1 :
神も仏も名無しさん:
2 :
てすと:2012/02/20(月) 01:07:44.03 ID:J55mnSjn
前スレ
>>994 腐敗分解というのは分子結合の移り変わりを腐敗と呼んでいるだけで、ただの化学反応である。
少し複雑な自己複製化学反応システムを便宜上生命と呼んでいるだけで、生命という物質が存在しているわけでは無い。
環境が変われば生命システムは跡形も無く消え去るのである。
3 :
てすと:2012/02/20(月) 01:14:56.15 ID:J55mnSjn
生命はただの物質なのでなんの価値もなく、あらゆる犯罪はただの自然現象であり善悪もない。
過去も未来も全部自然法則に従っていて努力するのもしないのも自分の自由意思ではなく自然法則である。
前スレ993
>ナンセンスを「理解した」と思うのも、またナンセンス。「理解した」と
思った瞬間が、洗脳の瞬間である。
ある人の発言に対して、「洗脳された発言」と判断するのは何故か?
自分も洗脳されているからである。
一般的におかしいとされる団体に属していないのに、洗脳されたとはどう言う事か?
歪んだ己に思い込まされているのである。
等と書き込んでみる。w
5 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2012/02/20(月) 07:02:51.49 ID:Lj0caMGc
前スレ>990
>釈迦は、霊魂(精神)と身体との同一・非同一を「無記」としている。
>釈迦が、精神と身体とを別個に論じる箇所が一箇所でもあったとしたら、またまた、釈迦の矛盾。
・仏が人々に法を説かれる場合には、相手の智慧経験の高下浅深によって、同じ教理を示すにしても、その説き方を違えられた。(四悉檀)
・長部経典33経「等誦経」にて、意識が胎児に宿る法、肉体の死後に意識の往き先を詳しく説かれている。
よって、釈迦が精神と身体とを別個に論じる箇所はありますし、矛盾もしておりませんしょう。
文献上は、異教修行者、修行初心者には「無記」として、舎利弗ら高弟には第一義として法を説かれたようです。
6 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2012/02/20(月) 07:06:30.23 ID:Lj0caMGc
>>5 長部経典33経「等誦経」は舎利弗が釈尊の説かれた229法を編纂した
アビダルマ的色彩の濃い経。
(3つ一組) 60法
・3つの明知。前世を想起する智、生ける者の生まれ死ぬことについての智、
漏泄がなくなったことを知る智。
(4つ一組) 50法
・四つの修行者の結果。
@悟りへの流れに到達した境地、Aこの世へ一度だけ戻る、
Bこの世へ二度と戻ってこないあり方、C阿羅漢の境地。
・四つの輪廻に結びつけるもの。
@欲望、A怒り、B間違った戒律や規則、Cこれが真実であるとの執着。
・四つの入胎。
@入胎・住胎・出胎の三時に意識を持たない、A入胎時のみ意識あり、
B出胎時のみ意識を持たない、C三時に意識を持った
※解説では、@は凡夫、A80大弟子、Bは舎利弗と目連、Cは仏陀
(5つ一組) 25法
・五つの赴く先。
@地獄、A畜生、B餓鬼、C人、D天。
・五種類のこの世に戻ることのない人。
@色界での寿命の中間で完全な涅槃に達する人、
A色界に生じて寿命の半分以上過ぎて完全な涅槃に達する人、
B苦労して完全な涅槃に達する人、C苦労をせずに涅槃に達する人、
D上の世界に向かいアカニッタ天に達する人
>>3 言いたい事は理解できる。
書き込みに対して批判する気は無い。
貴方の立つ位置に対して、一言。
貴方って…
ズルイ奴だな!
海野土左衛門さんやその他の名無しさんが、善悪を超えた(勝義諦?)議論をしていると、茶化すくせに、自分は「生命はただの物質なのでなんの価値もなく、あらゆる犯罪はただの自然現象であり善悪もない。 」等と言うんや!
感じ悪!
8 :
神も仏も名無しさん:2012/02/20(月) 08:07:26.35 ID:oP4eeeJY
>>5 いくら言い訳しも、矛盾は矛盾だ。
釈迦は、己が相手より常に智慧経験が上というその「上から目線」是正すべき
だろう。優れた教師は、弟子から、そして万人から教わるものである。
9 :
神も仏も名無しさん:2012/02/20(月) 08:11:33.06 ID:oP4eeeJY
>>3 君のその価値観を生み出しているのも生命だよw。生命は、宗教を初めとする
人間のすべての営みの唯一の源泉であり、それらの上位概念。
10 :
神も仏も名無しさん:2012/02/20(月) 08:43:54.87 ID:oP4eeeJY
>>7 世俗的なことに基づかなければ、勝義は説示できないのだから、勝義は世俗諦
の下位概念。
「世間の一切の慣習」は、「無条件の前提」である。By 中論
11 :
海野土左衛門!ninja:2012/02/20(月) 15:34:56.42 ID:gyTCvzAX
>>10 先ず最初に世俗締で説明するのが中論の論法。
「如来の本性は、生類の本性である」。って、世俗締を立てる。
それから、
「如来の本性は空である」。と勝義締で転結する。
これじゃないと文意が通じない。
解釈とすれば「そもそも本性はない」となる。
つまり中論というのは、世俗締を寂滅させる論法だから。
中論の転結が世俗締になる訳は全くない。
彼の世があるか?ないかは戯論の範疇だから、
中論序章であえて念を押してる訳で(戯論寂滅)
彼の世があるか?ないか?は中論序章だけ読めばよい。
「生類の本性」も然りで
その回答は中論序章に書いてある。
12 :
神も仏も名無しさん:2012/02/20(月) 15:53:43.67 ID:ft9P7/dM
>>11 世俗諦を寂滅させたら、中論は「根拠の無い戯論」になってしまう。勝義諦の「根拠」
は何か。竜樹の「妄想」ではない。
中論は、押さえるべきところは、すべてきちんと押さえている。「世間の一切の
慣習に反する」ことを、何度か戒めている。物理現象も無条件の前提としている。
世界は厳然として実在するが、それが「関係性」という抽象性によって構成されて
いるから、「執着すべき自性はない」というだけのこと。
13 :
海野土左衛門!ninja:2012/02/20(月) 16:51:21.97 ID:gyTCvzAX
>>12 >勝義諦の「根拠」は何か。
中論は、勝義締を世俗締で説明したもんだけど、
世俗締というのは二元論法だから所詮は説明が不可なんですよ。
だからその所詮無理なのを信解了解しなければ駄目なんじゃないかな?
世俗締をあえて勝義締として解釈するスキルはいる!!
世俗締はそもそもオカシイんじゃないか?
って謎を先ずもたんと、その文意は解釈できない。
そもそも無自性なるもんが縁生するかな?
そういう謎も含めて中論は読んだらいいかとおもいます。
304 名前:海野土左衛門!ninja[] 投稿日:2012/02/20(月) 18:12:44.58 ID:gyTCvzAX
一休宗純は、闇夜のカラスの鳴き声で悟ったとされる。
@闇夜からカァ〜の声がする
Aこれをカラスと認識するまでに多少の空白があったとしても、一応カラスと認識。
(縁において生起するから、これを縁起という)
Bカラスと認識するのは、過去にカラスの鳴き声を聞いたことがある。
Cつまり、過去と現在を繋ぐもの・・・これが因果。
Dこの因果において、過去と現在の自己同一を確認。
Eつまり、因果において一休宗純は「我」の発生に立ちあう。
Fこの瞬間に、一休宗純は無我を悟ったとされる。
Gようするに、無自性であるが縁起においてしか我は生起することはない。
つうことで、これで印可証許可ですが一休は却下したらしい。
− − −
非想非非想処によって
『有ではない、だけど無でもない』
と言う変化が生じる可能性あっても良いんじゃなイカ?
15 :
海野土左衛門!ninja:2012/02/20(月) 19:06:33.79 ID:gyTCvzAX
>>14 文意を教条主義的に理解しようとしても先に進まない!!
>『有ではない、だけど無でもない』
これの意味は、先ず「有無」というのは世俗締ですから、
そもそも有無とういう捉え方がどうか?と疑問を呈すとこから入らんと・・・
どうにもなりません。これを仏教では「大疑」という。
「有である」とか「無である」とか、そもそも決定することは出来るのか?
もし決定することが出来るのであれば、それは全く問題にならんだろうよ(笑
どうですか?
こういう疑問を自らに向けるのが「直指人心」とか言ったりする。
わたしは世俗締に疑問があるから、こうして掲示板に書き込みしてます。
>と言う変化が生じる可能性あっても良いんじゃなイカ?
変化ではないです。学術的見解であります。
論理学的問題であって、そのようなベクトルで先ず考えてみたら宜しいかとおもいます。
論理学ってのは、勿論非西洋論理ですけど、
基本は仏教は一如の法門ですから、世俗締(西洋論理)と勝義締’印論理)は
違ってアタリマエですが、そのように理解をお願いいたします。
16 :
神も仏も名無しさん:2012/02/20(月) 19:31:09.37 ID:cxwQV1gu
>>15 >「有である」とか「無である」とか、そもそも決定することは出来るのか?
簡単に出来ますよ。例えば、師の目の前のPCが実在するか否か?
1.五感で知覚できるか否か(五感の知覚テスト)。
2.補助的テストとして、そのPCで自分の頭をぶん殴ってみて、傷が出来るか、
下手すると死ぬか否か(生命の維持との直接の関係性のテスト)?
2は、知覚障害者、妄想患者、宗教患者用の補助的テストで、健常者には不要です。
これは、西洋哲学もインド哲学も考え付かなかった存在論です。どの「本」にも
書いてありませんから、慌てて察しても無駄ですw。
17 :
海野土左衛門!ninja:2012/02/20(月) 19:45:42.50 ID:gyTCvzAX
>>16 >簡単に出来ますよ。例えば、師の目の前のPCが実在するか否か?
人間、殆どは決定できるんじゃ〜ないでしょうか?
だけど稀に疑問をもつ者もいますから・・・
私はどちらかというと後者になります。
これは世界観の捉え方ですね。
どちらが良い、とか、どちらが悪い、とか、じゃないです。
仏教が2500年も続いてきたのは、やはり変人もいたからです。
変人とは何か?
それを書くことは、ここでは遠慮しときましょう。
スレッドが荒れるといけませんから・・・
余計なことは書かんでおきましょう。
では、オチ
18 :
海野土左衛門!ninja:2012/02/20(月) 19:46:21.93 ID:gyTCvzAX
>>16 >簡単に出来ますよ。例えば、師の目の前のPCが実在するか否か?
人間、殆どは決定できるんじゃ〜ないでしょうか?
だけど稀に疑問をもつ者もいますから・・・
私はどちらかというと後者になります。
これは世界観の捉え方ですね。
どちらが良い、とか、どちらが悪い、とか、じゃないです。
仏教が2500年も続いてきたのは、やはり変人もいたからです。
変人とは何か?
それを書くことは、ここでは遠慮しときましょう。
スレッドが荒れるといけませんから・・・
余計なことは書かんでおきましょう。
では、オチ
確信を持つことと、自分が有無の決定権を持つとアホ妄想垂れ流すことは違うからな。
20 :
神も仏も名無しさん:2012/02/20(月) 20:09:27.57 ID:cxwQV1gu
>>18 >だけど稀に疑問をもつ者もいますから・・・
稀ではなく、かなりいますよ。例えば、知覚できない「神や霊」の実在を信じ
る宗教患者など。
現代の精神医学では、これを「妄想」と呼び、精神病の症状として治療の対象
とします。
個人、冷蔵庫のりんご、目の前のモニター、コンビニで買ったお菓子、飲みかけのペットボトル・・・
「任意の個物」は、現実に存在してる時点で、現実世界のありとあらゆる「任意の個物」以外の者と関連している。
任意の個物が存在する背景やその現在の特徴なども、すべては縁によって成り立っている。
冷蔵庫の中のりんごの背景には、
林檎の木、リンゴ農家、太陽、土、雨粒の一滴一滴、土に影響を与えてるバクテリア、
ミミズ、ダンゴムシ、肥料、流通業者、スーパーの店員、金属カート、梱包材の発泡スチロール、
発泡スチロールを発明した誰か、買ってきた俺、俺の前にたままた通りかかった人
りんごにとって、俺の存在はりんご以外の世界の全てに含まれるし、俺にとってもりんごは俺以外の世界の全てに含まれる
そもそも、一つのりんご、一人の俺という存在も、任意に区分したものに過ぎない
物体Aが確かに存在しているかどうかは、物体A以外の者と関係性、縁があるかどうかで判断する。
物体Aに別の物体Bがぶつかって反応があれば、少なくとも物体Bと同程度に現実性があるといえる。
その物体Bが本当に幻じゃなく確かに存在してるかどうかは、別の物体Cが・・・
こうして、この現実世界そのものが、確かに存在しているかどうかは、この現実世界の内部のものにしか証明できない。
いわば、関係性が宙に浮いているようなもの。
ひょっとしたらこの現実は、パラメーター初期値のビッグバンこのかた以来のフィクションなのかもしれない。
りんごが地に落ちる。りんごが地球に引っ張られて引き寄せられる。
この時、りんごを引っ張っているものは、りんごの重さと、りんご以外の地球にある全てのモノの存在の重さの総体である。
りんご以外の別の任意の個物にしてみれば、りんごも重さも、地球全体の重さの一部分になる。
一つの個物の存在の確かさは、他のものによって保証される。
また、その個物の存在は、別なものの存在の確かさに影響を与えている。
全く他のものの存在の確かさと関連を持たないものがあるとしたら、それは別宇宙、異世界にあるのである
24 :
神も仏も名無しさん:2012/02/20(月) 23:56:35.75 ID:7Uu8Hs3q
>>21 リンゴと他物・他者との関係に先走りする前に、まず、目の前にリンゴが実在するとは
どういうことか、から始めるべき。生まれたばかりの赤ん坊でも、いや、胎児でも受精卵
でも、関係性など考えなくても、ちゃんと生きていて成長する。生命自体が、既に、関係性
の体現だからである。
25 :
神も仏も名無しさん:2012/02/21(火) 01:06:24.67 ID:FGyL6U8E
中論は、「もろもろの存在」という、「存在の認識」から始まる。あるがままの
実在の認識から、「相互依存性・関係性」という実在構成の原理を見出したので
ある。
竜樹は、医学にも造詣が深かったといわれる。彼の「空の原理の発見」は、
実在や人間社会そのものに対する透徹した観察から生まれた。釈迦とは異なり、
「形而上的論理矛盾」は皆無である。彼は「世間の一切の慣習」や「物理現象」
を、「無条件の前提」としている。
>>25 だからw
中論で言われる「存在」が何を指しているか確かめたこと無いでしょw
貴方の言う「実在」の意味で解している人は一人も居ませんよ?w
貴方の信奉する中村さんも、貴方の依拠する平川さんも、一代が批判する三枝さんも、
およそありとあらゆる学者の中で、貴方のような読みをしている人はいないのです。
井の中の蛙とはよく言ったものです・・www
知覚(ちかく, 英:Perception)とは、動物が外界からの刺激を感じ取り、意味づけすることである。
視覚、聴覚、嗅覚、味覚、体性感覚、平衡感覚などの感覚情報をもとに、「熱い」「重い」「固い」などという自覚的な体験として再構成する処理であると言える。 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
>>20 >例えば、知覚できない「神や霊」の実在を信じる宗教患者など。
現代の精神医学では、これを「妄想」と呼び、精神病の症状として治療の対象
とします。
知覚できないからといって、『精神病の症状として治療の対象
』になるなら、貴方も私も…全ての人が精神病の症状として治療の対象になるであろう。
何故なら、この世は全て妄想の世界だからである。
己だけ『妄想の世界』から離れて生きていると思うなら、それもまた妄想である。
28 :
神も仏も名無しさん:2012/02/21(火) 03:09:03.87 ID:TYi4TJzS
>>26 隠居の中では
竜樹は立場としては仏教の伝統・教団に属しながらも、
内心では仏教・釈迦に対してペロッと舌出してた、って設定なんだから
そりゃあフリーダムにもなるよなあ……。
彼は竜樹に自分を投影して仏教の「改良」をやらせてるんだろう。
仏教もキリスト教もヒンデゥー教も違和感が有るよ!?♪。
30 :
海野土左衛門!ninja:2012/02/21(火) 07:47:27.39 ID:rlOqoLyJ
>>20 >稀ではなく、かなりいますよ。例えば、知覚できない「神や霊」の実在を信じ
>る宗教患者など。
何を信じようと、その人の勝手じゃないですか?
私自身が自らに疑問がある。という話をしておる訳です。
自分を信じ込む→これが隠居氏
自分に疑問がある→海野土左衛門、と、このように解釈してください。
隠居氏に簡単に説明すると・・・
仏教というのは世界に疑問を投げかけるのではなく、
自分に疑問を投げかける法門です。
生命全肯定→隠居氏
生命全否定→海野土左衛門
この違いですね。簡単に言うと。
31 :
神も仏も名無しさん:2012/02/21(火) 10:16:17.80 ID:i1fCAzX+
>>30 自分に疑問を投げかけているのは、もう一人の自分、そのもう一人の自分に
疑問を投げかけるのは、さらにもう一人の自分。どこまで行っても「自分」
ですよ。
生命を否定するのも生命の機能。否定すればするほど、生命を肯定している
ことになります。逆もまた然り。
生命には、否定も肯定もない。ただ「今ここにある」だけです。そしてそれは、
人間と世界の「すべて」です。
33 :
神も仏も名無しさん:2012/02/21(火) 10:59:17.89 ID:9pZtcu7I
>>26 >およそありとあらゆる学者の中で、貴方のような読みをしている人はいないのです。
同じことを言っても無意味。それを「付和雷同」「思考停止」「洗脳」「猿真似」
「盲信」「借り物思想」などと呼ぶ。 そこには、理解も進歩もない。
34 :
海野土左衛門!ninja:2012/02/21(火) 11:18:35.46 ID:rlOqoLyJ
>>31>>32 わたしが掲示板に書き込みした「生命否定」の意味は
「主客未分」のことです。
これで意味は通じたでしょうか?
主客未分とは、生命といふ語義が発生する以前(主客未分)ですね。
勝義締は、生命(いわゆる世俗締)はあまり関心はないのです。
関心がないもんを、
ああだ、とか、こうだ、とか、そういうもんはやらんですね(苦笑
どうか世俗から解脱して、仏智を体得したらどうですか?
したらこんな愚問を呈することもなくなるでしょう?
