1 :
マジレスさん :
2013/11/21(木) 23:28:11.72 ID:SBKUgzko
2 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/21(木) 23:33:38.57 ID:VqpC8AQl
1乙 速いなw
3 :
神も仏も名無しさん :2013/11/21(木) 23:38:58.31 ID:4SPZSV+U
前前スレになってるけどな・・ ┐(;´ー`)┌
4 :
神も仏も名無しさん :2013/11/22(金) 00:46:32.37 ID:oAO1rmQD
なんか千いくの早すぎ それで議論できるのかな くだらんレスばかりだから
5 :
神も仏も名無しさん :2013/11/22(金) 00:57:36.07 ID:C8jy3qTS
10万100万レスしても同じだよ。 ここに釈迦が現れて直接説明してくれない限り 正しい答えなどでないからね。
6 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2013/11/22(金) 01:32:41.83 ID:3LcHXhA4
>>前スレ924
>仏教はアートマンを説いてた・・なんていうアホ学者の説引用してどうする?wwww
>まあ、お前にとっちゃ、もってこいなんだろうがw
補足しておかなくても大丈夫かな?と、
やや心配していましたが、やっぱりでしたか(笑)
『もしそうなら、仏教のアートマンは実はウパニシャッドが説くアートマンと同じようなもの
を指していたと解釈することができるかもしれない。』(
>>886-887 )
けれど、ここでいう仏教の説くアートマンとは、仏教が理想として求め追及されるべき自己のことであって、
その森氏の抜粋に載せなかった前文にある通り、
「五蘊の滅は ‘paramatta’すなわち「勝我」である涅槃」(『無礙解道』)
などとして使われる自己のことです。
『“アートマンをアートマンとみて、それを追及し真実の自己を見いだせ”
“婦女を尋ね求めることより、自己を尋ね求めよ〈attanam gaveseti.〉”』(Vinaya, Mahavagga 1.13)
こういう経文にもある通り、仏教の目指す自己というのはありますから。
ただし、それは何もバラモンの説くアートマンと同義ということは述べられてはいないということ。
確かに、この論文ではウパニシャッドと似ていると森氏はいいましたけれど、
それはそれで、また実に意味深いことだと思いますよ。
しかしこの方、東洋大学名誉教授らしいですが、
こんなにも素晴らしい見識をお持ちの学者さんが他にいたとはまったく知りませんでした。
私は仏教書(学者の解説書を含む)をあまり読みませんから・・・。
この私も結果としては、ウパニシャッドも仏教も同じものを追及し、
指し示しているというのが真実であると見なしています。
(仏教徒たちは「無我」について誤解しているので、そのことをまったく理解できないでいますが
参考: tp://houjugusya.web.fc2.com/anatman.htm)
7 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2013/11/22(金) 02:12:41.36 ID:3LcHXhA4
>>6 追記:
仏教の目指す理想的な真実の自己であるところの「勝我」に相当するものとしては、
仏教では、その他にも「大我」という言い方もしているということ。
そうはいっても結局、言葉上では同じ「真我」という意味になり、「アートマン」だということになってしまうのですが、
果たして、それが同じことであるかどうかについては、その境地を達成した者にしか分からないことです。
まっ、同じであれば「“同じだ”といった筈だ!」というのが仏教者側の言い分になるでしょうが、
それについては、たぶん間違った認識を多分に含むバラモン世界そのものと
完全同一視されることは避けたかったものと私は見なしています。
>>1 スレ立てご苦労様でした
8 :
? :2013/11/22(金) 02:14:10.55 ID:m3Gbowd5
宝珠さんの場合は 「真我」というときはサーンキャ哲学のことは意図していません サーンキャ哲学とは同一視で読まないように宜しくお願いします 意図的に敢えて「真我」を不変永遠の自性として述べていますから(よって、サーンキャ哲学とは異なる) と言う事であるらしいけど 例えば仮に「我は有る」と勘違いする人が居るといけないので ↓ 一応念の為に 我は、常住であり 他との何らの関係をもたないで単独で存在することができるものと考え それは働きのうえで自由自在の力をもつとした この我によって人間生存は根拠付けられ、支配されていると考えるのである − これに対して − 釈迦はこのような実我観念を批判し 「我として認められるものはない」として、諸法無我と説いた これを色受想行識の五蘊について説き 人間生存は無我である五蘊の仮和合したものであるから仮りの存在であると説いた
9 :
? :2013/11/22(金) 02:32:09.24 ID:m3Gbowd5
>>8 の続き
因と縁の依存によって
五蘊の仮和合によって
仮設として
仮に現れている状態なので
我・我所を滅させる因と縁の依存によって、無我・無我所を得て、智慧を決定する
例えば、もし仮に
永久不滅・常住不変の自性の我であるのなら
我・我所を滅させる事は出来ない
それ故に、智慧を決定する事は出来ない
↑ こんな感じの意味になると思います
10 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2013/11/22(金) 02:32:54.66 ID:3LcHXhA4
>>8 >例えば仮に「我は有る」と勘違いする人が居るといけないので
正しくは、
この現象界(一切)においては我の存在は確認できない(確認が不可)から、
仏教ではウパニシャッドの説くような我(アートマン)は認めていないということ。
ただし、それは“アートマンはない”といったのではなくて、一切にはアートマンといえるものはないという意味です。
もちろんこの私も(ご紹介した森氏も)、
ゴータマが「(ウパニシャッドと同じ意味での)アートマンが在るとして説いた」などとは述べてはいないので、
その辺を勘違いしないで下さい。
〜ということです。
尚、私個人はアートマンは一切外に在って、このアートマンの実現が仏教の涅槃と同一境地であると見なしています。
ただ、ゴータマは単に異なるアプローチを採り、アートマンを在るものとしては説かれなかっただけである、と。
11 :
? :2013/11/22(金) 02:46:56.83 ID:m3Gbowd5
>>8 と
>>9 の続き
例えば、もし仮に
永久不滅・常住不変の自性の我であるのなら
渇愛(タンハー)を滅させる事は出来ない
それ故に、無明を滅させる事は出来ない
と言う意味になると思います
第二十六章 十二の鎖の環(十二因縁/十二縁起)の考察
6.
受によって条件づけられたものが渇愛である
渇愛は受のせいで生じる
それが生じるとき、固執/掴むこと(取)も生じる
11.
無明が止まると
行為は生じなくなる
無明の停止は
止(サマタ)と観(ヴィパッサナー)によって生じるのである
_ _ _
止(サマタ)
心の動揺をとどめて本源の真理に住することである
観(ヴィパッサナー)
不動の心が智慧のはたらきとなって、事物を真理に即して正しく観察することである
止は禅定に当たり、観は智慧に相当している
「止」だけでなく「観」を重視するところに、仏教の瞑想法の特徴がある
12 :
神も仏も名無しさん :2013/11/22(金) 02:50:18.21 ID:5s4ADhAp
で?
13 :
神も仏も名無しさん :2013/11/22(金) 02:58:49.83 ID:87wD5TFE
ごちゃごちゃ言わなくてもWikipwdia仏は単刀直入にお示し下さってる訳だがw 以下因果に基づき苦のメカニズムを整理された十二支縁起を示す。 無明(現象が無我であることを知らない根源的無知) 行(潜在的形成力) 識(識別作用) 名色(心身) 六入(六感覚器官) 触(接触) 受(感受作用) 愛(渇愛) 取(執着) 有(存在) 生(出生) 老死(老いと死) これはなぜ「生老病死」という苦のもとで生きているのかの由来を示すと同時に、 「無明」という条件を破壊することにより「生老病死」がなくなるという涅槃に至る因果を示している。
14 :
? :2013/11/22(金) 03:13:13.92 ID:m3Gbowd5
> ゴータマは単に異なるアプローチを採り、アートマンを在るものとしては説かれなかっただけである ちなみに、今の 私(ID:m3Gbowd5)は、自立派・有相派の段階です それ自体の自性ではなく、因と縁の依存によって 有相唯識派の場合は 仮設としての阿頼耶識を、とりあえず仮に「ある」とします チベット・ゲルク・自立派の場合は 「火を火たらしめている本質的な要素は、熱さや燃焼作用である それは、火自体の側にある固有の要素だ」 という自相を、世俗の次元では承認します 熱さや燃焼作用が火の自相として認められる・・・ということです これは、私たちの常識的な考え方に近い立場でしょう そして、その次の段階として 無相唯識・中観帰謬と進んで逝くかも
15 :
? :2013/11/22(金) 03:22:49.84 ID:m3Gbowd5
>>13 ID:87wD5TFE さんへ
> 「無明」という条件を破壊することにより「生老病死」がなくなるという涅槃に至る因縁果報を示している
実践した事はないけど↑教学として同意です
16 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2013/11/22(金) 03:35:14.65 ID:3LcHXhA4
>>14 仏教では、
「阿頼耶識」も「魂」もアートマン(我)ではなくて、
最初から、五蘊の仮和合による仮設としての自己として説きます。
これは死後に継続する意識であり、輪廻の主体とも目されますが、
アートマンではないので永遠不変ではないです。
ここまでは伝統仏教の教義です。
17 :
? :2013/11/22(金) 04:38:22.76 ID:m3Gbowd5
> アートマンではないので永遠不変ではないです それ故に 煩悩障(自己に対する執着) 所知障(外界のものに対する執着) の二種の障害を根絶することによって、阿頼耶識が変化を起こす(転識得智=てんじきとくち) これがすなわち、汚れを離れた領域であり、思考を超越し それを得たものは解脱身であり、仏陀の法と呼ばれるものである(大円鏡智=だいえんきょうち)
18 :
神も仏も名無しさん :2013/11/22(金) 05:46:48.74 ID:CbtFVR8P
阿頼耶識は意識じゃねーだろ 無没識だから無くならない 蔵識だから全てを備えてる 種子識だから全てを起せる つまりだ 宝珠、お前が大好きなブラフマンそのものの事だろ 当に永遠普遍で不滅だと仰せだ、誰だか知らない奴がなw こんなのは有部の邪説を取り入れた唯識派の戯言だよ
19 :
神も仏も名無しさん :2013/11/22(金) 06:27:28.03 ID:+EA8VRoT
何度も言うが、永遠不滅のブラフマンやそれと同等とされるアートマンも 過去世の業に縛られ今世で報いを受ける輪廻思想も釈迦在世時の 世間一般のスタンダードな考え方で誰もこの惑を破り切れた奴が居なかった それは認める が、釈迦の思想はそれを可能にしたんだよ、縁起の法でな 縁って起こる煩悩苦を八正道で克復していき、やがて涅槃を迎えて全てが終わる 一切の事象は人の一生も含めて全て縁起で成り立ち、縁起の枠を出た事象や現象は存在しない 無始で無終で不滅の「何か」には原因が無いから存在できないんだよ 縁起の理法はそれを厳格に言っている(彼無くば是無し) そしてこれは釈迦の説いた法では有るし、釈迦の法に則らなければ 可能じゃない様にも受け取れそうだが、そうではない 釈迦は輪廻すらも終わらせられるとして涅槃を説いた 涅槃は仏が自らの入滅による沈黙に拠って証明した では、釈迦の法に因らなければ涅槃に至れないのか そうではない、死は平等だ、法に因らない、誰でも死ぬんだ 涅槃も方便なんだよ、輪廻なんか最初から無かったんだって言うね 言って聞かない奴には例えてやらなきゃ理解出来ない 釈迦の本意は「苦の克服方法」が解ればみんな楽しく暮らせるだろ 楽しく暮らしてくれってのが釈迦の本意そのものなんだよ 最初から無いものに心が縛られちゃってるから方便現涅槃な訳さ
20 :
神も仏も名無しさん :2013/11/22(金) 06:41:48.01 ID:+EA8VRoT
釈迦の法(悟り→涅槃)に目を向けさせ釈迦の教えに従って 修行や生活を送る事で輪廻は断ち切れると釈迦が涅槃を説く事で 衆生を誘引したんだよ、まだ解んないのかなw 故に各経典では釈迦が輪廻や業報らしきものを説いてたり説いて無かったりって訳さ 全て方便、縁起の理法に則った生活(現実)に呼び戻す為の幻の話だったのさ だから釈迦の教えから離れれば当時優勢だった輪廻やら業報やらオンリーに戻っちゃうんで 釈迦の教え外の人には輪廻や業報なんかを説いたんだよ、方便だからね 釈迦の教えは自然体の教えだから基本的に脇が甘いのが特徴 故にその後に俺が俺がで色んなアビダルマとかが有象無象現れるんだが いつの間にか有部見たいな寝た子を起すアホが出てきて久遠常住を説きだしちゃって ムズいことばっか考えてた唯識派がコロッとそれに嵌っちゃって 今のトチ狂った大乗ぶっきょーが有るって訳さw
21 :
神も仏も名無しさん :2013/11/22(金) 06:52:53.75 ID:+EA8VRoT
まあ、こう言う書き方すれば確かに俺の個人的解釈としか取れない罠w でも実際はだ、ブラフマンやらアートマンやら阿頼耶識やら業報輪廻やら どうやってある事を証明しようか、ソースはどこかってやっててそろそろ気づいてる筈だぜ? ある事を証明するより、最初から無かった事を潔く認める方が遥かに楽だってね 悪魔の証明を必死でしてたって事さ
22 :
神も仏も名無しさん :2013/11/22(金) 06:59:18.65 ID:0PIKpCf+
>>19 >無始で無終で不滅の「何か」には原因が無いから存在できないんだよ
>縁起の理法はそれを厳格に言っている(彼無くば是無し)
「縁起の法」も筏かも知れません。また仏より前に存在した「常住」も無始無終、不生不滅とも方便で言えます。
有為、作られたもの、「現象界」は無常に見えますが、同時に無為、作られざるものは常住不変
で、仏はその両方を見ているという感覚ですね、譬えますと。
【根拠としたテキスト】
「感興のことば」26.21
「不生なるものが有るからこそ、生じたものの出離をつねに語るべきであろう。
作られざるもの(無為)を観じるならば、作られたもの(有為)から解脱する。」
法華経の如来寿量品
訳1「仏の目から見た本当の世界は、このように不滅常住であるにもかかわらず、
衆生の目にはこの世界は大火に焼き尽くされているように見える。」
訳2「私の住んでいる仏土は、このように壊れることはないのですが、人々は、
この仏土が焼け尽きて見える。」
出勤前のリーマン (^0^)/
23 :
神も仏も名無しさん :2013/11/22(金) 07:06:05.01 ID:0PIKpCf+
>>22 過去ログ
親切僧さん:2013/09/15(日) 07:25:31.81 ID:e/JeApUo
>>388 一在家さん
そちらの感興の言葉と法華経を見ても、「出離」とか「有為から解脱」とか、
「仏の目から見た本当の世界」とか書いてるある通りだよ。
どちらも同じ世界を見てるんだけど、無明の凡夫は一切が燃えている(諸行無常)と見て、
無明を滅した仏は一切は燃えていない(涅槃寂静)として見てるってこと。どちらも同じ「一切」の話。
無明あるとき行あり、無明ないとき行なし、です。
> 視点を変えると有為で無常、また視点を変えると無為で常住、仏は両方の視点を
等しく、バランス良く(中道)持つのではないでしょうか。
まあ、この言い方なら、合ってるかな。有為の見方を世俗諦で明かし、無為の見方を第一義諦であらわすんだね。
>>668 一在家さん
それより、ウダーナを読んでいたところ、26.24が参考になると思うよ〜。
「そこには、すでに有ったものが存在せず、虚空も無く、識別作用も無く、
太陽も存在せず、月も存在しないところのその境地を、わたくしはよく知っている。」
無明が有るとか、無明が無いとか、日本語としてどうなの?w
25 :
神も仏も名無しさん :2013/11/22(金) 07:50:07.94 ID:+EA8VRoT
>>24 無明は迷いって意味だからね、無が有る・無いとは違う話
因みに中道はこっち↓
釈迦が丸太を比丘(出家修行者)に例え、その流れる丸太が
こちらの岸に流れつかず (六根(六内処)に囚われることなく)
向こう岸に流れつかず (六境(六外処)に囚われることなく)
中流で沈みもせず (悦楽・欲望に囚われることなく)
中州に打ち上げられもせず (自我の妄執に囚われることなく)
人によって持ち去られもせず (社会性・人間関係(付き合い・同情)に囚われることなく)
人でないもの(鬼神)によって持ち去られもせず (神秘主義に囚われることなく)
渦に巻かれることもなく (五感による欲望にまきこまれることなく)
内部から腐敗していくこともない (偽り・欺瞞を隠して生きることがない)
ならば、海(悟り、涅槃)へと到達するであろうと説かれる。
>>23 で言うとこの
>視点を変えると有為で無常、また視点を変えると無為で常住、仏は両方の視点を等しく、バランス良く(中道)持つのではないでしょうか。
↑は中観の方で似て異なる上に釈迦説ではない
中道と中観は同じだって意見も有るだろうけど、俺はそうは思わない
26 :
神も仏も名無しさん :2013/11/22(金) 08:04:07.11 ID:qL4N+fvx
>>21 輪廻やら何やらが何にも無ければ、
そりゃ徹底した修行をする必要も、難しい仏法を学ぶ必然性も無くなるから楽だろうけど、
もし、仮に輪廻があった場合、大変なことになりますわな。
釈迦が説いたのは、「形而上学的な物事が無い事に気付く」ことではなく、
そういう有る無しの論争から離れた「無立場の立場」と
三十七道品の実践なんじゃないかな?
27 :
神も仏も名無しさん :2013/11/22(金) 08:07:16.64 ID:qL4N+fvx
>>25 で、なんであなたは、輪廻も何もないはずの仏教思想に
そこまでハマったの?
輪廻からの解脱が目的じゃないんだとしたら、
仏法を学ぶ理由について教えてほしい。
>>22 >不生なるものが有るからこそ、
この世で無始無終で生まれもしないものと言えば唯一つ、それは「無」の事だな
>生じたものの出離をつねに語るべきであろう。
これは一切の内に生じる全てのものの事だな
>作られざるもの(無為)を観じるならば、
縁起や道理の事だな
>作られたもの(有為)から解脱する。
因縁生起する苦の事だな
29 :
神も仏も名無しさん :2013/11/22(金) 08:20:19.69 ID:xJzCMlqH
>>27 何でって?
こう↓言うことだからに決まってるでしょw
祗園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。
娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。
おごれる人も久しからず、唯春の夜の夢のごとし。
たけき者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵に同じ。
または
色はにほへど 散りぬるを
我が世たれぞ 常ならむ
有為の奥山 今日越えて
浅き夢見じ 酔ひもせず
って感じかな
30 :
神も仏も名無しさん :2013/11/22(金) 08:23:45.74 ID:qL4N+fvx
31 :
神も仏も名無しさん :2013/11/22(金) 08:30:20.16 ID:xJzCMlqH
>>26 >「形而上学的な物事が無い事に気付く」ことではなく
>そういう有る無しの論争から離れた「無立場の立場」と
>三十七道品の実践なんじゃないかな?
その通りなんだけどね
論争したがる奴が居るのもこれまた事実
で、そんなもんに捉われなくてもどうでも良い理由は
形而上学的な物事が無いからで後回しだろうがシカトだろうが大丈夫なんだって事な訳
32 :
神も仏も名無しさん :2013/11/22(金) 08:46:37.36 ID:h4E6ZfGK
>>10 釈尊の教えも真理への1つのアプローチですね。神や超越的なものにアレルギー
のある人向けなんだけど、結局うまいこと同じ所へ導いてる。それと気づかれずに。
33 :
神も仏も名無しさん :2013/11/22(金) 08:59:44.44 ID:ndp/xgY1
人じゃないものの哲学や理論を人がどうやって知り得たのかって話 人に認識できない事の話を人がどうやって知り得たのかって話 ラリんなきゃ理解出来ない様な話を実話として 実現可能だと真顔で話して良かったのは中世の時代まででしょw 例えば神智学? メースンリーが腹抱えるレベルなんだよねw
34 :
神も仏も名無しさん :2013/11/22(金) 09:16:03.31 ID:hKEJIJ2x
>>6 >こういう経文にもある通り、仏教の目指す自己というのはありますから。
対象化不能なのに『仏教の目指す自己』など“論外”w
しょせん、宝珠は俗物根性でしかない。
35 :
神も仏も名無しさん :2013/11/22(金) 09:31:10.85 ID:hKEJIJ2x
>>22 >「感興のことば」26.21
>「不生なるものが有るからこそ、生じたものの出離をつねに語るべきであろう。
>作られざるもの(無為)を観じるならば、作られたもの(有為)から解脱する。」
蛇のつかみ方知らぬものは噛まれた毒で迷妄する。
<無為⇔有為>という二項相対対象化思考からの離脱・解脱・放棄がブッダの転回だ。
だからそこには矛盾がないから、矛盾一方への執着もありえないから、実存苦もありえないことを直覚する。
『以上のように、生と住と滅とが成立しないがゆえに、
有為は成立しない。
また、有為が成立しないのだから、どうして無為が成立するだろうか(成立しない)』(龍樹 中論7-33)
しょせん迷妄外道には【一切門】の透過は無理だ。
36 :
神も仏も名無しさん :2013/11/22(金) 10:01:52.22 ID:hKEJIJ2x
>蛇のつかみ方を知らぬものは噛まれた毒で迷妄する。 上記は、中部22 蛇喩経から。 中部22 は仏法【一切門】の非常に重要な教えですので繰り返し如理作意されんことを。 そこには一切外超越妄想など一寸たりとも入り込む余地はありません。
37 :
? :2013/11/22(金) 11:20:12.38 ID:m3Gbowd5
> ウダーナを読んでいたところ、26.24が参考になると思う ウダーナヴァルガのギルギット写本 //archives.bukkyo-u.ac.jp/rp-contents/BR/0095/BR00950L017.pdf 因と縁に依存するものがなければ、動揺はない 動揺がなければ、愛著はない 愛著がなければ … … あらゆる苦しみの大きな集まりが消滅する 縁起したものを離れることは 思弁の領域を離れた寂静なる境地であり 苦しみを性質とするものの滅尽であり 形成作用の寂滅であり //www.ne.jp/asahi/sindaijou/ohta/kenkyu1/fl-shokibukyo/shoki-soujumetu.htm 空無辺処、識無辺処、無所有処、非想非非想処を超え 想受を滅させて 死ぬことも、生まれることも〔説か〕ない それこそが苦しみの終わりである
38 :
神も仏も名無しさん :2013/11/22(金) 13:23:42.47 ID:W5GT+U7H
前スレで大乗には古い仏説や原始仏教の経典が抜けている致命的欠点があるという指摘に対して、 「古ければ良いと言うものではない。」とか「オウムの様なカルトが生まれる土壌になる。」と反論してた方が何人か居ましたが日本での大乗仏教成立の方法論を無視している様に思います。 飛鳥奈良平安と仏教は演繹法で組み立てられてきたものだからです。 最澄がや空海、特に最澄が一切経の整備を通して比叡山の経蔵の充実に半生を要したのは最澄の仏教に対する方法論が演繹法に依っていたからです。 逆に帰納法的思考方法では宗教というものは成立しません。なぜならば、人間は死後の世界に行って帰ってくることが出来ないからです。 イスラム、ヒンドゥー、キリスト教は宗教が演繹法でなければ成り立たない事を無意識のうちにも徹底的に理解していると考えられます。 大本の部分で情報が欠落していた日本の仏教は不幸だなという気がします。
>>26 死後の輪廻がなくなって
死ぬまで人生は続くし、子孫や親類の人生もある
生きていれば色々な悩みや煩わしいことがある
それを乗り越えるために、学び、自分を整えることが重要なのではないですか?
>>39 訂正
×死後の輪廻がなくなって
○死後の輪廻がなくたって
41 :
神も仏も名無しさん :2013/11/22(金) 13:37:11.93 ID:hKEJIJ2x
仏法を、釈迦の教え(仏教)として、 ・バラモン→ヒンドゥー教視点で、 ・ジャイナ教視点で、 ・神智学視点で ・オカルト信仰宗教視点で、 ・キリスト・ユダヤ・マホメット的絶対神視点で、 ・中国道教視点で ・反宗教唯物論視点で、 ・既成の哲学的視点で、 ・日常的既成概念視点で それぞれ解釈・受容しても、仏法は観えない。 それらの視点を、放てば満てり。 身心脱落しか仏道はない。
42 :
神も仏も名無しさん :2013/11/22(金) 13:48:41.62 ID:/O5QiSff
肉体や感覚や心についてはお前ら素朴実在論者なんだろw それともそれらも仮設かね
感覚や心の存在を単純に認めちゃったら、もうそれで終わりじゃないの?
44 :
神も仏も名無しさん :2013/11/22(金) 17:38:04.57 ID:/O5QiSff
肉体や感覚や心は有るのかね?無いのかね? 有記かね?無記かね? 縁起から言えばこれも実体ではないんだろ? 肉体や感覚や心の実体性を認めない限りは死んで解脱の論理は成り立たないよな? それとも死ぬ前から解脱してるのかね?w
45 :
神も仏も名無しさん :2013/11/22(金) 18:17:47.08 ID:tFeH+xqS
科学の世界でも「形を持って実在はしていない(五感で捉えられない)が 存在しているとされている概念的なもの」なんてたくさんあるよ。 「電流はプラスからマイナスに流れる」とされて来たが、研究が進むと 電子というものがマイナスからプラスに流れていた。でも概念としては、 今でも「電流はプラスからマイナスに流れる」と考えるわけで。 だから科学を半端に齧った人がよく言う「実在の証拠がないから神仏否定論」は じつは科学的に見ると科学自身すら否定してしまっている。 数字も万有引力も、それそのものを直接目で見ることは出来ないからね。 密教の説く法身仏は、定義からして「実体」ではなく「概念」だと思うし、 それでいいと思う。
?
>>38 的考察に何の意味があるのか(その後どういう考察論点へ拡がっていくのか)、
まったくわからないんですが、
何が問題点なんですか?
47 :
神も仏も名無しさん :2013/11/22(金) 18:19:45.82 ID:R3AF4w0B
宗教の根本は体験にあり、演繹とか帰納とかの方法論ではない。 体験があれば体験から語り、体験がなければ脳内妄想か洗脳かのどちらかになる。 どこかのだれかが、神を知り、霊魂を知ったから宗教が誕生した。 体験が先か、妄想が先か。よ〜く考えてみよう。 根拠なく宗教を否定することは、宗教否定の妄想ではないだろうか。 神や霊魂の不存在は証明されていない。それを肝に銘じよう。
48 :
神も仏も名無しさん :2013/11/22(金) 18:30:35.40 ID:R3AF4w0B
大乗がホンモノの宗教とは到底思えない。 大乗もキリスト教もイスラム教も、宗教としてどこかが間違っている。 そのため、現代の宗教は、カルトの花盛りになっている。 何が問題なのか。自力を捨て、他力に走ったからではないだろうか。 他力は全部間違っていると考えたらどうなのか。 釈迦がそう説いているではないか。 耳ある者どもに甘露(不死)の門は開かれた。 おのが信仰を捨てよ。
49 :
神も仏も名無しさん :2013/11/22(金) 18:30:43.56 ID:/O5QiSff
はっきり言えば仏教は肉体や感覚や心に実体性を付与して執着する心を破壊することが主眼である なぜかここでは輪廻という非科学的な迷信を破壊することに力点を置いてる人が複数見られるよな ちなみに俺は輪廻には肯定的なんだけどな
「自分というものは存在しない」という人は、世界・宇宙のことはどう思ってるの? 宇宙・世界も存在しないの?それとも自分はないけど宇宙はあると思ってる?
51 :
神も仏も名無しさん :2013/11/22(金) 18:47:43.20 ID:R3AF4w0B
体験もなく、ああでもない、こうでもないと論争するのを戯論という。 体験がなければ凡夫だ。もっともっと謙虚になろう。 まだ話してないが、オレにも霊的体験があるってか? ここで言えばいいではないか。判じてやろうぞ。 本など、他人の知識で語るキミもそう。キミは凡夫に過ぎない。 早く目を覚ませよ。光陰矢のごとし。
52 :
神も仏も名無しさん :2013/11/22(金) 18:54:22.60 ID:/O5QiSff
形而上学に足を踏み入れず地道に修業するのが仏教だからなw 世界あるとかないとか輪廻があるとかないとか自我があるとかないとか 存在論や認識論に拘泥する限り解脱はないわなw ないといえばないに囚われし、あると言えばあるに囚われて足元を掬われるからな 瞑想者には四句分別もなし 四句分別があるならばそれは識の段階だからな ここのお偉い識者は識に囚われてるから永遠に識のレベルで論じるんだろうけどなw
> 実在の証拠がない 電子の大きさについては、標準模型では 0 とされるが、大きさを持つかどうか・内部構造を持つかどうかは判明していない 現代の量子力学では、電子はもはや 「 確定した位置と速度を持つ点 」 ではなく、波動関数であらわされる存在であり たとえば電子が存在するために起きる干渉などの相互作用は、それに従い確率的に起きる 空間におけるこの確率は、雲のようにぼんやりと分布するものになり、これを電子雲という 重力子(graviton) 重力相互作用を伝達する役目を担わせるために導入される仮説上の素粒子。2012年までのところ未発見である
54 :
? :2013/11/22(金) 19:09:47.17 ID:m3Gbowd5
>>37 の続き
漢訳 第一義空經
//www28.atwiki.jp/buddha/pages/17.html
此の陰滅し已らば異陰相續す。俗數法をば除く
耳・鼻・舌・身・意も 亦是の如く説き 俗數法をば除く
俗數法とは
謂ゆる此れ有るが故に彼れ有り。此れ起るが故に彼れ起る
無明に縁りて行、行に縁りて識、廣説乃至純大苦聚集起るが如く、又復た
− これに対して −
此れ無きが故に彼れ無く、此れ滅するが故に彼れ滅す
無明滅するが故に行滅し、行滅するが故に識滅す
是の如く廣説し 乃至純大苦聚滅す
55 :
神も仏も名無しさん :2013/11/22(金) 19:36:46.37 ID:xli6V4Te
お釈迦さまが、人の死後行く世界、そして人の生命はどこから来るのか よくよく説いてくれなかったことが悔やまれてならない。 お釈迦様は分っていたはずだが、何故に説かなかったのだろう?
56 :
神も仏も名無しさん :2013/11/22(金) 20:21:21.84 ID:R3AF4w0B
>>55 死ななければ、死後の世界はわからない。
もともと苦集滅道、苦の滅が修行の目的だったのであり、
苦の滅が達成できれば、それで終るはず。
輪廻など問題外。それより、今現在の苦の滅の方が緊急である。
毒矢の喩はそのことを言っている。
しかし苦の滅の過程で、輪廻を思わせるようなアラヤ識に出会う。
その結果、輪廻を肯定も否定もしない「無記」になる。
57 :
神も仏も名無しさん :2013/11/22(金) 20:25:53.29 ID:Aq4juwoT
>>44 >それとも死ぬ前から解脱してるのかね?w
そうですよ
一つ一つ苦を克服していく事が一つ一つの解脱なんです
解脱が涅槃の全ての意味なのではなく解脱は方法の一名であって
涅槃は結果の状態を言っているんです
仏道修行(またはそれに準じた生活態度)は連続した解脱作業を継続させる生活
と言える訳です
>肉体や感覚や心の実体性を認めない限りは
実体性と言うよりそこに存在している事実は認められるでしょう
仏が言うのはそうではなく、「永遠に無くならないと言う様な実体的正体などは無い」
と言う事を言っているので、存在を確認できない意味での実体が無いではありません
確認は出来ます、そこに有るんですから
しかし、縁起や無我を無視して永遠に存在し続ける様なものは確認できません
無記なのはこちらの方です
唯物論はデカルトに終着すると思う 唯物論者は世の中を客観的に見つめる冷徹さ(ときには他人の命さえ客観的に見るほどの)をもっていながら 結局のところ、自分の精神については踏み込まない だが、それは自分のよりどころを自分に回収しているからだ 自分はそこに踏み込んでいるという人もあろうが それは、自分をたのみとしていて、それを大前提として世界を見つめているからこそ その土台にのっている自分に気がつかないのだろう。 唯物論は外向的な性格をつくるのには向いていると思う。 あらゆる興味を外に求め、あるいは内部のものであってもそれを外部化し、そこに原因をもとめ改善していくから。 その意味において、世間に慣れ親しむ効用があるのかもしれない だが、同時に自分という土台がなくなることに無頓着でいる危険を私は感じる 人の社会は、理性に基づいた思考のできる、余裕のある裕福な階級によって構築されているが 避けようもなく誰もがそこから脱落していく運命にある はっきりとした思考のできる者はせいぜい20代から50代までのひとにぎりの健常者だけだろう だが、たとえ、多くの者のように、養老院でボケて行き、自分というものが溶解していくまどろみの中で死ぬのであっても はたまたごく少数の者のように、正常な思考をもつ時期に死を宣告され無念のうちに死ぬのであっても 人は、人生において最終的に自分という土台を手放していかなければいけない。 よく人はポックリ逝くことを望むが、彼らは理性を失う自己に耐えられないだけだと思う だが、そんな恐ろしい未来すら遠い先のことのように思いながら、我知らずボケていくのだろう。 唯物論者はそのように自分という土台を大きく超えて存在し包括している人生という枠組みをとらえたとき いったい生に何を求めるのだろうか?自分を疑ってなお存在するものへの考慮に至らないのだろうか? 仏教はそれに大いなる諦めを置く。デカルトは神に言及した。 だが、唯物論者はデカルトからいでて、デカルトを超えていない気がする。
59 :
神も仏も名無しさん :2013/11/22(金) 20:31:19.20 ID:Aq4juwoT
>>45 概念でも実体でも良いですが
仏が無いと否定したもの(無記で触れなかったもの)が
本当は有るとしたなら、
全人類が同じ事象に対して同じか相似した見解を述べて固有名称が固定されてる筈です
なのに実際は世界中で色んな好き勝手論が有る時点で推して知るべしといい加減悟るべきなのです
60 :
神も仏も名無しさん :2013/11/22(金) 20:46:14.30 ID:cKalwCNh
>>41 世界中の宗教の発生はそれぞれの社会と密接に関係しているのである宗教だけ単独で
普遍性を持って存在することは不可能でしょう。
これは全ての宗教の歴史、宗教史から明らかなことです。
曹洞宗?ではその様に教えないのですか。
>>46 今の仏教界の各宗派や仏教学として為すべきことが浮上してきませんか。
例えば各宗派の教義が古い経典や仏説に照らしあわせてどの様に解釈されるのかなど
釈迦の説法と日本仏教の間に存在する乖離を少しは埋めることができるかもしれない。
>>47 体験だけで宗教が成立するならばなら膨大な経典は不要でしょう。
伝統芸能には現実に台本や解説書がなく伝承されるものもあります。
仏教の根本に方法論があるのではなく、演繹法でしか仏教というものが成立たないという事。
平安時代の高尾山寺で行われた最澄と奈良仏教間の法華経華経についての解釈論争や
徳一(法相宗)との一乗三乗論争も演繹法的に行われていますよね。
僧剛との大乗戒壇設立や学生式を定める際の論争でも最澄は演繹法で説得を試みています。
ある論点に対して
「昔のホニャララの仏典にはhogehogeのように書かれているのでhogehogeと解釈できます。」
という様な内容の書簡が実際に国宝で存在しています。
これは空海も法然も親鸞も道元もみな同じです。
61 :
神も仏も名無しさん :2013/11/22(金) 20:51:18.53 ID:Aq4juwoT
私は、釈迦牟尼の残された思想教説が本当に凄いなと思いました 輪廻の様な妄執も終わらせられる概念として涅槃と説いた 皆さん、想像してみてください 宇宙空間に貴方は今身一つで浮かんでいます 星ぼしが見えています、仮にその星ぼしを全て残らず消してみましょう 太陽も地球も、光って見えてる星を悉く消した状態を想像してみてください 真っ暗闇に貴方は今浮かんでいます 上も下も右も左も何もありません 今自分は鳥瞰してる傍観者なので自分は数に入れないで考えて下さい 全てが消えた真っ暗闇の宇宙です 音も光も上下感や方向感も一切感じられません 怖くなってきませんか?底なしの孤独感の様なそんな感じ 貴方は生きた傍観者なので恐怖が有るのです 舞台は想像上の仮の宇宙空間としましたが これの本番が釈迦の説いた涅槃だと思います 全てを終わる時に我々が須くみんな向かう場所です
62 :
神も仏も名無しさん :2013/11/22(金) 20:59:24.01 ID:/O5QiSff
想像はたくましくしても瞑想はしてないことがよく分かったw
>>61 何で自分の意識の方がピンピンしててまわりが消えちゃってんのよw
64 :
神も仏も名無しさん :2013/11/22(金) 21:22:51.63 ID:R3AF4w0B
>>60 演繹とか帰納とかは単なる推論の方法だね。体験とは違う。
体験がないのに、いくら推論を重ねてもくだらないものはくだらない。
いくら理屈をこねまわしても体験にはならない。
慧解脱とかを信じ、本の知識で悟れると思っても大間違いだね。
国宝級の知識があったとしても残念だが悟れない。
「一見は百聞に如かず」だよ。
カン違いしてるようだから言っとくけど、
神や霊魂の体験が、ホンモノの宗教の必要条件だろうと思う。
演繹や帰納とは関係ない。
65 :
神も仏も名無しさん :2013/11/22(金) 21:25:33.27 ID:/O5QiSff
俺の心の中の片山さんも言ってるぞ 「まずは瞑想をして下さい」
66 :
神も仏も名無しさん :2013/11/22(金) 21:32:25.59 ID:Aq4juwoT
>>64 >神や霊魂の体験が、ホンモノの宗教の必要条件だろうと思う。
始まりのないものは原因が無いので起こり得ない
始まりが有るから原因が有り起こりえる
始まったならいつかは終わる
終わらないものは始まれない
始まりが有る以上終わりが必ずある
神や霊魂の永遠性はこれに反するので有り得ない
有り得ないので始まらない
始まらないので終わらない
この世で終わらず始まらない事象と言えば唯一つ
無だけである
無は永遠に不滅である
何故なら、元から無いので滅しない
67 :
神も仏も名無しさん :2013/11/22(金) 21:37:45.56 ID:cKalwCNh
>>64 私自身の悟りとか解脱とかどうでもいいことであって、日本で仏教を率いてきた人達
の思考方法の問題です。
>神や霊魂の体験が、ホンモノの宗教の必要条件だろうと思う。
それは自力であり自利。それでは人は救えない。
>>64 >一見は百聞に如かず
誰も突っ込まないのかよ
69 :
神も仏も名無しさん :2013/11/22(金) 21:47:10.95 ID:Aq4juwoT
一見さんはお断りなんでしょうねw
うまいwその発想はなかったw 親しくなっていろいろ聞ける中じゃないといけないのか
71 :
神も仏も名無しさん :2013/11/22(金) 21:49:14.91 ID:R3AF4w0B
>>61 釈迦は想像ではなく、坐禅することで成道している。
あなたの想像は残念だが100%違う。
>>64 の補足
演繹とか帰納とかは、問題に対する推論や論証の形式だね。
体験とは違う。
72 :
神も仏も名無しさん :2013/11/22(金) 21:49:50.73 ID:5R5ApD4y
霊、輪廻、死後世界についてお釈迦様は無記。 霊感だの神秘体験だの持ち出すのは、、、
73 :
神も仏も名無しさん :2013/11/22(金) 21:55:07.11 ID:/O5QiSff
74 :
神も仏も名無しさん :2013/11/22(金) 22:17:59.93 ID:R3AF4w0B
>>66 >無だけである
>無は永遠に不滅である
>何故なら、元から無いので滅しない
それは虚無論だと思う。ニヒリズムはよくない。
>>68 ちゃんと読んでくれてる人もいたか、ありがとう(^^)
75 :
神も仏も名無しさん :2013/11/22(金) 22:23:18.65 ID:5R5ApD4y
76 :
神も仏も名無しさん :2013/11/22(金) 22:24:51.64 ID:0PIKpCf+
>>55 >お釈迦さまが、人の死後行く世界、そして人の生命はどこから来るのか
>よくよく説いてくれなかったことが悔やまれてならない。
そうでもないですよ。
例えば長部経典第三十三経「等誦経」に舎利弗が分かり易く整理してまとめております。
人の死後行く世界は大きくは5つ、誕生の仕方は大きくは4つ、等々。
いつの日かお読み下さい。
まあ、釈尊は梵天界から下生され、一部の人は天から、大半は地獄からか畜生から輪廻ですね。
本スレの住人の中に禅定にて前世を想起したらほとんどブラックだったと言った方がおられましたが、多分そうでしょう。
77 :
神も仏も名無しさん :2013/11/22(金) 22:26:06.71 ID:R3AF4w0B
>>67 >それは自力であり自利。それでは人は救えない。
正直な話、あなたは自分を救えたのですか。
自分が救えないのに、どうして他人を救えるのでしょうか。
78 :
神も仏も名無しさん :2013/11/22(金) 22:30:04.37 ID:5R5ApD4y
悪のいなくなった世の中は何が悪なのかわからなくなる世の中だな したがって何が善であるかもわからなくなるわけだな 悪は反面教師なんだね。だから何が善なのかを知ることもできる だからって悪に好き勝手させるのは良いことではないわけだけど 悪を殺さず、許し、抱き参らせるのが正法のやり方なんだね 悪の存在を許せっていうのはそういうことなんだね 悪は善にとっての教材であり、善は悪にとっての師なんだね
80 :
神も仏も名無しさん :2013/11/22(金) 22:36:42.15 ID:5R5ApD4y
81 :
神も仏も名無しさん :2013/11/22(金) 22:40:49.11 ID:R3AF4w0B
>>72 >霊、輪廻、死後世界についてお釈迦様は無記。
>霊感だの神秘体験だの持ち出すのは、、、
無記は判断留保、肯定でも否定でもない意思表示をいう。
だから神や霊魂を論じる余地もある。
逆に、神や霊魂を論じられないなら、
仏教は完全に唯物論であり、単なる哲学になってしまう。
釈迦の真意は、四諦八正道、縁起の理法、十二支縁起などで、
各自が神や霊魂を体験しろ、と言うことだろう。
82 :
神も仏も名無しさん :2013/11/22(金) 22:47:24.07 ID:5R5ApD4y
>>81 当たり前な話しはいいから
体験談まだぁー
武勇伝、武勇伝。
83 :
神も仏も名無しさん :2013/11/22(金) 22:49:46.98 ID:R3AF4w0B
落ち武者を見た 体験談だろ
85 :
神も仏も名無しさん :2013/11/22(金) 23:00:15.80 ID:Aq4juwoT
>>76 〉まあ、釈尊は梵天界から下生され、一部の人は天から、大半は地獄からか畜生から輪廻ですね
あなたは漫画とかアニメの影響を受けすぎなんだと思われます
86 :
神も仏も名無しさん :2013/11/22(金) 23:07:08.18 ID:Aq4juwoT
>>81 〉釈迦の真意は、四諦八正道、縁起の理法、十二支縁起などで、各自が神や霊魂を体験しろ、と言うことだろう。
神や霊魂の体験?
そんな幼稚な事はを釈尊は言われてないですねw
四諦八正道、縁起の理法、十二支縁起でそんなオドロ体験は不可能だと思いますし
87 :
神も仏も名無しさん :2013/11/22(金) 23:07:18.07 ID:qUG56CRg
じゃぁお釈迦様の前世の話。ジャータカとか『南伝大蔵経』は あくまで単なる物語かいな?
88 :
神も仏も名無しさん :2013/11/22(金) 23:13:11.71 ID:Aq4juwoT
89 :
神も仏も名無しさん :2013/11/22(金) 23:26:38.55 ID:/O5QiSff
それじゃ俺の体験談でもするか ここでガルチェン・リンポチェを勧める人がいて講演会行ってきたんだんが 講演中に目をつぶるとターラー菩薩が何度も見えるんで困ったな あと成田山新勝寺行ってゴマダキしている時に問答無用で瞑想したら不動明王が見えるんでこれも参ったな 普段、菩薩とか不動明王とか観想したりしないし、有形のものは普段の瞑想では基本排除だから そん時は邪魔臭いのが出てきたわいと思っただけだが 妄想の類だろうが縁のある場所や人のところではそういうイメージが アーラヤ識あたりに貯蔵されていてアクセスできるんだろうと思ったわ だからって禅定の無色界とかから見たらどうってことはないんだが
90 :
シモン・エレクシア ◆/bVPRrlaFM :2013/11/22(金) 23:32:54.65 ID:+W5UzAGs
あらためて見て仏教ってカルトの巣窟だな。 文化に根付いている日本なら仏教書ももっとましなものがたくさん あるかと思っていたが、意外にキリスト教の聖書学の方が 日本での紹介においても遥かに進展してる。 仏教学は学者自身が以前として片足にカルト臭を漂わせてる胡散臭いのが多い。
91 :
神も仏も名無しさん :2013/11/22(金) 23:33:13.03 ID:Aq4juwoT
92 :
神も仏も名無しさん :2013/11/22(金) 23:36:03.91 ID:Aq4juwoT
>>90 アメリカの福音派の人々の方が半端無くオカルトだと思いますよw
進化論すら全否定ですし
93 :
シモン・エレクシア ◆/bVPRrlaFM :2013/11/22(金) 23:38:07.69 ID:+W5UzAGs
それって学者ですらねーし。 やっぱ日本の仏教って言っちゃなんだけど元からカルト仏教じゃん。 怒んなよw キリスト教で言えばモルモン教が全盛になってるような状態? んな風土でアカデミックな仏教学が栄えるなんて土台無理な話なわけかもな。
94 :
神も仏も名無しさん :2013/11/22(金) 23:40:27.30 ID:Aq4juwoT
日本の仏教が低く見られてても良いじゃないですか 神智学に比べれば全然マシなんですからw
95 :
シモン・エレクシア ◆/bVPRrlaFM :2013/11/22(金) 23:48:14.03 ID:+W5UzAGs
穢土の一切皆苦を修業で解脱し、涅槃寂静に至りましょうというのが釈迦の教え。 日本の仏教は如来・菩薩への信心・帰依で浄土世界へ肉体で生まれ変わり、とりあえず楽土を享受しましょうという。 だったら涅槃寂静いらねーじゃんってw どう考えて宗教としてまったくの別物です。ほんとうにありがとうございました。
96 :
神も仏も名無しさん :2013/11/22(金) 23:49:12.98 ID:/O5QiSff
いえいえこちらこそどうもありがとうございました。
97 :
神も仏も名無しさん :2013/11/22(金) 23:53:18.40 ID:Aq4juwoT
>>95 阿弥陀教は教主が釈迦ではありませんので仏教ではありません
98 :
シモン・エレクシア ◆/bVPRrlaFM :2013/11/22(金) 23:55:19.83 ID:+W5UzAGs
やっぱインド人の歴史観念のなさが祟ってるのかね。 キリスト教は古代から年代記や教会史を書いて、聖典の成立に関しても ある種、文献学的考察まで行って選別してきた。まあそれでも、パウロの偽名書簡等は 混入しちゃうわけだが。 2世紀後半以降になると、例えば外典「パウロ行伝」が出回ったときは、教会の中で 批判的な調査が行われて、そん時は確か小アジアの司教が自分で書いたことをゲロっちゃったんだけど、 まあ、そーいうふうにして後代に突然現れた外典の類は除去されていったわけよ。 大乗のようないわば外典文学が、部派教団を含めてこれだけ浸透するなんてことは考えられんことなんだよな。
99 :
神も仏も名無しさん :2013/11/22(金) 23:57:12.45 ID:Aq4juwoT
負 け /⌒\ オ 犬 ノ)´・ \・` h の (/ ( ▼ヽ ボ / \_人_) エ /|\ソ ヽ\ /  ̄L\|∩) | \ /\)\\ \ 〆 / | \\ |\/ ∧゚ | \\_ | / \|_ | / _|_ ノ  ̄\ \ レ ボエ〜〜♪ .|\\__レ | |
100 :
シモン・エレクシア ◆/bVPRrlaFM :2013/11/23(土) 00:08:31.13 ID:JcwEpLTk
そう、歴史観念の根本的欠如。 もう欠陥としかいいようがないね。 諸行無常も現在しか見ないインド人ならではの発想か。 歴史を各民族というのは、眼前のものは過ぎ去りゆくだけのものであっても、 厳然とした民族史や国家の成り立ち、推移、発展というものを見据え、 自分たちがその過去の累積のもので存立しうることを知っている。 民族の遠大な歴史である旧約聖書を聖典としたユダヤ民族なんてその最たるもの。 歴史という、はっきりとした時間軸の今このときに自分たちは生きていることを知っている。 その中で初めて恒常的なるものが見える。そこに諸行無常なんて観念は生じえない。
101 :
神も仏も名無しさん :2013/11/23(土) 00:17:56.00 ID:k/uGKbTx
102 :
神も仏も名無しさん :2013/11/23(土) 00:21:35.56 ID:gpurEpMf
>>101 >複数のキリスト教団体が抗議していた。
やっぱ抗議しちゃうんだねw
仏教スレに外道はケンカふっかけるか 許容 寛容のない十字架の人達 うん戦争はなくならにわ
105 :
神も仏も名無しさん :2013/11/23(土) 00:49:56.83 ID:/KSwSdwg
大乗はともかく、永遠を説かなかった釈迦の教えに立ち返れば 例示の通り仏教はインドで一度滅んでいる 始まりが有るから終わりがある の通りにね 磔の後の教祖の沈黙を受け入れる事ができない哀れな十字架の人々に幸あれ
ヤクシーはエロい
107 :
神も仏も名無しさん :2013/11/23(土) 01:09:30.37 ID:k/uGKbTx
>>100 >歴史観念の根本的欠如
それは当然だ。
時間に対する観念が全く異なる。
世界は神の創造にはじまり、最後の審判という終末に向かって直線的につきすすむと考えるキリスト教的時間論では、
すべての物事は一回限りだからそれを記録しておく必要が生じるのであり、ここに「歴史」なるものを構想する。
歴史なるものは<直線的時間論>でようやく成立する。
しかし、アーリア系インドではそうはゆかない。
彼らは<循環的時間論>の中で征服者の夢を果す。
権力的支配のためには権威による正当性の担保を必要とする。
征服民族アーリア=バラモンはインド支配のために絶対的超越神ブラフマーとインドラを発明したが、
人びとがその前にひれ伏し、すべてをゆだねさせるのでなければ、彼らの目的を達したことにはならない。
そのためには、神と人びととのあいだになんらかの必然的な関係を構築することが必要である。
それこそ、今日なおわれわれを強く呪縛してやまない輪廻転生(サンサーラ)という虚構である。
この虚構があればこそ、人々はブラフマーに、それの祭祀を司るアーリア=バラモン階級に支配をゆだねるのだ。
ヘタをすれば「来世」はゴキブリに生まれ変わらせられるかもしれない。
このヤージュニャヴァルキア創出の圧倒的な虚構が、
ブッダをはじめ、現在に至るまで人々の呪縛となっているのである。
このスレで業報輪廻転生論を説く連中は、
いまだにヤージュニャヴァルキア→シャンカラ的な循環的時間論の住人なのである。
ブッダはこのような直線的時間論でも循環的時間論も厭離する。
ブッダにとり、時空は際断されているからである。
108 :
神も仏も名無しさん :2013/11/23(土) 01:23:14.30 ID:gpurEpMf
釈迦が裁断した訳じゃなく初めて気付いたってだけ あれも観念、それも観念でしょってね 観念は話せば伝播出来るが、自然に繰り返す事は元々ない 世代を跨ぐ事も無い だって観念なんだもん 言って聞かないからそれを断ち切る魔法が有るよ って言ってみただけさ
109 :
神も仏も名無しさん :2013/11/23(土) 01:48:39.07 ID:k/uGKbTx
>>108 >かないからそれを断ち切る魔法が有るよ
生・老・病・死は時間観念だよね。
仮にビッグバン理論で時空を問うとすれば、
ビッグバン以前を問うことはできない。
キリスト教徒はいうだろう、神の一振りがあったのだと。
しかし、神もロゴスも相対観念でしかない。
神の一振りのシーンを観たものは誰もいない。
ヒンドゥー教徒はいうだろう、業報によって各人に合わせた無数の泡宇宙が輪廻再生しているのだと。
しかし、業報も泡宇宙も輪廻も相対妄想観念でしかない。
即今即処即己の実存苦の超克には役立たないのである。
110 :
神も仏も名無しさん :2013/11/23(土) 01:55:09.67 ID:gpurEpMf
ではどうしましょう? 私は死者の沈黙に付いて考察しながら寝る事にしますので あと宜しくw
111 :
神も仏も名無しさん :2013/11/23(土) 02:38:29.67 ID:wvUQ/Nx5
ビッグバン以前、ほんの10^-40秒くらいあるようだよ。
>>95 だから・・・ 浄土 = 涅槃 だって。
浄土の世界は、我で見る世界じゃないんだって・・。
何度言ったら分かるかなぁ・・・
これが分からないと、仏教を勘違いしちゃうよ。
こういう人多いけど。
113 :
神も仏も名無しさん :2013/11/23(土) 06:45:35.94 ID:hqyh3xlS
>>112 >だから・・・ 浄土 = 涅槃 だって。
祖父のリーディングによりますと、浄土(極楽)は全てが金色に輝いている美しい世界です。
暗い地獄の対極ですね。
尚、涅槃は全てが観じられない世界のようですから。。
地獄⇔現世の輪廻から脱して、地獄⇒浄土⇒涅槃の2段階の解脱をイメージしております。
114 :
シモン・エレクシア ◆/bVPRrlaFM :2013/11/23(土) 08:59:52.00 ID:JcwEpLTk
>>112 はあ?
じゃあそれを浄土3部経で文献学的に論証しろ
115 :
神も仏も名無しさん :2013/11/23(土) 10:19:11.79 ID:JF0wCT2Z
>>107 シャンカラの言うブラフマンには時間の概念が存在しない。
116 :
シモン・エレクシア ◆/bVPRrlaFM :2013/11/23(土) 10:22:58.01 ID:JcwEpLTk
>>113 だからね。
釈迦が出家した理由は何かと言えば、穢土の一切皆苦、生老病死なわけ。
その苦を滅する途が原始仏教の根本と言えるわけよ。
そして釈迦は、苦からの解脱がニルヴァーナ(涅槃)すなわち寂静でしかないことを教えた。
しかるに浄土世界はもとから一切の苦がなく永遠に楽土を享受できる理想世界という。
「苦」がないんだったら、解脱の必要はねーし、涅槃寂静もいらない。
浄土思想は釈迦を否定、それもその教えの根本を崩さないと成り立たない考えっつーわけ。
無量寿経をよ〜く読んでみなさいな。
そこには無我の思想があふれてるから・
>>113 それは俗に言う、天国のことね。
それは霊界の上位であって、極楽浄土じゃない。
我の少ない世界ではあるけれど、相変わらず、「自分」というものがある。
我で、天国を感じてるわけ。
そこもまた解脱の対象なんだよ。
>>116 極楽浄土てのは.当時の無学な民衆にも安心を与える為の方便でしょうね.
そういうイメージを駆使してでも導きと安心を与えようとした.
涅槃寂静との整合性は後付けながら維持しようとしているものの.かなり苦しい感じ.
個人的には浄土真宗なんかは.もう仏教としてはアウトだろうと思ってますけどね.
.
浄土は涅槃じゃないよ 浄土ってのは五蘊が盛りはげしいこの娑婆世界では悟りをうることが難しいから 弥陀がここで確実に悟り得られるっていう環境の整った世界をつくろうとしてできた国。 一種の天国です。 でも天国にもいろいろある、たとえば不当に得た財産で放蕩天国に住しても、いずれお縄になるという悪果をうるでしょ? 経典の例でしめすなら、名誉や利益、はたまた他人を論破する心地を得ようとして坊さんになったとしても 煩悩を起こして得た善果であるのだから、やがて悪果を得るとされる。 このように心地よい境地に住しても、悪果を招く境地があるので、これを廃していくのが、無量寿経の最初のほうで書かれている本願です。 自分のつくる浄土では寿命が尽きたのちに三悪道に堕ちるの果を封じると願っているのがそれです。 浄土に往きて生まれると同時に悟りを得るとしているのは浄土真宗だけですよ。
.
>>119 たから.そんな創作経典で方便を尽くすにせよ.限度てものがあるでしょう.
浄土真宗の生臭っぷりが証明している.
「善人尚もて往生をとぐいわんや悪人をや」なんて.落ちこぼれの開き直りです.
どんなにもっともらしい理屈こいたところで.詭弁は詭弁です.
真宗の要は、この世にいるときに浄土に生まれるという心の定まりを得るということですかね つまり、平生に往生の業事が成弁する、平生業成ってやつですわ。信心決定ともいいますがね。 これを住不退転とも言って、その境地にいる人を正定聚ともいいます。 平生に往生が定まるので、臨終の来迎を待たない。よって不来迎、常来迎とも呼ばれます。 不退転は阿惟越致とも言われる境地で、大乗の偏見を差し引けば、上座部の見道を修了したところに当たります。 まあ、聖者の位には住しているとは言えますわな。在家でここまでいけたら御の字じゃないですか? ですが、仏教は修道からが本番つーか、真宗で非難されやすいところの造悪無碍は修道軽視にはじまるんじゃないですかねと思ったり
122 :
シモン・エレクシア ◆/bVPRrlaFM :2013/11/23(土) 11:43:44.76 ID:JcwEpLTk
>>117 住人が渇愛を消し、迷いを滅ぼした滅尽定(精神統一の境地)にある修行僧のようになる、
とあるだけで、苦ののない浄土が快楽に満ちた世界であること自体はなんら変わらない。
実に、また、アーナンダよ、かの<幸いあるところ>という世界には、時が来ると、
天上の香水の雲から香水の雨がふり、天上のあらゆる色の花や、天上の七種の宝石や、
天上の栴檀の粉末や、天上の傘や、幢や、幡は雨と降る。天上の宮殿や天上の天幕は
空中に支えられ、天上の払子のついた宝石の傘蓋が空中に支えられ、天上の諸々の楽器が奏でられ、
天上の天女たちが舞うのだ。(「無量寿経」(梵文和訳)岩波文庫版)
>>119 それは、本意を知らない人の、勝手な解釈ね。
天国というのは、人をダマして楽を得たとか、不当に得た財産のことじゃなくて、
善因を作って、より良い世界に生まれること。
善い心境であれば、死んだら天国に行く。
浄土ってのは、善因を積んで、今ここにある我を満足させる世界じゃない。
善因にも二種類の見かたがあって、一つは、この我の対象の世界を、よりよくする善因。
もう一つは、解脱につながる善因。
そして、浄土の求道者・・・ っていうのは、求道者自身が、すでに解脱の形なんだよ。
通常の修行者じゃない。
如来を中心に集ってる姿・・・・ これが、解脱の様相。
>>122 この文から洞察してくれ。
「永遠の平安(ニルヴァーナ)という境地の楽しみは較べるものがないけれども、
しかし(わたくしの国土では)、それもまた存在しないものとして(わたくしはこの国土を)
清浄ならしめるであろう。
.
