歴代足利将軍を語る

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273人間七七四年:2012/09/03(月) 21:22:04.48 ID:ZmojNh2/
>>272
どちらかといえば、日野冨子が悪いよ。
あれが義材を捕まえて廃位してから余計おかしくなってるんだから。
274人間七七四年:2012/09/03(月) 22:39:58.75 ID:l6IW3uGK
室町幕府中枢全体が病んでたのでは
足利家と日野富子のどっちが悪いとかいう比較に意味がないくらいに
275人間七七四年:2012/09/04(火) 19:11:04.98 ID:bggtWsLj
>>274
一応明応の政変までは、どこかしら将軍を立ててたけど、それ以降はねぇ…。
足利義稙も、最初は命令書だが、あとは要望書みたいな書き方になってるし。
276人間七七四年:2012/09/04(火) 19:14:26.90 ID:bggtWsLj
足利義材が足利義尹に改名する前後のころ。
駿馬の献上があって、それを家臣に調教させて、終わったと思ったら、その数日後のその馬死亡。
いったい何やったんだか。
277人間七七四年:2012/09/28(金) 12:23:12.35 ID:vOaTmkV7
権威・権力の脆弱さは結局のところ尊氏が協力してくれた武家に大盤振る舞いしすぎたのが原因なんかね?
278人間七七四年:2012/09/28(金) 19:38:42.16 ID:t3hOQcEo
弱小勢力が神輿にされただけだから
279人間七七四年:2012/09/29(土) 09:16:27.79 ID:klXurMcT
尊氏が権力を掌握しきれなくても、
義満がその気になれば、相当なところまで行けたはずだ。
義教で中央集権国家完成!は無理か
280人間七七四年:2012/10/15(月) 01:42:42.45 ID:uFGY8wZh
せっかく日明貿易で稼いでも守護大名の力を削いでも、パパ大嫌いな足利義持がなかったことにしそう
281人間七七四年:2012/10/17(水) 22:00:03.33 ID:h7XlhtHD
義持は義満の貴族趣味が嫌いなだけで、義満の路線を全否定した訳じゃないぞ。
282人間七七四年:2012/12/03(月) 17:54:34.81 ID:SJHoxJNh
今の天皇と足利家は継ってる。と言う噂は本当ですか??

後花園天皇?とかその辺で・・・。
283人間七七四年:2012/12/04(火) 01:14:35.08 ID:E/FJOdQW
>>279
義満は土岐山名の守護国は削いだけど、それを他の守護大名に分配したからなぁ。
直轄領を増やさない事には中央集権は無理だろう。
284人間七七四年:2012/12/04(火) 04:22:40.11 ID:v+4SuC6H
でも別に中央政権がジャスティスって訳じゃないし、地方分権でもいいんじゃねぇかな
人口が多く、経済文化の中心地で、朝廷を押さえている京都を中心に畿内が将軍家のもんであれば

つーとやっぱり六角征伐の途中で義澄がぽっくり逝っちゃったのがなぁ
将軍家の軍事力が霧散しちまって畿内に睨み効かせられなくなったし
そもそも将軍家が京都に居ずに流浪するのがデフォになって……
285人間七七四年:2012/12/04(火) 23:01:18.41 ID:iSgHRGBc
それ義尚じゃないか?
286人間七七四年:2012/12/05(水) 03:22:43.79 ID:tP2RgHBW
義教が守護大名の粛清に成功していたら安定した体制になったかもしれん
287人間七七四年:2012/12/05(水) 08:51:52.92 ID:XkyUkVM4
義教の性格が安定してないからw
288人間七七四年:2012/12/05(水) 11:48:05.48 ID:tP2RgHBW
たしかに問題はそこだよな
嘉吉の乱も義教のやり方が極端だったせいて起きたわけだし
ただ鎌倉公方や寺社勢力への対応など、基本的な方針は間違っていないと思う
289人間七七四年:2012/12/06(木) 00:23:08.79 ID:Lm0LQ0Yf
鎌倉公方を基氏系による継承にしたのが間違いだった。
そりゃいつかは敵対するのが目に見えてる。

