戦国公家!近衛前久

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1人間七七四年
当時の公家としてはめざましい活躍をしている近衛前久について熱く語りましょう!
2人間七七四年:2007/09/03(月) 13:38:09 ID:58NCKI6S
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3人間七七四年:2007/09/03(月) 13:49:13 ID:58NCKI6S
徳川の天下が定まっても信長の命日に追悼句会を開き信長を慕っている彼の
信長への思い入れはかなりのものだったようですね。

しかし鷹狩が趣味の家康とはうまくいかなかったのかな?
4人間七七四年:2007/09/03(月) 14:10:19 ID:PacSkPui
>>3
家康から見ればもはや前時代の人間でしかないからなあ。秀吉の時代に既に引退したようなものだし。
しかし安部龍太郎の小説ではこの人スーパーマンですな。
5人間七七四年:2007/09/03(月) 15:01:51 ID:rNdFqjz5
近衛!わごれは中仙道をのぼりませ
6人間七七四年:2007/09/03(月) 15:42:31 ID:1YQPOHso
のぶりんと仲良かったのか?
変の黒幕扱いもされたりするのに
7人間七七四年:2007/09/03(月) 16:52:14 ID:9FYNCYmf
北越の謙信に関東を任せようとしたのが失敗
8人間七七四年:2007/09/03(月) 16:53:17 ID:U0MYgHpL
古今和歌集かなんかやってなかった?
9人間七七四年:2007/09/03(月) 17:02:06 ID:zXl1s7Ov
( ´゚ω゚` )
10人間七七四年:2007/09/03(月) 21:17:04 ID:rKh6PhAb
島津ゆかりの人だったっけ?
>>8
やってたね、継いでた
11人間七七四年:2007/09/04(火) 09:16:41 ID:R9h8NSF2
昔中公新書から流浪の戦国貴族って本が出てた。絶版。
12人間七七四年:2007/09/04(火) 11:28:55 ID:xMvkuWc4
>>11
ほほぅ!!それは気になるなー!
探してみるわ!!
13人間七七四年:2007/09/04(火) 13:20:56 ID:Rngdektm
名目上は秀吉の父親だぜ。
14人間七七四年:2007/09/04(火) 13:44:54 ID:KWSoUpQU
司馬遼太郎は妙にこの人を酷評しているな。
15人間七七四年:2007/09/04(火) 14:32:48 ID:xMvkuWc4
>>14
kwsk
16人間七七四年:2007/09/04(火) 14:35:05 ID:fe5OnljJ
まえひさだよな
17人間七七四年:2007/09/04(火) 20:22:59 ID:QsUHhDrJ
>>6
良かった。ただし、黒幕論者は前久が信長の武田攻めについて行こうとした時に、
「お前なんか木曾から行け」と言われた話を出して、不仲だったとしているが、この話は甲陽軍鑑のもので傍証はない。
実際には、馬揃えには馬選びの段階から非常に張り切って参加しているし、石山本願寺攻めでは自ら軍を率いて織田の陣城を警備している。
さらに本願寺に出向いて和平交渉を行った。顕如が開城を決意した後も子の教如は徹底抗戦を主張していたが、
前久の説得によって和平に同意した。教如はそれ以前に前久の養子になっており、
その後も真宗大谷派(東本願寺)門首の家と近衛家はずっと仲が良い。
信長はこのことを非常に高く評価して、天下統一の後には一国を献上するとまで言ったという。

>>10
元々島津は藤原摂関家の家来の惟宗氏で、近衛家の薩摩・大隈・日向にまたがる
日本最大の荘園・島津荘に下司職として下向して武士となった。
近衛前久は島津の所へ下向したこともあったし、息子の近衛信尹が薩摩に流されたときには島津義久がちゃんと面倒を見ていた。
関が原の戦いでは逃げてきた島津の家臣を匿って家康に島津の本領を安堵するよう交渉している。
このため、近衛と島津の仲は20世紀まで(笑)非常に良かったようだ。
来年の大河の篤姫も、島津の生まれで近衛の養女になった。
18人間七七四年:2007/09/04(火) 23:26:15 ID:gG5yD5mH
さ・き・ひ・さ
19人間七七四年:2007/09/05(水) 15:04:19 ID:giCCGnO7
近衛前久の男色相手は誰だったのですか?

20中山幸盛 ◆c1ZKiGzz62 :2007/09/05(水) 16:46:01 ID:NN3SHAiM
公家にも男色の趣味なんてあったのか?
21人間七七四年:2007/09/05(水) 17:23:28 ID:82YKp96r
嗜みとしてあったんじゃないの
22人間七七四年:2007/09/05(水) 17:33:58 ID:YtyT6BWw
既に皆さんご存知とは思いますが、
>>19は歴史板や戦国板を荒らしている、
悪質な荒らしのナッちゃん(ホモ吉)ですので、
スルー推奨。
23人間七七四年:2007/09/05(水) 17:54:45 ID:DuArS9Io
公家は女好きってイメージがなぜかある。
天皇の女寝どるイケメソ公家が出るのは次の世代か
24人間七七四年:2007/09/05(水) 19:57:51 ID:3TwaPMrO
>>17
>近衛と島津の仲は20世紀まで(笑)非常に良かったようだ。
というと?
来年の篤姫はちょっと楽しみ。
25人間七七四年:2007/09/05(水) 20:06:03 ID:DvusuVl7
>>19
吉田兼和
26人間七七四年:2007/09/06(木) 09:48:37 ID:vbjEuNKM
前久がしっかりしてなかったから道長に連なる近衛家の血統は途絶えた
んでしょ。女系も含めれば釜足から現在まで繋がっているのはすげえ。
27人間七七四年:2007/09/08(土) 15:20:53 ID:t8IjKA6q
>>24
近衛文麿の娘昭子が本家の島津公爵家に嫁いだが、野口整体で有名な野口晴哉と駆け落ちしてしまった。(昭和のノラ事件)
戦後のタブーの一つ。
>>26
文麿の弟、水谷川忠麿によると藤原一族の中では尊卑分脈にあるように
藤原氏は鎌足の子孫ではなく藤原不比等が天智天皇の子で、その子孫らしい。
そのことがホントであるか否かはともかく、
そういう意識があったなら皇族から養子をとることにはあまり抵抗が無かったのかも。
28人間七七四年:2007/09/08(土) 18:18:13 ID:dR+X/JKp
流石名家だな
29人間七七四年:2007/09/16(日) 21:55:46 ID:Y03i9UOq
 
30人間七七四年:2007/09/19(水) 03:51:15 ID:C2c4XBms
信長と敵だったよね!
31人間七七四年:2007/09/19(水) 09:48:59 ID:Cw4mkwqZ
そうですね。
釣れるといいですね。
32人間七七四年:2007/09/23(日) 20:42:52 ID:4w9/vyHo
19才で関白かあ。
余生?が長いな。
33人間七七四年:2007/09/25(火) 12:48:18 ID:UDIzGHl5
>>17
百歩譲って木曾の話が事実でもシチュエーションによっては友達同士の単なる戯れの可能性もあるからな。
34人間七七四年:2007/09/25(火) 20:31:09 ID:oVx4GoVj
普通になかいいし信長を殺す動機がほとんどないわな
35人間七七四年:2007/10/04(木) 03:59:04 ID:6ob+x6HX
せっせと官位を運んで来てくれるいい奴だぜ
36人間七七四年:2007/10/09(火) 03:35:07 ID:qv1HpEoV
昭和の近衛に繋がるの?
37人間七七四年:2007/10/09(火) 10:22:40 ID:d1TqnDX8
つながるよ
女系だけど
38人間七七四年:2007/10/10(水) 23:35:57 ID:FKdbBoMz
馬揃えにも兵を率いて参加してたと聞いたが。
39人間七七四年:2007/10/11(木) 03:01:39 ID:od2v9KlU
兵がいるなら所領があるのか?
40人間七七四年:2007/10/11(木) 03:13:59 ID:jldLk/if
>>39
貴族はみんな大なり小なり所領持っとる。
だいたい武士自体、地方の所領に土着化した貴族がその出自だ。
41人間七七四年:2007/10/12(金) 21:41:39 ID:aU+vNQib
公家目線描く大河ドラマの主人公に最適。
42人間七七四年:2007/10/13(土) 14:38:51 ID:UrvVbhdJ
>>41
おっ、いいねえ
敵役も超大物だし
43人間七七四年:2007/10/13(土) 22:16:40 ID:hhh91BbU
越後から薩摩まで日本各地の観光誘致にももってこい。
大河ドラマ化に一票でおじゃる。
44人間七七四年:2007/10/15(月) 15:50:19 ID:HwGuQyBu
よく考えるとすごい事だね
信長より行動範囲が広いし
45人間七七四年:2007/10/19(金) 02:54:04 ID:4SRSLqjZ
上杉に関東の領主として持ち上げられる予定だったんだよね?
なんで足利に変わっちゃったわけ?
46人間七七四年:2007/10/23(火) 01:33:20 ID:0mDgTOV7
前久の好き嫌いランキング
◎島津義久(兄弟ともに仲良し。息子も世話になっている)
○織田信長(いわずもがな)
△徳川家康(本能寺の変後、しばらく厄介になった)・上杉謙信(最初に夢を託した)
×豊臣秀吉(コイツにいろんなものを奪われた)
47人間七七四年:2007/10/23(火) 13:33:49 ID:TmON2Sxk
某スレでも島津とは仲良しだしな
48人間七七四年:2007/10/23(火) 15:18:18 ID:Fw5fqlov
某スレってどこだよw