>>121 浄土真宗の矛盾.ここに極まれり.ですね.
あいつらは論外だ.
.
.
>>124 洞察出来ますよ.過ぎたる詭弁をして方便とは言い難し.
.
まあ、本願では浄土の衆生は必ず滅度に至ると誓われているので、時間差はあんまりないのかもしれんがね でも、衆生済度のために穢土に戻ってくることを選ぶ者のためにあえて悟りを開かないでもいいよとも誓われているのが 還相回向という用語がつくられた背景で、天親菩薩の五念門では回向門にあたるのがそれで 正信偈で遊煩悩林現神通 入生死薗示応化と歌われているところ 衆生の煩悩が林のように立ち並ぶ中を自由に遊びまわって神通を現し 生死(生まれては死ぬ)苦悩の娑婆の園で衆生の機根に応じてこれを教化する てな内容かね。 まあ、真宗門徒は自分が悟った者だとか、還相の菩薩だとか自称しない。東系は自称する人もいるがw 俺の解釈では、念仏をとなえるという行為を通して、菩薩が活躍するというイメージかな 行巻の解釈によるんだろうけど。俺はどっちかっていうと所行派。
>>123 現代語だと、うまく伝わらんな
この四つの善事、悪果報を得ん。もし人、かくのごときの四事を修習せん、
これを、没して没しをはりて還りて出づ、出でおはりて還りて没すと名づく
というところだよ
この四つの善事、悪果報を得ん ここは菩提心が問題になるところだと思う。 法然上人が非難されたところでもある。 つまり、悟りを目指そうと思うことはよいことなんだけど そこに煩悩がまじっていると悪果をうる可能性があるんだわ だから、浄土宗立宗に反対した南都北嶺の人たちでさえ 菩提心とは何かと問われて窮する
130 :
シモン・エレクシア ◆/bVPRrlaFM :2013/11/23(土) 12:11:46.80 ID:JcwEpLTk
まあ涅槃寂静の境地なんてアホな民衆に理解させ、あるいは 理解できたとして魅力を感じるかは疑問だからな。 それなら、「要するに、如来を思い描いて信じとけって!そうすりゃ死んだときに 楽土に行けるし、まあなんだ、スーパーサイヤ人(金色の体、神通力、神足通)みたいになって、 宮殿とか浮かんでっしよ〜、きれ〜な天女さんが空飛んでて音楽とか奏でてくれんのよ!」 ていっときゃ、アホどもは泣いて喜んで布施したんだろ。
131 :
シモン・エレクシア ◆/bVPRrlaFM :2013/11/23(土) 12:24:49.89 ID:JcwEpLTk
まあ、処女膜自動再生機能付きの少女と毎日セックスに戯れるイスラム教の天国よりはましだがなw 宗教を世俗に普及させるには、結局は生成消滅界の快楽を具象的に持ち出して餌にするのがてっとり早いわけだ。
で、浄土という天国、すっごく魅力的でしょ、とくに末法の世の中では その天国に入る条件を教えているのが十八願 十八願をテキトーに訳すと10回念仏となえたら浄土に行けますって書いてある だから、浄土宗は念仏をすすめるわけです でも、願成就には1回の念仏で行けると書いているようにも見える 一回なの?十回なの?って論争があるが、一回でいいと法然は言った。たしか。 くわしくは浄土論でもよんでくれw 浄土論よめば10とは満数という意味がうけとれるが そこから法然死後に一念義多念義の論争がおこったりしてていろいろ面白いんだけどな
133 :
神も仏も名無しさん :2013/11/23(土) 14:15:13.97 ID:XYJb/2AU
坊さんでも戒律守った方々は短命な人が多く、破壊坊主は長命なんだよね。 やっぱりストレスなんやろうなぁ。 だいたいの満年齢 平安持戒組 最澄 56歳 天台宗開祖 日本仏教界の巨人 「大日本」という言葉を初めて使った人 義真 52歳 最澄と一緒に唐まで行った初代天台座主 空海 60歳 真言宗開祖 薬として飲酒 文化人としての名声も高かった 詩文と書の達人 真済 60歳 空海の十大弟子の一人で、真言宗で初めて僧官最高位の僧正に任ぜられた。 鎌倉持戒組 栄西 74歳 臨済宗開祖 茶の効用か?因みに最澄も茶を栽培している。 道元 53歳 曹洞宗開祖 鎌倉中間派 日蓮 60歳 日蓮宗宗祖 酒飲み 緩やかな戒律 鎌倉破戒組 法然 79歳 ご自身は持戒の僧 浄土宗元祖 親鸞の師匠 親鸞 89歳 浄土真宗宗祖 恵信尼と結婚 肉食 4男3女。 唯円 68歳 親鸞晩年の弟子 歎異抄の大部分は唯円が親鸞から聞いた話として書かれている。 性信 88歳 親鸞の高弟24人の筆頭 一遍 50歳 時宗開祖 念仏踊り 研究によると妻子帯同で遊行 過酷な遊行による栄養失調で衰弱死。 室町時代スーパー破戒 蓮如 85歳 浄土真本願寺中興の祖 生涯に5度の婚姻をする。子は男子13人・女子14人の計27子。
134 :
神も仏も名無しさん :2013/11/23(土) 14:33:55.60 ID:XYJb/2AU
>>130 平安仏教以降、一面では民衆へのサービス業的な側面もあるから民衆の影響を
大いに受けてるでしょうね。
歎異抄のなかで親鸞は人間がある状況に置かれると殺人さえしなければならない
事があると言っています。これなんかは当時形成されつつあった鎌倉の武士階級
を意識した話だと思います。
社会を構成する人々の要請を取り入れた教義が必要だったのでしょう。
135 :
神も仏も名無しさん :2013/11/23(土) 16:14:03.47 ID:XFbMGGiX
>>134 親鸞は、そこで、縁起ということを弟子とともに考えたようだと思いますよ。
つまり、人を殺すことも縁起現象では無いのか、と言うことです。
人殺しは最大の罪ですが、その罪でさえも縁起なのでは無いか、と言うことです。
そこで弟子に、お前は人を殺せるかと聞きますと、弟子は、とんでもない、出来ません、と答えますね。
それは又、その弟子には人を殺す縁起が無いに過ぎないと言うのです。
お釈迦様は阿含経で、人を殺すから殺されるのだ、といわれてます。人を殺さないなら殺されることは無い、と言う
教えになるでしょう。過去に人を殺したことがあるから殺されるのです。
これを親鸞は縁起と考えたのですね。
縁起の連鎖:これを輪廻と言って良いでしょう。輪廻なのです。
縁起から脱しない限り、永遠の地獄と言う教えだと思います。
縁起してるものには実体が無いのです。これを理解し信じて人を殺したくとも
殺さないという戒めを堅持するのが仏教徒では無いでしょうか。
136 :
神も仏も名無しさん :2013/11/23(土) 17:21:26.19 ID:te+Q6qst
ナンマイダブ宗とアーメン宗の話はスレ違いだろ流石に
137 :
神も仏も名無しさん :2013/11/23(土) 17:44:25.83 ID:1XVGsfn+
まず、洞察力のないものが、難しい教えを、自分の判断で勝手にああだこうだ、いわない方がいい。 はたから見てると、実に愚かだよ 非常に高い教えを、自分のレベルでまで引き下げて、「これはこういうもんだ」と、偉そうに断言してる。 まあ、それはそれでいいんだけど、そういう人は、一生仏教というものが分からないだろう。 縁なき衆生は度し難し・・・とは、このことだ。 こういう連中は、真実を知ろうとする道を閉ざしてる。 勝手に自分の頭で判断し、勝手に自分本位の仏教を作り上げる。 ならば、そのように仏教を解釈すればいい。 本当の仏教には、関係のないことだから・・。 せっかくも素晴らしい教えがあるのに、愚かのきわみだよ。
139 :
神も仏も名無しさん :2013/11/23(土) 17:50:50.88 ID:1XVGsfn+
>>138 早速「開祖の『素晴らしい教え』に、感動させられている」w。
140 :
神も仏も名無しさん :2013/11/23(土) 17:59:13.54 ID:XFbMGGiX
>>138 それを言うのなら、キミの自説を披露してもらいたいね。
141 :
神も仏も名無しさん :2013/11/23(土) 18:45:08.96 ID:XYJb/2AU
ID:FYi9cawJ さん この方は浄土=涅槃の方ですよね? 「オヤジ、涅槃で待っている。」 を思い出してしまいました。 合掌
142 :
神も仏も名無しさん :2013/11/23(土) 18:56:54.08 ID:gpurEpMf
親鸞会なんか創価と同類のトンデモだしw
. >>まず、洞察力のないものが、難しい教えを、自分の判断で勝手にああだこうだ、いわない方がいい。 腐れ生臭門徒にはうんざりだ.靖国公式参拝反対と醜い形相で絶叫し裁判に加わった似非坊主も門徒だ. あんな反日糞坊主のどこに「>>洞察力」があるのだね.それとも洞察力とやらの結果があれなのか. 悪いが.当家の宗旨は仏教だが.浄土真宗の洞察力なんぞ.アホとしか思えない. 室町時代スーパー破戒 蓮如 85歳 浄土真本願寺中興の祖 生涯に5度の婚姻をする。子は男子13人・女子14人の計27子。 >>せっかくも素晴らしい教えがあるのに、愚かのきわみだよ。 ・・なるほどね.
144 :
神も仏も名無しさん :2013/11/23(土) 19:30:44.68 ID:dBGG6g2I
例えば創価も財務とか言って金の無心を当たり前にしてる様で決め台詞は「三桁頑張りましょー!」とか狂ってんだが、 親鸞会でもそう言うのは当たり前にあって、親鸞会で会費は、本人の希望によって、12通りから選ぶことができる。 いつでも変更は自由である。行事の際は名札を着け、会費を多く払っている者から順番に座る。 財施は、新しい会館の建設、会館にかかげる絵画などの際に必要に応じて呼びかけられる。 と、糞はどこも糞で糞に変わりは無い訳で。 浄土真宗開祖は色事大好きの肉食妻帯だし その弟子を騙る淫乱会も恐るべしだよw
ダライラマ14世も肉食しか受け入れられず、外遊には専属の料理人を同行させているらしいね。
本当は悟りを開くことにこだわらない方がいいんだけどね…… 正法修めることの方が実際大事なことだから 正法修めたら開眼もするし、それは悟りを開いたと言えることでもありって話でさ 八正道は正法で、八正道でいるためには四諦を実践できてないとってね
147 :
神も仏も名無しさん :2013/11/23(土) 19:50:13.01 ID:1XVGsfn+
ラサのポタラ宮を見たが、毒々しい色彩と奇怪な仏像と尺取虫のように五体倒地 して行く巡礼。気違いにしか見えない。
いや、まあ、「埋蔵経典(テルマ)の扱い」の姿勢からすれば、 そのスタンス以外無いというのも解るけど・・w けど、個人的には 別に「深化、進化」があってもいいんじゃないかなぁ・・とは思うんだよね・・。 なぜ、最初から、完全型・最終型でないといかんのかな・・、と。 (一代のことじゃなくてね。こういう話の時の一般論として。) これが「凡人扱いになる」ってんなら、仕方ないけど。 勿論、最初から(菩提樹下もしくは五比丘との論戦頃から)全要素挙がっていたと見做すとしても、 (バリエーションであれば)、寧ろ十二支を組み合わせる必要すら疑問だったり・・。 (あ、この話は(少しだけ)以前もあったなw) *また、組み合わせるから、輪廻との絡みが大きくなる側面もあると思う。 ただ、『諸法が(及びその因縁が)網羅されている』という謂いは説得力あるからねぇ・・(^^;
別に驕慢でも何でもない、事実そのとおりだから。
152 :
忍法帖【Lv=40,xxxPT】(1+0:3) :2013/11/24(日) 01:21:35.72 ID:E8K4KNLD
宗教はすべて無意味な基地外
153 :
神も仏も名無しさん :2013/11/24(日) 02:40:31.04 ID:NjXtW9nC
釈迦の教えを一言で表すなら、何事にも執着するな、で終わり。 実践的虚無主義者。 だから宗教にありがちな真の自己であるとか、霊魂であるとか、 死後の世界とか、輪廻転生という概念ですら、 無意味でバカげた妄想だとして議論する事を拒んだ。 釈迦は徹底的に虚無主義を貫いた。 専門用語ではこれを中道と言うが、 要は単なる無頓着、虚無主義である。
154 :
神も仏も名無しさん :2013/11/24(日) 04:28:47.78 ID:JTaAjIuK
>>153 君はそうは言っても結局因果の法則からは逃れられていない
何をやっても、どう行なっても好まれる結果など得られる事は無いんだから
仏教の目指すのも結局ニヒリズムだ、と非難したいのは解らないでもない
絶対の支配者など居ないと遠回しに釈迦の仏教は言っている
では、行為に対する評価に良し悪しを付けるべき絶対たる主体は居ないのか?
居るに決まってるのだ
君がその評価を下す絶対者なのだよ
仏教がニヒリズムに陥らないのは個人を見捨てていないからだよ
自灯明法灯明とはそう言う意味であり、浅はかな哲学程度では
見落とし易いんだよ
そして、仏教を批判しても君の思想が優れて勝る事にはならないよw
155 :
神も仏も名無しさん :2013/11/24(日) 08:08:26.84 ID:JTaAjIuK
この世の全ての事象、取り分け人は相互依存の関係で成り立っている とは、釈迦の打ち立てた縁起説を壊さない様にアウフヘーベンさせた八宗の祖竜樹の 新解釈たる縁起説の趣旨だが 誤解や曲解してはならないのは、この相互依存の関係とは存在や作用に付いてであり 良く無知なものが陥り易い誤謬なのが、決して責任の所在が相互依存になる訳では無い点 仏教では「善因善果悪因悪果・因果応報」を説く これらは原因と結果の行程を述べてるに過ぎず、その場面での 「どれを選び取るか」の岐路に立たされた時の選択権は、仏教といえども常に自分にあるのだ 選択の権利が自分にある以上、責任も自分にあると言う事でも有る 全能なる支配者をやんわり否定した根本仏教とその亜派でもそれは貫かれていて 全ては自分が選び取った原因による果報と考える それでは、不測の事態や事故も選択なのか? 自分が選んだ事による想定内の事態では自己責任も考え得るだろうが 不測の事態は無いだろう、選択の余地ないんだから、と考えるだろう 仏教では一切を苦だと考える 何を選んでも苦であり、苦に見えずとも例外無く全て苦の因なのだ つまり、想定外の事が起こる未来の予想は出来無いまでも、それを選んだのは自分であると言う因は 自分が選んでいたのである 毘鉢舎那の行とは気付きを鍛える行の事であり、出来る限り上記の様な選択を避けられる様にする力をくれる
156 :
神も仏も名無しさん :2013/11/24(日) 09:10:04.55 ID:7+tc8Br7
>>154 俺がいつ自論の優位性を主張したんだww?
釈迦の教えを一言で表すとこうである、
と一般的な解釈を説明したのみ。
君のポエムは実に笑えるね。
157 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/11/24(日) 09:33:28.93 ID:O7Srul6R
>>113 一在家
>地獄⇔現世の輪廻から脱して、地獄⇒浄土⇒涅槃の2段階の解脱をイメージしております。
>>116 シモン・エレクシア氏
>しかるに浄土世界はもとから一切の苦がなく永遠に楽土を享受できる理想世界という。
>「苦」がないんだったら、解脱の必要はねーし、涅槃寂静もいらない。
>>117 >それは俗に言う、天国のことね。それは霊界の上位であって、極楽浄土じゃない。
>>123 >善因を作って、より良い世界に生まれること。 善い心境であれば、死んだら天国に行く。
>>118 Johannes氏
>涅槃寂 との整合性は後付けながら維持しようとしているものの.かなり苦しい感じ.
>>119 浄土ってのは五蘊が盛りはげしいこの娑婆世界では悟りをうることが難しいから
>弥陀がここで確実に悟り得られるっていう環境の整った世界をつくろうとしてできた国。 一種の天国です。
沢山のコメントを有難うございます。
長部経典第三十三経「等誦経」では死後の往き先の法が説かれております。
地獄、畜生、餓鬼、人、天の5つの趣(道、gati)です。
私もこの経典を根拠として、浄土=天と理解しております。
ただし優雅で楽しくて「苦」が無いかと言いますとそうでもないようです。
「天」人にも寿命があってやがて天界で死んで輪廻しますので、死に対する不安、苦しみはあると思料します。
また「地獄」のみの経験者よりも、「天」の経験者の方が「涅槃」入りの可能性が高いのであれば、
阿弥陀如来の慈悲と智慧によって仮設された「解脱」環境の整った世界ということで、涅槃寂静との整合性、
リンクも貼られているとも考えられます。
以上、私的な考察にて。 合掌
158 :
神も仏も名無しさん :2013/11/24(日) 09:54:41.30 ID:ydXCjN/g
釈迦はバラモン教の世界に生まれ、 グノーシス主義の影響を受けていないはずがない。 むしろグノーシス主義的な世界観を踏まえた上で、 グノーシス主義を悪用しカーストに縛り付ける腐敗したバラモン教に対抗するため、 釈迦自身の教えを説いて回った。 輪廻転生や霊魂やアートマンなどの形而上概念を説くと、 バラモン教を一部と言えども認めてしまうことになるため、 釈迦はそれらを一切説かなかった。 説かなかっただけで釈迦自身が否定していたわけではない。 その点、大乗仏教は明らかに釈迦の教えとはかけ離れ、 バラモン教の世界観に戻ってしまったが。。
159 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/11/24(日) 09:56:15.58 ID:O7Srul6R
>>157 (昭和6年11月20日祖父リーディグ)「浄土への道標」には未収録
天上界にも断末魔の叫びの代りに五つの悴がある。第一には頭上の華蔓が萎む、二つには天衣が垢づき光が消える、
三つには腋の下に汗が出る、四つには目の光がなくなり両眼がしはただく、五つには本座を楽しまず、
詳しく云えば華蔓が萎むとか水滴が出来るとか体臭がつくとか云ってやはり天人も死の直前に際して五つの憔悴がある、
人間の中でも何時迄も病床に呻吟して看護して貰う人もあり、朝には元気で野良に仕事に出て夕べにはむくろとなって帰る人もある。
そう云う楽な往生を遂げた人は断末魔の叫びがない、人間の体は火と水から成って居る。熱がするのは水の欠乏であって、
ぞみぞみするのは火の欠乏である。彼の平清盛の臨終は水をかけたと云う話があるが、あれは水の欠乏である、頭寒足熱と云って………
人間界に生を受ける人は………人間界から天上界に行く人は心臓の鼓動が何時迄もぬくといと云う事である(胸の温まりが続く)
160 :
シモン・エレクシア ◆/bVPRrlaFM :2013/11/24(日) 10:04:46.66 ID:DS7xqoO4
>>158 つーかバラモン教とグノーシス主義に何の関係がwwww
グノーシスはカースト制どころか、司教制のような教会内の序列を
作る職階性やパウロ的な女性の聖職からの締め出しすら否定した。
つまり、兄弟たちの間における全ての差別を否定した歴史的にも稀有な宗教だよ。
それはエイレナイオスの異端反駁の中で、グノーシス派内部では司教の上位を認めず、
すべての信徒が持ち回りで日々の教導をを行っているとの記述や、女性に洗礼を施す
権威を与えていると非難されていることからも分かる。
マグダラのマリアの福音書では、女性のマグダラの全ての使徒を上回る最高の使徒の
栄光を与えているが、これも同時代の宗教文献の中では異例中の異例だろう。
161 :
神も仏も名無しさん :2013/11/24(日) 10:04:51.79 ID:O7Srul6R
九州場所も千秋楽だが、 色白の力士達は気合が入ってくると、取り組み前、顔は勿論、体中が真っ赤になる。 (赤鬼という概念、或いは欧米人を鬼、赤鬼と表現する東洋的感性も、むべなるかな・・w) 汗だらだらかいて、あの瞬間に体温計ったら、数字だけみたら風邪で発熱してるかと思われるだろう。 色白の女の子なら、恥ずかしいとき、興奮したときなど、耳や頬、胸元等を紅潮させたりする。 心的状態が具体的身体状況に作用する、 心の持ち様(・・・心理的制御)によって身体的状態のコントロールが可能であることを、 “判・解”り易く、大きく、示唆する事例かと思う。(勿論、限界はあろうが。) だが、だからといって、駅前で手をかざしている学生が、 或いは道場で人を集めている霊媒師が、 何かできるとは言えないわけで・・w さて、呼吸や脈拍は勿論として、 ヒトがそれらや体温の変動以外に、何かしら身体的変化を起こし得るだろうか? あるとしたら、どういうことが可能だろうか? ここのところが、「現代常識、現代的知見との軋轢」そのものなわけで・・。 さて、仏教の修道論は、どこまでが可能と見ているか・・。
>>153-154 仏教は業をとくから、決定論ではない、自由意思を認める立場にあるとは言えるが
自己は自分の運命を決める「絶対者」ではないよ
結果は業から生まれるが、その業はこの世だけの業ではないのだから当たり前だよね
あるべき業縁のもよおせばいかなる行いをもすべき存在であるのも人間。
お金を落とせば誰もがそれに気づく限りほとんどそれをひろう、自明のことだ
人は運命にあらがうことはできる。だが、それはゲームのコントローラーを操るようなもの
世の中、無理げーはある。絶対者ではない。
164 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2013/11/24(日) 11:31:43.92 ID:2aQ51Uih
>>149 “覚り”としてはその時にすべてがあったものとしても、
ただし説法においては“その部分は後に説かれた”という理解は在り得るものと思う。
つまり、それは説法における時系列的な進化という意味になるかと。
私の理解ですが・・・
165 :
神も仏も名無しさん :2013/11/24(日) 11:35:25.05 ID:ywTBiLr+
>>163 >仏教は業をとくから、決定論ではない、自由意思を認める立場にあるとは言えるが
>結果は業から生まれるが、その業はこの世だけの業ではないのだから当たり前だよね
・縁起との関係を説明してください。
・縁起の中に自由意思なるものは認められるのですか?
自由意思の主体はなんですか。無我との関係を説明してください。
・業とは過去のデータベースの記録媒体であるなら、
『結果は業から生まれる』ことのメカニズム、および
『業はこの世だけの業ではない』を経典に書いてある、伝承だ以外で証明してください。
166 :
神も仏も名無しさん :2013/11/24(日) 12:43:39.65 ID:JTaAjIuK
>>158 釈迦は紀元前300年から500年位の人
グノーシス主義やらは紀元後100年から300年位の成立だろw
167 :
神も仏も名無しさん :2013/11/24(日) 12:52:53.13 ID:JTaAjIuK
>>163 君は自分の決定を他人に丸投げして決めてるのか?
自分の意思決定権は自分に無いのか?
それなら自分の絶対者は自分じゃ無い事になっても納得出来るが
自分の意思を持っては行けないとか自分で決定してはいけないとかの宗教なのかね?
そんなの丸でファラオの宮殿から元羊飼いの先導で海を割って逃げたあの人々じゃないかw
168 :
神も仏も名無しさん :2013/11/24(日) 12:58:59.40 ID:/ZGhP7Dd
>>160 おみゃーが言ってるのは狭義のキリスト教グノーシス派の事。
でもそれは釈迦が死ぬもっと後の時代の西洋における話だ。。
俺が言ってるのはその源流、東洋アーリア民族に広まったグノーシス。
ゾロアスター教ミトラ教マニ教、バラモン教、ウパニシャッド、
これら宗教にはグノーシス主義的なバックボーンがある。
バラモン教はグノーシスから都合のいい部分のみを取って権力に悪用したんだよ。
それを見破って異を唱えたのが釈迦。
釈迦が本心として形而上概念を全否定したかは不明だが、少なくとも表向きは、
バラモン教を批判するには形而上概念を安易に用いるわけにはいかなかった。
それはバラモン教に慣れ親しんだ大衆の誤解を生むし、
バラモン教にとって都合のいい解釈をされるだけから。
だから釈迦は形而上概念についてはノータッチで徹底的に沈黙を守った。
もちろん実践的修行のためには、
形而上の議論など不要だし、むしろ修行の邪魔だという事を、
弟子にわかってもらうためでもあったが。。
169 :
神も仏も名無しさん :2013/11/24(日) 13:10:42.19 ID:K8UwZKeC
>>166 それは後にカトリックに表向き滅ぼされる羽目になる、
キリスト教グノーシス派のことな。カタリ派で有名な。。
西洋グノーシスの源流はプラトンだと言う奴がいるが、
プラトンが独自に編み出した思想ではない事は明らか。
ギリシャ人は元はアーリア民族。もっと古いのは明らか。
ミトラ教やゾロアスター教が既にあった事を考えれば、
グノーシス主義というのはもっと古い、
特にアーリア民族にとっては普遍的な思想だった。
170 :
神も仏も名無しさん :2013/11/24(日) 13:40:12.89 ID:KrpPlqOT
部派仏教以降の全ての大小乗を含む日本の仏教の教義を無視してお釈迦様の教えだけを見ると とても現実的な生きる知恵のように見えます。 批判が殺到するのかもしれませんが今の時代の道徳や倫理に近いように思います。 四諦八正道 生きていく上での苦しみ四種類に分析分類してそれを解決する為の考えが八正道。 縁起と業 苦と煩悩との因果関係。 釈迦以前のバラモン教で既に確立されていたのが業。 だから釈迦以降の仏教では縁起を好んで用いているように見えます。 輪廻、死後世界、霊について無記だったのは、お釈迦様が合理的な思想を持っていたからだろうと 想像してます。 人間は死後世界に行って戻ってくる事はできないのでバラモン教で既に成立している概念を敢えて 肯定も否定もしなかったのだろうと想像しています。
171 :
シモン・エレクシア ◆/bVPRrlaFM :2013/11/24(日) 14:14:23.16 ID:DS7xqoO4
>>167 アホすぎて突っ込む気すら失せるが、
で、具体的にバラモン教が採用したグノーシス主義的教義とは
具体的に何のことを指してるわけw?
グノーシスと仏教との近似性はしばしば指摘されるが、
バラモン教との近似性を具体的に指摘してみな。
>>170 しかし、お釈迦さまは、一般社会で普通に働いて生きようとはしなかった
釈迦が菩提樹で悟りを得る直前 まず第一夜に自らの無量の過去世を思いだす(宿命通)→一切衆生はみな親族だったと知る 第二夜に天眼通(時空を超えて六道の衆生を観察する神通力)を得る→地獄〜天の衆生を観察する、また衆生が六道を際限なく輪廻して苦しんでいることを知る 第三夜に衆生は何が原因で生死を繰り返し苦しむのか思惟する→無明が根本原因であることを発見する(十二因縁、悟り) 仏の視点から観れば如何にして衆生を輪廻の苦から救い出すかが一番重要なことで、それが大前提 その為に衆生の業に応じて死後を説いたり説かなかったりしたんだと思う
174 :
神も仏も名無しさん :2013/11/24(日) 15:14:16.43 ID:ywTBiLr+
インド人の妄想にはキリがない。 過去のアホ坊主だけでなく、ここでも振り回されるアホ多数w
>>171 死後世界、霊、輪廻転生、解脱。
アーリア民族の宗教思想哲学はほとんどこれをベースにしている。
それが西洋に行くとプラトンがイデアを唱え、
ゾロアスター教から派生したミトラ教と融合し、
後にキリスト教グノーシス派が活躍しただけ。
もちろんバラモン教は完全な二元論ではないし、
智慧を得て解脱する方法論が、善行を積む事に置き換わってたりするが。
バラモン教は階級制度とカルマという概念を利用して、
司祭階級でない奴は解脱できないとした。
もとからあった輪廻思想を悪用したものだ。
176 :
無神論上等 :2013/11/24(日) 15:25:42.23 ID:QFb6JtzD
神仏は妄想 宗教は欺瞞 教祖は糖質 信者は阿呆
177 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/11/24(日) 15:27:22.85 ID:O7Srul6R
>>170 >輪廻、死後世界、霊について無記だったのは、お釈迦様が合理的な思想を持っていたからだろうと
想像してます。
貴方の理解は正しくもあり、正しくもないということです。
それは釈尊の対機説法の特徴に因があります。
178 :
神も仏も名無しさん :2013/11/24(日) 15:30:31.19 ID:QFb6JtzD
妄想を連ねても真理には至らず
179 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/11/24(日) 15:35:55.45 ID:O7Srul6R
>>177 お釈迦さまの語り方には、全部で四つの種類があります。
龍樹『大智度論』から
1.世界悉檀 (せかいしっだん)
2.各各爲人悉檀 (かくかくいにんしっだん)
3.對治悉檀 (たいちしっだん)
4.第一義悉檀 (だいいちぎしっだん)
必ず、これのどれかによって、お話しするのがお釈迦さまです。 なぜ、四種類で全部かって?
それはね、こんな風な構造になっているからです。 今度は『方便心論』を参考にしてみましょう。
話をするときは、二人の人が必要です。その二人の人が、話をすると
1 意見が同じになる (直接知覚して語る)
2 最初ちがうけど後は同じ (経書を参考にする)
3 意見がまったく異なる (推理して語る)
4 最初同じだけど後がちがう (喩えを用いて論法を使う)
二人のうちの一人がブッダの場合、
1.ブッダが、相手と同じことを説く
2.ブッダが、人にあわせて説く
3.ブッダが、相手の症状に合わせて説く
4.ブッダが、最後は沈黙してしまう
以上、石飛先生「マニカナ」より一部紹介。
180 :
神も仏も名無しさん :2013/11/24(日) 16:22:02.65 ID:8t34nPT8
宗教や宗教に起因する思想は、「生存に関係なく、単なる『観念』のために多数の 人間を『殺す』」という重大な「病理」を有する。これは、恐らくは、人間以 外の生物には見られない現象。この意味で、宗教者は、文字通り「獣に劣る存在」。 欧米キリスト教国の歴史は「殺し合いの歴史」だし、小乗諸国やチベットに見られる ように、釈迦仏教も例外ではない。 宗教者は、この病理の原因こそ、徹底追求・解明・批判すべきであろう。
最近へんなのが張り付いてるな、うぜーから早くでていってくれないかな
182 :
神も仏も名無しさん :2013/11/24(日) 16:46:31.93 ID:fmmlzEWL
>>173 涅槃寂静が三法印にあることは伊達じゃないんだよ
まず、これで終わりが有ることは明かされてる
で、縁起の理法で見れば始まりが無いものは存在しないことも解る
過去世はいつ始まったんだ?
ひとつ前の前の前の…
いつよ?w
183 :
神も仏も名無しさん :2013/11/24(日) 17:03:12.18 ID:C6DYXnIp
釈迦は、人間を「無明」「無我」「五蘊の仮和合」などという「観念」により、 単なる「物質」扱いにした。これでは、「生命に対する慈悲」など生じる余地 は無い。 大乗の「仏性」「如来像思想」が生じる必然性・必要性は、釈迦のこのような 欠陥思想に、既に内在していたのである。
184 :
神も仏も名無しさん :2013/11/24(日) 17:07:52.76 ID:C6DYXnIp
>>181 生物としての人間にとって、「変なの」「うぜーの」は、まさに君ら「生存に
無関係な、現実上の根拠皆無な観念」にまみれた君ら宗教者であることを自覚せよ。
185 :
神も仏も名無しさん :2013/11/24(日) 17:12:04.23 ID:fmmlzEWL
>>183 天国みたいな絵に書いた餅で釣るアーメン宗とかより遥かに良心的だよw
186 :
神も仏も名無しさん :2013/11/24(日) 17:13:22.01 ID:C6DYXnIp
187 :
神も仏も名無しさん :2013/11/24(日) 17:19:56.36 ID:C6DYXnIp
>>185 「俺を信じない者は、死ね、殺せ」「俺を信じるためには、親も子も捨てよ」
と説くイエスは、問題外だが、釈迦にも厳密にはその要素があることを看破す
べきである。
信者にとって開祖の批判は一切不可能な点でも、両者は同じ。
188 :
神も仏も名無しさん :2013/11/24(日) 17:25:25.72 ID:fmmlzEWL
>>187 釈迦の批判したきゃすればいいよ
釈迦もそれ自体封じてないし、そもそも親の懇願も聞かずに
夜逃げした乞食の身だから痛くも痒くもないでしょw
189 :
シモン・エレクシア ◆/bVPRrlaFM :2013/11/24(日) 17:58:00.04 ID:DS7xqoO4
>>175 >>死後世界、霊、輪廻転生、解脱。
>>アーリア民族の宗教思想哲学はほとんどこれをベースにしている。
どこがグノーシスだwwwwwww
グノーシスの定義を勉強してから自害しろ
190 :
神も仏も名無しさん :2013/11/24(日) 19:04:15.56 ID:C6DYXnIp
もうお読みになった方も多いのではないかと思うが、渡辺京二という方の「逝きし世の面影」(平凡社)を書店の店頭で 見つけて購入し、一読して感嘆した。民主主義、プライバシー、 セクハラ、人権、マルクス主義、リベラル、などという近代思想に胡散臭さを感じていた私の疑念を見事に裏付けてくれた書物。江戸末期、明治初期に来日した多くの西洋人の日本に対する「感嘆」が、全編、詩的とも言える名文で語られている。キリスト教でも、仏教でもない 「日本人の生」の姿である。 今まで多くの本を読んだが、最も、そして唯一感動した本だった。「全日本人の必読の書」 であるように、私には思える。 今まで知らなかった著者と、百科事典がコケてぱっとしない出版社だが、本書は 「和辻哲郎文化賞受賞作」とある。
形あるものは生じては滅するものだ〜とお釈迦様は言いました。 人間が死ぬのは当然です。 死んだ後も続く何かがあるのでは?というのは邪推に過ぎません。 死期が近づい仏陀が「アーナンダよ嘆くな、形あるものは生じては滅するものだと説いて聞かせたではないか!」 と語りかけた意味を深く考えてみるべきです。
192 :
神も仏も名無しさん :2013/11/24(日) 21:05:19.35 ID:O7Srul6R
>>190 >本書は「和辻哲郎文化賞受賞作」とある。
和辻博士の名が縁で今は本スレを解脱された他称「一代氏」の注意書きを想起しました。
(一代氏の註の一部抜粋)
輪廻に関する代表的な誤解は以下のように過去に解決されてます
1.無我だから輪廻できない。主要論者:和辻など。
反証:現在、諸法が無我でも縁起しているように、無我でも死後も輪廻する。
死後、輪廻しないというのは、断見である。
2.輪廻は、それを信じる蒙昧な古代人のための方便説である。主要論者:和辻など。
反証:輪廻説がなかった、ギリシャ、シナ、チベットなどに思想抵抗にあいながらも、
必ず説いているので方便説ではない。聖者が獲得する宿命通からも方便説でないことが分かる。
一代ってのは余程の阿呆という事ですねw 死後に何が輪廻するのか? 何かを想定した時点で常見w エジプトにも死者の書があるがチベットのとは全く毛色が違う。まあチベットのゲルク派の密教世界もお釈迦様の世界とは かけ離れた独自の物。密教の世界を、これが仏教と言っても構わんが、お釈迦様の世界とは別世界。 確かに世界のあちこちで死後の世界からの蘇りを信じる信仰はあっただろう。しかし宿命通自体眉唾ものでこんなのを 簡単に信じる人間の頭を疑うw 目の前で手品を見せられたらトリックとか想像もせずにそのまま信じ込んでしまう。 あまりに阿呆らしい自らを反省すべきだと思いますよwww
>>193 確実に見知ったわけではないのはお互い様、だという自覚は持っておいた方がいい。
>確実に見知ったわけではないのはお互い様〜 つうか、見知っていると主張しまくってるのが死後の世界がどうのとか輪廻がどうのとか言うやからでしょw 見知る人間なんていないのw 瞑想世界の出来事は真実世界ではないwww 瞑想は心を落ち着けるためにやるもの。それ以上でもそれ以下でもない。 瞑想をやれば別世界に飛べます〜なんてのはキチガイ論者の話つうことですよw
196 :
紐無記 :2013/11/24(日) 21:54:22.45 ID:asLbqOo3
私は臨済録から仏教世界に興味もち色々禅世界の物語を読みましたが、 はっきり言って禅の言葉は全て意味不明で分からないものでした。 その後、中村元さんの岩波文庫の原始仏典の訳書を全て買って読んで、 中村元さんに共感して彼の仏教に対する考えを読んでさらに共感しました。 その後、また臨済録に帰ってみれば、最初分からなかった事が阿呆みたいに 分かりました。下らない話ではありますが、話は簡単。 仏陀は生活者のために説いた人であり、超世界の理想世界なんて説いていないのです。 実生活で人間がいかによりよく生きていけるか? 老いの悩みや死の悩みから解放されるから不老不死の教えといわれているのです。 文字通りの不老不死ではありませんw 文字通りに信じて疑わないのはアホだと思いますよw
>>195 違うw そこじゃないw
2chには特に多いが、
伝承は誤って継承されてきた。現存仏典及び伝統・正統と言われる教えは、
その誤りの集成に過ぎない。
真に【ゴータマ・ブッダの真意・本意】【ゴータマ・ブッダが本当に説いたこと】ではない。
ということに対してさw (
>>193 も、実際そうだろ?w)
そのような説を採る者は、【ゴータマ・ブッダの真意・本意】、
特に【ゴータマ・ブッダが本当に説いたこと】を『如何にして知ったのか?』ってこと。
もう上で言ったと思うがw
>>198 だからお互い様だっつーのw ┐(´ー`)┌
しかし、達磨から黄檗、臨済の活躍した世界は極めて健康的な世界であっただろうとは思います。 今の日本の臨済宗のバイブルは臨済録ではないのでしょうw それこそが駄目w 私はもう何度臨済録を読み返したか分かりません。 まさに語録の王といわれるのも分かります。 「赤肉団上 に一無位真人あり。常に汝等諸人の面門より出入す。未だ証拠せざる者は、看よ看よ」 この真人こそ人間が認識しなければならないもの。自らの主体という奴です。 個々人の人生の主体は個-自に他ならない、自らが主体との意識無くして人生なし〜 その己の人生の主たる真人を見よ〜と。仏陀の自灯明の自です。 無我はその自も滅するという事です。滅しない生き物はいないw 滅した後どうなるかは分からない。あるように世界を語るのは阿呆、偽者と断定して構わないでしょう。
201 :
神も仏も名無しさん :2013/11/24(日) 22:29:07.68 ID:ywTBiLr+
>>192 >輪廻に関する代表的な誤解は以下のように過去に解決されてます
そんな低レベルな反論は、オカルト「仏教」wをはじめ、ことごとく論破済み
その後なんらの有効な再反論はない。
蒸返すな。
202 :
シモン・エレクシア ◆/bVPRrlaFM :2013/11/24(日) 22:30:00.60 ID:DS7xqoO4
紀元前後の世界人口は2〜3億人程度とされているが、 現在の世界人口は70億人。 末法の世にあって人間道が30倍になった理由を論理的に説明しなさいな。
204 :
神も仏も名無しさん :2013/11/24(日) 22:41:26.47 ID:ywTBiLr+
臨済録と中村さんの本を読めば大体分かると思いますよw 私はその立場です。 もっと言えば臨済録+他の禅語録、中村さんの岩波本全て+他の関連本〜というところでしょうか。 伝承による伝統仏教なんてのは一学者の足元にも及ばない。
>>205 イチローよりスポーツ学者の方が野球が上手いって?w
>>205 やっぱ、仏教をそのまま見てないかんじがするなー
ま べつにいいけど
実践についての事でしょうが、アナタが実践している事と私が実践している事と何が違うのか?w 飯食って動いて糞して寝て〜の繰り返しで所詮人間は糞袋w 同じ糞袋だろうw イチローも糞袋なら野球解説者も糞袋w で、解説者よりイチローになりたいのですか? では、イチローになるべく努力してください。なれてもなれなくても意味は有りませんw
209 :
神も仏も名無しさん :2013/11/24(日) 23:13:57.85 ID:KrpPlqOT
>>192 > 1.無我だから輪廻できない。主要論者:和辻など。
> 反証:現在、諸法が無我でも縁起しているように、無我でも死後も輪廻する。
> 死後、輪廻しないというのは、断見である。
>
> 2.輪廻は、それを信じる蒙昧な古代人のための方便説である。主要論者:和辻など。
> 反証:輪廻説がなかった、ギリシャ、シナ、チベットなどに思想抵抗にあいながらも、
> 必ず説いているので方便説ではない。聖者が獲得する宿命通からも方便説でないことが分かる。
この例の反証が成立してないと思うのは私だけ?
全然反証になっていないと思うのですが。
上の方にで書き込んでる人が居たけど、宗教学者や仏教学は
・〜という経典に書かれているから〜である。
・〇〇さんがこのように言っていたので〜となる。
という様な議論しかできない。
それが悪いと言っているのではなく、白黒つかないのが宗教論争。
そういう観点からも輪廻、死後世界、霊に関してのお釈迦様が議論しなかった事は実に賢い。
一代は嫌うがw、 閻魔の方が、まだ筋通ってるんだよなぁ・・・ (;´ー`)y━~~
野球がヘタな人間でもうまく一生を生きていける。 何で野球に執着するのか?w 執着を無くす事が根本ではないのか?w 仏教に埋没している人間は外に出て外界の空気を吸うべき。
>>212 ハァ?(゚∀゚)
お前、今、どれだけ頓珍漢なレスしたかわかる?w
まず最初に、『野球を選ぶかどうか』が、その人のスタートなわけ。
野球を選ばないならそれでいいの。 ただ、「部外者」である自覚は要るけどなw
野球をしないなら、野球道具を揃える必要もユニフォームを着る必要も無かろう?
それとも、≪野球はしないけど野球選手のコスプレはする≫って?www
馬鹿じゃね? ┐(´ー`)┌
214 :
神も仏も名無しさん :2013/11/24(日) 23:36:44.29 ID:ywTBiLr+
>>209 業報輪廻転生肯定論はなんら積極的に経験主義的証明ができておらず、妄想である。
業報輪廻転生肯定論もなんら消極的に経験主義的証明ができておらず、妄想である。
そもそも実践仏道は菩提心凡夫のためにあるのだから、
【一切門】において、菩提心凡夫の六処による検証不能なモノコトは、
縁起の間接現実(時空因果関係)の正確な如理作意(中部63)ができず、
自帰依による大疑団の究明を妨害する反仏道のガラクタ→無記事項である。
>>213 馬鹿はお前だろw
伝承こそ、伝統こそ、としがみつく姿勢は馬鹿以外の何者でも無い。
>>215 お前さんみたいな考え方が、
日本の伝統工芸を衰退させてきたんだなw
217 :
神も仏も名無しさん :2013/11/24(日) 23:42:18.90 ID:ywTBiLr+
訂正 2行目 × 業報輪廻転生肯定論もなんら消極的に経験主義的証明ができておらず、妄想である。 〇 業報輪廻転生否定論もなんら消極的に経験主義的証明ができておらず、妄想である。 断見論、常見論は両方ともアカンのはわかってるのにもうちょっと進化せーやw
『 さて、既に触れた通り、図のタテの構成(仏・法と律・僧)から言えば、 仏・法は仏教において決して変わることのない理想面、普遍性/単一性に貫かれ、 僧・律は時と場とに応じて変わりうる現実面、民族性/多様性を内包していることになる。 つまり仏教はそれ自体の中に明らかに不変的な部分と可変的な部分とを共有しているわけである。 もちろんそれは世界宗教とか普遍宗教とか呼ばれるキリスト教やイスラム教においても異なるものではない。 ただ我々が注意しなければならぬのは、 【宗教の世界性とか普遍性とかを口に出して言う場合、【そこには法、もしくは教法のみが意味されている】】 ということである。 【仏教が普遍宗教であると言われるのもまさにその点、つまり【「法」の側にしかない。】】 ことに我国には、仏教の現状を嘆きつつも、 【法のみを重視し、戒律に触れぬまま仏教を理解しようとする】向きもある。しかしそれでは十全たりえない。 戒律の欠落した「智慧」や「慈悲」があるのかどうか。コンテキストが脱落したテキストに意味があるのかどうか。 仏教は単なる哲学的思弁でもなければ、倫理性を欠く知的パズルでもない。 「法」が頭となり、「律」が手足となって動かなければ仏教が人間の宗教として機能することはないであろう。 原始経典の中で法と律が区分され並置されている意味もここにある筈だ。 「これは法である、これは律である、これが師の教えである」 (ayaM dhammo ayaM vinayo idaM satthu sAsanaM , D.U.124) と。そしてまた、 「律は仏教の命である。律が存すれば仏教は存する」 (vinayo nAma buddhassa sAsanassa Ayu , vinaye Thite sAsanaM ThitaM hoti , DA.T.U ; Sp.T.13) とは、第一結集以来の伝統仏教の合言葉である。今日なお上座部仏教徒はこれを信じて疑うことがない。
【「法」のみでこと足れリ】とする傾向は、【三宝の理念化】と、 【出家/在家の区別を不問に付しがちな】大乗的発想によるところが大きいと思われる。 そこでは、律も法の中に隠れてしまい、【終には頭のみの仏教が金科玉条として謳歌される】に至る というべきか。もし、戒律、実践を欠き歴史も文化も無視してこれを“仏教”と呼ぶならば、 これほど都合のよい平面的な仏教はあるまい。この“仏教”は自ら欠落した深みに 【あらゆるものを招き寄せ、あらゆるものと同化し、あらゆるものに帰入して様々な形相をとりうるからである。】 いわゆる学問仏教、大乗的仏教はこの類に属し、原始仏教や真の大乗仏教と大きく隔たっていよう。 法と律とは不可分ではあるが同一ではない。 法はいわば積極的な理念体系であり、律は消極的な行動体系に属している。 仏教が両者に基づく宗教であることを我々はよくよく承知しておかねばならぬ。 即ち、律は変化しうるものだが、決して失われてはならぬのである。』
. >.これほど都合のよい平面的な仏教はあるまい。この“仏教”は自ら欠落した深みに >【あらゆるものを招き寄せ、あらゆるものと同化し、あらゆるものに帰入して様々な形相をとりうるからである。】 >いわゆる学問仏教、大乗的仏教はこの類に属し、原始仏教や真の大乗仏教と大きく隔たっていよう。 >【終には頭のみの仏教が金科玉条として謳歌される】
>>216 当たり前だろw
伝統工芸で良いものは残っていくが駄目なものは滅びるw
そうやって時が流れていく。
人間の意志で流れて保たれて、また人間の意志で変えられない。
さて、輪廻転生肯定論者は自らの性質を変えなければ駄目じゃないのでしょうか?
輪廻転生というものがあるとすれば、今世の性質を引きずるというようなものでしょう。
自らの性質をいかに好ましい方に変えられるか?
自殺なんてのは来世でも自殺するでしょうw
いつまでもつきまとう自性というのはあるのかもしれませんが、あれば厄介ですねえw
222 :
神も仏も名無しさん :2013/11/24(日) 23:56:39.37 ID:ra3r22U6
業論が無いと云うなら、日本人に生まれてきたことも両親の下に生まれてきたことも、 全てが偶然だと云うことになる。 それは仏教とは云えない。外道的見方だな。
>>221 馬〜鹿w
在家者はしがらみや情、社会的立場・関係性から、多くのブレーキをかけ得るのさ。
が、出家者は違う。
そうした世俗のしがらみを断って成立するポジションなのだから。
そこで自殺(涅槃、救済、人生の完結・完成)が推奨されないのはおかしい、という話。
>良いものは残っていくが駄目なものは滅びる
今残っているのはどっちなのさwwwww
こういうこと言うと 古参ぶってるとか上から目線とか、また言われるんだろうがw 古株の閻魔や前スレ5の方が、遥かに賢明だよなぁ・・・w orz
>>223 で、日本での出家者はいかような生活を送っているのですか?
大体、仏の教えを掴もうなんて志の人間は出家者の中にいるのでしょうか?
個々人が仏教を勉強した方がマシじゃないでしょうか?
葬式-法事仏教で日本の仏教の存在意義はこれだけw
そんなものは無くても構わないのでいつ滅びてもおかしくはありません。
葬式-法事は日本人が嵌まっているものなのでなくならないとは思いますがw
226 :
神も仏も名無しさん :2013/11/25(月) 00:25:39.85 ID:2MGt10dA
>>214 > そもそも実践仏道は菩提心凡夫のためにあるのだから、
> 【一切門】において、菩提心凡夫の六処による検証不能なモノコトは、
> 縁起の間接現実(時空因果関係)の正確な如理作意(中部63)ができず、
> 自帰依による大疑団の究明を妨害する反仏道のガラクタ→無記事項である。
自分が
>>209 で書いたことが早速書かれています。
宗教学者や仏教学は
・〜という経典に書かれているから〜である。
・〇〇さんがこのように言っていたので〜となる。
という様な議論しかできない。
仏教に入り込んでますね。
>>225 日本に出家者は居ない。
日本の仏教は在家仏教だよ。 今更何言ってんのさw
228 :
神も仏も名無しさん :2013/11/25(月) 00:47:16.77 ID:2MGt10dA
>>225 > で、日本での出家者はいかような生活を送っているのですか?
多くの僧侶は肉食妻帯飲酒喫煙銭儲けで自由奔放な毎日を送っています。
要するにやりたい放題の煩悩まみれで弱者救済などの社会活動はほとんど行っていません。
中国の国家管理されてる僧侶でから日本の僧侶は「何で大金持ちなのか?」と聞かれたこと
があります。(天台山へ観光に行った時の話)
タイ人も自由奔放で伸び伸びとした日本の仏教というものを不思議な目で見ている人が多いです。
> 大体、仏の教えを掴もうなんて志の人間は出家者の中にいるのでしょうか?
一部に居るようですが、そういう方々は銭儲けに無頓着なので世の中に出てきません。
どこかに隠棲して修行なさっていると思います。
> 個々人が仏教を勉強した方がマシじゃないでしょうか?
その通りです。
> 葬式-法事仏教で日本の仏教の存在意義はこれだけw
> そんなものは無くても構わないのでいつ滅びてもおかしくはありません。
> 葬式-法事は日本人が嵌まっているものなのでなくならないとは思いますがw
現在、核家族化が進んで葬式仏教すら怪しい雲行きになっています。
墓地販売業・石材屋、葬儀屋の10年先は形態が大幅に変化している可能性があります。
229 :
神も仏も名無しさん :2013/11/25(月) 01:02:35.76 ID:9ZN1chT1
>>197 >伝承は誤って継承されてきた。現存仏典及び伝統・正統と言われる教えは、その誤りの集成に過ぎない
全て誤って居ると見て、じゃ何で伝承してきたのか?と検証するのが仏家の所作の基本なんだよ
>特に【ゴータマ・ブッダが本当に説いたこと】を『如何にして知ったのか?』ってこと
伝わる”伝承”の類から真理を引き出す術を仏家は心得てるもんなんだよ
四諦が今だ嘗て間違っているなんてほざくアホは2ちゃんの賢ぶりっ子しか居ないw
>>199 全然お互い様じゃ無いってのw
お前のは糞と味噌の分類が出来ないバカが言う台詞w
230 :
神も仏も名無しさん :2013/11/25(月) 01:06:24.73 ID:Jo8doFf6
>>222 >業論が無いと云うなら、日本人に生まれてきたことも両親の下に生まれてきたことも、
全てが偶然だと云うことになる。
>それは仏教とは云えない。外道的見方だな。
輪廻を真言系や浄土系は肯定する人が多く、禅系は否定する人が多いように思います。
そこで、また道元禅師の輪廻に関する説法を調べて更新しました。
231 :
神も仏も名無しさん :2013/11/25(月) 01:08:15.05 ID:Jo8doFf6
【道元禅師の三時業の説法】 ※40代を2つ追加 「宝慶記」☆道元、20代 仏法、若し長沙の道の如くんば、何ぞ諸仏の出世・祖師の西来有らんや。堂頭和尚老師大禅師示して曰く『長沙の道、終に不是なり。長沙、未だ三時業を明らめざるなり』と。 「正法眼蔵随聞記」☆道元、30代 また冥機冥応、顕機顕応等の四句有る事を思フベシ。また現生後報等の三時業の事も有り。此等の道理能々学スベキなり。 「行持(下)」 ☆道元、40代 この黒業は今日の業力のみにあらず、宿生の悪業力なり。今生ついに如来の真訣をきかず、・・・かなしむべき一生なり。 「仏道」 ☆道元、40代 「多生の値遇奉覲(ちぐうぶごん)をちぎるべし、これをもて多生の見仏聞法をねがふべし。」 「正法眼蔵」十二巻本第八 ☆道元、晩年 善悪の報いには、次のどれかに当てはまる三つの決まりがある。これを三時という。 一つには、「順現報受」… 現世において報いがある場合。 二つには、「順次生受」… 来世において報いがある場合。 三つには、「順後次受」… 第三世において報いがある場合。 仏祖の道を修習(しゅじゅう)するには、其の最初よりこの三時の業報の理を効い験らむるなり、爾あらざれば多く錯りて邪見に堕つるなり。 但邪見に堕つるのみに非ず、悪道に堕ちて長時の苦を受く。当に知るべし。 20代に師(堂頭和尚老師大禅師)から聞いた「三時業」を、道元禅師は晩年に残しましたが、30代、40代でも度々説かれております。
232 :
神も仏も名無しさん :2013/11/25(月) 01:15:03.27 ID:9ZN1chT1
>>222 ドンブリ鉢に普通のサイコロを一個で良いから転がし入れて見ろ
偶数が出るのと奇数が出るのと、特定の出目が出るのと
全て作為が有ると言いたいか?
人がこの世に生まれる事も同じで、何ら作為は無いんだよ
人が生じるって事も、森羅万象にそれぞれ起こる現象の一つに過ぎない
そこに作為は無い
輪廻論がダメなのはだ、始まりが無いから存在し得ないんだよ
オカルト板とか覗くと解るが、マジキチ程輪廻とか業報とか大好きってのが現状で
業報輪廻とかの圧倒的支持者はコイツらだと見えるよ
止めはしないが精神衛生上不衛生な考えだよ、業報輪廻はね
233 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/11/25(月) 01:21:30.91 ID:Jo8doFf6
道元禅師が寛元元年(1243年)7月 越前国の地頭波多野義重の招きで越前志比荘に移転し、
途中、朽木の領主佐々木信綱の招きに応じ、朽木に立ち寄った頃の話のようです。
「行持(下)」 ☆道元、43才?
この黒業は今日の業力のみにあらず、宿生の悪業力なり。今生ついに如来の真訣をきかず、・・・かなしむべき一生なり。
「仏道」 ☆道元、44才?
「多生の値遇奉覲(ちぐうぶごん)をちぎるべし、これをもて多生の見仏聞法をねがふべし。」
釈尊と違って、日本仏教の祖師達の言葉は真筆でも残っている場合が多く、とても参考になります。
特に道元禅師は調べれば、まだまだ業報輪廻に関する説法が出てきそうです。
>>197 >特に【ゴータマ・ブッダが本当に説いたこと】を『如何にして知ったのか?』ってこと。
輪廻を説かれた祖師達にこの質問をしたら、どういう答えが返ってくると思われますか?
多分、「馬鹿者!○○で分かるだろう。」かも。
234 :
神も仏も名無しさん :2013/11/25(月) 01:22:37.09 ID:2MGt10dA
>228は戒律を守らないのは悪いことだという意味では無く、良くも悪くも日本仏教は 各時代の社会の影響を受けているということです。 だから今の仏教界の状況は私のような在家の人間も関わっている社会の要請により 成立しているのだとおもいます。 カマっぽい坊さんの話が重宝されたりするのも社会のニーズにマッチしているからなのでしょう。 更に在家化が進むのか、または律に回帰するのかなは坊さん達自身の運動がもっと活発化 すべきなのかもしれません。
235 :
神も仏も名無しさん :2013/11/25(月) 01:22:50.23 ID:9ZN1chT1
>>231 道元ですら説一切有部以降の邪説を取り入れて穢れた大乗の僧
輪廻思想を受け入れてても何ら不思議は無いし
四諦・四法印で輪廻の邪説が切れる事もといてた筈
当時はそれで矛盾を感じゃなかったんだから鎌倉時代が如何に大らかだったのかが解る
結論としては、ゴータマは輪廻転生を当時の世の中の常識範囲で語る事はあっても 積極的に業報輪廻を説きはしなかったという事ですね。 今の馬鹿どもが食いついて業報輪廻こそが仏教だ〜というの阿呆の極みという事ですね。 そういう意味では伝統仏教はカス以外の何者でもありませんww 伝統を離れて、お釈迦様の言葉に目を向けるべきだと思います。
237 :
神も仏も名無しさん :2013/11/25(月) 01:31:01.76 ID:9ZN1chT1
他はともかく 現代仏教で偉そうに飯食って行くには永遠を説いて業報輪廻で脅して金を巻き上げないと成立しない 輪廻なんか無いと言い切ると禅家が「断見だ断見だ」と騒ぐしメンヘラやマジキチが「証拠出せ証拠出せ」と騒ぐし 何より卒塔婆供養やら葬式やらで坊主に金出すのは仕方が無いと思ってもらえなくなる 業報輪廻論否定されると殆どの宗教屋がお飯の食い上げで即身仏マッシグラになるw それが現実
238 :
神も仏も名無しさん :2013/11/25(月) 01:31:37.62 ID:2MGt10dA
宗教というのはある前提条件を無条件に受け入れることで初めて成立するので お釈迦様の説法が本当に語られたことかどうかを今議論するのは無駄だと思う。 お釈迦様の声がボイスレコーダーで保存されてたら逆に信仰されないていない 可能性も否定できない。
239 :
神も仏も名無しさん :2013/11/25(月) 01:39:16.99 ID:9ZN1chT1
>>238 釈迦が何を悟ったのかを考えてみればいい
自分の考えが及ばないレベルならググってみれ
今時はどこでも「釈迦が悟った内容」が開示されてる
こんなのは鎌倉時代には無かった知識の共有であり
既成仏教はこの現代的知識共有にすら耐えられなくなって来ているのが現状
有名どこじゃ創価なんか今超大変w
ググれば解る日蓮の事や創価の起した事件とかが晒されちゃってるから
ネットは嘘ばかりだと言い繕って火消ししてる位だ
240 :
神も仏も名無しさん :2013/11/25(月) 01:45:21.28 ID:9ZN1chT1
先ず、今日びの一般人はネット慣れしてて既成教団は大抵インチキだと嫌う 仏教も葬式ぶっきょー程度のイメージで嫌う でも、釈迦の思想を一度知ると、宗教は嫌いでもちゃんと学んでくれる 嫌われ捲くってる宗教論からちゃんと真理の法を見つけ出してくる猛者が何人も居る 実に良い事だと俺は思うよ
241 :
神も仏も名無しさん :2013/11/25(月) 01:53:16.87 ID:Jo8doFf6
>>237 >現代仏教で偉そうに飯食って行くには永遠を説いて業報輪廻で脅して金を巻き上げないと成立しない
>輪廻なんか無いと言い切ると禅家が「断見だ断見だ」と騒ぐしメンヘラやマジキチが「証拠出せ証拠出せ」と騒ぐし
近代仏教学で偉そうに飯食って行くには無我を説いて業報輪廻を否定しないと成立しない
輪廻なんか当り前と言い切ると学会で注目されない論文になるし禅家が「常見だ常見だ」と騒ぐし
同じ世界を観じても、視座が異なると別の見え方がするので諸行無常も面白い。
242 :
神も仏も名無しさん :2013/11/25(月) 02:00:39.44 ID:9ZN1chT1
>>241 学術書に準じた本書く学者くらい許してやれやw
文献学上の考証はつい昔は許されなかったんだし
本の売れた利益なんて宗教団体の儲けの足元にも及ばないんだし
池田さんや大川さんは別なw
こいつらは学術考証は無しだから
243 :
神も仏も名無しさん :2013/11/25(月) 02:02:15.56 ID:9ZN1chT1
あ、因みに既成教団の文献類って持ってても実は未だに非公開だったりするねんで 結構みんな必死で粗探されたくないそうだよ
244 :
神も仏も名無しさん :2013/11/25(月) 02:08:51.25 ID:9ZN1chT1
>>241 それともう一つ
学者の本書きと同類扱いして欲しかったら
既成教団の厚遇たる所以の宗教法人特権の一切の軽減税率を撤廃し
最低限ごく普通の公益法人として扱え
話はそれからだ
宗教法人儲かりすぎw
245 :
神も仏も名無しさん :2013/11/25(月) 02:33:03.06 ID:2MGt10dA
>>239 自分は仏教の教義そのものではなく、それぞれの国でそれぞれの仏教が成立した過程の
社会との関係性に興味を持っています。
例えば奈良平安時代の貴族、和気清麻呂という人が命を掛けたから皇統が道鏡に乗っ取られる
こと無く存続したことや、その子である和気広世や和気真綱が後援したから最澄や空海が
活躍できたという人間模様が面白いと思うのです。
最澄の一族である三津首(みつのおびと)や空海の生まれた讃岐の佐伯氏が渡来人であった
と言われている事など、当時の日本社会が現代以上に国際的でダイナミックだなぁと思います。
皇統にも繋がる亡命貴族百済王敬福の孫で従二位まで昇った内侍司(ないしのつかさ)であった
百済王明信(女性)が平安仏教の成立と同時代に居たことが面白いと思います。
246 :
神も仏も名無しさん :2013/11/25(月) 02:37:36.11 ID:9ZN1chT1
>>245 >自分は仏教の教義そのものではなく
ではここに居る理由は無いな
歴史語るのは構わんが、ここじゃ大なり小なり教義の為に引っ張ってくるんであって
教義を見ない唯の歴史考証ならここじゃない
247 :
神も仏も名無しさん :2013/11/25(月) 02:57:17.31 ID:2MGt10dA
>>246 教義そのもの「だけでなく」と書きましたよね。
教義だけだと木を見て森を見ずでしょ。
例えば、ブッダが生きた時代のバラモン教や既に発生していたカーストと仏説は
無関係ではない。
また最澄はなぜ天台山へ行き、空海はなぜ長安へ一目散で行ったのか?