35 :
神も仏も名無しさん:2012/02/21(火) 11:26:17.66 ID:9pZtcu7I
>>30 科学について無知蒙昧そであった古代人はともかく、現代人は「何を信じてもよい」
というものではない。そんなことをすれば、社会はたちまち崩壊します。
ちょっと考えてみれば判ること。だからこそ、「義務教育」があるのです。
36 :
神も仏も名無しさん:2012/02/21(火) 11:37:27.10 ID:9pZtcu7I
>>34 >語義が発生する以前(主客未分)ですね。
それがまさに「生命」ですよ。受精卵や胎児は、母体と「主客未分」。
現在、婦人科学を「学問的にw」研究しているが、生命の発生ほど複雑で、
神秘に満ちたものはない。これは、「父母未生以前」に遡ります。
37 :
神も仏も名無しさん:2012/02/21(火) 11:59:02.74 ID:+k4gbrPa
> どうか世俗から解脱して、仏智を体得したらどうですか?
八正道
1).正見(正しい見解)
2).正思惟(正しい考え)
3).正語(正しい言葉)
4).正業(正しい行為)
5).正命(正しい生業)
6).正精進(正しい努力)
7).正念(正しい念慮、気づき)
8).正定(正しい集中)
四如意足(四神足) 四つの自在力
1).欲(すぐれた瞑想を得ようと願う)
2).精進(すぐれた瞑想を得ようと努力する)
3).念(すぐれた瞑想を得ようと心を集中する)
4).思惟(すぐれた瞑想を得ようと智慧をもって思惟観察する)
− − −
人為的に四如意足をおこなう行為によって
輪廻から解脱して、仏智を体得できるんじゃなイカ?
39 :
海野土左衛門!ninja:2012/02/21(火) 15:37:36.11 ID:rlOqoLyJ
>>36 >それがまさに「生命」ですよ。受精卵や胎児は、母体と「主客未分」。
いやいや、私はそういう話をしておる訳じゃないですよ。
これじゃ〜まるで禅問答じゃないですか?
受精卵とか精子とかセクロスとか・・・
この話は、そもそも十二支縁起のことで十二支縁起は世俗締じゃないですか?
なんで私が世俗締の解説せにゃ〜ならんのですか?
40 :
海野土左衛門!ninja:2012/02/21(火) 15:47:12.68 ID:rlOqoLyJ
>>38 >人為的に四如意足をおこなう行為によって
>輪廻から解脱して、仏智を体得できるんじゃなイカ?
世俗締における「正しい」をおこなう行為を通して・・・・
やはり「壁」に遭遇する。
この体験は釈尊もあった訳で、そこから中道を悟る。
つまり、世俗締の「正しい」が中道への切っ掛けになる。
中道こそ輪廻から解脱する唯一の法門である。
これしかないですね。
これをやらんと、いつまでも輪廻転生観念が解放されることはないです。
41 :
海野土左衛門!ninja:2012/02/21(火) 16:00:39.91 ID:rlOqoLyJ
>>36 >これは、「父母未生以前」に遡ります。
父母未生以前というのは、一休宗純がカラスの声を聞く以前のことですね。
婦人科学とういうのは、私は分かりかねます。
父母未生以前といふ世俗締を通して、本来の面目(つまり勝義締)を
説明したもんです。
>>41 > 父母未生以前といふ世俗締を通して、本来の面目(つまり勝義締)を
> 説明したもんです。
ぷっ! なんですかこれは。
43 :
神も仏も名無しさん:2012/02/21(火) 16:13:30.22 ID:3bVXTP/c
この文体、どこかで見覚えがあるような……
44 :
海野土左衛門!ninja:2012/02/21(火) 16:19:53.72 ID:rlOqoLyJ
>>42 主客未分のことですが、何か私が勘違いがあったでしょうか?
もしあったなら指摘してください。
>>44 父母未生以前も本来の面目も同義語だよ。
説明なんてなってないし、世俗締、勝義締の区別もありゃあしないよ。
46 :
海野土左衛門!ninja:2012/02/21(火) 17:48:12.23 ID:rlOqoLyJ
>>45 そうでしたか。
これから私のハンネを、アナタが自由に使っても構いません。
どうですか?
ハンネは気にいりましたか?
47 :
海野土左衛門!ninja:2012/02/21(火) 17:53:23.95 ID:rlOqoLyJ
後ほど私見を書きますけど、
他に私の勘違いを指摘できる方はおりますか?
主語とか述語とか、そういう指摘でもいいですが・・・
色不異空 空不異色
色即是空 空即是色
受想行識 亦復如是
「空」って一体何なんですか
物質(色)に異ならず、受(感覚入力)に異ならず、
感覚から誠意した表彰に異ならず、意志作用に異ならず、認識に異ならず・・・
49 :
海野土左衛門!ninja:2012/02/21(火) 19:20:55.09 ID:rlOqoLyJ
>>48 空というのは勝義締のことです。
「父母未生以前の本来の面目」で説明しますと、
「本来の面目」が勝義締になります。
勝義締が主語(主題)であって、父母未生以前が述語になります。
なんにしても「世俗締にしか勝義締は説示されない」。に該当されます。
「父母未生以前」が世俗締における、主語(主題)説明です。
父母未生以前ですから、なんの縁繋ぎもない。という世俗締で勝義締を説明します。
これがいわゆる、世俗締の限界というもんです。
では、オチ
50 :
神も仏も名無しさん:2012/02/21(火) 20:06:15.63 ID:AoNiQ7ZB
>>49 >「父母未生以前(の本来の面目)」
「生命」以外の何がありますか?「父母未生以前」は、「父母の父母、そのまた
父母」と「永遠に」遡ります。
ワイド版 岩波文庫
ブッダのことば
スッタニパータ
中村 元 (翻訳)
出版社: 岩波書店 (1991/01)
スッタニパータ 1119
常によく気をつけ
自我に固執する見解を打ち破って
世界を空なりと観ぜよ
− − −
空観によって
空と一体になる事が出来るんじゃなイカ?
般若経の空
『般若経』が説かれて初めて大乗仏教の根幹をなす教えが完成した。
その中で、空が繰り返し主張されている。
その原因の一つは、この経典を編纂した教団が批判の対象とした説一切有部の教えが、
存在を現に存在するものとして固定化して観ずる事に対して、
厳しい否定を表し、一切の固定を排除し尽くすための事であろうと考えられる。
『般若経』の空は、このように全ての固定的観念を否定する事を主目的としている。
『大品般若経』では「空」を「諸法は幻の如く、
焔(陽炎)の如く、水中の月の如く、虚空の如く、響の如く、ガンダルヴァの城の如く、
夢の如く、影の如く、鏡中の像の如く、化(変化)の如し」と十喩を列挙して説明している。
さらに空を分類して、内空・外空・内外空・空空・大空・第一義空・有為空・無為空
・畢竟空・無始空・散空・性空・自相空・諸法空・不可得空・無法空・有法空・無法有法空の
十八空(経典によっては二十空)を挙げ詳説している。
53 :
神も仏も名無しさん:2012/02/21(火) 20:29:59.30 ID:AoNiQ7ZB
54 :
神も仏も名無しさん:2012/02/21(火) 20:36:59.94 ID:AoNiQ7ZB
>>52 すべて「幻の『如く』という「喩え・説明の手段」であって、「幻そのもの」
ではない。
このスレ住人のほうが下手な本職さんより詳しいですね
56 :
神も仏も名無しさん:2012/02/21(火) 20:54:22.62 ID:AoNiQ7ZB
>>52 そこには「相対性(関係性)故の空」という概念はありませんね。これは竜樹の
独創でしょう。竜樹の「空」とは、本質的な相違がある。
>>55 本職さんより詳しいわけでも優れている訳でもない。
間違っていても批判されない無責任な場所で勝手気ままに書いているだけ。
コイツラの日常生活を知れば腰を抜かすほどヒドイものだろう!!
瑜伽行唯識派(ゆがぎょうゆいしきは)
瑜伽(ヨーガ)の実践の中に唯識の体験を獲得して、教理にまとめた。
とりあえず、心(識)は仮に存在すると考え、
深層意識の阿頼耶識が
自分の意識も
外界にあると認識されるものも生み出していると考え(唯識無境)、
最終的には阿羅耶識もまた空であるとする(境識倶泯)。
− − −
瑜伽行唯識派の場合は
人為的に瑜伽(ヨーガ)の実践をおこなう行為によって
空に到達する事が出来るんじゃなイカ?
59 :
《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2012/02/21(火) 22:37:37.88 ID:/DqYvP6L
>>47 >後ほど私見を書きますけど、
他に私の勘違いを指摘できる方はおりますか?
居ないんじゃない?
僕も含めて皆、似たり寄ったりだから。大差無いよ。
>>49 空というのは勝義締のことです。
僕もそう思うよ。
>なんにしても「世俗締にしか勝義締は説示されない」。に該当されます。
これも、理解出来る。
>これがいわゆる、世俗締の限界というもんです。
言いたい事は分かるけど…
言葉の表便は悪いかもしれんが…少々、世俗締を軽んじて無いか?
世俗締って簡単に言うけど、難しいよ。
僕は前スレで、この様な事を書き込みましたが…
♪ちっがいますぅ〜♪
世俗諦が有無♪
勝義諦は(ー人ー)・・・♪
一つ聞かせて下さい。
世俗締の意義は?
正しい、間違いは、別として:海野土左衛門!ninja さんの意見が聞きたい。(以前の様に挑発する気はないので、ご安心を。)
61 :
海野土左衛門!ninja:2012/02/22(水) 07:53:54.83 ID:VIdgKhyY
>>60 >言葉の表便は悪いかもしれんが…少々、世俗締を軽んじて無いか?
>世俗締って簡単に言うけど、難しいよ。
確かに難しいです!!
まあ例えばですけど、隠居氏は世俗締の好例ですね。
「生命」といふのを常に主語にして論を展開する手法です。
それは「実存」というのを主語にするのも同じことです。
何かを主語にして論を展開すると・・・最終的に矛盾が生じる。
西洋哲学の衰退は、まさにここにあったかと思います。
実は「主語」とか「述語」というのは、高度な論理学がないと説明するのは無理です。
(私には無理ということです。近代論理学も殆ど無知ですから)
>一つ聞かせて下さい。 世俗締の意義は?
いいお題ですね。
世俗締の意義が解れば、そのまま勝義締なんじゃないですか?
つまりですね、第一義空は、そのままで世俗締やにおもいますね。
色即是空なんですから。
62 :
神も仏も名無しさん:2012/02/22(水) 09:56:10.88 ID:oif2HsVp
>>51 >自我に固執する見解を打ち破って
>世界を空なりと観ぜよ
そう「観じる」のは「自我」ではないか。自我に固執している。
あるがままの世界を受け入れて、初めて「自我への固執」が消滅する。
それに、わざわざ「観じる」というのは、世界の実在を前提としているので、
空は成立しない。
スッタニパータは矛盾と誤りだらけ。聖書とおなじく、「読んではならない、
読ませてはならない、悪書No.1」である。
63 :
神も仏も名無しさん:2012/02/22(水) 10:29:21.01 ID:oif2HsVp
>>61 >「生命」といふのを常に主語にして論を展開する手法です。
師のその書き込み自体が、師の生命を前提としている。生命を否定するのも、
生命の機能。「生きとしし生けるもの」の「主語」は常に「生命」である。
「勝義諦=世俗諦」なら、勝義諦は不要。無駄な「2項対立」は止めること。
勝義諦こそ、「戯論」の典型。竜樹は「世間の一切の慣習」に反することを、
何度か戒めているではないですか。竜樹と同様に、押さえるべきところは、
きちんと押さえてください。
「仏道とは、己(生命)にならうなり。己にならうとは、己をわするるなり」
(正法眼蔵)。
64 :
神も仏も名無しさん:2012/02/22(水) 11:02:52.31 ID:oif2HsVp
「毒矢のたとえ」とは、「現実に無関係な理屈を、くどくどと述べるな」と
いうこと。
釈迦自身が、「現実に無関係な精神論」をくどくどと語って、この己自身の
教えに反している。
戯論
【定義】
読み方は「けろん」。
戯れに弄する談論の意味であり、
具体的には、妄想分別が言語に表れること。
差別的対立に基づく議論。形而上学的な議論。
無益な言論、無意味なおしゃべり、仏道修行に役立たない思想や議論。
道理を欠いた思慮分別に基づく議論などの意味である。「八大人覚」では、不戯論が説かれる。
華時の前後を胡乱して、有無の戯論あるべからず。 『正法眼蔵』「空華」巻
【内容】
『中論』巻三「観法品」などに依れば、戯論にも2種類あるとされ、まずは、
事物に愛着する迷妄の上から行われる不正の議論のことを愛論という。
諸種の偏見から起こる言論を見論という。
さらに、鈍根や在家や凡夫の者は愛論を起こし、
利根や出家や二乗の者は見論を起こすという。
66 :
神も仏も名無しさん:2012/02/22(水) 13:32:51.00 ID:6daWiZCZ
ここの自称仏教徒はチベットやらブータンやらに無関心
邪教だと思ってる輩。
68 :
神も仏も名無しさん:2012/02/22(水) 13:57:19.63 ID:oif2HsVp
>>66 宗教という「執着」を捨てれば、虐殺されることはない。
69 :
海野土左衛門!ninja:2012/02/22(水) 14:25:10.39 ID:VIdgKhyY
>>63 >竜樹と同様に、押さえるべきところは、 きちんと押さえてください。
そうでしたか。
どうも私の押さえが足らんかったようですね。
あいすまんことをいたしました。
>「仏道とは、己(生命)にならうなり。己にならうとは、己をわするるなり」
(正法眼蔵)。
「己にならう」→これを世俗締
「己をわするる」→これを勝義締
このように押さえましたが、これで宜しいでしょうか?
最初に世俗締で、次に勝義締。
この二面性において正法眼蔵は解釈したら宜しいかとおもいます。
中論も然りです。
70 :
神も仏も名無しさん:2012/02/22(水) 14:28:48.24 ID:NLvvpeIe
>>65 「戯れに弄する談論の意味」というのは誤解。
戯論という漢訳は、そう誤解されやすくあまりよくない。
本来は人間が世界を見る時に本質的に働かせてしまう言語本能のような妄想力のこと。
つまり、あるがままに見ず、言葉を妄想してどんどん抽象的なイメージを脹らませて妄想すること。
本来のインド語の意味は「広がり」漢訳で「妄想」「虚偽」の方が近い。
だから顕在的な議論だけではなく、意識の広がりすべてを包括するよ。
だから『中論』で八不によって戯論一切を断つというのは、
xであるとか、xでないという一切の言語活動が停止することを目指しているんです。
>>67 逆にチベットやらブータンあたりにしか大乗は活きてないと思ってるよ〜
だけど政治には関わらないのだ。
71 :
神も仏も名無しさん:2012/02/22(水) 15:03:52.08 ID:ORO2Qj2r
72 :
神も仏も名無しさん:2012/02/22(水) 15:22:46.74 ID:NLvvpeIe
>>71 まあ、自分の不幸を何かのせいにしたい病人なんだから、
そっとしといてやれば、しかし、質問箱で妄想ばらまくのは困ったもんだな。
机と?もなんだが。
73 :
海野土左衛門!ninja:2012/02/22(水) 15:31:19.41 ID:VIdgKhyY
>>70 >xであるとか、xでないという一切の言語活動が停止することを目指しているんです。
「言語活動」というのは世俗締のことで、世俗締を「ならう」。
これが
>「仏道とは、己(生命)にならうなり。己にならうとは、己をわするるなり」
ということになる。
中論・戯論寂滅は、単なる「言語活動停止」の意味ではない。
世俗締を「ならう」なら、おのずと勝義締へ悟入される。
悟入されたもんが
「己をわするる」になる。
彼岸到達です!!
74 :
神も仏も名無しさん:2012/02/22(水) 15:36:50.67 ID:6daWiZCZ
すべては無常ならチベットが滅びることも悪業のツケと思い、受け入れるべき
76 :
無縁社会:2012/02/22(水) 15:44:08.88 ID:qdvnjT18
チベット以前に日本はあまりに問題の多い奇形社会。まず、日本人を救うこと、話しはそれからだ
仏教国ブータン王が被災を慰撫しに来るのに
日本人だけを救うんだとw さすが日本仏教。
78 :
神も仏も名無しさん:2012/02/22(水) 16:11:36.27 ID:NLvvpeIe
>>77 まあ、現代の日本仏教には期待できないが、
qdvnjT18 は仏教徒じゃないんじゃないかな。
恐らく生命教と呼ばれてるヤツだと思うけど。
彼は全くのネラだから、真に受ける方がおかしい。
命の価値は等価ではない
チベット人千人の命は日本人一人の命にも値しない
日本人千人の命がアメリカ人一人の命に値しないように・・・
内閣総理大臣やら天皇やら、こうゆうゴチャゴチャした連中の命は
ホームレス千人の命とどうして等価でありえよう?
俺はれっきとした「仏教徒」だけどチベットがどうなろうと関心は無いのよ
それよりは困っている「日本人」を救えと言ってるだけ
なぜか日本人の偽善エネルギーは外部にばかり発信される
日本のホームレスや失業者、自殺しかねないメンヘラを救済するのが先であろう
「在日」を餓えさせて、日本人の福祉を軽視するバカ国家
訂正
「在日」を優遇し、日本人を餓えさせて
81 :
神も仏も名無しさん:2012/02/22(水) 16:50:07.33 ID:jt59dzNB
>>69 >「己にならう」→これを世俗締
>「己をわするる」→これを勝義締
間違い。「己にならって(生命の指示により)」一生懸命生存努力をしている時は、文字通り
「我を忘れ」ます。勝義諦もへちまもない。まんま「世俗諦」です。
この意味で、ひたむきに生きている一切衆生は、すべて悟っている。悟っていないのは、
「悟りたい」という「欲望」「煩悩」「我欲」を捨てきれない宗教者だけ。
道元さんも、ちゃんと指摘しているではないですか。
82 :
海野土左衛門!ninja:2012/02/22(水) 16:57:44.64 ID:VIdgKhyY
>>81 >道元さんも、ちゃんと指摘しているではないですか。
そうでしたか。
だったら私が勘違いをしておったようですね。
あいすまんです。
我をわするる程に、一生懸命に生存努力をしとうございます。
このような解釈で宜しいのですね?
一切は本来、寂滅
ただそれだけ
道元は悟っていない
84 :
神も仏も名無しさん:2012/02/22(水) 18:05:16.69 ID:jt59dzNB
>>83 自分が「悟った」と思う者は、悟ってはいない。(By 道元)
85 :
神も仏も名無しさん:2012/02/22(水) 18:16:07.59 ID:jt59dzNB
>>82 >我をわするる程に、一生懸命に生存努力をしとうございます。
>このような解釈で宜しいのですね?