島津とは「若衆宿(今のゲイバー)に一緒に行ったよね」という手紙を取り交わすくらい仲いいよな
その手紙は不幸にして?国宝になってしまったがw
最も島津との仲はご先祖様からのご縁あったればこそだけど
心底男の友情(誤解を招く表現か?)で結ばれたのは信長だろうな

もっとも謙信にも若衆を世話したこともあり、前久と「アッー」は切れない縁なのか?
49人間七七四年:2007/10/23(火) 18:34:51 ID:L3a1JGuu
>>48
島津義久スレ
50人間七七四年:2007/10/23(火) 20:54:55 ID:Fw5fqlov
ああ、あそこかw

前久のAAが未だにないのが惜しまれるな
公家の一行AAは作りにくいからだろうけど。
51人間七七四年:2007/10/24(水) 00:13:09 ID:1h6qdbrS
(´・ω・`)
52人間七七四年:2007/10/25(木) 00:03:27 ID:YpdyhQYy
>>51
義久きたこれ
53人間七七四年:2007/10/30(火) 04:02:06 ID:EqTKf6Rk
晩年なにやってたんだろ?
(´・ω・`)と文通とかならワロスだが
54人間七七四年:2007/10/30(火) 23:14:42 ID:kNYRQWH2
それがそのまさかだw

もちろんそればかりではなくて
関ヶ原の後は家康と喧嘩しかかってたらしい
(公家の権限にまでちょっかい出してきたから)
55人間七七四年:2007/11/02(金) 12:46:29 ID:KWz2sAs7
将軍の偏諱を受けておきながら後に改名しちゃってもいいのか?
56人間七七四年:2007/11/03(土) 11:32:40 ID:mM3eFmAG
仮にも関白さまだぞ。
それ以前に摂家が大納言クラスから偏諱を貰うのもどうかと思うが。
って 教基 政家 尚通 稙家 とみんなそうか。。
57人間七七四年:2007/11/03(土) 21:46:49 ID:9OxoaDfB
前久の倅と孫の「信」は信長の「信」?
孫の方は天皇の息子だよなあ。
58人間七七四年:2007/11/04(日) 17:10:12 ID:0OQi5X4C
>>57
せがれはともかく、孫まで行くと関係ないだろ。
59人間七七四年:2007/11/07(水) 20:42:11 ID:pfGXhwy3
>>32
文麿が45歳で総理になったとき、記者から若すぎるのではと言われて
自分の祖先はもう10代で大臣だったと答えたそうな。
>>43
その気になれば津軽も登場させられる。
薩摩も津軽もというのは凄いなぁ。
60人間七七四年:2007/11/08(木) 00:30:56 ID:KFDkEx92
ttp://dangodazo.blog83.fc2.com/blog-entry-250.html
コメント欄で島津義久に稚児を世話したとか言う話が出てる

上杉謙信に若衆世話したのは有名だし
今は落ちてしまったが島津義弘スレ@日本史板でも一緒に若衆宿に行ったという話が出てたような・・・

・・・前久の兄貴、戦国最凶だぜ!
61人間七七四年:2007/11/08(木) 02:37:27 ID:/doejwci
戦闘指揮とかは資料なしかなやっぱり
62人間七七四年:2007/11/08(木) 23:51:00 ID:8OoGftTw
>>60
しかも桐野作人氏のブログでないの!GJ!!
63人間七七四年:2007/11/09(金) 01:18:16 ID:gOCzEVsY
こういう奴ってなんか珍しい希ガス
64人間七七四年:2007/11/09(金) 01:59:57 ID:6sGMEDH+
謙信に惚れ込んで下向とか貴族にしては熱い血を持ってたんだよ。
65人間七七四年:2007/11/09(金) 09:29:48 ID:anQ77aiw
現職の関白が越後に下向なんて無責任だ。
66人間七七四年:2007/11/09(金) 12:26:07 ID:S6o3CEKc
>>65
ブーメランが返ってくるよ、そんなこと言ってると。
67人間七七四年:2007/11/09(金) 22:56:06 ID:rlDDak8j
>>64
でも、結局逃げちゃったし…
しかし、謙信は前久を一体何にしようとしたのか?
関東公方、関東管領?記述まちまちで、いまいちわからない。
朝廷そのものの東国支配の役職といえば、鎮守府将軍か?
68人間七七四年:2007/11/10(土) 11:43:24 ID:juvdyodo
イエスズ会と秀吉と藤孝と組んで光秀を捨駒として
信長を本能寺で葬ったという説がある人らしい・・・




と言ってみる。
69人間七七四年:2007/11/10(土) 13:54:18 ID:yWRsTAd/
ちゃんとレス嫁
70人間七七四年:2007/11/10(土) 15:49:42 ID:P9M0RjaL
イエスズ会 なぜか変換しない
イエズス会 なぜか変換する
71人間七七四年:2007/11/10(土) 16:04:34 ID:f16TwNli
>>68は壮大な釣りだったという訳か
72人間七七四年:2007/11/10(土) 16:09:18 ID:x5lCmCv0
イエス図解
73人間七七四年:2007/11/10(土) 21:07:09 ID:P9M0RjaL
家錫会
74人間七七四年:2007/11/25(日) 02:28:06 ID:5C/ZjREV
近衛氏って今も続いてる?
75人間七七四年:2007/11/25(日) 07:50:06 ID:uLy8Hx0G
近衛首相がシッカリした剛毅な人間だったら日米戦争を避けれたかもしれん。
76人間七七四年:2007/11/25(日) 08:16:55 ID:YfwsWvo2
細川元首相にも近衛氏の血が入っていますね
77人間七七四年:2007/11/25(日) 08:40:05 ID:P6+SpfK2
一度バカレスがつくとバカが続くんだよな。
78人間七七四年:2007/11/26(月) 23:00:55 ID:LCr2cP7B
近衛首相というとチョビヒゲつけてヒトラーのコスプレしてる写真のイメージが…。
79人間七七四年:2007/11/27(火) 00:10:53 ID:CIzBMJ1s
ふーみんは近代史板に専用スレがあるからそちらで
こっちはご先祖の前久について語るスレです

ところで、前久の妻妾関係って判明してないのか
この辺の研究で一番詳しい橋本義宣の論文集でも詳しくなかったような・・・
80人間七七四年:2007/12/04(火) 00:30:39 ID:9qW9vy24
大河ドラマもう終わるね
近衛さんにも出てもらいたかったね
上杉謙信と一諸に関東に出陣したんだよね
古河公方の足利藤氏救出と北条討伐のために
残念残念
81人間七七四年:2007/12/18(火) 17:31:08 ID:d1K8VeVj
>>79
前子も信尹も母は家女房なんだね
82人間七七四年:2007/12/18(火) 18:55:24 ID:0BWl94I8
つまり出自不詳か・・・
信尹の唯一の子「太郎君」の母「宣司殿」も出自不詳らしいな
といっても宣司殿は残っている史料から見ると実質正室同然の扱いだったようだが
83人間七七四年:2007/12/24(月) 11:39:42 ID:HV8iXfZu
信尹も前子も母親は若狭武田氏のむすめで宝樹院というらしい。
若狭武田といえば秀吉の側室松の丸殿の前夫の武田元明って若狭武田氏じゃなかったっけ?
84人間七七四年:2007/12/24(月) 12:12:51 ID:0rZeqZtZ
>>83
yes

近衛前久の姉(か妹)が朝倉義景の正室(但し離婚)だったので
そいうところからの縁かね
85人間七七四年:2007/12/25(火) 10:42:53 ID:581I7Hm3
>>83
若狭武田は名門の武家(畿内周辺の守護)
皇室にも、この若狭武田の重臣の粟屋の血が入っている
新上東門院・勧修寺晴子の母が若狭粟屋氏の娘
武田元明の母は足利義晴の娘
この時期の若狭武田氏は最上層階級の一角であったと思われる
86人間七七四年:2007/12/28(金) 12:46:04 ID:j9nB/AnQ
>>84
朝倉の縁というよりも、足利将軍家と近衛家との縁によるでは?
近衛前久の父は近衛殖家だが、殖家の妹慶寿院(前久の叔母に当たる)は
将軍足利義晴の正室であった。
足利義晴と正室慶寿院(近衛氏)との間に生まれた娘は、
若狭武田氏当主、武田義統の正室となり、武田元明を産んでいる。
つまり、近衛前久と武田義統夫人はいとこ同士という近い血縁関係にあり、
若狭武田氏の娘が前久のもとへ嫁いだのもこの縁によると思われる。
87人間七七四年:2007/12/28(金) 13:12:05 ID:m89uREP5
なるほど御教示感謝

つまり
前久の叔母が将軍足利義晴と結婚

そこで産まれた姫が若狭守護武田義統と結婚

若狭武田氏の娘が前久のところへ 但しこの娘の母が足利義晴の娘かどうかは未詳?
という流れがあって
朝倉と前久の姉妹の縁は、>>84とは逆の考えで
若狭武田家と近衛家の関係に、若狭武田家を下克上した朝倉が割って入ったと言うことか



慶寿院って息子と一緒に松永久秀と闘って戦死したんだっけ。。。
88人間七七四年:2007/12/29(土) 12:09:30 ID:RUUwrJvy
>>86
すばらしい
ほぼパーフェクトな回答だと思います。
89人間七七四年:2007/12/30(日) 02:05:49 ID:DX80+1rQ
近衛、わごれは中山道を登りませ
90人間七七四年:2007/12/31(月) 13:35:50 ID:U/n+27iU
武田義統の弟は足利義昭の近臣らしいね
武田信景というらしい
将軍の取り巻きは、いつの時代も有力守護の家族が多いね
91人間七七四年:2008/01/01(火) 07:11:46 ID:C/1voEH/
今から総合で近衛家の名宝やるぞ
92人間七七四年:2008/01/01(火) 15:25:43 ID:nIRTubYn
>>91
前もって書いてくれ
93人間七七四年:2008/01/01(火) 16:59:40 ID:Z4JlS9PX
起きたら10時
終わってまんがな orz
94人間七七四年:2008/01/01(火) 22:53:19 ID:ki4O+E5s
NHK番組表から

