1 :
人間七七四年:
家康の天下取りは我々現代人に多くのことを教えてくれる。
幼少期の人質時代の屈辱。信長との同盟を守りきった律儀さ。
武田信玄との対戦。小牧・長久手での熟練した軍略。
豊臣政権下での着実な勢力伸張。そして文句なしの関が原での勝利。
天領400万石の圧倒的な徳川幕府。天下泰平250年。江戸は世界最大
の都市の一つとなった。
東京が首都となったのも、家康が始原。
次期一万円札の肖像は是非、神君家康公にしてもらいたい。
死ぬまで階段をかけ上がった人生の達人。
2 :
人間七七四年:2007/08/24(金) 14:00:30 ID:Irn6Z5Md
3 :
人間七七四年:2007/08/24(金) 14:20:46 ID:s1Pnc3oF
3好長慶
4 :
平山貴士:2007/08/24(金) 17:07:05 ID:xw02Jziy
3は笑った。はっはっは。
5 :
人間七七四年:2007/08/24(金) 21:15:59 ID:o9cy1/P8
( ´゚ω゚` )
6 :
人間七七四年:2007/08/25(土) 00:00:47 ID:/TCRyWYU
>江戸時代は農民が八割なんてとうに否定されてますが?
これってどういう事情で戸籍を覆されたのか書かないと
本当かって思っちゃうけど。
8 :
中山幸盛 ◆c1ZKiGzz62 :2007/08/25(土) 12:28:30 ID:2EE9lfQ2
↑やっぱスペースで、間空けてたほうがよかったな
9 :
人間七七四年:2007/08/25(土) 13:38:35 ID:VB0kkX5g
10 :
人間七七四年:2007/08/25(土) 17:48:58 ID:1ap8aC8W
なんで徳川幕府は大坂冬の陣の時に兵糧不足に悩まされたんだ?
金銀はもう相当溜め込んでいたし、後方を撹乱される不安なんてほぼゼロだから輸送すれば良いのに
天下統一完遂前の秀吉軍以下の兵站能力って……
参陣大名も、幕府に借金してなんとか賄ってた状態だし
11 :
人間七七四年:2007/08/25(土) 21:23:25 ID:v83AE84y
そんなの初耳
12 :
人間七七四年:2007/08/25(土) 21:25:20 ID:MI0n8XZh
>>10 幕府が大坂周辺の刈田等による強制的な徴発を禁じたから
小田原などでも兵糧は実際、かなりが現地調達で賄われている。
冬の陣では豊臣氏の領地が過少な上に、上記の禁制が出され、また
後方から物資を搬入といっても緒戦はそのような余裕は無く
その上に実際の戦闘はそれらが着く前に終結した。
13 :
人間七七四年:2007/08/25(土) 21:38:40 ID:3L7Jer+l
さらに付け加えるなら、実際に城攻めに必要な軍勢よりも大規模な
徴兵を各大名家から募ったからだな。家康としては一大軍事行動に
よる天下の見せしめにしたかったんだろう。
参陣大名の借金云々は、もう家康にしてみれば思う壺過ぎて笑いが
止まらん状態だろう。確実に大名の力を削げてることの証左だし、
ついでに恩も売れると。
14 :
人間七七四年:2007/08/25(土) 21:47:38 ID:v83AE84y
15 :
仙台藩百姓:2007/08/25(土) 22:26:20 ID:Gqq0DZ6V
でも外様の兵役は普通より少ないお
万石150〜200程度だお
16 :
人間七七四年:2007/08/26(日) 00:18:58 ID:sPCICpo7
家康自身には冬の陣で、豊家を本気でぶっ潰す気なんてなかったんだろ。
秀忠に対しても自分が陣道指揮をするといってたらたらと行軍したり、池田や加藤には攻めるなと言いながら片桐には攻めろという交渉待ちらしきところがある。
そもそも、大軍を率いなければならぬのに、奪い取って大名どもにやれる領土も少なく(元寇の時の状況に近い)、
悪評も負う(家康自身が気付いてないとは考えにくい。家康は征夷大将軍になった後も豊家には気を使っており名目は気にしている)、という戦なんてありがたくもない。大きくするだけ損。
何かに、家康が大坂城に柳生宗矩の従兄弟の奥原某を秀頼警護のために送り込んだり、
土井利勝が山口重政を入れて秀頼を暗殺しようと献言したのを叱り付けたという記述があったんだが、詳しい奴いない?
そういえば方広寺の件だが豊家は何であんな一大デモンストレーションに清韓なんて田舎坊主選んだんだろうな。五山とかに頼まずに。家康が鐘を残したのも謎だ。
今の感覚からではわからんが呪咀する気はあったのかも。
あと、総堀埋める件でも結構非難されてるが、本田正純の手紙や崇伝の本光国師日記には講和の条件は、裸城にする、というものらしい。
これってそんな責められるべきものじゃないだろ。
17 :
人間七七四年:2007/08/26(日) 01:03:08 ID:ItrcnPbt
家康は鐘銘が人間を呪詛するなんて迷信は信じないが、
豊臣方が徳川を呪詛する意図を嫌っただけだろ
鐘を残したのは多分、豊臣方の意図を後世にアピールするため
18 :
人間七七四年:2007/08/26(日) 01:17:01 ID:Ktgx1dR3
>>16 秀頼を正二位右大臣にする事自体が???だしな。
秀忠はたしかに征夷大将軍にはなったが、従二位内大臣で秀頼より官位は下。
正二位右大臣というのは天下人直前の覇者が受ける官位なのに、秀忠より
上にするというのが、なにか意図があったと思えてならない。
山岡荘八の漫画では、山里郭で秀頼が自決して櫓が炎上したとき、家康が
激怒した描写があったが、あれが真相かもな。
19 :
人間七七四年:2007/08/26(日) 03:03:59 ID:jS/V8L69
>>18 あんな最後の最後になって「殺す気はなかった」ってのはアレだが、
家康個人としては「ホント大人しく小大名で満足しとけや、ウゼェ」
ぐらいだった気はするな。
20 :
人間七七四年:2007/08/26(日) 07:31:29 ID:3TDKsw//
禁中公家諸法度の公布(1615年9月9日)以前だから、朝臣として氏を賜られた羽柴家を滅ぼすのは、
流石に気が引けたんじゃなかろうか。
まあ、冬の陣の頃は、豊臣サイドは朝廷工作とか大坂の町を生かした守りとかを入念に
やっていたわけで。
まあ、その防衛工作を念入りにやりすぎたおかげで、家康が赤っ恥をかいたわけで、夏の陣で
なりふりかまわずぶっ叩きに回ることになるわけだが。
それでも、最後はきれいに先を見越して勝とうとして、詰めの段階で毛利勝永や真田の突撃を
許してしまって絶体絶命になるんだから、懲りてないなとしか言いようがないけど。
まあ、実際無理だけど、素直に徳川に臣従していれば、禁裏とのパイプ役を引き受けることになって、
権威だけは高く保たれ、石高は数十万石程度でも、武家としても御三家か御家門筆頭位と同程度に
落ち着けた気もするし。
まあ、よっぽど巧く立ち回る必要はあったとは思うけどね。実際出来なかったし。
21 :
人間七七四年:2007/08/26(日) 10:31:44 ID:KJ7ye0/9
>>18 家康はこの件で後世に悪名遺すことぐらいわかったはずだから機嫌は悪いだろうな
直接汚名をかぶらなくて済む秀忠以下徳川方は万々歳だったろうが
22 :
人間七七四年:2007/08/26(日) 10:55:06 ID:EWVkx+P1
影武者徳川家康を思い出す展開だな。
あれの作者は家康は秀頼を庇ってたと見てたが。
まあ、織田家が豊臣家の下になることで生き残った様に
豊臣側が主筋という面子さえ捨ててれば、
今川辺りより、よっぽど好条件で生き残れたと見る向きは多いよ。
23 :
人間七七四年:2007/08/26(日) 12:52:21 ID:eXOQV/Sk
ぃぇゃすぅってキャワユィよねッ☆
添い寝するだけで仕合わせになれそ〜★
24 :
人間七七四年:2007/08/26(日) 13:21:59 ID:sPCICpo7
>>19 すくなくともそのラインではあったろうな。
でも、小大名つっても大坂夏の陣前までなら大和六十万石以上ぐらいの条件は出されてるぞ。
しかも、あの年で右大臣なんだから関白にもなりうる。伊達、島津レベルでも四位の中将程度が限界で水戸は中納言、紀伊、尾張が少し上なぐらい。
かなり別格。
あと、家康は結構秀頼を助けようと秀忠に嘆願したり、
わざわざ落城の後秀頼を出迎えようとしていて、山岡荘八はそれを素だと思ったんだろ。
ただ、演技と感じる人もいるしそこら辺はなんともいえない。
25 :
人間七七四年:2007/08/26(日) 13:29:05 ID:Ktgx1dR3
家康は高台院に13000石を与えて、元天下人の正室の品位は保たせているし
利次に羽柴家の存続自体は認めているようだし。家康の死後、幕府が木下
にするように命じるまでの話だとしても、そこそこ気は使っていたようだな。
江戸時代通じて、木下家に豊臣の姓を公的に使用させていたというのも意外だ。
26 :
人間七七四年:2007/08/26(日) 13:37:25 ID:Ktgx1dR3
>>24 たぶん、喜連川の足利家みたいに石高低くて、格は高くするみたいな措置だろうな。
領地は一万石で格は60万石格、官位も正二位右大臣とか。
27 :
人間七七四年:2007/08/26(日) 13:39:18 ID:5e/0by5h
大坂退去してくれたら希望の地に移してくれたんだろ。
28 :
人間七七四年:2007/08/26(日) 14:10:33 ID:kPfeWRJH
大坂城から追い出したかったのかな。
邪推すれば城から引き離した後で始末するつもりだったとも考えられるか。
29 :
人間七七四年:2007/08/26(日) 14:15:53 ID:rrGcoByO
>あの年で右大臣なんだから関白にもなりうる。
武家の官位は幕府が決めるわけだから、将軍より上にすることはありえない。
福島や加藤みたいに難癖つけて潰されるよ。本多親子は甘くない。
30 :
人間七七四年:2007/08/26(日) 15:53:01 ID:sPCICpo7
>>29 確か、秀忠が内大臣、秀頼が右大臣と下の時期はあったはず。しかも宣下は秀頼のほうが先。
まあ、本多父子が油断ならないのは同意。さらには土井利勝も控えてるし。
31 :
人間七七四年:2007/08/26(日) 16:37:17 ID:HMrty4j3
二条城で家康と秀頼が対面した時も、同格としての扱いだったからな
このときに秀頼が意外と器量があったように見受けられたので、自分の死後が心配で無理矢理豊臣を潰すことに決めたとかが豊臣贔屓のドラマや小説のパターンの一つ
32 :
人間七七四年:2007/08/26(日) 17:55:58 ID:Ktgx1dR3
>>29 いや、秀頼は正二位右大臣で将軍である秀忠より官位は上だろ。
それに羽柴家は武家でもあり、公家でもあるのだから将軍に管轄下ではないのだから
将軍より上になることはあり得る。
33 :
人間七七四年:2007/08/26(日) 17:59:54 ID:Ktgx1dR3
>武家の官位は幕府が決めるわけだから
これは大坂羽柴家は例外な。
訂正
×それに羽柴家は武家でもあり、公家でもあるのだから将軍に管轄下ではないのだから
将軍より上になることはあり得る。
〇それに羽柴家は武家でもあり、公家でもあるのだから将軍の管轄下にはならない。
十分将軍より上になることはあり得る。
34 :
人間七七四年:2007/08/26(日) 19:36:38 ID:J2qX4FRZ
>>31 そういや、家康が秀頼を大器と危惧した話って何が出典だっけ?
35 :
人間七七四年:2007/08/26(日) 21:02:23 ID:prSQtQ68
>>30>>32 秀頼が先に右大臣になってたなら仕方ないじゃん。
後から関白まで持ち上げることは無いって言いたいんだ。
36 :
人間七七四年:2007/08/26(日) 21:28:45 ID:E7CSpW+P
秀頼なんて淀の愛人の子だろ? ( ´,_ゝ`) ぷ
それにしても大河が眠い展開でいつも居眠りしてしまう。
37 :
人間七七四年:2007/08/26(日) 22:42:58 ID:sPCICpo7
>>33 一武家でもある時点で管轄内ではある。ただ、五摂家並に扱われていただけ。
てか、公家であっても実質的には管轄内で大した逸脱もできない。
>>35 むしろ秀忠より先に秀頼を内大臣、右大臣へと昇進させたと見るべき。
しかも、年と功績から考えても異例な速度。
38 :
人間七七四年:2007/08/26(日) 23:19:47 ID:Wh5kVpMJ
幕府にとっては秀頼が関白にさえならなければいいのであり
右大臣程度なら無害かつ名分も立つから与えているだけ
重要なのはあくまで天下を手にできる三職であり内大臣や右大臣はたいした問題ではない
また秀頼が関白になるためには公家側が関白を再び放棄しなければならないが
秀吉のように圧倒的な力があるなら渋々譲るものの
豊臣に力がなくなれば自分を犠牲にしてまで与えることはない
だから秀頼の関白就任は所詮噂どまりで実現する可能性は皆無
39 :
人間七七四年:2007/08/26(日) 23:22:43 ID:E7CSpW+P
みんなまるでその時代に生きて居たかのように詳しいね。
すごいね。
40 :
人間七七四年:2007/08/26(日) 23:51:55 ID:Ktgx1dR3
江戸時代にも関白はいたわけで、秀頼が大領と重要地さえもたなければ
実際には実権はなかったと思うよ。
僻地に飛ばした上、
**藩 羽柴家 三万石(国主・50万石格)
正三位大納言〜正二位右大臣
公家としては五摂家格で、当主長寿の場合は関白もあり得る。
参勤交代義務免除
てなかんじじゃね?
41 :
人間七七四年:2007/08/27(月) 01:35:58 ID:HSq1j4Bw
羽柴家
摂津大坂65万石→大和郡山10万石→陸奥棚倉6万石(50万石格、国主格、子孫は代々従二位准大臣)参勤交代免除、江戸城の詰め席は大廊下。御三家に準じ、御三卿と同格、越前家と加賀前田家より上座。
42 :
人間七七四年:2007/08/27(月) 02:01:47 ID:svSBWVU/
>>41ー42
それって大坂夏の陣の後?
冬の時の講和条件に、好きな替え地を用意するとあるから、大坂で六十万石あるんだから、この時期まで六十万石クラスは保証されてる。
鐘銘事件も一応、罪を問われたというより、異心無きを示せって位の話。
それとも言い掛かり付けろってことか? 石高が少ないほうが長持ちしそうな気はするが、あんまり家康にはやって欲しくないな。
ちなみに、夏の陣の後の場合、大野道犬が大和を焼き払ってるから大和は結構厳しい。
43 :
人間七七四年:2007/08/27(月) 02:03:40 ID:svSBWVU/
ミスった。40、41な。
44 :
人間七七四年:2007/08/27(月) 07:30:20 ID:BWT4AdA0
>>42 大阪の陣が起こってしまった時点であれば、もう家康は豊臣家を完全に
潰す気であったと思われる。講和条件の替地云々は相手が立ち退かない
ことを承知の上での講和を受け入れやすくするための糖衣。
大阪の陣以前なら数十万石級で転封の可能性は十分あるが史実での豊臣
家の立ち回りを見る限り、なんだかんだと理由を付けて減俸の嵐が吹き
あれ結局
>>40ぐらいに落ち着きそう。
45 :
人間七七四年:2007/08/27(月) 09:45:15 ID:gozCYqKV
>>40 関白は基本的に京都またはその周辺にいなければ職責を果たせない。
公家の最高位なのだから僻地はない。
46 :
人間七七四年:2007/08/27(月) 14:46:39 ID:Dq0vkIl2
>>45 だな
三万石程度なら僻地より近くにおいて監視するほうが楽
47 :
人間七七四年:2007/08/27(月) 18:00:46 ID:svSBWVU/
>>44 いや、完全に潰す気はなかったと考えられる余地は十分ある。
デメリットが多いし、家康自身が粘り強く秀頼を立てながら、体制に組み入れようとした跡も、大坂の役の時助けようとしていた跡もある。
てか、大坂城にしがみついている相手に好きなところに替え地をやる、というのは好条件でもないだろ。
むしろ、そこに謎掛けというか、願いを感じる。この時期は牢人を切り離せるか、もしくは捌けるかどうかを見極める、和戦両様の構えじゃないか?
48 :
人間七七四年:2007/08/27(月) 22:37:30 ID:LO4JGQh1
あとの重要な要素は千姫だな。家康に太閤の命令があったとはいえ、二
人は不仲ではなく、離縁させる理由もない。
秀頼との間に子が男子が生まれれば、まさに織田と羽柴と徳川の血が
入った貴公子だろうし、親藩そのものになるだろ。
実害がでてくる可能性がある政治関与権や大領は間違いなく
与えないだろうが、害のない名誉はてんこもりだっただろうな。
国主格と大大名の格と、五摂家格、御三家にも許さず、足利家のみに許
した「御所称号」や参勤交代免除、江戸城での詰席はかなりの上席が用
意されていたと思う。
49 :
人間七七四年:2007/08/27(月) 23:14:29 ID:wXRGf/7n
実高数万石以下だけど、格が超高い御家ってどういうところがあるの?
興味あるから教えて!!
50 :
人間七七四年:2007/08/27(月) 23:19:16 ID:UcRP5pt0
天皇家
51 :
人間七七四年:2007/08/27(月) 23:28:18 ID:lUCFntuj
高家
52 :
人間七七四年:2007/08/27(月) 23:30:34 ID:LO4JGQh1
>>49 喜連川の足利家が4500石だが、10万石格で扱われ、御所称号が許され、参勤交代免除。
織田家も数家が国主格だった。 ただし、後に事件をおこして剥奪。
あと立石木下家だとか、最上家とか元大名や大名の分家が旗本であるにも
関わらず、参勤交代を許され、大名並の扱いを受ける交代寄合という連中。
中には300石という家もあったが、これも従五位下が与えられた。
万石以下ながら、国主並の官位をうけた高家というものもある。武田とか
吉良家だとかな。
53 :
人間七七四年:2007/08/27(月) 23:36:48 ID:lUCFntuj
高家一覧表(文政5(1822)年文政武鑑より)
名前 官位 禄高
大沢右京大夫基之 従四位上侍従(高家肝煎) 3550石
戸田備後守氏倚 従四位上侍従(高家肝煎) 2000石
中条河内守信義 従四位上侍従(高家肝煎) 1000石
宮原弾状大弼義周 従四位下侍従 1140石
織田豊後守信順 従四位下侍従 700石
畠山飛騨守義宣 従五位下侍従 3100石
上杉中務大輔義長 従五位下侍従 1496石
由良播磨守貞陰 従五位下侍従 1000石
今川刑部大輔義用 従五位下侍従 1000石
横瀬駿河守貞征 従五位下侍従 1000石
前田信濃守長粲 従五位下侍従 1000石
大沢修理大夫基休 従五位下侍従 600石
武田左京大夫信典 従五位下侍従 500俵
54 :
人間七七四年:2007/08/27(月) 23:41:31 ID:LO4JGQh1
喜連川の足利家は将軍家直系ではないが、秀吉に再興を許された家な。
立石木下家は一子相伝で秀頼の子、国松の子孫と伝わる。これがバレたら
改易だったんだろうが、なんとかばれずに準大名の格を保つ。
55 :
人間七七四年:2007/08/27(月) 23:47:13 ID:wXRGf/7n
格って官位の事なの?
出来れば数万石なのに、かなり上座とかのが楽しい。
56 :
人間七七四年:2007/08/27(月) 23:58:33 ID:DEhT8Heg
>>6 簡単に言うと、記録では「百姓が八割」とあるわけです。
百姓=農民ならそれで「農民が八割」が成立するわけですが、実際には異なると。
百姓というのは一般庶民という程度の意味で、農民も含みますが、当然非農耕民も
含むわけです。
さらに言えば、戸籍上つまり行政区分上は街でなく村とされ、住民は農民とされる
人間が、実はその土地は痩せていて農業に適していないので商業交易で生活している
というような連中も農民に含まれてしまっている部分もあるわけです。当然、その
土地は貧しい寒村などではなく賑やかな商都だったりするわけで。しかしそれでも
課税は(名目上)水田に対して賦課されたりしているので、行政書類のみでは実態を
見失ったりすることがこれまで生じていたのですな。
57 :
人間七七四年:2007/08/28(火) 00:06:06 ID:ELTaTFJZ
あ、認知が変わったわけね。
百姓=非農民論の出元ってどこの研究機関?
58 :
人間七七四年:2007/08/28(火) 05:44:09 ID:hzb2rGDR
百姓≠農耕民だということを最初に公に主張したのは故網野善彦先生だったかな
網野本人が認めてたとおり当初は学会でも異端視されたらしいが、
江戸時代に士農工商という身分制度の枠組に入らない職能民が居たというのは現在ではほぼ定説だと思われ
けど大部分の「農耕をしない百姓」は普通の農民以下の暮らししてたと思うぞ
穢多非人みたいにあからさまに蔑視されることはなかったろうケド
ついでにこのいわゆる網野史観に影響されて近世初頭を舞台にした伝奇小説を書いてたのが故隆慶一郎先生
主人公が漂白民と仲良くなる「影武者徳川家康」や「捨て童子松平忠輝」なんかもろに影響受けてるのがわかる
・・・一応スレ違いにならないように無理やり家康と関連付けてみた
59 :
人間七七四年:2007/08/28(火) 08:45:53 ID:n2RLiQav
>故網野善彦先生だったかな
やっぱりうちの大学関係してたみたい。 ありがとう。
進んだ学説を知らず知らずのうちに、学んでたんだな〜。
60 :
人間七七四年:2007/08/28(火) 09:08:25 ID:Jm3p+Cov
>>58 そもそも江戸時代に「士農工商」なんてなかったわけだが。
あるのは「村」か「町」で村に住んでるのはすべて農民、町に
住んでるのは町人定義。商人と職人の区別はなし。
>>56 「村」(戸籍で村に住んでるのはすべて農民に分類される)
ではたとえば商人がいたとしても「行商」に毛が生えた
レベルであって、町人の中の商人のようなレベルはいなかった。
そもそも農村では金持ちになっても治安レベルが悪いので
盗賊に盗まれても誰も守ってくれない。
戦国時代、堺とかの商業町は武装化して傭兵を雇ったりして
防衛しないといけなかったわけで。
江戸時代の町の治安は武士が守ってたが村は守らない。
61 :
人間七七四年:2007/08/28(火) 09:20:42 ID:Jm3p+Cov
>>56 そもそも農村では、商売したって儲かるわけないでしょ。
買うような人がいないんだし。船渡ししても農村ではほとんど通る人がいないし。
町の海運商のような、大船もって始終廻船しているようなレベルではない。
村には江戸時代呉服屋とかもないし。田舎の呉服屋って皆明治以後できてる。
昔は農民は呉服屋で服を買ったりしないし。呉服を買うのは上級武士か
裕福な町人。そもそも呉服屋は特定の人しか店に入れない。
町で町人がやってた商売は、田舎でやってもほとんど商売にならない。
農作物であまったのをちょっと売ってたとか、小川に小船を渡してたとか
ぽつんぽつんとやってた村が「商都」だなんて笑わせる。
62 :
人間七七四年:2007/08/28(火) 09:29:55 ID:Jm3p+Cov
「村」では極端に貧しい人が大多数だし、「大庄屋」レベルは
100村に1つくらいしかいない。大庄屋レベルでも金持ち度は
中流町人程度。何か売ったって買うのはコイツくらい。
「大庄屋」レベルはわざわざ町に出て行って購入してたんだよ。
たった一人の大庄屋のために村に誰かが店をひらくわけないでしょ。
そんなわけで村で商売があったとしても、たかが知れてる。
造酒屋が村でを作ってたとしても、それは町に店が出されて
町で売られる。農村は醤油や酒を作る工場用地にすぎない。
>>60でも書いたけど、治安がままならない農村では商業は
発達しない。今みたいに田舎にも警察があるわけじゃないんだし。
金があれば盗賊団に盗まれ放題の田舎では。
田舎には盗む金を持つほどの人がいないから治安維持の必要が
なく武士が放置していたともいえるんだけど。
でも町人や武士が田舎を歩くときは警護が必要だった。
63 :
人間七七四年:2007/08/28(火) 09:34:48 ID:NDbMi356
>>49 スレ違いって知ってるか?
おまいみたいのがいるから阿呆がウヨウヨ寄ってくるんだよ。
64 :
人間七七四年:2007/08/28(火) 09:49:49 ID:n2RLiQav
結局いまの中国の農村から文明品を無くした様なもんでしょ?
だからこそ自給自足+@という百姓という身分になったわけで。
65 :
人間七七四年:2007/08/28(火) 12:24:54 ID:qAXC1uIz
>>47 潰す気だから、講和条件を破って大坂の堀全部埋めて塀も打ち壊したんでしょ
そういう挑発があったから、講和派に一転した大野治長が襲われるという事態になったわけで
開戦理由にしてから言い掛かりで、さらに違約ってことは挑発以外にはありえない
逆に意図せずそんなことやっていたとしたらボケもいいところ
66 :
人間七七四年:2007/08/28(火) 13:13:37 ID:/xc1ju7Z
初めから総堀を埋める約束だったじゃん。
豊臣方が外堀と聞き違えたのよ。
67 :
人間七七四年:2007/08/28(火) 14:10:12 ID:HjGQOveQ
総堀ってより裸城な。講和条項に、大坂城を裸城にするというのがあり、それに両方が判を押して同意している。破ったわけではない。
難攻不落の大坂城が牢人を集めるのが面倒なんだから、戦闘施設としての機能を失わせるためと考えてもおかしくない。でなければ冬の陣の意味がないことになる。
徳川方の秀頼が大坂城から出れば天下が安泰になるという意見とも通ずる。ちなみに大和以外には房総において監視するというような案もいくつか出ている。
騙された説は、大坂びいきの民間の歴史学者が作り上げた形跡があり、後年に書かれた武功雑記などに記録がある。
68 :
人間七七四年:2007/08/28(火) 16:40:11 ID:utQvJGix
大坂方が抗議していて、さらにそれを本多正純が仮病使って誤魔化しているあたり状況的に徳川の違約の可能性大
判おしてるってどんな史料から?
だったら抗議も仮病逃げも発生する理由が無い
69 :
人間七七四年:2007/08/28(火) 16:41:21 ID:4XFqU6DF
徳川単独の戦いって小牧での局地線勝利が最大の戦勝だよね?
秀吉が西日本・大陸を重視してたおかげで生き延びただけだよね?
江戸時代は日本の暗黒時代、世界で日本が浮いてしまうのは、こいつが作った社会のせい。
運がよかっただけの武将だよ家康は
70 :
人間七七四年:2007/08/28(火) 20:01:41 ID:s8vlrbJQ
秀吉は単独の戦いに勝ったことなど一つめない
他人様の兵力をさも自分の兵力のように粉飾しただけ
だから豊臣恩顧などというものは実は存在しない
例えるなら派遣社員が朝鮮で違法労働させられたことに腹を立てて派遣先を徳川に変えたようなもの
だから豊臣が潰れたのは全て豊臣自身の責任
71 :
人間七七四年:2007/08/28(火) 20:51:56 ID:qveFZBAJ
72 :
人間七七四年:2007/08/28(火) 21:00:12 ID:H+cgjvfp
晩年のサルは失政をした。
それに目をつけた家康公が、最後の力を振り絞って
天下を統一したで良いじゃないか。
73 :
人間七七四年:2007/08/28(火) 21:14:32 ID:lBq80nkG
江戸時代がパラダイスとも思えないが、
豊臣政権が続いてもそれ以上によい社会になったかどうかは
非常に疑問があるな。
74 :
人間七七四年:2007/08/28(火) 21:22:30 ID:eseAqWij
「よい社会」なんてものがすでに幻想
75 :
人間七七四年:2007/08/28(火) 22:36:21 ID:H+cgjvfp
失われた10年じゃないけど、
どこかで諦めをつけて一気に処理(関が原)したほうが
すっきりさっぱりする(平和が享受できる)って事でしょ。
冷戦が長引いてても、もっと戦争頻発してたろうし。
76 :
人間七七四年:2007/08/28(火) 23:38:14 ID:HjGQOveQ
>>68 既出だが、本田正純の手紙や崇伝の本光国師日記。徳川方の資料ではあるが当時の確実な資料。
せいぜいあっても、強硬派である本多正純(多くの徳川方は和議条件の温さを歯痒く思い、二度と逆らえぬ様徹底的に潰せと考えていたと思われる)
が豊臣方受け持ちの三の丸にとろいといって取り掛かったことに抗議がきたのか、
和議の内容を知らされてなく動揺した主戦論の牢人達に突き上げられて工事中止を願ったかぐらいだ。
二度目だが、そういう騙された説は大坂贔屓の戯作者や講釈師によって虚飾気味。
判官贔屓に加え、江戸時代の経済の中心にいる大坂人は大坂を繁栄させた太閤さんが大好き。
77 :
人間七七四年:2007/08/29(水) 02:34:55 ID:NE+Ns2b7
その繁栄も周辺の従属国や堺衆からカツアゲて、金山銀山独り占めした挙句のことだけどな。
78 :
人間七七四年:2007/08/29(水) 05:45:31 ID:pWlplrnk
弱者から搾取しないで経済発展なんて有り得んですから
79 :
人間七七四年:2007/08/29(水) 07:13:51 ID:t3EBArs7
>>76 豊臣方の受け持ちの工事を勝手に徳川がやったらまずいに決まってるじゃん
そもそも豊臣方の工事が遅かったって何を根拠に言ってるの?
和議の条件では工事の期日までは指定してなかったはずだし、
もし豊臣方が殊更工事を遅延させてるようならまずその件に関して抗議するのが筋ってもんでしょ
巷説のような「外堀だけ埋め立てる約束だったのを内堀まで埋めた」
ほど(徳川を悪玉にするための)単純でわかりやすい話ではないが、
この件に関して徳川方の違約は明白だろう
80 :
人間七七四年:2007/08/29(水) 08:18:53 ID:gXQy45zq
>>79 徳川方にすれば、こちらが数日で終わったから手伝ってやっただけ、手伝われて何か困ることでもあるのか、という感じだな。
強硬派がいたことは否めん。
でも、そもそもまずいってどんな感じに?
これに文句いうのは再戦の意志有りって感じだが。逆らう気がないから、大坂方は自ら二の丸、三の丸破却すると言ったわけで、裸城にするのは双方同意だろ。
81 :
人間七七四年:2007/08/29(水) 10:28:08 ID:0sbEpblf
言い掛かりで戦争しかけるような真似した徳川だぜ?
毒をくらわば皿まで、と約束ぐらい平気で破るだろう
そもそも秀吉死後から幾つもの違約を重ねてきた家康だもん
詰めの時点で躊躇すると想像するほうがどうかしている
82 :
人間七七四年:2007/08/29(水) 10:48:22 ID:AOWf/cYP
>>76 大阪はもともと戦国末期から経済の中心地だよ。江戸なんて関東のド田舎だし。
大阪か博多かってところ。秀吉人気は大阪をはじめて政治の中心にしたから。
逆に秀吉は経済を独占する方向にあったから、商人たちから嫌われていた。
関が原の戦いでも、小西の縁戚以外の畿内の商人はほとんど東軍支持。
西軍は東軍支持の商人が船を貸してくれなくて困っていた。
結果江戸時代、経済は商人のものになった。
江戸幕府は秀吉にくらべて商業に無関心だったから。
83 :
人間七七四年:2007/08/29(水) 10:59:55 ID:0sbEpblf
まぁ大坂冬の陣で苦戦したから逆に豊臣を完全に潰そうと考えたんだろうね
天下の大名を束ねながら、孤城一つ落とせない
それどころか戦術的には寄せ集めの浪人衆に大苦戦
江戸では将軍敗北の噂すら流れていた
これじゃ幕府の面目丸潰れ
84 :
人間七七四年:2007/08/29(水) 13:38:41 ID:eZuxTlA/
>>81 秀吉だって己の野心で全国制覇したんだよ。
主君三法師様の指示を仰げってーの。
85 :
人間七七四年:2007/08/29(水) 13:50:40 ID:y3yYk5ts
三法師自身が望んでなかっから何とも言い難いがな
それに全国の三分の二ぐらいは秀吉が統一したものだし微妙である
86 :
人間七七四年:2007/08/29(水) 14:38:55 ID:b7ATUSTa
朝鮮出兵とか元々信長の構想だった説が有力だが、
信長が長生きしてても失敗して、
政権の致命傷になってたかな?
87 :
人間七七四年:2007/08/29(水) 14:51:52 ID:Q+QrTAxu
天下の征夷大将軍様が、未亡人と若輩者にヤクザ並のイチャモンつけて喧嘩吹っかけて
全国の諸侯を率いたにもかかわらず寄せ集めの浪人達に苦戦させられました
だからさらに約束破って攻め殺しましたが、その時に危うくクビ取られかけました
情けない、の一言だなぁw
88 :
人間七七四年:2007/08/29(水) 15:06:10 ID:boFN3JbM
真田の追込みってどのくらいヤバかったの?
信玄と謙信の一騎打ち伝説並なの?
89 :
人間七七四年:2007/08/29(水) 15:18:24 ID:mN0vSdC/
90 :
人間七七四年:2007/08/29(水) 15:32:26 ID:7Nhry0CI
小笠原・本多といった大名級の武将を討たれ、家康秀忠本陣双方が敵に突入される。
旗本の中には三里も崩れて敵前逃亡状態になった隊もあったそうだ。
真田だけじゃなくて毛利勝永や大野治房の奮戦もあったけどね(小笠原らを討ち取ったのは毛利勢・秀忠本陣を脅かしたのは大野勢)
91 :
人間七七四年:2007/08/29(水) 15:38:29 ID:05dqKjKp
家康本陣の源氏の白旗が田んぼに放り捨てられていた。
本陣壊滅。家康戦死説が地元に語り継がれる。
92 :
人間七七四年:2007/08/29(水) 15:38:39 ID:boFN3JbM
それは士気の問題ですか?
93 :
人間七七四年:2007/08/29(水) 15:49:28 ID:05dqKjKp
真田隊ってほぼ全滅したということですから士気は以上に高かったのでは。
決死隊ですから相手はそらこわいですよ。
94 :
人間七七四年:2007/08/29(水) 16:16:13 ID:b7ATUSTa
夏の陣の時には、もうすでに大阪城は浪人どもに乗っ取られてた
というぐらい士気は高かったろ。
残念なのは秀頼が最後まで出陣しなかった事だな。
もうちょい気概を見せてほしかった。
秀頼自身が開戦をどう思ってたのかわからんが。
95 :
人間七七四年:2007/08/29(水) 19:22:42 ID:nwweVZRN
>>91 実際は戦場の混乱で旗奉行が家康の位置を見失い、前進しすぎてしまいそれに旗本も続いて、
一時的に家康が孤立したと言うこと。
そうでなければ旗奉行の二人が所領没収や閉門では済まない。
96 :
人間七七四年:2007/08/29(水) 20:38:12 ID:6S/YqFSt
そんな旗奉行は一族全員切腹で良い (-_-メ)
97 :
人間七七四年:2007/08/29(水) 20:45:53 ID:nwweVZRN
>>96 んな事いっても、両軍併せて20万があの狭い地(機動戦レベルなら本州縦断しちまう)で戦ったんだもの
混乱しない方がおかしい
98 :
人間七七四年:2007/08/29(水) 20:55:36 ID:K4FH/1AU
>>95 南宗寺だっけ?家康の墓とされるものがあるんだろ。
そりゃ旗奉行を厳罰に処したら死んだことがバレちまうからなw
家康は切腹を口にして、家臣に首をうつように命じたらしいが、家臣が無視して
家康を連れてにげたとされる。重傷のまま逃げて死んだという説もマジっぽいな。
99 :
人間七七四年:2007/08/29(水) 20:59:00 ID:zL65dkBA
庄屋宅に押し入り、
得意の糞を漏らしながら隠れていたらしいぞ。
100 :
人間七七四年:2007/08/29(水) 21:05:20 ID:nwweVZRN
そういう話を放置するとは徳川幕府はなんと心の広い組織だこと
101 :
人間七七四年:2007/08/29(水) 21:28:34 ID:pWlplrnk
別に放置はしてないだろ
事実を抹殺しきれなかっただけで
102 :
人間七七四年:2007/08/29(水) 21:43:45 ID:K4FH/1AU
秀忠は対豊臣強硬派だったときくが、一つわからんことがある。
秀忠という名前の秀だが、これは太閤に与えられたもので、大坂羽柴家を
取り潰したのなら、とっとと改名すればいいものをその気配すらない。
太閤は秀忠の烏帽子親だし、秀忠の個人的感情は太閤やおねそのものには
決して悪い物ではなかった、と聞くが、それが影響しているんだろうか。
103 :
人間七七四年:2007/08/29(水) 21:55:59 ID:nwweVZRN
>>101 抹消って・・・
墓を堂々と残して抹消も糞も無いでしょうに
104 :
人間七七四年:2007/08/29(水) 22:00:26 ID:K4FH/1AU
>>103 基本的にあの寺は江戸時代は一般人は立ち入り禁止だったようだがw
105 :
人間七七四年:2007/08/29(水) 22:06:57 ID:nwweVZRN
幕府に流された沢庵和尚の再建という由来だけで胡散臭さ倍増なのだが
第一、南宗寺は夏の陣の緒戦で焼けとるんだが
106 :
人間七七四年:2007/08/29(水) 22:46:01 ID:K4FH/1AU
単純に最も恥ずべき難癖でむりやりケンカを売った挙句、力の差があったにも
かかわらず、討たれかけなんてカッコわり杉。
以前にも武田信玄に無謀なケンカをふっかけて馬上でクソもらしたし。
107 :
人間七七四年:2007/08/29(水) 23:02:36 ID:Lmx4d5xC
末期の豊臣はタリバンやアルカイダみたいなもので
石高や正規兵力とは別次元で討伐が難しい連中だからね
家康はあの玉砕特攻軍団をよく掃討できたなと思うよ
108 :
人間七七四年:2007/08/29(水) 23:54:03 ID:6S/YqFSt
>以前にも武田信玄に無謀なケンカをふっかけて
それは理由があるだろ!