六波羅探題みたいに一定年数毎の中央からの派遣制にすべきだった。
290人間七七四年:2012/12/09(日) 18:03:12.55 ID:WwfvmWzp
3代目で絶頂期とか早すぎだよな
義満の頃は打つ手打つ手が面白いほど決まってたのに
どうしてああなった
291人間七七四年:2012/12/10(月) 08:25:05.05 ID:0gdKVSCw
鎌倉幕府も江戸幕府も初代が頂点だぞ。
292人間七七四年:2012/12/10(月) 13:26:53.34 ID:RVidLukH
江戸幕府は秀忠の時代だと思うが。
293人間七七四年:2012/12/13(木) 17:31:36.32 ID:FctyQQdY
あれ? 室町幕府の功績ってなんかあったっけ?
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/poverty/1355244310/
294人間七七四年:2012/12/14(金) 01:01:29.48 ID:DCuFy69y
>>291
鎌倉は執権が頑張った(というか殺りすぎた)し、源氏将軍は3代までだから妥当じゃないか
295人間七七四年:2012/12/14(金) 21:32:16.94 ID:TRymkyTw
>>291
アホか。組織完成機は家光の時代。最盛期は綱吉の時代と見るのが普通だわ
296人間七七四年:2012/12/15(土) 13:42:28.45 ID:+aGv6kAA
スレ違いな話題で無知がキリッと語るw
297人間七七四年:2012/12/19(水) 09:07:31.27 ID:VnzAE2J2
>>295
だよね。
298人生七七四年:2012/12/20(木) 20:08:05.69 ID:wkXi66p6
>>290

その義満が強すぎたのがよくない。それを息子が反発して、
義教の暗殺でかなり揺らいでしまって、義政が投げやりになって、
義稙が将軍解任されて流浪し始めるあたりでほとんど詰んだと思う。
299人間七七四年:2012/12/21(金) 00:19:38.49 ID:M2rs5iG5
>>298
かといって仮に義満が凡庸だったら幕府が潰れてたかもしれんし
そのへんの匙加減は難しいな

よく指摘されるけど、室町幕府の脆弱性はやはり尊氏が蒔いた種だよ
あまりに大きく育ちすぎて子孫が刈りきれなかった
300人間七七四年:2012/12/21(金) 08:51:20.29 ID:yBEBfFXM
初代からして世間を巻き込む兄弟喧嘩してんのに、
鎌倉公方なんか置いたから...
301人間七七四年:2012/12/22(土) 19:29:46.83 ID:zDCBTwx2
でも関東に幕府置いたら鎌倉幕府に逆戻りで
京都に幕府置いたら御覧の有様だよ!だからどのみち詰んでるとしか思えない
東西の亀裂は兄弟喧嘩がなくても起こりえただろうし
302人間七七四年:2012/12/22(土) 23:25:03.29 ID:cNtVvvWH
いや、南朝が無ければ鎌倉に幕府を置いていただろう。
結局、南朝の軍事力を牽制するには拠点を京都に置かざるを得なかった。
303人間七七四年:2012/12/23(日) 02:24:15.58 ID:P9Kvq2qO
いや経済や社会構造が西国を中心に変化し始めている以上、南朝を打倒したからって鎌倉に幕府は置けなかったろ
悪党や寺社勢力を無視・不干渉を決め込んで鎌倉に引き籠もるならまだしも
でもそれやったら鎌倉幕府より衰退してる罠
304人間七七四年:2012/12/23(日) 13:32:11.70 ID:3vngEcHA
じゃあ、なぜ家康は江戸に幕府を開けたのじゃ?
足利は三河に縁があったから、あの辺でもよかったんじゃないか
305人間七七四年:2012/12/23(日) 17:42:58.89 ID:GKPOI6VT
三河に本拠置いちゃうと関東と京周辺二箇所抑に大規模な出張所置かにゃならんくなるから
306人間七七四年:2012/12/23(日) 19:07:40.32 ID:P9Kvq2qO
江戸時代までいくと貨幣経済も東国まで浸透してるしな
品川の当たりは商業地域だったし
307人間七七四年:2013/01/02(水) 18:56:31.34 ID:zrfs0Dzh
足利義輝以外カス
308人間七七四年:2013/01/02(水) 19:14:30.10 ID:PCt9l5Pk
>>300
鎌倉公方置かないと関東が南朝方もしくは大乱になるんじゃ?当時の判断としては正しいと思う
義満さんの南北朝合体時に東国に移るか、鎌倉公方を廃するかして強力な中央集権にしてたらもしや…
309人間七七四年:2013/01/03(木) 10:49:01.02 ID:Vd4NFK3n
足利氏満なんかは鎌倉公方の存在感を示すために小山氏を挑発して小山義政に反乱を起こさせたとも言われているな。
310人間七七四年:2013/01/08(火) 19:40:25.46 ID:+V01xO5s
歴代の鎌倉公方がなまじ優秀だったために京都に目をつけられたのが運の尽き
311人間七七四年:2013/01/09(水) 01:43:33.65 ID:aZzbwdSM
だって早くも2代目にして幕府に従う気ナッシングですもの
312人間七七四年:2013/01/10(木) 14:00:59.92 ID:/Y7izKbM
>>309
あれで小山の嫡流滅亡になったのはやりすぎの感もあるが
名族で所領広い以上、狙われるのは避けようがなかったのかねえ
313人間七七四年:2013/01/11(金) 00:48:28.79 ID:MhfX4wEH
>>312
小山は滅びぬ
何度でも蘇るさ
314人間七七四年:2013/01/13(日) 21:20:35.69 ID:OQT3GYw5
交通網も通信網も発達していなかった武家政権では、東国と京都を一つの組織が一元化して統治することが出来なかったからその克服に頭を悩ませた。
室町幕府と類似した体制を取って結局滅亡してしまった豊臣政権と比較すれば、鎌倉公方に上洛を許さなかった室町幕府は意外と優秀だったとも言えなくもない。