鎌倉時代まで降って道元はなぜ宋の天童山へ向かったのか?
それぞれに必然性があって、それぞれの教義ができていると思うのです。
248 :
神も仏も名無しさん :2013/11/25(月) 03:06:14.18 ID:7zEZUsNe
>>247 >246の様な狭い視野狭窄がいるのも2chだからね。
249 :
神も仏も名無しさん :2013/11/25(月) 03:12:33.26 ID:A2p5TYuY
仏典には、釈迦の言葉であると証明された言葉は、唯の一語もないのだから、 「釈迦がー」「釈迦がー」と言って見ても全く無意味。後代の無数の人々の思考 と叡智の結晶ととしての、一大思想体系と考えるべきだろう。大乗の各宗派は、 それぞれ、端倪すべからぬ哲学と思想を有している。
250 :
神も仏も名無しさん :2013/11/25(月) 03:19:29.57 ID:9ZN1chT1
251 :
神も仏も名無しさん :2013/11/25(月) 03:23:06.34 ID:A2p5TYuY
道元の悟りは「眼横鼻直」。これは、釈迦の悟りとは本質的に異なる。
252 :
神も仏も名無しさん :2013/11/25(月) 03:30:38.17 ID:9ZN1chT1
>>249 なるほど、大乗を貶されたくないって訳かw
悪いが法印を守れなかったら仏教ですらないんだぜ
道元語るんだからそれ位知ってるよなw
253 :
神も仏も名無しさん :2013/11/25(月) 03:51:53.02 ID:9ZN1chT1
例えばだ 釈迦は永遠の「何とか」が人に係る事は無記とした 推測できる理由は 1所詮人間が覚知出来ない形而上の話になるため、結論が出せないし無駄な論争になるから 2生じると言うベクトルには永遠性が無いとは言い切れないから この二点が推測できる 例に出すと電気 電気自体には力は無く、現象として電位差が起これば力を取り出せる 冷蔵庫を動かした事実がテレビに伝播することは人為的に何かをしなければ起きない この冷蔵庫とテレビの関係は、世代を跨いだ過去世と現世の業報に見れる 電気の場合動かす力(生じる根源)は厳格に有ると言える が、冷蔵庫の性分や動作歴や諸々がテレビに勝手に移る事は有りえない 命も同じであり、前世の業が現世に果報として現れる事はナンセンスとなる だが、家電製品を動かす力そのものは厳密に有る訳で 仏教でも事物が生じ、存在し滅する根本に動力源が有るか無いかまでは結論が出せていない この未知の存在は無垢であり無邪気であり無意思で有ろう事を推測するに留まっている 故に大乗では輪廻転生的な話に矛盾が生じ難い教義体系になってたりする それ自体は俺も否定する気は無い 正し、業報輪廻転生は有り得ない
254 :
神も仏も名無しさん :2013/11/25(月) 03:57:42.65 ID:9ZN1chT1
因みに電気は今光ってる電気が今作った電気と言われる位 発生と消化が同時に起こる つまり、先にあげた例の場合 冷蔵庫に送った電気とテレビに送った電気は別のものとなる 回路的には直列させて同時に動かすとかも有り得るが その場合、先に来る回路が後に来る回路に対して抵抗と成る為フェアではない ので、同時に平行して送ると考える 人間が直列配線されてる例は無いので宜しく候
255 :
神も仏も名無しさん :2013/11/25(月) 05:14:33.75 ID:0JyAyyrC
永遠に無くならなくてどこにでも有って、それなのに生じないものは無しか無いと思う で、この無は言い換えれば涅槃の中身なんだと思うが 人間が観じれる涅槃=無の境地って実は0で有って0じゃ無いんじゃないかと 人間が観じようと必死になってるのは実は直流電流的な0ベースであって 本当は交流的に涅槃を基点にこの世界が反転するんじゃないかと想像した それでは現世に生きる全てのものは見ることも感じることも不可能なのは想像に難しくない 想像だけなら幾らでも言えるなこりゃw
256 :
神も仏も名無しさん :2013/11/25(月) 06:08:26.77 ID:Pkd08lIN
>>255 正解サ
>それでは現世に生きる全てのものは見ることも感じることも不可能なのは想像に難しくない
可能なのサ
257 :
神も仏も名無しさん :2013/11/25(月) 06:53:47.92 ID:oWVWyjPO
258 :
神も仏も名無しさん :2013/11/25(月) 06:57:14.82 ID:oWVWyjPO
仏教も、キリスト教が何タラ会議で正典を決めて聖書を作った?みたいに、 早めの時期にお釈迦様直伝の教えはこれ!って決めときゃ良かったのにねえ。 仮に、そんなもの必要ない、釈迦の志を引き継いで人生の真理を考え、実践して行くことが大事、 つーなら、仏教の看板すら要らないものであって、教団なんか解体して、 個々人が普通に学問の歴史を踏まえて現代に合った哲学・思想してりゃいいよねえ
260 :
神も仏も名無しさん :2013/11/25(月) 09:39:22.66 ID:KtIlP67n
>>259 気違いである釈迦に近づいたら、こちらも気違いになる。このスレが示すとおり。
貴重な人生の時間の無駄になるばかりか、極めて危険。「触らぬ神に祟りなし」。
261 :
伝承? :2013/11/25(月) 10:03:37.27 ID:wRX0Qtle
伝承をふまえて、伝承を革新してゆくのが真の<伝統>というものだ。 ブッダは伝承を革新どころか、革命=転回したからこそのブッダなのだ。 単なる革新者ならヤーニュジャヴァルキアに対するシャンカラと同じレベルでしかなく、 ヒンドゥーに最下級の神として祀られているのが相応しい。 しかしそれではブッダの転回の意義を深得できているとは言いがたいのだ。 『私がいま証得したこの法は、はなはだ深く、観がたく、悟りがたく、微妙にして思念の領域を超え、 深妙にして賢者のみよく知るべきものである。』(相応部6-1) 即ち、【一切門】を透過できたうえでの【般若門】の様相である。 これは史上初めてブッダのみがなしえたことである。 だからこそ宗教<革命>の名に真に相応しい。 ブッダのその後は【般若門】透過後の【還滅門】の姿であった。 ここでの議論は【一切門】さえ未透過レベルのものの妄想・狂騒でしかない。
262 :
伝承? :2013/11/25(月) 10:07:51.35 ID:wRX0Qtle
× ヤーニュジャヴァルキア 〇 ヤージュニャヴァルキア
>>182 >過去世はいつ始まったんだ?
仏教では輪廻は無始無終とされてるね、自分の頭じゃ理解できないけど(宇宙の果てがあるかないかと似てる)
ただ十二因縁で無明・行は過去世、識・名色・六処・触・受・愛・取・有が現在世、生・老死が未来世と三世にわたって苦の連鎖を説いてるから
輪廻転生を否定したら悟りそのものが成立しなくなる
それに普通に考えてもし今生だけ有って死んで無になれるのなら、何の為に一生涯かけてまで修行するのか?ということになる
輪廻して苦しんでるから常住安楽の涅槃に入る必要があるのだし、涅槃だけ説いて輪廻を否定することはあり得ない(輪廻を否定するなら涅槃も否定しなきゃおかいしい)
輪廻を否定することは仏教そのものを否定することになる
学者は智者にあらず、智者は学者にあらず
>>263 墓地管理とかの公益が認められる仕事に関して新たに保護する法律を作って、
宗教法人への保護は無くせばいいと思う
そうすればインチキ詐欺ビジネスは締め付けつつ
社会に必要な部分は残せて、だらけた伝統宗教にもカツを入れられるんじゃないかな
267 :
三時は現生なり :2013/11/25(月) 14:19:34.71 ID:wRX0Qtle
>>231 (姑息アホ)
>三時の業報の理を効い験らむるなり、爾あらざれば多く錯りて三時の業報の理を効い験らむるなり、爾あらざれば多く錯りて邪見に堕つるなり。 。
邪見に堕ちているのが外道マヒカリだ。
道元の三時業を公案と捉えず、ご都合主義的に引用するしか脳がない。
徹底的な如理作意不可能なほどに自己洗脳しているアホの境地にいるからだ。
犬には仏性が有るのか、無いのかどっちだ?
有というなら無で反論できるし、無というなら有で反論できる。
>>264 >輪廻は無始無終
過去・現在・未来はすべて現生的なる法(相応部35-70)である。
現生において「経歴」(道元)しているに過ぎない。
いわば<即去即現即未>だ。
したがって、直線にせよ、循環にせよ時間論前提の輪廻は、仏法において立論の余地がない。
肯定・否定にかまうことなく、無記ガラクタとして捨て置けばいいのだ。
『いま(
>>231 >>264 )の凡夫の見、および見の因縁、これ凡夫の見るところなりといへども、
凡夫の法にあらず。法しばらく凡夫を因縁せるの身なり』(道元 有時より)
>>231 に【菩提心門】の透過なく、
>>264 に【一切門】の透過なし。
268 :
三時は現生なり :2013/11/25(月) 14:43:49.12 ID:wRX0Qtle
訂正 誤解を生みかねないので、一部訂正 △ したがって、直線にせよ、循環にせよ時間論前提の輪廻は、仏法において立論の余地がない。 〇 したがって、直線にせよ、循環にせよ 日常的または時系列的時間論前提の輪廻は、仏法において立論の余地がない。
269 :
神も仏も名無しさん :2013/11/25(月) 15:50:30.48 ID:t9CuO30O
>>267 教えて欲しい
>犬には仏性が有るのか、無いのかどっちだ?
>有というなら無で反論できるし、無というなら有で反論できる
これはあらゆる可能性が残るから否定も肯定も断定できないと言う事なのか
それならば異論は無い、それ以外に理由が無いなら納得できる
仏性の側面に心が有るなら、犬もどうやら夢を見て夢中で走り回り
寝言も言う(犬語で)、心無くばこんな事は有るべくもなく即物的且つ刹那に生きるのみであろう
だが、犬は人間語を完全に理解し復唱し喋る事ができない
この世界は聞法によって法が法であると理解できる世界故
どんなに賢き犬と言えども聞いた法が適用できる境を理解出来る知力が足りないと思われる
だから犬の仏性は有であり無である、とこう言うことだろうか?
それともう一つ
>即去即現即未
是について詳しく諦らかに願いたく
270 :
三時は現生なり :2013/11/25(月) 16:38:28.88 ID:wRX0Qtle
>>269 道元は、『正法眼蔵』冒頭でいきなり仏道の極意を開示している。
『諸法の仏法なる時節、
・すなはち迷悟あり、修業あり、生あり、死あり、諸仏あり、衆生あり。 *←分別 :生⇔死:相対間接現実
・★万法ともにわれにあらざる時節、まどひなく“さとりなく”、諸仏なく衆生なく、生なく滅なし。 *←無分別 :非生非死:非相対直接現実
・仏道もとより豊倹より跳出せるゆゑに、生滅あり、迷悟あり、生仏あり。 *←無分別の分別 :即生即死:還滅(間接)現実
しかもかくのごとくなりといへども、華は愛惜にちり、草は棄嫌におふるのみなり。』(「現成公案」冒頭) *←仏法ゲシュタルト崩壊(Sn.1072)
>犬には仏性が有るのか、無いのかどっちだ?
無門関 1
道元 正法眼蔵 仏性 参照
『その無わづかに消石の日あるべし』
>即去即現即未
無門関 30 ⇔ 33
道元 正法眼蔵 有時 参照
『われに時あるべし。われすでにあり。時猿去るべからず。
時もし去来の相に非ずば、上山の時は有時の而今なり。
時もし去来の相を担保せば、われに有時の而今ある、これ有時なり。
かの上山渡河の時、この玉殿朱楼の時を呑却せざらんや、吐却せ坐らんや。』
懸命の如理作意に励まれんことを。
271 :
三時は現生なり :2013/11/25(月) 16:43:57.81 ID:wRX0Qtle
訂正 × 時猿去るべからず。 〇 時去るべからず。
272 :
三時は現生なり :2013/11/25(月) 17:34:09.28 ID:wRX0Qtle
訂正その2 × 時もし去来の相を担保せば 〇 時もし去来の相を保任せば 記憶のままに書き飛ばしたが間違っていたw しかし同一趣旨と受け止めてもらえるだろう。 時間は空間として(存在)一体の空であり、ことばで分別しているに過ぎず、実体はない。 仏法は不二一元論ではない。 まさに『前後ありといへども、前後際断せり』、存在は現生であり空である。
273 :
神も仏も名無しさん :2013/11/25(月) 17:46:22.59 ID:BNHFs9gV
道元さんの言ってることを、生命論的に敷衍すれば、「過去も未来も、それを 思考できるのは、今ここの生命。認識できる対象は、今ここの自然(現実)。 死者には一切不可能」ということであろう。すべて「今ここの生命」の機能。 釈迦教徒には、理解は到底不可能であろう。
>>267 >したがって、直線にせよ、循環にせよ時間論前提の輪廻は、仏法において立論の余地がない。
そう言われればそれまでだけど、ただ仏教に輪廻の思想が入ってるのは絶対間違いない
275 :
神も仏も名無しさん :2013/11/25(月) 18:46:02.08 ID:H4IL2Yqb
>>273 あなたは大きな誤解をしている
道元師も釈迦の門弟であることを
その視点で訓めば成る程と筋が通る
276 :
神も仏も名無しさん :2013/11/25(月) 20:27:15.92 ID:dkMqOisN
>>249 証明を持ちだすと全ての宗教は成立不可能。
仏教である限り、釈迦以降の全ての仏教教義の幹が釈迦の教えなのだから仮に
存在証明のない釈迦の仏説が無意味なら後代の仏教は更に滑稽なものでしょう。
無関係だが親鸞さえ存在しなかったという議論もあったらしい。
>>254 光らない電気もある。電気とはエネルギー。蓄電池に貯蔵もできる。
充電池使ったこと無いのか?
>>257 昔の日本の河原の光景は日本も似たようなものだったらしい。
人口500万人の頃に方丈記には餓死や疫病で46000人が死んでいると書かれている。
爺さん婆さんや商家の奉公人が病気で死にそうになると河原に放置していたらしい。
>>273 このスレで人気の道元禅師も悪性腫瘍で53歳でご入寂。
無常よのう。
277 :
神も仏も名無しさん :2013/11/25(月) 20:44:07.07 ID:dkMqOisN
禅宗は鎌倉以降の武家社会と密接な関係性を持って発展している。 職業軍人用の仏教。 成り立ちからこんな勇ましい仏教は龍樹以来でしょ。 血の気の多い武士には「只管打坐」がウケたのでしょうね。
278 :
神も仏も名無しさん :2013/11/25(月) 20:51:22.81 ID:dkMqOisN
鎌倉時代のお百姓さんは農作業に忙しくて「修証一如」なんて言われても食うや食わずでそれ どころでなかったと思われ。 たぶん俺のご先祖様だった昔のどこかのお百姓さんも念仏の方が魅力的だったろうなぁと想像。
悪人は大病をするって聞いたけどホントなのかな? 悪いことを考えると波動が落ちるから理論的には病気になるのは納得だけど、実際悪人は健康で元気なイメージがある
病気は肉体の宿命だと思いますね。 いつかは消耗してしまう。老衰もそうだし。 ナーバスな捕らえ方をすると病気になるのは心がけが良くないから なんて、気に病むことになるし。 だから、大切に取り扱おう、くらいがいいと思いますが。
小児癌で苦しんでいる子供に「お前が癌なのはお前が悪人だから、お前が癌なのは 心がけが良くないから」と言うんですか? 慈悲のかけらも無い人たちですね。
282 :
神も仏も名無しさん :2013/11/25(月) 21:12:46.87 ID:Jo8doFf6
>>267 :三時は現生なり
>>231 (姑息アホ)
>>三時の業報の理を効い験らむるなり、爾あらざれば多く錯りて三時の業報の理を効い験らむるなり、爾あらざれば多く錯りて邪見に堕つるなり。 。
>道元の三時業を公案と捉えず、ご都合主義的に引用するしか脳がない。
>徹底的な如理作意不可能なほどに自己洗脳しているアホの境地にいるからだ。
焦ってあまり考えずに書き込まれたようですね。
「三時の業報の理を効い験らむるなり、爾あらざれば多く錯りて三時の業報の理を効い験らむるなり、爾あらざれば多く錯りて邪見に堕つるなり。」が公案ですか?
中学生ならば直接感受できるほど実に平易な文章ですよ。
他の公案と比較すれば検証も容易でしょう。>住人各位
さらに、43才と44才の時にも業報輪廻を説かれたのも公案ですね?
流石、道元禅師は公案で「輪廻」を説くですか。。
それから、他人に対して「アホ」とか「姑息」を多用すると、いつか自身に返ってくる公知の法がありますので。。私は言いません。
283 :
神も仏も名無しさん :2013/11/25(月) 21:13:23.74 ID:dkMqOisN
>>279 五木寛之さんが終戦時の朝鮮半島からの引き上げについて、その事を書いてますね。
「悪人ほど生き延びた」と。
だから五木さんは心の深いところで「自分も悪人である」という意識をずっと引き摺っ
ていると告白してます。だから親鸞や蓮如に心酔しているのでしょうね。
「よい人」であった五木さんの母親や早世した弟さんのことについて絞りだすような
エッセイを書かれています。
そんな五木さんも80歳。
自分は浄土宗系はあまり好きではないのですが、五木さんの信仰の話はとても自然に
感じます。
悟りってとても前向きなものだよ 後ろ向きだと思ってる人は諦の意味を取り違えていると思う 道理を明らかにする明らめ(あきらめ)だから
285 :
神も仏も名無しさん :2013/11/25(月) 21:18:30.63 ID:dkMqOisN
>>281 心が清らかだからなのでしょう。
全く同じシチュエーションの話を五木さんがエッセイに書いてます。
自分にできることがあるとすれば、その人を思いつつ「ただそっと寄り添う」
だけだと。
286 :
神も仏も名無しさん :2013/11/25(月) 21:24:10.71 ID:Jo8doFf6
>>280 >ナーバスな捕らえ方をすると病気になるのは心がけが良くないからなんて、気に病むことになるし。
50年前と現在では「風邪」に対する衆生の認識も180度近く変わってきております。
・まず風邪に効く薬は無く、熱を下げるか、咳や痰を止めるかの効用でしょう。
・風邪の時の鼻水、痰、汗は汚いと言われますが、もし風邪がなければ体内に蓄積される筈の汚い物質です。
・体内に蓄積される筈の物質(老廃物、食品添加物、残留農薬、他)が縁で癌等の大きな災いが起こり得ます。
・白血球と高熱とで体内に侵入したウィルスを攻撃しなければかえって深刻な場合もあります。
以上、現代人の智恵でもこの程度の考察はできますでしょう。
同様のことが「予防接種」でも言えますが、自燈明で考えてみて下さい。
すみません、誤解させてしまって。 病気になるのは、あなたの心がけが云々という、言葉でお金を貰う商売が横行しているので ナーバスな考えはしない方がよいのでは?と言うつもりでしたが。 肉体は誰でも病気になるもの。 けして、心がけ云々ではないのでは?と言いたかったのですが。
288 :
神も仏も名無しさん :2013/11/26(火) 03:36:56.24 ID:MMBROnyy
>>282 >三時の業報の理を効い験らむるなり、爾あらざれば多く錯りて三時の業報の理を効い験らむるなり、爾あらざれば多く錯りて邪見に堕つるなり。
確かにこの文は三時(三世)を言ってるし業報輪廻の事も言及してはいる
しかし道元師のスタンスは業報輪廻自体は否定寄りの中立と正法眼蔵からは見て取れる
その上(ここ大事)
自分(道元)は否定的でも他人が業報輪廻を信じる事は否定していない
禅門家はとかく厳しい事を言うが、意外と思想的には自由を許す門とみれる
ただ、ご印可を貰うとなるとそりゃどんな世界でも厳しいw 一意の答えを答えられなきゃ門前払いの出直しだ
そうじゃないなら上記の通りで三世を例えに出し善行を奨励すらする
ポイントはだ、
ここで嘘の業報論を山車に善行を奨励しても誰も損をしないって事を利用してるのが禅門的なのだよ
俺は禅家じゃ無いが理解は出来る
道元師も頑なまでに現世向上指向で過去世来世が話しに出ても例えにしか使ってないと見れる
良く読んだほうがええよ
289 :
神も仏も名無しさん :2013/11/26(火) 03:56:44.63 ID:jW3H1/OF
俺がイマイチ禅宗に傾倒できない理由はズバリ 拈華微笑と大梵天王問仏決疑経の出自の黒歴史 是に尽きる
291 :
前世は一在家 :2013/11/26(火) 06:35:29.29 ID:DJ9tZITS
>>288 >ここで嘘の業報論を山車に善行を奨励しても誰も損をしないって事を利用してるのが禅門的なのだよ
>道元師も頑なまでに現世向上指向で過去世来世が話しに出ても例えにしか使ってないと見れる
貴兄の文章には怒りも嘲笑もなく、落ち着いているように観じられます。
もし禅門がそういう特徴を有するならば、道元禅師が業報輪廻を方便に利用したという説には一理ありますね。
ただ、少し腑に落ちないのは堂頭大禅師が『長沙の道、終に不是なり。長沙、未だ三時業を明らめざるなり』と道元禅師に言われた時も方便だったのかということです。
公案などではなく、老師大禅師は何か大切なことを伝えられたのでないかということです。それを観じてか道元禅師もメモに残しました。
以上、私レベルの如理作意です
292 :
神も仏も名無しさん :2013/11/26(火) 06:45:58.96 ID:DJ9tZITS
>>267 「菩提心は是れ諸善の根本、万行の尊首なり」と伺います。
よって【菩提心門】自称者が他人にアホ、馬鹿、姑息を多用されることも腑に堕ちません。
私レベルの如理作意です。
293 :
神も仏も名無しさん :2013/11/26(火) 07:48:32.34 ID:Myh7RsHR
>>291 世尊のしめしましますがごときは、善悪の業、つくりをはりぬれば、たとひ百千万劫をふといふとも、
不亡なり。もし因縁にあへば、かならず感得す。しかあれば、悪業は懺悔すれば滅す、また転重軽受す。
善業は、随喜すればいよいよ増長するなり、これを不亡といふなり、その報なきにはあらず。
と有る様に、全ては善行のために考えられての行動や思考なのではと思う
それと
http://iriz.hanazono.ac.jp/pdf/st03/st03_0303.pdf 道元師と言えども、世法の中にあっては色々俗な行動もされた様ではある
禅家は比較的順逆の二縁に沿った説法をする帰来が見受けられる
大抵は順逆の縁で同じ法を説いて要らぬ争いを起す真似は避けてる様だ
この辺は同時代の日蓮坊と大違いな気がする
さて、仏法の多くは三世を説くが、これが全て善行を成させんが為の方便なら
例え空言の事となっても誰も損はしない筈である
過去世の因で現在こんな不自由を強いられている、と言われ一念発起し現世に善行の限りを尽くす者
来世に負の果報を得ると言われ、一念発起し現世に善行の限りを尽くす者
このどちらでも世間には善智識となり世の為となろう?
三世を一生の内の過去現在未来とも取れるので、業報論も満更嘘ではない事にもなる
しかし、仏教本来では涅槃寂静を説くので三世の輪廻はほど無く収束す、となる
294 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/26(火) 09:38:42.29 ID:B/ZFUEhu
>>288 >良く読んだほうがええよ
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
無理無理wwwww
キチガイ在家は、とにかく、自分のオカルト宗教に利用できそうなものは、
全体の趣旨など全く無視で、片言だけを切り取って勝手に捻じ曲げて自己正当化に
使用するのwww このスレの多くの者に何度、注意されても改めようとしない
カスですww
残された道は、自分の頭に手かざしして治すしかないか?www
295 :
神も仏も名無しさん :2013/11/26(火) 10:51:31.18 ID:56KWMcpE
>>275 >あなたは大きな誤解をしている
誤解しているのは君のほう。道元は、中論の直系。西洋の仏教学者は、釈迦と中論との
巨大な隔絶は、世界宗教史における稀有の例とまで言っている、「龍樹」(中村元著)を
一読されたし。
この世の業報は説かれて当然のものだと思います。 善因善果、悪因悪果で道徳的な教えでしょう。 しかし輪廻(生まれ変わり)と絡めて業報輪廻となるとオカルトであり有害ですらあります。 生まれながらの奇形児や小児癌の子供に対して「お前の前世の業によりそのような目にあうのだ〜」 と言うのは慈悲のかけらも無い人間の言葉です。例え言葉に出さずとも腹の中で思っているだけで 同様です。
297 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/26(火) 11:49:40.36 ID:B/ZFUEhu
298 :
チラ裏 :2013/11/26(火) 12:04:50.54 ID:YfOsdf1I
時代兒合わなくなっているのは事実だな。 たとえば、昨今判決の出た非嫡出子の財産分与の問題も、 今でこそ、違憲、問題となるけれども、一昔二昔前は、 「待遇に差別を設けて」「各家庭の枠及び系譜を守る」ことに、確実に効果があったわけだから。 (個人的には、今でも、若干の待遇の差異は設けられて然るべきだと思っているが・・。) 昨日、夕方のNHKで、檀家制をやめた埼玉のお寺のニュースがやっていた。 これ(檀家制及び「○○家」という繋がり)も、時代に合わなくなっている事案の一つだろう。 「縦の系譜無き個の集積」(特に西洋的個人主義の完全勝利)という社会が良いことなのかどうかは、 数百年後にしか答えは出ないであろうが・・・。 今回の秘密保護法案にしても、拙速・不備な面はあるにしても、 その必要性に疑問を持つ者は極少数の特殊な人たちだけだろう。 勿論、個の重要性が蔑ろにされてよいものではないが、 個を尊重するあまり、所属社会集団の利益が損なわれるようであれば、本末顛倒と言わざるを得ない。 このバランスをとっていくときの指針に、(本来はw)仏教は役立っていくものなんだろうけれど・・・。
299 :
神も仏も名無しさん :2013/11/26(火) 12:06:45.68 ID:bMCix+wX
5才ぐらいまでの子供の病気は親や一族のカルマという説もある
>>296 より正確には、善因楽果、悪因苦果、らしいよ
>>296 バカだなぁ〜
因果応報を道徳的な教えとするならば、どうしてもそれを修正できない人・・・
やりたくなくてもやってしまう人・・・ などは、永遠に救われないことになる。
業というのは個人の力ではどうにもならない。
我で我の業をぬぐおうとしても、まさに、血で血を洗うが如し。
永久に汚れをぬぐうことは出来ない。
一生懸命、業を良くしようとする・・・・ だけだったら、ますます我の執着が強まるばかりだろう。
そこに業を超えるものがあって、始めて、道徳的努力が意味を持つ。
我の自分が良くなる・・・ 我の自分が気持ちいい・・・ 我の自分が素晴らしい行いができる・・・
もしこう思ってるんなら、それは仏教じゃない。
これらすべての我を超えることが、仏教なのだから・・・・。
302 :
神も仏も名無しさん :2013/11/26(火) 16:24:43.76 ID:Myh7RsHR
>>294 誰と間違えてんのか知らんが所詮業報輪廻など妄執に過ぎんだろ?
今世が得体の知れん不本意な過去世に脅かされてると妄執するなら
今確り行いを整える様に気付けば良いし、来世が心配なら尚更だ
所詮方便に過ぎないし、人智の及ぶ範囲は逸脱してる
言っても聞かない愚痴のものには目線を合わせて教導する
慈悲の第一歩はそこからだろ
手翳しやらの術やマヤカシなど論外だ
>>295 仮にそうでも、一応仏門の弟子を信条としてた人だから
まあそれでも鎌倉仏教は誤謬に満ち溢れてるので限度はあるのは確か
>>296 その通りだと思いますよ
>>301 >因果応報を道徳的な教えとするならば、どうしてもそれを修正できない人・・・
>やりたくなくてもやってしまう人・・・ などは、永遠に救われないことになる。
仏法否定
当に外道乙
303 :
神も仏も名無しさん :2013/11/26(火) 16:34:09.63 ID:Myh7RsHR
>>301 >これらすべての我を超えることが、仏教なのだから・・・・。
ひろさちや辺りを誤読でもされたのかどうしようもない誤謬だと思いますよ
我を超えるのが仏教?
兎角妄執し過ぎて離れない「己我」には本来実体など無いのだから執着するな
と言うのが仏教の言う所の自己改善の土台なんですが
もうちょっと色々良く読んだ方が良いですね
>>301 > これらすべての我を超えることが
> 仏教なのだから・・・・。
無明とは、「自他分別」のことをいい
自他を設けるから有為の世界を輪廻します。
自他を設けなければ、無為であり
それが涅槃の境地です。
つまり、「自他無分別」が仏道の目的なのでは?
306 :
神も仏も名無しさん :2013/11/26(火) 18:04:06.80 ID:Myh7RsHR
>>305 そのスレを覗く人がこのスレに書くならもう少し学んでからの方が効率的かと思います
特に祈念等は仏教の本義ではありません
やるだけは全て尽くした、あとは祈るばかり
程度のものです
※ナンミョウやアビラウンケンやナンマイダブやアーメンやインシャラー等の仏教紛いや外道は除く
何でそれは仏教には関係ないよって話なのに 注釈で他宗教貶してんの?
>>306 本義とかw 馬鹿?
・「祈り」(≒回向)というものの仏教的位置付け
・あのレスの如く、「願って願って、叶わない」ことへの悲嘆、あきらめ、恨み言等々
が発せられてしまう理由
・あのレスの如く、「願って願って、叶わない」現実に直面している者への
仏教的言葉
どの辺が、このスレ的でないんだ? どの辺が仏教的でないんだ?
「無い物ねだりは仏教でない」なんて、スーパーの値札を掲げて得意顔かw
悲嘆に暮れる者の顔に上記値札を突きつけて、目を覚ませー!と胸倉掴んで怒鳴りつけるのが仏教かw
ネタフリとしてレスを読めないお前さんの方が、 >もう少し学んでから だろ。
┐(´ー`)┌
309 :
神も仏も名無しさん :2013/11/26(火) 19:16:44.61 ID:Myh7RsHR
310 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/11/26(火) 21:33:23.96 ID:DJ9tZITS
>>294 >キチガイ在家は、とにかく、自分のオカルト宗教に利用できそうなものは、
>全体の趣旨など全く無視で、片言だけを切り取って勝手に捻じ曲げて自己正当化に
>使用するのwww このスレの多くの者に何度、注意されても改めようとしない
それは貴兄の私への妄執かも知れませんね。
今回の日本仏教の各祖師の輪廻に関する語録も、道元禅師の三時業の話も私が考えたものではないことを最初に申しておりますので。
仏教内部からも現状への考察と反省と今後の展望が生まれてきているということです。
多分、住人の中でも?氏くらいは元ネタがどこだったのかは分かるでしょう。セブン氏も分かるかも。。
でも、私への思い込みが強すぎるお二人には思い出せないでしょうね。
道元禅師は輪廻は否定しないが、強調することもなかったと本スレ住人の方が言ってましたね。
もし極当たり前の法であれば、当然否定はできませんので「否定しない」が、
自身の特徴にもならないので「強調することも無かった」のだろうと思料します。
当り前だから、20代、30代、40代、晩年まで折に触れて著書に残されました。
以上、如理作意です。
原始仏典のあちらこちらに「輪廻のことは正しい禅定をすれば分かる」と明記されておりますので、
禅定で日本屈指とも言われた道元禅師がご存じでないとお思いでしょうか?
あまり禅師に恥をかかせないように。。
>>309 信じることの基本はね、困っている人に自分でとらせることなんだよ
それを作為的にするようになるとマインドコントロールにつながるんだが
自分でやった感を与えてやることは大事だよ
312 :
神も仏も名無しさん :2013/11/26(火) 22:42:54.77 ID:JpmzmZyC
ネパールで世界一古い 仏教寺院が見つかった!お釈迦様の時代の物!?
315 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/26(火) 23:12:56.09 ID:B/ZFUEhu
>当り前だから、20代、30代、40代、晩年まで折に触れて著書に残されました。 wwwwwwwwwww こういうところが、ホントにこいつのカスのところww こういう書き方すれば、道元が如何にも、自己の教説の重要部分として 輪廻を説いていたかのように錯覚させられるからなwww 実際は、「他のことを説く折に、唯、言及しただけ」「師匠の言説の覚書に 出てきただけ」wwwwwww それを引っ張り出してきて、如何にも「道元が輪廻を自己の仏法の根幹として 説いていたかのように捻じ曲げる」wwwww アホかww 道元が、輪廻についてきちんと話した言えるのは「最晩年の三時業だけ」だよw それ以前には、道元が輪廻業報を説いていたという記録は無しww 「当たり前だから言ってなかった」?????wwwww んじゃ、そいつが言ってないことは、全てそいつが「当たり前と思い肯定していた」わけか?? 言わないことは、全て肯定か?wwwww まさにキチガイの発想ww こいつは、アインシュタインのときもそうだったが、全体の趣旨など全く無視w 自分が利用できそうなとこだけ引っ張ってきて、利用するw そして、何度、避難されても、ほとぼり冷めた頃、繰り返すww まさにカスの極みww
>イギリス、ユニバーシティ・カレッジ・ロンドンの考古学者ジュリア・ショー(Julia Shaw)氏は、 >「木造寺院と欄干の存在は間違いないだろうが、即断は禁物だ」と注意を促す。 >「必ずしも仏教の寺院とは限らない」。 >同氏によると、 >単純な祭壇を設けて樹木をあがめるという風習は、古代インドに広く見られるという。 >「仏教と仏教以前の古代宗教は似ている部分が多く、 >ルンビニの木造寺院も仏教とは関係がない可能性がある」。
317 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/11/26(火) 23:34:57.07 ID:DJ9tZITS
>>315 パーピマン氏
>実際は、「他のことを説く折に、唯、言及しただけ」「師匠の言説の覚書に
>出てきただけ」wwwwwww
>それを引っ張り出してきて、如何にも「道元が輪廻を自己の仏法の根幹として
>説いていたかのように捻じ曲げる」wwwww アホかww
>>310 >道元禅師は輪廻は否定しないが、強調することもなかったと本スレ住人の方が言ってましたね。
もし極当たり前の法であれば、当然否定はできませんので「否定しない」が、
自身の特徴にもならないので「強調することも無かった」のだろうと思料します。
当り前だから、20代、30代、40代、晩年まで折に触れて著書に残されました。
私の上記かきこのどこに「道元が輪廻を自己の仏法の根幹として説いていたかのように捻じ曲げる」
箇所がありますか。「当り前」と「根幹」とは意味が異なることは分かるでしょう。
閻魔氏に「如理作意せよ」と言われますよ。 貴方は怒り過ぎで平易な文章も読めていないように感じます。
318 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/11/26(火) 23:41:56.81 ID:DJ9tZITS
>>315 >実際は、「他のことを説く折に、唯、言及しただけ」「師匠の言説の覚書に
>出てきただけ」wwwwwww
「行持(下)」 ☆道元、43才
この黒業は今日の業力のみにあらず、宿生の悪業力なり。
今生ついに如来の真訣をきかず、如来の正法をみず、如来の面授にてらされず、如来の佛心を使用せず、諸佛の家風をきかざる、かなしむべき一生ならん。
「仏道」 ☆道元、44才
多生の値遇奉覲(ちぐうぶごん)をちぎるべし、これをもて多生の見仏聞法をねがふべし。
↑上記の説法が唯の言及でしょうか? 曹洞宗の方のコメントをお待ちします。
319 :
神も仏も名無しさん :2013/11/26(火) 23:43:25.15 ID:II+67ULV
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE = カルト教団 崇教真光一信者
320 :
神も仏も名無しさん :2013/11/26(火) 23:44:18.04 ID:II+67ULV
神道事典 國學院大學日本文化研究所編集 弘文堂H6年初版 編集委員 井上順孝 (國學院大學日本文化研究所教授)他より引用。 世界真光文明教団、創始者、岡田良一(475頁) は、「世界救世教の支部長」をしてい たが、昭和34年(1959)、五日間の高熱から覚めると「天の時到れるなり。起て、光玉と 名のれ。手をかざせ。厳しき世となるべし」との神示を受け、L・H(ラッキー・ヘルス) 陽光子友乃会を設立し活動を開始、翌年宗教法人となった。 戦後、山梨で知り合い、光玉の養女となった、崇教真光の岡田恵珠氏は(本名・甲子) 昭和4年(1929)12月16日生まれで、光玉が救世教を解雇されると同時に、 救世教を脱会、文明教団を盛り立てたが、初代教え主(光玉)亡き後、二代 教え主の 就任をめぐる裁判に敗訴し、昭和53年新たに「崇教真光」を設立した。 世界真光文明教団も「神示」により立教し、教義を構築して行ったと伝えられていますが、 そして出来上がった教義は、誰が見ても寄せ集めと分かる内容になっている。
321 :
神も仏も名無しさん :2013/11/26(火) 23:47:29.37 ID:DJ9tZITS
また自称【菩提心門】透過者は他人のことをアホ、馬鹿、姑息と罵倒するようです。 もし、そうであれば私は他の門をくぐることに致します。
322 :
神も仏も名無しさん :2013/11/26(火) 23:51:37.94 ID:DJ9tZITS
323 :
神も仏も名無しさん :2013/11/27(水) 00:00:09.25 ID:3ISKDivs
>>315 パーピマン氏
>こいつは、アインシュタインのときもそうだったが、全体の趣旨など全く無視w
元の英文をどういうニュアンスで訳すかということです。最近、来られた方にご参考までに再掲します。
パーピマン氏のご批判が尤もなのかは、英語の読める方々の自燈明にお任せ致します。
アインシュタインの言葉(1954年、昭和29年)
主旨:神は謎だが、分かり易い謎である。私は自然の法則を観察した時に畏敬のみを持つ。法則には立法者がいるはずだ。
元テキスト:
Einstein referred to his belief system as "cosmic religion(宇宙宗教)" and authored an eponymous article on the subject in 1954,
which later became his book Ideas and Opinions in 1955.
The belief system recognized a "miraculous order(奇跡の秩序) which manifests itself in all of nature(自然) as well as in the world of ideas,"
devoid of a personal God who rewards(報償) and punishes(罰) individuals based on their behavior.
It rejected a conflict between science and religion(科学と宗教の間の対立を拒否), and held that cosmic religion was necessary for science.
He told William Hermanns in an interview that "God is a mystery(神は謎). But a comprehensible mystery(分かる謎).
I have nothing but awe(畏敬のみ持つ) when I observe the laws of nature(自然の法則). There are not laws without a lawgiver(立法者), but how does this lawgiver look(どう見える)?
Certainly not like a man magnified." He added with a smile "some centuries ago I would have been burned or hanged(数世紀前なら焼身刑か絞首刑にされたであろう).
Nonetheless, I would have been in good company."
324 :
神も仏も名無しさん :2013/11/27(水) 00:03:41.37 ID:6/nZVHmM
325 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/27(水) 00:19:57.72 ID:hYsQ3w68
だから、アインシュタインが、いわゆる神の存在を肯定していたなんて 言ってるバカは、「お前一人」だってwwwwwwww キリスト教徒でさえ、そんなこと言っとらんわwwww おまえは、アホだから、ただ英文中の lawgiver という擬人表現をそのまま 神の肯定と考えただけw 以下、アインシュタインの言葉wwww 「神という言葉はわたしにとって言葉以上のものでなく、人間の弱さが作り出したものにすぎない。 聖書は、高潔だが原始的な言い伝えをまとめたもので、やはり子どもじみている」 「どんなに素晴らしい解釈が登場しようと、この考えは変わらない」 wwwwwwwwwwwwwwwwww これのどこをどう読んだら、アインシュタインが神を肯定していたとなるわけ?????
326 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/27(水) 00:32:43.93 ID:hYsQ3w68
ちなみに、上記の英文にしても、アインシュタインは、はっきりと 「賞罰を与える超常的存在を否定しているの」wwwwwww このバカは、There are not laws without a lawgiver(立法者), ここだけを取り出して、アインシュタインは神を肯定したいたとやるわけww いつもそう、このバカはw 一部だけ取り出して、全体の趣旨を捻じ曲げるww そこは単に「法則には必ず、そのようになった原因というものがある」 という科学的因果律のことを言ってるだけw だから、すぐあとに 修辞疑問の形をとって、but how does this lawgiver look(どう見える)? と、続くわけww 「ほら、いわゆる神などではないでしょ?」 ってなww そして最後は、He added with a smile "some centuries ago I would have been burned or hanged(数世紀前なら焼身刑か絞首刑にされたであろう). Nonetheless, I would have been in good company." これwwwwwwwww 無神論者の自分は、一昔前なら、殺されてたろうがね ってwwww
327 :
神も仏も名無しさん :2013/11/27(水) 01:56:45.30 ID:b70xU4SR
★「神をたたえよ」、米下院で速記官叫ぶ 議員らあぜん 2013年10月18日 14:38 発信地:ワシントンD.C. 米連邦議会下院で16日夜、米政府の債務上限引き上げ法案の採決の最中に突然、速記官の女性が 「神はあざけられることはない」などと叫び出すハプニングがあった。米メディア報道によると この速記官は17日、「聖霊に従った」と説明したという。 この速記官は米メディアによってダイアン・リーディ氏と特定された。リーディ速記官は連邦 債務を引き上げて政府機関の一部閉鎖を解除するための法案の採決が行われていた下院の演壇に 上り、議員や職員らがあぜんと見つめる中、大声でこう叫び始めた。 「神はあざけられることはない。神はあざけられることはない。この場における最大の欺瞞 (ぎまん)は、この国が神の下にある1つの国ではないということだ。そうだったことは一度もない」 「(米)憲法はフリーメーソンらによって書かれたわけではない。彼らは神に反する」 リーディ速記官は他の職員によって退場させられ、米首都警察に連行された。報道によれば、 速記官はエレベーターへと誘導される際、さらに「2人の主人に仕えることはできない。 神をたたえよ!主なるイエス・キリストは永遠に世を治める」と叫んだという。 「フリーメーソン」は起源を中世にまでさかのぼる友愛組織で、米合衆国憲法に署名した39人 のうち13人が所属していた。 AFPの取材に応じた首都警察によると、速記官は事情聴取を受けたが逮捕はされなかった。 その後、経過をみるため病院へ連れて行かれたもようだという。
328 :
神も仏も名無しさん :2013/11/27(水) 02:10:36.26 ID:Nx7kDNyq
>>310 真光くんはどうしても道元が業報輪廻を認めて教義の根幹にしてたって言い張りたいんだねw
真光じゃそう言う教えなのかい?
329 :
神も仏も名無しさん :2013/11/27(水) 03:49:13.64 ID:Nx7kDNyq
本気で仏教を習いたいなら先ずお光さん信仰を捨てるべきだな 仏教の粗探しの為の研鑽とかはイギリスが既にインド植民地政策の為に散々やって惨敗してる 今更お光さん信仰如きの幼稚な教義に染まった愚痴のものがアレコレやっても太刀打ちは出来ないよ
330 :
? :2013/11/27(水) 05:06:51.14 ID:mOp2Us6w
>>310 前世は一在家 さんへ
> 住人の中でも?氏くらいは元ネタがどこだったのかは分かるでしょう
↓ これしか知りません
漢訳 第一義空經
//www28.atwiki.jp/buddha/pages/17.html
此の陰滅し已らば異陰相續す
色 → 受 → 想(無明) → 行 → 識 → 異蘊相続 → 又、次の五蘊へと心相続して逝く
瑜伽師地論(ゆがしじろん)の場合は
//reigaku.jugem.jp/?eid=424
人が死ぬ時に
我愛と、戯論(けろん)と、善悪業によって
中有が形成される
その中有が次ぎに生まれるべき処を求めて
母胎に入り、そして、出生に至るる
331 :
神も仏も名無しさん :2013/11/27(水) 05:44:25.52 ID:Nx7kDNyq
■■■ 真光関係者集合!!(73)■■■ 249 :神も仏も名無しさん:2013/04/25(木) 19:04:06.38 ID:8WvcYTON 一在家(源伸)ちゃんは教団幹部なの? 650 :神も仏も名無しさん:2013/04/25(木) 16:27:21.78 ID:HYDW0g8Z >649 自称『ビジネスマン』が昼間から2ちゃんねる三昧とは、笑わせる。 ホントはマヒカリ勤めのカルトビジネスマンでしょうw 651 :神も仏も名無しさん:2013/04/25(木) 17:29:21.14 ID:8WvcYTON 前世は一在家 ◆2o6x38TRbE = 源伸 真光スレに 「昼間から2CHに書き込んでいるのは、ニートか引きこもりだ!」 と書き込んでいたけどw 652 :前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/04/25(木) 17:42:36.61 ID:Cj9/54qw >650 >自称『ビジネスマン』が昼間から2ちゃんねる三昧とは、笑わせる。 どこが三昧ですか。 昼間はせいぜいお昼休みかシフトした休憩時間にかきこ位ですが。 >650 >651 そういう君たちはどうよ?
332 :
神も仏も名無しさん :2013/11/27(水) 05:51:12.71 ID:Nx7kDNyq
Q このスレで手かざしやってたら金粉がタライいっぱい降ってっき
ましたって体験談話して?
A
939 :前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/19(火) 00:32:54.33 ID:c8booa7b
降ってきたという話でなく、タライというよりも洗面器一杯をひっ
くり返したような金粉が部屋の畳一面に現れたという30年以上前
の話ですよ。その場には私を含めて3名がおり、スプーンで金粉を
すくって食べてみましたが、
実体感も味も無い不思議な体験でした。
まあ弘法大師が天皇の御前で全身から光を発したという逸話もその
場に居合わせた当時の仏教界トップの面々以外は信じられないでし
ょうが、私は自身の神秘体験から十分にあり得ると思っております。
現代の仏教界ではこのような神秘体験はもう起こらないのでしょうか。
証果がまだあるというチベット仏教では多分あるかと存じます。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/3760/1220516248/99
333 :
? :2013/11/27(水) 06:25:17.12 ID:mOp2Us6w
>>330 の続き
第二十六章 十二の鎖の環(十二因縁/十二縁起)の考察
1.
無明の暗に覆われて人はその者自身を
未来の生へと追いやることになる性質を持った三種類の行為を行う(カルマを積む)
2.
そのものの原因(縁)となるような性質(行)を持つことで意識は転生(趣)へと入って行く
ひとたび意識が転生へと入って行くと名前(名)と形(色)が現れてくる
6.
感受によって条件づけられたものが渇愛である
渇愛は感受のせいで生じる
それが生じるとき、固執/掴むこと(取)も生じる
334 :
神も仏も名無しさん :2013/11/27(水) 06:31:35.56 ID:3ISKDivs
>>325 :パーピマン氏
>「神という言葉はわたしにとって言葉以上のものでなく、人間の弱さが作り出したものにすぎない。
聖書は、高潔だが原始的な言い伝えをまとめたもので、やはり子どもじみている」
>>326 :パーピマン氏
> ちなみに、上記の英文にしても、アインシュタインは、はっきりと
「賞罰を与える超常的存在を否定しているの」wwwwwww
顕在意識ではアインシュタインは「神を否定」しておりますが、貴兄の自燈明は「賞罰を与える神を否定」と言ってるように観じられます。
私もアインシュタインは「賞罰を与える神を否定」したことには同意しております。
道元禅師とも似て、アインシュタインも年齢とともに発言内容にもゆらぎがあるかと思料します。
>おまえは、アホだから、ただ英文中の lawgiver という擬人表現をそのまま神の肯定と考えただけw
これはパーピマン氏の見解で、住人各位がどう観じられるかはお任せします。
335 :
神も仏も名無しさん :2013/11/27(水) 06:33:16.23 ID:w8HtZEn3
>>323 在家氏の英文解釈の誤りである。アインシュタインが神を認めていたのなら、
「数世紀前に、焼身刑や絞首刑に処せられる」訳がない。
"Nonetheless I would have been in good company"の訳は難しいが、「私の
ような考えの人は、他にもいた」の意味だろう。例えば、"In this respect
he sinned in good company"は、「この点で彼ばかりとがもべきではない」の
意味。
アインシュタインは、一般には無神論者に分類されている。
336 :
神も仏も名無しさん :2013/11/27(水) 06:39:33.72 ID:3ISKDivs
>>328 >真光くんはどうしても道元が業報輪廻を認めて教義の根幹にしてたって言い張りたいんだねw
>真光じゃそう言う教えなのかい?
所属グループのテキストの中では道元禅師を含めて日本仏教の各祖師達の輪廻に関する説法には触れておりません。
グローバルで100万人近いグループの中でも私は標準的(代表パターンの意)メンバーではなく、珍しいレアポケモンのようなものです。
他の人達は原始仏典や原始キリスト教文献など読まず、ただただ毎日正座して手かざしをしておりますので、誤解なきよう。
337 :
神も仏も名無しさん :2013/11/27(水) 06:53:38.89 ID:SdeypUxX
>>336 御託はいいから手かざし真光を辞める勇気を示せ
話はそれからだ
釈迦は「汝の信仰を捨てよ」と申された
仏法を習いたくば従うべき
338 :
? :2013/11/27(水) 06:55:19.25 ID:mOp2Us6w
>>330 と
>>333 の続き
中論卷第四 龍樹菩薩造梵志青目釋 姚秦三藏鳩摩羅什譯 觀如來品第二十二
如来は、戯論を過ぎるが、而し
人は、戯論を生ずる、戯論は、慧眼を破る
中論觀涅槃品第二十五
諸の因縁を、受けるが故に、生死の中を輪転する
如実に、顛倒を知らないが故に、五受陰に因って、生死を往来する
中論觀四諦品第二十四
一切の法は、性空だが、而し
世俗諦とは、世間は、顛倒の故に、虚妄の法を生じ、世間には、是れが、実である
衆生を引導するが故に、仮名の空を以って説いた
339 :
神も仏も名無しさん :2013/11/27(水) 07:01:57.66 ID:DAfI1uKR
(菩提樹文庫 法話・31の世界より) 「カルマによって次の世界へ行く場合、31 の世界があります。 31 の地があり、無色界禅を修行していた人たちは、望めば一番高いところにある、 5、6、7、8 禅に相当する 世界に生まれることができます。 第 1 禅定から第 4 禅定の色界禅を修行していた人たち は、それに相当する世界に生まれ変わります。 このような世界は、善き人たちが集まる ところです。 また、禅定には入っていないが、お布施をしたり、出家していなければ五戒をしっか り守った人、 瞑想に励んだ人たちは天界に生まれ変わります。天界は、さらに 6 つの世 界に分かれ、 6 つの境地があります。」らしいよ。
アインシュタインは、無神論者に分類される ↓ だから ジョルジュ・ルメートルの説は当時の科学界に激しい反応を引き起こした エディントンはルメートルの考え方を不愉快だと感じていた アインシュタインも彼の理論の正しさに疑いを持っていた なぜなら、(アインシュタイン自身の言葉によれば) ルメートルの理論はキリスト教の天地創造の教義を強く連想させ 物理学の視点からは正当とは認められないものだったからである これを発端として、宇宙論と宗教の論争が数十年にわたって続くこととなった
341 :
神も仏も名無しさん :2013/11/27(水) 07:16:36.30 ID:C+Lc5uJP
〇アインシュタインと神 アインシュタイン博士は、人格神(personal God)については否定的な見解を示しています。 しかし、非人格的な神、彼はこれをスピノザ的な神といっていたが、には肯定的です。 非人格的な神と人格神は、ヒンドゥー教でいえばブラフマンとブラフマーであり、彼はブラフマンには肯定的 ですが、ブラフマー的ないわば人の姿をした「賞罰」を与える人格を持つ神には現実性を感じていません。 人格神の否定は、数世紀前なら火あぶり、縛り首になっただろうということです。ちなみにcosmic religionは 「普遍的宗教」の方がいいでしょう。
342 :
神も仏も名無しさん :2013/11/27(水) 07:26:04.89 ID:SdeypUxX
どう見ても真光の正当性を既成聖典類から引き出そうと必死になってる様にしか見えないな カルマは業の事だが、前世とか来世のそれはどうでも宜しいがな 前来世が有る無い以前に現世改善には役に立たん だからどうでもいいって結論なのに、拘るやつは頭おかしいんじゃ無いかと 統失とか人格障害とかの奴は治らない障害を抱えてる故に現世で原因探して 前世に責任転嫁したくてウズウズな奴が多いのはオカルト板見ると良く解る 在家よ、お前もその類なのか?