109 :
仙台藩百姓:2007/08/30(木) 00:35:52 ID:ibvAWVRP
不利な状況で尚且つたいした策もないのだから
大人しく篭城してれば多くの将士を死なさずに済んだものおね( ´ω`)ヤレヤレ
馬鹿の家臣は苦労するお
110 :
人間七七四年:2007/08/30(木) 00:39:11 ID:qTOYwJN4
一向宗に近いもんか。ただ、冬の陣はそこまでではないな。結構和議派が占めている。一応、秀頼は主戦論派だったが淀殿辺りが押さえてる。
冬の陣は真田丸の攻防の豊臣方は鮮やかだが、緒戦はかなり負けて、砦もとられ大坂城に追いやられた形になっている。
また、二の丸、三の丸掛け持ちなど将が足りぬ危うさが城内にあるし、大野道犬が堺を焼き払い、補給路も断たれて孤立気味。十万の兵を養うのが辛くなっている。
また、真冬でありながら家康は最初から長対陣思考であり、豊臣方と違い全国からの補給がありうる。
士気の点でも頼りにしていた大名達に囲まれており、連日の大砲、徳川方の穴掘り隊の動員などから低くなっている。
夏の陣は和議派の有楽が消え、秀頼の主戦論、大野の弟たちの血気、真田の殉ずる気に、親父の事情が絡む木村辺りの勢いが圧倒したんだろうな。
難癖って、このネタループしてるから書くけど、家康は基本温情主義を貫いていたの。
俗説では、秀忠将軍就任の時に秀頼を呼んだが来ず、そこで大坂を潰す決意をしたとかなってるが、鐘銘事件まで策謀していないのがおかしい。鐘銘事件程度になってるのは用意がなかったから。
むしろ、忠輝を使者にやったり、豊国祭をやったり、二条城の会見で非常に丁寧に扱っている。
家康自体が老年なのだから、豊臣恩顧の世代交代を待ったというのもない。当時は人生五十年。
鐘銘事件は家康はわかってやったことだろうが、豊臣方が全く呪咀しなかったとは言いきれない。そこは既出みたいだから省く。
また、延期申し立てから豊臣方の牢人呼び入れが駿府の往復含めて二十数日なのだから早すぎる。
鐘銘事件はきっかけに過ぎず本題は、当時の数十万の牢人、難攻不落の大坂城、大坂方の反徳川の空気だと思われる。
そして、条件も、淀殿人質、大和転封、秀頼参勤のどれか一つで、無理難題というのは贔屓の引き倒し。
これですら飲み込めない豊臣方と、太閤に恩など感じず家康の温さを歯痒がる徳川方など両立するはずがない。
111 :
人間七七四年:2007/08/30(木) 04:12:01 ID:glkCtzdK
慶長7年の豊国神社臨時祭には家康含め徳川家は一銭も出してないけどな(まあ出す理由もないけど)
淀殿人質、大和転封、秀頼参勤のどれか一つだけ豊臣が飲めば無問題って
豊臣との手切りを既に決意していた家康の二枚舌外交じゃん
世人の大坂方に対する贔屓に反感を持ってるのはわかるが、それは逆に家康へ肩入れしすぎってもんだ
家康が豊臣に対して宥和政策をとっていたというレスの大意には同意するけどね
112 :
人間七七四年:2007/08/30(木) 12:03:25 ID:qTOYwJN4
>>111 いや、俺は二枚舌外交って切り捨てない。そこら辺は主観による。
和議の条件は徳川方のギリギリの譲歩だし、これも既出だが、家康は秀忠を抑えてとろとろ行軍し、片桐に攻撃命令しながら、池田、加藤に攻撃するなと、和議待ちみたいな事してる。
日課念仏を六万遍も書くということは並みではなく、平穏に過ごしたいという気持ちがあったというこだとし、長年の温情政策に、演技という奴もいるが大坂の陣ですら交渉は何度も繰り返している。
家康が東西手切れになった時やる気満々になったってのは本多父子の主戦派をあおるための宣伝臭い。藤堂高虎への手紙とか。
実際は和戦両様の構えだと俺は思う。徳川贔屓なのは否定しない。
113 :
人間七七四年:2007/08/30(木) 12:25:11 ID:wnSu9PVp
>>95 実は、旗を倒されたとか追い散らされたとかで責任問題になりかかった
これを大久保彦左衛門が、旗がずっと立っていたんだと強引に主張して事を収めたそうだ
でないと将軍家徳川家の面子が立たないからってことで
114 :
人間七七四年:2007/08/30(木) 15:23:02 ID:W4E9G2wW
>>109 三方が原で武威を示した後徳川家はどうなったんだっけ?
白装束で命乞いよりマシなのは間違い無いが( ´,_ゝ`) ぷ
とりあえずサルみたいに身分卑しくない大抵の天下人なら、
楽勝で勝てるのにそこまで温情かけないな。
115 :
人間七七四年:2007/08/30(木) 15:38:18 ID:ec65Azvk
家康=自民党の糞政治屋
こういう腹黒の汚い人生に学ぶもの無し。
>>114 あれは武威というより自暴自棄ですねwww
そりゃ佐久間も帰りたくなるわw
117 :
人間七七四年:2007/08/30(木) 16:35:05 ID:qTOYwJN4
自暴自棄…、まああってんのかな。人数少ないのに鶴翼の陣形で相手を包もうとするなんてかなり強引な戦だ。死んでもおかしくない。
信長への面子がでかかった気もする。
まあ、失敗を失敗と認めているところが家康の味かな。秀吉辺りはホラ吹いてそうだ。これも別な意味で秀吉の味があるが。
てか、家康の場合、素通しにしたら狸らしさの一つに挙げられそうだ。
118 :
人間七七四年:2007/08/30(木) 19:17:40 ID:W9pnYARs
無防備都市宣言している馬鹿政治家じゃないんだから
敵が侵攻して領土を荒しまわっている時に黙って見ている君主がいるか
力の差があっても抵抗を試みるのは当たり前だろ
119 :
人間七七四年:2007/08/30(木) 20:32:57 ID:AnH5IZMB
>>115 君、政治家というのはそういうものだよ。
そして、だからこそ国を任せれるのだ。
120 :
人間七七四年:2007/08/30(木) 20:40:01 ID:AnH5IZMB
>>113 どうだろう?安彦良和氏の「三河物語」の様に旗奉行が前方に気を取られて、本陣が下がるのに
気づかなかったと言う解釈の方が良いと思うけどね
確実に解ってることは、徳川方はかなり際どい所であったという事であろう
それでも家康は生き残るのだから「生き残る」事に関しては稀代の天才だな
121 :
人間七七四年:2007/08/30(木) 20:46:24 ID:wFeJhxmp
実際問題、秀吉が死んだ後
徳川と豊臣みたいな地位は豊臣が上だが領土は徳川の方が大みたいな
関係で長期にわたって平和な関係が続けられるとは思えない。
100年続いた戦国ゲームの最後の決勝が豊臣VS徳川。
引き分けは無いんだよ。
122 :
人間七七四年:2007/08/30(木) 20:52:23 ID:FojGiapf
小牧長久手も秀吉はまだまだ余裕がある一方、家康は老人まで動員してやっとこさ
あの程度だからな。
123 :
人間七七四年:2007/08/30(木) 21:01:53 ID:wFeJhxmp
>>122 そう。
ただ秀吉の軍は単に秀吉優位と見て参加してきた借り物集団にすぎなかった。
羽柴家の家臣として結束してたわけじゃ無かった。
その構造の弱さが関が原でモロに出てしまった。
124 :
人間七七四年:2007/08/30(木) 21:35:18 ID:iVB9kANM
ちょっと気になったんだけど、徳川家にとって平将門ってどういう存在なの?
無神論者だけど、東照宮の遺訓碑を座右の銘として信仰してたら
必要に応じて有神論者に成るとしたら、何て言えば良い?
125 :
人間七七四年:2007/08/30(木) 21:47:58 ID:AnH5IZMB
>>124 江戸の鎮守神
これだけの事をすれば神と呼ばれても問題無い
126 :
人間七七四年:2007/08/30(木) 21:54:12 ID:Opmn0Jb5
>>122 家康を徹底的に叩きのめせばよかったのに、信長の倅と密かに講和する
という姑息な手段で戦を終結させた秀吉は阿呆ってことですね。
127 :
人間七七四年:2007/08/30(木) 22:58:40 ID:Aw/S7Ku5
秀吉は安易に家康の力を借りすぎたな。
もう少し自力でやっていれば天下統一は遅れたか、完全に統一できないまま死んだかもしれないが、
その分、朝鮮出兵のようなやらなくていいことはやらずに済んだかも。
武断派vs文治派という対立の構図も生まれなかった公算大だし、
豊臣政権も存続できた可能性は大きい。
128 :
人間七七四年:2007/08/30(木) 23:11:14 ID:wYM/COvY
>>127 それはバラマキをやめると言う事ですか?
それなら、誰もついてこないんじゃないの、秀吉に。
混乱が残るだけじゃない?
129 :
124:2007/08/30(木) 23:52:00 ID:iVB9kANM
優秀な跡取りが居ないからどっちにしても同じでは?
>江戸の鎮守神
徳川家的にも大事にする存在だよね!
>これだけの事をすれば神と呼ばれても問題無い
宗教聞かれたら「家康公を信奉しております」で良いのかな?
130 :
人間七七四年:2007/08/31(金) 00:02:55 ID:KiFDkIKH
131 :
人間七七四年:2007/08/31(金) 00:17:02 ID:5vQyzTda
>>127 甘くね?
勝ち気で執念深く計算高い秀吉が母親まで人質にだしたんだぞ。
家康の戦法は蒋介石のように、右に避け、左により、大軍の移動の途中を狙って消耗戦を強いるもの。太平洋戦争の時日本軍はそれにやられ泥沼に入っている。
伊賀、甲賀の連中をつかんで情報網も握っているし、家康が秀吉の動きをことごとく監視できる小牧山に堅固な陣地を築いたのもそのため。
小牧の役は結局どっちにとってもいい結果だろ。
秀吉にすれば秀康も握って、家康を協力させられたし、家康にすれば開戦前にくらべてかなりいい条件で終わらせられている。
講和しなかったら秀吉は東西に挟まれて大変な労力がかかるし、天下がどう変化するかもわからない。家康は秀吉討っても天下が荒れるだけで大して意味ない。
つーか、朝鮮の出兵武断派と文智派の争いがない可柏ォが高く、豊臣政権が残る可柏ォも高いってその結び付け方もどうよ。
家康大して関係ないし、秀吉死んだら結局ぼろぼろだよ。
132 :
人間七七四年:2007/08/31(金) 00:27:21 ID:Homwz3CP
秀吉の軍勢に加わった連中は秀吉の富と権力に群がってきただけであり
みんなで豊臣家を支えようなんて気概はほとんどの人間が持ち合わせていない
これは山崎から関ヶ原までずっと変わっていない
秀吉もそれを感じ取っているからこそ家康を倒すことができないし
さらなる領地拡大の必要性に追われて朝鮮出兵をやらざるを得なかった
つまり豊臣政権は秀吉が生きている限りひたすら拡大路線に突っ走り
死んだ途端に昔の恩賞にすがるという泥縄的な対応しか取れない
この時点で豊臣には終焉しかありえないんだよ
133 :
131:2007/08/31(金) 00:29:27 ID:5vQyzTda
可柏ォ×
確率〇
なんだこの文字化けは……
134 :
124:2007/08/31(金) 00:33:29 ID:8oKX1IIp
成り上がりのベンチャーが多角化し過ぎて崩壊するのと同じだね!
135 :
人間七七四年:2007/08/31(金) 02:46:56 ID:h9FGGGFf
秀吉贔屓の堺屋太一も秀吉死後の混乱期に強力な求心力を発揮して、
混乱を収束した家康が居たのはむしろ日本にとって幸運だったと見るべきだと逝ってたな
家康が居ても居なくても豊臣家に優秀な成人した跡継ぎが急に出てくるわけじゃないし、
どっちみち秀吉死後に有力外様大名を巻き込んでの文治派と武断派の政争は避けれなかっただろうからね
まあその秀吉死後の豊臣政権の動揺を収めようとするよりもむしろ積極的に煽ったのが家康なわけで、
秀頼&淀殿や三成みたいな秀吉子飼の連中が家康に怒るのはもっともだがw、
ただ混乱させるだけじゃなくて次に安定した長期政権を築き上げた功績はやはりでかいわな
>>132 最終的に家康に付き従った連中の殆ども別に徳川の為に利害を度外視して尽くそうと思ったわけじゃなく、
秀吉死後に賢愚定かならぬ幼君よりも強大な軍事力と声望を持った家康が勝つと思って勝手に流れていっただけじゃん
豊臣政権が短命に終わり徳川幕府が二百数十年の平和を謳歌したのは
秀吉と家康個人の資質や政権の性質の差ではなく、自分の死んだ後を託せる成人した男子が居たかどうかでそ
まあ秀吉の場合後継者に成りえた秀次を自ら処断してる
(処断せざるを得なかった?)わけで半ば自業自得つう面もあるけど
136 :
人間七七四年:2007/08/31(金) 03:47:56 ID:3oyEb7ov
>>126 北で佐々成政が、秀吉に人質に出している娘を断腸の思いで切り捨てて、参戦したからだよ。
とっとと信雄を追い込んで、家康の掲げている大義名分をぶっ飛ばして戦いを止めないとやばかったの!
元母衣集で人望のあり、戦もそれなりに出来る成政をとっととしとめないと、秀吉に下っている織田の旧臣が
騒ぎ立てる可能性すらあった。
前田利家は末森城こそ守ったけど、他はぐちゃぐちゃに負けて加賀を散々荒らされたからな。
137 :
人間七七四年:2007/08/31(金) 07:58:08 ID:pd40OWns
馬鹿馬鹿しいw
佐々や前田の北陸の戦いを舞台にした小説でも読んで影響されたか?
138 :
人間七七四年:2007/08/31(金) 10:03:28 ID:oimLB1ta
なんで秀吉のことばかり語ってんの?
スレタイを読め
139 :
人間七七四年:2007/08/31(金) 13:26:39 ID:5vQyzTda
>>135 そういう意見がはありがたいが少し異論あり。
煽ったといっても、伏見の私闘があったとき、家康は浅野、石田と共にすぐに手を打って騒ぎをおさめている。
これで家康の株が上がったのは確かだが、もっと影で煽った方が豊臣政権の脆さを露呈でき、次政権が作りやすい。
朝鮮撤兵も率先し、わざわざ浅野と共に三成を九州に使わして、在韓諸将と三成の和解の機会を作ってやってる。
一応家康は最初、豊臣政権の尻拭いをきちんとしてまとめてんのよ。それに三成の方が家康排斥の空気煽ったり、自ら武断派との溝をふかめてんだろ。
三成にとって許せなかったことは家康が天下を握ること。
無論家康も天下を握るつもりで、実権者であった秀吉のように実権者である家康が決めることに従える者と不服な者を見極めるため、違約事件を起こしている。
そして、北政所は大坂城西の丸を家康に譲り、三成は厳しく非難したってこと。
140 :
人間七七四年:2007/08/31(金) 13:48:42 ID:mbQqyruN
つうか家康が違約してまで婚姻を結んだ相手って
豊臣譜代系(福島ら)も含まれている
もうこの時点で切り崩し成功って感じ
141 :
人間七七四年:2007/08/31(金) 14:44:31 ID:MzcdBjeE
利家が死んだ翌日に家康が死んだとしても豊臣政権なんて長続きする
理由がないもんな。故太閤殿下の恩義を受けた武将も間もなく死に絶
える。次の世代になったらまた荒れる。
142 :
人間七七四年:2007/08/31(金) 23:30:52 ID:h9FGGGFf
唐入りの諸将撤退の際に三成を派遣したこと=三成と武断派の和解の機会を作ってあげた家康の計らい、なんて何で断言してるの?
普通に当時の豊臣政権において地位・能力共に三成が際立ってたことからの人選だと思うが
そういう理屈なら当時から既に家康の走狗になってた高虎を同時に奉行として派遣したのは
加藤や黒田みたいな豊臣恩顧の大名を懐柔するための策略だった、つうのも成立しちゃうじゃん
それとも自分が知らないだけで当時の一次史料か何かで家康や三成がそういう思惑を持って朝鮮からの撤退を行ったという根拠でも有るのだろうか
あと三成が家康排斥の空気煽ったりしたのは家康が太閤との約束を破り始めたからそれに反発してからのこと、
秀吉の生前からこの二人が犬猿の仲だった(例えば三成が家康の挨拶を無視したり)つう話は江戸時代の説話集によるものでイマイチ信憑性が低い
三成としては家康が大人しく豊臣政権の首相として秀頼を支える気なら三成としても家康と殊更敵対する理由もないわけで
143 :
人間七七四年:2007/09/01(土) 00:17:47 ID:nmxmd/0s
>>138 家康に関連する話なんだからいいんじゃね?
切り離せない部分もあるわけだし。
144 :
人間七七四年:2007/09/01(土) 02:07:20 ID:PCfzfKpk
>>142 断定的に書いてすまんな。
資料はない、が、能力、地位が際立っていたといっても、実際重みが足りぬとして浅野長政、毛利秀元がつけられてるだろ。
地位でいえば五奉行を引っ張っていたとはいえ上から四番目で筆頭は浅野長政。三成は加藤を中心とした武断派からは嫌われているので、わざわざ丸く納めるための使者に選ぶべき人選でもない。
現地へ使いした徳永寿昌、宮本豊盛にせよ、博多への浅野にせよ一応どちらの派閥にも顔のいい人物だろ?
三成にとっては在鮮諸将を丸こめる機会だし、家康にだってそんなことがわからないはずもない。更には長政というクッションもつけている。
三成にもそれなりに気を使ってるし、困らせたり煽りたいならもっと工作するさ、という俺の推量。
無論どう思ってもらっても構わんよ。
あと当時、家康は秀吉の補佐を誤らず、律儀な内府と呼ばれて、朝鮮出兵の和議決裂の時、三成の命乞いささえしているのに、三成はなぜ、城の一番低地に徳川曲輪を割り当て、西に石田曲輪、北と南に宮部、福原を割り当てたんだろうな。
鉄砲を一斉に放てば瞬時に壊滅できる構えで、徳川方にとってはかなり快くない。それともこれ、作り話?
まあ、三成も煽ったってのは言い過ぎかも知れんな。派閥はできてた、ぐらいは妥当か?
145 :
人間七七四年:2007/09/01(土) 02:53:45 ID:v/teEj0Y
>>139 影で煽るってもさあ
「政務を与ってる五大老の筆頭」っていう家康の立場を考えれば、
騒ぎを収拾出来ない豊臣政権の脆さってのは=家康の管理能力の無さ、に直結する訳だから
騒ぎを大きくする事ってプラスにならんと思うけど。
諸将は「徳川殿もこんなもんか・・・」ってなるかもしれんし
家康以外の誰かが先に騒ぎを収めてしまえばそっち側に靡くかもしんない
その上、なんかの拍子に家康が影で煽ったって事が暴露されれば両諸将から総スカンを食らうのは必至だろうから
リスクが高い割りにはそんなに良いこと無いと思うよ。
また三成を九州に派遣する事が諸将との和解の機会になるとも思えんけど。
撤兵してきたばっかりで色んな鬱積が溜まってる人間の相手を
諸将と確執が深い三成が務めるんだから逆に更なる確執の機会を作ってあげてるみたいなもんでしょう
しかも三成からすれば己の職務を遂行しただけで文句を言われる筋合いの無い話ってなるだろうから余計に。
146 :
人間七七四年:2007/09/01(土) 04:19:35 ID:vbcyZ3TI
とりあえず唐入りの諸将の撤退は家康も他の大老も奉行衆も派閥関係なしに一致団結して協力したっぽい
秀吉の死を隠して(朝鮮にはばれて追撃くらったようだが)明と講和し、
大陸に残った十数万の日本人を無事に帰国させる、つうのは相当難しかっただろう
自分はこの時の家康も三成も同胞の帰国事業に必死で多数派工作なんてしてる暇はなかったと思う
そんな空気の読めない連中じゃないはず
といってもみんな帰ってきて落ち着いたらすぐに政争始めちゃうんだけどw
147 :
人間七七四年:2007/09/01(土) 08:32:01 ID:PCfzfKpk
>>145 秀吉が病気で遺命が乱発されまくった時期の政務の担当は五奉行だよ。家康が本格的に動き始めたのは朝鮮撤兵。
酒宴の時は五奉行を許すな、いや、治部にそんなことはさせるか、的な絡み合い。
てか、だから三成一人じゃ不安だから加藤清正とも仲がいい浅野長政がついていってるんだろ。
むしろ太閤の名代しとして家康自身が博多に行くなんて言われたらどうすんのさ?
三成に不平満々な猛獣どもを巧みな猛獣使いに引き渡すようなもんだろ。
148 :
人間七七四年:2007/09/01(土) 16:18:25 ID:v/teEj0Y
>>147 伏見の私闘ってのは三成襲撃じゃなくて別の事件かい?
具体的にお願いします。
んでから家康といわゆる五大老は秀吉生前から豊臣家の発布に対して連署したりしてるんで
生前から政務の中核メンバーである事に変わりは無いよ。
家康が秀吉死後間もない大坂をむざむざ離れる事はまず有り得ないんで
家康自身が九州まで出向する事はまず無いでしょう。
また浅野を派遣したのは、諸将と三成の確執が現実的な争いに変わってしまうと
家康自身にも責任問題が及ぶからじゃねーの。
それに浅野が場を治めたのならば、浅野の株が上がるだけで三成の株は上がらないし
何か奇跡でも起きない限り三成が諸将を懐柔出来んだろう。
149 :
人間七七四年:2007/09/01(土) 22:35:38 ID:PCfzfKpk
>>148 1598年五月五日、秀吉が倒れ、五月十六日に病気が発表される。太閤の命令として五奉行が政治を行い、五大老はただの諮問機関に棚上げされている。
六月中旬から伏見城には不穏な空気がみなぎりだす。命令の真偽が信じられず、また、この機会に邪魔者を消せという戦国の余風があるからだ。
加藤、黒田などがまだ朝鮮にいるのにである。
六月十六日、家康は五奉行を呼んで酒宴を催させる。この時、五奉行は公命を守るよう諭すが不信に酒の酔いも混じって諸将は騒ぎだす。
家康が城門を閉ざさせ、一喝して騒ぎは治まる。
八月八日には本来は行政機構である五大老に、豊臣家の家臣でしかない五奉行が誓書を要求するという逆さま事が行なわれている。
喪は隠されてるし、伏見の家康が動き回らなければならぬほど多忙ではなかった気がするが、これはまあいいか。
全権は三成で浅野はサポートだろ。まあ浅野は当日宇喜田の陣に廻っていたが。
別に家康の問題になるからでも、指揮を誤っていないということになる。
そもそも奇跡でも起きない限り、っていう三成はなんなのさ。加藤達は譜代なんだし、秀吉が死んで豊家の行く末を問われ、一番団結すべき機会。
家康が関係する以前に崩壊してんじゃん。この後には軍監の問題も控えてるし。
150 :
人間七七四年:2007/09/01(土) 22:40:23 ID:ErWU/kOk
こまかい話って文献見ながらしゃべってるの?
151 :
人間七七四年:2007/09/02(日) 05:13:01 ID:v9sFzqo9
不可解なのは秀忠の行動。
真田との闘いに釘付けになって関が原へ遅参してしまったんだけど、なぜ彼は徳川から見れば
小勢力にすぎない真田相手にそれほどムキになってしまったんだろうか。
後に二代将軍になったくらいだから秀忠が凡庸だったとは思えない。
家康は敢えて秀忠遅参を演出することで自軍の力を温存して福島をはじめとする秀吉子飼いの
武将たちで戦を行った。いわゆる「他人の褌で相撲をとった」とも言えるだろうが
それにしても一歩間違えれば彼らが再度寝返る危険性さえあったわけだから、この関が原の戦いは
家康にとってはかなりリスクの高い戦いであったわけだな。
152 :
人間七七四年:2007/09/02(日) 09:37:28 ID:N70wGE0w
>>151 あれは初めから間に合わなかった。
使番が利根川の増流で遅れたとか、急な移動で用金の都合が付かなかったという話を置いても、
中仙道と東海道では当然、後者が早い。
秀忠が間に合わなかったのは家康が直ぐに赤坂・関ヶ原に進出し、決戦に至ったからであり、秀忠
の責ではない。
だからと言って家康がアホかと言うと、そうでない事は関ヶ原の結果を見て解る通り、家康は兵数
よりも状況と勢いを重視して、自隊だけで進出したのであろう。
>>152 なるほど・・・。でもなぜ家康・秀忠が一緒でなく秀忠だけ別行動をとったのか
このあたりの理由がどうにも不可解だよね。
154 :
人間七七四年:2007/09/02(日) 10:56:30 ID:N70wGE0w
>>153 元々、秀忠は宇都宮にいて景勝の監視に当たっていたから
そこから移動するとなると中仙道の方が近いし、そこを抑えることは
必要な事(というより秀忠勢はそれが当初の目的であった)
また、全軍六万が東海道を移動するとしたらその混乱はかなりのもの
であったろう
155 :
人間七七四年:2007/09/02(日) 16:29:13 ID:hCa2/w/8
そもそも間に合った、間に合わなかったというのが後世の結果をしってからの視点。
156 :
人間七七四年:2007/09/02(日) 17:38:03 ID:a8pqXiFJ
>>155 それを言ってしまったら歴史の話なんてみな結果論でしかなくなるな。
157 :
人間七七四年:2007/09/02(日) 18:16:11 ID:VViSxhxj
>>149 随分細かい日付まで書いてるからさ、ソースも教えてくれないかい?
正直なところ所々に疑問点があるから調べたい。
また三成は5月下旬から九州に行って、帰ってくるの7月なのに
どうやって家康や浅野と協力して諸将を静めることが出来るのかが疑問なんだけど。
あと五奉行と五大老は誓詞要求じゃなくて、秀吉の命令による誓詞交換だった筈だけど
それに誓詞を五大老が五奉行に提出するのは別に不思議な事ではないし(後に輝元が三成に出してる)
どちらかと言えば五奉行の方が行政機関なんですけど。
全権は三成でサポートが浅野っていう主張を否定した事は無い
むしろ三成が実際に失敗したら困るんで浅野を付けたんじゃないの?ってまんまそういう主張なんだけど
俺が否定してるのは「三成を派遣する事が諸将との和解の機会になる」という点
またなんなのさって言われても、現実では一切和解しなかった訳だし
朝鮮出兵中の軋轢を考えれば三成と清正等が和解するのは不可能と言っていいでしょう
清正側からすれば三成こそが排除すべき内患であるし
三成側からすれば自分の職務を果たしただけで非難されるいわれも無く
三成側が折れるには福原といった娘婿まで処分しなきゃならん訳だから、三成が折れる事はまず無いでしょう。
また大久保VS本多、関ヶ原での毛利などの例を見ても、例え明確な外患が存在しても結託は困難な事例は多いんで
あれだけ問題が多い両者が和解すれば奇跡と言って良いと思うよ。
158 :
人間七七四年:2007/09/02(日) 22:57:58 ID:uM2PzMOW
守山崩れの謎に迫りたい!!
159 :
人間七七四年:2007/09/02(日) 23:10:23 ID:vSlBk+dq
家康スレだとそれはちと時代が違う気がするけどな。
ま、詳しく知らないので詳細キボンというのには同意だぜ!
160 :
人間七七四年:2007/09/03(月) 08:48:57 ID:b+EgZ0N6
秀忠遅参を本隊温存はありえない。
関が原で負けてたら、城もない中山道の途中で野戦でもやるのか?
戦力の逐次投入ですか?
161 :
人間七七四年:2007/09/03(月) 14:01:00 ID:hmRddd4k
家康「わたしが死んでも代わり(秀忠)がいるから」
162 :
人間七七四年:2007/09/03(月) 18:43:57 ID:tUVjz4KN
>>157 研究家でなくてスマンが、山岡荘八の随筆。司馬遼太郎の場合、七月十六日になってたが。
五大老と五奉行の誓詞交換は、八月五日家康が、八月八日利家が八月十日五奉行が、という順(竹中氏雑留書)。
また、八月七日五奉行は秀吉から「日本国中ノ儀」を申し付けられている(義演准后日記)。
ただし、秀吉は七月に病状が進み、この時期意識朦朧になることも多く、遺命も矛盾したのがかなり出ており、八月十八日には死んでいるのでどこまで秀吉の意志かは微妙である。
八月十日には、景勝を除く四人の大老から秀吉の朱印状の効力停止が宣言されている(毛利家文書)。以後五大老の連判状が出されている。
俺の主張は家康はこの時まだ本格的に乗り出しておらず五奉行が一般的な政治を握っているというものでもあるのでそこには同意してくれるだろうか?
ちなみに五奉行が五大老の指揮下というのは桑田忠親辺りで見た気がするが思いだせん。
すまんが、三成が九州にいたというソースは?
普通に知らんかった。
この後も考えて俺は一番ましな和解機会だと思ってたが引っこめるか。
結論は
・朝鮮撤兵の時は五大老も五奉行も協力していた。
・すでに文治派と武断派の溝はどうしようもなかった。
でいいかい?
163 :
人間七七四年:2007/09/03(月) 23:32:00 ID:goZnY2GD
>城もない中山道の途中で野戦でもやるのか?
攻め懸けられた関が原は野戦ではなかったのか?
164 :
人間七七四年:2007/09/04(火) 09:15:22 ID:R9h8NSF2
関が原で負けてたら福島や上杉や毛利などがそれまでと違う動きをする。
敗軍の徳川に付く武将がいるか、状況の違いを考えろよ。
家康も井伊も本多もいない徳川本隊に味方する豊臣恩顧の武将がいると思うか?
165 :
人間七七四年:2007/09/04(火) 18:52:12 ID:sHW3Dm7x
秀忠勢が徳川本隊と言うのはさして根拠のある話ではない
166 :
人間七七四年:2007/09/04(火) 20:03:21 ID:TwBbW1qt
>家康も井伊も本多もいない徳川本隊
なんで戦死前提なんだよ!!
三成が負けた後で、毛利が秀頼を掲げて東軍に決戦を挑んだ時と
同じくらいのリターンマッチじゃないのか?
167 :
人間七七四年:2007/09/04(火) 23:17:17 ID:EHV0G76r
別に西軍は反家康が結集したわけではなく
会津征伐に遅れてきた大名を関所を封鎖して巻き込んだだけだから
最初からバラバラで日和見が続出するのは当然の結果
関ヶ原のIFを語るのは結構だけど史実の結果は順当なものだよ
168 :
人間七七四年:2007/09/05(水) 00:18:46 ID:rOSimAHU
>>162 随筆か、ありがとう。
五奉行が一般的な政治を握ってた事を否定した事は無いけれども
東側は家康に任せるわ、みたいな文書もあるからやっぱ重要な位置にいたと思うよ。
三成が九州に居たってソースは宇津木文書の中に
「筑前の代官を任されたから近いうちに行く」みたいな手紙があり
また是斎重鑑や海北友松を同行していったみたいだから、九州下向記とかも。
あとは現地で出した掟条があるらしい。
169 :
人間七七四年:2007/09/05(水) 10:46:03 ID:u7uBp0Kh
>>168 まあ、大事な位置にいたのは確かだと思う。
見つかった、ありがと。
170 :
人間七七四年:2007/09/06(木) 11:28:12 ID:5quLIRxM
突然盛上り、突然閑散とするすれだなぁ
171 :
人間七七四年:2007/09/06(木) 14:34:08 ID:6gkp/XZj
>>166 戦死してなくても十分な体制で中山道のどこかで戦闘できるわけがない。
西軍の敗将は三成も秀家も捕まったのに東軍は負けても将は自由に行動
できるのか?
172 :
人間七七四年:2007/09/06(木) 14:53:11 ID:5quLIRxM
壊滅した軍勢の大将じゃないだろ。
173 :
人間七七四年:2007/09/06(木) 19:53:52 ID:2zJinD1x
どうでもいいが
三成は近江の領国に帰ろうとしたんだからそりゃ捕まるだろ
秀家は捕まってないぜ島津のとこで数年間匿われてる
174 :
人間七七四年:2007/09/10(月) 14:51:47 ID:vTxijITc
三成は往生際が悪いな
175 :
人間七七四年:2007/09/10(月) 15:57:46 ID:25HD1+vq
ウンコ漏らして戦場を逃げ回るのも十分に往生際が悪いと思う
かなり見苦しい
176 :
人間七七四年:2007/09/10(月) 16:28:58 ID:YN3DBeJZ
捕まった時に腹を壊していた三成に対して鳥居成次が薬やら粥やらで厚遇して、家康から誉められたという逸話が確かにあったな。
177 :
人間七七四年:2007/09/10(月) 18:53:32 ID:e9QrFlZh
下痢ピー話って信用できるのかな?
貶めるために作られた可能性は無いかなあ。
178 :
人間七七四年:2007/09/10(月) 18:58:15 ID:hEzTzEfd
しかめっ面の肖像画と一緒に家康本人が喧伝してたんじゃなかったっけ?
179 :
人間七七四年:2007/09/10(月) 23:07:10 ID:jAD2KxOD
腰味噌じゃww
180 :
人間七七四年:2007/09/10(月) 23:39:39 ID:hY9nswZd
自分の手で領地を没収した小早川によって敗北に追い込まれても
一切反省せずにひたすら小早川を非難するだけだったし
三成は往生際が悪いというより人格破綻者なんだろう
181 :
人間七七四年:2007/09/10(月) 23:46:53 ID:lMtDKF6d
頭が良いのを鼻に掛けてる性格悪い東大生みたいなもんか。
182 :
人間七七四年:2007/09/11(火) 00:00:28 ID:AiRxHv5x
頭悪くて性格悪くて不細工な奴は全滅しろ、と言ってるようなもの。
183 :
人間七七四年:2007/09/11(火) 00:13:49 ID:EoT28aFQ
信長も秀吉も三成もたいした挫折を味わうことなく成り上がった
その結果なんでも自分の思い通りになって当たり前、誰でも自分の言うことに従って当たり前と驕りに支配され
その末路が本能寺や朝鮮出兵や関ヶ原になったわけだ
家康の失敗を笑うのは簡単だがそれを経験できなかった連中は
より悲惨な失敗で滅びてしまった
184 :
人間七七四年:2007/09/11(火) 00:32:26 ID:RngWSjf9
それを言うなら、失敗の生かし方が半端ではないのだろう?
185 :
人間七七四年:2007/09/11(火) 00:37:12 ID:TpcZoInD
>なんでも自分の思い通りになって当たり前、誰でも自分の言うことに従って当たり前と驕りに支配され
秀吉はともかく、三成は地位からいってもそこまでなりようがなくないか?
三成の最後はむしろ立派と思うが
逸話の数々から、上杉・宇喜多の責任も自分が負おうとしてたり
捕まっても命乞いもせず堂々としてたり
(その態度を家康が「さすが大将の器だ」と評している)
186 :
人間七七四年:2007/09/11(火) 04:21:51 ID:8LjQEgk0
三成がさっさと降伏せずに下痢便に悩まされながら野山に潜んでたのは
源頼朝が石橋山の合戦で敗れた後に再起を果たし天下人になったことを踏まえたての行動だと言われてるね
面白いのは同じく源頼朝に私淑していた家康が生き死には割と淡白な方で、
伊賀越えや大坂夏の陣で危なくなった時に何度も腹を切ろうとして近習に止められていることw
で結局頼朝と同じ天下人になったのは家康なんだからわからないもんだ
三成の態度を褒めたのはリップサービスじゃなくて家康本人の気持ちからだと思う
187 :
人間七七四年:2007/09/11(火) 09:17:22 ID:KH4f2efs
家康が絡まない三成限定の話題なら他所でやれ
188 :
人間七七四年:2007/09/11(火) 09:27:56 ID:WocDODd/
家康は三成が自分のところに来た時に
本多正信が「今三成を殺したら、豊臣譜代は結束して殿に向ってきますよ」と進言したら
わかっている、と答えた
三成憎しの一念で、本来豊臣家を守る譜代が家康につき、誓約違反の無断婚姻すら共犯として行うようになっていたからな
三成を誉めたのは、タチの悪い皮肉としか思えん
189 :
人間七七四年:2007/09/11(火) 14:20:35 ID:oj6JTtBD
>豊臣譜代は結束して殿に向ってきますよ
三成はどういう魂胆だったんだろう?
190 :
人間七七四年:2007/09/11(火) 14:30:09 ID:jvlhPASt
三成をかばった方が豊臣譜代は結束して家康に向ってくると思うが。
現実に屋敷を包囲していたわけだし。
191 :
人間七七四年:2007/09/11(火) 14:40:37 ID:wNeBnT45
>>190 石田三成を家康旗下に加えればさもありなん。だが、命乞いする程度で
家康に反発覚える事はまあないだろう。その程度で反発される程度の男
ならそもそも諸将に担がれないし。
仮に反発を覚えても彼らの実力や器量から、家康・三成・利家のような
大黒柱なしで独立勢力を形成できるとは思えない。
192 :
人間七七四年:2007/09/11(火) 14:46:59 ID:MPXMsgZp
そもそも小説の中の台詞を
本当に実際の歴史上の人物が言ったと考えるのが・・
193 :
人間七七四年:2007/09/12(水) 21:33:53 ID:Nd5VINUU
屋敷って防御度高いの?