無理しないでくださいw。生存努力をしたくない、する必要のないときは、
2chで遊んでいればよいのですw。それが「己(生命)の声」です。
経済的理由などの、生存の必要に応じて、生命が指示してくれます。
>>81 >ひたむきに生きている一切衆生は、すべて悟っている。
そう、悟っているね。しかし、覚ってはいない。
それが悟りと覚りの違うところだ。
道元禅師は覚りの世界にいたお方ですよ。
87 :
海野土左衛門!ninja:2012/02/22(水) 18:46:29.57 ID:VIdgKhyY
>>85 >2chで遊んでいればよいのですw。それが「己(生命)の声」です。
言っては悪いですけど、なんかいい加減な人生なんじゃないですか?
私は2ちゃんをやるときは、それなりに真剣ですよ(苦笑
そうじゃないと人生が勿体無い気がするのです。
限られた時間にネットに繋ぐ。非常に貴重な時間です。
アナタが書いた、
>>我をわするる程に、一生懸命に生存努力をする。
なかなか良いじゃないですか?
今まで私は「一生懸命生存努力をしてきたかな?」とか
自省しておるとこです。
一生懸命に生存努力しても悟りには至らない
それが「凡夫」というものである
もがけばもがく程に、輪廻の車輪に巻き込まれる
「悟る」にせよ「覚る」にせよ
「何事もしない人」が最もさとりに近い
さらに真実を述べるならば
「悟ろうが」「悟るまいが」どちらも同じことではないか・・・
だったら無駄なあがきより、平穏無事のほうが良い
どちらも同じことだ・・・
>>88 >「悟ろうが」「悟るまいが」どちらも同じことではないか・・・
さにあらず。禅系ではそこが間違いやすいところだ。
浄土系では信心が得られる前と後での心の世界がガラリと変るので、
どちらも同じではないことがハッキリしている。
90 :
神も仏も名無しさん:2012/02/22(水) 19:05:13.80 ID:jt59dzNB
>>89 >浄土系では信心が得られる前と後での心の世界がガラリと変るので
変わってはいけないのです。「真如としての衆生心」が失われてしまいます。
>>90 >変わってはいけないのです。
それは単なる屁理屈です。信仰は理屈ではありません。
救われている!という体験の世界です。
92 :
海野土左衛門!ninja:2012/02/22(水) 19:17:38.38 ID:VIdgKhyY
>>90 真如としての衆生心は、生存努力はせんでしょ?
生存努力する必要性は全くないんだから!!
どうして生存努力せにゃ〜ならんのか?
このあたりに何かのヒントがありますね。
私はメクラじゃないから、そのくらいのことは分かりますよ(苦笑
93 :
神も仏も名無しさん:2012/02/22(水) 19:19:21.84 ID:lswIv43V
>>90 大乗起信論を最初から最後まで読みましょう。
94 :
神も仏も名無しさん:2012/02/22(水) 19:48:35.62 ID:JTW5C91u
>>91 >救われている!という体験の世界です。
ご立派に宗教に洗脳され嵌りましたね!
オウム信者と同じ屁理屈を言ってるみたい(笑
オウム信者ってそんなこと言ってないよ
>>94 オウムのことを少しも知らないのですね。
オウム信者の求めていた(いる)のは、(実現することのない幻の)神秘体験なのです。
救われた体験を持った信者など一人もいません。オウムは似非禅系であって、浄土系
とは対極にあるほどかけ離れていることも分からないのですね。
体験ってw
座禅すりゃ誰でも体験すんだろ
アフォか
>座禅すりゃ誰でも体験すんだろ
座禅で得られる三昧体験は宗教体験ではありません。
入り口の一風変った経験にすぎません!
その論法ならオウムも一風変わった経験なんだろw
アホすぎるな。
オウムはアホにも分かる答えを示しました。
それはどのようにも解することのできる抽象的なものでした。
おバカちゃん! 違うんだよ、オウムは。
オウムは麻原にダマされて弟子達は皆ありもしない境地を求めていたのさ。
102 :
神も仏も名無しさん:2012/02/22(水) 20:54:56.00 ID:7faYLCan
地震の時も病気の時も又その他の苦でも、仏陀や
イエス・神仏は何も答えず何の行動も起こしません。
手を差し伸べてくれるのはいつも同じ人間でしょう。
救われている!という体験のお話を具体的に是非ど〜ぞ!
103 :
神も仏も名無しさん:2012/02/22(水) 20:56:02.59 ID:jt59dzNB
>>91 >救われている!という体験の世界です。
誰を何からどうやって「救う」のですか。現代において、人を救っている
のは、専ら科学であり、宗教ではありません。宗教は、常に、争いと殺戮の
原因になっているだけです。中東やアフリカの惨状が見えないのですか。
古代や原始社会においては、宗教が科学を兼ねているのです。彼等なりの、
生存のための精一杯の「現実性・合理性・科学性」の現われです。彼等は、
現代の宗教とは異なり、生存の手段をその目的とするという倒錯には陥って
はいない。
104 :
神も仏も名無しさん:2012/02/22(水) 21:04:38.31 ID:7faYLCan
現実世界で人間を救えない無力者が、どうやって
他の世界で人間を救う力があるのですか?
そんな者がいることを望み、又、それに縋りたいだけでは?
>>102 心の仮設の上の恐怖や怒りならば解決する。
人は必ず死ぬ、死ぬことは生まれた時から決まっている。
病気を治すなどと誰もいっていないし
地震を起こしたり、止めたり出来るとも言っていない。
なんでそんなことが可能だと考えてるの。
106 :
神も仏も名無しさん:2012/02/22(水) 21:09:08.83 ID:jt59dzNB
>>96 オウムも他の宗教も、「開祖・教祖・教理の無条件盲信」という点で、原理的
には全く同じ。だから宗教は、オウムの本質批判は絶対にできない。すべて
自分に跳ね返ってくるからだ。
107 :
神も仏も名無しさん:2012/02/22(水) 21:12:05.19 ID:7faYLCan
可能だなんて誰も言ってないのに
具体的な体験って何さ。
瞑想したら地震がとまった!とかオカルト発言しろと?
>>102 >救われている!という体験のお話を具体的に是非ど〜ぞ!
法然上人や親鸞聖人の著書を読んでごらん!
>>106 >だから宗教は、オウムの本質批判は絶対にできない。すべて
>自分に跳ね返ってくるからだ。
全然的はずれだね。本当の宗教というのは教祖に宗教体験があって、弟子達も
それと同じ体験をしたい!と感じるのが原点です。しかし、オウムの場合は麻原に
宗教体験などなかったのです。すべてウソで、薬物を使って自らも弟子も意味のない
幻覚体験を経験していただけなのです。
111 :
神も仏も名無しさん:2012/02/22(水) 21:25:42.78 ID:jt59dzNB
>>105 >心の仮設の上の恐怖や怒りならば解決する。
恐怖や怒りが、生命の維持のために不可欠な心的作用であることを、
宗教の開祖は誰も思い至っていない。それどころか、恐怖を「意図的に」
植え付け、それからの「救い」「解脱」という甘言を弄して、自己の
宗教の拡大を図る。これが、すべての創唱宗教に共通する実態である。
釈迦もイエスも例外ではない。
>>111 なんでそう思うん?
あの人は怖い。
飛行機って怖い。
先生は怖い。
この怖いは本当に不可欠かね?
113 :
神も仏も名無しさん:2012/02/22(水) 21:29:56.97 ID:7faYLCan
>>109 >法然上人や親鸞聖人の著書を読んでごらん!
あなたの言葉で
>救われている!という体験の世界です
↑を是非この場で伺いたいですね
114 :
神も仏も名無しさん:2012/02/22(水) 21:33:28.07 ID:jt59dzNB
>>109 「開祖・教徒・教義の無批判の盲信」と言う点で全く同じであることを自白
しているw。
このスレの釈迦カルトたち自身が、如実に証明してくれている。
>>113 全く同じ体験だから、祖師方のご著書を読んでね。
同じ量の書き込みはとても時間的に無理!
読んだ上で質問があったら聞いてちょうだい!
朝の修行が早いので、今日はここまで。
オヤスミじゃ!
117 :
神も仏も名無しさん:2012/02/22(水) 21:39:08.79 ID:jt59dzNB
>>112 極端な場合は生存を害する危険性があるから、「恐い」という心的作用が働く
のである。だからそれから逃避したり、安全策を図るという行動が生じること
が出来る。
119 :
神も仏も名無しさん:2012/02/22(水) 21:45:22.96 ID:jt59dzNB
>>115 読むと、オウムと同様に洗脳される恐れがあるから、宗教には近づかないのが一番。
洗脳されれば、生来の人格、現実性、社会常識が不可逆的に変容されてしまい、
取り返しがつかなくなる。ここの釈迦カルトたちによって如実に証明されている。
120 :
神も仏も名無しさん:2012/02/22(水) 21:46:11.16 ID:7faYLCan
>>109 オウムと浄土系の教祖の宗教体験は何を基準に本物・偽者と
又、その有無を判断しているのでしょうか??
>教祖に宗教体験があって、弟子達もそれと同じ体験をしたい!と感じるのが原点です。
↑ は、オウムの信徒も同様だったと思われますが・・
121 :
神も仏も名無しさん:2012/02/22(水) 21:49:28.23 ID:7faYLCan
122 :
神も仏も名無しさん:2012/02/22(水) 21:52:39.75 ID:jt59dzNB
>>118 「死」は、仮設ではないよw。だから「死への恐れ」も仮設ではない。
仮設と考えているのも、生命の機能だから。
それに、「仮設」なら「本物」もあることになる。両者の識別は不可能。
>>122 夢で死んじゃうのね。
生命教って大変ね。
124 :
神も仏も名無しさん:2012/02/22(水) 21:57:14.66 ID:7faYLCan
>>114 >「開祖・教徒・教義の無批判の盲信」と言う点で全く同じであることを自白しているw。
同意。
そして宗教関係者は皆、自分が信じている宗教が一番正しいと錯覚・盲信している。
恋愛とも似ているかもン〜(笑
オヤスミ☆
ああw 昆布もどきだったのかwww
どうりで薄っぺらいレスだと思った・・。
126 :
神も仏も名無しさん:2012/02/22(水) 22:12:59.24 ID:7faYLCan
>>123 宗教って、一途に信じるのね
そして↓
夢遊病者=思考停止になるから大変ね。
127 :
神も仏も名無しさん:2012/02/22(水) 22:19:22.18 ID:7faYLCan
>>125 宗教を批判されると上から目線の蔑視レス〜(笑
宗教の不完全さを一度でも心で内省したら如何でしょうか?
進歩あると思う・・・。
>>127 もう散々やりつくしてんだよw 新参はROMってろ。
129 :
神も仏も名無しさん:2012/02/22(水) 22:26:39.12 ID:fqeq715x
宗教体験くんを以前にも見かけた記憶がある。
ご隠居と一在家を足したようなキャラだった。
>>126 126が123の返答になる意味が分からないw
夢が思考停止なのかな。
132 :
神も仏も名無しさん:2012/02/22(水) 23:12:29.51 ID:NxZYmdg8
>宗教体験くんを以前にも見かけた記憶がある。
wwww
そいつは、以前湧いて出た「真宗バカ」www
相手にしない方が賢明w
133 :
神も仏も名無しさん:2012/02/22(水) 23:13:43.33 ID:NxZYmdg8
おまけにAAバカまで、湧いて出たww
×)言葉の表便
○)言葉の表現
なんじゃ?そりゃ!W今、気付いたわ!WWW
>>61 海野土左衛門さん。
突っ込まずスルーしていただき感謝します。
>>61 >世俗締の意義が解れば、そのまま勝義締なんじゃないですか?
つまりですね、第一義空は、そのままで世俗締やにおもいますね。 色即是空なんですから。
海野土左衛門さんの言いたいことが漸く分かりました。
それで以前、『世俗締→勝義締→世俗締となる』と主張していたんですね。言いかえると、『世俗締(色)、勝義締(空)』だから、『世俗締→勝義締(色即是空)、勝義締→世俗締(空即是色)』なのね。
だから、「世俗締の意義は?」の問いかけに対しての回答が、「世俗締の意義が解れば、そのまま勝義締なんじゃないですか?」だったんですね。
分かりました。
>確かに難しいです!!
もしかして、海野土左衛門さんは世俗締を考える時、勝義締とセットで考えて難しいと書き込みませんでしたか?
それは、『勝義締』と言う言葉を使うけど、考え自体は世俗諦だと思います。なので僕の言いたい『難しい』とは違います。
僕は尊者ゴータマ・シッダッタの真意は何かと個人的に探っている者なので、学者的な正解と思われる様な事は言えませんが、一度、意見を検討してみてください。
>>61 『物事を分別する事』が世俗諦の意義だと僕は思います。
なんだ!そんなこと?…って思われるかも知れませんが、それが基盤であり基礎であり基本なのでここを押さえないと仏教と言う名の迷路に迷うことになるんだと思います。
尊者ゴータマ・シッダッタがくどくどと世俗諦を説いたと言われるのはこの為だと思われます。
前スレで
>>664で、法はそういう苦における結果として導き出されるものですから。と海野土左衛門さんが書き込んだ時、この方は世俗諦を勘違いしていると薄々思っていました。
何故なら、分別した後に色々な道理(法)が顔を見せ始めるからです。
世の中を観察すると、道理が通っている人って言葉の選び方が上手な人が多いと思いませんか?物事の分別が出来るからこそ言葉の選び方が上手なんだと思います。
それに、
>>65でも、似た内容が…『中論』巻三「観法品」などに依れば、戯論にも2種類あるとされ…』物事に分別が出来るからこそ『戯論』にも2種類見出せたのでは?
最後に、僕は世俗諦には4段階(4種類)有るのでは?と言ってましたよね!?実は八正道は3段階(3種類)有るのでは?と思っています。なので…
>>40 >「正しい」をおこなう行為を通して・・・・ 「壁」に遭遇する。
「正しい」と言う考え方が3種類あれば、「壁」には遭遇しません。が僕の思う世俗諦の意義でした。
最後に語字、脱字があれば、ゆるしてぬ!W
>>61 あっと!
「実存」について…
僕の分別方法ですと、世俗締の2段目までならアートマン表現は許される事になっています。
自転車に乗れる様になるまで、補助輪(アートマン表現)を使うのと同じですよ。WWW
海野土左衛門さんも、自分流の分別方法を確立されてはどうでしょうか?
それから、『勝義締』と言う言葉を使えば良いと思います。
「主語」も「述語」も中観で解決済みのはずなんですが…
そこは、どうでもいいや!
>>128 >もう散々やりつくしてんだよw 新参はROMってろ。
は〜い!
黙ってROMりま〜す!
(^○^)/
本当は、承狂 ◆TptLNQXPVWuJさんといくつか遣り取りしたかったぬ〜。
元気かぬ?
ほんじゃ〜な〜!
>>72 > 質問箱で妄想ばらまくのは困ったもんだな。 机もなんだが。
− − −
机先生とか海野土左衛門先生の場合は
例え全面的に間違っていたとしても自分の意見を主張している
− − −
>>72さんの場合は自分の意見を主張する事なく
頭ごなしの批判だけをしているように見える
− − −
>>72さんの場合は
何を主張したいのか?
頭ごなしの批判だけではなくて
自分の意見を主張した方が良いんじゃなイカ?
議論スレって定期的に変なの湧くよな
141 :
海野土左衛門!ninja:2012/02/23(木) 08:33:18.84 ID:AR5d/v1o
>>135 >もしかして、海野土左衛門さんは世俗締を考える時、勝義締とセットで考えて難しいと書き込みませんでしたか?
その意味は
>>91に書いてありますね。
>それは単なる屁理屈です。信仰は理屈ではありません。
>救われている!という体験の世界です。
つまり世俗締の意義を説明するのは、勝義締へ環滅せにゃならんじゃないですか。
これは説明のしようがない。
>>91氏に同意ですが、彼?も沈黙を守っているじゃないですか?
何故か?説明しようとすれば世俗締になるからです。
つまり勝義締が思慮分別になるからです。
これじゃ勝義締を説明したことにはならんでしょうね?
>なので僕の言いたい『難しい』とは違います。
そうですか?では、難しいながらもアナタは世俗締の意義を説明できるのですね?
ではお話を聞かせて頂きたいです。
(敬具)
142 :
海野土左衛門!ninja:2012/02/23(木) 08:42:58.60 ID:AR5d/v1o
(つづき)
「仏教では救われることはない」。この真意とは・・・
既に救われているなら、救われることはない。
この説明は世俗締になる。
勝義締では、二項対立がないから説明以前になる。
これはある程度の宗教体験?は必要かとおもう。
自らが納得したものは、説明しようがない。
救いとは概念である
概念から救われるってことは
概念を忘却または塗り替えること。
概念に囚われ概念から救われる。
救いとは在るようで無いのである。
概念の意味合いを変えてしまえば救われるのである。
144 :
神も仏も名無しさん:2012/02/23(木) 08:55:47.76 ID:wq544J14
>>139 そうだよ。他の人に?、生命教、机などの言うことはただのデタラメだって言ってるだけだから。
なぜなら、最初は君らにもきっちりいかに違っているか説明したが、10回以上説明しても
同じことを繰り返すだけだから、話してもしょうがないでしょ。
要するに幼児強弁タイプの人は、この人は幼児強弁ですよ。
法螺吹き自演男には、この人は法螺吹き自演男ですよ、という以外ないと思うから。
それと自分の意見を言えばいいというのは日本の学校教育の場だけで、
世界的にそれは通じないと思うぞ。
一般的には一度きっちり誤りが指摘されたことは訂正するか、黙るしかない。
君の場合、仏教がヨーガのような体験によって真理に至ると考えているようだが、
そうではなくそれは外道で、仏教は縁起によって無我・空性を悟る点に大きな違いがあると何度も説明したでしょ。
もちろん戒定慧といわれるようにヨーガに相当する定があるわけだが、
それはあくまで前提であって、仏教の本質じゃないだって。
それを丁寧に根拠を挙げて何度説明しても、自分の思い、妄想を語るだけだから、
この人は妄想家ですよ。と指摘するだけになったわけ。
それはオイラだけではなく、他の常連さんも同じようなスタンスでしょ。
自覚されたし。
縁起と体験(瞑想)でしょ。
縁起だけなら座学で悟れちゃうもの。
心の平安なくして理解できない
146 :
神も仏も名無しさん:2012/02/23(木) 09:25:29.56 ID:wq544J14
>>145 はいはい、以下がそういう意味なんだけど。
>>もちろん戒定慧といわれるようにヨーガに相当する定があるわけだが、
>>それはあくまで前提であって、仏教の本質じゃないだって。
集中力がないと、縁起が観として使えないということね。
147 :
神も仏も名無しさん:2012/02/23(木) 09:26:56.87 ID:j8eqA49u
なんか「?」のバカが、またポイントずれたアホ喚いてるがwwww
机(海野土左衛門!の自演バカ)、「?」、隠居、・・・・
お前らに共通する属性は、自己の見解の誤りを指摘されても、それに
正当に反論することなく、論点ずらし、逃走を繰り返し、ほとぼり冷めた頃、
また同じことを繰り返す。それを延々とループさせることww
自己の見解を述べろ?wwwwwww
今まで、散々やったでしょ? そして、それに反論できずに常に
海野土左衛門! は、論点ずらして逃走ww
そんなゴキブリ机に、さらに見解を述べろとは、正気か?www
148 :
神も仏も名無しさん:2012/02/23(木) 09:35:05.33 ID:wq544J14
まあ、そういわんと。?は認識できないんだよ。悪意はない。
机は明らかな詐欺師。ホラふいてるの分かっててやってる。
生命教は最初は認識できてたけど、最近はやばいかんじだと思う。
だから、机は追求できても他の二人は優しく見守るのがええんじゃないかと。
生命教は末尾、末文が大体同じだから読む価値がないw
>>146 集中力ではなく、概念をオールクリアーして
世界を見直すってことでしょ。
思考の名のOS
生活する上でゴミプログラムがたくさん溜まる
OSの起動が不安定になり、OSが偏った変な動きをしだす
OSをクリーンにしてゴミを再検証してみる
ゴミの価値を再転回し、取捨選択し、OSの不安定さを解消する。
そのうえで必要になるアプリケーションが縁起である
ってことじゃないの
151 :
神も仏も名無しさん:2012/02/23(木) 09:47:42.74 ID:wq544J14
そりゃ、生命教だって分かれば読まないでしょ。
生命教は、恐らく何か辛いことがあって、それに対して、
ボクは悪くない、宗教が悪いって唱えてるだけだから。
なんかいろいろ適当な理屈捏ねてるけど、ほとんど思いつきの断章取義。
ヤクザ論理ね。
152 :
神も仏も名無しさん:2012/02/23(木) 09:53:25.58 ID:wq544J14
>>150 そう? そいういう解釈する人たまにいるけど、それはもしかしてニューウェーヴ・テーラワーダ解釈?
