1 :
神も仏も名無しさん :
2013/12/21(土) 05:31:58.47 ID:eRYMa9tg
2 :
神も仏も名無しさん :2013/12/21(土) 05:33:06.18 ID:eRYMa9tg
***投稿者の皆様へお願い*** 規制が厳しくなってきており、スレ立てが困難になってきています。 貴重なスレを無駄に消費させないよう、1-2行レスやチャット感覚の投稿は辞め、 纏め投稿を宜しく願いします。 また、不要な大型AAや無意味な空白などはご遠慮下さい。 皆様のご協力を宜しくお願い致します。
3 :
神も仏も名無しさん :2013/12/21(土) 09:01:18.38 ID:/zPAhxhF
真面目な書き込みできる奴が、そもそも何人いるんだろう?という疑問が・・・
4 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/12/21(土) 09:21:06.44 ID:O9PBYwDk
>>1 速いな、宝珠w スレ立て代行依頼か?w
ここもキチガイの落書き帳にならなければ良いがなwww
5 :
神も仏も名無しさん :2013/12/21(土) 09:30:25.80 ID:/zPAhxhF
基地外の親分バービーがいる事自体、最初からw
6 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/12/21(土) 09:34:36.76 ID:O9PBYwDk
まず、対話を成立させるためには、語義のすり合わせが必要w 例えば、「輪廻」という語彙だが、これを「単なる現象の連鎖」という 意味にとり、いわゆる「業報論」と切り離して語るキチガイが、あっちのスレに いたが、 少なくとも仏教においては、「輪廻」と「業法論」はセットで 分離不可能・・・・これは大分以前に「一代」が、はっきりと主張していたところの ものだ。 そして、通常、この「輪廻」という語彙を用いて表現するところの 意味は、「生まれ変わり」「業論」をその土台とする概念として、このスレでは 対話を進めてきたわけだが、以後もそれでよろしいか? まず、それを確認しときたいんだがねww >各住人さん
7 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/12/21(土) 09:37:29.73 ID:O9PBYwDk
あと、紹介しておくが、 ID:/zPAhxhF は、daio- という色んなスレに 出没する荒らしwww 参考までに、 カス大王とは? @相手の見解の瑕疵を指摘し、自己の見解の正当性を主張できない (というより、知能障害か精神疾患によりそれが不能w) Aそれを覆い隠すために、他者にレッテルを貼り、それにより自己の アイデンティティを保とうとするw B他者を「・・・・は分かってる」「・・・は分かってない」と評価し そのような「評価をできる自分」という 自己の優位性に固執することで 優越感を得る (そのために、宗教板に張り付いているw) C元々が、対論不能者なので、自己に対する批判に遭遇すると パニクって罵倒短文の連投を始める まあ、「俺をまともに評価しろ」と必死に喚くことからもわかるように 「単なる自己顕示欲の旺盛なバカ」でしょ?www 以上が、今までの経緯を踏まえた、カス大王のプロファイルwww 結構、当たってるだろ?www wwwwwwww スルー推奨ですw 絡んでも無駄にスレ消費するだけですw
8 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/12/21(土) 09:48:01.65 ID:O9PBYwDk
ああ、それから、宝珠がいいこと書いておいてくれたわww ⇒貴重なスレを無駄に消費させないよう、1-2行レスやチャット感覚の投稿は辞め、 纏め投稿を宜しく願いします。 wwwwwww daio-よ、 お前は、やじとチャチャ入れの単文書き込みとコピペしかできないカス なんだから、 ここに書き込むなら、宝珠の注意書き100回読んでからに しろよwwww
9 :
神も仏も名無しさん :2013/12/21(土) 09:48:07.77 ID:/zPAhxhF
負けず嫌いのバービー的執着基地外になることが、 スレに関与する資格とはねえw さ不が、執着バービーw
10 :
神も仏も名無しさん :2013/12/21(土) 09:49:31.01 ID:/zPAhxhF
バービーみたいな仏教精神に反する執着基地外症状を自覚させるのは 仏教的だと思うがねw
11 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/12/21(土) 09:49:35.37 ID:O9PBYwDk
>>9 言ってるそばからこれだwww
はい、オレと罵倒合戦したいなら鬼スレにおいでwwwww
12 :
神も仏も名無しさん :2013/12/21(土) 09:52:18.08 ID:/zPAhxhF
バービー、怒り、 バービー、仕切りたい、貪り、 バービー、愚かさを自覚しない、痴w 三毒たっぷりで、正統的ご意見番主張しているつもりのバービー ま、仏教議論なんて、関心ないんだろう?基地外バービーw
13 :
神も仏も名無しさん :2013/12/21(土) 10:10:50.69 ID:/zPAhxhF
罵倒?仏教教義でバービーちゃんを丁寧に精神分析しているだけだが?
>>4 サンクス♪
やっと代行依頼が成就しました。
では、無駄な消費を抑えつつ、皆さん、楽しくご利用を!
>>前スレ879
世界にはヨーガの指導者たちによって、実に様々なテクニックが公開指導されています。
しかし、クンダリーニの活性化についてはたとえ熟練の指導者つきであっても私はお薦めしません。
つまり、これは自分がその相応しい器としての段階に達しているのかどうかが問われることになりますから。
ただ何でも活性化すればいいというわけではないということ。
技法と直指導によって十分に可能だからといって、これをやっていいかどうかというのは、また別問題なのです。
もちろん、単に知識としての勉強ならば問題ないのですが・・・。
>>前スレ877 推奨した神智学系瞑想は「伝導瞑想」というものです。 1974年、ベンジャミン・クレーム氏の師である秘密の覚者マスターによって、世界に初めて紹介されたものです。これはマイトレーヤを 中心とするハイアラキーの覚者方との協力体制で行われるエネルギーの奉仕であり、覚者方の操作によって宇宙から注がれる高次のエ ネルギーを我々の肉体を通すことで、使用可能なレベルへと変圧変換する仕事です。こうして伝導されたエネルギーが地球上の様々な 必要と進化へと促進に使われます。 そして、この奉仕の行為の副次的産物として、奉仕者である我々の肉体のチャクラをエネルギーが通過する際に、必要な個所のチャ クラに必要な分だけの刺激がもたらされて、通常では不可能といえる最も適切な活性化を得るというものです。これはグループ瞑想な ので、全国にあるグループの中から自分の都合のいい瞑想会の主催者に連絡をとっていつでも参加することができます。 私のいう「クリヤ・ヨーガ」とは、不老不死のヒマラヤ神仙ヨーギ/ババジ→マスター・ラヒリマハサヤ→シュリ・ユクテスワ→パラ マハンサ・ヨガナンダへと継承された純粋で正統なものです。これはSRF(セルフリアリゼーション・フェローシップ)に正式入会する必 要がありますが、まずは地域のグループに連絡をとってみることです。 尚、こちらはその行法内容の公開は絶対に禁止されているので(グルとの誓約を交わす)教えることはできません。
16 :
神も仏も名無しさん :2013/12/21(土) 16:29:51.48 ID:56Pkznwq
美容体操を極めても出来る事は所詮オウムの二番煎じ
17 :
神も仏も名無しさん :2013/12/21(土) 17:21:04.30 ID:BrH7QA33
>>1 アホ・キチガイ&オカルト専用スレ建て、おめでとうございます。
\V ̄ ̄ ̄__| \二二/|_
/ / ̄__| [__] | \
│ / /`ヽ__∠__>J__>
|/ /| ‐―――――――― |
( / | ――――――――‐ |
(_/ | ● ● |
|\ | (_人_) \_ / アホ・キチガイ・オカルト専用!
| ) | _ __|||||||||||_____) これでいいのだ
ヽ_| ///└┘  ̄ ̄ ̄ └┘| | \
/// //
|//\_ (⌒Y⌒) _//
\ ヽ―─―⌒ ̄ ̄ /
`―──―――‐―´
18 :
神も仏も名無しさん :2013/12/21(土) 20:23:27.66 ID:DBvLsiB/
十二因縁の法門っていいよね。色々納得させられる
19 :
神も仏も名無しさん :2013/12/21(土) 22:45:53.53 ID:gWt4fMHI
>>17 >アホ・キチガイ&オカルト専用スレ建て、おめでとうございます。
これで「断見」二人組みの専用スレには書き込まないように。>住人各位
もし書き込んだら、その縁で二人組みのかきこが起こるよ、これ縁起ね。
20 :
神も仏も名無しさん :2013/12/21(土) 22:54:32.76 ID:gWt4fMHI
>>19 >これで「断見」二人組みの専用スレには書き込まないように。>住人各位
おっと、うっかり「断見」スレに書き込んでしまったねん。スマソ
21 :
おじゃる :2013/12/22(日) 01:32:06.61 ID:lWd5rskQ
http://www.srf-tokyo.org/ セルフ-リアリゼーション・フェローシップ
1920年パラマハンサ・ヨガナンダによって設立
“わたしたちは誰もが唯一の神の一部分です
神を知るという、宗教の本当の意味を経験するとき
神があなた自身の本当の自己であり、すべての
生命あるものの内に等しく、平等に存在しておられることが
はっきりとわかるようになるでしょう”
パラマハンサ ヨガナンダ
このHPの制作に際してwww.yogananda-srf.org を参考にしました
セルフ-リアリゼーション・フェローシップによる正式の翻訳ではありません
mainBottom_public
このホームページはSRFに関する正しい情報を提供するために
東京瞑想グループがセンター・デパートメント(瞑想グループを統括する部署)の指導のもとに
独自に制作したものです。SRF国際本部の意向を受けて制作したものではありません
そのため、表現に若干制限があります。あらかじめご了承下さい
Copyright © 2013, Tokyo Meditation Group of Self-Realization Fellowship, all rights reserved
22 :
おじゃる :2013/12/22(日) 02:19:46.81 ID:lWd5rskQ
仏教議論スレッド 81
http://mimizun.com/log/2ch/psy/1386832735/562-1001 567 宝珠さんへ
> 完全なる自己放棄の体験をする
> 自己と自己ではないものとの区別も消滅します
末那識(まなしき)・我愛は
睡眠中でも深層において働き続け
根源的な心である阿頼耶識を対象として、それを自分であると考えて執着し続ける
この深層的な自我心(末那識・我愛)を滅させる事によって
パラマハンサ・ヨガナンダが言う所の神としての行いを実践する事が出来る
↑ こんな感じですか?
瑜伽行唯識(ゆがぎょうゆいしき)の論としては
弥勒(マイトレーヤ)を発祥として → 無著(アサンガ)と世親(ヴァスバンドゥ)の兄弟によって大成された
と言う論説もあるらしい
23 :
おじゃる :2013/12/22(日) 02:39:32.86 ID:lWd5rskQ
> 輪廻・業
瑜伽師地論(ゆがしじろん)
http://reigaku.jugem.jp/?eid=424 煩悩が随伴する「汚れた意・末那識(我愛)」と
戯論(けろん)と善悪業によって中有が形成される
この中有は次に生まれる処を求めて母胎に入り
輪廻を繰り返す
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A5%AD 業(ごう)
仏教の基本的概念である karman を意訳したもの
サンスクリットの動詞の「クリ」(kR)の現在分詞である
「カルマット」(karmat)より転じカルマンとなった名詞で
「行為」を意味する
業はその善悪に応じて果報を生じ、死によっても失われず
輪廻転生に伴って、アートマンに代々伝えられると考えられた
アートマンを認めない無我の立場をとる思想では
心の流れ(心相続)に付随するものとされた
24 :
おじゃる :2013/12/22(日) 03:00:52.46 ID:lWd5rskQ
http://home.att.ne.jp/delta/myrobalan/mulama.html 第二十六章 十二の鎖の環(十二因縁/十二縁起)の考察
無知(無明)の暗闇に覆われて
人はその者自身を未来の生へと
追いやることになる性質を持った
三種類の行為を行う(カルマを積む)
渇愛に依存して
何かに対して 「 ある・ない・肯定・否定 」 と
掴み捉えようとしている心の働きが現れている
無知(無明)が止まると
行為(諸行)は生じなくなるだろう
無知の停止は
瞑想と知恵(智)を通して生じるのである
25 :
おじゃる :2013/12/22(日) 03:21:33.00 ID:lWd5rskQ
26 :
神も仏も名無しさん :2013/12/22(日) 04:42:53.97 ID:2RohulDE
不断不常の中道を説く仏教では真我も認めない そして三世に跨る真我に対する因果(業報)も認めない 人間の人生は肉体の生滅に依って一生となり 肉体に依存する念の部分は肉体が滅べば念も拠所を失って消失する 人間という種自体は、この世界にまだ生物を生じさせられる状態を維持できてる限りは 縁に触れて新たな固体が続々生まれる、しかしだからと言って過去に存した固体の 記憶や念や業を受け継ぐ訳では決してない 仏教で説く三世とは、過去・現在・未来の事であり、決して前世・現世・来世の事ではない 前者(過去現在未来)を生きてる一生中の中の為にだけ、仏教では業報を説くのであって 三世を跨ぐ固体の為の業報は仏教は認めない それを認めるのは外道である
27 :
神も仏も名無しさん :2013/12/22(日) 04:54:05.16 ID:2RohulDE
但し、固体が残した因業を拠所として来世に於いてその固体が滅していても 他者がその時の業に因る果報を受け取る事は可能である 例えば、Aが業として建物を設計・建立作業に入った、作業中にAが死去してしまったが 残されてる資料等を受け継いでB以下の有志がその意志を受け継いで作業を継続し建立を目指す→サグラダファミリア これに大して邪見となる業報は↓ Aは統合失調特有の思考性に因って仏教をこっぴどく批判した その業がA亡き後の世に縁者若しくは全く赤の他人Bに果報となって受け継がれた こんなのはオカルトとして仏教では認めないのである
28 :
神も仏も名無しさん :2013/12/22(日) 05:00:30.51 ID:2RohulDE
訂正 これに大して邪見となる業報は↓ Aは統合失調特有の思考性に因って仏教をこっぴどく批判した その業がA亡き後の世に縁者若しくは全く赤の他人Bに果報となって統合失調として受け継がれた こんなのはオカルトとして仏教では認めないのである
29 :
前世は一在家 :2013/12/22(日) 07:35:02.54 ID:UuNbLtdS
>>26 >三世を跨ぐ固体の為の業報は仏教は認めない
>それを認めるのは外道である
貴方のおっしゃる「仏教」とはどこの宗派ですか?
一応、臨済宗以外の主だった宗派の開祖が三世の輪廻を説かれた箇所は本スレでも紹介済みです。
宗派を言っていただければ、再度提示致します。
また、原始仏教では三世の輪廻を非常にしばしば頻繁に説かれております。
30 :
神も仏も名無しさん :2013/12/22(日) 07:42:31.35 ID:2RohulDE
>>29 >原始仏教では三世の輪廻を非常にしばしば頻繁に説かれております。
それは業報輪廻転生の概念が、いまだ一般的だったウパニシャッド思想全盛の頃の釈尊の方便に過ぎません
そして、宗派に拘る必要も真光信者のあなたには無用の事でしょう
そもそもあなたは仏教徒では無いのですから
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1386833106/244-254 >>あっちスレ244.251.254
な〜んだ。
ご隠居は大乗の良き信者さんじゃないですか?
それはそれで結構なことだと思う。
ただ、ハッキリと言っておくけれども、
大乗だってバリバリに業報と輪廻転生を語り、
諸仏についてはもろスーパーマン張りの超オカルト救済力を主張するのですが・・・。
ハテ、あなたのその辺の自己主張の矛盾点は一体、どうなってるのかな?
>「実存苦」など植え付ける大乗仏教はどこにもないよ。すべて「積極的な生き方」
>を説く。「実存苦」などを植え付けようとしたら、檀家は逃げ出すよ。
まっ、それは確かに言えてるとは私も思う。
日本の一般的な檀信徒などは仏教の本来を知らない。
もし知ったのなら、別にそういうものは望んでいなかったとして驚いて退散してしまうでしょうね。
大乗僧侶たちはそのことを知ってか知らずか、仏教の本質的な部分はさっぱり説かない。
話すことはもっぱら死者/祖霊供養。そして諸仏の救済力とその感謝についてです。
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1386833106/253-262 >>あっちスレ253
五体投地は必ずしていますよ。
修業においても当然。また法要/修法においてもです。
ただ普段の法要では最略式ですから。
>>あっちスレ255
それは酒水加持の作法(清めの一種)でしょう。
「ラン」(火)、「バン」(水)の真言を唱えてるわけです。
「加持祈祷の威力では日本に並ぶ者なし、といわれる重田昭鳳氏---」
う〜む。聞いたことがないなぁ・・・(どうも怪しい触込み?)。
常識的には古式ゆかしい伝統的な真言諸派ほど密教修法の一般公開には腰が重いだという前提に立てば、
この方の映像は学研『ムー』の教材VTRにもなったらしく、
また、頭髪がそのままであることなどから見ても、私は密教導入の新興宗教の行者(教主)さんの可能性を疑います。
映像を見ても、修法随所での“観想”部分をそのままに唱えていて、とても不自然です。
通常の僧侶ならば観想は心の中だけの作業であって、大きく聞こえるレベルで唱えることはしない筈です。
それとも、教材となるよう観想が分かるようにと、ワザとそうしたのか?
まっ、私個人も護身法では敢えて唱えていますが・・・。
>>あっちスレ256
こりゃ、どう見ても自宅での練習風景でしょうね。
通常、何も見ないし見てもいられないですから。
下向いて(見ながら)真言を唱える時点なんかで、すでに正式作法としてNGなのですから。
>>あっちスレ262
この若き禅僧は、私たちのグループ(ベンジャミン・クレーム氏の『シェア・インターナショナル』)誌上において、
マイトレーヤからのオーバーシャドウ(意識の投下)を受けている僧侶として世界配信された方です。
まだ東日本大震災の衝撃に日本中がただ項垂れていた翌4月、岩手県宮古市を出発し、
野営しながら素足で宮城県石巻市まで鎮魂行脚をされニュースにも報じられた、盛岡市石雲禅寺の小原宗監副住職。
さて、今はどうなったことでしょう・・・。
http://seiryouzan.exblog.jp/15764265/
34 :
前世は一在家 :2013/12/22(日) 07:48:59.13 ID:UuNbLtdS
参照:つらつら日暮らしWiki〈曹洞宗関連用語集〉の「三時業」より 『正法眼蔵』の巻名の一 ☆道元 参学のともがら、この三時業をあきらめむこと、鳩摩羅多尊者のごとくなるべし。すでにこれ祖宗の業なり、廢怠すべからず。 このほか不定業等の八種の業あること、ひろく参学すべし。いまだこれをしらざれば、仏祖の正法つたはるべからず。 この三時業の道理あきらめざらんともがら、みだりに人天の導師と称することなかれ。 業障の当体をうごかさずながら、空なり、といふは、すでにこれ外道の見なり。 業障本来空なり、として、放逸に造業せむ衆生、さらに解脱の期、あるべからず。
35 :
神も仏も名無しさん :2013/12/22(日) 07:53:06.09 ID:2RohulDE
>>33 >下向いて(見ながら)真言を唱える時点なんかで、すでに正式作法としてNG
ダウトw
真言と言えども経典自体は現在は存在し、印形のカンペすら載っている
僧が経本を見てはならない規則は無く、職業故に印を間違えたり真言をど忘れする方がご法度
なので経本も存在する
寝言は寝てる時だけにしなさい
36 :
神も仏も名無しさん :2013/12/22(日) 08:00:02.14 ID:2RohulDE
>>34 禅門と言えども大乗禅のため、衆生済度の為には一時方便を用いる
不断不常の中道を説く仏教故に敢えて否定せず誘引す
三世常住の思想概念は釈迦の教えに非ず、それは外道の概念である
37 :
前世は一在家 :2013/12/22(日) 08:04:19.62 ID:UuNbLtdS
過去スレで、「道元は晩年耄碌して三時業を説いた」という方がおられましたが、 どの世代でも説かれております。 当り前で強調する必要もなかったかと思料します。 『正法眼蔵随聞記』巻2-15 ☆道元、35才 また冥機冥応、顕機顕応等の四句有る事を思フベシ。また現生後報等の三時業の事も有り。此等の道理能々学スベキなり。 「行持(下)」 ☆道元、43才 この黒業は今日の業力のみにあらず、宿生の悪業力なり。 今生ついに如来の真訣をきかず、如来の正法をみず、如来の面授にてらされず、如来の佛心を使用せず、諸佛の家風をきかざる、かなしむべき一生ならん。 「仏道」 ☆道元、44才 多生の値遇奉覲(ちぐうぶごん)をちぎるべし、これをもて多生の見仏聞法をねがふべし。
38 :
神も仏も名無しさん :2013/12/22(日) 08:05:19.84 ID:2RohulDE
視点を変えて言うなら、三世常住を有ると思って仏門に入るのは許され 三世常住は無いと思って仏門に入るのも許される この両者は怠り無く仏道修行に励むなら分け隔てなく済度される事が許されている しかしてダメなのは、この両者の思考のまま仏法を習わず仏門に入らず仏言を用いないもの これらの輩は許されない
39 :
前世は一在家 :2013/12/22(日) 08:09:12.53 ID:UuNbLtdS
>>36 >禅門と言えども大乗禅のため、衆生済度の為には一時方便を用いる
>不断不常の中道を説く仏教故に敢えて否定せず誘引す
「正法眼蔵」十二巻本第八 ☆道元、晩年
仏祖の道を修習(しゅじゅう)するには、其の最初よりこの三時の業報の理を効い験らむるなり、爾あらざれば多く錯りて邪見に堕つるなり。
但邪見に堕つるのみに非ず、悪道に堕ちて長時の苦を受く。当に知るべし。
耄碌しなかった道元禅師が説かれた教えは方便か正法か如理作意されて下さい。>住人各位
40 :
神も仏も名無しさん :2013/12/22(日) 08:13:06.87 ID:JXOswxF3
41 :
前世は一在家 :2013/12/22(日) 08:14:12.08 ID:UuNbLtdS
>>38 >しかしてダメなのは、この両者の思考のまま仏法を習わず仏門に入らず仏言を用いないもの
>これらの輩は許されない
無住処涅槃にて衆生済度を展開されておられる方々よりも貴方の方が上になっているように観じられます。
42 :
神も仏も名無しさん :2013/12/22(日) 08:22:25.62 ID:JXOswxF3
>>41 お前の論で無住処涅槃を理解すると仏道修行の否定となる
だからお前には無理だと言っている
手かざしは仏道修行では決してない
43 :
神も仏も名無しさん :2013/12/22(日) 08:38:08.93 ID:96+vJWa8
44 :
神も仏も名無しさん :2013/12/22(日) 08:39:51.48 ID:2RohulDE
>>39 釈尊の頃はウパニシャッド思想が蔓延っており、道元の頃は浄土思想が蔓延っていた
ともに衆生済度を仏が思えば中道の観点から方便を用いて衆生を誘引し済度するのが得策であり
邪義の念が例えあっても修行に因って打ち砕かれ済度される
済度には条件があり、それは純真なる求道者に限られる
求道のふりして文証理証だけをつまみ食いして外道に組み込む輩には済度は許されていない
45 :
神も仏も名無しさん :2013/12/22(日) 08:44:35.86 ID:96+vJWa8
アホの上に、姑息な不妄語戒違反のウソつき、 さらにはカルトとくれば、現世での悪業増大は明白。 来世はウンコ回虫に転生決定! おめでとうございますw
46 :
神も仏も名無しさん :2013/12/22(日) 08:50:01.88 ID:2RohulDE
47 :
神も仏も名無しさん :2013/12/22(日) 08:57:24.28 ID:2RohulDE
>>45 ↑
因みにこれが誘引の方便にあたります
ちょっとバッチイですが多分自分と同じ様に仏じゃないので良いんでしょう
48 :
前世は一在家 :2013/12/22(日) 09:29:32.87 ID:UuNbLtdS
>>46 >正語の戒、め!
神道でも言霊を大切にし、できるだけ綺麗な言葉を使うように教えられております。
本スレで度々慇懃無礼と揶揄されましても言葉づかいには留意している所以です。
49 :
神も仏も名無しさん :2013/12/22(日) 09:34:50.67 ID:2RohulDE
>>48 仏道を求め取り入れ行う事をせず、おいしい所を真我や業報輪廻転生などの証明の為に
姑息に利用しようとするお前には全く無用の長物な行為だと思う
自分の頭への手かざしが足りないんじゃないのかとw
50 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/12/22(日) 09:39:47.38 ID:Fel5fwhz
>自分の頭への手かざしが足りないんじゃないのかとw wwwwwwwwww GJ
>>6 はい。私もそれ以外にはないと思います。
コレサトさんのような業報を否定した輪廻転生という見解などは初めてですね。
一体、それはどういう理論なのか?、本人に説明してた頂かないことにはまったく意味不明です。
けれど今のところ、ただ結論を主張した断言でしかない印象・・・。
>>26 >前者(過去現在未来)を生きてる一生中の中の為にだけ、仏教では業報を説くのであって
>三世を跨ぐ固体の為の業報は仏教は認めない
>それを認めるのは外道である
聞いたことありませんね。
是非、仏典及び仏教解説書などから、
その根拠(典拠)を引用提示してもらえますか。
52 :
神も仏も名無しさん :2013/12/22(日) 10:25:57.64 ID:2RohulDE
>>51 業とは行い、つまり原因や条件の事
報とは報い、つまり結果の事
業報単体の説明に三世は絡まず、時間を絡めれば
過去現在未来の業報となり、三世に亘る業報では戒めの方便に過ぎなくなる
現世を生きる人間に三世に亘る業報を一切法内で確認し第三者にも共有出来る術や力は無い
有ると豪語するのは怪しげな密教秘儀やら外道の術を用いる連中とかになる
53 :
おじゃる :2013/12/22(日) 11:19:25.53 ID:lWd5rskQ
> 私個人も護身法では敢えて(声に出して)唱えていますが 九字護身法(くじごしんぼう) 臨・兵・闘・者・皆・陣・裂・在・前 准胝観音の功徳 準提功徳衆、寂静にして心常に誦すれば 一切諸々の大難、よくこの人を犯すこと無し 天上及び人間、福を受くること仏の如く等し この如意珠に遇はば、定んで無等等を得ん もし我、誓願大悲のうち、二世の願を成ぜずんば 我、虚妄罪過のうちに堕して、本覚に帰らず大悲を捨てん 准胝観音 大準提咒−ノウボ・サッタナン・サンミャクサンボダ・クチナン・タニヤタ・オン・シャレイ・シュレイ・ソンデイ・ソワカ 小準提咒−オン・シャレイ・シュレイ・ソンデイ・ソワカ 弥勒菩薩−オン・マイタレイヤ・ソワカ 屮(_ ._)屮
>>35 >僧が経本を見てはならない規則は無く、
だから、ダメなんですって!
>職業故に印を間違えたり真言をど忘れする方がご法度
いやいや、
そういうレベルの者など密教の護摩なんかは焚けないの。
密教の護摩修法は顕教の読経などとは全然、違うから。
導師の視線は必ず、本尊の尊像か壇上の護摩や法具等々などへ向けられているものであり、
また同時に様々な映像を脳裏に想念しているのです。
ですから、経本を見ながらなどというのはないの。それはNGと決まってるんです。
あなたのいうのは通常の勤行のことであって、周囲を囲む補助の僧侶なんかはもちろんそうしています。
何も分からないで、知ったかぶりしないように。
55 :
おじゃる :2013/12/22(日) 11:40:40.03 ID:lWd5rskQ
断見スレの 560
> 八正道は輪廻を説いたものではない。輪廻からの解脱を説いたものだ
苦集滅道に依存して、輪廻から解脱する
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E6%AD%A3%E9%81%93 われわれが身心のいっさいについて無常の事実を知り
自分の心身を厭う思を起こし
心身のうえに起こす喜や貪の心を価値のないものと斥けることが「正見」である
このように現実を厭うことは
人間の普通の世俗的感覚を否定するものに見えるが
その世俗性の否定によって、結果として
真実の認識(如実知見)に至るための必要条件が達せられるのである
正見は「四諦の智」といわれる
この正見は
正思惟・正語・正業・正命・正精進・正念・正定の七種の正道によって実現される
56 :
朝鮮人得意の護摩炊き :2013/12/22(日) 11:56:54.97 ID:96+vJWa8
>その世俗性の否定によって、結果として〜 世俗を否定して得られる勝義の世界に興味はありません。 嬉しいものを嬉しいと思い、悲しいものを悲しいと思う。 嬉しいものを嬉しいと思わず、悲しいものを悲しいと思わない非世俗のウルトラスーパーマンを 目指すのは非仏教的だと思います。 八正道の正は胸に手をあてて正しいか否か判断すれば良い。 正しいと思わないのならやらない。ただそれだけでしょう。
>>22 >↑ こんな感じですか?
そういう言い方も可能かもしれません。
>弥勒(マイトレーヤ)を発祥として → 無著(アサンガ)と世親(ヴァスバンドゥ)の兄弟によって大成された
弥勒信仰と関係しているのかもしれませんが・・・
いずれにせよ、私個人はマイトレーヤ直伝的な意味合いが真実かどうかは未確認です。
>>53 いえ、「九字護身法」(及び早九字)じゃないです。
「三部被甲」の護身法のことであり、三密加持の基本となるものです。
浄三業/仏部三昧耶/蓮華部三昧耶/金剛部三昧耶/被甲護身から構成されています。
>>6 >そして、通常、この「輪廻」という語彙を用いて表現するところの
>意味は、「生まれ変わり」「業論」をその土台とする概念として
「生まれ変わり」「業論」である以上、前世、今世、来世と業報が特定個人の上で起こりうる〜とするものですよね?
三世に跨らない業報輪廻論というのも却下でよろしいですね?
60 :
神も仏も名無しさん :2013/12/22(日) 16:25:27.93 ID:2RohulDE
61 :
神も仏も名無しさん :2013/12/22(日) 16:30:31.61 ID:2RohulDE
密教の勤行って毎回焚き火するのか、大変だなw
62 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/12/22(日) 16:32:47.20 ID:Fel5fwhz
>>59 「因果応報」という言い回しの時は、「今世限定の」話である場合も
あると思うが、「業報輪廻論」という表記を使うなら、これは、三世に跨る
いわゆる「生まれ変わり」を前提としたものでしょう?
それが通常の使い方だと思うけど。
そして、「輪廻」という語彙を単なる「現象の連鎖」という意味合いで使用する
場合もあるかとは思うが、少なくとも「仏教」では、悪因苦果
のように「業の作り手、引き受け手」を想定した上でのものでしょう?
よって、「輪廻」と「業論」を切り離して考えるのは、仏教では成立しないと
思うね(これは、いわゆる伝統仏教では・・・という話ねw 歴史上の釈迦という
個人の見解がどうだったか? というのは、また別問題です。)
63 :
神も仏も名無しさん :2013/12/22(日) 16:37:44.83 ID:2RohulDE
>>57 >八正道の正は胸に手をあてて正しいか否か判断すれば良い。
それでは仏教ではない
>正しいと思わないのならやらない。ただそれだけでしょう。
なのに
>三世に跨らない業報輪廻論というのも却下でよろしいですね?
では済度もままならず
これでは仏の教えを用いようと思ってる態度とはとても思えないですね
そんなのはイワシの頭も信心からってレベルかと
64 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/12/22(日) 16:45:01.03 ID:Fel5fwhz
>三世に跨らない業報輪廻論というのも却下でよろしいですね? 「三世に跨らない業報輪廻論」・・・というのが、具体的にどんなものを 指して言ってるのかわからないんだけどw 例えば、「人を殺した」⇒「警察に捕まり、その後、悲惨な人生を送った」 ・・・・・このような、「因果関係」なら否定するものは、あまりいないと 思われるが? ただし、 「人を殺した」⇒「その悪行のせいで三年後、雷に打たれて死んだ」 ・・・・・ こんなのだったら、少なくとも俺は 「は〜〜〜〜〜〜〜????wwwwwwwwww」 だねwww
>>63 >それでは仏教ではない
私は仏教徒ではありません。さらに伝統仏教には興味がありません。人間仏陀の教えにしか興味がありません。
伝統仏教の教え≠人間仏陀の教えだと思います。なぜなら輪廻転生を説く伝統仏教は仏陀の教えにあらず、と思うからです。
>済度もままならず
仏教徒でない以上、救われたいなどとは願っておりません。
>>62 >歴史上の釈迦という個人の見解がどうだったか?
方便説を支持します。
66 :
神も仏も名無しさん :2013/12/22(日) 16:48:25.03 ID:2RohulDE
三世両重因果は仏教ではなく実有主義の部派最大手、説一切有部の教義 この有部の連中は龍樹率いる新生大乗Gに破折され生滅している
>>64 >「三世に跨らない業報輪廻論」・・・というのが、具体的にどんなものを
>指して言ってるのかわからないんだけどw
以前セブン氏が言っておられたので質問したら過去レス読めとの事でした。
読んでいませんが。
そんなものもあるのかと思いましてw
68 :
神も仏も名無しさん :2013/12/22(日) 16:56:01.17 ID:2RohulDE
>>65 >>67 >私は仏教徒ではありません。さらに伝統仏教には興味がありません。人間仏陀の教えにしか興味がありません。
>仏教徒でない以上、救われたいなどとは願っておりません。
興味を持たれるのは構いません一向に
しかし口出しは無用かと思われ、余計なお世話では無いですかな?
部外者なら部外者らしく出しゃばらずに、質疑応答だけしてれば良いと思います
あなたのやってる事は創価の信心押し付けと何等変わらないと思います
>しかし口出しは無用かと思われ、 口出し無しの2ちゃんねるは2ちゃんねるじゃないでしょうw
70 :
神も仏も名無しさん :2013/12/22(日) 17:00:12.15 ID:2RohulDE
つまり、自らの考えに沿わない者は口を出すな〜 出しゃばりである〜と? それこそ余計なお世話w
72 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/12/22(日) 17:05:58.24 ID:Fel5fwhz
>>67 wwwwwwwww
>以前セブン氏が言っておられたので質問したら過去レス読めとの事でした。
君は、「紐くん」か?www
セブンが、どういう流れで「過去レスよめ」と言ったのかわからんが、
セブンなら、少なくとも、「三世に跨らない業報論」というのを、
「人を殺した」⇒「雷に打たれた」・・・こういうものだとは、言わないと思うがw
73 :
神も仏も名無しさん :2013/12/22(日) 17:06:50.31 ID:2RohulDE
>>71 さびしいから相手してくれと言うならスレ違いだと言っている訳で
教義に口を挟めるのは教義を用いてる人だけですよ
用いていない人には正論が存在しない為に水掛け論にしかならないのです
但し求道の為ならこの限りではありません
と言っても、単なる部外者と求道の為の質問者では外見の違いは無いので
どちらも叩かれ傾向は免れません
最後に問われるのは我執を捨てた真心の求道だけでしょう
>>71 あなたのそのセリフは荒らしが良く吐く捨て台詞です
>>73 雪が降り積もる中一晩立ち尽くして片肘切り落として教えてくれ〜等とは言いません。
そんな求道者が現在いるのでしょうか?
現在は低レベルな求道者より一般人の方が遥かにマシな場合も多々あると思います。
75 :
神も仏も名無しさん :2013/12/22(日) 17:21:11.64 ID:2RohulDE
>>74 あなたがまともとは思えませんね
荒らしたいだけかと
そうでないなら信仰者ではないとは逃げないでしょう
無宗教でも無宗教を信じているわけですし
>>75 仏教徒ではなく、人間仏陀の信者ですw
無宗教を信じているのではなく、伝統仏教外から人間仏陀を信じている立場です。
〜宗という宗派に属さない以上、無宗教です。
ちなみに、私がどこで荒らしましたか?
私が荒らしたレスを示して欲しいですね。
77 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/12/22(日) 17:32:43.70 ID:Fel5fwhz
なんと言いましょうか?w 俺の場合は、「信仰」と「事実」の間に線引きを入れてるわけw 基本、「信仰は自由」であって、「イワシの頭も信心」を認めるのw 彼らが何を信じようが、それが「信仰の範疇」であるなら全くOKww (隠居はそれを認めないけどw) しかし、その枠を飛び越えて、「それが真実である」と、やり出したら 「ちょっと待て。そう言うからには、まず実証せえや。」・・・となるww だから、長年この一連のシリーズでも、それが「教義上の問題として是非を 論じてる時」は、「外側からの批判」は避けてきたw (ところが、殆どの場合、その枠を容易に飛び越えて、「・・・・は真実なんです。 ・・・・は現実にこの世界で起きている普遍的現象なんです。」・・・・と くるんだよなwwww アホどもはw) 俺が思うに、紐くんは、「彼らの信仰に外側から干渉しているように」思われてんじゃねえの?w 『そんなの嘘なんだから、お前ら信じるんじゃねえ』・・・と主張しているようにとられてるんじゃないかと 思われるw まあ、言い回しの問題だから、その辺り、少し気をつけた方が良いのかもしれんねw
78 :
神も仏も名無しさん :2013/12/22(日) 17:34:40.05 ID:2RohulDE
>>76 >人間仏陀の信者
それなら私と同じ仏教徒ですよ
宗に属さなきゃ仏教徒ではないと言う愚かな考えは捨てるべきです
輪廻が有る・我が命は今世限りではなく何代も続く、等の見解は常見です、釈尊の教えに反します
輪廻は無い・我が命は今世限りで次の代などない、等の見解は断見です、釈尊の教えに反します
この両見は人の見解に因って確固たる検証・解答は得られないので釈尊は避けろと教えています
故に、不常不断の立場を取るので中道の教えと仏教が言われる所以なのです
79 :
神も仏も名無しさん :2013/12/22(日) 17:35:34.32 ID:eK2XIplv
俺はついうっかりと議論の深みに迷い込んでいたんでは無いかと反省する。 つまり、十二支縁起の順観を進んでいたということだ。 逆観こそ仏教の修行道だ。 無明は実相が無相一相空相であることがわかった以上、無明を捨てるべきなのだ。 一切の十二支を。 そこでこの十二支を捨てる行為に寄与する話をこそ必須なのだ。
>俺が思うに、紐くんは、「彼らの信仰に外側から干渉しているように」思われてんじゃねえの?w つまり、業報輪廻論者は全て偽者である〜と散々言ってきたからでしょうか? それすら私の意思表明に過ぎませんが? むしろ、業報輪廻は仏教の根幹である〜という輩の方が問題だと思いますがねえ。
81 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/12/22(日) 17:39:25.88 ID:Fel5fwhz
んで、 ID:2RohulDE は、「三法印くん」かな?www 始めて登場した頃、⇒仏説の是非は、釈迦の教説の根幹に照らして判断すべし。 では、その根幹とは何か? それは三法印なり。・・・・・ と言ってた人ww 別人さんかね?ww (ちょっとセブンに噛み付かれもしてたがw)
>>78 >宗に属さなきゃ仏教徒ではないと言う愚かな考えは捨てるべきです
酒をこよなく愛する者で酒を毎週飲んでます。酒飲みの仏教徒はいません。
〜宗にも属さず、酒を毎週飲む。これを仏教徒と言うのは間違いだと思いますよ。
ちなみに私は紐無記とか言われることもありますが、この名のとおり無記の立場です。
私を荒らし呼ばわりするのは止めていただきたい。
>>78 >不常不断の立場を取るので
不常不断は別に不可知論ではないのだけどw
84 :
神も仏も名無しさん :2013/12/22(日) 17:45:14.93 ID:2RohulDE
>>79 十二因縁は順逆両観で見るのが釈尊流です
そして十二支に及ぶ縁起を捨てる事は生きてる内は不可能です
あなたが生きてるうちに内臓を全部捨てて生活など出来ない様に
十二因縁は人の苦が発生する原理そのものを説明した理法の一つなのですから
捨てる事は不可能です
85 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/12/22(日) 17:45:57.10 ID:Fel5fwhz
>>80 wwwwwww 多分ね、その「偽者」という言い回しに
引っかかるんじゃないかとw
「偽者」⇒「釈迦の真意が全くわかってない愚か者。仏説が全く理解
できてない名前だけの、なんちゃって信者」・・・・みたいなニュアンスが
あるじゃない?ww
だから、そういう表記を使うと、何やら、
⇒「お前ら釈迦の真意を全く分かってないのに唯、盲目的に信じ込んでるだけじゃんw
バカじゃねえの?』・・・というように、その信仰までもディスられてると
感じるのでは?w
86 :
神も仏も名無しさん :2013/12/22(日) 17:49:15.13 ID:2RohulDE
>>81 そう
法印は真理に違いは無いが、中道を貫かれた釈尊が断見も無いだろうとの見解
これは自分でも盲点だったと今は反省している次第
本来の仏陀の目的は苦の克服だった原点に立ち返るなら
永遠とかどっちでもええがなそんなん、に至るのは至極当たり前かなと
>>85 業報輪廻転生を論ずるものが偽者以外である事を信じる事は出来ませんね。
「偽者」から相手が何を想像しようが相手の勝手であり、業報輪廻転生は仏教の土台、前提と
断定する輩に対してはそれでもまだ足りない位の言い方だと思っていますがw
88 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/12/22(日) 17:56:47.93 ID:Fel5fwhz
>>86 やはりそうかww
>>87 そうですか?ww
まあ、それが貴方の立ち位置なら、そういうスタンスでいくのもいいでしょうw
輪廻業報論に関しては、極めて隠居に近いと思われるが、
隠居のように「わけの分からん「生命」とかいう未知のエネルギー」など
を信じ込まないようにw あれは世俗肯定が行き過ぎた結果のオカルトなのでww
>>88 私は、仏陀のいう生じたものは滅びるという事から世俗的には断滅を支持します。
勝義の話を世俗がアレコレ言っても埒があかんという立場ですw
非断滅非常住も結構ですが、生じたものは滅びる、人間も生まれて死ぬという当たり前の事を
認識しろと言いたいです。
90 :
神も仏も名無しさん :2013/12/22(日) 18:03:04.35 ID:2RohulDE
>>87 本当に仏陀の真意を求めてるなら、多少は紆余曲折も有るやも知れませんが
直ぐに理解に至れると思われ、求めていないと両極とも堂々巡りになります(堂々巡りは慢心が原因です)
色眼鏡を捨てて、例え本意ではない密教の真面目なサイトからでも釈尊の事柄が
書いてある限りは確りと勉強させていただき、情報を集め、行間を読めば、必ず疑念は晴れるでしょう
まあ、私如きの経験談など糞の役にも立たないでしょうけどw
91 :
神も仏も名無しさん :2013/12/22(日) 18:10:39.24 ID:2RohulDE
>>89 解深密経ですか、唯識ですね
勝世の二諦義は釈尊の教えでは無いですよね
釈尊にその区別や差別は無かったと思われます
92 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/12/22(日) 18:13:13.54 ID:Fel5fwhz
>>89 ww 俺はね、仏教徒ではないんで、あくまでも、仏教を
一つの認識論として興味をもってるわけw
現実に観測できるこの世界を「どのように捉えるか?」・・・という
哲学的側面が、西洋的な視点と異なり、とても興味深いのよww
だから、解脱したとしても、何やら「神通」が身について・・・・
なんてオトギ話は全く信じてないwww
仏教というのは信仰を抜きにしても、認識論として、とても面白いと思うねw
93 :
神も仏も名無しさん :2013/12/22(日) 18:19:53.62 ID:2RohulDE
>>92 神通力も業報輪廻転生と同じくウパニシャッドの頃からの民衆の一般的な関心事だった様です
これらが存在しようがしまいが、道に入れれば煩悩滅尽の煽りでこの惑も一掃されるので方便に使われた
と推測できます
>>92 紐無記君は、無記になってない、ってことさw
>>91 >解深密経ですか、唯識ですね
私はそんなものではありませんよ。
唯識だとか密教だとか全く関心がありません。
私は中村元先生の岩波本の全てとその他本は持っています。もう何回も読んでます。
他に、臨済録をはじめとして禅関連の本もいくらか読んでます。
皆さんのような膨大な情報量は持ち合わせていません。
しかし、それでも人間仏陀を想像するのに十分です。
人間仏陀は流暢に説得力に富む話し手ではなかったであろう。
静かにとつとつと説く人であったであろう。
慈悲(相手の立場に立って)で、持論を相手に押し付けなかったであろう。
誘惑を完全に断ち切った人であったであろう。
などなど〜
>>94 断滅と無記は無関係でしょ?
無記とは死後の世界など形而上の世界についてのもの。
断滅は生じたものは滅びるというもので、滅びた後の世界についてアレコレ言っていない。
滅びて無になるのが断滅なら、私の言う断滅ではありません。
ただ、滅びるのですよw 滅びた後の世界なんて誰にも分からない。だから無記です。
97 :
神も仏も名無しさん :2013/12/22(日) 18:47:21.56 ID:2RohulDE
>>95 例えば仏教の視点で世界を考える時
仏は個人が知りえる世界とは一切の内にしか有り得ないだろうと教えてます
一切とは我々が持ち得る六根と六根に感ずる情報であると教えてます
広大な世界を指向してる筈なのに、実は六感に収まった事しか得ていないと、故に一切皆苦と教えた訳です
六根は自分の身体に依存した感官に過ぎず、そこで得られる情報は苦の要因しか受けていないのだと
私は上記の流れの全体像が仏が法と呼ばれる正体なのだと感じた訳ですが
実はこれ(法と感じた)の根拠を探すのに解深密経等の唯識学も必要になったりします
解深密経は大乗経典なので眼中には無かったのですが、根本仏教の視点で読むと為になります
大乗本意で読むと・・・ 道を外して釈尊批判が始まるかも知れません
>>97 一切は目、耳、鼻、舌、触覚、意識で感ずるものでしょう。
一言で言えば人の在り様です。
仏陀の苦の代表的なものが病、老、死ですが、病、老、死そのものではなく
それらに対する憂いを苦としているのでしょう。
憂いは一切に含まれ、一切内であれば抑制(滅)もできるという事でしょう。
病、老、死そのものは避けようがありません。
痛みなどはただ耐えるよりありません。
仏陀はこれらの苦からの解放を説いてはいません。
仏陀の説いた苦からの解放は一切内の事、特に意識からのものでコレは抑制できると。
99 :
神も仏も名無しさん :2013/12/22(日) 19:04:57.44 ID:2RohulDE
>>98 釈尊が感じた(気付いた)苦の内訳は
生苦・老苦・病苦・死苦・愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五陰盛苦
の八つの筈で
四苦八苦とも言われて有名なんですが
で、これらに随伴する苦とは煩悩となって現れ、その煩悩の原因が執着であると教えられた筈なんですが
100 :
神も仏も名無しさん :2013/12/22(日) 19:06:52.44 ID:YCZxwsKU
高額当選よろしく
>で、これらに随伴する苦とは煩悩となって現れ、 逆です。 煩悩があるから苦があるのでしょう。 執着は渇愛があるからで、渇愛は抑制(滅)できる、と説いたのだと思いますよ。
102 :
神も仏も名無しさん :2013/12/22(日) 20:52:18.13 ID:UuNbLtdS
>>97 >一切とは我々が持ち得る六根と六根に感ずる情報であると教えてます (中略)
>実はこれ(法と感じた)の根拠を探すのに解深密経等の唯識学も必要になったりします
禅定に段階に応じて、唯識が説く「阿頼耶識」、達磨大師が説く「仏性」も観じらるとのことです。
これらも含めて広義の「一切」かと思料します。
103 :
神も仏も名無しさん :2013/12/22(日) 21:14:45.39 ID:eK2XIplv
>>84 >十二因縁は順逆両観で見るのが釈尊流です
根拠は?経典のソース。
104 :
神も仏も名無しさん :2013/12/23(月) 02:26:01.56 ID:Gt1Ni4UK
>>103 経蔵としてはマッジマニカーヤ・アンッグッタラニカーヤ・クッダカニカーヤ等に縁起説としてそれぞれ
律蔵にもマハーヴァッガに縁起の説明として何度も出てくる筈
順観
無明に依って行が生じる。
行に依って識が生じる。
識に依って名色が生じる。
名色に依って六処が生じる。
六処に依って触が生じる。
触に依って受が生じる。
受に依って渇愛が生じる。
渇愛に依って取[執着]が生じる。
取に依って有が生じる。
有に依って生が生じる。
生に依って老・死・愁・悲・苦・憂・悩が起こる。
逆観
貪欲を厭い離れ、全く無明が滅することに依って行が滅する。
行が滅することに依って識が滅する。
識が滅することに依って名色が滅する。
名色が滅することに依って六処が滅する。
六処が滅することに依って触が滅する。
触が滅することに依って受が滅する。
受が滅することに依って渇愛が滅する。
渇愛が滅することに依って取(執着)が滅する。
取が滅することに依って有が滅する。
有が滅することに依って生が滅する。
生が滅することに依って老・死・愁・悲・苦・憂・悩が滅する。
これが順逆二観です
105 :
神も仏も名無しさん :2013/12/23(月) 03:03:36.70 ID:j6kbZHoB
>>101 >煩悩があるから苦があるのでしょう。
違います
苦は煩悩のコアであり、苦のみで煩悩は成り立たない
苦が離れざる様に縛るものとして執着があり、それらをセットで煩悩と呼ぶのです
ミートパティ(苦)のみでハンバーガー(煩悩)が成り立たないのと同じ事です
また、決して煩悩と苦が平行してある訳ではありません
>>98 >仏陀はこれらの苦からの解放を説いてはいません。
>仏陀の説いた苦からの解放は一切内の事、特に意識からのものでコレは抑制できると。
説いています
苦は煩悩が障った時の症状そのものであり、釈尊はその苦を除くには
執着を離れよと、執着を捨てよと、教えられています
良く調べてみてください
106 :
おじゃる :2013/12/23(月) 10:05:41.66 ID:kWeu9Psl
>>53 の続き
> いえ、「九字護身法」(及び早九字)じゃないです
> 「三部被甲」の護身法のことであり、三密加持の基本となるものです
> 浄三業/仏部三昧耶/蓮華部三昧耶/金剛部三昧耶/被甲護身から構成されています
浄三業 − オン ソウハンパ・シュダ サラバ・タラマ ソウハンバ・シュド・カン
仏部三昧耶 − オン タタギャタ・ドバンバヤ ソワカ
蓮華部三昧耶 − オン ハンドマ・ドバンバヤ ソワカ
金剛部三昧耶 − オン バゾロ・ドバンバヤ ソワカ
被甲護身 − オン バザラ・ギニ ハラジ・ハッタヤ ソワカ
不動明王
中咒−ノウマク・サマンダ・バザラダン・センダマカロシャダ・ソワタヤ・ウンタラタ・カンマン
小咒−ナウマク・サマンダ・バザラダン・カン 屮(_ ._)屮
107 :
神も仏も名無しさん :2013/12/23(月) 10:09:10.50 ID:LT8RSBAq
>>97 >一切とは我々が持ち得る六根と六根に感ずる情報であると教えてます (中略)
>実はこれ(法と感じた)の根拠を探すのに解深密経等の唯識学も必要になったりします
禅定の段階に応じて、唯識が説く「阿頼耶識」、達磨大師が説く「仏性」も観じられるとのことです。
これらも含めて広義の「一切」かと思料します。
「一切」という言葉も空であり、衆生と修行者とでは意味が少し変化します。
譬えでは、超音波は人には「一切外」ですが、蝙蝠には「一切内」でしょう。
赤外線も同様でしょうか。
108 :
神も仏も名無しさん :2013/12/23(月) 10:25:01.57 ID:iksEBZe6
>>77 >俺の場合は、「信仰」と「事実」の間に線引きを入れてるわけw
それが「絶対に不可能」になるのが、宗教という「精神病」なのだよ。
109 :
神も仏も名無しさん :2013/12/23(月) 10:49:59.73 ID:uZ7dSKuj
108 :神も仏も名無しさん:2013/12/23(月) 10:25:01.57 ID:iksEBZe6 は隠居神。 隠居神真理教の精神病ウィルスのみ勝ち残るという訳ですなw
110 :
神も仏も名無しさん :2013/12/23(月) 11:44:14.11 ID:4247Mve/
>>107 阿頼耶識も一切の中に入り、さらに仏性も一切の中に入るとすると、
式の一形態と言うべき(妄想)と一般的に言われるものも、
一切の中に入りますね。
相すれば一切外と言うものも、入るのだし、そもそも一切外というものは
無い、と言うか考えられない、と言うべきではないかな。
>>104 ドモドモ。
学問としてはその通りでしょうが、真実に合致しようと修行するものにとっては、
そのものは十二支の逆観を行うものですから、十二支の始めから消去すべき無用なものとなりましょう。
111 :
神も仏も名無しさん :2013/12/23(月) 11:47:04.67 ID:4247Mve/
112 :
神も仏も名無しさん :2013/12/23(月) 12:44:31.33 ID:R114KSnU
>>107 アホのデタラメ・ガラクタ解釈なんぞウンコ回虫に食わせろ!
来世ウンコ回虫は何回論破されても姑息根性で沸いてくる。
>唯識が説く「阿頼耶識」 ←こんなもん、成りすまし説一切有部でしかない
>達磨大師が説く「仏性」 ←仏性は無仏性である(道元)。仏性は仏性に非ず、これを仏性という(閻魔)。
こんな簡単なことが直覚できないアホの来世ウンコ回虫には、自説に従ってずっとウンコ回虫にてんせいし続けるのだろうw
>一切
いったい仏道=八正道は何のために、誰の為にあるのかがわからないのがウンコ回虫だ。
カルト・マヒカリが儲けるためにあるのではない!
113 :
神も仏も名無しさん :2013/12/23(月) 12:56:50.66 ID:R114KSnU
>>91 >勝世の二諦義は釈尊の教えでは無いですよね
>釈尊にその区別や差別は無かったと思われます
アホかw
スッタニパータ第五章「彼岸に至る道」の<彼岸>ってなんでしゅか?
114 :
神も仏も名無しさん :2013/12/23(月) 13:08:19.46 ID:R114KSnU
>>107 >達磨大師が説く「仏性」
帝又問 如何是聖諦第一義
師曰 廓然無聖
帝曰 對朕者誰
師曰 不識
帝不領悟
師知機不契
廓然無聖は廓然無仏、廓然無有、廓然無善悪、廓然無アホでもある。
廓然無聖と廓然無仏性において、<達磨大師が説く「仏性」>とやらの関係を御教授願おう。
115 :
宝珠@神智学徒/規制代行 :2013/12/23(月) 13:10:46.61 ID:hWrkJekj
>>60 では、これは私の言い方が悪かったのです。
もちろん経本は必ず開きますよ。たとえ暗記していて暗誦ができるにせよです。
これも含めて礼儀作法の一つですから。
ただ通常の勤行での読誦ならば、普通に全文を目で追うでしょうが、
このような護摩修法などの場合は、単に流れの確認程度にページを捲るような感じですよ。
ただし、あくまでも視線は経本に注がれることじゃないですから。
まっ、さっきの動画についてはモロ練習風景のようですから、
一つ一つを目で追って間違わないように確認しながら、やっと何とか・・・という様子なのでした。
ハッキリいうと、真言念誦そのものが下に置かれた経本を
(下を向いて)見ながらでないと唱えられないレベルなんかではダメなんですよ。
護摩修法では真言を口に誦しながら、実に複雑な所作を次々とこなしていかなければならない。
その間、経本を見ながらなんていうことはできないから。
先に紹介されたこの動画の様子を見れば分かる通りですよ。
私は先の練習最中の者との比較で話したまでです。
http://www.youtube.com/watch?v=29NOqdJs5rE >>61 毎回じゃないですから。
普通の勤行はごく普通です。ただ少し真言陀羅尼が多いだけ。
焚き火じゃなくて護摩ですね!
>>27 まっ、所詮はあなた方のやってることというのは、
27年間収監された反アパルトヘイトの英雄ネルソンマンデラ氏も、
自分の義理の叔父でNo,2だった部下ですら機関銃で粉々の肉片にし、
更には、その骨すら残さぬと火炎放射器で焼き尽くす悪魔の所業をなした北朝鮮のトップ。
この両極端な位置にある両者も死んでしまえば等価に過ぎないとする邪義なのですから。
そんな邪義邪論を一体、いつゴータマが説いたというのか?
そちら側こそ-その証拠をここに提示して下さいな!
待っていますから。
>>97 >例えば仏教の視点で世界を考える時
>仏は個人が知りえる世界とは一切の内にしか有り得ないだろうと教えてます
>一切とは我々が持ち得る六根と六根に感ずる情報であると教えてます
仏教が説く「一切」を勝手に唯物論のことにしないで頂きたい。
ゴータマは、“一切ではないもの(一切外)”は「涅槃」ニヴァーナしかないと説いたのですよ。
要するに、涅槃ではないすべてのものと事柄が一切ですから。
>一切は目、耳、鼻、舌、触覚、意識で感ずるものでしょう。(
>>98 )
幽霊も時には、目に見え、悪臭を放ち、
直接触れることもあるし、意識で感応し合うことにもなる。
そのことをよく覚えておきなさいな。
誤解しないように---心霊も神通も一切内です。
118 :
神も仏も名無しさん :2013/12/23(月) 13:22:02.19 ID:R114KSnU
>>117 >ゴータマは、“一切ではないもの(一切外)”は「涅槃」ニヴァーナしかないと説いたのですよ。
教典上の根拠を出せ。
>一切
いったい仏道=八正道は何のために、誰の為にあるのかがわからないのがオカルト・ウンコ回虫だ。
119 :
神も仏も名無しさん :2013/12/23(月) 13:22:43.62 ID:R114KSnU
いっとくが、ウダーナ8-3なんか根拠に成らんぜwwwww
120 :
神も仏も名無しさん :2013/12/23(月) 13:32:09.58 ID:R114KSnU
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1386833106/607 俺って、親切な奴だから先に書いとくわw
>釈迦がなぜ死後が有るのか無いのか無記としたのか考えましたか。
仏道は菩提心凡夫のためにあり、菩提心凡夫の六処による検証(一切)不能なモノ・コトは
縁起の(間接)現実=時空因果関係の正確な如理作意不能であって迷妄樹海を彷徨うのみだから。
仏法は現生的なる法(相応部35-70)として、その教典・論説などは下記基準を満たしていなければならない。
★1.現に証せられるもの(現実に今ここで実証できるもの)、
2.時を隔てずして果報あるもの(時間をかけることなく瞬時に効果の現れるもの)、
3.来り見よというべきもの(ここに来て実際に見なさいと言えるもの)、
4.よく涅槃に導くもの(苦の寂滅・心の平安に導いてくれるもの)、
★5.知者がそれぞれに自ら知るべきもの(勝れた知者が、自分で知ることのできるもの)。
<相応部 35-70『ウパヴァーナ(優波婆那)』>
上記の基準によって検証されなければならない。
なぜなら、上記基準を外れたものは「ありもしないもの(妄想・物語)を語っているからである(相応部 35-23 一切)。
業報輪廻転生(生まれ変わり)を主張するなら、上記1〜5の基準で、
凡夫の六処で確認可能なカタチで検証・証明しなければならない。
オカルト・回虫はとくに<1.現に証せられるもの(現実に今ここで実証できるもの)>基準で
直ちに証明しなければならない。
★5.は菩提心凡夫の六処(相応部35-23)による経験的検証可能なモノ・コトをいっている。
一切外はガラクタとして無視(無記)するのが当然だ。
121 :
神も仏も名無しさん :2013/12/23(月) 13:45:45.70 ID:R114KSnU
ウダーナ8-3の直覚
(仏経質問箱
>>746 より)俺って、親切な奴だから手間を省くために先に書いとくわw
>縁起しないものがあるから縁起したものがあると言ってるよね。
>つまり、釈尊は縁起するもの(空)で無いものがあると言ってることにならないか?
上記は、完全な御都合主義誤読です。
分別・無分別と言語表記の問題を正確に掴んでいない縁起撥無の見解です。
仏法の基盤はあくまで『縁起の直接現実(あるがまま)』であり、これの直覚を「縁起の現観」(悟り)といいます。
(1)世俗に於ける勝義示唆⇒(空・中道)は無分別(無矛盾)ですから、言語表記(分別)できません。
世俗(分別)で表すなら不<(非)〇 不(非)△>と言う両極否定間接形式(四句第4)の比喩による示唆が限度です(中論18-6・8・11)。
それが上記ウダーナ8-3の<生じたのではないもの><(滅したものでないもの)>=不生不滅←中道です。
(2)一方、世俗の一切内では二項相対分別で、【生じたもの⇔生じたものでないもの】【滅するもの⇔滅したものでないもの】と分別表現できます。
★勝義示唆の<生じたものでないもの>(無分別示唆)と、世俗の【生じたものでないもの】(分別)は相が異なります。★
ゆえに、ウダーナ8-3の趣旨は 、
『世俗の【生じたものでないもの】(分別)という戯論の寂滅(戯論からの『出離』)によって、 *中論18-6・8 ⇒ 22-12、25-16
<生じたものでないもの>(無分別示唆←これも戯論)⇒縁起の直接現実の無分別智による直覚=悟り=大覚成就がある』と言っているのです。
ウダーナ8-3は浅学者や外道には誤解されやすいところですが、
(直接)縁起撥無は仏法ではありません。 神とかアートマンなんて、まったく関係ないのや。
涅槃はあくまで「想い」からの離脱(Sn.1072)によってもたらせる慶安の<境地>です。
ウダーナ8-1がそれです。
典型的な間接否定形式による縁起の直接現実の表現(1)です。
では、ドゾー!