194 :
人間七七四年:2007/09/13(木) 01:53:21 ID:hAWuSyIG
守備範囲は広かったよ何せ俊足だったからね
移籍後の日本シリーズでも良い所でファインプレーを見せてたし
しかし古巣横浜にとっては結局屋敷や高木を追放して思い切った改革をしたのが98年の優勝に繋がったわけで
横浜では役に立たなかったのか彼を活かせなかったのか
微妙なところだね
195 :
人間七七四年:2007/09/13(木) 08:38:25 ID:8BaZ3dem
面白い突っ込みきぼん
196 :
人間七七四年:2007/09/13(木) 09:24:08 ID:arRDk2vm
処置なし!
197 :
人間七七四年:2007/09/13(木) 19:48:02 ID:oYpOKg1C
加藤清正らによる三成襲撃事件で三成が逃げ込んだのは
よく言われるように家康の屋敷でなく、伏見の自分の屋敷
だったという説が最近提起されてる。
それがなぜ家康の屋敷と誤って言われるようになったのかは
その論文を読んでないので分からないが。
198 :
人間七七四年:2007/09/14(金) 00:02:38 ID:MB0QTrG1
2chのどこかで読んだレスでは近世日本国民史で徳富蘇峰がした史料の誤読が原因なんだと
で、それを元にした司馬遼の小説なんかでその解釈が定着し今に至ると
「関ヶ原」ではここらへんの家康と三成の腹の探りあいが前半の目玉になってるから特に印象に残りやすいね
199 :
人間七七四年:2007/09/14(金) 07:58:51 ID:d880ek06
家康って本当に信長にノーと言えない立場だったのかなぁ
家康って本当に信長を
恐れていたのかなぁ
200 :
人間七七四年:2007/09/14(金) 08:49:43 ID:znZfbMD4
>>197 屋敷ごと焼かれたたら三成はなす術無しじゃん。
201 :
人間七七四年:2007/09/14(金) 11:01:11 ID:9fnv9q72
家康のお膝元の伏見でクーデターまがいの事態が起きてるわけだから
それを放っておいたら家康の信用や権威がが落ちるし、三成を助ければ
七将達が家康を疑いの目で見る、というのはあるんじゃないか?
202 :
人間七七四年:2007/09/14(金) 11:17:38 ID:zrT/VTyo
>>199 1567年ぐらいまではNOと言えたそれ以降は外様の家臣
203 :
人間七七四年:2007/09/14(金) 11:25:39 ID:7TVcskc7
家康公の子女を娶った外様って、やっぱり外様なの?
奥平とかは譜代だろうけど。
204 :
人間七七四年:2007/09/14(金) 20:16:08 ID:WpXyl+rh
池田とかか
205 :
人間七七四年:2007/09/14(金) 21:38:48 ID:L/T5MsZW
>>199 信長に逆らえば徳川家が滅びる、だから家康は涙を飲んで
信康を切腹させた、とよく言われるが、そうかなあ?
この頃の信長の状況と言えば、大坂本願寺との10年来の闘争が
続いたまま。また荒木村重の謀反があり、その対処にも追われていた。
こんな所で家康が離反したらどうなるか。
信長の天下取りなど夢で終わることは明らかだ。
この時期、家康が信長を必要としていたのではなく、信長が家康を
必要としていたのである。
206 :
人間七七四年:2007/09/14(金) 22:00:28 ID:ba64EMQ1
個人的には家康主導だとは思うけど、論者が唱えてる様な深刻な対立でなく
もうちょっとぬるいものだったのだが、忠次が信長に口を滑らしてしまい、統率上
切腹を命じざる得なかったと考えているが
207 :
人間七七四年:2007/09/15(土) 00:56:40 ID:PPlqKfTH
家康公も悪妻築山殿には手を焼いたということか。
>信長の天下取りなど夢で終わることは明らかだ。
なるほど!!
208 :
人間七七四年:2007/09/15(土) 01:01:19 ID:QgOK1Ljg
>>205 状況的にはその通り。だから信長による信康切腹要求は捏造だと思います。
209 :
人間七七四年:2007/09/15(土) 11:33:01 ID:cqi16YtD
家康は、信康事件の後に家臣団から忠誠を近い信康と連絡しないという誓紙を出させている
むしろ岡崎派と浜松派の権力闘争だろうな
その意味では武田家の親子争いに似ている
210 :
人間七七四年:2007/09/15(土) 11:57:47 ID:BqjyOq33
妄想爆発中ですね。
それが楽しいわけでもあるが。
211 :
人間七七四年:2007/09/15(土) 15:55:57 ID:1gIHT/A7
>むしろ岡崎派と浜松派の権力闘争だろうな
有能な当主が健在なのにどうしてお家騒動?
212 :
人間七七四年:2007/09/15(土) 16:45:34 ID:Cd+wmVgO
適当に書いてみるけど
親織田派と親武田派みたいな事情?
213 :
人間七七四年:2007/09/15(土) 16:46:38 ID:OdgHe4ev
家臣連中の権力争いだから、当主の有能無能は関係ないんじゃね
実際数十年後の家康と秀忠の間でさえも家臣達は派閥争いを行ってるし。
214 :
人間七七四年:2007/09/15(土) 19:04:29 ID:DZrOh2f6
徳川の天下が定まる前と後では全然違うだろ
お家騒動で徳川家自体が潰れてしまっては派閥争いも何もない
215 :
人間七七四年:2007/09/15(土) 19:42:26 ID:QgOK1Ljg
>>214 戦国時代にはお家騒動や派閥抗争がなかったとでも?
派閥抗争が原因で滅んだ家なんて戦国どころか鎌倉室町の頃からいくでもありますが。
216 :
人間七七四年:2007/09/15(土) 20:10:32 ID:C9a3q4lk
>>214 武田、六角、浅井など、派閥争いの結果家臣が主家をしのぐ影響力を
持ったり当主を強制的に隠居させた例は割とある。伊達や最上なんか
もお家騒動で相当国内を混乱させている。
逆に一つ判断を間違うと即座に滅亡につながる時代だからこそ、判断
の是非で騒動が起こりやすく、混乱しやすいという見方も出来る。
217 :
人間七七四年:2007/09/15(土) 20:41:58 ID:S4q4KOCA
家康の統率も磐石ではなかったということか
218 :
人間七七四年:2007/09/15(土) 20:49:53 ID:mfIAZSz6
当時の徳川家に、派閥争いを行うような要因があったとは考えにくいのだが・・・
219 :
人間七七四年:2007/09/15(土) 21:08:31 ID:QJO2/PUq
>>218 ある人は次のように述べている。
「戦に明け暮れた領土拡大組の浜松派は、戦場での殊勲によって
つぎつぎに石高が増えたが、地味な裏方をつとめた領国経営組の
岡崎派は報われるところがまったく少なかったからだ。これでは
岡崎派の不満が爆発して当然であろう。」
自分もこういうことがあったと思っているが。
220 :
人間七七四年:2007/09/15(土) 21:46:43 ID:mfIAZSz6
>>219 当時の家康家臣に大幅な加増があったとは聞かないが
遠州は知行地は殆どが今川旧臣に安堵しているし、直轄領はそのまま家康へ
それに加増があったのは家康直臣の旗本先手衆だが、実際彼らは常備軍として
家康の下、馬車馬の様に働かされているから不当とは思えんのだが
221 :
人間七七四年:2007/09/15(土) 22:32:24 ID:S4q4KOCA
>>218 人間が集まって形作られた集団の中で派閥争いが起きないはずがない
どんな名君でも0にするのは絶対不可能
ましてや自分たちに都合よく担ぐことのできる神輿があれば
大きな不満や軋轢がなくても既存権力との衝突は生じ得る
222 :
人間七七四年:2007/09/16(日) 01:51:04 ID:QDm+r4Ac
その割りに「武功以外で出世するとは武士にあるまじき行為」
みたいに推挙拒んでた譜代多かったこと無い?
>>220 武士って領土が無事で平和に暮らすより
存亡と命がけでドンパチやっていたいモンなの?
223 :
人間七七四年:2007/09/16(日) 07:38:45 ID:EfYwbfI+
224 :
人間七七四年:2007/09/16(日) 08:39:26 ID:fBCaAftd
築山は確実に家康がやったと思うが
225 :
人間七七四年:2007/09/16(日) 09:24:21 ID:RN7+mfZI
>やっていたいと言うより義務ですから
戦の無い5千石よりも、0〜10万石にもなる戦続きの方が良いの?
226 :
人間七七四年:2007/09/16(日) 09:56:23 ID:vZn6tTz0
出世したい人なら
227 :
人間七七四年:2007/09/16(日) 19:19:50 ID:lgbU1YHz
自分たちの安寧だけを求めるような気概のない連中だったら三河武士が恐れられることもなかっただろうな
228 :
人間七七四年:2007/09/16(日) 23:01:21 ID:YIBmwozy
>>225 文禄までは戦をすればするほど領地はどんどん増えていくというバブル的な発想があった
特に織田・豊臣系の武将にはこの意識が強い
この考えが朝鮮出兵の失敗で崩壊し領地の拡大は不可能になった
それでももう一度だけ領地を増やしたい連中が武断派を結集し
家康を担ぎ上げて起きたのが関ヶ原でこれにより領地拡大目的の戦は終了した
(大坂の陣は将来的な豊臣の反乱防止が目的で領地拡大が目的ではないため)
229 :
人間七七四年:2007/09/17(月) 00:39:49 ID:duWv9Bn5
230 :
人間七七四年:2007/09/17(月) 01:25:13 ID:UFVUp8rJ
231 :
人間七七四年:2007/09/17(月) 11:29:18 ID:at/xIrBm
>>225 自分が手を出さなければ相手も手を出さない、という世の中ではないんだよ。
自力防衛はもとより、有力大名に従属したとて自前の軍事力を出さなくてはならない。
(領国の外で)戦をやらなければ(領内の)戦を無くすことは出来ない。
232 :
人間七七四年:2007/09/17(月) 12:01:43 ID:bnjaWnKE
戦は年に2〜3回だと思うから
三遠駿甲信の5カ国だった頃の遠江の武家なら
有名じゃない戦は参陣して無いのではないの?
しょぼい戦だってたくさんあるだろうし。
233 :
人間七七四年:2007/09/17(月) 12:19:01 ID:F55KV+Li
静岡のパンフレットには
築山殿は徳川史観で言われるような気性の荒い悪妻ではなくて
大人しい女性だったと書いてあるそうだ
家康と関係が深い土地なのに築山殿に同情的なのは
やっぱり無実の罪で殺されたことが定説になって来たって事なのかな
234 :
人間七七四年:2007/09/17(月) 12:22:53 ID:kF4IjxHX
その大人しい女性だったというのは、何を元にして書いたのかな。
それを知りたいが。
235 :
仙台藩百姓:2007/09/17(月) 13:43:32 ID:7xHF+dq3
妻子を殺した上に悪人に仕立てるなんて最低のクズよね(>ω<)
236 :
人間七七四年:2007/09/17(月) 16:24:12 ID:k6tgGavq
静岡のパンフレットってなんだよお???
237 :
人間七七四年:2007/09/18(火) 03:19:35 ID:1Q9RXzGv
今川一門なんて高ピーなやつしか居らんやろ?
腰の低いオーナー創業一族って少ないだろ?
238 :
人間七七四年:2007/09/18(火) 09:56:10 ID:n6ypU4hN
今川家の血筋だからな
当時の家康にしてみれば邪魔以外何者でもない
政略結婚で嫁がされ、人質交換の道具にされてオヤジは切腹させられる
挙句に父子の争いの側杖食って殺される
これほどかわいそうな人は戦国期でも珍しいんじゃ?
239 :
人間七七四年:2007/09/18(火) 09:56:52 ID:xwz1EYxI
家康ってダヴィンチに似てねー?
気のせいかな?
240 :
人間七七四年:2007/09/18(火) 10:26:22 ID:Wq+GtD0s
三河物語でも信康は擁護しても、
築山はボコボコ。
家臣に不人気な妻だったのは確実
241 :
人間七七四年:2007/09/18(火) 11:46:11 ID:F06cvSKF
>>238 築山殿が今川氏だからといっても、確か家康は1571年に氏真を保護しているぐらいだからそこら辺はあまり関係ないかもしれない。
長く別居していたし、愛情を失っていたぐらいが妥当だと思う。
あと、これも推理だが側室に名もないような者の娘ばかり選んだのは何か懲りさせられるようなことがあったからとも考えられる。
名門の出を鼻にかけたとかは十分ありえるし。
そういえば、この人は親戚筋の北条や武田と手紙をやりとりしていたと聞くがそれの資料ってあるのか?
242 :
人間七七四年:2007/09/18(火) 13:24:10 ID:hpi7IRo4
鼻にかけたとかどうかはともかく、名門の血筋ってだけでトラブルのタネになりやすいのは確かだよな
243 :
人間七七四年:2007/09/18(火) 13:32:54 ID:nsYymXg/
息子を処罰しなければならないからって、母親までというのはちょっと普通じゃないしな
それが築山殿個人の資質によるもの、というのも考えにくいが
(実家すら消滅した家の女にさほどの力があるとも思えん)
244 :
人間七七四年:2007/09/18(火) 14:05:37 ID:i0z7h09o
明治まで残った今川家って、憎くなかったのかな?
245 :
仙台藩百姓:2007/09/18(火) 14:24:37 ID:lxXYsxCr
なかなかに世をも人をも恨むまじ時にあはぬを身の科にして
悔しともうら山し共思はねど我世にかはる世の姿かな
246 :
人間七七四年:2007/09/18(火) 14:25:49 ID:Wq+GtD0s
今川時代時代苦労したというのは建前で、
当時としては相当の優遇だったことぐらい家康は判るだろ。
余生を結局、駿府で送ったしな。
豊臣も自分に頭さえ下げれば残してたろ。
247 :
人間七七四年:2007/09/18(火) 15:11:38 ID:hpi7IRo4
豊臣が自分に頭下げるはずがないことぐらい家康は見抜いてたと思うが
248 :
人間七七四年:2007/09/18(火) 16:05:37 ID:lEbfU7Qc
冬の陣の少し前ぐらいまでは、
淀殿や秀頼の意向はどうであれ片桐や大野といった家臣が
なんとかするだろと思ってたんじゃないの
常識的に考えれば豊臣家に勝ち目はないんだから。
249 :
人間七七四年:2007/09/18(火) 21:57:18 ID:waHGPV/Q
誇り高き豊臣家が降るはずもないだろうに・・・
慶喜率いる徳川家とは違うんだよ
250 :
人間七七四年:2007/09/18(火) 22:52:59 ID:ksOdKy2o
誇りどころか中途半端に権力にしがみつくだけの
安倍よりもはるかに悪質な連中だろ
大掃除してくれた家康には感謝しないとな
251 :
人間七七四年:2007/09/19(水) 00:26:41 ID:W0HF3uXO
>>243 実際親戚である武田との文通とかあったんじゃね?
家康の愛情を失い、更に実家が滅びて孤独だっただろうし。
>>246 家臣や松平家としてはきつかったんじゃね?
身分ある武士でも多くが半農生活させられたらしいし。
>>247 頭下げるはずがないことを見抜いてたってのには不同意だが、
下げるはずがないってのはそれはそれで結構問題有りだぞ。
政宗とか先見性がある奴は秀頼がかつぎ上げられ、
謀反される危険があるとか見抜いてるし、
統治者がそれを放っておくわけにもいかないだろ。
そもそも秀頼が大坂にいなきゃいけない理由なんてないし、
むしろ迷惑だわな。
ふと思ったが、豊臣の最後は
織田信雄が転封拒んで転落したのと似てる気がする。
252 :
人間七七四年:2007/09/19(水) 00:42:40 ID:E3/S1/7a
頭は二条城の会見で下げてる、単に家康が豊臣家を残す気が無かっただけでしょう。
元々家康の転封要求自体が言い掛かりを吹っかけてのものであり、
詐術に引っ掛けての転封なんて一体誰が正当に履行されると信じるのかと。
また豊臣家からの交渉の使者を応対してる間にも各地の大名に誓詞を要求したり
これで潰す気が無かったとか無理があると思うよ。
253 :
人間七七四年:2007/09/19(水) 01:38:48 ID:Pue7rrFD
>>252 転封要求が言いがかりとかそういう問題じゃなくて、本気で江戸幕府の
系列下に入る気なら何を言われても「仰せの通りにします」って態度で
望むべきなんだよ。本音はどうあれね。対等な交渉という態度で臨んで
それを相手に逆手に取られてる時点で終わってる。
二条城の会見は将軍に忠誠を誓ったんじゃなくて、義理の祖父に挨拶に
行くっていう双方の妥協の産物。これをもって「頭は下げた」って言う
のはおかしい。これを起点に一定の地位を保ちつつ臣従交渉に入るべき
だった。ちょうど豊臣期の家康みたいにね。
誓詞云々は家康が潰す気になってたときの話で、最初からそのスタンス
でいたかは疑問が残る。関が原→将軍宣下→将軍代替わり→大坂城攻め
の時系列の中で変化していったと見た方が妥当かな。
254 :
人間七七四年:2007/09/19(水) 03:31:35 ID:E3/S1/7a
>>253 転封の命令が正当な命令なのか、それとも不当な言い掛かりなのかは大事な問題だよ。
豊臣家側からすれば「仰せの通りします」と言って家が取り潰されたら何の意味も無い訳で、
例え大坂を出ても家康が大坂に変わる領土を本当に用意してくれるのかも分からないし、
次々に同じ様な言い掛かりを付けられないとも限らない、
最悪の仮定を考えれば城を出た途端に攻撃されるかもしれない。
だから不当な言い掛かりの末の転封命令ってのは豊臣家からすれば到底信じる事が出来ない代物。
それに豊臣家は対等な交渉は狙ってない、使者を派遣したりどちらかと言えば最初は低頭した
態度を見せており、それを一蹴しての命令を受けたから不信感の一気に募らせた訳で。
また家康もいきなりの言い掛かりといい、いきなりの転封話といい
潰す気が無いならもっとやりようがあっただろうに、明らかに不信感を募らせる方法を選択してる。
豊臣家は引っ掛かったとか終ってるというよりも、初めから詰んでる様なもんだから今更頑張っても一緒。
それでも二条城では豊臣家が折れて、あれで天下の盟主は徳川家とハッキリした。
だから頭を下げたと言って問題ないレベルでしょう、臣従交渉っても家康も別にへいこらした訳じゃ無し。
法広寺の申し開きを受けてる最中から誓詞の要求は始まってるわけで、あの時点で潰す気なら
言い掛かりの時点で潰す気でしょう。
あと家康が潰す気になったのは多分言い掛かりを付けた年の近年だろうね、あまりにも急で強引過ぎる。
255 :
人間七七四年:2007/09/19(水) 07:10:45 ID:NG6M5kzO
そうだね、家康も関が原の段階では豊臣潰す気はなかったと思う
思いもかけず天下が転がり込んできて、欲に目がくらんだんじゃないかな
大阪の陣に至るまでの強引でなりふり構わないやり口はむしろすげえと思うもの
256 :
人間七七四年:2007/09/19(水) 07:13:40 ID:WZTQ9iLD
↑ 外交ってのはあらゆる進展をカバーするもんだろ。
>身分ある武士でも多くが半農生活させられたらしいし。
それってそんなに異例の事なのか?
普通に農民を指揮して耕作とかしてそうなもんだけど。
>織田信雄が転封拒んで転落したのと似てる気がする。
秀吉が政情不安定な北条領へ左遷したのと同じ踏み絵でしょ。
>>247 それでも豊臣が自分に頭を下げられるかどうかで値踏みをしていたのかも。
その頭の下げ方によっても、豊臣家の命運は大きく違ったものとなってたことだろう。
やっぱり古狸の風格が充分の御仁だったようで。
258 :
人間七七四年:2007/09/19(水) 08:27:44 ID:xLHUfXAE
三河物語は、徳川が天下取った後に
不遇の武功派がこんなに耐えて頑張ったから天下平定がされたんだぞーという恨み節だからなw
家康がやったことは、要するに落ち目の今川に刃を向けて遂にはそれを滅ぼしたということ
戦国期では仕方ないが、平和な時代にはまずいからことさら今川が酷かったとしたとしても不思議じゃない
例えば今川家の支援がなければ、そもそも伊勢に追放された松平広忠が三河に戻れなかったという点も無視でしょ
259 :
人間七七四年:2007/09/19(水) 09:48:28 ID:Cw4mkwqZ
関が原はあくまでも豊臣政権の内紛なのに、なんら制御できなかった
豊臣秀頼と側近が間抜けなだけ。スキがあれば突くなんて当時は当然
のこと。
260 :
人間七七四年:2007/09/19(水) 10:08:01 ID:djKlKoyG
>>258 生き延びてるじゃん。
なんだよ女子大総長って、、、w
261 :
人間七七四年:2007/09/19(水) 10:53:34 ID:NG6M5kzO
>>259 側近はともかくお前当時秀頼が何歳だったと思ってるんだ
262 :
人間七七四年:2007/09/19(水) 11:03:21 ID:6AQC1hEV
その側近筆頭が、後見に入っていた家康だろ
そいつが一番の誓約破りなんだから
実権のない幼君にどうしろと?
263 :
人間七七四年:2007/09/19(水) 12:12:46 ID:JicwBJtZ
秀忠に将軍を譲った歳が秀吉が死んだ歳と同じだからな。
この時代は大名でも60代前半が寿命。
最初から十数年かけて豊臣を潰そうと考えてたらのんき過ぎる話。
264 :
人間七七四年:2007/09/19(水) 12:20:15 ID:djKlKoyG
医学に通じていた家康公にしか出来ない戦略かもな
265 :
人間七七四年:2007/09/19(水) 13:03:14 ID:nxi2mIxr
>>262 素直に降参すればいいだけのこと。
実力もないのにプライドばかり高くて抵抗するなんて愚の骨頂。
266 :
仙台藩百姓:2007/09/19(水) 13:41:01 ID:rNw1XoRQ
その通りだお( ^ω^)
徳川氏をみなさい
慶喜などは一族郎党見殺しにしてひたすら恭順の意を示し生き延びたではないか
さすが家康の再来と言われた男だお( ^ω^)
267 :
人間七七四年:2007/09/19(水) 14:05:14 ID:2DSgVaiS
松平元康が今川の捕虜になってたときに三河に残った家臣が裏切れば
家康は終了だった。譜代の家臣はバカ正直だった。成り上がりの豊臣
家にはそういう家臣がいなかった。
268 :
人間七七四年:2007/09/19(水) 14:11:39 ID:rDUyBWJS
>>254 八月二十日に浪人めしかかえを責められてる時点でアウト。
責められたのは駿府でだし、集め始めたのはもう少し前だろう。
八月七日に浪人召抱えが始まっていた記憶があるが
こっちは手元に確認できるものがないので参考程度に。
景勝攻めの前に前田や細川が因縁つけれたときは人質出してるし、
縁の深い土地から不満ながらも移った大名も結構いるからなあ。
豊臣も少しは時勢を読めよ。
信雄の例もあるし、戦う気になった時点で第一段階での外交負け。
269 :
人間七七四年:2007/09/19(水) 14:16:48 ID:zOBuHvxS
徳川って弱った主家を乗っ取るのが得意だな。
軒下貸して母屋取られる と
まさに乞食坊主からはじまった家らしく
その仕業は家訓のように脈々と受け継がれているな。
潔く散った豊臣の方が戦国の浪漫を感じる。
徳川に何の魅力も感じず、忌み嫌われるのは
こういうところにあるのだろう。
270 :
人間七七四年:2007/09/19(水) 14:34:43 ID:2DSgVaiS
>>269 竿と糸と針とエサが全部ないのではどうにもなりませんよ
271 :
人間七七四年:2007/09/19(水) 14:56:43 ID:JicwBJtZ
織田も豊臣も50歩100歩さ。
徳川だけは250年政権維持して、
今でも資産家一族として繁栄してるから皮肉られる。
寿命の違いもあるが、
自分で始めた侵略戦争も止められず、家臣は分裂状態で
逝ってしまった秀吉より、
自分の尻拭いをして死んだ家康の方が天下人としては評価してる。
272 :
人間七七四年:2007/09/19(水) 15:14:18 ID:k0HP5WE9
秀吉シンパは家康にどうして欲しかったんだろうね
三成と福島加藤らの諍いを鎮め、秀頼を支え続けるってか
豊臣徳川両家があり続ける限り争いの火種は温存される
結局、徳川が滅びない限り秀吉シンパは満足しないだろう
273 :
人間七七四年:2007/09/19(水) 15:27:13 ID:djKlKoyG
流れが読めないヤツが多いと苦労するんだよ。
274 :
人間七七四年:2007/09/19(水) 15:33:19 ID:NG6M5kzO
>>272 別に支え続けずとも無理やり因縁つけたりしないで寿命で死んでくれればよかったんだろ
「俺の命があるうちに」という焦りが家康に手段を選ばせなかった
まあ寿命近くなっていきなり天下に手が届いたわけだからなりふり構わなくなるのはしょうがない
275 :
人間七七四年:2007/09/19(水) 15:44:32 ID:u+aYL5JV
豊臣政権が残した問題に何も手をつけず死んだのならそれこそ安倍並みの無責任だわ
276 :
人間七七四年:2007/09/19(水) 15:48:26 ID:JicwBJtZ
徳川ぐらいの大勢力が、
豊臣家と何百年も共存できるわけが無い。
どっちかに野心と猜疑心つよい奴出たら必ず火を吹くよ。
同じ足利氏の幕府と鎌倉府でさえ喧嘩ばっかり。
強力すぎるナンバー2ってのはそういうもん。
277 :
人間七七四年:2007/09/19(水) 20:30:59 ID:0qWhmM73
>それこそ安倍並みの無責任だわ
国民がよく分からん根拠で支持しておいて
農政の政争とかつまらんスキャンダルで支持しなくなったんだから
支持した国民も責任重大だろ。
278 :
人間七七四年:2007/09/19(水) 23:27:33 ID:1Thl754p
豊臣が解決不能に陥った派閥抗争を完全に解決してあげたわけだし
朝鮮出兵のせいで不満を爆発させた武断派に豊臣の領地を切り分けて不満を鎮めるのは
責任論で語れば当然の解決法だ
はっきりいって豊臣は家康に感謝すべきであり家康を怨むのは筋違い
279 :
人間七七四年:2007/09/19(水) 23:31:29 ID:0qWhmM73
それも言い過ぎだろうと、、、
280 :
人間七七四年:2007/09/19(水) 23:53:26 ID:NG6M5kzO
どっちかだけに責任押し付けようとするのがそもそも間違いなんだよな
豊臣も徳川もどっちもどっちとしか言えない
まあ俺は秀吉も家康もどっちもそんなに好きじゃないからかもしれんけど
強いて言うなら淀殿には同情するけど
281 :
人間七七四年:2007/09/20(木) 00:18:50 ID:XKxN0a4+
禄に資料も無いのに悪女扱いされて可哀相だわな>淀殿
282 :
人間七七四年:2007/09/20(木) 00:20:31 ID:zgUqUtBo
天下を豊臣家の物と考えたら別だが、
確かに家康は豊臣政権の後始末をうまくやったわな。
足利の二の舞やそれ以下も十分ありえた。
283 :
人間七七四年:2007/09/20(木) 07:01:43 ID:OzM4eMBk
茶々は親を殺した秀吉家に仕返ししただけだよ( ´,_ゝ`)
284 :
人間七七四年:2007/09/20(木) 09:43:03 ID:9hYkhJfs
家康を支持する秀吉正室より偉そうな勘違い側室なんて許されない。
成敗されて当然。
285 :
人間七七四年:2007/09/20(木) 11:27:11 ID:MqUFU9cv
高台院が家康支持していたと言うのは徳川史の捏造。近年の調査で関ヶ原でも三成を支持していた事が明らかになった
286 :
人間七七四年:2007/09/20(木) 12:23:33 ID:F8cueNFP
そもそも、ねねが佐吉を可愛がるから
市松や虎が嫉妬して関ヶ原に至ったのだ。
それを家康は巧妙に利用し
北の政所のところに通っては
正則や清正の悪口を言い、
ますます北の政所の心が正則、清正から
離れるようにしたのだ。
正則はますます三成を憎み。
清正は何もかもが嫌になり、引き籠もりになってしまった。
母の愛情に恵まれず、飢えていた家康ならではの作戦であった。
家康ってカワイイのぉ〜
287 :
人間七七四年:2007/09/20(木) 13:01:26 ID:EjntZGfG
>近年の調査で
その時歴史が動いたの関係者の方ですか?
288 :
人間七七四年:2007/09/20(木) 13:45:45 ID:VZQDiEUc
大坂冬の陣で、もう豊臣家に参じるのはくいっぱぐれ浪人ぐらいしかないと判明したんだから
強いて潰す必要もなかったんだよね
でも、戦術的にその劣勢の大坂方に苦戦しつづけで、江戸で将軍敗北の噂が流れ兵站に苦しむ醜態を見せた
だから難癖をつけなおして潰さないといけなくなったんだろうね
むしろ秀忠主導じゃないかな、このあたりは
家康は本来の約束である外堀埋めが終わった時点で引き上げてなかったっけ?
289 :
人間七七四年:2007/09/20(木) 15:35:20 ID:QDH8Hp9r
黒田や浅野が秀秋に北の政所のために戦っているみたいな手紙送ってなかったっけ。
淀殿は同情に値するが、この人が人質に行けばとつい思ってしまう。
>>288 浪人十万は危険じゃね?
秀忠のほうがやる気満々だったのは同意。
290 :
人間七七四年:2007/09/20(木) 20:15:48 ID:4dVFLnLF
「黒田や浅野」が送った手紙であって、北政所が送った手紙でもないしな
個人的には北政所も両方に組して生き残り図ってたんじゃないかと思う
291 :
人間七七四年:2007/09/20(木) 21:33:14 ID:4dOYYeKU
>そもそも、ねねが佐吉を可愛がるから
>市松や虎が嫉妬して関ヶ原に至ったのだ。
ねねって正室のほうでしょ?
清正や正則も同じ尾張派では?
>北の政所のところに通っては
>正則や清正の悪口を言い、
ばれたら家康公が憎まれちゃうだろ!
292 :
人間七七四年:2007/09/20(木) 21:56:34 ID:4VLe26gV
>>289 淀殿自身は自分が人質となるよう家康に打診していたという説もあるね
その説に基づけば、それを拒んだのは家康の方ということだけど
しかしこの説、俺はソースを知らんので、詳しい人ご教授求む
293 :
人間七七四年:2007/09/21(金) 08:38:07 ID:pxSikWzF
徳川の天下が長く続いたからなー
豊臣方の武将がこの件の記録を残した、ということもないようだし
そっち側の言い分や実像を掴むのは難しいね
むしろ天下人家康のヤクザ並のやり口が後世に伝えられているだけ奇跡だよ
294 :
人間七七四年:2007/09/21(金) 09:14:44 ID:GCKjdEuN
晩年でもない信長の末期(自分の神格化)と
秀吉の最後のあがきに比べたら、必要悪だろ。
295 :
人間七七四年:2007/09/21(金) 10:27:10 ID:qbsbDK84
>>293 負ける方が悪い。
ここは戦国時代板だ。
実力の時代。
296 :
人間七七四年:2007/09/21(金) 12:16:55 ID:64uXPo1C
家康は秀吉死後直後から盟約破りを連発
仮に従っても、もっとヤバイ状況で難癖つけられるという恐怖が豊臣方にあったんだろうな
家康の後世の悪評の元になるやり口の相手が、雄敵でもなんでもない未亡人母子であるあたり嫌われても仕方無いかも
297 :
人間七七四年:2007/09/21(金) 12:29:45 ID:WcWuwoPi
>>290 なら上手くやったよな。
自分の親戚の浅野、木下両家は明治まで安泰。
木下家は「豊臣」という本姓を捨てることも無かった。
足守藩なんて一度お家騒動で改易したのを、
わざわざ大阪攻めの際、チャンスをやって再興させてる。
298 :
人間七七四年:2007/09/21(金) 13:45:56 ID:uH0qvrPy
強い相手にはいつもぺこぺこ
秀吉が瀕死でも手を出せず
死んだ途端に嘘、約束破りのオンパレード
挙句に義理の孫へのセコイイジメ殺し
律儀とかは演技で、末期に本性が出たかな
299 :
人間七七四年:2007/09/21(金) 14:01:45 ID:7waJtrak
釣られてやるか。
>強い相手にはいつもぺこぺこ
武田晴信御一行様に負けてる。あの時代は同じ過ちはしないことが肝要。
>秀吉が瀕死でも手を出せず
>死んだ途端に嘘、約束破りのオンパレード
健康な年少者は老いぼれが死ぬのを待っていればいい。長命も実力のうち。
>挙句に義理の孫へのセコイイジメ殺し
実力も人望もない孫は外祖父の言うことを素直に聞けばいい。
>律儀とかは演技で、末期に本性が出たかな
律儀者の演技っていつのことだろ?
末期に本性をあらわし、全く不毛としかいいようがない半島侵略、
当地の住民のみならず自分の家臣を徹底的に苦しめた太閤殿下。
300 :
人間七七四年:2007/09/21(金) 14:11:17 ID:FUTlCewa
家康のやり口の酷さを言っているのだよ。
天下を取るためには何でもするのか!
北の政所をてごめにするとは
これは酷い。
301 :
人間七七四年:2007/09/21(金) 14:18:07 ID:4+b3M4+q
明智や松永のように無駄に裏切らず天下を乱さず、
自分が天下をとるべき時にきっちり取って乱れかけた天下をまとめる。
日本の政治家としてはありがたいよな。
てか、ペコペコするなら小牧の前に従えばいいし、
秀頼にかんしても少なくとも二条城での会見までは丁寧な扱い方。
生きる余地も残すし、さっさと浪人集めるぐらいの空気がある豊臣にも問題あり。
302 :
人間七七四年:2007/09/21(金) 14:25:17 ID:ay7LyEHo
秀吉が耄碌して死んだから家康もそろそろ、と期待したけど
全然元気なんだよなw
303 :
人間七七四年:2007/09/21(金) 14:31:34 ID:xHHuQBZG
まあ、とっとと淀の方を人質に出してりゃってのはあるよなあ。
前田家がまつを差し出した段階である意味大勢は決まってしまった部分もあるし。
304 :
仙台藩百姓:2007/09/21(金) 15:01:18 ID:SxiH6EdB
戦国時代は豊臣氏によって終焉を迎えたお
そして私欲の為に再び戦乱を引き起こしたのが家康だお( ^ω^)
305 :
人間七七四年:2007/09/21(金) 15:10:52 ID:H7QtPMKJ
そういうネタはもう飽きた
306 :
人間七七四年:2007/09/21(金) 15:21:41 ID:I8iWxhDK
まあ豊臣の方が悪いとレッテル貼りして相対的にしか正当性主張できない時点で
家康晩年の行動がロクなもんじゃないと肯定してるようなものなんだけどな
307 :
人間七七四年:2007/09/21(金) 17:39:16 ID:vEJukgOz
308 :
人間七七四年:2007/09/21(金) 19:41:06 ID:jiHekuQ+
家康が豊臣から天下を奪った後に250年の太平の世があったわけだから
その点は評価されても良いのではないか
でも、どちらかといえば秀忠や家光の代の功績のような気もする
309 :
人間七七四年:2007/09/21(金) 20:34:31 ID:wnCncKTx
百姓って結構豊臣贔屓?
>>306 家康の非難され方の主なものが、豊臣政権から天下を奪った、
無力な秀頼をいじめて殺した、という二つであって、
その反論として、秀吉死後では天下が保たないし、
実力者の豊臣が織田を抑えて天下とったのと同じ、
秀頼とは少しづつ臣従関係を作ろうとしていた、
とくるのは普通じゃないか。
確かにこの話題はかなりループしてるな。
310 :
人間七七四年:2007/09/21(金) 20:53:38 ID:TDNNLXOy
実力主義の信長のほうが圧倒的人気なのが不思議。
「金持ち(=有能)優遇政策にシフトします」って言ったら
大反発するくせに。
311 :
人間七七四年:2007/09/21(金) 22:31:01 ID:2dird+/u
信玄と家康が父子?www
312 :
人間七七四年:2007/09/21(金) 23:10:33 ID:mjbBQJbl
俺も見た
テレビ局はほんとそれっぽく仕上げるね
313 :
人間七七四年:2007/09/21(金) 23:52:20 ID:/kd5HHVV
314 :
人間七七四年:2007/09/22(土) 00:15:02 ID:LjQzTahC
死ぬほどワロタけどね
315 :
人間七七四年:2007/09/22(土) 13:02:09 ID:I+2C8ILX
家康が存在しなくても、
加藤、福島らと三成の対立は秀吉の死後火を噴いたのは確実だろ。
こいつらの対立は他ならぬ秀吉が元凶みたいなもん。
>>304みたいな意見も一面の真理だが、
家康は自分で起こした戦乱を自分で収拾してるんで、
秀吉みたい無責任なやつよりよっぽどマシな気がする。
316 :
人間七七四年:2007/09/22(土) 20:39:26 ID:mV5658Os
↑ ガラポンしなきゃ世の中変わらないよ。
317 :
人間七七四年:2007/09/22(土) 21:19:14 ID:4AyZHAbp
>>311 見逃したあああああああ
時空警察とか草薙ドラマのレベルだったん?
見たかった。
318 :
人間七七四年:2007/09/22(土) 22:24:24 ID:TU8AFU6U
>>315 両方とも当時としては最低レベルのクズ野郎でFA
319 :
人間七七四年:2007/09/22(土) 23:05:08 ID:mV5658Os
>時空警察とか草薙ドラマのレベルだったん?
録画してあるから見たらあらすじ書込んであげるよ。
320 :
人間七七四年:2007/09/23(日) 03:01:59 ID:ioXGlwE1
321 :
人間七七四年:2007/09/24(月) 23:28:22 ID:0lN7k6bP
家康公は信玄の子である 特集の論旨
5男を武田信吉として武田家を再興。
甲斐善光寺にお代の方の念じ仏・両者の位牌がある。
お代の空白期間4年と、信玄側室が同期。
世良田東照宮に葵と山菱(信玄の紋?)が並んでる。
(信玄像と言われてた肖像画が)観相学的に眼・鼻・口が似てる。
筆跡が似ている字が「ある」
よって家康公が信玄の子であるとw
あと、平将門は天海が江戸の鎮守としていたってのもあったよ。
322 :
人間七七四年:2007/09/25(火) 04:34:41 ID:+YyzYejC
323 :
人間七七四年:2007/09/26(水) 10:46:09 ID:T5JQ4knk
参勤交代は江戸入りする時だけ日雇いで人数合わせたり
街道整備や文化交流、商業の発展など
物凄く大事な公共事業だったみたいな講義受けたんだけど
これって定説なの?