検討したいので、根拠を示していただけるとありがたい。
書名と頁数だけでも。もちろん、文もあれば、なおありがたい。
153 :
絶対神:2012/02/23(木) 09:54:46.93 ID:zsEVXVgk
「それが人の救いに関する事ならば」
『そして、人を救う気があるのなら』
「きちんと人に説明して納得させる事ができないと」
『判ったとは言わんのだよ』
テーラワーダが好きなのか面倒だが
ちょっと探してくるから。
比丘たちよ、この道は、
もろもろの生けるものが清まり、愁いと悲しみを乗り越え、
苦しみと憂いが消え、正理を得、
涅槃を目のあたり見るための唯一の方法です。
156 :
絶対神:2012/02/23(木) 09:59:13.24 ID:zsEVXVgk
>>150 「人間の場合は、再インストールもオールクリアもできない」(そんな
事をしたら死んでしまう)
『今まで受けた傷や、情報をある程度、そのまま、誤魔化して一生、
不安定なまま生きていくしかない』
「治らない傷や、回復しない状況など幾らでもあるし」
『人生とは寧ろ、「いかにマイナス面を誤魔化していきていくかに主眼
があるのであって』
「そういう面では、積極的要素は、あまりないと思う」
158 :
絶対神:2012/02/23(木) 10:02:57.19 ID:zsEVXVgk
「つまりねえ」
『人間は、基本的には生まれてきてから今まで身につけてきた判断基準で
物事を判断するの』
「純粋に仏教的基準でやらせたいのだったら」
『最初から、つまり、生まれた時から「仏教」を刷り込むしかないんです』
よく、宗教が「前提を捨てろ」とか「オールクリアしろ」とかいうけど
「そんな事は出来ないし、やってよい事でもないんです」
160 :
神も仏も名無しさん:2012/02/23(木) 10:26:03.93 ID:wq544J14
>>154 文は読めないタイプみたいね。オイラは大乗だよ。
アナタが
>>150が仏教だという根拠となる文が知りたいわけ。
>>155 その文だと「この道」を指す前文がないと分かんないでしょ。
もしかして、自分の体験でものをいうタイプ?
>>160 自分で理解しやすいようにオリジナルに書き換えただけだよ。
現代的で分かりやすいと思うんだけどね。
162 :
神も仏も名無しさん:2012/02/23(木) 10:30:11.31 ID:eR9ltycu
仏教という方便を使って仏教すら煩悩だとわからすのが仏教だろ?
163 :
神も仏も名無しさん:2012/02/23(木) 10:43:05.94 ID:wq544J14
>>161 そうですか。もうけっこうです。どうもでした。
仏像やご本尊、仏壇に経をあげるのが
仏教じゃないと思うのよね。
仏教とは自分を知り、目を開く者のことでしょ。
その智慧によって幸せの道を伝えることが
仏教だと思うけどね。
165 :
海野土左衛門!ninja:2012/02/23(木) 11:24:23.82 ID:AR5d/v1o
>>136 >>「正しい」をおこなう行為を通して・・・・ 「壁」に遭遇する。
>「正しい」と言う考え方が3種類あれば、「壁」には遭遇しません。が僕の思う世俗諦の意義でした。
ある程度の世界観が構築され、そしてその属性として目的意識が持てたなら
それなりに方向付けができるから「壁」は出来ないでしょうね。
(方向付けとは、例としてカルマの清算とか行為における意味付与です)
しかし世界観が構築されても、その世界観を自らが処理できなければ
精神的に不安定になるはずです。
この段階で、なんでもいいから観念を挿入すれば精神的安定は得られる。が
それは非常にリスクがある。
非常に不安定な時期が続くと、精神的疾患になる可能性がある。
この魔境(いわゆる壁)を突き破ったところで自我から開放される。
結論→壁とは自我開放への切っ掛け。
166 :
神も仏も名無しさん:2012/02/23(木) 12:13:17.09 ID:Rd+GCDYZ
「考え方」は、その基盤次第で百人百様だから、いくら論戦を闘わせても無意味
である。「何を考えるか」の前に、「何を基盤として考えるか」を考えて決定する
ことが必要。
その「基盤」は、「万人に共通する普遍の基盤」でなければ、再び百人百様になる。
開祖や経典は、基盤にはなりえない。それも厳然と実在する大自然とは異なり、
百人百様の考えの一つなのだから。
佛教が「煩悩を捨てよ」という以上、まず「開祖や経典に対する執着」という
「最大の煩悩」を捨てることが先決。そのためには、「開祖や経典に対する批
判」から始めることが不可欠である。、
166の考えも執着
批判から始めたいという執着ですな
168 :
神も仏も名無しさん:2012/02/23(木) 12:21:13.18 ID:Rd+GCDYZ
>>147 >お前らに共通する属性は、自己の見解の誤りを指摘されても、それに
>正当に反論することなく、論点ずらし、逃走を繰り返し、ほとぼり冷めた頃、
>また同じことを繰り返す。それを延々とループさせることww
君らの「指摘」そのものが、「すべての人間に共通する普遍の基盤」に基づいて
いないから、その誤りを「角度を変えて」反論しているではないか。
169 :
神も仏も名無しさん:2012/02/23(木) 12:24:51.77 ID:Rd+GCDYZ
>>167 開祖・経典を「絶対」として「批判できないこと」を執着というのですよ。
171 :
神も仏も名無しさん:2012/02/23(木) 12:33:04.01 ID:Rd+GCDYZ
>>170 「すべての人間に共通する普遍の基盤」に執着することは、執着ではない。
すの基盤に執着するからこそ、万人が生存しているのですから。万人が生まれ
ながらに執着せざるを得ないものなら、百人百様ではないから、それはもはや
執着とは呼べないでしょう。
173 :
神も仏も名無しさん:2012/02/23(木) 12:43:19.75 ID:Rd+GCDYZ
>>172 開祖や経典は「すべての人間に共通する普遍の基盤」ではないから、それに
執着することを「煩悩」という。開祖や経典は、「生命」という普遍の基盤
の上に成立している「仮設」に過ぎない。
>>173 それは
そうであるはずだ!って執着心じゃないですか?
175 :
神も仏も名無しさん:2012/02/23(木) 12:49:19.96 ID:Rd+GCDYZ
>>172 死ねば、煩悩も執着も、宗教を初めその他人間のすべての営みが消滅する。
したがって、「生命」が「万人に共通する唯一の普遍の基盤」。
177 :
神も仏も名無しさん:2012/02/23(木) 12:53:42.64 ID:eR9ltycu
有に執着してる人と無に執着してる人の会話
178 :
神も仏も名無しさん:2012/02/23(木) 12:57:05.64 ID:Rd+GCDYZ
>>174 疑問があるなら、自分が死んで試してみ。絶対にやれんだろ。それが証拠だ。
俺もやらんがw。
どんな小動物でも、捕らえられそうになると必死で逃げるのは何故か。
180 :
神も仏も名無しさん:2012/02/23(木) 13:01:59.60 ID:eR9ltycu
生命が共通の基盤だからなんなんだ?
それがわかるとなんかあるの?
181 :
神も仏も名無しさん:2012/02/23(木) 13:04:16.51 ID:Rd+GCDYZ
>>179 開祖の言説や経典は「すべての人間に共通する普遍の基盤」ではなく、「百人百様の考えの一つ」
に過ぎないから、証拠にも、基準にも一切なり得ない。
184 :
神も仏も名無しさん:2012/02/23(木) 13:06:00.12 ID:eR9ltycu
真理に至るとどうなるの?
ヤクザに脅されても心が乱れなくなるとか?
185 :
神も仏も名無しさん:2012/02/23(木) 13:13:22.03 ID:Rd+GCDYZ
>>183 「煩悩を去れ」とは「死ね」ということ。死なない限り「煩悩を去りたい」と
いう煩悩も残る。
煩悩が去るとどうして死ぬの。
正直、俺は悟れなくてもいいのさ
ただ、仏教はおもしろい
大乗経典はすばらしいと思うだけで
それもある意味、文学的にとらえてひとりでムフフと楽しんでいるだけ
だから世俗アンド煩悩は全然オッケーなわけ
だいたい思惟したり、瞑想したりするぐらいで悟れるわけがないとハナっから考えてるもの
だいいち、チベット仏教みたいな高度な観想なんてどんなに練習してもできへん
ああいうのは記憶力抜群で芸術家のセンスが無ければとうてい実習できない
サマディ―に入れば生きながらにして煩悩を絶つことが可能らしいけど
俺はサマディ―などに入れる可能性はゼロだ
ここにあらゆる宗教における「つまずきの石」がすでに用意されている感じがして、俺を憂鬱にする
仏教は宗教じゃなくてもいい
哲学ごっこ、文学ごっこでやめておくのがちょうどいい
コーヒーに砂糖を入れすぎると甘すぎてまずい、入れなさすぎてもニガイ
それと同じ
188 :
神も仏も名無しさん:2012/02/23(木) 13:56:13.36 ID:wq544J14
>>182 まず、引用する時は、引用だと分かる記号を付けよう。
2ちゃんだと一般的なのが >> だ。以下のように使う。
>>瑜伽(ヨーガ)の実践の中に唯識の体験を獲得して、教理にまとめた。と書いてあるんじゃなイカ?
次にウィキとか根拠にならないから。
だから、仏教質問箱で答えとしてウィキや、お勧めの本とか連投するのはやめようね。
質問した人は、ウィキやお勧めの本を求めているわけじゃないでしょ。
お勧めの本を教えてくださいという場合は別だよ。
それから学者の説も根拠にならない。
唯識派も戒定慧という体系を認めてるから。
それを認めない仏教は伝統仏教ではないと思うぞ。
要するに君の場合は、答える時期じゃないんだは。
もうすこし理解してから、意見をいうべきじゃないか?
そこを自覚してほしいんだが、無理かな?
何の話をしてるの?
中観派的観点と唯識派的観点とはかみ合わないところがあって当たり前。
世俗諦はアートマンを認める?
ここは隔離病棟ですか?
191 :
神も仏も名無しさん:2012/02/23(木) 14:24:40.40 ID:wq544J14
>>189 例えば、道を尋ねる人がいる。しかし、道順が分からないから答える人はいない。
道順も分からないのに答えてるのが君。尋ねた人は道に迷ってしまう。
知らないのに答えると質問者をより混乱させてしまうことになるのは分かるかな?
だから、はっきりわからないのに適当に推測して自分の意見を言う場ではないんだよ。
ここは小学校の国語の授業じゃないんだから。
> 中観派的観点と唯識派的観点とはかみ合わないところがあって当たり前。
瑜伽行唯識派の場合は
瑜伽(ヨーガ)の実践を、人為的におこなう行為によって
『最終的には阿羅耶識もまた空であるとする(境識倶泯)』
と言う事で良いんじゃなイカ?
193 :
海野土左衛門!ninja:2012/02/23(木) 14:35:59.89 ID:AR5d/v1o
>>184 >真理に至るとどうなるの?
それは、ひとりひとりの死生観ですから・・・
ひとりひとり違うかとおもいます。
輪廻転生がない場合は、自殺した方が良い。って考えもあります。
また、
「生存努力をしなければならない」。って考えもありますね。
「生存努力」って考えは、私は正直いって驚きました。
生きるのがそんなに努力せねばならんのか!!??
死に体のヨボヨボ爺さんなのか?そんなのは書き込みじゃ分からんですからね。
ウツ病とかも、あるいは生存努力がいるかとおもいますね。
世の中には、いろんな努力をしている方がいらっしゃるようですね。
そこには、いろんな人生が渦巻いてますね。
ガネーシャ
仏教圏での信仰
チベット仏教
チベット仏教では、
ガネーシャ(象頭財神)は大黒天(Mahakala)によって調伏された姿でも描かれるが、
観世音菩薩を本地とする護法神としても信仰される。
上座部仏教
上座部仏教国のタイでも、ガネーシャは仏教徒に信仰されている。
日本密教(台密・東密)
天台宗・真言宗ではガネーシャを起源に持つ歓喜天(聖天)が天部の護法神として信仰される。
スリランカ仏教
ナーラーギリ(Naragiri)という災厄と疫病を司る象頭の悪魔にされている。
− − −
普賢菩薩が乗っている象と、ガネーシャと関係がある
と推測しても良いんじゃなイカ?
輪廻肯定派の場合は
渇愛(タンハー)がある場合は
例えば
自殺したとしても
又、何処かに生まれて来るんじゃなイカ?
>>191 例えば、道を尋ねる人がいる。しかし、道順が分からないから答える人はいない。
道順も分からないのに答えてるのが君。尋ねた人は道に迷ってしまう。
知らないのに答えると質問者をより混乱させてしまうことになるのは分かるかな?
− − −
例えば
私が適当な意見を述べたとして
それを
頭ごなしに批判するのではなくて
親切丁寧に、わかりやすい説明によって
導くと言う方法でも良いんじゃなイカ?
197 :
神も仏も名無しさん:2012/02/23(木) 15:04:25.58 ID:wq544J14
>>194 そりゃ、単に象だから繋がりがあるという妄想だよね。
>>195 つか、解脱しないかぎり輪廻するわけだ。
そういうふうに勝手に妄想するのは自由だ。
しかし、真面目な質問に対してそういう妄想を披露するのは相手を混乱させるだけだろう。
まあ、この議論スレなら、いいと思うよ。机もいるし生命教もいるわけだから。
質問スレに書くのは止めた方がいいと忠告するよ。
これにて当分、君とは絡まないんで、君もできればオイラにレスしないでくれよん。
198 :
神も仏も名無しさん:2012/02/23(木) 15:05:01.45 ID:eUDGW1Eh
学校などいれずに 仏教教えろ
199 :
海野土左衛門!ninja:2012/02/23(木) 15:06:33.55 ID:AR5d/v1o
>>195 輪廻肯定派は、現世をカルマ(罪業)清算という位置づけであり
間違っても自殺はできない。
もし自殺をしたなら、カルマ清算拒否となり
その罪業は想像を絶する蓄積になり、もはやカルマ清算どころの話ではないのです。
つまり、生まれ変わって清算できない。
ではどうするのか?
それは私は分かりかねます。
輪廻肯定派だけど。
人間は土と海から産まれ産まれ、土に還る
その土くれから人になる。
>>197 > そりゃ、単に象だから繋がりがあるという妄想だよね。
普賢菩薩が乗っている象と、ガネーシャと関係があると言う推測が
妄想なのか?どうかか?ちゃんと調べた方が良いんじゃなイカ?
> これにて当分、君とは絡まないんで、君もできればオイラにレスしないでくれよん。
>>197さんが私の事を相手にしなければ良いんじゃなイカ?
>>199 海野土左衛門
『輪廻肯定派の立場が理解できる』
さすが海野土左衛門先生じゃなイカ?
203 :
海野土左衛門!ninja:2012/02/23(木) 16:17:49.90 ID:AR5d/v1o
>>202 輪廻転生論というのは、好き娘ができて熱くなってるような状態だから、
こういう状態の時はルンルン気分でいい訳です。
しかし人生は、やがて熱も冷める時がやってくる。
その時になって、海野土左衛門を思い出してくれたらいいんですよ。
涅槃寂静の「寂静」ですから、
静かで安定(中道)した時期が、やがて訪れることでありましょう。
自殺の場合は
業(カルマ)が清算される事なく
次の生に相続されるので
自殺によって苦しみから逃れる事は出来ない
と言う事で良いんじゃなイカ?
海外では尊厳死という概念と法があり合法的に自殺できますがそれはどうなるんでしょうか?
カルマと精算とはなんぞ
精神は生まれ変わる
書物として、イデオロギーとして、感情の伝達として。
仏教と自己成長神話
いいかげん反吐がでる
凡夫は凡夫らしく生き、そして死ね
それが人生だ
あきらめろ
208 :
海野土左衛門!ninja:2012/02/23(木) 17:16:22.53 ID:AR5d/v1o
>>204 まあ、そうとも言える。
私はカルマ論には詳しくないですが。
カルマ論(いわゆる輪廻転生)を釈尊が悟ったと仮定すると。
結論として、
釈尊は「人間はカルマにおいて管理されてる」。ってことになりますね。
(ニーチェの神否定と理論的には同じです)
釈尊は神ではなく人間ですから、
果たして人間がカルマ(いわゆる輪廻転生)を悟ることが出来るんでしょうか?
