架空の車両形式・番台スレ 21次車

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1西武軌道線
前スレ
架空の車両形式・番台スレ 20次車
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/rail/1347600766/l50

さあ、楽しく書き込もうか!
2名無し野電車区:2013/03/15(金) 14:19:47.14 ID:9csKMOe30
3名無し野電車区:2013/03/15(金) 16:39:04.61 ID:uegyKyUM0
・205系1000番台(モハ204、サハ204)
225系5000番台による阪和線用通勤形の完全置き換えが決まり205系1000番台5編成も運用を外される事になった。
阪和線用の1000番台は主電動機の出力が高い事から3M3Tでの組成が可能であるが、走行性能および補助電源の相違から従来のモハ204、モハ205などは連結できない。
そこで221系の6両編成からモハ220およびサハ220を廃車し、JR東日本から余剰となったモハ205を6両購入し、
同時に元7両編成のサハ205とともに廃車した221系の足回りと205系の車体を組み合わせることにした。
こうして、CP搭載のサハ204-1000とパンタグラフとSIV搭載のモハ204-1000が中間車として造られた。
なお元々、サハ204を与えられていた6扉車はこの頃には既に全廃となっている。
外観は0番台と同じ塗装となり、最高速度100km/hでおおさか東線全通後の運行に使われる。
4名無し野電車区:2013/03/15(金) 16:40:02.71 ID:jBCVyNFh0
東急160形電車
昭和41年に登場したデハ150形を連接車にした玉川線最後の新型連接車両。
デザインはデハ150形と同じで、車体長は非パンタ側を短縮した12800mmとし、
片運転台化、片車体2扉で2両連接車にし、連結面に広幅貫通路と幌を装備した。
主電動機がデハ150形の60kWから70kWに変更、制御装置、歯車、補助電源装置、
ブレーキ装置などはデハ150形と同じで、共通化が図られていた。
製造は東急車輛で、デハ161-162、163-164、165-166の3編成が製造され、
昭和44年5月の玉川線廃止後も世田谷線に残り、昭和54年からの車体更新修繕で、
側面コルゲーション板を無塗装のステンレス板に取替え、デコラ化粧板の交換、
シート色を緑色から臙脂色に交換などが行なわれた。

平成13年2月の世田谷線ノンステップ化に伴い、ステップ部を塞ぎ、ドア交換して、
継続使用する案もあったが、車歴が古いことからデハ150形と一緒に引退が決定した。
5名無し野電車区:2013/03/15(金) 21:40:40.66 ID:bgsgQqd70
東急クハ3660形。3663〜3664号

昭和22年に、借用車として東横線に出戻っていた旧キハ1のうち2両を
東横線に復帰・転属・制御車化したもの。

半ばヤミ的存在であるため、京浜線木造車改造名義のクハ3660形の
続き番号とされた。

不足気味の上り向きクハに充てるため、渋谷寄りは流線型運転台を残置。
横浜よりは切妻貫通型に改造されている。

主にデハ3450と組み、東横線で。後には田園都市・目蒲・池上線を
転々とした。

昭和28年頃に、デハ3200など同様ドア・窓配置を変更。
両端ドアが窓2つ分内側に寄る。
昭和45年頃に3450形同様の更新改造でアルミサッシ化。また塗色も
ライトグリーン化。遠目に見るとちょっと変わった5000系?という姿になる。

1981年。3450形大量旧車の際にひっそりと旧車→廃車。
現在は電車とバスの博物館に3663の前頭部のみが、キハ1に復元された仕様で保存。
日本唯一の機械式気動車のシミュレータとして妙な人気があるとか。

……既出だったらスマソ。
6名無し野電車区:2013/03/16(土) 09:17:29.03 ID:10wWzT660
>>1
前スレラスト:
-----------------------------------------------------
565 :名無し野電車区:2013/03/10(日) 21:34:35.32 ID:L7fH2qfG0
確かMAX512KBだったはずだが。
もう50程書き込めると思うが。
-----------------------------------------------------
容量限度到達レスらしい書き込みでワロタ
1KB=1000Bとするなら、スレ容量は512KBで正しい。左下の表示は
1KB=1024Bで計算(1KB未満切り上げ)されてるので要注意。
7名無し野電車区:2013/03/16(土) 22:58:53.91 ID:ffVXxFvPO
105系700番台
JR西日本の105系の中には旧式クハ103を改造したクハ105-100番台は既になくなったものの、
サハ103-66を改造したクハ104-600やモハ102-385を改造したクハ105-551など103系からの改造車が
残っており、これらの取り替えと奈良線及び廃線区間を一部復活させる可部線向けに
105系レベルの車両を求めたところ、折しもJR東日本が日光線で使われていた107系0番台が
205系600番台に取り替えられるために余剰となった。
そこで西日本はこの107系8編成全部を購入した。なお形式の便宜上105系に編入されて700番台と名乗る。
2編成はクモハ107を方転と電装解除してクハ104-701〜702とクハ106を改造したクハ105-751〜752となった。
改造されたのはクモハ107/クハ106-2・6である。
なおクハ106改造車は冷房装置をAU13EをAU75Eに取り替えられた。(クモハ107改造車はそのまま)
そのまま使用する車は次の形式と配置になった。
クモハ105-701-クハ105-701 広島
(旧クモハ107-1-クハ106-1)
クモハ105-702-クハ105-702 奈良
(旧クモハ107-4-クハ106-4)
クモハ105-703-クハ105-703 広島
(旧クモハ107-3-クハ106-3)
クモハ105-704-クハ105-704 広島
(旧クモハ107-7-クハ106-7)
クモハ105-705-クハ105-705 広島
(旧クモハ107-8-クハ106-8)
クモハ105-706-クハ105-706 奈良
(旧クモハ107-5-クハ106-5)
冷房装置はクモハ105はAU79そのまま クハ105はAU13EからAU75に取り替えられ、補助電源は
165系用の110KVAMGから70KVAのSIV化された。
走行系が165系であるため、回生ブレーキや抑速ブレーキがある他、DT32/TR69と足回りも105系と
凌駕していた。
107系の評価が高く、高崎にある100番台車の獲得も浮上している。宇部線 小野田線狙いと思われる。
またクモハ123-1ミニエコーの強奪も水面下に浮上している。本山支線向けクモハ123形の
取り替えではないかと見られる。
8名無し野電車区:2013/03/19(火) 13:11:17.86 ID:Ixclpq5z0
阪神5231形冷房改造車
1970年代後半、5001形(2代)の投入と5261形非冷房車の冷房改造によって普通系車両の冷房化率が向上すると、
非冷房で残る5231, 5151, 5311各形式の処遇が問題となってきた。
当初の計画では5231形については冷房改造を実施せずに代替車を新造して置き換える予定であったが、
車齢が20年に満たない上に5001(初代), 5101, 5201各形式と異なり駆動装置が中空軸平行カルダン方式であることから、
本形式は冷房改造及び延命工事を実施することとなった。
但し、5151形及び5311形で施工された電機子チョッパ制御化は見送られ、
5261形1次車と同様にパンタグラフの下枠交差式への変更と制御器を抑速制動付の東芝PE-30-2Aへ換装を実施した。
5231形の冷房改造により、1983年には日本の大手私鉄では初の全営業用車両の冷房化を達成。
その後、1988年以降5001形(2代)に実施された4連固定化改造は5231, 5151, 5311各形式とも実施されることはなく、
1995年に阪神・淡路大震災で被災した5251-5252が廃車。
1997年から5500形の増備が開始されると本形式は5261形1次車とともに置き換え対象となり、
2000年に形式消滅となった。
9名無し野電車区:2013/03/19(火) 13:13:25.42 ID:Ixclpq5z0
阪神5550系(2004年度製)
5500系の増備により5231形が2000年、5261形1次車が翌2001年に全車廃車となったが、
5261形2次車及び5311形といった「ジェットカー」第二世代を中心とした冷房改造車グループは依然として残っており、
これらの代替として、当時の最新形式である9300系の思想を取り入れた新型ジェットカーを導入することとなった。
5500系と基本的な外観は変わらず車体塗装も「アレグロブルー」と「シルキーグレイ」のツートンカラーであるが、
客用扉の幅は9300系と同一の1,300mmに変更された。
主電動機は東洋電機製造TDK-6147-A(出力170kW)を採用し、5500系のTDK-6145-Aより出力が向上していることから、
ジェットカー史上初めて神戸側先頭車が制御付随車となった3M1T編成 (Mc - M1 - M2 - Tc) とされ、Mc - M1車とM2 - Tc車でユニットをそれぞれ構成する。
制御装置は高耐圧IPMにIGBT素子を組み込んだ三菱電機MAP-174-15V163Bを各電動車に搭載し、1基のインバータ装置で4個の主電動機を制御する1C4M方式となっている。
車内案内表示装置は5500系と同じくマップ式、種別・行先表示器は字幕式を引き続き採用している。
2004年7月に5551Fが落成し、5311形を代替。
2005年2月には5552Fが落成し、5261形で最後まで残っていた2次車の5271 - 5272 + 5273 - 5274が代替廃車。
これによりジェットカー第二世代の置き換えを完了するとともに、行先表示器未設置車は消滅。
普通系車両は全て4両固定編成となった。
10名無し野電車区:2013/03/19(火) 23:54:26.06 ID:534VrgX30
あげ
11名無し野電車区:2013/03/21(木) 20:19:21.64 ID:3EGWteJp0
【 しЯ束目杢 ヨ31系客車 】

・外観は戦後型旧型客車に範をとった。
・車体には牽引定数増大・塗装しやすさ・寿命延伸・美観向上のためアルミを採用。
・屋根はローンテックスに砂を混ぜたヤツで、色は黒。
・ガラベンとウィンドウシル・ヘッダーはダミー。
・冷房装置は特急「界磁」と同等品を床下に搭載、吹き出し口は窓框のしたに隠した。
・内装は難燃木材を多用、床も樹脂含浸木材。内装金具は極力真鍮。
・ブレーキは客車側に読み換え装置を内蔵した電気指令式で、牽引機関車を選ばない。
・補助電源は静粛型の汎用品で2両給電・2両ユニット間は密着自連。
・台車は115-1000体質改善車から発生したDT-21T、軸受けはRCT。
・ブレーキシリンダーは耐雪ベローズつき、基礎ブレーキは両抱き踏面。
・ドアは自動の引き戸で、戸袋窓はWCの採光を兼ねたすりガラス。1両あたり片デッキ。
・編成端の1両には擬似荷物室を設け、バリアフリードアとWC、車販準備室とした。
・車内の灯具には住宅用のものを流用したため、プロトタイプと印象が異なるのが残念。
12名無し野電車区:2013/03/21(木) 21:57:30.61 ID:/GbfWs4c0
キハ30・35形5000番台
JR東海で武豊線の輸送改善用に改造したキハ35。
エンジンをカミンズ製に交換し、東海道線の高速ダイヤに適合させるため最高速度が100km/hとなった。
内装が211系5000番台に準じたものに改装された。
1999年に廃車となった。
13名無し野電車区:2013/03/22(金) 21:41:30.40 ID:ZN1N8N0v0
321系1000番台
JR西日本が製造した321系の近郊型仕様。
新快速の混雑が激化したため泣く泣く4ドア車を導入。
内装はE233系3000番台に類似したセミクロスシートとしているが、東日本とは異なり全車両がセミクロスシートになっている
4両編成と6両編成と8両編成(全てオールM)があり、クモハ320にトイレを装備。
130キロ運転にも対応。
14名無し野電車区:2013/03/22(金) 23:21:36.57 ID:De5QOk3eO
東武鉄道(東武博物館)8101F動態展示車
東武鉄道は先に原型に近い8111Fを東武博物館所有としてイベント用として動態展示しているが、
野田線には昭和39年製のトップナンバーである8101Fがまだ残存しており、折しも新型車60000系に
置き換えられるのを機に2編成目の展示車として再生されたもの。
8101と8401を総合車両製作所に運び込み、原型と同じ運転台に戻した。
塗装は二代目であるセージクリーム一色とした。また座席も昔のベージュ色としている。
配置は川越とし、東上線で使われるが、東武ファンフェスタでは寄居より秩父鉄道での羽生経由で
搬入され、8111Fと共に展示されている。
15名無し野電車区:2013/03/25(月) 20:16:08.17 ID:nnf9CW+I0
キハ145
JR北海道でオハフ51を改造して作ったPDCで、両運転台である。
最初キハ140を名乗る予定だったがJR九州の出力増強車と被るためキハ145となった。
足回りはキハ143がベースである。
主に札沼線の末端部で使用される。
16.:2013/03/25(月) 22:29:39.05 ID:BdW+luRxO
東武11203F/11204F動態保存車:
10000系の東武業平橋線系統で未更新の編成2連2本を動態保存に向けて整備。
当初は11601Fを復元予定もあったが、部品調達の問題で断念。

東武10030系動態保存車:
10030系(10050系)の未更新・業平橋線系統残留編成を6連・4連・2連各1本を動態保存に向けて整備。

東武東上線10000系秩父ATS取付:
東上線唯一の2連、11201F/11202Fの更新だが、秩父鉄道線でのBLMG入線不可に関して、SIVに交換。
それに伴い、東上線では8000系さよなら運転が行われる。

東武30000系動態保存:
アルナ工機と富士重工で最後の鉄道車両になる為、動態保存な為に整備。対象は31609Fと31406F、また、東急車両(現:総合車両)の東武向け最後の31615Fと31415Fも対象。
6連臨時が伊勢崎〜北千住、4連臨時が東武宇都宮〜北千住で運転、東武動物公園で分割併合。
17名無し野電車区:2013/03/27(水) 03:06:43.39 ID:PijMuPz+O
キハ102-キハ103
JR東日本が羽越線 奥羽線などで普通列車に使われていた50系客車が701系による電車化により
余剰となったためにそれを気動車に活用しようと開発したPDCである。
片運転台式の2連で走行系はキハ102は2エンジン式でキハ58系から、キハ103は1エンジン式で
キハ28又はキハ23の再利用品である。
当初冷房がなかったが、後にサブエンジン式の冷房が取り付けられた。
キハ110系の登場で2両編成4組8両で打ち切られてしまい、前谷地にいて無傷だった2の編成を除いて
東日本大震災での地震と大津波に被災してしまった。(3は石巻線の女川・4は山田線の吉里吉里で地震及び大津波で被災)
1は気仙沼線の陸前横山におり、地震当時は全長3000m越す横山トンネル内にいたのと
海抜が高かったために間一髪大津波から免れているが前谷地側気仙沼側どちら側も線路が
流されたり破壊されて引き出せなくなり、客を歩いて避難脱出させた後は一時トンネル内に放置されていた。
4ヶ月後前谷地側から引き出されて陸送で郡山車両センターで修理されて残った2と共に
分断された仙石線石巻方で使われている。
18前スレ530:2013/03/27(水) 12:01:42.04 ID:n3TssooD0
の訂正です。

国鉄クモハ94300+サハ94350+クモハ94301

浜松工場にて戦災で被災した電気式ディーゼル動車キハ43000とキハ43001を
川崎車両兵庫工場でモハ43900とモハ43901に改造し電車として復旧したものである。
先頭2両が電動車であるためパンタグラフは両端2両の後方部に設置。
元キサハ43500をサハ4301に改番し組み込み三両で使用。
台車と主電動機はクモヤ93000と同じOK-4台車(DT29)とMT901を晩年まで使用。
浜松電車区に所属し80系湘南電車のデータを取るために東海道本線等で走行試験に用いられる。
試験終了後はモハ6400+サハ6400+モハ6401に改番し飯田線で使用され後に称号改訂で
クモハ94300+サハ94350+クモハ94301に改番し塗装はぶどう色→湘南色→スカ色と変遷。
昭和59年、119系との入れ替わりに廃車。
しばらく浜松工場に静態保存される。
このうちクモハ94300は登場当時の姿に復元され佐久間レールパークからリニア鉄道館に保存。
クモハ94301は川崎重工兵庫工場に保存され、サハ94350は浜松工場に残る。
19名無し野電車区:2013/03/27(水) 16:39:48.10 ID:eGJqR6TH0
京急100形電車
京浜電気鉄道(後の京浜急行電鉄)の子会社である湘南電気鉄道の新規開業に備えて製造されたデ1形に始まり、
湘南・京浜の両社で同系車が合わせて53両製造され、戦前関東私鉄の一時代を築いた名車と評されている。
第二次世界大戦中に「大東急」への合併で、デハ5230形に整理統合、戦後京浜急行電鉄の分離独立時に、
デハ230形へ改番、1965年(昭和40年)の一斉改番でデハ100形に統合された。

湘南電気鉄道デ1形25両、京浜電気鉄道デ71形11両、京浜電気鉄道デ83形11両、湘南電気鉄道デ26形6両が該当し、
車体長16.200mm、車幅2.5m級の両運転台シルヘッダー付き半鋼製車体を備え、前面は窓寸法が揃った非貫通三枚窓、
運転台は半室式で座席は車掌台側端部は妻窓まで設置され、扉間の座席は固定式クロスシートを備えたセミクロスシート、
それ以外の扉付近はロングシートである。側窓は高さ1,052mm・幅760mm、と当時としては極めて大型の上段上昇、
下段上昇式の2段窓が使用、窓配置はd2D(1)6(1)D3で、妻面が丸妻なことから洗礼された車体となっていた。

初期には単行で運転されていたが、軍港横須賀を控える湘南電鉄の沿線事情もあり、1930年代後半以降、
徐々に輸送量が増大、やがて2両編成での運転が増加、大東急に併合後はデハ5230形に統合され、
1945年(昭和20年)4月15日の大空襲でデハ5230形の5両が焼失したが、それ以外の車両は無事だった。
空襲で被災した5両も2年後の1947年(昭和22年)から復旧工事を受け、運用に復帰した。
20名無し野電車区:2013/03/27(水) 16:42:40.89 ID:eGJqR6TH0
1948年(昭和23年)に大東急の解体で、京浜急行電鉄が誕生、同年内に形式番号が改正され、デハ200形に改番、
1963年(昭和38年)から塗装変更、前照灯のシールドビーム化、尾灯の角形化、扉の交換、片運転台化、貫通路の設置、
乗務員室の全室化などの大幅な更新修繕が行われ、デハ200形241-253の13両が改番されずに運転台を撤去、
貫通路と座席を設置して中間車化、4両固定編成6本、3両固定編成1本、2両固定編成13本となり、3両固定編成の、
品川寄り先頭車両のパンタグラフを連結面の浦賀寄りに移設、2両編成、4両固定編成の浦賀寄り全先頭車両の、
パンタグラフを品川寄りから浦賀寄りに移設が行なわれた。1965年(昭和40年)の一斉改番でデハ100形、
中間車はデハ150形となり、1966年(昭和41年)に3両固定編成、4両固定編成の浦賀寄り中間車7両、
デハ150形157-163が電装解除、パンタグラフも撤去され、付随車サハ160形161-167となった。

2両固定編成4本が金沢八景駅-逗子駅間、金沢文庫駅?浦賀駅間の普通列車に運用され、
空港線専用の3両固定編成、2両固定編成1本以外は本線で4両編成の普通列車運用にあたっていた。
1971年(昭和46年)以降は2両固定編成が4両編成で大師線運用、1974年(昭和49年)から2両固定編成の廃車が始まり、
最後まで残った3両固定編成が1978年(昭和53年)に旅客運用から外れ、形式消滅した。
21名無し野電車区:2013/03/27(水) 16:49:34.42 ID:eGJqR6TH0
編成表(一斉改番以降)
Mc101-M151-T161-Mc102
Mc103-M152-T162-Mc104
Mc105-M153-T163-Mc106
Mc107-M154-T164-Mc108
Mc109-M155-T165-Mc110
Mc111-M156-T166-Mc112

MC113-T167-Mc114

Mc115-Mc140まで2両固定編成13本。
22名無し野電車区:2013/03/29(金) 00:19:32.35 ID:46dCvqek0
頼むから史実との差異を書いてくれ >旧型国電や大東急系の長文の人

あと、正直面白くない。
23名無し野電車区:2013/03/29(金) 13:57:23.64 ID:OrlyPlmUO
京浜急行電鉄 600形 671〜694
昭和30年に作られた京急初の有料ロマンスカーである。背景には京成電鉄が昭和29年に登場した
有料特急である1600形開運号に触発されたものと見られる。
車体的には600形と同様だが、座席がリクライニングシートとなり、テレビも付けられた。
何よりも京成電鉄の1600形が吊掛に対してこちらはカルダン式で1編成毎に電装品は三菱にWNもしくは
東洋にTD式とに分けて作られた。
671〜694まで4両編成6本24両が作られた。
停車駅は京浜蒲田 京浜川崎 横浜 上大岡 横須賀中央 久里浜である。
しかし非貫通2ドアであるために都営浅草線・京成線3社直通運転開始時に都営と京成に乗り入れ
できず、直通特急運用には1000形を使用せざるを得なかった。
その後他の600形などと連結して運用され、昭和55年に廃止されるまで有料特急として活躍した。
しかし有料特急運転は後に2000形登場時に登場する京急ウイング号へ発展していく布石となった。
その後は3ドア化 ロングシート化 冷房取付して数を減らしながらも普通車を主体に活躍し、
晩年は大師と羽田空港線で使われていた。
1500形に置き換えられて平成元年に全廃されたが、実際上は残存した675〜678 683〜686は正月の臨時用に
使われていて共に除籍されたのが1月6日の昭和天皇崩御前日であったため、実際上昭和64年に
廃車された珍しい例となった。
現在675が京急ファインテック久里浜営業所に原形に復元して保存。逗子市内の公園に678が保存。
新町検車区に保管されていた686は京急蒲田駅立体化後に先頭部カットモデルとして京急蒲田駅
コンコース内に保存されている。
なお琴電より1300形(元600形)が京急に返還される予定で、4両編成に組成して当時を復元させるプランも進行中。
24名無し野電車区:2013/03/29(金) 19:23:25.55 ID:CRHvoNn20
サハシ213
JR西日本でサハ213に「うどんコーナー」を設けた車両。
宇高連絡船で販売されていた讃岐うどんを快速マリンライナーの車内でも販売するべく車端部をうどんコーナーに改造した。
冷凍うどんを搭載したため調理時間が短縮された。
しかし223系への置き換えに伴いうどんコーナーが撤去されてしまいサハ213に復元された。
25名無し野電車区:2013/03/30(土) 10:58:57.87 ID:aGytFTOW0
小田急電鉄1700形電車

1949年(昭和24年)に本格的な特急専用車両として登場した車両、特急ロマンスカーの地位を不動にした。
制御電動車のデハ1700形と付随車のサハ1750形によるMcTTMcの4両固定編成とし、側窓は眺望性に優れる幅広、
座席は転換クロスシートを採用、警笛は和音、客用扉は編成全体で片側2箇所で、4両編成×4本が製造された。

デハ1700形の車体は運輸省規格型電車の車体長17.000mm、車体幅は1800形導入で車両限界が拡大されたのを受け、
車体幅2.800mmとなり大型化され、サハ1750形が車体長20.000mm、客用扉はデハ1700形に幅1.100mmのものを片側1箇所、
サハ1750形には550mm幅の非常扉1箇所のみとした。また側窓は幅1.100mm、高さ850mmの大きなもので眺望を確保したが、
シートピッチとは合わず、座席3列に対して窓2枚となった。窓と扉の配置はデハ1700形がd9(1)D、サハ1750形が14d、
(d:乗務員扉、D:客用扉、数字:窓数、(数字) :戸袋窓数)、塗装は腰部と上部が青色、窓周りが黄色の旧特急色、
いずれも初期投資を抑えるため、サハ1750形は戦災国電の台枠を使用、復旧車扱いとした。
正面は1600形同様の緩やかな丸みをおびた貫通型で、より丸み前照灯が半埋め込み、その下に複音汽笛が装備された。

内装は壁面が桜材などにニス塗りで天井が白色の化粧板であり、座席は転換クロスシートをピッチ900mmで配置した。
室内灯は当時珍しかった蛍光灯を採用、窓には日除けとしてよろい戸が設けられた。
サハ1750形の奇数車海側と山側の小田原寄りにトイレが設けられていた。
デハ1700形の台車と主電動機は三菱電機MB-146-CF、制御器はABF、歯車比2.07と1600形と同じで、
台車はデハが住友金属工業製のKS-32-L、サハはTR23を履いていた。
26名無し野電車区:2013/03/30(土) 11:29:31.97 ID:aGytFTOW0
第1編成は1949年(昭和24年)3月、第2編成は同年6月に箱根特急として運用を開始、利用客から好評を博し、
翌年の1950年(昭和25年)3月に第3編成、同年7月に第4編成が増備、その後も特急の利用者数は増加の一途をたどり、
同年中にはさらなる増発と増備の要望が高まったことから、新造車両は収容能力の大きい20m級車体で増備することになり、
1700形の増備は1950年(昭和25年)度をもって終了した。

1951年(昭和26年)に20m級車体を持つ特急専用車両2000形が登場、1952年(昭和27年)に4編成が揃うと、
準急「江の島」運用に入ったが、同年に新形の特急車両が登場したことで、特急運用を補完する準特急用車両となり、
翌年の1955年(昭和30年)から通勤車両へ格下げ、3扉ロングシートに改造され、サハ1750形は車体長をデハと同じ、
17.000mmに短縮、デハとともに片側3扉化、窓と扉の配置はデハ1700形がd1D(1)2D(1)2D(1)1 、
サハ1750形が2D(1)2D(1)2D(1)1と関東私鉄標準型の姿になった。格下げ改造後は4両編成で各駅停車運用、
車体色は一般色の茶1色にされたが1957年(昭和32年)に3000形SE車が登場以後、旧特急色が一般色となったことで、
黄色と青色に塗り直され、主要駅のホーム延伸が完成した1958年(昭和33年)には1600形2両を併結した6両編成で運用、
1959年(昭和34年)には8両編成、1600形2編成を併結の8両編成で運用、1965年(昭和40年)からは4000形に、
主電動機と一部機器を提供するため廃車が開始され、1968年(昭和43年)までに全車が廃車された。

廃車後、更新を受けて車体の寿命は比較的新しかったことから、国鉄入線で車両限界が拡大されるなど、
地方鉄道法の最大幅2.744mmを超過してる富士急行・岳南鉄道・大井川鉄道・伊予鉄道などの各社へ譲渡された。
27名無し野電車区:2013/03/30(土) 15:55:05.13 ID:YTUCl6Jfi
京王4000系
1975年に運行開始、
京王線の車両大型化を進めるため、
グリーン車の器機を一部流用し車体のみ6000系と同等とした車両(小田急旧4000系に近い)。
このためツリカケ駆動で抵抗制御・発電制動となっており、
特急・急行を中心に運用された。
1989年に5100系ツリカケ車が全廃したため、
1991年から1994年にかけてWN駆動・界磁添加励磁制御に改造され回生制動車となった。
ちなみに1992年運行開始の旧橋本特急にも本系列のツリカケ車が運用されたこともあり、
調布〜多摩センター間の爆走が注目されていた。
2004年から9000系の増備により廃車が開始され、2009年には全廃となった。
28名無し野電車区:2013/03/31(日) 00:30:31.37 ID:5J+U6H1w0
>>25
>>26に対抗して・・・

東武1720系(史実とは異なる版)
「近鉄2250系の東武バージョン」こと5750系(史実の5700系とは異なり、近畿車輛製の軽量構造の全金属車体でシュリーレン式台車を履きKM-7型冷房装置を搭載)に次ぐ
「近鉄10100系新ビスタカーの東武バージョン」と呼ばれるデラックスロマンスカー。
事の発端は5750系投入によって大幅に対日光輸送のシェアが落ちた事にブチギレた十河国鉄総裁の鶴の一声で151系(勿論、パーラーカー組み込みのフル編成)を日光準急に投入する
事への危機感から東武が創業以来縁のある近鉄(近鉄の前身である大軌は根津財閥が深く関わっている)に協力を要請したことに始まった。

佐伯社長の了解の元に登場したばかりの近鉄10100系ニュービスタカーを狭軌化しただけの姿で作られることになった。
故に基本スペックは同一(当然、連接車)で、中間車がダブルデッカーであるのも同じ。

対する日光準急は国鉄が赤字に転落した昭和39年に急行に、そして43.10の改正時に特急に格上げされたが、それに伴って料金的な
有利さは失われてシェアを落とし、最終末期には不定期列車に格下げ(車両は「踊り子」と共通運用の185系になっていた)され、57.11
の改正時に廃止となった。

その後、1720系は「兄弟分」の近鉄10100系の引退後も活躍し続け、平成2年に再び近鉄からの技術供与による「東武版アーバンライナー」
こと100系スペーシア(史実とは異なる版)と交代して引退。
29.:2013/03/31(日) 09:22:51.93 ID:f99s2n6OO
東武6050系70F〜72F座席試験編成:
足まわりの老朽化で廃車予定の6050系更新グループに、600系の転換クロス及び、4000系の回転リクライニングシートへのフィードバック試験目的。
津覇での電装と各車両メーカーの出張工事。
6170F:6170:総合車両、185系リニューアル座席相当、6270:日本車両、373系座席相当。
6171F:6171:新潟トランシス、キハ185系相当、6271:近畿車両、L/Cカー相当
6172F:6172:日本車両、313系新快速・セントラルライナー仕様相当、6272:川崎重工、225系相当。

東武600系:
快速用転換クロス車両。伊勢崎線快速・区間快速・準快速新設にも充当。

東武4000系:
快速用リクライニングシート車両。朝夕はTIライナー/TNライナーに充当。
TIライナー:浅草〜曳舟(一部停車)〜北千住(一部通過)〜春日部(下りのみ)〜(東武動物公園)〜久喜(一部停車)〜館林(〜一部葛生・東小泉方面(西小泉及び竜舞経由太田))〜足利市〜太田(〜一部伊勢崎・赤城方面)
TNライナー:浅草〜曳舟(一部停車)〜北千住(一部通過)〜春日部(下りのみ)〜東武動物公園(下りのみ)〜南栗橋〜板倉東洋大前〜栃木〜新栃木(〜東武宇都宮(一部車両のみ))
30anorak?:2013/03/31(日) 18:07:46.91 ID:iftrKeS80
平行世界もの
国鉄109系電車
1964年登場 日比谷線直通用18m車
○1957年の営団地下鉄日比谷線建設計画決定の際、国鉄、東急、東武、京王との相互直通運転も決定。
国鉄とは、上野・尾久・東十条を線増し、東十条以北の京浜東北線と相互直通運転を行う。
それは、日比谷線上野駅から分岐して上野・尾久の列車回送線に接続、回送線を尾久から貨物支線北王子線・須賀線を
活用して東十条へ延伸し、京浜東北線につなぐ。
京王とは、恵比寿駅から井の頭線駒場東大前へ至る日比谷線の支線を介して井の頭線と相互直通運転。
1964年の日比谷線全線開業と国鉄との相互直通運転開始に備え新造されたのが109系である。
本系列は、同年に量産開始された103系を土台に以下の日比谷線仕様にしたものである。
車体は鋼製で車長18m、両開き三扉、運転台に非常用の貫通扉設置。
営団から要求される運転性能を満たす為に、103系の抵抗制御にバーニア抵抗制御を追加し、
列車編成中にクハとサハを連結せず、全車電動車、
但し先頭車は運転台側の台車は空転し易いしコスト削減で主電動機を搭載しない0.5M車。
車種は、モハ109/108(M/M')、クモハ109/108(mc/m'c)。
登場当初は実質5M1Tの6両編成。
形式称号は、本系列設計時に駅間距離の長い路線向けに103系のギア比変更の仮称105系や、
主電動機をMT54にした仮称107系も設計されていたので、109系を付与。
就役開始以後、70年に8両編成化(実質7M1T)。
1987年にJR東日本に承継。
当時の運転区間は、中目黒/駒場東大前〜日比谷線〜上野〜JR〜尾久〜王子〜東十条〜京浜東北線。
就役当初から日比谷線の通勤地獄対策にとって車両性能の悪さが顕著となり障壁の一つにさえなり、
営団は国鉄との直通運転は増発せず、東武との直通を増やした。
就役以来長年日比谷線直通に活躍していたが、90年代には車両の老朽化も深刻化し、
バブル崩壊により茅場町を最寄り駅とする金融街衰退の影響で直通通勤客が減少したのを機に、
1995年にJRと日比谷線との相互直通運転は廃止され、109系は廃車。
31名無し野電車区:2013/03/31(日) 21:48:21.36 ID:tiSod2uwO
京王電鉄10000系
JR東日本の中央ライナーに対抗すべく投入された京王初の有料座席定員制特急「KEIOLINER」(京王ライナー)に
投入するために登場した。
基本的には9000系に準じた10両編成だが、東武鉄道より供与された座席回転機能を備え、
ロングシートとライナー仕様のクロスシートとの2Way式となっている。また都営新宿線からの
直通ライナーもあるため、都営線装備も備える。
停車駅は京王八王子行きは明大前 調布 北野 京王八王子
高尾山口行きは上記の北野までにめじろ台 高尾
橋本行きは上記の調布までの停車駅に京王永山 京王多摩センターである。
都営新宿線直通ライナーは大島発の全て橋本行きで、都営新宿線内停車駅は馬喰横山 神保町 市ヶ谷で
新宿より京王線ライナーに準ずる。
座席料金は400円で全区間共通。但し都営新宿線直通ライナーは新宿線内は乗車のみで降車は不可。
基本的に平日のみだが、休日夜も八王子行きを数本運転する。またライナーに使用するクロスシート
モードは平日昼間データイムの特急と準特急及び休日は終日特急と準特急でも使用する。
(ロングシートは普通及び急行のみ)
32名無し野電車区:2013/04/01(月) 09:48:08.05 ID:Detdz2/k0
京急160形電車
1940年(昭和15年)に101-116の計16両が汽車製造会社で製造、京浜電鉄線内でのみ使用するために設計され、
外寸はデ71形・デ83形に準じた両運転台で、側面はd1D(1)2(1)D3(1)D2の600V専用3扉ロングシート車である。
溶接組み立ての使用範囲が拡大され車体からリベットが無くなった。
制御装置は従来車が弱め界磁付き自動加速制御器を搭載していたのに対し、本車は京浜の在来車との混用の都合や、
部品調達難から旧来のHL式制御器+SMEブレーキにグレードダウンした他、モーターの定格出力も低下するなど、
戦争の影響によると思われるいくつかの仕様変更が実施されている。

大東急に併合後は3扉であるためデハ5170形とされ、1945年(昭和20年)4月15日の大空襲で4両が焼失、
2年後の1947年(昭和22年)に復旧工事を受け、制御車として復旧、1948年(昭和23年)に大東急体制の解体により、
京浜急行電鉄が誕生、同年内に形式番号が改正されデハ260形12両、クハ280形4両となった。
このクハ280形は各種整備の上で進駐軍専用車として運行された。

1951年(昭和26年)から4両編成で運行され、1953年(昭和28年)に全車の片運転台化改造が行なわれ、
1965年(昭和40年)10月19日の一斉改番でデハ160形・クハ180形となり、1968年(昭和43年)に不足した、
300形と500形の付随車となるため、全デハの電装解除、デハ160形の10両が車体更新名目で700形(二代)に準じた、
4扉の車体に載せ替えられ、500形サハ540形に編入改番、デハ160形2両とクハ180形4両の6両が220形に準じた、
ノーシルノーヘッダーの4扉車体に載せ替えられて、300形サハ340形に編入改番、デハ160形・クハ180形は形式消滅した。
33名無し野電車区:2013/04/03(水) 21:47:58.73 ID:NKqQRDjc0
HF200
JR貨物でDF200をハイブリッド機関車に改造。
大容量リチウムイオンバッテリを搭載した。
回生ブレーキで充電が可能になったため燃費が更に向上する。
34名無し野電車区:2013/04/03(水) 22:45:00.03 ID:0GvY4V/vO
東武40050系

半蔵門線直通の31606F+31406Fと31609F+31409Fを置き換える事になり、
1編成は51069Fが新製された。
ところが、もう1編成新製した場合、51070となってしまい、
50070系と車両番号が重複してしまう。
そこで、東急が5050系の後継として4000系を登場させたのにならって登場したのが、
東武40050系である。とりあえず、51069Fと合わせて、所要数2本なので、
41051Fのみの10連1本のみである。
構造的には51069Fと全く同一で、
他の50050系と同様に半蔵門線、田園都市線直通運転で使用される。
35名無し野電車区:2013/04/05(金) 02:12:54.71 ID:WFzWf7zNO
コキ300
東日本大震災前日に成田線の久住駅で脱線横転事故で空車だったからまだしもあわや
積載していた引火爆発性と猛毒性のある液化酸化エチレンを漏洩しかねない大事故を起こすなど
走行性に問題があるコキ200型を抜本的に改良してそのものをも置き換えるために登場した。
コキ107型を基本にして車体を短くし、ISOタンクコンテナ2個積みは変わらずにして車端部と
コンテナとの間隔を少し広げている。荷重は48トンから50トンに引き上げられた。
捻出されるコキ200型はJR東日本が事業用貨車に改造された車以外はほとんど廃車となった。
チキ5400型
JR東日本がチキ6000型及びチ1000型の老朽化取り替えとしてコキ200型から16両改造された。
25mレールも積載出来るが、主に分岐用などのレールを積載する場合にチ1000型の遊車を省略するために登場した。
必ず2両一組で使用される。
36名無し野電車区:2013/04/05(金) 14:15:47.45 ID:adnyAX8O0
南武鉄道モハ100形
1927年(昭和2年)3月9日の開業時に101-106、1928年(昭和3年)までに107-111、1929年(昭和4年)までに112-115と、
三回に渡って汽車製造東京支店で製造された。1951年(昭和26年)頃まで、南武線で使用された。

全長14,900mm、重量28t、定員90人(座席42人)の小形車で、15m級半鋼製2扉の両運転台型制御電動車で、
前面はR付の3枚窓(中央の1枚の幅が狭いもの)、屋根布押えもR付、車体はリベットの多く、窓扉配置dD12D1、
側面は1段落とし窓、車内はドア間ロングシート、運転台は左隅式で仕切り板で客室と仕切られている。
屋根上のベンチレーターはガーランド式で、当初は前照灯が幕板取付けであったが後に屋根上に移設された。
台車は汽車製造のボールドウィンタイプ、出力46kWの主電動機4台に歯車比69:18=3.83の間接非自動制御(HL)であり、
性能は定格牽引力1100kg/速度21.3km/hと比較的非力であった。

1933年(昭和8年)に101-110までの10両に片運転台化改造が行なわれ、奇数車は下り方、偶数車は上り方の運転機器、
乗務員扉を撤去、客窓と座席の設置を行い、乗務員室を開放式の全室型に改造、反対側の側面にも乗務員扉を設置が行なわれ、
2両編成運行が行なわれた。111-115の5両は両運転台のまま、開放式の全室型、乗務員扉を設置が行なわれた。
37名無し野電車区:2013/04/05(金) 14:17:31.54 ID:adnyAX8O0
買収後は南武線でそのままの番号で使用されたが、1944年(昭和19年)に102・104、1945年(昭和20年)に106-110の偶数車が、
電装解除のうえTc車化され、クハ150形151-155に改められ、モハ109とクハ155が1945年(昭和20年)4月15日の空襲により、
矢向電車区で被災、廃車となるなどの変化があった。1946年(昭和21年)にモハ105とクハ155が流山電気鉄道へ譲渡、
同社のモハ100形101・105となり、105が同社で電装化され、形番も105から102に改番された。
同じ1946年(昭和21年)にモハ101・102、クハ151・152の4両が秩父鉄道に譲渡、同社のデハ150形151・152、
クハ70形71・72となり、後に弘南鉄道へ譲渡、同社のモハ2230形2231・2232となった後、
1963年(昭和38年)に日立電鉄に譲渡され、同社のモハ100形101・102、クハ150形151・152となった。
モハ103、クハ104、モハ111・112の4両は1951年(昭和26年)に東濃鉄道へ譲渡、同社のモハ103・104、クハ203・204となり、
4両とも1976年(昭和51年)に高松琴平電気鉄道に再譲渡、73・74(Mc)と81・82(Tc)となった。
モハ113-115が1951年(昭和26年)に熊本電気鉄道へ譲渡、同社のモハ121形121・122となった。
38名無し野電車区:2013/04/05(金) 20:09:34.62 ID:y2p186D40
213系0番台JR東海仕様
国鉄が関西本線に投入した213系0番台。
2両編成である。
前面方向幕が小さくオールクロスシートで冷房がAU79であるためすぐ見分けがつく。
飯田線転用時はドアスイッチを取り付けただけで大がかりな改造は行われなかった。
39名無し野電車区:2013/04/07(日) 19:05:19.38 ID:a8bRdOAw0
国鉄763系電車
国鉄が1980年から製造した北海道向けサイリスタ式交流急行型電車。
側窓は1段上昇式だが、車端部のロングシートや吊革はなく、ボックスシートの窓際にもひじ掛けが設けられた。
車体長は21.3mに伸ばされ、普通車のシートピッチは12系客車やキハ65系気動車と同じ1580mmに拡大された。出入り口はステップ付き。
0番台はMM'ユニット方式を採用。1000番台は711系100番台と同様の1M方式。パンタグラフはモハ762-0およびモハ763-1000に搭載。
歯数比は4.21を採用している。
全車両新製冷房車で登場し、冷房装置はパンタグラフ付き中間電動車がAU72型(1983年製造分からはAU79型)、その他はAU13型6基。
車体塗色は赤色13号に窓回りクリーム色4号である。
シートモケットの色は117系と同様の茶系を採用している。
形式は、クモハ763、モハ763、モハ762、クハ763、クハ762、サハ763、サロ763、サハシ763、モハ763-1000

763系2000番台
国鉄が1985年から製造した763系の転換クロスシート版。車体長は21.3mで出入り口はステップ付き。
転換クロスシートのシートピッチは910mmとなっている。
形式は、モハ763-2000、モハ762-2000、クハ763-2000、クハ762-2000、サハ763-2000
40名無し野電車区:2013/04/07(日) 19:14:05.81 ID:a8bRdOAw0
国鉄465系電車
国鉄が1980年から製造した457系のフルモデルチェンジ版。
車体長が21.3mに伸ばされ、普通車のシートピッチを12系客車・キハ65系気動車並みの1580mmに拡大。出入り口はステップ付き。
もちろん従来の交直流急行型電車との連結も可能。
形式は、クモハ465、モハ465、モハ464、クハ465、クハ464、サハ465

国鉄469系電車
465系の横軽協調運転対応版で465系と同じく1980年に登場。車体長は21.3mで出入り口はステップ付き。
形式は、クモハ469、モハ469、モハ468、クハ469、クハ468、サハ469

サロ465
サロ455-1000の車体長を21.3mに伸ばした形式で、1982年から製造された。出入り口はステップ付き。

サハシ465
465系のビュッフェ車。1982年から製造された。車体長は21.3mで出入り口はステップ付き。

サロ469
サロ465の横軽協調運転対応版で1982年から製造された。車体長は21.3mで出入り口はステップ付き。

サハシ469
サハシ465の横軽協調運転対応版で1982年から製造された。車体長は21.3mで出入り口はステップ付き。

国鉄477系電車
国鉄が1985年から製造した465系の転換クロスシート版。車体長は21.3mで出入り口はステップ付き。
転換クロスシートのピッチは910mmで側窓は2連窓になっている。
もちろん451・471-465・469系と連結可能。
形式は、モハ477、モハ476、クハ477、クハ476、サハ477
41名無し野電車区:2013/04/07(日) 19:19:55.59 ID:a8bRdOAw0
>>40補足
それらの形式の1500番台が1987年から製造。211系や415-1500と同じステンレス製になる。

465・469系: 歯数比4.21とMT54系主電動機は踏襲したが、主制御器は117系と同じCS43系を採用。車体長が21.3mに伸びたため。1983年製造分からは内装化粧板の色が薄茶色4号から117系と同じ白色チェック柄+木目調に変更された。
477系: CS43系主制御器と歯数比4.21は踏襲したが、主電動機が211系と同じMT61系に変更された。
465・469・477系共通: 冷房装置は先頭車とグリーン車・ビュッフェ車はAU13型6基、パンタグラフ付き中間電動車がAU75型、パンタグラフのない中間普通車がAU13型8基、これらの形式の1500番台はAU75型。

465・469・477系いずれも、シートモケットの色は117系と同様の茶系シートでHゴムはない。

急行型のステンレス車は、正面がJR北海道721系電車と同じ顔つきになっていたはずである。
(415系1500番台や213系などの近郊型のステンレス車が211系の顔つきになったのとは対照的)
42名無し野電車区:2013/04/07(日) 19:22:13.71 ID:a8bRdOAw0
>>39-41補足
465・469・477・763系いずれも、普通車のドア幅が従来車より狭くなっています。
43名無し野電車区:2013/04/07(日) 19:34:50.82 ID:a8bRdOAw0
781系1000番台
国鉄が1986年から製造した781系のマイナーチェンジ版。
車体がオールステンレス製になり、キハ183系500番台気動車やキハ185系気動車と同様のスタイルになった。車体長は21.3mで出入り口はステップ付きだが、片開き式の引き戸が片側に2か所となっている。
主電動機はMT61系に変更された。
形式は、クモハ781-1000、モハ781-1000、モハ780-1000、クハ780-1000、サハ780-1000、サロ780-1000、サシ781-1000。
44名無し野電車区:2013/04/07(日) 19:42:31.62 ID:a8bRdOAw0
国鉄487系電車
781系1000番台と同時期に国鉄が製造したオールステンレス車体・電機子チョッパ制御方式の交直両用電車。
車体長は21.3mで出入り口はステップ付きだが、781系1000番台と同様出入り口は片開き式の引き戸が片側に2か所となっている。
歯数比は1:4.21に変更され、主電動機はMT61系に変更された。
形式は、クモハ487、モハ487、モハ486、クハ486、サハ486、サロ486、サシ487。
1989年以降の増備車は、制御方式が界磁添加励磁制御に変更された。
45名無し野電車区:2013/04/08(月) 18:41:43.12 ID:EC9CGYVk0
JR北海道739系電車
フィンランド鉄道(VR)Sm4型電車の1435mm軌間&最高速度130km/hバージョンで、北海道の在来線の1435mm化&車両限界拡張工事(フル規格新幹線対応化)に伴い投入。
本家(フィンランド鉄道Sm4型電車)との相違点:
軌間: 本家の1524mm軌間に対する1435mm軌間
最高速度: 本家の160km/hに対する130km/h

本系列は、車両限界の関係で札沼線および新千歳空港駅には入線不可。
46名無し野電車区:2013/04/08(月) 18:49:26.07 ID:EC9CGYVk0
JR北海道771系電車
JR北海道の在来線の1435mm化&車両限界拡張&低床ホーム化に伴い製作される非振り子の特急型電車。
正面のスタイルは789系(基本番台)に類似するが、車体長25m&車体幅3.4mとなり、
車輪直径は910mmに、床面高さはレール面上1300mmに、ステップ高さはレール面上550mmになり、
架線電圧は新製当初より25kV(50Hz)対応となっている。
またステンレス車体側面のビードも復活。

JR北海道773系電車
771系と同時に製作される振り子式の特急型電車。
車体幅は3.2mで、ステップ高さはレール面上550mmとなっている。

両系列ともに車両限界の関係で札沼線および新千歳空港駅には入線不可。また本州以南の在来線(狭軌のまま)にはもちろん入線できない。
47名無し野電車区:2013/04/08(月) 18:55:31.29 ID:EC9CGYVk0
>>45書き直し
JR北海道739系電車
フィンランド鉄道(VR)Sm4型電車の1435mm軌間&最高速度130km/hバージョンで、北海道の在来線の1435mm化&車両限界拡張工事(フル規格新幹線対応化)に伴い投入。
本家(フィンランド鉄道Sm4型電車)との相違点:
軌間: 本家の1524mm軌間に対する1435mm軌間
最高速度: 本家の160km/hに対する130km/h

本系列は、車両限界の関係で札沼線および新千歳空港駅には入線不可。
48名無し野電車区:2013/04/08(月) 19:01:32.40 ID:EC9CGYVk0
>>47書き直し
JR北海道739系電車
フィンランド鉄道(VR)Sm4型電車の1435mm軌間&最高速度130km/hバージョンで、北海道の在来線の1435mm化&車両限界拡張工事(フル規格新幹線対応化)に伴い投入。
本家(フィンランド鉄道Sm4型電車)との相違点:
軌間: 本家の1524mm軌間に対する1435mm軌間
最高速度: 本家の160km/hに対する130km/h

本系列は、車両限界の関係で札沼線および新千歳空港駅には入線不可。
49名無し野電車区:2013/04/08(月) 19:10:43.65 ID:EC9CGYVk0
JR北海道110系客車
JR北海道の在来線の1435mm化&車両限界拡張&低床ホーム化に伴い新製。
車体長25m&車体幅3380mmのステンレス製車体(ビード付き)で、SA-3型連結器を標準装備している。
南稚内で1435mm軌間と1524mm軌間の台車交換も可能。

JR北海道130系客車
JR北海道110系客車の新造と同時に、米国およびカナダを走っていた旧型客車を北海道に転用。
連結器は種車の関係でAAR型連結器を装備している。

この両系列の登場によりキハ281・283系振り子式気動車を北海道から一掃し、北海道の非電化区間の主力を客車列車にする。
50名無し野電車区:2013/04/08(月) 19:16:15.73 ID:EC9CGYVk0
>>49補遺
110系客車・130系客車両系列ともに車両限界の関係で札沼線および新千歳空港駅には入線不可。
51名無し野電車区:2013/04/08(月) 19:39:02.12 ID:EC9CGYVk0
JR北海道755系電車
JR北海道の在来線の1435mm化&車両限界拡張&低床ホーム化に伴い製作される一般型電車。
車体関係は>>46の771系に準じているが、正面スタイルは721系に類似し、座席は転換クロスシート(シートモケットの色は茶系)となっている。
デッキと客室との間には片開きの仕切り扉が設けられている。
内装化粧板の色は薄茶色である。
車両限界の関係で札沼線および新千歳空港駅には入線できない。
52名無し野電車区:2013/04/08(月) 20:07:30.69 ID:GBgbA4Ez0
477系
国鉄が開発した457系の修学旅行仕様。
457系を基準に修学旅行用にドア幅を700oに縮小するなど仕様変更が行われた。
塗装は交直流急行型と同一であるがクリーム4号が黄色1号の修学旅行色となっている。
東北・九州地方に投入され、需要予測から3両固定編成となっている。
東北に配置された車両は1985年の東北新幹線上野開業まで修学旅行列車で使用された。
全車JR東日本とJR九州に承継されたが、ドア幅が狭いことから近郊型化改造は行われず代わりにリクライニングシート化改造されて波動用に充当された(JR東日本所属車はATS-Pも装備され首都圏に顔を出すこともあった)。
53名無し野電車区:2013/04/08(月) 22:14:35.76 ID:TqP9yScz0
>>52
1985年のつくば科学万博開催の際には、勝田に集められ、
上野〜土浦間の臨時快速列車「エキスポライナー」に用いられた。
※科学万博終了後は、東北・九州へ戻ったのはいうまでもない。
54名無し野電車区:2013/04/09(火) 13:43:09.51 ID:sbE0gm7+0
キハ65形900番台
国鉄でキハ91をキハ65に編入改造したもの。
キハ58と連結可能なように引き通し線を変更した上でブレーキを通常の自動空気ブレーキに変更した。
屋根上のラジエーターは撤去して床下強制通風式に変更した。
冷房化改造も行われ床下に4VKが搭載された。
55名無し野電車区:2013/04/10(水) 13:03:44.16 ID:eBbAxLzf0
南武鉄道モハ200形・サハ250形
1941年(昭和16年)に帝国車輌工業でモハ201-210の10両、サハ251-255の5両が製造された、
17m級の片運転台型半鋼製3扉制御電動車と運転台無し半鋼製3扉付随車で、1951年(昭和26年)まで南武線で使用された。

車体長は18m級の18,180mm、最大幅2,800mm、最大高4,184mm、自重はモハ200形が41.8t、サハ250形が29.6t、
前面はR付の非貫通3枚窓、屋根布押えは直線、運転室は密閉式の全室型、窓の天地寸法を拡大した関東私鉄タイプの2段窓で、
乗務員扉と客扉の間に在る客窓だけ幅が狭く、鶴見臨港鉄道のモハ500形・サハ550形を3扉車にしたスタイルで、
窓配置はモハがd1D4D4D2、サハが2D4D4D2のロングシート、類似車は帝都電鉄、東横電鉄、目黒蒲田電鉄、鶴見臨港鉄道など、
同時代の関東私鉄に多数存在していたが、そのなかでも窓の大きさは適度に大きく、屋根Rが低く抑えられ、
幕板の広い落ち着いたスタイルの車両であった。窓高さは東横・目黒蒲田のモハ510の850mmより大きく、
東横モハ1000の950mm、帝都モハ100の1000mmより小さい890mmで、鶴見臨港のモハ500形の910mmと同等の大きさであった。
幕板の高さは370mmと東横モハ510の390mmより狭く、東横モハ1000や帝都モハ100と比較すると広いものであった。

台車はUD-18で、出力100kWの主電動機を4台と歯車比63:16=3.94で牽引力2920kg/速度46km/hの性能となっており、
同時期の関東私鉄車と比較すると定格牽引力が高く、定格速度もさほど低くないのが特徴であった。
56名無し野電車区:2013/04/10(水) 13:07:25.73 ID:eBbAxLzf0
運用は南武鉄道初の3両編成で運行、買収後も南武線でそのままの番号で使用、その後、他線区に転属するようになった。
1950年(昭和25年)にモハ201-サハ251-モハ202の3両が一旦、東急横浜製作所に貸出しされた後、宇部線に転属、
翌年までに残り12両全車が転属、その後さらに全車可部線に転属、1953年(昭和28年)の車両形式称号規程改正では、
モハ2001の2001-2010、サハ7021の7021-7025となった。1957年(昭和32年)にモハ2001-2004とサハ7021-7022の6両、
1958年(昭和33年)に残り9両が富山港線に転属、全車が横須賀色(スカ色)にされたと同時に更新修繕が行なわれ、
パンタグラフのPS13化、雨トイ縦管の位置を乗務員扉横、連結面端部に変更、高圧線や鍵外し線の内側への引き通しなど、
車体外装は国鉄車輌に劣らないほど綺麗にされ、富山港線の昇圧まで、主力として使用、富山港線が昇圧した、
1967年(昭和42年)に全車が廃車され、クモハ2003-2006、サハ7022・7023の6両が高松琴平電気鉄道に譲渡、
同社のモハ6001-6004、サハ6051・6052となり、1985年(昭和60年)まで使用された。
クモハ2007-2010、サハ7024・7025の6両が伊豆箱根鉄道に譲渡され、同社のモハ35-38、サハ23・24となり、
大雄山線で1987年(昭和62年)まで使用、その後6両とも伊予鉄道に再譲渡、同社のモハ210形211-214、サハ251-254となり、
2000年(平成12年)まで使用され、最後に残ったモハ214が古町車庫に保管されている。
クモハ2001・2002とサハ7021の3両は富山港線の城川原車庫から矢向電車区に里帰りをしたが、
昇圧工事をして無かったことから、そのまま留置、1972年(昭和47年)頃に解体された。
57名無し野電車区:2013/04/11(木) 16:10:36.93 ID:gTOKeC820
阪急電鉄1000系・1300系(新)

阪急では、創立以来のマルーンにこだわりを持ち続けているため、
近年の鉄道車両規格化の流れにも消極的であった。
そのため、日立Aトレイン規格の9000系列が導入されるも、
カスタマイズ仕様ゆえに車両置き換えのペースは遅く、いまだに昭和30年代製の車両が
多数残る状況であった。
そうした中、J−TRECから海外展開を考慮した
新型通勤車両モデル「SUSTENA」が登場した。
これはステンレスでありながら、車体表面が平滑なのが特徴で、
阪急伝統のデザインも簡単に実現できることから、
その標準軌中型版として導入が決定した。
伝統のマルーン1色の車体は車番も含めラッピングで表現されているが、
中身は阪急伝統の木目模様・間接照明となっている。
これにより、5000系列以前の車両置き換えが一気に進むこととなった。

なお、共通化をかねて大筋は同系に準拠するも、内外装を簡略化した山陽6000系も
同時にデビューし、3000系鋼製車を置き換え始めている。
58名無し野電車区:2013/04/12(金) 13:40:58.79 ID:N4eWKK370
小田急1800形電車
戦後に国鉄63系電車の製造割り当てを受けた車両で、小田急電鉄初となる全長20m級の大形車両となり、
収容力を生かして朝の通勤ラッシュ時の輸送に重宝され、小田急20m級車体の基礎となった。

車体長19.500mm・全長20級、車体幅2.800mm・全幅は2.930mm、前面は切妻の非貫通3枚窓で、
側面は扉の間に高さ900mm×幅700mmの中段固定、上下段上昇式の3段窓が4枚並び、このうち1箇所は戸袋窓、
側面の客用扉は1.000mm幅の片開き扉が4箇所に配置され、4枚の客用扉は車体後方に向って開き、
いずれもドアエンジンを装備した自動扉である。座席は肘掛けが木製のロングシート、内装は戦時設計のまま、
天井板はなく鉄骨がむき出しで、室内灯も裸電球がぶら下がっていた。

主電動機は国鉄制式のMT40を搭載、駆動装置は歯車比66:23=2.87の吊掛式、
制御器は戦前形の電空カム軸式であるCS5を使用、制御段数は直列5段、並列4段、弱界磁1段で、
ブレーキは自動空気ブレーキで、国鉄標準のA動作弁、運転台のブレーキ制御弁としてM23弁を搭載、
電動発電機 (MG) と電動空気圧縮機 (CP) も国鉄仕様で、集電装置は運転台寄りの屋根にPS13パンタグラフを搭載、
台車はデハ(電動車)とクハ(制御車)ともにTR35(DT13)を装着、連結器は国鉄制式の柴田式密着連結器を装備、
起動は在来車と比較して格段に大きく、発車の際のショックが大きかったため、後に弱界磁起動に改造された。

形式は小田原線と江ノ島線だけで見れば1600形の次に導入された形式であるが、当時は東急の一路線で、
小田急の子会社にあたる帝都電鉄が建設した井の頭線に導入された新形式車両が1700形であったため、
それに続く制御電動車がデハ1800形、制御車はクハ1850形と付番・導入されることになった。
59名無し野電車区:2013/04/12(金) 14:11:38.69 ID:N4eWKK370
1946年(昭和21年)8月から2両編成2本が入線、同年10月から運用を開始、これらの車両は小田急電鉄にとっては、
初めての20m級車両であり、車両限界などは戦時中に国鉄車両の入線が在り、改修工事が行なわれていたことから、
入線に対して問題にならず、1948年(昭和23年)12月までに他社からの譲渡などを含めた2両編成16本、計32両となった。
桜木町事故発生後の1951年(昭和26年)6月から車体の強化、2両間の貫通路を拡幅の上で幌で連結する改修が行なわれ、
翌年の1952年(昭和27年)7月には新宿駅-本厚木駅・江の島駅間の主要駅ホーム延伸が完成、1800形の4両編成化を実施、
1954年(昭和29年)には3段窓の2段窓化、天井板の設置や手すりの増設、カバー付き室内灯の新設などが行なわれた。

1958年(昭和33年)に東急車輛製造で車体の更新修繕とデハ1800形8両、クハ1850形8両の中間車改造が行なわれ、
車体は台枠を流用しているが、新造に近い全金属製のノーシル・ノーヘッダーの4扉車体で、切妻だった前面は、
国鉄の41系・51系電車と同じ丸みが付いた貫通扉付きの半流形前面となり、前面灯火類は位置を変更、埋め込み式になり、
高圧線や鍵外し線も屋根上から室内に埋め込まれ、貫通扉部には渡り板が無いことから、63形の面影を残さない前面となり、
乗務員扉と客扉の間に在る客窓は幅500mmの小窓となり、その部分の室内には座席は設置されなかった。
パンタグラフも乗務員側の屋根に搭載されたままだったことから、いわゆる前パン車として人気が高かった。

中間車化されたデハとクハ、計16両は乗務員室を撤去、前面の撤去、中間妻面の製作、座席と客窓を設置し、
完全な中間車化され、電動発電機と電動空気圧縮機の搭載された。内装も灯具は蛍光灯を採用、
内壁は薄緑色のアルミ製デコラ張りとなり、通風器の場所に扇風機が設置された。

小田原向きからMc-T-M-Tcの4両編成8本になり、制御電動車がデハ1800形の偶数車、中間電動車がデハ1800形の奇数車、
制御車がクハ1850形の奇数車、中間付随車がサハ1850形の偶数車になった。
60名無し野電車区:2013/04/12(金) 14:15:09.08 ID:ns9RPJfp0
架空か?
61名無し野電車区:2013/04/12(金) 14:35:53.49 ID:N4eWKK370
1968年(昭和43年)に体質改善工事を施工、前照灯はシールドビーム2灯式に変更、列車種別表示器の設置、
密着連結器に交換、OM-ATSと信号炎管の追設が行なわれ、1970年(昭和45年)塗装も青色と黄色の一般色から、
ケイプアイボリーにロイヤルブルーの帯が入る塗装に変更、1972年(昭和47年)には小田急全駅のホーム延伸が完成、
10両編成化の実施で、2000形や2500形との併結運転を開始、翌年からは新造車の5000形と併結が開始された。
ところが1973年(昭和48年)4月19日に5000形との併結運転で脱線事故が発生、翌月の5月2日にも脱線事故を発生、
5000形と2度の脱線事故を起したことで急遽、全形式の併結運転を中止、以後は1800形のみ8両編成で運用され、
日中の各停列車、新宿駅-相模大野駅、相模大野駅-小田原駅などの運用に使用されていたが、
低加速車両であることから1979年(昭和54年)3月26日のダイヤ改正から廃車が始まり、最後の4両編成も、
1981年(昭和56年)7月13日のダイヤ改正で消滅した。廃車後は秩父鉄道に制御電動車と制御車の計20両が譲渡された。
62名無し野電車区:2013/04/13(土) 09:42:32.59 ID:8AL+5d08O
415系2000番台
1988年に登場した1500番台の最終発展型で、211系同様の添加励磁式の制御方式に変更された。
またこの番台からは形式番号も一部変更された。
1 クハ411がなくなり、偶数方はクハ414 奇数方はクハ415に変更
2 モハがパンタ付がモハ415パンタなしがモハ414と逆になる。クハやサハのMGがなくなり、モハ414に
190KVAのMG搭載に変更。
3 サハ411→サハ415に変更。
211系2000番台を基本としたものとなっており、全てオールロングシートである。
403系及び初期型415系の置き換えとして7両編成5本及び4両編成3本が勝田に配備された。
E531系投入時に3編成が10両編成に組み換えられ、この際グリーン車はサロ210と211の改造で充てた。
4両編成もサハ211を改造の上組み込んで5両編成化した。基本的に切り離しを行わない土浦及び
勝田行きを主体に使われた。
2010年にVVVF化されて5000番台に変更され、同年にはグリーン車がサロ212 213からの改造に
変更されて2階建て化している。
しかし2011年の東日本大震災で付属編成の1本が大甕駅で脱線してしまい、損傷多数で廃車された。
東北縦貫線で直通する常磐線に415系を使用しない方針となったために2014年にE233系3000番台の
交直両用版であるE533系に全て置き換えが決定。
いわき以北で使われる予定だが、一部はJR九州に譲渡が検討されている。
63名無し野電車区:2013/04/14(日) 09:09:27.18 ID:16d9k3EZ0
>>57
阪急ならステンレスでも塗装すると思う
64anorak?:2013/04/14(日) 21:14:40.50 ID:80tkn8QZ0
>>30に続く平行世界もの
◎大阪市交通局40系電車
1985年登場 地下鉄本町松屋町線 国鉄阪和線直通
○1971年に近畿圏都市交通審議会にて大阪の地下鉄松屋町筋線と国鉄阪和線との相互直通運転が答申され、
紆余曲折を経て大阪市交通局が建設し、1986年に大阪市営地下鉄本町松屋町線として開業、阪和線と直通を開始した。
経路と駅は、阪和線美章園駅〜阿倍野〜松屋町〜農人橋〜本町二丁目。
建設費低減の為、近隣に並行して堺筋線と谷町線が在ることから平均駅間距離を長くして高コストな地下駅を削減。
松屋町筋自体がビジネス街等の既存の集客地から離れているので、利用客増と採算性向上の観点から、答申とは異なり、
南北の松屋町筋の農人橋駅から東西の本町通へ至り、農人橋駅は西と北方向への分岐駅として準備された。
因みに近鉄南大阪線との直通も検討されたが阿部野橋駅の近鉄百貨店に悪影響を与えるからと近鉄が断ったそうだ。
この本町松屋町線用にと大阪市交が新造投入したのが、40系であり、85年に試作車が登場。
84年に日本でのVVVFインバータ制御の第一世代として20系が量産されていたので、
40系試作車もGTO素子のVVVF制御の3M3Tの六両編成で登場し、阪和線等の国鉄線で長期試運転を実施。
が、しかし、VVVF制御の黎明期、揺籃期が故に、悪天候時には空転が多発する欠点が露呈。
そこで、製造費低減も兼ね、VVVF制御の代替として、営団地下鉄(現東京メトロ)の01系で実用化された
高周波分巻チョッパ制御(四象限チョッパ制御)を採用。
車体の意匠は20系を20m車体にしてパンタグラフを設置し様なもの。
大阪市交初のボルスタレス台車を採用。
中間電動車3両、先頭付随車2両、中間付随車1両による3M3Tの6両編成。
86年の就役以後、直通先の阪和線では専ら各駅停車であり、87年に直通先の国鉄がJR西日本になった。
2005年以後、IGBT素子VVVFインバータ制御への換装等の車両更新が竣工された。
65名無し野電車区:2013/04/15(月) 07:01:36.09 ID:gSkCL+TFO
西武6000系 L-train
西武鉄道ではこのほど、3000系ではなく直通する6000系にもL-trainを運行する事に決定した。これは、3000系が近いうちに廃車になるのが予想されている為、また副都心線・東急東横線でもライオンズをアピールする狙いがあった。
対象の編成はスマイルビジョンを取り付けした車両となり、ライオンズのラッピングがされるようになった。
また、ベイスターズトレインを抜かすシーンもところどころで見られるようになっている。たまにベイスターズトレインがL-trainを抜かすと、下克上だ。というファンがいるとかいないとか。
さらに西武車が東横線内完結の運用もあるが、この運用はライオンズファン曰く、「横浜で育成」とも揶揄されている。
66.:2013/04/16(火) 15:52:07.51 ID:pu+h1G+pO
京急1000形12次車:
総合車両のSUSTINA採用、川崎重工でのSUSTINA試作(+PMSM試作)。無塗装から塗装に改められた。
京急1000形13次車:
川崎重工でのA-Train試作(+SiC-VVVF/誘導電動機)。
京急1000形14次車:
総合車両製はSUSTINA/川崎重工製はSUSTINAとA-Trainが半々(SUSTINA編成はロールバーが目立つ。A-Train編成はロールバーが無い、外観は殆ど同じ)。
新逗子急行の2000形の老朽化に伴う置き換え。
67名無し野電車区:2013/04/18(木) 11:04:00.90 ID:1mcwkA3D0
京急200形電車
1942年(昭和17年)に京浜電鉄初の片運転台で、発注時は京浜デ201形・ク251形、湘南デ251形・ク270形だったが、
完成時には両社は大東急に併合、この形式は幻に終り、東急デハ5300形16両、クハ5350形8両を新製された。