122 :
神も仏も名無しさん :2013/12/23(月) 14:10:36.88 ID:R114KSnU
・唯物論と経験論
唯物論と観念論は先見主義、本質主義であり、経験に先立つ本質を認める一切外の形而上学である。
形而上学はあくまで二項相対の分別「想い」(Sn.1072)である。
仏法は形而上学(戯論)ではない。
・ちなみに、『経験論における「経験」という語は私的ないし個人的な経験や体験というよりも、
★むしろ客観的で公的な実験、観察といった風なニュアンスである。
したがって、個人的な経験や体験に基づいて物事を判断するという態度が経験論的と言われることがあるが、それは誤解である。』(→
>>117 のアホ解説参照w)
宝珠のアホ解説に縁れば、幽霊は実在するらしいw
オバケ屋敷の営業妨害だ!
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%8C%E9%A8%93%E8%AB%96
123 :
神も仏も名無しさん :2013/12/23(月) 14:17:47.97 ID:zIyBZumx
>>105 仏陀は肉体的苦痛からの解放について説かなかったと思いますよ。
あくまで、精神的苦痛からの解放について説いただけです。
仏陀自身病気の時は苦しみを耐え忍ぶよりなかった。
病、老、死についての憂いから解放されるのであり、病、老、死そのものから逃れるわけではありません。
煩悩と苦は平行してあるなんて言ってませんが?
煩悩があるから苦があるのは事実でしょう。
煩悩が無くなれば涅槃です。
125 :
神も仏も名無しさん :2013/12/23(月) 14:28:35.88 ID:4247Mve/
ウダーナ8-3って、中村元訳の「真理の言葉・感興の言葉」ウダーナバルガ にはは無いようですが、正確に名称があるんでしょうか?
126 :
神も仏も名無しさん :2013/12/23(月) 14:31:48.90 ID:LT8RSBAq
>>112 >>達磨大師が説く「仏性」 ←仏性は無仏性である(道元)。仏性は仏性に非ず、これを仏性という(閻魔)。
あれー、自称「なんちゃって門」透過者の方ですか、道元禅師をアホ弟子扱いした。
貴方の書き込みは言葉からして難しくて理解できませんので、無記と致します。
お友達とのスレではなく、こちらのスレに書かれる際はもう少し平易な言葉でお願いしますよ。
128 :
神も仏も名無しさん :2013/12/23(月) 14:35:58.62 ID:LT8RSBAq
>>126 >お友達とのスレではなく、こちらのスレに書かれる際はもう少し平易な言葉でお願いしますよ。
根拠はこちらの住人の大半をアホ、馬鹿と罵倒しているからです。
アホ相手に難解な言葉を浴びせるのは智慧がありますか、慈悲はありますか。
129 :
神も仏も名無しさん :2013/12/23(月) 14:57:22.33 ID:R114KSnU
>>126 >道元禅師をアホ弟子扱いした
意味不明。投稿箇所を特定して呈示せよ。
>貴方の書き込みは言葉からして難しくて理解できませんので
回答不能のアホが逃げてるw
>>112 が理解できないのは回虫程度の知能だからだ。
>>128 >アホ相手に難解な言葉を浴びせるのは智慧がありますか、慈悲はありますか。
じひするうちは、じひに心あり。
じひじゅくするとき、じひをしらず。
じひしてじひをしらぬとき、仏といふなり。
(『至道無難』)
130 :
神も仏も名無しさん :2013/12/23(月) 14:59:42.46 ID:R114KSnU
まあ、アンテナがアホみたいに壊れていれば、TVは映らんけどなw
131 :
神も仏も名無しさん :2013/12/23(月) 15:03:12.77 ID:uZ7dSKuj
えんまのアンテナも壊れているがなあw
132 :
神も仏も名無しさん :2013/12/23(月) 15:17:14.97 ID:R114KSnU
133 :
121 :2013/12/23(月) 15:31:22.23 ID:R114KSnU
>>121 訂正
× 不<(非)〇 不(非)△>
〇 <不(非)〇 不(非)△>
すまん
134 :
神も仏も名無しさん :2013/12/23(月) 15:34:26.90 ID:uZ7dSKuj
えんまも、原始仏典に固執するなら、固執するなりに、 禅なんぞ、放棄した方が基本いいんだろうなあw
>>107 >譬えでは、超音波は人には「一切外」ですが、蝙蝠には「一切内」でしょう。
>赤外線も同様でしょうか。
他で誰かが言っていましたが、現代では観測機器を通して知りうる事も一切に含まれるとの事です。
仏陀の時代では一切外でも現代では一切の範疇も広がりビッグバンに近い所まで観測可能です。
これらは生身の人間では知り得ませんが、観測機器の発達により知り得るようになりました。
しかし、死後の世界やビッグバン以前の世界など形而上の事は一切外で無記です。
いかなる観測器機をもってしても観測不可能でしょう。
136 :
神も仏も名無しさん :2013/12/23(月) 16:57:02.14 ID:4247Mve/
>>132 ご紹介は貴重な経典、感謝。
大分なんで読めるかどうか。
以前から疑問に思っていたのですが、釈迦の成道の動機は、何か?
大体は、訊いているのですが、厳密ではなかった。
シャモンの平安な姿を見て自分も出家してそんな風になりたいと思ったという。
それだけでは説明不足。
そこで背後を考えてみる必要に感じられた。
要するに自分が幸せになる方法は何か、と言うことの発見だったろう。
その当時の遣り方で苦行をしたが見出せなかった。
苦行を放棄し、しかし幸福を見出す決意で座禅をした。
このことを考えてみると、そのときはいまだ盲目的だったんだね。
しかし、縁起の理法を発見し、それによるとこの世界は、一切が空であり、無相であり、一相であり、諸法は
平等であるという結論を知ることが出来たのだ。縁起現象であるとすれば、
当然こう言う結論は容易に且つ寸時に見出せる。
当該経典では、釈迦はこの真実の発見の境地を楽しんだとある。
この境地を得るためにどうしたらいいか、この境地を人はどうして失うのか、
これを考えて、四諦の法門、十二支縁起の法門を理論立てたのである。
137 :
神も仏も名無しさん :2013/12/23(月) 17:04:34.50 ID:4247Mve/
>>132 つづき
だから人は、まずこの縁起の法則によるこの世界の空性、無相、一相、処方の平等、
を理解することが最初なんだ。
ところが解説や初期経典ではこの演技の法則を知ることが最初であることを、
強調して説いていない様に思う。
ここのところが大乗に不満だったのでは無いだろうか?
縁起の理法の示す実相の世界を知らずしていかなる修行も出来ない。
そして、釈迦の修行時代にはこの縁起の理法を教授する師がいなかったのだ。
だからこそ釈迦の説法が特別な教えとなったのだ。
しかし、ひそかに思っていた人がいたのだ、しかしその人は公言しなかったのだろう。
古代中国の老子荘子は同じ縁起の理法を知ってそれを実行し公言した。
荘子は、この縁起の理法を知るものは少ない、といっている。誰もいないとかいるはず無いとかではなく、
知っているものは少ない、と世に知らしめるときに言っている。
イエスだとか、古代ギリシャのパルメニデス及びゼノンなども、この縁起の理法を知ったと認められる。
だから彼らの教えも本質として仏教と相違が無い。
そして大事なところ。釈迦はそれまで無欲の修行をしてきたから、縁起の理法による実相を
体得することが出来たのだ。それを楽しむことが出来たのだ。
そのときは明らかな心の目を持って実相の世界にいたのだ。
>>136 >要するに自分が幸せになる方法は何か、と言うことの発見だったろう。
釈迦族の王の息子でなんら不便なく十分に幸せであっただろうと思いますよ。
そのような立場を捨ててまでして得ようとしたのはこの世の真理というようなものだと思います。
さらに言えば現状の人間の生き方として疑問を感じたからこその出家でしょう。
苦行も理想の生き方、この世の真理を求めてのものだったと思います。
139 :
神も仏も名無しさん :2013/12/23(月) 18:13:51.67 ID:ckFGOarq
>>124 >病、老、死についての憂いから解放されるのであり、病、老、死そのものから逃れるわけではありません。
逃れたいと、その方法を分別しようとする念こそが我執なのであり
痛みは結果であり、畏怖の念も結果であり、それらは我執に要因があって起こる
やり過ごすのは手段として間違いではないが、それが仏の教えの真意では決して無く
痛みを、ただ痛みと悟る道こそが仏の教え
何故痛いのか、何故痛みを発してるのかを問い続ける行為や所作こそが
この場合の迷いの本性と知るべき
逃げる事ばかりをば仏は教えてない
>>139 末期癌で痛みがコントロールできずに苦しんでいる人間に同じ事が言えますか?
慈悲とは相手の立場にたって考える事。
コントロール出来ない痛みは耐え忍ぶよりない。
辛かろうが耐えよと側にいてやるくらいしかできない。
痛みは迷いだ〜等というのは無慈悲であり仏陀の姿勢とは正反対のもの。
141 :
神も仏も名無しさん :2013/12/23(月) 18:33:44.04 ID:ckFGOarq
>>136 >要するに自分が幸せになる方法は何か、と言うことの発見だったろう。
散々既出だし、散々ネットでも書かれててありふれてる事なのに
未だこれを知らない人がいるのは少々勉強不足では?と思う
釈尊の成道の動機と言う言い方は間違い
正確に言うなら釈尊の出家の動機、似てるかも知れんが成道するには出家が必須なのでこうなる
で、その出家の動機は「四門出遊の故事」に由来する
決して人の幸せなどと言う低い志の為に、王家の子息と言う恵まれた一生を棒に振った訳ではない
世にカースト制が蔓延してようが、金が有ろうが無かろうが、生まれが(家系や輪廻)良かろうが悪かろうが
生苦・老苦・病苦・死苦・怨憎会苦・愛別離苦・五陰盛苦・求不得苦等は免れ得ないと王子の身のまま悟り
どこかにこれら四苦八苦を克服し得る方法が有るんじゃないかと思い、出家に至る
決して自分対象で見て思ったのではなく、世の成り立ちの不均衡に疑念を持っての旅立ちだったと
ぶっちゃけ幸せやらも苦を生む要因になるので愚痴の者の幻想境に過ぎん
142 :
神も仏も名無しさん :2013/12/23(月) 18:35:25.96 ID:ckFGOarq
>>140 >末期癌で痛みがコントロールできずに苦しんでいる人間に同じ事が言えますか?
末期がんの痛みに喘ぐ患者の前で法を説こうとするお前の心が拙いと知れ
>>142 末期癌患者に対する姿勢とその他人間に対する姿勢とで異なるというのはいかがなものか?w
あらゆる人間に対して同じ姿勢で臨むから真理たりえる。
対機説法や方便はあっても根底の教えはひとつ。
つまり、末期癌患者に対して言えないような教えは偽者。
144 :
神も仏も名無しさん :2013/12/23(月) 19:00:17.02 ID:4247Mve/
>>141 御尤も。
原始経典では、中村元の訳ですが、釈尊を、「幸せなお方様」と呼んでいませんか?
世間的幸せではないのですね。
形而上学、形而下学と言う用語が良く取り上げられる。
これの語源は「易経」と言うことだ。
形あるものの背後と言うかそれ以上のものと言う意味だ。
この意味なら仏教は形而上学そのものだ。
何故形而上学の範囲について無記と言うのだろうか?
>>140 がんで苦しんでる人のその痛みの原因は、それまで有身見の相続に無いだろうか?
身体があると考えているから、。真実にはそう言うものは無い。
いまだ身体に執着しているということになるんかな。
身体への執着とは、身体を憎む場合も愛する場合も両方だ。
>>144 生きている以上皆身体に依存もするし執着もあろう。
病気で苦しんでいる人間に対して「それはお前が身体に執着しているからだ」というのが教えですか?
そんなものは糞くらえで仏陀とは正反対だと言っている。
ウルトラスーパーマンを目指すのが仏教だと甚だしい勘違いしている人間が多すぎw
慈悲で相手の立場にたって考え、正しいと思う事のみやるように努め一生を送る。
これだけですよw
抽象観念に埋もれ肝心な事に目も向けないのは愚かとしか言いようがない。
146 :
神も仏も名無しさん :2013/12/23(月) 19:26:47.86 ID:4247Mve/
>>144 その病人はその痛みに執着している。そんなときは、
その執着から別なものに反らせる事が出来ないだろうか?
出来るはずだ。言葉によって病を直すという方法は、
古代から行われている。小さい記事だが。
147 :
神も仏も名無しさん :2013/12/23(月) 19:28:10.05 ID:LT8RSBAq
>>129 >>道元禅師をアホ弟子扱いした
>
>意味不明。投稿箇所を特定して呈示せよ。
(並行スレ 81より)
>>169 2013/12/19(木) 15:49:51.80 ID:JzL3iZw6
>結論として、12巻本『正法眼蔵』第8「三時業」の業報論に染まっておられるお方には、水野氏の視点がいいと思います。
『★しかしこれは前述のように、仏教にとってはあくまでも初歩的な通俗説であって、極めて低い教えにすぎず、*←12巻本
★業報説からさらに進んで仏教独自の四諦や縁起の説に向かうべきものである。*←75巻本』(
>>141 )
>12巻本『正法眼蔵』第8「三時業」は在家やアホ弟子向けの特に【一切門】における叩き台です。
超克すべき一切外の見です。
>>202 2013/12/19(木) 20:54:30.52 ID:W5tU/IbN
>前言の「道元は晩年耄碌した」の続きは「若い頃の道元はアホ弟子だった」ですか?
その根拠は師匠が「三時業」を若い道元に説いて、彼は大切にメモしていたからです。
「宝慶記」☆道元、20代
仏法、若し長沙の道の如くんば、何ぞ諸仏の出世・祖師の西来有らんや。
堂頭和尚老師大禅師示して曰く『長沙の道、終に不是なり。長沙、未だ三時業を明らめざるなり』と。
健康があるから病気があり、病気があるから健康がある。 人は頭の中でこの概念と感覚を作ってしまう。 そして、人は病気になった時、健康、健康の状態に執着する。 故に、病が苦しいものとなってしまう。 眼横鼻直。病をあるがまま受け入れれば、苦しみは無くなってしまう。 痛みを嫌がらず、痛みと共にあること認めるのだ。 そうすれば、その者にとって病は無いに等しいものとなる。
鼻くそみたいな屁理屈並び立るゴミ
>>148 >痛みを嫌がらず、痛みと共にあること認めるのだ。
あなたは当事者になった事もなく、さらに当事者の立場を想像も出来ずに
他人事として言っている。
あなたが痛み地獄の世界を体験すれば、これは無いに等しい〜なんて言ってられないでしょう。
認知療法というのを知っておられますか?
半端な知識を振り回して 宗教患者は他人の医療を受ける機会を奪わないように。 心霊治療と同様と知れ。
うつ病や不安障害ならともかく末期癌の痛みは認知云々なんてものではない。
154 :
神も仏も名無しさん :2013/12/23(月) 19:50:55.31 ID:LT8RSBAq
>>112 >>達磨大師が説く「仏性」 ←仏性は無仏性である(道元)。仏性は仏性に非ず、これを仏性という(閻魔)。
【臨済禅 黄檗禅 公式サイトより】
仏陀(覚者)になること、覚った人間になることです。
「見性成仏」は、すなわち、自分の奥底に存在する仏心仏性になり切って、真実の人間になることです。
痛みが無くなるわけではない。 しかし、苦しみは無くすことが出来るのです。
医療などは専門外ならば出来るだけ、専門的医学的治療に明け渡すべき エホバなどのカルトはいざ知らず仏教徒ならそのくらいの分別は持ちなさい 痛みは治療を遅らせるというのが最近の医学的見解だ。
痛いから苦しいのです。 それは耐えるより無いのです。 苦しいのは錯覚と言っても現にある痛みは無くなりません。 仏陀はこういう苦からの解放については何も説いていません。 耐えるだけ。 仏陀の説いた苦からの解放の苦は精神的な憂いの様なもの。 病に対する憂いから解放される訳です。 病気になればじっと耐える以外にありません。 それすら身体に対する依存だとか執着だとか言うのは仏陀にあらず。
>>156 私はあくまで、専門的医学的治療が存在しない時代にあった仏教について説いただけです。
勿論、現代医学優先です。
蛇足だが痛みの無い自分とか、耐えている自分を眺めてる二分裂ではない 痛みの真っ只中で絶叫している方がまだ救われる 痛み三昧、もっと痛めが如く だが、痛みとは隠された重病のサインだったりすることがままある、 早めの診察を勧める。
161 :
神も仏も名無しさん :2013/12/23(月) 20:44:39.86 ID:4247Mve/
>>155 それこそごまかしですよ。全然効き目は無いね。
162 :
神も仏も名無しさん :2013/12/23(月) 20:52:38.87 ID:4247Mve/
ガン末期と言うのはそんなに激痛なんですか? 激痛のために死ぬということですか? モルヒネとか打てば消えるんでしょう? 苦痛が消えれば、後何が原因で死ぬんでしょうか?
>>160 仏陀だからこそ出来る説法。
凡人が言えば無慈悲な糞野郎です。
凡人は側にいて耐えろと励ますくらいしかできない。
自分を仏陀だと思うなかれ〜
>>162 末期癌の全てが激痛というわけではない。
一部の患者がそうだというだけ。
モルヒネも効けば良いが効かないこともある。
結局、多臓器不全とかで死ぬ場合もあるし、心臓が参ったら心不全という事でしょう。
>>162 誰かが言ってたよ。
癌で死ぬということは、「癌によって」死ぬんじゃなく、「餓死」するんだ、と。
食べれなくなり、栄養点滴もままならない状態であれば餓死もありうるね。 明日はわが身と思い覚悟する事ですね。 私は無関係〜とはならない。 3人に1人が癌で死ぬ現在。3人に1人から2人に1人になりつつある。
167 :
神も仏も名無しさん :2013/12/23(月) 21:21:57.58 ID:4247Mve/
不生不滅。 生じたものは幻。それは生じていないもの。 滅するとは、同じくそれと同量のものが生じるのだ。 滅するものも生じるものも、幻、生じていない。 全体を見ることを忘れるな。部分を見るから、部分を見てるから、空性とならないのだと思う。
>>167 抽象観念や勝義一辺倒では駄目です。
独りよがりと言うのです。
あなたはそれで良いかもしれない。しかしそれでは誰も救えない。
突っ込めばあなたも同じ立場になれば自分すら救えないだろう。
誰にも救えないものは、ただ耐えるよりない。これは真理。
169 :
神も仏も名無しさん :2013/12/23(月) 22:00:58.78 ID:H5Z1SDLv
仏教をやっているやつ=暇なやつ
関心の対象でしょう。 暇と言えば暇なのでしょう。暇の無い人間は哀れ。 暇は普通の人間ならばある。暇が無い人間は生き方を変えた方が良いと思う。 その暇で何に関心を向けるか?というのは個々人色々で仏教に限らないでしょう。 とすれば、仏教をやっているやつが暇なのではなく暇の選択で仏教を選んでいるに過ぎない。 他の、女に嵌るのもありだろうし、金儲けこそというのもありですね。 そのなかの一ジャンルに過ぎない。自らの立ち居地こそが重要でその他は糞〜なんて言うのは 言ってる本人が糞ですからw
171 :
神も仏も名無しさん :2013/12/23(月) 22:25:47.17 ID:4247Mve/
>>168 >誰にも救えないものは、ただ耐えるよりない。これは真理。
これこそ虚偽
ゴータマの言う信仰とは真理を信ずること。不生不滅は真理。
>>171 >不生不滅は真理。
でしょうなあ。で不生不滅で生きている人間が救えますか?
末期癌で苦痛に陥っている人間に「不生不滅は真理。」と言うのですか?
そんなものは伝統仏教かもしれないが仏陀の教えではない。
私は伝統仏教ではなく仏陀の教えを聴くものです。
あなたは伝統仏教の中傷観念の人でしょう。
×中傷観念の人でしょう。 ○抽象観念の人でしょう。
174 :
神も仏も名無しさん :2013/12/23(月) 23:13:45.13 ID:LT8RSBAq
>>172 >末期癌で苦痛に陥っている人間に「不生不滅は真理。」と言うのですか?
まず言ってはならないでしょうね。
産婦人科にて「不生不滅」と言えば、まず若いお母さん達はひくでしょう。
同様に「不去不来」も唱えながら足許の蟻さんを見れば、何か覚れてアリガトウです。
175 :
神も仏も名無しさん :2013/12/23(月) 23:32:23.76 ID:R114KSnU
>>147 (回虫転生アホ在家)
!!!! m9(^Д^)プギギャーーーッハッハーヒャヒャヒャヒャヒャャーーーッハッハーヒャヒャヒャヒャヒャヒャ ー !!!!
あまりに愚かしく、低レベル過ぎて、マジに返答する気にもなれん。
なんでこんな小学生レベルのアホがドヤ顔で居座っているのだ?
>>前言の「道元は晩年耄碌した」の続きは「若い頃の道元はアホ弟子だった」ですか?
そんなことどこに書きましたか? おまえもアホ・ぺンキ屋かw
★日本語が不自由な育ちの外国のお方ですよね? 文章読解力が不自由なお方ですね。小学校高学年レベル落第でっせw
@『道元禅師をアホ弟子扱いした』『「若い頃の道元はアホ弟子だった」
→“閻魔が道元を如浄のアホ弟子とみなした”と★お前が勝手に受け取ったペンキ屋妄想文言でしかない。
A『在家やアホ弟子向けの』→導師としての“道元の”愚かな在家者やアホ弟子に向けた、道元なりの対機説法だ。
@Aは全く意味が天地違う。
>その根拠は師匠が「三時業」を若い道元に説いて、彼は大切にメモしていたからです。
メモがあったから、なんなの? 学生時代の授業ノートがあればそのノートを成熟期にも丸呑みしたというのか?
お前の勝手な妄想ではないかw
>「道元は晩年耄碌した」
意味不明。投稿箇所を特定して呈示せよ。
すべて、アホ在家の予断と偏見による愚かな低読解力とアホ妄想に原因がある。
なんで愚かな馬鹿小学生の読解力添削をしなければならねーんだよ!
仏陀は肉体的な苦痛に対する対処は説かなかった。 病気や老いや死に対する憂いに対するものしか説かなかった。 病気や老いや死そのものは避けようが無いが、憂いなく受け止めるのと 憂いの中で受け止めるのとでは雲泥の違いがある。 憂いは意識であり一切内であり抑制できると説いたのです。 痛みそのものや老いて死ぬことは避けようがなく耐えるより無い、生じたものは滅びるのです。 滅びてもなにかしら我が残るのでは?と言うのが凡人の望みという事です。 残るのかも知れないし残らないのかもしれない。そんなことは分からんというのが真理。 それを分かった様に言うのがオカルト馬鹿と言うわけです。
177 :
神も仏も名無しさん :2013/12/23(月) 23:45:43.87 ID:wk8Wu8EZ
>>143 末期癌患者で痛みに耐えながら真理の教えを良かれと思って説く
誰の為かね?神経を冒す至極の痛みの最中だそうだぞ?
そんな最中に究極だかの真理の教えを聞く耳など、果たして有るのかね
そしてそれは誰の為に説くのかね
私にはそれは、予断を許さない弱みに付け入った押し付け、慈悲なき偽善にしかみえんよ
創価とかが良くやる行動とも聞くしね
178 :
神も仏も名無しさん :2013/12/23(月) 23:47:51.98 ID:R114KSnU
>>142 >>172 >末期がんの痛みに喘ぐ患者の前で法を説こうとするお前の心が拙いと知れ
『いまは安楽(涅槃)への産みの苦しみです。もうすぐ楽になります。
いまは苦しいいでしょうが、安んじて、御仏にお任せしなさい。』と説くのがこの場合、慈悲に叶います。
肉体的な苦痛には医学が対処しますが、
精神的な恐怖は仏道修証業未了へは直ちに安んじられる希望を説くべきです。
そもそもキチンとした仏道修行を了されたお方には、精神的な恐怖はありえません。
壮絶な正岡子規の最後を想う時、背筋を想わず伸ばしています。
・糸瓜 咲て 痰のつまりし 仏かな
・痰一斗 糸瓜の水も 間にあわず
・おとといの へちまの水も 取らざりき
ご苦労様でした。
合掌
179 :
神も仏も名無しさん :2013/12/23(月) 23:50:43.86 ID:wk8Wu8EZ
>>178 >御仏にお任せしなさい
自灯明法灯明で心身修養を是とする仏法に「仏にお任せ」は無い
それは浄土教等の十八番だろ
180 :
神も仏も名無しさん :2013/12/23(月) 23:58:02.36 ID:wk8Wu8EZ
はっきり言う 六根の制御が侭ならない精神障害者に、考察理解の為にも頭と六根をフル活用する仏教は不向きである 同じく、癌を末期まで迎えてしまい、強烈な痛みや抗がん剤の副作用と闘うその人達にも 仏法者として今その時に説くべきなのは、実教実法ではなく頓服の「はげみ」だと考える 勝義世俗の二諦義で考えるなら、極限に於かれるその人達に今必要なのは世俗諦の頓服かと
182 :
神も仏も名無しさん :2013/12/24(火) 00:03:46.11 ID:HPvf4dxf
>>144 >形而上学、形而下学と言う用語が良く取り上げられる。
>これの語源は「易経」と言うことだ。 形あるものの背後と言うかそれ以上のものと言う意味だ。
>この意味なら仏教は形而上学そのものだ。 何故形而上学の範囲について無記と言うのだろうか?
仏法は現象の背後に核となる本質を想定する本質主義ではありません。
本質は執着の対象となる「想い」=我執を産み、実存苦の超克という仏法の本懐に相応しくありません。
形而上学を含む一切外(無記事項)は、菩提心凡夫にとって<六処による経験的検証:相応部35-23>不能であって、
縁起の現実=時空因果関係を正確に如理作意(中部15)できず、迷妄樹海に彷徨うのみで、仏道の本懐に到達できないからです。
100%除かなければなりません。
ガラクタです。
たとえば、絶対神、十四無記事項、業報輪廻転生論、回向論、仏性論、如来蔵論、本覚思想、その他もろもろの形而上学的思惟、
物語、イリュ−ジョン、神話、証明不能の伝承などなど。
183 :
神も仏も名無しさん :2013/12/24(火) 00:15:52.11 ID:HPvf4dxf
>>179 >自灯明法灯明で心身修養を是とする仏法に「仏にお任せ」は無い
それは、修業未了の一般在家者には返って無慈悲です。
原因を問わず、精神的苦しみという毒矢はすぐに抜くようにすべきです(中部63)。
これが方便です。
修行完了者には精神的苦しみは、第二矢を受けず(中部36-6)で問題になりえません。
184 :
神も仏も名無しさん :2013/12/24(火) 00:28:41.22 ID:LX6tdQgG
>>183 釈尊の教えの中に「仏に任せるべきである」と教えた事が有りましたか?
誘引は他者の立場が行えども、済度を担うのはあくまでも自分自身なのが仏教でしょう
体外に仏を求めるのは一切法に照らして無益だと思われます
185 :
神も仏も名無しさん :2013/12/24(火) 00:29:20.47 ID:HPvf4dxf
. 人間、やはり日頃の行いがモノを言います。 覚悟が違います。 イザとなったときにジタバタするのは見苦しい。 ジタバタの方には医療的に意識レベルを下げるか、 仏教的に安心を説くしかありません。 ウソも方便です。
186 :
神も仏も名無しさん :2013/12/24(火) 00:33:45.20 ID:LX6tdQgG
臆病者は慈悲だの末期がんだの持ち出してどうのこうの理屈を唱えるが 実際こう言う輩にに限って、自分に打たれる注射の針が怖い奴ばかり 針が自分に刺さるその部分から目を背ける奴ばかり この時もチャンスなんだからもっと観察しろと言いたい
187 :
神も仏も名無しさん :2013/12/24(火) 00:33:58.37 ID:HPvf4dxf
>>184 >釈尊の教えの中
そもそもあなたは確定した『釈尊の教え』なるものをどうして確認できたのですか?
いま直ちにその方に必要なことを行うべきです。→
>>185
>>186 そのとおり。
自灯明であるならば自らの苦痛をしっかり味わうべき。
一方、慈悲の立場で見れば他者の苦はなるべく除いてやりたいと思うもの。
他者は仏教とは無関係の人間であっても相手の立場にたって接するのが慈悲。
そこで、「自灯明」などと言うのは阿呆。仏陀はそんな人ではない事くらい簡単に想像できる話。
ウルトラスーパーマンの仏教(伝統仏教)を目指すのは、だから駄目と言うのです。
189 :
神も仏も名無しさん :2013/12/24(火) 00:42:26.21 ID:LX6tdQgG
>>187 釈尊は菩提樹の下で悟り、沙羅双樹の下で涅槃を現じた
それを念頭に世界中を巡れば教典は手に入る時代です
もっとお手元のデバイスを活用される事をお勧めします
190 :
神も仏も名無しさん :2013/12/24(火) 00:43:46.65 ID:LX6tdQgG
>>188 >そこで、「自灯明」などと言うのは阿呆。仏陀はそんな人ではない事くらい簡単に想像できる話。
釈尊の遺言を否定するあなたがアホだと思います
191 :
神も仏も名無しさん :2013/12/24(火) 00:48:55.04 ID:HPvf4dxf
>>190 柔軟性のない教条主義者はアホと相場が決まっている。
何のために方便が説かれるのかわかっていない。
龍樹・中論18-6参照。
192 :
神も仏も名無しさん :2013/12/24(火) 00:52:37.79 ID:krlIYbBh
>>191 中論は中論として読めば有部の義も混じっている邪説です
龍樹教信者には聖典でも、根本仏教の視点では参考に過ぎません
教条主義なのは寧ろ中論信仰の方です
釈迦が居なかったら中論も無い事を知りなさい
逆は有り得ません
193 :
神も仏も名無しさん :2013/12/24(火) 00:56:38.04 ID:HPvf4dxf
>>192 おやおや、対機説法もご存知ないお方ですかw
閻魔さんも無限遠点が一切内というのを除けばマトモですねえw
195 :
神も仏も名無しさん :2013/12/24(火) 01:00:22.84 ID:HPvf4dxf
頭が悪すぎます。 論点外しはアホか政治主義かのどちらかです。 対論するに値しません。 却下。
196 :
神も仏も名無しさん :2013/12/24(火) 01:02:34.88 ID:krlIYbBh
>>193 方便と対機説法は別の話ですよ
機根に合わせて教えを説くこと自体が対機説法なのであり
そこに必ず方便が使われる訳ではありません
声聞の素養が有れば勝義すらいきなり説きます
でなければ五人外道の初転法輪は出来得ません
197 :
神も仏も名無しさん :2013/12/24(火) 01:13:45.48 ID:HPvf4dxf
>>196 頭が悪すぎます。
論点外しはアホか政治主義かのどちらかです。
対論するに値しません。
却下。
知機不契 ...
では。
198 :
神も仏も名無しさん :2013/12/24(火) 01:17:18.59 ID:krlIYbBh
199 :
神も仏も名無しさん :2013/12/24(火) 05:45:54.38 ID:SA8FithY
(並行スレ 81より)
(文1)>師匠が「三時業」を若い道元に説いて、彼は大切にメモしていたからです。
(文2)>12巻本『正法眼蔵』第8「三時業」は在家やアホ弟子向けの特に【一切門】における叩き台です。
超克すべき一切外の見です。
(文3)>前言の「道元は晩年耄碌した」の続きは「若い頃の道元はアホ弟子だった」ですか?
(文1)で師匠は道元に「三時業」を説いた
(文2)で道元は「三時業」をアホ弟子に説いた(閻魔氏のラべリング、仮設)
(文3)で道元はアホ弟子だった?(私の三段論法)
>>175 >メモがあったから、なんなの? 学生時代の授業ノートがあればそのノートを成熟期にも丸呑みしたというのか?
若い頃の話を簡単な三段論法でしておりますのに「成熟期」の話とは論点のすり替えでしょう。
尚、「道元は晩年耄碌した」はもう少し前の閻魔氏のラべリングですので、ご本人に聞くか、ご自身でお探し下さい。
200 :
神も仏も名無しさん :2013/12/24(火) 05:49:34.60 ID:rjObE6QD
201 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/12/24(火) 07:14:53.62 ID:SA8FithY
>>199 >尚、「道元は晩年耄碌した」はもう少し前の閻魔氏のラべリングですので、ご本人に聞くか、ご自身でお探し下さい。
閻魔氏との輪廻に関する対話の整理をば。
閻魔氏)道元禅師は輪廻を説く筈はないとラべリング(仮設1)
一在家)12巻本より道元禅師が「三時業」を説かれたことを提示
閻魔氏)道元禅師は晩年耄碌して「三時業」を説いたと修正ラべリング(仮設2)
一在家)20代、30代、40代の著書から道元禅師の「三時業」の説法を提示
閻魔氏)道元禅師は在家やアホ弟子に対して「三時業」を説いたと修正ラべリング(仮設3)
一在家)師匠が20代の道元に「三時業」を説かれたことを提示。アホ弟子か?と疑問符
閻魔氏)無記
一在家)止論
因みにグーグルで「道元 三時業 耄碌」で検索すれば、議論板78,79でのやりとりが出ますので
過去ログでご確認願います。
>>175 氏
202 :
コレ悟りかよ!?w :2013/12/24(火) 07:25:53.29 ID:F2r8vcTj
203 :
神も仏も名無しさん :2013/12/24(火) 07:38:51.81 ID:FuGoj/7u
>>201 道元が無謬であると言う認識がそもそも間違いで
大乗禅に通じた僧なのだから当然中華仏教の流れを汲んでいて当たり前
中華仏教の流れを汲んで居るなら三世実有法体恒有を主張した説一切有部の邪義も
当然取り入れられている
三時業は三世実有法体恒有そのもので釈尊の教えではない
204 :
神も仏も名無しさん :2013/12/24(火) 07:52:02.46 ID:OEUF20zl
>>189 生前釈迦の正法を軽視して生きてきた人は、死に臨んでも釈迦の教えの
恵みを受けられないことになるのは当たり前、といえる。
釈迦の教えは、「来たりて見よ」といえるもの。
>>200 俺はオームでは無いけど、真我について一言ある。
釈迦仏教が実相と言うからには、それは真実と言う意味であり、
真実とはまことに実在するものと言う意味であり、
それがある以上、人は真実に繋がるほか無いのではないか。
その真実に繋がっている人こそ、嘘偽りの無い、迷いの無い人である、ことになる。
当人は、真実に反する自分を、迷っている不幸な自分を見なす。
真実に従っている自分を幸福な自分と見なす。これこそ自分であり、
迷っている自分は、それは本当の自分ではない、と言うだろう、当然なこととして。
これだけのことだ。
真我とは幸福な自分と言う意味だろう。迷いの無い自分と言う意味だ。
>>203 >三時業は三世実有法体恒有そのもので釈尊の教えではない
道元禅師が「法体恒有」を説いたという文証をプリーズ
法体恒有を認めないと三時業が説けないというトンデモ説はやめてほしー
>>204 >真実とはまことに実在するものと言う意味であり、
妄想です
206 :
神も仏も名無しさん :2013/12/24(火) 08:21:11.33 ID:OEUF20zl
>>205 >>真実とはまことに実在するものと言う意味であり、
妄想です
そんな応答の仕方はこのスレにふさわしくない。
言われなきゃ分らない?
207 :
神も仏も名無しさん :2013/12/24(火) 10:31:55.49 ID:HPvf4dxf
>>201 カルトの下手糞なペンキ屋舞台裏作業には爆笑した。姑息アホカルト▼であることの自白だなw
下塗り、中塗り、上塗りとそれぞれご都合衆生でウソ塗りをしてゆく面白い下手糞詐欺師のカルト技術をみたよw
ペンキ屋一代も顔負けだ。さすがにペンキ屋一代からも見捨てられたアホカルトだけのことはある。
>「道元は晩年耄碌した」はもう少し前の閻魔氏のラべリングですので、ご本人に聞くか、ご自身でお探し下さい。
お前が塗ったペンキ箇所だ。お前が<更にインチキ・ペンキを塗らずに>そのまま具体的に『引用』指摘せよ!
俺の言っていることは一貫している。
『★12巻本『正法眼蔵』と72巻本に視点の相違はあっても、勝義中道を観定める道元自身は一貫していたと見ます。★
道元流の対機説法と見るべきです(中論18-6参照)。
結論として、12巻本『正法眼蔵』第8「三時業」の業報論に染まっておられるお方には、水野氏の視点がいいと思います。
『★しかしこれは前述のように、仏教にとってはあくまでも初歩的な通俗説であって、極めて低い教えにすぎず、*←12巻本
★業報説からさらに進んで仏教独自の四諦や縁起の説に向かうべきものである。*←75巻本』(
>>141 )
12巻本『正法眼蔵』第8「三時業」は在家やアホ弟子向けの特に【一切門】における叩き台です。*←大疑団を起こさせる公案
超克すべき一切外の見です。』
以上
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1386833106/169より 。
ブッダもアホ弟子には悩まされる。
『涅槃は正しく存し、涅槃に至る道があり、私は導師としてあり、しかもわが弟子の中には涅槃に至ることを得、
★またあるものは涅槃に至ることを得ないが、それをバラモンよ、わたしがどうするということができようか。
バラモンよ、如来はただ道を教えるのである。』(中部107より)
日本語の不自由な姑息アホカルトが、ウンコ回虫に転生する(らしいw)ことについて、当局は一切関知しないw
208 :
神も仏も名無しさん :2013/12/24(火) 10:37:05.34 ID:HPvf4dxf
訂正
>>207 2行目
× ご都合衆生で
〇 ご都合主義で
209 :
神も仏も名無しさん :2013/12/24(火) 10:47:49.57 ID:HPvf4dxf
>>201 (在家ウンコ回虫)
『道元禅師の心中を自分なりに解すると、 *有時とは存在現象そのものです(正法眼蔵 有時)
☆<世俗>有時⇔無時 <勝義>非有時非無時(如) <還滅>即有時即無時(三時を現在の一 瞬に摂しきたる:道元)
ここにおいては世俗一切外妄想として『三時業』は語れても、一切内(四法印)に三時業の侵入の余地はありません。
★この道元のニュアンスを汲み取れないところがアホのアホたるゆえんです。
如理作意無能者なのです。』
以上
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1386833106/169より 。
馬鹿は死ななきゃ直らない(都々逸)が、アホは死んでも直らない。ウンコ回虫に転生するからw
210 :
神も仏も名無しさん :2013/12/24(火) 13:00:31.07 ID:HPvf4dxf
211 :
神も仏も名無しさん :2013/12/24(火) 13:03:22.62 ID:bSome3Mv
クマの子のチューノリスの噂なんてすごいぶっきょうてきだよね。
おまん!そんなにわしとしたいのか?
>>210
212 :
神も仏も名無しさん :2013/12/24(火) 15:39:16.28 ID:WhhR/es+
>>205 三世に実有を認めるには法体が恒有で無ければ成り立たない
読んで字の如くだろそんなのは
三時の業を認めるには三世に実有を認めねば成らず
三世実有なら法体恒有でなければならない
三時業の時点で三世実有法体恒有なんだよ
そしてそれは邪義であり、中道を説いた釈迦の教えではない
つまり、道元の立てた教義の全てではなく一部に邪義が紛れ込んでるって事
三時業を書かなければ(触れなければ)道元の教えも相当正しかったと言える
中道に反したら最早仏教ではない
213 :
神も仏も名無しさん :2013/12/24(火) 15:46:50.72 ID:WhhR/es+
但し、道元の三時業の説が改ざんされていたら誤謬は濡れ衣になるかも知れない 三時が現在に対して過去と未来、現世に於いての時間上の去来を言っていたのなら 邪義の疑念は一切無くなる 元々業報とは行いと報いの事であり、三世代に跨いだ業報の意味確実な訳ではない 世では無く時と、三世ではなく三時と成っている事が何とも不自然だと思う 正法眼蔵に真贋判定の話題をあまり聞かないのが気になる 書写も沢山されてる筈なので改ざんの危険性は十分あり得る筈なのに 仏教ではご法度の鵜呑みに徹し、正法眼蔵原本の検証は等閑に成っていると見える
214 :
神も仏も名無しさん :2013/12/24(火) 16:21:34.54 ID:HPvf4dxf
>>213 >仏教ではご法度の鵜呑みに徹し、正法眼蔵原本の検証は等閑に成っていると見える
鋭い指摘です。
真贋判定はプロのミステリーハンターにお任せするとしても、
十二巻本は1930年!まで能登の永光寺で突如<発見>?されるまで全く知られていなかったのは
出来過ぎ、不思議ですなあw 小説「道元殺人事件」が書けそうですw
まあ、歎異抄も蓮如はんが秘匿していたように、内容的にずっこけるところがあります。
>>201 みたいなカルトにかかると道元殺害事件が起るわけで、
>>207 みたいに解する忖度が必要と思います。
「深信因果」冒頭の「百丈野狐」(無門関2)の道元の解釈、
『參學のともがら、因果の道理をあきらめず、いたづらに撥無因果のあやまりあり。あはれむべし、澆風一扇して 道陵替せり。
不落因果はまさしくこれ撥無因果なり、これによりて惡趣に墮す。不昧因果はあきらかにこれ深信因果なり、これによりて聞くもの惡趣を す。
あやしむべきにあらず、疑ふべきにあらず。近代參禪學道と稱ずるともがら、おほく因果を撥無せり。なにによりてか因果を撥無せりと知る、
いはゆる不落と不昧と一等にしてことならずとおもへり、これによりて因果を撥無せりと知るなり。』
こんなことを言ったら、なんで黄檗が百丈のほっぺたをパチンとやったのか?を無視することになります。
まず、透徹した師匠ならアウト判定でしょう。
これホンマにあの道元さんでっか?
>>214 過去の禅師の話などを持ち出して自説即ち自我を強化するようなアホは
いっぺん殴られてこいだな7
>>115 追記:
通常、一般的には暗記はしていても、読経を間違うことが無いよう気を付けるべく経本を見ながら〜、ということが
基本姿勢だとされてはいますが、それはあくまでも基本でしか過ぎないのです。
私の場合などは実際、日常のご法楽(勤行)においても経本の一文字一句を目で追うようなことはしません。それは、
お祀りしている本尊の仏像や掛軸を凝視したり、脳裏にその時その折りに必要となる様々なイメージを浮かべて、その
像や映像にしっかりと相対するためです。密教の三密加持においては真言を読誦しつつも、特に観想における映像イメージ
を浮かべることがより重要となるからです。
私も30-40分程度の日常の勤行にて自分が用いている経文や各真言、大悲心陀羅尼などの長めの陀羅尼などもすべて
暗記しており、そらで暗誦します。そうでないと密教修行には入れないと思う。実際、在家でありながら真言陀羅尼の
読誦が認められるには、下を向いて経本を見ながらでないとできないようでは到底無理--とは、ある真言僧の言葉です。
>>116 1/2
追記:
ネルソンマンデラ氏と北の馬鹿将軍さまを例に挙げましたけれど、もし本当に、善人も極悪人も死ねば同じ(死後に受
けるべき果報などない)というなら、精々、生きている内に自分の好き放題にやったほうが得である、ということになる。
ならば、極悪非道の限りを尽くしても何が悪いのか、という考え方だって立派に正当化されるのです。相手が苦しむ?
そんなことは関係ない。自分は痛くも痒くもないから。可哀想とも思わないから。という人間も出てくるのです・・・。
死後の果報がないということは、結局、捕まらなきゃいいんだということになり、捕まる奴は運が悪かったか下手くそだ
からということになる。
事実、あなた方の仲間である業報輪廻否定者の一人は、レイプされる女は自分が悪い。プルルンリップを塗ってミニス
カ履いてこの私を興奮せたからだ。俺は自分をスッキリさせただけだ。きっと女も本音では望んでいたのだろう〜だから、
自ら挑発してそういうカッコをしていたのだ、という具合のことをシャーシャーと当たり前のように語っていましたからね。
まっ、そんな邪義邪論があなた方のいう仏教とやらですよ!それがゴータマのお考えであるといってね。
2/2 〜そんなだから、ゴータマは来世を信じない者は悪事を働くと、こう看破したのです。 『来世を信ぜざる人は悪事を行う』(Dhp.176)と。業報輪廻の否定は道徳を破壊するものであって、 この世界の人々に悪 事の働くことを容認するものです。そういう教えはゴータマは説かれることはないし、決して認められることもない。業 報輪廻こそが道徳の根拠なのですから。 “死後における生前の行為の果報などはない”、と説く思想家が六師外道として紹介されていることを知らないのか? 当時いた外道の思想家として紹介されたということは、そういうものはゴータマの認められるものではない、という意味 です。そんな単純かつ簡単でごく当たり前のことすらも理解できないのがあなた方ですよ。 ていうか、あなた方はただ「業報輪廻なんて信じられないよ〜」と喚いているだけのこと。つまり、ゴータマの教えよ りも、己れの未熟で浅はかな見解を中心視するだけでしかない。だから、遠慮せず仏教から離れなさいな、と私はいって るのです。誰も仏教信仰を強制などしてないのだから。 つづく
219 :
神も仏も名無しさん :2013/12/24(火) 18:07:16.43 ID:HPvf4dxf
>>212 >三時業の時点で三世実有法体恒有なんだよ
『佛法は有部すぐれたり、そのなか、 祇律もとも根本なり。 祇律は、法顯はじめて荊棘をひらきて西天にいたり、
靈山にのぼれりしついでに將來するところなり。
★祖祖正傳しきたれる法、まさしく有部に相應せり。』(12巻本 正法眼蔵 供養諸仏より)
http://www.shomonji.or.jp/soroku/genzou.htm 理屈っぽい道元さんが説一切有部にシンパシーを持ち、三時業論→業縁起・宿業観を持ち、
有部の十二支縁起の胎生学的解釈、三世両重因果論に陥ったのは世親(ヴァスバンドゥ)のパクリでしょうか。
道元さん相応部35-23・70を全く無視してるやん、あかんなあw
それに、『祇律もとも根本なり』は明確な間違い。このあたり、道元さん?甘い。
「摩訶僧祇律」は説一切有部の戒律ではなく・大衆部(後の大乗仏教運動の担い手)で編纂された戒律だったはず。
『龍樹祖師曰く、佛果を求むるが如きは、一偈を讃歎し、一南謨を稱じ、一捻香を燒き、一華を奉獻せん、
是の如くの小行も、必ず作佛することを得ん。これひとり龍樹祖師菩薩の所 といふとも、歸命したてまつるべし。
★いかにいはんや大師釈迦牟尼佛説 を、龍樹祖師、正傳擧揚しましますところなり。
われらいま佛道の寶山にのぼり、佛道の寶海にいりて、さいはひにたからをとれる、もともよろこぶべし。
曠劫の供佛のちからなるべし。必得作佛うたがふべからず、決定せるものなり。釈迦牟尼佛の所説 、かくのごとし。』
こんなこと言いながら、
なんぼなんでもそのあとで『 正傳しきたれる法、まさしく有部に相應せり』はないやろw
まさか、道元さん、中論を読んでないとか・・・w
この供養諸仏の説法は、特に在家向けの「供養」名目のお布施クレクレ!のコマーシャル臭が強いですなw
このあたり、一歩間違えばカルト認定されますよw
これホンマに道元さん?
>>217 インキョを仲間にしようとか、そのような子供だましでどうするつもりだ
いつまでも子供だましカルトやってないでマトモにいきなさいな
221 :
219 :2013/12/24(火) 18:13:01.83 ID:HPvf4dxf
222 :
神も仏も名無しさん :2013/12/24(火) 18:28:05.25 ID:HPvf4dxf
>>218 >業報輪廻こそが道徳の根拠なのですから。
明確な妄想です。
たとえば、日本人には「業報輪廻」観念なんて一般的ではありません。
日本社会では共有されていません。
だから、業報輪廻など日本人の道徳観念の根拠ではありません。
道徳観念の基礎はその社会の<文化>に由来するものです。
文化とは、人間が社会生活を送る上で築く生活や行動の様式をいいます。
業報輪廻転生論は日本文化ではありません。
223 :
神も仏も名無しさん :2013/12/24(火) 18:34:55.68 ID:HPvf4dxf
クリスマスイブに業報輪廻なんて、アホかw
良い事をすれば死後天国に生まれ、悪い事をすれば死後地獄に堕ちる〜なんてのは 仏教に限らず世界中にある思想でしょう。どんなかたちであれ死んでも生まれ変われる のなら悪い事をやるだけやって逮捕されそうになったら自殺する〜という事もありうる、というか事実 ありましたよね。必ずしも輪廻転生が道徳的とは限らない例だと思います。 より良い来世のため現世でより良く生きましょう〜ならOKですが、生まれながらに不幸な状況にある人に お前の過去世の業によりそのような状況であるのだ等と言うのはNGです。つまり、このようなNGを 内包する思想が業報輪廻転生という事です。ひとつの信仰ではありませが、かなり劣悪低俗な信仰です。
225 :
神も仏も名無しさん :2013/12/24(火) 18:41:10.14 ID:hhVzg+H7
>>224 、おまんはパラメイラスの掟に逆らっている!!!!!!!!!
226 :
業報輪廻転生は中国マルクス主義 :2013/12/24(火) 19:29:33.36 ID:HPvf4dxf
■中国「輪廻転生廃止は許さない」■
チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世は昨年、後継者は自分が生きている間に指名するか、
いっそ選挙で選ぶことになるかもしれないと語った。
本来は死後にその生まれ変わりと認定された者が後継者となるべきところだが、
それを中国政府に選ばれてしまうのでは、チベット人の支持は得られないと懸念したからだ。
だが昨日ロイターが伝えたところによると、中国政府は例によってダライ・ラマの考えに猛反発している。
中国政府に任命されたチベット自治区のパドマ・チョリン主席は、ダライ・ラマに輪廻転生を廃止する権利はないと語り、
チベット対する中国の強硬姿勢を改めて鮮明にした。
「そんなことは許されない。不可能だと思う」と、北京で開会中の全国人民代表大会(全人代=国会)の傍らで彼は語った。
「われわれはチベット仏教の歴史的慣例と宗教儀式を尊重しなければならない」と、チベット人で元人民解放軍兵士のパドマ・チョリンは言う。
★「輪廻転生を失くすなど、人が決められることではない」
中国政府がチベットの宗教的伝統の将来を案じてくれるなんて、涙が出そうだ。
──ジョシュア・キーティング
[米国東部時間2011年03月07日(月)11時38分更新]
支那共産党は断固「業報輪廻転生論」を支持(指示?)するそうですw
http://www.newsweekjapan.jp/foreignpolicy/2011/03/post-238.php
227 :
神も仏も名無しさん :2013/12/24(火) 19:32:16.28 ID:WhhR/es+
228 :
神も仏も名無しさん :2013/12/24(火) 19:40:18.43 ID:WhhR/es+
多分よ? 好意的に見た個人的所感 道元さんの意思は75巻本の方で限界だと思われる 12巻本の方は弟子の見解だと思う 遭えての時は仏心宗と名乗りなさいの言い付けを破って「曹洞宗」だからそれ位もモノともしないだろう あと、永平寺が本山ってのは道元さんの意思・ご印可済みと見做せるけど 総持寺はどうなのよ?って話 丸で日蓮さんの「池上に何で本門寺があるの?俺言ったっけ?そんな事」的なw
229 :
神も仏も名無しさん :2013/12/24(火) 21:23:22.91 ID:OEUF20zl
原因のある良い結果と言うものはつまらないものだ、と釈尊は教える。 これから見ると、六道の天界の天人は、つまらない世界を良いと思っている人たちだということに なら無いか、なるのだ。 つまり天界の果報と言うものは、原因となる善行の結果であり、これは相対的存在に過ぎないということだ。 天人はだから、この果報をいつかは失い地獄に落ちるといわれているのである、釈尊により。 正法を修行するシャモン「?」は、このような天人であってはならないのだな。 天人の様に原因のある結果に安住していてはならないのだ。 それは決して独立して存在するもの、つまり実体として自存するものでは無いからだ。 正法を修行するシャモンは、自存する世界を求めなければならないのだ。
230 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/12/24(火) 21:57:53.38 ID:SA8FithY
>>207 >12巻本『正法眼蔵』第8「三時業」は在家やアホ弟子向けの特に【一切門】における叩き台です。
>>219 >理屈っぽい道元さんが説一切有部にシンパシーを持ち、三時業論→業縁起・宿業観を持ち、
>有部の十二支縁起の胎生学的解釈、三世両重因果論に陥ったのは世親(ヴァスバンドゥ)のパクリでしょうか。
>道元さん相応部35-23・70を全く無視してるやん、あかんなあw
やはり晩年の道元禅師は甘い(耄碌した、あかん)と言っておられる閻魔氏のようですね。
(オプション)
1)道元禅師は晩年耄碌した←閻魔氏の仮説
2)在家やアホ弟子向けの方便、誘引、叩き台だった←閻魔氏の仮説
3)将来に禅系で現れる断見派への警鐘だった←私の仮説
私の根拠は下記の強い説法を在家やアホ弟子向けにすれば、方便ではなく刷り込まれて彼らは生涯抜けられなくなるので
慈悲があればされないだろうと考えました。
また20代、30代、40代の著書にも「三時業」が説かれておりますので、12巻本が弟子の改竄であれば、他の著書も
疑う必要があるからです。
「正法眼蔵」十二巻本第八 ☆道元、晩年
善悪の報いには、次のどれかに当てはまる三つの決まりがある。これを三時という。
一つには、「順現報受」… 現世において報いがある場合。
二つには、「順次生受」… 来世において報いがある場合。
三つには、「順後次受」… 第三世において報いがある場合。
仏祖の道を修習(しゅじゅう)するには、其の最初よりこの三時の業報の理を効い験らむるなり、爾あらざれば多く錯りて邪見に堕つるなり。
但邪見に堕つるのみに非ず、悪道に堕ちて長時の苦を受く。当に知るべし。
以上、閻魔氏と私との議論は平行線ですので他の住人各位の見解、如理作意をお待ちしております。
お題は「道元禅師の三時業の真意は?」です。 合掌
231 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/12/24(火) 22:08:33.48 ID:SA8FithY
>>202 コレ悟り氏
>こっちのスレ先に成仏させてくれよ。
>キチガイの俺しか書き込みしてなくてさびしいんだけど。
貴方は時間があって書き込み速度が速く、貴重なスレを早く消費するので、もっとゆっくりと
考えてから書き込んで下さいと先日お願いしました。
また、あちらのスレは断見寄りの仲の良い方々のスレなので、使い切っては申し訳ないですよ。
それから、基地外の振りはもうしなくて良いのではないでしょうか。
貴方の書き込みは結構まともだと思いますので。 基地外だとの妄想かも知れませんし。
精神科の薬は副作用も強いので、あまり続けていると体の方がボロボロになるリスクがありますので
少しずつ減らしてはどうかと思います。
232 :
神も仏も名無しさん :2013/12/24(火) 22:57:11.12 ID:HPvf4dxf
>>230 やっぱり、予想通り引っかかりやがったw
心底、姑息なウンコ・カルト回虫だw
『平行線』?(
>>230 )←付け上がるな!!
お前がウソツキであることの事実指摘に、逃げ回っているだけではないか!
>1)道元禅師は晩年耄碌した←閻魔氏の仮説
これは、ウンコ回虫のインチキペンキ塗りだ!!
→★
>>207 以前のレスで★、お前が<更にインチキ・ペンキを塗らずに>そのまま具体的に『引用』指摘せよ!(
>>207 )
逃げ回らずに、キチンと解答せよ!
>>207 以前も以降も、在家やアホ弟子に★<大疑団を起こさせる公案>★として言及している。
『12巻本『正法眼蔵』第8「三時業」は在家やアホ弟子向けの特に【一切門】における叩き台です。*★←大疑団を起こさせる公案★←ワザとカットして引用(>>2301行目)
超克すべき一切外の見です。』 (
>>207 )
>>207 以降の12巻本への言及は、すべて正確な如理作意(中部15)によって、
大疑団→『超克すべき一切外の見』の具体的な★範例として★出している。
→
>>214 >>219 それをアホ回虫はいつもどおりの姑息な揚げ足取りをやったつもりになっている。
馬鹿は死んでも直らない(
>>210 )。
心底、根性が腐ったカルトだと言わねばならない。
お前のような汚らしい根性の奴はここから直ちに出て行くことを勧告する。
このスレの住人で、お前が最低だ!
コレ悟のほうが、遥かにマシであることはこのスレの住人の共通認識だろう。
233 :
神も仏も名無しさん :2013/12/24(火) 22:59:18.54 ID:HPvf4dxf
× ★←ワザとカットして引用(>>2301行目)
〇 ★←ワザとカットして引用(
>>230 行目)
234 :
神も仏も名無しさん :2013/12/24(火) 23:07:35.00 ID:HPvf4dxf
235 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/12/25(水) 00:14:57.31 ID:k9OmoFRl
>>232 >>1)道元禅師は晩年耄碌した←閻魔氏の仮説
>
>これは、ウンコ回虫のインチキペンキ塗りだ!!
調べてみますと、貴方のお友達が11月28日に証言されてますよ。
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
(仏教議論スレ69)
>>492 :パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/28(木) 11:13:37.25 ID:v5pxGlSH
(中略)
>それには諸説あるが、ひとつには以前、閻魔が言ってたように、「老いて駄馬に変じた」・・・
> というものw
>これも理由がないことではなく、(例えば、以前の道元では考えられなった
> ことだが、朝廷より紫依を賜った・・・などww) 明らかに死を目前にして
> そのスタンスが変じたように思われる種々の事跡がみとめられるw
237 :
神も仏も名無しさん :2013/12/25(水) 01:07:54.02 ID:BppXTuyA
>>234 自分は道元師の門弟には当たらないので直言としては入ってこない参照の徒なのだが
来世や来々世以降にも及んで今世の悪業も善業も影響を受くると教えるのは
今世に善業を推奨し悪行を起こさせない戒めとして有効だと理解できる
母親が幼子に「オバケが出て食べられちゃうからそっち行っちゃダメよ」と同義かと
ここでオバケの実在を考えてしまう者は愚かだと解る
来世や来々世まで善悪業の効果が及ぶのか及ばないのかを考えてしまうのも愚かだと理解できる
それらは釈尊の教える「手許の苦脳を克服して賢く生きる法」の主題に当たらない
238 :
神も仏も名無しさん :2013/12/25(水) 01:29:52.76 ID:BppXTuyA
大乗仏教では已今当説を言い三世を説くのに、何故説一切有部の三世実有法体恒有は邪義なのか? 詳しくは割愛するが、釈尊は真我は説かず無我を説き 魂の実在や無始無終の何かに付いては無記であった にも関わらず有部は三世の実有を釈明し、法体の無始無終なるを釈明した 故に邪義であると龍樹並びにその他大乗有志に破折され有部の歴史は終わらされたのである 当に知るべし、已今当は方便也、三世実有法体恒有は常見の邪儀であると。
239 :
神も仏も名無しさん :2013/12/25(水) 01:52:37.72 ID:BppXTuyA
母親が幼子を諭す時に「オバケが出て食べられちゃうからそっち行っちゃダメよ」と言ったとて 母はオバケの実在を説いた訳でもオバケに食われる事を心配した訳でもないのだ 主題は、母が自分の監視外に出て危険に晒される事を心配している訳で 子供は兎角動き回る性分であり、監視内ですら転んで泣くのが常である 幼子に環境の危険性や行動の危険度等を説いたところで理解できる訳も無い 例え理解に及んでも弁えられる訳も無い事は母が十分承知しているのだ 仏が三世の業報を説いたのはそう言う事だ 大事なのは今世に善業を推奨する、悪業を成させない それが今世を結果的により良く賢く生きられる事になるから 三世の業報を仏は方便されたのだと知るべきが肝要 全ては今世に智慧の完成を成す為の所業なのである 真光は頭に手をかざしてれば良い 神智学宝珠は火の始末に追われてれば良い 幸あれ
240 :
神も仏も名無しさん :2013/12/25(水) 02:43:21.69 ID:BppXTuyA
大悟が欲しくば出家すれば良い、得るか得らざるかは己次第だ しかし、小悟は常である、日常の常日ごろ毎日瞬間瞬間が禅門の徒に非ずとも 「作麼生」「説破」の禅問答の毎日でなのある 大は小を兼ねるが、小を等閑にして大は成し得ない 故に、伝法は比丘比丘尼の方にお任せし、我ら優婆塞優婆夷は 毎日法楽を嗜み小悟を積む事で釈尊の意に沿うのである 煩悩を克服して賢く生きる法は有為涅槃は必要とせずとも 智慧の完成に至れるのは釈尊のお墨付きであるから ご遺言に基き自灯明法灯明にて法楽し小悟を楽しむのである
はい
242 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/12/25(水) 07:27:15.64 ID:k9OmoFRl
>>235 続き
(仏教議論スレ74)
>>852 :2/2道元禅の崩壊 序曲:2013/10/05(土) 22:44:37.09 ID:4ABDRwbi
(続)
しかし、ブッダも出来の悪い弟子に手を焼かれたように(中部107)、
道元にも『在世の比丘必ずしも皆勝れたるにあらず。不可思議に希有(けう)に浅間しき心根、下根なるもあり』(『正法眼蔵随聞記』)。
▼“坐れば仏、善も悪もない”というアホ弟子のアホ悟りの邪見が続出したのだ。
完全な因果撥無である。これでは仏法そのものが崩壊してしまう。
だから道元は曲げて<三時業>をアホども書かねばならなかったのだ。
道元禅師の失望・落胆、導師としての切なさ、慙愧の至りは察して余りある。
「仏法参学には第一因果を明らむる也」(深信因果)との苦渋の宣言のなかに、
二十年以上仏法の何たるか、坐禅のなんたるかを説き尽くしてきた道元禅の真髄が、
崩壊してゆくのを見とどけざるを得ない、
まさに一切業無常のブッダの法だったのである。
我々は壮年の道元という駿馬の嘶きだけを聴けばいいのである。
243 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/12/25(水) 07:33:24.12 ID:k9OmoFRl
>>235 誤(仏教議論スレ69)
>>492 :パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/28(木) 11:13:37.25 ID:v5pxGlSH
正(仏教議論スレ79)
>>492 :パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/28(木) 11:13:37.25 ID:v5pxGlSH
244 :
神も仏も名無しさん :2013/12/25(水) 07:46:58.34 ID:BFlUHvWS
マヒカリは仏法なぞつまみ食いせず 手かざしをテメエの安い頭に施してりゃ良いんだよ
245 :
神も仏も名無しさん :2013/12/25(水) 07:56:25.99 ID:BFlUHvWS
>>242 >>243 なあ一在家よ、お前の頭に手かざししてみて、マヒカリと仏法の整合性はまだ悟れないのか?