秀吉=足利将軍
家康(一応妹婿)=鎌倉公方
佐竹・上杉=関東扶持衆
315人間七七四年:2013/02/15(金) 15:49:38.27 ID:UUD8tgNX
だれかスポンサーがいないと即位できない天皇
だれかに担がれないと将軍になれない足利義○
316人間七七四年:2013/03/03(日) 16:45:27.65 ID:Y8Y1qRn6
義量と義勝と義栄
一番空気なのは誰?
317人間七七四年:2013/08/24(土) NY:AN:NY.AN ID:CzAivzM/
義量 酒の飲みすぎ
義勝 細川家の跡継ぎに一文字与える
義栄 堺公方?だったっけ?
318人間七七四年:2013/11/13(水) 14:15:19.80 ID:RMXgc/XL
あげ
319人間七七四年:2013/11/14(木) 18:05:49.81 ID:wvtKVrHK
>>314
京と鎌倉がいざ開戦と成ったら
関東管領以下守護大名達はほとんど京方につくから
鎌倉府に伺候していても
本当の主君は鎌倉殿ではなく室町殿ということだろ
320人間七七四年:2013/12/09(月) 20:33:11.28 ID:jKSfonJQ
吉川弘文館 動乱の東国史5 「鎌倉府と室町幕府」 すごく面白いぞ
321人間七七四年:2014/01/03(金) 02:46:32.85 ID:6T2Fkgjs
足利が京都に幕府を開いた最大の理由は朝廷の首根っこを押さえることだったろう
室町時代が始まる頃まではまだ二頭政治状態で朝廷の所領や力もそれなりにあって武家政権への対抗心も強かったからな
現に後醍醐天皇みたいな強者が現れて鎌倉幕府が滅ぼされたわけだし
室町幕府は鎌倉幕府の二の前にならないように京都に幕府を開いたんだよ
後醍醐天皇は実権のあった最後の天皇だったけどね

鎌倉幕府が開かれてすぐ全権が幕府に移行したと勘違いしてる人が多いけど実はそうじゃないんだよな
外交権は朝廷にあったし当初はまだ幕府に劣らないほど朝廷の力も強かった
みんな勘違いして覚えてしまうのは学校の教科書や教え方に問題があると思う
322人間七七四年
あげとく