車体長18.120m、車幅2.700m級のシルヘッダー付き半鋼製車、前面は窓寸法が揃った非貫通三枚窓、貫通路は広幅を装備、
この車体寸法が、その後の京急ばかりか、都営浅草線や京成グループの標準寸法の元となった。
当初は京浜電鉄側で電動車25両と制御車15両、湘南電鉄側で電動車15両と制御車10両の発注が計画されていて、
京浜分の電動車10両と制御車4両、湘南電鉄分の電動車6両が完成した時点で営業運転を開始、
1943年(昭和18年)には電気部品調達が未定となると、制御車4両を新製して残り分はキャンセルされた。

1945年(昭和20年)5月29日の空襲でデハ5303とデハ5307が焼失、後に制御車・クハとして復帰、その後電装された。
京浜急行電鉄成立後はデハ300形・クハ300形を名乗り、1951年(昭和26年)昇圧工事と4両編成運行が始まり、
1964年(昭和39年)から1965年(昭和40年)にかけて1000形に準じた室内更新、前面と側面二段窓のアルミサッシ化、
(運転窓一枚と二枚の二段窓も原型のままアルミサッシ化された)

主電動機も出力115kW(150馬力)から強力な三菱電機製MB-311AFR 150kW(200馬力)に変更、
デハ300形の半数8両、クハ300形の全車が中間車化改造され、編成替えで4M2Tの4両編成4本に固定編成化、
1965年(昭和40年)10月19日の一斉改番でデハ200形に統合されデハ201-218、サハ250形251-258となり、
1969年(昭和44年)に連結面寄りの屋根に列車無線アンテナ新設、前面と側面に方向幕設置など度重なる改造を実施、
主に急行・普通列車に運用されていたが末期は本線で普通運用専用となり、廃車は1983年(昭和58年)から始まり、
1984年(昭和59年)3月31日に旅客運用から外れた。

編成表(改番以降)
Mc201-M202-T251-T252-M203-Mc204
Mc205-M206-T253-T254-M207-Mc208
Mc209-M210-T255-T256-M211-Mc212
Mc213-M214-T257-T258-M215-Mc216
68名無し野電車区:2013/04/20(土) 20:14:28.32 ID:9F5rSLzh0
サロ165-900番台
国鉄が製造したサロ165のアルミ車体試験車。
サロ165は1段下降窓を採用していたが雨水侵入による腐食に悩まされており抜本的な対策として試験的にアルミ車体で製造した。
塗装されているため普通のサロ165とは一見すると見分けがつかない。
アルミであるため意外と長持ちし113系のサロに編入された後JR東日本に承継された。
69名無し野電車区:2013/04/20(土) 22:21:19.76 ID:9F5rSLzh0
キハ202
JR北海道が開発した733系の気動車バージョンで、ビードレスステンレス車体である。
キハ203
JR北海道が開発した735系の気動車バージョンでアルミ車体である。

しかし両者とも設計上の制約からエンジンが大きすぎてフルフラット床面に出来ず、しかも簡易車体傾斜装置を搭載したため車体断面や床面形状が731系と同一である。
70anorak?:2013/04/21(日) 22:22:10.44 ID:830qO8hC0
>>64に続く平行世界もの
◎国鉄301系100番台
○1960年代半ばに都営地下鉄三田線は東武東上線と東急池上線との相互直通運転を反故され、
軌間1067mmと15kV架線集電の規格を持て余し、その後、三田線の有効活用として浦和、大宮への延伸が答申された。
一方、新幹線の騒音振動公害が社会的に見過ごすことができない問題になった1970年代、
東北上越新幹線の赤羽〜大宮区間の建設に対して沿線住民による大規模な反対運動が起きた。
これの沈静化目的に当区間での新幹線の110km/h制限、そして並行して通勤新線(現・埼京線)の整備も実施。
この埼京線と三田線を相互直通運転させる構想が浮上し、実現に至った。
両路線の接続は三田線の志村坂上駅から分岐して埼京線の浮間舟渡駅に至る三田線の支線で、
これの浮間舟渡駅は地下ホームと埼京線とは別々、荒川土手で地上に出て埼京線と合流。
1985年秋、赤羽線の編入も含む埼京線自身及び、三田線との相互直通が開業。
この直通用途に国鉄が新造投入したのが、301系100番台である。
国鉄末期の当時、国鉄は財政破綻寸前で車両投資には厳しい制約があり、
電機子チョッパ制御の203系と界磁添加励磁制御の205系が量産中であったにも拘わらず、
千代田線と違って三田線の都営側車両は抵抗制御の6000形であること、
界磁添加励磁制御は実用化したばかりの新技術であること、
都営の労働組合事情などの諸事情の制約もあって費用対効果の観点から、
103系一族で抵抗制御、空気バネ台車、アルミ車体の301系を約16年ぶりに再生産。
後述の約16年分の技術の進歩を取り入れ、100番台となる。
意匠は、203系と同様の車体、後の207系900番台と同様の運転台で、301系0番台とは大きく異なる。
ボルスタレス台車、冷房装置を搭載。
Tc、T'c、M、M'の車種四種で、4M2Tの6両編成。
85年の就役以来、大宮〜三田間の直通運用に充当。
87年にJR東日本に承継。
2000年の南北線・三田線の目黒延伸及び東急目黒線直通開業時には、新型車に置き換えられ、JR西日本に譲渡。
阪和線から大阪市営地下鉄本町松屋町線( >>64 )直通運用の増発に充当、現役。
因みに、三田線、南北線、2003年に白銀高輪から分岐しJR品川駅新幹線ホーム側の港南口に至る支線も開業し、
直通区間が品川まで延長。
71anorak? :2013/04/22(月) 01:18:02.93 ID:lvmdDg0k0
>>70を以下の通りに修正する。

車両形式301系100番台を、301系1000番台に修正。

>15kV架線集電 × → 1.5kV架線集電 (小数点が抜けていた)
72名無し野電車区:2013/04/22(月) 10:20:30.33 ID:FCVet6xM0
京急220形電車
1949年(昭和24年)京浜急行電鉄成立後に初めて製造、運輸省規格型車体を持つもので、当初はデハ420形を名乗った。
運輸省規格に合わせたため車体長は400形よりやや短く、このグループのみ車体長17.000mの片運転台車だった。
計16両が製造され、2両編成、4両編成で運用、新製当時の塗色も黄と赤のツートンであった。

1965年(昭和40年)から一斉改番に合わせ、大幅な更新修繕が実施され、規格型新製当時の粗悪鋼材によるものか、
更新修繕はデハ300形よりも徹底され、原形を残しながらも外板は全面張替えでノーシル・ノーヘッダーの全金属車体化、
前面窓の一枚化、シールドビーム化、通風装置の首振り扇風機化、先頭車には交流化された電動発電機と空気圧縮機を搭載、
半数の先頭車を中間車化、先頭車の運転台寄りに搭載されていたパンタグラフは撤去され、先頭車はパンタグラフ無しとなり、
先頭車への給電は高圧線の引き通しで給電する方法となり、先頭車と中間車の2両は永久連結となり、4両固定編成化、
中間車のパンタグラフは先頭車寄りの連結側になるように編成替えと番号入替で、デハ220形221-236に一斉変更された。
1970年(昭和45年)頃からは運転面寄りの屋根に列車無線アンテナ新設、前面と側面に方向幕設置など改造を実施、
末期は普通運用、京浜川崎-逗子海岸間の急行併結に充当されたが、1983年(昭和58年)に全車が廃車された。

編成表
Mc221-M222-M223-Mc224
Mc225-M226-M227-Mc228
Mc229-M230-M231-Mc232
Mc233-M234-M235-Mc236
73名無し野電車区:2013/04/23(火) 19:57:33.63 ID:6Zyearu70
211系2000番台JR東海仕様
国鉄が静岡運転所に配置した211系2000番台。
5両編成である。
そのままJR東海に承継され、東京乗り入れ運用や静岡ローカル運用で使用された。
ATS-Pを装備しており、列車番号表示機は東日本車に合わせてマグサイン式に取り替えられていた。
2012年3月ダイヤ改正で東京乗り入れ運用から撤退し、全車神領車両区に転属したが2M3Tで加速が悪いため朝ラッシュ時のみの限定運用が組まれている。
74名無し野電車区:2013/04/24(水) 08:02:56.06 ID:RPrPSFG50
E233系2900番台
JR東日本が試作したE233系のワイドドア試験車。
2000番台をベースにドア幅が1800oに拡大された。
東京メトロ東西線乗り入れ用に投入。
75名無し野電車区:2013/04/24(水) 09:11:55.02 ID:zoNJYbBx0
京急300形電車
1947年(昭和22年)から岡山県の三井玉野造船所で、木造車両の改造扱いとして制御車16両、付随車16両が製作された。
大東急分離以前であったため東急デハ5400形・サハ5450形として竣工、デハ5400形は京浜デ201形に続く片運転台、
車体寸法や外観は前記のデハ5300形と同じで、いかにも造船会社の製作らしくリベットが目立ち、ガラス不足の為、
客用扉の窓や戸袋窓には桟が十字に入り、ヘッドライトの支持方法にも特徴のある一種独特の車体外観で、
京浜急行電鉄成立後はデハ400形(初代)・サハ450形を名乗り、新製当時の塗色は京急初の黄と赤のツートンとされた。

当初は電動車2両・付随車1両の3両編成で営業運転を開始、1950年(昭和25年)に付随車8両が製作され、
デハ400形16両・サハ450形16両の総勢32両の大所帯になり、1951年(昭和26年)から4両編成で運行された。
戦後の粗悪な部材に加え、それまで鉄道車輌製造の経験がないメーカーによるものであったためか、
早期に外板の状態が不良となったものが多く、1964年(昭和39年)から1965年(昭和40年)にかけて久里浜工場で、
外板の張替えが全車両に行なわれ、前面は非貫通三枚窓、シルヘッダー付きのままであったが、側面を三扉から四扉に変更、
車体窓配置はデハがd1D(1)1D(1)1D(1)1D(1)1、サハが2D(1)1D(1)1D(1)1D(1)1と京急初の四扉車となり、
デハとサハの両車端客窓は幅400mm×高さ900mmを二列配置したことで寸法を調整、1000形に準じた室内更新、
前面窓以外の側面二段窓アルミサッシ化(運転窓一枚とと二枚の二段窓は200形と違い、アルミサッシ化されなかった)
サハ450形の全車も加速力向上で電装化され、一旦はデハ440形に編入、更新車体載せ変え名義でクハ140形の10両が、
300形に準じた車体に載せ変えられサハ460形461-470に編入、4M2Tの6両固定編成5本と4両固定編成3本になった。
同時に主電動機も出力115kW(150馬力)から200形と同じ、三菱電機製MB-311AFR 150kW(200馬力)に変更、
1965年(昭和40年)10月19日の一斉改番でデハ300形301-316、デハ320形321-336、サハ340形341-350となった。
76名無し野電車区:2013/04/24(水) 09:13:10.32 ID:zoNJYbBx0
また1968年(昭和43年)には電装解除されたデハ160形6両が300形に編入され、サハ340形351-356に改番、
車体更新名目の載せ変え名義で、デハ320形に準じた4扉車体に載せ替えられ、4両編成3本に編入、6両固定編成とされた。

1970年(昭和45年)頃からは連結面寄りの屋根に列車無線アンテナ新設、前面と側面に方向幕設置など改造を実施、
特急運用から急行・普通列車に運用され、1981年(昭和56年)4月1日からはサハ350形2両を抜き、全車が大師線で運用、
編成から外されたサハ350形は同年7月31日付で廃車、1985年(昭和60年)に初期車両から廃車が始まり、
1986年(昭和61年)の7月31日に全車が廃車された。
300形が廃車されたことでパンタグラフが運転台寄りに搭載された車両が京急から消滅した。

編成表(1968年から1981年3月31日まで)
Mc301-M321-T341-T342-M322-Mc302
Mc303-M323-T343-T344-M324-Mc304
Mc305-M325-T345-T346-M326-Mc306
Mc307-M327-T347-T348-M328-Mc308
Mc309-M329-T349-T350-M330-Mc310
Mc311-M331-T351-T352-M332-Mc312
Mc313-M333-T353-T354-M334-Mc314
Mc315-M335-T355-T356-M336-Mc316
77名無し野電車区:2013/04/25(木) 13:39:29.08 ID:swHIVQUC0
ワム980000
国鉄が開発したワム80000の高速運転試験車。
一軸台車を採用することで最高95km/h運転に対応した。
しかし量産化されず結局通常の2段リンク式に改造されてしまった。
78名無し野電車区:2013/04/25(木) 13:53:56.99 ID:swHIVQUC0
323系
JR西日本が製造したアルミ通勤車。
321系をベースにアルミ車体に変更した。
側面衝突に耐えられるように車体にステンレス製の補強材が入っているのが特徴。
全車日立製作所製である。
79名無し野電車区:2013/04/25(木) 14:36:51.26 ID:z7tyTzNPO
クロE233
モハネE585
80名無し野電車区:2013/04/25(木) 15:04:33.43 ID:GtWZwv2K0
小田急1900形電車
大東急から分離独立後の小田急電鉄が、初の通勤型新造車両として1949年(昭和24年)から1951年(昭和26年)まで、
4両編成7本、計28両が日本車輌で製造され、敗戦後の混乱期に各種機器や部材の調達・生産には困難が伴う状況下、
運輸省規格型電車に準拠して設計され、小田急電鉄最後の17m級3扉車となった。

車体は1800形導入で小田急全線の車両限界が拡大されたのを受け、車体長17.500mm、最大幅2.800mmとなり、
前面は1600形と同様僅かに丸みを帯びた貫通型で、尾灯(標識灯)は正面窓上に設置した。以後、小田急の電車では、
ウインドウシル・ヘッダーの有無や張り上げ屋根の採用など多少変化しているが、5000形6両固定編成(5200形)まで、
長きに渡りこの前面デザインを受け継ぐことになり、いわゆる「小田急顔」の走りともいえる。
側面の窓寸法は高さ950mmになったが、幕板部が大きく、やや重苦しい印象を与え、国鉄40系のモハ33に似た外観に近く、
配置はデハ1900形がd1D(1)3D(1)3D(1)1、サハ1950形が2D(1)3D(1)3D(1)1と関東私鉄標準型の姿で、
各車両間の貫通路は1.100mm幅と広くしたが、これは関東地方の私鉄では初の本格導入例となり、また貫通幌は、
両側の車両を1枚で結ぶもので、これは日本の鉄道では初の本格採用例である。
81名無し野電車区:2013/04/25(木) 15:05:35.30 ID:GtWZwv2K0
基本編成はデハ1900(奇数制御電動車)-サハ1950(奇数付随車)-サハ1950(偶数付随車)-デハ1900(偶数制御電動車)の、
McTTMcによる4両編成となり、性能や電装品等は1600形とほぼ同一で、扉間にロングシートを配置した半鋼製車体であった。

1949年(昭和24年)9月に第1編成が竣工、同年11月に第2編成、翌年の1950年(昭和25年)の2月に第3編成と、
三ヶ月置き、1951年(昭和26年)3月の第7編成まで配置され、1952年(昭和27年)7月には新宿駅-本厚木駅・江の島駅間の、
ホーム延伸が完成したことで、本厚木駅以西の本線運用に重点が置かれ、本厚木以西のホーム延伸が進捗するにしたがい、
次第と江の島線の運用に集中していき、1961年(昭和36年)から更新修繕を実施、前面窓のHゴム化や側面窓の交換、
雨樋の取替え、客用扉のプレスドア化などが行われた。20m級車体が出揃ってからの1900形は江の島線の他、
昼間の乗客が格段に減る本厚木駅-小田原駅間の各駅停車に運用されていたが、20m級4扉車が揃いつつある現状、
17m級3扉車は収容力と乗降口の違いから、運用で扱いにくいことから、1700形と同じ4000形への機器提出候補となり、
1968年(昭和43年)から廃車を開始、主電動機と一部機器を4000形に提供、残った車体は1700形と同じ、
更新を受けて車体の寿命が新しかったことから、国鉄入線で車両限界が拡大され、地方鉄道法の最大幅2.744mmを超過した、
富士急行・岳南鉄道・大井川鉄道・伊予鉄道などの各社へ譲渡された。
82名無し野電車区:2013/04/29(月) 10:42:58.17 ID:YVhzyfuW0
オロ17/スロ16、スロネ17
オシ17・オシ16・オハネ17・カニ38に続く台枠&床下機器流用による改造車。
種車はスハ32系・オハ35系のみならずオハ60も使用。


オロ17/スロ16
準急以上の列車の並ロを特ロにする為に作られたもので、当初はオハ61の改造で行う予定であったが予想外に使えないものだった(窓割りなど)ので、オハネ17と同じ方式での改造となった。
車体はナロ10の設計図を使って製作し、床下機器は流用。台車はスハ43のTR47を使う予定がやりくりできず、代わりにオロ35/スロ43のTR23Eを使用。
後に冷房化されてスロ16に。

スロネ17
オロネ10の増備車も同じやり方で作られたが、台車はスハ42のTR40を使い、マロネ41用同様に空気バネ化してTR40Dにしてから履かせた。
それ以外のスペックはオロネ10と同一。

供に東日本地区・北海道地区用として作られた為、57.11の改正まで(「北海道用は58.6まで)使われた。
83名無し野電車区:2013/04/30(火) 09:58:53.88 ID:nM9g4mzO0
京急400形電車
1953年(昭和28年)に3扉・ロングシート車両として先頭電動車デハ600形、中間付随車サハ650形として新造、
赤い車体に白い帯の塗装を初めて採用し、1956年(昭和31年)からの車両は車体を700形(初代)をもとにした、
全金属製車体に変更して1958年(昭和33年)までに4両編成8本、合計32両が製造された。
車体・台車は川崎車輛および東急車輛製造、主電動機と制御装置は東洋電機製造製であった。

車体長18.200mm、車体幅2.700mmの半鋼製車体で、当時の私鉄標準だったドア間に窓3枚の窓配置を初めて採用、
窓配置はデハがd1D(1)2D(1)2D(1)1、サハが2D(1)2D(1)2D(1)1、(d:乗務員扉、D:客用扉、(1) :戸袋窓)とし、
側窓は高さ1.000mm、幅1.000mmの2段上昇窓で下段中央を横切る位置に保護棒が設置され、戸袋窓の高さ1.000mm、
幅1.000mm、窓枠を介して上下2段に分割、ドアは鋼製プレスドアとされ、側窓と同じ位置に中桟が入っていた。
前面は当時流行のいわゆる「湘南形」の正面2枚窓だが、窓は1.000mm×1.000mmの正方形でセンターピラーが太く、
雨樋が先頭部窓上にもまわされたため、国鉄80系電車などとは大きく印象が異なっていた。

1956年(昭和31年)からは全金属車体となり、戸袋窓がHゴムはめ殺し、側窓に保護棒が付くが、扉窓の中桟も廃止、
前面も700形(初代)と同じ、幅1.000mm、高さ900mmの窓が採用された。

主電動機は出力110kWの東洋電機製造:TDK-553系、駆動方式は吊り掛け式、制御器は東洋電機製造製:ES-521A、
台車は川崎車輌製、長腕形軸梁式のOK-8・8A・8B・8C 東急車輛製、TS-K、TS-KA、ブレーキはAMM(自動空気ブレーキ)で、
このブレーキに空気圧を供給するコンプレッサーは電動発電機とともにデハ600形に搭載、
集電装置はデハ600形の運転台寄りに各1基ずつ通常の菱枠形パンタグラフを搭載した。
84名無し野電車区:2013/04/30(火) 10:00:50.26 ID:nM9g4mzO0
運用開始直後から普通、急行運用に該当し、1965年(昭和40年)10月19日の一斉改番と同時に大幅な更新修繕を実施、
1953年(昭和28年)から1955年(昭和30年)までの初期製造車は、前面を1956年(昭和31年)以降の製造車と同じ、
幅1.000mm、高さ900mmの前面窓になり、シールドビーム化、内装や床も全面的に張り替えられ、全金属化、
屋上通風器は一部を残して撤去され、700形(2代)などと同様のFRP製狭幅モニターが屋根中央部に設けられ、
通風装置の首振り扇風機化、先頭車には交流化された電動発電機と空気圧縮機を搭載、中間のサハも全車が電装化され、
先頭車の運転台寄りに搭載されていたパンタグラフは撤去され、先頭車はパンタグラフ無し電動車となり、
パンタグラフは電装化された中間車の奇数車は浦賀寄り屋根、偶数車は品川寄りの屋根に移設され、
先頭車への給電は高圧線を車両間に引き通しで給電する方法で、先頭車と中間車の2両は永久連結となり、
1965年(昭和40年)の一斉改番でデハ400形、デハ420形に改番され、1970年(昭和45年)からは運転面寄りの屋根に、
列車無線アンテナ新設、前面と側面に方向幕設置など改造を実施、普通運用、急行併結に充当されたが、
1985年(昭和60年)から1986年(昭和61年)までに全車が廃車された。

編成表・更新後
Mc401-M421-M422-Mc402
Mc403-M423-M424-Mc404
Mc405-M425-M426-Mc406
Mc407-M427-M428-Mc408
Mc409-M429-M430-Mc410
Mc411-M431-M432-Mc412
Mc413-M433-M434-Mc414
Mc415-M435-M436-Mc416
85名無し野電車区:2013/05/01(水) 22:25:20.58 ID:tjlI2R3T0
国鉄 北海道総局 オクハ51

国鉄末期、余剰になっていた旧客が本州から大量転属することになり、さすがにアコモなどがひどいということから
50系と同等の設備に改造することを条件に出し、本社採用された

そこで、苗穂工場において50系客車と同等の車体を新製するとことなったが、どうせなら同じくヤード廃止により余剰となっている
DE10に牽引させてローカル線などの老朽気動車を駆逐しようということになり、機回し不要なようにプッシュ運転可能にしようとなり
オハフ51の車掌室に運転装置を取りつけたような形となった

オクハ51+オハ51+DE10 が基本となったが、中間にキハ40などをユニットカットの上挟み込むような運用も可能にしている

標津線や羽幌線、釧網本線のような長大ローカル線で威力を発揮したが、それらの長大ローカル線が廃止になると
根室本線や宗谷本線などに投入された

JR化後も継承され、ワンマン化改造、冷房化改造や一部ノロッコ号用の車輛に改造されながら平成20年まで活躍した
86名無し野電車区:2013/05/02(木) 15:59:01.85 ID:NjfF1WQZ0
国鉄 北海道総局 キヤ56系

人跡未踏な日高国定公園内を突き抜ける石勝線での工事用に作られた、キハ56を改造して作られた工事用車輛

キソ56   :本形式唯一の新製操重車 レールなどを持ちあげるのに使用されるクレーン車
キヤ56−1:移動工事事務所として使用される車輛で、車内は事務机や行程管理用のホワイトボード、簡単なミーティングが出来るスペースがある。
キヤ56−2:簡易食堂車 中央に長机が長手方向に伸び、テレビや給湯設備がついている
キヤ56−3:調理室及び食糧庫がついた車輛
キヤ56−4:工事関係者のうち、現場責任者などの管理職用の宿泊設備がある車輛 1人用個室が4部屋とトイレ・シャワーがある
キヤ56−5:シャワー及び編成全体で使用する水タンクがついた車輛
キヤ56−6・7:工事関係者用の宿泊車 プルマン式寝台が並び、各ベッドの足もと上部には私物品収納棚が設けられている
キヤ56−8:編成及び近傍で使用する電源を積んだ車輛

石勝線工事完成後は、青函トンネルの線路敷設に使用され、トンネル開業後は大規模工事や災害復旧作業用に苗穂で待機することとなった

JR化後も継承され、その宿泊能力を生かして「動く宿泊学習」として小中学校の野外教室として運用されることもしばしばあった

2011年に発生した東日本大震災では、JR貨物に貸しだされ、その宿泊能力を生かして宮城野貨物駅に臨時避難所として停泊し、約3カ月に渡り
被災者の収容を行うなど、活躍している
87名無し野電車区:2013/05/02(木) 17:39:25.75 ID:EbI4rnLY0
国鉄クモハ102形(Mc')
モハ103形またはクモハ103形とユニットを組む制御電動車で、電動発電機や空気圧縮機などの補助的な機器を中心に搭載する。
偶数向き専用。新造は京浜東北線専用で1965年-1968年に限られたが、運用の拡大で3両または5両を組成する必要が生じ、
1972年から前照灯をシールドビーム2灯、客室窓をユニットサッシに変更して製造、翌年には0番代と同じ、
冷房装置を標準搭載して1977年まで製造された。

尚、クモハ102形が所属する電車区ではクモハ103形の配置が少なく、本来の3両または5両を組成以外でも、
4両や6両編成の形成でも使用され、後年の常磐線には京浜東北線から転出したクモハ102形の大半が配置されていた。
88名無し野電車区:2013/05/02(木) 21:31:51.39 ID:lKdRZozG0
国鉄85系電車

北陸線の客車列車及び気動車列車(彦根−木之本、近江今津−敦賀の)の電車化の為に80系を改造して誕生。

クハ87001〜:クハ86基本番台を改造したもの
クハ87301〜:クハ86300番台を改造したもの
クハ87401〜:クハ85を改造したもの
モハ85001〜:モハ80基本番台を改造したもの
モハ85301〜:モハ80300番台を改造したもの
サハ86001〜:サハ87を改造したもの

運用された編成
基本編成:Tc87+M85+M85+T86+M85+M85+Tc87
付属編成:Tc87400+M85

所属は金沢。

全車JR酉に引き継がれ、なんと!21世紀になった今もN40改造(同時に冷房装置を搭載)を受けて使い続けられている
89名無し野電車区:2013/05/03(金) 23:49:12.48 ID:iNQ0ro4U0
西武鉄道「あの花」号
アニメ「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」とのタイアップでNRAを使用し、池袋〜西武秩父で運転された臨時特急。
同様にメインキャラクターのあだ名をつけた特急も運転されたが、なぜか某キャラのものばかり記事では使用された。
90名無し野電車区:2013/05/04(土) 05:01:45.80 ID:sDrzNI6mO
大井川鐡道10000系

老朽化した元南海ズームカーならびに元近鉄特急車の置き換えとして導入。
旧1000系のものを流用して老朽化が進む駆動系機器は、比較的浅い経年で廃車となった名鉄車のものに交換。

ワンマン化改造のため、運転席側のデッキは撤去、座席はリクライニング機構を解除した(転換は可能)。

塗装は「サザン」として登場時のものに復刻。濃淡の緑色が茶畑やSLとの並びによく合うと好評を博す。
南海旧社紋が取り付けられた位置に大井川鐡道の社紋が取り付けられている。

この置き換えの結果、大井川鐡道に所属する電車は、これと元京阪テレビカーの2種となる。
91anorak?:2013/05/04(土) 14:35:33.03 ID:6yb6LtvW0
>>70-71に続く平行世界もの
◎国鉄・JR四国“本四淡路線”
○本四架橋が決定する前の1960年代半ばに国鉄単独で、神戸市鷹取から明石海峡付近、淡路島、鳴門海峡付近を経由して
四国鳴門へ至る本四淡路線が着工された。
経路は、現在名で、山陽本線鷹取〜須磨浦公園〜淡路夢舞台〜淡路大磯〜洲本〜福良〜押登岬〜里浦大磯崎〜鳴門線鳴門。
明石海峡と鳴門海峡は海底トンネルで通過。
両海峡の最狭部は海釜(かいふ)と呼ばれる水深が深い海底渓谷となっている為、海峡最狭部上に設置出来る
明石海峡大橋と大鳴門橋とは異なり、それを避けて水深が浅く平坦な海底を選びトンネルを建設したので、
明石海峡トンネルと鳴門海峡トンネルは対応する本四架橋とは離れている所に位置。
それでも関門トンネルに比べ水深が深い等地形上の制約で両トンネルは最大40‰の急勾配が連続する線形上の難所に
なってしまった。
これにより粘着性能が高い動力車が要求されることから、本四淡路線は、鳴門線と高徳線池谷・徳島区間と共に、
当時の技術水準及び費用対効果の観点から交流20KV60Hzで電化。
直流電化の山陽線との接続駅となる旧鷹取操車場前の手前に交直デッドセクション。
本四淡路線は湖西線並の高規格だが、想定需給面からの費用対効果上、両海峡トンネル以外は単線。
1980年に本四淡路線が開業し、当路線による神戸・徳島ルートで本州と四国は鉄路で直結されたが、
国鉄の財政状況の悪化で岡山と香川を結ぶ本四備讃線(瀬戸大橋線)との二重投資回避により、
鳴門から先の鳴門線、高徳線、徳島線の改良は手付かず、軌道は脆弱で、
高徳線池谷以西と徳島線は非電化のままで、高速運転が出来なかったので、
本四連絡における宇高連絡船等の鉄道連絡船の重要性は大きく低下することはなかった。
ただ、夜行は直通出来る本四淡路線ルートへシフトした。
なお阿波池田・川之江短絡線も同年開業。
87年4月の国鉄分割民営化で、本四淡路線はJR四国が承継。
折に触れて、この本四淡路線による神戸・徳島ルートを舞台とする鉄道車両を随時紹介する。
92anorak?:2013/05/04(土) 14:36:24.90 ID:6yb6LtvW0
>>91に続く平行世界もの
◎国鉄ED80形交直流両用電気機関車
1979年
○1980年に神戸鷹取を起点に淡路島を経由して四国鳴門に至る本四淡路線が開業し、本州と四国は鉄路で直結。
海底地形上の制約から明石海峡と鳴門海峡の両海底トンネルは最大35‰の急勾配が連続する線形上の難所。
粘着性能が高い動力車が要求されることから、本四淡路線は、鳴門線と高徳線池谷・徳島区間と共に、
当時の技術水準及び費用対効果の観点から交流20KV60Hzで電化。詳細は >>91 参照。
この鷹取・徳島ルート専用に新造投入されたのが、ED80である。
高粘着性能要求の連続急勾配の存在で、EF81の様な交流電化の最大の利点を捨てる抵抗制御は採用せず。
当初、交流電化区間用にサイリスタ位相制御、直流区間用に電機子チョッパ制御を兼用する制御装置が検討されたが、
国鉄の財政事情悪化による製造費抑制の圧力で断念。
そこで、回生ブレーキ回路組み込みのサイリスタ連続位相制御の交流電機に、最低限の直流区間直通用抵抗制御を追加。
即ち、駅構内等のわずかな距離の直流電化区間に乗り入れ、機回しや入替えなどの構内走行のみで足りるものを追加。
交流区間の運転性能―例えば最高100km/h―に比べ直流区間での運転性能は構内走行―最高45km/h等―に特化し、
本線走行はできず、交流区間と直流区間では性能が異なり、直流区間では部分出力となる。
EF30とは逆コンセプト。
交流急勾配区間用の回生ブレーキ、重連総括制御、客車用電気暖房を搭載。
鳴門以遠の軸重制限により軸配置B-2-Bで、搭載機器の増加で車体長はF級並の18m。
車体は、耐候性高張力鋼板の出現で、EF30とEF81-300で採用のスキンステンレスは屋根以外止め、鋼製となった。
車体の意匠は、同時期量産のEF64-1000に酷似し、運転台に貫通扉。
79年に試作車が登場。
本四淡路線開業後、当ルートの貨物と旅客の牽引に就役、貨物列車牽引には重連があり、
鷹取・徳島間の50系客車使用の普通列車の運用が大半を占め、
花形運用は夜行列車の牽引や、徳島以遠へ直通するディーゼル特急の補機。
87年4月の国鉄分割民営化で、ED80はJR四国に承継。
2000年代に当ルートのローカル旅客は完全電車化され、多くが廃車、一部はJR貨物に譲渡された。
93名無し野電車区:2013/05/04(土) 17:38:23.29 ID:LbMY1NZqO
鹿島臨海鉄道7000形「ガールズパンツァー」ライナー」
7000系マリンライナーはまなすに大洗を舞台とした漫画化している「ガールズパンツァー」のラッピングを施したもの。
2両編成に大洗女子及び対戦相手の学校の戦車などが描かれている。
なお6000形には大洗女子の各チームの戦車ラッピングを施す計画。
94anorak?:2013/05/04(土) 17:56:19.64 ID:6yb6LtvW0
>>92に続く平行世界もの
◎国鉄487系交直流特急形電車
1980年
○1980年、本四淡路線(神戸・鳴門ルート、海底トンネル、詳細は >>90-91 参照)の開業、
並びに当路線及び鳴門線及び高徳線池谷・徳島区間の交流電化開業に伴い、新大阪〜徳島間の電車特急が設定された。
急行を特急に統合して優等列車は特急のみとする国鉄の長期経営戦略により昼行の優等列車は特急のみ。
本四淡路線の明石海峡及び鳴門海峡それぞれの海底トンネル区間は地形上の制約で最大40‰の急勾配が連続し湿潤で、
当ルートの大半は単線との走行条件から、従来の485系電車では過負荷となって故障多発が危惧され、
従来の485系に比べ空転防止等の粘着性能の向上及び高い加減速度を要求されるので、
当路線に適合すべく新規設計された487系が投入される事になった。
本系列は、急勾配が連続する山岳路線用に設計された381系を非振り子・鋼製車体・交直流車にしたようなもので、
主電動機はMT58、主制御器はCS43それぞれの改良型、歯車比は急行形並と、381系の走行システムをベースとし、
バーニア抵抗制御を追加した。
車体は耐候性高張力鋼板による鋼製で、普通車では乗降扉が183/189系と同様に二扉。
車体の意匠は、同時期に量産中の781系に酷似。
車種は、クロ486(T'cs)、クハ487(Tc)、モハ487/486(M/M')の四種。
M'にはパンタグラフを搭載し主変圧器や主整流器などの交流区間走行用機器を集約し、広域転配想定の三電源対応。
4M2Tの六両編成が基本。
国鉄分割民営化を控えた86年度にJR四国の経営強化を目的に京阪神・徳島特急増発用に100番台が新造された。
以下の点で先述の0番台から仕様が大きく変更:
軽量ステンレス製車体、ボルスタレス台車、車体の意匠が同期のキハ185系やキハ183系500番台に類似した
貫通扉型の先頭車、TcとMに加え新車種クモハ487(Mc)とクロハ486(T'hsc)。
これにより三両編成登場。
87年4月の国鉄分割民営化で、487系はJR四国に承継。
90年代末に明石海峡大橋及び神戸淡路鳴門自動車道全線開通対策としての競争力強化及び延命を目的に、
回生ブレーキ付きの界磁添加励磁制御への換装などの大規模更新工事が施工された。
現役である。
95名無し野電車区:2013/05/04(土) 19:27:46.38 ID:PqkKkmXy0
>>89
お固い鉄ピクの表紙に「あなる」と書かれたHMつけたNRAが載るのかw
96anorak?:2013/05/04(土) 23:51:54.49 ID:6yb6LtvW0
>>94に続く平行世界もの
◎国鉄417系500番台交直流近郊形電車、1000番台
1982年
○1980年に本四淡路線(神戸・鳴門ルート)の新規開業、並びに当路線及び鳴門線、高徳線池谷・徳島間の交流電化開業。
本四淡路線の明石海峡及び鳴門海峡各の海底トンネル区間は地形上の制約で最大40‰の急勾配が連続する難所。
詳細は、>>91-92 >>94 参照。
開業当初のローカル輸送はED80牽引の50系客車列車のみであった。
淡路島が神戸都市圏の通勤圏内になった事で当路線沿線の宅地開発に弾みがつき、今後の通勤客増加に対応すべく、
交直流近郊形電車を投入し、鷹取から東海道山陽線の神戸三宮方面灘までへの直通運転も開始することになった。
それ用にと、417系0番台を暖地向けかつ本四淡路線向けの仕様の500番台が新造された。
417系設計当初では暖地向けは想定されていなかったが、東北北陸の山岳路線での使用も想定した勾配抑速ブレーキ搭載、
最新の高性能な主制御器CS43系、絶縁性を強化し熱容量を高めた主電動機MT54Eと、本四淡路線にも適合した。
車体の意匠は、0番台と同様の乗降扉がステップと半自動機能付き両開き二扉で、雪切室の省略。
暖地向けなので製造費削減によりコイルバネ台車。
神戸大都市圏の近郊形電車なので屋根に集中式冷房装置搭載済み。
車種も0番台と同じで、McMT'cの三両編成が基本。
国鉄の財政悪化の影響で五編成しか製造されなかった。
国鉄分割民営化を控えた86年度にJR四国の経営強化目的に増備として仕様が大きく変更された1000番台が登場。
それは、車体と台車が415系1500番台とほぼ同一の軽量ステンレスとボルスタレス、ステップ無しの両開き三扉。
新車種クモハ416(M'c)と、それによるMcM'cの二両編成。
全車種の座席は415-1500と同様のオールロングシートで、トイレはM'cに。
87年4月の国鉄分割民営化で、500番台と1000番台はJR四国に承継。
バブル好況下の通勤圏拡大による通勤客増加に対応して、1000番台のサハ(T)が増備され、McTTM'cの四両編成化。
大阪神戸の通勤圏内となる本四淡路線はJR四国のドル箱路線となる。
バブル崩壊以後、追加新造せず、依然として残っていた50系客車の置き換えには、
JR東日本で余剰となった415系を購入し、勾配抑速ブレーキの追加等の改造で417系に編入した。
全車現役。
97名無し野電車区:2013/05/08(水) 10:13:39.89 ID:jGm6c9s10
京急500形電車
1951年(昭和26年)から翌年にかけて戦後初の2扉セミクロスシート車として全電動車2両編成10本が製造、
赤い車体に窓廻り黄色の塗装を初めて採用、赤茶色の車両が多かった当時は大きな注目を集めた。
製造は1951年(昭和26年)分が川崎車輛(現・川崎重工業)、1952年(昭和27年)に東急横浜製作所で製造、
後年は車体更新による4扉ロングシート化、デハ500形の半数が中間車化された。

車体長18.200mm、車体幅2.700mmの半鋼製車体、京急電車として初めて窓の上下ウィンドウ・シルヘッダーが、
内側に埋め込まれたことで外装はノーシルノーヘッダーに似た外観となった。
前面は当時流行のいわゆる「湘南形」の正面2枚窓だが、窓は1.000mm×1.000mmの正方形でガラスに中桟が入り、
センターピラーが太く、雨樋が先頭部窓上にもまわされたため、国鉄80系電車などとは大きく印象が異なり、
前照灯は当時の標準に従い、屋根中央に1灯白熱灯を設置しており、標識灯は左右腰部に引っ掛け式を設置、
側窓は高さ1.000mm、幅1.200mmの2段上昇窓、下段に保護棒を設置され戸袋窓が高さ1.000mm、幅900mm、
ドアは鋼製プレスドアとされ、側窓と戸袋も同じ位置に中桟が入っていた。

窓配置はd1(1)D5D(1)1(d:乗務員扉、D:客用扉、(1):戸袋窓)とし、客用扉に隣接する左右両端の窓各1枚分と、
車端部を乗降を円滑にするためにロングシートとし、クロスシートは6組24席が設けられた。
中間連結部には1,000mmの広幅貫通路が設置、京急において貫通路が設置されたのは本形式が最初であった。
本形式の導入当初、北品川-八ッ山橋間に存在した急カーブ区間は、危険防止のため貫通路部分を通行禁止としていたが、
1956年(昭和31年)6月に行われた線路移設工事により急カーブは解消し、通行禁止も解除された。
車体外部は赤を基調に窓廻りが黄色に塗装され、当時京急の標準色となった。

主電動機は出力110kWの東洋電機製造:TDK-553-2CM、駆動方式は吊り掛け式、制御装置は東洋電機製造製:ES-521A、
台車は川崎車輌製のMCB、ブレーキはAMM自動空気ブレーキ、電動空気圧縮機 (CP)は電動発電機 (MG)と共に、
デハ500形の浦賀寄りに搭載、集電装置は運転台寄りに各1基ずつ通常の菱枠形パンタグラフを搭載した。
98名無し野電車区:2013/05/08(水) 10:15:22.92 ID:jGm6c9s10
営業開始時は2両編成だったが、乗客数が年々増加、1954年(昭和29年)には4両編成で運行、
1961年(昭和36年)に4両編成化工事が行われ、中間に入るデハの運転台を撤去、運転台跡に座席、側窓を新設、
車内灯を蛍光灯化、主電動機も出力150kWの三菱電機製MB-389BFR、主制御器は東洋電機製造製ES-760Aに変更、
1965年(昭和40年)10月19日の一斉改番で先頭電動車はデハ500形、中間電動車はデハ520形に改番された。

1968年(昭和43年)10月から1969年(昭和44年)8月までの10ヶ月間にかけて全車が台枠を残して車体を解体、
旧台枠上に700形(二代)に準じた4扉車体を新造、高さ900mm×幅920mmの二段窓で、下段に保護棒付き、
側面の配置も700形(二代)に準じ、デハ500形がd1D(1)1D(1)1D(1)1D(1)、デハ520形が1D(1)1D(1)1D(1)1D(1)、
乗務員扉と客扉の間に在る窓だけ高さ900mm×幅400mmの小窓となり、シートは設置されて無く、
行先表示幕、種別表示幕、運行番号幕の設置、室内の構造も700形(二代)に準じ、奥行きが浅く座面が高い椅子を採用、
前面は600形(二代)と同じ窓寸法の横1.100mm×縦900mmの2枚窓の非貫通、前照灯のシールドビーム化、
主幹制御器(マスターコントローラー)を三菱電機製の小型のものに交換、運転士足元寸法を確保している。
また600形(二代)に準じて屋上の通風器は屋根中央部にFRP通風器が設置する改造工事が久里浜工場で行われた。

パンタグラフは先頭車から撤去され、中間車の浦賀寄り奇数車は浦賀方、品川寄り偶数車は品川方の連結面側屋根に移設、
先頭車への給電は400形(二代)と同じジャンパ線による永久連結とされ、ドア数増加による使用空気量増に対応し、
デハ500形の浦賀方に空気圧縮機を設置され、ATSを設置、先頭部連結器をNCB-6形からNCB-U形に交換し、
連結器胴受けを設置、 デハ500形・デハ520形の台車は東急車輛製TS-806に交換された。

4扉改造とともにデハ160形が10両が電装解除、車体更新名目で520形に準じた車体に載せ変えられ、
サハ540形541-550に編入、デハ520形の間に2両が連結された。
99名無し野電車区:2013/05/08(水) 10:18:05.15 ID:jGm6c9s10
4扉化後は特急運用を始め、急行運用、普通運用にそれぞれ充当、翌1971年(昭和46年)からデハ500形に列車無線を設置、
1977年(昭和52年)には6両編成2本からサハ540形2両を抜き、4両編成で大師線の運用にも充当された。
編成から外されたサハ540形4両は休車となったが、翌年に2本が本線運用に復帰した際に戻された。
1981年(昭和56年)に屋根布の張替えや外板張り替え等の修繕工事が順次施工、1986年(昭和61年)3月29日に、
本線運用における特急・急行運用から撤退、大師線の運用に入るためにサハ540形を外し、4両編成化され、
全車が大師線運用に入った。外されたサハ540形10両は1986年(昭和61年)3月31日付けで廃車された。
4両編成化された全車も同年8月28日に一般旅客営業を終え、鉄道趣味団体によるさよなら運転が同年8月31日に行われた後、
架線試験車として久里浜工場にMc501-M521-M522-Mc502の4両編成と、個人に売却されたMc503以外は同日付で廃車となり、
京急から事業用以外の吊り掛け駆動の旅客用車両が全廃、新性能化率100%が達成された。

架線試験車の4両編成も1989年(平成元年)1月に廃車された1000形に代替されて、同年3月中に解体された。

編成表
Mc501-M521-T541-T542-M522-Mc502
Mc503-M523-T543-T544-M524-Mc504
Mc505-M525-T545-T546-M526-Mc506
Mc507-M527-T547-T548-M528-Mc508
Mc509-M529-T549-T550-M530-Mc510
100名無し野電車区:2013/05/09(木) 22:12:51.59 ID:WDkvEYXJ0
>>52に触発されて
国鉄117系電車(改変)
1973年、国鉄が長野地区と岡山地区向けに製造した直流近郊型電車。
車体関係は115系300番台に準拠するが、正面スタイルは157系に類似し、側面の窓割りと座席配置はキハ45系気動車に合わせ、台車は165系と同じものを、主制御器は381系と同じものをそれぞれ使用した。
当初は非冷房で車体塗色は青色15号に窓回りがクリーム色1号の、いわゆる「スカ色」をまとっていた。
1980年からは京阪神・中京地区の153系の置き換え用としてAU75型冷房装置と強制換気装置の取り付け、車体塗色のクリーム1号+窓下ぶどう色2号への変更、正面への大型種別幕の設置などが行われ、岡山所属車は宮原へ、松本所属車は大垣と宮原へそれぞれ転属した。
101名無し野電車区:2013/05/09(木) 23:38:42.89 ID:jjzNH4E60
スウェーデンが1980年代に電化方式を交流15kV16.7Hzから交流25kV50or60Hzに切り替えしていたらあったと思われる車両

新幹線100系スウェーデン仕様
東海道・山陽新幹線を走っていたものとの相違点は、出入り口が低床ホーム用のステップ付きになり、パンタグラフがシングルアームになり、耐寒耐雪仕様になったこと。
16両の長大固定編成のため、スカンジナビア半島では使い勝手が悪く、特に1990年代末にレジーナが登場してからは出番が減り、現在は夏の観光シーズン以外は車両基地で寝そべっている状態が続いている。
日本国内の100系が全て引退した現在も、スウェーデンに投入された本系列はしぶとく残り、本系列最後の活躍をしている。
102名無し野電車区:2013/05/10(金) 00:33:58.03 ID:zjXbD8950
東急新8000系
東急が開発したE233系ベースの新型車両。
モーター出力は5000系と同じ190KWだが、冗長性確保のため10両編成でのMT比が6M4Tになった。
歯車比は6.06になった。
更に予備パンタグラフを装備する。
103名無し野電車区:2013/05/10(金) 14:56:42.97 ID:zjXbD8950
東急8050系
東急電鉄が開発した新型車両で、PMSMを採用。
車体は5000系と同等。
PMSMは個別制御が必須であるためMT比が4M6Tとなったが、これでも5000系と同等の加速度を実現している。
104名無し野電車区:2013/05/10(金) 21:22:29.64 ID:jyckwu+D0
モハ457
国鉄が1971年に北陸地区向けに8両がサハ455形8両と同時に製造された。
本形式はモハ456-20〜27とユニットを組んでいた。
105名無し野電車区:2013/05/10(金) 21:31:17.10 ID:jyckwu+D0
457系1000番台
国鉄が1972年から製造した457系のマイナーチェンジ版。
クモハ457-1000、モハ457-1000、モハ456-1000、クハ455-1000、クハ455-1100、サハ455-1000、サロ455-1000、サハシ457-1000がある。457系0番台との相違点は以下の通り。

クモハ457-1000、クハ455-1000、クハ455-1100は前照灯がシールドビームである。
サロ455-1000は2連の固定窓で、回送運転台はない。
サハシ457-1000は冷房装置がAU13型6基(普通室2基、ビュッフェ4基)となっている。
各形式とも、側面方向幕が付いている。
クハ455-1000、サハ455-1000、サロ455-1000はMGが160kVAのものになった。
クハ455-1100はMG非搭載。
1974年製造分より、主変圧器がTM20に変更された。
1978年製造分からは、CPがC-1000に変更され、シートモケットの色が茶系に変更された。
1980年製造分からは、Hゴムが廃止された。
1983年製造分からは化粧板が薄茶色4号から白色チェック柄+木目調に変更され、モハ456-1000は平天井化された。
106名無し野電車区:2013/05/10(金) 21:33:42.86 ID:jyckwu+D0
国鉄459系電車
457系1000番台の横軽協調運転対応版で457系1000番台と同じく1972年に登場。
形式は、クモハ459、モハ459、モハ458、クハ459、クハ459-100、サハ459、サロ459、サハシ459
107名無し野電車区:2013/05/10(金) 21:41:22.93 ID:jyckwu+D0
国鉄881系電車
国鉄が製造した振り子式交流特急型電車。
381系をベースに交流専用サイリスタ式にし、さらに雪切室を設置した。車体長は21.3mで出入り口はステップ付き。

国鉄585系電車
国鉄が製造した振り子式交直流特急型電車。
381系をベースに交直両用にし、さらに雪切室を設置した。車体長は21.3mで出入り口はステップ付き。
108名無し野電車区:2013/05/10(金) 21:46:26.80 ID:zjXbD8950
クモハ200-0番台
JR東日本で201系を鶴見線に転用するべくモハ200を先頭車化改造。
先頭部はクハと同等。
ATS-P搭載スペースを捻出するためMGを撤去してクハに移設した。
109名無し野電車区:2013/05/10(金) 23:23:09.13 ID:r2k4VWXw0
中央アジアに2140mm軌間(ブルネル広軌)の鉄道網を建設し、1435mm軌間(標準軌)の列車を2140mm軌間の列車の中に積み込み。
ついでにフランス―ロシア間などにも2140mm軌間の路線網を建設か。
親列車の軌間: 2140mm、1945mm、2503mm、3000mm
子列車の軌間: 1435mm、1520mm、1676mmなど
110名無し野電車区:2013/05/11(土) 02:01:38.27 ID:6EZlIwBg0
>>109補遺
例えば、1520mm軌間と1676mm軌間で四線軌条を組むと、2140mm軌間が得られる。
111名無し野電車区:2013/05/11(土) 11:16:10.74 ID:gel+orKj0
国鉄C10形蒸気機関車
1930年(昭和5年)に能力不足と老朽化が顕著になった明治時代製のタンク機関車の代替で製造された
都市近郊旅客列車用として22両が新製されたタンク式蒸気機関車である。

全長:12.650mm、全高:3.885mm、軌間 1.067mm、軸配置:2-6-4(1C2)-アンチ・パシフィック、動輪直径:1.520mm、
ボイラー圧力 13.0kg/cm2、気筒数 単式2気筒、機関車運転重量(運転整備)69.7t、燃料:3t

基本的な設計は同時期のC50形・C54形などと共通する部分が多く、国鉄近代型蒸気機関車へ至る過渡的なものとなっていて、
電気溶接が一般化する前の時期に設計されたため、運転台や側面の水タンクなどはリベット組み立て構造となっており、
溶接構造を採用した後継のC11形と比較して、外観上重厚な印象を与える造作であった。
なお、本形式はC52形・C54形で除煙板が制式採用される以前の設計であるため、除煙板を装着していない。
当時すでに国産機が主力であったテンダー機関車の技術をこの機関車にも生かし、大型機に近い性能を発揮することが出来、
運転室および石炭庫の真下に位置する従台車を2軸とする1C2形(先輪1軸+動輪3軸+従輪2軸の意味)を採用、
さらに従台車の復元装置をエコノミー式として石炭や水の積載量によって動軸重が変動するのを防いだ。
動輪径は都市近郊域での高速運転などを考慮して8620形やC50形の1.600 mmを5パーセント縮小した1.520 mm径とされ、
実際にも軽荷重の区間列車牽引時には95km/hでの高速運転を実施した。

当初、静岡・名古屋に配置されて東海道本線などで近郊列車の牽引していたが、後継のC11形・C12形などに置き換えられ、
後に山田線・真岡線・姫新線・播但線などで普通列車・貨物列車などに使用、末期は各地を転々としながら、
大半が入れ替え用として使用、1960年(昭和35年)から1963年(昭和38年)にC10 8以外は全て廃車、解体処分となった。

C10 8は廃車後、岩手県宮古市のラサ工業に譲渡され、同社宮古工場専用線で使用されていたが、専用線の廃止後は、
宮古市内で「SLしおかぜ号」として一時期、保存運転が行われていたが、その後休車となった。
同時期、適当なタンク機関車を探していた大井川鉄道(現在の大井川鐵道)と譲渡先を探していた宮古市と意見が一致、
1994年(平成6年)に大井川鉄道へ譲渡された。
112名無し野電車区:2013/05/11(土) 22:18:27.65 ID:nRBoVsgM0
もし“オール二階建て超広軌総統列車”(ブライトスプールバーン=Breitspurbahn)が実現していれば

ナチス・ドイツは1930-40年代にこの計画を出した。軌間は3000mmとし、車両限界はやたらと大きくとった。

第1次
ドイツをはじめとするヨーロッパに路線網を建設。
機関車は、全て大型蒸気機関車とした。
客車の乗降ドアは手動式の内開きとし、当初は出入り口部分の階段を全て省略した。このため一部の駅には高床ホームが設置されたが、その他のホームには移動式の仮設タラップが多数置かれた。

第2次
路線がロシアのウラジオストクまでと、ロシアのシベリアから分かれて中央アジア経由でインドまで延びる。
トンネル区間では交流50kV商用周波数の架線式で電化され、電気機関車が登場。
客車もドアが自動引き戸に変更され、ドアの下に階段が搭載される。
113名無し野電車区:2013/05/11(土) 22:26:18.18 ID:nRBoVsgM0
>>112続き

第3次
路線がヤクーツクまで延長される。
非電化区間にガスタービン機関車が投入される。

第4次
路線がベーリング海峡トンネルを越えてカナダおよびアメリカにまで到達。西はフランスのブレストまでと、オランダまで延長。

第5次
オランダ・ドイツ・ロシアは大部分が電化区間になる。ブラチスラバ―ブカレスト間がベオグラード経由からトンネル経由に変更。
両端動力車方式の電気列車が投入される。

第6次
低床式の車両が登場。

第7次
動力分散方式の電車列車も登場。
114名無し野電車区:2013/05/11(土) 22:30:49.29 ID:nRBoVsgM0
>>112-113補足
ブライトスプールバーン(Breitspurbahn)は、雰囲気的にはなぜか銀河鉄道を彷彿とさせる。
115名無し野電車区:2013/05/13(月) 11:22:44.92 ID:b/8yTvgR0
小田急2000形電車
特急列車の利用者増と1950年(昭和25年)に国鉄80系電車の登場で、新型特急専用車両の要望が高まり、
同年8月1日からは箱根登山鉄道箱根湯本駅への乗り入れが開始されたことで拍車がかかった小田急電鉄が、
1951年(昭和26年)に2月に20m級車体を持つ特急専用車両として第1編成の4両固定編成が入線、
翌年1952年(昭和27年)6月までに4両編成6本を川崎車輛と東急車輛で計24両が製造された。

車体長19.500mm・全長20級、車体幅2.800mm・全幅は2.930mm、前面は国鉄80系電車を意識した2枚窓となっていたが、
丸妻の前面で、前面窓も直立で、上下にシルヘッダーを捲いた2枚窓となり、80系電車とは印象が大きく違っていた。
前面下部に標識灯埋込み、その上に複音汽笛を設置、張上げ屋根化されていたことから洗練された印象となった。

側面の客窓は1700形の高さ850mm×幅1.100mmではシートピッチが合わないことで、それ以上の拡大は、
強度的に当時の技術では不可能と判断され、窓配置とシートピッチを合わせたる事を前提に従来の小窓を採用、
高さ850mm×幅810mmの上下段上昇式2段窓を設置、窓配置とシートピッチを合わせ、先頭車には客扉の設置は無く、
客扉は幅800mmを中間車の先頭車側車端に設置、戸袋部分の山側にはトイレ、運側には洗面所が設置され、
窓と扉の配置は先頭車がd22、中間車がD(1)20、(d:乗務員扉、D:客用扉、数字:客窓)となり、
連結面は切妻で、窓の設置は無く、広幅1.100mmの貫通路と幌を装備、内装は壁面が桜材などにニス塗りで、
天井が白色の化粧板、座席は転換クロスシートを配置、荷棚も基部側半分が白色鋼板製、先端側半分がパイプ式、
室内灯はアクリルカバー付きの交流蛍光灯となり、天井に連続2列に配置され、窓には日除けカーテンが設けられ、
サハ2050形の偶数車海側の車体中央には長さ2.200mm、奥行き950mm、高さ950mmのカウンターを持つ、
喫茶スタンドが設置されており、丸イス4脚を設置、冷蔵庫と電熱器が設置され、冷温飲料から軽食までが提供され、
サハ2050形奇数車の偶数車山側には放送室が設置され、AMラジオからの受信をそのまま車内放送で流せた。
116名無し野電車区:2013/05/13(月) 11:24:19.23 ID:b/8yTvgR0
当初から4両固定編成として設計、制御電動車がデハ2000形、中間付随車がサハ2050形と付番され、
奇数車が新宿向き、偶数車が小田原向きとされ、塗装は腰部と上部が青色、窓周りが黄色の旧特急色で、
前面に小田急電鉄初のヘッドマーク、「箱根・大観山・大涌谷・明神・芦ノ湖・乙女・初花・神山」が装着され、
1952年(昭和27年)8月からは江ノ島線でも「えのしま・えぼし・かもめ・うみねこ」が装着された。

デハ2000形の主電動機は出力150kWの東洋電機製造TDK812-B、弱め界磁1段が付き、歯車数は84:16(5.25)、
制御器は東洋電機製造製ES-760B、台車はデハが住友金属工業のコライザー式鋳鋼台車のKS-33-L、
サハの台車はデハの改良版KS-33-LA、電動発電機(MG)と電動空気圧縮機(CP)が搭載され、
東洋電機製パンタグラフは新宿向き・小田原向きのデハ乗務員側の屋根に搭載された。

1951年(昭和26年)2月に第1編成、同年4月に第2編成が経堂車庫に入線、毎日運行2往復、休前日運行2往復、
休日運行3往復が設定され、新宿-小田原間を78分で運転するダイヤで運行、1952年(昭和27年)6月に第6編成が入線、
同年8月1日に江ノ島線の夏期臨時特急で運行、翌年の1953年(昭和28年)7月には新宿駅発-片瀬江ノ島駅まで往復する、
「納涼ビール列車」にも使用され、いずれも利用客から好評を博し、1954年(昭和29年)頃には特急の利用者数は、
小田急電鉄の予想を上回り、ダイヤ改正などで毎日運行8往復、休前日運行6往復、休日運行8往復に増加、
さらなる特急車両の増備が要望され、既に当時としては画期的な高性能新型特急車両の開発・設計が進められ、
1957年(昭和32年)10月に3000形SE車が登場、翌年の1958年(昭和33年)8月までに第4編成まで揃った時点で、
本形式は特急運用から離脱、特急運用から離脱した本形式は当時、通勤輸送対策を急ぐべきという運用側の意見で、
通勤車両に格下げ改造を行なう事が決定、本形式は4扉・ロングシートの通勤車に格下げされることになった。
117名無し野電車区:2013/05/13(月) 11:37:03.99 ID:b/8yTvgR0
1958年(昭和33年)8月からの格下げ改造の内容は、前面の2枚窓そのままで、車体側面は1800形と同じ、
幅1.000mmの片開き4扉化され、扉間に上下段上昇式の2段窓が4個、そのうち1個は戸袋で、窓はアルミサッシ化、
扉が引かれる方向は車端部の換気を良くする為、デハとサハともに前2枚が後ろ方向、後2枚が前方向の、
車体中央に引かれる構造となり、中央部にある客窓4枚のうち両端2枚が戸袋になり、連結妻面にも2段窓を設置、
側面配置はデハ2000形がd1D(1)3D(1)2(1)D3(1)D2、サハ2050形が2D(1)3D(1)2(1)D3(1)D2、サハのトイレ、洗面所、
喫茶カウンター、放送室は撤去、室内は壁に白色のアルミデコラ化粧板を採用、扉付近の掴み棒と吊り革を増設し、
天井中心には1列に扇風機が7個並び、通勤車格下げによって歯数比を56:27=2.07に変更された。
車体色は新特急色の登場で、旧特急色が通勤車の標準色とされ、2000形は引続き旧特急色とされた。
118名無し野電車区:2013/05/13(月) 11:38:51.14 ID:b/8yTvgR0
特急需要のピーク時や検査入場時などに特急車両が不足する事態となり、これを補うために「サービス特急」と呼ばれる、
特急料金不要の特急列車を1964年(昭和39年)8月から本線と江ノ島線に設定、元特急車両だった2000形4本が運用され、
ヘッドマーク「こまどり・ちどり」を装着して運行、ロングシートながら座席定員制で、車内に号車番号札と、
座席番号表示を装備、利用者からは好評を得たが、指定席券の発行が日曜の朝8時、新宿駅・小田原駅・藤沢駅の、
3駅に限られていたことで、年々発行を待つ利用客が朝早くから列をなして増加、発行を待つ利用客同士のトラブル、
割り込みなどによるトラブル発生率も年々急上昇したことで、1966年(昭和41年)の3月31日付けで運用を終了した。

1969年(昭和44年)以降、旧特急色の一般色からケイプアイボリーにロイヤルブルーの帯が入る塗装に順じ変更、
同年にはOM-ATSの設置と前照灯の2灯化が行われたが、前照灯は他形式の一体型とは違い、1灯を横2列に並べた容で、
2000形のみ独自の容をした前照灯となった。通勤車格下げ以降、2000形のみ8両編成、他形式との併結8両編成で、
急行列車を始め、各停列車に運用されていたが、末期は8両編成で準急列車、4両編成で新宿駅-相模大野駅、
相模大野駅-江の島駅間などの各停列車で運用され、1981年(昭和56年)5月31日に全車が廃車となった。
他20m車体の形式同様に地方私鉄への譲渡はなかった。
119名無し野電車区:2013/05/14(火) 14:51:14.04 ID:LBtHpx1yO
名鉄900形
※名鉄600V線区が存続している状態