もし悟ることが出来るのであれば、釈尊は神ですね。
釈尊が神ならカルマの法則をぜんぶチャラに出来るはず
そうすればみんな業から解放されてハッピーハッピーです
が、それができないなら釈迦はただのアフォですね
在家にとっての無駄飯喰らいの大馬鹿野郎です
人は行いによってはやはりバラモンにはなれないと笑われるのがオチです
何もの」も消滅することなく、何ものもあらたに生ずることなく、何ものも終末あることなく(不断)、
何ものも恒常であることなく、何ものもそれ自身と同一であることなく、
何ものもそれ自身において分かれた別のものであることはなく(不異)、
何ものも来ることなく、 何ものも去ることもない(不出)、
戯論の消滅という吉祥なる(めでたい)縁起のことわりを説きたもう仏陀を、諸々の説法者のうちで最も優れた人として敬礼する。(帰敬序)
ハァ〜・・・
役にも立たねえきちがい坊主目障りなだけだ
もっとも俺も役立たずのカスだがな
釈迦の野郎、気に入らねえ
どいつもこいつも「ろくなヤツがおらんのう!ハッ!ハッ!ハッ!」
ましてイエスキリストなんざ、野良犬同然のやから
石打ちにして殺してやりたくなるのも無理はない
釈迦が気に入らないのは、ヤツが俺同様の役立たずだからだ
212 :
神も仏も名無しさん:2012/02/23(木) 18:00:47.13 ID:0J7aDT2v
>>210 それは、竜樹が、自己の卓越した思想を、釈迦に仮託して言ったもの。
釈迦は、そんなことは言っていないし、また、言えるだけの知能もなかった。
>>208 海野土左衛門
> 果たして人間がカルマ(いわゆる輪廻転生)を悟ることが出来るんでしょうか?
> もし悟ることが出来るのであれば、釈尊は神ですね
非想非非想処と言う禅定(瞑想)によって
非想非非想天と言う神の領域に到達して
そして、更に
滅尽定(想受滅)と言う禅定(瞑想)によって
渇愛(タンハー)を滅尽させたんじゃなイカ?
非想非非想処と言う禅定(瞑想)によって
↓
非想非非想処に到達する為の禅定(瞑想)によって
↑ お詫びと訂正
215 :
海野土左衛門!ninja:2012/02/23(木) 19:27:26.52 ID:AR5d/v1o
>>213 >非想非非想天と言う神の領域に到達して
禅定初期段階において、何らかの領域に達した。という自覚あり。
この時点において「悟りの境地になる」。
しかしこれは想念による自己催眠の類であることを後に悟る。
この段階で2度ほど悟ることになる。
その後に再び悟りがやってくる。
しかしこれに騙されてはならぬ。魔境といふやつでこれに引っかかる者おおし。
魔境に囚われず、滅締を続けるべし。
されば崩壊の時を迎えるであろう。この時こそ
>渇愛(タンハー)を滅尽させたんじゃなイカ?
そうなのだ!!
あらゆるものの滅尽を会得する!!
会得することでもあり、また会得せざることでもあり、
その二辺を離れたる勝義締へ悟入される。
このようで宜しいですか?
では、また機縁がありましたらお会いいたしましょう。
ではオチ
216 :
《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2012/02/23(木) 19:54:56.00 ID:O0ecvsCf
MuRadiko v2.22 300KB (12/02/22)
“radiko.jp”や“らじる★らじる”などのラジオ番組を聴取できるソフト
Windows XP Windows Vista Windows 7
フリーソフト
「MuRadiko」 “radiko.jp”や“らじる★らじる”のラジオ番組を聴取できるソフト。
Community SimulRadio Alliance(CSRA)事務局が運営するWebサイト“サイマルラジオ”に登録されている日本全国のコミュニティFM放送局が配信しているラジオ番組も聴取可能。
“radiko.jp”や“らじる★らじる”などの再生画面の上部を、独立したウィンドウでデスクトップ上に表示する仕組み。
再生画面の上部にあるプルダウンメニューや、タスクトレイアイコンの右クリックメニューには、自分の地域で聴取可能な局が表示される。
また、メニューに表示される放送局一覧からは、任意の放送局を除外することができる。
なお、動作には.NET Framework 2.0が必要。
■関連リンク
.NET Framework デベロッパーセンター: 開発 | MSDN
http://msdn.microsoft.com/ja-jp/netframework/default.aspx ■作者情報
【著作権者】 ムラオ電子 氏
【作者ページ】
http://www.muraodos.com/
>>215 海野土左衛門
………
その後に再び悟りがやってくる。
しかしこれに騙されてはならぬ。魔境といふやつでこれに引っかかる者おおし。
魔境に囚われず、滅締を続けるべし。
されば崩壊の時を迎えるであろう。この時こそ
>渇愛(タンハー)を滅尽させたんじゃなイカ?
そうなのだ!!
あらゆるものの滅尽を会得する
− − −
禅定(瞑想)を人為的におこなう行為によって
心の働きが変化する
と言う事が理解できたのかしら?
218 :
神も仏も名無しさん:2012/02/23(木) 20:31:56.72 ID:W3OMk1ku
>>217 心は、外界の状況に応じて肉体(生命)を維持するために設けられているもの
(ウイリアム・ジェイムズ)。
それ以外の目的、例えば、人為的に心を変化させる、心のために心を使う、
などは、心の目的外濫用、心の冒涜。以ての外のこと。心を弄んではならない。
肉体を離れた精神性は、必ず精神の崩壊と狂気を招く。
> 例えば、人為的に心を変化させる、心のために心を使う、
> などは、心の目的外濫用、心の冒涜。以ての外のこと。心を弄んではならない。
> 肉体を離れた精神性は、必ず精神の崩壊と狂気を招く。
クンダリニーは、
普段は尾てい骨付近のムーラーダーラチャクラに眠っているが、
ヨーガの実践や宗教の各種修行によって活性化し始め、
生涯をかけ各チャクラを開花させグランティを破壊し、
最終的には頭頂のサハスラーラを押し開け解脱に至る。
− − −
『人格破綻、廃人決定になっても良い!』
と言う覚悟があるのなら
チャクラの覚醒に挑戦しても良いんじゃなイカ?
>>219 クンダリニーヨーガの独習は非常に危険なので、必ず経験豊富な指導者の下で
訓練する必要があります。クンダリニーが上昇するようになると、幽体離脱が突然
に起こることがあり、浮遊霊に憑依される危険性も大きくなります。インドではこの
ための死者も沢山いるのです。ゴーピ・クリシュナ氏の体験なども参考になります。
(私はオールドデリーのヨーガアシュラムでクンダリニーヨーガの訓練を受け、種々の
不思議な世界を体験しました。今では良い思い出になっています。)
幽体離脱って理論的に可能だと思ってるの?
どう考えても矛盾だらけでしょ。
>>221 インドのクンダリニーヨーガ専門のアシュラムにでも行って、
基礎的な知識と体験を得てから、またおいで!!
スワミ・シヴァナンダの瞑想をきわめる (The Sivananda Book of MEDITATION)
シヴァナンダヨーガヴェーダーンタセンター (編集), 菊水 美佳 (翻訳), 木村 慧心
出版社: 産調出版 (2004/05)
私は『スワミ・シヴァナンダの瞑想をきわめる』を読んで勉強(研究?)しているけど
>>220さんは何を読んでいるのですか?
>>222 理論的に無理だって話だよ。
仮に魂があるとして幽体離脱したら残った体には何が残るの。
魂に目や触覚があって浮遊できるの。
>>223 ヨーガ、クンダリニーヨーガについては若い頃に沢山の本や論文を読みました。
インド人の先生方の指導も受けていました。特に何か良い参考書があるという世界
ではありませんね。私は、ヨーガは趣味程度で、本来の仏教の求道に戻ったため、
現在はヨーガ、クンダリニーヨーガに関わってはいません。
>>224 「人間」 というものについてまだまだ未知のことが多すぎると言うか、ほとんど
解っていないのですから、「理論的に無理」 と言っても意味がないでしょう。
おまいらの視点切り口おもしろいなすげえよ
クンダリニー
ゴーピ・クリシュナ(著), 中島巌 (翻訳)
出版社: 平河出版社 (1987/01)
とりあえず ↑ これ読んで見ます!
>>227 多分、それはゴーピ・クリシュナ氏の非常に初期の著作だと思います。
中期以降の著作は英語版が複数出ています。(英訳ではなく、ゴーピ・
クリシュナ氏自身の英文によるものです。)
↑ 私の場合は英語パーリ語サンスクリット語漢訳もまったく読めません!残念!
>>229 そうですかー。
それでは、クンダリニーヨーガは趣味程度にとどめておいて、
道元禅師の正法眼蔵と格闘される方が将来のためになると思われますね。
少年老い易く、学成り難し、ですから。 では、オヤスミナサイ。
↑ ご教示、ありがとう、ございます!
すべての世界は限りない因縁によって成り立っている。
すべては因縁によって成立し終わっており、
現在成立しつつあり、また未来も成立するであろう。
>>225 わかってないレベルを越えてるだろw
魂を仮定すれば離脱したら元の体は抜け殻
魂でみることが出来るなら人間の五感は必要ない
なのに何故五感に頼るのか
人間の魂が五感を介さずに知覚、思考できるのであれば
人間の体は必要ない
なぜ現実に戻る必要があるのか
禅の考案にそんなのがあったな。イ青女離魂
駆け落ちで遠い異郷で暮らしていた女と、故郷で病に臥せっていた女
さて、どっちが本当の彼女だったのか
235 :
神も仏も名無しさん:2012/02/24(金) 07:00:51.81 ID:GqNFUZgH
釈迦は、心と身体を分離することを「無記」として戒めている。「幽体離脱」など
口にする者は、この釈迦の教えに真っ向から反しているわけだ。
236 :
海野土左衛門!ninja:2012/02/24(金) 08:02:02.01 ID:norhdmkJ
>>217 >禅定(瞑想)を人為的におこなう行為によって
>心の働きが変化する
>と言う事が理解できたのかしら?
そんなことは、私は充分に分かったうえで書き込みしとるんですよ。
人間なんてものはね、ちょっこと坐っただけでも神秘体験くらいはするんですよ。
そかしこれに驚いてはいけませんですね。
これはほんの序の口ですから、まだまだ先はありますね。
そういう先の話を私は書いております。どうかそこを宜しく。
ある程度のこういう体験は必要なのです。
何故それが必要なのか?は後ほど分かってくる。
まあつまり段階ってものがありますから・・・
「心の動きが変化」するくらいで悟った気分にならない方が良いかもしれません。
人間、悟った気分になると、その反動ってのもやがて来るのですよ。
そういう試練を越えてですね、そしてやっと到達できる境地があるのです。
まあ、こういう話が好きなんでしたら、私もそれなりに情報開示はします。以上。
>>208のつづき
>もし悟ることが出来るのであれば、釈尊は神ですね。
つまり釈尊は「輪廻転生」といふ“個別事案”を悟ったのではないのですよ。
これは人間釈尊には悟れないです。
釈尊が悟ったのは“普遍”ですね。簡単に言うと。
普遍ですから必然的に“個別”が含有される。
この“普遍”こそ勝義締になりますね。
つまり勝義締到達において、世俗締事案は全て解決される。
こういう解釈で宜しいかとおもいます。
>>225 魂とは何ぞや
死ぬと仏になるであれば、幽体離脱した魂は仏であろう。
なのになぜ解脱した智慧をまたずにフラフラ散歩して
感激やら感動してるんだい。
幽体離脱は苦から解放される悟りの境地なのかい。
それとも観光気分のお散歩魂なのかね。
死ぬと悟りの境地って定義すら怪しくなる大問題ですな。
239 :
神も仏も名無しさん:2012/02/24(金) 08:41:15.38 ID:GqNFUZgH
>>236 神秘体験(変性意識)などと経験したら、その先が見えなくなるということ。
その時点で、方向が狂ってしまうから。
>>237 釈迦の思想は、一切衆生(健常者)の衆生心に基づいているのではないから、
人間における普遍とも真理ともいえない。むしろ、普遍や真理とは対極にあるもの。
衆生心が「普遍」の真理と決定づける理由を教えて
241 :
神も仏も名無しさん:2012/02/24(金) 09:07:13.07 ID:GqNFUZgH
>>240 人間界は衆生心によって、成立・維持されているから。
自然科学にとって、自然が唯一の真理の基盤であるのと同様です。
キミはチベットやスリランカを衆生してるの?
243 :
神も仏も名無しさん:2012/02/24(金) 09:12:48.94 ID:cuPVU1RW
普遍的な衆生心てなに?
太郎の心と花子の心は同じ衆生心なの?
あるいは釈迦の心と太郎の心は?
244 :
神も仏も名無しさん:2012/02/24(金) 09:27:23.94 ID:GqNFUZgH
>>243 あるがままのすべての人間に「共通する」心の部分を、衆生心というのだよ。
衆生心(真如・真理)とは、「既にある」もので、「1個人が作り出すもの」ではない。
釈迦の、「すべての人間の心」に共通する部分とは、一体どこか。「一切皆苦」が
衆生心でないことは明らか。衆生心では、「楽あれば苦あり、苦あれば楽あり」で
ある。「一切皆苦」は、鬱病患者だけに限定される心理状態だから、普遍ではない。
どうして
苦=衆生心じゃなければいけないの
246 :
神も仏も名無しさん:2012/02/24(金) 10:04:31.87 ID:zWLpg3tO
ボケたお年寄り騙してお金巻き上げて楽しいですかー?
ボケたお年寄り騙してお金巻き上げて楽しいですかー?
ボケたお年寄り騙してお金巻き上げて楽しいですかー?
247 :
神も仏も名無しさん:2012/02/24(金) 10:16:33.65 ID:cuPVU1RW
>>244 感情の話じゃん。
心になんらかの外縁があれば、
それに応じた楽なり苦の感情は当然起きる。
それだけの話。
仏教議論てほどのこともない
248 :
神も仏も名無しさん:2012/02/24(金) 11:45:38.15 ID:T+N7/8Yy
>>246 年は若くても頭がボケ老人並の人もいますよー
は
若
く
て
も
頭
が
ボ
ケ
老
人
並
の
人
も
い
ま
す
よ
ー
要するに愚かな凡夫は
黙って搾取されろ
布施をしなさいってこと
ちなみに俺には2ちゃんねるさえ苦痛に感じるが
なぜか巡回してる
やはり愚かな凡夫なのである
ボンピーはボンピーを憎む、これ近親憎悪ね
で跳躍願望のすえ挫折ね、これがオウムのはしご外し、崩壊ね、95年ね
で夢も希望もありゃしないで
今じゃバンコクの外こもりね
どのみち日本では幸せになれない人々ね
生命教が相手にされないと不思議とこんなの湧くよなぁ
> 神秘体験(変性意識)などと経験したら、その先が見えなくなるということ。その時点で、方向が狂ってしまう
『人格破綻、廃人決定になっても良い!』と言う覚悟があるのなら
(これって神秘体験の事なの?→)『変性意識』を体験する為の禅定(瞑想)に挑戦しても良いんじゃなイカ?
☆ ウィキペディア参照 ☆
変性意識状態とは、日常的な意識状態以外の意識状態のことである。
変性意識状態は「宇宙」との一体感、全知全能感、強い至福感などを伴い、
この体験は時に人の世界観を一変させるほどの強烈なものと言われる。
その体験は精神や肉体が極限まで追い込まれた状態、瞑想や薬物の使用などによってもたらされるとされる。
また催眠等による、非常にリラックスした状態を心理学上こう呼ぶこともある。
トランスパーソナル心理学ではこれを人間に肯定的な効果をもたらすものとして研究する。
また精神疾患に対する有効な療法として、一時的にこの状態を患者に与える方法が活用されている。
変性意識状態の代表としてトランス状態を挙げることができる。
253 :
神も仏も名無しさん:2012/02/24(金) 13:52:28.44 ID:GqNFUZgH
>>252 >瞑想や薬物の使用などによってもたらされるとされる
要するに、宗教とは、薬物中毒と同じく、精神医学の対象以外の何物でもない
ということ。別に「ありがたいもの」でもなんでもない。むしろ治療の対象。
宗教者は、勘違いしてはならない。そろそろ宗教から「目覚める」べき。
254 :
神も仏も名無しさん:2012/02/24(金) 14:02:44.32 ID:cuPVU1RW
楽あれば苦ありが普遍的な衆生心なんだろ?
薬物という縁で楽が縁起して、
副作用で苦が縁起するだけじゃん
255 :
神も仏も名無しさん:2012/02/24(金) 14:03:30.42 ID:O9THWgpH
脳内麻薬自家中毒。
効果的にストレスをかけて、脳を搾るのが修行w
>>251 >これって神秘体験の事なの?→)『変性意識』を体験する為の禅定(瞑想)に挑戦しても良いんじゃなイカ?
挑戦することもなく、普通に坐ってれば誰でも体験する。
これは禅定中じゃないですよ。
セクロス後の虚脱感のように、つまり神秘体験?は必ずその反動ってのがある。
アタマが重いような感覚で、それが常時続く。
たぶん精神的に不安定ですから、なんかのdでも観念を挿入されれば簡単に
マインドコントロールされるんじゃないか?
勿論、人にもよるけどね。
こういう暗闇の世界から、ようやく光明を見出して
そして世界がよぉおく見えるようになるんだよ。
そして「彼の世」のことも段々と分かってくる。
「分かる」とは「分ける」だから思慮分別だろ?
だから私はそんな話をしとるんと違いまっせ。
「分けられん」ということなんじゃよ。
257 :
神も仏も名無しさん:2012/02/24(金) 17:15:18.46 ID:hxAIX/is
釈迦佛教という「薬物中毒」の病原体が釈迦の精神病。精神病は感染するから
恐ろしい。
釈迦みたいな「俗物」をみてるとイライラする
それに群がる弟子や有像無像どもは、なおのこと俺をイラつかせる
俺は人間など一切信用しない
ただ「大乗経典」の一文字一文字がいとおしい
「大乗非仏説」だろ?いいよそれで。かえってそれでいい
「大乗経典」の「名誉」と「威厳」は保たれた
天皇陛下が部落民の血をひいてるとしてらシャレにならねえ
それと同じ
釈迦仏教くそくらえ!
生命教の中の人って大変ね
260 :
神も仏も名無しさん:2012/02/24(金) 18:39:32.65 ID:hxAIX/is
大乗仏教は、開祖の狂気を克服し、「生命」という根源にたどり着けた、人間
の壮大な努力である。宗教としては、極めて異例なこと。キリスト教における
プロテスタントは、「聖書のみ、信仰のみ」によって、イエスの狂気を更に
増幅し、多大の流血と争いを招く結果となった。
263 :
神も仏も名無しさん:2012/02/24(金) 21:31:54.48 ID:Bi3d1o6s
>>153 >「きちんと人に説明して納得させる事ができないと」 『判ったとは言わんのだよ』
その通り
3年以内?に来るかもしれないと言われる都市直下型地震
をイエス・仏陀・宗教者達が神業で回避すれば人を救った
ということが誰にも解る
キリスト教の神なんて自然の上に君臨してるとか言ってるから
自然をコントロールする位朝飯前の筈、超簡単!