自分の頭に手かざししても如理作為は得られないのか?
効果有ったのか無かったのか、どっちなんだよ
246 :
神も仏も名無しさん :2013/12/25(水) 10:40:31.59 ID:Z75Vho1Y
>>199 >>242 (アホ在家)
朝のルーチンが終わってここを覗くと、『希有(けう)に浅間しき心根、下根なる』ウンコ回虫の戯言が記してあって、胸糞悪い。
アホ在家には、優れた先達者へのまなざしの深さと苦闘への共感の視点がまるでない。
人格的・人間的に欠陥があるのだ。
すべてを賭けて苦闘された先達を、自らのオカルト・カルトのためにつまみ食いするだけだ。
だから、こんなくだらない腐った女の根性のような浅薄ネタで絡んでくる。ヘドが出る。
>(文3)>前言の「道元は晩年耄碌した」の続きは「若い頃の道元はアホ弟子だった」ですか? (
>>199 )
上記は、俺に対する“でっち上げ”侮辱の書き込みだ。
上記がお前の卑劣な妄想でっち上げではないというのなら
上記2文言を俺のレスを@レス番を明示してA直接『引用』して証明することを要求する。
だれが、他者のレスでもいいと言ったのか?
★いつどこで「道元は耄碌した」だの「道元はアホ」だのと非難したか、レス番特定と直接引用で明示せよ。
スグやれ!
もちろん、俺は読み返して、改めて自分ながら極めて的確に道元さんを把握していることを確認している。
共感を持って道元さんと対話していることに満足している。
一元半句変更する必要を認めていない。
247 :
神も仏も名無しさん :2013/12/25(水) 10:58:04.98 ID:Z75Vho1Y
>>242 の箇所について議論スレ74の
>>775 ではこう書いている。
『ホントに姑息な我田引水の浅薄外道だ。
人間観察がなさ過ぎる。
道元禅師も人間であって、外道が妄想するような神ではない。
★晩年にいたっての道元禅師の切ない心情を想い測れないようでは豚にも劣る。
壮年駿馬も、老いては並馬のような迷いも有りうる。
道元禅師も<筏>のひとつ。
我々は駿馬の嘶(いなな)きを聴けばいいのである。』
上記のどこが、「道元は耄碌した」(
>>199 )という非難になるのだ?
アホ在家のでっち上げペンキ屋作業ではないか!
>>120-122 ハハッ(笑)
必死ですねぇ!!
>宝珠のアホ解説に縁れば、幽霊は実在するらしいw
>オバケ屋敷の営業妨害だ!
当たり前の常識です-そんなモンは。
仏教は経験主義だという。この私も自己の体験によって幽霊の実在を明確に保証します。
>>209-210 >在家ウンコ回虫
自称、悟りを開いた禅者たちが発するこれらの醜い言葉使いを見れば、
その意識の状態が誰の目にも一目瞭然で明らかですよね!!
その高次元の意識の様が・・・。
下品だから辞めた方がいいと思うな。
>>52 >業報単体の説明に三世は絡まず
まっ、そういう屁理屈というのは、
ご隠居の「アートマン」の本来の原義は「息」(呼吸)に過ぎず、
霊魂などという意味合いはないとして頑迷に熱弁を奮っていたのと同レベルです。
こういうのは言葉や用語が、実際、どういう意味合いでどのように使われるものであるかを全く無視した愚論ですから。
今生内での行為と結果の話などは誰しも認める当たり前のことに過ぎない。
そうではなくて、業報を問題にする場合というのは三世に跨る時空間での作用のことをいってる。
それを認めない見解が六師外道には入っているわけですよ。
当然、ゴータマが説いたものは三世に跨る業報なのですから
>>200 これもご隠居レベルです。
原始経典を勉強していたのがオウムだから、原始仏教はカルト宗教だという論理。
こんなもの、包丁で殺人が起きたから包丁が悪いといってるのと同じ次元ですから。
正しい理解とは、それは単に使い方の問題ということであって、
それを使う人間の如何にすべてが掛かっているのだ、ということ。
>>222 >だから、業報輪廻など日本人の道徳観念の根拠ではありません。
>業報輪廻転生論は日本文化ではありません。
私は、そういうことをいってるのではないから。
一般に説かれる道徳なるものには根拠がない、といってるのです。
単に可哀想とか、自分が嫌なことは相手にもするなという程度のものであって、
すべて、ただの感情論に過ぎない。
これでは、自分がされるのは嫌だが相手にはする(自分は痛くも痒くもないから)、
という邪悪な主張を制することができない。
しかし、本当の道徳の根拠は業報輪廻にある、とするのが仏教の立場ですよ。
明確な説明理由がそこにはある。そして、それは一般社会の説く道徳などを遥かに超えたものです。
251 :
コレ悟りかよ!?w :2013/12/25(水) 11:58:11.74 ID:FuHcvfc6
>>248 >>仏教は経験主義だという。この私も自己の体験によって幽霊の実在を明確に保証します。
いよ!いいぞ。俺も幽霊は「有り」だと思っている。
見たことないけど。
まあ、あっちのスレを荒らしつくしたら、こっちのスレに殴りこんで幽霊の実在を証明してやる。
「幽霊」もアリなら「手かざし」もアリだ。
宝珠@神智学徒は頑張ってくれ。応援してるぜ〜
生身の人間が空も飛べて水中で肺呼吸無しに生きることも出来て、飲食せずとも 空気中からエネルギーを取って生きれて、1万年生き続けることも出来る〜と大真面目に 信じて疑わないんだから幽霊くらい有って当たり前でしょうなw オカルトは全て論外。論ずる価値のあるのは神秘主義まで。
1/2 平均的な仏教者というのは霊的知識にあまりにも無知であり、平気で「幽霊なんかいない。仏教では説かれていない」などと したり顔でいうのです。つい最近も自分の信奉する総本山の僧侶と電話窓口で対話してたら、相手がこのタイプでしたね(苦笑)。 まっ、可哀想だから今回はスルーしておいたけど。 本当は、仏典を開けばゴータマが死者と会話を交わすシーンもあるし、餓鬼存在の一部などは幽霊にも該当するものといえる でしょう。スッタニパータでは、『非物質的領域に住む諸々の生存者』(Sn.754)がいることをハッキリと述べている。 私の体験では姿までは見れなかったけれど、足音と息遣い、ポルターガイスト現象(物品移動)を確認できた。その心霊存在は 1カ月間もの間、週に数回の頻度にてやってきてくれた。 他にも、虫の知らせ現象ならば何度でもある。知人の死去した同時間(深夜未明)にドアノブをガチャガチャする音、飼い猫に 付けていた鈴の音が死後当日に自宅周辺をいつものように歩く音がハッキリと鳴った、などなど・・・。そして、まだまだ体験は いろいろと持っている。 こんなもの不思議でもないでもない。当たり前の常識だ!私は、時には日常でも平気で心霊話にも参加したりするけれど、「そん なものがあるわけがない(非科学的だ!)」などという典型的な唯物主義者と接したことなど、この20年来は一人もいない。それを 思うと余程、このスレの住人たちは意識レベルが一般よりも遅れてるのだと思う。
2/2
神通でもそうだけれども・・・ブラヴァツキーは実にいい名言を放っていますからね!
『<原子は弾力があって分割することができ、亜原子で構成されている。・・・オカルティズムの全科学は物質の幻影的性質と原子
の無限の分割性の理論の上に築かれている・・・>』と。
ブラヴァツキーは、数限りない超自然現象を行いながら、「奇跡というのは、ない。すべては宇宙の霊的法則に拠っている」と生
涯においていい続けた。
量子論が発達して、人間の思念が素粒子に影響を与えることができると実験でも確認されている時代だというのに・・・。あの
大槻教授もTV番組でそのことはハッキリ認めた(宝珠はリアルでそれを視た)。
>>251 とにかく荒らしは辞めて下さい!
あと、単に結論の“断言を連呼”するのではなくて、その理由説明を分かり易く解説お願いしますね
255 :
神も仏も名無しさん :2013/12/25(水) 13:30:34.01 ID:zRtZ/t4J
うけるww 宝珠自体が荒らしじゃないかw神智学ヒンズーかぶれ断言が良くいうなあw
256 :
神も仏も名無しさん :2013/12/25(水) 14:25:38.69 ID:R8emXHmO
コレサト坊っちゃん! こんなとこで遊んではいけません! しかーし宝珠や前世在家の言動は面白いな 『意識レベル』だの『魂の向上』だのよく言うが、 こういう発想がどこから出るかと言えば『他人より凄い存在になりたい』って欲なんだよ でオカルターやカルトのタチ悪いのは『他人より凄い存在になりたい』を不思議な力で叶えようとするんだよ でそういうオカルターやカルターの欲をうまく煽って金を吸い上げる存在もいる 救われない話だ
257 :
神も仏も名無しさん :2013/12/25(水) 15:47:29.59 ID:Z75Vho1Y
>>250 (オカルト宝珠)
こいつ、ホントに社会人なのかw
>一般に説かれる道徳なるものには根拠がない
>ただの感情論に過ぎない。
アホかw
道徳とは人間が社会生活を営む上でのグラデーションを伴った善悪相対対象化判断だから、
当然「世俗諦」として強行性を帯びた社会規範であり感情論などではない。明確な根拠がある。
具体的には法律→裁判で具体化され、<膨大な判例の積み重ね(判例集)>として規範化されている。
世俗諦の具体的根拠は日本国憲法第13条にある。
『すべて国民は、個人として尊重される。
生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。』
たとえば、代表的には
・民法第1条U項(信義誠実の原則)、弟90条(公の秩序 善良の風俗)など
・刑法では形式的な行政法規違反を除くいわゆる自然犯といわれるものだ。
何らかの<社会的文化規範>を背景とするものであって、
▼業報輪廻転生論などという妄想の裏打ちのある法律など嘗て一つもない。
>一般社会の説く道徳などを遥かに超えたもの
こんなものは検証不能の単なる妄想でしかない。
全く実効性がない。
裁判所で、契約の公序違反による有効性を問う裁判があった場合、業報輪廻転生論を持ち出したら、
完全に馬鹿にされたうえで、「原告独自の宗教的見解に過ぎず、訴えを却下する」と敗訴確実だw
また、刑法でもいわゆる不能犯論(たとえば丑の刻参り)や宗教的信念による傷害罪(狐つき撲殺事件など)など、
膨大な判例の積み重ねがある。
258 :
神も仏も名無しさん :2013/12/25(水) 15:49:23.70 ID:YwOVwgpI
259 :
神も仏も名無しさん :2013/12/25(水) 16:08:39.22 ID:mU+2wC3N
260 :
神も仏も名無しさん :2013/12/25(水) 16:15:28.39 ID:Z75Vho1Y
どこかとはいいませんが、どこかのアホ国家と違って、 世俗諦の文化レベルの高さはいわれなくとも自然に実行している<民度>としてでて来る。 いわれても盗まれた仏像を返さない文化民度の国家国民があります。 売春帝国主義を誇りとする文化民度の国民国家があります。 国民に普通選挙権を保障せず、権力掌握以来数千万人を殺してきた文化民度の国民国家があります。 いままで相手のものと認めていたのに、海底油田が出かもとわかったら、俺のもの!と言い出す文化民度の国家があります。
261 :
神も仏も名無しさん :2013/12/25(水) 16:25:29.92 ID:Z75Vho1Y
>>260 はオカルト宝珠にいわせると、
<集団的業報輪廻転生論>によって「説明」されるのでしょうw
なんらの検証・根拠も提出できない妄想だという自覚をもてないのに、
他人に脅迫めいた言辞を出すのは、裁判では敗訴、一般ではキチガイ扱いもやむを得ませんw
少なくとも、日本人の共同幻想には業報輪廻転生論はありません。
あるとしたらアニミズムによる精霊・昇天思想でしょう。
これも誰も確認した人はいません。だって誰も死なないのですから。
これが日本的世俗諦です。
262 :
幽霊の実在証明ができるそうです! :2013/12/25(水) 16:40:31.30 ID:Z75Vho1Y
>>248 >私も自己の体験によって幽霊の実在を明確に保証します。
必要なのはお前のまったく信用できない「保証」などではなく、
菩提心凡夫の六処による現生的なる仏法であることの「経験的検証」だ(相応部35-23・70)。
その基準は何度も記してきた。
すぐ幽霊の実在検証をやれ!
『幽霊の実在を明確に保証します』とタンカをきった以上、
もう逃げられないぞ。
お前は銭湯「宝珠湯」だよな。
ゆう(湯)ばっかりだw
263 :
神も仏も名無しさん :2013/12/25(水) 16:41:45.27 ID:mK+tMPS2
全ては坐って見れば解る、確実に。 但し仏教に限る。 真我の有無を如実知見出来た法は釈尊の知り得た仏法しか無いのだから、 それに倣うのが一番近道。
264 :
神も仏も名無しさん :2013/12/25(水) 16:48:11.49 ID:mK+tMPS2
経行は或る意味毘鉢舎那行
265 :
ウンコ回虫・干からびたウンコ :2013/12/25(水) 17:20:31.72 ID:Z75Vho1Y
>>248 >>在家ウンコ回虫
>自称、悟りを開いた禅者たちが発するこれらの醜い言葉使いを見れば、
>その意識の状態が誰の目にも一目瞭然で明らかですよね!!
>その高次元の意識の様が・・・。
「上堂。云く、赤肉団(しゃくにくだん)上に一無位の真人有って、常に汝等諸人の面門より出入す。未だ証拠せざる者は看よ看よ。
時に僧あり、出て問う、如何なるか是れ無位の真人。師禅床を下がって把住して云く、道(い)え道え。その僧擬議す。
師托開して、無位の真人是れ什麼(なん)の乾屎ケツ(かんしけつ)ぞ、と云って便ち方丈に帰る。」(臨済録より)
臨済は「赤肉団上に一無位の真人」を乾屎ケツ(かんしけつ)=干からびたウンコだといっているw
ん〜〜〜〜、ウンコ回虫と干からびたウンコでは、俺も臨済とセンスの良さを競うなあw
一無位の真人とは、真我でも、アートマンでも、プルシャでも、アンパンマンでも、大日如来でも、阿弥陀如来でも、
ドラえもんでも、釈迦如来でも、菩薩如来でもなんでもええんですw
ウンコ回虫、干からびたウンコを後生大事にする人はいません。
全く執着なく捨てます。
だから、真我でも、アートマンでも、プルシャでも、アンパンマンでも、大日如来でも、阿弥陀如来でも、
ドラえもんでも、釈迦如来でも、菩薩如来でも、ウンコ回虫、干からびたウンコとして
<★捨てろ!★>と臨済はいっています。
まったく、凄い説法ですなね!
266 :
神も仏も名無しさん :2013/12/25(水) 17:25:21.03 ID:zRtZ/t4J
265も、全部すてろよw
267 :
神も仏も名無しさん :2013/12/25(水) 17:37:16.64 ID:QaM0SQOw
>>265 仏道を学ぶとは、自己を学ぶことです。自己を学ぶには、自己を忘れることです。
自己を忘れれば、すべての存在によって自己が明らかになるのです。
すべての存在によって自己が明らかになれば、自己の身心と他者の身心という見が脱落するのです。
更にその悟りの自覚を忘れるのです。悟りを忘れて日々に務めていくのです。
先ず、その三毒を封じ、全てを忘れましょう
268 :
神も仏も名無しさん :2013/12/25(水) 17:52:27.27 ID:QaM0SQOw
嘗て波木井坊竜尊@日蓮宗葵講と言うバカでアホでホモで「訴えてやるぅ」や「生活安全課に通報済み」が
口癖だったものが居ました
>>265 の文体が良く似てたりします
269 :
神も仏も名無しさん :2013/12/25(水) 18:46:15.00 ID:zRtZ/t4J
267ジャスト・ミートです。
270 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/12/25(水) 20:40:30.43 ID:k9OmoFRl
>>246 >★いつどこで「道元は耄碌した」だの「道元はアホ」だのと非難したか、レス番特定と直接引用で明示せよ。
(仏教議論スレ74)
>>852 :2/2道元禅の崩壊 序曲:2013/10/05(土) 22:44:37.09 ID:4ABDRwbi
(前略)
だから道元は曲げて<三時業>をアホども書かねばならなかったのだ。
道元禅師の失望・落胆、導師としての切なさ、慙愧の至りは察して余りある。
「仏法参学には第一因果を明らむる也」(深信因果)との苦渋の宣言のなかに、
二十年以上仏法の何たるか、坐禅のなんたるかを説き尽くしてきた道元禅の真髄が、
崩壊してゆくのを見とどけざるを得ない、
まさに一切業無常のブッダの法だったのである。
我々は壮年の道元という駿馬の嘶きだけを聴けばいいのである。
(仏教議論スレ79)
>>492 :パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/28(木) 11:13:37.25 ID:v5pxGlSH
(中略)
>それには諸説あるが、ひとつには以前、閻魔が言ってたように、「老いて駄馬に変じた」・・・というものw
>これも理由がないことではなく、(例えば、以前の道元では考えられなった
10月5日の閻魔氏のかきこが縁で、私の解釈と、パーピマン氏の11月28日の解釈が起こったということです。
以上、回答にてあまり三毒(2番目)を積まれませんように。
271 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/12/25(水) 20:41:46.55 ID:k9OmoFRl
>>270 続き
(並行スレ 81より)
>>169 2013/12/19(木) 15:49:51.80 ID:JzL3iZw6
>結論として、12巻本『正法眼蔵』第8「三時業」の業報論に染まっておられるお方には、水野氏の視点がいいと思います。
『★しかしこれは前述のように、仏教にとってはあくまでも初歩的な通俗説であって、極めて低い教えにすぎず、*←12巻本
★業報説からさらに進んで仏教独自の四諦や縁起の説に向かうべきものである。*←75巻本』(
>>141 )
>12巻本『正法眼蔵』第8「三時業」は在家やアホ弟子向けの特に【一切門】における叩き台です。
超克すべき一切外の見です。
>>147 一在家
「宝慶記」☆道元、20代
仏法、若し長沙の道の如くんば、何ぞ諸仏の出世・祖師の西来有らんや。
堂頭和尚老師大禅師示して曰く『長沙の道、終に不是なり。長沙、未だ三時業を明らめざるなり』と。
閻魔氏:道元は在家やアホ弟子に「三時業」を説いた。
一在家:堂頭和尚老師大禅師は20代の道元に「三時業」を説いた。
一在家:
>>126 あれー、自称「なんちゃって門」透過者の方ですか、道元禅師をアホ弟子扱いした。(簡単な三段論法)
アホ、馬鹿、基地外、ウ○コ回虫と罵倒した相手に議論を続けたり、質問したりするのも三毒(3番目)と思料します。
以上、貴僧とは平行線ですので止論(以降無記)と致します。
なお他の住人の「道元禅師が三時業を説いた真意?」への書き込みはお待ちします。
272 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/12/25(水) 21:03:18.58 ID:k9OmoFRl
>>245 >なあ一在家よ、お前の頭に手かざししてみて、マヒカリと仏法の整合性はまだ悟れないのか?
>自分の頭に手かざししても如理作為は得られないのか?
>効果有ったのか無かったのか、どっちなんだよ
自身の額への手かざしは禁じられておりますので、してはおりません。
尚、整合性の件は、原始仏教(スッタニパータ、ディーガニカーヤ)と法華経(方便品、如来寿量品)と
大智度論とは通じるところがあることは数年前に個人的に確認できておりますので、仏教議論板に参りました
当初の目標は涅槃入りしております。
それならば、本スレからすぐに解脱するべきでしょう。
最近は人も世界も輪廻するのであれば、末法の世も正法の世に輪廻する道があるのではないかと仮設して
住人各位との対話を通じながら如理作意(考察)しております。
正法の世→像法の世→逆法の世へ移行した諸原因を一つ一つ順観し、逆観にて逆法の世→正法の世へ変化する道です。
もちろん仏教界内部でも心ある僧侶、学者や関係者が同じような動きをしているようにも観じられます。
「岡目八目」という諺がありますが、異教の私も皆様とは違った視点で「正法の世」を念じております。
273 :
神も仏も名無しさん :2013/12/25(水) 21:05:28.12 ID:+zUvi/8R
>>262 これは幽霊かどうか判らないが、でもこう言うのを一般的に幽霊と言うんじゃない?
俺が一人で部屋に寝てると、かなり大きな風が部屋中に渦を巻いてきて、
その渦が、俺に「こんなところで一人で寝ていておもしろいか?」と訊くんだ。
俺は力を振り絞って、「お前は誰だ?」と訊いた。その時目が覚めた。しかし、目が覚めたという漢字ではなかった。
俺は恐ろしくなって、すぐに母親の部屋に布団を持って移動し、そこで寝ることにした。
そして母親に、「今がたし、俺の眠っているところに来て、こんなところに一人で寝ていておもしろいか?と訊いたか」、と
訊いた。母親はそんなことはしていない、と言った。俺は夜が明けるまで、
体中から冷や汗を流して眠らないで震えていた。
どうもこの幽霊は自分かもしれないとも、思う。
いずれにしろ、眠っているときの、風の様子、その問いかけ、こちらの問い、などは、
現実のもの特別出来ない、。とすると睡眠中のものも、色形、識は差別なく
認めなければならないと思う。
又これは幽霊ではないが、ニュージーランド地震のときのことだ。
よる布団に入っていると、昔お会いしその後御無沙汰していたニュージーランド人が、
なぜかその時期に思い出され、その友が必死に何かを訴えるのだ。
何を言っているのか判らないが、とにかく必死に訴えていることはわかるのだ。
翌朝、ニュージランドで地震が起きたのだ。
この場合もニュージランド人ではなく、自分であったのかもしれない。
誰か分析しこのシンピを解き明かしてくれる人がいれば良い。
274 :
神も仏も名無しさん :2013/12/25(水) 23:02:26.89 ID:Z75Vho1Y
>>271 (ウンコ回虫)
却下!
>(文3)>前言の「道元は晩年耄碌した」の続きは「若い頃の道元はアホ弟子だった」ですか? (
>>199 )
上記2文言を@★俺のレスをA★レス番を明示してB★直接『引用』して証明することを要求する。 (
>>246 )
結局、カルト回虫には<至誠>がない。
パーピマンやお前がどう誤解しようと問題ではない。
俺がどう書いているか「道元は晩年耄碌した」、「若い頃の道元はアホ弟子だった」←これはお前の無至誠根性による曲解でしかない。
★W俺の書いた”「道元は晩年耄碌した」、「若い頃の道元はアホ弟子だった」という文章を、“レス番特定”のうえ、“直接引用”しろ★、といっている。
お前のやっていることは、薄汚い誤魔化し、ダマシ、言い逃れ、責任回避、というカルト・マヒカリのいつもの手法だ。
『アホ、馬鹿、基地外、ウ○コ回虫と罵倒』するのは、意図的な曲解の連続!によって逃げ回るインチキ・カルトのいつもの姿を浮き彫りにするためだ。
★W俺の書いた”「道元は晩年耄碌した」、「若い頃の道元はアホ弟子だった」という文章を、“レス番特定”のうえ、“直接引用”しろ★
275 :
神も仏も名無しさん :2013/12/25(水) 23:23:43.61 ID:Z75Vho1Y
>>267 >先ず、その三毒を封じ、全てを忘れましょう
道元禅師に基ずくご教示ご教示、恐れ入ります。拝受いたしました。
12巻本「深信因果」冒頭の「百丈野狐」(無門関2)の道元の解釈(
>>214 )への批判的見解(けんげ)で返答に変えさせていただきます。
仏法のゲシュタルト(相対対象化思考「想い」からの離脱:Sn.1072)から還滅すれば 不落因果、不昧因果に意味はない。
意味がないなら違いもない、価値・実体もない。 *⇔道元『深信因果』
言葉だけが仮設されている。 *非因非果(不落因果):勝義 即因即果(不昧因果)還滅 のともに般若智を透過している。
己は因果そのままであるからこそ、無意味な原因と結果、因果の有、すべては因果の流れなのである。 *因・果ということばだけである。
野狐にも身を堕すし、黄檗のように横面を引っ叩く。
決して大修行したからとて因果から離れるわけではない。 あるがまま(縁起の直接現実)なのだ。
言葉を発したら即離れてしまう。←黄檗
不昧因果も不落因果も、因果そのままであるから因果を昧(くらま)しえないし、因果に落ちることもありえない。
<野狐>と解釈し、脱することを願う、そのこと自体が因果に固執する姿だ。
逆に、真に<不落因果=不昧因果>←無意味と体得・悟達できているならば、野狐の身そのままで意に介さないであろう。
そんなことは意に介さずして、そのままで脱然として、自由気儘に生きればいいのである。
さらに逆に言えば、神がいようがいまいが、業報輪廻転生や回向があろうがなかろうが、仏・如来がいようがいまいが、
そのようなものは一向に意に介さない、どーでもいいのである。
意に介さずしてそのままで脱然として、自由気儘に存在するだろう。還滅された慶安な様相だ
すべては意味はない。 仏教というものもない。
遂には、仏法というものもないのである。 *仏法のゲシュタルトの崩壊だ。
敢えて仮設せんとすれば、その縁において、いかなる遊びをせんとするや、ただそれだけのことである。
★縁起のまにまに、遊びをせんとやうまれけん★
276 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/12/25(水) 23:27:09.05 ID:k9OmoFRl
>>274 閻魔氏
>★W俺の書いた”「道元は晩年耄碌した」、「若い頃の道元はアホ弟子だった」という文章を、“レス番特定”のうえ、“直接引用”しろ★
>>270 >>271 を読んでも分かりませんでしたか。
「道元は晩年耄碌した」は貴方のかきこ【(仏教議論スレ74)
>>852 :2/2道元禅の崩壊 序曲:2013/10/05(土) 22:44】への私の解釈ですとはっきり申しました。
「若い頃の道元はアホ弟子だった」は貴方のかきこ【
>>169 2013/12/19(木) 15:49】への私の三段論法ですとはっきり申しました。
いづれも貴方のかきこの直接のコピーではなく、貴方のかきこが縁で生じた私の解釈であり、既に「ペンキ」と指摘されております。
★W貴方の書いた”「ウンコ回虫」という文章を、“レス番特定”のうえ、“カウント”しろ★と言っても仕方がないから止めておきます。
やはり止論(以降無記)です。
277 :
神も仏も名無しさん :2013/12/25(水) 23:33:29.04 ID:Z75Vho1Y
>>276 明確に間違いだとわざわざ指摘し、
道元さんと真摯に対話しようとする俺に対する侮辱だといっている。
誤解であったと謝罪するのが当然だろう。
もういい、しょせんお前はその程度のカルトだ。
278 :
神も仏も名無しさん :2013/12/25(水) 23:34:53.88 ID:k9OmoFRl
一在家ががいようがいまいが、そのようなものは一向に意に介さない、どーでもいいのである。 ↑なるほど、分かり易いです。
>>277 今回は、的確な“意訳”になってると思うぞw
ワシも、君の道元観は 「晩年耄碌、青年未熟」 だと読んでたが?w
280 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/12/25(水) 23:42:33.27 ID:k9OmoFRl
>>277 >誤解であったと謝罪するのが当然だろう。
私の解釈と三段論法が誤解であり、貴僧に三毒を積ませましたことを深くお詫び申し上げます。
m(__)m
281 :
神も仏も名無しさん :2013/12/26(木) 00:16:59.45 ID:+FAQgTyM
>>272 >自身の額への手かざしは禁じられておりますので、してはおりません
マインドコントロール以外の何ものでもないインチキの証拠だね
そんなのは御み霊持ってる神組み手の常套句
282 :
神も仏も名無しさん :2013/12/26(木) 00:21:15.53 ID:+FAQgTyM
>>272 如理作意とは理に適った考えでなければならず、得られた答えから疑念が生じるのは如理作意には当たらない
そして、真光に染まったカルトな思考に理に適った教えからの如理作意など不可能である
神組み手のものは真我や恒常的な力を信じているため、仏教思想にある無や無我が理解できない
よって如理作意は不可能なのである
つまみ食いは止めてくれ
法が腐る
283 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/12/26(木) 00:40:22.41 ID:cQ5l7iVa
>>282 >神組み手のものは真我や恒常的な力を信じているため、仏教思想にある無や無我が理解できない
>よって如理作意は不可能なのである
>>272 :前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/12/25(水) 21:03:18.58 ID:k9OmoFRl
>正法の世→像法の世→逆法の世へ移行した諸原因を一つ一つ順観し、逆観にて逆法の世→正法の世へ変化する道です。
上記の諸原因の一つが、「無我」だと仮設しております。
「アナッタン、非我」を中国僧が「無我」と訳したという縁です。
ここから「釈尊は無我を説いた。無我と輪廻は矛盾する。よって輪廻は方便である。」という三段論法に陥ります。
別の諸原因の一つが、「龍樹の中論」です。
より正確に言いますと「龍樹が想定した読者以外が中論を読んだ場合の邪見」という仮設です。
他の諸原因として仏典結集時の追加や、説一切有部の付加、等々を想定しておりますが勉強不足で二合目辺りかも。
>法が腐る
末法という意味ですか。
284 :
神も仏も名無しさん :2013/12/26(木) 01:12:18.74 ID:dS2MFuAV
>>283 順逆の二観を覚えてまた我流に改ざんし腐ってんのか
全く姑息だなお前は
テメーの頭に手かざし出来ない理由はなんだよ、答えろ
それと、無我と非我は結局同じ事だよ
「我というものは無い」なのか「我に非ず」かの言葉上の違いなだけだ
我に非ずを全ての事象に照らしていくと、最後は我は無いにたどり着く
それだけの事だ
真光の腐った頭じゃこんな事も如理作意出来ないだけ
285 :
神も仏も名無しさん :2013/12/26(木) 01:17:48.56 ID:dS2MFuAV
>>283 お前の来世は「ペットボトル」決定な
何度も何度も再利用されて、人類に使われる限り次回の転生も許されない
自然に放棄されても数億年とかの自然寿命を有す無機物のプラスチック
良かったなw
ほぼ永遠の寿命じゃないかw
>>284 >我に非ずを全ての事象に照らしていくと、最後は我は無いにたどり着く
まるっと同意。
が、在家だけでなくカラスや宝珠も猛反対するだろうなw
287 :
神も仏も名無しさん :2013/12/26(木) 01:24:16.53 ID:dS2MFuAV
>>286 >在家だけでなくカラスや宝珠も猛反対
外道の上に法盗人が何をか言わんかや、である
288 :
神も仏も名無しさん :2013/12/26(木) 01:28:03.05 ID:dS2MFuAV
スゲーw 法盗人でググると創価系記事がヒットしまくる あいつらも大好きな単語だったんだなw
しかし、面白い相関図だよなぁ・・w 我(真我)及び「生命」ありで、宝珠・在家・カラス・隠居が仲間 無我で、閻魔・パーピ・一代その他及び伝統が仲間 輪廻(業報)肯定で、宝珠・在家・カラス・一代その他・及び現存伝統が仲間 輪廻(業報)否定で、閻魔・隠居・パーピ・紐無記が仲間 みんな、仲間になったり敵になったり忙しいなw
290 :
神も仏も名無しさん :2013/12/26(木) 01:49:12.20 ID:dS2MFuAV
否定派とか言われてるのは実は否定してない奴も居るだろ 輪廻を肯定しなければそれは否定と同義と考えるのはミスリードになるし 逆も真なり 釈尊がどの視点を一大事として見て教説を展開されたのかが理解できてないと いつまでも堂々巡りだろうなw
291 :
神も仏も名無しさん :2013/12/26(木) 02:12:07.61 ID:dS2MFuAV
あなたの今のその不平を言う境遇は前世の悪業に因るものかも知れませんよ だから、その悪報に悩まされてると知る(思う)ならば、今こそ善業を積んで行くことが肝要です と釈尊は教えられたかもしれない また、あなたの今行っている行為(悪業)は、来世に悪報となって受けるかも知れません だから、今のその悪業をすぐに止めて、善業を積んで来世安穏を願いないさい とも教えられたかも知れない ここで注目すべきなのは、前世の事でも来世の事でもなく、釈尊が言われてるのは今世の行為の話と言う事 今世の行為から悪を防ぎ、善を行えと教示されているのがこう言う教えの肝要骨目なのであり 愚痴の者はここから、前世の証明や来世の証明を知りたがる まるで、母親が幼子に 「そっちは暗いしオバケが出て食べられちゃうから行っちゃダメよ」 と危険回避を促す母親の言葉からオバケの実在性を検証し始める幼子の如し となる 宝珠や一在家などのアホにはこれが全く理解できない、若しくは理解したくないのだろう(邪義を信じる為) 釈尊は超能力者ではなくマジシャンだったのである マジシャンである以上、先にタネ明かしをしてからマジックをする訳は無いのである 故に無記の姿勢を貫かれたのである バカにはそれが如理作意不可能なのは十分理解した
292 :
神も仏も名無しさん :2013/12/26(木) 03:56:55.66 ID:dS2MFuAV
一在家のアホが大好きな沙門果経に説かれる通力に対する如理作意 阿闍世王に沙門の成果を釈尊が問われ 身口意の三業を制すれば小欲知足にして、暇な日すらも楽しく送れると言い 更に問われれば波羅提木叉に徹する事によって品行方正に徹す事が出来ると言い 更に四禅の瞑想により五蓋が取り除かれ歓喜、喜悦、軽安、安楽が生じ三昧が得られると言い 観行に因って六神通も得られると言った 六神通を実際に行って大衆に見せている行者は居ない訳だが では釈尊は嘘を言ったのだろうか? そうではない、観行も瞑想の一部であり、六通の実行はこの観行の瞑想中の出来事なのだ 釈尊曰く、一切とは六根と六根に感ずるもの、これが一切の全てであると教示されている つまり、六根から入ってくる情報が一切の全てなので、心の中のみで生じ思惟し行じ滅する瞑想時の 出来事は、六根から入った情報由来なのではなく、そうなると一切外の出来事なのであり 一切の外に一切を求めるなとは釈尊は教えられたが、一切外の一切風を語ってはならないとは言っていないのであるw これが釈尊一流の六通の内訳なのであり、これが如理作意である
293 :
神も仏も名無しさん :2013/12/26(木) 04:00:43.90 ID:dS2MFuAV
釈尊は阿闍世王に「通力に惹かれてる人」との機根を見て六通にて誘引をしたのだ これが沙門果経に六通が説かれている所以の如理作意である
294 :
神も仏も名無しさん :2013/12/26(木) 04:37:23.30 ID:6zar8Gse
通力や三世転生や業報異陰相続などはそもそも仏教由来ではなく それらはウパニシャッド思想から受け継ぐ当時の一般思想に過ぎない 釈尊はその一般思想を巧みに利用して無我の教えに誘引したのである 諸行無常・諸法無我・一切皆苦・涅槃寂静 これら四法印の真理を奉じる仏教に励めば、初期の蒙昧な欲や迷いは粉砕され 一掃されてしまうので、釈尊は躊躇無く巧みに方便をして対機説法をされたのである 無知蒙昧のものはこれを知れ 何人も方便に固執してはならない 母の説くオバケの実存を調べ上げて母を悲しませてはならない
295 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/12/26(木) 07:11:13.59 ID:cQ5l7iVa
>>293 >釈尊は阿闍世王に「通力に惹かれてる人」との機根を見て六通にて誘引をしたのだ
貴方の文章は平易で分かり易く、「如理作意」に溢れているように観じられます。
ただ長部経典のテキストベースに因ると「四悉壇」視点で疑問が生じます。
第十五経「大縁方便経」
「縁って起こる」という教えの理解がいまだ浅い弟子(←ココ重要)アーナンダに対して、釈尊は縁起、無我、七識住、八解脱を説かれました。
第十七経「大善見王経」
クシナーラーに滞在した時、アーナンダ尊者に対して、釈尊は前世はこの地で転輪王マハースダッサであり下界の生を終えて梵天界へ赴いたことを説かれました。
第十八経「闍尼沙経」
釈尊は死んでしまった在俗信者達の再生場所(化生者、一来、預流者)についての予言を若きアーナンダに説かれました。
釈尊は相手の機根に応じて説かれる対機説法に特徴があり、この「四悉壇」が縁で後世の様々な解釈、混乱も起こっております。
この「四悉壇」をできるだけ除く為には、同じ経典の中で同じ弟子にどう説かれたのかを鳥瞰することが極めて重要かと思料しております。
何度も申しましたが、現代常識では「無我と輪廻は矛盾」ですが、どうやら一切智者にとっては「無我と輪廻は無矛盾」のようです。
尚、アーナンダへの説法を見ますと、輪廻の方が無我よりも後に(修行が進んだ後に)説かれていることがよく分かります。
以上、貴僧へのレスにて失礼致します。 合掌
296 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/12/26(木) 07:19:20.43 ID:cQ5l7iVa
>>295 >尚、アーナンダへの説法を見ますと、輪廻の方が無我よりも後に(修行が進んだ後に)説かれていることがよく分かります。
第十五経「大縁方便経」と第十八経「闍尼沙経」との順番によって、上記は言えないので削除願います。
297 :
神も仏も名無しさん :2013/12/26(木) 07:46:25.64 ID:0BEWM+5X
愛知県豊田市のどこかでランタン飛ばしてほしい
298 :
神も仏も名無しさん :2013/12/26(木) 08:30:51.98 ID:TihDUdZc
>>295 >この「四悉壇」が縁で後世の様々な解釈、混乱も起こっております
釈尊はどこで何をどうされたのかをみんな忘れて経を鵜呑みにするから迷うのである
そしてその答えは仏法者なら常識の事でも有るし、初学のものですら知ってる事である
また対機説とは少数ないしは個人に当てた処方箋である
そんな経を参考の範囲を逸脱して本義と構え固執すれば迷って当然なのである
釈尊は経を用いず悟達されたのである
>無我と輪廻は矛盾・一切智者にとっては「無我と輪廻は無矛盾」
これが迷ってる証左である
輪廻はウパニシャッドの常識であり教えの一部である
釈尊の教説ではそれを根幹には置かず、方便にしか使っていないのである
釈尊の教説の真意はあくまでも無我の教えである
方便としての輪廻は処方箋として「輪廻転生に惹かれた人」に真実の教えに導く為に用いられたに過ぎない
各々惹かれた人達(お主)に真理を聞く耳などは無い事を釈尊は気付かれてて苦慮されたのである
釈尊の教えの具体的な実践法は禅定に因って姿勢を調え呼吸を調え自己を内省し徹底的に我執を捨て、
我とその他との分別を取り去って、雑多に湧く煩悩を顕にさせ滅尽し続ける事に尽きるのである
真光のお主には実践不可能であり、仏道修行をする気もないお主には永遠に理解不能なのである
そして私は僧では無い
一介の優婆塞に過ぎない
299 :
神も仏も名無しさん :2013/12/26(木) 09:40:59.90 ID:OZniF/XF
一在家よ、お前の良心に言いたい お前が恐れる過去世の因縁や宿業の原因は御み霊にあるのだ 仏法はその御み霊の功力を遥かに凌駕し因縁宿業を封じ込められる力を持つ 地面に付く事を畏れる必要も無く、水に濡らす心配も無く、再交付の必要も無くこれら一切の穢れも離れる 仏法は己の己身が当体なのだから穢し様が無いのである 一在家よ、現世安穏 後生善処を願うなら、須らく仏道の門に入り仏の慈悲の教えを感得せよ 仏門は、願う人にはいつでも門が開いている しかし、今のお前は物見遊山なので入り口にて立ち見しかさせて貰えないのだ 過去世の因縁宿業が怖いなら、急いで御み霊を返上し仏門を叩くべし 日蓮ですら言う、 「如かず彼の万祈を修せんよりは此の一凶を禁ぜんには」 御み霊こそがこの一凶と知れ
前にも言ったけどプロの棋士は定石を覚えて忘れる。 覚えて忘れて初めて自由に使える。だからアマにも覚えて忘れよと推奨している。 アマはともすれば定石を覚えるだけだから自由に使えない。 定石とは部分的に互角の別れとなる経過手順。あくまで部分的にというのがミソで 全局的にどうであるか判断して定石は選択されねばならない。 選択を誤れば、部分的には互角の定石であるはずなのに、全局的に自分に不利となる場合もある。 だから覚えて忘れて全局を見て自由に判断して使えるようにならなければ定石をものにした事にはならない。 仏陀の教えもこの定石と同様で、忘れる事が肝要でしょう。 仏陀の教えに執着していては自由に人生を渡っているとは言えない。 仏陀の教えに限らず、あらゆる権威に束縛されない柔軟な姿勢が大事だと思う。 一旦理解された教えは忘れてこそ本物。
301 :
神も仏も名無しさん :2013/12/26(木) 12:38:35.25 ID:HwSIJBXY
人間は自分の意見に対する執著がどの執著よりも一番強い。 なぜなら自分の意見こそが自分自身(自我)であるから。 そして、その意見への執著が人間の歴史において様々な争いを生んできた。 釈尊はそれらの思い・意見(善か悪、白か黒など)への執著から離れよと言ったのでは? 離れてこそ中道であると。
302 :
神も仏も名無しさん :2013/12/26(木) 12:47:06.91 ID:HwSIJBXY
ここの人たちは解ってるのかな? 想いから離れてからが修行スタートですよ。
303 :
神も仏も名無しさん :2013/12/26(木) 13:28:07.29 ID:9yaabhqq
小乗仏教は如来の仏教だなと思う。大乗仏教は菩薩の仏教だなって思う
304 :
神も仏も名無しさん :2013/12/26(木) 14:00:27.47 ID:sw2WcmEC
如理作意、なんか気持ち悪い語感。 自力、他力、そんなものは無い。 易行道、難行道、そんなものは無い。 こんな区別をしてるものは仏教を知らないものだ。
305 :
神も仏も名無しさん :2013/12/26(木) 14:48:43.97 ID:J27Vr5NW
そのとおり そうではあるが門である 自力聖道門 他力浄土門 好きな門、縁ある門より入りて同じ峰に月を見ようではないか 前世は一在家よ! 手かざし門を抜けるのが怖いか? そりゃあ人間の集まる集団だ 抜けていく人間に嫌がらせする者もいるかもしれない 前世は一在家よ! 一大覚悟の発心を持って仏門に参入してはいかがか? 出来ないなら仏教スレを荒らすのはやめてくれ 真光スレで同志と語れよ それなら誰も文句言わない
306 :
神も仏も名無しさん :2013/12/26(木) 17:52:45.64 ID:y+4zgwW4
>>300 釈尊は悟りの内容を生涯折に触れて語り続けた人である
悟った内容を一切忘れる事は良いが、それは自分だけの悟りに付いてなのである
煩悩即菩提を無視したいなら忘れるのもよかろう
307 :
神も仏も名無しさん :2013/12/26(木) 18:35:44.64 ID:Bjib2MBI
もう1000逝ったかw しかも内容スカスカのまま┐(´ー`)┌ 辛うじてID:HwSIJBXYさんが頑張ってるだけで・・ 現在、彼だけがこのスレの良心・良識だなw
「涅槃なるもの」 涅槃(nibbAna)とは、煩悩の消えた(nir-√vA)状態、あるいは煩悩を離れた(nir-√vR)状態を言います。 具体的には、最上の悟りを得た人である阿羅漢の境地を指し、貪・瞋・痴の滅尽(khaya)という、 いわば三毒のない状態であるとされます。また涅槃は、「不死」(amata)、「不生」(ajAta)とも呼ばれますが、 それは、阿羅漢には、煩悩が断たれ、 もはや【渇愛(taNhA)・邪見(diTThi)に満ちた凡夫として】【生まれることも死ぬこともない】、 つまり業(kamma)による生死の輪廻(saMsAra)がないという意味です。これに関連して原始仏典に、 煩悩のある一般的な凡夫の死を「死ぬ」(marati)「時を作る」(kAlaM karoti)と表現するのに対し、 阿羅漢の場合には「入滅する」(parinibbAyati)「時を待つ」(kAlaM kaNkhati)とし、 はっきり両者を区別していることが注意されます。 それは、仏や阿羅漢は、身心が滅びても、死ぬことがない、 それゆえ仏教には「仏の死」とか「阿羅漢の死」という言葉は存在しないということです。 涅槃の状態は、「有余依」(saupAdisesa)と「無余依」(anupAdisesa)の二種によって説かれることもありますが、 それは、身心の有る涅槃か身心のない涅槃か、 つまり「煩悩の滅尽」か「蘊(煩悩の素因)の滅尽」かを区別しただけのものです。 後者は前者の単なる帰結に過ぎません。 これを、後者に重きを置き、真の涅槃は死後にあるとして、涅槃を死と結びつけるならば大きな誤りになります。 【涅槃は死に関わらぬものです】。その意義は、あくまでも、 【この世で、戒・定・慧の実践によって獲得される】【「煩悩の滅尽」に、目覚めた者の境地にこそ】あるはずです。 その意味でまた、成道について言われる「涅槃」(nibbAna)と入滅について言われる「般涅槃」(parinibbAna)とは、 言葉の使用において明確に区別される必要がありましょう。 なお涅槃は、縁によって生じない無為のものであり、【勝義的には】【常住】、【寂静】、【無我】のものでありますから、 【いわゆる絶対的な我としてのアートマンと同一視されることはありえません】。
310 :
神も仏も名無しさん :2013/12/26(木) 19:17:21.70 ID:eZ7dSjJC
311 :
神も仏も名無しさん :2013/12/26(木) 20:43:35.34 ID:J27Vr5NW
〉【この世で、戒・定・慧の実践によって獲得される】【「煩悩の滅尽」に、目覚めた者の境地にこそ】あるはずです。 〉なお涅槃は、縁によって生じない無為のものであり、【勝義的には】【常住】、【寂静】、【無我】のものでありますから、 素晴らしい説明ですが、文字の限界ですね 涅槃が修行によって縁起しているではないかと受け取られるでしょう 色即是空 空即是色 の八文字だけのほうがよいと思いました
312 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/12/26(木) 20:45:58.93 ID:cQ5l7iVa
>>305 >自力聖道門 他力浄土門
好きな門、縁ある門より入りて同じ峰に月を見ようではないか
>前世は一在家よ!
一大覚悟の発心を持って仏門に参入してはいかがか?
閻魔氏の『なんちゃって門』はよく分かりませんが、『聖道門』と『浄土門』は存じております。
私は前世(19才まで)は浄土宗でしたので。
真宗だった祖父は寝言でこの二門を説かれております。
第46回 昭和5年11月11日 午後8時
世の中の人は世の中の人並みの事をやってのける世道と仏道、其の二つじゃ。
仏道とは未来は念仏にすがるよりないが仏道、仏道の一元か仏道と世道との二つを行う二元か、ここから大切じゃ、
そこがはっきりせん為になあ、世の中に世渡りして居る間から真から信心得さして貰わないとあやふやになるから両方は満足出来ん、
世渡りする間になまじかな仏教を知らして貰った為に、気がとがめて仕方ないと迷って居る者が多い。
半信半疑の者が多い、少しは良心のひらめきが有る。矢張り少しは気がとがめる事が有る、此処がむつかしい処じゃ、
昨日も話した通り狩人が山え出掛けて行った、よく肥えた兎が飛んで来たと喜こんで一緒につかまそうと思って、
足許に来たりあっちえ行ったりあいつもこいつもつかまそうと思ったが遂につかませなんだ、人の人情として人の情けとして狩人と同じじゃ、
どっちもよう行ける様に考えて、居らっしゃるじゃろ、それも凡夫の致す処、普通の処、わしも前から前から心配して居た、
どうか一元的でいなんなあ、矢張りつまり皆の様に考える世尊は一代に八万四千の説法なさったと云う事を前のは、
その八万四千の光明の一つづつじゃ、光明となる光明に照らされると信心決定される。
其の八万四千の御話分けると聖道門と云う、聖道門の聖は聖人の聖、道は道、門は門じゃ(字を教わる)
313 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/12/26(木) 20:47:20.07 ID:cQ5l7iVa
>>312 続き
もう一つは浄土門、その二つに大別してお話された。聖道門はなあ、仏道得道と云う、成仏得道とも云う、
浄土門とは何と云ったらよいかな、まあ人間生活とも云うかな、浄土門とはまあ世渡りの道。
人間生活と成仏得道の二つの関係がどうじゃと云う事を御話なされた。聖道門からお話しましょうな、
聖道門とは棄慾、慾を捨てる、つまり捨家棄慾それが聖道門、家を捨て慾も捨て名誉も何も捨てる事、
何も求める物無い、その人の道、つまり一本橋じゃ(只求めるのは仏道)伝教大師のお母さん、
女人道から先へ行く事が出来なんだ、刈萱道心は我が子の石堂丸がはるばると父を尋ね母を麓に残して刈萱堂で父子の対面し乍ら、
「お父さんは我であるぞ」と云って可愛いい可愛いい我が子に名乗りが出来なかった、之が聖道門、
聖道門に入るのはむつかしい、そう云う人を世外の人方外の者と云うが(字を教わる)それが聖道門のお話、
それからなあ浄土門、この浄土門の方は聖道門と違うでそれは人間生活離れんでもよい、人間生活は其の儘でよい、
親鸞聖人は念仏在家で念仏申すも宜しい、お寺は寺で念仏申すもよい、念仏を申す所行住座臥に所嫌わず、
又蓮如聖人は「獵、砂どりをもせよ」と仰せらる、念仏所嫌わず行住座臥に念仏申す所必ず仏あり、有難い事じゃな、
そこで浄土門の方じゃ、浄土門の方は人間生活離れんでも良いと云うが、ここがむつかしい、
人間生活して居る以上親子夫婦の関係ある、常に喜びを持たして貰って居ても時には怒る事もあろう。
苦も無い慾も無い事もあろうたりして、権利役目を主張する職務が有る、そう云う様な繁雑な二元的生活せなならん、
其の半面に於て、聖道門はむつかしいと云ったが浄土門もむつかしい、世の中に生れて家を捨て慾を捨て世外の人、
方外の人となると云う事は、そうなるとどっちが良いかと云う事になる。只名誉も何もいらん。
目指す処は一本橋じゃ、あなたの大悲大慈の下に生きる。今日だけ生命じゃ、さあ迷いに迷いを生じた、
さあどうなる、一元的よりか二元的が良いか、それについて聖人の話に、聖人が如何に話されたか、
聖人が日野左エ門の話と云い山伏弁円の話と云い 日野左エ門御教化と云い、山伏弁円の御済度と云い。
314 :
神も仏も名無しさん :2013/12/26(木) 21:20:49.13 ID:J27Vr5NW
在家よ その法話は人を迷わしてタチが悪くないか? そんなときわたしは念仏ビームだ 念仏ビームで聖道門も浄土門も破壊する 在家なら聖道門に手かざし浄土門にも手かざししてやればいい もうやめた迷いに迷う輪廻道 われ死ぬるまで生きるのみなり
315 :
神も仏も名無しさん :2013/12/26(木) 21:47:38.21 ID:J27Vr5NW
昼ゴハンをラーメンにするかカツ丼にするかの迷いが生じることを迷い悩む人はほぼいないだろう おそらく大半の人はラーメンorカツ丼の迷いを迷いとして脱落しているのだろう だが聖道門と浄土門の違いに迷い迷う仏教者はいるわけだ もちろん聖も浄もない!と迷わない仏教者もいる いやあワシは念仏一本だ、ワシは打坐するのみ、と迷わない仏教者もいる わたしは未熟者だ
316 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/12/26(木) 21:58:03.10 ID:cQ5l7iVa
>>314 >その法話は人を迷わしてタチが悪くないか?
一代氏を含めて、今まで何人もの住人がそれに近い感想を述べられました。
ただある真宗の僧侶が、一級の法話だとおっしゃりました。
檀家にそのような奇跡が起こったことにも驚いたとのことでした。
在家さんのお元気?^^ まだグノーシスに関心があるなら 古代の地中海沿岸都市文明壊滅から逃れて 安定していた東方 ペルシアの領域から中央アジアにかけて温存され 仏教と同化したマニ教系統のグノーシス調べたらよいと思いますよ 明教というマニ教の仏教化した存在などありますから ではまた^^
318 :
神も仏も名無しさん :2013/12/26(木) 22:06:49.58 ID:J27Vr5NW
在家よ! 真宗の坊主が一級だの檀家にそれがわかるとは!?と言ったなら、 黙って真宗坊主の額に手をかざし、 「増上慢、増上慢、飛んでけー」 とやるんだよ わたし? もちろんすべてを破壊する念仏ビームだ
319 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/12/26(木) 22:07:08.61 ID:cQ5l7iVa
>>316 >檀家にそのような奇跡が起こったことにも驚いたとのことでした。
昭和の初めに20代の高校の体育の先生(祖父)が寝言でこのような法話を話したということです。
妻(祖母)が速記できた分だけでも233話にのぼりました。。
320 :
ポータ :2013/12/26(木) 22:18:48.29 ID:ni2n0cLf
前世は一在家さん、前世は一在家だということは、今は出家したという意味? でも、在家の私と同じインターネットで書き込みしてるよね。 つまり、今は在家ではないと感じるとしたら、主体性なく周囲のありように 押し流されるのではなく、意識的であるというぐらいの意味なのか? ほんで(^_^;)、<前世>とつけられていますから、 それは、君が輪廻を今は確かに感じているとの表明だよね?
>>320 いいツッコミだなw
そここそが、「輪廻関連の教説は方便であった」説を後押しするポイントさw
322 :
神も仏も名無しさん :2013/12/26(木) 22:26:51.58 ID:XQ8n1tba
千葉県船橋市大穴北3−13−6
323 :
神も仏も名無しさん :2013/12/26(木) 23:20:09.86 ID:J27Vr5NW
やはり人は死ぬ 仏は不滅だと言う どちらの見解も念仏ビームで破壊してやる
324 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/12/26(木) 23:33:59.58 ID:cQ5l7iVa
>>320 :ポータ:2013/12/26(木) 22:18:48.29 ID:ni2n0cLf
>前世は一在家さん、前世は一在家だということは、今は出家したという意味?
半年以上前からの本スレの住人であれば、私のコテの意味は紹介済みです。
今は異教ですが、その前は浄土宗の信者だったという意味です。
325 :
神も仏も名無しさん :2013/12/26(木) 23:43:21.62 ID:J27Vr5NW
テメェ、阿弥陀仏裏切ったのか? でもよいのだ 阿弥陀仏は悪人さえも救おうと必死だ 安心して手かざしに励みなさい
326 :
神も仏も名無しさん :2013/12/27(金) 00:00:00.91 ID:Kl5R1ClQ
在家さんはどこで道を誤ったんだろう 優秀な人なのに 洗脳されたか あんたはおかしいよ オウムにも頭いいひとがいたな
327 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/12/27(金) 00:08:06.42 ID:0Tjd1+xM
>>295 考察続き
第十八経「闍尼沙経」
釈尊は死んでしまった在俗信者達の再生場所(化生者、一来、預流者)についての予言を若きアーナンダに説かれました。
第十五経「大縁方便経」
「縁って起こる」という教えの理解がいまだ浅い弟子(←ココ重要)アーナンダに対して、釈尊は縁起、無我、七識住、八解脱を説かれました。
第十七経「大善見王経」
クシナーラーに滞在した時、アーナンダ尊者に対して、釈尊は前世はこの地で転輪王マハースダッサであり下界の生を終えて梵天界へ赴いたことを説かれました。
四悉壇では、釈尊が「何を説いたか」以上に「誰に説いたか」が重要です。更に「いつ(どの修行段階で)説いたか」も重要かと存じます。
これが検証できる説法相手は長部経典の中でも、アーナンダが適任かと考えます。
因みに輪廻が説かれた第二経「沙門果経」では、説法相手は阿闍世王でしたが、1250人の僧団にも囲まれておりました。
また有名な第一経「梵網経」の時は500人の僧団と釈尊は御一緒でした。
無記でよく引用される第九経「ポッタパーダ経」の時は異教の修行者3000人がそばにおりました。
異教を当時の常識の「輪廻」で誘引せずに「無記」の態度を取られたことも興味深いところです。
328 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/12/27(金) 00:15:30.92 ID:0Tjd1+xM
>>326 >在家さんはどこで道を誤ったんだろう
祖父が寝言で仏説を語るという神秘体験を中学生の頃には知っておりましたので、それが縁で
現在に至る道を選んだのだと考えております。
でも浄土宗の頃も異教の今も「衆生済度」という言葉は好きで、よく声に出します。
続いて「地上天国、極楽浄土をこの土に顕現」ともね。。
ですから原始仏教と同様に原始キリスト教も調べております。
サロメさん、カラスさん、宝珠さん達と仲良く対話しながら。。
つまり、現実からかけ離れた夢のSF理想郷についておしゃべりするのが好きであるとw
わかりました 3バカトリオに 一人追加ですな
331 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/12/27(金) 00:29:25.83 ID:0Tjd1+xM
>>327 考察続き
要するに長部経典というテキストベースで読む限りは、コアの500人の弟子達は、無記、無我、縁起、輪廻、そして修行完成者の神通の説法を聞いていたということです。
そして彼らの多くは迷うことなく修行完成していったということでしょう(正法の世の話)。
誘引とか方便とか四悉壇とかでなく、全ての説法を聞いても無矛盾だったというのではないかというのが現在の私の仮設です。
ですから現代常識では信じ難い「無我と輪廻とは無矛盾」と先日申した次第です。
332 :
神も仏も名無しさん :2013/12/27(金) 05:43:57.85 ID:DoBLLeJH
>>330 > わかりました
> 3バカトリオに
> 一人追加ですな
キチガイと話すこと自体がキチガイと言うなら精神科医もキチガイの仲間だなw
333 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/12/27(金) 05:58:59.71 ID:0Tjd1+xM
>>332 本スレではアホ、馬鹿と基地外は同義語のようですが、本来は意味が違うでしょう。
知能指数が低い場合は普通のアホ、馬鹿
知能指数が高くても人格が壊れているのは基地外
知能指数が高くても思料が足りないのはアホ、馬鹿
議論相手をアホ、馬鹿と嘲笑するのもアホ、馬鹿
(スッタニパータ,Sn.832)
汝は彼らに言え、「論争が起こっても、汝と対論する者はここにいない。」と。
334 :
神も仏も名無しさん :2013/12/27(金) 06:40:56.34 ID:kyeoC0Pi
在家は新興宗教教祖様気質である事は確かだ。
335 :
神も仏も名無しさん :2013/12/27(金) 06:43:09.83 ID:kyeoC0Pi
教祖様気質の特徴 1、既存宗教の教義を自分の権威の為に利用し、教義を捻じ曲げる 2、教義の忠実な説明よりも、当人の権威が優位、価値があるものとする。 在家にあてはまる。
336 :
神も仏も名無しさん :2013/12/27(金) 06:49:04.03 ID:ngr2Kk8a
>>333 一在家、一つ解った事が有るから報告する
仏の悟りは何だったのか?
