1 :
素人A:
1 :神も仏も名無しさん:2012/10/13(土) 07:56:14.13 ID:3cn8qPMa
このスレの主はamaです。
ご質問は、できるだけ日常の言葉を使っていただけると助かります。
(amaは、諸般の事情でスレが立てられないことが多いので、
スレ立ては、有志の方でお願いいたします。
テンプレの≪ご注意≫は、既出の気に入ったものを使ってください。)
*前スレ
悟りを開いたことあるけど何か質問ある?23
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1350082574/l50 ≪ご注意≫
amaが申し上げる「悟り」は、
一般的に言われている「悟り」とは違うかもしれませんし、
仏教で言われている「悟り」とも違うかもしれません。
ですので、amaが「悟り」と言うときは、このことを含み置きください。
世話になったからamaさん立てとくよ〜。 煩悩も月手無い死輪廻転生だあ。
2 :
素人A:2012/11/23(金) 08:12:43.04 ID:6wE8wbo3
師匠から色即是空は空即是色と返すと教わった師、さあとつても素敵な所でも
静かで寂しい所は同してももそもそ動き出し用で結局動しても妄想してしまう空
まあ色々も大変出し苦楽なる事もあるけど、まあそれも永遠の無知言う生命という
事で落ち着けないと長くなるしこの辺でお後が宜しいようで仏物
3 :
パーピマン:2012/11/23(金) 09:35:44.73 ID:PARfLzhK
また立てたのか?w
ここはもうキチガイ達の落書き帳になってたはずだがwww
4 :
マーヤ:2012/11/23(金) 12:34:37.14 ID:wLvrZtv9
昨日見た夢、好きな漫画、得意な超能力、
好きな異性のタイプ
何でも皆様の好きなことをお書きください。
もちろん嘘を書いてもかまいません。
(ただし脅迫や殺人予告などの犯罪行為はアウトです)
5 :
安堂:2012/11/23(金) 13:37:59.25 ID:1nktPh4n
アーンク
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6 :
473:2012/11/24(土) 02:54:46.79 ID:gTBya74+
生きたいという欲望は、欲望である。
感覚への執着は、快楽への欲望だ。
欲望は無限に増殖し更新してゆく、、、欲求不満は終わることが無い。
生きたい人間は決して生きることに満足できない。
よりよい生を求め続け、死を恐れ続ける。
生死を区別せず、感覚を区別せず、動静を区別しないその如性。
意味づけなどしなくても生のあらゆる側面は如としてそこに在る。
7 :
473:2012/11/24(土) 02:56:54.70 ID:gTBya74+
欲望とは、拡大し、巨大化し、広漠たる空ほどの無辺に
なろうとする切なる望み、大いなる憧れのことだ。
ただ人々を見守り、欲望を見守ってごらん。すると私の意味することがわかるだろう。
あなたたちの平凡な欲望にさえ、根本的なことが現れている。
実際、とめどもなく多くの金を得ようと欲する人が本当に欲しているのは、金ではなく拡大なのだ。
なぜなら金は、あなたの拡大を手助けするからだ。
あなたはより大きな家を得られるし、より広い庭も得られる。
あれもこれも得られる。あなたの領域はより大きくなるだろう、あなたの自由はより
大きくなるだろう、より多くの金によって、あなたは一段と、多くの選択の余地を得られるだろう。
そして同じことが、他の欲望すべてにあてはまる。
人はより多くの権力を、より多くの名誉を、より長い寿命を、より以上の健康を欲する。
彼らは、もっと多く、を欲している。彼らは制限されたままでいたくないし、有限でありたくない。
自分を、限定したものとして感じるのは苦痛だ。限界があるということは、閉じ込められることだからだ。
しかし遅かれ早かれ、すべての欲望の対象には失望させられる。ある日、金を得たとしても、拡大は起こらない。
あなたはわずかに、多くの選択の自由を得るかもしれない。しかしそれでは満足しない。
欲望は無限なるものに向けられていたが、金で無限なるものが買えるはずがない。
8 :
473:2012/11/24(土) 02:58:12.02 ID:gTBya74+
知性とは何だろうか?
知性とは、欲望を満たせる対象はないという洞察のことだ。
対象はない、と私は言おう。
そして無条件に私はそう言う。決してどんな対象も、あなたの欲望を満たせはしない。
あなたの欲望は神性なものだ。
それは空と同じほど広大なものだ。
いや、大空でさえその極限ではない。
対象はそれを満たせない。
では何をすべきか?
知性的な人は対象を欲することを止める。
彼らは自らの欲望を、あらゆる対象で、世俗的なものや超俗的なもので汚されていないものにする。
彼はその純粋さの内で、瞬間から瞬間へと自分の欲望を生き始める。
彼は欲望に満ちている。溢れ出るエネルギーでいっぱいだ。
彼の平凡な生は、触れるものは何でも変容されてしまうほど、それほど強烈で情熱的なものとなる。
卑金属が黄金になり、枯れ木が再び花を咲かせるようになる
9 :
安堂:2012/11/24(土) 03:04:33.81 ID:KmDcOFsa
>>6 >生死を区別せず、感覚を区別せず、動静を区別しないその如性。
>意味づけなどしなくても生のあらゆる側面は如としてそこに在る。
在るよ!有るよ!あるよ!
それは素晴らしすぎる・・・。けど預流果でしょ・・・。
預流果じゃつまらなすぎるしさ・・・・。
>意味づけなどしなくても生のあらゆる側面は如としてそこに在る。
在る在る在る在る在る・・・。
それに酔うのが473氏かな?ただの屑酔っぱらいじゃないか。
我は真理を求める!
他のあらゆる言説や説話は一切問答無用だ・・・。
我が求めるは真理なり!
真理を求める者よ!突撃せよ!
10 :
473:2012/11/24(土) 03:36:03.97 ID:gTBya74+
社会が戦争に向かうのは、人びとが緊張しているからだ。
人びとが自分たちの内側で絶えず戦っているからだ。
人びと怒っているからだ。激怒しているからだ。
彼らは幸せではない。幸せだと、あなたは創造したくなる。
不幸だと、壊したくなる。創造性は幸せから生じる。
破壊は不幸から生じる。
OSHO
11 :
473:2012/11/24(土) 03:39:20.84 ID:gTBya74+
>>9 言葉足らずだったかな。
>生死を区別せず、感覚を区別せず、動静を区別しないその如性。
>意味づけなどしなくても
ということは、いわば何も無いということを提示しています。
そこには古い認識において認識されるものは一切ありません。
意味づけをしないと、意味づけをしていた過去の認識においては何も存在しません。
だけど、意味づけしなくても、その新しい認識においては無であっても、
如のうちに性のあらゆる側面は在る。
在るということは私たちにとっては無いという事です。
そんなパラドックスの表明でした。
12 :
473:2012/11/24(土) 03:42:37.22 ID:gTBya74+
創造面に、与え合い分かち合う方に、無私無目的の労働にエネルギーが行かないなら、
不毛な欲望、破壊性、比較、殺戮などそちらにエネルギーが行かざるを得ないのか。
それゆえにひとは勝敗をスポーツやゲームや国家間の争いに投影して消化しようとする。
人間を人間足らしめる者は何か?
それは規律性である
では、規律性は何によって成し遂げられるか?
それは戒めである
自分の欲望がまず悪であることを知らなければ
戒めは成立せず規律性も生ぜず人間足らしめない
人間として足るということは不足を現わさない
ただの仏法である
14 :
素人A:2012/11/24(土) 06:20:23.70 ID:XhOpsMBF
一人だけで何の矛盾もない寂しいし静かなシーン理があるでも孤独の寂しさは
癒されないでまた世界を想像してしまう。賑やか過ぎると纏まりもなく矛盾だ
らけになるし?また一人でいたいと思う?結局一他力着たり落ちも付かないのが
まあ良いか。一人の人の孤独は如何したら癒されるのか?私たちは踊るのです。
それじゃ天照大身神の岩と隠れではないか?踊ろう
15 :
473:2012/11/24(土) 12:25:16.32 ID:gTBya74+
本当に悪いものだと理解したならその時もうそれは捨てられています。
実際にはその欲望は正しいものだと思っているのに、借り物の知識でそれは悪いと言い出すと抑圧になります。
そもそもそれが悪いと理解しているのであれば戒めの必要はありません。
戒めが必要だと言うことは、その欲望を正しいと思っているが故であり、必要なのは自分の本音と対面する意識です。
意識において借り物の知識ではなく、自分自身の意識において欲望をあるがままに見るでしょう。
戒めは正しいと言う部分と、それは間違いだと言う部分に精神分裂して葛藤してしまう。
そして結局もとの自分が正しいと思っている部分がその人の振る舞いの端々に出ます。
例えば、あなたは柔らかに謙虚にふるまうことが出来ますか?
押さえつけても地は出てしまいます。
そして無理に振舞おうとしても微妙な形であなたの本音、あなたの衝動は出てしまいます。
(本音やその人の根本的な衝動が振舞いにどうしても現れるというのはあらゆる人においてそうです。)
>>9 もし、求めて手にはいるようなものなら、それは「あなた」が見ている「現実と言う夢」を反映した「真理という夢」にすぎないでしょう。
「夢を見る人」「その人の見る現実と言う夢」「現実と言う夢が土台にある真理という夢」このメカニズムが虚偽と言われるものでしょう。
真理は真理を生きたり、真理であることは出来るかもしれませんが、求めることとは無縁の何かだと思います。
意識して欲望を生きれば、欲望であることを自覚すれば、いつしか真理を生き、真理である時が来るかもしれません。
しかし、求めるのであればそれは夢を強める方向です。
真理の夢は強まり、現実観の夢も強まります。
少なくとも真理は求める対象ではなく、もっとそっけないもの。
そっけないものとしてどこよりも近くに見出されるものではないでしょうか。
16 :
473:2012/11/24(土) 12:30:16.07 ID:gTBya74+
人間を人間たらしめるのは、規律、マインドであると言うのはある意味事実です。
そしてそれが苦しみの元であると宗教は唱えます。
意識において生死の形を見分けつつも、心理的に生死の分別がない。
そういう存在が一体どんな悪いことが出来るでしょう。
こういった存在には悪いことをする動機が無いのです。
こういった存在は悪いことをしなければ良いこともしません。
創造的なあふれるエネルギーに満ちています。
生を作り、与えてゆく存在です。
そしてそれはそう在るのであって、そういった規律ではないのです。
規律はそのひとの破壊性を決して変えはしません。
規律はその人の破壊的なエネルギーをそのままに「良いこと」をしようとしますが、
要はその破壊的なエネルギーに変わりはありません。
17 :
473:2012/11/24(土) 12:47:59.20 ID:gTBya74+
さらにいえば、自分が自分である限り、善悪の判断は自分がするものでしかありません。
ブッダ達の言葉も自分が解釈するものです。
善悪の判断は自我の中核であり、その判断を続ける限り自我は生き延びます。
だからブッダは真理は言葉では表せない、
ああだこうだの意見を持たずただ事実を見つめなさいと説きます。
悟る前に悟りが何か、真理を見出す前に何が正しいのか解る事は不可能なのです。
それを不可能だと理解するまで成熟した人が瞑想に入ってゆきます。
理解していればもうそれは本当におきているはずです。
本当にはおきていない私は要は理解していない。
まだ、自我と善悪の判断が生きている。
様々な区別が生きている。
生きる欲望を持たず単に生きることはおきていない。
>>16 >人間を人間たらしめるのは、規律、マインドであると言うのはある意味事実です。
>そしてそれが苦しみの元であると宗教は唱えます。
苦しみの元であると宗教は唱えない。
仏教に関していえば戒律だらけといえる。
過剰ともいえる。自然発生的な戒律で問題ない。
個人の反省により戒めとなり、その後の行為にごく自然と現れ
自然な流れで規律性は発生する。反省とは抑圧ではない。徳目である。
仏陀は善悪の判断がつかない程馬鹿ではない。
即ち、殺しをするな、盗みをするな、物事に執着するな、信仰を捨てよ等
であり善悪とはその中に含まれている。これこそが事実である。
大乗系の中で不思議な誤解が生じている。
つまり、するな、するなの抑圧だらけというのは間違いない。
暗に抑圧こそが解放と説き示すものである。
抑圧の否定とは仏陀の否定と相違ないものである。
22 :
473:2012/11/24(土) 20:20:06.69 ID:gTBya74+
>>20 仏陀は「なかれ」と語ることが多かったですが、その中核は規律ではなく、
因果です。
因果について語っていました。
これは悪いからという押し付けではなく、これの帰結がどうなるかを理解なさいとという実証主義、科学的な語り口でした。
理解が起き、反省し、徳目があれば、その人にとって正しいことというものが既に変わっています。
そうなれば規律の必要はありません。
規律が必要だということは、本音では怒りや執着や盗みがが正しいと思っているからです。
無論いわゆる抑圧が入り口にならざるおえないところはあります。
しかし実際の変容は執着が正しいと思っている(私達の)本音の変容です。
悟りを開くまで私たちは執着が好きだし、執着が正しいと思っているのです。
そうでないならもうやめて見向きもしなくなっていているでしょう。やめようとする努力は不要です。
>>22 規律性はその人の人格を表す
決して無理してるわけではなく
その人にとっては一番居心地のいい形である
規律が必要だということは、本音では怒りや執着や盗みがが正しいと
思っているからではない。
規律を持つことが単に正しいと思っているだけである。
もちろん因果論に帰結する。
そうなる前提が現にあり、実践により確認がとれ、
だから書き表すに過ぎない。
24 :
473:2012/11/24(土) 20:35:47.67 ID:gTBya74+
≫仏陀は善悪の判断がつかない程馬鹿ではない。
これはなんの善悪ですか?
あなたの言うところの善悪であればそれはあなたがそう考えるものに過ぎません。
ブッダからみたらそれは間違っている可能性が高いです。
あなたももう一人のブッダで無い限り。
いわゆる善悪の判断を手放したところに彼らのいうところの善悪があるのでしょう。
盗みがいい、悪いと言う問題は、自分の体に執着しているからこそ起きる問題です。
ブッダは自身の生死に善悪の判断を持ち込まないようです。
生死にこだわらない存在は、盗みや殺しをやる動機そのものが無いのではないでしょうか。
生死に善悪を持ち込まなければ、あらゆる善悪の判断は不要ではないでしょうか。
生死に善悪を持ち込み、生き延びようとし、死ぬまいとするからこそ、怒りも盗みも殺戮もあります。
>>24 普通は盗みや殺しは誰もしない。
誰も善悪などに囚われてはいない。
善悪の判断は誰でもが成し得るものである。
それは特別な誰かではない。
釈迦が善悪を決めたわけではない。
同時に誰も生死に拘って生きているわけではない
執着の否定も信仰の否定も既に実践にて確認が取れている。
だから書き表すに過ぎない。
しかし確認をとるまでもなく、
オウム真理教を見るだけで執着と信仰は害悪であるとわかる
自身が確認を取るだけで確信に変わる。
29 :
473:2012/11/24(土) 21:55:09.80 ID:gTBya74+
>>25 釈迦に善悪は必要ありません。
彼はその意識において何が妥当であり何が馬鹿げているか承知しており、ただその広い視野で妥当なことを行うだけです。
翻って我々は無意識において、奪うこと、破壊すること、怒りを抱えています。
それを抱えているが故に「殺す無かれ」「奪う無かれ」と言う道徳を必要とします。
それらの善悪の判断で己を縛らないと、やってしまうからです。
仏陀には善悪の判断は必要ないようです。そもそもの破壊的な衝動が無いからです。
≫普通は盗みや殺しは誰もしない。
それに近い何かをしたいのですが、無理やり抑えています。
生は花開きません。
≫同時に誰も生死に拘って生きているわけではない
大変生にこだわり、死を恐れています。
同時にといってくくろうとしてもだめです。
≫執着の否定も信仰の否定も既に実践にて確認が取れている。
否定するということはあなたは本心では執着しており、迷信深いということです。
そうでなければ否定する理由も在りません。
≫オウム真理教を見るだけで執着と信仰は害悪であるとわかる
他者の非常に極端な例においてそれを理解するのは容易です。
しかし、自身が嵌っているそれほど露骨でないそれを見抜くのは難しいものです。
他者を見るばかりで自身の本心に意識がいかないのが人間です。
>>29 >仏陀には善悪の判断は必要ないようです。
>そもそもの破壊的な衝動が無いからです
それは面倒くさがりのニート肯定であるw
>それに近い何かをしたいのですが、無理やり抑えています
それを感じるのは執着の強い者だけである。
今に満足できぬ者だけである。
>大変生にこだわり、死を恐れています
>否定するということはあなたは本心では執着しており
肯定は執着ではない。当たり前のことだ
最後のオウムのは自身の経験というものが、妄想ではなく
実際の現象を導くものだ。
お前にはそれが全くない。
だからただの言い訳に終始する。
具体的事象をもって信実性を示してみよ
これも同様。
いかんw眠すぎてミスったw
最後のこれも同様は
>大変生にこだわり、死を恐れています
に対して
信実性×
真実性○
32 :
473:2012/11/24(土) 23:11:14.95 ID:gTBya74+
自我と自我が織り成す世界観があります。
あらゆる判断や知識はその自我を強めます。
根本の世界観とそれに条件付けられた知識が人間の窮状を作り出しています。
知識を捨て、世界観も捨てたなら、自我が死んだなら、
新しく生まれる未知の何かが、異なる世界観と、異なる世界観による全く異なる判断でもって生を受け持ってくれるでしょう。
どうこうしようという計らいは自我を持ち越してしまいます。
それは良し悪しではなく、要は、今までどおりということです。
今までどおりが良いのか変革を望むか、それだけのことのようです。
33 :
473:2012/11/24(土) 23:17:56.82 ID:gTBya74+
>>31 真実性ということでしたら、過去の覚醒者たちによる悟っていない人の精神についての講和持ち出せばよいでしょう。
まさかあなたの主観に真実性があるのですか?
少なくとも真実味のある表現をしていただきませんと圏外です。
≫具体的事実
世界が友好的でなく、分裂しており、非効率、浪費、そして貧困で成り立っているこの様を見て何の証拠が。
協調して世界全体で世界の人々が必要とするだけのものを生産し、分配するということが起こりません。
また、あらゆる個人は仏陀のような無条件の至福に満ちていません。
この事実が人間が自身の破壊性を抑えているだけという証拠です。
オウムはよりひどいものなので他がまともに見えるということはあります。
34 :
473:2012/11/24(土) 23:19:07.74 ID:gTBya74+
信心銘にでも触れられたらいかがでしょうか。
>>32 その通りだよ。それが被害妄想を作り出す。
ここにいる危険性を察知せよ。
ここに進歩というものはないぞ。
473よ、さらばじゃw
38 :
473:2012/11/24(土) 23:55:47.47 ID:gTBya74+
>>37 これは最高の教えなので、これが役に立つ人は極少数、瀬戸際の人だけでしょう。
私にしてみても、憧れこそすれ、直ちに用はなしません。
覚醒が伴っていれば何もしようとしないことで愛と創造性が花開きもするでしょう。
しかし、鞭打たないと動けないような眠りの内にあるうちはこれは役に立ちません。
規律の方が幾分かましでしょう。
39 :
473:2012/11/24(土) 23:59:44.41 ID:gTBya74+
無数の過去の経験、執着、そして矛盾しあう様々な知識、矛盾しあう欲望が私です。
その私が、なんとか矛盾しあうそれを調和させようとして努力しています、、。
が、この努力している、調和させようとしている主体が混乱そのものなのですね。
混乱している私は、自分がどのように混乱しているか理解することは出来ないはずなのです。
もし、自分がどのように混乱しているかわかったとすればそれは捏造です。
自分がどのように混乱「していた」かを混乱から脱出した時に見出すことは出来るかもしれませんが、
混乱のさなかに見えるはずは無い。
混乱が混乱自身を理解しようとすることで当の混乱は生き延びている?
分析と言うのはそんな悲喜劇なのでしょうか?
41 :
473:2012/11/25(日) 02:22:25.62 ID:GOK3zpK8
人は食べたり働いたりします。
しかし、心理的に食べる方を好んでしまうと労働は苦しみになります。
人は受け取ったり与えたりします。
しかし、心理的に受け取る方を好むと生はバランスを崩し葛藤となってしまいます。
そもそも奪い奪われるという解釈になっているかもしれません。
心理的に区別しなくても、もともと生はバランスを取って成り立っています。
受け取るだけの人もいなければ与えるだけの人もいません。
なまじ心理的に区別することで快楽と苦痛が生まれてしまいます。
与えず、また取らず。チベットのマスターティロパの言葉です。
それは内面の、心理的な姿勢なのでしょう。
彼も外面における行為では、与えたし、また受け取ったでしょう。
しかし、かれは内面において与えることを好むでなく、受け取ることを好みもしなかった。
その区別が無ければ大いなる一体性があるのか、無なのか。
ブッダは金剛経でこういいます。
調和は調和ではない。調和だと感じるぐらいならそれは根底に乱れがある。
調和そのものであるということはなにもないということだということかもしれません。
クリシュナは行為者である幻想を落とせといいます。
人は行為者である重荷を背負いきれるものではないとOSHOはいいます。
42 :
473:2012/11/25(日) 03:31:53.53 ID:GOK3zpK8
そこにエネルギーを廻さなければ大人しいものだが、エネルギーを廻すと性欲は力強く動き始める。
それを考察しようとしたのだが、、はて?
そりゃエネルギーを廻せばよりいっそう存在感を増す性欲だが、性欲の構造そのものは元々ある。
ということは私が性欲を持っているのではなく、性欲が私なのではないだろうか。
となると、私が性欲を考察するのは当の性欲による考察であり、その考察は無力な知的な結論であるほか無いだろう。
当の性欲が考察する限り、考察の主体である性欲は生き延びる。
「私」は今特にエネルギーが回っていないので不活発な、性欲、怒り、執着、恐怖、欲望の群れそのものだ。
何も考察しなくていい。考察は考察者を強める。
私の放棄が欲望の放棄だ。
考察者の放棄が、考察者=欲望の群れの放棄だ。
43 :
素人A:2012/11/25(日) 06:37:09.65 ID:6X0Pa6Gl
私は今日ょを生きているので別に教のためにに生きているのではない。私は適当に
だらだら生きているまあ絵絵かすこしずつ。べつに無理してまで未知求めることなく
まあよいか。元眼なさいと言われても成る世うにはなるしまあ色々それぞれ、聖人は
聖人の生き方だし、別に真似する事もないし、でもラーマは人が良い聖人◎出し、
和尚は良く知らない?御釈迦さんも世界嫌いなのかもよくわからん仏仏、
44 :
素人A:2012/11/25(日) 06:54:48.13 ID:6X0Pa6Gl
涅槃で悟らず輪廻転生ありがとう。またまようぞお私も小真もので大きな心には慣れんのでさあとりあえず楽がまあ絵絵に。
曹洞宗と臨在州サイト見たよ。で涅槃ネタ 起きて半分寝て半分つまり人間だもの。曹洞宗はそうとう難しい坐禅、
臨在宗は涅槃ネタ見ただけ。今朝は早く眼が覚めてしまった。そういえば夢の中で私が人に偉そうにしゃべっていた。
国々の厄介な政治問題は全て自国の利益の為の観点からしか見ない其れが原因と、損な事は誰でも解っているのだ当たり前
だ。みんな自国を守らないと他国に潰される死、理想では国も生きて意見と言っていたような平凡な夢の中だつた。掟半分
ネタは?半分じゃ無い全部つまらない現実社会の夢つまらない夢だつた。死んだら浄土真宗信じる人は阿弥陀に導かれる死、
曹洞宗は坐禅に導かれる死、臨在州は棒で叩かれる死、キリスト教はイエスが導く死、あの世でも信じる者は掬われるなら、
無宗教の人は困らないのか?何か困らないこの世と似たようなご縁がある身内や社会や煩悩に導かれる死なのかも。それじゃ
輪廻転生決定的なのか?まあよいか色々好きなところに良ければ良い。根が暗い人は地獄を見るけど地獄が好きなのかも?
45 :
473:2012/11/25(日) 14:45:19.79 ID:GOK3zpK8
ブッダ達、そしてそれに連なる人々。
そういった人々を好きになるのは危険だ。
どうしてもそうでないもの全てが嫌いになってしまう。
この世は地獄になってしまう。
(そもそもこの世を憎みきれないようではブッダ達が好きになることも無いかもしれない。
ブッダ達を世間的に解釈して腹に収めているだけかもしれない)
自らが独りブッダであるのなら何の問題も無いだろうけど、ブッダを好むのは危険だ。
その好き嫌いが悟りとは対極のものだから。
しかし、それを指摘してくれる生きた仏陀がいるのだろうか?
生きたマスターがいないということは求道者にとって非常に危うい。
46 :
473:2012/11/25(日) 14:46:54.28 ID:GOK3zpK8
ブッダ達に依存しても、世間に依存しても、依存は苦しみを生み出すのかもしれません。
依存ゆえに独りいられず、孤独を感じてしまいます。
47 :
473:2012/11/25(日) 15:12:51.61 ID:GOK3zpK8
もし誰かが私のところに来て、『私にイニシエーションを授けてください』と言ったら、私は彼に言う。
「どうして私があなたにイニシエーションを授けることができるかね?私は証人になることしかできない。」
イニシエーションは、あなたが神聖なものから受け取るものであり、
イニシエーションは、あなたが存在そのものから受け取るものである。
私はその証人になることぐらいしかできない。
証人というのは、私はその現象が起きたときにそこにいたということだ。
それ以上のことは何もない。師に結びついたサニヤスは宗派にならざるを得ない。
師に結びついたサニヤスは決して自由をもたらさないし、束縛だけをもたらすだろう。
私は彼らの師になるつもりはなく、ただ、彼らのサニヤスへのイニシエーションの証人になるだけだ。
事実、サニヤスは彼らと存在を繋ぐ直接的な関係であるだろう。
サニヤスへのイニシエーションのための儀式が行われることはない。
だから彼がそうしたいときにそれを辞めることは少しも難しくない……。
事実OSHOは自分が依存の対象にならないよう注意を払っていたようです。
だれにでも分かる言葉で語るやつが一番頭がいいんだよ
一足す一は二です。
52 :
473:2012/11/25(日) 20:49:25.47 ID:GOK3zpK8
他者が愚かしくみえたり、社会の迷走に眩暈がする。
しかし、そのように外界に不満をぶつけることで、別口の自分自身の外界への要求を見逃している。
他者に愚かさを見ることで、別口の自分自身の存在との愚かな関わり方が完全に見過ごされていた。
「外に愚かさを見るのは自分自身が愚かさを抱えているからである。
自身に愚かさが無くなったら、かつての他者の愚かさはもはや愚かさではなく全く別のものに見えるだろう。」
そのように先達は仰いました。
結局は投影をしていたのかもしれません。
私は、このようにこのような社会で生きたいと欲しています。
それは単に不可能です。
現実の世界で生きることも、死ぬことも可能ですが、ありもしない世界でどう生きるというのでしょう。
53 :
473:2012/11/25(日) 20:52:51.88 ID:GOK3zpK8
このようにこのような社会で生きたい
その夢が自我です。
人々とその夢の中身が違ったり、少数派なので多数派の夢と相容れないという違いはあります。
しかし、全体と自我のかかわりという根本的な次元ではわたしと人々になんら差異はありません。
>ID:/NVbZRsZ
人の言ってること否定するだけなら誰でも出来るは低脳。
58 :
素人A:2012/11/26(月) 06:46:27.89 ID:5/19RL53
(つづき)不死の門を守る二つの恐ろしげな像は、仏教の観点からすれば、単純に次のように解釈されるのでしょう。それは聖域
への進入を阻む外的な神の意思をあらわすものではなく、むしろ人間の意志そのものに内在する現世の肉体への執着、肉体の死
に対する脅迫的な恐れを表現していると。聖域に入ることを阻むのはこの人間の意志なのです。なぜなら仏教の教えでは我々は
すでに不死性を獲得しているのであつて、ただ現世的な目標に対する精神の執着ゆえにのみ、我々はこのことを忘れてしまうの
です。物質的欲望の恐怖(ゴータマ・シャキーャム王子が仏陀の境地に到達した夜に克服したのは、この二つの誘惑でした)のた
めに、私たちは楽園からー皮肉なことに、私たちはそこに住んでいるのですがー自分を追い出してしまうのです。仏教の教えで
は<楽園追放>などということは起こらなかったのです。イエスもまた次のように言ったと伝えられます(最近発見され翻訳も出た
グノーシス文書『トーマス福音書』のなかで)、「王国は汝らの中にある」、そして「父の王国は地上に広がったがったが、人間
はそれを見ない」と。実際のところ偏見の無い目で人類の宗教を見れば、誰でもいたるところで地球の諸民が我共有している神話
的な主題を認めざるをえないでしょう。たとえその解釈は様々に異なるとしても、主題の同一性は明らかです。・・
59 :
神も仏も名無しさん:2012/11/26(月) 15:06:55.51 ID:MKcaXI0U
さて
あかひげ薬局のダイナマイトセックスは効くんやろか?
何を開いたんだよ・・・ヤバイって
61 :
473:2012/11/26(月) 16:56:27.20 ID:kiW+o6dp
精神が精神の領域にとどまっているうちはどんな非現実的な考えにも害は無い。
しかし、精神はその空想において感覚に干渉してしまう。もしくは生存に干渉してしまう。
実際の体の感覚に従う思考、生存に必要なことを淡々と行う思考。
これに囚われてはいけないかもしれない。
しかし、問題は、そういった思考がそもそも抑圧されているということです。
精神的空想は感覚に干渉し(食べ過ぎやオナニズム)、生存にも干渉する(こちらも食べ過ぎやまた労働との関わり)。
まずは素直に感覚と生存のために現れる自然なマインドに従う。
そうするだけで不自然なマインドは消え去ってしまう。
OSHOも、体に従うだけで問題の99パーセントは消えると述べていました。
体との同化がどうこうというのは、不自然なマインドが消え去り、自然な体との関わりのマインドにマインドが純化された後のことかもしれません。
あらゆる空想は、「それは体に関わっていない精神の次元だけのもの」という覚醒があれば害はありません。
しかし、私たちはあらゆる空想について自分がそこに本当にいるかのように体を巻き込むことを好みます。
空想の中で得ても実際に得ないし、空想の中で死んでも実際には死にません。
だが、それを本気で勘違いしに行くのが精神の作用です。
それは一時的な痛み止めなのですが、現実をあるがままに理解することから遠のいてしまうので結局痛みを増やします。
そうすることで空想マインドが感覚や生存のマインドを抑圧してしまいます。
抑圧された生存マインドは理解不能な恐怖を増産することでしょう。
62 :
473:2012/11/26(月) 20:22:50.67 ID:kiW+o6dp
宗教性、善悪と、抑圧―OSHOの講和より
これは非常に大切なことだが、
私たちのいわゆる宗教的な資質というのは、すべて反動だ。
人々が暴力的だと、私たちは反動を起こして、非暴力の哲学が生まれる。
暴力的な人間が、「それは良くない」と頭で理解し、努めて非暴力的になったとしても、その非暴力の中には同じ暴力的な姿勢がある。
そしてこれは普通の人々だけの話ではない。
非暴力の権化のようになったマハトマガンディーのような人でも、深く根ざした暴力性は一生涯つきまとった。
たとえばこんな話がある…
マハトマ・ガンディーは科学技術の産物にはすべて反対していた。
糸紡ぎ機以降はだ。彼にとっては、糸紡ぎ機で歴史は止まっている。
いったいそれがどうして暴力的なのか。
もし人が糸紡ぎ機でストップしたら、世界の人口のほとんど一割は死ぬだろう。
もちろんガンディーは人類の一割が死ぬことを提唱しているわけではないが、結果的にはそうなる。
そして残った人々も飢餓と栄養失調になり、満足に住む場所もない。
そしてこうしたすべてが、非暴力という美名のもとに覆い隠されるのだ。
実際の生活上でもマハトマ・ガンディーは、どこにでもいるような暴力的な人間だった。
長男のハリダスは教育を受けたいと望んだが、ガンディーは西洋から来たものすべてに反対していた。
こうした姿勢はそれ自身が矛盾している。慈しみのある人間の姿勢ではない。
慈しみのある人間、愛にあふれる人間にとっては、世界はひとつだ。
そして彼はハリダスに対して、こう語った、
「もし教育を受けたいなら、もう二度と私の前に顔を出すな」。
これが非暴力というものだろうか。彼はハリダスに対して扉を閉ざした。
63 :
473:2012/11/26(月) 20:23:32.55 ID:kiW+o6dp
インドの伝統では、父親が死んだ時、その火葬の薪に火をつけるのは長男だ。
ハリダスにはそれが許されなかった。それがガンディーの遺志だったからだ、
「生きていようが死んでいようが、ハリダスには何も許さない」。
いったいハリダスのどこが悪かったのか。教育を受けたいと望んだだけだ。
ガンディーには狂信的な思想があった。
そして狂信的思想というのは、非暴力とは相容れないものだ。
たとえば、トイレ掃除はみんなの義務になっていた。
トイレ掃除といっても、西洋のトイレではない。インドのトイレほど醜悪で汚いものはない。
彼は自分の妻に対しても、アシュラムのトイレ掃除に参加させようとした。彼女はそれが嫌だった。それで拒否した。
するとガンディーは言った、
「もし拒否するなら、ここはあなたの家ではないし、私はあなたの夫ではない」
。このような姿勢は独裁的で、愛がなく、暴力的なものだ。
愛のある姿勢だとは言えない。
あるとき、ハリダスが駅の群衆に混じっていた。
ガンディーが汽車で通ることになっており、ハリダスは遠くから父や母の顔を見たいと思ったのだ。
近づくことができないからだ。
ハリダスが次の駅で待っていることを、ガンディーは取り巻きの人々から聞いた
。それでコンパートメントの窓やドアが全部閉じられた。
すすり泣く妻に向かってガンディーは言った、
「泣くのはやめなさい。泣くということは、私ではなくてハリダスのことを思っているということだ」
ハリダスがどんな罪を犯したというのか。近代的な教育を受けたいと思っただけだ。
ガンディーの生涯をたどると、暴力的なことがたくさんある。
ところが非暴力の傘がすべてを覆ってしまう。
64 :
473:2012/11/27(火) 00:44:49.03 ID:1r3NmtrN
生き延びるために生きることは苦しい。
何故なら、それは社会との自然との絶え間ない苦闘として人生が経験されるから。
そして、仮に、働かなくて良いだけの富を蓄えたらどうなるだろう。
「生き延びるために生きる」というマインドと直面することになる。
このマインドはお金があれば消えると言うものではない。
人のマインドの、人のあり方の根本だから、、。
「生き延びるために生きる」マインドは、お金を追っているうちは良いけど、お金があっていざ落ち着いてみると、
このマインドはこの在りかたは、苦しみになる。
結局は欲望なので、生存を確保したら欲望そのものは苦しみになってしまう。
欲望は生存を満たしたら、他の贅沢や栄光など新しい対象に移ってゆく。
生き延びるために生きることが苦しいと理解した人が信頼の道に入ると聞きます。(モジュッドの伝記など)
そうして自身の生存を明け渡せば、自然と自分がこの世であるべき場所に収まり、労働と言う苦闘ではなく世界が自分を働かすようになるかもしれません。
65 :
基地P〜♪:2012/11/27(火) 02:52:21.95 ID:4CalQ3Sw
66 :
素人A:2012/11/27(火) 07:21:54.51 ID:5Q5f/b3a
死んだらどうなるのか?私にはよく見えないいや身得て居ない。今は此の世の仲で今個個の夢の中鴨?今の時代は欲見えない物は
役に立たない社会で、宗教者と言えども社会の為にならない発言は思っていても控える。今だけでは無い個人は社会の権威が無い
と生きて生けないし、精神も社会や本能から自由では無い、昔は神や仏が居たと信じられていた。それは社会の皆がいい加減だけ
ど信じていたからか。今はガリレイにキリスト教の神?が負けたから、人々の身を守る社会が一番偉いになつたのか、でも日本は
仏教国?西洋に攻めつぶされたわけでは無い?何でそうなつたのか?やっぱり金と個人主義つまり国の法を守っていれば我侭が出
来るし、社会と言う魔法使いに結局は身だけではなく精神も使われるし、科学は真理の追究が仕事?だが社会の為になるつまり金
になる仕事には熱心だが、金にならない心理学など力も入れない。みんな見えて役立つ事しか感心もなく今の精神も脳で解決しよ
うとすれば死は脳の死?私には死は身得て居ないけど精神は駄洒落的に生死んというし、見えない者を信じる事も一大事かも、
結局今私に解っている事は今此処は過ぎることもなく永遠の今此処に居るという事だけ?今此処が死ぬことないと思うけど?よく
知らない事の言い訳にだらだら。好くわからんけど、あまり今と変わるようで変わらないのを繰り返す様な樹が擦るだけ?人の好
い私は社会に歯向かう事は無いけど魔法には掛からない人で見えない目もあるんだようと、てきとうに生きている鳴るように鳴る
大昔の日本人は神を信じていたのではなく、自分が神の末裔だと知っていたのではないかと思います。
日本人だけではなく、太古の人々は体でそれそれを知っていたのではないのでしょうか。
体を損じても大事な傷でなければやがて時間が治癒してくれる、いや、自分の体そのものが治癒に導く。
それが何を意味するのかも本能的に知っていたのかもしれませんね。
日本の神社は自分が何物であるのかを忘れないためのお社でもあると思います。
だからこそ、そこを訪れると身が引き締まるのだと…。
68 :
素人A:2012/11/27(火) 08:34:36.38 ID:5Q5f/b3a
私は満点が星意いや、夜の寒いベランダで満天の星空を見ているといっも家族に寒い仲のアホらしいと言われる。
でも星も出ない曇りの真っ暗な闇空が一番好き、何故かボーっとして闇に吸い込まれる様な暖かさを感じるけど
何でかなあ、闇夜なんか私には良くわからない大きさが?もう止み意と言われそうだけど、
哲学的で孝子師匠の満天の星 この人は眉間の星が輝いている。
http://www.youtube.com/watch?v=byqktO4Cku8
私も晴れでも曇でも空を見上げることが好きですが、もう20年以上も前に心の病が苦しくて
絶望とともに一面の曇り空を眺めていたとき、あてもなくある一点を見つめ続けていると
その一点が急に輝き雲が切れて月が顔を出したと思うと間もなく、雲一つない満月の夜空。
驚いたのと訳の分からぬ思いとで涙が溢れ出して、今も覚えていますが。
全ては一つの意識なのだと、今なら疑いませんね…。
70 :
神も仏も名無しさん:2012/11/28(水) 02:31:06.63 ID:Lhe/ARSz
ダぁイナぁマぁイトぉ〜
71 :
ゲッパリラ:2012/11/28(水) 07:01:25.55 ID:yun7XGXl
苦しい時はツケを払っていると思いなさい
楽しい時はツケを溜めていると思いなさい
72 :
素人A:2012/11/28(水) 07:14:44.24 ID:9gwW/71H
ショーペンハウアー自身の決定的な貢献は次の認識にあります。私たちの外的な目は時空の場の中のみかけの現象しか見かけ
ませんが、しかしこれらの現象全ての内的経験は、意欲する主体としての彼、彼女、ないしそれ自身の経験なのです。この内
的経験はー私たちには隠されていますがー実際は、アートマン=ブラフマンすなわち普遍的自己のエネルギーの経験なのです。
ただそれは幻影である個人自身の死の恐怖および幻影としての生存への欲望によつてサンサーラ(時間的な幻影の影)に繋がれ
ているのです。つまり(生の意志)の衝動は自分自身としてのアートマンの経験ですが、それはーショーペンハウアーの認識で
はー「同情」(慈悲)の洞察という形でのみ生起します。それは菩薩の性質に他なりません。彼は有名な論文「道徳の基礎につ
いて」の中で次の問いをだしています。(続く)
73 :
素人A:2012/11/28(水) 19:29:48.86 ID:9gwW/71H
続き)「ところで、私のものでもなく、私と関わりない苦悩が、それ以外の場合には私自身の苦悩だけがそうである
ように直接に私動機となり、私を行為へと動かすという事は、どの様にして可能なのだろうか。[・・・]この過程は神秘的で
ある。それは理性が直接に報告しえないものであり、それらの根拠を経験によつて見出すことの出来ないものである。にもか
かわらず、それは日常的なことである無常このうえない人、我欲きわめて強い人にとつてさえ、無縁な事ではない。この現象
は日々われわれれの目前に、個々のことにあらわれる。熟慮を重ねる事も無く直接的衝動によつてある人が他人を助ける、
救援に駆けつける、それどころか見知らずの他人のために、その他者の大きな困惑と危険とを眼前にしているということ意外
には何も考えることなく、自分の生命をきわめて明白な危険にさらすことさえある。[・・・]と」(つづく)
(つづき)この問いに対してショーペンハウアーはこう答えます。この瞬間の反応と行動には、ある形而上学的認識が
顔を覗かせているのだ、とーすなわち(彼はこれをサンスクリットで表現しますが)「汝はそれなり」という認識が。さらに彼
はこう言います「だがこのことは、私が他人とあるていど同一化し、したがって、自我と非自我とのあいだの垣根がその瞬間
には解消してしまつていることを、前提している。そのときだけは、他者の要件が、その必要、その困惑、その苦悩が、直接
自分のものとなる。そのとき、私はもはや他人を経験的直感があたえるままに私にとつて無縁なもの、どうでもよいもの、私
とはまつたく異なったものとは見ないで、私の神経が皮膚に包まれているのではないにも関わらず、その他者においてもとも
に苦悩するのである」(つづく)続きを早く貼ら無いとまた中途半端で知りきれトンボになるので後は明日?
74 :
ゼノン:2012/11/29(木) 05:26:19.13 ID:MaSGJY9U
ある覚者が朝起きたら寒かった。
彼はコートとマフラーを身につけて家を出た。
75 :
素人A:2012/11/29(木) 10:18:24.41 ID:ooWnvjVL
有る書く者が朝掟長いと言われた。どらまあ演じているのだろうけど身時書く
76 :
神も仏も名無しさん:2012/11/29(木) 11:57:27.83 ID:B6MBTs+t
ある覚者が朝起きたら寒かった。 彼はコートとマフラーを身につけて家から追い出された。
彼はただのニートだった。彼は初めて社会の凍えるような寒さを知り家族が彼に対して今までどれほど温かい対応をしていたか知った。
彼はコートを捨てた。そしてマフラーも捨てた。彼は自然の、人間社会の寒さに覚者として己の体一つで勝負を挑んだ。
翌朝彼の体は冬の外気と同じくらいに冷たくなっていた。しかし彼の表情は満足そうにみられた。
加護のもとで屁理屈をこねていた自称覚者ではなくまさしく己のみで生きようとした覚者としての美しさがそこにはあった。
>>76 まあ、自分の裸を他人に見せて喜びを感じる人って、どこにでもいるからねぇ
長いのが好きな人短いのが好きな人
>>76 1レスの中で矛盾だらけだぞ。
>>80 >長いのが好きな人短いのが好きな人
レスの文章の長さの話ね、わかります。
86 :
素人A:2012/11/30(金) 08:39:47.13 ID:N9+KfI6r
途中に在って家舎をわすれず。 家舎とは本来の自己がいるところです。途中とは旅なら今此処にある風景か?土地の風景画み
えるけ如何の行ってもほつとけと私の同行の二人旅、行く先不明でも意味不明でもたびたびのまあ好い風景そのものが目的化
何言っているのだろうかまあ一歩一歩後ろ前進もあるで世
87 :
ゼノン:2012/11/30(金) 08:42:40.61 ID:Dk2FJP6v
家を出た覚者が空を見ると明けの明星が美しく輝いていた。
その輝く星の前を更に七ツの星が流れた。
「カーッ」
どこかでカラスが夜明けを告げた。
本来の自己は目覚めを創造しているのかもしれませんね…。
90 :
神も仏も名無しさん:2012/12/01(土) 01:29:10.56 ID:QbB/txx2
あかひげのダイナマイトセックスは?
91 :
素人A:2012/12/01(土) 08:11:15.78 ID:9p8sgZhC
ガリレイの地動説のせいでカトリックの神が科学に負けたせいで非科学的な?神は物理的理論に適合できず経済的な活動もなく
役に立たないものとみなされる、老人も古いだけで何の役に立たないから経済的には損失と見られるのか?現代では役に立つ
紙の金が信仰されるし、現世で見えない解らないものは社会に役にも立たない。から個人も損な者に関わると損で社会に迷惑
かける、永遠なる真実は経済には何の関係無いとにかく生きていくには金かかるし、金が無いと家族や社会にも迷惑がかかる
寧ろ科学技術で神様の実在を証明しろよ!?♪。
>>91 神は科学「法」則に負けたのか
法・・・あれ?
そんなやがて滅び行く地位や金にしがみつかなければ生きて行けない世界に何の未練があろうか。
言葉は悪いが同じゲームはもう飽き飽き、次に行こう、しかしどの次元に進んでもやはり飽きがくるのは目に見えているし
創造主そのものに直談判しに行くしかないのか、魔法をといてくれと…。
95 :
ゼノン:2012/12/01(土) 10:23:09.63 ID:qWyHqysK
覚者が明けの明星を見た時、彼は明けの明星だった。
覚者が流れ星を見た時、彼は流れ星だった。
覚者がカラスの声を聴いた時、彼はカラスの声だった。
神はわたしであるが、わたしは神ではない。
わたしはまだ知性の確信しか得られていません…。
ヘヘェ〜イ、シャバダバダディ〜、イェーイ
俺が昔、覚者だった頃
弟は明けの明星で、父さんは流れ星、母さんはカラスの声だった
わかるかなぁ、わかんねぇだろうなぁ〜
>>94 創造主に他人のためのゲームを作れば?
と言われたら作れるかい?
でもそのゲームを自分はプレイ出来ない。
あれ?そんな天(神様)がどっかにいなかったけ。
>>97 人殺しを完全に理解したのは・・・
殺人者になった時だったということか・・・ゴクリ
100 :
パーピマン:2012/12/01(土) 12:46:14.10 ID:FOlP+Z6h
人を不快にさせることだけが楽しみのカス。
102 :
パーピマン:2012/12/01(土) 13:18:53.95 ID:FOlP+Z6h
ツイィートしてるアホがいるなwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
人生とは死によってしか醒めることのできない長い長い悪夢である。
104 :
パーピマン:2012/12/01(土) 13:33:13.82 ID:FOlP+Z6h
>>103 >人生とは死によってしか醒めることのできない長い長い悪夢である。
お前の人生悪夢wwwwwwwwお前だけだーーwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
アホはお前WWWWWW
>>103 たまに生きてる時に夢から醒める人が居るんだろうね、俺も三ヶ月に1分くらい醒めるよWWW
107 :
パーピマン:2012/12/01(土) 14:45:43.09 ID:FOlP+Z6h
>>106 お前の人生も悪夢wwwwwwwwwwwwwwwwwww
と、意味不明の供述をしており...
>>108 >俺も三ヶ月に1分くらい醒めるよWWW
wwwwwwwwwwwwwお前の人生三ヶ月に1分だけwwww
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
wwwwwwww
ノータリン。
111 :
パーピマン:2012/12/01(土) 16:25:25.86 ID:FOlP+Z6h
エサに食いつくサルWWWWWWW
113 :
パーピマン:2012/12/01(土) 16:31:26.31 ID:FOlP+Z6h
114 :
パーピマン[:2012/12/01(土) 16:31:59.11 ID:FOlP+Z6h
115 :
パーピマン:2012/12/01(土) 16:33:53.99 ID:FOlP+Z6h
>>112 人を不快にさせることだけが楽しみのカス。
ムキーッ!
ムキーッ!
ムキーッ!
WWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWW
117 :
パーピマン:2012/12/01(土) 16:56:56.99 ID:FOlP+Z6h
ウッキィィィーーーィイイーーイイーーーウキャウky
↑和解求 すいませんでした。
妄想するサルWWWWW
119 :
パーピマン:2012/12/01(土) 17:14:03.39 ID:FOlP+Z6h
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
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120 :
パーピmン:2012/12/01(土) 17:14:51.09 ID:FOlP+Z6h
WWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWW
117 名前:パーピマン[sage] 投稿日:2012/12/01(土) 16:56:56.99 ID:FOlP+Z6h [10/11]
ウッキィィィーーーィイイーーイイーーーウキャウky
↑和解求 すいませんでした。
118 名前:神も仏も名無しさん[sage] 投稿日:2012/12/01(土) 17:11:19.62 ID:BTQbqzWZ [8/8]
妄想するサルWWWWW
119 名前:パーピマン[sage] 投稿日:2012/12/01(土) 17:14:03.39 ID:FOlP+Z6h [11/11]
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
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121 :
パーピマン:2012/12/01(土) 17:15:15.67 ID:FOlP+Z6h
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wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
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120 自分:パーピmン[sage] 投稿日:2012/12/01(土) 17:14:51.09 ID:FOlP+Z6h [12/12]
WWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWW
117 名前:パーピマン[sage] 投稿日:2012/12/01(土) 16:56:56.99 ID:FOlP+Z6h [10/11]
ウッキィィィーーーィイイーーイイーーーウキャウky
↑和解求 すいませんでした。
122 :
p−ピマン:2012/12/01(土) 17:15:42.89 ID:FOlP+Z6h
119 名前:パーピマン[sage] 投稿日:2012/12/01(土) 17:14:03.39 ID:FOlP+Z6h [11/11]
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121 名前:パーピマン[sage] 投稿日:2012/12/01(土) 17:15:15.67 ID:FOlP+Z6h [13/13]
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
123 :
パーピマン:2012/12/01(土) 17:16:14.93 ID:FOlP+Z6h
119 名前:パーピマン[sage] 投稿日:2012/12/01(土) 17:14:03.39 ID:FOlP+Z6h [11/11]
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
121 名前:パーピマン[sage] 投稿日:2012/12/01(土) 17:15:15.67 ID:FOlP+Z6h [13/14]
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
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wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
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124 :
パーピマン:2012/12/01(土) 17:24:01.29 ID:FOlP+Z6h
123 名前:パーピマン[sage] 投稿日:2012/12/01(土) 17:16:14.93 ID:FOlP+Z6h [15/15]
119 名前:パーピマン[sage] 投稿日:2012/12/01(土) 17:14:03.39 ID:FOlP+Z6h [11/11]
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
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wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
121 名前:パーピマン[sage] 投稿日:2012/12/01(土) 17:15:15.67 ID:FOlP+Z6h [13/14]
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
125 :
パーピマン:2012/12/01(土) 17:24:38.62 ID:FOlP+Z6h
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
124 自分:パーピマン[sage] 投稿日:2012/12/01(土) 17:24:01.29 ID:FOlP+Z6h [16/16]
123 名前:パーピマン[sage] 投稿日:2012/12/01(土) 17:16:14.93 ID:FOlP+Z6h [15/15]
119 名前:パーピマン[sage] 投稿日:2012/12/01(土) 17:14:03.39 ID:FOlP+Z6h [11/11]
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
121 名前:パーピマン[sage] 投稿日:2012/12/01(土) 17:15:15.67 ID:FOlP+Z6h [13/14]
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
126 :
パーピマン:2012/12/01(土) 17:25:02.34 ID:FOlP+Z6h
125 自分:パーピマン[sage] 投稿日:2012/12/01(土) 17:24:38.62 ID:FOlP+Z6h [17/17]
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
124 自分:パーピマン[sage] 投稿日:2012/12/01(土) 17:24:01.29 ID:FOlP+Z6h [16/16]
123 名前:パーピマン[sage] 投稿日:2012/12/01(土) 17:16:14.93 ID:FOlP+Z6h [15/15]
119 名前:パーピマン[sage] 投稿日:2012/12/01(土) 17:14:03.39 ID:FOlP+Z6h [11/11]
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121 名前:パーピマン[sage] 投稿日:2012/12/01(土) 17:15:15.67 ID:FOlP+Z6h [13/14]
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127 :
パーピマン:2012/12/01(土) 17:25:21.25 ID:FOlP+Z6h
125 自分:パーピマン[sage] 投稿日:2012/12/01(土) 17:24:38.62 ID:FOlP+Z6h [17/17]
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124 自分:パーピマン[sage] 投稿日:2012/12/01(土) 17:24:01.29 ID:FOlP+Z6h [16/16]
123 名前:パーピマン[sage] 投稿日:2012/12/01(土) 17:16:14.93 ID:FOlP+Z6h [15/15]
119 名前:パーピマン[sage] 投稿日:2012/12/01(土) 17:14:03.39 ID:FOlP+Z6h [11/11]
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121 名前:パーピマン[sage] 投稿日:2012/12/01(土) 17:15:15.67 ID:FOlP+Z6h [13/14]
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128 :
パーピマン:2012/12/01(土) 17:26:32.94 ID:FOlP+Z6h
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121 名前:パーピマン[sage] 投稿日:2012/12/01(土) 17:15:15.67 ID:FOlP+Z6h [13/14]
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127 自分:パーピマン[sage] 投稿日:2012/12/01(土) 17:25:21.25 ID:FOlP+Z6h [19/19]
125 自分:パーピマン[sage] 投稿日:2012/12/01(土) 17:24:38.62 ID:FOlP+Z6h [17/17]
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124 自分:パーピマン[sage] 投稿日:2012/12/01(土) 17:24:01.29 ID:FOlP+Z6h [16/16]
123 名前:パーピマン[sage] 投稿日:2012/12/01(土) 17:16:14.93 ID:FOlP+Z6h [15/15]
119 名前:パーピマン[sage] 投稿日:2012/12/01(土) 17:14:03.39 ID:FOlP+Z6h [11/11]
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129 :
神も仏も名無しさん:2012/12/01(土) 17:31:18.75 ID:dsRfRkve
130 :
パーピマン:2012/12/01(土) 17:33:10.35 ID:FOlP+Z6h
妄想するサルWWWWW
119 名前:パーピマン[sage] 投稿日:2012/12/01(土) 17:14:03.39 ID:FOlP+Z6h [11/11]
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121 名前:パーピマン[sage] 投稿日:2012/12/01(土) 17:15:15.67 ID:FOlP+Z6h [13/20]
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131 :
パーピマン:2012/12/01(土) 17:33:36.64 ID:FOlP+Z6h
妄想するサルWWWWW
119 名前:パーピマン[sage] 投稿日:2012/12/01(土) 17:14:03.39 ID:FOlP+Z6h [11/11]
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121 名前:パーピマン[sage] 投稿日:2012/12/01(土) 17:15:15.67 ID:FOlP+Z6h [13/21]
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132 :
パーピマン:2012/12/01(土) 17:34:30.58 ID:FOlP+Z6h
>>129 121 名前:パーピマン[sage] 投稿日:2012/12/01(土) 17:15:15.67 ID:FOlP+Z6h [13/20]
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133 :
パーピマン[:2012/12/01(土) 17:34:50.83 ID:FOlP+Z6h
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121 名前:パーピマン[sage] 投稿日:2012/12/01(土) 17:15:15.67 ID:FOlP+Z6h [13/21]
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134 :
パーピマン[:2012/12/01(土) 17:35:55.84 ID:FOlP+Z6h
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133 名前:パーピマン[[sage] 投稿日:2012/12/01(土) 17:34:50.83 ID:FOlP+Z6h [24/24]
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121 名前:パーピマン[sage] 投稿日:2012/12/01(土) 17:15:15.67 ID:FOlP+Z6h [13/21]
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サル発狂WWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWW
136 :
神も仏も名無しさん:2012/12/01(土) 18:30:05.35 ID:dsRfRkve
>>98 どの次元に進もうと最終的には自分の根源を知りたくなる
私たちは創造主の欲求を実践しているのかもしれません。
自分を探求し自分を知ることこそがそのまま真我の欲求ではないでしょうか…。
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wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
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( ´△`)wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
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wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
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143 :
素人A:2012/12/02(日) 07:04:54.93 ID:OrrpnW0l
WWW?どうやって忍者の眼から逃れているのか?同じように見えても微妙に変えてい居る?。学んだ。
日々是好日つまり GOOD-DAY作詞岡村孝子 最後のページを涙で綴った 駆けぬける季節にピリオドつけてる
争った日々も微笑んだことも もう二度と変えることのない時間の中 思い出に変わるならばさよならも越えられるね
Good-Day 今日の風に吹かれ 生まれたての私になる せきたてるような毎日の中で 大切な何かを失くしてゆくけど
出会ったすべてを信じて生きてるただ一つ私が選んだ運命を 思い出に変わるならば傷ついた日々もういつか
新しい風になって息づく未来を連れてくる 深い闇も遠い夢も涙色の空ににじんでゆく 思い出に変わるならば
さよならも越えられるね Good-Day 今日の風に吹かれ 生まれたての私になる
144 :
ゼノン:2012/12/02(日) 08:56:43.93 ID:o0IfjY7U
彼は明けの明星であり流れ星であり夜明けを告げる声であった。
ビューティフルだ。
しかし生はいつ何をもたらすかわからない、生の一寸先は闇だ。
この時さすがの覚者も気づいていなかった、よもや背後にティラノサウルス レックスが近づいていようとは・・・
いずれにしても全てホームだ。
信じられることが素晴らしい、たとえティラノサウルスが忍び寄ろうと…。
146 :
素人A:2012/12/02(日) 11:43:54.05 ID:OrrpnW0l
網陀如来の意図に操られた我々は真理尾ネットなのか?如来いや未来空みれば
過去の未知は一つも間違い無く観得るし、我々は言うそれも輪空内不幸塀とまあよいか?
私たちは何一つ間違った選択は出来得ない。
不完全さの中での選択こそがまさに今ここを表している。
不完全な自分を信じられれば、それこそが我が家に留っていたことを意味するのでしょう…。
>>147 だな。
そして正しさを求め足掻くことも何一つ間違って無い。
結婚しよう。
選択した結果が現在であって選択に正誤は存在しない
選択した結果を見て考えるのが現在
150 :
素人A:2012/12/03(月) 07:34:57.34 ID:qYSeDruE
アクイナスはこう言っている「『三つのものが美には必要である翻訳すれば、全体性、調和、そして光輝』となる」。全体性この
原理の機能は、みずから規定されかつ規定するような、実践とは関わりの無い、閉じた錬金術的な場を創り出すところにありま
す。それがどんな効果をもつかを見るには、何でもいいからいくつかの事物の集まりー例えばテーブルの上の品物の集まりを眺め
て、創造の中でその周囲に枠をおいて見て下さい。すると枠の中の事物の総てが「ひとつのもの」と見なされるでしょう。それは
もはや、いろんな用途をもつ無関係な事物の集合では無く、ある構成の部分であり、相互に関係づけられています。(つづく)
151 :
ゼノン:2012/12/03(月) 09:59:35.79 ID:e09zg99c
バクッ、ムシャムシャ、ゴクリ。
ティラノサウルスはわずか5秒で覚者を食べてしまった。
惚れ惚れするほど見事な食べっぷりである。
お釈迦様も激しい腹痛の末涅槃に入られた。
死(ティラノサウルス)を避けられる肉体は存在しない…。
153 :
素人A:2012/12/03(月) 11:59:51.83 ID:qYSeDruE
私の夢の世界でも時々恐ろしい怪獣が現われる、とうてい敵わない、岩陰や森の中
に決まって逃げる、ほら穴が前にある?何とか恐怖の中逃げ伸びるけど?岩の割れ目?
穴?掟胸なでおろすけど?又輪廻転生鴨、
154 :
神も仏も名無しさん:2012/12/03(月) 13:08:05.03 ID:A+9m2PHQ
選択なんか存在しねえよ
自己を信じるほかはないのかもしれません。
このあら削りな世界でどこまで成熟できるか、二元性の世界での経験の意味するところを理解したとき
それは終わるのかもしれませんね、そこから先のことは未知に明け渡すしかないのでしょう…。
次の選挙は自民党一択だな。
自民党にも問題議員は居るが、他が悪すぎる。
小泉竹中の構造改革が日本を地獄の不況に追い込んだのは事実だが、
現実的にその不況脱却の政策を掲げているのは安倍さんだけだ。
他は脳内お花畑路線でしか無い素人集団。
157 :
素人A:2012/12/03(月) 16:09:15.74 ID:qYSeDruE
又途中で挫折そうなつても全然後悔は竹刀それは三馬身だけど (つづき)〔いんも訳は? 「そのように」「この
ように」「そのような」「このような」「ありのまま」「このとおり」〕・・ 考えてもみたまえ、この身はすでに私のものでは
無い、いのちは時の流れに流されて、一瞬も留まらない。・仮に真があるのならそれは私の領域にとどこおるものではないそれが
いんもなのである。いんもなれればこそ、ふと思わず菩提心がおこることがある。この心が起こってみるとこれまで考えあぐねて
いた事をさらりと投げ捨てて、いまだかつて聴いた事を聴いてみようと願い、これまで体得した事も無い事を体得しようと望む。
これはもはや私の仕業では無い。いんも人なればこそ、そうなる事をよくよく思うべきである。(つづく)写すけど少し変えるWWW
158 :
素人A:2012/12/03(月) 19:50:32.26 ID:qYSeDruE
明日は衆議院選挙の公示日だけど全然みんなデフレから脱出出来ない政策しか無いのか?寺銭を
上げるとそれじゃ消費は税税いうもう苦しい喘息状態で上げたらまた上げ因でまた上げる困った
ものだ。それしか無い政治果や経済学者の頭も悪い。5パーセントは寺銭無しの宝くじにしょう。
射幸心を煽って消費増大になつて金は回りだすと思うけどどうせ上げるのなら何でやらない
宗教を語る場所で経済を語っていることに幻滅した
160 :
王:2012/12/04(火) 00:49:39.04 ID:4szPg7jC
>>159 このスレは宗教を語るスレでは無い。
このスレは悟りを語るスレだ。
つまり全てを語るスレだ。
その全てには経済も含まれる。
全ては「それ」だ。
>>160 経済は物理的事象なので悟りを経た上でに成りたつ事象であろう
それもまた悟りであるということは全く同意ではあるが個別の事象についてここで語ることは適切ではないだろう
共産主義や資本主義について語るならまだ少しは理解はできないこともないが俺はそれも適切ではないと思う
なぜならルールとであるだけだから
162 :
安堂:2012/12/04(火) 01:05:51.09 ID:dL7WPzwZ
現実逃避かよ?