1/2 9:55-10:00 NHK総合
名宝探訪 近衛家が生んだ日本の美

1/3 早朝3:55-4:34 NHK総合
探訪 日本美のルーツ〜公家の頂点・近衛家の名宝〜(再)

春風亭小朝が近衞忠熈役というのはどうなんでしょう・・・
95人間七七四年:2008/01/01(火) 23:57:39 ID:C/1voEH/
>>92
俺もその時知ったんだよ
ちなみにお笑い観た
96人間七七四年:2008/01/01(火) 23:58:10 ID:Z4JlS9PX
>>94
忠熈公がなよなよバカ殿に描かれそうでイヤン
97人間七七四年:2008/01/02(水) 09:56:28 ID:nHFZv7l7
番組始まった
98人間七七四年:2008/01/11(金) 00:05:47 ID:5ClO2bpH
近衛晴嗣なんだね初名。
足利義晴から貰ったの晴?。
近衛家より足利家のほうが偉かったの?。
99人間七七四年:2008/01/11(金) 09:21:32 ID:20uDbZEK
近衛家歴代の偏諱を調べてみろ
100人間七七四年:2008/01/12(土) 12:10:04 ID:lRQKiQKc
足利義満は南北二人の別天皇を北王統にまとめたから、太上天皇に薦められたが辞退した。この瞬間天皇や五摂家より実力上を天下に示した。金閣寺にさきひささんが住みたがった(実際住んだ)のも三代将軍へのコンプレックス心理は大よ。
101人間七七四年:2008/01/12(土) 12:41:32 ID:kp+Aq5RY
東海道漫遊に自分も連れて行ってくれとねだり、かんしゃく起こした信長から呼び捨てにされ怒鳴られたというエピソードは史実なんですか?
102人間七七四年:2008/01/12(土) 12:56:34 ID:DytxcPYG
そういや、篤姫で出てくるよね、子孫が
103人間七七四年:2008/01/12(土) 13:23:53 ID:idt2e6C6
>>102
小朝忠熙は予告見る限りじゃ実際の忠熙公とは違ったパターン通りの公家として描かれそうでイヤン
実際は明治維新後も公家の筆頭は京都にいるべきとして明治天皇自らが説得に出るまで東京に行かなかったという
かなり骨太な性格の人。
一度揮毫を見たが大名の筆かと思われたくらい豪快。
104人間七七四年:2008/01/12(土) 18:20:45 ID:4R4ze5j+
>>100
住んだのは金閣寺じゃなくて銀閣寺じゃないの?
105人間七七四年:2008/01/14(月) 16:14:02 ID:vOoRym9Y
金→銀 失礼。
106人間七七四年:2008/01/26(土) 10:23:38 ID:XK7uttJF
>>103
公家らしいいやらしい感じ出してましたね。小朝師匠。
107人間七七四年:2008/01/26(土) 16:28:25 ID:SShBC5Ug
何か偏見丸出しの人が来ているようだが
小朝は嫌いではないが
柳生忠熙>>>>>>>>>>>>>>小朝忠熙 なのは明白
てか、公家に大坂の商人の言葉使わせて平気な辺り、脚本家が諸悪の根元かと思うが
108人間七七四年:2008/01/29(火) 02:28:34 ID:ai+4iTU0
近衛前久について書かれた小説ではない本を知りたいのですが
何かありますか?
109人間七七四年:2008/01/29(火) 04:05:22 ID:xHd9ozBV
>>108
谷口研語『流浪の戦国貴族 近衛前久 天下一統に翻弄された生涯』(中公新書、1994年)
橋本政宣『近世公家社会の研究』(吉川弘文館、2002年)
110人間七七四年:2008/01/29(火) 10:21:26 ID:xRgBaj6s
wikiで丹波の赤井直正が前久の妹を娶ってるってあるんだが信憑性の高い出典あるん?
赤井氏没落後その女性がどうなったかとかわかるのかな。
赤井直正って畿内で知られた武将だったてことか。甲陽軍鑑に名前出てきて逆にちょっと胡散臭く感じてたんだが。
111人間七七四年:2008/02/04(月) 00:06:08 ID:B00i4UL5
>>100 確か金閣寺はもともと西園寺家の別荘要地であったのを、何故足利が買い取ったかは知らないが、前久公が住めなかったくらいに、足利家権威の象徴(菩提寺のように)になってしまった。足利家の管理が、いつから国宝(国の管理)になってしまったの?
112人間七七四年:2008/02/04(月) 00:48:05 ID:r90dOpTr
>>111
日本語でおk
113人間七七四年:2008/02/06(水) 14:33:34 ID:xGCn31t/
戦国公家といえば一条教房もいるけど、前久とは立ち回りが大違い。
114人間七七四年:2008/02/06(水) 15:06:11 ID:tDiJHWPa
こっちでその玄孫のこともかたってやって下され
【暗君】一条兼定【暗君】
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1150878876/l50
115人間七七四年:2008/02/16(土) 18:16:20 ID:DXxRYP2d
>>111
花の御所(室町幕府庁)は徳大寺家の邸宅を買ったものだよね。
116人間七七四年:2008/03/01(土) 15:00:25 ID:7JPx7OY8
崇光院の御所・・・焼失→菊亭邸…焼失→花の御所、じゃない?
117人間七七四年:2008/03/09(日) 16:14:38 ID:Zdy9yEk7
どっちかっていうと武士っぽい
118人間七七四年:2008/03/09(日) 20:24:59 ID:6bGQ7Mx2
恐らく腹筋は割れていなかっただろう
119人間七七四年:2008/03/22(土) 16:06:24 ID:xicWn5Ai
馬術に優れていたんだっけ?
120人間七七四年:2008/03/22(土) 19:19:07 ID:c5pVCWRS
馬術と鷹狩り
121人間七七四年:2008/03/22(土) 21:01:53 ID:QfyMJ1dx
わごれw
122人間七七四年:2008/03/22(土) 21:28:38 ID:PP9fUZuT
他の公家からはどう見られてたのかな?
123人間七七四年:2008/04/07(月) 15:38:26 ID:phuRxcLb
九条稙通は秀吉の関白就任に反対していたんだね
124人間七七四年:2008/04/19(土) 21:00:27 ID:h40/Pqlm
摂家なら誰でも反対なんじゃないの?
豊臣家一家で世襲する予定なんだから。
125人間七七四年:2008/04/21(月) 15:39:07 ID:TLyevH8J
内心どう思っていたかは別として、近衛さんは猶子にしてるから
126人間七七四年:2008/04/28(月) 15:31:21 ID:v4Ts8Eg3
>>125
最初は近衛の猶子の「藤原氏」として関白職を受けたが、藤原のままだと関白職は
五摂家による持ち回りであるため秀吉の血族で独占できず、そこで「新摂家」としての豊臣氏を
創氏した。
127人間七七四年:2008/05/09(金) 13:35:27 ID:aCoApoeq
姓な
128人間七七四年:2008/05/20(火) 13:34:25 ID:1hS0w+Pk
近衛が何を考えていたかが興味のあるところ。
129人間七七四年:2008/05/26(月) 01:45:13 ID:VSsTvJ7l
>>110
確か朝倉かなんかの未亡人だったから、今で言うところのアウトレッドって奴だろう。
逆に石山本願寺から赤井のところに頼った理由を他に説明出来るんかいな?
130人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/07(土) 21:08:49 ID:4uuVvMn+
近衛素奈緒
131人間七七四年:2008/06/12(木) 11:18:38 ID:Hysj4nYO
近衛家って今でも顔パス
アポ無しで皇居入れんの?
宮家くらいじゃないと入れない?
132人間七七四年:2008/06/21(土) 20:19:43 ID:aS6t+TVJ
>>131
たしか次期当主の母親(現当主夫人)が三笠宮家だよ。
133人間七七四年:2008/06/25(水) 18:17:59 ID:NT4KfKS6
>>132じゃあ三笠の宮家にはアポなしで行けるね。
134人間七七四年:2008/06/30(月) 21:04:04 ID:uHss8lKj
>>133そおいうことです
135人間七七四年:2008/06/30(月) 22:41:05 ID:Ad/UWLoV
それまじ?
136人間七七四年:2008/07/01(火) 09:23:20 ID:ErOjUtWo
バカしかいなくなったな
ここは何板かくらいは理解しろ
137人間七七四年:2008/07/01(火) 11:23:27 ID:3a5fynGN
なんで近衛晴嗣から名を変えたの?
めうえの貴人から貰った名を簡単に変えてしまってもいいの?
二条晴良や二条昭実から比べると軽薄な人柄だね
武家の例だけど
羽柴秀吉から貰った徳川秀忠でさえ改名していなのに
138人間七七四年:2008/07/01(火) 11:25:52 ID:f1JLPO1W
>>137
この時代の、特に京都あたりの人間は、人生の節目だったり、心気一転を考えたりするごとに
改名してる。
139人間七七四年:2008/07/04(金) 11:05:24 ID:7t3NHqO7
>>138
彼の他にも「足利義晴将軍」から貰った名を棄て去った人物はいるの?
「晴」字は改名しても使うべきだと思う。近衛晴久とか近衛晴前とかね。
140人間七七四年:2008/07/04(金) 23:46:13 ID:FV29p8jj
>>138でも貴人から頂戴した方諱は普通変えない!!!
141人間七七四年:2008/07/04(金) 23:58:31 ID:Jm+JQ2nW
上杉謙信は?
142人間七七四年:2008/07/05(土) 00:37:36 ID:VsbDHP2s
>>141
俗名は上杉輝虎ちゃうの、変えてないんじゃないの?出家するまでは。
武田晴信もそやけど。
やはり近衛晴嗣が前久にしてしまったのは異常やな。
情も義理も薄いんとちゃう。
143人間七七四年:2008/07/05(土) 00:45:32 ID:lFpDSelz
若い頃の近衛は熱しやすく醒めやすいね。
晩年は関ヶ原から逃げ延びた島津兵を匿ったりしていてカッコイイ。
144人間七七四年:2008/07/06(日) 15:27:25 ID:rNjrMVQu
>>143
だいたい島津は近衛の家来なんだから
島津の罪は近衛の責任
島津の手柄は近衛の手柄
島津の領地は近衛の領地
145人間七七四年:2008/07/06(日) 15:45:25 ID:4wvlDsnT
逆に言うと家礼だから突き放して見殺しも出来た
146人間七七四年:2008/07/06(日) 23:06:20 ID:U1LUKHaP
>>146
見殺しにした例が実際にあるの?
具体的に、どの時代に?
147人間七七四年:2008/07/06(日) 23:52:27 ID:5s/Yun8A
148人間七七四年:2008/07/07(月) 00:17:18 ID:Tgc6XI2X
>>146
なんで興奮するwww
近衛の粗探しして難癖つけたいのか?
149人間七七四年:2008/07/07(月) 13:11:20 ID:+8xvwxJf
流れをぶった切ってスマナイ、最初から読ませてもらった。
>>46
家康△じゃなくて○
松平から徳川へ改姓したとき朝廷への根回しをしたのが前久。
この縁で、本能寺の変後、※信孝が兵を送り捕らえようとしたのを逃れ家康のもとに行き、
信長の追善供養を行った。
(※光秀が二条御所を攻撃した時、隣接している前久の屋敷を使ったため、謀反に関わったのではないかとの疑惑から)

