMW7P
幕末の時に薩長が強引に官軍になる為に行った錦の御旗みたく、輝元もトヨトモの旗を使えば良かったのに
143人間七七四年:2008/10/02(木) 06:25:26 ID:mhz1K2Qv
毛利も徳川も所詮、豊臣には敵だよ。
どっちもどっちだろ。
144人間七七四年:2008/10/05(日) 09:00:32 ID:aRi+1Luj
こいつ、関が原以降も中納言?
145人間七七四年:2008/10/27(月) 04:21:29 ID:d6GE0ZTY
毛利家臣・応援団「輝元!(チャチャチャ)輝元!(チャチャチャ)輝元!(チャチャチャ)」
輝元「やめーい!ムッサイわ!おなごを連れてまいれ!ピッチピチのおなごを!」

……交代……

おなご・応援団「輝元!(チャチャチャ)輝元!(チャチャチャ)輝元!(チャチャチャ)」
輝元「ウホッ、やる気がでてきたわい。天国におわすお爺様、父上、吉叔父、隆叔父…この輝元の奮戦を見守っていてくだされ!」


秀元「殿は、我らの応援を必要とされておらぬのか…」
広家「う〜む…」
安国寺「わしにイイ考えがありますぞ」
広家「あ゙?なんだテメェ」
秀元「まぁまぁ、広家殿、落ち着いて落ち着いて」
広家「ふん」


おなご・応援団「輝元!(チャチャチャ)輝元!(チャ……)髭が生えたおなご?応援団『いけいけ輝元!引け引け輝元!いけいけ輝元!引け引け輝元!いけいけ輝元!引け引け輝元!』

…ぽんぽんを持った広家が足をひろげて大ジャンプ…

輝元「Σ汚なッ!!」
安国寺「いけませんぞ広家殿。髭と脛毛は剃るようにとあれほど…」
輝元「そういう問題ではないわッ!」
146しげさん:2008/10/30(木) 00:56:01 ID:g6GooWUo
輝元?ダメなやつは何やってもだめ!三成が佐和山にこだわらず戻ってれば別だけどね。ついでに安国寺に携帯で連絡して先乗りしてもらうとか。
147人間七七四年:2008/11/09(日) 21:04:18 ID:eHz2zCPr
148人間七七四年:2008/12/19(金) 18:12:03 ID:lwrmSC8x
毛利輝元は、大阪城から出なかったのは、家康が
毛利一族吉川広家にはたらき
かけて、いたからだ



149人間七七四年:2009/02/04(水) 15:57:27 ID:EzNGa37R
無能だから意味がない
150人間七七四年:2009/02/18(水) 11:22:20 ID:mPY8AKIR
隆景が生きていたら・・・
151人間七七四年:2009/02/18(水) 15:59:58 ID:1wRciNKC
>>150
> 隆景が生きていたら・・・

先ず西軍の総大将になんかならない。
152人間七七四年:2009/02/19(木) 13:24:19 ID:gKDYGNw1
スレタイ訂正

毛利輝元が大阪城に立て篭もった!!
毛利輝元が大坂城に引き篭もった!!



153人間七七四年:2009/02/19(木) 13:29:02 ID:/AryFGP+
輝元「戦ったら負けかなって思ってる」
154人間七七四年:2009/02/19(木) 15:01:24 ID:LakiY8Rc
>>150
隆景は分家立てて三原に隠棲しちゃってたから安国寺、広家等
まとめて毛利を一本化出来るかがちょっと微妙。そもそもこの人
四国征伐、九州征伐、小田原攻め、朝鮮出兵と東北攻め除いて全てに
従軍してるんだぜw 本家さえ潰れなきゃ隆景は文句言わねーから休ませてやれw
155人間七七四年:2009/02/19(木) 18:47:00 ID:YEc8jjkD
゚+かおりん+゚
156人間七七四年:2009/02/20(金) 14:09:51 ID:QpnYxkjE
江戸時代の毛利に名君なし
157人間七七四年:2009/02/20(金) 14:32:38 ID:qQPQ0vhn
名君無しであれだけ経済規模を拡大させた毛利の組織力。
158人間七七四年:2009/02/26(木) 09:56:42 ID:G79sAgst
宇喜多の代わりに八丈島に流してしまえ
159人間七七四年:2009/05/24(日) 01:01:46 ID:b0l1SGhm
バカ殿
160人間七七四年:2009/06/14(日) 00:10:13 ID:s068CGUP
役に立たねえな
161人間七七四年:2009/09/13(日) 03:57:26 ID:QNO075Pr
人間のクズ
162人間七七四年:2009/09/26(土) 17:25:54 ID:E9yjLoWZ
まだこのスレが生き残っていたのかよ
163人間七七四年:2009/10/12(月) 08:27:38 ID:ocRDi2uZ
どんな名城でもバカが篭城したら終わり
164人間七七四年:2009/10/19(月) 23:08:16 ID:FyE0XSwz
うむ
165人間七七四年:2009/10/19(月) 23:13:58 ID:FyE0XSwz
t
166人間七七四年:2009/10/22(木) 11:53:59 ID:KQ7LORtD
最低な武将
167人間七七四年:2009/10/24(土) 09:57:52 ID:k3G7ZgT/
アンクロペディアの毛利勝永だか勝信のページに
秀吉による小早川秀秋の毛利本家への養子送り込みに
あんなガキを毛利当主にされてはかなわないからと隆景が代わりに養子にもらったが
さらに秀吉が勝永を毛利本家の養子にと話を持ち出したら
隆景が「うっひょーマジで貰えるんですか?やったー♪すぐバカ輝元を当主から外しますからすぐくれ」って言ったとか書いてあったがマジ話?
168人間七七四年:2009/10/24(土) 11:24:44 ID:U72ihEl7
しかし何もおこらなかった!
169人間七七四年:2009/10/24(土) 11:32:56 ID:Lukadbv5
元就をアカギだとしたら輝元はカイジなみの駄目な子
170人間七七四年:2009/10/24(土) 15:51:09 ID:9iXgF3w5
だいたい大坂城を明け渡した瞬間に豹変した家康から毛利改易するよ、さらに輝元の罪を問うからwwwって言われて、たばかられたと知ったら毛利の武門としての面子が丸つぶれじゃん。
まだ上杉も健在だし、毛利軍は無傷。

関ヶ原勝報が入る前の黒田如水は国東地方フラフラしてただけで、勝報を聞いてから、小早川領を中心に戦わずして柳川まで次々と楽に開城させていったに過ぎないんだし
毛利さえ、強気に出れば家康とて大減封にできなかったよな。
ヘタレ当主とヘタレ家臣団って肝心な時に弱気過ぎて混乱迷走するだけで最も役に立たない典型だよな。
171人間七七四年:2009/10/24(土) 15:52:34 ID:9iXgF3w5
鍋島だって毛利が西軍総大将として一時の負けでさっさと臆してポチにならなければ裏切る真似はしない。
小倉の毛利勝信や長宗我部とか後がないから今回はもう必死に働くよ。
九州には戦力を温存している島津がいるし、無事に帰還した立花や小早川秀包の朝鮮組もいる。
毛利だって無傷で、家康に謀られて陥れられた事に激怒して、あくまで争う姿勢を示して
無傷の毛利軍で行方不明中の秀家の宇喜多領を死守して、
いまだ戦い続けながら上方の情勢を睨んでいる上杉と合同すれば、
いくらでも講和条件で譲歩を引き出せる。
はっきりいって、毛利次第で家康がいくら勝者とは言え、
南北朝や応仁大乱のような長期抗争にもっていき、戦国逆戻りもありえた。
そもそも三成が戦死した以上は豊臣武断派は家康に組する理由すら無くなったし
加藤清正や黒田如水にしても、家康のこれ以上の勢力拡大自体は望んでいないだろう。
172人間七七四年:2009/10/26(月) 16:03:18 ID:JG55OZsU
毛利は暗愚しかいなかった
173人間七七四年:2009/10/28(水) 00:06:46 ID:pL7UkXPw
>>171
>長宗我部とか後がないから今回はもう必死に働くよ。
長宗我部は徳川との交渉役を殺害するという暴挙を犯したから潰されたのであって後がない立場ではない

>九州には戦力を温存している島津がいるし、
朝鮮でこき使われ内乱も起きてボロボロで戦力温存どころではない

>そもそも三成が戦死した以上は豊臣武断派は家康に組する理由すら無くなったし
三成が死んだ以上は西軍が活動する根拠もなにもなくなった
それに三成を処刑したことで豊臣武断派が家康に付いたのは正しいことだと大手を振って主張できるしね

>加藤清正や黒田如水にしても、家康のこれ以上の勢力拡大自体は望んでいないだろう。
如水ら一部の連中を除けば家康のこれ以上の勢力拡大よりも戦国逆戻りの方を望まないだろう
戦国に逆戻りしたら東軍・西軍に関係なく殆どの大名は首を狙われる側になるからな

つまるところ君の想定は甘すぎるということ
174人間七七四年:2009/10/29(木) 22:50:44 ID:1kjwqViu
毛利はアテにならんな。 こんな時に死ぬ利家、空気読め!
175人間七七四年:2009/10/30(金) 03:30:10 ID:1hTdVjbk
てか宇喜多って何で捕まらなかったのに大阪や岡山入って再起を計らなかったんだ?
176人間七七四年:2009/10/30(金) 08:11:59 ID:6QhwDOor
毛利がヘタレであてにならないから
177人間七七四年:2009/11/01(日) 19:22:07 ID:RmsgJdA0
どっちにしろ史実通りに毛利元康と小早川秀包を毒殺して輝元が家康に泣いて土下座する
178人間七七四年:2009/11/01(日) 20:21:37 ID:FF+s9z9j
>>177
毛利秀元は?
179人間七七四年:2009/11/01(日) 23:15:13 ID:RmsgJdA0
秀元は正室である豊臣秀長の娘を毒殺して徳川から継室を迎えた悪党
180人間七七四年:2009/11/03(火) 23:17:17 ID:P4CRvnD+
陶と結んで大内を滅ぼし
陶の危機を見るや陶を裏切り滅亡させる
さらに毛利は豊臣家を滅亡に至らせる。
250年後に今度は徳川を裏切る。
主筋を次々と滅ぼす最低にして理不尽かつ乱逆無道な賊徒毛利。
日本人ではない中国人はすべからくみんなガイキチで道徳心欠如の悪鬼。
181人間七七四年:2009/11/06(金) 17:01:16 ID:/0DR2ctx
むしろ豊臣の天下取りに協力した毛利家に感謝するべき
徳川なんて恨みはあっても恩義など一片もありません
毛利公は朝廷から政権を簒奪し蔑ろにする朝敵徳川を討った忠勇義烈の大功臣ですね
182人間七七四年:2009/11/07(土) 11:17:33 ID:ucRm6jPp
チンピラ藩士に牛耳られた歴代無能毛利当主の歴史
183:2009/11/07(土) 12:42:09 ID:r2MysGub
いくら毛利憎しといえどこれは酷い
184人間七七四年:2009/11/07(土) 12:42:27 ID:po29L+b7
Freedom
それが長州藩
185人間七七四年:2009/11/08(日) 10:39:18 ID:YQaOk6bN
>>181
秀吉に反抗してたら速攻でフルボッコされてたのが毛利。
徳川に恨みを持つのは逆恨み。毛利がブザマに勝手に自爆しただけ。
186人間七七四年:2009/11/08(日) 11:25:24 ID:N+PRVeue
誰か通訳ヨロ。
187人間七七四年:2009/11/08(日) 15:31:58 ID:JrEb2+Cd
翻訳コンニャクでも無理
188人間七七四年:2009/11/18(水) 21:46:55 ID:Wv+kFnHW
>>38
いまさらだが、そんな根拠はないよ。
上杉の史料では出羽合戦での上杉と最上の死傷者は同数程度。
最上の史料ですら、最上623、上杉2100で兵力比を見れば
上杉のみが壊滅的打撃を受けたとはいえない。
189人間七七四年:2010/03/03(水) 21:42:55 ID:UY7/7YV/
西軍総大将でありながら、関ヶ原では一族が西軍のために働かず、
自分だけは領土を安堵してくれって、毛利は初代藩主から腐ってる。
190人間七七四年:2010/03/04(木) 09:44:15 ID:UYKQ7X4/
腐ってんのはお前の頭だ
家を残そうとするのは当たり前
だいたい秀秋と秀元が攻めてりゃ勝ったんだから万が一にも東軍が大阪城にきて秀頼を奪ったらエラいことだろ
191人間七七四年:2010/03/04(木) 13:40:35 ID:knpf4VMz
>>190
日本語は難しいですか?
大坂城ね。
192人間七七四年:2010/03/06(土) 08:36:42 ID:c8Sw9iGq
>>190
宇喜多みたいに総力を挙げて戦う武将はバカということか。
自分の家だけ残ればいいと考える輝元が総大将はねえな。
193人間七七四年:2010/03/06(土) 13:02:55 ID:nstjb/aH
立てこもった!

開城の使者

開城

お し ま い
194人間七七四年:2010/03/06(土) 21:09:26 ID:xuWf/Bk2
薩摩に暗君なし
長州に名君なし
195人間七七四年:2010/04/16(金) 23:26:30 ID:4WFBdts5
家康が力押しをする可能性は無いよ。
大阪城に適当な圧力をかけながら大阪城にたてこもる武将の
切り崩し工作が活発化するだけ。
家康の空手形が西軍の将士全てに満遍なくばらまかれ
第二、第三の吉川、秀秋が次々出てきたことだろう。
その期間が三ヶ月もあれば九州は官兵衛、北陸は前田、東北は
上杉、伊達が割拠して戦国時代へ逆戻りしたろうね。
196人間七七四年:2010/04/17(土) 07:59:50 ID:UaBfHhi4
この状況になったら有力な外様大名が毛利や秀頼の味方をするとは思えん
地元に戻って領土拡張に勤しむだろう、こんな美味しい状況ないしな
家康方に味方した大名だって何か口実をつけて動くだろうし
だいぶ混沌とした状況になると思う
197人間七七四年:2010/04/19(月) 09:56:23 ID:3tbVDOvM
輝元は四国を火事場泥棒しようとして失敗したので毛利軍の弱さを悟り完全にヘタレた。
198す@死:2010/04/19(月) 14:14:39 ID:Tapj6KtA
関ヶ原で短期決戦挑んだ三成が悪かったのかな?
時間引き延ばせばもっと面白くなってたかも知れんな
199人間七七四年:2010/04/19(月) 14:48:16 ID:3tbVDOvM
いや三成が健闘したにしろ
どっちにしても西軍総大将の弱毛利が速攻で脱落土下座する。
毛利を味方にした時点で三成は詰み
200人間七七四年:2010/04/19(月) 16:06:10 ID:1hYnLeli
三成は大垣のラインで防衛戦をつくる構想みせてるじゃん
東軍と西軍がお互いに動いた結果、関ヶ原で決戦になっただけで
時間なんて引き延ばしようがないだろ

つーか戦闘にはいった小早川&立花はいつ来れるか、来てもどれだけ消耗しているか判らんが
前田と秀忠は無傷のまま確実にやって来るんだから時間を引き延ばすなんて愚策もいいとこだろ
201人間七七四年:2010/04/20(火) 02:28:08 ID:c9qJy1zO
>>198
短期決戦は正しい。
既に兵糧調達路が秀秋に扼されている以上は
短期決戦しか残された道は無かった。

もし長期決戦を望むなら秀秋を先に成敗してからという事になる。
202人間七七四年:2010/04/21(水) 01:09:17 ID:2XBtt70z
>>199
その弱毛利が主力として活躍したから関ヶ原の決戦まで持ち込めたんだが
それに毛利を味方にしなかったら西軍決起なんてできなかったろう

>>201
負けたのだから短期決戦は正しくない
というかそれしか作戦がないならもう詰みの状態だと思う
203人間七七四年:2010/04/21(水) 02:13:48 ID:61lf9OQJ
>>202
詰んでたね。
しかし負けたから正しくないという主張こそ正しくない。
敗勢の時にも最善手というのは存在する。
204人間七七四年:2010/04/22(木) 02:38:13 ID:J+E7AFfV
>>202
あぁ留守の四国を火事場泥棒しようとしてお留守番の佃十成に大敗した毛利www
205人間七七四年:2010/04/22(木) 07:21:53 ID:8e7eAJL4
毛利が活躍してれば関ヶ原より東で戦えたよw
206人間七七四年:2010/04/22(木) 09:00:33 ID:6bt8ar5i
いや西で待ちかまえておけよ
わざわざ東に遠征するのには体力がいるし
207人間七七四年:2010/04/22(木) 23:36:51 ID:K/JBUvNo
元家康居城だった岡崎城を含めた地域を奪い取り
織田秀信を救援し美濃を固めて
尾張を襲撃し福島を家無き子に転落させ
池田や田中や山内や中村ら旧秀次傘下の豊臣恩顧東海道勢力を調略開始
さらに真田親子を救援し仙石の調略しつつ秀忠を信濃の山間で足止めしつつ
上杉の奥羽での戦況を睨む。
面白い展開になったとおもう。
208人間七七四年:2010/04/23(金) 00:11:47 ID:ch2oxs7C
その間東軍が動かないならなw
209人間七七四年:2010/04/23(金) 07:45:09 ID:uUdYmvye
家康が江戸から動かなかった時期に
西軍はもう少し調略をうまくやれなかったのかねぇ?
三成に人望がないとは言え、輝元が総大将なわけだし。
三成と言うより輝元に人望がなかっただけなのかもな。
なんせ毛利は自分のとこさえちゃんと統御できずに関ヶ原敗北と大幅減封の原因を作って自爆したからな。
これは三代続けて当主が早世したために摺上原の戦いでの家臣同士のいがみ合いで自壊した蘆名軍
愚主の義統とその叔父の田原紹忍のやり口に反発していた大友将兵らが独断突撃して、戦略戦術がまったくないまま自爆した耳川の戦いと合わせて
関ヶ原も恥ずかしい三大自爆合戦認定ものだろ。
当主討ち死にパターンの
桶狭間などのパターンは義元の運が悪かっただけって感じだから今川軍が自爆自壊したって感じではなさそうだし。
沖田畷の戦いの龍造寺隆信の場合は無謀突撃命令と鍋島信生や大村氏の有馬側への内通と、キリシタンから調達した大砲などが勝因だしな。
210人間七七四年:2010/04/23(金) 12:24:23 ID:eopVOO4/
島津の運のよさだけは戦国一
211人間七七四年:2010/04/24(土) 11:16:12 ID:HzIVuTcp
蒲郡市の近く額田郡あたりに野戦築城し寡兵で対陣しつつ、中村や山内らの内応するように調略活動。
美濃衆ともども織田秀信や立花宗茂や小早川秀包らを派遣し山間部で秀忠軍を真田隊と挟撃させて、仙石の小諸を血祭りに上野国へ進出し、下野国の結城秀康の背後を窺う。
やはりモタモタせずに福島の尾張を早めに奪って三河へ進出してれば、そこそこ戦える展開になってたな。
212人間七七四年:2010/04/24(土) 15:23:57 ID:G3qxUL/n
もたもたも何も伊勢攻略に毛利勢が手間取ったのが原因では…
213人間七七四年:2010/04/24(土) 15:49:05 ID:2k7+4/wH
大友家はうんこだけど、大筒と立花道雪、宗茂、高橋紹運だけは認める。
214人間七七四年:2010/04/24(土) 16:16:01 ID:HzIVuTcp
>>213
無知の素人乙
215人間七七四年:2010/04/24(土) 19:17:52 ID:N6RqDzGm
>>204
四国は阿波・讃岐はほぼ占領しているし伊予の件も負けたことは負けたが
加藤方も多くの戦死者もでてるしすぐに増援を出しているからそんなに酷い状況じゃなかったと思うけどね
あと伊予を攻略したのは河野・毛利の混合軍だから毛利wwwはおかしいぞ

>>209
輝元に人望があったからあれだけの兵が集まったと思うが
仮に三成が総大将になっていたら集まらなかったと思う
216人間七七四年:2010/04/24(土) 19:55:58 ID:HzIVuTcp
天下の主たる大坂城にいながら
それを利用することすらできない無能が輝元。
217人間七七四年:2010/04/24(土) 23:36:34 ID:HzIVuTcp
留守部隊に油断して毛利は伊予でぼろ負けしてるのに何言ってんだw
阿波だって西軍に同情的な蜂須賀家政が戦わずに自ら領土を提出したようなもんなのに毛利の武功みたいに言うなよアホが。
218人間七七四年:2010/04/24(土) 23:40:35 ID:2pmsONNW
>>213
吉弘統幸、志賀親次、佐伯惟定とかも結構凄いと思うけどな。
219人間七七四年:2010/04/25(日) 11:40:03 ID:jw1Ad2ju
>>215
大坂に集まってた上杉征伐の軍を三成が無理矢理西軍に塗り替えただけ輝元の人望はさして関係ない
220人間七七四年:2010/04/27(火) 00:59:05 ID:ymtKCbNo
>>217
>留守部隊に油断して毛利は伊予でぼろ負けしてるのに何言ってんだw
加藤家の『明公秘録』でも三津浜の戦闘で加藤軍にも多くの戦死者が出たとされている
それにそのぼろ負けした毛利だが19日の如来院での戦いでは今度は加藤家の指揮官を戦死させているのだが
毛利方が不利な状況だったのは確かだが関ヶ原の戦いが一日で終わらなければ
挽回のチャンスはあったかもしれないと思うんだけどね

>阿波だって西軍に同情的な蜂須賀家政が戦わずに自ら領土を提出したようなもんなのに毛利の武功みたいに言うなよアホが。
だったら普通に西軍として行動すればいいじゃないか
家政は親徳川的な態度を咎められ剃髪して高野山へ追放されているのに
自ら領土を提出したとかバカなこと言いなさんな
それに阿波・讃岐は毛利家の管理下に置かれ、その兵たちは西軍の部隊として加わっているのだから
普通に功績として認めてもいいと思う
221人間七七四年:2010/04/28(水) 02:24:30 ID:Jvwlb2W2
>>220
ただ毛利をけなしたいだけの馬鹿はほうっときなされ
222人間七七四年:2010/04/28(水) 23:29:02 ID:TO2QWEgw
>>220
wikiだけの知識で必死に対抗しようとするバカ毛利厨乙w
伊予を毛利が平定するチャンスがあったとかバカも休み休み言えよwww
ぜんぜん知識もないアホ丸出しで毛利史観を盲信してんじゃねーよ。
阿波や讃岐が毛利の管理下に置かれてるから毛利の功績?もうデタラメすぎて腹が痛いよwww

伊予国松前城主加藤氏の場合
毛利軍の侵攻に対して弟や正木城を預かる佃らは
宇和島城主藤堂氏の援軍の申し出を「独力で守るわ!」と断り
5/18に決戦し村上・能島・曽根の三将を打ち取るも加藤側の被害はわずか味方手勢十余人の戦死。
これにより正木付近で毛利軍は壊滅させ敗走、さらに追撃し毛利と戦闘を重ね、
毛利軍は久米郡如来寺に籠城し一揆軍の決起を促す。
19日加藤軍の先頭の黒田九郎兵衛は山門を打ち破り寺内に乱入し
毛利兵を討ちまくるうちに鉄砲に当り討ち死。
あとに続いた飛松兵介も討死するも佃は兵を二手に分け前後より攻めて毛利軍を打ち破る。
この戦いで荏原村一揆と毛利を打ち破り、さらに和気郡山越村でも一揆と毛利軍撃破
毛利軍の最後は還熊八幡社を本陣にしたところ
佃は八幡山を襲撃し毛利の防衛線は破られ風早浦から逃げ帰った。
浮穴郡荏原城、和気郡山越付近と佃率いる加藤軍は連戦連勝し
一方、藤堂領宇和郡松葉村でも力石良連らに三瀬六兵衛が打ち取られ伊予の毛利壊滅。

阿波国徳島城蜂須賀氏の場合
家康が上杉征伐の際に御陣場御見習いと称して
小笠原秀政の娘と婚姻してるこの時わずか15歳の至鎮を強引に連れ出して人質となして出征。
やむなく至鎮を守るために益田一正ら18騎も随行。
三成挙兵→至鎮の婚約者の小笠原秀政の娘を救うべく高木法斎が徳島にいた家政の許可なく
北陸軍として加賀大聖寺城に入ったために三成による弾圧を免れることに成功。
大坂方から木俣半之丞が徳島にきたが人質を取られた家政は家康追討の名分がないと反対。
これを受けて大坂から家政に親しい前田玄以が徳島へ出仕要求にきた。
家政は仕方がなく大坂へ出てきて「患いの最中でなおかつ年寄りでもあるから従軍は勘弁して欲しい。
その代わりに国兵を差し出すから自由に使って差し支えない」
と大阪に味方すると約して、諸将の了解を得て下城しのちに高野山へ行く。
そこで大坂方から小川越前&小早川豊前が徳島へ来て家政の意として大谷・木下勝俊に属して北陸へ向かうように指令。
9/12に1万で兵庫上陸するや蜂須賀隊を率いる稲田示植が病として進軍を3日の間ストップをかけ
15日枚方で関ヶ原の東軍勝報を聞き近江草津で至鎮に合流。


生駒一正は未だに部屋住みなりしも20騎を率いて家康に従う←ここら辺は至鎮と同じパターンだろ。
生駒親正は西軍として丹波田辺城を攻め向かうも関ヶ原を聞き家康を恐れて高野山へ行く←家政と違い大坂でうまく言い訳ができんかったw

西軍化した生駒も蜂須賀もまったく士気がなくやる気ゼロの軍
どこに毛利の功績があって、毛利が四国の大半を支配下に置けそうだったんだ?
毛利はいつもどうりに激弱かったので、西軍の足を引っ張って大坂方が苦労してただけだぜ。



223人間七七四年:2010/04/29(木) 04:49:02 ID:huWrzICV
蜂須賀の兵って一万もおったんか。所領は20万石もなかったと思ったけどすごいな。

>5/18に決戦し村上・能島・曽根の三将を打ち取るも加藤側の被害はわずか味方手勢十余人の戦死。
これ前から疑問だったんだけど、どういう戦すればこんな一方的な結果になったんだろう。
仮にも一時代前は瀬戸内で威を誇った村上水軍だろ。
224人間七七四年:2010/04/29(木) 19:18:36 ID:797egx94
誇張して書いてんじゃね。
叩く相手側の史料は信用出来ないと言いつつサブは自分に都合のいい物しか拾わないし使わない
それ以外はすべて信用出来ない、となる
225人間七七四年:2010/04/30(金) 06:49:30 ID:hHjqE9d8
>>224
なんで兵力1万ってのを
誇張して書く必要性があるの?
毛利厨に都合が悪い文章はぜんぶデタラメになるんだねw
毛利元就朝臣百戦百勝無敗の神の皇軍だもんなwww
226人間七七四年:2010/04/30(金) 08:27:12 ID:xkzTf7ep
家康はコノ大博打に全てを賭けた
毛利にはその覚悟が無かった、それだけの話
227人間七七四年:2010/04/30(金) 11:42:35 ID:MCbRhtiI
>>225
兵一万の事ではなく被害と戦果の事を言ってるのだがあんたは阿呆ですか?
毛利軍百戦百勝なんて言葉はお前みたいな馬鹿しか使う奴は見た事ないなw
228人間七七四年:2010/05/01(土) 00:45:45 ID:sbjWIsto
あらら、兵数の数え方は諸説あるから
兵一万を誇張というならまだしも
被害と戦果のことならなおさら不可解だな。
すると当然
君はそれを否定できるだけの根拠を
もっているということだよね。
さてそれを具体的に教えてもらおうか?
229人間七七四年:2010/05/02(日) 01:03:13 ID:besDP5vV
「誇張してんじゃねえの」
と言ってるのに馬鹿じゃねえ?w
230人間七七四年:2010/05/02(日) 02:35:21 ID:S+WXPwNg
結局、さしたる根拠もなく
毛利最強だから貶すレスはぜんぶおかしい
という願望に基づく
くだらない感情的発言であると認めたわけだ。
231人間七七四年:2010/05/02(日) 13:35:37 ID:besDP5vV
おもしろいよ、お前ww
232人間七七四年:2010/05/03(月) 13:38:02 ID:VdqdRrA4
>>231
毛利厨の君が史料ひとつ読まずに
発言してるのだけはわかったよw
233人間七七四年:2010/05/17(月) 22:41:42 ID:k1HpdwNf
グチュ!グチュ!あぁん輝元殿〜
234人間七七四年:2010/05/22(土) 16:22:31 ID:u9vHdhE+
235人間七七四年:2010/06/04(金) 09:26:19 ID:wHaTZjp+
ウソつき毛利厨全スレで大敗しててワロタ
236人間七七四年:2010/08/24(火) 07:33:04 ID:5a8b9yxW

徳川家康大阪城入城にまつわる世界の出来事

http://akiba.geocities.jp/pxzuwp/0203/37/251.html

英国で起きた火薬陰謀事件がその典型だ。
237人間七七四年:2010/08/24(火) 13:42:32 ID:PyOauM8z
毛利輝元が佐和山城に立て籠もったほうが面白い。
安国寺や石田も逃げ切れるだろうし。
238人間七七四年:2010/08/24(火) 19:15:05 ID:pw/IRoZB
篭城した後他の場所がどうなるかは分からんが
流石に東軍が15万で攻めてくるのはありえんだろ
兵糧が足りて総攻撃したとしても大軍がうまく機能しないのは
大坂夏の陣で分かってるし例え攻めてきても
大津城攻めやっててほぼ無傷の立花や毛利直轄の軍があって
他にも名将がいるんだから夏の陣の士気の高さと比べても遜色ない
そんな状態で15万とか攻めてきたらまた糞漏らしながら逃げることになる
まあ前提条件が毛利の決戦の覚悟付きだけど
239人間七七四年:2010/09/07(火) 01:40:03 ID:cAVHZfhC
毛利軍5万に豊臣軍親衛隊2万人が篭城する。

勝ったとはいえ負傷者を抱えてフラフラの家康軍では大阪城を落せない。

秀忠軍が来てようやく何とかなる程度か?
240人間七七四年:2010/09/07(火) 01:53:47 ID:gzekisJ6
近代戦じゃあるまいし、壊滅といっても西軍側は個別に逃げただけだよ。
遠く離れた地のものは別として殆どの兵は帰ってきた。
241人間七七四年:2010/09/22(水) 14:54:13 ID:dgkEnOzj
輝元はなにをしたかったのかスレが埋まったのでageときます
メンバーさんはほぼ同じと見受けられます
242人間七七四年:2010/09/22(水) 15:55:32 ID:r6pmCXfh
>>241
もういいよ。
大坂籠城した輝元の防衛ドクトリンと
家康のとるべき手段や侵攻について
語りあって議論を深めて
当時の状況を俯瞰していくつもりが
アホが暴れて話がまったく進まなくなってつまらないだけから。
243人間七七四年:2010/09/22(水) 16:09:44 ID:l2ztUpQJ
なんでみんな力攻めしようとするんだろう?
244人間七七四年:2010/09/22(水) 17:04:47 ID:Qw1VTAfF
>>242
あいつはただ頑固なだけ。
245人間七七四年:2010/09/22(水) 21:46:20 ID:ijVDWilW
秀頼の勅命を手に入れた方が勝つんじゃないの?もしくは和睦
246人間七七四年:2010/09/23(木) 00:59:12 ID:L2hX/iNH
結局、下記の実例を利用した説明が一番納得できた。

つまり信長仇討ちを標榜して織田家臣の協力を得て山崎に光秀を討った秀吉は
織田家中の実力者勝家と対立しつつ
論功行賞を信長の孫を助けるとして丹羽などの他の有力織田家臣の協力を得て主導した。
これがまさに山崎合戦=関ヶ原であり
それに協力した織田家臣が武断派である。
信長後継者と領地分配において織田纂奪をする力のない秀吉は、あくまで信長の孫を利用して有力家臣の協力を得た。
これが関ヶ原論功行賞と同じである。
その後、すみやかに柴田勝家を滅亡においやったことで、
もはや織田家臣の顔色を窺い協力してもらう状況の終了であり織田の乗っ取り成就なのである。
そして家康は織田信雄を持ち出して秀吉の纂奪を非難した。
この状況は信雄調略で家康を押さえこんだ。
一方、家康における柴田攻めの結果とは
豊臣家臣の協力を得る必要がなくなることであり、
それは大坂冬の陣への過程そのものである。
247人間七七四年:2010/09/23(木) 02:28:12 ID:v5i2las3
>>245
「勅」では天皇になっちゃいますね、それはおいといて

秀頼は政治における自身の意思を表明できるような年齢ではないですし
通用しないでしょう
248人間七七四年:2010/09/23(木) 04:48:15 ID:F3/1L7pJ
うんちしたい<`ヘ´>
249人間七七四年:2010/09/23(木) 08:12:34 ID:9X5FRebC
つか京都押さえられたらそれこそ勅命が出てしまうな
250人間七七四年:2010/09/23(木) 08:46:53 ID:Oa1I2AUx
関が原直後に家康が大坂城を攻めたら、先鋒はだれなんだろうね。
本多と榊原? どっちも10万石しかない。
後に続く豊臣系大名はほとんどいないだろう。
輝元は絵に描いたようなへたれ
251人間七七四年:2010/09/23(木) 09:04:30 ID:v5i2las3
吉川広家と小早川秀秋
252人間七七四年:2010/09/23(木) 09:28:04 ID:KyusiqaD
輝元、大人気だな。
しかし、天下を取れる機会と実力がありながら、関ケ原に出ず、何もせずに滅亡寸前へ。
これだけの愚将、世界的に見ても他に居るのか?
253人間七七四年:2010/09/23(木) 10:37:37 ID:oNGJ1dsi
>>250
先鋒は小早川秀秋。
細川、黒田、藤堂、池田あたりは完全に家康組。
そのほかの武将も勝ち馬に乗るだろう。
大坂方に寝返るのって福島、加藤(嘉)、浅野くらいでは。
254人間七七四年:2010/09/23(木) 11:20:41 ID:7sH2fmzr
くらい ではないな
福島、加藤(嘉)、浅野が大坂城において豊臣秀頼を擁する毛利輝元側に寝返れば充分過ぎる
浅野    北政所閨閥代表格であり五奉行筆頭
福島    尾張清洲という東海道の要地を所領に持ち、天下に太閤子飼いとして名高い
加藤(嘉) 賤ヶ岳七本槍の1人で所領は伊予16万石

石田が徳川の手に捕らえられた上でこの3大名があえて大坂城入りしたとなれば東軍を率いる
徳川家康の政治的正当性は消えてなくなり、1600年の時点で豊臣対徳川になる
軍事的に見ても瀬戸内の両岸である周防長門安芸備後備中備前、伊予淡路阿波(この時期、
蜂須賀は阿波兵を大坂方に供出済み)を完全に抑えることとなるので、大坂城は包囲不可能かつ
兵糧も兵も大阪湾経由で出し入れ自由な難攻不落の城となる
255人間七七四年:2010/09/23(木) 14:23:06 ID:iPU6/tC4
黒田長政は如水の指示が届いたらどう豹変するかわからんよ。
前田の親戚の細川も明智に味方しなかった前歴があるから家康に付くかどうかは
豊臣武断派が大坂行ったら行動がわからん。
だいたい三成亡き戦後豊臣奉行に武断派登用する懐柔策をやれば充分だろ。
そもそも毛利って家臣筋の安国寺伊予領や秀秋以外の秀包ら北九州版図を入れたら140万石くらいまで上がるだろ。
上杉120万石より巨大勢力だからな。
しかも秀家の捕縛に失敗とか致命的。
播磨は大坂城家臣団の領地だっけ?
小西領を攻めたとは言え清正は関ヶ原には参加してなかっり、如水と共に宗茂助命に動くなどもともと微妙な行動していたし。
256人間七七四年:2010/09/23(木) 14:26:35 ID:YkJ4L7fX
前田利長もどう動くかわからない。
だから家康は15年もかけて豊臣家を滅亡させた。
自分がいつ天寿をまっとうするかわからないのに、実に我慢強い。
それに比べて輝元ときたら、優柔不断で、保身、保身、保身。
257人間七七四年:2010/09/23(木) 14:43:20 ID:oNGJ1dsi
というか、
1)毛利が勝手に篭城
2)毛利が秀頼を懐柔して篭城
のどっちになるかで話は全然違ってくるけどね。
1)なら「打倒奸臣毛利輝元」で東軍は団結するだろう。
2)ならどう転ぶかわからん。ただし、実現できるとは思えない。
258人間七七四年:2010/09/23(木) 15:31:14 ID:v5i2las3
北政所は京にいて中立状態と見ていいからどっちが身柄を押さえ
協力を仰げるかだな
259人間七七四年:2010/09/23(木) 15:44:49 ID:iPU6/tC4
禁門の変で長州は天皇を強奪すれば
自分らが正義になると思ってたように
ガキの秀頼を擁して籠城してしまえば
事後承認でも正義なんじゃね。
もともと家康にだって正義がねーんだし
正義はないけど三成討伐名目で武断派を味方にしてただけで
籠城決戦で勝ったもんが正義だろ。
260人間七七四年:2010/09/23(木) 15:49:57 ID:7sH2fmzr
>>257
本丸に豊臣秀頼に象徴される豊臣家、西ノ丸と各城門や馬出しなどに毛利輝元や西軍勢がつめている
城の構造上、一部のみそれも本丸ではなく補助的な郭メインで篭城になるわけがない
つまり毛利輝元が大坂城に篭城「出来た」という時点で仮定1)というのは成立不可能となり仮定2)しかない
関ヶ原の結果を知った後で、毛利輝元が豊臣家の積極的にか消極的にかはともかくとしてとにかく
合意を取り付けたということになる
この合意とは、上杉討伐への認可の件はともかくとして小山軍議以降〜関ヶ原までにいたる一連の
合戦において豊臣家大老という名分で徳川家康が豊臣家配下の諸大名を統率し、別の豊臣家配下の
諸大名を討った件については単なる私戦とみなすということ
簡単に言えば石田三成をはじめとする西軍諸軍勢を関ヶ原で敗った功績を政治的に認めないということ

>>246を引用すれば山崎の合戦に勝ったものの清洲会議では主導権を取り損ね、織田家の後継者と
して柴田の主張する信孝が跡目につき領土分配においても主導権を握れなかった秀吉=大坂城で
毛利輝元に篭城されてしまった家康となる
261人間七七四年:2010/09/23(木) 20:07:51 ID:oNGJ1dsi
>>260
なるほど、2)ね。
それじゃあ聞くけど、どうやって毛利輝元が秀頼及びその側近を懐柔するの?
合意を取り付けるための策は何かあるのか?

あと、
>簡単に言えば石田三成をはじめとする西軍諸軍勢を関ヶ原で敗った功績を政治的に認めないということ
これは豊臣家にとって自殺行為では?
諸将は「秀頼様のために逆臣石田三成を討った」のに、「そんなもん私戦だから認めません。
あなたたちは内府に騙されてたんです。今度は内府と戦するから味方してね」なんて、
そんな都合のいい話を信じる奴がどれだけいるかね?
かえって秀頼が毛利に操られているのではないかと懐疑心を抱かせるのでは?
262人間七七四年:2010/09/23(木) 20:16:47 ID:oNGJ1dsi
>>259
禁門の変では幕軍が十分挽回可能な情勢であったにもかかわらず
徳川慶喜というヘタレがトップだったせいで流れが決まってしまったけど、
家康がそれを素直に認めるとは思えないし諸大名にも認めさせないように
政治工作を行うでしょう。
「逆臣石田三成を討て」のスローガンが「逆臣毛利輝元を討て」に変わる
可能性は十分にあるかと。
263人間七七四年:2010/09/23(木) 21:31:37 ID:iPU6/tC4
このバカは禁門の変もまったく知らないで書いてるな。
相変わらずバカはバカだな。
264人間七七四年:2010/09/23(木) 21:35:17 ID:yP0+JYjh
明らかに鳥羽伏見だねw
265人間七七四年:2010/09/23(木) 22:22:41 ID:sCOmpiMS
そもそも幕末の朝廷と豊臣じゃあ権威の絶対性がケタ違いだから
例としてふさわしくない
毛利が西の丸につめてることを根拠に毛利籠城の際は豊臣の合意を取り付けなければならないってのも
根拠薄弱
本気でやろうとするなら押しかけるくらいのことはする
266人間七七四年:2010/09/23(木) 23:05:32 ID:oNGJ1dsi
あああ、普通に間違えた・・・。
おらの人生間違いばっかりだ・・・。すんませんのう・・・。
267人間七七四年:2010/09/24(金) 06:52:27 ID:wAv4cVXz
>>256
輝元は別に優柔不断じゃないだろ
総大将の就任や大坂城退去もさっさと決めているんだが
優柔不断だったら総大将になるのをおろおろと何ヶ月も迷ってるんじゃないか
大坂城退去も決められずその間に状況が悪くなって滅ぼされてると思う
そもそも三成たちは輝元が関ヶ原に来なくても仕方がないと言ってるわけだし
保身、保身と文句を言ってるが、なら戦を続けて負けたら馬鹿とか言うんじゃないの
268人間七七四年:2010/09/24(金) 08:45:43 ID:FswhGCNS
>>261
どうやって?
スレタイが立て篭もった!になってるのでその点はあえて問わずにして仮定を論じているのかとw
あえて言えばこの点については以下の援用になるかな

>これは豊臣家にとって自殺行為では?
ならないんだ
そもそも徳川家康は上杉征伐の許可を得て東国に下り諸大名も上杉征伐の名目で小山まで進軍していた
この点については認めるわけ
しかしながら小山軍議〜関ヶ原までについては、豊臣家としては一切関知しないという立場
毛利輝元としてはひたすら朝鮮出兵における諸大名の反目を改めて裁くという立場を貫く

・家康に従った豊臣家配下の諸大名については家康が豊臣家大老という立場から采配を揮った以上
軍の進退に異を唱えることは豊臣家の制度上難しかったことが予想される為、不問とする。
なお、宇喜多石田大谷小西を敗ったことについては私戦ではあるが、朝鮮出兵以来の経緯を鑑みて
不問とし後に改めて功を賞すことを秀頼の名前で約束。
             ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
・徳川家康については上杉征伐の名目において軍を与えたのに、上杉を討たないままなにゆえ軍を返し
更に私戦に用いたのか、この点のみをひたすら糾弾

・関ヶ原においていわゆる日和見を行った諸大名については、これを私戦と見なし、あえて不戦であった
その行いは見事であると賞賛(島津秀元吉川安国寺長束長曾我部などの救済)

何故こうするかというと、石田小西は捕まり、大谷は死亡し、宇喜多は行方不明、大津組田辺組関ヶ原日和
見組は大坂城に撤退中という時期なので(徳川を除いて)軍が健在な諸大名全てに不都合がない。
後に宇喜多生存が確認された場合、宇喜多秀家は故太閤様の元猶子でありかつ朝鮮出兵における功に
より・・・と政治的立場を復権させることは可能。
更にここがポイントなんだけど毛利輝元は朝鮮に渡海しているが徳川家康は渡海していない、朝鮮出兵の
論行におけるいざこざは現地を知らない者(石田を指す)が関わったゆえに、として徳川家康を外すことが
可能な点。この強みをひたすら生かす。

正直こんなことが出来る毛利輝元なら関ヶ原以前に動いているだろwwwwというツッコミは無しでw
スレタイの趣旨に沿ってるだけだからね

260で述べたように大坂城に篭城されてしまった家康は山崎合戦に勝ったが清洲会議で敗れた秀吉
圧倒的な権威が確立したのは、毛利を大坂城から追い出し秀頼を擁して関ヶ原論功行賞を仕切って以降
という認識なので
269人間七七四年:2010/09/24(金) 13:03:42 ID:kJNX1S4f
>圧倒的な権威が確立したのは、毛利を大坂城から追い出し秀頼を擁して関ヶ原論功行賞を仕切って以降
>という認識なので

本能寺のときは秀吉も周りで覇を競う連中も純粋な織田家臣
秀吉も勝家もそれも手に入れたばかりの数十万石程度
その程度の経済基盤しかもってない
玉を奉りなんとしても多くの味方を引き入れなければならなかった
その後も外様の大大名をそのまま抱え込むなど
豊臣政権自体が多くの不安定要素を抱え込んでおり性質的に脆弱なものだったことは明らか

関ヶ原の時の豊臣政権の有力大名の多くは外様をそのまま抱えてるだけで
彼らの中には百万、二百万石の基盤をもっているものもいる
豊臣家臣といえる恩顧大名の所領はいいとこ30万石以下の小身ばかり
その中で織田家臣としてそれなりの地位にあった人間を引っこ抜いてきたり
してるだけの連中のことを考えれば豊臣恩顧といえども豊臣にそこまでの
恩義がない連中も多い

つまりほとんどの大名は元々秀頼に忠誠を尽くす義理も何もないような連中

戦乱時の状況判断において戦に勝って勢い付く百戦錬磨の名将である家康のカリスマ性のほうが
幼君秀頼というただのお飾りより優位に働く可能性も高い
270人間七七四年:2010/09/24(金) 13:05:49 ID:MnXMpsJc
1、8歳の子供になんの保障が出来るの?
2、ケツ火が付いたから消火しに行っただけ上杉攻略は続行中ですよ
3、命令に反しても保身推奨ってことすね

論功手形は行使できる実力と信用の裏書がないと効果ない
言葉を並べても結局は輝元と家康のどっちにそれがあると諸侯が
考えるか

後継も制度も何も決まってなかった清洲会議とは状況が違いすぎ
家康は豊臣政権の中で十分な権威を持ってる
271人間七七四年:2010/09/24(金) 13:52:41 ID:M0b+V3vm
毛利本隊は無傷で、輝元本人は大坂城という難攻不落の城に籠ってるのに、
本能寺直後の秀吉の状態と比較することに無理がある。
272人間七七四年:2010/09/24(金) 14:13:29 ID:pKcPZjjf
>>270
その8歳の権威の名を借りないと先行き不安過ぎて小山で福島を騙したわけだが。
そもそも150万石くらいはあった毛利が戦わず土下座して大坂を手に入れ
もはや家康への対抗者がいなくなったのに
それでも豊臣の権威を尊重しており
裏で密かに将軍任命を働き続けてた家康に、
いまだパワーバランスを変えるほどの政治力はなかったと言うことで、
将軍となり現実的に政治を指導し、その執行時間が長期に渡り実効支配者として定着するまで、清正らが死ぬのを待ち続け15年をかけたと言う厳然とした事実がある。
>>271
つまり大坂城と秀頼を握ってる時点で当時の秀吉以上の権力を輝は持っていて
家康は織田政権最大の実力者だった勝家以下の権力しかなかったって事だな。
273人間七七四年:2010/09/24(金) 14:17:52 ID:rwDbZiNL
毛利はともかく西軍は瓦解しちゃってるけどね
274人間七七四年:2010/09/24(金) 14:36:01 ID:kJNX1S4f
150万石くらいはあった毛利が戦わず土下座したことそのものが当時の状況をあらわしていて
それを強引に抗おうとしてもうまくいくとはおもえんな
そもそも正則があのザマだし正則以上に従順だった清正らなど生きてても何もかわらんだろ
275人間七七四年:2010/09/24(金) 14:46:38 ID:pKcPZjjf
>>273
毛利が土下座して大坂城を明け渡したから西軍が瓦解した
>>274
毛利が土下座したのは輝元の罪は問わない&毛利減封はなく安堵の約束に騙されたから。
なぜ家康が武門のメンツを捨てて詐術で毛利を騙したのかと言えば
秀頼と大坂城と言う力と正当性を毛利がしっかり握ってることの重大性を認識していたからに他ならない。
276人間七七四年:2010/09/24(金) 14:51:24 ID:kJNX1S4f
毛利は最初から負けたときのために布石打って消極的な行動に終始してたんだろ
そもそも当時は騙しあいなんかあたりまえだ
史実で毛利が秀頼と大坂城と言う力とやらをあっさり放棄してる意味のほうが重要
277人間七七四年:2010/09/24(金) 15:39:43 ID:pKcPZjjf
>>276
輝元が最初から負けた時のことを考えてたら西軍総大将になるわけがなく
吉川らの行為は明らかに主家に従わない独断行動で輝元の致命的なまでの指導力欠如。
しかも輝元は大坂陣でも密かに大坂方を支援しているくらい大坂寄り。
関ヶ原当時に他に騙し合いが当たり前のように頻繁にあったなら実例を複数求む。
278人間七七四年:2010/09/24(金) 15:52:47 ID:rwDbZiNL
>>272
大阪城と秀頼握ってるのになんで関ヶ原圧負しちゃったの?
279人間七七四年:2010/09/24(金) 17:01:21 ID:E569CX9V
つーかさ、西軍の名目上の総大将の輝元が大坂城にいたのに何で関ヶ原の戦いは
豊臣家臣同士の争いという構図にできたの?
280人間七七四年:2010/09/24(金) 17:27:56 ID:kJNX1S4f
>>277
輝元側近の福原広俊まで内通してる
これは輝元直々が家康との交渉ルートを持とうとしてた可能性を示唆している
総大将のくせに家康相手には異常に消極的だったことを考えても
自ら危険なことをするつもりはないがあわよくば漁夫の利を得ようと思っていたと考えるのが妥当

輝元が真の大坂よりだったなんて初耳だな
毛利らしく二股をかけ保険をかけたつもりだったと考えることはできないのか?
そもそも毛利にとって何の義理や恩があるんだ?

関ヶ原で伊達も騙されたしそもそも関ヶ原が起きたこと事態家康が太閤の遺命を無視してきたのが発端
それくらいで武門のメンツは廃れない
281人間七七四年:2010/09/24(金) 17:51:11 ID:MUYVI7ad
>>279
家康と淀君で、豊臣家同士の争いにしたんじゃね?
282人間七七四年:2010/09/24(金) 18:13:59 ID:FswhGCNS
>>280
詐欺だろ
仮にも名門新田源氏を名乗り、関八州という日ノ本一の大身代を持ち、豊臣の職制上では五大老と
いう同輩で、東は家康西は輝元隆景にと故太閤秀吉から委託を受けた東西の一方の雄相手にだぞ
黒田や井伊が勝手に保障したことだから知らねwwwwバーカwww
というのは無いわ
もっとも、だからこそころっと毛利も騙されたわけでその点においては見事だとは思う
だけど天下を窺う人のやることではない
俗に言う、威服に欠けることこの上ない
裏を返せばそこまでヒッシにならなければいけない理由がその時点で家康にはあったということであり、
1日でも1刻でも早く大坂城の秀頼と毛利輝元に象徴される西軍残存兵力を切り離す為にはなりふり
構っていられなかったということ

輝元が真の大坂寄りかどうかは当時の史料を漁るしかないが残念ながら心情を吐露した古文書は
閲覧したことはない
だから推測
本能寺以降の羽柴秀吉が大きく躍進しえた要因の一部が毛利家との同盟
具体的に述べるなら、備中高松和睦以降の秀吉が天下人に短期間で躍進しえたのは西に対しては
ほぼ無防備な状態でその全軍をもって明智・柴田と戦いえたことも大きい
加えて秀吉の旗振りの下で四国攻め・九州攻めにおいては主力軍を担い、小牧長久手や小田原征伐
では後方を任され、朝鮮出兵でも毛利はかなりの軍を出している
2ch風に言えば、豊臣はわしが育てた by輝元 的な感覚とでも言うのかなw
祖をたどれば大江広元という鎌倉幕府において頼朝を補佐した氏族の出であり、元就の遺言にしても、
天下をどうこうという意思のない家風だしね
加えて、継嗣問題
輝元も子に恵まれず(と言っても42歳で秀就誕生)、秀元(元就4男穂井田元清の息子)を継嗣養子と
してとっていた。これは1592年に秀吉公認の継嗣として認められたんだけどその時にもし実子が
生まれたら継嗣の話は無かった事にするよという一札もしたためられた
実際1595年に後の秀就が生まれると秀元は継嗣から外れて別家を立てることになるんだが、お家騒
動的なトラブル無しだった
これは、人の親として輝元を考えた場合、大いに感謝したことであろうと思う
そして関ヶ原の1600年当時5歳の我が跡継ぎと太閤の遺児秀頼を見比べた場合、どう感じたのかという
ことだな
283人間七七四年:2010/09/24(金) 18:19:36 ID:MnXMpsJc
何の実にもならぬ朝鮮送りの主力にされたうえ小早川乗っ取られてしまいました・・・
284人間七七四年:2010/09/24(金) 18:19:55 ID:jVQ8aYJA
>>輝元側近の福原広俊まで内通してる
これは輝元直々が家康との交渉ルートを持とうとしてた可能性を示唆している

輝元が了解して二股かけてたなんて
これソースまったくないだろ。
やりたい放題捏造してんなw妄想語るなやwww
そんなら最初から輝元は毛利領を30万石にしたくてやってたんかwww

言っておくが大坂冬の陣での佐野道可事件は輝元が直接指示してんだぜ。
夏の陣でも出兵の指示をなかなか出さんかったし。
明らかに大坂寄りだったのは史実なのにwww
285人間七七四年:2010/09/24(金) 18:22:11 ID:MnXMpsJc
大阪の陣での事は関ヶ原の処分が関わって来るから、最初からそーだったかはわかんないよね
286人間七七四年:2010/09/24(金) 18:41:13 ID:jVQ8aYJA
>>最初からそーだったかはわかんないよね
お前バカだろ?最初からそうだから急いで西軍総大将にも就任したんだろw
お前ほんとうに都合がよい脳内してんなw
287人間七七四年:2010/09/24(金) 20:59:33 ID:kJNX1S4f
>>282
>>284
輝元が大坂に恩義を感じていて積極的に西軍に加担したといいたいらしいが
もしそうなら関ヶ原に出馬して家康と戦わなかったのは何故なの?
関ヶ原の毛利勢もやる気なかったし、この日和見な態度が全体としての毛利の態度じゃなくて
輝元の統制力の問題だとすればこんな人間、こんな状態で家康を敵を回して大坂籠城なんか無理だろ

>裏を返せばそこまでヒッシにならなければいけない理由

当時の法律を恣意的に運用し同じような事例で違う裁定がでる
ダブルスタンダードはよくあることだし法令や協定を反故にすることもよくあること
当の毛利でも元就なんかは当時の基準でもあまりにそういうことが多いから
後年誰にも信用されなくなってるし

>輝元が了解して二股かけてたなんて
>これソースまったくないだろ。

当時福原は安国寺と同じく輝元の美濃口取り次ぎ役にあった立場
輝元が直々に密命を下すには適任の人物
輝元の西軍総大将でありながらやる気がない態度が状況証拠としてはあがるな

>言っておくが大坂冬の陣での佐野道可事件は輝元が直接指示してんだぜ。

だからなぜそれが大坂よりの証と断言できる?
保険だということは否定できるのか?
288人間七七四年:2010/09/24(金) 21:36:24 ID:FswhGCNS
>>287
はじめから結論ありきなんだな
こういうif系スレでよく見かけるのだが、なぜ後世の結果を踏まえて語りたがるんだ?
スレタイからすると関ヶ原後〜輝元大坂城退去までの月日しかないと思うのだが

>輝元が大坂に恩義を感じていて積極的に西軍に加担したといいたいらしいが
>もしそうなら関ヶ原に出馬して家康と戦わなかったのは何故なの?
あの一戦で実質的に全ての決着がつくとは思っていなかったからだろ
>関ヶ原の毛利勢もやる気なかったし、この日和見な態度が全体としての毛利の態度じゃなくて
>輝元の統制力の問題だとすればこんな人間、こんな状態で家康を敵を回して大坂籠城なんか無理だろ
まずはスレタイを見ろ
無理だろと言われればあんな詐欺をやってくる相手と対するに輝元は器量不足で無理だっただろうねと
俺も思うけど、スレタイが「立て篭もったら!!」となっているから、立て篭もることが「できた」「できる」には
どう立ち回れたのか、その可能性を論じてるだけなんだよね

>当時の法律を恣意的に運用し同じような事例で違う裁定がでる
>ダブルスタンダードはよくあることだし法令や協定を反故にすることもよくあること
あれはダブルスタンダードでもないし、協定反故でもないだろうに
何度でも書くがただの詐欺
少なくとも天下一の大身代が五大老という同輩に対してやるには不適
反故にするならするで自分が表に立つべきで部下などに押し付けるような類のものではない
さっきも書いたが、
裏を返せばそこまでヒッシにならなければいけない理由がその時点で家康にはあったということであり、
1日でも1刻でも早く大坂城の秀頼と毛利輝元に象徴される西軍残存兵力を切り離す為にはなりふり
構っていられなかったということ

>当の毛利でも元就なんかは当時の基準でもあまりにそういうことが多いから
>後年誰にも信用されなくなってるし
ぜひ具体例を挙げて欲しい
誰に「も」とあるが思い浮かばないんだ
もう一度書くが、ぜひ具体例を挙げて欲しい
289人間七七四年:2010/09/24(金) 22:04:45 ID:pKcPZjjf
>>287
それで輝元が福原に密命を出した一次史料は?それとも「俺が考えた妄想」か?