ズバリこれだ →
お前はこの悟りの中から真我等を探したいようだが
悟りの中身に行き着かないとその実態は到底理解できない
お前のしている事は上記の「矢印の研究書を読み漁っている」に過ぎないのだ
そこにはお前の望むものは書いていない
実論として何を考え何を調え何をするのかは書いてあるし
それでどうなり何を得るのかまでは書いてある
しかし、「何」の中身は書いていないのだ
理由は文字で書けないからで、無理に文字化しても伝わらないからだ
お前は俺にとって見ず知らずの人ではあるが、恩有る反面教師である
宝珠も俺にとっては恩有る反面教師である
お前らの誤謬が俺の研鑽欲を揺り動かした事は動かさざる事実なので
今日は喜悦の為に上記を記しヒントと成す
マジで答えは書けなかった、書けないのだと報告しとく
ありがとう
337 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/12/27(金) 07:58:32.04 ID:0Tjd1+xM
>>336 >仏の悟りは何だったのか?
>ズバリこれだ →
仏は悟ったふりをしてみせた、方便にてと思っております。
そうでないと衆生が悟りへの修行に入る動機も出てこないからでしょう。
または応身が悟りを思い出すように報身がタイマーセットして誕生させたとも言えます。
コレ悟氏も基地外の振りは止めたようですし、閻魔氏との三時業対話も涅槃入りしたようで
本スレも静寂に観じられます。
リーマン在家は今日が納会なのでお勤めに参ります。
それから、有難うございました。
338 :
神も仏も名無しさん :2013/12/27(金) 08:03:05.70 ID:ngr2Kk8a
一在家、お前の疑念の原因は御み霊信仰と手かざしの行にある もし、御み霊への信仰でお主が救われてる・助かっているんだと 心から思っているなら何も言うまい、頑張れとだけ言っておく しかし、仏家の教典を漁るのは御み霊信仰では救われていないからだと見れる 救われているなら疑念は生じない筈だからだ 仏家の奉じる仏の教えの真髄を知りたいなら、本当に知りたいなら 速やかに御み霊への信仰を捨てて仏門を叩き行学の二門を修しない限り お主の知りたい本当の事を知りえる事は不可能なのである 御み霊信仰を保ち、手かざしの行を行いながら仏教法理を用いる事は出来ないのだ それでは行が手かざし・信が御み霊(御神体含む)・学が仏教になって調って居ない事になる お前も散々学んできててその線は無知ではなかろう? 学にあたいしてる仏教の答えを手かざし行の御み霊信仰からでは得られないのだ 欲しい答えの得られないその信行は無料ではなく有料の筈である 学はネットでググって無料かも知れんがこれは別に構わん ならば、信行も仏教に変えて、この際全部一旦無料にしてみたらどうか 疑念の答えの出せない信行など害悪にしかなり得ないのだ 勿論これは強制ではない、提案だ しかし、お主の心が答えを希求している、俺にはそう見えて仕方ないのだよ どうだろうか?
339 :
神も仏も名無しさん :2013/12/27(金) 08:14:29.01 ID:kyeoC0Pi
>仏は悟ったふりをしてみせた、方便にてと思っております 在家の教祖様病、 仏教の教義を、教祖様気質在家で利用、捻じ曲げる。
340 :
神も仏も名無しさん :2013/12/27(金) 08:19:33.76 ID:ngr2Kk8a
>>337 >仏は悟ったふりをしてみせた、方便にてと思っております。
これは違うぞ
釈尊は確かに悟ったのだ
故に初転法輪にて四諦と八正道を明かされて今に伝わってる、これは事実なのだ
問題は、俺も勘違いしていたのだが、四諦と八正道や縁起や空などは
釈尊が悟って語られた概念だったという事
何かを悟ったから縁起説が出来たのであり解決法の八正道も語れたのである
全ての経典にはその「何か」の内容は全く書かれていないのだ
その何かの中身を知るには仏教の行と信が必須なのであり
仏教の信行学とはつまり、無信仰に帰さねばならないと言う事でもあり
釈尊は何の信仰もせずに悟られたので、それと同じ信条にリセットせねば
釈尊の悟りに近づく事は不可能なのである
それを踏まえて、釈尊が悟った事実を我ら凡夫は信じ
更に突き進んで悟りの内容をも自身で体得してしまう
これが仏教の真髄なのであり仏教の本義なのだ
この立場だと中観派も唯識派も全然間違いだらけとなる
341 :
コレ悟りかよ!?w :2013/12/27(金) 08:21:46.68 ID:hgUBqN6e
>>317 マニ教は興味深いですな〜
あらゆる宗教の統一、俺のやろうとしたこを二千年前に先を越されました。
色即是空 空即是色も道教というよりグノーシスの二元論に影響を受けたのではないか。
これからもヒントたのむぜ〜
342 :
神も仏も名無しさん :2013/12/27(金) 08:29:39.26 ID:ngr2Kk8a
>>341 色即是空 空即是色
これらは間違いである
この説では
コップは食器である、つまり食器はコップである
となってしまう
般若心経は無を説明しているに過ぎず、それは仏教で言う空の説明にはなっていない
あれは中華仏教であり、無に重きを置く以上、般若心経は道教の融合したもので
仏教の教えではない
343 :
コレ悟りかよ!?w :2013/12/27(金) 08:38:17.01 ID:hgUBqN6e
>>342 そのとおりですよ。あなたわかっていますね。
俺は小乗仏教のスマナサーラ(裸王)も苫米地英人(ジャギ)も大嫌いで敵だと思っていますが。
彼らの般若心経批判は正しいと思います。だから侮れない。
色即是空 空即是色を大前提としている限り、真の悟りは得られない。
仏教ではないし、この経を拠り所としている禅は間違っている。
344 :
神も仏も名無しさん :2013/12/27(金) 08:48:09.98 ID:ngr2Kk8a
>>343 般若心経を法楽に読ませる禅宗の教義自体は間違いとは言えない
勤行自体が方便とも言える訳で、むしろ禅宗は止行しか教えないからそっちのが問題かと思う
釈尊が成し得たのは瞑想修行に因ってなので、禅宗ではその瞑想修行の部分をどうしてるのかを
機会があれば問うてみたいと思う
345 :
神も仏も名無しさん :2013/12/27(金) 09:05:30.48 ID:xw3nxH1M
>>344 >禅宗ではその瞑想修行の部分をどうしてるのかを
>機会があれば問うてみたいと思う
それは道元も気がかりであったらしい。
そんなところで縁あって、道元が転座に問うことになった。
せっかく転座が教示を与えたのに、どうも道元は意味不明であったらしい。
実は私も、転座の本意ってのは掴めておらんかったのですが、
これが後ほど、その真意ってのが掴めるようになった。
いくら捕まえようとしても、悟りといふ鳥は捕まえられない。
しかしいつかは、悟りという鳥は自分の懐に飛び込むかと思います。
346 :
神も仏も名無しさん :2013/12/27(金) 09:14:28.54 ID:asO7dSyS
>>342 >般若心経は無を説明しているに過ぎず、
般若心経は、「無」も否定している。まさに中論の「空」である。よく読め。
347 :
神も仏も名無しさん :2013/12/27(金) 09:23:50.80 ID:ngr2Kk8a
>>345 師子相伝を重んじる禅宗を伝えた道元に罪は無いでしょう
彼は頑なに相伝された教えを守ったに過ぎないのだし
それより見るべきは所詮中華仏教の禅道の方なのであり
中華禅道は道教の影響下で構築された事、ほとんど内容が
道教に成っている事、それに気付かない仏教徒が多い事の方が
問題かと思われます
無を追い求めていても所詮無しか得られませんし
日本に伝わる禅宗はみんなこの手で無一辺倒なので
悟れません
いつ行っても心のストレッチしかしないので仕方有りません
釈尊は心のストレッチだけで悟った訳ではありませんし
悟りが重要じゃないとする宗派もありますが、悟れなければ
行を否定する事になり破仏法となりるでしょう
348 :
神も仏も名無しさん :2013/12/27(金) 09:26:43.18 ID:ngr2Kk8a
>>346 全てを否定した先にあるのは無だけです
それは空ではありません、般若心経は全てを否定しています
そして、観音は菩薩なのであり、阿羅漢である舎利佛に
説教垂れられる身分ではありません
349 :
神も仏も名無しさん :2013/12/27(金) 09:31:18.30 ID:asO7dSyS
>>348 中論の「空」とは、「非有非無」であることも知らないのかw。仏教を語る
資格なし。
350 :
神も仏も名無しさん :2013/12/27(金) 09:35:53.43 ID:xw3nxH1M
>>341 これ悟りかよ氏
>色即是空 空即是色も道教というよりグノーシスの二元論に影響を受けたのではないか。
>これからもヒントたのむぜ〜
色即是空 空即是色について説明するのは長くなりますから、簡単に説明します。
先ず、縁起といふのは生起・生滅で説明します。
しかしよく考えると、モノゴトが勝手に生起したり、また勝手に生滅する訳はないんですよ。
これはアタリマエのこのと話しちょるんです。
色即是空の意味
生起・生滅しておりますが、じつは生起も生滅もしておらんのです。
空即是色の意味
生起・生滅もしておらんけど、じつは生起・生滅と考える他はあるまい。
と、こうなりまし。
351 :
神も仏も名無しさん :2013/12/27(金) 09:37:20.96 ID:ngr2Kk8a
>>349 中論はそうでも般若心経は違うでしょう
全てを無きものとした先に心の平安があると説いてるのが般若心経に実態なのだし
で、菩薩が阿羅漢に説教してる矛盾の件は無視するんですか?
これは重大な事であり、般若心経の舞台がまるで2ちゃんねるな状態なのですよ?
仏教学徒が仏と同格の阿羅漢に説教するとか2ちゃんねる位でしょうw
禅が、(悟り・涅槃等、お釈迦さんが到達したところへ導くため) 足りないピースがあるってのは、事実かもしれない。 勿論、他宗諸に於いてなら十分なのかどうかは検討の余地があるにせよ・・。
353 :
神も仏も名無しさん :2013/12/27(金) 09:40:51.47 ID:kyeoC0Pi
参加してやってもいいが、関心が沸かんw
354 :
神も仏も名無しさん :2013/12/27(金) 09:41:13.40 ID:asO7dSyS
>>350 その通りだね。
補足すれば、空とは、「関係性の変化」という抽象観念に過ぎないから、
生起でも消滅でもないということ。
355 :
神も仏も名無しさん :2013/12/27(金) 09:52:33.31 ID:ngr2Kk8a
誰が誰に説いてる現場かってのは皆さん無視するんですね いいですか?この観音の言ってる事は所詮菩薩の見解なんです それを事もあろうか阿羅漢である舎利佛に説法してるんですよ こんなの最初から正しいと読む方がどうかしてるんです しかも最後は呪文まで唱えています 口語体ではない呪文は釈尊の印可は得られないでしょう しかもパーリ語も存在しない偽経ですし
356 :
コレ悟りかよ!?w :2013/12/27(金) 09:53:03.41 ID:hgUBqN6e
>>344 瞑想と禅はそもそも違うのではないか。
瞑想は前世を空想したり天部の境地を越えて輪廻から解脱することが目的でしょう。
ん・・・??やっぱ禅も瞑想も同じじゃないですか。
輪廻を否定し排除した禅をやってるから、わけのわからんことに成るのです。
俺は禅は否定しませんよ。輪廻を排除した禅は否定し認めません。
目的が無いのにただ坐るだけ。只管打坐、まさに愚ですよ。
357 :
神も仏も名無しさん :2013/12/27(金) 09:59:48.98 ID:kyeoC0Pi
354 :神も仏も名無しさん:2013/12/27(金) 09:41:13.40 ID:asO7dSyS は隠居教祖様w
358 :
神も仏も名無しさん :2013/12/27(金) 10:04:32.83 ID:ngr2Kk8a
>>356 禅定=坐禅ではないでしょ本来は
例えば仏壇に向かって上げる念仏や、文字曼荼羅に向かって上げる題目なんかも禅定の一種として
考案されてきた行法だし、密教の護摩炊きと称する焚き火と真言口唱も禅定の一種にあたります
大抵は中国仏教の大家智の摩訶止観とかがベースになってて、止観の不思議な効用の書
故に摩訶止観と言い、禅定の智なりの説明書になっています
359 :
神も仏も名無しさん :2013/12/27(金) 10:12:06.57 ID:ngr2Kk8a
但し、釈尊の菩提樹下悟達を基本と考えるなら、伝承では菩提樹の下で坐禅を組んで 瞑想修行のの果てに何かを悟った、と言うのが一般的なので坐禅を推奨する事自体は間違いでもないと しかし、道元禅は弁道が基礎故、それは突き詰めれば道教なので問題ありとなる訳です 我々は仏法者なのであり釈尊の弟子の端くれなのであり 決して老子の弟子では無いので究極の無は求めていないのです
>>342 そうじゃない。般若心教の言ってるのは俺らがコップを見ればコップだと思うが
コップを知らない奴からすればそれはコップではない。
だからコップはコップでありコップではない事になる。
つまり俺らは自分の認識してる世界を見ているだけなので、この世界には実体が無い事になる。
後四蘊を忘却するから、各種様々なトンデモ説が世間に蔓延するw
362 :
神も仏も名無しさん :2013/12/27(金) 10:28:22.43 ID:ngr2Kk8a
>>360 それが中論の落とし穴であると気付くべきです
いいでしょう、色即是空空即是色の解説はあなたの通りだったとします
では、それが正しいとは何を根拠に言えるんです?
そもそも般若心経は菩薩の見解であり勝手論ですよ?
その勝手論を阿羅漢に説教してるのが般若心経の実態です
要するに、舎利佛が師である釈尊に「オメー全然解ってねーじゃんお釈迦さんよぉ」と言ってるって事ですよ?
>>362 般若心境は釈尊が舎利子に説いてるんじゃないのかな。
まあ別に誰が誰に説こうと内容が正しければいいんじゃない?
364 :
神も仏も名無しさん :2013/12/27(金) 10:42:46.90 ID:VwtNyQR3
般若の智慧とは 七十一叟。 無他事。不一切取扱。 非心非佛に非ず。如是七十一叟。
365 :
神も仏も名無しさん :2013/12/27(金) 10:43:04.31 ID:ngr2Kk8a
お経は兎角、いつどこで誰が誰に何をどう説いたかが大抵冒頭に触れられてます 般若心経にはいつどこでがありませんし、菩薩が仏と同格である阿羅漢に異論を唱えてる訳です 観音信仰が流行ってた時代に出来たお経だから「観自在菩薩〜」なんでしょうけど 対告衆が舎利佛なのは最大のミスだったと思われますね そして中論と整合性が取れてると信じちゃってる人々も大変です 空を表現してると思ってたお経が実は無を表現してる事に気付かなかった訳で それを認めれば即ち・・・ 外道の経典を奉じてた事を認める事になる訳ですから そりゃあ必死にもなるでしょう
366 :
神も仏も名無しさん :2013/12/27(金) 10:49:34.97 ID:ngr2Kk8a
>>363 舎利子とは中国語の文体の慣習で舎利佛を小僧扱い、つまり格下扱いして舎利子な訳で
観自在菩薩が小僧扱いした阿羅漢舎利佛に恐れ多くも説教してるんですよ
367 :
神も仏も名無しさん :2013/12/27(金) 10:59:56.28 ID:PV8xJcEx
. \V ̄ ̄ ̄__| \二二/|_ / / ̄__| [__] | \ │ / /`ヽ__∠__>J__> |/ /| ‐―――――――― | ( / | ――――――――‐ | / わしは 薄伽梵(バカボン)パパ如来なのだ (_/ | ● ● | |\ | (_人_) \_ / 般若心経はカンジーザー修行僧の50点答案なのだ | ) | _ __|||||||||||_____) 採点したサーリプッタ先生はカンジーザーに落第やり直しを命じたのだ ヽ_| ///└┘  ̄ ̄ ̄ └┘| | こんな落第答案に「如是我聞」はやれないのだ /// // |//\_ (⌒Y⌒) _// \ ちんちん プリッ プリッ!のまじないなんか アカンのだ \ ヽ―─―⌒ ̄ ̄ / `―──―――‐―´ \ アホ(色)はアホとちゃうのだ(空)、だからアホというのだ(色) 色即是空 空即是色なのだ \ これでいいのだ
368 :
神も仏も名無しさん :2013/12/27(金) 11:05:12.68 ID:ngr2Kk8a
般若心経の正当性が崩れると、その注釈書である大智度論の根拠は瓦解します まあ尤も大智度論も出所不明の偽論と言われてますし、その依経である般若心経が偽経なら 大智度論がインチキでも何等不思議は無い訳で
そんなに欲しいなら持っていけ。 やる。 好きにしてかまわん。 七十一叟。
>>366 サーリ(ー)+プッタ P ┐
├→ サーリー(女)の子→舎利子
シャーリ(ー)+プトラ Skt ┘
何が小僧だって?w
371 :
神も仏も名無しさん :2013/12/27(金) 11:23:06.07 ID:ngr2Kk8a
>>370 直訳的には舎利子ってのは鷺家の子って意味じゃないのか?
いつから女の子の話に摩り替わったんだ?初耳だよw
>>371 サーリーという女性の子供(サーリーという女性を母に持つ人物)という意味だと
流布してるもんだと思ったが?
で、そのサーリー、シャーリーの語義が鷺ってだけで。
日本語で言えば「鷲山さんの子」みたいなもんだろ。、
>>363 >般若心境は釈尊が舎利子に説いてるんじゃないのかな。
違います。
>>354 空=関係性、色=物事
つまり、色(物事)単独ではありえないし、空(関係性)単独でもありえない。
色があるとき空があり、空があるとき色がある。→色即是空、空即是色。
374 :
神も仏も名無しさん :2013/12/27(金) 11:54:28.30 ID:DoBLLeJH
> 舎利子とは中国語の文体の慣習で舎利佛を小僧扱い、つまり格下扱いして舎利子な訳で > 観自在菩薩が小僧扱いした阿羅漢舎利佛に恐れ多くも説教してるんですよ たわけ。 舎利子とは聴くに聡い(法を理解する器あり時機も熟している)弟子の意味な。
375 :
神も仏も名無しさん :2013/12/27(金) 12:00:36.13 ID:DoBLLeJH
> >般若心境は釈尊が舎利子に説いてるんじゃないのかな。 > 違います。 そうであっても変わりません。
>>373 はしかし表現としては間違いである。
空をあるとかないとか表現するのは間違い。
空は非有非無。
つまり、物事は実体はないが関係性はある、人間の認識だけがあり物事そのものに実体は無い。(色相是空)
人間が何かしら認識すれば、それは何かしらの物事がある事に他ならない。(空即是色)
どう言っても「空」の矛盾に陥る説明にしか出来ないw
これが空の正体。龍樹も我に主張なし〜と空を主張したw
空は矛盾を含む概念である。スタートが非有非無だから仕方のない事である。
観音様が舎利子にアレコレ説いて、それを横で聞いていた仏陀がそのとおりである、と認めた〜という形を とった経が作られたというに過ぎないでしょう。創作された経である事は事実。
378 :
神も仏も名無しさん :2013/12/27(金) 12:14:58.02 ID:DoBLLeJH
>>376 > これが空の正体。龍樹も我に主張なし〜と空を主張したw
> 空は矛盾を含む概念である。スタートが非有非無だから仕方のない事である。
これが空の正体うんぬん、学生までなら許される。いい大人なら絶望的。
379 :
神も仏も名無しさん :2013/12/27(金) 12:17:12.91 ID:KcxUpEH+
舎利佛は釈迦のもとで阿羅漢果を得てる人でしょ つまり、釈迦と共に聴衆の方を面を向けてる人であり 菩薩は如来や阿羅漢の居る方へ面を向けて教えを請う立場 その教えを請う立場の菩薩が阿羅漢である舎利佛に説教するとか土台からして間違ってる 気付かず読んでるなら盲信と言われても仕方ないなw
380 :
神も仏も名無しさん :2013/12/27(金) 12:23:30.24 ID:T0G1half
>>377 〉創作された経
中村元の訳文もスマナサーラの著者もすべて創作ですよ
ゴータマの書いたものなどひとつもないと言ってもよい
>>379 維摩経なんて在家の維摩こそ至高の境地〜と出家修行者をけちょんけちょんにするんだから、
大乗の創作経典は登場人物の立場の違いなんて関係ないんですよ。
382 :
神も仏も名無しさん :2013/12/27(金) 12:44:57.55 ID:T0G1half
上座部国は寺の中は清浄が保たれるが、在家の生活する俗世間がなあ 上座部では在家は悟れないのでは? 大乗は在家も重視する 維摩経は在家が主人公だ
383 :
神も仏も名無しさん :2013/12/27(金) 13:23:20.52 ID:KcxUpEH+
じゃあ釈迦の教えじゃないですな つまり仏教では無い
384 :
神も仏も名無しさん :2013/12/27(金) 13:40:08.84 ID:asO7dSyS
「釈迦」「釈迦」と、開祖へのあくなき「執着」は見苦しいぞ。 釈迦は単なる気違い。釈迦の狂気を離脱し得たのが、大乗仏教である。 すべてのカルトが釈迦に群がり、中論やその直系の道元には寄り付かないのが、 その如実な証拠。
385 :
神も仏も名無しさん :2013/12/27(金) 13:45:12.93 ID:KcxUpEH+
釈迦を否定したら大乗も存在しない 論に困ると釈迦を否定したがるパターンは見飽きた だからダメなんだよ大乗の連中は
386 :
神も仏も名無しさん :2013/12/27(金) 13:51:32.15 ID:KcxUpEH+
>>384 なあアンタ、縁起位調べたんだろ?
縁起の理法に照らしてみろや、開祖有っての仏教なのに
開祖否定したらその改良版と豪語する大乗の礎を失うだろ
大乗の教えをカルト盲信してるから理解できないか?
387 :
神も仏も名無しさん :2013/12/27(金) 14:18:45.43 ID:PV8xJcEx
>>384 >中論やその直系の道元
『★祖祖正傳しきたれる法、まさしく有部に相應せり。』(12巻本 正法眼蔵 供養諸仏より) (
>>219 )
http://www.shomonji.or.jp/soroku/genzou.htm (左の一覧から「12巻本 供養諸仏」をクリック)
12巻本の道元(?)さんが龍樹の中論を本当に読んでいたか自体が怪しい。
お前と違って『★いかにいはんやこの大師釈迦牟尼佛説 を、龍樹祖師、正傳擧揚しましますところなり。 』と明解だ。
龍樹vs有部では、三時業論→業縁起・宿業観を説く十二巻本道元(?)は有部支持だろう。
とうてい龍樹直系とはいえない。
お前のように妄想で割り切るのは勝手だが、道元さんは一筋縄では捉えられんよ。
もし『龍樹直系』というなら、
>>209 のように直覚するしかない。
当然、業報前提の中論26・27章はカットすることになる。
388 :
神も仏も名無しさん :2013/12/27(金) 14:40:09.65 ID:T0G1half
>>383 スッタニパータは釈迦教団のルールだ
般若心経は釈迦の悟りだ
ルールは上座部僧にならないと守るの無理
仏の悟りは無差別だから在家にも学べる
上座部は日本文化に馴染まない
当たり前だ
釈迦教団のルールはインド文化に配慮しているからだ
馬鹿が寄り集まっても、所詮、馬鹿は馬鹿。
「色(≒物質)が空」とだけ考えてるから、西洋的存在論の枠の中で
実体が云々実在が云々と喧しい。諸法の縁起をすっかり忘れ去ってw
>>384 それ隠居w
>>379 そういうのを解った上で読むもんなんだよw 大乗経ってのは・・ ┐(´ー`)┌
390 :
さて道元を殺したのは誰なのか :2013/12/27(金) 14:58:51.13 ID:PV8xJcEx
『執事服勞の日月、すなはち供養の時節なり。 ★形像舍利を安置し、供養禮拜し、塔廟をたて、支提をたつる儀則、ひとり佛の屋裏に正傳せり、 佛の兒孫にあらざれば正傳せず。またもし如法に正傳せざれば法儀相違す、 法儀相違するがごときは供養まことならず、供養まことならざれば功おろそかなり。 かならず如法供養の法、ならひ正傳すべし。 令韜禪師は曹溪の塔頭に陪侍して年月をおくり、盧行者は晝夜にやすまず碓米供衆する、みな供養の如法なり。 これその少分なり、しげくあぐるにいとまあらず。かくのごとく供養すべきなり。』(12巻本正法眼蔵 供養諸仏 最終段より) これでは坊主が葬式仏教徒になるのもやむを得んw 大パリニッバーナ経の俗物坊主連中と同じだ。 ブッダの『お前たちは修業完成者の遺骨の供養(崇拝)にかかずらうな。 ・・・・正しい目的に向かって怠らず勤め専念しておれ!』(同5-18-10)という大いに納得できる姿勢ではない。 これでは、後継アホ坊主連中が業報論+葬式仏教で差別戒名、人種差別曹洞宗という空虚な大伽藍をでっち上げたのは当然だろう。 道元のいう祖祖正傳の仏法などは最初から断絶しているのだ。 釈迦を捨てられなかったのが、マハーカッサパであり、 キリストを捨てられなかったのが、パウロであり 臨済、道元を捨てれなかったのが、それぞれのアホ弟子たちである。 それぞれがバケモノに仕立て上げ、教義を固定化し、空疎な大伽藍をつくって、 釈迦・キリスト・臨済・道元を抹殺したのである。
391 :
コレ悟りかよ!?w :2013/12/27(金) 15:05:58.62 ID:hgUBqN6e
>>358 >>禅定=坐禅ではないでしょ本来は
これがよくわからんのですが。もっと解説してもらえませんか。
禅定とは悟るための準備運動みたいなものでしょう。
坐禅とは準備運動をスッ飛ばして悟ろうというものなのか。
それとも準備運動=禅定そのものが悟りなんだということなのか。
392 :
コレ悟りかよ!?w :2013/12/27(金) 15:30:19.14 ID:hgUBqN6e
>>359 釈迦は輪廻を悟ったんですよ。
だから悟りの答えはもう出ている。我々がいくら釈迦の真似をして瞑想=坐禅をしても無駄なんですよ。
道教は正しいと思いますよ。ただし道教に輪廻の思想はないでしょ。
中国で仏教と道教が結びついたのは必然です。不老不死を目指す道教と仏教はこれで完成した。
そもそも坐禅とは、悟って何もすることがなくて暇だから坐るだけのことですよ。
道元の間違いは、なら最初から坐ればいーじゃんという勘違いです。
悟ってもないのに坐るな!とブン殴ってやりたいんですが。
393 :
さて道元を殺したのは誰なのか :2013/12/27(金) 15:34:02.03 ID:PV8xJcEx
394 :
コレ悟りかよ!?w :2013/12/27(金) 15:57:02.14 ID:hgUBqN6e
>>350 それじゃ縁起が破綻しませんか。
一切は生滅して輪廻しているわけでしょう。
色即是空 空即是色はなにも説明していません。
コップは食器である。ただこれだけです。しかも食器はコップであるという間違い。
縁起でも空の説明にもなっていない。
ただこの世界の説明であり陰陽思想の道教そのものですよ。
空とは輪廻の説明であり、コップの前世は花瓶でもお皿でもドンブリでも何でもいいんですよ。
すいません、俺焼酎飲んで酔ってるんで支離滅裂ですわ。
395 :
神も仏も名無しさん :2013/12/27(金) 15:57:20.33 ID:T0G1half
馬祖が坐禅しているとこへ南嶽が問う 南嶽「なんで坐禅してるの?」 馬祖「仏となり悟りを開きたいからですよ」 すると南嶽は落ちていた石を拾い磨き始めた 馬祖「なにしてるんすか?」 南嶽「石を磨いて鏡にしたいからだ」 馬祖「・・・石をいくら磨いても鏡にはなりませんよ」 南嶽「それなら坐禅したら仏になれるのかよ」
396 :
神も仏も名無しさん :2013/12/27(金) 16:20:19.45 ID:T0G1half
>>395 続き
馬祖「じゃあどうすればいいんですか?」
南嶽「人が牛車に乗るとき、牛車が走らなければ、牛を打つが是か?車を打つが是か?」
馬祖「・・・」
南嶽「おまえは坐禅を学ぶのか?坐仏を学ぶのか?
もし坐仏を学ぶなら、坐仏は定まった姿をもたない。
おまえがもし坐仏なら、即ち是れ殺仏である。
もし坐の姿に執着すれば、その坐禅は普遍の仏には達しない」
コレサトはコップを忘れろ
コップを成立させる空なんてない
コップと空は同じことだ
397 :
神も仏も名無しさん :2013/12/27(金) 16:24:11.42 ID:T0G1half
コップの前世を花瓶と見るのは仏教ではない 仏教ならコップはコップと見るんだ
398 :
神も仏も名無しさん :2013/12/27(金) 16:27:45.97 ID:T0G1half
コレサト禅師は上堂して言った コレサト『焼酎の来世は小便である』 僧一同大爆笑したのちそれぞれの仕事に戻った
399 :
神も仏も名無しさん :2013/12/27(金) 16:42:37.82 ID:xw3nxH1M
>>347 >中華禅道は道教の影響下で構築された事、ほとんど内容が
>道教に成っている事、それに気付かない仏教徒が多い事の方が
>問題かと思われます
仏教はもともと二元論とは親和性がありますよ。
色即是空の「色」は二元論ですから。
日本に仏教が入ってきたとき、陰陽思想もありましてね、
この陰陽と仏教を上手くマッチングさせたのが利休じゃないですか。
あと瞑想のことですけど、瞑想もある段階までは有効かと思います。しかし
禅の悟りというのは、その瞑想で得た世界観が崩壊した時に突然頓悟するのです。
これを経験的に学んだものですから、どうしても止観が優先されちまうかと思います。
400 :
神も仏も名無しさん :2013/12/27(金) 17:01:31.11 ID:ZkI3LLuW
コレサトリがやっているのは観だろうね。 あれこれ考えるのが、すでにして観であり瞑想なのだと思う。 考えることをストップするのが、坐禅であり止だ。
>>399 仏陀存命中の仏陀の教えは多元論であり、後代大乗仏教の空観は一元論であり二元論は仏教と最も親和性が無い。
402 :
神も仏も名無しさん :2013/12/27(金) 17:05:45.78 ID:xw3nxH1M
>>394 >縁起でも空の説明にもなっていない。
そもそも空を論理的に説明するのは無理なんですよ。
だから世俗諦で縁起を説明して、そしてその縁起を否定することにおいて空は説明できる。
般若心経も、ほとんど否定文になってるのはその為なんです。
禅師は、その否定において信解了承しちょるのです。
白隠が「片手の音声を聞け」と、言ったら、
それは白隠の心を読み取れ。ってこってすから。
悟れば、それは誰でも読み取れるもんなんですよ。
このスレには悟った人間も多くいますから、げんに
私の書き込みに信解了承した書き込みもあったじゃないですか?
403 :
神も仏も名無しさん :2013/12/27(金) 17:12:54.36 ID:ZkI3LLuW
昼行燈のように、 何かをやりながら、それに集中しないでボーとしている人がいるだろ。 あれはな、目の前のことに半分、それとは別のことに半分、 精力を分散させているからだな。これが観だ。 弱肉強食の世を生きて行くには八方破れ 必敗の構えだな(TT)
404 :
神も仏も名無しさん :2013/12/27(金) 17:20:39.87 ID:ZkI3LLuW
でもある日突然、雲霧が完全に消え、透き通った青空が見える そしたら坐禅に没頭しようではないか 止観の止を始めよう
寧ろ逆に意味深長だろ 他に別に興味深いだろ 当然正反対に興味津々だろ 確かに興味本位だろ
406 :
神も仏も名無しさん :2013/12/27(金) 17:40:53.33 ID:ZSn0Ussm
407 :
神も仏も名無しさん :2013/12/27(金) 17:50:16.28 ID:ZkI3LLuW
408 :
神も仏も名無しさん :2013/12/27(金) 17:50:58.81 ID:/NgTEw+s
>>399 日本には北伝として仏教による瞑想修行は伝わって無い
その証拠に摩訶止観も途中で校了してる
ちゃんと伝えられてるのは止行のみで、観行は省略されてる
無心になってリセットする行(止行)は伝わってるが、黙って静かに思惟する行(観行)が伝わって無い
だから迷うし、だから悟れない
悟れないから悟ることを諦めてる宗派すらあるくらいだ
行法の中に、思惟に特化した行が無いんだから迷って当たり前だ
409 :
神も仏も名無しさん :2013/12/27(金) 17:59:54.81 ID:xw3nxH1M
>>408 >ちゃんと伝えられてるのは止行のみで、観行は省略されてる
観行というのは、下手をすると妄想がどんどん膨らんできてしまうのです。
別にそれだけなら良いのですけど、
その妄想が自分に命令を下したりする。
昔はそれを「狐憑き」とか言ったりしましたけど、
ようするの自分では制御できない化け物の住み着いちゃうんです。
こうなると自分でもどうにもならない。
非常にヤバイ。
(つづく)
410 :
神も仏も名無しさん :2013/12/27(金) 18:00:12.09 ID:T0G1half
非思量の思量
411 :
神も仏も名無しさん :2013/12/27(金) 18:00:20.53 ID:/NgTEw+s
例えば日蓮の提唱した題目行は観行とも言えなくないが 具体的な中身は無い ただナンミョーナンミョーで… 実は止行が無かったりw
412 :
神も仏も名無しさん :2013/12/27(金) 18:05:23.75 ID:xw3nxH1M
(つづき) 私は自己愛性人格障害の女性と付き合ったことがあるのですが、 この女も心に化け物が住み着いてましてね、 その化け物は普段は大人しいのですが、突然に暴れ出すのです。 これはもう悲惨ですよ。 どうしてか?って言うと、自分ではどうにもならんのですから。 こういうのを見ちゃうと、やはり怖いですね。 瞑想やってる人間は、そういうのを知らんから・・・
413 :
神も仏も名無しさん :2013/12/27(金) 18:05:49.17 ID:ZkI3LLuW
>>408 それで疑問が解けた!
坐禅は基本、止を意味しているのだね。
観は、作務を含め、行住坐臥での修行に求められる。
ということは、生きる意味を考えること、人生を考えることなどが
観ということになる。納得できる話だよね。
観の坐禅など無用なわけだw
414 :
神も仏も名無しさん :2013/12/27(金) 18:07:05.70 ID:/NgTEw+s
>>409 止行がいい加減だとそうだろうな
大事なのは止観の両方なんだし
>>409 w
だから、そこで言われているのは 「行法」も含めて だろ?
具体的な修行法(≒練習法・習熟法・段階を追った確認法(習熟の度合いの確認法))、メソッド
といったものが欠けているということさ。
止についての“それ”と比較したなら尚更ね。
*(それは、―上座部やチベットでの定のそれを踏まえると、より明確になってくるが―
禅関係の典籍を幾つか眺めればわかるよ。 で、そうした(止を中心とした)『坐禅』というものが、
近代禅の中核であり、今、人気再燃してる禅人気の本質でもある。
日常とは別次元別世界的寂静(落ち着き、解放、脱力、癒し、)として・・。)
416 :
神も仏も名無しさん :2013/12/27(金) 18:11:00.40 ID:/NgTEw+s
>>413 それは否定しない
でも、釈尊は菩提樹下で作務して悟ったんじゃ無いと思うw
417 :
神も仏も名無しさん :2013/12/27(金) 18:18:11.56 ID:ZkI3LLuW
>>416 違うよ。釈迦は観を完成してから、止をやって成道する。
なぜなら、観以上に止は到達できないから。
418 :
神も仏も名無しさん :2013/12/27(金) 18:19:43.39 ID:T0G1half
非思量の思量
419 :
神も仏も名無しさん :2013/12/27(金) 18:28:00.34 ID:Bz0nkfE9
420 :
神も仏も名無しさん :2013/12/27(金) 18:28:51.32 ID:Bz0nkfE9
421 :
神も仏も名無しさん :2013/12/27(金) 18:34:30.50 ID:ZkI3LLuW
>>411 念仏も題目も、坐禅の数息観と変わりないわけだから、
こういったものは結局、止行なんだろうね
422 :
神も仏も名無しさん :2013/12/27(金) 18:35:20.98 ID:xw3nxH1M
>>415 おお!!これはセブン殿ではないか・・・
> 日常とは別次元別世界的寂静(落ち着き、解放、脱力、癒し、)として・・。)
貴殿は禅には詳しいかと思いますけど、
禅とは、ひと言で言ったら「日常における非日常を発見すること」。かと思いますね。
静中禅は、改めて用意された非日常。
道中禅は、ただ中の日常。
どういう場合でも、その日常における垣間見た非日常の一瞬。これさえ掴めれば殆んどok
これで一瞬の悟りがくる。
423 :
神も仏も名無しさん :2013/12/27(金) 18:36:49.63 ID:y27JC5Db
gp2遺伝子ノックアウトマウスがぴんぴんしてる理由ですね。
424 :
神も仏も名無しさん :2013/12/27(金) 18:37:01.03 ID:T0G1half
非日常悟り発見! 世界ふしぎ発見!
425 :
神も仏も名無しさん :2013/12/27(金) 18:37:14.14 ID:xw3nxH1M
×道中禅 ○動中禅
426 :
神も仏も名無しさん :2013/12/27(金) 18:52:34.28 ID:kyeoC0Pi
せぶんは、しったかがすきだねえw
427 :
コレ悟りかよ!?w :2013/12/27(金) 18:52:50.27 ID:hgUBqN6e
>>396 はい、コップはありません。
>>397 コップの前世は言い過ぎました。撤回します。
>>400 俺の日々の日常が禅なんだけど。飯喰ったら猛烈に眠くなる。以前はこんな幸せは感じなかった。
>>402 空は完璧な論理ですよ。
一切を空として否定しても唯一否定できないもの。
それが輪廻です。
>>それは白隠の心を読み取れ。ってこってすから。
輪廻する我々の心を空で否定できますか。
428 :
神も仏も名無しさん :2013/12/27(金) 18:55:23.66 ID:Bz0nkfE9
>>427 >輪廻する我々の心を空で否定できますか
肉体が無ければ心は居場所が無い、故に空なり
429 :
神も仏も名無しさん :2013/12/27(金) 18:55:35.20 ID:ZkI3LLuW
>>417 の続き
観以上に、止は到達できない。
であるならば、観の中に壮絶な体験がなければならない。
目を開いたまま体験することがある。
アブラハムもヤコブもヨブも、それを体験していると思われる。
パウロもそのひとりかもしれない。
それを体験することが観の究極なのだろう。
430 :
神も仏も名無しさん :2013/12/27(金) 19:00:13.73 ID:Bz0nkfE9
>>429 >目を開いたまま体験することがある
君は仏教未体験者なのか?
一般的にはどの宗も普通目は瞑らないよ
431 :
神も仏も名無しさん :2013/12/27(金) 19:10:38.70 ID:Bz0nkfE9
観行とは要するに毘鉢舎那行の事で 寺和田のスマナサーラのぼっさまとかが携えて来たヴィパッサナーが現段階での正式方法だそうだ 禅宗はじめ天台系各派やそれ以前の南都六宗とかには奢摩他行(止行)は伝わってても 毘鉢舎那行(観行)は正確には伝わっていない 智が解説を奢摩他行だけで投げちゃったからそうなってる だから南伝直送の糞掃衣軍団が画期的に見えたのだろうかと思う チベット系は色々揉めてたりラマ教とか言われて仏教扱いすらして貰えてなかったからね
432 :
神も仏も名無しさん :2013/12/27(金) 19:28:25.10 ID:ZkI3LLuW
>>430 満月を体験しているのだから文句は言えないだろw
坐禅する時は、無音の、真っ暗闇の部屋で、目を瞑ってやる
死ぬ可能性があるから自己責任でやってくれ
433 :
神も仏も名無しさん :2013/12/27(金) 19:33:02.78 ID:Bz0nkfE9
それと、寺和田系の僧侶たちは、教える側は全員阿羅漢級なので 何か言ってる事が間違っていたとしても、俺ら教わる側にそれを指摘する権限は無い 意味解るだろうか? 間違った見解のまま阿羅漢になったら指摘できるのは上位の阿羅漢のみ可能と言う事 師敵対は破和合僧となり仏教では重罪なので追放される 釈尊が煩く「見を正せ、全ては見に由来し見に帰結する」と言われたのも 間違ったままで阿羅漢になる事も可能だと釈尊が解っていたからだ 釈尊のシンプルな教えに倣うと、釈尊在世は釈尊が最上級だから先生は一人だが 滅後は自分にとっての導師が師匠になる為、流れは多流になる ぶっちゃけ五人阿羅漢課を得てれば五派の仏門となる それぞれの阿羅漢の見解は尊重しなければ自分の見解は維持できない 師がいるなら尚更で師の見解が間違っていてもそのまま尊重しなければならない 内部的にはこんな流れで来て 上座部の祖先が権威を主張し始めて根本分裂に至ったと その流れで言えば、独覚も許されない事になる訳だが、この連中は大事なことを見逃して最後は滅亡に至る 大事な事 釈尊はそもそも外道に師を持ち、それを否定し、改めて独覚したと言う事実 これ忘れなきゃ根本分裂も無かったかもしれないとも言えないとも言えるとも何とも
434 :
神も仏も名無しさん :2013/12/27(金) 19:43:13.21 ID:PV8xJcEx
>>428 >輪廻する我々の心を空で否定できますか。
その『輪廻』とか『我々の心』とやらを出してみろ。
おせち料理にしてやるからw
435 :
神も仏も名無しさん :2013/12/27(金) 19:43:54.57 ID:xw3nxH1M
>>427 これ悟りかよ氏
>輪廻する我々の心を空で否定できますか。
ええ、それは勿論のことできます。
つうか、そもそも空でなくても、そのお題は簡単であります。
成仏すれば輪廻から解脱できるのに、何故貴殿は輪廻に拘る?
つうかそもそも成仏することには全く関心がなくて、
自己アイデンティティーを輪廻依存に転換しているんと違いますか?
実はこういう御仁は多いのですよ。
これは世情に関係していて、不景気が原因しちょる場合もある。
おお、お題は「輪廻を空で否定」でしたね。
空はそもそも時制がないですから、輪廻はどう考えても寂滅しますね。
それでも輪廻に拘るのなら、一瞬ではありますが輪廻は生起しますね。
生起はそのまま寂滅する。これが縁起です。
つまりですね、一瞬において輪廻(永遠)があります。
別な言い方ですと・・・
輪廻(永遠)とは、一瞬においてしかない。こういうことです。
これは言葉で説明しても到底納得いくもんじゃないですけど、
このスレには悟った御仁もおりますから、私の書き込みも、そういう御仁には納得いく。
では、おやすみ。
相変わらず・・・w ┐(´ー`;)┌
>>422 は、
>>408 とも
>>415 とも、まったく無関係な話じゃないかw
そこで422というレスが入る必要がどこにあるんだ?
んっと、相変わらず意味不明だな・・。
437 :
神も仏も名無しさん :2013/12/27(金) 20:17:28.83 ID:kyeoC0Pi
相変わらず・・・w ┐(´ー`;)┌ はせぶんもw しったかw
438 :
神も仏も名無しさん :2013/12/27(金) 20:24:03.58 ID:0Tjd1+xM
>>355 >いいですか?この観音の言ってる事は所詮菩薩の見解なんです
それを事もあろうか阿羅漢である舎利佛に説法してるんですよ
>(中略)しかもパーリ語も存在しない偽経ですし
>>365 >対告衆が舎利佛なのは最大のミスだったと思われますね
>>379 >菩薩は如来や阿羅漢の居る方へ面を向けて教えを請う立場
>その教えを請う立場の菩薩が阿羅漢である舎利佛に説教するとか土台からして間違ってる
(仏教者の序列の常識?)
菩薩 < 阿羅漢 < 如来
(私の認識)
菩薩 < 阿羅漢 < 一部の菩薩 < 如来
439 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/12/27(金) 20:25:20.05 ID:0Tjd1+xM
>>438 続き
【根拠1】
半年ほど前に石飛先生の『マニカナ』での質疑応答を記憶モードで。
問:阿羅漢と菩薩との違いはどこですか?
答:阿羅漢は涅槃入りします。 菩薩は「方便力」が大きいので、涅槃入りと娑婆への輪廻を選べます。
【根拠2】
輪廻から解脱して涅槃入りする方が上位ですか? 普通はそうだと思います。
では阿弥陀如来らは何故完全な涅槃入りをしないで、無住処涅槃にて衆生済度を展開されているのでしょうか。
月称菩薩は「慈悲故に」と「入中論」で解説されております。
石飛先生も「一切智もまた衆生済度の為にある」と言われました。まさに至言だと思います。
もし涅槃入りする方が上位でしたら、阿羅漢達の方が如来よりも上位になります。そのようなことはございませんでしょう。
どうやら阿羅漢は悟ったらすぐに涅槃入りするようですが、如来と菩薩は慈悲が完成すればするほど涅槃入りを避けるようです。
お題の観世音菩薩は阿羅漢の大先輩であり慈悲の権化のような存在ですから、菩薩に留まっておられると思料します。
ですから観世音先輩の教えを阿羅漢の舎利佛が信受することもなんら可笑しくはないかと思います。
以上、異教の私は皆様とは視座が異なるようです。
440 :
神も仏も名無しさん :2013/12/27(金) 20:35:57.26 ID:jsWKhZQ2
輪廻があると信じたら 幸せに生きられるんだろうか 貧乏人は貧乏のままだし 宝くじが当たる夢みて 徳を積み 来世は金持ちになるぞ
441 :
神も仏も名無しさん :2013/12/27(金) 20:42:09.40 ID:Bz0nkfE9
>>439 平たく考えれば、釈尊が採用してない考察なので却下だね
442 :
コレ悟りかよ!?w :2013/12/27(金) 20:44:22.08 ID:hgUBqN6e
>>428 あなたの心は前世でカブトムシでした。
>>434 出せるか!見せもんじゃねーぞ!
>>435 >>成仏すれば輪廻から解脱できるのに、何故貴殿は輪廻に拘る?
みなさん輪廻を否定してたら解脱できないでしょ。だから輪廻に拘らないといけません。
輪廻は俺のアイデンチチーですよ。
>>空はそもそも時制がないですから、輪廻はどう考えても寂滅しますね。
いえ縁起や空は輪廻する実体を解体して存在しないという役割ですから。
物質や時間は寂滅するでしょう。
しかし輪廻はするでしょう。
そもそも肉体は死んで寂滅するのですから。
「空」とは「おまえはもう死んでいる」と言ってるだけですよ。ただそれだけです。
しかし肉体と時間は寂滅しても、続く。それが輪廻です。
>>輪廻(永遠)とは、一瞬においてしかない。こういうことです。
一瞬の積み重ねが時間じゃないですか。輪廻に始まりも終わりも無い。
つまり縁起や空では解体できない。
むしろ空で空を寂滅できないように、輪廻とは空であると言えます。決して輪廻が空ではありません。
443 :
begezan :2013/12/27(金) 21:01:16.95 ID:y27JC5Db
「第5回親鸞フォーラム」 検索してみてみそ。なかなかおもしろいよ。
444 :
神も仏も名無しさん :2013/12/27(金) 21:03:43.93 ID:IHI2zhD5
>>439 出てきやがったな?イエスもブッダも一緒くたのインチキ八百長宗教の真光信者さんwwww
おまえはユリゲラーや矢追の本でも読んでやがれwwwwwwwwwwww
445 :
begezan :2013/12/27(金) 21:30:35.80 ID:y27JC5Db
生物学者は生命を動的平衡という言葉で説明している。 生命体は固定して閉じられたシステムではないということである。「生体を構 成している分子は、すべて高速で分解され、食物として摂取した分子と置き換 えられている。また分解され排出されている。 ということは生命とは自己同一的でありかつ自己同一的でないという宿業を負わされた 存在ということだが、ゆく分子の流れは絶えずして またもとの命にあらず。 われわれが死んでも、それほどのことでもないのである。 分子レベルでは、他のなにかになっているからである。 仏教の輪廻の考えも、馬鹿には出来ないのである
福岡伸一さんの本は読んだ。 人間の胃や腸の中は体外である(マカロニの穴の中の様なもの)〜というのも面白かったw 吸収されて始めて体内と言える、言われてみればその通り。 ま動的平行と輪廻は何の関係も無いけどね。
447 :
begezan :2013/12/27(金) 21:42:18.30 ID:y27JC5Db
体の細胞の生まれ変わりを輪廻なんて言わないから(定義じゃない) 一人間の生まれ変わりが輪廻。
449 :
begezan :2013/12/27(金) 21:55:43.21 ID:y27JC5Db
一人間の生まれ変わりのことを輪廻というのか・・・・ なんでもいつかはエントロピーに吸収されてしまいますが、その外部に 変らない「個人」というか魂というものが仮定されてるわけですね。
>>449 輪廻というのは人間だけ対象としたものらしいよ。
失礼、間違って途中で送信してしまった。 上で言ったように細胞などは対象外だし、例えば地球が死んで(太陽に飲み込まれて)その後、 銀河の他の所で星が生まれて地球の生まれ変わり〜なんてのも想定していないらしいw 人間だけというのが何とも小ざかしい仮説にしか思えない大きな理由ですね。
452 :
コレ悟りかよ!?w :2013/12/27(金) 22:09:22.54 ID:hgUBqN6e
>>451 宇宙は膨張して収縮を繰り返してるだけです。
宇宙も健気に輪廻しております。
453 :
神も仏も名無しさん :2013/12/27(金) 22:10:47.22 ID:PV8xJcEx
>>442 >
>>434 >出せるか!見せもんじゃねーぞ!
あるんなら、出せるでしょw
ないから、出せないんでしょ?w
両方とも、見せモンですよ。
みんなが見たがっているんですよ。
で、見た人は今まで誰もいないんです。
さあ、あなたの妄想じゃなかったら、出してくださいよ。
454 :
神も仏も名無しさん :2013/12/27(金) 22:18:31.68 ID:T0G1half
コレサト禅師は上堂して言った コレサト『焼酎の来世は小便である』 僧一同大爆笑したのちそれぞれの仕事に戻った
455 :
コレ悟りかよ!?w :2013/12/27(金) 22:26:13.18 ID:hgUBqN6e
>>453 上級者向けですが瞑想して宇宙が輪廻しているとこを「見て」ください。
初心者には「夢」です。睡眠中に夢を見るでしょう。あれが輪廻の世界です。
俺発見したんですが輪廻から解脱すると夢を一切見なくなるんです。
完全に熟睡できますよ。
星や宇宙には意思はありますか。意識でもいい
>>455
457 :
コレ悟りかよ!?w :2013/12/27(金) 22:34:05.46 ID:hgUBqN6e
>>456 まだ断定できませんが、俺は星や宇宙に意識は無い、と思います。
生命の意思や意識が星や宇宙をつくっているのだから。
458 :
神も仏も名無しさん :2013/12/27(金) 22:39:52.76 ID:PV8xJcEx
>>455 あなたの妄想なんかどーでもいいんですw
両方とも、見せモンですよ。
みんなが見たがっているんですよ。
で、見た人は今まで誰もいないんです。
さあ、あなたの妄想じゃなかったら、出してくださいよ。
459 :
神も仏も名無しさん :2013/12/27(金) 22:46:07.54 ID:PV8xJcEx
>>455 以下の仏法基準で出せなかったら、あなたの妄想にしか過ぎませんから、
あなたにまじめに応答する人はいないでしょう。
仏法は現生的なる法(相応部35-70)として、その教典・論説などは下記基準を満たしていなければならない。
1.現に証せられるもの(現実に今ここで実証できるもの)、
2.時を隔てずして果報あるもの(時間をかけることなく瞬時に効果の現れるもの)、
3.来り見よというべきもの(ここに来て実際に見なさいと言えるもの)、
4.よく涅槃に導くもの(苦の寂滅・心の平安に導いてくれるもの)、
5.知者がそれぞれに自ら知るべきもの(勝れた知者が、自分で知ることのできるもの)。
<相応部 35-70『ウパヴァーナ(優波婆那)』>
輪廻とこころとやらを出してください。
監視カメラがありますから、私の家の前でもいいですよ。
でてきてください。
当然、神通力程度はお持ちなんでしょう? 簡単ですよねw
460 :
コレ悟りかよ!?w :2013/12/27(金) 22:54:03.53 ID:hgUBqN6e
461 :
神も仏も名無しさん :2013/12/27(金) 23:13:56.63 ID:PV8xJcEx
>>460 単なる夢=妄想ですよね。
正直なお方で見直しました。
ここが外れたら糸の切れたタコでどーにもなりません。
そんなお方が多数おられます。
ここには外道在家という姑息なウソツキカルトが住み着いていますが、あなたの方がいいです。
単なる夢=妄想は検証できません。
仏法はそんな妄想は一切外ですから無視(無記)します。
キチンと確かに検証できることだけを、正確に徹底的に見つめてゆきます。
その中心があなた=自己です。
この続きはまたにしましよう。
ではまた!
>>455 主観では天動に観得るけど結局地動がそれなんじゃねーの〜?
463 :
神も仏も名無しさん :2013/12/28(土) 00:25:23.83 ID:uM0eIydI
>>445 >生物学者は生命を動的平衡という言葉で説明している。
動的平衡は、死ねば停止する。福岡さんも、その動的平衡という「現象」は
観察できても、その「原動力」は観察できない。「ただ跪くだけ」と言ってるね。
生と死との間には、画然たる相違がある。釈迦は、それについては、一切
指摘しえてはいない。
464 :
神も仏も名無しさん :2013/12/28(土) 00:56:11.43 ID:LS/wVqjw
基地外相手に議論するとか、よっぽどレベルが低いな、ここの住人は。 あぼーんしてる人も、よく気をつけてないと、基地と議論してるヤツにレスしたりして、 間接的に基地外と議論してることになる。 もうここのスレもお仕舞いだな・・・ けっきょく、真ともに議論してるのは一人もいず、 ほとんど、個人的仏教観の、披露のし合いになってる。 ここは仏教の聖者方から言わせれば、糞のたまり場・・ みたいなもんだな。
465 :
神も仏も名無しさん :2013/12/28(土) 01:11:32.05 ID:8VrLWpEM
どこもかわらんよ、不特定多数のひとがいて 長くいれば嫌なところも見えてくる 試し他の場所いってみなよ
466 :
神も仏も名無しさん :2013/12/28(土) 01:12:18.55 ID:RQBxM5mj
>>464 なにが議論だバカwwww名無しの分際で(笑)
糞カルトをからかう場所が2ちゃんだわ
ま、この(シリーズ)スレの存在意義・建立意義からして、 そもそも「基地外の隔離」だったわけでw
468 :
神も仏も名無しさん :2013/12/28(土) 01:19:21.63 ID:rcjIa98H
来たれ求道者、は仏教の基本姿勢だし、門は誰にでもいつでも開いてる筈 そして仏法者と非仏法者も立場は対等で、重要度はどちらも平等であるはず 2ちゃんは特別不夜城にして、論者も24時間体制で誰かいる 例えば在家や宝珠やコレさとなどの破仏法を語るものが居ても 気に入らないならスルーして、ポイントがあれば智者が正しい見解を書けば良い 対告衆とはそう言う立場なのであり、善も悪も無く、無知も智者も無い 対告衆は理法の従事者に示現の切欠を与える外護者でもある 仏教を議論するならそう言う建設的な眼で見なくては仏の意に沿わないと思われ それなら単なる議論の為の自己顕示の議論は禁じられていた筈なのでするべきではない このスレは議論スレという名の仏教布教示現スレである
レベルが下がったというのも事実だろうけど。
だいたい、
五蘊皆空の筈なのに、色の空しか見ないから、実在云々って話になる。
色も空だが、想や識も空である。受や行も空であるところが肝なのに。
そりゃ、視覚触覚に訴える色について考えることは、インパクトをもって受容されるであろう。
が、そこで止まっちゃう。物が無常であり、絶対的本質を持たないことは、現代人にとっては解り易い。
解り易い反面、それ以上が考えられなくなる。本当は、色よりも後四蘊の縁起こそが重要なのだが・・・。
>>468 >このスレは議論スレという名の仏教布教示現スレである
ああ、それは感じるw
470 :
神も仏も名無しさん :2013/12/28(土) 01:27:46.37 ID:rcjIa98H
>>469 では頑張ってレベルを維持していきましょうよ
それと空はもう忘れていいと思います
必要になったらまた思い出して観ずればいいし語ればいいかと
>>470 ま、空にこだわりはないけれども、
現状では、常時参加は色んな意味でツライからなぁ・・w
つか、口を挟む隙がないくらい、ムー&たま出版だし・・。
zzz ノシ
472 :
神も仏も名無しさん :2013/12/28(土) 01:39:56.37 ID:CexBlxjW
愚痴ばかりのレスも見てる側からすれば不愉快だぞ
473 :
ポータ :2013/12/28(土) 02:29:38.94 ID:3WovqTkW
>>458 :神も仏も名無しさん:2013/12/27(金) 22:39:52.76 ID:PV8xJcEx
>あなたの妄想なんかどーでもいいんですw
>両方とも、見せモンですよ。
>みんなが見たがっているんですよ。
>で、見た人は今まで誰もいないんです。
>さあ、あなたの妄想じゃなかったら、出してくださいよ。
>>459 :神も仏も名無しさん:2013/12/27(金) 22:46:07.54 ID:PV8xJcEx
>以下の仏法基準で出せなかったら、あなたの妄想にしか過ぎませんから、
>あなたにまじめに応答する人はいないでしょう。
>仏法は現生的なる法(相応部35-70)として、その教典・論説などは下記基準を満たしていなければならない。
> 1.現に証せられるもの(現実に今ここで実証できるもの)、
> 2.時を隔てずして果報あるもの(時間をかけることなく瞬時に効果の現れるもの)、
> 3.来り見よというべきもの(ここに来て実際に見なさいと言えるもの)、
> 4.よく涅槃に導くもの(苦の寂滅・心の平安に導いてくれるもの)、
> 5.知者がそれぞれに自ら知るべきもの(勝れた知者が、自分で知ることのできるもの)。
<相応部 35-70『ウパヴァーナ(優波婆那)』>
>輪廻とこころとやらを出してください。
>監視カメラがありますから、私の家の前でもいいですよ。
>でてきてください。
>当然、神通力程度はお持ちなんでしょう? 簡単ですよねw
仏教は、監視カメラで撮影できる事柄を取り扱っているのですね。
では、仏教の仏を監視カメラで撮影してご紹介ください。
出来ましたら、悟りも涅槃も撮影して頂ければと思います。
宗教部門ですよね、根本で何か混乱はありませんか。
474 :
神も仏も名無しさん :2013/12/28(土) 02:57:36.74 ID:ZDZDr9MQ
宝珠よ、喜べ 一生懸命考えたぞ、仏の言いつけは少し破ったがな お前の欲しがってた真我 あれはな、有るぞ確かに でもな、無いんだ確実に 「我が思いの作すこと能わず、我が憶想の及ぶこと能わず、我が意の至ること能わず 我を離れて全てに及び、我も含めて全てに帰す」 その正体は一切の「発生」そのものだ これ自体に意思も無く意図もなく自性も無い 空だから見えず、空故に分かり難い 有るでもなし、無い訳でもない 全ては縁に因って生じる、と言う原理そのもの これが宝珠、お前の探してる永遠不滅の真我の正体だよ この視点で見れば全ては輪廻転生してる まあ、MCエッシャーの水車小屋の実物模型くらいアクロバティックな結論だけどなw
475 :
ポータ :2013/12/28(土) 03:02:23.66 ID:3WovqTkW
>>459 の現生的なる法ですが、
これは、現生にどのように相応されるかですね。
仏教をもってして、現生にいる我々の実践への指南のように思いました。
学問をして、それをどう生かすかというようなことでしょうが、
学問一般ではなく、仏の教えに応じるのですから、相応なのでしょう。
混乱しての撮影のお話は、ひるがえって仏教学(宗教学)を狭くからかうような事になりませんか。
476 :
神も仏も名無しさん :2013/12/28(土) 03:11:34.76 ID:ZDZDr9MQ
>>475 現生=一人がオギャっと生まれてから死ぬまでの間の一生涯の事
釈迦の理法は徹底的にこれについてのみに絞って述べられている
上記一生涯以外のことを言う場合もあるが、それは仏道へ入らせる為の方便
釈迦のスタンスは常に「来って見よ」であり、良く解んない事は無記のお蔵へ一旦入れて
使えるものはそれを餌に誘引に使った
477 :
神も仏も名無しさん :2013/12/28(土) 03:26:14.08 ID:ZDZDr9MQ
>>475 撮影する事に対しての仏教的見解では、魂みたいのとか我とか輪廻とか
有ると主張したなら見せられなきゃ嘘になる
一般認識では「存在があって関係性がある」と認識するが
仏教的には「関係性があって存在が成り立つ」と考える
故に、有ると言ったならば見せられなければ嘘になるのだ
そのもの本体を見せられなくても、関係性の一端の反対側が
認識の取っ手になってる筈なので見せて証明しなくては主張が成り立たない
で、例えば我を見せるとしたらどうか?我そのものは見せられないから自分を見せるんじゃないのかな?