命がけの実力主義の織田家、
同族・ご機嫌取りばかりが優遇される豊臣家に比べて、
腐敗しないようにマイルドな競合はさせられるものの
律儀に忠勤を励んでいれば、大事に扱われる徳川幕府は
美しい国だと思わないか?
324 :
人間七七四年:2007/09/26(水) 10:50:12 ID:HDbQJKKW
競争がなくなれば緊張感失って腐敗していくという側面もある
美点ばかりの社会など有史以来存在せんよ
325 :
人間七七四年:2007/09/26(水) 10:52:39 ID:znoMDXP5
>同族・ご機嫌取りばかりが
これってモロ徳川幕府じゃないか
豊臣政権と違って外様はいくら有能でも幕政参画は不能だったわけで
326 :
人間七七四年:2007/09/26(水) 10:58:24 ID:7yeNXGTy
外様を幕政参画させなかったのも明治維新の遠因だしな
327 :
人間七七四年:2007/09/26(水) 11:09:25 ID:DqKri3ov
>同族・ご機嫌取りばかりが優遇される豊臣家に比べて
豊臣時代には
朝鮮出兵で散々疲弊した子飼いの加藤小西
人の顔色を見ず諫言してくると言われつつ重宝された石田
身内なのに自害させられた秀次
外様なのに大身の徳川前田上杉毛利
なんかがいるぞ
328 :
人間七七四年:2007/09/26(水) 11:15:24 ID:T5JQ4knk
関が原&大阪の陣でアッサリ裏切る外様なんてご機嫌取りでは?
明治維新時の幕府軍(譜代)はどうだった?
329 :
人間七七四年:2007/09/26(水) 11:20:14 ID:a+sJbcRf
>>328 幕末は外様どころか親藩でもあっさり徳川を裏切ってるじゃないか
そういう末期的状態なら誰でも裏切るべさ
その政権が安定していた時の態度こそバロメーター
330 :
人間七七四年:2007/09/26(水) 19:37:37 ID:3TVUdhES
>>325 ぶぶー。
徳川幕府の外様を政治の中枢に入れない政策は確実に豊臣政権を
有力諸侯が仲たがいして瓦解せしめた件への対策だ。
別に譜代を優遇したわけじゃなくて、バランスの問題。
ま、俺は豊臣家だってパワーバランスと秩序構築をむねに政権
運営してたと考えてるので
>>323の説も採らないが。
331 :
人間七七四年:2007/09/26(水) 20:17:27 ID:ADdOqFuZ
違うよ、財力は外様に、権力は譜代に。
これでバランス取れたんでしょ?
332 :
仙台藩百姓:2007/09/26(水) 21:26:28 ID:kmPG0mWV
>>329 御三家からして寝返ったものね( ^ω^)
水戸←幕府瓦解の火付け役
尾張←鳥羽伏見の後新政府軍に参加。東征軍を派遣
紀州←鳥羽伏見の後新政府軍に参加。東海道方面の先鋒になる
関ヶ原=鳥羽伏見
333 :
人間七七四年:2007/09/26(水) 22:06:46 ID:ADdOqFuZ
本家を残すためと言う考え方は出来ないか?
334 :
人間七七四年:2007/09/26(水) 22:56:15 ID:zZCRajh4
>>332 それに比べれば滅亡寸前に陥っても反乱が起きることなく
国民に特攻を強制し続けられる大日本帝国を作った薩長はすごいな
335 :
人間七七四年:2007/09/26(水) 23:23:19 ID:CHfy8699
最後の将軍をはじめとして時世の読める人が多くてよかったじゃないか。
336 :
人間七七四年:2007/09/26(水) 23:33:21 ID:HDbQJKKW
プライドのないクズ揃いとしか思えん
頭は良かったんだろうし視野も広かったんだろうが、大事なもの失くしちまった感じ
337 :
人間七七四年:2007/09/26(水) 23:42:00 ID:qMkzRwNz
大事なもんってなんだよ
いろいろ失くした以上に得るものだってあっただろ
ぐだぐだして外国の介入招いて日本植民地化の可能性もあったんだぞ
決断力があることとプライドが無いことはイコールじゃ無い
338 :
仙台藩百姓:2007/09/27(木) 01:40:45 ID:WghUM7PY
>>334 大日本帝國は建国から敗戦まで反乱起こりまくってるお(;^ω^)
慶喜は我が身可愛さに逃げ回っていた部分が9割ぐらいだろうけど
結果的に日本の為になったのは事実であるお
大半が勝の功績ではあるけれど
339 :
人間七七四年:2007/09/27(木) 10:54:18 ID:BtrEJald
外様は参勤交代や普請のためにヒーヒーいってたじゃないか
幕末に財政改善していた藩は借金踏み倒しとかまでしての自力救済
もっとも貧乏化したのは幕府旗本らも一緒だから
米作に依存する経済システム自体が既に駄目だったのかもしれん
340 :
人間七七四年:2007/09/27(木) 11:15:48 ID:Zblrcot8
無駄な公共事業=参勤交代をたくさんやり過ぎたんだよ。
>>334 太平洋戦争って内戦よりもしんどいのか?
341 :
人間七七四年:2007/09/28(金) 08:38:51 ID:ptt6uFpt
太平洋戦争は挙国一致の総力戦争だったから、
近代以前の内戦とは国力の疲弊や人民の消耗なんかは比べものにならないんでないの
342 :
人間七七四年:2007/09/28(金) 11:34:02 ID:K+6+n1Ep
空襲の時だけ逃げてりゃ良いじゃん
343 :
人間七七四年:2007/09/28(金) 12:03:09 ID:5Hs9BT2T
家財を全て背負って逃げられる訳ではないだろ
東京大空襲で十万人の方が亡くなられたが、
都市としての東京も壊滅してるんだぞ。
344 :
人間七七四年:2007/09/28(金) 13:56:56 ID:K+6+n1Ep
太平洋戦争はどうして洗脳できたの? 軍国教育?
345 :
仙台藩百姓:2007/09/28(金) 14:51:49 ID:W+3A6fE6
教育と言うより扇動だお( ^ω^)
危機意識と貧困からの脱却を煽って国民を焚き付けた
世界的にそういう流れだったから否応なしに巻き込まれた点も大きいけど
346 :
人間七七四年:2007/09/29(土) 00:38:21 ID:a3T8PDUh
大奥=ソープランド
347 :
人間七七四年:2007/09/29(土) 09:31:25 ID:oslIDPp6
>>339 初期の参勤交代は大名同士が華美を競って自ら無駄に散財していた。
この制度のおかげで街道や宿場が栄えた。大名自身も江戸での生活を楽しんだ。
普請は幕府への奉公だから当然のこと。
348 :
人間七七四年:2007/09/29(土) 19:31:38 ID:5ksKpLn2
晩年、駿府に住んだのはなぜ?
江戸城西の丸にいてもよかったんじゃないの?
349 :
人間七七四年:2007/09/29(土) 19:35:31 ID:+fekvg7o
↑ 将軍の自立を妨害してどうする?
>>347 なるほど!!
350 :
人間七七四年:2007/09/29(土) 20:01:31 ID:SAEZt+pV
版籍奉還で実は喜んだ大名、奥方も多いからな。
やっぱ都会暮らしになじむと国の生活はあれだ。
351 :
人間七七四年:2007/09/30(日) 19:53:53 ID:9DUIPrSi
>>321 せっかくまとめておいたのに、反応無しかよ(´・ω・`)
352 :
人間七七四年:2007/09/30(日) 23:48:40 ID:WCcxvfcA
参勤交代の華美を改める法令は何度か出されてたらしいな。
あと、参勤交代の前身は既に豊臣時代からあり、
1635年に成文化されたのは期限が曖昧なことにたいする
一種の負担の軽減策というのも見たことがある。
ただ、普請や参勤交代が苦しかったのは事実みたいだな。
素朴な疑問なんだが、秀吉の死後、婚姻ってやっぱ秀頼から許可もらうのか?
それとも政務を預かる家康、それとも五大老連署?
遺言の原文とはどんなもので、許可とはどんな感じで出されるのだろうか。
353 :
人間七七四年:2007/10/01(月) 00:00:25 ID:2g11uWgN
>>200 いや、それが本当らしい。
当時の史料では三成が逃げた先を伏見城内としており、
三成が家康の屋敷に匿われたと記すようなものは
存在していないとのこと。
現在まで至る小説、ドラマはすべて徳富流の解釈を
踏襲したもので、その前提が誤っていたことになる。
詳しくは歴史読本06年6月号を参照。
354 :
人間七七四年:2007/10/01(月) 00:02:16 ID:P90MnPpG
>>352 婚姻についても含めて皆で話し合えとは言ってるが
誰にどんな権限があるのか、どういう手続きで許可を出すのかは実は何も決まっていない
だから家康の婚姻政策が違法だというのは三成らが主張しているだけで
五大老筆頭の家康に権限があると言う解釈で行けば実は特に問題はない
そういう解釈も筋が通っているから福島達も応じているわけだ
たとえ戦国時代だって婚姻には両家の合意が必要なのは変わらないからね
355 :
人間七七四年:2007/10/01(月) 09:27:33 ID:v5fNH7l5
色んな解釈がって面白いね。
356 :
人間七七四年:2007/10/01(月) 11:07:31 ID:UQ4tG70G
重要な案件は五大老、五奉行の合意を持って行うというのが建前の五大老・五奉行制なんだから、
諸大名の婚姻が他の大老衆、奉行衆との話し合いを経ずに家康の独断で成されたならそれは明らかに違法じゃないの
「豊臣家が認めた正式な婚姻」つうなら五大老・五奉行の連署の許可が必要だわな
ただし五大老中で家康の主導権が秀吉に認められてたのも事実だがらちょっとことはややこしい
国連の安全保障理事会での一人だけ常任理事やってたみたいなもんかな
357 :
人間七七四年:2007/10/01(月) 11:36:31 ID:/PeXwYUZ
違法じゃないのなら、開き直りに終始して前田利家らと戦争寸前にまでいかないでしょ
358 :
人間七七四年:2007/10/01(月) 12:58:36 ID:5Qh1UWrm
家康も一応謝罪してるしね。
でも実力がモノを言う時代、家康に逆らえない豊臣方がヘタレ。
359 :
人間七七四年:2007/10/01(月) 20:39:43 ID:AJH0IPzV
>>357 >>356みたいなややこしい状況に近いというか曖昧なものだとは思うが、
婚姻云々が問題というより石田方が邪魔な家康を攻撃するため積極的に利用し、
家康は周りを観察した上で、その時点ではわざわざ前田と争うものではない、
と一歩下がったんじゃないだろうか。
開き直りつっても、もっと傲慢に振る舞える地位だろうに。
360 :
人間七七四年:2007/10/02(火) 08:33:02 ID:lwwuzqd9
積極的にも何も、元々誓約違反なんだから……
家康にとっては自分が不正した場合でも従うポチと、逆らう敵を見極める瀬戸際外交だったんでしょ
ところが思ったより敵対しかねない連中、特に自分と同世代の老練な武将らの反応がいまいちだから謝って見せた
で、前田死去からの世代交代を見て再度強引な天下取りに出たのが上杉らへの難癖
361 :
人間七七四年:2007/10/03(水) 12:27:11 ID:8FpxH8jT
ケチの徳川家に大奥作ったおふくは死刑だ(-_-メ)
362 :
人間七七四年:2007/10/03(水) 12:56:04 ID:ujkZKeah
戦いに勝つは易し、勝ちを守るは難し
野村克也
363 :
人間七七四年:2007/10/03(水) 14:18:19 ID:ZmjWKSpI
関ヶ原直後に先鋒で活躍した福島正則を安芸に流した時点で
家康の勝ち。
364 :
人間七七四年:2007/10/03(水) 20:21:57 ID:gi53ctTz
あいつら単純だから、加増で僻地へ飛ばされてんだよね
365 :
人間七七四年:2007/10/04(木) 03:51:13 ID:HoZNOAF6
家康って人質時代の今川家の旧臣何人か切腹してるよね
信長の武田征伐にはノーと言えるのに自分の妻子殺しは黙認する
築山殺害について家康に責任がないとは思えないし
上記に示したように今川の家臣を何人か殺害している
信長以上に今川の血を憎んでいた可能性はある
366 :
人間七七四年:2007/10/04(木) 09:56:34 ID:GjCuXomt
信長以上にと言うが、信長は今川の血云々にはこだわって
なかったと思う。
氏真の蹴鞠を見物したりしてるんだし。
信康を殺したのが信長の命令説では、信康が今川の血を
引いてることに信長がこだわっていたとされるが、
だったら最初から五徳を嫁になんかやらないだろう。
367 :
人間七七四年:2007/10/04(木) 14:05:50 ID:yTm2UHcE
>家康って人質時代の今川家の旧臣何人か切腹してるよね
何かの仕返しじゃないの?
>築山殺害について家康に責任がないとは思えないし
政略結婚に責任なんて無いよ。
>信康が今川の血を引いてる
関口形部ってそんなに今川家に近かったんだっけ?
368 :
人間七七四年:2007/10/04(木) 14:08:05 ID:5knhAOVO
家康が幼少時、鷹狩してて勝手に人の庭を荒らした
その家人が嫌味を言ったら、後年そいつを切腹させた
家康の恨みを忘れない粘着質な一面を表わす
現代でいえば、サッカーのボールを他人様の庭に蹴りこんだ馬鹿ガキが、大人になってから逆ギレしてその人を殺すようなもの
369 :
人間七七四年:2007/10/04(木) 19:13:55 ID:drxGPUaW
そう書くと
いかにも後年立場が逆転してからその地位を嵩に来て昔の恨みを晴らすために殺したようだが
単にそいつは今川滅亡後に武田家に仕えてて
そいつが篭ってた城が徳川に落とされたときに捕らえられて切腹(それも斬首ではない)させられたってだけなんだが
370 :
人間七七四年:2007/10/04(木) 21:01:32 ID:22KbkkyS
>>365 その今川の旧臣について具体的に書いてくれ。
それと今川と松平が敵対していた環境を抜きにしたら、
家康と氏真との関係はそれほど悪くないんだが。
あと、瀬名姫は武田と手紙のやりとりしてたと言われてなかったか。
家康を織田に売った戸田の行為は家康的にどうだったんだろうか。
戸田氏は家康のもとでかなり栄えたが。
371 :
人間七七四年:2007/10/04(木) 21:35:22 ID:qajLZMST
なんちゃらモンドとか言う奴で鷹云々は三河物語からだったんじゃないか
普通にそのなんちゃらモンドが反抗的な態度とったか何かしただけだろうと思うがね
鷹の件にしても、今川の西三河支配を強化する大事な客人が当時の元信
一家臣が粗略に扱うようなことして元信に告げ口されりゃ、どうなるか
372 :
人間七七四年:2007/10/04(木) 23:30:12 ID:BRKjwv6E
373 :
人間七七四年:2007/10/04(木) 23:56:37 ID:k+iyQ9ZU
>>369 捏造ひどいよね〜。
>戸田氏は家康のもとでかなり栄えたが
地元だからもっと詳しく!
>築山殿は今川義元の姪だが?
今川氏輝(父)の兄弟の子? 血縁じゃないよね?
374 :
人間七七四年:2007/10/05(金) 00:25:30 ID:xUjYPE2E
姪、ってことは血縁関係有りってことだろ。
375 :
人間七七四年:2007/10/05(金) 09:15:18 ID:Ew+GwjhO
376 :
人間七七四年:2007/10/05(金) 09:24:18 ID:2ucYkDyB
孕石主水のことだろ>鷹狩の件で切腹
家康が「我を咎めた孕石ならば切腹させ」とはっきり言ってるんだから明らかに怨恨だよ
377 :
人間七七四年:2007/10/05(金) 09:29:04 ID:2ucYkDyB
しかも孕石と同様に生け捕られた人間は、彼を除く全員が助命されているわけで
378 :
人間七七四年:2007/10/05(金) 09:32:52 ID:GSPKBhkp
怨恨でなんの問題があるんだよ?
戦国時代をなめてんのか!
379 :
人間七七四年:2007/10/05(金) 10:53:11 ID:2Vtv8WTK
全員助命したのは本当は人殺しあまり好きじゃないんだろ
甘いと思われたら致命的だから生贄に一人殺したのが昔因縁があった孕石
380 :
人間七七四年:2007/10/05(金) 10:55:44 ID:6Lrkz7FP
本願寺とか虐殺された坊さん達って
酒や女もやってて、ロクでもない坊主だったの?
381 :
人間七七四年:2007/10/05(金) 11:33:23 ID:Chyx0Elf
因縁っつっても家康が一方的に迷惑かけてただけじゃん
それに苦情言われたからって一人だけ殺す
普通に逆恨み
強いて家康を弁護する理由が思いつかない
382 :
人間七七四年:2007/10/05(金) 12:07:15 ID:6Lrkz7FP
意地悪されたのは間違い無いだろ。
383 :
人間七七四年:2007/10/05(金) 12:10:40 ID:Ew+GwjhO
>>378 家康のイメージ崩れるのが嫌だから必死に擁護してる連中にしてみれば大問題
384 :
人間七七四年:2007/10/05(金) 12:29:41 ID:tObpa0kD
>>364 豊臣時代の蒲生も単純といえるか?
嫌ってたのは人質分際で鷹狩など、とか、三河の宿無しとか
ネチネチいわれたことだろうな。
孕石主水の件は褒められたもんじゃないが、別に戦国時代に
敵将が切腹させられたぐらいたいしたことじゃないってことだろ。
助けなければいけないというわけでもない。
しかし、家康の若い頃はホント福島正則みたいな短気で荒武者っぽいな。
385 :
人間七七四年:2007/10/05(金) 13:04:42 ID:Chyx0Elf
>>384 その原因を作ったのは、何度も人の家の庭を荒らしたジュニア家康じゃんか
386 :
人間七七四年:2007/10/05(金) 13:17:22 ID:Ew+GwjhO
>>384 切腹させたこと自体は問題じゃないだろ
明確に怨恨を口にしたことがちょっと大人げなくね?ってことで
387 :
人間七七四年:2007/10/05(金) 13:38:30 ID:9CnLakHQ
怨恨でしょ
でなければ「咎めた奴なら殺せ」なんていわないよ
ちなみにただ庭に入っただけじゃなくて垣根ぶち壊しまでしていた家康
これで怒るなってほうが無理じゃあ?
388 :
人間七七四年:2007/10/05(金) 14:16:00 ID:6Lrkz7FP
>豊臣時代の蒲生も単純といえるか?
伊達を見張りたかったんじゃないの?
>家康の若い頃はホント福島正則みたいな短気で荒武者っぽいな
幼少の頃に耐えてるんだから、一生のんきでしょ?
>明確に怨恨を口にしたことがちょっと大人げなくね?ってことで
脱糞事件みたいな子供っぽいセリフが歴史小説には
頻出するけどそういうのって本当?
>ちなみにただ庭に入っただけじゃなくて垣根ぶち壊しまでしていた家康
い、家康公。 本当なのか?
389 :
人間七七四年:2007/10/05(金) 14:18:41 ID:6Lrkz7FP
都心でも地方でも、ちょっとした丘が山城跡に成ってて
何も無いんだけど昔の足軽とかは、
こんな秘密基地遊びみたいなところを、
命がけで守ってたんだなと思うと、虚しい気持ちに成ったり、
ロマンを感じたりしないか?
390 :
人間七七四年:2007/10/05(金) 14:20:36 ID:Ew+GwjhO
>>388 脱糞事件は所謂顰め像のエピソードと一緒に伝わっている話なので、
顰め像のエピソードが本当なら家康自身が認めてたことになる
391 :
人間七七四年:2007/10/06(土) 09:05:36 ID:CdBmk+ee
家康は執念深いよ
酒井忠次なんて、信康切腹事件で弁明しなかったってだけで息子に相続させる領土を半分以下に削減されているもの
そもそも家康の処罰の追認を信長に求める使者だったにすぎないし。家康の指示でもなければ陪臣の身で信長にそんな口利けるわけがない
家康のこの手の行為は、逆恨みか八つ当たりだからタチが悪い
392 :
人間七七四年:2007/10/06(土) 10:31:03 ID:sBPNYrjs
>>391 滅茶苦茶、アンチ的偏見の典型だな
酒井が信長に会ったのは事前だし、
追認を求める使者がなんで弁明しなければならない?
酒井としては殺されなかっただけ儲けものだし、
家康はこの事件を利用して四天王筆頭が大きくなりすぎるのを防いだ
393 :
人間七七四年:2007/10/06(土) 10:35:06 ID:KShp1ydL
>>392 だから八つ当たりでしょ
酒井は弁明なんてできるはずもなかったのに、それを理由に息子を実質減封
本人にやるのではなく次代にとばっちり飛ばすあたりが嫌味すぎ
394 :
人間七七四年:2007/10/06(土) 10:52:05 ID:amSg5Dyl
むしろ徳川史観で悪妻としている五徳こそが信長に信康助命を嘆願している件。
徳川って……
395 :
人間七七四年:2007/10/06(土) 11:56:40 ID:9yjh2o+J
>>391と
>>392の間に事実認識に相違がある。
>>391は従来の通説。
>>392は信康殺害は家康の意思で、酒井はそれを信長の許可を
もらいに行っただけという新説。当然、後年家康が酒井に
「お前でも息子は可愛いか?」などと嫌味を言ったというのも
作り話ということになる。
これでは話がかみ合うわけがない。
396 :
人間七七四年:2007/10/06(土) 12:06:48 ID:xXzncFnm
弁明しようにも容疑が事実だった場合は、やっぱり忠次に何かできるわけがないな
他の譜代重臣格が10万石ほど貰っているのに、酒井家だけ3万石程度
後に加増されて14万石ほどになるが、大老とかの幕府閣僚ポストからは完全に干されている
信康事件が原因かはともかくとして、何か家康に嫌われることはあったんじゃ?
397 :
人間七七四年:2007/10/06(土) 12:36:44 ID:xmIpNEgU
>>396 井伊家以外は関が原以降は冷遇されている。ぎり榊原家だけは、秀忠存命中まで。
本多、酒井家は幕府の中枢から外された。井伊家だけが大老を何回も輩出。結果。
家康と、あーっ!の関係だった井伊直政は、子孫も幕末まで幕府に重宝された。譜代で30
万石超えるってどんだけの優遇だよ。
398 :
人間七七四年:2007/10/06(土) 15:17:46 ID:Pbc/RkrH
酒井忠次は本能寺後の信濃制圧の時にはその最高責任者と
されており、別に冷遇ではないと思う。
信康切腹が信長の命令説ではそれは酒井は厚遇だとして
通説に対する疑問の一つになってるくらいだし、
関ヶ原以後はともかく、酒井は冷遇などされていないだろう。
399 :
人間七七四年:2007/10/08(月) 10:37:02 ID:Naca7n9g
>>396-397 酒井忠次の子孫が封じられた庄内藩は表高14万石だが、実高30万石位に匹敵する裕福な藩だった。
2代秀忠以下が将軍になれたのは信康がいなくなったおかげだから、
忠次には感謝しているんだろう。
400 :
人間七七四年:2007/10/08(月) 11:06:06 ID:NAiMSIBO
問題になっているのは家康の酒井家に対する処遇で、それが私怨からといえるかどうかでしょ
幕末までは話し飛びすぎ
家督相続の時に、領土を削ったわけでしょ
例えば本多(忠勝)家は本家の領土をそのまま次代に継がせた上、分家までそれなりの大名にしているのに
酒井は有能だから現役中はどうにも捨てられなかったが、隠居したら負の感情が噴出したという感じだな
401 :
人間七七四年:2007/10/08(月) 11:50:03 ID:Naca7n9g
私怨的部分がないことはないだろうが、政権中枢に関与する者には知行を多く与えないという
後の徳川幕府の原則がここで実施されたことの意義が大きい
402 :
人間七七四年:2007/10/08(月) 11:54:42 ID:Bu7Vyhr/
>>1 一万円札…表:徳川家康 裏:江戸城
五千円札…表:豊臣秀吉 裏:大坂城
二千円札…表:織田信長 裏:安土城
千円札……表:君 裏:俺
403 :
人間七七四年:2007/10/08(月) 12:18:40 ID:7d0J6WNQ
忠次の冷遇は信濃平定で下手を打ったからかと
404 :
人間七七四年:2007/10/08(月) 12:40:51 ID:gBi2ueVh
家康は私怨(つか八つ当たり含む)を忘れない人物
家康に憎まれて意趣返しされなかったものはいない
本人にできなければ息子に被害を及ぼす
405 :
人間七七四年:2007/10/08(月) 12:46:44 ID:5VCF6ve3
>>394 従来の説だと徳姫が築山殿の行状と信康の悪事十二条を
信長に訴えたのが事の発端と言われてるからなあ。
信康の助命嘆願をしたからそれは疑問だといってもいいんだが、
信康に側室もいて実際夫婦不仲な時期はあったし、
信康が徳姫付きの腰元切ったりしてるわけで、
徳姫はここまで大事になると思っていなかった、
また、だから家康も助命嘆願の件を考慮して2000石を与えた
という解釈は十分考えられそうだ。
406 :
人間七七四年:2007/10/08(月) 12:56:04 ID:3DGFOYTj
酒井忠次はその12ヶ条のうち、2ヶ条については弁明した
一応、言うだけはいっているよ
それに弁明が駄目だったのが罪なら、同行した大久保忠世も同罪じゃん
それでお前でも息子が可愛いか、とは酷い
責任は自分の息子の不行跡だろうに
407 :
人間七七四年:2007/10/08(月) 13:58:56 ID:Naca7n9g
優れた外交官なら真実を述べるんじゃなく、
自国側に有利になるように交渉するのが当然。
無骨な忠次にそこまで期待するのは酷といえば酷だが。
408 :
人間七七四年:2007/10/08(月) 23:33:57 ID:9KySO5G6
>>406 あれ?十二条のうち十条だか八条までその通りと答えて、「ここまで事実なら残りも確認するまでもない」
となったという話は聞いているけど。
409 :
人間七七四年:2007/10/09(火) 00:03:10 ID:ksVmj1gv
松平氏は平氏の流れを組む可能性のが高い
「平」が入る姓は平氏の末裔
410 :
人間七七四年:2007/10/09(火) 00:42:25 ID:ROwNy8mI
アンチさんは信康を切腹させたのは家康の意思だとも言い、
酒井を冷遇したのは信長に弁明できなかったことへの怨恨だとも非難する
少なくともどちらかは確実に嘘
411 :
人間七七四年:2007/10/09(火) 09:39:55 ID:YjqBJMuX
>>410 正論を書いたあんたはアンチ君たちにスルーされると見る。
412 :
人間七七四年:2007/10/09(火) 09:56:56 ID:v2XbFPRp
もしかして家康が大久保忠隣(忠世嫡男)への讒言をあっさり受け入れたのも遠い昔の意趣返しか?
徳川実記さえ「なんであの爺さん(密告者)は、その歳で誰かに唆されたのか忠臣(忠隣)を讒訴するなんて」と書いているものを理由に家康によって大久保宗家改易
でもさすがにタイムラグがありすぎるような?
413 :
人間七七四年:2007/10/09(火) 10:59:15 ID:LpL4rfN8
>>410 先に酒井の件持ち出してきたのは信者さんの方だと思うのですよ
それに対して「家康主導説と酒井冷遇は両立しない」とはっきり見解示したアンチさんもいたよね
まあ今はなんかグチャグチャになっちゃってるけど
414 :
人間七七四年:2007/10/09(火) 11:07:29 ID:tIr0bfaz
「お前でも息子が可愛いのか」という言葉が信康事件の皮肉とかじゃなくて
普通の嫌味だったりして
415 :
人間七七四年:2007/10/09(火) 13:16:35 ID:8oXm3U9u
家康としては、岡崎派閥を作った息子は処断しないと示しがつかなかった
しかし同時に信康は信長の娘婿で、その意向が助命ならそれを口実に助けることもできた
が、信長は徳川家内の問題として切腹容認
酒井の役目は指令への抗弁ではなく、信長から助命の言質を引き出すこと、じゃなかったんだろうか。しかしそれに失敗
これなら整合性がある
416 :
人間七七四年:2007/10/09(火) 15:57:28 ID:C03ndNbj
客観的に見た場合、
>>391=信者
>>395=アンチ
となるとは思えないんだが。
思いがけない事言われるとどうも弱気になってしまう。
417 :
人間七七四年:2007/10/10(水) 08:02:22 ID:C7J4KgnO
見る人によっては、悪徳も美徳となるしその逆もあるからな
例えば家康が一向衆の寺院を講和後に「元のままにする、というのは現状維持の約束ではなくてもとの野原にする事だ」として潰した件なんて
評価しない側から見れば、卑劣な策略
評価する側から見れば、出血を最小限で禍根を絶つ智謀
同じ事象でもそんな風に分かれるでしょ
418 :
人間七七四年:2007/10/10(水) 09:44:34 ID:uUsynPxp
戦国時代に甘いな。
義経なんか壇ノ浦で舟の漕ぎ手を攻撃するという当時の常識では
考えられないズルい手を使ったからこそ勝利した。
419 :
人間七七四年:2007/10/10(水) 09:54:14 ID:NdgD7wt2
子供時代の意趣返しや、代代わりを狙っての減封なんて戦略とか戦術とは無関係じゃんw
420 :
人間七七四年:2007/10/10(水) 23:14:42 ID:i5arbKAR
ここ本スレ?
それにしてはpart3て少ないね・・・
421 :
人間七七四年:2007/10/10(水) 23:24:45 ID:I/gEg+wW
過疎の戦国板でPart3はすごい事ですが
422 :
人間七七四年:2007/10/11(木) 02:06:47 ID:uXUC5Rx+
5年位前の三戦板の勢いはすごかったんだけどね
史上最強の騎馬軍団スレができた頃
423 :
人間七七四年:2007/10/11(木) 03:41:17 ID:hfHYaJ+4
>>418 自らの意思でどちらかの軍につき戦場に出ていて、流れ弓に当たる場合もあり
敵が船に乗り移ってきたら怪我を負い、船と共に転覆する可能性もある漕ぎ手が
非戦闘員で殺すのは非常識で、義経が漕ぎ手を殺したから卑怯と言うのは
どうも腑に落ちないんだが。当時の人も漕ぎ手殺しは批判してないし
(現代では、奇襲だから卑怯と言われてる鵯越も批判されていない)
平家物語を読んだ後世の人間が「非戦闘員を殺すなんて卑怯」と言い出してるに過ぎない
敵味方が入り乱れる戦場で、両軍が漕ぎ手だけには危害を加えないように
避けて戦することが可能かどうかは、考えれば分かるはず
それにどちらかに加担した時点で、その軍のれっきとした「戦闘員」になってるわけで
命がけで船漕いで、人を殺すことを支援してるのに「非戦闘員」はないよ
424 :
人間七七四年:2007/10/11(木) 05:21:15 ID:+EIjZvSC
徳川家の子孫が知りたい
425 :
人間七七四年:2007/10/11(木) 08:45:39 ID:lWCyeyze
それはぐぐればなんとかなるっぺ
426 :
人間七七四年:2007/10/11(木) 09:25:30 ID:UM77R4sD
要は徳川は
糞
この家のために
にわか近代国家日本ができあがり
現在の悪い流れになっている。
427 :
人間七七四年:2007/10/11(木) 09:50:41 ID:ugb5knrH
そういう理屈なら糞は明治政府だろ。
それに400年前に死んだ家康を批判するのは筋違い。
428 :
人間七七四年:2007/10/11(木) 13:08:25 ID:UM77R4sD
300年近く続いた幕藩体制が日本の近代化を遅らせたんだよ。
その礎をつくった家康はやっぱり
糞
だいたい幕府なんかを開く時点で
先見性ゼロ
自家の保存のみの頭しかない並大名が
団栗の背比べで何とか生き残っただけの糞レベル。
こんなのを支持している椰子も
糞
糞スレ終了〜
429 :
仙台藩百姓:2007/10/11(木) 14:15:37 ID:8zIfyEaJ
幕臣は見事に無能揃いでしたおね( ^ω^)
430 :
人間七七四年:2007/10/11(木) 14:26:56 ID:K4n85mDz
家康はヤン・ヨーステンやウィリアム・アダムスといった外国人を公の顧問にしていた
別に閉鎖的ではないし、鎖国による安定を図ったのは秀忠・家光期
そしてそのお陰で三百年余の平和が保たれた
単因論的になんでも誰かのせいにすりゃいいってもんでもないだろw
431 :
仙台藩百姓:2007/10/11(木) 15:01:26 ID:8zIfyEaJ
というか徳川幕府が国を閉ざした事実はありませんお( ^ω^)
海外の物資や情報は入っていたけど幕閣は大した関心も示さず
二百数十年ボサッとしてただけですお
目の前まで欧米の侵出が及んでも危機感すら感じず
本土に上陸されて初めて慌て出すという奇跡的な無能っぷり┐ (´ω`) ┌
徳川幕府はさながら300年遅れたインカ帝国と言ったところだお
432 :
人間七七四年:2007/10/11(木) 15:21:11 ID:W4SihQZy
それこそ家康のせいでもなんでもないじゃねぇかw
まぁ、政宗が天下取るよかずっとマシ
何しろ援軍のお礼に日本半分を外国に売り渡す気だったんだから
日本初の売国奴。未遂で済んでよかったよかった
433 :
仙台藩百姓:2007/10/11(木) 15:33:05 ID:8zIfyEaJ
家康だけの責任とは言っていないお
家康も含めて徳川幕府はみんな揃って奇跡的無能と言うことだお( ^ω^)
徳川家は初めからろくな人物いないと幕臣自身が言ってるくらいだし┐ (´ω`) ┌
434 :
人間七七四年:2007/10/11(木) 15:43:39 ID:KfWou9Vj
>>432 >>何しろ援軍のお礼に日本半分を外国に売り渡す気だったんだから
これマジ?本当だとしたら政宗に幻滅だ。
435 :
仙台藩百姓:2007/10/11(木) 16:00:10 ID:alzHA5kY
当然ただの与太話だお( ^ω^)
ただ、政宗公ぐらいになると噂話しも膨れ上がり
政宗公なら有り得るのではと皆恐れるのだから大人物は凄いお( ^ω^)
436 :
人間七七四年:2007/10/11(木) 16:04:01 ID:cRFmg/rx
ローマ法王にも、政宗以下の家臣領民がみんな改宗しますよと擦り寄ってるからな
キリスト教の影響を排除しようとした幕府と真逆
しかし使節団が帰ってきたときには政宗もすっかり幕府に従順になってたから、支倉以下は実質幽閉されて……
437 :
人間七七四年:2007/10/11(木) 17:41:21 ID:lbr8zaJH
>>428 織豊時代は開けていてよかったということか?