だいたい関ヶ原がそんな早く決着が付くと予想してる者はおらず
輝元は大坂で状況によっては後詰めする兵力だったはず。
当然、秀忠軍がやってきた場合に出陣が想定される疲弊してない余剰戦力。
290人間七七四年:2010/09/24(金) 23:50:20 ID:kJNX1S4f
>>288>>289
>こういうif系スレでよく見かけるのだが、なぜ後世の結果を踏まえて語りたがるんだ?

あの毛利の一見優柔不断な態度は、
毛利家の統制体制(指導力)の問題であるか、
それとも統制体制そのものからでたのではなくその優柔不断な態度そのものが意思なのか
を区別して話してるんだが
毛利の日和見である態度はおそらくは輝元らの意思
毛利は四国など弱そうな敵は攻撃し勢力拡大をはかりつつ家康のような強敵には
いくつものパイプをとおし誤魔化しながらやりとおそうとしたってのが正しいと思うよ

関ヶ原の見込みが1日であろうが一週間であろうが関ヶ原の毛利軍が消極的な行動に終始したという
根本的疑問にたいして何の答えにもならない
西軍総帥の石田三成も輝元の不出馬には不満を持っていた

>輝元は大坂で状況によっては後詰めする兵力だったはず。

一次資料はなんだ?w
関ヶ原が短期で終わるとは思わなかったなどという理由は
関ヶ原当地において毛利軍の中途半端な態度の説明にもならない

>あれはダブルスタンダードでもないし、協定反故でもないだろうに
>何度でも書くがただの詐欺
>少なくとも天下一の大身代が五大老という同輩に対してやるには不適
>反故にするならするで自分が表に立つべきで部下などに押し付けるような類のものではない

騙してることは一緒だろうに
なぜ詐欺とやらにそんなにこだわるんだ
天下人の秀吉は惣無事令で北条は討伐したが自分と親しかった上杉、佐竹は不問にした
家康は秀吉の遺令に背き婚姻政策を繰り返した
伊達の100万石のお墨付きだって詐欺といえば詐欺だ
反故にするならするで自分が表に立つべきなんてのもまったく理解できない理屈

大坂の毛利退去が至上命題だったのはたしかだが詐術的手段をつかったのが
その重要性や逼迫性を示しているほど特殊だってのは信じがたい
291人間七七四年:2010/09/24(金) 23:52:44 ID:kJNX1S4f
>>288>>289
>ぜひ具体例を挙げて欲しい
>誰に「も」とあるが思い浮かばないんだ
>それで輝元が福原に密命を出した一次史料は?それとも「俺が考えた妄想」か?

自分は具体例をあげれないのに人にばかりそういうことを追求するのは
よくないことだとおもうよ

福原密命説は主君側近で毛利の美濃口取次ぎという役についていた福原が
単独交渉することは難しいって傍証はよくあげられてるし
輝元、毛利軍の行動そのものも家中分裂ではなくどちらにころんでもいいよう
意図的に日和見な態度をとってるように考えたほうが自然

となると福原の家康への内通は福原の単独行為ではなく主命であった可能性も
高いといえる

戦国時代の日常は裏切り、協約反故、恣意的な法律の運用が著しかったのはさっきもいったとおり
元就なんかは特に著しく国人、商人からの信用されず、元就の変わりに顔になり信任をえていた隆元死後
毛利家は一時物資調達や国人への折衝に苦しんだ事例はある
こう書くと詐術的手段は悪いと言われかねないが元就は謀将といわれるほど特に際立っており
詐術的手段を使うことが有効であったからよく用いられたわけで
関ヶ原の後の大坂城退去に関する事例が特段に珍しい謀略かといわれたら疑問

>輝元は大坂で状況によっては後詰めする兵力だったはず。

ところでこれの根拠や一次ソースはなに?
おまえの話いつも「おれはそう思う」なんだよな
毛利が大坂寄りとかいう妄想を一次資料もなく連呼してんのは誰?
佐野道可事件に関し「なぜ保険だと考えられない?」という質問にロクに答えず
「俺が考えた妄想」で毛利が豊臣派であると断言してる人がなにいってんの?

人を叩くのは好きだけど同じ理屈をそのまま返されたら自分も爆死するってアホまるだしw
292人間七七四年:2010/09/25(土) 00:03:28 ID:2Hl8C8Ml
IFで語るのはかまわんがIFの結果ありきで色々特盛りすぎ
293人間七七四年:2010/09/25(土) 00:17:52 ID:9Fv8UOVs
純粋に前提の可能か不可能かを考えずIFで考えても
家康と輝元では実績も実力もカリスマ性も段違い
どっちに諸大名が従うか一目瞭然
294人間七七四年:2010/09/25(土) 01:05:42 ID:blqhJYCl
福原が輝元の了解の元で動いていた証拠がない以上、史学の世界においてその話は妄想でしかない。
だいたいそれなら、状況証拠を挙げてみるに家康による毛利家臣団の切り崩し謀略に引っかかった愚か者が福原と考えた方がより現実的だ。
家康は筆まめで関ヶ原前夜に百通以上の書状を書いてる。
また宇喜多家臣団の切り崩しや上杉家臣団の切り崩しを家康はやっており
藤田信吉も家康から景勝らに内緒で金品を受領していたと言われる。
それゆえに藤田信吉は上杉家から出奔せざる負えなくなる。
295人間七七四年:2010/09/25(土) 01:36:50 ID:OxthAvF6
>>大坂で状況によっては後詰めする兵力←これの一次資料はなんだ
ふつうに当時の戦略の常識だろ、前線での野戦築城での攻防における後詰決戦思想なんて・・・
そもそも輝元が保険をかけてるなら安濃津城攻略などにおいて毛利軍が主力になること事態
を総大将として避けてるはずだ。

>>秀吉は惣無事令で北条は討伐したが自分と親しかった上杉、佐竹は不問にした
豊臣大名化して臣下になった者と
惣無事違反して名胡桃城を奪取した北条という事実も知らんほどの無知か・・・

>>伊達の100万石のお墨付きだって詐欺といえば詐欺
あれは政宗が最上支援に積極的じゃなかったり、南部領へ攻め込んだりしたからだ。
そもそも百万石の約束自体が政宗が西軍寄りになりそうなので
それを阻止すべく伊達家臣団切り崩しの加増約束であったとも言われている。

>>元就なんかは特に著しく国人、商人からの信用されず、
元就の変わりに顔になり信任をえていた隆元死後
毛利家は一時物資調達や国人への折衝に苦しんだ事例はある

なんだこれ?具体的にどういうことが具体例を書いてくれ。

>>元就は謀将といわれるほど
例えばどこら辺で?一次史料で具体例を書いてくれ。
296人間七七四年:2010/09/25(土) 09:09:42 ID:OFNNzuLG
>>288
スレタイに「ら」はないから。念のため。
しかも大阪城w
297人間七七四年:2010/09/25(土) 11:11:17 ID:1lE++Ajc
歴史IFスレの難しさだよな。
IF時点における時代背景や登場人物の履歴を元にIFを語る人と史実の未来を踏まえて語る人がいる。
両者の話がかみ合うはずも無い。
あくまでも前者に徹して語るべきではないだろうか。

史実の未来を踏まえると徳川家康と毛利輝元は比べるまでもない差があるのは明白なのだが、当時は
どうであったのか。
石高は、関東250万石と山陽山陰120万石で2倍の開き
家臣団及び国人衆は、関東入府10年(1世代)と祖父の代からの統治(2〜3世代経過)
徳川にあるものとして旧北条氏のシステムを踏襲した優れた官僚組織
毛利にあるものとして当時の日本経済の大動脈瀬戸内海(赤間が関〜大阪湾)を制するに足る水軍
軍を比較すると小田原征伐奥州仕置き以降10年実戦から遠ざかっていた徳川軍と朝鮮出兵などで
実戦の記憶も新しい毛利軍(現代に置き換えると将・佐級はともかくとして尉・下士官・兵レベルでの
実力差がかなりある)
豊臣支配体制においては大老で同列
ざっとだとこんなものかな。

このように併記すると家康がやや有利な六分四分に見える。
しかしながら大坂城を含めた畿内でドンパチと考えれば後背地に近い毛利のほうが長期戦になれば有利。
各地方の雄であった東北の伊達、常陸の佐竹、北陸の前田、九州の如水・鍋島といった大名が東西どちら
から見ても遅滞行動に見える軍の動かし方をしていた理由もわかる気がするし、史実において徳川家康が
大坂城から毛利輝元を撤退させる為に詐術的手法を用いた理由もわかる気がする。
298人間七七四年:2010/09/25(土) 13:24:21 ID:blqhJYCl
毛利は家臣から名目だけ自立してる四国に伊予安国寺領や北九州にも秀包領があったりで実際は150万石近くはあったよ。
ちなみに朝鮮出兵から大津城攻略までずっと一緒に行動してる秀包と義兄弟の立花宗茂の筑後柳川もほとんど毛利領と変わらない。
同じ五大老の上杉120万石も合わせたら徳川より上。
あと北条統治システムって北条厨がよく言うけど具体的に語ったことを見たことがないが?
よく苦し紛れに歴史家でも何でもない250年後の勝海舟が北条統治をすごいと言ってたからすごいって北条厨が書くぐらいで論拠は一度もレスされたことがないよ。
299人間七七四年:2010/09/25(土) 14:24:37 ID:7nLlILep
輝元の場合、結局「百匹の狼を率いた一匹の羊」なんだよね。
立て篭もる度胸も戦略もない。

軍事政略に長けた百戦錬磨の狼の家康に敵うわけもなく、史実通り、
体よく大阪城撤去となる。
300人間七七四年:2010/09/25(土) 15:14:04 ID:blqhJYCl
まあ輝元が悪いのは事実だけど
後見役でもあった隆景の自立と専横が禍根を残したとも言えるよ。
結局、空弁当箱宰相の吉川は戦後に領地安堵に騙されて大坂城譲渡を毛利家中からの非難されて
俺は毛利の安泰を考えて隆景らのようにしたまでって言い訳してるからね。
そもそも隆景の自立化が安国寺らの自立化にもなり
それを空弁当箱宰相は吉川冷遇と嫉妬したとも取れるし、
毛利の藩塀のはずの秀秋が吉川共々
関ヶ原でのあの行動につながってる。
ただこのスレでは大坂城籠城したデキる輝元と言う並行世界の可能性が語られてるからね〜!
301人間七七四年:2010/09/25(土) 17:20:18 ID:2Hl8C8Ml
じゃぁ関ヶ原ははデキ元さんの策略で非毛利派西軍を東軍を使って
潰した戦いってことにするかね
302人間七七四年:2010/09/26(日) 06:18:05 ID:SUOxq0ck
家康が関ヶ原で負けたとしても
秀忠の軍と合流して再戦するよな。
関ヶ原で負けても毛利がほとんど無傷なら大坂で体制を整えられるんだから
普通なら再度の戦いをするよな。
やっぱりヘタ輝さんを殺して
双子の弟のデキ輝さんと
交代させておけば良かった。
303人間七七四年:2010/09/26(日) 09:01:19 ID:04grEi2l
徳川方は遠征軍だから兵站がもたない
井伊も負傷
ヘタ輝さん側には諜報部隊がいなかったのか
304人間七七四年:2010/09/26(日) 19:26:00 ID:YW8kBEsN
ヘタ輝さんから見れば家康に勝っても良いことがない
305人間七七四年:2010/09/26(日) 19:57:00 ID:SUOxq0ck
>>304
毛利領大減封を免れるだけでも
充分良い思うが…
まあそれ以前に家康領も加増されるしね。
家康領いらねーから四国と交換してくれ!でもいいわけだし。
306人間七七四年:2010/09/26(日) 20:57:09 ID:iyHHw69J
>>304
ではなぜ西軍総大将を引き受けたのだね?
307人間七七四年:2010/09/27(月) 00:22:18 ID:un4UZXKY
毛利水軍全力で東海道の海の交通路を遮断してしまえば
補給が安定せず家康は土下座するよ。
308人間七七四年:2010/09/27(月) 06:27:28 ID:ACbesW7r
>>295
いい加減な知識を書きなぐってたバカは
元就の件の具体例を書けずに逃亡したみたいね。
309人間七七四年304:2010/09/27(月) 11:18:00 ID:vzAh+VH0
>>305
関東に押入ってトドメを刺せる奴が居ないから、家康さえ存命なら防衛戦の一勝でしかない>ヶ原
勝った処で争いは収まらず大老筆頭としての責任もあり、自軍の兵は転戦連戦の悪夢再び
それにヘタ輝さんが風下に立つ限り毛利領減封は必至(大きすぎるから)早いか遅いかの差。

>>306
道理で言えば横道は家康、利より理を徹した…かったんじゃないのかなヘタ輝さん的には。
310人間七七四年:2010/09/27(月) 13:56:05 ID:ACbesW7r
>>309
一見ボンクラに見えるかも知れないけど
デキ輝さんなら家康滅亡させて
誠意大将軍になり毛利幕府樹立!
結局、どちらに転ぼうが大老の力を借りないと鎮圧できない豊臣は倒壊する。
だから教訓として
家康は幕政に大藩を参加させないようにしつつ
政治に参加する譜代の領地は広げずに徳川の直轄地を増やして豊臣政権と逆のことをした。
しかし豊臣政権纂奪15年の時間をかけてその状況を創りあげたので江戸幕府は250年続いた。
311人間七七四年:2010/09/27(月) 14:04:25 ID:SRoEsyYw
あの時点で淀君やその取り巻きが豊臣の敗北なんて認識がゼロだからね
本気でやる気なら関ヶ原に千成瓢箪翻ってるでしょ
312人間七七四年:2010/09/27(月) 14:16:13 ID:fYBfXZVq
世間一般で不思議なほど話題にならないヘタ輝さん
そのへたれっぷりは、もっと注目されていい
313人間七七四年:2010/09/27(月) 15:08:01 ID:ACbesW7r
>>312
いまこそ注目されるぞ!
ヘタ輝さんの素晴らしい土下座外交で
毛利領をゴッソリ取られちゃった教訓がw
314人間七七四年:2010/09/27(月) 17:34:52 ID:O/OcEyHS
クルッ輝さんなら秀頼背負って関ヶ原行ってただろうに
315人間七七四年:2010/10/01(金) 19:17:57 ID:wEFBnnpP
前スレの結果論馬鹿は最後まで見苦しく電波垂れ流し続けたんだなw
あの粘着ぶりには感心するわ
自分は勝ったとか思ってんだろうな
316人間七七四年:2010/10/01(金) 23:23:20 ID:XaGnbkuo
>>294
>福原が輝元の了解の元で動いていた証拠がない以上、史学の世界においてその話は妄想でしかない。

へー
主君側近の行動が主君の意を受けている可能性が高いことは歴史学者がよくだす傍証だよ
もちろん側近の独断ではないとはいいきれないけど立場が立場だから切り捨てられないのも事実

ところでチミがいう毛利家が豊臣寄りだった(豊臣はワシが育てたw)とか関ヶ原に出陣しなかったのは
状況によっては後詰めする兵力だったはずなんての根拠あんの??

見れば見るほどダブスタだらけ
317人間七七四年:2010/10/02(土) 00:25:22 ID:lEMjBDH1
>>316ちょっと訂正

徳川と戦う気マンマンだったが関ヶ原に出陣しなかったのは
状況によっては後詰めする兵力

ってのがアノ盆暗のいいたいことらしいな
史実では徳川との直接決戦を必死で避けて逃げの手ばかりうってる現実もみず
やる気マンマンだったはずなのに戦わなかった理由を
「戦後騙された」という単純きわまりなく矛盾に対して何の説明にもなってない
取ってつけたような苦しい言い訳に終始してるしww
318人間七七四年:2010/10/02(土) 10:17:41 ID:xicv9Nbk
輝元さんには戦略も戦術もありません
319人間七七四年:2010/10/02(土) 10:31:51 ID:cOY7WVYJ
やる気満々かどうかは知るよしもないが、後世の者からみれば関ヶ原こそが全ての帰趨を決めた大事な
一戦となるけど、当時輝元にしろ石田にしろ宇喜多にしろ西軍首脳部はそう考えていなかったということだろ
大会戦でケリをつけるとするならばそもそも丹波や大津、伊勢に分派する意味がないし大坂城に
過剰な予備兵を置く意味もない

もし仮に関ヶ原が東軍やや有利程度で終わったとすれば、それ以降の東軍はけっこうきつくなる
なぜかというと季節は冬に向かっているし、西に、大坂城へ向かえば向かうほど補給線維持が苦しい
(東海道は水軍衆がゲリラ的に襲撃しているし中山道は補給路に不適)
北陸道を補給路として用いるということは(徳川家康からすれば)政治的に封じ込めたはずの前田家の
復活を認めることにつながるので、東軍に属する元利家派大名勢を考慮すればこの手はジョーカーに近い

西軍が東軍より明らかに有利な点は、大坂城に瀬戸内海を制するに足る水軍を持つ毛利が入ることにより、
城そのものが事実上包囲不可能な難攻不落かつ補給的にも優れた大拠点になったことと、更に旗印として
秀頼を奉じていることだからね
320人間七七四年:2010/10/02(土) 12:47:08 ID:MvZAiQ7L
俺なら関ヶ原の敗残兵をまとめて忍者に転職させて家康暗殺指令だな
数打てば誰か当たるでしょ
321人間七七四年:2010/10/02(土) 12:53:18 ID:QMA9kr0y
まぁ全ての誤算は岐阜城があっけなく陥落した事だわな
黙って守り固めておけば数ヶ月は持っただろうに
そうすれば分派した立花とかがそれぞれの地域攻略して形勢は一気に逆転しただろうに
322人間七七四年:2010/10/02(土) 12:59:19 ID:lEMjBDH1
>後世の者からみれば関ヶ原こそが全ての帰趨を決めた大事な
>一戦となるけど、当時輝元にしろ石田にしろ宇喜多にしろ西軍首脳部はそう考えていなかったということだろ

関ヶ原以外の地方で行われた会戦の結果がそれほど他の地域の戦局に影響を与えたわけじゃないのに
関ヶ原の趨勢(もちろん毛利退去以前)で多くの大名の姿勢が変化したということはそれだけ重く看做されていた証左だろう
西軍と東軍の首脳同士の真っ向からの直接対決が影響を及ぼさないわけがない

>当時輝元にしろ石田にしろ宇喜多にしろ西軍首脳部

三成は何度も輝元に出陣要請してるし「下々の者が不審に思う」という表現で
輝元のやる気のなさに相当の不満を漏らしてるんだが?

>東海道は水軍衆がゲリラ的に襲撃しているし
>大坂城に瀬戸内海を制するに足る水軍

なぜか毛利の水軍だけは関ヶ原戦前のパワーバランスのまま行動してくれるという
ありえないような設定
村上水軍は離合集散をくりかえしていている
秀吉の調略で離反した来島だけではなく能島も毛利から離反して大友についたり
秀吉につこうとしたりしてるし(乃美宗勝が来島におくった書状に「来島同意の御覚悟候といへど」
というのがあり一度は能島も寝返ろうとしていたものをやっとのことで味方につけたことが伺える」)
どんな状況でも離れない鉄壁な関係かといえば疑わしい
323人間七七四年:2010/10/02(土) 13:35:10 ID:lEMjBDH1
>>322
三成がした出陣要請ってのは広島から大阪にでてこいっていうんじゃなくて
関ヶ原直前の時期で大阪から前線に出陣することを要請したってことな
三成は関ヶ原を軽く考えていたのではなく輝元が出てこなかったことに対して痺れをきらしてたのは事実だ
324人間七七四年:2010/10/02(土) 14:29:18 ID:lEMjBDH1
>>295
>ふつうに当時の戦略の常識だろ、前線での野戦築城での攻防における後詰決戦思想なんて・・・

輝元が消極的な動きを見せたのは「戦意は満々だった上での後詰」なのか
「どうにでも転べるよう保険をうつ形での後詰」だったのかってことだろ
安濃津のような豊臣家臣が城主を務めるような城を攻めたとしても
それが「毛利が徳川との決戦を避けて保険をうってる」ことへの否定材料にはなりえない
「戦意は満々だった上での秀忠隊に備えての後詰」であると断ずることができる
一次ソースをしめせということなんだが

そこまで言い切る一次史料はなんだ??
人のいってることを片っ端から「妄想」だの「史料は?」と突っかかるなら
自分からすべて開示するのが筋だよな??

>豊臣大名化して臣下になった者と
>惣無事違反して名胡桃城を奪取した北条という事実も知らんほどの無知か・・・

馬鹿なのか?
どちらも惣無事令違反には変わらないんだがw
豊臣大名化うんぬんも関係ない
他家に対して公儀の体裁において惣無事令のようなものを公布してる時点で秀吉政権は
形式上中央政権としての役割を果たしていたことになる
その中央政権が恣意的な法律判断である家は見逃しある家は潰すなんていう
ダブルスタンダードを平気で犯してる
だまし討ちとは違うが近いとみられても仕方ない事例だろうね
325人間七七四年:2010/10/03(日) 01:14:57 ID:5UDGsQSY
やべぇまたキチガイが降臨してるわwww
326人間七七四年:2010/10/03(日) 05:16:29 ID:UGHqPoTy
同じ惣無事令違反といっても北条は豊臣家に対し弓を引いた訳で
豊臣家臣として外の敵を攻めた上杉とは違うのでしょう
327人間七七四年:2010/10/03(日) 09:09:28 ID:9arn+uR9
このスレも派生系別スレの池沼に見つかっちゃったのか
終わりだなwwwwwww
328人間七七四年:2010/10/03(日) 13:41:25 ID:XQfDDVgG
 | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
 |   次でボケて!!!   |
 |________|
    ∧∧ ||
    ( ゚д゚)||
    / づΦ
329人間七七四年:2010/10/03(日) 14:59:07 ID:VpOYzmrs
>>326
豊臣家の命令によるものじゃなくて無許可の私戦

惣無事令みたいなものが発令されてる時点で中央政権を秀吉が担ってるって
体裁をとってるってこと
実態は服してあろうがなかろうがその時点で秀吉政権の形式からすれば
北条も上杉も同じく部下なわけで私戦をみとめないという法律に一方には厳格にてきようし
他方は見逃したってこと

上杉のはただの所領拡大目当ての私戦であることは明白だし
秀吉からの公式な命令に基づくものじゃないものを「豊臣家臣として外の敵を攻めた」なんて
ことは言えない
330人間七七四年:2010/10/03(日) 18:45:53 ID:Se+uhh+T
>>329
まったくの間違い。

双方の言い分のどちらが正しいのかわからなかったから
大宝寺義勝と最上義光の両方を上洛させて
詳しく質疑の上、吟味しようとしてただけ


やっぱりlEMjBDH1って例の痛い基地害だよな・・・
無知だから自分が反論に対して
ただ単に屁理屈をこねてるだけなのも理解できてない厨房生。
しかも本人が書くことは完全な妄想。
331人間七七四年:2010/10/03(日) 20:24:09 ID:1LLQVa0q
>>323
三成は家康が浜松まで来たら、輝元に出陣を求めるつもりと書状にある
ただし、当の三成が家康の存在に気づいたのが岡山に旗が上がったとき
なんだけどね
332人間七七四年:2010/10/03(日) 21:10:53 ID:VpOYzmrs
>>330
で、おまえの説明からどうやれば「上杉が惣無事令に違反してない」という結論が導き出されるんだ?
どうやってもだされないな

自分の思い描いた妄想が通用しないと相手に無知だのキチガイだのレッテルを貼り
相手のいってることにケチをつけるわりに
どこがどういうふうに間違いなのか明白にせず
周辺の関係がない事実だけを積み重ねて誤魔化してんだな
いつものようにどうでもいい無関係な事実を積み重ねて嘘をつく(ミスリードをまねく)ような手段か

>>331
三成自体は何度も出陣要請をしてる

西上してきたらより輝元出陣の重要性が高まるから
何度目かの要請をするつもりというのはあるかもしれないが
それまで出陣要請をしなかったというのはない

立場上強くいえないであろう中で9月12日付けの書状で輝元の消極的な行動を批判している
333人間七七四年:2010/10/03(日) 21:21:36 ID:5UDGsQSY
なんだ日本語もわからないキチガイだな…

大宝寺の違反疑惑がなぜ上杉の違反になるんだ?
しかも義勝は上洛して説明をしたが
最上は上洛して弁明しなかった時点で
議論の余地はなくハッキリした話だと>>330は言ってるんじゃないのか?
いい加減に無知と屁理屈ばっかりでつまんない話すんなよ。
334人間七七四年:2010/10/03(日) 21:24:46 ID:1LLQVa0q
>>332
12日の書状には輝元が出馬しないことは自分(三成)はもっともなことだと思うとしているが
335人間七七四年:2010/10/03(日) 21:31:15 ID:VpOYzmrs
>>333
アホか
上杉が庄内をかすめとったのは公儀のお墨付きをえてない私戦であることに
かわりないし、それに対してなんの反論にもなってない
豊臣が上杉に討伐のお墨付きをあたえたとでもいうのか?
>>334
だから典型的な譲歩逆接構文だろ
三成自身何度も出陣要請をしてるんだしそこで
輝元が出陣もせずひきこもってると下々のものが不審におもうと
批判している
336人間七七四年:2010/10/03(日) 21:41:40 ID:1LLQVa0q
>>335
その下々云々は宛先の増田と家康の通謀の噂にも書かれている
そうなると三成は増田に「お前、家康と通じているのか?」と難詰していることになるのだが
まさか、そんな墓穴を掘る真似をするとも思えんのだが
337人間七七四年:2010/10/03(日) 21:46:47 ID:z1I4NTcc
上杉や三成のような雑魚に用はない
デキ元様の話題にしろ
338人間七七四年:2010/10/03(日) 21:47:43 ID:5UDGsQSY
大宝寺氏が大宝寺領を取り戻しただけなのに何を言ってんだガチでバカだなコイツw
339人間七七四年:2010/10/03(日) 22:40:31 ID:VpOYzmrs
>>336
その時期三成は西軍が烏合の衆であることを認識し寝返りを危惧し
相当あわてていたんだが
だいたいその前の段階で大坂に使者を派遣し輝元出馬を要請してんだから
三成としては輝元出陣を願ってたと考えるのが妥当だろう
>>338
ハ??
勝手に戦争して取り戻すこと自体が惣無事令に反してるんだろうが
どうすればこれが違反じゃなくなるんだ?
レッテル貼りだけで何の説明にもなってないんだよ
だいたい大宝寺氏っていっても実質上杉の傀儡だろうが
340人間七七四年:2010/10/03(日) 23:05:14 ID:5UDGsQSY
>>338
どうしようもないアホだわ。
だから大宝寺と最上に
上洛して申し開きするチャンスが与えられ
そこで惣無事違反かどうか吟味するって話になったんだろが。
豊臣政権への取り次ぎとして東国の窓口になっていたのが上杉と徳川であり
大宝寺は上杉
最上は徳川
を通じて事情を報告してただけのことだ。
さらに今みたいに法治主義じゃなくて
斡旋や取り次ぎにしかるべき立場の人間の口利きが必要不可欠な縁故社会だったと言うのも知らんようだw
341人間七七四年:2010/10/03(日) 23:21:00 ID:VpOYzmrs
>>340
おまえの答えは答えになってないんだが
上杉が勝手に庄内に軍事侵攻して事実上の占領下においたのは惣無事令違反だろ

おまえの説明ではこれを否定する材料にならないばかりか
関係ない史実とやらをつみかさねレッテル貼りと罵詈雑言で誤魔化そうとしてるだけ
そもそも大宝寺は上杉の傀儡だから窓口も糞もない

おまえのやり口詭弁のガイドライン第6条と8条に該当するわ

例:「犬ははたして哺乳類か」という議論をしている場合
あなたが「犬は哺乳類としての条件を満たしている」と言ったのに対して否定論者が…

6.一見、関係がありそうで関係のない話を始める
「ところで、カモノハシは卵を産むのを知っているか?」

8.知能障害を起こす
「何、犬ごときにマジになってやんの、バーカバーカ」
342人間七七四年:2010/10/03(日) 23:22:52 ID:VpOYzmrs
11と13にも該当してたw
酷いことにはかわりないわな

11.レッテル貼りをする
「犬が哺乳類だなんて過去の概念にしがみつく右翼はイタイね」

13.勝利宣言をする
「犬が哺乳類だという論はすでに何年も前に論破されてる事なのだが」
343人間七七四年:2010/10/03(日) 23:51:24 ID:1LLQVa0q
>>336
要請したのは東軍先鋒が岐阜城を落としたり京極が大津城に篭城したからで、でも東軍先鋒は動かなくなり
大津城は落城寸前なので、現状では輝元が来る必要がないと増田宛に手紙を書いたということ
344人間七七四年:2010/10/03(日) 23:58:14 ID:VpOYzmrs
>>343
「輝元が出馬しないことは自分(三成)はもっともなことだと」というのは
譲歩逆接構文での譲歩部分と考えて一定の遠慮をした表現にすぎないと考えたほうがいいだろう
なぜなら下々のものが不審におもっていると不満を表明してるしそのつい二日前にも出陣要請した使者を派遣したばかり
345人間七七四年:2010/10/04(月) 00:05:43 ID:afwAJ2k4
>>344
>>366
さらに「これもものの分かったものが申すのではなく、下々の申すことである」
その用法だとつまり三成は自分をものの分からない男だと言っていることになる
346人間七七四年:2010/10/04(月) 02:53:17 ID:WGOv9uWV
>>341
本庄氏の後ろ盾の元に武藤氏(大宝寺氏)が
最上と戦ってただけで上杉氏は直接関係ない。
そもそも謙信死後の内乱で上杉との縁は完全に切れており
最上対策として信長に仕えることで屋形号をもらったりしてる。
信長が死に伊達氏が政宗に代わると信長の越後攻略の同盟者の
伊達と葦名の蜜月時代の仲は政宗の奇襲で突然瓦解し
政宗は上杉氏と同盟して葦名攻めを開始
本庄は相変わらず新発田への牽制でいっぱいいっぱいで動けない。
それと同時に政宗が伊達勢力圏に対して伊達による無事令を主宰して
庄内地域における本庄と最上の戦闘停止を命じてる。
しかし欲深い最上が伊達氏の命令を守ってるフリをしつつ
謀略を展開して武藤氏配下への買収により東禅寺義長による暗殺クーデターに成功させ
さらに武藤氏を悪屋形と呼ばせて悪印象キャンペーンを開始。
叔父の悪辣さに政宗曰く
「初めて取り扱った無事が1年持たないなんて・・・俺は天下に恥をかかされた」と激怒してる。
その後、大崎合戦を契機に最上は伊達から独立し本格的に伊達氏と最上氏の抗争が開始
これを機に本庄の後ろ盾の元に武藤氏の庄内回復戦が始まる。
これらが問題になり武藤氏と最上は弁明のために豊臣政権から呼び出しを喰らった。
これを受けて伊達氏は最上の上洛阻止のために大崎氏内の氏家氏を挙兵させたり
伊達軍を使って最上を牽制し山形から動けない状態に追い込んだ。
最上は「氏家と言うやつはなんなんだ?政宗は何をしてるんだ。
われらが秀吉の惣無事令を受けて和睦したことは秀吉や家康も知ってるんだぞ」と義姫を詰問してる。
(大崎合戦と郡山合戦(窪田の戦い)は秀吉の惣無事令を受けて和睦停戦し政宗は命を救われている)
天正17年5月に武藤氏は上洛し惣無事違反の嫌疑を晴らした上で
秀吉への臣従を誓ったので秀吉から武藤氏が上杉景勝の与力大名として公認された。
ちなみに上杉氏は天正14年6月に景勝が上洛して秀吉に会って臣従してる。

つまり ID:VpOYzmrs=afwAJ2k4=きちがいは相変わらず無知すぎて恥ずかしいから消えろ。



347輝元:2010/10/04(月) 08:42:00 ID:Qu8WlH1P
おれのスレ
348秀家:2010/10/04(月) 18:11:12 ID:ElL8hpwO
>>347
死ねヘタレバカ
349人間七七四年:2010/10/04(月) 20:07:20 ID:ldn8wR/g
>>346
>本庄氏の後ろ盾の元に武藤氏(大宝寺氏)が
>最上と戦ってただけで上杉氏は直接関係ない。
>そもそも謙信死後の内乱で上杉との縁は完全に切れており

追い詰められてついに嘘までつきだしたかw

上杉軍(本庄繁長)が庄内まで軍事侵攻したことは間違いない事実
大宝寺は信長死後に上杉家臣から養子をとっており、
当時はその養子が家を継いで事実上の傀儡になっていた
縁が切れただなんてとんでもない話

しかしその糞みたいな長文は話の要点と関係ない史実とやらをつみかさねによる論点ずらし
それに加えレッテル貼りと罵詈雑言により誤魔化そうとしてるだけにしか見えんな
350人間七七四年:2010/10/04(月) 20:42:09 ID:2ljB+5Jt
>>349
まじ基地害だな…
上杉は謙信死後の後継者争いや信長の越後攻めや新発田の乱で
庄内に対する影響力が長きに渡りまったく消失したからこそ
大宝寺は信長や伊達を頼ったんじゃないか。
そういう過程を知らずに
ただ単純に上杉家臣から養子をもらったから
上杉配下と発言して自己正当化してるみたいだが
要は庄内を取り巻く歴史的推移をまったく知らないくせに
シッタカして書いただけだろ。
お前はいつも「俺はこう思う」妄想とWiKiを読んだだけのシッタカだけで
書いてるだけで知識の浅さが露呈してるからなw
351人間七七四年:2010/10/04(月) 21:02:39 ID:ldn8wR/g
>>350
おまえの長文はあいかわらず関係があるようで関係がないことを
かきつらねて論点をずらして無知だの妄想だのレッテルを貼ってるだけで
なんの回答にもなってないわけだが

当時の大宝寺当主は支配権を奪われ越後に落ち延びていた有様
上杉景勝主導の下で上杉軍が大宝寺を奉じて軍事侵攻したというのが事実だ
おまえのいうように「大宝寺が最上と戦っていただけ」というのはありえない
情勢だったわけだ

おまえが言ってる「事件の何年も前の情勢」なんか直接関係がない情報だけを
グダグダ並べられても無意味なこと
それこそ論点ずらしでしかない
ましてや上杉は関係がないなんて大嘘だし縁が切れてるなんてのも嘘かミスリードを招く
誤魔化しにすぎない
352人間七七四年:2010/10/04(月) 22:38:34 ID:2ljB+5Jt
>>351
じゃあ聞くがどんな一次史料を根拠にそう断言するのか?
上杉から本庄や大宝寺に関する一次史料と言えばほとんどないと思うが?
例えば
天正12年6/27に景勝→本庄において
義興併東禅よりも一段入魂之趣、其方隣辺肝煎故与祝着候
こんなもんが代表的なもので
景勝は勅使が下向してきて新発田攻めが延期されたり、
本庄相手に近況報告…秀吉と家康が対立したから秀吉を支援すると決めたり佐々とは和睦しないとか忙しい状況を伝える中で
大宝寺と東禅寺の修好を喜んでると触れてるだけだぞ。
こんな希薄な状態でなんで上杉支配下の大宝寺になるんだ?
一次資料で証明してみろよ!
お前はWiKiに書いてあることをそのまま書いてるだけなんだろ?
353人間七七四年:2010/10/04(月) 23:29:22 ID:ldn8wR/g
>>352
>>316でもかいたが「心情的にも毛利は豊臣寄り」だっただの
「消極的行動は保険を掛けていたのではなく、戦意マンマンで後詰決戦思想のもと
での予備兵力」だと何の一次史料も示せずに強弁している人はなんなんですかね?
どっかの誰かと同じ口調なんで同一人物かとおもってましたが違うんですか?

だいたい天正12年なんて古すぎて当時の状況の参考にはならない
天正15年に義興が討たれ大宝寺氏の支配力が排除されて以降は大宝寺義勝は越後に逃れ
それ以降の争いは大宝寺の家名を奉じる上杉勢と最上勢の戦いなのは明確

>>346

>本庄氏の後ろ盾の元に武藤氏(大宝寺氏)が
>最上と戦ってただけで上杉氏は直接関係ない。
>そもそも謙信死後の内乱で上杉との縁は完全に切れており

なんて嘘八百もいいところだ
354人間七七四年:2010/10/05(火) 00:13:39 ID:e610Sr4L
>>352
>本庄氏の後ろ盾の元に武藤氏(大宝寺氏)が
>最上と戦ってただけで上杉氏は直接関係ない。
>そもそも謙信死後の内乱で上杉との縁は完全に切れており

つーかおまえが↑の一次史料をだせば一発だろ
いっとくが天正12年とか古いの出して誤魔化すなよ?w
355人間七七四年:2010/10/05(火) 01:28:28 ID:pN8G0xfL
後詰決戦については下記にも書かれてるね。
ttp://www.sengokushi.com/c1/godume/

天正12年くらいしか上杉から本庄へ庄内情勢に触れてる書状がないから、上杉の庄内支配なんて話は成立しないって話でしょ。
だからそれを証明したいなら一次史料で上杉が庄内統治をしていた証拠の一次史料による反証が必要だと言ってるんだろ。
そもそも繁長の子千勝丸はいつ養子に入ったのか時期を一次史料で教えてくれ。
義興が死んでから本庄が養子だったと自称して侵攻した可能性もあるしな。
さらに秀吉の奥羽仕置きの後に
出羽では由利・仙北・庄内三郡に一揆が起きたわけだが
一揆の平定後、本庄繁長と大宝寺義勝父子が大和に流罪になり
上杉の監督責任は問われてないのはやはり上杉と庄内の結び付きが小さいからなのではないのか?
本庄と大宝寺の個人的な付き合いに支えられている可能性も充分ある。
だが一方で義氏暗殺後に弟の義興が家督を継いだ際に上杉ではなく
義興も東禅寺筑前守も最初は両者とも最上義光を頼っているんだよな。
だからこそ上杉が庄内を統治した実績の一次史料の提示が必要だろう。
356人間七七四年:2010/10/05(火) 02:11:39 ID:e610Sr4L
>>355
>後詰決戦については下記にも書かれてるね。

相変わらず質問に答えるってのができない人なんだね
戦意があっての後詰決戦という作戦のためなのか
あるいはどう戦局が転んでもうまくやっていくための保険なのか
あのヒトは前者だと強弁するけどその一次史料はなんなの?

>天正12年くらいしか上杉から本庄へ庄内情勢に触れてる書状がないから、

んで書状がないとのソースは?
もしかして「おれが知らないからない」??
天正16年まで庄内地方で動乱があり天正16年には景勝の命で本庄が
動員されてるのに「ない」だなんて考えられないんだけど

>義興が死んでから本庄が養子だったと自称して侵攻した可能性もあるしな。

は?侵攻した??↓で力説してることといってることが違うんだが

>本庄氏の後ろ盾の元に武藤氏(大宝寺氏)が
>最上と戦ってただけで上杉氏は直接関係ない。
>そもそも謙信死後の内乱で上杉との縁は完全に切れており

はどうなったんだよ?
これの一次史料はなんだ???

>やはり上杉と庄内の結び付きが小さいからなのではないのか?

その憶測を裏付ける一次史料は?
庄内は上杉領だし繁長はその後きちんと帰参してる

罪の内容や情勢、豊臣との関係により監督責任が問われることも問われないこともあることくらい常識だろ
同じ罪状で北条が潰されて上杉が生き残ったことからも当時の恣意的な判断をもって
「監督責任を問われてないから結びつきが小さい」なんて言い切れないだろう
上杉と庄内の結びつきが小さいから監督責任が問われなかったなんていうのは
証拠がない以上、史学の世界においてその話は妄想でしかない。

>だが一方で義氏暗殺後に弟の義興が家督を継いだ際に上杉ではなく
>義興も東禅寺筑前守も最初は両者とも最上義光を頼っているんだよな。

それ天正11年の話なんだが・・・
義興と繁長の子供の義勝では全然事情が違うことくらい分かるだろう
しかも義興は最上勢に殺されそのせいで庄内から大宝寺勢が駆逐されたんだよな

「史実を知ってるアピール」はいいけど事情や時系列をまったく整理せず
ただ誤魔化しや論点ずらしのだけにグダグダと例を挙げるのは知性のある態度とは思えないな
357人間七七四年:2010/10/05(火) 02:15:38 ID:pN8G0xfL
>>356
あぁごめん、あんたは誰かと勘違いしてる池沼みたいだね。
しかもあんたは一次史料どころか皆が指摘してるように
wikiの知識だけで語ってるみたいね。
そもそも私の回答にまともに答える能力がないから
そういう逃げ発言で話をそらしてるのね。
まともに聞いた私が悪かったわ。
358人間七七四年:2010/10/05(火) 02:38:25 ID:e610Sr4L
>>357
結局、庄内情勢に触れてる書状がないってのは「おれが知らないからない」

>本庄氏の後ろ盾の元に武藤氏(大宝寺氏)が
>最上と戦ってただけで上杉氏は直接関係ない。
>そもそも謙信死後の内乱で上杉との縁は完全に切れており

というのも「一次史料にない妄想」

ってことだな

史実を知ってるアピールをするものの
当主がバタバタ殺され状況がめまぐるしくかわるなかで
4年も5年も前の情勢と事件当時の情勢をそのままあてはめようとする低脳さを丸出しにする

そもそもwiki、wikiと連呼してるのは一人だけ
wikiの知識というけどwikiって百科事典みたいなものだから薄く広く定説を載せるのがコンセプト
あんたのいってるのは奇説、妄想
それも肝心なところで一次史料も示せないきわめて低次元なレベル
wikiで編集しようとしたら一発で削除されるレベル
一次史料にこだわるが自分も肝心なところで一次史料をあげられないブーメラン状態だし
そもそも電波妄想論だからwikiにでてる概論以下なのは明白
359人間七七四年:2010/10/05(火) 05:36:59 ID:Z6kEydTv
興味深いスレになってきているのはいいんだが
喧嘩口調でやりあうのだけはなんとかなりませんかなご両人

知識も見識もあるのにもったいないよ
360人間七七四年:2010/10/05(火) 11:33:31 ID:DSOfMwkv
>>358
九鬼の時など過去にもWiKiに載ってるのは定説で通してソース出さずに逃げたよな。
そんなバカは戦国板ではお前だけしか言わないし、そんなアホな論拠が戦国板ではまったく通用しないと言う常識すら知らない素人…
もしくは君がまったく史料を見て論証できる能力がなく
ただ単にWiKiの知識に頼って書いてるだけと指摘されてきたのは事実だと君自身が証明しただけ。
君は今までもそうだが、知識があると思われるレスがまったくなく
明らかに限定された部分のwikiの断片情報だけで書いてるのが丸わかりなんだよ。
みんながいろいろと君の知識を試してきたが、いつも逃げてるだけなのが露呈してただけだし
反論はいつも君が思っただけの屁理屈であり、明らかに戦国板で議論してる人間がやらない低レベルのレスなんだよ。
だからみんなに叩かれバカにされてるわけ。
そもそも最低限の知識がないからくだらない部分で説明しろみたいなことを言い出す。
戦国板での議論であるポイントを押さえてソースを要求することができてない。
だいたい君は庄内に関わる部分の情報をまるで知らないだろ?
例えば
大崎家臣氏家を煽る政宗に対して義光が「氏家とはどんなやつだ政宗はなにやってんだ。我々が和睦したのは秀吉も知ってる」と義姫を詰問したとかWiKiにないから知らなかっただろ?
しかも君の能力じゃこれの原文も書けないだろ?
361人間七七四年:2010/10/05(火) 11:59:00 ID:HBoXKOPh
結果論馬鹿がまた沸いてるの?w
こいつ本当懲りねーな
皆から軽蔑されてるのに自分じゃ「孤軍奮闘してる俺カッコヨス」とか思っちゃってんだろう
362人間七七四年:2010/10/06(水) 03:04:48 ID:ZiJbsdbG
>>360
>九鬼の時など過去にもWiKiに載ってるのは定説で通してソース出さずに逃げたよな。

そんなこといったことないが?なにかってに妄想してんの?
戦国人名合戦事典のような事典にしろどんな書籍にしろネット情報にしろ
九鬼は「関ヶ原の敗報を聞いて遁走→自害」
十五里ヶ原の戦いは大宝寺が上杉を頼り、上杉旗下の本庄が最上勢を駆逐したという主張に沿う記述がなされている

それらの資料で俺が言ってることは二次的ではあるが裏づけがとれるが
おまえの言ってることは現代のどの学者もいってないようなこと
二次的な裏づけすら取れない妄想をくりかえしているだけ
WIKI、WIKIと馬鹿にしているが自分がやっていることはWIKI以下の珍論を史学と称してるだけ

たとえばおまえが天正12年という大宝寺が本庄家から養子を取り庄内から駆逐される以前
という古すぎて整理せずにはつかえない事例をなんの整理もせず
「こんな希薄な状態でなんで上杉支配下の大宝寺になるんだ?」
といったりなんの根拠もなく「上杉氏は直接関係ない。」「上杉と大宝寺は縁が切れている」なんていってる
だがこんな珍説をまともなひとがいってるのをみたことがない
ロクに根拠も示さずさらには誰も言わないような珍論を必死にわめいてるだけ

たとえて言うなら変な人がロクに根拠も示さず天動説をとなえたところでそんな奇説が定説と対等に扱われるわけないだろ?
定説と違うことをいってんなら違うことをいってるほうが立証責任があることは
歴史学以前に科学として当たり前なんだけど

それなのに一つも立証せず「キチガイ」だの「一次史料」なんだの罵詈雑言とレッテル貼りを繰り返してるのがおまえ
おまけに自分は一次史料をろくにあげないというブーメランつき
363人間七七四年:2010/10/06(水) 03:05:37 ID:ZiJbsdbG
>>360
>そもそも最低限の知識がないからくだらない部分で説明しろみたいなことを言い出す。

「最低限の知識」とか「常識」とか自分が追求されて苦しくなったらそういうふうに逃げてるだけなのはおまえ
天正16年8月に景勝が本庄繁長に出陣を命じ、11月には庄内奪取の件で褒賞を与えている
天正14年に上杉家臣の本庄家から大宝寺家に養子がいってるのに「縁が切れてる」なんて
発想不自然すぎる
おまえは一次史料を連呼してるが現代の学者で↓の珍説を支持してる人間もいないだろう

>本庄氏の後ろ盾の元に武藤氏(大宝寺氏)が
>最上と戦ってただけで上杉氏は直接関係ない。
>そもそも謙信死後の内乱で上杉との縁は完全に切れており

そもそもおまえは自説の妄想を説くとき一度も一次史料の提示などしていない

>もしくは君がまったく史料を見て論証できる能力がなく
>君は今までもそうだが、知識があると思われるレスがまったくなく

史料を読み解く能力については↓をみたら明らか

>天正12年6/27に景勝→本庄において
>義興併東禅よりも一段入魂之趣、其方隣辺肝煎故与祝着候
>こんなもんが代表的なもので
>景勝は勅使が下向してきて新発田攻めが延期されたり、
>本庄相手に近況報告…秀吉と家康が対立したから秀吉を支援すると決めたり佐々とは和睦しないとか忙しい状況を伝える中で
>大宝寺と東禅寺の修好を喜んでると触れてるだけだぞ。
>こんな希薄な状態でなんで上杉支配下の大宝寺になるんだ?

当時の大宝寺家は当主が数年の間に二人も殺され
天正16年当時は上杉の家臣の養子が新しい当主になってる状態
しかも大宝寺家自体が領有権を奪われその当主は越後に落ち延びてるありさま
こういう状況において5年も前という古く情勢がまったく違うときの史料をもちだしなんの検証もせず
「天正11年に上杉が和平を喜んでいたから天正16年に上杉が手を出したわけがない」
なんて安易な結論をだしてる人間が史料を読み解く能力なんかあるはずがない
ここでもブーメラン大炸裂
しかも、悪質なことに都合がよい天正12年当時の情勢だけを取り出しそれ以降のは
「俺が知らないからない」ルールを勝手に発動させ以降の庄内での動きが「なかったこと」に無理矢理持っていこうとする
印象操作、歴史捏造までする始末
364人間七七四年:2010/10/06(水) 03:08:37 ID:ZiJbsdbG
>>361
>皆から軽蔑されてるのに自分じゃ「孤軍奮闘してる俺カッコヨス」とか思っちゃってんだろう

このスレの「皆」言行録
品性の欠片もない酷い人格
ようするに自分の意に反する人間を徹底的に罵倒しレッテル貼りを続けてるような人間でしょう
こういう種類の人間には好かれるより嫌われるほうがはるかにいい
絶対に友達なんかになりたくないもんな

499 :人間七七四年:2010/10/05(火) 05:25:22 ID:DSOfMwkv
>>498
ついに火病を発症した必死な朝鮮人乙

503 :人間七七四年:2010/10/05(火) 11:12:58 ID:DSOfMwkv
秀吉を恨んでるのは朝鮮人で不自由な日本語を使うのは在日なのは事実だけどね

525 :人間七七四年:2010/10/04(月) 11:30:22 ID:2ljB+5Jt
わかりやすいキーワードである眼帯に燃えるアホ厨二が政宗好きなだけ
つまり単純脳によって眼帯はカッコ良くてスゴいと痺れる脳内分泌物のせい。
脳でオ○ニーしてる馬鹿って話だ。

14 :人間七七四年:2010/10/04(月) 11:53:14 ID:2ljB+5Jt
熊本城に観光にきて
熊本城は朝鮮人が作ったニダ
大坂城に観光にきて
朝鮮を愚かにも攻めたから秀吉に天罰が降って滅亡したニダよ!
こうやって日本への嫉妬に狂い泣きしながらオ○ニーしまくる猿>>11>>12を目撃しますた。

3 :人間七七四年:2010/10/04(月) 20:48:53 ID:2ljB+5Jt
>>2
その敗戦をコピペする基地害はこちらの質問を一切無視して逃げてるだけで
議論すらできないアホだからね。

889 :人間七七四年:2010/10/03(日) 21:23:27 ID:5UDGsQSY
冷戦脳左翼キチガイの妄想を大前提に語ってるだけだからね。

249 :人間七七四年:2010/10/03(日) 21:50:19 ID:5UDGsQSY
と、バカ仙台脳は妄想して
泣きながらオ○ニーしました。

559 :人間七七四年:2010/10/03(日) 12:21:44 ID:5UDGsQSY
むしろ毛利厨は過去に一度たりともソースを出したことがない。
それどころか毛利厨や隆景厨はWiKiから拾って書いた自分のレスの出典先すら知らず
アンチから軍記の内容だろwと教えて頂くほどに
まったく知らないのが露呈している。

(↓毛利厨・北条厨のソースは軍記のみという煽りスレをわざわざ建立w)
1 :人間七七四年:2010/10/03(日) 19:11:17 ID:Se+uhh+T
軍記講談による美化を盲信してるアホどもです。

2 :人間七七四年:2010/10/03(日) 19:51:51 ID:5UDGsQSY
毛利や北条の悪事はきれいな悪事だからね。
ぼくのかんがえた
りそうのだいみょうぞう
を垂れ流す馬鹿低脳
キチガイ左翼に持ち上げれ
大嘘捏造によって
民のための政治
という虚像が作られた。
365人間七七四年:2010/10/06(水) 03:11:30 ID:ZiJbsdbG
>>361
>皆から軽蔑されてるのに自分じゃ「孤軍奮闘してる俺カッコヨス」とか思っちゃってんだろう

「皆」がどういう人たちかプロファイリングしてみた
キチガイだの無知だの汚い言葉での罵声とレッテル貼りを繰り返す「皆」はなぜか全て上杉贔屓
「皆」は上杉だけは絶対に叩かず持ち上げ、毛利、北条、伊達あたりを叩きまくってる謎の傾向をもってます
特に伊達は酷く叩かれてます

249 :人間七七四年:2010/10/03(日) 21:50:19 ID:5UDGsQSY
と、バカ仙台脳は妄想して
泣きながらオ○ニーしました。

153 :人間七七四年:2010/10/03(日) 12:33:41 ID:5UDGsQSY
>>145
山形県民「えっ出身地?あのDQNのことは忘れた。大量虐殺者は仙台犯のある宮城県民が責任持って謝罪と賠償しろよ」

(毛利厨・北条厨のソースは軍記のみ)
1 :人間七七四年:2010/10/03(日) 19:11:17 ID:Se+uhh+T
軍記講談による美化を盲信してるアホどもです。

2 :人間七七四年:2010/10/03(日) 19:51:51 ID:5UDGsQSY
毛利や北条の悪事はきれいな悪事だからね。
ぼくのかんがえた
りそうのだいみょうぞう
を垂れ流す馬鹿低脳
キチガイ左翼に持ち上げれ
大嘘捏造によって
民のための政治
という虚像が作られた。

247 :人間七七四年:2010/10/03(日) 18:27:35 ID:Se+uhh+T
238#
天正4年に甲斐の僧・教賀が長福寺の空陀に送った書状によれば、
宿敵たる武田信玄も常々謙信をして「日本無双之名大将」と評していたそうである。

58 :人間七七四年:2010/10/03(日) 18:26:24 ID:Se+uhh+T
太田資正は、
「謙信の代になって越後の民衆の生活水準が
劇的に向上しており、民を慈しむ優秀な領主である」
と高い評価を下している。

411 :人間七七四年:2010/10/03(日) 15:19:16 ID:5UDGsQSY
日本海船舶貿易でボロ儲けしてたし
その結果、謙信が遺した金で武田を北条側から景勝側へ引き入れたんだから
財力と船舶の裏付けからは充分に可能だと言える。

417 :人間七七四年:2010/10/03(日) 21:09:16 ID:5UDGsQSY
>>410
お家芸の略奪
なんだ必死に曲解しまくりただ長尾上杉を貶したいだけか。
捏造大好き仙台藩百姓もアンチ長尾上杉
366人間七七四年:2010/10/06(水) 03:17:22 ID:ZiJbsdbG
結局、毛利輝元って何がしたかったの?

スレにおいて例の品性下劣な上杉礼賛者が現れる
こんなスレに1日に三名もの悪質な上杉信者の発生は確率論的に異常な数字

九月十九日に
ID:wlMMMIMs
北条軍が勝利した史料を否定する内容
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1230030608/163

ID:NEuoADzs
174 :人間七七四年:2010/09/19(日) 18:22:58 ID:NEuoADzs
いや、こんなことやるの
馬鹿な狂アンチ長尾の伊達厨だぜw
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1230030608/174

ID:8ltKpCB(こいつは二度も↓のソースを問われていたが答えられずゴマカシによる逃走の疑い濃厚)
857 :人間七七四年:2010/09/19(日) 00:11:00 ID:8ltKpCBh
伊達と本庄の兵力差1/10近くである上での撃退は充分な武威だよな。

九月二十日

ID:JZH0UBcg
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1230030608/182
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1230030608/186
前日のID:wlMMMIMsのレスにアンカーをし北条軍の勝利を否定
これは偶然別人同士が、とは考えにくい

ID:svZupRAl
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1230030608/206
206 :人間七七四年:2010/09/20(月) 21:08:47 ID:svZupRAl
アンチ長尾の基地外伊達厨キモすぎ

ID:E5vEdfVv
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1284917479/
4 :人間七七四年:2010/09/20(月) 17:18:15 ID:2MLyAtAv
なんでそんなつおいのに天下とおいつ出来なかったお?