写真に頼ってもこの場合おkだけど、要は我そのものを見せることは出来ず、自分と言う有限の肉体を見せる事になる
肉体は空である、仮和合の現象である、じゃ結局我って一時的に仮和合してる肉体が無きゃ証明すらできない曖昧なものだね
となる
>>463 御隠居? 御隠居の致命的な欠陥は、未だに生死を区別できないことだ。
肉体から霊魂(命)が抜ける。これが死(物質)なのに。
霊魂を体験したことがないからわからない。
物質(身体)から生命(霊魂)は湧いてこない。
霊魂から身体が作られる。
479 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/12/28(土) 05:00:09.76 ID:rZkfiLRZ
>>441 >
>>439 >平たく考えれば、釈尊が採用してない考察なので却下だね
法華経「如来寿量品第十六」
みんなは今こうして方を説いているわたしを菩提樹下に坐して道を求め、そうして無上の悟りを得たものだと思っています。
ところが実際はそうではありません。わたしが仏となってから、実に無限の時が経っているのです。
(略)
わたしは常にこの娑婆世界にいるのだが、自由自在の神通力にて心の傾倒している衆生には近くにいても姿が見えないようにしているのです。
(略)
衆生の目から見れば、地球の命が尽き、大火に焼かれ破滅してしまう時代が来ても、仏の国土は安穏であって人間、天人が充満し安らかに暮らしています。
(考察)
「入中論」で月称菩薩が解説された如来のみならず、釈迦如来もまた安寧の涅槃入りなどしていないとの仏説です。
また地球が滅びましても極楽浄土は常住のようです。 合掌
480 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/12/28(土) 05:18:04.94 ID:rZkfiLRZ
>>468 >対告衆は理法の従事者に示現の切欠を与える外護者でもある
>このスレは議論スレという名の仏教布教示現スレである
私も5年ほど前からそう感じておりました。
ですから自称「仏法者」が「非仏法者」に対して、安易にアホ、馬鹿、基地外のラベル貼りをしているのを見ると仏教布教にはマイナスと判断しております。
「慈悲の完成も一切智も衆生済度の為にある」という石飛先生の至言ですが、諺では「泥の中のドジョウ救い」かと存じます。 合掌
坐禅する時は、音を消し、暗くして、さらに目を閉じる。 釈迦や空海はどうやって成道したのか。 暗くて静かな、夜から明け方にかけてではないか。 空海の場合ははっきりしている。 ろうそくが消えれば、洞窟の中だから真っ暗になる。 空海は求聞持法をやっていた。 しかし、凡夫がこんなことを真似したら死ぬかもしれない。 自己責任でやってください。
>>480 ネットで見た限りでは、本だけの石飛さんは女凡夫だね。
ホンモノではない。微妙に違う。
483 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/12/28(土) 05:43:40.44 ID:rZkfiLRZ
>>482 >ネットで見た限りでは、本だけの石飛さんは女凡夫だね。
>ホンモノではない。微妙に違う。
おっしゃる通り、ネットで見る限りではめっちゃ凡夫のように見えます。
とても親切なので、仏法者も非仏法者も「マニカナ」板に集まって参ります。
でも凡夫は方便のようで、刹那の輝きが観じられる時がございます。
多分、一代氏はそれを見逃さなかったので絶賛されたのだと思料します。
484 :
神も仏も名無しさん :2013/12/28(土) 05:57:33.02 ID:/o1z8txF
>>479 先ず一つ
如来寿量品の会座は虚空会です
つまり説法者の己心中の出来事です
あなたが大好きな沙門果経に説かれる瞑想中果の六通と同じです
そして二つ
法華経そのものは釈尊の説とは言えません
釈尊は久遠実成など説いていませんから
ともすれば久遠実成は梵我一如と同義となります
釈尊が否定したものは本義とはなり得ません
485 :
神も仏も名無しさん :2013/12/28(土) 06:32:28.74 ID:/o1z8txF
>>481 >さらに目を閉じる。
眼は閉じません
基本は半眼です
念仏や題目行なんかじゃガン見基本です
あなたは仏道を行ってないのが良く分かる知ったかだと思われます
486 :
神も仏も名無しさん :2013/12/28(土) 06:37:51.21 ID:/o1z8txF
誤解されがちな事ですが 仏教の瞑想修行は基本眼は閉じません 眼を閉じてしまうと見仏を拒否する姿勢にも繋がり 瞑想としては魔境を得てしまうからだと言われています 開眼瞑想、仏教の基本です 今度仏像を良く見てください みんな眼を閉じてる様で薄目開いてます
487 :
神も仏も名無しさん :2013/12/28(土) 07:36:05.76 ID:JP5APnOo
>>486 テーラワーダでは眼を閉じ、チベットでは眼を見開き、禅では半眼にするようです。
それとなぜ禅では魔境を嫌うかというと、瞑想中に見えた光や映像の使い道が禅には
伝わっていないからだそうで、光を見て悟ったと勘違いしてしまうからみたいです。
テーラワーダではその光を使って光に映し出された映像によって、
アビダルマ的なものを観ていき最終的には空の体験までするみたいです。
488 :
神も仏も名無しさん :2013/12/28(土) 07:50:21.49 ID:B6CWtgJ7
487のどこのデタラメ語ってんだ?
489 :
神も仏も名無しさん :2013/12/28(土) 07:54:25.15 ID:7vVgIJtG
>>485 原始仏典で書かれているゴータマさんや当時の彼の直弟子達の瞑想メソッドを読むと
目は瞑目してとあるから、目を閉じない禅宗の禅は、ゴータマさんの瞑想とは違うものですね。
491 :
神も仏も名無しさん :2013/12/28(土) 08:18:18.37 ID:JP5APnOo
>>488 youtubeで「鈴木一生」で検索してもらえば、
鈴木一生さんが語っておられますので。
492 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/12/28(土) 08:41:07.70 ID:rZkfiLRZ
>>484 >法華経そのものは釈尊の説とは言えません
>釈尊は久遠実成など説いていませんから
釈尊には四悉壇がございます。
輪廻でも相手に応じて無記の場合も、宿住通を詳説の場合もございました。
よって「釈尊は○○を説いた」とも「釈尊は○○を説かなかった」とも断定できないのが
仏説の空性(筏)かと存じます。
493 :
コレ悟りかよ!?w :2013/12/28(土) 09:02:41.14 ID:Ny5rdDoW
>>484 >>法華経そのものは釈尊の説とは言えません
そうです。でっち上げのお経です。でも嘘ではない。
>>釈尊は久遠実成など説いていませんから
釈迦は悟って不死を得た。
しかも宇宙は輪廻している。
この二つの事実を突き詰めたら論理的に久遠実成が導かれるのは当然です。
>>ともすれば久遠実成は梵我一如と同義となります
同義ですよ。ヒンズー教は仏教です。
494 :
神も仏も名無しさん :2013/12/28(土) 09:11:20.19 ID:XCPF9oiH
>>436 セブン氏
>そこで422というレスが入る必要がどこにあるんだ?
>んっと、相変わらず意味不明だな・・。
では少し詳しく説明します。
禅は達磨からも観行はなかったし、慧能の時代になるともっと精査されていき、
行法自体に疑問をもつようになる。
いやむしろその、行法自体に疑がなければ禅とは何か?まで迫るのは難しい。
その疑は日本禅にまで継承されておるんです。
盤珪の弟子が禅定をしようとした際、盤珪は「禅定せんでもええ」。と言ったらしい。
これはその象徴的逸話でありますね。
この逸話をどう捉えるか?
これは自らがその答えを導き出さねばなるまい。
495 :
神も仏も名無しさん :2013/12/28(土) 09:23:55.43 ID:B6CWtgJ7
487へ、490の内容だと、ダラニとか、あるから、密教系じゃん、 てらわだ、と無関係じゃねえのか? 眼を閉じるに関して・・・
496 :
神も仏も名無しさん :2013/12/28(土) 09:32:43.37 ID:/o1z8txF
眼を瞑る瞑想が仏教にあるのを知らなかったのは自分が認識不足でした 大念住経で形から直そうと思います
497 :
神も仏も名無しさん :2013/12/28(土) 09:41:24.60 ID:/o1z8txF
毎日読誦してるお経の一部です 仏垂般涅槃略説教戒経 弟子たちよ、智慧があれば欲や執着もない。いつも自分自身を省みて過失のないようにしなさい。 そうすれば、私の教えの中で悟りを開くことができるだろう。そうしない人はもう修行者ではない。 かといって在家信者でもない。中途半端で名づけようがない人である。真実の智慧とは、 老・病・死の海を渡る丈夫な舟である。あるいは無明という暗闇を照らす大いなる灯明である。 すべての病の苦しみを治す良薬である。煩悩の樹を切り倒す鋭利な斧である。だからお前たちよ、 智慧の話を聞き、智慧への思いを巡らし、智慧を実践することで、自ら功徳を積みなさい。 智慧の輝きがあるならば、神通力がなくても、真理を明らかに見ることができる人になれる。 これを「智慧」と名付ける。 (中略) 弟子たちよ、悲しんではならない。私がたとえ何万年と生きようとも、生まれたものは必ず滅びるのである。 生まれたのに滅びないということは決してない。自分も他人も幸せになる方法は、皆が理解した。 私がこれ以上生きていても、もう説くことはない。救うべき者は、神でも人でも全て救うことができた。 まだ救っていない者にも、いずれ救われるように教えを遺した。今後、弟子たちが、教えを伝えて実践していけば、 私は教えとして生き続け、死ぬことはない。だから知るべきである。世界は、すべて無常であって、出会いがあれば必ず別れがくる。 悲しんではならない。世界の真実がそうなのだ。お前たちも努力して早く悟りを開き、智慧の明かりによって無知の闇を照らしなさい。 世界は、実に危うくもろく、常住なものなど存在しない。私が今死ぬということは、悪い病から解放されるようなものである。 これこそ、捨て去るべき最悪のものである。それはいわゆる「身体」というもので、生・老・病・死の海に沈んでいる。 どうして智慧ある者が、敵のように捨てるべき身体をなくして、喜ばないでいられるだろうか。 弟子たちよ、いつも一心に仏道を求めなさい。世間のあらゆるものは、いずれ壊れてなくなってしまうのだ。弟子たちよ、 しばらく静かにして、話をしてはならない。時はまさに過ぎ去っていく。私の最期がやってきた。これが私の最後の説法である。
>>494 ?
何の話をしてるんだ?
修行の体系、方法論、及びその行(観行)自体が「伝わっていない」という
歴史的伝播の話の筈だが?
どういう価値付けで(―本義として、観も止もない―)などといった、
個々の修行或いは所得に関しての受け止め方とはまったく別問題だが?
499 :
神も仏も名無しさん :2013/12/28(土) 10:26:47.28 ID:XCPF9oiH
>>442 これ悟りかよ氏
> 一瞬の積み重ねが時間じゃないですか。
これは悟らないと意味不明なことです。
悟りというのは毎度私が書くように「日常における非日常を発見する」ことですから、
悟ったことは、つまり日常では理解し難いことです。
一日で悟る方法があります。
それは観念でもって世界観を構築することです。
肝心なのは、悟りってのは観念じゃないのです。
観念でもって「悟った」と掲示板に書き込みしている御仁は多いですよ。
これは悟ったんじゃないのです。妄想ですね。
そういうことも全部含めて悟らないと、それは悟ったとは言えんです。
私は悟った御仁か?悟ってないか?それは書き込み見れば大体わかります。
>>352 この方は、観念・妄想をちゃんと分別してますし、
縁起の現観もわかってます。
実は悟ってる御仁は、いくらでもいますよ。
勿論、そういう御仁は輪廻から解脱しちょりますがね。
500 :
神も仏も名無しさん :2013/12/28(土) 10:45:07.48 ID:B6CWtgJ7
499え? 禅を知らずに。知らないものをしったかぶりできるのが、 >観念・妄想をちゃんと分別してますし、 縁起の現観もわかってます。 なんでしょうかね?
501 :
コレ悟りかよ!?w :2013/12/28(土) 11:15:14.45 ID:Ny5rdDoW
>>449 >>悟りというのは毎度私が書くように「日常における非日常を発見する」ことですから、
>>悟ったことは、つまり日常では理解し難いことです。
ハイ、ですからその非日常の世界が輪廻ですよ。
>>肝心なのは、悟りってのは観念じゃないのです。
この現実世界は観念という妄想でできあがっています。
悟りとはその世界を破壊することです。そして真実の世界が見える。それが輪廻です。
>>私は悟った御仁か?悟ってないか?それは書き込み見れば大体わかります。
いえ、わかりませんね。観念・妄想を分別と言いましたが真実と分別するんですか。
あなたが分別する真実・・・真理とは何なのですか?俺はそれを輪廻だと思っています。
>>実は悟ってる御仁は、いくらでもいますよ。
いえ、おられませんね。みな輪廻を否定しちょります。
>>勿論、そういう御仁は輪廻から解脱しちょりますがね。
輪廻から解脱することと、輪廻を否定することは違います。
釈迦は輪廻を否定しておりません。輪廻を語っております。仏教の核心が輪廻なのです。
502 :
神も仏も名無しさん :2013/12/28(土) 11:37:16.12 ID:FQp4bH55
ブッダの八正道には、このような視点があるわけではありません。あくまでサルカールの解説です。
ブッダが一般の人のために述べた八正道には、この世で生活してゆく上で必要な物的要素、
バランスのとれた経済、調和のとれた社会的規範などが含まれていないとサルカールは指摘します。
しかし、同時に「ブッダは、たくさんのことを言いましたが、すべてが正しく書き留められたわけではありません」
(THE FUNDAMENTAL PRINCIPLES OF LIFE )とサルカールは述べています。私自身、サルカールの本とサルカールの
弟子の本では天地の差を感じます。それから類推すると、ブッダの教えは、弟子が記憶に頼って記録したものであり、
弟子の理解力のレベルに規定されて、ブッダの深みを経典に書き残せなかっただろうと考えます。
サルカールの指摘しているようなことを実際にはブッダは言っていたのかもしれません。
http://universal.raaq.jp/member/mitsuki/buddhasarkar3.htm
503 :
神も仏も名無しさん :2013/12/28(土) 11:38:08.76 ID:FQp4bH55
サルカールと仏教・・・その3、中道と八正道
1)中道論
「比丘たちよ、出家者はこれら二つの極端に近づくべきではない。二つとは何であるか。
一つは、種々の欲望において欲楽に耽(ふけ)ることであり、それは下劣で、卑しく、世俗の者の行いであり、
高尚でなく、ためにならないものである。他の一つは、自ら苦行をなすことであり、それは苦しみであり、
高尚でなく、ためにならないものである。比丘たちよ、如来(にょらい)はこの両極端に近づかないで中道をさとったのである」
野々目了訳「四つの聖なる真理(四聖諦)」(『原始仏典 第6巻 ブッダのことば4』)、講談社、1986年
(1)ブッダの中道の教え
(2)中道についてのサルカールの説明
(3)身体、心、エネルギーを頂点に方向づける
(4)心の拡張
2)八正道
「中道とは何であるか。実にそれは八つの聖なる道(八聖道)である。すなわち、正しい見解、正しい思惟
、正しいことば、正しい行為、正しい生活、正しい努力、正しい念い(おもい)、正しい精神統一である。
比丘たちよ、これが実に如来がさとった中道であり、眼を生じ、知を生じ、寂静・神通・正しい覚り・涅槃に導くものである」
野々目了訳「四つの聖なる真理(四聖諦)」(『原始仏典 第6巻 ブッダのことば4』)、講談社、1986年
(1)正見《サムヤク・ダルシャナ(Samyak Darshana)》
(2)正思《サムヤク・サンカルパ(Samyak Sa'm'kalpa)
(3)正語《サムヤク・ヴァク(Samyak Va'k)》
(4)正業《サムヤク・アジーヴァ(Samyak A'jiiva)》
(5)正命《サムヤク・ヴヤーヤーマSamyak Vya'ya'ma》
(6)正精進《サムヤク・カルマーンタ(Samyak Karma'nta)》
(7)正念《サムヤク・スムルティSamyak Smrti)》
(8)正定《サムヤク・サマーディSamyak Sama'dhi》
八つの道は、より深い存在階層に進んだ時の人間のあり方であると同時に一般の人々がより深い階層に進むにはどうしたらいいかを示した指針でした。
またサルカールは、次のように「正見」《サムヤク・ダルシャナ》が、バランスのとれた経済社会をつくる決意を促すものだと述べています。
http://universal.raaq.jp/member/mitsuki/buddhasarkar3.htm
504 :
神も仏も名無しさん :2013/12/28(土) 11:41:50.77 ID:FQp4bH55
(1)目標を提示できない仏教
ブッダは、「我」へのとらわれが煩悩のもとであり、実際は、「我」は無限のつながりの中に成立し(縁起)、
「我」自体が独立して存在しているわけでない(諸法無我)と考えます。ここまではサルカールも一致しますが、
これを一切のものは実体がないことだと仏教はとらえます。現実は幻影です。したがって、
仏教用語から転じた「悟った」という言葉は、「観念した」「諦めた」「放棄した」というニュアンスを含みます。
仏教では悟りが目標にはなりますが、俗世から離れて寺院で修業する人のための
人生目標にはなりえても、ポジティブな人生目標として設定されません。
サルカールの場合は、万物の根源は空ではなく、意識の充満であり、現実は意識の凝固です。
根源が普遍意識という実体であり、普遍意識が形質付与されて展開しているのがこの天地万物です。
万物のうちでもっとも高い存在のレベルに達した人間がもともと自分が普遍意識であったことをおもいだすのが、
仏教の「悟り」にあたるで「自己認識self-realization」です。
サルカールは、仏教の欠陥は目標を提示できない点にあると次のように言います。
どうして仏教とジャイナ教は、時の試練に耐えなかったのでしょうか。これらの宗教の両方とも、
信望を掘り庖してゆく二つの主要な欠陥がありました。ゴータマ・ブッダGaotam Buddhaは、
神と人間生活の究極のゴールについての明確な考えを提出できませんでした。
そして彼の教えにもとづいた人間社会を建設しようとしませんでした。
(中略)だからブッダとマハーヴィーラ・ジェインの教えは、ドグマにもとづいていず、
人々を故意に誤導するものではありせんでした。しかし、
十分に包括的でよくバランスのとれたものでなかったために時が経つ中で衰えました」religious dogma
ここでは、「神と人間生活の究極のゴール」と表現していますが、神へのゴールというのは、
自分が普遍意識であったこと、あるいはブラフマであったことに気づくことを意味しています。
http://universal.raaq.jp/member/mitsuki/buddhasarkar2.htm
>>502-504 何度「スピリチュアル」という言葉が解説で使われているか見れば分かるように
単なる心霊主義に過ぎないでしょう。
506 :
神も仏も名無しさん :2013/12/28(土) 12:16:52.26 ID:FQp4bH55
>>505 のエゴ
(2)エゴ(我)によってエゴ(我)を消す仏教の論理矛盾
しかし、仏教は、エゴによってエゴを消滅させようとしており、論理的矛盾があると次のように指摘しています。
「仏教は魂を認めません。しかし、エゴ(自我)の消滅について語っています。
しかし、誰がエゴ(自我)を消滅させるのでしょうか。仏教において「私」感覚"
I" feelingを消し去るのはエゴ(自我ego)です。だから、エゴイズムegoismは
心のもっとも精妙な表現とみなされなくてはならないことになります」INVOCATION OF THE SUPREME
サルカールの哲学では、エゴの奥にアートマンがあり、その奥にパラマートマンすなわち大宇宙の
心の魂(アートマン)にあたるものがあります。それらはすべて天地万物の材料である
プルシャ(純粋意識)が、プラクリティの形質力の影響で展開しているものです。したがって、
エゴ(自我)から形質付与を取り去れば、アートマンになり、アートマンから形質付与を取り去れば、
パラマートマンになり、さらに形質付与を取り去れば、無属性のニルグナ・ブラフマに達するのです。
サルカールはプラクリティの束縛下にあるものは、同じくプラクリティの束縛下にあるものを解放できないといいます。
すなわち自分が獄中に束縛されている人間は、獄中の人間を解放できません。
いったん獄中から解放されて、他の人間を獄中から出すことができます。
したがって、仏教は、エゴよりもより精妙なアートマンの存在を認めていないので、エゴ(我)を消すために、
エゴ(我)にたよることになるために、自分も獄中にある人間が、
他の人を獄中から救おうしているようなもので、論理矛盾だとここでサルカールは言っているのです
アートマン云々〜言っている時点で仏教とは無関係w
508 :
神も仏も名無しさん :2013/12/28(土) 12:19:49.50 ID:B6CWtgJ7
506は空想か、新興宗教系なんだろうねえ、ヒンズー・ヨガ系から、見ても、 子の意見は矛盾している。
509 :
神も仏も名無しさん :2013/12/28(土) 12:19:52.19 ID:XCPF9oiH
>>501 これ悟りかよ氏
>あなたが分別する真実・・・真理とは何なのですか?俺はそれを輪廻だと思っています。
真理といふのは、そもそも無いのです。
あえて言うなら、五蘊で感受したり思惟したりする関係性しか無い。ということだけですよ。
輪廻もつまりは五蘊でしかないですから。
例えばですね、
貴殿が輪廻を思惟している刹那こそ、輪廻はあるんですね。
輪廻というのは未来にある。んじゃないのですよ。もうお気づきになられましたか?
輪廻を思惟しなければ〜輪廻は寂滅します。当然のことじゃないですか?
これを関係性、つまり縁起であります。
もっと貴殿に解りやすく説明しましょう。
未来というのは「来る」ことはないのです。未来というのは現在のことですね。
ですから、輪廻は現在にあって、そして現在とは既に生滅してしまうものです。
これが縁起の理法ですね。
これについては中論に詳しく書いてありますよ。
510 :
神も仏も名無しさん :2013/12/28(土) 12:27:37.84 ID:FQp4bH55
>>508 (2)心は心の対象の形をとる
ブッダが我を消してゆくネガティブなアプローチであるのに対してサルカールは、我の心を拡大してポジティブなアプローチです。
サルカールによれば、人間は心の対象の性質に近づいてゆきますから、心の対象を注意深く選ぶ必要があります。
「人間は自分の心の対象に近づきます。あなたの存在自体が自分の心理的対象に転化します。
あなたは自分の心の対象を非常に注意深く選ぶべきです。
とかげ類の小さい動物がいます。それは必要に応じて色をかえることができます。すなわち
自然にカモフラージュする技術を知っているのです。その動物に何が生じているのでしょうか。
それが赤い色でありたいと思う時、自動的に肌が赤色になります。
赤道地域にその小さい動物を見るでしょう。同様に人間も対象の形をとります。」
SELECT YOUR OBJECT VERY CAREFULLY
だから「わたしは罪人だ」とか、「私はだめな人間だ」とか考えるべきではないとサルカールは言います。
同じ論理から、私はエロビデオの普及がストーカーが増えている背景にあるとおもいます。
あるいは、「ロワイヤル・バトル」のような残虐な映画は残虐な性質を助長していると考えます。
「だから、あなたがたは、心の中に罪の意識(コンプレックス)を発達させるべきではありません。
むしろ、ポジティブな観念化をすべきです。「わたしはパラマ・プルシャの息子だ。
わたしは決して一人ぼっちではない。わたしは最高実体Supreme Entityの切り離せない一部だ」と観念化すべきです。
それによってあなたの心は強化されてゆきます。あなたは莫大な心理的パワーを身につけます。
自分のメディテーションmeditation、ジャパ Japa 、ディヤーナDhya'naによって心理的力がつけ加わります。
これがポジティブなアプローチです。あなたはそうするべきです」SELECT YOUR OBJECT VERY CAREFULLY
511 :
神も仏も名無しさん :2013/12/28(土) 12:33:58.50 ID:zZuXNZzp
>>504 猿カールはアホ
>サルカールは、仏教の欠陥は目標を提示できない点にある
却下。
実存苦の根本的超克→四聖諦
>神と人間生活の究極のゴールについての明確な考え
無明
>彼の教えにもとづいた人間社会を建設しようとしませんでした。
二諦説
世俗に関わらず。
関わったから、変性堕落した。日本の真言宗、禅宗の現状が象徴だ。
>ドグマにもとづいていず
一切外形而上的論議を排する
>時が経つ中で衰えました
インドでの滅亡という意味なら、
ゲルマン民族大移動に端を発する、西ローマ帝国滅亡による東西交易衰退による
仏教各派のパトロンとなっていた富豪たちの没落、
バラモン教パクリの強者の戦略を採用した戦略的誤りによる。
一切行無常←まさに縁起が証明された。
512 :
神も仏も名無しさん :2013/12/28(土) 12:38:26.41 ID:FQp4bH55
サルカールと仏教(その1)現実世界の位置づけをめぐって
http://universal.raaq.jp/member/mitsuki/buddhasarkar1.htm @原始仏教とアートマン
サルカール哲学の基本にブラフマとアートマンの現代的解釈があります。
原始仏教においては、ブラフマとアートマンはありませんでした。
たとえば、平凡社世界百科事典には「空」について次のようにあります。
「あらゆる事象は事象間の相互関係の上に成立するから,不変的・固定的実体というべきものは
何一つないという仏教の〈無我an´tman〉あるいは〈空 ⇒仝nya〉の思想を理論的に裏づけるのがこの縁起観である。
釈尊は当時のバラモン教の有我説に反対して無我を主張したが,その根拠として
〈十二支縁起(十二因縁)〉説を唱えた。すなわち無明を究極原因とし,生・老死を最終結果とする
十二の因果の連続体がわれわれ有情(うじよう)のあり方であり,
そこにはなんら固定的・実体的な自我(アートマン)は存在しないという」横山 紘一『平凡社、世界百科事典』
ここでは、原始仏教が、永遠のブラフマ、実体的なアートマンを認めていないことだけ確認しておきます。
サーカーが仏教を論じる際にもアートマンという実体を設定するのかが基本的なテーマになります。
サーカーによれば、アートマン(個体意識)とは連続した知の流れです。
513 :
神も仏も名無しさん :2013/12/28(土) 12:38:56.97 ID:FQp4bH55
「すべてのアースティカ(A'stika有神論)のインド人哲学者たちは、アートマン(個体意識)が ジナャーナ(jina'na知)の連続した流れであると信じる点で一致しています」(Views of Other Faiths) ところがサーカーによれば、ブッダはアートマンという言葉を用いず、アッタAtta(自我"Self")という言葉を用いました。 弟子は、ブッダがアッタという言葉を使った意味が理解できず、弟子たちの間に論争がおき、諸派に分かれいったと言います。 「バーガヴァーン・ブッダはアートマンという言葉を使いませんでした。 それゆえ、彼の死後、比丘、すなわち仏教徒の僧の間で意見の違いが生じました。 (中略)マハーヤーニー(大乗部)には、四つの種類の哲学的教義がありました。意見の相違の理由は、 アートマンとその対象objectです。バガヴァーン・ブッダは、アートマンA'tmanに対してアッタAttaという言葉を用いました。 アッタという言葉は、「自我"Self"」という箇所にも用いられています。ビクたちは、 バーガヴァーン・ブッダが、アッタという言葉を用いた意味が理解できませんでした」(Views of Other Faiths) サルカールの基本哲学から解釈すると、アッタ(自我self)を解釈すると、「個体意識」に形質付与されて、 マハータットヴァすなわち「私はある」感覚の感覚が生じます。アッタとは、サルカールの哲学における マハータットヴァすなわち「私はある」感覚です。それは心の領域に入ります。たとえば、気絶から覚醒した時、 「私はある」感覚(マハータットヴァ)が再現します。しかし、気絶の前後に同一の「私」が継続しているということは、 気絶中に「私」のもとになる実体が継続していると考えなくてはなりません。その継続している実体がアートマン(個体意識)です。
514 :
神も仏も名無しさん :2013/12/28(土) 12:39:37.24 ID:zZuXNZzp
515 :
神も仏も名無しさん :2013/12/28(土) 12:42:37.26 ID:FQp4bH55
(2)出家し、世俗から離れて内面のみを追求するのは偽善である。 私たちは、ここで言う第三のヴァルガ、すなわちスピリチュアリティを深めたいという願いのもとに 妻や子と離れて出家することに共感するわけにはゆきません。なぜなら、私たちは、 そのような願いのもとに出家し、殺人者までに転落してしまった優秀な医師をすでに目撃しているからです。 そして残された家族のことを考えるとブッダが偉大であっからといって、出家を単純に支持するわけにはゆきません。 実は、サルカールは、家族や社会に対する責任を捨てて出家して自分の魂の救いを求める生きかたを利己的であると言います。 人は社会の世話になっているのだから、社会に貢献しつつ、自らのスピリチュアルな成長を遂げるべきだと考えます。 「もし、ある人が、どんなに世界が地獄にむけて進んでいても、self-realization(悟り)のために サーダナー(瞑想)をしているならば、その人はまったく利己主義的ではないでしょうか」 Selfe-realization and Service to huamanity.Ananda vacanamrtam30,p.38
516 :
神も仏も名無しさん :2013/12/28(土) 12:46:32.58 ID:B6CWtgJ7
空疎な515妄想よりも てらわだの瞑想は眼を閉じてやるのか、どうかを知りたいなあ。
517 :
神も仏も名無しさん :2013/12/28(土) 12:51:36.78 ID:zZuXNZzp
>>515 お前のはぜーんぶ<二項相対・対象化思考>でしかない。
なんらの<苦の滅尽>に役立たないどころか苦を増進させる。
本質主義は無依ではなく有依主義であって我執着そのものだ。
よって全面却下。
518 :
神も仏も名無しさん :2013/12/28(土) 12:59:35.97 ID:zZuXNZzp
>>515 >「もし、ある人が、どんなに世界が地獄にむけて進んでいても、self-realization(悟り)のために
>サーダナー(瞑想)をしているならば、その人はまったく利己主義的ではないでしょうか」
悟りは悟りではない。これを悟りと“名づける”
我は我ではない。これを我と“名づける”
利己を設定する猿カールはアホ
>家族や社会に対する責任を捨てて出家して自分の魂の救いを求める生きかた
世俗現実と還滅現実の相の相違を直覚できない猿カールは落第却下。
もう一回仏道修業やりなおして恋!
519 :
神も仏も名無しさん :2013/12/28(土) 13:06:49.81 ID:FQp4bH55
(1)出家の願望とは 仏教の創始者であるシッダルタは、シャカ族のカピラヴァストゥ城の王子であり、29才の時、 父王の後を継いで国を統治することを放棄し、出家の道を選びました。それは同時に妻と子、 家族を捨てることでもありました。6年後に悟りを得た後にブッダがつくった教団も厳密な出家主義でした。 サルカールは、ブッダの出家について次のように言及しています。 「三つめのヴァルガはダルマdharmaです。それは、心理⇒精神性psycho-spiritual の必要性を満たします。 人間には、物的身体的必要性があるだけではありません。より精妙なものも必要です。時々、家族のもとを離れて、 僧の生活を始める人々がいます。物的身体的physical必要性に対する願望をもたなくなった人々です。なぜ、 彼らはそのような選択をしたのでしょうか。マハプラブ・チャイタニアは、どんな願いから出家したのでしょうか。 何がブッダに彼の美しい王国を放棄させたのでしょうか。彼らは、それ以上の物的身体的願望をもちませんでした。 彼らの生活で、それ以上のカーマka'ma(物的身体的領域の必要性)とアルタartha(物的⇒心理的領域の必要性)の必要がありませんでした。 彼らがこの世の生活を放棄したのは、心の奥底に非常に深い願望があったからです。 人々が存在の精妙なレベルに達した時、自分たちが絶望的に無知であることに気がつきます。 より高い階層に入ると(たぶん、入らないと)彼らは生命のより精妙な表現を理解できません。 これは精神性に対する願望に導きます。これが三つめのヴァルガです。 すなわち、心理⇒精神性 psycho-spiritualの必要性の充足に導きます」
520 :
神も仏も名無しさん :2013/12/28(土) 13:11:10.27 ID:zZuXNZzp
>>519 おっさん、もーええかげんにアホ・コピペ貼って、宣伝・コマーシャル無駄スレ消費は禁止や!
521 :
神も仏も名無しさん :2013/12/28(土) 13:19:00.24 ID:B6CWtgJ7
猿カール・オナニー文章関心ございません、 お引き取りを。
522 :
神も仏も名無しさん :2013/12/28(土) 13:22:25.31 ID:FQp4bH55
浄土真宗(浄土教)
【仏説観無量寿経の大意】
[序分]
私はこのように聞きました。あるとき仏(釈尊)はインドの王舎城(ラージャグリハ)という国にある「鷲の峰」
(耆闍崛山ぎしゃくっせん、霊鷲山りょうじゅせん)に千二百五十人の修行者たち、三万二千人の諸菩薩とともにおられた。
ときに王舎城ではマガダ国王の親子の間に、一つの悲劇が起こっていた。マガダ国の太子である阿闍世あじゃせ
(アジャータシャトル)が、調達じょうだつ(デーヴァダッタ、提婆達多)にそそのかされて、父である頻婆娑羅(ビンビサーラ)国王を
牢獄に閉じこめたのである。王の身を案じた妃の韋提希いだいけ(ヴァイデーヒー)は、
自分のからだに食物を塗るなどして牢獄内に食物を持ち込み、ひそかに王に食を与えていた。
しかしそれもわが子阿闍世に発覚するところとなる。阿闍世は怒りのあまり、韋提希を殺そうとするが、
家臣に説得されて、この母親を宮廷にとじこめてしまう。わが子に背かれて囚われの
身となった韋提希は憂い憔悴して、耆闍崛山におられる仏に向かって教えを請う。
この願いに応じて自分の前に仏が現れると、韋提希は地面に身を投げ、
号泣しながら仏に訴える−「私は過去になんの罪を犯したことによってこのような悪い子を生んだのでしょうか。
また世尊せそん(釈尊のこと)はどのような因縁があって、提婆達多という悪人と従兄弟なのでしょうか。
世尊よ、私のために憂い悩むことなき処をお説き下さい。もはや私はこの濁悪の世をねがいません」−と。
そこで釈尊が眉間から光を放って諸仏の浄らかな国土(浄土)を現出されると、
韋提希はその中から特に阿弥陀仏の極楽浄土に生まれたいと訴え、そこに行く方法を説き示されるように仏に懇願する。
http://mujintou.lib.net/dharma/shinshu/kangyou.htm
523 :
神も仏も名無しさん :2013/12/28(土) 13:23:19.23 ID:FQp4bH55
浄土真宗(浄土教)
【仏説阿弥陀経の大意】
[1]私はこのように聞きました。あるとき仏(釈尊)はインドの舎衛国(シュラーヴァスティー)という
国にある祇園精舎ぎおんしょうじゃに千二百五十人の修行者とともにおられた。
[2]仏は修行者の一人である舎利弗しゃりほつ(シャーリプトラ)に向かい、こう言われた。−
「ここから西方、十万億の諸仏の国土を過ぎたところに『極楽』と名づけられる世界がある。
そこには阿弥陀仏という仏がおられ、いま現在も法を説かれている。この世界は、一切の苦がなく楽のみであるから、極楽と言われる。
[3-7]極楽にはさまざまなみごとな光景で飾られている。
[8-9]阿弥陀仏というのは、その仏の光明が無量であり、十方の国を照らすのに障碍となるものがないから、
『限りなき光明(無量光、アミターバ)』と言われる。またこの仏と、この仏の国土にいる
人民の寿命が無量であるから、『限りなきいのち(無量寿、アミターユス)』とも言われる。
[10]また、極楽国土には無量無数の菩薩たちがおられる。生ある者たち(衆生)は、
その極楽国土に生まれたいと願いをおこすべきである。なぜなら、その国に生まれるならば、
そのような善き人々とともに一所に会うことができるからである(倶会一処)。
その国へは、わずかばかりの善行によってでは、往生することはできない。
阿弥陀仏の名号をしっかりと取り保って(執持名号)、あるいは一日、あるいはないし七日、
一心不乱であれば、やがて人は臨終において心が顛倒せず、阿弥陀仏の極楽国土に往生することを得るであろう。
だから人はかの仏国土に生まれたいとの願いを起こすべきである。
http://mujintou.lib.net/dharma/shinshu/amidakyou.htm
524 :
神も仏も名無しさん :2013/12/28(土) 13:39:47.62 ID:zZuXNZzp
ID:FQp4bH55(爆笑 荒らし
一昨日、ラジオ深夜便で禅宗の住職が言っていた。 禅宗は心の安心を得るためのもの。 坐禅は心の安心を得るひとつの方法。 身を正し、呼吸を整え、心を正す。 そうすれば自ずと心が安心する。 身、息、心が坐禅では肝要であると。 妙なモノを期待して瞑想にふけるのとは全く違いますねえ。 正しい姿勢で、呼吸を整え、心を落ち着ける〜 最初は禅家の指導を仰いだほうが良いかもしれませんが、最初だけで 後は家で寝る前にでも出来る事です。目を閉じるか開けるかは雑念が入らないためには 閉じるか半眼くらいが好ましいのでは?閉じるとかえって雑念が入ると言うこともあるでしょう。
526 :
神も仏も名無しさん :2013/12/28(土) 14:01:07.68 ID:B6CWtgJ7
で、てらわだの眼を閉じる瞑想があるのなら、文章教えろ。
開けた方が雑念が入らないのなら開けてやっても良いのでは? 開けるか閉めるかなんて個々人で色々違っていても構わないでしょうw
528 :
神も仏も名無しさん :2013/12/28(土) 14:19:09.97 ID:B6CWtgJ7
いや、487のてらわだ、で具体的な文章を見たいと思っただけさ。 ほんとか?と言う疑問が・・・
529 :
神も仏も名無しさん :2013/12/28(土) 14:23:01.80 ID:CexBlxjW
アンカーくらいつけろよ 不親切なテラワダ教徒だな
530 :
神も仏も名無しさん :2013/12/28(土) 14:30:30.15 ID:FQp4bH55
>>524 君らには、いい薬とカンフル剤だよ。
君らの反応は仲たがいし分裂し争い俺こそ俺こその世界であるのかを確かめた。
こんなところに真理は無いね。
以上
531 :
神も仏も名無しさん :2013/12/28(土) 14:33:04.37 ID:B6CWtgJ7
530何をいい訳しとるんじゃw 自己陶酔オナニーだろw
532 :
神も仏も名無しさん :2013/12/28(土) 14:47:38.75 ID:FQp4bH55
>>531 >自己陶酔オナニーだろw
ここでは全員そうじゃない。
自分こそ正しいと刃の心を持つものはね。
争わず受け入れ全てを一つに纏め調和を図る智慧が仏陀の対機説法ですから。
それを確かめたかったんですよ。
ここは駄目でしたね。
真っ先にサーカー氏を猿よばわり。
サーカー氏はラビ・バトラ氏の師ですけどね。
誰の師であろうが心霊主義は却下ですね。 誰々の師だから〜で寄り添うのは権威にすがる負け犬ですよ。
534 :
神も仏も名無しさん :2013/12/28(土) 15:02:49.71 ID:B6CWtgJ7
532は新興宗教教祖様気質なのさ、 既存の宗教教義を教祖様の自己陶酔オナニーで教義を平気で捻じ曲げるw 教祖様自己陶酔オナニー故に、他者の教義忠実な意見など無関係w 自己陶酔オナニーの快感が大事なのさw
535 :
神も仏も名無しさん :2013/12/28(土) 15:58:55.62 ID:CexBlxjW
貪欲と嫌悪と妄想を捨てなさい。 迷妄の結び目を破り、命を失うことを恐れず、サイの角のようにただ独り行け (原始仏教書スッタニパータより)
536 :
begezan :2013/12/28(土) 16:01:34.53 ID:zPHMwhdM
シッダールタ、お釈迦様もいうなれば故人なわけです。 なぜ彼に仏教とは一一立ち返るか、わかりますでしょうか? それは人の道をといているからです。 孔子は「あしたに道を聞かば夕べに死すとも可なり」と述べましたが、 それだけのものなのです。 われわれは本当に人間らしくいきているでしょうか?悪い意味では 人間味というものはいくらでも使われていますが、 ほんとうの人間味とはなんでしょうか?いまいちど問われたし。
537 :
コレ悟りかよ!?w :2013/12/28(土) 16:27:07.17 ID:Ny5rdDoW
>>509 >>真理といふのは、そもそも無いのです。
んじゃ根拠もないのに観念だ妄想だと喚いていたわけですか。
真理があるからそれ以外の一切は虚妄であり妄想と言えるんですよ。
>>輪廻もつまりは五蘊でしかないですから。
五蘊とは無我の説明ですよね。輪廻は無我じゃないと作動しないし解脱もできますん。
「あなた」の前世はカブトムシでした。この「あなた」の自我は否定されるんです。
無我である「あなた」はカブトムシだったんですよ。
「あなた」という自我、魂というものは存在しない。
>>輪廻を思惟しなければ〜輪廻は寂滅します。当然のことじゃないですか?
そう思うあなたの肉体はいつか寂滅するでしょう。そして輪廻します。
>>これが縁起の理法ですね。
過去現在未来という人間の一生と前世現世来世の輪廻をごちゃ混ぜにしていませんか。
縁起の理法の本当に恐ろしい所は、業が次に輪廻する転生先の原因であり相続されることにある。
>>これについては中論に詳しく書いてありますよ。
中論は詳しく読んでませんが、時間を空としただけで輪廻まで空だと説いていますか。
縁起や空は輪廻の説明にすぎません。輪廻は竜樹の盲点でしょう。
538 :
神も仏も名無しさん :2013/12/28(土) 16:35:45.06 ID:zZuXNZzp
>>532 >争わず受け入れ全てを一つに纏め調和を図る智慧が仏陀の対機説法ですから。
>それを確かめたかったんですよ。
比喩でいえば水と油は混じらない。
根本的な欠陥を
>>511 >>517 >>518 で指摘し、
『世俗現実と還滅現実の相の相違相同(不一不異)を直覚できない猿カールは落第却下。
もう一回仏道修業やりなおして恋!』(
>>518 )と明解に対機説法をやっている。
こんなレベルが判らない猿カールではあるまい。
しかし、コピペの ID:FQp4bH55があんまり大したことはないことは判った。
仏法は『争わず受け入れ全てを一つに纏め調和を図る』などという<事なかれ一元主義>ではない。
それは実質的な相対主義偽善に他ならない。
そもそも中道のなんたるかがまったく直覚できていないのだろう。
539 :
神も仏も名無しさん :2013/12/28(土) 17:11:51.11 ID:XCPF9oiH
>>537 これ悟りかよ氏
>んじゃ根拠もないのに観念だ妄想だと喚いていたわけですか。
いやいや、私は根拠があってアタリマエのことしか書き込みしてないのですよ。
アタリマエというのは眼横鼻直です。あまりにもアタリマエ過ぎて人間は気づかんのですよ。
簡単に説明すると、
「未来」というのは「未だ来ない」ことですよ。
未だ来ないものは永遠に来ることはないのです。
もしも未だ来ないものが、やってくると思うのなら、それ自体が妄想だと逝っておるんです。
未だ来ないものと、現にあるもの、この分別こそが「日常においての非日常」という意味になりますね。
道元の「前後裁断せり」。も、ようするに現にある縁の直覚のことですから、
現にある縁ということでしたら、輪廻は現にしかない。つうことですよ。
これが縁起の現観ですね。
これを悟ってしまえば、生の帰結点は死ではないことになる。そうなると輪廻も寂滅しちまいますね。
成仏すると輪廻から解脱する。というのはこれで説明になります。
540 :
begezan :2013/12/28(土) 17:17:16.55 ID:zPHMwhdM
基本的にbuddahaは十二縁起を悟ったんですよ。 無明→行→識→名色→六処→触→受→愛→取→有→生→老死 このメカニズムをなんども反芻することですよ。 輪廻とは無明のなかの一つの伝統的考え方です。昔のインドでは今の日本 のように輪廻して今度はもっと良い生をおくりたいとか、希望につながる のではなく、輪廻などしてまたいきたら大変だとマイナスとして捉えられていました。
541 :
神も仏も名無しさん :2013/12/28(土) 17:50:10.28 ID:JP5APnOo
てらわだの瞑想についてリンク貼れないので文章貼ります。 質問: 瞑想中、目は開けたほうが良いでしょうか、閉じた方が良いでしょうか。 答: 禅宗では、半眼にします。テーラワーダでは閉じます。チベットではパッと開けてしまいます。 それぞれの伝統で厳しいことを言いますが、皆さんの場合いきなり閉じると、寝てしまう、 あるいは自分の姿勢が分からなくなるということがあるので、 瞑想が初めての人なら半分くらいは開けておいたほうが良いと思います。
輪廻なんてあっても良いんじゃないんですか? また、なくても良いんじゃないんですか? 何故、実証できない輪廻をあるあると固執するのか? あってもなくても良いものは、言葉を変えて言えばどーでも良いという事ですよw 実証できない世界こそが真実世界〜というのは言い方が間違いであり、実証できない世界の一部は 真実かもしれない〜というべき。
543 :
神も仏も名無しさん :2013/12/28(土) 18:14:17.61 ID:Acmofh+Y
マハーシ系の瞑想法では、腹部の動きを細かく観察することから始める。そのため、 目を閉じて腹部の動きや自分の思考の観察に集中するように指導される。 一方で、目を閉じることから強い眠気や、 いつの間にか眠りの中に入ってしまうことには十分に注意をしなければならない。 ⇒『縮み・膨らみの瞑想法』(ユプノー・ポーンノー/マハーシ系の瞑想法)
544 :
神も仏も名無しさん :2013/12/28(土) 18:16:26.96 ID:Acmofh+Y
ワット・パー・スカトーの瞑想法では、自分の動作によって、 触れ合ったその感覚自体にサティを加える。よって、その瞬間瞬間に集中することが求められるため、 目を開けて瞑想する。アーナパーナサティと同様に「目を閉じると眠気に襲われるから注意せよ。」と指導される。 ⇒『ワット・パー・スカトーの瞑想法』
545 :
神も仏も名無しさん :2013/12/28(土) 18:18:58.24 ID:Acmofh+Y
ワット・パクナムやワット・プラ・タンマカーイの瞑想法では、まず「光の玉」を見ることを教えるため、 目を閉じて瞑想し、ひたすら「光の玉」を見ることに集中する。 よって、目は閉じて瞑想しなければならない。 ⇒『ワット・パクナムとワット・プラ・タンカーイの瞑想法』(サンマー・アラハンの瞑想法) (タイ佛教修学記 タイの人々とタイ佛教 そして私の求道より)
だから、そのような瞑想と仏教と何の関係があるの? 光の玉なんて無関係でしょ?w
547 :
神も仏も名無しさん :2013/12/28(土) 18:32:34.71 ID:zZuXNZzp
. 正月休みに入るとカルトの宣伝がイッパイ入ってくるなw
548 :
神も仏も名無しさん :2013/12/28(土) 18:34:26.69 ID:/nhdiwOn
目を開けるか、半眼にするか、目を閉じるかは、 坐禅の間に何をしているかにもよる。スマサナーラのように 実況放送をしているなら、目を閉じても安全だろう。 しかし、念仏や題目や求聞持法や「数息観」のような場合は、 やがて「魔境」に入る可能性がある。 これが問題なのだろうが、「魔境」をどう理解するかにもよる。 「魔境」を坐禅中の必然の境地、ひとつの禅定であると理解するなら、 真の求道者なら恐れるな。凡夫なら恐れよ。 そのタイミングは? 時期が熟したことは何となくわかるだろう。 時期が熟したなら、坐禅に集中、没頭するがいい。
549 :
神も仏も名無しさん :2013/12/28(土) 18:35:06.47 ID:CexBlxjW
ヴィッパサナ瞑想とかってスリランカやタイではメジャーなの? それともスリランカやタイでも少数派?
550 :
神も仏も名無しさん :2013/12/28(土) 18:38:47.91 ID:mByJ4Diw
>>546 光の玉は多分ニミッタかな?
ニミッタは瞑想が深まると出る光で、その光が出てから禅定、
そして観瞑想に移行するから、瞑想には必要らしいですよ。
タイの瞑想はあまり知らないけど。
阿呆! 瞑想や禅定は心を落ち着かせるためにあるのでそれ以上でもそれ以下でもない。 下らん妄想で瞑想に勤しむのは、猿がシコシコシコシコとせんずり掻いている様なもの。 猿のせんずりほど無価値、無意味なものは無いよw
552 :
神も仏も名無しさん :2013/12/28(土) 18:44:43.08 ID:cPB5bABL
>>548 少なくとも半眼を開いて、物体の一点を凝視し続けるのは、「現実との接触」を
維持するためである。
「現実との接触の喪失(loss of contact with reality)」を、「人間の狂気」と呼ぶ。
釈迦は、「眼を閉じて」瞑想していたのであろう。
553 :
神も仏も名無しさん :2013/12/28(土) 18:45:01.21 ID:FQp4bH55
>>538 >世俗現実と還滅現実の相の相違相同(不一不異)を直覚できない猿カールは落第却下。
君も残念ながら直角をしていないし八解脱にも至っていないでしょう。
中道というのは実に簡単な事であり難しい教えでなく
難しい偉い智慧のようにみせたいのは君の慢というものす。
俗世現象界の二元性と無色界の一元性に非二元非一元性の法界の止観から、
ごちゃ混ぜにして内側の禅定により法身(法界)に至るのを俗世の現象界も非二元非一元性ように、
まんま反映させて誤見しているのは君でしょうね。
禅定から覚めても俗世の現象界の二元性の現実はかわらないのです。
中道というどちらも偏らない状態ないのは君のように見受けられられますね。
内に嵌ることなく外に囚われることない中道を理解を君の批判文章から理解しているとは思えません。
554 :
神も仏も名無しさん :2013/12/28(土) 18:50:05.97 ID:zZuXNZzp
>>540 >基本的にbuddahaは十二縁起を悟ったんですよ。
アホかw
「十二縁起」なんてスコラ部派坊主のあと出しコジツケ屁理屈やんw
「想い」からの解脱(Sn.1072)ではなく、対象化した「想い」そのもの。
「証」の何たるかも直覚できずに無責任なことを書くな。
>無明→行→識→名色→六処→触→受→愛→取→有→生→老死
>このメカニズムをなんども反芻することですよ。
よーこういうウソを平気で書くわ。
無明の連鎖を何度反芻しようと無明のままやん。
かえってアホが深まるだけ無駄。
不妄語戒に反する。
>今の日本のように輪廻して今度はもっと良い生をおりたいとか
カルト以外でそんなこと考えてる日本人はおらんわw
カルトは、不浄なお金を教団に布施したらその功徳で『輪廻して今度はもっと良い生をおく』れるとだます。
日本はアニミズム文化であって、日本で業報論なんかナンセンスです。
お前だけ勝手にグルグル輪廻してろ。
555 :
神も仏も名無しさん :2013/12/28(土) 18:55:34.79 ID:JP5APnOo
>>549 ヴィパッサナー瞑想はタイは知らないけど、スリランカやミャンマーでは
一般的みたいですね。
ヴィパッサナー瞑想は何種類も方法あるみたいだけど。
ただ、スマナサーラさんのは評判あまり良くないみたいですね。
556 :
神も仏も名無しさん :2013/12/28(土) 18:55:54.06 ID:zZuXNZzp
>>553 >内側の禅定により法身(法界)に至るのを俗世の現象界も非二元非一元性ように
これを<混ぜるな!危険>アホ真言という。
>中道を理解
へー!、中道って理解できるんですか?
笑わしよる!
>>553 心霊世界こそというのは阿呆!
心霊世界は死んで行ってみなければ生きている人間が知りようがない。
仏教は非二元論。大乗仏教は一元論。仏陀の教えは多元論。
私は多元論を支持する。あらゆるものの存在を認めそれぞれに意味があるのでしょう。
しかし、多元論ではあっても仏陀の教えはその中から中道が出たんですよ。
中道+対機説法(慈悲)の仏陀を支持します。
心霊に慈悲なし。
業報輪廻に慈悲なし。
仏陀は慈悲を説いた点で根本的に異なる。
558 :
神も仏も名無しさん :2013/12/28(土) 19:09:34.39 ID:FQp4bH55
>>557 禅定により観察に至ってないんじゃ仕方ないですね。
禅定により普通に意識が色界定に入れば心霊は観え無色界にて霊は消えて思惟されず
唯一神に至り、そこから神も消え止観に至る。
559 :
神も仏も名無しさん :2013/12/28(土) 19:11:50.62 ID:zZuXNZzp
>>557 >私は多元論を支持する。
お言葉ですが、それでは二項相対の俗論のままですよ。
一即多でもありません。
二立即相殺ですから(生已盡滅:第一義空経)非〜元論の如しです。
560 :
コレ悟りかよ!?w :2013/12/28(土) 19:11:59.43 ID:Ny5rdDoW
>>539 言ってることは概ね同意しますが。
>>そうなると輪廻も寂滅しちまいますね。
いや輪廻自体は寂滅しませんよ。なぜなら宇宙を支配する法則ですから。
>>554 >>日本はアニミズム文化であって、日本で業報論なんかナンセンスです。
敗戦による天皇の人間宣言で日本はアニミズムの国から脱しました。
今の日本は無宗教国家です。天皇を仏法に帰依させないと日本は滅びます。
561 :
神も仏も名無しさん :2013/12/28(土) 19:12:22.39 ID:FQp4bH55
>>556 この人は駄目だは、夜叉(ヤクザ)ですね。
562 :
神も仏も名無しさん :2013/12/28(土) 19:12:47.19 ID:/nhdiwOn
>>552 ご隠居ですか?
佐藤一斎の「言志録」を求めて書店に行ったが、
これがなく、ご隠居推薦の「逝きし世の面影」を買って帰る。
今年の暮れから正月はこれを読むことにした(^^)
563 :
神も仏も名無しさん :2013/12/28(土) 19:13:31.07 ID:A/pXB9dX
崇教真光の一在家は悟れないかも カルト教団に加担しているから。
>>558 何度も言うが、禅定、瞑想は心を落ち着かせるためのもの。
それにより、何か普通では得がたいものを得るためではない。
心が落ち着いてその結果、生き方が変わるのは良い。
しかし、光の玉が見えないとなんたらかんたら〜というのはまさに愚の骨頂。
アナタの能書きも同様ですよw
565 :
ポータ :2013/12/28(土) 19:15:25.56 ID:3WovqTkW
実証できないものをないない、あるある、
これは何の為に、言い合っているのか。
>>412 の素朴で無視され易いような、思いきった話しは何をメッセージしているのかです。
神道系にも審神があります。
キリスト教にも神=聖霊か、それともその人のぶれた感情が被った邪霊であるかには厳しいです。
それぞれ、表現は異なりますが、必要性があり現在に引き継がれていると
考えます。
これから、それぞれの境を越えながら、ますます重要性をますでしょう。
仏教も例外ではないというより、目に見えない事に対して正邪を見抜く眼識力を鍛え上げる方法が様々に
模索されたかなり高度なものといえるのではないでしょうか。
566 :
神も仏も名無しさん :2013/12/28(土) 19:18:10.67 ID:zZuXNZzp
>>558 ええ、妄想はいくらでも語れるんですw
でも、仏法とは関係がありません。
>>559 あったりまえ〜w でしょう。
私は多元論者で仏陀もそうであっただろうと想像します。
一はどーでも良いのですから。
一に執着するのが駄目と言うものでしょう。
二なんてのは元々存在しない。
一か多か? 私は多です。 それだけ。
一を目指すから阿呆な瞑想に嵌って一を得ようとするのでしょう。
まさに、阿呆の世界w
568 :
神も仏も名無しさん :2013/12/28(土) 19:21:02.16 ID:zZuXNZzp
569 :
神も仏も名無しさん :2013/12/28(土) 19:28:51.19 ID:FQp4bH55
>>264 >何度も言うが、禅定、瞑想は心を落ち着かせるためのもの。
観察といのは観滅縁起の循環縁起の観察ですから
座ってやる無念無想を求める禅の場合はリラクゼーションですね。
禅と呼吸法は関係ないと言う人もいるが滅茶苦茶関係がありますね。
呼吸法は心を落ち着かせるホルモンが分泌されますからね。
570 :
神も仏も名無しさん :2013/12/28(土) 19:29:12.37 ID:B6CWtgJ7
寺和田のみなさんありがとう。 ワイは、マハーシの本読むだけで物質の構成要素感覚が開くんで、本を集める必要が感じ無く情報量が少なかった。
571 :
訂正 :2013/12/28(土) 19:30:05.18 ID:FQp4bH55
>>564 >何度も言うが、禅定、瞑想は心を落ち着かせるためのもの。
観察といのは観滅縁起の循環縁起の観察ですから
座ってやる無念無想を求める禅の場合はリラクゼーションですね。
禅と呼吸法は関係ないと言う人もいるが滅茶苦茶関係がありますね。
呼吸法は心を落ち着かせるホルモンが分泌されますからね。
572 :
神も仏も名無しさん :2013/12/28(土) 19:31:20.80 ID:B6CWtgJ7
571教祖オナニーはやめたまえw
573 :
神も仏も名無しさん :2013/12/28(土) 19:33:04.18 ID:B6CWtgJ7
すまさなーらの本を読む時と、 マハーシの本を読む時と、 禅定のエネルギー度合いが違うw 格の違いかもなw
>>569 >>525 >正しい姿勢で、呼吸を整え、心を落ち着ける〜
呼吸を整えるのは姿勢を正すの次ですよw
その目的は心の安心を得るため。
他に目的は無い。
心の安心以外に目的を持って瞑想に励むのは猿のせんずり〜と言っているのです。
575 :
神も仏も名無しさん :2013/12/28(土) 19:34:58.65 ID:FQp4bH55
>>572 幼稚園児みたいな侮りはいかがなものなんでしょうかね
576 :
神も仏も名無しさん :2013/12/28(土) 19:42:54.39 ID:FQp4bH55
禅定は三毒を抑える効果ありますが禅定が三毒を無くす訳ではありませんね。 麻原も禅定(瞑想)が大したもんだと側近のリンポーチェから認められたから ダライ・ラマと接見を許可されたそうです。 三悪趣に堕ちたのですね。
権威に振り回されるのは阿呆w
578 :
神も仏も名無しさん :2013/12/28(土) 19:55:34.96 ID:B6CWtgJ7
575、事実を正直に指摘する事は親切であるw 自己陶酔オナニー止まず、自己中心自己快楽だけだろ?実際w
579 :
神も仏も名無しさん :2013/12/28(土) 19:56:42.16 ID:B6CWtgJ7
576、ナルホド、空想で自己陶酔ね、あさはらも、576もw
580 :
神も仏も名無しさん :2013/12/28(土) 20:03:21.91 ID:XCPF9oiH
>>560 これ悟りかよ氏
>言ってることは概ね同意しますが。
そこまで同意できれば十分かと思います。
というのは、仏教というのは人間の生き方までは関知するもんじゃないですから。
道教(仙道)とか研究しても面白いかもしれませんですね。
実のところは私は輪廻は信じていないのですよ。
しかしもしかしたら輪廻はあるかもしれない?
でもそれによって自分の人生観が変わることはない。
輪廻の是非というのは、それによって人生観が変わるか?変わらないか?
の違いでしかないと思いますね。
しかし貴殿は違う。たぶん大いなる夢をお持ちなんでしょう?
是非、今度生まれ変われる時がきたなら大成させてください。
健闘を祈ります。
581 :
神も仏も名無しさん :2013/12/28(土) 20:17:15.95 ID:B6CWtgJ7
>実のところは私は輪廻は信じていないのですよ。 >是非、今度生まれ変われる時がきたなら大成 580はアドバイスなのだろうか? ちょっと理解に苦しむなあw
582 :
神も仏も名無しさん :2013/12/28(土) 20:26:16.95 ID:XCPF9oiH
>>581 >ちょっと理解に苦しむなあw
いやいや申し訳ないです。
実は輪廻というのは自己投影じゃないですか?
仏教的に言ったら、輪廻の因は自分にある。
願望の投影だったり、自己否定の投影だったりするんじゃないですか?
583 :
神も仏も名無しさん :2013/12/28(土) 20:36:23.33 ID:FQp4bH55
>>578-579 オナニーなら君のオナニーは中身がない罵声を掛けるチンピラと同じオナニーです。
584 :
コレ悟りかよ!?w :2013/12/28(土) 20:50:04.14 ID:Ny5rdDoW
>>580 >>道教(仙道)とか研究しても面白いかもしれませんですね。
俺不死を極めたから仙人に憧れてるんだけど。だからヒゲ伸ばしてる。
>>実のところは私は輪廻は信じていないのですよ。
ズコー
>>輪廻の是非というのは、それによって人生観が変わるか?変わらないか?
人類史が変わると思います。
>>しかし貴殿は違う。たぶん大いなる夢をお持ちなんでしょう?