163 :
王:2012/12/04(火) 01:12:53.93 ID:4szPg7jC
>>161 >経済は物理的事象なので悟りを経た上でに成りたつ事象であろう
経済は物より先に心理的事象がある。
経済の本質は欲得であり、更に深い所には恐怖を避け安心を得たいという心理がある。
実は探求者が悟りに求めるものも同じだ。
今日は寝る。
悟りというのは心理と物理を含めた、そしてそれ以外もすべて含めたあらゆる実在現象からなることでしょう
ただし2chには経済板と言う経済を専門に語る場所が存在する
経済論について語るのであればそれはそこでやるべきであると考えるのが私の主張です
それすらを否定するのであれば貴方は悟りを語るべきではないと私自身の思考からくる結論だと言うということです
これでも理解していただけないのであればそれ私の努力が足りないと言うことです
165 :
安堂:2012/12/04(火) 02:17:03.34 ID:dL7WPzwZ
退避だ!
退避だ!
退避だ!
166 :
素人A:2012/12/04(火) 07:14:39.61 ID:zrh+HGG8
キャンベル 仏教徒の言うニルバーナーとは是と同じような、平安の中心点です。仏教は心理学的な宗教です。それは苦悩と言
う心理学的な問題から出発する。総ての生はは悲しみに満ちている。しかし悲しみから逃れる道がある。逃れる道とはニルバー
ナである。ニルバーナは精神の、ないしは意識の状態であって、天国のような場所ではありません。それはごちゃごちゃと騒が
しい人生の真っただ中に存在するのです。それはもはや欲望や、恐怖や、社会的なしがらみに駆り立てられないあなたがー自己
の見い中心を見つけ、そこでの選択に従って行動できるあなたがー見いだすであろう心の状態です。この中心から自発的に出て
きたのが、ボディサトヴァの行為です。世界の悲しみへの、喜びに満ちた参加です。すでに欲望の呪縛から開放しているから・
私たちは既に我が家に住み続けながら、永遠の我が家を探し歩いているようなものだったのです。
我が家を内側に持ち続けているのに外側に我が家を求めてさ迷っていることに気づかない。
何と滑稽なことでしょう、私はこのことに気づいたとき深い溜息をつきました…。
168 :
ゼノン:2012/12/04(火) 11:39:22.89 ID:RXBnlojy
それは途方もなく巨大なティラノサウルスであった。
全長は13メートルにたっし、体重は9トンを下ら無いであろう巨体だ。
その巨体が苦しみの声を上げ血へどを吐き倒れた。
スクッ、三本の刃物がティラノサウルスの腹から出現した。
169 :
王:2012/12/04(火) 12:02:03.67 ID:4szPg7jC
>>164 >経済論について語るのであればそれはそこでやるべきであると考えるのが私の主張です
そう、あくまでも貴殿の個人的な主張だ。
本来非分割な「それ」を分割し寺院にしまい込みたがる自我の分割癖だ。
だが、今、太陽は昇り夜明けが来たのだ。
170 :
素人A:2012/12/04(火) 19:55:23.76 ID:zrh+HGG8
現代社会の流れは金と機械化の合理的な経済原理に人類は流されて行く、これから益々優秀な
ロボット出現で人は仕事も能力もオマケの人生が待っているのか、そしてロボットを奴隷とて
使っても、仕事も戦争もロボットを奴隷の様に使っているとロボット革命が起きると人間は
おじゃんとなる暗い未来の話になつてシマツタ。今の流れのままではこうなるような
171 :
素人A:2012/12/05(水) 07:55:59.65 ID:GqPEJqE+
>>150続)その枠の外にあるものー例えばテーブルの部分は、いまや「他のもの」となり、枠の中にある事物のすべては一つのもの1234
になります。スティブの言葉では、「君はそれを一つの全体として見る。その全体性を認識しているわけだ、これが全体性なのさ
」というわけです。調和 さてこのような構成ができると、次に重要なことーそして重要な事のすべてーは構成の中のそれぞれの
対象ないし事物が此処にあるのか、あちらにあるのかという事、つまり部分に対する関係、各部分の全体に対する関係、全体の各
部分に対する関係です。これが審美的な道具としてのリズム、すなわち調和です。その要素になるのは、事物、色彩、言葉とその
音、楽器、建築の部分とその比率などが考えられます。スティブンの言葉によれば、「君はそれの形の線に導かれ、点から点へと
眼を移してゆく君はそれを、その限界内で均斉のとれているものとして認識する。その構造のリズムを感じるわけだ」(つづく)
172 :
ゼノン:2012/12/05(水) 09:40:28.38 ID:118ns6yG
スクッ、さらに同じ場所に三本の刃物が出現した。
二対の三本の刃物はそこから左右に分かれティラノサウルスの腹を切断していった。
そしてティラノサウルスの腹から血染めの衣を身にまとった覚者が現れた。
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175 :
素人A:2012/12/06(木) 07:13:04.23 ID:BHwyNW+3
T・Sエリオットの「パーントンノートン」 まわる世界の静止点。肉でも肉でも無いものでもなく、そこからでもなく、そこへ
でもなく、その静止点に踊りがある、しかし停止でもなく、それを固定点と呼んではいけない、そこに過去と未来が集まる。
そこからの運動でもなく登りでもなく、降りでもない。静止点、その点がなければ、踊りは無いのだ、あるのはただ踊りだけだ。
わたしたちはそこへ行って来たとと言えるだけで、何処へとは言えない。どのくらい長くとも言えない、そんなことを言えば、
時間の中にそれを置くことになるからだ。実際的な欲望からときはなたれた内面的な自由、行為と苦しみから開放され、
内面的と外面的な強制から開放されながら、しかも恩寵感につつまれて静止しながら動く白い光〔・・・〕
歓喜弥栄、永遠の意識…。
177 :
ゼノン:2012/12/06(木) 08:56:51.51 ID:liKYfoqr
覚者の両手にはそれぞれ20センチほどの三本の刃物が生えていた、まるで爪の様に。
スーッとその三本の刃物は覚者の両手の中に吸い込まれて消えた。
覚者は一度家に帰りシャワーを浴びて服を着替えることにした。
178 :
素人A:2012/12/07(金) 07:28:53.03 ID:tj1bl6wd
岡村孝子さんの五月の晴れた空 五月の ざわめく緑が陽ざしを浴びてゆれている 涙も乾かないうちに
あの子は今日も歩き出す 思い出の一ページがある日そっと消えても 何もかも昨日のまま時間だけが静かに流れる
五月の 晴れた空の色あの子はきっと忘れない 何より深くてせつない悲しい色を忘れない
繰り返す波のようにどんなことがあっても正直に歩いていくそんな生き方 誰より好きだから
肩にかかる 風のように 遠くで 見つめてあげるから 悲しみが胸をうずめ一人きりで泣く日は
真実が誰の目にも同じ様に映るといいのに
?日本語の・・から 漢字に直すと空 色素久世苦 空即是色?続く
179 :
素人A:2012/12/07(金) 08:51:07.90 ID:tj1bl6wd
ぽ師匠有中部貼り付け有難う。岡村孝子さんの詩はファンの人でも詩の内容が解っている人はいるのかどうか?でも難解でも聞き
続ければ解るような解らないよう感じなのかも知れないけど?お経だし聞いている人の仏は詩の風景を見ていると思う詩を写すと
文字通り見えてくるなにかが?たまには文にして眺めれば一望に観えた。お経も眺めれれば仏の風景画観えるかもと思った。孝子
さんも悟りたくない何時も迷い続けていたいと言っているようだけどまあさとつたからまあよいかでよいけど、何よりも深くて
切ない悲しい色とは?この表現の意味とは不解けど一解は観て見なければ行かんのか?世界は孤独の眼空見れば深い悲しみに
とら割れているのか?孤独な空が悲しいのか?まあ空と色がお互い一の如しで揃って一人前なのか?それは一見しなければ行かん
のか?百聞は一見にしかずとも言うし今はわかる様なわからないようなまあよいの今か?色即是空 空即是色で一人真あ絵何だ空
180 :
ゼノン:2012/12/07(金) 09:24:34.74 ID:Qvk7mVLI
熱いシャワーが身体を清めながら流れ落ちていく感覚が心地好い、ティラノサウルスに噛まれた傷は既に治癒していた。
さっきより動き易い服装に着替えた覚者は駅まで約1キロ、徒歩にして15分ほどの距離を走って1分足らずで移動した。
181 :
473:2012/12/07(金) 22:40:40.45 ID:/xZFh9/0
あるがままの、実際の自分の精神の働きに出会ったなら、それを理解したのならばもうそれは変容している。
私はこうこうこうだから、これができない、これをしてしまう、(怖い)と名づけるような精神状態である、これが欲しい
などなど理屈を付けるが、名前を付けるが、
それが変容していないということはまるでそれそのものと出会っておらず、エゴによってエゴをみてエゴを存続させているに過ぎない。
変容を伴わない知的理解は抑圧に過ぎない。
自分は怖がりだと認めたところで、それすら抑圧に過ぎず、自分のあるがままの本当の愛も、憎しみも、欲も、
その暴虐なまでのエネルギーに直接出会っているわけではない。
182 :
473:2012/12/07(金) 22:44:27.21 ID:/xZFh9/0
人は各々過去に条件付けられている。
だから、他人になることは出来ない。
もう既に精神の習慣はついてしまった。
それを抑圧して新しい習慣を完全に上書きすることは出来ない。
(瞑想をしているのならば無理。普通の人は自身を強制的に新たに条件付けることも出来る。)
自我の改良や変更ではなく、あるがままの自我からの解放。
瞑想はこの向きにしか作用しない。
もちろん解放されれば今までの制約は消える。
しかし、制約が消える前から別の習慣を身につけようとすることは瞑想と相反する。
ここが難しい。
瞑想は人を自然なあり方に赴かせるが、野心とは相容れない。
もちろん野心無く成功を収める可能性もあるが、その場合もとの野心ある自我は死んでいる。
成功はあっても、成功者はもはやいないだろう。
183 :
473:2012/12/08(土) 01:11:20.24 ID:eQUMRJi0
何もしないと混乱がわいてくる。
何かをしていると恐怖がわいてくる。
この混乱や恐怖を見つめることを続けていたが、それは無意味なことだった。
その無意味さを痛感するための道のりであったように思う。
混乱がわくなら、混乱を作っているのが主体である私。
主体である私が生きながらえたまま混乱が消え去ることはありえない。
恐怖についても同じ、、。
消え去るのは現象、感情、思考、という客体ではなく、主体、感じる人、思考する人そのものであった。
その主体が死ぬのではなく、他のパターンを上乗せしようとすることが182で語っていたことでした。
184 :
473:2012/12/08(土) 01:12:24.32 ID:eQUMRJi0
何かをし、何かに取り付かれているうちは気づかない。
しかし、その表層の欲望が消えると、深層の複数の思考による混乱が現れる。
そして、「私」こそその混乱する人そのものなのです。
185 :
神も仏も名無しさん:2012/12/08(土) 01:39:56.88 ID:61A88Rxm
ところで、あかひげ薬局のダイナマイトセックスは効くんか?
おわったすれだーねー
187 :
素人A:2012/12/08(土) 07:27:53.37 ID:HR5S4GTb
188 :
ゼノン:2012/12/08(土) 11:47:48.46 ID:5c7GkHCR
「現在、特別非常事態宣言発令中、一般市民の皆さんは直ちに最寄りのシェルターに避難してください、繰り返します・・・」
覚者が待ち合わせの駅に降りた時から同じアナウンスが繰り返し流されていた。
そして実際街には誰もいないのだ。
189 :
ゼノン:2012/12/09(日) 07:47:04.46 ID:/YSxi+j+
何やらただ事では無い事態なのは確かだった。
覚者の耳には爆音が聴こえていた。
避難を呼びかけるアナウンス、誰もいない街、爆音、この三つから導き出される答えは・・・
「今すぐ逃げろ!」
である。
約束の時間を過ぎても待ち人は来なかった。
190 :
神も仏も名無しさん:2012/12/09(日) 08:39:17.91 ID:5oMjN4f5
キャンベル 永遠性の仮面 ・・私達西洋人の考えでは神は宇宙のエネルギーと神秘の究極的な原因、ないし根源です、ところ
が東洋的の大方の思考によれば、また原始人の考えからしても、神々は究極的には超人間的なエネルギーの顕現または伝達者で
す。神が源泉なのではなくそのエネルギーを運ぶ者に過ぎない。そして関係するあるいは伝達されるエネルギーの大きさや質と
いうものが、その神の性格と役割を決定する。暴力の神々がいる。慈悲の神々がいる。見えざる世界と見える世界とを結び付け
ている神々がいる。それに戦争のとき国王や国土を守護するだけの神々もいる。それらはみな作用しているエネルギーの擬人化
です。モイヤー「とすると宿命的に一種の無秩序・・つまり争いがつづくことになる」キャンベル「そうです生活そのものと同
じでして・・・」 という事で総てのものは生きている生きているからあらそうか
191 :
473:2012/12/10(月) 02:21:07.80 ID:v8eCFXSE
僅かだが変容が訪れたのだ。
それはほのかな光であり、ゆっくりと暖められてゆけばいい。
しかし、私はそれが何か知っており、その知識においてそれを増幅しようとしてしまい、
またほのかな光に過ぎないのに、無理やり自分の苦しい習慣を撲滅しようとしてしまっていた。
それは無理なのだ。無理をしようとしたら何もかも台無しになる。
そして、私が本当に見出したことだけが本物であり、知識、知識による増幅は単なるマインドに過ぎない。
こうあるべきと自分に押し付けると自分は2つの部分に分裂し、内部葛藤してしまう。
192 :
satie:2012/12/10(月) 02:27:31.85 ID:D7u/gZ89
それさえも語らず、ただじっと自分を観る。
産まれたてのものに形を与えようとすると奇形になる。
赤子はオギャーオギャーとなくけど、大人(求道者)はそうであってはならない。
個人は個人の教師たれ。その個人の「個人の教師」こそが、本当の個人への小さな通路だから。
193 :
素人A:2012/12/10(月) 06:27:13.83 ID:MEMlJyFC
色即是空ネタ?モイヤー「先生は「神話のイメージ」の中で変容の中心について、時間という壁が消えて奇跡が現れる場所につ
いて書いておられる。聖なる場所を持つとはど゛ういう意味ですか」キャンベル「これは今日すべての人にとって必要
不可欠なことです。今朝の新聞になにが載っていたか、友達はだれなのか、だれに借りがあり、だれに貸しがあるのか、そんな
事を一切忘れるような部屋、ないし一日のうちのひとときがなくてはなりません。本来の自分、自分の将来の姿を純粋に経験し、
引き出すことのできる場所です。これれは創造的な孵化場です。はじめは何も起こりそうにないかもしれません、しかしもしあ
なたが自分の聖なる場所をもつていて、それを使うなら、いつかなにかが起こるでしよう。」モイヤーズ「この聖なる場所は平
原が狩猟民族にもたらしたものと同じものを私たちにもたらす」(つづく)
194 :
ゼノン:2012/12/10(月) 12:11:41.32 ID:LtpDXX2A
公衆電話も携帯電話も繋がらなかった。
待ち合わせは諦めてシェルターに行くことにした覚者の視界の中に中学の制服らしき服装をした少女がいた。
彼女は空色の髪をしていた
彼女は紅い瞳をしていた
その紅い瞳はまっすぐに覚者を見ていた。
195 :
473:2012/12/11(火) 00:05:35.89 ID:vK36mpia
196 :
473:2012/12/11(火) 00:09:07.24 ID:vK36mpia
区別というものが一切無い、「無」がリアリティだという。
しかし、OSHOが言うには人のマインドはそれを「空虚さ」として認識してそれを恐れてしまう。
空虚さから逃れるため貪欲になり、あらゆるものを掻きこもうとし続けるという。
何のことは無い、人は真理を求めるといいながら、真理である平等性、無を恐れている。
分別するのが自我であるから、自我は空というリアリティーを恐れる。
今空虚さであるものを招きいれ、空虚さだと感じる自分を明け渡すならば、、。
197 :
素人A:2012/12/11(火) 07:06:47.59 ID:AhytVyke
673さんの和尚?の言う独りしか意無い孤独、自由平等ネタは?究極的に独りじゃないと平等が保てない?独りでは何でも出来
ないと思うけど妄想なっている?アートとか想像とかいうほうが芸術的か?嘘空データー誠でました。つまり我々の真我もブラフ
マンビル遮那ほとけの三昧アートは筆先で絵がかれ自分で異論な視点でも鑑賞された絵絵画なあ。何かよくわからんでもキーボー
ドは進む出鱈目なようで出鱈目でもない?色々あれやこれや書き進んでいくしまあよいか、ぽつ師匠も私というものは無いと位置
ていた。どうあがいても独りしかいないので自由に妄想いやアートで何がわるい。妄想中の人にも一人の孤独を解って星意の鴨。
描かれた餅も腹が満たせるいや描かれた餅でなければ満腹にならない。あれ最初から間違い473さんだすいません。
198 :
ゼノン:2012/12/11(火) 13:45:16.81 ID:gisNxmgA
突然何かの音がした。
覚者は音のした方を見た。
ハトの群れが飛び立っていた。
覚者は紅い瞳の少女のいた方に視線を戻した。
彼女はいない。
次の瞬間、爆風が覚者を襲った。
>>196 天動説=有、地動説=無でありリアリティなわけ。
事実とは空虚とも言える。恣意性のない場所だから。
>>196の説は天動説、地動説にすっぽりおさまる。
事実とは、そうは思いたくないものなのだよ。
>>191 葛藤とは事実と希望の交錯だ
希望がなくなれば葛藤は止む
そして希望とは欲求とも言う
202 :
473:2012/12/11(火) 21:31:26.41 ID:vK36mpia
事実にとどまるというのは右にも寄らず、左にも寄ろうとしないこと。
しかし、私たちは今まで、右に傾いたマインドと左に傾いたマインドを交互に使って、、
いやそれに使われて分裂してきた。
ひとはどちらだけでも生きられないから必然的に分裂することになる。
頭から降りて、ハートに、ハラに任せると自然とその人にとってのバランスの取れた生が紡がれ始める。
が、正にその時、右に行こうとするマインドはいつも通りその極端に行きたがるし、左に行こうとするマインドはその理想で右を抑圧する。
ここから抜け出るのは、、正に抜け出ることのようです。
抜け出る前と抜け出た後に一切の連続性は無く、進歩も無い。全くの別物。
203 :
473:2012/12/11(火) 21:33:21.59 ID:vK36mpia
思考は一体であり無であるリアリティーに意味をつける。
意味をつけることによって快楽を体験することが出来る。
しかし、快楽を楽しみ、、そしてそれに執着してしまうのであるが、
執着してしまうが故にリアリティーの反撃を受け大いに苦しんでしまう。
ありもしないものをあると思い込んだらそれは反動があるでしょう。
そしてあると思うものは全てありもしないもの。
204 :
《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2012/12/11(火) 23:52:11.05 ID:Q7+m3iUx
>>198 ゼノン ちゃん
> 次の瞬間、爆風が覚者を襲った。
それ 爆風スランプ!!!キャッー (^ω^*))((*^ω^) キャッー
>>203 ありもしないは一面であり、単にあるに過ぎないのが現実というもの
仮にありもしないで君が正解とするなら、それはそれとして認める。
眼は何故横に2つ付いているんだろうか?
鼻は何故眼に隣接して縦についてあり穴は2つあるんだろうか?
口は何故一つなのだろうか?下の方にもあるにはあるがw
意味はないようでいて意味はあるものとは言えないだろうか?
207 :
《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2012/12/12(水) 02:35:04.68 ID:9SVw+a9o
>>206 > 眼は何故横に2つ付いているんだろうか?
> 鼻は何故眼に隣接して縦についてるのか?
何故という理由は言ってないし、聞いてないよ。
眼は横に、鼻は直(たて)に ついています、と、言ってるよ。
これは、さとりを言ってる。
さとりとは、真理。
おしゃかさまが、死に臨んで
自灯明、法灯明mと言った、その「法」とは、真理、あるいはダルマdaharumaという。
眼横鼻直(がんのうびちょく) は真理を言う。
>>207 君が真理はそれしかないと思うのであれば
それはそれとして認める
209 :
素人A:2012/12/12(水) 07:27:02.12 ID:FbxudMVz
必要なことはただひとつ、神を知ることだ。 なぜあなたは、世界、宇宙の創造、科学などというものに首をつっこんで、 人生を
無駄にしてしまうのだろうか。あなたの仕事はマンゴ−を食べることだ。 マンゴ−林に何百本の木があり、何万本の枝があり、
何百万の葉があるかなどということを知る必要はない。あなたは、マンゴ−林にマンゴ−を食べるために行く。 行って、それを
食べなさい。人はこの世に、神を知るために生まれる。 ほかのことに心を奪われて、それを忘れてはいけない。あなたはマンゴ−
を食べるためにやってきた。 まっすぐそこに行って、マンゴ−を食べなさい。 そして、「幸せ」になりなさい
ラーマクリシュナマゴマゴせずにマンゴウ食えでも金と女は?
http://www.ayur-indo.com/indo/rama-k/rama-k1.htm
メロン畑を夢見ながらマンゴーを食べる毎日、少し胃もたれがしていますね…。
211 :
ゼノン:2012/12/12(水) 15:23:57.40 ID:ugOOMOis
後退する近接航空支援用垂直離着陸対地攻撃機 YAGR-3B
通称VTOL攻撃機の群れのあとを追う様に現れた「それ」は途方も無い巨体であった。
その質量は今朝方覚者を食べたティラノサウルス・レックスの優に数千倍はありそうに見えた。
212 :
素人A:2012/12/13(木) 06:47:29.00 ID:rTnFqLLE
・・ラーマクリシュナの不二一元の悟りは、この世を軽視するような通り一辺倒なものではなかった。
「ブラフマンとシャクティ、真実在とこの世界は、火と燃える力のようなもの、蛇とうねる動きのようなもの、どちらかだけで
あることはできない」。この大悟の後、彼はさらにイスラム教やキリスト教の真理をも悟り、“万教は一なる真理への多様な道”
であることを説き明かした。単なる聖典の知識を超え、ラーマクリシュナの悟りは生きた力をもつ。「すべてはあの一つのもの
から出ているのだ。無性無相の実在であるあの御方が、同時に形を持っていらっしゃるのだ。色々様々な形になって現れていら
っしゃるのだ」。世界は単なる幻ではなく、神の顕れである。 世界を拒否するのではなく、神と同じ一つのものとして愛し礼拝
すること、それこそが彼が悟った究極の一元論だった。・・・のだ
来た挑戦のミサイルさえ人工衛星だつた?私は途中で?知り切れトンボばかりそういうあら我で流れて行くばかりまあよいか
そう、全ては許され祝福されている。
誰が自分の手足を虐げようか、私たちの日常的な論争も、右手が左手を言い負かそうとしているようなものですね…。
しかし、神の庭はマンゴーの林だけではないのですね。
それらは私たちのあずかり知らぬ世界に違いない、それでいながら全ては包含されている…。
215 :
ゼノン:2012/12/13(木) 16:50:32.00 ID:sjMxqV86
それは人間の様に地面に対して垂直に立っていた。
それは人間の様に胴体の下に二本の脚があった。
それは人間の様に胴体の両側に腕があった。
40機のVTOL攻撃機から 一斉にロケット弾が発射された。
216 :
素人A:2012/12/14(金) 07:32:57.24 ID:aMWAHNyI
紙の上にアートは色々な色をあーだこうだ色々絵がき続ける、のが世界は七日で出来たとか、
それはユダヤ話、インドでは?私は知らん、日本では?今私ははヤル気が無い早く書け。まあ
色々な正解があるしまあ良いかで、絵?そういえば全体と部分と輝きの話が途中で墜落していた。
次は最初から貼り付けよう。
217 :
ゼノン:2012/12/14(金) 13:29:14.43 ID:i+JvTrPG
都合200発のロケット弾は全て怪物に命中した、怪物の姿は一瞬揺らいだかに見えた。
怪物の右腕部に赤い光の鎗の様なものが現れ近くにいたVTOL攻撃機数機を薙ぎ払った。
追撃を行うVTOL攻撃機部隊、地上からは10(ヒトマル)式戦車部隊による120mm滑腔砲が発射され全弾命中した。
怪物は発光し、跳んだ。
218 :
素人A:2012/12/15(土) 06:44:40.23 ID:S0NgishM
夢見る瞳 あみん
夢見る力 大きく育て おいしい空気吸いこんで 未来のピカソ ベートーベンが そこらいっぱいあふれてる
好奇心を手の平に包んで 遠く七つの海 越えて 未来にはばたきだす 頬に風を受け 夢見る力 大きく育て
はるか無限の空のように 信じる瞳 汚れを知らず 無邪気にすべて映し出す なりたいものや 叶えたいこと
ポケットいっぱい詰めこんで つまずいても大丈夫 再び歩き続けて行けばいい 転んですりむいてもきっと癒えるから
つまずいても大丈夫 再び歩き続けて行けばいい 信じる瞳 きらりと光る 空に輝く星のように
子供の頃 描いてた理想に少し近づいてるのかな あの日の私は今 何を思うだろう
つまずいても大丈夫 再び歩き続けて行けばいい 転んですりむいてもきっと癒えるから
219 :
素人A:2012/12/15(土) 07:13:12.20 ID:S0NgishM
アクイナスはこう言っている「『三つのものが美には必要である翻訳すれば、全体性、調和、そして光輝』となる」。全体性この
原理の機能は、みずから規定されかつ規定するような、実践とは関わりの無い、閉じた錬金術的な場を創り出すところにありま
す。それがどんな効果をもつかを見るには、何でもいいからいくつかの事物の集まりー例えばテーブルの上の品物の集まりを眺め
て、創造の中でその周囲に枠をおいて見て下さい。すると枠の中の事物の総てが「ひとつのもの」と見なされるでしょう。それは
もはや、いろんな用途をもつ無関係な事物の集合では無く、ある構成の部分であり、相互に関係づけられています。その枠の外に
あるものー例えばテーブルの部分は、いまや「他のもの」となり、枠の中にある事物のすべては一つのものになります。スティブ
の言葉では、「君はそれを一つの全体として見る。その全体性を認識しているわけだ、これが全体性なのさ」というわけです。(続く
220 :
素人A:2012/12/15(土) 08:52:34.80 ID:S0NgishM
おはよう早く貼り切手貼らないとまた途中で挫折するし、張り切り過ぎると忍者に叱られるし。の続き
続き)調和 さてこのような構成ができると、次に重要なことーそして重要な事のすべてーは構成の中のそれぞれの
対象ないし事物が此処にあるのか、あちらにあるのかという事、つまり部分に対する関係、各部分の全体に対する関係、全体の各
部分に対する関係です。これが審美的な道具としてのリズム、すなわち調和です。その要素になるのは、事物、色彩、言葉とその
音、楽器、建築の部分とその比率などが考えられます。スティブンの言葉によれば、「君はそれの形の線に導かれ、点から点へと
眼を移してゆく君はそれを、その限界内で均斉のとれているものとして認識する。その構造のリズムを感じるわけだ」ということ
になります。輝き リズムがぴつたりあつたとき、人は喜びの中にとどまり、それに何か他の効用があるかどうかまったく考えま
せん。スティブンはこう言っています「君はまさにそのものであって、他の何ものでもないということを知ったわけだ。(続くA
あみん ひまわり
http://www.youtube.com/watch?gl=JP&hl=ja&v=vPb2CD72EgE
221 :
ゼノン:2012/12/15(土) 09:29:41.37 ID:ybyqchB7
怪物は自らが叩き落としたVTOL攻撃機の上に着地した、爆発するVTOLの爆風が覚者を襲う、覚者は防御の姿勢をとり爆風を耐えた。
「ゴメン、お待たせ!」
覚者の近くに付けた青いアルピーヌ ルノーA310のドアが開き、サングラスとボディコンの女が声をかけた。
222 :
神も仏も名無しさん:2012/12/15(土) 12:09:40.04 ID:S0NgishM
また昨日ネタ作りために紀野さんの夜話読んでシマツタ。良いことが書いて有るけど私とは気が合わんような?努力精神の人だ
紀野さんの頭の鈍い人の話の続き、前と関係無いと思う。人はみんな法を悟る事が出来るという話。「精進と?怠」努力精進す
るか、怠けるかの違いである。? 紀野さん真面目私は怠けるタイプだしでも続きは分別竹刀で続ける。精進するか怠けるかは
何処にあるのかの違いは志が徹底するか、しないかの違いと紀野さん言うけど、そんなに決め付けて良いのか?徹底するものは
悟れる?それでさとれん人が居たら紀野さん困る。私の抵抗が激しく納得竹刀。志が徹底しないのは無情を思わないからである?
人生が無情であるという事を骨の髄まで思い知らぬからである。??私にはよくわからん話であるでも次の未知からはすらすらと
賛同する。 人間のいのちというものは一刹那一刹那死んではまだ生きている。一刹那とは七十五分の一秒である。私達の命は
仏の命から帰り生き返りしていると?もう面倒になつた。 要するに向うが本家なのに此方が住みやすいので死ぬのは嫌だとダ
ダこねる私達それで良いのかと言うことらしい。私は途中ではい解りました後は面倒と思うタイプだし本当の事は解らないタイ
プと決め付けられた、なんか不愉快、そんなに不愉快でもないか気にしない気にしない、決めつけなければ紀野さんいい事言う師
223 :
素人A:2012/12/16(日) 06:45:36.03 ID:8yYLY81Y
(続き)〔アクイナス〕がスコラ学派の「クイッディタス」つまり事物の「そのものであること」について言つているの
がこの光輝なのさ。この至高の徳性は審美的映像が芸術家によつて感じられるものなんだ。こういう審美的瞬間の心を、シェリー
は燃え尽きる炭という美しい比喩で説明している。美の全体性によってとらえられ、美の調和によって魅惑されていた心が、美の
こういう至高の徳性、審美的映像の明るい光輝を輝かしく認識するこの瞬間こそは、審美的快楽の輝かしく静寂な状態だよね。こ
れはイタリアの生理学者ルイジ・ガルヴァーニがシェリーのものに劣らず美しい言葉で心の魅惑とよんだ心臓の状態に、非常に近
い霊的状態なんだ。」まさにこれひそが芸術の存在理由であり、その治癒力と奇跡を説明するものなのです。ーつまり認識された
美がこのような諸感覚を照明し、精神を鎮め、心を魅惑する力をもつということです。「芸術は自然と相似した調和である」と
セザンヌはどこかで言つていました。(続く)B
224 :
素人A:2012/12/16(日) 09:04:15.41 ID:8yYLY81Y
例えばテレビのサスペンス?ドラマを此方から観ていれば殺人の日常だ損なの許して
いいのかと思うけど殺人の無いサスペンスドラマなんて誰も見ない、バーチャルと
わかっているから罪も無いのか、そこまで考えながら見ると見る人が辛くなる。テレビの中の立場で見れば苦しい
身が有る死、そんなドラマが無いとストレスも解消できないしこんな現代社会の仲で悟れるのかさあとりあえず
はまあよいか、私はサスペンスより将棋みたいのだけど後は得ろエロか食うもありどちらにしても煩悩化でほんと
に是でいいのだ老化あのように何時たらすぐ変身急にかわれるわけは無いで観今日に流される我々あーーあ
真実が幻に操られるのも困るけど食うだけで生きていくのも何か寂しいまあ適当に色々と 前の書き込みと?この
書き込みは芸術性など無い煩悩相手にしているしさ会えずはまあ色々百文は一見にしかずと言うし一回くらいは
悟って見てみたい、後は速煩悩へ戻りたい?
悟ったら、思うさま迷えばいいでしょうね。
笑って泣いて生きていくことでしょうね…。
226 :
ゼノン:2012/12/16(日) 11:59:27.64 ID:a+ao7vkm
覚者が車に乗り込むと女は直ちにアクセルを踏み込んだ。
一秒前まで覚者が乗ったアルピーヌ ルノーA310が停車していた場所を怪物の足が踏み、アスファルトの道路が陥没した。
怪物の足はルノーがミニカーに見えるほど巨大であった。
>>224 すべての人が死にますからね。ドラマチックな死に方だと興味がわくんでしょう。
228 :
素人A:2012/12/17(月) 08:03:40.07 ID:GQN/f9vq
民主党の失政に助けられて棚から牡丹餅の様な気もするが夢をあきらめない安部さんの夢はかなつた。インフレ金ばら撒きを現実
にして欲しい.けど是は夢だけに終わりそうな予感あまり期待できない。でも日本が食うだけの生活は守ってもらいたい。飯が
食えないと日本も生きていけない、現実生活の基本は食う事だし、好況事業は夢におわりそうで、現実の基本は時空だし後は
バーチャルな日本の夢で誤魔化せるか、でも現実が苦しいと夢も苦しい世、其処は居直るしか無いか少しは夢見てる幸福な大川
さんの妄想見習うか、でも大川さんは現実を馬鹿にし過ぎているし。まあ是空食うだけは頑張らないと日本も遺憾かもでも国債
が損なの忘れろ阿部さんも選挙カーにのる前には夢をあきらめないでを聴いて出陣したと言うしインフレの夢をあきらめないで、
私の夢消費税5パーセント分は宝くじにして馬券でもいいかとにかくインフレ実現してほしい。
夢をあきらめないで
http://www.youtube.com/watch?v=Sz29T3oLRr4
この人間世界は個性の違いが如実に映し出される仕組みだから、全てが満足することはありえないのでしょうね。
さらに言えば、様々な個性がぶつかりあうからこそ新たな発想が生まれ続ける。
それは人が生まれる限りこれからも続いていく…。
個人はたかだか百年足らずてこの世を去るし、ここから何を持ち帰るのかは知る由もないのですが…。
230 :
ゼノン:2012/12/17(月) 19:11:05.96 ID:G8XF5JHt
アルピーヌ ルノーA310は怪物と軍隊が戦う市街地を時速100qを超える速度で疾走した。
サングラスの女の運転技術は悪く無いが荒いものだった。
下手に喋ると舌を噛むレベルだ。
覚者はしばらく黙っていることにした。
>>228 >安部さんの夢はかなつた。インフレ金ばら撒きを現実にして欲しい.けど是は夢だけに終わりそうな予感あまり期待できない。
間違い無く安倍政権のインタゲ2%無制限金融緩和┼財政出動┼成長戦略で日本経済は立ち直るよ。
232 :
神も仏も名無しさん:2012/12/18(火) 00:34:54.13 ID:QqRh1Hab
>>232 >幸せ脳してんなあ
楽天的ってこと?
それって大切なポイントだよ。
仏陀は徹底的な悲観主義だった。
それゆえ悲観が落ちた。
非観しか無いとき悲観は無い。
(ただ「それ」しか無いとき「それ」も無い)
悟りとは悲観の終わりであり非観の終わりだよ。
それは非観念の体験だね。
235 :
神も仏も名無しさん:2012/12/18(火) 02:40:28.80 ID:dLR1rzrI
>>232 >幸せ脳してんなあ
幸せって怒ってるときはただ怒ってることなんだよね。
否定したいなら全力で否定するの。
嫉妬する時は嫉妬そのものになるの。
ただ言葉は不完全、例えば不完全という言葉さえ不完全という完全を打ち消してしまいがちだね。
不完全という体験は不完全という体験でしか完全に体験できない。
そして言葉は不完全という観念も言葉は不完全という観念として完全なんだね。
237 :
素人A:2012/12/18(火) 08:02:53.74 ID:9Kt7sNrN
>>223また私は彫刻家のアントワーヌ・ブールデルが「芸術は自然から偉大な線を浮かび上がらせる」という言葉を自分の座右
の格言の一つとして挙げていたことを思い出します。というのも周知のとおり自然は私達の外部にあると同時に、私達の内部にも
あるからです。芸術はこの両者の境界にある鏡なのです。儀式もそして神話も同じであって「自然の偉大な線を浮かび上がらせ」
それによって私たち自身の奥底にある真理、あらゆる存在と共有している真理において回復させるのです。したがつてこのような
「本来的な」やりかたで仕事をしている芸術家は、その世紀の真の見者にして予言者であります。彼は生の擁護者です。生の擁護
者でありますから、もちろん一人の革命家です。その時代の社会的仮面を貫いてその背後にあるものに到達するという点において
、単にもう一人の不自然な仮面の名において舗道を血に染める狂信的な理想主義者よりもはるかに根本的な革命家なのです。」C
人間は肉体の環境が個性に多大な影響を与えていますね。
社会は個性の違いを無視して一律の感性や能力を押し付けてくる。
効率よく如才なく怠り無く常に時間に追いまくられて、立派な人間たれ。
自分らしくなどとは、怠け者の負け惜しみのように受け取られかねない。
出来ることから自分らしく、などとは言っていられないかの如く。
笑顔だけでもいいと思う。
一期一会、たとえネットの中だけでも、動けない人はそれでもいいと思う。
頑張れる人は自分の信じる道を頑張るのもいい。
出来ることを出来る範囲で自分らしく、誰に褒められなくてもそれなら出来る。
そうすれば、ほんの少しでも癒される毎日になるのではないでしょうか…。
239 :
ゼノン:2012/12/18(火) 19:38:18.04 ID:NwCE0Vas
しばらくすると爆撃の音が急にしなくなった。
サングラスの女は車を停めた。
彼女はダッシュボードから双眼鏡を取り出し山の向こうに見えている怪物をのいる方向を見た。
10.0の視力を持つ覚者も怪物のいる方向を見た。
240 :
神も仏も名無しさん:2012/12/19(水) 01:09:24.00 ID:tcclCNnV
ところで、あかひげ薬局のダイナマイトセックスって効くんか?
241 :
素人A:2012/12/19(水) 07:32:09.19 ID:9OrM6Elj
虹と水晶 土台 自分自身の心の中以外に仏陀を見出すのは不可能だ。このことを知らないものは、それを外に探しに行くこと
だろう、だが自分自身の内側を探し求めていく以外に、自分自身を見いだすことができるだろうか?みずからの本質を外側に
求めるものは、たくさんの人に囲まれて演じながら、自分が誰だつたか忘れてしまい。そこらしゅうを探しまわつている愚か者
のようなもの(パドマサンバァ「完璧なる覚醒をもって見ることによる自己解脱の書」)
今年もくれえくなったけど少しは修行してくれえで、来年はしんねえんで前禅やる気の無い今の自分何も求めなくまあええかで
すますしそれでいいのだろうか、まあ鳴る様にしか鳴らない気合も鳴くさ鳥も鳴く。終わりは始まりで輪廻転生で良いのか
まあよいか繰り返す旅に求める心が薄れて行くまあよいか。活渇勝つあーあ
でも珠には気合いれて 青い日々
http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=J1aBUKw51fI#!
.
.
.
.
強い風が東へ西へ吹いても I don’t care
どれだけ逃げても明日は知らん顔でやって来るさ
駆け抜けるその先に答えがあるのか?La…
俺たちは求めない OK Alright 呆れるほど君と
一度きり(?)の人生転がるように
笑って泣いて生きてゆこうぜ Baby
誰かの決めた自由はいらない
そしてここではないどこかへ Someday…
.
.
.
.
背負(しょ)い込み過ぎたら捨ててゆこうぜ
明日明日の風にまかせ 何が起きるのか誰にもわからない
今を 生きる だけさ Let’s Go!
ぽったんさんに、刹那的な生き方ですねと言われてしまいましたが
自由な生き方でもありますね…。
244 :
ゼノン:2012/12/19(水) 10:31:53.09 ID:R3aNjxxN
怪物の周囲からVTOL攻撃機部隊が一斉に遠ざかり激しかった国防軍による攻撃も急になりを潜めている。
怪物は健在のようだ。
「ちょっとまさか……N2地雷を使うわけぇ?! ふせて!!」
女は覚者をかばう様に覚者に覆い被さってきた。
>>231 >間違い無く安倍政権のインタゲ2%無制限金融緩和┼財政出動┼成長戦略で日本経済は立ち直るよ。
同意。
↓
【経済】日経平均、1万円台を回復 8カ月半ぶり
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1355876372/ 既にここ一ヶ月で株価は8600円から10000円に回復。
78円の超円高も84円に是正。
安倍さんの金融緩和財政出動発言の期待感だけでこの回復。
経済は心理的作用がいかに大きいかということだな。
まあ、中国共産党の出先機関であるマスコミは今後も全力で安倍自民を叩き、それに踊らされて
「日本はもうおしまいだ」
とか思い込む情報弱者も一部はいるだろうが。
・・・特にリベラル傾向の強いスレの住人さん達とか。
246 :
素人A:2012/12/19(水) 11:33:39.91 ID:9OrM6Elj
安心な空(から)が有れば後は不安定な心見でも余裕で安心だ。
後は業業でもまあよいか
誰もが思考を止めることに躍起になっていますが、思考はあらゆる状況を総合的に判断し理解する為に必要不可欠。
しかし、無意識の思考は取り留めがなくどうしても不安を助長してしまう。
思考そのものは何も悪くない、背後で冷静に観ている自分に気づくことが出来れば。
テレビドラマを見ている時、内容に引っ張られない自分と、感情移入している自分がいるように
思考が感情移入するのをやめて、現実に戻る瞬間、意識的になる瞬間があります。
同じように思考が不安を掻き立てても、冷静に観ている自分に気づくことが出来ます。
どちらも役割が違う、同じマインドの仕事ではありますが…。
そのことに気づくことが出来れば、やがて思考は無駄なおしゃべりをしなくなりましょう。
IDが変わっていました…。
250 :
塩と味噌:2012/12/19(水) 20:50:14.07 ID:Zjlxn5Lv
なんだか過疎ってるなぁw
年の瀬だね〜
251 :
素人A:2012/12/20(木) 07:37:14.29 ID:u1JCabWb
この世がほつとけも無い性もない未知を譲らない一方通行なら、身縁からしょうがないでも一回悟りの風景を見たら仏性は
片手ではなく両手で握手出来るのか。わたしはまださあとりあえずはまあよいかの仲でお先真暗で手を後ろにして枕を探す
毎日でも難解でも何回でもあまり考えず繰り返していると難解が少しずつ近ずいてくるけど、無理に考え過ぎると欲わからん
になる、無理せずほわつと出た出鱈目を適当に並べると何か良くわからん者がまあええ空出てくる師、書き込みも是が一番楽
どうせ私が書いているのでは内空、手がかつてに書いているからまあよいか、私は人との会話が内と欲言われるけど、相手が
指す次の一手考えるのは頭疲れるし、でも少しは考えるか殆ど考えないか、頓珍漢なのはよくわかっているけど努力が無く
すいませんに居直る。それでも仲間に入れてくれる2ちやんの人はまあよいひとばかり。ありがとう
みんなも同じようにその人らしく生きているしそれで良いのだ。繰り返す旅に反省は去るけど、すこしずつまあええ歩んで行く
252 :
素人A:2012/12/20(木) 08:10:39.06 ID:u1JCabWb
安倍さんは夢の有る人のようで、それに解り易いし、景気の良い政治家だ、いままでの人が
難しすぎだのだ。来年といわずもう景気がよくなつた気分になる。なんか顔も大黒さんに
なっている、このまま国債増発、インフレ政策、消費税のなし崩し、原発推進、好況事業等
色々お願いします
253 :
ゼノン:2012/12/20(木) 20:15:20.47 ID:hLB52AAa
本日三度目の爆風は覚者と女の乗ったアルピーヌ ルノーA310を6回転半させた。
「この街じゃよく戦争とかするんですか?」
覚者が女に尋ねた。
「今日が初めてよ。」
女は答え二人は車から這い出した。
254 :
素人A:2012/12/21(金) 06:58:38.78 ID:Cfli3Khr
毎日朝起きると何でも修行が三日しか続かない私が骨コツと書き込むのはよくわからん、網仕事化どうせネタ出し早く書いて
他他以降、繰り返しのリフレイン何か仏教的いやヒンズー教的な?クリスマスソングだけど心が空になると永遠を感じられるの
かなあ欲わからん何言いたいのか。ココア仏教です空、そういえば孝子師匠は高倉健さんを尊敬していると言っていた?不器用
ですから?仏教です空。わからん適当な書き込みだけどまあよいか?永遠に留まって色即是空だけでは活きて生けないけどたまに
はロマンチックに冬の星星の瞬きを眺めよう同行二人のリフレイン
http://www.youtube.com/watch?v=7tHB1gx1ErA&hl=ja&gl=JP
255 :
ゼノン:2012/12/21(金) 20:26:59.80 ID:meDFr7b1
「偶然ですね、僕も爆弾で吹っ飛ばされたのは実は初めてなんです」
覚者が服に着いた砂を払い落としながら言った。
「ダイジョブだった?」
「とても怖いです、早く安全な場所に逃げましょう」
そう言って覚者は車をひっくり返して元に戻し乗り込んだ。
256 :
素人A:2012/12/22(土) 07:43:02.69 ID:arpypXSl
仏教の坊さんや哲学関係の人はよく実態が無いと言うが、本人は本とうに理解出来ているのか?私にはさっぱり伝わらない、み
んなも解っているのだろうか諸行無常で時間と共になくなるから?物は色々な法則の集まりで出来ているから?さつぱり伝わら
ない何でか私の頭悪いからといわれても困るし、物は永遠に存在できないといつても今の瞬間には有ることはあるし、実態とは
誰か教えて?もう絵画かそうかアート何かそれが実態に活きているのが実態の様な気がするけど、何か解らん所からこんこんと
湧き出してくる水のエネルギー?何か解らない。実態という言葉に頼るのはよそうわからんでもいいか。みんなで一生懸命劇を
楽しんでいる時?劇は劇場と役者と観客と台本を書く人たちが集まって出来るものといつても?そんなものは実態は無いと言う
坊さんの台詞で、そんなものはアートでもなんで゛も無いか?みんな生きても新でも生命活動で活きていると言う事なのか?
生命とは生き生きした諸行無常の活動写真?まあよいか 片手の人の拍手の音声を聞いて来い
257 :
素人A:2012/12/22(土) 08:44:15.31 ID:arpypXSl
駒が困らないのは不動芯があって周りが大きく動き回っている空
真だけでは駒にならない、芯も動いて意無い様に見えるけど周り
全体見て廻るけど?御釈迦さんも不動の坐禅で眼を回したけど輪廻困らないのですか
御釈迦さんも不動の坐全光速で回っているけど芯だまま 一応回っている事にわ
変わりは無いかもう如何でもよいけど
此処も寂しいけど周りはぽちぽちまあしばらくは辛抱しないと、冬の田んぼの中でも
案山子が立っているそのうち貼るが来るまで
さだまさし 案山子
http://www.youtube.com/watch?v=9AcXLZsdZZc&hl=ja&gl=JP
258 :
ゼノン:2012/12/22(土) 19:22:32.57 ID:IOIPJ+qQ
「フゥーッ!マグナス・サミュエルソンも真っ青の腕力ね、さすが世界の救世主!」
「あの、すみません、葛城さんが何を言ってるのか分かりません」
「ミサト、で良いわよ、オッケーシンジ君、それじゃあ今から君を世界一安全な場所に案内してあげるわね♪」
女はアルピーヌ ルノーA310をスタートさせた。
259 :
素人A:2012/12/23(日) 08:22:29.47 ID:aaE/b5nU
全ての現象は空であり実態が無いとは?どうも空気の様にあつ去りして風のように其処に執着しないという意味か、涼しい風が
さりげなくあつさりと吹いているのか?そうだ執着地獄でございますと時代劇で金と権力に執着する悪徳商人がお代官さまに金
の何時他お菓子をわたすし、我々は何でも風のように風流に生きられれば良い景色ながめながらどんな運命話でも涼しい顔で
活きられるのか、きっと同の行のいつても仏と二人ずれの仏性のこのようなだびならどんな事があつても安心な旅7日。宇宙画
始まるまあ絵画の一句を持つて来いそういえばぽつ師匠は色即是空を悟ったら即空即是色でもどうあん?(私はどうこうと読んで
いたけど)後はまあ良い旅の風景画福 ミストラル
http://www.youtube.com/watch?v=jfT4fP7m7Nw&hl=ja&gl=JP WWWWW
260 :
ゼノン:2012/12/23(日) 17:43:03.81 ID:yc+iyizr
「世界一安全な場所ですか?」
覚者は尋ねた。
「特務機関ネルフ」
女は答えた。
「特務機関ネルフ?」
覚者は尋ねた。
261 :
素人A:2012/12/23(日) 18:40:18.07 ID:aaE/b5nU
そうやなあ 結局はブラフマン我怖い体験を望んでしているのだけど
命を無くしたら怖い眼に会っている?自分がブラフマンなのにアートマン支店
にいたら自分の事が解らん三昧の夢の中で迷い、でも怖いのもブラフマンの道楽
とラーマ苦しむな?がいったかどうか解らんけど。でも我々も楽しい夢みたいよね
262 :
素人A:2012/12/24(月) 07:25:32.23 ID:ZSCh9gOv
土台ないしチベット語の「シ」という言葉は、宇宙及び個人の両レベルにおいて、存在の根本的土台になつているものを指して
いる。宇宙も個人もその本質は同じだから、一方を悟れば、もう一方も悟ることになる。みずからを悟れば、宇宙の本質をも悟
ることになるのである。すでに不二の三昧において経験される?(よくわからんけど進める。アーチストは宇宙空描き始めるけど
?それはアートマンじゃなくてブラフマンつまりアートマンの招待はブラフマン?ようするに解らん)この原始の境地について
述べたけれども?(眼に見える現象は多様なあらわれを持っているけれども、この多様さは元々二元論のむ彼方にある。無限の多
様なもののどれひとつとして、限り有る概念の枠におさまりきるものは無い。「これはこうだ」とか「あれはそうだ」と定義づけ
ようとする罠から解き放たれるのだ。そうすればすべて形のあるあらわれは、形をもたない無限が示すさまざまな表情にすぎない
し、それから切り離すことも出来ないから、そのままで完全なものなのだということがわかる。すべてのはじまりから、あらゆる
ものはそのままで完全だという事がわかれば、何かを達性しようとする努力は、総て放棄される。あるがままの自然な状態にとど
まつているだけで、不二の三昧の境地が自然に生じつづける)・・・ 虹と水晶より
263 :
神も仏も名無しさん:2012/12/24(月) 19:04:23.45 ID:4Bh1IGWZ
あらゆる宗教の中で、神道が一番まともだよね?異論ある?(´・ω・`)
265 :
ゼノン:2012/12/24(月) 20:19:14.85 ID:GDV8xlN2
「そ。国連直属の非公開組織よ」
「父のいるところですね」
「ま、ねー。お父さんの仕事、知ってる?」
「人類を守る大事な仕事だと、先生からは聞いてます」
「これからそこに行くのよ、そこであなたは自らの運命と向き合い、決断を迫られることになるわ」
266 :
素人A:2012/12/25(火) 07:16:58.15 ID:47DlEmN4
白隠坐禅和讃 衆生本来仏なり 水と氷の如くにて 水を離れて氷なく 衆生の外に仏なし 衆生近きを知らずして
遠く求むるはかなさよ 譬えば水の中に居て 渇を叫ぶが如くなり 長者の家の子となりて 貧里に迷うに異ならず
六趣輪廻の因縁は 己が愚痴の闇路なり 闇路に闇路を踏みそえて いつか生死を離るべき
夫れ摩訶衍の禅定は 称嘆するに余りあり 布施や持戒の諸波羅蜜 念仏懺悔修行等
その品多き諸善行 皆この中に帰するなり 一坐の功を成す人も積みし無量の罪ほろぶ悪趣何処にありぬべき浄土即ち遠からず
辱くもこの法を 一たび耳に触るるとき 讃嘆随喜する人は 福を得ること限りなし況や自ら廻向して 直に自性を証すれば
自性即ち無性にて 已に戯論(けろん)を離れたり 因果一如の門ひらけ 無二無三の道直し 無相の相を相として
往くも帰るも余所ならず 無念の念を念として 歌うも舞うも法の声 三昧無礙の空ひろく 四智円明の月さえん
この時何をか求むべき 寂滅現前する故に 当処即ち蓮華国 この身即ち仏なり
頭と尻尾てだけで言えば 衆生本来仏なり この身即ち仏なり か色即是空 空即是色
神道の神様はブラフマンと同じでしょうね。
人格がなく存在そのものに意味がある、そして人間を含む様々な人格神(アートマン)が分霊して生まれたとか…。
268 :
ゼノン:2012/12/25(火) 21:20:26.89 ID:BP0y1Q0T
「...決断、ですか、そうですね、僕も来年は中学三年生、そろそろ自分の将来のことも真剣に考えるべき時期に差し掛かってますからね」
女は覚者の言葉を聞き流し黙って運転を続けた。
車はやがてあるゲートの中に進入した。
269 :
素人A:2012/12/26(水) 07:27:31.42 ID:7TNNrXKl
ラーマクリシュナの言葉を書き連ねたサイトが有った。何という無邪気な聖人なんだろうか、でも金と女は嫌いとかでも
マンゴウを食うのは大好きで?カーリー神は女性だけどまあよいか?とにかく抵抗無く読みやすいしちょつとと思う所は
世界が聖人だらけでは神もつまらんきっと思う?まあ色々あるカラー。ラーマ良い人だし最初から最後まで同じ言葉◎だし
1・ブラフマンの智者は、内も外もすべてが実は、最高我・パラマートマーであることを見ます。 水が二つに別れて見えている
だけです。 内と外という感じがするだけです。 「私」という瓶があれば、そのような内と外という二つを見ている意識にな
ってしまうのです。 その「私というもの」が、もし消え去れば、そうすれば、あるものがあるだけです。
1−393要するにリンク読んで☆意のけど?まあよいか WW
ラーマクリシュナの言葉
http://kuboakoru.web.fc2.com/la-makulisyuna4.html
生身の人間の悟りには限界がありますね。
聖者が「私はそれである」としか表現しないのも、人間存在であるうちは全てを知ることは出来ないからでしょうね。
神の庭は超無限大で、神自身も知らないのかもしれませんね…。
だから、探求のしがいがある。
272 :
ゼノン:2012/12/26(水) 18:10:04.37 ID:OkgA2C6I
『ゲートが閉まります。ご注意ください』
二人を乗せた車はエレベーターに運ばれ地下に向かう。
「これから父のところに行くんですか?」
「そうね、そうなるわね」
「やっぱり進路の話かな、案外『シンジ、お前は中学を卒業したらネルフに就職しろ』なんて言ったりして」
「あ、そうだ。お父さんからID貰ってない?」
「あ、ハイ…どうぞ」
「ありがと。……じゃ、これ読んどいてね」
「ネルフ……父の仕事……フフ、息子に自分の仕事を見せようなんて、意外に父も可愛いとこあるんですね
案外子煩悩だったりして」「………」
やがて覚者の前に広大な地下施設が姿を現した。
「ワー!!ジオフロントですね、カッコイイ!!」
「そ。これがあたし達の秘密基地、ネルフ本部。世界再建の要、人類の砦となるところよ」
273 :
素人A:2012/12/27(木) 07:01:32.99 ID:0hxe6u4E
私は小周天を自己流で修行した事が有る。仙道の入門書を持っているヨガのチャクラ関係も同じような者だしキャンベルさん
の本ネタ。一番下のチャクラは肛門と生殖器の間にありムーラーダ素朴で原始的な生命への執着(栄養摂取と同化の衝動で総
ての動物にとって生きるための前提条件)動物は他の生命を食いつくすことによってのみ生存しうるのですから、二番目の中継地
はスヴァーディシュターナ(エネルギーの「それ自身あるいはきわだつた存在地点ですがこれは性挙動中枢であって思春期に目覚
めさせられます」、第三のチャクラはマニプーラ「光り輝く宝石の都市」と呼ばれ臍の高さに有って権力と征服と支配への意志を
司る中枢です。健康で肯定的な様相にあればこの意志は力の獲得およびその責任にともなう誇りの感情を表しますが、病的かつ否
定的な形をとると征服し掠奪し服従させ手の届く一切のものを我が物にし、あるいは思い通りにしようとする飽くなき意志となつ
て表れます。)ヨーガの教えるこの心理学予定表によれば人生が正常に経過するならば誕生から三十五年ほどの間順次成熟して行
きます。(どうもこの35は三回り半の蛇つまり眠っているクンダリーニの事らしい、7÷2=3.5修行すればその上へ?)WW
274 :
ゼノン:2012/12/27(木) 18:15:57.52 ID:FT4bUUy2
「うっ…あ、あらリツコ……」
エレベーターから不機嫌そうな女が現れた。
髪を金髪に染めている。眉毛が太い。左目の下にホクロがある。
水着の上に白衣をまとっていた。
275 :
素人A:2012/12/28(金) 07:35:20.31 ID:G+G8Kxq8
48至高なる神は、一つのみがあるだけで、二つがないことを示しておられます。 絶対の存在・有、叡智、歓喜そのものが、方
自身が、すべての食べ物になっておられるのです。49・瞑想するときには、あのお方に没入しなければなりません。水面に浮かん
でいるだけでは どうして海底の宝玉を得ることができましょう50・神のみが唯一の行為者であって、他のすべては非行為者であ
ると知っている人たち 神の意識に目覚めた人たちは、足を踏み外すことはありませんし、計算して悪を捨てる必要はありません
。 神への愛があまりにも大きいので、彼らの行う行為は、すべて良い行為です。 しかし彼らは その行為を行うのは自分では
なくて、自分は神の召使いであるということを、知っています。 私は機械です、あのお方が操縦者、あのお方が行わせるように
行います。 話させるように、話します あのお方が動かすように動きます。 ラーマクリシュナも金太郎飴だしこれからも適当
にコピーしてネタで泣く事も無い後リンク貼ればサイト人も空文句が出ない
http://kuboakoru.web.fc2.com/la-makulisyuna4.html
究極の苦しみは最も神に近づく瞬間でしょうね。
そこから恩寵の扉が開くのでしょう、自分自身が求めた結果として…。
277 :
ゼノン:2012/12/28(金) 19:09:51.99 ID:g2vuBisw
金髪女が口をきいた。
「到着予定時刻を12分もオーバー。あんまり遅いんで迎えに来たのよ葛城二佐。人手もなければ時間もないのよ」
「ごめん」
葛城ミサトが謝った。
金髪女が勝ったようだ。
278 :
素人A:2012/12/29(土) 08:30:54.22 ID:7KM1Jeiq
一番下のチャクラは肛門と生殖器の間にありムーラーダ素朴で原始的な生命への執着(栄養摂取と同化の衝動で総
ての動物にとって生きるための前提条件)動物は他の生命を食いつくすことによってのみ生存しうるのですから、二番目の中継地
はスヴァーディシュターナ(エネルギーの「それ自身あるいはきわだつた存在地点ですがこれは性挙動中枢であって思春期に目覚
めさせられます」、第三のチャクラはマニプーラ「光り輝く宝石の都市」と呼ばれ臍の高さに有って権力と征服と支配への意志を
司る中枢です。健康で肯定的な様相にあればこの意志は力の獲得およびその責任にともなう誇りの感情を表しますが、病的かつ否
定的な形をとると征服し掠奪し服従させ手の届く一切のものを我が物にし、あるいは思い通りにしようとする飽くなき意志となつ
て表れます。)ヨーガの教えるこの心理学予定表によれば人生が正常に経過するならば誕生から三十五年ほどの間順次成熟して行
きます。(どうもこの35は三回り半の蛇つまり眠っているクンダリーニの事らしい、7÷2=3.5修行すればその上へ?)
279 :
素人A:2012/12/29(土) 08:44:52.41 ID:7KM1Jeiq
歴史的人間を動かし彼を規制する道徳制度、世界史という悪夢を生み出してきたのです。さらにそれは人間が動物と共有する
基本的衝動ーすなわち(1)他の生物を食らって生存していくこと、(2)子孫を産むこと、そして(3)征服して服従させることーの
中枢です。こういった基本衝動は、まつたく制御されないまま放置されるなら、凄まじい破壊性を示します。それれは20世紀の歴
史が明瞭に物語っているところです。ヨーガのモデルに従えば人間の意志が生命の動物水準を超える目標を目指すところまで高ま
るためには骨盤部ではなく心臓部にある第四のチャクラの覚醒が必要です。この変容中枢の名前は「アナーハタ」には「打たれな
い」という奇妙な意味がありますが、これは「二つの音がぶつかって立てるのではない音」と解釈されます。生理的な耳に聞こえ
る音はすべて、互いに擦れ合うかぶつかりあう物体によつて生み出されます。たとえば声の音は息と声帯がぶつかつて出来る音で
すしかしこのようにして作られたのではない音は、偉大な音調あるいは唸りであり、一切の事物の顕現(エピファニー)であるとこ
ろの創造的エネルギー(マーヤ、シャクティ)の音なのです。そして現象的形態の中に創造的音調を直感する事が、心を愛に向かっ
て開きます。いままで「それ」だったものが、そのときから「汝」となり、創造の音調によって生命を賦与されるのです。(続く)
280 :
ゼノン:2012/12/29(土) 20:02:02.37 ID:6BdBfrB2
金髪女はため息をつくと覚者の顔を見て言った。
「……例の男の子ね」
「そ」
「技術局一課、E計画担当責任者、赤木リツコ。よろしくね」
「碇シンジです、こちらこそよろしくお願いします赤木さん」
「リツコで良いわ、貴方に見せたいものがあるの、ついて来て」
「はい、わかりました」
前際如空、知処迷宗。分明照境、随照冥蒙。
(前際空の如く、知処宗に迷う、分明に境を照せば、照するに随い冥蒙。)
もとまったくこのとおり、初心というあなたが見るとおり聞くとおりのまっさらなんです、これを空と云うた、手つかずなんです。
あなたが死んで三年たった後の風景、あっはっは同じ、あなたがいないだけ。
空という消しゴムで消しさったんじゃないんです、だから空の如しと云うた。
これを知ろうとする、人生いかに生くべきか、我らのありよう如何と問うときに迷妄、ただもうわかんなくなる。
宗とは旨ですか、趣旨赴こうという、もとこのとおりまっただ中に生きている、自由自在なんでしょう、
それをどうすべきこうすべき、是非善悪の縄に縛る、だれに頼まれもせずの自縄自縛です、
その縄のはしくれを=自分だと思い違えるから、分明に境を照らせば、照らすにしたがい冥蒙、めったやたらのまっ暗がりです。
これをそうだだからやってないで、坐ってよくよく見るんです。
坐るとまずもって空です、取り付く島もない、じゃそれでおしまい完了なんですよ、淋しいなんの取り柄もない、はいそれがあなた。
ところがすったもんだはじめる、どうしても取り柄が欲しい、悟りという自分がほしい。
よくなったすばらしいとやる、境地というにしたがい迷妄、迷妄すったもんだあっはっはどこまで行っても、これを坐禅と思い違えている、
さあどうですか。坐を知らない諸の宗教=随照冥蒙。
将心守静、猶未離病。生死忘懐、即是本性。
(心を将って静を守る、猶を未だ病を離れず、生死忘懐、即ち是れ本性。)
坐っていて静かになったというんでしょう、
妄想が納まる、具合よく行っているという、なをこれ病を離れず。
静かを見ているもう一つの自分があります、二分裂です、収まりつかないんです。
坐る人だけこれを知って、さあどうしようかということです。
坐らぬ人はいいことしいですか、だからおれはいいんだという悪、
信仰という不都合、女の身勝手あり、男のヒステリーありですか。世の中騒然です、難病ですかな。
わずかに坐して生死懐うを忘れる。
なんでもありありをぶっつけるんです、たとい坐にすべての答えあれば、これを聞く、
結果なければ坐と心中、ぶっ殺したるの勢いです。
静かとは本性これ、どうしようもこうしようもなくぜんたいです、すなわち自覚症状なし。
それを静かにしているという、犯罪人矯正ですか。
お仕着せの道徳、こうあるべき、おまえは悪いことをした、だからという、刑務所人間を作るだけです、
嘘なんです、せいぜいが二重人格、二度と真人間になれないんです。
懺悔という宗教といい、たいていそういうこってす、どうです、免れて下さい。
将心守静、猶未離病。生死忘懐、即是本性。
(心を将って静を守る、猶を未だ病を離れず、生死忘懐、即ち是れ本性。)
坐っていて静かになったというんでしょう、
妄想が納まる、具合よく行っているという、なをこれ病を離れず。
静かを見ているもう一つの自分があります、二分裂です、収まりつかないんです。
坐る人だけこれを知って、さあどうしようかということです。
坐らぬ人はいいことしいですか、だからおれはいいんだという悪、
信仰という不都合、女の身勝手あり、男のヒステリーありですか。世の中騒然です、難病ですかな。
わずかに坐して生死懐うを忘れる。
なんでもありありをぶっつけるんです、たとい坐にすべての答えあれば、これを聞く、
結果なければ坐と心中、ぶっ殺したるの勢いです。
静かとは本性これ、どうしようもこうしようもなくぜんたいです、すなわち自覚症状なし。
それを静かにしているという、犯罪人矯正ですか。
お仕着せの道徳、こうあるべき、おまえは悪いことをした、だからという、刑務所人間を作るだけです、
嘘なんです、せいぜいが二重人格、二度と真人間になれないんです。
懺悔という宗教といい、たいていそういうこってす、どうです、免れて下さい。
284 :
素人A:2012/12/30(日) 07:55:41.82 ID:Dexm1uD7
おぎゃあと生まれてしままつたら、何か食わないと生きていけない死、食うために生きる。
それには父ちゃん母ちゃんや周りの人たちと友にしか生きられん人間、そのために社会の道徳
が生まれたし、それを取り巻いている自然環境もある観今日当たり前だ。今の社会そのものが
宗教だし何々宗や教えはオマケで今は何の勝ちもない世の中○だし、せつたん私は良く知らん師?