5 :人間七七四年:2010/09/20(月) 18:23:33 ID:E5vEdfVv
信玄のジジイが一向宗を操って執拗で
信玄死んで一向宗が謙信に土下座したので上洛戦を開始したが
上洛戦を始めるのが遅過ぎて死んだから。
367人間七七四年:2010/10/06(水) 03:21:45 ID:ZiJbsdbG
九月二十一日

ID:HuzloqMY
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1224510510/814
814 :人間七七四年:2010/09/21(火) 17:00:50 ID:HuzloqMY
伊達厨って伊達が東軍だと固く信じたいみたいだけど
実際は単なる蝙蝠で東西両陣営に通じてたから


問題はここから
礼賛者ID:8ltKpCBhが口からでまかせで10倍の敵を撃退したと言ったとたん外部の人間に
ソースを求められ一度は煽り食い下がられても別のIDで↓のように誤魔化す
ID:8ltKpCBh本人の説明等はもちろんなし

>939 :人間七七四年:2010/09/20(月) 06:32:35 ID:svZupRAl
>>938
>>876でも指摘されてるが
>明らかにスレ違いだし

しかしながらID:svZupRAlはID:JZH0UBcgの代わりとなって同じ理論展開で反論
WIKI知識だの煽りや日付ソースの要求、また無意味な日付付けの関ヶ原付近の情勢列挙など癖、やり口が瓜二つ
ID:svZupRAl=ID:JZH0UBcgの線は強い
ID:JZH0UBcgは上杉スレにおいてその前日にID:wlMMMIMsがしたレスを引用し
北条勝利説を否定するなどの活動をしている
つまりID:JZH0UBcg=ID:svZupRAl=ID:wlMMMIMsである可能性は非常に高い

もちろん確実な根拠はない
ただ万が一違えど唯一いえることは「驚くほど同質のキチガイ」が「皆」の本質であることは確か
368人間七七四年:2010/10/06(水) 03:25:24 ID:ZiJbsdbG
>しかもあんたは一次史料どころか皆が指摘してるように
>wikiの知識だけで語ってるみたいね。

前回の毛利スレから「wiki知識」だとレッテルを貼ってる「皆」がどういう「皆」なのか列挙する
同じ人物の重複を除いたらWIKIを連呼してるIDは5つのみ
丁寧にレスを辿れば「皆」とは例の上杉厨しかいないことがよくわかる
例の上杉厨以外はWIKIを煽りに使ってないし、
指摘してる皆とやらはあの取るに足らない下劣な上杉厨であることは明白

899 :人間七七四年:2010/09/19(日) 16:14:20 ID:8ltKpCBh
どうせWiKiとか見ただけだろ。
           ↑
           ↓
ID:8ltKpCB(こいつは二度もこのソースを問われていたが答えられずゴマカシによる逃走の疑い濃厚)
857 :人間七七四年:2010/09/19(日) 00:11:00 ID:8ltKpCBh
伊達と本庄の兵力差1/10近くである上での撃退は充分な武威だよな。

937 :人間七七四年:2010/09/20(月) 02:03:09 ID:JZH0UBcg
実例や具体的な発言はできないよねぇ・・・wikiレベルだな。
まぁ蜂須賀の阿波の話とかぜんぜん知らない時点でwikiの知識しかないのが皆にバレてると思うよ。
           ↑
           ↓
ID:JZH0UBcg
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1230030608/182
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1230030608/186
前日のID:wlMMMIMsのレスにアンカーをし北条軍の勝利を否定

952 :人間七七四年:2010/09/20(月) 18:00:35 ID:svZupRAl
それにWiKiの知識だけしかないみたいだから言うけど
           ↑
           ↓
206 :人間七七四年:2010/09/20(月) 21:08:47 ID:svZupRAl
アンチ長尾の基地外伊達厨キモすぎ



970 :人間七七四年:2010/09/21(火) 02:42:46 ID:HuzloqMY
実例や具体的な発言はできないよねぇ・・・wikiレベルだな。
まぁ蜂須賀の阿波の話とかぜんぜん知らない時点でwikiの知識しかないのが皆にバレてると思うよ。
           ↑
           ↓
814 :人間七七四年:2010/09/21(火) 17:00:50 ID:HuzloqMY
伊達厨って伊達が東軍だと固く信じたいみたいだけど
208 :人間七七四年:2010/09/21(火) 01:27:09 ID:HuzloqMY
いや、sabがいなくなって安心した
狂アンチ長尾上杉の伊達厨だよ。


350 :人間七七四年:2010/10/04(月) 20:42:09 ID:2ljB+5Jt
お前はいつも「俺はこう思う」妄想とWiKiを読んだだけのシッタカだけで
           ↑
           ↓
525 :人間七七四年:2010/10/04(月) 11:30:22 ID:2ljB+5Jt
わかりやすいキーワードである眼帯に燃えるアホ厨二が政宗好きなだけ
つまり単純脳によって眼帯はカッコ良くてスゴいと痺れる脳内分泌物のせい。
脳でオ○ニーしてる馬鹿って話だ。
369人間七七四年:2010/10/06(水) 03:29:32 ID:ZiJbsdbG
こんなキモいのにまとわりつかれて謙信公も景勝公も不憫すぎる・・・
この上杉厨城巡りが趣味らしいが臭いから日本中をうろつかないでほしい
地元にいたとか考えただけでマジできもい
以上
370人間七七四年:2010/10/06(水) 03:56:53 ID:U0Wy7j77
ZiJbsdbG・・・マジ基地すぎてワロタ
371人間七七四年:2010/10/06(水) 05:56:05 ID:avPIAh2h
図星指されて余程悔しかったんだろうねwww
372人間七七四年:2010/10/06(水) 12:27:01 ID:4hEZ/ToF
そうだよな。結果論バカはWiKi以外の知識がまったくないから
それをわかって質問すると逃げまくるだけで
知識の浅さからくる戦国時代の理解認識力が笑いの対象になってるのが理解できず
図星を疲れて悔しさのあまりアホみたいな連レスを投下して火病を発病。
さらにバカにされる悪循環w
373人間七七四年:2010/10/06(水) 22:07:36 ID:ZiJbsdbG
>>372
>結果論バカはWiKi以外の知識がまったくないから
>それをわかって質問すると逃げまくるだけで
>知識の浅さからくる戦国時代の理解認識力が笑いの対象になってるのが理解できず

ん??じゃあなんで↓の質問に答えられないの?

>本庄氏の後ろ盾の元に武藤氏(大宝寺氏)が
>最上と戦ってただけで上杉氏は直接関係ない。
>そもそも謙信死後の内乱で上杉との縁は完全に切れており

そこのキモイ上杉厨たちはこの珍説の元になる一次史料
またはこの珍説をとなえている現代の学説をあげてみたら?
       皆 無 で し ょ ?
キチガイ上杉厨が屯してWIKIと一次史料を連呼してるけど
自分は一次史料を提示して持説をとなえたことあったっけ?w
WIKI連呼して馬鹿にしてるのは全て同一人物の疑いが極めて濃いことは
分かってるんだけど、それでもなお「皆」「WIKI」を連呼する低脳さ

わずかに史料をあげたといえば↓くらいw

>天正12年6/27に景勝→本庄において
>義興併東禅よりも一段入魂之趣、其方隣辺肝煎故与祝着候
>こんなもんが代表的なもので
>景勝は勅使が下向してきて新発田攻めが延期されたり、
>本庄相手に近況報告…秀吉と家康が対立したから秀吉を支援すると決めたり佐々とは和睦しないとか忙しい状況を伝える中で
>大宝寺と東禅寺の修好を喜んでると触れてるだけだぞ。
>こんな希薄な状態でなんで上杉支配下の大宝寺になるんだ?

当時の大宝寺家は当主が数年の間に二人も殺され
天正16年当時は上杉の家臣の養子が新しい当主になってる状態
しかも大宝寺家自体が領有権を奪われその当主は越後に落ち延びてるありさま
こういう状況において5年も前という古く情勢がまったく違うときの史料をもちだしなんの検証もせず
「天正11年に上杉が和平を喜んでいたから天正16年に上杉が手を出したわけがない」
なんて安易な結論をだしてる人間が史料を読み解く能力なんかあるはずがない
ここでもブーメラン大炸裂
しかも、悪質なことに都合がよい天正12年当時の情勢だけを取り出し
それ以降の自説に都合が悪い情勢の時期のは一次史料がなかったと嘘をつくまたは「おれがしらないからない」と強弁する

とにかく「俺が知らないからない」ルールを勝手に発動させ以降の庄内での動きが「なかったこと」に無理矢理持っていこうとする
印象操作、歴史捏造までする始末
374人間七七四年:2010/10/06(水) 22:18:14 ID:ZiJbsdbG
>笑いの対象になってるのが

笑ってるらしい皆の実像は↓>>364-368で示したキチガイ上杉厨とほぼ同じ

536 :人間七七四年:2010/10/06(水) 02:59:28 ID:U0Wy7j77
仙台捏造チョン史観は21世紀も平常運転ですキラッ

142 :人間七七四年:2010/10/06(水) 03:00:22 ID:U0Wy7j77
>>138
そんなボロクソ葦名にボロ負けしまくる政宗www

32 :人間七七四年:2010/10/06(水) 13:04:04 ID:YUxYpdiJ
実際、強い!って言われるほどの大勝はないよなぁ。
誰か宣伝に長けた人がいたのだろうか。


33 :人間七七四年:2010/10/06(水) 13:12:28 ID:4hEZ/ToF
だって越後を遠く離れ利根川を渡河しての危険地帯での手堅い用兵が要求されるし
謙信は野戦決戦を望んで各地で放火して北条の顔を潰して挑発してんのに
北条は謙信には絶対勝てねー怖ぇーって鉄砲たくさん持ち込んで堀を深くして塀を高くし籠城を決め込むからな。

毛利厨・北条厨のソースは軍記のみ
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1286100677
スレではなんとここの「皆」(上杉厨)がほとんどの投稿をしめてるという
大絶賛自演中としか思えない酷い状況w
375人間七七四年:2010/10/06(水) 22:23:30 ID:ZiJbsdbG
ちなみに「皆」であるらしい上杉厨が元気だったころの名言は↓

908 :人間七七四年:2010/09/19(日) 16:57:30 ID:NEuoADzs
なんだまだキチガイ VsWxkZRh が暴れてたのかwww
誰彼関係なく同一視して噛み付いてくるキチガイwww
戦国BASARAでも見ようと思ってたがよく24時間レベルで常駐できるなw
こいつの頭の中には別なワールドがあるから救いようがないよ。
とにかくみんなが疲れてレスするのをやめるまで
粘ることが勝利だと思ってるのは昨晩でもはっきりしてんじゃんw
だいたい毛利領がカラって言う設定とか
さらに動員するって言う選択肢が抹消されてるあたり
笑えるというより失笑レベル。
376人間七七四年:2010/10/06(水) 22:27:44 ID:ZiJbsdbG
>>375でさらした
ID:NEuoADzsくんがいたころの当日毛利輝元スレで暴れまわってた人たちの
特徴はそろいもそろって品性下劣な上杉厨w
この過疎板でみながみな同じ口調、性格、嗜好という不思議

九月十九日
ID:wlMMMIMs
北条軍が勝利した史料を否定する内容の書き込み
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1230030608/163

ID:NEuoADzs
174 :人間七七四年:2010/09/19(日) 18:22:58 ID:NEuoADzs
いや、こんなことやるの
馬鹿な狂アンチ長尾の伊達厨だぜw
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1230030608/174

ID:8ltKpCB(こいつは二度も↓のソースを問われていたが答えられずゴマカシによる逃走の疑い濃厚)
857 :人間七七四年:2010/09/19(日) 00:11:00 ID:8ltKpCBh
伊達と本庄の兵力差1/10近くである上での撃退は充分な武威だよな。
377人間七七四年:2010/10/06(水) 22:45:51 ID:XyW6IQNS
どーでもいいが、スレ違いになってね?
378人間七七四年:2010/10/06(水) 22:46:43 ID:ZiJbsdbG
上杉厨クンは24時間体制でスレを警備する頭がおかしい御仁のようだ
圧巻なのは>>375で晒したように深夜二時にでてきて
>常駐張り付き警備員特有のみんなが飽きたり、時間の都合でレスするのを止めるまで
>とりとめのない虚文駄文を繰り返した方が勝ちルールの人w
と堂々と宣言する態度

このスレでも>>332で反論を書いたとたんわずか10分で罵倒に来る>>333
>>349で反論を書いたとたんわずか40分で罵倒に来る>>350
など常時張り付いてることが伺われる

また>>370-372などをみると張り付いてる時間帯も昼夜を問わず24時間体制であることがよくわかる

これが一番面白いのだが
↓は24時間体制での張り付きを自ら否定してるブーメラン発言
一番執拗に警備しているのは自分だとわかってるのだろうか?もはや人格障害のレベル

908 :人間七七四年:2010/09/19(日) 16:57:30 ID:NEuoADzs
戦国BASARAでも見ようと思ってたがよく24時間レベルで常駐できるなw

937 :人間七七四年:2010/09/20(月) 02:03:09 ID:JZH0UBcg
なんかこの変態は突っ込みどころ満載なのなw
しかも常駐張り付き警備員特有のみんなが飽きたり、時間の都合でレスするのを止めるまで
とりとめのない虚文駄文を繰り返した方が勝ちルールの人w
379人間七七四年:2010/10/06(水) 23:15:37 ID:ZiJbsdbG
>>375にアノ人物の本質がすべてつまってるな

>戦国BASARAでも見ようと思ってたがよく24時間レベルで常駐できるなw
24時間体制で誰よりも板に粘着してるのはアノ人

>誰彼関係なく同一視して噛み付いてくるキチガイ
すでに証明したようにアノ人は自作自演を繰り返してるw

>粘ることが勝利だと思ってるのは昨晩でもはっきりしてんじゃんw
おれが一週間消えてる間もアノ人はしつこく粘り中傷し続けていた件について

本当に歴史の勉強するより精神病院で専門の治療を受けたほうがいいレベル
380人間七七四年:2010/10/06(水) 23:56:14 ID:avPIAh2h
キチガイもう終わった?
381人間七七四年:2010/10/07(木) 21:00:41 ID:G3+anPUj
仲が良すぎだ、おまえら
ブログでも開設しろ
他人の迷惑って考えたことあるか?
382人間七七四年:2010/10/08(金) 01:25:34 ID:uSOoVRM2
なんだ。
アンチ長尾上杉のいつもの伊達厨だったか。
また私怨でストーカーやってんのか・・・懲りないやつだ。
相変わらず痛いやつだな。
383人間七七四年:2010/10/08(金) 15:19:03 ID:z+jAN782
諸悪の根源伊達厨が降臨すると荒れるんだよな
384人間七七四年:2010/11/16(火) 14:38:08 ID:V4CRYUvn
ひとつくらいはいい話はないのか?>輝元さん
385人間七七四年:2010/11/16(火) 21:16:01 ID:mRBFFX5e
>>384
戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/
ここを見ると良いと思うよ。

どれだけTERUにいい話が無いか、驚愕するが良いわー!!
386人間七七四年:2010/11/20(土) 00:08:38 ID:+NMUW7MW
くだらね
387人間七七四年:2010/11/20(土) 09:25:57 ID:aXexCF6I
>>384
譜代外様を差別せず実力者を登用して藩の財政を大赤字から黒字に
しているじゃないか
リストラせざる得なかった家臣たちも黒字になったら呼び戻してるし
388人間七七四年:2010/11/24(水) 01:31:13 ID:Dh3dZNif
ソース
389人間七七四年:2010/11/25(木) 09:56:04 ID:SHcmuxp3
毛利幕府、誕生!
390人間七七四年:2010/11/25(木) 22:59:13 ID:SHcmuxp3
輝元が本気を出せば家康なんて敵じゃない!
391人間七七四年:2010/11/25(木) 23:03:05 ID:YH/ZvfoA
そうだね
どうして本気を出さなかったの?
392人間七七四年:2010/11/25(木) 23:23:02 ID:qfNwHzX4
おなかが痛かったから
393人間七七四年:2010/11/25(木) 23:26:58 ID:SHcmuxp3
頭痛が痛かったから
394人間七七四年:2010/11/25(木) 23:27:56 ID:46H4vxll
まだ本気を出す局面じゃなかったから
395人間七七四年:2010/11/26(金) 01:13:48 ID:03qm3okd
ミスターサタンみたいなこと言ってんじゃないよ!
396人間七七四年:2010/11/26(金) 09:07:13 ID:+/a839de
9条を守っただけ。おかげで毛利は助かった。
397人間七七四年:2010/11/26(金) 09:16:36 ID:XpP1ht8V
輝元さんは家康爺の方針では改易だったんだよ。
9条順守ではダメということだな。
改憲! 改憲!
398人間七七四年:2010/11/29(月) 14:18:05 ID:uhAN3/RY
ガンジーのはるか前に無抵抗主義を実践した西軍総大将輝元
399人間七七四年:2010/11/29(月) 19:13:37 ID:eaLnVBVl
10万も立てこもって兵糧もつの?
400人間七七四年:2010/11/30(火) 03:06:46 ID:a+FKvS2a
制海権取られなきゃ海側から運び込める
401人間七七四年:2010/12/01(水) 01:57:32 ID:gYzlMuhl
―――毛利が篭城を仕掛けてきたら?―――
家康「豊臣を相手に戦争します」
402人間七七四年:2010/12/01(水) 18:11:36 ID:nf4grvzi
>>401
秀頼が西軍支持を明確にしてない時点でTERUが大坂城に立てこもるって、武装占拠じゃないか、ただの。
家康「秀頼君をお救いするために、大坂城を包囲してTERUに投降を呼びかけます」でFAだろ。
手が余るようなら西軍の本国を叩くか。
403人間七七四年:2010/12/01(水) 20:36:08 ID:gYzlMuhl
404人間七七四年:2010/12/02(木) 09:19:55 ID:ByUYLWU3
秀元に暗殺されちゃえばよかったんだ
405人間七七四年:2010/12/03(金) 14:51:16 ID:moR+qio8
>>402
秀頼を人質にして大坂城に立て籠もっちゃえば、
豊臣恩顧の大名は手が出せない。
内府を討て、と密書を送りまくればいい。
毛利本隊は無傷だよ。
406人間七七四年:2010/12/03(金) 21:16:24 ID:MQ5sx9l8
>>405
だから、ひたすら包囲してればいいじゃん。
流石にその状況で「秀頼から」密書が来ても、「TERUに脅されて書いたんだろ」ってだれも従わないと思うし。
407人間七七四年:2010/12/03(金) 21:23:57 ID:+nNT67hW
家康は秀頼と毛利を切り離そうと、あらゆる謀略を使うだろうな
それにTERUが抵抗できるか
408人間七七四年:2010/12/03(金) 22:07:20 ID:rYR/DTZX
持久戦になったら遠征軍が不利だよ。
豊臣政権の大老が秀頼を攻撃することは謀反だ。
兵糧やらその他に問題なくても、もともと寄せ集め軍は気が緩む。
黒田長政には親父から手紙が来て、左手が大活躍することは、ないか。
409人間七七四年:2010/12/03(金) 22:25:47 ID:Ak3SScx4
秀頼人質にするのも謀反だわな
410人間七七四年:2010/12/03(金) 22:33:07 ID:+nNT67hW
豊臣政権の大老が秀頼を拘束するのは謀反じゃないのか?w
寄せ集めは西軍も同様だし
411人間七七四年:2010/12/03(金) 22:34:45 ID:MQ5sx9l8
>>408
「秀頼を攻撃する」じゃなくて「秀頼を監禁してるTERUをどうにかする」ための包囲だ、って言ってんだろ
大坂城を攻撃したりはしないだろー。難攻不落なことは豊臣系大名も家康もよくわかってるし。
412人間七七四年:2010/12/03(金) 22:35:06 ID:rYR/DTZX
おおっぴらにやればね。
もともと西軍総大将として乞われて大坂城に入ったデキ元さんには大義名分がある。
淀殿だって家康がしかけて来ても、降伏しないだろう。
秀頼はまだ稚児だ。
413人間七七四年:2010/12/03(金) 22:44:30 ID:+nNT67hW
大阪でこう着状態になったら、地方はどっち有利に進む?
414人間七七四年:2010/12/03(金) 23:05:19 ID:Ak3SScx4
朝廷抑えてるほう
415人間七七四年:2010/12/03(金) 23:09:08 ID:+nNT67hW
朝廷を抑えてる方ってどっち?
家康は上杉討伐の前に綸旨もらったんだっけ?
じゃあ東軍?
416人間七七四年:2010/12/04(土) 20:09:37 ID:kUhZnSYq
家康は高齢だから西軍が有利
417人間七七四年:2010/12/04(土) 23:31:31 ID:adB6U0U2
>>416
ifがあるなら家康が1616年以前に急死する可能性だってあるからね

人間の体って心労でくたばったりするよ
418人間七七四年:2010/12/04(土) 23:42:26 ID:7ODilKyl
お願いです
無駄に長生きした輝元さんの話もしてあげてください
419人間七七四年:2010/12/05(日) 08:32:26 ID:F2QGWspN
TERUは鈍感だから心労で死なない
420人間七七四年:2010/12/06(月) 15:20:32 ID:KiPyHOLD
西軍総大将でありながら、大坂城を明け渡せば本領安堵だと本気で信じるほど、
能天気だもんな。心労なんて皆無しょう。
421人間七七四年:2010/12/07(火) 03:51:18 ID:9kvG3uQt
自分で戦場には行かず遠く離れた安全な場所にいながら部下を戦わせるのが輝元の戦い方
つまり大坂城で西軍が戦うためには輝元自身が大坂城を離れて安全な場所に行かなければいけない
勘違いされがちだけど輝元は西軍が大坂城で戦う条件を作ったんだよ
問題はその条件で戦うことを承諾した人間がいなかっただけのこと
422人間七七四年:2010/12/07(火) 07:08:12 ID:JfOKBxsT
最後の行で台なしw
423人間七七四年:2010/12/07(火) 08:43:08 ID:426ONp9R
テルさんだけ安全な場所に移って、
毛利本隊が大坂城で戦えばいいじゃん。
関ヶ原がそのまま大坂城に移動した状態。
秀頼さえいれば豊臣恩顧の大名は手が出せない。
424人間七七四年:2010/12/07(火) 09:21:13 ID:JfOKBxsT
大将が逃げ出して戦えるのか?w
425人間七七四年:2010/12/07(火) 09:28:54 ID:426ONp9R
大将が安全な場所でど〜んと構えているから、
前線は安心して戦えるんでしょうが。
デキ元さんへの信望の厚さは半端ないw
426人間七七四年:2010/12/08(水) 04:00:56 ID:gMHiiNZn
家康「安全な場所って安芸のことだよね?
    だったら大阪は俺が見張っとくから嫡男に向かわせるわ」
427人間七七四年:2010/12/08(水) 09:05:15 ID:jqDc8db/
TERUの戦略・戦術能力ってどれくらい?
家康と張り合えるレベル?
428人間七七四年:2010/12/08(水) 09:12:58 ID:eF1MWuoO
嫌味ですか?
429人間七七四年:2010/12/09(木) 01:41:29 ID:yXvRoXfj
TERUは勤皇の志士だったんだよ

徳川体制のもとでも天皇性が維持されると判断したから身を犠牲にしたんだよ
430人間七七四年:2010/12/09(木) 13:27:49 ID:rinePr0S
誰が天下人になっても天皇制は維持されるだろw
431人間七七四年:2010/12/10(金) 21:25:35 ID:keugNAZ+
キリスト教が広く浸透したりして南蛮人の侵食が強くなれば天皇制とて維持されるかわからない
徳川がキリスト教を一生懸命に封じ込めたからこそ天皇制も維持できた
TERUは徳川が禁教令を敷くことを見抜いていたから安心して天下を任せてあげたんだよ
432人間七七四年:2010/12/11(土) 03:48:11 ID:4ZW0o7cw
つまり桃山晩年期は宗教との戦いだったんだね
433人間七七四年:2010/12/11(土) 08:12:11 ID:CfZJOOgy
自分で維持する! くらいの気力を見せても
434人間七七四年:2010/12/11(土) 15:10:36 ID:X4ncvjE9
輝元さんは自分の器の大きさを理解できてなかったから、
西軍総大将になってしまった。
もう、むちゃくちゃやればよかったのだ。
435人間七七四年:2010/12/14(火) 09:52:12 ID:IHuAPlZk
元就爺さんが天下をねらうなって言ってたから、
ボクはおとなしくしてました。 テル。
436人間七七四年:2010/12/16(木) 15:19:46 ID:YwdoOIe5
秀吉の高松城攻めと中国大返しのときも、
遠くでなにもせずに見てました。
437人間七七四年:2010/12/17(金) 12:10:58 ID:pW/B4khG
そもそも中国大返しの時の毛利の行動を見れば関ヶ原で同じ様な行動を取ることなんて誰でも分かるだろうに
まして三成は秀吉の家臣として中国大返しを詳細に知っているわけだから
毛利を担ぎ上げて出陣してもらおうなんて馬鹿な考えを浮かべたこと自体が信じられない
438人間七七四年:2010/12/17(金) 18:47:13 ID:kjKEHh/1
もっとTERUが行動力あったら
439人間七七四年:2010/12/17(金) 21:13:17 ID:HnN5dDTO
輝は智の人
440人間七七四年:2010/12/17(金) 21:51:54 ID:kjKEHh/1
智情仁を兼ね備えた名将
441人間七七四年:2010/12/17(金) 23:02:06 ID:HnN5dDTO
そこまで持ち上げても勇の字が出ないんだね
442人間七七四年:2010/12/27(月) 21:16:01 ID:NxU7hr5b
器じゃない、
を絵に描いたようなひと。
443人間七七四年:2011/01/09(日) 17:05:53 ID:zLnHbtAE
http://blog.goo.ne.jp/p_lintaro2002/e/8399ebb68289597db7668233ab2a199f

もしも毛利輝元が大坂城を明け渡さなかったら
444人間七七四年304:2011/01/12(水) 22:35:34 ID:e9Y4qXB9
輝元さんがデキる人なら秀頼を担ぎ出すだろうし篭城もしただろう
家康と連絡を取って秀頼様を売り渡したとしても驚かない。
ただね、羊の皮を被った羊だからこそ担がれたんじゃないかとも思うんだよな実際は。
445人間七七四年:2011/01/13(木) 10:55:30 ID:VURbRf7k
デキTERUお方
446人間七七四年:2011/01/13(木) 15:38:16 ID:B50SG6FM
立てこもる前に関が原に出撃しとけよ
447人間七七四年:2011/01/13(木) 18:35:08 ID:cSodKRmL
関ヶ原からじゃ逃げるの大変じゃん
448人間七七四年:2011/01/13(木) 18:45:21 ID:B50SG6FM
どうして負けるの前提なんだよw TERUいたら勝てるんじゃないの?
449人間七七四年:2011/01/14(金) 00:12:30 ID:AXxeIo4c
TERUは自分で戦場に行くタイプの人間ではなく離れた安全な場所で工作を図るタイプだから関ヶ原に出陣しないことは当然の選択
またTERUにとって篭城戦は部下がすることであって自分がすることではないから大坂城から出て行くのも当然の選択
TERUの過去の戦歴をみればいつも通りの行動をしただけで別に異常な行動をとったわけではない
TERUが異常な行動をとることを前提にしている方がおかしいよ
450人間七七四年:2011/01/14(金) 01:10:47 ID:OocA9Aev
備中高松救援とかちゃんと自分で出陣しとるわい
451人間七七四年:2011/01/22(土) 12:25:51 ID:Bn23KzBQ
その時の秀吉は力攻めを避けて講和路線を明確にしていたからね
もしも本能寺がなく信長がやってきたらTERUはとても出陣するどころじゃないっしょ
それと同じで家康が出陣した以上はTERUが出陣できるわけもない
452人間七七四年:2011/01/22(土) 18:25:11 ID:V25Kf8C5
>>451
全然してねえよ<講和姿勢
普通に高松城が大ピンチで後詰に出てきたところでしょうが
453人間七七四年:2011/01/22(土) 19:54:29 ID:87RdPJ73
後詰に出てきたけど水攻めに邪魔されて戦えなくて講和だっけ?
454人間七七四年:2011/01/23(日) 00:20:22 ID:bODlQPPd
あれ?講和交渉って信長が死んだ知らせが入ってから始めたんだっけ?
交渉自体はしてたけど、条件が厳しすぎて毛利が飲めないレベルだったのを、中国大返しがしたい秀吉が条件下げたんだっけ?
455人間七七四年:2011/01/24(月) 18:02:48 ID:DQ9FcGmN
いやもう宇喜多が仲間にいた頃から
秀吉に講和の申し出をし始めていて
直家に察知されて機先を制して先に織田に降って毛利攻略の先陣を申し出てたりとマヌケぶりを晒していたよ。

隆景が宇喜多に弱気を悟られないように注意しないといけないって言ってるし。

それで備前が秀吉側になり一気に備中高松城が最前線になっちまって
輝元が直接、講和交渉に乗り出してきたとみるべき。
456人間七七四年:2011/01/25(火) 15:53:12 ID:1Y+eb5RV
俺が輝なら大坂城には大名の妻子がいるんだから
籠城しながら妻子を案じる諸大名を通じて和睦交渉で時間稼ぎしつつ
三成のいなくなったチャンスを利用して秀頼に書状を出してもらい福島ら武功派を寝返らせるな。
だいたい家康に大坂城を明け渡せば輝の罪を問わないし、領地の召し上げもしないなんて都合がいい和睦約束なんて信じられない。
457人間七七四年:2011/01/25(火) 16:31:14 ID:nPtjU+S9
寝返らせるの無理だろう
458人間七七四年:2011/01/25(火) 18:16:52 ID:PWJt0Fje
>>456
それ以前にお前が輝なら隆景に殴られて引きこもりになってる
459人間七七四年:2011/01/25(火) 20:36:23 ID:nPtjU+S9
>>435
大阪城に入った後でおとなしくなるくらいなら、最初から動くなよw
460人間七七四年:2011/01/25(火) 22:36:13 ID:WVPCDBqp
>>456
秀頼に書状を出してもらえるなら最初からやってるだろう
それができないからああいった結果になったわけで
456の考えそうなことはすでにやったんじゃないの
和睦の件は近衛さんの書状か何かで実際は半国を条件に降伏したとあり
信じてなかったんじゃないか
461人間七七四年:2011/01/25(火) 23:10:47 ID:PWJt0Fje
まあ>>456みたいにそんな時なんか稼いでたら朝廷で謀反人にしたてあげられるだろうし
そもそも勝ち馬にのってる東軍から寝返るバカなんかいないわけで 率先して東についた正則なら尚更
籠もってる間に小早川を始めとした奴らが毛利の領国に攻め込み国元が死ぬ
結果兵士は皆霧散し輝より出来るとどや顔してた>>456は泣きながら三条河原に引きずり出され無念首を晒すんだろうな
462人間七七四年:2011/01/26(水) 06:02:35 ID:FM+vOKV1
>>461
輝元って言えば関が原での無条件降伏で六カ国を失ったけど
セコイことにその国ではすでに年貢を徴収して軍費に使ってたんだよね。
だから徳川から徴集分は全部返却するように命令されて毛利は破滅だって嘆いたんだよね。
福島正則にも残額の6万石分は来年の秋まで待ってくださいって土下座しても許可してくれなかったりw
それで如水に「もう返還のアテもないので防長も徳川に返還すれば家臣達とも関係ないし
自分ら親子の生活分の扶持だけもらえたらそれでいいや」ってこぼしたんだよね。
そしたら「防長を返還しても輝元殿はすでに徴集した分の祖米の返還は求められるけどどうするわけw」
って言われて「えっ?普通なら家産財産を棄てたら借金チャラじゃないの?殿様とか最悪じゃん。
中国やインドへ逃げたいけど無理だし誰も助けてくんないし」
って如水に暗に助けてって訴えて泣くよりマシだろ。
宇喜多兵の集結を待ち、上杉も降伏するつもりは無いのだから。
秀頼の大坂城を福島らは攻撃できないし、そもそも大坂城は落ちない。
463人間七七四年:2011/01/26(水) 07:19:18 ID:4T/+xfZW
>>462
せこいことって自国で収穫した年貢を戦争に使うのはあたりまえだろう。
何言ってるんだ?
464人間七七四年:2011/01/26(水) 07:33:28 ID:XaITnNDK
無能輝元を必死になって擁護する
毛利厨って相変わらず笑えるよねw
輝元にはできない事でも野心と器量と決断力さえあれば可能なんだって事が理解できないアホっぷりw
465人間七七四年:2011/01/26(水) 07:43:03 ID:JFxT9qfj
と、籠もって時間稼ぐ事しか考えられないアフォがファビョッていますw
あの状況下どうあがいても詰んでるwww
466人間七七四年:2011/01/26(水) 09:15:05 ID:qH4TiSlU
篭もって時間を稼いでも事態は悪化するだけ
467人間七七四年:2011/01/26(水) 11:34:34 ID:9q+dGnSj
大坂城ごと関ヶ原に行けば勝てたのに
468人間七七四年:2011/01/26(水) 11:50:04 ID:qH4TiSlU
移動要塞大阪城?
469人間七七四年:2011/01/26(水) 15:15:54 ID:XaITnNDK
豊臣家中立なのは三成や上杉や家康ら豊臣家臣同士の争いだって名目だから。
三成が捕らえられたら悪臣討伐の家康の名目は無くなり、大坂城攻め大義が無くなるし人質を取られてる諸将は参加できない。
それでも家康が大坂城攻めしたら、豊臣家を敵にしたと言うこと。
家康が輝元を騙してまで大坂城から退去させなければならなかった理由はここ。
豊臣が家康の敵になった時点で、大坂方は中立を口実に出来なくなった以上は豊臣代官を置いた地や豊臣直轄領からも大兵を動員する。
播磨、丹波、山城、摂津、河内、和泉、紀伊、大和から大動員だからw
前田茂勝みたいに西軍に参加していたなら良いが、
前田玄以や増田長盛みたいな少しでも消極的なやつは家康への内通者として叩き斬って大坂籠城組の士気を揚げる血祭りにすれば良いだけ。
どちらに属しているのか不明な黒田如水が西軍参加するから九州6ヶ国切り取り自由の条件も三成が賛成してなかったが、
三成がいなくなり、小早川が東軍化して毛利本家から離脱した今なら切り取り自由にしても無問題www
ゆっくり武断派を調略で切り崩しながら上杉待ちするわ。
470人間七七四年:2011/01/26(水) 15:26:16 ID:zr1r0FLA
妄想してる時は至福のひとときだ
471人間七七四年:2011/01/26(水) 15:30:29 ID:XaITnNDK
因幡但馬の宮部長房は西軍だし、
細川の丹後田辺を落城させ丹後も西軍化してるし西日本は完全に家康の敵と言っていい。
大坂籠城組が不利な点なんざまったく無いし。
北陸も完全に東軍化していたとは言い難い。
あとは長期籠城しつつ水軍力で東軍補給線の通商破壊をしつつ
秀吉恩顧の福島、田中、山内、中村ら東海道筋を寝返らせて中山道の真田と一緒に家康の退路を立てば良いだけのこと。
472人間七七四年:2011/01/26(水) 17:04:14 ID:qH4TiSlU
>>469
「少しでも消極的なやつは内通者として斬る」のは乱暴すぎないか?
473人間七七四年:2011/01/26(水) 18:13:52 ID:JFxT9qfj
消極的な奴は斬るとかしたら毛利が独裁するようにしか見えないし不信がって全員東軍に付くなw
士気を上げる(笑)ゲームか源平合戦と勘違いしてないか
西軍を破りその後秀忠の軍を加えた東軍から寝返るバカがどこにいるんだよwww
ましてや毛利の身内である小早川が寝返っていて吉川広家も内通してる状況
大阪城から西は小早川加藤鍋島黒田がいるんだがw
豊臣恩顧ってその恩顧は豊臣家大老家康の元で秀頼の為に働いてるんだがねぇ
一度でも三成に担がれた奴と律儀者として有名で婚姻をしてる家康、こんな二択で付くとしたら家康以外ありえないw
籠もって増田とかを血祭りにあげて当然寝返らない恩顧達に意味のない手紙送ってる間に領国が陥落
結果三条河原にry
474人間七七四年:2011/01/26(水) 18:34:34 ID:qH4TiSlU
>>471
「水軍力で東軍補給線を通商破壊」って西軍そんなに強力な水軍を持ってたっけ?
475人間七七四年:2011/01/26(水) 19:33:01 ID:FM+vOKV1
如水と気脈を通じていたと言われる清正も
如水同様に必ずしも東軍ではないし、
鍋島も如水のオプションだね。
そもそも西軍総大将の土下座による
大坂城無血開城という事実を知って
諸国は家康への敵対行為をやめたわけで
降伏しなければ改易を免れるために籠城戦をするだろう。
筑後組の小早川秀包や立花宗茂も大坂籠城を勧めてるのは勝算があるからだし、島津本国の兵力にほとんどダメージなし。
そもそも決断力があり輝元が内憂の奸臣を殺すくらいの剛毅さがあれば
西軍の統御もしっかりできていて関が原で勝利してただろうけどね。
大坂の弛緩した風紀を糾し、全力で家康に対抗するには
あーだ、こーだ言うやつらを切って小田原評定並みの体たらくな
雰囲気から戦時体制への意識変革するのに
紀伊や和泉の蔵入地からの金の出し惜しみする増田長盛や
言い訳して出陣しない前田玄以らを血祭りにするのは良いんじゃないかねぇ。


476人間七七四年:2011/01/26(水) 19:36:41 ID:qH4TiSlU
>>475
島津は直前の内乱のダメージが凄かった
477人間七七四年:2011/01/26(水) 20:54:30 ID:zr1r0FLA
てるもと
478人間七七四年:2011/01/26(水) 21:17:05 ID:XaITnNDK
>>476
むしろ家中支配が進んだと評価されてんだけど。
479人間七七四年:2011/01/26(水) 22:46:41 ID:JFxT9qfj
>>475
如水の動向は西だか東だか独立だかいまいちわからんが
少なくとも身内が寝返ったり戦ってない毛利がそんな騒いで一応は抗弁してる奉行を問答無用で斬ったりしたら
説得力に欠けるし毛利が独裁をしようとしか見えない 内通してた文でもあれば別だがね
身内が関ヶ原で何の活躍もしてないどころか裏切ってる時点引き締めるなんて無理
国元攻め込まれて霧散がオチ 如水が西軍に徹底して付いてくれるなら話は別だが
480人間七七四年:2011/01/26(水) 23:13:41 ID:XaITnNDK
>>479
大坂城を守る為の河口筋水軍力や瀬戸内海の水軍力で門司海峡封鎖して退路を断つだけで死亡だな。
そもそも輝元の煮え切らない態度こそ不安視してきた大坂方。
独裁と言うより西軍総大将としてのリーダーの威厳こそ求められていたわけだが。
481人間七七四年:2011/01/26(水) 23:20:10 ID:qH4TiSlU
大阪城にこもってるだけで威厳とか無理
482人間七七四年:2011/01/26(水) 23:41:52 ID:AAWj+Jdd
>>469
>三成が捕らえられたら悪臣討伐の家康の名目は無くなり、大坂城攻め大義が無くなるし人質を取られてる諸将は参加できない。

三成が捕らえられたら三成が悪臣と確定するのだから三成に協力していた人間も悪臣として排除する大義名分ができるんだろ
よく三成を倒した家康には残りの西軍と戦う大義名分がないとか主張する馬鹿がいるが
それってテロリストを逮捕したら警察はテロリストの協力者を逮捕できないとか言ってるくらいおかしな論理だろう
まず結論ありきで妄想を重ねているから主張がどんどんおかしくなってしまっているんだよね
483人間七七四年:2011/01/26(水) 23:52:11 ID:qH4TiSlU
>>480
関が原の戦犯であるTERUが強い態度に出たら、威厳を感じる前に反発するだろ
484人間七七四年:2011/01/27(木) 00:12:41 ID:ygnmUoMV
>>474
西軍がというよりも東軍諸大名には紀淡海峡〜大阪湾〜瀬戸内海を豊臣水軍・毛利水軍に対抗して
どうにか出来るような水軍力が無い
つまり大阪城に篭られると瀬戸内海を経由した補給運搬を断ちようが無い
そして徳川には自領から離れた地域への大軍の補給を裁量した経験が無い
上杉征伐〜関が原まですら自侭(要するに各自大名で負担)にさせたという織豊期における大軍遠征の
大将筋としてはありえない方法でしのいでいる
485人間七七四年:2011/01/27(木) 01:52:58 ID:zsMyP6z8
>>482
>>三成に協力していた人間も悪臣として排除する大義名分ができるんだろ
家康にも大義名分がないのは「内府たかいの条々」で明らかなんだがw
だから仕方が無く家康は挙兵した三成を討つと言う口実で武断派を懐柔して
西上したのであって、その武断派が憎む三成を除いた時点で目的が消滅したわけだが。
当然、人質を取られてる彼らやその家老達は大坂城を攻めるとは思えないな。
そもそも彼らは関が原に参戦しなかった毛利と殺し合いしてないので
憎んですらいないばかりか朝鮮出兵での戦友ですらある。
つうかテロリストと表現するのは明らかに本質が理解できてない証拠だな。
>>483
>>関が原の戦犯であるTERU
まだ戦いは始まったばかりなわけだが?一戦して敗北したくらいで
なにを言い出すんだ。古今東西の戦史において逆転劇は珍しくない。
挙兵からたかが二ヶ月程度しか経過してないのにw
頼朝なんて挙兵して一週間で早くも大敗して海を渡って安房国まで逃亡してるのにw
南北朝の南朝だって大敗しまくってるわけだが。
命乞い土下座して>>462になるよりは、勝てる確率がまだあるうちは、
武門らしく討ち死に覚悟で>>469>>471>>480>>484のような行動をした方がはるかにマシだわ。
家康の側近は負けるから止めるべきなんて言わずに勝つために考えているが
大坂方は内通して消極的な意見をしてみだりに城中に不安感を煽る者がいるなら
断として斬って棄てて籠城しつつ調略するべきだわ。
486人間七七四年:2011/01/27(木) 07:09:14 ID:fS1TMBxy
妄想を披露する前に、なぜ毛利が大坂城に居座って篭城することができるのか。
その理由を説明してくれないか。
大坂城は豊臣家の城であって毛利の城じゃないんだぜ。
関ヶ原で敗れた西軍が、どうやって豊臣家の協力を取り付けるんだ?
487人間七七四年:2011/01/27(木) 07:49:11 ID:0tAmPbHt
確かに
それって戦友だと諸将が思ってるなら大阪城入れてくれって言われたら入れなきゃならんよね
もし毛利が拒否したらそれこそ戦友から裏切られた気持ちになって余計にダメじゃん
一回の敗戦ってその一回でとんでもない打撃受けたから無理なんじゃん
488人間七七四年:2011/01/27(木) 09:27:55 ID:HPoGAkG+
>>485
TERUが討ち死に覚悟で逆転劇を狙っても、毛利以外の武将はついてこないだろw
489人間七七四年:2011/01/27(木) 12:19:07 ID:RcHJiGGx
>>486>>487>>488
こいつらバカ過ぎ
どうやらスレタイが理解できないらしい
490仙台藩百姓:2011/01/27(木) 12:26:26 ID:+oRs0AV3
秀頼人質に取ればいいじゃんお( ^ω^)
秀頼の名前使って書状濫発すれば諸将も動揺するお( ^ω^)
491人間七七四年:2011/01/27(木) 12:49:51 ID:HPoGAkG+
>>490
そんなに簡単に秀頼を利用できれば、三成は関が原で負けなかったんじゃ・・・・・・
492人間七七四年:2011/01/27(木) 12:55:36 ID:RcHJiGGx
>>491
どんな時でも勝ったら官軍ですが?
493人間七七四年:2011/01/27(木) 18:46:41 ID:fS1TMBxy
豊臣家が毛利に肩入れする理由が考えられない。
結局、秀頼を傀儡状態にするしかないわけだろ?
秀頼奪還という大義名分を東軍に与えることになるね。
この状況で西軍を離脱しない大名って誰と誰?
494人間七七四年:2011/01/27(木) 18:56:34 ID:zsMyP6z8
>>493
>>西軍を離脱しない大名
改易や減封されたくない大名。
まぁ大事を成した英雄ってのは最低でも、
一度は危機的状況を経験して腹を括って大逆転をしてるしな。
輝元にとってはこのタイミングこそ英雄は敗将かの運命の分かれ道だな。
隆景の下で朝鮮出兵してきた猛者の
立花宗茂や小早川隆包らの意見こそ毛利家のためを思ったもんだったな。
495人間七七四年:2011/01/27(木) 19:02:19 ID:iVJvglpK
>>485
>家康にも大義名分がないのは「内府たかいの条々」で明らかなんだがw
それは奸臣達が権力を奪おうとして作った怪文書というのが東軍の見解だから史実のとおり影響はない

>だから仕方が無く家康は挙兵した三成を討つと言う口実で武断派を懐柔して
>西上したのであって、その武断派が憎む三成を除いた時点で目的が消滅したわけだが。
家康の大義名分は奸臣三成およびそれに協力する逆賊を倒して秀頼を救出することだ
三成個人を倒して後は知りませんなんて馬鹿な主張をするわけがないだろ
関ヶ原で三成を倒しても秀頼救出のミッションが残されており大義名分は存続しているに決まっている

>当然、人質を取られてる彼らやその家老達は大坂城を攻めるとは思えないな。
それはお前がそう妄想しているだけで福島などの豊臣恩顧が大坂城攻めに反対したなどという事実はない
それに大坂の陣と混同されがちだがこの時の大坂城攻めは秀頼救出戦だから大義名分上も問題ないしな

>憎んですらいないばかりか朝鮮出兵での戦友ですらある。
宇喜多とかだって朝鮮出兵での戦友だけど東軍諸将はためらわずに攻めていますが?

>挙兵からたかが二ヶ月程度しか経過してないのにw
挙兵からたかが二ヶ月で小山から大坂まで敵が到達したことが危機的なんだろw
関ヶ原一戦に負けただけじゃなくて岐阜や佐和山などの拠点が全て陥落したから大坂まで到達されたわけ
要するに西軍は東軍本隊に対して連戦連敗の状況なんだよ

>大坂方は内通して消極的な意見をしてみだりに城中に不安感を煽る者がいるなら
>断として斬って棄てて籠城しつつ調略するべきだわ。
その内通して消極策を取ったのが毛利自身だろw
断として斬って棄てるならさっさと自分で切腹しやがれとしか言いようがない
496人間七七四年:2011/01/27(木) 19:07:53 ID:HPoGAkG+
>>492
何が言いたいのか理解できません
497人間七七四年:2011/01/27(木) 19:27:40 ID:z4cdvzKs
てるちんは本能寺の頃からヘタレ道一直線だからなぁ
498人間七七四年:2011/01/27(木) 20:24:35 ID:RcHJiGGx
スレタイが読めない文盲はバカ過ぎるレスしかできないようだw
499人間七七四年:2011/01/27(木) 23:23:55 ID:+tRf1clu
そのスレタイの状況が成り立たないのだから仕方ない

500人間七七四年:2011/01/27(木) 23:43:47 ID:HPoGAkG+
スレタイの状況(TERUが大阪城に篭城)は可能だろうけど、それを維持するのは難しそう
とりあえず「少しでも怪しかったら斬る」なんて極めて乱暴な方法じゃ無理
501人間七七四年:2011/01/28(金) 08:47:58 ID:L0qlrjT2
>>498
立てこもった後国元攻められて兵が霧散し斬首になるのがオチだから
502人間七七四年:2011/01/28(金) 19:30:18 ID:1PeSMQ5h
>>501
制海権がないのにどうやって広島城まで行くの?
しかも広島湾河口の流路の複雑さに守られた城を
どうやって攻略すんの?
お前アホだろ。
503人間七七四年:2011/01/28(金) 19:46:52 ID:w3depUl1
今までのところ毛利が大坂城に篭城できる理由の合理的な説明はなし。
秀頼を人質に取る、などという始末。
シミュレーションの初歩でつまづいてちゃ、いくら妄想を披露しても
理解を得られないのは当たり前。
504人間七七四年:2011/01/28(金) 20:07:22 ID:N5TNvFZS
スレタイが読めないバカは議論に参加する価値なし
505人間七七四年:2011/01/28(金) 20:28:48 ID:w3depUl1
またそれですか。
結局のところ、妄想以下の自己の願望を垂れ流したいだけなんだね。
506人間七七四年:2011/01/28(金) 21:06:59 ID:zSV21Hqk
制海権持ってるんだし陸続きで迫られる大坂城より
瀬戸内の島に引きこもった方がいいんでないの
507人間七七四年:2011/01/28(金) 23:28:18 ID:N5TNvFZS
弱気な意見を吐いて士気を下げる内通者により
城内の結束が崩れる恐れがあるなら
そいつは排除するのが一番だな。
いくら堅城でも外と内応されて兵を呼び込まれたらかなわないからな。
非戦を主張する内通者が派閥に成長したら、豊臣より派閥の利益を優先して味方を売るのは珍しいことじゃない。
上杉は藤田らを和平派を排除して一致団結したから家臣団は最後まで動揺したり弱気な発言が無かったし。
結局、家康側から和議の話がでたので交渉にのってやったくらい士気が高かったからな。
508人間七七四年:2011/01/29(土) 00:34:30 ID:zAw/WBHI
上杉は家康側から降伏勧告の話がでたので石高1/4で許してもらえると聞いた途端
上洛して家康に頭下げて承諾するくらい士気が高かったからな
509人間七七四年:2011/01/29(土) 02:10:23 ID:2cj0m0tU
>>508
無知って恐ろしいなw
10/23直江書状には
「佐竹口からの出撃だが、江戸から和睦したい思し召しだとのことだから止めた」
とキッチリ書いてあるわけだがw
最上を追い詰め関が原の敗報を聞きながら伊達を排除した
上杉家臣団の高い闘争心による徹底抗戦の決意と
諸大名からのこれまでの上杉への声望とが
家康をして下手な勝負に出て苦戦したら
せったく得られたものを失う恐れを抱かせたのだろうな。
510人間七七四年:2011/01/29(土) 03:09:36 ID:BiZd5Sq1
新喜劇みたいだな
511人間七七四年:2011/01/29(土) 05:39:57 ID:jX5bYIY4
上杉が腰引けてたのは事実だな
四分の一?四倍の間違いだろ?
俺が上杉ならこう言うね
512人間七七四年:2011/01/29(土) 06:00:18 ID:6YMwLlmd
腰が引けてたら輝元みたいなブザマな判決がでるだけだろ。
毛利中国領+安国寺伊予領+小早川立花筑後領の全召し上げ改易の上に輝元の責任を追及し自刃…
そこを吉川元長の執拗な懇願に折れて
改易された輝元の死一等を免じる代わりに出家蟄居と
元長への加増分を5歳秀就への譲渡し家康と秀就が改めて主従関係を結び周防長門を加増と言いつつ人質w
景勝も直江もお咎め無しで普通に現役続行だし、
のちに10万石の役儀の免除の特例も貰って優遇されてるし。
513人間七七四年:2011/01/29(土) 08:25:04 ID:lDfBLKV3
ツッコミどころ満載だなw
514人間七七四年:2011/01/29(土) 10:01:56 ID:D0Z3PJe1
>>502
陸路からでいいじゃん
海からわざわざ行くバカがいるか
秀忠の軍加えたら大阪城に迫った軍勢と毛利の領土に向かう軍勢と充分分けられる
秀秋寝返ってんだから余裕だろw
515人間七七四年:2011/01/29(土) 10:52:30 ID:g1voT+Xb
広島まで大阪城周辺を押さえていない状況下かつ制海権無しで陸路を進むとして補給をどう維持するんだ?
当時今で言う中国自動車道ルートなんて道すらなく、軍勢はともかく補給運搬には海沿いにある山陽道筋を
使うしかない。
そして山陽道は川と島が多い。
まず播磨は加古川、市川、千種川とあるがここで難渋してしまっては話にならないのでとりあえず通過しえたとする。
ここからが(補給運搬にとっての)難所の連続。
備前宇喜多の本拠付近の吉井川〜旭川+児島湾を備前沖の制海権無しに補給隊が移動するのはきつい。
もし無事通過したとしても備後に入れば芦田川があり、その先には松永湾+三島村上の本拠因島があり、
そのすぐ先には小早川隆景が水軍の利便の為に本拠地を移してまで構築した三原城と沼田川がある。
更に加茂川、黒瀬川、瀬野川を超えるとようやく広島城に近づくわけだが広島湾に面した複数の川の中洲に
わざわざ構築したのが広島城。

東海道遠州沖という水軍にとってみれば海流的に難所で付近に逃げ隠れ可能な島の無い地域ですら西軍
水軍による補給運搬襲撃に何らの対抗策もなかった軍勢が毛利水軍の本拠瀬戸内海の山陽道筋で補給
運搬を滞りなく遂行可能と考えるのはとてもではないが無理。
516人間七七四年:2011/01/29(土) 10:59:41 ID:Y8XMxriK
治承寿永の乱で平家の根拠地だった瀬戸内の水軍がバタバタと源氏に
寝返ったのと同じように、状況を見て東軍に味方する勢力も出るんじゃないか?
伊勢、志摩、紀伊や四国の水軍は東軍につきそう。

ま、別に陸路から進撃すればいいだけだとは思うが。
東軍の進路を遮るのって、関ヶ原で打撃を受けた宇喜多領だけだし。
長期戦になったときの東軍の不安は上杉の動向くらいだと思うけど、
上杉は関東よりも越後優先で動くからな。
517人間七七四年:2011/01/29(土) 11:10:13 ID:Y8XMxriK
あと、毛利の本拠である広島城を攻撃するよりも、配下の国人領主の城を攻撃して
動揺させた方が効果的だろう。兵力のほとんどを上方に連れてきている以上、
東軍の侵攻を各城が連携して防ぐことは不可能で、各個撃破されるのがオチ。
毛利の家臣たちも、空っぽの国許を攻撃されてはたまらんだろうな。
518人間七七四年:2011/01/29(土) 13:07:29 ID:g1voT+Xb
瀬戸内の水軍といっても主だったものは淡路水軍、塩飽水軍、三島村上水軍、毛利水軍くらいだよ。
このうち淡路水軍と塩飽水軍はほぼ豊臣水軍に組み込まれているのでスレの流れからして大阪城が
落ちていない状況下で東軍に寝返りはちょっと考え難い。
三島村上水軍のうち能島と因島は村上武吉直属のようなものでこれが寝返るようなら毛利は終わってる。
来島村上は朝鮮戦役でかなりの船を無くしており再建途上。
毛利水軍は毛利本家直属でこれが寝返るようならこれまた毛利は終わってる。
伊勢、志摩、紀伊の水軍を合わせて仮に1将の元にまとめえたとしても、毛利水軍単体にすら規模で劣り
地の利もなく加えて豊臣水軍も敵側にあり大阪湾周辺にすら根拠地を取れない状況で瀬戸内海を
西進は正直無茶だと思う。

もともと東軍は各大名の自前補給と清洲城の備蓄で関が原までならなんとか補ってきた。
なぜ自前補給になったかというと徳川家には隣国出兵の経験しかなくいわゆる遠征の補給を差配できる将も
組織もなかったから。
しかし改めて山陽道を西進となると各大名の自前補給というわけにはいかない。
石田、増田、小西、長束といった大規模補給計画に慣れた将のうち関が原後に生きていた増田がもし寝返った
からといって補給の差配などを任せられるものではない。
戦後を考えても徳川家が差配するしかない。

とは言え、東軍諸大名の軍勢の進撃そのものはできると思うよ。
ただその軍勢が主だった攻撃目標を備前岡山、安芸三原、安芸広島とした遠征途上で消費し続ける兵糧・
消耗品の補給の維持に関してとても大きな疑問があるだけ。
現地調達には限度があるし、天下を静謐にすべく動いている前提の東軍(西軍もだが)の趣旨からして
大規模で組織立った現地調達はは出来ないでしょ。
となると後方から運ぶしかないわけだけどそうなれば515で書いたような状況になるわけで、しかし当時は
他に移送手段がない。
つまり進撃の全てが順調に推移した場合を除き、途上に連なっている宇喜多毛利のどこかの城で進撃が
一度でも停滞した場合にどうしようもなくなる。
519人間七七四年:2011/01/29(土) 14:07:09 ID:6YMwLlmd
そもそも広島城は秀吉から始めて最新技術で築城を許された大坂城に続く巨大城。
しかも立地が安芸武田がすぐ横の大内氏の大軍を何度となく撃退し続けた超要害の場所で支城が落ちてもビクともしなかった。
まず広島城は落ちないわな。
毛利としては東軍が長駆し広島まで来て疲弊しまくって厭戦気分になってくれた方がいい。
しかも山陽道の播磨や摂津は豊臣直轄地だから基本的に敵勢力による補給妨害が起きるし
山陰道も但馬因幡の大半を抑える宮部が西軍、丹後の田辺の細川も西軍が降伏させてる。
大坂城でも真田はいないが、朝鮮以来の隆景与力の秀包や立花宗茂ら大津攻略組がいて、
隙を見て大坂城から突出して奇襲打撃を与えて帰れる猛将がいる。
そもそも会津征伐の金と米も大坂方から貰ってるくらいで家康に余力は無い。
北陸道は必ずしも東軍じゃないし
中山道は真田がいるが小諸城の仙石如きに邪魔されることも無いし、
朝鮮渡海や瀬戸内海の難地水域で経験豊富な豊臣・毛利水軍で東海道沖に出ばるのも余裕で、
東海豊臣恩顧を調略し易い。
520人間七七四年:2011/01/29(土) 14:09:32 ID:zAw/WBHI
石田、小西、長束といった大規模補給計画に慣れた将が大勢いて東軍より遥かに関ヶ原に近いのに兵糧に困っていた西軍の立場がないなw
西軍の大規模補給計画に慣れた将は豊臣の巨万の富を使い放題という条件しか経験していないから
豊臣の資金が使えないという条件に陥ると実は補給能力は高くない
東軍の方が豊臣の資金に頼りきる以前から戦っていたベテランも多く補給能力は上といっていい
それに東軍は天下を静謐にすべく動いている前提だから大規模で組織立った現地調達は出来ないというのもおかしい
自分達は逆賊を討伐する官軍という自負があるのだから現地調達なんて堂々とできるよ
現地調達は昔の戦国の常套手段だから東軍の方が慣れてやりやすいだろう