570、590、600、870形などの従来車の置き換え用として2005年に登場した名鉄初の全低床車。
当時岡山や高岡に導入されていた新潟トランシス製LRVを設計のベースとしている。
車体の塗装は780、800形とは異なり、スカーレット一色に戻っている。
行先表示は1次車はオーロラビジョンが採用されたが、視認性とコストの問題で2次車以降はLED式が採用されている。
本形式の導入と同時に揖斐線ホームの低床化、岐阜市内線の一部停留所の安全地帯の強化(屋根、風よけの設置)などが行われ、600V線区は一気に近代化する運びとなった。
本形式の導入により、570、600、870形は全廃、590形は土佐電鉄へ譲渡、510形は1両が動体保存車として残り、もう1両は谷汲駅で静態保存された。
120.:2013/05/14(火) 23:40:30.73 ID:PVylnoBqO
常磐快速線E231系MT組み換え車:
4M6T+2M3Tで高速走行でのバランスを取る為に組み換え。制御引き通し線を設けてMTM'ユニットに。
クハE230−モハE230−サハE231−モハE231−サハE231−サハE231−モハE230−サハE231−モハE231−クハE231+クハE230−モハE230−サハE231−モハE231−クハE231

なお、E231系宇都宮線仕様・東海道線仕様・E531系はグリーン車の関係とボックスシート連結位置の関係で見送り。
121名無し野電車区:2013/05/16(木) 09:19:44.23 ID:NN/ynHu80
小田急2100形電車
1951年(昭和26年)に特急専用車両の2000形が20m級車体で登場すると、以後の通勤車も20m級車体の採用、
駆動方式や制御装置も新機能採用の意見が強かったが、当時は各鉄道製造メーカーで、車体や台車の軽量化や、
小型電動機の採用による駆動方式の変更などを主な内容とする高性能車の開発が研究段階の域を出ず、
まずはシルヘッダーを無くした車体と台車の軽量化を図った新形式車両を採用することになり、
同時に国鉄80系電車でも採用された中間電動車方式も小田急電鉄で初採用、1952年(昭和27年)9月に第1編成が登場、
翌年の1953年(昭和28年)6月までに制御電動車と中間電動車、制御車と付随車の4形式を含んだ4両固定編成4本、
計16両を東急車輛と日本車輌で製造、2100形で採用された4形式は、その後2200形にも引き継がれている。

車体長19.500mm・全長20級、車体幅2.800mm・全幅は2.930mm、小田急初の完全なノーシル・ノーヘッダーの4扉車で、
前面は1900形と同様の貫通型3枚窓だが、端の丸みが増し、尾灯(標識灯)は正面窓上に設置した小田急顔、
側面の窓は高さ900mm×幅700mmの上下段上昇式の2段窓、扉間に4枚を配置、そのうちの1枚は戸袋となっていて、
客扉は幅1.000の片開き扉が4箇所に配置、乗務員扉と客用扉の間にある客窓は高さ900mm×幅400mmで、
側面配置はデハがd1D(1)3D(1)3D(1)3D(1)1、サハが2D(1)3D(1)3D(1)3D(1)1、車両間の貫通路は幅1.100mm、
貫通幌を装備し、内装は木製壁と木製床で、ロングシートは緑色、屋根上には小型の通風器を2列配置した。
122名無し野電車区:2013/05/16(木) 09:21:27.24 ID:NN/ynHu80
デハ2100形の主電動機は出力150kWの東洋電機製造TDK812-B、弱め界磁1段が付き、歯車数は56:27=2.07、
制御器は東洋電機製造製ES-760B、台車はデハが住友金属工業製の軸ばね式台車であるFS14形を採用、
サハは同じ住友金属工業製の軸ばね式台車を改良したFS14B形、ブレーキは自動空気ブレーキに中継弁を付加した、
AMMR-R形(制御車はACMR-R形)を採用、電動発電機(MG)と電動空気圧縮機(CP)はサハの偶数車に搭載され、
東洋電機製パンタグラフは制御電動車が乗務員側の屋根、中間電動車は制御車側の屋根に搭載され、
形式は20番で区切られ、制御電動車がデハ2100形、中間電動車が2120形、制御車が2150形、付随車が2170形と付番され、
編成構成は新宿側から制御電動車・付随車・中間電動車・制御車のMc-T-M-Tcとされ、制御車は小田原向きとされていた。

1952年(昭和27年)9月に第1編成が経堂車庫に入庫、運用が開始されたが制動装置に中継弁が設けられたことで、
制動操作を行なってから実際の動作までにタイムラグがあり、運転を担当する乗務員(運転士)は戸惑ったという。
当時の急行停車駅以外の駅ホームは有効長が20m車体4両分の84mと短く、82mしか無い駅もあったことから、
停止位置が1mずれただけで支障が生ずる状態であったことから、扱い難い形式と意識されていた。
123名無し野電車区:2013/05/16(木) 09:23:01.07 ID:NN/ynHu80
1963年(昭和38年)に更新修繕が実施され、側面客窓のアルミサッシ化、客扉のプレスドア化、扇風機の設置が行なわれ、
普通列車を始め、格下げされた2000形などと併結8両編成で急行列車などに運用された。
1969年(昭和44年)には車体色がケイプアイボリーをベースにロイヤルブルーの太い帯を入れる塗装デザインに変更、
前照灯の2灯化やOM-ATS・信号炎管の設置、貫通扉には方向幕も設置されたが、種別表示幕は設置されていない。
2000形と同じく1981年(昭和56年)5月31日付けで全車が廃車となった。
124名無し野電車区:2013/05/20(月) 12:09:52.18 ID:FiCAYWIdO
西武鉄道E850形855〜857
昭和50年に追加製造されたE851形で、概ねEF65PFを基本としたために別名「西武PF」「851PF」とも呼ばれる。
前面が貫通式になった他側面の丸窓がないために、国鉄特急色でない以外はEF65PFと大差ない。
国鉄形式的にはEF65-1056以降の車両に準ずる。
なおパンタグラフはPS22とはせずあえて851〜854と同じものを装着した。
台車はEF65PFと同じDT115 116を履き、製造は全て三菱重工業 三菱電機である。
貨物輸送全廃された平成8年まで使われたがこの3両は譲渡等で残されることになった。
まず翌年にはE856 857が秩父鉄道に譲渡された。秩父鉄道の形式はデキ850形。他のデキでは重連で頼る
20両編成の鉱石列車を単機で牽引出来る評価は高い。2011年には851(元E857)がダークグリーンに塗装され、
SLパレオエクスプレスの後補機としても活躍する他、レトロ秩父号として高崎の旧客を使用して
西武池袋までも乗り入れた実績もある。またC58型が検査時には代走牽引も行っている。
E855は西武に残され、ATS-P及びATS-PSやGPS装着の上で多摩川線車両の検査時の搬送牽引機として
使われ、八王子や武蔵境にも顔を出す。なお連結器は自連と密着の双頭式で101系輸送回送時は密着式を使用する。
全車両JR貨物大宮車両所で2005〜7年に更新を実施している。なおそれより前の2004年以降より
検査を大宮車両所に委託している。
なおこの際にE855は切り抜き式ナンバーからプレート式に変えられてファンをがっかりさせた。
2012年には運転状況記録装置搭載により実質上2000番台形式と大差なくなってしまった。
125名無し野電車区:2013/05/20(月) 17:01:21.15 ID:oxKc+1Tu0
JR東日本E8系/JR北海道N2系新幹線電車
北海道新幹線の札幌開業に伴い製造されたE5系(及び同形式のJR北海道版であるN1系)の後継車。
形式及び一部の機器類とインテリアに差があるのみで、基本的にはどちらも同一の車両となっている。
編成は16連。気候の厳しい冬季の北海道でも高速運転を安定して行えるようにするため、久しぶりに全電動車方式が採用された。
車体はJR西日本500系以来の円筒形断面のものとなっている。
(これに関しては四角形断面のE5系に於いて、トンネル内に於ける高速走行時の車体の膨張が予想以上のものであったためと言われている)
車体の素材に関しては、E8系の量産先行車2編成は試験的に炭素繊維複合材を採用しているが、量産車及びN1系では通常のアルミニウム合金を使用している。
座席は普通車及びグリーン車が2-2配列、グランクラスが1-2配列。シートピッチは普通車が970mm、グリーン車が1160mm、グランクラスが1280mmとなっている。
車内には無線LAN環境が整備され、またWiMAX2による高速モバイル通信の使用も可能。
特筆すべき点として、E5系で一旦廃止された荷物置き場が復活しているという点もあげられる。
(これに関しては、表向きには『長距離旅行客やスキー客に配慮した』と発表されているが、実際には荷物置き場が無いE5系に於いて特に混雑時に乗客トラブルが少なからず発生していたのが原因とも囁かれている)
制御装置はIEGT素子を用いたVVVFインバータ。1C4M2郡制御となっている。インバータのメーカーはE8系が三菱電機、N2系が日立製作所。
主電動機は連続定格出力385kWの交流誘導電動機。どちらも同一のものであるが、形式はE8系のものはMT209、N2系のものはN-MTN2となっている。
起動加速度は3.0km/h/s、最高運転速度は360km/h。明かり区間平坦線での均衡速度は485km/h以上とされている。

N2系「ルスツリゾートエクスプレス」
N2系の特別車両。加森観光が運営するリゾート施設「ルスツリゾート」の利用客向けにデザインされた。
シーズン中に東京-倶知安-札幌間を走行する臨時列車に充当される。
塗装と内装が違うだけで座席配置や機器類は通常のN2系と完全に同一であり、シーズン外には一般の旅客列車としても(道内のみとはいえ)運行されている。
保有・整備・運行はJR北海道で、シーズン中に加森観光に貸し出されるという形で使用されている。
126名無し野電車区:2013/05/20(月) 20:24:06.02 ID:c3a3eTA+0
サハ103-911
モハ72970を103系に編入改造したもの。
サハ103-3000番台とよく似ているが、以下の相違点があるためパッと見パンタ撤去後がある以外普通の103系0番台と見分けがつかない。
・ドアが0番台と同じ全自動である
・台車がTR212である
・73系時代のルーバーが残っている
・AU75Dで冷房改造された
103系3000番台登場時にサハ103-3006に改番されたが、上記の相違点はそのままだった。
ドアエンジンが異なるため川越線では使用されなかった。
127名無し野電車区:2013/05/20(月) 23:41:31.38 ID:467dXaaWO
JR西日本直流形特急電車287系1000番代

この車両は287系を基本に空気バネによる車体傾斜制御装置を備えたもので最大傾斜度を3度可能とする。
編成は紀勢線6両、伯備線に4両オール電動車を基本とし381系淘汰を進む。
128名無し野電車区:2013/05/20(月) 23:52:44.19 ID:OBoyCk7F0
age
129名無し野電車区:2013/05/21(火) 12:48:09.55 ID:D4VtE4PVO
サハ185-700・モハ185-700
座席を撤去しカーペットに改造。素寝泊まりでも可能とする。185系に連結しムーンライトながらなど使用
130名無し野電車区:2013/05/21(火) 13:20:59.59 ID:oRFhEp2N0
京急600形電車
500形に続く2扉セミクロスシートとして京浜急行電鉄初の高性能カルダン駆動による全電動車方式として設計、
全金属製準張殻構造車体を採用して軽量化を実現し、搭載機器を集約分散するMM'方式による2両1ユニットを構成、
MM'ユニットを背中合わせに連結した設計となり、車体・台車を東急車輛と川崎車輌、電装品は東洋電機が担当、
先頭電動車がデハ700形、中間電動車がデハ750形で、ハイキング特急、海水浴特急の優等列車で運用され、
1956年(昭和31年)から1958年(昭和33年)までに4両編成10本、合計40両が製造された。

車体長18.200mm、車体幅2.700mmの全金属製準張殻構造車体を備え、補強帯が無いノーシルノーヘッダーの外板、
雨樋位置が屋根上部に移設された張り上げ屋根構造とされたことで、全体的に平滑な外観が実現している。
前面は非貫通2枚窓の湘南形スタイルだが、窓寸法が1.100mm×900mmとして窓の下辺を側窓よりやや持ち上げ、
センターピラーの部分を細くすることで鈍重な印象となるのを防ぎ、洗礼された前面となった。
前照灯は当時の標準に従い、屋根中央に1灯白熱灯を設置しており、標識灯は左右腰部に各1灯角形のものを設置する。
このデザインは京浜急行における湘南形スタイルの完成形となり、以後同一寸法のままでデハ800形(初代)や、
1968年(昭和43年)から4扉車体となったデハ500形更新車などに継承されている。
131名無し野電車区:2013/05/21(火) 13:23:03.78 ID:oRFhEp2N0
側面の客窓は高さ1.000mm×幅1.200mmの2段上昇窓で、戸袋窓が高さ1.000mm×幅900mmのHゴム支持による固定窓、
窓配置は先頭車がd1D(1)6(1)D1、中間車が1D(1)6(1)D1、(d:乗務員扉、D:客用扉、(1):戸袋窓、数字:客窓)、
乗務員扉と客扉の間にある窓は高さ1.000×幅450mmの小窓となり、この小窓は更新後の500形、800形(初代)も採用、
小窓部には乗務員室に向いた2人掛けの片側シートを配置、扉間にある6枚の客窓の部分は、全て向かい合わせ配置の、
固定クロスシートとすることでクロスシートの数を12組48席とし、客用扉に隣接する戸袋窓分と連結部分は、
乗降を円滑にするためロングシートを設置、客窓には転落防止等の観点から下段中央を横切る位置に保護棒が設置され、
連結面の貫通路幅はデハ500形の仕様を継承して1.000mmの広幅とされ、貫通路の横に下段上昇式の2段窓を配置、
屋根にはモニタールーフを載せ、ここに三菱電機製16インチ径ファンデリアを各車6基ずつ搭載する。

車内のカラースキームは当初は東急車輛製造製が淡紅色のメラミン樹脂化粧板にエンジ色の腰掛けモケットという暖色系、
川崎車輌製が淡緑色のメラミン樹脂化粧板に青色の腰掛けモケットという寒色系で対照的な組み合わせであったが、
これは1958年(昭和33年)製車で後者に統一、初期製造車についても後に寒色系に統一された。
照明は当時の鉄道車両に採用が始まっていた、蛍光灯を連続カバー付きで取り付けてある。

車体外部の塗装はデハ600形(初代)・サハ650形で初採用されたダークヴァーミリオンを基本とし、
側面窓下に白帯を配するというデザインを踏襲するが、100mmであった白帯の幅を150mmに拡幅した上で、
前面にも帯を回して視認性の向上を図っており、この構成は以降700形(2代)までそのまま踏襲された。
132名無し野電車区:2013/05/21(火) 13:25:14.92 ID:oRFhEp2N0
主電動機は補償巻線付きで高速性能を重視して最弱め界磁率は50%に設定された180kWの東洋電機製造TDK-1819Aで、
駆動装置は同社自社開発による中空軸平行カルダンを採用、制御器は東洋電機製造製はACDF-H875-562A(ES-562A)、
ブレーキは従来の自動空気ブレーキに代えて、応答性に優れたHSC-D発電制動併用電磁直通ブレーキを搭載、
車内のサービス機器や制御器の動作電源として、東洋電機製TDK-315(DC7.0kW)の補助電源装置と、
ブレーキ用の空気圧供給源として、A-2型 レシプロ式の空気圧縮機をデハ750形に搭載した。

台車は車体メーカー両社による競作となっており、こちらも全く異なったコンセプトに基づく2系統の設計が共存する。
東急車輛製造はウィングばね式のTS-303・303A・310を供給、川崎車輛は長腕形軸梁式のOK-18・18A・18Bを供給、
OK形台車各形式の基本構造を踏襲しつつ、上枕梁を側枠左右に突き出して側受位置を可能な限り外に出すことで、
車体のローリング周期を長くし乗り心地の改善を図るなど、様々な特徴を備えた台車である。
集電装置はMM'ユニットの都合上、デハ750形の奇数車は浦賀寄り、偶数車は品川寄りに各1基ずつ、
通常の菱枠形パンタグラフを搭載していた。

竣工後、京浜急行電鉄の看板電車としてハイキング特急、海水浴特急、週末特急等の優等列車を中心に運用、
クロスシート車であることを生かして全席座席指定の特急「三浦ビーチ号」が夏期に設定されるなど、
その機能を有効活用する運用が実施され、京浜急行電鉄の名を広く知らしめた。
133名無し野電車区:2013/05/21(火) 13:29:03.48 ID:oRFhEp2N0
1965年(昭和40年)10月19日の一斉改番で、全てデハ600形(二代)に改番が実施され、1966年(昭和41年)に、
前照灯のシールドビーム化、前面窓内上部に方向幕・列車種別表示幕・列車番号表示幕を設置した。
1968年(昭和43年)に1号形ATSを設置、車内放送機器をトランジスタ増幅によるものへ交換、
先頭車の運転台寄り屋根に列車無線アンテナを設置、側面の客窓をアルミサッシ化などが行なわれた。
社会で冷房化のニーズが高まり、また当時京王5000系電車を皮切りに各私鉄で興った通勤車冷房化の趨勢を受けて、
1970年(昭和45年)から1972年(昭和47年)にかけて車体更新工事と併せて、601-602-603-604と605-606-607-608、
621-622-623-624と625-626-627-628が8両編成化されることになり、604・605、624・625は前面と運転機器を撤去、
乗務員扉跡に高さ1.000mm×幅1.200mmの2段上昇窓と連結面に1.000mmの広幅貫通路を設置する中間車改造され、
構体の補強を実施の上で全車に冷房能力36.000kcal/hの日立製作所FTUR-550-206A・FTUR-550-206C型集中冷房装置、
および三菱電機CU-71型、3種の集中冷房装置を編成ごとに搭載する冷房装置搭載改造工事が行なわれ、扇風機6基を併用。

この改造で屋根は平天井に改造して風洞が通され、モニター屋根は撤去、500形と同じ屋根中央部にFRP通風器を設置、
客窓の下段にある保護棒を撤去、客用ドアがステンレス製のものに変更された。
また冷房化された第1・第2編成の完成が丁度、7月初旬の夏期にあたり、海水浴特急のアピールも含め、
車体外部の塗装を赤地・白帯から海と空をイメージした青地・白帯に変更、ここに京急の青電が誕生した。
続く第3編成以降も青地・白帯に変更され、600形10本、全編成が青地・白帯の青電となった。
134名無し野電車区:2013/05/21(火) 13:37:13.65 ID:oRFhEp2N0
1972年(昭和47年)先頭部連結器を三菱電機K-2A電気連結器内蔵密着連結器から都営地下鉄1号線乗り入れ規格準拠の、
日本製鋼所NCB-6密着自動連結器に交換する工事が行われた。連結器高さ変更が伴ったため、車体に切り欠きが追加された。
ジャンパ栓配置も変更、品川方先頭車に開放ジャンパ栓受を取付るため浦賀方先頭車も含めて標識灯位置が変更されている。

青電になって以降、夏季特別列車などには優先的に運用され、朝ラッシュ時の12両編成特急にも運用、
1981年(昭和56年)に運転開始された通勤快特にも運用、この年から徐々に車体外部の塗装を青地・白帯を、
赤地・白帯へ戻し、最終的に2編成の青地・白帯が残った。1982年(昭和57年)に600形の後継形式2000形が登場すると、
12両編成特急の運用から外され、快特専用で運用されたが、1984年(昭和59年)に初期製造車両から廃車が始まり、
1987年(昭和62年)7月31日、青電として残っていた633-634-635-636、637-638-639-640の2編成が、快特・特急運用で、
さよなら運転を行い、翌月の8月3日に2編成とも廃車された。
廃車後、高松琴平電気鉄道に629-630と633-634-635-636の6両が譲渡され、非貫通2枚窓を1000形に似た貫通化、
2両編成化で中間車の先頭車化やロングシート化が行われた後1070形として入線し、新製から50年、
琴電入りからも20年以上が経過した現在も使用されている。
135名無し野電車区:2013/05/21(火) 15:18:23.90 ID:oRFhEp2N0
またトップナンバーであるデハ601が逗子市に譲渡、神武寺駅近くの逗子池子第一運動公園に静態保存され、
最終編成のデハ637・デハ638・デハ639・デハ640が最終時のまま、久里浜工場で保管されている。
他にはデハ617が個人に売却され、屋根付きで保管されている。

編成表
Mu1-Ms2-Ms1-Mu2
601-602-603-604-605-606-607-608
609-610-611-612
613-614-615-616
617-618-619-620
621-622-623-624-625-626-627-628
629-630-631-632
633-634-635-636
637-638-639-640
136名無し野電車区:2013/05/21(火) 20:42:57.71 ID:Jh3bKRxk0
E233系4000番台
JR東日本が製作したE233系の「sustina」試験車。
総合車両製作所が開発した「sustina」をJRのE233系にも採用。
車体形状が若干異なる。
137名無し野電車区:2013/05/21(火) 23:51:52.96 ID:NPZKjrkQO
えちぜん鉄道MC7500形

旧型車の置き換えを目的に導入。種車はJR東日本107系。MC7000形と同様に車体の修繕やVVVF改造、客室のリニューアル(内装はロングシートのまま)を実施。
138名無し野電車区:2013/05/22(水) 00:13:22.48 ID:wPXOIxDa0
阪和電鉄ロコC57
 超特急「黒潮」の更なるスピードアップの為、天王寺−東和歌山間は従来のモタ・モヨの超特急と同じく45分で走破でき、東和歌山−白浜口間は従来の8620よりも速くなおかつ紀勢西線の
軌道状態にも耐えうる機関車として鉄道省C57型をベースに汽車製造(株)との共同開発で制作された。
基本スペックはC57と同一だが、外観は満鉄パシナそのもののスタイルであった。
そして、当時としては珍しくメカニカルストーカーを搭載している。
 南海山手線を経て国有化後、C57に編入されたが直後に門鉄に転属したので超特急「黒潮」の運用は短かった。戦後はC59投入まで「かもめ」の門司−博多間を牽引し、その後は「さちかぜ(後に平和)」「さくら」
の博多−長崎間の牽引を担当し、長崎線にC60投入後は旭川に転属し、C55と供に昭和47年まで「利尻」の牽引を担当し、昭和48年廃車。
139名無し野電車区:2013/05/22(水) 18:08:36.69 ID:Mv0BDINiO
銚子電鉄DC3000形
銚子が万を期して伊予鉄道より譲渡された2000形は変電所容量の関係で2編成を冷房の使用が不可能
であることや未だに非冷房である1000形の老朽化が進んだことから取り替えが必要であったが、
折しも経営再建上新型車両の取り替えもままならなかった。
そこで同じ千葉を走る第三セクターのいすみ鉄道がいすみ300形を肩代わりして製造して
銚子電鉄に15年間の貸与及び燃料と整備をいすみ鉄道が全面的に支援すると言う支援策をもとに
投入された。電車のみであった銚子電鉄が初めて投入された気動車である。
車両はいすみ300形同様新潟トランシスNDCである。またいすみ鉄道での運転士育成制度により
合格した気動車の運転士免許所持者から3名が運転のため銚子に派遣されている。
最終的には銚子市 千葉県といすみ鉄道が経営再建をバックアップして第三セクター化での観光鉄道化を図る。
投入された2編成中1編成は簡易トロッコ列車仕様で、1000形だけでなく保安上使用が出来ないために
外川駅に放置しているユ600形澪つくし号も取り替える。またもう1本はいすみ350形同様の
キハ20形の顔をしており、旧国鉄色を纏う。
営業車両は電車の2000形2本と気動車の3000形2本の2形式体制となり、電車と気動車1本ずつの運用を基本とした。
電力事情が逼迫する夏は昼に関しては気動車のみの運転となる。
140名無し野電車区:2013/05/22(水) 22:00:06.28 ID:ORhNHnpq0
大阪市電3100形
2018年の路面電車復活に伴い導入された。
かつての大阪市電の続きということで型式番号も続きの3100が採用されている。
アルナ車両製で阪堺電軌1001形と同タイプである。
恵美須町駅の連絡線を経由して阪堺線のあびこ道車庫で整備を行なっているが、新大阪延伸の際には天王寺公園地下に車庫を設ける予定とのこと。
141名無し野電車区:2013/05/22(水) 22:08:24.57 ID:fdGgaeOz0
E2系2000番台
JR東日本が長野新幹線用に投入したE2系のマイナーチェンジ仕様。
車体は1000番台に準ずるが、50/60Hz両対応になった。
142名無し野電車区:2013/05/22(水) 22:39:30.84 ID:fdGgaeOz0
>>104-106,>>39-42
国鉄411系電車
国鉄が1980年から製造した交直流近郊型電車。
外観は457系1000番台(>>105)とほぼ同様だが、出入り口付近がロングシートとなっている。
なので711系100番台の本州版とも言われる。
形式は、クモハ411、モハ410、クハ410
143名無し野電車区:2013/05/22(水) 22:45:19.69 ID:fdGgaeOz0
>>142
国鉄425系電車
411系(>>142)の4・5・6両固定編成版で1982年から登場。
形式は、クモハ425、モハ425、モハ424、クハ424、サハ424
144名無し野電車区:2013/05/22(水) 23:10:12.20 ID:r8J7kHqG0
415系2500番台
JR九州が製造した415系。
1500番台と同様であるがJR東日本車との番号重複を避けるため2500番台となった。
台車は783系と同じくDT50Q/TR235Qが採用されたが、ヨーダンパは省略された。
811系が登場したためわずかしか製造されなかった。
145名無し野電車区:2013/05/22(水) 23:29:37.02 ID:fdGgaeOz0
>>142-143
711系100番台増備車(クハ711-121〜134、クハ711-219〜232、モハ711-118〜131)
国鉄が1981年に製造した711系100番台のマイナーチェンジ版。
711系では初の新製冷房車となり、モハ711にはAU72が搭載されたが、クハ711は181系特急型電車などの廃車発生品であるキノコ型のAU12が搭載された。
しかし1982年以後製造分からは発電ブレーキ装備&冷房装置のAU72統一した1000番台に移行したため、本グループの製造は1981年製の14編成42両に留まった。
なお、本グループからは車体塗装も前面警戒色のクリーム色4号が車体側面にまで回され、711系新製冷房車を印象付けるものになった。
146名無し野電車区:2013/05/22(水) 23:48:05.99 ID:fdGgaeOz0
>>145続き
711系1000番台
国鉄が1982年から製造した711系の最終形態。
発電ブレーキと冷房装置(AU72)が標準装備された。
編成はクハ711-モハ711-クハ710で、発電ブレーキ用抵抗器は重量分散の観点からクハ711の屋根上に装備した。
(トイレはクハ710に設置)

711系1100番台
1983年に登場した上記の1000番台のマイナーチェンジ版。
713系に合わせ回生ブレーキに変更されて発電ブレーキ用抵抗器が廃止された。

711系1200番台
1985年に登場した上記の1000番台をさらにマイナーチェンジした車両。
台車がDT50/TR235に、冷房装置がAU79に変更された。
このグループでは車体塗色も赤色1号+クリーム色1号に変更されている。
147名無し野電車区:2013/05/25(土) 10:41:01.99 ID:PjYpW8/60
国鉄 キヨ6000

昭和48年に登場した、走行用ディーゼルエンジンを装備した緩急車

集配貨物列車における、貨車の入替の効率化及び作業軽減のために開発された。
これにより、途中駅の貨車の分割併合作業に人力を必要としなくなった。

運転は本務機の機関士が行う。

また、貨物の状況によってはブースターとしての役割を担えるように、あえて機関車次位に連結して総括制御により
自走することも可能な設計になっている。

昭和57年のヤード廃止に伴い大部分は廃車となったが、一部は観光列車用としてJR化後も残って活躍しているものもある。
冬の湿原号に連結され、展望車兼C11のブースターとして活躍しているのが有名なところであろう。
148名無し野電車区:2013/05/26(日) 22:51:54.46 ID:fsOtwU/f0
東急4050系
東急電鉄が開発した5050系4000番台の改良版。
E233系で採用された二重化思想が採用されている。
インバータ装置が1C4M2群制御に統一されたためMT比が6M4Tになっている。
また予備パンタグラフを装備している。
149名無し野電車区:2013/05/27(月) 00:37:27.84 ID:FDeCdnrKO
JR東日本E703・E503系

奥羽・羽越線にイメージ変える為、701系の置き換え用としてE703系、村上以北で使われている気動車の置き換えとして交直流用E503系を開発。
両者は1GBTVVVFインバータ制御3ドア2両編成で座席はクロスシートを採用。機器二重化対応する為クモハに予備パンタ1基取り付け。またE721系実績ある車両低床を採用しバリアフリーを図る。
150名無し野電車区:2013/05/28(火) 16:23:54.75 ID:9ly2g9q30
伊豆箱根鉄道200形
モハ151形の置換え用として1984年(昭和59年)に西武所沢車両工場の仲介で京急久里浜工場から、
400形(初代600形)の廃車15両分を購入、整備した大雄山線用の通勤形電車である。

大雄山線は緑町駅近くの半径100m急曲線がネックとなり、車体長17m級の車両までしか入線できずにいた。
既に駿豆線には車体長20m級の3000系が投入されてる時期、新たに17m級車体の新製は得策でないことから、
経費を押える目的で程度が良い17m級の中古車輌を探していたところ、時期的に京急400形の廃車が始まっていることを、
西武所沢工場から助言され、同工場の仲介で京急久里浜工場から1957年(昭和32年)以降全金属車体で製造された、
400形(初代600形)デハ460形10両と付随車サハ480形5両を購入することが決定した。

購入したデハ460形は東洋電機製ES-761A主制御器などは付いていたが、既にパンタグラフやCPなどが無く、
不足する電装部品は西武所沢工場から同社の451系廃車からPS13型パンタグラフやCP、台車を調達し、
駿豆線の大場工場にて取付、その再にパンタグラフも連結側の屋根から運転席側の屋根に移設、
京急から無償譲渡された出力150kWの三菱電機製MB-389BFR主電動機を電動車TR14Aに架装した。
151名無し野電車区:2013/05/28(火) 16:26:34.46 ID:9ly2g9q30
また電装工事と同時に車体側面に補強を入れ、駿豆線3000系と同じ三菱電機製の42.000kcal/hの能力を持つ、
集中式冷房装置CU-72C形が搭載され、吊り掛け式に冷房装置搭載は全国でも珍しく、外観も標準塗装であった、
赤とベージュのいわゆる「赤電」塗装から、3000系と同じ青と白のツートンカラーとされた。

形式は電動車がモハ200形、付随車がサハ250形に統一、京急形式番号との対比は、
461-482-462 → 201-251-202
463-484-464 → 203-252-204
465-486-466 → 205-253-206
467-488-468 → 207-254-208
469-490-470 → 209-255-210

1985年(昭和60年)から第1・第2編成が大雄山線で運用開始、翌年まで3両編成5本が揃い、順次モハ151形を置換え、
関東近郊で吊り掛け車、しかも冷房改造された前パンタ車輌として人気を博したが、1998年(平成10年)以降、
大雄山線用に新造された5000系に順次、置換えられ、207-254-208の1本を除いて廃車・解体された。
152名無し野電車区:2013/05/29(水) 12:51:32.79 ID:NnlU3LHv0
伊豆箱根鉄道300形
1984年(昭和59年)に京王帝都電鉄から井の頭線用1000系電車を譲渡され、整備した大雄山線用の通勤形電車である。

モハ151形の置換え用として京急から400形(初代600形)3両編成5本、計15両を格安購入して自社200形になったが、
置換え分としては3両編成2本分が足りないことから手頃な中古車輌を探したところ、同時期に廃車が進められていた、
京王帝都電鉄井の頭線用1000系電車に白羽の矢があたり、西武所沢工場からの仲介で京王帝都電鉄に打診したところ、
ほとんど無償で譲渡されることが決定、譲渡にあたりMMユニットと単M、中間車改造が混在してることから、
先頭電動車のデハ1001・1003と中間電動車デハ1051・1053、単Mの先頭電動車デハ1054・1056を選別、
台車・主電動機は外されていたので、200形と同じく西武所沢工場から451系廃車から捻出された台車TR14AとTR11A、
主電動機MT15系を調達し、駿豆線の大場工場にて取付、同時に単Mの先頭電動車デハ1054・1056は制御車化され、
同時に車体側面に補強を入れ、200形と同じ三菱電機製の42.000kcal/hの能力を持つ集中式冷房装置CU-72C形を搭載、
外観も200形と同じ青と白のツートンカラーとされた。
153名無し野電車区:2013/05/29(水) 12:56:11.29 ID:NnlU3LHv0
番号付番は電動車は300形、制御車は350形が付番され、京王帝都形式番号との対比は、
1001-1051-1054 → 301-302-351
1003-1053-1056 → 303-304-352

制御車化された351・352は301・303と違い、正面のアンチクライマーが無く、識別は安易だった。
パンタグラフは301・303の運転席側に搭載されていた。

1985年(昭和60年)に200形と一緒に入線、 関東近郊で吊り掛け車、しかも冷房改造された前パンタ車輌として、
200形と一緒に人気を博したが、1998年(平成10年)に大雄山線用に新造された5000系が入線すると、
200形より先に置換えられ、全車が廃車・解体された。
154名無し野電車区:2013/05/30(木) 00:21:35.67 ID:JjnXwGj00
南海32000系
南海電鉄が「こうや」用に製造した新型特急車両。
12000系をベースに車体を17mに縮めた。
足回りは2300系と同様。
この車両の導入により高野線での120キロ運転が実現。
155名無し野電車区:2013/05/30(木) 14:38:11.61 ID:mFcvCohYO
国鉄コキフ10000形 15000番台 コキフ50000形 55000番台
それぞれコキフ10000 50000形の改良版で、車掌室ユニットの環境改善を重視したものとなった。
車体長を中央に1.5m延長し、ほぼコンテナ2個分に拡張された。車掌室はヨ6000形を片方切り飛ばした
ような構造でトイレも付けられており、性能的にもヨ6000形並みに改善された。
台車は共にTR203(コキフ55000形はTR203B)を履く。コンテナの個数はどちらも3個である。
手始めに昭和43年に15000〜15008の8両が作られ、昭和50年に55000〜55100の100両が作られている。
1985年に車掌常務が廃止されるより前にこの車両らはそのまま事業用貨車への改造種車となり、
15000番台全車両が1980年にチキ5200形(15200番台)に改造された。
この改造の際には台車がTR223に交換となるところだが種車のコキフ50000形からの台車が足りず、
仕方なくチキ7000形同様TR213Bに変更された。但し15207〜8はコキ5500形流用のTR63Fとなった。
55000番台も1982年に60両がロングレール輸送車チキ5500形25500番台に改造された。
コキ50000形からのレール輸送車への他用途転用は初である。
改造に際して全てコキ5500形再利用品のTR63Fに交換されたが、最後の12両はコキ50000形再利用の
TR223に変更された。
全車両JR東日本で承継され、チキ15200形は東京レールセンターと仙台レールセンター拠点とで4両ずつ
チキ25500形は全て東京レールセンターを拠点にして使用されている。
常備駅は越中島貨物及び岩切駅で幕張車両センターと仙台車両センター所属である。
先の東日本大震災では被災した仙台レールセンターの救援で東京より25mレール2000本と
100〜200mロングレール200本を東京レールセンターと仙台貨物間でピストン輸送を行い、
東北線や常磐線ら東北地区の復旧に一役買っている。
156名無し野電車区:2013/05/31(金) 21:44:36.49 ID:5H+mJd800
323系
JR西日本が製造したカーボンモノコック電車。
車体がカーボン繊維で出来ており、非常に頑丈かつ軽量である。
しかし製造費が物凄く高いのが難点である。
157名無し野電車区:2013/06/01(土) 18:12:25.00 ID:ZEZYR+TI0
キハ49
国鉄が開発したキハ40ベースのワンマン対応の気動車。
キハ40とキハ47の合いの子になっている。
先頭部はキハ40のように客用扉を乗務員室側に寄せ、後部はキハ47のように両開きドアを設けた。
暖地向けの0番台と寒地向けの500番台があり、トイレなしの1000・1500番台も存在する。
片開きと両開きが混在するため保守が煩雑になるという理由から試作のみで終わったが、ワンマン運転に便利なため全車JRに承継された。
158名無し野電車区:2013/06/02(日) 12:19:11.79 ID:u2HcdpTE0
南海60000系
50000系を置き換えるために製造されたラピート用車両。
車体断面は12000系同様のものとなったが、カラーリングと側面窓は50000系を踏襲した。
4両編成×2の8両編成で構成され、連結面の運転台は中央にドアがあり、反対側の前面は太陽の使者鉄人28号に似た流線型で、向かって右側が非常ドアとし、地下鉄乗り入れを考慮している。
通常は4両編成、多客期は8両編成で運転されている。また、横山光輝氏ゆかりの神戸方面への臨時乗り入れ列車にも使用されている。
159名無し野電車区:2013/06/02(日) 23:10:03.40 ID:vw1fZaoF0
JR四国6500系

JR東日本では、2010年代初頭、首都圏から211系が相次いで退役し、
管内各所に保管されて、その行方についてファンの耳目を集め続けていた。
その中で、かねてから耐寒改造を施工の上転用されるとされていた
元田町車両センターの2000番台旧付属編成が、突然長野車両センターに
こぞって集められて、ファンが固唾を呑んで見守るなか、
大方の予想に反して、なんと解体されてしまった。
それを聞きつけたJR四国の車両担当者が待ったとばかりに、
JR東日本へ交渉に慌てて駆けつけ、未解体の車両をどうにか5編成確保し
(多めに購入したのは、今後同社で車両更新が相次ぐ折、予備車を確保するため)、
譲渡が成立することとなった。

甲種輸送で多度津に運ばれた211系は、しばらく放置され、
これまたファンの関心の的となっていたが、
何と、同じ四国へ行った伊予鉄(旧京王)3000系のように
1M2Tの3連に改造され、6500系に改称、奇しくも211系よりもだいぶ後の生まれでありながら、
正面スタイルの似ていた6000系の亜種となった。
JR同士の車両譲渡でありながら、まったく違う形式称号を付与された珍しいケースとなった。
←高松
6500(クハ211)tc-6600m(モハ211)-6700t'c(クハ210)

主な改造内容は、VVVF化(6000系と同一部品を採用)
クーラーの変更(これも6000系と同一)
扉間の転換クロス化
トイレのバリアフリー対応化(6700の旧トイレ反対側に車椅子対応トイレを新設し、
6500含め旧トイレ跡地は車椅子スペースに)
6600に車掌台の設置

運用は強引に同系列に編入改造したが6000系とは区別されており、
6000系の1本が検査の場合に本系列で1運用を代行する体制がとられている。
160名無し野電車区:2013/06/03(月) 00:13:49.88 ID:DVMXViMP0
125系100番台
JR西日本が製造した125系の3扉仕様車。
ラッシュ対策で3扉となったが、中央ドアは整理券発行機が無いため車掌乗務列車と有人駅でのみ使用する。
播但線に導入。
161名無し野電車区:2013/06/04(火) 21:54:47.47 ID:vxMuVSxi0
キハ85系1000番台
JR東海が製造した「リゾートライナーII」。
キハ80系のリゾートライナーが老朽化したため新たに製造した。
鋼製車体であるが足回りがキハ85と同等であるためキハ85を名乗っている。
勿論一般型のキハ85と併結も可能。
162名無し野電車区:2013/06/06(木) 00:26:16.94 ID:Ug7REJgJ0
阪神10000系
山陽・近鉄への乗り入れも可能な仕様で製造されたクルーズトレイン。
現代の金魚鉢として流線型デザイン・大型窓にしている。塗装は昭和の赤胴車を再現した赤とクリームである。
個室の中間車2両と開放型の先頭車の4両編成が基本で、夏季は網電の中間車を1両増結する。
青山峠を超えられるよう抑速ブレーキを設け、また網電以外は電動車である。
阪神初のトイレ・売店付き車両で中間に男女各1室のバリアフリートイレと授乳やおむつの交換ができる多目的室を備えている。
日本語・英語案内のほか、海外からの旅行客に対応するため20ヶ国語の車内放送が可能である。
ツアーでの利用が前提だが、宿泊は沿線のホテルを使用するため寝台はない。また、食事は飲料と軽食を売店で販売するのみで本格的な料理は沿線のレストランほか飲食店で提供される。
近鉄・阪神・山陽沿線をベースとしたツアーの他、神戸港・大阪港に寄港するクルーズ船のツアーに組み込まれて運転されている。
163名無し野電車区:2013/06/06(木) 17:29:29.40 ID:cBdskEjM0
>>104-106,>>39-42
サハシ165-100番台・サハシ169-100番台

1975年ごろ、165・169系のビュッフェ車のうち、サハシ153から改造されたサハシ165-50番台およびサハシ169-0番台が老朽化したため、
それを置き換えるべくサハシ451およびサハシ455から改造された。
サハシ165-100番台はサハシ451から、サハシ169-100番台はサハシ455からそれぞれ改造。
改造時にドアステップの埋め込みと、塗色の湘南色化が行われた。
164名無し野電車区:2013/06/09(日) 05:43:07.52 ID:2bBivnEKO
167系50番台
昭和42年に作られた167系。極力165系と共通化を図り、クハ167-モハ167-モハ166-クハ167の4両から
クモハ167-モハ166-50-クハ167の3両編成に変更された。
関東を中心に36両作られ、長野や新前橋にも配備されたため、後に横軽対応を行った車両もある。
長野や松本に配備された車はアルプスなど急行列車などにも使われたこともある。
晩年は新前橋 三鷹 長野に3両編成1編成ずつが、田町にはクモハ-モハを既存のクハ167と抜き取って
組み替えた5両編成にしたものを2編成持っており、167系4両編成又は3両編成の165系を組み合わせた8連又は9連で
臨時大垣夜行にも使われたりしていた。
新前橋は更新は行ったもののあえてモントレーにはならずに湘南色のままで使われ、後に横川〜軽井沢間
最後の臨時列車でも運転されている。
最後に残った三鷹車が廃車となった平成19年にJRからは全廃されたが、この車は解体されずに
富士急に売却されて2000系フジサン特急のパーツ取りとなった。
長野にあった2本は97年にしなの鉄道持ちとなり、169系と共に普通や快速で使われたりしていた。
今年169系と共に引退し、引退列車では1本は湘南色 もう1本は修学旅行色を纏って最後の活躍をした。
2本とも保存される予定で、1本は横川の碓氷峠鉄道文化むらにもう1本はJR西日本に売却される予定で
吹田に作られる予定の鉄道博物館に展示される予定である。きぼうまたはこまどり等が付けられると見られる。
165名無し野電車区:2013/06/10(月) 17:50:31.99 ID:KuHajOoN0
E721系1000番台
E721系の転換クロスシートバージョン。

E721系3000番台
E721系の交直両用・三電源対応版。

E721系4000番台
E721系3000番台の転換クロスシートバージョン。

JR東日本E621系電車
E721系の非低床バージョンで出入り口はステップ付き。
(床面高さ1140mmでステップ高さ950mm)

E621系1000番台
E621系の転換クロスシートバージョン。

E621系3000番台
E621系の交直両用・三電源対応版。

E621系4000番台
E621系3000番台の転換クロスシートバージョン。
166名無し野電車区:2013/06/10(月) 17:56:20.88 ID:KuHajOoN0
JR西日本W721系電車
JR東日本E721系電車がベース。床面高さは950mm。0番台はボックス式セミクロスシート、1000番台は転換クロスシート。
北陸地区に投入。
167名無し野電車区:2013/06/10(月) 19:23:43.36 ID:aK7nX1MPO
>>153
井の頭線の1900系は吊掛だったけど、1000系は吊掛じゃなかったでしょ。
168名無し野電車区:2013/06/15(土) 13:36:07.52 ID:yzGjYCC30
117系900番台
国鉄が製造した117系の電機子チョッパ制御試験車。
主電動機にMT60を採用した。
歯車比は4.82であるため120キロ運転可能である。
169.:2013/06/16(日) 10:23:28.81 ID:AIfhln0zO
JR東日本E533系電車:
東北縦貫線開通に伴い、常磐快速線の勝田口の東海道線乗り入れで、E531系の車両不足の懸念から投入。
・筑波大学との産学連携事業による車両設備
・E233系同様の二重化(それに伴いパンタグラフと変圧器・整流器がクハとサハに搭載(クハは連結面1基・サハは2基))
・SUSTINA車体を採用(サロを除く(E231/E531/E233同様))
配属は、勝田車両センター(水カツ)の他、東京総合車両センター(東トウ・田町常駐)、尾久車両センター(東オク)、国府津車両センター(横コツ)、大宮総合車両センター(宮オオ)、小山車両センター(宮ヤマ)、郡山総合車両センター(仙コリ・付属編成のみ)に配属。
大宮・小山・郡山車は熱海・東京・上野〜郡山までの長距離快速・郡山車付属編成は仙石線直通運用に就く。(国府津車・東京車・尾久車は黒磯まで(一部新白河まで)、勝田車は宇都宮線・高崎線に基本的に乗り入れない)
170名無し野電車区:2013/06/16(日) 19:54:39.48 ID:HC7ioSbUO
東武鉄道70000系
60000系を基本に支線ワンマン運転用のタイプと6050系後継の快速用からなる。
基本型 70000系
3両編成で800系等を取り替えるもの。伊勢崎線館林以北 佐野 小泉線等で使用する他に。東上線
グループの越生線にも使われる。伊勢崎方モハ70000形は2パンタとなっている。
70030系
2両編成型で日光線の栃木以北等の他、亀戸線と大師線にも使われ、850系及び8000系を取り替える。
スカイツリーライン本線以外に東上線の小川町〜寄居でも使用する。
70050系
6050系の内の旧6000系グループ取り替えとして投入される。70030系のトイレ付型。
快速用のため、セミクロスシートとなる。
(当初50070系の様にロングとクロスシートとに出来るデュアル式にする計画だったが、快速では実用的でないため見送られた)
この車両投入により、新種別「特別快速」が登場。10時〜16時までの偶数時及び夕夜間の上り
快速が特別快速となる。
特別快速の停車駅は、浅草よりとうきょうスカイツリー 北千住 春日部 東武動物公園 栃木 新鹿沼 下今市 新高徳(14時以降は小佐越) 鬼怒川温泉 新藤原
(会津田島[一部会津高原尾瀬口]・新藤原[一部鬼怒川温泉]行きのみで東武日光行きは設定しない)
1編成のみ野岩鉄道所有車両がある。(会津鉄道は所有しない)
東京メトロ用のCS-ATCを搭載することで夕ラッシュ時にかかる上り快速を浅草ではなく
押上行きにするのではないかと噂されている。
171名無し野電車区:2013/06/17(月) 01:10:52.70 ID:hQ4mSLdf0
京王線の女性専用車両内で起きた事件のスクープ映像
こちらがその瞬間です
http://www.youtube.com/watch?v=7QyHmAe2c-0&list=PLzeFCSP7xRziIIipBhtKgGQ-aCrLXq8Hi

男性のお客様に対して接客精神に欠けた無礼な車掌と
下品な女の暴言をご覧ください
172.:2013/06/17(月) 07:41:24.58 ID:TN3em7P3O
JR東日本E233系3000番台SUSTINA車:
E231系及びE233系3000番台(高崎・国府津(生え抜き・田町車))の湘南新宿ライン及び東北縦貫線へのATACS導入に伴うATACS改造により、E235系に導入予定(山手線・南武線・武蔵野線・横須賀線などに投入予定)のSUSTIMA試作も兼ねる。
E531系については、前述のE533系でATACS対応化済で導入。
ATACS改造工事終了後はE217系国府津車(対象外)廃車。
横須賀線・総武快速線ATACS導入はE235系近郊タイプで置き換えで対応。
173名無し野電車区:2013/06/17(月) 12:48:11.66 ID:HJqyvutJ0
JR東日本 E521系 一般形交直流電車
JR東日本が輸送密度の少ない交直セクション区間の体質改善(架線下DCの置き換えや旧型車の取替えなど)を目的として開発した一般形電車。
東北本線の宇都宮-郡山間や、羽越本線の村上以北などに投入される。

編成は1M1Tの2連。車体はE721系と同一構造のトイレ付き3ドア20m仕様。
クモハE520形はロングシート、クハE521形はセミクロスシートとなっている。セミクロスシート車には防犯対策として監視カメラを設置。
足回りや制御装置などはE721系と共通のものであるが、直流区間向けの装備が追加されている。
174名無し野電車区:2013/06/17(月) 20:05:44.09 ID:9qXs/n7h0
日本国有鉄道 キハ381系

昭和50年に登場した、振り子式特急用気動車
形式からわかるように、381系振り子式特急用電車を基本的に気動車化したようなものである。

長距離輸送が徐々に航空機にシフトしはじめ、国鉄の赤字が増えこそすれ減ることはないとの将来予測により
特に地方幹線の電化工事が相次いで凍結されたため、現行非電化区間の優等列車速達化を促進する方策が国鉄本社で検討された

その結果、大出力エンジンを搭載したキハ181系では急こう配や直線区間では優位であるが地方幹線に多い曲線には耐えられないため
振り子機能をつけて速達化するしかないとの結論に達し、更に設計コストを低減するため新製されたばかりの381系電車の設計を流用することとなった。

本州向けの0番台と、北海道向けの500番台、のちに東北地方向けの1000番台が製造された。
北海道向けには、更にグリーン車の一部に調理機能のついた大型売店を設置した550番台と、先頭車を郵便車化した四国・北海道向けのクユ381が追加された。

キハ82系を置き換え、速達化と居住性向上により、地方幹線を利用する乗客と、余裕のある大出力により遅れ回復が容易になったことで現場サイドからも好評を持って迎えられた。
この時期としては非常に珍しく、労働組合からの反発もなく、この形式についてはすんなりと受け入れられた。

JR化後も各種リニューアルされながら生き残り、平成24年まで使用された。
175名無し野電車区:2013/06/17(月) 23:51:23.22 ID:I1driBAK0
JR四国 four countries

JR四国が製造したクルーズトレイン。
電気式ディーゼル機関車兼電気機関車のユニットが真ん中にある5両編成で客車は
みかん・うどん・すだち・かつお
の4車両から構成されている。
車内は個室と食堂車からなり、四国内では讃岐鉄道以来の食堂車である。
また車両はJR四国・琴電・伊予鉄・土電の4社共同所有としている。
四国の高級ツアーに用いられる。
176名無し野電車区:2013/06/20(木) 14:07:24.58 ID:g6d/Svdg0
国鉄 トキ70000

昭和21年、戦争により酷使され更には戦災などで大量の貨車が動けない状態となっていた
列車本数も限られた中で、大量の滞貨が発生し国民生活は混乱していた。

同時に同じく戦災により焼け落ち無残な姿を晒した電車や客車も大量に留置されており、戦災復旧車として整備されつつあったが
肝心の資材がなく遅々として進んでいない状態であった。

そこで、台枠から下が健在である戦災電車や客車を利用して、大型無蓋車として当面復旧し、不足する資材や滞貨を一掃する目的で作られたのがこの形式である

全国の鉄道工場で改造工事が行われ、全部で100両ほどが昭和21年夏までに出場し、貨物輸送に活躍した
その大容量と、客車列車に併結して旅客列車と同等の速度で走れることから、RTOに目をつけられ、30両ほどが飯上げられてしまったのは誤算であった

戦後の混乱期も終わりつつあった昭和25年頃から、元の電車や客車に戻す予定であったが、その頃には新製客車などが出てきて旅客需要をある程度満足させていたことと、
高速貨車としての需要があったことから、無蓋車からコンテナ車に改造されたり、長物車に改造されたりと貨車として進化していくこととなった。

朝鮮戦争も終結し、米軍貸出の30両も全て返還された昭和30年に、全車輛元トキ7000で組成され、最高速度95キロで走行可能なたコンテナ列車が登場し、日本の高速貨物輸送のパイオニアとなって活躍した

その後紆余曲折を経て長物車に改造されたグループのうち5両がJR貨物に継承され、平成20年まで活躍したのは周知のことであろう。
177名無し野電車区:2013/06/20(木) 14:12:28.84 ID:KURuAh/v0
サハ401-101
モハ403-1がモハ401-26に改造されてモハ400-7とユニットを組むことになったため余ったモハ401-7を電装解除。
MGとCPを増設した。
台車はDT21Tである。
178名無し野電車区:2013/06/20(木) 15:08:31.66 ID:g6d/Svdg0
国鉄 ワキ12000

昭和42年に登場した、高速貨物用有蓋車

フレートライナー用にワキ10000が登場したが、台車がコイルばねなため、精密機械などの壊れ物輸送には不安があった。
そのため、空気ばねを装備したのがこの形式である。

空気ばねを装備したことにより、牽引機からCL管の引き通しが必要となったが、旅客用機関車に限定されてしまうことを防ぐために
小型のディーゼル発電機とCPを装備している。

主要幹線の高速貨で使用されたが、やはりディーゼル発電機の燃料コストがかさむことから昭和50年に全車コイルばねに戻されディーゼル発電機を下ろし
ワキ10000系列に編入され、形式消滅した。
179名無し野電車区:2013/06/22(土) 08:34:06.81 ID:ltGeHbThO
国鉄 ミキ200形
2軸車ミム100形の大型版で昭和24〜36年に270両作られた水運搬車。蒸気機関車用の水だけでなく
官舎の生活用水の輸送にも使われ、非常用給水車としも使われていた。
当時生産されていたタキ3000形を水運搬車にしたもので、ドームはドラム缶型である。
追加で30両がタキ3000形から改造される予定だったが、元々ガソリン等の石油製品を運んだ車に
そのまま飲料水を入れて輸送するのは好ましくないことから見送られた。
蒸気機関車がなくなり機関区がなくなって減っていくものだったが、非常用給水車として
災害時に一度に大量に水を運べる点は大きく、十勝沖地震 新潟地震 日本海中部地震などでも派遣された。
阪神淡路大震災では関東と東北からの車両が梅田貨物 中国 九州の車両が西明石に震災から3日後に
同車22両編成で約1000トンの水を緊急搬送した他、東日本大震災でも大活躍したことが記憶に新しい。
現在北海道25両(内3両は夏期猛暑時の緊急レール散水車用)東日本が30両 西日本が22両 九州が
11両(内1両は桜島噴火時の火山灰対策用)が現役で、飲料水輸送に考慮してステンレス
ライニングをしている車もある。
99系の35トン車ミキ500 35系で37トン車のミキ1000も作られたがどちらも少数のみに終わった。
ミキ10000形
昭和60年に登場したミキ200形後継車。タキ43000形143645をベースとした43系タンク車の水運搬車版。
タンク体はステンレスでこの車には吐出菅からホースに給水車に繋げる以外に蛇口が取り付けられる
ようになったため、駅頭で給水をすることも可能になった。
積算量47トンの能力から新潟県中越地震と東日本大震災でも活躍。
30両全車東日本が保有し、うち4両はSL運転時の水輸送用としても使われている。
180名無し野電車区:2013/06/22(土) 20:49:44.15 ID:D0Hh7DzI0
キコ90・キコ91
1980年に操車作業や地方線区の合理化・輸送改善を目的としてコンテナ列車の動力分散方式を採用した気動貨車で登場
キコ90に運転台とDMH17型機関を2基搭載、キコ91は1基搭載
キコ90二両キコ91二両で1編成を組成

費用節減のため廃車となったキハ10系グループの機関や変速機等を流用
台車はコイルばね式のDT22廃車発生品を流用(当初はキハ10系列のDT19を流用しようとしたが積荷に影響を及ぼすと考えられたため撤回)
長大編成にも適用出来るようブレーキは電磁弁付の自動空気ブレーキを採用

主に山陰本線や函館本線、室蘭本線、根室本線等長距離非電化幹線向けに設計・開発された
最高速度は95km/hとやや低めだが機関車付け替えを要さずデットセクションや非電化区間をノンストップで走行可能なため所要時間は短縮された
またキハ58やキハ20形式と併結可能で混合列車の運転を行い運転要員の削減等合理化も想定された

4両編成20本製作され、山陰ライナーや石狩ライナー、釧路ライナーといった愛称で試行運転
支線乗り入れを想定した駅構内の併結解結作業の実用化試験も行われた

しかし国労・動労等労組からの強大な反発に遭い運行の阻害が大きく本格導入は見送られJRにも引き継がれず1986年廃車
181名無し野電車区:2013/06/23(日) 08:57:24.41 ID:m/oFlqr/O
クモホ144-クモホ145
バラスト運搬用事業用貨車としてホキ800形があるが、バラスト散布現場への移動する牽引には
機関車やモーターカーが必要で、特に電化区間では電気機関車等を用意しなければならなかった。
そこで一部の私鉄に工事用電動貨車をあることを知った国鉄がまず1974年にモハ72-クハ79を
ベースにした試作車クル94-クモル95を製造。運転台部分以外を切り飛ばしてホキ700形の
ホッパー部分をくっ付けたものであった。2両編成2本のみ作られて概ね良好であったが、
量産は101系もしくは111系や153らを用いることになり、1977年より量産された。
配給車クル144-クモル145の荷台部分をホキ800形のホッパーに変えたものである。
但し中央本線などの使用や故障を考慮して両端電動車となっており、PS24パンタを装着している。
2両編成一組が基本であるが、車両間にホキ800形4両まで連結が可能である。
2両編成22本作られ、101系や111系を流用したものが大半である中で7 9 10 12は153系のモハ152
からであるため、台車が空気バネ式となっている。
首都圏と関西の電車区を中心にばらまかれたが、軌道モーターカーに押されて一部数を減らした。
1988年には関西からは消滅したがJR東日本に承継した1〜5 8 12 14〜17は東京車両センターと
豊田車両センターに配備され、首都圏各線の工事用バラスト運搬に使われている。
2010〜11年に主電動機をMT46からMT54に交換されたが、形式は変更されていない。
12は当時田町にいた153系からの改造車で電動貨車になってしまったが貴重な153系の
生き証人として注目されている。
バラスト運搬用だけでなく後方をチキ6000形に似た荷台にジブクレーンを装着したレール運搬用の
クチ144-クモチ145や、クル145系にクレーンを装着してマクラギなども運搬できるようにした
クト144-クモト145もあったが、これらは計画のみで終わった。
182名無し野電車区:2013/06/27(木) 16:06:07.37 ID:hrp10sTZ0
東武6000系電車
かつて東武鉄道に在籍した2ドアセミクロスシート電車。日光線系統の快速・準快速列車を始め、
準快速・快速、臨時列車や団体専用列車・修学旅行専用列車に充当されていた。
1964年(昭和39年)から1966年(昭和41年)にかけて新製されたものである。

快速列車のグレードアップを図るため、国鉄の準急形電車に匹敵する居住性と優等列車用車両に相応しい、
高速性能を兼ね備えた車両として新製・投入されたのが本系列で、日光・鬼怒川方面へ分割・併合運転を行うことから、
本系列は当初モハ6100形(Mc)-クハ6200形(Tc)からなる2両編成で計画されたが、臨時列車や団体専用列車、
修学旅行専用列車にも充当させる為に計画を変更、中間電動車のモハ6000形(M)と中間付随車のサハ5300形(T)を、
新たに設計し、4両編成6本24両、2両編成10本20両が日本車輌製造東京支店およびナニワ工機で新製された。

車体は全鋼製20m級2扉車体で、1963年(昭和38年)に登場した8000系を基本としつつ、優等列車用として、
設計変更を加えたものとなっていて、客用扉は1.000mm幅の片開き扉とし、極力車体両端に寄せて設置された。
扉間には1.130mm幅の側窓が並び、戸袋窓は車端側に設けられており、窓配置はd1D9D1(d:乗務員扉.D:客用扉)である。

前面は8000系で採用された高運転台構造を踏襲しているが、行先表示幕と種別表示幕を前面左右窓上に設置し、
前面上部の造形が丸みを帯びた形状とされた点が異なる。前照灯と標識灯は一つのケースに収められ、
8000系と比較として若干車体中央寄りに設置、通過標識灯は8000系同様、前面上部の屋根部との境界付近に設置された。
中間車は先頭車の乗務員室部分に客窓を設置して客室化したことで、モハ6000形とサハ5300形の連結部は、
窓配置が2D9D1(数字:客窓.D:客用扉)の変則になっていて、クハの車端側とサハの両車端側にはトレイが設置された。
183名無し野電車区:2013/06/27(木) 16:09:31.61 ID:hrp10sTZ0
車内座席配置は、扉間にシートピッチ1.480mmのボックスシートを設置、車端部はロングシートが設置された。
ボックスシートは国鉄153系などの準急形(急行形)電車と比較して20mm広く取られている。
背もたれの腰より上の部分にはクッションがなく、デコラ板張り仕様とされた点が特異であった。
車内カラースキームはベージュ系のデコラに「ラクダ色」と称する金茶色のシートモケットの組み合わせで、
8000系のそれを踏襲している。なお車内にデッキは設けられていない。

その他、本系列は前述のように日光・鬼怒川方面への分割・併合運用に充当されるため、誤乗防止の観点から、
車体側面に東武では初採用となる電動行先表示幕が設置された。車内の貫通路上には「日光線」もしくは、
「鬼怒川線」と表記され、かつ色分けもされた表示板を差し込む枠を併設し、利用客の便宜を図った仕様とされている。
なお、冷房装置は新製当時の鉄道車両の趨勢から搭載されず、全車非冷房仕様で落成している。

主要機器は制御器・抵抗器などの主要機器はモハに搭載、電動発電機 (MG) および電動空気圧縮機 (CP) などの補機は、
クハに搭載する2両ユニット構成で、主電動機は8000系で実績のあるTM-63を搭載、歯車比は5.31で8000系と同じで、
主制御器は電動カム軸式の日立製作所製MMC-HTB-10Dを搭載、最弱界磁率が20%で高速性能は8000系よりも優れ、
停止用および抑速用ブレーキとして発電制動併用電磁直通ブレーキ(HSC-D)を装備、パンタグラフは中間電動車の、
モハはクハとの連結側、先頭電動車のモハは中間付随車側の連結側屋根にそれぞれ1基搭載した。
184名無し野電車区:2013/06/27(木) 16:18:41.80 ID:hrp10sTZ0
1966年(昭和41年)8月までに4両編成6本24両、2両編成10本20両が出揃って運用、従来5700系で運行されていた、
「だいや」「おじか」運用にも同系列と併用され、また浅草 - 日光線方面で数本の準急にも充当されていた。
1980年代に至り、冷房装置を搭載していないことによるサービス上の問題が取り沙汰されるようになったことで、
冷房改造と更新修繕が1984年(昭和59年)10月から1986年(昭和61年)10月にかけて全車に実施され、
車体に補強を入れ、日立製FTUR-375-208A集中冷房装置を搭載、サハに140kVAのMGが搭載され、
ベージュ系のアルミデコラ化粧板はクリーム色に変更、折り畳み式テーブルを設置している。