それから信長とは◎か☆
1575年信長は公家・門跡に対し一斉に知行を与えた。(最高で300石)
前久には破格の1500石。
この年、信長の意向を受けて九州へ、相良、島津の和睦斡旋目的。
コレが縁で家久上洛のおり光秀の手厚い歓迎を受ける。


150人間七七四年:2008/07/07(月) 13:32:47 ID:HdN23lAf
信長と前久の気の会い方は、親友と言っていいレベルだね。
151人間七七四年:2008/07/08(火) 22:44:23 ID:o9CyaYJQ
>>137>>139>>142いいつっこみだね
同じ気持ちだ
将軍家に媚びて生き延びてこられたのに
あっさり晴嗣の名を捨てるとは・・・
同じ摂関家でも二条家代々のほうが、よほど誠実味がある
最後まで近衛晴嗣で通すべきだ
152人間七七四年:2008/07/09(水) 23:46:00 ID:ACeB+0Ql
おおきに、そやろ情も義理も薄いやろ。
153人間七七四年:2008/07/12(土) 11:33:43 ID:wBsu0/Vn
二条晴良だっけ?
近衛晴嗣でいいのにね確かに
154人間七七四年:2008/07/17(木) 11:42:11 ID:x3eAbfxQ
二条晴良だよ
二条晴良のほうがいいね
155人間七七四年:2008/07/17(木) 13:12:21 ID:s6k0VKRB
いつのまにか二条家マンセースレになってるw
156人間七七四年:2008/07/18(金) 21:06:45 ID:29vfLVhm
五摂家は対当のはずだよ?
近衛が五摂家筆頭なんて誰が言い出したの?
近衛だけがダントツ1位の名門みたいな言われかたじゃん?
157人間七七四年:2008/07/18(金) 21:07:38 ID:zdWOGiYv
>>156
五摂家でググって調べてから書き込め
158人間七七四年:2008/07/27(日) 18:14:20 ID:3p1AouxZ
近衛が圧倒的に筆頭だよ。
皇室典範でも皇族の男系が途絶えた場合、近衛家から臨時で摂政を出すことが明記されてる。
159人間七七四年:2008/07/27(日) 19:29:00 ID:O9CAkoCd
関白・近衛前久の薩摩下向
http://373news.com/_bunka/jikokushi/38.php
160人間七七四年:2008/07/29(火) 17:24:35 ID:9YBBjwKT
>>158
第何条で、どんな条文ですか教えていただけませんか?
161人間七七四年:2008/07/29(火) 17:25:49 ID:HhVhqll5
>>160
たまには自分で調べろよ
162人間七七四年:2008/07/30(水) 12:13:26 ID:q1wmabMM
>>161オレも知りたい。教えてくれ。
163人間七七四年:2008/07/30(水) 13:57:26 ID:TaG+WqSe
別人を装わなくてもいいから。
稚拙な釣りに引っかかる同レベルのバカは2匹もいないだろ。
戦国時代板で皇室典範ってマジで阿呆?
164人間七七四年:2008/07/31(木) 22:54:30 ID:bb6adfe4
アホは3匹
165:2008/07/31(木) 23:00:20 ID:bzPqhca0
涙目バカがひとり三役w
166涙目は病気ですよ?:2008/08/01(金) 20:31:30 ID:fLI38d8G
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
167人間七七四年:2008/08/13(水) 15:38:29 ID:nhJQeVqZ
この人の影響なんだろうね、島津との繋がりは
168中国人?:2008/08/14(木) 15:07:45 ID:ogny1kbl
>>167
中国人の子孫といわれる島津家の始祖
惟宗 忠久と近衛家との繫がりからじゃない?。
169人間七七四年:2008/08/20(水) 12:38:49 ID:zmS3zTLU
>>168島津家って中国人の子孫なんだね。
日本の名門かと思っていたけど帰化した中国人の一族か。
まあ中国に一番近い県だから分かるような気がする。
170人間七七四年:2008/08/20(水) 19:13:21 ID:U4Y1zlL1
惟宗がいまだに中国人呼ばわりされるんだったら純粋日本人なんて・・・
171人間七七四年:2008/08/20(水) 19:22:58 ID:vAyBjRy1
レイシストに何言っても無駄。
日本人は日本列島から沸いて出てきたとでも思ってるんだろ。
172人間七七四年:2008/08/20(水) 19:26:23 ID:SesnynO3
ならどこから日本人と区別すんだよ…
173人間七七四年:2008/08/20(水) 21:59:26 ID:9YfCNKvB
開き直るスレ違いバカ
174人間七七四年:2008/08/20(水) 22:34:37 ID:Kx3kyFbE
島津が中国系とかどっからそんな話が出てくんだよw
れっきとしたゲルマン系だよ。系図でもそうなってる。
175人間七七四年:2008/08/20(水) 22:43:50 ID:SesnynO3
マヂで?超ヤベェじゃん
176人間七七四年:2008/08/20(水) 23:16:07 ID:qhnubqTG
いやユダヤだよ
177さきひさ:2008/08/21(木) 12:07:27 ID:ExdoDaEt
そもじらまろのネタをするでおじゃる!!!11
178人間七七四年:2008/08/25(月) 23:02:17 ID:7EGVxF0I
>>170
家系図で中国人の子孫て自分から発表してるじゃん
黙ってたらわかりゃあしないのに
179奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2008/08/26(火) 00:44:39 ID:tLLYkaR3
近代日本人の定義は、朝鮮併合以前か戦前で区切るべきだと思う。
180人間七七四年:2008/08/26(火) 00:45:10 ID:ttDF3EWe
いい加減他所でやれ
181人間七七四年:2008/09/08(月) 22:32:31 ID:0rNjXQa3
島津は自他ともに認める中国人の子孫じゃん。
日本人の名門の近衛家が、よく家臣として使ったね。
中国に近い薩摩だから、中国人の子孫が適任と思ったのかなあ?
182人間七七四年:2008/09/08(月) 22:35:28 ID:efwHKosz
>>181
日本語の読めないキミが日本人では無い事だけはわかった
183人間七七四年:2008/09/20(土) 15:37:06 ID:ciSUhzbo
前久は波乱万丈だよね。
184人間七七四年:2008/09/21(日) 00:24:52 ID:U12oS9nz
>>181そうじゃないかあ。
薩摩焼は朝鮮焼だから
薩摩は大陸の影響が強いから
185人間七七四年:2008/09/21(日) 23:00:08 ID:xQrjoYjU
チンギスハーンもウリの一族ニダ!ウェーハッハッハッ!
ってか?
186人間七七四年:2008/10/03(金) 14:44:50 ID:lPwGfVtd
なかなか開明的な人だよね
187人間七七四年:2008/10/15(水) 14:01:41 ID:YK0OFypP
曲者のイメージが。
188人間七七四年:2008/10/29(水) 15:21:37 ID:1xp7JDR+
影響力はあったんだろうな
189人間七七四年:2008/11/08(土) 15:32:55 ID:NsNqy6hH
大の旅行好き。
190人間七七四年:2008/11/18(火) 13:14:20 ID:rSEDC+ye
北は越後から南は薩摩までって、同時代にこれだけ移動した人いないよね
商人ぐらいか
191人間七七四年:2008/11/18(火) 14:41:13 ID:T6YbHpGN
石田三成もそうじゃないのかね。
192人間七七四年:2008/11/18(火) 16:25:37 ID:5sECOe/D
それをいったら西国の大名の大半は朝鮮半と(ry
加藤清正とか今のシベリア辺りまで(ry
193人間七七四年:2008/11/18(火) 17:54:54 ID:vu+4blV7
伊達政宗なんかも、東北から九州朝鮮半島まで。