坐禅?後で時間損したと後悔するし暇な時間しか出来ないので煩悩すこしの時間潰れると思う私。
285 :
ゼノン:2012/12/30(日) 14:19:42.10 ID:zbnBPHSf
染め金髪に太いまゆ、水着の上から白衣の赤木リツコに案内されて覚者は暗いホールのような場所に来た。
赤木リツコの足が止まった、目的の場所に着いたようだ。
カチッ、赤木がスイッチを入れると明かりが点った。
そこには巨大な顔があった。
286 :
素人A:2012/12/31(月) 07:16:30.31 ID:1hJtXFEx
今年も私は中途挫折の運命ネタでみんな尾わることも泣く最後まで行くことなく今年も終わる。あのヨーガのチャクラはどうした
のかそんなの新年。今年が死ん年で明日は新年、人がなくなつたらシンデレラで見えなくなるけど、私が死んだとき想像する(どう
も死というのは人が死んだ時つかう言葉で)自分が死ぬことは無いようなその時は古い世界が死んでいる。新しい世界は新世界が
見得る蛇じゃジャン、なんだ自分の身になつたら死なないのだ?当たり前だ。何で解らんかつたのだろう。想像力が無いと創造も
身縁のか? ゼノンさんの何の気なしに適当に見てその影響もあつたのか?輪廻は転生しても主人公は相変わらず○だし変わらん空
WWW火の鳥
http://www.youtube.com/watch?v=jgw7qb-cRIs
287 :
素人A:2012/12/31(月) 09:04:34.96 ID:1hJtXFEx
今年もああみんなに感謝の気持ちを込めて?ほんとはあみんの感謝の気持ちさえ晴れれば良い空 聴きながらで坐禅や瞑想スレ
場何の苦労も無く坐禅三昧になる?外のはお菓子食いながら坐禅 全然三昧?みんなやる気ない?まあよいかあみん感謝の気持
あなたへの感謝をこめて 思い出をたどってみる あたり前のように通り過ぎてた季節が キラキラ今よみがえる
私がいつも私のままで いられるように包んでくれてる あなたにとって私は何? 何度も問いかける その瞳に
微笑に満ちあふれてる 毎日を繰り返して あなたの未来のページをすべて愛しい 記憶で埋めていきたい
あなたがいつか私のもとを 旅立つ時がやって来るとしても 泣かないように悔やまぬように すべての瞬間を見つめている
あたり前のように通り過ぎてく季節を いくつもふたり見つめて あなたがいつもあなたのままでいられるように包んであげたい
私にとってあなたはすべて かけがえのない今 見つめていく あなたへの感謝をこめて 思い出をたどってみる
あたり前のように通り過ぎてた季節が キラキラ今よみがえる 私がいつも私のままで いられるように包んでくれてる
あなたにとって私は何? 何度も問いかける その瞳に 微笑に満ちあふれてる 毎日を繰り返して あなたの未来のページを
すべて愛しい記憶で埋めていきたい あなたがいつか私のもとを 旅立つ時がやって来るとしても泣かないように悔やまぬように
すべての瞬間を見つめている あたり前のように通り過ぎてく季節を いくつもふたり見つめて あなたがいつもあなたのままで
いられるように包んであげたい 私にとってあなたはすべて かけがえのない今 見つめていく WWWWWWW
wwwwwwww
289 :
ゼノン:2012/12/31(月) 18:35:05.14 ID:JxmZJJ4d
「わー、大きいですね、これリツコさんが造ったんですか?」
実は常人の10倍の暗視能力を持つ覚者はこの場所に着いた時から巨大な顔が見えていた。
しかしリツコが茶目っ気で覚者を驚かせようとたくらんでいると判断した覚者はリツコのためにわざと驚いてみせたのだ。
290 :
素人A:2013/01/01(火) 08:47:55.88 ID:YekXTyq+
オリジナルな妄想を創造してこい?もし私が大金持ちでもの凄い脳力のスーパーコンピューターを作って
何も条件図家図ただその妄想を見守ればどんな世界を創造するのだろうか?何もしないのか?孤独を感じ
て世界を端めるのかさつぱりわからんけど?最初から金金と言っている私真剣にやる気もない?そうや社会
一人ではなにも出来ない。こりゃだめだ私は最初から金にこき使われる妄想しか出ない?何がオリジナル渇
WWWWもオリジナルでないまあねえ
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくです。
292 :
塩と味噌:2013/01/01(火) 09:36:31.48 ID:BxFKP91E
amaさんあけおめ〜 ことよろ〜。
明けましておめでとうございます(*^▽^)/
294 :
ゼノン:2013/01/01(火) 12:37:03.05 ID:tijk/fMQ
「私も開発者の一人ね、人の作り出した究極の汎用人型決戦兵器。人造人間エバンゲリオン。その初号機。
我々人類最後の切り札よ」
「カッコイイーッ、カッコイイッ!スーパーカッコイイッ!!!
秘密基地に最終兵器の巨大ロボット!
僕は今猛烈に感動しています
…地球に生まれて・・・よかった〜〜〜!!!」
体を大の字にして全身で感動を表現する覚者であった。
296 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/01/01(火) 23:06:03.86 ID:oXVLu6ts
おや、懐かしい名がチラホラとwww
297 :
安堂:2013/01/02(水) 01:55:51.82 ID:CDaSSPcZ
298 :
神も仏も名無しさん:2013/01/02(水) 02:04:36.81 ID:DmcLtB1I
you tubeで「新唐人テレビ」を検索して見てください。
新唐人テレビは中国の民主化を望む中国人自身によるテレビ局で、海外に拠点をおき、中国共産党の圧力に屈する情けない日本のマスゴミよりもよっぽどまともなテレビ局です。
日本では中国共産党の圧力により報道出来ないニュースが沢山取り上げられています。
新唐人テレビのような勇気ある報道機関を広める事で、中共の圧力に屈し、真実を伝えない日本のマスゴミのへなちょこぶりを浮き彫りにする事にもなります。
新唐人テレビを日本や在日中国人の間に広めて、中共が日本に戦争をしかけてくる前に中共を内部崩壊させましょう!
せっかくだから悟りについて、もう一度みんなで話し合わないかい
300 :
安堂:2013/01/02(水) 02:47:04.91 ID:CDaSSPcZ
>>298 支那の蛮族は滅ぼします。
中国狂散党は壊滅状態にします。
当たり前です。
支那人は皆殺しにするしかない程に腐りきっている。
これは支那人が悪魔の枢軸であること関わっている。
彼らは敵である、味方になることはない。
滅びるまで敵である・・・・・・・・。
かの支那をとっととほろぼせ!
でなければ日本が滅びるだけだ・・・・
301 :
安堂:2013/01/02(水) 02:53:48.94 ID:CDaSSPcZ
>>299 中国共産党=敵=悪=破
中国はとっとと滅亡することは
機械的に科学的にも決定論的にも決定されている事実です。
どうあがこうとも滅びます。御苦労なだけです。暴れても壊滅です。
私は神族である。安堂は神域なり。そんな当然の法理を無視するとは笑止千万!
自由意志などないことをしめせば!!!!ははっははっはは!
>>300 当面の敵は、中国より投資家と呼ばれる資本家たちだろ
303 :
素人A:2013/01/02(水) 07:40:53.04 ID:Rv4yog/a
もう正月だから頭も空、ヤル気も無いから、適当に済ませよう?兎に角おめでと誤差居ますう。そういえば心も適当。
初夢とは今夜見るゆめが発夢だとか?前正月に書いたネタで無い初夢は空一杯に無数の餅形UFOが現れて我々衆生は
抵抗しようもなく逃げまわるのだけどみんな捕まって悟りの人に改造されるという恐ろしい夢だつた私は何とか岩の
割れ目に隠れて逮捕されず助かったなあ。?まえ見た岩の夢といえば大きな岩に無数の穴の目?があいてい好奇心で
穴の中にはいっていつたら(駄洒落的に穴多?穴の中に逃げん論?)突然暗い世界に出て暗い家を覗いている私そして
気が付いたら盲一人覗いている人がいて、それを婆さんに見つかってもう一人の人は逮捕されたけど私は逮捕され
なかつた。のや私の狭い家に白い蛇が居る夢もみた。意味は何か解るような不の夢みる師?貴方穴がオウイと呼ん
でいて穴も多く選択に迷うブラフマン?のシーン我有る?ブラフマンと神と仏は同じ人の違った名前化。
穴多の夢をあきらめないで
http://www.youtube.com/watch?v=PW_kP5uwp7A WWWWWW
305 :
素人A:2013/01/02(水) 09:29:38.15 ID:Rv4yog/a
私は今日本人の環境を着ている空日本人の立場に成らないと拙いし、もし中国に生まれていたら
中国人の立場だし、思いたくないけど北朝鮮に生まれたらその立場○だし
喧嘩異の総意があるのは当たり前、仏の立場では売国奴と言われるし本とは中国人の立場も分かる
けど私敵には分からん不利をする。ほとけではこのように色々生きる都合がわるいし
あるいみ夢をあきらめないでは無責任な仏の立場空暢気にみているし。でも説きには適当な立場も
見えないと?なにいいたいのか立場上中国はけしからん?うそばつかりでも立場上しようがないか
あーあみんな平和が問題ないけどまあいろいろあらあなまあよいか
306 :
素人A:2013/01/02(水) 10:04:57.50 ID:Rv4yog/a
307 :
ゼノン:2013/01/02(水) 19:20:25.04 ID:lF0qswJv
「…気に入ってもらえたようで開発者としては光栄ね」
「これも父の仕事ですか?」
リツコに尋ねる覚者。
「そうだ。……久しぶりだな」
あたりに一人の男の声が響き渡った。
「あっ貴方は僕の実父のゲンドウさんですね、お久しぶりです」
覚者は会釈した。
308 :
素人A:2013/01/03(木) 07:26:40.04 ID:wDG3MkNg
みんなヤル気がある人ばかりの2ちやんの中煩悩だけでは遺憾だろうと叱られたし、暇で仙道入門を呼んで少し気合を入れたら
体の中が振るえいや振動してきたし今まで臍から下中心で収まったいたのだが頭は重いし何か胸苦しいし兎に角みんな騒がしい
小廻天はたまの坐禅でも回っているから次は大廻天か?毎日四十分位コツコツ何年もやつて、頭から出陣いや出神させて三年位
でよちよち歩きくらいで精々ご近所に出陣ではヤル気もでない、物凄く頑張れば鬼さんみたいに宇宙が見える?それが何になる
のか?周りみんな悟っているのに私だけヤル気がでない。胸は何か胸苦しくなるしご近所周りやらんと行かんのか、坐禅と変わ
りは無いとおもうけどコツコツが苦手で向上心も無く煩悩少しの努力するだけ続かんと思うけど三日はやるか修行しないと
脳溢血や心臓病が気に成る師。まず頭のうえ開くのか。開いているのか開いていないのかどうなんだろう分からん。気を降ろす
事はできるから脳溢血には私はならんと思うけど、なんか今朝は虚しいし。
309 :
ゼノン:2013/01/03(木) 23:09:59.34 ID:k0L6qYrx
その男、覚者の父親は色の付いた眼鏡をかけヒゲを生やしていた。
男が言った。
「…出撃」
葛城ミサトが反応した。
「出撃?! 零号機は凍結中でしょ?! ……まさか、初号機を使うつもりなの?」
赤木リツコがヒゲ男をフォローした。
「他に道はないわ。……碇シンジ君」
「はい、なんでしょう」
「あなたが乗るのよ」
「え?」
310 :
素人A:2013/01/04(金) 07:00:34.32 ID:oJGUHX58
海印三昧 ・・・・・たとい「滅」がすなはち海印三昧であれ、また「起」がすはわち海印三昧であれ、ともかく
海印三昧は一切法なのである。そこには、修行・証悟が無いわけでは無い。ただその汚されないのところを海印三昧
というのである。三昧はすでに実現しており、いい表わされている。あたかも夜中に「手を後ろにして枕をさぐる」
が如くである。明暗を超えて何者にも手に触れない。このような「背手蒙枕子」は億億万こうのはかり知れない時間
であるばかりでなく、「我は海中において、ただ常に法華経を説法しているのである。「我が起こるとは言わないの
だから」、「我海中」である。海の前面も、「一波わずかに動けば万波それに従う」ところの「常宣説」である。海の
後面も「万波わずかに動けば一波もそれに従う」ところの「妙法華経」である。しかしたとい千尺・万尺の糸を巻いて
は垂れて垂れては巻いても、いかんせんそれはまつすぐな一本の糸にすぎないから、何物もかかつてこない。
この海中というのは人がいるのではない。もとより人が居ないのでもない。「我於」ひとり海中にあるのである。これ
が「唯常」の「宣説」なのである。この海中は中間にも属せず。内にも外にも属しない。つねに永遠の法華経を説教し
ている。・・
311 :
ゼノン:2013/01/04(金) 20:46:34.03 ID:JwOYy2T+
晴天の霹靂の急展開に覚者は口をポカンと開けて固まってしまった。
赤木リツコが繰り返す。
「聞こえなかったのシンジ君、貴方がこれに乗るのよ」
「…これって、どれのことですか?」
訝し気に覚者が問う。
「これと言うのは今紹介した汎用人型決戦兵器。人造人間エバンゲリオン。その初号機のことよ」
覚者の顔を見据えてリツコが言う。
312 :
神も仏も名無しさん:2013/01/05(土) 04:12:15.76 ID:Ej1T9Sam
他者を切望して思い描いているということと、
あくまで必要に応じて他者の像を考察することには大変な違いがる。
前者は人々という幻影の中に住むことになり、後者は全くの無に住むことになる。
313 :
素人A:2013/01/05(土) 07:26:25.07 ID:DrC2w5Ft
なぜ夢見ている時是は夢で現実でないと気が付かないのだろうそんなに夢中にならんでも?少し覚めていて殆ど夢の中暗いなら
良いのかも、元々がブラフマンいや実体我空でもまるでそれに気が付かない仕組みのこの世の世界なのか?だから悟った人は
一見して現実世界の夢に戻っても仕組みが分かっている?それが良いのかどうか?ボクンングでも夢中でハングリーなひとが
チャンピオンになるし、すこし覚めているのでは生存競争に負ける鴨、いくらバーチャルでも負け続けは辛い空そのうち何も
鴨忘れて夢中になり、自分が誰なのか気が付かなくなる、でも一回見ればもう手遅れでオマケの人生になるのか?また私は妄想
しだしたし?途に書く私は嘘でも出鱈目でも毎日書かなければならない煩悩があるやれやれ今日の仕事は終わった。ネタ作り
も苦労する。ほんとはそんなに苦労しない。適当さつさと出鱈目でるからか?出鱈目がまあええの空間から出るしもう明日の
朝のネタ書き終えた。朝になつたら頭の上も胸も虚しいし思いし煩悩元気だせえ?何か全てに白けて居るし
正月ぼけか虚しいとは精神的な感情では無く身体が戻れと言っている下らないと楽しく無いし
314 :
素人A:2013/01/05(土) 09:20:05.00 ID:DrC2w5Ft
秋元康作詞 川の流れのように 知らず知らず 歩いて来た 細く長い この道 振り返れば 遥か遠く故郷が見える
でこぼこ道や 曲がりくねった道 地図さえないそれもまた人生 ああ川の流れのようにゆるやかにいくつも 時代は過ぎて
ああ 川の流れのようにとめどなく 空が黄昏に 染まるだけ生きることは 旅すること 終わりのない この道 愛する人
そばに連れて 夢探しながら 雨に降られてぬかるんだ道でも いつかは また晴れる日が来るから ああ 川の流れのように
おだやかにこの身を まかせていたい ああ 川の流れのように移りゆく 季節 雪どけを待ちながら ああ 川の流れのように
おだやかに この身を まかせていたい ああ 川の流れのようにいつまでも青いせせらぎを 聞きながら
歌も表面的な流れて行くものと不動の者が同行して不易流行松尾芭蕉?駄空輝くのかも
AKB48の誰がだれなのかよく分からない可愛い子揃いの歌でも作詞は秋元さん
作詞は秋元さんヘビーローテーション 神や仏を思う歌に聞こえない事もないこの詩も輝いた歌だ?少し騒がしいけどまあいか?
なに言いたいのか 秋元さんは芸術家だし馬鹿には出来ない。鬼さんは川に流されても川原内視WWWWW
ヘビーローテーション
http://www.youtube.com/watch?v=_tHLA8ACFro
315 :
ゼノン:2013/01/05(土) 20:22:53.83 ID:dww93lCu
「…そ、それで、その、これで…いやその、それがそれで、これが、その、それだから…
つ、つまりこれに乗れってことですか?」
「そうよ」
「そ…それではまるで、これに…つまり人造人間エバンゲリオンに乗れって言ってるみたいじゃないですか?」
「言ってるわよ」
316 :
素人A:2013/01/06(日) 08:37:44.59 ID:dnSn4JMd
岡村孝子さん 辞書を開くと、英語のKISSにはいろんな意味がみつかる。この歌の
場合は自分自身に対するいとおしさのKISS
誠実ということをテーマに歌いたかった。いっしょうけんめいであるということ。
素直で偽りのないこと、自分のまんまで人生をけなすことなく、無駄な力と思い込みは
捨てて、すべてを受け入れること。他人じゃなくて、自分の内へと向かう誠実。それは
夢みることのパワーを与えつづけてくれる。つまりなぜ自分はここにいるのかということの、
もつともわかりやすい答えを教えてくれる。
http://www.youtube.com/watch?v=3Ot7Q-lrqdQ
317 :
ゼノン:2013/01/06(日) 19:18:03.94 ID:MsWjEle8
「…で、でも、それではつまり僕であるところの碇シンジ、つまり僕に対してエバンゲリオンに乗れっていうことですよ?」
「さっきからそう言ってるわよシンジ君」
「…でも、それは変ですよ?それだと僕がエバンゲリオンに乗れって言われていることになります」
318 :
473:2013/01/06(日) 21:50:13.69 ID:FYJ5/CEm
実際に独りだったら正にそのようにあるだろう。
束縛の中にあって束縛を理解しようとして、独りを理解しようとするが、
実際の想念は束縛、人々の中にある。
実際の想念はあらゆる欲望とともにある。
知識は結局役に立たない。役に立たないと気づくまでは限定された用をなすが、、。
あるがままの自分の想念、執着が観られ、それが静まってゆけば起こるべきことはすべて起こる。
それを知識として知っておく必要はない。
あるがままのありふれた、「今現在の刻々の」自分の心をみつめるなら。
319 :
神も仏も名無しさん:2013/01/06(日) 23:56:13.44 ID:4zLT+rZY
㊪坐禅見性成仏審議委員会
関連スレ参加者
【最高議長】チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッ♪たん ◆PottancCb.
【常任理事】基地子菩薩
【常任理事】素人A
【常任理事】コレ悟りかよ!?w
【常任理事】塩と味噌
【常任理事】ノスタルジア
【常任理事】473
【常任理事】オレって名無しかよ!?
【常任理事】安堂
【常任委員】太郎
【常任委員】パーピマン ◆OUG4LLcHY6
【常任委員】鬼和尚 ◆GBl7rog7bM
【外部委員】おてんば私立学院総長 ◆T7PLTme/rI
【外部委員】野孤禅スレです
【外部委員】ゼノン
320 :
素人A:2013/01/07(月) 07:22:59.41 ID:Cxl41yOl
今年の目標? さあとりあえずでもまあ良いのだ。 無理しない実力が無いのに無理に悟ろうと思わない事。無理すれば悟りに
憑かれる。そんなの仏にほつとかれる損なの相手すると仏も疲れるし道にも出来ないし、無理しなければ私と仏助け合って60
点で後オマケの20天優秀でなくても優秀な成績ダゼー、出鱈目ダゼー無理しなくても待つ直ぐな心になれば仏もホットけ無い
未知が分からなくても皆も神から輪借りて分かりました輪輪輪我見つつ分かりました?お天道様がニコニコした楽な未知ダゼー?
よくわからんけどまあ世イカ、神知れば楽皆も優秀ダゼー良いネタ出なく今朝は苦しい書き込みダセー。短いの無理に長くしてい
る?無理はいけないといいながら?ラーマクリシュナは人の良い聖人だぜー、本とはみんな僧が理想と思いながらも無理なら神が
好きならまあよいかとすぐ許してくれる聖人ダゼーやつぱり無理するとギコチナイでも長い。とにかくみなさん輪借りましょう
輪輪輪が三つ三ツ和サイダー大法輪中法輪小法輪WWWが三つ wwwwwww
321 :
ゼノン:2013/01/07(月) 19:25:24.40 ID:1XCuJjNh
「変じゃ無いわよ、私は貴方にエバに乗りなさいと言ってるのよ」
「あっ、そうか、リツコさんが僕にエバに乗れって言っててリツコさんが僕にエバに乗れって言ってるなら
リツコさんが僕にエバに乗れって言ってるんだから合ってますね…あれ?つまりそれって…」
322 :
素人A:2013/01/08(火) 07:19:02.56 ID:WHUbyuD8
我々眼が見えないものは土台無理で見えるには何でこんな簡単な事が解らんのか??で百文は一見にしかず。くやしいけど性が
無い。我々に解らせようとしても無理だし文字文字してもなに言っているのか解らんと言われるし、でも芸術家はその解らん事を
解らんままに伝える事が出来る?我々がよくわからんでも同行の仏には伝わるのだ?以心伝心柱でも伝わるの鴨。経典も意味解
らんでも内の仏さんに伝わるの鴨。解らんでも想思えば有り難い、だから難解でも何回も読めば読書百ぺん意おのずから通ると
いうけど?一望に見える人には敵わんでもまあよいのだ、その人の能力はそれぞれだからそれで良いのだと思う。短い?長くする
かコピーはラクダ?そういえば昔ぽ師匠に悟りとはと行き成り聴かれ、とっさにこの歌のありのままの私と答えたら、私はイラン
と言われた。長い時間 ざわめく朝の風が 時を運んでいるあふれる光の中 全て息づく 流れる人の群れに 少し遅れながら
見慣れた街の中へ今日もまぎれていく 長い長いこの時間(たび)で一人道しるべ探してる もっと痛む位激しくときめき感じたい
にぎりしめた夢さえ 失くしそうだわ ほんの少しの好奇心を大切にいきたい まだ知らない未来(あした)に出会えるように
誰かの視線ばかり いつも気にしてきた からみついた言葉に世界小さくなる 暗い闇をすりぬけていつかこの夢をかなえたい
だめな生き方でもいいから私らしくいたい ありのままの自分を見つめてるから ほんの少しの好奇心を大切にいきたい
まだ知らない未来(あした)に出会えるように だめな生き方でもいいから私らしくいたいありのままの自分を見つめてるから
ほんの少しの好奇心を大切にいきたい まだ知らないあなたに出会えるように WWWW長くなつた
323 :
ゼノン:2013/01/08(火) 17:43:08.38 ID:AEJhqA3O
「乗るなら早くしろ。でなければ……帰れ!!」
シンジの実父ゲンドウが口をはさむ」
「…帰れってそんな…来いと言われて来たら怪獣に踏まれそうになって爆弾で吹っ飛ばされて、
それで意味不明のこと言われて混乱したら帰れですか…こんな怪獣が暴れ回っててミサイルが飛び交う街に子供一人で?」
324 :
素人A:2013/01/09(水) 07:28:05.34 ID:PRKGwSK6
ゾクチェン ・・ゾクチェンにおいては時間の彼方にある、それゆえ創造と破壊の彼方にある原初からの清浄な土台なのだと考え
られている。この原初の境地には、光として表れるという性質がもともと備わっていて、この光はさらに、諸元素のエッセンスは
ボン教の宇宙論で説明されているのと同じように相互作用し、元素そのものを生み出す。この元素から個人の身体も、物質次元全
体も出来上がっているのである。?? なに言いたいのか何かテレビやDVDから生み出されたドラマがデスプレー光のスクリーンに
映し出されて世界の色々な物語が展開するのに似ている?また横道に迷いだしたと申そう、それでは先進まない?でもすこし長く
かけたから一休み?そういえばヨーガのチャクラやクンだリーにの話も途中で止まっているそれはまた後で、挫折は竹刀ぞおっ。
一休み一休み一休三。師匠何も身得んいや見えん?のなら色々な眼に会わない無事平穏のまあ良いだが?静かにしていると何かが
体中に走り回っているし夜中煩くてそんなの小廻天?クンだリーに?坐禅?仏?まあよいか?と妄想WWW
325 :
素人A:2013/01/09(水) 13:03:11.20 ID:PRKGwSK6
ぽ師匠長い時間動画貼り付け有難う。よく聴いてみたら?ありのままの私じゃなくてありのままの自分だつた、私と自分と如何違
うのだろうかと?自分は自分自身だし自図空(おのずから)是か?私はファンの端だ、なんで今まで聞き流していたのだろう。
ありのままの自分自身をみつめている空?これなら禅前仏教的だ。まあ良い我無い。私じゃ決まらない?また長く使用としてあれ
是の申そう我端○。ありのままは蟻の飯?流しに砂糖がこぼれているとして蟻が飯(まんま)にゾロゾロ集まっている。損な時に
使用するのは私と言う言葉?自己では決まらない。損な時私は仏では居られない、外に誰も意無いならまず流しを叩く殆どの蟻は
退散するけど鈍いありのままがいっもいるイライラする馬鹿にする、そしてもうがまんできず蟻の飯友に水に流す?蟻許せ成仏せ
よ?少し罪の意識はあるけど立場上我々も生きているの堕空と仏物言う。人前では?速蟻は成仏するまあよいか。
チキンタツタ美味しい!一番好きなバーガーです!
327 :
ゼノン:2013/01/09(水) 19:44:54.40 ID:j+a5yth6
ズーンッゴゴゴゴ…
突然の衝撃で覚者達の居る建物が揺れた。
「奴め、ここに気付いたか」ゲンドウが言った。
「シンジ君、時間がないの」少し苛立たしげに赤木リツコが言う。
「乗りなさい」
突然厳しい態度になった葛城ミサトが言う。
もはや覚者に味方はいなかった。
328 :
素人A:2013/01/10(木) 09:08:57.83 ID:US9P92MT
今朝早朝に突然電話が鳴り私の叔父が亡くなったとの事、我々の徒死になると私も両親はなく
親戚も段々亡くなる。寂しいけど悲しくは無い、亡くなった人が死とは何かを押し得て行く、
別に教外別伝では無く、私が死ぬ前から煩悩のレベルを上げれば煩悩が亡くなっても心細く
無いけど坐禅坐禅。ざ前に居る叔父さん私も師の前に並んでいる。
古池やかわず飛び込む飛び込み台 教えがあれば段々まあええへ進む
329 :
ゼノン:2013/01/10(木) 20:15:28.65 ID:6tcOPk+P
余りの四面楚歌ぶりにあたりをキョロキョロと見回す覚者だがエンジニアらしき男達がニコリともせずに覚者を真顔で見ているばかり、
助け舟は来そうに無い。
覚者は瞳を閉じてため息を一つついた。
330 :
素人A:2013/01/11(金) 07:52:05.08 ID:JprLFamf
ラーマクリシュナは続けました。ブラフマン、つまり<存在>にして<知識>にして<至福>である絶対者は、海辺のない大洋の如きも
のである。大洋の中のあちこちには、極度の冷たさによって出来た目に見える氷の塊がある。同様にその信者の献身によって冷却
されると無限者が己を有限者に変容させ、形のもつ神として信者の前に現れる。すなわち神が自らを身体をもつ人格としてその
信者に自らを著わすのである。しかしこの場合でも、太陽が昇れば大洋の氷が溶けるように<知識>の覚醒とともに、身体をもった
神は溶解し、無限にして形の無いブラフマンとなる。[・・・]それゆえ人々は神の愛を冷たい月の光に、知識を太陽の燃える光線
に喩えるのである。
331 :
神も仏も名無しさん:2013/01/11(金) 16:22:35.87 ID:OfAZd4dq
人生が悪夢だと分かると、死ぬことが自然と怖くなくなる。
332 :
ゼノン:2013/01/11(金) 17:21:36.42 ID:tUz+GrnP
「…それで、その、ですね、僕をエバに乗せてどうしようというのですか?」
恐る恐る質問する覚者。
「使途と戦って貰います」
即答するリツコ。
「…使途って、何ですか?」
「私達人類の敵よ」
ミサトが口を挟む。
「人類の敵?」
「そう、もう既に見ているでしょシンジ君、貴方がここに来る前に見たあの化け物のことよ」
333 :
素人A:2013/01/12(土) 06:34:33.97 ID:TMOwrmbf
・・東洋の芸術では仏陀であれ、ブラフマンであれ、ウシュヌであれ、シヴァであれその像は普通蓮の上に
坐るか、あるいは立った姿で示されます。ダンテのウジィョンで天の禅軍勢を従えた三位一体が観照される
のは輝く純白の白薔薇の花冠の内部です。ナホバ族の砂絵の場合花粉で縁取られた、白い空間が儀式の場と
なります。その向こう側(ないしその上)の最終的なイメージは、聖なる玉濁?の頂上の中央の雄穂に止まっ
ている象徴的な鳥です。下の大地の根と同様、この雄穂が三つあることに着目すればダンテの神曲における
三位一体のウィジョンと大地の内蔵の中の三頭のサタンが対応していることが想起されます。サタンは三つ
の顔をもち・・ダンテの意図ではこれはそれぞれ無知、憎悪、無能な怒りを意味しており、神の?智、愛、
全能と明瞭な対比をなしています。
334 :
神も仏も名無しさん:2013/01/12(土) 12:17:30.53 ID:TMOwrmbf
私は想像するに?死んだ人は向うに逝っているとして、我々は向うに眼が付いてない?
何で今此処の木の実しか身得んのか?無効な機能はイラン死そういう昨日になってないから?
我々は一寸先は闇の機能もあるし?私が死んだらと妄想したらなんだあ渡しは死んでない
過去の社会や身が亡くなったのだ当たり前だ、煩悩少し修行した空上の部分は大丈夫だけど?
煩悩が亡くなった悟あっても寂しい、覆水煩悩に帰りたいで元の黙阿弥だ、生きている内修行
しつかりするわけは無いのだ、反省も無いでもちょっとは坐禅ざ前かもうそうなつている。
まあなんだかんだで少しずつ少しずつまあええか?ちよつとずつきがつかんうちに前へ進んでいく
で心の草原
http://www.youtube.com/watch?v=CuXCX1n1HZI
335 :
ゼノン:2013/01/12(土) 18:36:27.44 ID:MNdUlo8Y
「あの化け物って、あの軍隊と戦っていた化け物のことですか?」
「そうよ」
「あのロケット弾やミサイルでもびくともしなくて、軍用機をあっさりと撃墜したあの化け物ですか?」
「そう、あの化け物よシンジ君」
336 :
素人A:2013/01/13(日) 08:21:45.40 ID:2Q++G+Tn
何も内空いや何も無いから?嘘本とはネタ書きたいから何故か起きたらネタ書く習慣にしばらく縛られるから、
別に無理して書くことも無いでも無理しなくても何か駄洒落有り書いている、起きても他に行けない仕事化、
よくわからん今朝のはブツブツだけか?私は修行は入門書を本の少しよんで気ままな我流で続いても五日忘れて
いるし、でも2ちやんは続く師?別に努力もなく大したものでもなく友まあ良いで続く、今日はだらだら教を観察
しました。本能場借り仮でなくもつと上のレベル目指さない真で空パクリと食われて何我残るのか?般若心境では
部分的な言葉ばかりみれば不生不滅不増不減と永遠に何も無いと?今朝は空虚な書き込みでも質より量で外ホカ逝ける
鬼和尚さんが観察とか書いたので頭使ったけど結局もとの木阿弥だでも気が付かない内に少し聞こえてよくわからん
でも損な修行は私には大変な努力がいるのでもう挫折した。内の仏には聞こえたのかどうか?ほつ師匠からはすずめ
ちゅんちゅんの思いを引きずらない観察もまあなんだかんだ、私はこれでもけつこう気を使うのかと思う 人も良いし。
孝子師匠 まだ知らない貴方に出会えるように そうだ少しだけ修行だあ
悟開
338 :
ノスタルジア:2013/01/13(日) 15:12:09.26 ID:+jCHOSGM
473さーん。あっちのグルジェフoshoスレッドで聞きたいことがあるんだけど
来てくださいよー。
339 :
ゼノン:2013/01/13(日) 18:40:34.54 ID:j2IsPdiP
「あの化け物N2地雷でも死ななかったんですか?」
「元気ピンピンで前より更に強くなったわ」
「そんな化け物と僕がこれに乗って戦えと言ってるんですか?」
「そういうことよ、シンジ君、世界の平和を守るためにエバに乗って化け物と戦いなさい、
それがあなたの運命でありお父さんの計画なのよ」
340 :
素人A:2013/01/14(月) 06:54:11.12 ID:D+xhR8+p
無門関 二 百丈とキツネ 無門関を読み解
http://www4.plala.or.jp/mumonekai/Chapter/2.html 百丈さまのお説教には、ひとりの老人が、みなと教えをきいていた。みながさがれば、老人もさがる。ある日さがらずにいるの
で、坊さまがきく、「そこに居るのは、何びとじゃな?」 老人、「いや、人ではございません。むかしカショウ仏のころ、この
寺に住み、書生から、「えらい修行をした人も、因果に落ちますか?」ときかれ、「落ちない!」と答えたために、五百代キツネ
にされました。なにとぞ坊さまのおくちぞえで、キツネからぬけますよう。」そこできく、「えらい修行の人も、因果に落ちまし
ょうか?」 坊さま、「因果にたがわぬ!」 老人はその言葉で悟り、おじぎをして、「私はもうキツネからぬけて、裏山にいま
す。どうかお坊さま、おとむらいをねがいます。」 坊さまは世話役に板を鳴らさせ、食後に葬式だとふれた。一同ふしぎがる。
「みんな元気で、病室に居る者もないのに、なぜなんだろう?」 食後になると、坊さまはみなをつれて、裏山の岩の下に行き、
ツエでキツネの死体をひき出し、それを火葬にした。 坊さまは晩の説教で、いわく因縁を話す。すると黄蘗が、「その人はひと
こと返答しそこねて、五百代キツネの身となったが、ことごとくたがわねば、何になりますかな?」 坊さまがいう、「こっちに
こい。話してやろう。」 黄蘗は近よるなり、坊さまをひっぱたいた。坊さまは手をたたいて笑い。「毛唐は赤ヒゲだが、赤ヒゲ
の毛唐も居ったか!」 無門がいう---------因果に落ちねば、なんでキツネになろう?因果にたがわねば、どうしてキツネからぬ
けよう?もしこの点にシカと目がつけられたら、前世の百丈もたのしい五百代であったとわかる。
341 :
素人A:2013/01/14(月) 07:14:52.81 ID:D+xhR8+p
この野狐禅という言葉は、第十二則・「巖喚主人」のところで述べている雲門の三種の病の中には使われて
いませんが、この三種のうちの透脱無依(とうだつむい)に陥っている状態のことを言っていると思われます。
野狐が「因果に落ちない」というのは、世の中の動きや人情の道理にはとらわれないという意味ですが、
これは透脱無依という言葉で表される瓢箪の川流れのような心境とほぼ一致しています。 (中略)
五百代もの長い間キツネにされるとはずいぶんオーバーな話しだと思うかもしれませんが、人間は雲門のいう
三種の病気のうち已到住著や、透脱無依の病いにおちいっている人は普通の社会の中に相当数いて、特に四十代
過ぎてこれらの病いにかかっている人はもう実際問題として立直りが不可能なのです。この年代でこのような
形ちで慢心している人はもう殆どの場合全くの手遅れで、死ぬまでそれによる混乱が続き、それをあの世まで
持ち込むことになるので、五百代でも短いと言いたいくらいなのです。毎日の生活の中で自らを省みて大いに
気を付けたいものです。
342 :
ゼノン:2013/01/14(月) 20:32:03.90 ID:oa1pPxlk
「…そんなこと急に言われても、無理ですよ、なんで僕なんですか?」
涙ぐむ覚者。
「…他の人間では無理だからな」
ゲンドウが口をはさむ。
「シンジ君、何のためにここに来たの? 駄目よ逃げちゃ。お父さんの計画から……何よりも自分の運命から」
ミサトが詰め寄る。
344 :
神も仏も名無しさん:2013/01/15(火) 08:55:14.17 ID:igtTNEIr
ヨーガ根本教典 二・五四〔制感〕制感とは諸感覚がそれぞれの対象と結びつかない結果、まるで心自体の模造品のようになった
状態をいう。 佐保多さん解説 制感とは諸感覚をその対象から手元に引き戻す。或いは感覚が対象に向かって動こうとするのを
引き止めるという意味である。感覚がその対象に結びつこうとする動きを引き止められて自分独りの状態に取り残されると、諸感
覚はあらゆる心理状態の実体である心の模造品のようになる。各感覚がそれぞれ独立に外界の色、声などの対象と結びつくことを
やめ、器官と心の一体になっているのが制感である。と 一体ぜんたいなにが始まりかそれはヨーガ有る世界?色即是空?
二・五五 制感の行法を修習していくならばついには諸感覚に最高の従順さが生ずる。 佐保多さん・・・特に最高の従順ささと
言うときには、心が専念状態である時に感覚もまた外部の知覚を受け付けないことを意味している。そして最後に心の働きもこれ
に追従して消滅する事になる。 こからヨーガの用が端◎と基本は大切だ空
345 :
ゼノン:2013/01/15(火) 21:30:36.08 ID:amsB0w1x
「いえ、人間逃げた方が良い時は逃げた方が良いですよ、シマウマだってライオンがいたら逃げますよ、
それに僕はエバに乗りたくてここに来たわけじゃ無いですよ、父に呼ばれて、
ちょっぴりアットホームな夢を見て来ただけです……儚い夢でしたけど…」
うつむく覚者の頬を涙が伝い落ちる。
346 :
素人A:2013/01/16(水) 07:51:15.03 ID:ji0Ng5qK
347 :
ゼノン:2013/01/16(水) 21:35:35.99 ID:0IdIOpm0
「……冬月。レイを起こしてくれ」
ゲンドウが言った。
「使えるのかね?」
冬月と呼ばれた白髪初老の男が尋ねた。
「死んでるわけでは無い」
レイと呼ばれた人も酷い言われ様だと覚者は思った。
348 :
素人A:2013/01/17(木) 09:52:53.71 ID:AiD3RCPr
また早く眼が覚めて、ぼーつとしている時。存在は色々考える私には無理難題あちらこちらにさ迷い気分だけは哲学者に?
全体からと部分からアートはつまり後はよくわからないうちに、今此処にたどり着いたけど意味不明存在なんて牛の空だ今此
処の尻尾が残っているのか?しつぽあれ昨日三十年通れない人がいたけど?今此処永遠に通り過ぎる事は無いのかわからんけ
ど今までは此処に居たけど先はよくわからんたぶん?私は今此処に居る。
愛という名の翼 岡村孝子
http://www.youtube.com/watch?v=07V_uxIFsi0 流れ続けてきた日々が 静かによみがえる 地図も目指す星もない あてのない旅 歩き続けて立ち止まり何度も振り返る
風にちぎれた想いが消えてしまわないように あなたがいたから崩れそうな日も 私が私でいられたのよ
あたたかい夢を見つめる希望の 光をいつも届けてくれた このままずっと守っていて 暗い闇に抱かれても
巡り巡っていく時代(とき)を いくつも見送って 失くしそうな情熱を握りしめてる きっといつかはたどりつく心の故郷へ
限りある命の日々燃やし続け歩きたい 明日を信じて遠い道のりをあなたと遙かに渡ってきた はぐれないように迷わないように
降りしきる雨さえ受けとめて 見えない未来越えて行こう 愛という名の翼で あー陽は登り やがて朝が来る
明日を信じて遠い道のりを あなたと遙かに渡ってきた はぐれないように迷わないように 降りしきる雨さえ受けとめて
見えない未来越えて行こう 愛という名の翼で
349 :
ゼノン:2013/01/17(木) 21:40:42.49 ID:yU8cH+eM
「レイ」
「……はい」
「予備が使えなくなった。もう一度だ」
「…はい」
ゲンドウの呼び出しに応えた声は余り頼りになりそうにも無い少女の声だった。
>>349 とりあえず、Qに行くまでどれくらい掛かる?
351 :
素人A:2013/01/18(金) 07:39:00.10 ID:vQHHQ+w+
我割れはこの世うに着て色々な眼を持つアートマン何が何だか解らなくなったブラフマン?心細くなつた時は安心画星意よね?
今見える世界はこの身が終わると身得んと言う死?書いていること意味が内蔵?途に書く私は朝になったらネタ無くても欠か無く
てはならない、なんでか人気無く無視されているのに?でも書きたいから書くのか?私は悟りの修行に熱心ではないけど悟りの
言葉好きなのか?まあ友な人が此処は沢山いる空楽しいのか?まあ今日も苦労なくネタ書けた後は一休み。人は安心画☆意野鴨
この未知は長安に続く?長安に続いていいないそれに長安なんてとっくに無くなった今は北京それに今中国に行くと危険?また
意味も無く無駄に無理に長くしている。それならWWWWWWWWWWWあれ長く安心?
そうか我我は異論な眼に会う空元の眼を求める野鴨?適当駄空。アートマンはブラフマンの支店なの鴨色々な眼
>>351 こっちのスレの方が書き捨てしやすいから、こっちで書くけど
ブラフマンとアートマンは同じモノだよ
ブラフマンが「個」という感覚を持った時にアートマンとして現れる
この「個」という感覚は肉体と肉体に付随する5感によって引き起こされる
353 :
ゼノン:2013/01/18(金) 21:30:01.10 ID:Ow7XqKVa
「初号機のコアユニットをL-00タイプに切り替えて再起動」
「了解、現作業中断。再起動に入ります」
リツコの指示に従い作業が進められる中、担架に載せられた少女が運び込まれて来た。
少女は苦しげに喘いでいる、尋常な状態では無いのは一目で明らかだった。
354 :
素人A:2013/01/19(土) 08:02:00.23 ID:H1dAfNQr
インドの神話「始まりにおいて、この宇宙は人間の形をした自己にすぎなかった。かれはあたりを見回したが、自分以外に何も
みなかった。それでかれはこう叫んだ。『私は彼だ』。そこから『わたし』という名が出てきた。今日でも人が話しかけるとき
かれがまず『わたしは』といい、それからかれが世間に通用している名前を告げる理由はここにある。かれは恐れた、これが人
々の一人でいるのを恐れる理由である。かれは考えた。『しかし私はなにを恐れているのだ。わたしの外にはなにもないのだ』
それで彼の恐れは消えて去った。彼は不幸だった。これが人々の一人でいると不幸である理由である。かれは仲間を求めた。彼
は抱き合っている女と男ほどに大きくなった。彼は彼自身であるこの身体を二つの部分に分けた。そこから夫し妻が出来た。・
・そこで人間の身体は(人がその妻と結婚する前には)割れたえんどう豆の片割れに似ているのである。・・かれはかの女と結ば
れた。そこから人間達が生まれるのである。かの女は考えた。『どうやつて彼は自分から私を産み出したあと、私と結ばれるこ
とが出来たのか。いいわ隠れてみよう』。かの女は牝牛になった。かれは雄牛になつてかの女と結ばれた。これから牛が生まれ
た。かの女は山羊になった。・・・こうして彼は蟻にいたるまでひとつがいで存在するあらゆるものを作り出した。こうして彼
は解った。『たしかに私は、私自身から創り出すものである。なぜなら私が全世界を創り出したのだから』そこで彼は創造と呼
ばれた。」固体と大宇宙の生みの親との恒久的な基層は以上の神話によれば一にして同じ。・創造主が「自己」と呼ばれる理由
355 :
ゼノン:2013/01/19(土) 20:37:09.50 ID:izFAWQW+
ドゴォーン…
再び使徒の攻撃で天井が崩れ始める。
その衝撃でバランスを崩して担架からずり落ちる少女を素早く駆け寄った覚者が抱き留めた。
356 :
《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2013/01/19(土) 23:39:31.79 ID:oPX4MxIv
麻三斤 さとりとは麻布、三斤の重さである。
/::::::::::::::::::::::::ヾヽ
.i:::::::://///::::::::::::::::::|
.|::::::/ ::////⌒⌒ i.:::::ノ
.|:::::/ |::::|
|::/. .ヘ ヘ. |::| | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
.⊥|.-(=・).-.(・=)-.|⊥ .| 修行僧 趙州に問う、「如何なるか是れ趙州?」
l .!:; ⌒´.し.`⌒ ::|. l |
ゝ.ヘ /ィ _ノ 趙州云く、「東門 西門 南門 北門。」
__,. -‐ヘ <ニ二ニ> /─- __\
_ -‐ ''" / !\  ̄ /!\  ゙̄ー-、 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ハ /. |ヽ  ̄ ̄ /| ヽ ハ
| ヽ く ! . ̄ ̄ ! .> / !
357 :
神も仏も名無しさん:2013/01/20(日) 08:42:28.65 ID:ucHuaSDR
無門関第一即一 趙州と犬
趙州さまに、ひら坊がたずねた。「犬にも仏の性質がありますかね?」 趙州がいう、「無じゃ!」
無門がいう---------禅には開祖このかたの関所があり、悟るためには行きづまらねばならぬ。関所も通らず、行きづまりも
せねば、まったく草木同然のたましいだ。 ところで、その関所とは何かというに、ただこの[無]ということ、これがこの宗
の関所だ。だからその名も[禅宗無門関]通りぬけた者は、趙州に会えるばかりか、代々の祖師がたと手をとって行き、まゆ毛
がくっつき、同じ目で見、おなじ耳できく。すばらしいではないか! 通ろうとするものはないか? 三百六十の骨ぶし、八万
四千の毛穴、全身をもって疑い、[無]の意味を知れ、よるひるひきしめて、[虚無]にも落ちいらず、[有無]にもかかわる
な。焼けた鉄のたまをのんだようなぐあいに、はき出すこともならず、これまでの無分別をとろかし、だんだん練れてくると、
しぜんに内もそとも一つになる。オシが夢を見たようで、ひとには知れないが、パッと打ち出せば、えらい事になる。まるで
関羽さまの刀を手に入れたようで、仏も開祖も、みんななで斬りにし、生も死もないまったくの自由、どこにどう生きるにせよ
ノンビリしたもの。 だが、どうしてひきしめるのか?いつも張りきって、[無]というものを持て。油断がなければ、お燈明
のようにパッとつくのだ。
358 :
ゼノン:2013/01/20(日) 19:27:36.03 ID:4qNvnHW6
数瞬覚者を見つめる少女、だがすぐに痛みに耐え兼ね苦痛の声をもらす。
その少女は空色の髪をしていた。
その少女は紅い瞳をしていた。
覚者はその少女を覚えていた。
359 :
神も仏も名無しさん:2013/01/21(月) 07:27:55.30 ID:bh7CTlNH
門関 第12話 巌和尚のひとりごと 原題「巖喚主人(がん、しゅじんをよぶ)」
超訳無門関
http://bunchin.com/choyaku/mumonkan/mumon012.html 瑞巖彦(ずいがんげん)という和尚さんは、自分に呼びかけて、それに返事をするというのを日課にしていました。
「おい、主人公! ・・・・・・はい、何でございましょう?」 「ボサっとしてんじゃねぇぞ。しっかりしろよ!
・・・・・・はい。仰せのままに。」 「いいか? どんな時でも、他人にだまされないように気をつけろ!
・・・・・・はいはい。心得ましてございます。」 このオッサンは、これまた、なんともまぁウサン臭いひとり芝居をやってみせた
もんだ! 全く何考えてやがるんだか・・・・・・ とはいっても、実はココこそがまさに重要なポイントなんだがな。
わかったフリして形だけマネしても、全然ダメだぜ!
>>359 主人公がきちんと主人公の座に収まっていれば、そんな面倒くさいことしなくて済むのにな
361 :
神も仏も名無しさん:2013/01/21(月) 10:19:05.23 ID:bh7CTlNH
駒は周りが回って動いているから心は困らない。色即是空 空即是色で一人前
迷っても芯空画があると思えばまあ良いか、そういえば孝子師匠は変わっていく
ものの中に永遠があるとかなんか言つていた。駒は不動芯我あるのから駒らない?
密教画の輪廻転生の曼荼羅の駒も中心にお釈迦様が不動の坐禅して廻りはまあ色々
なまあよい世界画あるとキャンベルさんが言っていたつけ。ぽつ師匠は色即是空は
空即是色と返すと鬼和尚はうんそうじゃと帰すし、私はダラダラ書くばかりだし
まあよいか。色々有るカラーアートは輝いて?まあよいか何かイライラまあよいか
362 :
ゼノン:2013/01/21(月) 16:57:52.63 ID:aIyLjSbo
覚者の少女を抱いた手にべっとりと嫌な感触が伝わった。
血だ、一刻の猶予も無い。
覚者は担架にそっと少女を戻すと言った。
「この子を今すぐ治療室に運んで手当てしてあげてください。
エバには僕が乗ります」
>>362 >覚者の少女を抱いた手に
この辺が日本語の難しいところだな。
この文章だけだと
「覚者」が「少女」を抱いているのか
「覚者の少女」を誰かが抱いているのかが分からない。
この場合前後の文脈で分かるがね。
364 :
素人A:2013/01/22(火) 07:38:39.68 ID:Eyf0N1Xl
一五 洞山ノ面くらい 雲門は、洞山がならいにきたので、たずねた、「ちかごろどこに居た?」
洞山、「査渡です。」 雲門、「夏はどこに居た?」 洞山、「湖南の報慈寺です。」
雲門、「いつあちらを出た?」 洞山、「八月二十五日です。」 雲門、「六十ぶたれるところだな。」
洞山はあくる日、また行ってたずねた、「きのうは六十ぶたれるのをゆるされましたが、いったいなんの
落ちどでしょう?」 雲門、「ゴクつぶしめ!江西、湖南とウロつきあって。」 洞山はハッと気がついた。
無門がいう−−−雲門は、とっさに何よりの物をくらわせて、洞山によみがえりを得させ、一門の名を落とさなかった。ひと晩じゅうあれかこれかと思案して、夜があけてまたきたやつを、またも取っちめてやった。洞山はそこで悟ったが、さとりが早くはない。
ところでみなさん、洞山は六十ぶたれるべきかどうか? もし「べき」だとすれば、草木もお寺もぶたれるべきだ。もし「べきでない」とすれば、雲門がウソつきになる。この点がハッキリしてこそ、洞山をも生かすことになる。
365 :
塩と味噌:2013/01/22(火) 08:01:56.40 ID:tYz5EAsm
ま〜べきってことはなんにしてもないけど、
六十ぶたれるところだね〜。 かの洞山禅師でもボンクラだったんだね〜。
あれが正解かこれが正解かって本物探ししてたんだね〜。 ただの迷ってる様子だね。あの洞山でもねぇ〜 面白いな〜w
あーいまおもえば俺もこれやられたなー くそー いきなりとは思わんかった。
>>364 洞山は「査渡にいた」とか「湖南の報慈寺にいた」とか嘘ばっかりついてるから
60ぶたれてもしょうがないね
367 :
塩と味噌:2013/01/22(火) 17:18:31.92 ID:7j/dui+p
今は口がよう回るようになったがまだ全然自分の言いたいことも言えない時に親から教わらんでも知ってたことがあるだろう。
みんな知ってるがじつはよく知らない なんだか子どもの頃一人でこうだった思い出がある。
まるで今までがウソみたいだ。 悟り病 仏病 祖病からも一気に解放だ。
後は元から悟りなんてインドのパンチパーマが考えた遊びなんかないんだからありのままに暮らして行くだけだよ。
368 :
ゼノン:2013/01/22(火) 17:38:47.94 ID:S7YlZr26
「レイを大至急集中治療室へ、コア、デフォルト、エントリープラグを出して」
早速リツコが指示を出す。
エバから大きな筒のようなものが現れた。
「さっ、乗ってシンジ君、あとからLCLという液体を注入するわ、少し苦しいけど10秒もしない内に大気中と変わらない感覚になるから、
かまわずに飲みこんでちょうだい」
覚者はエバに乗り込んだ。
369 :
神も仏も名無しさん:2013/01/23(水) 07:27:49.09 ID:7SYqq3pT
ミストラル
http://www.youtube.com/watch?gl=JP&hl=ja&v=TEJBjeLyYm4 灼けつく太陽が 歩道を焦がしている さまよう二人を さえぎるように 出会いの海が今 静かにざわめいてる
あの日の想いを くすぐるように もう一度夢を 輝いていた日々を このまま二人 引き返したくはない
今はまだ眠ってる 未来にめぐりあいたい 涙があふれるときも この手をはなさずにいてね
はしゃいだ毎日を 不安を操り返して 二人はさすらう 運命の海 哀しい夜ならば 私をそばにおいて
つないだ指先 願いをこめて すべてを受けて 駆けぬける風になる こぼれた愛を そっと運ぶように
今はまだ眠ってる 未来にめぐりあうたび 心を閉ざさないでね この手のぬくもりのままに
すべてを受けて 駆けぬける風になる こぼれた愛を そっと運ぶように
今はまだ眠ってる 未来にめぐりあうたび 心を閉ざさないでね この手のぬくもりのままに
今はまだ眠ってる 未来にめぐりあいたい 涙があふれるときも この手をはなさずにいてね
370 :
ゼノン:2013/01/23(水) 15:41:13.81 ID:faDpfBYC
いろいろ納得いかないことはあったが人生には納得するしないに関わらず進むか引くかの決断を迫られる局面がある。
覚者は進む道を選んだ。
この時彼は戸惑いであり恐怖であり悲しみであり憐れみであり勇気であり決断であった。
そしてそれらを照らす覚醒の光だった。
それはちょっと違うんじゃ?
悟りは、より無理のないところにあると思う
だって、神の意図どおりに現実世界で行動するようになるということが悟るということには含まれるからね
372 :
素人A:2013/01/24(木) 07:33:15.06 ID:XtKiPTWZ
無門関十六鐘の声とケサ 雲門がいう、「世界はこんなに広いのに、なぜ鐘の声がするとケサを着るのだ?」
無門がいう---------いったい禅の修行には、声や色に迷ってはならぬ。たとえ声にみちを悟り、色に心を知っても、大したこと
じゃない。そんなことより、坊ずは声や色を乗り越えたら、物ごとがよくわかり、うまい手がうてる。それはそうだが、ところで
声が聞こえてくるのか、耳がそっちへ行くのか? かりに声も静けさも忘れたら、その時の話はどうする? 耳できいてもわか
るまいが、目で聞けばわかるのだ。?? 私達は僧じゃないし?でも同じ立場なのか盲用があるしまあ様もある馬車馬車と
者張り中で不自由に意図大変な思いで自由が内。適当に生きているから意図の絡み合いで何いいたいのか、でもからまなければ
一筋の糸駄空、でも色々とカラー無し、珠には自由に山の上空町町を見下ろして威張りたい、みんなさんまあようやつていると
さあ将棋サイトへ移行WWWWWW
373 :
ゼノン:2013/01/24(木) 16:26:31.41 ID:nM3moRo/
「第三次冷却、終了」
「フライホイール、回転停止」
「接続を解除」
「補助電圧に問題なし」
「停止信号プラグ、排出終了」
「了解、エントリープラグ挿入」
自分の為に沢山の人達が作業している様子を耳に覚者は思った。
僕が世界を救うエバのパイロット?
そんな重要なことは、せめて本番の一年前くらい前には教えろよ!
374 :
暗道:2013/01/25(金) 01:53:01.98 ID:hdL5u+MK
みんな、
いろいろと言いたいことがあるらしい・・。
誰か俺の言うことを読んでくれぇ〜〜〜
375 :
素人A:2013/01/25(金) 07:50:23.90 ID:wCRAYNVd
全全禅的な事が書けなくて用があるとか仙道さんがとか孝子師匠とか?今日は相当に曹洞宗の道元したのの心身学道のコピーだ
・・平常心とはこの世界化の世界という区別なしに、いつでも平常の心である。過日はここの平常心からさり、今日はこの平常
心から来ている。去るときは天地全体がさり、来る時は天地全体が来る。これが平常心である。平常心はその平常心の中で開閉
している。無数の門戸が同時に開閉しているから、それが平常心である。いまここに天地全体というのは、意識に上がって来な
い言葉のごとくである。突如として大地に噴出す一声の如くである。しかしそれだけではない。日常の言葉も心も事柄も等しく
意識に上がってこない。さらにこの生涯のあいだ、刹那刹那に消滅しているけれども、成仏の最終身までいかなければ、そのこ
とも知られ無い。しかし知られないけれども菩提心を発すれば必ず菩提の道に進むことができる。すでに菩提心が発しているの
である。さらさらに不審に思う必要はない。しかしたとい不審に思っても、それがすなわち平常心である。第二に学道というの
はからだで学道することである。この生身のまま学道するのである。からだは学道から来ているのであり、学道から来ているの
は、すへてこのからだである。尽十方界がまさしく一小個の真実人体である。生死去来していることが、そのまま真実人体であ
る、この身体を動かして十悪をはなれ八戒をたもち三宝(仏・法・僧)に帰依して家をすてて出家する。それが真実人体である。
そういうわけであるから、このからだを真実人体という。後進のものはけっして自然主義の外道に同調してはいけない。
376 :
素人A:2013/01/25(金) 10:30:52.05 ID:wCRAYNVd
ぽつ師匠が昔話してくれた話。師匠が夢中で片手の人片手の人と公案に取りくんでいた僧な?
そこにすずめがちゅんちゅんと鳴いていたけど公案に夢中で無視していた僧な。
その時和尚さんに貴方はすずめの鳴き声が聞こえていますかと言われたそうな。
まあ良い風景画見えるようだ?そういえば私もこの話聞いて、あっ突然出鱈目に
出てくる人は片手の人と気が付いた?コントか落ちのも有る師。夢中でもそんなの
あつたかいと温かく見守ってくれるほとけが居るのかも知れない。
377 :
ゼノン:2013/01/25(金) 16:38:23.76 ID:Sbpbg+yY
「脊椎伝導システムを開放、接続準備」
「探査針、打ち込み完了」何ブロックも離れた場所の布ズレの音も聞き分ける覚者の聴覚は作業の声や音の他に巨大な生命の鼓動を感知していた。
自分は今巨大な生物の中にいるのだと覚者は実感した。
378 :
塩と味噌:2013/01/25(金) 18:44:42.79 ID:nv53AMbe
ところでベゲザンと風名だっけ生きてるか?
379 :
暗道:2013/01/26(土) 01:38:00.81 ID:VS6wSolC
>>378 ペゲザンピークと風名ですか?