264 :
神も仏も名無しさん:2012/02/24(金) 22:15:00.94 ID:92VVj7Xk
高 齢 者
騙 し て 建 て た
高 い ビ ル
265 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/02/24(金) 22:54:21.02 ID:4WP986QZ
>>224 「幽体離脱」というのだから、
肉体から抜け出るのはアストラル体(幽体)に決まっている。
「魂」ではない。
>>233 >魂を仮定すれば離脱したら元の体は抜け殻
同じく間違い!!
266 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/02/24(金) 23:01:44.84 ID:4WP986QZ
>>219-220 神秘行法(メソッド)でクンダリニーを上昇させる・・・
なーんてことはすべきじゃない。
>生涯をかけ各チャクラを開花させグランティを破壊し、
>最終的には頭頂のサハスラーラを押し開け解脱に至る。
>>219 これは霊性の道における段階的な最終的結果として起こるもの。
意図的に神秘行で成し遂げるというものではない。
準備のできてない者が神秘行で強制的に着手するならば、破壊あるのみ。
賢者は、“急がば廻れ”の教訓を辛抱付く良く守る。
268 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/02/25(土) 13:40:41.88 ID:CmHtOL2F
>>267 幽体とは、“幽(かす)かな体”であり、
肉体とは別次元(幽界)で存在する人間の体をいう。
人間の情緒(感情)は、精妙なレベルでの質量を持つ想念形態を形成していて、
アストラルボディー(アストラル体)として知られる。
一般にいう心霊活動の幽霊とは、
人の死後に活動するアストラル体のこと。
健善良好な人間ほど死後のアストラル体の崩壊は早く、
次の転生に向かう準備を整えるべく、その障害がない。
いわゆる幽霊状態が続いている人間は、
その分、次の転生の準備ができず、
従って魂の進化が遅れてしまう。
俗に、死後の故人が成仏(霊界入り)したとかしないとかの話はこのことをいっており、
死者の幽霊状態を解いてあげることも、また、一つの大きな善行。
269 :
神も仏も名無しさん:2012/02/25(土) 13:45:28.94 ID:nNLeF6Ta
270 :
神も仏も名無しさん:2012/02/25(土) 13:51:30.94 ID:EljnRTCV
確かめようのないことを言われると返す言葉がない
271 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/02/25(土) 14:19:40.92 ID:CmHtOL2F
>>270 一番、手っ取り早いのは、
まず心霊現象に遭遇してくることであり、
次の段階としてその霊障を解けば、
それまでの異変が嘘のように解消するので、即座にそれとして納得できる。
仏典中(中部十八経)においてもゴータマと死後の霊(良霊)との対話の記録がある。
誤解してる唯物主義者のような仏教者も多数いるので
仏教とは無関係と見なす輩のために、一応、いっておきます。
アストラル次元のみならず、
エーテル次元(人間はアストラル体と肉体とを繋ぐ関節体としてのエーテル体を持つ)の
エネルギーを体感するには、気功(外気功)の体験が最もお奨めでしょう。
霊と魂は何が違うの
273 :
神も仏も名無しさん:2012/02/25(土) 14:35:22.15 ID:nNLeF6Ta
>>271 >死後の霊(良霊)
これってヤクシャとかのことですよね?
274 :
神も仏も名無しさん:2012/02/25(土) 14:40:13.85 ID:EljnRTCV
>>271 自分に体験がない以上返す言葉ないし、必要を感じないから体験を求める気もないですね。
あと仏教典で仏陀が神や悪魔と対話しているのは宗教上の比喩表現だと読んでる。
275 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/02/25(土) 15:09:55.96 ID:CmHtOL2F
>>272 「魂」とは、転生の媒体(主体)であり、
転生毎に異なるパーソナリティーを示す肉体人間とは違い、
輪廻している間(ニルヴァーナ以前)の本質的な自己で不変不二の存在です。
そして、転生毎における経験(仏道修行を含む)の一切すべての情報をこの中に留めています。
修行完成が近づくと、魂からの情報をすべて意識的に引き出すことができ(宿命智通)、
ニルヴァーナの境地では、魂はその役目を終えて真我の中へと吸収されて消失する。
「霊」は今ココで話したような扱い、
つまり、日本における一般的なものとしてはアストラル体(情緒体)をいう。
死後に残存するアストラル体をカーマローカ(幽霊)と呼ぶ。
ただし、
神智学的な正しい位置づけとしては、
「霊」という場合には、アストラル体のことではなくて、
“真我/スピリット“=究極の自己存在”を意味します。
これはロゴス(神)の断片としてのモナッド(分霊分神)であり、
また、これはバラモン聖典の説くアートマンとも同義です。
ただし、ゴータマ時代の未熟なバラモンたちは誤って転生媒体の魂をアートマン視していました。
そして、世俗の一般衆生においては
死後のアストラル存在をアートマン視する迷信に陥っていました(現在も同様)。
詳細については、このスレ(仏教スレ)では扱いません。
276 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/02/25(土) 15:13:06.99 ID:CmHtOL2F
>>273 確かに、
人の死後に“夜叉”と化したというケースもあるでしょう。
ただし、部分的には重なると思いますが、イコールだとは思いません。
『中部経典/第十八経(闍尼沙経)』での
死んだビンビサーラ王の心霊と対話するゴータマの描写。
----これが幽霊(良霊であり、霊界入り直前に対話を望んで出現した模様)でいいでしょう。
『非物質的領域に住む諸々の生存者』(スッタニパータ754)
----これらはすべて人間の霊存在とは限らないが・・・
人間の死後の霊を含めた濃密物質レベルではない精妙界の生命存在です。
>>271 ならばショウガナイです。
それもご自由です。
ゴータマの教えに信頼を寄せる意識があるならば、
その壁は越えられないことはないのですが・・・
まだ、時期がきてない(早い)ということなのではないかと思います。
ちなみに、
この私も仏典中の梵天と悪魔との対話は比喩(宗教文学)と見なします。
が、何でも象徴や比喩ではないのです。
分別と見極めが必要かと。
277 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/02/25(土) 15:15:41.32 ID:CmHtOL2F
>>274 おっと、アンカーミスです。
----------------------------
ならばショウガナイです。
それもご自由です。
以下・・・
>>276
278 :
神も仏も名無しさん:2012/02/25(土) 15:20:15.59 ID:nNLeF6Ta
>>275 霊は魂じゃないなら転生もしないってことかね
では成仏もしないし、流転もしないのかw
死んで霊になるとそこで終わりですな
280 :
神も仏も名無しさん:2012/02/25(土) 15:48:30.54 ID:nNLeF6Ta
仏教徒の人は
宝珠先生に火種を投げ込んで下さい
282 :
神も仏も名無しさん:2012/02/25(土) 17:45:12.76 ID:3FFULKVL
283 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/02/25(土) 17:51:57.17 ID:CmHtOL2F
>>278>>280 確かに、「夜叉」と表現されています。
夜叉という言い方というのは鬼神的な意味合いが強いし、
そうでなくとも仏典的文学表現によれば、
(ただの)善霊であっても“天部(の神々=夜叉)”といい著わすきらいがあるでしょう・・・。
ただ、そういうことですよ。
私がここで言いたかったことは、
死後の霊存在がゴータマの前に出現した対話した記録があるという意味です。
では、また。
284 :
神も仏も名無しさん:2012/02/25(土) 17:55:10.47 ID:CrQLVGqe
>>283 幽霊ではないですよね?霊界入りするも以前もなにも、
ヤクシャという生類として生まれ変わった状態で登場していますが。
285 :
神も仏も名無しさん:2012/02/25(土) 18:04:17.01 ID:CrQLVGqe
「死後の霊」を認めない(死んだままの存在がウロチョロしない)を超自然否定ととるのが
唯物論を投影する読み方で
カルマ次第で来世に「霊」的性質を持つ超常的存在に転生するのを、死後幽霊になる、とするのが
日本の通俗的心霊観や欧米の心霊観を投影する読み方、
となるでしょうか。
仏教の世界観では49日間の中有期間中に地上世界等に出現して喋ったりできるんでしょうか。
>>283 お盆に帰ってくるのは霊ですか
それとも魂ですか
それとも詐欺ですか
287 :
神も仏も名無しさん:2012/02/25(土) 20:48:43.30 ID:Lv/PXrHV
自分が感じている幽体のような者は何なのだろう?
催眠か?トリックか?
テレパシーか?
病気か?
不思議だ・・人には言えないな
あなたの持っているイメージが膨らんで実感されてるんですよ
>>286 厳密に言うと詐欺だろうね・・。
仏教の枠組みとしては「帰って来るはずが無い」のだから・・・。
その詐欺で人の弱みに付け込んで
金儲けできるんですわ
私の宗派では霊なんてきっぱり否定してる
>>286 お盆に返ってくるのは「ご先祖様」
仏教由来じゃなくて、日本土着の風習やら道教やら儒教やらがミックスされて「日本仏教」となったもの。
まあ、詐欺だとも言えるが、これが詐欺だというなら、日本文化のほとんどが詐欺だわなw
お年玉とか、お中元、お歳暮、とかなw
>>290 いや、霊の否定じゃなくて、
中有と輪廻を前提とするなら、日本的お盆は成立しないってこと。
盂蘭盆経までは、「帰って来る」とは言わないからね。
過去7代まで「供養できる」(→功徳を回向できる)って構図だから。
霊を肯定しつつお盆の否定は可能。
293 :
神も仏も名無しさん:2012/02/26(日) 01:41:04.04 ID:EVEs6AIV
夜叉に転生したなんとか左衛門とか、阿修羅に転生したなんとかノ介とか
乾闥婆に転生したなんとか之進が子孫のところに帰ってきたよー
じゃ駄目なのかな。ジャナヴァサバはビンビサーラ王だった頃のことを
覚えてる様子だったけど。
294 :
神も仏も名無しさん:2012/02/26(日) 07:52:35.10 ID:Jky6JdgY
>>288 イメージが膨らんで実感?……
とてもそんな風には思えないな
想念か?エネルギーか?憑依か?
宗教類他の体験なのか……
イメージだよ
小さい子供が見えない何かを見たりするだろ。
大人でも誰かと会話してブツブツ言ってる奴おるだろ。
前頭葉の発育過程じゃ障害でイメージを感じることも出来る。
メソッド演技を深く習得すればありもしない熱や人などを感じることも出来る。
小さな子供が暗示で発熱、発病することもある。
土地神を熱心に教え込めば土地神を感じ
波動を信じれば波動を感じる
夢で夢精する輩もおるだろ
現実と非現実の境目に入りこむ例もあるんだよ
深く陶酔すればするほどね。
296 :
神も仏も名無しさん:2012/02/26(日) 11:53:35.72 ID:orEeE+/+
∧∧
( =゚-゚)< イメージかなぁ…………
ややこしいなぁ………
297 :
神も仏も名無しさん:2012/02/26(日) 12:40:57.67 ID:V9fLnUmK
>>295 イメージするなら、もっと現実に役立つイメージをすべき。解決すべき
問題は、無数に転がっている。宗教のイメージは、現実生活にはクソの
訳にも立たず、むしろ大きな害毒を流している。宗教のイメージは、
現実生活から遊離しているから、それは人間の有するイメージ力の濫用
に他ならない。
298 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/02/26(日) 13:34:49.54 ID:RWKfXmOE
>>284 あっ、これは申し訳ない m(__)m
“霊界入り以前の幽霊”というのは撤回します。
死後の故人(特定個人として)との対話の記録という意味。
>>286 還ってくるといわれているのは、
もちろん、「魂」ではなくて、「霊体」(アストラル体)ということになるでしょうね。
>>289 >仏教の枠組みとしては「帰って来るはずが無い」のだから・・・。
たしかに転生後には有得ないでしょう(前世故人の霊の帰還など)。
従って、特定故人に対する数百年単位までの過剰な死者供養の必要はない。
>>290 無知の露呈です。
全然、原始仏典(
>>278>>280>>276)を
読まないからでしょうね。
>>292 これは、
ご先祖に想いを馳せて祖霊供養に専念しようというイベントですから!
「帰って来る」からお迎えして、その“お持成しをする”というのは、
やはり最大限の供養表現になるでしょうね。
日本人としての美徳とみなすほうがいいと思います。
この一代習慣を辞めたら、かなり寂しいものになってしまうことでしょう・・・。
>>298 なんで盆に帰ってくるのさ。
来たら帰れないし、どうするのさ。
法蔵菩薩阿頼耶識論
弥陀をたのむことで衆生は今生で救われる
301 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/02/26(日) 15:00:32.07 ID:RWKfXmOE
>>299 例えば、
お墓や納骨堂にお参りして、その燈明の火を自宅のお仏壇にまで持ち帰って点ける。
これもお迎えのための作法の一つとされています。
これを行うことで本当にお連れすることができるのか?
しなくても還ってくるのか?いや、還ってくるわけがないのだから無意味なのか?
そうではなくて、
私は祖霊や故人を想うこれらの所作の実践実行の一つ一つが、
つまり、その想いと行動に故人が喜ばれて大きな供養になっていると解します。
それが廻向思想の元となった。
302 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/02/26(日) 15:12:00.03 ID:RWKfXmOE
---廻向思想の元---
『パーリ語『餓鬼事経』(Petavatthu)には、悪業の清算も終りに近ずき、次の世界に転生する時期に
ある一匹の餓鬼が、比丘たちが雨安居明けの儀式において総懺悔して食べ物などの布施に歓喜し
ている姿を見て、この布施は自分を救済するために親戚縁者たちによって行なわれたことを知るや、
大いに感激し、その喜びを所縁にして心を善に向かわせ、善趣地に転生できたという話があります。
これを「得達の随喜」(pattanumodana:自ら得たものを喜ぶ)と言います。』
『「他者である施主の福徳や果報を贈与してもらって救済されたのではなく、施主の修善を餓鬼が随
喜し、餓鬼自身の随喜の功徳で餓鬼の苦を脱することが出来たと理解すべきである」と云う見解を述
べています。上記のミヤンマー仏教教団と同じ見解です。』
http://www.homyou.hello-work.jp/ron9.html
>>301 帰るとか来るとか無いのだから
「思い出の日」でいいだろう。
嘘が誤解を産み、誤解が悲劇を生む。
嘘をつくことでカルト商法がはびこり
オカルトが溢れる。
縁起的に正しいと思ってますか?
304 :
神も仏も名無しさん:2012/02/26(日) 15:20:16.96 ID:AG7UP4tQ
先祖崇拝は、生者の生存本能から発する「自己の死への恐れ」の一形態。
死者を崇拝することによって、死が生者に近づくことを防ぐためであろう。
死者には一切関係ない、生者の問題。要するに「死にたくない、死後も生きたい」
という願望の現われ。
>>303 >帰るとか来るとか無いのだから「思い出の日」でいいだろう。
>嘘が誤解を産み、誤解が悲劇を生む。
賛成!何でも美的にすれば良いというものでもないだろう
感傷的に流れた美しい嘘は毒薬になるし悪用される
>>305 君の言う本質って何?
生きている限り人間幾つになっても誰にも
「死にたくない」という生存本能があるらしいよ
308 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/02/26(日) 16:02:02.24 ID:RWKfXmOE
>>303 確かに、
祖霊供養と称して商売にしているところはある・・。
>縁起的に正しいと思ってますか?
ふーむ。縁起的にねぇ・・・。
まっ、還ってきてるかどうかは不明としても、
私はお迎えの作法も含めて、
この伝統に倣い楽しく行わせて頂くつもりです。
今はどうか知らないけれど前は、盆・正月・・
等、長男のお嫁さんはいろいろ苦労があった
310 :
神も仏も名無しさん:2012/02/27(月) 03:17:32.30 ID:rtqW+Vxc
>>297 >宗教のイメージは、現実生活から遊離しているから、それは人間の有するイメージ力の濫用に他ならない。
なるほど。
<イメージ力の濫用>って着眼が凄いな(^。^)
イメージするなら、もっと現実に役立つイメージをしましょう!
311 :
神も仏も名無しさん:2012/02/27(月) 03:24:24.29 ID:rtqW+Vxc
宗教も商売になると過剰宣伝・押し付けになる
人間のエゴには際限がないし、時代も又、変わる
観音菩薩って、霊的に実在するの?
菩薩を信じればそこに在る。
信じなければ無い。
実在とは何だ。
心の中のものは在るし、無い。
こころは実在するのか。
愛は実在するのか。
夢は実在するのか。
思い出は実在するのか。
お前は実在してるかどうか分からぬものを生きているのか。
314 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/02/29(水) 23:19:24.85 ID:lmnPakem
>>312 ただの平均的仏教者では解答不能です。
これらは-本当は仏陀の後継“マイトレーヤ”のことであり、
もちろん実在しています。
大乗が創りあげた概念(架空)でもなければ、
“信じる者にとっては〜”などといった曖昧な話ではなく、
私は何処にいるかも知っていますが・・・
スレ違いにて詳細はここでは扱いません。
315 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/03/01(木) 00:19:00.96 ID:ekN5GfkR
常連さんは呆れて他スレに行かれたか、
或いは、投稿規制を受けてしまったか?
解答不能です
318 :
神も仏も名無しさん:2012/03/01(木) 02:05:06.11 ID:lcorX6RB
>>316 ループになるのは、発端が間違っているから。
散々議論された話題なんだよ、言わせんな
320 :
神も仏も名無しさん:2012/03/01(木) 02:54:20.92 ID:LgkundFV
>>319 2500年間議論しても、何の解決も得られない。最初の教えが間違っている
からである。
>>314 仏教を知らぬ、信じぬ者には菩薩も理解できない。
知る、信じるが前提になるのだから、それは違う。
夢を信じ、愛を信じ、未来を信じ、心の温もりを信じるのと
同じである。
人はこれらを信じ日々の糧とするから生きていくのだ。
その形が菩薩であり救いであろう。
理想であり、高見の山でもあり、心の柱であり、母であり、父でもあろう。
実在するから、実在しないからなどとは問題にならぬ。
仏陀が多くの人を救えたのだから、仏陀の次なるものが形となることも
ありえよう。
夢を信じ、愛を信じ、未来を信じることは大きな救いでもあるのだから。
323 :
神も仏も名無しさん:2012/03/01(木) 10:07:13.08 ID:abLHBXyg
>>320 >2500年間議論しても、何の解決も得られない。最初の教えが間違っているからである。
結果が確かめられないから、確かにそういう理屈になる
皆、現実を受け入れる知恵と勇気を素直に持とう!