法華経を日本の国教にすることです。そして世界征服です。
>>健闘を祈ります。
ただの誇大妄想です。本当にありがとうございました。
585 :
神も仏も名無しさん :2013/12/28(土) 21:18:17.84 ID:AMgleyXN
輪廻と言う言葉の響き、気持ち悪い。 如理作意、気持ち悪い響き。 輪廻、逃げ出すべき世界、恐ろしい世界、地獄に他ならない。
>>585 だから、そうではなく、皆何者にも束縛されるいわれはないという事ですよw
業報輪廻が好きな奴は輪廻しまくってくれ〜www
瞑想変態世界が好きな奴は好きなだけ瞑想変態世界に溺れてくれ〜www
冷静沈着の分かった様な口を叩く奴は言うだけ言って自己満足に浸っとれ〜www
人間は生き物であり、間違った事も言うし決して悟った人間なんていません。
仏陀でさえ対機説法で相手の立場により話を変えて説いた。
一言の正解などは無い。 また地球上の誰一人悟りなどを得てはいない。
なぜなら、私は悟ったと言えば即悟っていな事になり、永遠に悟りは得られない。
この矛盾を腹に収められれば可で収められなければ不可とうことでしょう。
587 :
神も仏も名無しさん :2013/12/28(土) 22:18:42.51 ID:AMgleyXN
荘子の「天下」編なんか、仏教の理解に寄与すると思うけど。
>>587 老子と仏陀が同じくらいの年代であったろう事を考えれば荘子は仏陀の数百年後の事。
なにはともあれ荘子は人気者で皆好きでしょうw
589 :
神も仏も名無しさん :2013/12/29(日) 00:09:23.63 ID:wt04NeIw
君たち 廣隆寺の弥勒さんのように 輪廻を何十億年と考えなさい 結論は出ないよ
590 :
神も仏も名無しさん :2013/12/29(日) 01:05:01.47 ID:agM4SG03
>>589 >廣隆寺の弥勒さんのように輪廻を何十億年と考えなさい
もう12月29日になりました。
→看よ看よ臘月尽く(虚堂智愚一)
弥勒は頭と要領が悪い。
だから落第菩薩=修行僧どまりや。
無明輪廻を何十億年考えても、無明のままややんw
もうええかげんに輪廻という分別、有無という発想がアカンのやと気が尽かんと・・
アホかw
カンジーザー修行僧よりもあかん奴やな。
そらブッダも、ちゃんと道を教えてるのに、アホを俺にどーせーちゅうねん(中部107)て
嘆かはるのは当然や。
591 :
神も仏も名無しさん :2013/12/29(日) 01:07:10.83 ID:GULrQxEz
マイトーヤ(弥勒)の起源はゾロスター教のミスラでありミスラはミトラ教ではミトラとなりミトラは12月25日に馬小屋で生まれ 12人の弟子を持つキリスト教のイエスと同じでありキリスト教側はミトラ教が真似したんだと主張しており ミトラ教側はキリスト教側が真似たんだと今でも論争中である。 バラモン教のリグ・ヴェーダーではヴァルナと呼ぶ。 ゾロスター教はユダヤ教、キルスト教、イスラム教、仏教にもその思想の影響を与えてきて アーリアによって伝播されてきたメッティーヤ(マイトレーヤ)は御釈迦様によっても説かれる話となった。 マイトレーヤ思想がどのように輪廻(伝説)してきたか知るほうがいいでしょう。 そう全ては一つからバラバラになっていった思想である。
592 :
ポータ :2013/12/29(日) 01:21:02.41 ID:riNGqdLP
>>589 広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像ですね。
何十億年と考えるとは、思惟の言葉にかけてそう言われたのですね。
子供頃なんとなく修学旅行や遠足でご覧になったとか
映像や写真で見た、ではなく今(大人になった最近)しっかりライブで
ご覧になりましたでしょうか。アルカイク・スマイル(古代ギリシャ)に似ていると
評されるのですが、とにかく圧巻です。
是非目線が合うような位置でしばらくじっと座ってご覧にくださればと思います。
【何も考えることができなくなるでしょう】
像というのも、伝来されて来る地域移動の過程で習合されていますね。
作品を創られた方が、それとは無関係に、彫られたとも
考えられます。
単に習合、真似という領域をこえていますから、そのように感じます。
【思惟像と付けられていますが、これいかにですね】
593 :
神も仏も名無しさん :2013/12/29(日) 01:29:56.91 ID:GULrQxEz
ミスラはアフラ・マズダーと表裏一体の神であるのと同様に。 バラモン教ではマイトレーヤとヴァルナは表裏一体の存在であると考えられており、 さて御釈迦の説法でも同様に同じ三十二相を備えた金輪王とマイトレーヤもセットとして説かれている。
594 :
神も仏も名無しさん :2013/12/29(日) 01:38:22.54 ID:GULrQxEz
>輪廻を何十億年と考えなさい 経典の56億7000万年後を神のレベルから見たらもう過ぎているね。 56億7000万人以上の御魂が地上に生じて神のレベルから観たら56億7000万以上の人生(輪廻)だね。
595 :
神も仏も名無しさん :2013/12/29(日) 01:44:21.78 ID:GULrQxEz
>>591 けっこう誤字してんなマイトーヤ(弥勒)の起源はゾロスター教w
マイトレーヤ ゾロスアター w
596 :
begezan :2013/12/29(日) 04:13:26.83 ID:o7tkSZ8Y
>>554 無明だから無明を反芻するだけで頭脳上はいいわけですよ。
急にあなたに光が差し込みますか?
12縁起はよくできているとおもいます。
まあ御釈迦さんというのは王の中の王。普通の人間は人に勝つこと自然に勝つこと
を義務付けられています。御釈迦さんの時代の武将もいっていますね。もう負けることが
分かったらそのとき真実に帰依しますと。それだけ真実はきびしいもんで、
それだけ自分を御すことは不可能に近い仕業ですぅ。それを成し遂げたわけですね。
御釈迦さんは。無明なら無明でいいじゃないですか?せいぜい付き合っていかなくては
わがままいっても仕様がないですね。このまえいきなり黄金伝説みていたけど、
あなたならどうしますか?まずは生きる手順をととのえることでしょう。
わがままは無明ですからまず無明からおしりになっては?。
597 :
begezan :2013/12/29(日) 04:15:19.31 ID:o7tkSZ8Y
御釈迦さんの言葉自体に正解があるわけじゃありません。あなたは研究者 よろしく述べますが、なにかわかりましたか?
598 :
begezan :2013/12/29(日) 04:29:59.59 ID:o7tkSZ8Y
瞑想ってのはね。ウィルスだよ。瞑想ウィルス、特に目をとじてやる奴ね。 目の玉パッチリあけときゃいいけど、坐禅が深まれば半眼になる。 ならば最初から半眼にしときゃいいってわけで。
599 :
神も仏も名無しさん :2013/12/29(日) 04:51:08.39 ID:/fLyxqQR
取り敢えず出家しない在家は普通の生活してる分には悟れない事は良く分かった 在家じゃ四禅を全う出来ないから精々初禅止まりで観察観(毘鉢舎那)に入るんだが これが出来るだけでも数週間は止行で鍛錬瞑想して集中力付けなきゃ出来ない 何しろ止行で得られる集中力が無ければ観行は出来ないってお釈迦様の教えの流れが説かれてて 止行も観行もお釈迦様は言われてなくて、実は一本道で止→観行が正解で これらをフルセットしなきゃ悟れない(お釈迦様の境地にならない) で、このフルセットの瞑想がちゃんとやり切れて初めて禅定となり、禅定を得ると言う 禅定が得られるまでには、早くても2・3ヶ月の訓練が必要(毎日欠かしてはいけない) だから出家しないと出来ない、となる お経は大事、お経の勉強も大事、侮れない でも仏教で一番大事な事は仏教の目的を果たすことで それは悟りを得る事だと思う、この悟りを得るのが容易ではなくカタギには無理となる 出家せず余暇を使ってやるんでもワンセット一時間以上を費やすので、所謂趣味に使う時間を丸々食う事になる 仏教はいくらお経だけを勉強しても意味は無い 学はあくまで補助にしか過ぎず、大事なのは信と行である事はどこの宗派も言う事だと思う しかし、ホントの行は半端無いぞこれ ちょっとしっかりやってみるけど
600 :
神も仏も名無しさん :2013/12/29(日) 05:17:34.14 ID:Dpu2e0qZ
悟りなんかニートでも開いてるぞ 悟りひらいたニートのコレサトさん知らないのか?
601 :
神も仏も名無しさん :2013/12/29(日) 05:34:03.77 ID:/fLyxqQR
例えばスマナサーラのぼっさまが良く言う「思考を休ませる為の行動のラベリング」も あれがヴィパッサナーなのではなく厳密にはあれも止行の一部で ラベリングする事によって脳をフル活動させて考えてる暇を無くす訓練なんだな そもそも止観は一連の止→観への行が一括りでお釈迦様は説いてるから区分けは無い どんなお経を読んでも禅定が大事とか三昧に云々と書かれてるんだが この禅定やら三昧やら般若波羅蜜多とかも止→観を経なくては得られない 逆に言えばこれら止観をちゃんと修められるなら老若男女を問わず誰でも悟れる訳だ そこに宗派もその他のお経も通力も輪廻も仏像も本尊も先祖供養も回向もお布施も一切不要となる 見方を変えるとお釈迦様は今で言うサイババみたいな感じの人ってイメージで 2500年も前に行によって真理を知りえた人となる 瞑想修行を仏道修行の根幹に置かない現行の仏教各派は入門の為の予備校に過ぎず 成仏得道を瞑想修行に因らせない宗派や瞑想修行を否定する宗派は邪義になる 生半可だとオウムみたいなインチキキチガイも出来てくる 糞掃衣軍団が日本に協会を作った次第もこれで理解できる
602 :
神も仏も名無しさん :2013/12/29(日) 06:18:05.50 ID:/fLyxqQR
“納め不動”(お不動様の御縁日)での断食と写経を終了です。 年賀状も多忙にてやっとこ出来てポスト入れしてきたので、 またこれからビッシビシいきますからね。覚悟するように♪ あっ、大掃除をしながらだけどね。。。
>>348 >>351 >>355 >>379 >>438-439 あのですね!
大乗が説く「菩薩」というのは、まだ未完成な修行者という意味合いだけじゃないですから(思想教義の発展の典型形)。
観自在菩薩、つまり観音菩薩というものは密教の四種法身の考え方からすれば、
八大菩薩(観音、弥勒、虚空蔵、金剛薩捶、普賢、文殊、除蓋障、地蔵)および八大明王は、
“大日如来が衆生を救済するために姿を変えている変化身”なのですから(大日如来による直接の衆生救済はない)。
もちろん、般若心経は真言宗においても重要経典の扱いです。
>>389 >そういうのを解った上で読むもんなんだよw 大乗経ってのは・・ ┐(´ー`)┌
そそう!そういうことです。
仏教の教えそのものは原始経典で学び、
大乗は、その在家修行(実践)の一環として利用する方便と捉えるのがベターかと。
605 :
神も仏も名無しさん :2013/12/29(日) 06:35:13.58 ID:/fLyxqQR
>>604 代行さん、伝えといて
般若波羅蜜多は深い禅定を得てから出なければ得られない
観音が般若波羅蜜多の行をした時とお経の冒頭で言ってる以上そのお経は間違ってるんだと
般若波羅蜜多を得てたらそれは菩薩じゃないんだと
悟りを得てるって事だから、悟った菩薩なんか現実には有りえない戯論になるんだと
菩薩は悟りの修行真っ最中の学生の事だから、仏の位を返上して菩薩に留まってる言い方を
お経でしてるのもあるが、大学院生(観音)が教授(舎利弗)に教鞭するとか現実にはありえないのよ
606 :
神も仏も名無しさん :2013/12/29(日) 06:46:36.83 ID:/fLyxqQR
ただ、誰かこのスレでも言ってたが 観音が修行頑張った末に悟った瞬間の出来事として捉えると、ああそう言うのもありかなとは思う 舎利弗さんに観音が悟った内容を言って、当にたった今舎利弗尊者からご印可を受けてる場面って意味ではね 仏教の経典結集なんかの慣わしでは、異論無き場合は全員無言で承認とするってのがあるから 般若心経でも舎利弗さんの異論が無いとこ見ると印可されたのかな?とも見て取れる それにしても般若心経は空の説明ってより涅槃の内容とか無の説明になってる そんなんより般若波羅蜜多の内容の方が重要なのに、何か変なお経である事には変わりない
>>474 >宝珠よ、喜べ
>一生懸命考えたぞ、仏の言いつけは少し破ったがな
ん?
コレ、何点つけたらいいだろ?
あなた方は我執が強いから理解できないのであって、
本当は実に簡単な話に過ぎないから。
仏教の説く涅槃とは、完成者の境地とその状態のことを指す。対して、ヒンドゥーおよび神智学の採る視点は、
その境地にある存在が真我(文字通り本当の自己)であるというものに過ぎない。
ゴータマは確かに、アートマンを直接に説く手法は採らなかったけれども、“涅槃を覚知する”(ウダーナ8:3)
といっているであるから、それは、涅槃を涅槃であるとして覚知する自己があるということになる。当然、それ
が真我であり、アートマンに他ならないということ。
つまり、これは単に視点と説き方の違いにしか過ぎない。
仏教の無我は、一切においての限定意です。一切においてはアートマンと呼べるものはないということ。涅槃
というのは一切外であり、仏典はそれを覚知する自己のことを暗に示している。これは“わかる者だけに分かる”
ようになっているのです。
要するに、分からない人は分からないままでいい・・・。何故なら、いずれ体験によってその時が来ればすべ
てが氷解するのだから。
これがゴータマの採ったスタンスですよ。
>>605 ですから、
如来(仏/完成者)が姿を菩薩(学生)に変えているのが観音です。
その正体はホトケだという意味。
これも、大乗の得意とする手法の一つです。
>>256 いえ。
ただ今よりも、更に向上したいと思うだけです。
未熟ながらも一修行者なんだから、そんなの当然のことですよ。
あぁぁ...確かに、
ここに巣食う唯物論者まがいの断滅仏教者らにだけは負けたくないよね。
609 :
神も仏も名無しさん :2013/12/29(日) 07:10:39.25 ID:d3J8haYj
>>607 >対して、ヒンドゥーおよび神智学の採る視点は、
仏教スレでする話ではない、外道の事はどうでも良い
ヒンドゥ者は多神信仰とストゥーパ信仰を生み出した位が精々の功績でしかない
神智学なんかはカルト信仰に過ぎない
610 :
神も仏も名無しさん :2013/12/29(日) 07:13:08.28 ID:d3J8haYj
>>608 因みに示現生とかは嘘なんでカルト・オカルト好きにしか理解できない戯論だよ
611 :
神も仏も名無しさん :2013/12/29(日) 07:15:17.30 ID:d3J8haYj
あとな宝珠、縁起に左右されない真我があるならお前が書き込み規制食らう筈なんか無いんだよ
612 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/12/29(日) 08:49:24.10 ID:Lftc3eQf
>>558 >禅定により普通に意識が色界定に入れば心霊は観え無色界にて霊は消えて思惟されず
>唯一神に至り、そこから神も消え止観に至る。
換言しますと、禅定により阿頼耶識が見え、それも消えて仏性が見え、それも消えて止観に至るということですか。
なるほど。。今の私には腑に落ちます。
それにしても阿羅漢は慈悲が深いはずなのに、悟ったら衆生を忘れて涅槃入りしてしまうので勿体ないかと存じます。
菩薩と比べて方便力が無いので涅槃入りしか選べないのか、逆に菩薩はその事を知っているので忘れないように強く発願されたのかも知れません。
613 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/12/29(日) 08:55:07.11 ID:Lftc3eQf
>>608 宝珠氏
>如来(仏/完成者)が姿を菩薩(学生)に変えているのが観音です。
あれー、ほぼ同意の話を師から伺いました。
阿弥陀如来が変化して、観音菩薩とも呼ばれたことがあったという教えです。
また師は上級者には「白色大同胞」の話をされてましたので、関係者のお一人だったのかよく知っておられたようです。
614 :
コレ悟りかよ!?w :2013/12/29(日) 09:10:35.94 ID:4vh2if+E
>>599 >>取り敢えず出家しない在家は普通の生活してる分には悟れない事は良く分かった
江戸時代初期の禅僧の鈴木正三は仏行とは労働以外にありえないと説いた。
農民や町人が暇をみつけて坐禅をいくらしてもそれは断じて仏行ではない。
日々の労働こそが坐禅であり念仏そのものだと。
一心不乱に鍬で畑を耕し、モノをつくり、モノを物流させる。
農民も工人も商人も在家は労働することで成仏できる。
原典や教典をコピペする→自分の正しさの証明→他者の否定→自他と分別するものがある→悟りなの? とてもそうは思えないけど・・・^^; この中でもう完全に仏教マスターしたって人いるのですか? とても、そうはおもえないけど・・・
616 :
神も仏も名無しさん :2013/12/29(日) 09:45:57.52 ID:pzEbKKYU
>>612 一つ言える事はな
手かざしでは到達不能の域だって事
四念処は釈尊の教え以外を捨てないと釈尊の得たものには届かない
617 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/12/29(日) 09:53:07.79 ID:Lftc3eQf
>>615 >原典や教典をコピペする→自分の正しさの証明→他者の否定→自他と分別するものがある→悟りなの?
ご提案の手順では他者の否定はできないと考えます。
その根拠は四悉壇(釈尊の対機説法の特徴)があるからです。
同じ長部経典内でもこの一見矛盾する説法は随所に見られます。まして経典が異なる場合はなおさらです。
更に同じ人に説かれた教えや、500人以上の弟子達がいる場で説かれた教え間でも一見矛盾する場合もあります。
「無我」が説かれた場合もありますし、「輪廻」が説かれた場合もありますので。
テキストベースでは一切智者にとっては「無我と輪廻とは無矛盾」なのではと現時点では仮設しております。
618 :
神も仏も名無しさん :2013/12/29(日) 09:53:08.16 ID:pzEbKKYU
>>615 行はやり方はコピペ出来るが行そのものはコピペできないしな
仏教の真髄は悟りだし、悟る為には行ずる以外にない
マスターそのものは難しくない、ただ根気と時間は必要
君でも会得は可能だし、613でも本来は可能だ
条件としては一切の色眼鏡は外さなきゃいけない
先入観や固定観念やそれまでの他の信仰が残ってると三昧に至れない
難解難入と言われる理由もこれに尽きる
619 :
神も仏も名無しさん :2013/12/29(日) 09:56:55.97 ID:pzEbKKYU
>>617 あんたはずっと釈尊の「説法方法」の研究でグルグル回ってんだよ
釈尊の教えは説法が出来る人の言わば養成コースなんだ
だから行が肝心で悟りが肝要なの
手かざし捨てないとその行には入れず成就できない
だからそうやって自分自身の正しさを証明するイコール他者否定ではないのですか?という意味です。 わたしがいうのは「言い返す場合」です。 それって「分別がなければ」起こりえない、つまり、分別があるイコール悟ってるとはどうしても思えない と、こう言ってます。 もちろん私はそうだと自分自身で言い切れます。 自分自身がそうすればそうだと言い切れる根拠がわたしのなかにあります。 なぜなら 言い返したいからそうするからです。 分別するものがなければいいかえせないとこう言ってます。
621 :
神も仏も名無しさん :2013/12/29(日) 09:58:18.56 ID:agM4SG03
こいつらオカルトを論破するのは一言で足りる。 <衆人環視の中で、ちゃんと検証・証明してみ?> 妄想だけならアホでも言える。
622 :
神も仏も名無しさん :2013/12/29(日) 09:59:24.78 ID:Lftc3eQf
>>618 >仏教の真髄は悟りだし、悟る為には行ずる以外にない
>マスターそのものは難しくない、ただ根気と時間は必要
ここは同感です。
でも富士山の山頂に至るルートは複数ございますので、御自身のルートしかないことを担保できるでしょうか。
また、こう言うことはできるでしょう。
「登るルートは複数あるが、仏教が一番最短ルートだと自分は信じている。」と。
623 :
コレ悟りかよ!?w :2013/12/29(日) 10:01:44.92 ID:4vh2if+E
>>601 我々日本人にとって労働とは禅定であり三昧なんですよ。
だからサービス残業も休日返上も文句も言わず喜んでする。
過労死とは殉教そのものです。
>>逆に言えばこれら止観をちゃんと修められるなら老若男女を問わず誰でも悟れる訳だ
ただし条件があります。ニートに成ること。
ニートの苦しみとは労働による三昧や禅定を味わえないことです。
それをいかに乗り越えるのか。悟るのかが俺のテーマです。
624 :
神も仏も名無しさん :2013/12/29(日) 10:02:46.91 ID:Lftc3eQf
>>621 ><衆人環視の中で、ちゃんと検証・証明してみ?>
>妄想だけならアホでも言える。
<衆人環視の中で、ちゃんと涅槃入りを検証・証明してみ?>と
貴方自身が言われた場合を想定してのご質問でしょうか。
625 :
神も仏も名無しさん :2013/12/29(日) 10:06:07.99 ID:pzEbKKYU
>>622 仏教議論のスレで外道の教えは不要だし出る幕は無いでしょ
外道の人の方が飛び込んで何かを主張したりする方がどうなの?って話
あっち(外道)でやってりゃ良いものを何故出張してくるのか
つまり、仏教以外に悟る道は無いって証左なんじゃね?って事よ
延々と自分の脳内の正しさ証明ごっこ? なにがしたいの?みんな
627 :
神も仏も名無しさん :2013/12/29(日) 10:12:39.94 ID:pzEbKKYU
今の日本で所謂仏教と思われてる既成仏教のおこないの全部は 仏舎利信仰の成れの果てで悟りは目指してない、み仏にすがってりゃ良い信心が殆ど それで救われてると思ってる人を否定する気は勿論無い しかし、そう言う人はこのスレで自己主張も本来しないだろうって話 救われてるんだろうからね
628 :
神も仏も名無しさん :2013/12/29(日) 10:13:52.63 ID:Lftc3eQf
>>621 ><衆人環視の中で、ちゃんと検証・証明してみ?>
>妄想だけならアホでも言える。
少なくとも住人各位が馬鹿にしております手かざしでも世界中の道場や家庭で霊動現象が起こっております。
その道場に100人がおりましたら全員が目撃します。
後はその霊動現象で語られた内容が本当なのか妄想なのかを誰かが確認すれば済みます。
事例
・故人の形見やお宝を家族が探したが見つからなかった。その場所が霊動で語られ、家族が後日探したら見つかった。
・フランス語どころか英語も話せない主婦が、フランス語で語り出した。その場にフランス人がいて確認された。
・仏教徒でもない人が数分間お経を唱え出した。その場に密教系のお経が分かる人がいて確認された。
寧ろ逆に天国だろ 他に別に極楽だろ 当然正反対に理想郷だろ
630 :
神も仏も名無しさん :2013/12/29(日) 10:20:12.38 ID:pzEbKKYU
>>628 フランスじゃ創価と並んでカルト指定されてんだろ
んで現状じゃ手かざし教団は弟子派か世襲派かで分かれてて
その他も幾つかあって、大元は世界救世教なんだっけ?
オカルト信仰も大変だと思うよ
>事例 >・故人の形見やお宝を家族が探したが見つからなかった。その場所が霊動で語られ、家族が後日探したら見つかった。 >・フランス語どころか英語も話せない主婦が、フランス語で語り出した。その場にフランス人がいて確認された。 >・仏教徒でもない人が数分間お経を唱え出した。その場に密教系のお経が分かる人がいて確認された。 全部仕込みでOK。すうきょう真光? あれ仕事中にアポあって行かなきゃいけないのにお客さんに10分手かざしされて迷惑だったことがある。 当然なにいってるかチンプンカンプンだったし、次のお客さんに時間くらい守れないのか!!ってドヤされるしトホホな一日でしたけど。 自分の正しさの押し付けにしか感じませんでした。 ずーーっと冊子が定期的に入って本当に迷惑でした。
632 :
神も仏も名無しさん :2013/12/29(日) 10:35:56.98 ID:agM4SG03
633 :
神も仏も名無しさん :2013/12/29(日) 10:37:26.75 ID:Lftc3eQf
>>631 >全部仕込みでOK。
3件とも私のよく知っている人に起こったことで、私も目撃しましたので、あしからず。
また仕込みであれば私も40年近く続けてはおりませんので。
>自分の正しさの押し付けにしか感じませんでした。 ずーーっと冊子が定期的に入って本当に迷惑でした。
それは大変申し訳ないです。 熱心な方によく見受けられますので。
以前は私も冊子を入れたことはございます。
634 :
神も仏も名無しさん :2013/12/29(日) 10:38:30.48 ID:pzEbKKYU
例えば「前世は一在家」の場合、こいつはいくら言っても手かざしを捨てられない その所業はまるで日蓮の如く 法華経(真光)の正当性を立てる為に各種経典から要文を引いて「ほらどうよ」とやってる訳だ 日蓮と違うのは立てるべき正統性の対象が外道って事w それと、日蓮は阿含経は引かなかったと思うがアホ在家はアホなんで阿含経も場合によっては引く 日蓮はあれでも一応仏教に倣って修行はした人なんで、仏の教えの真髄を極めようとしたけど たどり着けなかったってだけでまだ理解できる、阿含経は引かなかったんだし アホ在家はそれ以下のトンマで、阿含経引いててまだ気付いて無い 阿含経にはちゃんと仏陀が実践された行法が載ってて、それやれば真髄に至れる事は証明済み 龍樹も結局これやって悟って各種論蔵を補強した訳だし その行法を行えば御み霊も手かざしも不要になる いい加減気付けよ、アホ在家w
だってさこっちが低調(丁重)に断ってるのにそれでも 10分だけだから!! って^^; その後の30分くらい意味不明な言葉の羅列の方が迷惑だった(なにしろ遅刻・・・) 結局、なんかいろいろ あったかいでしょ?とか色々言われたけど、そりゃ手が近くにあれば誰だってぬくもりは感じるでしょ。別に超常現象でもなんでもなく。 なんか宗教って気の弱い人に押しが強い人がしてるだけって印象がぬぐえないですね。 それを盲信する信者たち。 たとえば仏教って苦を滅するんでしょ? だったらこの程度の否定文も全然楽勝でしょ? 殺されても平気なお坊さんいたんでしょ? ほんとうに悟人?なら、おれになんて返事するのか知りたいな。 ちなみに自分の周りに仏教の話しする人いない。 居ても葬式とか法事とかで面倒くせえものの一環でしかない。 人を苦から救う教えなんでしょ? 仏教にエロい人こんなおれをすくってみてください。
>>633 それをあんたがみたって今度はどうやって他人に証明するんだ? 言葉で言い張ることしかできないんじゃないのか?
動画とか写真あるの? たとえばフランス語どころか英語って英語って日本で義務教育で習うよ? ヒアリングとグラマーとライティングは勉強するよ?だれでも。
戦前教育のことまさか持ち出してないよね?2014年にもうすぐなるよちなみ。
ねぇどうやって証明するの? たとえばあなたの画面の背景は知らないけど俺のは灰色なんだけど、あなたとわたしが
”同じ濃度彩度明度の灰色”をみてるって保証は誰がするの? 誰ができるとおもってるの? 同じご飯食べたってあなた人の味がわかるの? わたしわからない。
わかったためしが人生で一度もない。 ねぇ?どうやって証明するかをまず言ってみて。
あなたもみた と、言われても^^; ぼくの知り合いのしりあいに年がら年中 ”龍”をみてるひといるけど毎月通院してるよ。 あなたもそう?
637 :
神も仏も名無しさん :2013/12/29(日) 10:49:38.95 ID:agM4SG03
>>624 ><衆人環視の中で、ちゃんと涅槃入りを検証・証明してみ?>と貴方自身が言われた場合
涅槃とは還滅現実における「心(無我)と心の作用(慶安)」をいう(相応部35-23)。
逆に言えば、即修即証(修証一等)だから、
修証の深度は娑婆での暮らしにおける慶安の様相(心の作用)で知覚できる。
別にアホ得意の神通力やマジックショーで測りうるわけではない。
一休も仏教僧の堕落を怒りまくり、娑婆の盲目連中からは破戒僧とみなされていたが、
心の様相は実に平安だったと見うる。
40年もやっててこの程度を言い返してるようにしか見えないんだけど・・ こっちの気分はとても”救われた”とも思えないし・・・ あなたの真光って選ばれた選民だけしか幸福になれないカルトに見られる特徴をお持ちですか? あなたが幸せならそれでいいとは思いますけどその40年の集大成がここで議論することですか・・・ ご立派ですね^^;
>>637 そんな人ってけっこうどこでもいるよ〜。べつに仏教にかぎらず。
なんか世捨て人なんかなーくらいに何にも嫌味がないし押しつけもないし ほわ〜〜っとしてて
なんか一緒にいたくなる人っている。
とてもじゃないけどここでちょっと否定されたくらいで何十年とか全部・・・
自分自身を他者に正しいと証明したいから
て、行動にしか見えない・・・。 ここでガミガミ言い合いしてて本当に救われたって言えるのかな? 本当にふりかえってほしい。謝ればしまいじゃないよ。人がおしつけや迷惑だと感じてしまったら。
それになんであなたが謝ってるのかな。 それって認めたことにならない? 自分らの教えが迷惑となる場合があるって。 んじゃここで正しさの証明しようたって土台無理がある気がする。
何がしたいのかだけは正直言って教えてほしいな。 押しつけに無意識な宗教家心理マジで分からんから参考にしたいかも今後の人生の。
640 :
神も仏も名無しさん :2013/12/29(日) 10:57:11.08 ID:pzEbKKYU
日蓮自体は天台宗の僧侶が本当の身分だし、山を降りたのに僧を名乗れたのは 一定の印可は受けての下山だったのだろうと思う 故に、自身の悟達は出来てたのかも知れない、彼が考えたのは、天台宗流修行では 衆生を引導する方法としては煩雑すぎで、もっと簡略化出来るんじゃないかと思ったんだろうなと 阿含経は伝わってても小乗教と卑下されてたから、釈尊に一番近い行法を或いは知りえていなかったのかと 道元の場合は師匠の教えに割りと忠実だった為故の只管打坐だったんだろうが、残念ながら四念処が出てこない 形だけ取るなら曹洞禅なのかな、そこに四念処を入れれば多分間に合うのかなとか 日蓮の題目行もうるせーけど止行としては近道な気もしないではない 確かに登山道は色々何本かはあるが、富士山と言う仏教は一つなんで この富士山登るには富士山に通じたシェルパの助言が必要だと思うし 富士山登るのにチョモランマのルート案内されても迷うだけなんだなw
641 :
神も仏も名無しさん :2013/12/29(日) 11:07:24.88 ID:pzEbKKYU
一在家のやってる事はだ、 富士山の険しさや美しさや見晴らしや天候の変わり方と言った様々な業態の記述を引いて 一生懸命大阪天保山(標高4.53m)の険しさを証明しようと、裏づけしようと必死になってるって事なんだよねw
ふーん。 真光が正しいってのと釈迦が正しいってのと何がちがうの? どっちも間違ってたらどうするの? だれが証明するかおしえてー。 どうやってするの? ぜんぶ【思い込み 盲信】でカタが付く話しか延々としてないかみんな(福笑) どっちもどっちだけど? 宗教嫌いなおれからみれば・・・ そりゃーお寺や教会はどこでもあるからその影響はすごいと思う。 だからその功績は他者の証明を待つ必要がないくらい日本中どこでも目にするね。 えーといまググったら「浄土真宗」が一番多いんだって日本で。 じゃあこの開祖の功績は凄いよねなんだかんだいって。 道元日蓮も聞いたことある。 欠点がどうのこうのって偉そうに言ってる人は少なくともこの人たちより凄いってことだよね? ウサインボルトより足が遅い俺たちが何言ったって説得力ないよね(爆笑) こんな2chとか来てるんだ。 日蓮とかより偉い人って。
643 :
637 :2013/12/29(日) 11:16:06.08 ID:agM4SG03
>>643 前半3行がそうで。 4行目からは真光 安価抜けたw
ごめんね。流して。意味不明時は^^;
645 :
神も仏も名無しさん :2013/12/29(日) 11:22:23.07 ID:Y+L/5L6Y
「脅迫」「甘言」「虚言(現実上の検証不能性)」「肉体(生命)を忘れた異常な 精神性」「開祖の盲信」。これらがすべての創唱宗教の構成要素。キリスト教が、 その最大・最悪の典型。
仏教議論って一体なに?w スタートラインをまず決めてなくないか? これがそもそも問題なんじゃないか? だからいつまでも下らんこと言い合いしてる。
647 :
神も仏も名無しさん :2013/12/29(日) 11:29:19.59 ID:pzEbKKYU
>>642 因果を明かし縁起を明かし人間生活の上で起こり得る不都合の解決法を明かした人は釈迦くらいでしょ
その証拠が知りたかったら自分がその教えを行じればいい
行じずに触りだけ知りたいなら縁起を調べれば理解できる
浄土真宗がダメな理由も明らかで、あれで得られるのは今世の善行だけ
仏の得たものは真宗の教えじゃ無理
今世の善行も、普通の道徳教育レベルなんで、それじゃ業はひっくり返せないことは
ちょっと調べれば誰でも理解できるし、それで何とかなるなら釈尊は法を説く必要もなかった
宗教の存在を否定するのは自分の心を否定する事で、それは自分の存在を否定する事
それが良く無い事だと気付けないのは親や知人や身の回りの人々の恩をも軽く考えてる不知恩の人って事になる
なぜかと言うと、信仰とは信頼を土台としてる訳で、信頼とは信を土台としてる
その信を軽く考えてる事になる訳で、それは無明から来る愚となるんだよ
いくら宗教嫌いでも、自分宗をも否定したらもう救いようが無い
648 :
神も仏も名無しさん :2013/12/29(日) 11:36:47.38 ID:agM4SG03
>>646 >スタートラインをまず決めてなくないか?
『女の道は一本道にございます。さだめに背き、引き返すは恥にございます』
(「篤姫」で、乳母の「菊本」の台詞。大好きな台詞を思い出しましたw)
『仏の道は修証一本道にございます。さだめに背き、引き返すは恥にございます』
⇒一切外妄想は外道にございます。
★莫妄想(景徳伝燈録)のさだめに背きたるとき、引き返すは恥にはございません。
>>647 なんかさ、ここの人て【シャカ】とか人の名前をスケープゴートにしてるだけじゃん。
全部けっきょく【自分かわいい 正しい】の証明じゃないの? それで邪魔な他者を否定してるんじゃないの?それがシャカの教えってやつ?
否定もさとことんまで否定すると最後はどこまで否定するのかな?
かるく考えてない 迷惑だって言ってるの。 卑近の最たるものが911でしょ。 けっきょく【信仰】って【自分の正しさ 他者の否定】じゃないの?
自分を否定したらどうなるの? いくらでもしたことあるけどなぁ〜。
まずなにを「仏教議論」なの?w なにを議論するの? そこ決めてるの?みんな
650 :
神も仏も名無しさん :2013/12/29(日) 11:43:47.33 ID:pzEbKKYU
>>648 >一切外妄想は外道にございます。
意図は良く分かる
でもね、四念処って解る?よね
その中で悟る道は一切外だよ、六根より内側での事をその内側だけで考察するんだからね
妄想と一言で切ると道を外すと思われる
禅宗の教えでは四念処を正しく教えてないから妄想扱いしてしまうんだろうけど
確りと、阿含経の大念住経には釈尊の行法が書かれてる
不立文字は解るけど少しは読んでみたほうがいいと思うんだ
証明ってか証明できてないけど。 アピールしてるようにしか見えないってこと。 ただの暇つぶしならタイトルに入れとけよ(笑) とは思うけど。 ま、いいや。 年の瀬だからね。 仏教に限らず 【救い】を標榜しといてどこにもそれがないのが大抵だよね〜。 ただのビジネスじゃんそれって(笑) ただの分からず屋の屁理屈こきだだこねるしか能の無いバカってどこの業界でもいるけどそういうのの集まりか?ここw
652 :
神も仏も名無しさん :2013/12/29(日) 11:46:34.32 ID:pzEbKKYU
>>649 君は仏教否定して「俺スゲー」したいだけでしょ?
無宗教は自慢にならんし何の得も無いんだよ
所詮根無し草だしねw
>>652 ほらでた それそれ 【自分正しい】【他人間違ってる】
そこに話しが終始するでしょ。そっから否定のし合いになる。
それのどこが仏教で、どこが救いで、どこが正しいの?
あなたは【自分若しくはそれに類するもの】を否定されて【自分の正しさの証明をする行動】に出たに過ぎない。 それがさっきの真光信者と何が違うのって言ってるの。
>>605 >大学院生(観音)が教授(舎利弗)に教鞭するとか現実にはありえないのよ
般若心経は初期大乗経典です。
従って、より上座部に対する対抗意識が顕著であるということがいえるでしょう。
以前にも述べたように、架空のホトケに過ぎない大乗の観自在菩薩の方が
上座部の阿羅漢よりも上位であることを示す意図がここには明らかです。
元々、大乗経典は創作経典であり、そういう意図も含むということを理解した上で読む必要があるのです。
>>613 >あれー、ほぼ同意の話を師から伺いました。
>阿弥陀如来が変化して、観音菩薩とも呼ばれたことがあったという教えです。
教義的には、阿弥陀如来の慈悲が権化したのが観音菩薩ともいわれています。が、
けれども、すべては大乗による勝手創作の教義であるということは常に念頭に置いておく必要があると思います。
(年代が古いから)初期大乗が原始仏教に近いのではなく、
むしろ、上座部に反旗を翻したばかりの対抗意識の露骨なものですよ。
>>611 残念ながら、投稿してるこの私は縁起してる五蘊仮和合の自己ですから。
>>619 >手かざし捨てないとその行には入れず成就できない
まっ、手かざしが仏教・・・
という言い方はしないだろうけれどね。
>>258 “手かざし”そのものは別に悪くない。
その施術の意図(及びその効果の期待)についてはこの私にも理解できるから。
ただし、常識的にはただの素人が手かざしで力を発揮できるのかどうか?
また更に、この種の行為は受け手側の持つ病気等々を施術者側が貰ってしまうという
危険性の強いことが懸念されるということ(数年前、ある気功の達人で治療家だった方もその理由で突然死している)。
以前、在家さんによれば所属教団ではその対処はしっかりとしているという返答でした。
つまり、誰にでも一定ラインの力が発揮できて、病気受けの防御も兼ねているのでしょう。
教祖のエネルギーを磁化封印しているペンダントを身に着けるとかかな?・・・。
【俺スゲー】と【御親元主真光大御神様スゲー】てのと【釈尊 キリスト様スゲー】てのと、 根源的にあるもの、いわゆる本質の違いを説明してください。 対象となる【固有名詞】が違うという以外、 何がちがうのですか? 【込められてる思い】が違うんですか? 所詮【自分側】ってだけの話しで、 自分側 他者側(敵味方)ってだけじゃないですか? 一体なにを仏教議論しとんすか?(笑) ただの暇つぶしスレッドでしょ。 くだらん。
658 :
神も仏も名無しさん :2013/12/29(日) 12:40:24.00 ID:Dpu2e0qZ
心を正すことを意識しなさい。 心を正すとは心を空だと観ることです。 心をいつも空にしておくのは透明な鏡で世の中を映すようなものです。 心に曇りがあれば鏡に汚れがあるようなもので観るものも正しく映らないのです
659 :
神も仏も名無しさん :2013/12/29(日) 12:55:38.17 ID:DvviBW9u
>>628 >その道場に100人がおりましたら全員が目撃します。
100人くらいおったら、その中の数パーセント、もしくは数十パーセントは人格障害とか精神病がいると思って間違いないです。
障害の度合いにもよりますが、虚言するのがおるのです。で、
本人は虚言の意識は全くなくて、いわば人生そのものが虚言で固められてる。
私は最初にその虚言に気づかなかったですけど、ネットで調べてやっとその正体に辿りつきましたよ。
人格障害とか精神病は常人では計りしれないワールドがあるのですよ。
そういう人間と関わると、もう手かざしどころではない。自分が精神病になりますから。
あのですね、精神病とかは病識を自覚できる場合もありますけど、なにしろ人格障害は自覚そのものがないんですから、
これは嵌ると恐ろしいです。ほぼ100パーセント頭をやられるみたいです。
私は頭がやられる前に縁を切ったですけね。
殆んどは縁を切る前に人格が崩壊するらしいですよ。
こういう経緯でもって、人格をやられた人間が、メンヘル板とか宗教板で救いを求めちょるんです。
私が何で人格崩壊の危機を脱したか?これは般若波羅蜜多なんですよ。
観音菩薩が救ったのかもしれんですね。
660 :
神も仏も名無しさん :2013/12/29(日) 12:59:28.38 ID:Y+L/5L6Y
>>658 心とは、「肉体から発し、現実に対応して肉体を維持するための機能」。
「生きる」ためには、精一杯の「分別」と「執着」が不可欠。
「心のために心を使う」のは、「心の目的外使用」「心の濫用」「心のオナニー」
「心の汚れ」。
宗教者は皆、とんでもない勘違いと倒錯に陥っている。
661 :
神も仏も名無しさん :2013/12/29(日) 13:03:56.53 ID:Dpu2e0qZ
662 :
神も仏も名無しさん :2013/12/29(日) 13:14:16.39 ID:Y+L/5L6Y
>>661 私は、宗教家でも教祖でもなく、開祖もいないから、誰にも説教はしていないよw。
ただ、「事実」を述べているだけ。
信じなくても、一向、構わないのだよw。
663 :
般若心経は謀略スパイ文書 :2013/12/29(日) 13:17:19.81 ID:agM4SG03
>>654 般若心経のサンスクリット典籍の題名は「Prajñā(般若)-pāramitā(波羅蜜多)★-hṛdaya(心)」であり、「経」に相当する「sutra, sutta(スートラ、スッタ)」の字句はない。
★つまり、そもそもカンジーザー修業僧の落第レポートだから、
形式上釈尊の印可認証「如是我聞」がつくわけがないのだ。
総合コンサルティング・ブッダ商会の社長兼教務主任のサリープッタ先生が、社員研修で出した宿題が、
<般若経教典郡の最重要ポイントを、A4 400字詰め原稿用紙1枚に要約してまとめよ>で、
カンジーザーが本文(266文字)に「摩訶般若波羅蜜多心経」という10文字の経題を含めると276文字で提出したレポート。
出来がよければサリープッタ先生の口頭試問を経て、仏陀の最終確認&印可状授与になる。
で、内容半分はヒンドゥパクリの謀略文書であるから、サリープッタ先生にカンジーザー修行僧が弁明を求められた、という設定状況だ。
般若心経の「心」とは、サンスクリット「hṛdaya」(フリダヤ、心臓、重要な物を意味する)の訳語であり、同時に呪(陀羅尼、Skt:dhāranī真言)をも意味する語でもあるためだ。
そもそも、般若教典郡には呪文の類はない。これでは要約ではない。外道文書だ。
もちろん、ヒンドゥーの謀略スパイ分子であったことが判明したカンジーザーは、
サリープッタ先生から鉄拳制裁のうえ、追放処分となっている。
664 :
神も仏も名無しさん :2013/12/29(日) 13:19:23.70 ID:r/hXOlED
>>660 私は阿羅漢×0.8ですが
>心とは、「肉体から発し、現実に対応して肉体を維持するための機能」。
>「生きる」ためには、精一杯の「分別」と「執着」が不可欠。
常に自分のモットーです
665 :
神も仏も名無しさん :2013/12/29(日) 13:32:54.18 ID:DvviBW9u
>>633 >3件とも私のよく知っている人に起こったことで、私も目撃しましたので、あしからず。
>また仕込みであれば私も40年近く続けてはおりませんので。
40年も続けていらっしゃるなら、貴殿はラッキーですよ。
私は統一教会の草創期から、統一に関わりましたけど、その頃の食口(信者)は殆ど退転したらしい。
退転してないのは「統一二世」に繋げてる。
草創期の信者は、今では団塊の世代です。
殆どは洗脳が解けてます。
洗脳が団塊の世代までコントロールされるのは稀なようです。
で、幹部に伸し上がってから洗脳が解ける場合もある。
これは悲惨です。
マインドコントロールされているなら、
私は死ぬまでコントロールされていた方が本人は幸せかと思う。
666 :
前世は一在家 :2013/12/29(日) 14:00:41.54 ID:Lftc3eQf
>>665 >で、幹部に伸し上がってから洗脳が解ける場合もある。 これは悲惨です。
>マインドコントロールされているなら、私は死ぬまでコントロールされていた方が本人は幸せかと思う。
貴方のお話は実に分かり易いです。 釈尊や○○経を信じている方々も幸せかと存じます。
異教の私から見ても原始仏教(スッタニパータ、ディーガニカーヤ)は分かり易く、40年前の私でも腑に落ちたでしょう。
この世を去る時には、「自歓喜経」や「等誦経」の教えの可否が確認できますので楽しみですね。
667 :
神も仏も名無しさん :2013/12/29(日) 14:11:26.14 ID:Dpu2e0qZ
在家は幹部クラスなんだろうな 末端信者ではないと思う やりとりとかズル賢いし頭は悪くないw
>>257 憲法と法律があるから守らなければならないだと?
「個人として尊重される」と憲法で規定されているからだって?
そんなもの道徳の根拠でも何でもないから。
そんなコチコチ頭だから何一つして理解できないんですね!
お話にならないわ。
他人のものを盗っては何故ダメなの?
エッ?何故?どーして??追及していくと、ただの感情論に過ぎないことが判明します。
それとね。
業報輪廻はいずれの未来には教科書にも記され、
小学校から教育されることになるでしょうね。
そのことを私は断言しておく-必ずなるから(真理は勝つ)!!
>>261 >
>>260 はオカルト宝珠にいわせると、
> <集団的業報輪廻転生論>によって「説明」されるのでしょうw
ここに巣食う唯物主義者たちは、
産業革命時代(18世紀後半〜)の科学万能主義を崇拝していた者たちがその前世なのかも。
まっ、集団転生ですかね!
>>265 投稿が醜い。。。醜悪。
>>273 >誰か分析しこのシンピを解き明かしてくれる人がいれば良い。
そんなもの神秘でも何でもない。
心霊存在についての解明なんか、神智学ではとっくの昔に終了してる。
科学が遅れてるのです。まっ、いずれ心霊レベルならば科学も解明しますが。
>>286 >が、在家だけでなくカラスや宝珠も猛反対するだろうなw
いや、反対などありません。
この“現象界には”アートマンは存在しませんから。
そして、
>>607 となる、と。
670 :
神も仏も名無しさん :2013/12/29(日) 15:03:07.53 ID:Dpu2e0qZ
宝珠は末端信者タイプだな
671 :
道徳の基礎 :2013/12/29(日) 15:43:52.58 ID:agM4SG03
>>668 >道徳の根拠
前述しましたが、人間が社会生活を送る上で形作る生活や行動の様式を文化といい、
そのような共同幻想社会の生活を維持発展するために、共同体構成員間で形成される「規範」(意識)を道徳や倫理、伝統といいます。
殺人や窃盗は共同体としての平穏な秩序を害するから道徳違反であることは当然です。
単なる感情ではありません。
その中から共同体として強行性を持たせたものが
>>257 で述べたような法律・条例・規則です。
このように『何らかの<社会的文化規範(秩序)>を背景とするものであって、
▼業報輪廻転生論などという妄想の裏打ちのある法律など嘗て一つもありません▼。』(
>>257 )
あなたのような▼検証できない視点からの道徳の基礎づけ▼は、権力者の恣意的かつ過剰なモラリズムを防止できず、
結局ナチズム・ファッシズムに抗することができない<強権主義>の土壌となるだけです。
戦前の日本が天皇制ファッシズムであったことには理由があります。
また、ナチスのアーリア人の優秀性というレイシズムの背景にはアーリア的業報輪廻転生論の影響があることに注意が必要です。
たとえば、あなたの把握する超越的業報輪廻転生論では、
<売春、一夫多妻制、アブノーマル・セックス、人種差別、人身売買など>は善なのでしょうか悪なのでしょうか。
明解な業報論上の判断基準・根拠資料によって解答してください。
それぞれ現代インドでも行われていることばかりです。
>投稿が醜い。。。醜悪。
だからお前は、二項相対思考判断の罠から逃れられない俗物でしかないのだよw
672 :
神も仏も名無しさん :2013/12/29(日) 15:58:20.79 ID:pzGCDZ9y
>>668 まあ、昔のレスを持ち出して、良く心にとどめているのですね。
>感情論に過ぎないことが判明します。
実にこの感情と言うのが「心」でしょう。現代風に言うと「感情」
なのですよ。
でこの感情が縁により、相対的に損するのでしょう。
そして、これゆえに実体の無いもの、と判断されるのでしょう。
釈尊は、「彼は自分を侮辱した、彼は自分物を奪った、彼は自分の身体を傷つけた、
と思っているようでは、涅槃は程遠い」、と教えています。
つまり、貪ジン痴、の三毒のことでしょう。
そこで、これらは実体が無いので、忍耐して抑制しなければならない、となるんでは?
で、法律でも情状酌量されるが、罪としえは成立するのでしょう。これを原因として行為した場合。
又一方、人を傷つけないようにするのが、四重禁などの戒めでしょう。
だから、単なる感情論と片付けるのは大間違いでしょう。
感情論こそ世俗諦なのです。
673 :
神も仏も名無しさん :2013/12/29(日) 16:07:11.05 ID:Dpu2e0qZ
心を空とすることだけに努めよ 空が仕事するように、空がニートするように 善悪から離れなさい 心が空であれば善悪はない ありのままの自分を信じるなら善を作る必要もないのです
674 :
神も仏も名無しさん :2013/12/29(日) 16:18:21.66 ID:pzGCDZ9y
世界が空だと念じよとか、世界を無相だと念じよ、と釈尊は教えているが、 この真理をもっと身近に理解する方法がある。 それは自分の身体を思ってみることだ。 自分の身体について、これは頭だ、これはおなかだ、胸だ足だ、と独立して見なしては、 なら無い。みんな相対的存在なのだ。頭なくて足は無い。全くこれらには実体と言うものが無いのだな。 とすると、自分の身体は、無相なるもの、一相なるもの、空なるものと観念しなければならない。 頭が痛いときには、これは自分の頭への執着及び他の部分との差別心から生じていると見なさなければならない。 だからこれに徹底すると癌もあってはならない。 この見方を身体と接する外界に及ぼしていかなければならない。そうすると世界は空なるもの、と 見なすことになる。これを八正道の「正見」と言うべきだろう。
675 :
神も仏も名無しさん :2013/12/29(日) 16:20:02.37 ID:il+Kecq/
無理に心を空にしようとするから 間違えた方向に進むのだよ なぜなら、その意思もまた心だからね 仏教はそのための教えだろうに
>>674 どこが正見か? 馬鹿も休み休み言いたまえ。
677 :
神も仏も名無しさん :2013/12/29(日) 16:28:12.18 ID:Dpu2e0qZ
心になにも描いてはなりません 心は空にしておいてください 平和への想いを描くのも悪です 人は本来あるがままの真善だと知れ
678 :
神も仏も名無しさん :2013/12/29(日) 16:29:59.80 ID:Lftc3eQf
>>667 >在家は幹部クラスなんだろうな
上級研修を受けておりますが、幹部ではございません。
幹部の多くは一日の大半を正座して10人位には手をかざしております。
多分、仏典の勉強をするどころではないでしょう。
私は40年以上前の師と黄檗山万福寺大僧正との対談「本当の釈尊の教えを知るには原始仏教を調べる必要がある」を受けて、5年以上前から本スレの住人です。
>やりとりとかズル賢いし頭は悪くないw
狡猾とのペンキを最初に塗ったのはセブン氏だったかも。アホ、馬鹿は度々で基地外のペンキは意外と少ないようです。
最近は閻魔氏にウ○コ回虫とのラベルを貼られた次第ですが、他の宗教板と比べれば慈悲深い方かと正見しております。
679 :
神も仏も名無しさん :2013/12/29(日) 16:38:33.39 ID:pzGCDZ9y
>>674 つづき
もしあなたが自分の身体の一部につき、そこの執着し、その部分があると思うなら、
そこの部分が腐りそれが他の部分に及ぶことになる。
なぜなら、その部分と他の部分は相対存在となり、他の部分もあると見なしているからである。
相して全体が腐っていく。これが生老病死である。このあなたがあると見なした身体は、
あなたの心そのものであり、その心は身体が壊死してなくなっても、心は残り、
それは壊死した身体と相対して存在するものであり、その心はそれに相対する他の身体を生起させる。
これが輪廻するというのである。この心の見方のうちに感情と言うものがある。
680 :
神も仏も名無しさん :2013/12/29(日) 16:50:20.13 ID:pzGCDZ9y
実相である空性、無相、一相を体得したものは、太陽も無い世界の人となるのであり、 誰もそれを知ることが出来ない、と釈尊は教えている。 イエスキリストが衝天して見えなくなったというのは、釈尊の是認するところだろうな。
681 :
神も仏も名無しさん :2013/12/29(日) 17:00:37.82 ID:pzGCDZ9y
身体の一部があると思うことは、その部分が大地のような無生物と同等なものと見なすことである。 だから、病気になってしまった身体は、既に無生物の大地と同一のものになっているのだ。その人の心では。 人は生を得たと思ったときに既に、死を得ているといわねばならない。 死と生は相対して存在するものだから。人は生まれたとき既に病気と死を有しているのだな。 この輪廻を解脱するためには、生死を幻として捨てなければならない。
682 :
神も仏も名無しさん :2013/12/29(日) 17:07:19.98 ID:il+Kecq/
>>681 何を言ってるんだw
人間の身体は大地からできてるんだよ
大地が無生物とは鈍いねえ、君
そんな面倒な事をするくらいなら輪廻した方がマシw 輪廻、輪廻と言うのはインド人と輪廻の伝統仏教信者くらいなもの。 世界のそれ以外の大半の人間にとっては輪廻などと言う概念すらないw
684 :
神も仏も名無しさん :2013/12/29(日) 17:09:46.35 ID:il+Kecq/
>>677 >心に何も描いてはなりません
と描いているではないかw
685 :
神も仏も名無しさん :2013/12/29(日) 17:10:43.53 ID:M5/Ir/bN
686 :
神も仏も名無しさん :2013/12/29(日) 17:14:26.58 ID:il+Kecq/
心は止めようとして止まるものではないよ だから瞑想や観想をするのではないか 結果だけを頭で創り出しても無駄なのよ
687 :
神も仏も名無しさん :2013/12/29(日) 17:21:48.48 ID:Dpu2e0qZ
念がやむことはない 念を正していくのみです 正すというのは心を空とすることです
688 :
神も仏も名無しさん :2013/12/29(日) 17:32:17.18 ID:il+Kecq/
689 :
神も仏も名無しさん :2013/12/29(日) 17:36:13.64 ID:pzGCDZ9y
>>683 輪廻と言うと赤ちゃんとして誕生し、老人として死し、又赤ちゃんとして誕生することと、
考えることだろう。
釈尊の言う輪廻はまず、ものは相対存在だ、と言うことなのだ。相対存在とは、
現代的な表現であるが、昔もこのような表現は私用されているが、。
で、人はこの世に生きているときに、生死と言うものから離れられないでいる。
誰も死にたく無いように生きているのだ。死を避けて生きている。生きるとは死なないことなのだ。
死の世界と生の世界は並存しているのだ。
で、死から生に移行することこれが釈尊の言う輪廻の考えの根本なのだ。
だから、釈尊の輪廻とは縁起現象であるといっていいのだ。
で、真理の考え方は、生死というものは無い、と言うのだ。生死があるというのは
人の妄想だというのだ。
妄想とはどのようにも発展する。それこそ無限である。無限とは永遠のことだ。
人は自分に都合の良いように妄想する。その形態は無限である。
しかし妄想は無限であるほど、苦しみもまた無限である。これを地獄といい、無間地獄とも言うのだな。
691 :
神も仏も名無しさん :2013/12/29(日) 17:47:05.75 ID:DvviBW9u
>>689 >で、真理の考え方は、生死というものは無い、と言うのだ。生死があるというのは
>人の妄想だというのだ。
そうです。その通りなのですが、果たして貴殿の書き込みの意味が通じるか?
私なら通じますけどね。
692 :
神も仏も名無しさん :2013/12/29(日) 17:52:00.40 ID:pzGCDZ9y
>>690 輪廻をそのように解していたのでは、有益な論にならない。つまり迷妄から脱せられない。
そのようなロンはその当時のカースト制度を説明する手段として有効だ。
空とは時間もなければ空間も無いという意味になるから、年代を重ねる必要のある論は、
縁起と空と言う真理に反するのだ。釈尊も決して縁起と空と言う真理から離れて輪廻を考えてはいない。
というか輪廻そのものが有益な論、概念ではないw
694 :
神も仏も名無しさん :2013/12/29(日) 17:56:30.56 ID:DvviBW9u
>>692 おお!!なんと凄いではないか。
まるで私が書き込みしたよぉじゃないか。
貴殿は悟っていらっしゃる。
私は久しぶりに感動いたしました。
695 :
神も仏も名無しさん :2013/12/29(日) 18:07:30.26 ID:Dpu2e0qZ
>>688 心を空にせよ
具体例は念仏を意識でも、坐禅でも、瞑想でも、最近流行りの観察でも、いいでしょう
方法論はそれぞれのやり方で
どれか上げると、この方法が一番!の布教合戦が始まります
696 :
神も仏も名無しさん :2013/12/29(日) 18:12:10.76 ID:pzGCDZ9y
>>693 そうだ。
縁起とは妄想現象のことだな。妄想は縁起により無限の展開をする。
この妄想の本質は、欲心である。欲心でも本能といわれる性欲だ。
この性欲が生きる欲となる。生きるためにこそ智慧が生じる。しかし欲に基づく智慧である。
釈尊の般若の智慧は、これでは無い。真実の智慧である。この真実から生じる智慧で、
これが縁起の理法となり、縁起の理法ゆえに空の理法となる。
空(カラ)と空(クウ)は同じ字ですが意味が違います。 空(クウ)は無という意味ではありません。
698 :
神も仏も名無しさん :2013/12/29(日) 18:22:41.10 ID:pzGCDZ9y
>>693 そうだ。
縁起とは妄想現象のことだな。妄想は縁起により無限の展開をする。
この妄想の本質は、欲心である。欲心でも本能といわれる性欲だ。
この性欲が生きる欲となる。生きるためにこそ智慧が生じる。しかし欲に基づく智慧である。
釈尊の般若の智慧は、これでは無い。真実の智慧である。この真実から生じる智慧で、
これが縁起の理法となり、縁起の理法ゆえに空の理法となる。
699 :
神も仏も名無しさん :2013/12/29(日) 18:27:44.56 ID:DvviBW9u
>>696 今までにも、貴殿のようなキラリと光る書き込みがあったが、
殆どの御仁には通じんよ。
私にはちゃんと通じてるがね。
700 :
神も仏も名無しさん :2013/12/29(日) 18:37:42.03 ID:il+Kecq/
>>695 「自分」が空になってないから布教合戦になるんだろうなw
そのようなものは空手ではない。 では、どのようなものが空手ですか? (頭で瓦を割る) それは、空手ではないのだ〜空頭(カラアタマ)なのだ〜 という天才バカボンのシーンを思い浮かべてしまう空論ですねえw
そいや?大本的に言うと輪廻ってこの世で悟りが天で長寿とか通力とかそんなんなかんじのやうな?
703 :
神も仏も名無しさん :2013/12/29(日) 21:20:42.10 ID:pzGCDZ9y
>>699 >殆どの御仁には通じんよ。
表現と根拠の認識がいまだ不完全だと思う。しかし方向は正しいと。
貴殿も真理真実を広めるのに躊躇しないでください。
阿呆! 方向が出鱈目だと言っていますw
仏陀は武勇に優れた人だった〜というのも後代の後付ですね。 何でも仏陀は優れていたとしたい後の人間が言うものだろうと思います。 仏陀は幼少時学校に通っていたというのは本当だろうと思います。 石版の文字で勉強していた〜というのは当時のバラモンの口−耳で文字のない 勉強法とは違ったもので実学です。 仏陀の人間像を想像するのは面白いです。
仏陀は現世で人間がより良く生きていくための法を説いた人です。 現世以外の過去世や未来世は仏陀のあずかり知らぬ事。 現世、現在、今の一瞬こそが人生です。 過去や未来に何の意味もありませんし、思い煩うべき対象ではない。 今だけなら思い煩うという概念すらない。 今の積み重ねが将来となる〜と思えべ間違い。 今の積み重ねが将来になれば、今は過去の自分の積み重ねた結果〜。これは間違い。 生きている人間に過去や未来は無い。 今しかない。
いつ悟るか?