彼らは道半ばにしてお亡くなりになったのではないですかね・・・。
真に痛恨の極みであります・・・。
380 :
素人A:2013/01/26(土) 07:31:36.15 ID:S7oKg5kA
我々は旅旅困難に会うと段々近何に慣れて来て、盲細かい事は気にしなくなる。悪いとが有れば良い事もあるし損なのまあよいか
と大雑把いや大目に見ることが出来る様になる鴨。つまり大目に見れば雑という事でもある小さい事は盲ほつとけで。細かい眼
に会う人は大きな眼には会えないし、一方を見る説きは一方は暮らしでまあよいか?解らんでもなるように鳴っている空
無門関 三七 庭の柏の木 趙州は、坊ずに、「ダルマさまはどんなつもりではるばるきました?」ときかれ、いうには
、「庭のあの柏の木さ。」 柏の木の出てくる別の公案にこんなのが じょう州に一人の僧がたずねた。「柏の木には仏性が
ありましょうか、ないでしょうか」大師「ある」僧「では柏樹は何時成仏するのでしょうか」大師「虚空が地に落ちるまで待て」
僧「虚空は何時地に落ちるまで待て」大師「柏の樹が成仏するまで待て」?この公案に親切な答えがあるような?つまり「達磨が
中国に来たのは・・」とたずねた僧は悟りが頭に登りすぎて落ちがつかなかつたのだ。落ち着けで落ちなさいというネタかつまり
空ばかりでは何の役も立たない。空即是色で柏の樹になつた?道元はこう言っている?悟ってもすぐ元の木阿弥になる身である
空それでは一生懸命修行した成果我無いもしその成果があるなら柏の樹や境とつべこべ言うことは無い?いつの間にか私の妄想に
すり変わっているけど、悟っても可愛い我が身が用が無くなると、ついつい文句もでるのかわからんネタも落ちつかずだらだらと
381 :
ゼノン:2013/01/26(土) 12:27:34.66 ID:JOU42O65
「精神汚染計測値は基準範囲内。プラス01からマイナス01を維持」
「インテリア、固定終了」
「了解。第一次コンタクト」
不思議と恐怖は無かった。
それどころか覚者は母に抱かれた赤子のような安らぎを感じていた。
382 :
素人A:2013/01/27(日) 08:56:03.53 ID:9P/j/q1h
夢の途中 見つめあうって 幸せなことね あなたの声がききたくなる ふと目ざめたなら 恋をしている 素敵な瞬間
すべてのものがきらめいてる 優しさがあふれ出す なにげなく過ぎゆく日々を 二人分け合って永遠の時を 越えて行こう
ときめきと 揺れる想いを 胸に抱きしめて ゆるがない愛に いつか届くように 夢の途中で 迷った時にも
心のままに歩いていて 自分を信じて どんな答えも まちがいじゃないと誰もがいつか気付くでしょう とまどいをくり返し
ほら いつもあなたのことを そっと守りたい やわらかにそよぐ 風のように 輝きと光るハードル すべてとびこえて
ゆるがない明日に 続いていきたい 巡り 巡る 季節の中で二人が 出逢った偶然 運命にぬりかえて
ほら いつもあなたのことを そっと守りたい やわらかにそよぐ 風になって ときめきと 揺れる想いを 胸に抱きしめて
ゆるがない愛に いつか届くように ほら もっとあなたのことを 強く守りたい ゆるがない愛に いつか届くように
今は途中蛇内かでヘビーな旅だけど同行意ってもまだ見回り半で迷っている夢の途中?レベル我が胸いや腹はらの修行中か?
孝子師匠は真我尊具ライター○だし どんな個多画もまあ違いでは内のか?今のまあ良いは一も未て来いに成る師?一つも間違
いがない空た大丈夫だあ 志村権か。この世に来た人が未来が全部解って旅しているとしたら本の読んだ通りではツマラナイか
無断で送られて来た大川さんの本私は何か用が無い読めばといわれても?さあ別に今は気が向かない師?
383 :
ゼノン:2013/01/27(日) 09:41:28.25 ID:Txsu/F8n
「エントリープラグ注水」
ふと覚者はミサトの言った『それじゃあ今から君を世界一安全な場所に案内してあげるわね』という言葉を思い出した。
リツコの言ったLCLという液体がコックピット内に満たされる。
覚者は思いきってLCLを飲み込んだ。
384 :
473:2013/01/27(日) 11:06:22.67 ID:6vTW9y2Z
>>364 外界に心を奪われたり、ましてや思い出すことに何の益があろうか。
今自分自身に留まってあれこれ思い煩ったり過去にとらわれるべきではない。
師はお前は最近心して生きていたかと聞いている、もしくは今お前はどうかという内発性を求めている。
しかし弟子は言葉のまま過去の記録を唱えてしまった。
それに気づかせるための一連の仕掛けなのでしょう。
387 :
素人A:2013/01/28(月) 07:14:29.71 ID:Elt7RL7J
77・肉体と自己(魂)、肉体となったものが、また去っていく。
自己アートマーには死はない。
それは椰子の樹の実のようです。
熟した椰子の木の実は、その殻からは別になっていますが、熟していないときには、
実とその殻を別にするのは非常に難しいことです。
あのお方を見たのなら、あのお方を得たのであるなら、自分は肉体であるとの意識はなくなります。
そのときには、肉体は別のもの、自己(魂)もまた別のものであるとみるのです。
(※真我にとっては肉体に入った魂の自己さえも真の私ではないと見ている)
78・修行している状態では、心のすべてによって「これではない」「これではない」と識別して、
あのお方に向かって行かなければなりません。
完成した状態は別です。
あのお方を得た後は、否定してきたものを逆に肯定するのです。
79・そのとき、あのお方が(神が)すべてのものになっていることを、はっきりと知るのです。
388 :
塩と味噌:2013/01/28(月) 07:15:05.37 ID:N1YL1A37
>>386 おひさ〜。 悟りを開いた人のスレ って検索したらオレムとかパーピマンとかたまにいるよ。あんたの好きなamaさんとか473は居ないけどねw
と、なるとベゲザン心配だなー。。。 息災であってほしい。
389 :
473:2013/01/28(月) 12:55:54.12 ID:LYQjfq1J
生きるために生き
成功するために奮闘するのは苦しみだ
生死を見つめ
成功と失敗を見つめよう
生きることではなく見つめることが人間の本性だと
390 :
ゼノン:2013/01/28(月) 20:51:48.13 ID:XwmbWWcr
ゴボォッゴボォッゴボォッ…
ビアガーデンでサラリーマンがビールの大ジョッキを飲み干す様にLCLを一気飲みする覚者。
渇いた砂が水を吸い込むようにLCLが五臓六腑に染み渡る…美味い!
覚者は生まれてこの方これほど美味い飲み物を飲んだことが無かった。
391 :
闇道:2013/01/29(火) 01:40:51.59 ID:bkzPXud5
私、アンドルー・アンダースンは連れ去られる・・・。
ふとあの頃を思う・・・。
彼らの思いを胸に、いつの間にか年老いた・・・。
でも、きっと元気にやっているだろう・・・。
遠い海の向こうで・・・・・。
392 :
素人A:2013/01/29(火) 07:21:44.38 ID:+gTDQ3c/
超訳【無門関】第35話 幽体離脱? 原題「倩女離魂(せいじょりこん)」法演(ほうえん)和尚が言いました。
「離魂記」ってあるじゃない。昔、倩女(せいじょ)という娘が恋人と駆け落ちして、5年後に正式に結婚を認めてもらう
ためにこどもを連れて実家に帰ってみたところ、なんとそこには、もうひとりの倩女がいたっていう話。しかも実家にいた方は
5年前から植物状態で寝たきりだったというんだけど、両者は出会うなり合体して元の倩女に戻ったというやつ。
あれさ、抜け出ていた魂と寝ていた肉体、どっちが本物の倩女だと思う?」
もしもこれに答えることができるなら、人はみな殻から殻へと移動し続ける旅人に過ぎないということがわかるはずだ。
なんのことかわからない、というのであれば、まぁ、むやみに走り回るのだけはやめた方がいいだろう。
そんなんでは突然死ぬことになった時、鍋の中に投げ込まれた蟹のようにジタバタするばかりだろうから。
好きな人と思いは遂げられたしまあ良い夢のような話か 一体どちらが多個八郎なのか?鍋八観?適当に自他場多するか。
http://bunchin.com/choyaku/mumonkan/ 個多絵 ブラフマンは空から殻へ移動三昧の旅人七日?我々は殻から殻へと輪廻三昧 適当な
393 :
ゼノン:2013/01/29(火) 21:41:56.84 ID:zH/wzool
体中の血管が開くのを感じた。
身体の隅々が心地好く解きほぐされていくようだ。
細胞がクリアーになり喜んでいる。
やがて身体が透明になり無くなったかのような感覚が覚者を包みこんだ。
394 :
素人A:2013/01/30(水) 07:31:49.99 ID:Q63TpGfQ
英雄とは生成中のものの庇護者であって生成し終わったものの庇護者でないのは、かれが常に現在のうちに存在しているからで
ある。「アブラハムが存在する以前に、わたしは存在している」。英雄とは永遠なる存在と時間におけるうわべの無変化をとを
けつして取り違えたりせず、またつぎのようなる瞬間(ないしは「べつなるもの」)をその変化〔の要素〕によって永遠を損なう
ものとして恐れたりはしない。「いかなる事物といえども、その形体を何時までも保持しているわけでは無い。万物を絶えず更
新する自然は、一つの形から新しい形を創り出す。まことにこの世界中に、滅び去るものは何一つないのだ。全ては流転し、そ
の形を変えるだけである」。こうして次なる瞬間が実現を許されるー「永遠という名の王子」が「世界という名の王女」に唇を
かさねると、かの女の抵抗はしずまつた。「かのおんなはぱつちりと目をあけた。そして眠りから醒めて、よにもなつかしそう
に王子を眺めた。二人はつれだつて塔をおりた。すると王が目を醒まし、王妃が目をさまし、それから家臣すべて目をさまして
、みんなおおきい目をしてお互いを眺あった。広場にいた馬が起きあがつてぶるぶると胴震いすれば、猟犬は飛びあがつて尻尾
を振る・・・料理番は小僧の横面を張り飛ばしたので小僧は大声で泣きわめき、下女は鶏の毛をむしり終わったのだつた。」
395 :
ゼノン:2013/01/30(水) 20:39:49.22 ID:BiNMIJNU
「主電源接続完了」
「了解」
「第二次コンタクトに入ります」
「インターフェイスを接続」
「A10神経接続、異常なし」
「LCL、電荷状態は正常」
覚者は自分の意識が急速に広がるのを感じた。
自分が大きいのだ。
それもとてつもない大きさだ。
396 :
素人A:2013/01/31(木) 07:16:31.56 ID:gAvp7C9F
夢は解決も決まりもならない色々な重いも纏まらないなあ矛盾だらけの事々が起きている時は起きるし
でも夢の中で皆纏めて動画になっている?何でか無茶苦茶な風景でも一望になつているなんでだろうと
おきてから思う。強引だけどまとまっている思いの風景
397 :
ゼノン:2013/01/31(木) 20:44:12.27 ID:dKGjOyLe
その大きな自分と同時に小さな自分も存在した。
その小さな自分も自分であり、その小さな自分に気づいている大きな自分も自分なのだ。
大きな自分と小さな自分は同じものだった。
大きな自分と小さな自分は一つのものであった。
398 :
神も仏も名無しさん:2013/02/01(金) 07:09:13.89 ID:6Uc/ccUf
超訳【無門関】第35話 幽体離脱? 原題「倩女離魂(せいじょりこん)」法演(ほうえん)和尚が言いました。
「離魂記」ってあるじゃない。昔、倩女(せいじょ)という娘が恋人と駆け落ちして、5年後に正式に結婚を認めてもらう
ためにこどもを連れて実家に帰ってみたところ、なんとそこには、もうひとりの倩女がいたっていう話。しかも実家にいた方は
5年前から植物状態で寝たきりだったというんだけど、両者は出会うなり合体して元の倩女に戻ったというやつ。
あれさ、抜け出ていた魂と寝ていた肉体、どっちが本物の倩女だと思う?」
前書いたこの公案は坐禅や瞑想の風景?そして鬼さんが宇宙を見たのも夢の中?ぽ師匠の胸の金の仏像も気を使うなあ?夢中三昧
の中悟りの夢を見たのだと私は妄想した。悟りの夢の中では矛盾が矛盾でなく夢準となる、あれ適当な出鱈目寝た化?道元も坐禅
中に意ね無理して心身脱落の夢を見ていたし?よくわからんけど夢の中で悟りも現象公案もは実現する?悟りのは一度見たら忘れ
ない里有るな夢だと道元が言っていたような?いずれにしろまあよい景色だ空天晴れな宇宙画リアルに見えた野鴨
399 :
神も仏も名無しさん:2013/02/01(金) 10:10:40.13 ID:6Uc/ccUf
例えば夢の中でも圧倒的に戦力が違う宇宙人と戦った昨晩の夢もう相手にならないほど悲惨終いには手荷物鉄砲も消えて逃げても
逃げられない損な時は何故か眼が覚めるし?夢を続ける事も出来ない?また夢の中で夢見る人自身が出てきたらどうなるのか?
400 :
塩と味噌:2013/02/01(金) 14:57:08.00 ID:mTVO4YBo
>>398 鬼嚢様が命からがら我が家においでくださたのは何かの僥倖にございます。
今晩は我が家で一番のご馳走をさせて頂きます。
・・・
鬼嚢様「うまい! これは何というスープだ?」
宿主「・・・」涙
鬼嚢様「うん? どうした?なぜ泣く?」
宿主「せっかく鬼嚢様にお出で頂いたにも係らず我が家に食材がありませんでしたので息子の鍋を作りましてございます・・・涙」
鬼嚢様「おまえは・・・何ということをしてくれたのだ・・・」
この漢は三国志きっての英雄中の英雄である。姓は劉 名は備 字を玄徳といい、中山靖王の末孫を自称した。
後に蜀を建国し初代皇帝になる。 中国には「三人寄らば諸葛の智慧」という言葉や「一に劉備 二に曹操 三に諸葛」と言われてたんだったかなー。
その話好きだな〜 夢が自我で 本源の自分は寝込んでる(無明に覆われて表は見えても中身が見えないような)とでも言いたいのかね。
俺は夢、最近覚えてないなー なんか自分視点だから自分の姿見えなくない?
あとカラーなのか白黒なのかとかも全然わからんw 見てるとき完全に現実と思って見てて、だんだん「あ、これ夢だわ」って分かって醒めてくる。
401 :
ゼノン:2013/02/01(金) 20:36:24.73 ID:sVcFahTQ
大きな自分が小さな自分に気づいている、その大きな自分は自分だ。
小さな自分が大きな自分に気づいている、その小さな自分も自分だ。
その大きな自分と小さな自分に気づいている自分もいる。
それもまた自分であった。
402 :
ベゲザンピーク:2013/02/01(金) 23:34:42.00 ID:VU7glQzf
オンレイレイピワンダラピスーダラピッタラー
403 :
神も仏も名無しさん:2013/02/02(土) 08:17:57.91 ID:I6By4IEe
無門関十清税の貧乏 曹山さまに、坊さんがたのんだ。「わたし(清税)は素寒貧なんで、どうぞおちからぞえを。」
曹山、「清税さま。」 清税、「ハア。」 曹山、「泉州名だいの酒を、なんばいも飲みながら、口もぬらさぬとおっしゃるか?」
無門がいう---------清税の気合い負けは、どういう思わくからか? 曹山は目が高く、そのへんをよく察した。それはそうとして
、さて、清税さんが酒を飲んだとは何をさす?・・・
禅では、「応諾する」つまり呼んで答える、その瞬間を人間存在の全てとし、初一念と呼んでいます。その瞬間は、それが得にな
るかとか何の意味があるかとか全く考えていません。その全体的な得失をあらためて考えることはありますが、それは禅の言う
初一念ではなく、二の次の智恵ということになります。人間の行動は初一念の連続であり、時々(タマに)、利害得失の智恵が
入ってきているというのが本当のところです。どんな守銭奴も、その人の行動である初一念の連続の中には利害の念はありません
。ただ強引に自分の行動を自分の利益の方に持っていっているので、結果として守銭奴と呼ばれるようになっているにすぎないの
です。 そうか強引に考えるのか?後先考えず行動するとすぐ失敗が待つ欲考えてから行動せよと社会は言う師?
http://www4.plala.or.jp/mumonekai/Chapter/10.html
404 :
ゼノン:2013/02/02(土) 15:42:14.31 ID:UfzHr1WF
「思考形態は、日本語を基礎言語としてフィックス」
「初期コンタクト、全て問題なし」
「コミュニケーション回線、開きます」
巨人の目が開いた。
405 :
神も仏も名無しさん:2013/02/03(日) 08:40:29.43 ID:ZwXTdspu
岡村孝子 明日への道 通り過ぎる毎日 心砕く日もある 迷いながら選んだ 間違いだらけの道
けれどそれも含めて 私だけの生き方 出会いと別れの数 重ね続けていると 時にやりきれなくて 立ちつくす風の中
どこへ行けばいいだろう 誰と行けばいいだろう 打ちのめされ続けて 自信を失くした日々
深い海の底から 空を見上げるように 愛も夢も勇気も 手離したくないのに
夜を超えて 朝を超えて 旅を続ける ひとすじの光を信じて 探し求め続ける 私だけの生き方
どこへ行けばいいだろう 誰と行けばいいだろう 愛も夢も勇気も 手離したくないから
通り過ぎる毎日 心砕く日もある 迷いながら選んだ 明日へと続く道
406 :
神も仏も名無しさん:2013/02/03(日) 09:09:10.11 ID:ZwXTdspu
日本語は駄洒落を作るのには便利な機能だ。例えば無いという言葉を内に変換して世界を出鱈目なイメージで妄想する。正解に
たつた一つの魂我あるとして、その世界を現す機能つまりハードは玉の中にあり?玉の表面庭色々な(穴多?)がまるでプラネタ
リュムみたいに輪多枝(私)がありその穴の一つ目から空(から)が観える?身得る風景は私の目で見ている風景。つまり宇宙で一
つ魂今此処を見ているのか?だから玉の中見ようとしてもコンピューターの機能みたいに法則を決めているのか時空の法則も
そこで決められる。後は玉の表面に色々な思いが移る空。中々中は身縁?縁が内?つまり無いのじゃなくて内蔵しているけど
見えないのか欲輪借らん。世界は一個の珠であると玄さ和尚は言う師、解らない答えは輪空内にあるのかも知れない
穴多は片手の人の拍手の音声を聞いて来い? 求めるのも元の眼が今此処を見ている同の行の何時手もまあ良いか
407 :
ゼノン:2013/02/03(日) 21:38:31.75 ID:4YJQiOh1
「リスク1405までオールクリアー。シナプス計測。シンクロ率…100%!?」
「!あのレイでさえシンクロに7ヶ月かかったのに、プラグスーツの補助なしに…恐ろしい子!」
覚者のシンクロ率の高さに驚愕するリツコ。
発令所に思わず感嘆の声が漏れる。
408 :
473:2013/02/04(月) 00:41:31.33 ID:MgOT7/l4
どんなことであっても意識的であれば傷を残さない。
逆に無意識的になってしまうことはあらゆる苦しみをもたらす。
甘い夢で快楽をむさぼることは楽しいかもしれないが、その時無意識を強めてしまう。
無意識的になった分だけその後であるがままの現実と対立して苦しくなってしまう。
意識的でいれば、甘い夢は意識的な戯れとなり、快楽を得ることはないだろう。
しかし、意識的である喜びがあり、後々苦しみを作り出すような無意識的な在り方にならないで済む。
409 :
素人A:2013/02/04(月) 07:10:09.45 ID:99yNPfTg
夢を見ている時自分のが夢見ているという意識が無いといわれるが、どうも実際は有るようだ寝て目をつぶって妄想している
どうも坐禅や瞑想の時の妄想すずめちゅんちゅんとかわらんような?今朝のは思考しながらの夢なのか妄想なのか解らん夢?
絵の中に夢の中の私が居るなあと思ってそれを動画すれば夢になるのか?それは正式な夢なのかわからんけどたぶん同じだと
思う起きてから思い出したらちゃんと夢になつていたいい加減だなあ。それなら起きているときも動画だし夢の中だなあ?
私は夢みられ居てる夢の中に居る。まえぽつ師匠が言った画家は画の中に居るとまあ画絵化アートに任せれば同の行の画絵
画の景色が見られる。でも坐禅しているとき傍で和尚がが磨いていたら?和尚は何をしているのですかと聞くしまあ良い風景
ばかりで輝き画無いアートだと不満ばかりの風景だしそれでも説き進んでいくしまあよいか、
私の今朝の夢は妄想の絵から始めたしもうそうなつたものを強引に夢と認められるのか?それを認めれば起きている時の妄想
も夢丸出しだし、今思考が錯誤しだしたといいながらあまり錯誤していない同でも画絵我
410 :
ゼノン:2013/02/04(月) 19:17:48.53 ID:RIgWPhaC
「…凄い…まさにシンジ君はエバの申し子ですね先輩」
オペレーターのマヤも驚きを口にする。
「…やっぱりあの人の子なのね…」
「え?何の話ですか先輩?」
「なんでもない話よマヤ、仕事に集中して」
「あっ、はい先輩」
何で悟り系のスレって、イカレ野郎どもの雑談スレや、落書き帳みたいになるのかね。
まあ、それが2ちゃんの宗教板だといえばそれまでかも知れないが・・・。
>>411 >何で悟り系のスレって、イカレ野郎どもの雑談スレや、落書き帳みたいになるのかね。
文句言うなら自分で話題を提供してみろ。
413 :
素人A:2013/02/05(火) 07:08:54.26 ID:mW+atDv3
なぜ瞑想なのか?元々の空?ブラフマンのやり方が世界を瞑想?して出来たのが今の世界なら我々がソツクリ真似するのが
瞑想になる?自分自身が自分を真似するのかオナニー蛇内かまあそうなんだけど世界はアートと思えば輝き何だけど、
宇宙意識 ・・・なぜなら世界の中の生の諸要素を代表すること、すはわち、形而上学に対して倫理を擁護すること、
超越を認識しつつ、しかも自己陶酔への耽溺のうちに溶解せずに生きるすべを提示することは、僧侶の役目だからで
す。カールユングはどこかで、宗教の役割は私たちを神の経験から保護することだ、と書いています。オヴィデウス
の「変身物語」に収録された神話の五十パーセントは神と遭遇したがその光の圧倒的な力を受容するだけの備えがな
かつた為に、不幸な変身をさせられた人々の物語です。僧侶の実際的な格言と隠喩的な儀式は、超越的な光を世俗の
ものにやわらげ、混乱と溶解ではなく、生活の調和と充実をもたらすものとします。これらと対照的に、神秘家は
意図的に己をその力の前に差し出します。そして彼が粉々に砕け散ることもありうるのです。僧侶と同様に芸術家も
隠喩的言語の専門的な使い手です。ただ僧侶はじゅ像済みの語彙と職業的に関わっていてその語彙的言語を体表する
者なのです。僧侶は完全に仕上げられた台本を上演する演技者であり、かれれの芸術はその芸術の中にあります(続く)
>>412 おいおい、話題を提供すりゃいいってもんじゃないだろ?
それとも何か?こーゆーデタラメ雑談スレのが居心地が良いってか?
役に立つか否かではなく、楽しいかどうかが問題なのか?
お前にとって、悟りの勉強は暇つぶしに過ぎないのか?
文句言うなら自分で話題を提供してみろとか、嫌なら見るなとか、
口先と態度だけはいっちょまえだけど、本当にその程度の人間のままでいいのか?
・・・という訳で「自分と向き合う」という話題を提供してみました。
あと、スレ主と「もっと あの世に聞いた、この世の仕組み」の雲黒斎氏の悟りは酷似してるから、
比較検討すれば色々と分かってくる事もある筈だ。
ちなみに、雲黒斎氏は上座部仏教でいう四向四果の一来果を自称しているぞ。
415 :
ゼノン:2013/02/05(火) 17:29:53.12 ID:TlYF7rac
「ハーモニクス、全て正常値。暴走、ありません」
「いけるわ!!」
予想以上の覚者のシンクロ率の高さに小さくガッツポーズをとりミサトが号令を発する。
「発進準備!」
…その号令から一分を待たずに発進準備完了の声が聞かれた。
>>414 >役に立つか否かではなく、楽しいかどうかが問題なのか?
問題?その問題は誰が作った?
私に問題は無い。
>お前にとって、悟りの勉強は暇つぶしに過ぎないのか?
外は雨のようだ。
私は家で休んでいる。
417 :
素人A:2013/02/06(水) 06:59:09.33 ID:FvYBhBnr
無門関十四 南泉、ネコを斬る 南泉さまは、東むねと西むねの坊さんが子ネコを争うので、手に取り上げていう、「おま
えらの返答で助けるが、返答できねば斬ってすてるぞ!」 だれもこたえぬ。南泉はついに斬った。
晩に、趙州が帰ると、南泉が話す。趙州はワラジをぬぎ、頭にのせて出ていく。 南泉がいった。「さっきおまえが居たら、
ネコが助かったのに!」無門がいう---------いったい、趙州がワラジをのせた意味は何か?もしこの点に言い切りができれば、
南泉の手打ちもムダでないとわかる。もしそうでないと、あぶない。
まあ昔は猫いや同じ神に違う名前をつけてキリスト教とイスラム教が何度も争ったし?今はそれ程でも無いのはこの世で神の勝ち
が無くなったからかも、今は紙の金の方が価値が有るし、神より目の前の現実を大切にしている。まあ宗教は余裕で趣味の範囲で
骨骨とやれば直ぐには悟れんでもまあ良い今。髪を振り乱して狂乱する新興宗教に走らんでもと思うが。如何しても神にすがりた
い苦しい時が来るしそういう時には人は新興宗教に入信する気持ちは解るけどなあ。あ忘れていた大川さんの只でもらった本あま
り読んでないたまには暇なとき読むか良いことも書いて有るのだけど自慢話はなあ大川さん自身自身なさそうな顔している師でも
そういう役目だからお役目ご苦労さん、ぽつ師匠ご苦労さん、鬼さんごくろうさん、2ちやんのみなさんごくろうさん?良い人も
悪い人も今を骨骨と働いているし?それは大雑把すぎるし?細かく身得ると色々なアラアラが見えるし?とにかく書き終えたし
一仕事終わったしまあよいか。テレビのクイズでぞうすいの原語昔は水を増してご飯量増やしたものとか?つまり水増ししただけ
水増し協力でノスさん基地子さんご苦労さん
418 :
473:2013/02/06(水) 15:16:59.97 ID:NoYPWRaT
おそらく、私は現実を受け入れたことなど一度もない。
不確実な日々を、死を受け入れたことがない。
不承不承抵抗している。
抵抗には意味はないあるがままの在り方しかありえない。
理屈ではある。
しかし、現実にはは事実に日々抵抗している。
もし本当に抵抗していなければ、そもそも私は存在するのだろうか。
何もかも次元が変わるのではないだろうか。
私≒抵抗であり、「現実に抵抗しない私」などありうるだろうか。
受け入れたら困ったことになる、と受け入れたことがない私が言っておりますよ、と。
現実を受け入れない私、現実を受け入れないことを選んでいる私。
ならば意識的に現実を否定していることに覚めて生きよう。
>>418 受け入れても受け入れなくても、抵抗しても抵抗しなくても
起こる事は起こるし、起こらない事は起こらない
好きにしてればイイと思う
,-、 ,.-、
./:::::\ /::::::ヽ
/:::::::::::;ゝ--──-- 、._/:::::::::::::::|
/,.-‐''"´ \:::::::::::|
/ ヽ、::::|
/ ヽ|
l l
.| ● | んーと
l , , , ● l
` 、 (_人__丿 、、、 /
`ー 、__ /
/`'''ー‐‐──‐‐‐┬'''""´
,-、 ,.-、
./:::::\ /::::::ヽ
/:::::::::::;ゝ--──-- 、._/:::::::::::::::|
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/ ヽ、::::|
/ ● ヽ|
l , , , ● l
.| (_人__丿 、、、 | よく分かんない
l l
` 、 /
`ー 、__ /
/`'''ー‐‐──‐‐‐┬'''""´
苦しみが問題なのではなく
苦しみを自分で作っていて気づいていないことが問題なのかもしれない。
なるほど人々は自分のやっていることに気づいていない。
自分自身自我の無意識な作用は自覚していない。
ならば、自覚していないだけで苦しみは自分で作っている。
自覚していないだけなのだ。
自分が自覚せずに作っているものを当の自分が無くそうとしても無意味なことだ。
当の自分がある限り苦しみは無自覚に生産される。
あるがままを苦しむという作用は稼働し続ける。
作り主が消えるということは自身の死。
覚醒があれば自我の死に立ち会えるのか。
>>418 好きに。いいですね。
ただ、ちょっとした気づきを添えて。
>>418 かの森田療法をしても、在りのままの自分を完璧に受け入れることなどは不可能であろうほどに。
424 :
ゼノン:2013/02/06(水) 21:11:12.84 ID:Tykev7ri
ある時山と海と空がある景色の中に覚者は入りこんだ。
山は山であり海は海であり空は空でありながらそれらは一つの名称しがたい「何か」だった。
風が覚者の肌に触れた。
花の影が光と踊っていた。
セミが鳴いていた。
命の香りが歌っていた。
その時覚者は全てを体験した。
425 :
473:2013/02/06(水) 22:04:01.72 ID:NoYPWRaT
過ちを犯した自分を責めることがある。
しかし、あえて過ちを犯したわけではない。
無自覚にそれをやってしまうか、動転してやってしまうか、欲望に負けてやってしまうかだ。
全て意識の欠如故。
責めることに意味はない。
自覚することだけが変革をもたらす。
自他に害を与える行為をあえてやる人はいない。
それを正しいと思わざるを得ない構造がそこにはある。
自分が何をやっているかわからない。
意識の元行為する存在は悪いことをしようがない。
それは自身のわずかな経験からそう言えるし、かつての目覚めた人々もそうであった。
自分の過失、他者の過失、そこには覚醒の欠如だけがある。
そこにやり手はいない。エゴに意志はない。
私というエゴは他の意志無きエゴに意志を見てしまう。
エゴにはどうしようもないのに、エゴにはそうあることしかできないのに。
できることは自覚の努力をすることしかないのに。
426 :
473:2013/02/06(水) 22:22:55.32 ID:NoYPWRaT
実在には意識ある善行と、無意識な悪行しか存在しない。
意識的悪行が外界にあると夢見るのが、無意識な悪行そのものである自我なのか。
無意識である自我は、自分が意識的な存在だと自分をだますために、外界に意識的な存在をでっちあげる。
外界に意識的なそんざいがいても、無意識な自我にそれが認識できるわけがない。
自我が認識するものに騙されず、自我の無意識に目覚める。
427 :
ベゲザンピーク:2013/02/07(木) 04:14:41.01 ID:6kypbQ8Q
>>426 実在ってお前なんだよ。それに実在を自我はどうい関係あるんだい?
まずは目と鼻の先にある実在についてよくよく考え、わかりそうもないことを
考えている自分にまず目覚めることだな。
428 :
素人A:2013/02/07(木) 06:57:00.22 ID:iq3tWtJm
師いや死を前にして泣く事なるのじゃ?まあそれじゃ百点満点取らなきゃ悟りのは不合格で留年じゃあまりにも鬼のようだ?
本とは仏の様な鬼さんと思うから、50天でも進級できる様に皆で無いちえをたしあい助け合うにちやん宗教番なんだから、
此処に来た時点でみんなも助かっている、死を前にしても此処で有ること無いこと色々無意識でも効いている師、少しは鳴いても
死んだ後はみんなにつこりならまあ良い未知○だし、私のは出鱈目でもみんなにまあ良い智恵で少しでも安心な気持ちになれば
良い。悟った人がケチでいい智恵を教えないという事は無いと思う。あと少しの勇気があればまあええに進める鴨。小心ものの
私達はそんなに良いこともできなければ大悪人にも成れないし、小さな事にクヨクヨするでも損な人にも少しだけど乗り越えた
あと勇気と満足感と経験が出来るし、そのまえは死を前にした人が死んだ後の満足かんと同じような気持ちなのかと妄想するし
悪人が警察に出頭して安心し自由にになる事もあるのか強引グマイウエイ勇気
http://www.youtube.com/watch?v=40OFlZRGNLE 海を越えて 時を越えて この空はつながってるんだな 握りしめた ひとかけらの 勇気を胸に旅立った いつか 今日の日
を振り返る時 愛しい思い出あふれるように… いつか困難に立ち向かう時 今日の自分が背中押していく あの日空に
描いてみた 理想の続き少し見えてきた 夢を抱いて 胸を張って 明日の中へ踏み出そう 同じ時代 共に生きる あなたに
巡りあえたこと 肩を寄せて 学んだ日々 語り合えるこの喜び あの日 つまずいてうつむいていた ほんのちっぽけな
私たちは そっと包むような時間の中で ひとつハードルをほら越えていた ありがとうや さようならを あとどれ位重ねて
行くんだろう あなたがいて 私がいる この偶然に感謝して あの日空に 描きかけた 理想の続き今なら描(か)けるはず
夢を抱いて 胸を張って 明日の中へ踏み出そう
429 :
473:2013/02/07(木) 11:23:10.73 ID:gleef1MI
無意識な悪行は無意識な存在として存在するとする。
が、無意識な悪行が自身が意識的な存在だと思いこむのが自我で
もしくは意識的存在であるはずの存在が、無意識な悪行を自分だと思い込むのが自我ではなかろうか。
この自我は一つの誤解であり非在なるものだろうと、そのような話です。
>>427 あなたの解釈で実在という言葉に意味を与えたらお話になりませんよ。
あくまでその後の文章と対応する意味での実在です。
言葉は相対的なツールですから文中のどの言葉とどう対応してどのような意味を表現者が込めているか類推しなければ読み取れません。
単語一個取ってあなたの思う意味を込めると独りごとになってしまいますよ。
話題を変えるならわかりますがとても私へのレスとは思えません。
最近、amaさんやオペを見かけないけど元気にしてるかな?
amaさんについては、特に誰も呼んでいないような。
もともと呼ばれないと出てこない奥ゆかしくわきまえた方です。
432 :
ゼノン:2013/02/07(木) 20:55:26.10 ID:eIY1kecN
山と言われる何かがそこにあった。
海と言われる何かがそこにあった。
空と言われる何かがそこにあった。
それらを見ているものと言われる何かがそこにあった。
それらは一つの名称しがたい何かであった。
>>431 >amaさんについては、特に誰も呼んでいないような。
>もともと呼ばれないと出てこない奥ゆかしくわきまえた方です。
amaさんは結構ネタ振ったりお題出したり面白そうなレスにはアンカー付けたりしてたよ。
でもamaさんが来ると某コテが発狂してスレが荒れるから最近は遠慮しているのかも。
434 :
473:2013/02/08(金) 01:30:11.20 ID:81AWcBmn
最近?
435 :
素人A:2013/02/08(金) 07:08:00.24 ID:nUo16LYn
生きる自由 ・・・神話の目的は個人の意識と宇宙の意識とを和解させ、それによってこの様な生命の無知にたいする要求を
追放するところにある。さらに和解は時間といううつろいやすい現象と、すべてのなかで生きかつ死に行く不滅なる生命の真
の関係を悟ることによって成立する。「人が着古した衣服を捨てて新しい別の衣服に着替えるように、自己も古びた身体を捨
ててあたらしい他の身体に入って行く。この自己を剣は切らず、火もこれを焼かない。また水もこれを濡らさず、風もこれを
乾かさない。この自己は切られず、焼かれず、濡らされず、乾かさない。恒存し、偏在し、堅固、不動な自己は永遠である」
行動の世界で、人は己の行為がもたらす結果を思い煩うなら、永遠の根源にたいする集中力を失ってしまう。しかし己の行為
とそのもたらす成果とを「生ける神」の膝に捧げるならば、供え物と同じようにそれによって死の海の束縛から解放される。
「執着なく、つねになすべき行為を遂行せよ。・・・すべての行為をわたしにまかせ。自己の心を念じて、願望なく、所有欲
を離れ、憂悶の苦熱を脱して、戦え」このような力強い洞察を獲得し、落ち着いて自由に振舞い、ウイラコッチャの恩恵が和
が手を通じて流れ込むのを活き活きと感じる時、英雄はその生業が屠殺業であれ、はたまた王であれ、恐るべき荘厳な「宇宙
の法」の自覚した搬送者となる。 着慣れた上着を脱ぎ捨てる様に
無意識なんてものは本当に意識がない状態を指す。
熟睡がそうであるように、死もまたそうであると言える。
課題になっている無意識とは“なんとなく”との状態ともいえ
既に意識の発芽状態ともいえる。
人は無意識になんとなく嘘をついたり無意識に条件反射的に
怒りを現わすものである。
つまり意識下におけるフィードバックと訓練性が無意識に
影響を与えるものである。それ以外に無意識に意味はない。
死や老衰は確かに絶対的真理といえる。
ここを意識しないから人は無自覚に死と関係のない
妄想を繰り返すと言える。
今、している所作というものは死の間際でもおそらくは
しているだろうという予測は立てられる。
仮に輪廻というものがあるならば、今の状況であるとか、
今の心境を引きずるものであるとの予測も立てられる。
即ち明日をもしれない命を無自覚に生きるのではなく、
明日或いは次の瞬間死ぬものとしての状況・心境作りが
不可欠なものであり、意識や所作は無論重要な項目となる。
一つのゴールとは死であり無ともいえるものであり、
それを証拠に老衰は徐々に無に近づいていく。
意識や所作さえ消え失せていくだろうが、精神性やそれを依拠とする
肉体は死の直前まで残るだろう。精神性が継続するかしないかは
死んでみてからのお楽しみであり、どっちにしたって精神性が重要である
ということは紛れもない事実と捉えられる。
何か悟りを至上の命題のように考えると
悟らなきゃってのが脅迫観念になって、他の人が悟ってるとか悟ってると思われてるだけで
怖くなって否定したくなるのかも。
悟りが脅迫観念からの解放的なことなら悟りを目指して脅迫観念を強めるのも皮肉な話だね。
>>438 全くだ。
死や老衰を悟るだけでも充分と言える。
故に私はトイレの電気を無意識に無自覚に消すのを忘れて叱られるのであるが、
コストがかかっているのは紛れも無い事実であり、だから電気を消そうとする
所作は473風に言えば紛れも無い脅迫観念であるが、別に気付いたら
消せばいいわけで脅迫観念を持つ必要性は全く無いと言える。
コスト的に考えるならば、そのような脅迫観念を持つこと自体が
コストである精神と肉体を蝕んでいく様を示す。
いらんことはせずに、いることだけすればいいという思考と所作を
示すものである。
あらゆる所作を脅迫観念と置き換えるならば、飯を食うのも
トイレに行くのも寝るのも起きるのも脅迫観念といえ、
馬鹿馬鹿しいにも程がある発想であり、じゃ飯食わなきゃいいだろ
と言えるものである。
442 :
ベゲザンピーク:2013/02/08(金) 14:34:05.67 ID:hXqpCSNK
>>429 文章と対応する実在とはなんでしょう?第一義的に実在について考えるのが
ホンモノの実在について考えるということではないでしょうか?
それについてあなたはなにも答えていない。たとえば本質という言葉を実在
と対応させて見ましょうか。さてどちらが先立つのでしょう。また無意識の時
実在は実在たりうるのか、意識的なときにしかなりたたないのか。明確な意味を
自分なりにしめしてないのです。実在につういて。あなたの文章は宙ぶらりんです。
電車においてある中吊り広告のやり方で哲学に似せた宗教をかたっています。
ちなみに宗教とは開祖と弟子がいないとなりたちません。哲学にはそれはありませんが。
あなたの目指すところは宗教だとおもいますが、どこに弟子が立ち現れるでしょうw。
まぁ飯そのものが本質であり実在だからな。
否定するなら飯食うなということ。
思考で飯を食べることはできない。
思考にできることは何を食べよう、
どれぐらい食べよう、きれいに残さず食べよう
ぐらいであり役割的には希薄なのものだ
444 :
473:2013/02/08(金) 15:27:38.04 ID:81AWcBmn
無意識が意識の影響を受けて自動化された機構であるというのなら、あなたは自由だ。
意識において意志において生きることができる。
そうであるならグルジェフシステムなら悟っているというだろう。
しかし人々が苦しむのは、実際にはその意識は無意識の影響を受けたものでしかなく制限され不自由であるのに、
自身を自由だと思い込んでいることだ。
表層の意識より、真相の無意識の方が根の位置を占める。
瞑想はまず表層に気づき、そして次には深層を、値を照らします。
自分が眠りこけていて夢遊病者だと痛感した時が宗教の始まりです。
そこまでは無意識に条件づけられた意識が自分は自由だという幻想に基づいて行う哲学的活動、夢想にすぎません。
445 :
473:2013/02/08(金) 15:39:41.32 ID:81AWcBmn
>>442 「実在に存在する無意識的悪行」-「誤解である実在しない意識的に悪行を行う存在」
「実在」-「誤解、幻想」
「実在」−「文章内のすべての言語」
この相対性の中で意味を表現しているだけなのです。
それが文脈です。
実在という言葉には何の意味もありません。
文脈の中で「実在」−「他の言葉」と対比させて、文脈の中で底に意味を込めます。
あなたもあなたの文脈で「実在」−「あなたの文章内のすべての言語」という相対性において「実在」という言葉に意味を込めています。
それが言葉の用法なのでなんのもんだいもないですが、レスをする場合相手の用法を考慮しないと話がつながりません。
≫どちらが先だつのでしょう
同時でないでしょうか。プラスとマイナスは相対性において同時に登場するでしょう。相補的であり2身一体ではないでしょうか。
≫明確な意味を自分なりにしめしてないのです。
申し訳ないですが、それはわからないのです。
私は実在でないものについて語っているだけです。
実在は、実在でないものを実在でないと知ることで部分的に知っているだけか、全く知らないかでしょう。
≫電車においてある中吊り広告のやり方
魅力的な文言や、私は知っているだとか、こうすればうまくいくとか申しましたか?
早々人が引っ掛かるようなことは申しません。
成程、自由の中に不自由性を見出すのだな。
確かに飯は食いたいが、買い物いくのも、飯食いにいくのも、飯作るのも、
面倒くさい苦である。さりとてお菓子では我慢できるはすもない
不満足の苦の境地が待っていると言える。
これはまさしく不自由で制限されたものと言えるが、一度、腹を括れば
買い物いくのも、飯食いに行くのも、飯作るのも不自由でないと言える。
制限され不自由であると言っても肉体の許容範囲を超えて摂取できないのは
当然の理である。そこに不自由さは存在しないといえる。
食い物一つでここまで考えるのは個人宗教であり個人哲学であるが、
それは夢想ではなく当たり前の事実であり理であり法則である。
行くものは行かず、去るものは去らない境地である。
447 :
ベゲザンピーク:2013/02/08(金) 16:01:19.31 ID:hXqpCSNK
>444
そういう君が夢遊病者だとおもうおけど。なぜ「自分が眠りこけていて夢遊病者
だと気づいた時が宗教の始まり」だとおもうのかね。
宗教の説法は全方位に一人合点に開かれている。相手にかまわず一方的に語られる
「真理」の言葉はその意味で無責任そのものだ。本当の信仰があるとすれば、躊躇、理性
の吟味を得た後にふさわしく届く言葉を選ぶ。そこにしか本当の信仰はありえないのではないか。
真理の言葉は相手を選ぶ。ふさわしい魂以外に救いを語ることはそれ自体が信仰の強要となるのである。
それには先ず理性はいかに「知らないかを知る」。そのことが理性にとっていかに重要かしっていなければ
なりません。あなたは考えることをやめ、いろいろなニューエイジ宗教に身を任せたのでしょう。
蛮勇の類です。(今ひとつ自覚がないのではw?)まあよくやりましたね。昼間からそういう文章を目の色を変えて
書き込んでいるひとがいると思うと気持ち悪いです。
話を進めたいならまず無意識と意識の境界をしめしてみなさい。考えの及ばない惰性に満ちた文章は
どうしても気持ち悪いものなのです。
448 :
473:2013/02/08(金) 16:02:01.94 ID:81AWcBmn
≫宗教とは開祖と弟子がいないとなりたちません。
私は現存する開祖を一人も知りません。
開祖がいなくとも弟子となって道を歩むほかない状況に思います。
そして、そもそも開祖がいても弟子になることは困難です。
弟子になるのではなく自分に都合のいいように師を利用としてしまうのが自我の働きですから。
弟子になることは一つのアートです。
自分自身の努力と見識ではどこにも行きつかないと自らを明け渡すことでしか弟子になれず、明け渡すにはあらゆる努力と見識を通り抜けなければ起こりえません。
誰かが弟子であることができていれば、弟子であることのアートが伝染するでしょう。
弟子は師ではありえません。
しかし弟子であれば、弟子であるということを間接的に伝えることはできるでしょう。
誰かが弟子であるひとを追いかける時、彼にとってその弟子は師に見えることでしょう。
しかし弟子は自身が弟子であることを見失わないでしょう。
自身を師だと思い違いをしない弟子こそ、誰かの師である資格があると思います。(この場合の師は開祖ではなく先輩ぐらいの意味合いです)
>444
≫そういう君が夢遊病者だとおもうおけど。
そう言ってます。
≫本当の信仰があるとすれば、躊躇、理性の吟味を得た後にふさわしく届く言葉を選ぶ。そこにしか本当の信仰はありえないのではないか。
あくまでレスでこちらから踏み込んではいません。向こうから踏み込んできてどんな言葉が返ってきてもある意味自業自得ではあります。
しかし相手から関わってきたなら相手に遠慮はいらない、というのも変ですね。
このあたり自覚のないところでした。
>446
≫買い物いくのも、飯食いにいくのも、飯作るのも、
物質的なあるがままの現象です。
≫面倒くさい苦である。
と思ってしまうのが心が不自由であるところです。
なんであるがままの物質的、肉体的現象に苦しみを感じてしまわなければならないのでしょうか。
自由不自由は、苦楽は、判断する主体に、つまり心にゆだねられています。
≫肉体の許容範囲を超えて摂取
する理由は物質的に、肉体的にはどこにもありません。
心理的な欲求です。
それをしたいということ自体、無意識の欲望やストレス解消が関わっているのであり、
肉体の許容範囲を超えて摂取したいという表層意識があったとしても、それは無意識の影響下にあります。
451 :
ベゲザンピーク:2013/02/08(金) 16:12:43.08 ID:hXqpCSNK
はあ
まぁまぁ、昼間から書き込むのが気持ち悪いと言っても、
暇という苦をしょってるんだから、それはそれでしゃーないではないか。
弟子は存在せず、師匠も存在しない。それは自身のからくり人形に過ぎない。
453 :
ベゲザンピーク:2013/02/08(金) 16:20:37.03 ID:hXqpCSNK
>>450表層意識と無意識を《あなたそのものが》もしもの話で分断してるのですよね。↓
「肉体の許容範囲を超えて摂取したいという表層意識があったとしても、
それは無意識の影響下にあります。」
抽象的な言葉で言い換えばかりしないで、現象そのものに肉迫するようにしてください。
あなたに無知の知を教えたいとおもったものですから・・・
と、くだらんことを気取って書いたとて腹は膨れない。
飯ほど大袈裟なものはそうそうないと言える。
不可逆的真実に対して逆らおうとする魂胆はまさに
身体と精神を蝕むものであると言える。
>>453 元が体が必要としていないものを食べたいと思う精神現象の話では。
単に精神現象を描写しています。
456 :
473:2013/02/08(金) 16:54:31.14 ID:81AWcBmn
私が何かを書き込む。
その中に気持ちの悪いものを見出す人がいる。
彼らは私に苦言を呈したり、何かを教えようとする。
すると私はやり返す。
このパターンに無自覚にはまることもない。
自覚さえしていれば。
やってくるレスが苦言や教授でなければ詩に詩を返礼するだけで、そういうことも時々起こる。
そちらが本来の眼目なのだけれど。
457 :
ベゲザンピーク:2013/02/08(金) 17:02:27.99 ID:hXqpCSNK
>>455 まず、そういったことならば無意識と意識の境界例をしめしてもらわないと、
困ります。そして体が必要としていないものを食べたいという精神現象が無意識に
属していると明言していますが、自己の精神現象なのか他者のそれか述べてもらわないと
こういった対話の場では困ります。(全く意味合いが変わってくるからです。)
それに私はあなたの弟子ではありませんから。
458 :
473:2013/02/08(金) 17:02:57.13 ID:81AWcBmn
≫もしもの話
相対性のツールを使ってもしもの話を作れます。が、これは誤用です。
相対性のツールを使って、実際に起こっていることを描写するのが相対性のツールの本来の使い方です。
≫表層意識と無意識を《あなたそのものが》もしもの話で分断してるのですよね。
これももしもの話として語ってはいません。
自他を観察して導き出しています。
人は心の全容に覚めることができないゆえに、心を表層意識と無意識に分断してしまっています。
意識がゼロならすべてが無意識であり(動物)、意識が100ならすべてが表層意識でしょう(仏陀)。(乱暴なので方便のような表現ですが)
人間はその中間ゆえに苦しむのです。
>>457 悟りでもしない限り人類全員がそうだというスタンスで述べています。
絶対そうだとは言いませんが、そうでないというより蓋然性があるので。
そしてこれは古来宗教から心理学までありふれた考えです。
それに反対する考え方もありますが、そう突飛なことを言っているわけではありません。
≫弟子
弟子であるということを述べました。
あなたの師であることを述べた覚えはありません。
460 :
473:2013/02/08(金) 17:16:16.28 ID:81AWcBmn
>>まず、そういったことならば無意識と意識の境界例をしめしてもらわないと、困ります。
ここまでくると、共通の知識どころか、基盤となる共通の経験がないので話になりにくいです。
瞑想の実習をして、またこういった方便を使うヒンズーや近代宗教にも触れていないとどうしようもないかもしれません。
あなたにとって意味不明なパラダイムで対話をする意味が余り見出せません。
訳の分からないものはほっておけばいいのではないでしょうか。
私の言う訳の分からないことはほっておいて、あなたにとってなじみのあるルールで議題を出して話を膨らませてはいかがでしょうか。
それに乗りたい方は乗るでしょう。他人にそれを強要するとまたいらぬ議論になるので、オープンに参加者を募ればよろしいかと。
>>455 ばかだなぁ。必要としているから食べるに決まっているだろ。
君の今日の晩御飯は何で何が必要だと思い込んでいるんだい?
そんなことを考えることが馬鹿馬鹿しいとは思わないかい?
これはあくまで喩えだよ。終始一貫した最初からの喩えなんだよ。
大袈裟に捉えることは産業廃棄物の如く不要なものであるが、
所作においてもまた同様のことなのだよ。
462 :
ベゲザンピーク:2013/02/08(金) 17:44:57.06 ID:hXqpCSNK
まず「心の全容」なんて言葉はないかとおもいます。動物の意識が零で釈迦の
意識が百だとか、幼稚な仮定ですね。
>>458 すなわち民主的なシステムにはなっていないということですね。体験したものに
だけ通じる閉じた体系なのですね。ヒンズー教や仏教やそこから派生した近代宗教
は。あなたの意見では。
>>460
勿論悟りは非論理的ですよ!?♪。
当然悟りは非常識ですよ!?♪。
まぁ光合成人間みたいな変なのもいるから食い物で喩えるのは
今一だったかもしれん。息するなぐらいの方が良かったか?
465 :
ベゲザンピーク:2013/02/08(金) 17:56:56.64 ID:hXqpCSNK
どうも473は「早まった一般化」・・・十分な論拠のない状態で演繹的な一般化を
おこなっている。「123456は120の約数だ。よって全ての整数は120の
約数だ」
人間誰しもそんなもんだよ
467 :
ベゲザンピーク:2013/02/08(金) 18:07:08.34 ID:hXqpCSNK
>>466 ちょっと待つて考えて後一つ数えれば間違えなくて済むんだよ。
協力すれば前に進めるだろうが、
反発するばかりに前に一向に進めない。
これは人間心理を現わすものであり、
人は無意識に無自覚なものと言える。
単に協力者が欲しいだけかもしれんなぁ。
>>467 あとちょいとがんばればの喩えだな
その通りであとちょいとが実に難しいんだよねw
悟りじゃ無いかもだけど何時間も寝ないで瞑想していると思考との距離を感じるよ。
映画を見るみたいにいろんな映像が浮かんでは消えて、誰かが喋ってるみたいに思考が聞こえる。
多分寝た状態で意識は覚めてて夢を見てるのだと思うけど面白いよ。
まぁ疲労がある段階を過ぎればそんなことになるよな
疲労が過ぎているのか、或いは足りてないのか、
案外気分てのはそんなことに左右されたりする。
472 :
ゼノン:2013/02/08(金) 21:23:36.36 ID:Rjc+MT52
風が覚者の肌に触れた。
風と言われる何かがそこにあった。
それに触れられるものと言われる何かがそこにあった。
それらは名称しがたい一つの何かであった。
ヨーガスートラでは心の働きを5つに分類している。
それとは別の分類になるが、いわゆる宗教で言う「思考」は、現実には起こりえないことを起こってほしいと願う願望や、
不確かなこと知りえぬことに確実性を求める願望のことだったりします。
願望と、不安です。
事実を淡々と処理し、考えうることだけを考え不確定なことは無理に考えない。
それは直観と言われ、明知と言われるもの。
これも思考と言えば思考ですが、前者の欲望や不安とは性質を異なります。
覚醒が伴えば思考は明知として働き、覚醒が欠如していれば思考は願望と恐怖に傾きます。
474 :
473:2013/02/09(土) 03:16:10.98 ID:GD64jZ+L
覚めていなければあれほどうまい酒も、覚めていたらただきつくて苦い飲み物に過ぎない。
酒のうまさというものはあくまで酒を媒体にして心がそれを喜んで夢を作り出しているだけだ。
体は酒をを歓迎していない。現実に酒がうまいわけもない。うまいのは心が作る夢だ。
夢は夢と解って酒という夢を楽しむのなら害はないかもしれないけれど。
快楽は心が作り、そしてその快楽を得られないという苦しみも必然的に付属する。
快楽も苦しみも心が作っている。その触媒である出来事そのものに重要性はない。
なんといっても厄介なのは心の方だ。
物事そのものではなくそれにまつわる心が。
だから物ではなくものにまつわる心を捨てよと、鎮めろと、そのように宗教は言います。
476 :
素人A:2013/02/09(土) 07:43:05.60 ID:5yhKHhQl
T・Sエリオットの「バーント・ノートン」の一節 私は丸写しだ。
まわる世界の静止点、肉でも、肉でもないものでもなく、そこからでもなく、そこへでもなく、その静止点に踊りがある、
しかし停止でもなく、運動でもない。それを固定性と呼んではいけない、そこに過去と未来が集まる。そこからの運動でもなく、
そこへの運動でもなく、登りでも、降りでもない。静止点、その点がなければ、踊りはないのだ、あるのはただ踊りだけだ。
わたしたちは、そこへ行ってきたといえるだけで、何処へとはいえない。どのくらい長くともいえない。そんな事をいえば
時間の中に、それを置くことになるからだ。
実際的な欲望からときはなたれた内面的な自由、行為と苦しみから解放され、内面的と外面的な、強制から開放されながら、
しかも恩寵感につつまれて、静止しながら動く白い光[・・・・・]
>>474 >覚めていなければあれほどうまい酒も、覚めていたらただきつくて苦い飲み物に過ぎない。
いきなり嘘だな、暑い夏にビアガーデンでカラカラに乾いた喉にジョッキで流し込む生ビールのうまさを知らんのか?
苦いのはうまくないって小学生か?
ビールは苦いからうまいんだよ。
いきなり嘘つくなよ
479 :
473:2013/02/09(土) 11:32:06.47 ID:GD64jZ+L
ホウレンソウの苦みは体は歓迎します。
必要とする食べ物だからです。
でも、取りすぎるとおいしく感じなくなります。
葉物野菜はアクという毒も含むからです。
ビールの苦み、アルコールの刺激、それは普通体初めからは歓迎せず、舌も歓迎しません。
≫覚めていなければあれほどうまい酒も、覚めていたらただきつくて苦い飲み物に過ぎない。
酒のうまさというものはあくまで酒を媒体にして心がそれを喜んで夢を作り出しているだけだ。
別に私の、あなたの人生経験と何の矛盾もありません。
覚めていなければビールがうまいという夢を作ってそれを楽しむでしょう。
アルコールの刺激、酒の苦み、酒の甘味、これらの感覚は心が現実逃避をするためのいい媒体になるのです。
だから私は特別純米酒が好きです。
それは心が織りなす快楽と苦痛の束縛なのですが、、。
≫暑い夏にビアガーデンでカラカラに乾いた喉にジョッキで流し込む生ビールのうまさを知らんのか?
その状況なら水で十分おいしいでしょう。
覚めていて、感覚的刺激を「心理的に」求めていなければ。
人は通常の意識状態だと、欲望や不安で緊張している。
それを何とかしようとすると池の水が濁るようによけい緊張してしまう。
そこで、酒にしろ甘いものにしろ、それを触媒に無意識になり何らかの夢が見て緊張する心の向きを開けてやる必要が生まれる。
そのために必要なものであった。今の自分にも必要ではあります。
もし覚醒があれば、自らを存在にささげていれば、リラックスをしていれば、無意識になって緊張を解きほぐすための媒体も必要ない。
だが、実際そこまでは険しい。
いわゆる努力は、意識は、緊張を強めるものだから。
自分がいないときこそ、全体と言われ、本性と言われ、アートマンと言われる名状しがない何かが動き出す。
それは努力によってでなく明け渡しとくつろぎによってのみ、自己の死によってのみ開示されてゆくものだから。
覚醒、くつろぎ、明け渡し―通常意識―無意識
君わかってないね
その時努力は努力でなくなるんだよ
君は単に努力嫌いだ
たったそれだけのことだw
酒は百薬の長という事実をしらんのか?
問題は量というだけのこと
単に好き嫌いで判別するもんじゃあない
483 :
ベゲザンピーク:2013/02/09(土) 13:15:22.34 ID:IX6aDygb
>>480www
なにが自己の死だ。自己の死なんかない。死を経験?するやいなや死ぬんだからな。
(経験は過去ができて語れるものだから。)
どうやら473は自分を覚者に近いとおもわれたいようだが・・・・・
飛んだ笑い種である。言っている内容がである。「生の全容性」とか、クリシュナムルティ
が詩的に述べたものをさもありなんと哲学的にとらえあげくのはてに、訳者までこまりなんとなく
訳した言葉をつかっている。それを473が見栄切って使っている。これがナンセンスでなくてなんであろう。
笑止千万
>>479 >アルコール(中略)これら感覚は心が現実逃避をするためのいい媒体になるのです。
現実で無いものが現実にあると思うのか?
君が夢と言うのも夢という現実なんだよ?
その夢という現実が悟りという現実より良いとか悪いとか言うのは好みの問題に過ぎない。
>>483 相手にするな。文体かわっただけで成長していないのが判明した。
放置に限る。
>>484 夢が現実というのはいい発想ですな〜
全くその通りですたい
いくら意識がハッキリしていようと囚われていれば所詮は夢の中
487 :
473:2013/02/09(土) 16:47:40.28 ID:GD64jZ+L
>>480 自己が死んでこそ、生とは何か真理とは何か開示されてゆきます。
肉体については死ねばそこまでです。
あなたにとっては肉体と自己は同義なのでしょう。
私には肉体と、自己、自我は別のものです。
自己、自我は肉体に執着する精神であるから肉体と無関係ではないですが、肉体への執着が消えても肉体は消えませんし、
何もできなくなるわけではありません。
その時本性なり、真理が、です。
瞑想において自己は徐々に死んでゆきます。
自己が死んだあと働き出すものとして私は働いています。(ごく部分的にですが)
>>484 私が夢と名付けているものにあなたが現実と名付けています。
その言語の定義なら快楽を追い不安にさいなまれる「現実」を苦と見抜いた人が「真実」に還りたいと願うのでしょう。
488 :
473:2013/02/09(土) 16:57:18.85 ID:GD64jZ+L
ちょっと484へのレスは微妙でした。
≫君が夢と言うのも夢という現実なんだよ?
いえ、起こっていることに対応する精神の働きである明知と、起こりえないことを願い現実と衝突する願望は異なるものです。
あなたの比重は外界に、現実にあるようですが、宗教では主観である自分自身に比重を置きます。
自身の心の持ち方ですべてが作られているというのが宗教の立脚点です。
現実がどうであるかは宗教は関わりません。
それへの態度主教の守備範囲です。
≫その夢という現実が悟りという現実より良いとか悪いとか言うのは好みの問題に過ぎない。
好みは夢を強めるので自覚すれば自殺行為は収まってゆきます。
自覚も面倒なので今までどおりでいいと言えば、それはその通りでその人の好みです。
好みは夢を強めることはできますが、脱出はできません。一方通行です。
>>488 HAHAHA。まさにお前は宗教という夢の中に埋没し、
自殺行為にまっしぐらということが解かってないようだね。
お前を生き物に喩えると、ナメクジだw
490 :
473:2013/02/09(土) 18:24:06.32 ID:GD64jZ+L
私は夢から覚めることを宗教と名付けて語ってはいますが、宗教という夢について語った覚えはありません。
あなたには私がそう見えるのですね。もうすこし良い夢が見られるといいですね。
>>490 ハッキリとあなたがナメクジに見えました。
夢ではありません。覚めています。
ナメクジ以上になれるといいですね。
>>488 >起こっていることに対応する精神の働きである明知と、
確かに生ビールは現実だな。
>起こりえないことを願い現実と衝突する願望は異なるものです。
君は「君の言う悟り」が起こることを願い現実と衝突しているよ。
>>488 >あなたの比重は外界に、現実にあるようですが、宗教では主観である自分自身に比重を置きます。
外界も主観も今起こってることだろ?
外界→暑い夏に生ビールを飲んでる。
主観→うまい!
分別する必要があるか?
494 :
473:2013/02/09(土) 18:59:05.26 ID:GD64jZ+L
≫君は「君の言う悟り」が起こることを願い現実と衝突しているよ。
という私をあなたは見ている。
しかし、根拠がありません。
そうだろうとあなたは思うようです。
あなた自身が悟りという言葉から願望を引きだしています。
それは私とは関係ありません。
>>488 >自身の心の持ち方ですべてが作られているというのが宗教の立脚点です。
>現実がどうであるかは宗教は関わりません。
↓
>起こっていることに対応する精神の働きである明知と、起こりえないことを願い現実と衝突する願望は異なるものです。
>>494 関係大有りです。世俗はあなたをナメクジと見なしています。
これは間接現実です。
でも、あなたはそれを潔しとして受け入れるならば、
あなたはまさにナメクジなのです。
497 :
473:2013/02/09(土) 19:04:28.49 ID:GD64jZ+L
≫どうやら473は自分を覚者に近いとおもわれたいようだが
それもあなたの自身のナルシズムの投影ではないでしょうか。
もしくはあなたのある部分が私を過大に評価しその世界観に惹かれており、他の部分はそれを否定する。
そしてそのどちらも私ではありません。
何かを否定するのは、あなたのある部分にとってそれが魅力的だからです。
私は弟子であること、第一歩目を歩み始めることを語っています。
無知について語っています。
私は一歩一歩の歩みにしか興味はありません。
といっても道なき道、歩み無き歩みです。
実際私は覚者より普通の人に近いでしょう。
覚者に近いと思われたかったのはスレ主でしょう。
>>488 >好みは夢を強めるので自覚すれば自殺行為は収まってゆきます。
意味がわからない。
馬がニンジンを好むのは自殺行為で自覚すればニンジンは食べなくなるのか?