1986年(昭和61年)に野岩鉄道が開業すると2両編成2本が譲渡され、開業時から予想以上の人気で混雑を解消、
会津鉄道会津線の会津田島電化開業にも2両編成4本が貸し出された。その後も臨時夜行列車や団体列車、
急行運用に入っていたが、2001年(平成13年)3月28日のダイヤ改正で、旧型車の置き換えと運用合理化のため、
廃車が始まり、2005年(平成17年)に形式消滅した。
185.:2013/06/30(日) 04:11:03.90 ID:3kOW0b9RO
>>182-184
東武6050系/6500系:
モハ6100-サハ6000-モハ6300-クハ6200の4連は、
クハ6150-モハ6250-モハ6350-クハ6450に、
モハ6100-クハ6200の2連は6500-6600に更新。
更に完全新造車で6080系と6550系を製造。
うち、6080系1本と6550系2本が634型に改造。
なお、4連は6250に1C8Mの無接点抵抗カムに交換、6380は添加励磁。2連は1C4Mのままだが無接点化、6550系は添加励磁。
MGは6350に140kVAのBLMG/6380は200kVAのSIV。CPは6350がHB-2000/6380がHS-20、6600は75kVAのBLMGにHB-2000、6650が150kVAのSIVにHS-20。
186名無し野電車区:2013/06/30(日) 10:31:59.17 ID:8qFFh2EnO
東武鉄道 モニ7300形
東武鉄道が唯一の事業用及び工事列車用電動貨車として作られたもので、7300系を改造したものである。
昭和57年よりモハ7304 7307 7309 7312 7314 7316の6両が電動貨車化改造され、それぞれ
北春日部(本線) 川越(東上) 七光台(野田)に配置された。
東武はレール輸送用貨車を持っていたものの、旧式で老朽化も進んでいたためにレール専用の貨車を
当時国鉄チキ6000形を基本にした自社所有車チキ100形として12両が新造され、ホキ800形を基本と
したホキ1形も追加製造されている。
電車使用の電動貨車としたことで電気機関車の牽引する必要がなくなったため、工事用列車の合理化が図られた。
なお北春日部の車両は日光線の新栃木及び宇都宮線全線と伊勢崎線の伊勢崎までで、野田線の
春日部〜大宮でも使われ、ここでは野田線のみの七光台配置車と共通で使われる。
なお主電動機 台車は後に7800系のものに交換された。
また亀戸線での作業ではあらかじめ終電前に北千住の留置線に置いておき、上り及び亀戸線終電後に
曳舟より入って作業後は業平橋の留置線に置いておくなども行われている。
必ず貨車の両端に挟み込む形で連結して運用。
本線の連続立体化や野田線の複線化や鎌ヶ谷駅高架化など各種工事列車用として使われ、営業貨物列車が
廃止された後も唯一の貨物列車でもあった。
しかし元63系である故に老朽化も激しく、2006年に東上線用が軌道モーターカーされて廃車となり、
複線化などが一段落した野田線用も2011年に廃車された。廃車の際に出たレール及びバラスト輸送
貨車が上信電鉄と上毛電気鉄道と真岡鐵道等に譲渡された。
本線も都内及び北越谷以南からはモーターカー化で撤退され、主に東武動物公園以北で使われたが、
2012年に電動貨車運用に終止符を打たれることになる。
187名無し野電車区:2013/07/01(月) NY:AN:NY.AN ID:SgfbymG10
札幌市交通局 セ100

昭和22年に、市内の暖房用石炭配送用に作られた、ホッパー型石炭輸送路面電車

当時、秋口になると各家庭や職場などは冬場の暖房用石炭を大量に購入していた。
その際、燃料店から馬車で輸送していたが、人口の増加により頻度が高くなり馬糞公害が深刻になりはじめていた。
そのため、市民の衛生上良くないとの市衛生局からの勧告を受けて、市電で幹線輸送し、末端部分のみ馬車で輸送する体制を構築することとなった。

国鉄苗穂駅に石炭積込用の市電の引き込み線が作られ、市内拠点に石炭貯蔵庫を作り、市電が輸送する体制になった。
また、都心部の大口顧客のために引き込み線を作り輸送も実施した。
特に、真駒内に進駐した米軍駐屯地へは、ボイラー燃料用に通年で運行されるようになった。

以降、長らく石炭輸送に威力を発揮したが、高度経済成長期になると徐々に石油ストーブにとって代わられ、大口顧客も重油ボイラーなどに変更され
大量の石炭輸送の必要性がなくなり、昭和42年にその使命を終えた。

しかしながら、大口顧客から石油輸送の要望が強くなったため、その輸送システムそのものはセ100型を改造したタ100型タンク市電に引き継がれ
市電網が衰退した昭和40年代後半まで続くととなった。
188番外編:2013/07/01(月) NY:AN:NY.AN ID:rAI/OwZk0
関鉄航空 A380
関東鉄道傘下の航空事業者「関鉄航空」が成田-新千歳・関空の路線に投入したA380形機。

関鉄航空は航空事業の規制緩和を受け、関東鉄道とその親会社の京成電鉄、さらに東武鉄道の出資により設立された新規参入事業者である。
当初はA320形機10機体制(内2機は予備機体)で、成田空港をハブ空港として東北地区及び新潟空港・関西国際空港・新千歳空港方面への路線を運航する形でスタートした。
しかし企業体力の面で先行する大手2社との競争が厳しくなることを予想し、
機内サービスを徹底的に簡素化する(機内でのサービスらしいものといえば毛布貸出程度であり、機内販売すら実施しない)ことにより運営コストを引き下げるという、スカイマークに似た運営方法を取ることとした。
ただ、この事が『低コストで運用できる≒運賃を引き下げることができる』という副次的な効果をもたらし、普通運賃で大手の半額程度に抑えることができたため、スカイマークと共に今で言う(国内での)LCCの草分けとして受け入れられていった。
運賃の安さを売りとし、「空の高速バス」というキャッチコピーなどで利用者を増やしていった(割引運賃によっては、大手どころか新幹線よりも若干安くなることもあった)関鉄航空であったが、ここで新たな問題が発生した。
小型機の部類に入るA320では収容力が限界に達していたのである。
A320は小回りが利き、またランニングコストも大型機と比べれば安上がりになるが、収容力の面では東京(成田)-大阪(関空)・新千歳線という大動脈には関鉄航空の運航する本数からすれば荷が重すぎた。
(発着枠の隙間を埋めるような形で運航しているためか、どちらの路線も一日6往復程度しか運航していない)
このため、収容力の問題を一挙に解決する手段として、エアバス社が開発した超大型旅客機・A380形機の導入を決定した。
189名無し野電車区:2013/07/01(月) NY:AN:NY.AN ID:rAI/OwZk0
A380の導入の経緯としては、B747-8やB777の場合は操縦桿がサイドスティックから操縦輪方式になるためパイロットの訓練に時間を要することが懸念されたことの他に、
日本では珍しくまた「久方ぶりに登場した4発の超大型機」自体のインパクトによる集客効果を狙ったものと言われている。
費用に関しては、双発機と比べて燃費の面で不利であることに加え、超大型機故のランニングコストの増加が懸念されたものの、
元から有り余る需要のあるこれらの路線に於いてはそれらも十分すぎるほど相殺が可能であり、
何より先述の通り「A380自体のインパクト」による集客を取ったとされている。
予備機を含めて合計4機の導入を行なっている。
機体はカナックカラーで塗装され、胴体尾部にK▼SEI GROUPのロゴが入っている。また垂直尾翼には筑波山を図案化したCIが描かれている。
4機にはそれぞれ「つくば」「みと」「かすみがうら」「ひたち」の名称が与えられた。
座席は2クラス制であるが、上級クラスはJALでいう「クラスJ」のような、いわゆるスーパーシートとなっている。
座席数は2クラス合わせて800席程度となっており、全二階建てのA380の収容力を遺憾なく発揮している。
エンジンはロールスロイス・トレントエンジンを選択している。
離陸時の滑走に約3000mを要する機体であるが、就航する空港を成田・関空・新千歳と、滑走路距離に余裕のある空港に限定したため問題なく運用が可能となっている。

尚、この機体は「全二階建ての超大型機」という点で、かつて関東鉄道バスが運行していたネオプラン社製超大型バス「メガライナー」を彷彿とさせることから、「エア・メガライナー」の愛称を与えられている。
190名無し野電車区:2013/07/07(日) NY:AN:NY.AN ID:cF6UD8x/O
東武鉄道30030系
平成16年より投入された30000系の改良型である。また東武鉄道としては最後のステンレス車でもある。
30000系の相違点としては
地上線専用を前提としないために10両編成貫通とした
車体構造がE231系に基本としたものとなり、軽量ステンレス化
それに伴いVVVF装置 SIV 台車が変更
初めから急行灯がない
行先表示器のLEDは従来型の幅に戻された
などである。なおVVVF装置 SIV 台車は改良の上50050系投入に生かされている。
当初31031〜31038Fまでの10両編成8本を配備して既存の30000系を地上線専用にする計画だったが、
翌年になり後継車両の50050系を投入する方針に切り替えられ、10両編成8本の予定だった生産は
4編成の生産で打ち切られ、残りは50050系の生産に充てられた。
全編成が北春日部配置であったが、2012年より順次東上線に転属を開始。2013年に31034Fが
森林公園へ移動によって本線から姿を消した。
玉突きで8両編成車の10000系2本と6両編成の10030系1本が捻出され、それぞれ6連化の上で
野田線に転用された。
野田線には既に10050系が入っているが、東上線より捻出された10000系もリニューアル後は
野田線でも使用される予定。
191名無し野電車区:2013/07/10(水) NY:AN:NY.AN ID:Yt4k18vq0
国鉄 クイ151 モイハ150

昭和33年に登場した151系は、その後客車特急「つばめ」「はと」などにも投入され、好評を博したが、政財界の重鎮や有名芸能人などがパーラーカーに乗り合わせる機会が多い「つばめ」では、談話室の設置が要望されるようになった。

「走る社交場」としての機能を充実すべく登場したのが、この形式である。

クイ151:パーラーカークロ151をベースに、コンパートメントを2部屋に増やし、給仕室を廃止して定員16名の座席を確保した。
モイハ150:電子レンジ等簡単な調理機能を付加した大型給仕室と、半室をソファを配置した一等客用のフリースペースにした一等車
        半室は定員20名の三等客席となっている。
        なお、この三等座席は一等指定券と同時購入が条件となっており、一等車に乗車する人の随行者用の使用を想定している。

東海道新幹線開業まで、華やかな走る社交場として活躍したが、その後は山陽本線に転身、利用率の悪さから最終的に全車普通車に改造されていった。

モハイ150から改造されたモハ180−300は、最後まで簡易調理室を装備し、食堂車不連結の「とき」で、充実した車内販売基地として活躍したのは周知のことであろう。
192名無し野電車区:2013/07/11(木) NY:AN:NY.AN ID:VmwdiwMW0
203系1000・1100番台
国鉄が製造した203系の営団地下鉄東西線乗り入れ仕様。
ATC機器が0番台と異なるため運転台背後の機器室が無くなり、クハの客室が若干広がった。
更に100km/hからの回生ブレーキに対応するため制御パターンが変更された(201系と同様に40%弱め界磁で回生ブレーキを行うようになった)。
1100番台は100番台ベースのボルスタレス台車である。
E231系800番台に置き換え後も生き残ったが、E233系投入であっさり廃車されてしまった。

203系2100番台
国鉄が製造した203系の福岡市交通局乗り入れ仕様。
6両編成である。
やはりATC機器室が廃止されクハの客室が広がっている。
筑肥線での回生ブレーキ失効対策で発電ブレーキが増設されている(最初手動切り替え方式で姪浜駅以東で回生ブレーキ、以西で発電ブレーキという仕様だったが後に全区間回生ブレーキに改められた)。
デビューしたのが1985年と遅く100番台ベースしかない。
当初からATOを装備しており、その関係で電磁直通ブレーキと電気指令式ブレーキの2系統を装備するという重装備仕様になっている。
JR九州移行後も製造が続いた。
193名無し野電車区:2013/07/13(土) NY:AN:NY.AN ID:/tfY8snTO
207系910 920番台
筑肥線向けに103系1500番台に代わる車両として試験的に作られた207系900番台で6両編成2本作られた。
900番台とほぼ同じだが、VVVF装置が日立ではなく910番台は三菱電機製で920番台は東洋電機製となっている。
(910番台は小田急1000形等 920番台は東急1000系 京成AE100系らと同じ)
初めからATO運転にも対応し、ワンマン運転にも対応可能であった。
2012年に1500番台置き換えで東日本より売却された900番台車が松戸より編入され、900番台車全車両集結した。
帯色は青帯である。
2012年より機器更新により、303系のVVVF装置 主電動機 SIVに更新された。
194名無し野電車区:2013/07/15(月) NY:AN:NY.AN ID:339Nr0rt0
JR東海 L900系
リニア中央新幹線の浮上式検測用機器として開発された。
外観はUFOのような全長で僅か約2mの平べったい円盤状のもので全面が黒くなっている。
軌道内を最高時速500km/hでの移動が可能で人工知能を搭載し、指令所と人間との会話もできる。
195名無し野電車区:2013/07/15(月) NY:AN:NY.AN ID:Q4S3LUfS0
JR北海道 カクニ24 オクハネ25

小樽周りの臨時寝台特急「シュプールニセコ」が好評だったため、「北斗星ニセコ」として通年運転することとなった。
その際、札幌運転所と札幌駅間の回送のため機関車がプッシュプルとなり、乗務員を2名運用する無駄を防ぐため、機関車は重連総括可能なように先頭にまとめて連結し、
回送用の運転台を客車側に設けることとなった。

それぞれ車掌室内に運転装置を設け、ATS車上子と台車に速度検知装置を装着し前照灯を設置した。

制御装置はDD51用であるので、尾久からの回送は今まで通りの推進回送となっている。
また、この装置を使用することにより終点での機回しが不要となる利点を生かし、根室行の「北斗星まりも」にも充当された。

青函トンネル新幹線工事のための北斗星大減便により、「北斗星ニセコ」号も廃止されたが、装置の撤去は行われず現在でも定期「北斗星」に充当されているので、上野駅なので見かけたことがある人はこのスレの住人にも多いだろう。
196名無し野電車区:2013/07/16(火) NY:AN:NY.AN ID:9VitC/Je0
都営10-500形
東京都交通局が開発したE233系ベースの新型車両。
8両編成と10両編成がある。
モーター出力が140KWに向上したため8両編成は4M4Tになっている。
ドア窓はE233系のように角張っている。
197名無し野電車区:2013/07/18(木) NY:AN:NY.AN ID:FZS4LVhb0
>>196
何かどっかの擦れでヨ233-2kの都電ゲージ版が出たとか。
198名無し野電車区:2013/07/18(木) NY:AN:NY.AN ID:3ndubnRD0
京阪900系
京津線活性化のため京阪本線四条駅〜京都市営地下鉄東西線東山駅間に連絡線を建設して復活した京阪本線・京津線乗入用車両。
2両×2の4両編成・2ドアで、浜大津で石山・坂本両方向に分離されて運転する。
車内設備は2+1の回転リクライニングシートとセミコンパートメントである。
淀屋橋〜石山寺・坂本を最高時速120kmで運転する。
定員が少ないためか京阪初の座席指定列車で、経費節減のためインターネットでのみ予約可能である。
199名無し野電車区:2013/07/20(土) NY:AN:NY.AN ID:yhdbtecC0
国鉄715系・419系(史実と異なる)

国鉄末期、かの有名な座席寝台兼用車両581・583系が
新幹線開業などの影響で、大量に余剰となった。

この再活用を検討した結果、近郊型への改造案が提案されたが、
ドア幅が狭く、ラッシュ時の運用に難あり、などの理由で
中止され、583系のうち経年の若い車両は、地方幹線の夜行急行や昼行特急
置き換え用に充当された。
その一方で、481・483系など高齢の特急車両を車体更新して
近郊型車両を製造することとなった。
製造コスト削減と、ラッシュ対応のため、戸袋窓のない1.4mドア2箇所で、
クモユニ74に似た切妻型の正面という、国鉄では珍しいスタイルとなった。
クーラーや座席も153系や101系から流用で、さらなるコスト低減が図られた。

しかしながら、それでももともとの581・583系改造案よりもコストが上昇したため、
ローカル列車のEC化も縮小を余儀なくされ、夜行急行の583系化で捻出された
12系をラッシュ時専用車として転用のうえ補われた
(一部は50系ともども、機回しの手間を減らすため制御客車に改造された)。

JR化後は、仙台地区の715系1000番代は、客車ともども90年代半ばには廃車されたが、
九州地区の715系0番代は2000年まで残り、北陸地区の419系にいたっては、
2010年代の現在でも現役である。
200名無し野電車区:2013/07/20(土) NY:AN:NY.AN ID:+GjVg24SO
JR北海道501系客車
相次ぐ気動車・電車特急の不具合に対処するためにJR北海道が開発した特急用客車で、電源車を独立し乗客の安全に寄与いきたいという思惑もある。

牽引方法はDF200とDD51のプッシュプル運転で前者は高速対応である。

・オハ・オハフ・スハ
耐寒構造の上、汎用的な回転式クロスシートを設けている
トイレはバリアフリー対応で授乳設備、交換台も設けており、別に洗面台も載せている。
照明は本州の基準に白と寒々しさはあるが申し分ない設備である。

スハは二階建て客車で観光用に配備している。普段には利用はしない。

・オロ・スロ
オロはグリーン車で各自パソコンでの作業や携帯電話の充電に対応するためコンセントが用意されている。
照明は本州に習い橙色に設定。
シートピッチは新幹線並みとかなりゆったりしている。

また、グリーン車も一般車同様に二階建て客車も存在し、こちらも観光用に使われる。

・カニ
電源車は大容量の発電エンジンを装備し、故障や異常を細かくチェックする機能を備える。

これにより、個性を失うという事態に陥ったが安全な運行に寄与し信頼を回復することが出来た。
しかし、電車特急のスーパー白鳥は機回しを要することや、スーパーカムイは新千歳空港行きのuシートを備える為、あまり意味が無かったが、
現在、キハ183・261・281・283を置き換えて活躍中。
201名無し野電車区:2013/07/21(日) NY:AN:NY.AN ID:ek+EuV7/0
スウェーデンに新高速鉄道を1676mm軌間で建設する。
(当初は2140mm軌間の案もあった。また在来路線は引き続き1435mm軌間のままである。)
202名無し野電車区:2013/07/21(日) NY:AN:NY.AN ID:ek+EuV7/0
フランスの在来線で車両限界をSE-C限界にまで拡張する工事を実施。
これにより日本のフル規格新幹線とほぼ同じ車体断面の車両をフランスに投入する。
203名無し野電車区:2013/07/22(月) NY:AN:NY.AN ID:rUmBEQni0
新幹線200系 サハリン転用改造車
サハリンの鉄道の1520mmへの改軌に伴い、JR東日本で廃車になった200系新幹線電車を1520mm軌間仕様に改造した。
同時に低床ホーム用ステップも取り付けられた。
サハリンの鉄道では、1520mm軌間への改軌と同時に交流25kV50Hzでの電化も施工された。
204名無し野電車区:2013/07/24(水) NY:AN:NY.AN ID:VP828zzp0
キハ187系2000番台
JR西日本が開発したキハ187系のマイナーチェンジ仕様。
トンネル微気圧波対策で先頭部が角が丸くなった。
205名無し野電車区:2013/07/26(金) NY:AN:NY.AN ID:2GukAPhG0
国鉄 新御料2号

昭和50年、山陽新幹線博多開業に伴い、新幹線用の御料車を製造した。
新幹線初の付随車で、4両の0系に挟まれた5両編成のお召し編成で運用することを想定された。

JR化後はJR東海に継承され、100系、300系、700系との併結が可能なように改造されていき、最高速度も300キロ対応となっている。
東北上越新幹線東京開業時に、JR東日本との協定により相互使用が可能なように改造され、直通運転はしないものの、品川方に非電化の渡り線をつけて
ディーゼル機関車により相互に回送できるようになっている。

平成22年に、JR東日本側でE5系対応に合わせて新御料3号が製造され、引退した。

現在浜松工場の特別車庫に保管され、リニア館での展示が検討されているらしい。
206名無し野電車区:2013/07/27(土) NY:AN:NY.AN ID:KlEwaWr60
JR東日本E531系お召し列車仕様
皇室から「普通の電車で移動したい」との要望があり製造された。
普段は他のE531系に混じって運用されている。
皇族乗車時には窓ガラスの防弾ガラスへの交換が容易にできる仕様となっている。
またテロ対策での点検が容易なような対策も施されているが詳細は不明。
207名無し野電車区:2013/08/02(金) NY:AN:NY.AN ID:OTb1C77h0
キハ53-2000番台
キハ58運用の単行化と老朽化が進んだキハ52-0・100番台前期車の取り換えを目的として
昭和57年からキハ58の台枠・機関を流用し、キハ47を両運転台にしたような車体を新製して改造された。
新形式にする案もあったが、近郊型であり、キハ56・58車体流用車もキハ53としたことからキハ53の番台となった。
熊本、米子、長野、盛岡の各局に配置された。
シートピッチを改善した関係で4人掛けクロスシートが8組とキハ52に比べても
半分近く減少し、さらに定員増に伴いキハ58型2両編成から53型単行に変更した線区もあったため
座席定員が減少し、利用客の評判は必ずしもよくなかった。
208名無し野電車区:2013/08/03(土) NY:AN:NY.AN ID:0wYGRZsJ0
国鉄 北海道総局 キロ52

昭和48年、道内短編成急行用に登場した両運転台式急行用グリーン車
キロ26に、キハ56・27の運転台を両端につけたような構造となっており、1エンド側ドア内側に便所・洗面所、2エンド側ドア内側に乗務員室が設置されているため、
定員はわずか28名である。

札幌圏では急行らいでん、えりも、道東圏ではノサップ、しれとこに投入された。
夏季臨では急行大平原などにも投入されるなど、両運転台による弾力的な運用を生かしていた。

しかしながら、循環急行「いぶり」に一時的に投入され、胆振線内グリーン車単独運転という凶悪な運用には地元道新にも叩かれるという暗黒史もある。
また、全検の関係でキハ22の代わりに普通車扱いで投入されることもあり、その場合は乗客に歓迎されたが座席定員が少ないため座れない乗客も出るなど、痛し痒しの側面もあった。

国鉄末期に急行大幅削減のあおりを受けて普通車に格下げされたが、車内設備はそのままだったので乗り得車輛となった。
JR化後はキハ400系使用の急行ちとせに使われ、ちとせ廃止後はワンマン化改造を受けて室蘭本線苫小牧以南で普通列車として活躍し、平成20年に廃車となった。
209名無し野電車区:2013/08/03(土) NY:AN:NY.AN ID:A7MBsCbxO
キハ56-2000
キハ64
キロ56
キロ26-2000
昭和49年に投入された急行「ニセコ」用キハ56系である。
キハ27はなく、増結用に通常用を使う前提でキハ64はキハ65の北海道型で
DML30MF搭載550馬力に強化された。
キロ56は北海道型キロ58で、新製車以外に中央線用だったキロ58と横軽用キハ57からの
改造車も各2両ある。
給電機関を搭載したキロ27とのセットで冷房車はこのグリーン車2両のみ。
他はAU13E冷房準備のみで冷房はない。(但しキハ64形には給電機関搭載済)
6〜9両編成で当時蒸気機関車牽引の急行「ニセコ」を置き換えたが、C62牽引から
これに置き換えられた列車はとにかく目の敵にされたのは言うまでもない。
軽々と山線を乗り越えられてしまう列車の登場で、これまでC62牽引の「ニセコ」の
一部が長万部から平坦な室蘭 千歳線経由にされて愛称も急行北海に変えられる
屈辱を味わうことになった。
(但し重連にする必要がなくなり、逆にC62形を生き延びさせることになった)
特急化によりキハ82形やキハ183形が入っても孤軍奮闘し、JR北海道に
承継されてさらに平成2年まで特急「北斗」らを補完する列車として急行「ニセコ」が
運転されることなる。
一部がキハ54形の種車にされた以外はさらに道東や道北の急行に活路を見いだし、
急行「まりも」「礼文」「宗谷」の他に石北線の特快「きたみ」にも使われた。
「まりも」は特急化されるまでその大馬力を生かして石勝線を使わず、あえて滝川からの
根室本線経由を使い通し、急行「狩勝」にすべきだと言う声もあったと言われる。
平成6年にほとんどが札沼線用キハ146-キハ156形の種車に改造された。
やはり大馬力を生かして新十津川の末端部にも乗り入れたり留萌線で使われた。
札沼線電化により全車両を置き換えることに決定され、解体されずにミャンマーに
送られた他に4両がJR東日本に譲渡され、SL列車用客車に改造されている。
苗穂にまだ数両残っており、これらは水島臨海鉄道といすみ鉄道に譲渡される予定。
いすみ鉄道では元のキハ56-キハ64形に復元するプロジェクトを計画している
らしく、同社のキハ58形との連結が実現し、より急行らしくなるだろう。
210名無し野電車区:2013/08/03(土) NY:AN:NY.AN ID:Vb/wpySb0
スハフ52・オハ50 1000番台
レッドトレインことオハ50・オハフ50は好評をもって迎えられたが、
暖地では冷房がないため、幹線系の113-2000や115-1000に比べられ乗客の不満は無いわけではなかった。
そこで客車冷房化のために姫路、福知山、和歌山、亀山に配置されたのがこれらの車両。
冷房電源のための発電機がつけられたためハフはオ級からス級になったため新形式となった。
スハフ52の電源で供給できる電力はオハ501両分のため効率化のためには編成を偶数にしなければならずやや柔軟性に欠けていた。
しかし動力分散化の荒波にのまれAU13を103系・115系冷房化に供出したほか、
廃車発生品の発電機は工場や病院に売却され第二の人生を送ることになり、悲劇の客車とも言われた。
211名無し野電車区:2013/08/06(火) NY:AN:NY.AN ID:VkyOByUrO
JR東日本 E791系特急電車
JR法改正により、JR九州の株式上場に加えてJR北海道がJR東日本との救済合併を容認した。
これによって、特急が走る石勝線、石北本線の電化が決定されたと同時に特急電車の導入を決めた。

E259系やJR北海道時代の789系をベースとし、極寒地に対応した作りになっており、
0番台のスーパーとかち用や1000番台のスーパーおおぞら用はいずれも2M3Tの5両編成で運用される。
車内は暖かい内装になっているが、照明はJR東日本の新幹線車両に倣い、普通車は白、グリーン車は橙になっている。

お手洗いはバリアフリー対応で授乳設備を設けている。

201x年、この決断が正しかったのか北海道の鉄道の安全を取り戻すことが出来、
現在では網走行きのオホーツクや稚内行きのスーパー宗谷の車両を開発中であるが、一般用は依然として電化されていない。
212名無し野電車区:2013/08/13(火) NY:AN:NY.AN ID:s0lNoNfK0
阪神 jet car
鉄道輸送の高速化を行うため、ジェットカーの車体にジェットエンジンを載せた試験車両。
川崎重工の協力の元、北海道に設けられた試験線で最高時速763kmと平均加速度20kmの世界記録を出した。
試験終了後は甲子園球場横に展示されている。
213名無し野電車区:2013/08/16(金) NY:AN:NY.AN ID:ONsAFZaA0
171系直流式急行形電車
老朽化した153系の置き換わりとして1981年から東海道線東京口に投入された。
従来の急行形のボックスシートから転換クロスシートへとグレードアップしたが、
同時期関西に投入されていた117系とはデッキの有る無ししか違いが無い為、
主に関西信者、KQ信者などからは急行料金のボッタくりだという批判も一部にあった。
しかし老朽化した153系の置き換えとして大半の利用者からは概ね好意的に評価された。
*実はこの新車を以って国鉄首脳部は特急格上げを企んでいたという。
214名無し野電車区:2013/08/16(金) NY:AN:NY.AN ID:dCKAEINR0
JR貨物/東日本フェリー 高速青函連絡船 なっちゃんIsikari なっちゃんHiyama

2015年の北海道新幹線函館開業に伴い、速度差のある在来線列車の昼間運行が禁止され、JR貨物が救済策として高速フェリーによる列車輸送を復活させた

東日本フェリーに運行を委託し、同社が持っている高速フェリーを改造し登場したのがこの形式である。
名称は、かつての貨物用連絡船「石狩」と「桧山」からとった。

アントとATOを組み合わせた自動入替システムを導入し、積込/積み下ろしをそれぞれ約30分で行えるようにしている。

荒天で運休したときには、夜間まで待ってトンネルを走行するため、そのための予定臨のスジが組まれている。
215名無し野電車区:2013/08/16(金) NY:AN:NY.AN ID:pUCV3n55O
JR貨物 M300系
北海道新幹線開業に伴い、青函トンネル内の高速運転用としてJR貨物が苦肉の案
として開発した。E6系投入に伴い捻出される秋田新幹線用E3系をJR東日本より
買い上げた上で機関車貨車牽引式の貨物電車に改造した。
前後の1号車と6号車を機関車とし、ブレーキ系を新幹線同様として230Km/h運転にも
対応した貨車のT300形貨車を4両ずつ挟み、3号車と4号車の中間機関車を挟んで
さらに4両連結の計16両編成である。
T300形はコキ107を基本に新幹線規格に車体を伸ばすなどし、荷重52トンで
12フィートコンテナ6個(20フィート3個 30フィート2個 ISO海上用1個)積載する。
コンテナ積載後にトップリフターでカバーを被せるのが特徴。
7編成作られて青森タ〜五稜郭間でシャトル運行し、双方それぞれ在来線用
列車に積み替えるが、将来的には東京タ〜五稜郭の運転に考慮した交直両用
(直流1500V交流20KV及び25KV50Hz)式に初めから設計されている。
現在暫定的に180Km/h運転で行っているが、最終的には220Km/hでの運転を予定。
スイスより購入するRe460ベースのED850型牽引によるT300形の貨車仕様である
コキ300型使用の180Km/h超高速貨物列車との二段構えで青函の貨物列車にあたる。
コキ300形にはフリーゲージトレインの技術が導入される予定で、津軽今別付近
と木古内付近に走行時に変換させる軌間変換装置を設ける。その関係で津軽海峡線及び
江差線の一部は3線式となる。
216名無し野電車区:2013/08/17(土) NY:AN:NY.AN ID:Bks8D3Vs0
キハ35形5000番台
JR東海で武豊線の輸送改善用にキハ35を出力増強改造したもの。
カミンズ製のエンジンに交換し、変速機も取り替えた。
最高速度が100km/hに向上した。
高速性能を活かしF1臨時列車などにも充当された。
217名無し野電車区:2013/08/18(日) NY:AN:NY.AN ID:+xSS9J5fO
キハ41 キハ42-キハ44-キハ43
キハ47を基本にキハ35系に代わる車両として昭和56年に作られたもの。
キハ47を基本にドア位置をキハ30系に合わせたことでキハ35系が残る
川越線と八高線と相模線に投入して置き換え、近代化を図る計画だった。
非冷房車であったが、キハ66-67形同様の冷房取付準備をしており、サブ
エンジンも予め搭載していた。
両運転台トイレなしのキハ41 片運転台偶数方トイレありのキハ42と奇数方トイレなしのキハ43と
その間に入る運転台なし中間車キハ44からなる。当初機関なしのキサハ44として
計画されたが、機関なし付随車を入れると八高線の勾配区間での登坂性に
疑問視されたため、機関付に変更された。
手始めに川越線と相模線に配備される計画だったが、川越線は電化されること
になって取り止められ、相模線向けでキハ41形3本キハ42-キハ44-キハ43の
3両編成3本が配備された。
しかし製造コストが高くキハ35形を車体を作り替えたキハ38形の方が安上がりで
あったことから、八高線に入る予定だったキハ41形11本とキハ42-キハ44-キハ43の
3両編成7本の配備計画はキハ41形とキハ42-キハ44-キハ43の3両編成各3編成で
取り止め、このまま製造も打ち切られた。(キハ41の久留里線向けも取り止め)
218名無し野電車区:2013/08/18(日) NY:AN:NY.AN ID:+xSS9J5fO
続き
相模線では電化されるまで主力として活躍し、キハ35系が新塗装になっても
この形式は八高線への転用を考慮して新塗装にはせず、最後まで首都圏色を通した。
相模線電化により全車両が八高線に集結。しかし機関出力が弱く、金子坂が
機関が喘ぐだけで全く登れないなど弱点を露呈し、専ら高麗川または小川町〜高崎間
で使われて全線通しや八王子〜高麗川までは基本的にキハ35系を使うなど
八王子〜高麗川が電化される前から分断状態を余儀なくされた。
結局八王子〜高麗川間電化と高麗川以北キハ110系化により、真っ先に置き換え対象となった。
キハ41形はそのままで、キハ42-キハ44-キハ43は中間のキハ44を抜き取り
2連化の上全て羽越線向けに新津に送られた。なお暖地用2000番台仕様で
あったために新潟鉄工所にて1500番台に準じた寒地化改造を施されて原車号+1500に変更された。
なお東日本大震災に伴い、一部車両は仙石線救援に廻されている。
中間車キハ44は全車両がリゾートしらかみに改造され、形式消滅した。
なお高麗川以北の3ドア車両の功績は高く、今年度から14年3月改正までで
キハ110系からキハE130系へ取り替えが決定され、捻出車は只見線向けの他に
キハ110形9両を小湊鐵道へ無償譲渡し、1両は関東鉄道が有力視されている。
関東鉄道は先にトラックと激突して大破したキハ5000形を事故代替するのではないかと見られる。
219名無し野電車区:2013/08/18(日) NY:AN:NY.AN ID:HGVuYbBP0
関東鉄道キハ910
通勤客が激増した関東鉄道でより安価な通勤車を求めて国鉄モハ72・クモハ73を購入し、ディーゼル発電機を取り付けて2、3両編成の電気式ディーゼルカーに改造した。
元モハ72にはキハ900類似の運転台が取り付けられている。
輸送力強化には威力を発揮し、最終的には40両が導入された。
老朽化により1985〜90年に廃車された。
220anorak?:2013/08/18(日) NY:AN:NY.AN ID:g2wFIU+O0
>>96に続く平行世界もの
◎JR東日本E219系電車
1997年 碓氷峠自走
○国鉄が破産寸前の1980年代に東北上越新幹線が開業したが、それらの利益が高金利の建設債務と並行在来線の赤字で
相殺されて経営改善には貢献しなかった、という教訓から、整備新幹線の建設には、一に財源には公的無償資金援助、
二に並行在来線の廃線等の経営分離の自由が認められた。
北陸新幹線高崎・長野区間着工当初、並行在来線である信越本線横川・篠ノ井区間は経営分離されるはずだったが、
紆余曲折を経て、結局、上下分離方式で以てJR東日本が第二種鉄道事業者として運営を継続する事になって、
97年10月の長野新幹線開業時に横川・篠ノ井間が新しいJRの地方交通線として信越本線から分離した。
当路線の合理化目的で軽井沢・横川間の最急勾配66.7‰の碓氷峠を自走可能な電車E219系を新造投入。
車種と編成は、軽井沢←クハE219(Tc)サハE218(T')クモハE218(M'c)クモハE219(Mc)→横川、
需要に応じて二両から八両まで、ローカル運用は原則M'cMc、東京圏発着の臨時快速運用にはT車組み込みの最大八両。
本系列は、同時期の209/E217/E127/701/E501系と共通項は多いが、JR東日本版のズームカー故の特有な仕様は次の通り。
走行システムは、1C2M方式のGTO素子VVVFインバータ制御で、ジーメンス製でE501系と同様に発車時の磁励音の不快感を
和らげる為にドレミファソラシドと奏でる。主電動機は公称120KWで過負荷使用を前提とし耐熱性を強化。
ブレーキは、碓氷峠区間の下り急勾配の抑速強化目的に変電所に回生電力吸収装置設置の上で回生ブレーキを本格採用。
M車は回生と発電併用で、屋根に発電ブレーキ用抵抗、T車には渦電流式ディスクブレーキ、
全車に非常用の渦電流式レールブレーキも。
特に停電時に急勾配で停車状態を維持する為の各種ブレーキへの非常電源となる大容量の蓄電池を搭載。
横軽対策としての空気バネパンクはT車のみ。
意匠は、701/E127をE217並の裾絞りの有る広幅断面車体にし、M車は両開き三扉、T車は両開き二扉。
接客設備は、M車はセミクロスシート、T車は転換クロスシート、M'cとTcの後位に車椅子対応の洋式トイレ、半自動ドア。
97年10月に本系列は碓氷峠越え運用に就役開始。
2010年以後、制御装置等の機器の更新工事が施工された。
221名無し野電車区:2013/08/18(日) NY:AN:NY.AN ID:T20zoJpH0
東京地下鉄18000系
田園都市線・半蔵門線の混雑緩和のために製造。
15000系をベースとし、15000系と同じく、オールワイドドアとなっているが、車体幅は2780mmとし田園都市線・半蔵門線の規格に合わせてある。
本系列の投入による廃車は無いが、東急車運用の一部をメトロ運用に移管したため、事実上8500系の一部を置き換えた(代わりに、東横線系統で土休日に東急車による有楽町線運用が新設され精算されるようになった)。
222.:2013/08/25(日) NY:AN:NY.AN ID:AybCvTEwO
東京都交通局10-300R'形:
10-300Rの老朽化中間車寄せ集めの淘汰と10両化で中間車8両・計480両を製造。
走行機器は10-490F以降と同じだがTIMS非対応の為、従来型モニタ装置。(後に京王重機で改造)
10-310Fについては中間8両共にSUSTINA試作編成。
223名無し野電車区:2013/08/25(日) NY:AN:NY.AN ID:8YccWJzZ0
JR西日本223系1500番台
223系1000番台をデチューン(221系性能への引き下げ改造)した物。
主に東海道・山陽本線の快速で使われるが稀に福知山線にも使われることがある。
224名無し野電車区:2013/08/25(日) NY:AN:NY.AN ID:72bvk5W10
E233系4000番台
JR東日本が製造したE233系ベースのsustina試験車。
225.:2013/08/26(月) NY:AN:NY.AN ID:K7hIvVezO
京都市交通局60系・京阪京津線100系:
御陵で醍醐・六地蔵方面と浜大津方面を分割併合する運用で導入。
京阪の線路使用料の相殺も兼ねる。
太秦天神川〜御陵は10両編成、御陵で前4両浜大津方面・後6両六地蔵方面。自動幌を備える。
京阪100系は醍醐・六地蔵方面編成は検査の関係で4+2両となっている。

京都市60系が永久磁石同期電動機に対して、京阪100系が全密閉誘導電動機。

それに併せて、通り抜け不可だが、京都市50系と京阪800系の協調運転・分割併合対応改造も行われる。
226名無し野電車区:2013/08/26(月) NY:AN:NY.AN ID:OFuM7qLo0
オエ50、オヤ50、スヤ51・マヤ51、スヤ52
 オエ50は老朽化した救援車を荷物車廃止で余剰となったマニ50・スユニ50改造で置き換えるために用意された形式
マニ改造が0番台でスユニ改造が500番台。後にオハフ51改造の100番台が加わった。
 オヤ50は大宮工場の入出場控車。E26系登場とともに双頭連結器を装備したが、
EF64の双頭連結器取り付けに伴い廃車となった。
 スヤ51はオハフ50改造の建築限界測定車。後に総合検測試験車編成組み込み改造を受けマヤ51となった。
 スヤ52は、波動輸送用電車の非電化区間乗り入れ用の電源車でスヤ51同様1形式1両の珍車。
双頭連結器を装備するため、本来の電源車以外に配給列車の控車としても重宝された。
227名無し野電車区:2013/08/27(火) NY:AN:NY.AN ID:yVJvovCq0
キハ123・128
JR西日本が製造した225系ベースの気動車。
車体は225系と同一。
エンジンはSA6D140-HD(580PS)を搭載し、130キロ運転を可能とした。
228名無し野電車区:2013/08/27(火) NY:AN:NY.AN ID:rIcJeV39O
福岡市交通局5000系
福岡市営地下鉄空港線1000系の後継車両である。
今回ATO車両を持つ東京地下鉄(東京メトロ)と技術提携を仰ぎ、同社16000系
を基本としたアルミニウム車体とした。
ATO装置も同じく南北線で採用されているものを福岡市交通局用に書き換えた
物を採用する。
直通しているJR九州の車両同様にトイレが付く計画であったが、結局後日装備としている。
急曲線はないが、騒音軽減のため自己操舵式台車も採用している。
1000系置き換えとして01〜18編成を3年間かけて行うが、最終編成は
福岡市交通局の編成の慣例で2000系の2024Fの続番となる。
最初の2本はHKT48劇場及びAKS第三者保有のラッピング車となる。
この編成では車内アナウンスの声には指原莉乃 多田愛佳 若田部 遥 兒玉 遥ら
HKT48のメンバーがランダムで流れるようになっている。
(ただし空港線の福岡空港〜姪浜のみで箱崎線及びJR筑肥線内は流れない)
229名無し野電車区:2013/08/28(水) NY:AN:NY.AN ID:y9FCA5yZ0
名鉄4500系
230名無し野電車区:2013/08/28(水) NY:AN:NY.AN ID:wLePmr8Y0
キハ40-900番台
国鉄が製造したキハ40のエンジン2基試験車。
DMF15HSを2基搭載し、加速力・登坂能力の向上を図った。
しかしメンテナンスに手間が掛かるため量産化は見送られた。
231名無し野電車区:2013/08/28(水) NY:AN:NY.AN ID:wLePmr8Y0
キハ202
JR北海道が製造した733系の気動車バージョン。
733系と同様のビードレスステンレス車体を採用したが、車体傾斜装置を搭載した上にエンジンサイズの関係でフルフラットに出来ず、車体断面はキハ201と同一。
731・733・735系と協調運転可能。
232名無し野電車区:2013/08/28(水) NY:AN:NY.AN ID:1KEtqhjR0
南海電気鉄道モハ11150形
1964年、南海11001系使用の四国連絡特急に座席指定車を連結することになり、
座席指定車専用の車両として製造された。
車体及び車内設備はこうや号用20001系に準じた20m車として、デッキ付で冷暖房・
リクライニングシートを取り付けたが、便所・洗面所・売店の設置は省略された。
台車・電気機器・性能は既存の11001系と全く同一であり、塗装も11001系と同じである。
1973年の昇圧改造にあたって半数は電気機器を撤去して付随車化され、電動車として
残った車両も7000系と同一のものに台車も含めて交換された。また、冷房電源用として
搭載していた自車用MGは電動車として残った車両は撤去され、付随車化された車両も
7100系と同様の大容量のものに交換された。
その際11001系自体が1000系に改称され、付随車化された車両はサハ1850形に、
電動車のまま残った車両はモハ1150形に改められた。
その後も特急「四国号」で活躍したが、1985年に10000系が登場したため廃車となった。
なお、モハ1150形の電機品は10000系に、台車は6000系のPV交換用に転用された。
233名無し野電車区:2013/08/30(金) NY:AN:NY.AN ID:RmDd4T080
111系2000番台。
車体が老朽化し廃車となった157系の台車、主電動機、走行装置、制御装置、電装品、補助電源装置、冷房装置、集電装置、運転機器などを流用して
昭和51年に阪和線快速増強用並びに紀勢本線電化用に6両3本、4両2本が日根野電車区に投入された。
車体内外は南海に対抗するため後に製作される115系3000番台と同じく2扉セミ転換クロスシート(戸袋部のみロングシート)の車体を
吹田・鷹取・高砂・大船・大井工場で製作。
塗装はブルーライナー塗装。阪和線快速の他に臨時急行『きのくに』や後に新宮夜行にも使われる。
昭和62年の国鉄分割民営化において全車、西日本旅客鉄道に引き継がれ引き続き日根野電車区に所属。
編成短縮や中間車の先頭車化、N40更新工事、一部ワンマン化、
走行装置を165・167・183・485系などからの廃車発生品への換装などの更新を経て
223系・225系増備により阪和線運用から撤退し紀勢本線、和歌山線のローカル運用や一部広島や岡山に転属した車両もある。
編成(新製当時)は
(天王寺)Tc−M−M'−M−M'−Tc'(和歌山・新宮)
()内は種車
クハ111‐2001(サハ157-1)+モハ111‐2001(モハ156-3)+モハ110-2001(クモハ157-3)+モハ111-2002(モハ156-4)+モハ110-2002(クモハ157-4)+クハ111-2101(サロ157-1)
クハ111‐2002(サハ157-2)+モハ111‐2003(モハ156-5)+モハ110-2003(クモハ157-5)+モハ111-2004(モハ156-6)+モハ110-2004(クモハ157-6)+クハ111-2102(サロ157-2)
クハ111‐2003(サハ157-3)+モハ111‐2005(モハ156-7)+モハ110-2005(クモハ157-7)+モハ111-2006(モハ156-8)+モハ110-2006(クモハ157-8)+クハ111-2103(サロ157-3)
クハ111‐2004(サハ157-4)+モハ111‐2007(モハ156-9)+モハ110-2007(クモハ157-9)+クハ111-2104(サロ157-4)
クハ111-2005(サハ157-5)+モハ111-2008(モハ156-10)+モハ110-2008(クモハ157-10)+クハ111-2105(サロ157-5)
(WCは和歌山寄りのクハ111-2100に設置。)
234名無し野電車区:2013/08/30(金) NY:AN:NY.AN ID:RmDd4T080
157系900番台。
お召し列車牽引車が157系から183系に置き換えられた際、そのうちの157系第二ユニットと111系2000番台への種車からあぶれたT車の一両から
台車、走行装置、主電動機、制御装置、集電装置、補助電源装置などを流用し和洋折衷のジョイフルトレインとして昭和60年東急車輛で3両一本製作された。
設計思想はお流れとなった横軽自走用特急型187系電車のものを流用したため車体は東急車輌にてオールアルミニウム合金製車体を新製し空調装置は新製品を採用
先頭車の前面形状は187系と同じ前面貫通型の図面をほぼ流用しラウンジ車となる中間車(Tsc)も187系グリーン車や
北海道地区の特急型気動車183系と同じくハイデッカー構造を採用しソファやコンパートメントやカウンターを配置。
先頭車の片方は欧風でリクライニングシートが並び、片方はお座敷構造となる。横軽自走機能も備え信越本線碓氷峠も自走した実績もある。
非電化区間をディーゼル機関車に牽引され走行するために中間Tsc車には発電装置や電源装置も備える。
編成()内は種車。
クモロ157-901(クモハ157-2)+サロ157-901(サロ157-6)+クモロ156-901(モハ156-2)

(その1)製造当時は田町電車区に配置され国鉄分割民営化に伴い東日本旅客鉄道に引き継がれ首都圏を中心に団体列車・臨時列車などに使用された後、
長野車両センターに転属。
後に下回り機器や台車の老朽化に伴い内装や外装のリニューアルとともに
台車、主電動機、主制御装置を253系1000番台と同じDT50系列ボルスタレス台車、三相交流誘導電動機MT74A、東洋電機製造製IGBT-VVVFインバータ制御装置、シングルアーム式パンタグラフに変更し
並びに東武鉄道乗り入れ機能も追加。
形式は変更されず現在も長野地区を中心に臨時列車や団体列車に使用され首都圏や他社線(しなの鉄道、東海旅客鉄道、西日本旅客鉄道、東武鉄道、富士急行、伊豆急行に入線実績あり)へも乗り入れる。
235名無し野電車区:2013/08/30(金) NY:AN:NY.AN ID:RmDd4T080
157系900番台(その2)
製造当時から宮原電車区に配置され国鉄分割民営化に伴い西日本旅客鉄道に引き継がれ近畿地方を中心に団体列車、臨時列車に使用され
後に機器の老朽化とともに両端Mcの走行機器、台車、主電動機、主制御装置等は223系5000番台と同じWDT59型台車、PWM-IGBT-VVVFインバータ制御装置、(WMT102B)三相交流誘導電動機に変更し
形式は125系5900番台に変更され宮原電車区に所属し引き続き臨時・団体列車に使われ他社線(東日本旅客鉄道、東海旅客鉄道、四国旅客鉄道)にも乗り入れた実績がある。
(なおこれに伴い岡山電車区に所属していた211系展望車『スーパーサルーンゆめじ』も延命更新工事を受け先頭車クモロ211-1の主電動機、主制御装置、走行装置はを223系5000番台と同じものに変更し、
モロ210-1の主電動機、主制御装置は125系と同じものに変更した上、宮原電車区に転属し
形式は変更せず223系5900番台と連結して使用される事もある。)
形式変更並びに更新後の編成
クモロ125-5901(クモロ157-901)+サロ124-5901(サロ157-901)+クモロ125-5902(クモロ156-901)
236名無し野電車区:2013/08/30(金) NY:AN:NY.AN ID:RmDd4T080
157系第一ユニット保存車。
お召し列車牽引車が157系から183系に変更された後、牽引車に使われていた内の157系第一ユニット(クモハ157-1+モハ156-1)はしばらく大船工場に留置された後、
動態も兼ねて保存される事になり車体の全面改修と悩みの種であった下降窓周りの腐食対策など改造が行なわれた。
昭和62年の国鉄分割民営化後も東日本旅客鉄道に引き継がれ165系や185系などと連結の上、イベント時に臨時・団体列車に使用され
21世紀初頭に退役、クモハ157-1のみ大宮の鉄道博物館に保存され、モハ156-1は大宮車両センターにクモハ300-4やキハ391、ED62-17などとともに保管されている。
237名無し野電車区:2013/08/30(金) NY:AN:NY.AN ID:RmDd4T080
>>235の補足
なお125系5900番台は125系基本番台とは違い4個モーター付きで130km/h運転対応である。
(更新後の『スーパーサルーンゆめじ』はクモロ211-1は223系5000番台と同じ機器構成、
モロ210-1は125系基本番台と同じ機器構成でこちらも130km/h運転対応である)
238名無し野電車区:2013/08/30(金) NY:AN:NY.AN ID:RmDd4T080
>>235訂正
形式は変更せず223系5900番台と連結して使用される事もある。)
    ↓
形式は変更せず125系5900番台と連結して使用される事もある。)

>>234訂正と補足

中間Tsc車には
239名無し野電車区:2013/08/30(金) NY:AN:NY.AN ID:RmDd4T080
>>238補足
>>234訂正と補足

中間Tsc車には
    ↓
中間Ts車には

なお157系900番台はVVVF化後の最高速度は130km/hである。

>>236の訂正

車体の全面改修
  ↓
車体内外並びに内装の全面改修
240ものすごい電波モードで行ってみる:2013/08/30(金) NY:AN:NY.AN ID:FX/C9fEM0
京都市交通局10系 「大合奏!バンドブラザーズ Feat.けいおん!」編成

京都市交通局が任天堂と京都アニメーションのコラボレーション企画として制作したゲームソフト、「大合奏!バンドブラザーズ Feat.けいおん!」とのタイアップとして投入した、10系の特別塗装車両。
「大合奏!バンドブラザーズ Feat.けいおん!」(以下、バンブラ×けいおんと表記)は任天堂の開発した音楽ゲーム「大合奏!バンドブラザーズ」(以下バンブラと表記)シリーズを元に、
TVアニメーション「けいおん!」とのコラボ企画として制作されたソフトである。
(基本的なシステムは同シリーズ最新作である「大合奏!バンドブラザーズP」を元にしているが、ゲーム内に「けいおん!」のキャラクターが演奏者として登場するなど同作品の要素が数多く取り入れられている)
そこにダメ押しするかのように登場したのがこの編成である。
(実現の経緯としては、同作品の開発者が直接京都市交通局に掛け合った、或いは逆に京都市交通局から京アニへの打診があったなどの複数の説が囁かれている)
車体側面には「バンブラ」シリーズや、「けいおん!」の登場人物のイラストが描かれている。
さらに特徴的な点として、車内放送が『バンブラ』と『けいおん!』の登場人物が出演するラジオ番組風のものになっているという点がある。
(これに関しては『サブカル的なノリを公共交通の放送に持ち込んでいいのか』などの否定的な声と、逆に『無機質だった車内放送が楽しくなった』と肯定する声に分かれているようである)

「バンブラ×けいおん」の企画自体、良くも悪くもお固くまた万人向け中心というイメージのあった任天堂のそれを覆すかのような企画と商品である点で世間を騒然とさせた企画であるが、
それに加えて京都市交通局という存在がタイアップに参加したことで、各所で物議を巻き起こしている車両である。

※尚、当然ながらバンブラ×けいおんの企画そのものも架空です
241名無し野電車区:2013/08/30(金) NY:AN:NY.AN ID:RmDd4T080
>>234の訂正。
設計思想は
  ↓
設計図面・思想は

>>236のもう一つの補足。
勿論、157系動態保存車は157系900番台と連結される運用が多かった。
242名無し野電車区:2013/08/31(土) NY:AN:NY.AN ID:AU3IZVhh0
サハ401-101
モハ403-1をモハ401-26に改造した際、モハ400-7とユニットを組んだため余ったモハ401-7を電装解除。
MGとCPを新設した。
専らラッシュ時の増結用として使われた。
415系1500番台に置き換えられ廃車された。
243名無し野電車区:2013/09/01(日) 01:27:47.13 ID:rpD7Cc5R0
>232
南海線用の座席指定車って発想は面白いけど、前面は?
20001みたいな流線型? それとも11001後半と同じ湘南顔?
あるいは貫通型?

流線型なら塗り分けは20001風で緑ベースが似合うかも。
20001の前面で20mというのはカッコいい。

1985年以降は「きのくに」置換「くろしお」併結用に転用なんて妄想も
考えられそう。あるいは串本夜行併結復活で165系に併結?

それにしても
阪和線と南海線がもうちょっと緊張感があったらなぁと思う。
どっちもある時期(南海が昇圧した頃)から「4ドア20m通勤型でいいわ」って
関東的な流れになっちゃったもんなぁ。
244名無し野電車区:2013/09/01(日) 01:35:20.30 ID:rpD7Cc5R0
>233
この発想なかったわ。
二つ扉転クロはキハ66-67のこと思えば不自然な装備じゃないし。
115-3000な車体でブルーライナーっていうのも魅力的。
ただ、車体新車を宮原区に取られて153系のほうが阪和線(紀勢本線)に回ってきたりして。

N40とかされて使い倒されるのは納得。
広島や岡山で115-3000や117と混ざって働く姿も納得。
245名無し野電車区:2013/09/01(日) 13:57:13.69 ID:jub2y3NB0
246名無し野電車区:2013/09/03(火) 21:58:25.02 ID:Xi9ictRkO
営団地下鉄500形 850番台 900形950番台
昭和43年に試作された丸ノ内線のアルミニウム車体試作車である。
車体が塗装されており、サインカーブもあるために一見見分けがつかない。
鋼製車体の500形と比べると約3tの軽量化が図られた。戸袋窓がないのが
特徴で、後に300形の中間車化更新に生かされた。
形式は500形の最後の番号の802からの続きで、853-951-855-856-952-854
857-953-859-860-954-858の6両編成2本が作られた。走行系は500形と同じである。
昭和59年に853Fに600V第三軌条線区へのチョッパ制御車両導入への試作として
制御装置をチョッパ制御に変更され、これは後に銀座線01系登場へと生かされた。
02系に置き換えられる形で平成4年にどちらも引退した。
なおこの車両はアルゼンチンには送られず、アルミニウム車体リサイクルの
テスト車両として853 858を除き全車廃車された。
解体された車体から再生されたアルミニウムを使い、東西線05系の一部部品に使われた。
853は綾瀬工場に、858は地下鉄博物館に3/4を車体をカットされて保存。
247名無し野電車区:2013/09/04(水) 23:13:49.39 ID:AJRC7YP70
819系
JR九州が開発した新型近郊型電車。
817系がベースであるが、歯車比が5.93に変更され130キロ対応となった。
主電動機出力が190KWに増力され、1M2Tでも加速度2.6km/h/sを出せるようになった。
山陽新幹線に対抗するべく鹿児島本線小倉〜博多間で新快速を運転するために投入。
811・813・815・817系と併結可能であるが、この場合120キロに制限される。
248名無し野電車区:2013/09/05(木) 00:48:48.90 ID:vZCFW1Wn0
オハネ12電暖車 オハネフ13形0番代・500番代 オロ11電暖車・500番代

50.3ダイヤ改正で山陽方面の夜行急行が廃止されその余波でオハネ12とオロ11に大量の余剰車が発生した。
本来であれば廃車にする予定であったが、DD54の一件(新造から5年も経たずに廃車にしたことが国会で大問題
になった)もあったので急遽東日本エリアに転用することになった。
ちょうどオハネフ12・スロ54・スロ62の老朽化に悩まされていたこともあったのでダイヤ改正を待たずに改造
が始まる・・・当初、オハネ12は電暖を積むと「スハネ」になるということで電暖改造は見送られていたが、20系
の体質改善改造の際に重量増加を形式名の横に▲を書くことでごまかしたのを応用して「原番+2000+▲」と
改番することにして解決。

これらの車両は昭和58年6月に北海道の列車の14系化と供に引退した。
249名無し野電車区:2013/09/05(木) 01:56:57.99 ID:QjJieruT0
相鉄6000系リバイバル車両

ファンの要望に答えて実現した車両。
新旧1編成づつ用意。
ベース車体は旧が東武60000系、新が西武30000系となっているが、
走行系は東武60000系と同様の物に統一。
両者共に10連で、新は線内専用だが
旧の方は地下鉄対応&東急・メトロ・東武・西武の保安装置搭載になっている。
そのため1編成しかないレア車両なので、乗り入れ先では、遭遇したら幸運が訪れる車両として
人気が非常に高い。
250anorak?:2013/09/05(木) 18:18:50.78 ID:OLjpPYot0
>>220に続く平行世界もの
◎国鉄241系郵便電車
1984年
○1970年代後半以後、郵便物輸送における鉄道のシェアは年々縮小し、郵政省は国鉄に対し鉄道郵便を継続させるならば、
トラックよりも速く、都合の良いダイヤで安価に大量輸送可能しめる改善を要請し、特に新幹線の利用を要望した。
1984年頃に、東海道山陽線等の汐留〜梅田〜東小倉間に最高120km/hの郵便物輸送用高速電車の運行が計画され、
それが241系である。車籍は国鉄だが、郵政省の私有車。
車種は、クモユ240(M'pc)、モユ241(Mp)、サユ241/240(Tp/T'p)、(注:p=psot;ユ)の四種。車体長20m級の鋼製車体。
登場以前の84年2月のダイヤ改正にて車内で郵便物を仕分ける取扱便は廃止されたので、郵便区分室を有する車両はない。
M車は護送便用車両で、その設備及び間取り並びに意匠はマニ50形に酷似し、同乗荷役作業員控室とトイレ洗面所付き、
運転台は183系1000番台電車に酷似。
T車は締切便用パレット輸送用貨車で、Tpはス二40形に酷似、T'pは回送運転室を備えマニ44型に。
M'pcMpTpTpT'p及びその逆配列の二種ユニット(2M3T)による両端にM車配置の10両編成、若しくは一ユニット増結の15両。
走行システムは、201/203系のを改良した電機子チョッパ制御とし粘着性能を向上、但し列車密度極小の深夜帯走行が
専らなので回生ブレーキは非搭載、発電ブレーキ用の抵抗器を搭載し、チョッパ制御は力行専用、
Mpにパンタグラフ二台。台車は201系のを改良したヨーダンパ付きの空気バネ台車。
交流電化の下関〜東小倉間は機関車に牽引されるのでM'pcに電源用にディーゼル発電機を搭載。
M'pcとT'pの運転台側連結器は機関車との連結の為並形で、ユニット内は密着。
84年半ばに量産先行車が登場し試運転開始。85年3月のダイヤ改正で郵便特急列車として就役開始。
就役当時、汐留〜梅田間の直行便は151系こだま号に匹敵する6時間半。
86年11月の国鉄最後の全国ダイヤ改正で、郵便小荷物輸送は原則全廃され、例外の一つとして本系列使用の列車は残る。
87年4月の国鉄分割民営化でJR貨物に承継。
その後、鉄道による全国的郵便輸送が復活したが、専らコンテナ輸送となり、パレット輸送用の本系列の増備は無かった。
JRによる線路改良によって所要時間短縮。
2006年にコンテナ輸送の新型車に置き換えられ、全車廃車。
251名無し野電車区:2013/09/05(木) 19:11:05.96 ID:iXW1LROm0
>246
趣味的にはアルミ地色のままの方が良かったかな。
あの顔で全身銀色。赤帯で赤帯内にサインカーブは魅力的だと思う。
で、02系導入時は3両編成化で支線封じ込め化とかどうだろ。

>247
当時のオロ11とか腐っててスロ62を置き換えるどころじゃないでしょ……。

>250
クモユ240 11-13
クモユ143を改造・編入したもの。片運転台化・冷房は残された。
主に15両編成時の増結時に用いられた。


ところでanorak?氏、郵便特急の塗装は?
個人的には国鉄特急色がいいけど……。
あと車体幅は2800mmになりそうだから、前頭部は183系というより
クモヤ193風かしら?
252anorak?:2013/09/07(土) 17:11:35.74 ID:k7gdy8Gt0
>>251

御質問の>>250の241系の車体の塗装につきましては、登場時は日本の郵便のシンボルカラーである赤一色:
客車オユやマニに相当するクモユとモユは赤い車体にアクセントとして白い帯、貨車そのもののサユは赤のみ。
ワインを意識した115系とクモユニ143系の身延線色や、419系登場当時の塗装に酷似。
登場時から10年程経った1990年代半ばの車両更新工事により、フランスのTGVの郵便専用車を真似て、黄色に。
2000年代の引退直前に赤に戻る。
253名無し野電車区:2013/09/10(火) 16:31:18.53 ID:yA+KwnBOO
国鉄 ナロハネ10 2051-2055

ナロハネ10形の第2次車として、1962年に日本車輌で製造されたが、電気暖房付のため番台区分された。

5両とも長野に配置され、『妙高』『アルプス』に投入。

捻出された同形非電暖の1次車は501〜に改造されて札幌に転出。戦前ロネを代替した。

1964-65年にロネ室、1967-68年にハネ室を冷房化。
1968年のダイヤ改正で『妙高』にオロネ10が連結されるとともに、寝台車が尾久持ちになったため、5両とも名古屋に転属。『きそ』『アルプス』使用になった。

1982年11月のダイヤ改正で、自身の老朽化と『きそ』廃止、『アルプス』全面電車化のため運用から外れ、翌年全廃された。
254名無し野電車区:2013/09/10(火) 17:25:26.91 ID:BPXvvcHQ0
キハ35形5000番台
JR東海で武豊線の輸送改善用にキハ35に出力増強改造を施工。
東海道線の高速ダイヤに対応させるためカミンズ製の330馬力エンジンに換装し、最高速度を100km/hに向上させた。
内装は211系5000番台に準じたものに改良された。
3扉であるためF1輸送に駆り出された事もある。
1999年にキハ75に置き換えられ廃車された。
255名無し野電車区:2013/09/10(火) 18:02:53.21 ID:pdyM981oO
国鉄スロネ15

14系寝台客車の2段寝台化後、A寝台とB寝台の格差がつきにくいことや、オハネ14 700番台「カルテット」が好評だったことを踏まえ、「さくら」「みずほ」「出雲」のA寝台個室化を決定。
種車はオロネ14とオハネ14で、大宮工場で8両改造される。
1両に個室10室とオロネ25よりゆとりのあるレイアウトは、上段に補助ベッドを用意し、2人個室として使えるようにしたこともある。
60年3月のダイヤ改正から順次組み込まれた。
256名無し野電車区:2013/09/10(火) 18:06:05.25 ID:BPXvvcHQ0
321系900番台
JR西日本が開発した「チタン電車」。
チタン合金を採用する事で軽量化と強度アップの両立を図った。
しかし製造費が物凄く高価なため実用化されなかった。
257名無し野電車区:2013/09/10(火) 18:08:33.80 ID:BPXvvcHQ0
E233系9000番台
JR東日本が試作したE233系ベースのアルミ車体試験車。
車体がアルミ製である。
その特殊性から新津車両製作所では製造が出来ず、やむなく日立製作所で製造された。
258名無し野電車区:2013/09/10(火) 19:02:34.49 ID:MI5g7Edd0
E657系茨城空港対応車
2020年に東京でのオリンピック開催が決定したことに伴い、羽田・成田に続き百里飛行場(茨城空港)でも(特に近隣国からのLCCの)発着回数増加が懸念された。
これに対応するためにJR東日本は常磐線特急「ひたち」に使用されているE657系特急電車に空港対応の設備を追加することを決定した。
(尚、百里飛行場-石岡駅間については、関東鉄道バスは長距離タイプの車両や連接式車両の導入を検討している)
空港対応車は側面に青い帯と「AIRPORT EXPRESS E657」のロゴが追加され、通常のE657系と容易に識別が可能である。
出入口付近の座席を1列撤去し、スーツケースなどの大型の荷物を置くためのスペースに転用されている。
また、車内情報装置は従来のフルカラーLED表示器に代え、26インチ級の大型液晶モニタを使用した情報装置が設置された。ちなみにモニタは日立製作所の製品を採用している。
259.:2013/09/11(水) 23:13:26.92 ID:hV34HpYzO
都営地下鉄10-300X形:
>>222の10-300R形の10連化で中間車を10-000形6両から10-300R'形8両に組み換えに当たって、10-300R形先頭車2両(TC/T'C)が休車になる関係で1編成予備が必要になるが、
そのうち10-000形3次車置き換え用編成の1編成を先行して試用機器を搭載。
10-300R'/10-300形8連10連化と同様に6M4Tだが、3ユニットで異なる装備。
M-M'1:IEGT/PMSM試作
M-M'2:SiC/全密閉IM
M-M'3:SiC/DDM
となる。