もっとも宇喜多領なんて当主が薩摩に逃げているようでは戦いようもないし
毛利領だって国許に残っている兵力は1万いるかどうかという状況だから
力攻めするまでもなく恫喝するだけで山陽道の城なんて落っこちてしまうよ
521人間七七四年:2011/01/29(土) 14:36:22 ID:9714poMT
東軍は会津征伐の名目でたっぷり軍需物資貰ってたらしいしな
どんだけかはしらんが
522人間七七四年:2011/01/29(土) 14:42:25 ID:6YMwLlmd
大坂城内は金と米がたんまりあったし
瀬戸内海からの補給もあるわけだが。
5年前に秀保が亡くなり大和紀伊和泉河内の豊臣大納言領を改易した際に秀長がすげー蓄財していた財産も接収してるし。
523人間七七四年:2011/01/29(土) 14:46:46 ID:BiZd5Sq1
まぁそれらは輝ちんのもんじゃないけどね
524人間七七四年:2011/01/29(土) 15:18:30 ID:Y8XMxriK
いーんだよ。
豊臣家は毛利に無条件で本丸を明け渡して、
有力諸侯で西軍を脱落する奴なんかいなくて、
いたとしてもそんなやつはすぐに粛清して、
毛利本領では兵がいないのに東軍の攻撃を頑強にしのいで、
豊臣恩顧は秀頼の威光の前に身がすくんで、
っていうのがこのスレの趣旨なんだから。
525人間七七四年:2011/01/29(土) 15:19:39 ID:/i+70Lwu
おてもと
526人間七七四年:2011/01/29(土) 15:47:44 ID:6YMwLlmd
>>520
家康は三成らだけの挙兵だと思ってたら
内府違いの条で奉行連みんなが署名してて、毛利まで入城し大坂方そのものが敵になっていて驚いてた。
だから黒田長政を使って福島ら武断派が嫌いな三成を討つと言う目的を設定する詐術をかけざる負えなかった。
しかし関ヶ原後の恩賞段階で豊臣家は敵に成ってないとするのも詐術そのもので
実質的に家康に敵対してたのは間違いなく、
豊臣の言い訳を認めざる負えない状況下に家康がいたのは武断派の存在感が大きかったから。
しかも輝元が戦わず降伏するバカな真似をしたから、大坂方がそういう言い訳をせざる負えなかったに過ぎない。
加藤清正にしたって別に家康に組みしたわけでもなくて朝鮮での小西との確執から肥後小西領を奪った後に如水と一緒に北九州制圧してんだから。
如水も三成に九州6ヶ国加増許可あれば西軍に付くって条件出してたし。
そもそも東軍も兵糧に困っていて福島尾張領から転用していた。
なぜなら豊臣から貰った兵糧は白河での上杉との対陣に使っていたし、
秀忠軍にも使っていたから三方面軍への供給は補給能力限界きていた。
宇喜多が島津領に逃げたのはもっと後になってからだから。
島津義弘にしたって長宗我部にしたって改易がかかっているのだから必死になるよ。
527人間七七四年:2011/01/29(土) 16:12:17 ID:6YMwLlmd
>>524
広島城には福原広俊らが駐留してるし
兵がいないなんて事は無いし水軍も転用できる。
しかも外征派兵と自領籠城防衛では動員力が別もので
精鋭の武士専業者以外も動員できる。 だいたい籠城側は攻撃側より兵力が少なくてもよいし
さらに中国地方での籠城遅延作戦は秀吉が攻撃した際にもわかるように
城主に頑固者が多かっただけに下手すると一城攻略あたり半年〜一年の包囲が待ってるぞ。
528人間七七四年:2011/01/29(土) 16:23:14 ID:D0Z3PJe1
>>524
秀頼の威光www毛利に担ぎ上げられてる主君のピンチとしか見てねーよwww
そんなんだったら始めから大阪城乗っ取られた時に小山で離脱してるw
529人間七七四年:2011/01/29(土) 17:15:00 ID:kuyOsh2L
良いスレだが輝元は豊臣の譜代じゃないからダメだな
三成を捕まえた家康が迫ってきたら「豊臣家の大老同士で話し合え」と突き放されるだけだろう
それでも籠城したら輝元こそ逆臣扱いされる そうなれば毛利はつぶれるからその後の歴史改変が凄い事になりそう
530人間七七四年:2011/01/29(土) 17:37:02 ID:6YMwLlmd
どんな時でも秀頼を握ってる方が正義だし。
内府違いの条での糾弾に対して三成打倒の名目で
福島らを騙し続けるのも大坂城攻めでは通用しない。
輝元も景勝も秀家も大老なのになに言ってんだ?
しかも家康は豊臣の譜代じゃないし。
むしろ内府違いの条に連名した者たちが譜代なんだが。
531人間七七四年:2011/01/29(土) 17:53:36 ID:H+VgZcUE
>>530
正義で物を語る論には碌な物がないな
532人間七七四年:2011/01/29(土) 18:14:32 ID:Y8XMxriK
妄想で理論武装してる輩に何言っても無駄。
豊臣家が毛利の味方をするはずがないし、輝元が秀頼を無理矢理担ぎ上げたら
東軍に秀頼奪還の大義名分を与えると何度言っても聞き入れない。
ならば豊臣家が積極的に毛利の味方をする合理的な理由を説明をせよと問うても、
今の今まで一度も答えられたことがない。
533人間七七四年:2011/01/29(土) 18:58:35 ID:6YMwLlmd
まあ明らかに知識が全くなくて
妄想で語ってるのはお前らだけどなw
何度となく事実誤認しまくってたし。
内府違い条の連名者すら知らないで
得意になって書いてたのモロバレだったし。
挙げ句の果てには豊臣譜代の大老家康の意見が正義みたいな話してるしアホすぐるw
534人間七七四年:2011/01/29(土) 19:13:57 ID:CEYnOXdP
つまんね
535人間七七四年:2011/01/29(土) 19:14:15 ID:Y8XMxriK
で、豊臣家が毛利に味方する理由は?
まだ答えらんないの?
536人間七七四年:2011/01/29(土) 19:21:36 ID:6YMwLlmd
まあ安芸武田の拠点だった場所に作られた広島城の堅固さすら知らなかった恥をまず知った方がいいよw
537人間七七四年:2011/01/29(土) 20:07:35 ID:lDfBLKV3
>>530
「毛利に監禁されている秀頼を救出する」のを名目にすればおk
538人間七七四年:2011/01/29(土) 20:09:13 ID:6YMwLlmd
まず>>1とスレタイが読めるようになろうね無知の荒らし君w
539人間七七四年:2011/01/29(土) 21:08:32 ID:lDfBLKV3
>>1はあり得ない
540人間七七四年:2011/01/30(日) 03:00:41 ID:PHb8tITe
つーかさ
秀頼が篭城に協力的なら最初から西軍に協力的な事をやってるだろ
しかし実際はそうじゃないんだから>>1はありえんと思うし
福島や黒田は秀頼と戦いたくないから和平交渉をしているわけで
それらを無視して篭城したとしても豊臣恩顧の賛同は得られないと思う
541人間七七四年:2011/01/30(日) 04:05:43 ID:lPQSFlN7
常々疑問に思うのは、スレタイが理解できないヤツが自演してること。
まず>>1が認められないのであれば、ここになぜレスするのかということ。
>>1が認められないならそこでこのスレの話題は終了で書くことが全くない。
やってることは完全な荒らし行為でしかなく、マナー違反も甚だしい。
あるいは>>1否定を必死に繰り返す自演くんはなぜスレの削除依頼をしないのかと?
おこなっている粘着行為は実に理解しがたい。
特定の誰かに私怨で絡んでストーカーのようにひたすら否定しているだけなのか。
ひたすら>>1における前提を否定してて話に発展性が見られない。
実に奇怪な偏執的猟奇的行動と言わざるおえない。
>>1の輝元は「そちが、毛利中納言か、余を頼むぞ」と
委任されるほどに史実と正反対を選択した武門の意地を見せる天晴れな
謙信や信玄や元就や信長や秀吉や家康の如きデキTERUであり
>>462>>512になる末路を回避するべく動くデキTERUの動機は理解できるし
小早川秀包や立花宗茂が大坂籠城策を献策してる以上は
それを可能にする土壌が存在していた証左である。
>>485>>494のように歴史上において一度は生涯最大の絶体絶命から
逆転して天下統一をした英雄の方がむしろ多く、デキTERUにとり
この籠城戦こそ統帥の見せ所であり英雄への踏み台であると言える。
>>507>>509のように家康への内通者による調略で堅城が簡単に落ちるのを
阻止する方法は疑心暗鬼回避のために長期籠城にはむしろ必要な処置である。
古来、内通が原因であっけなく落城する例はいくらでも存在しており城内は結束が重要である。
>>469>>471>>475>>480>>484>>515>>518>>519>>522>>526>>527>>530のように
毛利本国も大坂城も継戦能力が完璧に存在している。
それに対してもはや否定が目的の如くに歩み寄りもせず、建設的な意見も述べず
ひたすら精神異常者のように執拗に下記の文をキチガイのように自演連呼するだけ。
>>豊臣家が毛利に肩入れする理由が考えられない
>>秀頼を傀儡状態にした時点でアウト
しかし謙信や信玄や元就や信長や秀吉や家康が輝元の立場だったなら
その程度の問題如きで東軍に土下座するだろうか?
この問題などは彼らの外交・調略・人望・武威で解決できる簡単な障害でしかないだろう。
そこでもう一度問いたい。
>>1が認められないのであれば、なぜここにレスするのかということ。
あるいは>>1否定を必死に繰り返す自演くんはなぜスレの削除依頼をしないのかと?
ひょっとして日本語が不自由な外国人による「恨」の憎悪で
秀吉を貶し豊臣滅亡しか認めたくないニダ氏による粘着荒らし自演なのではないだろうか?
542人間七七四年:2011/01/30(日) 04:51:26 ID:jBXWPfId
そのとうりだ家康と徳川軍の能力を過小に見積もれば
十分可能で勝利できる
543人間七七四年:2011/01/30(日) 06:08:55 ID:t18T1cxI
何でレスするかと聞かれても「面白そうなネタがあるからツッコミを入れてる」としか答えられないw
544人間七七四年:2011/01/30(日) 08:32:29 ID:PAp1rGDQ
>>1の輝元は「そちが、毛利中納言か、余を頼むぞ」と
>委任されるほどに史実と正反対を選択した武門の意地を見せる天晴れな
>謙信や信玄や元就や信長や秀吉や家康の如きデキTERUであり

なにこれw
545人間七七四年:2011/01/30(日) 12:25:35 ID:j2oVYQ4i
そんなデキTERUだったら岐阜城をまずおとしてない件
546人間七七四年:2011/01/30(日) 13:08:02 ID:jBXWPfId
岐阜の制海権は取れてなかったからね
547人間七七四年:2011/01/30(日) 13:36:20 ID:DuYdui/r
ぼくはスレタイが読めないバカな在日です。
548人間七七四年:2011/01/30(日) 13:57:06 ID:zWg3rvrp
面白いスレだと思うんだが変なのがいるなあ…
輝元が英傑クラスの人物だったら、我々の知ってる関ヶ原とは全く別の展開になるよ
デキTERUスレでも立ててそっちでやってくれとしか言えない
549人間七七四年:2011/01/30(日) 16:21:11 ID:E/DsJs+K
才子求む

新一行リレー戦国小説 巻之十
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1287548616/
550人間七七四年:2011/01/30(日) 20:00:48 ID:S70jZSlE
ところで、>>1には疑問がある。
「そちが、毛利中納言か、余を頼むぞ」
つまり、TERUは秀頼と初対面。
秀頼と大老が初対面とはどういうことであろうか。

そういう設定だから、で片付ける前に少し考えてみよう。
常識的に考えて、豊臣の主と大老が初対面などということはあり得ない。
にもかかわらず、この発言。
導きだされる回答は…

このスレの秀頼は記憶力皆無のアホなのだ。
アホなので何も考えず、TERUを大坂城に迎え入れてしまったのである。
551人間七七四年:2011/01/30(日) 20:40:35 ID:t18T1cxI
秀頼まだ幼児だから仕方ないw
552人間七七四年:2011/01/30(日) 21:09:13 ID:iUmZsW2p
以前あった類似スレのころから、
変なのが混じってるんだよな。
空気読めないうえに必死なやつが。
553人間七七四年:2011/01/31(月) 14:08:25 ID:AsF9lc7P
TERUは戦争で負けたわけじゃないんだぜ。
554人間七七四年:2011/01/31(月) 16:05:55 ID:CUA6DQ4q
アシは空気が読めないから>>1は黙殺ニダ!
555人間七七四年:2011/01/31(月) 17:56:54 ID:lzRCxr2t
在日にとって許しがたいifを提示した>>1は死刑
556人間七七四年:2011/01/31(月) 17:58:25 ID:tSauz29/
>>1
敗軍を合わせると10万近くなるのか
単純に兵力だけ比較すると東軍と互角だな
557人間七七四年:2011/01/31(月) 19:40:27 ID:HNEn8S36
>>556
関ヶ原に集結した軍勢10万に加え、小早川等の寝返り組が1.5万、
秀忠勢3.8万、前田勢2万、それに加えて西軍から東軍に鞍替えする
畿内の大小名も合わせると、20万近くになるよ。
558人間七七四年:2011/01/31(月) 19:46:51 ID:D3zEiER1
防御側で×2大坂城で×2秀頼で×2
計算上3万居れば20万相手でも負けない
559人間七七四年:2011/01/31(月) 20:12:30 ID:tSauz29/
>>557
秀忠を忘れてたw 関が原に間に合わなかったぶん大阪で奮戦しそうだな

>>558
「秀頼で×2」って何w
560人間七七四年:2011/01/31(月) 20:14:04 ID:PHH2tNSA
>>519
>毛利としては東軍が長駆し広島まで来て疲弊しまくって厭戦気分になってくれた方がいい。

近代ナショナリズム形成後の対外戦争ならわざと敵を誘き寄せて伸びきった補給線を叩くって戦略も有効だが
戦国時代の常識ではこれはありえない
即刻家臣団に見放され破綻するわ
>>516のいってるように「強いほうにつく」という当時の原則を考えると
関が原で負けた毛利側の陣営が戦前そのままの状態で維持できるわけがない
その前提を抜かして一度配下についたものは末永く手駒のようにつかえるゲーム脳
でシミュレートするから>>541に代表される電波にしかならない
561人間七七四年:2011/01/31(月) 20:55:39 ID:CUA6DQ4q
>>557
当時の家康じゃそんなに動員しても大坂を囲んでも補給が追いつかんな。
しかも広島まで制海権もなく同時侵攻するそうだ。
中央政権から派遣されてきた秀吉の中国攻めでも西国諸将は降伏勧告を拒否して
頑固に籠城しまくって粘った末に陥落したら自刃したようなやつばっかなのにw
562人間七七四年:2011/01/31(月) 21:04:21 ID:tSauz29/
>>561
秀吉の中国攻めとは状況が違いすぎて参考にならんと思うが
563人間七七四年:2011/01/31(月) 21:24:52 ID:CUA6DQ4q
たしか信長の暴君ぶりを背景に秀吉の調略と言うS級人材の西進より
今回の敵の方が楽だよな〜。
大坂は10年粘った石山本願寺の跡地に造ったから絶対に落ちないしな〜。
広島は大内がいくら大軍を投入しても落とせなかった武田の超要害の跡地だし〜。
おまけに制海権あるから補給に困る事もない。
東軍は上杉佐竹を無視して補給能力を超えて大坂と同時に
長駆して広島まで包囲するとか頭が悪そうだし。
564人間七七四年:2011/01/31(月) 21:29:28 ID:CUA6DQ4q
訂正
○たしかに信長の暴君ぶり
×たしか信長の暴君ぶり
565人間七七四年:2011/01/31(月) 21:30:06 ID:tSauz29/
上杉が南下する可能性ある?
566人間七七四年:2011/01/31(月) 21:38:33 ID:MaTOmG0U
関ヶ原の敗報が届いたら庄内側の軍見捨てて撤退してるし
再度最上を攻めるにしろ南下するにしろ年明けまで無いかな
567人間七七四年:2011/01/31(月) 22:30:19 ID:HNEn8S36
>>561
軍需物資の補給に関して確かに不安はあるが、留守の家を攻められた国人が
バタバタと寝返る不安の方が大きいだろうな。
まともに篭城する兵力すらいないわけだから。

>>561が言う死を冒してまで敵に抵抗するのにも、ちゃんと理由があるんだよね。
自分は死んでも子孫が取り立てられればいいっていう考え方があって、
だからこそ命を投げ出せるわけ。
その望みがなければ裏切りが続出するのは火を見るより明らかだよ。

つーか、そもそも毛利がまともに大坂に篭城できるわけないんだよな。
秀頼周辺が、毛利の篭城を認めるはずないんだから。
ここをクリアにしない限り、何を言っても妄想にすぎないっていう。
568人間七七四年:2011/01/31(月) 22:34:43 ID:tSauz29/
秀頼周辺はTERUに絶対服従するよ。ここは妄想戦記スレなんだから。
569人間七七四年:2011/01/31(月) 22:35:44 ID:CUA6DQ4q
大坂には大名の妻子やその家臣からの人質も確保して籠城してるから
それを利用して裏切りの調略をかけつつ
さらに有利な講和交渉もできるし、
関東の諸将は北条改易でほとんど衰退しちまったから、
南北朝や応仁の乱みたいに庶子や対立国人を守護や守護代に任じて反乱を起こさせたりで戦乱逆戻り作戦も可能だしな。
宇喜多騒動で反対派を排除した秀家も大坂に戻ってきてる以上は、
岡山城も一致団結して家康への内応もないし、
豊臣直轄の摂津は大坂城から出撃、
播磨でも平地を平定しても六甲山方面からゲリラ的に補給線を邪魔してくるだろうな。
なんせ背後の但馬因幡は西軍の宮部がメインだしその背後は毛利領。
黒田はドサクサ紛れに小早川秀秋領まで開城させてる野心家だからもちろん東軍じゃないぜw
570人間七七四年:2011/01/31(月) 22:45:50 ID:HNEn8S36
妻子を人質にとって云々なんて、史実でももう失敗してるね。
宇喜多は関ヶ原で敗れて当主は逃げ惑い軍は四分五裂で組織的戦闘ができない状態。
宮部とか、現代の兵庫県周辺の諸侯は旗幟を一気に東軍に翻すわな。
たとえ敵対してた大名でも、家康が本領安堵を条件に降伏を認めれば
東軍に寝返る大名は続々と現れる。

この当時の武士は勝つ見込みの高い方に味方するっていう原理原則を全く理解してないね。
571人間七七四年:2011/01/31(月) 22:55:47 ID:CUA6DQ4q
三成が負けただけ。
西軍総大将の毛利は完璧なまでに無傷。
史実でも西軍総大将の毛利が抵抗せずに大坂城を明け渡し家康に土下座したから西軍敗北が確定したに過ぎず
絶大な安定度を誇る大坂城に籠城して徹底抗戦するなら
関ヶ原からの兵を収容して体制を立て直すのは簡単。
そもそも大坂陣でもあれだけの兵力を集められたのに、たかが関ヶ原で負けただけで瓦解するわけも無い。
それは立花宗茂や小早川秀包の籠城策からも証明されうる。
572人間七七四年:2011/01/31(月) 22:55:59 ID:HNEn8S36
つーかさ、豊臣が毛利に協力する理由を早く説明してよ。お願いだから。
500以上もレス消化して未だに明快な理由説明がないんだよね。
その前提を確固たるものとしない限り、何言ったって
妄想以下としか受け取められないよ。
573人間七七四年:2011/01/31(月) 22:59:24 ID:tSauz29/
>>569
黒田は東軍じゃないが西軍でもないだろw
574人間七七四年:2011/01/31(月) 23:03:43 ID:CUA6DQ4q
>>572
>>541
輝元が総大将として武門の決意と自覚をもって動く将帥となった姿だから。

まあ大坂城は10万も籠城する必要も無いし
毛利は瀬戸内海を使って備中高松城や岡山城や姫路城に弾力的に兵を上陸させて奇襲したり城へ籠めたり、
地の利を利用して中国山岳部ゲリラ隊を組織したりと
取り得る戦略はたくさんあるな。
575人間七七四年:2011/01/31(月) 23:09:27 ID:CUA6DQ4q
>>573
三成に九州6か国切り取り自由の許可を要求してたのが如水。
秀秋が東軍になった以上は内府違いの条に連署した大坂方奉行達と輝元としては許可するだろう。
その代わり島津や長宗我部や蜂須賀と協力するように要請すれば、
如水は鍋島、清正と共に第三勢力として大坂にやってくるだろうね。
576人間七七四年:2011/01/31(月) 23:11:40 ID:HNEn8S36
>>574
>輝元が総大将として武門の決意と自覚をもって動く将帥となった姿だから。

に対してのレスは、
>>548
>輝元が英傑クラスの人物だったら、我々の知ってる関ヶ原とは全く別の展開になるよ
>デキTERUスレでも立ててそっちでやってくれとしか言えない

で十分だよね。
そして仮にTERUがデキTERUであっても、関ヶ原で敗れた西軍に対して
秀頼周辺が全面協力する理由であるとは言い切れないね。
だって、いくら優秀な人物だって時流に乗れなければ落ちぶれていくのは歴史の常だもの。
577人間七七四年:2011/01/31(月) 23:12:18 ID:f+z+332U
輝元は一見いかつい顔してるけど
小早川隆景に虐待され続けてきて
意志薄弱のヘタレになってしまったので
とても家康には向かうことなど無理
578人間七七四年:2011/01/31(月) 23:16:09 ID:HNEn8S36
>>575
許可と保証とかいうのは、実力のある人間が発給するから
効果を発揮するんだよ。
負けつつある人間が発給した証文なんてだれが信用するかねw
君がこのスレであれこれほざいても誰も説得できないのと同じだけど。
579人間七七四年:2011/01/31(月) 23:20:17 ID:CUA6DQ4q
>>576
大坂方首脳陣の奉行達が内府違いの条に連署してる以上は豊臣は最初から西軍だよ。
輝元が土下座したから言い訳として豊臣は中立と言い訳してるだけだし
その言い訳を家康が認めざる負えなかったのは
豊臣が敵になった事実を、三成を討つと言う歪曲で武断派を騙してきたから。
だから三成を討つじゃなくて豊臣を討つになれば武断派は家康の味方はしない。
政宗も戦後の秀頼の地位については心配して家康に意見してるくらいだし。
580人間七七四年:2011/01/31(月) 23:21:43 ID:MaTOmG0U
関ヶ原で負ける前から兵糧使わせてもらえなかったんだから
負けた後なら尚更使わせて貰えず籠城どころじゃなくなるんじゃね?
581人間七七四年:2011/01/31(月) 23:25:06 ID:tSauz29/
>>579
家康は「豊臣を討つ」なんて言わないだろう
「毛利を倒して豊臣を救う」
582人間七七四年:2011/01/31(月) 23:28:04 ID:HNEn8S36
>>579
その割には軍需物資提供要請を豊家に断られて涙目になってますね。
関ヶ原の結果が出た後に、豊家がさっさと西軍を見捨てた史実を
見ただけでも、豊家と西軍が一致団結していたなどとは言えないわな。
だって、豊家と毛利がしっかりとした協力体制にあったのなら、
君が望むような状況になったはずだもの。
それから、
>豊臣を討つになれば武断派は家康の味方はしない。
これはあり得ないな。
だって、毛利の傀儡にされた秀頼様救出が東軍の大義名分になるもの。
583人間七七四年:2011/01/31(月) 23:53:09 ID:m/GEe+MG
>>563
>広島は大内がいくら大軍を投入しても落とせなかった武田の超要害の跡地だし〜。

佐東銀山と広島
10キロ以上離れている
築城前の広島は城郭施設もない川の中州にすぎないんだが

>おまけに制海権あるから補給に困る事もない。
>南北朝や応仁の乱みたいに庶子や対立国人を守護や守護代に任じて反乱を起こさせたりで戦乱逆戻り作戦も可能だしな。
>毛利は瀬戸内海を使って備中高松城や岡山城や姫路城に弾力的に兵を上陸させて奇襲したり城へ籠めたり、
>地の利を利用して中国山岳部ゲリラ隊を組織したりと

関が原の敗戦後の情勢においても毛利の号令で徹底抗戦が可能だって前提がまず間違い
主君とのつながりが比較的薄い側近以外の旧国人衆や水軍衆を
こんな情勢で手駒にして自在に使えるなんてゲーム脳としかいいようがないわ
まして負けてるほうが勝ってるほうに大規模な離反策動を仕掛け得るなんて
普通の常識ではありえない発想

関が原敗戦後に輝元にこれだけの号令をかけるカリスマ性も能力もあるわけないし
「大坂に立てこもれば豊臣政権の大義名分を受けれる」と決まるわけでもない
承久の変みたいに「君側の奸を討つ」という大義名分が成り立つこともあるしな
584人間七七四年:2011/01/31(月) 23:56:27 ID:tSauz29/
>>571
たかが関が原って一大決戦に敗北したダメージはトンでもなく大きいだろw
毛利だけが無傷でも意味ない
585人間七七四年:2011/01/31(月) 23:56:35 ID:iD++xOoe
>>579
そもそも戦で豊臣討つ気なんか当時の家康にはさっぱり見受けられないわけだが
戦後の領土分配も奉行がいなくなって豊臣の直轄領が管理出来なくなったのが原因だし
三成討つで騙したとかそんなおめでたい講談や群像の妄想を信じてるのがまだいたのか
よく挙げられる正則が本当に豊臣に尽くす気があったのかも疑わしいw清正はともかくな
関ヶ原時に豊臣討とうとしたらそれこそ名義を失い全大名から攻撃の的になりかねないんだから家康がやるわけない
586人間七七四年:2011/01/31(月) 23:59:48 ID:lzRCxr2t
軍事物資の提供を豊臣が拒んだ?デタラメだなそれは。
蔵入地を管理していた増田長盛がケチっただけの話を誇張してるとしか思えない。
この増田を警戒して輝元は大坂から出陣しなかったんだし。
そもそも九鬼嘉隆などは東海道を襲撃して物資を略奪してまわり
その物資を揖斐川経由で大垣城に送ってたし、
西軍は伏見城の物資も横領してるはずだ。だいたいそんなに困ってるなら
田辺城・大津城・津城の各方面に大軍を派兵できないだろ。
587人間七七四年:2011/02/01(火) 00:02:40 ID:fCnU8tox
自分が知らないからデタラメってw
588人間七七四年:2011/02/01(火) 00:27:45 ID:aKzb7vUm
またまた>>1が理解できないハゲ自演が必死になってるなwww
結局、無知だから知識で圧倒されると
>>豊臣家が毛利に肩入れする理由が考えられない
>>秀頼を傀儡状態にした時点でアウト
>>強いほうにつく
この3段連呼で>>1の前提を否定して逃げようとするだけなんだわw
立花宗茂や小早川秀包の籠城策があったから実現可能な証拠なのに
絶対に認めないで自演連呼で圧倒する常套手段のみ。

蔵入地を淀が管理してると思ってんのかワロタwww
紀伊国・和泉国・大和国の旧豊臣秀長の大納言領における
蔵入百万石以上の管理をしてたのは増田長盛なわけだが。
だからこういう疑わしいヤツは叩き斬って粛清しろと主張してるわけなんだろ?
>>583
お前バカだねぇ。太田川の河口は複雑で銀山城の防衛を支える要害なんだよ。
大内が大軍で攻めてもピンチになったことすらない。
特に激しかったのが尼子の大軍が毛利の本拠地を攻めた時に
同時に大内が武田を攻めていたが頑強に抵抗して毛利への援軍を足止めしてるほど。
で、広島城ってのは豊臣の土木建築技術を導入して、
それまで手が付けられなかった銀山城の河口に手を加えて作られた
常識では考えられない超鉄壁の防塁と化してるんだよ。
WIKIの知識じゃ立体的に図面が浮かんでこないんだろうねw
589人間七七四年:2011/02/01(火) 00:29:09 ID:AmvTDnoK
宿便の広家が寝返ってるのに毛利は無傷なんて言えないだろ
590人間七七四年:2011/02/01(火) 02:23:10 ID:USzmhw2r
>>588
>お前バカだねぇ。太田川の河口は複雑で銀山城の防衛を支える要害なんだよ。

後に広島になる中州の地域と銀山城の付近では距離が離れすぎてるだろ
地形を見ても太田川のせいで通行できなくなるわけではなさそうだし
中州周辺の草津や桜尾などは大内傘下だし仁保の白井も大内が攻めてきたら降伏している
そんなに太田川の河口が強力な要素として作用したとは思えないんだけど
http://nadi.aalip.jp/Osiro-hiroshima/log/eid15.html

そもそもこんだけ離れてるのに>>536>>563みたいに
広島城の防衛機能と銀山城の防衛機能をいっしょくたにして
語るのがおかしいだろ
てか天然の川を利用した城郭は多いがほかの城を差し置いて広島城のみ
「常識では考えられない超鉄壁の防塁と化してるんだよ。」とかいう称号を与えてる根拠はなに?
591人間七七四年:2011/02/01(火) 03:33:34 ID:TxQ48eZi
面で語らず点で語るとか戦略を理解出来てない。
そもそも造成されて幾筋もの支流なども整理され纏められ、
点在する湿地帯も凹凸も消え去った
現在のキレイな川だけを見て判断する愚か者に複合的に補いあう城域の構えを語る資格は無いんだわ…
補給線を無視するだけで無く、城についても現在の天守閣くらいの認識しか無いとは呆れる。
592人間七七四年:2011/02/01(火) 03:46:15 ID:TxQ48eZi
桜尾城とか白井氏とかまったく知らずに語ってるのがバレバレでさらに笑えるんだが。
白井氏は大内に抵抗しまくり。
広島湾の島々が大内水軍に攻められて白井氏の支族が一時的に降伏したが
大内がいなくなるとすぐまた反旗を翻すし、
府中城の白井氏惣領は武田滅亡寸前まで降伏してないわけだが。
いい加減にWiKiで調べましたってバレバレな書き込みを止めた方がいいよ。
593人間七七四年:2011/02/01(火) 03:54:06 ID:TxQ48eZi
そんで一番恥ずかしいのは仁保を広島城の近くの山だと勘違いしてること。
それ広島湾を埋め立てたから山のように見えるけど、昔は島だったんだよ。
そーいう無知のシッタカは恥の上塗りだから止めた方がいいよ。
594人間七七四年:2011/02/01(火) 04:53:00 ID:USzmhw2r
>>591
>造成されて幾筋もの支流なども整理され纏められ
>現在のキレイな川だけを見て判断する愚か者に複合的に補いあう城域の構えを語る資格は無いんだわ…

こんな言い分が通用して>>536>>563の発言と整合性がとれるのは
太田川の流れが西の周防から進軍してくる大内軍を妨げるような形になってる場合のみ
http://nadi.aalip.jp/Osiro-hiroshima/log/eid15.html
ちなみにこの地図の武田山(スクロールで一つ上にずらせば見れる)ってのが銀山城址
ということは周防から進軍する大内軍の行動を妨げるためには武田山の左側に
太田川が流れてなければならないことになるな?
「造成されて幾筋もの支流なども整理され纏められ」
といってるがどういうふうに造形され整理され纏められたら
>>588でいってる「太田川の河口は複雑で銀山城の防衛を支える要害」になりうるんだ?

もし「現在のキレイな川だけを見て判断する愚か者に複合的に補いあう城域の構えを語る資格は無いんだわ… 」
と仰るなら武田山の左側に太田川がながれていた当時の文献をあげてくれないかな?
川の流れを上流から根本的に変えるなんて大工事してるなら記録にものこってるだろうしね
それができないなら「現在のキレイな川だけを見て判断する愚か者に複合的に補いあう城域の構えを語る資格は無いんだわ… 」
なんてのは言い訳にしかきこえないんだけど
595人間七七四年:2011/02/01(火) 05:09:23 ID:USzmhw2r
>>592
>広島湾の島々が大内水軍に攻められて白井氏の支族が一時的に降伏したが
>大内がいなくなるとすぐまた反旗を翻すし、

>>519>>588でいう
「太田川の河口は複雑で銀山城の防衛を支える要害」
「大内氏の大軍を何度となく撃退し続けた超要害の場所」
であるために必要な構成条件は
1、敵側に対して川がある。2、敵にとって川の制圧が困難
一つはさっきやったから省くけど、二つ目は水上権を大内が獲得することが難しいことになる
二つ目の広島湾、太田川流域の水上権を大内が得ていたってことになると一つ目とあわせて
二つ目も駄目で上記構成条件を外してることになるな

>そんで一番恥ずかしいのは仁保を広島城の近くの山だと勘違いしてること。
>それ広島湾を埋め立てたから山のように見えるけど、昔は島だったんだよ。

広島市民だったら小学生でも知ってるよ
そもそもあんたがあまりにもおかしいことをいってるってのは土地勘があるから分かったんで
人がいってることは全て「シッタカ」ってのはどうかとおもうが

>面で語らず点で語るとか戦略を理解出来てない。
>補給線を無視するだけで無く、城についても現在の天守閣くらいの認識しか無いとは呆れる。
もうこれだと図星つかれたから、悔し紛れに書いたようにしか思えない
面で語らず点で語るとか戦略を理解??
城についても現在の天守閣くらいの認識しか無い??
そんなこと誰も言ってないだろ
596人間七七四年:2011/02/01(火) 06:35:43 ID:chMALUqM
>>588
>またまた>>1が理解できないハゲ自演が必死になってるなwww
>結局、無知だから知識で圧倒されると
>>>豊臣家が毛利に肩入れする理由が考えられない
>>>秀頼を傀儡状態にした時点でアウト
>>>強いほうにつく
>この3段連呼で>>1の前提を否定して逃げようとするだけなんだわw
>立花宗茂や小早川秀包の籠城策があったから実現可能な証拠なのに

立花や小早川の言は豊臣家の協力を取り付けた上でのものなのかね?
その篭城策を輝元が受け入れる際には、豊臣家を説得するというステップが必要だぞ。
輝元に大坂城内の意見を統一する力があるのかね?

以下、予想される君の回答と、当方の反応。
>>1の前提に反したことを言うな!
>>1の前提が成立する明確な理由を早く説明しろよ

・篭城策に反対する奴は片っ端から斬るんだよ!
→関ヶ原で敗戦した西軍が篭城するなんて言い出したら、真っ向から反対する勢力が
 わんさか出てくるわな。それら全部粛清するなんて無理無理。
 内部分裂を起こして東軍に付け込まれて終わり。

・とにかく、デキTERUだからできるんだ。できるからできるんだ。
→あっそ
597人間七七四年:2011/02/01(火) 06:52:24 ID:chMALUqM
まあとにかくこの人は毛利に勝たせたいんだろうね。
俺が考えた前提を否定するな!(前提を証明もできないくせに)
俺が考えたとおりに輝元が動けば毛利が勝つんだよ!(歴史上の人物は将棋の駒ではありません)
輝元が号令をかければみんな従うんだよ!(そんな輝元ならもっと早く状況を好転させてます)
広島城は強力無比な要塞なんだよ!(どんな要塞も孤城となれば落ちます)

毛利を勝たせたいっていう願望が先にあって、毛利勝利という結果に向けて
論を組み立てていくから自分の都合のよい部分しか説明することができない。
証拠を積み上げていって結論を得るのではなく、結論を導くのに都合のいい
証拠だけを採用してるんだから、ちょっとつつかれれば論が瓦解するのは当たり前。
598人間七七四年:2011/02/01(火) 08:04:29 ID:QLMu7LE2
つーかわざわざ広島まで侵攻する必要もないような
畿内の西軍領地を攻略し大坂を囲ったら毛利領にちょっかいかけながら毛利以外の連中に調略かけて広家チャネルで交渉すりゃ輝元は腰砕けになりそう
599人間七七四年:2011/02/01(火) 08:11:55 ID:fCnU8tox
そうだよな。広島まで行く必要ない。
600人間七七四年:2011/02/01(火) 08:25:53 ID:TxQ48eZi
頭悪い…北から南に伸びる山あるよね?
それが広島湾の近くで隘路を形成してるよね?
その隘路が当時は複雑な流路の関係で湿地帯なんだよ。
北から延びてくる丘陵地と川で銀山は守られてるわけ
川には河内衆って水軍がいるし
安芸備後から動員される大内軍は大内の東の拠点の鏡山城から西へ進軍してきて銀山城を襲うから川自体も要害なんだよ
601人間七七四年:2011/02/01(火) 09:04:16 ID:FgmCxDU5
広島ガラ空きで本領が危ない厨は、思い込みが激しすぎる。
議論には向かいないタイプ。
602人間七七四年:2011/02/01(火) 11:40:09 ID:R2BwG9G/
がら空きじゃないにせよ西軍蹴散らした東軍が大阪城付近で待機、遅れた秀忠を西に向かわせりゃ誰が止められるんだか
総大将の毛利の一族の中でデカいのが二人も寝返ってるし豊臣は知らんぷり、
こんな状況で寝返るバカなんて群像にしかおらんw
せめて岐阜城が落ちる前ならな
603人間七七四年:2011/02/01(火) 12:47:00 ID:tLxwWAG3
>>600
>>563>>588>>600では言ってる事変わってるぞ?

>>563>>588では広島城を「大内を撃退した武田の要害の跡地」としてるけど
>>600で言い訳してる武田の要害の防衛機能は隘路を北上する必要がない広島城には
まったく当てはまらないよな

>>563>>588にみられる当初の主張は「広島が要害であることの理由は安芸武田の銀山が要害だったこと」
となってるが>>600での銀山の要害機能を並び立てた言い訳は銀山と広島の要害機能が異なること、
つまり当初の>>583の意見の正しさを立証してること他ならない

>川には河内衆って水軍がいるし

一度配下にすればいつまでも好き勝手に手駒にできるっていう一連のアンタの
ゲーム脳から紡ぎ出された妄想を前提にすればそうなるが実際は大内が襲来すれば
降伏したりしてるわな?
604人間七七四年:2011/02/01(火) 12:47:25 ID:tLxwWAG3
>安芸備後から動員される大内軍は大内の東の拠点の鏡山城から西へ進軍してきて銀山城を襲うから川自体も要害なんだよ

大内軍の主力の西からに関する問題はスッキリ放置か?
「主要部を無視して枝葉末節がそうだから〜〜なんだ!」って理論か
あんたの場合よく人の知識不足を馬鹿にしてるみたいだけど
もっと根が深い次元の理論の組み立てに問題があるみたいだな

>>563>>588でさんざん力説していたことが論破されると
>>591>>592>>593のように
「面で語らず点で語るとか戦略を理解出来てない。」
「城についても現在の天守閣くらいの認識しか無いとは呆れる。」
などなぜここででてくるのかもなにを言ってるのかもまったくもって意味不明な罵倒文句
を並びたてたり、

そうかと思えば>>600のようにかつての自分の主張と矛盾するものを悪態つきながら
堂々と主張するなど話すたびに矛盾が出てくる雑駁な知性が滲み出ている

そもそもまるで絶対落ちない要害であるかのいってるが
じゃあなんで二度も落ちたんだよ?
>>597さんがいってる「城が孤立すれば落ちる」ってことを証明したいの?
605人間七七四年:2011/02/01(火) 14:03:10 ID:M/3LB9Xd
まぁ落ちつけよ、大坂城は広いんだから輝元一人くらい
逃げ隠れし続けられるだろ
606人間七七四年:2011/02/01(火) 14:19:23 ID:yhrRPLGI
TERUはもともと招かれて大坂城に入ったのだから、
出ていけと言われる筋合いもない。
負けたのは遠くの関ヶ原、元奉行の石田三成だ。
607人間七七四年:2011/02/01(火) 14:29:47 ID:fCnU8tox
TERUを大阪城に招いたのは三成だろ
608人間七七四年:2011/02/01(火) 14:32:19 ID:7XCRMDZj
武田の銀山城は面倒な位置にあったのは確かだろうな
銀山城からみて北と西は山が連なっており、東と南に安川が流れておりすぐ先に巨大河川の
太田川と湿原が広がっている

当時の銀山城と広島城はこんな位置関係
東京で言うと江戸城以南がほぼ海だったのと同様に今の広島市の広島城以南はほぼ埋立地
              
                      ↑この北東はるか先の山越え谷超えたところが吉田郡山
山山川山山山山山山山      川川
山山山川山山山山山山山山   川川
山山山山川川川川  山     川川 
山山山山山  川   湿地   川川 
山山山山山▲川川川川川川川川川川  ▲=銀山城
 山山山     湿地      川川
山山山山 湿地          川川
山山山 山山山山山       川川
山山山山山山山         川川
山山山山山山山山       川川川
山山山山山山山山     川川  川川川
山山山山山山       川 川 △川  川  △=広島城
山山山山山山山     川  川  川  川  
山山山           川  川   川  川
海岸海岸 己斐    湿地など   仁保島
               広島湾  小島 小島


      宮島
609人間七七四年:2011/02/01(火) 15:08:38 ID:fCnU8tox
TERUががんばったら内乱が長期化して再び戦国時代になりそう
敗北した総大将はヘタレのが犠牲が少なくなる
幕末の徳川慶喜とか
610人間七七四年:2011/02/01(火) 15:12:30 ID:yhrRPLGI
でも頑張れないのがTERUなんだよ
611人間七七四年:2011/02/01(火) 16:17:56 ID:fCnU8tox
ヘタレのTERUが総大将だったのは日本の僥倖
612人間七七四年:2011/02/01(火) 19:29:44 ID:/gKmw9JH
輝元が優秀だったら、それこそ本能寺の変・中国大返し以降から変わる
史実をできるだけ変えないで仮定を立てるのが楽しいし説得力がでるのに、「デキTERU」はダメすぎる
とはいえこのスレはその仮定部分がダメだったな スレ主が「駄スレ」と自分で言っちゃってるのは正しい
613人間七七四年:2011/02/01(火) 19:35:21 ID:fCnU8tox
秀吉・家康の天下取りの影のMVPだなTERU
614人間七七四年:2011/02/01(火) 22:38:41 ID:R2BwG9G/
結論
TERU凄い
615人間七七四年:2011/02/01(火) 22:59:16 ID:Vv8TrukS
いくらなんでもこの時点で家康が大坂城を攻撃したら、その時点で逆賊として
諸大名から総攻撃を受ける事は目に見えてるわな。
616人間七七四年:2011/02/01(火) 23:00:42 ID:fCnU8tox
>>615
「毛利にとらわれている秀頼の救出」を大義名分にすればイイんじゃね?
617人間七七四年:2011/02/01(火) 23:06:55 ID:Vv8TrukS
>>616
それなら交渉すればいいだけのこと。
大坂城は天下人の城で巨大だし、力攻めで短時間で落ちるような城じゃない。
あの当時の家康には政治的にも軍事的にも落とすなんてムリムリ。
逆に逆賊となる可能性が極大。
当時の徳川と豊臣政権なら、正直徳川なんぞ目じゃない状態だぞ。

618人間七七四年:2011/02/01(火) 23:46:49 ID:/gKmw9JH
輝元が本気で立て篭もったら家康が困るのは確かだな
逆賊がどうとかじゃなくて単純に大阪城を攻め落とせる可能性がゼロに等しいからね
だから城攻めにでることは無いだろう
一方、毛利側も城を打って出るほど兵がある訳じゃないから、
大阪近辺に陣を構える家康と城に篭もる毛利との睨みあいが続き、戦いが長期化した可能性はある

ただ毛利は味方に乏しいんだよな 上杉は最上攻めを終えたとしても南下作戦には準備が必要だし
西にもたいした味方はいない(敵も居ないが) 比べて東軍は前田と秀忠隊がまだ残っている
おまけに豊臣家の人々もどちらかというとその時点の西軍より東軍の武将達との方が誼を通じやすい筈
毛利はよっぽど頑張らないと起死回生は難しいな
とは言え史実のように家康と直接会う事もせずあっさり城を明け渡したのはやっぱり疑問だけども
619人間七七四年:2011/02/01(火) 23:50:58 ID:Vv8TrukS
秀頼が居る大坂城を攻撃するとなると長期戦という話ではなく、東軍に
離反者が絶対にでるぞ。
620人間七七四年:2011/02/02(水) 00:20:03 ID:TTfoHycO
もし輝元が篭城したら、流れとしては
家康、大阪に到着→大阪城に入りたいと通告→輝元が拒否→交渉開始 といったところだろう
大阪城攻撃はまず無いな 東軍側には大阪城を攻める理由も必要も無い
周辺で小競り合いはあるかも知れんが

問題はその後で、毛利は講和狙いならともかく勝ちにいくなら打ってでる必要があるんだが、
周りが敵ばかりでチャンスが無さそうなんだよな
621人間七七四年:2011/02/02(水) 01:02:08 ID:5L3BR5Le
関ヶ原後、福島らは輝元倒して秀頼救うって目的での大坂攻めに乗り気だったって話もあるがな
622人間七七四年:2011/02/02(水) 01:14:04 ID:xB/T5sik
豊臣家は無関係ってことなんで将来は関白な子供を戦渦に
巻き込むのはよろしくないってことで朝廷のエロイ人を使って
秀頼を大坂城から京に移動させるか輝が退去するか迫ってみる
623人間七七四年:2011/02/02(水) 09:14:33 ID:DfmVS08o
>>616
それは難しそう。
大坂の譜代の豊臣奉行達が連名で
家康の太閤との約定違約を糾弾してるから
実質的に豊臣を敵に回しているよ家康。
武断派は豊臣の政権運営実務に関わってないんだから
家康が彼らを味方に付けても意味はないよ。
彼らはただ単に三成憎しで戦ってただけだから。
それに家康としてもこれ以上の戦果を上げて武断派へのさらなる加増は危険だからこれ以上は使えないし、
なにより大坂城を落として毛利を屈服させて自体を沈静化させて
円滑な改易と受け渡しをできる環境にしてからでないと論功行賞すら行えない。
それが家康にできないなら、
もう家康の統御から離れて勝手に切り取り自由になり、南北朝のカオスに逆戻りだよ。
特に如水なんて最初からそれ狙いで動いていただろ。
624人間七七四年:2011/02/02(水) 09:26:46 ID:beRo3zlQ
小早川秀秋は裏切り者呼ばわりされて心労で若くして亡くなったが、
総大将のくせに寸土も削られないものと思って大坂城を退去して、
その後も生きながらえた輝元は大人物だな。
ただの鈍感か。
625人間七七四年:2011/02/02(水) 09:37:47 ID:XzVm9fr+
TERUが大阪城を出たのは大局を見すえた高度な政治判断
626人間七七四年:2011/02/02(水) 10:52:09 ID:xU0JQUg0
損して得取れ

627人間七七四年:2011/02/02(水) 12:21:10 ID:BZt1ejS/
まあ籠もり続けて困るのは皆困るがな
結果的にTERUは日本の民を戦火の苦しみから救ったとマンセーしてみる
628人間七七四年:2011/02/02(水) 16:18:35 ID:XLbQQ10A
ところで輝元さんが籠城して徳川本軍が大阪張り付きになったら
東国での戦況はどうなってたもんだろうね?
629人間七七四年:2011/02/02(水) 17:04:16 ID:XzVm9fr+
「聖断」くだして本土決戦を回避なさった昭和天皇と同じ

>>628
上杉は最上攻め続行?
630人間七七四年:2011/02/02(水) 17:11:57 ID:BZt1ejS/
>>628
TERUが開城する前に引っ込まなかったっけ
仮にまた攻め込んだとしても鮭様が慕われてた地を取り返したわけだからなぁ
東が勝ったから蝙蝠の政宗も東に肩入れし出すだろうし秀康も後ろにいるし
東の西勢力は結構不利だろうな まず大阪に影響を及ぼせるなんて出来ない
631人間七七四年:2011/02/02(水) 19:27:22 ID:w+q4VzcO
>>623
東軍の豊臣恩顧勢力は三成憎しだけで戦ってたわけじゃないよ。
黒田長政や藤堂高虎をはじめ、あきらかに家康を天下人とするべく行動してる
人物もいる。また、政権が豊臣から徳川に移ろうとも豊臣家の安泰が約束されれば
という条件で東軍に味方した大名もいる。
小山会議と同じで、黒田長政が福島正則に「君側の奸毛利を討つ」ということを
納得させられれば継戦となる。正則にとってみれば西軍だった毛利に味方するよりは
東軍の家康に引き続き味方して軍功をもらった方がおいしい話だから、そんなに
難しい話ではない。

さらに家康はそれと平行して西軍に切り崩し工作をかけてくることだろう。
632人間七七四年:2011/02/02(水) 19:35:11 ID:w+q4VzcO
>>628
上杉勢は関ヶ原の敗報を受けた2日後には撤退を開始してる。
最上の追撃により大きな被害を蒙っていて、再度の出陣には軍の再編成が必要。
いずれにせよ上杉としては後背の安定(伊達・最上の従属化)と旧領越後の回復が
最優先で、それらを解決しない限り南下はないものと思われる。
冬が近いこともあるし、上方の戦がかなりの長期戦にならない限りは
上杉の活動が大局に影響する可能性は低いだろう。
633人間七七四年:2011/02/02(水) 19:52:06 ID:5L3BR5Le
>>623
大坂と秀頼を押さえ大老、奉行連名で「内府違い条」だしたのに日和見、寝返り、抵抗続出だった辺り大した効果なかったな
関ヶ原での主力決戦に敗れた後なら尚更意味は無いな
634人間七七四年:2011/02/02(水) 19:54:10 ID:XzVm9fr+
上杉の援軍は期待薄か
635人間七七四年:2011/02/02(水) 20:06:40 ID:3zeDNjhk
援軍が後詰めか関東派兵かでだいぶ変わる
636人間七七四年:2011/02/02(水) 20:30:05 ID:U9++rHaL
関が原の合戦後に大坂城を力攻めするなんて、東軍の意思統一が難しくて
とてもできんだろう。城自体の防御力がパネェ状態な上、東軍が家康に忠実
とは言い難い状態ではな。
637人間七七四年:2011/02/02(水) 20:39:37 ID:DfmVS08o
>>361
恩顧大名の話では無く豊臣政権運営者の奉行たちの話だよ?
それに黒田長政は小西や三成がムチャクチャ嫌いで彼らを討ちたくて、
小山会議で福島を半ば騙し煽って上洛決戦へと誘導しただけ。
藤堂高虎は秀長の跡を継いだ秀保が事故死した後は実際にどう考えていたのかよくわからない。
しかも〜を始めとしてと書いてるが彼らくらいなもんじゃないか?
家康は半ば無理やり各家の幼い嫡男達を弓矢の習いだと称して連行して会津征伐に向かったのは蜂須賀の記録に書かれているし。
家康の元にいる諸将も納得しての出陣じゃなかった。
のちに蜂須賀は人質の嫡男の身を案じて、阿波国を大阪方へ返上して高野山に行き、西軍となった旧蜂須賀軍は兵庫に上陸してる。
生駒なんかも息子は人質に取られたらしく、のちに父だけ西軍に参加してる。
こんな感じで家康の強引さを利用してかなり西軍がきり崩してるよ。
とても彼らをこれ以上騙し続けて大坂城攻めなんてできない。
上杉は結城秀康や蒲生らの軍勢を牽制して留めておけば充分だよ。
真田も中山道遮断役をすればいいんだし。
638人間七七四年:2011/02/02(水) 20:40:25 ID:U3/Zflqi
>>636
内応者が出て、あっさり城門が開かれるでしょうな
639人間七七四年:2011/02/02(水) 20:44:02 ID:U9++rHaL
家康率いる東軍がそのまま大坂城をに攻め込んだら、秀康は敵方にたぶん回るぞ。
640人間七七四年:2011/02/02(水) 20:46:41 ID:XzVm9fr+
上杉が秀康やぶって江戸に向かったら面白いけど、後ろに最上&伊達いるから無理か
641人間七七四年:2011/02/02(水) 20:58:17 ID:DfmVS08o
政宗は最後には大坂方を擁護するよ。
当時は政宗の後継者とされていた秀宗が大坂方にいるから。
忠宗は当時まだ8ヶ月の赤子で、当時の衛生医療状態と、
幼女と違い男児は育てるのが難しくて5才くらいまでまともに育つかは不透明だったからね。
だから政宗は上杉にも内通してた。
事実、政宗はわざわざ家康に秀頼様の今後について意見までしてるし。
642人間七七四年:2011/02/02(水) 20:58:56 ID:TTfoHycO
この状態で家康が大阪城を攻めるとは考えられんなあ俺は 失敗した時に失うものが大きすぎるよ
輝元が頑固に粘れば両軍こう着状態に陥り、朝廷なり秀頼の名を借りた誰かの介入で講和が成立するだろう
そうなると家康は史実のように豊臣家を滅ぼす事はもちろん、幕府を開く事もできないかもな
西軍は三成周辺がクローズアップされるのが普通だけど、
輝元が戦わず退去したのは歴史的に見て影響のでかい決断だったかもね
643人間七七四年:2011/02/02(水) 21:15:12 ID:xU0JQUg0
あっそ、あっそ。そーなの。ふんふん、あっそー?
644人間七七四年:2011/02/02(水) 21:20:56 ID:U9++rHaL
秀頼に出陣前の拝謁をして、帰りに大坂城を攻めるなんて構図が想像しにくい。
あくまで豊臣公儀の大老として謀反人を討ちに行く、という大義名分なのに
帰りに主人を討つなんてどんな名分を掲げるんだよw
645人間七七四年:2011/02/02(水) 21:49:54 ID:TTfoHycO
まあ万一にも>>642みたいになるのを恐れて、
家康はあらゆる外交手段を使って輝元を国に帰した訳で、意外と危なかったかもという気はする
東軍の武将も多くは家康がそこまでパワーを持つ事も長期戦も望んでおらず、
「三成も捕えたし両者手打ちで良いんでね?」という声がでてくる可能性は高いし
輝元が輝元で良かったと言うべきか
646人間七七四年:2011/02/02(水) 22:28:30 ID:XzVm9fr+
>>1みたいに優秀なら再び乱世だったかもしれない
無能な方が世の中の役に立つ人もいるんだな
647人間七七四年:2011/02/02(水) 22:50:47 ID:w+q4VzcO
>>637
徳川対豊臣という構図にはならないし、東軍に味方した豊臣恩顧の
武将の参戦理由は三成憎しだけじゃないってことを説明しただけだよ。
彼らの行動の原点が三成憎しだったことは否定しないが、それプラス
豊臣政権内でのメインロード争いという点にも触れないと、片手落ちと
いわれても仕方がない。

そもそも、家康が大坂を攻めるなんて馬鹿なことはしないだろう。
毛利が篭城しようとした段階で秀頼周辺はそれを拒絶するし、そこに家康が
つけこんで来るのは目に見えてる。大坂城からの毛利退去と、秀頼が今回の一件に
無関係であることを取引すればいいだけ。毛利がそれでも居座ろうとするなら
秀頼を傀儡とする以外に手はないが、それをやったら大坂場内は大混乱に陥り、
篭城どころではなくなる。
648人間七七四年:2011/02/02(水) 23:05:26 ID:vTPW6CPX
>>623
>>637
>大坂の譜代の豊臣奉行達が連名で
>家康の太閤との約定違約を糾弾してるから

豊臣奉行衆が家康を糾弾してるから家康は豊臣の敵だなんて意味不明
五大老トップの家康は形式的にも実質的にも豊臣家の最高権力者
奉行が糾弾しているから家康は豊臣の敵だなんていったら関ヶ原の時点で
敵になってる

>こんな感じで家康の強引さを利用してかなり西軍がきり崩してるよ。

どっちが勝つか不透明だったから東軍、西軍どっちつかずの大名が多かっただけ
関ヶ原で反家康派が大打撃を食らってまで出す例えじゃない
東軍に組した場合は「仕方なかった」ですますわりには西軍に積極加勢してない
事実を無視したりしている
西軍に肩入れしてるならもっと早く積極的に加担しているはず
そうじゃないのに関ヶ原で負けた後になって蜂須賀や生駒が西軍に肩入れするとは考えにくい

とにかく関ヶ原での結果による情勢の変化を終始無視し、毛利側に有利な条件だけを
条件状況を無視し恣意的に選択している印象を受ける

649人間七七四年:2011/02/02(水) 23:17:00 ID:DfmVS08o
メインロードも何も武断派は奉行には就任できない。
その代わりに武功を挙げれば加増されやすい。
徳川幕府でも武官は政権実務には参加させてない。
文官の2万石の本多正信と違って15万石の大加増を受けた子の正純は改易になってるし。
650人間七七四年:2011/02/02(水) 23:32:45 ID:DfmVS08o
宇喜多秀家の挙兵祈願に秀吉正室のねねが側近で大谷吉継の生母の東殿局を派遣してるし、
そもそも大坂城西の丸が実質的支配者だからね。
4万〜6万を率いていた輝元が西の丸にいる以上は反抗できないよ。
家康もまず西の丸に入って政治を開始したからね。
前田利家も西の丸にいた頃は実質的支配者と思われていたからね。
651人間七七四年:2011/02/03(木) 00:16:54 ID:7KonBPWK
西の丸を押さえようが高台院の側近派遣されようが寝返り、日和見続出して関ヶ原の主力決戦で敗北してる辺り無意味だったな
毛利勢はその決戦で動かないって大ポカしてるし
652人間七七四年:2011/02/03(木) 01:01:02 ID:wh6EakFd
>>649
>メインロードも何も武断派は奉行には就任できない。
>その代わりに武功を挙げれば加増されやすい。
>徳川幕府でも武官は政権実務には参加させてない。