普通とは普通も随分見くびられたもんだなw
500 :
473:2013/02/09(土) 19:08:37.90 ID:GD64jZ+L
>>496 誰もが見るわけではありませんが、少なくともあなたは見ています。
それが現実です。
しかし特に問題はないように思いますが。
私をそうみている人がいる、という現実です。
もしくは、私がここでしているような振る舞いをすれば、そうみる人がいくらかいるという現実です。
金銭を得る場合、そこではそれを得るために必要な態度をとるので何の問題もありません。
金銭が絡む場合だけ相手の夢に合わせます。
>>498 自殺行為というのは473の経験論だろ。
何かしら反省したんじゃないか?
>>494 >≫君は「君の言う悟り」が起こることを願い現実と衝突しているよ。
>という私をあなたは見ている。
>しかし、根拠がありません。
自覚が無いな。
根拠はこのスレだ。
君は君の言う悟りが起こることを夢みてこのスレでよく悶着を起こしている。
>>494 >あなた自身が悟りという言葉から願望を引きだしています。
という私を貴方は見ている。
まぁ2ch媒体の間接現実だから、ざぶとん取り合戦のゲームもできる。
だが、直接現実はこうはいかん。
それを皆473に教えてやろうとするが、相も変わらず473は
間接現実が有ると思って間接現実で遊んでない。
506 :
473:2013/02/09(土) 19:36:53.65 ID:GD64jZ+L
ここでの私の言動は今私に話しかけている人たち向けに最適化されたものではないので、それらはこのようにみられるのが当然で現実なのでしょう。
明らかに万人向けではなく、ある特定の人々にしか当てようのない内容なのだから公開掲示板で発言すればそれに対するレスの公約値は想像がついて然るべきもの。
社会的な顔に同化せず、個人的な顔にも同化せず、とらわれずに表現できればよいのですが、どうも各々の顔に愛着や嫌悪があるようで、そのえり好みが自我なのでしょう。
使い分けができないでKYなのが自我の自我たる所以。
行為にとらわれるなと、顔にとらわれるなと先達は言います。
507 :
473:2013/02/09(土) 19:39:08.70 ID:GD64jZ+L
>>505 社会との付き合い方は社会との付き合い方。
真理とのつきあ方は真理との付き合い方。
真理との付き合い方が社会で通用しないことなどあえて言うほどのことではないと思いますよ。
>>505 何を教えていただけるのでしょうか。
何をあなたは知っているのですか。
何か知っているのでしょうが、それは教えるほどのものなのですか。
仏陀が苦しみだと看過したようなことしか知らないのではないですか。
509 :
473:2013/02/09(土) 19:45:02.21 ID:GD64jZ+L
一つ一つの行為に同化するな。
それはあなたではない。
一つ一つあなたの表現に同化するな。
それもあなたではない。
あなたはそれらを見る意識そのものなのだ。
ということがわかっていないのだなと痛感します。
特定の姿に愛着を持ってしまったら、外界との軋轢は絶えない。
特定の姿への愛着が自我と言われるものでしょう。
外界との軋轢をなくしたいだけなら、多くの人に好まれる姿をいくつか身に着けて使い分けるだけでいい。
(それすら大変なことで、実際私に話かけている人々が若い年代の人や女性に好かれているとはとても思えない)
しかし、真理との付き合いにおいては、特定の姿への愛着そのものが障害になってしまう。
どんな言動であってもそれに執着してしまっては真理との関わりは閉ざされる。
>>510 >(それすら大変なことで、実際私に話かけている人々が若い年代の人や女性に好かれているとはとても思えない)
サラっと人を侮辱するね。
間接現実はあくまで間接現実だ
真理もなければ成長もない
おまえは間接現実に囚われてるに過ぎん
513 :
473:2013/02/09(土) 20:15:16.50 ID:GD64jZ+L
事実でしょ。おじいちゃん。
いや、うちの父もいい人なんですけど、若い人や女性に嫌われはしないですが退屈はさせます。
偏屈じじいならそれがもっとひどくなります。
これ、ありふれた事実です。
また、私も皆様に好かれているとは思いません。ほら、お仲間ですよ。
こういう当たり前のことを侮辱だと感じるというのはよほど完璧主義なんですね。
>>513 そんな感じで遊んでりゃええ
というもんでもねーぞ
直接現実と間接現実には当然関連性があり繋がっている
>>513 >事実でしょ。おじいちゃん。
君の中ではね。
>こういう当たり前のことを侮辱だと感じるというのはよほど完璧主義なんですね。
貴方が人に好かれないのは当たり前ですってか?
どうでも良いけどそれも君の想像だね。
>>515 >偏屈じじいならそれがもっとひどくなります。
そう自分をいじめるな。
>>515 私が?
ここ一連の表現スタイルが好かれないのは事実ですが、
それは私ではありません。
>>517 >ここ一連の表現スタイルが好かれないのは事実ですが、それは私ではありません。
君じゃなければ誰?
520 :
ゼノン:2013/02/09(土) 20:39:35.32 ID:PUllGeem
花の影が光と踊っていた。
花と言われる何かがそこにあった。
影と言われる何かがそこにあった。
光と言われる何かがそこにあった。
踊りと言われる何かがそこにあった。
それらを見ているものと言われる何かがそこにあった。
それらは名称しがたい一つの何かであった。
521 :
473:2013/02/09(土) 20:41:24.70 ID:GD64jZ+L
この表現スタイル、この姿、それに愛着を持ってしまうといけませんね。
この表現スタイルこの姿を、ある人々は好みある人々は嫌う。
それがあるがまま、現実。
万人が好む表現スタイルや姿は存在しないというのに。
どんなに嫌われても、たまたま周りの人全員が嫌っても、ある人々は好むというのもまた事実。
一人に好かれてもみんなに好かれることにならない。
一人に嫌われても皆に嫌われることにならない。
万人が好む表現スタイルや姿は存在しない。
混乱してはいけない。
ある人に好かれ、ある人に嫌われるのが正常で、どっちか100%ということはない。
522 :
473:2013/02/09(土) 20:44:46.11 ID:GD64jZ+L
>>519 誰でもない。そこにはその姿があるだけだ。
その表現、その働きがあるだけだ。
私はそれを見守る意識であり、あなたのいうところの「君」ではない。
というようなことの萌芽を感じる。
現実では頭が良い人がネットでは突然馬鹿になるとか無いね。
ネットで話して馬鹿な人は現実で話しても馬鹿。
単に言葉で話すか文字で話すかの違いだからね。
>>522 >誰でもない。そこにはその姿があるだけだ。
その表現、その働きがあるだけだ。
それは屁理屈。
君がネットで言ったことは君が言ったことと同じ。
君がネットで殺人予告をしたら逮捕されるのは君。
525 :
473:2013/02/10(日) 05:06:25.76 ID:irAraqQT
>>523 私の経験でもそうです。
賢明な姿に固執せず、いつでも馬鹿になれる人間こそ自由というものです。
ここで私がいう馬鹿とは、あなたのいう賢明な人間のことです。
私の言う賢明とはあなたのいう馬鹿のことです。
≫君がネットで殺人予告をしたら逮捕されるのは君。
私の体は拘束されますが、私は拘束されません。
私はただ見つめます。
それに私は前々から生存に必要な最低限の演技をすると述べています。
ましてやメリットもなくこの肉体を危険にさらすような言動をする理由はありません。
ここのスレッドタイトルを鑑みるに私はTPOをそうそう外しているとは思えません。
ここはオフィスではありません。
>>525 >私の体は拘束されますが、私は拘束されません。私はただ見つめます。
という夢を見ている。
実際の君は金が欲しい、死ぬのが怖い、人が尊敬されることを受け入れられず嫉妬して粘着して攻撃する。
誰より自分を上に置きたい凡俗なのは自明。
>>525 >ここのスレッドタイトルを鑑みるに私はTPOをそうそう外しているとは思えません。
だから実際の自分が見えない。
実際の君はマスターごっこをして尊敬されたいだけ。
良いことも書くけど所詮パクリだからレスの応酬をすればすぐにぼろがでる。
528 :
素人A:2013/02/10(日) 08:04:53.68 ID:iX9SPWsU
宇宙意識 ・・・なぜなら世界の中の生の諸要素を代表すること、すはわち、形而上学に対して倫理を擁護すること、
超越を認識しつつ、しかも自己陶酔への耽溺のうちに溶解せずに生きるすべを提示することは、僧侶の役目だからで
す。カールユングはどこかで、宗教の役割は私たちを神の経験から保護することだ、と書いています。オヴィデウス
の「変身物語」に収録された神話の五十パーセントは神と遭遇したがその光の圧倒的な力を受容するだけの備えがな
かつた為に、不幸な変身をさせられた人々の物語です。僧侶の実際的な格言と隠喩的な儀式は、超越的な光を世俗の
ものにやわらげ、混乱と溶解ではなく、生活の調和と充実をもたらすものとします。これらと対照的に、神秘家は
意図的に己をその力の前に差し出します。そして彼が粉々に砕け散ることもありうるのです。僧侶と同様に芸術家も
隠喩的言語の専門的な使い手です。ただ僧侶はじゅ像済みの語彙と職業的に関わっていてその語彙的言語を体表する
者なのです。僧侶は完全に仕上げられた台本を上演する演技者であり、かれれの芸術はその芸術の中にあります。創
造的芸術家が創造的であるのは彼らが革新的な洞察で゛ある限りにおいてのみです。芸術家と神秘家が直面している
自在は同一のものです。つまりそれは意識へもたらされた彼ら自身の最奥の真実なのです。神秘家はそれと直接的に
対面し、芸術家は芸術作品に反映された形でそれと出会います。(小宇宙としての)芸術家の本体と(大宇宙としの)
宇宙の本性が同一の実在の二つの様相であるということ(前者は内面から経験された全体の微小な部分として、後者は
外から見られた全体として。これはそれぞれショーペンハウアーの「意志としての世界」と「表象あるいは観念とし
ての世界」の等価物です。)・・この相互作用によって芸術家は、そこでは外面的現実と内的現実が同一のものとして
認識されるような啓示的作品の可能性に対して敏感に反応する事ができるのです。
529 :
ゼノン:2013/02/10(日) 10:42:17.11 ID:uQr74VOI
セミが鳴いていた。
セミの声と言われる何かがそこにあった。
それを聴いているものと言われる何かがそこにあった。
それらは名称しがたい一つの何かであった。
530 :
473:2013/02/10(日) 13:11:43.49 ID:irAraqQT
>>526 当たり前のことです。
私は悟った人間ではありませんから。
ただ、そのありふれた自我の風穴と、自身が観照者であるといわれる、リアリティーであると言われることの萌芽をと522で申し上げた通りです。
私の述べていることを読みもせず、あなたの創作したイメージに対してあなたが反論しているにすぎません。
そしてあなたの指摘は「わたし」にだけにむけるものではなく、まずあなたにとって一番近い人間であるあなたから順に向けるべきことでしょう。
他人ばかり見てもあなたは成長しません。
531 :
473:2013/02/10(日) 13:16:57.31 ID:irAraqQT
あるがままに生まれ、踊り、死んでゆくリアリティー。
それを見つめることそのものが自らであり本性であるとしたら?
ここで精神が「生き残ること」を最優先にしようとすると何もかもがゆがんでしまう。
あるがままに生まれ、踊り、死んでゆくのが本性であって、生き残るべく画策するのが本性ではないから。
精神g、自我が生きようとしなくても、あるがままの本性で生きようとする。それに介入するのはなぜか。
あるがままの本性と生存したいという精神はいつも対立している。
(たいていの場合後者がほぼ完全に主導権を握っていますが)
ただそれを自覚していればその対立は消え去ると聞きます。
532 :
473:2013/02/10(日) 13:39:00.71 ID:irAraqQT
幸福であるがいい。
ただ、何事も幸福の条件にしないことだ。
そうであればただ幸福であるあなたがのこる。
何かが幸福の条件として存在する限りあなたの本性は動けない。
幸福の条件を作る思考と本性が対立して内部で軋んでしまう。
そのように聞きました。
>>530 屁理屈はいいからここにいる君が君じゃなければ誰なの?
あなたのイメージとかいうのは無しだよ。
私は君じゃない、君のレスは私が書いて無いのははっきりしている。
>>530 >ただ、そのありふれた自我の風穴と、自身が観照者であるといわれる、リアリティーであると言われることの萌芽をと522で申し上げた通りです。
君じゃなければ誰?
という
>>519の質問の答えに全然なってないね。
誰と話してるの?
>>530 >ただ、そのありふれた自我の風穴と、自身が観照者であるといわれる、リアリティーであると言われることの萌芽をと522で申し上げた通りです。
わかり辛い文章だね。
「混乱した自我に気づいている観照者がいます」
で良くね?
会話になって無いけど。
>>530 >私の述べていることを読みもせず、あなたの創作したイメージに対してあなたが反論しているにすぎません。
まず
>>534を読んでね。
>>519で私はここに書き込んでいるのが君じゃないなら誰?ときいてるだけなんだけど難しかった?
>>530 >そしてあなたの指摘は「わたし」にだけにむけるものではなく、まずあなたにとって一番近い人間であるあなたから順に向けるべきことでしょう。
なんで問題を一般化するの?
今は私が君と話しているんだけど?
>>530 >他人ばかり見てもあなたは成長しません。
成長しません?
そんな話してないよ?
「ここに書き込んでいるのが君じゃないなら誰なの?」
という私の質問に答えれば済む話だよ?
何故人がきいてもいないことに答えるの?
>>533 宇宙そのものです。
部分にこだわりませぬよう。
「誰」、は解釈です。
「それがおこっている」は解釈ではありません。
≫私は君じゃない、君のレスは私が書いて無いのははっきりしている。
その通り。ただ、あなたの解釈はあなたのイメージです。
540 :
ベゲザンピーク:2013/02/10(日) 15:57:29.12 ID:vAUOgBXi
>>531 オンレイレイピワンダラピスーダラピッタラー
541 :
ベゲザンピーク:2013/02/10(日) 16:19:34.85 ID:vAUOgBXi
ノスタルジアにしても473にしても説教してる気がするのかされてる気がするのか
どっちなんだろうな。
542 :
473:2013/02/10(日) 16:32:33.11 ID:irAraqQT
自分のことはわからないし、他人のこともわからない。
わからないけど対話の中であきらかになればいいなー、という感じです。
説教なんて傲慢な身の程知らずかマスターしかしませんし、とても私は他人に説教ができるようような力量はありません。
なかなか自分自身の経験の束縛を超えて他者に妥当なアドバイスを与えられる人もいないので、目上から説教されているとも思いません。
私はやってきた身の程知らずな説教をのしをつけてお返しする程度です。
傲慢に私にアプローチしてきた人がそれを突っ返されると不快を感じるようなのですが、
そもそも最初にどんなアプローチを私にしてきたのか完全に忘れています。
与えたものが返ってくるだけです。
543 :
ベゲザンピーク:2013/02/10(日) 16:57:05.95 ID:vAUOgBXi
>>542 2チャンネルたのしい?それしかすることないの?かなりの時間割いてるかと
思われますが。
544 :
473:2013/02/10(日) 17:03:07.06 ID:irAraqQT
自分の欠点がもろに出る現実のとあるテーマと格闘中です。
これをさぼってはいけないのは確かです。
545 :
ベゲザンピーク:2013/02/10(日) 17:05:15.97 ID:vAUOgBXi
>>544 ちゃんとしゃべれないんだね。べつにいいよ。
546 :
473:2013/02/10(日) 17:50:41.39 ID:irAraqQT
人の振る舞いは一着の服のようなものかもしれない。
そのひとの言動はその人そのものではなく、いわば一着の服に過ぎない。
その服が好かれようと嫌われようとその人自身が喜んだり悲しんだりする必要はない。
そのひとは服を着替えることもできるし、不評と解って押し通すこともできる。
しかし、服を愛しすぎていて明らかに着るべきでないときも着たがったり他者の賞賛を求めてしまったら、そこに葛藤が生まれてしまう。
なによりその人は服ではないのだ。
自分を服だと思い込むことは自分を忘れることであり、混沌を持ち込むことでもある。
547 :
ベゲザンピーク:2013/02/10(日) 19:02:27.34 ID:vAUOgBXi
45分かかったの?
548 :
473:2013/02/10(日) 20:15:01.52 ID:dhpyxRWo
549 :
473:2013/02/10(日) 22:19:28.64 ID:irAraqQT
546は2ちゃんねる活動の方ですね。
自我は何としても生き残るという算段を組み立てようとする。
が、確実に生き残る方法なんてそもそも存在しない。
そもそも存在しないのに自我は画策する。
日本で死にそうにないのはひとえに日本のおかげであり自我の画策のおかげではない。
いつ生計の手段や貯蓄は吹っ飛ぶかしれない。
ビジネスは賭けざるを得ない部分があり、結果はわからない。
だから今死を受け入れておくのが現実的です。
非現実的な自己保存の思考活動は収まってゆき、真実との調和も起き始めるでしょう。
550 :
473:2013/02/10(日) 23:04:58.05 ID:irAraqQT
欲望の対象である内だけそれは存在して欲が消えるとそれは重要性をことごとく失う。
多分自らの体もそうさ。
実際は肉体の維持より人間への興味が先だって肉体維持がなおざりになりがちな私。
問題は肉体の維持にあるようで案外そうでもない。
自身の愛着は様々な方向に向いている。
それらすべてに光が当たらない限り、自分が何者か、何を望んでいるのかすらわからない。
552 :
ベゲザンピーク:2013/02/11(月) 05:14:34.08 ID:kUjOIvxt
↑551の豚饅
553 :
素人A:2013/02/11(月) 07:27:27.63 ID:O8UoRKu7
古鏡 ・・・雪峰真覚大師があるとき門弟に説示して言うに、「この一大事を会得しようと思うならば、つぎのことに思いを傾け
よ。すなわち、わがふところのうちは、世界一面の古鏡のごとくである。胡人が来れば胡人があらわれ、漢人が来れば漢人が現れ
る」と。そのとき玄沙がたずねた。「たちまち明鏡が現われたときはいかがでしょう」師「胡人も漢人も隠れてしまつている」
玄沙「私なら、そうは申しません」師「ではおまえならどうするか」玄沙「どうぞおたずねください」師「たちまち明鏡が現われ
たときはいかがか」玄沙「百雑すい(一切は木端微塵、原型をとどめぬ)」道元右の雪峰のいう、この一大事とはなんの事かと参学
すべきである。その雪峰の古鏡を習うべきである。「一面の古鏡の如く」とはまったく辺りがなくて内も外もないことを言うので
ある。あたかも「一つのまるい珠が盤の上を走ってとまらない」そうした自己のことである。・・
??それは割割れ我割れ鏡は細々になった小さな正解いや世界しか身縁蛇内ですか?一体全体同いう目があるのですか?その後
師匠と弟子で喧嘩意の総意があつて殴り合いの場取るが恥鞠七日?いつでもここ2ちやん世界では場取る我現われれば
バトル画恥鞠でも皆仲が良い?私は何故か無視されているけど?すぐ外外以降というからか修行の熱審査が無ほかほか行こう。
同じレベルの者にしか同じ風景は見れないからな
例えるなら登山のプロから見たら
登山の素人が山を迷いまくって
苦労して帰路についた後の食事は最高だったとかの
マニアックな気持ちは共感できないからな
残念ながら悟りを開いた者同士にしか
悟りは理解できないようになってる
555 :
素人A:2013/02/11(月) 08:03:18.48 ID:O8UoRKu7
岡村孝子 IDENTITY
http://www.youtube.com/watch?v=y3-yGNF8vUE あなたに伝えたくて すべて分けあいたくて この時代を 生きてきた
喜びや悲しみも せつないときめきさえも ここにいる証だと
遠く彼の空に光り輝いた 無数の星くず達
あとどれ位 あなたとこのさざめく風をほほに受けて ゆるやかな道のりを 進んで行けるのだろう
瞳に映るすべてをただ引き受けながら 前を見つめ自分を信じる そんな生き方しかできないけれど
ゆっくり明けゆく空 こうして見送るたび 折れた心 抱きしめた
ふり返る昨日には迷いや悔いもあるけど いいよ もう忘れるね
やがてやって来る新しい朝が 清らかであるように
あとどれ位 あなたとこの色づく木々が桜の舞う 春色に染まるのを 見つめていけるのだろう
同じ時代にめぐり会って 今を生きてる そんな事実感謝して どんな日も私でいられたら それが幸せ
あとどれ位 あなたとこの広がる空に夢を描き まだ見ない未来へと 希望をつなげるだろう
同じ時代にめぐり会って 今を生きてる そんな事実感謝して どんな日も私でいられたら それが幸せ
556 :
473:2013/02/11(月) 11:49:22.10 ID:ApBJB0WR
正法、見性、老師、一体どれだけの概念に依存しているのだろう。
そんなものは作り事です。
概念に頼らず自身を明らめるのではなかったですか。
本来宗教の作り事は自己を破壊する道具として使うことはできます。
何もわからないということを理解し、自我を手放してゆくことの助けとなりうるものです。
が、しがみついて、むしろ自我を強化し驕るようになってしまっては方便としては失敗です。
557 :
「473:2013/02/11(月) 11:50:12.76 ID:ApBJB0WR
失礼、誤爆でした。
>>539 >宇宙そのものです。
え?なんで2ちゃんを宇宙そのものがやってるの?
今は君個人と話してるんだけど?
>>539 >部分にこだわりませぬよう。
「誰」、は解釈です
>「それがおこっている」は解釈ではありません
そういうのもういいよ。
なんで話の論点をぼかすの?
ここにいるのが君じゃなければ誰なの?って話してるでしょ?
変なポエムいらないから。
>>539 >≫私は君じゃない、君のレスは私が書いて無いのははっきりしている。
>その通り。ただ、あなたの解釈はあなたのイメージです。
たんに2ちゃんでやり取りしてるだけでしょ?
変なポエム書かないと死んじゃう病気なの?
>>558 あなたも宇宙そのものではないでしょうか。
562 :
ベゲザンピーク:2013/02/11(月) 14:27:09.34 ID:kUjOIvxt
>>561 オンレイレイピワンダラピスーダラピッタラー
>>561 >あなたも宇宙そのものではないでしょうか。
今個人としての私が個人としての君と話しているの。
↓
>>517 >私が?
>ここ一連の表現スタイルが好かれないのは事実ですが、それは私ではありません。
なら君は誰なの?って質問ね。
564 :
473:2013/02/11(月) 15:09:49.12 ID:ApBJB0WR
≫なら君は誰なの?
宇宙からを部分抜き出してそれを「君」「だれ」と解釈しているあなたのイメージです。
つまりあなたが想像しているものは実際には存在しません。
またそのイメージする主体であるあなた自身が一つの仮想物に過ぎないかもしれません。
565 :
473:2013/02/11(月) 15:11:54.79 ID:ApBJB0WR
社会的な自分の存在は他者にどう思われるかで成り立っている。
各々の他者が各々の夢を投影する。
好かれても、嫌われても、それはその人の夢であり、また他者一人一人の投影に統一が無いのでその夢を自分だと思ってしまったならこちらとしては混乱していまう。
社会的な存在は他者の投影であり、来ては去るもの。
なのだが他者の投影、他者からの自己評価にどうしても好き嫌いを入れてしまう。
それが自我の働きであり、自分はこうこうこういう姿であるという愛着だ。
自分はあらゆる姿を取りうる。特定の姿に執着したら、他者の夢を考慮できないし、他者からの自己への評価を喜んだり悲しんだりしてしまう。
他者の夢を考慮したり反発したり、自らの態度は、そして自らが受ける他者からの評価は一つのパターンであるべきではなく
もっと流れてとらえどころのないものであったはずだ。
「こうは思われたくない」「こう思われたい」これがあると他者とのかかわりは地獄になる。
相手を考慮するということも「こう思われないようにする、こう思われるようにする」ということに違いはないがそれは質的に、内的経験として全く異なる。
前者は欲望であり、己の振る舞いを変えないで他者に望むものであり、後者は単に振る舞いを変え結果を期待せず待つだけのものである。
後者は自己イメージへの愛着から覚醒していなければ起きえない。
自我の死、過去からの隔絶か。
566 :
ベゲザンピーク:2013/02/11(月) 15:20:30.14 ID:kUjOIvxt
>>565 オンレイレイピワンダラピスーダラピッタラー
>>564 >≫なら君は誰なの?
宇宙からを部分抜き出してそれを「君」「だれ」と解釈しているあなたのイメージです。
>つまりあなたが想像しているものは実際には存在しません。
もう一度
>>533を読んでね。
私のイメージが勝手に2ちゃんに書き込んでいたらオカルトだよ。
568 :
ベゲザンピーク:2013/02/11(月) 16:00:04.55 ID:kUjOIvxt
おお、567はうまく核心を突いた。
宇宙は動くから書き込みます。
あなたは川の流れに対して君はだれかと聞くのですか?
570 :
473:2013/02/11(月) 16:38:38.99 ID:ApBJB0WR
私自身が川
流れと同じく宇宙の流れの一部である人間に対して愛着したり批判したりする自我ではあります。
人間がいて思考があって、集合無意識がりますが、そこに自我があるとは限らない。
人間に、思考に自我を見出すのはわたしという自我なのでしょう。
それは自分で制御できない精神活動、認知活動であり、真実とは限らない。
だから少なくともその認知を強めるような思想ではなく、それを緩めるようなことを語ろう。
と、そのように私は話しています。
571 :
塩と味噌:2013/02/11(月) 17:32:28.35 ID:VgRKNaGv
572 :
ゼノン:2013/02/11(月) 19:20:33.28 ID:cEjGijCw
命の香りが歌っていた。
草花や樹木や潮風や土の匂いのまざりあった香りだった。
香りと言われる何かがそこにあった。
香りを感じるものと言われる何かがそこにあった。
歌と言われる何かがそこにあった。
それらは名称しがたい一つの何かであった。
573 :
473:2013/02/11(月) 20:12:30.92 ID:ApBJB0WR
他者に否定され、それを真に受けて傷を持ち歩いている人々。
その傷は他者の上に立とうとその人を駆り立てる。
他者の夢の投影を真に受けた傷から始まる悲喜劇。
移り変わるものへの固執がもたらす悲喜劇。
しかに真に受けないということは困難を超える。
余りにも容易すぎてそれは自我の限界を超えている。
くつろぎ、明け渡し、目覚め、ああ。
574 :
473:2013/02/11(月) 22:11:00.46 ID:ApBJB0WR
他者には一切巻き込まれるべきではないというのが基本にあり、
付き合わざるを得ない部分、ついて行ける部分それだけを選択できれば。
あらゆる自我が自己中心的な夢、あらゆる自我が特有の善悪の判断を持っており、非常にカオスなことになっている。
それ故に人は信念を求めるがそれこそ眠りに過ぎない。覚醒こそマスターキーだ。
575 :
ベゲザンピーク:2013/02/11(月) 22:45:17.17 ID:kUjOIvxt
ヨナさん。ちゃんと便通はあるか?
警察.地下鉄にサリンを散布するように指示したのはお前か?
ペテン教祖.誰でも無い指示したのは宇宙だ。
警察.私はお前個人に聞いてるんだ。
ペテン教祖.個人などいない、それは幻想だ、貴方は川に話しかけるのですか?
方便と詭弁は似て非なるものだ。
師と弟子の間に深い信頼関係があり、弟子が師に騙されることさえ受け入れている時になら方便は成り立つ。
その時に語られた嘘は師と弟子の信頼故に美しい。
だがその時語られた嘘を凡人がエゴを守るために使うのはただただ醜い。
578 :
473:2013/02/11(月) 23:33:35.09 ID:ApBJB0WR
@ペテン教祖でない側から見る風景
宇宙の指示ではない。
それが宇宙そのものなのだ。
ペテン教祖の存在も、その命令もあるがままの宇宙でありそこに自我はない。
だがあなたはそこに自我を投影している。
どうにかできるものだと思っている。
Aペテン教祖自身
彼が自我において行為しているならその拘束と処罰は苦しみでしょう。
彼が自身の自我という幻想から解き放たれていれば、普通そういった他者を害する行為はしません。
しかし、もし彼が自我から解き放たれてなおそれが起こるならそれは宇宙のあるがままの無意識の出来事ではなく
あるがままの宇宙の意識的な行為だったということになります。
この場合宇宙があるだけで自我は存在しない。
罰せられる自我もなく、処刑を苦しむ自我もない。
もちろん彼の肉体は拘束され処刑されますが、そこに処刑される誰かは存在しません。
それにしてもなぜ私であったり、自我の無い存在を殺人犯に仕立て上げようとするのか。
そもそも宇宙そのものであるという存在が、
「部分に過ぎない人間としての肉体を守るために他の肉体を害する動機そのものが存在しない」
ということに思い当たらないでしょうか。
そこに愛があるとき…嘘もまた美しい。
美しさは愛という実在に従う影のようなものだ。
愛が実在で美しさはその影だ。
覚者達は愛故に嘘をついた。
それゆえに彼らの嘘はいかなる事実より人々を魅了した。
何故なら彼らの嘘はいかなる事実よりも真実の反映だったからだ。
あなたは暗にあなたの考えと異なることを述べるような他者は投獄し処刑するべきだと言っていませんか?
私は何も犯罪を犯してはいませんよ。
581 :
473:2013/02/11(月) 23:39:01.78 ID:ApBJB0WR
しかしあなたのなさることは方便に愛という実体を吹き込むことではなく、
方便に憎しみを投影して私が方便を誤用していると批判することだけです。
582 :
473:2013/02/11(月) 23:42:13.16 ID:ApBJB0WR
この場合宇宙があるだけで自我は存在しない。
罰せられる自我もなく、処刑を苦しむ自我もない。
もちろん彼の肉体は拘束され処刑されますが、そこに処刑される誰かは存在しません。
だから自我がこれを言い訳に使おうとしても、あっさり処刑されるのでご注意ください。
自我にとっては大変な苦痛でしょう。
自我が存在しなければ生存も処刑もありません。
人助けも人殺しもありません。
何の問題もありません。
そしてこういう存在は普通慈愛の化身であります。
自らの身を守るため他者と争ういわれがないからです。
583 :
ベゲザンピーク:2013/02/11(月) 23:43:11.47 ID:kUjOIvxt
>>ヨナさん
人智で宇宙を解釈するのはマダム!難しいよ。
生物ははただ生きるのみだ。
ヨナさんあなたの願いがもし叶うばっかりなら、あなたは意味を考えるだろうか?
「あるがままの宇宙とはなんですか?」受け売りではなく自分でしっかり
かんがえてそんなものあるのか考えることです。
584 :
ベゲザンピーク:2013/02/11(月) 23:49:35.45 ID:kUjOIvxt
人生は残念ながらただただ、詩的に述べられることばかりではございません。
考えることです。考えることの源泉は驚きです。感動です。
星空を見上げた時その静謐さに神秘を感じます。でも時間を超越した宇宙は
もっとダイナミックなもので破壊と誕生を秘めた星星です。
この宇宙を文字に閉じ込めようとするならばあなたはさらに狂うでしょう。
585 :
473:2013/02/11(月) 23:49:48.39 ID:XTo78TUc
>>575 >ヨナさん。ちゃんと便通はあるか?
ねぇよ! なんでそれを聞いたんだ? 答えろ!!
いえいえ、宇宙の解釈というより、自我なんてないんじゃないのという、
「ない」を宇宙さんに受け持っていただいております。
イエス。生死のサイクルを楽しみましょう。
もし殺されても平気な存在がいれば?
恐怖に満ちた人はそれは無責任でおっかないと投影するかもしれません。
愛に満ちた人ならばそれが他者を害する理由を持っていないことを見出すかもしれません。
587 :
ベゲザンピーク:2013/02/11(月) 23:53:08.50 ID:kUjOIvxt
快眠、快食、快便、合掌、というくらい大事なものだから。
588 :
ベゲザンピーク:2013/02/12(火) 00:05:07.10 ID:dh/79sAr
>>586 悩むというのは矛盾に悩むのです。だからそれを美しいという人も
いる。その正直さゆえに。あなたの場合は強引な答えをもっていて、
もしだのなんだのこねくりまわしているわけです。「14歳の哲学」
とか「ソフィーの冒険」とかからゆっくりはじめてみてはいかが?
殺されても平気な存在などないのではないかい?もしももへったくれ
もない。がん細胞でも生まれたからには一生懸命生きる。個人的な意見
だけれどもね。恐怖に充ちた人、愛に満ちた人、とりわけそういうひとが
いるわけでもないのでは、すべて個人の中に潜むものであってね。
ペテン教祖.私は宇宙そのものです。
貴方が話しかけている相手は貴方のイメージであり存在しません。
あなたは暗にあなたの考えと異なることを述べるような他者は投獄し処刑するべきだと言っていませんか?
私は何も犯罪を犯してはいませんよ。
590 :
473:2013/02/12(火) 00:16:30.24 ID:mQK63EL6
問題を解決しようという根深い欲求があります。
しかし、これは「既に」何かを問題視してしまう不自由な自我を自分だと思い込んでいる、ということを意味します。
自身が自由な存在ならあらかじめ問題は存在しえないのです。
事実とともに流れるだけです。
自由は最初にあります。不自由に対して勝ち取るものではありません。
だから克服でもなく目的でもなく無限なるものに瞑想せよと言われ、ただくつろいでいるといいと言われ、存在に自己を明け渡せと言われます。
591 :
ベゲザンピーク:2013/02/12(火) 00:21:55.03 ID:dh/79sAr
存在に自己を明け渡す」笑わさないで下さい。
存在とはなんですか?自己とはなんですか?それをしらずしてどう明け渡す
のですか?あなたは馬鹿ですか?
592 :
473:2013/02/12(火) 00:22:05.89 ID:mQK63EL6
>>588 わかりません。
しかし宗教の逸話では殺されて平気な存在はたくさん出てきます。
金剛経の仏陀の前世。マンスール。
バガバットギータ。
20世紀は
ラマナマハリシ、グルジェフ、osho、ラーマクリシュナ
全員癌やそれに準ずる病ですが苦しみは見せなかったと聞き及んでいます。
それが事実と言い切ることも嘘と言い切ることもできません。
真実を自身の意識と経験で探究するのが宗教です。
私の言動から経験を伴わない結論を私が述べているということを一体どこに見出しているのですか?
経験は経験として語り、方便は方便、借り物は借り物、思考実験は思考実験だと明記しているはずですよ。
593 :
473:2013/02/12(火) 00:27:47.96 ID:mQK63EL6
>>591 部分的にであってもそれらを知ることと明け渡しは同時に起こるでしょう。
ただしそれが実際に起きたその時です。
存在が何かを知るのは存在に明け渡した後です。
それゆえに存在というのはただの方便であり、仕掛けにすぎません。
自己が何かを知るのも自己を明け渡した時です。
これも逆説的な方便です。
誰も先んじてそれを知ることはできません。
先んじて知ることが不可能だというあなたの疑問は正しいです。知識で先回りしないことが大切です。
瞑想し、気づきを持って生きましょう。
594 :
ベゲザンピーク:2013/02/12(火) 00:27:51.04 ID:dh/79sAr
>>592 よくそんないいかげんな文章かくね。ところで「思考実験」ってなんだい?
595 :
ベゲザンピーク:2013/02/12(火) 00:37:57.64 ID:dh/79sAr
>>593 あなたが瞑想瞑想といっているうちは、瞑想なんておこりません。
瞑想ウィルスともいうべきものをあなたはもっているようです。
夕暮れデートの時間をまっている女の子の方が、ティッシュ配りのバイト
でもしてる人の方がよく知っているはずだよ。
596 :
473:2013/02/12(火) 01:23:29.99 ID:atM8Anm9
>>587 >快眠、快食、快便、合掌、というくらい大事なものだから。
納得致しました。自分には大事なものがひとつだけ抜けていたようです。
597 :
473:2013/02/12(火) 01:48:17.13 ID:mQK63EL6
>>595 593の文脈での瞑想と、595の文脈での瞑想は異なるものですね。
あなたは言葉に反応して、言葉を発した人が込めたのとと別の意味を言葉いこめて批判の対象を捏造して非難してばかりなのです。
最初からずっと変わらないパターンです。
ちなみに他人が妄想癖に見えるのは
あなたが確固たる確信(妄想)を持っているからです。
自分と異なる考え方が即妄想に見えるために、異なる考えの妥当性を全く受け入れられないあなたの確信(妄想)が不可欠だからです。
よーく私のこれまでの発言を見返してください。
確信などなく、多分、、、とためらいとを見出すでしょう。
598 :
ベゲザンピーク:2013/02/12(火) 04:03:37.84 ID:dh/79sAr
俺は短時間睡眠で起きたからいいけど、早く寝ようね。ヨンななさん。
かなり瞑想ウィルスがまわっているようですね。アメリカなんかでは
瞑想を邪魔されて発砲事件まで起こっているようですから、捨て置ける
もんでもないです。あなたが今坐っている椅子。あてがわれた椅子でしょ。
そっくり返って坐る椅子ではないはずですよ。一人でビョーキやってないで、
しかるべきところで相談するなり、いっそのこと印度に黒魔術でも勉強しに
いくといいでしょう。そうすればここではあなたの独断場ですが、きっと皆が
何を言っていたかわかるはずです。そうか一番やさしい提案ですがアシュラムに掃除
でもしにいくといいですよ。ボランティアで。時節ぐらいわかるようになるでしょう。
自分の文章にそんなに自信があるなら、精神世界の出版社にでも送るなり自費出版でも
してみたらどうですか?
気持ち悪いからそろそろ失せな。
>>597
>>581 >しかしあなたのなさることは方便に愛という実体を吹き込むことではなく、
>方便に憎しみを投影して私が方便を誤用していると批判することだけです。
誰に話しかけているの?
独り言?
>>580 >あなたは暗にあなたの考えと異なることを述べるような他者は投獄し処刑するべきだと言っていませんか?
誰がそんなこと言ったの?
君は誰に話しかけているの?
川?宇宙?君のイメージ?
601 :
素人A:2013/02/12(火) 07:21:54.06 ID:KaGgB0Rf
タントラ思想の場合、ムーラーダーラにあるスシュームナーの門の両側、イーダー神経とピンカラー神経の始点に立つ、月の息
と太陽の息の人格化は、調度この二つの像(仏教寺院に聖域を守る二つの像仁王となんとかと、キリスト教ではケルビムとなんと
か)に相当すると考えるべきです。なぜなら前述のように、月と太陽に分化したエネルギーが混ざり合って一つの火となるのはま
さにこのユクタリトヴェニー、つまり三つの川の合流点においてなのですから。それからこの火は突風のように、覚醒したクン
ダリーニを伴って中央の道を駆けあがります。二つの息がこのように融合するまで、中央の門は閉じられたままです。つまりま
ず必要なのは、修行している個人の月の意識(肉体の中にある意識)が、万物を生気づけ照明する太陽の意識と同一のものとして
経験されることなのです。さもないと精神は物質の中に閉じ込められたままにとどまります。そして身体と経験が物質のみに属
するか、あるいはなんらかの超自然的な空想に心を奪われて(宇宙は物質のみから出来ているのだから)魂ないし精神はど゛こか
の宇宙とは別の場所に捜し求められるなどと考えてしまう事になります。
602 :
塩と味噌:2013/02/12(火) 07:54:33.85 ID:si4NB70T
>>600 そうそうこいつが言うことって結局ブーメランなんだよねw それを本人が気づいてないパターン。
自我がないってことを本当に自分が居ないと混同して迷走してる最中w
そしてそれに人を巻き込もうとするのに否定されると途端に安い心理学の「投影理論」をバカの一つ覚えみたいに使い出すw
いつまでも泥遊びを止めない子どもみたいなもんだよ。 そして最後には自分がドロドロなのを人のせいにしてくるw
ここや他の悟り系のスレに現れる人間はそりゃ色んなのが居るが大抵迷える者。
そして真性のイカレポンチ。
そりゃ中には自分自身しっかり決着ついてる者も稀に居る。 そんな奴らは決着がついてるって本人が言ってるんだからもうそれ以上そいつに言うことなんてない。
いかなる理由、信仰、方法であれ本人がもう満足してるんだからww それをどやこや言うたら侵害に当たるよな。 だって本人は幸せなんだぜ?
その辺でイチャイチャしてて幸せの絶頂のカップルにあなたたちは迷える羊だ!!って話しかけてるようなもんだからなw
さて、この473はどう言ってると思う? 自分自身決着がついてるのかそれとも分からない。迷ってるのか。
603 :
ベゲザンピーク:2013/02/12(火) 08:32:07.07 ID:dh/79sAr
印度って印度ならではだね。印度亜大陸には世界で一番自然に人口が
密集している。その人間たちが求めるのが多くは宗教というのだからね。
おそろしいもんだね。いろんな宗教が揺籃されているのは間違いないだろう。
もしまた生まれ変わったら最悪だなどという愚か者が集まって宗教以前の
宗教を形成してるのだろうね。でも世界宗教ともなると、宗教性に欠けると
かいう人がでてきて、宗教と宗教性をわけないといけないとかいう話しがで
てきては混乱する。
人間は他の動物と違って比較的早く死を「直感」するからむずかしいだろう
けど宗教なんてないほうがいいね。
人間のみが自殺する生物であるのは、人間においてのみ死が観念として対象化
されているという事実を端的にあらわす。
観念ではない現実の死など観念としてしか存在しない。
他人の死は自分の死ではないのだ。
自分の死についてはこれはもはや笑うべきものなのだ。自分がいないとい
うことなど、考えている当の自分にどうして考えることができるだろうか!
思考の真空地帯である。人間に自然的生存の為に余剰としてあるはずの精神
は思考することによって生物体としての死の恐怖、その錯覚を看破し得る。
宗教はその真空地帯にあたかも生の続きのように「死」を描く。
しかし、「生の続き」としての「死後」とはどのようなことでありえるだろう。
自分の死が観念としてしかありえないのだから、その「死後」も観念としてしか
ありえないのは自明である。
まあどうでもいいけど、外でタバコ吸うことにした。バケツはもう買ってあるし。
水でも張って火の用心だ。そんなこともわからん買ったのか俺・・・(独り言)
604 :
塩と味噌:2013/02/12(火) 09:16:43.61 ID:si4NB70T
>>595 そうそう。 瞑想があるうちは迷走。 坐禅があるうちは挫折 悟りがあるうちは煩悩。
そんでそういわれたら今度はそれはあなたが文脈を勘違いしてるとやりだすだろw
確固たる確信なくどうやって暮らすんだって話になるでしょ。
お前それ10トンダンプがこっちに気づかず突っ込んできても「これは確固たるものか如何なるものか・・」なんて出来るのかって話だよ。
あ!と思ったら身体がどないかしてダンプを避けるでしょ。 さけようとするでしょ。
その動きはなんだ 誰が動かしてんだってことじゃん。 他ならぬ自分以外ありえないでしょ。
それほどハッキリした世界を「分からん」て言い出すからね。 老師も仰ってたが、
湯のみを見せて「これが何に見えますか?」て聞いてもうーーーん・・・てなって何にも答えれない奴やっぱ来るんだって。
ハッキリ湯のみが見えてもそれを湯のみと呼ぶことをためらってるんだってw
人間ってのはそれほどに迷ったら現実も頭の世界も区別がつかなくなるものなんだよ。こいつがその典型。
>>603 しかしな それでも寺を訪れるものが後を絶たんらしい。
やっぱり「頭」を持ってしまったがために必ずいつの時代もそうやって迷える者が居る証拠だろう。
そのための人柱として禅師たちがいて宗教家が居るとは思う。 しかし悲しいかな人間。
己の生来の欲望にすら宗教は矛盾を引き起こす。
どんな宗教を頼ってもいい そこで決着つくならそれが一番。 決着がつかないものこそが最も宗教から離れた方がいい。
だからといって菩提をあきらめ切れないという人間も居るだろう。そいつらは勝手に修行してりゃいいんだよ。
決着もついてない分際で人様に文句言ってんじゃねーよって話だよなw 何があったって自分自身に全ては帰ってくるのに。
あーそうだな 外で吸った方がいいし病院行った方がいいな。 立ち入ったことは聞かんけど俺は母親が統合失調症でな。
恨んで恨みすぎて死に際に会えなかった。 なんてことしてしまったんだって後悔する時もあるよ。
死んでから色々と母親の愛を思い出す。 墓前で泣いたりはしないがな。
時々夜中に思い出して泣くくらいかな。 だからな勝手なこというが、生きてる内には大切にしてあげてほしい。
605 :
473:2013/02/12(火) 10:03:34.43 ID:mQK63EL6
≫いかなる理由、信仰、方法であれ本人がもう満足してるんだからww それをどやこや言うたら侵害に当たるよな。
その通りです。
その人が他者の侵害や上から目線の説教を始めて反論に合うのはその人発なのでどうしようもありませんが、
本当に静かにその人が満足をかみしめていてどうしてその人が他人からの指図や反論を受けるでしょうか。
まさに塩と味噌さんが書き込まなければ、もしくは謙虚に振る舞い他者や他社の意見の評価に慎重であれば、評価を受けることは減るでしょう。
それに、自分は満足しているが他人があわれに変に見えて気にかかる、とは外界に不満がある証拠であり、
要は満足していないということです。
満足って自分にとか他人にとかじゃなく、それを統合した人生そのものにでしょ。
自分に満足してると言って他人に憤慨してたら、その憤慨もまた事実。
606 :
473:2013/02/12(火) 10:19:30.16 ID:mQK63EL6
≫あ!と思ったら身体がどないかしてダンプを避けるでしょ。 さけようとするでしょ。
肉体がよけ、生存本能がよけ、反射神経がよける。
本来欲望や自我は関わっていない。
もちろんそこに自我を見出してドキドキすることもできるが、自己の肉体と生存本能の営みを見つめていることもできる。
>>569 >宇宙は動くから書き込みます。
だからさ、今は宇宙の一部分の人間の私が人間の君と話しているのはわかってる?
>あなたは川の流れに対して君はだれかと聞くのですか?
いや、今人間の君と話しているつもりだけど君は川なの?
608 :
塩と味噌:2013/02/12(火) 10:33:53.17 ID:si4NB70T
>>605 ん?お前は自分で分からんと抜かしたんじゃないのか。
そいつは他人から指図を受けたこともなければ反論されたこともないはずだが?
そいつは有りもしない妄想を見とるから妄想だよって言われただけなんじゃね?
おいおい本源に居ってそこで何ができるんだよ それが分かってないって言ってんねんw
その時々で不満になったり満足になったりしてるんじゃないか?人間だもの当たり前w
だからお前のは不自由だなって言われるんだよw
お前の話だと怒ってる人間はずっと怒ってないかんし
笑う人間はずっと笑っとかないかんなw 不自由だね〜。 人ってのはもっと変幻自在だよ。
お前みたいに自縄自縛しがちなんだけどなw 自分の考えで自分を縛るんだよな。
それにお前はオレ以外にもあれこれと言われとんのじゃないのか?w
ごくごく一般的な目であんた誰?って言われて宇宙だの訳わからんことほざいとんちゃうんかw
おいおいそれは後で観た様子だろ。
そんときその場に肉体がどやこや 生存本能がどやこやなんてあるかあほ。
反射神経が避けたって言わんとしてることは分かるが文法上おかしいよな。 いちいち言われな分からんか?
おいおい何を抜かしとんだ? その生存本能とやらは欲じゃないのか?お前それすらも欲なんだぞ。
やっぱりなw 自分勝手な概念を作り上げてるな。 単純な話をよくそこまで複雑に勘違いできるなw
身体が勝手に避ける それだけだよ。 そこに何もない。 ただ避けるんだよそういう時は。
そういう風にできてんだよこの物が。
それこそが手をつけてない証拠でしょ。頭スルーしてとにかくその場の様子に対応しとるでしょ。
そうなってんねん。 それを一と呼ばず一如って呼んだんだろ。
誰にも備わってるもんだろ。 ま、分からんかw
>>602 >この473はどう言ってると思う?
私は宇宙そのものとかあなたのイメージで存在しないとか言ってるね。
自分に話しかけるのは川に話しかけるのと同じだとか。
なら自分は誰と話しているつもりなの?とツッコミたくなる。
>>605 >まさに塩と味噌さんが書き込まなければ、もしくは謙虚に振る舞い他者や他社の意見の評価に慎重であれば、評価を受けることは減るでしょう。
塩と味噌さんて誰なの?
宇宙なの?川なの?君のイメージなの?存在するの?
君は誰と話しているの?
611 :
塩と味噌:2013/02/12(火) 10:47:59.51 ID:si4NB70T
>>609 もうねただの病気w こいつは見性成仏したのか大悟したのかと聞いても「分からない」と答えるw
んで、悟りを開いたと言えるのは禅の歴代の祖師と仏陀だけだそうだww んで話してるとどうも自分と祖仏や釈迦を同列にみなしてるらしいw
あなたは誰なの? 誰がそれ書いて話しかけてるの?って聞いても「473自身だよ」ってよう言わないww
ただ自分の妄想に矛盾をきたすのが恐ろしくて若しくは完全にイカレてて答えれないw
これを心の病と言わずして何を心の病としようww
めっちゃおもろいんだがもしかしたらあれかな? お笑い芸人かな?w
612 :
素人A:2013/02/12(火) 10:53:20.66 ID:KaGgB0Rf
538 名前:素人A :2013/02/12(火) 10:29:37.42 ID:KaGgB0Rf
そうやなあ我々生きているものは無常でないと生きていられない鴨。何時も永遠の太陽が照らしぱなし
では身も焼けて生きていられない?今仏性画生きていくには照らしたり隠れたりでまあよいのか?実は
あれから何故か孝子師匠のミストラルのゆうちゅうぶにすっ飛んで聞いたのだけど出だしの歌詞の
焼け付く太陽が歩道を焦がしているさ迷う二人をさえぎる様にが?になつてこのところがよくわからない。
太陽も永遠の真理を照らすばかりでは拙い適当に照らすのかと確かキャンベさんか言っていた師?
でまたあのミストラル 今はまだ眠っている未来に会う旅 涙がこぼれる時もこの手を話さずにイテテで
ミストラル
http://www.youtube.com/watch?v=jfT4fP7m7Nw
613 :
473:2013/02/12(火) 11:15:31.87 ID:mQK63EL6
≫瞑想があるうちは迷走。 坐禅があるうちは挫折 悟りがあるうちは煩悩。
ええ、同意いたします。これが起点である文脈したら。うつくしいですね。
これをスタートに私に投げかけるなら普通の始まりですが、異なる文脈で瞑想という言葉を使ってるところにこれを言うと、
ただ反論したいだけの機械だと思われてしまいますし、ほぼ独り言ですよ。
まだこのトピックを最初に提示するなら全うですが。なぜ異なる方便に対してぶつけるかな。
また宇宙云々も方便の話ですし、私はその境涯には達していません。
普段の認知パターンから外れて物事をとらえようとするお遊び、方便です。
私が覚者だと思われたがっているとは面白い解釈ですね。
自分の物差しで相手を見るとそうなるかもしれませんね。
614 :
473:2013/02/12(火) 11:16:59.87 ID:mQK63EL6
私は自我にとらわれています。
その自覚とともに道を一歩一歩歩んでおります。
そう何度も申しております。
615 :
塩と味噌:2013/02/12(火) 11:27:41.69 ID:si4NB70T
独り言な訳ないだろお前じゃなくてベゲザンにレス向けたんだからw
お前はそんなことより
>>610に返事した方がいいんとちがうか? お前のこと川だと思っとるかもしれんぞw
なんだ?逃げ腰なこと言ってないか?w お前なんでブーメランなことばっか言うてんのwここでも安堂スレでも。
>>597 確信などなく??? あやふやな文章なの? 自信ないの?なに人なの?何言ってるの?なに罪ですか?(ここまで0,5秒くらいで一気に言う)
おい迷走自我よw そんなもんありはしないよ。 自分を自分だとおもっとるのは幻なんだよw
616 :
473:2013/02/12(火) 11:44:50.38 ID:mQK63EL6
≫自分を自分だとおもっとるのは幻なんだよw
過去の覚者の伝記は、それをオウムのように言うのではなく、それを本当に見抜いた人間がどのように振る舞うかの尺度たりえます。
いろいろな人がいるので一概にパターン化できませんけれど。
反して塩と味噌さん。
あなたは普通の人間の、しかも傲慢で不公平な人間といわれる行動パターンを繰り返していますよね。
≫自分を自分だとおもっとるのは幻なんだよw
こんなことばオウムのように繰り返してなんになります。
それを本当に見出したのならそれを本当に見出した人間の振る舞いが付随しますし、それこそが禅の手本なのです。
オウムのように繰り返してそれをみんなで唱和するのが禅ではないでしょう。
617 :
473:2013/02/12(火) 11:50:47.36 ID:mQK63EL6
≫ベゲザンにレス向けたんだからw
もっとひどい。
2人で私の述べていないことについて論じているのだから。
618 :
473:2013/02/12(火) 11:57:02.66 ID:mQK63EL6
反して塩と味噌さん。
あなたは普通の人間の、しかも傲慢で不公平な人間といわれる行動パターンを繰り返していますよね。
≫自分を自分だとおもっとるのは幻なんだよw
とてもこれを理解しているようには見えません。見えないのですよ。
私の妄想の問題にするのかもしれませんが、一体どんな人があなたが
「自分を自分だとおもっとるのは幻なんだよw」
を本当に理解して、理解した人の生を歩んでいるとみなすのでしょうね。
473など他の誰かをを妄想キチガイに仕立て上げれば相対的にあなたが立派に見えるかもしれませんが、あなた単体を求道者がどう評価するやら。
あなたはわたししか見ていない。それも妄想キチガイとしての私を。
そうすると自分を見なくて済みますものね。
>>613 >また宇宙云々も方便の話ですし、私はその境涯には達していません。
だから方便とかいらないから普通の日本語で答えてくれる?
ここに書き込んでいるのが君で無いなら誰なの?
普通に答えられるでしょ?
なんでわざわざ話をややこしくするの?
>>618 >反して塩と味噌さん。
あなたは普通の人間の、しかも傲慢で不公平な人間といわれる行動パターンを繰り返していますよね。
ねえ誰にレスてるの?
特定の人間なの?
川なの?宇宙なの?自分のイメージなの?
621 :
473:2013/02/12(火) 12:38:12.76 ID:mQK63EL6
私とて自分にとっての不慣れなある避けがたい試練との関わりを徹底せず、手慣れた宗教談義に逃げ込んでいる。
622 :
塩と味噌:2013/02/12(火) 12:41:50.04 ID:si4NB70T
本当にお前は自分で遊んで泥んこになったくせに嫌だって泣いてるガキみたいだなw
まあ川に話しかけたくて2ちゃんに書き込む人っていままで見たこと無いのは確かだな。
624 :
473:2013/02/12(火) 13:54:04.89 ID:mQK63EL6
>>620 自我が自作ののイメージに話しかける茶番から脱して、
川として川に語りかける在り方が宗教で示唆されているように思います。
しかしそれは宗教が示唆したことであり、私の現実の在りざまではありません。
その投稿は自分の見解を交えず目に見えた事実だけを論じているつもりですが、
なぜ私がそれを論じるのかというとやはり自分に作ったイメージに左右されてです。
道の途上である私ですから。
>>624 君は無駄に話が回りくどいよ。
この場合「塩と味噌さんにレスしてます」で通じるでしょ?
それで塩と味噌さんにレスしている君は個人としての人間であってるの?
方便とかいらないから普通に話してくれる?
626 :
ベゲザンピーク:2013/02/12(火) 17:35:10.68 ID:dh/79sAr
まあいいんだよ。どんな目標だって。ところでがんばって書き込んでる割には
自我を一歩一歩こえているっていう自覚はあるのかよwwwwwww
>>624
627 :
塩と味噌:2013/02/12(火) 17:41:36.64 ID:si4NB70T
>>625 ああ、別に「さん」づけいらんでーw そんな偉そうなもんじゃないしな473と違ってw
ま、もちろん自分なりに自由にしたら言いと思うけどw オレは堅苦しいのは嫌だからここではタメ口だぜ。
仕事とか実際の社会生活では郷に入っては郷に従う。当たり前。
その普通の受け答えができない状態を自分で作っちゃいましたが473だからね。
それを指摘しても同じように訳分からんことほざいて煙に巻く。言葉の世界で暮らしてるから何が本当か分からなくなってきたんだよw
人に会えば人の方を向いて会釈をする。 「今言ったんだれや??」って聞かれたら「あ、はい僕ですけど」って普通の会話すらできないという状態ww
10トンダンプが細い道入ってきたら危ないからひかれないようにする。 幼稚園児がお母さんに言われてることですら
「これは一つの啓示です」みたいにやりだすwww ここであんたは誰?と聞かれても宗教が示唆したものらしいwww滑稽ww
628 :
ゼノン:2013/02/12(火) 19:40:17.39 ID:n36SSLPX
山と言われる何かがそこにあった。
海と言われる何かがそこにあった。
空と言われる何かがそこにあった。
それらを見ているものと言われる何かがそこにあった。
629 :
473:2013/02/12(火) 23:05:01.04 ID:mQK63EL6
妄想を重視すると、死ぬよな、すべてを失う
それでも妄想する?
その妄想を最優先しつつ、ぶれないで生き残ろうとすることもできる
が、楽しみの時間以外は地獄だ。仕事も退屈で地獄だ
さもないと飢え死にと人間関係一切の消滅という地獄が待ってる
快楽と妄想の生≒快楽の時間意外は退屈な仕事か飢え死に
欲望にはそれが見えない。
妄想のスイッチを消して仕事できたらと思うだろ。思ってた。
その後妄想に戻ればいいじゃないかって。
だけど、妄想のスイッチ切れたことは一回もない
あらゆる欲望、妄想は、いったん表層意識から引っ込んでも無意識に潜ってただけで常時稼働している。
本当に妄想が切れていたなら妄想が消えたスペースの分無条件の喜びがそこにある
純粋な喜びであり外界にその実存は左右されず来て去るに任せるだろう。
わざわざ妄想に戻ろうとはしないだろう。
妄想と欲望を捨てたらどうなるだろうというより、捨てられないし、止まったこともない。
今現在その影響下にある自覚すら希薄だ。
まず一回捨ててみることだ。もし捨てえたなら誰もが再び拾おうとはしなかった。
別に自分の妄想を探さなくていい。
思考に気づいていれば既存の思考が次々現れてくるから。自身の問題をわざわざ捏造してはいけない。
630 :
素人A:2013/02/13(水) 08:27:11.66 ID:8Dxghg7Y
寝たけどー起きて頭は空ネタが無い?此処は公案にに逃げよう。無門関二九 風でもない旗でもない
六祖さまは、風に動く寺の旗を、ふたりの坊ずが議論し、ひとりは旗が動く、ひとりは風が動くと、おたがいケリがつかないので
、いうには、「風も動かず、旗も動かず、人の心が動く!」ふたりはヒャッとした。無門がいう---------風も動かず、旗も動か
ず、心も動かねば、祖師さまはどうなるか?もしこの点をシッカリ見抜けば、ふたりの坊ずは堀り出しものをし、祖師さまはこら
えきれなくて、とんだソソウをしたとわかる。 私はネタが無いとハタハタと心は動揺するし毎朝起きると何でかネタ無くて
も書かなきゃ鳴らない掟だし?よくわからないけど゛物仏ままだ午前中だし今は冬だし心乱れるし、パクリかと言われてもネタ
ないし少し言葉を変換して行くか。悟りという言葉が或る空重いでばかり募るのか? まだ悟前だし悟りの思い出言葉梨の増水
でも旗で旗旗するけど争う事もなくあらそうかと傍観して眺めてる。
631 :
塩と味噌:2013/02/13(水) 09:14:43.12 ID:Knz1Je+q
お前のしてることは遠くて遠し。 そっちじゃない。
一旦2,3ヶ月くらい手をつけない生活すれば簡単に分かることなんだがな。
まぁ俺も何年も分からんかったけどw
無駄な時間を過ごしてる暇はないぞ。 死のカウントダウンは1秒すら待ってくれないんだからなw
632 :
473:2013/02/13(水) 10:33:32.17 ID:twhJ8Ajh
後悔は役に立たない。
後悔はこういう時こうするべきという指針を与えるが、次にいつそういう時が来るかは教えない。
そして後悔や用意は今目の前にあるものへの対応を遅らせてしまう。
またこうなったらと言ってもまたそうなるという願望自体が無茶なもの。望んでも全く同じシチュエーションは来ない。
起点が無心であればこそ今に対応した心が使われうる。
起点が何らかの心であったなら心は現実に対して誤って使われてしまう。
633 :
473:2013/02/13(水) 10:45:56.25 ID:twhJ8Ajh
他人が愚かだという夢を見て、自身の執着も恐怖も知らずに生き、死ぬときに後悔する。
かれらはただただ自分を知らない。
知ることはあまりにつらいのでそれから逃避しようとする。
自分自身を自覚しない方法は無数にある。
外を見ていればいい。他人でも、物でも、感覚でも。
社会的な価値観や宗教もその手法の一つだ。
しかし執着と苦しみが実際になくなっているわけではない。
逃避してもそこに歓喜は存在しない。
でも、死ぬその時まで現実逃避できるので安上がりではある。
死ぬその時に自分の現実と直面し、そしてまた生まれ変わって同じ生をおくるかもしれない。
だがそれもそんなに悪いものではない。ただ、逃避を繰り返すだけで特別悲惨ではない。
あえて自らが苦しんでいる事実に直面しその元を、その実在と不在を見極めようとする人。
人生に必須でないこの苦行を受け持とうとする人。
それが宗教の道を歩む人です。
≫そっちじゃない。
宗教はどこにも行きません。
私はどこにも動かないことを語っています。
動いている人から見れば止まっているものも動いて見えるかも
確かに菜食は瞑想に入りやすくなる。
だがトラウマの深い人間が菜食や瞑想を続けると逆にトラウマを深めることがある。
瞑想中に体験した素晴らしい世界と日常のギャップに苦しむのだ。
そういうときはガッツリ肉を食って運動したほうが回復が早い。
>>634 > ≫そっちじゃない。
宗教はどこにも行きません。
>私はどこにも動かないことを語っています。
誰が誰にたいして話しているの?
君が誰かにレスしているの?
それとも妄想が作り上げたイメージにレスしているの?
>>633 >かれらはただただ自分を知らない。
>知ることはあまりにつらいのでそれから逃避しようとする。
彼らって誰なの?
君の作り上げたイメージなの?
現実の人間なの?
何故君に彼らのことがわかるの?
彼らをわかっている君は誰なの?
>>629 >自身の問題をわざわざ捏造してはいけない。
↓
>>633 >かれらはただただ自分を知らない。
>知ることはあまりにつらいのでそれから逃避しようとする。
だからといって他人の問題をわざわざ捏造するのもいかがなものか?