>>433 家康に何を求めているのかがよくわかんね。
438 :
人間七七四年:2007/10/11(木) 18:26:05 ID:dp6WAWUE
日本が開国してうまくキリスト教国になったとしても
ありふれたつまらない国になっていただろうな。
地球上から日本という異色の国がなかったとしたら世界史的な損失。
439 :
人間七七四年:2007/10/11(木) 18:53:24 ID:lbr8zaJH
キリスト教弾圧なんてもともと秀吉晩年に行なわれていたけどな。
家康も貿易と宗教を分離していたが、ある意味黙認的な立場で、
キリシタンは1600年には30万、1610年には70万に達したとか。
440 :
人間七七四年:2007/10/11(木) 19:37:15 ID:MXDHtqjO
キリスト教は一つじゃないんだぜ。
カトリック国とプロテスタント国で分けて考えた方が良い。
幕府はあまり布教に熱心でないオランダ・イギリスといったプロテスタント国との
通商に軸足を移している。
ヤン・ヨーステンやウィリアム・アダムスもプロテスタント国出身だったはずだしな。
441 :
人間七七四年:2007/10/11(木) 22:20:19 ID:N/1xmGhh
>>428 地方分権による地域の活性化と多様性
現在の画一的な同じ日本人を生み出す教育や価値観が日本人を種として衰退させている。
442 :
人間七七四年:2007/10/12(金) 00:20:46 ID:pd3O59/O
>>441 というより情報社会への変革プロセスとして仕方ない一面でもあるんじゃないか。
443 :
人間七七四年:2007/10/12(金) 00:23:36 ID:bWSuFT0X
どうして家康から現代社会にとぶんじゃ。
今じゃなくて戦国末期としての評価でしょうに。
444 :
人間七七四年:2007/10/12(金) 10:00:39 ID:0GZmuSDS
秀吉にしろ家康にしろ、キリスト教徒の排他性に嫌気が差したんだよ
他の宗教を認めないから、キリシタン大名領内では神社仏閣が軒並み破壊なんて話も多いし
宣教師自体が奴隷売買したり(これは売り手の日本人にも問題あるが)、軍艦に乗ってデモンストレーションしたり、日本の領土を実質奪ったりと兎角警戒される行動が多かったし
それこそキリシタン武将が天下取ったのでもない限り、誰が天下とってもいずれ抑える方向にいったんじゃないか
445 :
人間七七四年:2007/10/12(金) 14:08:36 ID:/5NLvl5h
仙台藩百姓 ← 文体も内容もバカすぎ。歴史難民板から出てくるな。
446 :
人間七七四年:2007/10/12(金) 17:20:37 ID:BdaFNf8a
キリスト教徒の日本的封建社会における危険性というのに素早く気付いて対処した
秀吉はたいしたもんだと思うな。
いずれ抑える、前にどえりゃぁ広がってたら大変なことだったろうし、実際大名が農民に改宗をせまったり
危ないとこだったと思う。
親切にしておいて突然方向変えたからフロイスも秀吉はケチョンケチョンに言ってるしね。
結構な日本史における重要点だと思うよ。
447 :
人間七七四年:2007/10/12(金) 18:04:34 ID:KiHy567L
スペインやポルトガルにとっては、
神の教えをひろめるということが
侵略の目標でもあるからなあ。
イエズス会なんて政治団体だよ。
448 :
人間七七四年:2007/10/12(金) 19:24:29 ID:F9RitXFz
BS2で特集やるね
449 :
人間七七四年:2007/10/13(土) 06:56:51 ID:NnU6LqM6
450 :
人間七七四年:2007/10/13(土) 10:14:54 ID:3JdrnDW8
正解だったので次のお題に行く。
家康がシステムを作っておいたとはいえ秀忠、家光、このあたりの即位の時にもやっぱり
トラブルは起きている。
ここを乗り切ったことが徳川300年の基礎となってるんだろうけど、やっぱり3代目ぐらいが
一番危ないのかな。
足利も3代目にバケモノが出てその後は結構続いたのだけど、鎖国、大奥、このシステムをほぼ
完成させた家光は家康の生まれ変わりみたいなもんだったんだろな〜。
451 :
人間七七四年:2007/10/13(土) 10:28:04 ID:uNMAq8Bv
家光は側近達が優秀。
というより家光の代になると機構が整い、個人的活躍の場が少なくっている。
政治を動かしたのは老中、奉行などの行政組織の人間で、
家康、秀忠と比べれば幕政に及ぼした将軍の個性は小さい。
452 :
人間七七四年:2007/10/13(土) 10:38:20 ID:TqpnvxXY
>>446 仮に豊臣政権が続いていたとしても日本を完全に開放するわけにはいかないから、
徳川幕府ができなければ日本は海外に雄飛していたという話は妄想ということになるな。
453 :
人間七七四年:2007/10/13(土) 14:19:07 ID:uqEG4CmL
ところで、早死にして資料が少ないとはいえ信康スレってないんだね
関連スレも驚くほど少ない
454 :
人間七七四年:2007/10/13(土) 15:27:07 ID:OfgtIZgO
興味あるヤツ少ないだろ
455 :
人間七七四年:2007/10/13(土) 15:33:33 ID:uK00UivE
>>451 組織自体が優秀だったか、その中の個の人間が優秀だったか、このあたりは興味あるとこだね。
組織自体が優秀でないと300年も続かないだろうから。
もちろん弊害も矛盾点もあるだろうが、存続したという事実におそれいる。
>>452 海外に進出してそこの地元宗教をどうしてたかは永遠の謎ではあるけどね。
456 :
人間七七四年:2007/10/13(土) 16:09:33 ID:uqEG4CmL
457 :
人間七七四年:2007/10/13(土) 22:10:40 ID:hhh91BbU
>>450 戦国時代板の家康スレなんでねえ。
実戦経験のない家光なんかで話題を振らないでくれ。
458 :
人間七七四年:2007/10/14(日) 00:01:39 ID:ZosxlcwN
>>448 14日(日)だっけ。
ローカルな話題が多く見れそうな感じで、個人的にはツボに入りそう。
できればBSが見れる実家に帰って見てきたいと思ってるが…。
459 :
人間七七四年:2007/10/14(日) 13:02:24 ID:cu10hCbl
始まったよ
460 :
人間七七四年:2007/10/14(日) 14:56:13 ID:CdlnM86e
組織が優秀
461 :
人間七七四年:2007/10/14(日) 20:55:28 ID:unPCZziN
キリスト教を広めて西洋諸国に危機感がなくなったところで
本格的に、金銀などの資源を不平等な形で日本から搾り取って
植民地化に乗り込んで来たと思うがね
宗教なんて洗脳の一種だし、信者ならどんなに日本に害だと言われても
キリスト教諸国を支持するキリスト教一揆なんてのが頻発して
そうこうしてる間に日本分裂→西洋諸国が付け入って支配→独立まで数百年
独立しても、共用語はオランダ語・英語という東南アジアみたいな状況だったかもな
平和ボケして危機感が足りないのは、江戸時代に始まったことじゃなくて
元々日本は、地理的にも世界の抗争に巻き込まれにくかったから海外勢力に対する危機感が薄いんだよ。
鎌倉時代に世界に名を轟かせてるモンゴル軍が攻めて来るって言うのに
朝廷の奴らは「明日決めようか」なんて対策も立てず、花見に行こうとした位だし。
幕府がいてくれたおかげで何とか助かったが。
それすら理解できず、倒幕後は「やっと実権が戻った!また威張れる!」と
個人の安泰>>>(永遠に超えられない壁)>>>国の安泰と言う
大丈夫かこいつら…と思うような思考してるんだし
462 :
人間七七四年:2007/10/14(日) 22:57:57 ID:LJd6AkZw
家康の最後は狙撃されたんだって?良知家の子孫が言ってて学者の小和田さんも知ってたと言ってるけれど詳しいかたいれば教えてください。
463 :
人間七七四年:2007/10/14(日) 23:44:57 ID:SxtgHw5X
伝承なんていくつもあるよ
464 :
人間七七四年:2007/10/15(月) 09:11:44 ID:mbz+q++1
家康はエイズ
井伊も本当はエイズ
465 :
人間七七四年:2007/10/15(月) 20:59:27 ID:99xvGr8r
あの頃にもエイズがあったとは、勉強になりました。
466 :
人間七七四年:2007/10/16(火) 21:53:43 ID:h33LT8ZI
鑑定団の家康の書、本物だったね。
あるとこにはあるんだな、まだ。
467 :
人間七七四年:2007/10/20(土) 00:07:46 ID:9AunurEh
>14日(日)だっけ。
これ本当? TV雑誌には載ってないが。
468 :
人間七七四年:2007/10/20(土) 00:12:39 ID:c3JIJvqK
誤爆?
今日BSの家康番組を総合でやるんだっけ
469 :
あああ:2007/10/20(土) 01:55:48 ID:9AunurEh
>ただ、政宗公ぐらいになると噂話しも膨れ上がり
おまいがこのスレでやってる事と同じだな( ´,_ゝ`) ぷ
>>442 購買の多様性を考えれば、今でも充分バラバラだと思うが?
>仙台藩百姓 ← 文体も内容もバカすぎ。歴史難民板から出てくるな
色んな視点から話し合える良いパートナーだ。
>というより家光の代になると機構が整い、個人的活躍の場が少なくっている
それが安定の元にも、腐敗の元にもなるわけか。
>今日BSの家康番組を総合でやるんだっけ
番組表には書かれてないけど、いつどのチャンネル?
470 :
人間七七四年:2007/10/20(土) 10:13:33 ID:c3JIJvqK
NHKで家康番組やってる
これたぶん静岡だけだな、前回のBSは地域ごとに分けるのは不可能だけど地上波だから
471 :
人間七七四年:2007/10/20(土) 21:31:32 ID:wRonL9YL
だれか「血の城」って小説読んだ人いません?
信康切腹が家康による謀殺という設定になっててちょっと興味深い
472 :
人間七七四年:2007/10/20(土) 21:56:50 ID:Qa7IMHLe
読んだことある
あれは謀略だらけの話で面白かった。
473 :
人間七七四年:2007/10/20(土) 22:07:30 ID:ePtQmvUk
> NHKで家康番組やってる これたぶん静岡だけだな
確認した。 静岡めちゃうらやましい。
ってか静岡のやつ多いな。
474 :
人間七七四年:2007/10/20(土) 23:54:43 ID:wRonL9YL
475 :
人間七七四年:2007/10/21(日) 23:32:37 ID:ZALt1V1d
>>471 信康殺害が信長の命令でなく家康みずからの意思だというのは
谷口克広など研究者も指摘している。
また、自称作家の典厩五郎も「家康、封印された過去」という
本でそれを力説している。
それに続くというわけか。
476 :
人間七七四年:2007/10/22(月) 04:04:27 ID:0XCo79I4
結局最後は滅びるのが運命
北条氏の幕府も室町幕府も江戸幕府も全て死んでいく
477 :
人間七七四年:2007/10/22(月) 14:11:00 ID:GjrtEPbD
↑ 全部直系の末裔が居るだろう?
478 :
人間七七四年:2007/10/22(月) 20:28:05 ID:MsJSkNPH
479 :
人間七七四年:2007/10/22(月) 21:06:33 ID:zVOX0BDk
>>478 その谷口氏がその本「家康、封印された過去」について、
「典厩氏は作家と称しているが、この書は史論として
評価されるべきであろう」と言っている。
まずこの本を読んでみることを勧める。
ただの小説かどうかが分かる。
480 :
人間七七四年:2007/10/22(月) 22:47:09 ID:PMwhZOjK
>>476 平家→滅亡
鎌倉→源は滅亡、北条もほぼ全滅
南朝→滅亡ただし自称南朝は今でもいる
足利→喜連川として存続
織田→存続
豊臣→滅亡
徳川→存続
481 :
人間七七四年:2007/10/22(月) 23:29:30 ID:KnkUgx/9
NHKで言ってたんだけど、
会津松平氏の戊辰戦争の評価ってどうなの?
武士としてはかくありたいと思う。
生涯学習の英語授業で適当な偉人を3人英語で説明しろ
って宿題が出たんだけど、世界史でも何でも良いから
織豊以外で誰か良いネタ無いですか?
482 :
人間七七四年:2007/10/23(火) 07:12:42 ID:ddJJvgHb
徳川は政権のつぶれ方も上手かった。
貧乏くじの会津藩も、
名誉回復に成功して、現在の徳川当主は会津系の出身だったな。
家康に恐ろしく似てることでも有名だが。
毛利の当主なんぞより、よっぽど勝ち組だろ。
483 :
人間七七四年:2007/10/23(火) 12:49:38 ID:utN0CWtZ
>家康に恐ろしく似てることでも有名だが
まさか肖像画と似てるって事?
484 :
仙台藩百姓:2007/10/23(火) 14:07:52 ID:UJCO8AO+
可哀相に( ´ω`)
485 :
人間七七四年:2007/10/24(水) 07:13:47 ID:TEP+NQQA
簡単に言えば
家康は守りの人です
486 :
人間七七四年:2007/10/24(水) 07:30:58 ID:TEP+NQQA
信長の場合
攻めはできても守りが下手
だから死んだ
守りがうまい奴が結局生き残る
それが戦国時代だ
武田勝頼も今川義元もみんな攻めの人タイプだったから消えたんだ
487 :
人間七七四年:2007/10/24(水) 12:05:53 ID:MDpFNdQi
488 :
人間七七四年:2007/10/24(水) 13:28:40 ID:MziVQrq3
あー、なんかそれっぽい(というと失礼かw)
しかしちゃんと「徳」川の心の上に一が書いてある辺り、
子孫だなーと。
正式な徳川の「徳」の字ってIMEやATOKには入ってないよな。
バージョンが低いだけかも知れないけど。
489 :
人間七七四年:2007/10/24(水) 15:31:42 ID:4MGjtbyi
1本入ったのが正式なのか、、、知らなんだ。
確かに納得するお顔だね。 当代も家康公と同じように身長低いのかなぁ?
ところで暴れん坊将軍のCMとかでやってる、
大徳川展どうだった?
490 :
人間七七四年:2007/10/24(水) 22:03:26 ID:xlxTZwre
NHKに来たのか?
いや今日は脇役か
491 :
人間七七四年:2007/10/24(水) 22:23:35 ID:u50TNJek
そう言えば今日は毛利視点の関ヶ原だね。
まあその時歴史は動いたはNHK屈指の虚構番組だから・・・
492 :
人間七七四年:2007/10/24(水) 22:25:45 ID:xlxTZwre
キターwww
実況になるからもう書かないけど
493 :
人間七七四年:2007/10/24(水) 22:57:45 ID:QJpZlDsV
>>486 具体的な事例を挙げてくれないと、何とも言えん。
494 :
人間七七四年:2007/10/25(木) 00:00:50 ID:z/8KIoDf
家康が守りの人とはとても思えないんだが・・・
495 :
人間七七四年:2007/10/25(木) 01:27:33 ID:7YLf1CW9
家康は攻めの人間だよな。
分をわきまえて、堪えることを知っているだけで。
496 :
人間七七四年:2007/10/25(木) 01:53:36 ID:6tKTUaai
イメージ的には守りなんだろ
時期を待つなんてことができたのは家康だけだろう
497 :
人間七七四年:2007/10/25(木) 06:51:20 ID:AGx1Y1Ms
好機は絶対に逃さず、それ以外は絶対に無理はしない
大抵は絶好の好機を指を銜えて逃すか、いらん色気を出してその場で潰れるか、
上手くいっても身代以上のものを背負ってゆっくりと潰れるかだし
498 :
人間七七四年:2007/10/25(木) 15:11:16 ID:g8Yfu4ZO
例え大儲けを逃そうと、大損しそうな取引は一切せず、
今日のような軟調な時に地道に株主優待を拾う
私の投資法のような戦略なのだろう (^-^)
499 :
人間七七四年:2007/10/26(金) 00:15:57 ID:OwqgWifQ
「高価な茶器は無いけど、500騎の直臣団が宝物」
って逸話よりも泣ける話ある?
鳥居勝商と鳥居爺の岡崎城兵糧話と、伏見城の捨石血戦
鳥居ばかりだな。
500 :
人間七七四年:2007/10/26(金) 02:00:26 ID:T+n2dXYY
茶器抱えて自爆したジジイの逸話はマジ泣ける
501 :
人間七七四年:2007/10/26(金) 13:18:40 ID:AErztPKt
松永弾正でしょう? どう泣けるの?
502 :
人間七七四年:2007/10/26(金) 17:33:57 ID:F93loXTq
>>499 自分でもう書いてるじゃんwww
あとは三方が原で家康の身代わりになって家臣が死ぬことになったときの
やり取りを勝手に誇大妄想するのもあり
秀吉からおばさんを押し付けられたときもある意味、涙
信康自刃の一連に関しては家康というより介錯とかの家臣の方が泣けるだろうな
503 :
人間七七四年:2007/10/26(金) 17:44:55 ID:K2svufSG
504 :
人間七七四年:2007/10/26(金) 23:44:21 ID:IFgl+kqC
>あとは三方が原で家康の身代わりになって家臣が死ぬことになったときの
あれはよくある話では?
>秀吉からおばさんを押し付けられたときもある意味、涙
手くらい握ったのかな?
>信康自刃の一連に関しては家康というより介錯とかの家臣の方が泣けるだろうな
半蔵が介錯失敗して肩斬ったんだっけ?
505 :
人間七七四年:2007/10/27(土) 00:16:28 ID:dMBWG92A
>>504 ほったらかしにされる悲しい武将もいるよ・・・
506 :
人間七七四年:2007/10/27(土) 21:50:32 ID:VesKu/kZ
家康公の偉大さを英語で説明しなければ成らないが
家臣を大事にし、無理せず堅実に勢力を伸ばし、
個人のカリスマ性ではなく、組織力で天下を取った。
その精神はトヨタ自動車などの先進的経営に生かされている。
こんなスタンスに付け加えるべき項目はござらぬか?
507 :
人間七七四年:2007/10/29(月) 21:21:20 ID:qweHJ3xr
>>502 信康切腹は信長の命令でなく家康自らの意思という
説の方が現在では優勢。
「家康生涯の痛恨事」などというものではない。
508 :
人間七七四年:2007/10/31(水) 18:08:23 ID:kjuCpUSX
>>507 だから家康のことじゃなくて、信康周りの家臣の方が悲しんだということ
509 :
人間七七四年:2007/11/01(木) 02:57:18 ID:pT5cnY1y
徳川事件(とくがわじけん)とは、1928年に水平社と徳川家との間に起こった一連の事件をさす。
徳川幕府の子孫である徳川家達公爵に対し、水平社は部落差別の原因は徳川家が作ったとして辞爵を要求。
家達側はこれを拒否。後に、暗殺を企てたとして水平社のメンバー数名が逮捕され、1名が獄死。
戦後に参議院議員や部落解放同盟委員長となる松本治一郎もこのとき逮捕され、
これに怒った松本の知人・浜嘉蔵が徳川邸(900坪)に放火し、全焼させた。
510 :
人間七七四年:2007/11/01(木) 09:03:24 ID:KG7oQ3Ng
>>509 ここは何板だが知ってる?
スレタイ読める?
低能マルチ?
511 :
人間七七四年:2007/11/01(木) 15:37:07 ID:oLxEl/Jf
バッチリ合ってる板も無いんだから、堅いこと言うなや。
512 :
人間七七四年:2007/11/02(金) 19:51:21 ID:ImDr9AIL
>>507 信康切腹は信長の命令でなく家康自らの意思という
説の方が2chでは優勢、だろ
513 :
人間七七四年:2007/11/03(土) 00:15:46 ID:mEpVdVsy
仮に信康が真面目な良い子で誰にも警戒されずに長生きしたとしたら
50歳近くで二代将軍にしてもらい60歳近くで家康が死んでようやく名実ともに天下人
とはいえ三代目もとっくに中年だろうからすぐに譲って大御所になり
2〜3年で寿命死を迎え教科書でもスルーされそうな空気将軍になってそうな気がする
514 :
人間七七四年:2007/11/03(土) 00:28:56 ID:yF6xOWbu
女系だけど、嫡流の小笠原忠真さん。
515 :
人間七七四年:2007/11/03(土) 00:30:57 ID:SSfIp1J3
むしろ信康は信長の婿でもあるんだから後継者争いに名乗りを上げれるという利点もあったわな
516 :
人間七七四年:2007/11/03(土) 21:44:19 ID:9OxoaDfB
長男は切腹、次男を冷遇、三男が将軍、その後の息子たちも若死。
唯一長生きした忠輝は大ハズレ。
60歳になり関ヶ原の勝利以降に生まれた3人の息子は溺愛。
517 :
人間七七四年:2007/11/03(土) 22:38:33 ID:C/Kj4UDo
瀬名姫にそそのかされて謀反起こしかねなく育った信康はさておき
結城秀康はどうして冷遇? 豊臣家に入ったから?
それ以外の継嗣の冷遇理由も思い出せないぞ!
518 :
人間七七四年:2007/11/04(日) 00:01:09 ID:ILYDDUjW
その理由はでかいよ
何かというと秀吉秀吉といわれたら家康もチッてなるさ
519 :
人間七七四年:2007/11/04(日) 00:34:51 ID:pkZJBV1e
秀吉に関わる前から冷遇されてないか?>秀康
520 :
人間七七四年:2007/11/04(日) 02:48:35 ID:5hLtwSBf
正室が恐くて家臣に預けられ
ちっとも会わないのみかねて信康が目通り
秀吉に人質されたと思ったら結城家に追い出され
将軍職は秀忠にとられて
梅毒で鼻もとられて
かわいそうです(´;ω;`)
521 :
人間七七四年:2007/11/04(日) 08:19:58 ID:aWcIfp2x
生涯無職童貞な俺らとどっちがかわいそうだろうか
522 :
人間七七四年:2007/11/04(日) 10:22:12 ID:OzhQ8JMa
>それ以外の継嗣の冷遇理由も思い出せないぞ!
忠吉は尾張を、信吉は水戸を与えられてるから冷遇されてない。
本人が二十代で死んじゃっただけ。
両人が長く生きていれば義直は甲府だったかもしれない。
頼房は出番なくどこかへ養子かな。
523 :
人間七七四年:2007/11/04(日) 17:45:38 ID:yDBItbor
不思議と斎藤家の連中が絡むと宗教連中が大虐殺されるな
延暦寺は明智光秀の命令だし島原の乱は春日局が絡んだみたいだし
家光=ネロ
524 :
人間七七四年:2007/11/04(日) 21:08:07 ID:VC8NJull
延暦寺は信長はさほどやる気ではなかったんだけど、
光秀が徹底的にやっちゃった…という風にされてたっけ。
山科けいすけの「SENGOKU」だと。
あの漫画だと、家康はほとんどしゃべらなかったな。
525 :
人間七七四年:2007/11/04(日) 21:32:01 ID:fE8b6a8U
>生涯無職童貞な俺らとどっちがかわいそうだろうか
生涯無職でどう生きる?
>不思議と斎藤家の連中が絡むと宗教連中が大虐殺されるな
道三って坊主だったでしょ?
526 :
人間七七四年:2007/11/04(日) 21:35:04 ID:aWcIfp2x
527 :
人間七七四年:2007/11/05(月) 19:18:51 ID:pisAcBMO
徳川家ってクラディウス家に似てない?
家光が暴君ネロとか
よく初期ローマ帝国と戦国時代を比較するじゃんね
小アグリッピナが春日局とか
ティベリウスが家康とかさ
まあわからんが
528 :
人間七七四年:2007/11/06(火) 00:06:38 ID:/1aB5Fzo
まあ徳川家も哀れだよな
春日の局ら女どもに食い物にされて倒幕されるわけですから
529 :
人間七七四年:2007/11/06(火) 00:37:18 ID:zB6nIYma
国家財政を最も圧迫する部門が、大奥と言う時点でどうかしてる。
春日局は日本三大悪女の一人に充分はいりうるぜ。
530 :
人間七七四年:2007/11/06(火) 08:56:40 ID:3oIrNmoE
徳川家の使用人の分際で天皇に謁見、そのときに官職と春日局って
名前をもらった。家康はそんな無礼を許可したのだろうか?
531 :
仙台藩百姓:2007/11/06(火) 09:09:00 ID:UE3IDcgj
家康が欲ボケ爺と化したのが原因だね┐ (´ω`) ┌
532 :
人間七七四年:2007/11/06(火) 10:07:57 ID:gdpx+BrN
家康は、三方ヶ原で敗れた後、浜松城の門を開いて味方を迎え入れかつ武田を空城の計にかけて追い払った
敗戦時でも家臣を大事にし、軍略で危地を脱する
まさに一級の武将だ
『浜松御在城記』ではしっかり城門閉めたことになってるのは内緒だ
533 :
仙台藩百姓:2007/11/06(火) 10:35:33 ID:UE3IDcgj
そりゃ高天神城見殺しにして長篠城も見殺しにする寸前だった家康が
家臣大切とかとんだお笑いだお┐ (´ω`) ┌
534 :
人間七七四年:2007/11/06(火) 10:48:19 ID:REeWs22u
19 名前:名無しさん@八周年[sage] 投稿日:2007/10/30(火) 10:37:33 ID:xCED/HGt0
こんなの徳川家康に雇われた浪人がやってるにきまってるでしょ。
何でそんなことも分からない馬鹿が多いの?徳川家康に味方する理由として都合がいいからでしょ?
48 名前:名無しさん@八周年[] 投稿日:2007/10/30(火) 10:41:35 ID:m+uRf1C3O
>19
どんだけ石田三成に洗脳されてんだよ(笑あのへんの関係が悪いのは何十年も前から。徳川が上杉に出兵するのも当然。豊臣側陣営に都合が悪い情報はすべて陰謀かよ(笑)
59 名前:名無しさん@八周年[sage] 投稿日:2007/10/30(火) 10:43:19 ID:xCED/HGt0
>>48 宇喜多秀家とか見たほうがいいよ
徳川家康の汚いやり口を泳ぎながら説明しているから
535 :
人間七七四年:2007/11/06(火) 15:21:13 ID:Fq38WhfN
>>533 信長の指示。
会津藩最後の藩主の一般の評価ってどんなもん?
536 :
人間七七四年:2007/11/06(火) 18:04:51 ID:Xh7+WkGL
>>532 それやったのは酒井って話も有るし(だから太鼓があるわけで)
理由も逃げてきた者を向かえ入れるためってのもあるし
何が正しいことになってるの?
537 :
仙台藩百姓:2007/11/06(火) 19:51:29 ID:UE3IDcgj
>>535 誰の指示だろうが家康が家臣を見殺しにした事には寸分の違いもないお
くだらん言い逃れは恥の上塗りになるだけだお┐ (´ω`) ┌ヤレヤレ
538 :
↑:2007/11/07(水) 09:01:44 ID:W58tVGjg
バカ丸出し
539 :
人間七七四年:2007/11/07(水) 09:25:13 ID:nm5WlMmL
酒井の出世太鼓だっけか?
540 :
人間七七四年:2007/11/07(水) 18:38:06 ID:EzkHjQj+
あれも創作だったとも言われてるし
完全に正しい記録なんてないからしょうがないね
541 :
人間七七四年:2007/11/08(木) 10:15:59 ID:SAJ9ufpf
創作だったからと否定しちゃうと戦国の面白いエピソードが激減してしまうじゃないか。
542 :
人間七七四年:2007/11/08(木) 13:02:37 ID:zA6lFWxz
じゃあ大久保党の犀ヶ崖奇襲も怪しい?
543 :
人間七七四年:2007/11/08(木) 18:18:03 ID:L6K5e2o8
奇襲は実際にあったとしても変じゃないが
その後の怨霊は創作だよ
あっ怨霊とかどーでもいいねwww
布橋は創作だって話はあるが
544 :
人間七七四年:2007/11/08(木) 19:04:19 ID:NIHKTKMf
というか誰の説かも示さず創作といわれても・・
それを鵜呑みにするほうもどうかしてるw
545 :
人間七七四年:2007/11/08(木) 20:05:34 ID:L6K5e2o8
そういうのは歴史専門家に任せる
546 :
人間七七四年:2007/11/09(金) 23:33:04 ID:0NVjACEI
>>530 その頃は家康はとっくに他界してますが?秀忠も隠居で死ぬ前だから家光に文句言え。
一応、公家の猷子になって参内してるし。
547 :
人間七七四年:2007/11/11(日) 11:07:48 ID:gdATUuGv
最近読んだ話で、家康の性格について書かれた部分で、
実は好戦的だったという部分が興味深かった
特にその中でも、戦国期を通して一向一揆に対して
融和策をとらなかった珍しい武将と書かれてた事
それ見て確かになと
548 :
人間七七四年:2007/11/11(日) 11:14:42 ID:w4ItrpDG
戦争とは政治であり政治とは戦争だということがわかっていたんだな。
549 :
人間七七四年:2007/11/11(日) 12:48:51 ID:gdATUuGv
>>547ついでに補足
例えば武田家は本願寺と姻戚だった関係から敵対しなかったし、
朝倉家その他は一向宗と馴れ合うことで平穏を保ってた
信長にいたっては大喧嘩はしたが結局10年もかかってから朝廷の和平工作で停戦しただけと
総本山と戦ったから規模が違うけどね・・・
でも家康は単独で武力や工作によって地域の一揆鎮圧をしたとのこと
更に、重複理由はあれど三方ヶ原で武田に向かっていったのも、
天下人になりつつあった秀吉に真っ向勝負したのも、
家康がただの穏健な性格ではなかった事を示しているとあった
確かになるほどなあと
>>548 まさに対秀吉の戦いは、あれで勝ったからこそ秀吉にも
家康やはり侮れずの思いを強くさせたわけで、後々にまで響いたものだし
そういう点では政治的な駆け引きに戦を使ったいい例だよねえ
だって万が一あそこで負けてたりしたら・・・
まあ知ってる人にとってはそんなのガイスツだといわれるけど
あらためて感じたということで
550 :
人間七七四年:2007/11/11(日) 15:33:48 ID:4hDJD4Ev
家康は待ちの人と言われるけど、
主導権を握れるときは自ら積極的に徹底的に動くんだよな。
そこら辺のしたたかさは見ていて圧巻。
551 :
人間七七四年:2007/11/11(日) 15:41:42 ID:Hz58W1ad
上野国立博物館に到着したので記念カキコ
552 :
人間七七四年:2007/11/11(日) 17:09:56 ID:FWYlMBhe
1時間と少しじゃ足りないだろに。
553 :
人間七七四年:2007/11/11(日) 18:38:35 ID:fnpALQRi
南蛮胴甲冑の異常な量を見ると、家康が保守的な男ではないのが良く解る
554 :
平山貴士:2007/11/12(月) 16:28:49 ID:XrrgpWkk
関ヶ原で家康が南蛮式甲冑、天海が黄金色の甲冑をまとっていて
周りが仰天したと聞きましたが本当でしょうか?
555 :
人間七七四年:2007/11/12(月) 23:06:56 ID:xGZnNo84
時代劇で、刺客が鎖かたびらとか着てないのは何で?
たいていが殺され要員だから。
557 :
人間七七四年:2007/11/14(水) 20:29:44 ID:oXOjbsqr
こう考える人はあまりいないんだけど、信長と家康は、結構似ているところがあると思う。
両者ともに平時の戦略は慎重に情勢を見て勝てる要因をつくってから戦をしかけるんだけど、
いざ、生か?死か?みたいな大博打の状況になると両者ともに突っ込んで行くタイプ。
信長と家康は両者ともに、若い時点で当時、最強とされるような強国と生きるか死ぬかの戦やってるんだよね。
信長は今川義元。家康は武田信玄。
そこで信長は大勝利を治め、かたや家康は死んでいてもおかしくない大敗北。
歴史に残る桶狭間の奇襲以降、破竹の勢いで上洛を果たした信長が、本能寺で歴史に残る明智光秀の奇襲に倒れ、
三方ヶ原で武田軍に徹底的にやられた家康が、後に徳川軍に武田流の軍学をとりいれて小牧長久手〜関ヶ原で大勝利を治める。
なんていうか歴史の浪漫みたいなものを感じる。
558 :
人間七七四年:2007/11/14(水) 20:34:45 ID:j1skXVhN
今川は挟間になんて居なかったというのが、最近の通説。
559 :
人間七七四年:2007/11/14(水) 20:48:10 ID:7qoVseum
石川数正が出奔した後、軍制を武田流に変えたとかいいますが、イマイチ意味が分かりません。
どういう意味なんでしょうか? 武田流とは?
560 :
人間七七四年:2007/11/14(水) 21:51:02 ID:H6ZQprjU
偵察の仕方とか陣形の組み方とか交戦開始距離とかそんなもの「らしい」
561 :
人間七七四年:2007/11/14(水) 23:24:17 ID:JZDk8c2R
でも石川出奔で慌てて変えたんじゃないらしいという話も
もともと変える予定はあったみたい
最近読んだ本に書いてあった
562 :
人間七七四年:2007/11/14(水) 23:35:04 ID:1Y5U54Lh
関ヶ原で大勝利って甲州軍学のおかげじゃないだろ
徳川は朝鮮に行って大規模野戦の経験を積んでないから
戦術的に遅れていたなんていう説もあるくらいだ
563 :
人間七七四年:2007/11/15(木) 00:47:49 ID:V6BqV8Vm
関が原は謀略で勝ったからまともな野戦じゃないよ
564 :
人間七七四年:2007/11/15(木) 02:16:55 ID:tK+YhYmf
謀略で勝てるんならそれに越したことはないだろ。
565 :
人間七七四年:2007/11/15(木) 02:36:33 ID:FHPF27Li
羽柴秀吉のほうが源頼朝に近い
566 :
人間七七四年:2007/11/15(木) 06:30:04 ID:aIMYyqii
むしろ軍制を武田流に変えてから逆に徳川軍弱くなった気がするなw
小牧・長久手で秀吉に一泡吹かせた頃がピークで、
後の関ヶ原の合戦や大坂の陣では徳川本隊は際立った活躍はしてない印象
大坂の陣では真田隊に一時突き崩されるという大失態を演じてる>徳川の旗本
まあ関東転封で精強な三河兵が使えなくなったとか(これはちょっと眉唾かも)、
世代交代で実戦を経験した連中が少なくなったとかいくらでも理由はあるけどさ
567 :
人間七七四年:2007/11/15(木) 07:03:45 ID:IetRjhTC
568 :
人間七七四年:2007/11/15(木) 07:24:14 ID:IetRjhTC
一応、大番なんかは武田軍制から引き継いだと言う人もいる
但し、武将に与力として付属させる形ではなく、組編制として番頭を
定期的に変更しているのを見ると、軍事制度では家康は時代を先取りしている
問題なのは小田原合戦後の実戦経験の途絶で、これを何とかするために家康は
軍書の刊行や大規模な鷹狩などを行っている
569 :
人間七七四年:2007/11/15(木) 10:13:30 ID:26uvdPGd
>>566 世代交代はかなり深刻だったみたいだな。
大坂の陣では、家康自ら徳川軍(具体的には井伊隊)に対して失望してる。
対して大坂方は行き場のない浪人=戦歴豊富な連中だから、
兵の質では差が出てしまったんだろうね。
570 :
人間七七四年:2007/11/15(木) 15:33:07 ID:FS/XG9Fi
↑ それって20代より40代の方が強いって事だよね?
具体的にどういう部分で強いのか考えてみて!
>むしろ軍制を武田流に変えてから逆に徳川軍弱くなった気がするなw
そうして力を温存させるのが数正の狙いでは?
>まあ関東転封で精強な三河兵が使えなくなったとか(これはちょっと眉唾かも)、
足軽に強いも弱いもあるのか? 寒さ以外で。
571 :
人間七七四年:2007/11/15(木) 19:15:34 ID:26uvdPGd
初陣が15歳だとして、関ヶ原で初陣だった武士ですら30を超える訳だ。
つまり20代はまず間違いなく、大坂の陣が初陣。
身体能力がどうのとか老いがどうのとか以前の問題。
もう少し言えば朝鮮渡海組以外の大名家は関ヶ原を除いて、さらに10年長く戦をやっていない。
徳川や伊達なんかがそうだな。
つまり内地組で、小田原の陣が初陣だったやつでも40歳を超えるわけ。
それ以前、戦場を駆けめぐったベテランは大体45〜60くらいだろうね。
これを世代交代と呼ばずして何と呼ぼう。
572 :
人間七七四年:2007/11/15(木) 19:23:34 ID:KIuXFYQh
>>566 関が原は徳川本体は秀忠の方にあったということ
もちろんそこで真田にやられたのはアレだけど、
そもそもやらんでいい戦いをやった時点で
あれは秀忠に拳骨、軍兵に罪は無しww
家康の部隊、ということなら、後ろの備えみたいな感じで特に前には出てないよね
だから関が原本戦は実質石田支持派とアンチ石田派の対決で徳川は実は前面に出てない
せいぜい忠吉・井伊ぐらいだけ、本多もお目付け役程度の数しかないし
家康は煽ってうまく乗せただけ、みたいな
という聞きかじり状態で勘弁して
>>569 実際、武将の名前をみても、バリバリの戦経験者は、大坂方ばっかりだもんね
関東方は家康と伊達政宗ぐらいかな
あと戦国が終わりつつある頃に育っちゃったお坊ちゃん
真田の突撃にしても後先考えてなかったから出来たことだしね
とりあえず俺たちは全滅覚悟で家康の首を獲る
獲ったら後は残ったみんなで頼む、っていう
573 :
人間七七四年:2007/11/15(木) 20:02:08 ID:Fg5tnc8A
大阪の陣については詳しくないんだが徳川方で朝鮮・関ヶ原経験者なら
立花宗茂、藤堂高虎、上杉景勝なんかもいたんじゃねーの?
戦の経験量は伊達とあんまり違わない印象だが
細川忠興や黒田長政はいたんだっけか
574 :
人間七七四年:2007/11/15(木) 20:17:46 ID:+nf7oyBp
>>572 秀忠隊が徳川家の本隊という考えには同意できない。
この考えは寄騎同心制を理解していない暴論。
575 :
人間七七四年:2007/11/15(木) 20:32:10 ID:rcTTTKWZ
>>573 指揮官も問題だろうけど、下級指揮官や兵の戦闘経験の差が著しく開いているかと。
徳川方は新兵と古参兵の混合だけど、
大坂方はほぼ古参兵のあつまり。
576 :
人間七七四年:2007/11/15(木) 21:26:39 ID:nssWgni7
まあ、大坂方は大坂方で寄せ集めによる、機動力の欠如と言った大問題を抱えていたんだけど
577 :
人間七七四年:2007/11/15(木) 23:09:52 ID:aVQHCxyL
後藤又兵衛。朝鮮の役、関ヶ原、大阪の陣。これほど、歴戦の名将も珍しいだろう。
その割りには、あんまり知名度が無いなぁ。真田が全部持って行った感じ。不遇な
最期。
578 :
人間七七四年:2007/11/15(木) 23:38:56 ID:KIuXFYQh
>>574 同道した武将の顔ぶれが違うとのこと
見方はいろいろあるからね
>>577 家康と直接喧嘩したのは真田だけだからね
他にも明石・長宗我部といたのに
579 :
人間七七四年:2007/11/16(金) 00:48:55 ID:QqmaxVG6
大阪方の個々人が強かったてのには賛成。
元禄の赤穂浪士でさえ転落すれば酷い暮らしが待っていた。
繁華な江戸の真ん中でさえ、武士にこだわると食っていけない。
まして織豊末期の田舎で浪人なんかしていたら…
大阪城に居ればとにかく飯は食えるし、屋根の下で寝られるし。
たった一つの居場所なんだから、必死で守るのも当然だ。
580 :
人間七七四年:2007/11/16(金) 05:19:25 ID:DCg5oaf1
いや江戸は物価が高いから、転落して無くても武士は生活がきつい。
旗本らは言うに及ばず、二重生活が待っている単身赴任組もきつい。
いわんや、職を失った武士をや。
581 :
人間七七四年:2007/11/16(金) 07:24:48 ID:q2hqmkLv
>>578 秀忠隊主力説は笠谷氏が唱えたもので、その論点は大身の大名が多数含まれてるから
としている。
しかしこれは元々、大身の大名が北方の国境警備を目的として配されていたからであり、
中仙道を進む、秀忠隊にそれが集中するのは当然なのである。
無論例外(東軍外様目付役となった井伊や、逆に秀忠の守役である大久保はそれぞれ
逆の方面隊についている)
582 :
人間七七四年:2007/11/16(金) 12:11:24 ID:6BQqPkAl
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583 :
人間七七四年:2007/11/16(金) 21:45:37 ID:XfYpFVnU
>とりあえず俺たちは全滅覚悟で家康の首を獲る
>獲ったら後は残ったみんなで頼む、っていう
現代の平和も真田みたいなやつのせいで
一気に崩れそうで怖いな(′・_・`)
584 :
人間七七四年:2007/11/19(月) 23:25:37 ID:HKpdgHuZ
一向宗とかって、坊さんらしくしてなかったから
信長に焼き討ちにされたんじゃないの?