今でしょ。
とでも言いたいのか?w
>>706
708 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/12/29(日) 22:38:26.91 ID:Lftc3eQf
長部経典第一経「梵網経」では、釈尊は当時の62の見解の原因と消滅させる道とを知ってるから、如来はこれらの見解を超えていると説かれました。 場所は王舎城の近くで500人の比丘集団と一緒でした。 また第二経「沙門果経」では、仏道修行者の現世における修行の成果として、四種禅定、六種の神通力、十種の智慧が説かれました。 場所は王舎城の近くで1250人の比丘集団と阿闍世王と一緒でした。 ポイントは62の見解の中には輪廻のことが度々含まれておりましたし、六神通にも輪廻を想起する宿住通等が含まれていたことです。 つまり輪廻をハッキリと肯定し、次に輪廻から解脱する方法を説かれたということがオンリーワンだったと読んでおります。 漏尽智を得た者は「もはや再びこの迷いの世界に生まれ変わることはない」と洞察し、これはスッタニパータでも十回ほど記載があります。 もし輪廻を否定すれば、解脱も涅槃も空(ない)ということで分かり易いでしょう。 40年以上前に万福寺の岡崎大僧正が「釈尊の教えを知るには原始仏教を調べる必要がある」とおっしゃられたのはこのことだったと仮設致しております。
>もし輪廻を否定すれば、解脱も涅槃も空(ない)ということで分かり易いでしょう。 輪廻はあってもなくても結構。解脱も涅槃もあってもなくても結構。空?空=無ではありませんよw 何を輪廻、輪廻と喚くのか意味不明w 輪廻があって、それでどうしたの?とう感じですねえw
>>708 だからと言って、貴方の考え方を支持するものにはなりませんけどね。
(寧ろ種々の経証はそれを排斥する方向だけどねw)
711 :
神も仏も名無しさん :2013/12/29(日) 22:48:14.10 ID:agM4SG03
>>707 ノンノンw
悟るとか言う事自体意味が無い。
今を生きよ。死ぬまで今を生きよ。
悟りとか、解脱とか、涅槃とか、空とか、縁起とか、そんな概念に意味は無い。
死ぬまで生きれば上等。自殺は下等。それだけ。
>>712 けど、それって、
まんま、明治以降の近現代禅だよね。
私は臨済、趙州の中国禅しか知りませんが、現代禅でそんな事を言ってるんですか? 日本で禅はない、と思っていますが?w
>>715 w
今の日本に、その“中国禅”なるものがあると思える感性の方が信じられんわw
出たなセブンww 阿呆、中国禅などは日本には無いと言っているのも理解できないとは、哀れw
今の日本の禅寺で臨済や趙州の空気は味わえないでしょう。
>>719 ハァ?(゚∀゚)
「空気」の話をしてたのか?wwwwwwwwwwwwwwwwwww
出た草生やし&上から目線w 臨済、趙州の(継承された)禅寺が日本のどこにある? 阿呆は休み休み言いたまえw
722 :
おじゃる :2013/12/29(日) 23:56:43.95 ID:8vS44rpd
一在家さんが輪廻に少しでも疑問を思ったら いままでの思考価値観が崩壊するから 洗脳を解くことは無理だね 宗教こわいよう ワシも親鸞に洗脳されてるが
>>722 そして、そのような至高な境地を目指して一人一人崩れ去るw
目指す事自体が誤と何故気づかないのか?
死ぬまで生きればOKで、殆どの人間は死ぬまで生きている。
自殺はNGと言うだけ。
何故自殺がNGかと言えば逃げだからですよ。
死んで逃げる〜というのは輪廻の暗い世界に堕ちるのかしれません。
w
>>721 「
>>712 のことを忘れて考えろ」、「境内の佇まいで考えろ」
ということですね。
わかりました。それならば、日本には、昔も今も“中国風の禅寺”は一つも存在しないと言えるでしょうw
726 :
おじゃる :2013/12/30(月) 00:12:41.67 ID:nSZejaJu
>>725 その「w」で始まるレスが、人間性をかもし出していますねw
そのように人を見下ろすのが面白いですか?
私は「w」で書き始めませんがw
セブンは在家と同じですね。
書き込み方こそ違えど精神レベルは等質でしょう。
728 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/12/30(月) 00:20:17.67 ID:lgTcGaFa
>>708 >つまり輪廻をハッキリと肯定し、次に輪廻から解脱する方法を説かれたということがオンリーワンだったと読んでおります。
テキストベースでは釈尊の高弟の500人は「梵網経」と「沙門果経」とを聞いております。
また晩年の道元禅師は輪廻を否定したらどうなるのかを警鐘されておりますが、禅師が耄碌したのか否かは本スレで対話済みです。
「正法眼蔵」十二巻本第八 ☆道元、晩年
仏祖の道を修習するには、其の最初よりこの三時の業報の理を効い験らむるなり、爾あらざれば多く錯りて邪見に堕つるなり。
但邪見に堕つるのみに非ず、悪道に堕ちて長時の苦を受く。当に知るべし。
>>709 >輪廻はあってもなくても結構。解脱も涅槃もあってもなくても結構。
>>723 >一在家さんが輪廻に少しでも疑問を思ったらいままでの思考価値観が崩壊するから
それが貴方がたのイメージされた仏教のようですね。空ですね。
>>726 解脱を志向する事が間違い。
解脱をあきらめるのが解脱。
地球上で誰一人解脱した人はいません。
例え仏陀ですらw
>>727 その逃避回避の仕方は隠居そっくりだなw
731 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/12/30(月) 00:24:58.71 ID:lgTcGaFa
>>727 >セブンは在家と同じですね。書き込み方こそ違えど精神レベルは等質でしょう。
私は光栄に存じますけど、セブン氏には大変失礼ですね。
失礼も何も本人が「w」で書きはじめる輩ですからねえw 見下ろしたいという、腐った精神が根っこにあるのでしょうww
>>731 >>727 は、君に対しても失礼だけどなw
在家は、露骨な嘲笑はせず、言外に匂わせる形を得意とするから。
その点では、ワシより在家の方が巧みだよw
>>732 で、
>>712 はどうなの?
近現代禅は、まったくもって712なんだが?
(少なくとも、私は、それ以外のスタンスの現代禅に出会ったことはない。)
まあ、セブンさんはあまり人を見下ろしての発言(書き込み)は止める事ですね。 「w」で始めるなど言語道断w 「w」は最後に一個か2〜3個付けるだけで良いと思いますよw
w www
1/2
>>224 >どんなかたちであれ死んでも生まれ変われるのなら
>悪い事をやるだけやって逮捕されそうになったら自殺する〜という事もありうる、
>というか事実ありましたよね。必ずしも輪廻転生が道徳的とは限らない例だと思います。
本来なら解釈は逆でしょう!
どうせ転生してしまうのであれば、自殺では免れないということですよ。死後、及び来世においては前世の悪業
に加えて自殺で逃げるという卑怯な手段なるマイナス行為が更に加点されることになるのだから。
業報による輪廻転生を認めるということは、つまり、今生での行為の報いが死後、及び来世において必ず課される
ということ。これが善因善果と悪業悪果の絶対性を人が事実として受け入れることによって、必然的にその行為が意
識的に正されていくことになるからです。
要するに、憲法や法律といった人間が勝手に作る法規などがなくても、悪いことをせず良いことを自ら進んでしよ
うという人間になっていくことを意味します。これが輪廻転生を認めることによる道徳的な効果です。
2/2 >生まれながらに不幸な状況にある人に >お前の過去世の業によりそのような状況であるのだ等と言うのはNGです。 >つまり、このようなNGを内包する思想が業報輪廻転生という事です。 >ひとつの信仰ではありませが、かなり劣悪低俗な信仰です。 誤解の典型ですね。 誰もその人のところに態々出向いてそんなこと言ったりなんかしませんよ! これは他人から指摘されるようなものではなくて、あくまでも自覚の問題なのですから。 つまり、その人は原因について次のいずれかを自ら選択し、今の自分のことを何とか納得しようとします。 1.親が悪い(原因を親のせいにして批難する) 2.社会が悪い(原因を社会のせいして憎悪を抱く) 3.神が自分に与えた試練と見なす(神がいるのならば、そういうことなのだろう) 4.自分が悪い(前世というものがあって、これはその報いなのではないか?) 仏教の普及は、そのような人に正しい自覚に導く機会をより多く提供することになります。 原因が分かるならば、結果も分かるし、結果があるということは、その必然的な原因があるということ。 仏教の理解は、自己の不幸を他人や社会のせいにしないことにあります(自業自得)。 何故ならば、自分に原因無くして、自分が苦しむことには絶対ならないからですよ。 今生で報いを受けるべき悪しき原因がないならば、当然、前世に報いの元となった悪行があることになる。 それが縁起の理解というものですよ。 仏教の教えが浸透すれば、 自己の不幸を、親や誰か他人や社会のせいにする人間などは自然といなくなります。 こうして、此の世にも美しい浄土が形成されるのです。
739 :
神も仏も名無しさん :2013/12/30(月) 02:00:56.75 ID:54hP/N+u
一切の業苦は妄想より生じる
740 :
神も仏も名無しさん :2013/12/30(月) 02:01:17.35 ID:yWVlGoWD
>>738 〉今生で報いを受けるべき悪しき原因がないならば、当然、前世に報いの元となった悪行があることになる。
それが縁起の理解というものですよ。
それは釈尊が説いた仏教の教えではなく
釈尊に利益を求めた仏舎利信仰の邪義だよ
仏教ではない
大乗仏教を否定されてもね 信者なんだから 南無阿弥陀仏
742 :
神も仏も名無しさん :2013/12/30(月) 03:09:06.91 ID:aa9j50J6
>>741 浄土教は仏教に便乗した外道信仰に過ぎない
大乗の精神を持ってる事は否定しないが仏教ではない
浄土三部経も偽経典であり仏教の法印も保持出来ていない低い教え
来世に浄土往生を願って今世は忍辱の信心で念仏を唱えるとか
釈尊の教えにはそもそも無い
743 :
神も仏も名無しさん :2013/12/30(月) 03:24:57.78 ID:aa9j50J6
もう一つ、浄土教主の阿弥陀は三部経の中に於いて 阿弥陀の名を唱えたものは来世に必ず浄土へ往生させ救済すると誓願を立てている 但し、正法誹謗の者を除くともある 阿弥陀の言う正法とは、各浄土に於いての教主の説いた理法の事を言い 阿弥陀は西方極楽浄土の教主なので、その説くところの理法が正法なのは勿論だが 今世の衆生の住む世界は霊山浄土であり、その教主は釈迦牟尼仏の説く理法こそが正法となる つまり、今世でいくら念仏を唱えようとも、釈尊の理法に背いている限りは浄土往生も叶わないのだ
744 :
神も仏も名無しさん :2013/12/30(月) 03:29:55.66 ID:aa9j50J6
文証 無量寿経に曰く >たとひわれ仏を得たらんに、十方の衆生、至心信楽して、わが国に生ぜんと欲ひて、乃至十念せん。 >もし生ぜずは、正覚を取らじ。ただ五逆と誹謗正法とをば除く。
1/2
>>252 >生身の人間が空も飛べて水中で肺呼吸無しに生きることも出来て、飲食せずとも
>空気中からエネルギーを取って生きれて、1万年生き続けることも出来る〜と大真面目に
>信じて疑わないんだから幽霊くらい有って当たり前でしょうなw
はい、そういうこと。
神智学によれば、現存される数名のヒンドゥー・アバターラの他に肉体を持たている覚者方はマイトレーヤと他13名ほど。
これらの覚者方は皆、時折り、マヤヴィルーパという自分で好みの理想的な肉体を意志力で創造してそれを着用します。現在、
ローマ在住のイエス覚者(磔刑にて肉体を提供放棄されたナザレのイエス)は、シリア系の肉体を670年間使用されている。
史実、フランス国王ルイ16世と王妃アントワネットに革命発生の警告を助言した謎の人物として実際の記録を残す、不老
不死の時間旅行者/サンジェルマン伯爵は、現在のラコーツィ覚者であり、そのよく知られた過去の顕現には薔薇十字創始の
クリスチャン・ローゼンクロイツ、フランシス・ペーコン(及びロジャーベーコン)がある。
また、ヒマラヤの神仙ヨギ/ババジは不老の青年で三千歳などいわれていますが、実際には数万年ともいわれいます。インド
のクンプメーラ祭には時折り、肉体を瞬間移動して物質化出現されるので、その目撃例が幾つもあります。
747 :
神も仏も名無しさん :2013/12/30(月) 05:43:05.16 ID:7Cweo3yA
>>745 ,746
世迷言は良いからお前がおまえ自身の見解で
>エーテル界、アストラル界、メンタル界
上記を引用なしの単独で証明し、且つ
>物質界
を引用なしの単独で証明してみせろよ
出来ない限りはお前の言う事は単なるオカルト話で娯楽の範疇だ
748 :
神も仏も名無しさん :2013/12/30(月) 07:28:19.89 ID:BrQhyl7T
749 :
神も仏も名無しさん :2013/12/30(月) 07:47:24.21 ID:BrQhyl7T
>>746 あのな宝珠、748の動画によると
お前の宇宙に霊や心霊や真我があるのは「有る」で良いそうだよ
ただ、それを俺らが共有して居るこの物理世界に「居る」と思っちゃ駄目なんだそうだ
この世界は娑婆世界だからな、釈迦が言った「苦・無我・縁起」が基本で苦しい世界
そう言う苦も無我も縁起からも開放されてる自由な世界が自分の中の宇宙な訳で
釈迦もその存在は認めてるからこその瞑想修行による悟りを見つけられたんだ
この現実の現象世界は法印が絶対の真理の世界だ
その現象界を離れたお前の中のエーテル界、アストラル界、メンタル界は有りなんだよな
750 :
神も仏も名無しさん :2013/12/30(月) 08:29:07.45 ID:0RYew/02
. 俗物妄想徒を相手にする必要はない。 彼らにも思想信条の自由(憲法19条)はある。 カルトやファッシズムの温床ゆえ潰すだけだ。
751 :
神も仏も名無しさん :2013/12/30(月) 08:49:22.06 ID:1zG6yPjk
>>703 ID:pzGCDZ9yどの
>表現と根拠の認識がいまだ不完全だと思う。しかし方向は正しいと。
そりゃ〜、突っ込みを入れようとすると
>>711 のようなレスも入れられるが、
世俗諦で説明するのは、ある程度限界がある。
それは十分に承知してます。
私だと、あそこまで簡単明瞭に説明できるかな?と問うと、
やはり無理かと思う。
表現力とか文章能力なんだろうけどね。
私が「感動した」。といふのは、そういう意味であります。
>貴殿も真理真実を広めるのに躊躇しないでください。
ありがとう御座います。良き御縁でありました。
752 :
神も仏も名無しさん :2013/12/30(月) 08:55:03.36 ID:I9JWdWsm
宝珠銀河中心にオカルト・オナニー波動がw
753 :
神も仏も名無しさん :2013/12/30(月) 09:02:43.88 ID:BrQhyl7T
754 :
神も仏も名無しさん :2013/12/30(月) 09:12:30.57 ID:82YuZ3b7
輪廻を否定し自我の断滅を説くのは順世派のアジタ・ケーサカンバラの断滅論であって仏教ではない。 輪廻する霊魂の不滅を説くのはパクダ・カッチャーヤナの常見論であって仏教ではない。 輪廻した他の世界があるともないとも考えているわけではないのが サンジャヤ・ヴェーラッティプッタの論であるがこれも仏教ではない。 世界観哲学として仏教を理解しようとすれば常に外道に堕ちる。
755 :
コレ悟りかよ!?w :2013/12/30(月) 09:18:50.36 ID:YO//I9lj
>>746 俺、マイトレーヤだと宣言していいですか。
>>753 やはり苫米地英人はジャギだな。輪廻を勘違いしている。
756 :
神も仏も名無しさん :2013/12/30(月) 09:26:05.92 ID:BrQhyl7T
>>755 いや、お前の宇宙ではお前の考える輪廻で正しいんだろうよ
でもそれは差別を強要する世界だし、自己責任も自業自得も
下手すれば自分本意に他者をも否定しかねる妄想ともなる
故に釈迦はそう言う性質を持っていたウパニシャッド思想を全面対峙の姿勢に立ち
無我の思想を打ち出したんだよ
輪廻するのは別にどっちでもいい、この際はな
いかんのはその輪廻に業報が付くのが差別主義の始まりになりろくな事にならないって話
757 :
神も仏も名無しさん :2013/12/30(月) 09:28:03.35 ID:/R05FQH9
>>754 真理は人間の浅はかな思考(言葉)で理解し切れるものではない。
だから、その3人とも「間違ってる」ってことになる。
その思考(言葉)を離れた先に観たものこそ真理ってことかな?
758 :
神も仏も名無しさん :2013/12/30(月) 09:29:13.11 ID:0RYew/02
<色即是空> 生きることに意味はありません。 また死ぬことにも意味はありません。 あらゆることに実体はありません。 ただことばだけが、幻のように現れているだけです。 <空即是色> そのことを踏まえれば、苦しみもありません。ことばだけです。 苦しみは、執着することによる誤解だったのです。 何の心配もいりません。 ただただ、遊びをせんとや生まれけん、です。
759 :
神も仏も名無しさん :2013/12/30(月) 09:40:59.80 ID:82YuZ3b7
法印でも存在論は説かれていない 全ての存在は(sarvabhaavaaH)は無常であり 全ての存在は(sarvabhaava)は無我である とは説かれず 全ての行(sarvasaMskaaraaH)は無常であり 全ての法(sarvadharmaaH)は無我である と説かれる 何故お釈迦様が存在(bhaava)ではなく 存在をわざわざ行(saMskaara)と法(dharma)に分割したのか考えるべきだ 近代仏教学者は哲学オンチだから行も法も存在の意味でしか理解できていないのは残念である ちなみに行も法も実践に関わる言葉である 存在は哲学や世界観に関わる語である 世界観によって悟った気になってもニルヴァーナには達しないということだ
760 :
神も仏も名無しさん :2013/12/30(月) 09:53:01.65 ID:X0qTWXuz
>>758 君も空観好きだねぇw
でもそれ間違ってるんだよ
色は物理世界の状態を言ってる訳で、その上位の概念から見るならそれは有無にあたり
色は有に当たる、で、そこで言いたいのは色=有は結局実体が無いと言いたいんだから見えてるけど実は無いと言いたい訳だ
だから正確には
色即是無 無即是色 が正しい事になる
(有ると見えるが実は無く 無い筈なんだが見えてるから有る)
これに対して空観を語るには更に有無の上位概念として見なくてはならないので(有でも無でも無くどちらでも有ると観ずるのが空)
色即是空 空即是色では間違いとなる
このままだと概念的には「有るんだが不明 不明だが有る」となってしまう
または「現象界は次元 次元は現象界」ともなり
本来言いたいのは「現象界は実体が無く 実体の無いのが現象界なのだ」にならないのだ
それらを体系として空仮中の三諦とし解説してるのが中論なんだが、読めば解る
空観に拘ったら達磨の様に足が腐っても分からない人になるだけなんで中諦が良いんですよって解説
761 :
神も仏も名無しさん :2013/12/30(月) 09:55:48.19 ID:X0qTWXuz
>>759 行とは行為でもあり、俯瞰すればそれは現象の事になり、人間も所詮は無常の存在で
現象の一つに過ぎない、故に存在の定義など現象にとってはどうでもいい話であり
仏教では徹底的な無我を得ために我執は捨てる、故に存在論は戯論となる
762 :
コレ悟りかよ!?w :2013/12/30(月) 10:07:12.38 ID:YO//I9lj
>>756 古代ウパニシャドの輪廻と差別は関係ありません。
ヒンズーのカーストは釈迦の仏教がバラモン教と結びついて構築された。
カーストの差別の原点は仏教にある。
業報輪廻の思想とは差別を肯定して差別を作り上げるシステムですよ。
だから輪廻から解脱して悟らねばならない。
いくら輪廻そのものを否定したからと言って差別は無くならない。
能力や生まれや学歴によって差別は厳然としてあるでしょう。
仏教の業報輪廻とは差別の説明であり、差別を納得する画期的アイデアです。
しかも悟ることで差別から解脱でき、人類を絶対的平等に導く、つまり仏に成れる教えです。
仏教は完璧ッス。
763 :
神も仏も名無しさん :2013/12/30(月) 10:08:50.53 ID:0RYew/02
764 :
神も仏も名無しさん :2013/12/30(月) 10:11:20.16 ID:X0qTWXuz
>>763 >分別三昧の徒には、仏法は観えぬ
サマディを得てるなら上記も分別差別と見れるでしょ
765 :
神も仏も名無しさん :2013/12/30(月) 10:17:28.07 ID:0RYew/02
なにも見えぬ
766 :
神も仏も名無しさん :2013/12/30(月) 10:22:25.42 ID:X0qTWXuz
全ての現象そのものに差別(しゃべつ)は無い 自然には大小厚薄浅深多寡等の特質はあれでもそれは特質なのであり差別ではない 差別は観念によりて定まり、我によって決められる つまり、差別とか分別とかは我執が決め付けているパーティションに過ぎない
767 :
神も仏も名無しさん :2013/12/30(月) 10:33:07.54 ID:0RYew/02
. 〇〇〇〇〇 知不契
768 :
神も仏も名無しさん :2013/12/30(月) 10:34:57.19 ID:X0qTWXuz
だから達磨ゴッコは駄目なんだってw
769 :
神も仏も名無しさん :2013/12/30(月) 10:48:51.30 ID:X0qTWXuz
勘違い野郎の禅家が居るんで一つ忠告しとくが 仏家の基本が禅家と言う驕りは捨てた方がいい そう言うオナニー問答は内輪だけで通用するもので 釈迦の説法は禅問答に依らない 当時の平易な言葉で法を説き、教えを文字化しても良い印可も 口語体なら良しとされて三蔵が集成されて行ったのだから 内輪にしか理解不能なオナニーは極力さけるべし 一般には意味の通らない禅問答は釈迦が禁じた呪文にも通じる 釈迦が教えのサンスクリット化を拒否したのも文語体にされると時代を経ると呪文になってしまうからで 故に現在残ってる三蔵がパーリ語と成っている 現在ではパーリ語すら誰も使ってない言語なので呪文化しているため 急ピッチで現代語訳されてるのが昨今の事情でもある 釈迦の意思を継いでる自覚を持つなら呪文のような禅問答体は避けるべき
770 :
神も仏も名無しさん :2013/12/30(月) 10:52:55.21 ID:I9JWdWsm
>勘違い野郎の禅家が居るんで そうだね、たしかに。 >空観に拘ったら達磨の様に足が腐っても分からない人になるだけなんで中諦が良いんですよって解説 この言い回し、同じくオナニー的である、 ま,両者共にオナニーだろうw
771 :
神も仏も名無しさん :2013/12/30(月) 11:00:05.16 ID:X0qTWXuz
>>770 四禅を極めるのが禅宗の修行法の概要で
四禅は段階で禅定が上がっていくシステムとなってて
上に行くほど空を観じて気持ち良くなるんだよ
釈迦の言う瞑想修行ではここまでで準備運動の扱いで
釈迦の悟りへの瞑想に入るにはこの後に四念住と言う観行に入る
禅宗の場合、この四禅の気持ち良さで足が痺れようが痛くなろうが腐ろうが
痛覚すらも通り越した無の境地に行っちゃってるから達磨は最後は手足が腐って云々って話が有る
これは呪文でもなんでもない話
772 :
神も仏も名無しさん :2013/12/30(月) 11:02:07.06 ID:X0qTWXuz
選挙の時に勝ったら眼を入れるダルマさん あれのモデルが達磨大師でね、何故手足が付いてないのかの理由はそう言うこと
773 :
神も仏も名無しさん :2013/12/30(月) 11:07:15.60 ID:I9JWdWsm
>四禅を極めるのが禅宗の修行法の概要で 四禅は段階で禅定が上がっていくシステムとなってて 上に行くほど空を観じて気持ち良くなるんだよ それも調査不足だって、だから・・・・
774 :
神も仏も名無しさん :2013/12/30(月) 11:08:24.18 ID:I9JWdWsm
両者共に知りもせぬ事を知っているかのように・・・ 故に・・・
775 :
神も仏も名無しさん :2013/12/30(月) 11:14:48.19 ID:X0qTWXuz
やってみりゃ解るってw 四念住をちゃんとやれば身体の隅々を観る方法が今度は観行にあるんで 足の不調も発見できた筈なのに、止観では発見できなかったってのが事実としてあるわけよ ダルマさんの置物が伝承してるのも伊達じゃないのよ いまの禅宗は坐禅修行で身体の故障が解らない事は無いのは、途中で改変されてて 経行を挟んだり、作務をこなしたりで身体不調も普通に解るからダルマさんの心配は無いと思うけどね それでも空観に拘る修行は駄目なんだよ、無心は入り口に過ぎない
776 :
神も仏も名無しさん :2013/12/30(月) 11:28:30.86 ID:0RYew/02
>>771 >達磨は最後は手足が腐って云々って話が有る
:X0qTWXuzは検証なしで、恥ずかしげもなく苫米地英人のアホ言説の◎ッと受け売りを書き散らすw
やはり、馬祖〜趙州禅の本分事を直覚できるものはいない。
「黄口小兒」の徒ばかりだ。
「老僧(趙州)此間、★即以本分事接人★。
若教老僧随伊根機接人、自有三乗十二分教接多了也。
★若是不會、是誰過欺★」
777 :
神も仏も名無しさん :2013/12/30(月) 11:31:05.01 ID:I9JWdWsm
>四念住 そりゃ、まあいいとして、 禅宗系統の瞑想をよく知らずに書き込めるなあwと、 そういうオカシナこと書き込むと、ま、基本結果的に、全部信用できないちゅうことになりますなあw 知らぬ事は知らぬで通さないと、信用されない。
778 :
神も仏も名無しさん :2013/12/30(月) 11:32:13.65 ID:I9JWdWsm
なるほど、半端えんまと反論者か、 ま的を得ない議論、ま、いつものことだが・・・
779 :
神も仏も名無しさん :2013/12/30(月) 11:54:48.65 ID:zwsU9qFQ
悟り=既成概念形成力(サンスカーラ)を解くことであり 悟ろうが悟らまいが普遍性を知り人間の思考を超越した仏は神に なるこでもなかった。 あ〜な〜んだ、あるがまま(今の自分)の状態でよかったんだと 知ればそれでいいの。 そして人の嫌がることをするな和をはかればそれで あ〜な〜んだ、それででよかったんだと 知ればそれでいいの。
780 :
神も仏も名無しさん :2013/12/30(月) 12:16:54.37 ID:54hP/N+u
>>779 その通りですね
あなたは仏教の無差別をわかっています
苫米地なんかは無差別説きながら無差別をわかってないですからね
781 :
おじゃる :2013/12/30(月) 12:31:44.51 ID:nSZejaJu
束縛と解脱があると思う事が束縛であり、束縛と解脱がないと思う事が解脱である。
思うことじゃない。
思うではなく感じるでも良いですよw 言葉遊びに意味は無い。
感じることでもない。
思わず感じず、その他なんでも良いですよw 言葉遊びに意味は無い。
787 :
おじゃる :2013/12/30(月) 12:57:11.47 ID:nSZejaJu
788 :
神も仏も名無しさん :2013/12/30(月) 13:28:02.90 ID:GYsTIKWO
>>787 >この深層的な自我心(末那識・我愛)を滅することによって、我々は初めて真の無我行を
>実践することができる
無我行を実践するのは「我」。死者には不可能。深層意識を意識したら、それは
もはや深層意識ではない。
初めから、論理破綻。
789 :
おじゃる :2013/12/30(月) 13:39:03.36 ID:nSZejaJu
790 :
神も仏も名無しさん :2013/12/30(月) 13:59:40.00 ID:54hP/N+u
深層意識を意識したらそれは深層意識ではない? それは深層意識と表層意識が合致することがあるのを知らない未熟者の戯言 仏教は深層意識と表層意識の一致、そしてそれすら空だ
>>753 今、忙しいので、まずはチラっとだけ流し読みしてみました。
この中で、催眠術で火傷に遭うよう指示された被験者には、
水膨れが出て来るのと同様の思い込みのメカニズで聖痕現象なる奇跡は説明がつくのだと、
したり顔でシャーシャーと解説してましたね。
まっ、ただの凡夫のクダラナイ発想ですね。
そういうことで奇跡や超常現象のすべてが説明ができるなどとは愚か者による無知の賜物に過ぎない。
私たちのグループでは、グループ瞑想の会場に使用していたビルやその周辺のビルなどには、
ある日、突如として“光の十字架現象”(及び光のサークル)がマイトレーヤからの祝福として出現したりするようになります。
一度、出現すればその現象は二度となくなることはありません-----この私、宝珠も実際の現場を確認済です。
これも個人の心によるただの思い込み現象ですか?エッ 未熟な唯物論者たちよ!!
*本物は、現状科学では絶対に解明できないものを出現させる
私から唯物論者に贈る言葉はコレ。
「まっ、精々頑張ってくれ!」です。
参考:事例画像
http://blog-imgs-18.fc2.com/s/h/a/shalona/lightpatterns.gif (札幌)
http://blog-imgs-62.fc2.com/s/h/a/shalona/osaka-building.jpg (大阪)
*写真にだけ写ってる(撮影トリック)という類ではなく、実際のビルに出現しており肉眼で確認ができる。
メンバーの中には自宅(及び周辺)にも出現したりする。
792 :
神も仏も名無しさん :2013/12/30(月) 14:34:53.46 ID:lgTcGaFa
>>790 >それは深層意識と表層意識が合致することがあるのを知らない未熟者の戯言
第二経「沙門果経」では、
天耳通(例、千里眼)→他心智(テレパシー)→宿住通(自身の阿頼耶識を見る)
→死生智(相手の前世も見る)→漏尽智(諸煩悩滅)→到る涅槃の順のようです。
>>790 氏が言っているのは宿住通の入口かも知れませんね。
793 :
790 :2013/12/30(月) 15:10:10.39 ID:54hP/N+u
わたしの言ってることはオカルトとは関係ありません 朝顔の種が朝顔になる、ヒマワリの種がヒマワリになるのを神通力と呼ぶならまあそうですが
794 :
神も仏も名無しさん :2013/12/30(月) 15:15:32.94 ID:iaL3/Ojt
795 :
神も仏も名無しさん :2013/12/30(月) 15:28:15.54 ID:1zG6yPjk
796 :
神も仏も名無しさん :2013/12/30(月) 15:49:18.69 ID:0RYew/02
>>792 >第二経「沙門果経」では、
お前とよく似たアホ坊主がいたという証明だ。
よかったな、お前よりもっとハイレベルなアホがいて。
アホは自己洗脳で、見たいものを見たように錯覚する。→
>>791 これを自縄自縛という。
>>791 >私から唯物論者に贈る言葉はコレ。
私からオカルト外道妄想論者に贈る言葉はコレ。
「みんなで、アホやりゃ怖くないw」
797 :
神も仏も名無しさん :2013/12/30(月) 15:58:33.71 ID:0RYew/02
>>791 こんな映像、フォトショップがあったら、中学生でも作れるw
レイヤーを重ねれば、超簡単。
初歩レベルやなあ、あかんなあw
出すんなら、もっとオモロイもん出さんかい。
北朝鮮や支那の捏造合成写真もヘタクソだが、これもあかんなあ。
798 :
神も仏も名無しさん :2013/12/30(月) 16:11:21.83 ID:0RYew/02
799 :
神も仏も名無しさん :2013/12/30(月) 16:29:58.60 ID:lgTcGaFa
>>796 >>第二経「沙門果経」では、
>お前とよく似たアホ坊主がいたという証明だ。
>よかったな、お前よりもっとハイレベルなアホがいて。
よく似たとのラベル貼りは恐縮します。
説かれたのは第一経「梵網経」と同じ方でしたので。
なお説法対象者はその方の500人の高弟だったそうです。
>>795 >この画像はコンピュータグラフィックでありますね。
>画像処理か、もしくはビームですね。
>>797 >こんな映像、フォトショップがあったら、中学生でも作れるw
あなたは文盲なのか?
揃いも揃って仲良く
↓
>この私、宝珠も実際の現場を確認済です。
>*写真にだけ写ってる(撮影トリック)という類ではなく、実際のビルに出現しており肉眼で確認ができる。
>メンバーの中には自宅(及び周辺)にも出現したりする。 (
>>791 )
唯物主義者のあなた方など、時代遅れの化石と化すのも間もなくですから。
得意になっているのも精々今の内だけです。
頑張って!!
>>670 >宝珠は末端信者タイプだな
正解!!!
私はマイトレーヤの教えを学ぶ末端の末端、そのまた末端の者。
>>755 未来永劫、後悔することになる不敬不徳ですから、
絶対に辞めるべきです。
>>794 関係ない。
>>796 >アホは自己洗脳で、見たいものを見たように錯覚する。→
>>791 逆に、
私は正直、唯物主義者というのは
脳のどこかに欠損が生じている可能性を本気で疑っています。
何故なら、絶対に論理では理解できないからです。
ごめんなさいね。
これは可能性としての推測ですから・・。
803 :
神も仏も名無しさん :2013/12/30(月) 16:44:43.90 ID:0RYew/02
>>800 おまえは文妄なのか?
>この私、宝珠も実際の現場を確認済です。
>*写真にだけ写ってる(撮影トリック)という類ではなく、実際のビルに出現しており肉眼で確認ができる。
写真も検証(反対尋問)不能の一種の伝聞証拠だよ。
デジタル写真はいくらでも変形できる。
簡単に作れる、にヒステリックに反応するのはやましいところがある、と見なされるよ。
実際の裁判ではw
>唯物主義者
唯物論も観念論も検証不能の一切外形而上哲学でしかなく、仏法ではない。
もうええ加減に正確な定義を憶えたら?
804 :
神も仏も名無しさん :2013/12/30(月) 16:55:28.94 ID:6weR/W+o
>>789 論理破綻の元祖が、釈迦の「己の我を以って無我を説く」という、小学生にでも
笑われる滑稽な論理矛盾。
「法の華」の教祖福永法源は、「頭取れ」と教えて、懲役13年の実刑。現代なら
釈迦も懲役た。
806 :
神も仏も名無しさん :2013/12/30(月) 17:18:33.94 ID:6weR/W+o
>>805 我(生命)とは、無我を説いている釈迦の肉体w。釈迦の死体は、無我を
説けないw。
釈迦の肉体は、「有(現実)」に100%依存することによってのみ維持される。
従って、釈迦が無を説いたのも、「無我」と同様に滑稽な初歩的論理矛盾、単
なる勘違い、うっかりミス。
807 :
神も仏も名無しさん :2013/12/30(月) 17:20:15.80 ID:1zG6yPjk
>>800 宝珠どの
>>この私、宝珠も実際の現場を確認済です。
>>*写真にだけ写ってる(撮影トリック)という類ではなく、実際のビルに出現しており肉眼で確認ができる。
>>メンバーの中には自宅(及び周辺)にも出現したりする。 (
>>791 )
現場を確認した。というのは了解しておるから、「ビーム」と書いたのでふ。
遠距離からビルに向かってビームを発信すれば、それはビルに映像がうつる。
簡単なことです。
普通はそんなトリックは見破れますよ。
いや、私はカルトを渡り歩いた経緯があるので、
カルトのやり方など殆どマスターしてます。
人格操作にかけては相当研究してます。いわゆるマインドコントロールです。
ワタミもマイコンは研究しておるかと思いますね。
貴殿がワタミで働くとしたら、見事に奴隷になりますよ。
人に利用されたらあかんです。
>>806 生命とは何ですか?
肉体とは何ですか?
有とは何ですか?
現実とは何ですか?
809 :
神も仏も名無しさん :2013/12/30(月) 17:24:30.91 ID:6weR/W+o
>>808 >生命とは何ですか?
君が、その2ちゃん書き込みが出来たことw。君の死体は書き込めないw。
811 :
神も仏も名無しさん :2013/12/30(月) 17:30:01.94 ID:1zG6yPjk
>>802 宝珠どの
>私は正直、唯物主義者というのは
>脳のどこかに欠損が生じている可能性を本気で疑っています。
> 何故なら、絶対に論理では理解できないからです。
私なら幽霊出現も論理的に説明できます。
ただそれを掲示板に書いてしまうと、
おじゃる氏ががっかりするかと思って書かないだけです。
おじゃる氏は、落ち武者の霊を信じていて、
そのことが自分を支えておるからです。
812 :
神も仏も名無しさん :2013/12/30(月) 17:35:59.64 ID:6weR/W+o
>>810 君は、幼稚園からやり直せ。
幼稚園児でも、相手を「君」、自分を「僕」「わたし」と呼べるし、捉えた
昆虫が「死んでるか、生きているのか」が判る。
生まれたばかりの赤ん坊でさえ、教えられもしないのに、母親のおっぱいに
しゃぶりつき、生きようとする。このオッパイは「実在か、非実在か」、「有か、無
か」などと迷うことはしないw。
釈迦は、幼稚園児、赤ん坊以下の知能。
>>812 あなたも幼稚園児と同じですよ。
君も、僕も、生も、死も、あなたが頭の中で勝手に作っているだけです。
幼稚園児の時からあなたは妄想を膨らまし続けているのです。
釈迦はその一切の妄想を止めて、真実を見つけ、一人大人になったのです。
あなたこそ、いつまでも幼稚園児でいるのをやめなさい。
814 :
神も仏も名無しさん :2013/12/30(月) 18:34:51.04 ID:6weR/W+o
>>813 >釈迦はその一切の妄想を止めて、真実を見つけ、一人大人になったのです。
大人になったのではなく、社会常識を失って、幼児以下に退行したのである。
幼児のわがままとどこが違う?精神病者の逸脱行動とどこが違う?
人間界とは徹頭徹尾共同体であり、真理とは、共同体における生存努力(共生)の
みに宿ることに思い至らなかった。
共同体においては、個人の一挙手一投足は社会常識によって制限を受ける。
社会常識からの著しい逸脱を「狂気」とよび、治療の対象とする。
中論では、釈迦とは全く異なり、「世間の一切の慣習」を無条件の前提とする。
共同体における真理とは何かを知っていたからである。さすがと言わざるを得ない。
816 :
神も仏も名無しさん :2013/12/30(月) 18:55:02.56 ID:6weR/W+o
>>813 >釈迦はその一切の妄想を止めて、真実を見つけ、一人大人になったのです。
笑うしかない言葉だな。「大人になる」とは、社会常識を身につけること。
人間はオギャーと生まれただけでは、まだ人間ではない。社会常識を身につけて、
初めて人間となる。狼少女は、その機会を奪われたために、結局、人間には
なれなかった。
釈迦も、わがまま放題に育てられたため、社会常識を身につける機会を奪われ、
結局、人間になれなかったのである。その意味では、狼少女と同じ。「真実を
見つけた」のではなく、「迷妄に陥った」だけである。これは、狼少女より
さらに始末に負えない「狂気」である。
817 :
神も仏も名無しさん :2013/12/30(月) 19:08:48.40 ID:6weR/W+o
>>815 社会常識とは、共同体としての人間が、その長い長い生存努力の期間を通じて
築き上げた、共生のための叡智である。共同体においては、その一挙手一投足は、
社会常識により制限される。さもなければ、共生が破壊されるからである。
宗教が常に争いを生じるのは、その社会常識からの逸脱が原因である。
社会常識からの著しい逸脱を「狂気」と呼び、精神医学による治療の対象とする。
精神病者の症状をよーく考えてみよ。社会常識からの著しい逸脱以外の何物でも
ないだろ。
>>817 社会常識は本当に共生の為のものですか?
社会常識の為に死ぬ人間、苦しむ人間は本当にいませんか?
社会常識は各々の欲望によって作り出されるものではないですか?
社会常識こそ狂気ではないですか?
二つの社会常識が争うことはありませんか?
というより、私が言いたいのは、社会常識もあなたが作っているということです。
ああ、 首相の靖国参拝で、二つの“社会常識”が対立しとるなw
820 :
コレ悟りかよ!?w :2013/12/30(月) 19:31:27.76 ID:YO//I9lj
>>817 社会常識とは多数派の「狂気」である。
精神病者は少数派の「狂気」である。
宗教とはその狂気を治療するために人類が築き上げた叡智である。
821 :
神も仏も名無しさん :2013/12/30(月) 19:31:59.36 ID:KvxQQx1v
>>818 狂気は常軌と共に社会常識の枠内での分別に過ぎない
そして社会常識とは所詮人間のエゴに過ぎない
常軌を逸しない普通人が生活する社会に於いて
狂気を醸したもの、若しは狂人は普通人に外的害悪を及ぼし
増長すれば社会基盤をも崩壊しかねず故に狂人は排除される
狂人は自己のエゴに特化しやすく多数の常人を使役したいと願いやすく
兎角万能感を以って多大な迷惑を社会に及ぼし易い
故に排除される
822 :
神も仏も名無しさん :2013/12/30(月) 19:34:57.10 ID:6weR/W+o
>>818 >社会常識もあなたが作っているということです。
宗教とは異なり、社会常識とは、1個人の常識ではなく、社会の不特定多数の
成員の合意によって指示されている。
「欲望」とは、共同体では、その成員が共同して「生存する」ための原動力。
欲望を否定したら、生存は忽ち不可能になる。この意味で、煩悩とは、人間が
生きていることの証(あかし)。煩悩は、他者の生存との関係によってのみ
制限される。
823 :
神も仏も名無しさん :2013/12/30(月) 19:38:07.71 ID:KvxQQx1v
>>822 >社会の不特定多数の成員の合意によって指示されている。
そう思い込んでるに過ぎない
本当にそうなら引きこもりは存在し得ない
824 :
コレ悟りかよ!?w :2013/12/30(月) 19:52:26.99 ID:YO//I9lj
>>822 一個人の常識が狂気とされ、不特定多数の常識も狂気である。
宗教とは精神病院であり教祖は医者である。
「欲望」とは死の恐怖を克服して生存したいという「狂気」の原動力。
欲望を否定したら、狂気は忽ち不可能になる。この意味で、煩悩とは、人間が
狂っていることの証(あかし)。
ご隠居、俺は釈迦のように煩悩は否定しませんよ。
煩悩は人間が狂っている(生きている)ことの証です。
生命万歳!ご隠居に全面的に同意します。
825 :
神も仏も名無しさん :2013/12/30(月) 19:52:31.86 ID:bYpxyu2Y
不特定多数の合意がいい結果を出すとは限らないだろ。 いちばんいい例が民主主義の多数決原理だ。宗教はその対極にある。 衆愚の合意より、一握りの叡智が優ることもある。 歴史は、しばしば一握りの英雄やエリートによって動かされてきた。
826 :
神も仏も名無しさん :2013/12/30(月) 19:54:51.64 ID:6weR/W+o
>>823 「引き篭もり」は、精神医学では「社会不安障害(Social Anxiety Disorder,
略してSAD」と呼び、釈迦と同様の鬱病の一種とされている。
>>822 人々にはそれぞれ同じ様な煩悩があるので、それを共有しているだけです。
というより、私が言いたいのは社会常識も、煩悩も概念に過ぎず存在しない、ということです。
あなたが生に執着し、苦しみと共にあり続ける道を選ぶのであれば、その煩悩を持ち続ければ良いと思います。
しかし、誰もが皆、生に執着したい訳ではありません。
仏教は苦しみを無くすことを最優先とします。
ここは仏教のスレです。
その煩悩を他の人に押し付けるのは止めて下さい。
人々に法を説くという煩悩を一つ残せば生きられます。
828 :
神も仏も名無しさん :2013/12/30(月) 20:09:09.16 ID:6weR/W+o
>>825 >歴史は、しばしば一握りの英雄やエリートによって動かされてきた。
それは見方が浅いよ。一握りの英雄やエリートを含めた「社会」や「国家」を
維持しているのは、「無数の無名の人々の、無言の努力」である。そのことに
気付くのが「大人になる」ということ。釈迦やイエスは、そのことに気付かなかった。
イエスは、「人はパンのみにて生きるにあらず」などと言ったが、そんなことを、
「額に汗して」小麦やパンを作り、自分を「生かしてくれている」人々の前で
言えるのか。張り倒されるだろう。
829 :
神も仏も名無しさん :2013/12/30(月) 20:21:18.45 ID:6weR/W+o
>>827 >あなたが生に執着し、苦しみと共にあり続ける道
苦は楽の相対概念だから、その命題は初めから成立しない。
釈迦の鬱病の症状、勘違いに過ぎず、衆生(健常者)には無関係なもの。
健常者であれば、どんなに苦しくても、「今ここに生きている」ことに、
実は大きな喜びを感じていることを看破できなければならない。さもなければ、
人類は、そしてすべての生物は、とっくに消滅しているはずではないか。
830 :
神も仏も名無しさん :2013/12/30(月) 20:27:42.67 ID:lgTcGaFa
>>828 >そんなことを、「額に汗して」小麦やパンを作り、自分を「生かしてくれている」人々の前で
言えるのか。張り倒されるだろう。
龍樹は「不生不滅」と中論で説いたが、産婦人科で言えるのか。張り倒されるだろう。
↑アナロジーです。言った者勝ちでしょうか。
>>829 楽も捨て去るものです。
不苦不楽に涅槃はあります。
楽しさ、喜びに空しさを感じたことはありませんか?
それらが常にあり続ける事はないのです。
それらを失う時、手に入らない時、それらによって苦しみが生まれるのです。
人には苦しんだり、喜んだりしながら慌ただしく生きる道しかないのですか?
832 :
神も仏も名無しさん :2013/12/30(月) 20:41:09.65 ID:6weR/W+o
>>830 >龍樹は「不生不滅」と中論で説いたが、産婦人科で言えるのか。張り倒されるだろう。
君が中論第一章さえ理解していないことがバレバレ。つーか、釈迦、イエスの盲信のあまり、
「理解したくない」のだろう。理解すれば、釈迦もイエスも吹っ飛ぶからだ。
産科で言えば、「不承不滅」とは、「ご両親にソックリな素敵な赤ちゃんですね」と
言ってることだよw。
833 :
神も仏も名無しさん :2013/12/30(月) 21:02:08.53 ID:bYpxyu2Y
>>828 極めて非論理的な文章。
社会体制が大多数によって維持されている事実は、それが一部の叡智によって発明され、指導され、運営されていることを否定しない。矛盾はない。
従ってそのレスは無意味だな。
>>828 >一握りの英雄やエリートを含めた「社会」や「国家」を維持しているのは、
>「無数の無名の人々の、無言の努力」である。
一握りの指導者や教師陣を含めた「共同体」や「団体・組織」を維持しているのは、
「無数の無名の人々の、無言の努力」である。
一握りの創始者や教師陣を含めた「共同体」や「団体・組織」を維持しているのは、
「無数の無名の人々の、無言の努力」である。
一握りの開祖や高弟を含めた「共同体」や「宗派・組織」を維持しているのは、
「無数の無名の人々の、無言の努力」である。
社会的構図はまったく一緒だということを忘却するのが、隠居の得意技w
ナチスドイツも、 >「無数の無名の人々の、無言の努力」 によって維持されたんだろうなwwwww
835 :
神も仏も名無しさん :2013/12/30(月) 21:15:47.46 ID:6weR/W+o
>>833 その「一部の叡智」を生かしてくれているのは、「無数の無名の人々の、
無言の努力」である。それらの無名の人々が動かなければ、社会の形成も
運営もできない。よーく考えてみよ。
その「一部の叡智」が、健常者ではなく、狂気の開祖であったら、共同体は
結局は破壊される。釈迦の国は滅びたし、一神教の聖地であるはずのイスラエルは、
今や世界で最も呪われた地。
>>835 いやいやw
>「無数の無名の人々の、無言の努力」 が、 >狂気の開祖 を支えたんだろ?
「共同体のために」「本能に従って」「自ら」「生命の発露として」 狂気を支えたんだろ?w
837 :
コレ悟りかよ!?w :2013/12/30(月) 21:55:06.10 ID:YO//I9lj
>>835 社会を形成し運営するのは、「無数の無名の人々の、無言の狂気」ですよ。
釈迦やイエスはその狂気を治療しようとした。
国家というキチガイじみた共同体は否定されて当然です。
838 :
仏道仁義、渡世の礼節 :2013/12/30(月) 23:03:12.37 ID:0RYew/02
>>837 だったら、国家=税金からいただいているナマポと医療と薬を辞退しろよ。
<救助・援助を受けていながら、救助・援助してもらっている相手を罵倒する>ことは、
日本人の感覚ではありえない。
支那の感覚でもありえない。
禅僧が托鉢にいって、子供からたとえ十円でも布施していただけば、深々とお辞儀する。
朝鮮の国家・国民が戦後日本に対してやってきたのは、すべて同じパターンだ。
日本人の<仏道仁義、渡世の礼節>にもとる。
正月開けに、日本国からのナマポ、医療援助を辞退することを勧告する。
839 :
コレ悟りかよ!?w :2013/12/30(月) 23:37:03.61 ID:YO//I9lj
>>838 >>禅僧が托鉢にいって、子供からたとえ十円でも布施していただけば、深々とお辞儀する。
お辞儀してはいけませんね。この禅僧は勘違いしている。
ナマポも医療も薬も、仏であるこの俺を供養するための当然の行為です。
俺を供養して感謝してお辞儀するのは国家のほうです。
840 :
仏道仁義、渡世の礼節 :2013/12/30(月) 23:44:27.25 ID:0RYew/02
>>839 在日朝鮮ナマポが業報輪廻転生するのは当然だろうw
841 :
仏道仁義、渡世の礼節 :2013/12/30(月) 23:56:02.04 ID:0RYew/02
>>839 俺の知り合いの釜にいる在日ナマポの連中は、
祖にして野かもしれないがお前のように卑ではない。
アル中で馬鹿かもしれんが、感謝する気持ちは失ってはいない。
842 :
仏道仁義、渡世の礼節 :2013/12/31(火) 00:00:18.90 ID:tKlyDmaq
釜にいる在日ナマポはみんな仏さw
843 :
神も仏も名無しさん :2013/12/31(火) 00:01:41.19 ID:SZqfIXwV
あんたのは普通に正論で笑った
844 :
神も仏も名無しさん :2013/12/31(火) 00:02:51.73 ID:xJkp/9mf
>>832 >産科で言えば、「不承不滅」とは、「ご両親にソックリな素敵な赤ちゃんですね」と
言ってることだよw。
ご両親が中論を理解している確率や如何に?
足許の蟻さんを見ながら「不去不来」と108回唱えて、何か分かったらアリガトウでしょうね。
当時、龍樹が想定した中論の対象読者は仏教徒の何パーセントだったのでしょうか。
845 :
神も仏も名無しさん :2013/12/31(火) 00:12:13.22 ID:xJkp/9mf
>>844 「不生不滅」、「不去不来」も別の視座で見ると異なって見えます。
例えば、法華経の如来寿量品を一読した後だと、
「世界は衆生には大火に焼き尽くされているように見えるが、仏の目から見た本当の世界は常住で美しい」というふうに。
まあ偽経だと主張される方も、経典の王と主張される方もおられますけど。
846 :
神も仏も名無しさん :2013/12/31(火) 00:17:41.75 ID:HRn992W/
>>844 中論の「不去不来」も理解しないで、仏教を語る資格なし。それとも「理解
していない」振りをしてるのか。理解したら、釈迦もイエスも否定される
のだからな。真光の「商売道具」が無くなるw。
>>803 写真のトリックや偶発的なものなんかじゃないですからね。
現場の実物をこの私は自分の目でも確認しています。
日本にも何カ所もあるのですよ!良かったら、その場所を教えましょうか?
もし事実だったら、あなたに謝罪文をココに貼ってもらいますが。
唯物論者が人生(人生の価値観すべて)を変える大チャンスですよ!
マイトレーヤは、
到底、あなた方の常識では理解できない現象を
「これでもか!」というほど世界に現出し続けられるご計画です。
あなた方が、「もう、分かりましたから宜しいですよ!」というまでです。
今の内に早いところ、
「私は無知でした。心を入れ替えるので、どうか一からこの私に教えてください。」
と、頭を下げたほうが賢明ですよ。
そうすれば、あなたのその後の進歩は約束されますから。
848 :
神も仏も名無しさん :2013/12/31(火) 00:22:27.30 ID:xJkp/9mf
>>846 >理解したら、釈迦もイエスも否定されるのだからな。
そのような見解の方はオンリーワンのあの人位でしょう。。
849 :
神も仏も名無しさん :2013/12/31(火) 00:22:44.19 ID:T4dS/4zy
>>838 業報輪廻転生はカースト等の差別を生むから駄目だと抜かす人が、朝鮮人差別には精を出すんだから笑えるわな。
業報輪廻転生を否定する人ほど実は差別主義者の傾向が強い。何故なら差別の主な因はエゴイズムであり、
エゴイズムを愛する者ほど、悪を行うと三世に渡り悪い報いを受けるという業報輪廻転生の思想を
本能的に忌み嫌うからだ。そして善悪に囚われない獣は生まれながらに悟っているなど反仏説の禅思想に傾倒する。
原始仏典のどこをどう読んでもゴータマさんは業報輪廻転生を現象世界ではあることを前提に法を
説いているのに、説いていないことにしてしまえるのは、その強烈なエゴイズムから来ているのだからね。
そのエゴイズムが繰り返し我々を殺しているエゴを生みだしているというのに。君は本当に救いようがない。
この人達は自分は差別主義者でありながら、口では業報輪廻転生は差別を生むから駄目という。
なんのことはない。彼らは差別問題を自分達のエゴを満足させる為に利用しているだけなのだ。賢明な読者なら、
業報輪廻転生肯定論者ほど差別をしない人達だと気付くだろう。なぜなら業報輪廻転生肯定論者は他人を差別するとその報いは
自分に返って来ることを知っているからだ。だから業報輪廻転生肯定論者ほど他人を差別しない。
エゴを愛する者。彼等は業報輪廻転生思想を本能的に憎み忌み嫌う。エゴの奴隷である彼等は真理からもっとも遠い人達である。
と、エゴイズムの権化の方が仰っておられます。
>>807 もう対話不能レベル?
晴れて太陽が出てる限りそれは何時間でも何日間でも現出し続けます。
ビーム光線を当て続ける暇人とやらは何処に?(笑)
そうまでしてヤラセにしたいのか・・・
>>811 あなたこそ落ち武者の霊などないものと信じていて、
そのことが自分を支えている。
なので、
私も仕方ないものと思っています。
...同情します。
852 :
神も仏も名無しさん :2013/12/31(火) 00:29:32.51 ID:HRn992W/
>>844 >ご両親が中論を理解している確率や如何に?
中論は、「最も当たり前」のことを言ってるのだから、「まともな人間」なら
誰でも理解できる。
道元の「眼横鼻直」も、「現成公案」も、「前後際断」も、「魚と水の喩」も、
大乗の「煩悩即菩提・生死即涅槃」も、「如来蔵」も、中論そのまま。釈迦では
決してない。
854 :
神も仏も名無しさん :2013/12/31(火) 00:46:34.96 ID:xJkp/9mf
>>852 >中論は、「最も当たり前」のことを言ってるのだから、「まともな人間」なら
誰でも理解できる。
龍樹は釈尊に帰敬し、「自分には主張はない」と言っております。
貴方の見解では龍樹は不敬の大嘘つきで妄語の輩になりますよ。
私は龍樹菩薩は嘘つきでないと「まともな人間」なら誰でも理解できると思料します。
855 :
神も仏も名無しさん :2013/12/31(火) 00:56:07.48 ID:HRn992W/
>>853 それらはすべて、写真術でいう「halation」という失敗写真だよ。写真術の初歩だ。
いい歳こいたオッサンが、そんなもので簡単に騙されるとは、涙が出るねw。
856 :
神も仏も名無しさん :2013/12/31(火) 00:57:46.78 ID:xJkp/9mf
>>846 >理解したら、釈迦もイエスも否定されるのだからな。
>>854 >龍樹は釈尊に帰敬し、「自分には主張はない」と言っております。
貴方の見解では龍樹は不敬の大嘘つきで妄語の輩になりますよ。
根拠は釈尊を否定したら仏教ではなくなりますから「大乗の開祖」と
呼称されることもないからです。
その場合は「龍樹教の開祖」であれば成り立ちますけど。
>>855 私は以前、
本物の神仏(天部諸天レベルや土着シャーマニズム等々を除く)というものは罰を与えないもの、
とそう思っていました。何故ならば、それは慈悲の塊りであって、
感情レベルの怒りなんか生じないからです。
けれども最近、
その考え方は必ずしも当て嵌まらないと思うようになりました。
本当の慈悲とは当人のためになるものである筈であり、
“罰が下る”ことが、当人の目覚めのキッカケとして必要なこともあるからです。
事実、30年くらい以前のこと。
神仏の悪口をいい罵った人間に、その直後、この私の目前で死ぬほどの危機が生じたからです。
突如として、頭上の重さ20sくらいあろうかという重たい額縁が落下してきて、
それがカーテンレールに当たって頭部の数センチ手前で奇跡的に止まって助かったからです。
もしも、そのまま当たっていたら死んだか、とてもまともなことにはならなかった筈です。
その直後、「それ見たことか!!まだ、分からんのか!!!」と、私は怒鳴りつけました。
その人は我が家の仏壇に震え上がりながら、暫く手を合わせ続けていました。
たぶんその人は、もう、二度とそういう不敬不遜はしない筈です
ダウンタウンのコントにありそうだな・・w
859 :
神も仏も名無しさん :2013/12/31(火) 01:59:08.02 ID:wmA3cyAK
>>857 >その直後、「それ見たことか!!まだ、分からんのか!!!」と、私は怒鳴りつけました。
オカルトによる恫喝に
>その人は我が家の仏壇に震え上がりながら、暫く手を合わせ続けていました。
洗脳されてる構図の証明
860 :
神も仏も名無しさん :2013/12/31(火) 02:21:02.19 ID:wmA3cyAK
各種のオカルト現象は人の心が作り出してる事なので、存在しないとは否定しない しかし、不確定要素の結果である不測の事故等に、霊的なものやオカルト論で因縁を結びつけ 他人の恐怖心を動力源として脅迫をするのは反社会的行動と言える 日ごろの行いの結果お前はこの事故に逢ったのだと こう言う脅迫はやめた方がいい こんなの許すから壷や各種アイテムを買わされたり御祓い大金払わされたり オウム見たいのが出家と布施を迫る事に?がる 不測の事故(車にいくら気をつけてても車から突っ込んで来る等)は どんな信仰によっても防ぎきれないのが現実なのでありこの世の常識である また、善業を積む根拠に見返りとして交通安全やらを願う事自体善行では無い訳で それでは善業を積んだ事にはなり得ないのだ 偽善を積んで赦される罪など無いし、偽善を行って災難除けが叶う訳もないのだ
861 :
神も仏も名無しさん :2013/12/31(火) 02:54:42.41 ID:T4dS/4zy
>>852 それを言うなら、勝義と世俗を縁起させてごっちや混ぜにしてる、お前らの似非仏教の能書きなど、
まともな人なら無意味な言葉遊びだとすぐに理解して相手にしねぇよ。たく、どっちが混ぜるな危険をやってんだか。
いくらお前らが、生死など無い。中道だ!と得意気に語っても、時がくればお前は死ぬんだよ。
その時は遅かれ早かれ必ず来る。必ずな。
862 :
神も仏も名無しさん :2013/12/31(火) 02:59:20.18 ID:wmA3cyAK
860の件が何故反社会的行動となり、ともすれば危険思想となり得るのかの検証 857宝珠の見識が現実論ならば Aと言う宝珠の友人が神仏を罵ったために、Bという人の運転する車が ある日の道端でAに突っ込んでしまい大怪我をさせてしまった 宝珠はAに「それ見たことか!!まだ、分からんのか!!!」と怒鳴りつけた これではBの起こした事故の原因はAの神仏を罵った事になってしまいBは責任が無い事になってしまう いやいや、Bの責任は責任として云々と宝珠は言うであろう Aは免れえた筈の事故に不敬の罪障が業として巻き込まれる果報を受けたのだと それではBはいくら注意を怠らなかったとしても、その地点のその時間に通ったなら事故は防げなかった事になり Bの因果の理法は破綻してしまうのである こんなのを日常の常識と捉えるのは危険思想の何ものでもなく、どんな因縁でも脅せる悪世となってしまうのだ よって、宝珠は悪法を吹き込み宣伝する邪師と見做せる事になり、危険人物となる
カルト怖いよー 最後は脅しか
864 :
神も仏も名無しさん :2013/12/31(火) 03:06:08.63 ID:wmA3cyAK
>>861 生死は無いって主張は如来蔵思想であって中道は直接関係無い
如来蔵思想は梵我一如の劣化コピーだから、遠まわしに中道すら否定する
そして勝義と世俗とで縁起する事も無い、世俗は勝義を包括する下位概念だから
865 :
神も仏も名無しさん :2013/12/31(火) 04:14:28.41 ID:qHoVmihW
キリスト教と同様、釈迦仏教も完全にカルト・サイコパスだね。 コレサト氏だけは病識があるが、セブン氏を初めとする他の釈迦教徒には病識がない。 いくら理屈をこねても、麻原盲信と釈迦・イエス盲信とは、「原理的には」いささかの 相違も無い。 今、サイコパス宗教のDVDを見終わっての感想。主人公の刑事は、「信教の自由」 などのカルト側の抗議を一切無視して信者を皆殺しにすることにより、事件はようやく 納まった。
866 :
ポータ :2013/12/31(火) 04:22:11.77 ID:+bUdbfcE
>>857 >それがカーテンレールに当たって頭部の数センチ手前で奇跡的に止まって助かったからです。
落下しても、その方には当たらなかったのですね。
もしこれがその場に生じた不思議だとして、
その方に対するメッセージではなく、君に対する警告とも考えられませんか。
>>860 最初の一行以外は、同感です。
超常的な現象という大まかなでなく、私は、オカルトを神秘領域と限定したいからかもしれません。
業報輪廻転生肯定論者は、差別をしない人達であるという意見がありますね。
他のせいにしないというのは、
見境なく・・・そう、感情コントロールできない方達には有効だという話しに思えました。
(自己責任について気付かない、思い及ばない段階)
しかし、君が述べているのは、次の段階と申しましょうか、
差別構造の固定化の怪しさという、もっとグローバルに捉えてらっしゃるのですね。
867 :
神も仏も名無しさん :2013/12/31(火) 04:57:10.23 ID:qHoVmihW
カルトの核心は「開祖の盲信」である。信者は、100%の善意なのである。 開祖のカルト性・サイコパス性を、精神医学的に解明しなければ無意味。 イエスはもとより、釈迦にも、「生命」という最後の一線で踏みとどまる歯止めは 皆無である。「無我」「無明」から、生命の至上性が生じる余地はない。 釈迦カルトの実態は、小乗諸国やチベット仏教の国情を見れば明らか。
868 :
ポータ :2013/12/31(火) 06:03:37.56 ID:+bUdbfcE
>>865 >いくら理屈をこねても、麻原盲信と釈迦・イエス盲信とは、「原理的には」いささかの
>相違も無い。
>>867 >イエスはもとより、釈迦にも、「生命」という最後の一線で踏みとどまる歯止めは
>皆無である。「無我」「無明」から、生命の至上性が生じる余地はない。
イエスや釈迦は、麻原のように人の命を殺傷したのですか?