まあ、南北朝の頃とかもっとダイナミックに移動しているけどな、大名も将軍も。
194人間七七四年:2008/11/25(火) 01:13:16 ID:XbDE+kCF
>>193
南朝方の親王たちの流転ぶりもすごいからね。
195人間七七四年:2008/11/25(火) 04:45:04 ID:G3t23vu7
赤松則繁なんて守護大名の一族から、倭寇になって朝鮮半島から東シナ海暴れまわっているなw
196人間七七四年:2008/12/03(水) 14:39:24 ID:TCpazuac
成る程、いろいろな例があるんですね
197人間七七四年:2008/12/11(木) 15:08:12 ID:3UPmBVZ+
海運は盛んだからね。
198人間七七四年:2008/12/25(木) 15:31:55 ID:ecn0GHgs
公家同士ではどう?
199人間七七四年:2008/12/27(土) 14:58:32 ID:ypSW9B7X
現職の関白で前久ほど長く京都にいなかったひともいないんだろうね。
200人間七七四年:2009/01/08(木) 15:16:15 ID:DieASzIH
一条房通とか下向した人はいるけどね
201人間七七四年:2009/01/09(金) 20:29:59 ID:bWZRoD8O
左大臣か右大臣か忘れたが、ヨーロッパ視察はいたよね。
202人間七七四年:2009/01/10(土) 15:08:02 ID:mwwZhI/a
岩倉さんですか?
203人間七七四年:2009/01/10(土) 16:58:35 ID:4A0knTk0
いえす
204人間七七四年:2009/01/15(木) 03:37:42 ID:jzSChMPm
安祥城のある志貴荘は、近衛家(藤原北家)の荘園だったので、
安城松平家(徳川本家)とつながりがある。

家康は、それを利用した。
205人間七七四年:2009/01/15(木) 13:04:10 ID:uDwgQNq8
三河守叙任は三河支配の正当性を確立するためには、どうしたって必要だからな。
そりゃ利用もするわな。
206人間七七四年:2009/01/15(木) 14:09:16 ID:a0thLFqc
利用された側のスレなんで、
どうして利用されたかを論じれば?
カネがらみなんだろうけど。
207人間七七四年:2009/01/30(金) 15:12:24 ID:ON11RZz6
三河守は今川や織田にも大人気
208まあ:2009/02/03(火) 19:12:52 ID:LEPj7eMo
>>205
三河守護の間違いですか?。
国司って平安時代までだけ名実が伴っていたように思います。
まあ鎌倉時代の相模守・武蔵守も名実が伴っていますが。
戦国時代はそんなに意味ないと思います。まあ守護もですが。
209人間七七四年:2009/02/03(火) 22:19:52 ID:vYUoHGxm
>>208
幕府の権威がゼロの時代に守護なんて価値がないわけですが。
210人間七七四年:2009/02/03(火) 22:59:05 ID:qpGInvpe
守護は超重要だろ。
天正年間までは。
211人間七七四年:2009/02/04(水) 01:04:13 ID:tfWp4tOk
戦国期は守護も官位も超重要。
戦国大名といえども合法性の衣をまとわねば、のたれ死ぬ。
212人間七七四年:2009/02/05(木) 21:50:47 ID:RLcCkSru
>>211
伊勢盛時くんって例外もいますがね。
子孫は相模守を世襲してますが。
213人間七七四年:2009/02/05(木) 22:46:06 ID:Nwomja3W
>>212
盛時一代の立場は、幕府から事態の収拾のため派遣された官僚ですよ。合法的。
次の氏綱の時代から官位を求めたりして、別の方向の正当性を求め始める。
214人間七七四年:2009/02/05(木) 22:47:06 ID:1jy2jXRI
>>212
早雲は出発点が足利・今川の被官という扱いだからな。
将軍や管領・有力大名の被官が守護大名を名乗るのも変だろう。
一国人が勢力拡大して守護大名を名乗らないケースとはわけが違う。
息子が北条を称して独立宣言をしたもののそれでも不足があったから、
相模守を名乗って文書主義の体制を敷かなければならなかった。
結局は永遠に「他国の兇徒」を脱することが出来ず、
豊臣の小田原征伐で関東中に見放される複線を自ら残していたわけだよ。
215人間七七四年:2009/02/05(木) 22:53:08 ID:Nwomja3W
その意味で日本中の大名から見離された豊臣氏は、まさに日本の兇徒ですね。
216人間七七四年:2009/02/06(金) 09:56:27 ID:31PYDRD3
前久が諸国漫遊していたから、
二代後は親王を迎えるハメになったのだろうか?
217人間七七四年:2009/02/06(金) 10:06:56 ID:qkBXnkng
前久は諸国奔走してお忙氏のわりには子供は4,5人いたんじゃなかったかな。
男子も後を嗣いだ信尹の他、上に興福寺一条院の門主となった長男がいたはず。

つまり信尹が頑張らなかったから・・・w
218人間七七四年:2009/02/17(火) 15:14:35 ID:VlZpSISR
血は断絶してんだよね。
219人間七七四年:2009/02/17(火) 15:30:57 ID:e/bOhjXf
女系では今までつながってるけどね

前久の子孫で一番有名人なのは今の天皇ご一家
前久→前子→後水尾天皇−(以下略)−今上天皇
220人間七七四年:2009/02/18(水) 11:22:27 ID:1sN0HQHo
女系で子孫とか言い出したら
天皇の子孫は数限りなくいることになるな。
221人間七七四年:2009/02/27(金) 15:30:39 ID:QNOR0pWN
直接関係ないが、鷹司は後年閑院宮(その後九条家)から入ってるんだね
222人間七七四年:2009/03/05(木) 15:17:00 ID:PBzGGAEI
九条はそのままなんだ
223人間七七四年:2009/03/17(火) 15:03:21 ID:FerD5uTL
多くの公卿が都から離れたんだ
224人間七七四年:2009/03/24(火) 00:48:21 ID:XO0J2mes
ねえねえ教えて、摂家と宮家
どっちが格上なの?
官職と身分はどう違うの
225人間七七四年:2009/03/24(火) 16:11:29 ID:dUCAMz3T
摂関家の方が上に決まって居るぞゑ。
分かったナッ!!!
226人間七七四年:2009/03/25(水) 00:01:34 ID:+2c5X4bU
>>224
官職(職務における序列)上では、摂関家>宮家。
身分(家の格による序列)上では、宮家>摂関家。
と思っていれば、当たらずとも遠からず。

玄人気取りで片手落ちの出鱈目を言ってんじゃないよ、
>>225ことナッちゃん。
227奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2009/03/26(木) 00:15:48 ID:uN/28wBv
皇別源氏と摂関家で見ると、>>226も正解ではないような。
228人間七七四年:2009/03/26(木) 22:40:51 ID:UtQoqc9x
朝廷の席次では摂関家>>宮家
229人間七七四年:2009/03/28(土) 10:48:25 ID:b02+5OMh
ただの勘違い君だろコイツは
世襲のくせに自分が一流の政治家だと勘違いしてる
信長とかは内心では馬鹿にしてただろうなぁ
230人間七七四年:2009/03/29(日) 22:37:07 ID:fKACxG8j
>>228
それが確定したのは徳川家康の仲裁の筈
それを文書化したのが禁中並公家諸法度
231人間七七四年:2009/03/30(月) 23:46:10 ID:U8wftcsv
じゃあ時代によって違うってこと?
皇族が摂政になったら最強ってことだね
摂家は皇族になれないから有得ないよね反対は
232人間七七四年:2009/03/31(火) 01:55:42 ID:UQcesagz
昭和天皇は摂政で皇太子だった。
今の皇太子も天皇陛下が体の御調子が御悪いので
内々に御相談されたが例のごとく「雅子が病気なのにやってられるか」
と断られたという噂がある。
233人間七七四年:2009/03/31(火) 13:29:56 ID:pxEA6Rsk
宮家から摂政には成れないだろ。
234人間七七四年:2009/03/31(火) 13:32:11 ID:WgVnYoTE
>>3
いや、近衛前久は公家だけど狩りよくやり、腕よかったらしいよ。
家康は狩のコツを教えてくれ、といっているぐらい。
答えて前久は和歌に狩りのことを折りこんだものを百贈った。
235人間七七四年:2009/03/31(火) 14:28:32 ID:zYeTYuVu
お歯黒しておじゃるおじゃると馬に乗る関白って想像できないね。
236人間七七四年:2009/03/31(火) 20:28:45 ID:c3kdr99g
>>235
馬術が好きだった関白というのもいたらしい。
二条良基が父・道平の乗馬好きについて書いている(「嵯峨野物語」)。
237人間七七四年:2009/04/01(水) 12:27:46 ID:m5TH6YtZ
戦国大名と違って暇なんだから、そりゃあ狩りも存分にできるだろうね
238希恵子:2009/04/08(水) 18:07:21 ID:NBFbGiy/
初めて投稿します。
近衛家について研究しています。
お詳しい方おしえてくださ〜い。
桜御所・近衛邸(同大・新町校舎)は、いつごろまで近衛家の所有だったのでしょうか?
京都御苑北西部に本邸が移転した後も、近衛家の所有地だったのですか?
下屋敷などがあったのでしょうか?
239人間七七四年:2009/04/09(木) 01:54:01 ID:FTOg0U4t
自力で研究してください
240人間七七四年:2009/04/09(木) 02:45:17 ID:x3ljn1bj
メールアドレスを書かなかっただけ2chってものを理解してるなw
241人間七七四年:2009/04/09(木) 11:27:40 ID:QCbKlkwi
だから、こんな奴、ただの調子こいたカスだって
242希恵子:2009/04/11(土) 18:15:22 ID:MsN90Zoz
いや〜ん
みんな、いけずやわ〜。
いや〜ん
243人間七七四年:2009/04/11(土) 18:19:44 ID:WFn0vpIZ
>>241
( ;∀;)イイハナシダナー
244人間七七四年:2009/04/21(火) 15:09:41 ID:Do/NlItY
行動的な方ですね。
245希恵子:2009/04/29(水) 12:44:25 ID:vy9Xl7eM
いや〜ん
いや〜んいや〜ん
結局だれも答えてはくれないのね?
246人間七七四年:2009/04/29(水) 15:25:02 ID:ghr3Yjhs
なんでこのネカマはそんな質問したがるのかね。
きもいから知ってても答えたくなくなるわ。
247人間七七四年:2009/05/11(月) 15:39:11 ID:8CD9U7UB
文麿や篤麿の伝記的なものでも読んだら。それとももっと昔か?
248希恵子:2009/05/17(日) 09:09:30 ID:K6GczjAe
いや〜ん
まだ誰も希恵子の質問に答えてくれてないし〜
いやらしい男子ばっかりなのね・・
249人間七七四年:2009/05/17(日) 09:34:08 ID:8R1265Aw
>>210-211
毛利元就は陸奥守のようなどうでもいい官位を貰っているのに
地元の守護は貰っていない。