てか徳川幕府と豊臣政権を同一視してんのか?
豊臣政権は五大老など外部の有力大名を政権内部に組み込んでたが
徳川幕府の老中は徳川の家宰として相応しい家格の譜代家臣のみで構成していた
井伊家のような重臣が老中にならないのは家柄として不釣合いだからにすぎず
幕末の長州征伐では彦根の井伊が先陣を切っている
仕組みがまったく違うんだよ
武官だの文官だの区分もまったく意味不明

>そもそも大坂城西の丸が実質的支配者だからね。
>家康もまず西の丸に入って政治を開始したからね。
>前田利家も西の丸にいた頃は実質的支配者と思われていたからね。

西の丸の支配者が実質的支配者ならとっくに輝元が支配権を握ってるんだから
関が原の時点で秀頼側の言質をとれるはずだろ
もっとはやくから優勢な状況を作り出せるはずでそれをせずに
自陣営が大敗したあとにそのような踏み込んだ行動を取れ
仮に無理矢理にとったとしてもそれに従うものがいるのかどうか
あまりの行動の不可解さに誰もついてこないというオチがつくだけになりそうだな
653人間七七四年:2011/02/03(木) 05:09:41 ID:BU4dK4ab
毛利に肩入れしてる人はさ、まず吉川広家をどうするつもりなんだ?
斬るの?
重臣筆頭である彼の処分はよほどうまくやらないと家中に大騒動を
巻き起こすよ。
654人間七七四年:2011/02/03(木) 08:55:46 ID:9O8DgZ8S
「少しでも怪しいのは斬る」んだから吉川なんて真っ先に斬らないと話にならないだろう
「毛利は別!」というワケにゃいかんし
655人間七七四年:2011/02/03(木) 09:26:49 ID:X8Cu63KB
>>653
軍法に照らして吉川広家を藤田信吉のごとく処理し士気と戦意を揚げるしかないね。
広家の傍観が疑心暗鬼を生み出し秀秋の返り忠を呼んだんだから。
しかも大坂城を明け渡せば輝元の罪を問わず本領安堵だあ?
そんな都合の良い話はないし、関ヶ原の武功の加増はどこから家康は捻出すんだwって逆に問い詰めて内通を非難するね。
まあしかし心底では上手いとこ三成が殺され西軍の主導権を輝元が完全に握れたから奇貨wってほくそ笑むけどね。
>>652
秀吉政権を秀吉の力量を以て五大老を政権に取り入れることで強権を発動させ全国仕置き支配と朝鮮出兵円滑化を果たしている。
家康は関ヶ原の戦功で豊臣恩顧の貢献が大きすぎた為に西国を中心に各地を藩主に放任し実質全国支配を放棄する代わりに政権は譜代がやっているに過ぎない。
井伊直孝は老中どころか実質大老と言われてる譜代筆頭だぞ?
井伊直政は家康の衆道の相手だから超特別待遇の別格だし。
家康から特に井伊家は徳川の一番槍の栄誉を貰ってるだけの話で幕府の仕組みとも関係ない。
あの段階で秀頼から言質を必ずしも取る必要性はまったく無いと思うが。
もちろん天皇からももらう必要性も感じない。
それが無くても伏見城攻略や伊勢への進軍や丹後田辺城包囲など軍事的にも支障はまったく無いし。
656人間七七四年:2011/02/03(木) 09:57:54 ID:X8Cu63KB
>>651
そもそも関ヶ原では主力決戦すら行ってないし…主力は投入機会に恵まれずに温存してたのと変わらない。
西の丸の支配者が幼い秀頼の後見役であり実質的な豊臣政権支配者だよ。
しかも輝元は政権実務を司る奉行たちの合意で呼ばれて入城してるんであって強引に入ったわけでも無い。
五大老のうち輝元、秀家、景勝が非難してるわけだ。
そして何ら罪のない前田利長を脅迫し老母を人質に取って威圧してるわけだ。
これ以上なにが必要なわけ?そもそも太閤の遺約を破り始めた家康により幼君の秀頼が傀儡にされそうだったのが現実でしょ?
蔑視されて三成の佐和山城攻略をさせられている秀秋らを再返り忠させることだって可能性あるし、阿波旧蜂須賀隊2万も三成隊に合流すべくやってきてたし。
輝元の大坂城籠城の邪魔なんて出来ないし、
東軍は秀吉が東国への備えとして軍事拠点尾張の福島正則に預けていた兵糧を提供したから補給ができてただけだぞ。
657人間七七四年:2011/02/03(木) 10:04:17 ID:Lc/DJQYh
輝元本人にやる気がないんだから、どんな状況でも駄目
658人間七七四年:2011/02/03(木) 10:12:59 ID:SmRcmMrt
吉川広家は性格悪い自己中で嫌われ者だったから、斬ったら逆にまとまったかもしれないな。
659人間七七四年:2011/02/03(木) 11:28:12 ID:7KonBPWK
石田、大谷、宇喜多、小西ら西軍首脳部参戦しての戦いが主力決戦では無いとは珍説だなwww
660人間七七四年:2011/02/03(木) 11:59:58 ID:PvNE0pkm
広家斬り捨てたらもう秀秋が寝返ったせいで毛利の力半分以下になるじゃん
首あげりゃ士気上がると思いこんでる方は蛮族の末裔ですね
661人間七七四年:2011/02/03(木) 12:47:13 ID:9O8DgZ8S
>>656
TERU以外の大老・奉行は頼りにならないだろう
662人間七七四年:2011/02/03(木) 12:53:46 ID:HHGMTeVi
蜂須賀は真田と同じように二股掛けただけだし、領土を返上して
高野山に籠もった家政の行動を見てると、積極的に西軍に参加しようと
してたとはとても見れないな。
そのうえ二股を掛けた人物が、関ヶ原の結果を受けて負けた方に加勢するわけない。

しかも2万ってどこから出てきた数字だろう? 阿波蜂須賀領は18万石しかないし、
息子が会津に連れて行った兵もいるのに。
663人間七七四年:2011/02/03(木) 13:05:26 ID:7KonBPWK
広家を藤田みたいに扱ったら西軍の士気は一時的に上がるかもしれないが毛利家がgbgbになって結局詰むだけのような
後、小早川は別に吉川云々で寝返った訳では無い
伏見攻め後、西軍の命令を無視しつつせっせと家康と交渉し西軍の伊藤を叩き出して松尾山に布陣してる
動き出しが遅かったとはいえ関ヶ原での戦い開戦時には東軍
664人間七七四年:2011/02/03(木) 13:09:52 ID:L1XODm+b
しかし>>1が読めない在日の方がどうしても豊臣滅亡させたいみたいですねw
そもそも再起を期して敵中脱出中の秀家らを見捨てて
輝元が自分の命欲しさに助かろうと大坂城を明け渡したから
西軍総大将のいなくなった大坂方が言い訳を始めただけなのに
最初から大坂方は非協力的とか捏造話を始めて笑えるんだわw
もうね、史実での輝元の無血開城と論功行賞後の結果を知ってる視点から話をしててバカじゃないか?
西軍総大将の主力がまったく参加してないのに、主力決戦で敗れたなんて言えないし
むしろ武断派から嫌われていた三成と小西がいなくなってくれた方が今後やりやすい。
籠城戦で一番大切なのは意思統一であり、
内応で城門を開いて敵を呼び入れる可能性があり疑心暗鬼になるのが一番まずい。
宇喜多騒動後に意思統一が図られた宇喜多軍は関が原で奮闘してたし、
上杉も藤田を斬ろうとして逃げられたが栗田国時と手勢150人の討伐に成功し
上杉軍内の意思統一に成功している。
毛利が意思統一できなかったから失敗したのだから
広家を斬り捨て断固抗戦の意思表示はむしろやり軍規と風紀を締めるべき。
>>663
秀秋の謀反に最後まで反対してた先鋒の松野主馬者などもいたから
裏切りまでに意見が割れて時間がかかっていたから広家が出陣してれば秀秋も西軍として攻め降りる可能性は充分にある。
またこういう意思統一ができてない小早川なら元毛利家なわけだし、豊臣一門でもあり今後の秀秋への調略のやりようもある。
>>600>>608
武田山(ちょい右下の河川に囲まれた場所に広島城もある)
ttp://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=342722&l=1322654
天然の水堀を形成している太田川を軸にしての
広島湾口へ注ぐ八幡川・石内川・安川で完全に囲まれた丸山・宗箇山・茶臼山・鬼ヶ城山と言った郭と海抜400mで
仕切りを入れた峰と尾根で接続された武田山の堅固さはスゴイな。
北から伸びる山々の突端でありながら安川が断絶させてるのがまた仙台城らしい山城で良い。
さすが安芸国府が置かれていた説もあり隆元が生きてれば元就が隠居城にしようと
考えていただけはある最重要拠点なだけはあるわ。
大土木技術が確立し広島湾口の大改造が可能になって広島城築城が可能になるまで中心であり続けたのが理解できるわ。
しかし現在の河口は昔と違いだいぶ南まで延びていてすごい広範囲に埋め立てしてるね。
こりゃあ大内が攻めあぐむはずだわ。大友1万の援軍と攻めても落ちなかったと言われてるし
同時に東から安芸・備後衆が攻めてたのに・・・
まぁ武田水軍の河内衆が複雑な河川流路の川筋の流れや深さ、渡河ポイントでの備えを熟知してるのも勝因にあると思うが。
>>息子が会津に連れて行った兵
益田ら側近18騎だけですが?
しかも大坂駐留の高木率いる蜂須賀の大軍が北陸遠征の西軍に参加してるわけだが?
阿波からの暫定の1万も西軍の大谷・木下の指揮の下に早くも9月中旬には上陸してますが何か?
>>18万石
食料は大坂方が出すから関係ないわけだがw

665人間七七四年:2011/02/03(木) 13:31:04 ID:qwNsQzAC
実はてるちんは総大将だったんだけど主力じゃなかったんだよ
666人間七七四年:2011/02/03(木) 13:55:59 ID:uaFQwRg7
実際に輝元が立て籠もったら、豊臣家の一大老にすぎない家康はびびりまくりだろう。
千姫を嫁に出したのは何年後だ?
その時点でもまだ秀頼に気を遣ってんだから、1600年に大坂城攻撃はまず無理。
667人間七七四年:2011/02/03(木) 14:24:38 ID:qwNsQzAC
信玄に盾突いてうんこ漏らし、秀吉に盾突いてぶさいくな中古嫁
そんな家康がてるちんなんかにびびるわけないじゃん
668人間七七四年:2011/02/03(木) 14:37:06 ID:X8Cu63KB
浅野・池田・加藤が相次いで死ぬまで
家康も大坂城攻撃だけは手を出せなかったしな。
しかも大坂攻めですら江戸留守居詰めにして実質的監視状態にしてる福島正則や細川忠興や黒田長政みたいなヤツもいるし。
そもそも豊臣恩顧大名を家康も心の底ではまったく信用出来なかったのは論功行賞でほとんど東国から西国への左遷転封をしてることからでもわかる。
三成や小西を抹殺したかっただけで家康に味方したってのが武断派の動機なのは明白。
669人間七七四年:2011/02/03(木) 15:07:20 ID:9O8DgZ8S
>>664
「18万石で2万の兵www」というツッコミじゃね?
670人間七七四年:2011/02/03(木) 15:27:54 ID:X8Cu63KB
そもそも国力は石高だけで測れない。
商人からの税や阿波の立地からの海運などの運上金といった総合経済力だけどなw
太閤検地後にさらに検地をした土佐の長宗我部も二重帳簿なんてもん作ってたしw
671人間七七四年:2011/02/03(木) 15:34:19 ID:X8Cu63KB
ちなみに関ヶ原で敵だった上杉、佐竹、伊達wが大坂冬陣で先鋒にしていることからも
武断派を江戸詰めにして動けないようにしているのは
よっぽど大坂城攻撃する際に彼らが一緒にいた場合に彼らの動きを家康が危険視し信用してない証拠だ。
672人間七七四年:2011/02/03(木) 15:41:50 ID:qwNsQzAC
信用してない輩でも使いこなせるのがうんこタレのすごいとこだよね
673人間七七四年:2011/02/03(木) 16:20:00 ID:PvNE0pkm
籠もったら勝てるとかそもそも戦う必要が東軍にない件
TERUが籠もったら籠もったで朝廷動かしたり国本攻めるとか色んな手があるし
TERUは籠もるしかできない時点で詰んでる
674人間七七四年:2011/02/03(木) 16:34:31 ID:9O8DgZ8S
TERUは負けない戦いできても勝つのが無理だな
675人間七七四年:2011/02/03(木) 17:14:13 ID:TtyUN/7w
まぁ家康も籠城されたら困るからこそ毛利をペテンにかけて
武門の道を穢してでも大ウソで騙してまで開城させてるんだろうしな。
あの時点で家康からは朝廷をまず動かさないだろ。
例え動かしても勅命による講和で毛利は減封無しに持ち込んでしまい
関が原での武功への加増も家康はできない。
そもそも細川幽斎の時でさえ2度にわたって
講和を斡旋したが拒絶されて籠城を続けてて、
いよいよ落城寸前でやっと講和して時間稼ぎできてるから。
その間に武功派への大坂方からの調略で家康が困ることになる。
武功派だって毛利が君側の奸だなんて思っていないのだから。
676人間七七四年:2011/02/03(木) 17:22:54 ID:ae1471df
>>675
騙してないよ、毛利の言い分と実際が違うだけ
677人間七七四年:2011/02/03(木) 17:48:25 ID:9O8DgZ8S
だまされた毛利がバカすぎる
678人間七七四年:2011/02/03(木) 17:54:51 ID:TtyUN/7w
>>676
あれは最初から守るつもりがない。
もし守ったら
福島正則 安芸広島50万石
加藤清正 肥後熊本城主51万石
黒田長政 筑前名島52万石
細川忠興 豊前小倉40万石
池田輝政 播磨姫路52万石
田中吉政 筑前柳川32万石
山内一豊 土佐20万石
みたいに豊臣恩顧大名への論功行賞できんだろw

しかも要路にはしっかり越前に結城秀康67万石や尾張に松平忠吉52万石などで
大加増配置しておきながら家康自身も
400万石+京都・堺・長崎や佐渡金山・石見銀山・生野銀山を
豊臣政権から奪い取って権力基盤を固めてるんだから。
大坂開城させて丸裸にできたからこんな強権で論功行賞できたんだぜ?
679人間七七四年:2011/02/03(木) 18:23:13 ID:BDEr1XJ6
守らなくてもいい口実与えたのはテルんとこだし
680人間七七四年:2011/02/03(木) 18:28:02 ID:BU4dK4ab
>>675
毛利が大坂城に篭城するには豊臣家の理解を得ることが必要。
でも、関ヶ原で負けた西軍に対して豊臣家が味方することは極めて考えにくい。
ゆえに、豊臣家の意向を無視して強引に居座るしかない。
となれば、城内は分裂状態となり、東軍は君側の奸毛利を討つという大義名分を与える。
(だが、おそらく輝元は城内をまとめきれずに退去せざるを得なくなり、開戦には至らない)
って何度も指摘されてるよね。
違うなら説明してよと何度言われても、>>1がそうだからとしか答えられないよね。
>>1の前提が成立する理由を説明してよといわれても、今まで一度もまともに答えられてないよね。

関ヶ原で負けたのはどっち?
主君の意向を無視して城に居座ろうとするのはどっち?
調略で切り崩されるであろう側は、どう考えても西軍。
681人間七七四年:2011/02/03(木) 18:51:48 ID:9O8DgZ8S
>>675
武門の道けがしてないw
「武将の嘘は武略」だろ?
682人間七七四年:2011/02/03(木) 19:23:28 ID:TtyUN/7w
>>681
それフロイスが超腹黒で信用できない悪党と評した光秀の逸話でしょ。
娘がキリシタンなのに、そこまで貶すとかどんだけヒドイんだよw
あとは略奪王の島津が同じようなことを言って講和交渉に来た甲斐をいきなり拉致して脅迫してる史実があるな。
>680
無知のお前は論破されまくったら必ずその言葉をだしてくるよなw
どんだけ書いてもどうせお前は意地でも納得しないだろwww
だからといってお前には知識がないから明確な根拠があって否定してるわけじゃねーしwww
ただお前は根拠もなく自分の意に反するからケチをつけてるだけに過ぎんしw
683人間七七四年:2011/02/03(木) 19:38:57 ID:BU4dK4ab
今日の流れをざっと読んだけど、蜂須賀家政はほぼ中立だよ?
西軍への加入を拒否し、領土を返上して自身は高野山へ。
保険として誰だったか家臣を大坂に入れてるが、大坂の防備の任にあたった
だけで積極的に西軍として活動しているわけじゃない。
後に阿波から家臣の長谷川氏などの軍勢が出発しているが、西軍の敗報を
聞いた彼らはすぐに至鎮の指揮下(つまり東軍)に合流していて、西軍に積極的に
味方する意思があったようには見えない。

あと、兵力二万のソースはなんだ?
十八万石で二万人というのはきわめて驚異的な数字なんで、
単純に興味があって調べたいと思う。
防衛戦争で根こそぎ動員したってそんな兵力にはならないと思うのだが。
684人間七七四年:2011/02/03(木) 19:46:10 ID:BU4dK4ab
>>682
いやぁ、どうせ納得しないだろうから説明しねーよって言われてもなあ……。
IFとなる前提を提示したんなら、それが成立する根拠を説明するのが当たり前じゃないの?
こっちは>>1の前提はおかしいっていう根拠を何度も説明してるのに、
まともに反論すらしてもらってないんだよねえ……。
人格攻撃はなかなかお得意なようで、その点については感服するよ。
685人間七七四年:2011/02/03(木) 21:06:56 ID:7KonBPWK
>>664
筆頭重臣広家と養嗣子秀元があの場に居たのに毛利の主力が参戦してないとはこれ如何に?
西軍≠毛利軍なのだけど?西軍とはTERUを盟主にいただいた反家康派連合な訳でそのほとんどの中心諸侯が戦った関ヶ原が主力決戦じゃなかったら何だと言うのやら
686人間七七四年:2011/02/03(木) 21:14:11 ID:BDEr1XJ6
大坂城→広島城→壇ノ浦と秀頼抱いて転戦予定だったから
関ヶ原は前戯みたいなもん
687人間七七四年:2011/02/03(木) 22:01:27 ID:9O8DgZ8S
動いてない=参戦してないって言いたいんじゃね?
688人間七七四年:2011/02/04(金) 00:17:18 ID:o8C6qPvR
>>649>>655
つーか徳川幕府の老中制と豊臣の奉行制を同一視し豊臣の奉行が連名で糾弾しているから
豊臣の敵だなんて着想が大間違いなわけだが
これ、誰かさんが好きな瑣末な知識でのあげあしとりではなく
中学や高校教科書レベルの大問題だぞ

>>649のように「徳川幕府でも武官は政権実務には参加させてない」や
>>623のように「奉行衆を敵に回したから敵だ」のように
まるで幕府の老中と豊臣の奉行を同一視しているようなあんたの見解は不可解

>家康から特に井伊家は徳川の一番槍の栄誉を貰ってるだけの話で幕府の仕組みとも関係ない。

徳川幕府の大老として全国政治の舵取りを取る彦根藩主が先鋒を務める事実と
「武官に政権実務させない」ということは矛盾してるよな?そもそも武官文官とかいう区切りが意味不明

>あの段階で秀頼から言質を必ずしも取る必要性はまったく無いと思うが。

なぜ関が原時に毛利がそういう行動をとらなかったのに関が原が終わった後になり
毛利がそういう行動が取れるのかという疑問を>>652でも投げかけたわけだが
それに関するなんの答えにもなってない
言質をとれていたら優勢な状況を作り出せるはずでそれをせずに
自陣営が大敗大幅に不利な状況になった後で踏み込んだ行動を取れるものなのか?
仮に無理矢理にとったとしてもそれに従うものがいるのか?
あまりの行動の不可解さに誰もついてこないというオチがつくだけになりそうなんだがな
689人間七七四年:2011/02/04(金) 00:18:10 ID:o8C6qPvR
>664
>西軍総大将の主力がまったく参加してないのに、主力決戦で敗れたなんて言えないし

謀議の中心は三成なんだが?
輝元は終始家康本隊との激突は避けている

>むしろ武断派から嫌われていた三成と小西がいなくなってくれた方が今後やりやすい。

めちゃくちゃな理論だな
関ヶ原に負けて嫌いなやつがいなくなったからむしろ西軍に協力しますってか?w
要人の生死や大きな戦の勝敗などで世の中の機運が変わることも理解できないのか?
これまで豊臣政権内で特に定見を持たなかったような大名もこぞって東軍に参加するようになるだろうし
家臣や領地をもつ大名がその流れに抗えるとは思えんけどな
その辺の都合が悪い事実を徹底的に無視してる時点で電波な発想しかでてこないわな

>武田山(ちょい右下の河川に囲まれた場所に広島城もある) (以下略

それで武田山が要害の地だとしてもそれは>>519や563での広島の堅固さの証明にはならないよな
広島城と武田山は立地がぜんぜん違うことには変わらないんだから
>>594>>595で論破されて悔しかったんかもしれんがそんな長文を唐突に突き出しても
なにをしたいのか正直理解に苦しむ
まあいくら銀山城が鉄壁であると言い張っても大内や毛利に落とされてるわけだが
690人間七七四年:2011/02/04(金) 06:22:22 ID:AJ02JI0U
阿波18万石の蜂須賀の兵力が2万っていくらなんでも多すぎない?って質問に対し、
>>664
>食料は大坂方が出すから関係ないわけだがw
ってなんだこれw
もう西軍が有利になるためには何でもアリって感じだな。
だったら石田三成勢3万でも5万でもアリだねw
691人間七七四年:2011/02/04(金) 21:33:40 ID:+ojwSB0X
アンチ伊達毛利豊臣の在日Sabが
まーた単発ID自演を繰り返し
さらに深夜にも降臨してたのかワロタw
もう書き込み辞めたんじゃなかったのかよ…
692人間七七四年:2011/02/05(土) 00:17:41 ID:L98GI3bi
立て籠もった!

開城の使者

開城



ヘイワダナー
693人間七七四年:2011/02/05(土) 08:09:25 ID:4Hu9/bZ1
>>1
小野木って誰?
694人間七七四年:2011/02/05(土) 12:20:15 ID:hh3y9H6d
>>683
>>蜂須賀家政はほぼ中立
いや中立じゃない。家政の動きを心配した家康が会津征伐へ出発する際に陣場の御見習と言って
嫡男を強引に引っ張っていって人質と為したから困っていただけ。
それでも蜂須賀の大坂にいた手勢の高木5000を西軍の大聖寺城へ派兵。
自身は歳を取り病でもあるので戦場はもう苦しいと大坂城三ノ丸の久太郎町橋の守備を申し出てる。
その後、病で戦場働き無理なんで阿波の国衆を大坂方が自由に使っていいからと言って高野山へ行くことにした。
(どのタイミングで高野山へ行ったかは不明とされてる)
前田が阿波の国元に家政の意を伝え兵庫港に蜂須賀水軍3000が補給作業で駐屯し
大谷・木下指揮下で先発の1万の軍が北上を開始。
関が原の敗報を知った時はまだ摂津の枚方にいて、大津方面から敗走してくる兵を纏めるための
大坂からの後詰めを待っていたがまったくやってこないし、
毛利が謀反の噂もあるから情勢調査中の大谷・木下らと分かれて
蜂須賀方の責任者の稲田が草津で至鎮の無事を確認しにいくことにしただけ。
輝元が大坂籠城を考えて敗残兵の収容のために大軍で押さえをしてたら不安や動揺は防げた。
特に三成が9月21日に捕縛されてるが、大坂城の毛利軍を大挙押し出し
秀家軍などを収容して撤退してればその後の展開も変わる。
なんせ精度のある情報が伝わらない大垣城では9月23日まで籠城戦が続いていたくらいだし。
>>688
>>徳川幕府の老中制と豊臣の奉行制を同一視
すげぇな。まったく同一視してないと思われるが・・・たかが数行の文章だけでお前の脳内では確定してんだな。
じゃあ聞くが、そう書いてあるとする部分を箇条書きにして同一視してると論証してみせろよ。
>>井伊家のような重臣が老中にならないのは家柄として不釣合い
泰平の時代に移り変わっていく経過の中で本多忠勝らがいらない子になる中で
元和偃武を迎えて政治方面に転換した井伊直孝がちゃんと実質大老になってるだろうがw
>>幕末の長州征伐では彦根の井伊が先陣を切っている仕組みがまったく違うんだよ
理由も書かずに否定してないで、仕組みとやらもちゃんと詳述説明して否定してみせろよ。
だいたい家康から特に井伊家は徳川の一番槍の栄誉を貰ってるだけの話で幕府の仕組みとも関係ない。
大久保忠隣ら武功派と本多正信の奉行派の争いは徳川でも大久保長安事件や宇都宮城釣天井事件などで起きてるし。
>>中学や高校教科書レベルの大問題だぞ
偉そうだなwじゃあ、ぜひともちゃんと内容を書いて説いてみせろよw
>>なぜ関が原時に毛利がそういう行動をとらなかったのに
じゃあなぜ秀頼のために戦ったと称する家康はそういう行動を取れなかったんだい?
言質をとれていたら優勢な状況を作り出せ、それほど主張する西の丸にいても実質的支配者でも無く
なおかつ毛利に非協力的だと言う豊臣奉行達なら関が原を前に輝元を大坂から追い出して大坂方と挟撃だって可能だったんじゃないかい?
695人間七七四年:2011/02/05(土) 12:22:46 ID:hh3y9H6d

>>689
>>謀議の中心は三成なんだが?
そうだね関が原で戦ってたのは毛利と意見の合わない三成。でも西軍総大将の主力のあくまで毛利だよ。
三成の輝元への何度もの関が原方面への出陣要請も断っていて
三成曰く「下々の者が不審に思っている」と言うくらい参加してないよ。関が原でも傍観してただけだし。
>>要人の生死
そもそも三成の戦下手は当時、忍城攻めなどで(秀吉の命という話もあり真偽は別として)有名だったし、
後世の者からみれば関ヶ原こそが全ての帰趨を決めた大事な一戦となるけど、
当時輝元にしろ石田にしろ宇喜多にしろ西軍首脳部はそう考えていなかったということだろ
大会戦でケリをつけるとするならばそもそも丹波や大津、伊勢に分派する意味がないし大坂城に過剰な予備兵を置く意味もない
それに大坂方としてはそもそも関が原で決戦する予定なんてないのに
父のいる佐和山城が心配な三成が勝手に大垣から出陣して戦闘開始して敗れただけだし
大垣〜関ヶ原で対陣してても・・・東軍にちょっとした敗北しようが、それ以降の東軍は戦略的けっこうきつくなるもんな。
季節は冬に向かっているし西の大坂城へ向かえば向かうほど補給線維持が苦しい
(東海道は水軍衆がゲリラ的に襲撃しているし中山道は補給路に不適)
>>大きな戦の勝敗
古今東西、劣勢から大逆転した英雄は多いし、南北朝や応仁大乱など有耶無耶のまま戦国逆戻りになる例も多い。
輝元が大坂城を撤退したから関が原が最終決着に見えるだけ。立場が信長や家康だったらここで諦めたりしないだろう。
西軍に内応が多いと言うが結果論から言ってるだけの話で、各藩史や家譜でも「最初から家康に付いていた」とか
西軍に参加した大名も「本当は東軍に付きたかったがやむ終えず」とか書いてるに過ぎない。
>>広島城と武田山は立地がぜんぜん違う
太田川上流の武田山を中核として太田川下流左岸の己斐氏や下流東岸の白井氏の支城との連結などの
惣構えと言うべきものを立体的に見れないとか城のついて素人丸出しだな。
点でみて面で見れないのは天守閣だけ見て城を知った気分になってるのとなんら変わらない。
広島城はいままでの土木技術じゃ出来なかった太田川の中洲に移築したに過ぎずその設計思想の本質にはなんら変更は無い。
つまり武田山を攻撃すべく太田川左岸から攻めてくるのを己斐氏が、右岸から攻め寄せるのを白井氏が守っていた。
その守るべき主城を土木技術の向上により太田川上流の山上では無く今までは不可能だった
太田川の中洲に移転させただけで、太田川の要害という地形を土台にして本城を守備していた防衛思想に変化は無い。
>>664のリンク先の地図と埋め立て状況などの説明を見ても理解できないなら池沼としか言いようが無い。
もっとも>>684同様に論破されようが意地でも絶対に認めない固陋さと幼稚さが窺えるレスだけどね。
696人間七七四年:2011/02/05(土) 12:25:28 ID:hh3y9H6d

>>まあいくら銀山城が鉄壁であると言い張っても大内や毛利に落とされてるわけだが
またまた素人さが炸裂してるねw
1515年に武田が大内に反して1541年に滅亡するまでの26年の間でたびたび大内の大攻勢に晒されてるけど
例えば大内3万余の大軍+大友1万が西から、安芸・備後衆が東から挟撃しても落ちなかったりしてんだぞ?
武田が滅亡したのも武田光和33歳の突然の病没。後継問題と方針問題が生じて重臣対立が勃発し
急進派の品川左京亮らが決起し香川光景の八木城を攻撃すると香川側が敵を引き込む事態になり
若狭武田からの養子の武田信実が銀山城から逃亡した際にもチャンスとばかりに大内軍がやってきたが 
武田家臣団が頑強に抵抗して落ちず。その後、混乱を抑えた尼子晴久が信実を銀山城に復帰させてる。
吉田郡山城の戦いでは武田氏は大内の大軍の猛攻を支え続ける勇猛ぶりを発揮し
毛利への援軍を阻止し陶の別働隊を組織し毛利援軍へ派遣せざるおえなくなる。
吉田郡山城から尼子が撤退したのちに尼子派国人領主が大量に大内氏へ寝返ったため信実が出雲国へ逃亡したが
300余の兵が籠城してた銀山城はなおも落ちず籠城を続けた末に結局、
武田氏の重臣香川氏らは大内と和睦することで武田滅亡。
武田はかなりの抵抗をしていたが信実の二度の逃亡による内紛と結束瓦解が痛かったが攻撃による落城は一度もない。
これにより大内は安芸の打通に初めて成功し出雲遠征が可能になった。
ちなみに厳島合戦でも陶が毛利討伐の進軍路選択において銀山城の攻略が不可能だから陸からの進撃を断念し
渡海しての厳島からの銀山城迂回ルートを選んで島に孤立し大敗してるわけだが。
>>690
>>石田三成勢3万でも5万でもアリだねw
石高だけでしか判断できないアホはどうしようもないな。
そもそも兵数算定は秀吉の朝鮮出兵における負担軍役からの逆算(西国と東国では基準も違う)や
今となってはかなりズサンな旧日本陸軍による石高からの算定に寄っているに過ぎない。
すると九戸の乱における南部5000、九戸6000の動員とか理解不能の世界になるわけだし、
表高と実際の違いや長宗我部のニ重帳簿や、勝手仕置きの存在や奥羽ではそもそも枡の大きさが違うなど
いろいろと問題があって実施時期の違いや朝鮮出兵中に二度目の検地をした地域など太閤検地も参考にならんわけだが。


697人間七七四年:2011/02/05(土) 12:34:12 ID:/Cd7VsdI
>>694
つまりその場の流れに流されてただけってことか
698人間七七四年:2011/02/05(土) 13:38:07 ID:hh3y9H6d
戦後早くも9/17には広元からの毛利領地安堵斡旋の返答として
黒田・福島から毛利の御忠義を家康はよく知っていると言う返答をもらってるから
もう毛利内通の噂が広がるのも無理はない。
しかし輝元が大坂籠城を考え敗走中の友軍の収容に兵を急ぎ派兵してれば防げた話。

増田長盛や前田玄以が最初から家康に内通していて毛利に非協力的だったから籠城は無理とする論法もデタラメ。
9/19の福島・黒田宛の輝元の書状において実際は輝元が大坂城を明け渡して領国安堵を条件に
増田や前田を説得して取り成すことで黒田・福島の御意を得たいとしている。
だから大坂籠城を輝元の意思次第で可能なのは明白。

9/22の輝元の井伊・本多宛て書状では3つの条文があり
彼らの取り成しを感謝・毛利領国の安堵・西の丸の譲渡によって家康への表裏なしを表す。
が記されており、西の丸の帰属が家康への抵抗の可否に当たる重要な問題だとわかる。
699人間七七四年:2011/02/05(土) 14:37:02 ID:ZjgjOKxN
>>698
いくら論破されても絶対に納得せずに
相手が嫌気をさして撤退するまで永遠と屁理屈をたれて、
足が付かない単発IDを重ねてレスをし続ける
狂豊臣&毛利アンチの在日だからいくら論証を重ねても無駄だよ…
知識もネット検索で他人の書き込みを盗用してきてるだけだから
表面上のことしか分かってないのを必死に誤魔化してるのがモロバレだし。
700人間七七四年:2011/02/05(土) 17:24:10 ID:C3fk5HS+
>>695
いやいや決戦思考はあったろただその決戦をいつやるかってのが西軍と東軍でズレがあっただけで
家康が赤坂に入るまで西軍は家康の動きを把握してなかった訳だし
最近だと関ヶ原への転進は佐和山の心配ではなく松尾山を占拠した小早川への対応の為だったって説もあるみたいだが
701人間七七四年:2011/02/05(土) 18:19:42 ID:L98GI3bi
まあ勝つならまだ関ヶ原に宗茂を連れてったらryという妄想のがまだ
関ヶ原で西が勝ったからといって一気に決められるわけでもないしね
702人間七七四年:2011/02/05(土) 18:21:12 ID:ZjgjOKxN
>>700
大垣城主の伊藤盛正は三成から城よこせって言われて
拒否したけど重要拠点だったから強制接収されたんだし、
それこそ西軍を裏切りそうなんだけど…
それに小禄者だから1万以上が布陣できる松尾山守備だって伊藤単独じゃ不安過ぎるだろうから秀秋が入るのは自然じゃないかなあ。
それに秀秋にしろ万が一の保険で家康とも書状交わしてたけど、
戦が始まると傍観者になり様子見して勝ち目のある方に付こうとしてたに過ぎないし
毛利本隊が攻め降りるなら秀秋も同調して東軍を攻撃してたと思うぞ。
703人間七七四年:2011/02/05(土) 18:29:09 ID:ZjgjOKxN
>>701
秀忠がさらに行軍速度を増して
関ヶ原から敗走してきた兵を回収して
岐阜城あたりで再戦の準備をするんじゃないかな。
岐阜城下で福島とか黒田あたりが三成風情に遅れを取るとは!って憤激してそうw
最悪の場合は小牧山城まで退却して川を挟んで対陣かな。
これなら家康にとっては詳しい土地だから地の利もあり有利になるし。
704人間七七四年:2011/02/05(土) 18:39:01 ID:C3fk5HS+
伏見陥落後、ずっと西軍の指令に従わず家康とせっせと交渉してたわけだが小早川
二股やるならある程度は西軍としての活動も必要
伊藤だけじゃ不安だから松尾山に小早川を送ったとするなら伊藤を恫喝して追い出す必要は無いぞ?
大谷やその寄騎が松尾山の下り口を塞ぐように布陣してる事からも少なくとも関ヶ原の西軍が小早川を味方と見なしてなかったの明らか
八千からの軍勢が隊を崩さずに山を駆け下りるにはある程度の時間は要るだろ
705人間七七四年:2011/02/05(土) 19:32:21 ID:ZjgjOKxN
いやいや伏見攻撃やってんだから旗翻は明らかに西軍でしょ。
実際には万が一の保険を東西双方の大半の大名がやってたと思うよ。
だから内応交渉してたから東軍なんて主張は意味が無くて、公での旗翻で見るべきでしょ。
だいたい最初から小早川が東軍なら何で、あんな危険な位置に大谷が布陣していて
しかも早期に小早川排除に動かないのか不明だし
小早川の先鋒は西軍側の松野主馬なんだから、秀秋が東軍なら松野なんて連れて来ないし、さっさと排除してるでしょ。
実際に秀秋は傍観者を決め込み家康から派遣された奥平貞治から再三に渡る出陣依頼も拒否しまくりだったわけだし
東軍に参戦と決まり、松野が怒って出奔した後に小早川先鋒を指揮する人間がいなくて
結局、奥平が指揮を引き受けて下山するも後続が続かなくて大谷に苦戦した挙げ句に
奥平はのちに死ぬほどの致命傷を受けてるじゃん。
最終局面で赤座・脇坂・朽木・小川が裏切り大谷を攻めなければ奥平は討ち死にしてた。
小早川軍が当初から東軍なんて言えないでしょ。
706人間七七四年:2011/02/05(土) 19:42:17 ID:CDtG76kV
>>694
>家政の動きを心配した家康が会津征伐へ出発する際に陣場の御見習と言って
>嫡男を強引に引っ張っていって人質と為したから困っていただけ。

それ、どの文献に記載されてるんだ?
『徳島県史』には、徳川家と婚姻関係にあることから、出陣義務はないけど
あえて家政が進んで出陣させたように書いてあるぜ?

>表高と実際の違いや長宗我部のニ重帳簿や、勝手仕置きの存在や奥羽では
>そもそも枡の大きさが違うなどいろいろと問題があって実施時期の違いや
>朝鮮出兵中に二度目の検地をした地域など太閤検地も参考にならんわけだが。

阿波国は実高でも27万石にすぎませんよ先生。
1万石あたり740人という驚異的な数字だけど、こうした動員っていうのは
他の大名にも例があるんすか? それともう一つ疑問なのは、阿波蜂須賀家が
この戦でなんでそんな無理した動員をしなきゃならないんすか?


あと根本的に勘違いしてるようだけど、大坂城って毛利の城じゃないんだよ?
豊臣政権の城であり、豊臣家の城なんだよ?
奉行・大老が行使できるのは豊臣政権としての意思であって、
大坂城の住人である豊臣家がそれに反する意思を示したらそこに対立が生じるわけだよ。
で、関ヶ原で敗れて落ち目になった西軍に、なんで豊臣家が積極的に協力するの?って
尋ねてるわけ。「輝元がやる気を示せばみんな従うんだよ!」とかいう
わけわかんない説明じゃなくて、もっと合理的な説明をしてもらえるとありがたいね。

>増田長盛や前田玄以が最初から家康に内通していて毛利に非協力的だったから籠城は無理とする論法もデタラメ。

誰もそんなこと言ってません
707人間七七四年:2011/02/05(土) 19:43:46 ID:4Hu9/bZ1
>>695
>「古今東西、劣勢から大逆転した英雄」

逆転できずに敗れ去った武将は遥かに多いと思うけどw 
708人間七七四年:2011/02/06(日) 00:48:01 ID:fpObO3HG
>>695
>後世の者からみれば関ヶ原こそが全ての帰趨を決めた大事な一戦となるけど、
>当時輝元にしろ石田にしろ宇喜多にしろ西軍首脳部はそう考えていなかったということだろ
>大会戦でケリをつけるとするならばそもそも

ではなぜ関ヶ原が全ての帰趨を決めた戦争になりえたのか?
毛利が正式に大坂から退去する前の関ヶ原の戦況が伝わった直後から
すでに各地で西軍が押されっぱなしになったのはなぜなのか?
輝元をはじめ多くの武将が関ヶ原の結果に従ったのはなぜなのか?

普通に考えたら関ヶ原の結果をそれほど重大視していたってことだろう。

>丹波や大津、伊勢に分派する意味がないし大坂城に過剰な予備兵を置く意味もない
>それに大坂方としてはそもそも関が原で決戦する予定なんてないのに

毛利は家康勢以外の東軍相手には強気な行動にでてるが家康勢には極めて消極的な態度をとり続けてる。
これは漁夫の利をあさろうと侵食してみるものの巨大な敵である家康に対して真っ向からぶつかるまでの
覚悟がなかったってことだろ。
その証拠に一門の重臣である吉川だけではなく主君の意を受ける立場である側近の福原までもが事前に内通していた事実は、
状況が悪くなれば城外退去することもふくめ当初から視野にいれていた毛利の意思とでも考えたほうが説得力もある。
おまえはだいたい気に入らなかったり都合が悪い事実はすべて、「騙されたんだよ!」「〜〜が嫌いだったんだよ!」などという
単純な次元に還元することしかしていない。
関ヶ原を「三成がかってにおこしたことで局地戦にすぎず西軍主力には影響がない」と矮小化しようとしてるようだが、
あんたのその一連の電波は関ヶ原における現実の情勢に反する。
その電波を元に、その後の展開として関ヶ原前の情勢そのままの陣営を西軍が維持するというゲーム脳を前提とした発想をするから、
「ぼくがかんがえた戦略でやれば西軍圧勝!」だなんて強力な電波が完成するわけだ。
709人間七七四年:2011/02/06(日) 00:48:50 ID:fpObO3HG
>>695
>太田川上流の武田山を中核として太田川下流左岸の己斐氏や下流東岸の白井氏の支城との連結などの
>惣構えと言うべきものを立体的に見れないとか城のついて素人丸出しだな。
>1515年に武田が大内に反して1541年に滅亡するまでの26年の間でたびたび大内の大攻勢に晒されてるけど
>例えば大内3万余の大軍+大友1万が西から、安芸・備後衆が東から挟撃しても落ちなかったりしてんだぞ?

なにをいってるのか意味がわからない。
己斐城や仁保島城は支城ではない。
己斐氏や白井氏はそれこそいくども大内側についてるんだが?
だとすれば己斐や仁保島をふくめ周辺の惣構えうんたらいうのも意味不明なことだし、
武田山から15キロは離れているはるか下流の広島城と銀山城も関係ないことになる。
しかも当時の安芸は毛利など尼子方の国人も多く大内が銀山から撤退したのも
尼子からの援軍など当時のパワーバランスの上でのこと。
関ヶ原で西軍が負けた後の毛利にとって周辺のパワーバランスは不利に作用してるよな?

「立体的に見れない」とか「面ではなく点でしかみれない」とか苦し紛れに罵倒文句を並べられてるが、
そもそもあんたの場合はご自慢の知識が「自分が都合がいい情報のつまみ食い」や「捏造」
だからそこから出てくるのは電波でしかない

>石高だけでしか判断できないアホはどうしようもないな。

じゃあ蜂須賀勢二万の数字の根拠を言えよ
いつもそうやってウダウダと長文でごたくならべて
誤魔化そうと思ってるようにしかみえんな
710人間七七四年:2011/02/06(日) 02:02:37 ID:fpObO3HG
>>694
>(徳川政権と豊臣政権を)同一視してないと思われるが・・・たかが数行の文章だけでお前の脳内では確定してんだな。
>理由も書かずに否定してないで、仕組みとやらもちゃんと詳述説明して否定してみせろよ。
>偉そうだなwじゃあ、ぜひともちゃんと内容を書いて説いてみせろよw

アンタは>>623で「奉行衆を敵に回したから家康は豊臣の敵だ」と書いている
それが正しいことであるならば、豊臣政権を意思を決定するのは奉行であり、その奉行衆から糾弾された家康は
豊臣の敵だといってるということ。
もちろんそれは事実ではなく、徳川幕府では大方の平時は譜代の老中の議決で意思が決定されるが、
秀吉死後の豊臣政権は外部勢力を政権に組み込み家康ら大大名の大老が最高意思決定機関。
それについては>>652でいってるはずだがそんなことも黙殺し人格攻撃と揚げ足取りに励むとは・・・人となりがよくわかるな。

さらに>>649で徳川幕府をもちだし、「徳川幕府でも武官は政権実務には参加させてない」などいっている。
このことから豊臣の奉行衆と徳川幕府の老中制をオーバーラップさせていることは明らか。

そもそも武官だのなんだの発想自体もまったく不可解なもの。
長州征伐の彦根藩のように、しばしば政権実務に関わる家柄ながら幕軍の先鋒をつとめた家もあるし、
島原の乱のときの松平信綱のように老中が最高執行官になって軍を統括することもある。
武官だの文官だのなにを言いたいのかわかりかねる。
それを問いただすと、
>>694
「だいたい家康から特に井伊家は徳川の一番槍の栄誉を貰ってるだけの話で幕府の仕組みとも関係ない。」
のようにまた斜め上に暴走した的外れなことを言い出す始末だし。
711人間七七四年:2011/02/06(日) 07:24:36 ID:nkYyiZ2a
情勢分析ができない
自分に都合のいい事実だけをつまみ食いする
痛いところを突かれても取り合わない
執拗な人格攻撃
してもいないのに論破したと言い張る

このスレの毛利厨はなかなか優秀なディベーターだなw
自分で勝ったと言い張っているうちは負けじゃないからな。
でも周りからは冷ややかな目で見られているというw
712人間七七四年:2011/02/06(日) 08:25:49 ID:4Reysfi/
>>705
いやいやなら西軍の伊藤を叩き出して松尾山に布陣した時点で再度旗色は明らかじゃねぇかwww
東西両軍が関ヶ原に転進したのは14日夜〜15日早朝とてもじゃないが攻撃する時間なんぞないわな
大谷の位置は不利って程の場所じゃないぞ?現地に行くなり地図を見るなりすればわかるが大軍の展開が難しい場所に居る
寄騎が機能して藤堂や京極の側面を突いてたら松尾山方面の戦況また違った物になったろうよ

松野の戦場離脱は大谷が寄騎の裏切りをつかめてなかったのと同じ事だろ?
713人間七七四年:2011/02/06(日) 10:05:33 ID:7XDCTvh9
家康は桃配の陣中で焦燥のあまり親指の爪食いちぎったりしてたという記述が
勝利側の記録から出てくるんだから、実態はそんな「東軍の戦略どおり」どころじゃ
なかったと思うよ。
714人間七七四年:2011/02/06(日) 10:17:58 ID:m6e2aTrm
>>713
そんな記録は無いが
馬を乗り入れた使番に刀を振りましたというのはあるけど
715人間七七四年:2011/02/06(日) 10:26:18 ID:8nqxUH1C
>>714
使い番に化けた刺客が家康を暗殺したんだよ
716人間七七四年:2011/02/06(日) 12:00:23 ID:jPt4PK5y
>>706->>712
夜〜深夜〜早朝の得意の時間帯での必死怒涛の単発ID連打!
きました複数人を装い場の空気を自説に誘導パターン。
起きて仕事が一段落してから戦国板を覗くと昨夜から寝ずに大量レスを投下してて思いっきり引かさせて頂ける久しぶりに本気Sub先生キター!(^^)!
しかも書いてる内容は相変わらず根拠ゼロの自分の妄想のみと言うw
相変わらず怖いくらいに酔ってますなあ。
717人間七七四年:2011/02/06(日) 12:40:46 ID:nkYyiZ2a
本当に同一人物だと思ってんの?
お医者さんに診てもらった方がよくない?
718人間七七四年:2011/02/06(日) 13:14:56 ID:8nqxUH1C
>>716
具体的な反論お願いします
719人間七七四年:2011/02/06(日) 13:53:04 ID:4Reysfi/
反論よりレッテル貼りが先に来るとかwww
720人間七七四年:2011/02/06(日) 14:51:20 ID:GFr1hBQ3
反論出来ないからレッテルに力を注ぐしか出来ない可哀想な頭ですね
721人間七七四年:2011/02/06(日) 20:52:34 ID:EXJBF4sH
輝元さんのスレはいつも乗っ取られるなw
722人間七七四年:2011/02/07(月) 00:24:16 ID:HZxfy6uf
ここのスレには「結果論バカ」とか
「WiKiからの知識のみで戦うキチガイ」と呼ばれた
私怨で>>1を必死に全力否定し続ける自演化け物荒らしが住み着いてて
根拠に基づかない屁理屈と妄想を武器として執拗に徹底粘着する怪物が生息しているのさ。
去年10月頭にもこの「相手が諦めるまで永久機関でレスをし続ける化け物」との議論が全くかみ合わないと悟り撤退した漢たちもいたのだが…
723人間七七四年:2011/02/07(月) 06:02:16 ID:d1Sd7Rpu
私怨ってw
724人間七七四年:2011/02/07(月) 07:24:34 ID:cypwK6M2
まあTERUはもうちょっと評価されていいんじゃないかね
725人間七七四年:2011/02/07(月) 07:36:02 ID:3ev9VtZs
ついに人格攻撃とレッテル貼りしかできなくなったか
726人間七七四年:2011/02/07(月) 08:59:07 ID:cypwK6M2
>>1「そちが、毛利中納言か、余を頼むぞ」
何この始めて会ったような物言い 秀頼は痴呆だったのか
727人間七七四年:2011/02/07(月) 09:05:16 ID:9aaxj0KR
TERUは特別に印象が薄いんだよw

728人間七七四年:2011/02/07(月) 17:47:55 ID:uZbuw0bf
>>726
秀頼公は、まだ無邪気な6歳の幼少でござる。
天下の孤児となった秀頼公と拝謁した毛利中納言は感極まわり、
畳に擦りつけた顔からハラハラと涙が落ち候
729人間七七四年:2011/02/07(月) 18:34:02 ID:zqhabvYg
背負わされた大事に頭からハラハラと毛も・・・
730人間七七四年:2011/02/07(月) 21:15:30 ID:cypwK6M2
>>729
ワロタwww
731人間七七四年:2011/02/07(月) 21:35:07 ID:cydDJg4f
自演がどうのこうのとか何をいきなり発狂してんだろ
732人間七七四年:2011/02/08(火) 07:05:08 ID:Iq978DIL
また政治板で宣伝コピペ大量投下があったらしく
久しぶりに広範囲に渡り大量規制中のようだね…。
733人間七七四年:2011/02/11(金) 08:16:25 ID:dJNHD3ZX
TERU
734戦国板の新参者:2011/02/16(水) 10:30:24 ID:oV41wCml
そもそもが『ネタスレ』であって、各自がお互いの『妄想』を披露して
遊ぶ場所なのに、なんでどの『ネタスレ』もこうなるんだろう?
735人間七七四年:2011/02/16(水) 12:51:14 ID:VgRD6+wx
妄想戦記、楽しいよな!
736人間七七四年:2011/02/16(水) 15:30:06 ID:e3v36Yzv
三成が逃げ切って大坂城までたどり着いたら、
輝元はやる気を出したかね?
737人間七七四年:2011/02/18(金) 15:43:43 ID:05xIB95R
金吾秀秋を養子にもらって大坂城に入れ、
隠居の輝元は国許におればよかったんじゃないか。
どっちも役立たずだが、関ヶ原での裏切りは起らなかった。
738人間七七四年:2011/02/18(金) 17:14:59 ID:g6FW18HZ

あららfpObO3HGはものすごい暇人なんですねぇ、土曜深夜に俺様が論破レスしてやったから
すぐに無理だろうけど反論しろ!反論しろ!と日曜午前中にかけて口を綺麗に揃えて喚くあたり・・・これがレス乞食ってやつですかねぇ。
土深夜〜日にレスなんて普通の一般人じゃ常識的に無理でしょ。そんで月曜日13時にはいきなりアクセス規制になってたし・・・
>>706
しかしどうでも良いことばかりに相変わらずこだわるようでw
兵数なんて実際にどうくらいやってきてるかなんて当時の帳簿でも発見しなきゃ
古今東西の戦いの大半において動員兵力なんて正確にわかるわけもないのに不毛な・・・
>>徳川家と婚姻関係にあることから
15才の至鎮は当時すでに小笠原の娘と婚姻してて、家康が陣場見習いと称して強引に連れ出していたから
側近18騎が付いていったが、その娘まで一緒に引っ張っていくことが出来ず大坂方の人質になってしまうくらい慌しかった。
ちなみに同様に生駒親正がガチガチの西軍なのを案じた家康は大坂で人質やっていた孫の生駒正俊14才も同様の手法で連行されたので
側近20騎がやむなく付いていった。のちに親正は西軍に参加して丹波田辺城攻めに向かうが父の一正は子を心配して東軍へ投じてる。
>>1万石あたり740人という驚異的な数字
君は常にケチはつけるが根拠は書かないね。いったい君の中で常識的な数字とはどの程度なのか?
参謀本部は関が原戦場においては島津の会津征伐で課された100石あたり3人で計算したようだけど・・・
朝鮮出兵において課された軍役は100石に5人。しかしさらに戦況に応じて随時増員されたようで
政宗記「500の割り当てで2000余用意した」や貞山公治家記録「1500割り当てで3000の動員した」
と記されるように実際に武功を立てるためにそれ以上の動員を果たしている。
>>根本的に勘違いしてるようだけど、大坂城って毛利の城じゃないんだよ?
誰も毛利のものなんて言ってない。どこにどう書いてあるのか?だからこそ9/19の福島・黒田宛の輝元の書状で
大坂城を明け渡して領国安堵を条件に輝元が秀吉譜代とも言うべき実務執行の増田や前田を説得すると申し出てるんじゃないか。
>>豊臣家がそれに反する意思を示したら
逆に反したと決め付ける根拠があるのか?秀頼麾下の黄母衣衆を笹尾山の石田陣右翼に布陣させてるし
ねねも秀家の出陣式に大谷吉継の生母の東殿局を派遣してるよね。
まぁ実質的な大坂城支配者は御殿にいる幼君を後見し政務を司る西の丸占有者だからね。
会津征伐も西の丸で決めたし三成らも挙兵したら家康が配置した西の丸留守居の天野康景と佐野綱正を追放して占拠。
のちに輝元が西軍総大将として西の丸入ってる。もちろん輝元から井伊・本多宛て書状でも西の丸の譲渡が出てくる。
江戸城でも家康が大御所になると西の丸で執務してる。まぁこのあたりは>>698をみてくれよ。
>>誰もそんなこと言ってません
はぁ?じゃあ>>1の前提がおかしい成立しないって散々言ってるのはなんなんだよ?
>>707
太閤が作った大坂城があるから敗れ去った武将より断然に有利な土台があるわけだが。
>>708
>>輝元をはじめ多くの武将が関ヶ原の結果に従ったのはなぜなのか?
あのさ、輝元が史実と違い籠城を決定してるIFなの理解してる?まずそれを問いたい。
でね、関が原で毛利が参戦せずにいたことが疑心暗鬼になってたわけ。
しかも当の本人が敗戦を知りすぐ広家に斡旋委任して、敗走する軍を収容すべく後詰めも出さず。
だけど、広家の話を一蹴して敗軍をまとめて秀家らを救助して撤退し堅城大坂城に戻ってきてたらまったく違う情勢になるわけ。
そもそも三成や輝元は別に朝敵にされてるわけでもないし、家康も征夷大将軍になってたわけじゃないし。
>>毛利は家康勢以外の東軍相手には強気な行動にでてるが家康勢には極めて消極的な態度をとり続けてる。
えっ?伏見城攻撃軍の副将の小早川秀秋以下、毛利秀元・吉川広家とか参加してるよ?
知らなかったんだけど鳥居元忠っていつから徳川をクビになってたの?
>>吉川だけではなく主君の意を受ける立場である側近の福原までもが事前に内通していた事実は、
なにそのデタラメ?主君の意なんて受けてないよ。吉川から福島らに内応する申し出の中で福原も連名してるだけじゃんw
739人間七七四年:2011/02/18(金) 17:16:41 ID:g6FW18HZ
>>709
>>己斐氏や白井氏はそれこそいくども大内側についてるんだが?
いくども!?大内側と所属争奪対象になった厳島神主家と己斐氏を勘違いしてないか・・・?
まぁいいそこまで言い切るならじゃあそこら辺の戦況をちゃんと詳しく説明して教えてみせろよw
ちなみに以前にも俺が書いたよね、白井膳胤降伏するも総領白井備前の府中城は落ちず
銀山から武田の後詰めもやってきたから大内は諦めたって。
>>武田山から15キロは離れているはるか下流の広島城
おれのグーグル先生は道を歩く徒歩計測で6キロ前後で広島城から
武田山の裾野の麓にある広島経済大図書館なんだが・・・お前かなり遠回りしてて超アホだろw
>>安芸は毛利など尼子方の国人も多く大内が銀山から撤退したのも尼子からの援軍
なにその妄想軍記?
1525年以降には大内軍+大友1万の援軍+毛利軍+高橋氏+野間氏+多賀谷氏+阿曾沼氏+小早川にまで
膨れ上がって安芸国が大内一色に統一されてるのに武田は落ちず
1528年の7月に至ってもいまだチンタラと大内が白井攻めしてるのも確認されてる。
>>710
>>「奉行衆を敵に回したから家康は豊臣の敵だ」「徳川幕府でも武官は政権実務には参加させてない」
お前の脳内の短絡的結合ぶりはすげえなw説明のため便宜上で呼称しただけに過ぎない
この2点だけで俺が同一視してると論証してんのかよwww小学生の言い合いかよかよw
双方ともにいろいろと基礎条件も違うし過渡期で成立過程や暫定的に決めてるものもあり完全に枠にはめて同一視なんてできるかよw
しかも「実質的に豊臣を敵に回しているよ家康」って文章を削除して操作してるとか悪質www
俺は別に5大老を無視してるわけじゃないのは今までの文章でも理解できるだろw
>>中学や高校教科書レベルの大問題だぞ
たしかにお前の高校教科書は小学生レベルだろうな。偉そうだから早くお前によるその詳述説明が聴きたいわ。
>>家康ら大大名の大老が最高意思決定機関。
その状態が破壊されたのが内府違い13ヶ条弾劾以降でしょ。
実質実務行政をした譜代の大坂奉行たち+秀家・輝元・景勝が家康を批難してんだから。前田が棄権だな。
どう考えても実質的に大坂から家康が破門されてるのと同義だよね?
>>オーバーラップ
なにが言いたいの?それスポーツ用語じゃね?意味わからん。
大久保忠隣ら武功派と本多正信の奉行派の争いは徳川でも大久保長安事件や宇都宮城釣天井事件などで起きてるし。
人の作る組織って派閥化して対立するもんだし、それ自体が存在しないならこれらの事件はなんなの?
泰平の時代に移り変わっていく経過の中で幕府草創期に槍働きで仕えてきた本多忠勝らがいらない子になる中で
井伊直政は家康の衆道の相手と言う特殊な地位もあることから元和偃武(平和になり武具をしまう)を迎えて
政治方面に転換した息子の井伊直孝がちゃんと実質大老になってるだろうがw
島原の乱だって最初は武官である将軍親衛隊の書院番(立花宗茂も就任してたな)である
板倉重昌が派遣されてきたが諸大名の官職の上下の差などの関係で
命令指示系統に混乱が生じたから松平信綱が派遣されたって言う経緯がある。
>>斜め上に暴走した的外れなことを
いやいや的外れじゃねーだろwそもそも幼い徳川家綱が跡を継いだ時に
水戸光圀が幼君に反するヤツは俺が先陣になって討ち取ってやんよって諸大名に宣言した時に
井伊直孝が「え?いまなんと?一番槍の栄誉は家康公から
我が井伊家が頂いていますが水戸様はいつ許可を受けた?」って言ってるくらいだし。
>>711
>>情勢分析ができない
それはお前だろ。根拠に基づくのではなく都合よくねじ曲げた妄想で書いてるよね?
740人間七七四年:2011/02/18(金) 17:19:53 ID:g6FW18HZ
>>712
>>西軍の伊藤を叩き出して松尾山に布陣
それって春日局のダンナの武功を捏造するために書かれた後世編纂の三次史料だよ?
吉継が秀秋を2回にも渡って会談して暗殺しようとするんだよ?
史学にはそんなもん堂々と載せてるやついないから。
三成も当日は小早川に山を見張って動かなくていいからって言ってるだけだし
三成から増田への12日書状で松尾には中国勢をいれ敵陣は20日のうちに破るって書いてるから
秀家か毛利か小早川が寡兵の伊藤に代わって防備するのは不思議な話じゃない。
つうかそもそも伊東は本当に松尾にいたのかどうかも怪しい。
>>関ヶ原に転進したのは14日夜〜15日
小早川は14日の太陽が照ってる時間には移動完了してるし
大谷や毛利や秀家に至ってはもっと前からいたし、はっきりした敵認定してるってんなら
大津城攻撃隊の一部を転用してでも早期に除くだろ。なんで放置してんの?
>>松野の戦場離脱は大谷が寄騎の裏切りをつかめてなかった
そう主張してないだろ・・・松野が先鋒してるんだから最初から小早川が東軍と決めていたわけじゃないと言ってるだろ。
みんなある程度はお家存続のために東西両軍に唾つけてるって再三にわたり言ってんだが?
それに三成も味方中の心中も計り難いと言ってるわけだが?小早川に三成は動かなくて良いって言ってたから事実動かなかったし、
様子見して戦況を眺めていたからだいぶ傍観してて小早川参戦は正午を回ってからだよ?
早朝の濃霧があけ始めて開戦してからかなり経過してるまで動いてない。
そもそも決戦なんて両軍とも考えてなかった。家康は豊臣恩顧に武功を立ててもらいたくはなく秀忠軍を待っていたんだし、
真田信之にも大垣城を水攻めにする予定だと言っているなど早期決戦を想定してなかったし
(戦後の武断派の大封により早期に豊臣滅亡が出来なくなったし、千姫を秀頼に嫁がせる約束も履行させられた)
三成も大垣〜関が原で最低でも20日以上は対陣をするつもりで関が原予定戦場の高地に土木造成をしていた。
もう少し待てば丹後田辺城攻略部隊や大津城攻略部隊の合流もできたし。
しかし中国勢を佐和山に派遣する前に急遽、自分の家族のいる佐和山城を家康が攻める可能性が生じ
危惧を抱いた三成が大垣城を出陣して決戦を勝手に始めたに過ぎない。
>>726 
秀頼は7才だから自分の意思はないだろうし仕方がない。

上記参考史料 9/12石田→増田
大垣城の伊藤は若輩でその家中の能力を疑い人質取る。
刈れば兵糧はいくらでもあるが、敵のことが大事なので刈ることに人も出してない。
兵糧は近江国から出させるから大丈夫だけど、持ち出しを続けると減るから。
妻子の成敗を穏便にしたから先日も書いたが犬山加勢衆の謀反もできるかも知れない。
味方中の心中も計り難いから御分別が大切。
輝元が出馬しないのは私としてはもっともなことで、
家康が上洛してきてないからいらないが下々の者はこれにも不信に申すんだよね。
自分の持ってるもんを吐き出して石田軍の人数を求めたから逼迫した金銀米銭を送って欲しい。
松尾には中国勢をいれ敵陣は20日のうちに破る。
近江衆を従わせて出陣するとなると不慮もあるかもと思うので
輝元出馬がない場合は中国勢5000を佐和山に籠めようと思っている。
当分の間、成敗しない予定の妻子人質は安芸の宮島へ下向させようか。
丹後へ派遣した軍もこちらに合流させられそうだな。
741人間七七四年:2011/02/18(金) 21:07:18 ID:xdmDdecv
長文乙!
742人間七七四年:2011/02/19(土) 12:47:20 ID:EZ46hqoL
上げときますね
743人間七七四年:2011/02/19(土) 13:39:46 ID:/+KzRonE
規制が解けたとたんにこの長文
よほど悔しかったんだろうねえ・・・
744人間七七四年:2011/02/19(土) 14:09:29 ID:/+KzRonE
>>徳川家と婚姻関係にあることから
>15才の至鎮は当時すでに小笠原の娘と婚姻してて

小笠原家の娘を家康の養女として至鎮に嫁がせたもの。
ゆえに徳川家と蜂須賀家が姻戚関係なのであって、小笠原家が出てくる意味がわからない。
ちなみに実父の小笠原秀政は徳川家の武将。

>兵数なんて実際にどうくらいやってきてるかなんて当時の帳簿でも発見しなきゃ
>古今東西の戦いの大半において動員兵力なんて正確にわかるわけもないのに不毛な・・・

蜂須賀勢2万とか言い出したのは君だよ。
正確にわかるわけがないなら、なんで2万なんて数字が出てきたのかな?