君は開祖という言葉を乱暴に使ってはいまいか。
君は君がどこかの怪しい宗教団体(教祖)に入った、そして整合性が取れなくなっている。
どこにぶつければいいのか分らない、
君はこらえられず爆発して言っているのかな、今は。
869 :
神も仏も名無しさん :2013/12/31(火) 06:41:55.12 ID:h0qPu6KH
ID:qHoVmihW 見た所全体主義の考えが露見してる様だが君の宗教は何かね? コレサトには触れ、その他はセブン筆頭に釈迦擁護派一辺倒での批判はしても 何故君は宝珠や一在家の様な危険カルト信者を名指しで批判しないのかね? キリストや釈迦の批判も結構だが、本当に君はそれら開祖の業績を調べたのかね? もし調べたのなら一言で述べてみてくれ、二者とも共通してる偉業があるんだ 批判だけなら小中学生にも出来る さあ遠慮は要らないから君の調べた開祖達の共通してる偉業の見解を一言で開陳してくれ
870 :
神も仏も名無しさん :2013/12/31(火) 06:53:37.09 ID:qHoVmihW
>>868 キリスト教が理由なく殺した人間の数は、オウムの数百倍、数千倍、数万倍、
数億倍である。これでカルトではないといえるか。
すべてのカルトは、釈迦とイエスとから生じている。 仏教とキリスト教を存置し
たまま、カルトの発生は止むことははない、全てのカルトは、釈迦とイエスを
起源としてして発生している。釈迦仏教とキリスト教を存置して、カルトの
発生の停止を語ることは、ナンセンスである。すべてのカルトは、釈迦仏教の
教義と洗脳テクニックとを「利用」しているのだから。
871 :
神も仏も名無しさん :2013/12/31(火) 07:05:07.97 ID:qHoVmihW
>>869 開祖にあるのは、その論理矛盾、上から目線の思い上がった独善性、人間差別
と生命の軽視であり、まさに、カルト教祖、サイコパス教祖である。害悪は認めるが、
業績など、一切認められない。創造されたあるがままの人間に、狂気をもたらしただけ。
872 :
神も仏も名無しさん :2013/12/31(火) 07:06:01.66 ID:h0qPu6KH
>>870 そうか、では尋ねるが、人を殺した数なら武器メーカーの製品の方がダントツに多い
だからS&Wを糾弾するかね?Coltを糾弾するのかね?
釈迦を生んだインドを糾弾するのかね?キリストを生んだイスラエル周辺を糾弾するのかね?
君の考察はナンセンスを通り越してアホとしか言い様が無い愚の骨頂なのだよw
873 :
神も仏も名無しさん :2013/12/31(火) 07:09:56.18 ID:RllmOZ51
874 :
神も仏も名無しさん :2013/12/31(火) 07:47:30.05 ID:SZqfIXwV
隠居はいつものこととはいえ キリストとかお釈迦様のような人類の最高級の師に対して いくら気違いとはいえここまで悪口していると時々心配になる 迂闊にも今日水浴しながら隠居の罪を許し給えとか祈ってしまったわw
875 :
神も仏も名無しさん :2013/12/31(火) 08:08:50.91 ID:MHzJ2EzU
カルト隠居真理教の精神医学w オウムに医者がいたなあw
876 :
仏道仁義、渡世の礼節 :2013/12/31(火) 08:11:45.61 ID:tKlyDmaq
>>849 (カラス)
>業報輪廻転生を否定する人ほど実は差別主義者の傾向が強い。
カラス、論点を外すな。
『生まれによって賤しい人となるのではない。生まれによってバラモンとなるのではない。
★行為によって賤しい人ともなり、行為によってバラモンともなる。』(Sn.136,同趣旨462・650)
検証不能の業報輪廻転生論の一切外無記(無視)論者がほとんどだろう。
解らないから問題にしない。
否定論(隠居)、肯定論(宝珠、アホ在家、カラスなど)の両者ともにドグマチズムだと批判している。
朝鮮は、単なる個人ではなく国家としてレイシズムを行っている。
「親日罪」、これはなんなのだ? かつてのアメリカや南アフリカの黒人差別とどこが違うというのだ?
「生」ではなく「行」による区別を、差別とはいわない。
世俗諦では『行為によって賤しい人』(Sn.136)にもなるのだ。
877 :
仏道仁義、渡世の礼節 :2013/12/31(火) 08:17:45.49 ID:tKlyDmaq
ちなみに、 日本国憲法14-1 『すべて国民は、法の下に平等であつて、 人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、 政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。』
878 :
神も仏も名無しさん :2013/12/31(火) 08:26:17.73 ID:h0qPu6KH
>すべて国民は、法の下に平等であつて、 人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、 政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。 国民は全て平等である、但し天皇家は除く 天皇家は国民として数えない 改憲の暁にはこれ入れるべきだよね
879 :
仏道仁義、渡世の礼節 :2013/12/31(火) 08:27:10.26 ID:tKlyDmaq
日本国憲法14-1 ポイントは『すべて国民は』であって、外国人にまで保証しているわけではない。 日本国構成員(国民)の生命・財産・生活の安全保障の手段としての国家である以上当然だ。 そのために多額の税金も支払っている。 当然これは「人種」差別ではない。
>>862 あまり話を勝手妄想で膨らませないように。
まっ、あまりにも不幸な出来事が頻発して酷い場合には、
人の運気や家計の運気ということを問題にしたりします。
>>866 >君に対する警告とも考えられませんか。
ナンデ??
その人は神仏に対する罵りを続けて止めなかった。
私は何度も止めるように忠告したんです。それでも興奮して永遠と続ける。
そのピークの時にその出来事は起きたんですよ。
だから、「それ見たことか!」と怒鳴ったんです。
別に、この私は何もしてないから。
881 :
神も仏も名無しさん :2013/12/31(火) 08:34:18.97 ID:h0qPu6KH
879の禁を破ってるのは三権分立を誤解釈してる地方行政なんだよね 憲法25条の鉄則も14条に絡んで効果が保証されてるもので対象は国民に限る筈 なのに国民では無い人々も国民の如くに保護の対象に入っている あれを違憲だとされない現行法規はどうかと思われる
882 :
神も仏も名無しさん :2013/12/31(火) 08:42:57.98 ID:SZqfIXwV
ガムポパから引用すると 粗悪語の中では父母または聖者に対して害する言葉を語ることは罪が大きい。 異熟果は地獄に生まれることになる。 等流果は人に生まれたとしても好ましくない様々な声が聞こえる。 増上果は塩分をもった地か乾燥地か危険な地域に生まれる。 隠居が塩分をもった危険な地に生まれ変わらないことを祈るしかないなw
883 :
神も仏も名無しさん :2013/12/31(火) 08:51:16.23 ID:h0qPu6KH
>>882 >異熟果は地獄に生まれることになる。
>等流果は人に生まれたとしても好ましくない様々な声が聞こえる。
>増上果は塩分をもった地か乾燥地か危険な地域に生まれる。
釈尊はそう言う思想が蔓延っていた時代に「そういうのもうやめようよ」と言った人ですよ
生まれ変わりに差別が備わる思想は根拠も示せず心に害しか与えない
悪口の害自体は厳格に有るが、転生論如きで止まるべくもない
だから釈尊は運命論や業報論を基本教説には置かず
精々転生論に惹かれてる人に誘引方便するに留まっている
884 :
神も仏も名無しさん :2013/12/31(火) 09:39:04.44 ID:xJkp/9mf
>>878 >国民は全て平等である、但し天皇家は除く
天皇家は国民として数えない
衆生は「一切皆苦」である、但し如来は除く
安寧の涅槃入りした如来は衆生として数えない
885 :
神も仏も名無しさん :2013/12/31(火) 09:55:26.39 ID:F6iVrk0I
負のカルマを持って生まれてきた人がいたところで、 そのカルマを持った人を差別していいなどということはない。 むしろ、差別した側が負のカルマを背負うことになる。 従って、業報論は差別を肯定するものではない。否定するものだ。
886 :
仏道仁義、渡世の礼節 :2013/12/31(火) 09:59:52.78 ID:tKlyDmaq
>>884 >衆生は衆生は「一切皆苦」である、但し如来は除く
>安寧の涅槃入りした如来は衆生として数えない
馬祖〜趙州禅はそうではない。
「一切皆苦」は「一切皆苦」ではない。
趙州禅師は、馬祖以来の禅が消失してしまう危機意識のなかでいう。
「仏之一時、吾不喜聞」 →仏そのものが既に煩悩なのだ。『仏性とは、無仏性である』(道元)も同趣旨。
「老僧(趙州)是障仏祖漢」→趙州は人々や修行僧が盲目的にその価値を信じ、ひたすら追い求める仏というものこそ、
禅修業における最大の障害だと見ている。
『問、仏興誰人為煩悩。 # 仏はどのような人にとって煩悩となるのか
師云、興一切人為煩悩。 # 仏はあらゆる人にとって、煩悩となる
云、如何免得。 # それはどうやったら免れることができるか。
師云、用免作麼。』 # 免れてどうするのだ。
(「趙州録」より)
この修行僧はまだ仏(証)⇔煩悩(心・苦)の相対思考(世俗)にしがみつき、既成観念から抜けていない。 ⇒非心非仏(勝義)
肝要なことは、仏と煩悩の等質性を徹底して見抜くことだ。 ⇒即心即仏(還滅)
これが「胡來胡現」という明珠の認識だ。
887 :
神も仏も名無しさん :2013/12/31(火) 10:00:43.21 ID:F6iVrk0I
釈迦は自ら「比丘たちよ。あらゆる過去ないし未来ないし現在の応供等正覚者は、業論者、業果論者、精進論者であった」 と言ったといわれるように、カルマ(業)論の主張者であった。 しかし、業を物質的なものであると考えたニガンタ・ナータプッタとは異なり、 心のエネルギーとして、物質的形態をとらないものとして考えた。 (wikipedia 「業」)
888 :
神も仏も名無しさん :2013/12/31(火) 10:12:39.07 ID:XZYgq5/S
>>885 >従って、業報論は差別を肯定するものではない。否定するものだ。
肯定否定の肯定ではない、業報論を認めると言う事は生まれながらの差別を認める事になる
と言う意味だよ
生まれながらの如何ともしがたい差別は人為的に作ってはならない
業報輪廻論は人の心が勝手に作って決め付けてる反社会的思想以外のなにものでもない
889 :
神も仏も名無しさん :2013/12/31(火) 10:18:25.99 ID:XZYgq5/S
麻原は「前世からのステージが桁違いに高い」と自称してたんだよね 業報輪廻を認めてしまうと(捕われてしまうと)そう言うバカを認める事になり 結果あの様な事件を来たす要因を許してしまうんだよ
890 :
神も仏も名無しさん :2013/12/31(火) 10:24:58.47 ID:SZqfIXwV
表面的な理解ではそういうことだわな しかし業報輪廻はあらゆる悪人や弱者が過去や未来の自分の姿であるという深い連帯意識を生む その認識があるからこそ慈悲も生まれる 修行僧達よ、尊い智慧を悟らず通暁しなかったから 私もお前たちもこのように長い時間のあいだ 流転し輪廻したのである
891 :
神も仏も名無しさん :2013/12/31(火) 10:28:20.92 ID:XZYgq5/S
>>890 いや、大意として好意的には理解できるが
釈尊はウパニシャッドの頃から当たり前だった
業報輪廻思想は無視して用いなかったからこその無我の教えなんでしょ
輪廻と業報が有っても無くても煩悩の克服には役に立たないと
そう言う教えだったんじゃなかったか
892 :
神も仏も名無しさん :2013/12/31(火) 10:30:59.42 ID:F6iVrk0I
業という法則は釈尊も 「比丘たちよ。あらゆる過去ないし未来ないし現在の応供等正覚者は、 業論者、業果論者、精進論者であった」 というようにあると認めている。 つまり、生まれながらの差別はあるのだ。 ポイントはその差別があると認めた上で、負のカルマを持ったものに対し どう接するかだろう。 負のカルマを持つものを思いやり、慈悲を持って接するなら、業報輪廻転生も それほど問題にはならないだろう。
束縛と解脱があるとするのが束縛であり、束縛と解脱がないとするのが解脱。
894 :
神も仏も名無しさん :2013/12/31(火) 10:57:43.34 ID:XZYgq5/S
>>892 >比丘たちよ。あらゆる過去ないし未来ないし現在の応供等正覚者は、
>業論者、業果論者、精進論者であった
認めては居ても釈尊の教えには採用されていません
あくまでも認めているのは方便としてであります
業報輪廻の思想に惹かれている人にそれを否定する言葉は聴く耳を持たないでしょう
ならば、有る無しは問わず相手の目線でそれ自体は認め、正しき道への選択肢を提案する
それが釈尊の教えの姿勢だと私は認識しています
釈尊の教えの道を選ぶなら道なりに進めるでしょう、教えの通りに励む限りに於いては
また、釈尊の提案した道を選らばざれば、それもまたそちらの道なりに進むのでしょう
釈尊は道を示した人なのであり、選ぶのは我々なのであり、道を外すのも我々の責任なのです
895 :
神も仏も名無しさん :2013/12/31(火) 11:06:05.28 ID:SZqfIXwV
>>891 自分の書き込みみても分かるように身体と同程度のリアルさで反発する我というものは厳然として存在する
我は縁起と諸法無我の観想によって初めてニルヴァーナに至るものである
業報輪廻を判断停止することによって無我が結論付けられるという現代人でも到達できる論理的な帰結と仏教の実践は異なる
実体としての我はなくても流転はあるし解きほぐすべき輪廻する結び目としての妄執はある
無我を命題として理解してはいけない
諸法無我は観想としての方法であり実践である
896 :
神も仏も名無しさん :2013/12/31(火) 11:08:29.30 ID:F6iVrk0I
897 :
神も仏も名無しさん :2013/12/31(火) 11:10:28.36 ID:GM+cxQwl
悟りを目的的に求めることが悟りの妨げとなることを『理障』と呼ぶ
898 :
神も仏も名無しさん :2013/12/31(火) 11:11:52.78 ID:XZYgq5/S
>>895 >無我を命題として理解してはいけない
法印であり仏教の旗印の一つであり真理の一つを勝義の根幹と据えてるだけですよ
無我は命題なのではなく根底であり覆し様が無い土台です
我ら仏法者の命題は行による煩悩の克服なのであり
それが出家者なら煩悩滅尽の末の涅槃寂静を体現し伝承して行く
これが仏法者僧俗の命題だと認識しています
899 :
神も仏も名無しさん :2013/12/31(火) 11:14:44.20 ID:XZYgq5/S
>>897 悟りを悟りと読むから迷うのです
悟りと書いて気付きと読むべきです
そして仏法者の生涯は悟りの連続・気付きの継続を維持して行く生涯となると認識します
>>860 >不測の事故(車にいくら気をつけてても車から突っ込んで来る等)は
>どんな信仰によっても防ぎきれないのが現実なのでありこの世の常識である
成田山祈祷の身代わり守りを肌身に着けていて、
奇跡的に戦争から生還した証拠写真を私は見ています。
何重にも巻いたサラシには銃弾が貫通している穴が開いているものであり、
これが大切に保管されている。
サラシの中にお守りを入れていて、これが銃弾を止めたという常識では在り得ない奇跡です。
しかも、一例なんかじゃないですから。
>>857 >>880 私はこのことがあってから、神仏の実在はもちろんのこと、
密教が持つ神秘力を信じて疑うことがなくなったのです。
*それと私の理解と経験によれば、
本物の覚者や聖者に対する悪口中傷は本当に即刻、辞めるべきです。
何故なら、彼らはすべての発言や記述を瞬時に察知していますから。
あなた方が何を思い、何を述べて、何を書いたかのすべてを。
確かに、彼らが怒って裁くわけじゃないけれども、
しかし、カルマの大王の裁きには合うでしょうから。
902 :
神も仏も名無しさん :2013/12/31(火) 11:53:15.68 ID:xmux+XKL
>>900 宝珠どの
>謝罪改心なら、今の内ですから。
いんや、謝罪改心はせんですよ。
貴殿がそこまで仰るなら、拙者が種明かしを致しましょう。
幽霊なら私も見ます。これは頭が眠気のある状態で認識が攪乱してしまうような場合です。
これは一種の幻覚状態ですから、別に私は冷静に判断しちょります。
それなら故意に頭を攪乱したら幽霊は見れる。ということになる。
攪乱するとすれば磁気が宜しいんじゃないでしょうか?
磁気を頭に照射すれば、幽霊は現出することがある。
もうお分かりかと思うのですが、先入感を頭にいれて、磁気を照射すれば
集団催眠状態になりやすい。
自然界でも、磁気が乱れておるような場所は幽霊がでやすいです。
903 :
神も仏も名無しさん :2013/12/31(火) 11:57:23.45 ID:MHzJ2EzU
>本物の覚者や聖者に対する悪口中傷は本当に即刻、辞めるべきです。 宝珠のデタラメ教義理解書き込みで、どれだけ中傷したことやらw
904 :
神も仏も名無しさん :2013/12/31(火) 12:55:39.84 ID:tKlyDmaq
>>900 >>901 (オカルト宝珠)
>あなた方の知識の及ばない出来事が起きただけですから。
ぜーんぶ、お前の既成概念による<解釈>=「想い」(Sn.1072)でしかない。
お前は世俗の二項相対・対象化論=「想い」の範囲、しかも一切外の「想い」でしかない。
お前の好きな「超越」論も被超越様相を対象とする俗物二項相対論でしかない。
このことはウダーナ8-3で何度も論じておいた。
俺の好きな趙州禅師は厳しいよ。
甘っちょろい対機説法だとか、慈悲など歯牙にもかけない。
本分事だけで人に接し、本分事だけを示唆される。
他は切り捨てる。
直覚できない奴は、
業識だとか煩悩に嵌っている奴は、そいつの勝手だから、放っておけ!だ。⇒
>>886 だから、勝手にお前だけぐるぐる業報輪廻転生してろ!
つまんねぇな
>>876 そこはよ、たとえ過去の生の業により被差別される側に生まれたとしても今生で立派に生きれば
その人はバラモンであり聖者である。過去性はどうであれ問われるのは今ここの生き様であり、今の生き様が
立派であれば過去性はどうであれその人はバラモンであり聖者だという意味だよ。こういう見方を正見というんだよ。
なにが区別だ。己の醜い差別心を偽り悔い改めようとしない。お前は本当に救いようが無いよ。
>>879 ま、俺は在日だが、多分税金はお前より払っていると思うぞ。厚生年金等も含めてだが、毎月控除額が10万超えている。
ふざけんなって。国は、俺からなんぼほど金取ったら気が済むねんって。毎月こんだけ引かれたら勤労意欲無くなるって。
ほんまええ加減にせぇよって。ま、どこの国にもお前らのような己の心に巣食う醜い差別心を愛し、その醜いエゴイズムを
愛し、下らないナショナリズムに傾倒する者はいるが、似た者通し殺しあえばいいと思うよ。近い将来そうなるだろう。
だが真理を求め、救われる人々は差別心などの醜いエゴイズムを愛する心は相応しくない。救われる選ばれた人々は己の
心に巣食う醜いエゴイズムは滅ぼさなければいけないと本能的にしっている。だjから業論も素直に受け入れられる。
だが滅びる定めの人は、己の心に巣食う醜いエゴイズムを愛し、業論を忌み嫌う。彼らは決して悔い改めない。
>>870 宗教者のみならず、過去の歴史は無神論者も負けず劣らず戦争を起こし、多くの人を殺してるんだけどな。
これらの争いは宗教が根本原因ではなく、皆の心に巣食う醜いエゴイズムが起こすものだと何度も教えてあげても
馬の耳に念仏、猫に小判だ。自分の宗教こ執着するものは違う宗教を認めず争うだろう。自分の価値観に執着する者は
違う価値観の者を認めず、争うだろう。土地や財産など、自分の物、この世のものに執着する者はそれを奪う者
それを手に入れる者を憎み争うだろう。真理を求める者はこの世の物の何一つに執着してはならない。なぜならその執着は
エゴイズムを生み増強するからだ。エゴイズムは我々を二つに別け、決して一つにしない。仏教の執着心への否定の
大事な意味はそこにある。ま、君らに言ってもしょうがないと思うけど。
908 :
神も仏も名無しさん :2013/12/31(火) 13:24:32.27 ID:GM+cxQwl
愛国者=悪と決めつけるのも差別だ 在日にはこれがわからない奴が多い 日本人の都合や生まれを理解しようとせず、 在日の立場の理解を日本人に押しつけるならそれは、 日本人を下に見ているに他ならない
>>864 お前らの言う中道はどこにあるんだよ。お前らの言語が作り出した妄想の中でしか無いだろうが。
そういうのを戯論というんだよ。お前らの中道論はどこまでいっても言語上だけのイメージだけでしかない妄想だって
早く気付けよ。
>>908 屁理屈、詭弁、揚げ足取りで口答えしてる人。他人に邪悪な的外れなレッテル貼りばかりしている人に真理は無いよ。
気の毒だけど、素直な心の持て無い人に救いは無い。ま、君らの目指す涅槃とは滅びだからそれでいいんだろう。
子供のような素直な心を持てる人はいずれ真理を正しく理解し正見を得るだろう。その時、今に伝わる仏教は安息日しか説かない
出来損ないの宗教だと知るだろう。ま、ゴータマさんの晩年の言葉を聞けば、本来の彼の教えは滅びの教えではなく、
命の教えだったと思うけどね。人の命ほど甘美なものはない。道の人はこのかけがえのない宝を失ってはならない。決して
失ってはならないのだ。君らには関係の無い話だと思うけどね。
911 :
神も仏も名無しさん :2013/12/31(火) 14:20:44.87 ID:BJ90BtcH
>>869 >何故君は宝珠や一在家の様な危険カルト信者を名指しで批判しないのかね?
「釈迦 and/or イエス」の盲信から発生したという点で、「原理的」「精神
医学的」には、伝統宗教と全く同じ。伝統宗教は、世俗との多年の接触により、
その反社会性が薄められただけの話。宗教は、世俗化すればするほどマトモに
なる。つまり、最初から間違っていた、ということだ。
伝統宗教は、反社会的な行為で非難されている宗教から己を区別し、己を護る
ために、カルトという言葉を使っているだけ。伝統宗教のほうが、開祖の「知名度」に
よりプライドと選民意識があるから、嵌り込みは却って深く、始末に負えない。
釈迦とイエスから発生している宗教は、すべて等しくカルトであることを
自覚せよ。その根源は「開祖・教祖の精神病の感染による、肉体と現実から
遊離した、異常な精神性と観念の遊戯」である。従って、被感染者である人間
としての信者は、寧ろ開祖の悲惨な「犠牲者」に過ぎず、罪はない。100%の
善意だからである。
仏教スレ(特に小乗、チベット系)もキリスト教スレ(特にプロテスタント系)も、
「釈迦」「釈迦」「イエス」「イエス」の連呼で、まさに狂乱状態ではないか。
非宗教者から見ると、宗教信者は気違い集団以外の何物でもないことを、常に
自覚せよ。
>>911 観念の遊戯をしているのはあなたですよね?
913 :
神も仏も名無しさん :2013/12/31(火) 14:59:53.85 ID:nMujeAF8
>>912 すべての観念・思考は、生きた肉体(生命)からのみ発する。死体からは、一
切発生しない。従って、「生命(肉体)」のみは、観念ではない。宗教観念を
含む人間の「すべての営みの発生源」、従って最上位次元である。
釈迦やイエスの白骨が、教えを説けるか?ちょっと考えれば判ること。
蝉は冬を知らず死ぬ 蝉に冬を教えることができるだろうか?できない 我々は冬を知る 我々は来世を知らず死ぬ 我々に来世を教えることができるだろうか?できない 仏は来世を知る 我々と仏の関係はちょうど蝉と我々の関係に似ている つまり、我々が来世を思うとき、知らなければならないことはこうである 分からない=無い、ではない 分からないとは、あくまで分からない、である まさに知るべし
915 :
アラフェス :2013/12/31(火) 15:20:33.14 ID:s/otT4oU
霊のパンを食べるとは 手をパンとたたいて礼(おじぎ)をして、供う だと思われ。
916 :
神も仏も名無しさん :2013/12/31(火) 16:42:19.90 ID:xJkp/9mf
>>914 >我々は来世を知らず死ぬ
>我々に来世を教えることができるだろうか?できない
>仏は来世を知る
仏と阿羅漢は死生智にて相手の来世も知る
彼らは我々に来世を教えることができる
長部経典ベースだと上記となります。
917 :
神も仏も名無しさん :2013/12/31(火) 16:48:09.17 ID:xJkp/9mf
>>917 >長部経典ベースだと上記となります。
私は異教ですがスッタニパータ、ディーガニカーヤ等の原始仏教は腑におちますし信じられます。
師と万福寺大僧正とが「本当の釈尊の教えを知るには原始仏教を調べる必要がある」と対談で意気投合したことを知っておりますので。
来年も本スレが輪廻するのか、解脱し消滅するのか分かりませんが、皆さま良いお年を。
918 :
異類中行 :2013/12/31(火) 17:36:35.77 ID:tKlyDmaq
>>914 >蝉は冬を知らず死ぬ
>>914 に語られたは、すべて身勝手で傲慢な妄想でしかない。
>>916 >>917 はアホだから仕方がない。
仏はいかにも知っているかのような言説は思い上がった驕慢だ。
その仏とやらも、“それ”を直覚できていない。
蝉はただただあるがままでしかないのだ。
仏法さえ透過している、そのままだ。
南泉やその弟子である趙州は「異類中行」という。
本分事だ。
『三世諸佛不知有
狸奴白牯却知有』
三世諸仏ごときよりも、
狸奴たちは、かえって仏法さえ透過したあるがままだという。
馬祖・南泉・趙州に透徹を観る。
飛ぶ雲、流れる木の葉をうらやむ心は無い物ねだりの三十路女の妬み心よ 生きてる我が身をよろこべ
920 :
神も仏も名無しさん :2013/12/31(火) 18:06:43.35 ID:xJkp/9mf
>>918 >
>>916 >>917 はアホだから仕方がない。
年末に貴方もやっと諦めの境地のように観じられます。
おっしゃる通り、アホ相手に三毒(2番目)を積むのはアホです。
今年は大変お世話になりました。
921 :
神も仏も名無しさん :2013/12/31(火) 18:40:29.24 ID:GM+cxQwl
凡夫は迷妄のゆえに、無心の中に妄りに心を生じて、種々の業をつくり妄りに執じて有心となす。 たとえるなら暗闇に机を鬼と間違え、縄を見て蛇と思い恐怖の念を生じるようなものだ。 凡夫の妄想、執着もこれと同じである 達磨大師 考えるな、感じろ! ブルース・リー
次スレ立ての代行を依頼しようとしたら、 何故か、それも投稿不可なのでした。 時には楽しく、時には厳しいやり取りもしましたが、 年内、これが最後の投稿になります。 皆様の来年が良き年でありますように! では、また新年にて
923 :
仏教議論スレッド83 :2013/12/31(火) 23:05:03.51 ID:tKlyDmaq
924 :
神も仏も名無しさん :2014/01/01(水) 00:31:40.01 ID:pBHIFRXT
>>923 >閻魔大王は天下無敵!
閻魔大王もパーピマン(悪魔)も形而学上なのに。。
>次仏教議論スレッド83建てておいた。
それは大層忝い。 また輪廻できる世界ができましたので。。
925 :
明け御眼一在家 :2014/01/01(水) 00:46:16.09 ID:pBHIFRXT
>>708 長部経典第一経「梵網経」では、釈尊は当時の62の見解の原因と消滅させる道とを知ってるから、如来はこれらの見解を超えていると説かれました。
場所は王舎城の近くで500人の比丘集団と一緒でした。
また第二経「沙門果経」では、仏道修行者の現世における修行の成果として、四種禅定、六種の神通力、十種の智慧が説かれました。
場所は王舎城の近くで1250人の比丘集団と阿闍世王と一緒でした。
ポイントは62の見解の中には輪廻のことが度々含まれておりましたし、六神通にも輪廻を想起する宿住通等が含まれていたことです。
500人の高弟たちは「梵網経」と「沙門果経」とを聞いて、多くが阿羅漢になったのではないかと推察します。
つまりこれら2経は縁起しており、彼らにとっては無矛盾だったようです。 現代常識では矛盾しているかも知れませんが。
926 :
begezan :2014/01/01(水) 08:25:46.32 ID:dwc2G0/K
人は結局、成功者の言うことしか聞かない。 御釈迦さんは修行完成者というね。 仏教議論よりも先に今生きている世の中のことをしらないといけないね。 新聞読めよ。
新年早々ズレた書き込みしやがってw
>>925 >ポイントは62の見解の中には輪廻のことが度々含まれて・・・・・・
「含まれている」ことは、さほど重要じゃないのw
他にもいっぱい、色んなことが「含まれている」のw
寧ろ、重要度のランキングは、どちらかと言えば下位なのw
梵網経で言えば、外道等あらゆる見解が網羅され、如来はそれらを超えている、
というところが重要なのw 幾つも幾つもあるうちのどれかが重要だという経じゃないのw
(それは自歓喜経も等誦経も同様だけどw)
幾つも幾つも併記されている中身の、どれか一つが突出して価値付けられてなんかいないのw
貴方が重要だと思う(自分の興味のある)部分が重要に見えるのは、
単に、貴方のピントがそこに合っている(合わせている)だけなのw
おせちの重箱を見ながら、
数の子を好きな人が「おせちでは数の子が最も重要だ!」と言い、
なますを好きな人が「おせちではなますが最も重要だ!」と言ってるようなものなのw
まだ解らないかなぁ・・・ ┐(;´ー`)┌
928 :
神も仏も名無しさん :2014/01/01(水) 12:21:41.79 ID:ghKYWdfO
自歓喜経 「七科三十七道品、第六の科は、八正道です。 それでは、この八つの正道は、如何なるものか。 第一に、真理に基き、見解を正す、正見である。 第二に、正見に基き、思索を正す、正思である。 第三に、正思に基き、発言を正す、正語である。 第四に、正語に基き、行為を正す、正業である。 第五に、正業に基き、生活を正す、正命である。 第六に、正命に基き、精進を正す、正進である。 第七に、正進に基き、集中を正す、正念である。 第八に、正念に基き、合一を正す、正定である。」 ・・・・・ ここには政見の正しい解が説かれている。「真理に基づき」と。 この経を掲げてくださって感謝。
929 :
神も仏も名無しさん :2014/01/01(水) 12:26:35.24 ID:ghKYWdfO
少しでも政権に基づいた生活をするべき。 そこで、世間は正月だといって、おめでたいといい、年賀状などを配り、 正月の食事を差別している。しかし、これらは真理に基づく、正見によると、 少しも、仏教を修する人のこだわることではない。 むしろ、こう言うこだわりを捨てることが仏教にかなう。 俗世に生きるもので、こう言う世間の行事捨てられるなら、捨てるべきである。
930 :
神も仏も名無しさん :2014/01/01(水) 12:35:16.58 ID:ghKYWdfO
しかし、性格者のお言葉をこんな風に書き残すということは、 並大抵の気持ちでは出来なかったろうな。 サンガもまた、清浄にあふれていたから出来たことだ。
931 :
神も仏も名無しさん :2014/01/01(水) 12:55:53.92 ID:p7aCWR5w
明けましておめでとう御座います。 今年も輪廻転生について、いろいろ意見を伺いたいかと思います。 死んだ先のことを考えられるようなら、まだ良いかと思いますね。 世の中には死後どころか、明日のことを考えるだけでも息が詰まる。 今を生きるだけで精一杯な人もいる訳で、 そういう人間からしたら余裕じゃないですか? 今を生きてますか?
932 :
神も仏も名無しさん :2014/01/01(水) 13:18:27.69 ID:fHJ7KYFg
>>900 宝珠さん。その大阪の十字の光はどこで見られるんです?
具体的に住所など知っているんでしたら、教えて頂きたいのですが。
933 :
おじゃる :2014/01/01(水) 13:37:56.74 ID:ZUoMR6iF
934 :
おじゃる :2014/01/01(水) 14:35:33.36 ID:ZUoMR6iF
935 :
明け御眼一在家 :2014/01/01(水) 14:40:04.36 ID:pBHIFRXT
>>927 セブン氏
>梵網経で言えば、外道等あらゆる見解が網羅され、如来はそれらを超えている、
>というところが重要なのw 幾つも幾つもあるうちのどれかが重要だという経じゃないのw
>(それは自歓喜経も等誦経も同様だけどw)
>幾つも幾つも併記されている中身の、どれか一つが突出して価値付けられてなんかいないのw
私が指摘したポイントをもう一度整理してみます。
1)釈尊は側近の500人弟子(多分、高弟)に「梵網経」と「沙門果経」とを説かれました。
2)2つの経典に「輪廻」は説かれておりました。
【ネタの意図】
・前スレから釈尊の対機説法の特徴「四悉壇」を度々紹介してきました。
・ある住人から特定の人にだけ説かれた対機説法を一々信じるな、固執するなとの尤もなご意見がありました。
・そこで大勢の(できれば側近達、高弟達)に説かれた経典を長部経典の中から洗い出しました。
・更に知名度の高い経典である「梵網経」と「沙門果経」を選びました。
【考察】
・当時の外道等の見解の中に「輪廻」があったことは「梵網経」で確認されました。
・500人の弟子達に共通に説かれた経典の場合は「四悉壇」をあまり考慮する必要はないかと思料します。
・よって「沙門果経」でも「輪廻」が説かれたのは方便だ、誘引だとの仮設は却下されます。
・もし誘引だとしたら500人の弟子達の全員が大したレベルでなかったことになるからです。
(もし大したことのない弟子達ばかりであれば解脱者も皆無でしょう。)
・また500人弟子に方便や誘引が無用であれば、どうして舎利弗に対して誘引での「自歓喜経」と「等誦経」が起きるでしょうか。
>まだ解らないかなぁ・・・ ┐(;´ー`)┌
折角、新年も議論スレで輪廻しましたので、前世スレよりは深く考えることに心掛けております。 \(^0^)/
936 :
おじゃる :2014/01/01(水) 15:04:54.02 ID:ZUoMR6iF
937 :
おじゃる :2014/01/01(水) 15:48:18.22 ID:ZUoMR6iF
前世は一在家さんの場合は 「自性だから輪廻を繰り返す」と掴み捉えようとする心の働きに固執しようとしているのかも 末那識・我愛は 睡眠中でも深層において働き続け 根源的な心である阿頼耶識を対象として、それを自分であると考えて執着し続ける 渇愛(タンハー)によって 何かに対して「ある・ない・肯定・否定」と掴み捉え固執しようとする心の働きが現れる この深層的な自我心(末那識・我愛)を滅することによって 我々は初めて真の無我行を実践することができる
938 :
おっさん ◆1LJh2BXBow :2014/01/01(水) 15:56:28.62 ID:QEgTc2Dv
おじゃるさん、こんにちわ。 しばらくロムします。
939 :
おじゃる :2014/01/01(水) 16:15:07.23 ID:ZUoMR6iF
940 :
明け御眼一在家 :2014/01/01(水) 16:21:28.24 ID:pBHIFRXT
>>935 >・500人の弟子達に共通に説かれた経典の場合は「四悉壇」をあまり考慮する必要はないかと思料します。
【展開】
・逆に釈尊が一人か極少人数に説かれた経典を同じく長部経典の中から洗い出しました。
・事例としては本スレでも度々引用されました「無記」とします。
【ケーススタディ】 「無記」の三経典における説法相手と、その状況と同席した釈尊の弟子。
第六経「マハーリ経」:
説法相手は一部族の主のマハーリ。釈尊が一人で座っていた所にマハーリが訪問し、同席弟子は従者くらい。
第九経「ポッタパーダ経」:
説法相手は異教の行者のポッタパーダ。釈尊が自らポッタパーダを訪問し、同席弟子は従者くらい。
第二十四経「パーティカ経」:
説法相手は遊行者のパーティカ。釈尊が托鉢に行った先なので、同席弟子は従者くらい。
以上から釈尊が「無記」の態度をとられた説法相手は弟子ではなく、同席弟子は従者くらいで、典型的な「四悉壇」のケースに当てはまることが分かります。
過去スレでは幾度も長部経典を引用しましたが、今回の考察は現スレが初出です。。セブン氏ならば保証できるかと存じます。 \(^0^)/
941 :
明け御眼一在家 :2014/01/01(水) 16:27:22.10 ID:pBHIFRXT
>>937 おじゃる氏
>「自性だから輪廻を繰り返す」と掴み捉えようとする心の働きに固執しようとしているのかも
さあ、どうでしょう。
「輪廻から解脱するのも自性かな」とか考えております。
換言しますと無自性であれば輪廻も解脱も元々無いし、どうでもよいでしょう。
どうでもよいことを釈尊が500人の高弟たちに説かれる必要も無かったと思料します。
942 :
おじゃる :2014/01/01(水) 16:36:26.25 ID:ZUoMR6iF
>>938 おっさん様へ
縁起一代先生、セブン先生、親切僧先生
「因と縁の依存によって…」
↑ 標準的な教え
− これに対して −
↓ 外道(極悪非道な教え)
私(おじゃる)の場合は
「クンダリニーで解脱せよ」とか逝っちゃってるので
極悪非道な教えであるらしい
前世は一在家さんの場合は
「自性だ!輪廻だ!」
宝珠さんの場合は
「神智学だ!」
943 :
神も仏も名無しさん :2014/01/01(水) 16:39:12.30 ID:w2Cm0Ed2
>>935 >・もし誘引だとしたら500人の弟子達の全員が大したレベルでなかったことになるからです。
その500人とやらは舎利弗が外道時に改宗する時につれて来た連中だろ、お前は本当に頭が弱いな
>・よって「沙門果経」でも「輪廻」が説かれたのは方便だ、誘引だとの仮設は却下されます。
仮設って何だよ?仮説って意味か?
却下はされないよ、「沙門果経」で「輪廻の様なこと」が説かれたのは瞑想修行中の自己内宇宙では可能って意味だから
お前は仏教に身を置かず行もしないから文だけで理解しようとしてて堂々巡りしてるだけ
仏教はなぁアホ在家よ
現象世界(俺らが肉眼で見てる世界)と精神世界(悟り等を認知可能な世界)の区別しないで考えるんだよ
行を行わないお前にはどんなにどんなにどんなに頑張っても理解できないんだよ
それでお前が癇癪起こして仏教批判に走ろうが釈迦批判に走ろうが何にも解決もしない
行が全てなんだよ仏教は、そこに答えがちゃんとある
944 :
神も仏も名無しさん :2014/01/01(水) 16:49:05.40 ID:w2Cm0Ed2
945 :
おじゃる :2014/01/01(水) 16:55:34.41 ID:ZUoMR6iF
>>941 明け御眼(前世は)一在家さんへ
> 「輪廻から解脱するのも自性かな」とか考えております
例えば、サーンキヤの場合は
人はプラクリティから展開した理性、自我意識などを主体であると思い込む錯覚に陥っているが
ヨーガの技法に依存して
本来の自我であるプルシャに目覚めることで解脱が果たされ
「輪廻から解脱するのも自性だ」と掴み捉えようとしている想(おも)いも滅する
ヨーガの実践や宗教の各種修行によって穏やかに活性化し始めると
生涯をかけ各チャクラが徐々に開発されていくこととなる
クンダリニー・ヨーガあるいは瞑想などによりクンダリニーが上昇し
それによりサハスラーラが押し開けられればクンダリニー覚醒となる
サハスラーラを完全開放させることになればその人物は解脱に至るが
今世で解脱できる魂は極一部といわれている
【ブッダのことば】スッタニパータ<中村 元訳>
http://homepage3.nifty.com/hosai/dammapada-01/suttanipata-all-text.htm 1026
無明が頭であると知れ
明知が
信仰と念いと精神統一と意欲と努力とに結びついて
頭を裂け落とさせるものである
神のやり方ならば魂は磨かれる、悪魔のやり方ならば魂は腐っていく 何故なら、神は魂の磨かれた姿が魂の健康な姿だと知っているからであり、悪魔は腐った魂が大好物だからである 魂が磨かれているというのは、人格が磨かれているということである。徳の備わった人間性が磨かれているのであれば魂は磨かれている
947 :
神も仏も名無しさん :2014/01/01(水) 17:01:32.91 ID:w2Cm0Ed2
>>945 おじゃる、ヨガは釈尊が採用してない外道の行だ
クンダリニーは根本が怒りのエネルギーだし、その源は性欲に伴う快楽をバネとした破壊と再生だ
美容体操で開発できる事は麻原ですらも実証済みだが、あいつが何したかはご覧の有様だ
ヨガに依らずともちゃんと瞑想の方法は説かれている
美容体操以外の目的でディープなヨガは興味持たんほうがいい
より一層狂うぞ?
948 :
神も仏も名無しさん :2014/01/01(水) 17:02:14.78 ID:p7aCWR5w
>>934 おじゃる氏
>ID:1zG6yPjk さんは、机先生かしら? おじゃる?
いかにも拙者は机龍之介であります。
過去には2チャンネルガイドでも紹介されたのですが、現在はこうして忍びの身で書いております。
>落武者の霊を見た → オカルト的なものに興味を持つ
> → 密教 → 瑜伽師地論(ゆがしじろん) → 瑜伽行唯識(ゆがぎょうゆいしき)
> → 根本仏典 → 中論 → 般若経
そうでありますか。大変参考になります。
実は私が最初に死後の世界に興味が湧いたのは、中学生の頃に読んだキューブラー・ロス博士の「死の瞬間」でした。
臨死体験については、ロス以外にも多く図書館にありましたから、別の著書も読みあさりましたね。
しかし研究を重ねいくと、どうも臨死においては脳が攪乱起こすらしい。という学説も出てきした。
この脳の攪乱というのは、私も実体験がありますものですから、やはり信憑性があるんじゃないですか?
幽霊はでますね。
私が見た幽霊は、路上で立つ幽霊でした。男女は判明できませんけど。
これは車を運転している時で、幽霊も目撃しても、どこかで幻覚の自覚もあって、そんなには驚かない。
ようは、幽霊も目撃しても”自己分析が出来るかどうか”が関係するんじゃないですか?
(この時は睡魔に襲われましたから、幽霊は出やすくなります)
幽霊は出ても、そこに存在している訳ではなくて、幽霊は自分の心が作り出すもの。
かように机龍之介は結論を導いたのであります。
949 :
おじゃる :2014/01/01(水) 17:09:31.61 ID:ZUoMR6iF
> おじゃる > クンダリニーじゃアンタの望むものは解決しないよ 私(おじゃる)の場合は 実践した事がないので、本当か?どうか?わからないけど ヨーガの技法に依存して 明知が 信仰と念いと精神統一と意欲と努力とに結びついて クンダリニーが上昇し それによりサハスラーラが押し開けられ サハスラーラを完全開放させ 無明(頭)を裂け落とさせるものである 無明滅 → 行滅 → 識滅させて「解脱すれば仏だ」と言う事に、気づくまでは、気づくことは難しい 実践した事はないけど↑興味はある
950 :
神も仏も名無しさん :2014/01/01(水) 17:16:55.51 ID:w2Cm0Ed2
>>949 >無明滅 → 行滅 → 識滅させて「解脱すれば仏だ」と言う事に、気づくまでは、気づくことは難しい
ヨガで上記に至るには先ず柔軟な身体能力が要求される、つまり柔らかい身体作りが前提で必須
仏教ならそんなものは殆ど要らない、仏典の通り行ずればいいだけだ
興味本位でヨガやって狂った連中がオウムだと知れ
仏教は基本的にヨガはやらない(瑜伽行唯識学派は外道)
951 :
神も仏も名無しさん :2014/01/01(水) 17:21:48.80 ID:w2Cm0Ed2
苦楽中道を説いたのが釈迦の教えなのであり仏教だと知れ ヨガは苦行に属す
952 :
神も仏も名無しさん :2014/01/01(水) 17:23:39.45 ID:p7aCWR5w
>>936 おじゃる氏
>苦集滅道
> 止(サマタ禅定)観(ヴィパッサナー智慧)
> 無我・縁起・空の観察に依存して
>無明滅 → 行滅 → 識滅させて「解脱すれば仏だ」と言う事に
>気づくまでは、気づくことは難しい
苦集滅道とは、順観して、そして逆観したら良い。つうことですから、
幽霊の出る原因を探し出せば宜しいんじゃないですか?
簡単なことを難しく考える必要性はない。
北条時頼も幽霊が出るらしく、困ってしまって
道元に「幽霊を退治してもらいたい」。と懇願したらしい。
実は幽霊は退治できんのですよ。
退治(つまり幽霊と対立)しちゃ〜あかんです。
幽霊を受け入れる。つまり幽霊と一体になる。
仏教は一如の法門ですから、対立しては迷うだけかと思います。
953 :
おじゃる :2014/01/01(水) 17:24:30.16 ID:ZUoMR6iF
> 幽霊は自分の心が作り出すもの 私(おじゃる)の場合は 中観自立・有相唯識の段階なので 因と縁の依存によって 仮設としての(と言う意味で) とりあえず仮に 「末那識・我愛が現れている」とします 意識、自覚的意識 六番目なので「第六意識」と呼ぶことがあるが同じ意味である また前五識と意識を合わせて六識または現行(げんぎょう)という その下に末那識(まなしき)と呼ばれる潜在意識が想定されており 寝てもさめても自分に執着し続ける心であるといわれる 熟睡中は意識の作用は停止するが、その間も末那識は活動し、自己に執着するという さらにその下に阿頼耶識(あらやしき)という根本の識があり この識が前五識・意識・末那識を生み出し、さらに身体を生み出し 他の識と相互作用して我々が 「世界」であると思っているものも生み出していると考えられている
954 :
神も仏も名無しさん :2014/01/01(水) 17:30:56.22 ID:w2Cm0Ed2
>>953 あんたさあ、それ具体的にはどうやってんの?
ちょっと普段のやってる方法を具体的に書いてみてくれる?
955 :
神も仏も名無しさん :2014/01/01(水) 17:42:04.68 ID:w2Cm0Ed2
おじゃる、あんたの宗教観ってのは結局読書が基本で 論破目的の自己顕示道具に過ぎないんじゃないのか? だからあんたの仏教論には行による体験論が無いんだろ 大乗仏教ですらそれが一番駄目な事だと教えてんのに駄目道まっしぐらじゃん
956 :
おじゃる :2014/01/01(水) 17:46:14.86 ID:ZUoMR6iF
> 苦集滅道とは、順観して、そして逆観したら良い
第二十六章 十二の鎖の環(十二因縁/十二縁起)の考察
http://home.att.ne.jp/delta/myrobalan/mulama.html 無知(無明)の暗闇に覆われて人はその者自身を未来の生へと
追いやることになる性質を持った三種類の行為を行う(カルマを積む)
三つの行為とは、身体的な行為、言葉による行為、そして心による行為である
渇愛によって
何かに対して「ある・ない・肯定・否定」と掴み捉えようとする心の働きが現れる
渇愛を滅させて
無明滅 → 行滅 → 識滅は
止(サマタ禅定)観(ヴィパッサナー智慧)を通して生じるのである
957 :
神も仏も名無しさん :2014/01/01(水) 17:49:27.14 ID:w2Cm0Ed2
>>956 >止(サマタ禅定)観(ヴィパッサナー智慧)を通して生じるのである
コピペすんでも間違えちゃだめだろ、改ざんか?
なんかあんたもアホ在家や宝珠と同じ底意地の悪さを感じるよ
958 :
神も仏も名無しさん :2014/01/01(水) 17:54:22.27 ID:p7aCWR5w
>>953 おじゃる氏
昔は脳科学が発展してなかったものですから、いろいろ諸説は出やすいですが、
近年、電磁波が脳の信号を誤作動しやすい。というのが分かってきました。
例えば、携帯のアンテナとか鉄塔とかも電磁波は出ている。
自然界でいえば、花崗岩は磁気を放出しやすいですから
磁気が乱れやすくて、脳の信号に誤作動を起こしやすい。
磁気にはあまり関係なくて、誤作動起こしやすい人間も当然いる訳です。
こういう連中は幻覚や幻聴は日常的に襲いますね。
健常者だからといって、幻覚や幻聴はありますよ。
先入感が強いと起こりやすい。というか・・・
(つづく)
959 :
神も仏も名無しさん :2014/01/01(水) 17:55:29.79 ID:p7aCWR5w
(つづき) 私が小学生の時に、路上でテキヤが商売してましてね。 「不思議な覗き筒」を100円くらいだったか?販売してまして、 試しにこの筒で手を見ると、あら不思議、骨まで見えちゃう。 これは一種の集団催眠で、その時は骨まで見えるんですよ。 しかし後になって、そのカラクリが分かってくる。 子供は一度騙されて、そして利口になるんですよ。 授業料として100円じゃ安いじゃないですか? はて、その筒には何のカラクリがあったのか? 筒に鳥の羽を付けてたんですね。これで骨まで見える。 何を言いたいのか?ってたら、つまり「先入感」ですよ。
960 :
おじゃる :2014/01/01(水) 17:57:42.33 ID:ZUoMR6iF
> 仏教論には行による体験論が無いんだろ 落武者の霊を見た → オカルト的なものに興味を持つ → 密教 → 瑜伽師地論(ゆがしじろん) → 瑜伽行唯識(ゆがぎょうゆいしき) → 根本仏典 → 中論 → 般若経 「落武者の霊を見た」と言う体験はある 止(サマタ禅定)観(ヴィパッサナー智慧)の実践をした事はない 実践をした事はないけど、興味があるので 唯識派の重要な文献 瑜伽師地論(ゆがしじろん) 瑜伽行唯識(ゆがぎょうゆいしき)とかを教学として勉強している
961 :
神も仏も名無しさん :2014/01/01(水) 18:12:05.12 ID:p7aCWR5w
>>956 おじゃる氏
>第二十六章 十二の鎖の環(十二因縁/十二縁起)の考察
十二因縁・十二縁起をそんなに難しく考えることはないですよ。
簡単に十二に解説しただけの話ですから。
いわゆる初心者向けです。
貴殿はあまり考え過ぎるのと違いますか?
そんなに考えたら心が病んでしまいます。
生きるには、余計なことを考えないことと・・・
考えなければならないこと。
これの分別が必要かと思います。
962 :
おじゃる :2014/01/01(水) 18:15:13.33 ID:ZUoMR6iF
> コピペすんでも間違えちゃだめだろ、改ざんか?
> なんかあんたもアホ在家や宝珠と同じ底意地の悪さを感じるよ
第二十六章 十二の鎖の環(十二因縁/十二)の考察
http://home.att.ne.jp/delta/myrobalan/mulama.html 11.
無知(無明)が止まると
行為(諸行)は生じなくなるだろう
無知の停止は
瞑想と知恵(智)を通して生じるのである
11.意訳
(存在を実体としてとらえ、自己に執着するような)無知が取り除かれると
(カルマを蓄積する)行為は行われなくな(り、蓄積も行われなくなり
また、輪廻の中の者としての人間も生まれなくな)るだろう
そのような無知の停止は瞑想実践による(空性の)知恵を通して獲得されるのである
瞑想によってこそ無知が停止するとナーガールジュナ自身がはっきり述べている点でこれは大変重要な発言である
「事象は概念に依存的して生じる」という第六・表面意識の理解だけでは悟りへ至るのに足りないのである
963 :
おじゃる :2014/01/01(水) 18:30:35.51 ID:ZUoMR6iF
>>962 の続き
龍樹(りゅうじゅ)
南インドのビダルバの出身のバラモンと伝えられ、幼い頃から多くの学問に通じた
小乗の仏典をわずか 90 日で読破した龍樹は
更なる経典を求めヒマラヤ山中の老比丘からいくらかの大乗仏典を授けられた
龍樹は神通力を以って神々と悪魔(阿修羅)の戦闘の様子を王に見せた
龍樹(りゅうじゅ)は
非想非非想処
四如意足(四神足)四つの自在力
想受滅
止(サマタ禅定)観(ヴィパッサナー智慧)の実践などによって
神通力を具現化させたかも
964 :
おじゃる :2014/01/01(水) 18:47:58.92 ID:ZUoMR6iF
965 :
神も仏も名無しさん :2014/01/01(水) 18:49:57.18 ID:pBHIFRXT
>>943 >その500人とやらは舎利弗が外道時に改宗する時につれて来た連中だろ、お前は本当に頭が弱いな
自称「頭の良い」貴方は何を根拠にそう判断されましたか。
(wiki「阿羅漢」)
仏陀に常に付き添った500人の弟子、または仏滅後の結集(けつじゅう、仏典編集)に集まった弟子を
「五百羅漢」と称して尊崇・敬愛することも盛んにおこなわれてきた。
>行が全てなんだよ仏教は、そこに答えがちゃんとある
私が説いたのではなく長部経典に「500人の弟子」が説かれておりますので、混ぜないようにお願いします。
966 :
神も仏も名無しさん :2014/01/01(水) 19:33:33.43 ID:p7aCWR5w
>>864 >第六・表面意識の理解だけでは悟りへ至る事は出来ない
そうでしたか?
あまり考え過ぎると心が病んでしまいます。
つうか、心が病んでくると思考が極端に偏る。
私は臨死体験とかも興味がありますが、最近は精神病とかも興味がありますね。
実は精神病と宗教は関係があります。
統合失調症(精神分裂病)は、自己分析が出来ないのかと思ってましたが、
実は出来るんじゃないか?ってのも研究してみようかと思います。
で、最近の研究では、統合失調症の方は、書き込みを見てると
何となく病気なのでは?が判断がつくようになりました。
貴殿は、精神病と、そうでない御仁は何となく判断できますか?
967 :
異類中行 :2014/01/01(水) 19:35:52.25 ID:8PpE3NEQ
>>924 (アホ)
>閻魔大王もパーピマン(悪魔)も形而学上なのに。。
今年も、相変わらずアホかw
形而上ではなく、説話物語、フィクション。
一切外(相応部35-23)であることには変わりがない。
『閻魔大王、天下無敵』(
>>923 )もアホでは解せない。
>>965 (アホ)
>私が説いたのではなく長部経典に「500人の弟子」が説かれておりますので
異類中行(
>>918 )、ウンコ回虫に仏法のおのずからなる体得あり。
『三世諸佛不知有
ウンコ回虫却知有』(閻魔)
時間概念で語られる<三世諸佛>(般若心経)ごときが、なんぼのもんじゃい!
ああ〜 降三世明王様 降三世明王様 降三世明王様
969 :
神も仏も名無しさん :2014/01/01(水) 19:55:56.79 ID:pBHIFRXT
>>967 >異類中行(
>>918 )、ウンコ回虫に仏法のおのずからなる体得あり。
利口な貴方よりもアホな私の方がよく知っている、という意味でしたか。恐縮です。
970 :
コレ悟りかよ!?w :2014/01/01(水) 21:58:29.61 ID:iYwSV0Hc
十二因縁・十二縁起は、なぜ輪廻するかの説明なんですね。 無明とは輪廻を理解できない馬鹿のことでしょ。 輪廻を理解すれば生も老いも死も無くなる。 つまり永遠にこのまま存在し続ける。二度と生まれないし死なない。 ここでのポイントは生と死の否定であり、輪廻の否定では無いということでしょう。
971 :
神も仏も名無しさん :2014/01/01(水) 22:03:20.88 ID:ghKYWdfO
972 :
神も仏も名無しさん :2014/01/01(水) 22:06:31.88 ID:kgi3JS7c
何度も輪廻してたら輪廻のことなんかわすれんじゃないの。
発心正しからざれば萬行虚しく施す。
974 :
神も仏も名無しさん :2014/01/02(木) 00:27:52.34 ID:KSz9VFK2
>>972 >何度も輪廻してたら輪廻のことなんかわすれんじゃないの。
釈尊が説かれた「入胎の法」によれば、菩薩以外は入胎〜出胎までの間に前世を忘れるという法があるそうです。
長部経典の「自歓喜経」と「等誦経」にて釈尊が説かれた法として舎利弗が整理しております。
本スレでも瞑想中に前世を幾つも想起したがどれもこれもブラックだったという住人がおられましたが、
多分そうだと思います。大半は娑婆と地獄との間を輪廻しておりますでしょう。
(再提)
★日蓮
「四条金吾殿御消息」
日蓮過去に妻子、所領、眷属等の故に身命を捨てし所いく幾そばく許かありけむ。或は山にすて、海にすて、或は河、或はいそ等、路のほとりか。
然れども法華経のゆへ、題目の難にあらざれば、捨てし身も蒙る難等も成仏のためならず。
★空海
「秘蔵宝鑰」
三界の狂人は狂せることを知らず、四生の盲者は盲なることを識らず、生れ生れ生れ生れて生の始めに暗く、死に死に死に死んで死の終わりに冥し。
>>935 >おせちの重箱を見ながら、
>数の子を好きな人が「おせちでは数の子が最も重要だ!」と言い、
>なますを好きな人が「おせちではなますが最も重要だ!」と言ってるようなもの
≪さほど重要出ないこと【だけを】ピックアップして≫
≪自分の考えと重ね合わせ≫
≪さも、自分の考え 「重要である」「支持されている」「主要事案、中心事案である」 かの如く印象付ける≫
ところが、 【姑息】で【狡猾】で【醜悪】だっつってんのw ( ゚听)、
976 :
一字抜けた :2014/01/02(木) 00:54:21.40 ID:KD7tbJ28
>>975 ≪さも、自分の考えが 「重要である」「支持されている」「主要事案、中心事案である」 かの如く印象付ける≫
>>935 >私が指摘したポイント
>>925 と違うじゃないかwwwwwwwwwwwwwwwwwww
>>935 > 1)釈尊は側近の500人弟子(多分、高弟)に「梵網経」と「沙門果経」とを説かれました。
> 2)2つの経典に「輪廻」は説かれておりました。
>>925 >ポイントは62の見解の中には輪廻のことが度々含まれておりましたし、
>六神通にも輪廻を想起する宿住通等が含まれていたことです。
→ 1)62の見解の中に輪廻のことが含まれている
→ 2)六神通に、輪廻を想起する宿住通がある
> 1)釈尊は側近の500人弟子(多分、高弟)に「梵網経」と「沙門果経」とを説かれた
> 1)62の見解の中に輪廻のことが含まれている
> 2)2つの経典に「輪廻」は説かれておりました。
> 2)六神通に、輪廻を想起する宿住通がある
んと、性根が腐った野郎だわ・・
978 :
神も仏も名無しさん :
2014/01/02(木) 01:05:45.54 ID:HRUKJKk1 >>960 >瑜伽行唯識(ゆがぎょうゆいしき)とかを教学として勉強している
>教学として勉強している
>教学として勉強している
>瑜伽行唯識
瑜伽行ですから行じ無ければ空論に過ぎません
瑜伽行を愚弄するのもいい加減にしてください
瑜伽行も行が第一なのであり、精神障害から出る妄想と一緒にしないでください
>瞑想と知恵(智)を通して生じるのである
行の効果を知らないからそう言う文を鵜呑みにしてしまうんですよ
仏教でも瞑想修行の”行”を進める事で瞑想と知恵(智)を通して生じるのです
瞑想修行で得られる効果が第一に瞑想・第二に瞑想からの智慧なんです
そこで得られる智慧を通して、止められた無知の道理が理解できるんです
これらは行じ無ければ理解できないし、本当かどうかも文章からでは眉唾と談じられるほど胡散臭いものなんですよ
故に行が第一と言うのであり冷やかし立ち読みはご法度なんです