信長スレだと叩かれるから、徳川方の意見を聞きたい。
585 :
人間七七四年:2007/11/20(火) 00:19:10 ID:4WzEYSaD
関ヶ原の戦で、
本物の徳川家康は死んで、
影武者家康がそこから、
指揮を執ったらしいぞ。
影武者家康も大阪夏の陣の1年後、
毒入り天プラで毒殺されてしまいました。
586 :
人間七七四年:2007/11/20(火) 02:04:05 ID:kvJik9tY
587 :
人間七七四年:2007/11/20(火) 02:06:20 ID:kvJik9tY
>>584 らしくなかったのは比叡山が突出してたんでは
いないはずの女子供が山から逃げてきたから切り殺したとかいうし
でもこれも逸話?
一向宗自体はあんまり知らないな
当時の宗教に食い込む話だから
588 :
人間七七四年:2007/11/20(火) 06:34:12 ID:kBO/2JXX
>>584 比叡山は天台宗。
まあ俗世の既得権益にしがみつくようになったら宗教は終わりだけどね。
589 :
人間七七四年:2007/11/20(火) 06:44:44 ID:X15cLpHl
>>584 腐敗云々と言うより、宗教権力と経済利権の双方を有している存在を嫌った
為政者にとって金を持った宗教ほど恐ろしいものは無い
590 :
人間七七四年:2007/11/20(火) 09:44:55 ID:hj98DAH2
僧兵という存在そのものが現代の感覚では理解できない。
オウムみたいな感じかね。
591 :
人間七七四年:2007/11/20(火) 12:46:28 ID:ibNIT8Jv
>>590 宗教という面を取り外したらただの領主だから
領地を守るためには武装化は必須
592 :
人間七七四年:2007/11/20(火) 16:25:16 ID:tipPA8sq
領地なのか分からんけど、いろんな政治勢力とくっ付いたり
女や酒やった時点で地侍と同じ扱いされても、文句無いよね?
593 :
人間七七四年:2007/11/23(金) 20:50:22 ID:OVLCwsqK
宗教入ってるやつって、どうしてあんなに暑苦しいんだろな
594 :
人間七七四年:2007/11/24(土) 10:19:59 ID:6r57OU/h
ずっと気になってたことがあるけど。
関東移封の際に小田原城じゃなくてなぜ居城を江戸城にしたんだろう?
595 :
人間七七四年:2007/11/24(土) 10:59:39 ID:Y8PHsNSP
秀吉の命令
596 :
人間七七四年:2007/11/24(土) 11:17:23 ID:nhWVU9OA
小田原じゃなく江戸城を居城にした理由はそれなりに語られてるだろ。
597 :
人間七七四年:2007/11/24(土) 20:57:44 ID:xcUyWuE3
巨大城下町を要害にするため、水が豊富な江戸にしたのでは?
598 :
人間七七四年:2007/11/24(土) 21:07:45 ID:+Y6zT2LV
>>597 水は上水引かんとどうにもならん場所
むしろ江戸湾とその上流の関東の河川通行圏を管制できうる場所だったから
この話については鈴木理生著「江戸はこうして造られた」が参考になる
599 :
人間七七四年:2007/11/25(日) 11:56:50 ID:8GE49TQk
江戸は関東一の交通の要衝だからな。
陸運・水運(海上・河川)の結束点。
600 :
人間七七四年:2007/11/25(日) 21:53:50 ID:EdX4MsBZ
大河見てて思ったんだけど、喜んで臣下になったわけでもないはずの戦国大名が
どうして家康公に反感を持ったんだろうか?
最大勢力なんだから、尻尾振ってた方が賢くないか?
601 :
人間七七四年:2007/11/26(月) 17:39:36 ID:vc7CZ1Kv
見てないから内容が分からない
602 :
人間七七四年:2007/11/26(月) 17:56:16 ID:+rxUruSN
>>600 大河って今やってる風林火山?
説明が少なすぎて何が言いたいのかよくわからない
603 :
人間七七四年:2007/11/26(月) 20:54:22 ID:FTEdxIyf
例えば上杉家って、何度か戦った事もあると思う秀吉に臣従してるけど
どうして豊臣譜代?でもないのに
家康公に命がけで刃向かったのかが分からんの。 ごめんね。
ドラえもんで言うと、ジャイアンが隣町のボスに負けて
ジャイアンの子分だったスネ夫はジャイアンを見限らずに
ボスと戦うようなもんでしょ?
秀吉は農民出身で心のどこかでバカに出来たけど
家康公は惣領出身だったから、プレッシャー感じるからかな?
604 :
人間七七四年:2007/11/26(月) 21:05:56 ID:DJZKnSxD
旧領越後への復帰か、謙信以来の関東支配が目的だったのでは。
家康がボスではどっちも叶えられる訳ないし。
秀吉の死で天下が動揺し、しかも家康が西へ動くのだから、これが好機
と立ち上がったと。
605 :
人間七七四年:2007/11/26(月) 21:06:53 ID:tKnTUVJr
上杉は上杉として徳川が気に入らないから歯向かっただけでしょ。
豊臣家に恩義を感じて徳川と対立したわけじゃないと思う。
606 :
人間七七四年:2007/11/26(月) 21:08:18 ID:7xSZ9xlX
上杉の場合は実質コントロールしてた直江が親豊臣だったのが大きくない?
607 :
人間七七四年:2007/11/26(月) 21:23:16 ID:fjM1UN5/
徳川に代わって秀頼を神輿に天下に号令!なんて欲望があったのでは?
608 :
人間七七四年:2007/11/26(月) 21:54:41 ID:tKnTUVJr
>>606 でも結局、関ヶ原で決戦が行われてるときに
上杉は最上攻めを熱心にやってたからねえ。
最上攻めが終わったら次は越後だろうし、
豊臣家御為というより自分の家の為に動いたと
いう印象の方が強いな。
609 :
人間七七四年:2007/11/26(月) 22:06:31 ID:FTEdxIyf
やっぱり色んな見解があって楽しいな (●^o^●)
610 :
人間七七四年:2007/11/26(月) 22:27:15 ID:7xSZ9xlX
>>608 基本的に大事なのは自分のところでしょう
直江としてもまさか関が原であんなことになるとは予想してなかっただろうし
西軍が勝ってたら分捕った領地はそのまま自分のものになるから必死だし
なんせ実質総大将の石田三成と仲がいいわけで、
うまくいったら戦後に越後どころか伊達領とか更に・・・の思惑もあったはず
それも含めて反徳川
611 :
人間七七四年:2007/11/26(月) 22:35:53 ID:FTEdxIyf
秀頼さえ出て来なきゃ、西軍にまともな勝ちは無かったんじゃないの?
なのに東の上杉が西に付いたのが丁半バクチだと思った。
612 :
人間七七四年:2007/11/26(月) 23:27:45 ID:DJZKnSxD
>>611 だけど三成・兼続にすれば、「これ挟撃じゃね?必勝だろうこれは」
と思えたに違いない。家康が受けにまわっていたら、確かに成功しそうな
挟撃策だった。でもここで前に出てくるのが家康で、ここらへんはキャリア
の違いとしか言い様がないな。
613 :
人間七七四年:2007/11/26(月) 23:53:03 ID:Vwu+xnX/
その割には上杉は挟撃しようという意図がこれっぽっちも見えないんだよなあ。
関が原の合戦の時における上杉の意図って、「上方でゴチャゴチャやってるうちに
北方の派遣を確立しちまう」ってこと以外読み取れないな。
614 :
人間七七四年:2007/11/27(火) 00:00:06 ID:mJA/S4kb
当人じゃないから結局推論だろうけど、ある話では、
上杉は徳川迎撃に関してはやる気満々だったけど(だから挑発)、
自分たちから関東に出て行く気までは無かったと
だってそれやったら今度は自分の領地ががら空きになるから
家康もそれを分かってたから関東の徳川は守備部隊だけ置いておけたんだし
615 :
人間七七四年:2007/11/27(火) 00:44:32 ID:QZU+4pGT
ある話って、出典は何だよ・・・
616 :
人間七七四年:2007/11/27(火) 01:32:28 ID:3s7IPKIr
近年だと、三成と兼続に連携はなかったと言われているけどね。
617 :
人間七七四年:2007/11/27(火) 13:53:30 ID:dr5S/f4e
>自分たちから関東に出て行く気までは無かったと
意味無いじゃん。
結局伊達の小田原遅参を仲裁した時から
関が原は始まっていたんだろうな。
618 :
人間七七四年:2007/11/27(火) 14:19:40 ID:dEV2NaQI
挟撃する気なら東西から進撃しなきゃね
お互い守勢にまわったら意味ない
家康としては片方ずつ攻めりゃいいだけの話で全く挟撃にならん
上杉はどうせなら下野にちょっかいだせば
もう少し家康を江戸に釘付けにできたかもしれない
三成も東に押し出して家康が出てくる前に福島らと決戦すりゃよかったのに
619 :
人間七七四年:2007/11/27(火) 15:25:11 ID:dr5S/f4e
その福島が味方に付くとでも思っていたのでは?
620 :
人間七七四年:2007/11/27(火) 16:08:54 ID:aXkWkxFg
仮に西軍が岐阜城まで駒を進めて岐阜城を本陣にして東軍を迎え撃つのは最適。
が、東軍の先方も3万近くいてそれは石田三成の仇敵の福島、黒田、池田、加藤な
どA こいつら、野戦は馬鹿みたいに強いからgdgdな統制な西軍が総攻撃しかけ
てもこの士気の高い東軍先方にすら苦戦する予感。gdgd長陣をすれば、中仙道の
秀忠が正史と違って遅れても美濃に進出出来る。秀忠が美濃に進出する頃は家康
本隊も合流。gdgdになって士気の落ちた西軍は挟撃されて結果は同じかも。
が、岐阜城に秀頼が入っていたら、、、、輝元が入っていたら?形成は変わっただろね。
621 :
人間七七四年:2007/11/27(火) 16:10:26 ID:J0ZKmcl8
でも5年おきにまた内部崩壊しそうw
622 :
人間七七四年:2007/11/27(火) 18:28:53 ID:5CsrBJp0
623 :
人間七七四年:2007/11/27(火) 18:33:38 ID:5CsrBJp0
>>617 出て行く気はなく、家康を引っ張り出して地元で撃破が目論見だったんじゃない
そのための武装強化だったわけだし、そのための挑発だったし
だから関が原で動きがあって移動されちゃって逆に困ったなと
そのうえ1日で決着なんてのも予想外
それで慌てて退却に移って、例の合戦が起こったんじゃなかったかな
624 :
人間七七四年:2007/11/27(火) 18:35:13 ID:5CsrBJp0
>>619 あくまでも黒田長政の見解だけど、
「翻意は無い」と断言しちゃってそれを家康も信じたようだから・・・
それだけ福島は石田三成が憎かったと
625 :
人間七七四年:2007/11/27(火) 20:57:01 ID:tZiY7Ebu
いい加減に関ヶ原スレへ逝け!
626 :
人間七七四年:2007/11/27(火) 21:15:22 ID:FYzUu7Ek
家康公にしてみれば、上杉が微妙な勢いだけど
東軍に付かなかったお陰で
100万石も分捕れたんだから、まさに濡れ手に粟だな。
627 :
人間七七四年:2007/11/27(火) 21:21:44 ID:5CsrBJp0
628 :
人間七七四年:2007/11/28(水) 19:20:42 ID:Q9NEICKC
もしかして本当に移っちゃったの?
巡回先増やしたくないんだが、、、
629 :
人間七七四年:2007/11/30(金) 23:04:50 ID:UIrDjx/5
家康の兄弟の活躍がそれほど聞かれないのはなぜ?
同父同母じゃないからでしょうか
630 :
人間七七四年:2007/11/30(金) 23:30:34 ID:JuHS/wxe
広忠公には竹千代君しか居なくないか?
異父弟なんて、ぶっちゃけ関係ないでしょ。
631 :
人間七七四年:2007/11/30(金) 23:35:42 ID:fNjfo0KT
>>629 異父で確実とされるものはいない
異母は康元、康俊、定勝がいるが取り立てて功績はない
家康は他の松平氏を含めて、一門衆の影響力を封殺する政策を採っている。
この点が徳川家の統制力の強さとして出ている。
632 :
人間七七四年:2007/11/30(金) 23:38:09 ID:um5+vMQ5
でも久松松平として白河、桑名、伊予松山などに配置してる。
後の世には田安家から養子が入るような家柄。
633 :
人間七七四年:2007/11/30(金) 23:46:05 ID:fNjfo0KT
>>632 その辺は幕府が安定した後ですし
一門衆の弊害が問題となった大名家は多いからその点、家康は運と才能に恵まれている。
逆に、本人が死んだらハイそれまでよと言う事であるが。
634 :
人間七七四年:2007/12/01(土) 00:41:58 ID:uFQDDau1
> 一門衆の影響力を封殺する政策を採っている
具体的に何したっけ?
欠員が出るたびに、譜代から有能なのを選んだとか?
信康殺したとか。
636 :
人間七七四年:2007/12/01(土) 04:22:31 ID:T5itHCPn
>>634 抹殺ってか具体的には連枝を幕閣にさせなかった。例外は幕末だね。
あと一門の弊害排除より、他の大身大名を幕閣に入れさせなったのが要因じやね?
637 :
人間七七四年:2007/12/01(土) 07:45:06 ID:ipAW/iJx
>>634 領土が拡大しても、影響力が増すのは譜代連中のみ
他の松平氏は蚊帳の外
638 :
人間七七四年:2007/12/01(土) 12:43:39 ID:ZhZ1ECRh
幕府の体制維持のために外様を排除しつづけた結果が明治維新だからな
対内的には良かったのかもしれんが、国難を乗り切れる体制では無かったようだ
639 :
人間七七四年:2007/12/02(日) 00:22:09 ID:+wTKxzlK
海外と組むとは思ってなかったんやろ?
640 :
人間七七四年:2007/12/02(日) 08:14:47 ID:aQnmn029
>>639 無茶苦茶、懸念していた。貿易を統制したのもその現われ。
幕末の問題は長年にわたる、制度的疲労という言葉に集約される。
641 :
人間七七四年:2007/12/02(日) 09:33:15 ID:lx5AK5Tr
265年も体制維持できればじゅうぶんだろ。
外圧がなければもっと続いたろうが家康の時代では想定外。
642 :
人間七七四年:2007/12/02(日) 10:55:48 ID:3NvEFRve
そんときはアメリカ合衆国も無かったしな。
643 :
人間七七四年:2007/12/02(日) 15:40:31 ID:SyapQ9WD
こちら静岡
テレ東放送だったためか遅れて本日「みのもんたの歴史ミステリー」放送
そこで武田信玄との親子説が出たけど
テレ東本放送時の反響、というか、当然あった反論はどこかで見れませんかね
元々無理のある説ではありますが、知らない者に対しては
変に興味をそそられる物証を出してきてるので、
「いやあれはああいう理由で不思議でもなんでもない」という
歴史ヲタたちからの常識的反証をしっかり見たいんで・・・
今のままではグレーのままでどうにも困ってますww
644 :
人間七七四年:2007/12/02(日) 18:44:17 ID:K+TztjIq
家康の岡崎松平家は本当に三河の松平一族なのですか?
力をつけてきた家臣に松平の苗字を与えた可能性がありそうな気が
織田信長の系統も疑問があるみたいですし
645 :
人間七七四年:2007/12/02(日) 19:10:17 ID:5FVbCQ05
通説に凝り固まるのも、諸説に流されてはいけない。
それはそれで楽しめばハッピー
>制度的疲労という言葉に集約される。
大奥さえ小規模だったら、どうだったのだろう?
>こちら静岡 テレ東放送だったためか遅れて本日
>「みのもんたの歴史ミステリー」放送
それ、
>>321 で不発に終わってる(ToT)
646 :
人間七七四年:2007/12/02(日) 20:13:45 ID:SyapQ9WD
>>645 番組まとめはあるけどそれぞれ
「○○の件は××、よって誤り」
とバッサリ切り捨ててくれてるとスッキリするんだけどねえ・・・
647 :
人間七七四年:2007/12/02(日) 21:19:27 ID:+Cvm6D9f
自分がどうも信じることの出来ない事について、
誰も否定論を示さないのなら、
自ら調べてみるのも良いんじゃないか?
648 :
人間七七四年:2007/12/04(火) 16:28:15 ID:dFr8q3zE
>5男を武田信吉として武田家を再興。
>世良田東照宮に葵と山菱(信玄の紋?)が並んでる。
自分の人生の転換点となった敵を篤く弔っているだけでは?
東照宮にも明智家の桔梗があるし。
649 :
人間七七四年:2007/12/06(木) 18:27:43 ID:/E47YXps
家康手植えのみかん収穫の話題
650 :
人間七七四年:2007/12/06(木) 21:28:26 ID:77FIF7Fj
是非食べたい。 どこにあるの? 三ケ日?
651 :
人間七七四年:2007/12/06(木) 21:56:35 ID:/E47YXps
652 :
人間七七四年:2007/12/09(日) 23:32:33 ID:QHzUWk1Y
10本くらいしか無いんだろうな、、、残念。
653 :
人間七七四年:2007/12/10(月) 21:28:40 ID:RlqLB8L9
654 :
人間七七四年:2007/12/10(月) 21:47:03 ID:vDFR/VhE
お手植えみかん
浜松城にも株分けされてた
木はまだ小さい
655 :
人間七七四年:2007/12/11(火) 23:26:27 ID:OY9D5O8Z
>おい家康、おまえのせいで今川館の所在が不明なんだとよ。
駿府城で良いやん。
そう言えば風林火山は、川中島で勘助が軽く死んで最終回らしく
家康公は太源雪斎が死ぬ時にチラッと出ただけだったな。
まだ三方が原があるってのに、、、
ところで雪斎和尚って、変換楽な言い方無いの?
656 :
人間七七四年:2007/12/12(水) 08:46:44 ID:SeTfzVl0
単語登録
657 :
人間七七四年:2007/12/12(水) 15:23:21 ID:sUszwOrP
大恩人に失礼ながら、単語登録はしたくないのです (′・_・`)
とりあえず「ゆきさい」って打てば1発変換出来てるけど
もっと一般的な変換でどうにか成らないかと、、、
奥平家の鳥居勝商も「勝つ商い」って変換してます。
マイナー人名は苦労します。
658 :
人間七七四年:2007/12/19(水) 23:56:26 ID:FP5xf49R
「その時」で対馬の宗氏が「秀吉のやった朝鮮出兵謝れ」って言われて
酷暑ねつ造してたらしいけど、家康公なら前政府がやった無謀な戦争だとしても
公益を考えて普通に謝ったのではないか?
659 :
人間七七四年:2007/12/20(木) 00:14:45 ID:FxhzLVLH
謝るわけねえだろ。一回下手に出れば敗北宣言と同等。
折角講和で矛を収めたのにわざわざ弱み見せてどうすんだ。
大体お前の言う公益って何だよ?
660 :
人間七七四年:2007/12/20(木) 00:24:54 ID:XpmWt6Lp
>>658 歴史上の人物ならあれをこうしたのではないかというIFは
実は自分がそうしたいと思っていることを
歴史上の人物にさせたいだけということが往々にあります
あなたが謝罪と賠償wをしたいのならどうぞご自由になさってください
661 :
人間七七四年:2007/12/20(木) 00:33:36 ID:oBlzkha/
>>658 豊臣政権下で秀吉死去後の民や朝鮮との停戦・和平交渉を仕切ったのは家康でしょうに
お前頭大丈夫か?
662 :
人間七七四年:2007/12/20(木) 00:55:15 ID:F0kMNqeu
つまり和平交渉してた相手に、再度謝罪を求めたってことか。
イラクの場合は政府?が変わったら
「前の政府のやった事」って出来たけど、
国際世論的にはどうだったんだろうね?
>謝るわけねえだろ。一回下手に出れば敗北宣言と同等。
家康公は自分の不利になる事はしないと思うんだが、、、
663 :
人間七七四年:2007/12/20(木) 01:10:22 ID:VqWHQ2VI
>>658 糞チョンはとりあえず死んで下さいねー☆
664 :
人間七七四年:2007/12/20(木) 01:47:43 ID:oBlzkha/
徳川政権下で朝鮮から定期的に使節団が着てるくらいなんだから
その時点ですでに謝ったかどうかは問題にならないだろ常識的に考えて
頭だいじょうぶか?
665 :
人間七七四年:2007/12/20(木) 16:32:52 ID:JAgqmqyN
だったら別にいいだろ
>糞チョンはとりあえず死んで下さいねー☆
三河人じゃヴォケ
666 :
人間七七四年:2007/12/20(木) 19:37:35 ID:IceDu7Tj
>>658 宗氏が朝鮮の使者を連れて伏見へ
↓
家康「俺、先の戦争は関わってないんだよ。俺とあんたらの間に因縁無いし、仲良くしようぜ」
↓
使者、朝鮮へ帰国
朝鮮国王「てめーが謝れ」
↓
宗氏「話通じてねぇorz」
っという流れだったぜ。
家康は公式に関係ないと発言している以上、重ねての謝罪はしないだろう。
というか400年前から変わらないな、あいつらは。
667 :
人間七七四年:2007/12/20(木) 22:07:24 ID:XiqAqKF9
謝るべき相手と潰すべき相手を見誤らないのが家康。
668 :
人間七七四年:2007/12/20(木) 22:24:18 ID:2v5PV19P
そして借りは必ず返すよね!
669 :
人間七七四年:2007/12/20(木) 22:36:39 ID:1w2Ji9Gs
歴代家康ランキング
1位津川雅彦
2位滝田栄
3位フランキー堺
4位中村橋之助
5位西村雅彦
6位郷ひろみ
7位丹波哲郎
8位西田敏行
9位高嶋政宏
10位寺尾聡
670 :
人間七七四年:2007/12/21(金) 01:11:12 ID:1rMn6WcF
徳川家康役の最強は「真田太平記」の中村梅之助だろ
秀忠役を息子の中村梅雀がやっててそっちも最強だった
671 :
人間七七四年:2007/12/21(金) 22:48:07 ID:PXf2lLIX
私が家康公を尊敬し始めたのは、
松方弘樹?の「徳川家康」で最後に「人の一生は、、、」の
遺訓を素晴らしいと思ったからだ。
672 :
人間七七四年:2007/12/22(土) 02:11:26 ID:uadxpIYF
徳川家康は、武田信玄との合戦で敗北し命からがら逃げたが、そのとき、馬上で脱糞している。
673 :
人間七七四年:2007/12/22(土) 14:21:15 ID:HW2kdAbB
そ・・・
それは味噌壷からこぼれた
味噌じゃ!
674 :
人間七七四年:2007/12/22(土) 18:35:27 ID:yE3kepvu
それを今更言われてもなあ。
このスレどころか、この板で知らない奴の方が少数派。
675 :
人間七七四年:2007/12/22(土) 19:24:53 ID:VRLxde3R
それほど織田徳川を恐れさせた武田も10年と経たずに攻め滅ぼされるのだから皮肉だよね
676 :
人間七七四年:2007/12/23(日) 00:19:58 ID:WkUPDY95
武田が滅んだのってほとんど長篠が原因?
677 :
人間七七四年:2007/12/23(日) 01:00:24 ID:po44viM5
どなたか酒井忠次のスレたてて下さいませんか!?
678 :
人間七七四年:2007/12/23(日) 01:17:48 ID:M+Ocfy4H
679 :
人間七七四年:2007/12/23(日) 01:24:33 ID:po44viM5
>>678 ありがとう!!
過疎っても俺が保守します!
680 :
人間七七四年:2007/12/23(日) 23:07:48 ID:at5sL1RQ
多少過疎ってるここで兼ねられるのにバカだなあ
681 :
人間七七四年:2007/12/24(月) 21:48:36 ID:sR7tv7Ac
そもそも類似スレが多過ぎるよな。
682 :
人間七七四年:2007/12/25(火) 19:18:53 ID:7JtEkyKD
>>671 その教訓は有名ですね。
実際は家康公の言葉ではないらしいのですが、あまりにも家康公の人生を言い当てているような言葉として、
現代まで語り継がれているようですね。
683 :
三河者:2007/12/26(水) 00:00:20 ID:jhqtFjUH
方々、本日は、家康公生誕の日でござるぞ。
684 :
三河者:2007/12/26(水) 00:33:58 ID:jhqtFjUH
毎年の事ながら、反応無しか (´・ω・`)
>実際は家康公の言葉ではないらしいのですが
でも家康公の生涯をヒントにしたのは事実だから
それはそれで構わないと思ってる。
685 :
人間七七四年:2007/12/26(水) 01:36:42 ID:y/rFcegN
誕生日おめでとうございます
山岡荘八の文庫本「徳川家康」一巻の表紙は素晴らしい出来だと思う。
これから幼少から艱難辛苦を経験して後に幕府を開く赤ちゃんの誕生を菩薩様が優しそうに見守る絵で。
686 :
人間七七四年:2007/12/26(水) 20:42:39 ID:y/rFcegN
御伽衆に、大黒天の道理は、大黒天が眉を高く作り、その上に頭巾をきせているのは、
自然と上を見ないで、一分を守り、幸いを待つ心であるときかされ、
家康が言う
「大黒天が常に上を見ないのは、一朝事ある時にその頭巾を脱いで上を見るためである。
そこに大黒天の極意がある。頭巾ばかり注意して、それを脱ぐ時のことを知らないのは駄目である。」
687 :
人間七七四年:2007/12/28(金) 00:26:23 ID:jCfOo/M0
よく分からん世界の話だな、、、
688 :
人間七七四年:2007/12/30(日) 00:40:33 ID:wyhd2uNp
年始の徳川風雲録ってつまらなさそうじゃない?
689 :
人間七七四年:2007/12/30(日) 13:15:52 ID:UgLWB8Tb
お前のレスよりおもしろそうだ。
690 :
人間七七四年:2008/01/01(火) 01:03:09 ID:QYoWyz+3
↑ じゃあ是非盛り上がる書込みをしてくれ (;¬_¬)
691 :
人間七七四年:2008/01/01(火) 15:26:20 ID:nIRTubYn
盛り上げる必要なんてねえじゃん。
692 :
人間七七四年:2008/01/02(水) 23:44:05 ID:HMReINZe
やっぱり批判だけか。
693 :
人間七七四年:2008/01/03(木) 10:23:11 ID:4QO/YFSH
ドラマ見たけどかなりむごかったな。徳川頼方って誰だよ?
でも
>>688よりは面白しろかったよ。
694 :
人間七七四年:2008/01/03(木) 11:24:17 ID:TyMf+94p
藤原家の繁栄ように天皇から豊臣姓を貰った豊臣家が怖かったんじゃないの?
695 :
人間七七四年:2008/01/05(土) 02:12:46 ID:UqmkvTG5
こうやって歴史を見てみるとやっぱり日本は一等国だね。
それなりの誇るべき歴史を辿ってきてるのが分かる。
だが最近の日本はちと歴史に疎くて、生かしきれてないな。
バブルが弾けてから少しは過去を振り返るようになったけど。
696 :
人間七七四年:2008/01/05(土) 03:33:58 ID:7TsAdCmf
俺が思うには信長や秀吉は市場主義のタカ派だったのに対し家康というのは平等主義のハト派だったと思うね。
697 :
人間七七四年:2008/01/05(土) 03:55:15 ID:RGf9yYL3
テレビの受け売りじゃねえかw
まあ親父やじいさんや信長の死にざま見て、
家臣を大切にしようと決めたってのはわかる
698 :
人間七七四年:2008/01/05(土) 11:33:01 ID:DT+Ey1PK
でも譜代大名の石高が少なすぎる。
699 :
人間七七四年:2008/01/05(土) 11:58:48 ID:zpSq4WNM
あのくらいでちょうど良いと思うがな。
秀吉は大盤振る舞いしすぎ。
700 :
人間七七四年:2008/01/05(土) 12:11:02 ID:tAO+c9H9
>>698 石高は少ないけど、老中とかの役職について幕政に参画出来るのは譜代のみ。
それが良いバランスだったと思いますよ。
高い石高を持つ者が政権中枢に参加するとどうなるか、
我が身の経験から熟知していたんでしょう。
701 :
人間七七四年:2008/01/05(土) 12:26:37 ID:RGf9yYL3
でも最後は力持った外様にやられて終わっちゃったな
でも250年以上持てば十分か
702 :
人間七七四年:2008/01/05(土) 12:29:51 ID:tAO+c9H9
十分だと思うよ。
永遠に続く政治体制の構築なんて不可能だろうしね。
703 :
人間七七四年:2008/01/05(土) 12:42:05 ID:RGf9yYL3
でも国家体制って人類数千年の歴史見る限り
最後はほとんど勇猛なだけの蛮族だと見下してた奴らに侵略されて終わるよな
あんまり平和が続くと平和ボケして、
「今まで何もなかったんだし軍事に力入れても金の無駄じゃん」って感じになるんだろうな
正直今の日本にそっくりだ
704 :
人間七七四年:2008/01/05(土) 15:37:59 ID:WJ6HuVTD
平和ぼけっつうか、政権担当者の歴史が重なれば重なるほど利権構造が
肥大化していって、組織としての柔軟性や流動性に欠けてくるんよ。
戦争が続いてる時代だって、組織が硬化してしまって既存のシステムに
修正パッチを果てしなく貼り付けるだけになっちまったら御終いですよ。
旧日本軍のようにね。
705 :
人間七七四年:2008/01/05(土) 15:52:33 ID:xVSqNflb
旧日本軍も救いようがない道をつき進んでいっただけだった
政権の固定化もメリットはあるんだろうけど、あんまり続きすぎると滅亡へと繋がるだけだな
今で言えば自民党体制か
こういう腐敗から来る滅亡は歴史の必然とも言えるが、
それだけで将来の破滅を許容するのも悲しすぎるので
今のうちに何とかしたいもんだね
706 :
人間七七四年:2008/01/05(土) 18:59:18 ID:+dQUe6W5
破壊と再生は表裏一体だからなぁ
今はやるべき時だな
707 :
人間七七四年:2008/01/05(土) 20:54:54 ID:zpSq4WNM
やるときだけど、首相があれじゃあなあ
708 :
人間七七四年:2008/01/05(土) 21:31:46 ID:SuE6vk1y
>>700 幕政に参画できなくても呑気に生きてる外様大名の方が楽しくね?
徳川四天王家は名誉職以外にはあまり就いてない。
709 :
人間七七四年:2008/01/05(土) 22:00:26 ID:tAO+c9H9
>>708 いや、気を抜いたら取り潰されるでしょう。
放漫な運営をして一揆だの家中の争いだの問題を起こせば改易だし、
逆にしっかりやって藩財政にゆとりがあれば、どこぞの普請などを言いつけられ金を吐き出されるし、
言いつけを上手くこなせなければ、やっぱり改易。
そうでなくても、参勤交代等々通常の出費でも各藩借金だらけだったらしいし、
少なくとも呑気って事はないと思う。
710 :
人間七七四年:2008/01/05(土) 22:35:20 ID:+dQUe6W5
関ヶ原後に大名を潰すシステムにしたのは家康と秀忠のどちらからですか?
711 :
人間七七四年:2008/01/05(土) 22:38:50 ID:cEPncpW6
伊達の殿様は、わざと鼻垂らしたりして
幕府の警戒を緩めたという話だが。
712 :
人間七七四年:2008/01/05(土) 22:47:54 ID:tAO+c9H9
>>710 武家諸法度のことなら、秀忠が将軍の時に作られたが、
家康が存命だったので家康の意向が強く働いていたでしょう。
大名を取り潰すってことだけなら、別に江戸時代より前からあるけど。
713 :
人間七七四年:2008/01/05(土) 22:59:03 ID:vs0+huqI
自分の妻や息子をを守れずに、戦わずに殺さなければならなかった所は
家康の人物を決定つけたんだろう。天下を取ってもむなしかっただろう。
一生悔やんでも悔やみきれないことだったと。
家康という人物の実情をもっとわかった方がよい。
714 :
人間七七四年:2008/01/06(日) 00:26:16 ID:58RXeoql
キャンキャンうるせー良血の正室と
それに洗脳されたイケイケの嫡男なんだから
ある程度割り切ったろ。
715 :
人間七七四年:2008/01/06(日) 01:16:19 ID:ClfOj2bI
岡崎殿は政争ってのあるな
実際家康って自分以外の力抑える方向にあるし
716 :
人間七七四年:2008/01/06(日) 05:30:36 ID:obKM4zoD
嫁のことはともかく、信康のことは未練があったみたいで、
そのあとも愚痴愚痴こぼしては家臣に当り散らしてるけどな
717 :
人間七七四年:2008/01/06(日) 09:06:06 ID:g1Va5B/S
>>711 鼻毛を伸ばしたのは前田利常
伊達政宗は相撲をとって負けてみせた
718 :
人間七七四年:2008/01/06(日) 23:30:29 ID:iRvTeIJc
前田のほうだったっけ。 誤解してたよありがとう。
719 :
人間七七四年:2008/01/07(月) 03:37:16 ID:VHrvOYGd
信長や秀吉は結局一過性のものだな。家康こそが日本人の心を
体言してるよ。
720 :
人間七七四年:2008/01/07(月) 03:40:43 ID:YwIDIZQH
家康が作った「巨大な外様大名の周囲を小さな親藩が囲んで監視する」
という鉢植え政策は、平和な時には問題なかったが
幕末に混乱がおきた途端に何も機能せずに簡単に破綻を見せたな
721 :
人間七七四年:2008/01/07(月) 07:07:26 ID:2Pqks1s9
まあ幕末の場合兵力だけでなく、装備の能力にも問題あったがな
新しいものには目を向けない超保守のせいで250年も持ったが、
そのせいで寡兵だが最新装備のの薩長勢に惨敗
722 :
人間七七四年:2008/01/07(月) 12:44:38 ID:T4u/OC7x
>>720 御三家や井伊まで裏切ればどうにもならんよ。
まさに想定外だろう。
265年でもじゅうぶんにご立派。
723 :
人間七七四年:2008/01/07(月) 15:46:08 ID:CaAhW/nP
だから井伊の末裔は「織田や徳川なんて大した事無い」って
敬意を払わなかったのか。
それにしてもNHKの松平アナとかも含めて
ごく一部の通以外、敬称を付けないのだろうか。 腹立たしい。
まあ秀吉に敬称付けられても、違和感あるけどなw
724 :
人間七七四年:2008/01/07(月) 18:42:55 ID:nW4+1txF
歴史上の人物に敬称つけないのは普通だろ
腹立たしいとか逝っちゃってる人の方が気持ち悪い
725 :
人間七七四年:2008/01/07(月) 19:01:59 ID:AaKY7Glu
>>720 平和な時には問題なかったというよりも、
その政策が功を奏したからこそ平和な時が長く続いたのだと思う。
強力な外様勢力が現れればそれだけでも不安定要因になるからね。
ただし、結局足の引っ張りあいだから、内部の危険勢力を抑制することは出来ても外圧には弱い。
結局幕府の権威の凋落に繋がったのは外圧からだったし。
726 :
人間七七四年:2008/01/07(月) 21:57:31 ID:X5vHdQik
つまり現代で言えば、宇宙人の襲来に現実的な対策として
大金や手間をかけるべきだったという事か。
>歴史上の人物に敬称つけないのは普通だろ
私は秀吉からの関東移俸さえ無きゃ、
都心の地主の家柄だったから、秀吉は恨みに思う。
まあ恩知らずに言ってもしゃあないけどな。
727 :
人間七七四年:2008/01/07(月) 22:48:00 ID:ivw2sJdA
家康と秀忠の流れで出来た政権が強固すぎて、逆に流動性を失ってしまった
というのはあるかもね。田沼意次みたいに途中で開国して商売しよう、って
人が現れても『権現様以来の祖法』で失脚させられたし、それで特に問題も
おこらなかった。
728 :
人間七七四年:2008/01/07(月) 23:39:19 ID:X5vHdQik
出島みたいに小さくやってみるって事も
厳命しておくべきだったな。
729 :
人間七七四年:2008/01/08(火) 02:49:16 ID:wdOjCoGD
>宇宙人の襲来
西洋人は既知の存在だったはずだが
730 :
人間七七四年:2008/01/08(火) 04:18:45 ID:rdM0+Hvv
西洋人と宇宙人を同列に扱うのはいくら喩え話でもちょっとなw
731 :
人間七七四年:2008/01/08(火) 09:43:54 ID:93SMiWNZ
当時は帆船しかないわけだし、長躯遠征して日本を武力で攻撃
してくるなんて予想しないよ。だからこそキリスト教徒を弾圧
できたし、鎖国もできた。
732 :
人間七七四年:2008/01/08(火) 17:35:53 ID:oWtqNwRX
お主ら、宇宙人が居ないとでも思っているのか?
地球人が居るんだから、宇宙人が居ないほうがおかしい。
もしかしてウイルスよりも100万倍小さかったり、
宇宙人の顔ダニの体内に、銀河系が存在してるとか
存在の仕方が別次元かも知れないけどな。
733 :
人間七七四年:2008/01/08(火) 18:19:14 ID:iN8QvkhG
>>731 まあ当時は欧州からはせいぜい数百人しか送り込めなかったし、
武器の性能も大して違わなかったから、直接的な脅威とはならなかったでしょうね。
万が一の可能性として、国内キリスト教徒が呼応するなんてことを考慮しても、
逆に厳しく弾圧して勢力を拡大できなくしておけばよい。
黒船とかは、宇宙人は言い過ぎでも、当時としては想定外の脅威だったといえるでしょう。
734 :
人間七七四年:2008/01/08(火) 19:32:30 ID:uCCsT8Z8
家康が鎖国したのも紆余曲折があっての事で
秀吉から政権を引き継いだ当初は積極的に貿易しようとしてたんだよ
735 :
人間七七四年:2008/01/08(火) 19:56:23 ID:iN8QvkhG
鎖国云々は直接には関係ない話だと思うが。
家康の頃には、黒船云々の外からの圧力までは想定外だっただろう。
ってだけのことで。
736 :
人間七七四年:2008/01/08(火) 21:18:56 ID:XzgdYrow
徳川は巨大な組織を構築して無敵と言えた
幕末は兵器が変わり小数の勢力にやられた感じだから
しょうがない
737 :
人間七七四年:2008/01/08(火) 22:43:33 ID:rHl0gkHY
そもそも厳しい鎖国って必要なの?