639 :
473:2013/02/13(水) 11:58:05.24 ID:twhJ8Ajh
問いが違えば答えも違う。
全く違う人間が全く違う方向へ行こうとしている。
正しいの間違いだのはあるていど似通った人間が同じ方向性に行こうとしているからであって、
あまりに方向性が異なるとそういう比較する理由すらない。
共通点の薄い2人も使う言葉が同じだと同じ世界の住人だと勘違いしてしまう。
問題、解決、分かる、分からない、そもそも問題がある、問題がない、解決がる、解決がない。
どの言葉も、さしている内容に互いに大きな差があるように思う。
人は自分自身を知らない。(知らない人ほど自分のことをわかっているという確信をしているが)
自分自身のことを知っている人ほど、知らない部分を意識するもの。このあたりは逆説。
自分自身を知らないで言うことはなんであれ夢に等しい。
自我はあらゆる宗教ののの境涯の夢を見ることができる。
自我が自動的に動いているのを自分だと勘違いしている。
しかし、自分自身を知らないで生きることはできるのだ。
だから真実とは無用のものだ。それをあえて求める動機に至る人間は非常に少数だ。
というパラダイムで私は語っています。
他のパラダイムにしてみれば問題も解決も設定も何もかもむちゃくちゃに見えるでしょう。
だからいろいろ言われるでしょう。
しかし、私に限らずどんなパラダイムで生き、語ってる人も自分を見失わないことが大切でしょうね。
他者は全く違うパラダイムで自分と同じ言葉を使うので言葉は混乱させます。
自分の尺度からちょっと離れると、間違って見えていた相手が、あまりに違っていて縁もゆかりもない相手に見えてくるかもしれません。
640 :
473:2013/02/13(水) 12:00:41.90 ID:twhJ8Ajh
仏陀も同時代のマハービーラを否定していたと聞きます。
たとえ真実への道であっても2つあったら混乱してしまう。
その人はその人にあった道を歩むといい。
最後に道はないと見出すかもしれない。しかしそれは何か一つの道を最後まで歩んでのこと。
向いてない道を半端にやったり、複数の道に惑わされていたら、あらゆる方法に頼ることをやめるということは起きえない。
どうせ方便は捨てられる。
だから自分が、他の人が、その時最適な方便に打ち込めますよう。
捨てるのだ、というときはその方便を徹底的に歩んでのこと。熟さないうちから横から茶々を入れてはいけない。
むしろその方便の魅力を煽るぐらいでちょうどいい。
また、どんな人にどんな方便が向いているかはなかなかわからない。
自分のことすら人はわからないのだから。
応援したり、明らかに怪しかったら控えめに、「ちょっと僕には理解できないな」という程度でいいんじゃないかな。
641 :
473:2013/02/13(水) 12:04:50.09 ID:twhJ8Ajh
>>637 始めた私自身その方便はもう投げてるのにあなたが固執してどうするんですか。
リセットして普通に話せばいいのでは。
>かれらはただただ自分を知らない。
私も自分を知らない。
自分すら知らないのに≒宗教の伝統的な言葉
自分を知らない≒心理学でいう無意識
もちろんこれらを問題にしないパラダイムで生きて論じていいのですが、その場合無いもかもがすれ違いで語る意味がないですね。
このパラダイムは間違いかもしれないですが、私はそれを生きています。
強制はしないので入りたかったらどうぞ。
642 :
473:2013/02/13(水) 12:15:44.17 ID:twhJ8Ajh
≫まぁ俺も何年も分からんかったけどw
そうか。そうなのか。
賛成するというのはマインド。
賛成するとそれに魅力を感じて求めてしまうし、あなたと私はまりに違うので賛成すると私のすべての部分が違和感を感じる。
反対すると、今度は自分自身を知らないという事実を忘れてしまう。自分の無明を忘れてしまう。
傲慢さとはこのことか。見せかけの態度ではなくこれが傲慢さの本質。
実に失礼なことを皆様に申したものです。
賛成してしまうとまずいことになるとどうしても反対してしまう。
しかしどちらもしなければいい。
自我にはおとなしくしていてもらおう。
他者の達成に憧れる部分も、疑う部分も、両方ともお休みするといい。
ひとり。
それに真理を知らないのだから、何が正しいか、何が間違ってるかわからない。
何にも魅了されることはないし、反発することもない。さもないと自分を見失う。
ただ、師は人をその人自身に投げ返すよう計らっていました。
人を魅了するようなことはいわないし、憎悪を掻き立てるようなことは言わない。
どちらもその人の我を忘れさせてしまうから。
忘れられた我は好き勝手動いてしまう。
>>641 >始めた私自身その方便はもう投げてるのにあなたが固執してどうするんですか。
ではここに書き込んでいるのが君でないなら誰なの?
に普通に答えてね。
>リセットして普通に話せばいいのでは。
最初から普通に話してるでしょ?
>>641 >始めた私自身その方便はもう投げてるのにあなたが固執してどうするんですか。
もう一度
>>619を読んでね。
私は方便なんかいらないから普通に答えと言ってるのになんで普通に答えないの?
>>641 >始めた私自身その方便はもう投げてるのに
方便ね、では聞くけど。
>>517 >私が?
>ここ一連の表現スタイルが好かれないのは事実ですが、
>それは私ではありません。
これのどの辺が方便なの?
513で人は場に合った演技をしないと嫌われるが、その顔の数もコントロールも完全にはなかなかできない。
ある顔はある人に好かれある人に嫌われる。
その演じている役割が好かれようと嫌われようとそれはあなたではない。
その時限りのことなので好きな顔を選択するといい。
という始まりがありますね。
話題を変えれば普通に語りますが、この話題の延長上ですと普通に語れません。
それと、実際の私とあなたの想像する私の内面が違うという話もありますね。
外面は一致していると思いますよ。それは。
647 :
ゼノン:2013/02/13(水) 19:41:55.67 ID:PRR8Vupf
風と言われる何かがそこにあった。
それに触れられるものと言われる何かがそこにあった。
648 :
473:2013/02/13(水) 20:08:40.07 ID:twhJ8Ajh
固執、愛着、恐怖そのものである私が、固執と愛着と恐怖の無い何かを知ることができるだろうか。
それはどうしても不可能だ。
固執と愛着と恐怖が根っこにあったうえで無理やりその心の動きを止めようと努力して、
または何らかの気を取られるものを利用して恐怖なき境地を作り出しても薄皮一枚のものでその中身は相変わらずの愛着と恐怖だ。
あらゆる言葉にその愛着と恐怖を投影する。
私にとっては悟りという言葉に対しても愛着と恐怖でいっぱいの人間の逃避先の概念として意味を見出すほかはない。
自分はまさにそれであるのだ。
そうでない何かを見出すことはただただ不可能なのだ。
そうではないものになろうとすることは不可能だ。
そしてそこからは、、。
649 :
473:2013/02/13(水) 21:19:53.43 ID:twhJ8Ajh
執着と愛着がある自我でありながら意識があり理性がある。
そういう人間はこの世と合わないし、この世に溶けられない。
悟った人は溶けているので無問題。
この世では比較的まともな人は気が狂う。
一緒に狂うか、自我から脱出し世界に溶け去る他ない。
そこが難しい。
自我を丸投げする前に、自我の影響下にありつつも意識と理性を獲得してゆくのであるが、
そうなると今まで自分もその一部だった世界の狂気と直面することになる。
比較的まともな自我と言っても自我は自我だ。異なる自我の集団とうまくやってゆくと言っても限度がある。
というのも比較的まともな自由な意識ではなく、比較的まともな不自由な自我なのだから。
しかも一度入ったらもう戻り方はわからない。
ある程度目覚めてしまったら眠り方は思い出せない。
宗教は危険だ。
この危険な部分に足を踏み入れる前にあらゆる準備がなされておくべきだ。
oshoもグルジェフもその点非常に気を配っていた。
650 :
神も仏も名無しさん:2013/02/13(水) 22:00:29.10 ID:aWM+QTb/
この473という筆者は何を言いたいのだ?というより言いたいことしか書いていない。
まずそこがおかしい。だから文章につながりが欠けるというか・・まとまりに欠けるというか・・
おかしな飛躍があるとか・・自分では気づいていないようだが・・
だれしも、そこでその文章が配置されるべきとき思う「なぜ」という観点がぬけているからだ。
尊敬を得たければ何より謙虚になることだ。投稿するまえにまず、「題」を書いてみてはいかがですか?
651 :
473:2013/02/13(水) 22:54:08.19 ID:Hf75hB+w
>>650 >「題」を書いてみてはいかがですか?
自分で何を書いてるかわかってないため不可能です。
652 :
473:2013/02/13(水) 23:40:01.34 ID:twhJ8Ajh
矛盾する欲望に板挟みになっている。
どちらかの欲望がかわるがわる主導権を取る。
矛盾が苦しいからどちらかだけに統一したい。
が、両方の欲望にとらわれているのであり両方の欲望に対して無力なのだ。
だから当然片方だけを恒久的にを選ぶことはできない。
そもそも肉体、感情、理性、各々の欲望があるからこそ人間なのであり、
1つ2つに限定されてしまったらもうそれは人間ではなくもっと単純な何かになってしまう。
欲望で欲望を制することはできない。
無意識の精神分裂が増えるだけのこと。
気づき、くつろいでいれば、おそらく非本質的な欲望から消えて行き、その分自由闊達な動きが現れてくるだろう。
653 :
塩と味噌:2013/02/14(木) 05:38:59.28 ID:4mOLkZdo
俺の紹介がいやなら自分で禅寺探して行ってみたら?
自分が鎮まらないと見えないことがある。 千年以上もこの道に打ち込んでるんだからやっぱりそういった環境、修行が用意されてる。整ってる。
私語を一切しないから自然と鎮まる。 寺はただ坐禅しにいくところ、修行しにいくところだからね。
バカみたいな値段のお布施とるところはやめたほうがいい。
一泊3000円程度でいい。 真剣に打ち込めば普通1,2年もせんうちに分かるそうな。
まぁ俺もそう思う。 坐禅するとね。 騒がしさにビックリする。 こんなにも騒がしかったんだって。
普段から実は騒がしいんだが自分が活動してると気づかない。ほぼ気づかないと言っていい。
だから自分が無くなるまで自分を鎮める必要がある。 それが坐禅であったり、公案であったり、作務であったりする。
こんなところで雑行してたらいつまでたっても分からない。 ことさらに普段と違うことしないと。
だって今までの社会生活の中から人間が生まれて社会生活の中で問題が生じて悩んでるんだから。
今までどおりにして分かるわけが無いのは自明の理。
654 :
素人A:2013/02/14(木) 07:38:52.08 ID:EfkTH7cr
此処へ来る前ノスさんは自転車でMD聞きながら黒い帽子で飛ばして2ちやん来たのか、初めて来た2ちゃんは輝いて居たのか?
私がふらりとさとりスレ2ちやんに来たときはみんな悟った人ばかり鴨で私一人迷って盲うろうろ夢中で゛ぽ師匠だす公案に
まあよいこたえばかり答えていたつけ、師匠も今はあれで時々あれあれ凄いと思うけど、なんかむかしはみんな輝いて居たし?
いまは冷静に新鮮な時は何でも輝いているのだとか理解して?それはまあよいか?だらけているのか?迷っている時が一番輝い
ているようでは拙いだろう。思うようにならない事ばかりそんなものだと思うばかりの今思うようにならないまあよいか?
恥は真理何だろう今の一歩は初心に帰る事も?悟りの中一人で迷っている夢中は帰って来ないけどまあ色々アラーな有る苦か
法華転法華 十方全世界の仏国土は、悉くダンマの華開く所である。十方三世の一切の諸仏、いいかえれば、究極の悟りに達し
ているものは、この全仏国土において、ダンマの華を降らしつづけている。あるいは逆に全身ダンマの華に埋もれている。これ
こそ、本来菩薩道であり、それは無始無終、不退転であるということである。諸仏の智慧は、はなはだ深くて、量り難い。それ
ゆえ証入することは難しいといいながら、そのまま安らかで平穏である。・・
655 :
473:2013/02/14(木) 10:42:03.73 ID:QaQ7VYhK
≫私語を一切しないから自然と鎮まる。 寺はただ坐禅しにいくところ、修行しにいくところだからね。
長時間留まるわけではないですが、そういう場所には週何度も通っていました。
もしくは、3か月掃除ばかりする宗教の合宿に参加して独り瞑想していたこともありました。
ただ、今となっては技法は興味が愛ので環境の変化一点で禅寺もいいかもしれません。
実際そういう環境にいればなにがしか静まります。
ただ、
僧院の中では3日断食できても市井に戻ると1時間も我慢できない。という古いフレーズもあります。
外界に助けられた静けさは静かな夢に近く、世間に出るとぼろが出てしまいます。
しかも僧院の中だと欲望が静まるのですが、問題は欲望を発見しにくい、抉り出しにくくなってしまうのです。
≫千年以上もこの道に打ち込んでるんだから
これはなんとも。祖師の悟りが代々伝わっていないと法脈としては死んでしまっています。
代々悟った弟子が引き継ぐということは起きにくいです。
20世紀の覚者5人ほど知っていますが同等の弟子は一人もいません。
でも、悟った後継者がいようといなかろうとまあピンキリかと思います。法脈がある程度生きているか、死んでしまっているか。
いいところはいいしひどいところはひどいでしょう。歴史と関係なく。
≫作務であったりする。
単純労働と自由時間だけの生活も長かったですが、結局自分の自我の根本的なところは手つかずのままだったんですね。
というか手の着けようがなかった。やることがないから静まってるんですけど、決して死んでいない。
再び世間に帰ったとき、昔と違っていろいろ吸収できるようになっていましたし、自分の自我の問題の正に中核と向き合うことにもなりました。
出てくるんですよ。眠っていた欲望が。
前と違うのはそれにある程度まきこまれないで抵抗しないで見ていられるところ。
一度世間と隔離しないと隙間も見つからないというのも本当ですし、世間にさらされないと外界に影響されている自分のパターンに気づけないという面もあります。
これはその人に合った割合とタイミングがあると思います。
メリハリがあるといいんでしょうねえ。
ちょっと雑事から隔離されていた時の感覚を利用してみます。
外で瞑想するだけでも違うんですけどね。
656 :
473:2013/02/14(木) 10:49:22.39 ID:QaQ7VYhK
≫だから自分が無くなるまで自分を鎮める必要がある
あくまで自分にとっての定義ですが、
自分の欲望をコントロールして鎮めてしまうことと、(僧院の雰囲気と座禅で)
目覚めて自分が存在しないことを見出すことは違うかなと。
これは自分を作ってしまわないように覚めているということですね。
また、主体が存在しないと客体も存在しないと思うのです。
自分の体も他人も外界も存在しない。(認知においてですよ)
主体がないから客体も存在しない。
私にとって自分が無いとはそういう意味になります。
自身の体でも他人でも客体があるうちは主体である自分は生きています。
いないような気がしても生きてるのです。
全体があるだけ、宇宙があるだけで個は存在しないという私の(謎の)言説の背景です。
このあたり信心銘のソウサンのスートラです。
657 :
ゼノン:2013/02/14(木) 19:07:23.08 ID:aJaTnik6
花と言われる何かがそこにあった。
影と言われる何かがそこにあった。
光と言われる何かがそこにあった。
踊りと言われる何かがそこにあった。
それらを見ているものと言われる何かがそこにあった。
658 :
塩と味噌:2013/02/14(木) 19:28:12.88 ID:4mOLkZdo
>>654 何年くらい2chいるの〜?
>>655 自分で出来るならそれが一番だけどね。 お金もかかんないし。
西行はあたりを俯瞰できる景勝地を避けてかえって森に覆われてる所で庵を結んだらしいね。
うん。なんだろうな。 静かてのが良いってことじゃないけどね。 気づくための支援みたいな感じかな。
実際こんな騒がしいんだからねw 俺なんか本当によく大渓谷とまでは言わんけど大自然に行く。騒がしいなんてもんじゃない。
ふと訪れたダムの近くに月譚和尚の妙心寺派のお寺あったけど誰か全然しらんw サンショウウオが出るようなところなんだけどね。
ん〜欲望はあってもいいんじゃないの。 とりあえず善悪是非を管することなかれって先輩も言ってんだしさ。
そいえば禅では人から人に伝道するって言わないなー。 仏から仏、法から法に伝法するって言うな。なんせ作務は六祖のひ孫の時に一日の活動の重要な項目として加えられたみたいだね。
そうそう。巻き込まれないで引きずられないで手をつけずにいる。 手をつけずに居ると手の付いてないなんとも言えんものがある。
無心って言ったりする人もいるけど 俺はこの大袈裟感が人を悩ませてると思うんだよなー。
完全にそれをして落ちたら全くそうしてる意識なんてない。 まったく分からん状況。そこからの一念。
ここまで記憶を頼りにしてるが記憶は途絶える。 完全に空白がある。
あると言ってるけど全く自信がない。 なんせ覚えてない。無心。
無心からの一念 ここが大事。 ここに自性を見るポイントがある(ポイントとかないけどあくまでw)
もちろん仏縁が熟してないといけない。 全ては縁起なんだから。重々承知してると思うけどw
659 :
塩と味噌:2013/02/14(木) 19:55:55.13 ID:4mOLkZdo
>>656 うん??欲望って坐禅や瞑想してるときあるん? ゆうたら一日40分 1時間半程度のことだよ。
そういえば知り合いは坐禅してたら息子が・・・って言ってたけどw
たったそれだけの時間の間、自分を鎮める→自分がなくなる(表現は間違ってるがこういう方が分かり易いかなと)
その全体もさ。宇宙とか世界とか自分が認めちゃってるものじゃないんだなこれが。
ちがうちがうもっとちっちゃいw 自分の身体(これも認めてるから厳密には違う)
オレもここでっかく勘違いしてた。 長さでいうと20年くらい勘違いしてたなw
最初のね、 至道無難 ゆいけんけんじゃく たんまくぞうあい
とうねん明白 ごうりうさ てんちけんがくってあるやん?
あれ坐禅だね〜。 たった一本の髪の毛でさえ 天と地の差が生まれるってね。
つまり徹底的に自分を無くす 一旦、人間をやめて来なければいけない(大袈裟な表現だなこれ ようは無心になればいいだけw)
40分、1時間そうするだけ。その間だけね。
オレはそれじゃ分からんかったら毎日一日中徹してたかもな〜。
もちろん寝たりしたけど本当気を失うまで坐禅なんて何度もしたw みんなしてるよそんな苦労w
もちろん坐禅だけしてる訳にはいかんから前に言ってた一行三昧。目の前のことに集中する。
オレは定力がないから坐禅はフルでやっても6,7時間くらいしかできん。
主婦でも朝から晩まで坐禅してたったの5分しか経ってないかと思ったって話もあるってのにw
660 :
473:2013/02/14(木) 20:22:00.02 ID:QaQ7VYhK
覚者は外形として起きたことは当然記憶しているけど、真理そのものリアリティーそのものは絶えず今に属するものであり記憶の対象たりえないと言っていたなあ。
その記憶不可能なものを記憶しようとするのは自我であり、その記憶不可能なものの方がむしろ自分なんだと。
思考が薄れその記憶不可能な現性、自性に近づいた時、その現性、自性を体験として記憶してしまうと自我はより肥え太って、元の木阿弥になってしまう。
むしろそれを記憶しようとする方が静まって、現性、自性のほうが主人として今あり続けるのが現性、自性の指し示すことかと思います。
性、ですから対象というより身に備わること。
自性は今生き続けているものだから記憶の中に見出すものではないし、自性を見るとは自我が自性をみるというより、
自性において自我を見る方が近いかもしれません。
自我が居座り、自性であるという一瞥ではなく、「自我による自性体験」を誰もがします。
これを何度もしてそのトリックにうんざりした人だけが一瞬でも自我を引っ込めて自性であることの一瞥を得ます。
得たとしてもようやく道を歩むための意識の隙間を見出したにすぎずここからが長い、、。
自性を見る。自性を見出していない状態からはそういうしかない。
しかし、自性は見られるものではなく、むしろ見る側ではなかったろうか。(見性)
その空白が今あなたの中心にあれば、、といってもこれも微妙。それも内が空そとは有という体験(夢想)にすぎない。
本当に内側が空白の時外側も空白だろうから。
なんとなく、自分は真理は対象ではなく過去にも未来にもなく今生きているあなた自身だと言われていたを忘れていると感じたのでした。
≫欲ですか
起きえないことを望む欲望はつらいもので、これは借り物の知識としてでなく実感としてやばいのです。
が、やばいにかかわらず欲してしまうそんな人間らしさを受け入れればいいかもしれませんね。
で、人には押さえつけた欲望がありまして、押さえつけたままだとそれを受け入れることもできないので
まず出てきてもらうために世間がったり宗教の技法があったりですね。
欲は悪いというのでなくそれが本当になんであるか見れば誰もが手放すものと聞きます。
よく見るだけの覚醒がないから欲の約束に騙されて欲が作ってる苦しみに気づかず、真理も見過ごすと聞きます。
≫巻き込まれないで引きずられないで手をつけずにいる。
手を付けてしまうということは期待するということ愛着することでしょうね。
行動は不自然なものではなく、成り行きに従って起こることなので行動自体は問題ない。
期待があれば不安があり、愛着があれば失望がある。目的があれば失望がある。
そもそも自分の生活に期待や愛着や目的がある時点でおもいきり巻き込まれていないだろうか。
うまくいくよう期待し、うまくいったとき喜ぶ。
それでいて失敗の不安から自由でいたいとはあきれた望みだった。
662 :
473:2013/02/14(木) 20:40:25.99 ID:QaQ7VYhK
≫欲望って坐禅や瞑想してるときあるん?
いわゆる表面的な欲望は主導権を握れない時間ではあります。
あれが欲しいこれがほしいのもっとも表層的な現実逃避は出てきません。
けど、死を嫌い、お金を求め、安心できる対象に依存したい自我、根本的な方の欲望(でも「必要」「ないなら開き直り」ではなく「欲望」「不安」なのです)
そしてそういう自我による世界認識は静まっていません。
このことをまとめて自分は欲望と言っています。
私の場合ほぼ欲望≒自我ですね。
≫つまり徹底的に自分を無くす 一旦、人間をやめて来なければいけない(大袈裟な表現だなこれ ようは無心になればいいだけw)
40分、1時間そうするだけ。その間だけね。
本当に辞められてたら誰も人間に戻ろうとはしないと思う。
自分が無くなった体験、ではなく、無である自分が起きている間中ついてきて物事に巻き込まれにくくなってるとすれば、それが本当の恒久的な成果だと思います。
最後には寝ている間も24時間だと聞きます。これについては真偽を確かめられず、「へえ」ですが、仏陀の伝記などにはありますね。
663 :
塩と味噌:2013/02/14(木) 20:59:23.93 ID:4mOLkZdo
誰しもが当然知ってることなだけなんだけどね。
まぁおよそ思考することができる人間(できない人間は知らない 居れば植物状態だろw)
であれば自身の騒がしさによってそのことに気づかない。
見ようとすれば見れず 気づこうとすれば気づかない。
オレは決着ついたという者には何も言わない。 悟りなんて縁のない人間には一切言わない。
唯一 「自分は未だ悟ってない」という者にしか言わない。
オレ自身はどうか? これでいい。これでいいもわるいもない この通りしかない。
ただただ、老師にお会いできた事は一生の大事だった。 まぁまた会いに行くがw
664 :
塩と味噌:2013/02/14(木) 21:20:34.62 ID:4mOLkZdo
うん 体験自体に用はない。 自我や思い込みなどは本当は無い。
事実ってこの感じてるものですか? つまんないですねって奴もいたけど、
「事実」とか「体験」って捉え方の上で考えちゃってる様子だよね。
それじゃまた自我の罠だよね。 そうじゃなくて「思う前にあること」
それを無我ってったり無心ってったり一如って言ったり。
一生懸命言葉にしようとしてる努力は見られるんだけどそんな不自由なもんじゃないよね。
言葉にしようがない。 言葉にした途端ちがう。
思う前っていってもほんと間髪入れず人間って思ったり認識する訳だから普段どおりしてたら絶対わからんw ま、中には天然で分かる人間もいるらしいけどそれじゃ捕まるねって話。
665 :
473:2013/02/14(木) 21:27:21.68 ID:QaQ7VYhK
その通り、その通り。
それに良い出会いだったんだなあと伝わってきます。
>>646 >ある顔はある人に好かれある人に嫌われる。
>その演じている役割が好かれようと嫌われようとそれはあなたではない。
私が私でない瞬間など一瞬もないね。
本来一つである私を
「それは私ではない」
などと言うのは自我の分割癖だな。
667 :
473:2013/02/14(木) 21:37:40.45 ID:QaQ7VYhK
>>664 「思う前にあること」
は言葉で表せないけどそれを見出すための方便ならありますね。
ただ、総合的な態度や振る舞いでそれをどの程度見出しているのかは露わになります。
それは同じ意識が無くても感受性があれば差異は感じられます。
≫事実ってこの感じてるものですか?
とは人はいうんだけど、本当に事実に留まったら「思う前にあること」が働きだし、古い意味のいわゆる事実は消えてしまう。
というより事実に留まらないとどうしても「思う前にあること」がすでにあることに気づきようがない。
だから逆に「事実に留まる体験をすること」を目的として勘違いしている指導者も危険ですね。
一つの冗談だと理解している気楽さと意識が無いと、、。
方便として語られているものを見たと言ってる人は思いで方便を真に受けているだけであって、
そんなものを持っていくと師にこっぴどく叱られたという伝統があります。
>>646 >話題を変えれば普通に語りますが、この話題の延長上ですと普通に語れません。
それは君の勝手な都合だな。
私はそのルールに同意した覚えは無い。
↓
>>641 >リセットして普通に話せばいいのでは。
しかも君から普通に話せと言っているのだがね。
>>666 ≫その演じている役割
その時はその瞬間あなただったかもしれない。
だけど今は全く違う形だ。
無限に変わり続けるあなたの外形の「無常であるさま」をあなたというのも、
不変のあなたの意識をあなたというのもどちらも同じ意味です。
しかし、瞬間的な役割が恒久的に自分なのだとそれに愛着すると、
様々な気苦労が出てきます。
その役割への他者からの評価にも一喜一憂しましょう。
>>668 私の提示したパラダイム無視したレスはお相手しかねますよ。それはこちらの自由ですので―。
あなたが話したいパラダイムを提示してください。興味があれば入りますので。
>>669 >その時はその瞬間あなただったかもしれない。
だけど今は全く違う形だ。
その理屈なら
>>666は既に今の私では無いね。
あなたは既に存在しない幻に話しかけていることになる。
それもまた記憶を私と分ける自我の分割癖だな。
>>670 >私の提示したパラダイム無視したレスはお相手しかねますよ。それはこちらの自由ですので―。
最初に「君じゃ無いなら誰?」
と質問したのは私だよ?
君は普通の質問に普通に答えられないのかな?
673 :
473:2013/02/14(木) 22:14:17.06 ID:QaQ7VYhK
あなたの質問は510からのトピックに対するレスなんですよ。
だから510からの流れでお答えしました。
510からの流れが無かったら、「君じゃ無いなら誰?」なんて質問がどこから出てきたのかな。
≫最初に「「君じゃ無いなら誰?」
え?最初に質問したの?
それまでの私の書き込み関係なく。
最初というのはこの質問の背景にある私の書き込みでしょ。
いきなり何の前提もないところから「君じゃ無いなら誰?」とか聞かれたら謎すぎます。
674 :
473:2013/02/14(木) 22:16:23.17 ID:QaQ7VYhK
≫その理屈なら
>>666は既に今の私では無いね。
あなたは既に存在しない幻に話しかけていることになる。
全くその通り。
幻と解って遊ぶのが仏陀なのでしょうねえ。
幻に固執したら目も当てられない。
>>673 >え?最初に質問したの?
>それまでの私の書き込み関係なく。
このレスへの質問だね。
↓
>>517 >ここ一連の表現スタイルが好かれないのは事実ですが、それは私ではありません。
では誰なの?
という質問を私が最初にしたね。
>>674 >全くその通り。
幻と解って遊ぶのが仏陀なのでしょうねえ。
君は仏陀なの?
>幻に固執したら目も当てられない。
それもまた自我の分割癖だな、幻もまた私なのだ。
固執もまた私であり固執しているときは固執しているのだよ。
677 :
473:2013/02/14(木) 23:18:25.83 ID:QaQ7VYhK
517は510の一連ですからそれに基づいた答えが来ますよ。
517に対して質問した場合、510−517のパラダイムで答えが返ってきます。
素で「あなたはいったい何者ですか」と聞けば「最初」ともいえますけれど。
あなたは監獄からは抜け出せないだろう。
まったく油断なく在ることだけが、監獄から抜け出す唯一の方法だ。
その油断のなさにおいて、あなたは結晶化し、そのなかであなたは定まる。
まさにその定まり(センタリング)があなたを現実の核心へと連れて行く。
そしてその体験があまりにも至福でみちているために、あなたはこれ以上泥棒ではいられなくなる。
あなたが必要とし、それまで望んできたものはすべて満たされるからだ。
実際、今ひとりでに降り注いでいるほど多くを求めた事はまったくなかった。
誰が泥棒でいたがるだろう?何のために?誰が人殺しになどなりたがる?
何のために?殺人など想像もできない。なぜなら、もう何も殺せない、すべては永遠だとあなたは知っているからだ。
それは無駄な努力だ。あなたは何も殺せない。せいぜい、衣服を取り去られるくらいで、内なる実存は続いていく。
ひとたび自分の内なる実存を見たら、その気づきの光のなかで、あなたはすべての実存を目にしている。
それが永遠だ。
679 :
473:2013/02/14(木) 23:28:47.16 ID:QaQ7VYhK
欲望に気づいていないと(いわゆる気付きから見性までいろいろ)欲望は見性を見失わせてしまう。
気づいていれば欲望は存続しえない。
必要な計らいは残るが欲望は気づきと両立しない。
欲望を否定したりことさら悟りを求めずとも、気づいてさえいればだんだんと虚偽は消えてゆく。
欲望と戦わず、でも欲望に巻き込まれず、気づきを大切にする。
気づきを宝にする。
あるがままの自分、あるがままの欲望を愛する。
愛を持って気づく、すると欲望に巻き込まれることは減り、計らいが増えて行く。
しかし、欲望は自己保存に密接につながっている。
だからこそ欲望は必死で気づきを征服しようとする。しかし気づきは欲望と戦ったら負ける。欲望にただただ気づき、愛し、見守ってこそ。
その執着と不安から解放されるのは生半可なことではなく、その人が全く変わってしまうことを意味する。
全く変わるのでなければその執着と不安、泥棒性が消えることはない。
お金を儲けようと深刻に考えることと泥棒において心理的、実存的に差はない。
680 :
473:2013/02/14(木) 23:54:27.40 ID:QaQ7VYhK
≫それもまた自我の分割癖だな、幻もまた私なのだ。
過去の姿≒幻を私だと思っているということですね。
私はそう思いませんし、宗教ではそれは違うと言います。
姿は無常であり、今があるだけだと説きます。
≫固執もまた私であり固執しているときは固執しているのだよ。
それもまた別のパラダイムです。
679があなたのおっしゃることに近いかと思います。
私は複数の側面、パラダイムで語っています。
だから前提となるパラダイムが異なることを読み取らなければ、私の言説はほかならぬ私の言説で否定することになってしまうでしょう。
言葉はせいぜいものごとの一面を語れるにすぎません。
固執と戦ってはいけないというパラダイムはありますが、固執することとしないことというパラダイムもあって当然のことです。
仏教も苦の克服と、苦は存在しないという矛盾し合う異なるパラダイムを持ちます。
>>680 >過去の姿≒幻を私だと思っているということですね。
>姿は無常であり、今があるだけだと説きます。
だから過去を思っているときはそれが今の私なのだよ。
その過去の記憶と思っているものも今体験しているでしょ?
つまり今しかないのだよ。
>>680 >私は複数の側面、パラダイムで語っています。
一つのテーマは一つの思考の枠組で話さないと会話は成立しないよ?
私が日常的な意味でここに書き込んでいるのが君じゃないなら誰なの?
と聞いているときに宗教の方便を語る意味があるの?
683 :
473:2013/02/15(金) 00:29:41.50 ID:n5qcZmnc
それは過去の自分の姿に執着する思考こそが私であると思えばそれも今ということになるでしょう。
が、私の言う今は「過去の自分の姿」の過去に対応する今なのであなたはやはり話を全くそらしています。
今私は、過去のある形への執着、自分の過去へお執着で、今働いている本性を見失っている。
今過去に執着しているからと言って、今働いている生きた本性、リアリティーの働きに溶け込んでいるということにはならないのです。
あなたの言う意味なら確かに今しかありません。
しかしあなたの言う意味はあらゆる今を包括するのでじゃあどんな今なのかが問題になります。
≫だから過去を思っているときはそれが今の私なのだよ。
その過去の記憶と思っているものも今体験しているでしょ?
つまり今しかないのだよ。
あなたは全く意味のなっことを述べているように思う。
この3行からいったい何を取ればいいのでしょう。
ニヒリズムだけは伝わってきます。
≫ここに書き込んでいるのが君じゃないなら
どう考えても私の宗教的な書き込みに対しての質問では。
宗教的な書き込みに日常的な意味で質問しても無意味ですよ。
>>677 >517は510の一連ですからそれに基づいた答えが来ますよ。
つまり
>>510で
>私に話かけている人々が若い年代の人や女性に好かれているとはとても思えない
とレスしたのは君じゃ無いということなの?
>>683 >私の言う今は「過去の自分の姿」の過去に対応する今なのであなたはやはり話を全くそらしています。
だからそれは一つのものなんだよ。
>>683 >あなたは全く意味のなっことを述べているように思う。
>この3行からいったい何を取ればいいのでしょう。
>ニヒリズムだけは伝わってきます。
今は今だと言っているだけだよ?
>>684 >どう考えても私の宗教的な書き込みに対しての質問では。
いや、
>>517の>私が?
ここ一連の表現スタイルが好かれないのは事実ですが、それは私ではありません。
にたいする質問だよ?
689 :
素人A:2013/02/15(金) 07:27:33.06 ID:UQSJQiyu
まあ色々或る空あまあ良い経も或る苦野鴨法法華今日(
>>654続き)あるいはまた、文殊はすでに仏となって、大海の仏国土は、
ただ仏と仏との、ありのままの世界である。あるいはまた、釈迦むに仏は世に出現して、ただ一人この全世界を知悉しているが
、実は十方諸仏もまた、同様に世に出現している。このことは、いいかえれば、釈迦むに仏も十方諸仏も、全世界を知りつくし
、衆生をして、目覚ましめ、悟らしめていることにほかならない。あるいはまた普賢菩薩はダンマの華降りしきる不可思議の功
徳を成就し、深大にして久遠なる究極の悟りを、この現実世界に弘め尽くす。そして普賢みずから、大小のさまざまな草木を生
み出す太地となり、またそれらの草木をうるおす雨となる。このように普賢は、ダンマの華降りそそぐのを、みすからに知らな
いままに、ひたすら行じて、成就するのみである。しかるに普賢の働きがまだ終わらないうちに、釈迦仏による霊鷲山の大法会
が始まっている。普賢があちこちに往来している姿を、釈迦仏は、みずからの眉間の百ごうから放たれている光明であると証さ
れる。釈迦仏の法会が、まだ半ばも至らないうちに、文殊はすでに付度して、弥勒はやがて成仏して法華を説くであろうと予言
する。このように、普賢も、諸仏も、文殊も、大会も、いずれも「始めも善く、中も善く、終わりも善き」ダンマの華開くのを
洞察する究極の知見であろう。だからこそ釈迦仏は「ただ一乗をもって一大事となす」という説法のために出現したのである。
しかもその出現そのものが一大事であるから「ただ仏と仏とのみ、すなわち能く諸法実相を究尽す」となるのである。その法は
まぎれもなく一仏乗であって、ただ仏は仏を究めしめる。過去七仏は、それぞれ仏みずから究尽せしめ、そして釈迦むに仏とし
て成就せしめるのである。・・
690 :
473:2013/02/15(金) 09:40:11.43 ID:n5qcZmnc
欲ゆえの苦しみが消えるということは
欲ゆえの喜びが消えてこそ。
自我の求めるような解決はどこにも存在しない。
コインは両面捨てるしかない。
いくら片面だけ捨てたいと思っても。
真実に身を任せるつもりでいても実際にはコインの片面である喜びにしがみつきつつ、苦しみを避けたいと思ってしまう。
それは過去から引きずっているクセ。
691 :
ベゲザンピーク:2013/02/15(金) 12:04:16.92 ID:k0v1bx/G
苦しみは避けるもの、楽も避けるもの自分甘やかしていたらろくなことない。
人間は自分を少し超えたところで励んでいるのがいちばんいいのだ。
692 :
473:2013/02/15(金) 17:06:49.08 ID:n5qcZmnc
楽を避ければ苦を避けることにもなる。
その注意深さとバランス感覚の美しさよ。
楽を追うから物事が苦しく感じられるともいえるし、楽を追い求めるような不注意さは
背負わなくていい苦労を回避できなくする。
いや見事。
そこから様々な知恵を見出しこそすれ付け加えることはなにもありません。
なんか、話の流れを読まずに質問しちゃいます。
・縁起(えんぎ) ― 事物(じぶつ)が関係的存在であることを仏教では「縁起」と呼ぶ。
事物が無常であり、相之相関(そういそうかん)の状況の中で生起(せいき)することが
存在の真相であるならば、いっさいの事物は独立し、固有の実体を持って存在しないこととなる。
と、ある本に書かれてあったのですが、
おなかをすかしている者に対して縁起の話をして、固有の実体を持って存在しないのだから
あなたの空腹はまやかしですよ。っていうのもどうなのかな?
ゴータマ・シッダールタは空腹になってどうしようもない時にスジャ−タから乳がゆを食べ
させてもらったっていうし。
その時はまだブッダ(目覚めたもの)ではなかったかもしれないけど・・・
縁起を理解すると空腹を超えられるようになるのかな?
どうか教えてください。 +(0゚・∀・) + ワクテカ +
アホか、断食したら三日目から食欲感じなくなるぞ。
食費の節約にもなるから、ぜひ断食ためしてみなさい。
それと縁起は、子供にはまだちょっと早いと思う。
695 :
473:2013/02/15(金) 19:01:16.87 ID:n5qcZmnc
私が空腹の人の側なら、同じようにあなたのお金やあなたの所有権はまやかしなのでどうぞ寄付くださいと言います。
空腹がまやかしであり、生がまやかしであり、死がまやかしであり、
けどまやかしとして生物は食べます。
食べることを否定するのではなく、まやかしとして食べることがあります。
食べないことは単に起こりえません。生物の本質に反していますから。
そしてこれらがまやかしと知る人は分相応に働き、物惜しみもしないでしょう。
逆にそれがまやかしと見抜かぬうちから一体どんな慈悲が人間に期待できるでしょうか。
(1000円搾取して100円寄付するぐらいのことしか期待できません。)
696 :
ゼノン:2013/02/15(金) 19:07:16.26 ID:OToF65Hv
セミの声と言われる何かがそこにあった。
それを聴いているものと言われる何かがそこにあった。
>>693 >おなかをすかしている者に対して縁起の話をして、固有の実体を持って存在しないのだから
>あなたの空腹はまやかしですよ。っていうのもどうなのかな?
腹が減っているなら腹が減っているのだ。
それをまやかしとか言っても仕方がない。
>>693 >縁起を理解すると空腹を超えられるようになるのかな?
縁起的には腹が減ったら食事をしなさいということだね。
699 :
素人A:2013/02/16(土) 07:10:13.14 ID:GK0IpAwx
大鑑禅師慧能の会下に法達という僧がやって来て「私は法華経を三千部も読じゅしました」という。そこで慧能が言った。「た
とい一万部読じゅしても、経の意味を理解しなければ、自分の過ちさえ知ることはできないだろう」法達は答えた。「私はまこと
に愚鈍です、これまでただ文字にまかせて読んできただけです。どうしてその意味がわかりましょう」慧能が言った「では一度
読んでみなさい、おまえに解説してあげよう」そこで法達は『法華経』を読みはじめだが「方便品」まできたとき、慧能が言った
「そこでやめなさい。仏がこの世におでましなるいわれ、これがこの経典の中心である。多くの喩えがこの経には説かれているけ
れども、これにまさるものは無い。ではそのいわれとは何かと言えば、ただ一大事という事である。一大事とは何かといえば、仏
の知見である。仏の知見とは何かと言えば、開示悟入(仏は一切衆生に仏の知見を開き示し、悟り入らせるために、この世に出現
した事を意味する)である。それが自ずから仏の知見となつているのであり、すでに知見がそなわつているのであり、衆生の一人
一人がすなわち仏であるということである。おまえは、いままさに信ずるがよい、仏の知見とは、おまえ自身の心であることを」
そして慧能は重ねてげをもって示した。 「心迷えば、法華に転じられ、心悟れば、法華を転ず。読誦すること久しきにわたる
とも、己を明らめざれば、意味に絡まれて躓く。念いに捕らわれぬ念いこそ正しく、念いに捕らわれたる念いは邪となる。捕ら
われるも捕らわれぬも、離れ去れば、とこしなえに、大白牛車に乗り続ける」・・・
700 :
473:2013/02/16(土) 11:21:30.19 ID:Z9iAqvAH
依存と服従は安心安全だが、根を詰めすぎるとストレスになるし、理性と良心はそれを咎める。
依存と服従に飽き飽きした人は生まれ変わって今度は反抗の生を生きるかもしれない。
しかし、自分の依存性と服従性は消えたわけではない。
服従と反抗が内部矛盾している。
理性や良心で依存と服従を否定するのではなく、依存心服従心そのものを見守っていられるなら、
その見守ること自体が服従でも反抗でもない無垢の知恵というものだろう。
自分の中の暴力的なまでの依存と服従への嗜好に驚く。
それでいて別の側面では世界の規範のすべてを生理的に受け付けないのだ。
今私は羊でありライオンだ。
しかし本当はそのどちらでもないという。
真相は見ることによってのみ明かされるのでしょう。
701 :
473:2013/02/16(土) 13:14:32.10 ID:Z9iAqvAH
いつか、きっと。
というのはエゴの仕業。
いつかきっとと願う主体は自我でしかありえない。
向上や探求の主体は自我であると。
今この瞬間を生きてゆくことだけが自我から垂直に飛び立つことだと、そう聞きました。
あれをやらないとこれをやらないとというそのやる気があってご立派な主体が、あらゆる愛着と苦悩を生み出す自我なのだから。
702 :
473:2013/02/16(土) 14:44:11.22 ID:Z9iAqvAH
自分は金銭や、食べ物や、異性に依存している。
従順であり安全を確保することを尋常じゃなく強く望んでいる。
しかし、しかし、それに気づいているのだ。
まさにそうである人間は自覚できない。
まさにそうである人間はその従順さやぜいたくへの執着を、
道徳、流行、として美化して何の疑いもなく信じ込んでいる。
私はそれを批判こそせずとも、あっけにとられて見つめている。
それが意識であり知性なのかもしれない。
疑いもなくそれこそ道徳であり流行であると受け入れるやり方は忘れてしまったよ。
前に進むしかない。
議論なんかいくらしてもきりが無いな
釈迦が無我とか語るのと我々が無我と語るのは
同じ言葉でも脳内の理解はまるで異なるからな
宗教、社会におけるあらゆるタイプの人間の理想を知っている、実に多くの人間の知恵の発露を知っている。
お蔭で今実際に動いている自分の本音を知ることを忘れてしまった。
そこが一度すっきりすればなんにでも変化しうるし、それを知らない限り何一つ変わるはずがないのに。
ただ、自分が自分を知るというのは夢の上塗りなので、主体である自分を見る目に留まらなければいけないのは前述のとおり。
705 :
カカシ:2013/02/16(土) 19:42:57.26 ID:OTT9dxwU
>>693 縁起を間違って理解してる。
どんな生物でもエネルギー補給を必要とする。 そのエネルギーがなくなれば「腹が減った」という、
現象が起こるんでしょ。
腹が減ってるのにエネルギーを補給をしなければその後の縁起になるだろうし、
腹が減ったらご飯を食べればその後の縁起になる。
誰でも想像できる通りになるだけだよ。 全力で走れば42kmといわず、たったの500m前後で力尽きる人間も居るんだよ。 縁起を理解したからといって永遠に走れるようになるわけが無いでしょ。
縁起ってのは此あれば彼あり 彼あれば此あり 此あれば彼なく彼なくば此ない。 たったこれだけのことだけど現実には人間の感覚では捉えきれない程の縁起が生滅を繰り返してるから別に理解したからといって何かが変わる訳ではない。
まぁもしあんたが誰かといがみ合ってて苦しくて本当は辞めたいなら返事しなければいい。
此なくば彼なしという状態になる。 対話はあくまで相手があって初めて成立するんだからね。
昔よく言ってたがあんな簡単なチキンラーメン一つでも完璧なラーメンを作れたことは本当稀でしかない。
つまり俺の気づいてない水面下で様々な条件が縁起してるってこと。
706 :
ゼノン:2013/02/16(土) 20:27:35.30 ID:GYJkGkWO
香りと言われる何かがそこにあった。
草花や樹木や潮風や土の匂いのまざりあった香りだった。
香りを感じるものと言われる何かがそこにあった。
命の歌がそこにあった。
>>693 >どうか教えてください。 +(0゚・∀・) + ワクテカ +
実はこれが結構悟りに近い。
この感じがもっと深く繊細に常態化した感じだな。
その時君は問いであり答えだ。
問いと答えが対消滅すると至福が起こるんだね。
悟りを開いたことあるけど何か質問ある?10
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1336172617/568 http://www.logsoku.com/r/psy/1336172617/568 568 : Operation[sage] :投稿日:2012/05/13 23:48:20 ID:F5upuR6k [24/25回]
よくよく気がついてみると
形あるものが存在していて、形を失うと無くなるものと思っていたが
全くそんなことはなく勘違いしていたが
全ては生まれてくるのでもなく、死んで行くのでもなく
形を変えているにすぎない
それは常に形を変えていて、死んだとか無くなったことはなく
形や姿を変えているということ
増えることも無く減ることも無く
ただただ変わりつづけてゆく
同じようなことに気がついたとしたら
これが諸行無常じゃないかな
--------------------------------------------------------------------------------
悟りは二つの方向があるなと思いました。
実体とは自我・アートマン(でありブラフマン)とする説と、そんなものはないとする無我の説の2通り。
1.アートマン(自我・魂)とブラフマン(宇宙の根本原理)との一体を言う、梵我一如。
2.アートマン(自我・魂)などはないという、無我とするところから輪廻からの解脱。
(自我があるから輪廻する)
<このことが間違っていたらごめんなさい。>
地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上 の六道輪廻。
と
縁覚・声聞・菩薩・仏 の四聖(ししょう)の輪廻からの解脱。
709 :
708のつづき:2013/02/16(土) 22:51:48.29 ID:Uhf/Qn/m
<つづき>
とあるそうですが、
物事には順序・段階を得た方が理解しやすいように思うのです。
六道で言う人間界の次の天上界が宇宙なのでしょうか。
私は、宇宙を理解してから四聖にある解脱のことを考えても遅くはないのではないか?
-------------------------------------------------------------------------------
悟りを開いたことあるけど何か質問ある?10
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1336172617/109 http://www.logsoku.com/r/psy/1336172617/109 109 : 悟り子 ◆AAyxyMDKw6 [sage] :投稿日:2012/05/06 08:54:29 ID:NyFp27I6 [5/7回]
<抜粋>
白しか無い世界では白を知ることができない
(正確には白を知っている感覚が味わえない、知っている感覚には他との比較が必要なので)
だから白を知る為には白以外を知る必要がある
-------------------------------------------------------------------------------
地球の事を知るには比較対象となる別のものがないとわからない。
宇宙のことを学んで地球をより知ることができる可能性がある。
次に進むのは、無我とか四聖に進む前に、順序的にも理解しやすい方向的にも、アートマン
とブラフマンの関係、宇宙とは何かを学ぶ方向へ進んだ方がよいように思いました。
地球のこともよりわかってくるだろうし。
ここの方はどうお考えですか?ということを質問させていただきます。
>>708 アートマン自体が実体の無い変化するものだとすれば矛盾はないような・・・・
>>708 仏教は緒法無我でしょ。
自分が存在しないとは、どんな意味なの?
という質問と思えばいいてす。
そして、自分が存在しないなら、目の前の世界や
液晶モニタを見ている人はいったいダレなんだろう?
と話が進むわけで、この辺が入口かな・・。
>>709 白しかない世界では、べつに白を知る必要ないでしょ。
白 = 世界
なんだから・・。
というか、白しかない世界のことを
仏教では仏(bodhi)と定義するんだと思うけどね。
712 :
カカシ:2013/02/17(日) 03:50:35.33 ID:9TxA5O5C
>>708-709 全部違う。 どうしてそう難しい方向に行くのかな。 唯一、悟り子のところだけ正解だが、
「確かにそうだ」って捉え方するとそっちも違う。
段階的に理解しようとしたり分析しようとすると益々迷うよ。仏教学したいのなら仏教議論スレに行った方がいいかも。悟りを求めるならここだろうけどな。
どうしてもそれを知りたいのなら一旦頭を置いて、決着がつくまでの期間は修行に打ち込むしかない。
坐禅、念仏、作務(主に仕事や家事)なんでもいいけど目の前のことに没頭すればいいよ。
これを修証一等という。 それ以外はカス。
>>711 まぁ諸法無我なんだけどその諸法も自分と他を離して実体を認めてるモノだと思ってたら最初からズレる。
最後の一文のところはとても見ること不可能を言葉にしてるよ。 白しかない世界なんてどこにあるの。
あくまで思考の上でしょそれも。 全ては一つだなんて思うのは間違い。人間にはそれを知ることは不可能。
言葉なんか答えを丸写ししても
答えを解いて導き出しても同じ言葉だからな
釈迦の言葉と我々の言葉も
脳内の理解はまるきり違うが同じ言葉だ
ましてテストしてるわけじゃないんだからな
それが言葉の限界って奴だな
不完全なツールで議論しても答えなんか出るわけないだろ
お金と言葉ってそういや似てるよな
ネットの言葉って相手の感情もわからないし実に安っぽいよな
お金のほうがまだ手間かかるぶん重みはある
715 :
素人A:2013/02/17(日) 08:20:24.34 ID:zKvjFLOi
>>699法達はこのげを聞いてさらに慧能に言った。「経にももろもろの声門や菩薩が思いを尽くしても、とうてい仏智を量る
ことは出来ないと説かれています。いま凡夫をしてただ自分の心を悟らしめるのが、仏の知見であると仰せられますが、上根のも
のでなければ疑い誹謗は免れないでしょう。また経には羊・鹿・牛の三車が説かれていますが、その上の大白牛車と白牛車とはど
ういう違いがあるのでしょうか。もういちどお聞かせ下さい」慧能は言つた「経の意は明らかである。ただお前が勝手に迷い背い
ているだけである。三乗の人が仏智を量り得ないのは、分別に捕らわれているからである。たといかれらが協力して思いを尽くし
ても仏智からますます遠のいていくだけであろう。仏はもともと凡夫のために説くのであって、仏のために説くのではない。この
理を信ずることが出来ないで、法界を退席するのはあたかも白牛車の上に坐りながら、外で三車を求めるようなもの。経にもはっ
きりと説いているではないか、二もなければ三もないと。どうしてお前はそれが判らないのか。三車とは仮のものであり、すでに
過ぎ去ったものである。一乗とは真実であり、今日ただいまのことである。ただ願う所はお前をして仮のものを去って実に帰せし
めたいだけである。実に帰してみればもはや実さえも要らないのである。」よく知るがよいあらゆるものが珍宝であり、それは全
てお前のものであると。だから思うように用いればよい。ことさらに父のものと思わず、子のものと思わず、また用いようとも思
わない、そのことを『法華経』と名ずけるのである。効より効におよび、昼ともなく夜ともなくたとい経文を手に取らなくても、
念ぜざる時は無いのである」このとき法達は心拓かれていくのを覚えてげを呈して言った。「経をじゅすること三千部、ただ曹渓
の一句に消える。仏出世の旨を悟らざれば、どうして世々の狂いをやめ得よう。かりに羊鹿牛の三車を立てても、初も中も終も、
全ては善くおさまる。誰か知らん、三会火宅のうちこそ、もともと法中の法王」・・・
>>709 >物事には順序・段階を得た方が理解しやすいように思うのです。
概念として理解するときはそれが役に立つね。
ただ概念の蓄積は生を無用に観念的にしがちだ。
このスレでは心理的フィルター無しの生に話題の重点が置かれているね。
>>709 >六道で言う人間界の次の天上界が宇宙なのでしょうか。
六道は日常で人が体験する意識の比喩だろうね。
天上界は日常の意識を達観している意識の比喩だろう。
実際は全てが宇宙だ。
だが六道に囚われるとそれが見えない。
718 :
473:2013/02/17(日) 11:15:51.10 ID:GeyAm7Nt
>>712 「違う」という働き自体が思考による否定じゃないかな。
何かを実際には考えているのだが、考えは役に立たないという考えでそれを否定してしまうとこうなる。
「何かが正しいと思って」いなければ、「違う」とはそんなに強くいえるものではない。
別に正しい考えがあるわけではないから間違った考えもない。
宗教の考えは全て無思考に導くための仕掛けであって、それを考えるためにあるわけじゃないよ。
みんな難しいことを考えようとしているのではなく、その難解な方便を使って無思考の一瞥を得ようとしているだけさ。
塩と味噌さんにとっては難解で不自然と感じるだろうけど、例えば私にとってはこの程度のロジック息をするように自然なもの。
つまり方便として塩と味噌さんに縁はないが他の人には縁があるだけということさ。
思考からは脱出するものかもしれない。
しかし思考の否定はもっとも単純な思考に過ぎないとは言われている。
>>709 >私は、宇宙を理解してから四聖にある解脱のことを考えても遅くはないのではないか?
そうだね、既に天国にいながら天国のことを想像するのも楽しそうだね。
>>709 >地球の事を知るには比較対象となる別のものがないとわからない。
地球自体が比較対象を体験する素晴らしい場所だと私は思うがね。
無論君が宇宙パイロットを目指すのを止めるつもりは無いがね。
>>709 その入り口から始めるなら、グルジェフやウスペンスキーをお勧めします。
奇跡を求めて、ターシャムオルガヌム、新しい宇宙像、ベルゼバブの孫への話など。
まず既存の観念を揺さぶるような観念と接触するところから始めるというのは間違ってはいません。
外堀から埋めてゆけばいいですね。
>>709 >宇宙のことを学んで地球をより知ることができる可能性がある。
私も宇宙関係の本を読むのは好きだが、比較からの離脱を体験したいなら単に比較しないのも手だね。
慣れないうちは瞑想という手もあるよ。
>>709 >次に進むのは、
>アートマンとブラフマンの関係、宇宙とは何かを学ぶ方向へ進んだ方がよいように思いました。
>ここの方はどうお考えですか?
それが良いと思うならそうすれば良いというのが私の考えだね。
>>712 正解なんかないというのが正解でしょう。
これが正解というのが概念への依存で、頼っていたらそれは見いだせないはず。
思考の否定は、思考だよ。しかも何かの思考の上にかぶさった2重の。
無我のスペースに近づいても自我が「これが正解だ」というように理論化しちゃうと別ものになっちゃう。
やり方なんかなかったのさ。
やりかたがないというのが無我のやり方。
なのに自我はこうやったらそこに行けるのだとやり方を捏造しちゃう。
725 :
素人A:2013/02/17(日) 12:12:03.69 ID:zKvjFLOi
雨上がりの虹のように
思い出にさよなら もう振り向かない そよぐ風がほほをなでて
通り過ぎてくどこまでも続いた まっすぐな道と にぎりしめた好奇心を ただ信じて
いつも心に太陽を 描いて歩いていく あなたのいない毎日を 照らしてくれるように
前を向いて微笑んで明日を見つめたら 一度きりの私というドラマを今生きてる
雨に打たれ揺れる 野辺の花たちは ゆらぎながら胸を張って 空を見上げる
私だけが今日も ひとりつまずいて 迷いながら夢を抱いて ただ佇む
夢を追い続けることは すべて受けとめること 平坦でない毎日や ありのままの自分も
雨上がりの青空にかかる虹のように 人知れず流す涙の数だけ輝きたい
夢を追い続けることは すべて受けとめること 平坦でない毎日や ありのままの自分も
雨上がりの青空にかかる虹のように 人知れず流す涙の数だけ輝きたい
一度きりの私というドラマを今生きてる
>>693 >>708,709 にレスしてくださった方ありがとうございます m(_ _)m
>>711 名前:神も仏も名無しさん
>白しかない世界では、べつに白を知る必要ないでしょ。
>白 = 世界
>なんだから・・。
>というか、白しかない世界のことを
>仏教では仏(bodhi)と定義するんだと思うけどね。
>>712 名前:カカシ
>白しかない世界なんてどこにあるの。
>あくまで思考の上でしょそれも。 全ては一つだなんて思うのは間違い。
>人間にはそれを知ることは不可能。
>>717名前:カノン ◆SQiww/siDs
>実際は全てが宇宙だ。
>だが六道に囚われるとそれが見えない。
以上のやり取りをみて思ったのです。
-------------------------------------------------------------------------------
存在、時間そして不死
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/philo/1284193956/86 86 名前:考える名無しさん[] 投稿日:2010/11/13(土) 12:21:48 0
>>79 >「無限」とは?
これも前記に関連して最重要な論題である。
無限とは、純一なものが無限に存在する場合のみ、言いえる状態である。
純一が必須の条件である。何かが混在しているような、今の宇宙のような存在は、
無限の空間とは決していえないのである。 ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
727 :
726つづき:2013/02/17(日) 15:32:05.26 ID:b14x+jLc
<つづき>
Aと言う物質とBという物質が有る場合、それらが混在しているなら、Aと言う物質は、
Bという物質の締める体積分だけ、無存在であるのだから、Aと言う物質が無限にあると言うことは
出来ないのだ。Bという物質の場合も同じである。
したがって、混在してるものの場合、あるものが無限にあると言うことは不可能である。
純一なものの存在の場合のみである。
もし、両者ともに無限にあると言うなら、矛盾を来たしているのである。
そして無限と言うなら、その有るものは、識別できないものである。故に
存在として消滅するのである。Aが無限であると言うなら、Aは消滅してなくなっているのだ。
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
そこには識別できるものはない、ので、無と言われなければならない。
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
混在していては決して無限と言うことはありえない。
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
-------------------------------------------------------------------------------
この宇宙は、星だけ、光だけ、暗黒(闇)だけではないので無限とはならず有限だと思われます。
全ては一つ(一つの相=純一)ならば無限は成り立ちそうです。
果たしてそれを認識できるかどうかは疑問です。
人間だから認識できないので、全ては一つ(一つの相=純一)の無限は神・仏の理というのも
ありそうですが・・・
宇宙が有限となるので神・仏の理も有限という秩序にあるのかな・・・
変化も何もない「無」の状態から「有」に変化することはなさそうですし・・・
宇宙が「無」から誕生することはないでしょう。
今のところの僕の宇宙観はこんなものですが、"悟るとどういう具合に見えるのかな"
というところに興味がありまして、またもや質問させていただきます。
どうか教えてください。 (-人-)
728 :
726:2013/02/17(日) 18:29:47.61 ID:b14x+jLc
>>721 > その入り口から始めるなら、グルジェフやウスペンスキーをお勧めします。
検索してみたら、なんかとてもワクワクしそうな方たちですね。
手引書の紹介ありがとうございます。
729 :
ゼノン:2013/02/17(日) 19:00:56.14 ID:uvsIHHl3
ある時山と海と空がある景色の中に覚者は入りこんだ。
山は山であり海は海であり空は空でありながらそれらは一つの名称しがたい「何か」だった。
風が覚者の肌に触れた。
花の影が光と踊っていた。
セミが鳴いていた。
命の香りが歌っていた。
その時覚者は全てを体験した。
それは名称しがたい一つの何かであった。
730 :
神も仏も名無しさん:2013/02/17(日) 19:28:33.80 ID:VAbpPKJX
>>727 >今のところの僕の宇宙観はこんなものですが、"悟るとどういう具合に見えるのかな"
というところに興味がありまして、またもや質問させていただきます。
どうか教えてください。 (-人-)
星の瞬きが綺麗だな、っと
731 :
カカシ:2013/02/17(日) 19:55:48.28 ID:9TxA5O5C
>>718 当然だろw 言葉を書いてる時点で思考だよ。
一旦頭置けってのは一旦思考せずに手をつけずにおってみろってことだよ。
もちろん正しいも間違いもないよ。 だけど「今の自分」を否定して「変わる自分」を肯定してんでしょ?だから悟りを求めるんでしょ?
現状で満足してるならこのままでいいってなるのは当然だよね。 結局本人がそうしてるんだから、
「頭を置け」と言ってるのはそういったことを一旦やめてしまえっていってんだよ。
うんなんか自慢されてもなw へ〜って感じだよ。 俺はあんたみたいに思考を最上位においてないからね。
あくまでこのものの働きの一つにすぎんからね。で、大抵が不完全でしょ。
で、思考の否定を否定してるの? それじゃ無限遡及だよね。 あんたはどうも頭を置きたくないだけにしか見えないけど気のせいか?