頑張って全部読もうと思ったけど、最初の数行で読む価値なしと判断させていただいた。
あしからず。
745人間七七四年:2011/02/19(土) 14:18:06 ID:BrL3TNOe
>>744
論破されてすげー悔しいのは伝わりました。あしからず
746人間七七四年:2011/02/19(土) 20:47:28.51 ID:nwaqdOXq
「正確にわかるワケもない」なら2万とか具体的な数字を出すなよw
747人間七七四年:2011/02/19(土) 21:01:24.64 ID:BrL3TNOe
と涙目になって喚くブザマな>>746
748人間七七四年:2011/02/19(土) 21:35:57.84 ID:EZ46hqoL
意見を言うでもなく反論するでもなく煽る事しか出来ない>>747であった
749人間七七四年:2011/02/19(土) 21:40:28.50 ID:BrL3TNOe
と必死に自演する低脳>>748
750人間七七四年:2011/02/19(土) 21:45:39.01 ID:pZFVArB4
なんという低レベルな争いw
751人間七七四年:2011/02/19(土) 21:49:26.76 ID:nwaqdOXq
そのまま1000まで池w
752人間七七四年:2011/02/20(日) 07:00:44.02 ID:qCt0zl7j
>>743
規制どころかずっと元気に活動してるようだけどね
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1268982684

>>732で大量規制だとか複線をはっておいて逃げ隠れ論争相手が消えるころに
長文投下して論破完了ってつもりだったんだな
わざとらしくあのタイミングで大量規制中って何考えてるんだw
753人間七七四年:2011/02/20(日) 07:28:17.29 ID:iOXAjuwO
偏執的だなとは思ってたけど……このひと病気なんじゃないの?
754人間七七四年:2011/02/20(日) 08:31:15.53 ID:DvmSXgoD
リハビリの一環として書き込んでるのかも
755人間七七四年:2011/02/20(日) 14:21:19.84 ID:nsu4O8bS
カルテの記載
”処置なし”
756人間七七四年:2011/02/20(日) 15:07:50.72 ID:DvmSXgoD
病名は?
757戦国板の新参者:2011/02/20(日) 21:27:25.15 ID:aArOq1GA
ここはもう駄目だな。しりとりのネタでも考えるとするか。
758人間七七四年:2011/02/20(日) 21:31:09.45 ID:mLZ7/+kT
もともとダメなひとのスレなのに
ムキになることないのにな
759人間七七四年:2011/02/21(月) 00:45:49.04 ID:NzKZ+ijC
>>722
やっとこのスレに常駐してた結果論バカが退治できたのかい?
と思ったら>>752に生息して意味わからん負け惜しみ言っててワロタw
反論できずに無理やり蜂須賀の話についてピントのずれた斜め上な噛みき方をしたみたいみたいだね。
しかしそもそも小笠原の娘だろうが、家康の養女だろうが、その娘も一緒に連行出来ないまま急いで蜂須賀至鎮を連れていった事実は変わらないし生駒の追加例もあるから本質はまったく変化しないはず。
兵力を書いたらマズいなら日本陸軍参謀は関ヶ原の戦力とか書くなよwとか
書籍に兵数を書くのバカだろwと言ってるのとかわらん。
結果マンくん頭悪すぎてワロタw
>>753
結果マンくんは病気だよね。
760人間七七四年:2011/02/21(月) 01:57:50.68 ID:Vgl0NA1G
>>759
>兵力を書いたらマズいなら日本陸軍参謀は関ヶ原の戦力とか書くなよwとか
>書籍に兵数を書くのバカだろwと言ってるのとかわらん。

当時の文献や石高などから常識的に計算した数字と
自説を有利にするためだけにでっちあげた数字を同一視するなよ
やっぱ馬鹿なのか
761人間七七四年:2011/02/21(月) 06:08:18.48 ID:gLoObIxL
>>759
何度も言うが、具体的な数字を出してきたのはお前。
それが真実だというなら、裏付けする文献を提示すればいい。
そうすればお前の勝ちだよ。
「何月何日書状」とか「○○家文書」だけじゃなく、その本文(ほんもん)が
記載された文献名も書いてくれ。でないと確認のしようがないから。
学者が主張している説から引っ張ってきたというなら、
その学説が書かれてある文献名を書いてくれればいい。
762人間七七四年:2011/02/22(火) 00:21:33.25 ID:60gf1noU
>>739
書けば書くたびにボロがでてきてんな
たとえば>>696で安芸銀山が堅固である例として

>1515年に武田が大内に反して1541年に滅亡するまでの26年の間でたびたび大内の大攻勢に晒されてるけど
>例えば大内3万余の大軍+大友1万が西から、安芸・備後衆が東から挟撃しても落ちなかったりしてんだぞ?

と書いた後、>>695でその機能が広島と同じであることを説明のため

>太田川上流の武田山を中核として太田川下流左岸の己斐氏や下流東岸の白井氏の支城との連結などの
>惣構えと言うべきものを立体的に見れないとか城のついて素人丸出しだな。
>広島城はいままでの土木技術じゃ出来なかった太田川の中洲に移築したに過ぎずその設計思想の本質にはなんら変更は無い。
>つまり武田山を攻撃すべく太田川左岸から攻めてくるのを己斐氏が、右岸から攻め寄せるのを白井氏が守っていた。

と書き、広島と銀山は距離は異なれど同じ機能を持つと言っていると書いている

しかしそれが破綻してることは、前提条件である己斐や草津などの大田川左岸地域の諸勢力や
仁保島城や府中城などデルタ内から右岸地域の諸勢力がたびたび大内側に落ちていることからも、明らかなこと
支城機能を含めた惣構え故堅固だと力説してんのにその惣構えが壊滅している

たとえば1515年己斐氏は武田に背き己斐新城は武田の攻撃を受けている
1517年に今度は武田方にくみし当主が戦死した翌年の1518年には大内の城代が己斐城にはいっている
白井側も仁保島の越中守家など太田川流域の重要な拠点を持つ家が大内側についたうえに
備中守家も一時とはいえ攻められて降伏している

こういう状況ではようするにお前が>>695で言ってる
「惣構えとして己斐や白井の諸城が支城として機能し全体として太田川デルタを中心とする広い範囲での防衛思想」
なんてのが成り立つ条件では決してない
総構えを構成する周りの重要な支城の主たち必ずしも武田に従うわけじゃない上に
状況によって簡単に裏切るんだから当たり前なんだよな

どうせ銀山城跡に広島城があると勘違いしてて「大内に攻められてもピクリともしなかった要害が〜」とかいっちゃって
それが違うと追求されたから、色々その周辺のことを調べて関係がないけどとりあえず関係がありそうなことを
必死で並び立てて相手を無知だと罵倒して誤魔化そうとしてるんだろうけど
いつものパターンだな
もともと根本的に無理がある理屈だから最初から筋が崩壊してるわけだけど

>おれのグーグル先生は道を歩く徒歩計測で6キロ前後

そうだな、それは俺が勘違いしてたわ
ただ6キロも離れている上に広島城になるあたりは場合により個別で大内勢下になってることをかんがえると
銀山が堅城であった歴史が広島も堅城であったことを証明してるというお前の理論はマチガイ
763人間七七四年:2011/02/22(火) 00:23:20.21 ID:60gf1noU
>>739
>あのさ輝元が史実と違い籠城を決定してるIFなの理解してる?まずそれを問いたい。

日和見をして状況を悪くした(逆を言えば家康と決戦して最悪の事態になることは避けた)
輝元についていく大名がはたしていくらいることやら
関が原まで秀頼を全面にださなくて急にだしてくるなんて「何を考えてるんだ?」とおもわれかねないし
当時のことだからもしかりに秀頼側の真意だとしても正確に伝わるかどうか
前後の行動の不可解さから「不当に拘束され無理矢理言わされてる」と捉えられるのが関の山なんじゃないのか

>えっ?伏見城攻撃軍の副将の小早川秀秋以下、毛利秀元・吉川広家とか参加してるよ?
>知らなかったんだけど鳥居元忠っていつから徳川をクビになってたの?

毛利勢は四国などで暴れてはいたが積極的に家康勢とやる覚悟がなかった可能性が非常に高いことは
関が原とその後の態度など一連の過程をみれば明らかなんだが?

>なにそのデタラメ?主君の意なんて受けてないよ。吉川から福島らに内応する申し出の中で福原も連名してるだけじゃんw

意を受け得る立場であって意を受けたかどうかなんか言ってない
可能性があるというだけだ
その可能性は輝元自身のその後の行動により蓋然性を増すということ

>なにその妄想軍記?

1524年の大内の銀山攻めは尼子方の不穏な動きに連動して失敗したわけだし、
1528年の大内の銀山攻め大内義興の死亡により撤退してる。

例えば広島と銀山の違いについて場所が違うことを指摘されたら、「点ではなく面で」なんて複合的な視野について吼えてるくせに
(これがこの場合ただの論外であり逃げのための論法であることは、
面というのが具体的にいえば>>695で語られる支城総構え論であることからあきらかだが)

都合が変われば戦略観を矮小化し(言い換えれば「面ではなく点で」)、武田と大内の一騎打ちであるかのようなものの数々の書き込み
大内がかかえてる九州や尼子など諸国とのパワーバランスの無視
大局観を無視し銀山城の堅固さを強調するための悪質な印象操作にしかみえんのだが
764人間七七四年:2011/02/22(火) 00:26:33.28 ID:60gf1noU
>>739
>お前の脳内の短絡的結合ぶりはすげえなw説明のため便宜上で呼称しただけに過ぎない
>この2点だけで俺が同一視してると論証してんのかよwww小学生の言い合いかよかよw

元になる発言はなにかと証明しただけなんだが?
「知らなかった言い訳」として便宜上とかいいだすバカ多いよな

じゃあ>>623「奉行派を敵に回したら豊臣の敵」だの
>>649の「奉行には就任できない。その代わりに武功を挙げれば加増されやすい。」
「徳川幕府でも武官は政権実務には参加させてない。」だの大ボケ発言はなんなんだよ?
>>710で詳しく言ってるが、それらの発言はどう考えても豊臣五奉行制を徳川幕府の老中と同じように考え
武断派は徳川幕府でいう外様大名的ポジションであったと考えてるとしかおもえんな

>「実質的に豊臣を敵に回しているよ家康」って文章を削除して操作してるとか悪質www

「奉行衆を敵に回したから家康は豊臣の敵だ」ってのは文意を汲み取って書いたもので
「実質的に豊臣を敵に回しているよ家康」と同義にあたるものなんだが?

>その状態が破壊されたのが内府違い13ヶ条弾劾以降でしょ。
>実質実務行政をした譜代の大坂奉行たち+秀家・輝元・景勝が家康を批難してんだから。

ハ?状態が破壊されて家康以外の三大老と奉行が家康を糾弾したから「家康は豊臣の敵」だなんてほざいてんの?
だったら関ヶ原で多くの豊臣恩顧が家康についたのも家康は豊臣の敵だと認識しつつ家康についたってことか?
じゃあ福島ら豊臣恩顧の忠誠心もそんなもんだったんだな??
「武功派ガー」を最後の砦にしてるようなお前の理論とは180度異なるんだけど
関ヶ原時点で東軍だからといって豊臣に弓引いてるわけじゃないっていう一般的な定説とも違うな

しかもそれは当初の言い分と違うんだけどw
当初の言い分は「奉行ガー」だろ、なにさらっと「三大老、奉行」に主意がえしてんだよ
おまえのその態度のほうが余程悪質だろw

「三大老、奉行」にかえたところで、今度は「武官が政治参加できない」とかいうわけがわからない
仕組みとは矛盾してるなあ
この政治決議に参加してる秀家はバリバリ関ヶ原で主戦張ってんじゃん
「徳川幕府でも武官は政権実務には参加させてない。」ってなんなん?w
武官ってなんなの?w文官ってなんなの?wwww
まあ三成だって実質総大将のような仰々しい地位で戦ってるんだからはじめからそんなアホな戯言破綻してんだけどな
765人間七七四年:2011/02/22(火) 00:32:45.88 ID:60gf1noU
>>739
>双方ともにいろいろと基礎条件も違うし過渡期で成立過程や暫定的に決めてるものもあり完全に枠にはめて同一視なんてできるかよw

それをしてるのがおまえなわけだが?
後付の言い訳ご苦労

>なにが言いたいの?それスポーツ用語じゃね?意味わからん。

「奉行派を敵に回したら豊臣の敵」
「徳川幕府でも武官は政権実務には参加させてない。」

など豊臣奉行衆が後の徳川の老中のような役割を果たしているとしか読み取れないアホな戯言を連発してるわけだが

>大久保忠隣ら武功派と本多正信の奉行派の争いは徳川でも大久保長安事件や宇都宮城釣天井事件などで起きてるし。
>人の作る組織って派閥化して対立するもんだし、それ自体が存在しないならこれらの事件はなんなの?
>泰平の時代に移り変わっていく経過の中で幕府草創期に槍働きで仕えてきた本多忠勝らがいらない子になる中で
>井伊直政は家康の衆道の相手と言う特殊な地位もあることから元和偃武(平和になり武具をしまう)を迎えて
>政治方面に転換した息子の井伊直孝がちゃんと実質大老になってるだろうがw

おまえがいってたのは「奉行を敵に回せば豊臣の敵」「武断派は政治に加われない」等なんだが?
まったく違うことをほざきだしてると自覚できないのか?
例に出てる本多や大久保の子孫も老中に取り立てられてるし、井伊の子孫は大老になれる家柄という
「政治参加」できる家柄でありなおかつ先鋒もつとめる「武」もつかさどる家柄だわな
もう一度聞くけど

「徳川幕府でも武官は政権実務には参加させてない。」

ってなに?
そもそも武官とか文官ってなんなの?
封建領主である大名に武官だのなんだのとかそれ自体がナンセンスなのに
「奉行派を敵に回したら豊臣の敵」
「徳川幕府でも武官は政権実務には参加させてない。」

などなど便宜とかうんぬん言い訳してるけど根本的に破綻した理屈だってわかんないかなぁ??

安芸武田がどうのこうのとマニアックな知識があると自慢して相手の無知を馬鹿にする煽りを
繰り返してるけど、
家康ら顕著な大名を政権内部に組み込んだ豊臣政権の政権構造と
徳川の直臣のみが深く運営にかかわり得た江戸幕府の政権構造の違いもわかってないようだし
大学受験レベルでもいいからちゃんと一通りの通史を学んだことあるの?

知識がどうの以前にいつもいつものその煽ったり罵詈雑言罵ったりしかできない人格のほうが異常だし
牽強付会な理論の組み立てからまともに学がある人には思えないんだがな
766人間七七四年:2011/02/22(火) 00:41:06.68 ID:7d7nujMd
長文が多くて読むのが大変
767人間七七四年:2011/02/22(火) 14:36:44.65 ID:K9cfbxxC
>>765
あんたの脳内で「思った」ことを書いてるだけで
まったく根拠がない話を長々と書かれても面白くないし
言葉遊びで屁理屈を繰り返すのも疑問。
とてもじゃないが最後まで読む気がおきない。
768人間七七四年:2011/02/23(水) 14:35:38.06 ID:F+ouE4Rz
ここに常駐する>>743>>744で連投レスしてるキチガイは
ネットの知識と他人のレスをパクって書き込んでるだけのアホで
>>360でついに追い詰められて発狂しまくってた常駐くん。
こいつは絶対に敗北を認めないでレスし続けるから争うだけ時間の無駄。
769人間七七四年:2011/02/23(水) 15:36:01.77 ID:/QqntYp1
末期だな
770人間七七四年:2011/02/23(水) 19:16:44.96 ID:MzWmjzU+
2/22の書き込みと2/23の書き込みで1分しか違わないのがなんとも
771人間七七四年:2011/02/23(水) 19:45:59.23 ID:/QqntYp1
気づかなかった
772人間七七四年:2011/02/23(水) 23:21:54.38 ID:WbVFYAMR
さくら心中見てから2ちゃんやる生活パターンなのかなSubは
773人間七七四年:2011/02/24(木) 19:46:53.19 ID:97kndm6F
常駐基地害は毎日巡回して監視してマス
774人間七七四年:2011/02/25(金) 09:13:21.37 ID:X2nJT8PE
両川がいなかったら、
毛利は輝元さんの代で滅びていただろうな。
775人間七七四年:2011/02/25(金) 21:45:01.32 ID:O/pSs/39
両川がいなかったら、
毛利家自体あんまり大きくならなかったと思う
776人間七七四年:2011/02/28(月) 13:37:33.19 ID:MagdPBbp
>>768
お前も似たようなもんだろ
何を偉そうにw
777人間七七四年:2011/03/05(土) 22:09:35.96 ID:xLnDcaS3
ご本尊:足利義テル
弟子:伊達テル宗
弟子:上杉テル虎
弟子:池田テル政
破門:毛利テル元

778人間七七四年:2011/03/31(木) 10:27:46.84 ID:91hMD7zZ
>>760
>>当時の文献や石高などから常識的に計算した数字
旧参謀本部日本戦史の記述なんて今となっちゃ
まったく参考にされてないんだけどw

>>762
60gf1noU←こいつひとつも根拠もソースも出したことないようだけど
妄想ばっかり書いてて戦国板でも有数の大物のキチガイなの?

>>たとえば1518年には大内の城代が己斐城にはいっている
毛利幸松丸が1523年にわずか9歳で死去し毛利家を元就が継いでるわけで
元就家督以前とかどんだけ遡るつもりだよwwwずっと当時のままだったのw
>>白井側も仁保島の越中守家など太田川流域の重要な拠点を持つ家が大内側についたうえに
地理上の位置関係が理解できてないのが露呈。大友船団と大内船団により仁保島が孤立したからだろ。
現在の埋め立てられた広島湾の地図をみてるからそういう勘違いをする。
>>武田山から15キロは離れているはるか下流の広島城
実際は6キロと倍もサバ読んでいて勘違いと言い訳wwwやっぱ基地害でしょwww
>>763
全文章を通じてお前の妄想だろw
>>764
ただの屁理屈。もう気持ち悪い。
>>765
妄想とお前の願望はいらないから。で、
結局、中学や高校教科書レベルの大問題だぞとキチガイが言い放ったようで
偉そうだなwじゃあ、ぜひともちゃんと内容を書いて説いてみせろよw と書かれているが
回答からひたすら逃げてるようだが?

>>768
なるほどあんたの指摘どおり>>360と同一人物のキチガイみたいだね。
こんだけ根拠もソースも一切出さずに屁理屈と妄想だけで反論wしてくるんじゃ
一生懸命に史料を調べて反論する人たちは、まじめに反論するのが馬鹿馬鹿しくなって退散するよなぁ。
779人間七七四年:2011/03/31(木) 10:30:44.20 ID:91hMD7zZ
訂正
なるほどあんたの指摘どおり>>360で追い詰められて発狂した同一人物のキチガイみたいだね。
780人間七七四年:2011/03/31(木) 10:44:33.45 ID:0aFr1gN3
>>778
今一番参考になるのはwikiの「関ヶ原本戦の配置」です
781人間七七四年:2011/04/02(土) 20:04:27.80 ID:piQ+elsC
>>778
そいつマジでなんにも知らないアホ粘着自演野郎だから
みんな真面目に議論する気をなくして去っていくだけ。

一番意味不明なのは下記の文章を持ち出してきてる点。
明らかに時代背景を知らずにネット検索してただ単に己斐城での戦闘を調べてHPからコピペしただけ。
>>たとえば1515年己斐氏は武田に背き己斐新城は武田の攻撃を受けている
>>1517年に今度は武田方にくみし当主が戦死した翌年の1518年には大内の城代が己斐城にはいっている
>>白井側も仁保島の越中守家など太田川流域の重要な拠点を持つ家が大内側についたうえに
>>備中守家も一時とはいえ攻められて降伏している
1515年の時代背景を言えば・・・
大内義興が足利義材を奉じて上洛した際には厳島神主家も己斐も武田も大内氏の配下であり
1508年に厳島神主家の興親が京で死去後にその後継者と目された友田興藤&小方加賀守は
そのまま大内氏に従い在京していたが、国元の厳島神主家では神領衆が二派に分かれて後継者争いを始めていた。
それが長期に渡っていたのでそこで大内義興は武田元繁に下向して鎮圧するように命じた。
厳島神社の神領衆であった己斐氏もニ派に分かれていたと思われ
1515年に己斐宗端の平原城(己斐新城)が武田に攻められたが堅城で落ちなかった。
※武田は帰国するや大内を裏切って厳島神主家を自派にすべく行動をしたが
どのタイミングで裏切ったのか不明(安西軍策では1516年に元繁が下向したことになっている)
1517年2月の武田による山縣攻めや10月の有田攻めによる有田合戦では
なぜか武田元繁の配下として己斐宗端は登場し幸松丸の代わりに出陣した初陣の元就に破れ2人とも戦死。
ただ熊谷元直も戦死したが、後日において父が殺されたのを忘れるように熊谷は元就の味方になっており
この時に戦勝の主導権を握っていたのは京で鬼吉川と呼ばれていた吉川経基・国経親子(元就の正室は経基娘)だと思われる。
なぜならその時に得た領地は吉川の所有になっている(毛利藩史では戦功はすべて元就だったが領地は譲ったと書いてる)
1518年に義興は周防に帰国し勢力の回復を謀り、後継神主を置かず神領を大内直轄として
当主己斐宗端が戦死した己斐城に内藤孫六を派遣し統治させた(己斐新城である平原城か己斐古城である岩原城か不明)
大内の神主領占領を不満に思った友田興藤は武田光和らの後援を得て己斐城から内藤孫六を追放した。

これは厳島神社の神主家後継を巡る己斐氏を含めた神領衆内の内紛であり
今までの論旨とはまったく別な性格をしているものだと知らずにいい加減なことを書いてるだけ。
ちゃんとスレを読んでれば、この話を持ち出すこと自体が大きくズレた話で論議としてすでに成立してないのに
論破したつもりになってるのが超がつくほど痛すぎる。まともな議論ができる精神を持つ相手じゃない。
782人間七七四年:2011/04/02(土) 21:11:03.75 ID:wSL0n9++
そもそも論破されて苦し紛れに大ウソを書いて
15キロも離れてるからまったく関係ないと主張しだして
それを相手がわざわざ調べないと気付くや調子コイて執拗にそれを強調して主張を続けていたせいで
ついに調べられて実は6キロしか無かったのが露呈した時点で完全に論破されてるし。
見事にバレたから本人もぐうの音が出ないほど反論不能になってしまい、
俺の勘違いと逃げた挙げ句に舌の根も乾かないうちに6キロも離れてると主張するとか
どう考えてもデタラメばかり吐いてて頭が完全におかしいとしか思えないわけだが。
783人間七七四年:2011/04/03(日) 00:53:51.92 ID:9gUms4wk
>>781
確かに根拠なくデタラメとネット検索と妄想を混ぜこぜにした厨房の文章だわ。
なんつーか読めば読むほどへ理屈と偏執的粘着さばかりが目立ち
低脳過ぎて萎えて討論する気が失われるわな。
784人間七七四年:2011/04/03(日) 19:29:41.09 ID:q+g303vV
>>778
>>519>>695をはじめ自分がなにかいてるか覚えてるのか?

>しかも立地が安芸武田がすぐ横の大内氏の大軍を何度となく撃退し続けた超要害の場所で支城が落ちてもビクともしなかった。
>まず広島城は落ちないわな。

>太田川上流の武田山を中核として太田川下流左岸の己斐氏や下流東岸の白井氏の支城との連結などの
>惣構えと言うべきものを立体的に見れないとか城のついて素人丸出しだな。
>点でみて面で見れないのは天守閣だけ見て城を知った気分になってるのとなんら変わらない。
>広島城はいままでの土木技術じゃ出来なかった太田川の中洲に移築したに過ぎずその設計思想の本質にはなんら変更は無い。

ってかいてるよね
おまえがいってることが前提条件として成立するには銀山も己斐も仁保島も
ひとつの勢力が統一して運用できる状況にあってはじめて惣構えと言い得るんだろ
各々が離合集散をくりかえしてる状況でそれはねーだろ
おまえがいってることは成立しないってこと

>元就家督以前とかどんだけ遡るつもりだよwwwずっと当時のままだったのw

1600年前後の話をしてるとき
「しかも立地が安芸武田がすぐ横の大内氏の大軍を」
とかいいだしたのはどこの誰だろうね?
785人間七七四年:2011/04/03(日) 19:37:26.80 ID:q+g303vV
>>778-783
にかけて

あからさまな自作自演、罵詈雑言
相手を論破するためだけに枝葉末節の話を長々と続け話の腰を折る、印象操作する
知識、史実とうるさいがそれを担保する具体的証拠は一切あげない

などなど精神的におかしいとしかおもえない症状がうかがい知れますね
786人間七七四年:2011/04/03(日) 20:03:06.28 ID:9gUms4wk
>>784>>785
また一切、例を出さないし根拠や裏付けもない。
なんら調べもせずいまお前が思い付いたことを書いてるだけで内容が薄っぺら。
都合が悪いことは黙殺して一切触れずに同じことを繰り返し書く。
まじでお前は頭がおかしいわ。
787人間七七四年:2011/04/03(日) 21:56:30.33 ID:q+g303vV
>>786
あんたのは自身の論理破綻には一切ふれず
それに近いけど関係ないことを必死であげつらって無理やりごまかそうとしてるだけだろw

あんたのやり方でいくら説明しようとも
広島と銀山の総構えとやらが同じように機能していたことにはならないから
「関係ありそうで関係ないことをgdgdやって俺勝った」ってやってるだけ
788人間七七四年:2011/04/30(土) 23:14:54.97 ID:04z6zeDo
戦国時代末期から大坂の陣以後までという
いい時代に生きていたのに、
いい意味での存在感がまったくない。
789人間七七四年:2011/05/01(日) 06:19:47.48 ID:OGdRIs5K
>>784>>785>>787
なにコイツ。
ソース一切なしの脳内妄想のみで執拗に絡んできてるキチガイっぷりが凄まじいなワロタw
久しぶりに戦国板最強の粘着ストーカー発見w
790人間七七四年:2011/05/01(日) 10:24:59.59 ID:nHvxWG63
>>778>>789
ソース皆無でいま思い付きました的な30秒で妄想したような
内容しか書き込んでこない粘着糖質のアホだからスルー推奨。
791人間七七四年:2011/05/01(日) 14:00:37.38 ID:bbESK/co
と、引きこもりキモオタ童貞包茎ヤリチンニートが言っております
792人間七七四年:2011/05/01(日) 14:02:49.12 ID:g+KxHvfG
ガキしかいないスレ
793人間七七四年:2011/05/01(日) 18:25:59.82 ID:X8jXae83
毛利は関ヶ原で格好よく散るべきだった
794人間七七四年:2011/05/02(月) 10:46:36.22 ID:9umVhkrW
>>784
>>銀山も己斐も仁保島もひとつの勢力が統一して運用
だから武田光和がそれら支城を支配して、主城の銀山城を守るための前衛にしてるだろ。

>>各々が離合集散をくりかえしてる状況
それは大内が武田や厳島神主家も配下にして上洛してる時代の話で
厳島惣領争いに大内が介入し自領化したことと、
武田が自立を目指して神主家の支援を始めた状況であり
まったく話の前提が違うだろ・・・お前日本語大丈夫か?

>>1600年前後の話をしてるとき
広島城の築城の話として出てきた話にお前が粘着し続けてるだけだろw
795人間七七四年:2011/05/03(火) 22:39:26.98 ID:3jOWsDKA
毛利輝元は例えるならば、しつけるために体罰をやりすぎて
人間見ると怯えるようになった、飼い犬みたいな大名だよ。
796人間七七四年:2011/05/04(水) 17:20:13.44 ID:TamDG9zr
何で秀吉とも徳川とも戦わなかったんだろう
九州は攻めてるくせに
だから人気ねーんだよ
死に方が美しければマンセーされるものを
797人間七七四年:2011/05/04(水) 22:38:50.99 ID:p5k29scj
マンセーとか、普通に使うバカw
798人間七七四年:2011/05/05(木) 01:39:48.53 ID:btO43r+5
毛利はどれだけ美化しても格好よくならない
799人間七七四年:2011/05/05(木) 13:25:10.98 ID:JSHwzTQJ
毛利は柴田と秀吉が戦い始めたら
元春が柴田、隆景が秀吉に味方しますと言わせて
両方ともに勝利を祝う書状をあらかじめ用意しておいて
勝利情報が来たらどの大名よりいち早く書状を届けることに心を砕いたヘタレ最強大名だからな。
800人間七七四年:2011/05/06(金) 10:08:45.17 ID:Ngr/occc
輝元が小早川を継いで、
秀秋を当主に迎えた方がよかったんだじゃねえか?
吉川が余計なことをするから...
801人間七七四年:2011/05/06(金) 21:39:13.26 ID:TeVMt8eN
>>800
毛利全軍をあげて寝返るだろw
802人間七七四年:2011/05/07(土) 19:01:58.19 ID:Yqcuf4eQ
秀吉と戦って領地没収されるか家康と戦って滅ぼされた方がよかったかもな
名誉のためには
803人間七七四年:2011/05/08(日) 20:34:13.78 ID:JrAEJng7
へたれにそんな発想があるわけない。
西軍総大将でありながら36万石で生き延びる恥知らず。
804人間七七四年:2011/05/14(土) 09:06:36.48 ID:8TnSQhts
輝元がこんな性格になってしまったのは、幼少時の教育が原因らしい
805人間七七四年:2011/05/15(日) 16:45:14.19 ID:/YIHU7QG
>>794
>だから武田光和がそれら支城を支配して、主城の銀山城を守るための前衛にしてるだろ。

できてねーからコロコロと裏切られたりしてんじゃねーか

>それは大内が武田や厳島神主家も配下にして上洛してる時代の話で

はいバカ丸出し
普通の人の勘違いならまだ知らず
「知識の浅さ」「WIKI知識」「妄想ソース」と罵詈雑言連呼し続けるアンタだからこそ痛すぎる
大永七年には白井が大内に裏切り大永元年弥富依重が己斐の城番に入って天文三年には武田は己斐城主己斐直之を攻撃している
どうかんがえてもコロコロと離合集散をくりかえしてるとしか言えないだろう
統一的運用などできていなかった証拠

これは豪族が自主権をもち武田や大内はあくまでその寄せ集めにすぎないことをあらわしてる
武田、大内だけじゃなくて初期戦国時代ではありふれた光景なんだが
えらそうに「知識」がどうのこうの「脳内ソース」がどうのこうのほざいてるけど
おまえ初歩的な歴史認識能力がないだろ

しかもだ

おまえは>>519

>しかも立地が安芸武田がすぐ横の大内氏の大軍を何度となく撃退し続けた超要害の場所で

といったわけだ
一元的にそんなことをいっておいて後から言い訳で「まったく話の前提が違うだろ」とは見苦しい
しかもその前提とやらに照らし合わせてもまったく理屈が成り立ってないアホさ加減はまさに噴飯モノw
806人間七七四年:2011/05/15(日) 20:49:04.50 ID:WPVlgvZu
2週も前のレスに必死でかみつくKY
807人間七七四年:2011/05/15(日) 22:41:20.51 ID:/YIHU7QG
>>806
>>794は一ヶ月も前のレスにかみついてるぞ
それも何度もだ
一連のそいつはID:9umVhkrW=subという有名荒らし
subについてはこちらで
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1268982684

自分が追い詰められたら>>732で逃げの手を打ち
相手がいなくなったころあいを見計らって>>738のように長文の罵倒文を書きなぐってるのは笑える
>>759=ID:NzKZ+ijCのように自分が書いた罵倒文を普通に自作自演で同調する書き込みもする
口調は同じだし他のスレでの荒らしぶりも含めてID:NzKZ+ijCはsubスレに観測されている

こういうことを
二月はじめ〜二月終わり
二月の終わり〜三月終わり
4月はじめ〜5月はじめ
と繰り返してる

本当にいなかったんならともかくsubがこの板に常駐してることは確認できるw
808人間七七四年:2011/05/18(水) 14:39:03.43 ID:NJXJk6Q/
>>805>>807
お前はそろそろ都合よく前提をコロコロ変えては脳内妄想を書き込まないようにすること。
809人間七七四年:2011/05/18(水) 18:44:24.35 ID:WC6hhR0g

>>805
>>大永元年(1521年)弥富依重が己斐の城番に入って
前にも神主家の後継争いの結果だと指摘したが、
己斐新城の己斐宗瑞が武田信繁ともども有田中井手の戦で討死した後に
大内義興が友田興藤らを連れて上洛から帰国した際に
後継神主を認めず神領を自己の支配下に収めることにし
己斐城・桜尾城を没収し大内方から城代が派遣されてきただけ。
それを前線に大内は武田領を攻めたが敗北し膠着状態のまま撤退。
結局、武田が神主相続を後援した友田興藤らに追放に追い込まれてる。
(友田興藤は広就を傀儡にして神領の実権を握り武田の厳島領支配が貫徹された)

>>大永七年(1527年)白井が大内に裏切り
これも指摘したが大内に大友の援軍がやってきて
白井膳胤が降伏するも総領白井備前の府中城は武田光和の後詰めもあり落ちなかった。

>>天文三年(1534年)武田は己斐城主己斐直之を攻撃している
これも指摘済で直之の古己斐城は西広島駅南西で佐東銀山城から離れていて
当時は大内側だった(武田に攻められ大内側の阿曾沼を頼って逃げた)
己斐興員の守る新己斐城である平原城は西広島駅の北西にあり佐東銀山城にも近く
ここから武田は出撃し己斐直之を攻めて落城させている。

君は過去に何度も同じことを散々指摘されながらまだ理解できないのか?粘着ループ脳だな。
結局は武田側が抑えてるわけで離合集散も何もそれで本城の佐東銀山城は落城したのか?
支城網は本城を守るために配置されているんであって
前衛の末城が一時的に内応され落ちるなんてことは当たり前で
だからと言って佐東銀山城とその支城網の構えが脆弱で役に立たない証明にはならんよ。
なんせ大内側が内応させ苦労して手に入れてもすぐに武田側に奪回されるんだから。

>>807
妄想乙。そんなに長い間にわたり常駐監視で粘着してたのかキモいな。
810人間七七四年:2011/05/19(木) 00:53:34.14 ID:3jVB5hC4
>>809
>前にも神主家の後継争いの結果だと指摘したが、
>これも指摘したが
>これも指摘済で

>君は過去に何度も同じことを散々指摘されながらまだ理解できないのか?

おまえは>>794で「それ(離合集散をくりかえしてる状況)は大内が武田や厳島神主家も配下にして上洛してる時代の話で」っていったよな?
永正十五年には大内が周防に戻っている
大永四年には神主家の家督相続も一応決着している
大永元年、大永七年、天文三年に武田に対する離反、交戦
>>794の「それは大内が武田や厳島神主家も配下にして上洛してる時代の話で」というのは
おまえが前々から「散々指摘」してることと矛盾することになるよな

>支城網は本城を守るために配置されているんであって
>前衛の末城が一時的に内応され落ちるなんてことは当たり前で
>だからと言って佐東銀山城とその支城網の構えが脆弱で役に立たない証明にはならんよ。

>>695といってたこととまるで矛盾したことを言ってるよな?

「太田川上流の武田山を中核として太田川下流左岸の己斐氏や下流東岸の白井氏の支城との連結などの
惣構えと言うべきものを立体的に見れないとか城のついて素人丸出しだな。
点でみて面で見れないのは天守閣だけ見て城を知った気分になってるのとなんら変わらない。
広島城はいままでの土木技術じゃ出来なかった太田川の中洲に移築したに過ぎずその設計思想の本質にはなんら変更は無い。
つまり武田山を攻撃すべく太田川左岸から攻めてくるのを己斐氏が、右岸から攻め寄せるのを白井氏が守っていた。
その守るべき主城を土木技術の向上により太田川上流の山上では無く今までは不可能だった
太田川の中洲に移転させただけで、太田川の要害という地形を土台にして本城を守備していた防衛思想に変化は無い。」

↑コピペしたものだが>>695を要約したら

「広島城と武田山の銀山城は距離こそ離れているものの設計思想は同じ。
銀山城は東を守る白井や西を守る己斐の支城と連携することにより総構えを構成し
大田川の要害という地形を土台とする。」

というわけだ

>>809になると

「前衛の支城が一時的に内応され落ちることなんては当たり前で
だからといって銀山と支城網の構えが脆弱で役に立たない証明にはならない」

となる

あれだけ「惣構えと言うべきものを立体的に見れないとか城のついて素人丸出しだな。」だとか罵詈雑言を加えておいて
白井や己斐の離散集合などの状況から総構えとやらが機能不全であることをいうと「一時的に内応され落ちることなんては当たり前」だの前とまったく矛盾することを
その場合>>695で声高に叫んだ「防衛思想、設計思想」とやらが破綻してることに気付かないのか?
本当に結果論バカとはこのことだな
己斐や白井が落ちてる状況ならおまえが力説した「太田川のの要害という地形を土台とする」だのなんだのいう防衛思想は成り立ってないんだよ

だいたい当時は国人の離散集合は当たり前のことで直臣でもない国人の所領ふくめてまで
「防衛思想」だのなんたらのたまうこと自体がおかしいけどな
前も言ったけど当時の自主性が高い時代背景をまったく理解できてないとしかおもえない
811人間七七四年:2011/05/19(木) 04:20:33.04 ID:AIZaUrSR
>>810
お前は本当のアホバカだな。
どこも矛盾してないじゃん。
銀山城防衛が目的の総構えは機能してるから
前衛の末城が落ちても前線の崩壊すら起きていない。
お前の主張してることは「まったく付け城・支城などが一城たりとも敵に手に渡らない
完全無欠じゃなきゃおかしい」という馬鹿馬鹿しい屁理屈でしかない。
そんなもん古今東西どこにも無いし、そんなことを主張してもいない。
だいたい支城の役目がなんだか理解できてないよね君。
白井や己斐が落ちたと主張するが総領白井備前の府中城や己斐興員の守る新己斐城は
落城せず、そこを拠点に奪回してるんだけど、なんでそれ黙殺してるわけ?
意味わからんわ。
812人間七七四年:2011/05/19(木) 07:14:53.58 ID:3jVB5hC4
>>811
>お前は本当のアホバカだな。
>どこも矛盾してないじゃん。

>どこも矛盾してないじゃん。
>どこも矛盾してないじゃん。
>どこも矛盾してないじゃん。

>>810でもいったが

お前が>>794で「それ(離合集散をくりかえしてる状況)は大内が武田や厳島神主家も配下にして上洛してる時代の話で」言ったにも関わらず
俺が>>805でその主張にあたらない時期である大永元年、大永七年、天文三年に武田に対する離反、交戦などがあることを反論したら
>>809でそれに対して過去「散々指摘した」「君は過去に何度も同じことを散々指摘されながらまだ理解できないのか?」と言い放ったのはどこのだれだ?

矛盾じゃなくてなんになるんだ?

>>695において
「太田川上流の武田山を中核として太田川下流左岸の己斐氏や下流東岸の白井氏の支城との連結などの
惣構えと言うべきものを立体的に見れないとか城のついて素人丸出しだな。」だとか
「武田山を攻撃すべく太田川左岸から攻めてくるのを己斐氏が、右岸から攻め寄せるのを白井氏が守っていた。」
などといっておいて仁保島も己斐もことあるごとにコロコロと主を変えてとても総構えを構成しての
統一運用などできてないことは明らか
矛盾というほかない

>お前の主張してることは「まったく付け城・支城などが一城たりとも敵に手に渡らない
>完全無欠じゃなきゃおかしい」という馬鹿馬鹿しい屁理屈でしかない。
>そんなもん古今東西どこにも無いし、そんなことを主張してもいない。
>だいたい支城の役目がなんだか理解できてないよね君。

そもそもお前が言ってることは前提からしておかしい
白井にしろ己斐にしろ武田の銀山を守るためにいるわけでもなければ
武田が自分の領土を彼らに与えて守らせてるわけでもない
もともとそこにいた国人が大名に従っただけで
場合によってはそこより強い勢力に取って代わられるとそちらにつくだけ
だからこんなふうにコロコロと変遷がある

周辺の己斐氏や白井氏がたまたま武田に従った時のみ銀山を守る防御網になるのと
武田が中央集権的に支城網を築き上げることはまったく別のこと
国人勢力の自主性が高かった当時の銀山の場合は確実に前者
それを「支城の役目がなんだかんだ」ってのは当時の社会情勢の基本的な常識を欠いた
頭が悪すぎる認識と言わざるを得ない
「支城の役目」がどうこういえるのは大名が事実上直接統治してるのみに言える事であって
離散集合を繰り返す当時の安芸でいえることではない
813人間七七四年:2011/05/19(木) 07:15:40.96 ID:3jVB5hC4
>>811
>銀山城防衛が目的の総構えは機能してるから
>前衛の末城が落ちても前線の崩壊すら起きていない。

おまえが>>695でいったことを引用すれば銀山城の特徴は
「武田山を中核として下流左岸の己斐氏や下流東岸の白井氏の支城との連結という総構え」
「左岸から攻めてくるのを己斐氏が、右岸から攻め寄せるのを白井氏が守っていた。」
「広島城はいままでの土木技術じゃ出来なかった太田川の中洲に移築したに過ぎずその設計思想の本質にはなんら変更は無い。」
という太田川下流全域を一つの総構えとして統一運用することで機能を発揮することになる

しかしだ、その構想の矛盾をつかれた>>811になると
>>695で城の構造そのもの(防衛思想、設計思想)として大きく扱っていた機能を
「前衛の末城」などと矮小化しごまかそうとしてる
>>695で「防衛思想」とまで言い切ったにもかかわらずだ
これも酷い矛盾だな

広島と銀山には太田川下流域全域の立地を利用した要害でありその防衛思想は変わらないというのであるが、そうであるとするなら
仁保島をとられ広島を含む下流部島嶼部を攻略されてる以上維持できないだろう
銀山がなおそれでも落ちなかったというのはお前が前提とする「防衛思想」「設計思想」が銀山が落城しなかったことと関係がない
ことだったというだけのこと

自分がいってる理論はことごとく間違えてるのに結果論だけで「俺は正しかった」と力説してる結果論バカなんだよ

>総領白井備前の府中城や己斐興員の守る新己斐城は
>落城せず、そこを拠点に奪回してるんだけど、なんでそれ黙殺してるわけ?

府中城も新己斐城も武田と大内の間をいったりきたりしてるんだけど?
814人間七七四年:2011/05/19(木) 17:54:49.28 ID:AIZaUrSR
>>794にちゃんと分別してるじゃん。
各々が離合集散をくりかえしてる状況
大永元年(1521年)弥富依重が己斐の城番に入って
前にも神主家の後継争いの結果

銀山も己斐も仁保島もひとつの勢力が統一して運用
大永七年(1527年)天文三年(1534年)
だから武田光和がそれら支城を支配して、主城の銀山城を守るための前衛にしてるだろ。

>>コロコロと主を変えてとても
家内でも庶流と宗家の間で対立はあるだろうし
武田の後詰めが遅れたりで末城が落ちることはあるだろ。
完全無欠で一城たりとも落ちないなんて主張したことはない。
しかし大局的にみて、その地域は武田から失われてないだろうが。
統一運用できていたから銀山城に危機的状況が惹起されてない。
>>武田が自分の領土を彼らに与えて守らせてるわけでもない
自力防衛できないから武田が後援し後詰めもしてあげている。
完全に武田に依存している実態がある。
依存しておらず自立してるなら総領白井備前の府中城や己斐興員の守る新己斐城は
さっさと大内へ降ればよいだけで、なにも武田に義理立てする必要はない。
>>武田が中央集権的
武田が中央集権体制だなどと主張したこともない。
>>当時の社会情勢の基本的な常識を欠いた
お前こそ寄親寄子の制を知らない無知さがよく現れてる。
>>これも酷い矛盾だな
銀山城は危機に陥ってないし近距離に作った広島城域も攻められていない。
何度も言うが宗家と庶流が争うことがあって一城が敵側に内通しようが
下流左岸の己斐氏や下流東岸の白井氏が武田から離脱してはいないし
一枝が離脱してもすぐ征伐しているし、その一枝も敵側にならない完全無欠を主張したこともない。
防衛構想ってのは銀山を守るためにあるもので、末城が落ちようが関係ないんだが理解できないの?
>>広島を含む下流部島嶼部を攻略されてる
また無知をひけらかして・・・武田軍には川内衆水軍ってのがあってだな。河川支配してるわけ。
>>府中城も新己斐城も武田と大内の間をいったりきたりしてるんだけど
じゃあソース明示してちゃんと書いてね。

815人間七七四年:2011/05/19(木) 21:12:42.41 ID:3jVB5hC4
>>814
なにが「分別」だよ

おまえは>>519

>しかも立地が安芸武田がすぐ横の大内氏の大軍を何度となく撃退し続けた超要害の場所で

といったわけだ
一元的にそんなことをいっておいて後から言い訳で「分別」とは見苦しい

お前が>>794で「それ(離合集散をくりかえしてる状況)は大内が武田や厳島神主家も配下にして上洛してる時代の話で」言ったにも関わらず
俺が>>805でその主張にあたらない時期である大永元年、大永七年、天文三年に武田に対する離反、交戦などがあることを反論したら
>>809でそれに対して過去「散々指摘した」「君は過去に何度も同じことを散々指摘されながらまだ理解できないのか?」と言い放ったのはどこのだれだ?

矛盾じゃなくてなんになるんだ?