横浜・大阪・福岡?辺りでじゃんじゃんやれば井伊じゃん。
738 :
人間七七四年:2008/01/08(火) 23:28:03 ID:A726ZkPE
734 うぬはよくもぬけぬけと物もうしたのう! 鎖国を行ったのは
孫の家光からじゃ! 無学をさらけ出すでない! タワケ!!
739 :
人間七七四年:2008/01/09(水) 06:22:44 ID:noOlLh8A
>>738 鎖国は秀吉の時代に日本人が海外に奴隷として売られているのを防止するために
まじ最初の鎖国(鎖国政策I)が始まり、
秀吉が死んで家康が豊臣政権下で政務をしていた時にそれを緩めた。
家康が天下を取って積極的に貿易を始めようとしたが、
航海技術や造船技術の提供・航路の公開・メキシコや東南アジアの港の解放など、
家康が出した要望をスペインが悉く蹴ったので交渉がこじれて鎖国(鎖国政策II)となった。
家光の代になるとさらにそれが厳しくなった(鎖国政策III)
740 :
人間七七四年:2008/01/09(水) 17:41:05 ID:gK1Tjl5m
家康以降の鎖国の主目的は「キリスト教の排除」であり
完璧な法律を作って天皇や将軍もその法律の下に置くことで法治国家を形成し
法律によって治安を安定させようと奔走している時に
「神や聖書が上、法律や幕府はその下」というキリスト教徒がいたら邪魔だから。
741 :
人間七七四年:2008/01/09(水) 22:07:23 ID:wHlWYZEe
でも実際にはそんな無法信者なんて居なかったんじゃないか?
742 :
人間七七四年:2008/01/10(木) 04:50:57 ID:KWj3/+Dl
一揆の旗頭に宗教を掲げた大規模な乱が起こってますよねえ…?
なんでもかんでも幕府<宗教じゃなくて、幕府や大名の政治に
対する不満を宗教が求心力を持って糾合していくのが恐ろしい。
743 :
人間七七四年:2008/01/10(木) 23:04:06 ID:KgM4v9kA
島原の乱って、虐め過ぎただけじゃないの?
744 :
人間七七四年:2008/01/17(木) 22:24:59 ID:gs1bj13n
家康がいなきゃ東京は首都じゃなかった?
745 :
人間七七四年:2008/01/17(木) 22:51:43 ID:zsSdIGGZ
東京・大阪・名古屋・石川はみんな愛知県人が発展させた。
100万都市では福岡は誰が発展させたんだろう?
浜松が静岡よりも人口多いのも家康公のせい?
746 :
仙台藩百姓:2008/01/17(木) 23:22:37 ID:IGisvl/i
福岡と言えば黒田氏だが、元々博多があったからもっと古くから発展していたとも言えるおね( ^ω^)
と言うか石川?石川って発展してるお?┐ (´ω`) ┌
747 :
人間七七四年:2008/01/17(木) 23:27:21 ID:rWyXmZqg
石川は発展していた、だな。
748 :
人間七七四年:2008/01/17(木) 23:27:23 ID:R8jpArh7
>>745 家康がお気に入りなのは遠江浜松よりも駿河駿府
家康隠居時の駿府の繁栄はものすごかったらしいじゃん?
749 :
人間七七四年:2008/01/18(金) 11:11:19 ID:aUPiANjb
自分が作った城下より、やはり第3の故郷だからかなあ?
>と言うか石川?石川って発展してるお?┐ (´ω`) ┌
他に思いつかなかったんだよ。
750 :
人間七七四年:2008/01/18(金) 13:13:47 ID:3ve1BMAT
名古屋は都市名
石川は県名
751 :
人間七七四年:2008/01/18(金) 14:28:35 ID:5XE6+1Vq
752 :
人間七七四年:2008/01/18(金) 15:15:52 ID:aUPiANjb
織田家の人質時代があったもんで、、、
753 :
人間七七四年:2008/01/18(金) 15:26:03 ID:F+C1REuy
754 :
人間七七四年:2008/01/18(金) 17:23:11 ID:uF/IK0Og
家康の生活地区の変化
・岡崎@…生誕地
・那古屋…織田家人質時代
・駿府@…今川家人質時代
・岡崎A…独立〜青年期前半
・浜松…青年期後半
・駿府A…熟年期前半
・江戸…熟年期後半〜将軍期
・駿府B…大御所期
・日光…東照大権現
さて、どれが故郷やらw
755 :
人間七七四年:2008/01/18(金) 17:49:26 ID:2n0u0ZNX
伏見とかははいらないの?
756 :
人間七七四年:2008/01/18(金) 18:45:50 ID:5XE6+1Vq
織田時代をころっと忘れてた
>>754 日光って既に死体じゃ
757 :
人間七七四年:2008/01/18(金) 19:12:51 ID:1L25xu5B
日光がアリなら久能山もくわえるべきだぜ
758 :
平山貴士:2008/01/18(金) 23:26:23 ID:61ejbOV9
744番様へ
東京を首都に定めたのは大久保利通だったような・・・
759 :
仙台藩百姓:2008/01/18(金) 23:50:06 ID:Gkrjgf3e
>>758 そんな事いうと京都人に「今でも首都は京都だ」と怒られるお( ^ω^)
家康も朝廷を遠ざける為に関東で幕府開いたのに
まさか逆に天皇が移って来る事になるとは夢にも思わなかったろうね
760 :
人間七七四年:2008/01/19(土) 01:31:27 ID:9m5PmDKB
ちょっと前までは家康の駿府人実時代は悪く言われてたが
最終的に駿府で隠居したということは
最近の説のとおり今川家からそれなりに大切に扱われてたんであって
家康にとって実はいい時代だったのかもね
その頃の思いが、歳をとってから懐かしく感じられ、と
江戸に対する西国からの防波堤という役目も確かに兼ねてるだろうけど
歴史資料で100%正しいものはそんなにないんだから
今川時代は実際はよく扱われていたのが
忍耐(よい意味に受け取らせるため)の人を印象付けるために
わざと人質時代を悪く書いたりしている可能性もなきにしもあらず
「家康公は苦難の今川時代を耐えてこられ
そのおかげで天下日との礎を〜」みたいな
今川から大事に育てられてたとしたら、
その後の家康がやった今川侵攻が恩知らずともとられかねないからね
なんてことを書いてみる
761 :
人間七七四年:2008/01/19(土) 02:13:12 ID:FY27KjpB
あと駿府周辺の遠州灘は水深が深くて
貿易をするような大きな船が停泊するのには都合がよかったらしい
首都からも適度に離れていて色々と都合が良かったらしいね
762 :
人間七七四年:2008/01/19(土) 02:18:25 ID:I+SNVBBJ
俺も760に同意。もし今川家人質時代が巷間に伝えられた様な悲惨な
モノなら忠次に対する陰険な仕打ちから考えて、今川家を高家にして
残す様な事はせず、その系累を捕らえ、舌を噛ませなくして肥溜に沈めて
溺れ死にさせたと思う。
763 :
人間七七四年:2008/01/19(土) 14:33:31 ID:7Drv2fQg
というか、義元の姪を正室にしていたり、桶狭間の戦いのときも先鋒として重用されていたり、
実際に厚遇されているわけだが。
764 :
人間七七四年:2008/01/19(土) 15:30:00 ID:9m5PmDKB
今川家の大黒柱の雪斎が見ていたという話もあるしね
対松平を考えても、冷遇するよりは厚遇した方が三河を収めやすいだろうし
765 :
人間七七四年:2008/01/19(土) 15:55:23 ID:lpZ8C7Ge
>>764 貴様2ちゃんねらーにしておくには惜しいな
わしのとこにこんか?
伊達と毛利と島津を攻めにいこうではないか!
そしてバブルでGO!しようではないか!
766 :
人間七七四年:2008/01/19(土) 16:53:06 ID:SOLcwAbz
>>762 >忠次に対する陰険な仕打ち
これって関東移封以後の禄高のことか?
戦国の世での大禄はあくまで功労者個人のものであり、代々の固定給ではない。
蒲生氏郷や丹羽長秀死後の処理を見てもわかる。
忠次が隠居している以上、当時の酒井家の価値はそれくらいだったのだろう。
その後ちゃんと出世の機会を与えているのだから、冷遇でもないと思うがな。
767 :
仙台藩百姓:2008/01/19(土) 17:38:49 ID:an610WsL
蒲生とか丹羽は全く別物だと思うお( ^ω^)
徳川が加藤や福島を潰したのと同じ理由だお
家康のポジション取りの基本は舎弟頭狙い。
婿として今川一門→系図描くのも面倒すぎるくらい織田一門→義弟、擬似一族筆頭としての豊臣一門。
769 :
人間七七四年:2008/01/19(土) 20:54:52 ID:cmu5wgzx
>桶狭間の戦いのときも先鋒として重用されていたり
今川の家臣なら名誉かもしれないが、人質なのだからただ危険なだけ。
活躍しても見返りがない。
770 :
人間七七四年:2008/01/19(土) 20:56:18 ID:dU8NoCLR
織田との姻戚はともかく、今川と羽柴のそれは家康の意図しえないものじゃないか
本人の意思が無いのに「家康の狙い」とはこれいかに
771 :
人間七七四年:2008/01/19(土) 21:02:55 ID:dU8NoCLR
>>769 武勲挙げれば当然それに応じて褒章せねば、家中のものも疑問視する
さらには、武勲を挙げることで政治的な立場というのが向上する
772 :
人間七七四年:2008/01/19(土) 22:11:51 ID:9m5PmDKB
今川にも当てはまるか、100%の話じゃないが、
戦国時代は新しい地域への先鋒は、
そこに一番近い地域を領地としてた武将たちが命じられるのが一般とかいうよ
だから三河侵攻について、松平が先鋒だったのは普通、とみるが
新参となる本人たちも、それで手柄を立てて信頼を得る、という意味にもなるしね
773 :
人間七七四年:2008/01/19(土) 22:22:42 ID:9m5PmDKB
774 :
人間七七四年:2008/01/19(土) 22:28:10 ID:7Drv2fQg
>>769 いや、普通に今川の家臣だから。今川家の三河制覇の過程で今川に降った新参の家臣。
どの大名でも領土を拡大すればそういう者も多くなる。
それが先鋒を任されたってことは活躍する機会を与えられたということ。
もしも、活躍しても見返りを得られないなら、他の家臣特に新参の者たちの士気に、
著しい悪影響を与えるから、普通見返りなしなんてありえない。
もしも、見返りを与えたくないなら活躍する機会を与えるべきではない。
つまり、先陣を任されたという事は、任されない場合よりも明らかに厚遇されたってことになる。
775 :
人間七七四年:2008/01/19(土) 22:39:32 ID:kFi5iTqr
>>772 信玄も信濃攻めには新しく家臣になった信濃勢を先鋒として使う
信長や謙信はそういうのは役に立たないから後ろで見物させておいて
自分も含めた古参たちが突撃する
776 :
人間七七四年:2008/01/19(土) 22:46:35 ID:r46K3IsI
↑ なんで?
> 今川家の大黒柱の雪斎が見ていたという話もあるしね
教育係が雪斎以外なんて説あったっけ?
>>774 なるほど!!
777 :
仙台藩百姓:2008/01/19(土) 23:27:17 ID:an610WsL
他家から召し抱えた者は謀略であったり、再び他家に寝返る心配があるから
先鋒にして様子を見るのが常套手段だおね( ^ω^)
また、手柄を立てさせて新参者を嫌う譜代家臣を納得させる側面もある
だが、人質の場合は大切な預かり物だから危険な場所に投入する事はまずないお
人質は当然血筋の良い者であり将来帰国して当主や重臣になるのだから
丁重に扱って懐柔しておくのが得策だお
家康の場合は殆ど臣従に近い状態だから前者に当たるかもしれない
778 :
人間七七四年:2008/01/20(日) 00:10:26 ID:ZjUuuUQ2
>>777 織田に誘拐されたとき、父親から見捨てられたとか言う話が・・・
真偽もちろん不明だろうけど、不憫だ
あのままもしも織田家にいることになったら
どんな扱われ方をしただろうか?
半分は欲しがられてもらわれた今川と違って、
完全な道具としてつれてかれたからお荷物の何者でもない
>>776 雪斎も忙しくて常に近くにいたわけではないという話もあるとのこと
雪斎の役割なんて今川のほとんどことやってたみたいだしね
義元名君説の真逆の説にあるのがそこから来てるんじゃないかという
779 :
人間七七四年:2008/01/20(日) 00:20:15 ID:IJmK/suO
>>777 人質といっても、既に父親も死んでいるし、
当人も今川家に縁のある嫁をもらっていて、初陣も済ませ戦っている。
もはや普通に今川家配下の武将の一人だよ。
780 :
人間七七四年:2008/01/20(日) 00:48:48 ID:9Q61poSQ
そんなの当たり前じゃん。
>織田に誘拐されたとき、父親から見捨てられたとか言う話が・・・
見捨てた弘忠公、それでも斬らなかった信秀ともにアッパレ!
>雪斎も忙しくて常に近くにいたわけではないという話もあるとのこと
>義元名君説の真逆の説にあるのがそこから来てるんじゃないかという
どちらもポイントポイントで、キメて結果出してたら良い事だから
当たり前といえば当たり前。
781 :
人間七七四年:2008/01/20(日) 01:06:53 ID:cfOaKGdz
家康は信長包囲網の時代にこき使われてたし
信長を裏切って信玄についても良かったほど織田家は切迫していたのに
裏切らずに最後まで従ったのは
織田家や信長に対して幼少期の恩があったからじゃないかと妄想してみる
782 :
人間七七四年:2008/01/20(日) 01:19:13 ID:zaceBCjM
武田には遺恨があるから、そうやすやす降らないだろ。
783 :
人間七七四年:2008/01/20(日) 01:49:25 ID:9Q61poSQ
遺恨で家臣を路頭に迷わすような事はしないと思う。
信長の先進性と若さに賭けてたのでは?
そもそも三方が原以外、そんなに争ってたか?
784 :
人間七七四年:2008/01/20(日) 02:08:16 ID:zaceBCjM
今川領共同侵略で、一方的に違約したのは武田だぜ。
これ以降、武田滅亡まで徳川と武田は延々と戦い続けるし、三方ヶ原だけ争っていた訳ではない。
逆に信長は人使いこそ荒いものの、
どんな苦境の時でも家康を見捨てなかったからな。
まあ、将来性とか若さとかの点は同意だし、何よりも同盟者としての信頼だと思う。
今川を同盟破りで攻めて、返す刀で協定破って自家・徳川を攻める奴を信用しろというのは無理。
785 :
人間七七四年:2008/01/20(日) 08:46:01 ID:R3/gPYBt
家康もどぎつい根性を抱えた戦国大名の一人。
どんな待遇だろうと、他者の配下それ自体が最悪と思わないほうがおかしい。
また思えなければ見込みはない。
今川への恩て話は、代々の今川武士にしか適用できないと思う。
786 :
人間七七四年:2008/01/20(日) 13:17:59 ID:ZjUuuUQ2
787 :
人間七七四年:2008/01/20(日) 21:39:19 ID:AewRNj7s
>人質の役にもなってないから、
>なにやってんだろうって思うんじゃないかねw
確かに信秀が間抜けに見えてきた (●^o^●)
>三河・遠江の山間とか東部方面ではしょっちゅう小競り合いしてたと思った
>代表的なのが高天神とか長篠なのかな
それって勝頼時代では?
それにしてもそういう小競合いで死んでく兵は可哀想だな。
前にも書いたけど、小さな城跡に行くと
「昔はココを命懸けで守ってた人達が居るんだよなー」って切なくなる。
788 :
人間七七四年:2008/01/20(日) 22:53:08 ID:IJmK/suO
高天神城も長篠城も、信玄の頃から徳川と武田の間で攻防戦を繰り返しています。
789 :
人間七七四年:2008/01/20(日) 22:56:41 ID:AewRNj7s
死闘を繰り広げてた?
同盟してないのに小競合いしないわけないと思うけど?
790 :
人間七七四年:2008/01/20(日) 23:23:59 ID:IJmK/suO
何を持って「死闘」と言うのか良く分からないが、
実際に城を攻めたり、落したりもしているのだから、
三方ヶ原以前の戦いも、少なくとも同盟していないのだから当たり前といえる程度の、
簡単なものではなかったのは明らかでしょう。
791 :
人間七七四年:2008/01/20(日) 23:34:34 ID:ZjUuuUQ2
>>787 時代ということではなく、武田家との戦いということでは、しょっちゅうゴソゴソやってたと思った
あと物理的な戦闘だけで無く、豪族を寝返らせたりなんだかんだもあったよね
792 :
人間七七四年:2008/01/20(日) 23:38:44 ID:Qi187K7d
話を元に戻すとですね
家康が隠居地を駿府と決めて街を整備したのは
幕府との関係に適度な距離を保つために近すぎず遠すぎず最適の距離であった事
その距離の半径の中で一番温暖な気温であった事
遠州灘の水深が深かったので年貢米を乗せた船や貿易船などの大船がそのまま港に着岸できた事
(駿府には幕府を通さずに直に天領から年貢米が届くようにしたし、
家康は鎖国を決まる前は貿易を盛んに行っていた)
過去の今川家との関係は一切ないと思うよ。
793 :
人間七七四年:2008/01/20(日) 23:51:41 ID:IJmK/suO
>>791 というか、1571年にはかなり大規模な武田家による遠江・三河への攻勢が行われ、
幾つも城が落されているし。
794 :
人間七七四年:2008/01/21(月) 01:08:54 ID:5a0lqF94
じゃあ信玄とまともに戦っても、ある程度守ってたんだね。
そしたら武田と組むわけないか。
795 :
人間七七四年:2008/01/21(月) 01:19:02 ID:XpV5BA07
もちろん。
そもそも最初から、今川攻めの際信玄が違約したのが対立の発端。
そういう不信感を持つ相手と、そう簡単に手を組めるはずはない。
796 :
人間七七四年:2008/01/21(月) 01:21:55 ID:Ky0TnfXg
万札 家康
5千円 秀吉
千円 信長
で決まりでしょう?尾張三河出身者に偏ってしまうけどね。
797 :
人間七七四年:2008/01/21(月) 02:38:40 ID:qFHChSkh
>>792 駿府を発展させといてくれた今川家に感謝ってとこだね
798 :
三河武士の気質:2008/01/26(土) 10:29:20 ID:sy/9gc82 BE:180655823-2BP(10)
ひたすら主君のために尽くし、三河武士の鑑と褒めたたえられた作左衛門。
組織をまとめ、家康を天下人にした補佐役の生き様に学ぶ。
作左衛門が生きた末期は、武士が戦国精神の牙を抜かれ、
「ききわけのいい武士」に意識を変えられた時代であった。
口のうまい、ソロバン勘定の達者な新しい武士が肩で風切って歩く。
それが作左衛門には我慢できない。作左衛門の考える忠誠心とは、
「主人が悪いときは命がけで諌める」というものだ。
「主人が悪くてもだまって従え」などという規範には抵抗する。
そのため次第に主人の徳川家康に冷遇され、不遇に死ぬ。
799 :
人間七七四年:2008/01/26(土) 11:30:56 ID:STkwx2As
突然なんなんなんなんなんなんだ
800 :
人間七七四年:2008/01/26(土) 15:20:01 ID:Zt3Rvgb5
昨日、作左の事を知ったから誰かに話したかっただけでしょ。
ほっとけよ。
801 :
人間七七四年:2008/01/26(土) 16:03:29 ID:qRwy4eTH
なんで昨日?
802 :
人間七七四年:2008/01/26(土) 23:41:52 ID:+Vn2wjSg
その冷遇のおかげでヨソに対するヒガミ根性が形成され、それだけ幕府には忠実になった面もある。
鍵屋ノ辻の決闘事件なんて、幕府も密かに喜んだのではないかと。
803 :
人間七七四年:2008/01/27(日) 01:57:24 ID:M+ZO6pse
作左衛門が生きてた時代の幕府って室町幕府じゃねえの?
804 :
人間七七四年:2008/01/27(日) 18:39:17 ID:Ux7tbYlz
おヴぁらない夢を ワンワーンワーン
駆け抜けてゆけ チンチーンチーン
荒野という ツースリー
ダイヤモンドを 高らかに
地球の裏表 ひとっとび
ただいま出動 シゲ・ノゴロー
805 :
人間七七四年:2008/01/30(水) 16:22:39 ID:LRl6epLS
小藩の大奥ってどんなんだったの?
将軍家の大奥って、キレイどころ100人も居れば充分だと思う。
806 :
人間七七四年:2008/01/30(水) 17:31:23 ID:uORdT828
>>805 100人全員が側室だったら恐ろしい事になる。。
807 :
人間七七四年:2008/02/01(金) 11:18:41 ID:ziGFA46Z
身元のしっかりした美人と言われてる女を
100人も置いとけば、5人くらいは側室にしたくなるだろ!
モー娘の200人版だ。
808 :
人間七七四年:2008/02/01(金) 13:09:02 ID:kr4N9jIE
>>807 それだと
あたかもモー娘が身元のしっかりした美人みたいに見えるぞw
809 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 20:52:35 ID:x57/qwo8
その辺の高校と同レベルのAKBよりは
平均値高いと思うけどな、、、
810 :
人間七七四年:2008/02/04(月) 11:56:47 ID:VZn9ci7D
家康が井伊直政にウホッ!いい男ってなったのも分かるな
肖像画見るとイケメンってのが分かるし
腹黒だろうが脱糞とか隠したりしない家康が大好きだ
811 :
人間七七四年:2008/02/04(月) 18:34:49 ID:CbzQESrr
だからあれは八丁味噌だってば><
812 :
人間七七四年:2008/02/04(月) 19:21:01 ID:An4lSHG8
その言い訳がまた可愛いw
813 :
人間七七四年:2008/02/05(火) 15:57:29 ID:xS/sxFNJ
いや、その「失敗を繰返さない」ってのが
中米欧の財界にも通じる、戒めなのではないか?
814 :
人間七七四年:2008/02/11(月) 20:11:30 ID:kz4kOJQi
815 :
人間七七四年:2008/02/13(水) 22:11:52 ID:1MpoeCjJ
NHK
うほっ
狸親父ステキwwwww
816 :
人間七七四年:2008/02/21(木) 16:07:59 ID:TLuypx4D
その時歴史が動いたって、
あんまり関係ない映像使うの目立って来てない?
「それは山内の映像だろ!!」って突っ込んでるw
817 :
人間七七四年:2008/02/21(木) 18:20:43 ID:jzQ/A+nW
その「八丁味噌」の話を知ってから
嫁の実家(名古屋)の味噌汁が飲めなくなった。
また義父が何でもかんでもチューブ入りの味噌を
<もりもりもり・・>とかけているのを
見ると嘔吐感が抑えきれないw
818 :
人間七七四年:2008/02/21(木) 18:44:46 ID:ahKcmOKq
うんこは黄系だろ
味噌は赤系だ
おまえはカレーが食えなくなってしまえ
819 :
人間七七四年:2008/02/22(金) 16:22:16 ID:PagKWBPd
>また義父が何でもかんでもチューブ入りの味噌を
名古屋圏の常識 つけてミソ、かけてミソ だなw
あの野菜炒めめちゃうまい!
820 :
人間七七四年:2008/02/23(土) 00:41:44 ID:dnWWwRuJ
>>817 お前みたいなブ男にそんなの求めてないんだよ
男らしく何でもモリモリ食え
821 :
人間七七四年:2008/02/24(日) 00:00:33 ID:boanVQad
味噌カツサンド食べたけど味噌が激しく甘くて食えたもんじゃなかった
あんな甘い味噌はケーキとかのオヤツにつけろよ
822 :
人間七七四年:2008/02/27(水) 15:24:23 ID:kAxmtC7K
まいせん のかつサンドだって、甘いソースだろ?
823 :
人間七七四年:2008/02/27(水) 20:51:08 ID:7OW4iW/B
おまえら、楽しいのか?
バカ丸出しだぞ
824 :
人間七七四年:2008/02/28(木) 16:54:54 ID:A/kHB71n
そんな事わざわざ言いに来るほうが、バカ丸出しだろ?
月間TV雑誌によると、
3/15(土) 21時〜 テレ朝系で
「家康公と3人の女達」というSP番組やるようだ。
825 :
人間七七四年:2008/02/28(木) 17:17:38 ID:yvRIf07s
826 :
人間七七四年:2008/02/28(木) 17:30:09 ID:4f7DxErn
>>825 間違いないスイーツだw
ドラマのテーマがもうダメ。
827 :
人間七七四年:2008/02/28(木) 19:19:43 ID:d1c8HjSz
きしょい
828 :
人間七七四年:2008/02/28(木) 19:26:23 ID:iVSHo27q
秀頼が家康の子っていう設定なら見てやってもいい。
829 :
人間七七四年:2008/02/28(木) 19:35:47 ID:4i4jg7CS
>>828 家康はじつは女だった。
秀頼は秀吉との間に出来た子。
きもかったスマソ
830 :
人間七七四年:2008/02/28(木) 19:46:37 ID:t+r9nRYc
朝日の人1967年生まれらしいが綺麗だな
全然罰ゲームになってない
831 :
人間七七四年:2008/02/28(木) 21:22:05 ID:n8pEwrqB
なんだ、3側室じゃないのか、、、
832 :
人間七七四年:2008/02/28(木) 21:39:02 ID:z5ZwiUs9
朝日がおばさんじゃない時点でなんだかなあ
それと大して家康と関係なくね?
淀だって違うだろこれ
その上シナリオを史実からいじってるって書いちゃってるし
つーか星野と高島、逆だよな
スルー決定
時間の無駄
833 :
人間七七四年:2008/02/28(木) 23:05:53 ID:t+r9nRYc
女優も今年41歳
朝日は家康と同い年で1543年生れで1586年に嫁ぐ
実年齢はあんまり変わらんが、当時と今じゃ老け方も全然違うだろうし
そもそも元々のつくりが・・・
834 :
人間七七四年:2008/02/29(金) 08:45:03 ID:mRCTg8xB
なんだ、てっきり阿茶とかお梶とかかと思ってたのに。
835 :
人間七七四年:2008/02/29(金) 16:34:54 ID:9KqdsLHs
↑ 同感w
ってか、永作博美の茶々は萌えた (●^o^●)
836 :
人間七七四年:2008/03/03(月) 15:49:28 ID:JFGyAPBN
↑ 反応なしか!!
837 :
人間七七四年:2008/03/04(火) 10:29:01 ID:yk7y29UQ
そう言えばWOWWOWで政宗再放送してるね。
当時は全然知らなかったから、見たかったのに
ワウワウじゃあ見れないよ!!
838 :
人間七七四年:2008/03/06(木) 20:16:02 ID:4Td4nGyA
レンタルdvdでみたよ
多分総集編だと思うけど
839 :
人間七七四年:2008/03/09(日) 08:24:46 ID:uQaVZ67q
いきなりイノシシ退治から始まるやつ?
この前カンブリア宮殿で、伊藤忠商事の会長が
「不自由を常と思えば不足なし」って言ってた。 感動した。
840 :
人間七七四年:2008/03/18(火) 22:53:31 ID:y9cf4GGH
あれ?
841 :
人間七七四年:2008/03/26(水) 11:44:36 ID:vPG4apLm
皆誤解してるけど石高だけなら豊臣秀吉在世時も既に天下人なんだよね。
842 :
人間七七四年:2008/03/26(水) 20:41:40 ID:BGmGcasi
>>841 徳川は家臣全部合わせて250だが
豊臣は豊臣だけで200いくつ、子飼いだった奴含めると断然上だからな
官位や権力を除いても、堺抑えられると石高だけかっててもあれだし
843 :
人間七七四年:2008/03/26(水) 21:11:15 ID:knlJT5BY
>>842 ただ、直轄領と家臣分の比率が前者に偏ってるのが家康の凄い所なんだよな
250万石で直轄領100万石って、家康にとってかなりのバックボーンでしょ
844 :
人間七七四年:2008/03/27(木) 11:27:43 ID:PyUWUP6m
>>842 子飼いまで含める意味がわからん
子飼いとはいえ、独立した大名なんだから、親豊臣大名とはいえ、豊臣家の一部とは言えんだろ
豊臣を公儀として従属してはいるが、それは純然たる豊臣の力ということではない
845 :
人間七七四年:2008/03/27(木) 17:18:47 ID:qjOiwifM
全ての大名は豊臣家の家臣だからね
ただしそれだと話にならないので子飼いだけ抜き出している
家康だって豊臣家臣団に組み込まれてるし秀吉の命令には基本的にNOとは言えない
さからった時にどうなるかという話でしょ
846 :
人間七七四年:2008/03/28(金) 15:27:01 ID:gJlgoeRi
でも豊臣政権は、石高で釣った家臣ばかりだからな。
847 :
人間七七四年:2008/03/29(土) 14:27:46 ID:In1j1+Yi
山鹿素行に非難されてるよな >大盤振る舞い
まあ徳川政権下と言うことを差し引いても、
マキャベリもそれはやっちゃダメっていってるしねえ。
848 :
人間七七四年:2008/03/30(日) 20:43:45 ID:bhgx6Pta
大きな外様はどんどん分家させるべきだったな。
849 :
人間七七四年:2008/03/30(日) 20:57:30 ID:x2Dp4ibD
家康何で朝鮮の役に行かずにすんだの?筆頭大老なのに。毛利、上杉、島津、佐竹等の外様大名を何で改易しなかったの?長曽我部みたいにすればよかったのに。
850 :
人間七七四年:2008/03/30(日) 21:13:32 ID:ESowXCp+
>>849 >家康何で朝鮮の役に行かずにすんだの?筆頭大老なのに。
家康に東国の押さえをさせていたから。
>毛利、上杉、島津、佐竹等の外様大名を何で改易しなかったの?長曽我部みたいにすればよかったのに。
本領は無事で、当主も無事だから下手に改易すると後がやばい。長曾我部も当初はそのつもりだったけど、
兄の津野親忠を殺すという下手打って改易。
851 :
人間七七四年:2008/03/31(月) 07:41:10 ID:p3QV1oh0
≫850
ありがとう。
852 :
人間七七四年:2008/03/31(月) 13:57:14 ID:a8J9QzMB
長宗我部
853 :
人間七七四年:2008/03/31(月) 15:30:56 ID:9/vL0fQL
ちょうそとか、マイナーな大河やらないかな。
一豊は戦後は教科書に出てたらしいし。
854 :
人間七七四年:2008/03/31(月) 21:32:31 ID:PfxWbw8r
それよりも信康事件をやってほしいね
もちろんよくある通説だけでなくて多方面からの検証で
855 :
人間七七四年:2008/04/02(水) 13:48:21 ID:wuJAkMRg
今日、世にも奇妙な物語とダブるやん!!
今日は見て、火曜の再放送で録画するかw
856 :
人間七七四年:2008/04/03(木) 01:32:19 ID:M2klFDq2
今日のその時歴史が動いた〜徳川四天王から学べ〜
の糞さは、最高に糞だった。
ゲストがあれでは徳川四天王の質を落としかねない。
857 :
人間七七四年:2008/04/03(木) 15:26:54 ID:HT/u4kho
1人ずつやれと思ったw
858 :
人間七七四年:2008/04/09(水) 15:44:02 ID:t4FaxTUV
再放送も見たけど、信康事件でアフォの信長は
孫に徳川家を継がせたいとは思わなかったのだろうか?
瀬名姫に洗脳されてて、使い物に成らないと思ったのだろうか?
五徳は悪女だな。
859 :
人間七七四年:2008/04/09(水) 16:56:54 ID:lqMAbeGt
むしろそういう可能性のある政略結婚だったのに
家康の浜松派閥と信康の岡崎派閥が割れそうだったから
それを処罰し、一方的に破棄するわけにはいかんから
信長に御伺いを立てたって話もでてくる
860 :
人間七七四年:2008/04/09(水) 19:45:58 ID:bLVaNJv/
861 :
人間七七四年:2008/04/10(木) 16:02:20 ID:/AuNFCU2
本スレが過疎ってるんだから、ココで良いだろ。
そもそも類似板多過ぎw
862 :
人間七七四年:2008/04/18(金) 02:00:28 ID:gE4AQdtE
天下の握るにはやっぱ三河重要w
頼朝も尊氏も家康も三河武士の操り人形なんだよ。わかったかお前ら
天下は三河武士の気持ち一つなんだよ。
www.city.okazaki.aichi.jp/museum/iyeyasu/ka302.htm
863 :
人間七七四年:2008/04/18(金) 04:06:53 ID:3aBTorkn
徳川家康は忍者だった…
つう話しがあるが…
歴史は勝者に都合良く書き綴られて来ているので
教科書が正しい訳では無く、資料も正しいかは
謎なのです。
864 :
平山貴士 ◆fUWY7Y19ZA :2008/04/18(金) 10:56:10 ID:ReedtQTY
昨日は家康公の命日。
「葵 徳川三代」の「家康の死」を見て
故人の遺業を偲びました。
865 :
人間七七四年:2008/04/18(金) 13:03:47 ID:SExpeHwE
また忘れてしまった。 生誕日は絶対忘れないんだけどな、、、
>>862 もそっとくわしぅ。
866 :
人間七七四年:2008/04/18(金) 22:48:21 ID:v1tQ0FkT
867 :
人間七七四年:2008/04/19(土) 00:55:52 ID:fYU+Kueg
味噌買い忘れんなよ
868 :
平山貴士 ◆fUWY7Y19ZA :2008/04/19(土) 13:00:54 ID:kN1hC4uc
4月17日が久能山東照宮
5月17日が日光東照宮で法要
これで間違いないですか?
869 :
人間七七四年:2008/04/19(土) 14:30:07 ID:fYU+Kueg
ここで聞くよりぐぐった方が確実
870 :
人間七七四年:2008/04/19(土) 19:24:21 ID:cW0C+6J3
徳川家康が再評価されてこその武士道文化
871 :
人間七七四年:2008/04/20(日) 12:44:50 ID:FZC0cwBS
家康自体は武士道無関係でしょう
872 :
人間七七四年:2008/04/20(日) 14:01:42 ID:JfTR2rRs
武士道は書物上の話ではない。
征夷大将軍は武士の頭領ですよ。
873 :
人間七七四年:2008/04/20(日) 14:10:10 ID:JPE4z6YZ
武士道自体の成立が朱子学とかを導入した家康時代よりもっと先の時代の話でしょ。
874 :
_:2008/04/23(水) 08:34:31 ID:K2pRIPAS
徳川家康、他家のいいところをうまく吸収するよな……
内政に関しては今川義元らの技を年少の頃から見ることができ
治水技術、軍学などは武田信玄らの武田家から運用し
官僚機構などは北条家(北条氏綱、北条氏康ら)のものを運用………(勿論内政に関しても)
今思えば、武田今川北条の三国同盟は、結果的に形を変えて徳川家康の餅のおかずになったのかw
875 :
人間七七四年:2008/04/23(水) 16:28:15 ID:AGesimVr
対照的に信長はぶっ飛んだ新しいことをやって
反発食らって自滅したな( ´,_ゝ`)
>岡崎に行って見て来い
三河出身だから何度も公園には行ったことあるんだけど
有料エリアには入った事無かったw
心に望み起こらば、困窮したる時を思い出すべし
876 :
人間七七四年:2008/04/23(水) 18:58:41 ID:TM73E7Qv
信長の、兵力差で追い詰めるっていうところは
目立つのは大坂ぐらいでしか使ってない?
でもその大坂で本隊が失態・・・
877 :
人間七七四年:2008/04/23(水) 22:26:56 ID:lJiDk3Wb
>>876 やる気のない相手なら、戦意喪失できるが、逆だと窮鼠猫咬むで大怪我する
信長も長島で同じ目にあってるし、家康もその点は予測していたようで
やばいと判断して即座に後退
878 :
人間七七四年:2008/04/24(木) 15:14:45 ID:Kn8aZqhp
>目立つのは大坂ぐらいでしか使ってない?
それ、弱い信長の基本戦略でしょ?
879 :
人間七七四年:2008/04/24(木) 16:01:43 ID:OitWU4jp
というか、相手よりも圧倒的な戦力差で押し潰すほどの国力をもてたのが最晩年なんだから仕方なくね?>家康
ついでにいうと、常に兵力差で追い詰めるという兵法の常道・理想であり、できるなら誰もがやりたがる。当然
の話だが。ちなみにこれを常に行ったのは信長よりも信玄。
880 :
人間七七四年:2008/04/24(木) 18:37:31 ID:RdbPNvb0
なんか絵を書かせたようなだけど本当?男前に書いたんだろな。
881 :
人間七七四年:2008/04/24(木) 20:47:31 ID:PB9NpvEz
でも信玄も強い強い言われてるけど実情は上杉相手にてこずったり
あちこち局地戦では結構やられてるよね
やっと堂々と戦績を残しだしたのは晩年ぐらいから?