343 :
神も仏も名無しさん :2013/11/27(水) 07:38:35.75 ID:SdeypUxX
統失やら各種人格障害を抱えてる奴は気の毒だが 俺から見たらそう言うのはちょっと小煩い精神不安定な左利きみたいなもんだと思うよ 問題なのは前世や来世じゃ無い、今をどう生きるかだろ 毒矢が刺さってるのに毒の種類や誰が射った矢なのか身分は生まれは男女の別はと それが解るまで矢を抜くな治療もならんって逸話も尤もだし 矢を抜かなくても手かざしで・・・ とかは正しく毒矢の例えの通りだ 前世来世の真偽が解るまで納得できない 釈迦はそれが現世に於いて時間の無駄だと仰せである 須く今の生活に手当てをすべきである
344 :
神も仏も名無しさん :2013/11/27(水) 07:43:20.92 ID:lV9g41X5
確かに前世来世は、修行者がこだわっても仕方ないかもしれない。 しかし、修行を進めて行けばいずれ前世来世は釈迦が十二因縁を悟ったように、 見ることになるだろうし、 そもそも、前世来世にこだわっていてもこだわらなくても、 修行してないんじゃ結局、同じ穴の狢ですよ。
> 瞑想に励んだ人たちは天界に生まれ変わります //www.ne.jp/asahi/sindaijou/ohta/kenkyu1/fl-shokibukyo/shoki-soujumetu.htm 「四禅」の後に、さらに、無色界の四処定(空無辺処、識無辺処、無所有処、非想非非想処) 想受滅は、それをも超えた位置に置かれていて、この想受滅の直後に「解脱」するとされる 想受滅においては、その呼称のごとく「想」と「受」が滅するのであるが 諸根(眼耳など)の働きはあるが、心作用のうち受、想、行が滅している
346 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/27(水) 07:55:06.21 ID:hYsQ3w68
>これはパーピマン氏の見解で、住人各位がどう観じられるかはお任せします。 住人各位 どころか、世界中で誰一人、アインシュタインは有神論者だった なんて言う奴はいないんだがwwwwwww このバカは、また、ほとぼり冷めた頃に、繰り返すんだろうなww っま、このキチガイが、自己正当化のために、利用できそうな部分だけ恣意的に 抜き出して利用するカスだということが、皆に分かるだけでもよしか?wwwww
> 前世来世の真偽が解るまで納得できない //www.dia.janis.or.jp/~soga/subindex.html 世尊は、輪廻を方便として、輪廻から解脱する為の、正しい知恵を説かれた 永遠ばかりを探して、凝り固まり、変化を見ることに慣れていない この人達の為に、無我・縁起・空を観察する為の練習が必要だ 想受を滅させて 無明滅するが故に行滅し、行滅するが故に識滅して 解脱すれば仏だと言う事に 気づくまでは、気づくことは難しい
348 :
神も仏も名無しさん :2013/11/27(水) 08:18:22.98 ID:k1to7uHD
1050 師は答えた 「メッタグーよ。そなたはわたしに苦しみの生起するもとを問うた。わたしは知りえたとおりに、それをそなたに説き示そう。 世の中にある種々様々な苦しみは、執着を縁として生起する。 1051 実に知ることなくして執着をつくる人は愚鈍であり、くり返し苦しみに近づく。だから、知ることあり、苦しみの 生起のもとを観じた人は、再生の素因(=執着)をつくってはならない。」 1053 師が答えた、 「メッタグーよ。伝承によるのではなくて、いま眼のあたり体得されるこの理法を、わたしはそなたに解いて明かすであろう。 その理法を知って、よく気をつけて行い、世間の執着を乗り越えよ。」 1055 師が答えた、 「メッタグーよ。上と下と横と中央において、そなたが気づいてよく知っているものはなんであろうと、それらに対する 喜びと偏執と識別とを除き去って、変化する生存状態のうちにとどまるな。 1056 このようにして、よく気をつけ、怠ることなく行なう修行者は、わかものとみなして固執したものを捨て、 生や老衰や憂いや悲しみをも捨てて、この世で智者となって、苦しみを捨てるであろう。」 1146 (師ブッダが現れていった)、 「ヴァッカリやバドラーヴダやアーラヴィ・ゴータマが信仰を捨て去ったように、そのように汝もまた信仰を捨て去れ。 そなたは死の領域の彼岸に至るであろう。ピンギヤよ。」
349 :
神も仏も名無しさん :2013/11/27(水) 08:33:25.96 ID:26LnoGLm
最高を求めて、終わりのない旅をするのは きっと僕らが生きている証拠だから 現実に打ちのめされ倒れそうになっても きっと前を見て歩くドリームファイター みんなが言う「普通」とは、何だかんだで実際は多分 真ん中じゃなく理想に近い、しかし普通ではまだ物足りないもの 「このままで居れたら」と思う瞬間まで、遠い遠い遥か先まで・・ 最高を求めて終わりのない旅をするのは きっと僕らが生きている証拠だから もし、つらいこととかが有ったとしてもそれは 君がきっとずっと諦めない強さを持っているから 僕らも走り続けるんだ 零れ落ちる涙も全部宝物 現実に打ちのめされ倒れそうになっても きっと前を見て歩く Dream Fighter と、ヤスタカ尊者でさえ仰せであるw
350 :
神も仏も名無しさん :2013/11/27(水) 08:59:00.18 ID:q92/7SkE
我々仏法者が釈迦に代わってその教えを伝法すると言うのは 現代の作法で言うならアマゾンやカカクでのレコメンドやレビューと同じなのである 鵜呑みにしてはならないのは言うまでもない 確かめるのは自分であり、正しきを心得るのもまた自分なのである 良く吟味し実践するのはあくまでも自分であって他者では無い 頼りの尺度は道理なのであって、尺度を道理にしてはならないのである 自灯明法灯明とはそう言う意味であり、自灯明と法灯明を分けて考えてはならない 二つで一つなのである 何故なら、わが身は道理の中に住するのであり、釈迦は道理の中に法を説いているからである 釈迦もまた、道理の中に住する賢人であらせられた 釈迦の時代の太陽は今の時代でも太陽である 時代は違えども世の真理もまた、今も厳然と真理であり続けているのである あれも一生であり、これも一生である 何を疑う事があろうか 万事後悔無き様に幸多からんことを
351 :
神も仏も名無しさん :2013/11/27(水) 09:38:53.58 ID:z781CIi+
352 :
神も仏も名無しさん :2013/11/27(水) 10:02:22.78 ID:C+Lc5uJP
>346 バカ、キチガイ、カス アインシュタインの考えどうこうより、パピーマンはまともな言葉遣いができないみたいですね。 正語という観点からみて、相手の方がより仏道を理解していると言えますね。 理論よりも、実践ではかられるのが仏道ですからね。経文を全部暗記していても、愛語一つでき ないなら、まるで無駄な時間をすごしてるだけということです。特にネットでは対面していない ので、その人の人格がよく見えます。
353 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/27(水) 10:09:03.87 ID:hYsQ3w68
>>352 誰だ? おまえwww
俺は、慇懃無礼なバカには容赦ないのwww
お前も、そう?www
なんか、クリスチャン系のアホっぽい臭いがするんだがwwwwww
>>352 丁寧な言葉遣いの裏で侮蔑・裏切り・反抗・謀事を企図する人物よりは
はるかに信頼できますよw
355 :
神も仏も名無しさん :2013/11/27(水) 10:17:33.01 ID:M+EIHNH/
>>353 パーピマンよ、気持ちは解る
だが頓服にもならんので捨て置け
触地印↓
356 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/27(水) 10:22:31.95 ID:hYsQ3w68
ほ〜〜〜〜〜〜、何やら、名無しさんの援護射撃、乙wwwww 「捨て置け」 かwww 確かに、アホは放置に限るかww しかし、「在家が仏道を理解」 とはwww 笑おたwwww オレも、このスレ長いが、初めて見たは、そんな見解www
357 :
神も仏も名無しさん :2013/11/27(水) 10:29:08.87 ID:C+Lc5uJP
あなたがたが宗教の教えをいくら学んでも、実践が伴わなければ、ただの高慢を育てただけですね。 何も学ばなかった方がはるかに良いでしょう。庭にがんばって雑草を育てているようなものです。 「自分を苦しめず、また他人を害しないような言葉のみを語れ。 これこそ実に善く説かれた言葉なのである。好ましい言葉のみを語れ。 その言葉は人々に喜び迎えられる。つねに好ましい言葉のみを語っているならば、 それによって人の悪意を身に受けることがない。」 スッタニパータ
358 :
神も仏も名無しさん :2013/11/27(水) 10:39:26.76 ID:M+EIHNH/
>>356 パーピマンよ。撃つなら実弾のみを的確に急所だけを狙え
煽り言葉は仏法者なら不要であろう?
己を下げる必要もないし、お主が下がれば法も下げかねん
舞うなら誰が見てもエレガントに舞って振舞いなさい
359 :
神も仏も名無しさん :2013/11/27(水) 10:39:54.90 ID:C+Lc5uJP
始めに目的地へ行こうとして足を踏み出す時、方向が間違っていたらどうでしょう。 彼はそこからいくら歩みを進めても、目的地から離れていくだけです。そのように 仏道をはじめとして、いかなる宗教でも心の清らかさを目的にしないならば、その ように目的から離れていくだけなのです。 逆に宗教を学んでいなくても、心の清い行いをするならば、いかなる宗教であれ その神髄を実践しているのです。ですから、言葉づかいが荒々しくない彼のほうが どの宗教においてであれ、実践と理解が進んでいるのです。 「ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。 もしも汚れた心で話したり行ったりするならば、苦しみはその人につき従う」 ダンマパダ
360 :
神も仏も名無しさん :2013/11/27(水) 10:46:17.07 ID:M+EIHNH/
>>357 そう言うあなたはスッタニパータをお経の如くに実践されているのか?
コピペだけならこのスレの誰でも出来得る事
そう、手かざしの人にも出来る易行です
しかも切り文改ざん勝手解釈で茶飯事上等ですよ
361 :
神も仏も名無しさん :2013/11/27(水) 10:50:33.88 ID:M+EIHNH/
>>359 >ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。
>もしも汚れた心で話したり行ったりするならば、苦しみはその人につき従う
実に良い教えだと思います
なのにこのスレの在家某の人は心ではなく業報輪廻に御執心なのです
故にパーピマンの勘気に触れるのですよ
あれはあれの慈悲の姿勢なのです
362 :
神も仏も名無しさん :2013/11/27(水) 10:53:39.56 ID:DAfI1uKR
>>351 知識として知ったからと言って悟れるわけではないですよね。
十二因縁の解釈は色々あり、上座部では三世両重説に基づく瞑想修行が
取り入れられています。
363 :
神も仏も名無しさん :2013/11/27(水) 10:56:38.46 ID:M+EIHNH/
>>362 >十二因縁の解釈は色々あり、上座部では三世両重説に基づく瞑想修行が取り入れられています。
↓
>知識として知ったからと言って悟れるわけではないですよね
天唾ソバは好みではありません
364 :
神も仏も名無しさん :2013/11/27(水) 11:01:19.58 ID:M+EIHNH/
>三世両重説 手かざしの人達はどうしても三世を同一の世界で語りたがる傾向が見受けられますね そう言う教えに立脚してるから仕方がないのかも知れませんし 離れる為には信仰を捨てなければならない訳で、それなら必死になるのも頷けます
365 :
神も仏も名無しさん :2013/11/27(水) 11:06:00.52 ID:DAfI1uKR
>>363 意味が伝わりにくかったみたいですね。
十二因縁を知識として知るだけでは不十分で、
例えば、三世両重の因果があると知ったら、実際に自分や他人の過去生や来世を
瞑想修行で見て始めて、無明を滅することができるので、知識より実践が重要ですよ。ってことです。
366 :
神も仏も名無しさん :2013/11/27(水) 11:09:13.09 ID:DAfI1uKR
>>364 三世両重などの一種のオカルト的要素が嫌いなら、
そういう面を省いてもらっても構わないと思いますよ。
重要なのは、オカルト云々よりも実践です。
何か仏道を実践されてますか?
367 :
神も仏も名無しさん :2013/11/27(水) 11:09:13.36 ID:M+EIHNH/
>>365 十二因縁に過去世来世は関係有りません
今現在の自分が原因を作っている事から見極める心法ですから
三世の様な運命論みたいのからはいい加減ご卒業したらどうでしょう
368 :
神も仏も名無しさん :2013/11/27(水) 11:11:51.70 ID:DAfI1uKR
>>367 それはあなたの信じる解釈です。
それを否定はしません。
なので、他人が信じる仏教解釈を否定することもやめましょう。
大事なのはどう解釈するかではなく、実践です。
369 :
神も仏も名無しさん :2013/11/27(水) 11:14:27.17 ID:M+EIHNH/
>>366 >何か仏道を実践されてますか?
これでも仏法者の端くれですからね
他人に尊敬されたくて知識の展覧会を開いてる訳ではありません
知っている事を書いたりするまでであり、書くだけでも面倒な仏事の事を
実践なくして書けますか?
ああ、手かざしの人々は仏事の実践なくても書いてますね
何でしょう?相手を根負けさせるのが狙いなのでしょうか
実践も無く良くこんな面倒な理論体系を調べて読んで引っ張ってくるな
とは思い感心しますよw
370 :
神も仏も名無しさん :2013/11/27(水) 11:20:45.87 ID:DAfI1uKR
>>369 実践されてるならいいんじゃないですか?
ちなみに、手かざしってなんですか?
371 :
神も仏も名無しさん :2013/11/27(水) 11:22:46.77 ID:b70xU4SR
一在家君は教祖の教えを信じているんだよね、アトランティス霊障説を! ---------------------------------------------------------------------------------------- 「真光誌274」(崇教)昭和60年7月号6月、月始祭救い主様み教え、P20〜21 結局、原因は恐るべき「集団霊障」である。アトランティス大陸文明とムー大陸文明 とは、嘗て、原水爆を使ってさえやったほどのものすごい大戦争をしたのですが、 さらには、金星や他の遊星にいた霊と現界に肉体を持った人間界との闘争もあったのです。 それで、負けた方の霊統は、現在地上で幸福を味わっております現人種に対して霊的に 非常な憎しみを持ってしまった。実を言いますと、それが随分憑依している。 神の力でもなかなか霊が脱けないことがありますが、その理由をある程度申しますと、 実際の人類史としては非常な興亡に関係した霊統の争いが、実は今日も存続をしている からです。そこで、現在の人類が幸福な世界をつくり上げていくことを非常に憎んでいる 方の霊が一体化する。いわゆる組織化して活動するのです。 それから、もう一つは、その霊が、他の星からでさえ、人間に転生をして現代人の中に 混じってきている。例えて言えば、ムー大陸に滅ぼされたときのアトランティス文明人は、 こんにち憑依しているばかりではなく、実を言いますと、現界人に再生をしてきている。 これらに怨みの集団霊が憑かるのですから、ますますひどい憎しみの世界をつくっていく という関係があります。
372 :
神も仏も名無しさん :2013/11/27(水) 11:41:24.48 ID:M+EIHNH/
釈迦の説いた法は前世来世は関係ありません 今をどう生き抜くかを教えているのです 釈迦の時代でも今と変らず輪廻転生思考が強かった故の 釈迦はそう言う時代の宗教改革を起した張本人なのです 輪廻転生思考が強い人に対しては慈悲の心で対処し決して見捨てなかった その教えは、「この法を用いれば輪廻は断ち切れる」と言い また、なかには輪廻思想自体に懐疑的な人も居たのでしょう そう言う人には単刀直入に「苦悩は執着による煩悩から起こる」と解いた 後者は所謂原始仏教を学んでるこのスレの住人のいつも口を酸っぱくして言ってる事であり 前者は”前世は一在家”氏が良く引っ張ってくる切り文に明らかなものです 業報輪廻転生思考の正体は執着です 釈迦は執着退治の達人でしたから上記のどちらからでも的確に駆逐・教導出来たのです 離れましょう、輪廻転生の執着から
374 :
神も仏も名無しさん :2013/11/27(水) 11:49:15.87 ID:hTwITOLm
>>372 開祖・教祖への執着を棄てなければ、根本的解決にはならない。
釈迦仏教も、真光も、オウムも、開祖・教祖への執着という点で、原理的には
全く同じ。
375 :
神も仏も名無しさん :2013/11/27(水) 11:54:22.15 ID:M+EIHNH/
>>374 >開祖・教祖への執着を棄てなければ、根本的解決にはならない
誰の法かと言えば釈迦の説いた法
それ位しか拘りは有りませんし、釈迦を蔑ろにして釈迦の法は有り得ませんよ?
詭弁も大概にしましょう
釈迦の説いた法に執着をしていると言われても
手かざしなんかに執着するよりは全然マシですよ
376 :
神も仏も名無しさん :2013/11/27(水) 11:57:53.68 ID:M+EIHNH/
急所を突かれるとドローに持ち込もうとする
>>374 の様な戦術はわたしには効きませんので悪しからず
>>375 彼は、
「お釈迦さんの縁起は間違っており、竜樹がそれを是正した」
という説を採る人だからw
378 :
神も仏も名無しさん :2013/11/27(水) 12:04:53.24 ID:M+EIHNH/
>>373 03: 名前:名無し投稿日:2010/07/05(月) 17:28
http://logsoku.com/thread/hideyoshi.2ch.net/dqnplus/1266497603/582 >聞くところによると、博士号をもった専任の教員が次々に定年になったので
>残った若い教員に博士号をとらせるというのが龍谷の哲学教室の課題だった。
>で、丸山徳次と松尾宣昭が博士論文を書くことになったのだが、
>博士号の審査は博士にやってもらわなければならず、
>さらに、ある程度の大物に審査してもらわないとハクがつかない。
>それで関東の方からかなりの大物教授に来てもらった。
>ところが、せっかく招聘したこの教授が空気を読めなかったのか
>むしろ読んだからなのかわからないが、二人の研究概要を聞いて失笑とともに審査自体を拒否。
>そこで、この老教授が去った後にワケアリの大橋氏を招聘したということらしい。
>なんなんだろうね、こいつらの学問って。
>まあ、そこまでして迎え入れたのに、またもや空気は読まれず、
>それどころかこんな事件まで起こされてある意味被害者といえば被害者なんだけどね。
×博士号をもった専任の教員が次々に定年になったので
残った若い教員に博士号をとらせるというのが龍谷の哲学教室の課題だった。
で、丸山徳次と松尾宣昭が博士論文を書くことになった
○新しく専任になった若い講師が二人とも博士号をもっていたので
恥ずかしくなった丸山徳次と松尾宣昭が学位をとるために博士論文を書くことにした
379 :
神も仏も名無しさん :2013/11/27(水) 12:05:22.52 ID:hTwITOLm
>>375 >手かざしなんかに執着するよりは全然マシですよ
外部から見れば、すべての宗教は全く同じであり、現代人が2000年以上も前の
1個人を盲目的に崇拝することの異常さ、愚かさを自覚してください。
すべてのカルトは、釈迦とイエスとから発生していることは、厳然たる事実です。
380 :
神も仏も名無しさん :2013/11/27(水) 12:11:53.27 ID:M+EIHNH/
>>379 >外部から見れば、
どの外部ですか?
無宗教と言う名の外部でしょうか
そんな人が何故この板に居るんでしょうか
不思議ですねw
381 :
神も仏も名無しさん :2013/11/27(水) 12:19:03.52 ID:hTwITOLm
>>377 >「お釈迦さんの縁起は間違っており、竜樹がそれを是正した」
>という説を採る人だからw
非信者である多くの西洋の仏教学者の意見なのですがw。
釈迦の「縁起」とは、専ら、忌むべき業報論を維持するための論理であること
を看破すべきです。中論の「相互依存性・関係性」で置き換えることによって
のみ、釈迦の邪見は消滅します。
釈迦の「無我」「無」は、現代の小学生でも論破可能な、幼稚な論理矛盾、
勘違いに過ぎません。「一切皆苦」も、彼の鬱病の症状。ひたむきに我を
生きる一切衆生(生活者)には、無関係であるばかりか、極めて有害な邪見。
寧ろ逆に仏教は大好きだろ 他に別に仏教は大人気だろ 当然正反対に仏教は大盛況だろ
383 :
神も仏も名無しさん :2013/11/27(水) 12:24:02.95 ID:M+EIHNH/
>>373 の論文はとても心優しい論文だと思われます
スッタニパータ779・1121・1123・902・837・877・901等を論証に引いて・・
>つまり輪廻は「しっかりと(正見や無執着を)確立した人の受けることのない世界として
>また、妄執を離れていない者の存在しなければならない世界として説かれている」
>この場合もブッダが輪廻に「否定的」だったとは、「妄執」を滅ぼした人には輪廻が無いと説いたと言う事である。
>逆に輪廻はまた「妄執を離れていない者の存在しなければならない世界」でもある。
>つまり妄執にとらわれた者には輪廻が”ある”とブッダは説いた事が確認できる。
妄執に捉われてる人には輪廻目線で説かなきゃ理解不能だった見解がこんなとこにも出てるって事ですねw
384 :
神も仏も名無しさん :2013/11/27(水) 12:27:34.20 ID:M+EIHNH/
結論 前世は一在家は妄執の徒 釈迦のお墨付きの妄執の徒と言う事です ご愁傷様
386 :
神も仏も名無しさん :2013/11/27(水) 12:51:49.75 ID:7mUeNTGw
>>381 >釈迦の邪見は消滅します。
本末転倒です
釈迦が間違って居たなら後の教団は釈迦にも仮託しませんし
仏教と言う総称も用いなかったでしょう
何より仏教が発展する事も無かったのは言うまでも有りません
釈迦に対する仮託度が低い密教の様にね
故にわたしは密教は仏教から独立して単立宗教として行けば良いと言うのです
密教は仏教ではないとする根拠がここに有ります
387 :
神も仏も名無しさん :2013/11/27(水) 12:58:33.80 ID:hTwITOLm
>>380 >そんな人が何故この板に居るんでしょうか
>不思議ですねw
ここは、「釈迦マンセースレ」ではなく「仏教『議論』スレ」ですよ。仏教に
対する賛否両論があるのは当然。さもなければ「議論」にはならない。
お互いに釈迦を盲信しながら相争うのは、宗教お決まりの「宗派間紛争」。
犬も食わない。根源である開祖を批判・否定しなければ、根本的解決は絶対に
不可能です。
史上そして現在も、「宗教」が人類にもたらしている巨大な害悪を直視すべき
です。
人類のすべての害悪の根源である「宗教」を撲滅することが、現代人が後世の
人々に対して負う喫緊の義務ではありませんか。
388 :
神も仏も名無しさん :2013/11/27(水) 12:59:19.18 ID:g0zK5UXW
アホ在家がコテンパンにされてる時って 決まって統失みたいなキチガイが現れて釈迦徹底否定に走るよなw アホ在家って統失なのかな
389 :
神も仏も名無しさん :2013/11/27(水) 12:59:43.89 ID:hTwITOLm
現代において、人を救っているのは専ら「科学」です。宗教は専ら争いをもた らしているだけ。世界史を一覧してみてください。 宗教は、人間の「生存の『手段』一つとして発生し、現代の科学に相当するもの だった」ことを忘れてはなりません。宗教を生存の『目的』とするという倒錯に 陥ったのは、専ら開祖の精神病の症状としての「異常な観念過剰、観念の遊戯」 により、生存との関係を断ち切ってしまったからです。その開祖の精神病の感 染と言う精神医学的現象が、現代の創唱宗教の正体なのです。
390 :
神も仏も名無しさん :2013/11/27(水) 13:02:58.32 ID:KX/RDnMb
何だ手かざしの事かw
391 :
神も仏も名無しさん :2013/11/27(水) 13:07:23.09 ID:hTwITOLm
>>390 手かざしも釈迦仏教も、キリスト教もイスラームも、「開祖・教祖盲信のカルト」
という点では全く同じ。原理的・心理学的に、一体どこが違う?w
392 :
神も仏も名無しさん :2013/11/27(水) 13:13:07.80 ID:KX/RDnMb
393 :
神も仏も名無しさん :2013/11/27(水) 13:16:23.21 ID:/+X7bp4C
>>391 仏教は釈迦の説いた法が凄いんであって
釈迦は単に頭が良かった人なだけ
その法はイエスやマホメットのそれとは違い
身近に体験できる事しか言って無い
上っ面の仏教しか知らないからそんな生き恥を晒す事を言うんだよ
394 :
神も仏も名無しさん :2013/11/27(水) 13:17:42.43 ID:/+X7bp4C
>>391 あとね、君の様に自分を妄信してる人の事を他人はキチガイと呼ぶんだと思うよ
>>381 釈迦の何が間違っていたのか、もう少し詳しく説明して頂くことは出来ますか?
396 :
神も仏も名無しさん :2013/11/27(水) 13:57:35.44 ID:9vUPKMMc
学で解こうとするから迷うんだよな 四諦八正道という実践法があるんだから、それやって気づいていくのが一番だよ 四諦八正道以外にも良い実践法はあるのかもしれないけど 仏道(というか神に通じる道?)を志すのであれば八正道は正法だろ?
>>393 どうなんだろうなあ
諸行無常とか言われても、で?って感じだけど
隣人を愛しなさいって、わかりやすいじゃん?
八正道 //ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E6%AD%A3%E9%81%93 身心のいっさいについて無常の事実を知り、自分の心身を厭う思を起こし 心身のうえに起こす喜や貪の心を価値のないものと斥けることが「正見」である このように現実を厭うことは、人間の普通の世俗的感覚を否定するものに見えるが その世俗性の否定によって、結果として 真実の認識(如実知見)に至るための必要条件が達せられるのである 正見は「四諦の智」といわれる この正見は、七種の正道によって実現される。 八正道は全て正見に納まる
399 :
神も仏も名無しさん :2013/11/27(水) 14:49:14.09 ID:C+Lc5uJP
>>360 、361
>そう言うあなたはスッタニパータをお経の如くに実践されているのか?
少なくとも相手をののしる方々より尊重しています。
>なのにこのスレの在家某の人は心ではなく業報輪廻に御執心なのです
業報輪廻の何が問題なのかさっぱり分かりません。業報輪廻を釈迦が説いたのは明らかです。
それを他人をおとしめる手段に使うのはその人の「心」次第です。
>あれはあれの慈悲の姿勢なのです
あなたは黒を白というような人です。相手を「バカ、キチガイ、カス」とののしる人が慈悲の姿勢
をとっているならば、誰が慈悲姿勢を取っていないのですか。体罰を正当化する時に使う卑劣な論法です。
そもそも「中有-バルド」なる言葉はチベット仏教で使われた言葉で仏教本来の言葉ではないのではないか? チベット仏教が死者の書で表わす教えは密教独自の解釈によるもので仏教の本来の姿とはかけ離れている と思う。それを仏教と称して死後世界の解説などされても、こちらとしては聴く耳を持たないだけ。 あるかもね〜程度にしか受け入れられない。頭から信じて没入するなんてのは私には出来ない。 こういうのを妄信する人間が輪廻転生に嵌り、業報輪廻に嵌るのだろう。自らが妄信するだけならまだしも 他者に向かって発信するのは害悪以外の何者でもない。害悪の垂れ流しである。迷惑この上ない存在である。
401 :
神も仏も名無しさん :2013/11/27(水) 14:52:13.79 ID:C+Lc5uJP
自分と同じ考えの人に味方するために、黒を白という人がいます。そういう人は正しいことを 正しいというだけの正直さに欠けています。自分と同じ考えでも、言葉づかいが悪ければ、それ は悪いことです。輪廻より自分自身の正直さに注意した方がいいでしょう。
> 業報輪廻の何が問題なのかさっぱり分かりません。業報輪廻を釈迦が説いたのは明らかです //www.dia.janis.or.jp/~soga/subindex.html 世尊は、輪廻を方便として、輪廻から解脱する為の、正しい知恵を説かれた 永遠ばかりを探して、凝り固まり、変化を見ることに慣れていない この人達の為に、無我・縁起・空を観察する為の練習が必要だ 想受を滅させて 無明滅するが故に行滅し、行滅するが故に識滅して 解脱すれば仏だと言う事に 気づくまでは、気づくことは難しい
403 :
神も仏も名無しさん :2013/11/27(水) 15:00:14.74 ID:C+Lc5uJP
>>402 あなた自身が「想受を滅させ無明滅するが故に行滅し、行滅するが故に識滅して
解脱し」てから輪廻の有無を問題にすればどうですか。
> あなた自身が「想受を滅させ無明滅するが故に行滅し、行滅するが故に識滅して解脱し」てから輪廻の有無を問題にすればどうですか 輪廻が 「 ある・ない 」 と掴み取とろうとする 「 心の働きを滅させる 」 事が出来たなら 解脱すれば仏だと言う事に気づく 解脱できたのなら 「 心の働きを滅させている 」 ので 輪廻が 「 ある・ない 」 と掴み取とろうとする 「 心の働きはない 」 ↑ 最後の一行だけ読むと机先生と同じような意見になるかも
>>404 の続き
//ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8F%E6%95%99
一般に仏陀(目覚めた人)の説いた教え
また自ら仏陀に成るための教えであるとされる
仏教は 「 輪廻からの解脱 」 の考えに基づいている
修行により解脱を目指すことが初期仏教の目的であった
406 :
神も仏も名無しさん :2013/11/27(水) 16:06:05.22 ID:ecSb7Php
>>404 >輪廻が 「 ある・ない 」 と掴み取とろうとする 「 心の働きはない 」
>↑ 最後の一行だけ読むと机先生と同じような意見になるかも
師は答えた、「ウバシーヴァよ。あらゆる欲望に対する貪りを離れ、無所有にもとづいて、その他のものを捨て、
★最上の<想いからの解脱>において解脱した人★、──かれは退きあともどりすることなく、そこに安住するであろう。」(Sn.1072)
>>405 >一般に仏陀(目覚めた人)の説いた教え
Sn.1072の境地(一切不可得、対象化思考の離脱)なるがゆえに、
ブッダは、いかなる教えも、どこにおいても、誰のためにも、説かなかったのだ(龍樹 中論25-24)
>仏教は 「 輪廻からの解脱 」 の考えに基づいている
基づいていない。
それは上記Sn.1072に闡明されている。
人は最も大切なモノ・コトを先ず明らかにするものだ。
・ブッダの初転法輪で説かれたのは、中道と四諦だ。中道とは仏法のゲシュタルト(二項相対対象化思考の離脱=Sn.1072)である。
・龍樹が中論冒頭に先ず掲げたのは戯論(二項相対対象化思考の離脱=Sn.1072)の生滅である。
・道元が正法眼蔵 現成“公案”冒頭第一段で掲げたのも、同じく仏法ゲシュタルトとその崩壊の見取り図である。
いずれも、業報輪廻転生ごときガラクタは完全に無視している。
それなのに、肯定論を説いたかのような捏造がおこなわれたのは
縁起の間接現実=時空因果関係を正確に検証(如理作意)できない
因果撥無のアホ・バカ・カス坊主がいかに多かったかを物語るのだ。
407 :
神も仏も名無しさん :2013/11/27(水) 16:08:21.18 ID:UeRfXwYa
>>395 >釈迦の何が間違っていたのか、もう少し詳しく説明して頂くことは出来ますか?
「己の我を以って無我を説く」。(小学生)「そう説いているのは、あなたの我。
あなたが死ねば、無我は説けません」。「勝手に僕を『無』にしないで下さい。
それでは、他者への慈悲など、生じる余地はありません。
「我は五蘊の仮和合」。(小学生)「五蘊は我から生じる。死者には五蘊は生じない。」
「五蘊は、あなたが生きていることの証(あかし)」
「すべての人間が仮和合なら、人間にとって、仮和合
が常住。『仮』という言葉は無意味でナンセンス」
「五蘊の仮和合などと考えているのは、あなたの我」
「一切皆苦」。(小学生)「苦しいことがあるから、楽しいことがありうるのだよ」
「楽しいことの比率のほうが大きいから、人類は今日まで生存を
続け、ますます発展しているのだよ」。
408 :
406 :2013/11/27(水) 16:08:24.45 ID:ecSb7Php
訂正 × 龍樹が中論冒頭に先ず掲げたのは戯論(二項相対対象化思考の離脱=Sn.1072)の生滅である。 〇 龍樹が中論冒頭に先ず掲げたのは戯論(二項相対対象化思考=Sn.1072)の生滅である。
409 :
神も仏も名無しさん :2013/11/27(水) 16:19:00.00 ID:ecSb7Php
>>407 >「己の我を以って無我を説く」
仏は矛盾なきを矛盾のうちに説く。
還滅現実で仮設された「自己」が、
個別的検証不能の積み重ねにより、一切外超越我の不存在を説くのは当然であって、何の矛盾もない。
>「我は五蘊の仮和合」
実体なき言語的存在としての「我」を現成(道元)させるものを縁起という。
>「一切皆苦」
一切が苦なら、苦そのものが観念できない。一切が黒なら色の観念はない。
矛盾(苦⇔楽、黒⇔白)と分別と執着があって、はじめて苦があり、黒がある。
一切が楽なら、楽そのものが観念できない。一切が白なら色の観念がない。
矛盾(苦⇔楽、黒⇔白)と分別と執着があって、はじめて楽があり、白がある。
その意味で、一切皆苦は逆説的な無分別の悟り=縁起の現観⇒涅槃寂静である。
これを煩悩即菩提といふ。
410 :
神も仏も名無しさん :2013/11/27(水) 16:21:18.48 ID:UeRfXwYa
>>397 >隣人を愛しなさいって、わかりやすいじゃん?
「隣人」とは、イエスにとっては「俺を信じてくれる者」の意味。彼は、「隣人を、
『そしてすべての人間を』愛せよ」とは、口が裂けても言えなかった。イエスに
取っては、彼を信じてくれない者は、すべて「裁かれるべき存在」だったからである。
「裁くな、裁けば同じ理由で自分も裁かれる」と言ったイエスが、最も人を
裁いた。彼は何と「人を裁く権限は、神から自分だけに与えられている」などという
暴言を吐いた。だから彼は、己の言葉通り、十字架で裁かれたのである。
//homepage3.nifty.com/hosai/dammapada-01/suttanipata-all-text.htm 1072 最上の<想いからの解脱>において解脱して //archives.bukkyo-u.ac.jp/rp-contents/BR/0095/BR00950L017.pdf 因と縁に依存するものがなく 縁起したものを離れることは 思弁の領域を離れた寂静なる境地であり 苦しみを性質とするものの滅尽であり 形成作用の寂滅であり //www.ne.jp/asahi/sindaijou/ohta/kenkyu1/fl-shokibukyo/shoki-soujumetu.htm 空無辺処、識無辺処、無所有処、非想非非想処を超え 想受を滅させて
412 :
409 :2013/11/27(水) 16:28:07.68 ID:ecSb7Php
訂正 × 一切外超越我の不存在 〇 一切内超越我の不存在(一切外無記)
> 一切内超越我の不存在(一切外無記) それ自体の自性ではなく 因と縁の依存によって 五蘊の仮和合によって現れる仮りの状態で 仮設としての 煩悩障(自己に対する執着) 所知障(外界のものに対する執着) の二種の障害を根絶することによって、阿頼耶識が変化を起こす(転識得智=てんじきとくち) これがすなわち、汚れを離れた領域であり、思考を超越し それを得たものは解脱身であり、仏陀の法と呼ばれるものである(大円鏡智=だいえんきょうち) と衆生を引導する為にに、仮名の空を以って説明した と言う事だと思います
414 :
神も仏も名無しさん :2013/11/27(水) 16:57:40.13 ID:ecSb7Php
>>411 >因と縁に依存するものがなく 縁起したものを離れることは
仏法は機能的には縁起であり、内容的には空=中道=時空際断(の如き)である。
したがって『 縁起したものを離れることは 』ありえない。
いわゆる縁起の直接現実(勝義)も縁起であり、その直覚を<縁起の現観>という。
還滅&間接現実は相対世界であるがゆえに、直接現実の様相を言語で文節・還滅・示唆せざるをえないのだ。
この点のキチンとした如理作意ができていないから、
『無為』だとか『無余涅槃』だとかの縁起撥無概念を妄想してしまうのだ。(龍樹 中論7-33、15-7・10参照)
自性(スヴァバーヴァ)妄想である。
415 :
神も仏も名無しさん :2013/11/27(水) 17:09:43.26 ID:ecSb7Php
>>413 >阿頼耶識が変化を起こす(転識得智=てんじきとくち)
無我=超越我(アートマン、プラクリティ、真我など)の一切内不存在の検証問題とは別問題だ。
> 龍樹 中論25-24 //home.att.ne.jp/delta/myrobalan/pdf/mulama25.pdf 第二十五章 ニルヴァーナ(涅槃)の考察 24.意訳 聞き手の理解力に応じて違う説明はしたにせよ 究極の実体的真理について表現しようとしたのではなく 言葉を超えたものの体得によって 現象界の限界を超えるようにと あるべき道の先を指し示したのである 存在論的な「脱構築」をうながしていたのである
417 :
神も仏も名無しさん :2013/11/27(水) 17:23:57.10 ID:hy9Z49kx
>>407 釈迦が無我であり、仏であるのは、瞑想で禅定を高めて、法と一つになり、涅槃にいる時ですよ。
人々に法を説く時は、法から離れ、自他の区別が滅した仮我を作って、法を説きます。
仏の仮我は法ではありませんが、法には従います。
仏の時はあなたは無ですが、説法の時は無ではなく、あなたも仏の仮我と同じものです。
慈悲も欲も根本は同じものです。人々を救おうというのも欲と取れます。
仏に生死はありません。
無我の境地に五蘊は存在しません。
定を解き、五蘊が作用し、仮我が生まれます。
仏にとって、定を解き仮我に作用することは一切が苦となります。
418 :
神も仏も名無しさん :2013/11/27(水) 17:27:40.50 ID:ecSb7Php
>>416 >現象界の限界を超えるようにとあるべき道の先を指し示したのである
チャンドラキールティは、八不(戯論の消滅)で開始された中論は、
ブッダはいかなる戯論も説かなかったという25-24で終結するという。
チャンドーラキールティはある仏典を引用する。
『すべては言い得ず、文字を離れ、空にして寂静、(▼始めより汚れなし←??カットします)。
もろもろの事柄をこのようだと知る者は、仏・菩薩と言われる』
> 『 縁起したものを離れることは 』 ありえない 漢訳 第一義空經 //www28.atwiki.jp/buddha/pages/17.html 俗數法 此れ有るが故に彼れ有り。此れ起るが故に彼れ起る 無明に縁りて行、行に縁りて識、廣説乃至純大苦聚集起るが如く 又復た 此れ無きが故に彼れ無く、此れ滅するが故に彼れ滅す 無明滅する → 行滅し、行滅する → 識滅す そして 縁起したものを離れることがある ウダーナヴァルガのギルギット写本 //archives.bukkyo-u.ac.jp/rp-contents/BR/0095/BR00950L017.pdf
420 :
神も仏も名無しさん :2013/11/27(水) 17:47:02.30 ID:ecSb7Php
>>419 >縁起したものを離れることがある
・第一義空經 は「除俗數法」と十二支縁起を批判排除する経典です。
読みが反対です。
・ウダーナ8-3については、
宝珠やカラスなどの超越妄想論者に勝義と世俗一切外を混ぜるな!危険と批判してきたことが、
そのまま当てはまります。
421 :
神も仏も名無しさん :2013/11/27(水) 17:47:53.41 ID:/r+AnGcb
哲学議論で悟った奴はいない
戯論によって 『 無為・無余涅槃 』 「 ある・ない 」 と掴み取ろうとする 「 心の働き 」 が現れる //www.geocities.jp/tubamedou/SonotaButten/Chuuron/Chuuron04a.htm 中論卷第四 龍樹菩薩造梵志青目釋 姚秦三藏鳩摩羅什譯 觀如來品第二十二 諸法の、実相は、性空であるが故に、如来の滅後を、こう思惟してはならない 有るか?、無いか?、有であり、無であるのか?、と 如来は本より、畢竟じて、空なのだ、況して、滅後は言うまでもない 如来は、戯論を過ぎるが、而し 人は、戯論を生ずる、戯論は、慧眼を破る
> 第一義空經 は「除俗數法」と十二支縁起を批判排除する経典です 第一義空經と、十二縁起は、両方とも 我・我所を滅させる為の因と縁の依存によって、無我・無我所を得て、智慧を決定する と言う意味だと思います //www28.atwiki.jp/buddha/pages/17.html 漢訳 第一義空經 //home.att.ne.jp/delta/myrobalan/pdf/mulama26.pdf 第二十六章 十二の鎖の環(十二因縁/十二縁起)の考察 6. 感受によって条件づけられたものが渇愛である 渇愛は感受のせいで生じる それが生じるとき、固執/掴むこと(取)も生じる
424 :
神も仏も名無しさん :2013/11/27(水) 18:25:18.30 ID:DAfI1uKR
上座部できちんと修行した人が語る輪廻肯定仏教論と、 理論だけこねくり回して実践も体験もなしに悟った気になってるだけの 2ちゃんねらーが語る輪廻否定仏教論、 どちらが信ぴょう性があるかって話ですよね。 当然前者だと思いますけどね。
漢訳 第一義空經 //www28.atwiki.jp/buddha/pages/17.html 俗數法 それ自体の自性ではなく 因と縁の依存によって 五蘊の仮和合によって現れる仮りの状態で 仮設としての 無明に縁りて → 行、行に縁りて → 識が仮りに現れる、とする − これに対して − 無明滅する → 行滅し、行滅する → 識滅する、とする と衆生を引導する為に、仮名の空を以って説明した と言う意味だと思います
427 :
神も仏も名無しさん :2013/11/27(水) 18:34:57.41 ID:6/nZVHmM
秘密保護法の意図するところ、とは。 おんなスパイ、と言えばどこか映画っぽいけど、立て続けに中国人の女性との交際で、わが国の軍事上の機密情報をベッド上で渡していた自衛隊幹部が続出した事。 これが、この法律の本来の狙いなのだけど、ならば、公務員の規律を規制する、あるいは、きびしく適用していけばよいのだけれど、 この際、戦争が出来る国家を目指している自由民主党の残党右派グループばかりになった現在の自由民主党は、いつか来た道へと一歩も二歩も踏み出した。 原子力発電をやめてしまうと、核燃料は、核爆弾に転用するしか使い道は、無い。 つまり、鉄仮面、変人の小泉は現役時代、郵政省を分割させ、納税の義務を負わせて、小泉の選挙区の金主、横浜銀行の悪意を実現させたが、 今回の小泉の原子力発電所全廃発言と言う観測気球は、まさに、あべちゃんのランニングドッグ、走狗の役割である。 息子が、将来やりぬく課題である。 軍事国家中国の凶暴な拡大主義は、周辺諸国を核でおどし、領土を奪い去るというものであり、太平洋を中国の支配下におkぅ野望の実現化に向けた諸行動である。 北朝鮮が長期的に崩壊しているのを横目に見て、中国の60の民族支配もほころんで、やがて、国家瓦解が見えてきた。 北朝鮮の核は、棚からぼた餅、濡れ手に粟で、韓国の手中に転げ込む。 つまり、日本の核武装化は、近々の実現課題である。 アメリカ、インド、パキスタン、イラン、 ロシア、中国、北朝鮮、日本の周辺国は、核武装国家だらけである。 大義名分として、これら核武装国家への対抗措置として、わが国が核武装するのは至極当然な権利であり、国家国民の安全、安心を守る義務を持つものである。うんぬん。 あらためて確認しておこう、秘密保護法のねらいが、実は、平和国家日本を大きく捻じ曲げて軍事国家へ変貌していく、原初の手続きである。
> 上座部できちんと修行した人が語る輪廻肯定 … このような ↓ 心の働きとして掴み取ろうとしているのかも > ゴータマは輪廻転生を当時の世の中の常識範囲で語る事はあっても > 積極的に業報輪廻を説きはしなかったという事です それ自体の自性ではなく 因と縁の依存によって 五蘊の仮和合によって現れる仮りの状態で 仮設としての (前世)過去からの、心の流れ(心相続)によって 何かが 「 ある・ない 」 と言う 「 心の働き 」 が現れる
429 :
神も仏も名無しさん :2013/11/27(水) 19:55:45.28 ID:+Wysizam
>>418 >(▼始めより汚れなし←??カットします)。
何故カットするのですか?人間の赤ん坊や他の動物には、「生存本能」だけで、
後天的・人為的宗教観念などという「汚れ」はありません。
> 赤ん坊には、「生存本能」だけで、「汚れ」はありません //home.att.ne.jp/delta/myrobalan/pdf/mulama26.pdf 第二十六章 十二の鎖の環(十二因縁/十二縁起)の考察 1.無明の暗に覆われて 人はその者自身を未来の生へと 追いやることになる性質を持った 三種類の行為を行う(カルマを積む) 三つの行為とは 身体的な行為、言葉による行為、心による行為
┐(´ー`;)┌
>>316 (
>>314 )
316 神も仏も名無しさん sage 2013/11/26(火) 23:15:14.97 ID:YfOsdf1I
>イギリス、ユニバーシティ・カレッジ・ロンドンの考古学者ジュリア・ショー(Julia Shaw)氏は、
>「木造寺院と欄干の存在は間違いないだろうが、即断は禁物だ」と注意を促す。
>「必ずしも仏教の寺院とは限らない」。
>同氏によると、
>単純な祭壇を設けて樹木をあがめるという風習は、古代インドに広く見られるという。
>「仏教と仏教以前の古代宗教は似ている部分が多く、
>ルンビニの木造寺院も仏教とは関係がない可能性がある」。
432 :
神も仏も名無しさん :2013/11/27(水) 21:26:37.58 ID:CpShqmBh
>>341 >〇アインシュタインと神
>アインシュタイン博士は、人格神(personal God)については否定的な見解を示しています。
>しかし、非人格的な神、彼はこれをスピノザ的な神といっていたが、には肯定的です。 (中略)
>人格神の否定は、数世紀前なら火あぶり、縛り首になっただろうということです。ちなみにcosmic religionは
>「普遍的宗教」の方がいいでしょう。
何方か存じませんが、私と同じ英文の解釈です。
アインシュタインが否定したのは旧約聖書に登場するタイプの神ですね。
人類を創造する→やがて人類が堕落する→予言者を出し、従った者は救い、他は粛清→人類を増やす→やがて人類が堕落する→
>>346 パーピマン 氏
>住人各位 どころか、世界中で誰一人、アインシュタインは有神論者だった
>なんて言う奴はいないんだがwwwwwww
スピノザ的な有神論者だった、という見解の人が早くも現れたようですが。。
433 :
神も仏も名無しさん :2013/11/27(水) 21:46:23.92 ID:CpShqmBh
>>342 >どう見ても真光の正当性を既成聖典類から引き出そうと必死になってる様にしか見えないな
極当り前の法なので、正統性を引き出す必要もないかと存じます。
21世紀、ある所にお節介なおじさんがおりました。
ずっと昔に万福寺の大僧正が「釈迦の教えを知るには原始仏教を調べる必要がある」と言われたことを思い出しました。
長部経典を買いそろえて調べて見て驚きました。34経の内、過半数の経典で前世、輪廻、神通、神々等が説かれたおりましたので。
でも2ch議論スレという町に行きましたら、住人の多くが輪廻を否定しておりましたので、また驚きました。
それで更に調べまして、日本仏教界の祖師達の大半が輪廻を説いておられたことが分かりました。
「ああ、多分近代仏教学者らの詭弁に乗せられたのだな。気の毒に。」と思いましたが、もう少しその町に残ることにしましたとさ。
そういえば輪廻否定者は自称「非仏教徒」が多いような。彼らはなぜこの町に長居するのだろうか。。少し如理作意。
この町の人口も減り、輪廻は当り前と言い切ったオイラ氏は去り、昔からの住人はセブン氏、御隠居、等々。。
434 :
神も仏も名無しさん :2013/11/27(水) 21:55:12.78 ID:kYS/QYny
>>342 ムー大陸とか、金星人とかを
どうやって仏典から引き出してくるのか気になります
435 :
神も仏も名無しさん :2013/11/27(水) 21:57:24.93 ID:CpShqmBh
>>399 >あなたは黒を白というような人です。相手を「バカ、キチガイ、カス」とののしる人が慈悲の姿勢
>をとっているならば、誰が慈悲姿勢を取っていないのですか。体罰を正当化する時に使う卑劣な論法です。
相手を「バカ、キチガイ、カス」とののしる人が「菩提心門」透過者だと自称されてましたので、
私はそのような門はくぐりたくはないと先日申しました。
>>424 >2ちゃんねらーが語る輪廻否定仏教論、どちらが信ぴょう性があるかって話ですよね。
輪廻否定2ちゃんねらーの多くが自称「非仏教徒」なんです。何か仏教に遺恨があるのでしょうか。
>>432 w
それは既に「神」ではないw
少なくとも、【貴方(達)が掲げる】『神』概念とも異なりますよね?
いいんですか?それでw
438 :
神も仏も名無しさん :2013/11/27(水) 22:12:24.59 ID:BWmhCvwA
俺、仏教徒だけど輪廻否定派に一票。
439 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/27(水) 22:30:41.76 ID:ZjDaNrvG
>>432 wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
>スピノザ的な有神論者だった、という見解の人が早くも現れたようですが。。
何? スピノザ的神ってwwwwwwwwwwww
スピノザは、単に「自然に対して畏敬の念を表明」しただけdしょ?ww
いわば、自然崇拝概念だよ、アホwwwwwwww
スピノザの神ってのは、ちゃんと「意識を持ってるの?」
自己の認識、判断、見解等の精神作用は有してるわけ?wwwww
アインシュタインが、スピノザ的神を信奉すると言ったのは、
この世界の自然およびそれを成立させている法則に対する畏敬の念の
表明だよwww
お前が考えてるのは、「人間の姿をとっていなくとも、意思をもった
超常的存在」ってのを妄想しとるんだろうが?www バカタレがwwwwww
440 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/27(水) 22:33:58.87 ID:ZjDaNrvG
>相手を「バカ、キチガイ、カス」とののしる人が「菩提心門」透過者だと自称されてましたので、 >私はそのような門はくぐりたくはないと先日申しました。 俺はねww 「言葉遣いだけ丁寧にして」 「慇懃無礼に相手を避難し」 「姑息な手法を一切、改めない」 カス野郎になるよりは、思ったことを ストレートにいう方を選ぶわwww 勿論、相手を見るがねww お前のような、カスには遠慮して、愛語を 守るべき必要性を全く感じないのwwwwww
441 :
神も仏も名無しさん :2013/11/27(水) 23:19:42.32 ID:CpShqmBh
>>439 >スピノザは、単に「自然に対して畏敬の念を表明」しただけdしょ?ww
>いわば、自然崇拝概念だよ、アホwwwwwwww
グーグルでも調べましたが、無神論ではなく、汎神論と呼ばれておりますよ。
442 :
神も仏も名無しさん :2013/11/27(水) 23:29:54.46 ID:CpShqmBh
>>439 >お前が考えてるのは、「人間の姿をとっていなくとも、意思をもった
>超常的存在」ってのを妄想しとるんだろうが?www バカタレがwwwwww
私は法身の如来のようなイメージを持っております。
もう人格とは呼べないでしょうし、自然法則は偶然ではなく必然だということです。
もしかしたら貴方にとっては、法身や報身の如来を信じることもバカタレwwwwww ですか。
そういう意味ならばバカタレwwwwwで結構です。
443 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/27(水) 23:37:02.82 ID:ZjDaNrvG
>>441 wwwwwwww
スピノザの汎神論は実質、無神論だよwww
「何かしらの意思をもった存在」が至るところに偏在してる・・・・なんてのじゃ
ないのwwwww
お前らの言う「神」ってのは、人間の姿形をしてなくとも、少なくとも
⇒ 意思を持っているだろうが? wwww
人間と同様に、現象を知覚、認識、判断し、それらに対して自己の見解をもつww
それとも、そういう、いわゆる精神作用を有しない存在なわけ?
道端の石っころと同じ? それなら、自然を唯、神と呼称しているだけww
よくいる、「宇宙を神」と呼んでるやつw
それなら、それでOKさww 勝手に自分らだけで好みの名称に変換させてるだけだからwwww
444 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/27(水) 23:42:39.82 ID:ZjDaNrvG
>もしかしたら貴方にとっては、法身や報身の如来を信じることもバカタレwwwwww ですか。 >そういう意味ならばバカタレwwwwwで結構です。 wwwwwwwwwwwwwwwwwww 真底、カスだねw こういうところがwwwwwww 誰が、いつ、「法身、如来を信じることがバカタレ」なんて言ったか?www そうやって、ひとの見解を捻じ曲げて利用するところが、吐き気がするくらいカスなわけw 俺が、バカタレといったのは、「自己の見解を正当化するため、事実を 捻じ曲げて引用する、『お前のその腐った態度』についてwwwwwww」 わかったか? アホwww
>>442 アホかw
「(法身)如来」と「汎神」は違うだろ?
「法身」と「汎神」も違うだろ?
んっっっっとに ( ゚听)、 だな。
446 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/28(木) 00:01:50.94 ID:ZjDaNrvG
んじゃ、 まとめww アインシュタインは、いわゆる「神」というものの存在には、はっきりと否定的見解を 有していた。 ここでいう神とは、『自己の意思を有し、この現象界に干渉可能な 超常的存在』・・・という意味。 アインシュタインは、そのような超常的存在には否定的であったが、科学者なら誰もが持つ 自然に対する畏敬の念は、当然、あった。そう言う意味で、「スピノザの神」を 支持すると言ったわけw 「知覚、認識、判断等の精神作用を有し、自己の意思により、この世界に 何らかの干渉可能な」いわゆる『人格神』には、スピノザ同様、はっきりと 否定的だったわけwww 以上・・・・・ だが、キチガイはまた、ほとぼり冷めた頃、繰り返すだろうねww
447 :
神も仏も名無しさん :2013/11/28(木) 00:55:03.62 ID:Zf3PTBM2
>>442 >法身や報身の如来を信じる
法身・報身仏は説一切有部の邪説
有部は釈迦の説かなかった永遠の実体を説いちゃってるんで外道
三世十方の諸仏を「釈迦は所詮応身仏」だから釈迦より諸仏のが重要と見做した咎が有る
所謂始成正覚説の始まりを作っちゃった張本人たちが有部
釈迦が居なかったら仏教は始まっていなかった矛盾に膨大なアビダルマを拵えてても気付けなかった無能集団
それが説一切有部と言う連中
448 :
神も仏も名無しさん :2013/11/28(木) 00:56:56.81 ID:Zf3PTBM2
449 :
神も仏も名無しさん :2013/11/28(木) 01:16:21.43 ID:Zf3PTBM2
最早在家は業報輪廻が仏法の根幹では無い事を理解出来ないのではなく 信じたくない・認めたくないのだと了解しました 認めてしまうと自分の信じる教えが瓦解してしまうのでしょう 哀れと言うほかありません
スピノザの神 //ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%94%E3%83%8E%E3%82%B6 バールーフ・デ・スピノザ(Baruch De Spinoza, 1632年11月24日 - 1677年2月21日) 自由な宗教観を持ち、神を自然の働き・ありかた全体と同一視する立場から 当時のユダヤ教の信仰のありかたや聖典の扱いに対して批判的な態度をとった 恐らくそのため1656年7月27日にアムステルダムのユダヤ人共同体からヘーレム(破門・追放)にされる 狂信的なユダヤ人から暗殺されそうになった
前世は一在家さんの場合は なぜ、我・我所を滅させなければならないのか? その理由がわからないのかも 仏教議論スレッド 77 //mimizun.com/log/2ch/psy/1383617199/680 680 :神も仏も名無しさん:2013/11/11(月) 19:38:43.56 ID:TmJ66pw1 > 「我・我所を滅させる」と言う事に対して納得が逝かないのかも なぜ菩薩は輪廻から解脱できるのに輪廻を繰り返すのでしょうか なぜ如来は完全な涅槃に入らずに無住処涅槃に留まるのでしょうか(参考、入中論) 私など全く比較にならないほど、菩薩も如来も「頑固」で「我が強い」と思いませんか?
452 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/11/28(木) 05:18:32.16 ID:W3imNPdr
>>444 パーピマン氏
>俺が、バカタレといったのは、「自己の見解を正当化するため、事実を
>捻じ曲げて引用する、『お前のその腐った態度』についてwwwwwww」
私がバカタレならば、貴兄らにはアブナイという言葉を贈りましょう。
【如理作意のお題】
「正法眼蔵」十二巻本第八 ☆道元、晩年
善悪の報いには、次のどれかに当てはまる三つの決まりがある。これを三時という。(中略)
仏祖の道を修習するには、其の最初よりこの三時の業報の理を効い験らむるなり、爾あらざれば多く錯りて邪見に堕つるなり。
但邪見に堕つるのみに非ず、悪道に堕ちて長時の苦を受く。当に知るべし。
この説法を読んで、「三時業は道元の中心思想ではない。かの道元も晩年に耄碌した。」とAさんは言った。
一方、Bさんは「正しい禅定をすれば前世を想起すると原始仏典の多くで説かれている。禅定屈指の道元が知らないはずもない。」と言った。
それを聞いたAさんはBさんに「バカタレ。事実を捻じ曲げて引用する」と言った。
この譬え話のお題は「道元は耄碌して中心思想でない三時業を説いた」のか、「道元は将来現れるAさんの為に遺した」のか、それ以外かということです。
私は禅宗ではございませんが、まず「前世想起」の門を透過しないと、その奥の「身心脱落」の門と、更に深奥の「見性成仏」の門には不達と考えております。
453 :
神も仏も名無しさん :2013/11/28(木) 05:21:49.06 ID:W3imNPdr
>【如理作意のお題】 リーマン在家は仕事に行きますので、レスが遅くてもあしからず。
454 :
神も仏も名無しさん :2013/11/28(木) 05:32:20.34 ID:W3imNPdr
>>446 パーピマン氏
>ここでいう神とは、『自己の意思を有し、この現象界に干渉可能な超常的存在』・・・という意味。
ここでいう神とは、『自己の意思を有し、この現象界に干渉可能な超常的存在で信賞必罰を与える』・・・という意味に致したく。
神にも「因果の法」のみを設定し、『信賞必罰を与える』ことはないという概念もありますので。
「因果の法」を含む幾多の大宇宙の法をかの天才科学者は美しいと観じられたのだと思料します。
>>445 >「(法身)如来」と「汎神」は違うだろ?
「一神」も「多神」も「汎神」も観じ方の違いだと思います。互いに争う必要もないでしょう。
455 :
神も仏も名無しさん :2013/11/28(木) 06:02:30.02 ID:wiwjUQ2k
結局理解できなくて同じ所をグルグル回ってるだけなんだな >我・我所を滅させる そもそも↑の認識が間違ってるから理解なんか出来る訳無い 比正たちよ、色は無常である。無常なるものは苦である。苦なるものは無我である。無我 なるものは我所ではなく、わたくしの我ではない。如実に正しい智慧を以て是の如くに観 るべきである。受は無常である。無常なるものは苦である。苦なるものは無我である。 S.N. 111, p.22参照漢訳:雑何巻1(大正 2・2a)
456 :
神も仏も名無しさん :2013/11/28(木) 06:09:18.43 ID:wiwjUQ2k
文字が化けとるw 比正たちよ、→比丘たちよ 雑何巻1→雑阿巻1
457 :
神も仏も名無しさん :2013/11/28(木) 06:24:13.69 ID:wiwjUQ2k
>>452 >仏祖の道を修習するには、其の最初よりこの三時の業報の理を効い験らむるなり、爾あらざれば多く錯りて邪見に堕つるなり。
>但邪見に堕つるのみに非ず、悪道に堕ちて長時の苦を受く。当に知るべし。
答え言ってるでしょ?これ↑
「仏祖の道を修習するには、其の最初よりこの三時の業報の理を効い験らむるなり」
釈尊在世に三時や三世や業報を説いてたのは誰?
釈尊のオリジナルじゃ無いでしょこれ
なのに釈尊の教えだと捻じ曲げて信じたら邪見になるでしょ
だから悪道に云々とも↑で言われてる訳で
http://jairo.nii.ac.jp/0157/00002325/en >つまり輪廻は「しっかりと(正見や無執着を)確立した人の受けることのない世界として
>また、妄執を離れていない者の存在しなければならない世界として説かれている」
>この場合もブッダが輪廻に「否定的」だったとは、「妄執」を滅ぼした人には輪廻が無いと説いたと言う事である。
>逆に輪廻はまた「妄執を離れていない者の存在しなければならない世界」でもある。
>つまり妄執にとらわれた者には輪廻が”ある”とブッダは説いた事が確認できる。
>妄執に捉われてる人には輪廻目線で説かなきゃ理解不能だった見解がこんなとこにも出てるって事ですねw
458 :
神も仏も名無しさん :2013/11/28(木) 06:32:30.26 ID:wiwjUQ2k
在家はさ、ちゃんと読んでるのかな 自分の都合の良い所だけしか拾い読みして無いよねこの人 マヒカリやめなきゃ絶対理解出来ないってやっぱ それかもう仏教には首突っ込まないか 理解したきゃマヒカリやめなよ マヒカリなんかで仏教に勝てる筈無いんだからさ そうじゃ無いって言い張るんならそれこそ自分の頭に手でもかざして何とかするべきじゃないかなぁ
459 :
神も仏も名無しさん :2013/11/28(木) 06:57:08.08 ID:wiwjUQ2k
まとめるとさ 釈尊は対告衆が「輪廻転生は当たり前で業報が心配」って衆生に対しては 輪廻の事は大丈夫、業報の因果もわたしの説く理法で最後は断ち切れて滅するから心配無い と言ったんでしょ で、業報輪廻転生なんか最初から懐疑的・信じてない人にはズバっと理法を説いて上記の衆生と平等に導いた だが前世は一在家の人は上記の「業報輪廻転生は無い事が前提」で釈尊が法を説いた事自体が 認める事ができない・気に入らないって事なんでしょ 輪廻が有っても無くても、信じてても信じて無くても救うよって教えてくれてんだから受け入れれば良いのに 在家は「業報輪廻転生が有る事が前提と認めてくれなきゃ嫌だ」とわがままを言う 自分は業報輪廻転生が無いなんて信じられないとw マヒカリの害悪なんじゃね?それってw
460 :
神も仏も名無しさん :2013/11/28(木) 07:12:38.26 ID:lH6wP7jj
>>459 そういうあなたも、
「輪廻なんか存在するはずはない」という考えとそれに基づく論争に
執着してるように見えますが^_^
どう釈尊が説いていようと、戒定慧を実践してなければ何の意味もないと思いますよ。
逆に言うと、邪見をもっていても、戒定慧さえ実践していればそれでいいんですよ。
461 :
神も仏も名無しさん :2013/11/28(木) 07:56:13.98 ID:beWwSitx
新説来たw
邪見を邪見と見破れずに行なう戒定慧が果たして正しいのだろうか?