当初データ取りの試運転→8連の10連化予備→他2編成(通常装備車)と同様に10-300Rの10-300R'への組み換え予備→10-300Rの元10-000形5次車の電装解除と4/6次車VVVF改造+10連化での予備→7次車・8次車のVVVF化及び10-300'系組込による運用離脱予備。
それらの作業が終了後、3次車廃車。

10-300'形:
10-000形の10-200番台だが、車体構造が10-300をベースにしている為。10連化付随車2両のみで10-300形に準拠しながら、コルゲート仕上げやインテリアなどを10-000形7/8次車に合わせている。
260.:2013/09/11(水) 23:22:53.70 ID:hV34HpYzO
都営10-000形4/6/7/8次車VVVF化・10連化:
4/6次車はVVVF化と10-300R形に組み込まれ、10-300R'に置き換えで休車の5次車を電装解除。
7/8次車は10-300形の車体を7次車及び8次車に内装及び外装を合わせた10-300'形を編入。
4/6次車はIEGT素子、7/8次車はSiC素子。
261名無し野電車区:2013/09/13(金) 19:12:42.60 ID:DwzPM4iG0
JR東日本 719系5000番台(史実とは若干異なる)

JR東日本は奥羽本線の新在直通運転開始に伴い、同路線の福島-山形(後に新庄まで)の区間を標準軌への改軌を行った。
これにより従来の列車が使用できなくなったため、新たに用意された車両が719系の標準軌台車版である719系5000番台である。

しかし、ここで一つ問題が発生した。
同車両の定期検査は車両基地の新設を行わないことでコストダウンを図るため、利府の新幹線車両基地で行うこととなった。
つまり、定期検査の際には新幹線路線を使って回送するという意味である。
このため719系5000番台には、定期検査のためとはいえ新幹線区間を自走して車両基地へと行き来できる能力が与えられた。
福島駅で一旦新幹線区間に上がった後、新幹線区間を160km/hで自走して車両基地まで向かうという計画である。

車体は在来719系と同一のものとなっている。160km/h運転を行う車両ではあるものの、160km/h運転を行う際は客扱いを行わないため車体は特に気密化はされていない。
制御方式はサイリスタ位相制御を引き継ぐ。但し高速運転を行うため、主制御器及び主電動機は400系新幹線電車とほぼ同等のものを使用している。
台車も高速運転を前提とし、400系と同一のものを使用。
歯車比は400系の2.70から3.63と大きく設定し、低速域での加速性能を向上させている。駆動方式も400系のWN方式を引き継ぐという独特の車両になっている。
保安装置は在来線区間用のATS-Pと、新幹線用のATCを搭載。

ある種特殊な事情から生まれた車両とは言え、「新幹線を走る一般列車」「160km/h運転を行う普通列車」として鉄道ファンから注目されている車両である。
262名無し野電車区:2013/09/14(土) 08:14:50.22 ID:0JMCsRfhO
E233系8000番台
東京メトロ東西線用ワイドドア車として9000番台(>>257)をベースに作られたもの。
ドア幅は1800mmと15000系と同一に揃えられており、E231系がLED式の案内表示に
対してこちらは15000系同様の画面式なども異なる。
東京メトロが東西線の07系全車及び05系の019〜024Fの置き換えを決定したため、
内JR東日本が3編成を東京メトロより肩代わりしたために当初2000番台を
東西線にも配備する計画であったものの、国内ワーストの混雑率を持つ路線故に
国土交通省がJR東日本に対しても対策車両導入を命じられたために急遽変更された。
現行7本から11本(機器更新をした209系1000番台も1本配備されるため)に増える関係で、
東陽町滞泊の追加及び妙典行き拡大による行徳電留線滞泊の拡大の他に
東葉高速線乗り入れを開始する予定。なおJR車は八千代緑が丘行きのみで
基本的に東葉勝田台までは運転しない。
また遂に三鷹までの直通の牙城が崩れ、三鷹より先に行く各駅が登場する予定で、
武蔵小金井行き5本(内メトロ車2)立川行きが3本(内メトロ車1)登場し、
武蔵小金井にメトロ車が滞泊する列車も登場。但し武蔵小金井 立川行きの
メトロ車は05系の025以降及び15000系に限定される。
263名無し野電車区:2013/09/14(土) 13:24:50.08 ID:KC4andy70
401系1000番台
国鉄で415系1500番台導入で余った401系を仙台地区に転用したもの。
ドアが半自動化された。
同時に冷房改造(コスト低減のためAU79が搭載された)や特別保全工事も施工された。
しかしドアステップが無い上に4両編成であるため朝ラッシュ時のみの限定運用を強いられた上701系導入で1998年に廃車された。
264名無し野電車区:2013/09/15(日) 13:31:20.40 ID:W5uLjt6t0
静岡鉄道2000系

老朽化した1000系初期車の置き替え用に総合車両にて製造された新型車両。

東急新7000系をベースにした18m級3ドア車両だが、車体構造はsustina(サスティナ)を採用。

前面はFRP製でくの字形を採用しつつも東急新7000とは異なった顔つきである。
塗装は1000系と同様で方向幕はフルカラーLEDに

台車やブレーキは東急新7000系と同等のものを採用。
600V車であるため機器類は独自のものに。

制御装置は東洋製IGBT-VVVFでモーターは130kw

編成はクモハ‐クハの2連となっている

走行性能は起動加速度3.0km/h/s、設計最高速度90キロ

車内はロングシートで連結面側車端部にはクロスシートと車イススペースを設置。
室内灯はLED照明を採用。
ドア上にはLCD画面が設置されたが東急新7000と異なり、16:9のものを1つずつで千鳥配置とされた。


これにより1001Fと1002Fが廃車され、銚電にデハ1000の置き換え用として譲渡され同3000系として活躍することに。
265名無し野電車区:2013/09/15(日) 18:19:58.14 ID:Atez9Ips0
しなの鉄道253系電車
JR東日本で廃車になった253系電車をしなの鉄道が譲受。
266名無し野電車区:2013/09/16(月) 20:21:51.77 ID:8azicbRb0
ワム980000
国鉄が製造したワム80000ベースの1軸台車試験車。
1軸台車を採用する事で最高速度を110キロに引き上げた。
しかしコンテナ車の台頭で有蓋車の出番が減ったので実用化されず、結局2段リンクに改造されワム80000と混用された。
267名無し野電車区:2013/09/17(火) 00:52:31.70 ID:LXD4IKnB0
国鉄 キポ90

真岡や有田など、陶器の産地から都市部へ陶器輸送する際、ローカル線内を1〜2両の陶器車を機関車が牽引している現状が無駄であるとのことから、
ポムにディーゼルエンジンを取りつけて自走できるようにした形式

10両ほどが試験的に製造されたが、そもそも1〜2両程度であれば旅客用気動車に連結すればいいんじゃね?という突っ込みを現場から受けてしまい終了した

のちにディーゼルエンジンを下ろして、ポム90として運用された
268.:2013/09/17(火) 01:04:33.04 ID:24QbAgppO
クイE259:
放射能五輪に合わせて製造したグランクラス車両。クロE259の隣に連結して、クロE259は中間封じ込め。

E585系:
あけぼので、24系寝台車の老朽化で電車化。
青森方↑
(8)クモハネニE585(2F:B1/1F:機器室・荷物室)
(7)モハネE584(1F:B1/2F:B2)
(6)サロハネE585(2F:A1/1F:B1)
(5)モロハネE585-500(平屋/開放A/開放B)
(4)モハハネE584-500(平屋/B2/ゴロンとシート)
(3)サハネE585(1F:B1/2F:B2)
(2)モハネE585-200(1F:B1/2F:B2)
(1)クモハハネE584-200(2F:レディースシート/1F半室:レディースゴロンとシート/1F半室:機器室)
上野方↓

増結用:
クモハネE585-500(2F:B1/1F:機器室・業務用室)
サハネE585-500(2F:B2/1F:B1)
サハネE585-700(2F:B2/1F:B1)
クモハネE584-500(2F及び1F半室:B1/1F半室:機器室)
269名無し野電車区:2013/09/17(火) 02:25:49.98 ID:+QSiymNbO
国鉄113系2500番台
115系1500番台・2500番台
(史実と異なる)

名古屋地区の80系置換用113系を投入するのにあわせて、東海道本線名古屋地区のダイヤを1時間ヘッドから30分ヘッドに改善することになった。
当時の輸送量で30分ヘッド運転では、昼間は4連程度が適正だが、幹線を1ユニットで運転することには、故障対策の面で懸念の声が寄せられた。
このため113系2000番台をベースに、2パンタグラフをはじめ運転機器の二重系統化を施した2500番台を名古屋地区に投入した。
なお念を推すために、クモヤ90を3両改造して豊橋・神領・大垣に配置、故障時に直ぐ救援に迎える体制にもしている。

名古屋地区のダイヤ改善は一定の評価を得たことから、同様の施策は山陽本線岡山・広島地区などで順次実施。
それにあわせて115系1000番台・2000番台をベースに二重系統化した1500番台・2500番台が投入された。
270名無し野電車区:2013/09/20(金) 18:25:01.05 ID:KLFbgJ2b0
クロニ83-501 
半分荷物・半分グリーンのスカ色
271名無し野電車区:2013/09/21(土) 00:22:45.57 ID:sDRmSHNC0
東武航空 ボーイング757形機
東武鉄道グループの航空会社、東武航空が運用しているB757形機。
東武航空は東武グループの東北・北海道・新潟地区進出のために設立された、国内線専門の航空事業者である。
(また、それ以外にも東上線の前身である東上鉄道の新潟延長計画を受け継いだ事業とも見られることがある。
 これに関しては、同社の航空便にかつて東上線で運行されていた特急が由来の「FLYING TOJO」のコールサインが与えられていること、
 羽田-新潟線の本数が同社の運航する路線の中でも何故か比較的多いこと、
 新型機を新潟線に優先的に回す傾向があることなどがこの説を裏付ける理由として挙げられている)
45/47体制、いわゆる航空憲法の存在した時代に設立された事業者であるにも関わらず、「東武グループ」として航空業界の中では独立した立場を保ってきた理由としては、
「羽田-新潟間の直通便を運行する事業者」という点で時の総理大臣の後押しがあったためとも言われている。

開業時は内外からかき集めた中古のレシプロ機や、ターボプロップ機のYS-11といったプロペラ機を中心に使用してきたが、機材の統一化とジェット化を推し進めるために1988年頃からB757形機を導入し始めた。
ジェット化のための機材としてB757が選択された理由としては、
・当時、世界的に販売が伸びていた機体のために機体・部品の調達が容易になることが予想された
・機体規模の割に大推力のエンジンを装備しており(実際、海外ではB757はそのエンジンパワーから『実質的に大型機として扱う』とされる場合もある)、離陸や遅延回復に有利
・大型機よりも取り回しがよく、小型機よりも乗客増に強い
という点で選択されたと言われている。尚、2013年現在でも国内でB757を運用する唯一の航空事業者となっている。
機体は東武鉄道の特急電車・1720系DRCに似た塗装となっていた(現在では100系特急電車と同じカラーリングになっている)。
座席は一般席が2-3配置・特別席が1-2配置と、他の757と較べてゆったりしたものとなっている。尚、シートピッチは一般席で910mm・特別席で1160mmに設定。
現在、予備機を含めた15機が就航している。
272名無し野電車区:2013/09/21(土) 00:29:29.62 ID:sDRmSHNC0
補足
同社のB757形15機には、
1号機:FLYING TOJO
2号機:きぬ
3号機:けごん
4号機:にっこう
5号機:きりふり
6号機:さだみね
7号機:とうじょう
8号機:にいがた
9号機:あいづ
10号機:まつしま
11号機:イーハトーヴ
12号機:むつ
13号機:たざわこ
14号機:ちとせ
15号機:さっぽろ
という愛称が与えられている。
無論、1号機の「FLYING TOJO」という愛称も、「東上鉄道延長計画の名残を裏付ける理由」の一つに挙げられる場合がある。
また11号機の「イーハトーヴ」は、「東武」に引っ掛けた愛称ではないかという説も存在している。
273名無し野電車区:2013/09/21(土) 09:17:30.67 ID:PfYeNexIO
>>271-272
東武航空B737-900
東武航空が導入したB757も老朽化が進んだ事や国際的にも退役や貨物機化される
機材が増えていた。
折しもIBEXエアラインが京成電鉄グループの子会社化でK`SEI AIRとなり、
しかもLCCとして参入して成田空港を拠点に仙台 小松だけでなく福島や
庄内や秋田などにも進出し、元IBEX機材とDHC8のスタートが後に20機のエアバス
A320導入によってさらに中部国際 大阪 関空 神戸を伺う構えで、早急な
機材更新が急務となった。
東武航空の親会社である東武鉄道は、B757後継機材として次の候補が上がった。
B767-300ER エアバスA330-300 B737-800(900)。
しかしワイドボディ機のB767やA330は大型過ぎる事やB757同様の単通路型を
求めたことからB737NGシリーズで最も大型で、日航 全日空 スカイマーク
すら導入していない900型を10機導入した。なお2機は日航から供与された
B737-800が導入されている。
実際にボーイング社の契約は10機にオプション4機であったが、K`SEI AIRが
大阪と関空向けにエアバスの最新鋭機A350-800を5機発注したことを受けて
オプションをB737からB787-9に切り替えている。
奇しくも三菱重工が開発中の国産ジェット旅客機MRJは両者とも(東武6機京成8機)発注している。
274名無し野電車区:2013/09/21(土) 17:48:32.18 ID:ZKE8QWEn0
EF210-500
JR西日本がブルトレ牽引用に配置
275名無し野電車区:2013/09/23(月) 11:09:23.36 ID:jvBVFf5v0
JR西日本キハ121形(史実と異なる)

智頭急行開業に合わせて実施された因美線高速化事業の一環としてJR西日本が投入した一般型気動車。
全線単線である因美線内において特急(最高速度130km/h)の運転に支障しないダイヤを実現するため
高加減速性能・高速性能を重視し、最高速度が110km/hに設定されている。
また、同時期に生産されていた223系と一部機器を共通化し、設計及びメンテナンスの省力化を図っている。
後に山陰本線の高速化が行われた際、2連化したキハ126形と共に増備されている。
276名無し野電車区:2013/09/24(火) 10:59:37.61 ID:YN5i9Eo10
ロシア鉄道(株)主導によるJR北海道再建後の車両

相次ぐ不祥事や事故によりJR北海道は苦境に陥った。北海道新幹線の運用を委託したJR東日本に
支援を求めたが断られ、結果として破綻してしまった。そんなJR北海道に手を差し伸べたのがロシア
鉄道(株)とガスプロムグループであった。頭打ちになっている欧州向けの天然ガスと石油の輸出を
極東最大の市場である日本へもっと伸ばしたいという野望があるガスプロムは既にホクレンを傘下に収め
て「日本ガスプロム(株)」を設立していたので、実質彼ら主導でこの事業は始まり、新たに「北海道鉄道
公開株式会社(Хоккайдо железные дороги)を設立。

車両名称も国鉄方式ではなく全てロシア式の名称となる。
789系:ЭР789  261系:Д261  DD51:ТГ51

そして再建後の目玉となる車両も発表された・・・JR東日本・西日本と協議した結果、
「カシオペア」「トワイライト」を3社共同運用することとなり、それに伴う車両を新造
することである・・・

北海道鉄道公開株式会社Х26系
基本的にJR東日本26系客車と同じであるが、ロシア鉄道線への直通の為の台車交換システムを採用し、
欧州型の低いホームに対応するステップも装備している。
277名無し野電車区:2013/09/24(火) 11:02:13.07 ID:YN5i9Eo10
ちなみに「日本ガスプロム(株)」と「北海道鉄道公開株式会社」のCEOは鈴木宗男。
発足時のイメージガールは上坂すみれ。
278名無し野電車区:2013/09/24(火) 19:26:47.48 ID:YN5i9Eo10
>>271-273
東日本エア エアバスA380
JR北海道の一連の不祥事からの経営破綻(>>276参照)に伴い、新函館以降の北海道新幹線の建設が白紙撤回となった。
代わりにJR東日本が100%出資で航空事業に参入(実際はエア・ドゥとスカイマーク、ソラシドを買収の上参入)。
新幹線に代わって東京−札幌間の輸送の為に国内航空事業者としては初のエアバスA380を導入した。
「世界一の過密路線」と呼ばれる羽田−新千歳線で早速威力を発揮している。
279名無し野電車区:2013/09/24(火) 20:47:51.52 ID:1NgUg0fQ0
JR西日本223系4000番台・4500番台

東海道・山陽本線系統への225系追加投入により223系1000・2000番台車が余剰となり、他線区へ転用することとなった。
一部はそのまま転用されたが、中間車を有効活用するため先頭車化改造、及びサハ223(→クハ222)へのトイレ設置が実施された。
なお、4500番台車には前面貫通路が設けられている。
2000番台車に存在した3個モーター車は全車電動機を1基増設した。
走行線区を考慮し最高速度は120km/hに設定されている。
280名無し野電車区:2013/09/27(金) 16:04:44.78 ID:tx7mtgd50
えちぜん鉄道10000系
南海で廃車になったサザン座席指定車用10000系の先頭車をえちぜん鉄道が譲り受けたもの。
譲渡の際、塗装・内装は水戸岡デザインに改装された。この車両の登場と同時に福井−芦原湯町・
永平寺間に観光特急「あわら」「えいへいじ」が新設され、女性アテンダントも乗務している。
全車自由席だが定員制で、特急に乗車する際には100円の乗車整理券が必要。
281名無し野電車区:2013/09/29(日) 04:03:45.07 ID:Gy7N9Kvs0
相鉄20000系

東北縦貫線開通に伴い、相鉄も常磐線直通が決定した。
取手以北にも乗り入れるため、私鉄初の交直両用車としてデビュー。
130km運転も行うため、ヨーダンパが装備されている。
282名無し野電車区:2013/09/29(日) 06:52:19.18 ID:JSRpklkf0
鉄道省 マイネ50系

米国との満州問題も軟着陸し、平和裏に昭和16年の東京オリンピック開催を迎え、大量の外国人観光客が日本を訪れることになった。
そこで問題となったのが、宿泊施設不足
外国人が泊まれるレベルのホテルを大量に建設しても、その後の需要に不安があるとした業界の意向を受けて、日本政府としては大量の客船の建造やチャーターなどで一時的な需要を乗りきることにした。

鉄道省も、それに対応すべく製造したのが本形式である。

五輪期間中は都内の貨物ヤードなどに留置し、ホテル代わりに使用し、終了後はクルージングトレインや優等列車の一等寝台車として使用する構想である。

マイネ50:シャワーつきのツインベッド3室からなる定員6名の豪華寝台車
マイネフ51:マイネ50の緩急車で、客室は2部屋 車掌室と最後部に貫通型ながら後部展望が楽しめるミニロビーが設置されている
マシ50:フランス料理のフルコースが楽しめる大型テーブルを設置した食堂車

欧州連絡特急「富士」で活躍するとともに、日本に寄港する外国のクルーズ船と連携し、日本国内のオーバーランドツアーにも威力を発揮した。
283anorak?:2013/09/29(日) 19:38:24.52 ID:WyAZ2ArK0
>>250 >>252 に続く平行世界もの
◎国鉄EF67形500/550番台
1984年 第三軌条
○1950年代、関西本線の難所加太峠での峠越えの加太隧道のSLの煙害対策として亀山〜柘植区間が電化されたが、
関〜柘植区間は、加太トンネル等の幾つかのトンネル自体が明治開業時以来の超狭小断面であったが故に、
架線が張れず、碓氷峠のアプト式区間と同様に、やむを得ず第三軌条方式となった。
関〜柘植区間は、駅と信号場構内以外は、直流750Vの第三軌条集電で、それ以外は国鉄標準の直流架線集電。
当電化開業時に架線と第三軌条に対応した専用の旧型電気機関車が導入され、補機として長年活躍した。
1985年3月のダイヤ改正で、関西本線が全線電化。
但し、国鉄の財政破綻寸前を反映し、島ヶ原〜加茂区間はトンネル断面を拡張せず電化したので
身延線と同様に乗り入れる電車に制約が生じ、関〜柘植区間の第三軌条も放置された。
この全線電化対応及び上記の旧型機置き換え用に投入されたのが、EF67形500/550番台。
0番台と同様にEF60の後期形を種車とした改造車であり、
1500Vと750Vの複電圧車として、抵抗制御だと回路が複雑で、電圧の違いが性能差となり、エネルギー損失も多いので、
効率的な電機子チョッパ制御を採用。
使用路線の大半の区間が列車密度の低いので改造費節約の為、0番台と異なり、回生ブレーキ非搭載で、発電ブレーキ。
台車に、DC750Vが流れる第三軌条(サードレール)から電気を得る為の集電靴(コレクターシュー)を設置。
電気暖房(EG)搭載。
第三軌条非対応の電車を牽引する為に、双頭連結器、EGの容量を増やして電車の冷暖房照明電源に対応などを、
追加したものは、550番台となる。
車体の塗装は、黄色単色をベースに、550番台には青いラインが追加。
85年3月のダイヤ改正で就役し、関西本線にて関・加茂区間経由の貨物列車や郵便小荷物列車、旅客客車列車を牽引。
加太峠の第三軌条区間では、パンタグラフを下ろして走行する。
87年4月の国鉄分割民営化で500番台全機がJR貨物に承継され、550番台はJR西日本に。
2013年現在も現役だが、老朽化が深刻で、近年中に代替機に置換される予定。
284名無し野電車区:2013/09/30(月) 00:13:27.33 ID:iuz4BFcZ0
>>281
マジレスすると北越急行に681系2000番台/683系8000番台、
つくばエクスプレスにTX-2000系がいるから私鉄初ではないな。
285名無し野電車区:2013/10/02(水) 12:18:14.80 ID:iKihUz8y0
E233系9000番台
JR東日本が開発したレールブレーキ試験車。
人身事故や踏切事故を少しでも減らすべく台車に電磁吸着式レールブレーキを装備した。
8両編成で、横浜線で実証実験を行う。
286名無し野電車区:2013/10/02(水) 21:38:25.62 ID:iKihUz8y0
クモル445・クル444
国鉄が製造した交直両用配給車。
車体はクモル145と同等であるが、パンタグラフと変圧器をクルに取り付けたため分解して運転が不可能となった。

クモユ445・クモニ444
国鉄が製造した交直両用郵便・荷物車。
1両編成にすると変圧器搭載スペースが無くなるため苦肉の策でクモユとクモニがユニットを組む構成となった。

クモヤ445
国鉄が製造した交直両用牽引車。
1両編成であるが、床下スペースの都合上変圧器が床上にある。
287名無し野電車区:2013/10/04(金) 00:57:50.24 ID:uXqFNplf0
>286
>クモユ445・クモニ444
 色は?

 交直両用事業用車の色でもいいけど、近郊型に合わせるとあずき色に
前面警戒色。急行型に合わせるとローズピンクとベージュツートン。
 まぁどっちでも様になりそう。

 あと、足回りはモハ72再利用でクモユニ74/クモニ83相当かしら?
 直流でも(〒が金出した)クモユ141以外は1970年代なかばまでは
荷電は旧型改造だったし。

 そうなると、顔は新性能荷電(クモユ141etc)ではなく、旧型(クモユニ74etc)
のほうになりそう。

>クモヤ445
 クモヤ441(モハ72改造)が既にあるけど?
 新性能の交直両用牽引車として1980年代以降に、401/421/481辺りの
廃車部品で改造名義で車体新造というのはありそう。
288名無し野電車区:2013/10/04(金) 12:01:35.54 ID:qB1gFul60
>>284
第三セクターって私鉄に分類されるの?
289名無し野電車区:2013/10/04(金) 14:35:39.06 ID:BJatSchi0
>>288
大井町駅では三セクのりんかい線を私鉄と案内していたな。
290名無し野電車区:2013/10/06(日) 20:47:17.86 ID:IJiWyVf6O
東京メトロ1000系リバイバルモード車
2014年配備分から投入予定の1000系で、1960〜80年代の古き銀座線を
リバイバルしたものである。
2種類あり、2000系+1500のと1200 1300形ら旧式車両編成を再現したものとに分かれる。
後者は70周年時に01系でやったリペットなども再現しており、車内も当時の壁紙と
室内灯で再現された。
(後者はつり革もリコ式を採用する予定だったが危険なため見送られた)
最大の点は室内灯部分が電気的に独立しており、駅手前のセクション通過時に
車内灯が消える昔の銀座線の車内を再現していることで、非常灯も当時の
位置を再現している。
2014年配備分から偶数編成が全てこの編成となる。
また1001FにもATCのセクション操作で駅50m手前で車内灯が消えるアクションが追加される。
291名無し野電車区:2013/10/08(火) 22:22:27.26 ID:gluX6wZa0
DE60形

JR貨物がDE10形の機関・駆動装置を更新し高速化改造したもの。
最高速度を95km/hに向上させ、貨物列車の高速化に対応するとともに、
5軸駆動の構造を活かして線路規格の低い路線への直通運転による所要時間短縮を図っている。

大きな変更点として、SG、もしくは死重が搭載されていた2エンド側ボンネット内に補助エンジンを搭載し、
発電機、空気圧縮機、冷却ファンなどの補機類を駆動する方式を採用した。
これにより、主機の出力を100%力行に利用できるようになった。
また、従来低速段・高速段の切り替えを行っていた変速機も交換され、
新たに中速段(従来の高速段)・高速段(95km/h走行に対応)が設けられた。
このほか、本線での高速運転を行うことから運転台の機器は通常の配置に改められている。
292名無し野電車区:2013/10/09(水) 00:14:52.46 ID:OguNN9ca0
JR貨物 DL100

重貨物列車の高速化と、JR北海道内の旅客列車牽引用に製造されたディーゼル機関車

構造はDF200を2両連結した形である。

重貨物列車牽引時は12軸の動輪により牽引力を飛躍的に増大させる。
軽量貨物及び旅客列車牽引時は、1両のみ動力駆動し、もう1両を電源車として運用することが可能になっている。

冷凍・冷蔵コンテナへの給電や、旅客列車への給電が可能となり、特にブルトレ牽引時には電源車が不要となり
そのぶん1両増結することも可能であるとともに、はまなすの場合はスハフ14の床下ディーゼルエンジンを停止させることにより
静寂性の向上を図ることもできるようになっている。

また、専用のロータリーヘッドを装着することにより、かつてのDD14のような除雪も可能となっている。

全車五稜郭機関区所属であるが、冬季には1部が除雪車として岩見沢、滝川及び旭川に出張配置される。
293名無し野電車区:2013/10/09(水) 10:03:56.28 ID:zxB6uJd80
相次ぐ車両トラブルで窮地に陥ったJR北海道にロシア鉄道(株)がサハリン内の改軌に伴い不要になった狭軌用車両の提供を行った。

DD50形500番代
元サハリン専用の2両連結型ディーゼル機関車ТГ16。そのままだと軸重20t近いので軸重軽減改造を行い、
機関もDD51更新車に搭載されているコマツ製のものに換装。
本来DD50のオリジナルは電気式であったがこの車両も2両連結式ゆえに液体式であるがDD50を襲名した。


キハ61+キサハ60+キクハ60
元サハリン用気動車Д3。東急車輛製であった為、改造は最小限度(ATS・循環式汚物処理装置取り付け)で終わった。
形式は先頭車が大馬力機関搭載車なので60番台となる。
294名無し野電車区:2013/10/12(土) 00:18:38.58 ID:BP6HykJW0
会津鉄道AT7200「AIZU MOUNT EXPRESS V」

東日本震災からの復興支援の為にJR九州の支援によって投入された特急用気動車。
基本スペックはJR九州キハ72系湯布院の森2世と同じであるが、東北地方の運行ということで寒冷地仕様
であり、JR東日本線(東北線・湘南新宿ライン・磐越西線)乗り入れ用のATS−Pを搭載しているという
相違点がある。
製造はJR九州小倉工場(機関部品は新潟トランシス製)。落成後、会津鉄道のスタッフの研修を兼ねて鹿児島本線・
肥薩線・豊肥本線・久大本線・肥薩おれんじ鉄道で一時テストを兼ねて運行された。その際に787系・885系・
新製間もない「ななつぼし」といったJR九州の名車たちとの2ショットも多く記録された。

ボディには最近の会津鉄道の車輌同様に会津地方に縁の人物が描かれ、九州から来たということもあるので大山巌と
山川捨松夫妻が描かれた。車体の形式名称表示は水戸岡デザインらしくボディサイドに「AT−DC7200」と
会津藩の旗に描かれた「會」の文字も記載。

製造銘板には「Produced by Eiji Mitooka」「SpecialThanks to Kyshu Railway Co」としっかり記載されている。
295anorak?:2013/10/12(土) 19:59:17.89 ID:hpjbeIU00
>>283に続く平行世界もの
◎国鉄001系電車
1980年
○WW2下、戦時輸送強化目的で梅田貨物駅と湊町駅(現JR難波)を直結する短絡線が建設されたが、
工期最短且つ費用最小の要請で区間の大半は大阪市電の南北を結ぶ路線を三線軌条化。
終戦の復興期、市電からの分離を目的に、新設された“なにわ筋”に国鉄の併用軌道も敷設され、
大阪駅/梅田貨物駅と湊町/汐見橋を結ぶ国鉄なにわ筋線が誕生。
福島以南の併用軌道は直流750Vの複線であり、電車のみならず、郵便小荷物列車や貨物も走行した。
長大な貨物列車が道路を走行する光景は、アメリカ、オークランドの“Jack London square”を彷彿。
併用軌道区間の停留所は低床ホームな為、当路線用の旧型電車のドアの下には、福井鉄道の200形等の高床電車と
同様な折り畳み式の車外二段ステップが取り付けられ、二両編成で運行。
利用客が多い靱本町は路上停留所から地下駅化されて路下電車形態。
1981年春のダイヤ改正、老朽車の置き換えに登場したのが001系である。
軽快電車プロジェクトを参考に設計。
車種はクモハ001のみで、片運転台で、奇数車番と偶数を反対向きに連結して二両編成。
最大の特徴は、車長20m程の鋼製車体の真ん中で客室の床面高さが大きく異なり、
車体中央からの運転室側の客室は当時標準の路面電車並の低床となっており、
運転室と車体中央から非運転室・連結面側は国鉄標準の通勤電車と同じ高床。
低床と高床各々の区画に両開き乗降扉二つ、併用軌道の停留所では低床区画の車内ステップの乗降扉で対応、
通常の鉄道の高床ホームでは高床区画ので、車内では低床と高床の両区画の境界に階段。
車体の低床区画では路面電車並の小径車輪の付随台車、高床区画は国鉄標準の電動台車、両者コイルバネ。
0.5M方式の750/1500V複電圧対応の抵抗制御。運転台等の先頭の意匠は103系に準じる。ロングシート、冷房。
本形式の車両形式称号は、国鉄にとって異端もとい、特殊規格を明示する為に三桁目を0にした。
車からの視認性を高める為に塗装は赤。高床区画に車が巻き込まれないように夜間点灯する保護棒設置。
併用軌道での人身事故対策に先頭にカウキャッチャーみたいなスカートも。
1987年4月、なにわ筋線と001系はJR西日本に承継。2013年現在も併用軌道と共に変わらず現役。
296名無し野電車区:2013/10/12(土) 22:50:12.05 ID:AOXUnyrD0
国鉄 レキ20系

昭和39年、鮮魚特急用に開発された冷凍/冷蔵車

従来のレサ等は、冷却を天井に設置した氷柱で行っていたが、夏場などに鮮度を保てず「生臭い」列車として有名になってしまっていた。
そこで、動力による冷凍/冷蔵により完全なコールドチェーン網を完成すべく登場したのがこの形式である。

ブルトレで使用されている20系客車をベースに、車体を冷凍/冷蔵構造とした。

ヤキフ20:カニ20をベースに、発電機と車掌室を設置した貨車で、15両分の給電能力がある。車体の2/3が電源室、残りが巨大な車掌室となっている。
       カニ20の荷物室スペースが全て車掌室となっていると想像するとわかりやすい。
レキ20:従来のレサ等の車体に、20系客車の走り装置を組み合わせ、床下に冷媒装置駆動用のコンプレッサーを搭載した。
      保温は、−18度、−5度、2度の3段階の設定が可能となっている。
レキフ20:レキに車掌室がついた形式

ヤキフ20+レキ20×8両+レキフ20の10連固定編成で、貨物量により付属編成としてレキ20×4+レキフ20の5連が用意されている。
基本的に鮮魚特急として運行されるが、鮮魚閑散期などには、温度を上げて乳製品や肉類などの混載も行われた。
また、北海道からの列車は鮮魚のほかに肉類や乳製品専用の列車も運行された。

走り装置は20系客車と同じなので、電磁ブレーキ等が装備され最高速度は110キロ、牽引機は旅客用機関車が指定された。

昭和50年代まで活躍したが、冷凍コンテナの開発によりコンテナ列車に移行し、昭和60年までに全車廃車となった。
297名無し野電車区:2013/10/13(日) 11:34:30.58 ID:sjoyr2R70
>296
良いアイディアなんだけどツッコミどころおおいなぁ。
まず、貨車なのか客車なのかわからないよ。貨車なら形式はレサ20000系辺りになったと思う。
(10000系を超える形式という意味と、20系客車の関連で)

ヤキフ→「ヤ」には荷重記号も緩急車記号もつかない。ありえるならヤ20000かな。
便宜的にヨ20000もありか。車掌車をメインにする。

レキ20→レサ20000が順当と思う。ただ、車内を三区分した20m級の大型冷蔵車ならレキ20000でもあり?

レキフ20→レムフ20000か、レラフ20000? 20m級ならレサフ20000か。

あと鮮魚列車は抱き氷で殆どの場合は輸送ができたから、冷凍機式は他用途のほうが
リアルティあるかも。食肉や乳製品や冷凍食品の輸送ならあり。昭和40年代なら
食生活の洋風化でそのへんの需要をうまく拾う方向性は合ったかもしれないし、
冷凍食品や輸入肉類を鮮魚列車の返送便(当然、空車!)で東京から地方に送る用途も
拓けたかも。

実在車ではレ90は北海道からの乳製品輸送に使われていた。諸般の都合で上手く行かなかったみたいだけど
あれが発展してればなぁと思ったりはする。
(RMライブラリの冷蔵車の本おすすめ)
298名無し野電車区:2013/10/13(日) 12:07:31.34 ID:42YiJ361O
JR西日本HB-キハ201系
山口線向けに作られた観光用気動車であり、営業車両として初のハイブリッド気動車である。
山口線は観光列車としてSLやまぐち号が走っているものの、原則冬季は
運転されないためにそれを補完する観光列車用として山口線に投入された。
ハイブリッド気動車のノウハウをJR西日本には持っていないため、既に運用及び
量産しているJR東日本の技術協力を得て作られた。
下回りはJR東日本のHB-キハE300系を基本とし、車体は225系を基本とした
西日本オリジナルとした。
車内デザインは水戸岡氏が手掛けるが、全て明治の客車をイメージしたレトロ調である。
編成はHB-キハ201形-200形-キロ203形-200形500番台-202からなる4両編成である。
3号車にはグリーン車が連結されるが、閑散期はこれを外して4両編成にも可能。
また機関車連結にも対応している。
各車両には幕末〜明治にかけて活躍した長州藩出身の著名人が描かれ、各車両も
これで分けられている。
1号車 桂 小五郎(木戸孝允)
1号車 伊藤博文
3号車(グリーン車) 山縣有朋(最初は乃木希典も検討された)
4号車 大村益次郎
5号車 高杉晋作
またドア付近には長州藩の家紋である一文字に三つ星も描かれている。
運転はSLやまぐち号同様の新山口〜津和野であるが、長州藩の居城である萩まで
運転を求める声に応え、現在は新山口〜萩間の運転となった。
なお車両は全て総合車両製作所製で、新潟トランシスで発注しなかったのは
戊辰戦争で賊軍であった長岡藩があったためではないかと噂された。
299名無し野電車区:2013/10/14(月) 01:03:31.26 ID:WtdTykm/0
>>297
突っ込みありがとうございますw
お詳しいですね

1両を3分割にして、それぞれ庫内温度を変えられたほうが、汎用性が高まるので実用的でしょうね
20m級にして、更に冷凍装置を付けると重量的にキ級になるかと思いました

北海道連絡用なら、青函連絡船内をどうするかを考えていました
4時間程度なら、冷凍停止してもなんとか温度が保てるかもしれませんが、連絡船側にコンセントつけて冷凍しつづける設定にするとロマンかな、とw

返空に首都圏で製造された冷凍食品(アイスとかもw)積んで返るとか、胸熱ですね
実際のとびうお号は、とてもそんな状態じゃなかったと聞いたことがありますが・・・

なので、しっかり保温できれば、と考えた次第ですw

ありがとうございます
300名無し野電車区:2013/10/15(火) 20:34:18.03 ID:kn3dAjYn0
EH630
北陸新幹線の安中榛名〜軽井沢間を330km運転にするための補助機関車。
301名無し野電車区:2013/10/16(水) 21:38:57.56 ID:4Z6VcbBz0
クヤ103
JR西日本で余ったクハ103を電車用電源車に改造したもの。
ガスタービン電源ユニットを車内に搭載した。
ジャンパ栓を使用するのではなく専用ケーブルでパンタグラフと直接接続し直流1500Vを供給する。
これにより非電化区間での電車自走も可能となった。
113系や223系5500番台と併結し山陰本線で実験を行っている。
302名無し野電車区:2013/10/18(金) 22:10:28.77 ID:+sdRMar00
JR九州305系

筑肥線の103系1500番台置き換えのため投入された通勤型電車。
103系の運用に入るため西唐津方からクモハ305-モハ305-クハ305の3連としている。
主制御装置と補助電源装置を各電動車、空気圧縮機をクハ305形に搭載している。
また、クハ305形にトイレ、車椅子スペースを設けている。座席はロングシートとしている。
市営地下鉄乗り入れのため、ATO,ATCおよび自動放送装置を設置している。
一部編成にはJR東日本・鉄道総研の協力により開発された車両搭載型軌道検測装置が搭載されている。
また当該編成には、自社の800系新幹線で実績のある電力・信号・通信の検測装置を搭載可能(検査時のみ)である。
303名無し野電車区:2013/10/20(日) 17:06:14.40 ID:BpexXwoO0
国鉄「水上電車計画」
旧国鉄が短距離の航路向けに研究した「水上電車」。
電車とはいっても、その実態は水上にトロリー線を敷設し、そこから電気を供給することによりパンタグラフを搭載した電動客船を運航させるという計画である。
極性に関してはトロリー線を陽極、船底を陰極とすることで船底の腐食を抑えている。
また水中にはガイドレールを設置し、船がトロリー線による「軌道」から外れない構造ともなっている。
(この構造は後に東京ディズニーランドのアトラクション、「ジャングルクルーズ」に応用されることとなった)

試験は波が比較的穏やかな東京湾で、300m程の距離で不要となった漁船を改造して行われた。
漁船の底部に「電極」となる銅板を貼り付け、動力をディーゼルエンジンからMT40モーターに交換。
パンタグラフは旧型国電の流用品となるPS13を操舵室の上に搭載するという奇怪な見た目の船となった。
水中に敷設されたガイドレールは農業用モノレールのそれを元にした、簡素な構造となっていた。
海上に敷設されたトロリー線から直流1500Vの電力を給電し、MT40で駆動される(減速機を使い適切な回転数まで減速している)スクリューにより航行する奇妙な船は、東京湾の海上バスの乗客にしばしば目撃されている。

しかし「海中のガイドレールで誘導する」という構造上、通常の船以上に高波に弱いことが発覚し、また海面を電極とすることそのものが海の生態系に悪影響を及ぼしかねないのではという懸念が出たため、「水上電車計画」は白紙撤回された。
実験船である「でんこう丸」は東京・台場の「船の科学館」で展示されている。
304anorak?:2013/10/20(日) 17:46:42.69 ID:cALMRTnr0
>>295に続く平行世界もの
◎国鉄003系通勤形電車
○1960年代、東西冷戦が偶発的な核戦争になった場合に備え、丹沢山麓の神奈川県愛甲郡と厚木市に
首都機能のバックアップとなるニュータウンの建設に伴い、都心と直結する国鉄愛甲線が着工。
経路は、現在の駅名で、東京〜霞ヶ関虎ノ門〜東京タワー〜品川〜中延〜田園調布一丁目〜武蔵中原
〜梶ヶ谷貨物ターミナル〜宮前平〜鶴川〜淵野辺〜上溝〜愛川〜厚木荻野。
防空防災強化の為に東京・上溝区間は長大な地下線とされた一方で、
赤字国鉄の負担削減目的として第三軌条電化でトンネル断面を標準よりもさらに狭小化する事で建設費抑制。
1982年春の開業に備え、81年に愛甲線用に新造されたのが003系である。
車種は、モハ003/003(M/M')、クハ003/002(Tc/T'c)、サハ003(T)の五種。6M4Tの十両編成。
仕様での固有な特徴は、一に超狭小断面トンネルに合わせた板蒲鉾みたいな車両形状、
二に国鉄としては異例の界磁チョッパ制御、三に直流1.5KV架線集電と直流750V第三軌条の複電圧車と、
後述の通り国鉄の財政難、全国的な投資バランス、愛甲線の状況と地位、費用対効果を強く反映した設計となっている。
車体は、セミステンレス製、両開き四扉、超狭小トンネル断面に合わせ窓部は内側に傾斜し、窓上部から屋根へアーチと、
ロンドン等の海外の第三軌条地下鉄でお馴染みの板蒲鉾似の台形的断面。
運転台・先頭の意匠は、空気抵抗削減に為、切妻とせず、国鉄協力の福岡市交1000系に類似。
主制御は、超狭小トンネル内の温度上昇の抑制の為、電機子チョッパ制御が望ましく、201系量産中にも拘わらず、
安価な界磁チョッパを採用し、回生ブレーキ実用、装置をMに集約。
架線用のパンタグラフはMに一基搭載、その搭載箇所はより低屋根。第三軌条用集電靴をMとM'の台車に設置。
コイルバネ台車、屋根では無く車端の車内機器室に冷房装置設置、ロングシート。
本形式の車両形式称号は、国鉄にとって異端もとい、特殊規格を明示する為に三桁目を0にした。
一次車の82年就役後、愛甲線の利用客増加に応じて増備が続けられ、界磁添加励磁制御の205系が量産中であっても、
国鉄末期まで仕様の根本的な変更無く量産され続けた。
1987年4月、愛甲線と003系はJR東日本に承継。
新型車によって置換、廃車予定。
305名無し野電車区:2013/10/21(月) 01:25:40.33 ID:PL0XAfx30
もしも、根室拓殖鉄道が生き残っていたら・・・

「ちどり号」「かもめ号」「銀龍号」の更新改造が行われ、老朽化した機関(日産A型6気筒エンジン)の換装も行われたが・・・

日産の6気筒エンジンを搭載し、2軸単車ということもあるので、思い切った事をやってしまった・・・
エンジンはスカイラインGT−Rと同じRB26DETTとし、駆動部もGT−Rと同じアテーサE−TSを、そして電動スーパーハイキャス
を組み込んだ足回りと。お陰で従来1時間かかった根室−歯舞の所要時間が15分と大幅に短縮したのでした。

で、こともあろうにドイツのニュルブルックリンクサーキットに軌道を特設して銀龍号のでタイムアタックを行ったが、なんと!7分59秒
フラットで周回してしまったという恐ろしい記録を叩き出している。
306名無し野電車区:2013/10/21(月) 09:06:42.71 ID:SonS2oAM0
>>305
もちろん「世界最速のナローゲージ車両」としてギネス認定されたのは言うまでもない。
307名無し野電車区:2013/10/22(火) 15:28:35.45 ID:B7fOu42t0
国鉄サロ711形電車
1969年の小樽−旭川間急行「かむい」の電車化に合わせて登場した711系のグルーン車。
車内設備はサロ455形に準じているが、北海道用のため2連下降窓ではなく、
キロ26同様の1段上昇式となった。キロ26とは異なり蛍光灯カバー付きである。
当初から冷房装置が取り付けられ、AU13E×5台と自車給電用40kVAMGを搭載している。
TcMTc+TsMTcの編成で急行「かむい」「さちかぜ」の運用に使用された。
しかし、1975年の電車特急登場以降は次第に特急格上げが相次いで1984年には余剰車が出始め、
1986年には711系の急行運用も廃止されたことで711系kからグリーン車の連結もなくなった。
そこで3扉化・セミクロス化・運転台取り付けという大規模な改造工事が行われることになり、
全車がクハ711形500番台に改造された。改造後も冷房装置はそのまま存置されている。
その後はクハ711形500番台と組む編成の相棒も冷房改造を受けて快速・普通列車に活躍したが、
1999年〜2003年にかけて731系に置き換えられて廃車となった。
308名無し野電車区:2013/10/22(火) 15:30:01.03 ID:B7fOu42t0
訂正
×:グルーン車→◎:グリーン車
309名無し野電車区:2013/10/22(火) 18:51:01.56 ID:40eoWtBR0
>>280
まさかえち鉄の特急が現実化するとは
310名無し野電車区:2013/10/23(水) 23:09:18.69 ID:3QNhoNvc0
N700系10000・11000番台
JR西日本とJR九州が開発したN700Aの九州新幹線乗り入れバージョン。
16両編成と同様に定速走行装置と中央締結ディスクブレーキを採用した。
10000番台がJR西日本の、11000番台がJR九州の所有。
311名無し野電車区:2013/10/26(土) 18:15:05.87 ID:SfWy82IIO
国鉄103系1200番台1206〜
昭和56年に作られた最終グループで、この編成からは始めから10両編成となっている。
クモハ102がなくなって奇数方のクハ103が新たに作られた他に、6M4Tの編成と
したためにサハ103形も新形式の1200番台で作られている。
また主電動機をMT54を地下鉄対応型にしたMT54Sとなり、台車はDT32/TR69を
両抱き式ブレーキ式にするなど地下鉄対応型にしたDT32S/TR69Sとなっている。
また回生ブレーキ及び抑速ブレーキも取り付けられた。
車体は103系と変わらないものの、AU75は後日装備の冷房準備非冷房車となっている。
但しAU75架台には換気装置を2基備え、扇風機はないラインファン式となっている。
なお通風器は押込型の角形である。
補助電源装置は190KvAブラシレス式をモハ102に搭載準備を施工し、非冷房車
当時は70KvAのMGを搭載した。全面は高運転台となり、クモヤ143に準じている。
10両編成4本が三鷹に配備されたが、最初は東西線ではなく総武緩行線で
101系の取り替えで一時的に使われていたこともある。
平成元年に先行して冷房が取り付けられた。
モハ103/102-2044以降の最終形にあたり、比較的車齢が若かったために
この際には更新は行わなかった。
更新は平成7年に4本がまとまって行われた。施工工場は郡山が2本 土崎と長野が各1で
これがJR東日本が施工した103系最後の車両更新となり、この際に301系の
老朽車を取り替えている。E
231系800番台からの置き換えも免れて東西線最後の抵抗車として孤軍奮闘し、
平成15年には253系の部品を使用して添加励磁式に改造されている。
平成20年に運用数削減に伴ってメトロ車に取り替えられる形で2本が廃車と
なったが、これらはJR西日本に譲渡され、阪和線と一部は呉線で使われ、現役。
残っていた2本も22年にE233系1200番台に捻出された209系1000番台に取り替えられて
西日本へ譲渡予定前提の4両2本を除き全て廃車となった。
しかしその4両2本が拝島駅に疎開留置中に運命の東日本大震災に遭遇。
西日本譲渡は取り止められ、仙石線向けに緊急派遣されることになった。
塗装変更とトイレ取り付けやシングルアームパンタ化等を施工の上、仙石線の
救世主となった。
被災車両の復帰が困難であるために2013年現在も使われている。
312名無し野電車区:2013/10/26(土) 18:28:10.57 ID:uCxMuUiQ0
>>311
その設定でも束だったらあっさりあぼーんしてたかと。
国鉄末期に片福線が開通してたら関西にもまとまった数が増備されて、
今なお現役かもw
313名無し野電車区:2013/10/26(土) 21:35:59.54 ID:LcbnINfS0
115系3200番台
国鉄が1984年から製造した115系3000番台の廉価バージョン。
413・417・717系のような2扉固定クロスシートとなった。
314名無し野電車区:2013/10/26(土) 21:54:29.69 ID:wP7gGePh0
【不買運動】ポッカサッポロは男性を侮辱した女性専用車両広告を使う反社会的企業です

ポッカサッポロフード&ビバレッジは女性専用車両という卑劣な男性排除によって生じた女のみの状態となた場所に広告を出して金儲けをしようとする反社会的企業です。

(コーン茶の広告)
http://www.youtube.com/watch?v=2xAE8e6yUKw&feature=channel&list=UL

男性の人権を毀損したこの企業の製品・サービスに対して不買を心がけと情報拡散をしましょう!

<女性専用車両にはこんな女が生息しています>
http://www.youtube.com/watch?v=7QyHmAe2c-0&list=PLzeFCSP7xRziIIipBhtKgGQ-aCrLXq8Hi
315名無し野電車区:2013/10/28(月) 10:00:08.75 ID:1Q1fW4Rr0
キハE130形900番台
JR東日本が開発した「モーターアシスト付き気動車」。
付随台車にモーターを搭載する事で加速性能の向上を図った。
316名無し野電車区:2013/10/30(水) 20:36:27.25 ID:zFWjNi4uO
マシ49形10番台(マシ49 11)

空襲で被災し、休車になっていたスシ386だったが、1947年にようやく復旧した。
但し食堂車ではなく、料理室付3等車スハ4833としてだ。
これは、復旧工事を担当した大宮工場が、占領軍に対するあてつけに、勝手に食堂部分を3等室に改装してしまったからだ。

外観は妻面が『絞り折妻』に変わり、客室になった旧食堂は同時期製造のオハ35に準じた簡素な内装だった。

東北本線・常磐線筋の長距離列車に組み込まれて運用されたが、1952年に食堂車への復元が決まり、翌年、長野工場で更新修繕と食堂復元工事が施された。

照明が蛍光灯になり、空調準備工事も行われたため、スシ48形に編入されたが、種車の違いから番台区分された。(スシ48 21)
インテリアは旧スシ37の同形車と同様にビニールクロス張り。

1954年、川崎KM7空調装置を取り付けられたため、マシ49形に編入。(マシ49 11)
品川に転属して特急『はと』予備車や『さくら』用として運用された。

オシ17の増備が進むにつれ予備車的存在になったが、内装自体は新しかったため1968年まで品川区に留まり終焉を迎えた。
317 【大吉】 :2013/11/01(金) 17:24:51.26 ID:KdmFBW4s0
架空の喫煙車両ですが、

完全オープンな車両。
まぁ、タバコのポイ捨ては困るので、金網で囲うぐらいはやりますが。

あるいは、編成の最後尾に”展望車”みたいなのをつけて、そこを
喫煙場所にすればウケるかもしれないと思いましてね。






ただ問題は、撮り鉄が喫煙車両を占領しないかということ。
喫煙車両内で
「すいません、タバコはやめてください」
とか、連中は間違いなく言うから。
318名無し野電車区:2013/11/02(土) 00:58:16.41 ID:Ps0xP9I30
新手の煙害だ

ヤニ吸う奴って煙の行方気にしないからな
319名無し野電車区:2013/11/02(土) 16:30:18.88 ID:XaOg8sMu0
蒸気機関車は好きだけど、煙草の煙は嫌いですか。

論理的矛盾がありそうですが、まぁいいです。
オイラもここ数年、煙草に火をつけてませんから。
320名無し野電車区:2013/11/03(日) 09:55:23.79 ID:vI3OBaNi0
JR西日本広島地区に投入された新車の正体

東急8500系改め205系8500番台
本当は近畿地区と同じ321系を投入したかったが、資金的な問題があり東急より8500系を譲渡してもらうことになった。
施工は幡生工場で行われ、JR東日本の武蔵野線用205系と同様にVVVF化され、室内も321系と同様のものに変更。
321anorak?:2013/11/03(日) 18:38:37.08 ID:t9x4YE+I0
>>304に続く平行世界もの
◎国鉄431系近郊形電車
○地質学的に又は水源若しくは温泉の源泉保護により長大トンネルの掘削が困難な地域での新線建設促進を目的に
最大勾配50‰という登山鉄道的な規格を採用し、以下の路線が1980年代前半に開業。
戸隠線(E):長野〜戸隠〜白馬
和田線(E):大屋〜丸子〜岡谷
富士御坂線(C):御殿場〜富士急ハイランド〜御坂峠〜南甲府〜身延線直通〜甲府
信飛線(C):塩尻〜新島々〜安房峠〜神岡〜飛騨古川〜高山線直通〜高山
三信線(C):大高〜新豊田〜足助〜稲武〜阿智〜中津川線(いいなか線)直通〜飯田
南丹線(W):茨木〜豊能〜能勢〜八木〜京北〜若狭本郷〜小浜線直通〜小浜
貨物輸送を考慮し、機関車に対する、空転し難い、より高い粘着性能の要求から交流電化とされた。
これらの路線用に431系電車が、80年から84年まで量産された。
本系列最大の特徴は、交流電化の登山区間では粘着性能に優れる交流電気車固有の低圧タップ制御で、
直流区間では通常の抵抗制御と、電化方式毎に両方搭載。
これにより交流電化のメリットを最大限活かす。
車種はクモハ431/430(Mc/M'c)の二種、McM'cが基本編成。
主電動機はMT54系で、直流区間では定格120KWだが、交流では150KW。
主抵抗器は直流用制御装置と交流登山区間の勾配抑速用発電ブレーキと兼用。
国鉄の深刻な財政状況、組合対策、費用対効果などの観点から、サイリスタ位相制御と回生ブレーキは採用せず、
枯れた技術の集大成で、低圧タップ制御で発電ブレーキ方式の交流電車0系新幹線のを応用。
一両当たり主電動機3台、空転し易い運転台側は1台のみで中央寄り動輪に。
パンタグラフとトイレはM'cに。
二種の番台が在り、415系類似の三扉車体でコイルバネ台車の0番台と、
豪雪地向けに417系を踏襲したステップ付き二扉、雪切室付き、空気バネ台車の1000番台。
冷房は0番台に搭載の一方、1000番台は冷房準備。
塗装は、国鉄の交直流近郊形の標準色、小豆色。
既存の電車に比べ高価な為、各路線に必要な分を満たせず、ラッシュ時には電気機関車牽引の50系客車も動員される。
87年4月の国鉄分割民営化により431系はJR東日本(E)、東海(C)、西(W)の各三社に承継。
その後、全車冷房化、車体色変更、更新などが実施される。
2013年も現役だが、東海は来春全廃。
322名無し野電車区:2013/11/03(日) 21:16:57.55 ID:ouITsdTV0
サロ211・210-5000番台
JR東海が製造した211系5000番台のグリーン車。
冷房がC-AU711に変更された。

サロ212・213-5000番台
JR東海が製造した211系5000番台の2階建てグリーン車。
基本的な構造は東日本のサロ212・213と同一だが、C-AU711を車端部に取り付けたため屋根が凸凹している。
323史実捏造:2013/11/08(金) 19:50:48.79 ID:W78W60YxO
C58・C59形準戦時型

戦争の激化で蒸気・電気機関車は代用材の導入や製造工程簡略化が行われたが、それは未だ製造が続いていた急行旅客機C59や丙線用C58も例外ではなく、昭和18年度下期以降に着工予定のC58350〜368(川車)とC5981〜90(日立)に対し、一層の工作簡易化が求められた。

C59については反対意見もあったが、軍部を慮った鉄道省中央は譲らなかった。
かくして、同年11〜12月に竣工したC5981〜90と、翌19年1〜3月に竣工したC58350〜368は、除煙板や手摺の木製化、ボイラー上ケーシングの蒲鉾型化、鋼板の平滑仕上省略、C59の煙室前面を角形にする等、見栄えは大幅に低下した。

戦後はほぼ全機が標準形態に改装されたが、C5981〜90の煙室前面は角形のままだった。
324名無し野電車区:2013/11/09(土) 00:00:17.99 ID:JfFLH4Bo0
 153系3000番代
 1980年。田町電車区への185系への新造投入に予算面でストップが掛かる。未だ使える153系電車を更新延命できると。
 しかし、営業面で急行「伊豆」の特急「踊り子」格上げ計画は強行された。また、既に試行投入されていた185系電車は斬新なスタイルで大好評。

 そのために、153系電車を更新した際に「全転換クロス化」と「185系同様の斜め塗り分け」を行い、かの「かえだま」以来久々の特急復帰となったのである。
 座席や内装こそは185系に揃えられたものの、ユニットサッシや前面(流石に元500番代のみ)など153系のママ。
 利用者からは「こんなの特急じゃない」と罵られる始末。特に185系の併結時に違和感は顕著。
 しかし185系の新製はJR化直前の1986年まで繰り越され、偽物踊り子は君臨し続けたのであった。1986年にやっと全車が廃車に。

 165系3000番代
 1982年には東北上越新幹線大宮暫定開業のため、上野〜大宮間のリレー号用に(略。
 こちらは85年3月改正以降は塗り分けの一部を変更し(側面に「N」を描く)、「みすず」等に投入された。
325名無し野電車区:2013/11/09(土) 00:11:52.65 ID:0O4vj6LA0
153系マルーン塗
 1981年、阪急京都線が台風による橋梁流出で長期不通になってしまう。そのため、東海道本線大阪口では長期間(約半年)の代行運転を行う。ここは列車線も使った限界までの増発で凌いだが、その際には廃車予定であった保留車の元ブルーライナーの153系が再起。
 しかし、その再整備には当時の国鉄工場は手一杯。ここで吹田から正雀に入庫させ、阪急側で整備を行う運びとなった。塗装の汚損がひどかったため全面塗装を行ったが、正雀側の塗料手持ちから阪急マルーンで出場。
 また、一部車両はモケットを6300系用手持ちのオリーブグリーン段付、木目化粧板になった車もあった。恰も阪急電車のような153系の登場。

 以上の153系の3タイプは、トミーのプラレール「おどりこ号」「リレー号」「通勤特急」で更に有名になってしまった。
 国鉄およびトミーの黒歴史である。
 

 101系の東海道線配置
 1970年、113系電車を関西に集中配置する必要に迫られた。そのため東京地区では72系を温存して101系を捻出。東海道本線東京口に投入する運びとなった。中央線の10両編成をそのままもってくる。
 塗り分けは湘南色としたが、前面は何故か113系風のV形塗り分けとされた。クハ85のような直線塗りだと緑が多すぎて重い感じになったとか、荷電やクハ85との識別のためとか云われる。

 こちらはラッシュ時には寧ろ好評であった。主に小田原〜東京間では(新設された)通勤快速に集中投入され「かいそくでんしゃ」として親しまれた。

 こちらもトミーのプラレール「かいそくでんしゃ」として(略。

 101系のアルミ仕様1900番代(全面アルマイト仕上げでやたらピカピカ)で「ちかてつでんしゃ」というのも考えられる。A-A基準策定前の301系の試作車で後日貫通化されて301系900代とかかね。
326名無し野電車区:2013/11/09(土) 00:40:11.86 ID:0O4vj6LA0
 ペンシルバニア鉄道及びアムトラックの日本製電機たち

 1967年、ペンセントラル統合直前に投入された2両は車軸配置はB-B-B。EF70似の車体をモスグリーン塗、大きくロゴを描いた姿の写真が数枚残されている。GG-1などに混じって北東回廊の旅客列車に使用されたらしい。
 当初、メトロライナー新設にあたって0系新幹線的な電機を要求したらしいが、0系では電機ではなく電車であると説明するのに苦労したという逸話がある。その流れで、異例の日本製電機の北米輸出第一号となった。
 ペンセントラルに引き継がれたものの、その倒産時にコンレール/アムトラックへの引継ぎがされずに「幻の電機」となってしまった(債権者によってメキシコかカナダに転売されたとも?)。その姿を知る人も少ない。

 また、1974年。三菱電機がアムトラック向けに試作電機を2両納入している。
 当時のアムトラックはフランスおよびスウェーデンより電機を借用して新型機のテストを行なっていたが、その際に先のペンシィ時代の日本製電機が思い出されたのであろう。同等のB-B-Bの導入である。
 車体は西武鉄道E851形に近いもので丸窓を省略したような姿である。
 少数派ながら、1980年代までは量産されたスウェーデン製電機と混じってメトロライナー/リージョナルの牽引に従事した。

 試行導入に終わった2形式であるが、これらが好評であったことからNYCの地下鉄やカルトレイン、サウスショア線への日本製車両の投入が進んだと云われている。

 以上の2形式は前者は関水金属製造のNゲージ模型がコンコーブランドで(1960年代末)、後者は1980年代にKATOブランドで市販された。後者は国内販売もされたのでご存じの方もおおいであろう。丸窓モールドを追加したものは西武鉄道E851として出荷もされた。
(というわけで今度は昔のNゲージネタ。ペンシー仕様のEF70はブッタマゲたわまじで。EF70青塗の方は、EF70の直流化改造計画あったから、それでいいよね)
327名無し野電車区:2013/11/09(土) 01:22:48.41 ID:0O4vj6LA0
 アホネタ連投して気がついた。
 プラレールは165系ベースだったね。しかしあの無茶苦茶なバリエーション展開はトラウマなのか、アドバンスの方の165系は何故かカラバリ展開がないし。
 新快速とかMLえちごとか出して欲しい(無論サロ抜きで)。
 

 サロ112 1000番代 1001・1002
 横須賀線用のサロ112。当然サロ152及びサロ163からの改造車で、冷房化されたもののうち2両が1979年に関西からサロ113と同時に転属してきたもの。但し1980年には廃車。
 スカ色化及びA基準改造後に活躍したのは実質1年である。定員の少なさ故に予備車扱いでもあり、ほとんどファンのカメラにも収まっていない。
 同種の車体・塗色のサロ165-14と混同されるのもこの車の影の薄さを物語っていよう。
 なお、トミックスの最初期113系で製品化されており、此方は有名であった。断じて嘘タイプではない。


 国鉄DC12形ディーゼル機関車 1.2
 プリマウス製の入換用C形ディーゼル機関車。キャブの大きいL形機であった。当時はガソリン機関車。
 プリマウスの内燃機は日本でも762mm/610mm用で5トン前後のものは工事用などでそこそこ導入されていたものの、1067mm軌間用はこれが唯一。また35トンという重量も格別なものであった。
 鶴見臨海鉄道沿いの外資系企業が1930年代に2両輸入したもので鶴見臨海鉄道車籍を有す。但し、戦時買収時には使用休止中かつ敵性財産として国鉄車籍には入らず。

 戦後、外資系企業に返還。1950年代にはディーゼル化も行われている。
 1952−55年及び、1967−69年の2度に渡り、鶴見線内の入れ替え作業の関係上国鉄車籍が必要になり、便宜上DC12形とされた(異例の私有貨車ならぬ私有機関車である)。
 1968年頃国鉄DL標準色となり、このカラー写真が有名である(廃車回送時に撮影されたもの)。
 実は化学プラントの中で使われることが殆どで外部の人間にはほとんど知られていなかった。国鉄線内での入替も深夜に限られ、稀な目撃者も私有機関車ということで平凡なスイッチャーの一つと認識してしまってたらしい。
 その貴重さが知られたのは廃車回送時であったのは皮肉である。
 なお、トミーナインスケールのCタイプディーゼル初代はこれを製品化したものあり、製造元のバックマンはこの型をもとに数々のタイプをOEM供給しまくったのであった……。
328名無し野電車区:2013/11/10(日) 20:31:03.20 ID:yUE03KUR0
京急航空コンベア880