足利義輝は、武田に長尾との戦争をやめさせる代償として信濃守護をくれている。
信玄は守護職を口実に信濃国内での対長尾戦争を続行するわけだが
これは幕府自身が守護職を飾り物と思っていた証左。
250人間七七四年:2009/05/17(日) 19:11:58 ID:TKygGibV
毛利元就じゃなくて、隆元の代に貰ってるけどね。
元就の代は無理でしょ。大内がいるんだから。
朝廷の官位は具体的な陸奥守とかじゃなくて、官位を貰うということ自体が重要。
それに毛利元就の官位を語るなら左馬頭の方が重要でしょ。

信玄の例は、合戦を続行する口実になるわけだから、守護が重要なんじゃん。
251人間七七四年:2009/05/17(日) 19:12:57 ID:TKygGibV
ごめん。右馬頭だった
252人間七七四年:2009/05/17(日) 19:48:46 ID:idtIRMUM
> 毛利元就は陸奥守のようなどうでもいい官位を貰っているのに

陸奥守がどうでもいいって…、正気か?
253人間七七四年:2009/05/17(日) 21:01:28 ID:u2ggLqlS
安芸より陸奥の方が格上だぞ
254人間七七四年:2009/05/18(月) 13:14:53 ID:ikpiSbJE
諸大名が官位を欲しがっていたことは、官位にメリットが付随したことを意味しない。
現代ですら何のメリットも伴わない勲章を欲しがる偉い老人は少なくない。

まあ、全く何のメリットも無かったわけではないけど>>211は大袈裟。
255人間七七四年:2009/05/18(月) 13:34:42 ID:bssJ+kyH
>>254
そもそも武士とは何かを理解して無い。
官位の無い武士は武士ではない。野党の類に過ぎない。
256人間七七四年:2009/05/18(月) 15:41:02 ID:XfT2cUug
>>254とは違って官位の重要性はもちろん認めるけど官位の無い武士が武士ではないとは言いすぎ。
鎌倉以降戦国に至るまで官位を名乗っていない騎乗武士は多い。
少なくとも武士の定義をきちんとしてからでないと言えない。
もちろん俺は諸大夫、侍の意味を知って言っている。
257人間七七四年:2009/05/18(月) 16:46:13 ID:ikpiSbJE
上総「守」とか僭称していた時代の信長は武士でないとw
江戸時代でも大半の侍は自官だがな。
258人間七七四年:2009/05/18(月) 16:52:15 ID:s8fheVBc
官職があってもメリットはあまりないが、
なかったり、格の低い官職を名乗るとデメリットがある。
そういうもんだと解釈している。
259人間七七四年:2009/05/19(火) 13:27:17 ID:aepTz+mK
>>257
親王任国は上総介じゃないの?
江戸時代の大名でも、領国と受領名が一致している国持大名は
やはりなにがしかの権威があったと思うなあ
中には常陸国主の徳川 常陸介 頼宣なんてのもある
他の大名もそうだけど、始祖の官職は国替えになっても世襲するんだね。
紀州徳川家は幕末の家茂までも常陸介だし。
260人間七七四年:2009/05/19(火) 14:10:50 ID:f6Fit6pX
官位を軽視する人間は、歴史の見方は粗雑過ぎるとしか言いようが無い。
本気で「戦国時代は実力社会」とか信じているんだろうな。
261人間七七四年:2009/05/19(火) 14:22:59 ID:BHcRVDf0
>>259
だから、信長が間違ってたんだよ。祖父江五郎右衛門への書状で信長は上総守の署名で手紙を出してる。
後の書状では上総介に直ってるから、誰かから注意を受けたものと考えられる。
信長公記内でも別人で何度も上総守と記述されている人がいる。
太田牛一も親王任国に関してよく知らなかったのかもしれない。
262人間七七四年:2009/05/20(水) 09:11:47 ID:VXMCQKAD
>>260
ゲームだと官位はパラメーターを補正するだけだもんな。
勲章とかそんなレベルにされているw
263人間七七四年:2009/05/21(木) 00:27:50 ID:KrDYJZgz
>>261
ド田舎もんらしい間違いだね
斯波の家臣の家臣クラスじゃ知るよしもないかw
264人間七七四年:2009/05/21(木) 08:05:57 ID:rKbHPBIe
近衛前久の男色相手の中では誰が有名ぢゃ?
265人間七七四年:2009/05/21(木) 15:14:34 ID:YQIoW4KV
>>264
有名人とはヤッてないんじゃないかね。ナッちゃん
266人間七七四年:2009/06/02(火) 15:06:44 ID:3SLbjkNd
常陸守とか上野守とかも登場するのかな。
267人間七七四年:2009/06/07(日) 15:45:30 ID:weNMA9BW
台湾守や琉球守は居たらしいね。
268人間七七四年:2009/06/13(土) 11:27:47 ID:QjYTnCzF
調べれば調べるほど、唸らされる
前久は凄まじく能吏で教養に溢れ
一方で豪胆で行動力のあった男なんだな
余裕で大河の主人公になれるわ、後は優秀な原作か…
269人間七七四年:2009/06/17(水) 00:03:31 ID:Zn7CQX8a
平気で足利家から貰った名を捨てるようなやつが?
二条家により朝廷を追われたやつが?
お調子者は大河の主人公はむりだよ。
270人間七七四年:2009/06/17(水) 00:06:29 ID:KYiR+I7T
足利の名は捨てた方が良いだろw
271人間七七四年:2009/06/18(木) 22:48:43 ID:GXyihcKT
前久が元服した足利義晴期は京都で将軍が少しは権威があった最後の時代だから
もっとも、義輝あたりになると武家では未だに「輝」の字をあり難がる奴がいたが、公家では日野輝資しか貰っていない筈。
272人間七七四年:2009/06/19(金) 23:29:56 ID:rHC3ChhJ
>>271
そんなことはないよ。
他にもいるんだけどな・・・。
273人間七七四年:2009/06/27(土) 15:46:00 ID:WpWwXdsN
公家が足利から貰うという発想が面白い
274人間七七四年:2009/06/27(土) 18:40:17 ID:i31hCh32
足利将軍家は武家の統領であると同時に、公家の統領でもあるからな。
275人間七七四年:2009/06/30(火) 22:58:29 ID:Pet58mRT
持明院統の皇室にとって足利家は近臣中の近臣だったんじゃないだろうか
官位の昇進は清華っぽいが
摂家よりむしろ
家に対する天皇家の恩情を感じる
近衛の替えはあっても足利の替えはない
みたいな。
276奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2009/07/01(水) 08:15:00 ID:2gq0D72U
室町期の摂家連中の諱。
277人間七七四年:2009/07/06(月) 00:02:12 ID:RR65cdVJ
将軍家からの偏諱には領地の安堵・承認の意味があるから
貰った名を捨てるということは
非礼極まりないな
278人間七七四年:2009/07/06(月) 00:07:24 ID:j4LnAQPE
将軍の権威にあやからねばならないのにその将軍様の権威が地の底奈落まで失墜してるからそれこそ無意味
279奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2009/07/06(月) 08:13:10 ID:stgG7IUw
失墜というのは下剋上の過分な宣伝でもある。
280人間七七四年:2009/07/06(月) 18:37:52 ID:f64YCn8L
将軍の権威はそれこそギリギリまで存続している。特に京都では。
281人間七七四年:2009/07/10(金) 10:01:58 ID:4Gyqgwg4
義維・義栄と、義晴・義輝・義昭の戦いって
応仁の乱の続きなんだな
最近知った。
282奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2009/07/11(土) 07:30:48 ID:47hzQ2+6
義尚と義視から始まって、その跡目を名乗った従弟だの甥だのが頑張って