少なくとも戒学において身口意の三悪で意の悪業を止められていない
また、慧学においても煩悩である執着を破れていない
それで戒定慧を保つとはこれ如何に?w
>>460 は仏道を行なおうとしてない輩の邪説なのは言うまでも無い
462 :
神も仏も名無しさん :2013/11/28(木) 08:06:57.63 ID:beWwSitx
業報輪廻転生←これ 業も無我・報も無我・輪廻も無我・転生も無我でしょう 無我が解らないと何故業報輪廻転生はそもそも無いかが解らないでしょう 前世は一在家が抱えてる無明はずっとこれ→無我がさっぱり理解出来ない
463 :
神も仏も名無しさん :2013/11/28(木) 08:34:46.93 ID:lH6wP7jj
>>462 それはあなたの無我の解釈にそぐわないから、それを邪見と言ってるだけですよね。
教祖の教えにそぐわないから異教を徹底的に攻撃するカルトとやってることは変わりませんよ。
>また、慧学においても煩悩である執着を破れていない
これは定(禅定)あっての慧ですよ。いわゆるヴィパッサナー瞑想によって得られる洞察智です。
禅定の修習なくして慧は得られないんですよ。
で、戒を守ってこその定であると釈迦は説いているので、
やはり戒定慧の実践ですよ。実践で慧を得れば邪見は消えますよ。
464 :
神も仏も名無しさん :2013/11/28(木) 08:35:51.47 ID:beWwSitx
前世は一在家は 無我がさっぱり理解出来ない=我執を捨てられない 自分と言う存在は今世だけの事ではなく、過去から未来までずっと自分と言う存在が 続くのだ・続いて欲しいのだ、そうに決まってるのだ と言うのが我執の根幹 我執は根本執着の一つであり、仏教では克服すべきものの代表格でもある 自分存在以外の業も報も輪廻も転生も全て無我と言うのは 業は単独では起きない・報は単独では起きない・輪廻は単独では起きない・転生は単独では起きない と言う事、全て単独で起き上がれる実体を持っていない(勿論自分自身の身も無我である故に単独では存在し得ない) 業報輪廻転生のトリガーになるのが己の妄執のみ、だから業報輪廻転生は全ては無我であり 実体が無いどころか仮体としての眼で見える確固たる実像すら無い 過去の業と言われてもその証拠は見られない 来世の報と言われてもまた同じ 更に過去世も来世も無我なのであり 無我故に空であり、しかも妄執なるが故に離れるべき対象 となる
465 :
神も仏も名無しさん :2013/11/28(木) 08:45:01.52 ID:QL2LOnKh
戒が重要だな 戒が甘くて下丹田にばかり意識を置いて座禅するから禅病が発生する 下腹部に過去世の一大貯蔵庫があるからな 戒はそれへの防御服みたいなもんだ
466 :
神も仏も名無しさん :2013/11/28(木) 08:46:47.00 ID:beWwSitx
>>463 >戒を守ってこその定であると釈迦は説いているので、
妄執を捨てない戒学、妄執を捨てない禅定、妄執に塗れた慧学
これで邪見が消えるなら釈迦は要らない事になり破仏破法の邪義となる
師匠がマハーヴィーラとでも言うんならそっちは知らんけどねw
467 :
神も仏も名無しさん :2013/11/28(木) 08:50:49.64 ID:beWwSitx
>>463 >ヴィパッサナー瞑想
具体的に何をしてるか、何をするのか言ってご覧w
毎日何が課せられるのか仏道修行の内訳を述べてみよ
スマ氏のとことかのサイトに載ってるやつコピペって来てもダメだかんねw
468 :
神も仏も名無しさん :2013/11/28(木) 08:58:57.05 ID:lH6wP7jj
>>466 そりゃ悟らない限りみんな妄執を持ってますよ。
それが人間ですよ。
その妄執を滅するための実践が戒定慧な訳ですから。
まぁ、戒定慧の実践も出来ないくらいの妄執であれば話は別ですがね。
あと釈迦が説いたのが戒定慧ですからね。釈迦は要らないっていうより、
そもそも、釈迦がいなければ戒定慧は成り立ちませんから。
469 :
神も仏も名無しさん :2013/11/28(木) 09:04:15.46 ID:HVquKRzl
>>468 妄執を捨てるとはだな
戒学を以って妄執を禁じ、禅定を以って妄執を離れ、慧学を以って妄執を退けるんだよ
それが出来ないで何が戒定慧で何が三学となし得るのかって話
そんなの仏道修行になって無いでしょ
あんた間違ってるよw
470 :
神も仏も名無しさん :2013/11/28(木) 09:06:48.00 ID:lH6wP7jj
>>467 スマナサーラさんの「実況中継」とかいうやつじゃないですよ。
詳しくは菩提樹文庫の「パオ僧院の教え」というところに詳しく書いてあります。
他にも幾つかやり方はあるみたいですが、ここが一番徹底してるみたいです。
471 :
神も仏も名無しさん :2013/11/28(木) 09:10:25.35 ID:HVquKRzl
戒定慧の三学は御すがり信心とは違いますからw
心身を整える自助努力そのものであり仏教の根幹を成す行法の事ですんで
これを以ってして妄執を破れないならどこで破るのかって話になるし
妄執をそのままで三学致しても妄執抱いたままですよって話w
なんかやり方間違えてるし仏教の修行では無いですよって事
>>470 上座部学んでて業報輪廻転生の妄執を破れないんじゃダメでしょw
472 :
神も仏も名無しさん :2013/11/28(木) 09:17:08.16 ID:HVquKRzl
>>468 解ってる?
最初に戒学で己の妄執を禁じる
自分に戒を立てるんだよ
禁じなきゃ離れる事も斥ける事も出来ないだろ
じゃなきゃ三学は崩壊だw
473 :
神も仏も名無しさん :2013/11/28(木) 09:17:57.35 ID:lH6wP7jj
>>471 上座部が一番体系的に実践法が説かれてるんで参考にしてますよ。
あなたは何かしてます?
まさか、そんなに偉そうな事を言っておいて、何もしてないわけじゃないですよね^_^
474 :
神も仏も名無しさん :2013/11/28(木) 09:21:40.71 ID:lH6wP7jj
475 :
神も仏も名無しさん :2013/11/28(木) 09:21:50.59 ID:h0vauTZb
>>473 アンタに言われんでも間に合ってるから
そんなふざけた行法も取り入れて無いし
初めて聞いたよ戒も立てない三学なんてw
476 :
神も仏も名無しさん :2013/11/28(木) 09:23:36.44 ID:h0vauTZb
>>474 >戒を守ってこその定であると釈迦は説いているので
テメーで言ってる罠w
守れてないのはあんただろ
戒守れよ、妄執を禁じなきゃ守れてないだろ
477 :
神も仏も名無しさん :2013/11/28(木) 09:25:45.95 ID:lH6wP7jj
478 :
神も仏も名無しさん :2013/11/28(木) 09:27:21.98 ID:h0vauTZb
479 :
神も仏も名無しさん :2013/11/28(木) 09:36:22.92 ID:h0vauTZb
>>477 十善戒では不邪見戒
十不善業道では妄語にも邪見にも触れる
十善業道では妄語から離れることに反し正見にそもそも反する
>禅定の修習なくして慧は得られないんですよ。
>で、戒を守ってこその定であると釈迦は説いているので、
>やはり戒定慧の実践ですよ。実践で慧を得れば邪見は消えますよ
>邪見は消えますよ
>邪見は消えますよ
>邪見は消えますよ
>邪見は消えますよ
これで三学の戒律を守れてるって言えるのかね
480 :
神も仏も名無しさん :2013/11/28(木) 09:57:44.02 ID:Hnkh9b9k
妄執封じる戒も守れないで禅定修めても瞑想自体穢れてて定まらず、 得られる智慧は邪なものばかりでしょ お題目あげてれば何でも叶う(らしい)あの信心じゃないんだから 仏教はそんな甘くないですよw
481 :
神も仏も名無しさん :2013/11/28(木) 10:03:27.90 ID:sTr3BoI/
>>460 >逆に言うと、邪見をもっていても、戒定慧さえ実践していればそれでいいんですよ。
全然間違ってるしw
482 :
神も仏も名無しさん :2013/11/28(木) 10:12:37.65 ID:lH6wP7jj
>>479 >十善戒では不邪見戒
>十不善業道では妄語にも邪見にも触れる
>十善業道では妄語から離れることに反し正見にそもそも反する
だから、戒を全て守らなければ仏道を実践してはいけないなんてことはないんですよ。
そりゃ最初は、誰だって、意図せず間違ったことは語るでしょうし、
人間である限り邪見は持つでしょう。
言いたいのは、修行して行くうちに間違いも正されて行くから実践が重要だと言ってるんです。
あと、正見は戒定を修習してはじめて得られる慧の事ですよ。
最初から正見を持ってるなら修行の必要がそもそもなくなります。
483 :
神も仏も名無しさん :2013/11/28(木) 10:23:20.07 ID:6VWhTNYf
>>482 菩提樹文庫のネガキャンしてるんすか?w
Wikipediaですら
「正しく眼の無常を観察すべし。かくの如く観ずるをば是を正見と名く。
正しく観ずるが故に厭を生じ、厭を生ずるが故に喜を離れ、貪を離る。
喜と貪とを離るるが故に、我は心が正しく解脱すと説くなり」
とある
仏道修行に於いては真理を正しく観ずる智慧の事になるが
平たく言えば「正しい見解」を心がける事が初段になる
>戒を全て守らなければ仏道を実践してはいけないなんてことはないんですよ。
戒を立てて守れない事を破戒と言うんだがねw
最初に邪見に戒を受けて封じてなきゃ正しい禅定も正しい智慧も望めないし
破戒は仏教上重罪だw
どちらも大きく間違ってはいないでしょw 「邪見」の“内容”及び“修道階梯内の位置づけ”に若干のズレふがあるから相反するように見えるだけで。 今ここで言われている語それぞれを砕いてみれば、 「戒」・・・入り口、基本的規制・プラクティス、幾つかの作業仮説(修行を進めるにあたっての前提) 「慧」・・・煩悩を断じ終えた悟り、明晰な世界観(諸法への如実な眼差し) ということであり、 一方は、 入り口、最初の仮説の立て方にズレや至らない所があっても、 他の規制・プラクティスによって補正された中で、正しい方向へ向かうので、 最終的には全て(の見解)が矯正される、と。 (・・・或る意味の漸悟) 一方は、 入り口、最初の仮説の立て方に誤りがあれば、以降の道筋が、目指す所へ向かう筈がない。 それは、逆を言えば、入り口の段階で、既に全ての見は補正されており、最終の「慧」と同じ (或る意味の頓悟)とも言える。 いずれにしても、 未だ理解しきっていない者の修道があり得るか?という焦点であり、 結局、【その見解の中身を問わなきゃならない】んじゃないかしらん? 一在家の場合は明らかに上記後者の如く、最後まで、仏教の枠内のゴールへは向かわないであろうがw、 今、上で二人がしている話の要素は、上記前者と見做すことができると思われる。 その構図は、ウダーナ8が述べられる際の因縁話にあるように・・。
485 :
神も仏も名無しさん :2013/11/28(木) 10:33:17.43 ID:6VWhTNYf
いや違うでしょ 業報輪廻転生って言う名の妄執を捨てられないのは 三学修めても無駄って話 妄執を捨ててからでなければ正しき禅定も智慧も得られない それでも間違いじゃないんだって言い張っても破戒は破戒で問題は解決出来て無い
486 :
神も仏も名無しさん :2013/11/28(木) 10:38:33.31 ID:6VWhTNYf
戒定慧ってさ、簡単なもんだろ的に誤解されてるみたいだけど 七科三十七道品の骨目だかんね ここでちゃんとやれなくてどこでやんのさって話になる
>>485 だからw
それは、(現代の何人かの比丘のスタンスはともかく)
世界に現存する9割の仏教全てが妄執を捨て得ておらず、「正しき禅定も正しき智慧もない」
と言ってることになるんだが?
上座部然り、チベット然り、各宗然り。
勿論、検証はされ続けていいと思う。学者の間だけでなく、
比丘の中で、もっと大きなムーブメントになっていった方がよいだろうとは思う。
が、
現状では、その考え方の方が「邪見」認定だと思うよ。
488 :
神も仏も名無しさん :2013/11/28(木) 10:39:22.73 ID:HVn6Zf0Q
>>484 テーラワーダはそもそも漸悟ですからね。
相手の方はおそらく禅(頓悟)を参考にしているのでしょう。
489 :
神も仏も名無しさん :2013/11/28(木) 10:44:05.76 ID:HVn6Zf0Q
>>486 曹洞宗で悟りを得たとされる良寛さんは酒を飲んでいましたが、
良寛さんは破壊僧ということになるのでしょうか?
490 :
神も仏も名無しさん :2013/11/28(木) 10:46:43.50 ID:hPWsvXrO
>>487 ,488
釈迦牟尼は菩提樹下にて頓悟で四諦・八正道を悟った筈だが、否定するのか?
能力に応じ漸悟でも構わんが、甘えと漸悟は全然違う
戒はちゃんと立てて守ってこその戒である
>世界に現存する9割の仏教全てが妄執を捨て得ておらず、「正しき禅定も正しき智慧もない」
>と言ってることになるんだが?
隣の人が盗みを働いたから自分も盗んでよいのか?
491 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/28(木) 10:48:04.61 ID:v5pxGlSH
>>454 wwwwwww
ここでいう神とは、『自己の意思を有し、この現象界に干渉可能な超常的存在で信賞必罰を与える』・・・という意味に致したく。
こういうところがホントにカスwwww
勝手に「信賞必罰を与える神」と付加して、アインシュタインやスピノザは
「信賞必罰は与えないが、ちゃんと自らの意思を有した神」は信じていた・・・・と
やりだすwwwww
こいつの、やり口は、「アインシュタインが、『信賞必罰を与える神は信じない』と表現したこと
を取り出して『じゃあ、信賞必罰を与えない神は信じてるんだ』とやりだすこと」www
全体の趣旨は全く無視w 使えそうなところだけを引っ張り出して捻じ曲げて使用とwwww
何度も言うが、w
アインシュタインもスピノザも、信賞必罰どころか、自らの意思をもった超常的存在、
すなわち「人格神」など、「はっきりと否定してるの」wwwwww
それが、定説w お前のような妄想喚いているのは、「おまえひとり」www
輪廻肯定者でさえ、お前の妄想の支持表明しないでしょ?w
(一人くらい、似たようなキチガイが現れてくれると面白いと思ったんだがww)
492 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/28(木) 11:13:37.25 ID:v5pxGlSH
>私は禅宗ではございませんが、まず「前世想起」の門を透過しないと、その奥の「身心脱落」の門と、更に深奥の「見性成仏」の門には不達と考えております。 アホかwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww 一体、どこの禅宗が、「悟達には前世想起が必須」などと説いてるか? バカタレwwwwww 道元の中心思想は、「修証一等」・・・・ここに疑義を挟むやつなんておらんわいw だからこそ、道元関係の論文はほとんどが、そこに集中しているw まえにも言ったが、およそそれとは無関係の三時業をなぜ、最晩年で語ったのか? それには諸説あるが、ひとつには以前、閻魔が言ってたように、「老いて駄馬に変じた」・・・ というものw これも理由がないことではなく、(例えば、以前の道元では考えられなった ことだが、朝廷より紫依を賜った・・・などww) 明らかに死を目前にして そのスタンスが変じたように思われる種々の事跡がみとめられるw 但し、道元が変じたか?・・・については学者間でも見解が分かれるところw 未だ定説なしw もう一つは、「道元の最晩年において、弟子たちが、いわゆる勝義的視座に変更し、 世俗における価値体系を軽視し、修証一等を理解せず、いわゆる『自然外道』的風潮が 顕著であった。 そのことに対して、それを戒めるため、(今までさして重要でもないので 全く説いてこなかった) 業報論を活用した。 これにより、弟子たちの修行へのモチベーション を鼓舞した・・・・というもの。」 まあ、オレとしてはどちらもアリだと思うがねw (但し、3対7位で、後者支持w) いずれにせよ、「道元が自己の教説の根幹部分として輪廻業報論を支持していた」 などというのは、それを裏付ける根拠が全くないので、妄想の範疇のことww これは、まず道元研究者の共通見解と言ってよいと思われるw (但し、どこにもいるトンデモ学者は知らんがww)
493 :
神も仏も名無しさん :2013/11/28(木) 11:15:19.90 ID:QL2LOnKh
ここで他人より正見を得ているという者がますます他の者を見下し 傲慢になっていく様を見るにつけ鼻から牛乳吹き出しそうになる
495 :
神も仏も名無しさん :2013/11/28(木) 11:24:45.15 ID:EmI3zagD
>>493 下腹部に過去世の一大貯蔵庫が… 何でしたっけ?w
>>494 小学生でも解る道徳レベルも実践出来ないのはもはや仏教とは呼べないでしょw
496 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/28(木) 11:25:04.19 ID:v5pxGlSH
>>494 ちと聞くが、セブンw
今までに、いわゆる「解脱者」とみなされてる者うち、宿命通によって
自分の過去世は・・・・でしたと、語っている者は何人位いるの?
勿論、自ら語ってるもののみねw、 後世の弟子たちの伝聞はなしw
俺は、ほとんど記憶にないんだが?
497 :
神も仏も名無しさん :2013/11/28(木) 11:26:48.51 ID:QL2LOnKh
戒律もろくに守れず増上慢の者が仏教を研究して 正見だとしたり顔で盗み見したこと語ることからくる害悪は大きいわな 瞑想もしないで仏典研究したっていうのは盗み見したみたいなもんだからな ガキに拳銃渡しちゃったみたいなもんだw
498 :
神も仏も名無しさん :2013/11/28(木) 11:30:55.75 ID:EmI3zagD
>>497 下腹部に過去世の一大貯蔵庫が… 何でしたっけ?って訊いてるんだがw
ラーガの聴きすぎでラリってんの?w
499 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/28(木) 11:33:54.93 ID:v5pxGlSH
瞑想、実践を否定するものではないが、w それはあくまでも「自己の範疇」でしょ? それが分からずに、「私は瞑想によって・・・・が真実であると分った」 などと、「自己の見解の真実性を瞑想に求める」・・・なんてことは アホのやることだと思うがいかが?w 悟りスレには、そういう自己体験に基づく、「分ったちゃん」が 溢れてるんだがwww
500 :
神も仏も名無しさん :2013/11/28(木) 11:43:43.51 ID:QL2LOnKh
君等から見れば自分や極少数を除けばみんなラリったバカに見えるんだろうな 随分と偉くなっちゃったもんだなw
501 :
神も仏も名無しさん :2013/11/28(木) 11:45:33.87 ID:EmI3zagD
>>499 止観の両瞑想で何かが閃くんじゃなくて、知恵を引き出す行程に過ぎないよ
止行は早い話し無心に集中し
観行は気付きの連続に集中して
その両方で以て心身を調えて雑念を極力排して良い智慧を引き出す
って感じ
有名な触地印座像も瞑想から覚めて魔の正体を見破った瞬間を表現してる
502 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/28(木) 11:53:02.39 ID:v5pxGlSH
>>501 wwwwwwww それについて異論はないけど
行について、こういうところで話すのは、オレとしては避けたいww
必ず検証不能の「俺の方が分かってる論争」になるからwww
っていうか、お宅、ID変わってる?w
503 :
神も仏も名無しさん :2013/11/28(木) 11:56:32.76 ID:QL2LOnKh
今度は俺達は瞑想が少しは分かってるぞって主張かよ 忙しい奴らだなw
504 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/28(木) 12:00:09.65 ID:v5pxGlSH
>>503 ん〜〜〜〜〜〜〜〜????
よくわからんが、貴方は自分が瞑想の練達者であると言いたいのかな?
それなら、良いスレ紹介するけど。
「悟りを開いた人のスレ」・・・・・通称、「鬼スレ」
ここがいいよw 似たような人がたくさんいるから。
505 :
神も仏も名無しさん :2013/11/28(木) 12:00:14.38 ID:EmI3zagD
>>502 公衆wifiだから赦して
君の見解は尤もかもだけどね
三学には禅定が含まれてるから
正しく戒律を立てて正しく禅定を修し
正しい智慧で真理と道を悟るのが仏教なのよ
506 :
神も仏も名無しさん :2013/11/28(木) 12:14:29.67 ID:5vLHK2dO
>>452 (アホ在家)
>【如理作意のお題】
如理作意とは縁起の間接現実=時空因果関係のモノ・コトを正確に分析検証することをいう。
アホ在家のように一切=時空因果関係を撥無(無視)したご都合主義オカルト妄想は“如理”作意ではない(
>>406 )。
そもそもアホ在家のようにマヒカリに目がくらんだ【菩提心門】拒絶外道が仏教を云々すること自体が誤っている。
アキメクラには
>>409 はとうてい文字通り“無理”だ。
507 :
神も仏も名無しさん :2013/11/28(木) 12:17:13.04 ID:5vLHK2dO
>>429 >何故カットするのですか?
まともに如理作意できない者を誤解させる表現だからだ。
チャンドラキールティの引用(
>>418 )は勝義示唆の還滅文言だが、
・世俗での勝義示唆で<“無始”無終>(四句第4)の如くならば、相対“有始”前提の『始より』はありえず、
・世俗での勝義示唆で<非清浄非汚濁>(四句第4)の如くならば、相対<清浄⇔汚濁>前提の『汚れなし→清浄』はありえない。
508 :
神も仏も名無しさん :2013/11/28(木) 12:24:02.72 ID:5vLHK2dO
>>423 (?)
>第一義空經と、十二縁起は、両方とも 我・我所を滅させる為の因と縁の依存によって、
>無我・無我所を得て、智慧を決定すると言う意味だと思います
>(中論)第二十六章
http://www.icabs.ac.jp/frontia/summary-imanishi-20091205.html 前記チャンドラキールティと今西順吉博士の説からは、
中論は25-24でみごとな体系的「結論」によって終結しているのである。
26章、27章は来るべき『中論 全面改訂版』でカットされるのが当然だろう。
無量因無量果(多因多果)の縁起ネットワーク機能において、
恣意的な「特因特果」妄想の十二支縁起論そのものが無明の産物である。
還滅された真理ではない。
暇をもてあます、擬似バラモン特権階級と化したスコラ坊主の
業報輪廻転生を補強する妄想レトリックでしかない。
“風が吹けば、桶屋が儲かり、坊主が妾を囲う”は真理ではありえない。
509 :
神も仏も名無しさん :2013/11/28(木) 12:32:56.41 ID:hPWsvXrO
>>508 風吹けば桶屋が儲かる
1大風で土ぼこりが立つ
2土ぼこりが目に入って、盲人が増える
3盲人は三味線を買う(当時の盲人が就ける職に由来)
4三味線に使う猫皮が必要になり、ネコが殺される
5ネコが減ればネズミが増える
6ネズミは桶を囓る
7桶の需要が増え桶屋が儲かる
ちょっと勉強になったが
坊主が妾を囲うに繋がらないw
510 :
神も仏も名無しさん :2013/11/28(木) 12:48:10.58 ID:83mX+2b4
>>507 >まともに如理作意できない者を誤解させる表現だからだ。
あなたのほうが、釈迦の「無我」「無」に執着する余り、誤解している。その言葉には、
チャンドラキールテイの「万感の想い」が込められていることを理解していない。
彼の言いたいことの本当の核心だ。勝手に削除すべきではなかろう。
そんなに「分別」に執着するのなら、「勝義諦・世俗諦」、「直接現実・間接現実」
という、「観念にまみれた最大の分別」を止揚したらどうか。そんなものは無い。
「世俗的なことに基づかなければ、第一義は説示しえない」(中論)。あなたは、
この教えにモロに反している。前レスでの釈迦と小学生との問答におけるあなたの
レスでは、小学生も説得できず、馬鹿にされるだけだ。
511 :
神も仏も名無しさん :2013/11/28(木) 13:00:18.36 ID:5vLHK2dO
>>509 台風で桶屋どころか“内需拡大”で景気回復→デフレ脱却で
坊主のお布施が増えて儲かり、坊主が檀家の若い後家を妾に囲う。
まあ、お笑い経済学ですなw
512 :
神も仏も名無しさん :2013/11/28(木) 13:02:08.61 ID:AXbOhMIn
>>510 まてまてまてw
>釈迦の「無我」「無」に執着する余り
チャンドラキールティは論蔵を担った一人だろ
論蔵は経と律の二つを釈す役割であり、三つで三蔵であり
三蔵は基本釈迦の悟りが何たるか、教説は、具体法は何ぞやと知るものだろ
釈迦から無我と無を取ったら基本教説が瓦解するんだがそれが狙いか?
悪意有り過ぎだろいくら何でも
513 :
神も仏も名無しさん :2013/11/28(木) 13:15:44.19 ID:AXbOhMIn
マヒカリはマヒカリだけやってれば良いのに なんで仏教を弄りにくるんだろう 謎だな マヒカリ信者が仏法者に完膚なきまで論破でもされたんだろうか
514 :
神も仏も名無しさん :2013/11/28(木) 13:21:34.22 ID:5vLHK2dO
>>510 >「世俗的なことに基づかなければ、第一義は説示しえない」(中論)。
第一義そのものの説示はありえない→中論25-24=説似一物即不中。
勝義(縁起の直接現)は仏法のゲシュタルト(二項相対対象化思考の離脱=Sn.1072)(
>>407 )だから
・言語なら四句第4を利用した否定的<示唆>
・その他、動作・音声・比喩などで<示唆>するしかない。
>「勝義諦・世俗諦」、「直接現実・間接現実」という、「観念にまみれた最大の分別」を止揚したらどうか。そんなものは無い。
だったら、
>>406 の龍樹「中論」、道元「正法眼蔵」を批判せよ。
自分なりに如理作意し、咀嚼したコトを書いているだけだ。
仏法ゲシュタルトとその崩壊(Sn.1072)において(
>>406 )、ブッダ、龍樹、道元の各氏と同一還滅趣旨だ。
ここを外せば、仏法ではない。
515 :
神も仏も名無しさん :2013/11/28(木) 13:38:59.97 ID:AXbOhMIn
>>514 >ブッダ、龍樹、道元の各氏と同一還滅趣旨だ。ここを外せば、仏法ではない。
そう思う
上記の三方とも共通するのは法印は破ってないし
三方とも同じく共通するのは摂受門であり折伏門ではない事
だから業報輪廻を或いは説き或いは説かずと対象に応じて説示を変えたのでしょう
有る無しのどっちにしろ涅槃で寂滅するんだし、どうせ無くなるものは有る無しの拘りも不問だと
516 :
神も仏も名無しさん :2013/11/28(木) 13:48:06.91 ID:83mX+2b4
>>514 >ここを外せば、仏法ではない。
やはり、仏教ゲシュタルトに執着しているw。釈迦個人から離脱しなければ、
仏教ゲシュタルトの崩壊はありえないよ。中論とその直系の道元は、すでに
離脱し得ている。彼等の釈迦への言及は、単に「より高次な存在の象徴」と
してのみ。その証拠として「諸仏」といっている。釈迦1個人では決してない。
釈迦の単なる勘違いに過ぎない「無我」「無」を、彼等に当てはめようとする
から、あらゆる無理とひずみと誤解と争いが生じている。
517 :
神も仏も名無しさん :2013/11/28(木) 13:55:36.53 ID:ywpoQmQt
>>516 >釈迦個人から離脱しなければ
釈迦を否定するの?
仏教開祖を蔑ろにしたら仏教じゃ無くなるでしょ
だから大乗経典の多くは釈迦に仮託してるんだし
>その証拠として「諸仏」といっている。釈迦1個人では決してない
それも説一切有部が元凶ね
邪義です
518 :
神も仏も名無しさん :2013/11/28(木) 14:00:25.08 ID:ywpoQmQt
>釈迦の単なる勘違いに過ぎない「無我」「無」を 仏法破戒乙w 釈迦の無我説を否定するとだね 膨大なアビダルマを全部否定する事になるんだよ 勝手解釈は許されないからみんな釈迦の法を論証しようとした結果なんだし 大丈夫かねこの人のオツムw
519 :
神も仏も名無しさん :2013/11/28(木) 14:08:39.07 ID:ywpoQmQt
やはり、マヒカリだな原因はw マヒカリの害毒が眼を濁らせて真理を見せない様にしてるんだよ 仏教は諦めるか、マヒカリやめるかした方が良いと思う
520 :
神も仏も名無しさん :2013/11/28(木) 15:02:39.46 ID:lH6wP7jj
>>505 >君の見解は尤もかもだけどね
>三学には禅定が含まれてるから
>正しく戒律を立てて正しく禅定を修し
>正しい智慧で真理と道を悟るのが仏教なのよ
解ったように語ってるけど口だけでしょ?
「言うは易く行うは難し」(「塩鉄論」利議から)
>>459 ID:wiwjUQ2k さんへ
> 輪廻を信じても信じなくても、最終的には滅するから心配ない
↓ こんな感じでしょうか?
仏教と「輪廻」の概念 : 並川孝儀氏の所論をめぐって/松尾宣昭/七三ページ参照
1)異蘊相続による輪廻
2)その輪廻からの解脱
漢訳 第一義空經
此の陰滅し已らば異蘊相続するので、だから
無明を滅させて → 行を滅させて → 識を滅させて
ウダーナヴァルガのギルギット写本
縁起したものを離れる
中論觀四諦品第二十四
衆生を引導するが故に、仮名の空を以って説いた
522 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/28(木) 15:07:18.67 ID:v5pxGlSH
>>520 >解ったように語ってるけど口だけでしょ?
ん??
分ったように語ってる???
俺は瞑想について一言も語っていませんが?w
523 :
神も仏も名無しさん :2013/11/28(木) 15:10:51.29 ID:lH6wP7jj
>>522 あなたに言ったのではなく505さんに言ったのです。
524 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/28(木) 15:19:12.03 ID:v5pxGlSH
>>523 wwwwwwww やっぱり?w
唯、一応、彼はオレと少しやり取りしてたんで、確認のためw
んで、上座部くんw
「彼が解ってるか? どうか?」なんて、こういうところでは分からんよw
個人の境地は、その個人しか分かりえないw
(少なくとも、こういう文字情報のやりとりしか不可能な場ではねww)
俺が思うに、彼自身、決してリアルでの実践を軽視してるようには見えないがw
唯、その実践を基盤に何か、物言いをするのが嫌なだけなのでは?
(まあ、わからんけどww)
>>ID:5vLHK2dO さんへ > 如理作意とは縁起の間接現実=時空因果関係のモノ・コトを正確に分析検証することをいう 因と縁の依存を 無我・縁起・空の観察によって 6. 受によって渇愛が現れる 固執/(取)掴み取ろうとする心の働きも現れる と衆生を引導するが故に、仮名の空を以って説明しているのです ( ↑ 第二十六章 十二の鎖の環(十二因縁/十二縁起)の考察 )
>>525 の訂正
「 なぜ、因と縁の依存なのか? 」 を説明する為に
無我・縁起・空の観察によって
6.
受によって渇愛が現れる
固執/(取)掴み取ろうとする心の働きも現れる
と衆生を引導するが故に、仮名の空を以って説明しているのです
527 :
神も仏も名無しさん :2013/11/28(木) 16:09:46.79 ID:lH6wP7jj
>>524 >「彼が解ってるか? どうか?」なんて、こういうところでは分からんよw
>個人の境地は、その個人しか分かりえないw
いや、わかりますよ。
たとえば、こういう場でも、罵倒や挑発、相手を見下す発言をしているだけでも、
少なくとも、八正道の「正語」、相手を思いやる「慈悲の実践」はできていないし、
仏教で戒められる六大煩悩の「瞋・慢」が強いことがわかります。
こういう掲示板は本性が出るものですから、ある意味リアルより
実践できているかを判断する場としては重要かもしれません。
528 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/28(木) 16:15:29.02 ID:v5pxGlSH
>>527 wwwwwwww
言葉遣いの丁寧さで、仏法の理解度を測ると???wwwwwwwww
なら、禅宗系の坊主どもは、全くダメか??www
>>526 の続き
机先生の場合は
因も無く、縁も無く、それ故に
因と縁に依存して仮りに現れるものも無い
ID:5vLHK2dO さんの場合は
中論の 「 十二縁起 」 はカットされるのが当然だ
− これに対して −
釈迦は実我観念を批判し
「我として認められるものはない」として、諸法無我と説いた
無我である五蘊の仮和合したものであるから仮りの存在であると説いた
それ自体の自性ではなく
因と縁の依存によって
(前世)過去からの依存によって
アートマンを認めない無我の立場をとる思想では
心の流れ(心相続)によって仮りに現れる
と衆生を引導するが故に、仮名の空を以って説いた
と言う意味だと思います
530 :
神も仏も名無しさん :2013/11/28(木) 16:34:28.78 ID:lH6wP7jj
>>528 >言葉遣いの丁寧さで、仏法の理解度を測ると???wwwwwwwww
仏教への「本気度」が分かるんじゃないでしょうか。
丁寧さだけじゃないですよ。
発言の内容も大事ですよ。
少なくとも「バカ、アホ」や「大丈夫かねこの人のオツムw 」
などはアウトですよね。
531 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/28(木) 16:50:40.88 ID:v5pxGlSH
>仏教への「本気度」が分かるんじゃないでしょうか。 wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww 言葉遣いが丁寧なら、仏教に本気で取り組んでると??????www >発言の内容も大事ですよ。 どっちなんだよ?wwwwww バカ、アホがダメで、 >解ったように語ってるけど口だけでしょ? は、いいのかよ?wwwwww これは相手を見下してる態度じゃねえのか? 「随分、自分勝手な判断をする御仁ですね?」 ⇒「貴方様は、大変なクソ野郎だとお見受けいたします。一辺、お死になられたら 良いのではと思量いたしますが?」・・・・・・こんなのは? wwwwwwwwwwwww
532 :
神も仏も名無しさん :2013/11/28(木) 16:56:39.15 ID:lH6wP7jj
>>531 解ったように語ってるけど口だけでしょ? は、
質問ですw
533 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/28(木) 16:59:24.47 ID:v5pxGlSH
>>532 うわ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
たまげたwwwwwwwwwww
「質問」???????????? あれが???
どう見ても、「おまえは口だけw ホントは何も分かってねえ。」
という意味でしょ? 流れからしてもwwwww
それを「質問」と言い逃れるとはww
534 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/28(木) 17:00:27.81 ID:v5pxGlSH
嘘つくと、仏罰下るぞwwwwwwwwww
535 :
神も仏も名無しさん :2013/11/28(木) 17:31:03.72 ID:83mX+2b4
>>514 >だったら、
>>406 の龍樹「中論」、道元「正法眼蔵」を批判せよ。
>自分なりに如理作意し、咀嚼したコトを書いているだけだ。
その如理作意の基盤を、「無我」「無」におくから、全てが狂ってくる。
釈迦は単に「煩悩は我から生じるから、我を無くせば煩悩は無くなる。
こりゃー大発見だ」と躍り上がっただけ。そう考えているのは「己の我」で
あることを、すっかり忘れていたw。
「無我の境地」は、我を精一杯生きて、「我を忘れる」ことによってのみ到達
される。
中論第一章は、釈迦の「これがあるから、あれがある」を明示的に否定している。
つまり、釈迦の縁起(因果関係)は「誤り」ということだ。
中論25:24は、「釈迦は、『俺のような教え』は一切説かなかった」の
意味。竜樹の自負心を表しているだけ。中論は、釈迦の思想とは全く異なる。
釈迦が「現成公案」や「前後際断」の思想を、どこで説いているか。
中論では、「第一義は、世俗的なことによってのみ、説示できる」と言っている
のである。「言語習慣」という言葉に代えても(この訳語は、「世俗的なこと」
とすると第一義が無力化されるから、梵英辞典の非本来的な意味を利用した故意のの
誤訳と思われる。「説示」は言語によるに決まっているのだから、類語反復である)、
「言語」とは、衆生の共生(世俗)のための道具として発生したのだから、
世俗そのものである。従って、世俗から一歩も離れた第一義など有り得ない
のである。
> 世俗から離れた第一義など有り得ないのである //home.att.ne.jp/delta/myrobalan/pdf/mulama24.pdf 第二十四章 四つの聖なる真実(四聖諦)の考察 8. ダルマについてのブッダの教えは 二つの真実(二諦)に基づいている この世の現象的な真実と 究極の真実である 9. この二つの真実の間に引かれた区分を 理解しない者はブッダの深遠なる真実をも 理解しないであろう 10. 現象的真実の中に存する根拠なしに 究極なるものの重要性は説き得ない 究極なるものの重要性を理解することなしに 解脱(涅槃)は達成され得ない
>>496 > いわゆる「解脱者」とみなされてる者のうち、
> 宿命通によって自分の過去世は・・・・でした と、語っている者は
ワシにそれを聞くかw
私は聞いていない。(そりゃそうだなw ワシのは脳内仏教だからwww)
日本に、日本各宗派内の人物であり得ないのは当然として、
諸外国の僧侶でどうか?となると推測の域を出ない。
密に会話をしてはいないが、何人かの比丘、長老には、学生時代お目にかかったことはある。
(今なら、端的に諸疑問を問うこともできようがw)「(ああ、やっぱ雰囲気違うなぁ・・)」という感慨を抱くだけだ。
が、このシリーズでも何度か事例として出てくるタイやスリランカの比丘のケースを見るに、
近現代に於いて、496のようなことをはっきりと「口にする」「示す」者はいないのではないかと思う。
(勿論、ここで注意しなければならないのは、
《口にしない=否定のスタンス(・・・真実を隠している)》 ではないということだがw)
そこには、日本仏教の現状に各宗門が、なかなか動けないのと同様、
教義面での自殺推奨を妨げ得ない、少なくとも、その方法論を見出し得ていないという面もあるかもしれない。
だから、各比丘が個人的に声を上げるだけなのかもしれない。
いずれにしろ、(最近自分も「伝承・伝統」と騒いでいるがw)
そうした伝承の追証・追体験として、現在存命中の比丘僧侶に“神通”や“諸ヴィジョン”があるか?
といったとき疑問符はつくと思う。(この辺は一代の領域だ。)
だから、このシリーズ初期のようなことも言わせて貰った。
勿論、近現代日本で阿羅漢が誕生し得ないのと同様に、
(世界を席巻する近代化・文明化の波浪の中)、いずれの比丘も達し得ていないだけ、
という可能性もある。
*(また、超常的謂いが新興宗教・カルト・神秘系に多いのは(仏教がそれをしないのは)、
徹頭徹尾、集客&脅迫ツールとしての意味しか持たないから、かもしれない。)
538 :
神も仏も名無しさん :2013/11/28(木) 19:25:28.81 ID:vjZ5yUxy
>>535 我の上に無我があるのではない。
我から新しい無我を作るのではない。
無我の上に我がある。
我を消して無我、無に戻る。
539 :
神も仏も名無しさん :2013/11/28(木) 19:51:54.27 ID:+ru+cGtV
>>536 「釈迦はそう言ってるが」の意味。
現成公案、前後際断、諸法実相、目横鼻直
チャンドラキールテイも、「勝義とは、聖典上・現実上、世俗から攻撃された
場合の、神秘主義的逃げ口上」という趣旨を述べている。
現実がそのまま受け入れられず、「何となく不気味に見える」のが、統合失調症
の症状。
540 :
神も仏も名無しさん :2013/11/28(木) 19:56:45.51 ID:+ru+cGtV
541 :
神も仏も名無しさん :2013/11/28(木) 20:00:47.68 ID:vjZ5yUxy
542 :
神も仏も名無しさん :2013/11/28(木) 20:03:55.80 ID:+ru+cGtV
>>541 その症状が続いたり、何度も起きる場合には、精神科を受診のこと。統合失調症
の疑いあり。
543 :
神も仏も名無しさん :2013/11/28(木) 20:15:44.52 ID:O/sBcFV0
フジで脳外科医が見た死後の世界ってやってるw チベット仏教の死後の世界よりこっちの方が真実味があるw
545 :
神も仏も名無しさん :2013/11/28(木) 20:38:58.88 ID:hyWsrGfI
>>535 >中論第一章は、釈迦の「これがあるから、あれがある」を明示的に否定している。
>つまり、釈迦の縁起(因果関係)は「誤り」ということだ。
釈迦説否定キタコレw
釈迦説の否定は全アビダルマ=論蔵の否定であり仏教破戒になるよ
仮に釈迦より後に出た説が「もし」釈迦説(この場合は(論)だが)より正しいなら
釈迦説は釈迦の成道によって立証された訳で、後続説が釈迦より正しいなら
釈迦クラス・レベルの常道者を輩出し名を馳し仏教総称名も塗り変ってねばならん訳だが?
まさかそれが親鸞だ日蓮だ道元だ空海だになるとでも思ってるのか?
そんなバカな話が有る訳無いだろ
みんな釈迦の凄さを手を変え品を変え立証したく持論展開した結果だぞ?
日蓮でさえ「始成正覚」と釈迦を下げても居なきゃ法華すら成り立たなかった事をちゃんと立ててる
正像末の天台概念に絆されてつい釈迦を下げちまってるが否定こそして無いんだよ
ったく、真光は困ったもんだ
>>538 無我の上に我が有るんじゃなく、本来無我なのを我だと思い込むから我執なんでしょ
我執が妄執、つまり執着だから捨てろという話でしょ
546 :
神も仏も名無しさん :2013/11/28(木) 20:44:04.86 ID:hyWsrGfI
>>535 それともう一つ、中論の誤りはだ
法体は有我、つまり法有我と論じた事が大きな誤り
説一切有部が説いた三世十方(つまり無始無住の時間と無限の空間)を
仏教に混ぜ込んだ邪義の害毒が法体有我なるトンデモ論を生み出した
その罪は重い
>>545 彼は真光とは別人だよ。
寧ろ、極限まで突き詰めた現代常識派。
だから、神秘的叙述、神通等への言及を含む伝統的文献は一切否定し、
ただ、中論の「すべては世俗の慣習に依存する」という箇所を印籠にして、
相互依存縁起を主張する人物。
(生命(…本能)至上主義である点を除けばw)、
頑固で視野狭窄・勝手読みのカルト的な点は共通とも言えるが・・。
つか、隠居と在家を混同するなんてあり得んと思ってたが、 世の中には妙な人もいるもんだw
549 :
神も仏も名無しさん :2013/11/28(木) 20:48:39.19 ID:hyWsrGfI
>>547 どっちでも宜しいがなw
凡そ仏教を習おうものが無限やら無終やらの惑も切れないんじゃ推して知るべしでしょ
551 :
神も仏も名無しさん :2013/11/28(木) 20:54:12.19 ID:hyWsrGfI
ただ、失礼があったなら謝る、ごめんなさい マヒカリは救いようが無いからそれと一緒ってのも学があるなら勿体無いし 学が、少なくとも俺より有る人はいっぱい居るんだから 中論引くのも大概にして、少しはそのアビダルマの成立の中枢を担った 説一切有部の誤謬を検証されたし 検証出来ない論理展開をしてる=釈迦の教えに反してるのは一目瞭然と解る筈 智慧の眼で観ればね
552 :
神も仏も名無しさん :2013/11/28(木) 20:57:32.45 ID:vjZ5yUxy
>>545 その通りです。
その表現では535の方に分かりにくいと思い、表現を変えました。
>>546 真理の「無」は有る無しの無とは異なります。
法は真我とも表現できます。
553 :
神も仏も名無しさん :2013/11/28(木) 21:03:58.32 ID:hyWsrGfI
砂漠を突っ走るサファリラリーというレースがあるが あれの映像で良く見る光景として 「突然現れる断崖に躊躇無く突っ込んでマシンが大破するシーン」ってのがある あれは断崖に気付かなかったんじゃなく「上ってるとは思わなくて」突然で対処できず突っ込んでしまう 何十キロも何百キロもゆる〜く上ってる為に、公式地図上では示されてなかった 砂丘の崖に大抵気付けないんだそうだ、砂丘の崖は風で移動しちゃうんで記録し切れない 説一切有部の永遠を説く誤謬も、多分こんな感じで、間違って行ってるとは気付けなかったのかも知れない 対論者には散々指摘されてたのだろうが、耳真っ赤で気付けなかったのかも知れない 色々考えても栓無き事だが、いずれにしても仏教なのに永遠と無限を説いた時点で 排するべき誤謬となり、いやいやと拘る以上それは妄執となる 妄執は捨てるべき対象
554 :
神も仏も名無しさん :2013/11/28(木) 21:13:07.01 ID:hyWsrGfI
>>552 >真理の「無」は有る無しの無とは異なります
もっと平たく考えたら楽になると思うよ
無は有無の無で良いんでしょ
どこにでも有って生じる事は無く
永遠(笑)に不滅なのにどこにも無い
始まりが無くて終わりも無いのに有るのに無いもの
それが無でしょ
無いから生じない、生じないから無くならない
無くならないのに無いから無くならない(笑)
唯一無始無住で無我なのに終わらない
それが無
真我と称するものが法であり、その法の中身がこの無なんだったら同意できるけどね
多分あれなんでしょ?法体とか何とかなんでしょ
法体無限無始無住を言うのは涅槃否定になるから良く考えてくださいね
555 :
神も仏も名無しさん :2013/11/28(木) 21:19:19.94 ID:vjZ5yUxy
>>554 完全な無は概念に過ぎません。無いは無いです。
永遠も概念に過ぎません。方便です。
556 :
神も仏も名無しさん :2013/11/28(木) 21:26:00.58 ID:naev+ocD
真光の一在家は、仏教スレで輪廻転生語るし、フリーメーソン信じている キチガイ。
557 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/11/28(木) 21:29:40.50 ID:W3imNPdr
>>464 >前世は一在家は
>無我がさっぱり理解出来ない=我執を捨てられない
「無我」とは「我は無い」ではなく「我執を捨てよ」という意味だと理解しておりますし、本スレでも度々そう述べております。
(ご参考)
★真宗の三木住職「現代仏教塾」より
「私はない」という教えではなく「我執を離れなさい」という教えが無我。
初期の仏典結集でもあった誤解が、中国語で「無我」と訳されてから混乱、誤解が生じた。
「私が、私がという、我に対する執着を離れなさい」という教えだった。
パーリ語では「アナッタン、not self=自己ではない→我は無いと誤解、変化する心も体も自己では無い」
★石飛道子「マニカナ」より
>釈尊が説かれたのは「アナッタン=非我」であり、
この点は、たしかにそうですね。無我は、「わたしではない、わたしのものではない、わたしの本質(自己)ではない」の三つの意味であるとされます。
「無我」は、「我がない」というはっきりした主張を含みませんが、「無我」の境地をえると、我のことを忘れてなくなっていくようなところはあると思います。
「我がない」とはっきり主張すると、これまた断見に陥ることになるので、それも、避けねばなりませんよね。
558 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/11/28(木) 21:37:35.24 ID:W3imNPdr
>>557 >「無我」とは「我は無い」ではなく「我執を捨てよ」という意味だと理解しておりますし、本スレでも度々そう述べております。
(よくある推論)
釈尊は無我を説かれた AND 無我と輪廻は矛盾する THEN 釈尊は輪廻を方便で説いた
上記推論はこう変わりますでしょう。
(訂正された推論)
釈尊は非我を説かれた AND 非我と輪廻は矛盾しない THEN 釈尊は輪廻を方便で説いたとは言えない
559 :
神も仏も名無しさん :2013/11/28(木) 21:41:09.63 ID:hyWsrGfI
>>557 じゃさ、我執を捨てよとはどう言う事?
「我は無い」とは何がどう違うの?
コピペじゃなくて君の見解でよろしく
560 :
神も仏も名無しさん :2013/11/28(木) 21:44:01.88 ID:hyWsrGfI
>>557 >「わたしではない、わたしのものではない、わたしの本質(自己)ではない」
つまり?何?
これが理解出来てるなら無我に迷う事は有り得ない重大事なんだけどね
561 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/11/28(木) 21:44:55.53 ID:W3imNPdr
>>556 >フリーメーソン信じているキチガイ。
あれ、グローバルの唯識者の大半は知っていると思いますが。 皆、基地外ですか?
石油もお金も情報もメディアも全て掌握している超巨大な団体だとね。
ただ旧約聖書が中心思想だと思う人は誤った見解でしょう。
私もタル○ードを一部読みましたので。
562 :
神も仏も名無しさん :2013/11/28(木) 21:46:12.82 ID:hyWsrGfI
563 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/11/28(木) 21:55:55.18 ID:W3imNPdr
>>559 >じゃさ、我執を捨てよとはどう言う事?
>「我は無い」とは何がどう違うの?
「私が私がという執着を離れなさい。」ということ。
自我意識(エゴ)は真実の自己(アートマン)ではない。
私の身体、私の心、私の経験、私の業績、私の財産、私の家族等々はみな真実の自己ではない。
以上、最近勉強した後の現状認識です。明日も生業早いの寝板に入ります。
>>557 だから、貴方や宝珠(…神智学)、カラス等の考え方とは、
まったく異なる
ということが明らかですよね?w
そのレス(引用)は、(図らずもw)
貴方方の考え方が仏教でない(お釈迦さんの教えでない)ということの証となってますよね?w
565 :
神も仏も名無しさん :2013/11/28(木) 21:58:02.48 ID:W3imNPdr
>>563 >・・・・・・等々はみな真実の自己ではない
だから、そうでない“ところ”に、或いはそのようなものでない自己(≒アートマン)がある、
と言いたいのかな?w
終いには、臨済禅師もアートマンを説いていた、とか言い出しそうだなw
567 :
神も仏も名無しさん :2013/11/28(木) 22:02:49.57 ID:hyWsrGfI
>>563 そんな感情論なんかじゃないんだけどね
私って言う人間で説明しようとするから理解出来ないんだよ
諸法無我は「全ての事象現象は」無我って事で、対象を変えれば理解しやすいでしょ
例えばコップ、ガラスのコップが目の前にあるとする、このコップは無我であると仏は言う(諸法無我故)
君がこのコップを割ってみたとする、粉々に、これはコップと呼べるだろうが正確にはコップの残骸だ
もしこれが有我なら、この残骸に水を注いでも割る前と同じ様にコップの機能を十分に発揮し果たす筈だ
どうかね?
これが無我って事、事物には本来から備わる実体が無いって事が無我って意味
やっぱ解ってなかったんだね
だから永遠な何かに拘り続けて居られる訳だ
釈迦の教説は、端的に永遠なる何かを否定したと言うが
直接無碍に否定したんじゃないんだよ
諸法無我が解ったから「永遠なる何か」は有り得ないって結論になっただけ
永遠なる何かが有り得ない=つまり無い事に結論が得られるから
無記で居られるって事なのよ
無い物を論争しても時間の無駄だし、拘っちゃってるのを解き解してから教導も時間掛かりすぎる
だから無記にしたって訳
568 :
神も仏も名無しさん :2013/11/28(木) 22:09:03.16 ID:W3imNPdr
釈尊は正しい禅定を行えば前世は想起されると原始仏典に説法があります。 世親菩薩は前世記憶は阿頼耶識に記憶されていると説かれました。 また達磨大師は禅定を繰り返して、深奥の「仏性」を観じられたと伺います。「見性成仏」です。 「本当の自己」は「仏性」のことなのかは分かりませんが、関連が深いと思料します。
569 :
神も仏も名無しさん :2013/11/28(木) 22:14:24.89 ID:hyWsrGfI
>>568 >釈尊は正しい禅定を行えば前世は想起されると原始仏典に説法があります。
君の為にわざわざ説いて下さったんだよ
何故やらないんだい?
さすればその後輪廻の呪縛をも断ち切れようぞとお釈迦様は仰せの筈ですよ
マヒカリじゃダメなんですよって話
570 :
神も仏も名無しさん :2013/11/28(木) 22:17:52.28 ID:hyWsrGfI
一在家は輪廻が終わっちゃ嫌なんでしょ?正直に言いなさいな 教え主さんからペンダント介してエネルギー貰って手から放射する関係で 輪廻終わっちゃうと教え主さん完全否定になっちゃうんでそりゃ困る、って事なんでしょ?
571 :
神も仏も名無しさん :2013/11/28(木) 22:19:15.74 ID:hyWsrGfI
俺もね、正直言うとw 目からビーム、耳からミサイル出したいですw
輪廻転生があってもなくてもどーでも良いという人間は、 実際に死んで輪廻転生が無かったなら想定内であり、輪廻転生が有ったとしても想定内であり、 来世でも今世と同様に「そんなものはあってもなくてもどーでも良い」とあっけらかんと生きるだろう。 輪廻転生をあるに違いないと信じる人間は、 実際に死んで輪廻転生が無かったなら想定外であり、死に際に慌てふためいて惨めな死に方をするだろう。 また輪廻転生が有ったとしたら、来世でも今世と同様に「輪廻転生」に執着して来世の一生を送るだろう。 あっけらかんと生きる生き方の方が遥かに健康的な生き方ですねえ。 業などを想定しても、そんな業も人間の力では消す事もできず輪廻、輪廻うめいて一生を繰り返すw あっけらかんと輪廻無視で生きたなら業なども始めから頭に無いのだから何をやっても業は溜まらないw
573 :
神も仏も名無しさん :2013/11/28(木) 22:26:19.29 ID:hyWsrGfI
>>572 おk
同意します
一緒に耳からミサイル目指してみましょうかw
目からビームはちょっとドライアイなんで勘弁してもらって
574 :
神も仏も名無しさん :2013/11/28(木) 22:33:44.50 ID:W3imNPdr
>>567 >これが無我って事、事物には本来から備わる実体が無いって事が無我って意味
(ご参考)
しかし、このような「実体の否定としての無我」は、現在ほとんどの仏教解説書に氾溢しているけれども、
阿含経からはかなり離反しており、阿含経に説かれている無我に関する限り、特にその原初形は、
「執着の否定としての無我」あるいは、「無我とはとらわれないこと」と解さなくてはならぬ。
(龍樹も一貫して「空とはとらわれないこと」と説き、そのような「空」を主張している。)
「バウッダ(佛教)」三枝、小学館より
>>574 だから、一代は
「人格的・人称的自己」だろうが「実体的自己」だろうが「本体的自己」だろうが【関係なく】
ブッダは全て斥けられた、それが諸法無我だ、
と言ってたんじゃないのか?w
(このとき非我か無我かも勿論関係ない。)
576 :
神も仏も名無しさん :2013/11/28(木) 22:45:33.54 ID:hyWsrGfI
>>574 何で
>>570 には答えてくれないの?
>「執着の否定としての無我」あるいは、「無我とはとらわれないこと」と解さなくてはならぬ。
我とは何か?を抜いて論じてるから誤解が解れないんでしょ
実体があると固執するのが我執の本質であると見抜くべき
要するに「私は現にここに存在してる」に拘りすぎって事
存在とは何か?を疑いなさいってのが仏のご教示
「我思う、故に我あり」、つまり私が居るから思える(考える)訳で
有我なら私が居なくても考えられる事になるって話
君の良さは君が居るから良いのであり、君が居なければ(存在しなければ)良さが有り得ない
君が有我なら君の存在が無くても君の親は君の良さを現在進行形で語れるだろう
君も無我なれば故に、君自身が現時点で存在してなくちゃご両親もご友人も君の良さを語れないんだよ
577 :
神も仏も名無しさん :2013/11/28(木) 22:50:01.30 ID:W3imNPdr
>>574 三枝 充悳(さいぐさ みつよし)氏は筑波大学名誉教授の仏教学者。
(ご参考)
平成三年五月十六日に、NHK教育テレビの「こころの時代」で放映より
草柳: 前回一回目は、ちょっとご紹介致しましたように、「自己もまた自己ではない」というお釈迦様の言葉から、
「無我」のことについてお話を伺ったんですが、この「無我」ということの解釈なんですけれども、
文字通り「自分がない」ということではなくて、「自分ではない」、だから別の言葉でいえば、
「無我」という言葉よりも、むしろ「我に非ず」という「非我」という言葉をあてた方がいい。
そういうふうに解釈した方がいい、という話でしたね。
奈良: そうですね。釈尊という方は、大変実践的な教えを説いた方だと思うんですね。
どんなものも、「これが私ですよ」とか、「私のものですよ」と握りしめて、永久に持ち続けていきたいんだ、
と、私どもいつも思うんですが、そんなことはできないんで、
「どんなものも、私ではないんだ。私として掴めるものではないんだ」と。
「非我」ということを説かれましてね。「無我」という言葉は、いろいろ難しいいろんな意味があるんですけれども、
釈尊はそうした意味で、「我執をなくせ」という実践的な教えを説かれた。
その辺が、この前の話の中心的なテーマであったかと思いますですね。
578 :
神も仏も名無しさん :2013/11/28(木) 22:51:10.91 ID:hyWsrGfI
コピペしかしてこねーのか 残念だな
579 :
神も仏も名無しさん :2013/11/28(木) 22:53:26.68 ID:hyWsrGfI
>>577 非我も無我も結局は着地点は同じだぞ?
無我は近道、非我は巡りめぐって結局自己実体も否定される
580 :
神も仏も名無しさん :2013/11/28(木) 22:56:05.25 ID:W3imNPdr
>>576 >何で
>>570 には答えてくれないの?
何かの意図を感じるので、無記ですね。
釈尊も相手に応じて無記でしたよ。
581 :
神も仏も名無しさん :2013/11/28(木) 23:03:02.10 ID:hyWsrGfI
一在家は膨大な量の資料を読んでるんだろうと思う なのに理解出来ないのは何故か? 資料を読むだけじゃ悟れないのが仏教故? いやいや読むのも好きじゃなきゃ出来無いし、好きでも相当難行だと思う 頭が悪いから? いやいや、無知蒙昧なだけならそもそも膨大な資料が読めない 無我が認められないから? いやいや、あれだけ仏典に何度もしつこく執着を何とか処理せよと出てきてその意味が理解出来ない筈は無い 仏教サイドのブランドを利用して業報輪廻を立証しようと画策 何のため? マヒカリブランドじゃ屁の突っ張りにもならないから「あの仏教でも業報輪廻は証明されてて研究者も絶賛」 が欲しいって感じか 彼は理解出来てる、馬鹿を装っては居るが確実に理解してる 相手の根負けを只管待って、ほら彼らも閉口し一在家は論破した 業報輪廻を証明したからマヒカリに貢献しようそうしよう って事なんじゃ無いかと邪推してみたw
>>572 これは認識が甘いと思うけどなぁ
悟りは考えないということではないよ
それなら、仏教がいらないことになる
野狐が畜生道に落ちたことをもう一度考えて見てはいかがかな
在家が、「相手の根負けを狙っている」というのはその通りと思うが、 「手柄の希求」ではないでしょ。 ただただシンプルに 『“自分が想定する(願求する)統一教義的なもの”があって、“それに合致する言葉”を、 世界各地の諸権威文献、発言の中から“抽出”“利用”“パッチワーク”している』だけと思われ・・。
584 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/28(木) 23:26:13.04 ID:v5pxGlSH
>>582 地獄に落ちても、畜生に堕ちても、餓鬼に落ちても構わん〜って言っているのですがw
586 :
神も仏も名無しさん :2013/11/28(木) 23:31:43.46 ID:qut+Jeu/
>>582 それは正伝の仏法を自負する仏心宗独特の考えでしょう
釈迦の教えは道ですから、一度道を歩き出したら望むと望まずとに因らず
釈迦の言う所の涅槃に至るのはお説の通り
仏は道を作られた、その道を通るものが道に迷ったら仏の所為でしょうか?