各宗教は世界中の万人に共通ではない
↓
>>166
確かに言えることは
俺はすでに無上正等覚に向けて発心して
不退転となった
俺は未来において慈悲と智を兼ね備えた
仏陀となるであろう
観世音菩薩は、いつも俺の心の中に生きているし
別の場所にもいる
だいいち、俺の娘は観世音菩薩に祈りをささげた結果生まれてきたのだ
男の子であっても不思議ではなかったが
「観音様、どうかわたしにかわいい女の子をお授けください」と祈ったら
すぐに女の子が生まれた
この娘は観音の化身だと思い大切に育てあげた
彼女が将来、仏陀となるように祈る日々である
信ずれば花開くの証明であろう
南無観世音菩薩
南無文殊菩薩
南無普賢菩薩
ご利益くれるのが仏陀の生まれ変わりではないし
仏陀はそんなご利益を推奨もしない。
内なる精神や思考法であって現世の利益ではない。
奇跡を求めて宗教にすがるのはやめよう。
でも、あなたまだ煩悩を「完全に」絶ち切っていないでしゃろ?
そうであれば「無意識」のうちに「現世利益」を求めてますよ
あなたが表層意識でどんなにかっこいい発言をしても
お里が知れてまさあ・・・
「仏陀はそんなご利益を推奨もしない」
ご利益とは衆生が「菩提心を起こして大乗を志す」ことです
これぞ唯一無比のご利益であり、仏陀が真に弟子たちに推奨していること
どの辺が格好いいのか。
スーパーパワーで救済できぬ宗教なんて
不格好で泥臭いだろう。
奇跡もないし、ご利益もないよと言っているのに・・・・
奇跡は未来を信じ、未来の中から産まれるもの
奇跡は愛を信じ、愛の中から産まれるもの
奇跡は夢を信じ、夢の中から産まれるもの
彼女が切り開くものであって、仏陀がくれるものではない。
信じる奇跡で切り開くから花開くのだよ。
銀河帝国の弘法も筆の誤り (ハヤカワ文庫JA) [文庫]
「ブラックホールの中にホトケはいるかおらぬか、そもさん」史上初めて傍受された知的生命体からのメッセージは、
なぜか敵意むきだしの禅問答であった!?―「人類圏」存亡の危機に立ち向かう伝説の高僧・弘法大師の勇姿を描く表題作、
大量のゲロとともに銀河を遍歴した男の記録「嘔吐した宇宙飛行士」など、人類数千年の営為がすべて水泡に帰す、
おぞましくも愉快な遠未来宇宙の日常と神話、5篇を収録するSF短篇集。
少なくとも俺は
過去、現在、未来の輪が融合して
眼前に転回し、不可思議にして大海のごとき
菩薩行がそれらすべてと融合し
手のひらで三千大千世界すべての衆生のこころの傾向に随順し
撫で回し転がして見せる程のスーパーパワーの持ち主たる菩薩になるまでは
誓って正覚を取らない
それらは日々、俺のなかで増大している
福徳と智の資糧を須弥山のごとく積み上げ、大海のごとき菩薩行のすべてを飲み尽くすまで
終わることなく戦いは・・・
そして娘は、その時はじめて父親の愛を知るであろう
>>329 そんな与太話は三文コミックの中だけにしておけ!
ロマンのないヤツだなあ・・・
332 :
神も仏も名無しさん:2012/03/01(木) 20:35:48.47 ID:dsBB8OKI
人間も動物、他を食さなければ生きていけないのに
頭だけは「菩薩」と呼ばれて歓喜し陶酔するw……
人間に食べられる動物や海のお魚は
実は衆生の餓えを満たすため食べられる
菩薩なのかもよ?
定期的に中二病を拗らしたポエマーが涌くな
こんなところに書いてないで自分のブログがTwitterにでも書けよ
>>331 けど、仏教は、その深淵を覗こうとするならロマンの欠片もない筈だけどなw
仏教ってポエムぽいけど
337 :
神も仏も名無しさん:2012/03/03(土) 21:31:51.31 ID:EdUHqV+e
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1323483875/437 >反旗を翻すようにして飛び出したグループが大衆に布教を始めるべくして、
>止む無く自作経典を製造するようになったのです
あくまで手段として「仏が語った」ということにした、というのは無理があります。
少なくとも本気で何らかの意味で「仏が語った」と作成者たちが信じている必要があります。
不妄語戒は基本的な戒めであり、とりわけ、仏について意図して「作り話」することには最も大きなタブーがあると考えられます。
>簡単に言うと、大衆受けが良くて受け入れられやすいもの、
>つまり、ゴータマ在世当時のような厳しい出家者向けの修行ではなくて、
>誰にでもできる容易で簡単な内容のレベルへ下げられ(他力信仰も含め)、
>それでいて、解脱成仏を保証するものとして提示していったのです。
私は顕教の観無量寿経や観普賢経の観想ですらなかなか上手く出来ないのですが、
あなたは簡単に出来るんでしょうか?このスレの常連の方々にとっては楽勝なのでしょうか?
般若経の表現形式もさっぱり頭が受け付けないのですが、これもすらすら体得できるのでしょうか?
浄土教は来世に浄土で修行することが前提だと思うのですが。
当時のインドなら、釈迦のいるところまで移動するのは簡単だからといって、
彼の元で悟りを開くのまで簡単だった、と言う様なものです。
「易行」という言葉をそのように解されることは、当の浄土教・念仏信仰にとって不本意でしょう。
ていうか隠居の尻尾 昆布の馬鹿が荒らしてると思うwww
339 :
神も仏も名無しさん:2012/03/03(土) 22:14:21.37 ID:EdUHqV+e
宝珠さんの大乗仏教観を是とするなら、
神智学を「伝統的キリスト教への反感・反権威と東洋趣味・神秘主義の混ぜ物」、
とする意見もまた是となるでしょう。
340 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/03/04(日) 02:13:38.99 ID:7uMgBDE5
>>339 まっ、現に当該者外からの神智学というものに対しての評価というのは、確かにあなたのいうように、
「伝統的キリスト教への反感・反権威と東洋趣味・神秘主義の混ぜ物」にしか過ぎない、という扱いが
殆どですよ。
しかしながら、この場合というのはその伝統キリスト教が原始キリスト教に近いものであり、つまり、よ
り真実のイエスの教えに最も近いものである、などという評価は全くありませんから。これは逆であって、
時代を追うごとに益々、伝統的キリスト教のあまりの歪曲性が明確に浮かび上がるばかりであることで
万票一致を見ているのです。
神智学の評価が低い一つの大きな理由はこれが時代的に新しいものだからであり、つまり伝統とい
うものがなく、一般にも殆ど知られていないからです。けれどもその内容は、伝統的キリスト教の持つ欺
瞞性やこじつけ、迷信と思想の矛盾点の数々について明確にその解答を提示しています。もちろん世
界中のどんな諸宗教と議論しても負けることがありません。
ただし、私がいうような主張というものは、殊、仏教についていえば、明らかに経典中で最も原始佛
教に近い内容と評されるパーリ五部聖典や漢訳四阿含などの原始経典群と、それに対する内容の異
なった大乗諸経典という学術的にも定説的な価値判断がついている話についてのものですよ。神智学
の場合とは異なります。
341 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/03/04(日) 02:17:31.74 ID:7uMgBDE5
>>
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1323483875/448 >感得(真理を感受し文章表現へ「翻訳」)だからこそ阿含経と異なる記録であっても問題とされなかった。
--中略---
>しかし世代が下り、インド外にも仏教がつたわると、インド的発想ともともと無縁な人々の手で、
>法華経をはじめとする大乗経典は阿含経と同じように当時の釈迦が語ったことにされ、
>説法の順番が云々されることになります。
では、こうしましょう!
確かに「感得」というか・・・
大乗経の部分的には高い意識のインスピレーションがあって、
そうして書かれたものだと。
しかしながら、仮にそうだとしてもです。
結果、本来のゴータマの教えとはあまりに異なる内容ばかりなのですから、
とても仏教とは言い難いでしょう。
仏教とは“ゴータマの教え”である、とした場合にですが・・・。
以前、誰かがスレ上で言ってた通り、
「仏教」(原始経典)と仏教の看板を外した「大乗教」という宗教の二つに分けるべきでしょう。
私はこの二つをそれぞれ別のものとして認めつつも、
双方の価値と効果を理解して自分の中へと取り入れています。
要するに、
「大乗も仏教だ」の、いや「大乗の方が勝れた仏教だ」の・・・
といった欺瞞を語るからお話にならないのですよ。
私は神智学こそが仏教だ(これこそが正しい内容の仏教)などといったことはありません。
宝珠@神智学徒さん
2ちゃんで布教するより
自分のサイト ホームぺジ立ち上げそこにお客を呼びこんだ方がいいよ
343 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/03/04(日) 02:24:20.17 ID:7uMgBDE5
>>337 >あくまで手段として「仏が語った」ということにした、というのは無理があります。
>少なくとも本気で何らかの意味で「仏が語った」と作成者たちが信じている必要があります。
>不妄語戒は基本的な戒めであり、とりわけ、
>仏について意図して「作り話」することには最も大きなタブーがあると考えられます。
これも大乗非仏説においては確実視されている事柄ですね。
仏説の看板をつけなければ大衆は相手などしません。
アーガマを保持したまま山野に篭り続ける保守的長老派に成り代って、
“これが噂のゴータマの教えですよ”と銘打って、
自作経典を宣伝して回ったからこそ膨大な信者を獲得したのです。
当時、そうしなければ、再び勢力を拡大してきたヒンドゥーには対抗できませんでした
(信者の獲得合戦)。
>不妄語戒は基本的な戒めであり、
大衆を救済するための止む無き処置として、
方便としてこれを認めたのです。
344 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/03/04(日) 02:27:41.99 ID:7uMgBDE5
>私は顕教の観無量寿経や観普賢経の観想ですらなかなか上手く出来ないのですが、
>あなたは簡単に出来るんでしょうか?このスレの常連の方々にとっては楽勝なのでしょうか?
>般若経の表現形式もさっぱり頭が受け付けないのですが、これもすらすら体得できるのでしょうか?
これは・・・
“この私(宝珠)にとっては簡単”などという論点ではありませんので。
問題はゴータマの教えか否かということであり、
ゴータマの指導した『三十七菩提分法』という修行体系に対する大乗の『六波羅蜜』では、
一体どの程度、ゴータマの教えに沿ってこれを満たしたものといえるのかどうか?
ということですから。やはり、不足と簡略化という意味も含めてです・・・。
そして大罪は、
こうしたゴータマが教えたわけではないものを
勝手にゴータマが説いたものだ称して売り出したことです。
その実体が世間に明らかになることを恐れる伝統法門はその昔、
大乗非仏説を知ろうとして研究する学僧たちを悉く破門してきました(メシを食えなくした)。
つまり、見せしめということですね。
その大乗の醜態的な姿勢は変わったんですか?ということ。
原始経典に対する評価と自分ら大乗各宗門の存在意義をどう再確認したのか?
そのことを信者と世間大衆に公表宣言したのかどうか??
345 :
神も仏も名無しさん:2012/03/04(日) 02:53:08.85 ID:Y1dF6sla
>>340 「回答を示せてる」「うちとあっちとは違う」
それもまた、信仰集団ごとの「感性的に納得できる説明」の一つです。
その信仰を放棄しろとは全く言いませんが、議論の場で他の思想を云々する際には
相対化する必要が出てくる局面もあることでしょう。
>>341 >結果、本来のゴータマの教えとはあまりに異なる内容ばかりなのですから、
もともとの阿含経を受け入れた上で、いろいろ説明付けがなされているわけですね。
連続性を主張する後発の宗教運動には、何らかの意味でこの説明付けというものはあります。
受け入れるかどうかは感性次第でしょうし、私も大乗仏教を「仏説」としては認めていません。
しかしそれと内容や出自をきちんと把握するかは別の話です。
腐すためにいたずらに矮小化しても仕方がありません(
>>337)。
346 :
神も仏も名無しさん:2012/03/04(日) 02:54:35.19 ID:Y1dF6sla
>>342 >大衆を救済するための止む無き処置として、
矛盾があります。ただのアイデアでは救済はできません。それは気休めです。
少なくとも当人がこれで救済できる、救済された、と信じるためには
ただのアイデアではなく、真理であると認識されていなければなりません。
>方便としてこれを認めたのです。
法華経などで「方便」の用法を確認されてもらいたいのですが、
方便を用いる場合、その(誘導する)主体というか(誘導される先の)目的は仏の権威に拠るんですよ。
声聞や縁覚(のような方便)も仏が語ったもの、という意味では「本物」が採用されているわけです。
方便によって誘導される先が「ただのアイデア」なら、これも方便というフレームが成立しません。
少なくとも、本気で何らかの意味で「仏が語った」と大乗経の作成者たちが信じている必要があります。
347 :
神も仏も名無しさん:2012/03/04(日) 03:22:46.93 ID:Y1dF6sla
>>343 >仏説の看板をつけなければ大衆は相手などしません。
看板をつけるのに、経典の捏造というスタイルは必要ないんですよ。
仏教の真の解釈、真の仏法でありさえすればいい。
既存の経典・伝承に注釈書や運動をくっつければよい。
その良い例がプロテスタントですね。
プロテスタントは別に聖書に新しく預言書を付け加えたわけではありません。
既存のカトリックと異なるように解釈をかぶせただけです。
ヒンドゥー教内のカースト否定運動も同じようなものでしょうか。
制度としてのカーストが発達していない古代のヴェーダ文献に現代的解釈をかぶせて、
後代のバラモン教→ヒンドゥー教において発達した(制度としての)カーストを否定させるわけです。
348 :
神も仏も名無しさん:2012/03/04(日) 03:40:41.27 ID:k2Anw8qe
まあ、なんていうか宝珠もホント、変わらんなww
良くいえば、「ぶれない」ってことか?wwww
>受け入れるかどうかは感性次第でしょうし、私も大乗仏教を「仏説」としては認めていません。
ふ〜〜〜む、こういう見解は根強いなw
一代の苦り切った顔が・・・・・w
349 :
神も仏も名無しさん:2012/03/04(日) 03:52:30.96 ID:Y1dF6sla
>>344 「誰にでもできる容易で簡単な内容のレベルへ下げられ」
私やあなたに出来なくても「誰にでも出来る」ですか。
>大乗の『六波羅蜜』では、
三十七道品と同じく、六波羅蜜もそれ単体ではありませんね。
徳目の詳細や具体的なやり方がついてきます。どちらも体系です。
どちらにも多くの人ができる部分とそうでない部分があります。
大乗仏教の場合「誰にでも出来る」ではなく「誰でも(浄土という場に赴くなどして、
往生すら難しいなら法華経の説くように仏縁を作ることで)未来に出来るようにする」が正しいかと。
もちろん現世でやるガチな難行もあるし、それらが簡単ということにもされていない。
よって、簡単にした安易にした、というのは印象操作でしょう。修行は難しい、という事実を踏まえた上で
その基本線は崩すことなくつくってありますよ。
ヴィッパサナのスマさんも、大乗の般若心経を否定してるようだけど、
上座部での空の扱いはどうなってるの?
車の例えで、析空ってのはあったよな 個物を構成しているものの集合が個物だ!(自性がない)的な
351 :
神も仏も名無しさん:2012/03/04(日) 07:51:27.61 ID:/RSWoq7c
>>350 私が見るところ少なくともアーガマは大乗と矛盾しない。
そしてブッダゴーサの見解はより大乗的。
しかしブッダゴーサを註釈するダンマパーラは大乗に否定的。
上座部といってもスリランカ系はどうも現代日本仏教のようにほとんど文献学のようだから、
ビルマ系などとは分けて考えた方がいいと思う。
ひろさちやさんは、ここではどういった位置づけでしょうか?
353 :
神も仏も名無しさん:2012/03/04(日) 08:47:40.27 ID:/RSWoq7c
>>352 問題外のただの売文家、と私は思います。
354 :
神も仏も名無しさん:2012/03/04(日) 11:42:09.04 ID:E1NvKt+6
アートマンとブラフマンは仏教ではどういう位置づけでしょうか。
そんなのにしか興味ないのかww
どこでもいっつも同じ質問だな。
>>354 議論スレのネタじゃねーだろカス
質問スレ池
357 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/03/04(日) 12:49:11.22 ID:7uMgBDE5
>>354 個人的な実体を「我」(アートマン)、
宇宙的な実体を「梵」(ブラフマン)だとし、
永遠にして恒久不滅の存在のみを実体視する思想(肉体次元と現象世界は幻影に過ぎない)。
これを修行によって体感し、自己意識を覚醒して「我」「梵」こそが
唯一なる自己存在であると覚るのが古代インドの伝統です。
しかし、仏教の立場では、
これらは(我々のいる現象界においては)知覚されることがなく、
よって修行にも役立たないものとして取り扱わない(形而上の存在は説かず)、
「無記」という姿勢を取ります。
ただし、後代において仏教の伝統法門では、
これらは存在しないものとしての“無我”の立場を摂るようになりました。
---以上で終了
358 :
神も仏も名無しさん:2012/03/04(日) 13:54:11.56 ID:E1NvKt+6
>>357 回答ありがとうございます。
仏教の宗派でブラフマン=アートマン=涅槃と考えている宗派はありますか。
360 :
神も仏も名無しさん:2012/03/04(日) 14:15:06.15 ID:/RSWoq7c
>>354 釈尊が出家した段階においては、釈尊はバラモン教の修行者、といふ位置づけです。
(バラモン教は、アートマン・ブラフマンの梵我一如思想です)
梵我一如思想から、新たに思想?を打ち立てたのが仏教です。
(日本的には、仏教は思想といふジャンルには属さない)
インドでは、宗教と哲学は同義らしい。
362 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/03/04(日) 14:27:24.82 ID:7uMgBDE5
>>358 ないでしょう!!が、
ただし、個人の仏教者(学者や学僧たち)の中には少人数いるものと思われます。
あと、
日本の真言宗はかなり“近しい思想”を持っていると思います。
他にも如来蔵思想を根本に持つところ
天台系(法華宗)、チベット密教カギュ派などもかなり近いでしょう。
当人たち自身が明確なその違いを説明し得てないでしょうね。
私には言葉と表現が違うだけで殆ど差が無いと見えますが、
当人たちは外道外教との同一性評価されることを強く嫌います。
確かに他の仏教各派からは非仏教扱いされたりすることもあるようです。
尚、すべてをただ「空」といって処理する単純なところは、
この限りではないです。
(各派見解の詳細については他の詳しい方へと譲ります)
363 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/03/04(日) 14:32:28.60 ID:7uMgBDE5
>>360 >
>>357は仏教の立場ではありません。
私のは学問上の裏打ちされた正解答です。
あなたのは信仰上の話(正しくも間違いもすべて信仰)。
364 :
神も仏も名無しさん:2012/03/04(日) 14:36:31.80 ID:omym4Kxi
365 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/03/04(日) 14:36:48.94 ID:7uMgBDE5
>>360 >ブラフマン=アートマンは三昧・禅定体験を勘違いしたものと考えます。
正しくは、アートマンではないものをアートマン視した当時のバラモンらの間違いの指摘したものです。
366 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/03/04(日) 14:40:49.95 ID:7uMgBDE5
>>364 面白そうな投稿が続いていますね。
あとで読んでみます。(感謝!!)