京急グループの航空事業者・京急航空がかつて使用していたCV880形機。
京急航空は1950年後半に設立された京急グループの国内線専門の航空会社である。
文字通り「突如として設立された」ために設立の経緯に関しては諸説あり、その中には「空港線の羽田空港延長を半ば無理やり認めさせるために設立した」という説すらある。
(ただこの説を裏付けるような点として、設立の趣旨に『空港連絡線と自社系列の航空会社を一体運営することにより都心と日本各地を一本で結び、地方と国土の繁栄に貢献する』という項目がある)
開業に当たっては中古のCV880の5機体制でスタートした。
CV880を選択した理由としては、表向きには「定員100名程度のサイズであり、輸送力が少ないということを理由に大手2社との住み分けを図るため」となっているが、一説にはCV880の高速性に目をつけたとも言われている。
また、京急航空のCV880は一部に「高速化改造」がなされていたという説が存在している。
CV880のエンジンは戦闘機用ターボジェットエンジンであるJ79から推力増強装置をオミットしたCJ805を搭載していたが、京急航空のCV880はエンジンを推力増強装置付きのJ79に変更していたと噂されている。
この説の信憑性を高めている点として、「夜間にエンジンから青紫色の噴射炎が出ていることが目撃されている」、「エンジンの全長が長くなっている」、「エンジン音が日本航空のCV880よりも大きい」、さらに「翼端に燃料タンクを増設していた」などの点が指摘されている。
CV990の課題であった安定性に関しても、尾翼を大型化するなどで対処していたとされている。(日航のCV880と並ぶと、尾翼が一回り大きくなっていることがわかる)
329名無し野電車区:2013/11/10(日) 20:32:35.66 ID:yUE03KUR0
京急航空ボーイング787-8S「ソニッククルーザー」
京急航空は開業時には先述のCV880形機を使用していたが、ターボジェット故の燃費の悪さ・騒音や安定性の問題から1990年頃までに機材をボーイング737-200形機に更新した。
しかし航空輸送の大衆化や、航空自由化とそれに伴う運賃水準の引き下げにより乗客が増え、比較的小型のB737では輸送力の限界が見えてきた。
折しもその時期に、ボーイングがA380形機への対抗商品として遷音速で航行する中型機「ソニッククルーザー」を発表。
具体的な仕様が発表されなかったことで「A380に対する嫌がらせ目的だけで発表した」とすら言われていたソニッククルーザーであったが、これに京急航空が目をつけた。
詳細な仕様すら決定していなかったソニッククルーザーであるが、ほぼ京急航空の熱意のみで「製品化」が決定したような形となった。
立ち位置的には同社の最新鋭中型旅客機・B787の派生機種という形で生産されることになり、「787-xS」という形式となった。
名目上はB787の派生機種ではあるものの、機体はカナード付きダブルデルタ翼となり、B787との共通点は胴体の寸法及び材質(炭素繊維複合材)、
ロールスロイス・トレントベースのエンジン(高速巡航のためにバイパス比を低く設定されており、実質的には異なるエンジンであるが)を搭載する程度しか無い。
京急航空が導入したのはB787-8形と同クラスの輸送能力を持つ、-8S形となっている。
座席はエコノミーのみのモノクラスとなっている。
当初は事実上の「京急航空専用機」として生産されていたが、その高速性から近年では他の航空会社からの発注も来ている。
(エミレーツ航空は航続距離延長型である787-8SERを35機発注したと言われている)

羽田空港の第二ターミナルに京急の長距離バスと同じく紅白の塗装を施された、ダブルデルタ翼の近未来的な航空機が駐機している姿は同空港の新たな名物となっていることは言うまでもない。
330名無し野電車区:2013/11/10(日) 20:51:06.99 ID:yUE03KUR0
JR四国3000系客車「アイランドエクスプレス」

JR九州の「ななつ星in九州」、JR東日本のクルージングトレインの成功を受け、JR四国が鉄道業からの収入向上の切り札として導入したクルージングトレイン。
当初は旧型車からの改造も計画されたものの、「柔軟な運用が可能であり旅のロマンの演出にもなる客車方式を採用する」という点から見送られ、専用の客車を新造するということが選択された。
編成は8連。車体は快速「マリンライナー」で使用されている5000系電車(=JR西日本223系5000番台)をベースとしており、台車も5000系のそれに乗り心地向上のためオイルダンパ方式の軸ダンパを追加したものとなっている。
JR九州、東日本の車両と決定的に違う点として、一人用個室も設定されていることがあげられる。
流石に2人用個室と比べて室内は狭くなるものの、それでも1両辺りにたった3名分しか設定されていないことで従来の寝台列車とは一線を画した豪華な設備を設けることが可能となっている。
また、車両のテーマは「純和風」に設定されており、客室は老舗旅館のような雰囲気を醸し出している。
特徴的な点として、3号車がいわゆるトロッコ列車のようなオープンタイプの展望車になっていることが挙げられる。
これはかつてJR四国が運行していたトロッコ列車タイプのジョイフルトレインのノウハウを転用したものである。
331名無し野電車区:2013/11/11(月) 21:38:44.49 ID:GvmsuHJ90
DD13形

戦後、航空機開発が禁止された日本において技術を温存するため他の業種への転用や技術者の移籍が行われ、
鉄道省改め日本国有鉄道においても多くの技術者を受け入れた。
それから10数年が経った1950年代後半、入れ替え用機関車のディーゼル化が検討された。
まず開発されたのは気動車と同じ駆動系を採用したDD11形であったが、これはあまりにも非力であり、
より高出力で実用に足る機関車の開発が決定した。こうして設計されたのがDD13形である。
当初は新潟鐡工所やダイハツが共同開発したDMF31形エンジンの搭載が検討されていたが、
国鉄に在籍していた旧中島飛行機の開発陣が研究を進めてきた星形ディーゼルエンジン・DMG30形の開発にめどがついたことから
現車搭載の上、優秀な成績を残したDMG30形が採用されることとなった。(なおDMF31形の改良形が後に一般形気動車に採用されている。)
採用の根拠としては重量当たりの出力が高いことと、構造上空冷が効き易くラジエータが故障しても短時間であれば運用が可能なことが挙げられた。
332名無し野電車区:2013/11/12(火) 18:10:35.78 ID:+kwnjz0rO
京成電鉄AE形(初代)AE71〜78 AE81〜88
AE形(初代)の最終形で1988年に作られた。
1991年予定の成田空港ターミナル乗り入れを念頭に、当初から8両編成で
落成されている。
4号車にサービスコーナーが付くなど編成も1990年にAE100形が量産される
基本型を踏襲した最初の車両で、AE100形及び通勤車3700形への礎となった。
前面が幕式となり、側面に行先幕も付いた唯一のAE形でもある。
走行系はAE形ではなく3600形及び北総開発鉄道7000形を基本としたものとなる。
台車はFS043XA FS543XAでAE100形FS543の試作形。
但し当初は従来のAE形同様に6両編成で使われたためにAE74-75 AE84-85は
1990年まで連結されず、宗吾の車両基地に留置されていた。
1991年よりAE100形2本の運転開始に併せてAE74-75 AE84-85を組み込んだ8両編成
での運転を開始した。これに伴いAE31 AE61の編成が8両編成化の組み込み
車両を除いて解体されている。
1990年製であったために3400形への種車にはされず、AE100形と共にスカイライナー
に使われ、2002年には車内の更新も行われてその際に3700形同様のVVVF化も行われた。
(この改造が元で京成オタからは「ライナーターボ」「魔改ライナー」と揶揄され、
2chで専用スレまで立てられるほどになる)
しかし2008年にスカイライナーとしての営業車両としては一時的引退する。
333名無し野電車区:2013/11/12(火) 18:13:44.99 ID:+kwnjz0rO
>>332続き
成田スカイアクセス線開業にあたって試運転用として一時的北総線の牧の原車両基地に常駐し、
開業に向けての試運転を行われた。これにより初代成田空港駅と成田空港
ターミナルに成田スカイアクセス線と全ての京成空港線を走った唯一の
初代AE形となる。
成田スカイアクセス開業後はシティライナー用にAE100形と共に復帰する。
但し晩年はAE74-75 AE84-85は抜き取られ、6両編成になっていた。
しかし2011年の東日本大震災に際して、成田スカイアクセス線での160kmに
よる運転が出来なくなり、130kmの徐行運転を余儀なくされた際に3700形同様の
この車両が急遽成田スカイアクセス線経由のスカイライナーにも緊急投入され、
これが最後の晴れ姿となった。
2012年末にAE81編成が大晦日終夜運転のシティライナー運用を最後に2013年1月に
廃車解体され、AE71編成も今秋引退予定で、京成電鉄創立記念日の土日に
ラストランが行われる。
運用はシティライナー91号(上野〜東成田[初代成田空港])92号(東成田〜押上)
翌日スカイライナー91号(上野〜成田スカイアクセス線経由〜成田空港)92号の往復で
乗車券のハガキとネットによる一般応募は1万人を越える倍率となった。
なお解体された下回り系の台車等は3400形の3431Fと3441Fの足回り交換に
再利用される予定。
334名無し野電車区:2013/11/12(火) 18:38:14.96 ID:+X9MjVun0
415系2500番台
JR東日本で415系1500番台を東北本線・仙石線短絡線用に転用したもの。
番号は原番号+1000となった。
半自動ドアスイッチを増設している。
4両編成のみのためラッシュ時のみ使用される予定。
335名無し野電車区:2013/11/12(火) 18:46:06.00 ID:KdIgjwrb0
キモイ03
336名無し野電車区:2013/11/13(水) 20:37:48.55 ID:W9Z261zo0
415系1550番台
JR九州が製造した415系。
東日本の1500番台との重複を避けるため1550番台を名乗っている。
台車が783系と同様のDT50Q/TR235Qになった。
811系が登場したためごく少数で製造が中止された。
337名無し野電車区:2013/11/14(木) 00:16:38.90 ID:NGbZFNsh0
>>332 >>333
高松琴平電気鉄道2000系
残されたAE71編成と本来解体されるはずだったAE81編成は琴電に譲渡されることになった。
琴電においては琴平線において復活した特急「こんぴら号」の運用に就き、元京急の車輌たちとの
競演を楽しませてくれている。
338名無し野電車区:2013/11/16(土) 09:01:15.35 ID:eWYnA4Bg0
JR成田線貨物支線
JR成田線(空港線)から分岐する形で建設された、JR貨物の専用線。
本線が建設された背景としては、東京オリンピックの開催が決定したことで大幅な旅客増が見込まれる羽田空港の機能を分散させるためという側面がある。
(計画としては、大手の国内線とアジア地区からの近距離国際線を羽田に、長距離国際線と新興航空会社及び貨物を成田に、LCCを茨城に集約させるというものである)
羽田で取り扱っていた分の航空貨物までも成田に集約させるということで、空港から都心部や日本各地への輸送には道路輸送では限界が来ると判断されたため、新たに成田空港の貨物地区に直結する貨物専用鉄道を整備する事となった。
空港線の途中から分岐し、マロウドホテルの付近を経由して貨物地区及び南部貨物地区に至る路線である。
各貨物ターミナルは半地下式となっており、作業用車両やトラックなどで直接乗り付けることが可能である。
また、航空用コンテナ用のエレベータと搬送用ラインも整備されている。
339名無し野電車区:2013/11/16(土) 09:09:16.76 ID:eWYnA4Bg0
JR貨物Mc500形貨物電車
>>338の成田線貨物支線の開業に伴い、JR貨物が準備した空港貨物用車両。
航空コンテナを直接搭載できるという点が特徴となっている。
車体は箱型の20m級。陸上用コンテナと比べてデリケートになる航空コンテナを積載するため、有蓋貨車となっている。
上部カバーは前後にスライドする形で開閉する。
また台車はアンチローリング装置とヨーダンパを装備し、コンテナに対するダメージを最小限に抑えるように工夫されている。この他にも貨物用車両としては初めて車体間ダンパを装備した、
編成は12M4Tの16連。
走行系にはJR東日本のE531系一般形電車を元としたものを採用している。
最高速度130km/hでの走行にも対応している。

JR貨物が保有する以外にも、佐川急便・ヤマト運輸・日本貨物航空・日本航空・全日本空輸にリースされている編成もある。
340名無し野電車区:2013/11/17(日) 21:23:04.73 ID:HJ1FdNt2O
東京メトロ17000系
有楽町・副都心線10000系の改良型で、千代田線16000系を基本に銀座線1000系
の操舵式台車を第三軌条線以外で初めて採用するなど走行系の改良を行った。
7000系全てを置き換えると共に8両編成を解消して完全10両編成化させる。
この車両投入と共に東武東上線の乗り入れを森林公園から小川町まで延長され、
小川町発急行元町・中華街行き(東武東上線 副都心線内急行・東急東横線内特急)や、
小川町発急行新木場行きという長距離列車が登場する。
なおこの車両投入により10000系10連16本を東西線に転用し、07系を取り替える。
341名無し野電車区:2013/11/17(日) 23:22:51.30 ID:l/5IIoct0
211系5000番台(JR西日本)
JR西日本が昭和63年に製造した211系。
将来の関西空港線乗入れを見据えて、阪和線に投入された。シートは2列+2列で、他の211系と同じである。
4両編成(2M2T)が基本とされ、6両編成(3M3T、1両は213系)も製造された。
ただ、関空開業前に223系が製造されたため、4連5編成、6連2編成の少数系列となった。
なお、同年にJR東海でも製造されたため、車番の重複が生じている。
現在は関空口の運用にはつかず、ラッシュ時の天王寺−日根野間の快速等に運用されている。
342名無し野電車区:2013/11/20(水) 01:48:01.43 ID:l7V6Eq5z0
185系1000番台

あかぎ・草津の651系ヘの置き換えなどに伴い波動輸送用に転用されることになった185系であるが、
製造から30年以上経過し、リニューアル工事からも10年以上経過しており、陳腐化は否めない上、
MLながらにも充当されることになったため更新工事が行われることになった。
車番は元番号+1000

リニューアルの内容は

腐食箇所の張り替え
塗装変更

車内騒音や隙間風防止の観点から、側面窓を縦方向に拡大したうえで固定化。
固定窓化したためブラインドは廃止し、横引きカーテンのみとする。

トイレの一部洋式化

壁・天井・床の張り替え
シートの張り替え

高速域での性能向上や最高速度を115キロに引き上げるためギア比を4.21に変更、ブレーキも強化。

MLながら充当編成(6連、4連)はこれらに加えて減灯装置の取り付けも行われる。
343名無し野電車区:2013/11/20(水) 02:33:48.64 ID:xdKWllfl0
相鉄14000系
相鉄も東上線乗り入れ小川町延長に合わせるために8000系以来の日立製車両となった。
ベースはメトロ17000系で、前面以外は全て共通設計となっている。
これにより、相鉄でも海老名・湘南台発急行小川町行き(相鉄線 東上線 副都心線内急行・東急東横線内特急)
の超長距離列車が運行される事になった。
なお、この車両は乗り入れ先の保安装置全部乗せのため、有楽町線での運行や西武池袋線の直通にも使用される。
344名無し野電車区:2013/11/28(木) 15:47:02.86 ID:j39cVSbsO
東武鉄道10090系
10030系2連7本をVVVF化やワンマン運転に対応化など唯一8000系が残る
大師・亀戸線用に転用する改造を施したもの。車内は60000系に準じており、
帯色は50050系と同じオレンジに変更されている。
当初は30000系4連を2連化して転用する計画だったが、東上線への転用が持ち上った
関係で本線系の既存車両の改造に転換した。
345名無し野電車区:2013/11/28(木) 16:54:57.16 ID:qFBFLEpTO
JR北海道737系電車・キハ202系気動車
JR北海道は人口減少に悩まされており、既に各駅用気動車はDMVに占拠される事態が起きていた
一方で721系電車もテコ入れで室蘭口や旭川口で活躍しているが経年変化によるものがあり、
さらに一部編成が近年問題となる制御装置の部品問題の対象となった。
そこでJR北海道が導入したのが737系電車とキハ202系電車である。

コンセプトは復古調で、どちらも自由が効いた二両編成からなる車両である。

外観はかつて北海道を走ったキハ10系・キハ22系をベースとし、731系・キハ201系から続く高運転台仕様とした。
台車は北海道初の連接台車で今まで出来なかった二両編成を可能とした。
またどちらも併結が可能、倶知安や新十津川までの運用が可能となった。
346.:2013/11/28(木) 21:48:25.75 ID:2gLGlmzxO
東京メトロ17000系:
有楽町線・副都心線の7000系の置き換え。
10両編成と8両編成。

16000系で4M6Tの所、車輪フラットと空転が目立った為、5M5Tに。
17300号車と17800号車は0.5Mで、片側はそれぞれM台車とT台車。
8両編成は17050形。
CT:17100/17000/17050/17850:FS779AT
M:17200/17400/17700/17900/17250/17350/17650/17750:FS779AM
T:17500/17600/17450/17550:FS779BT
M':17300/18300:FS779AM(M台車)/FS779AT(T台車)
347.:2013/11/28(木) 22:09:25.34 ID:2gLGlmzxO
東京メトロ16080系:
北綾瀬支線用。
1編成(16180F)はDDM/自己操舵試験編成で、それ以外(16181F以降)は通常駆動。
DDM/自己操舵編成は、1000系で1台車1モーターで動力輪と操舵輪に分かれる形式だが、操舵輪の車輪磨耗対策で、DDMで両側操舵輪でカルダン式では実現不可能(歯車・継手が外れる)対策。

16180F:CM-M-CT
16181F以降:CM-M-CM(CM車は0.5M)
16180F:SC-001台車
16181F:FS779台車

東京メトロ13000系:
日比谷線ホームゲート設置に伴う03系5ドアを先に置き換え、3ドアチョッパ車置き換えも兼ねる。
1台車1モーターのSC-102台車でPMSM。
最高速度向上の為の自己操舵に統一の為の後期3ドアVVVF置き換え編成からDDM採用でCT/T台車がSC-103T、M台車がSC-103M。

東武70000系:
東武業平橋線の車両不足でA-Train貫通編成導入。
浅草駅急カーブ対策で383系同様の自己操舵台車。
自動幌装置も設置。2/4/6連。全密閉誘導電動機。

東武80000系:
日比谷線のホームゲート設置での20050系置き換え、AFEチョッパの部品枯渇対策での20000系置き換えと、日比谷線最高速度向上での自己操舵統一による20070系置き換え。
日比谷線連続急カーブ対策で383系同様の自己操舵台車。日立PMSM採用。
348名無し野電車区:2013/11/28(木) 22:09:48.66 ID:7Dj751mv0
213系0番台JR東海仕様
国鉄が関西本線に投入した213系0番台。
2両編成である。
パッと見5000番台と見分けがつかないが、冷房がAU79である、車端部がクロスシートである、前面方向幕が小さいなど相違点がかなりあった。
2012年に5000番台共々飯田線に転属した際はトイレが車椅子対応に改造されたが、相変わらず非公式側にあるためすぐ目立つ。
349名無し野電車区:2013/11/28(木) 22:29:05.91 ID:eHBzlqc60
既に出てたら御免なさい。
1988年(昭和63年)4月2日 の北神急行開業を目指し作成された軌間可変電車(きかんかへんでんしゃ)。
北神急行・神戸市営地下鉄の標準軌(1435mm)と、神戸電鉄の狭軌(1067mm)を結ぶ。
神鉄3000系の車体をベースに避難用扉を付け、主回路制御装置は三菱電機製GTOサイリスタ素子によるVVVFインバータ制御が採用された。
全電動車6両編成で谷上駅で軌間変更を実施する。
車体形状と性能が同一の物を、神戸電鉄6編成、北神急行3編成、神戸市営地下鉄6編成が用意された。
それぞれの形式名は神戸電鉄3800系(赤色)、北神急行7800系(山吹色)、地下鉄1800系(緑色)と言う。
運用区間は、有馬温泉〜谷上〜名谷で運行された。
350名無し野電車区:2013/11/30(土) 09:01:01.49 ID:5ptgcUEm0
JR西日本109系

JR西日本がラッシュ時の混雑、遅延が大きい急行型電車の置換えを企図して誕生した近郊型電車。
165系・167系の制御装置や主電動機をそのまま流用したためクモハ109−クモハ108の2両編成となっている。
一方で車体は新製され、121系と共通のステンレス車体、座席はオールロングシートとなっている。
抑速ブレーキを搭載しているため、いわゆるセノハチ区間でも使用される。
351名無し野電車区:2013/12/01(日) 16:04:13.33 ID:eLZZ5mEy0
対空貨車

太平洋戦争末期、日本の主要幹線には連日のように米軍艦載機が来襲し、車両の損害が増え続けていた。
また各地の工業地帯も空襲を受け、集積された物資が貨車ごと燃やされていた。
軍部はこれに対処するべく「対空機関砲を搭載し、列車及び施設を防衛する車両」の用意を国鉄に命令し、
国鉄が投入したのがこれら貨車に対空機関砲を設置した車両であった。
敵機撃墜が目的ではなく、複数の機関砲で弾幕を張ることで攻撃を妨害することを目的としている。
急造兵器であり、また軍も国鉄も余計な資材などなく、使用する貨車も搭載される機関砲も統一されていない。
資料も現存しないため実態は不明な点が多いが、おおよその傾向として、車両は無蓋車を使用したものが多い。
ただし、砲を運用する兵士と弾薬を保護するための小部屋が設けられていた。
搭載機関砲については、陸軍用・海軍用、また新旧問わず用いられ、20mm高射機関砲や25mm高角機銃が主だったようであるが、
ごく少数ながら7.5cm野戦高射砲や艦戦用の40mm高射機関砲が搭載されていたとの証言がある。
運用面では主に東海道〜山陽本線系統の貨物列車に連結されていたようであるが、
貨物の積載量が減ってしまうため連結されずに留置されていたとも言われており、詳細は不明である。
352名無し野電車区:2013/12/01(日) 22:30:22.14 ID:joR0AqCY0
651系1000番代 踊り子仕様
踊り子号の修善寺行きは185系のみでありスーパービュー踊り子に比較して見劣りしていた。
このため余剰となっている651系付属編成を充当することとした。
投入にあたり、交流機器の使用停止、バリアフリートイレの設置の上、
伊豆急下田行き4両+修善寺行き4両の8両編成×3の24両が運用されている
これは185系の下田行きの平日の乗車率の低さからこれで十分と判断された。
これにより多客期を除くの185系による踊り子号は消滅した。
353.:2013/12/03(火) 00:07:51.63 ID:PbWKJzRWO
JR東日本E7系1000番台:
上越新幹線用に北陸新幹線用のE7系を上越新幹線向けにした物。
・50Hz専用化
・300km/h対応化
・16両固定編成

JR西日本W7系1000番台:
北陸新幹線用のW7系を山陽・九州新幹線向けにしたもの。
・60Hz専用化
・300km/h対応化
・8両固定編成
・九州新幹線保安機器追加
354名無し野電車区:2013/12/03(火) 21:38:31.30 ID:NYkTHvJz0
キハ123・128
JR西日本が開発した225系の気動車バージョン。
車体は225系と同一の3扉である。
エンジンは450馬力を1基搭載。
355名無し野電車区:2013/12/07(土) 12:46:36.14 ID:LEwcVP+OO
E233系3000番台横須賀線型
E217系の後継車両である。国鉄時代より東京地下線はATC化や非常口設置などが
行われたが、規制緩和やATS-P化により京葉線同様に非貫通車両の運転も可能となり、
当初E217系を機器更新する予定だったものを東海道線仕様同様の3000番台の
横須賀線型を投入して置き換えを図ることになった。
編成を基本10両編成+増結5両編成に変更して東海道線と統一化。10両編成化
により田浦駅でのドア締め切りを解消した。
なおサロE230-231は製造せず、サロE216-217を転用して5500番台として使用する。
全車両鎌倉総合に配備される。(予定された幕張の配備は見送り)
捻出するE217系は付属編成を高崎に移動させ、両毛 吾妻 信越 上越線向けに転用。
基本編成は6両編成化した上で中央東線に転用(長野転出)及び新潟地区に転用する。
一部モハは2連化し、新潟地区に転用して弥彦線ワンマン車等が取り換えられる。
356名無し野電車区:2013/12/08(日) 12:02:32.99 ID:M1cPOMPTO
小湊鐵道キハ250形
水島臨海鉄道よりキハ20形を譲渡したものである。
本来であれば同じ京成グループの関東鉄道よりキハ100形などが譲渡される所だが、
キハ200形同じDMH17搭載車でキハ200形自体が国鉄キハ20形に準じている
ことが決め手となった。2両譲渡され、どちらも旧国鉄色二種類を纏う。
なおキハ200形のエンジンパーツ取りなどで残る車両も譲渡された。
小湊鐵道キハ300形
JR四国よりキハ185系を譲渡したものである。
普通列車としても使われるが主に急行「養老」として使われる。
停車駅は光風台・上総牛久・高滝・里見・養老渓谷・上総中野である。
初の平成製の車両であるがDMH17機関の車両しかない小湊鐵道に最新型の
機関の整備が出来ず、技術要員で関東鉄道から派遣された他、この車両のみ
いすみ鉄道に検査を委託している。
なお第三者所有は市原市といすみ市で検査費用を賄っている。
ゆくゆくは上総中野よりいすみ鉄道に直通して房総横断特急にする構想で
現在関係各市といすみ鉄道側と協議している模様。
実現すればJR東日本とも直通して千葉〜五井〜上総中野〜大多喜〜大原〜安房小湊
(最終的には安房鴨川)の構想である。
当面はJR四国当時の車内を使用するが、特急運用時には水戸岡鋭治氏が
手掛けるものと見られる。
357名無し野電車区:2013/12/08(日) 13:57:21.42 ID:L4z3Nfef0
JR北海道731系5000番台

函館本線小樽以西からの札幌直通列車のスピードアップと混雑緩和を目指して投入された。
非電化区間では搭載されたディーゼル発電機を使用した電気式ディーゼル車、
電化区間ではパンタグラフ集電による電車として走行する。

クハ731-5100(Tc1)+モハ731-5100(M)+クハ730-5200(Tc2)の3両編成。

走行装置、電化区間の走行性能は0番台車と同等とし、電化区間では731系のほか、721系と併結して運用される。
非電化区間においてはクハ730形に搭載されたディーゼル発電機(400kVA/2000rpm)2基から供給される電力で走行する。
床下スペースの都合でTc2車に搭載されていた機器がTc1車に移されている。
非電化区間では発電機の供給できる電力と走行線区の条件から最高速度、加速度が自動的に変更されるほか、
回生ブレーキがカットされ、排気ブレーキが動作する。
358名無し野電車区:2013/12/09(月) 21:11:00.80 ID:KuHDKiZ80
キヤ140形0・100番台
キヤ141系の中間車。

0番台
443系の後継となる電気検測用車両。
屋根上に検測用パンタグラフを2基、観測ドームと共に備える。
走行装置はキヤ141形と同じ。
1・2の2両が製造された。

100番台
レーザー光線を用いた建築限界測定車。101の1両のみ。
キヤ95系に連結することも可能で、JR東海に貸し出されることもある。
359名無し野電車区:2013/12/14(土) 12:33:45.74 ID:UGrqRQIG0
近鉄24000系
近鉄が製造した21020系ベースの高速運転試験車。
愛称は「アーバンライナーNEO」。
車輪ディスクブレーキを搭載し、160キロ運転に対応。
新幹線に対抗するべく製造した。
360名無し野電車区:2013/12/15(日) 20:25:34.12 ID:sRbn2zeF0
長野電鉄20系
長野電鉄が30年ぶりに投入した自社発注による通勤型電車である。

製作においては
デザインは0系OSカーをモチーフとし21世紀を象徴する車輌にちなんでOS21と呼ばれる。
製作担当メーカーは日本車輌。
基本編成はMc(モハ21)+Tc(クハ71)の2両編成。
車体構造はアルミ製20m4扉ロングシート。
制御方式は三菱製IGBT-VVVFインバータ制御方式1C2Mで200kw/hの三相交流誘導電動機を4つ搭載。
駆動方式は従来の自社発注車と同じくWN駆動。
車内には各ドア上にLCDの表示機が備えられている。
車椅子スペースは各車輌の後方部に設置。
ワンマン対応のため運転室後ろに座席は設けられず近年の通勤車と同じ構造である。

とりあえず1編成のみ投入された。
361名無し野電車区:2013/12/15(日) 20:30:19.56 ID:v10PvVAm0
>>360
日車だったらブロック工法のSUSになる気が
362名無し野電車区:2013/12/17(火) 20:27:04.30 ID:CtwG5XTH0
EF31
国鉄が製造したEF30の改良版。
交流区間でもフル出力を出せるように改良した。
変圧器や整流器が大型化したため車体長がEF30と比べて若干長くなった。
門司駅で交流機関車に付け替える事無く博多駅まで乗り入れが可能になり所要時間が短縮された。
363名無し野電車区:2013/12/18(水) 01:50:46.38 ID:Pax6efBu0
東急電鉄の9000系(初のVVVFインバータ式電車)の制御器をGTOからIGBT(IPMモジュール)にすげ替えてインドネシア国鉄に売却
364名無し野電車区:2013/12/18(水) 06:37:37.96 ID:XNZ7oNu8O
>>363
半蔵門線8000系も追従するかのようにインドネシアに渡るのであった。そして、例の塗装である。
365名無し野電車区:2013/12/18(水) 21:42:41.77 ID:6XwDf18kO
EF81-300番台(305〜315)
昭和54年に追加配備されたEF81-300番台車である。
基本的には基本番台の134〜152に準じたもので、前面に庇が付いている。
またステンレス車体だがコルゲートがない平板車体で当初は無塗装で使われたが、
ほどなく306 308 311 314号機が内郷機関区に転属した際に赤14号に塗装されたために
普通のEF81型と見分けがつかなくなってしまった。
元々は東京口寝台特急の牽引本務向けで作られたもので、関門間だけでなく
牽引区間も延長が計画された(「さくら」の下関〜博多 「はやぶさ」 「みずほ」の
下関〜熊本 「富士」の下関〜大分も計画された)ものの、最終的には
新造時の定期列車の延長は「あさかぜ」の下関〜博多間のみにとどまったが、
後に「はやぶさ」が熊本 「富士」が大分まで延長された。
しかし400番台が旅客用に配備されるとブルトレから貨物用への転用がなされ、
重連総括装置等が取り付けられて貨物専用機に動きを置かれるようになる。
上越用の装備がなされており、関門間ながらスノーブラウがある珍しい機関車でもあった。
なお307・309〜310号機が富山に転属している。平成17〜19年に広島等で
更新された際にステンレス無地からJR貨物色に変更された。但し富山所属機は赤14号である。
現在門司に305 307 312 313があるが、富山より500番台の移籍等があるものの
オリジナルの303号機が廃車後も最後のステンレス車体の居城は守られる。
富山に移籍した307 309 310はGPS取り付け等により800番台化されて
807 809 811となったもののJR東日本よりEF510-500番台譲渡移籍に伴い
予断を許さない状況である。
366名無し野電車区:2013/12/18(水) 21:47:16.31 ID:6XwDf18kO
>>365続き
内郷機関区に移籍した306 308 311 314は後に田端に転属。JR東日本に承継後は
JR東日本標準色になったものの、後に308と311は星カマに306はカシオペア用に
なっている。また314は早々に長岡に転属され、寝台特急「北陸」の最終運転では
長岡〜金沢間の任務を行っている。
残存車両もEF510-500投入により、全て長岡に移動された。
現在全機双頭連結器装備で新津車両製作所から首都圏への配給輸送 郡山車両センター
入場の牽引などが主だが、寝台特急「あけぼの」の長岡〜青森の牽引もあり、
これがEF81型として事実上最後のブルトレ牽引となると見られる。
なお306は秋田車両センターの入場時に塗装が剥がされステンレス無地となった。
367名無し野電車区:2013/12/21(土) 12:50:12.44 ID:8Hh7JDBR0
DMF12Hエンジン
DMH16Hエンジン

1967年登場
国鉄がDMF17系の後継と気動車用に転用開発していたDMF31は問題が多く、結局、失敗に終わった。その結果、戦前のGMF13を起源とするDMH17系のボアアップしてDML30系(大出力形)/DMF15系(小出力形)を開発する事になった。
その頃、自動車用では直噴式エンジンの開発がすすめられている事を知った国鉄は予燃焼室式エンジンの燃費の悪さや厳寒機での起動性の悪さから夜間も可動させ続ける必要性から、
小型エンジンについては厳寒地向けにDMF15H系の開発を取りやめ、新たに直噴式エンジンの開発を進めることになった。

仕様
燃焼方式 : 直接噴射式
内径×行程 : 130x150mm(1気筒当たり1991cc)
圧縮比 : 16.0
出力(1気筒当たり)30PS(将来は40PSまで増強予定)


DMF12H 排気量11.946t 出力180PS
厳寒地用のキハ56,26、キハ22のエンジン換装用として開発。(既存の車両の変速機を能力上、換装用エンジンは180PSとされた)これにより厳寒機の夜間のエンジン可動の必要性が無くなった。
取り外したDMH17Hエンジンは本州以南の気道車の予備エンジン用とされた。オイルショック発生後、本州用の気動車も燃費改善のためにかなりの数がDMH17Hエンジンからこれに換装された。

DMH16H 排気量15.928CC 出力240ps
新型の一般用気道車向けとして開発。製造時期から現実のキハ45系に該当するが、厳寒期の始動性や出力向上による単車での線路の排雪能力の向上を見込んで厳寒地向けの気動車として登場。
368名無し野電車区:2013/12/21(土) 12:54:24.71 ID:8Hh7JDBR0
>>367続き
キハ23
車体長20000mm、全長20500mm 車体幅2940mm 出力180PS 座席定員60人、立席定員60人 計120人
上記のDMH16Hを採用した厳寒地向けの気動車。車体幅を一杯にとって通路幅を広げ、立席定員を増やしている。乗降性能を重視して両開き2ドア車であるが客室と出入り口を扉で仕切ったデッキ式としたため出入口は運転台直後にある。
2ヶ所の乗降ドアの間は窓が8個並び、その部分はクロスシートとなっている。キハ23の北海道への集中投入により、キハ22はエンジン換装車も含め、すべて本州以南に配置換えとなった。
369名無し野電車区:2013/12/21(土) 12:56:16.35 ID:8Hh7JDBR0
370名無し野電車区:2013/12/21(土) 23:28:35.43 ID:bz3ZZcB4O
■クモハ117形 クモハ116形

フリクエンシーサービスとアコモ水準向上を狙った國鐵廣島支社の最終兵器。
117系電車のMM'ユニットを貫通形先頭車改造。
伝統のコスト削減手法を惜しみ無く投入した切妻顔。
前部・後部標識灯や運転台ガラスは105系(もと103系1000番台)の発生品。
塗色は言わずもがなの末期色。
371.:2013/12/22(日) 22:04:19.52 ID:/TEcNSiQO
JR西日本227系/323系:
川崎重工業で通勤型と近郊型で試作(921系(→227-9000)/923系(323-9000))。
川崎重工業がライセンスを持っている、
・日立製作所A-Train
・総合車両SUSTINA
を融合。
A-Trainのアルミ車体の車体強度とSUSTINAの車体強度維持の為の車内のロールバー構造を採用。
車体強度にこだわった設計は、2005年尼崎事故を教訓としている。
近畿車輌にも川崎重工業経由でライセンス。
走行機構はU@TechのPMSM本格採用。
巴投げ構造も勿論搭載。
323系は試作車共々大阪環状線などに投入。
227系はアーバンネットワークと食パンと広島のボロ置き換え(一部221/223系玉突き)。試作車はアーバンネットワーク向け。
372371:2013/12/25(水) 01:54:24.39 ID:0iiN0RLKO
補足:
永久磁石同期電動機(PMSM)の非同期状態でのモーターロックがかかる作用で、
・非常時は直流印可や位相周波数制御などで強制的に主電動機を停止させて非常ブレーキ(主電動機非常停止ボタン)。
・通常時に空転などで位相ズレや周波数同期が合わなくて失速ロックによる滑走防止の為に同期回転センサーを備えたり、VVVF側で制御不能な場合は撓み継手の油圧クラッチなどの多重系統化。
373名無し野電車区:2013/12/28(土) 17:40:08.37 ID:xUWR3McuO
名鉄8000系(パノラマプラチナム)
平成3年にパノラマ型車両を持つ小田急電鉄20000系の技術提供を受けた
パノラマカーである。
前後展望席に中間2両を2階建て車(サ8300-サ8350)を連結した
パノラマカーで6両編成5本が作られた。
当初2階建て車の2階は小田急同様にスーパーシート的な特別座席車にする
計画だったが、設定は行わなかった。
なお一般席はなく、全車μチケット必要の特別車編成。
塗装は1000系シリーズに準じたものだが、8001Fは登場時はスカーレッド一色であった。
まずは豊橋〜新岐阜間の全車特別席の特急に投入され、7500系を駆逐する。
1200系シリーズ投入後は名古屋本線から津島・尾西線方面へシフトし、
佐屋〜吉良吉田間の全車特別席特急として1600系と共に使われた。
小田急と違い、3・4号車含めてドアが引き戸であったことや、2号車に
車椅子スペースがあったことからバリアフリーで絶たれた本家の小田急とは対照的に
中部国際空港輸送向けとしての用途に転用され、2300系同様のVVVF化の上で
現在名鉄岐阜〜中部国際空港間の特急に使われている。
本家の小田急と同様に全面と側面に行先及び愛称用のLED幕があり、名鉄では
行き先のみ表示が基本的だが、「はこね」「あさぎり」にもできる説もある。
またミュージックフォーンも装着されてるが、小田急のオルゴールも付いてる噂があり、
実際に名古屋で小田急と名鉄のミュージックフォーンの共演で大騒ぎになり、
2ちゃんでも祭りになった武勇伝もある。
なお8002Fと8005Fが2014年に除籍される予定で、内1編成は富士急に譲渡される
可能性が高く、2000系の完全引退が確実視されている。
もう1編成は伊豆急が有力である他、富山地方鉄道が特急用に譲渡の噂がある。
374名無し野電車区:2013/12/30(月) 22:34:30.23 ID:rD/ulM2k0
701系5900番台
JR東日本が開発した701系の交流25000V対応試験車。
自走で東北新幹線を経由して仙台総合車両所で検査可能なようにした。
375名無し野電車区:2014/01/01(水) 23:37:20.99 ID:pFjeMtws0
225系7000番台
JR西日本が紀勢本線紀伊田辺以南の105系置き換え用に製造した225系。
2両編成で、5000番台をベースにワンマン対応とした。
乗務員室直後のWESTビジョンをワンマン運転時の運賃表示器として使用可能としている。
225系5000番台との併結も可能。
376.:2014/01/02(木) 07:59:09.11 ID:WnEKCsFKO
JR西日本229系:
広島地区のセノハチ対策。
225系又は227系をベースに、全電動車・空転制御。
セノハチ以外では各0.5Mにモーターカット。
ブレーキはキャリパー式ディスクブレーキ(渦電流ブレーキ搭載)。
377名無し野電車区:2014/01/02(木) 18:12:44.18 ID:txeoln0d0
>>376
EF210-300との協調運転もなw
378ブリタニア皇帝:2014/01/03(金) 00:35:01.13 ID:cc6eZKyO0
C62-50+W30系客車
JR西日本が開発した亜空間運行用特別急行列車
機関車はC62ベースの亜空間走行用機関車、重力ボイラーを搭載している全自動運転の機関車、しかし、手動での運転も可能
客車は「トワイライトエクスプレス」用24系客車を参考にして亜空間走行用機器を搭載している
客車の編成
001号車・クモロW30:機関車へ連結するときに自走できるように動力と亜空間走行時に機関車をサポートする制御装置付動力車兼乗務員専用車、GTO-VVVFインヴァーター搭載
002号車・サカニW30:電源車兼荷物室、亜空間走行時も電源車として機能する、地上軌道上走行時は屋根の集電装置を起動させて車内電源へ変圧する
003号車〜93号車・モイネW30:一等車、1車両あたり2部屋の車両、GTO-VVVFインヴァーター搭載
094号車・モハW30:図書館車両、GTO-VVVFインヴァーター搭載
095号車・サハスW30:食堂車
096号車・モロネW30:二等車、1車両あたり3部屋、GTO-VVVFインヴァーター搭載
097号車〜99号車・モハネ:三等車、1車両あたり4部屋、GTO-VVVFインヴァーター搭載
100号車・クハW30:展望車兼機関車連結時の自走用制御装置搭載車
379名無し野電車区:2014/01/03(金) 17:23:26.13 ID:l3bb8mmPO
もしも仙石線で近郊型が旧国代替になっていたら。
113系1700番台
仙石線向けに作られた113系で、昭和54年に4両編成14本が陸前原ノ町電車区に配備された。
基本的には総武快速線向け1000番台をベースに半自動ドアを備えたもので、
湖西 草津線向けに作られた700番台の1000番台バージョンである。
総武快速用と異なる点として、台車がDT21系ではなくDT32/TR69系であることや
485系1000番台と同等の耐寒装備を備えた。
冷房は登場時は全て準備のみで、平成2〜4年に冷房改造を施している。
快速うみかぜ用では新幹線発生品のリクライニングシートにした編成もある。
平成14年よりリニューアル工事により主電源のSIV化などを行った。
半自動ドアを備えていた事から205系と置き換え時に一部が上越 信越及び
両毛 吾妻線向けに高崎に回されている。
震災の年に205系に置き換え予定で最後の残存車1709は矢本で、1713は東名で
東日本大震災の大津波に巻き込まれて生涯を終えた。
380.:2014/01/04(土) 16:17:26.08 ID:GUKxSBekO
JR東日本651系2000番台:
651系1000番台の交流機器復元(名目上/実際は交流機器は新規製造)。
仙台地区・会津地区の波動用に転用。

JR東日本E261系:
185系の全面的置き換え。
651系の交流機器撤去とVVVF化でしのいだが、踊り子用と旧新特急用の全面置き換えに至らず、また、足まわりの酷使もあり、全面新車が望ましいとの声。
また、上野東京ライン絡みのダイヤ改正。
651系については前述の仙台地区波動用改造。

JR東日本E263系:
251系の置き換え。
在来線初のグランクラスとしてクイE262(伊豆急下田寄り先頭)を連結。
グリーン車はサロE262(伊豆急下田寄り2両目)とクロE263(東京寄り先頭)
ちなみに湘南ライナー運用の際はグランクラスはグリーン車扱い(普通列車にグランクラス料金が設定されていない為)。
また、湘南ライナー運用では東京寄り展望グリーン車は普通車扱い(定員制/ライナー券必要)。
湘南ライナーで小田原寄り2両をグリーン車扱い/東京寄りを普通車扱いには、検札の都合上の取扱いの問題による。
381.:2014/01/05(日) 01:55:27.68 ID:rkLkSvkyO
京急新型車両:
2100形の後継のA快特車両。
1000形に、J-TREC総合車両と川崎重工業でSUSTINA、川崎重工業と日立製作所と日本車両でA-Trainを試作。
SUSTINA編成とA-Train編成で比較。
京急の事業計画で塗装工程省略による環境負荷軽減がアナウンスされていたが、沿線のファンや社員など、赤い電車に親しんだ人々の意向で快特色(ツートン)塗装。
※快特色(ツートン):2000形(落成当初(2ダァ))/600形/2100形/1000形アルミ。
ちなみに、一般色(白帯):800形(落成当初は快特色)/1500・1700形/2000形(3ダァ改造)、過去には700形や旧1000形や旧600形までの快特。
382名無し野電車区:2014/01/05(日) 21:04:44.29 ID:g0vuf3ZR0
DD54形1000番台

当初「技術的に困難である」としてエンジンと変速機をライセンス生産に頼ったDD54形であったが
富士重工業から「国産化が可能」との提案があり、試験結果も良好であったことから設計変更の上、1000番台として量産されることが決定した。

主機は富士重工製DMN30R形ディーゼルエンジンを1基搭載。世界的にも少ない星型ディーゼルエンジン(複列14気筒)である。
液体変速機はDD51形等で実績のある充排油式のDW2Aを改良したDW7を開発。後にDE50形にも採用されている。
また、DD51形からフィードバックした中間台車の軸重可変機構を持ち、高出力機関の採用と相まって牽引能力向上を果たした。

富士重工としては星型ディーゼルエンジンの販路拡大を目指していたが、
日本では凸形ディーゼル機が主流となり、ボンネット内にエンジンが収まらないこと(当然気動車には使えない)、
また貨物輸送の衰退によりディーゼル機の需要が減少したことからこれを断念、後に鉄道車両事業からも撤退している。
383.:2014/01/07(火) 03:38:29.41 ID:BlOl/+47O
JR東日本E263系(>>380の補足):
・クイE262(TgdC):グランクラス、1階はグランクラス専用ラウンジ。
・サロE263(Tsd):伊豆急下田方2両目グリーン車、1階はフリースペース。
・クロE263(TsdC):東京方先頭グリーン車、1階はカフェ席。
・サハE263(Tcd):1階普通車・2階席は展望カフェ席。
T'gdC-Tsd-M'3-M3-Tcd-M'2-M2-M'1-M1-TsdC

グランクラスラウンジ及びカフェ席でスーパービュー踊り子運用時に軽食提供。NREのアテンダントが担当。シートサービスもあり。

カフェスタッフ・グランクラスアテンダント(スーパービュー・パッセンジャー):
・キッチン・カウンター:普通列車の男女グリーンアテンダントのキャリアを積んだスタッフから選出
・シートサービス・グランクラスアテンダント:普通列車の女性グリーンアテンダントのキャリアを積んだスタッフから選出

近鉄のしまかぜを意識したものになっている。
384名無し野電車区:2014/01/07(火) 23:22:23.25 ID:fPUidlkS0
201系1000番台
JR西日本で201系のチョッパ装置をGTOチョッパに交換したもの。
原番号+1000である。
主平滑リアクトルが不要になり軽量化され、保守も低減された。
385名無し野電車区:2014/01/10(金) 13:41:15.64 ID:U3uvjUjS0
キサロ180
国鉄でキサシ180をラウンジ付きグリーン車に改造したもの。
特急「まつかぜ」などで連結されたが、1991年までに廃車された。
386名無し野電車区:2014/01/10(金) 21:17:04.57 ID:xQODG/ErO
181系200番台直流特急形電車

181系の最終増備グループ。
…というより、485系0番台の直流バージョンと言うのがふさわしく、車体は耐候性鋼板製で、100番台より耐雪対策を強化し、付随車は485系に改造編入可能な構造である。

サシ(201-204)はサシ481-15〜39と同じで、回送運転台は前後両側に設置したため、エアタオルはオミットされた。
なお、食堂の色合いは暖色系。

1968-69年に「とき」「あずさ」増発用として日車,川重で製造されたが、早くも1971-72年にはサシ4両全てがサシ489(201-204)に改造されて番台消滅。

1974年の大雪で181系が軒並みダウンし、485,489系が代走する中、200番台は運休になるような故障は起こさなかった。

1975年には全車が上沼垂に集結し、183系共々、旧151系の大半を淘汰した。

1982年、上越新幹線開業に伴って100番台以前の同系が廃車される中、200番台はクハ2両が481形に改造された以外は生き残り、6M3T×3本が田町に転属すると共に大宮・長野・郡山工場でアコモ改善工事を受け、フリーストップリクライニングシートに交換された。

田町転属後は波動臨用として関東・甲信越地方で活躍。臨時「踊り子」「あずさ」やシュプール号等に運用されたが、老朽化と183系の転用に伴い、2000年3月のダイヤ改正を機に全廃された。

このグループは2両が保存された。
クハ181-201は碓氷鉄道文化むらに静態保存された。
サシ489に改造された-202は1986年に廃車された後、大宮工場構内で保管されていたが、鉄道博物館開館にあたり、館内食堂「日本食堂」として改装され、サシ181-202標記に戻された。
387名無し野電車区:2014/01/13(月) 17:21:06.00 ID:fsYOcMuyO
JR東日本スハ24系
東日本におけるSL列車用の客車には尾久の旧客及び12系があるが、いかんせん
経年80年を越すスハフ32など、老朽化が進んでいる他に12系もリニューアルを
行っておらず、30年越す経年により老朽化も進んだ事からこれらを補完する
客車の補充が不可欠になった。
折しも来年改正により寝台特急「あけぼの」の廃止が決まり、24系客車らに
余剰が出るためにそれらを旧客風にした座席車に改装して充てることにした。
屋根に付いた冷房装置はそのままに、屋根上にダミーのガーランド通風器を装着した。
窓割りは43系に準じたものと1両は32系と61系に準じたものとした。
座席は秋田新幹線E3系及び山形新幹線400系からの廃車発生品を使用するが、
3号車は61系客車を再現したため、背すりが板のみのクロスシートで再現した。
車内灯は基本的に白熱灯に似たLED蛍光灯だが43系タイプには近代化改装後の蛍光灯タイプもある。
1・6号車はサービス電源の供給上スハネフ14からの改造となっている。
なお冷房装置はあるものの余程の酷暑時でない限り換気と除湿運転を前提に
極力冷房は運転しない。(窓は全て開けられる構造のため窓開けが前提)
冬季の暖房も電気機関車牽引時は電気暖房を使用するが、蒸気機関車の場合は
蒸気暖房使用が前提で、蒸気暖房配管を新たに追加した。
スハ24-2300(スハ43系タイプ) 2600(オハ61系タイプ)2450(スハ32系タイプで丸妻再現)と
スハフ24-2300はスハフ42系タイプからなる。
塗装は32系と61系タイプはぶどう色で他は青色だが43系でもぶどう色の車両もある。
6両編成2本12両が改装され、尾久に配置された。なお奥利根使用時は追加で専用グリーン車を連結。
マイロフ14
ばんえつ物語号用展望グリーン車同様に奥利根向けに作られたグリーン車だが、
グランクラスを設け重量上マ級に上がり、マイロフとなった。
連結部からのグリーン車部分も和同様の革座席の1人掛け座席。
グラングラスは個室コンバートメント式4席。奥利根の最後尾に連結し、利用には
普通乗車券にグリーン券 グランクラスはグリーン券にプラス2100円が必要。
奥利根では必ず最後尾になるよう連結するため、水上では機関車と共に
転車台で回転して方向転換する。
388名無し野電車区:2014/01/13(月) 21:04:55.02 ID:RMARcF/e0
クヤ201
JR東日本が201系を改造して作った電車用電源車。
ガスタービン電源ユニットを車内に搭載した。
専用ケーブルでパンタグラフと接続し直流1500Vを供給する事で非電化区間でも電車の運転を可能とした。
運転台があるため先頭に立つことも可能。
389.:2014/01/15(水) 11:52:41.00 ID:udsGdd88O
京成モヤ3600形事業用車:
3000形増備に伴い、チョッパ部品調達困難と先頭クハで京急直通不可の3600形廃車で、事業用としてターボ6両を事業用に改造。
中間封じ込めクハ2両は廃車。

北総モヤ9000形事業用車:
9200形増備による淘汰で、9000形の最後の1編成の両端モハ各2両を事業用に改造。くぬぎ山検査回送牽引車に用いられる。

京急E1000形機関車/京成E3000形機関車/北総E7000形機関車/新京成E8000形機関車:
東京都交通局E5000形をベースに大江戸線牽引機構を省略。
新車配給や検査回送や事故救援や災害救援に用いられる。
390名無し野電車区:2014/01/16(木) 03:13:24.83 ID:tyxmUjvwO
西武鉄道E100形電気機関車
多摩川線車両の検査出入場用の電気機関車である。
東京都交通局E5000形電気機関車を基本としており、回送車両の101系の
電気系 ブレーキ系の総括使用が可能となった。
またJR東日本線内に入れるようATS-Pなどを保安装置を全て備える。
白糸台車両所常駐だが、名目上武蔵丘配置で2両配置され、出入場回送では
必ず連結相手の101系を機関車が挟み込んで連結する。
塗装は当初ラズベリーレッドが有力だったが、手堅くライオンズカラーとなった。
また一度八王子駅に行って反転させて国分寺連絡線から武蔵野線に入って秋津から
入るやり方をやめ、国分寺駅に渡り線を新設して国分寺線経由で回送する
やり方に変更され、JR線内を走る区間は極めて短いものになった。
なおE21形として新宿 池袋線用の工事列車用機関車も計画されたが作られずに終わった。
391名無し野電車区:2014/01/16(木) 12:21:10.85 ID:r3S1OBYW0
ED313
JR東海が製造した313系ベースの電気機関車。
電車の313系ベースだが車体長が短縮されている。
機関車を全廃したため電車感覚で運転可能な機関車を開発した。
甲種電気車運転免許で運転可能。

DD25
JR東海が製造したキハ25ベースのディーゼル機関車。
気動車のキハ25をベースに製造された。
エンジンは520PSを2基搭載し、DE10とほぼ同レベルの走行性能を実現。
甲種内燃車運転免許で運転可能。
392.:2014/01/17(金) 19:24:09.80 ID:NDk9837TO
JR東日本E7系1000番台:
上越新幹線の高速化前提でのE2系/E4系置き換え。

16両固定編成、上毛高原以北での300km/h運転対応。

JR西日本W7系1000番台:
山陽・九州新幹線用、8両編成。グランクラスはDXグリーン車として案内される。
山陽新幹線300km/h対応。
393名無し野電車区:2014/01/18(土) 00:44:25.40 ID:Ysm4bZH80
阪急1200系
阪急電鉄が製造した1000系の2両増結編成。
1000系から付番法則が変わったため2両増結編成は1200系を名乗る事になった。
Mc1700形とTc1200形でペアを組む。
394名無し野電車区:2014/01/18(土) 00:54:09.50 ID:Ysm4bZH80
阪急1330系
阪急電鉄が製造した1300系の2両増結仕様。
やはり付番法則が変わったため1330系を名乗る事になった。
Mc1830形とTc1330形でペアを組む。
>>393の1200系もそうだが従来の増結車とはM車の位置が逆で神宝京寄りがMc車となった。
395名無し野電車区:2014/01/18(土) 13:05:49.00 ID:fXRJqfvCO
国鉄ワキ1形500番台

1958年、ワキ1000形とチキ1500形の台車を交換した大型高速有蓋車。

戦前、戦車や野砲を迅速に移動し得る高速無蓋車として製造されたチキ1500形だが、敗戦で高速性能は無意味になった。
一方、ワキ1形に劣らぬ高速性能を期待されたワキ1000形は試運転の結果が悪く、最高速度75km/hに甘んじたため、台車をチキ1500と交換して高速化を図ったもの。

譲り受けたTR24台車は車軸と軸バネを強化改造したTR24Aになり、積載荷重は30tになった。

1954-55年に155両が改造され、在来ワキ1やワムフ100形等と共に特急・急行貨物列車で運用された他、内30両は蒸気暖房、20両は蒸気・電気暖房配管引き通し工事を受けて荷貨物兼用車になった。(積載荷重15t以下で最高速度95km/h)

1960-70年代、コンテナ車やワキ10000,5000,8000形の登場で高速貨車としての使命を終え、一般貨物列車や荷物列車に転用されたが、荷貨物輸送の落ち込みで1970年から廃車が始まり、1979年に番台消滅した。
396.:2014/01/18(土) 13:57:45.27 ID:Rf9rTTm7O
JR東日本E5系1000番台:
・東北新幹線向け、16両編成(V編成)/10両編成(U51〜)/8両編成。
・16両固定編成の為、電源回路の改良。
・北海道新幹線直通の為の耐寒耐雪強化。

JR北海道N5系:
E5系1000番台がベース。

JR東日本E6系1000番台:
山形新幹線向けE6系。

JR九州K7系:
W7系1000番台ベース。

東日本関係新幹線編成記号:
・E5系1000番台:V編成/U編成50番台
・E6系1000番台:Y編成
・E7系1000番台:G編成
・N5系:H編成
397名無し野電車区:2014/01/18(土) 16:16:30.58 ID:dtX2UDg40
伊豆急行2000系

JR東日本の上野東京ライン開業に伴い、ダイヤの安定性を確保するため、
東海道線で小田原や平塚折り返しが増加することとなった。
その一方で、同社エリアの末端にあたるこの区間では、ここに充当すべき
平塚以西区間運転用の短編成車両が確保しにくい事情があった。
そこで、伊東線と系統上一体化している伊豆急に小田原以西の一部の運用を委託することとなり、
親会社の東急で持て余していた2000系に白羽の矢が立てられた。
従来から活躍する8000系と併結を可能とするため、読み替え装置設置のほか、
廃車の7700系から部品を流用の上貫通型の運転台が設置された。
(本系列クハの運転台部品は、通り抜け不要の他社宛1000系の先頭車改造に充当された)
その他海側のクロスシート化やトイレ設置は8000系に準じる。
398名無し野電車区:2014/01/18(土) 22:01:01.16 ID:Qvx0qOYR0
K531系近郊電車
JR九州が老朽化した415系置換のため投入した車両。5両編成。
車両はJR東日本・E531系のOEMで、交流機器を60Hz用に変更している。
全車J-TRECに発注された。
399.:2014/01/18(土) 22:56:40.94 ID:Rf9rTTm7O
>>392>>396の補足
E5系1000番台の運行:
・16両編成(V編成):
・なすの/やまびこ/はやて/はやぶさ
・北海道新幹線直通(列車名未定)
・通勤時間帯はなすのに重点的に充当
・多客期はやまびこ/はやて/はやぶさに充当
・10両編成(U51〜):なすの/やまびこ/はやて/はやぶさ
・やまびこ+つばさ/はやてorはやぶさ+こまち
・北海道新幹線直通
・8両編成(X編成):
2本連結(仙台で分割併合)
やまびこ+つばさ
はやてorはやぶさ+こまち
北海道新幹線区間運転
JR北海道N5系(H編成):
・8両編成、E5系X編成と連結。
間合い運用:
・E5系1000番台なすの/E7系1000番台たにがわ
400名無し野電車区:2014/01/19(日) 17:52:49.71 ID:EE/wBoEp0
阪急4090形 総合検測車

これまで保線機械や人力に頼っていた検測を日中に通常の列車と同じ速度(110q/h)で行えるようにするた

め開発された検測車。
この1両で軌道や架線、信号などの検測を行うことができる。

検測方式は京王DAXや小田急クヤと類似したシステムになっている。

車体はアルミ製でマルーンを基調としつつも識別のため下半分がゼブラ模様になっており愛称ロゴマークも貼

られている。
台車は新1000系のものをベースに検測機器を取り付けた物になっている。

車体寸法は阪急全線・堺筋線に入れるように決められた。

両運転台車とされたが、いわゆるクヤ車なので電源供給兼動力車として6000系以降の電気指令式ブレーキ車と

連結して走行する。主に8000系等の増結用2連などが牽引車として用いられることが多いようだ。

阪急線の他、能勢電と堺筋線で検測を行う。


兄弟車として阪神910形総合検測車も登場
こちらは車体がステンレス製であり寸法やデザインも異なるが検測方式はほぼ同等である。
阪神全線の他山陽・神戸高速で検測を行う。
401名無し野電車区:2014/01/19(日) 17:56:43.71 ID:0LInMW/Q0
JR九州C64形

「SLあそBOY」が牽引機である8620形(58654)の老朽化により運転を休止した後、
九州新幹線全線開業を控えている状況を鑑み、観光資源としてSLの運行を続けたいとの声があがった。
しかし58654の復旧には時間がかかり、並行して各地の静態保存車の復元も検討されたものの
状態のいい機関車はなく、SLの運行は当面不可能かと思われた。
ここで、JR九州は蒸機の新製という行動に出た。58654の再生と合わせて蒸機を2機体制とすることで、
重連運用や複数線区での運転、予備機の確保による通年運転を図ったのである。
遊具扱いの物を除けば蒸機の新製など絶えて久しく、復旧以上に困難が予想されたが、
JR九州技術陣と、各メーカーの努力により実現した。

主要寸法・性能は8620形と同等としつつ必要な部分は現在の技術で置換えて設計され、形式は幻のC63形の続番でC64形となった。
燃料は重油・石炭の併用式とし、重油のみでの運転も可能とした。
8620形との大きな相違点として、連結棒や車軸などの回転部には密閉型ベアリングを採用し、拠点駅での給油作業を省略。
また、コンプレッサ、タービン発電機を2機ずつ搭載し、冗長性を確保している。
402妄想竹:2014/01/19(日) 19:07:22.35 ID:HUyVRfZr0
キハ65-900、キロ65-900、キロハ65-900
1970年代後半、伯備線では特急「やくも」が好評であったが、キハ181系の絶対数が不足しており、増発・増結が不可能な状態であった。
この為、名古屋地区で余剰となっていた強力エンジン試作車の90系気動車と、米子局手持ちの車両を使って「やくも」と同程度の表定速度の急行列車を設定することとした。
これにより登場したのがキハ65-900、キロ65-900である。

キハ65-900はキハ91-2〜8をベースとし、キハ65と取扱いを合わせるべく、屋上の自然放熱装置・送風機の撤去と床下への強制冷却装置の取付、
また3両給電の冷房電源(4VK型発電セット)の取付と、これに因る床下艤装の輻輳から水タンクを屋根上へ移設しており、
トイレ部分の屋根にキハ58と同様の水タンクを搭載している。また、キハ65-907(←キハ91-8)を除く6両は、冷房改造も併せて行なわれた。
台車・エンジンはキハ91時代の物がそのまま使われているが、液体変速機のみはキハ65と同じDW4Dに交換されている。

キロ65-900はキサロ90をベースとし、キハ65-0と同一のエンジンと関連機器一式、液体変速機・冷房電源を搭載したが、
こちらも床下艤装の輻輳から水タンクはトイレ部分の屋根上へ移設された。また駆動側の台車は元々のTR205Aを駆動台車化し、DT36Xとした。

いずれも独特な車体形状や3枚折戸などの特徴はそのままであったが、ブレーキ方式とギア比の変更により、最高速度は120km/Hから95km/hへ落とされている。
番号は種車順にキハ91-2〜9 → キハ65-901〜907、キサロ90-1〜3 → キロ65-901〜903

当初は全車米子所属で特急「やくも」を補完する急行「伯耆」として、キハ58・キハ65-0と混成で6連3本
(キハ65+キハ58+キロ65+キハ65+キハ58+キハ65)を組んで使用されたが、1982年の伯備線電化でお役御免となり、
全車揃って鳥取へ転属、晩年は強力エンジン搭載・冷房電源付・便洗面所付きの特徴を生かして急行「砂丘」の専用車となった。
この間、1992年の減車と合わせ、キロ65-900は半室が普通車化されて全車キロハ65-900となり、キハ65-900もリクライニングシート化等の体質改善が行われている。

1997年の「砂丘」廃止により全車廃車解体され、現存しない。
403名無し野電車区:2014/01/20(月) 16:41:21.40 ID:Fw0eHTtMO
JR九州D51-170
SL「あそBOY」58654の老朽化により検査等で代わりに牽引できるSL2両体制を
維持したいJR九州は肥薩線矢岳駅に静態保存されているD51-170号機に着目し、
動態復元することにした。
標準化初期の1938年製でJR東日本の498号機より古く、しかも肥薩線矢岳越えの
重油タンク 集煙装置装備の重装備型である。
58654は立野のスイッチバックは越えられても肥薩線の矢岳は性能上越えられないために、
肥薩線のSL列車は58654が人吉まで運転出来なかったが、D51投入により
矢岳をも越して吉松まで運転可能となった。
当時機関士を恐怖に陥れた矢岳第一トンネルと大畑のスイッチバック越えは
SL肥薩号のクライマックスとなる。
また蒸気暖房用の装備を備えたことで冬季に蒸気暖房の使用が可能になり
50系客車の装備が上手く生かされた。
客車はあそBOYの50系客車を補完するために当初ななつ星同様の新造も予定されたが、
スイスより展望窓を備えた客車10両を購入して充てることにした。
D51形投入により、58654が使えない日豊線青井岳越えや日南線だけでなく
久大線や日田彦山線など北九州や筑豊での使用の期待もある。
404名無し野電車区:2014/01/21(火) 15:08:51.49 ID:RYZB9jlF0
国鉄31系電車
1926年(大正15年)から1929年(昭和4年)にかけて日本国有鉄道の前身である鉄道省が製造した、
車体長17m級3扉ロングシートの旧形電車を便宜的に総称したもので、鉄道省が製造した最初の鋼製電車。

形式は三等制御電動車のモハ31形(31001-31288)、二等付随車のサロ35形(35001-35016)、
三等制御車のクハ36形(36001-39040)、三等付随車のサハ37形(37001-37094)の4形式438両を指す。
製造当初は、それぞれデハ73200形、サロ73100形、クハ73300形、サハ73500形と称したが、
1928年(昭和3年)10月に施行された車両形式称号規程改正により、上記の形式に改められた。