野狐が畜生道にそれたのはそれを望んで道草を食った所為でしょう
悟りは智慧ですから目的では有りません(一々のターゲットではありますが)
仏道の目的は「苦からの解脱」の完了=涅槃寂静でしょう
まあ異論は有るでしょうけど、仏心宗は日本での釈迦最右翼と見れますから
ともするとちょっと自宗の押し付けに成り兼ねないと言うか何と言うか・・
>>583 単なる邪推ですからそれもアリでしょうね
自分の想定=拘り=功名心+征服欲=執着かも知れませんよ
588 :
神も仏も名無しさん :2013/11/28(木) 23:43:08.17 ID:qut+Jeu/
菩提心=阿耨多羅三藐三菩提心 レインボーマンですね 無上正等覚の事で仏の智慧の事ですw
餓鬼畜生地獄を経巡るのもいいのだけど、六道から解脱するのが悟りなら、 それは、後悔しないという覚悟とは別にあるものでなければならないことになるはずだよね 悟りが欠けるなら、それは仏教じゃないよ
590 :
神も仏も名無しさん :2013/11/29(金) 00:00:57.25 ID:sMg+FXhV
そうだ、京都に行こう(てれれれれれれ〜♪
って事で色々有る中新幹線と言う名の菩提心に乗って京都に行く訳です
普通の人と称する行者は、京都に行くワクワク感とか駅弁食ってる暇あんまないねとか
ウノやんね?とかしてるうちに駅に到着、降りてみると外ではいきなり「おいでやす〜」に感動しつつ
やれ清水寺だ金閣寺だ竜安寺だ仁和寺だ嵐山だとそりゃ満喫して一泊してまた菩提心幹線で無事帰る訳です
これがテッチャンと称するとある宗の行者だとですねw
この菩提心が凄い訳よ、馬力が効率が速度がアコモデーションが云々
京都までの所要時間は云々、乗る前に写真をだなバシャバシャ横からバシャバシャ先頭もバシャバシャ
駅弁?菩提新幹線に駅弁は邪道だ要らん要らん、さあ乗るぞ
内装もバシャバシャ、ダイヤ眺めながら薀蓄談義、そもそもJR東海と言うのはだな・・
さあ着いた、先ずは駅と車両を写真に収めて駅の全景も写真に収めて
ここで菩提新幹線の種類に付いて薀蓄を一振り
さて!嵐電だ嵐電・・
あれも観光(一生)これも観光で良いじゃないかと思ったり思わなかったり
>>589 大悟小悟位認めてください
我々凡夫とは大多数が稚拙な生き物なんです
591 :
寝板より :2013/11/29(金) 00:03:30.23 ID:6fS+DxXI
菩提心=慈悲が根本となって全ての衆生を救おうとする決意
>>589 風流五百生ってことでしょ?
野狐が畜生道に堕ちるのは、
「やれ因果だ、やれ悪しき下位三道だ、やれ果が結したから」云々という文脈で『不落』だったからでしょ。
『不昧』なれば六道でも十道でも関係ないし、寧ろ一道では?w
だから、悪しき五百生でなく風流風雅な五百生だったではないかw、と百丈は喝破するんじゃねーの?
593 :
神も仏も名無しさん :2013/11/29(金) 00:07:02.02 ID:1By2FCmd
>>591 いずれにしても手かざしの行では得られません
菩提心は、文脈によって意味が異なっちゃうでしょ。 (更には、(一代が嫌う考え方だがwww)、 経典(≒時代)によって異なるとも言えるし。)
595 :
神も仏も名無しさん :2013/11/29(金) 00:11:26.53 ID:1By2FCmd
仏の智慧、若しくは釈迦が獲得した智慧で十分 菩提心でも良いけど説一切有部の臭いがしてちょっとあれ
あ、百丈じゃなく無門だった。
>>596 一般的には 「悟りを求める心・想い(≒志向性)」 だと思ってたけど。
598 :
神も仏も名無しさん :2013/11/29(金) 01:10:48.90 ID:6awovY8m
俺、禅宗ってあんま区別してみてなくて 偶々運良く垣間見れたのが曹洞宗の作法だったからそう言うもんだと思ってた 何か難しい事を難しく考えてやりくりして何かを得ようとあっちこっちで座りまくってみたいな 仏道も大変だよねぇ的な でも臨済宗はトンデモねえなw 黄檗三打とか何だそりゃだよ全く ちょっと軽いカルチャーショック受けたね
599 :
神も仏も名無しさん :2013/11/29(金) 02:21:48.94 ID:OG6gpXeV
先ず痛棒、釈迦は痛棒など用いて人を引っ叩いたりしてない そして摩訶迦葉、拈華微笑は有名だがやはり引っ叩かれた訳ではない 言葉に依らない悟りの伝法、言語に依らないほとけの伝承は釈迦は用いていないし頼っていない 人々の耳に伝えられるもの、例えば秘伝や呪文じゅもん、神の啓示などに頼ってはいけない、 世代から世代へと伝え承けたからといって頼ってはいけない、 古くからの言い伝え、伝説、風説などに頼ってはいけない、 自分たちの聖書や教典に書いてあるからといって頼ってはいけない、 経験によらず頭のなかの理性(思弁)だけで考えることに頼ってはいけない、 理屈や理論に合っているからといってそれに頼ってはいけない、 人間がもともと持っている見解等に合っているからというような考察に頼ってはいけない、 自分の見方に合っているからというようなことだけで納得してはいけない、 説くものが立派な姿かたちをしているからといって頼ってはいけない、 説いた沙門が貴い師であるというような肩書などに誤魔化されてはいけない、 (カーラーマ経 増支部・三集・大品5)
> 駅弁?菩提新幹線に駅弁は邪道だ要らん 東海道新幹線の駅弁 //www.jrtours.co.jp/ekiben-navi/ 日本の味博覧〜京都篇〜 東京/品川/新横浜/名古屋/京都/新大阪/車内販売 1000円(税込) そうだ 京都、行こう 東京/品川/新横浜/名古屋/京都/新大阪 2000円(税込) 参りましょう 東京/新横浜/名古屋/京都/新大阪/車内販売 900円(税込)
601 :
神も仏も名無しさん :2013/11/29(金) 06:48:36.33 ID:6fS+DxXI
>>583 僧侶の方ですか?7割がた読みは正しいですね。
残り3割は貴僧が原始仏典ベースで、原初の釈尊の教えに黒雲をかけた近代仏教学者らの洗脳と
現代科学常識の断見を滅して下されば、私も本スレから解脱して再び戻ることはないでしょう。
リーマン在家 合掌
602 :
神も仏も名無しさん :2013/11/29(金) 06:59:04.35 ID:6fS+DxXI
>>597 >一般的には 「悟りを求める心・想い(≒志向性)」 だと思ってたけど。
>>594 >菩提心は、文脈によって意味が異なっちゃうでしょ。
>>591 >菩提心=慈悲が根本となって全ての衆生を救おうとする決意
597氏の解釈が正しく、594氏のコメントは的を得ていると思います。
591(私)のイメージです。 菩提心+智慧+功徳→菩薩
月称菩薩「入中論」の訳(瓜生津、中沢)を参考にしました。
603 :
神も仏も名無しさん :2013/11/29(金) 07:04:46.67 ID:6fS+DxXI
>>601 所謂、お節介、余計なお世話です。
でも、2500年前に悟りを得た後に50年間も同じことを衆生に繰り返された方に敬意を表しております。
視座を変えれば人類史上これほど超お節介な方は稀有でしょう。
すでに悟りを得ているにもかかわらず 成仏を否定した菩薩も創造された 仏陀の手足となって活動する者を菩薩と呼ぶ この代表者が、釈迦三尊の文殊菩薩と普賢菩薩である 彼らは、釈迦のはたらきを象徴するたけでなく はたらきそのものとして活動するのである 他にも、観世音菩薩、勢至菩薩なども 自らの成仏とはかかわりなく、活動を続ける菩薩である 中国では インドの有様が詳細に伝わったわけではないので ことに初期大乗仏教の学僧たちを菩薩と尊称した 龍樹菩薩、世親菩薩などとするのがこれである 注意が必要とされるのは、弥勒菩薩である 創造された一生補処(あと一回の生で仏を補う処にある)の菩薩としての弥勒菩薩と 瑜伽師地論(ゆがしじろん)を編纂したと伝えられる弥勒(仮託説もある)とがいる
605 :
神も仏も名無しさん :2013/11/29(金) 07:22:06.07 ID:6fS+DxXI
>>604 >自らの成仏とはかかわりなく、活動を続ける菩薩である
2500年前も21世紀の現代も何ら変わることなく御活動中のようです。
私は祖父母の体験で知りました。
変わったのは衆生の感受力の低下でしょうか。科学の進歩と反比例して。
> 科学の進歩と反比例して 受によって → 渇愛によって → 何かを掴み取ろうとする心の働きが現れる その掴み取ろうとする心の働きによって 多数派・少数派が現れる 「多数の人達によって検証されたものなのだから正しいのだ」と言う心の働きが現れる この多数の一人々の心の働きは 何かを掴み取ろうとする渇愛によって現れている この何かを掴み取ろうとする渇愛は ↑ 正しいものか? 否か?
607 :
神も仏も名無しさん :2013/11/29(金) 09:06:23.63 ID:eKkGz4Kh
>>601 >原初の釈尊の教えに黒雲をかけた近代仏教学者らの洗脳と
>現代科学常識の断見を滅して下されば、私も本スレから解脱して再び戻ることはないでしょう。
自分の考えでなければ許さない表明を遂にしたって事だな>一在家
608 :
神も仏も名無しさん :2013/11/29(金) 09:12:46.23 ID:eKkGz4Kh
所詮マヒカリは仏教にコンプレックスを持ってるに過ぎないただの僻み 僻みから来る功名心に駆られて論破してやろうと画策するも敢無く撃沈 が、閉口したら負けがキチガイの身上なのか居座り続ける 手を変え品を変え モニタに手をかざしながら呪詛の念を込めて今日も一在家は名無しでも書く 業報輪廻転生を認めさせるためにw
>>599 >経験によらず頭のなかの理性(思弁)だけで考えることに頼ってはいけない、
>理屈や理論に合っているからといってそれに頼ってはいけない
>人間がもともと持っている見解等に合っているからというような考察に頼ってはいけない
なるほど。 「近代仏教学」 及び 「現代 常識仏教」 批判ということですね。
隠居(や在家)には
>自分の見方に合っているからというようなことだけで納得してはいけない
が当て嵌まるかw
610 :
神も仏も名無しさん :2013/11/29(金) 09:34:31.91 ID:ARH0zhYA
真光の癖に仏教に口出し批判やら疑念やら呈するとか千年早いわ 知り得た知識で当の真光信仰自体を分析するのが先だろ そんなに仏教サイドから輪廻転生のお墨付きを貰いたいのかと 輪廻転生やら業報輪廻やらを否定されちゃうと教え主さまからの念波だか 霊波だかが頂けなくなっちゃうから必死なんだろどうせ 仏教の知識で真光を破析してみろよ 話はそれからだ
611 :
神も仏も名無しさん :2013/11/29(金) 09:36:34.78 ID:ARH0zhYA
>>609 >「近代仏教学」 及び 「現代 常識仏教」 批判ということですね。
何言ってんだお前
文献学や考古学と言う立場では重要だろ
糞も味噌も一緒くたに語るなよアホなんだから
612 :
神も仏も名無しさん :2013/11/29(金) 09:58:21.02 ID:ARH0zhYA
それと禅宗系の鈍ら共 お前らあんま調子ぶっ扱くなよ? 禅で瞑想はまだ許せるが悟りの内容を言葉に出来ないとか 師匠のご印可が必要とかは内で言ってる分には構わんが外に出すなよ邪義なんだから 釈迦牟尼は悟られた理法をちゃんと言葉で説いて諭したから後世に残ったのが事実である以上否定できない それより、摩訶迦葉が釈迦牟尼から法脈継いだとか拈華微笑の時点で怪しいとちったぁ疑えよ 釈迦牟尼が臨終の際にある時、摩訶迦葉は傍に居なかった(巡礼中)そうじゃないか 印可重視の禅宗としちゃヤヴァいだろ、釈迦牟尼からご印可貰ってないんだから 華捻ったらそれがご印可なのか?インチキにも程があるよ ただ、後の仏教研鑽の真面目さは評価に値すると思う 逆に言えば禅が消えて無くならなかった事が釈迦牟尼の 悟りが実在してる証人ともなり得る 引っ叩くのを止めナゾナゾ問答に浸るのをいい加減やめたらどうだと思う やるんでも外に出すな 仏法者なら仏法者らしく語れ
613 :
神も仏も名無しさん :2013/11/29(金) 10:07:56.41 ID:+bqMbU/E
因みに仏教第2祖に当たる迦葉尊者は本当の法脈継いだ人とされてる 禅宗で言うとこの摩訶迦葉とは別人
自分で世界や仏法の事についてあれこれ考えて明らかにしようとする事は迷いである 逆に世界のあり方や仏法の考え方を利用して自分の内面を解き明かす事が悟りになる 迷いのあり方を良く理解してるのは仏であり、逆に悟りを求めて迷ってしまうのが衆生の本質なのである
615 :
神も仏も名無しさん :2013/11/29(金) 11:21:01.31 ID:DYwITRUQ
>>609 >なるほど。 「近代仏教学」 及び 「現代 常識仏教」 批判ということですね。
引用の他の項目はすべてすっ飛ばし、「宗教から人為的に植え付けられた開祖の
考え」のみに縋る。それがまさにカルトの特徴。
現代人でありながら、大昔の手垢のついた赤の他人に過ぎない開祖の見解のみに
依存しないで、現代人が依存すべき「人類普遍の基盤」を追求せよ。「一切皆苦」
「無我」「無」など、人類史的に見れば、普遍でも何でもない。現代の小学生に
も劣る、開祖の滑稽な勘違いと妄想以外の何物でもないではないか。
現代の「すべてのカルト」が、「釈迦とイエス」を起源・根拠としているとい
う事実を直視せよ。当時の人々でも、圧倒的多数の生活者たちは、宗教など無
関心で只管生存に励んでいたという事実を忘れてはならない。宗教に熱心だった
のは、宗教で「生計を立てる」ほんの一握りの「職業的宗教者」だけに過ぎない。
616 :
神も仏も名無しさん :2013/11/29(金) 11:34:37.24 ID:9rYxfLxe
>>615 君の考えは他者のいずれの理論にも依存せずに立案出来たモノなのかな?
誰かの論を底本に考えたならそれもカルトであろう?違うのか?
釈迦とイエスを反面教師に選び、対立概念を立てる事自体が既に我執なのでは無いのかね?
君が直視せねばならんのはそんな事よりも己自身の心の闇なのではないかね?
宗教屋の批判も結構だが、自分の頭のハエを追う事の方が先決だと思われるのだがどうだ?
無我や無は別に釈迦の専売特許では無いのだよ
釈迦は説明してくれただけ
現実世界に無我も無もちゃんとある
それに気付けない己の無知蒙昧を先に何とかしろ
今すぐにだ
617 :
神も仏も名無しさん :2013/11/29(金) 11:41:00.42 ID:DYwITRUQ
これまでにここで引用された多くの仏典からも明らかなように、すべての 仏典は相互矛盾だらけ。仏典の相互矛盾する部分はすべて無効として無視 すべきもの。それぞれが矛盾する仏典の「自分の気に入った箇所」だけを 強調するから、宗教には争いが絶えないのである。 現代人の知恵と知識は、釈迦やイエスに比べると桁違いであることを自覚せよ。 すべての宗教の経典をゴミ箱に捨てても、現代人には何らの痛痒もないのである。
618 :
神も仏も名無しさん :2013/11/29(金) 11:43:21.01 ID:9rYxfLxe
マヒカリ的には釈迦の理論は無我・無を基調として涅槃を説くため業報輪廻が終わらされてしまうからボツ キリストの教説では天国か地獄への片道切符なのでこれも業報輪廻が成立しないからボツ って事なんだろう?w
619 :
神も仏も名無しさん :2013/11/29(金) 11:46:15.64 ID:9rYxfLxe
>>617 自分本位オンリーな自己中がバカッター事件を起こして損害賠償請求されてたりするんだが?
心に何らかの規律は必要で、それは自分で作っちゃダメだと言う証明にバカッターはなっとろうがw
釈迦が活動していた当時、釈迦は自らの教えを宗教とは考えていなかっただろう。
釈迦の教えを「仏教」という宗教にしたのは釈迦滅後の後の後継者達でしょう。
ゆえに釈迦の教えがそのまま現在の宗教の「仏教」と等価で同じものとはならない。
伝承・伝統だから仏教である〜というのは分かるが、所詮私はお釈迦様の教えを聞く
意志はあっても伝統仏教の教えを聞く意志は無い。
私の立場は無宗教であり、ただ人間のよりよい生き方をお釈迦様の教えから学ぶだけである。
そういう意味では宗教などというモノに価値を見出さないのは
>>615 と同じです。
宗教が超越的なものを信仰したり単に信じたりする事ならばそのようなモノに微塵の関心も無い。
科学は人間に多大な恩恵を与えてきた。科学批判をする人間ですら科学の恩恵を受けながら
科学を批判しているw 科学が世の中の全てを解き明かす〜というような傲慢な立場ではないが、
実証主義という科学的態度は現代人の基本的姿勢でしょう。
非科学的なスピリチャリズムに傾倒するのはそういう意味では時代錯誤の狂人と見られても仕方ないと思う。
621 :
神も仏も名無しさん :2013/11/29(金) 11:52:27.31 ID:9rYxfLxe
>>620 釈迦の教え、釈迦の仏法、釈迦の理法、何の問題も無い
あなたの宗教はなんですか?と聞かれれば仏教ですと答えるだろう
何の問題が有るんだ?
宗教≠宗教団体である
教えと集団は別と考えられないのは無知な証拠
教えを得るには集団に属さなければならないと見るのはガキの証拠
本屋で本買う位は認めろバカ
お前がエロ本買うよりは安いしなんぼか崇高な行為だ
622 :
神も仏も名無しさん :2013/11/29(金) 11:55:39.44 ID:9rYxfLxe
>>620 >実証主義という科学的態度は現代人の基本的姿勢でしょう
では答えよ
存在とは何か?
>>621 セブン氏によれば仏教と名乗るからには伝承・伝統によるものでなければならない、との事。
つまり輪廻転生無視〜等という姿勢では仏教だと言えないという事です。
輪廻転生肯定=伝承・伝統の立場=仏教であり、伝承・伝統を外れたものは仏教ではない、との事です。
私はそれでも構いません。事実仏教徒ではないし、超越的なモノを信じる人間でもないので非仏教、非宗教(無宗教)
の立場であるのです。
教えと集団は別でも伝承から外れた自らの説を仏教と言うなかれ〜という事らしいですよw
私にはそんなものはどーでも良い事ですがw
624 :
神も仏も名無しさん :2013/11/29(金) 12:04:12.17 ID:zWt0ojEX
>>623 釈迦の教えには従えずセブン氏とやらは信じるのかw
仏教の命の証明は伝統や伝承ではなく
法印
バカも休み休み言いたまえw
釈迦は仏教の伝統や伝承によって悟りを得たのでは無い
>>622 もう、何度も言ってますが存在論は形而上であり回答不可能。
あるのかないのか?突き詰めればビッグバン以前に世界があるのかないのか?
と同じ質問なのですよ。そんなものを答えられる人間はいません。
あるのかないのか?という質問を却下して(無記として)非有非無の立場(あり方=縁起=空)で
物事を説いたのが仏陀です。
626 :
1/2 縁起と時間 :2013/11/29(金) 12:04:59.75 ID:IcqGypn0
>>535 (アホ隠居)
>その如理作意の基盤を、「無我」「無」におくから、全てが狂ってくる。
無我についての如理作意は「仏道をならふといふは、自己をならふなり」(道元)の一部である超越我の六処による検証である。
一切内における超越我を検証せよ。
一切外は無記で当然だ。
>中論第一章は、釈迦の「これがあるから、あれがある」を明示的に否定している。
>つまり、釈迦の縁起(因果関係)は「誤り」ということだ。
世俗諦(此縁性)と勝義論証(中論第一章)の初歩的混同である。なんのことか判らないだろうがw
判らないなら龍樹の結論(帰敬序&25-24)から演繹逆算的に検証すれば、おまえが如何にアホかがわかる。
縁起(機能)についていえば、世俗諦(縁起の間接現実の真理)は時空因果関係であり、
勝義(縁起の直接現実)はあえて言語で示唆するなら、空=中道=時空際断の如くである。
世俗諦では時間的持続なくしてモノは存在できないこと、制止的時間にはモノは存在しないことは、
“ゼノンのパラドックス”の解明で提示済みだ。
627 :
神も仏も名無しさん :2013/11/29(金) 12:08:30.27 ID:zWt0ojEX
>>625 ほう
いけしゃーしゃーと釈迦の理屈は用いる訳だ
都合の良いところだけツマミ食いするマヒカリとお前は同類だなw
>>627 当たり前でしょうw
私は伝統仏教を批判する立場であり、無宗教の非仏教徒ですが、お釈迦様の教えを聞く者ですからw
都合の良いとか悪いとかじゃないですよ。お釈迦様の人間像を想像して読むだけです。
その過程で後代の付加や神格化の要素を排除するわけです。
人間仏陀を見る以上、超越世界を持ってくる訳にはいかないのです。
至極当然の事。
629 :
2/2 相互依存関係? :2013/11/29(金) 12:19:03.39 ID:IcqGypn0
>>353 (アホ隠居)
しかし、言語論理不立の様相に、定説化している『相互依存関係』という「表現」は誤解を招く。
この点は龍樹に賛成できない。
★『相互依存関係』との把握は、世俗諦の<分別言語に内在する論理相対機能>と<縁起(時空因果(世俗)&際断(勝義)機能)>の混同である。
中論23-10・11、『宝行王正論』1-48がその混同の典型だ
『(1)此あるが故に彼生ず。例えば、長あるが故に短があるように。
(2)これ生ずるが故に彼生ず。灯火が生ずるが故に光が生ずるように。』
(『宝行王正論』1-48)
“(2)灯火が生ずるが故に光が生ずる”は時空因果関係であり、縁って起る=生じる関係である。
“(1)長あるが故に短がある”は言語に内在する文節機能である。『生じる』わけではなく、言語論理相対的に仮説されるだけである。
龍樹はこの両者を無理に混同させて、論理破綻させているのである。
そもそも「世俗の表現に依存しても、究極の真理(勝義)は説くことはできない」(⇔中論24-10)ことは仏法上明らかである。
>中論25:24は〜、以下は論破済み。
独自の妄想見解にすぎず、もはや論ずるにも値しない。
630 :
神も仏も名無しさん :2013/11/29(金) 12:21:10.54 ID:DYwITRUQ
>>616 >誰かの論を底本に考えたならそれもカルトであろう?違うのか?
君達宗教患者とは異なり、私は「誰の本にも書いてないこと」を言っているw。
強いて根拠をいうなら、人類史と小動物の観察だw。
38億年前の生物の発生以来、生物の唯一の普遍の基盤は「生存本能」である。
いかなる環境の変化にも順応して、只管「生きる」ことである。植物の根は、
岩盤さえ穿つ。動物は、生きるためには、身体まで変化させる。どんな小動物でも、
捉えようとすれば必死で逃げる。すべて我(生命)を生きるためだ。
「無我」「無」「永遠の生命」など考えて生きている愚かな生物など、人間の
宗教者以外のどこにいるのか。
宗教の起源も、「生存のための手段の一つ」に過ぎない。「手段」を「目的」とする
倒錯は、専ら開祖の精神障害の症状としての「肉体を忘れた観念の遊戯」から生じた
「生存本能の観念的否定」による。現代の宗教とは、この開祖の精神障害の集団的一
大感染という精神医学的現象であることを忘れるな。
人間を含むすべての生物は、その発生以来、「生存本能」という「唯一の宗教」の
信者なのである。生物は、いくら足掻いても、生存本能の呪縛からだけは逃れること
は出来ない。生存本能(生命)が、すべての生物にとっての「唯一の普遍の基盤」で
ある所以である。
631 :
神も仏も名無しさん :2013/11/29(金) 12:22:43.65 ID:zWt0ojEX
>>628 ああそう
じゃややこしいから読者って言うと良いよ
仏法者ではないんでしょ
あとね、仏法者は信仰者では無いんで勘違い無き様
仏教は信仰するものじゃなく了解するものなんで
633 :
神も仏も名無しさん :2013/11/29(金) 12:25:25.82 ID:zWt0ojEX
>>630 >私は「誰の本にも書いてないこと」を言っているw。
2ちゃんを底本に頼ってるじゃんw
634 :
神も仏も名無しさん :2013/11/29(金) 12:26:16.74 ID:zWt0ojEX
>>632 >超越世界
何それw
耳からミサイル?
635 :
神も仏も名無しさん :2013/11/29(金) 12:28:25.44 ID:IcqGypn0
636 :
神も仏も名無しさん :2013/11/29(金) 12:32:11.02 ID:zWt0ojEX
637 :
神も仏も名無しさん :2013/11/29(金) 12:33:46.55 ID:DYwITRUQ
>>628 小動物の観察や、御自分の身体の解剖生理から始めなさいw。
この世には、「相互依存」でないものはありませんよ。
>>634 輪廻転生(生まれ変わり)は超越世界でしょうw
>耳からミサイル?
何それw
639 :
神も仏も名無しさん :2013/11/29(金) 12:39:24.59 ID:zWt0ojEX
>>638 わたしは検証不可能な不可知論は無記の立場ですよ
個人的には否定寄りですがね、確認のしようが無いから無記は無記です
そう言うのは全部マヒカリに投げてくださいね
輪廻転生無記は仏教にあらず〜とセブン氏が言ってましたw 私はどーでも良い事ですがセブン氏が懸命に伝承・伝統の下 言ってましたからセブン氏に投げてくださいね
>>628 奈良康明『釈尊との対話』(NHKブックス)読んだか?
読んでないなら、御託並べるのは一読してからにしろw
君のスタンスと完全シンクロするか反発が生じるかは予測できないがw
642 :
神も仏も名無しさん :2013/11/29(金) 12:44:30.39 ID:zWt0ojEX
>>638 ひょっとして仏典類にそれが説かれてるからって否定したいって事?
それ信じちゃってるカッチカチの人に(例えばイスラム教徒)縁して
法を説く暇に当たった時どうすんですか?
釈迦牟尼はそう言う抜き差しならない事態も多分想定してて
方便を説いたのだと了解してます
どうせ道に正しく入れて成就すれば有無に依らず涅槃するんですから同じことです
643 :
神も仏も名無しさん :2013/11/29(金) 12:45:37.95 ID:zWt0ojEX
>>640 自分の発言を他人の所為にする事を卑怯と言うんだと私は了解します
彼は、重要なレスほど、(意図的かどうか知らんがw)スルーだからねぇ・・
>>642 輪廻転生方便説は私も同じですよw
伝統仏教では輪廻転生肯定でなければならないのでしょう。
輪廻転生無記では仏教ではない〜という事らしいですよ、セブン氏によれば。
>>643 自分の発言は自分の発言としてしていますし、セブン氏の主張はセブン氏のものと
発言してますので、自分の発言を他人の所為〜というのは的外れと了解しますw
646 :
神も仏も名無しさん :2013/11/29(金) 12:52:34.95 ID:zWt0ojEX
>>645 セブンに攻撃して欲しいって事?
加勢しろって懇願してる訳?
自力で何も出来ないクズが私に頼む訳?
647 :
神も仏も名無しさん :2013/11/29(金) 12:54:11.03 ID:zWt0ojEX
手から出るビームで何とかしろとw
>>646 ビームとかミサイルとか何の事かさっぱり分かりません。
別にどうして欲しいとか一言も言ってませんよw
あくまで、伝統仏教は輪廻転生肯定であり輪廻転生無記は非伝統・非伝承でありそのようなものは仏教ではない〜
という意見もありますよ〜と言っているだけ。
大体、非仏教徒であり無宗教と自称している私が何でセブン氏を攻撃しなければならないのでしょうか?
過去に仏教とは〜とか、仏教ではない〜とか言った事があったかもしれませんが、よく考えれば
自分は非仏教徒であり無宗教であるので仏教云々言ういわれは無い訳ですよw
>>648 宝珠神智学と同じ、ということ。
どちらも、
「仏教ではありませんが、これこそがブッダの言ったこと」、という旗印を掲げる。
その抽出先が、高次元存在か近代学者の論説かの違いがあるだけで。
650 :
神も仏も名無しさん :2013/11/29(金) 13:11:26.97 ID:vjh+sTUa
>>648 じゃあ真光の手技について君の意見を述べてくれないか?
真光系全体の現状の感想でもいいよ
651 :
神も仏も名無しさん :2013/11/29(金) 13:13:42.82 ID:vjh+sTUa
>>648 ああそっか
すっかり存在を忘れてたよw
神智学について一言感想を頼むわ
良いか悪いかキモイかキモくないか
652 :
神も仏も名無しさん :2013/11/29(金) 13:17:54.01 ID:qIvND58F
>>648 スレタイ見ろバカヤロウ
非仏教徒で無宗教なら図々しくしゃしゃり出て来るんじゃねーよクズが
>>649 >「仏教ではありませんが、これこそがブッダの言ったこと」、という旗印を掲げる。
で旗印を掲げて何がいけないのでしょうか?
宝珠神智学さんが旗印を掲げて、「それは違うんでないの?私はこう思う〜」と
反論して立場上正反対だがお互いに「仏教ではありませんが、これこそがブッダの
言ったこと」、という旗印を掲げて言い合っているだけでしょうw
違いはあって当たり前。
問題はそんな所でなく、伝統仏教が輪廻転生(生まれ変わり)の存在を根底から肯定して
コレを肯定するものだけが仏教である〜と旗印を掲げる姿勢の方が問題でしょうw
ま、私は非仏教徒だから仏教であろうがなかろうが関係ありませんがw
>>652 >非仏教徒で無宗教なら図々しくしゃしゃり出て来るんじゃねーよクズが
クズで結構ww
お釈迦様の言葉を聴く者が仏教スレで書くのがクズなら、
酒を飲む仏教徒や業報輪廻を説く仏教徒はクズ以下のカスですなw
655 :
神も仏も名無しさん :2013/11/29(金) 13:35:48.94 ID:9o7H6wl8
>>654 宝珠如きカスを「さん」付けする君に尋ねるよ
仏教貶す立場で神智学はどうなの?
656 :
神も仏も名無しさん :2013/11/29(金) 13:38:48.99 ID:9o7H6wl8
で、結局オカルト神智学の見解も 民衆を惑わすだけの手かざし真光の見解も書いてくれないんだな 誠意って、何かね?w
>>655 もう何度も自分の立場を表明してますが?
それと、仏教を貶すのではなく、輪廻転生肯定の伝統仏教を貶すのです。
超常現象を信じるのは狂人である〜
>>620 輪廻転生は超越世界でしょう〜
>>638
>>653 だからw
貴方と宝珠は同じだと言っているのです。
>言い合っているだけでしょう
他の誰でもありません。貴方のことですよ?w
>ま、私は非仏教徒だから仏教であろうがなかろうが関係ありませんが
全く同じ台詞を、宝珠氏も宣言しておられました。
>>658 宝珠さんのようなスピリチャリズムに傾倒する人間は狂人であり、私は狂人ではない。
同じ要素は、>「仏教ではありませんが、これこそがブッダの言ったこと」、という旗印を掲げる。だけw
しかし、あなたも同様で>「仏教ではありませんが、これこそがブッダの言ったこと」、という旗印を掲げる。
なぜなら、伝統仏教は輪廻転生を肯定するもので、これ以外を仏教というなかれ〜って立派な旗印ですなあw
他の誰でもありません。貴方のことですよ?w
660 :
神も仏も名無しさん :2013/11/29(金) 13:59:14.06 ID:9o7H6wl8
>>657 アスペか何かか?
釈迦牟尼が方便まで使って救おうとした輪廻固執者たちを
無記を大上段に構えてまでして断罪する必要はもうないだろ
どうしても攻撃したいなら外に出て、先ず信濃町にでも乗り込んで来たら良い
その次は杉並のピンクっぽい建物に乗り込んで「業報輪廻転生は〜ぶっきょーじゃねー」ってやったらいい
次は山梨県甲州市塩山へ行って「神なんていねー」ってやってきたらいい
>>660 >無記を大上段に構えてまでして断罪する必要はもうないだろ
断罪というより、>「仏教ではありませんが、これこそがブッダの言ったこと」、という旗印を掲げる。のでしょうw
お互いに。
伝統仏教は輪廻転生を肯定するものである。輪廻転生無記を仏教と言うのは傲慢極まりない。自らを反省せよ〜
662 :
神も仏も名無しさん :2013/11/29(金) 14:05:57.38 ID:9o7H6wl8
>>659 >私は狂人ではない。
キチガイは酔っ払いと同じ理屈でみんなそう言うんだよw
「俺は酔っ払ってなんかしねーぞお」的なw
>>662 そのとおりw
狂人は自らを狂人とは思わず〜
目の見えない生き物は自らを目が見えないとは思わない〜
また、
人間は生まれる前を知らず、死んだ後を知らない〜
コレは自明の理。
>>659 w
喫茶店の窓に貼ってある、新メニューの写真を見て、作った料理と
店員に、レシピと作業手順を聞いて作った料理くらいの違いはあると思うよ。 (´∀`)b
665 :
神も仏も名無しさん :2013/11/29(金) 14:13:01.09 ID:9o7H6wl8
>>661 >輪廻転生無記を仏教と言うのは傲慢極まりない。
確認方法有るのか?
業報輪廻転生が有るなら有る、同じく無いなら無い
で確固たる確認検証方法があるのか?
白黒付けられないから無記なんだろ
お前は業報輪廻転生無記すら容認できないキチガイなのか?
完全に業報輪廻転生が無いと思うのは個人の自由だ
俺も完全に業報輪廻転生は有り得ないと思ってる
が、それを如実に表に出して
イスラム教徒やその原理主義の人と知り合ったとき、君はどう対処するんだ?
輪廻なんか無いし自分は許せないし神なんかいねーし、イスラム教とかイ○○キだ
とか言うのか?
最近は中東っぽい顔立ちしてるとは限らないぞ?
>>665 白黒つけられようがつけられまいが関係ない。
輪廻転生が伝承により伝わってきたから「仏教」でこれを認めないものは仏教ではない。
それは、
>喫茶店の窓に貼ってある、新メニューの写真を見て、作った料理と
>店員に、レシピと作業手順を聞いて作った料理くらいの違いはあると思うよ。 (´∀`)b
667 :
神も仏も名無しさん :2013/11/29(金) 14:17:48.54 ID:9o7H6wl8
>>663 知り合いに「白杖」の人が居るが、ちゃんと自分は盲人であるって認識してるぞ?
たまには生の人間と話したり交流を持った方が良いと思うよ
老婆心ながらね
668 :
神も仏も名無しさん :2013/11/29(金) 14:19:44.42 ID:9o7H6wl8
>>666 >輪廻転生が伝承により伝わってきたから「仏教」でこれを認めないものは仏教ではない。
いよいよ認めだしたかw
お前の自論まんまだったんだなw
都合が悪くなると「無宗教ですから〜」
>>667 目の見えない生き物とは盲人の事を言っているのではない。
例えば、ミミズとか〜w
そのくらいの読解力はあった方が良いと思いますよ
670 :
神も仏も名無しさん :2013/11/29(金) 14:24:34.93 ID:9o7H6wl8
>>669 >輪廻転生が伝承により伝わってきたから「仏教」でこれを認めないものは仏教ではない。
オカルトの癖にうるせーぞ?
お前、セブンの所為にして上記は自分の意見じゃないって言ってたろ
ハッキリ言ってやるよ
業報輪廻転生説は方便
お前みたいなキチガイを救済してやる為にわざわざお釈迦様が智慧使ってくれた結晶なんだよ
>>670 私もあなたと同見解ですw
>業報輪廻転生説は方便
>お前みたいなキチガイを救済してやる為にわざわざお釈迦様が智慧使ってくれた結晶なんだよ
672 :
神も仏も名無しさん :2013/11/29(金) 14:31:35.76 ID:9o7H6wl8
禅家居る? 何か出してやって、疲れたw
673 :
神も仏も名無しさん :2013/11/29(金) 14:58:40.43 ID:Hmjhr/eA
>>671 諸行無常 是生滅法 生滅滅己 寂滅為楽 是如何?
>>665 >イスラム教徒やその原理主義の人と知り合ったとき、君はどう対処するんだ?
>輪廻なんか無いし自分は許せないし神なんかいねーし、イスラム教とかイ○○キだ
>とか言うのか?
>最近は中東っぽい顔立ちしてるとは限らないぞ?
インチキとは言わないですよw
信仰は自由です。
何を信じてもOKでしょう。
しかし、仏教とは輪廻転生を肯定するものだ〜という意見には反論します。
業報輪廻も個人の腹に収めているだけなら、こちらも知りようがないので関係ありません。
しかし、業報輪廻は仏教の前提・土台である〜等と言われれば反論します。
そのようなモノは仏教ではない。>「仏教ではありませんが、これこそがブッダの言ったこと」、という旗印を掲げる。のでしょうw
675 :
神も仏も名無しさん :2013/11/29(金) 15:02:16.52 ID:Hmjhr/eA
>>671 漢文じゃあれか?
諸々の事象は常なく変わり続け、生じたものは必ず滅するのがならい
生じて滅することにとらわれなくなれば、こころ静かな楽しみに至る
これは何故か?
>>675 嘆くなアーナンダ。形あるものは生じては滅するもの、そう教えてきたではないか。
私は嘆くアーナンダの気持ちも分かりますし、仏陀の説く「形あるものは生じては滅するもの」も
そのとおりだと思います。
それが現実なのですよ。現実をしっかり見て生きよ〜という事でしょう。
677 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2013/11/29(金) 15:11:44.66 ID:nG0gHdYI
>>658 1/3
まっ、私は伝統仏教の側が己の無知を反省し、
“仏教だけが唯一なる真理”(輪廻から解脱できる唯一なる道)などと主張して、
「神」(すべての根源にして源泉)や「真我」(神と同一不可分の内なる神性)を説く教えに対する
“低級なるレッテル貼り”の醜態を辞めるならば何もいうことはない。
その他についての、つまり、“動物や下等生命への転生信仰”や幾分かの“過剰な神格化と崇拝”などについては、
その害はごくごく低いものとみて当人たちの趣向の好きに任せてもいいと見ています。
その為の一歩となるものが、まずは無我の教えの誤解についての是正でしょう。
678 :
神も仏も名無しさん :2013/11/29(金) 15:13:24.06 ID:Hmjhr/eA
>>676 それはそうだが、質問の答えにはなっていない
諸々の事象は常なく変わり続け、生じたものは必ず滅するのがならい
生じて滅することにとらわれなくなれば、こころ静かな楽しみに至る
が質問なのだ
679 :
神も仏も名無しさん :2013/11/29(金) 15:16:28.68 ID:F00YDDih
>>677 お前の無我の見解は?
理解出来て無いは無しな
680 :
神も仏も名無しさん :2013/11/29(金) 15:21:16.75 ID:F00YDDih
輪廻から解脱できる唯一なる道 釈迦の教説以外解明できた説は無いのが現実 質問どうぞ
>>678 >こころ静かな楽しみ
にウエイトがかかった質問でしたか?
執着の無いのは心静かな楽しみなのでしょう。凡人が執着するから苦に見舞われる。
これが好き、これが嫌い〜等と選択せずにありのままに受け入れろ〜という事でしょうが
凡人には難しい事だとも思います。私はムカデが嫌いで15センチ級の奴が目の前に現れたら
踏み潰して殺してしまいます。こんなのが家の中をウロウロしていたら安心して眠れない〜とか思うのでw
不殺生戒を犯す訳です。仏教徒ではない証です。
また酒をこよなく愛するもので、以前は毎日飲んでいましたが、飲みすぎは良くないと思い今は週末だけ飲むようにしています。
不飲酒戒を犯す訳です。これも仏教徒ではない証です。
682 :
神も仏も名無しさん :2013/11/29(金) 15:26:05.12 ID:F00YDDih
>>681 長い
一切皆苦故 生滅滅己 寂滅為楽 なんだよ
>>682 長くても良いんですよ。
要は、腹に落ちた言葉で言うのが最も好ましい。
で、あなたの>一切皆苦故 生滅滅己 寂滅為楽をあなたの言葉で言えばどうなりますか?
長くても構いませんよw
684 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/29(金) 15:31:07.61 ID:C65Dgarb
はいはい、「非仏教徒で無宗教」 な、オレ様がきましたよっとwwwwww んで、何? この流れwwwwwww ID:GFhP1+OP は、紐くんか?w 今日も元気だw
685 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2013/11/29(金) 15:34:03.35 ID:nG0gHdYI
2/3 しかしながら、そのこと以上に、 最もこの世に問題となる害悪と弊害をもたらすものが、 ハッキリいって、このスレに巣食う“我こそは仏教の本質を理解していると説く”唯物論者たちによる業報と輪廻(転生)の否定論調です。 彼らの心理的な本質は単なるただの唯物主義(業報輪廻のみならず神通などの超常性のすべてを否定するところから唯物主義者がその正体)であり、 それを仏典中から、「無記」「無我」「空」「中道」といったキーワードを自分勝手な都合で解釈して利用し、 言葉巧みに尤もらしい仏教論を主張して周囲の人々を騙そうとします。
686 :
神も仏も名無しさん :2013/11/29(金) 15:35:19.42 ID:F00YDDih
>>683 お前の答えはまるでバーナム効果なんだよ
生も滅も一切が苦なるを知って、それらの苦を滅し己ればこころ静かな楽しみに至る
687 :
神も仏も名無しさん :2013/11/29(金) 15:36:21.34 ID:rtCNqRYM
Q このスレで手かざしやってたら金粉がタライいっぱい降ってっき
ましたって体験談話して?
A
939 :前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/19(火) 00:32:54.33 ID:c8booa7b
降ってきたという話でなく、タライというよりも洗面器一杯をひっ
くり返したような金粉が部屋の畳一面に現れたという30年以上前
の話ですよ。その場には私を含めて3名がおり、スプーンで金粉を
すくって食べてみましたが、
実体感も味も無い不思議な体験でした。
まあ弘法大師が天皇の御前で全身から光を発したという逸話もその
場に居合わせた当時の仏教界トップの面々以外は信じられないでし
ょうが、私は自身の神秘体験から十分にあり得ると思っております。
現代の仏教界ではこのような神秘体験はもう起こらないのでしょうか。
証果がまだあるというチベット仏教では多分あるかと存じます。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/3760/1220516248/99
688 :
神も仏も名無しさん :2013/11/29(金) 15:37:04.97 ID:F00YDDih
689 :
神も仏も名無しさん :2013/11/29(金) 15:38:35.70 ID:F00YDDih
690 :
神も仏も名無しさん :2013/11/29(金) 15:45:05.22 ID:rtCNqRYM
8 :名無しさん:2010/08/01(日) 15:20:48 ID:DXi0pm6Y0みんな何も知らないくせにこんなサイトに色々な真光の悪口書くなよ。 こっちは真光が本当の宗教だという証拠知ってるんだよ。 なんでこんな悪口書くんだよ。 あなたたちが被害妄想してるだけじゃないですか? まあたしかにイスラム教と一緒でごく一部の神組みてが間違えた考えしてるかもしれないけどそれは それはごく一部で、ほかの神組みては優しい人だよ。 人間だって悪いところが全く無いことはないんだよ。 きみたちが悪いところしか見てないのかもしれないんだよ? もしきみたちが悪いところしか見れない人ならもう一回道場いってお浄めしてもらってみたらどうでっすか? そして良いところもみつけてみなよ。
>>686 バーナム効果ってw
私は心理学者ではありませんよ。
で、あなたの答えは0点です。何故なら自分の言葉で語っていないからです。
漢文の読み下しは自分の言葉ではありません。
バーナムでも構いませんから自分の言葉で言ってください。
692 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2013/11/29(金) 15:50:42.71 ID:nG0gHdYI
3/3 それらがゴータマの正しい教えであるかの如く説くこの害悪はとても放置できないと感じたことが、 この私が仏教関連の2chに登場した根本的な動機です。 尚、伝統仏教の持つ若干の誤解については、 当人たちの信仰として容認してあげる気持ちは持っています。 ただし、大乗の欺瞞性(今だにすべてを仏説と主張する偽称と南方仏教に対する不当なレッテル貼り、 および大乗の誇張された優位性など)については容認できませんが・・。
693 :
神も仏も名無しさん :2013/11/29(金) 16:00:24.71 ID:HGGjrGaW
694 :
神も仏も名無しさん :2013/11/29(金) 16:03:08.95 ID:HGGjrGaW
無宗教に四法印は理解できねーべw 大学で仏教でも専攻してりゃ楽勝だろうけど
695 :
神も仏も名無しさん :2013/11/29(金) 16:04:43.52 ID:HGGjrGaW
>>692 ここの仏法者達はおめーのガラクタに帰依する気は微塵もねーってさw
>>694 では、一切皆苦だけでも自分の言葉で言えませんか?
四法印のオウム返しだけでは寂しいでしょうw
世の中の出来事は全て苦。楽があっても楽は一時的で楽が無くなると苦。
何でこうも苦の真っ只中に生きなければならないのか?
さあ、一言w
697 :
神も仏も名無しさん :2013/11/29(金) 16:21:26.84 ID:ku4eO9//
>>696 六つの感覚器官から得られることは全て苦である=一切皆苦
それが答えですか?
699 :
神も仏も名無しさん :2013/11/29(金) 16:28:25.65 ID:ku4eO9//
一切は森羅万象の事を指すが、それを認識し観察してる自分に 情報として入ってくる場合は六処(眼耳鼻舌身意)を通して得る 故に仏教で仏が「一切」と言ったら六つの感覚器官(六処)から得た全ての情報の事となる
私の見解は、 物理的な苦は苦であり、免れようが無い。 鎮痛剤等の科学の恩恵で和らげてもらうより無い。 精神的な苦は自分の思いの世界であり克服可能。 なぜ、自分は生きているのか?こんなに苦しいのなら死んだほうがマシじゃないか? など、追い詰められた精神状態こそ精神的苦痛。これが自殺の原因でしょう。 そのようなものからは、さっさと克服して離れるべき。うつ病ならば適切な治療を受け、 後に仏陀の教えを聞くのもアリだと思います。 六つの感覚器官云々では精神世界の苦痛を除けません。 人間は、死ぬ覚悟と生きる覚悟と両方を常に持って生きるのが最も望ましい。 死ぬ覚悟だけで自殺するのは駄目。生きる覚悟だけで死に際がみっともないのも駄目。
701 :
神も仏も名無しさん :2013/11/29(金) 16:35:56.24 ID:ku4eO9//
>>700 覚悟を決めるのも心(意)で六処を離れてない
つまりそれも一切皆苦の内
>>701 では、聞きますが覚悟を決めずに人生渡れますか?
703 :
神も仏も名無しさん :2013/11/29(金) 16:37:15.94 ID:ku4eO9//
>>700 いい加減「ぼくはこう思うー仏教編」はやめた方が良いと思う
所詮、皆「ぼくはこう思うー仏教編」を言っているに過ぎない。 伝承であろうが、伝統であろうがw
705 :
神も仏も名無しさん :2013/11/29(金) 16:52:04.77 ID:DYwITRUQ
>>683 >あなたの言葉で言えばどうなりますか?
すべて開祖・教祖の言葉の鸚鵡返しで、「自分の言葉」では絶対に言えないのが、
宗教患者というものだよ。つまり、思考が、開祖・教祖で停止している心理状態。
>>681 ID:GFhP1+OP さんへ
> 執着の無いのは心静かな楽しみなのでしょう
> 凡人には難しい事だとも思います
↓ こんな感じで良いと思いますが?
受を滅させて→渇愛を滅させて→無明を滅させて→行を滅させて→識を滅させて
因と縁に依存するものがなく、縁起したものを離れて
苦しみを性質とするものの滅尽であり
形成作用の寂滅であり
ここで比丘たちよ、ブッダは〔そこに〕
死ぬことも、生まれることも〔説か〕ない
それこそが苦しみの終わりである
世俗の人にとっては
解脱すれば仏だと言う事に
気づくまでは、気づくことは難しい
と衆生を引導するが故に、仮名の空を以って説いた
伝統工芸職人とか、老舗料亭とか、新作メニューのレシピとか、 『伝達』と『その場の思いつき』との違いが、まだわからんのかな・・w 一話完結ドラマの或る回の終わりと全52話の5連続ドラマ最終回程度の違いはあると思うがねぇ・・。
>>685 宝珠さんへ
> 「無記」「無我」「空」「中道」といったキーワードを自分勝手な都合で解釈して利用し …
私(ID:8aQrqIIm)の場合は
永久不滅・常住不変の我ではなく
五蘊の仮和合した仮りの状態であるからこそ
人が死ぬ時に
我愛と、戯論(けろん)と、善悪業によって
異蘊相続によって
中有が形成されて
そして、その中有は次に生まれる処を求めて母胎に入り、そして出生に至る
と 「 仮名の空 」 を以って説明したいと思います
//reigaku.jugem.jp/?eid=424
瑜伽師地論(ゆがしじろん)
709 :
神も仏も名無しさん :2013/11/29(金) 17:58:51.21 ID:foFrzrWh
710 :
宝珠@神智学徒 ◆cPNLwLxWRE :2013/11/29(金) 18:13:16.87 ID:nG0gHdYI
>>695 1/3
このスレ上で最も頭がイイのはセブン。
彼は、私の言ってることのすべての意味がちゃんと分かっており、そして理解している。
ただ如何せん、己の唯物主観が邪魔をしていて「だけど、そんなのとても信じられないよ〜」ともがいている状態。
だから私は、セブンにはとにかく何でもいいから唯物論を破壊する現象を体験してくるか見て来るようにいうのです。
>>708 の続き
>>685 宝珠さんへ
永久不滅・常住不変の我ではなく
五蘊の仮和合した仮りの状態であるからこそ
(前世)過去からの依存によって
心の流れ(心相続)によって仮りに現れる
と 「 仮名の空 」 を以って説明した
と言う意味だと思います
//home.att.ne.jp/delta/myrobalan/pdf/mulama26.pdf
第二十六章 十二の鎖の環(十二因縁/十二)の考察
1.
無明の暗に覆われて人はその者自身を未来の生へと
追いやることになる性質を持った三種類の行為を行う(カルマを積む)
三つの行為とは
身体的な行為・言葉による行為・心による行為
712 :
宝珠@神智学徒 ◆cPNLwLxWRE :2013/11/29(金) 18:23:01.70 ID:nG0gHdYI
2/3 その目的は単にただの唯物論の崩壊にあるので、それは特に仏教に関係する事柄である必要は何もない。 他の諸宗教における奇跡や超常現象で十分、或いは心霊関係でもいい。 要するに、物質科学の及ばない事実を自分で目の当たりにすること。 それによって閉ざしていた重い扉が開かれる。 それだけですべてが、ザ・解決!!
713 :
宝珠@神智学徒 ◆cPNLwLxWRE :2013/11/29(金) 18:27:00.00 ID:nG0gHdYI
3/3
まっ、付き合いが永いこともあって、二番手はパーピマンか。
さて、二人のどちらが一抜けできるかは実際、体験の早い者勝ちでしょうね。
それ以外の否定論者たちは、まだ私の話そのものがよく理解できない。
>>425 地下からブッダもモゾモゾと始めたようです。
さぁ、時代に乗り遅れないようみんなも頑張ろう!!!
714 :
宝珠@神智学徒 ◆cPNLwLxWRE :2013/11/29(金) 18:29:03.48 ID:nG0gHdYI
>>708 それならば問題なし。
輪廻転生のことを、
“永久不滅・常住不変のアートマン存在というものはない”
というトンチンカンな倫理で以て否定してくるのが、
最も滑稽な知ったかぶりの間違いです。
>>712 宝珠さんへ
> 或いは心霊関係でもいい
漢訳 第一義空經
//www28.atwiki.jp/buddha/pages/17.html
この現世においての色蘊(身体)が滅しても異蘊相続によって
前世 → 現世 → 来世へと
心の流れ(心相続)によって
無明 → 行 → 識が現れる
− これに対して −
渇愛を滅させる事が出来た場合は
無明滅 → 行滅 → 識滅して
因と縁に依存するものがなく、縁起したものを離れて、解脱して仏になる
と言う意味だと思います
>>713 >それ以外の否定論者たちは、まだ私の話そのものがよく理解できない。
当たり前w
(ものの例えとかではなく事実上〜)人間が1万年以上生きる事ができ、飲食せずとも
空気中のエネルギー摂取だけで生き続けることができ、空も飛べれば海中生活(えら呼吸
も可能?)もでき、人間に物理世界の壁は無く何でも可能〜を大真面目に信じる世界は狂人だけのもの。
>>707 もう、下手な比喩は止めた方が良いと思いますよ。
比喩は高等な説法で頭の悪い人間には無理ですw
頭の悪い人間が比喩を使えば、ますます話が難しくなります。
伝統料理だろうが連続ドラマだろうが糞は糞。
素人料理や1話完結の良作の方がはるかにマシ。
私は伝統仏教外の人間で伝統仏教になんら関心を持たない人間だから当然ですかw
紐君の存在は、 戦後教育が日本の文化を駄目にした最大因であることを如実に証明してるな・・。
余談だが、鎌倉が不記載勧告を受けた理由も理解できないんだろうな・・w
日本の文化を駄目にしたのは私(のような存在)ではない。 もう比喩は止めれw 言うだけ無駄。比喩は真意を簡単明瞭に伝える手段。あなたのは複雑怪奇に仕上げているw 日本の文化を駄目にしたのは日本人全員であり私個人ではない。 日本の文化である米を食べなくなったのは私のせいではない。 私は毎度米を自分で炊いて、糠床を管理して自家製糠漬けで飯を食っている。
> 下手な比喩は止めた方が良いと思いますよ
私(ID:8aQrqIIm)にとっては
>>629 ID:IcqGypn0 さん
この人の ↑ 話が難しくて意味が理解できません
誰か初心者向けに通訳・翻訳して下さいませ 宜しく 屮(_ ._)屮
伝統だから糞も味噌も全部飲み込め〜と言うのは阿呆。 伝統の中にも良いものもあれば駄目なものもある。 駄目なものを排除して良いものを残すのが真の伝承でしょう。 一昔前はスポコンもので根性こそが唯一スポーツで大事〜とか言われて 汗をかいても水飲むな〜が今は科学的根拠の元適宜水分補給して無理な 運動は逆効果〜となっている。 セブン氏は伝統だから根性で行け〜と言っているようなものw 比喩とはこのように使うものですw
>>720 あ、閻魔さんは難しい事言っている様ですが、無限遠点は一切内とかいう馬鹿者です。
あまり真に受けない方が良いですよ。
> 無限遠点は一切内 これの↑意味もわからないけど とりあえず了解いたしました レス ありがとう 屮(_ ._)屮
>>723 「一切」というのが一般的な一切(全て)ではなく仏教的な意味合いがあり、
法を境に法内であれば一切内、法の外ならば一切外という事であろうと思います。
法-ダルマは様々な意味合いがありまた難しいのですが、この世のあり方(縁起)
と見て構わないと思います。
色即是空→色(この世の全てのもの)は空(あり方)であり、 空即是色→空(この世のあり方)こそこの世の全てである。
一切内 − この世のあり方(縁起) ↓ こんな感じでしょうか? 有為法(ういほう) 因と縁の依存によって 五蘊の仮和合によって仮りに現れている状態が 生滅する現象世界の一切の事物をいう
人が生まれて人が死ぬのも因縁かもしれないが、まさにその通りだと思いますよ。 ただし、人が生まれ死ぬの因縁はあっても人はあずかり知らぬものです。 生まれて死ぬ因縁に焦点を当てて業報輪廻に発展するとまさに踏み外しとしか言えません。
> 生まれて死ぬ因縁に焦点を当てて業報輪廻に発展するとまさに踏み外しとしか言えません (「ID:GFhP1+OPさんの意見の場合は」と言う意味で)了解です
生まれて死ぬというより、生前-死後と言った方が良いですねw 自分の親が生まれる前に自分はあったのか否か?とは禅宗でよく現れる問いかけですが、 私の答えはあるともないとも言えない。 何故なら今の自分に生前-死後の世界は語れないから。 それを語れという設問自体が駄目だとは思いますが。
>>721 w
貴方が今挙げた事例は、従前のもの(の効能)が反証され、弊害が看過できないものでしょう?
そうした反証が成立していないところへのその発言は、難癖でしかありませんよね?w
まあ、私の比喩を難癖だと思うのならあなたの比喩も難癖なんですが?
> 何故なら今の自分に生前-死後の世界は語れないから 例えば仮に 前世の記憶があったとしても 史実としての歴史と 合致しているのか? どうか? 立証する事が出来ない ↑ こんな感じですね?
>>730 補
尤も、
柔道も相撲も、指導の在り方に変革は生じているけれども、
基本は何も変わってないし、
【実際に活躍し、実力を発揮している者の多く】は、程度の差こそあれ
【従前の手法の上に結果を出している】事実もあったりするわけだが・・w
>>732 というか、前世の記憶というのが怪しすぎますw
昨日放送された、世界的権威の脳外科医が語る死後の世界の方が余程真実味があります。
死後の世界は私もあるかも〜とは思いますよ。
それでも「あるかも〜」です。
自分で見ないことには信じられませんからねえ。
しかし、死後の世界からさらに進んで生まれ変わりとまで行けばそんなの信じられない〜となるわけですよ。
あってもなくても良いんですが、信じろと言われれば、そうはいくかよ〜ってなりますねえw
>>731 お前は全共闘世代かw
今さっきのNHKで、田原聡一郎が、今の20代と60代の比較でそこに触れてたよ。
全共闘世代の彼らは「権力=悪、そして敵」、
今の子らは「権力=中立、そしてそれなりの理由を有す」
と見る、とね。(※引用者による意訳w)
いいものはいい、悪いものは悪い(
>>721 >良いものもあれば駄目なものも)
確かにそうだ。
が、
貴方のその判別が、無知錯誤速断である可能性の方が遥かに高確率なわけです。
>>735 業報輪廻の実在を信じる事が高確率で正しく、そんなものを信じないのが高確率で間違い〜
との指摘こそ間違いでしょうw
全共闘とか比喩は止めろと言ってるのに分からない人だなw
>>731 ちなみに、721は譬喩でなく、具体的事例だろ?w
ま、それはともかく
『反証も弊害も明らかにされて(≒立証或いは提示されて)いないのに』
悪玉視することを指して“難癖”と言ったわけで、貴方の譬喩が難癖であるわけではありませんよ。
>>738 輪廻と絡まない業報はどうするんですか?