義政┬義視─義稙─義維─義栄
    └義尚─義澄─義晴─義輝

こんな出鱈目な系図があってもある程度間違っていないという楽しさ。
283人間七七四年:2009/07/11(土) 09:15:57 ID:hWCSTz2x
>>281
応仁の乱とはまた別。義尚の急死からの流れだと考えたほうが。
284281:2009/07/13(月) 21:54:01 ID:P4yZjHEg
義視と義尚の相続争いと、斯波家畠山家の相続争いが絡みあったのが応仁の乱じゃないの?
282さんの系図は義視以降は正しいと思うんだけど
義澄の父の名が違うね。
285人間七七四年:2009/07/13(月) 22:30:34 ID:lsJ1iPaj
>>284
義視と義尚の相続争いってのは、応仁の乱が起こってから、顕在化してきたことだと
考えたほうが良いと思う。特に日野富子が義尚を将軍にしたくて山名と云々なんてのは、
アレは応仁記の創作だと考えるべきかと。
286奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2009/07/14(火) 07:19:11 ID:KmxNEBwR
>>284
誰を挟んだら成立するか教えていただけると有難いんだが・・・
287人間七七四年:2009/07/14(火) 13:29:24 ID:TzE2aium
スレ違いだからこっちの過疎スレでやれ

http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1165676901/l50
288281:2009/07/17(金) 17:40:25 ID:wmm3d8Jb
>>286
挟むんじゃなくて義尚の場所に義政。
義澄の父は、ふつうに義政じゃないの?。同じ立場だというのと系譜上の位置は違うものだと思う。
289人間七七四年:2009/07/17(金) 21:07:11 ID:Q8MJAr26
>>286
山野野衾レベルなら分かるが、素人が、コテつけて浅い知識語ってんじゃねーよ。不愉快だわ。
290奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2009/07/18(土) 07:00:05 ID:3ymRoS4N
>>288
なるほど分からなくはない。
ただ仮にも公方の系図なので、先代が誰なのかをハッキリさせたかっただけだよ。

>>289
歴史についてちっとも触れない書き込みならラウンジにでもしてきたらどうだ。
291人間七七四年:2009/07/25(土) 15:11:05 ID:RN1Wy7Hw
複雑な要素が絡み合うでいい。
292人間七七四年:2009/07/26(日) 00:47:35 ID:Aa+EC9zR
とにかく固定うざい
293人間七七四年:2009/07/26(日) 01:11:59 ID:cREjXz9l
勝手にNG登録でもしてろよ。本筋に関係ないところでごちゃごちゃ言うお前の方がウザイ。
294人間七七四年:2009/08/01(土) 17:24:19 ID:vsXyI7yI
近衛前久って足利義輝や足利義昭と仲が悪かったんだね。
義惟、義栄派だったんだろうな。
きっと
295人間七七四年:2009/08/01(土) 17:34:54 ID:g9fnneno
義昭はともかく、義輝とは別に仲悪くは無いわな。
前久が越後に行ったのも義輝の代理という側面がある。
296人間七七四年:2009/08/01(土) 20:49:51 ID:kM50WMjT
親戚だし、個人的にも二人で一緒に酒飲んで騒いでるのに仲が悪いはずがないでしょ。
297人間七七四年:2009/08/01(土) 22:17:09 ID:64+H1xOl
義輝とは従兄弟であり義理の兄弟だよな
>>294は夢遊病か?
298人間七七四年:2009/08/02(日) 08:31:20 ID:5vD6a4Ve
義輝とは既に書かれてあるように緊密な関係だった。義兄弟であり、同志であり、友人だった。

義栄との関係は不明。
彼を将軍にするよう動いたのが関白殿下。

義昭とは険悪だった。
「兄の仇に従って義栄を擁立するとは何事だ!」と追放されている。
299人間七七四年:2009/08/03(月) 10:10:19 ID:CFcwz+2d
>>298
義栄を近衛前久は擁立したんだね。
織田派じゃなくて三好派だったんだね最初は。
300人間七七四年:2009/08/03(月) 10:48:21 ID:iH9wCiXy
そりゃあ織田が機内の勢力として定着できるなんて、当時誰も思ってないからな。
301人間七七四年:2009/08/03(月) 20:53:52 ID:AAKkDl6T
将軍の偏諱「晴」を捨ててもいいもかね?
302人間七七四年:2009/08/04(火) 04:38:58 ID:XuqmcL/q
>>299
義栄擁立には関わっていないとの異説もあるけどね。
303人間七七四年:2009/08/05(水) 20:16:27 ID:lGlo7zr2
近衛秀吉の偏諱を棄てない徳川秀忠は偉いと思います。
304人間七七四年:2009/08/14(金) 15:54:47 ID:wX8/JXIl
足利尊氏さんがいらしゃいます
305人間七七四年:2009/08/20(木) 14:48:50 ID:M1tcxzpy
むしろ元康が薄情なのかも
306人間七七四年:2009/08/26(水) 22:13:51 ID:vws2ZNpd
>>303
そうか
藤原氏として関白になったんだから
まさしく近衛秀吉だったんだろうね
秀吉は皇統だったそうだから
近衛家を継いでも特に問題無いけどね
江戸時代には皇子が直接
近衛家ついでるし
307人間七七四年:2009/09/04(金) 16:08:14 ID:LWXZlizS
他の人は継げないから不思議。
308人間七七四年:2009/09/05(土) 10:04:25 ID:WlkpldFs
信尋は前久の娘前子の産んだ皇子。
外孫。
309人間七七四年:2009/09/14(月) 15:41:37 ID:XC2Anjtq
今は細川さん
310人間七七四年:2009/09/15(火) 18:07:32 ID:RrJXo436
武士が近衛家ついでもいいの?
それも足利家の家老が?
今は家柄とか家の格式とかどうでもいいんだね?
311人間七七四年:2009/09/15(火) 19:14:03 ID:rE75/KLh
どうマジレスしたものやらw
312人間七七四年:2009/09/16(水) 14:08:52 ID:BMXTmoL1
戦国時代板なのに、バカなの?
313人間七七四年:2009/09/18(金) 22:37:57 ID:msgEhK4z
>>311
事細かに思ってることを全部マジレスしたらええやん。
314人間七七四年:2009/09/18(金) 23:03:27 ID:OQ6AMEc6
>>310
日本近代史板へ逝け
315人間七七四年:2009/09/24(木) 15:34:05 ID:feklRCbA
行動力は凄いですな
316人間七七四年:2009/09/30(水) 15:37:53 ID:4DM9zuCd
薩摩から越後までか
317人間七七四年:2009/10/09(金) 15:30:44 ID:SiAxJwNJ
移動は専ら船なんでしょ
318人間七七四年:2009/10/09(金) 17:41:45 ID:JDRwy+xi
そうでもないよ
319人間七七四年:2009/10/14(水) 14:55:41 ID:S/sfC/vf
結構歩くよね
馬かもしれないが
320人間七七四年:2009/10/16(金) 20:11:53 ID:lfThVbzo
明応の政変で亡命した足利義材なんて、雲水の格好で越中から長門まで歩き回ったらしいな。
321人間七七四年:2009/10/18(日) 22:57:08 ID:fOZIimd6
作り話を信じる香具師っているんだねw
322人間七七四年:2009/10/18(日) 23:53:50 ID:qJ8bat5+
>>321
( ´д)ヒソ(´д`)ヒソ(д` )
323人間七七四年:2009/10/23(金) 16:08:50 ID:N0cMFcIm
義材は越前・周防・阿波かな
324人間七七四年:2009/10/30(金) 15:24:30 ID:VbNhB5qF
船でもいけるね。
325人間七七四年:2009/11/05(木) 15:34:36 ID:pOWbWbCY
公家は行動的でないなぞイメージでしかないんだ
326人間七七四年:2009/11/06(金) 19:35:16 ID:CukRqtZt
むしろ身軽な分動き回っている。
327人間七七四年:2009/11/14(土) 15:47:59 ID:jyCSqZPJ
よく旅をしてるね。
328人間七七四年:2009/11/19(木) 14:46:34 ID:2kxYfH0i
健康なんだよ
329人間七七四年:2009/11/25(水) 16:13:40 ID:cHMk97PG
祖父の尚通も長命、親父もまあまあだが前久は喜寿だからね
330人間七七四年:2009/12/08(火) 21:25:30 ID:D+1Jyugs
>>312
戦国時代の近衛家を細川京兆家の古い初期の分家が継ぐことは
ありえたのでしょうか?
331人間七七四年:2009/12/08(火) 22:27:32 ID:ZIl75+oN
マジレスだが、戦国語るには、前久視点とか、義昭視点、と言う方が明確だと思う。
そういうのってあんまり、小説や造り話でもなかったんじゃないかな。
記録も明解に残ってるしね。
332人間七七四年:2009/12/11(金) 23:21:26 ID:Rbg6BxC4
>>331関白太政大臣に将軍様か
当事者は公平に歴史を語れないんじゃない?
平公家の冷泉・山科くらいに語らせないと。
333人間七七四年:2009/12/12(土) 02:27:50 ID:CnJK+X9d
>>332
まぁ公平かどうかはともかく、事実とか記録しては価値があるだろうしね。
当時の日記でも、個人の肉声として貴重、と言う意見や、代々伝えられるもので人の目に触れる前提だった、とかいろんな言い方があるし。
だから、特定の武将に偏った研究というのよりは当時の記録がはっきりしてる身分のある人の視点で「この時点ではこうだった」
見たいなほうがかえって公平で明解じゃないかなってね。