車体
車体外皮と骨組みを鋼製でリベット組立、窓の上下には補強用の帯(ウィンドウシル・ヘッダー)が巡らされ、
側面の窓は立客へのサービス改善のため天地方向を広げた二段窓、上昇式で、従来の日除け鎧戸も廃されて、
巻き上げ式のカーテンに変更、座席はロングシートで、背ずりをS字形の曲面とした短冊張りとし、
座布団は緑色の布地張りとしている。屋根の構造は、従来どおり明かり取り窓が側面に設けられた、
木造二重屋根構造であるが、車体幅を最大限に広げたことから車両限界に抵触するため、雨樋は設けられず、
扉の上部に水切りが設けられ、通風の改善のため屋根上の通風器も従来の片側4個を6個に増強されている。
ドアエンジンが全面的に採用されたのが最大の特徴。

主電動機
主電動機はMT15形が鉄道省と製造各メーカーの共同設計により、新規開発の上で採用された。

制御器
制御器は電磁空気カム軸式のCS5形、主幹制御器はGE社製C36形の改良品であるMC1形が搭載された。

ブレーキ
M三動弁を使用するM自動空気ブレーキで、国産化されたものが使用された。
405名無し野電車区:2014/01/21(火) 15:31:50.19 ID:RYZB9jlF0
モハ31形
本系列の基幹となる制御電動車で1929年(昭和4年)までの4年間に288両が製造された。
前述のように落成時の形式はデハ73200形で、1928年(昭和3年)の改番によりモハ31形となった。
前面を非貫通としたことから運転台の機器配置が余裕の有り、側面窓配置はd1D22D22D2、
車内電灯は従来天井中央部に1列6個(LP8)のみで、出入口付近3か所を大型のグローブ灯(LP9)とし、
座席部の照度を上げるため座席上部のモニター欄間窓の柱からブラケット状に小型クローブ灯(LP23)を、
片側3か所に吊す構造としている。台車は鋼棒組み立て式のボールドウィン形TR22(後のDT11)、
奇数番号車は上り向き、偶数番号車は下り向きである。

サロ35形
二等付随車で1926年度および1928年度に計16両を製造、1928年度改番以前の形式はサロ73100形と称した。
二等車であるため片側2扉で、車端部と戸袋部がロングシートである以外は、ボックスシートとなっており、
天井には他に例のない優雅な装飾が施されていた。側面窓配置は2D22222D2である。
1928年度製造車については、台車が球山形鋼組み立てのTR11から棒鋼組み立て式のTR21に変更されている。

三等制御車のクハ36形
鉄道省の鋼製電車としては初めての制御車で、1926年度から1928年度までに計40両が製造され、
前面や窓配置、車内はモハ31形の同年度製と同様で、側面窓配置はd1D22D22D2、
台車は36001-36008が軸バネ式のTR11、3609-36020が軸バネ式のTR23である。
奇数番号車は上り向き、偶数番号車は下り向きである。

サハ37形
三等付随車で1926年度から1929年度までに96両を製造、1928年度改番以前の形式はサハ73500形と称した。
形態的にはモハ30形から運転台を廃した構造で、窓配置は2D22D22D2である。
台車は37001-37022が球山形鋼組み立てのTR11、37023-37094が軸バネ式のTR23である。
406名無し野電車区:2014/01/21(火) 17:19:34.25 ID:RYZB9jlF0
サロ35形の格下げ
1937年(昭和12年)に日中戦争が勃発し戦時体制となったことから、1938年(昭和13年)10月31日限りで、
関西急電と横須賀線を除いて二等車の連結が中止、本系列のサロ35形は中央線(翌年には常磐線)へ転属の上、
車内設備はそのままで三等車代用として使用されたが、1941年(昭和16年)には車体中央部に扉を増設し、
3扉ロングシート化のうえサハ37形に編入、改造は同年12月から翌年12月にかけて大井工場で行なわれ、
番号順に37095-37110に改番された。

戦争中から戦後にかけ、戦災や事故で1947年(昭和22年)までにモハ31形64両、クハ36形7両、
サハ37形35両の計106両が廃車となり、そのほとんどが車輌不足に悩む私鉄に払下げられ、
残存車も戦後の酷使により荒廃、1947年(昭和22年)8月から1949年(昭和24年)12月にかけて、
モハ31形の一部、41両を電装解除して制御車化、クハ36形36044-36084へ編入した。

長距離用への改造
1950年(昭和25年)から1951年(昭和26年)に静岡鉄道管理局に転属したモハ31形8両、クハ38形4両は、
中央扉を埋め、座席をボックスシートに変更する二扉車改造が行なわれ、モハ31形はモハ32形に、
クハ38形は暫定的に開き番号であるクハ77形に改められ、クハについては便所も設置され、
翌年には便所が設置れたサハ37形が2両が改造され、サハ74形に改番された。
407名無し野電車区:2014/01/21(火) 17:22:48.50 ID:RYZB9jlF0
中央東線乗入れ用改造車
1951年(昭和26年)に中央東線乗入れ専用車両としてモハ31形4両、サハ37形2両の屋根高さを低く抑える為、
モニタールーフを丸屋根に変更、同時に妻面も切妻となり、通風器はグローブ形に交換した。
翌年から行なわれた本形式の更新修繕で丸屋根化の原形となった。

更新修繕とモハ30形
1952年(昭和27年)から本形式の更新修繕が行なわれ、全車が丸屋根化と切妻化、通風器はグローブ形に交換した。
同時にモハ31形の33両が運転台を撤去、中間電動車化してモハ30形30000-30032と新形式番号を付けて就役した。

1953年車両形式称号規程改正による変更
1953年(昭和28年)6月1日に施行されたこの車両形式称号規程改正により、車体長17m級の電車は、
形式10-29内に設定されたため、本系列に属するモハ31形、サハ37形、クハ16形は、その時点で残存していた、
全車が改番の対象となり、この改番により、車体長17m級3扉ロングシートの電車はその出自に関わりなく、
中間電動車はモハ10形(2代)、片運転台の制御電動車はモハ11形、両運転台の制御電動車はモハ13形、
制御車はクハ16形、付随車はサハ17形に統合された。ただし番台による区分が設け、他系列の車両と区別された。
改番時点でモハ10形となったモハ30形は33両、モハ11形となったモハ31形は計67両、
クハ16形となったクハ36形は55両、サハ17形となったサハ37形は28両であった。

その後の状況
戦前、東京圏の通勤輸送を支えた本系列であるが、戦後は輸送量の増大による車体長20m級電車の増備で、
1956年(昭和31年)以降、地方に転ずるものが多くなり、主な転用先は電化買収線区で、仙石線、大糸線、
身延線、飯田線、福塩線、可部線、宇部線、小野田線などに転用され、一部は早々と私鉄に払下げられた。
また東京圏に残ったのは青梅線や南武線、鶴見線などの周辺線区に移り、1970年代前半までには、
それらの線区にも新性能電車投入によって余剰となった車体長20m級旧形電車に置き換えられて、
多くが入線可能な地方の私鉄にタダ同然で払い下げらて、第二の人生を歩んだ。
国鉄で一般営業用に残った最後のものは、1980年(昭和55年)11月まで使用された南武支線である。
408名無し野電車区:2014/01/26(日) 09:43:40.56 ID:9Q0GDiD1O
近鉄 1298-1299形
もう1両目の「はかるくん」で、車両は大阪線用1000系ベースに変更された。
電気 信号 架線検測用車両と軌道検測 レール探傷車からなる。
基本的に単独で運転されるが、阪神なんば線検測運転時は1000系2連を連結する。
京都線 橿原線 奈良線及び京都市交通局の国際会館まで及び阪神なんば線の検測委託を行う。
そのため難波には入るものの阪神に入るために大阪上本町らに入ることすらない超レア物である。
なお原則阪神電鉄内はなんば線のみの検測だが、直通特急列車運転開始時に
もう1編成改装して三ノ宮まで伸ばす計画もある。
なお京都線と奈良線系統専用のため、原則大阪線などでは使用しない。
大阪市交通局3000形3997-3998-3999
3000形を改造して作られた総合検測車である。改造ベースはアルミ車体型のみで組成した。
1両目は電気検測車 2両目は軌道検測車 3両目は信号関係の検測車からなる。
森ノ宮車両基地に配置され、中央線及び近鉄東大阪線の検査委託用として使われたが、
けいはんな線開業時に御堂筋線から捻出された10系改装型に取り替えられたため、
現在は四つ橋線など森ノ宮車両基地に配置される路線の検測を行い、事業用車ながら
最後の3000形として使われている。
なお谷町線は20系改装型が御堂筋線は10系改装型を使うため使用しない。
また当然ながら架線式の堺筋線とリニア式の長堀鶴見緑地線なども対象外。
409名無し野電車区:2014/01/27(月) 21:48:52.27 ID:SjPfeIPT0
E257系500番台増結車

房総地区のグリーン車の需要に応えるためと、より柔軟に輸送力の調整を行うため、E257系500番台の増結編成を投入した。
クロハE256-500+クモハE257-500の2両編成。従来投入されていた5両編成に増結した7両編成で255系の運用の一部を置き換えている。
また、5+2+2の9両編成も組成可能。

クロハE256形500番台
補助電源用SIVとCPを搭載する制御車。前位側半室がグリーン車。

クモハE257形500番台
VVVFインバータ装置とパンタグラフを搭載する制御電動車。
運転台は回送のみに使用される簡易型。
東京方車端部にトイレ・洗面所を備える。
410名無し野電車区:2014/01/28(火) 20:07:15.67 ID:/rIc35JV0
207系3000番台

JR東西線開業に伴い増備された207系の最終仕様。
これにより京阪神緩行線の車両を207系で統一し、省エネルギー性能、運用効率と
車両転用によるアーバンネットワーク全体のサービスレベル向上を図った。
東西線への入線を考慮しないため、定員増加の観点から7両貫通編成(Tc'+T+M+T+M+T+Mc)とし、
同様の理由で各電動車の第2パンタは準備工事とした。
また、223系2000番台と同様、将来の短編成化改造を容易にするため妻面構体をボルト留めする構造となった。
411名無し野電車区:2014/01/28(火) 20:35:34.82 ID:z9zpwRJU0
E233系9000番台
JR東日本が製造したE233系のアルミ車体試験車。
通勤型車両をアルミ合金で作ったらどうなるかという発想から製造された。
その特殊性から新津車両製作所では製造が出来ず日立製作所で製造された。
412名無し野電車区:2014/01/28(火) 21:10:15.35 ID:n4TGAN9aI
>>411に便乗
E233系9100番台
E233系のサスティナ車体試験車。
>>411のアルミ車体と比較する目的も兼ねて製造。
製造はもちろん総合車両製作所。
413.:2014/01/28(火) 23:33:40.72 ID:JdUJM4cwO
>>411-412
E233系3000番台SUSTINA車:
E233系3000番台国府津量産先行2編成のトイレ設置改造及び、E217系の老朽化置き換え。

E233系11000番台:
E217系の老朽化置き換え。3000番台SUSTINAと同様の車体。
E217系は程度が悪い編成は廃車、程度が良い編成は房総ローカルへ。
VVVFは東芝製(3000番台は日立製、通勤型は三菱製)。
(10000番台は武蔵野線に開けておく)

E233系9500番台/9600番台:
川崎重工業でのA-Train/SUSTINAライセンス生産試作。
9500番台は日立製9000番台準拠、9600番台はJ-TREC9100番台準拠。
VVVFは9000番台が日立、9100番台が三菱、9500番台が東芝、9600番台が東洋電機。
414.:2014/01/29(水) 18:53:33.35 ID:kcQ7U4lEO
補足:
>>413のE233-9500/9600番台が、
>>371の227系や323系、>>376の229系の、A-TrainとSUSTINAを融合した技術にフィードバックされたのは言うまでもない。
A-Trainの元々の車体強度にSUSTINAの車内補強設備で、福知山線尼崎事故の教訓を生かすというノウハウにつながった。
415名無し野電車区:2014/01/30(木) 12:56:30.99 ID:oh+QmiG6O
E129系5000番台

新潟の115系の置き換え用に4両編成(仮称0番台)と2両ワンマン対応編成(仮称1000番台)を投入。
一方で「くびき野」に使用されている485系も老朽化著しい上に乗降扉が少なく朝夕の混雑やそれに伴う遅延が問題となっていた。
そこで「くびき野」置き換えを目的にE129系を追加投入することに。

○主な特徴
・3両編成(「くびき野」運用時には2本繋いだ6両編成で運転)
・時速120km/h運転に対応・車内はJR東日本初となる転換クロスシートを採用(車端はロングシート)
・窓の設計を見直しカーテンを取り付け

高速バスとの競争や中長距離輸送をある程度考慮しつつも新潟口の朝夕の混雑にも対応した仕様となっている。
416名無し野電車区:2014/01/30(木) 23:17:17.38 ID:Ob8cfjLJ0
京都市交通局10系リニューアル車

登場から30年以上が経過し、老朽化が目立ち始めたために、車内や制御装置中心にリニューアル改造が施された。
特に制御装置はVVVF、主電動機は永久磁石同期電動機になった。
417名無し野電車区:2014/02/03(月) 16:12:37.86 ID:KY/JEQMeO
まえがき)譲渡厨の戯れ事になるけど、許してもらえたら嬉しいです(嫌な人はスキップ推奨)…。

JR九州205系1500番台

JR東日本埼京線他の管内の205系を、過去に415系等の買取実績のあるJR九州が買い取り、筑肥線の103系の
置き換えに充てる事にした。

投入にあたっては、前面ならびに動力機器を303系に準じたものとしている。トイレも同様のものを設置。
富士急6000系に次ぐドーンデザイン研究所による2例めの205系リニューアルとして注目されたが、基本的には
303系に準じたものとなっている。しかし、種車の造り上、先代の103系1500番台の雰囲気さえ漂わせている。
車体は元々帯が巻かれていたところにコーポレイトカラーの赤が配され、一見すると京葉線の車両のようにも
見えるが、ドアも赤く塗られていて、帯の中にKYUSHU RAILWAY COMPANYなどのレタリングが入る。
418名無し野電車区:2014/02/03(月) 19:05:48.05 ID:8ylsmSbX0
阪急電鉄4300系
堺筋線乗り入れ専用車。1300系の地下鉄乗り入れ型として並行して
生産された。走行系は1300系に準じているが阪急電鉄初のステンレス
車両である。
製造は阪急初の総合車両製作所でE233系構造は採用せず全編成SUSTINA
を採用した。
8両編成10本作られる予定で大阪市交堺筋線直通は同形式と8300系とで
統一化され,堺筋線から抵抗車は一掃された。
堺筋線直通の通勤特急及び快速特急が新設される予定で,河原町発
天下茶屋行などが登場する予定で,堺筋線も急行運転する構想もある。
419名無し野電車区:2014/02/07(金) 18:41:32.73 ID:0kQPGC430
E233系9000番台
JR東日本が開発したレールブレーキ試験車。
台車に電磁吸着式レールブレーキを装備し、非常制動時の制動距離大幅短縮を狙った。
減速度が10km/h/s近くに達する為手すりが大幅に増やされ、衝撃緩和のためにゴム巻きされている。
妻板と袖仕切りにウレタンマットを取り付けている。
420名無し野電車区:2014/02/08(土) 01:42:30.55 ID:FOidhJRu0
JR東日本DBR600形500・550番台ディーゼル機関車

20XX年代、世界的な気候変動による冬季の寒冷化で東京近郊でも積雪日が増え、1回の降雪量も数十センチに達するようになっており、
首都圏の各路線では冬季の運休が頻発し、乗客の不満も高まっていた。
しかしJR東ではDE15などはほとんど残っておらず、除雪はモーターカーにより行われていたが線路閉鎖をしなければならず過密線区では運用できない。
そこで鉄道車両として走行できるようにJR北海道協力のもと製造された除雪用機関車である。

形式名からもわかるとおりJR北のDBR600形がベースで性能や機能も本家に準じている。もちろんATSや無線などの保安装置や細かい仕様がJR東仕様にされている。
製造は日本除雪機製作所。

500番台がATS線区用、550番台がATC線区用と区分されている。

この機関車の導入にあたってはJR東からJR北への支援など多くのやり取りがあったと言われている。
421.:2014/02/08(土) 04:38:44.33 ID:m7Uqo7xYO
>>420
JR東日本クモキE147系/E445系:
除雪車やモーターカーの機関車化では効率が悪いので、ささら電車のような車両を連結。
走行機器はE751系をベース。
霜取りつらら取り両用パンタ(ヒーター内蔵)を備え、JR東日本の全車種に連結出来る読み替え機能を持っている。
422名無し野電車区:2014/02/09(日) 14:55:38.54 ID:maJnao5dO
京成電鉄モニ32-32形 33形-34形
1997年にモニ21-22形を廃車以降除雪用車両がない状況であったが、想定外の大雪で
全線がストップして復旧出来なくなる状況を発生したため、当初廃車予定であった
3300形の3333-3334-3335-3336-3343-3344 3301-3302-3303-3304を取り止め、
非常時には除雪車としても使用できる電動貨車として作られた。
改造は京急ファインテックと新京成車両工業。
運転台部の3300形の先頭はそのままに、後部にデト21形同様の荷台となっている。
2両編成で作られ、モニ31-32形 33形-34形となった。荷台には救援機材を積み込んでいる。
工事用ではなく名目上は成田スカイアクセス線非常救援用車両で、高砂と宗吾に配置された。
前後にスノーブロウを備え付けており、除雪車としても使用される他、
豪雪時は大型ラッセルヘッドを装置する事も可能。
北総線にも配置される予定で、9200形配備で廃車される7250形から
モニ35-36形が牧の原に配置された。
なお新京成には8000形を改造したモニ81-82が配置される予定。
423名無し野電車区:2014/02/10(月) 20:49:34.17 ID:NiQR6Qbr0
HDR300形

JR北海道が除雪に用いるDBR-600形ディーゼル機関車の強化形として投入したハイブリッド機関車。
JR貨物HD-300形をベースにラッセルヘッド・ロータリーヘッドを連結可能とし除雪機能を付加している。
除雪装置については機関車本体から電力供給を受け、油圧ポンプを駆動する方式となっている。
また蓄電池の性能向上により高出力・短時間での充放電が可能となったため
最高速度を95km/hに向上させ、迅速に除雪作業を行う箇所へ移動、除雪できるようになった。
除雪作業のない時期は除雪装置を外し、函館地区の電車を苗穂工場へ回送する際の牽引機として使用される。
424名無し野電車区:2014/02/11(火) 00:28:03.73 ID:B3R1CGn30
E233系4000番台
JR東日本が製造したE233系のワイドドア試験車。
乗り入れ先の東京メトロ16000系に合わせてドア幅を1800mmに拡大した。
東京メトロ東西線乗り入れ用に製造した。
425名無し野電車区:2014/02/17(月) 01:05:28.97 ID:bWfLi9SL0
クヤE233
JR東日本が製造したE233系用のラッセルアタッチメント。
運転台とラッセルブレードを装備する。
首都圏で大雪が降った際に活用される。
長野・新潟地区に応援に行くこともある。
426名無し野電車区:2014/02/17(月) 04:53:00.76 ID:z8Pp/N500
>>416 便乗して車内その他篇
今般のリニューアルに際しては、従来の機能一点張りな意匠を見直し、「京都らしさ」を醸す事に力を入れた。
・日本初のドアチャイム採用車であるが、従来の「ピッ」「ピーッ」から、阪急電車に近いメロディタイプとした。
メロディタッチも弦楽器(琴)に近づけている。
・ステンレス製の手摺や座席肘掛や金具類は無塗装鏡面を見直し、真鍮色に着色しかつダルフィニッシュ仕上げとした。
・座席モケットは、祇園祭の山車をデザインした連続模様入りで、一般席は緑、優先席は紫とした(以前市バスに用いられて
いたものに近い)
・床敷物は、先斗町の路地などをイメージした石畳風のものに変更。
・往年の市電をイメージし、側面の帯も変更(肩部の緑をベージュに、裾部に緑を配した。イメージとしては相鉄に似ている。
なお、前面の帯は変更されていない)。また、行先表示器はフルカラーLED式とした。
・つり革のベルトのカバーには難燃処理を施した竹材を使用。
・車内照明はLED蛍光灯に変更。また、車内ドア上部に千鳥配置でLED表示器を新設した。
427.:2014/02/17(月) 09:46:21.00 ID:7Je30WT8O
JR貨物/北海道/東日本/西日本・EH200-800/850・EH500-800/850・DF200-800/850:
除雪対応釜、800番台がラッセル、850番台がロータリー。
割り当て:
・貨物:EH/DF801〜805/851〜855
・北海道:DF816〜820
・東日本:EH/DF806〜810
・西日本:EH/DF811〜815
除雪以外では、配給列車(死神運用)に使われる。
428名無し野電車区:2014/02/18(火) 14:55:48.77 ID:xGg+C9gV0
東武鉄道500系
近鉄しまかぜなどの豪華特急が人気を集めたため、東武においても豪華観光特急を求める要望が
増えてきたために製造された日光・鬼怒川線用豪華特急車。
形式も昔の貴賓車トク500にあやかって500系と命名された。
編成は6両固定で、中間2両は東武初のダブルデッカー車となった。
両端4両は電動車、中間のダブルデッカー車は付随車となり、全車特別車となった。
車内は両端4両には1列−2列のグランクラス並みのシートピッチ1,300mmの豪華なリクライニングシートが設置された。
ダブルデッカー車は3号車階上にはビュッフェ・ラウンジが設置され、階下は4人用個室となった。
4号車階上は1列−1列のリクライニングシートを備えた展望シートとなり、座席を窓側に向けることも可能である。
4号車階下は2人用もしくは3人用の個室となっている。
当面は東武線内のみでの使用だが、将来のJR線乗り入れも考慮してJR用のATS-PやJR用の無線も設置された。
停車駅はとうきょうスカイツリー・北千住・春日部・下今市で、午前浅草発の東武日光行きと、午後浅草発の鬼怒川温泉行き、
昼前に鬼怒川温泉発の浅草行きと夕方に東武日光発の浅草行きが設定されている。
429名無し野電車区:2014/02/21(金) 21:35:56.78 ID:YpHaW0+X0
キヤ92
JR東海が開発した牽引気動車。
両運転台でキヤ95形「ドクター東海」と同等の前面形状を有する。
エンジンはカミンズ製の450PSを2台搭載。
ブレーキは電気指令式であるが自動空気ブレーキ搭載車と連結できるようブレーキ読替装置を搭載しており、ブレーキ管を引き通している。
自社でディーゼル機関車を全廃したため、客車や気動車を牽引できる「気動車」を開発する事にしたという。
その気になればブルートレインの牽引も可能らしいが営業運転で実施する予定はない。
430名無し野電車区:2014/02/21(金) 21:38:26.80 ID:YpHaW0+X0
>>429
キクヤ92-0番台
JR東海が開発したキヤ92用のラッセルアタッチメント。
単線・複線両用である。
キヤ92の両端に連結する。

キクヤ92-100番台
JR東海が開発したキヤ92用のロータリーアタッチメント。
除雪ブレードはモーター駆動で、キヤ92から電力を供給する。

両者ともキヤ92以外にもキヤ95やキヤ97、313系と連結して使用する事も可能。
431名無し野電車区:2014/02/21(金) 21:44:23.01 ID:7oS17SLw0
>>429
キハ75に中間連結器と仮設の読み変え装置積めば不要

>>429
除雪ヘッドにエンジン積んでキハ75と連結すれば不要
432名無し野電車区:2014/02/22(土) 09:19:49.35 ID:rImA9Z0v0
このスレでもキヤの除雪車を予言したやつはいなかったな。
現場的には機関車運転士を置かなくて済むなどメリットは大きいわけだが、
鉄ヲタはそこまで想像できない。
433.:2014/02/22(土) 09:51:42.00 ID:+wRQCV27O
除雪電車(クモキ/クモヤ)用ブルーム式/ロータリー式除雪モーター:
形式:MTS-1
電動機種類:三相交流永久磁石同期電動機。

自走型は除雪ヘッド駆動用と自走用VVVFは誘導電動機とシステムが異なる為、別に設置。
434名無し野電車区:2014/02/22(土) 10:46:17.18 ID:sKd+hPAJ0
電機や大出力キハにラッセルヘッド取り付けられるようにしておけば除雪キヤなんていらない
http://yfrog.com/scaled/landing/875/toqlw.jpg
435名無し野電車区:2014/02/22(土) 11:32:54.90 ID:+Ryd4l2GO
JR東日本HD300-500
JR東日本がJR貨物のハイブリッド機関車HD300型を導入したもので500番台車である。
当初はDE10 DE11の取り替えとして計画されたものであったが、首都圏大雪の経験から
仕様を一部変更し、除雪車としての能力を持たせることにしたために
JR貨物型とは車体が若干長い。
除雪ヘッドはラッセル式の複線形とし、当初はDE15型のヘッドを転用する
予定だったが、ヘッド自体がDE15自体の廃車やDE10への編入等で枯渇している
ためにやむ無く全て新造され、基本的にはDE15型のラッセルヘッドと同一で
機関車前後に装置する形になる。
外部エンジン式のロータリー除雪ヘッドは首都圏では使えないために用意されないが、
上越線等に考慮し高崎には準備されている。
宇都宮機関区田端常駐で20両が各分派で配置され、田端と新鶴見に各4両の
8両以外に大宮(3両) 幕張(4両)[整備は京葉臨海鉄道委託] 八王子[3両]
高崎[3両]の陣容である。
ロータリー除雪ヘッドは高崎のみで他は複線形ラッセルのみである。
八王子の3両の内1両は拜島配置で、長時間不通になった青梅線の教訓からと見られる。
436.:2014/02/22(土) 12:19:47.53 ID:+wRQCV27O
JR東日本キヤE143/HB-E143/EV-E143:
JR西日本のキヤE143のOEM。
更にハイブリッドのHB-E143と燃料電池のHB-E143-1000と蓄電池式のEV-E143が設計された。
437名無し野電車区:2014/02/22(土) 12:20:07.25 ID:lNJNED3NO
高松琴平電鉄1500形
老朽化した1070形、1080形置き換えの為に京急から1500形鋼製車を導入した。
琴平線用で在来車と併結する必要がある為、制御器、ブレーキの読み換え装置が装備されている。
御披露目運転は1000形と併結して行われ、訪れたファンを唖然とさせた。
438名無し野電車区:2014/02/22(土) 18:48:51.37 ID:9HTxfnIBI
名鉄3000系・2600系・400系

車体は3150系4次車を、内装は4000系をベースに、3500系初期車並に座席数を削減し1200系のような非貫通構造(決して5000系の様な前面展望性最悪のものではない)
床下機器は名鉄4000系をベースにボルスタ台車・全閉式外扇電動機を採用しつつ、120km対応、ワンマン設備・発電ブレーキも搭載
名鉄の保有車両の過半数を占めるため、インフレナンバー化している
派生形式として発電ブレーキを省き、白帯を巻く特別車仕様の2600系は、2重連でミュースカイ、3000系と併結して一部特別車特急として運用される、7700系のような車両
同じく地下鉄乗り入れ用に発電ブレーキを省き20メートル4ドア車体にした400系も存在
3000系に新たに発電ブレーキを搭載することで本数の少ない末端区間でも運用可能
また全車両にボルスタ台車を採用したことにより、曲線区間の走行性向上を狙う
名鉄の保有車両は4000系、3000系、2600系、400系の4つとし、他の車両は全て淘汰
車両の仕様を極限まで統一することで車両調達・保守コストを削減し、車両の形式自体も4つに絞ることで柔軟な車両運用が可能に
4000・400系を除き基本2両編成となるため、ラッシュ時には3重連や4重連で運行(「大いなる田舎」愛知の「大いなる私鉄」ならでは)
同じ顔のステンレスが溢れるかえることになり、鉄ヲタには完全に見放されることに
439名無し野電車区:2014/02/23(日) 20:36:56.41 ID:pBWRu1aN0
キハ170
JR北海道が開発した新型気動車。
両運転台で、ステンレス車体である。
総合車両製作所の「sustina」を気動車で採用した史上初の事例である。
塩害の発生しやすい日高本線などに投入する。
440名無し野電車区:2014/02/23(日) 22:14:28.85 ID:iJLaG7AC0
441名無し野電車区:2014/02/25(火) 15:46:01.49 ID:R454dVns0
並行世界もの
英国国鉄9級蒸気機関車(1Eh2形貨物用機関車)

1966年の英国国鉄蒸気機関車廃止により、まだ車齢の若い9級蒸気機関車を無償でトルコとギリシャに譲渡.
トルコには100両、ギリシャには75量という大盤振る舞いである。
トルコでは全機重油焚きに、ギリシャでは75両中45両が重油焚きに改造される。
442名無し野電車区:2014/02/26(水) 10:19:39.29 ID:m5Vhhk3w0
国鉄サハシ152
サハシ153から「寿司コーナー」を廃し客室を拡大した形式。
誕生の背景には、職人確保の困難や利用率低下などがある。
オリジナルのサハシ153から改造された車両と、新造された車両があり、外観に若干の差異がある。
同様の形式として「そばコーナー」を廃したサハシ164、サハシ450、サハシ454などがあり、
各線急行の利用率などを鑑みて「そばコーナー」が有る車両と無い車両が振り分けて配置された。
443名無し野電車区:2014/02/27(木) 01:27:13.27 ID:hHCMPyTN0
琴電3000形

もと京急の1070および1080形を置き換えるため、
京成3600形を譲受したもの。
あらかじめ電装化済みの3661Fが選ばれた。

伊予鉄5000系

同様に京成3600形を譲受したものだが、
こちらは先頭車改造および改軌があるため、
琴電よりも大工事となった。
もともと同社は東急1000系を希望したが、
東急との結びつきが高くなく競り負けてしまい、
かつて受け入れ歴がある京急の仲介で、
紹介されたのがきっかけだとか

多くの地方私鉄にとって、東急1000系は長年目をつけてきたものだったが、
東急の方針転換により、旧日比直車を1500系に改造の上自社で続投となり、
供給量が減ったため、標準軌ながらオールステンレスで中型の京成3600形は、
それに変わるものとして、重宝されたという。
444 【大吉】 :2014/03/01(土) 02:25:40.94 ID:cjVB+MlW0
444
445名無し野電車区:2014/03/04(火) 23:46:15.41 ID:Kk3Qk7PGO
E3系3000番台

山形新幹線のE3系1000番台初期車(L51、L52編成)置き換え用に投入。秋田新幹線のE3系0番台後期車を種車に改造し、仕様を極力2000番台に合わせたのが特徴。
主な変更点として外観ではサボをフルカラーLEDに交換。内装では座席もコンセント付きのものに交換。16〜17車のシートピッチについてはそのままである。


E3系8000番台

東日本管内の新幹線区間を走行可能な観光向けの「クルージング新幹線」として登場。種車は秋田新幹線E3系0番台後期車。運用範囲は東北新幹線全線(新函館乗り入れ可)、山形・秋田新幹線全線、上越新幹線。
3列シート、個室、軽食が楽しめるレストラン、ラウンジ等を備え、全体的には近鉄の「しまかぜ」を意識したような構成となっている。
446445:2014/03/04(火) 23:59:46.26 ID:Kk3Qk7PGO
補足

山形新幹線のL53編成についても改造の後に3000番台に編入され1000番台グループは消滅。

クルージング新幹線は北陸長野新幹線には周波数の関係上乗り入れ不可。
447名無し野電車区:2014/03/05(水) 09:51:16.12 ID:DsipQavq0
富士急8000系
当初小田急電鉄20000形の譲渡をしてフジサン特急2000系を置き換える方針
であったが、交通バリアフリー法によりハイデッカー車で折戸のために
車椅子の乗降が困難である車両の譲渡に際して関東運輸局より弱者に配慮
した車両の導入を命じられたため、2編成目を購入しての完全置換えは困難
となった。
そこで富士急はドア幅が大きいJR東日本の185系に変更し、新潟トランシス
でパノラマ型先頭部を取り付けた特急車両に変更して登場したのが8000系である。
ドア幅が大きい利点を生かし3号車には車椅子スペースを設置した。
4両編成での譲渡であることや、東日本当時の保安装置はそのまま搭載したため
新宿などにも乗り入れ可能で、実際ホリデー快速の運用がこの車両に変更されて
大月〜河口湖間特急として運転する。
そのため東日本区間の大月までは普通乗車券でも乗れるが、富士急行線内は
別途特急券が必要で前後2両は指定席となる。
富士急行3100系(2代目)
1000系富士登山電車を置き換えるため、651系改造車両置換えで新潟より
ジョイフルトレインnodokaを譲渡した上で水戸岡鋭治氏に内装を手がけて
作られた富士登山電車第2弾である。初のカルダン車3100系の形式を継承した。
2号車が一般席以外すべて指定である。
捻出される先代富士登山電車は内装は多少変更した上で銚子電鉄に譲渡され、
元銀座線1000系を淘汰する。
448名無し野電車区:2014/03/05(水) 10:57:22.92 ID:wvuPhHkM0
>>442
・国鉄サロ164
8両制限があった信越急行用に誕生したサロ165からの改造車で、
サハ164の優等車両版といった趣き。
169系登場後はお役御免となり各線を転々。
後の横須賀線に移り「エアポート成田」用ビュッフェ付グリーン車に改造され一部の観光外人から好評を博すも
113系廃止でとうとう廃車に。

・国鉄サシ455
仙台〜青森の急行くりこまのサービス向上のために登場。
サハシ455を改造し、ビュッフェ部分をそのまま、
客室部分は食堂に改造され、窓は固定窓に変更なった。
東北急行全廃時に廃車になるかと思われたが、
一部はローカル運用に転じた455系一党に連結され続け、
駅の売店代わりに営業されるという珍事が発生。
好評を博したが、重慶と釜山での反日テロ(中韓事変)に端を発した第三次世界大戦の勃発で廃車に。
449名無し野電車区:2014/03/06(木) 20:37:03.93 ID:eZe5VNkj0
209系5000番台
JR東日本で209系を長野・新潟地区に転用したもの。
クモハ209-クモハ208の2両編成である(1M1T案も検討されたが改造が大規模になるのと冬季の粘着性能確保の観点から見送られた)。
半自動ドアスイッチとワンマン設備を取り付けた。
E127系と併結可能。
JR東海エリアにも乗り入れる事がある。
450名無し野電車区:2014/03/08(土) 12:29:04.95 ID:9mOatPnSO
JR四国121系1000番台

JR四国が国鉄民営化以降に製造した121系のマイナーチェンジ車。
主な変更点としてこの時期にスタンダードとなりつつあったDT50・TR235のボルスタレス台車を採用。座席配置も片側をロング、もう片側をクロス(ボックス)に変更。
また、ワンマン運転にも対応している。
2014年現在も高松周辺で0番台に混じって活躍中。
451名無し野電車区:2014/03/09(日) 01:31:18.37 ID:hQo0H5hL0
JR東日本 253系500番台

E259系置き換え後首都圏各地に留置され、その行く末についてファンの
注目を集めていた。

今後老朽著しい183系に変わって185系が波動用となるとされていたが
中央東線の高速ダイヤでは支障があるとされ、現場でもめていた。

そこで、130キロ対応の253系に目がつけられ、
一時期は日光に転用された最終グループ以外廃車のうわさもあったが、
中央東線対応波動用として再起することとなった。
転用に当たっては、極力新しい中間M車が当てられ、

クハ253-モハ253-モハ252-クハ252 4本
クハ253-モハ253-モハ252-モハ253-モハ252-クハ252 2本
クハ253-モハ253-モハ252-サハ253--サハ253-モハ253-モハ252-クハ252 2本

が組成された。

クハ253はクロハ253の全室普通車化、
クハ252はクモハ252の電装解除で賄われている。
成田エクスプレス時代末期に集団見合い型シートに変更されたが、
ボックス配置に戻っている。

なお、中央東線にはE353系の投入が決定し、
同線波動用はE351けいに置き換わることが決定しているため、
それ以後は他線波動用に移行するとみられている。
452名無し野電車区:2014/03/15(土) 17:16:56.35 ID:1FqGu8140
300系3000番台

JR西日本が「のぞみ」の自社使用分として投入した300系。
将来の短編成化を見据えてJR東海車とはユニット構成が異なる。
博多方先頭車を制御電動車(321形・M1c車)とし、以下12号車までM1-Tp-M2の3両ユニットを構成、
13号車にユニットを組まない付随車(327形・Tw車)を組み込み、14〜16号車を第5ユニットとする16両編成を組成した。
453名無し野電車区:2014/03/16(日) 13:14:35.52 ID:I3zDDHRY0
HB-225系
JR西日本が開発した225系ベースのハイブリッド車両。
HB-E300系とほぼ同等のハイブリッドシステムを搭載した。
電車の225系と併結可能。

EV-225系
JR西日本が開発した225系ベースの蓄電池車両。
225系をベースに蓄電池を搭載し、非電化区間も走行可能にした。
454名無し野電車区:2014/03/20(木) 21:08:10.09 ID:Vdp6Otqj0
>>449
加速度を4段階に設定可能である。
エコノミーモード(2.0km/h/s)とノーマルモード(2.5km/h/s)と回復運転モード(3.0km/h/s)とフルパワーモード(6.0km/h/s)がある。
フルパワーモードは営業運転中に使用すると乗客が転倒する危険性が高いため故障列車の救援時と除雪時に使用が限定されており、普段はスイッチをプラ板で封印している。
455名無し野電車区:2014/03/21(金) 11:06:59.09 ID:WzMwzi2b0
JR貨物HD-500形(京葉臨海鉄道KH500形)ハイブリッドディーゼル機関車
ハイブリッド機関車HD300形のハイブリッド機関を2基搭載にしたセンター
キャブ型のハイブリッド機関車である。
DD51ほどではないが、DD13タイプの機関車より若干大きい。当初DD51を
置き換えるために開発されたが性能的に中途半端さが否めず、901と
902号機の製造のみで打ち切られた。試験的にHD300形共々隅田川貨物駅の
入換用として使われたのみである。
しかし牽引力ではDD13タイプよりも強く、環境に優れたハイブリッド機関車
であったことからJR貨物では採用されなかったが、関連会社の京葉臨海鉄道
がKD55およびKD60型後継として購入されることとなり、901と902号機が
KH500形-1・2となり、新たに新造で6両作られた。なおHD300形(KH300形)
4両と平行して製造されている。新造の6両のうち3両は千葉市・市原市・袖ヶ浦市
が購入に際して補助金を拠出し第3者保有している。また千葉県も購入の補助を行った。
これによりりんてつ全てがハイブリッド機関車のみの運行となった。
捻出されるKD55及び60形は他社に譲渡される。貴重なDD13型でもあるKD55-103に関しては
JR東日本が購入し、原型復元の上で鉄道博物館に保存が決定した。102も真岡鉄道へ部品
確保用の101含めて譲渡された。200番台はすべて神奈川臨海鉄道へ譲渡。
KD60はすべて東北向けで1は仙台臨海鉄道へ2は福島臨海鉄道へ3と4は岩手開発鉄道へ
それぞれ無償供与された。
同様のハイブリッド機関車は鹿嶋臨海鉄道でも興味を示している。京葉はさらに
100番台で5両が都内向けに作られる計画で、運用委託している東京レールセンターの
小名木川貨物線の運用をハイブリッド化する計画である。この際に小名木川線から
京葉臨海鉄道都内線として運用含め完全移管する計画で新小岩に整備場が設けられる。
456名無し野電車区:2014/03/29(土) 17:26:10.38 ID:NCqrX1AqO
北総鉄道7550形
北総鉄道車のアクセス特急受け持ちの新設と7300形 7800形を置き換えるために
投入された京成3050形の北総鉄道版である。
外観と車内は京成3050形と共通で車内灯を全てLED化されたが、下回りは
台車と制御装置がAE形と同じタイプとなっている。
8両編成5本が配備され、7800形は京成に返却され(3801F復帰)、7300形3本は
金町線用に改装されるために全て親会社の京成に売却された。
また千葉ニュータウン鉄道9000形残りもこれで置き換えられ、9000形は全廃。
北総鉄道受け持ちのアクセス特急は同形と7500形のみで千葉ニュータウン鉄道
の9100形及び9200形は原則運用しない。
京成電鉄3700形 3871〜3891
北総鉄道より7300形を購入した上で3700形に編入したもの。
これらは本線には使わず金町線用に改装されるもので、3両編成×3となった。
編成は
3871-3872-3878(旧7301F)
3881-3882-3888(旧7311F)
3891-3892-3898(旧7321F)
捻出される中間車の7304-7305 7324-7325は3821F 3831Fに組み込まれて
3824-3825 3834-3835として3700形に編入された。
また7314-7315は3600形ターボの真ん中に組み込まれ、8両編成化された。
3700形の金町線用化だけでは金町線用は足りないため、残りを新京成がN800形を
3編成投入により捻出される8900形を改装する案が浮上している。
最大のネックである金町線のV化が完了することにより、残りは千葉・千原線と
芝山鉄道のみとなり、京成グループ全通勤車両のV化が急速に進められることとなる。
457名無し野電車区:2014/03/30(日) 14:07:56.76 ID:0u1JVHwm0
クハ103-2600番台
JR西日本でサハ103を先頭車化改造したもの。
1次改良車と同一の運転台を取り付けた。

クハ103-2100・2150番台
JR東日本でモハ103・102を先頭車化改造したもの。
2100番台がモハ103から、2150番台がモハ102からの改造。
台車は廃車発生品のDT21T・TR62・TR201・TR212のいずれかに交換された。
ATC車に準じた運転台を取り付けた。
458名無し野電車区:2014/03/31(月) 13:46:20.57 ID:/CSqFtwU0
E237系
JR東日本が試験的に製造したアルミ車体の通勤型電車。
更なる軽量化を目論んでE233系をベースにアルミ合金に変更した。
その特殊性から新津車両製作所では製造が出来ず、全車日立製作所で製造された。
459名無し野電車区:2014/04/01(火) 14:14:04.12 ID:denZTdTX0
JR四国2600系
JR四国が開発した8600系ベースの気動車。
450馬力エンジンを2基搭載。
振り子式ではなく車体傾斜式であるが、エンジンの出力強化と徹底した低重心化で2000系とほぼ同一スジで運転可能だという。
電車の8600系との併結も可能である。
460名無し野電車区:2014/04/03(木) 10:53:56.42 ID:IvgWpGbPO
東武8000系ワンマン仕様・VVVF/ワンハンドル/グラスコックピット改造車:
ワンマン仕様の8000系をVVVF改造と運転台の東上線30000系同様に改造。
・800系→810系
・850系→860系
・8000系4連→820系
・8000系2連→870系

あくまで暫定措置であり、50000/60000系ワンマン仕様や10030系(4両固定及び半固定からの運転台復元)に置き換え(車体の腐蝕問題)。
461名無し野電車区:2014/04/04(金) 16:07:27.97 ID:0vyJ6CyD0
クハ103-851〜858
モハ103-794〜
モハ102-2051〜
サハ103-504〜511
昭和58〜59年に作られた103系の最終型。当時製造が開始されていた
201系と車体や主要部品を共通化して抵抗型を作ったものである。
10両編成4本が作られて赤羽線に投入された後に埼京線開業時に
そのままこれが使われている。そのため新造配置された赤羽線
でもそのまま埼京線へ使用できるようウグイス塗装で使われていた。
しかし池袋駅等で山手線と間違えて誤乗するトラブルが続出し、
急遽車体上に「赤羽線」というシールを貼らざるを得なかった時期もあった。
平成3年に全編成が習志野に転出され、初期老朽編成を取り替えている。
その中にはクハ103-47や池袋配置組み残党のモハ103・102-7らが含まれ、
目の敵にされた挙句2年後には京葉に転属されている。
車内も201系と変わらないため更新も行われず、平成12年まで使われた。
13年にモハを抜き取られた8両編成2本がJR西日本に売却され、これらは
大阪環状線で現役。(抜き取られたモハも広島で老朽モハの取替えで売却)
残る2本は中間のサハとモハは廃車の上で仙石線へ転用され、平成21年まで
現役であった。
855の編成は一度休車の上205系転属化改造のつなぎとして再登板されたが
先の東日本大震災で松島海岸駅にいた所を大津波に巻き込まれて生涯を終えた。
462名無し野電車区:2014/04/05(土) 12:46:27.21 ID:jFR67Kxn0
>>461
クハ103-845・847・849・851〜の方が良いかと
クハは欠番を埋めるように付番していて且つ奇数車は奇数向き、偶数車は偶数向きであるため番号順と製造順が一致してない
463名無し野電車区:2014/04/08(火) 19:04:32.46 ID:MqFRYrKj0
キハE130-900番台
JR東日本が開発した「電動アシスト付き気動車」。
エンジン駆動台車と反対側の付随台車にモーターを搭載し、加速性能と燃費の向上を実現させた。
更に大容量のバッテリーを搭載し、回生ブレーキを実現。
キハE200やHB-E300のハイブリッドシステムとは異なり従来の気動車に後付けも可能なシステムである。
464.:2014/04/11(金) 14:54:27.23 ID:QvTHOlExO
E5系1000番台:
16両固定編成及び北海道新幹線運用における冗長化。
16両固定編成と10両固定編成と8両固定編成が存在する。
・16両編成(V編成):分割併合しないやまびこ及び通勤通学時間帯を中心になすの(一部たにがわ)
・8両編成(X編成):北海道新幹線N5系との併結用
・10両編成(U51〜):北海道新幹線通し運用向け

E6系1000番台:
山形新幹線向け、Y編成

E7系1000番台:
上越新幹線向け、10/12/16両編成
・16両編成(E編成):とき及び通勤通学時間帯を中心としたたにがわ
・12両編成(D編成):とき中心
・10両編成(F51〜):北陸新幹線対応

N5系:JR北海道のE5系ベース、単独運用の10両編成(H編成)と分割併合向けの8両編成(G編成)。

W7系1000番台:
山陽・九州新幹線向け8両編成、Q編成。グランクラスはDXグリーン車の名称で運用。
465名無し野電車区:2014/04/12(土) 16:57:28.18 ID:7VHkRONF0
E2系2000番台
JR東日本が開発したE2系1000番台の長野新幹線対応バージョン。
1000番台をベースに複周波数対応に改良した。
8両編成である。
上越新幹線で2本繋いで16両編成での運転にも対応する。
466名無し野電車区:2014/04/12(土) 19:27:48.34 ID:6uwCMjvLO
E2系3000番台
既存のE2系に60Hzに対応した複周波数対応を施したものである。現車号+3000が形式。
加えて長野方1号車をグランクラス化し、2号車をグリーン車としている。
基本的に「あさま」「かがやき」のみで、「はくたか」には基本的には運用しない。
E5系5500番台
東北用から北陸へ転用される1000番台に60Hzに対応した複周波数対応を
施したもので、現車号+5000が形式のため6000番台となる。
5号車に食堂車及びビュッフェに代わるものとして全室コンビニエンスカーと
言われるものが連結されるのが特徴で、いわば全室コンビニエンスストアと言う車両である。
当初は東日本のNEWDAYSが単独営業する予定だったが、西日本区間を走る関係上
大手コンビニエンスストア各社が営業に参入。営業開始当初はローソンと
ファミマのみであったが、後にミニストップ スリーエフが参入。
翌年スリーエフがTポイントサービスの共用化によりファミマに吸収され、
そこに万を期してセブンイレブンが参入。
現在セブンイレブンが半数 以下ファミマ ローソン ミニストップとなっている。
なおデイリーヤマザキ サークルKサンクスは初めから参入していない。
西日本の北陸新幹線車両にもコンビニエンスストア車が導入されるが、
大半がローソンとなる予定。名古屋のココストアも東海道新幹線への参入を狙っており、
北海道新幹線ではポプラが参入する可能性がある。
467名無し野電車区:2014/04/13(日) 18:11:12.63 ID:0ABGpUxf0
キハ225系
JR西日本が開発した225系ベースの気動車。
450馬力エンジンを2基搭載という一般形気動車では異例の重装備仕様で、130キロ運転が可能である。

HB-225系
JR西日本が開発した225系ベースのハイブリッド車。
HB-E300系で採用されたシリースハイブリッドを採用。

EV-225系
JR西日本が開発した225系ベースの蓄電池電車。
EV-E301系のように架線から充電可能。
播但線寺前〜和田山間で採用する予定。

いずれの形式も電車の225系と併結可能である。
468名無し野電車区:2014/04/15(火) 12:48:15.94 ID:F+AI4O2TO
EV-E301系1000 1500番台
烏山線に投入されたEV-E301系を八高線 久留里線向けにも投入するべく登場した
蓄電池電車である。
久留里線仕様の1000番台は烏山線と大差なく帯色を変えたのみだが、八高線仕様の
1500番台はバッテリーの容量を増強し、リチウムイオン電池にしている。
八高線は高麗川以北の非電化区間に投入されたが、バッテリー容量の関係で
高崎までの通しは不可(試験的に高崎までの通し運転のテストで神流川橋梁上で
バッテリー切れをやらかして走行不可になり、キハ110で救援する騒ぎに)のため、
小川町で分けることになり、八高線は高麗川と小川町とでさらに分断化され、
全線通しは完全不可になった。
また充電を稼ぐ関係で倉賀野〜高崎はパンタを上げて走行する。
八高線仕様は配置も分けられ、高崎に15両 新たに配置される川越には8両配置される。
久留里線仕様は幕張車両センターからから京葉車両センター木更津支区に
配置変更されて12両配置。
捻出される八高線キハ110系は秋田に転出。男鹿線と五能線の一部キハ40系を取り換える。
キハ35系らを追い出したキハE130系がわずか2年足らずで蓄電池電車に
置き換えられてしまう久留里線キハE130形は仙石線または新潟へ転用が有力である。
蓄電池電車はさらに小海線投入が計画されており、その場合充電が出来る小淵沢に
EV-キハE301系3000番台を投入(配置は豊田)し、野辺山以北はハイブリッド車のH
B-キハE201系を本格量産してキハ110系を総換えする計画で、野辺山で支社と
運用を切り離される(小淵沢〜清里を八王子支社に移譲)可能性が高い。
469名無し野電車区:2014/04/15(火) 20:06:11.12 ID:56OeuQ1l0
阪急4500系
阪急電鉄が製造した軌道検測車。
Tcのみが製造され、6000系以降の車両と併結して使用される。
双頭連結器を採用したため連結器中間体は不要である。
470名無し野電車区:2014/04/15(火) 21:49:03.21 ID:YBwNPSosO
JR北海道 普通・快速・急行列車キハ160系列統一化

国鉄型のキハ40・キハ54系、元客車のキハ143形の函館線・室蘭線に集中利用をする関係上、キハ160系をベースとした普通・快速・急行列車用の車両が必要となった。

キハ160系の基本形式は18mだがゆとりある通勤をイメージして電車と同じ20mで対応されている。


キハ160系2000番台
普通列車用で一両からのワンマンに対応する。

車内は近年の個人主義的考えから転換クロスシートが使われている。トイレはバリアフリー対応となり従来に比べて使いやすさを追求したものとなっている。

キハ160系5000番台
普通・快速列車用で快速が走る路線に導入されている。
車内はJR北海道初のデュアルシートであるが、過去に留萌線で発生した騒動を踏まえてのもの。
それ以外は2000番台と同様。

キハ160系6000・6500番台
臨時・団体列車用としてキハ40のお座敷の後継にあたるものである。
サロベツ廃止に伴い増備が進んだ。

6500番台は営業最高速度110km/hに対応するが後述を参照。

キハ160系6100・6200・6300番台
JR北海道は特急型によるジョイフルトレインを推進してきたが、JR東日本出身の上層部やJR東日本の判断により本形式が採用された。
クリスタルエクスプレス・ニセコエクスプレスの後継で、景色と安全性の両立が取れるように作られた。
万一の対応に備えて、エンジンを2基採用。
営業最高速度も110km/hと異例の対応を採ったことに加えて、両者で問題になっていた座席不足に備えて6両編成としている。
471.:2014/04/16(水) 13:04:17.29 ID:3KVVxQ9AO
キハE210系:
E995系で試験された燃料電池実用車。
八高線が蓄電池に不向きで燃料電池の実用化試験の為に数両配置。

FC-E400系:
燃料電池量産車。
八高線向け。

E131系:
高崎地区ローカル線用新型車両。
両毛線・上越線・吾妻線・信越線向け。
・0番台:3両/上越線・吾妻線用
・100番台:4両/両毛線・信越線向け。
・200番台:八高線電化向け。
472名無し野電車区:2014/04/16(水) 20:14:29.32 ID:yGUwit+Z0
キサヤ182
JR北海道がキハ182を改造して作った電車用ディーゼル電源車。
車内に大型の発電機を搭載した。
繁忙期に特急「スーパー白鳥」を札幌まで延伸するべく五稜郭〜東室蘭間でDD51牽引で運転するために使用する。
他にも苗穂工場入場回送にも使用される。
473.:2014/04/17(木) 22:48:10.60 ID:KgKFWCG1O
E8系Max:
・0番台:東北新幹線用
・500番台:上越新幹線用/北陸新幹線対応
0番台はMaxはやて/Maxやまびこ/Maxなすの(はやぶさ運用には入らない)。つばさ/こまちとの分割併合対応。
500番台はMaxとき/Maxたにがわなどに充当。高崎でMaxときとMaxかがやきの重連分割併合も行われる。
0番台に対する200番台/500番台に対する700番台:0/500番台は8両だが、E5系/E7系と分割併合の為、有効長がフル規格のみで最大16両なので、6両編成を用意(フル規格+ミニ新幹線は17両)。
200番台は、はやて+Maxやまびこなど、
700番台は、とき+Maxあさま/はくたか+Maxたにがわなど。
474名無し野電車区:2014/04/19(土) 12:29:11.08 ID:chRm9f9j0
阿武隈急行A719系

黒磯駅構内直流化で交直流車が導入されたため、
捻出された719系を購入し、8100系および
417系を置き換えたもの。
8100系とは経年がさほど変わらないが、
ステンレス車体3ドアの上、JRでもまだ継続使用していて
扱いやすいことから、一斉に置き換えを決めた。
外観上の変化としては、8100系に準じた斜めのラインに変更されたほか、
製造時の流用部品も同一ながらより新しい個体に差し替えられている。
また標準軌用5000番台に準じたワンマン化も行われている。
475名無し野電車区:2014/04/19(土) 12:31:29.20 ID:chRm9f9j0
あいの風とやま鉄道8100系

JRとの車種統一で不要となった阿武隈急行から8100系を購入したもの
もともとは413系を継続使用する予定であったが、
走行機器の老朽化が著しいことから、純粋な新車でバランスの取れた
本形式の購入を決めた。
無論60HZにはそのままでは対応できないため、
681系初期車の直流化改造で不要となった交流機器を移植して対応している。
加えて、富山では積雪が多く、耐寒構造が強化された(特徴的な広幅貫通路もドアつきの狭幅に改造された)
ほか、521系にあわせて転換クロス化も実施された。
しかしながら、直流には引き続き非対応のほか、IRがイレギュラーな扱いを嫌がったたため、
運用範囲は高岡ー糸魚川間に限定されている。
476名無し野電車区:2014/04/19(土) 14:13:47.08 ID:7jV9rZxJ0
E233系4000番台
JR東日本が仙石線用に投入したE233系。
4両編成である。
寒冷地を走行するためスノープラウとレールヒーターを装備している。
ドアエンジンはE721系と部品を共通化するべく空気式を採用。
製造コスト低減のために液晶ディスプレイがドア上に1基千鳥配置されていて合計4基しか設置されていない。
また石巻線経由で機関車牽引で回送するためブレーキ管を引き通している。
477名無し野電車区:2014/04/19(土) 14:23:43.86 ID:7jV9rZxJ0
401系1000番台
国鉄が1985年から登場させた仙台地区の輸送力増強用に余った401系を転用したもの。
以下の改造が行われた。
・半自動ドアスイッチを取り付け(当初ドアエンジンの改造で半自動化も検討されたが半自動・全自動の切り替えが不可能なため見送られた)
・冷房化
・主電動機をMT54に交換
・特別保全工事を施工
・ベンチレータを箱型に交換
4両編成であるためラッシュ時のみの限定運用が組まれた。
交直両用であることを活かし宇都宮駅まで乗り入れる運用があったり、団体臨時列車で上野駅に入線したこともあったという。
1998年に廃車された。
478名無し野電車区:2014/04/19(土) 14:28:34.43 ID:7jV9rZxJ0
415系2500番台
JR東日本で415系1500番台を仙台地区に転用。
ドアの半自動化が行われた。
編成が3両編成に短縮された(クモハ415-モハ414-クハ411)。
東北本線・仙石線連絡線に使用する。
479名無し野電車区:2014/04/20(日) 14:50:49.74 ID:XxcQQmyWO
E533系3000番台
仙石線に投入されたE233系の交直流型である。直流なのに交直流車を投入したのは
東北本線と仙石線の連絡線の活用
連絡線使用による石巻線経由の機関車牽引回送をやめて単独自走による
郡山車両センターへの搬入を可能にする
などである。
奇数編成がオールロングシート 偶数編成が2Wayシートとなっている。
トイレは石巻方4号車1ヶ所。
仙石線以外に朝ラッシュ時は仙山線及び東北本線の直通普通にも投入され、
石巻発快速白石行きや本塩釜発愛子行きなども登場。
なお東北本線は原則白石・仙山線は愛子まで。当初予定していた石巻から
小牛田方面行きは当面見送られている。
配置は仙台に変更され、仙台車両センター宮城野派出に変更された。
なお仙台シティラビッドに充当されることもあり、仙台から快速うみかぜに化ける列車もある。
480名無し野電車区:2014/04/21(月) 22:22:41.88 ID:UgyZECFP0
115系1900番台
国鉄が開発した115系のドア開口幅拡大試験車。
115系はドア幅が1300oあるが113系とは違い取っ手の分だけ引き残しがあるため有効開口幅が1100oとなっており、ラッシュ時に不利ではないかという指摘があった。
それを50系客車や185系のデッキ仕切り扉みたいに戸袋部の取っ手と干渉する部分に窪みを付ける事で有効開口幅拡大を図った。
しかしコストの割にあまり効果がなく1編成のみで打ち切られた。
481名無し野電車区:2014/04/22(火) 17:54:58.48 ID:bppewI/A0
207系3000番台
JR東日本が製造した207系の最終形態。
321系登場後のリピートオーダーであるため、内装が321系に準じたものに変更されている(但し液晶モニタではなくドア上にLED表示器を搭載)。
また車体がビードレスステンレス車体となっている。
オフセット貫通扉と片側だけの妻窓は継承されている。
主電動機はWMT102Cを採用。
4+3両編成を7両固定化し、捻出したクモハやクハを活用して4連または6連を組んで奈良電車区に転用するために製造したため中間車のみの存在である。
482名無し野電車区:2014/04/27(日) 01:55:38.04 ID:e4amkYz90
550系
空気バネ傾斜、フルアクティブサスペンション実装。座席4列モノクラス8両編成。
新大阪ー鹿児島中央 360km/h運転。
483名無し野電車区:2014/04/29(火) 21:55:15.58 ID:m81yjoTW0
サロ711
国鉄が製造した711系のグリーン車。
急行「さちかぜ」「かむい」「ちとせ」や快速「エアポート」で使用された。
車体側面はキロ26みたいに小窓が並んでいる。
後年サハ711に格下げされたりuシート化されたりした。

サロ780
国鉄が製造した781系のグリーン車。
M-Tpユニットを組む特異性からサロでありながらパンタグラフを搭載している変わり種の車両である。
しかし2000年のuシートの登場でグリーン車は中途半端な存在となってしまい全車サハ780-100番台に格下げされてしまった。
484名無し野電車区:2014/05/01(木) 23:12:52.29 ID:mLdCZYd80
101系富山港線仕様
国鉄が富山港線の73系の置き換え用に改造した101系。
2両編成である。
ドアが半自動化された。
城川原駅構内の車両基地が廃止後の導入であるため、全般検査時に機関車牽引で松任工場へ回送するため尾灯掛けが追設されている。
485.:2014/05/04(日) 22:33:09.57 ID:ArLg6i6/O
クモヤE241系:
クモヤ143/145の後継、クモヤE241とクモヤE240があり、常時ペアかプッシュプルか単独運転。
機器はE231/E531/E233系に準ずる/MONとTIMSとAIMSの読み替え対応。
製造は川崎重工業/総合車両/新津。
配置車両センターの()内は編成番号、900番台はPMSM試作/800番台はATACS対応/700番台はメトロ/東葉/小田急車牽引対応
東京総合車両センター:本所(901)/田町常駐(1)/池袋常駐(2)
大宮総合車両センター:本所(3)/尾久常駐(4)
松戸車両センター(5)
国府津車両センター:本所(6)/茅ヶ崎常駐(7)
鎌倉車両センター:本所(8)/東神奈川常駐(9)
小山車両センター:小山車セ(10)/宮運常駐(11)
高崎車両センター:新前橋(12)/高崎常駐(13)/籠原常駐(14)
中原電車区:中原(15)/弁天島常駐(16)
浦和電車区:浦和(17)/東十条常駐(18)/蒲田常駐(19)
豊田車両センター:豊田(902)/甲府常駐(20)
三鷹車両センター:三鷹(701)/武蔵小金井(21)
川越車両センター:川越(801)/池袋常駐(802)
京葉車両センター:京葉(903)/東所沢(22)
幕張車両センター:幕張(24)/習志野(702)
松戸車両センター(703)
など。
486名無し野電車区:2014/05/05(月) 21:57:57.24 ID:icCjOL+80
クハE501/E500形2000番台

常磐線に残存する415系を淘汰するため、E531系(付属編成)の追加投入と
合わせてE501系全編成を5両化することとし、不足する先頭車を補うために改造された。
中間車のサハE501/E500形にそれぞれ運転台を設置する改造を行っている。
また、すべてのクハに自動解結装置と電気連結器が追加された。
487名無し野電車区:2014/05/06(火) 16:08:02.27 ID:dUpqVCgk0
キハ185系JR西日本仕様

2000系の投入により余剰となったキハ185系をJR西日本が購入したもの。
先頭車であるキハ185形のみが譲渡され、基本的に2両編成を組み、急行「みよし」・「つやま」で使用された。
488名無し野電車区:2014/05/06(火) 23:04:36.22 ID:0lIgfpKXO
E2系4000番台

>>465>>466のように勢力を拡大し続けるE2系にまた新たなグループが加わることになった。

こちらの4000番台は仙台〜新青森(将来的には新函館へ乗り入れ予定)の各駅停車「はつかり」専用車として登場。
外装は200系リニューアル車と同じ塗装。内装は1000番台J71〜編成に準じており、コンセントが設置されている。6両編成で6号車は半室グリーン車。1〜4号車は自由席(4号車は指定席になることもある)、5号車と6号車の半室は指定席。
「はつかり」は仙台〜新青森で概ね毎時1本運転。盛岡で「はやぶさ」「はやて」と緩急接続を行う。
その結果、「はやぶさ」「はやて」の仙台以北の停車駅は基本的に盛岡、八戸、新青森に絞られ速達性の向上が図られた。

仙台〜新青森は1時間あたり「はやぶさ」か「はやて」が1本、「はつかり」が1本となり、「やまびこ」は朝夕や臨時便以外は仙台止まりが基本となる。
489名無し野電車区:2014/05/07(水) 23:56:53.32 ID:oQ4ucKam0
JR北海道 キハ183系5000番台
JR北海道が夜行急行「はまなす」の後継車として投入した、キハ183系の改造車両。
夜行急行「はまなす」はそれまで本州-北海道連絡の夜行列車として運行されていたが、北海道新幹線の開業により青函トンネルが標準軌化されたこと、また従来の客車の老朽化もあって一時は廃止が取りざたされていた。
しかし「札幌に到着する一番列車」という性格も持っていることや、北海道新幹線からの乗り継ぎで本州北海道連絡列車としての役目も果たせることから函館-札幌間に短縮の上、気動車化により存続が決定した。
このためにNN183系の一部を改造した車両がキハ183系5000番台である。
車内灯は夜間においての減光機能が追加された。
また、夜行列車という運用に際し、以下の車両を改造または新製により組み込んでいる。
・カーペットカー(キハ183-5500):フェリーの桟敷席のようなカーペット敷きの座席。二段式になっている。普通車指定席料金での利用。
・デラックススリーパー(キロ183-5500):航空機の新型ビジネスクラスのようにフルフラットシートの周囲をパーティションで囲った座席。レール方向に設置された1-1配置。グリーン指定席料金での利用。
・B寝台車(キハネ183-5000):二段式のB寝台。B寝台料金での利用。
このうち「デラックススリーパー」は場合によっては進行方向と逆向きの席が割り当てられるという難点こそあるものの、「グリーン指定席料金で利用できる実質的な寝台車」として人気が高く、指定席券も本座席から売り切れるという事態も起こっている。
渡島大野駅(新函館駅)で最終の東京発新幹線に接続し、朝6時台に札幌に到着するという運用を行っている。
490名無し野電車区:2014/05/10(土) 00:10:18.81 ID:MGfUPoNc0
キロ58形900番台
国鉄が開発したキロ58の2エンジンで無理矢理4VKを搭載した試験車両。
名鉄キハ8200系のように4VKを床上に置いたために機器室が出来てしまい車掌室が無くなったうえに定員が減少したため1両だけしか製造されなかった。
491名無し野電車区:2014/05/10(土) 16:06:59.57 ID:USopofkf0
E331系1100番台