>銀山も己斐も仁保島もひとつの勢力が統一して運用
>大永七年(1527年)天文三年(1534年)
>だから武田光和がそれら支城を支配して、主城の銀山城を守るための前衛にしてるだろ。
>家内でも庶流と宗家の間で対立はあるだろうし
>武田の後詰めが遅れたりで末城が落ちることはあるだろ。
>完全無欠で一城たりとも落ちないなんて主張したことはない。

稚拙な歴史観と妄想を大爆発させてるだけだな
そもそもお前が言ってることは前提からしておかしい
白井にしろ己斐にしろ武田の銀山を守るためにいるわけでもなければ
武田が自分の領土を彼らに与えて守らせてるわけでもない
もともとそこにいた国人が大名に従っただけで
場合によってはそこより強い勢力に取って代わられるとそちらにつくだけ
だからこんなふうにコロコロと変遷がある

周辺の己斐氏や白井氏がたまたま武田に従った時のみ銀山を守る防御網になるのと
武田が中央集権的に支城網を築き上げることはまったく別のこと
国人勢力の自主性が高かった当時の銀山の場合は確実に前者
それを「支城の役目がなんだかんだ」ってのは当時の社会情勢の基本的な常識を欠いた
頭が悪すぎる認識と言わざるを得ない
「支城の役目」がどうこういえるのは大名が事実上直接統治してるのみに言える事であって
離散集合を繰り返す当時の安芸でいえることではない
816人間七七四年:2011/05/19(木) 21:15:25.35 ID:3jVB5hC4
>>814
>武田が中央集権体制だなどと主張したこともない。

お前が言う「支城の目的」とやらは武田が支城を思いのままに動かしうる
統治体制ができてないとならないこと
そのあたりの国人の寄せ集めという緩やかな主従では統一的運用とやらはできないし
「支城は本城を守るためにある」なんて発想も成り立たなくなる
おまえが無理矢理にそれをあると強弁してるのは妄想にすぎない

>統一運用できていたから銀山城に危機的状況が惹起されてない。

おまえが>>695でいったことを引用すれば銀山城の特徴は
「武田山を中核として下流左岸の己斐氏や下流東岸の白井氏の支城との連結という総構え」
「左岸から攻めてくるのを己斐氏が、右岸から攻め寄せるのを白井氏が守っていた。」
「広島城はいままでの土木技術じゃ出来なかった太田川の中洲に移築したに過ぎずその設計思想の本質にはなんら変更は無い。」
という太田川下流全域を一つの総構えとして統一運用することで機能を発揮することになる

しかしだ、その構想の矛盾をつかれた>>811になると
>>695で城の構造そのもの(防衛思想、設計思想)として大きく扱っていた機能を
「前衛の末城」などと矮小化しごまかそうとしてる
>>695で「防衛思想」とまで言い切ったにもかかわらずだ
これも酷い矛盾だな

広島と銀山には太田川下流域全域の立地を利用した要害でありその防衛思想は変わらないというのであるが、そうであるとするなら
仁保島をとられ広島を含む下流部島嶼部を攻略されてる以上維持できないだろう
銀山がなおそれでも落ちなかったというのはお前が前提とする「防衛思想」「設計思想」が銀山が落城しなかったことと関係がない
ことだったというだけのこと

自分がいってる理論はことごとく間違えてるのに結果論だけで「俺は正しかった」と力説してる結果論バカなんだよ
817人間七七四年:2011/05/19(木) 21:16:36.05 ID:3jVB5hC4
>家内でも庶流と宗家の間で対立はあるだろうし
>武田の後詰めが遅れたりで末城が落ちることはあるだろ。
>完全無欠で一城たりとも落ちないなんて主張したことはない。

おまえが妄想した大きな構想が破綻したから家門の対立という問題に矮小化してごまかそうとしてる
理論のすり替えか
おまえそんなのばっかりだな
あげく「完全無欠とはいってない」というわけがわからない言い訳
おまえがいってるように機能しないほどコロコロ情勢が変わってることをいってるにもかかわらず
日本語が通じないのか

>下流左岸の己斐氏や下流東岸の白井氏が武田から離脱してはいないし
>何度も言うが宗家と庶流が争うことがあって一城が敵側に内通しようが
>下流左岸の己斐氏や下流東岸の白井氏が武田から離脱してはいないし

大嘘
己斐氏も白井氏もいずれも離脱しまくってる
コロコロと動向を変えてるのは一部ではない
己斐新も己斐古も府中も仁保島といった銀山と連結し総構えを構成することによって機能するという
お前がいう銀山の防衛思想の中軸になるような支城はことごとくコロコロといったりきたりしている
おまえが妄想した「本城、支城」論が崩壊するわけだ
おまえが>>695で「防衛思想」とまで言い切ったものはあり得ないってこと

>お前こそ寄親寄子の制を知らない無知さがよく現れてる。

は?いつそんなこといった?
「一門争い」だったとか「寄親寄子」だとか戦国時代っぽい用語を乱発して
理論を摩り替えてごまかしてばっかだだ

>一枝が離脱してもすぐ征伐しているし、その一枝も敵側にならない完全無欠を主張したこともない。

大永年間に仁保島白井が寝返ってからずっとそのままで征伐なんかされてないし己斐の二城は永正十五年以降天文三年まで大部分大内側

>近距離に作った広島城域も攻められていない。
>また無知をひけらかして・・・武田軍には川内衆水軍ってのがあってだな。河川支配してるわけ。

川内衆水軍っていうのも所詮諸氏の合同体
後に広島になる五ヶ村の領主の福島氏も最初は川内衆水軍に属していたが
大永五年には武田を裏切ってる
広島城域も大内側だった

>じゃあソース明示してちゃんと書いてね。

おまえも何のソースもしめしてないんだが・・・
818人間七七四年:2011/05/20(金) 05:52:04.76 ID:9IdIHMMX
subは自分が>>761のようにソースを求められたら逃走するのに
自分は求めるんだなw
819人間七七四年:2011/05/20(金) 08:41:48.79 ID:8vDLvjK9
おまえら、楽しいの?
820人間七七四年:2011/05/20(金) 12:55:55.09 ID:9q8gxqAd
福島氏は武田氏によって川内水軍から追放されて大内に亡命客将化してるだけだよ。
その時の大内は仁保島を迂回して現形した毛利との合流を図ってるし。
もし福島氏が健在なら仁保島を迂回する必要性もまったくないし
広島城域が大内化したことなんて無いよ。
なんか嘘ばかり書いてるようにしか見えないけど。
821人間七七四年:2011/05/20(金) 13:19:25.49 ID:Ao7htnT2
そしてまたスレを乗っ取られる輝元さん
822人間七七四年:2011/05/21(土) 06:00:55.15 ID:IRacuP4C
そもそも仁保島は大内に落とされた事すらないわけで…小説か何かの話をしてるとしか。
823人間七七四年:2011/05/23(月) 14:52:50.37 ID:2qPZsFmN
>>817
寄親寄子の制を後ろ盾に惣領制が発展するって言うのが全く理解出来てない。
初心者から学び直した方がいい。
824人間七七四年:2011/06/01(水) 17:21:42.34 ID:zuPgrCOd
>>820>>822>>823
それ書いてる人はかなりの素人だね。
まったく理解してないで書いてるのがわかる。
どこかのHPの丸パクリかな?
825人間七七四年:2011/06/01(水) 19:19:10.41 ID:K0LwxbIQ
>>820
>福島氏は武田氏によって川内水軍から追放されて大内に亡命客将化してるだけだよ。

本当か?
広島県史などをあたってみたがそんな事実は確認できなかった
確認できるソースだせよ

>>822
大永六年に降伏、再び武田につくも翌七年に再び降伏
以後大内につき伊予忽那や備後因島、出雲大根島を転戦するなど大内側に貢献してるんだが
>>823
>寄親寄子の制を後ろ盾に惣領制が発展する

意味不明どころか明確な間違い
室町、戦国時代って一族の血縁で持つ惣領制がよわまり
大名の権力が高まり公儀としての性格が高まる過程の時期

言い換えれば武士は惣領制的、一族郎党的なつながりを軸とするのではなく
大名家の家中として均一化されるようになる過程の時期だろ

毛利家で言えば主家の権威をないがしろにする井上党を誅殺し
残った家臣団が以後の統治権裁判権を毛利に譲渡するという起請文を書き
よりいっそうに集権化がすすんだ事件が象徴的だが全国的な流れとして
権力の集中化、大名の私権力からの公権力化が進んだ時代

寄親寄子制は寄親も寄子も大名と主従関係を結んでる
惣領としか主従関係を結んでなく惣領の権限が強かった中世前期とはあきらかに違い
大名権力の増大化の過程の時代の軍事システムとして機能したシステム

「惣領制が終わり寄親寄子制が導入される」なのに「寄親寄子から惣領制に発展する」
なんて馬鹿もいいとこだろ

「当時の社会情勢の基本的な常識を欠いた」っていわれたから
理解できてないけど悔し紛れで戦国時代っぽい寄親寄子って用語つかって
「おまえこそ寄親寄子制をまったく理解してない」って書いたんだろw
しかも>>824で自演しちゃったから>>823の馬鹿発言言い訳できなくなっちゃったねw
自演罵倒レスを律儀にくりかえしてくるとか人格的にも終わりすぎてるな
(内容は他人を装いつつ自分と言い合ってるほうを「知識がない、理解できてない、妄想ソース」などワンパターンな文句で口悪く罵る)
826人間七七四年:2011/06/02(木) 05:56:12.21 ID:jrhUHJt9
川之内海賊衆の家の一つ福島氏は武田領ど真ん中で孤立し維持し続けることは不可能で亡命。
故地への復帰は武田滅亡後(1540年)の1541年であり、証拠として天文10年9月20日の大内義隆袖判宛行状に
佐東郡中庄司内五拾壱貫□五百目地事とあり義隆は51貫余を福島親長に与えている。
しかし大半は毛利が貰っていて佐東や安南合計1000貫の所領が毛利へ
さらに1542年11月にも判氏の遺領である判の地も貰い武田の佐東川川口の川内衆水軍を
毛利直属にしているように福島氏が宛がわれたのはわずかだった。
親長の子の福島隆弘は1543年大内義隆の出雲侵攻に参加し出雲にて討死
1544年7月19日大内義隆は中庄司のうち56貫余など福島氏遺領を宮福(親長娘で福島家を嗣いだ元長の妻)に安堵している。
827人間七七四年:2011/06/02(木) 06:02:21.71 ID:jrhUHJt9
白井膳胤(子)は熊谷宗直娘を妻にしており武田の暗殺指令による山中成祐の
熊谷信直暗殺事件の政変で疑われ府中城の白井備前守の元より逃亡。
1527年大内から周防熊毛郡に三百貫を宛がわれ佐東郡内(北庄・山本・箱島)も保障される。
(佐東郡に関して・・・毛利も大内から与えられた事になっていた可部の地を所持してないのに
熊谷を離反させる時に与えていたりと戦国期には空安堵はよくある)
大友の一万田文書には3月に豊前守護代の杉興重が大友兵を同伴しての仁保島や日地島攻撃して帰ったとある。
しかし大内軍は和智氏や湯浅氏ら備後勢が尼子に寝返ったので三次市和智町のあたりで11月まで和智細沢山対陣。
1528年7月にはいまだ大内がもたもたと白井攻めをしてるのが確認される。
828人間七七四年:2011/06/02(木) 06:09:27.98 ID:jrhUHJt9

1529年(享禄2年)大内義興死去の年。仁保嶋海上諸公事の白井光胤(祖父)も
息子のいる大内に亡命し周防玖珂郡に二十石・豊前築城郡に十二石の知行。
膳胤出雲侵攻で戦死説あり。白井房胤(孫)が1543年に相続し周防・豊前の知行を安堵される。
大内に属して周防豊前に居を移しているため仁保島の地を所持していた証拠はまったくない。
熊谷氏を始めとして国人達は所領を一族で分割しており惣領を中心とした惣領制にするために苦心を重ねていて
分割されていた一族を強力な寄親からの惣領公認の後ろ立てを背景に一つに纏め上げようとした。
これは井上一族にも言えることで井上宗家を蔑ろにして一族は直接に毛利に仕えたりと分裂していった流れを食い止め
纏める為に井上宗家は寄親元就に近づき惣領としての立場を確固たるものにし元兼主導で井上一族を纏めることに成功した。
829人間七七四年:2011/06/02(木) 06:16:11.01 ID:jrhUHJt9
元兼暗殺はその商業流通による利権を奪おうとした元就の暴挙であり、
元兼専横と記しているのはのちに正当化しようとする元就本人の弁解によるもの。
元就のこの手の弁解はかなりの捏造歪曲を含んでいる。
例えば義興による加増の由来などで元就が過去を振り返って書いているが
大内は東西条からも全兵を撤退させたので中国地方はこれより20年の間、尼子の勢力が強かったが
そんな中で毛利だけは大内に忠節したから大内から得た領地は正当だと主張するなどデタラメが書いてある。
また兄弟も親戚もいない天涯孤独な元就などとウソを書いている。
さらに尼子がやってきた時に幸松丸が死ん時に元就が跡を継いだのは尼子の承認があった事実も隠している。
830人間七七四年:2011/07/16(土) 13:44:06.14 ID:bCZgQhtd
これ例え西軍が決戦で勝ったとしてもすぐに九州戦線を手当てしないと大火事になるから
大阪城に籠城するだけ無駄なんじゃないのか?
籠城してよくなる状況が良くなる展開が思い浮かばない。
かといって領国削減を抵抗もせずにまんま呑むのはどうかと思うが。
そのへんの駆け引きが輝元は下手だよね。
831人間七七四年:2011/07/16(土) 16:37:24.80 ID:whnG6D2q
832人間七七四年:2011/07/19(火) 23:19:21.67 ID:Sj600Njf
833人間七七四年:2011/07/27(水) 21:00:23.54 ID:i/qwOH9o
834人間七七四年:2011/07/27(水) 21:00:44.05 ID:i/qwOH9o
835人間七七四年:2011/07/27(水) 21:21:59.49 ID:AB++kyH4
TERUと大阪城なら、15万くらい軽い
836人間七七四年:2011/08/18(木) 22:54:29.41 ID:EOTmVplb
大阪冬の陣の時を考えればまんざら間違いでもないよな
837人間七七四年:2011/09/09(金) 01:35:06.42 ID:Nta4v72G
輝元って、戦局を拡大せずに日本に平和をもたらしたとかで、
徳川慶喜と並ぶ日本平和への貢献とされてるが、実際は単に無能なだけ。

天下を取れる実力と機会が有りながら、何もせずに滅亡寸前まで追い込まれた!!
こんな愚将、日本どころか世界史上でも居ないだろ
838人間七七四年:2011/09/09(金) 08:09:15.37 ID:fPiPPcHn
TERUには機会はあっても実力は無い
839人間七七四年:2011/09/09(金) 08:15:23.00 ID:HE4E3b61
実力を発揮したら日本やばかった
840人間七七四年:2011/09/09(金) 08:50:39.26 ID:X3xPKL+M
秀頼を率いて出陣、輝元が実力を発揮したら、
関ヶ原一発でで徳川の天下が完成。
大坂の陣はなかった。
841人間七七四年:2011/09/10(土) 13:41:58.32 ID:5WU+G4Q1
てるもっちゃんはよく動く置物
842人間七七四年:2011/09/10(土) 17:29:07.76 ID:futfDRv/
毛利の動きって、東西両軍が対峙してる間に西国を切り取れるだけ切り取ってやろう
という完全に私利私欲だけ考えた動きだよね。
843人間七七四年:2011/09/14(水) 22:24:44.81 ID:NwXKMjSn
>>842
買い被り過ぎ
本気で何も出来なかったんだろ。

西国を切り取りたいなら東軍について宇喜多を攻めるしかないんじゃね
西軍に組して味方の宇喜多を討つか
東軍に組して敵の宇喜多を討つか

まさか黒田如水とは戦えんだろ
844人間七七四年:2011/09/14(水) 22:41:56.04 ID:abLixOcW
>>843
四国を削ったり、九州に大友送り込んだりしてるだろ。
関ヶ原直後が毛利の最大領土なんだぜ?
845人間七七四年:2011/09/14(水) 22:48:03.80 ID:NwXKMjSn
>>844
九州に大友って・・・
そうか、その程度の手慰みで国の切り取りなんだ
846人間七七四年:2011/09/15(木) 09:21:47.86 ID:/0QBE7/4
テルが勝手な動きをしたら、
黒田孝高と加藤清正が黙ってないだろ
847人間七七四年:2011/09/15(木) 11:35:55.99 ID:7tTe/yPW
大阪市VS大阪府 赤字対決
http://twitpic.com/4zphru
朝日新聞 5月19日(大阪版) 夕刊
848人間七七四年:2011/09/15(木) 21:29:06.88 ID:Pmb5GbmV
>>846
だから大友をけしかけて九州の東軍の動きを牽制しようとしたんだろ?
その間に四国と中国の小勢力を切り取ってる。

お前らが何を言おうと、実際に切り取るのに成功してるんだからしょうがない。

まー、実際、関ヶ原が膠着してたら九州統一した黒田にプチっとされてたとは思うけどな。
849人間七七四年:2011/09/15(木) 22:29:29.42 ID:UQn2S0uV
輝元は秀頼を奉じておいてその裏であっけらかんと西国に武力拡大し、
一方吉川広家は徳川に内通してた訳で、
本当は長期戦とその結果の「漁夫の利」的外交勝利を狙ってたんじゃないの?いかにも毛利らしいじゃない
ただそういう伝統芸をやるには輝元も広家もちょっと役者が弱かったと
850人間七七四年:2011/09/15(木) 23:31:58.10 ID:oZlK3sIg
篭城したら勝ってたって事だな!
851人間七七四年:2011/09/16(金) 02:43:59.60 ID:S97RpVRq





フジテレビの韓流捏造の問題点

1、米国では禁止になっているステルスマーケティングによる洗脳工作がひどい点。
2、譲渡されたK−POPの著作権で儲けるためK−POPを押してる点(米国では違法。日本でも暴挙扱い)
3、一言批判ツイートしただけで事務所を首になったり番組下ろされたりと言論弾圧がひどい点。
4、韓流押しに反日活動が伴う点(韓日戦、浅田真央叩き、国歌カット、アンケ捏造、原爆シャツ、他多数)
5、韓国政府の国策による格安の番組売りつけにより、テレビの利益優先を許せば日本の番組が排斥される点。
6、韓国政府のブランド委員会から多額の工作費が電通などに渡っている点。つまり他国によるメディア買収問題。

テレビ局が責められたくない点。

1、電波に入札制を取り入れて、既存のテレビ局による電波独占状態を打破する。
2、電波使用料を値上げする。現在イギリスでは850億。GDP2倍の日本はたった42億。日本なら2兆はいける。
3、テレビ局が新聞社などを持つクロスオーナーシップを禁止する。麻生が潰されたのも多分これを実行しようとしたせい。
4、テレビ局が楽曲の著作権を取得して自社宣伝するのを米国と同じように禁止する。K-POP人気捏造はこれのせい。





852人間七七四年:2011/09/16(金) 08:53:06.93 ID:T5kswYz2
>>848
大友はどんだけ強いんだよww
853人間七七四年:2011/09/16(金) 21:23:04.63 ID:KekYpxLF
>>852
大友がつぶされるまでの一瞬だけでも時間が稼げてるだろ。
ほとんど自分の懐を痛めずに。
そもそも毛利に大友を本気で助ける理由なんてあるわけがないwww
854人間七七四年:2011/09/17(土) 14:41:38.98 ID:pVhxKH9L
必死になってTELを誉めそやしたいみたいだが
マニアでもなけりゃわからん中四国の小勢力と大友を野放しにするくらいなりゃ
東軍についてでも出来る。
素直に東軍について、主力を連れて出た宇喜多居城でも狙うのが吉。
855人間七七四年:2011/09/17(土) 21:36:19.99 ID:9LdKxVFj
>>854
そりゃ無理だろ。毛利がうごなきゃあそこまで西軍が大きくなるわけがない。
石田中心じゃ、家康の予想通り小規模の蜂起で終わるから、
切り取る隙なんてできるはずがない。
因と果を取り違えてるよ。

ついでに、事実をいうだけでなんで誉めそやすことになるんだ?
自分の知識不足を指摘されてそんなに悔しい?
856人間七七四年:2011/09/19(月) 22:57:35.90 ID:/ADoIa4N
>>855
なんで毛利が動かなきゃ西軍に人がいないんだ?
宇喜多、小早川でも相当デカい。
宇喜多、小早川は流石に東軍にはつけない。
毛利が東軍に回ったって三成なら戦争してくれる
857人間七七四年:2011/09/19(月) 23:16:19.97 ID:vEVdP29r
>>856
いや、なんで小早川?
元々、会津攻めに参加するつもりだったのが、上方で足止めされて
しょうがなく西軍に参加しただけだったのに?
858人間七七四年:2011/09/24(土) 17:57:05.63 ID:AL2YAg6t
輝元に元就ぐらいの能力があれば確実に歴史が変わってたよね
859:2011/09/24(土) 21:02:37.21 ID:dBnyV3yA
総大将が大阪城から動かないんだからなw

話になんねーよなw
860人間七七四年:2011/09/25(日) 22:43:29.19 ID:pzjD7sGF
佐竹なんかは2年ぐらい動かなかったんじゃなかったっけ
861人間七七四年:2011/12/04(日) 21:40:32.53 ID:EsdGg7Vf
>>1
後世の歴史から考えて、淀が和睦派だったんじゃねーの?
そしたら毛利輝元もどうしようもないよね。

そもそも淀の監視役として大坂城に居たみたいだし。
862人間七七四年:2011/12/05(月) 05:42:47.43 ID:q7QqE5V9
>>861
残念だが、書状を読む限り
輝元が毛利領安堵&輝元の責任を問わないことを条件に、
大坂明け渡しの説得をするって話になってる。
そして輝元は見事に騙される。
863人間七七四年:2011/12/05(月) 08:41:13.25 ID:qetmbdYT
西軍総大将が無傷で済んだら、
宇喜多や立花に顔向けできんだろ。
その甘さがテルなんだよな。
864人間七七四年:2012/02/18(土) 09:47:12.16 ID:b7Q2Tdv0
3カ月も忘れられテルage
865人間七七四年:2012/02/19(日) 15:21:19.47 ID:CBbiq9Al
毛利輝元は苦労知らずのボンボン育ちだから
謀略得意の古狸家康に一杯喰わされましたなwww
866人間七七四年:2012/02/19(日) 15:31:15.62 ID:Hbnt6sTi
輝元本人は家康との交渉はなにもしてないんだが。
騙されたとしたら吉川だ。
867人間七七四年:2012/02/19(日) 17:02:28.77 ID:P+sErgHu
むしろ家康に続き、立場が悪くなった吉川にも騙された輝元だろ・・・
868人間七七四年:2012/02/19(日) 17:05:07.69 ID:CBbiq9Al
輝元本人が「幼君秀頼公を毛利家の家名に賭けてお守り通す!」と忠義の旗を建てれば
当時の大坂城は難攻不落で徳川幕府は後の歴史上存在しなかっただろうし、毛利の領土も安泰だったであろう。

先頭に立つ大将が、無能でへタレでは勝ち戦も負けるわなw
869人間七七四年:2012/02/19(日) 17:19:21.93 ID:5cCreAGJ
徳川慶喜とその点は似てる
870人間七七四年:2012/02/20(月) 16:56:30.99 ID:AWvYAMkQ
>>865
輝元が生まれた頃はまだ毛利家は小さかったからボンボンとかは違うだろ
それに苦労知らずとか書いてるけど11歳で家督を継ぎ、13歳で初陣し
その後も戦場に出たり叔父に殴られたりしてるんだからむしろ苦労人のほうじゃね

>>868
そんな事を言っても豊臣家が断ったらどうするんだ?
だいたいそんな事を言ってこっちの考えたとうり行動してくれるんだったら
最初からもっと有利に戦えただろ
こんな事を言えば大丈夫と考えてる事の方が無能なんじゃね
871人間七七四年:2012/02/21(火) 09:18:09.04 ID:584/c5Yk
大老のひとりが請われて大坂城入りしたのに、豊臣家が籠城は断るのか?
三成憎しの福島や黒田だって、秀頼が籠る大坂城は攻撃しないだろ
872人間七七四年:2012/02/22(水) 01:59:30.18 ID:jdDXAna6
>>871
毛利を大坂城に呼んだのは三成と秀家と奉行衆であって豊臣家では無いから
873人間七七四年:2012/03/03(土) 20:45:25.78 ID:BsP9TUgM
随分マイナーな中世城郭(家臣の城)の復元模型だ。
沼地に突き出た台地の要害に築かれた土の城だ。
大きさも500o×330oで卓上サイズで手ごろな感じ。
博物館仕様で作らせただけあって見事なできばえだ。
http://saikatsutramway.sakura.ne.jp/saikatsu_tramway/furumaki.html
874人間七七四年:2012/03/07(水) 11:02:12.91 ID:sO26v6LJ
とばっちりを受けるテル仲間
上杉テル虎、伊達テル宗、池田テル政
北条氏テルはテル違い
875人間七七四年:2012/03/08(木) 16:53:02.33 ID:XP2D9VjW




【社会】 「2ちゃんねる、ネットの健全性損なう」 警察、"アンタッチャブル"だった2ちゃんの元管理人や削除人、関係先強制捜査★12



http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1331190280/




876人間七七四年:2012/03/19(月) 11:34:38.28 ID:VDNy2175
テル、だれもいなくなったよ
テル、人気ないね
877人間七七四年:2012/05/17(木) 14:51:44.75 ID:yJgflIIM
朝鮮出兵やらいろいろ参加しているけど、
武勇伝はあるの?
878人間七七四年:2012/05/17(木) 23:53:31.09 ID:jRPMSYri
文禄のときは、確かわりと速攻で輝元様は病気にかかって役立たずに
でも、なんでか愚図愚図してなかなか帰らず、秀吉がイラっとした
もっぱら吉川広家と小早川隆景・秀包が頑張ったつうか
帰国後は名代として秀元が毛利宗家の大将として派遣されたので
輝元様はほとんど活躍しなかった
879人間七七四年:2012/06/02(土) 23:16:43.15 ID:4ynoTn2B
大坂城に立て篭もるぐらいなら関ヶ原に出陣してるだろうな
880人間七七四年:2012/06/03(日) 12:19:34.25 ID:DlwbZWNw
全員こっそり隠れて家康が入城したら一斉に襲い掛かればいい
881人間七七四年:2012/06/03(日) 15:16:23.99 ID:1wmIMe5b
関ヶ原当時は、秀頼と行動をともにしていれば絶対に安泰だったからな、
大坂城を出るなどという選択肢は無い。
882人間七七四年:2012/06/14(木) 21:16:35.09 ID:BQ1uAtf3
毛利輝元には覇気がない
883人間七七四年:2012/07/01(日) 07:00:59.12 ID:SVlSyARz
>>882
勇気もない
884人間七七四年:2012/07/01(日) 07:34:05.26 ID:cdfaQvtM
絵に描いたような盆暗
885人間七七四年:2012/07/01(日) 10:19:53.98 ID:KxrjUzET
光成氏は奉行からのお呼びを待ってましたと言わんばかりの
打ち合わせ済みで事前準備していないと不可能な
ありえない速さでの大坂城へ入りなどの手腕を
愚鈍ではなく非常に野心的だと評価しているね。
ただ欠点として叩き上げの家康と違い
ボンボンゆえの最終局面での決断力の欠如や人望の無さをあげている。
まぁ吉川がカスなだけだと思うが。
886人間七七四年:2012/07/21(土) 10:52:47.83 ID:6waw7OYe
野心家なのに、人望も決断力もないって
むしろ最悪のパターンだろ。
単なるボンクラの方がましというか。
887人間七七四年:2012/07/22(日) 17:08:37.55 ID:aBrxiGFE
野心というより出遅れて宇喜多や小早川にでかい面させたくないという
保身だったんじゃないかな
888人間七七四年:2012/07/28(土) 12:32:43.01 ID:iPBN34/l
輝元の腰抜にはまいった
889人間七七四年:2013/02/19(火) 00:25:53.72 ID:cImX0FQC
輝元な何もできない。
元就ならどうしただろう
890人間七七四年:2013/02/19(火) 23:03:26.58 ID:Lcop3Xaw
よく言われるifだがそもそも元就が謀将として評価されるような功績を上げたのは
結構歳食ってから(つまりそれだけ色々経験してから)っていう前提がある。
毛利家を大国にまでのし上がらせて更に関ヶ原まで生きさせるってif自体が無茶すぎる。
あるいは元就の前に毛利家を拡大させる人物がいたらってifにしても、小国から成り上がった経験の無い元就って全然別の人間になりそう。
だいたい史実の元就も財務はじめ家を取り仕切ってた隆元がいてこそだったが隆元自体が早死するし。
つまり色々と前提がおかしい。
まあ元就のクローンがいたとしたらそもそも関ヶ原みたいな展開にもっていかないだろうからこれまた予想は難しい。
891人間七七四年:2013/02/19(火) 23:06:32.90 ID:Lcop3Xaw
>>885
四国九州にちょっかい出したり、大坂の陣では豊臣方に家臣送り込んだり行動は確かに野心的。
だが打つ手がどれもこれも外れてる。まさにボンクラ。

ただ吉川だけじゃなくて宿老福原の跡継ぎや宍戸・益田・粟屋なんかも一緒になって中途半端に日和った事してる。
吉川ばっかスケープゴートになってるが内実はカスばっかで毛利家自体が腐りかけてたとも言える。
892人間七七四年:2013/03/29(金) 20:54:54.14 ID:9acGnBvO
毛利を当てにしたのが三成の運の尽き
893人間七七四年:2013/03/29(金) 21:58:49.46 ID:Q4f9yYZJ
>>885
大阪城に入ってから輝元は徳川との戦を極力避けるように行動しているフシがあるから
決断力がないのと判断するのは違うと思う

あと四国や九州への派兵も野心というより留守にしている領国の防衛策っぽい
894人間七七四年:2013/03/29(金) 22:14:57.54 ID:hhc9OK45
家康との対戦避けるつもりなら最初から西軍総大将にならんかならんでいいっつの
しかも伊勢湾やら伊勢方面軍やらにも軍送りまくり西軍の豊富な戦力分散させまくって
敗戦の主要因作った馬鹿はどうしようもない
895人間七七四年:2013/03/29(金) 22:30:37.37 ID:hziNttP1
日和ってた前田が東軍に付いちゃったからな
896人間七七四年:2013/03/30(土) 04:57:19.65 ID:IO+W4h0N
>>894
戦局が不利になったから対戦さけて
まだある程度互角のうちに和平にシフトを変えたんだろ
三成たちが独断で関ヶ原で決戦したためパワーバランスが崩れ降伏しなくちゃならなくなったけど
あと西軍の豊富な戦力分散させまくってとかいって文句を言ってるけど
そもそも西軍はこの戦を長期的考えていたんだから戦力を分散させる当然の行動だろ
おまえの文句は全部西軍が関ヶ原で決戦することを目標に
行動していたという事を前提にしてるけど
実際はそんな事を目標にしてないから大津城に兵を派遣したり
田辺城を包囲したまんまにしている
897人間七七四年:2013/03/30(土) 10:35:10.07 ID:wcpLdCeE
おそらく戦を徹底的にグダグダにしてきりのいいところで家康と調停ってのが輝元の狙いだろうな。
898人間七七四年:2013/03/30(土) 10:45:55.88 ID:0cG2P/el
三成はかわいそうだよなぁ
18万の大軍をかき集め絶対勝てる状況作りながら輝元は伊勢湾やら四国やらどうでもいい方向に軍分散させまくり
美濃口を突破されそれでもめげず本戦でも布陣で優位に立ち毛利一族さえ馬鹿じゃなきゃ絶対勝てる状況作ったのに
肝心の輝元は大阪に居座るアホっぷりで秀元秀秋広家も全く使い物にならず大敗
毛利のアホさ加減で努力が水の泡に帰したのが三成
899人間七七四年:2013/03/30(土) 10:46:48.94 ID:yOq8LWK7
>>876
だから総大将にもかかわらず軍分散してどうでもいい所攻めて本決戦で軍ろくに動かさず敗北する毛利が糞すぎるといってるわけで。
大体自分が総大将にもかかわらず東軍との本決戦に敗れれば自国の領域拡大も瀬戸内海の利権も糞もないわけで。
あと関が原直後には毛利の厳封が決まってるのに厳封確定になった時点で厳封する事が決まった領域を一時的に持ってた事をもって「領土は最大」などとはいわん
あと8/10石田←佐竹書状で「輝元は家康が到着したら三万を召し連れて出陣する」と書いており西軍方は家康との本決戦にあたって総大将であり最も巨大な軍団を持ってた輝元を
主力として東軍を迎撃しようと考えていたが当の輝元が再三に渡る石田ら西軍の援軍要請を無視しまくって本決戦で敗れる理由となったわけ。
尾張口に大軍で美濃方面を攻めに来てるのにそれ無視して援軍要請も無視して
伊勢湾とか四国とかどうでもいいところ攻めてるのにその作戦が真っ当とかないわ
戦力下手に分散してその一部隊が敗れたら戦局が大きく傾くなんて普通の脳味噌の人間ならわかることだし事実そうなったし

>>毛利が家康との直接対決で全力出す必要は全くない。
家康との直接対決で西軍方の一部隊が敗れたらもう手遅れで降伏するしかなくなるのが毛利
事実そうなったし自国の領土拡大どうこういうなら総大将としての地位を最大限生かして東軍との主力決戦で勝利し
大将としての権力を確立していけばいいだけ。
長期化するシナリオでも最低限福島やら池田やら東軍方諸侯は確実に美濃口で立ち往生させないとどんどん味方が減るだけだし
さっさと石田ら西軍諸侯の要請通り美濃に大軍送ってりゃよかっただけ

西軍総大将で最も規格外の大軍持ってるにもかかわらず目的が火事場泥棒で
軍分散させまくったあげく東軍の尾張口の進軍にも対応せず石田らからの要請無視して
大敗し大厳封くらうんだから相当馬鹿だな
伊達最上堀らに囲まれてた上杉と違って毛利は兵力的にも状況的にも十分すぎるほど東軍ぶち破るチャンスがあったのに
むざむざ無駄にして何もしないまま大厳封
西軍総大将として存在しながら本決戦に負けたら勢力拡大も火事場泥棒も糞もないのにクズすぎる

一日で敗れるような会戦状況作ったのは他でもない輝元。
尾張口に大軍で美濃方面を攻めに来てるのにそれ無視して援軍要請も無視して
伊勢湾とか四国とかどうでもいいところ攻めてるのにその作戦が真っ当とかないわ
戦力下手に分散してその一部隊が敗れたら戦局が大きく傾くなんて普通の脳味噌の人間ならわかることだし事実そうなったし 。
家康との直接対決で西軍方の一部隊が敗れたらもう手遅れで降伏するしかなくなるのが毛利
事実そうなったし自国の領土拡大どうこういうなら総大将としての地位を最大限生かして東軍との主力決戦で勝利し
大将としての権力を確立していけばいいだけ。
長期化するシナリオでも最低限福島やら池田やら東軍方諸侯は確実に美濃口で立ち往生させないとどんどん味方が減るだけだし
さっさと石田ら西軍諸侯の要請通り美濃に大軍送ってりゃよかっただけ

三成ら西軍諸侯は輝元に援軍要請している(8/29保科正光→黒河内長三、9/12石田三成→増田)
が輝元は無視して伊勢湾やら四国やらに軍向けるばかり
また、美濃攻防時三成は織田秀信救援軍として美濃河渡において東軍と戦っているが数が足りず、敗れている
このときも毛利の大軍の後詰が素直に行われていれば簡単に撃退できたはずだが輝元は大阪から足を動かさず
伊勢湾に軍船送って荒らしまわるだけ。
はっきりいって奉行衆がどんな名将でも総大将がここまでのクズだとどんな軍でも勝ちようがない
西軍の中核は毛利軍や小早川軍など毛利一族の軍であり
こいつらが全く使い物にならない以上、西軍に勝つ事なんて無理で三成の能力どうこうの問題ではない
900人間七七四年:2013/03/30(土) 10:47:31.99 ID:0cG2P/el
関が原本戦に負ければ自領の拡大も瀬戸内の権益も糞もないし
逆に勝てば総大将として領土も権益も最大限に拡張するのに
そんな事もわからないとか相当の馬鹿だな
901人間七七四年:2013/03/30(土) 12:30:05.15 ID:36KhTlzx
>関が原本戦に負ければ自領の拡大も瀬戸内の権益も糞もないし
歴史を知る後世の人間が下せる判断だね。

毛利が自領域拡大に注力していたのは明白。
所詮、地方領主なんだよ。
中国・瀬戸内地方以外への影響力に意欲があった史実もないだろ。
902人間七七四年:2013/03/30(土) 12:39:29.06 ID:yOq8LWK7
だからそれなら初めから西軍の大将なんて引き受けねえし伊勢湾やら伊勢方面やら軍団おくらないっつの。
西軍の総大将になれば東軍総大将の家康とぶつかるなんてアホでもわかるだろ
903人間七七四年:2013/03/30(土) 12:42:15.03 ID:0cG2P/el
関が原本戦は輝元が要請無視しまくり軍分散させたせいで起こった戦(輝元が美濃方面にさっさと後詰行ってたら木曽川ラインで
迎撃すれば東軍は進む事すらかなわない)
またその本会戦も毛利秀元や小早川など圧倒的大軍と戦局決定できる圧倒的優位な状況にありながら何もせず大敗を喫し大減封食らったのが毛利
普通に毛利一族がカスじゃなきゃ負けるわけがない戦闘状況だったが毛利一族がカスだったために負けただけ。
関が原本戦で西軍のうち半分ほどが毛利一族の軍でこいつらが使い物にならなかったから西軍に勝つ可能性など皆無。
こんな状態で長期戦を望むも糞もなくただ毛利一族は自分が糞すぎたせいで本戦は短期で終わっただけ
>>繰り返すが、あくまで本命は四国地方への領域拡大
四国方面への拡張とか言ってるけど中途半端に伊勢湾荒らし回ったり伊勢侵攻軍派遣したり
関が原本戦でも一応は軍派遣してるから(全く使い物にならなかったが)
別に戦略というほどの物が輝元にあったか非常に怪しいがな
904人間七七四年:2013/03/30(土) 12:42:56.74 ID:yOq8LWK7
三成はかわいそうだよなぁ
18万の大軍をかき集め絶対勝てる状況作りながら輝元は伊勢湾やら四国やらどうでもいい方向に軍分散させまくり
美濃口を突破されそれでもめげず本戦でも布陣で優位に立ち毛利一族さえ馬鹿じゃなきゃ絶対勝てる状況作ったのに
肝心の輝元は大阪に居座るアホっぷりで秀元秀秋広家も全く使い物にならず大敗
毛利のアホさ加減で努力が水の泡に帰したのが三成
905人間七七四年:2013/03/30(土) 13:14:07.44 ID:36KhTlzx
キミの分析(?)は、所詮戦略・戦術面のみなんだよ。
政治の切り口が全く欠けている。
まずは関ヶ原における毛利の目標がなんであったか考えてみれば?
光成氏の著書をお薦めするよ。
ゲームではないんだからさ。
906人間七七四年:2013/03/30(土) 13:17:45.19 ID:j1v0vuMn
>>904
TERUの無能さを見抜けなかった三成の自業自得
907人間七七四年:2013/03/30(土) 13:28:08.67 ID:yOq8LWK7
輝元が家康と戦う気がないならはじめから西軍総大将になんてなるわけないし
伊勢湾、伊勢方面に兵送ったり関が原に秀元広家の大軍送り込むわけもない
つうか仮にお前のいうように自領域拡大が目的なら
関が原本戦に勝利すれば西軍総大将として最も領域も権限も増すし逆に総大将なのに負ければ最も不利な立場になるなんて幼稚園児でもわかる事
908人間七七四年:2013/03/30(土) 13:31:16.29 ID:0cG2P/el
ゲームでもないんだし家康と戦う気がなかったから〜とか天下を望まなかったから〜とか全くいいわけにはならん
事実としてあるのは三成が必死に集めた畿内方面だけでも18万もある大軍と西軍総大将として戦局決定できる立場にありながら
伊勢湾やら四国やらどうでもいい方面に軍を分散させまくり美濃口からの奉行衆からの援軍要請無視しまくって
木曽川ラインを突破され見事関が原本戦で敗れ去ったという事だけ。
本当なら改易される所を広家の懇願と家康のお情けでなんとか家脈を保っただけだし
909人間七七四年:2013/03/30(土) 13:37:48.81 ID:yOq8LWK7
関が原の輝元の目標が自領域拡大であった場合→西軍総大将で本戦に負ければ自領域拡大も糞もなく逆に本戦に勝てば最大限に自領域は拡大
するのにそんな事もわからず援軍要請無視、大阪篭城、伊勢湾やら四国やらに兵分散させまくり18万もいる西軍を見事崩壊させた馬鹿
輝元の目標が西軍の大勝・家康妥当であった場合(関が原に大軍送ったり自分も総大将になった事からこちらの可能性のが高い)
→伊勢湾や四国に兵分散させまくり伊勢方面軍を編成しながら実際には伊勢には中途半端な兵を残したのみで攻められないなど無意味な戦略行動をし
美濃口が攻められた時も三成らからの援軍要請を無視しまくって美濃を突破され
関が原本戦だというのに総大将の自分はなぜか大阪に居座り秀元らに命令出せず見事毛利軍は役に立たず大敗

どちらにしても毛利がクズなのは間違いないな
910人間七七四年:2013/03/30(土) 13:59:31.69 ID:7d30DVRu
毛利もまずいが上杉もまずい
毛利が自領拡大に走ったのは上杉が家康を引き留める→結果長期戦化を予想していた筈
その上家康が10日かそこらで江戸から大垣に到着するまで、上杉も毛利も動きを全く把握できてない
先を見る目の無い毛利や上杉にデカイ権力を与えた秀吉政権の限界だよ
911人間七七四年:2013/03/30(土) 14:38:47.76 ID:0cG2P/el
上杉が南下したら最上伊達堀らが会津領になだれ込んでくるだけだろ
そもそも美濃口が東軍諸将に攻め込まれている間奉行衆らから毛利への援軍要請出しまくって
必死に美濃口防衛しようとしてるのにアホ元はそれを無視して伊勢湾やら四国やらで活動続けてる
これにより兵力不足の西軍は美濃口で敗戦を重ね普通に戦えば突破されるわけない状況と兵力差で美濃を突破されて
大垣に引きこもるハメになっている
912人間七七四年:2013/03/30(土) 15:24:39.81 ID:L2qCi3kd
逆に、毛利が徳川打倒を第一義に掲げてるなら、
自領域拡大の戦闘行為などする必要はないでしょ。
本国は防衛に徹すればいい。これはどう説明するの?

畿内での毛利の采配は、そちらが主目的でないこと
で説明は一致する。
913人間七七四年:2013/03/30(土) 15:37:57.87 ID:yOq8LWK7
8/10三成→佐竹義宣、真田昌幸書状などから三成は毛利勢を加えた軍勢で三河や遠江方面の侵攻を考えていた事がわかる
だが実際には毛利勢の馬鹿な行動によりなされることなく終り逆に美濃口を攻め取られる結果に終わっている
後徳川軍の尾張方面への出兵は西軍方も情報を得ている(8/18戸川→明石、8/19明石→戸川、8/19島津義弘→忠恒、8/20島津義弘→本田正親、8/22有馬則頼→秋田実季
8/22佐々正孝→秋田実季)9/12吉川→祖式でも家康の尾張犬山からの進軍を把握しているのがわかるし9/12三成→増田書状でもわかる
から毛利は動きを把握できなかったのではなく把握した上で関係ない方向に軍進めまくって本戦に大敗している
それに対応した三成は伊勢方面から尾張に転進している(8/27時慶記など)がこのときも毛利勢は相変わらず軍を出さず
的外れな方向にばかり戦力を分散させ、西軍大敗の主要因を作っている
914人間七七四年:2013/03/30(土) 15:39:57.89 ID:yOq8LWK7
>>912
それは簡単。毛利が馬鹿すぎるから、で説明がつく。
対織田戦でも熊見川で大勝しながら兵站の長さを理由に本国へヘタレ退却する馬鹿が当主だから
このときも毛利が馬鹿すぎて戦力分散させまくった、で説明が十分つく。
915人間七七四年:2013/03/30(土) 15:41:57.14 ID:0cG2P/el
>>914
同意。毛利は本能寺の時も秀吉の口からでまかせ口述詐欺にひっかかって騙された先例もあるし
関が原の後もやはり家康に騙されて大阪城明け渡した経緯があるしな
脳味噌が常人の5分の1くらいしかない馬鹿が当主だったからこそ西軍は大敗したんだろう
916人間七七四年:2013/03/30(土) 15:45:51.92 ID:L2qCi3kd
なるほど。キミの分析だと、
毛利は、家康打倒が真の目標にしていたもかかわらず、
『馬鹿だから』自領域の拡大を行ったわけか。

真面目にレスして後悔した。
キミは花の慶次あたりを読んでる子供が相手で丁度だね。
917人間七七四年:2013/03/30(土) 16:12:16.14 ID:oTRpf71d
>>913
(8/18戸川→明石、8/19明石→戸川、8/19島津義弘→忠恒、8/20島津義弘→本田正親、8/22有馬則頼→秋田実季
8/22佐々正孝→秋田実季)
家康が江戸を出発したのは9/1だから、これらの手紙は「家康の動きを輝元が把握していたか?」
という問題については全く関係ない(むしろミスリード)
9/12以降は決戦直前だからこの時点で輝元が知ったとしても既に手遅れだ

916も言ってるが、最初から「輝元はバカ」と結論だした上で全てを解釈するのは
過去の事象を扱う態度としてアンフェアだし説得力に欠けると思うがどうか
918人間七七四年:2013/03/30(土) 16:16:44.25 ID:oTRpf71d
ついでに書いちゃうか
9/12の三成→増田は三成の使者を家康が捉えた時の、結構有名な書状の事だろ?
誠実さがないなぁ
919人間七七四年:2013/03/30(土) 16:33:10.29 ID:EQc7MdQV
ID:yOq8LWK7
ID:0cG2P/el

徳川家康スレから追い出されて今度はここで発狂自演しまくる
だがさんであった
920人間七七四年:2013/03/30(土) 17:00:06.88 ID:yOq8LWK7
>>917
いや、むしろはじめからお前は輝元は馬鹿じゃない前提で無理矢理話をしているから全く議論にならない
輝元が馬鹿なのは
関が原の輝元の目標が自領域拡大であった場合→西軍総大将で本戦に負ければ自領域拡大も糞もなく逆に本戦に勝てば最大限に自領域は拡大
するのにそんな事もわからず援軍要請無視、大阪篭城、伊勢湾やら四国やらに兵分散させまくり18万もいる西軍を見事崩壊させた馬鹿
輝元の目標が西軍の大勝・家康妥当であった場合(関が原に大軍送ったり自分も総大将になった事からこちらの可能性のが高い)
→伊勢湾や四国に兵分散させまくり伊勢方面軍を編成しながら実際には伊勢には中途半端な兵を残したのみで攻められないなど無意味な戦略行動をし
美濃口が攻められた時も三成らからの援軍要請を無視しまくって美濃を突破され
関が原本戦だというのに総大将の自分はなぜか大阪に居座り秀元らに命令出せず見事毛利軍は役に立たず大敗

どちらにしても毛利がクズなのは間違いないな

あと家康自身は動いていなくても井伊やら忠吉やら東軍先鋒隊の動きはもっとはやくから行われ実際
上記の書状より西軍方諸将はこれを把握していたのだから「輝元が家康の動き知らずに他方面に兵動かしてた」は適切ではなく
単に馬鹿だから家康の動き知っていながら他の方向に兵出して大敗した、が正しい。
実際9/12の時点ですら伊勢湾での首注文が大量に届くなど毛利は家康到着後ですら他方面の軍事活動をやめようとしていないどころか
相変わらず西軍諸将からの援軍要請無視している。こんな馬鹿が大将ではどんな軍でも敗れる
>>918
何が誠実さがないんだ?書状の中で敵が今日美濃の赤坂に居陣してるなどといっていて家康の動きを把握してるのがわかるし
どこにも西軍諸将が家康の動き知らずに動いていたなんて根拠が全くない
>>916
いや、論理的に考えれば輝元が馬鹿だからこそ総大将になり最も巨大な軍動かせる立場にありながら
兵分散させまくり東軍に押し込まれまくり本戦でも大阪城動かず大敗するわけで。ああだこうだいっても所詮言い訳にもならん詭弁だし最初から家康と戦う気ないなら東軍にでもつくか
日和見してればいいだけ。西軍総大将になり中途半端に伊勢湾やら伊勢四国などどうでもいい方向に兵進めまくり大敗するのは馬鹿としかいいようがない
921人間七七四年:2013/03/30(土) 17:08:02.79 ID:0cG2P/el
○毛利輝元が家康打倒を考えておらず自領域の拡大のみを見据えていたというのは根拠がない
輝元が家康と戦う気がないならはじめから西軍総大将になんてなるわけないし
伊勢湾、伊勢方面に兵送ったり関が原に秀元広家の大軍送り込むわけもない
つうか仮にお前のいうように自領域拡大が目的なら
関が原本戦に勝利すれば西軍総大将として最も領域も権限も増すし逆に総大将なのに負ければ最も不利な立場になるなんて幼稚園児でもわかる事

○毛利輝元は馬鹿なのは以下の通り史実での実績がちゃんとある
・対織田戦で熊見川で大勝しながら兵站の長さを理由に本国へヘタレ退却する
・天正4年〜7年時点でも織田方が他の方面での戦闘で忙しい時でも中国口を中途半端に火事場泥棒しただけで勝頼やらとの約定反故にして織田を討つ決定的チャンスを逃す
・本能寺の時も秀吉の口からでまかせ口述詐欺(数カ国織田から毛利へ割譲する)にひっかかって騙される
・関が原の後もやはり家康に騙されて大阪城明け渡した
・関が原の合戦に至るまでの間、総大将という最も権限軍隊ある立場にありながら関係ない伊勢湾四国伊勢などに軍分散させ見事大敗する
・総大将なのに西軍諸将からの援軍要請無視しまくり美濃口を突破され、その後も大阪に引きこもり秀元軍も使い物にならず見事大敗する

こんな馬鹿が西軍総大将なのが三成の運のつき
922人間七七四年:2013/03/30(土) 17:51:39.75 ID:L2qCi3kd
>毛利輝元が家康打倒を考えておらず自領域の拡大のみを見据えていたというのは根拠がない
そんな事誰がどのレスで言ったの?レス番を示してもらえる?

毛利の主目的は自領拡大と瀬戸内海易の確保。
その遂行のため、石田等奉行衆と結び西軍総大将という立場を利用しただけ。
西軍において、打倒徳川を掲げる石田等と毛利は同床異夢なわけね。

毛利にとっては長期戦が望ましく、畿内の戦局など二の次。
関ヶ原本戦が勝負を分ける一戦だったなんてのは、
後世の歴史を知る人間だから言える話。
923人間七七四年:2013/03/30(土) 18:23:18.35 ID:yOq8LWK7
>>毛利の主目的は自領拡大と瀬戸内海易の確保。
>>>>901毛利が自領域拡大に注力していたのは明白。所詮、地方領主なんだよ
>>中国・瀬戸内地方以外への影響力に意欲があった史実もないだろ。
根拠なし
輝元が家康と戦う気がないならはじめから西軍総大将になんてなるわけないし
伊勢湾、伊勢方面に兵送ったり関が原に秀元広家の大軍送り込むわけもない
つうか仮にお前のいうように自領域拡大が目的なら
関が原本戦に勝利すれば西軍総大将として最も領域も権限も増すし逆に総大将なのに負ければ最も不利な立場になるなんて幼稚園児でもわかる事
>>その遂行のため、石田等奉行衆と結び西軍総大将という立場を利用しただけ。
誰がどの史料でそう書いてるのか提示求む。さっきからお前のレスは妄想ばかりで史料の一つも出てこない
西軍総大将なら家康との衝突は必至なわけでそれに負ければ自領拡大も瀬戸内の権益も糞もない
>>西軍において、打倒徳川を掲げる石田等と毛利は同床異夢なわけね。
ならさっさと石田と結託して徳川倒せばいいだけ。
>>毛利にとっては長期戦が望ましく、畿内の戦局など二の次。
短期決戦で戦力集中して東軍撃破すれば毛利の権益も自領も最大限に広がるし
逆に撃破されれば西軍総大将としての立場なので改易か斬首か大減封のいずれかになるわけだから
どちらにせよ真っ先に徳川軍を石田と結託して倒すのが先決
なのに石田が立ててた尾張侵攻計画も美濃迎撃計画も毛利のアホな行動で無に帰してしまったのが史実
924人間七七四年:2013/03/30(土) 18:27:45.71 ID:yOq8LWK7
>>関ヶ原本戦が勝負を分ける一戦だったなんてのは、後世の歴史を知る人間だから言える話。
勝負をわける一戦かどうかなんて関係ない
自領拡大などを目標にするなら東軍を真っ先に撃破すれば済む話
ほっとけば東軍がどんどん西軍の領域に侵攻してくるわけでそうなれば西軍が負ける可能性はどんどん高くなる(実際史実でも毛利が三河出兵も無視し
美濃口の後詰も無視したせいでかなり美濃の味方が減り負ける要因の一つになる)
西軍総大将なのにどうでもいい所に軍送ったり美濃防衛要請無視したり三河侵攻計画無視したり
大阪城にこもりきりだからこそ負けたのが西軍。輝元がもう少しまともなら負けるはずもない戦力と状況で負けたのが西軍
925人間七七四年:2013/03/30(土) 18:28:59.20 ID:0cG2P/el
○毛利輝元が家康打倒を考えておらず自領域の拡大のみを見据えていたというのは根拠がない
輝元が家康と戦う気がないならはじめから西軍総大将になんてなるわけないし
伊勢湾、伊勢方面に兵送ったり関が原に秀元広家の大軍送り込むわけもない
つうか仮にお前のいうように自領域拡大が目的なら
関が原本戦に勝利すれば西軍総大将として最も領域も権限も増すし逆に総大将なのに負ければ最も不利な立場になるなんて幼稚園児でもわかる事

○毛利輝元は馬鹿なのは以下の通り史実での実績がちゃんとある
・対織田戦で熊見川で大勝しながら兵站の長さを理由に本国へヘタレ退却する
・天正4年〜7年時点でも織田方が他の方面での戦闘で忙しい時でも中国口を中途半端に火事場泥棒しただけで勝頼やらとの約定反故にして織田を討つ決定的チャンスを逃す
・本能寺の時も秀吉の口からでまかせ口述詐欺(数カ国織田から毛利へ割譲する)にひっかかって騙される
・関が原の後もやはり家康に騙されて大阪城明け渡した
・関が原の合戦に至るまでの間、総大将という最も権限軍隊ある立場にありながら関係ない伊勢湾四国伊勢などに軍分散させ見事大敗する
・総大将なのに西軍諸将からの援軍要請無視しまくり美濃口を突破され、その後も大阪に引きこもり秀元軍も使い物にならず見事大敗する

こんな馬鹿が西軍総大将なのが三成の運のつき
関が原の輝元の目標が自領域拡大であった場合→西軍総大将で本戦に負ければ自領域拡大も糞もなく逆に本戦に勝てば最大限に自領域は拡大
するのにそんな事もわからず援軍要請無視、大阪篭城、伊勢湾やら四国やらに兵分散させまくり18万もいる西軍を見事崩壊させた馬鹿
輝元の目標が西軍の大勝・家康妥当であった場合(関が原に大軍送ったり自分も総大将になった事からこちらの可能性のが高い)
→伊勢湾や四国に兵分散させまくり伊勢方面軍を編成しながら実際には伊勢には中途半端な兵を残したのみで攻められないなど無意味な戦略行動をし
美濃口が攻められた時も三成らからの援軍要請を無視しまくって美濃を突破され
関が原本戦だというのに総大将の自分はなぜか大阪に居座り秀元らに命令出せず見事毛利軍は役に立たず大敗

どちらにしても毛利がクズなのは間違いないな
926人間七七四年:2013/03/30(土) 18:49:34.09 ID:L2qCi3kd
>>923
>輝元が家康と戦う気がないなら
そんな事誰がどのレスで言ったの?レス番を示してもらえる?

>>923>>925
>関が原本戦に勝利すれば西軍総大将として最も領域も権限も増すし
>逆に総大将なのに負ければ最も不利な立場になるなんて幼稚園児でもわかる事
関ヶ原本戦が勝負を分ける一戦だったなんてのは、後世の歴史を知る人間だから言える話。
ついでに、 ID違うのに、同じ文章がある不思議。
927人間七七四年:2013/03/30(土) 18:52:56.41 ID:yOq8LWK7
>>関ヶ原本戦が勝負を分ける一戦だったなんてのは、後世の歴史を知る人間だから言える話。
勝負をわける一戦かどうかなんて関係ない
自領拡大などを目標にするなら東軍を真っ先に撃破すれば済む話
ほっとけば東軍がどんどん西軍の領域に侵攻してくるわけでそうなれば西軍が負ける可能性はどんどん高くなる(実際史実でも毛利が三河出兵も無視し
美濃口の後詰も無視したせいでかなり美濃の味方が減り負ける要因の一つになる)
西軍総大将なのにどうでもいい所に軍送ったり美濃防衛要請無視したり三河侵攻計画無視したり
大阪城にこもりきりだからこそ負けたのが西軍。輝元がもう少しまともなら負けるはずもない戦力と状況で負けたのが西軍
>>そんな事誰がどのレスで言ったの?レス番を示してもらえる?
>>893>>896>>912>>916
あと>>905も家康打倒は二の次のように語っている
928人間七七四年:2013/03/30(土) 19:19:36.91 ID:L2qCi3kd
いや、だからね。

>関が原本戦に勝利すれば西軍総大将として最も領域も権限も増すし
>逆に総大将なのに負ければ最も不利な立場になるなんて幼稚園児でもわかる事

幼稚園児でもわかるというのは、後世の人間だからわかるわけ。

『輝元が家康と戦う気がない』なんて誰も言ってないけど。
929人間七七四年:2013/03/30(土) 20:14:42.16 ID:yOq8LWK7
>>幼稚園児でもわかるというのは、後世の人間だからわかるわけ。
なんでそんな事もわからないんだ?西軍総大将として戦に望み東軍との戦いに敗れれば
当然敗戦側総大将として重大な事態に直面するなんてアホでもわかるだろ


>>『輝元が家康と戦う気がない』なんて誰も言ってないけど。

>>893>>896>>912>>916でいってる
あと>>905も家康打倒は二の次のように語っている
930人間七七四年:2013/03/30(土) 20:18:58.91 ID:yOq8LWK7
以下が論拠もなく垂れ流された毛利厨の妄想。

>>大阪城に入ってから輝元は徳川との戦を極力避けるように行動しているフシがあるから
>>戦局が不利になったから対戦さけてまだある程度互角のうちに和平にシフトを変えたんだろ
>>おそらく戦を徹底的にグダグダにしてきりのいいところで家康と調停ってのが輝元の狙いだろうな
>>逆に、毛利が徳川打倒を第一義に掲げてるなら自領域拡大の戦闘行為などする必要はないでしょ。
>>本国は防衛に徹すればいい。これはどう説明するの?畿内での毛利の采配は、そちらが主目的でないこと
>>毛利は、家康打倒が真の目標にしていたもかかわらず『馬鹿だから』自領域の拡大を行ったわけか。キミの分析(?)は、所詮戦略・戦術面のみなんだよ。
>>政治の切り口が全く欠けている。まずは関ヶ原における毛利の目標がなんであったか考えてみれば?光成氏の著書をお薦めするよ。
931人間七七四年:2013/03/30(土) 20:23:58.40 ID:yOq8LWK7
>>そもそも西軍はこの戦を長期的考えていたんだから
根拠なし。そもそも8/10石田→佐竹、真田書状から三成側は三河遠江侵攻により短期決戦で望む意思が読み取れ
また毛利軍もその侵攻軍の一端を担うと考えているが当の大将のアホ元が伊勢湾やら伊勢やら四国やらどうでもいい方面に軍を分散させまくり
当作戦は叶わなくなったどころか、逆に美濃口を東軍諸将に攻め込まれ、輝元に援軍要請したらまた無視され、
関が原本戦でも輝元は再三の援軍要請に応えず城に篭もり秀元軍も使い物にならず西軍は大敗
西軍の主力部隊は毛利一族の軍団なんだからその総大将であり最も巨大な軍団持つ輝元が馬鹿すぎたせいでどうしようもなくなったのが西軍
932人間七七四年:2013/03/30(土) 22:17:40.83 ID:FENbI1KP
>>929
前提を変えちゃだめだよ。

>関が原本戦に勝利すれば西軍総大将として最も領域も権限も増すし
>逆に総大将なのに負ければ最も不利な立場になるなんて幼稚園児でもわかる事

『関ヶ原本戦』でしょ。本戦である事自体、結果からの後付。
本戦前に『敗戦側総大将として重大な事態に直面する』なんて誰がわかってたんだ?