輪廻以外の伝承は伝統説に存在しませんか?(だとしたら、いったい貴方はどこから仏教を知ったのでしょう?w)
738のような態度が、坊主憎けりゃ袈裟まで憎いになってますよ? という話。 ┐(´ー`)┌
> 昨日放送された、世界的権威の脳外科医が語る死後の世界の方が余程真実味があります ↓ これですか? //www.fujitv.co.jp/unb/contents/131128_1.html 独占取材!脳外科権威が発表★死後の世界はあった 11月28日 脳神経外科の世界的権威 エベン・アレクサンダー医師の「死後の世界は存在する」という発言が大論争を巻き起こしている 実は、エベン・アレクサンダー医師は、各国の医学会議に招かれ 数々の賞を受賞、アメリカのベストドクターに選ばれた経歴を持つ これまで、死後の世界の存在を完全に否定してきた人物だった 臨死体験に関しては、現在、懐疑的な声の方が多い だが、エベン医師は臨死体験はもちろん、「死後の世界はある」と強く主張
>>737 輪廻と絡まない業報を説くのは当たり前と言っている。
>>296 というか、伝統仏教は業報輪廻が前提で土台じゃないんですか?w
そして業報輪廻は輪廻転生あってのものですよねえ。
あなたの立場は輪廻転生はあるが業が三世を跨って影響を及ぼさない〜と言うものなのですか?
そしてそれが伝統仏教だと?
明確に言った方がいいですよw
そこが明確でないから私がセブン氏を攻撃している〜等と横槍が入るのです。
>>739 私は、(情報量の限定的である点に縛られ)
「釈尊の説いたことはこうであった」と断定する勇気が持てないヘタレですからね。
あなたのように、何の根拠もなく言い切れる勇気が羨ましいだけです。 m(_ _)m
>>740 情報量なんて皆同じですよw
そこから何を汲み取るのかが本人の思考を決める。
釈尊はこうであった〜等と断定した覚えはありません。
>「仏教ではありませんが、これこそがブッダの言ったこと」、という旗印を掲げる。のでしょうw
旗印は旗印w
あなたはあなたの旗印を上げ続ければ良い。
あなたの旗印が違うと思えば私は反論する。
>「仏教ではありませんが、これこそがブッダの言ったこと」、とw
・三世に跨り、因果及び業が、相応の果を、後生に於いて結ぶ ・業果の受け手が、前生から継続してある ・各生都度都度、自己が生じ、それらが業の果の結ばれる先となっているだけ ・三世に跨らず、今生の間のみ、因果及び業の影響を受ける ・輪廻とは、繰り返し(同じ果を結んでしまう)サイクル的なものを言う語 ・輪廻とは、(諸縁により)変転する(世の)在り様を激流に譬えただけの語(サンサーラの原義は激流・暴流) ・TPOに合わせて、三世に跨るニュアンスでの説法もありえた ・輪廻の語、概念すら本来は無かった ・対話相手に合わせただけ ・輪廻の語及び三世に跨るような語の使用すらなかった(それらは全て後代の付加)
>>741 >情報量なんて皆同じですよ
おお!まさにその通りです!
>そこから何を汲み取るのかが
おお!まさにその通りです!
ただ、貴方の情報が偏向している、ということですw
また、
伝言ゲームの「輪廻」だけが誤った伝承だとするスタンスの根拠が希薄ということです。
*(宝珠氏も言ってましたよ。アートマンの存在を否定する伝承は誤った伝承であり、
輪廻や(真実の自己(真我)と絡む悟り)涅槃の伝承(たとえばウダーナ等)は正しく伝承された、
と。 パーピも指摘していたが、その取捨選択・選別が独断じゃねーの?とw)
744 :
神も仏も名無しさん :2013/11/29(金) 21:57:09.36 ID:XrY7QGdT
>>741 君の言う「ブッダ」ってどのブッダ?
釈尊の事じゃないの?
>>742 上から順に1、2、3とするならば、私は2の立場です。
で、あなたは?
そして伝統仏教は?
まさか、1〜3全部肯定してどっちすかずですか?w
どっちつかずが最も悪いw
1・三世に跨り、因果及び業が、相応の果を、後生に於いて結ぶ a・業果の受け手が、前生から継続してある b・各生都度都度、自己が生じ、それらが業の果の結ばれる先となっているだけ 2・三世に跨らず、今生の間のみ、因果及び業の影響を受ける a・輪廻とは、繰り返し(同じ果を結んでしまう)サイクル的なものを言う語 b・輪廻とは、(諸縁により)変転する(世の)在り様を激流に譬えただけの語(サンサーラの原義は激流・暴流) c・TPOに合わせて、三世に跨るニュアンスでの説法もありえた 3・輪廻の語、概念すら本来は無かった a・対話相手に合わせただけ b・輪廻の語及び三世に跨るような語の使用すらなかった(それらは全て後代の付加)
747 :
神も仏も名無しさん :2013/11/29(金) 22:03:13.91 ID:XrY7QGdT
2だな 宗教の如何に因らず大抵の人が1なんだろうけど2の人も多いと思う 稀に3も居るだろうな、赤く染まった共産主義な人とか、北欧なんかは幽霊とか全否定だそうだし
>>743 取捨選択・選別が駄目なら情報を全て信じるのですか?
まさに独断が個人の思考。
あれもこれも〜なんてのは無思考。
偏向も結構。所詮何らかの主張をすれば偏向するもの。
無偏向などというのは無主張に等しいw
749 :
神も仏も名無しさん :2013/11/29(金) 22:05:26.59 ID:XrY7QGdT
>>746 その後付けは悪意に満ちてないか?
三択の下に選択は要らんだろ
>>745 伝統仏教は勿論 1b です。
私個人は 2a です。
上座部で個人として声を上げた方も、おそらく 2a でしょう。
ただし、すべて【推測の域を出ません】。
断言できるのは悟った者だけです。
さて、貴方は悟った上で言ってるんですか?w
>>748 w
どこの誰が >取捨選択・選別が駄目 と言いました?w
>>749 悪意? 人聞きの悪い・・w
少なくとも1をabに分けないと、神智学と仏教の垣根がなくなりますよ?
また、2のaとbは、「輪廻」の語義にサイクルの要素を見るか見ないかという
それなりに興味深い問題へ着地するし。
>>738 の続き
//www.amazon.co.jp/product-reviews/4588050583/ref=cm_cr_dp_see_all_btm?ie=UTF8&showViewpoints=1&sortBy=bySubmissionDateDescending
脳と心の神秘
脳と心の正体/ワイルダー・ペンフィールド脳神経外科医 − 「魂はある」と主張
//www.fujitv.co.jp/unb/contents/131128_1.html
エベン・アレクサンダー脳神経外科医 − 「死後の世界はある」と主張
//www.amazon.co.jp/product-reviews/4531080610/ref=cm_cr_dp_see_all_btm?ie=UTF8&showViewpoints=1&sortBy=bySubmissionDateDescending
前世を記憶する子どもたち/イアン・スティーヴンソン − ヴァージニア大学精神科・主任教授
そして、私(ID:8aQrqIIm)は医療関係従事者ではないけど
「落武者(霊)を見た」と主張
752 :
神も仏も名無しさん :2013/11/29(金) 22:13:37.61 ID:6fS+DxXI
>>685 >ハッキリいって、このスレに巣食う“我こそは仏教の本質を理解していると説く”唯物論者たちによる業報と輪廻(転生)の否定論調です。
道元禅師は彼らのことを予見されていたようです。 そして彼らは「道元も晩年は耄碌した」と嘲笑。。
「正法眼蔵」十二巻本第八 ☆道元、晩年
善悪の報いには、次のどれかに当てはまる三つの決まりがある。これを三時という。
仏祖の道を修習するには、其の最初よりこの三時の業報の理を効い験らむるなり、爾あらざれば多く錯りて邪見に堕つるなり。
但邪見に堕つるのみに非ず、悪道に堕ちて長時の苦を受く。当に知るべし。
>>750 あ、そうですか、
>>743 の>パーピも指摘していたが、その取捨選択・選別が独断じゃねーの?とw
はあなたの「偏向」と併せて批判に見えるのは私だけでしょうかねえ?w
>>752 そこに関連する他の著作(傍証)があればね・・。
それによって、その引用部分の解釈(→道元の本意の推測)が少しは絞り込めるだろうが・・。
755 :
神も仏も名無しさん :2013/11/29(金) 22:18:07.44 ID:lXpZ8Jht
>>750 ややこしいなw
まあ2aで妥当だろうとは思うが、これ以外は信心なワールドだけに見識に何とも言えんな
>>750 伝統仏教が1bで個人の信じているのが2aで、自分は伝統仏教外のものだが1bを認めないものは仏教を語るな〜って
阿呆じゃないですか?何で外から伝統仏教擁護してるんですか?
伝統仏教と自分は考えが違うが伝統仏教こそ仏教であり、自分も酒は飲むが仏教徒である〜という事ですか?
>>753 取捨選択・選別の手法を言ってるんですけどねぇ・・。
目をつぶって、箱の中から当選ハガキを抜き出すのと、
ハガキを読んで、その内容で当否を決めて当選ハガキを抜き出すのと、
行為自体は確かに【同じ】《抽出》《選別》《選択》《取捨》だが、
同じかねぇ・・。
或いは、採用面接で
面接官が、自分の価値観で選別するのと、
社長や役員等、会社の理念・方針、或いは慣例通例に従って選別するのと、
同じ《選別》と言えるかねぇ・・。
>>756 は?
聖人君子以外は発言するなって?w
自分は、無宗教無所属だから自由だけど、って?w
君が、あれこれ反論するように、
おかしいことをおかしいと指摘しているだけだよw
もう私はあなたの比喩を考える気もありません。 比喩を使いたいのなら簡単に明瞭にです。 簡単、明瞭を外れたならそれは比喩ではなく難解物語の吹っかけです。 そんなものを考える気はありません。
760 :
神も仏も名無しさん :2013/11/29(金) 22:28:07.03 ID:6fS+DxXI
>>754 >
>>752 >そこに関連する他の著作(傍証)があればね・・。
>それによって、その引用部分の解釈(→道元の本意の推測)が少しは絞り込めるだろうが・・。
他の著書を再掲示します。私が解釈するとまたマヒカリ批判のシュプレヒコールになりますので、貴僧宜しくお願いします。
因みに教えて下さった僧侶がまだまだ道元の輪廻関連の語録はあるとおっしゃってました。よって「晩年に耄碌説」は却下ですね。 (^0^)/
「宝慶記」☆道元、20代
仏法、若し長沙の道の如くんば、何ぞ諸仏の出世・祖師の西来有らんや。堂頭和尚老師大禅師示して曰く『長沙の道、終に不是なり。長沙、未だ三時業を明らめざるなり』と。
「正法眼蔵随聞記」☆道元、30代
また冥機冥応、顕機顕応等の四句有る事を思フベシ。また現生後報等の三時業の事も有り。此等の道理能々学スベキなり。
「行持(下)」 ☆道元、43才
この黒業は今日の業力のみにあらず、宿生の悪業力なり。
今生ついに如来の真訣をきかず、如来の正法をみず、如来の面授にてらされず、如来の佛心を使用せず、諸佛の家風をきかざる、かなしむべき一生ならん。
「仏道」 ☆道元、44才
多生の値遇奉覲(ちぐうぶごん)をちぎるべし、これをもて多生の見仏聞法をねがふべし。
761 :
神も仏も名無しさん :2013/11/29(金) 22:30:36.67 ID:lXpZ8Jht
ところで禅門の人に煽り抜きで尋ねたいんだが 正法眼蔵の12巻本って信憑性高いの? 聖跡とかそう言うレベルで 日蓮ものとかだと必ず問題になるでしょ 真蹟所存か嘗存とか写本のみとか
>>759 w
譬喩云々の問題でなく、
貴方の価値観が『《伝承される》という事象』を悪玉扱いしていることに立脚しているせいだと思いますよ。
皇室行事とかも貴方からすれば、悪しき伝統なんですかねぇ・・w
自分の立場は2aで伝統仏教は1bで、自分の立場を無視して伝統だから〜って阿呆でしょw まあ、それならそれで「私は業報輪廻を認めないが、伝統仏教では認める〜」といちいち言わないと 途中で入った人間は業報輪廻肯定論者としか見えないw 過去スレ読め〜で切り捨てたら駄目でしょw めんどくさい事はしたくない〜 めんどうなこともせよ〜という伝統に反して悪いねえw 糠床管理は面倒ではなく楽しい〜米を炊くのも楽しい〜過去スレ読むのはめんどう〜
764 :
宝珠@神智学徒 ◆cPNLwLxWRE :2013/11/29(金) 22:37:27.05 ID:nG0gHdYI
>>743 >宝珠氏も言ってましたよ。アートマンの存在を否定する伝承は誤った伝承であり、
真っ当な学者ならほぼ統一的な見解でしょうね。
765 :
神も仏も名無しさん :2013/11/29(金) 22:38:37.20 ID:N581RsCO
>>751 医者や自然科学者と称していても、変な奴がごく稀に発生する。例えば、例の「癌もどき」の
慶応大学の医師。最近、この医師を信じ込んだ女性の患者が、乳がんが外部に露出するほど
悪化して死んだ。医学界では、相手にされていない。
そのアメリカの医師も、宗教患者なのだろう。しかもフジテレビw。札付きじゃん。
>>762 皇室まで比喩に持ち出すのか?w
まさに阿呆!
伝統は認めるが、伝統全てを認めない。で駄目なの?
糞な伝統・伝承も世の中にはあるでしょ?w
767 :
宝珠@神智学徒 ◆cPNLwLxWRE :2013/11/29(金) 22:45:21.10 ID:nG0gHdYI
追記: ゴータマの時代から約2600年が経過したとされます。 誤伝、編纂ミスは止む得ないことです。 これも諸行無常。 全体としては、 逆に、よくもここまでほぼ原初の教えのままと見られる状態で継承されてきたものだと感心します。 そのことの方が奇跡に等しいこと。
現天皇も慈悲に満ち溢れたお方で、自らは火葬で墓も簡略にせよと仰った。 伝統で土葬だから伝統のまま行くというのもアリだが、そこが個々人の思考の岐路。 言った言葉で個々人の思考が分かる。言った言葉は個々人の思考だからね。 所詮、業報輪廻がどうのこうの言っている人間はそれだけの人間。 伝統仏教がそうならそれだけのもの。 そんなものを離れて一人仏典を読む方が遥かにマシw
769 :
宝珠@神智学徒 ◆cPNLwLxWRE :2013/11/29(金) 22:51:03.31 ID:nG0gHdYI
>>765 パーピマン同様。
勝手にヤラセや詐欺、疑似科学などというレッテル貼りをして決めつけ、
自身の目を閉じ、耳を塞ぐ
770 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/11/29(金) 22:51:45.73 ID:6fS+DxXI
>>761 >日蓮ものとかだと必ず問題になるでしょ 真蹟所存か嘗存とか写本のみとか
☆日蓮聖人『四條金吾殿女房御返事』は確か真筆ではなかったでしょうか。
「一をば同名神二をば同生神と申。此の二の神は梵天・帝釈・日月の人をまほらせんがために、母の腹の内に入しよりこのかた一生をわるまで
、影のごとく眼のごとくつき随て候が、人の悪をつくり善をなしなむどし候をば、つゆちりばかりものこさず、天にうた(訴)へまいらせ候なるぞ。
華厳経の文にて候を止観の第八に天台大師よませ給へり。」(定遺八五七頁・本書一九二〜三頁)
心霊科学で言うところの守護霊を具体的に説かれているようです。 更に輪廻も具体的な説法ですね。
流石、修行完成者さんですべてお見通しだったようです。
「船守弥三郎許御書」
過去に法華経の行者にてわたらせ給へるが今末法にふなもりの弥三郎と生れかわりて日蓮をあわれみ給うか。
「四条金吾殿御消息」
日蓮過去に妻子、所領、眷属等の故に身命を捨てし所いく幾そばく許かありけむ
或は山にすて、海にすて、或は河、或はいそ等、路のほとりか。
然れども法華経のゆへ、題目の難にあらざれば、捨てし身も蒙る難等も成仏のためならず。
>>763 >まあ、それならそれで「私は業報輪廻を認めないが、伝統仏教では認める〜」といちいち言わないと
そんなことを気にするのは貴方だけですよ。
少なくとも、(私も2ch暦長いですが)貴方が初めてですw
そうした宣言(…互いのコンセンサス調整)が必要な場合は、常にそれをしてきましたよ。
貴方に言われるまでもない。
(また、貴方に対しても、何度か宣言した筈ですが?
貴方が、議論に於けるそういう立ち位置を許容しない人であったのが遠因と思いますけどw)
>>766 普通の読解力の人は、老舗料亭の段階で把握するもんですw
皇室まで引き出させたのは、貴方の鈍さでしょwwwww
772 :
神も仏も名無しさん :2013/11/29(金) 22:56:27.50 ID:lXpZ8Jht
曹洞宗においてはその根本経典である正法眼蔵は外部の興味ある者が読んでも 読み応えの有る面白さがあるが、修証義は道元師のご印可貰ってないよね 正法眼蔵と冠した全部から宗網要点のみ抜粋したものだし 日蓮もので言う所の「開目抄」なんかは重要法門が載ってる要書の一つなんだが 真筆曽存と言って明治初期まで身延久遠寺に真筆が有ったらしいが火事で消失 現在は写本しか残ってない、この場合先ず身延の言い分を信用した上で(消失前は有ったと信じてやる) 現存する一番古い当該遺文の検証・考証をしなければ宗祖の意志かどうかが問えない そう言うのって曹洞宗も同様なんじゃないかと思われるんだが 修証義自体は抜粋なのは事実で、抜粋もとの12巻本の真偽は検証されてるんだろうか?
773 :
神も仏も名無しさん :2013/11/29(金) 23:00:27.32 ID:lXpZ8Jht
>>770 四条金吾殿女房御返事は真蹟断簡と言ってね
断片がバラっと幾つかが残ってるだけと伝わってるんだよ
真偽未決に分類される
つまり、日蓮は言ったかもしれないけど言って無いかもよってカテゴリに属す
>>771 だから私はあなたの立場が理解できない〜とw
私は宣言された覚えはありませんねえ。
パーピマンさんの指摘で、そうなのか?と半信半疑ながら思っただけです。
許容するとかしないとかではなく、そもそものキッカケはアナタが伝統仏教を刀に
私に振り下ろしてきたから私はそれに抵抗しただけw
私は女からは鈍いと言われますが、鈍いのは個性ですw
つまり、まとめれば、セブン氏は個人的には業報輪廻など信じてはいないが商売上
やむを得ず輪廻先生を売りにしている。ゆえに、2ちゃんねると言えど輪廻転生を妄想
扱するものには牙を剥くという事ですね。
まさに、阿呆らしい世界w
>>763 (
>>774 )
┐(´ー`)┌
>阿呆でしょ
どうせ読まないでしょうがw、(第三者の爲に)もう一つ譬えておきましょう。
貴方が、A市の警官だったとしましょう。
さて、隣のB市を歩行中、犯罪を目撃したとします。
自分はA市担当だからB市の治安には加担しない、と考えますか?
2chは、今のこのスレが顕著ですがw、
オカルト主義か現代常識派が圧倒的多数なんですよ。
バランスとして、誰かが護教的スタンスをとらねばなりません。
勿論、常にそうである必要はありませんが、
あまりに過激なれば、お節介おばさんの如く、
「トンデモ」には「トンデモ」の識別ラベルを貼り続けねばなりません。
骨董的価値しかない茶碗でも、紛失や破壊からは保全しなければなりません。
776 :
神も仏も名無しさん :2013/11/29(金) 23:08:02.98 ID:lXpZ8Jht
俺が門外漢ながら思うのは 75巻本までは法印が保ててるのに12巻本が何か一部怪しくなってる点が気になる訳よ 煽り抜きよこれ 自宗の根本経典の検証ってやりにくい面が多いだろうから往々にしてアレな事が多いのも事実なんだよね 例えば日蓮正宗では創価と同じでお形木御本尊なる印刷された文字曼荼羅を信徒が受持するが それ自体は日蓮は行なって無かったのは分かってる訳で そう言う検証って曹洞宗はしないのかな? 日蓮正宗はやらないんだよねw 宗旨崩壊しちゃうから
>>774 それから、
「商売」の定義がどの範囲なのかは知らんけどwww
少なくとも2chでの発言は商売とは無関係だけどねぇ・・・。
なんでも商売にしたがるのは現代っ子の気質かねぇ・・。
つまり2ちゃんねるのこのスレのバランサーが私の立場であると〜w まったくもってご苦労さんなことです。 しかし所詮2ちゃんねるのスレでバランサーなんて必要なのでしょうかねえ 不要の努力だと思いますが? 輪廻肯定に偏れば偏って良いのでは? 私はそこに反論を書き込む。 輪廻転生を肯定しているのか否定しているのかわけの分からん人間に噛み付かれたら 悲劇ですw バランサーだから許せ〜って阿呆としか良いようがありません。
おっとw
またスリーセブンGETw
>>778 w
許せなんて言わんよw
それより、
せめて、奈良さんの「釈尊との対話」だけは読んどけ。
きっと君の糧になるから。
780 :
神も仏も名無しさん :2013/11/29(金) 23:18:45.43 ID:6fS+DxXI
どうして他称「紐くん」と呼ばれているのですか? 私が少し休んでいる間に本スレに再生されてて経緯が分かっておりません。
>>780 紐は前世-今世-来世を繋ぐものだから紐のようなものでしょう?と言ったからです。
紐が阿頼耶識なのか霊魂なのか無意識の何者かなのか?そのようなものを想定するから
その想定したものを紐と言ったのです。
前世と今世と来世と結ぶものが無ければ輪廻転なんて成り立ちません。
結ぶもの(紐)は無いが輪廻はある〜というのは論理破綻の矛盾です。
何故なら輪廻は生まれ変わりと同義であるからです。
もし、生まれ変わりでないものを輪廻と言うのならいちいち言わなければなりません。
過去スレ読め〜じゃただの阿呆ですw
> ID:GFhP1+OP さんへ 目で見たり、触れて感じたりすることのできない 「 オカルト 」 を土台としている 私(ID:8aQrqIIm)と 前世は一在家さんと 宝珠さんが 西洋文明を土台とした現代常識から外れている(ように見える)ので 「おまえらは我愛を滅させて、あの世に逝って良しっ!」 とセブン先生から認可を授かっている ↑ こんな感じだと思います
783 :
神も仏も名無しさん :2013/11/29(金) 23:34:42.46 ID:lXpZ8Jht
輪廻転生好きだなお前らw 仏教で言う十二因縁も流転して無明で蓄積されるってメカニズムを輪廻って言うけど そう言うのも全否定なのか?煩悩が十二の因縁のどこかに生じて流転・転生し続けて無明に至る 人間がオギャあと生まれて成人して老いて死んでまたオギャアと生まれる輪廻は 正直生きてる内には白黒付かないから不問に処すべきだろ 認めたくないのか? 無いと言えば断見 あると言えば常見 だろ? どっちに寄っても中道じゃ無くなるからダメなんじゃなかったのか?
【最終】輪廻転生説はどう扱うべきか!?【決着】1
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1256486743/ 412 神も仏も名無しさん sage 2009/11/06(金) 00:54:55 ID:3ZmYfBTK
>> 410
そうではない。
【《「連続性」はある》が《「同一性は」ない》】というのが、縁起に則った「(三世に跨った)輪廻」だから。
「次の生を受け、生きている存在」は、「過去の存在と同じではない」。
(PTS辞書が“new birth”と釈しているのもまんざらではない。)
過去、「肉親であったという関係性」は、死(≒五蘊の滅)と再生(≒五蘊の生起)との間で消失する。
再生した存在は、別人(別存在)。
(ここに於いて意味のある連続性は、(当人としての)業果が連続しているということだけ。
他者との関係性は問われない。外から見て・第三者から見て・客観的に同一であるかどうかは問わない。)
仮に、食されるサンマが前世でAさんの爺さんであったとしても、
今まさに食されるその瞬間、サンマがAさんの肉親であるわけではなかろう?
あくまでも、サンマの時はサンマでしかない。
(過去)所縁によってAさんの爺さんという存在であっただけであり、
(現在(今))所縁によりサンマであるだけだ。
言語習慣上、世俗上、仮設される同一性を見てしまいがちだが、そのようなものはない。
「爺さん(という関係性)」も「(食される)サンマ(という関係性)」も、
それぞれ、その時その時の縁により生じ、構築される関係性に他ならない。
だから、単語上の「非我」が「無我」へと昇華される。
案ずる必要はない。
>>782 オカルトを土台にしている時点で駄目。
セブン氏の認可を受けて喜んでいる?のも駄目。
現代人は実証主義の科学的姿勢が基本姿勢。
科学オンリーではない。科学が全てを解明していない事を前提にです。
唯物論ではなく、超常現象をこの世の言葉で説明するオカルトでもない。
神を信じたければ信じれば良い。輪廻転生を信じたければ信じれば良い。業報輪廻を信じたければ信じれば良い。
しかし、自らが信じたものこそが真理であり、他が言っている事は間違っている〜等と言うのはキチガイ。
私はキチガイではない。
キチガイは皆自らをキチガイではないという。
目の見えない生物は自らが目が見えないとは思わない。
人間は生前と死後の世界を説く事はできない。
さて、あなたはキチガイか?
240 Classical名無しさん sage 10/05/04 23:56 ID:PByaTMME >> 236 あの図に、少し細工を加えてみる。 私B 私A ↑ ↑ ●事象B → ○事象A (行為(業)B) (行為(業)A) この時、業の作り手も受け手も、どちらも、「私A・Bに於いて」のこと。 言わば、業の作り手も受け手という見方は、図に於いての「私Bと私Aとの間に矢印を設けること」と言える。 だが、私Aと私Bが「直接的に連続している必要はない」。それは、所縁によって【その都度に】生じている私だから。 事象Aと事象Bとが連続しており、事象Bの時に私Bが、事象Aの時に私Aが生じる(仮設される)。 もとより凡夫には(多くの矢印は)観えない・知りえないわけだが、メタな視線(仏の視線)として、 業の作者や受者がなくとも、そこに業果のみが見られる。 で、《「受け留め方として(信として・自覚として)」『私Aは、(事象(行為)Bを受けての)事象Aの上にある』》、 というのが、基本的パターンとなるんじゃなかろうか。 事象ABの関係を踏まえた上での私ABの関係である、と・・。 243 Classical名無しさん sage 10/05/05 01:03 ID:CVorYwwo >> 242 .a ● → ○ ╂────╂ ■━━━━□ .→ b aの矢印を考えるから「同一性が失われている」と見える。 勝義として同一性は無い。 (勿論、世俗の凡夫の倫理的要請としては十分) だが、bの方を経由するから、連続した生起(≒縁起)の流れとして●と○が繋がる。 勝義として連続性が保持される。(同一か否かは、既に問われる次元ではない)
もう、比喩ですら意味不明の人が図解解説なんて始めたらどうしようもないw やめれ、やめれ。 自らの言葉でひとつひとつ語れ。 比喩や図解やコピペに何の価値も無い。
>>768 w
自分のレス且つ最大限の略説だが何か?
もっと長文で良ければ、「鈍い」貴方の爲に延々と解説してやってもいいぞw
つか、パーピや一代は一目で理解してたけどな。
やっぱりレベルの差が出ちゃうのかな? ( ̄ー ̄)
> オカルトを土台にしている時点で駄目 電子はもはや 「 確定した位置と速度を持つ点ではなく 」 目で見たり、触れて感じたりすることのできない 「 オカルトのようなもの 」 であるらしい _ _ _ 電子の大きさについては、標準模型では 0 とされるが、大きさを持つかどうか・内部構造を持つかどうかは判明していない 現代の量子力学では、電子はもはや 「 確定した位置と速度を持つ点 」 ではなく、波動関数であらわされる存在であり たとえば電子が存在するために起きる干渉などの相互作用は、それに従い確率的に起きる 空間におけるこの確率は、雲のようにぼんやりと分布するものになり、これを電子雲という 重力子(graviton) 重力相互作用を伝達する役目を担わせるために導入される仮説上の素粒子。2012年までのところ未発見である
791 :
神も仏も名無しさん :2013/11/29(金) 23:52:32.15 ID:lXpZ8Jht
>ここに於いて意味のある連続性は、(当人としての)業果が連続しているということだけ。 食されるサンマがAさんの爺さんだった頃の業報を受け継いだサンマをどうやって証明するんだって話 これってバラモンの頃からある梵我一如そのままでしょ 梵我一如を釈迦は無記を以って斥けたが、逆輸入させて蔓延らせたのは 輸入者=説一切有部、蔓延原因=中観派が取り入れたため 中観派は説一切有部を論破して有部は根絶された筈なんだが 残された膨大なアビダルマ(論蔵)が割と有用な研究成果も有った為 中観派はそれの研究も始めたが、誰が間違えたのか 論破対象で有った筈の有部の邪義も中観派は飲み込んでしまった 竜樹の頃まではそれでも持ち堪えてた筈なんだが・・ 中観派の中心人物は竜樹で八宗の祖とまで言われてるから 邪義が混じってても疑えなかった弱い人達も往々に居たって事は想像に難しくない 天台期に至っては中観派絶対な様相だった訳で、説一切有部の邪義すら忘れ去られてた位だ 最澄はそんなの無批判で日本に渡してしまってるし、空海もここは無批判だ 空海なんかもっと笑えるのは、「ヒンズー化した仏教紛い」が大のお気に入りで 仏も複数、神は大勢の何でも有りに完璧に無批判だった 釈迦が禁じた筈の呪詛も取り入れてたし
>>786 姑息なミスリードだなw
>しかし、自らが信じたものこそが真理であり、他が言っている事は間違っている〜等と言うのは
無条件で間違っているとは誰も言ってない。
「それは仏教(≒お釈迦さんの説いたこと)ではない」
という話の筈だが?w
>>789 はいはい、あなたは業報輪廻否定で輪廻転生は立場上肯定のめんどくさい人間であることは了解しましたよw
バランサーを自称してても、噛み付かれれば反抗するのが私の性でね。バランサーだからまあいいや〜とはいきませんw
>>790 で、電子の世界とオカルトの世界が同じなので輪廻転生を信じる〜というのですね。分かります、そうかもしれません。
しかし、そうではないのかもしれません。そうだと断定は出来ません。これを信じるのが仏教で、反論の旗印を上げるものは
仏教を語る無かれ〜というのは傲慢です。
>>791 >どうやって証明するんだって
ん?
だから、目の前のサンマが爺ちゃんかどうか御先祖様かどうかを気にする必要は
三世輪廻肯定でも三世輪廻否定でも、どちらの人でも気にする必要ないというオチにならない?
(勿論、そのように受け止めて、我が身の維持の爲にいただく
という感謝へ持っていくことを妨げるものではないが。)
*(勿論、
現場で、サンマを目の前にして躊躇する人がいたら、
上記のような理屈から入るのでなく、別の観点から不安や疑義を取り除く言辞が模索されるだろうけど。)
>>793 よーするに、
貴方の言辞も伝統諸説も、【裏付け】としては等価なんですよ。
貴方の言い分の方が図抜けて優位というわけではないのです。
それより、奈良さんの本読んでよw
795 :
神も仏も名無しさん :2013/11/30(土) 00:06:19.59 ID:NyOkGmkD
鎌倉仏教は中々救いがたい誤謬を各宗が大小持ってるのは免れ難いんだが 取り分け曹洞宗の本名「仏心宗」にだけはもう一度本師釈迦牟尼に立ち返ってもらって 根本経典を見直して欲しい位なんだな、個人的にはね 正法眼蔵では唯一12巻本が怪しい訳で、これを除外すると随分とスッキリした釈迦思想になる 中でも三時業、これ本当に道元師の教示なのかが疑わしい 75巻本から筋が通ってないんだよね 12巻本が後から出てきたってのも、文献的信憑性はどうなの?後出しジャンケンじゃね?って感じだし 本採用で堂々胸張ってるなら「87巻本」って言ってる筈だし 何か有るのは気付いてるんだとは思う
796 :
神も仏も名無しさん :2013/11/30(土) 00:07:51.61 ID:NyOkGmkD
>>794 >三世輪廻肯定でも三世輪廻否定でも、どちらの人でも気にする必要ないというオチにならない?
ああ、なるねぇw
サンマ美味しいしねぇ
>>792 >「それは仏教(≒お釈迦さんの説いたこと)ではない」
そして私も業報輪廻転生は仏教(≒お釈迦さんの説いたこと)ではないと言っているw
正しいか否かなんて誰にも分からない。
お互いに言い合っているだけ。
要は個々人が何を取捨選別して取り入れるかだ。
取捨選別こそ個人の思考でしょう?
あなたは業報輪廻は無いが輪廻転生はあり、この世の業報もあある〜
私は業報輪廻は無く輪廻転生はあるのかないのか分からず、この世の業報は道徳上認める〜というもの。
あなたと私の選択(思考)が違うのは当たり前w
それでどんな話でしたっけ?w
下らん比喩は却下w だって意味がわかんないも〜んw
800 :
神も仏も名無しさん :2013/11/30(土) 00:11:34.17 ID:NyOkGmkD
>>798 ああ、賞味期限切れを誤魔化したあそこの話かw
> これを信じるのが仏教で、反論の旗印を上げるものは仏教を語る無かれ〜というのは傲慢です ↓ これで良いと思います 般若経の解説 //www.dia.janis.or.jp/~soga/subindex.html 世尊の時代、人々は輪廻を信じていた だから世尊は、輪廻を方便として 輪廻からの解脱する為の、正しい知恵を説かれた
>>799 ・原初の味→二代目→三代目→・・・・→十三代目
・ / 材料のメモ書きから復刻
どっちの信憑性が高いか?
って話だった筈だが?w
賞味期限切れと言いながら何故か輪廻転生論議に埋没するのは何故でしょうかねえ? 私が書かずとも、何故か輪廻転生の話題になるw 余程、皆輪廻転生が好きなのでしょう。 来世も輪廻、輪廻とうめいて一生を終えるのでしょう。 不健康な一生ですねえ。
>>803 >私が書かずとも
そりゃそうだw
宝珠、在家、カラス の三馬鹿トリオがいるんだから。(カラスは時々しか舞い降りんがw)
>>802 私は最初から言っていたと思うのですが、
・原初の味→二代目(で改ざんされて原初とは別物になった)→拡大して益々別物になっていく〜・・・・→十三代目
・ / 材料のメモ書き(原初の味の)から復刻
どう見ても後者の方が信憑性が高いw
wwwwwwwwwwwwwwww
>>805 いやいや、だからw
『 >改ざんされて >別物になった 』 ということが立証されていないわけw
だから、貴方は宝珠と同じだと言ってるんですよw
貴方は、貴方と同じ理屈同じ理由で、あなたと正反対の主張をしている宝珠氏を
どのように批判すると言うのでしょう?w
807 :
宝珠@神智学徒 ◆cPNLwLxWRE :2013/11/30(土) 00:27:44.04 ID:tUvypPkQ
次の投稿は、本日の夜間になると思う(翌未明か翌日かも)。 無駄なレスしないで残り取っておいてね。
>>806 私が改ざんというのは、無記の内容の詳細記述や神格化の記述の事を言っているのです。
仏陀は無記だったのかそうでなかったのか?といえば無記の方が信憑性が高い。
であるならば、仏典に書かれている無記の詳細記述は後付でしょ?と言う事です。
そのように判断している私に宝珠さんはそれは解釈上改ざんである〜というのはもっともです。
なんせ立場が正反対なのですからw
で、あなたの立場は?
自らの立場を表明せずにアレコレ他人のあら捜しをするのは好ましい事ではないと思いますが?w
809 :
神も仏も名無しさん :2013/11/30(土) 00:31:01.73 ID:NyOkGmkD
>>805 >材料のメモ書き(原初の味の)から復刻
料理はそれで良いかも知れんが仏教はそれじゃダメなんだよ
それだとスッタニパータとかだけで簡易新生ブッダがワラワラ輩出出来る事になる
あれには詳しい行法も論釈も無いから全然足りない(読み物としては必要十分ではあるが)
810 :
神も仏も名無しさん :2013/11/30(土) 00:37:38.74 ID:NyOkGmkD
仏教には経律論があって三蔵と言うんだが 釈迦牟尼は三蔵も無いのに悟れたのは事実 だが、我々は真似は出来ても結果の確証が得られない そこに必要なのが経律論になる これを鵜呑みにするんじゃなく、釈迦が大成出来た事実と 照らして矛盾が無いかを自灯明法灯明で行なう それが現代の仏教の本当の有り方だとおれは思う訳 宗派がどうだ、教団がどうだは空に照らせば他山の頂
>>809 いや、メモだけで復刻は、相当な料理センスなきゃ無理っしょw
オーバーな言い方すれば、薄味モノなんか、塩の数粒で味が変わるんだぜ?
こないだ、(見なかったけど)中国の油絵複製村の特集をNHKがやってた。
絵の復刻(再現)は、(ゼロという漫画があったがw)まず不可能としても、
味の復刻(再現)も、相当な難行だぜ。
同じ材料・調味料が揃わない、同じ調理条件じゃない、調理器具が違えば火加減も違ってくる、
季節によっての調理加減や下準備の仕方も違うかもしれない。
一回一回、その都度その都度、「こういうときはこう対処する」「こういうときはこう工夫する」とか。
そうした部分は、【メモ書きには反映してきていない】部分だ。
彼には、こういうところが見えていない。(というか、蔑視してるのかもしらんjけどw)
> スッタニパータ…行法も論釈も無いから全然足りない ↓ こんな感じ //homepage3.nifty.com/hosai/dammapada-01/suttanipata-all-text.htm 【ブッダのことば】スッタニパータ<中村 元訳> 1026 無明が頭であると知れ 明知が 信仰と念いと精神統一と意欲と努力とに結びついて 頭を裂け落とさせるものである //ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%8D%81%E4%B8%83%E9%81%93%E5%93%81 中阿含経などに説かれた、仏教で、悟りに至るための三十七菩提分法 五根・五力 信・精進・念・定・慧
813 :
神も仏も名無しさん :2013/11/30(土) 00:51:39.75 ID:NyOkGmkD
>>811 だからダメだって言ってんじゃん
センスは有る前提で問わない前提でなきゃ料理出来ない奴も参加できるふざけた出来レースになる
さっきの続き
経は教えの骨目・骨格そのものが書いてあったりする
律は戒律や戒体そのものを示し、何を禁じ何を行なってそうなるかを詳しく示す
論は上記二蔵のレビュー
となるので三蔵が現代で仏教を実行する為の相当重要な辞典となる
辞典なので鵜呑み厳禁なのは言うまでも無く、実行する(自灯明)するのは自分だ
三蔵が辞典なら法灯明の対象は?
一切を教えてくれた釈迦の成果事実と今の自分の実生活上の道理が法灯明となる
異論は認める
だが揺るがないw
>>808 ほらw
≪自分が、『無根拠に』『改竄箇所を特定している』≫ことを棚に上げて他人の糾弾かw
随分と偉そうなこった。
>>811 当たり前だw
そんな塩一粒で正誤の判断を迫るものが仏教ならば、誰も仏教なんてものについていかなかっただろう。
大体、根本から間違っている。
有り難い、得がたい、何物かを得るのが仏教である〜なんてのは阿呆の説法。
スッタニパータだけで簡易?か否かは分からないがワラワラ幸せ人間が出れば好ましい事ではないか?
それとも、口をヘの字に結んで黙って座って瞑想しなければ何も分からないってか?
馬鹿らしいw
仏陀は一般人に生き方を教えてくれた人だと、私は思う。
得がたい真理を説いた人ではない、と私は思う。
アンタ等がどう思おうが私の知った事ではない。w
816 :
神も仏も名無しさん :2013/11/30(土) 00:56:43.58 ID:NyOkGmkD
>>814 >≪自分が、『無根拠に』『改竄箇所を特定している』≫ことを棚に上げて他人の糾弾かw
アンタも暇ねえw つうか読解力ゼロでしょw
無根拠ではなく、仏陀の無記を根拠として言っているだろw 見えないの?
それとも仏陀の無記は間違いでその後の詳細記述の方が正しいと見るのか?
それはアンタの見方で私の見方ではない。
だから2代目以降が〜ry
>>813 >料理はそれで良いかも知れんが
って言うから、そうでもないでしょ?ってだけ(^^;
縄文時代の食事の再現とか、家康秀吉が食べてた料理の再現とか、
よくあるけど、
原初が失われている以上、「おそらく、こうであったろう・・」にしかならない。
もし、このとき、炊事場関係者の末裔(の家)が、
家の特別メニューとして毎年作っていたら?
和綴じの殿様の食事記録より、信憑性・真実性は圧倒的に高い。
なんで、彼にはこれが解らないのかが不思議だw
>>817 貴方の無記理解が錯誤であることは、多方面から指摘されていた筈ですが?w
私は何故もこうも下手な比喩を繰り返すのか不思議だw
>>820 w
理解できていないのは、貴方だけのようですけどね。
822 :
神も仏も名無しさん :2013/11/30(土) 01:06:45.13 ID:NyOkGmkD
>>819 多方面って?
わけが分かりません。
少なくとも分かるように書いてくれなkれば成り立ちません。
ビームとかミサイルとかも意味不明でしたし〜
大体、自分が分かっているから他人も分かっているだろう〜なんてのは甚だしい思い上がり。
皆が見て分かる言葉で語るのが正しいのだと思います。
私の立場はもう散々言っていたからいいんですが、あなたは人の粗さがしばっかりでうんざりですよ。
自分の立場を言え。言ってからモノを言え。バランサーだから〜なんてのは口実にならん。
824 :
神も仏も名無しさん :2013/11/30(土) 01:08:53.74 ID:NyOkGmkD
ググっても無いんで検索じゃ答えられんと思うぞ?
>>815 >そんな塩一粒で正誤の判断を迫るものが仏教ならば
あんた、3分すら坐ったことないだろw
その日その瞬間の身心の全てが(思考に)影響するのに・・。
ま、それはともかくw
本を読んでそれでOkなら、菩提樹下に坐る必要ないんだよ。
行が説かれる必要も無い。
戒も不要だ。
ただ、思考すればいいだけなのだから。
ああ、もう一度アレ貼っとくか・・。
826 :
神も仏も名無しさん :2013/11/30(土) 01:17:06.06 ID:XtDkwrff
>>823 答えろ
仏の大意とは何か?
解らないなら解らないと認めろ
これが解らないならただの知ったかぶりって事になる
>>826 仏の大意は人間の精神的苦から解放する事。
当たり前でしょ。あなたは違うの?
って、このスレだったか。
>>218 >>219 >>220 >>823 いやいやw
ニュースとかで(政治家の弁明とかで)よく耳にしない?w
「多方面から御指摘を受け・・・」とか。
勿論、文脈で要素の種類は変わりうるけど、
「分野」「所属集団・組織の外」「各業界」「種々の立場、種々の見解を持つ多数の他者」
などからだと想像できないか?
>自分の立場
あのね・・
レスするたびにそこに触れる必要はないの。
老婆心&慈悲心で、敢えて【再三にわたって】答えるなら、
伝統は伝統として重んじ、
(行が未達ゆえ断定せず)現代的可能性をノートの隅にメモってあるわけだが?
(よぼよぼの臨終間際かもしれんがw)、いずれ確認できる日も来るだろうよ。
829 :
神も仏も名無しさん :2013/11/30(土) 01:23:45.10 ID:XtDkwrff
>>827 本で読んだかのまんまの知識論だなw
知ったか乙
お前は仏教をなにも解ってない
ただ論破して優越感を貪りたいだけの一闡提人
得がたい真理を求めてフラフラ生きるのが仏教ですか? 生死を見つめて共に覚悟して死ぬまで生きるのが仏教です。 生に偏らず死に偏らず、生きる時は精一杯生きて死ぬ時は精一杯死ぬ。 死んだ後がどうなるか?なんてのを仏教では無記として考えるな〜という事だw
>>830 それを謳っているのは仏教だけじゃないと思いますけど?w
>>830 というか、それって、
改竄まみれの禅宗そのものみたいですけど・・w
833 :
神も仏も名無しさん :2013/11/30(土) 01:28:24.84 ID:XtDkwrff
>>830 特別にお前に教えてやる
ゆっくり考えろ
仏の大意とは・・
お前のほっぺたを自分で引っ叩いてみろ
それが仏の大意だよ
これが理解できれば成仏できる
>>832 で、仏教は業報輪廻転生を土台・前提にする〜という事ですねw
阿呆らしいw
それはあなたの大好きな伝統仏教で私の仏陀の教えではない。
そんな伝統はカスで存在価値が無い。
人間の生死について語らない宗教が宗教であって良いのか?
生死については業報輪廻だけしか語らない〜って阿呆以外の何物でもない。
くだらない伝統仏教に価値は無い。
>>834 >生死については業報輪廻だけしか語らない
いやいやw
お前さん、いったい何を読んでるの?
経蔵全て、律蔵全て、人間について語られているわけだが・・・。
マジで、岩波数冊しか読んでねーだろ?w
836 :
神も仏も名無しさん :2013/11/30(土) 01:39:51.00 ID:XtDkwrff
>>834 釈迦はお前みたいな事は教えてない
もう少しちゃんと学べ
全然ダメだ
我説は邪説だ
ブッダは世の真理を解き明かしてる
正しく悟れてるならブッダと同じ事を言う筈だ
歴史上悟って伝承され証明されてるブッダと呼ばれる人は釈迦牟尼ただ一人だ
後発の仏は後続に過ぎず手本ではない、あくまでも手本は釈迦牟尼ただ一人だ
お前ではない
経蔵、律蔵OKですよ〜w でアナタの立場は?業報輪廻を肯定するか否定するのか? グタグタ言わず答えてみろやw ありやなしや?yesかnoか?二者選択だ。 話はそれからだ。
>>837 鳥頭?
さっき教えたばかりだと思うが?
>>836 あたり前でしょうw
私がいつ仏陀と同じ悟りを得たと言ったのですか?
私は仏陀の教えとは、このようなものだ〜と言っただけw
大体、仏陀が死んで2500年も経って仏陀の真の教えなど分かるはずも無い。
皆、個々人の勝手な推測で言っているだけ。
私はそのひとつであり、あなたもそのひとつに過ぎないw
840 :
神も仏も名無しさん :2013/11/30(土) 01:47:01.11 ID:XtDkwrff
>>837 経蔵律蔵okで仏の大意も答えられないのか?
どこをどう読んでるんだ?
読むだけじゃダメなんだぞ?
因みに業報輪廻はあくまでも無記だ
生きてる内に確認のし様が無いし
それは仏法ではない
仏法でないものは斥ける
それが仏教だ
何故これが理解出来ないんだ?
アホ過ぎるだろ
有るか無いかを問うのもNGなんだよ
ブッダの教えに反する
>>838 yes or no では答えられないw
まさに阿呆。
842 :
神も仏も名無しさん :2013/11/30(土) 01:48:53.25 ID:XtDkwrff
>>839 >大体、仏陀が死んで2500年も経って仏陀の真の教えなど分かるはずも無い
それはお前の様な浅はかな奴らだけだ
解らないと思ってる、思い込んでるからクダを巻く
何で解らないんだ?
> ほっぺたを叩いてみろ…これが理解できれば成仏できる ほっぺたを叩く 色→受→想→行→識と伝わる − これに対して − 想受を滅させて 無明滅→行滅→識滅させて 解脱すれば仏だ ↑ こんな感じでしょうか?
845 :
神も仏も名無しさん :2013/11/30(土) 01:52:04.21 ID:XtDkwrff
>>840 ありやなしやで言葉を濁し、問う事も出来ないのに何故賛否両論分かれるのでしょうか?
あるという人間に罵倒し、無記という人間に罵倒し、自らは立場を表明しない〜
これこそ卑怯の代表選手でしょうw
あるでも無記でもない自分の立場を言ってからモノを言え!
話はそれからだ。
>>837 イエスノーを断定できるのは仏(阿羅漢)等、梵行を成し終えた者だけだよ。
バーカw 偉い人はそのイエスノー判断を放棄したんだよ。 偉いからイエスノーが答えられて凡人だから答えられないってか? まさに仏教ゼロから始めたほうがいい
>>848 バーカw
偉い人はそのイエスノー判断をしてるんだよ。
少なくとも、我々が参照し得る資料に於いてはね。
まさに仏教ゼロから始めたほうがいい
850 :
神も仏も名無しさん :2013/11/30(土) 02:03:50.60 ID:XtDkwrff
>>844 三宝論は大乗の領分だから難しい
自分の立場は根本仏教だからどちらか問われれば不要論を展開する事になるかと
が、本当に不要かどうかは機根等に因ると思う
釈迦牟尼は三宝を重視せよとは教えてない筈で
律蔵の教えを守る上では重要になる場面もあるかな?って位の重要度しか認められない
要は現代では、同じ思想グループを持つ組合みたいのになる訳で(金銭利害は徹底排除)
釈迦牟尼はそれを用いて悟った訳ではないので、恐縮だが仏法ではない
仏法ではないものは仏は斥けられたので順ずる学徒も用いないのが常套かと
まあ・・ 法を壊さない程度は随方毘尼も認められるんでその辺はよしなに
>>849 >少なくとも、我々が参照し得る資料に於いてはね。
なら良いんじゃないの?w
仏陀の無記は事実ではなく語った〜何故なら少なくとも、我々が参照し得る資料によればつう事ですか?
ひょっとして新説ではないのですか?w
いや〜おめでとうございます、是非学会で発表して下さいねw
如来は、戯論を過ぎるが、而し 世間の人は、顛倒の故に、虚妄の法を生じ、戯論を生じて慧眼を破る それ故に 何かに対して「ある・ない・肯定・否定」と断定する事は難しい ↑ こんな感じの意味だと思います
>>850 だから、
理念は理念として堅持すべきだが、
その具現化の手段については種々あり得る、ってことじゃねーの?
根本仏教とか大乗とかの問題じゃないような気はするけどな。
赤道直下の威儀なら伝統の三衣でいいだろうが、日本中国北欧等、或いは高地なら、
衣服の規定は改変されるべきだろう。
また、理念は理念としてありながらも、
伝播した土地の文化によっては、その説かれ方に大きな変容が生じることも吝かではなかろう。
そのとき、具現化手段の変化に引きずられて理念まで変わってしまうことは恐れられるべきだが、
理念に固執するあまり具現化の手法が固定化されるのもウマくない。
そういうことが、上記論文では示唆されている。
だからこそ、(老舗料亭の板前修業の如くw)伝承は尊重されねばならない。
何が固辞され、何が許容されてきたのか、と。
>>851 新説?
馬鹿か? 「定説」だよw
お前さんの考え方が新説なの。
854 :
神も仏も名無しさん :2013/11/30(土) 02:16:22.65 ID:XtDkwrff
>>852 今時はググれば悟りの内容は知れる
が、ググっても悟りは無い、どこにも
これがヒントだ
あと、姑息に答えを探るな
女々しいだけだ
>>852 >何かに対して「ある・ない・肯定・否定」と断定する事は難しい
で無記の主張はどこに入るのでしょうか?
業報輪廻が伝統仏教の定説なら伝統仏教は終わってますなw
>>856 いやいやw
近代仏教学が隆盛するまでは、それ一色だったわけだが、
君はいったい、どこの仏教(テキスト)を定本として学んだんだい?
少なくとも、テキスト上は貴方の立場を裏付けるものはないんだが・・。
858 :
神も仏も名無しさん :2013/11/30(土) 02:22:34.50 ID:XtDkwrff
>>853 >赤道直下の威儀なら伝統の三衣でいいだろうが、日本中国北欧等、或いは高地なら
衣服の話と三宝は全然格が違う話
何を仏と見做し何を法と見做し何を僧団と見做すか
を誓いたてるのが三宝だ
僧団は僧伽の事だが、問われるのがこの僧伽の部分で
これを認めないと三宝破壊と騒ぐ集団も居る
三宝破戒は破仏法と見做す的外れも実際にいる
それに付いて個人的見解を呈したまでだが?
実際私自身が僧伽には加わってない
禅宗で言えば野狐の身だ
しかし、釈迦牟尼が成道した菩提樹下の出来事は野狐禅そのものだった訳で何ら問題無い
>>858 >【「法」のみでこと足れリ】とする傾向は、【三宝の理念化】と
>【宗教の世界性とか普遍性とかを口に出して言う場合、【そこには法、もしくは教法のみが意味されている】】
>【終には頭のみの仏教が金科玉条として謳歌される】
>もし、戒律、実践を欠き歴史も文化も無視してこれを“仏教”と呼ぶならば
>これほど都合のよい平面的な仏教はあるまい。
>>854 ID:XtDkwrff さんへ
> ググっても悟りは無い、どこにも
> これがヒントだ
> あと、姑息に答えを探るな
> 女々しいだけだ
>>833 の
> これが理解できれば成仏できる
↑ ご教示願います 宜しく 屮(_ ._)屮
861 :
神も仏も名無しさん :2013/11/30(土) 02:37:51.28 ID:XtDkwrff
>>859 三蔵を重視するのは同意する
しかし辞書に過ぎんので鵜呑みは厳禁である
ならばそこに説かれてる筈の三宝も辞書の一説に過ぎんのではないのかね?
私は僧団=僧伽で無ければ悟れないと言う邪義には同意できない
同じ思想のものが集まって協調して修行する事は反対する気はない
戒律も実践も釈迦は個人で立てて成道してる、よもやそれを否定する気でも有るまい?
押し付けは執着であろう
執着は煩悩だ
克服されたし
>>855 ID:PnEprD7h さんへ
>> 何かに対して「ある・ない・肯定・否定」と断定する事は難しい
> で無記の主張はどこに入るのでしょうか?
質問の意味が、わからないけど
例えば仮に
何かが「ある・ない」と説明すると
世俗の人が勘違いするといけないので
「無記としたところもある」みたいな?
>>861 彼のように、法only二宝否定となると、苦言を挟まざるを得まい?w
彼は、辞書としてすら認めないのだから。
独覚を否定はせんが、(それこそさっきの料理センスではないがw)至難のことと思うけど。
864 :
神も仏も名無しさん :2013/11/30(土) 02:42:56.71 ID:XtDkwrff
>>860 残念だがダメなんだ
自分でそれを悟って知り得ないと意味が無いんだ
悪意は無いマジで
>>857 前にも書きましたが、私が仏教の世界に入ったのは臨済録でその後禅宗関連本(道元除く)を読み
全く訳が分からない状況でした。その後中村元先生の本を読み共感する部分が多かったので先生の
岩波日本語訳の原始仏典を全部買って読みました。トイレに置いてますのでもう何度読み返たか分かりません。
で、また臨済録にもどってみると最初分からなかった事が分かるようになったのです。
むしろ私はアナタの根拠としているテキストとは何かを聞きたい。
何ですか?w
それと戒律云々で自らが酒を飲むのをどのように思っているのですか? 酒を飲むから仏教徒ではない、外からの発言〜 虫(ムカデやゴキブリ)を殺すから仏教徒ではない、外からの発言〜 という事ですか?私はこの立場ですが、あなた方仏教徒はいかがですか?
867 :
? :2013/11/30(土) 02:59:28.29 ID:RntlN0aH
ID:PnEprD7h さんと
>>864 ID:XtDkwrff さんへ
> 残念だがダメなんだ
> 自分でそれを悟って知り得ないと意味が無いんだ
> 悪意は無いマジで
この中では
私(ID:RntlN0aH)が一番 「 とんちん・かんぷん 」 なので
これからも宜しくお願い致します スマソ 屮(_ ._)屮
868 :
神も仏も名無しさん :2013/11/30(土) 03:01:28.27 ID:XtDkwrff
>>866 戒めは仏事でなくとも大事な事だが
何故酒を飲んではいけないか調べた事ないのか?
今時の坊主が何で酒を飲めるのか調べた事無いのか?
ググれ、何をどう戒め禁じたのかを
>>867 なにが分からないのでしょうか?
私の解釈内で答えましょう。
>>868 調べた事はありませんねえ。
で、答えは何なんですか?
何故、仏教徒は酒を飲んではいけないのでしょうか?
1、酒を飲むと体を壊す。
2、酒を飲むと人格が変わって無茶苦茶する。
3、酒を飲むと頭が壊れる。脳障害ですなw(1と同じ
要は酒を飲んでも良い事は無いので飲むな〜と言う事でしょう。
違いますか?w
871 :
神も仏も名無しさん :2013/11/30(土) 03:12:03.96 ID:XtDkwrff
>>866 ああ、もう一つか
不殺生戒は読んで字の如くなのだが
無闇に(意味も無く自分の勝手で)殺してはならぬって事だ
人間も無我なるが故に全く殺さずには生きて行けない
だから「いただきます」な訳だ
これは少欲知足の根拠の一つでもある
872 :
神も仏も名無しさん :2013/11/30(土) 03:17:48.45 ID:XtDkwrff
>>870 仏事を求め作さんと思わんものに教えてどうなる?
自分で調べよ
>>871 では、人間がゴキブリやムカデを殺すのは「いただきます」の範疇なのか?
食べもしないのにいただきますなのか?
嫌だから殺すのにいただいきますなのか?
ココが本質ですよ。
食べるものを言うのは当たり前。
で食べない嫌悪する生き物に対してどうか??という事でしょw
874 :
? :2013/11/30(土) 03:20:12.64 ID:RntlN0aH
>>869 ID:PnEprD7h さんへ
> なにが分からないのでしょうか?
> 私の解釈内で答えましょう
私は宗教団体に所属してません
脳に障害もあり
そして内臓も良くないので
酒を呑むと具合が悪くなるので「呑みたい」とも思いません
タバコを吸うと喘息が悪化するので「吸いたい」とも思いません
仏教徒ではないので
虫(ムカデやゴキブリ)などをたくさん殺しました
話題は変わりますが
>>843 ← これのどこが間違えているのかがわかりません
くだらないw 自分で調べよ〜w 酒飲むとだらしなくなるからに決まってるだろw 脳が壊れるかもしれないし、肝臓がいかれるかもしれない〜 この上何を調べるの?仏教独自の理由でもあるのですか?