徳川軍団が見習ったのはどこなんだろう
882 :
人間七七四年:2008/04/24(木) 20:48:33 ID:PB9NpvEz
周囲に早死に・謀反というある意味アクシデントが無ければ
家康は間違いなく東海地域の一武将で終わってたよなあ
883 :
人間七七四年:2008/04/24(木) 20:57:10 ID:mcAfBF4k
水割り作ってたよ
884 :
人間七七四年:2008/04/24(木) 20:59:51 ID:8pjD6CzC
>>831 整備された軍制があったようである(特に編成が優れていたとか)
885 :
人間七七四年:2008/04/24(木) 23:10:54 ID:l2O6sAe3
>>882 義元が桶狭間を呑気に渡っていなければ信長も東海地域の一武将で終わっていたし
秀吉など農民のままだぜ
886 :
人間七七四年:2008/04/25(金) 00:56:54 ID:z2YLeFLV
>>885 戦国のもしもは、それが最初かな・・・
それが起きてなかったらたぶん武田信玄も西方は目指せなかったかもしれないし
もちろん徳川なんて無くて、松平のまま
ただ氏真があれだったから、早いうちに潰れてたかもね、でもこれは必然として
そこで家康が独立を目指すか、今川を支えていくか、は面白い想像になりそう
887 :
_:2008/04/25(金) 08:19:08 ID:wmJgR/9P
>>877 岩屋城攻防戦の島津軍とか大損害だったな………3万5000ぐらいと760の対決で
数では圧倒的だが相手が超やる気マンマンで、島津の方は烏合の衆っぽかったの
もあったが、大苦戦。
結果的に城を落とせたけど
城側、降伏勧告を蹴飛ばしまくって挙げ句の果てには兵士全員戦死(うち自害も含む)か
……そのせいで時間を費やしたので、結局島津は九州統一をできなかった………
窮鼠猫を噛むとはまさにこの戦のような気がする……
888 :
人間七七四年:2008/04/25(金) 16:55:46 ID:OuO+uAX7
どっちにしたって、今川か織田に付き従って
いい感じのポストに収まったろ。
889 :
人間七七四年:2008/04/25(金) 21:23:53 ID:z2YLeFLV
スレ違いになるが
>>887 あの戦いは明らかにあそこに少数残してさっさと九州制圧が正しいと思うが
反撃されても本体が残ってるし、反撃とは要するに城から出てくるわけで、
そこで潰せる
海岸線を制圧してたら豊臣軍も上陸にてこずっただろうし
城1つだけなら兵糧攻めも出来た
九州制圧と言うことになったら疑心暗鬼の豪族ももっと従う気になったと
できない理由でもあったのかな
家康がやむなく城から出て三方ヶ原でやられたのと戦術的には同じことをできたと・・・
あれでは秀忠の関が原遅参みたいだ
890 :
人間七七四年:2008/04/26(土) 18:02:59 ID:0sYdAE6W
俺は保険事務所を開いて数年。戦闘力の高い部下がいない。
我が騎下に戦国の英雄達が欲しい。特に徳川家康。
891 :
人間七七四年:2008/04/26(土) 21:27:25 ID:wOPUpOAw
↑部下としてはどうかな?秀吉は母親や自分より多い領地あげたんだよ。
892 :
人間七七四年:2008/04/27(日) 09:57:12 ID:+dCecgl+
と言う事は俺が死んだら事務所は家康に乗っ取られると言うところか。
社長:俺
顧問:朝倉宗滴、北条早雲
相談役:毛利元就、
専務:羽柴秀吉、武田晴信、徳川家康
常務:長尾景虎、小早川隆景
経理部長:小西行長
総務部長:石田三成
営業部長:千利休と堺の豪商
課長:堀秀政、真田信綱など
営業外交員、伊賀・甲賀・風魔などの華麗なる集団
だったらいいなぁ。
893 :
人間七七四年:2008/04/27(日) 10:16:00 ID:A+g+TH+Z
>>892 そういう部下を見つけ、集め、教育し、留置させるのが社長の仕事です。
894 :
_:2008/04/27(日) 20:04:19 ID:Y0awKJpv
自分はこうが理想かな?例え乗っ取られても民政に
長けたことしてくれそうだから。
社長:俺
顧問:北条氏康
相談役:太原雪斎
専務:羽柴秀長、武田信繁
常務:小早川隆景、 毛利隆元
経理部長:石田三成
総務部長:立花道雪
営業部長:千利休と堺の豪商
課長:高橋紹運 大谷吉継 仁科盛信 鳥居元忠
営業外交員:鳥居強右衛門、伊賀・甲賀・風魔などの華麗なる集団
ちなみに家康はいれてないww課長のメンツがちょっとあれだがw
895 :
人間七七四年:2008/04/27(日) 20:27:42 ID:+dCecgl+
>894
す、すごいラインナップですね。
鳥居強右衛門を持ってきたとは。強右衛門なら契約とってくるまで飲まず食わずで頑張りそうですね!
896 :
人間七七四年:2008/04/28(月) 15:47:03 ID:9sTMQFyf
なんで強衛門なんだよ、勝商じゃないのか?
深イイ話って番組、石田三成以外に戦国モノ出てないけど
全然つまらないネタばかりだと思わぬか?
897 :
人間七七四年:2008/04/30(水) 12:35:16 ID:ZmpbXupE
>>894 >社長:俺
惜しい。ここさえなければ最高なのに。
898 :
人間七七四年:2008/04/30(水) 20:10:20 ID:Ohul9AHF
>>889 遅レスだが、岩屋を兵糧攻めにしたところで、なんか城がなかなか落ちずに
秀吉上陸で時間切れアウトってなりそうな気がする。んで岩屋を無視したら無視
したで立花山を落とそうとしてもあそこはあそこでさらに天然の要害だし。
海岸線を制圧するにしても立花山無視できないし……大軍とはいえ、二方に挟まれると思う。
……岩屋は立花山の通り道だしな……結局岩屋は落とすしかないと思う。
おまけに岩屋と立花山の守ってるやつが、
岩屋にいるのが、徳川で言う頭のさらに切れる鳥居元忠と兵士全員が鳥居強右衛門でおまけに結束力が
異常にあるやつらが守ってて、おまけにやる気超マンマンで。
立花山には、野戦の戦術など戦術に長ける本多忠勝みたいなやつがいるし……こっちもやる気マンマン。
鳥居と本多を両方同時に敵にするってのはかなりしんどい気がする……
899 :
人間七七四年:2008/04/30(水) 22:03:42 ID:UKi4J7Jk
>>898 そんなに大友に人材残ってたっけ?
高橋・立花親子ぐらいだよね
共に堅固な城に立てこもってたからこそ持ちこたえられたわけで
転換点になった無理な力攻めをしなかったら結果は全然違ってたと思う
攻城側だって歴戦の島津、備えが万端だったら簡単に崩れなかったはず
でもその島津側、はっきりいって調子に乗りすぎたね
あそこまでの勢いは凄かったから
わずかな油断が取り返しのつかない結果になった
なんでこんな話になったんだww
ああ、要するに、家康は大軍で圧倒する戦術はどうかか
大坂以外やってないよね
900 :
人間七七四年:2008/05/01(木) 15:11:58 ID:ONAXb174
必要以上の大軍とかあったのかな?
そこがケチとの兼ね合いw
901 :
人間七七四年:2008/05/01(木) 18:26:49 ID:oPZl9Rvf
大坂で思い出したが、家康率いる徳川軍団は城攻めはどうなのかね
大坂での真田のハプニングとか、小牧長久手などの話で、
城攻め苦手で野戦は得意とは必ず言われるけど
なんだかんだで三河から遠州に連なる南アルプス山麓の地帯で
武田とか今川と戦って山城を獲ってきてるから
城攻めもそんなに下手ではないよね
ただあの辺の城は地味で・・・あと内応もよく使われてたのかな
902 :
人間七七四年:2008/05/01(木) 20:34:20 ID:MuykEyxV
>>901 有名所としては長篠城や高天神城といったところ
でも基本的に何か特別な策を用いたことはなく
相手の増援が来ない内に攻めて、もう駄目という所で
退去させるという当時の基本的な形
その意味で高天神は特殊だが、これは信長からの指示
による武田の権威失墜を狙ったものとの事
903 :
人間七七四年:2008/05/01(木) 20:43:59 ID:wxEfNfYn
>>899 ほかには志賀親次とか……かな。
つ〜か岩屋はそんなに堅固な城じゃないよ。立花山と宝満山はそれなりに堅固だけど。
優れた武将はもっといたが、耳川でかなり戦死した。
つ〜かこの話はもうこのへんにするかwスレ違いすぎだしw
では本題に戻すね。城攻めだけど真田昌幸の上田城攻めたことあったけど、その時は
家康は、命は下したが、出向いてたっけ?大久保と平岩あたりが中心だった気がする……?
まぁ結局、失敗の戦だったけど……。
関ヶ原の時の秀忠が攻めてるときは、榊原康政がいたけど。大軍だったには大軍だったが
家康じゃないしな……これも部分だけ見れば失敗だったけど、関ヶ原で勝ったので大きな視点で見れば
対したことないし。(兵士にはそれなりに被害でたが)
904 :
人間七七四年:2008/05/01(木) 23:30:11 ID:oPZl9Rvf
>>902 上で書き忘れたけど第二次高天神攻防では
武田は弱体化してたときかどうか記憶があやふやだった
遠州における武田の西方最前線ではあるけど
裏を返せば援軍が無いと孤立する場所
もしも弱体化してたらあまり参考例にはならないかなあと
書こうか悩んでるうちに別のこと書いてて忘れたww
それにあの城を捨てたことで、勝頼が家臣からの信頼を無くしたきっかけになったとか、
捕縛した武将二人への対処のエピソードとかそういうのもある戦いだね
905 :
人間七七四年:2008/05/01(木) 23:42:04 ID:oPZl9Rvf
>>903 真田攻めも、第一次・第二次共に、たまたまタイミングの問題か、
家康本人は出陣してないんだよね
だからなかなか推し量れないのがもどかしい
大坂のについては家康と言うより、武将たちの力量不足が問題だったような
戦経験が少ない二世になってたのが大きいようで
統制さえ取れていれば、難なく落としてたかもね
そういう意味では夏の陣前に大坂の防御を取っ払っちゃったのは
も戦略としての城攻めとしては上手いとは思う
これ正しくは案かはなんとも言えんけどw
906 :
人間七七四年:2008/05/02(金) 09:38:46 ID:PXYgXyr9
おとといNHKで放送した江戸も町造りはよかった。
大坂を参考にそれ以上の都市をつくった家康はすごい。
907 :
平山貴士 ◆fUWY7Y19ZA :2008/05/02(金) 10:28:33 ID:BV9Hq2S9
徳川宗家は江戸期は武蔵江戸藩400万石で
維新期は駿河府中→静岡藩70万石の殿様。
「江戸の殿様」「静岡の殿様」という評価がもう少し高ければと
切に願う。
908 :
人間七七四年:2008/05/02(金) 15:25:30 ID:aKD6NAFH
>それにあの城を捨てたことで、勝頼が家臣からの信頼を無くしたきっかけになったとか、
「信長が降伏させなかった」ってもう定説なの?
>捕縛した武将二人への対処のエピソードとかそういうのもある戦いだね
憎らしい旧友ともう1人は?
>真田攻めも、第一次・第二次共に、たまたまタイミングの問題か、
>家康本人は出陣してないんだよね
危ないから避けてんだよきっとw
>つ〜かこの話はもうこのへんにするかwスレ違いすぎだしw
伊達・関東〜近畿地方・毛利以外はあんまり詳しくない。
909 :
人間七七四年:2008/05/02(金) 16:20:34 ID:1qcakfOI
>>908 >危ないから避けてんだよきっとw
さすがに難癖だな
910 :
人間七七四年:2008/05/02(金) 16:28:25 ID:aKD6NAFH
真田なんてほっといても被害少ないじゃんw
>大坂を参考にそれ以上の都市をつくった家康はすごい。
あと道をもう少し真っ直ぐしててくれたらとは思う。
>「江戸の殿様」「静岡の殿様」という評価がもう少し高ければと
意味不明だし違和感ありまくりw
どちらにしても超強敵に囲まれてたのに、天下取ったのはすごい。
911 :
平山貴士 ◆fUWY7Y19ZA :2008/05/02(金) 16:38:27 ID:BV9Hq2S9
>>910 意味不明で違和感があるって何で?
江戸や静岡を本拠地とした大名だろうがよ。
徳川御三家は「名古屋の殿様」「和歌山の殿様」「水戸の殿様」だろが。
違うか?
912 :
人間七七四年:2008/05/02(金) 17:22:28 ID:aKD6NAFH
江戸藩徳川家
将軍(殿様の殿様)=殿様
将軍家=社長
大名家=管理職
トップが家来と同じくくりでは違和感あるだろ!
913 :
人間七七四年:2008/05/02(金) 17:25:29 ID:aKD6NAFH
衆議院議員 福田康夫 小泉純一郎
間違っては居ないが、今は肩書きが違うだろ。
914 :
人間七七四年:2008/05/02(金) 19:09:12 ID:RbIlrUoD
>>908 捕まえた今川方武将二人に関しては、
子供の頃につい入ってしまった屋敷で、自分を怒鳴った当主はその場で打ち首
なにかと世話をしてくれた武将は自軍に取り立てたって話しか知らないなあ
意外と根に持つタイプかと
信長と似てるな
915 :
人間七七四年:2008/05/02(金) 20:46:37 ID:PLByl2iN
このコテ、あたまわりぃ
917 :
平山貴士 ◆fUWY7Y19ZA :2008/05/03(土) 01:08:06 ID:Kqbmg5Pl
>>912 徳川宗家は
将軍家
日本国大君家であったと同時に
江戸藩主家でもあった。
正確に言うと
国家元首にあたるのは天皇だ。
藩主を管理職に置いたがこれは間違い。
藩主は知事にあたる。
藩は独立採算制で幕府の領土ではない。
藩札という独自の紙幣まであったくらいだからね。
今風に言うと
統合幕僚長であり東京都知事でもあるわけだ。
やっぱ「江戸の殿様」じゃないか。
918 :
平山貴士 ◆fUWY7Y19ZA :2008/05/03(土) 01:19:01 ID:Kqbmg5Pl
>>913 小泉に関しては衆議院議員だ。
元首相というのは呼称に過ぎん。
福田康夫は内閣総理大臣だが
自由民主党総裁でもある。
「福田総理」であり「福田総裁」であり「福田議員」であるわけだ。
どれも間違いではない。
官職と呼称は違う。混同すな。
ついでにいうと総理にあたるのは将軍じゃなくて太政大臣
職制について勉強しとけ。
維新期は静岡藩70万石に減封。
「静岡の殿様」だ。これも間違いない。
919 :
平山貴士 ◆fUWY7Y19ZA :2008/05/03(土) 01:28:05 ID:Kqbmg5Pl
オレはまた
江戸の殿様=太田道灌資長
静岡の殿様=今川義元
とでも言うのかと思ってた。
920 :
平山貴士 ◆fUWY7Y19ZA :2008/05/03(土) 01:32:28 ID:Kqbmg5Pl
殿様という「呼称」にこだわるなら
城主に置き換えてみろ。
それなら違和感なかろう。
921 :
人間七七四年:2008/05/03(土) 22:07:30 ID:r2Gz189V
バカの独り言か
922 :
平山貴士 ◆fUWY7Y19ZA :2008/05/04(日) 18:20:45 ID:ozKNfgZu
何とでも言え。かっかっか!
923 :
人間七七四年:2008/05/05(月) 19:42:09 ID:H4gCDhwE
もう少し相手したくなるレベルで書込め( ´,_ゝ`)
924 :
平山貴士 ◆fUWY7Y19ZA :2008/05/05(月) 22:20:13 ID:DZxKX8+d
何とでも言いなさい。
925 :
人間七七四年:2008/05/05(月) 23:51:00 ID:yWbciro+
家康と直接関係は無いが、徳川関連として本多スレに
一言坂についてのレスがあるんで興味あったらどうぞ
926 :
人間七七四年:2008/05/09(金) 20:50:20 ID:pShYH0XL
次回のNHK金とくは徳川家康特集
放送は東海北陸のみか?
>>917の
>徳川宗家は
>江戸藩主家でもあった。
江戸は藩鎮じゃないからここだけは訂正すべきだな。
928 :
人間七七四年:2008/05/10(土) 02:33:03 ID:GBhGgFo4
本当はどうしたかったんだろう豊臣家のこと。
929 :
人間七七四年:2008/05/10(土) 10:28:24 ID:LI+3/yo0
残す気は十分あったよ
でも例の、あのおっかさんの愚行のせいで・・・
930 :
人間七七四年:2008/05/10(土) 14:06:41 ID:Q1kUKD9u
大和で我慢しとけばよかったのにね
お袋様の愚考・愚行はかなり誇張されているはず。
家康の行い(大坂の陣)をより正当化するために。
織田家は主家スジという立場をキッパリ捨てて、大名4家が幕末まで残っている。
931 :
人間七七四年:2008/05/10(土) 16:09:10 ID:ZgSW0M0L
酒井の太鼓が浜松城に15日まで展示中
まあでもこれは伝承でもあるし・・・
>>930 それにしても秀頼が出てこなさすぎな気もする
あの頃のあの歳で、それももう当主ならもっと前に出てていいはず
家康にしてもしかたなく孫を嫁がせたりしてなんとかしようとしてた節もないこともないわけだし
932 :
人間七七四年:2008/05/10(土) 17:04:40 ID:nP/qHNdt
家康は淀に感謝してるだろ
頑なに抵抗してくれたおかげで豊臣潰せたんだから
933 :
人間七七四年:2008/05/12(月) 01:16:14 ID:10XtUUQ9
途中で死んだら死んでも死に切れなかったはずだ。
>織田家は主家スジという立場をキッパリ捨てて
主家なのか?
934 :
人間七七四年:2008/05/12(月) 08:54:43 ID:ywytytze
対等な同盟とは言い難いから実質的に主家だろう。
見方が原とか姉川とか対等とは思えない。
935 :
人間七七四年:2008/05/12(月) 11:21:38 ID:7UlqgVk2
武田を滅ぼす時なんかは特に顕著。
家康もほんとは南信濃くらい攻め取りたかったんだろうけど、
「オマエは信忠の手柄を横取りする気か!」なんて言われて切腹させられるかもしれないから。
織田が制圧するまでチンタラ就いていったほど。
名目同盟でも立場は、秀吉、光秀、一益と同じ方面司令官。
936 :
_:2008/05/12(月) 12:47:22 ID:IndnN3LK
>>892 遅レスだが
誰も社長にすらなりたくない武将のメンツを選んでみた。
まぁそれでも優しい民政は敷かれそうだが。基本的に優秀なメンバーだが……
社長:…
顧問:松永久秀 最上義光
相談役:伊達政宗 大友宗麟
専務:久武親直 宇喜多直家 龍造寺隆信
常務:黒田如水 北条高広 明智光秀
経理部長:大久保長安 本多正純 蒲生氏郷
総務部長:陶晴賢 穴山信君(梅雪) 小山田信茂
営業部長:今井宗久 松田憲秀 藤堂高虎 近江商人
課長:前田利家 山内一豊 小早川秀秋 脇坂安治
営業外交員、伊賀・甲賀・風魔などの華麗なる集団
937 :
人間七七四年:2008/05/12(月) 16:08:27 ID:Gbzwo8qI
>名目同盟でも立場は、秀吉、光秀、一益と同じ方面司令官。
その司令官に「様」付けで呼ばれては居ないんだろうか。
938 :
人間七七四年:2008/05/12(月) 18:10:58 ID:SjJSC4Vk
というより信長自身が接待したのは本能寺直前の
あの当時だと家康以外はそうはいない
939 :
人間七七四年:2008/05/12(月) 18:28:14 ID:6oduLI5x
あの気遣いをみると少なくとも家臣扱いではないよね
詳しくは調べて無いけど、家康家臣含めた旅費全般信長持ちだと思うし
940 :
人間七七四年:2008/05/12(月) 18:29:19 ID:6oduLI5x
同族にしようとしてた浅井長政の失敗があるから
意外にもそこを考慮してたのか・・・?
941 :
人間七七四年:2008/05/12(月) 18:46:52 ID:eG6rAl8e
実質主従でも名目同盟だから主家筋を捨てやすかったんだろ
豊臣は名実ともに主家だからなかなか捨てられなかった
942 :
人間七七四年:2008/05/12(月) 19:31:14 ID:QoYqaOtO
信長の側近は三河の田舎者をバカにしてたらしいし、
東方面の守りとか姉川の時しか使いで無いと思ってたんだろ
逆に功が巨大になり過ぎるのも困るだろうな
943 :
人間七七四年:2008/05/12(月) 21:46:05 ID:6oduLI5x
944 :
人間七七四年:2008/05/13(火) 09:56:11 ID:1OJZu0+5
>>942 そうだよね。
信長視点では対等であろうわけがないし、
家康だって察しただろう。
逆らえばやられる。
945 :
人間七七四年:2008/05/16(金) 17:26:06 ID:rhvB+UPw
経営者には家康公派が多いらしいけど、
信長派、秀吉派はどういうカテゴリーの人が多いんだろう?
労働者層が超成果主義の信長だったら笑えるw
946 :
人間七七四年:2008/05/16(金) 18:53:04 ID:0dwdXis1
そんなに可笑しくもない
そういうのはあこがれが反映されるから、
自分がそういう立場になったらこうしてやるという一種の願望だろ
947 :
人間七七四年:2008/05/16(金) 19:27:39 ID:n0i6+eg/
948 :
中:2008/05/17(土) 11:53:49 ID:d+pu6tqH
>>945 団塊世代の経営者のバイブルが山岡家康らしいからな
949 :
人間七七四年:2008/05/17(土) 13:10:44 ID:ZIOGxggf
>>945 ベンチャーで急成長する会社社長は信長タイプが多い(という)
それが成長のMAXに近づいた時、そのことを認識できるかどうかが重要で、
次世代に経営を譲るか、自分が変わるかしなければならない。
自分が変わろうとして会社をダメにした信長タイプを何人も知ってるだろ、みんな。
950 :
人間七七四年:2008/05/17(土) 13:30:35 ID:8MOg4mrL
六本木ヒルズにいたあの人も逮捕される前は
どっかの雑誌で現代の織田信長とか呼ばれてたなあ
951 :
人間七七四年:2008/05/18(日) 08:51:21 ID:kno228yt
最後はむしろ秀頼のが主戦論だったろ。飛び火して消えなくなった感じ
てか豊臣も木下が残ったからいいだろ別に
952 :
平山貴士 ◆fUWY7Y19ZA :2008/05/18(日) 09:14:48 ID:dJ4IKwWR
浅野家は豊臣家の縁戚とは言えんのか?
953 :
人間七七四年:2008/05/18(日) 09:36:57 ID:Xx2y1CXQ
逮捕される前から堺屋さんに
「現代の織田信長じゃなくて松永弾正」って言われてたョ>あの人
実業家でいうなら本田宗一郎は家康嫌いだったはず
どっかの城を建てた後、技術者たちを秘密保持のために皆殺しにしたのが
技術畑出身の人間として許せないとか
松下幸之助も家康のことはあんまり評価してなかったはず
954 :
人間七七四年:2008/05/18(日) 16:32:37 ID:2rS0Fb09
>>953 >どっかの城を建てた後、技術者たちを秘密保持のために皆殺しにしたのが
それって表立ってないだけでどの大名でもやってそうな気が・・・
955 :
人間七七四年:2008/05/18(日) 18:00:28 ID:24mkux05
>>953 城じゃなくて、金山じゃねぇか?
大久保長安の音頭で開発した金山の近くで、遊女呼んで金堀衆をどんちゃん騒ぎさせてたときに
足場を破壊して、遊女もろとも崖下におっこどしたっていう。
山梨のおいらん淵ってのがそれだと聞いた事がある。
956 :
人間七七四年:2008/05/18(日) 18:42:25 ID:5Ssltivf
>>955 おいらん淵でぐぐったら勝頼の時代っぽいけど
957 :
人間七七四年:2008/05/18(日) 19:15:47 ID:sZhHvOOg
城の弱点を知った技術者を殺すといっても
そんな弱点がある城を作る方が問題かと
958 :
人間七七四年:2008/05/18(日) 21:51:57 ID:th2AVsa4
城を作るたびに技術者を殺していたら技術者の数が足りなくなるし、
他の技術者もその大名に協力しなくなるだろ
城作りの技術者なんて一朝一夕に大量生産できるものではないぞ
嘘八百の都市伝説を信じている奴がいる方が問題だよ
959 :
人間七七四年:2008/05/18(日) 22:48:00 ID:Sz5rwy9B
本田宗一郎や松下幸之助は時代的な制約もあるでしょ。
明治以降の家康マイナスイメージで評価してるんだから。
960 :
人間七七四年:2008/05/19(月) 12:13:36 ID:IbXgzwv4
961 :
人間七七四年:2008/05/19(月) 16:26:44 ID:fPDUTN5B
>団塊世代の経営者のバイブルが山岡家康らしいからな
人生訓以外、大して役に立たないと思うが、、、
>城を作るたびに技術者を殺していたら技術者の数が足りなくなるし、
ITや外食業界は同じ状態だが?
962 :
人間七七四年:2008/05/19(月) 16:34:48 ID:S8XYJNfE
山岡家康は相当家康をいい人に描いているが、
それでも、作品内では信長や秀吉パートのほうが面白かった。
家康けなしまくりの司馬の小説の家康のが、
俺は何故か好きだったりする。
963 :
人間七七四年:2008/05/19(月) 17:51:15 ID:HfCj5/LI
>>962 受け入れやすさの問題じゃね。従来の家康像と隔たりあるし
964 :
人間七七四年:2008/05/19(月) 18:34:53 ID:a+VnLJx5
クル━━━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━━━!!
司馬遼太郎と城を歩く「浜松城〜“覇王の家”」
チャンネル :BS2
放送日 :2008年 5月26日(月)
放送時間 :午前9:25〜午前9:40(15分)
ジャンル :ドキュメンタリー/教養>歴史・紀行
ドキュメンタリー/教養>文学・文芸
天下人・徳川家康が雌伏の壮年期を過ごした浜松城。小説「覇王の家」から家康が喫した生涯最大の敗北と言われる武田信玄との三方ケ原の戦いの様子を、この城を舞台に紹介。
965 :
人間七七四年:2008/05/19(月) 19:34:42 ID:K9rzd7ih
山岡家康はありゃ生きてる時から東照大権現
司馬家康は関西人のフィルターを除けば、最良の組織人として
書かれている
966 :
人間七七四年:2008/05/19(月) 20:30:25 ID:S8XYJNfE
>>963 それもある。それもあるが、
山岡のは家康&家臣団が妙に小賢しいというか、鼻につくんだよな。
なんかお前ら偉そうにしているけど、
結局信長や秀吉や武田に押されまくりじゃねえか、
みたいな感じになるんだ。
司馬家康のが、まだ淡々としている分、良いというか。
家康が一般的にあまり人気が無い理由は、
創作で「これぞ家康!」みたいなのが無いからかもしれん。
山岡にせよ司馬にせよ、なんか決定的ではないというか。
まぁ俺が触れていないだけだと思うんだがな>魅力的な創作家康
967 :
人間七七四年:2008/05/19(月) 23:11:02 ID:tAjGsLYC
海道一の弓取=徳川家康 外部リンク;国立国会図書館近代デジタルライブラリー
新井白石の藩翰譜に「海道第一と聞えさせ玉ひし弓取の、御母にてましませば」
成島司直の改正三河後風土記に、海道一の徳川殿
東照宮御実紀(徳川実紀)「徳川を海道一の弓取とはいひしぞ」
元亀元年6月28日;織田信長感状、徳川殿姉川合戦の信長の感状から、家康の武勇高く、海道一の弓取と、歌われる。
968 :
人間七七四年:2008/05/19(月) 23:11:12 ID:a+VnLJx5
人質時代とか
息子殺しとか
三方ヶ原敗戦ネタとか
伊賀越えとか
関が原の謀略戦とか
信長・秀吉との人間関係とか
書こうと思えばあるはずなんだけど
書き切れてないの?
どれも信長・秀吉には同じ感じのものは無い経験だよね
確かに二人と比べて性格・性質に突出した特徴は無いけど
969 :
人間七七四年:2008/05/19(月) 23:17:29 ID:HfCj5/LI
>>966 むしろ家康は元来あんま良くないイメージが定着してるからだろ。
だから山岡家康には一般人の読者にすら疑問符がつき、司馬や池波もボス的位置付けで描く。そっちの方が書きやすい。
山岡はかなりの信長贔屓でもあるが、著者の織田信長の方はこれぞ信長って思われやすいぜ、断然。
結局小説なんて感情移入できるかできないかだろ。
吉川英治ならどう描いたかね。書きたかったらしいが。
小賢しいか。俺は脇役のキャラも立ってると感じて印象よかったが。司馬は逆な。
それにそこまで押されまくりでも、分不相応な大言壮語のホラ吹きどもでもなかったろ。
印象なんて人それぞれってことか?
970 :
人間七七四年:2008/05/19(月) 23:38:37 ID:S8XYJNfE
>>969 山岡の信長は良かった。ちとイメージより多弁だが、
豪快かつ抜け目無く物事を進めていく信長で。
親父の遺言がニセだと看破して裁いていくあたり痛快だった。
ホラ吹きとまでは思わんのだけどな。>家康&家臣団
なんだろうなあ……殿様と家来はかくあるべきでござる!
みたいな感じのセリフが多く感じてな。
松平広忠とか石川数正とかあのへんは好きだぜ。
広さんは親父殿だが。
971 :
人間七七四年:2008/05/20(火) 00:06:44 ID:qXPibx5m
980ぐらいで次スレを
972 :
人間七七四年:2008/05/20(火) 15:17:50 ID:yuQf2Lm6
小説じゃないし、壮年以降だが個人的なイメージとしては津川雅彦で固まってるな〜
司馬は、家康を信長・秀吉と比べれば明らかに格下って頭から決め付けてる感があるのが好きになれん。
973 :
人間七七四年:2008/05/20(火) 16:30:30 ID:xxvcz5OY
974 :
人間七七四年:2008/05/20(火) 16:32:27 ID:+NRDUj2G
津川はやせすぎ。家康は素早いデブというイメージだから、
もうちょい太ってないと。
司馬は関西人だからかもしれんが秀吉大好きだからな。
老耄した秀吉でさえなんか好意的に書いてる。
家康は……なんかもう最初から好意的に書く気さえないよなっていう。
975 :
人間七七四年:2008/05/20(火) 16:48:07 ID:xxvcz5OY
>>972 それは10年単位でしか物を見れないバカ者だから
良さが分からないんだと思うぞ。
3匹の子豚で言えば、信長秀吉ってせいぜい木の家でしょ
だから墓穴掘ったw
イメージはともかくとして、家康公の特徴は
・背が小さい (現代換算160cm前後)
・よって声が低くない
・冷静沈着だからお喋りではない
・当時の30〜75歳までカバーするので、50前後が好ましい
・当然軽い俳優だとイメージ損なうので、大御所俳優
こんな条件満たせる俳優が居るのだろうかと。
976 :
人間七七四年:2008/05/20(火) 16:52:45 ID:xxvcz5OY
>津川はやせすぎ。家康は素早いデブというイメージだから、
一番メジャーな肖像画が着膨れしてるだけで
そんなの70歳前後からだけだろ!鷹狩で鍛えてた。
>司馬は関西人だからかもしれんが秀吉大好きだからな。
関東行かせたの秀吉なんだけどな、、、
>家康は……なんかもう最初から好意的に書く気さえないよなっていう。
そもそも司馬遼太郎の小説にあまり面白かったイメージないからどうでも良いw
977 :
人間七七四年:2008/05/20(火) 18:35:37 ID:+NRDUj2G
戦国三傑を3匹のこぶたに例えるのは斬新ww
978 :
人間七七四年:2008/05/20(火) 19:04:06 ID:27kuvbOy
長生きして色んな人間の失敗を見て自らを戒め
また優れた先人から学びそれを活かした
それが三百年の天下泰平の礎だったんだろうなぁ
979 :
人間七七四年:2008/05/20(火) 19:16:27 ID:xxvcz5OY
2代に渡って家臣に殺されてたから
家臣を大事にしたのもあるんだろうね。
悪く言うと何コンプレックスなんだろう?
>戦国三傑を3匹のこぶたに例えるのは斬新ww
現代でも大抵の問題って、童話で解決できるんだよ。
道路公団とかに良い童話って無いかな?
980 :
人間七七四年:2008/05/20(火) 19:57:57 ID:JE3TTaxN
家臣を思ってたら一向宗は弾圧しなかったんじゃないかと
あれで相当数が離れちゃったらしいから
981 :
人間七七四年:2008/05/20(火) 20:06:04 ID:gcxiNaqX
家臣が宗教問題で出奔とか結構あるよな
982 :
人間七七四年:2008/05/20(火) 20:42:00 ID:KQQFyD5a
>>980 若さもあるだろ。家康の一番の武器は経験じゃないかね
983 :
人間七七四年:2008/05/20(火) 20:55:41 ID:m7Sa/EeY
984 :
人間七七四年:2008/05/20(火) 20:59:36 ID:JE3TTaxN
いやーあの時期でもすでに一向一揆の脅威は知ってたはずだよ
能登・加賀辺りが一向一揆に占拠されたのはいつ頃なんだろ
それでも承知で自分から喧嘩売るのはどんな計算があったのか分からんね
985 :
人間七七四年:2008/05/20(火) 21:54:11 ID:YSYebDVv
>>984 鎮圧した結果、矢作川流域の諸権利や寺領を自らの物にし、
更に帰順した門徒武士を自身の家臣する事で直属の戦力を拡大
この結果が徳川家直属の常備軍である旗本先手役であり、これらの
侍大将が本多、榊原、鳥居、大久保、大須賀といった後に名をはせる
連中なのだから十分意義はある
986 :
人間七七四年:2008/05/20(火) 22:59:12 ID:JE3TTaxN
家康はいつでも鳴くまで待つ人物じゃなくて
やるときは自分から仕掛ける人物だというのは
人物評としては固まりつつあるんじゃないかね
987 :
人間七七四年:2008/05/21(水) 01:11:25 ID:duyWsy5V
>>986 小牧もどっちかっていうと仕掛けたの家康だよな。信雄煽ってるし
988 :
人間七七四年:2008/05/21(水) 08:11:19 ID:Gf9+chx8
三方が原とか小牧とか、
すごいやつ相手にしかけるといっぱいくわされている。
そのへんが「家康凡人説」の根拠か。
989 :
人間七七四年:2008/05/21(水) 10:42:35 ID:fMcGziAd
まあ戦争自体はそんなに上手くないよね、戦績を考えると。
寡兵をもって衆を討ちまくった信長や元就、斬新な戦術で敵の度肝を
抜いた秀吉なんかと比べると一段下がる感じはする。
でも、あの政治センスと統率力、隙を見せれば一気呵成に突っ込んで
くる迫力は絶対凡人じゃない。むしろ投機のセンスが歳を重ねるごと
に増していく『大器は晩成す』の体現者。
990 :
人間七七四年:2008/05/21(水) 11:08:06 ID:Gf9+chx8
三方が原で信玄相手にコテンパンな家康。
でも10年後には、信玄を上回る人数の秀吉相手に
互角に戦う家康。レベルアップが見えて面白い。
991 :
人間七七四年:2008/05/21(水) 13:12:32 ID:rYWw2KEX
家康本人は英才教育を受けたわけでもないのにね。
家臣には恵まれた。使いこなすのも大将の能力。
992 :
人間七七四年:2008/05/21(水) 13:31:59 ID:truqI8I+
>>991 今川の人質時代、当時最高の博識僧・太源雪斎や、京を逃れ今川に身を寄せていた公家衆から
至れり尽くせりの英才教育を受けた。
実質、人質では無くて将来の今川の柱石となるための留学生活と解釈するべきだよ。
993 :
人間七七四年:2008/05/21(水) 13:46:38 ID:duyWsy5V
別に小牧は一杯食わされたわけでもないだろ。
どうせ元々国力の差からいってじり貧が落ちだから、自分を高く売りつけられたのはプラスだよ。
994 :
人間七七四年:2008/05/21(水) 15:01:00 ID:fMcGziAd
四国の長宗我部、九州の秋月・島津、関東の北条なんかがあっさり
フルボッコされた事を考えるとな。結局寸土も削られる事なく和睦
したわけだし。
995 :
次スレの1:2008/05/21(水) 15:38:09 ID:U8rwmyV6
石高的には激増じゃなかったっけ?
>えなりに期待
年下かよ!
>家臣には恵まれた。使いこなすのも大将の能力
天下を取ってクローズアップされたってのを差っ引くと
突出した家臣ってほとんど居ない気はする。
おまいら埋めるために突然盛り上がっておもろい。
996 :
次スレの1:2008/05/21(水) 15:39:00 ID:U8rwmyV6
997 :
人間七七四年:2008/05/21(水) 18:06:02 ID:B+ahhikO
>>988 家康自体はほぼ完全勝利だったはずなのに
ダメ息子が・・・さすがに他人の考えまでは動かせず
確かかどうか不明だけど、よく言われるのはあの戦いのせいで
秀吉が一目を置くことになってしまったと
それが後の必死な人質押し付け大作戦
>>989 信長の少数勢力というのは骨肉の争いをしてた若い頃?
>>992 子供の頃は確かに義元家臣からの扱いは悪かったようだけど
元服して、更に義元と関係が出来た時点で、
今川一門的な立場になってたよね
でもだからこそそれが後々の家内騒動の火種に、と
>>995 他の家でも、意外と突出した武将っていないと思う
つまり大きな戦い全てで必ず大活躍っていうのが案外無いからね
なんだかんだで地味に局地戦があって、そこで1つ1つ手柄を立てて
内外で認められていくって形だから
大局の戦いだけが重要でもないしね
998 :
人間七七四年:2008/05/22(木) 14:08:44 ID:GCZBlBwL
998
999 :
人間七七四年:2008/05/22(木) 15:26:26 ID:7BjRzMaa
宇宙戦艦 999 あれ?
1000 :
人間七七四年:2008/05/22(木) 15:26:51 ID:7BjRzMaa
1001 :
1001:
/ `ヽ、
ー┬――─‐ァ
/ ̄ ̄ ̄ ̄,l,
_/ ,、r'" _」
. | ̄ ̄ ̄ ̄ ,、r:''゙ヽ、
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/ 秀家 ゙ヽ:::::::::', ごくろう。このスレはみごと統一された。
゙|゙゙゙''' ‐‐''""' ';:::;r==,、 さすればおぬしらには次スレの攻略を命ずる。
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i. / Y./ノ さあ泳いでゆけ、現代のもののふたちよ!
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