んでああいえばこう言うタイプでしょ? そういうのはどこいっても相手されないよ。単に自分を立ててる奴なだけだからね。他人からみたら。
>>724 ん?そうだね 所詮二元世界だからね思考てのは。 思考から導いて悟ったという例を未だに知らないからね。
禅でも頭で理解することはできるだろう。 だがそれは所詮「観念悟り」と呼ばれる現象に過ぎず、
実際に苦の壁が立ちはだかればもろくも崩れ去ってしまうだろう。
まぁそれはお互いに楽しみにはできんけどそんときまで待とうや。
俺は推測だが苦がたちはだかればそれにかかりっきりで他のことが手がつかなくなってるとおもうよ。
生涯の伴侶を失うのがおそらく最も俺の中で大きな苦になるだろうが、できたら俺が先に死にたい。
732 :
カカシ:2013/02/17(日) 20:01:27.35 ID:9TxA5O5C
>>726 あ〜要するに思考するのが好きみたいだね。まぁ大抵の人間はそうだろう。
俺も好きだしね。 ただのこれに頼ると痛い目に遭うよいつか。
哲学が好きなら哲学のスレがおすすめだけどなw
まぁ大した苦に今遭ってないのなら深追いするのはやめたほうがいいって忠告するけどな。
どれどれ俺も「火にまつわる」ことをいっぱい思考して火が口から出せるかやってみるよw
733 :
473:2013/02/17(日) 20:02:51.08 ID:GeyAm7Nt
区分けがなければそもそもが無限であり、有限は区分けから生まれたと聞き及んでおります。
自他を区別しない、露骨な表現では肉体と無機物に区別を認めない。
区分けされるひとつなるものだけがあると。
ブラフマンのことだと思います。
このブラフマンから隔絶されたのが自我で、ブラフマンの一部として切り離されていないとき我々はアートマンであると聞きます。
しかし、ブラフマンと切り離されないときアートマンだということは、要はアートマンは存在しない。
無我は無なんだから存在しないのと同じくアートマンは存在しない。だからアートマンと言われるのだと。
そのように聞き及んでおります。
おそらく、苦しみは思考によってしか作られない。
思考はあるがままに対立する個人的な規範だから。
その個人的な規範が現実に対して悲鳴を上げるのが苦しみかと。
思考では苦しみを解決できないとは言うけど、思考によって苦しみを作っていて、そうでないなら悟っている。
私は考えないということを述べているのではなく、既にある思考について語っています。(言語思考じゃない微妙なもの、自我について)
思考によって云々というより、思考≒自我が止まらないのが問題の元で止まれば、、多分悟ってる。
多分というのもそういうレベルで徹底的に止まったことが無いからわからないのです。
既にあって止められない思考にいろいろ言葉を当てて無思考へのきっかけにする。
そのために祖師は無数の方便を作ったものかと思います。
悟っていないならすでに思考によって苦しみを作っていてそれは自覚の問題である。と。
≫俺は推測だが苦がたちはだかればそれにかかりっきりで他のことが手がつかなくなってるとおもうよ。
生涯の伴侶を失うのがおそらく最も俺の中で大きな苦になるだろうが、できたら俺が先に死にたい。
自分にもいろいろ懸念はありますが、未来の苦しみの直面というより、今恐怖というものに直面していてそれがとんでもない。
事実は耐えられないことはないと思う。自分の場合は未来の懸念による、今既にある恐怖が洒落にならない。
735 :
473:2013/02/17(日) 20:38:01.00 ID:GeyAm7Nt
×区分けされるひとつなるものだけがあると。
○区分けされる前のひとつなるものだけが在る
736 :
473:2013/02/17(日) 20:57:11.04 ID:GeyAm7Nt
あるままのものに対して意見を持つ主体≒自我は正に思考そのもの。
金銭を失うことはこわい。
しかし、たとえ収入が確保されるとしても、自らの望みと異なる行動を継続して取らなければならないこと自体が怖い。
金銭の恐怖を克服したら、意にそぐわない人生への恐怖がやってくる。
思考は移り変わるあるがままと一致しない。
「博士も知らないニッポンのウラ」を見ていたら苫米地英人氏が出演した際に、
神が存在しないということが証明された?ことが話題になってたのです。
それで、グレゴリ−・チャインティンのことを検索して見つけた文章なんですが、
「フルネームでグレゴリー・チャイティン、アルゼンチン出身のコンピュータ科学者です。
彼は、LISPというコンピュータ言語を使って、不確実性を証明しました。
不確実性とはランダム性があることで、偶然という事象のことです。
彼は、プログラムの停止確率をオメガと定義し、このオメガに不確実性があることを
証明しました。このオメガとは完全なる乱数のことです。
この証明により、物事に決めたれた運命という名の道筋がないということが
はっきりわかります。
不確実性の存在は、あらかじめすべてのことを知ることはできないということを
証明しているわけで、全知全能の神の否定なのです。
ただ、この証明は全知全能の神を否定したに過ぎません。
全てのことを知ることができないということを証明しただけであり、神の定義によっては
否定になりません。」
数学に弱い僕には証明内容を理解するのが難しそうなのですが、こういった証明は無明を
取り除くことになりそうだから「悟り」と関係するかなと思ったのです。
こういう証明は悟りではないのでしょうか?
738 :
437:2013/02/17(日) 21:53:51.13 ID:GeyAm7Nt
それは科学の次元で悟りに「ついて」語っていますし、科学の次元補足していると思います。
経典と矛盾せず補い合うでしょう。
しかし、私たちの無意識、本音は、不確実性を認めません。
不確実性を認めず確実を願うのが思考でありエゴであり、無明と言われます。
経典が悟りでないように、その証明も悟りにはなりません。
悟りについての言説でありそれ以上でもそれ以下でもないかと。
私は確実性を求めて苦しんでいる。
その求めることと向き合うのが宗教です。
何にも頼れない。頼るほどに苦しくなると理解するためにそういうネタを使うのはいいですが、
それそのものを良かれと思って知識としてため込むのは宗教ではなく哲学の方向です。
宗教は頼るものではなく頼ることが苦しみと知ってそれを取り除いてゆく道です。
そういった証明に頼って一時苦しみが消えるかのような希望を持って、その後どうなるか。
ただじっくりその推移を見てみてください。
>>737 >こういう証明は悟りではないのでしょうか?
あなたがそれを悟りだと思えば悟りだし
悟りじゃないと思えば悟りじゃないですよ
740 :
ベゲザンピーク:2013/02/17(日) 23:30:31.40 ID:aUsl2lCu
死は厳然とあると思ってらっしゃるでしょうけれどもありません。
あるのは他の死体です。死は経験するやいなやもうそれはどこにもありません。
だから死は経験とは何の関係もありません。
死は観念に過ぎません。だけど観念は観念で死を捉える筋合いはありません。
観念に寄り添って事の推移すら見守ることはできません。
思考が死を捉えることはできないように、思考が事実を捉えることはできません。
思考は事実に対しいつも遅れてやってくるようにできています。
思考が死や事実について考えるというこの思考の真空状態に宗教ははびこります。
人を笑わすことを一生懸命眉にしわをよせてまじめな顔をして考えているとそんな
自分自身がおかしくなってきませんか。それと同じです。
ナンセンスなんです。
741 :
ベゲザンピーク:2013/02/17(日) 23:42:01.47 ID:aUsl2lCu
存在を前にしていったい人は何を考えるのでしょうか?
死を前にしていったい人は何を考えるのでしょうか?
事実をまえにしていったい人はなにを考えるのでしょうか?
それでも考えてしまう人間とはいったい何でしょうか?
それは驚き、不思議、感動を推進力にするものです。
俗に不安、不信、から言葉を紡ぐものの多いこと。そんなものは瀰漫
しきっているのは当たり前のことです。それも本締めみたいなものが
宗教です。哲学にはナンセンスの自覚はありますが宗教にはありません。
それが何を意味するのかわかりませんが、一方は固定観念を増やしますし、
一方では考える力を養います。
742 :
473:2013/02/17(日) 23:49:40.67 ID:GeyAm7Nt
過去の経験が永続してほしいと思うから死という概念が現れる。
存続の期待が無ければ死は意識されないだろう。
現れ消えゆくのはあるがままで問題にされなかっただろう。
執着が死を作ったと言えるかもしれない。
執着が無ければ死は意識されないだろう。
743 :
ベゲザンピーク:2013/02/17(日) 23:54:03.40 ID:aUsl2lCu
>>過去の経験が永続して欲しいと思うから死という概念が現れる。
「本当でしょうか?」
執着よりも論理的に死はないのです。ですから意識しようにも、笑いのような
ものです。
744 :
473:2013/02/17(日) 23:56:59.96 ID:GeyAm7Nt
「私は何にもこだわらない。」
そう念じてみた。
なんというばかばかしさ。
なんという無意味さ。
それでこだわりがどうなるというのか。
それでこだわりが消えるというのか。
全く見当はずれで事態を複雑にしているだけと明確に見て取れる。
じゃあどうすればこだわりが消えるかは知らない。
でも、こだわらないという言葉や知識や思考は何の役にも立たない夢なのは体験できる。
こだわりを克服したつもりになれる。
745 :
473:2013/02/18(月) 00:00:57.71 ID:GeyAm7Nt
あなたは死は事実として存在しないと語ったかもしれない。
同じようなことを宗教でも聞いた記憶があります。
しかし、執着がある限り、喪失≒死を人は心理的に恐れてしまいます。
事実がどうでも執着がある限り心はそう認識してしまいます。
事実において死がないと論理的に納得しても、それで執着が消えてしまうでしょうか。
どうも管轄が違うように思います。
746 :
ベゲザンピーク:2013/02/18(月) 00:04:34.03 ID:aUsl2lCu
>>745 管轄という言葉は適切ではないかと・・
どうしても執着を前提にしたいみたいですね。
747 :
473:2013/02/18(月) 00:39:55.32 ID:cAhaK4It
打ち消し合ってくれればどんなに楽か。
管轄が違うと申しましたのは、2つは打ち消し合わないで両立してしまうことです。
知識と本音として心を分裂させてしまうことです。
死など存在しないというのは同意しています。
しかし、もし執着があれば心理的な死の概念をもちそれにおびえてしまうでしょう。
執着が無ければそれはないでしょう。
前提、、というようなそうでないような。
無ければ問題ありません。
748 :
ベゲザンピーク:2013/02/18(月) 00:41:10.26 ID:iLDhERUL
身内の死が喪失感となりうるのは、よくりかいできてないからではないか。
本当は***の死は***の自我の一部ではないのだから悲しくとも喪失感は本来ないはずのもの。
本人にとっても死はないと前述しましたが、身内も含め他人の死も観念としてしか今、今
存在し得ない。さて死とは死んだものとはいったい誰なのでしょう?
何かに名前を付ける時、その名前を付ける主体は過去の経験への執着=自我。
名前を付けるたび、何かを対象としてとらえるたび、その自我は強化されてしまう。
何を
どのように
評価しても
自我は強まる。
恐怖と名付けると恐怖を作る自我が強まる。
自分を肯定しても
自分を否定しても
その判断をする自我は強まる。
自我は過去の集積、自分ルールの集積であり、絶えずあるがままに憤慨し、おびえている。
>>750 自我を弱めたいんなら、まず自分から離れることだね
752 :
素人A:2013/02/18(月) 07:30:21.49 ID:AGlZ/UFF
今朝の夢殆ど忘れたけど私は夢の中に居て私はそこに居た。そこで役を演じる役目我あったのか?起きてからも私と言うドラマを
演じる役者で役目で演じているのか?よくわからん観劇なのか?演じて観劇してそれが夢でも現実でも感激が無いなら詰らない
ドラマ?もし宇宙を網陀したブラフマンが絵描いた映画を栄華の中の私達がアートは下らんと言っていたらあまりにもブラフマン
が可愛そう?でも私達は苦しいのだようもつといい役にせよとのいつも文句ばかりいつても個○と思う。良くわからん個と量り
私は何の役に立つのか?皆さんにも少しでも安心してもらいたいのに?役立たずで迷ってあーとため息の朝、そう?もしアート
マン?ブラフマンと友にアート言えたら真実とか嘘とか損な変な事はもう用が無いかも。議論が好きな人は議論好きの役目我
あるし、私は議論にならないひとり言ぶつぶつの役目我ある、さあとりあえずはまあよいか
753 :
ベゲザンピーク:2013/02/18(月) 10:45:47.08 ID:iLDhERUL
>>747 管轄というのは行政、政治に関する言葉であり、ただこのやりとりに
ふさわしくないと申し上げただけです。
それにそもそも本音と論理は背反するものでしょうか?
そのような時代は来て欲しくないものです。
754 :
ベゲザンピーク:2013/02/18(月) 10:53:42.80 ID:iLDhERUL
戦時中、「死」にこだわらなくとも「死に方」にこだわる人間のほうが
多かったでしょう。暴力に論理や理性はありません。日本のかの大戦は
社会主義でいうところの少数のブルジョアジーにしはいされ、先導されました。
本音が論理をうわまわるというのは危険領域に入っているということかもしれ
ません。「わかれば怖くなくなる。」これが人間ですから。矛盾にひきさかれる
ことなく理性的であらねばなりません。
その本音が苦しみをもたらすものならどうしても論理に逃げ込んでしまいます。
その本音が喜びである人間には矛盾はないかと。
756 :
ベゲザンピーク:2013/02/18(月) 11:40:58.10 ID:iLDhERUL
イデアという言葉があります。お月様も完全な円にみえましょうが、想像上
もっと我々は正確な円を描くことができます。それは抽象度の高い論理から
来ています。人間の理想もそうです。小説や戯曲、舞台などもひょっとすると
イデアからの借り物かもしれません。天国や地獄ではありません。イデアは
普及すると一般論となるのです。論理に逃げるなんて事はありません。やっぱり
それは努力の果実ですから。本音は気をつけねばなりません。魂にかかわること
ですから。どこか投げやりなのです。本音に生きるということは。
どうして我々は今をきずいてきたのでしょう。現在の学歴社会うんぬんはいろん
もあろうかと思いますが、紀元前のプラトンの「賢人統治」の思想から来ているの
ではないでしょうか。具体性と抽象性の兼ね合いが大事なのです。
>>727 >今のところの僕の宇宙観はこんなものですが、"悟るとどういう具合に見えるのかな"
>というところに興味がありまして、またもや質問させていただきます。
どうか教えてください。
見えるものは見えるものだね。
君の宇宙観は君の宇宙観だ。
その本音の変容が宗教なんだと思います。
本音が自他に悪いものとは限りません。
実際のところはあなたが連想する通り大抵自他に害悪をもたらすものです。
しかし本音が気楽で慈悲にあふれた人の場合、何もかもが異なった響きになってくると思うのです。
>>737 >「博士も知らないニッポンのウラ」を見ていたら苫米地英人氏が出演した際に、
>神が存在しないということが証明された?ことが話題になってたのです。
あらゆる証明は「これが正しい」とされる前提を元になされる。
論理への逃避
「私はこだわってはいけない」「私は怒ってはいけない」
論理的に自分にも他者にも利益をもたらさないから。
人には精神の型があり、外界への欲求がある。
外界への欲求があるから外界への怒りと恐怖がある。それがこだわりだ。
その精神の型≒自我が「私はこだわってはいけない」「私は怒ってはいけない」
と自身を放棄することなく念仏のように唱える。
一度意識して「私は怒ってはいけない」と唱えてみればわかると思います。
それは怒りのメカニズムとひたすらに関係ない。
むしろ怒りのメカニズムの理解から遠ざかってしまうと。
イデアを内包しそれを実行し、それそのものであった人ならいたかもしれませんしいるかもしれません。
しかし、怒りと恐怖に満ちた人間が外形だけ真似しようとしても深刻な分裂をもたらしてしまいます。
確実性を求める人間の投影である神が存在しないことは証明されたようですね。
神とは不条理で不確実で論理を超えたものなのではないでしょうか。
私はこう考えている、私はこう感じている。
が、
「世界はそうあるべきだ」
に気づかぬうちにジャンプしている。
763 :
ゼノン:2013/02/18(月) 19:30:31.17 ID:sT1VgnA/
「了解。……かまいませんね?」
ゲンドウに確認をとるミサト。
「もちろんだ。使徒を倒さぬ限り、我々に未来は無い」
「碇、本当にこれでいいんだな?」
「…その為のネルフだ」
冬月の言葉にゲンドウは静かに応えた。
764 :
素人A:2013/02/19(火) 07:46:14.12 ID:bO+9mFMz
人との会話が無いと?ひとり言だけで外の人と此処でも話せないと?会話するには相手の言うこと良く聞いて、自分の言うこと
が伝わるように、とにかく良く色々考えなければ会話に成らないだろう。またひとり言の自問自答結局考えるの面倒でもまあ朝
は苦労な苦書ければいいやで、無視はすこし寂しいけど自問自答我気楽つまり楽なのかで??善言葉百選から 主人公 ・師彦
は石上で坐禅をしました。普通はただ黙って坐るか、あるいは心中に公案を黙想するのが普通で声をだす者などありません。
ところが師彦はときどき大声で独り言のように 主人公 と呼び、かっ自分で返事をするのです。さらに、目覚めなさい はい
将来ともに騙されるなよ はい、はい と一連の自問自答を繰り返したのです。この話題について無門和尚が高次の禅の心境
で冷やかすような言葉で実は感服していいます。「瑞厳爺自分で売買しておるなあ。主人公と呼ぶ一人、それに答える一人。目
ざめよと呼ぶ一人」人間は誰でもこのA・Bの二人の上に乗りかかっているのです。Aは常識的に言う説明を要しない自分でこ
れを「日常的自我」といいます。BはAに呼びかける自分でこれを「本質的自己」といいます。Aは外的存在ですぐわかります
が、Bは内的存在で、Aの底に深く埋もれているのです。外からはわかりません。人間は要するにAとBの『同行二人』で歩み
を続ける旅人です、この二人の話し合いが多い人ほどその人は豊かになり、少ない人ほど貧しくなります。しかもAとBはとき
どきは並び、時には前後して歩くことが考えられます。さらにAとBが重なりあってあたかも同一人のようになるのが望ましい
のです。「主人公」と呼ぶAと「はい」と答えるBが一つにとけあうと「主人公」がそのまま「はい」の答えが生まれます。・
765 :
ネコパンチ:2013/02/19(火) 12:34:04.48 ID:8dSpkz+o BE:1227744072-2BP(1)
>>765 スピ系の話ができる40歳くらいの女性は、たいていメンヘラだぞ
767 :
神も仏も名無しさん:2013/02/19(火) 14:56:22.74 ID:8dSpkz+o BE:1403135982-2BP(1)
>>766 有り難うございました、 そちらの方に移動したいと思います?
768 :
ベゲザンピーク:2013/02/19(火) 18:39:49.49 ID:NVvC9dUD
>>760 「論理への逃避」なんかむりやりつくるんじゃないよ。「私はこだわりすぎない方がいい」
「怒っても仕方ない」これは論理が極自然に作る答えザインであってゾレンではないのだ。
そこのところをよくあごでもなでながら理解しないといけないよ。
あなたは外界と内界をよくわけるけれども、そんな境界線どこにあるのだい?
あなたがいわんとするところは心理学でいうところの「公的自我」と「私的自我」
のせめぎあいのことを言うのだと思う。それは自我と自我の葛藤であって、外界、内界
うんぬんはせめぎあいも何も仕様がない。実態のないものだから。非常にナンセンスと
しか言いようがないです。
またしても文末で外形という言葉を述べてらっしゃいますが、からには個人の心理に内形とか
外形とかいうものがあるのでしょうか?ザインとゾレンについてよく考えてください。
境界を示せるもの境界があるものについてしか内と外は定義が通じません。
ないものを2つに分けておいてその片方が未熟だと分裂するなんて言い方は経ちの悪い宗教家の
それのいい草とかわりません。あなたの(それ)とどこが違うのでしょう?
769 :
473:2013/02/19(火) 18:53:22.26 ID:8liQlM9f
内界という単語を使ってないということはその2つを分けていないということです。
またあなたは自作した文章に勝手に反論しておいでです。
この文脈ですと外界に対応する言葉は特にありません。
外界というのは単に世界であり、外形への欲求とは世界がこうなってほしいということであり、
もう単に「欲求」で片が付きます。
そんなことはどうでもよく、精神の型が論理に逃避し、自分自身を守ろうとしつつ自分が作る苦しみだけは消そうとする無謀な試みを実地に体感することが大切です。
論理にしがみついて無理やり小さな方向修正はできるけど、その人が抱えている根本的な精神の型は変わらない。
宗教が経典から入っても「経典を捨てさせるのはそれが理由です。
770 :
473:2013/02/19(火) 19:04:12.25 ID:8liQlM9f
≫「公的自我」と「私的自我」のせめぎ合い。
ああ、そういうケースもありますね。
それはまた微妙なファクターですね。
私が述べたのは「私的自我」と世界の対立です。
世界とは自然現象、経済現象、集団心理、しきたりとすべてを含みます。
例えば「死にたくない」は公的自我との対立ではありません。
また、公的自我に強く即あくされている人もいれば、単に社会を呆れた目で見ているだけで、生存のために仕方なく付き合っているだけで
公的自我の影響が薄い人もいます。それはそれでやはりしんどいものです。
要は私的な自我が社会に悲鳴を上げますからね。公的自我の支配下にあった方が生きやすい。
でも公的自我の支配下にあると指摘自我との対立がつらい。
これは優劣ではなくタイプの違い、出発点の違いでしょう。
人は一人一人違います。
外形というのは内心怒っているのに怒っていないふりをすること。
それ自体は一時しのぎとして必要なものかもしれないけど、その人が怒りの苦しみから解放されることとは関係ないでしょう。
771 :
473:2013/02/19(火) 19:08:02.37 ID:8liQlM9f
≫論理が極自然に作る答えザインであって
人間の精神の実地の働きがごく自然に至るザインではない。
と述べております。
論理は退屈しのぎになりますが、とんと実効性がありませんので。
772 :
ベゲザンピーク:2013/02/19(火) 19:10:41.02 ID:NVvC9dUD
論理にしがみつくはあなたの所感ですね。あなたが世界を眺めて上での。
論理は究極何もしらないことをしるためにあるんです。
あなたは会いもしない人を師としてそのやり口だけ仰いでいるんですね。
少しイージーではないですか?「経典を捨てさせる」云々はわたしはそこの
組織の人間ではないですから、理由までわかりません。あなたも本来そうでは?
773 :
ベゲザンピーク:2013/02/19(火) 19:20:37.01 ID:NVvC9dUD
宗教とは師と弟子がひとりひとりおれば成立するものです。
本来真実とはなんら関係がありません。私もあなたの退屈しのぎの相手を
する必要などないのです。宗教とは解釈よりも先立つものがあります。
真実より先立つものがあります。あなたが宗教に惹かれるのは事実雰囲気では
ないでしょうか。雰囲気を醸し出すことへのこだわり。あなたが文脈にこだわるゆえんです。
人間の精神の実地の働きが極自然に至るザインではない。
>>なんだか私の読解力の問題か、文章自体意味不明なのかよくわかりません。
起きえないこと、起きるかどうかわからないことを望むという自我と世界の対立があり、
各断片化した自我が各々正しさを主張して争うという個人内部の対立があります。
これは一つのことを異なった側面で見ているだけであり、同時に解決されうるものでしょう。
775 :
ベゲザンピーク:2013/02/19(火) 19:24:35.41 ID:NVvC9dUD
内心怒っているのに怒ってないふりをすること
そんなことは最初から無意味です。文末に結論付けることではありません。
わからないひといるでしょうか?すごくこだわりますね。そのフレーズ。
どうしてなんですか?そういう人が多いからですか?あなたの意見では。
いや、ただの国語の問題です。
≫内心怒っているのに怒ってないふりをすること
すいません。論点がぼけますね。
内心怒っているのに怒ってはいけないと論鋭的に思うこと、の方がより正確です。
論理にはその人の経験を投影することしかできない。
論理で新しいことを知ることはできない。
この場合の新しさとは自分の精神の型が変化するという意味です。
確かに既存の精神の型の枠内でしたら「新しいこと、新しい経験」と感じられるものを見出せるでしょう。
別にこれはありふれた宗教の言説です。
779 :
ベゲザンピーク:2013/02/19(火) 19:34:50.87 ID:NVvC9dUD
話すということは共通項を見つけ出すことで喜びがあります。
お互い意味を解するということで見つけ出す喜びがあります。
あなたのその予言者のような語り口はどうでしょう。
始めから話すことの一般通念みたいなものから、はみ出しているような
気がしてなりません。あなたは意味はともかく雰囲気のある文章を書くの
がお上手なようです。しかし一方的過ぎるのです。あなたがなんらかの真理を
見出したと仮定しなければ会話が続く人はいないと思うのです。
クリシュナムルティ、グルジェフ、ラジニーシすべてグルです。グルの語り口です。
あなたはそれを真似ておいでです。ただ雰囲気において。内容は意味不明です。
ただ翻訳者の語り口に本来もっと近いのではないでしょうか。あなたの語り口は。
≫あなたは会いもしない人を師としてそのやり口だけ仰いでいるんですね。
少しイージーではないですか?「経典を捨てさせる」云々はわたしはそこの
組織の人間ではないですから、理由までわかりません。あなたも本来そうでは?
そういう人もいれば、実体験によって理解した上で、自身の言葉で述べている人もいます。
私の場合、一応借り物の言葉と自分の言葉ははっきり分けて述べています。
もちろんそれが私が自身で理解して述べているという確たる証拠にはなりません。
あなたがそれを見分けるにはあなた自身も自分自身でそれを理解するほかありますまい。
それに私は真実を知らないのです。
だから、「先達はこうおっしゃってます」としか言えません。
そうだと言い切って、信仰してはいません。
わからないのですけど目印として当てにはしています。
781 :
ベゲザンピーク:2013/02/19(火) 19:38:23.47 ID:NVvC9dUD
>>777 論鋭的に思うこと」と入れてどう正確になるんですか。
勝手に決めて先へ話題を飛ばさないで下さい。
782 :
ベゲザンピーク:2013/02/19(火) 19:43:24.55 ID:NVvC9dUD
信仰していないなら宗教ではないですね。他の学問とのちがいは、宗教の場合
聞く人と話す人がベクトルで成立した場合、とにかく宗教です。
なんだかんだいって当てにしているんですね。いったん信仰を否定しておいて
当てにしているなんて可笑しな言い草ですね。そこまでして自分の印象を高めたい
と人はとらえますが、いかがですかw
783 :
ベゲザンピーク:2013/02/19(火) 19:45:58.23 ID:NVvC9dUD
信仰していないのに先人と呼んでひとにその考えを紹介するのですか?
なんかへんですね。では。
>>779 そう言っていただけますと、あなたがどのような方でどのように私を見ていて、
いかに私がそれをわかっていないかを痛感します。
ただ、クリシュナムルティーは真理を述べるというより、精神の束縛について語っていました。
束縛されているという自覚があり、恐怖と不安に満ちている人間が自由を見出すその指針を。
人がなかなか見ない自身の本音、主観、不安、などなどを題材とするので普通の考え方と話があわないのは同意します。
ただ、題材そのものは実にあふれていて神秘的でもなければ予言でもありません。
もちろんそういうイメージを利用する方便もあって嫌いではないですけどね。
ただ、話を合わす能力の無い私がお互いの時間を無駄にしているとしたらもったいないですよね。
「あなたがどのような方でどのように私を見ていて、
いかに私がそれをわかっていないかを痛感します。」
議論もいいですが、どちらかというとあなたのことを素直に話していただくことで凄い知恵の機運になったと感じています。
自身で見出していないのに正しいと思い込む≒信仰
わからないから確たることは言えないが、あの人たちを信頼して自ら見出す=道
そのようなニュアンスで区別しております。
それに私は真実を知らないのです。
だから、「先達はこうおっしゃってます」としか言えません。
そうだと言い切って、信仰してはいません。
わからないのですけど目印として当てにはしています。
「そうだと言い切って、信仰してはいません。」
と述べています。
「それに私は真実を知らないのです。
だから、「先達はこうおっしゃってます」としか言えません。
わからないのですけど目印として当てにはしています。」
信仰ではない宗教の関わりかたについてここで述べています。
仏陀も自らを灯とせよといいますし、これが悟りの伝統です。
信仰というのはいわゆる世に流通している宗教に関わるものです。
述べても目に入らないでしょうか。
これは国語の問題もありますが、経験の問題もあります。
宗教と言えばいわゆる信仰をしてる人しか知らなければ宗教≒信仰の有無で判断してしまうので私のの得たことに注意を払わないでしょうし、
信仰ではなく道を歩もうと修行してきた人は初めからその意味が込められているかどうか気にして読むことでしょう。
論理は論理を使う主体がどのような経験をしているかで働き方が変わってしまうように思います。
787 :
ベゲザンピーク:2013/02/19(火) 20:21:22.84 ID:NVvC9dUD
>>786 それはすごく閉鎖的な意味での理想だとおもいますが・・・
(ユダヤ教の人も自ら宗教とはいいませんし。子育て教だと称する人もいます)
自分で信仰に至らない所以をを道となづけてもそこには何もないような気がします。
信仰に至るとは、あなたにとって信仰は特に否定の対象ではなかったのでしょうか。
これは意外です。
さて、実践的な宗教の道においてはそういった信仰ははっきり否定の対象です。
20世紀以降の宗教はみなそれを批判していますし、禅もそうですね。
ちゃんと経典を読むとそうでない実践的宗教は存在しないと思います。
実際教会組織を作り、戦争を含むたくさんの対立を世界に持ち込んだのは信仰です。
そして信仰には「良い、悪い」の軸が必要なので対立組織を求めます。
この世にキリスト教しかなかったら宗派ごとの争いがキリストイスラムの対立のごとしでしょう。
それが人間心理です。
信仰に至らない。至るも何も、、。
それに陥らないように注意するのが本来の宗教です。
確かに彼らは何かを見出したように見えます。
その精神的な逃避先を捨てて不安にとどまるのが瞑想です。
789 :
ベゲザンピーク:2013/02/19(火) 21:03:53.45 ID:NVvC9dUD
ふ〜ん。実践的宗教というのがあって、信仰をもとに集まる教会組織とは
一瞥されないといけないのですね。信仰という精神的な逃避先をすててそれに
陥らないように注意し、不安にとどまるのが瞑想なんですね。
現代の瞑想ムーブメントの実態はそのようにも見えませんが・・・
対外的にはそう言うんですね。
「信仰に至らない所以を〜〜〜」はあなたに向けて
書いたのですが、あなたは信仰にいたらなくてよかったと思っているんですね。
ラジニーシやクリシュナムルティとかを信仰したくはなかったんですか?
一方的なベクトルで教えを請うのは立派な宗教だと思いますし、それを世間では
信仰があると呼んでるんですよ。グルも信仰ではないといいながら一方方向のベクトルだけは
要求すると思いますよ。もう一度言いますがすなわちそれは信仰なんです。
あなたが先達とよんでいるのも立派なグルイズムです。すなわち信仰です。
本当は宗教は反社会性を内包していないといけません。しかしそこまで至る組織は
皆無です。伝統宗教を批判するだけです。それがあたらしい宗教のやり口です。
いつの時代も同じです。心眼でみないとわからないとおもいます。
790 :
ゼノン:2013/02/19(火) 21:04:36.39 ID:+OJtsQGP
「いいわねシンジ君?」
確認をとるミサト。
「…重体患者が乗るよりはいいでしょうね」
覚者の声に軽く頷くとミサトは
「…行くわよ」
自分に言い聞かせる様に呟くと一際力を込めて
「最終安全装置、解除!エバンゲリオン初号機、リフトオフ!」
号令を発した。
…巨人が解き放たれようとしていた。
791 :
473:2013/02/20(水) 01:10:14.44 ID:tw4s7IRd
瞑想において既存の精神の枠が薄れるかというその時
既知と未知というもらい物の知識のせいで、経験の総体である精神が「未知に生きるという夢」を作ってしまい精神は生き残った。
知識そのものが不要という時は来る。
知識に頼らない空虚な精神だけが愛を体現すると真理を体現するとクリシュナムルティはいう。
知識が不要と言いうるのは瞑想において知識通りの体験を一通りして、それが自我を強めていると解ったとき。
それ以前ではない。
弟子であること、全力でコミットすることについては語っています。
信仰は薄っぺらい依存か、強烈な狂信でしかないでしょう。
精神の型の破壊ではなく、強化をもたらします。
クリシュナムルティーやOSHOを信仰することは困難ですよ。そういう対象としては向いてないでしょう。
ですが、彼らの死後後継者たちが信仰の対象にできるようにアレンジすることはあります。
それに私は個人で話しており、もしくは同様の求道者として話しており、あなたが想定する人々と何の共通点もないと思います。
私がどこまで本物かニセモノか、それを見分けるにはあなたも全力でコミットするほかありません。
今はあなたの経験で私を判断するだけでそれはどうしても見当違いになります。
「判断不能」それはあなたが全力で宗教にコミットしなければ当たり前のことです。
門外のことに奇妙な見識を持つ必要もないでしょう。
宗教はこうあるべき、というのはあなたの区別においてであり、宗教の実践者の都合ではないでしよう。
≫一方方向のベクトルだけは要求すると思いますよ。もう一度言いますがすなわちそれは信仰なんです。
この定義でしたらその通りだと思います。
ですが、私はあなたの定義する「信仰」を更に細分化しており、そこに大きな質の差を見るのです。
私とあなたの見方が異なるのは目的が異なるからでしょうか。
あなたの分類は傍観者の分類でありあまり意味を感じません。
794 :
素人A:2013/02/20(水) 07:45:27.86 ID:PQxGEv6I
高次の煩悩を身につけれれば安心我あるのだけどなあ?私の徳は相手の損損な時にも少しは私が損すれば公平に見られるのだけど
なあと思うばかり?損な人は拙い無いし。学んだ勘だ行っても私から観えるものは今のため息だし今は少しの努力しなさい。努力
しても苦しいものはそれはどうしょうも無いからあきらめるしかないから。高次の煩悩は今は身縁あれ縁側にあった?まあ今身得
る事だけやれば無理市内無理竹刀。楽なときは楽まるだし苦しい説きは来るし文句はあるけどまあよい世の中だし、高次元の夢の
中だし意味不明だし、心はまあよいだしなにも考えて意無いから今朝の増水は水も御飯も少ないけど長く出来ない心此処にあらず
だしなんとかかんとか書いたしまあよいか
795 :
ゼノン:2013/02/20(水) 18:15:47.73 ID:CXb8wnWN
死なないで…シンジ君…
胸の内でミサトは呟いた。
それがつい今朝方まで自らの過酷な運命さえ知らされず
今日に続く平凡な明日を信じて生きてきた少年への慙愧から出た言葉なのか
はたまた死に抗い生を望む命の性から出た言葉なのかはミサトにもわからなかった。
高速リフトにより地上に射出されるエバンゲリオン初号機。
最後の固定機具が外された。
796 :
473:2013/02/20(水) 20:31:32.10 ID:tw4s7IRd
自分自身への無知っぷりがシャレにならない。
他者を見て何とも非論理的に何かを好み、嫌い、安息を求め、欲し、恐怖しているさまを滑稽に見るが、
自分自身も何とも想像を絶する非論理的な欲望と恐怖に突き動かされている。
人は意識的に論理的に考えることができるから、むしろ無意識の非論理的な感情のうねりに気が付きにくい。
しかし無意識の方が強いのだ。
根本的な認識や生の方向性は無意識が決めてしまっている。
他者の愚かさを嫌う論理的な自分ってなんだろう。
結局そのせいで自分の愚かさを直視すらできない。
他者を否定することは自身を抑圧することにそのままつながり自身の生に混乱をもたらす。
私は馬鹿だ、今まで馬鹿にしてきた人とかわらず馬鹿だ。
それは非難する意味合いではなく、ただそうだというだけだ。
一番身近な自分を他人のように見よう。何の期待もせず、非難もせず。
行為者であることの苦しみ
798 :
素人A:2013/02/21(木) 07:55:52.78 ID:mvebxn3D
人生五十年夢幻の如しか網ととつくに過ぎている仕事だが?感激のドラマも無く平平凡々だあ金が無く苦しいのは当たり前の
現実○出し。御釈迦さんの様に酒池肉林の煩悩に飽き飽きして高次の工場の未知を歩くの芸術的感激があるのか。芸術は要ら
ないけど前の酒池肉林の煩悩は要ると思うのは?まだ高次は工事中でいっまでも完成市内。私も芸術より適当で出鱈目な煩悩
大衆演劇の妄想を夢みるし、飽きるほど煩悩に満足してないし?ほんとはそんな欲も少ないし適当な楽がまあよいとおもつて
いるだけ、お釈迦の修行は大変なんの楽しみがあるのだろうか。御釈迦さんも仕事でこのようにして来たのか?まあ僧なんだ
ろうけど皆がお釈迦でも酒池肉林でもこの世は纏まらないし平凡が殆ど不満も多いけどまあよいか。夢の仕事も色々あらーな
まみんなほとけには変わりはない、でも自分が仏だと認めないだけだし辛いと物々門苦を言うほとけ楽だと楽しいだけ
なぜか朝の書込み前この瞬間だけ心が落ち着いていて落ちも決まる?はてが無い
脳内まあ役が聞いているのか?ここを過ぎるとすぐ落ち着きもなく心も外外
799 :
素人A:2013/02/21(木) 08:38:29.95 ID:mvebxn3D
まあマトモナ人が妄想三昧力を身につければこの世では生きるだけの平凡な夢でも満足。
なぜならその人の能力で妄想三昧で満足出来るし、現実世界に妄想実現する事も無いそう
なれば納まる処に納まるし?夢と夢がぶつかる事も無い警察も要らないし?その点では
ノスさんは才能はあるなあと感心するけど?まあそういう役を演じているの鴨現実の事も
少しは考えれば器が大きくなる高次も完成すれば怖いものは無いと中中完成しない工事中
の私が言う私はまだほんのうの夢の途中 わたしも人の事も少しは考えよう
サスペンスドラマ好きな人は皆良い人だしエロDVD見る人も皆良いアダルトだしみんな大人だし
800 :
ゼノン:2013/02/21(木) 18:00:25.88 ID:UxOpDMGQ
「シンジ君、今は歩くことだけを考えて」
「…残念だけど歩行訓練している時間はなさそうですね」
覚者の超人的聴力は近づきつつある敵の足音を捉えていた。
ズンン…ズンン…ズンン…
山が歩くような重い足音を夜のしじまに響かせ死の影が現れた。
801 :
素人A:2013/02/22(金) 07:37:08.69 ID:MUmKutpU
法華転法華(
>>699つづき)・・いわゆる「法華に転ぜられる」と言うのは、心が迷う事である。心が迷うというのは、とりも
なおさず「法華に転ぜられる」という事である。要するに、心の迷うことは「法華に転ぜられる」に外ならない。その意味は万
事悉く心の迷いであるとしても、そのありのままの相(すがた)は法華に転ぜられているのである。この転ぜられているという事
は、喜ぶべきことでもなく、期待するべきことでもなく、得るのでもなく、来るのでもない。その外には ありようが無いのだ
から、二もなく三もないのであって、ただ一仏乗あるのみである。ただひたすら 真心の一片 があるのみである。そういう訳
で、心の迷いを悔やんではならない。汝等の振舞うところがそのまま菩薩道なのである。もともと菩薩道は、このようにして諸
仏にまみえてきたのである。衆生が開示され、悟入するのはひとりひとりが法華に転ぜられているのである。火宅にも心の迷い
があり、門にも心の迷いがあり、門の外にも心の迷いがあり、門の内にも心の迷いがある。心の迷うままに門内門外、ないし門
や火宅などが現われているのであろうから、白牛車の上の開示悟入となるのであろう。この白牛車の上の庄厳として、悟入が成
就するとき、いったん路地へ入ると考えるべきか、火宅を出ると認めるべきか、あるいは門はただ通り抜ける所とのみ思うべき
か。いままさに良く知るべきである。車の中に火宅を開示悟入せしめる転もあり、路地に火宅を開示悟入せしめる転もあり、ま
た門がすべての門となって開示され悟入る転もありあるいはあらゆる門を開いて悟入せしめる転もあり、また門内門外に開示悟
入の転があり、あるいは火宅に路地を開示し、悟入する事もある(つづく) 道元とたの三昧の妄想力が自由自在に展開している
世界を学ぶより、自らの過ちを学んでいこう。
直視できないこと、計算基準が狂ってること。
結構ある。
他人のねじが狂ってるのは良く見える。
自分のねじも似たり寄ったりだったりする。
ミスして後悔するより、もともとミスする自分だったと気づけばいい。
803 :
473:2013/02/22(金) 21:18:50.18 ID:FyYRLUpC
不完全な自分をありのまま愛することができなかった。
自分の不完全さを直視せず完全たろうと努力していた。
しかしそれは自己の抑圧でしかなかった。
どんなに賢明に語れるようになってももともとの愚かさがついて回る。
愚かでもいい。間違っていてもいいのだ。
それを受け入れたとき生は変わる。
その愚かさが消えるとは限らない。
しかしそれを直視しないことによる混乱は消えるでしょう。
804 :
ゼノン:2013/02/22(金) 23:02:47.93 ID:9G0jZoVG
「…ホントに来ちゃいましたね先輩」
「そうね」
「これからアレとシンジ君…初号機が戦うんですね」
「そうね」
「勝てるんでしょうか?」
「勝ってもらわないと困るわね」
「もし初号機が勝てなかったら?」
「世界が滅びるわね」
「つまり…私達全員死ぬってことですか?」
「そうね」
「そんな、恐く無いんですか先輩?」
「恐いわよ」
「私もです先輩」
「なら生きる為にベストを尽くしましょうマヤ、死ぬのは死ぬときだけよ」
「はい先輩」
人は快楽の経験を記録し、その再現を望む
するとあるがままが退屈になる。
806 :
素人A:2013/02/23(土) 07:13:08.68 ID:zs1TbBCP
聖域 最後まであなたのこと 見届けられずに行くけど たくさんの夢をいつも 見させてくれたね ありがとう
それぞれの未来に あたたかい幸あれ もう二度とふり向かない ここからあなたの聖域
彼方へと流れていく 青く清らかな川面に 幾霜の想いはせて 感謝の祈りを捧げる 穏やかな門出を
朝焼けが包んで 降りしきる雪が この大地閉ざしても いかなる運命(さだめ)が この先に待つとも
私の心に灯っている 希望の光は奪えない 誰もが踏みこむことのできぬ 小さな私の聖域
最後まであなたのこと 見届けられずに行くけど たくさんの夢をいつも 見させてくれたね ありがとう
それぞれの未来に あたたかい幸あれ もう二度とふり向かない ここからあなたの聖域
彼方へと流れていく 青く清らかな川面に 幾霜の想いはせて 感謝の祈りを捧げる 穏やかな門出を 朝焼けが包んで
降りしきる雪が この大地閉ざしても いかなる運命(さだめ)が この先に待つとも 私の心に灯っている
希望の光は奪えない 誰もが踏みこむことのできぬ 小さな私の聖域
どうもよく私には解らない?つまり聖域とは輪空内という事か?何でも肝心な事は何一つ輪空内けどわからないと言うことか?
それに最初は否定が後は肯定になつているし?色即是空は空即是式◎出し?片手の公案に取り組んだ牧師さん片手の人の拍手の
音は聞こえませんでしたの話をぽつ師匠から聞いた。その牧師さんは聞こえませんでしたと言った時心は晴れ晴れとしていた
野鴨? 悟りは無い我 悟りは内? 肝心な事は我々がいくら考えても良くわからないけど或るものはあると心知る野鴨
807 :
素人A:2013/02/23(土) 11:38:40.90 ID:zs1TbBCP
808 :
ゼノン:2013/02/23(土) 21:44:25.21 ID:Wq09IM5l
「使途、初号機に接触」
長髪のオペレーターの男が告げる。
「チッ、思ったより早いじゃない、でかい図体してんのに」
毒づくミサト。
使途の目の様な部分が光った。
次の瞬間初号機が吹き飛ばされていた。
809 :
473:2013/02/24(日) 01:53:53.04 ID:/Pm7o510
神秀を軽々に否定したのは軽率でした。
それはoshoがある文脈で悟りの直前であった慧能と、大衆に信任されていた神秀を対比していたからその受け売りで批判していました。
しかも、その時oshoは神秀の言葉を瞑想の極致だと言って賞賛していたのでoshoの意すら受けていない。
心は鏡のよう、塵を払え
経験の蓄積である主体が物事を判断して苦悩する。
既に判断してしまっている対象に惑わされるな。
判断する主体である自分自身を見よ。
神秀の境地も相当のもので、それは究極につながる方便であると思います。
これは悟りの言明ではないが、見事な瞑想の言明であると感じます。
瞑想の極致に在った神秀に対して慧能は悟りそのものの体現が間近であったというだけなのでしょう。
これはクリシュナムルティが語っていることと同一の地平ではないでしょうか。
判断さえしなければ心は鏡のようにあるがままに物事を写し、判断する主体がいないので苦悩する主体もあり得ない。
が、慧能は、本当に判断が無ければ心が無ければ、鏡も存在しえない。
鏡というのも一つの境界であり、判断の主体に変わりはない。客観性に近い主観性でしかない。
判断の主体は消えあなたと全体は一つであることに還る。鏡など存在しない。
そのように述べたのだと思います。
何を考えても、何を考えてもだよ
自我は強化される。
それを本当に悟ったなら、世事は瞑想を妨げない。
それまでは世事は体験と考察の邪魔だ。
体験と考察は自我を、経験の蓄積による主観を強めるのだが、それが身に染みるまで体験と考察は研ぎ澄まされる必要がある。
何も考察せず、考察する主体が静まるのを待つだけならあらゆることが障害ではなくなる。
それこそ慧能の米粒数えが、、。
川、登場。
812 :
ベゲザンピーク:2013/02/24(日) 03:45:02.80 ID:O40PvnGB
人間とは絶望を知る唯一の動物だ。人間と動物どちらが上位概念だ?
動物でしょ。動物を嫌っても仕方がない。宝石には磨かれる使命があるが、
人間も含め動物には本来そんな使命はない。しかし人間は綺麗でいたい、
強くありたい、やさしくありたい、等等の願いをもつ無垢さがある。
もし人間にこの無垢さがなければ、残酷で不衛生な世界しかないだろう。
813 :
ベゲザンピーク:2013/02/24(日) 03:55:05.24 ID:O40PvnGB
人はその願いの無垢さにおいて他の動物から秀でている。しかし雑食性の動物らしく
いろいろ試すのが人間だ。試した結果すばらしいことなんてありゃしない。
でも商売の為なら大げさに言って聞かす。宗教もその思考形態と対して違うわけではない。
唯一本来人はその願いにおいて無垢なのであって無垢な願いが売っているわけ
ではない。それがわからないかぎり、安い観念や考えがつぎからつぎへとまとわり
着いて離れない。そんな状況になるでしょう。
814 :
ベゲザンピーク:2013/02/24(日) 04:29:34.20 ID:O40PvnGB
恐れや無知から何をやっても人は失敗するようにできている。
猫は動物である。動物は猫である。前者は正しいが後者は間違っている。動物」の方が抽象度が
高いといえるだろう。仏教で言うところの無や有は空という概念に包摂される。
この世で発見された一番抽象度の高い言葉かもしれない。あにゃたがたはいきなり抽象度の高い言葉を理解
しようとして議論し口角泡を飛ばす。抽象度の高い言葉は無垢な言葉に似ていてゆっくり熟成されるものだ。
そうして出来上がったもののみ悟りという言葉につながるだろう。
思考は試行錯誤する。そして出来上がった概念は自信へとつながるだろう。
悩むことと考えが湧くことでは全く意味が違う。
願いはこころという現象の母だ。本当にあにゃたにどんな願いがあるのか反省してみると
いいだろう。あまりきれいなものではないことを知るだろうが、それからでも塵を払うのは
よいことだろう。
815 :
素人A:2013/02/24(日) 09:11:34.89 ID:35Yu8ISh
毎朝書いていると玉にはサボりたい心とおー何か書かなければと毎日に毎度コントロールされてネタもないけど?まだ途中で挫折
した書き込みが色々残っている?何時書くのどうせ私の書き込みは虫の中みんなは私ほど気にして意無い、けさは面倒で無いネッ
トの無関門貼り付けよう。心が無いけどおー何か書かないと次に行けない?なぜかそれが関門?とにかく本はだめと言うネタ
意気揚々として南方の地に至り、まだよくわかっていない教外別伝の宗旨を解明しようとして、豊州のとある道ばたにやって来た
とき、そこにいたおばあさんに声をかけて点心を買おうとしますが、そのばあさんが言うには・・・
婆 『坊さんがしょっている中に見える文字はなにが書いてあるのかね? 』
徳山いわく 『金剛経の経巻ですよ』 婆いわく 『ただ経文のなかに書いてあるとおりならば、過去心は得ることができず、現在
心も得ることができず、未來心も得ることができないとあるが、坊さんはその中のどの心にその餅を食べさせようとしてるのかね
? 』徳山はこのばあさんの質問を受けても、答えることができないので、なんだか口が少し歪んでしまったような感じがしました
、そうではあっても、まだこのばあさんの言葉を無視することができないので、逆に問いかけてみると ・・
徳山 『このあたりに、そんなようなことをおっしゃるお師匠さまがいるのですか? 』
婆いわく 『五里ほど行ったところに龍潭和尚という人がいるよ』 (途中だけど疲れた後で書こう)
無為と怠惰の間には違いがある。
怠惰はものぐさで、無精で、死んでいる。
無為はエネルギーに満ちている。
「私がやっている」とは思わずに、
「存在がやっている、私はただ見守っているにすぎない。 この戯れは続き、私は観察している」
と思う。
―osho
人は知ってることを言葉に込められるが、言葉から新しいことを知ることはできない。
言葉を聞いて連想する主体が過去の経験の蓄積なのだから。
投影の対象と仕方が少し変わるだけで映写機は変わらない。
変わらないどころかその経験でより古いパターンが強化される。
818 :
ベゲザンピーク:2013/02/24(日) 16:40:33.99 ID:O40PvnGB
わたし達が認められようとするのはいつも想像上の出来事。頭の中のわたしというのは
いつも想像上の存在、概念、イメージの塊。わたしたちはこの想像上の塊を守っている
に過ぎないのではないか。
「自我」というのは頭の中のおしゃべりとして存在している。ひとに侮辱されたり、軽
い扱いをうければあたまのなかのおしゃべりは自己の価値を回復させるべく独り言をは
じめる。「自我」というのは自己賛美と自己正当化のキャンペーンにすぎないのではな
いか。その想像上の存在を脱落させたり、スルーする訓練を禅や仏教や神秘思想は行っ
てきたのではないか。このことをしれば自尊心とのつきあいかたもかわるのではないだ
ろうか。
認められたい。侮辱されたくない。
それはそれが必要だからなのだと思います。
なぜ必要かというと、あらゆるものが永続しないのに人はそれを望んでいて根本的に不安なのだからだと思います。
認め合うことも相争うことも根本的な不安からの逃避たりえますから。
悟りを開いたら死ぬのが恐くなくなるって本当ですか?
821 :
ベゲザンピーク:2013/02/24(日) 17:06:31.26 ID:O40PvnGB
まず感情は思考が引き起こすものだとあなたは知らない。思考は透明だから
スルーしてしまうものの、
感情はリアルに感じられるものだからそんざいしない思考を実体のあるもの
とかんちがいする。過去は現在の心象だということを忘れてそんざいしない
表象にすぎないことにきづかない。思考を捨て去る、選択しうることにもき
づかない。思考や過去の想起は頭の外にはどこにも存在しないものである。
最初に気づきべきは感情の責任を他人や出来事に帰してしまうことである。
外界をかえれば気分が変わると教えられる社会に慣れすぎている。こころの
転換で気分は変えられる。思考の自動機械に乗らずに雲を眺めるようにその
思考がしぼんでしまうまでみていればよい。
≫820
どちらかというとその怖さと直面することになります。
直面しないためのものをまず剥がしてゆくことになるので、、。
≫821
ええ、なかなかそれに気づけません。
感情の元になる、現在の心象である過去、過去への執着である現在の心象。
瞑想の教えは現れる感情と戦わず、その元である主体である思考に気づくことにあります。
透明というか対象ではなく主体である自らそのものです。
≫まず感情は思考が引き起こすものだとあなたは知らない。
それをあらゆる形でのべてきた私です。
あなたは私の述べることを全く読んでいないか理解していない。
≫思考を捨て去る、選択しうることにもきづかない。
究極的には可能かもしれませんが、ふつう我々がやってしまうことは主体である思考が思考を抑圧してしまうことです。
欲望という形も取るが、怠惰という形も取る。
マインドは様々な形で過去に執着する。
いつも快適な文明生活の継続の夢を見ていて眠気を催しているかもしれない。
こういったことは環境の変化があった方が気づきやすい。
快適なものを不快にすることは何らかのきっかけになるでしょう。
仰る通り不快なものを取り除いても元の思考は変わらないでしょうけど。
824 :
473:2013/02/24(日) 18:15:49.72 ID:/Pm7o510
≫821
あなたはなぜ他人の中に自分と違う誤った考えを見出そうとするのだろう。
どうして他人が間違ってると証明して自分が上に立とうとするのだろう。
あなたの振る舞いはあなたの提示したあたまのなかのおしゃべりそのものではないのですか。
対等の立場で論じられる可能性を模索して相手を軽んじるべきではないし、
あなたが本当に役に立つ何かを知っているとすればそれはただただ提示すればよいのでは。
他人を否定する必然性はありません。
もちろん逆のことを言っている人がいれば反論すればいいかもしれません。いればですよ。
あなたはある種の他人像をあらかじめ用意しておきそれに反論しているように感じます。
そんな人はいないというのに。
その理由を私は述べます。
私自身にも当てはまります。
自分一人でくつろげないから。
不安と混乱があるから。その元は思考です。が、これも瞑想の修練を詰んだ人だけが実際に見抜けることだと思います。
思考は止められると仮説を立てるのはたやすい。
それでいて人は全く変わらない。
あなたがいもしない相手に上から目線で議論を仕掛けるさまが変わらないように。
825 :
ベゲザンピーク:2013/02/24(日) 18:20:39.57 ID:O40PvnGB
>>それをあらゆる形で述べてきた私です。
あなたは私の述べることを全く読んでいないか理解していない。
>ふ〜ん。
826 :
ベゲザンピーク:2013/02/24(日) 18:23:11.49 ID:O40PvnGB
827 :
素人A:2013/02/24(日) 18:24:04.54 ID:35Yu8ISh
モイヤー 西洋の人間は神学なんか問題にならぬ程神秘的体験をものにする事が出来るのでしょうか。科学が人の現実的認識
を決定するような文化社会において、そこにおける神的観念に縛り付けられている人の場合、シャーマンたちが語る究極の場
をどうすれば体験できるのでしょう。キャンベル でも人々は現にそれを体験しています。中世にその体験をした人々はたい
てい異端者として焼き殺されました。キリストが「私と父なる神とは一体であると」言明したのです。キリストはこう言つた
ために十字架にかけられました。それから九百年を経た中世において一人の偉大なスーフィーの神秘家が「私と私の愛する方
とは一体である」て言ってこれもまた十字架にかけられた。かれは十字架へ向かう道で祈りました、「おお主よもしあなたが
私に教えてくださったことをこの人々にも教えになつていたらこの人々は私をこんな目に遭わせなかったでしょう。またもし
あなたが私に教えにならなかつたなら、私の身にこのような事は起こらなかつたでしょう。主とその御業はほむべきかな」
また別のスーフィーの神秘家はこう言いました。「正統派の使命は屈辱と死を通して神と一体化したいという願望を充たすこ
とた」と。モイヤー「いまこの根源を崩しているのは何でしょう」。キャンベル「多数決のルールは政治ばかりで゛なく思考
の領域においても有効だ、と決めつけているデモクラシーの性格九ですね。言うまでも無く思考に関しては多数派は何時も間
違っています。」モイヤー「何時も」キャンベル「」この種の事柄ではそうです。精神に関して多数派がなすべき事は、衣食
住や子供や財産なんかを超越した体験した人々に言葉の耳を傾け、心を開くように努力する事なのに。あなたはシンクレアの
『バビット』を読みましたか?モイヤー「すいぶん昔ですが」キャンベル「最後の一行を覚えていますか?「私は一生のうち
一度も自分のしたい事をした事がない」というのです。自分にとつて無上の喜びを追求した事が無い人間。・・・
828 :
473:2013/02/24(日) 18:45:42.31 ID:/Pm7o510
冷たい風も心地よく吹いています。
夢で争うより、事実に在ってくつろげるなら。
829 :
ベゲザンピーク:2013/02/24(日) 19:40:36.64 ID:O40PvnGB
正しいことを言うと、人は腹を立てる。正しい言葉は毒に聞こえる。これはどういうことなのか。
決まっている。正しい言葉は、その人の正しくない部分を指摘するからである。
すなわちその人の内なる毒を明るみにだすからである。
830 :
473:2013/02/24(日) 20:07:51.90 ID:/Pm7o510
腹を立てている人は、腹を立てている自分の振る舞いゆえに周りがそれをたしなめているのにかかわらず、
周りが腹を立てているのだと投影して、自分は平静なのだと言い聞かせようとします。
実際人に正しいことを言っても腹を立たせますが、腹を立てている人は自然と周りの人を腹立たせるような言動をしがちです。
あなたの述べていることと、私の述べたことをよく読んでください。
あなたの振る舞いについてただ述べ、そしてそのようなふるまいをする必要はないのですと述べています。
あなたと反対の意見を述べて敵対している相手はいないのですからと述べています。
なのにあなたは私があなたに腹を立てているという。
前出したように腹を立てている人は自然と周りの人を腹立たせるような言動をしがちです。
が、私は大分それに慣れているのでそうそう喧嘩は買わず対等の友好的なやりとりの入り口はいつもあります。
でも、当惑し、指摘せずにおれないのは、私が言っていないことを言ったといい、言ったことを言っていないといい、
怒っていないことを怒っているというあなたの認識です。
831 :
473:2013/02/24(日) 20:13:35.11 ID:/Pm7o510
人はわたしに私でないものを見て好きになったり嫌いになったりする。
いちいち私に許可は取るわけもない。
これはその人の自由。
けど、面白い書き込みをする人とはすれ違いを無くして出会えまいかとちょっと試す。
人はわたしに私でないものを見て好きになったり嫌いになったりする。
これを自分がやっていないわけもない。
832 :
ベゲザンピーク:2013/02/24(日) 20:36:04.63 ID:O40PvnGB
>>人はわたしに私でないものを見て・・・・・
?「人はわたしに私の「考え」「容貌」「振る舞い」でないものを見て・・・」かなんかの間違いですか?
「人はわたしに私でないものを見る」って何?
「自分がやっていないわけでもない」んでしょ。答えて。
私自身が変わる事ですよ。良い風に。
文章にでてます。きっと自分から行動
できないひとなんですね。「私にあなたはあなた自身の何かを投影して私を
見ている」なんて言うのはナンセンスだし怠慢なんですよ。怠惰で無精で死んで
いるひとの発想です。
833 :
ゼノン:2013/02/24(日) 22:53:21.96 ID:SlSCx11B
倒れた初号機に使途から追撃の破壊光線が連続して撃ちだされた、衝撃で初号機が跳ねる。
覚者の悲鳴が発令所に響き渡る。
そして使途は初号機に近づいて行き左腕一本で初号機を持ち上げた。
?「人はわたしに私の「考え」「容貌」「振る舞い」でないものを見て・・・」かなんかの間違いですか?
その通りです。
何が間違いなのかはわかりませんけど。
私とは「考え」「容貌」「振る舞い」の総合です。
間違いを見出そうとしなくてもここには同義が見て取れるとは思うのですが。
≫なんて言うのはナンセンスだし怠慢なんですよ。
それは一般化できません。
私がそのパターンであなたを見ないで述べていたらその通りです。
ですが、一連のあなたの書き込みと私の書き込みを見渡してその話の擦れ違いを見出されてみては。
私の述べていないことについて私に対して反論されているのであなたの私に仰ることは正しくも間違いでもなくただただ当惑させられるものです。
835 :
473:2013/02/24(日) 23:21:31.35 ID:/Pm7o510
自分の日々の振る舞いを他人の視点で客観的に思い出せるだろうか。
悟った人でもない限り誰もが無自覚に何らかの攻撃性や傲慢さを発揮している。
それを事実として受け止められたなら問題ない。
明日から気をつけようで終わる。
やってしまったことは過ぎ去ったこと。
しかし、自身の振る舞いを直視できない人は、自分の振る舞いゆえの周りからの態度なのに責任を転嫁したり、
周りの人を悪意に解釈して自身の振る舞いを正当化しようとしてしまう。
これは無意識の自動的なプロセスでしょう。
自分の攻撃性を自覚すればもう他者に投影しないでしょう。
投影しなければ他者が怒っていたとしてもそれは自分の振る舞いに対して当然のことであるか、
もしくは架空の自分に対して怒っているだけであるか、どちらにせよ事実として受け入れられる。
人が自分に対して怒っているという夢ではないから。
現実に怒られても怖くはないが、怒られているという夢は怖いもの。
そして人はその夢におびえている。
現実に人が怒っていても自分と何の関係もない。冷静に対処できる。
しかし、その人が怒っているという悪夢に巻き込まれたなら足もすくむ。
その夢の出所は自身の攻撃性なのだが
自分の攻撃性を受け入れられずそれを外界に投影して怯えている。
鏡に映った自分を怖がっている。
この攻撃性は根深い。
≫自分の攻撃性を自覚すればもう他者に投影しないでしょう。
自我の終焉は安物買いではない。
この表現は軽すぎました。
837 :
カカシ:2013/02/24(日) 23:32:44.67 ID:LmKtRYGD
お〜 白熱しとるなぁ〜w
≫自身の振る舞いを直視できない人は、自分の振る舞いゆえの周りからの態度なのに責任を転嫁したり、
周りの人を悪意に解釈して自身の振る舞いを正当化しようとしてしまう。
これは無意識の自動的なプロセスでしょう。
まるでそうでない人がいるみたいに語ってしまいましたが、絶えず自身の全精神に意識的であり、
表層意識と無意識の境目が絶えず存在しないような人でない限り多かれ少なかれこのプロセスの中にいます。
他人のプロセスに巻き込まれるのも、自分も自分で自分のプロセスの中にいるから。
839 :
素人A:2013/02/25(月) 07:27:26.81 ID:A3GwPdkH
キャンベル「・・ところで私はこの至福の観念をサンスクリッドから得たのです。サンスクリッドは偉大な精神的言語でいが
、そこには超越の大海へと飛び込む崖っぷちを示す三つの言葉があります。「サット」は存在を意味する。「チット」は意識
を、「アーナンダ」は至福ないし歓喜を意味する。私は考えました。「私の意識が正しい意識であるかどうか自分ではわから
ない、自分の存在であると思つているものが、ほんとうに私の存在であるかどうかそれもわからない。しかし私の喜びがどこ
にあるかなら、良くわかっている、だつたら喜びに取り付いていよう。そしたらそれが私の意識と存在をも運んでくれるだろ
う」と。実際そうなったと思います。」モイヤー「私達ははたして真理を悟ることができるのでしょうか」キャンベル「それ
ぞれの人が各自の奥深さと経験とを持ち、自分自身のサット=チット=アーナンダーつまり自分の意識と至福に開かれた存在
ーに触れるという一種の確信を抱くことができます。宗教的な人は死んで天国に行くまではほんとうに至福を経験する事は
出来ないと言います。しかし私は生きているうちに出来るだけの幸福を経験するべきだと確信しています」
投影している状態だと外と自分を分けているから、苦痛や怒りや攻撃や責任転嫁になりますよね。
外に感じる者をまるまる自分だと一体化してゆるしてしまえば、自分の中(エゴ)が空っぽになって、ただ
観る(夢だと分かった状態で)ということができるのかなあ。なんて思った。違ったらすみません。
【仏教】悟りを開いた人wwwのスレ139【天空寺】
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1360969328/ 95:カカシ :sage:2013/02/17(日) 03:24:03.76 ID:9TxA5O5C
>おお?悟り子が随分前にええこと言うとるな。
>ま、どうせどっかの引用なんだろうけどなw
>おいコレ悟これちゃんと音読してみ。
166:カカシ :sage:2013/02/17(日) 23:47:24.74 ID:9TxA5O5C
>>163 >まぁ悟り子がどっかから引用して来た文章だろうからな。
412:カカシ :sage:2013/02/20(水) 21:46:10.50 ID:AzPV0uUD
>>401 >だからいつのにレスしてんだよw悟り子かお前は。
なんかカカシ(塩と味噌)はえらく悟り子を下に見てるな、このカカシの自信の根拠に興味がある。
842 :
素人A:2013/02/25(月) 08:40:47.40 ID:A3GwPdkH
長続きするものは苦労しなくても続くし、続けようと思っても続ける事が出来ないこと
もあるし。まあよいか心コロコロさあとりあえず私は気楽に生きればなる世うに鳴るし
>>841 >なんかカカシ(塩と味噌)はえらく悟り子を下に見てるな、このカカシの自信の根拠に興味がある。
塩味噌が下に見てるのは悟り子だけじゃないだろ
自分以外の全員下に見てるだろ
内心自分を駄目だと思っていたら周りも同じように扱う。
自分を直視できないと周りを攻撃したり低く見たりする。
自分を受け入れられ、自分に価値が無いとは思っていない人。
自分を大切にしていて、自分自身を温かく包んでいられたなら。
やはり周りの人も同じように扱うことと思います。
そして周りの人が自分をどう見るかに頓着してゆかなくなってゆくとは思います。
どのように自分を見るかは本当に人それぞれの自由なのです。
何とも人によって違います。
ただ、それが出来ていないからこその宗教です。
出来ていないことを自覚して道を歩みます。
果たして見下している人は幸せなのか?