876 :
神も仏も名無しさん :2013/11/30(土) 03:23:43.42 ID:XtDkwrff
>>873 >ゴキブリやムカデ
が居るところに未だに住んでるお主の問題
殺すかどうかは別の話
解決
>>874 あのですね2ちゃんねるは馬鹿の集まりです。
馬鹿が間違いだと言ってそれが間違いかどうか分かりません。
そこを突っ切るのが信ですよ。自らを信じる。
自らの信を盾に阿呆どもを切って切って切りまくって、相手が
何か言ってそれに感じるものがあれば同意すれば良い。
間違っていても構わない、自らの信を盾に切りまくって相手が
こちらを納得させる一言を言えばそこを吸収すれば良い。
切って切られてが2ちゃんねるの醍醐味とパーピマンさんが言ってましたよw
878 :
神も仏も名無しさん :2013/11/30(土) 03:37:09.45 ID:XtDkwrff
今日も一辺気付いたぞw リロードボタンは輪廻であり執着であり煩悩である 書き込みボタンは苦であり執着であり煩悩である ここでの煩悩は左側に数字で、且つ右側のIDの隣に表示される おやすみ
879 :
? :2013/11/30(土) 03:45:30.17 ID:RntlN0aH
>>877 ID:PnEprD7h さんへ
2ちゃんねるの基本は 「 叩き合い 」 ですか?
以前に私が勉強不足の状態で
書き込みをしていたら
「おまえは荒らしだ!2度と来るな!」
と荒らし認定された事があります
(↑今でも初心者にも及ばない状態ですが…)
>>879 でしょうねえw
叩きあいこそが醍醐味なんですから。
2度と来るなで、一旦引っ込んでまた書き続ければ良いんじゃないのでしょうか?
所詮、私を含めて馬鹿ばっかですよw
馬鹿の渦の中で何を言っても構わないでしょう。
自分も馬鹿で相手も馬鹿w こんなに気楽なものはありません。
こんな事を言ってはいけない〜なんてのが馬鹿なんですからw
そんなの無視で言いたい事を、これこそが仏教だと言えば良いのです。
881 :
? :2013/11/30(土) 04:06:59.50 ID:RntlN0aH
> 2度と来るなで、一旦引っ込んでまた書き続ければ良いんじゃないのでしょうか? 私の場合は 執着心・煩悩で生きているので 「おまえは荒らしだ!2度と来るな!」 と宣言されても しぶとく再び現れた ↑ こんな感じです 宝珠さんが書き込み出来るように私は落ちます ID:PnEprD7hさん レス ありがとう 屮(_ ._)屮
882 :
神も仏も名無しさん :2013/11/30(土) 04:18:37.95 ID:XtDkwrff
>>880 風呂入ってきた
今度はマジで寝る
一つだけお答え
仏法者に不飲酒戒が有るのに酒が飲める訳
出家修行者の仏道修行の初期は四六時中が修行に専念だが
僧としての基本所作が厳しく身に付くと、今度は自分で仏事を作す時間割を
自分で決める、そうでなければ自立出来ない為
在俗の身は道徳面が重視され、度が過ぎない程度に於いては飲酒は禁じられない
が、仏事を作す場合はいずれの場合でも厳禁である
所謂仏事とは転法輪中や読経中や学習中、禅定中等
分別を外せば水も酒も飲むもので性分は同じ、だが酒にあって水にない薬効がある
つまり酔いだ
酔いが尾を引くと禅定で精神統一すら間々ならず、転法輪も支離滅裂になりただの愚痴になる
飲んで直ぐシラフなら水と同義なのでいいが、酔っ払うのが仏事を妨げるので禁忌とされる
更に、度が過ぎると酒に溺れ生活態度も崩れ仏道修行どころじゃなくなる
堕落が怖いなら飲まないに越した事は無く、お楽しみ程度なら
法を壊さない仏の顔に泥を塗らない範囲に於いて自立して考えよ
となる
身体を壊すかどうかはまた別の話
おやすみなさい
883 :
神も仏も名無しさん :2013/11/30(土) 06:56:00.33 ID:LBiQAIhS
>>882 「もしも愚者がみずから愚であると考えれば、すなわち賢者である。
愚者でありながら、しかもみずから賢者だと思う者こそ、「愚者」だと言われる。」
(ブッダの真理のことば・感興のことば)
この意味を自分自身に照らしてよーく考えてみ
884 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/11/30(土) 07:15:23.14 ID:9xDy19Lw
>>808 >仏陀は無記だったのかそうでなかったのか?といえば無記の方が信憑性が高い。
>>817 >無根拠ではなく、仏陀の無記を根拠として言っているだろw 見えないの?
>>839 >大体、仏陀が死んで2500年も経って仏陀の真の教えなど分かるはずも無い。
横レスで恐縮です。>議論中の各位
今から1800年ほど前、仏陀が入滅されてから700年経った頃に龍樹菩薩が「大智度論」という
『摩訶般若波羅蜜経』(大品般若経)の百巻に及ぶ注釈書を残しました。
(ネットでも多くの邦訳が読めますので、未読の方は一読下さい。)
一般には、基本的な部分は龍樹の著作であり、その解説のために、訳者である鳩摩羅什が大幅な付加を
加えたという説が普及しております。
その「大智度論」の冒頭にですね、仏説を読む際の注意書きが明記されております。
それは釈尊の対機説法の特徴を詳細に説明した「四悉壇」です。←ココ肝心
この注意書きより、釈尊はAさんには無記で、Bさんには輪廻を説かれた理由が分かります。
長部経典の34経を分析しますと、主にAさんは異教の修行者、入門したての弟子で、Bさんは高弟と
分類できます。
因みに「四悉壇」では高弟には「第一義悉壇」とのことです。
885 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/11/30(土) 07:15:55.21 ID:9xDy19Lw
>>884 この注意書きを知った私は、「釈尊は無記だった。だから輪廻は方便に過ぎない。」と信じて疑わない人達を
見ると、逆に「釈尊は輪廻を説かれた。だから無記は方便に過ぎない。」と繰り返し申しております。
以上、所属グループの教えのパッチワークというよりも、単なる「お節介」です。
まあわざわざ涅槃に入らずに無住処涅槃にて衆生済度を展開されておられる「超々々々々々々・お節介?」な
方々には到底及びません。
PS
今日は土曜日でリーマン在家はお休みなので、本スレへの執着は滅して、パソコンには貼りつかず買い物にでも出掛けます。
御機嫌よう。 \(^0^)/
886 :
神も仏も名無しさん :2013/11/30(土) 08:15:13.15 ID:VVM6k9Xj
>>884 大智度論自体が今でも論争されている
龍樹と同姓同名とか鳩摩羅什三蔵が改竄したとか
龍樹に仮託した赤の他人作とか
日蓮は大智度論大好きで随分引いていた様だが
そもそも中論と論釈のスタイルが大分違い偽作説等の疑念が絶えていない
どの位の信憑性かと言えば
2ちゃんでの仏教論争の為に資料を引く時にWikipediaからじゃご法度なレベル
中観派の論釈は前期分は良く頑張ってるが中期あたりから怪しくなり後期は説一切有部の邪義に染まる
大智度論も中期以降のものと言われている
サンスクリット本が無い論蔵は参考程度(年代考証とか)にしか使えない
そう言う意味ではカカクのレビューレベルともw
887 :
神も仏も名無しさん :2013/11/30(土) 08:31:07.49 ID:VxS5cy+D
このスレで中華仏教で喜べるのはアホ在家くらいだろ
>>592 少し整理しておきたいのだけど、
不落というのは、世間の因果関係の中にとらわれないという意味だろう。
不昧というのは、曖昧にしない、まぎらわさないという意味。不昧因果とは、因果関係をしっかり見ろということだよ。
つまり、因果関係を無視して、世間のことから目を背ければそれが悟りだというような修行者に対してそれを戒める意味において
不昧ということが言われるわけだよ。
以前も言ったけど、イチローの一振りのようなものだよ。誰も同じように振れるわけではない。
彼の才能と努力の結晶がその一振りなのだから。そこには明確に才能という努力だけでは得られない原因と彼の努力のみによって得られた原因、二つの因果がある。
だが、彼はその一振りを行った瞬間、別にそれを意識してそのように振ったわけではあるまい。
無心に、我侭に、いつも通りに、いやいつもより少し精神を集中させてバットを振っただけだ。
そこには因果にとらわれた心は存在しない。
野狐が畜生道に堕ちたのは彼の業によるところだよ、そして彼は明確に悟っていない状態にある。
さりとて、彼がどうすれば狐から免れられるのか、あのときああすればよかった、こうすればよかったと執心していればそれも悟りにはほどとおい心の在り方だろう?
野狐でいるならそれはそれでいい、彼は望んでそうしているのであればね。
だがそれは悟りにあるのではない。それだけは仏教において確かなことだよ。決して悟りではない。
現在幸せな人ってのは絶対に過去に固執していないよ 過去にどんな不幸なことがあったとしても、それも幸せへの花道であったと見られる。 ストーリー化、物語化という人がもつ機能なんだけどな。 歴史というもの自体が、現実の客観的な詳述からほど遠いということは 哲学をやっている人ならすぐわかる。100人いれば100通りの物語が描ける。 だから空ということは言えるわけだが、100通りの物語も因果から逃れられているわけではない。 因果にとらわれてはならない。だが因果をくらましてもならない。 そんなことは当たり前だ。
あと、俺は来世など信じられないが、仏教は三世を認めるのが本来的だと思うよ 悟りというのは諦めと書くように、脱落というか、しゃっちょこばっていた気がぬけるような体験であるのだが、 それは地獄へ落下する恐怖の中で抱きとめられるようなものだよ、身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれというか。 たとえば、崖の上に登ろうとしている力の強い人がいて、中腹まで来て難渋しているところに 崖の上から、綱が下りてきてこれに掴まれって声が聞こえてきたとする。だが、綱が藁でできていてどうも 信用できない。しかも上のやつは俺を引き上げる腕力があるのかも疑わしい。 しかし、その人もとうとう力尽きてまさに崖から落ちそうになってしまったとき、相手が誰であるか綱がどんな材質であるか そんなこと気にもとめず綱にすがりつこうとするだろう。そして、本当に崖の上まで登れたなら感激する。 まあ、俺も宗教団体からそんな甘い言葉をささやかれてもまず断るだろうし、それが正解だとは思うけど、 悟りってのはだいたいそういう感じの出来事なんだよ 何が言いたいかというと、自分というものを土台にして考えることは大事なんだけど 悟りというものを考えるなら、一旦それは置いて聞かないとダメだよ。自分を捨てるということがすなわち悟りなのだから。 捨てるという一つの形が、三世であったり、神であったり、信じるという形で出てくる人もいるのだと思う。 もちろん、理知的には信じられないのだが、だからもどかしいわけだが、だから結局少なくとも許容という形にはなる。 だから、ないといけないとか、ないと考えているやつは救われないとかいう考え方、論争になるのが俺にはよくわからないんだよな そんなにこだわるところか?と。
891 :
神も仏も名無しさん :2013/11/30(土) 12:17:21.89 ID:kyv+nStQ
>>888 >彼がどうすれば狐から免れられるのか、
仏法のゲシュタルト(相対対象化思考「想い」からの離脱:Sn.1072)から還滅すれば
不落因果、不昧因果に意味はない。意味がないなら違いもない、価値・実体もない。
言葉だけが仮設されている。
己は因果そのままであるからこそ、無意味な原因と結果、因果の有、すべては因果の流れなのである。
野狐にも身を堕すし、黄檗のように横面を引っ叩く。
決して大修行したからとて因果から離れるわけではない。
あるがまま(縁起の直接現実)なのだ。言葉を発したら即離れてしまう。
不昧因果も不落因果も、因果そのままであるから因果を昧しえないし、因果に落ちることもありえない。
野狐と解釈し、脱することを願うことこと自体が因果に固執する姿だ。
逆に、真に不落因果、不昧因果であるならば、野狐の身そのままで意に介さないであろう。
そんなことは意に介さずしてそのままで脱然として、自由気儘に生きればいいのである。
逆に言えば、神がいようがいまいが、業報輪廻転生や回向があろうがなかろうが、仏・如来がいようがいまいが、
そのようなものは一向に意に介さない、どーでもいいのである。
意に介さずしてそのままで脱然として、自由気儘に存在するだろう。
すべては意味はない。
仏教というものもない。
遂には仏法というものもないのである。
敢えて仮設せんとすれば、その縁において、いかなる遊びをせんとするや、ただそれだけのことである。
縁起のまにまに、遊びをせんとやうまれけん
892 :
神も仏も名無しさん :2013/11/30(土) 12:25:53.44 ID:THJxLgr6
>>891 漸悟を理解しているなら、輪廻は不可欠だよ
今生だけで悟るとかそのような執着とは無縁だからね
暖かい気候のとき、僧めがけて蚊がいっぱい飛んできても血を吸われるがままですか? あんまり虫さされ跡がある僧を見たことがないんですが
895 :
神も仏も名無しさん :2013/11/30(土) 15:15:22.19 ID:kyv+nStQ
>>893 >漸悟を理解しているなら、輪廻は不可欠だよ
輪廻が不可欠ならば、慧可も、徳山も、カーツ大佐(地獄の黙示録)も、
恐怖のまにまに野狐脱出の我執(
>>891 )で、永遠に眠れまい。
輪廻心からの解脱はその我執で構造的にありえない。
これがヤージュニャヴァルキアが仕掛けた『毒の華』だ。
『心不可得』(金剛般若経18、正法眼蔵 心不可得 画餅、無門関41)
心不可得なのに(〜を、という対象化した)「悟り」そのものなど有り得べくもない。
相対化・対象化=分別は不能だ。
そうでなければ餅を求めた徳山はもちろん、心不可得で徳山を一蹴した餅売り婆子にも劣る。
ゆえに『しかあれば、参学の雲水、かならず勤学なるべし、容易にせしは不是なり、勤学なりしは仏祖なり。
おほよそ心不可得とは、画餅一枚を買弄して、一口に咬著嚼尽するをいふ。』
(道元 正法眼蔵 心不可得より)
★修証一等=二相の相即的実践が仏道である。
インドでは今世に意味を求めすぎないからな 漸悟は中国ではあまりもてはやされなかった それだけのこと
897 :
神も仏も名無しさん :2013/11/30(土) 15:34:01.26 ID:kyv+nStQ
>>894 >暖かい気候のとき、僧めがけて蚊がいっぱい飛んできても血を吸われるがままですか?
絶対に蚊に血を吸わ“れない”簡単な方法がある。
答えは、積極的に「蚊に血を吸わせればいい」のである。
これで、論理的に「蚊に血を吸われる」ことはありえなくなる。
ミリエル司教が差し出した銀の燭台を、ジャン・バルジャンは盗んではいないのである。
・『災難に逢う時節には災難に逢うがよく候。 死ぬる時節には死ぬがよく候。 これはこれ災難をのがるる妙法にて候』
随縁且従容(良寛)
・『生来たらばただこれ生 滅来たらばこれ滅に向かいて つかうべし 厭うことなかれ 願うことなかれ』(正法眼蔵 生死より)
自受容三昧(道元)
「不幸を最小限にする」には、縁起を受け入れ縁起と一体として生きる(Sn.520)ことだと思います。
自分を完全にコントロールできるなら、死んでよし生きてよしだろうよ だが、そんなものは霞を食って暮らすがごとき難しいことだと一般人はすぐ気づくよ ふつーに暮らしていれば人は煩悩掻き立てられるものだからね 赤ちゃんなら、節制できなくともあっても誰からも責められないし、 思うがままに生きていけられるんだろうが、それは煩悩のままに生きているのであって そのままでは必ず因果の道理によって確実に悪果をうける。 因果を見ていかなければ、自分もコントロールできないし、それをとりまく環境を自分に都合よく活用もできない。 うまく行かないなら、苦しむだけ。因果から明らか 心をリセットするために一旦そこから目をそらすことは大切かもしれないが 目をそらしてばかりで因果を無視するような考えは仏教の本来的姿ではないよ あくまで治療としての仏教でしかない。
>>893 >今生だけで悟るとかそのような執着とは無縁だからね
今世でだろうが来世でだろうが悟ろうとする事自体が執着w
悟ろうとする事を捨てる事が悟りへの第一歩。
悟らない事が悟りへの第一歩。
悟らないなら、仏教いらないだろ 悟りというのは苦しみから抜け出そうという心から始まる あれをやってもこれをやっても、心が浮かない、そういうことがあろう 笑っていれば自然と笑いが返ってくるし、自分自身自然と元気がでてくるもんだが そのような刹那的な時間の中でのありふれた楽しみではなく 自己というものが完全に満足するだろうというものを求めて 因果の理を見つめて修行をしていくのが仏教だから 執着からはじまるという意味においてはそうであろうが 漸悟は不完全な自己を永劫の輪廻の中で焦らず善業による楽果によって 得ようというもの。だから途方もない時間がかかるとされる。 釈尊も過去世で長い修行をへたので悟ったとされる。 弥勒ですらまだ58億年成仏に時間かかるからな
問題のないところに問題をつくり右へ左へうろうろ〜 悟りも仏教もいらないでしょ。 現在の自分に何の不満がある? 不満を不満と思う自身を反省しろという事。
それで満足なら仏教はいらないよ なんでここにいるんだよ なんかむかつくから? それは満足しているとは言わないな
人がどこにいようがアンタには関係ない。 何故、人の事を気にする? 自分の足で人生を送れないのか? 周りを気にしすぎて神経がヘタっているのか?
ここ仏教スレだろ? 別に君に興味があるわけじゃないんだけど
905 :
神も仏も名無しさん :2013/11/30(土) 16:55:29.29 ID:U28+kzbF
因果と縁起は違うのでは? 釈迦は縁起・縁滅の法を説いたと思っていたが。
因果は縁起の一つの表れでしょ これあればかれある、これなくばかれなし これを時間的な関係性で見るならば、因果律になる 薬を飲めば病が治る、薬を飲まなければ病は治らない
907 :
神も仏も名無しさん :2013/11/30(土) 17:11:56.69 ID:LBiQAIhS
>>899 「発菩提心」ってしってます?
これが無ければ悟れませんよ。
僕は「因→縁起→果」と思っていたんだけど? 縁起⊇(含む)因果って感じ?
>>908 因縁果とも言われるね
この場合、縁とは環境要因のことだね
まあ、それも解釈の仕方のちがいであって、因果だけでもいいと思うけどね
因縁果とは、同じ因をもつと思えるものであっても結果が異なる場合に説明される理屈だね
たとえば、種はすべて同じ因をもっているはずで、同じ大根の種からにんじんが生えてくることはないわけだけど
同じ種であっても差異はあるだろ?一つは土の上に、もう一つはコンクリの上に蒔いたとして
どちらも同じように育つか?と言えばそうはならない。同じ因をもっていても、縁によって結果が異なる。
それを説明するときに、因縁果の論理が語られる。
910 :
神も仏も名無しさん :2013/11/30(土) 17:20:01.08 ID:U28+kzbF
911 :
神も仏も名無しさん :2013/11/30(土) 17:26:55.41 ID:U28+kzbF
>>909 因果だけだと、普通の常識と変わらんよね。
仏教にならんと思うのだけど?
>>911 そう?ヴィトゲンシュタインは因果を否定してたりするよ?
913 :
神も仏も名無しさん :2013/11/30(土) 17:46:56.29 ID:U28+kzbF
>>912 ヴィトゲンシュタインを知らなくてググったけど、ようわからん。
その人は仏教徒? どう否定しているの?
仏教徒じゃないよ、西洋哲学者 ある出来事と、別の出来事の因果関係というものは関係づけられるものではないとする。 まあ、疫学的な因果関係は疑わしいとは前々から言われているところだし 法曹の分野でも、相当因果関係という用語がつかわれているが つまるところ、ある因果関係が正しいとされるのは、相当性、人間がもつ常識、あるいは経験的な感覚によるされるわけなんだよ これが結果を起こした直接的な原因であると断定できない、曖昧なことが世の中には多すぎるってことかな よく知られている自然科学の法則によって物理は、必ず因果関係を有しているように思えるから 物事は発見できないだけで、すべてのものに因果関係があると断言してしまうには、世の中不明なことが多すぎるってことだわな
915 :
神も仏も名無しさん :2013/11/30(土) 18:57:24.00 ID:U28+kzbF
>>914 説明ありがとう。
なるほど、薬を飲んで病気が治るのは、薬のせいとは言えないわけだw
「因→???→果」な感じ? ちょっと仏教ポイね。
しかし、因果関係がわからないと言ってるだけで、「因果」の概念を否定してるようにはみえんね。
理解が間違っている?
916 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/11/30(土) 19:16:37.62 ID:9xDy19Lw
>>915 >なるほど、薬を飲んで病気が治るのは、薬のせいとは言えないわけだw
それよりも「病気」というものがどれだけあるのかですね?
卑近な例では「風邪」ですね。 ♪くしゃみ3回○○3錠♪
少し調べると、風邪の薬はなく、熱を下げるとか、くしゃみ、鼻水をとめるとかの対処療法ですね。
侵入したウイルスを白血球が迎え打つ際に、戦場を高熱にして有利にするという見方もあります。
辛いですが、鼻水、痰、汗は体内には有害な物も多いかと存じます。
細胞やリンパ等に溜まっていた、老廃物や食品添加物等が高熱で溶けて体外に出れば、治った後は
頭もすっきりして清々しいことも多いようです。
自燈明ではないですが、自己防衛能力かも知れません。
>>916 アナタはまず己の脳内改革をやらねばなりません。
超常現象を個人的に信仰するのはOKですが、それを飯の種として吹聴するのは
最大の業だと思ったほうが良いです。業も業、悪業です。
918 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/11/30(土) 19:31:25.66 ID:9xDy19Lw
>>917 >超常現象を個人的に信仰するのはOKですが、それを飯の種として吹聴するのは
最大の業だと思ったほうが良いです。業も業、悪業です。
生業はまったく宗教関係ではございませんので、貴兄の妄想は滅して下さい。
>>915 そうだねー、たとえばあるAが人通りのない道を車で運転していて知らない間にBを引いたとする。
引かれて相当な重傷を負ったBなんだけど、その後もまだ息はあって、体をかばいながら歩道へ移動しようとしていた。
そこにCがたまたま車で通りかかり、重傷を負ったBを発見した。
CはBを見てこのまま助けなければ彼が死んでしまうとは思ったんだけど、あいにく寝坊をしてしまって道を急いでいたので
他の誰かが彼を助けるだろうと、そのままBを助けずに通りすぎた。
結局、CがBを車にのせて病院へ運んでいればBは助かったんだけど
Bは病院までたどりつくことはできず出血多量で死んでしまった。
AはBを殺す殺意はなかった。AがBに対して行ったのは重傷を負わせたという事実だけ。
CはBを殺す殺意はなかった。Cは意図的にBに対して不作為を行ったが、そもそもAがBを引かなければ
そのような事態そのものが発生しなかった。
このような場合、Bの死という結果に対して
・Bが人通りの少ない道を歩いていたこと
・Aの不注意な運転
・Cの自己中心的な傾向
などいろんな原因が考えられるわけだが、それらとBの死とはそもそも関係があることなのか?
そこに因果があると見るとして、どれほどの責任が発生するのか、つまり関与の度合いをどう測定するかなど
非常に曖昧なわけだ。むしろ、社会的な責任を問うために、責任を追究したいから、原因というものを欲しているようにすら見える。
ある朝起きて外に出たらたまたま空から落ちてきた隕石が脳天を直撃し死んだ。 これは前世の業による死ですかw
旅行でアフリカを観光して川べりで写真を取っていたら、たまたま川にいたワニに 食われて死んだ。これは前世の業による死ですか?w
922 :
神も仏も名無しさん :2013/11/30(土) 20:02:56.05 ID:U28+kzbF
>>919 例えが良くわからない(?_?)
どういうふうに「因果」が否定されているの?
「事故→出血多量→Bの死」は残ってるよね。
>>922 それはB自身の時系列の流れでしょ
Bの状態が変わっているのはその通り。
だけど、AとCが、Bとどう関係しているか、その因果関係は必ずしも自明ではないということだよ
ヴィトゲンシュタインが言っているのはね。
たとえば、俺が物から手を放したことと、物が落下して破壊されたことは必ずしも関係性はない。
もし宇宙であったなら、手を放しても落下は起こらないのだから。
いろいろな状況が重なった上で、破壊という結果が起こるのであって
俺が物から手を放したことは、破壊までの状況の中で抽出された一つの事象にすぎない。
人間がそこに責任性を発見するのは、常識、経験的な見地から導き出される妥当な回答の一つなわけだよ
924 :
神も仏も名無しさん :2013/11/30(土) 20:34:22.23 ID:U28+kzbF
>>923 自明ではない=否定じゃないよね?
個々様々な関係性の上で因果関係を解き明かすのは不可能に近いってだけで。
因果という概念が否定されてない気がするんだけど?
アメリカの大学内のキチガイの銃乱射により死んだ。 これは前世の業による死ですか?w
>>924 ああ、上で示したのは典型的な例だよ
上ではある個体、ある個体と、個体同士が存在するということを前提に話をすすめてきたわけだが
個別の存在もさらに細分化できるわけだ。あるいは個体同士を統合したもっと大きな存在も仮設できる。
つまり、早い話、勝義においては因果関係は存在しないと言えるってことだわな
そのかわり私というものも存在しないことになるが。
927 :
神も仏も名無しさん :2013/11/30(土) 20:53:37.45 ID:U28+kzbF
>>926 なるほど。因果関係を無限に細分化できるってのは理解できる。
しかし、「存在しないと言える」というのはイコール「存在しない」ってことにはならないと思う。
「因果」という概念そのものは否定されてないんじゃない?
もう一度書こうか? ある出来事と別の出来事に因果関係があるとはいかにしても推理できない。 ということだよ たとえば、ある一つの定点を考えたときに、その点はその場所にいることで、 そこ以外のすべてに関係しているわけだ。作為であれ、不作為であれ。 であるのに、その定点以外の、他の二つに特定の関係性があると見るのはなぜなのか? それは人の経験的、習慣的な価値観から来るものであって、 それ自体、人類が絶滅しても、人類と関係ないところで確かに存在しているものとは言えないのではないの?
有る人は言う、 隕石があなたを狙って落ちたからあなたは死んだ。 ワニがアナタを選んであなたを襲って食べた、だからあなたは死んだ。 銃撃犯は適当に撃ったのではなくあなたを狙って撃った。無意識であろうが意識下の狙いがあった。それであなたは死んだ。 死んだ人間の前世の業により死んだ。 全部、信仰だからOK。 しかし、現実は彼が死んだ事で、原因なんてのはずっと下の位置にあるもの。 現実を見よ〜という事。 因果で説明がつくものもあれば、説明がつかずアクシデントとしか思えないものもある。 因果で説明できるものならば、反省してそのような事を避ける事もできるが、因果で説明できないものは 甘んじて受けなければならない。前世の業が因?それもひとつの信仰であり、ひとつの信仰に過ぎないw
>>927 だから、厳密に言うなら「因果」ではなく「縁起」(縁起性、此縁性)だということ。
≪因果や時制(の切り取り)≫は、畢竟、文脈依存で恣意的だ。
だから、仏の視座として、
「善悪も無く、前後もなく、過現未もなく、異同もなく、ただ所縁に依って諸法が転じていいるだけ・・」と。
ってことじゃね?w
931 :
神も仏も名無しさん :2013/11/30(土) 22:03:35.38 ID:U28+kzbF
>>928 因果は人類に依拠していると?
なるほどそういう説明だと納得できるw
>>930 やはり「因果」と「縁起」は別という理解でいいんだよね?
ヴィトゲンシュタインで横道にそれたけど、
仏教の本質って「因果」ではなく「縁起」じゃなかったけ?
縁起も因果も同じだと思われ 無自性を置かない縁起に、因果は必ずつきまとうはずだし。 逆に無自性であるならば、縁起はそもそも想定できない。 ある極小物質nを仮定して、それらの縁起で現実を説明できる。 しかし、その極小物質nも細分化できるのではないか?ということから nを無限小にもっていくことではじめて縁起と勝義が同義として扱える でも無限小という演算処理がそもそも、神を措定することと同じであると思う。 勝義を仮に縁起で説明するという体裁を仏教はとるが、実際の勝義は 正確には縁起そのものではない。
昔の人間はアレコレすがって生きてきた。 それはそれで幸せな人生で有っただろう。 今の人間はアレコレすがらないように見えて実際はすがっているw 人間だから信仰で何かにすがるというのはある。 しかし仏陀はすがるのを止めよと説いたのでは? 仏陀は自らの教えを信仰される対象だとは思ってもいなかっただろう。 純粋に、信仰を止めよ〜と。 他人の言う事に引きずられるなw まさに矛盾の教え。 この矛盾を腹に収められるか収められないかが岐路でしょう。
> 無自性であるならば、縁起はそもそも想定できない それ自体の自性ではないから 因縁により果報が現れる ↑ これ間違いなんでつか?
>>935 因縁により果報があるというのはその通りでしょう。
それは全ての事象に因縁があるという事ではない。
偶然を偶然と見ず、何かの縁、因があるのだ〜というのは信仰の世界に過ぎません。
そのような信仰の元、一生を送るのも良し。
そのような信仰とは別世界で一生を送るのも良し。
コレこそが真実世界〜とか言うのは阿呆も阿呆で、救いようがない阿呆です。
輪廻転生?業報輪廻?信じたければ信じれば良いw で終りなのに、コレを信じないのは阿呆〜
なんてなるとどっちが阿呆かよとなりますw
皆、頭のある人間であるので頭の上に頭を望んで何になる〜って臨済和尚が言ってましたw
そうだな、猫には鰹節を説いただろうな
> 猫には鰹節を説いただろう 相手の素質・能力に従って法を説く、対機説法(たいきせっぽう)ですか?
1000逝けるかも! (゚д゚;)
×皆、頭のある人間であるので頭の上に頭を望んで何になる〜って臨済和尚が言ってましたw ○皆、頭のある人間であるのに頭の上に頭を望んで何になる〜って臨済和尚が言ってましたw
942 :
神も仏も名無しさん :2013/12/01(日) 01:35:06.10 ID:pHC+jBvq
あ〜あ〜 本日は晴天なり〜 優良銘柄スクリーニング - 検索結果 - 16件− 20万円以下 銘柄 業種 終値 単元 PERPBR配当利 売成長3 経成長3 資産成長3 売伸び 経伸び ROE ROA 経常利 自資比 兼松エレク [8096]東1 情報・通信業 1,268 100 11.7 1.02 3.94 1.42 9.50 8.83 30.94 8.14 9.00 6.45 10.88 68.87 三洋貿易[3176]東証1 卸売業 868 100 8.0 0.84 3..45 2.47 9.98 4.24 8.66 2.81 11.02 6.10 5.43 59.17 セゾン情[9640]JQS 情報・通信業 1,087 100 8.5 1.07 3.21 3.88 2.72 7.88 7.55 22.08 10.78 6.49 9.34 64.26 サンヨーナゴヤ[8904]東1 不動産業 1,182 100 7.7 0.81 3.21 2.86 10.15 7.18 11.50 1.99 10.88 6.27 9.52 57.85 東邦システム[4333]東2 情報・通信業 652 100 9.4 1.06 3.06 16.34 34.95 7.42 3.89 11.04 10.83 5.90 7.81 55.6 東計電算[4746]東1 情報・通信業 1,483 100 11.2 0.98 3.03 2.10 6.36 5.40 2.13 8.93 9.22 7.73 16.97 83.64 萩原工業[7856]東証2部 その他製品 1,335 100 7.3 0.74 2.99 4.24 27.18 3.54 4.78 1.46 11.02 6.90 10.90 63.53 クレスコ[4674]東証1部 情報・通信業 877 100 12.2 1.19 2.96 13.11 43.99 10.74 15.60 8.59 9.47 5.73 7.40 59.61 ステップ[9795]東証1部 サービス業 833 100 10.5 1.03 2.88 6.07 8.71 4.75 4.05 2.10 10.30 8.19 24.34 83.62 ハニーズ[2792]東証1部 小売業 1,074 10 10.4 0.98 2.79 2.00 8.03 2.68 9.81 2.90 9.50 7.22 8.47 78.81 アルインコ[5933]東2 金属製品 973 100 8.8 1.16 2.67 6.92 69.80 6.20 5.66 13.63 11.26 5.75 8.70 52.05 タウンニュース[2481]JQS サービス業 405 100 7.6 0.91 2.46 3.83 36.42 6.29 4.40 10.20 12.26 9.57 15.18 80. アークランド[9842]東証1部 小売業 1,549 100 6.7 0.70 2.32 3.57 13.87 1.72 3.00 3.53 11.10 7.12 9.20 66.46 シンコウ工[6458]東証1部 機械 787 100 7.3 0.97 2.28 5.10 34.17 5.62 17.10 5.41 16.46 7.99 14.37 50.8 オーハシテクニカ[7628]東1 卸売業 971 100 8.5 0.86 2.26 7.84 48.60 1.14 10.73 47.83 9.12 5.16 6.03 60.38 メガチップス[6875]東1 電気機器 1,507 100 7.3 1.16 2.25 11.68 9.93 18.31 17.49 1.94 15.38 11.03 7.68 62.61
943 :
神も仏も名無しさん :2013/12/01(日) 02:23:19.26 ID:omUZw84q
釈迦の悟りとは何か。 悟りを体験すれば氷解するだろう。 悟りとは、神を体験し、自分を体験することを言う。 本の虫では凡夫に過ぎない。 !
944 :
神も仏も名無しさん :2013/12/01(日) 02:50:26.57 ID:TBXUbZVl
一在家=現伸の真光信者は下記のごとくw よねは、真光関係スレで、批判派に崇教真光による「光玉の経歴隠蔽」、 「恵酒は光玉の妾」、「手かざしの効果はプラシーボ程度」、 「12000年前に起きたムーとアトランティスの原水爆戦争はチャチワードのお伽噺 のパクリ」や「アトランティス霊障説」は、1930年アメリカではやった シェーバーミステリーがネタ元。 と批判派に質問されたが、何一つ反論できずに論破された。 よねは、下記のような捨て台詞を吐いて2度と来なくなった。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー >業や御教えがインチキやパクリでも、病気が治ったら真だと思います。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
945 :
神も仏も名無しさん :2013/12/01(日) 02:51:11.39 ID:pHC+jBvq
臨済録 〔上堂〕一 ,i :: -=ニ=- -=ニ=- i \.. / ー-' ヽ. / \::.| ト‐=‐ァ' |.:./ さあ! . \ `二´ '/ 人 `ー' ノ ┌、. / ヽ ⌒ \. ヽ.X、- 、 ,ノi ハ ⊂>'">┐ヽノ〃 / ヘ 入 ´// ノ } ,..,.._',.-ァ / `ー''"´ ,' c〈〈〈っ< / __,,..ノ ,ノヽー'"ノ { ´ / 師 「 今日はわしの本意ではないが、やむを得ず世間のならわしに従って説法することにした。 しかし、禅の正統的立場から言えば、禅はまったく一言半句(いちごんはんく)の説くべきものもない。 だからお前たちの思索の足掛かりも無いのだ。 しかし今日だけは常侍(じょうじ)の強い要請に応(こた)え、思い切って禅の本領を示すつもりだ。 誰か腕に覚えのある者はいないか、もし居れば旗鼓堂々一戦を挑んで来い、大衆の前ではっきり勝負しよう。 」 僧 「仏法のぎりぎり肝要の処を伺いたい!」 師はすかさず「渇ーっ!!!」と一喝(いちげ)を浴びせた。 僧は礼拝した(さとりました)。 >禅はまったく一言半句(いちごんはんく)の説くべきものもない。 ○ 分別しない。
946 :
神も仏も名無しさん :2013/12/01(日) 03:39:31.48 ID:FH6gdSD8
>>905 因果は縁起に不可分です
縁滅も縁起に不可分です
前者は構造そのものであり後者は縁起理法の行程の事なのです
947 :
神も仏も名無しさん :2013/12/01(日) 03:56:32.03 ID:9QuL2uiv
あと一言 良くここのオカルト好きが経典引く時に これ見よがしにこれ出しとけば黙るだろう的に阿含経を引いてくるのが散見される 大体この場合に引いてくるのがサンユッタニカーヤ(相応部)=雑阿含経だったりする 一応阿含経なのでこれなら新しくとも大乗時代前のだから黙るだろう的な悪意を感じたり感じなかったり 雑阿含は部派時代に三世十方(無限の時間と無限の空間)の邪義を仏教に 流し込んだ説一切有部の依経の一つである 故に阿含部と言えども雑阿含では躊躇無く輪廻や業報的なものが登場するのである 阿含部全体も少々毒されている為、検証する時は基底に「有部の影響がある」事を意識して検証される 阿含宗やらの新興宗教が阿含経を好むのもこう言う背景が有るからである 各々方気を付けられたし
948 :
神も仏も名無しさん :2013/12/01(日) 04:24:42.81 ID:u05DhIkF
釈迦の理法の原理 これはそのものズバリが中々無いのでたどり着くのは容易ではないのは事実である しかし、縁起の理法から見れる四諦説までは大抵の人ならたどり着くのは容易であろう 問題になり易いのは、「釈迦は輪廻転生を説いたのか、否か」 大抵の着地点は「それに付いての釈迦の姿勢は無記とした」となる オカルト馬鹿はこれが相当気に食わなくて難癖を練りこんで「釈迦は縁起を基底に仏法を説いた」 と言い張りたい で、出してくるのが雑阿含だったりする 釈迦の立場は縁起の理法に明らかなように、過去から未来までの無限時間も 世界の隅々までの無限空間も教説の根幹とはせず、ただ現在をどうするか、どうすれば良いのか に焦点を当てて教説されたのである 各国の法律が無限の時間や無限の空間を対象とせず、当該する現在を対象に法を規定してる 釈迦の理法はこれと同じで、「今」の「自分」が「どうするべきか」を基準に法を説いてるのである 迷う事なかれ 三世十方は大乗経典の十八番であるが、これを経典中に説いたのは釈迦ではなく説一切有部である つまり、三世十方が含まれる経典は全て偽経の断簡が紛れ込んでいると言えるのである
949 :
神も仏も名無しさん :2013/12/01(日) 05:04:32.21 ID:FH6gdSD8
さて、釈迦の理法を用いれば煩悩苦を解脱しやがては涅槃に至り寂滅するとは先刻承知の通りである では、釈迦の理法を用いなければ上記の通りにならないのか?在世の時代巷間流布されていた輪廻転生の 惑を逃れられないのか?と言う疑念もあろうかと思われる。そうではない、釈迦は法を説いたが道理は作っていないのである。 釈迦は魔法使いではないので道理は作れない、自然に有る道理を説明したに過ぎないのである。 釈迦が道理の内にしか法を説いていない根拠がこれである。 魂が永遠なのか、世界は無限なのか、これらは存命中の我々人間には確認する術は無い。 なのに在世時に巷間流布されていたバラモンの教え(梵我一如)は世界は無限で魂は永遠と常見を述べ断定していた。 この断定に一石を投じたのが釈迦の説いた理法なのである。 世界が無限・魂は永遠の不可知論に陥る事無く深く洞察し、これらの邪見を退け今を見る法を確立したのである。 生じれば滅する・生じなければ滅する事もない、滅しないものは生ぜず・生じないものは無なのである。 これは釈迦が説いた縁起の理法の原理ではあるが、原型を作ったのは釈迦ではなく自然の道理なのである。 世界が無限であろうがなかろうが、魂が永遠であろうがなかろうがこの道理を免れる事は出来ないのであり 釈迦はそこに焦点を当てて法を説いたのである。 故に、無記を語るのは愚の骨頂なのであり、無記を覆そうと必死になるのはこの世界を壊そうとする悪行となるのである。 当に知るべし、このスレの所在がどの板・カテゴリにに有るかを 善智者各位はゆめゆめ迷う事なかれ
950 :
神も仏も名無しさん :2013/12/01(日) 05:58:33.10 ID:WgRwFcqa
>>932 >>934 「AによってBが起きる」と言った時、
「A」、「B」、「〜によって〜が起きる」は別物だよね?
因果と縁起を分けて理解しないと、縁滅できないと思うんだけど。
縁起の概念があるから仏教はバラモン教と違うのでは?
951 :
神も仏も名無しさん :2013/12/01(日) 06:11:05.84 ID:FH6gdSD8
>>950 縁起は因果によって構成される
>AによってBが起きる
AにもBにもそれぞれ因果はあり縁も因果で成り立っていることが理解できる
縁起と因果は不可分なのである
952 :
神も仏も名無しさん :2013/12/01(日) 06:12:30.75 ID:WgRwFcqa
>>943 神や自分を体験することが悟りなの?
「体験」が残ると「空」と言えないんじゃないかと思うんだけど?
953 :
神も仏も名無しさん :2013/12/01(日) 06:16:58.16 ID:FH6gdSD8
>>952 横から失礼
神は存在が不可知である
自分は自分だが有限であり空である
体験は当時を過ぎれば記憶に過ぎず実体が無い
故に934は間違っている
954 :
神も仏も名無しさん :2013/12/01(日) 06:17:56.31 ID:FH6gdSD8
失礼 943でしたw
955 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/12/01(日) 06:26:32.93 ID:tb9IRkx+
>>947 >良くここのオカルト好きが経典引く時に
>これ見よがしにこれ出しとけば黙るだろう的に阿含経を引いてくるのが散見される
>大体この場合に引いてくるのがサンユッタニカーヤ(相応部)=雑阿含経だったりする
そうですか。
私は主にディーガニカーヤとスッタニパータを引用します。
長阿含は一部しか持っていないので、対応する経典をディーガニカーヤと比較するのに利用しております。
何分、「アナッタン=非我→無我」と訳した中国僧らの北伝の原始仏典は参考にするだけです。
956 :
神も仏も名無しさん :2013/12/01(日) 06:30:48.20 ID:LcyjV2fm
>縁起の概念があるから仏教はバラモン教と違うのでは? バラモンで優勢だった思想は「梵我一如」である ブラフマン(梵)と呼ばれる永遠不滅広大無辺の実体と自分の実体(我)は 一つであり同じであり根本で無始無終である、故に人は輪廻し続ける存在と断定した(そうじゃない学派も居たそうだが) 釈迦の思想(始祖仏教)は上記の広大無辺永遠不滅なるものは人間には知覚出来得ない と言う観点から考えつつ、そもそも始まりの無いもの(無始)では終われないのだから 終わりが無いものは始まらない立場で見て苦悩からの解脱には不要な概念故捨て置いた と見れる バラモンとの大きな違いは常見を退け断見も退け、今を注目した事であると言える 原因不明の不都合を過去世の所為に逃げず、完遂未定のものを来世に逃げなかったのである 釈迦以外にこれに似た思想はあまり聞かず、唯一はジャイナ教が似ては居るが中道を取らなかったので釈迦に劣る と見れる
957 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/12/01(日) 06:33:06.51 ID:tb9IRkx+
>>955 >何分、「アナッタン=非我→無我」と訳した中国僧らの北伝の原始仏典は参考にするだけです。
上記が「因」で「果」として末法の世が起こっていると仮設しております。
もし南伝が中国や日本に伝わっていたら、現代の仏教界もまったく様変わりしていたかも知れません。
貴僧の見解は如何でしょうか?>他称セブン氏
958 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/12/01(日) 06:41:04.24 ID:tb9IRkx+
>>956 >縁起の概念があるから仏教はバラモン教と違うのでは?
当時の6大宗教家(六師外道)もバラモン達も解脱に至る法も修行の途中成果の果報も
答えることはできませんでしたが、釈尊は阿闍世王にハッキリと回答されました点は
大きく違うと思います。(参考:長部経典第二経「沙門果経」)
そして実践すれば誰でも分かると、正に宗教プラグマチズムでしょう。
時間を含む因果の法と含まない縁起の法との差異以上に重要かと思料します。
959 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/12/01(日) 06:46:31.18 ID:tb9IRkx+
>(参考:長部経典第二経「沙門果経」) 有名な第一経「梵網経」の次に「沙門果経」が編纂されていることは編纂者の意図として重要だと考えております。 そして、「梵網経」を引用する方々の多くが「沙門果経」は避けておられるように観じられます、不思議ですね。
960 :
神も仏も名無しさん :2013/12/01(日) 06:46:38.17 ID:LcyjV2fm
>>955 真光をサボって仏教談義とは、真光と言うのは随分悠長なご信心なのですなw
阿含経典群が既に説一切有部に塗れているのは周知の事実
有部は鳩摩羅什等の訳経師とは違い、多くの如是我聞の当体でもある事を覚えておけ
羅什等が勝手に書き足せば改竄等になるが、有部が勝手に如是我聞で書き足すと
そうは言われなかった誤謬の根源なのだよ
散々初期大乗各派は有部と論争をして、結果は大乗が勝つ訳だ
三世十方風概念を作ったのはバラモンだったが、仏教風に変造したのは有部
それを論理的に尤もらしく解釈したのが唯識学派
小難しい屁理屈が全く理解できなかった当時の大乗グループが
それらの残骸を凄そうだと取り入れてしまった
それが大乗仏教の誤謬なのだよ
>何分、「アナッタン=非我→無我」と訳した中国僧らの北伝の原始仏典は参考にするだけです。
それなら三世十方は先ず斥けられていなければならないな
認めて本筋に据える自体が既に仏教の考えでは無い、それは外道の考えそのものだ
真光にはどうでも良いのだろうがな
961 :
神も仏も名無しさん :2013/12/01(日) 06:51:46.50 ID:WgRwFcqa
>>951 不可分なのは理解できるけど、因果=縁起は成り立ってないよね?
>縁起は因果によって構成される
逆じゃね? 因果は縁起によって構成されているのでは?
AとBを細分化した因果を想定しても「〜によって〜が起きる」という
メタ構造が無いと因果は成立しないと思う。
そもそも別の述語があるということは別の概念て事では?
962 :
神も仏も名無しさん :2013/12/01(日) 06:52:34.48 ID:LcyjV2fm
因みに、ごく初期の教えを貫いて伝えてると自負してる上座部仏教も 実は一旦完全に滅んでいるのである アルボムッレのおっさんはその辺を濁してちゃんと語らないカルトである
963 :
神も仏も名無しさん :2013/12/01(日) 06:54:13.15 ID:LcyjV2fm
>>961 >不可分なのは理解できるけど
理解出来て無いから迷ってるんだろ?
統合失調とかだと縁起は理解出来ないそうだが
964 :
神も仏も名無しさん :2013/12/01(日) 06:59:01.13 ID:WgRwFcqa
>>958 時間を含むか含まないかが「因果」と「縁起」の違いなの?
965 :
神も仏も名無しさん :2013/12/01(日) 07:04:52.43 ID:LcyjV2fm
>>964 そんな事に執心するよりも
簡単な道理すら理解出来ない病気を克服した方がいい
常人なら縁起と因果で迷う事は無い
966 :
神も仏も名無しさん :2013/12/01(日) 07:16:12.56 ID:WgRwFcqa
>>963 統合失調症が縁起を理解できないとは初耳だ。興味深い。
なぜ理解できないのか説明できる?
出来ればお願い、できなければ無理しなくてもいいや。
>>965 僕には因果と縁起の違いは重要な事のように思えるよ?
そこに仏教の本質があると思ってるくらいw
967 :
神も仏も名無しさん :2013/12/01(日) 07:20:05.25 ID:pTFlDVBa
>>966 >統合失調症が縁起を理解できないとは初耳だ
統失は脳の器質異常か何らかの医学的原因で道理が理解出来ない
道理を説明する縁起説も当然ながら妄執に拘る故に飛躍論に飛んで理解出来ない
以上
968 :
神も仏も名無しさん :2013/12/01(日) 07:22:50.49 ID:WgRwFcqa
>>965 書き込んでから気づいた。そうか「縁起」の意味するところがあなたと僕で違っているんだw
「〜によって〜が起きる」という構造(構文?)そのものを
「縁起」と理解していてるんだけど、多分、あなたの理解は違うよね?
969 :
神も仏も名無しさん :2013/12/01(日) 07:28:13.60 ID:pTFlDVBa
>>968 飛躍してるのに気付いてないのか?
>「〜によって〜が起きる」
これが縁起の仕組みなのは間違っていない
お前が理解出来て無いのは
「〜によって」が既にそれ自体も原因であり
「〜が起きる」も既にそれ自体が結果なのだと
わたしは言っている
故に縁起には因果は内包されていて因果も縁起により成り立つと言える
と言ったのだ
理解出来ないのか?
970 :
神も仏も名無しさん :2013/12/01(日) 07:33:39.24 ID:WgRwFcqa
>>967 なるほどね、道理を理解する脳機能が失われているから理解できないか。
まあ、言われてみると当たり前の話だな。
ありがとう、機会があれば統合失調症について調べてみるよ。
971 :
神も仏も名無しさん :2013/12/01(日) 07:37:47.57 ID:pTFlDVBa
>>970 失礼があったとしたら詫びておく
当該したなら心で応援している
ただ、仏教は楽になってからをお勧めする
安楽を求めて迷ってしまったら本末転倒である
毒の矢がの毒が速やかに解毒されキズが早く癒されんことを祈ってる
972 :
神も仏も名無しさん :2013/12/01(日) 07:42:08.50 ID:I2DfE5XL
経験主義的時空因果関係を外せば、ただちにオカルト「仏教」になる。
973 :
神も仏も名無しさん :2013/12/01(日) 07:48:12.04 ID:I2DfE5XL
仏法は機能的には、<縁起>であり、 縁起だからこそ内容的には、時空因果関係の内容が空=中道=時空際断の如くであることの悟りである。
974 :
神も仏も名無しさん :2013/12/01(日) 07:48:52.09 ID:ishR31F0
wikipedia眺めてたら気づいたんだけど、 ここでこれ守れてる人いないよね。仏教板なのに…。 特に最後のやつね。 (wikipedia 十善戒より) 不悪口(ふあっく) 乱暴な言葉を使わない。 不両舌(ふりょうぜつ) 他人を仲違いさせるようなことを言わない。 不瞋恚(ふしんに) 異常な怒りを持たない。 不邪見(ふじゃけん) (善悪業報、輪廻等を否定する)誤った見解を持たない。
975 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/12/01(日) 07:49:34.33 ID:tb9IRkx+
>>960 >真光をサボって仏教談義とは、真光と言うのは随分悠長なご信心なのですなw
サボってはおりません。
本日は家族と道場に参拝して、皆で神様へのお参り致します。
>有部は鳩摩羅什等の訳経師とは違い、多くの如是我聞の当体でもある事を覚えておけ
しかし龍樹も阿含経の引用は無かったですか。
では、しばし仏教板への執着を離れて、パソコンより去ります。
976 :
神も仏も名無しさん :2013/12/01(日) 07:49:51.86 ID:I2DfE5XL
× 時空因果関係の内容が 〇 時空因果関係の実体が
977 :
神も仏も名無しさん :2013/12/01(日) 07:56:37.11 ID:pTFlDVBa
>>974 >不邪見(ふじゃけん) (善悪業報、輪廻等を否定する)誤った見解を持たない
そこで言う輪廻は輪廻転生による「生まれ変わり」の事ではない
輪廻=生まれ変わりのリレーではない
978 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/12/01(日) 08:00:52.70 ID:knxJTGG5
進み方が速いww 次、立てれるやついる?w
979 :
神も仏も名無しさん :2013/12/01(日) 08:03:54.82 ID:pTFlDVBa
業報輪廻転生が有ったと仮定しても釈迦の理法は涅槃寂静で最後は寂滅する 釈迦の理法はこの世の道理の説明なのであり、釈迦は道理の作者では無い つまり、涅槃寂静して寂滅はこの世の道理そのものなのであり 釈迦の理法に依らなくても逃れられない事実なのである 故に業報輪廻転生は「最初から有りえない」となる 涅槃は釈迦の理念だが、その現象はそもそもこの世に有ったのだ それを説明出来た人は釈迦しか居なかったから2500年も人気が衰えないのである 釈迦の理法の最大の利点は、個人の抱える苦悩からの解脱の方法を説いてくれた 是に尽きる
980 :
神も仏も名無しさん :2013/12/01(日) 08:05:22.38 ID:pTFlDVBa
残るは釈迦の否定しか無くなるので、最近は仏教自体を否定したがりが出没し始めてるw
981 :
943 :2013/12/01(日) 08:16:07.00 ID:TgCjASvP
>>952 空は体験できない。体験できないものを探しても論じても無意味だろう。
体験できないのだから、悟りもないことになる。
これに対して、神や霊魂はその存在がはっきりしない。
その存在がはっきりしないのだから、神や霊魂を探し求める意味がある。
しかし神や霊魂は五蘊ではない。簡単には見つからない。
簡単ではないが見つけることはできる。本や知識の中にはいない。
悟りとは神や霊魂を体験することだ。
982 :
神も仏も名無しさん :2013/12/01(日) 08:21:31.16 ID:WgRwFcqa
>>969 >理解出来ないのか?
うんw
どうしても「因」と「縁」、「起」と「果」が同じと思えない。
名詞と動詞のちがい?
相互依存だからといって「同じこと」を意味しないよね?
同じものならわざわざ違う述語をあてる必要はないし。
>>971 残念ながら?幸運にも?当該してないよw
983 :
神も仏も名無しさん :2013/12/01(日) 08:22:16.49 ID:pTFlDVBa
>>981 >悟りとは神や霊魂を体験することだ
苦からの解脱に役立たない
よって斥けられる行為の対象である
984 :
神も仏も名無しさん :2013/12/01(日) 08:24:34.41 ID:pTFlDVBa
>>981 >悟りとは神や霊魂を体験することだ
もひとつ
苦からの解脱に役立たない
そして「プリキュア」や「スタンド」や「フォース」や「スペックフォルダ」の様なものは実在しない
985 :
943 :2013/12/01(日) 08:26:37.37 ID:TgCjASvP
>>953 肉体は滅びるが、五蘊ではない神や霊魂は常住だ。
常住だから、その体験は滅びない。
神を体験したら、どうして神が滅びるのか。
霊魂であることを体験したら、どうして霊魂が滅びるのか。
霊魂である自分も滅びないことになる。
986 :
943 :2013/12/01(日) 08:32:17.44 ID:TgCjASvP
>>983-984 神に出会うことで苦の滅が生じる。
神は愛(アガペー)だ。それを人間的に表現すれば慈悲になる。
自分自身を保留する愛が慈悲である。
987 :
神も仏も名無しさん :2013/12/01(日) 08:32:21.74 ID:pTFlDVBa
>>985 >常住だから、その体験は滅びない
それは自我を失う事から来る妄執に過ぎない
その妄執は苦を生み出すので捨てるべき対象
捨てられないからその苦は輪廻する
輪廻を脱せ無いから苦悩は已まない
常住は妄執に過ぎない
988 :
神も仏も名無しさん :2013/12/01(日) 08:36:43.26 ID:pTFlDVBa
>>986 アブラハムの宗教の聖典は神の因果を明かしていない
それは妄執しか書かれていない愚の骨頂
妄執は苦を生む元凶
苦は離れるべき対象で妄執は捨てなくてはならない
捨てられないから苦悩し輪廻し終らない
貴殿の神は終わらない苦悩を申しつけ給もうた
989 :
943 :2013/12/01(日) 08:40:09.78 ID:TgCjASvP
>>987 霊魂には自己意識があり純粋意識がある。
純粋意識に記憶はない。記憶がないから、妄執の発生する余地がない。
常に、体験するものに五感が集中している。
対象そのものと言っていい。
990 :
神も仏も名無しさん :2013/12/01(日) 08:41:40.58 ID:uOIp6CWa
>>981 空は体験可能なようですよ。
(山下良道氏 11月23日法話会)
「生じて滅しているものを見ることによって、生じ、滅しているものがストップ(止まる)するのを見る。
それを空、スンニャータという。テーラワーダでは、ニローダ(滅)と言う。」
「ほんとにスンニャータ(空)を体験したら、執着や怒りが根本的にない。
ないけれど、今までのエネルギーが残っている。それがソータパン(預流者)です。」
991 :
神も仏も名無しさん :2013/12/01(日) 08:46:28.71 ID:pTFlDVBa
>>989 五感は六根より生ずる
六根は肉体あって成り立つ
六根は仏の説き給うた六処と同義で一切の入出口
一切は森羅万象で森羅万象は一切で一切は六処に収まれり
記憶も肉体に依存する故、体滅べば肉も失う、故に況や記憶をや
992 :
943 :2013/12/01(日) 08:46:56.45 ID:TgCjASvP
霊魂は対象として神を見ている。だから何の不満も抱かない。
>>990 空を体験したと言う人たちは、何かカン違いしているか、
ニセモノだと思った方がいい。
空は体験できない。
> 霊魂である自分も滅びない 止(サマタ)・観(ヴィパッサナー)によって 想受滅(滅尽定)によって 無我・縁起・空の観察によって 無明滅 → 行滅 → 識滅して 渇愛・無明によって現れている、輪廻から解脱すれば仏だ ↑ こんな感じだと思いますが?
994 :
神も仏も名無しさん :2013/12/01(日) 08:51:47.18 ID:pTFlDVBa
>>992 出かけるんで最後に
見ることの出来ない霊魂を誰が教え給うたか
人と語らう事すら許さない神か?
神の言語が理解できる人は人ではないのではないのか
矛盾している
995 :
943 :2013/12/01(日) 08:58:32.53 ID:TgCjASvP
>>991 霊魂を体験しないと霊魂のことはわからない。
坐禅中に霊魂を体験したが、透明で球形の霊魂に五感がある。
坐禅後に新聞を見たら、文字の間隔が5センチ以上あるようだった。
新聞がいかに無内容でスカスカなものなのかを実感した。
996 :
神も仏も名無しさん :2013/12/01(日) 09:04:46.06 ID:pTFlDVBa
>>995 そうか
今日も穏やかな一日を祈ってるので次スレを貴殿の神・霊魂に頼んで置いてくれ
縁あれば続きはそこで
997 :
943 :2013/12/01(日) 09:09:14.40 ID:TgCjASvP
>>994 霊魂は肉体から抜けることができる。
その霊魂を残された肉体が見る。自分(霊魂)を自分(マナ識)が見る。
魂魄の、魂(霊魂)を魄(マナ識)が見る。
神も霊魂もしゃべらない。しかし五感を通して交流する。
触覚あり、視覚あり、聴覚あり、味覚あり、嗅覚あり
998 :
神も仏も名無しさん :2013/12/01(日) 09:13:24.79 ID:WgRwFcqa
999 :
943 :2013/12/01(日) 09:19:20.81 ID:TgCjASvP
>>998 空には実体が無い。実体が無ければ体験できない。
体験できなければ悟れない。
1000 :
神も仏も名無しさん :2013/12/01(日) 09:28:39.05 ID:kT0YzDJi
>>997 人間の世界ではそれを妄想と言い
もしくは夢と言うんですよ
神は死んだ
1001 :
1001 :
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