>>893>>896>>912>>916 を何度読んでも
『輝元が家康と戦う気がない』なんて全く書いてないけど。
キミは極論過ぎるんだよ。
933人間七七四年:2013/03/30(土) 23:24:14.10 ID:yOq8LWK7
>>『関ヶ原本戦』でしょ。本戦である事自体、結果からの後付。
関が原の本戦かどうかなんてそもそも関係ない。東軍の主力が美濃口に出てきた。石田らはこれ以上
押し込まれないようにするため迎撃態勢整え、総大将の自分にも必死で援軍要請だし両軍の衝突はどうみてもまじか。
この状況で奉行衆らからの援軍要請無視して大阪に居座り続け伊勢湾やら関係ない方向に軍進める馬鹿は輝元しかいない
>>本戦前に『敗戦側総大将として重大な事態に直面する』なんて誰がわかってたんだ?
本戦前にも美濃口の攻防で石田らは後詰を行ったが毛利が援軍要請無視したため兵が足りず敗れている
本戦前の前哨戦で徳川方先鋒隊のみでも毛利らの援軍がなきゃ防げないのに
家康らがさらに加わった軍勢を石田らだけで防ぐなんてどう考えても無理
総大将であり最も巨大な軍団率いる自分が動かなきゃ勝ち目がなく、敗れれば当然敗戦側の総大将の自分は主戦犯として斬首されてもおかしくないなんて
普通の人間でもわかる。わからないのは知恵遅れのお前と輝元だけ。
>>『輝元が家康と戦う気がない』なんて全く書いてないけど。
以下のように論拠なしの毛利厨の馬鹿妄想が書いている
>>大阪城に入ってから輝元は徳川との戦を極力避けるように行動しているフシがあるから
>>戦局が不利になったから対戦さけてまだある程度互角のうちに和平にシフトを変えたんだろ
>>おそらく戦を徹底的にグダグダにしてきりのいいところで家康と調停ってのが輝元の狙いだろうな
>>逆に、毛利が徳川打倒を第一義に掲げてるなら自領域拡大の戦闘行為などする必要はないでしょ。
>>本国は防衛に徹すればいい。これはどう説明するの?畿内での毛利の采配は、そちらが主目的でないこと
>>毛利は、家康打倒が真の目標にしていたもかかわらず『馬鹿だから』自領域の拡大を行ったわけか。キミの分析(?)は、所詮戦略・戦術面のみなんだよ。
>>政治の切り口が全く欠けている。まずは関ヶ原における毛利の目標がなんであったか考えてみれば?光成氏の著書をお薦めするよ。
934人間七七四年:2013/03/30(土) 23:57:59.24 ID:FENbI1KP
>援軍要請無視して大阪に居座り続け
それこそが、毛利が自領域拡大の主目的であった事の根拠の一つでしょ。
石田と心中する必要なんかないわけ。
キミは、毛利が石田等と同じく豊臣のために立ち上がったとか思ってるの?

グダグダ誤魔化すのはやめようよw
一体誰が、本戦で『敗れれば当然敗戦側の総大将の自分は主戦犯として斬首されて
もおかしくない』と思ってたの?
結果的に本戦によって大勢が決した結果論であって、当時本戦前にそんな事は全く
予想されていない。
935人間七七四年:2013/03/31(日) 00:09:21.52 ID:pq1qqwbn
>>それこそが、毛利が自領域拡大の主目的であった事の根拠の一つでしょ
輝元が馬鹿なだけ、で筋が通る。
輝元が家康と戦う気がないならはじめから西軍総大将になんてなるわけないし
伊勢湾、伊勢方面に兵送ったり関が原に秀元広家の大軍送り込むわけもない
つうか仮にお前のいうように自領域拡大が目的なら
関が原本戦に勝利すれば西軍総大将として最も領域も権限も増すし逆に総大将なのに負ければ最も不利な立場になるなんて幼稚園児でもわかる事


○毛利輝元は馬鹿なのは以下の通り史実での実績がちゃんとある
・対織田戦で熊見川で大勝しながら兵站の長さを理由に本国へヘタレ退却する
・天正4年〜7年時点でも織田方が他の方面での戦闘で忙しい時でも中国口を中途半端に火事場泥棒しただけで勝頼やらとの約定反故にして織田を討つ決定的チャンスを逃す
・本能寺の時も秀吉の口からでまかせ口述詐欺(数カ国織田から毛利へ割譲する)にひっかかって騙される
・関が原の後もやはり家康に騙されて大阪城明け渡した
・関が原の合戦に至るまでの間、総大将という最も権限軍隊ある立場にありながら関係ない伊勢湾四国伊勢などに軍分散させ見事大敗する
・総大将なのに西軍諸将からの援軍要請無視しまくり美濃口を突破され、その後も大阪に引きこもり秀元軍も使い物にならず見事大敗する

こんな馬鹿が西軍総大将なのが三成の運のつき

>>石田と心中する必要なんかないわけ
なんで西軍総大将なのに東軍主力部隊と戦わないで済ませようなんて馬鹿な行動で済むんだ?
自領拡大などを目標にするなら東軍を真っ先に撃破すれば済む話
ほっとけば東軍がどんどん西軍の領域に侵攻してくるわけでそうなれば西軍が負ける可能性はどんどん高くなる(実際史実でも毛利が三河出兵も無視し
美濃口の後詰も無視したせいでかなり美濃の味方が減り負ける要因の一つになる)
西軍総大将なのにどうでもいい所に軍送ったり美濃防衛要請無視したり三河侵攻計画無視したり
大阪城にこもりきりだからこそ負けたのが西軍。輝元がもう少しまともなら負けるはずもない戦力と状況で負けたのが西軍
936人間七七四年:2013/03/31(日) 00:11:42.51 ID:pq1qqwbn
>>一体誰が、本戦で『敗れれば当然敗戦側の総大将の自分は主戦犯として斬首されてもおかしくない』と思ってたの?
>>結果的に本戦によって大勢が決した結果論であって、当時本戦前にそんな事は全く予想されていない。
関が原の本戦かどうかなんてそもそも関係ない。東軍の主力が美濃口に出てきた。石田らはこれ以上
押し込まれないようにするため迎撃態勢整え、総大将の自分にも必死で援軍要請だし両軍の衝突はどうみてもまじか。
この状況で奉行衆らからの援軍要請無視して大阪に居座り続け伊勢湾やら関係ない方向に軍進める馬鹿は輝元しかいない
自領拡大などを目標にするなら東軍を真っ先に撃破すれば済む話
ほっとけば東軍がどんどん西軍の領域に侵攻してくるわけでそうなれば西軍が負ける可能性はどんどん高くなる(実際史実でも毛利が三河出兵も無視し
美濃口の後詰も無視したせいでかなり美濃の味方が減り負ける要因の一つになる)
西軍総大将なのにどうでもいい所に軍送ったり美濃防衛要請無視したり三河侵攻計画無視したり
大阪城にこもりきりだからこそ負けたのが西軍。輝元がもう少しまともなら負けるはずもない戦力と状況で負けたのが西軍
そもそも8/10石田→佐竹、真田書状から三成側は三河遠江侵攻により短期決戦で望む意思が読み取れ
また毛利軍もその侵攻軍の一端を担うと考えているが当の大将のアホ元が伊勢湾やら伊勢やら四国やらどうでもいい方面に軍を分散させまくり
当作戦は叶わなくなったどころか、逆に美濃口を東軍諸将に攻め込まれ、輝元に援軍要請したらまた無視され、
関が原本戦でも輝元は再三の援軍要請に応えず城に篭もり秀元軍も使い物にならず西軍は大敗
西軍の主力部隊は毛利一族の軍団なんだからその総大将であり最も巨大な軍団持つ輝元が馬鹿すぎたせいでどうしようもなくなったのが西軍
937人間七七四年:2013/03/31(日) 00:12:30.16 ID:pq1qqwbn
関が原本戦は輝元が要請無視しまくり軍分散させたせいで起こった戦(輝元が美濃方面にさっさと後詰行ってたら木曽川ラインで
迎撃すれば東軍は進む事すらかなわない)
またその本会戦も毛利秀元や小早川など圧倒的大軍と戦局決定できる圧倒的優位な状況にありながら何もせず大敗を喫し大減封食らったのが毛利
普通に毛利一族がカスじゃなきゃ負けるわけがない戦闘状況だったが毛利一族がカスだったために負けただけ。
関が原本戦で西軍のうち半分ほどが毛利一族の軍でこいつらが使い物にならなかったから西軍に勝つ可能性など皆無。
こんな状態で長期戦を望むも糞もなくただ毛利一族は自分が糞すぎたせいで本戦は短期で終わっただけ
>>繰り返すが、あくまで本命は四国地方への領域拡大
四国方面への拡張とか言ってるけど中途半端に伊勢湾荒らし回ったり伊勢侵攻軍派遣したり
関が原本戦でも一応は軍派遣してるから(全く使い物にならなかったが)
別に戦略というほどの物が輝元にあったか非常に怪しいがな
938人間七七四年:2013/03/31(日) 00:13:00.03 ID:pq1qqwbn
だから総大将にもかかわらず軍分散してどうでもいい所攻めて本決戦で軍ろくに動かさず敗北する毛利が糞すぎるといってるわけで。
大体自分が総大将にもかかわらず東軍との本決戦に敗れれば自国の領域拡大も瀬戸内海の利権も糞もないわけで。
あと関が原直後には毛利の厳封が決まってるのに厳封確定になった時点で厳封する事が決まった領域を一時的に持ってた事をもって「領土は最大」などとはいわん
あと8/10石田←佐竹書状で「輝元は家康が到着したら三万を召し連れて出陣する」と書いており西軍方は家康との本決戦にあたって総大将であり最も巨大な軍団を持ってた輝元を
主力として東軍を迎撃しようと考えていたが当の輝元が再三に渡る石田ら西軍の援軍要請を無視しまくって本決戦で敗れる理由となったわけ。
尾張口に大軍で美濃方面を攻めに来てるのにそれ無視して援軍要請も無視して
伊勢湾とか四国とかどうでもいいところ攻めてるのにその作戦が真っ当とかないわ
戦力下手に分散してその一部隊が敗れたら戦局が大きく傾くなんて普通の脳味噌の人間ならわかることだし事実そうなったし

>>毛利が家康との直接対決で全力出す必要は全くない。
家康との直接対決で西軍方の一部隊が敗れたらもう手遅れで降伏するしかなくなるのが毛利
事実そうなったし自国の領土拡大どうこういうなら総大将としての地位を最大限生かして東軍との主力決戦で勝利し
大将としての権力を確立していけばいいだけ。
長期化するシナリオでも最低限福島やら池田やら東軍方諸侯は確実に美濃口で立ち往生させないとどんどん味方が減るだけだし
さっさと石田ら西軍諸侯の要請通り美濃に大軍送ってりゃよかっただけ

西軍総大将で最も規格外の大軍持ってるにもかかわらず目的が火事場泥棒で
軍分散させまくったあげく東軍の尾張口の進軍にも対応せず石田らからの要請無視して
大敗し大厳封くらうんだから相当馬鹿だな
伊達最上堀らに囲まれてた上杉と違って毛利は兵力的にも状況的にも十分すぎるほど東軍ぶち破るチャンスがあったのに
むざむざ無駄にして何もしないまま大厳封
西軍総大将として存在しながら本決戦に負けたら勢力拡大も火事場泥棒も糞もないのにクズすぎる

一日で敗れるような会戦状況作ったのは他でもない輝元。
尾張口に大軍で美濃方面を攻めに来てるのにそれ無視して援軍要請も無視して
伊勢湾とか四国とかどうでもいいところ攻めてるのにその作戦が真っ当とかないわ
戦力下手に分散してその一部隊が敗れたら戦局が大きく傾くなんて普通の脳味噌の人間ならわかることだし事実そうなったし 。
家康との直接対決で西軍方の一部隊が敗れたらもう手遅れで降伏するしかなくなるのが毛利
事実そうなったし自国の領土拡大どうこういうなら総大将としての地位を最大限生かして東軍との主力決戦で勝利し
大将としての権力を確立していけばいいだけ。
長期化するシナリオでも最低限福島やら池田やら東軍方諸侯は確実に美濃口で立ち往生させないとどんどん味方が減るだけだし
さっさと石田ら西軍諸侯の要請通り美濃に大軍送ってりゃよかっただけ

三成ら西軍諸侯は輝元に援軍要請している(8/29保科正光→黒河内長三、9/12石田三成→増田)
が輝元は無視して伊勢湾やら四国やらに軍向けるばかり
また、美濃攻防時三成は織田秀信救援軍として美濃河渡において東軍と戦っているが数が足りず、敗れている
このときも毛利の大軍の後詰が素直に行われていれば簡単に撃退できたはずだが輝元は大阪から足を動かさず
伊勢湾に軍船送って荒らしまわるだけ。
はっきりいって奉行衆がどんな名将でも総大将がここまでのクズだとどんな軍でも勝ちようがない
西軍の中核は毛利軍や小早川軍など毛利一族の軍であり
こいつらが全く使い物にならない以上、西軍に勝つ事なんて無理で三成の能力どうこうの問題ではな
939人間七七四年:2013/03/31(日) 00:13:35.18 ID:pq1qqwbn
ゲームでもないんだし家康と戦う気がなかったから〜とか天下を望まなかったから〜とか全くいいわけにはならん
事実としてあるのは三成が必死に集めた畿内方面だけでも18万もある大軍と西軍総大将として戦局決定できる立場にありながら
伊勢湾やら四国やらどうでもいい方面に軍を分散させまくり美濃口からの奉行衆からの援軍要請無視しまくって
木曽川ラインを突破され見事関が原本戦で敗れ去ったという事だけ。
本当なら改易される所を広家の懇願と家康のお情けでなんとか家脈を保っただけだし
関が原の輝元の目標が自領域拡大であった場合→西軍総大将で本戦に負ければ自領域拡大も糞もなく逆に本戦に勝てば最大限に自領域は拡大
するのにそんな事もわからず援軍要請無視、大阪篭城、伊勢湾やら四国やらに兵分散させまくり18万もいる西軍を見事崩壊させた馬鹿
輝元の目標が西軍の大勝・家康妥当であった場合(関が原に大軍送ったり自分も総大将になった事からこちらの可能性のが高い)
→伊勢湾や四国に兵分散させまくり伊勢方面軍を編成しながら実際には伊勢には中途半端な兵を残したのみで攻められないなど無意味な戦略行動をし
美濃口が攻められた時も三成らからの援軍要請を無視しまくって美濃を突破され
関が原本戦だというのに総大将の自分はなぜか大阪に居座り秀元らに命令出せず見事毛利軍は役に立たず大敗

どちらにしても毛利がクズなのは間違いないな
940人間七七四年:2013/03/31(日) 00:19:00.15 ID:pq1qqwbn
>>一体誰が、本戦で『敗れれば当然敗戦側の総大将の自分は主戦犯として斬首されてもおかしくない』と思ってたの?
>>結果的に本戦によって大勢が決した結果論であって、当時本戦前にそんな事は全く予想されていない。
毛利なしの西軍→寡兵すぎて徳川先鋒隊との戦いにも敗戦し美濃を奪い取られる
徳川先鋒隊に家康本軍が加わった軍勢→毛利勢の大軍なしに持ちこたえられるわけがない
輝元→西軍総大将なので負けた場合の主戦犯。勝った場合最も利益を受けられる
よって東軍を西軍の戦力集中させて壊滅させるのが最もローリスクハイリターンで
毛利がやったみたいな西軍の戦力バラけさせて東軍によって壊滅させられるのが最もハイリスクローリターン
こんな戦力の集中による敵本軍の壊滅なんて戦略の初歩すらわかってないのはお前と輝元みたいな馬鹿だけ
いい加減その悪すぎる脳味噌の中身入れ直してで直せカス
941人間七七四年:2013/03/31(日) 00:19:56.35 ID:Q3XlJklI
まともに反論出来なくなったらこれか。
Subは成長しないな。
942人間七七四年:2013/03/31(日) 00:21:20.99 ID:NZZS1E0w
石田三成が毛利の立場で総大将だったら間違いなく西軍勝利だっただろうにな
三成じゃなくても輝元以外のまともな脳味噌の武将が大将なら7月か8月時点で三河に侵攻して家康アボーンだっただろうに。
三成は本当に運がなかった。
943人間七七四年:2013/03/31(日) 00:29:59.99 ID:NYAzIljT
アホだな三成って
944人間七七四年:2013/03/31(日) 00:32:27.73 ID:jRPuR/oI
だがはまだ発狂してんのかご苦労なこった
945人間七七四年:2013/03/31(日) 00:51:26.92 ID:pq1qqwbn
毛利厨が完璧に蹴散らされててワロタw
946人間七七四年:2013/03/31(日) 07:22:55.61 ID:1qcJUXQT
>>945
いや、お前、自演するならせめてID変えろよ。馬鹿すぎて、笑えねえよ
947人間七七四年:2013/03/31(日) 12:28:54.66 ID:LjCWkBcg
論破され都合が悪くなると
すぐSUBとかだがとかレッテル貼りの人格攻撃になる小学生脳w
948人間七七四年:2013/03/31(日) 12:37:47.40 ID:Q3XlJklI
総大将はこうあるべきだ、から入ってるから柔軟に考えられないんだろうな。
東西二極で区分け出来るような単純な政局じゃなかったのは常識でしょ。
両陣営、参戦理由は其々。自領拡大を志向していた毛利が総大将だっただけの話だ。
949人間七七四年:2013/03/31(日) 12:49:24.08 ID:pq1qqwbn
だからお前の言うとおりならそんな人間が最初から総大将になんかならねっつの
毛利の目的が自領拡大とか妄想乙だな
輝元が家康と衝突さけるつもりならはじめから西軍総大将になんてなるわけないし
伊勢湾、伊勢方面に兵送ったり関が原に秀元広家の大軍送り込むわけもない
つうか仮にお前のいうように自領域拡大が目的なら
関が原本戦に勝利すれば西軍総大将として最も領域も権限も増すし逆に総大将なのに負ければ最も不利な立場になるなんて幼稚園児でもわかる事
950人間七七四年:2013/03/31(日) 12:58:15.45 ID:Q3XlJklI
なぜ?
瀬戸内海易の肝は大坂でしょ。総大将として大坂城に入るメリットは大きい。

キミの大好きな光成準治氏も、毛利の軍事行動を
@家康との直接対決には消極的
Aそれ以外の東軍大名の所領侵食には積極的
と分析してるけど。
毛利の自領拡大は、私の個人的な妄想ではなく、客観性を伴ってるよ。
951人間七七四年:2013/03/31(日) 13:10:54.18 ID:pq1qqwbn
>>950
ハイハイ、デタラメ乙
関が原の戦いに関する再検討(白峰 旬)9ページ
光成準治氏は「関が原前夜における権力闘争-毛利輝元の行動と思惑-」
において毛利輝元の動向に焦点をあて、毛利輝元が石田三成などの奉行衆と連携して積極的に反徳川闘争の決起を行ったと
指摘している。この光成氏の指摘は、毛利輝元が関が原の戦いに消極的にしか関与していなかった、という従来の見解を批判しており、その点で注目
すべき見解といえよう。
と書いてる。ようは輝元が消極的で家康と戦わなかったのではなく馬鹿すぎるから
総大将になりながら自領拡大にまい進し戦力の集中して敵本軍を潰せば最もローリスクハイリターンな事もわからなかった馬鹿だっただけ。

毛利なしの西軍→寡兵すぎて徳川先鋒隊との戦いにも敗戦し美濃を奪い取られる
徳川先鋒隊に家康本軍が加わった軍勢→毛利勢の大軍なしに持ちこたえられるわけがない
輝元→西軍総大将なので負けた場合の主戦犯。勝った場合最も利益を受けられる
よって東軍を西軍の戦力集中させて壊滅させるのが最もローリスクハイリターンで
毛利がやったみたいな西軍の戦力バラけさせて東軍によって壊滅させられるのが最もハイリスクローリターン
こんな戦力の集中による敵本軍の壊滅なんて戦略の初歩すらわかってないのはお前と輝元みたいな馬鹿だけ
952人間七七四年:2013/03/31(日) 13:18:04.22 ID:pq1qqwbn
>>瀬戸内海易の肝は大坂でしょ。総大将として大坂城に入るメリットは大きい
総大将になるなら東軍総大将家康との対決は避けられず
避けようとすると西軍は巨大な戦力と総大将不在で士気や結束力に重大な影響が出る
瀬戸内の権益どうこうは総大将になって家康を叩き潰せばどうにでもなるし自領も最大限に広がる
逆に総大将になりながら家康との対決に敗れれば戦犯として厳しく処罰される(改易になりそうなところ吉川の懇願で大減封で免れただけ)
よって総大将になったからには家康との対決を積極的に考えていた証拠。現に中途半端に秀元勢送ったりしてるし
>>それ以外の東軍大名の所領侵食には積極的
三成は8月初旬に真田や佐竹に宛ててるように三河方面の侵攻計画を考え毛利軍もこれに加えて家康方に対して先手を打って侵攻しようとしてたが
毛利がこれを無視して兵を出さなかったため結局水の泡に帰してる
毛利輝元の戦略は東軍諸将、家康との対決などとは関係なく場当たり的に兵を送って手薄そうな所を攻めてるだけ。
現に家康到着後の9/12ですら伊勢湾で暴れまわって首注文が大量に届けられてる
953人間七七四年:2013/03/31(日) 13:26:44.66 ID:Q3XlJklI
え?
そこでなぜ白峰?光成の著書だけでいいじゃないw

ちなみに光成氏は、同著書第三章第4項「輝元の思惑」(126ページ)
にて関ヶ原における輝元の意図を総括してるけど。
意図は2つ。1つ目は省略させてもらって2つ目ね。

『輝元第二の意図は、阿波〜讃岐〜伊予〜豊前・豊後ラインを制圧しようと
したものと考えられる。秀吉の海賊停止令により失った瀬戸内海制海権を奪還し
石見銀山産出銀の輸出など東アジア貿易への進出など交易による利益の獲得を
企図したものである。毛利氏は従来から有していた日本海西部の制海権と
瀬戸内海制海権とを有機的に結合することにより、豊臣政権の統制下から
脱した独自の交易を展開しようとしたものと評価される。』

キミだって読んでるはずだけど?w
954人間七七四年:2013/03/31(日) 13:27:53.65 ID:XknUVxV/
>>951
光成氏は「輝元は西軍結成に深く関与していた」と言っているだけに過ぎない

それがどう解釈すれば「ようは輝元が消極的で家康と戦わなかったのではなく馬鹿すぎるから」という論が成り立つのだろうか?
意味不明である
955人間七七四年:2013/03/31(日) 13:30:32.66 ID:Q3XlJklI
加えて、

『つまり輝元は豊臣奉行衆と同盟して表面的には豊臣政権を支える姿勢を見せながら、
その真意は独立的な領国を形成することにあり、実際には豊臣政権の根幹的な政策
である惣無事令や海賊停止令をも否定しようとしていたのである。』

西軍内における毛利と石田の同床異夢には、客観性があるでしょ。
956人間七七四年:2013/03/31(日) 13:34:57.10 ID:pq1qqwbn
>>954
白峰氏論文(白峰 旬)9ページ (ネット上でも読める)
光成準治氏は「関が原前夜における権力闘争-毛利輝元の行動と思惑-」
において毛利輝元の動向に焦点をあて、毛利輝元が石田三成などの奉行衆と連携して積極的に反徳川闘争の決起を行ったと
指摘している。この光成氏の指摘は、毛利輝元が関が原の戦いに消極的にしか関与していなかった、という従来の見解を批判しており、その点で注目

お前はさっきからデタラメばっかいってるから全く信用できん
毛利輝元が石田三成などの奉行衆と連携して積極的に反徳川闘争の決起を行ったのだから
家康との対戦は消極的どころか積極的に考えていた事になる
んで積極的に対戦するなら三河方面侵攻計画に同調するなり
奉行衆の美濃防衛要請に応えてさっさと東軍叩き潰せばいいだけなのが
的はずれな方向にばかり兵進めまくったあげく東軍に大敗して改易されそうになるところをなんとか家康のお情けで家脈だけ保ったのが毛利馬鹿元
957人間七七四年:2013/03/31(日) 13:36:39.06 ID:pq1qqwbn
>>955
毛利なしの西軍→寡兵すぎて徳川先鋒隊との戦いにも敗戦し美濃を奪い取られる
徳川先鋒隊に家康本軍が加わった軍勢→毛利勢の大軍なしに持ちこたえられるわけがない
輝元→西軍総大将なので負けた場合の主戦犯。勝った場合最も利益を受けられる
よって東軍を西軍の戦力集中させて壊滅させるのが最もローリスクハイリターンで
毛利がやったみたいな西軍の戦力バラけさせて東軍によって壊滅させられるのが最もハイリスクローリターン
こんな戦力の集中による敵本軍の壊滅なんて戦略の初歩すらわかってないのはお前と輝元みたいな馬鹿だけ
958人間七七四年:2013/03/31(日) 13:37:02.38 ID:Q3XlJklI
いや、だからなぜそこで白峰?
直接、光成氏の著書でいいじゃないの?
959人間七七四年:2013/03/31(日) 13:39:15.29 ID:Q3XlJklI
>>957
コピペじゃなくて、>>953>>955にちゃんとレスしてくれないかな?
960人間七七四年:2013/03/31(日) 13:41:51.30 ID:pq1qqwbn
>>959
いやだから家康との対決が消去的だのどこにも書いてないし
>>955の書いてる通りだとしても>>957のように輝元がどうしようもない馬鹿って事に変わりないわけで。
961人間七七四年:2013/03/31(日) 13:42:35.58 ID:NZZS1E0w
○毛利輝元が家康打倒を考えておらず自領域の拡大のみを見据えていたというのは根拠がない
輝元が家康と戦う気がないならはじめから西軍総大将になんてなるわけないし
伊勢湾、伊勢方面に兵送ったり関が原に秀元広家の大軍送り込むわけもない
つうか仮にお前のいうように自領域拡大が目的なら
関が原本戦に勝利すれば西軍総大将として最も領域も権限も増すし逆に総大将なのに負ければ最も不利な立場になるなんて幼稚園児でもわかる事

○毛利輝元は馬鹿なのは以下の通り史実での実績がちゃんとある
・対織田戦で熊見川で大勝しながら兵站の長さを理由に本国へヘタレ退却する
・天正4年〜7年時点でも織田方が他の方面での戦闘で忙しい時でも中国口を中途半端に火事場泥棒しただけで勝頼やらとの約定反故にして織田を討つ決定的チャンスを逃す
・本能寺の時も秀吉の口からでまかせ口述詐欺(数カ国織田から毛利へ割譲する)にひっかかって騙される
・関が原の後もやはり家康に騙されて大阪城明け渡した
・関が原の合戦に至るまでの間、総大将という最も権限軍隊ある立場にありながら関係ない伊勢湾四国伊勢などに軍分散させ見事大敗する
・総大将なのに西軍諸将からの援軍要請無視しまくり美濃口を突破され、その後も大阪に引きこもり秀元軍も使い物にならず見事大敗する

こんな馬鹿が西軍総大将なのが三成の運のつき
関が原の輝元の目標が自領域拡大であった場合→西軍総大将で本戦に負ければ自領域拡大も糞もなく逆に本戦に勝てば最大限に自領域は拡大
するのにそんな事もわからず援軍要請無視、大阪篭城、伊勢湾やら四国やらに兵分散させまくり18万もいる西軍を見事崩壊させた馬鹿
輝元の目標が西軍の大勝・家康妥当であった場合(関が原に大軍送ったり自分も総大将になった事からこちらの可能性のが高い)
→伊勢湾や四国に兵分散させまくり伊勢方面軍を編成しながら実際には伊勢には中途半端な兵を残したのみで攻められないなど無意味な戦略行動をし
美濃口が攻められた時も三成らからの援軍要請を無視しまくって美濃を突破され
関が原本戦だというのに総大将の自分はなぜか大阪に居座り秀元らに命令出せず見事毛利軍は役に立たず大敗

どちらにしても毛利がクズなのは間違いないな
962人間七七四年:2013/03/31(日) 13:42:50.82 ID:XknUVxV/
>>958
>毛利輝元が関が原の戦いに消極的にしか関与していなかった、という従来の見解を批判

これが言いたいだけでしょう。
白峰氏は「関ヶ原の戦い」と「反徳川闘争の決起」を盛大に勘違いしてるからね。
963人間七七四年:2013/03/31(日) 13:45:15.24 ID:pq1qqwbn
>>白峰氏は「関ヶ原の戦い」と「反徳川闘争の決起」を盛大に勘違いしてるからね。
根拠なし。
さっきからお前のレスには光成がこういったああいったを捏造歪曲してるだけにすぎん
反徳川闘争の決起すれば徳川との対決は必至なので徳川との対決に輝元が消極的なわけがない
○毛利輝元が家康打倒を考えておらず自領域の拡大のみを見据えていたというのは根拠がない
輝元が家康と戦う気がないならはじめから西軍総大将になんてなるわけないし
伊勢湾、伊勢方面に兵送ったり関が原に秀元広家の大軍送り込むわけもない
つうか仮にお前のいうように自領域拡大が目的なら
関が原本戦に勝利すれば西軍総大将として最も領域も権限も増すし逆に総大将なのに負ければ最も不利な立場になるなんて幼稚園児でもわかる事
964人間七七四年:2013/03/31(日) 13:51:19.44 ID:XknUVxV/
>>963
>反徳川闘争の決起すれば徳川との対決は必至なので徳川との対決に輝元が消極的なわけがない

これまさにゲーム脳の決戦思考だよなあ
965人間七七四年:2013/03/31(日) 13:53:39.86 ID:Q3XlJklI
>>960
『家康との直接対決に消極的』と書いてるよ。

@第二章第2項 毛利軍の動向(72ページ)
A第三章    序文(この章のテーマ:90ページ)

光成氏は繰り返し記載していますけど。
966人間七七四年:2013/03/31(日) 13:53:54.75 ID:NZZS1E0w
>>964
どうみてもお前のがゲーム脳だと思うよ
ゲームでもないんだし家康と戦う気がなかったから〜とか天下を望まなかったから〜とか全くいいわけにはならん
事実としてあるのは三成が必死に集めた畿内方面だけでも18万もある大軍と西軍総大将として戦局決定できる立場にありながら
伊勢湾やら四国やらどうでもいい方面に軍を分散させまくり美濃口からの奉行衆からの援軍要請無視しまくって
木曽川ラインを突破され見事関が原本戦で敗れ去ったという事だけ。
本当なら改易される所を広家の懇願と家康のお情けでなんとか家脈を保っただけだし
967人間七七四年:2013/03/31(日) 13:55:16.06 ID:pq1qqwbn
>>965
んで光成氏はどういった論拠や史料を元に直接対決に消極的だったと書いてるの?
968人間七七四年:2013/03/31(日) 13:58:22.30 ID:Q3XlJklI
>>967
その質問の前に、>>953>>955にきちんとレスしてもらえる?
『毛利の自領拡大は、私の個人的妄想ではなく客観性を伴った分析である事』
を認めてもらえるかな?
969人間七七四年:2013/03/31(日) 14:01:10.01 ID:Q3XlJklI
↑修正
『関ヶ原における毛利の自領域拡大方針は、私の個人的妄想ではなく識者の
分析にもある通り、客観性を有する』事を認めてもらえる?
970人間七七四年:2013/03/31(日) 14:02:58.13 ID:pq1qqwbn
>>968
>>毛利の自領拡大は、私の個人的妄想ではなく客観性を伴った分析である事
いや、まず論拠か史料を聞いてからだ。あと>>957でちゃんとレスがついてる
971人間七七四年:2013/03/31(日) 14:05:16.83 ID:Q3XlJklI
なんだ、やっぱり逃げるのか。
>>957こそキミの推測じゃないか。
972人間七七四年:2013/03/31(日) 15:29:55.81 ID:pq1qqwbn
>>971
具体的にどこが推測なんだ?事実として
毛利なしの西軍は寡兵すぎて徳川先鋒隊との戦いにも敗戦し美濃を奪い取られる
徳川先鋒隊に家康本軍が加わった軍勢→毛利勢の大軍なしに持ちこたえられるわけがない

輝元は西軍総大将なので負けた場合の主戦犯。勝った場合最も利益を受けられる
よって東軍を西軍の戦力集中させて壊滅させるのが最もローリスクハイリターンで
毛利がやったみたいな西軍の戦力バラけさせて東軍によって壊滅させられるのが最もハイリスクローリターン
こんな戦力の集中による敵本軍の壊滅なんて戦略の初歩すらわかってないのはお前と輝元みたいな馬鹿だけ
973人間七七四年:2013/03/31(日) 15:51:49.39 ID:Q3XlJklI
>>972
話を逸らすつもりはないよ。
>>953>>955は、『関ヶ原における毛利の自領拡大方針』が客観性を有する事を
証明するために、光成氏の著書から引用させてもらったものだ。
キミのデタラメ扱い(>>951)こそがデタラメで、決して私の妄想ではないことをね。
そのレスが>>957。見当違いも甚だしいレスでしょ。

まずは、
『関ヶ原における毛利の自領域拡大方針は、私の個人的妄想ではなく識者の
分析にもある通り、客観性を有する』事を認めてもらえるかい?
974人間七七四年:2013/03/31(日) 17:55:47.91 ID:pq1qqwbn
>>973
だから光成氏が具体的にどういう論拠や史料をもって関ヶ原における毛利の自領拡大方針を主張してるんだと聞いてるんだが。

○毛利輝元が家康との交戦を消極的にしか考えておらず自領域の拡大を中心に見据えていたというのは根拠がない
・輝元が家康と戦う気がないならはじめから西軍総大将になんてなるわけないし
伊勢湾、伊勢方面に兵送ったり関が原に秀元広家の大軍送り込むわけもない
・自領域拡大が目的なら関が原本戦に勝利すれば西軍総大将として最も領域も権限も増すし逆に総大将なのに負ければ最も不利な立場になるなんて幼稚園児でもわかる事
・石田三成などの奉行衆と連携して積極的に反徳川闘争の決起を行った

○毛利輝元は馬鹿なのは以下の通り史実での実績がちゃんとある
・対織田戦で熊見川で大勝しながら兵站の長さを理由に本国へヘタレ退却する
・天正4年〜7年時点でも織田方が他の方面での戦闘で忙しい時でも中国口を中途半端に火事場泥棒しただけで勝頼やらとの約定反故にして織田を討つ決定的チャンスを逃す
・本能寺の時も秀吉の口からでまかせ口述詐欺(数カ国織田から毛利へ割譲する)にひっかかって騙される
・関が原の後もやはり家康に騙されて大阪城明け渡した
・関が原の合戦に至るまでの間、総大将という最も権限軍隊ある立場にありながら関係ない伊勢湾四国伊勢などに軍分散させ見事大敗する
・総大将なのに西軍諸将からの援軍要請無視しまくり美濃口を突破され、その後も大阪に引きこもり秀元軍も使い物にならず見事大敗する

以上のように毛利輝元が消極的というより単に馬鹿だったからこそ戦力分散させまくり西軍を崩壊に導いたと解釈すれば矛盾なく関が原の毛利の行動も理解できる
975973:2013/03/31(日) 19:32:03.45 ID:PNtE6zjh
>>974
その質問の初出は>>967なので、時系列的にこちら(>>953>>955)に回答する方が先でしょ。
加えて、その質問は史実性についてでしょ。まずは客観性について回答してくれよ。
その後でいくらでも議論してあげるよ。
ちなみに、キミの『毛利は馬鹿』には毛ほどの客観性がないけどね。
そんな分析結果を出す識者はいないよ。

で、
『関ヶ原における毛利の自領域拡大方針は、私の個人的妄想ではなく識者の
分析にもある通り、客観性を有する』事を認めてもらえるかい?

イエスかノーの二択なんだが、こんな事も出来ないのか?
976人間七七四年:2013/03/31(日) 22:38:34.65 ID:a3VB9kNS
三成らの誤算は輝元の行動よりも東軍を足止めすらできなかった景勝の行動の方がウェイト大きい。
輝元はハナから徳川との直接対決避けて正解だった。
977人間七七四年:2013/04/01(月) 00:05:08.56 ID:DRWorCZ5
上杉が南下したら最上伊達堀らが会津領になだれ込んでくるだけだろ
三成はこの点も考慮にいれて三河方面へ毛利軍含めた大軍で侵攻する計画を8月上旬時点で真田や佐竹にあてて書いてる。
だが毛利馬鹿元はこれを無視して伊勢湾四国に兵力分散させまくったあげく美濃口突破され
関が原本戦でも当の馬鹿毛利軍は全く使い物にならず大敗
そもそも美濃口が東軍諸将に攻め込まれている間奉行衆らから毛利への援軍要請出しまくって
必死に美濃口防衛しようとしてるのにアホ元はそれを無視して伊勢湾やら四国やらで活動続けてる
これにより兵力不足の西軍は美濃口で敗戦を重ね普通に戦えば突破されるわけない状況と兵力差で美濃を突破されて
大垣に引きこもるハメになっている
978人間七七四年:2013/04/01(月) 00:07:03.69 ID:DRWorCZ5
>>輝元は、東軍(家康)の撃破を至上命題としていない。西軍の総大将という立場を自国の目的とは『自領の拡大』と『瀬戸内海易の確保』。
だから総大将にもかかわらず軍分散してどうでもいい所攻めて本決戦で軍ろくに動かさず敗北する毛利が糞すぎるといってるわけで。
大体自分が総大将にもかかわらず東軍との本決戦に敗れれば自国の領域拡大も瀬戸内海の利権も糞もないわけで。
あと関が原直後には毛利の厳封が決まってるのに厳封確定になった時点で厳封する事が決まった領域を一時的に持ってた事をもって「領土は最大」などとはいわん
あと8/10石田←佐竹書状で「輝元は家康が到着したら三万を召し連れて出陣する」と書いており西軍方は家康との本決戦にあたって総大将であり最も巨大な軍団を持ってた輝元を
主力として東軍を迎撃しようと考えていたが当の輝元が再三に渡る石田ら西軍の援軍要請を無視しまくって本決戦で敗れる理由となったわけ。
尾張口に大軍で美濃方面を攻めに来てるのにそれ無視して援軍要請も無視して
伊勢湾とか四国とかどうでもいいところ攻めてるのにその作戦が真っ当とかないわ
戦力下手に分散してその一部隊が敗れたら戦局が大きく傾くなんて普通の脳味噌の人間ならわかることだし事実そうなったし

>>毛利が家康との直接対決で全力出す必要は全くない。
家康との直接対決で西軍方の一部隊が敗れたらもう手遅れで降伏するしかなくなるのが毛利
事実そうなったし自国の領土拡大どうこういうなら総大将としての地位を最大限生かして東軍との主力決戦で勝利し
大将としての権力を確立していけばいいだけ。
長期化するシナリオでも最低限福島やら池田やら東軍方諸侯は確実に美濃口で立ち往生させないとどんどん味方が減るだけだし
さっさと石田ら西軍諸侯の要請通り美濃に大軍送ってりゃよかっただけ

西軍総大将で最も規格外の大軍持ってるにもかかわらず目的が火事場泥棒で
軍分散させまくったあげく東軍の尾張口の進軍にも対応せず石田らからの要請無視して
大敗し大厳封くらうんだから相当馬鹿だな
伊達最上堀らに囲まれてた上杉と違って毛利は兵力的にも状況的にも十分すぎるほど東軍ぶち破るチャンスがあったのに
むざむざ無駄にして何もしないまま大厳封
西軍総大将として存在しながら本決戦に負けたら勢力拡大も火事場泥棒も糞もないのにクズすぎる

一日で敗れるような会戦状況作ったのは他でもない輝元。
尾張口に大軍で美濃方面を攻めに来てるのにそれ無視して援軍要請も無視して
伊勢湾とか四国とかどうでもいいところ攻めてるのにその作戦が真っ当とかないわ
戦力下手に分散してその一部隊が敗れたら戦局が大きく傾くなんて普通の脳味噌の人間ならわかることだし事実そうなったし 。
家康との直接対決で西軍方の一部隊が敗れたらもう手遅れで降伏するしかなくなるのが毛利
事実そうなったし自国の領土拡大どうこういうなら総大将としての地位を最大限生かして東軍との主力決戦で勝利し
大将としての権力を確立していけばいいだけ。
長期化するシナリオでも最低限福島やら池田やら東軍方諸侯は確実に美濃口で立ち往生させないとどんどん味方が減るだけだし
さっさと石田ら西軍諸侯の要請通り美濃に大軍送ってりゃよかっただけ

三成ら西軍諸侯は輝元に援軍要請している(8/29保科正光→黒河内長三、9/12石田三成→増田)
が輝元は無視して伊勢湾やら四国やらに軍向けるばかり
また、美濃攻防時三成は織田秀信救援軍として美濃河渡において東軍と戦っているが数が足りず、敗れている
このときも毛利の大軍の後詰が素直に行われていれば簡単に撃退できたはずだが輝元は大阪から足を動かさず
伊勢湾に軍船送って荒らしまわるだけ。
はっきりいって奉行衆がどんな名将でも総大将がここまでのクズだとどんな軍でも勝ちようがない
西軍の中核は毛利軍や小早川軍など毛利一族の軍であり
こいつらが全く使い物にならない以上、西軍に勝つ事なんて無理で三成の能力どうこうの問題ではない
979人間七七四年:2013/04/01(月) 00:07:34.57 ID:lj7JIBrk
関が原本戦に負ければ自領の拡大も瀬戸内の権益も糞もないし
逆に勝てば総大将として領土も権益も最大限に拡張するのに
そんな事もわからないとか相当の馬鹿だな
四国方面への拡張とか言ってるけど中途半端に伊勢湾荒らし回ったり伊勢侵攻軍派遣したり
関が原本戦でも一応は軍派遣してるから(全く使い物にならなかったが)
別に戦略というほどの物が輝元にあったか非常に怪しいがな
980人間七七四年:2013/04/01(月) 00:08:20.24 ID:DRWorCZ5
尾張口に大軍で美濃方面を攻めに来てるのにそれ無視して援軍要請も無視して
伊勢湾とか四国とかどうでもいいところ攻めてるのにその作戦が真っ当とかないわ
戦力下手に分散してその一部隊が敗れたら戦局が大きく傾くなんて普通の脳味噌の人間ならわかることだし事実そうなったし

>>毛利が家康との直接対決で全力出す必要は全くない。
家康との直接対決で西軍方の一部隊が敗れたらもう手遅れで降伏するしかなくなるのが毛利
事実そうなったし自国の領土拡大どうこういうなら総大将としての地位を最大限生かして東軍との主力決戦で勝利し
大将としての権力を確立していけばいいだけ。
長期化するシナリオでも最低限福島やら池田やら東軍方諸侯は確実に美濃口で立ち往生させないとどんどん味方が減るだけだし
さっさと石田ら西軍諸侯の要請通り美濃に大軍送ってりゃよかっただけ

西軍総大将で最も規格外の大軍持ってるにもかかわらず目的が火事場泥棒で
軍分散させまくったあげく東軍の尾張口の進軍にも対応せず石田らからの要請無視して
大敗し大厳封くらうんだから相当馬鹿だな
伊達最上堀らに囲まれてた上杉と違って毛利は兵力的にも状況的にも十分すぎるほど東軍ぶち破るチャンスがあったのに
むざむざ無駄にして何もしないまま大厳封
西軍総大将として存在しながら本決戦に負けたら勢力拡大も火事場泥棒も糞もないのにクズすぎる

一日で敗れるような会戦状況作ったのは他でもない輝元。
尾張口に大軍で美濃方面を攻めに来てるのにそれ無視して援軍要請も無視して
伊勢湾とか四国とかどうでもいいところ攻めてるのにその作戦が真っ当とかないわ
戦力下手に分散してその一部隊が敗れたら戦局が大きく傾くなんて普通の脳味噌の人間ならわかることだし事実そうなったし 。
家康との直接対決で西軍方の一部隊が敗れたらもう手遅れで降伏するしかなくなるのが毛利
事実そうなったし自国の領土拡大どうこういうなら総大将としての地位を最大限生かして東軍との主力決戦で勝利し
大将としての権力を確立していけばいいだけ。
長期化するシナリオでも最低限福島やら池田やら東軍方諸侯は確実に美濃口で立ち往生させないとどんどん味方が減るだけだし
さっさと石田ら西軍諸侯の要請通り美濃に大軍送ってりゃよかっただけ

三成ら西軍諸侯は輝元に援軍要請している(8/29保科正光→黒河内長三、9/12石田三成→増田)
が輝元は無視して伊勢湾やら四国やらに軍向けるばかり
また、美濃攻防時三成は織田秀信救援軍として美濃河渡において東軍と戦っているが数が足りず、敗れている
このときも毛利の大軍の後詰が素直に行われていれば簡単に撃退できたはずだが輝元は大阪から足を動かさず
伊勢湾に軍船送って荒らしまわるだけ。
はっきりいって奉行衆がどんな名将でも総大将がここまでのクズだとどんな軍でも勝ちようがない
西軍の中核は毛利軍や小早川軍など毛利一族の軍であり
こいつらが全く使い物にならない以上、西軍に勝つ事なんて無理で三成の能力どうこうの問題ではない
981人間七七四年:2013/04/01(月) 00:09:46.46 ID:DRWorCZ5
お前は本当に頭が悪いね。一日で敗れるような会戦状況作ったのは他でもない輝元。
尾張口に大軍で美濃方面を攻めに来てるのにそれ無視して援軍要請も無視して
伊勢湾とか四国とかどうでもいいところ攻めてるのにその作戦が真っ当とかないわ
戦力下手に分散してその一部隊が敗れたら戦局が大きく傾くなんて普通の脳味噌の人間ならわかることだし事実そうなったし 。
家康との直接対決で西軍方の一部隊が敗れたらもう手遅れで降伏するしかなくなるのが毛利
事実そうなったし自国の領土拡大どうこういうなら総大将としての地位を最大限生かして東軍との主力決戦で勝利し
大将としての権力を確立していけばいいだけ。
長期化するシナリオでも最低限福島やら池田やら東軍方諸侯は確実に美濃口で立ち往生させないとどんどん味方が減るだけだし
さっさと石田ら西軍諸侯の要請通り美濃に大軍送ってりゃよかっただけ

三成ら西軍諸侯は輝元に援軍要請している(8/29保科正光→黒河内長三、9/12石田三成→増田)
が輝元は無視して伊勢湾やら四国やらに軍向けるばかり
また、美濃攻防時三成は織田秀信救援軍として美濃河渡において東軍と戦っているが数が足りず、敗れている
このときも毛利の大軍の後詰が素直に行われていれば簡単に撃退できたはずだが輝元は大阪から足を動かさず
伊勢湾に軍船送って荒らしまわるだけ。
はっきりいって奉行衆がどんな名将でも総大将がここまでのクズだとどんな軍でも勝ちようがない
西軍の中核は毛利軍や小早川軍など毛利一族の軍であり
こいつらが全く使い物にならない以上、西軍に勝つ事なんて無理で三成の能力どうこうの問題ではない
982973:2013/04/01(月) 00:21:14.38 ID:PF6D4xDx
ちょっとイジメ過ぎたかな?
ID変える意味もわからないけど、>>977-981の長文コピペ連投
は病的なものを感じる。

>>975については無理して回答しなくてもいいよ。
Subちゃん、いつものように逃亡してもらってOKです。
983人間七七四年:2013/04/01(月) 01:34:10.58 ID:lj7JIBrk
今夜も妄想毛利厨が壮絶に論破されててワロタwwww
984人間七七四年:2013/04/01(月) 02:05:58.18 ID:PF6D4xDx
>>983
結果は自分が一番わかってるでしょ。
第三者にアピールしても気は晴れないよねぇ?w
985人間七七四年:2013/04/01(月) 04:23:11.69 ID:pKbw3GRH
>上杉が南下したら最上伊達堀らが会津領になだれ込んでくるだけだろ

それを抑える力すらないというのか
どんだけ弱いんだよ上杉軍はw
986人間七七四年:2013/04/01(月) 05:47:29.46 ID:DRWorCZ5
馬鹿じゃねぇのw
南下するなら当然下野で秀康ら2万と衝突するわけだから領国の総軍挙げないと無理
領国からっぽになった状態で伊達最上堀の本国襲撃受けたらひとたまりもねーだろw
とりあえず毛利輝元レベルの馬鹿なお前は戦略の基本くらい学んで出直して来い
987人間七七四年:2013/04/01(月) 05:52:07.40 ID:lj7JIBrk
上杉が破竹の勢いで最上領侵攻して風前の灯まで追い込んだのに対して毛利は伊予攻防でも大損害出して敗戦するなどいい所なしだもんなぁ
988人間七七四年:2013/04/01(月) 08:16:27.25 ID:VWxvgmr3
>>985
上杉にしても毛利にしても、徳川と事を構える力なんか残ってる訳無いだろw

現代人の常識から考えると、詐欺にかけられて戦争の主犯にされかけただけなんじゃね。
そして詐欺の犯人は石田三成
989人間七七四年:2013/04/01(月) 08:31:09.91 ID:lj7JIBrk
毛利は総勢45000くらいの戦局決定できるのに十分すぎる兵力と
西軍総大将であり畿内方面だけで18万もいる絶好の条件で三成ら奉行衆の要請や作戦無視しまくったあげく大敗。
輝元以外の武将が西軍総大将ならまず間違いなく勝てたのが西軍。
8月上旬の三成書状ごとく三河方面に先手を打って侵攻するもよし。
美濃口に来た所を木曽川筋の防衛ライン利用して伊勢方面と美濃方面から一挙になだれ込むもよし。
押し込まれた関が原本戦でも秀元小早川吉川の総動員で負けるはずもない布陣を三成がお膳立てしたから
三方面から徳川軍を大破するもよし。
まず負けるはずもない兵力・国力・総大将の肩書き・状況で常人ではありえない戦略をとることでまずありえない敗戦を
実際にやらかしたのが輝元。
990人間七七四年:2013/04/01(月) 09:40:37.82 ID:ptZEXN5e
>>987
今治を無傷で接収成功してたことも知らないのか
無知すぎる
991人間七七四年:2013/04/01(月) 11:08:17.63 ID:DRWorCZ5
留守部隊に油断して毛利は伊予でぼろ負けしてるのに何言ってんだw
阿波だって西軍に同情的な蜂須賀家政が戦わずに自ら領土を提出したようなもんなのに毛利の武功みたいに言うなよアホが。
992人間七七四年:2013/04/01(月) 11:09:28.08 ID:lj7JIBrk
wikiだけの知識で必死に対抗しようとするバカ毛利厨乙w
伊予を毛利が平定するチャンスがあったとかバカも休み休み言えよwww
ぜんぜん知識もないアホ丸出しで毛利史観を盲信してんじゃねーよ。
阿波や讃岐が毛利の管理下に置かれてるから毛利の功績?もうデタラメすぎて腹が痛いよwww

伊予国松前城主加藤氏の場合
毛利軍の侵攻に対して弟や正木城を預かる佃らは
宇和島城主藤堂氏の援軍の申し出を「独力で守るわ!」と断り
5/18に決戦し村上・能島・曽根の三将を打ち取るも加藤側の被害はわずか味方手勢十余人の戦死。
これにより正木付近で毛利軍は壊滅させ敗走、さらに追撃し毛利と戦闘を重ね、
毛利軍は久米郡如来寺に籠城し一揆軍の決起を促す。
19日加藤軍の先頭の黒田九郎兵衛は山門を打ち破り寺内に乱入し
毛利兵を討ちまくるうちに鉄砲に当り討ち死。
あとに続いた飛松兵介も討死するも佃は兵を二手に分け前後より攻めて毛利軍を打ち破る。
この戦いで荏原村一揆と毛利を打ち破り、さらに和気郡山越村でも一揆と毛利軍撃破
毛利軍の最後は還熊八幡社を本陣にしたところ
佃は八幡山を襲撃し毛利の防衛線は破られ風早浦から逃げ帰った。
浮穴郡荏原城、和気郡山越付近と佃率いる加藤軍は連戦連勝し
一方、藤堂領宇和郡松葉村でも力石良連らに三瀬六兵衛が打ち取られ伊予の毛利壊滅。

阿波国徳島城蜂須賀氏の場合
家康が上杉征伐の際に御陣場御見習いと称して
小笠原秀政の娘と婚姻してるこの時わずか15歳の至鎮を強引に連れ出して人質となして出征。
やむなく至鎮を守るために益田一正ら18騎も随行。
三成挙兵→至鎮の婚約者の小笠原秀政の娘を救うべく高木法斎が徳島にいた家政の許可なく
北陸軍として加賀大聖寺城に入ったために三成による弾圧を免れることに成功。
大坂方から木俣半之丞が徳島にきたが人質を取られた家政は家康追討の名分がないと反対。
これを受けて大坂から家政に親しい前田玄以が徳島へ出仕要求にきた。
家政は仕方がなく大坂へ出てきて「患いの最中でなおかつ年寄りでもあるから従軍は勘弁して欲しい。
その代わりに国兵を差し出すから自由に使って差し支えない」
と大阪に味方すると約して、諸将の了解を得て下城しのちに高野山へ行く。
そこで大坂方から小川越前&小早川豊前が徳島へ来て家政の意として大谷・木下勝俊に属して北陸へ向かうように指令。
9/12に1万で兵庫上陸するや蜂須賀隊を率いる稲田示植が病として進軍を3日の間ストップをかけ
15日枚方で関ヶ原の東軍勝報を聞き近江草津で至鎮に合流。


生駒一正は未だに部屋住みなりしも20騎を率いて家康に従う←ここら辺は至鎮と同じパターンだろ。
生駒親正は西軍として丹波田辺城を攻め向かうも関ヶ原を聞き家康を恐れて高野山へ行く←家政と違い大坂でうまく言い訳ができんかったw

西軍化した生駒も蜂須賀もまったく士気がなくやる気ゼロの軍
どこに毛利の功績があって、毛利が四国の大半を支配下に置けそうだったんだ?
毛利はいつもどうりに激弱かったので、西軍の足を引っ張って大坂方が苦労してただけだぜ。
993人間七七四年:2013/04/01(月) 21:21:12.90 ID:+omPMfNC
>>988
まああの時点で徳川と直接戦闘したら不利な情勢になったときがヤバイというこのは両者ともわかってたんだよね
三成だけがズレてた
994人間七七四年:2013/04/01(月) 21:37:17.88 ID:b2WI024E
首謀者は輝元
三成はオマケ
三成は美濃近江ラインの重要性を認識
毛利家は家臣がそれぞれ派閥化して方針が定まらなかったため
アホ輝元は戦略的視点に欠けていた(小早川吉川ら兄弟時代からの派閥確執が余計ひどくなっていた)
そこに家康や長政が和睦詐欺や毛利を敵だと思ってないよ嘘アピの謀略をかけてきて
輝元はとうぶん家康の西上はないわwと多方面へ兵力を分散し
肝心の美濃近江戦線を放置するアホぶり。
家康も福島らが三成包囲したわ詐欺にひっかかり
急いで西上してしまったことで
輝元は腰がひけて、家康は和睦してくれる&毛利を敵だと思ってない発言を盲信して騙される。
そもそも毛利が下手を打ったために大津城が東軍に落ちたのが致命的
毛利の無能さは神
995人間七七四年:2013/04/01(月) 21:40:21.43 ID:+omPMfNC
>>994
>首謀者は輝元

はい全く根拠なし
論外にもほどがある
996人間七七四年:2013/04/01(月) 21:42:49.78 ID:b2WI024E
輝元が首謀者だったが、大坂城を明け渡すために
大坂城内を説得した功で極刑を免れる。
そのため武断派が嫌っていた三成・小西らがスケープゴートにされる。
これで豊臣家臣同士の諍いにまで矮小化することで戦後の
ソフトランディング謀り、家康の謀反を問う義戦の性格が消滅した。
勝者の論理が適用されたのだ。
第二次大戦での日本の東亜開放の人種戦争の大義が消されたように。
997人間七七四年:2013/04/01(月) 21:47:04.54 ID:+omPMfNC
>>996
あれ?輝元馬鹿じゃなかったのか?w
それだとものすごいやり手になっちゃってるぞw
998人間七七四年:2013/04/01(月) 21:47:42.59 ID:b2WI024E
光成氏も輝元の迅速な大坂城入りは
事前に準備をし終えて出撃する準備が完了してないと
不可能な速さだと指摘してる。
明らかに毛利が首謀者でなければあんな一大挙兵はできない。
999人間七七四年:2013/04/01(月) 21:51:16.41 ID:+omPMfNC
>>998
はい根拠なし。
光成氏は輝元が首謀者だとは全く言っていない。
1000人間七七四年:2013/04/01(月) 21:51:51.10 ID:+omPMfNC
駄スレ終了
10011001
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