見下されるといやなのだから見下すと幸せなのだ。
と自我は騒ぐ。
けど、そもそも苦しんでいるからこそ人を見下すのであり、人を見下したりはしない謙虚さ柔和さは安らぎの扉ではなかっただろうか。
宗教が謙虚たれというのは世渡りの為ではなく、実存において幸福であるにはそうあるほかないのだという事実の提示なのだと思う。
自身の苦しみと向き合いきれないうちは他人を見下したい。
見下して気を晴らしたい。
見下そうとすると見下し返されるので争いになって苦しい。怒りが苦しい。
しかし、自我が本質的に抱えているたとえようのない不安に直面することに比べれば天国だ。
問題はこちらの自我も誘惑されることなんです。
あのひとは知ったかぶって、傲慢で、人を見下していて、
それで自分は幸せで宗教もいくらか体得しているという。
彼のようになれば幸せになれるんじゃないかと自我はあなたをそそのかすでしょう。
しかしそれらが道に外れているとはあらゆる先達が示していてくれます。
先達より彼らの方が頼りになると思うのでなければ素直に先達を参考にしましょう。
彼らと論議しても当然拉致はあかないのでスルーです。
せいぜい幸せなつもりでいていただきましょう。
私個人として示唆できることはやはり自身の振る舞いに気づき、ひいては主体そのものに瞑想することです。
自分の中の「知ったかぶる、傲慢ぶる、人を見下す」心の動きに気づけば、
それは苦しみを作り出すものであり、それにそもそも大いなる不安からの逃避であったと見出すことでしょう。
自分のそれを見出せば、もう無意識的なレベルで他者のそれと衝突することも減ってゆきます。
大都当処を離れずあに修行の脚頭を用ふるものならんや。
然れども毫りも差あれば天地懸に隔たり、違順わずかに起これば紛然として心を失す。
もと本来これ、他にあるものじゃないんです、
それを見ようとする、知ろうとすると過つ、見るものこれ知るものこれです、
本来が本来を知ろう、見ようとする、出来ないんです、
これが基本技ですか。
花のように知らない、月のように手つかずが正解です。
仏道を習うというは自己を習うなり、自己を習うというは自己を忘れるなり。
仏教が欲しいんではない自分が欲しいんだという、その自分を追及して答えは忘我なんです。
自分を自分は知ることができない。西欧流が無明の文化と云われる所以です。
民主主義かぶれの日本人が、てめえ御本尊になってだらしなくうるさったいだけの、
元の木阿弥の物真似しかできないのは、自我というもののからくりがわかってないからですか。
それは人間だという、もと嘘っぱちの陪審員制度ですか、
えげつなく喧嘩をする権謀術数だけのヨーロッパ人には、そりゃついて行けないですよ。
そうじゃない、一目瞭然です。
自分という絵空事、よこしまがないからものみなあるがように見えるんです。
おおよそ当処を離れず、あに修行の脚頭を用いるものならんや。
真正直真正面です。無手勝流ですか、勝つも負けるもはじめから勝負はついているんです。
不思善不思悪正よもの時、なこかこれ明上座が真底。
坐るにはまったく手段工夫なし、数息観も無の公案もついには手つかずです。
たいていこれを知るのに一苦労ですか。
なにをどうやったってそのものこっきり、外れようがない喜びを知る、ようやく親しいんです、なにもとっからそのまんま。
しばらく毫りも差あれば天地はるかに隔たり、違順わずかに起これば紛然として心を失すと知る、
あっはっは七転八倒ですか、なに転んでもただでは起きないんです、
まっしぐらにやって下さい、不惜身命です。もとないんです
たとい会に誇り、悟に豊かにして、瞥地の智通を得、道を得、心を明きらめて、
衝天の志気を挙し、入頭の辺量に逍遥すと雖も、ほとんど出身の活路をきけつす。
会という境地ですか、悟ったこうあったあああったというんですか、自分と見られる自分の二分裂なんです
うたた悟ればうたた捨てよという、境地のないのを仏という、
悟り終われば悟りなし、仏教というなにがなし転ばぬ先の杖はいらんのです、
手足使って五体まるごとありゃ十二分、たとい欠陥あろうがまったく変りなし。
大悟十八ぺん小悟その数を知らずという、ちゃんちゃらおかしいんです、
大悟数百ぺんしたですようっふっふ、どれも一瞬大騒ぎってだけですか、
瞥地の智通というたしかに一目瞭然があります、
ではそれをだれに示すんですか、もとあるがようの心行くです、記述さらに不要。
道としてこうある、いいえそんなもんさっぱりわからんです。
空の雲や水や花鳥がどうして道なんですか、もとこのとおりただちに我が物です、同事です、心を明きらめという無上楽です、
ようやく生まれてきた実感は、死んだあととまったく同じ純粋無雑です、
触れるものみなふっ消える、衝天の志気を挙しと、
力をも入れずただこれ安楽の法門は、なにをどう云ったろうが外れっこないことをおのずからに知る、
頭なくなって始めて坐禅です、坐る以外になく、自分というもののない坐禅を楽しんでください、
孤独まったくのひとりぼっちよく、逆境世間の無理解等もっともよく、
どうにもこうにものさげすみ悪口雑言の渦中、水のようにゆくりなく澄むんです、
これ生活。
彼岸にわたりきって下さい、まずはそれからです、般若の智慧ぱーらみーたー。
849 :
《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2013/02/25(月) 19:18:01.99 ID:M/oTMpJm
このとふていはく、今の人も参禅弁道またこの類です、悟ったらどうなる、境地のよしあしなど、
大切な心を物としか見ない、だからその証をとるべし、
悟ったらあともう坐禅なぞいらないという、すなわちこれ外道です。
外道とは本来をそっちのけにする、思い描くばかりですか、
ラジニーシとかクリシュナムルティというインドの聖者どもがこれです、
有心というんですか、痴人にゆめをとかず、山人に舟の棹をあずけるなという、
彼の徒輩に法を説くのはまあさ、ほんに疲れるばかり。
物としか見ていないということに、一切気がつかないんですか。
いはく修証一如の法があります、初心すべて。
一分の本証を無為の地にうる、
人間の完成、ぜんたいだの、行ない清ましだんだんよくなる式じゃないんです、どうか心して参禅して下さい。
この項まさに坐の工夫です、
あなたが死んで三日たったら、いえ三年たったらどうなる、さあという。
なに風景世間まったく今の目の当たりこのとおり、
あなただけがあっはっは、たいてい人の記憶にも残らんです、
はいこれがあなたの悟りですと。
わかりますか、あなたに用事ないんです、たとい内外あるんなら、外に向かって参禅しなさいと。
これをえたえないという、そんなものも残らない全体これ、
初心というまったくの未知です。
わしほど坐ってる者ないですよ、朝に夕にひまさえあればです、えーと飲むときあるんでいかんですがさ。
妙修を放下すれば本証手の中にみてり、本証を出身すれば妙修通身におこる、
悟後の修行と云うんでしょう、仏向上事と、すなわちこれです、
初心の他なくして昨日の吾はまったく今日の吾にあらず、すなわち生活とはこれ。
851 :
ゼノン:2013/02/25(月) 20:57:11.76 ID:vwqoVLLz
使途の右手に赤い光の槍が現れた。
初号機の左手がガッシリと使途の左腕をつかんだ。
852 :
《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2013/02/25(月) 22:40:56.09 ID:YcunNG1n
853 :
473:2013/02/25(月) 23:11:37.04 ID:wSjk0mdQ
恐怖を苦しみと感じる。
が、得ようとすること、生死の区別は苦しみと感じていない。
しかし、単純に自分を見つめれば、生の流れと同化せず奮闘して得ようとすることは苦しみだし、
生死の区別は苦しみだった。
苦しみはまだまだある。
決死の覚悟で瞑想する理由はあるのだ。
当たり前のこととして受け取っていて苦しみだということに気づいていない苦しみがある。
しかし祖師はそれを見逃さず、その中に分け入り、それを超えていった。
死に入り込まずして死を超えることはない。
854 :
カカシ:2013/02/25(月) 23:18:03.51 ID:BZ8gvdnP
>>847 二行目は信心銘だな。
うん。ないな。
だな。 そりゃもう二人連れ。見ること不可能を口にし出す。
いや、何としても手のつけようがないでしょ。
ブドウを習うということは・・・何べんも聞いたw
そうそう。完全に自分の内を無くす 外ばっかりになる。見れないものが見れる。
うん からくりわかってないだろうね。 分かろうとしてよけいからめとられる。
うん 人間だよ。考えの世界ではね。 陪審員がなんで出てくる?西欧ってことか?
まぁディベートとか凄いからなスキル。 だけど結局ザル。 人間が作り事したことなんて穴だらけ。矛盾だらけ。
うん、ハッキリしてるね。 堂々と現れてる。
まぁそこで見えるって言うから普通に我見で聞かれる。見解をもたれる。まぁなんにしても持つがなw
あにから分からんけどこっから誰だって一度も離れたことないでしょう。
真正面からさっぱり意味不明。
ただ坐禅する。 坐るじゃない それだと人がしてるみたいでしょ。 坐禅するが坐禅になる。ただ坐禅。たったそれだけ。
まぁ自我を持ってると数息観だの無字など公案がいいかもね。 坐禅一つでカタつくんだけどね本当は。
どことおっても見るものは同じ。 何ももっとらんし手のつけようがないでしょ。手つけた気になってるだけでしょ。それに手をつけないようにって重ねちゃう。遠して遠しでしょ。
おっと風呂入ってくるか。
855 :
神も仏も名無しさん:2013/02/25(月) 23:35:35.09 ID:WiS+A4ae
おいおい哲学板じゃねーんだからキチガイごっこやめろや
無眼界乃至、無意識界。
目で見る耳で聞くという、教えられてそのように知っている、
実際には知らないんです、そんな感覚器官はないです、
にもかかわらず目で見る、見られる物と、見るこっちの区別、
耳で聞こえる、どこから聞こえるなど、都合よく交通整理です、
それを生活と云っている。実はまったく違うんです。
自分という架空現象なんです。
いったんこれを去ってごらんなさい。自分がないと云って捜して歩く人に、
ぽんと打って、これだという、はあっと気がつく、もとまるっきりないんです。
変だようあっちもこっちもないという、あるいは寝込んでしまったりする、
茹でた蟹の七足八足するが如くという、手足動かしながらだれが動かすのかわからない、
あるとないの区別がつかない、元の木阿弥状態です、不思議です、
思いのほかにこうある、無眼界乃至無意識界です。
これがほんとうです、ここにおいて真相なんです、ものみな掌するあるがまんまのオールマイティです、
でもはじめはむちゃくちゃです、あんまりに従来の習慣が長かったんですか。
無意識界という、意識するときそれを観察できないんです、
にもかかわらずおれはこう考えこう云っただからとやる
、すべてこれ間違いのもとなんです。
心は一つです、一つの心がその心を見ることの不可能、
一つがたった一つに返るすなわちゼロです、これを無心という、無心心がないんです。
坐禅とはこれです。単を示すんです。
仏教があり自分がありする、本末転倒事、百年川清を待つの譬え。
無無明亦無無明尽、乃至無老死亦無老死尽。
無明もなく無明の尽きることもなしは、他の宗教にはないんです、
もっともこれなくば宗教とは云えない、妄想だ悪いやつはポアしてしまえ、
魔女裁判だ拷問して財産をふんだくれ式ですか、
根拠があってやることは残忍で容赦がないんですか
無明もなく無明の尽きることもなしは、坐るんでしょうするとたった今で100%いいんですよ。
自分以外のものは自分が死んでもまったく変わらないんでしょう、
悟る以前も悟ったあとも同じです、だったらなんだなんにもならんじゃないかという、
ほんとうになんにもならんのです、
これじゃどうにもならん、満足できない、なんとかしようとして七転八倒する、
たんびに元の木阿弥ですか、するとどうしようこうしようというものが失せる、
手も足も出ないんです、ただうち坐るによって向こう合わせに来る、
はあっと気がつく、身も心もまったくないんです、無明もなく無明のまっただなかにしてこうある、
取り扱う自分が失せるんです、神変不思議です、摩か不思議という、200%自分ですか、
あっはっはどうにかこれ仏です、仏の修行です、
おれがいいおまえが悪いじゃないんです、
自信満々という、そうではない自信がなくなる、何物も得てないんです、
ただ無老死亦無老死尽を知る、生老病死また同じです、
因果必然のまっただなかにあって、たたわわついに物を得ずです、
なんの根拠もなく生きて下さい、なにがどうあるべき、堂あったらいいということがない、
さあ生きて行かれますか、生きるということさえ知らないんです、
おれは悟ったというときかたくな、始めっから安楽椅子なんてないんです、
悟るとは強いていえば安楽椅子、転ばぬ先の杖を擲つということですか、
若い人はまずもっておむつを脱いで下さい、人に文句云うだけの過保護役立たずじゃあ坐禅どころじゃないです、
身心挙げてということはもと身心がないからなんです、木に登って魚を求める不都合、
もとまったくにこの中にあり、仏の大海とは坐禅をする以前と同じなんです、
飢えた虎に投げ与えること、特別はいらないんです。
あなたは多分こういう間違った考え方を持っているのですが本当はこうなんですよ。
私は良く解ってる人間なんですよ。
という感じを受ける口調、感じ。
自我が自我はないのだといい、自分自身の自我の特性を外部の人間に投影する振る舞いのそのまま。
外ばかりとはよく言ったもの。
せったんを始まりとする禅の流行で似たような人は多いですね。
祖師の言葉と論理で比較すれば似たようなことを言っている。
しかし、その人そのものが出る詩として比較してごらんなさい。
似ていないどころは正反対のものを醸し出しています。
859 :
473:2013/02/26(火) 00:42:09.89 ID:TOLrOTnx
いや、私はこれで論理を愛しすぎているのかもしれない。
祖師の論理には祖師の詩も備わっているべきだと。
いやいや、論理とは全く持って使う人次第のもの。
論理そのものにはなんの力もない。
そうではなかったか?
宗教の開祖の意図と真逆に誤解された方便は数知れず。
論理にはなんの力もないのだ。
その人の方向性を強化するだけだ。
>>856 人を導くのにワザとこんなことを言ってるのならイイけど
本気で思ってるんだとしたら教わる方も大変だね
あなたはものを見ることができるでしょう?
そこにあなたの眼がありますか?
簡単なお話ですよ。
そんな感じに自然に解釈の方向性をコントロールされていくんだ
自分で指向していくのとは全然違いますよ。
注意深く読解されますように。
初心=ただの風景 です
865 :
473:2013/02/26(火) 01:48:52.41 ID:TOLrOTnx
「思ってる」事が伝わってくるから。
祖師はほんとそのままのことを言葉にして示唆しただけなのだが、私たちはそれを想像してしまう。
想像の外の話なのに。
>>863 例え優れた人の言葉でも、他人の言葉で語るより
未熟でも自分の言葉で語るほうが良くない?
言えば言うだけ初心に蓋をするだけでしょう?
私から更に説く事は何もありません。
868 :
カカシ:2013/02/26(火) 06:13:39.00 ID:3sUFwhyF
>>861 決定的なものをみた? 二元に住まう者にはきっと分からんよ。どうしても見解を持ってしまうからね。
無をね、無いって考えてしまうのが人間だからね。 そうじゃないんだよ。禅の無は有る無いの無じゃない。 何にでもなる無。 無心ってね、普通の人が想像するような無心じゃないのよ。
どんなにでもなれる 我々の普段の姿こそ無心なんだよ。 その証拠にぽんぽん言葉出るでしょ。
そりゃ心が何にでもどんどんなってる証拠 これがないと大変 一日一個思ってしまってそれ以上思えないなら 一日中同じこと考えてないといかん。
そこがね、一つの眼で見たものは決定的に違う。 もしあんたもみたならどんどんここで活動してほしいね。
一人でも自分に向かう者が出てくるといいね〜。
869 :
素人A:2013/02/26(火) 06:57:46.99 ID:pNmoahGj
あみん ひまわり
答えなど何ひとつない まっさらな毎日 曲りくねった白い道が はるかに続いてる
もしあの日ためらいあきらめた 別の生き方選んだら 今どんな私でいたのだろう どんな夢を見つめただろう
降りそそいだ陽ざし浴びて 胸をはる ひまわりに 青い空 うなずくように 涼やかに 微笑んだ
風渡る夏の草原 雲の影流れて 悔やんだり つまずいてきた 昨日を消していく
でも何でもないようなことばかり 心縛って進めない 果てしなく広がる地平線 なんて小さな私だろう
手をのばせば届きそうに 背伸びするひまわりは 高い空 仰ぎ続ける いつの日か 届くよと
でも何でもないようなことばかり 心縛って進めない 果てしなく広がる地平線 なんて小さな私だろう
手をのばせば届きそうに 背伸びするひまわりは 高い空 仰ぎ続ける いつの日か 届くよと
降りそそいだ陽ざし浴びて 胸をはる ひまわりに 青い空 うなずくように 涼やかに 微笑んだ
>>867 でも、ここで書き込みしてるんだから何か言いたいことがあるんでしょ
871 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/02/26(火) 09:43:53.02 ID:0f8Hb67B
>でも、ここで書き込みしてるんだから何か言いたいことがあるんでしょ
言いたいこと・・・・・「オレは『分かってる』奴だぜええええ」
こんなこと?www
>>871 パーピマン、ひさしぶり
「オレは『こんなこと分かってる』んだぜええええ」ってのが聞いてみたかったんだよ
私は自分のミスを否定してしまう。
何とも自虐的だ。
しかし、このミスを否定する主体っていったいなんだろう。
全知全能のつもりなんだろうか。
罪悪感を感じる私よ。
私を非難するなら代わりにあなたが完璧にこなしてくれ。
いやいや、日々の振る舞いをただ見よう。
成功も失敗もただ見よう。
勘違いして機会を逸して損害も出すあるがままの自分を見ていよう。
このスレは4スレまでは良スレだった、悟りそのものについて真摯に和やかに対話がなされていた。
人格批判をする人もほとんどいなかった。
だが5スレから一気に荒れたな。
悟りについて語り合う人達の人格批判をする勢力が一気になだれ込んできたのだ。
人格批判ほど安易な自我の満足手段は無い。
相手の人格をこき下ろすことで相対的に自分を相手の上に置いて満足感を得るのはエゴにある種の満足感を与える。
やり方は簡単だ。
相手が野球をやっていれば、お前が野球をやっているのは自己顕示欲を満たしたいからだと言えば良い。
相手が政治家をしているなら、お前が政治家をしているのは権利欲と名誉欲が強いからだと言えば良い。
相手がサラリーマンをやっているなら、お前がサラリーマンをやっているのはなんの取り柄も無い凡人だからだと言えば良い。
アニメについて語る板では、アニメについて語る奴はキモいと言えば良い。
プラス板で保守的な見解を述べるものにはネトウヨは引きこもりニートの役立たず社会のゴミと言えば良い。
根拠も論証も客観的な証拠もいらない。
人格批判をする輩には自分の思っていることが事実なのだ。
どんな論理的反証にも無根拠の主観的な思い込みだけをまくし立てれば良いのだ。
無敵だろ?
しかし人格批判は人格批判をされている相手ではなく人格批判をしている当人に対する評価を著しく下げる。
知性ある人間には人格批判をしているものの言説になんの根拠も論理的整合性も無いことが見えるからだ。
>>874 >このスレは4スレまでは良スレだった、悟りそのものについて真摯に和やかに対話がなされていた。
その頃のこのスレって473さんが荒れ狂ってたような印象しかないけど
ama氏の場合傲慢さと知ったかぶりという最低の無意識的人格の正当化のために宗教を利用しているわけじゃないし、
人格批判はしなかったかな。
他人に投影はあまりしないけれども見えない敵「何かの間違った考え」と戦って自分を正当化している2元性の独り言で周りを巻き込んでいたように思う。
他の人は「何かの間違った考えを持った特定不特定の人への批判」をしているのでより酷いが、そう、方向性は似ています。
悟りは人格からの解放を示唆しているように思います。
だから、人格の中でも不特定の誰かをいつも批判ばかりしていて、冷たく、傲慢で、知ったかぶるような人格から解放されていない人、
そういう振る舞いをする人は、まあ、そういう人だということです。
悟りとは対極に位置します。
悟りを表現することと、「悟りについて」語ることは全く別のことです。
みな好き好きに悟るなり、悟りについて語るなりすればよいかと。
私の努力は、自然な人間を生み出すことだ。
何の罪悪感もない人間、人間が陥りやすい過ち、失敗のすべてを受け入れる人間だ。
あなたの自然な存在を深く受容することが、自らの変容の種になる。
それが自然に訪れたら、それは成長だ。
無理にそうするのは、成長ではない。ただ、仮面をかぶっているだけだ。
手放すとは、仮面がはずれたということだ。
あなたの人格が落ちたこと、エゴが落ちたという意味だ。
すべての物事が消え去るまで、進みなさい。
水晶の結晶のように明晰な自然さ、存在の自発性を見つけるまで、進んでいきなさい。
OSHO(本文より)
自分を他人をいつも捌いている全能気取りの自我がいて罪悪感にさいなまれている事実に気づいたなら上記のことあは意味を持つ。
しかし罪悪感の苦しみに直面すらしていない人は上記の言葉をより責任を放棄し無意識に振る舞いことの正当化に使うだろう。
言葉は聞く人によって全く意味を変える。
「過ちを犯すことは人間的だ。
それを許すことは 神聖だ」
まちがいを犯すことは まったく 人間的なことだ。
何の 罪悪感もなしに、
受け容れること…
あなたは まちがいを許すことで、
自分が人間であることを受け容れている…
それがあなたの存在に変容をもたらす。
聖なる 何か、
超えたる 何かが
開き始める。
「どんな雲にもみな銀の裏打ちが ついている。
古ぼけた服ですら輝く面をもっている」
Osho,
★自殺する人びとというのは生に逆らっているのではない。
そう見えるだけだ。彼らは生をまるごと欲しがる、彼らはそれをすべて掌握したがる、
そして失敗すると欲求不満から、失敗したということから、彼らは死のことを考えはじめる。
★間違いを犯すことを恐れてはいけない。
間違いを犯すことを恐れたら、あなたはまったく動かなくなり、全人生を見逃すからだ。
なにもしないよりは、間違ったほうがいい。ただ独りでいて、なにもせずにいるよりは、拒絶されたほうがいい
――拒絶は受容の可能性をもたらすからだ。それは受容のもう片側だ。
☆人間はもっと瞑想的に生きるべきだと私は信じているわけではない。
「べき」と「べきでない」は私にはない。けっしてこうした言葉を私がかかわっているところに持ち込んではいけい。
私はどのような「べき」もあなたに与えない。
というのも、「べき」はすべて罪悪感を持ち込むからだ。
人は事実を見ることを恐れる。
見たくないものは非常におぞましく見える。
ろんが私のことをまともに見ずバサッと切り捨てるのもそういったところだったかもしれない。
私は過去の自分を見た。
そこに自分のあるがままを受け入れられず人々のあるがままを受け入れられない苦しみを見る。
荒れ狂っているというのも不思議あものです。
時に感情的な言い合いにあることもありましたが、相対的に冷静であったかと思います。
882 :
473:2013/02/26(火) 20:43:14.33 ID:TOLrOTnx
完璧主義であるがゆえに絶えず無意識に自分と世界を責めている。
私は罪悪感の塊か。
これを「恐怖」だと名付けていた。
確かにあるがままの世界を見る恐怖、ミスをすることは恐怖かもしれない。
しかしどちらかというと罪悪感という方が事実に近い。
「恐怖」と名付けたがゆえに優に1年は見当違いのことをやっていた。
罪悪感と名付けても同じことになるからそれにも頓着すまい。
精神が動き回っているか、静まっているか。
エゴの孤島として葛藤してるか、全体の流れに溶けているか。
ただそれだけのことなのでしょう。
>>880 そうだったか、月日の経つのは早いものだね
884 :
カカシ:2013/02/26(火) 21:36:52.12 ID:3sUFwhyF
473はいつからおるん?
885 :
カカシ:2013/02/26(火) 21:41:26.58 ID:3sUFwhyF
うわwww 気持ちわるwww
最初のスレ、幸福の科学来てるやんww 小林白蓮って名前のコテww
きついwww
何かを得ようとしてしまう。
何かになろうとしてしまう。
そして自分を責め続ける。
金銭欲も、能力へのあこがれも、悟りへの熱望も欲望には変わりない。
得るのではなく我々は物事を吸収して自然に開花しつつあるそのプロセスにあるのではないだろうか。
そしてそれは今ここにおいてプロセスそのものとして完成しているのではないか。
あるがままには目的はない。
今花開き続けている。
ほぼ最初からいますよ。
どうもここにいた多くの方はもう宗教板に来なくなったかと思えばほかのところにいらっしゃるようですね。
888 :
カカシ:2013/02/26(火) 21:49:32.51 ID:3sUFwhyF
他ってどこだよ?
罪の意識を感じたとしても、流れに身を任せなさい。罪悪感は無視しなさい。
罪悪感はそのままにしておき、それがあるにもかかわらず、流れに身を任せることだ!
流れに身を任せていれば、そのうち自分自身を取り戻せるようになり、罪悪感という罠に捕らわれることが、なくなるだろう。
この罪悪感の牢獄から、するりと逃げだすことができるだろう。
必要なのはそこから外に出ることだ、そうしないと人生は長く、悲しい、意味のない苦悩となるだろう。
890 :
カカシ:2013/02/26(火) 22:09:10.09 ID:3sUFwhyF
オレムよ たとえばこういう奴が居たな。遠して遠し。どんどん遠のいてるのが分かる?
「>>1さん
例えば、缶ジュースのビンをずーと見続けると言うのも修行になりますか?
はじめは概念的に認識しますよね。「缶ジュースのビン」と言うように。
この概念を取っ払っても「アルミ」と言う概念で認識してしまう。
この概念を取っ払っても「存在」と言う概念で認識してしまう。
存在と言う概念すら取っ払ったら、缶ジュースのビンの本当の姿が見えてくると言うことでしょうか
つまり、一念三千と言いますか、缶ジュースのビンがそこにあるための無数の因縁が見えると。
と言うのはまさに>>1さんが言う「悟りと言う既成概念」によるものかもしれません。
すなわち空の思想ですよね。私は空の思想を概念としては理解していますが、このことは、悟りの世界を体験する妨げになるでしょうか。
教科書で勉強した水泳の知識と実際の水泳の違いのようなものでしょうか。
実際、お坊さんは「空」を概念的に勉強してから、瞑想などをするわけで、あながち、「空」の知識が不要と言うわけでもないとも思うのですが。
確かに、知識として知っていると、実践を馬鹿にしてしまう傾向があるかもしれない。
「あー知ってるよ」と言うように。そうならないように注意する必要があるな。 」
遠のいているというより、そもそも縁が無いという感じかな。
そのスペースで好きなだけ探求して飽きたら他の方向に動くでしょう。
苦しみの自覚があれば哲学ではなく宗教に向かうのですがそのあたりは縁ですね。
それに890はまさに思考の動きじゃないですか。
思考とは誰しもこういうものじゃないですか。
祖師でもない限り、
油断すれば表層意識で、そうでなくても無意識的に思考はこうやって勝手に物事を組み立てて夢を見ます。
他者のそれをことさらに批判している場合じゃないでしょう。
自分のそれを根こそぎ捕まえるまでまずは自分自身のことです。
自分が一番、他人のことは次いで。
それは恐怖なのか、不安なのか、罪悪感なのか。
名前を付けること自体が外れている。
肝心なのはそれを見る人とそれ、という分割を作らないことだ。
その分割自体が拒絶であり痛みの元となる。
-oshoとクリシュナムルティののアレンジ
894 :
カカシ:2013/02/26(火) 22:27:01.92 ID:3sUFwhyF
>>891 ニカサとかオペとか見なくなったよな。 もっと女おりそうなとこいったんかな?w
おやー?ろんも見ないな?w
895 :
ゼノン:2013/02/26(火) 22:38:31.49 ID:4uze2mNH
「危ないシンジ君避けて!」
ミサトが叫ぶ。
ゴッ!
使途の赤い光の槍が初号機の顔面に直撃、吹き飛ぶ初号機。
「駄目か」
リツコが呻く。
896 :
カカシ:2013/02/26(火) 22:43:27.72 ID:3sUFwhyF
祖師でもない限りってのはどうかな 20世紀で5人知ってるんでしょ?その人も祖師なん?
人はまとめたがる 整理したがる コントロールしたがる なんでもしたくなる そのくせめんどくさい。
煩雑になっていき忙殺されやがて狂い始める。
一切を手放す。 実は手放すも手放さないもない いっつもつかめてなかった。
後になってつかんで良し悪しつけてた。見解を持ってた。ポジティブであろうとした。
手のつけようが最初っから無いんだから本当は。 だがそこに棲んでいながらそこでは何もできない。
何もできないじゃ困る。 やっぱり何かしたい。 坐禅ばっかしてられない。
洗面して仕事に行き飯を喰らい疲れたら寝る。日々の社会生活のルール 縛りは依然として無くならない。
しかしもう知ってるんだからなんだってできる。なんの感覚もないけど一体感。
まるでシクラメンの香りのように。 ヘッドフォンの無いiPodみたいに。
今日は朝から夕方まで怒られっぱなし。 よく怒る人だった。
免許持ってないのに道案内するw こっちの車線入れ あっちの車線もどれ。 そのたびごとに俺の車は不自然な走り方w
大変だったが、もう終わった。 一切自分を立てることなくニコニコしてお疲れさまでした!
あんなにいつも怒ってるの大変だろうな。 だけど優しい所もある人なんだぜ。こっそり俺の車の所にもコーン置いてたからw
そしていつも俺を相棒に指名してくれる。 そりゃあ一生懸命役に立つし自分は一切立てないからな。
これが社会にある最高の形。 立てる自分なんてない。 その時々の思いがあるだけ。
897 :
473:2013/02/26(火) 23:21:34.86 ID:TOLrOTnx
≫その人も祖師なん?
多分。自分も祖師だったらわかると思う。
≫なんでもしたくなる そのくせめんどくさい。
呂祖師の黄金の華にある散乱と昏沈
心は動くべきでない動きをしたがり、動くべきところで動かない。気分的にはまだ母親の子宮の中ですね。
≫いっつもつかめてなかった。
今は掴みがたいですよね。その自覚が知恵の始まりだと思います。
≫手のつけようが最初っから無いんだから本当は。 だがそこに棲んでいながらそこでは何もできない。
物事の流れを無理やり切って何もしないのも手を付けているのだと思います。
今をつかむこと、気づいていること。
動きの中で、静止の中で。
そして
同性の区別は消えると信心名ではいいますね。
≫あんなにいつも怒ってるの大変だろうな。 だけど優しい所もある人なんだぜ。こっそり俺の車の所にもコーン置いてたからw
それが事実なんでしょうね。
事実を見据えると相手の立場になって自然と優しさも湧いてくる。
こちらに怒りがあると怒っている相手を直視することが怖くて目を背けて事実にないおぞましい姿を相手に見ちゃう。
良い経験を聞かせていただきました。
ありがとうございます。
898 :
カカシ:2013/02/26(火) 23:36:26.42 ID:3sUFwhyF
>>897 まぁ難しい御託は要らんよ バカだからなおれはw
もうこのままでいいんだからこのままありのままに暮らすだけだよ。
知らん間に死ぬまでに思いっきり人生謳歌するぜ。
まぁ何か理由があって怒ってたんだろうけどもうクセになってるんだろうな。
なにせ朝7時から夕方5時まで怒ってたw 何言うても怒るw もちろん仕事の事やで。
でもそれでもそれはその人の様子。 俺から見える俺の様子。今もうそれがきれいさっぱりない。
何か俺が怒らせてる原因があるなら根絶したいがまぁ時間かけて料理するつもりだw
社会、人間同士の付き合いは作り事。 作り事すらもう苦もなくできる。
まぁ頭ごなしに言われたり車内に泥入れられたときはおいwって思ったが、
とにかく何もかんもひっくるめて楽しいな。 一日があっという間だ。
別にありがとうなんて要らんよ。俺は言いたいことを喋るし読みたい文章だけ読む。
後は知らん。
>>890 「缶ジュースのビン」はどこまでいっても「缶ジュースのビン」だよ
「缶ジュースのビン」として見ると違ってくるけど、やっぱり「缶ジュースのビン」だよ
900 :
カカシ:2013/02/27(水) 01:04:19.95 ID:wkmn77W0
>>897 ちょっとつれなかったか?w てか最初から確かにいるな473 今このamaスレの1から読んでる。
>>899 うん 見えたまんまでいいでしょ。 なにジュースかチョリースでも目の前にハッキリ出てくる。
≫まぁ難しい御託は要らんよ バカだからなおれはw
ええんやない?
執拗に知性を否定するんじゃなく、≫バカだからな俺は。
自分の事実と共にあればいいのさ。
自分の事実と共にあれば、
自分が悪いと思ってるある知性の姿への反発じゃなく、
時運を受容することからくる謙虚なふるまいが醸し出されてくるもんだ。
自分のことを爽やかにバカって言える時は馬鹿じゃないよ。
これが謙虚な振りの自己欺瞞になっちゃう奴もいるけどね。
もしくは、
手を付けてしまって苦しいからこそ座禅をするのだ。
何かをやって手を付けて巻き込まれて苦しいからこそ
座禅が必要で
かつ
決死の覚悟で座禅ができる
そしてその成果が本物かどうかは手を付けないで世間で在れるかどうかで試される。
だから何もかもがうまく補われていると思う。生は一つだ。
世間で苦しんでこそ座禅は深くなる。
ヒマラヤで10年瞑想した後、市場で足を踏まれたら怒りがわいた。
ヒマラヤの10年より市場で足を踏まれたことが自分を知る契機になったりもする。
>>902 >ヒマラヤで10年瞑想した後、市場で足を踏まれたら怒りがわいた。
>ヒマラヤの10年より市場で足を踏まれたことが自分を知る契機になったりもする。
場所や時間や行為は全然関係ないですもんね
904 :
素人A:2013/02/27(水) 07:23:15.77 ID:BbVtkkVh
異論な異見がバトルを広げている此処にちやんねる。異論は色んな行けんになり何か最近中がよくなつて良い風景に見えるけど、
大目にみれば意見は同じ顔をしているのか?さあとりあえずはまあ良い化して、少しずつ少しずつまあ画絵に進んでいる野我見得
るけど喧嘩異の総意というやつで皆仲が良くみえるけど、大雑把だなあ、細かく見れば凸と凹だらけだけどまあ損なことは気にな
らない。私もバトルしたいのに何か出来ないしヤル気もないし損なの考えるのも面倒だし書き終えたし外移行。言いたい事は
段々良くなる法華の太鼓、みんな仲良しで大丈夫だあ経か
>>890 >「>>1さん
例えば、缶ジュースのビンをずーと見続けると言うのも修行になりますか?
>はじめは概念的に認識しますよね。「缶ジュースのビン」と言うように。
>この概念を取っ払っても「アルミ」と言う概念で認識してしまう。
この概念を取っ払っても「存在」と言う概念で認識してしまう。
>存在と言う概念すら取っ払ったら、缶ジュースのビンの本当の姿が見えてくると言うことでしょうか
最初は「私」が「缶ジュースの缶」を「見ている」という感覚があるだろうね。
だが貴方が期待も動機も解説もせずにただ缶ジュースの缶を見るなら・・・
「それ」は缶ジュースの缶と言われている何かであり
缶ジュースの缶を見ているものと言われる何かであり
名称しがたい一つの何かだ。
そこには見るものも見られるものも無い、貴方は「それ」そのものだ。
・だな。
>>905 >そこには見るものも見られるものも無い、貴方は「それ」そのものだ。
実際にそんな風に見たら「それ」も無いってのは、ここだけの秘密だよ
≫実際にそんな風に見たら「それ」も無いってのは、ここだけの秘密だよ
そこには見るものも見られるものも無い、貴方は「それ」そのものだ。
というようにもうそれは語られています。
≫だが貴方が期待も動機も解説もせずにただ缶ジュースの缶を見るなら・・・
これはビギャンバイラブタントラの108の技法のうちの一つで、これが向いている人はこれだけで相当のところまで行くようですよ。
考えても仕方ないのですけど、そういえばこれをきっかけとした技法は存在しました。
>>900 ≫ちょっとつれなかったか?w
いや、慇懃な言葉で距離を取って礼の言葉を使ってるから、つれないのはむしろこっちの方。
いきなり馴れ馴れしいのもなんなのでね。
>>906 >実際にそんな風に見たら「それ」も無いってのは、ここだけの秘密だよ
そこから全ては幻想であると言い出す者が現れ、全てが幻想ならお前が悟ったというのも幻想じゃないかとツッコム者が現れるのだ。
単純な言葉の誤解だな。
実際には「それ」が無いのではなく、それを知っているという感覚が無いのだ。
知っているという感覚には他との比較が必要だからだ。
だがその知っている感覚が無いとき、つまり「それ」そのものであるときこそが一番それを知っているのだ。
ただ「それ」を知っている者を知っている者がいないからそれを知らないのと同じだな。
だからこそamaは知ることと知らないことは同じだと言ったのだ。
だがこう言ったamaの言葉もいたずらに想像力を掻き立て「差取り」を神秘的な現象にしてしまうから言葉は厄介だな。
そしてしまいにはお前は悟りを分かっていることを自慢したいだけだと非難するものが現れる。
だがこんなことは特別なことでも命懸けで達成すべきことでも無いのは
amaも悟り子もOpeも分かっていることだ。
それはamaや悟り子やOpeの話す言葉のトーンの「軽さ」に現れている。
だが悟りを何か重要なものだと思う者は激しい言葉を使い理解しないものを罵倒したり、話す相手を見下したりする発言をするのだ。
そういったものは無意識に「それ」の体験にしがみつくことによって独善にはまっているのだ。
これをある者は魔道に堕ちると言ったようだな。
>>907 >これはビギャンバイラブタントラの108の技法のうちの一つで、これが向いている人はこれだけで相当のところまで行くようですよ。
なら私も今一つ技法を編み出そう。
今度休みの日にスポーツ用品店に行くが良い。
そしてそこで卓球のラケットとピンポン玉を買ってくるのだ。
そして貴方は部屋の中でひとりラケットの上でピンポン玉をポンポンと弾ませるのだ。
結構楽しいぞ。
ただこのときに貴方は一回ピンポン玉を弾ませる度に数を一つずつカウントして行くのだ。
目標は1000回だな。
これは実際に私がやったから貴方にも可能な回数のはずだ。
これだけでかなりのところまで行けるだろう。
(どこに行くのかは私には謎だが)
少なくとも空き缶を眺めるより入り易いのは保証する。
ラケットでピンポン玉を弾ませる行為自体が集中を要するからね。
しかもカウントのおまけ付きだ。
使い終わったラケットとピンポン玉はちゃんとおもちゃ箱にしまっておくように。
>>909 触れちゃいけない人でしたか
これは失敬
>>911 >触れちゃいけない人でしたか
>これは失敬
よくある話だ。
913 :
カカシ:2013/02/27(水) 13:27:17.65 ID:wkmn77W0
>>901-902 昨日書き込み規制かかった。 あのな、ろんが帰ってきたぞw
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1361698759/l50 オレムもここによう来とる。 473も来いよ。 ろんは相変わらずだからあんたが解いてやりなよ。
>>905 ちがう。 最初は何か分からない。 ポンと目の前に出されたら分からん一瞬。 その一瞬を見て。 見ようとしたら見れない。 後に振り返るしかできない。丁寧に振り返るように観て。そこに一念が沸く。 「ジュース」ってな。
目の前に出てきたら見たまんまその通りそこにある。最初も最後もない。向かえば有る。 向かってないと無い。
無いはずなのに有る。それが自分の様子。
>>908 俺は構わんよ。俺はお前を信じてるよ!
>>909 そうそう。幼稚園児でも分かる。大したことじゃない。大そうにハードルあげるから益々分からんようになる。
いやいや激しかろうが生やさしかろうが、関係ないよ。言葉は厄介だな。しかし俺たちはこれがないと話せん。
そんなことに不自由しない。むしろチキンラーメンをおいしく作ること 味噌汁をおいしく作ることの方が難しい。
観ようとすれば見れない。 知ろうとすれば知れないことを知る。見る。 まさに一つの眼となって見える。
自分の見たい見たくないを越えたところだな。
914 :
カカシ:2013/02/27(水) 13:51:15.69 ID:wkmn77W0
>>910 うん、悪くない。 ただ1000回もスポーツ用品店でやられたら迷惑だな店はw
それするなら買ってやってあげれw 最初はねことさらに修行という特別なことしないとね。特別じゃないとやらないからね人間。
だが特別なもんでは無くなる。 ごく当たり前の日常にいくらでも答えはある。
無用の長物に用がある。 坐禅とかな 時間の無駄。 その無駄に用がある。 問題など無さそうな所に用がある。
どうすれば悟れるか手っ取り早く教えてくださいなんて奴も居る。 じゃあただ坐禅しとけ。ずっと飽くことなくひたすら坐禅しとけ。したら分かる。 悟れるはずがないってな。既に決着ついたもん、出来上がったチキンラーメンはもう作れない。
915 :
カノン ◆SQiww/siDs :2013/02/27(水) 14:10:35.19 ID:upCJjr/U
>>913 >ちがう。 最初は何か分からない。
>>905はそのあと缶ジュースの缶だと認識してからの話だな。
>>914 >ただ1000回もスポーツ用品店でやられたら迷惑だな店はw
>それするなら買ってやってあげれw
もう一度
>>910を読んでごらん。
>今度休みの日にスポーツ用品店に行くが良い。
>そしてそこで卓球のラケットとピンポン玉を買ってくるのだ。
>そして貴方は部屋の中でひとりラケットの上でピンポン玉をポンポンと弾ませるのだ。
ちゃんと買って部屋でやるように言ってるでしょ?
917 :
カカシ:2013/02/27(水) 14:24:05.46 ID:wkmn77W0
そう。そっちに用は無い。 そっちじゃない。
声になる前の一句を言えということだよ。 認識した後に用があったらそれは今までと変わらないでしょ。
その前のこの様子。そのまんまがその通りそのまんまある。とらえどころがない。
最初と終わりも分からない、何ひとつ言葉にできない。 (−−)bしっ
仏教的な話すると縁起はどこから来たのかということ その消息を知る。俺はハッキリ見た。ボーーッと音の後にピ!と鳴る音を。ハッキリと知った。 ああ!!!なんて感嘆などなかったよ俺は。 色々知って頭では知ってたからかな?
なんでかは知らないがビックリしすぎるやつが多い。 当たり前に気づくことってそんなに凄いことか?当たり前じゃないよなそうだと。
当たり前のこの普通普段の日常じゃなくなるだろそれじゃ。 俺たちはそんなことして過ごしてなんかない。なんとなくなんにもわからずたよらずまよいはらがたちわらったりして過ごしてる。そこに作り事はない。
いつも思う前の世界で離れずに暮らしてる。そこに人間の作り事は一切無い。どうしようもないできない。
918 :
カカシ:2013/02/27(水) 14:27:13.64 ID:wkmn77W0
>>916 あ!ごめん! 店でやるのかと思ったww まぁ安いもんな。そんなことしてるんか。俺は手をパン! パン!って
もう数え切れないくらいww パン! パン! パン! こればっかりw
あと坐禅と家事に参じたな もうそればっかり。一行三昧。
カノンってカノン進行知ってる? おれがまた誤解してたらちゃんと言ってな俺ようまちがえるからw
>>911 >触れちゃいけない人でしたか
>これは失敬
オレって名無しかよ!?のために今後コテをつけることにしたよ。
これからはお互いノータッチで行こうね。
私も会話する相手は選びたい。
鬼スレの馬は会話が成立するがオレって名無しかよ!?は無理だ。
920 :
カカシ:2013/02/27(水) 14:39:00.74 ID:wkmn77W0
鬼スレとamaスレって姉妹スレか? 473は知らんかった?鬼スレのこと
>>918 >まぁ安いもんな。そんなことしてるんか。
最近はやってないね、その気になればなんでも楽しい遊びになるよ、それを修業と言う人もいるけどね。
>カノンってカノン進行知ってる?
音楽の話かな?
>おれがまた誤解してたらちゃんと言ってな俺ようまちがえるからw
それがまた楽しいのさ。
922 :
カカシ:2013/02/27(水) 14:50:47.76 ID:wkmn77W0
じゃあオレムのこともニヤニヤして見たらいいじゃんw うっかり読み違えてた。 別に酔っ払ってないんだがな休みだけどw
寺では修行ていうね。決められた言葉 作法があってそれを外れることは許されない。
うん音楽の話。 世紀の一発屋w でも最高だな。
>>922 >じゃあオレムのこともニヤニヤして見たらいいじゃんw
もちろんそうするよ。
>うん音楽の話。 世紀の一発屋w でも最高だな。
音楽も良いね。
訂正
>>924訂正
(誤)鬼スレはamaさんが独自に立てたスレで鬼スレとは別だね。
↓
(正)amaスレはamaさんが独自に立てたスレで鬼スレとは別だね。
926 :
カカシ:2013/02/27(水) 15:10:47.94 ID:wkmn77W0
ああそれはろんの負の遺産だよw
馬は473のこともamaのことも知らんからなー。 amaさんってamazonのまわしものか?w
ノスやコレ悟 安堂もおもろいよw あそこは6,7年くらい前からあるらしいからな。
>>926 >馬は473のこともamaのことも知らんからなー。
馬は基本的に鬼にしか興味がない。
鬼スレ 馬→鬼
amaスレ 473→ama
の構図で多分両者は永遠に交わら無い。
→は単純な憎しみではなく愛すら感じる。
では一旦落ちる。
928 :
473:2013/02/27(水) 17:28:05.05 ID:65uPyzvp
他人を解くなんて自分を解くことからの逃避でしかないっての。
ま、絶対無理だしね。
まったく悪い誘いをするんだから。
彼を解きほぐすことができるのは、彼の世界に合わせつつ巻き込まれないで彼を解きほぐせる人か、
彼と似ているところがあるんだけど性質のいい人間(amaさんとか)かのどっちか。
私は前者じゃないし後者でもない、彼を愛してくれる人は別のところにいるさ。
私はお呼びじゃないってね。
それでもスレの参加者全員に楔だけは打っときましたとさ。
KYに目覚めの歌を歌うさ。
不思量を思量せよ
930 :
473:2013/02/27(水) 17:46:36.00 ID:65uPyzvp
完全さを求めるということは、自分の存在は不完全なものだと自己を限定していることになる。
不死を求めるということは、自分は死んでしまうものだという限定が先にあってのもの。
悟りを求めるには、今自分は悟っていないというこれまた自己を限定する想念が必須だ。
まず、自分はこれこれだと限定して、その上で何かを望んでいる。
その構造を理解した時目覚めと共にある。
特定の欲望への批判は愚かだ。
悟りへの欲が問題なのではなく、畢竟、自己の限定と欲望の精神の働きそのものが問題なのだ。
何かたった一つのものを欲しがらないことなど何でもない。
欲望は他に無数の対象を求め、欲望のメカニズムは働き続けている。
931 :
473:2013/02/27(水) 18:08:06.80 ID:65uPyzvp
過去の経験については持ち出しても仕方ない。
それは思考が記憶している映像に過ぎないから。
「悟り」は死んでいる。
しかし
「悟る」「悟っている」なら?
それは現在息づいているもの。
無常なるもの。形にとらわれないもの。
現在進行の動詞、無常。
そのスペースを各人に見出さすきっかけとして方便はある。
932 :
カカシ:2013/02/27(水) 18:37:47.85 ID:wkmn77W0
>>927 ほ〜もしかして古参かな? 鬼にそんなに構ってられないっつってたぞw
amaスレでは最近は ろん→473だったんじゃないのか?
やっぱ愛なのか!?ww はいよ〜。
>>928 まぁありえんことだが 話し相手は要る。 そのために禅門はある それだけの為に。
いやいやこれは仏縁だよ。あいつ自身が撒いた縁でもあるはずだ。
ろん自身の自縄自縛を解くのは他でもないろん以外にありえない。
うん〜 他にも豪傑ぞろいだぞw 面白いぞww まぁ好きにすればいいんだがな b
>>929 違う言い方すると天上天下唯我独尊。 不二の如し。 鳥は飛んで鳥の如し。
933 :
カカシ:2013/02/27(水) 18:56:23.23 ID:wkmn77W0
それを見てから今までとは違う見方をしてるのかもしれない。
前と何も変わらないように見えるが。 俺にはそれが分からない。 ただものごとは順じてる。ものの方から来る。
知らぬ間に来て寂滅していく。この尽大地の大きなうねりが見える。
まばーたきーするーほどーながいきせーつがーきてー とスピッツの歌にある。
とてつもなく速いスピードで寂滅していくものもあればゆっくりな様に見えるものもある。
それは見えない聴こえない知ることはできない。 見えないものを見る 見ようとすれば叶わぬ。普段のこの日用に隠れ潜んでる。
934 :
素人A:2013/02/27(水) 19:11:10.34 ID:BbVtkkVh
岡村孝子師匠 リベルテ
目をとじたまま ただ考える 私を苦しめ続ける何かを
今ひろがった空の青さは 誰もが同じ色と感じてるの
あふれた街の 朝のざわめき 痛い位に すべて生きてる
形のないものを信じられずに モラルだけが残った
目をとじてても きっと見えてくる 真実 それは たぶん人の心
愛したものも 憎んだことも すべてを深く 胸にきざんで
今勇気がほしい 昨日を捨てる 未来だけを 信じて
形のないものを信じられずに モラルだけが残ったけど
今勇気がほしい 昨日を捨てる 未来だけを 信じて 信じて
935 :
素人A:2013/02/27(水) 19:23:18.41 ID:BbVtkkVh
もうこのスレも残りが少ないのでここ心配私は鬼スレ立てたばかりなので゛多分無理
誰かにお願いします。見本作ったからコピーするだけで楽勝
悟りを開いたことあるけど何か質問ある?25
このスレの主はamaです。
ご質問は、できるだけ日常の言葉を使っていただけると助かります。
(amaは、諸般の事情でスレが立てられないことが多いので、
スレ立ては、有志の方でお願いいたします。
テンプレの≪ご注意≫は、既出の気に入ったものを使ってください。)
*前スレ 悟りを開いたことあるけど何か質問ある?24
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1353625520/l50 ≪ご注意≫
amaが申し上げる「悟り」は、
一般的に言われている「悟り」とは違うかもしれませんし、
仏教で言われている「悟り」とも違うかもしれません。
ですので、amaが「悟り」と言うときは、このことを含み置きください。
936 :
カカシ:2013/02/27(水) 19:25:19.98 ID:wkmn77W0
必ずかの地に連れていってくる大きなふねを信じる。
どこまでも追い求め彷徨う。まるで長く悪い夢を見ているようだ。
ふねのある場所に辿り着こうと必死になるがどこを探しても無い。
土砂降りのような失意の中、真相を知る。 どうやって知ったかなど分からない。
思ったり歩いたり遊んだり仕事しながら日常に埋もれているいつの日かの朝、
大きなふねを見つける。そして、ふねは間違いなく連れていってくれた。
もうそのふねは要らない。さよならだ。世話になったな。
さぁ仕事だ。また新しい日常がやってくるぞ。
おれたちはここから、いつもここから離れることはなかった。ふねなど無いんだよ。
自分自身という大ばか者が一番近いところにいるのでそちらから逃げずに気になりだすと、、、。
外の馬鹿者はあまり重要じゃなくなる。
苦しみを作る癖がふんだんにあり、不自然な人生設計をする無意識が絶賛活動中。
それと向き合うと少々人生設計がぶっ壊れるのは仕方ない。
苦しみを抑圧すれば安定した人生設計を駆け抜けて犬死できるが、、、。
ベストは向き合える分だけ向き合いつつ人生も失わないことなんだろうな。
938 :
ゼノン:2013/02/27(水) 21:33:10.78 ID:tS3/xlDS
ビルに激突する初号機
「初号機、頭部に亀裂発生!」
長髪の男性オペレーターの青山が叫ぶ。
>>932 >ほ〜もしかして古参かな?
1年くらい前からたまに寄るくらいだね。
>鬼にそんなに構ってられないっつってたぞw
本当にそう思うなら本当に構わないよ、でも昨日もちゃんと鬼にレスしていたから(笑)
私がたまに鬼のレスを読んだ感じでは鬼はそんなにデタラメは言ってない、2000年に一度の大覚者とかはさすがに無いと思うがね(笑)
まあ数息観や内省みたいなオーソドックスな技法とか、心理学的な説明とか割合無難だとは思う。
ただこの手の話は矛盾に満ちてるからね、そして私が馬と話した感触では馬は合理的に理詰めで考えるタイプだ
そして禅は合理的精神などかまってくれない。
むしろカカシの言うように合理的精神を破壊しようとさえする。
ときとして合理的精神がネックになるからね。
するとだいたいこんな感じの展開が予想されるわけだ。
↓
禅の人
「達成すべきことは何も無いという境地を達成しなさい」
合理的精神の人
「達成すべきことが無いならそれも達成する必要無いだろ?それを達成すべきなら達成すべきことは何も無いは嘘だろ?」(笑)
amaスレでは最近は ろん→473だったんじゃないのか?
どうだろうね、その辺私もあんまり記憶が定かでは無いのだが、
@ろん「理屈はいいから座れよ」
A473「目覚めの契機をうんぬん・・・」
@に戻る。
これが何回もリピートされてろんが飽きた感じかな?
>やっぱ愛なのか!?
全ては愛さ。
940 :
カカシ:2013/02/28(木) 00:40:31.31 ID:hFrdeoaz
>>939 今そのろんと馬と473と鬼和尚について話したり俺とろんが非常に高度な平和的解決策を模索してるわww
うーん境地じゃないなー。 なんせこんまんまだからなー。 本当大そうなことは一切ない。
絶対にハードルあげんほうがいいww 禅は禅を信じて修行をしてきづいて禅を忘れるかな。
そのろんの理屈はいいから坐れってのはまぁ方向としては間違ってない。
そういうやり方もあるオレはそのやり方。 とにかく自分捨てて坐禅した。
473はたぶん公案向きだと思う。 祖録を研究して最後は同じ自己に参ずる。なんのことかさっぱり分からん混乱のさなかに忘我しそれを見る。
鬼和尚はあれだなー ハリボテだな。 がんばって埋め合わせてるが概念が間に合わないww
禅に階級に落ちるという言葉があるがそれを地で行ってる感じだな。未徹底。
≫そのろんの理屈はいいから坐れってのはまぁ方向としては間違ってない。
あ、それ自分自身に言うべきことだからw
彼の言うことを真に受けることはない。
≫理屈はいいから坐れ
祖師が言うなら正しいが彼が言うなら最悪だ。
≫473はたぶん公案向きだと思う。 祖録を研究して最後は同じ自己に参ずる。なんのことかさっぱり分からん混乱のさなかに忘我しそれを見る。
よくわかるもんだな。
私はそのタイプだし、そのタイプの過去の逸話をたくさん知ってるが、あなたが妙な正確さでこれを言うのは驚きだ。
その客観性はグッド・
>>940 >うーん境地じゃないなー。 なんせこんまんまだからなー。 本当大そうなことは一切ない。
そうだね、禅の人が境地を目指せはおかしいね、
(禅の人はまさにそれゆえおかしいことを言うかも知れないが)
ただ「そのまま」を言葉で表現しようとすると、「そのまま(の境地)」などと言わざる得ないところはある。
『それ』は今まさに『それ』でありながら、「『それ』を捕えようとするまさにそのことによって」逃す。
と、まあ、言葉によるコミュニケーションは返って物事を複雑にする。
それでろんは理屈はいいから座れと言うのだろうね。
944 :
カカシ:2013/02/28(木) 02:32:18.25 ID:hFrdeoaz
>>941-942 てかろん老けたんじゃないか?w あんなに浅いやつだったか?
買いかぶり過ぎてたかもしれんww
まぁ未決着の分際でどの口が理屈はいいから坐れつってんのか不思議でたまらないがなw
形だけなら誰だって真似できる。 本当の罠ってのは巧妙で気づかれないようになってる。
自分を解こうとして違う絡まり方してることに本人は気づかない。
ろんは自分の限界を知ってるのかもしれないなw
オレプラス473の相手できないって分かってたから意識的に473へのレスを避けた。
一言も言ってないのに本来の自己を見たと俺が言ったと脳内劇場を見る脳のつくりのくせに、
一切のレスをつけなかった。 無視も見解のひとつ。反応してるに他ならない。自分中心で相変わらず見てる証拠。
口では自我ない自分は無いとわめいてるがやってることはろんの好き嫌い自己中心的な思想。
分かった訳じゃない。話してて何となくそうだろうなって思っただけ。
公案は気が強くないとやっていけんと思うで。 白隠はそれで死に掛けてるしなw
オレからしたら晩年はどうか知らんけど白隠はおかしい。 鬼和尚みたいな印象を受ける。
みんな悟るってことに目的化しすぎ。必要ないんだから。本当に。
姫路のばんけい和尚ってのもそんな人でね。 不生禅ばっか説いてたんだけどきっとろんにはこの人が分からんと思うわ。
この人も身体悪くするほどに坐禅や公案した人だわ。
口やかましく身体大事にせえ 禅の為に見性の為に身体犠牲にするなって説いてたみたいだな。
自身が動くのもままならん ゆっちゃかたわになるほど参じたからこその言葉だよな。
大変に慈悲深い和尚だよ。
945 :
カカシ:2013/02/28(木) 02:45:15.82 ID:hFrdeoaz
>>943 どうなんだろうな〜?w
オレの見立てではあいつここ数ヶ月怠けてたな。 道の途中に在って道の上にあると知らず。
たぶん禅のこと忘れてるww 別に忘れてしまってもいいことだがハンパなええ思い出だけ残ってる。
自己編集した内容なw いまのろんは理屈がいいから坐れと言っていたろんじゃない。
それに坐れじゃない。 坐禅しろだよ。 坐禅してる自分あるのは坐禅じゃない。ただ坐禅だけがあるのが坐禅。
小さい坐禅は時間で区切ってやる。大きい坐禅は生き様でしょ。日々の生活でしょ。
ただ座れって命令されても反発する人も出るじゃない。 そういう人には理屈言って理屈分かってもらうしかないじゃん。反発するんだから。
一番タチ悪いのが「オレの方が知ってる」って奴ね。 おっかしいんだよ知るものなんて無いはずなのに口ではそういうのにすることは「知ってる方が上」って意識ね。
こういうのは自縄自縛に気づかない典型だからな。ま、誰だって最後は自分で解くんだけど完全に自分が敷いた巧妙な落とし穴のことをすっかり忘れてしまってる。
やっぱり決着の付いた人間にたとえ7歳の子どもであっても素直に頭を垂れて、どっちなのか方角を聞く姿勢が大事だ。
もちろん逆にたとえ老人でも容赦なく違うと言うことも必要。 免許も無いくせにご丁寧に道案内や車線変更を指示してくるようなもんだよ。 おまえが運転しろって話なんだよw
運転手は誰でも自分で決めて運転してる。 他人が運転できない。 自分で運転することの無いものが口をはさむべきではない。それは余計な危険を抱え込むことになる。
946 :
素人A:2013/02/28(木) 07:10:38.94 ID:gtIKusZw
この世は人生劇場で我々はそれぞれれの役を演じる役者といえば役者なのだと思う?幸せな人生を演じる人は顔が良く生まれ?酷い
顔の人は悪役?頭の良いかんじの人はあたまがよくそれぞれ合った役を演じる?何か不幸平だけどデレピのドラマでは顔で主役は
決まるしもうそうなつている。しかも役者は次のドラマも悪役を演じる人は良い役は来ない不幸平?何でかみんな顔が悪い人の
主役は不快で決まらない視聴率も悪くなる。この世を終わって次の劇にでても同じようなものなのか?何か可笑しいけどもうそう
なっている人生劇場?お釈迦さんがごおごお行っても次は悪魔でも良い役しか出来ない。でも大川さんは?御釈迦さんの生まれ変
わりと言うし諸行は無情だしよくわからない?私の前世も今と相変わらない平凡な役で平塀凡々がこのままでは永遠につづくし
まあよいか。人生劇場
http://www.youtube.com/watch?v=ycuaeSGkneM
ろんは私には一切レスをやめてた。
その延長なのでそれは不思議じゃないよ。
でも、473もカカシも、もうロンを変えようとして同じレベルの土俵で争ってない。
だからロンにして独り相撲になるのでそんなにむちゃくちゃできないし、
私やカカシが変わったのならろんにたいする見方も変わってるというのもある。