鶴見線205系3連置き換え用として製造。

4両編成で連接式となっている。

編成はクハ-モハ-サハ-クハであるが連接車なのでMT比は実質2M3T。

両端クハが16m、中間車が13m級車体になっている。

0番台(史実の京葉車)との相違点は
・先頭車が短くなっている。
・駆動方式がDDMではなくE233系と同じカルダン式でモーター等もE233と同じ。
・内装もE233系とほぼ同じ。
・車体は2800mmのストレート車体である
・方向幕がフルカラーLED

この車両の投入により大川支線の武蔵白石駅停車が復活することになった。
また置き換えられた205系は富士急や長野電鉄に譲渡された。
492名無し野電車区:2014/05/11(日) 12:19:40.96 ID:J1SIyGPcO
205系5700番台
武蔵野線へのE233系投入に伴い、捻出される205系を新潟に投入されることになり
3両編成化 半自動ドア化 一部セミクロスシート化 トイレ取り付けなど
600番台に準じた仕様に改装したもの。
この車両投入により羽越線の村上〜酒田間を直流化し、普通列車の気動車運転
を廃止する。
E331系の改良型のE333系4連に全て置き換える相模線の800番台(5800番台)共々
長岡と上沼垂に投入される。帯色はE127系と同様でE127系との連結にも対応する。
羽越線以外に白新線 越後線 上越線 信越線にも投入され、上越線は水上まで
運転される列車もある。
新潟支社は羽越線の直流化の他に磐越西線新津〜津川間電化 北陸線糸魚川〜直江津を
信越線編入購入等を計画され、加えてJR西日本より譲渡される大糸線南小谷〜糸魚川には
蓄電池式電車を導入する予定。
493名無しの遠吠え:2014/05/12(月) 14:41:24.62 ID:DsLG+rFS0
名古屋鉄道100系

名古屋市交通局舞鶴線に乗り入れるために開発された20m4扉電車
AVF電機子チョッパ制御(回生ブレーキ付き)名古屋市交通局3000系に合わせて名古屋鉄道100系は初めから東急8000系と同じ走行機器を導入。
つまり車体は全鋼製だが回生ブレーキ付き界磁チョッパ制御&全電気制御式ブレーキが導入された。
494名無しの遠吠え:2014/05/12(月) 14:51:34.66 ID:DsLG+rFS0
名古屋市交通局3000系

東急車輛からお情けでライセンスをもらって初めからオールステンレス車体で製造。
495名無し野電車区:2014/05/13(火) 18:29:17.80 ID:KROsAkZX0
ED78形5000番台
JR東日本でED78を標準軌仕様に改造したもの。
交流25000V区間への入線も可能な構造となった。
主に故障車の救援や保線車両の牽引に使用する。
496名無し野電車区:2014/05/13(火) 19:15:38.28 ID:ADO/G/tW0
マロネロ38近代化改装車
準急利尻の急行格上げに伴い、今更1等C寝台&並ロというのも・・・ということで施工された。
外観は青15号塗装となり、オロネ10と同じ床下型クーラーの搭載による冷房化。それに伴う重量増加への対策で
台車をTR73からオシ17と同じ台車に交換。
内装材は10系と同じものを使い、寝台はオロネ10と同じものを1等座席は転換シートからナロ10と同じリクライニングシート
に交換。施工は苗穂工場にて行われた。
497名無し野電車区:2014/05/15(木) 02:05:27.83 ID:op5iL7wz0
東武鉄道400系特急形電車

伊勢崎線・桐生線・佐野線特急「りょうもう」で使用される営業用車両で、東武形ATCと新CS-ATCを搭載している。
本形式の配備に先立って北千住の小菅方では、急行線側から緩行線へ転線可能なよう渡り線と信号機の追加設置が行われた。
200系列の置き換えと「りょうもう」増発のため、13編成78両が2016年度から2019年度にかけて調達される予定である。

車体は日立製作所のA-trainによるアルミダブルスキン構造で、ホームドア対応の20m車1扉車6両固定編成である。
カラーは200系列とはやや異なり、ジャスミンホワイト基調だが、ローズレッドとフューチャーブルーの帯を入れている。
車体幅は2,800mm、客用扉1,000mm(片開き)。行先表示器と照灯類はLED式、旅客案内表示器は「パッとビジョン」を採用している。
1・3・6号車にはサニタリースペース(内3号車はバリアフリー対策も実施)、2・4・5号車にはユーティリティースペースを設けている。
座席は2+2アブレストの回転式リクライニングシートで、間隔1,100mm、腰掛幅465mmとなっており、全席に電源コンセントが用意されている。
定員は294名で、通路幅は50090系のクロス時と同じ550mmを確保している。なお、公衆無線LANサービスも提供している。

走行系は概ね60000系に準じており、コスト削減の観点からPMSMやSiC-MOSFETといった新機軸は導入されていない。
乗り心地を改善する目的でフルアクティブサスペンションも当初検討されていたが、最終的には車体間ヨーダンパのみとなった。
498名無し野電車区:2014/05/15(木) 09:02:14.73 ID:dkBCSruX0
おまえら詳しく書きすぎてワロタwwwww
499名無し野電車区:2014/05/15(木) 09:21:36.40 ID:dkBCSruX0
EF600−901
北九州のEF81の老朽化のためつくられた機関車 車体はアルミを使っているため
とても軽いそのため使う電力もEF210と同じである 最大寸法は25,000 × 2,948 × 3,799 (mm)
とEH200と同じ 制御装置はVVVFインバーター制御装置を使用している
2020年JR広報より引用
500名無し野電車区:2014/05/16(金) 19:57:47.74 ID:YcwXn2kn0
E331系1000番台
JR東日本が製造したE331系のカルダン駆動バージョン。
DDMは伝達ロスが少なくなる代わりに釣り掛け駆動方式と同様にばね下重量が重くなる問題が懸念されたため比較検討用に製造した。
主電動機はE231系と共通のMT73で、歯車比は7.07に設定。
501名無し野電車区:2014/05/17(土) 20:06:42.32 ID:3oAL/9Gp0
サハネ583形

東北方面で使用されていた583系の15両編成化を見越して製造された583系の中間付随車。
故障発生時に備え予備の電動発電機、空気圧縮機を床下に装荷する。
(空気圧縮機についてはサシ581形に設けられていた物を移設している)
結局15連化は実現しなかったが、安定輸送に貢献した。
502名無し野電車区:2014/05/17(土) 23:51:22.94 ID:n0Y7BFPu0
阪急エアー BAe146型機
阪急電鉄系列の航空会社「阪急エアー」が導入したBAe146型機。
阪急エアーは当時の阪急電鉄社長の「せっかく沿線に伊丹空港という大規模空港があるのだから、空の旅も提供してみてはどうだろうか」という発案により設立された航空会社である。
運航路線は伊丹空港を拠点とした国内線のみに限定しているものの、一方で阪急電鉄の「庶民にちょっとした贅沢気分を味わってもらう」というコンセプトは引き継がれており、全席エコノミーを基本としながらもシートピッチ拡大などが行われているなどの点が特筆される。
尚、3レターコードは「HKU」・コールサインは「MAROON LINER」となっている。
機体としては従来はロッキード製のターボプロップ機L-188「エレクトラ」を使用していた(これに関しては阪急エアー社長の「プロペラ機の方が旅のロマンを演出しやすい」という意向があったこと、そしてSTOL性や燃費の面で有利であるためと言われている)、
特に(比較的)中長距離の路線の場合は速度面などでジェット化の必要も迫られることがあったため、「適正な輸送力」「強力なSTOL性」「市街地の伊丹空港を発着するための静粛性」などが求められた結果、英国BAe社の小型ジェット旅客機「BAe146」を導入することとなった。
BAe146-300型機が合計10機(内オプション2機)が発注された。
機体は阪急電鉄の鉄道車両と同じくマルーンで塗装されているが、主翼及び尾翼は白となっている。
本来は定員112名のBAe146-300型ではあるが、シートピッチ拡大を行ったため定員は200型並みの96名となっている。
また、機内インテリアは木目調としてあるなど、様々な部分に「阪急らしさ」が現れている。

現在、伊丹空港は騒音防止のために3発機以上の乗り入れを制限されているが、本機のみ「低騒音」を理由に特認として乗り入れが認められている。
主に伊丹-新千歳・羽田・福岡・那覇の路線に投入されているが、間合い運用などでその他の路線に回ることもある。
503名無し野電車区:2014/05/18(日) 17:30:42.98 ID:J4IodEWW0
>>502
阪急航空を知らんのか
504名無し野電車区:2014/05/19(月) 18:56:04.60 ID:Xqhn8pnK0
>>503
ttp://www.hankyu-air.co.jp/index.html
5年前まであったようだな。
505名無し野電車区:2014/05/20(火) 13:27:52.13 ID:4Zjs4UTZ0
帝都高速度交通営団(営団地下鉄){現東京メトロ}6000系6051〜54F
昭和58年に東西線増強用及び初期の5000系淘汰のために作られた千代田線6000系
の東西線仕様型である。なぜ6000系を東西線に投入する理由としてオールステンレス車
が登場している中でスキンステンレスの5000系を引き続き製造するわけにいかず、
アルミ編成の続番の計画もT5900型のアルミ車で新たな形式の5500型が必要で既に
千代田線6000系や有楽町線7000系に半蔵門線8000系とアルミ車が多数を占め始めた
ことから千代田線車両をそのまま東西線に使う方式に変更された。
(これが後に5000系冷房改造時に半蔵門線8000系の投入にもつながる)
千代田線としては6022〜27Fに準じ、冷房取り付けの準備も施していたため東西線車両
として最初に冷房を搭載した車両となった。ただし改造に際しては当時深川工場では出来ず、
綾瀬に搬入して改造されている。
05系が投入後も使われたが、2010年に有楽町線より07系投入時に6053Fが千代田線でなく
有楽町・副都心線に転用された。(転属に際して新木場CRでB修及びVVVF化も同時に施工)
2011年12月には当初更新予定だった6035Fの廃車に伴って急遽6052Fも千代田線へ転用される
ことになり、新木場CRでB修及びVVVF化施工の上転属された。
残る6051F 6054Fは深川でVVVF化を施工するなど、東西線の異端車として使われたものの
2012年〜13年に15000系投入で新木場CRでB修の上有楽町・副都心線に転用された。
なお有楽町・副都心線に転用された車両は形式を揃えるため7000系7035〜37Fとなっている。
千代田線に転用された6052Fは形式を変更していない。
506名無し野電車区:2014/05/22(木) 08:44:48.79 ID:PsrkPQ/j0
東急デハ120形電車

1956年(昭和31年)に東急車輛製造で4編成を製造した2車体連接車。

さらなる玉川線の輸送力増強に、デハ200形と同じ2車体の連接車構造を採用、
他車と同じ単位スイッチ式間接非自動制御 (HL)、SME(非常弁付直通空気制動)に統一し、
車体はデハ80形を基本に片運転台化・2扉車構造とした。製造は1956年(昭和31年)から、
東急車輌製造でデハ121-128の4編成が製造された。

車体は11,600mm、幅2,500mmの12m級2扉で、デハ80形の2車体を背中合わせにし片運転台化、
吊り掛け駆動、単位スイッチ式間接非自動制御 (HL)、非常管付三管式直通空気制動 (SME)、
自動連結器を装備し、デハ200形を除く、全形式と連結総括制御が可能であった。
(尚、連接車のため、併結して営業運転は、ホーム長の不足から行なわれなかった)

パンタグラフは奇数車・偶数車ともに運転台側の屋根上に設置、全扉の自動化、
デハ80形と同じ、車掌の前方監視のため運転台部分のみ右側隅柱に小窓を設けた。

1969年(昭和44年)5月11日の玉川線・砧線廃止後は残存線の世田谷線車両として残り、
塗色はライトグリーン一色となった。1983年(昭和58年)から車体更新が行なわれ、
張り上げ屋根、前面を対称4枚窓化、窓のアルミサッシ化を施し、デハ80形に似た形状となったが、
ノーヘッダー化はされておらず、デハ80形とは違った印象を与える。

1987年(昭和62年)にはデハ160形に続き、冷房改造が行なわれ、奇数車に補助電源装置として、
静止形インバータ (SIV) を搭載、10,000kcal/hの分散式を1両あたり屋根上に1基搭載、
重量増を考慮して、車体の横骨や、屋根部分に梁が追加された。

2000年末、駅ホームのステップレス化による300系への全面置換前に、一足早く廃車が決定され、
全車、雪が谷検車区上町班の検修庫内で解体した為、現存車はない。
507名無し野電車区:2014/05/22(木) 08:57:56.19 ID:PsrkPQ/j0
東急デハ160形電車

1966年(昭和41年)にデハ161-168の4編成を東急車輛製造で製造した2車体連接車。

車体は12,300mm、幅2,500mmの12m級2扉で、2車体を連接台車で結合した連接車、
デハ150形の両運転台車を片運転台・2車体連接車・2扉に設計変更して製造、
車体外観は初代7000系同様、車体は米国バッド社のオールステンレス車体製造技法、
屋根上のベンチレータ(通風器)にもバッドタイプの台形大型のものを採用している。

性能もデハ150形と同じ吊り掛け駆動、単位スイッチ式間接非自動制御 (HL)、
非常管付三管式直通空気制動 (SME) であり、自動連結器を装備し、デハ200形を除く、
全形式と連結総括制御が可能であった。主電動機は出力60kWの東洋電機製造製TDK540、
台車はTS118鋼板溶接組コイルバネ台車、車輪径は710mmで、床面高さ900mmと同じ。
パンタグラフは奇数車・偶数車ともに運転台側の屋根上に設置されている。

輸送力を生かし、玉川線廃止後は全車が世田谷線で引き続き使用され、
車体塗装をライトグリーン一色に変更したほかは大きな変化は無かったが、
1986年(昭和61年)から車体の更新修繕を施工、側コルゲートのステンレス化、
前面方向指示灯の撤去、側窓保護棒の撤去、車内デコラ板の交換などを行い、
サービス向上の一貫として、奇数車に補助電源装置として9000系と同じ、
静止形インバータ (SIV) を搭載、10,000kcal/hの分散式を1両あたり屋根上に1基搭載、
重量増を考慮して、車体の横骨や、屋根部分に梁が追加、世田谷線初の冷房付き車輌となった。

1990年以降、鉄道線初代3000系列全廃時の発生品であるシールドビーム前照灯、
42芯ジャンパ連結器に取り替え、制御電源の低圧化(HL→HB化)、保安ブレーキ取付、
前面車掌側窓の2段化(7000系の改造発生品流用と思われる)、台車軸受の密封コロ軸化、
車内警報器設置等、度重なる改造を行なったが、原型を大きく損なうことなく使用された。

2001年、駅ホームのステップレス化による300系への全面置換に伴い、
全車が廃車、解体されたが、他車より最後まで残っていた。現存車はない。
508名無しの遠吠え:2014/05/22(木) 14:38:48.44 ID:7lEDy7E50
オールステンレス車体の京成電鉄3500系後期車を2両編成&走行機器をIGBTインバータ制御に改造して高松琴平電鉄に売却。
509名無し野電車区:2014/05/24(土) 09:08:18.39 ID:whuiTe9O0
キハ202
JR北海道が製造したキハ201の廉価バージョン。
キハ201系の製造コストが高く付きすぎたため、その反省からコストダウンを図った。
車体はキハ201と同様であるが、機関が450PS×1基に減らされた。
その上車体傾斜装置が廃止された。
運転最高速度が110km/hに下がってしまったため731系との併結は不可能になった。
最初札沼線で使用されていたが、電化後は室蘭本線で使用されている。
510名無し野電車区:2014/05/24(土) 20:34:56.08 ID:whuiTe9O0
クロ183-2000番台
JR西日本で485系パノラマグリーン車を183系化した車両。
511名無し野電車区:2014/05/25(日) 06:02:14.91 ID:8rNlzaQZ0
キハ35形5000番台
JR東海で武豊線や太多線、高山本線、関西本線の輸送改善用にキハ35を大幅リニューアルした車両。
主な改造は以下の通り。
・機関換装(カミンズ製の330PSを搭載)
・東海道線の高速ダイヤに対応するため、ブレーキの強化による最高速度100km/hに向上
・211系5000番台に準じた内装に変更
・側窓をユニット窓に変更、戸袋窓を嵌め殺しにして開かないようにした
・バス用冷房ユニットによる冷房化
1999年にキハ75が増備されるとあっさり廃車された。
512名無し野電車区:2014/05/26(月) 07:09:00.54 ID:gMPMh24s0
(゚∀゚)
513名無し野電車区:2014/05/26(月) 17:27:55.97 ID:hB7sVSS50
東急デハ1形電車

1920年(大正9年)9月11日、玉川電気鉄道が東京市電気局(東京市電)に乗り入れで、
1372mmに改軌した折に、11両を投入した木造ボギー車、玉電デ1形がそのルーツ。
その後、1924年(大正13年)までに4両を増備、計15両となっている。
製造は枝光鉄工所・鶴見木工所・蒲田車両で、全車が前後扉付で他がオープンデッキ。
側窓はすべて10枚だが枝光製が2×5、他が3+4+3という割合で並び、
運転台は低床、台車はブリル76E1を使用。ダブルポールを前後に装備していた。
枝光製車の形状は同メーカーの京王電気軌道23形と酷似している。

1931年(昭和6年)全車が運転台周辺の高床化、車体延長と鉄板で覆う工事を施行、
東京横浜電鉄への吸収合併→大東急発足後デハ1形と改番している。
3両が戦災で焼失、1945年(昭和20年)箱根登山鉄道小田原市内線に12号・14号車を譲渡、
焼失した3両は終戦後に廃車解体された。

戦後、集電方式をビューゲルに改良、デハ20形と共に直接制御の単行専用車であった。
1951年(昭和26年)木造車体の老朽化と、デハ80形の増備で全車の廃車が決定、形式消滅した。
514名無し野電車区:2014/05/26(月) 17:31:50.35 ID:hB7sVSS50
東急デハ20形電車

1925年(大正14年)下高井戸駅〜三軒茶屋駅開通に伴い、蒲田車両で8両新造、
玉電最後の木造ボギー車である。竣功当時はデ20形と称した。
車両構造はデ1形と同様な前後オープンデッキでありながら中引扉を持っていて、
側面窓配置は1D3333D1と特徴ある側面を持っていた。

1932年(昭和7年)デ1形に続き、全車が運転台周辺の高床化、車体延長と鉄板で覆う工事を施行、
東京横浜電鉄への吸収合併→大東急発足後デハ20形と改番している。
戦災廃車は1両も無く終戦を迎え、戦後は集電装置をダブルポールからビューゲルに換装、
デハ1形と共に木造ボギー車であるため、戦後の酷使で老朽化が出始めていたので、
1952年(昭和27年)に全車が廃車、形式消滅した。
515名無し野電車区:2014/05/26(月) 21:14:12.27 ID:HyBNDoVq0
西鉄4000系電車

福岡市営地下鉄箱崎線との直通運転用に貝塚線に投入された新形式。
西鉄としては初めて通勤・近郊電車の標準仕様ガイドラインに則り、西鉄3000系・7000系をベースに設計された。
ドア間隔は直通先の福岡市営地下鉄箱崎線既設のホームドアに合わせてある。
6連7本が新造され、主に中洲川端〜西鉄新宮間で運用される。
516名無し野電車区:2014/05/27(火) 09:30:52.89 ID:ov78cIQY0
東急デハ30形電車

玉川電気鉄道初の半鋼製車として、通称溝ノ口線と中目黒線開通の折に新造されたのがこの車両で、
1927年(昭和2年)に汽車会社と日本車輌で10両製造された。竣功当時はデ30形と称している。

集電装置がトロリーポール4本のダブルポール、前面3枚窓を持った運転台・出入台を持ち、
かつ初の客用扉付密閉車体であった。とはいえ木造車の設計をそのまま鋼製にした感が強い形態で、
側面窓配置は1D3333D1でデ20形と同じ配置であった。台車も同じものが使われている。

1932年(昭和7年)デ1形に続き、全車が運転台周辺を車体延長と鉄板で覆う工事を施行、
東京横浜電鉄への吸収合併→大東急発足後デハ30形と改番している。
2両が戦災で焼失、2両は終戦後に解体された。

戦後はデハ1形・デハ20形と同じく集電装置をビューゲルに取り替え、中引扉取り付けが行なわれ、
重連運転に備え直接制御の間接非自動制御(HL)化、空気制動の非常管付直通制動(SME)化、
及び自動連結器等の取付改造が行われた。

1956年(昭和31年)120形が製造されたことで余剰となり、全車の廃車が決定、形式消滅した。
デハ34は二子玉川園内に保存されていたが、老朽化で1970年代後半になって解体処分されている。
同車のビューゲルはその後、田園都市線高津駅付近にあった旧電車とバスの博物館に展示されていたが、
同館が宮崎台への移転後展示されておらず、消息は不明である。
517名無し野電車区:2014/05/27(火) 09:56:43.46 ID:RjxS2CJY0
ぐぬぬ…南海めやりおる…
以前このスレに書いたネタを本当にやりやがったぁ!?
http://www.nankai.co.jp/traffic/info/rapit20th.html
518名無し野電車区:2014/05/27(火) 10:06:39.08 ID:ov78cIQY0
東急デハ40形電車

玉川電気鉄道デ40形として、1928年(昭和3年)から1930年(昭和5年)にかけて、
日本車輌製造で計11両を新造、玉電初の運転台高床式になった密閉式3扉車で、
竣功当時の窓配置は1wD6D6wD1(wDは2枚引戸を示す。前後は戸袋の狭窓)、
集電装置はトロリーポール前後各2基装備のダブルポールを装備した。

本形式以後の車両増備がないまま、1938年(昭和13年)には東京横浜電鉄に吸収合併されたため、
玉川電気鉄道としては最後の新造形式となった。

東京横浜電鉄吸収合併→東京急行電鉄(大東急)発足によりデハ40形と改番している。
戦災で5両が焼失、5両は終戦後に解体された。

戦後に集電装置をビューゲルに改良、側窓の二段上昇式への変更が行なわれ、
重連運転に備え直接制御の間接非自動制御(HL)化、空気制動の非常管付直通制動(SME)化、
及び自動連結器等の取付改造が行われたが、単行で朝のラッシュ専用となっていた。
1956年(昭和31年)デハ120形の新造で余剰となり、全車の廃車が決定、形式消滅した。
519名無し野電車区:2014/05/27(火) 16:47:15.01 ID:ov78cIQY0
相鉄1000系電車

1948年(昭和23年)に大東急デハ1150形1155-1159・1162-1165の計9両の譲渡と、
戦災焼失車3両の無償譲渡を、自社の星川工場で復旧したものである。

大東急から譲渡されたデハ1150形は車体長は14.2m、片開き扉を3箇所に配した半鋼製車体で、
正面は丸みを帯びた非貫通の3枚窓で、側面窓は下降窓(落とし窓)で、日よけの鎧戸を装備、
戦災焼失車の3両は台枠のみで譲渡されており、出自が一切不明、3両とも台枠の長さが、
14m・15m・16mと違っていた。

これら譲渡車の中で、大東急から譲渡されたデハ1150形を運用に充てるとともに、
戦災焼失車の復旧を自社星川工場で行なう上で、台枠長を合わせる必要が有り、
デハ1150形と同じ車体長14.2mに台枠と揃え、新たな車体を架装した。

1951年(昭和26年)の車両番号一斉改番でモハ1000形1001-1012とされた。
1956年(昭和31年)には3両固定編成に改造、編成中間に入った1002・1005・1008・1011は、
パンタグラフと運転台が撤去され、客窓の新設と車体長の延長がなされ、完全中間車化された。

その後、大きな変化も無く、1961年(昭和36年)に旧6000系の製造が始まると、
1000系は2000系や5000系と同じく、運用に難が見られるようになっていたので、
先立って1000系の廃車が1962年(昭和37年)に決定した。

廃車にあたり1963年(昭和38年)から翌年にかけて、1001-1003の2両が日立電鉄、
1964年(昭和39年)に1004-1006の2両が京福電気鉄道に譲渡された。
この時点で中間車である1002・1005は星川工場で廃車、解体された。

残った2編成は足回りおよびブレーキを強化の上、1965年(昭和40年)に荷物電車に改造、
モニ1000形1001-1006となったが、2000系が荷物電車に改造された1975年(昭和50年)、
残り2編成の廃車が決定、1007と1009が日立電鉄に譲渡され、残った中間車1008と、
1010・1011・1012の4両は解体の為、西横浜から国鉄線に搬出された。
520名無し野電車区:2014/05/28(水) 15:56:23.38 ID:kEJ9j7K50
東急デハ50形電車

1938年(昭和13年)玉川電気鉄道が東京横浜電鉄に吸収合併後、初の新形式車がデ50形、
1939年(昭和14年)末までに合計6両が川崎車両で新造された。

東横50形は中扉付の3扉車で、全扉が2枚引戸で、中扉が2枚引戸の両開きとなり、
側窓配置は対称のD5D5D(扉側の客窓は戸袋)、大型の二段上昇窓を持ち、
運転台窓は中央が広めの変則3枚窓で、集電方式はダブルポールであった。
大窓と丸みを帯びた車体形状、鋼板屋根は、鉄道線のデハ1000形(東急発足後は初代3000系デハ3500形)等、
同時期の川崎車輌製に共通するデザインといえ、デ40形から台車、電機品を流用したため、
710mm車輪の中床、直接制御車であった。

東京横浜電鉄吸収合併→東京急行電鉄(大東急)発足によりデハ50形と改番している。
戦後行われた連結総括制御化により、座付自動連結器、間接非自動加速(HL)制御器、
非常管付直通制動(SME)化と共に台車交換が行われ、1949年(昭和24年)に集電方式をビューゲルに返装、
さらに1956年(昭和31年)にパンタグラフに変更した。また前後の2枚引戸を乗務員室方向に、
引き込む構造に変更した事で、側窓配置が変り、1wD5D5wD1となった。(wDは2枚引戸を示す。)

晩年は鉄道線であった砧線用として、鉄道線での運行認可を経て同線は本形式のみで運行されたが、
中耕地-吉沢間に急曲線が存在するため、玉電標準装備の座付自動連結器では連結運転ができず、
続行運転で対処していたが、これを解消するため、京急の地下鉄乗り入れに伴う連結器交換で余剰になった、
首振り角の大きいK2A形密着連結器が、51・53・55の非パンタ側、52・54・56のパンタ側に取り付けられた。
521名無し野電車区:2014/05/28(水) 16:02:04.88 ID:kEJ9j7K50
但しこれによる片運転台化などは行われず、51+52、53+54、55+56の重連の他、
玉川・砧両線での単行運転にも引き続き使用された。

1969年(昭和44年)5月11日の玉川線・砧線廃止とともに全車が廃車された。
廃止に際しての花電車には51号が抜擢され、前面・側面全体を造花等の装飾で覆い、
廃止告知の大看板をつけて世田谷線として残る三軒茶屋-下高井戸間を除く全線を走行した。

廃車後、こどもの国へ全車引き取られ、園内に存在した旧田奈弾薬庫引込線の荷扱プラットホーム付近に、
6両並べて据え置かれたが、立ち入り自由の場所に置かれ、全く管理されなかったため、
数年と経たずに荒廃し、後に解体された。同一形式が5輌まとめて購入された点について、
園内で何らかの使用意図があったとも考えられるが、詳細は不明である。
522名無し野電車区:2014/05/28(水) 21:58:20.34 ID:RASMVN0Z0
JR東日本・西日本 E26・W26系1000番台客車
24系25形客車の老朽化により廃止されることとなったトワイライトエクスプレスだが、
利用者からの声も多く存続させることとなった。
そのため、カシオペア用E26系客車および285系電車をベースにトワイライトエクスプレス専用車として開発された。

編成は青森・札幌側からスロネフE26-1000・スロネE26-1000・スシE26-1000・オハE26-1000・スハネE26-1000・スハネE26-1100・スハネE26-1200・スハネE26-1300・スハネE26-1400・カハフE26-1000の
10両編成で、スロネ・スロネフはE26系と同等のメゾネットタイプの個室車(車端部はデラックス車)、
スハネは1階を285系サンライズツイン同様のツインルーム、2階を285系ソロ同様の個室として設定。

専用牽引機としてEF510-501〜506をJR貨物から購入し敦賀地域鉄道部に配属したほか、計5編成(うち3編成を西日本、2編成を東日本が保有)を新造した。
製造は2階建車両の製造実績のある総合車両製作所及び川崎重工。
東日本車は書類上秋田車両センター配置となるが、検査全般をJR西日本網干総合車両所および網干総合車両所宮原派出に委託している。
523名無し野電車区:2014/05/29(木) 15:29:07.08 ID:wZT8Vh/20
東急デハ60形電車

1941年(昭和16年)当初、デ50形の増備として計画されたが、車体設計が変更され、
新形式車デ60形として川崎車両で計4両が新造された。

デ50形と同じ、中扉付の3扉車だが、前後を始め中扉も1枚引戸となっていて、
大型の二段上昇窓を持ち、窓配置は点対称のD4D4Dとなっている。
運転台窓は中央が広めの変則3枚窓で、大窓と丸みを帯びた車体形状、鋼板屋根は、
軌道線のデハ50形、鉄道線のデハ1000形(東急発足後は初代3000系デハ3500形)、
同時期の川崎車輌製に共通するデザインといえる。集電方式はダブルポールであった。

東京横浜電鉄吸収合併→東京急行電鉄(大東急)発足によりデハ60形と改番している。

戦後行われた連結総括制御化により、座付自動連結器、間接非自動加速(HL)制御器、
非常管付直通制動(SME)化と共に台車交換と集電方式をビューゲルに返装した。

1954年(昭和29年)2車体連接車に改造が決定し、形式消滅した。
524名無し野電車区:2014/05/31(土) 11:16:47.54 ID:9i9gXyyv0
東急デハ70形電車

東京急行電鉄(大東急)発足後、初の玉川線向け新車として、デ60形をベースに、
1942年(昭和17年)から川崎車輛で新造したが、資材不足により、計画では8両のところ、
6両製作したところで製造停止、戦後に残る2両はキャンセルされた。

前述の通り車体形状はデ60形に準ずるものの、前後扉が木製で、車体中心方向に引かれる2枚引戸、
狭幅の戸袋窓を設けた。この戸袋窓は、窓枠外周が外板に覆われる、あまり類例の無い形状を持ち、
このほか屋根上のベンチレータ(通風器)が片側ガーランド形から箱形になり、
中央扉のステップ高さは左右扉と揃えている。

当初より重連総括制御を念頭に設計しており、間接非自動制御 (HL) や、
非常管付直通制動を採用した初の形式となる。ただし、重連運転は戦況の悪化とともに、
回数が少なく、本格的に連結運転を開始したのは戦後である。

1949年(昭和24年)に集電装置をダブルポールからビューゲルに変更、
1957年(昭和32年)ビューゲルからパンタグラフ化と重連運転での連結2人乗り改造で、
片運転台化、2重引戸の1枚化、全扉の自動化および車掌の前方監視のため運転台部分のみ、
右側隅柱にデハ80形同様の小窓を設け、変則的な4枚窓となった。

1969年(昭和44年)5月11日の玉川線・砧線廃止により、全車の廃車が決定、
全車が東急車輛製造に搬入され解体、形式消滅した。
525名無し野電車区:2014/06/01(日) 23:07:24.05 ID:i2jYE0Qz0
165系1000番台
国鉄が1972年から製造した房総急行用のATC対応型165系。
6両編成と9両編成があるが、ATCを搭載した関係上先頭車をクモハに出来ず、また東京トンネルの33‰の急こう配に対応するためMT比を2:1にする必要があるため6両編成はグリーン車なしのモノクラスである。
9両編成はTcMM'TsMM'MM'Tcという153系を彷彿とさせる貫通編成となった。
ATC車上子を車内に搭載したためクハの定員が2名減った。
塗装はスカ色である。
たまに臨時列車で信州地区に乗り入れることがあった。
1985年の房総急行全廃に伴い波動用の6両編成2本を残し全て他線区に転属した。
526名無し野電車区:2014/06/02(月) 14:04:55.97 ID:V99x0ThA0
東武モハ100系電車

1935年(昭和10年)から1937年(昭和12年)にかけて新製された2扉特急優等形電車、
デハ10形・クハ10形、デハ11形・クハ11形の総称である。

両形式ともデハとクハは片運転台車となっており、車体寸法が最大長18,652mm、最大幅2,740mm、
浅くなった屋根と大きめの窓、半流形状の前後妻面は共通となっていて、
車両間の連結面には貫通幌が設置され、貫通編成となっていた。

デハ10形・クハ10形とデハ11形・クハ11形は前面に貫通構造を有しており、
幌を取付ける台座が無かった事から、国鉄(鉄道省)の半流車モハ41形に似た印象を与え、
解放式片隅型運転台、側面窓はd1D(1)8(1)D2、(d:乗務員扉・数字:客窓・()戸袋)という配置で、
扉は中央に引かれる構造、全車連結面寄りの運転台側にトイレ装備という仕様は全車共通であった。

車内は特急用車両にふさわしく、扉間にクロスシートを装備し、車端部分のみ、
主電動機や台車点検蓋を設置する都合上、ロングシートであった。
室内灯は八角形のグローブが取り付けられたシャンデリア型で、
車端部櫛桁部分には沿線案内図が設けられていた。

電装品は共通で、主電動機出力は110kWの日立製作所製HS266、
制御器は電動カム軸式MCH200と日立製作所製のもので揃えられている。
台車は住友金属工業製の鋳鋼組立型釣り合い梁式KS31・KS33、
もしくは日本車輌製造製の帯鋼リベット組立型釣り合い梁式D-18を装備するが、
後年台車振り替えが行われたため製造時の仕様と晩年のそれは一致しない車両が多い。

パンタグラフは日立製作所製KH-137を電動車に各2基搭載しており、
常時2基とも上昇させて使用していた。
527名無し野電車区:2014/06/06(金) 19:15:54.65 ID:S9K98Rz00
キハ40系空気ばね台車化改造試験車
JR九州でキハ40のDT22/TR51搭載車を空気ばねに試験的に改造したもの。
車番は変更されていない。
キハ40系ベースの特急型車両を制作するべくデータ取りを行うために改造を行った。
廃車発生品のDT44/TR227に交換する案やボルスタレス台車に新製交換する案も検討されたが、台車枠を流用可能で一番コスト低減が可能な枕ばね交換案が採用された。
枕ばねをベローズ型空気ばねに交換し、ボルスタアンカを取り付けたためキハ82用のDT27/TR67に酷似した外観になった。
台車形式はDT22QX/TR51QXに変更された。
しかし可変減衰ダンパを搭載することでコイルばねのままでも乗り心地改善が可能なことが判明し結局実用化されなかった。
528名無し野電車区:2014/06/07(土) 21:15:47.57 ID:33z6utRR0
>>588
亀戸の中川を渡るところから、小岩の奥戸街道の分岐までは戦後の開通よ。>蔵前橋通り
529528:2014/06/07(土) 21:17:37.59 ID:33z6utRR0
すまん、528は誤爆なのでスルーしてください m(_ _)m
530名無し野電車区:2014/06/07(土) 22:43:05.25 ID:cKrBs81h0
キハ203
JR北海道が製造した733系の気動車バージョン。
>>509のキハ202と同様の足回りだが、733系のように車体幅が拡大されている。
但し床面高さはエンジン搭載スペースの関係上キハ201と同一で、ドアステップを有する。
531名無し野電車区:2014/06/09(月) 13:10:43.26 ID:gCU00vvL0
国鉄 空気浮上式列車
旧国鉄が磁気浮上式リニアモーターカーと並行して研究を行っていた空気浮上式列車。
この計画が誕生した理由は、当時研究が進められていた磁気浮上式鉄道は実用化に際しては超電導磁石の開発などの問題が多数あり、そのために「磁気浮上式鉄道よりも早期に実現可能な"つなぎ"」として開発がスタートしたという物がある。
丁度その頃にフランスで空気浮上式列車「アエロトラン」の計画がスタートしていたのも開発にゴーサインが出るきっかけとなったと言われている。
茨城県の鹿島灘に沿って、鹿島町から大洗町の間に実験線が建設された。
軌道はコの字型の側面案内方式を採用している。寸法や規格などは磁気浮上式リニアモーターカーのそれと可能な限り共通化されており、工期の短縮やお互いの結果をフィードバックし合えるようになっていた。
(その他にも将来的に磁気浮上式鉄道に転用することも検討していたためだとも言われている)
車両の製造は川崎重工業が担当していたが、エアクッション艇(いわゆるホバークラフト)の製造の実績のある三井造船も技術面で協力していた。
一般向けには「ホバークラフト超特急」のキャッチフレーズでアピールを行っていた。

第一次試作車ALX001は浮上用ファンをアリソン250ターボシャフトエンジンで駆動し、ライカミング製のレシプロエンジンでプロペラを駆動し推進を行うものである。
(長方形の車体の中央に巨大なファンが取り付けられている姿から「走る食パン」や「UFO電車」などとも呼ばれていた)
第二次試作車ALX002は高速試験用の車両となり、前面のエアインテークから浮上用の空気を取り入れる形式に変更された。
また動力にはプラット・アンド・ホイットニー JT3Dターボファンエンジンが採用されている。1967年の試験で310km/hの速度記録を達成した。
旅客用を視野に入れて設計されたALX100は2両編成となり、合計140人の乗客を乗せる事が可能となった。
動力としてはリニアモーターを採用している(但し最初期にはJT8Dターボファンエンジンを搭載しての試験も行われていた。またリニア化の後でも度々JT9Dエンジンを搭載しての試験も行われており、非電化での建設も検討されていたと言われている)。

しかしオイルショックの影響で浮上に多大なエネルギーを使う空気浮上式列車は不利となり、1985年に開発中止が決定された。
532名無し野電車区:2014/06/10(火) 07:54:24.05 ID:WPKu2e8b0
EV-E181系・EV-H181系
JR東日本とJR北海道が共同開発した次世代「北斗星」用車両。
JR東日本所有車がEV-E181系、JR北海道所有車がEV-H181系。
蓄電池方式を採用し機関車を不要とした。
直流1500V・交流20000V・交流25000Vに対応する。
蓄電池方式で交直両用は史上初。
電化区間では架線集電で、非電化区間の五稜郭〜東室蘭間はバッテリー駆動で走行する。
カシオペアとの違いは1人用B個室寝台があることで、1人客の需要にも対応している。
533anorak?:2014/06/16(月) 18:01:34.99 ID:siTo1BBX0
>>321に続く平行世界もの
○JR全旅客会社55系客車
2009年、地方経済活性化策として高速道路の大幅割引が実施、いわゆる千円高速。
「自家用車所有困難な低所得者層には、その恩恵を直接享受出来ない」との世論に押され、
政府は、貧困層向けの長距離鉄道旅行費補助制度を実施。
これを利用すると自己負担はちょっとだけで切符に貧困割が印字される。
財源の制約で新幹線や特急は補助対象外で乗車不可。
そこで、当補助利用者向けの急行列車を運行する事になり、専用車両が補助金で新造された。
財源の制約及びJR貨物への間接支援の観点から客車にされ、
接客設備はバスや寝台特急との棲み分けでボックスシートと開放寝台。
車種、オハ/スハフ/オハネ/スシ/スレ55形の五種。
鋼製車体。
入替合理化為の構内自走可能で、スハフには自走用装備とサービス電源搭載、
電化区間では架線集電、非電化区間・停電用発電機兼構内自走用ディーゼルエンジン。
椅子は253系電車採用のものを夜行向けにコクーンシート化。
寝台は上段で昼行時に長居出来るように285系のノビノビ座席の構造を応用。
主要利用客の属性から、全ハに喫煙スペース設置、フに警官待機室、
スレにパチンコ屋、レは娯楽施設を表意、景品交換所は無し。
スシはファーストフード店型。フに障害者用設備。
2010年に就役開始。
品川〜鹿児島中央、上野〜札幌などの主要幹線で運行。
各JR旅客会社によって運行されるが牽引機の多くはJR貨物。
財政赤字の肥大化で千円高速が終わった一方で、格差社会化で貧困割による夜行急行列車網は継続中。
534名無し野電車区:2014/06/20(金) 17:38:51.28 ID:40ZmjClM0
近鉄56000系
近鉄が製造した「しまかぜ」の狭軌バージョン。
南大阪線・吉野線にも「しまかぜ」を走らせるべく導入した。
足回りは16600系と同等。
535名無し野電車区:2014/06/20(金) 22:15:55.85 ID:40ZmjClM0
キハ58形4000番台
JR西日本とJR四国でキハ58を改造して作った「瀬戸大橋対策車」。
番号は原番号+4000。
キハ58は1段上昇窓であるため、そのままでは瀬戸大橋を通過できない問題が露呈したため上段下降下段固定の2段窓に改造した。
キハ65は窓の下段を固定するだけで済んだため改番されなかった。
536名無し野電車区:2014/06/25(水) 01:34:33.63 ID:IStA1bWh0
東日本旅客鉄道電動気動両用車EDC585系

キモイテEDC585−キモイネEDC584−キサイネEDC585−キサイネEDC585−キモシEDC585+キモイEDC585−キサイネEDC584−キサイネEDC585−キモイネEDC584−キモイテEDC585
537.:2014/06/26(木) 18:49:01.77 ID:eprrMELKO
JR西日本227系1000番台:
先日発表の227系の岡山地区版。

同2000番台:
岡山地区の寒冷地仕様。伯備線向け。

同5500番台:
瀬戸大橋線マリンライナー仕様。

JR四国5500系:
瀬戸大橋線マリンライナー用車両。展望グリーン車連結。
538名無し野電車区:2014/06/29(日) 19:07:45.16 ID:94DFohLTO
いつもの譲渡厨でごめんなさい。

しなの鉄道211系
しなの鉄道かねてよりの念願のステンレス車両。老朽化が著しい115系置き換え用。
水戸岡リニューアルにより、座席は元々はオールロングシートを、千鳥配置でセミクロスシート化、
クロスシートは木曽檜をベースに817系と同タイプの転換クロスシートとなった。ただし、クッション部分は
本革ではなく信濃をイメージしたオリジナルデザインのモケットとしている。
外観は、前面は従来車をイメージして赤、側面は窓周りをガンメタリックブラックとし、レタリングを
ちりばめている。デザイナーのカラミもあるが、JR九州テイストが漂う。
539名無し野電車区:2014/06/30(月) 08:46:26.69 ID:XPFV1f6/0
JR九州 EV611系電車
817系での試験結果を基に北九州地区非電化路線の体質改善を目的として建造された。
関門区間の415系・筑肥東線103系の置き換えも視野に入れるため交直両用とされた。
2連と3連が製造され、ベース車は817系である。2連は2000番台(内装は1100番台)、3連は3000番台ベース。

2連20本・3連6本が直方に、2連15本が唐津に配置され、
直方車は香椎線・筑豊線(若松線)・山陽本線(関門間)・日田彦山線(小倉〜田川後藤寺)・後藤寺線および
間合いや出入庫で福北ゆたか線・鹿児島本線(博多〜直方〜門司間)、
唐津車は筑肥線(筑前前原以西)と唐津線で運用される。

また、本形式の導入に合わせ、西戸崎・宇美・若松・伊万里・長者原・田川後藤寺構内が交流電化されている。
540名無し野電車区:2014/07/01(火) 12:17:17.49 ID:EAe66qGYO
JR西日本127系電車
125系の下関地区向け車両で、山陰本線長門市〜幡生の電化及び小野田線の
105系及び123系置き換えるもので、走行系が225系に準じたものとなり、
127系と分類化されたためにJR東日本のE127系と形式が重複してしまった。
基本的には車体は125系3次車に準じたもので、走行系及び車内は225系に準じたものとなった。
クモハ127のみの1連以外に制御車クハ126もあるためMc-Tc(Mc-Mcもあり)の2連や
Mc-Mc-Tcの3連やMc-Tc×2の4連も組成可能だが、基本的には1連又は2連が基本。
下関側にトイレを設置されており、対面側は車椅子スペースとなる。
なお小浜線などの寒冷地ではないためパンタグラフは幡生側1基のみで
反対側は準備段階の架台のみとしている。
下関総合車両所にクモハ127が38両(内長門鉄道部8両)とクハ126が15両配備された。
なお山陰本線の長門市〜幡生間が電化後も普通列車が完全に電車化される
わけではないため、一部キハ40キハ47が糸魚川に移籍する以外気動車の
普通列車も一部残される他仙崎支線は電化対象外としているためキハ120は当面残される。
なお間合いで山陽本線の普通にも山陰本線では使用しないが山陽線と小野田線にも
投入予定の223系8800番台共々投入される。
また岩徳線の電化に着手すれば225系共々投入される可能性もある。
541名無し野電車区:2014/07/01(火) 12:43:31.34 ID:/QoGCjsc0
JR北海道723系電車
711系の最終置き換え用として登場したJR北海道の近郊形電車。
車体及び性能は733・735系と同様の両開き3扉車だが、車内は721系を踏襲して転換クロスシートとなった。
また、uシート車としてサハ723-1000番台も製造され、車内は2列-1列のフルリクライニングシートとなっている。
主に小樽−札幌−新千歳空港の快速エアポートで運用されている。
捻出された721系は多くがセミクロスに改造のうえ普通列車に転用されて711系を置き換えた。
一部は転換クロスシートのままで新幹線アクセス快速用として函館への転用が予定されている。
542名無しの遠吠え:2014/07/03(木) 21:53:40.73 ID:T5V+I8+J0
プロイセン国鉄のS10初期車(後のドイツ国鉄17・0番台)
過熱式ボイラー&単式4シリンダー式だったのを後になって過熱式ボイラー&複式4シリンダー式に改造。
543名無し野電車区:2014/07/04(金) 19:52:30.44 ID:xjl4Y2Fe0
JR西日本キハ271系0番台・北越急行キハ271系2000番台

国鉄の経営状態悪化に伴い建設が凍結された北越北線であったが、もともと高規格で設計されたこともあり、
首都圏と北陸を結ぶバイパス線とする構想が生まれ、分岐器の1線スルー化やATS-Pの採用、スラブ軌道化などの高速化事業も併せて建設が再開された。
一方、電化についても検討されたが、当時JR四国2000系が試験走行を行っており、
ディーゼル車でも高速運転は可能と判断され、コスト面も考慮して見送られた。

こうして北越急行ほくほく線と名を変えた北越北線を経由し、金沢〜越後湯沢間を結ぶ特急車両として開発されたのがキハ271系である。
走行装置はJR四国2000系、HOT7000系をベースとしているが、走行線区を考慮して振り子機構を省略した一方、
将来的な160km/h走行(開業時は暫定的に140km/h)を前提に、出力の増大、ブレーキ強化を行っている。
車体および客室設備は可能な限りJR西日本681系と共通とし、識別のため車体に金色の帯が描かれている。

車両使用料を相殺するため北越急行も同型車を新製しており、2000番台として区分される(グレー系統の0番台車に対し、赤い塗装が特徴)。
JR東日本については、特急用気動車を1編成のみ保有するのは不合理であるとの考えで特急用車両は保有していない。
不足分については北越急行が用意する代わり、普通列車用の気動車(キハ110形)をJR東日本が新製している。
544名無し野電車区:2014/07/04(金) 22:57:04.83 ID:03QnjRPwO
JR北海道キハ261系5000番台、6000番台

2014年度にキハ261系の車体傾斜装置の使用を停止することになり、実質封印する改造を施したもの。同時に営業最高速度も120km/h以上出せないようにリミッターを取り付けた。
これに伴い0番台は5000番台に、1000番台は6000番台に変更。
545名無し野電車区:2014/07/05(土) 15:28:35.75 ID:ivHbMzRmO
381系1000番台
房総特急用として東京地下駅に対応してATCを搭載した381系である。
上越新幹線開業時に廃止される「とき」の183系を分配される予定であったが、
くろしお及び北近畿向けに振り向けられたため、急遽製造されていた381系を房総向けに
製造したものである。偶数方先頭車クハ380がある以外は「しなの」らと
使われているものと大して変わってない。
なお非常口になるよう0番台に準じた簡易貫通形先頭車を基本としたが、
9両編成の3本は100番台に準じた非貫通形先頭である。
6両編成3本9両編成7本(内非貫通100番台先頭3本)が幕張に配備され、
房総各線の特急に使用された。
主に「さざなみ」「わかしお」「しおさい」に使用されたが、255系投入及び外房 内房特急の京葉線経由後は「しおさい」のみに主力に置かれる場合が多かった。
なお中央本線のトンネルにも対応可能であったが、
振り子式のため「ホームライナー」及び「あずさ」 「かいじ」の臨時運用には充当されなかった。
振り子を作動させる区間は内房線が君津〜千倉 外房線は蘇我〜安房鴨川 総武本線は千葉〜銚子で、
総武快速・京葉線と「あやめ」「すいごう」の成田線は原則振り子は使用しない。
振り子式で後に「スーパーあずさ」のE351系よりも構造が古い自然振り子式であるために
波動用など他の運用に転用出来ないことから真っ先にE257系500番台に置き換えられている。
ほとんどがJR西日本に売却され、9両編成は「やくも」向けの後藤と「くろしお」の
老朽車取り換えで日根野へ送られた。
6両編成すべてが福知山に送られて現在「こうのとり」に使用されている。
546anorak?:2014/07/05(土) 17:15:42.13 ID:3/8OylEA0
>>533に続く平行世界もの
○国鉄キハ32形1000番台
1980年代、国鉄再建法により赤字ローカル線の内、特定地方交通線に指定された路線が廃止される事になった。
が、しかし、廃止路線が多い北海道では抵抗が根強く、ついには
「日本の農林水産業の国際競争力強化による食糧自給率向上の為には農漁村をもっと振興すべし!
鉄道廃止は農漁村の過疎化を増長し日本の第一次産業を衰退させるから食糧安保上鉄道を存続すべし!」
というトンデモ理論により、農林水産省の予算による補助で次の対象路線を1987年から30年間存続させる事となった。
広尾線、羽幌線、標津線、天北線、名寄本線、池北線。
なお、広尾線は後に幸福駅・中札内駅区間が帯広空港駅経由に変更された。
国鉄最終年である1987年に、これらの路線向けに新造投入されたのがキハ32形1000番台。
四国向けの0番台との相違点は以下の通り。
積雪時の空転防止と排雪抵抗対策としての粘着性能向上の為の二軸駆動、台車にはコイルバネへの雪の付着防止の被膜、
ステンレス製車体、乗降扉は引戸で室内での乗降デッキと客室内の仕切扉省略による保温対策として半自動、
客室窓は一段上昇式の二重、セミクロスシート、便所、冷房無し。
製造費用全額も農林水産省の補助。
本形式は上記の路線と共に87年4月にJR北海道に承継。
2000年代にキハ54形500番台と同様に駆動系を更新し、特に空気バネ台車になって乗り心地改善。
80年代末まで廃止されるはずだった上記路線を無理矢理存続させても、沿線の過疎化と衰退を食い止めることは出来ず、
利用客はかなり減って、今後の深刻な少子化、並びに日本政府の財政赤字の肥大化による財政縮小の影響で、
補助打ち切りとなって2015年中に全線廃止する事となった。
廃止決定報道以後、夏休み等の学校の長期休暇期間中は乗り納めの鉄道ファンの客が増えて混雑し、
特に愛国から幸福の広尾線は顕著で臨時増発、中には本州と北海道を結ぶ寝台特急の乗り納めと組み合わせた者も多い。
本形式は他路線に転用されキハ40系を置き換える予定。
547名無し野電車区:2014/07/05(土) 20:01:42.60 ID:2mqF7zMy0
東京都交通局5800形電車
東京都交通局が浅草線の5300形の後継車として投入した車両。
成田スカイアクセス線での使用も視野に入れた設計となっており、特に高速性能に重点が置かれた性能に振られている。
MT比は5300形の4M4Tから6M2Tに変更された。
車体は首都圏地区の鉄道事業者では初めて近鉄のシリーズ21規格を採用。
座席はオールロングシートであるが、詰め物の変更やSバネの追加などで座り心地の改善が図られている。
各ドア上には2枚のLCDモニタによる情報装置を搭載。
台車はシュリーレン式ダイレクトマウント形台車となっている。ボルスタ付きの台車ではあるものの、高速域での安定性を強化するためヨーダンパを装備。
制御装置は三菱2レベルIGBTインバータ。1C4M制御となっている。
25km/h以上では定速制御も行うことが可能。
主電動機は連続定格出力275kW(30分定格305kW)の強力な三相誘導電動機を搭載し、起動加速度の向上や高速域での加速力の強化を図っている。
ギア比は1:4.95と低く設定し、高速寄りの性能となっている。駆動装置はWN方式を採用。
高速寄りのギア比ではあるものの、高出力電動機と高いM車比率に物を言わせ起動加速度は4.0km/h/sに達する。
また定加速領域は135km/h強までとなっている。
最高運転速度は130km/hであるが、設計最高速度は185km/hに設定されている。
548名無し野電車区:2014/07/06(日) 00:43:22.39 ID:7lVEzfYS0
JR東海ワイドビュー特急電車385系

JR東海が老朽化する383系とキハ85系の両ワイドビュー特急車を同時更新すべく開発した車体傾斜機構付き特急型電車。
キハ85系は電車化され非電化区間のみ新開発の電源供給車を連結して走行できる様にした。

【基本編成】クロハ385-モハ385-モハ384-モハ385-クハ385
【増結編成】クモハ385-モハ384-クロハ385
【電源供給車】キヤ385

基本および増結編成の電動車は「故障に強い」事が求められるトレンドにならい1M方式とし、2M3Tや
1M2Tでも必要充分な起動加速度などの通常走行性能が確保される。パンタはモハ384に予備を含め2基。
クハ385およびクモハ385は貫通型、クロハ385は非貫通型で前面ワイドビュー部分の半室グリーン車は
抜群の眺望性を実現している。最大車体傾斜角度の拡大および主電動機のパワーアップなどによって、
最高時速はJR東海在来線最速となる160km/hとなり、高速バスなどとの競争に対抗出来る様にした。

注目は電源供給車キヤ385。両運転台付き電気式気動車であるのと同時に、基本および増結編成の非電化区間に
おける走行等電源を発電するエンジンと燃料タンクが備えられている。両車端同士は通路が確保され、基本編成
クハ385と増結編成クモハ385の間に挟まれ運用される際には、乗客が両編成を行き来できる様に配慮されている。
更に注目は発電エンジン。量産先行車として製造された2両のうち、うち1両は従来通りカミンズ社製ディーゼル
エンジンを搭載、もう1両は非電化区間の無公害化を視野に何とマツダの水素ロータリーエンジンを試験搭載した。
JR東海では「水素ロータリーエンジンのコストが下がりメンテナンスや信頼性に問題がなければ水素は燃料コスト
が非常に安く環境負荷がゼロなので積極的に採用する事を検討している。電源車はメンテナンスや改造がしやすい
構造になっているので、万一の故障時にも機関の取り替え修理なども迅速に対応できる」と説明している。
549名無し野電車区:2014/07/07(月) 22:33:31.33 ID:m9nspr5/0
>>543の続き
JR西日本キハ181系1000番台

アーバンネットワークでの新快速の増発・高速化に伴い、同区間を走行する「はまかぜ」「はくと」用キハ181系も速度向上を行うこととなった。
また、合わせて燃費や整備性を向上させるため、駆動装置の更新が行われた。
主な改造内容は、
・機関をインタークーラー付直噴式へ改造(キハ183系中間車と同仕様)
・変速機換装(変速1段直結2段・ダイナミックブレーキ搭載)
・基礎ブレーキ装置強化
・強制通風式冷却器を高性能化、中間車については自然通風式放熱器を撤去
などである。

また、北越急行ほくほく線開業に際しては、余剰となっていた「あさしお」用編成を同仕様に改造し、
特急「はくたか」としてキハ271系と共に運転された。

後のキハ271系増備、新型車両投入により廃車が進行し、「はまかぜ」の置き換えを持って定期運用を終了したが、
京阪神区間で223系に伍して130km/h走行をする姿はファンの間では語り草となっている。
550名無し野電車区:2014/07/12(土) 16:53:55.89 ID:ayBICnKgO
東急電鉄8000系(新) 東京都交通局6-800形
東急目黒線3000系の後継車両と共に東京都交通局も直通する三田線6300形の
後継として開発した車両。
今回から三田線車両も新宿線 大江戸線と同じハイフン形式を採用する。
6は三田線(6号線)の意味合い。
(浅草線にも1-000形が検討されてるが、乗り入れ先の京成・京急らとの協議が必要で当面使わない)
山手線新型車E235系を基本に2017年に配備を開始し、東京五輪が始まる2020年までに
3000系・5080系及び6300形の全て置き換える。
東急は南北線のATOワンマン運転にも対応する。
当面6両編成だが8両編成化も可能で、東急目黒線と都営三田線の8両編成化
工事を並行して行い、東京五輪時に8両編成化する。
東急は8000系を東横線8両編成運用の一部も置き換える計画で、西高島平発
元町・中華街行きを設定して都営三田線を直通化させる計画。
東急が8両編成化されることにより、東京メトロ南北線の東急車の直通が
廃止されるが、仮に具体化された場合南北線も同時期に8両編成化される可能性も高い。
また新型車投入を機に三田線の急行運転を開始。
急行停車駅は西高島平より巣鴨までは各駅・春日・神保町・大手町・日比谷・
芝公園・三田・白金高輪・目黒になると見られる。
目黒からの東急目黒線内も急行で、東横線直通の場合は武蔵小杉から東横線特急と同じになる。
捻出される3000系は大井町線入る他に10両編成化して田園都市線に投入される。
5080系も中間車新造した上で田園都市線に回される。これにより2000系を全廃。
東武直通不可車を一掃する。
551名無し野電車区:2014/07/13(日) 22:02:54.62 ID:xHxxpE1X0
オハ75系
用途廃止になった40系電車を国鉄四国総局が輸送力列車用に改造した客車

当時、四国総局では国鉄自体に金がなかったこともあり、また島外に臨時列車として運転されることもないことから、
急乱造60系客車が大量に配置されていたが、両端デッキ付片開手動ドアなので、
ラッシュ時には遅延が多発な上、対抗するバスのアコモ改良によって優位性がほぼなくなっていた
そこで四国総局は休車化が進んでいた戦前製造の40系に目を付け、
基本4両と増結2両の3車種20編成分を
多度津工場にて改造することにした

改造はシンプルで、編成端の連結器を密着自動連結器にし、走行系電装と電気暖房の撤去と
車軸発電機・蓄電池と蒸気暖房の設置くらいだったが、
ホームを全てレール上920mmにかさ上げする事と、従来客車との連結位置条件があった
当時はマル生運動の政治化により、労使・労労とももめていた時代だったので、
ホームは全てレール上920mmにかさ上げが必要となったことから、地方自治体が「学業上必要な事業」と認定して、
改造前の昭和49年度に施工した
(掘り返し費をすべて「道路状態改善による自動車の円滑な利用推進目的」と称してかさ上げにつぎ込んだ)
そのため、四国4県からの住民ににらまれた形となり、鬼の動労も折れるしかなかった

その結果、転落やラッシュ時の遅延がなくなり、60系客車とは比較にならないほどの内装の良さによって昭和51年ローレル賞を受賞

ただし、冷房設備の搭載を前提としていない時代の設計だったことから、昭和60年代前半には陳腐化と、
機関車を含めて全般的に老朽化したことから、四国内の全非優等旅客列車は動力分散系化することが決定され、
冷房付キハ30系と置き換わるように、昭和63年度末に全車休車化し、平成2年には全廃された

交通科学展示館にオハ75 0番台が1両だけ静態保存されている
552名無し野電車区:2014/07/14(月) 00:57:01.89 ID:BzQ9Z3h+0
>>536
キモイネ、キモイ、ワロタwwwww
553名無し野電車区:2014/07/14(月) 11:00:26.89 ID:G6ours2Q0
DD54-500番台
DD54型の機関と変速機を根本的に見直しし、大馬力機関で推進する方式をやめて
機関2基搭載に変更するなど根本的に見直ししたものである。
変速機も国産メーカー製とし、液体式をやめて充排油式に戻され、メーカーは
日本電装製となった。機関はDE10型用をベースに馬力を下げたコマツ製1000馬力
エンジン2基搭載となった。これによりほぼDD51型と同等の牽引力を持つことが
可能となった。なおSGは撤去され、ほぼ貨物用となっている。
新造15両(501〜515)は昭和47年〜49年に製造され、既存のDD54から25以降の
7両(27・30・31・33・35・38・40)が三菱にて改造された。
山陰などに配備されたものとは異なり、主に東日本地区の関東で貨物用で使われ、
佐倉機関区ではDD51よりも配備数が多かった時期もあったといわれている。
成田空港ジェット燃料輸送列車用にも投入され、前面ガラスに金網を張って
火炎瓶が投げ込まれても入らないよう冷却ファンに防御板を張るといった事も
行われていたともいわれている。前面ガラスを防弾ガラスにしたという事もあった。
後に愛知にも配備された車両もいたが少数に過ぎない。
554名無し野電車区:2014/07/14(月) 11:11:28.73 ID:G6ours2Q0
>>553続く
また除雪用としても活路を見出し、502〜506と512・515・517はDE15型のラッセル
ヘッドを装着した除雪用550番台となった。(ロータリーヘッドを装着した600番台
も計画されていたがDD14型を追加することで賄えることから採用されず)
美濃太田に配備されていた553号機と555号機が首都圏大雪の際に太多→中央西線塩尻
経由で旅客会社の枠を超えて災害派遣されて中央東線の除雪及び立往生電車の
引き出しに貢献したことが記憶に新しい。東海道線関ヶ原用だったため複線用のヘッド
だった点も大きかった。当初は廃車される予定だったが、功績により取りやめとなり
553号機はJR東日本に譲渡され、首都圏大雪用緊急用除雪車として田端に配備されている。
555号機は鉄道博物館に保存され、貴重なDD54型(旧DD54-35号機)を残す生き証人となっている。
現存は上記以外高崎に501・522と除雪用551号機の4両のみで、内501号機は
SL補機用に黒塗装に赤色のSLに似た様相をして上野にも入線する。
なお522号機は旧DD54‐40号機とDD54型0番台におけるラストナンバーで貴重な
稼動するDD54型原型として人気が高く、イベント列車にも使われる。
北斗星の牽引用にする計画も一度はあがっていたとも言われており、函館に509〜512の
4両配備して牽引も行っていたこともある。ただしDD51型と大差ないことから見送られて
使用された車両は鷲別に貨物用にされたものの、DD51型機関更新型があったことやDF200型の
配備により2005年に廃車された。
555名無し野電車区:2014/07/14(月) 13:29:36.85 ID:rd1un6woO
E235系1000番台/2000番台:
E235系の近郊タイプ。

1000番台:寒冷地仕様、東海道線E217系置き換えと、宇都宮線E231系初期編成の中央線高尾以遠転用(豊田車両センター配置)の為の玉突き投入。
2000番台:温暖地仕様、横須賀線のE217系置き換え。成田空港でのアルカイダ対策の為、火災警報機と防犯カメラを搭載。
サロE235/234-1100/1200/2100:サロE217/216・サロE231/230の改造。
556名無し野電車区
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