特に前久なんてあの頃のオールスター全部にからんでるようなもんだし。
334人間七七四年:2009/12/15(火) 21:33:03 ID:0U6lIgk0
勸修寺晴豊なら岳宏一郎が長編を書いてる。「天正十年夏ノ記」だっけ。
淡々と熱い小説でおすすめ。
これを読んで、公家を狂言回しにより経済や文化を重視した戦国大河なら見たいなと思った。
335人間七七四年:2009/12/31(木) 14:00:28 ID:DfSUZFK1
読んでみようかな 文庫になってるの?
336人間七七四年:2010/01/31(日) 07:56:09 ID:nz/xdC9j
面白そうだね
337人間七七四年:2010/03/11(木) 09:50:02 ID:JLw3v+yX
前久の肖像画はありますか?
338人間七七四年:2010/05/07(金) 10:07:00 ID:PnY1ddMn
2カ月レスなしか
339人間七七四年:2010/07/31(土) 17:44:14 ID:c+6YL1jo
保全
340人間七七四年:2010/08/21(土) 23:23:57 ID:GC3AT2PY
長男は寺に入れて
次男に家を継がせたのはなぜだ?
341人間七七四年:2010/10/01(金) 09:46:57 ID:EsMl1+a0
残念ながら、このスレ、需要なす?
342人間七七四年:2010/10/05(火) 23:23:05 ID:dS6Xp7vh
やっと規制解除された…

>>340
近衛家縁の興福寺の座主が空席になり、摂関家筆頭を辞任する近衛家の当主としては
やむを得ずその当時唯一いた男子を僧侶にせざるを得なかった
『流浪の戦国貴族・近衛前久』(中公新書)にその辺の説明があったような記憶

ちなみに足利義昭もこの興福寺の座主だったが、形式的に近衛家の養子になっていたと思う
最も義昭の母は近衛家の出身なんですけどね
343人間七七四年:2010/10/07(木) 22:17:30 ID:ZnvZpzyv
>>342
兄の義輝もだけど
344人間七七四年:2010/11/29(月) 09:37:47 ID:mhILaY/f
肖像画はないのかしらん?
345人間七七四年:2011/01/30(日) 21:09:58 ID:iUmZsW2p
2カ月レスなしにつき保守
ネタない?
346人間七七四年:2011/01/31(月) 21:31:22 ID:kNf7zI8/
>>344
あったら見てみたいね。
想像ではでっぷりとした体躯の持ち主。
347人間七七四年:2011/02/01(火) 18:06:48 ID:/rb2JhDJ
全国にげまわって苦労してるから甘えん坊の世渡り上手ってとこか。
でっぷりというイメージじゃないな。
348人間七七四年:2011/02/02(水) 18:21:15 ID:bCW33IgX
謙信と組んで関東平定に関わったり、馬術や鷹狩りに秀でていたり、
個人的にはけっこう精悍なイメージがある
349人間七七四年:2011/02/03(木) 14:17:34 ID:3LEQfAy8
公家にしては武将みたいなことができた
って感じでちょっと無理してるイメージがあるんだよな。
あれだけ動き回ってるからヘタな武将以上に精悍だったかも
しれないが。
350人間七七四年:2011/03/03(木) 11:06:06.82 ID:qEUN/czC
>>347
節操なくあっちこっちしているが、逃げ回ってはいないぞ。
鷹狩が好きだったから太っているとも思えない。
351人間七七四年:2011/04/16(土) 16:58:21.31 ID:FWYRXImc
この1年、1月1レスのペースでも落ちないんだね
352人間七七四年:2011/04/30(土) 00:15:20.40 ID:fLq5qIEA
近衛前久って信長が好きだったの?嫌いだったの?
上スレで信長が亡くなってから随分年月が経っても追悼句会を催していた
と書いていたけど、信長が本能寺の変で亡くなってすぐ嫡男と共に公家達
と祝杯をあげたという記録が残っている。
353人間七七四年:2011/05/01(日) 02:52:10.01 ID:8DLIo5yp
えっ?
前久は本能寺の数日後には頭を丸めたはずだけど
354人間七七四年:2011/05/04(水) 22:35:46.54 ID:GLBkwE0a
出家は光秀が敗れた後じゃなかったっけ?
その後とんずらしてるし。
355人間七七四年:2011/05/05(木) 02:05:30.47 ID:7hcL3gJy
wikiだと、本能寺の変当日になっている>出家
356人間七七四年:2011/05/06(金) 11:33:36.28 ID:sLBLTMwu
後醍醐天皇の乱交
後醍醐天皇は鎌倉幕府がダーーイ嫌い
何とかして幕府を潰してやろうと密かに計画
でもって、作戦会議をするんだけど、そのカ
モフラージュに乱交パーティをしまくった
「朝廷は遊んでばっかだよーん」というのを、
六波羅探題(幕府が統括している警察みたいなもん)
にアピールするためであります

その乱交パーティは飲めや歌えやのドンチャン騒ぎ
スケスケの着物を若い女の子に着させてサービス
でもって、ひそかーーに倒幕作戦会議をしていた
のであります

が!倒幕計画に参加した男性が、妻にペロっとしゃべっちゃった
でもって、その妻が六波羅探題にタレこんだため、残念ながら計画はパーになってしまったのでした。そして隠岐に流され、兵庫の福厳寺にまで逃げてきて、楠木正成に迎えられるのでした。


357人間七七四年:2011/05/07(土) 02:32:05.20 ID:0H2kBQb4
ウィキちゃんは信用性今イチだからなあ。。。。
358人間七七四年:2011/05/07(土) 10:06:17.58 ID:iCNckxSe
だったら、橋本政宣とか読んだら?
359人間七七四年:2011/05/07(土) 10:27:31.28 ID:OzaHpK8s
>>358
高いよ
図書館に頼んでも断られたんで、買ったけど
360人間七七四年:2011/05/08(日) 21:42:54.74 ID:/zEx2QDF
>>359
俺のところは図書館に入れて貰えた。
361人間七七四年:2011/08/27(土) 04:16:08.85 ID:DskXgzwE
>>徳川の天下が定まっても信長の命日に追悼句会を開き信長を慕っている彼の
信長への思い入れはかなりのものだったようですね。

上記スレで↑とあるけどこの追悼句会に参加したメンツが気になるなあ。
この時期に集まるなんてよっぽど信長への思いが強い人間だろうし。

362人間七七四年:2011/11/10(木) 17:07:12.01 ID:aWykys8J
また菊亭か
363人間七七四年:2012/01/17(火) 15:15:58.00 ID:jtjByStT
天皇より若い関白ですか?
364人間七七四年:2012/03/16(金) 15:08:59.13 ID:DZy1+7tZ
晴嗣
365人間七七四年:2012/05/17(木) 14:50:44.50 ID:yJgflIIM
テス
366人間七七四年:2012/05/27(日) 20:25:14.64 ID:ElkVU+3z
直江の漫画に出てきたね
367人間七七四年:2012/07/10(火) 09:03:09.33 ID:PAt52rbB
大和和紀の漫画にも少し出てる
368人間七七四年:2012/12/28(金) 13:58:53.35 ID:vY+OxY/C
こいつが全国を転々としたから、
男系が息子で途絶えた。
369人間七七四年:2013/02/08(金) 14:47:47.07 ID:2IHiuVLW
あげ
370人間七七四年:2013/08/27(火) NY:AN:NY.AN ID:l3jekCsy
ほす
371人間七七四年:2013/08/28(水) NY:AN:NY.AN ID:pmCyQR1m
>>352
嫡孫と共に公家達と祝杯って記述はどこに書いてあったん?
372人間七七四年:2013/08/29(木) NY:AN:NY.AN ID:PK0zIcpt
>>352
そんな記述があるんだったら、このスレの初っ端ででてきてもおかしくないがな
373人間七七四年:2013/08/31(土) NY:AN:NY.AN ID:KY/2I9Zf
>>371
あぁそれ初耳。
俺も知りたいかも。。
374人間七七四年:2013/09/22(日) 16:19:32.90 ID:AnC5gjXE
来年の大河ドラマは軍師黒田官兵衛。
備中高松城の水攻めを羽柴秀吉に献策したのは黒田官兵衛とのこと。
大河ドラマにちなんで備中高松城の水攻め復元模型を製作した。
http://mirai660.net/castle/
375人間七七四年:2013/09/23(月) 13:50:27.92 ID:uPVRnCbW
>>371-373

>>352は明らかにガセ
前久に嫡孫はいない
376人間七七四年:2013/09/23(月) 15:01:00.95 ID:1S/xMsKz
>>352には嫡孫なんて書いてないが。
377人間七七四年:2013/09/28(土) 00:52:20.30 ID:DfqsGsRP
嫡男だろうが嫡孫だろうがソースが出なければ大した違いはないけどな
378人間七七四年:2013/09/28(土) 09:48:26.74 ID:hnJ2ay+u
>>352は2年以上前の書き込みである件について
379人間七七四年:2014/01/18(土) 04:21:21.99 ID:eHqaHCyp
age
380人間七七四年:2014/05/17(土) 12:36:36.15 ID:KBbAu0MZ
age
381人間七七四年:2014/05/18(日) 02:31:44.18 ID:oTVs8iQc
戦犯
382人間七七四年:2014/09/02(火) 23:55:51.92 ID:ajxK3x7F
19歳で関白ってすごいな
383人間七七四年
この時代は摂関家出身ならそういうレールが敷かれてる
…が、血を血で洗う戦国時代。関白になっても何の実権も権威もないわけで
前久が地方ドサ回りも厭わずいろんな戦国大名と交流したのはそういう背景もあったんだろうな
前久本人も他の公家と違って内にこもってぐちぐち言ってるタイプでもなかったし