367 :
神も仏も名無しさん:2012/03/04(日) 14:43:13.06 ID:omym4Kxi
>>363 うーん、
釈迦や初期仏教はアートマンとブラフマンを【実は】認めていた、
とする学者なんていますか?
無我なだけでなく非我なだけだから、どこかで我であるものブラフマンであるものは認めてただろう、
というのは予断でしょう。言葉で説明できない、概念を超えた境地、ということで
共通するように見える表現から拡大解釈するのでしょうか。
>>365 >アートマンではないものをアートマン視した
これって具体的にはどういうことなんでしょう?
ヴェーダの記載を無視して、独自のネタを当時のバラモンが強調していたということでしょうか。
ヴェーダに学ぶ限り、理解としては間違いようがないと思うのですが。
境地として「本物」を体感できるかは別の問題ですけど。
ギータと仏教って直接関係ないですよね?
コンブって隠居の尻尾が仏教はギータのパクリだとうるさいのです^^
369 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/03/04(日) 14:44:50.25 ID:7uMgBDE5
>>365 誤字訂正:
正しくは、アートマンではないものをアートマン視した
当時のバラモンらの間違いを指摘したものです。
370 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/03/04(日) 15:12:38.10 ID:7uMgBDE5
>>367 >釈迦や初期仏教はアートマンとブラフマンを【実は】認めていた、
>とする学者なんていますか?
『私(マーガ)はいま梵(Brahma)に遭うことができた。あなたこそ本当に梵(Brahma)と等しい方で
ある。』(Sn.508)
『ここで注意すべきことは、マーガがブッダに対して、ブラフマンに遭えたとか、ブラフマンに等しい
方であるとか言っているのに、ブッダは何の反応も示されずにその呼称・表現をそのまま受けてお
られることである。なぜなら、もしブッダがウパニシャッドのブラフマンを否定されたのであれば自分
自身をブラフマンと呼称されることを拒絶され、正しい呼称を教えられたに相違ないからである。考
えるにブッダはブラフマンの存在を認め、したがってアートマンの存在をも同時に認めておられたの
ではないか。前の例証のように、ブッダはブラフマンになった人であるから、他の人からブラフマン
に等しい方、ブラフマン!と呼称されても当然だと思っておられたのではないか。かくてブッダの自
己とはまさにブラフマン即アートマンのアートマンであったと考えられる。ただこれらの2・3例でもって
即断することは危険であるが、『スッタニパータ』でこのような表現が伝えられていることは、初期の
段階では、注目すべき点だといえる。』(田上太秀著『ブッダの自我と無我について』p46)
他には、宮元 啓一氏、早島 鏡正氏などがそうではないかと・・・。
他にもまだまだいそうですが・・・。
371 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/03/04(日) 15:13:56.52 ID:7uMgBDE5
>>365 >>アートマンではないものをアートマン視した
>
>これって具体的にはどういうことなんでしょう?
>ヴェーダの記載を無視して、独自のネタを当時のバラモンが強調していたということでしょうか。
>ヴェーダに学ぶ限り、理解としては間違いようがないと思うのですが。
>境地として「本物」を体感できるかは別の問題ですけど。
はい、本物ではなくて、もっと下位のレベルを誤認しました。
輪廻の主体である魂はニルヴァーナまでの媒体に過ぎないのですが、
これを不滅のアートマンと誤認しました。
三昧の境地ではアートマン(真我)との合一以前に、
まず、魂(ジーヴァ)との融合を果たします。
372 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/03/04(日) 15:27:06.77 ID:7uMgBDE5
>>368 直接は関係ないと思います。
余談として---神智学的理解では、
ギータの主人公クリシュナ(この方に受肉した霊存在)とキリスト(イエスに受肉した霊存在)と
弥勒仏(ブッダの後継者)とは全くの同一存在です。
以前より、
クリシュナとイエスの驚くべき類似性とか
イエスとゴータマの教えの類似性〜という話題は、
かなり指摘されてきたことでしょうね。
---お・わ・り
373 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/03/04(日) 15:41:01.65 ID:7uMgBDE5
参照:
>>370 503 ヴェーダに通じ、安らいだ心を楽しみ、落ち着いて気を着けていて、全きさとりに達し、多くの人々に
帰依されている人々がいる。──そのような人々にこそ適当な時に供物をささげよ。──バラモンが功
徳を求めて祀りを行うのであるならば。
504 (マーガがいった)、「実にわたくしの質問はむだではありませんでした。尊き師は、まさに施与を受け
るにふさわしい人々のことを、わたくしに説いてくださいました。先生! あなたはこの世ですべてのこと
がらを如実にしっておられます。あなたはこの理法を知っておられるからです。」
505 マーガ青年が(さらにつづけて)いった、「この世で施しの求めに応ずる在家の施主、福徳をもとめ福
徳をめざして供物をささげる人が、他人に飲食を与えるに当って、どうしたならば祀りが成功成就するか
ということをわたくしに説いてください。先生!」
506 尊き師(ブッダ)は答えた、「マーガよ。祀りを行え。祀り実行者はあらゆる場合に心を清らしめよ。祀り
実行者の専心することは祀りである。かれはここに安立して邪悪を捨てる。
374 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/03/04(日) 15:42:12.05 ID:7uMgBDE5
508 (マーガがいった)、「誰が清らかとなり、解脱するのですか? 誰が縛せられるのですか? 何によっ
てひとはみずから梵天界に至るのですか? 聖者よ、お尋ねしますが、わたくしは知らないのですから、
説いてください。尊き師は、わたくしの<あかし>です。わたくしは今梵天をまのあたり見たのです。真に
あなたはわれわれにとっては梵天に等しいかただからです。光輝ある方よ。どうしたならば、梵天界に生
まれるのでしょうか?」
509 尊き師は答えた、「マーガよ。三種の条件を具えた完全な祀りを実行するそのような人は、施与を受
けるにふさわしい人々を喜ばせる。施しの求めに応ずる人が、このように正しく祀りを行うならば、梵天
界に生まれる、と、わたくしは説く。」
このように説かれたときに、マーガ青年は師にいった、「すばらしいことです。ゴータマ(ブッダ)さま。すば
らしいことです。ゴータマさま。あたかも倒れた者を起こすように、覆われたものを開くように、方角に迷っ
た者に道を示すように、あるいは『眼ある人々は色やかたちを見るであろう』といって暗闇の中で灯火を
かかげるように、ゴータマさま種々のしかたで真理を明らかにされました。だから、わたくしはゴータマさ
まに帰依したてまつる。また真理と修行僧のつどいとに帰依したてまつる。ゴータマさまはわたくしを在
家信者として受け入れてください。今日から命の続く限り帰依いたします。」
(『スッタニパータ』3:5,マーガより/中村 元訳)
375 :
神も仏も名無しさん:2012/03/04(日) 15:42:16.92 ID:/RSWoq7c
>>367 いますがただの誤解ですよ。
『梵網経』できっちり「それは輪廻するだけで解脱に至らない」と釈尊は説かれています。
禅定だけではだめで、縁起観によって無我・空に至らないと解脱できない。
外道にはこの観、縁起、無我、空という道がないので、解脱できないというのが仏教の一貫した立場です。
「アートマンではないものをアートマン視した」というのは、禅定の階梯によって下位の状態を上位の行者が、
それは違う、本物のアートマンでないなどということでしょうが、それら全て「それは輪廻するだけで解脱に至らない」
というのが『梵網経』で説かれた仏教の立場で、以後、伝統的あらゆる仏教者はそう説いています。
どなたかの言い分だとそういった伝統的仏教者より、チベットの聖者からお告げを受けて、
スリランカ仏教とヒンドゥーから新しい道を作った西洋人の方が仏教が分かっているということらしいのですが、
そのようなことがあると思いますか?
しかもチベットの聖者なら、あの時代はボンポでも大乗仏教の影響を受けてます。
さて、かの人は大乗を贋物扱いするが、自らの源がチベットの聖者からお告げではなかったのか、
その点をどう言い逃れるのか、見物ですね。
>>368 ギーターが仏教の影響を受けていることはあっても、逆はないでしょう。
なぜなら、釈尊涅槃後、数世紀後にギーターが成立したとされるからです。
釈尊よりギーターが先行するという学者は寡聞にして知りません。
この場合、ギーターが感得されたものだとしても、この世で成立したのがという意味です。
377 :
神も仏も名無しさん:2012/03/04(日) 15:49:39.73 ID:omym4Kxi
>>370 「バラモン」「ヨーガ」に対してやるような、既存の言葉を別の意味に読み替えたものでしょうね。
>>371 梵網経では二章で識や心とする部分のみを常住とする論も否定されてますが、
その前(一章)で通常の常住論も紹介され、否定されています。
修行者がそういう「誤解」に至る経緯が四つに分類され、過去世を見たり
心の統一や宗教理論によって「生ける者は流転し、輪廻し、死に、再生するが、永久に存在する」等と考えるとされ、
それが否定されます。ある部分のみを認める常住論(これが宝珠さんのいう「誤解」に相当しますね)と、
部分を指定しない常住論が両方否定されています。
378 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/03/04(日) 15:58:15.33 ID:7uMgBDE5
>>377 >梵網経では二章で識や心とする部分のみを常住とする論も否定されてますが、
たぶん、「識」が輪廻主体の魂に該等するものでしょう。
けれどもこれもアートマンではないです。
----あぁぁ..時間切れにて暫くさよならします。
379 :
神も仏も名無しさん:2012/03/04(日) 16:17:41.49 ID:omym4Kxi
第3章では有我無想論(心理作用・想を持たないアートマン)が否定されてますね。
その中に「物質的要素からもならず、精神的要素からならないアートマン」もあげられてます。
これって、宝珠さんのアートマン観じゃないですか?
「もつのでもない」と「もたないでもない」を組み合わせた言辞のアートマン論も網羅されてますね。
380 :
神も仏も名無しさん:2012/03/04(日) 16:25:10.71 ID:omym4Kxi
>>375 クリシュナの漢訳での表記やチベットの名前はご存知ですか?
wikipediaで黒天とあったのですが、検索しても見つけられませんでした。
以前に伊藤丈「七観音」経典集の現代語訳のところで陀羅尼部分の訳に
クリシュナという語は見えたのですが、漢訳原文のどの語が
クリシュナに相当する部分なのかもわからず。
381 :
神も仏も名無しさん:2012/03/04(日) 16:42:30.57 ID:/RSWoq7c
382 :
絶対神:2012/03/04(日) 16:50:09.24 ID:trXv4Yre
「ついでに言っておくと」
『クリシュナは「実在の人物」である』
「まあ、私と同じように、『本当に神様』だったのかどうかは知らないが」w
「仙人に殺されているところをみると、「神」であるかどうか『疑わしい』が」w
383 :
神も仏も名無しさん:2012/03/04(日) 17:05:25.13 ID:gsQWWUAb
>>381 本人をさすかわからない、ということは……。
親鸞が孔子について教行信証で語るように、ギーターのクリシュナも外教の大物として
挙げられているものかと思ってました。そうでもないんですね。
>>382 クリシュナの死に方は、猟師が誤って射た矢が踵に刺さった、というものですよ。
384 :
神も仏も名無しさん:2012/03/04(日) 18:47:08.93 ID:7r02UhBk
ミッション系ノンクリも彼氏が創価だと創価魔下僕。
どうにもならないバイオハザードだ。
不純異性交遊のなれの果て。
人権侵害大好きの道具と化している。
相手がが相手だから・・・。
385 :
神も仏も名無しさん:2012/03/04(日) 20:05:01.67 ID:E1NvKt+6
色々な回答ありがとうございます。
キーワードは、密教・如来蔵思想、梵網経、田上さんなど・・・
真言宗のお寺は、お墓参りに行くからなんだか不思議な縁を感じますね。
アートマン=ブラフマン=ニルヴァーナ=自我の消滅と考えるのは、アレルギーある人も多いようですね。
意見の密林。。
>>385 >意見の密林
基礎的な知識を確立しとかないと、風に翻弄される凧の如く、ワケワカメになるから気をつけてw
宗教は科学と違ってゴールが作られてるからね
388 :
神も仏も名無しさん:2012/03/04(日) 22:54:22.36 ID:Z28y3bBP
>>386 「基礎的な知識」にも「現実上の根拠」は皆無。「意見の密林」に過ぎない
ことは同じ。
科学は成果ってゴールあるし。
宗教もみたいに師匠の認可がゴールみたいなインチキじゃないし。
>>385 >意見の密林。
真言密教は、「森羅万象は仏の当体」といふ捉え方です。
(これが如来蔵思想)
あらゆるものが「仏の当体」であるならば、もはや「仏の当体」という意味も無い。
という捉え方が禅宗です。
浄土宗(真宗含む)などは、前者から後者に以降する段階を踏む。
いずれにしても「意見の密林」は集約され沈殿していく。
これをニルバーナ(涅槃)とか言ったりする。
391 :
神も仏も名無しさん:2012/03/05(月) 13:23:44.83 ID:Cnzlu0R5
>>333 君も山に入り熊に食べられたら菩薩さまか?
さぞや家族が喜ぶだろうな
食物連鎖だから食われることもある。
人間が特別だとお考えで?
393 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/03/05(月) 13:41:03.12 ID:yPq0cQ4p
>>375 >その点をどう言い逃れるのか、見物ですね。
神智学を授けたチベットの聖者たちは
マイトレーヤ(弥勒)の直弟子にあたる覚者方(不老不死の境地にある)です。
そして、大乗仏教の影響を受けている筈の聖者ではなくて、実際はその逆です。
教えやインスピレーションを授けるのは彼等の任務の一つであり、
もちろん大乗とてその例外ではなく、その教えの源泉は彼らハイアラキーの覚者方にあります。
ただし、ヒントを元にどう具象化していくかは受けて側の責任であって、
当然、全体としての正しさを保証するものではありません。
---それでは、また落ちます....
394 :
神も仏も名無しさん:2012/03/05(月) 13:44:09.26 ID:Cnzlu0R5
395 :
神も仏も名無しさん:2012/03/05(月) 15:08:14.78 ID:uCQuMrCe
まあ、最初からだけど、完全にオカルト、ムーミンだな〜
>>神智学を授けたチベットの聖者たちは
>>マイトレーヤ(弥勒)の直弟子にあたる覚者方(不老不死の境地にある)です。
>>そして、大乗仏教の影響を受けている筈の聖者ではなくて、実際はその逆です。
これじゃ大川リューホーがブッダの言葉を語ってるっていうのと同じだよ。
こんなこと認める仏教徒はテーラワーダにも大乗仏教にも全うな人なら居ないよ。
ただどこにも変な人は居るから、認める人もいるだろう。そりゃ、オカルト信仰者だ。
日本の坊主で幸福の科学や、神智学を信仰するヤツが居るのと変わらない。
流石に文献学者で上の説を認める人は皆無だと信じる。
なぜなら、そんな人は流石に学会から弾かれるだろうから。
>>教えやインスピレーションを授けるのは彼等の任務の一つであり、
>>もちろん大乗とてその例外ではなく、その教えの源泉は彼らハイアラキーの覚者方にあります。
>>ただし、ヒントを元にどう具象化していくかは受けて側の責任であって、
>>当然、全体としての正しさを保証するものではありません。
つまり、19世紀オカルト西洋女のお告げこそが、君のいう「真の仏教」なわけだ。
それをいろいろ文献を挙げて適当に擬装してるだけだって気付ないもんか?
いっとくが、19世紀オカルト西洋女のお告げの真偽をオイラは言ってるわけじゃない、
ただ言いたいのは、それは伝統仏教じゃない。
それを仏教というのは、止めた方がいいと思う。
それだけなんだが、なんで仏教ということに拘るのかオイラには理解できない。
それほど自信あるなら、ただ神智学ではこういう、信じるか信じないかは自由と言えばいいだけだと思う。
396 :
神も仏も名無しさん:2012/03/05(月) 15:15:11.34 ID:slIh65Eb
>>395 >なんで仏教ということに拘るのかオイラには理解できない。
横レスだが、釈迦やイエスが「超有名」だからだよ。有名人ということだけで
盲信し、片っ端から利用するのが、カルトの特徴。
仏教信者の中にも、このような人が多数いる。特に小乗仏教は、典型的な開祖盲信。
397 :
神も仏も名無しさん:2012/03/05(月) 15:17:28.14 ID:uCQuMrCe
釈尊は、そういう立場。
「私はこういう道を歩んだので解脱した。信じるならやってください。
信じなくても結構です」だよ。
それと君は大乗経典が偽経だという歴史主義の立場に立つようだが、
弥勒の直弟子にあたるチベットの聖者たちから教えやインスピレーションを授かったというなら、
トゥシタ天におられる弥勒からチベットの聖者たちは、どうやって教えを受けたんだい。
あるいはチベットの聖者たちから、ブラバッキーはどうやって教えをうけたんだい。
これは君が否定する縁起の立場に立つなら、ありうることだ。
まさに大乗経典はそのように教えを受けるたわけだから。
しかし、それを否定する君が弥勒から教えが伝わることを認めるのはおかしくないか?
それとも何か龍樹菩薩や無着菩薩など仏教聖者にはそんな能力はないが、
ブラバッキーなど神智学の聖者にはあるんだとでもいうのかな?
仏教という看板、ヒンズーという看板、キリストという看板を外して
考察するに、以下の3通りの方法で、人は「一切智者」となると結論できる
1・周辺も中央もない無限の菩薩道の実践
2・真実の自己、非我説にもとずくアートマン=ブラフマンの知覚(少しややこしい)
3・周辺も中央もない無限の「神への愛」バクティの実践
このうち特に菩薩行に関しては
あらゆる過去の方向に、あらゆる現在の方向に、あらゆる未来の方向に
あらゆる世界の方向に、あらゆる衆生の方向に、あらゆる衆生の心の傾向の方向に
思考の及ぶ限りの方向に直面して実践されるべきであろう
こんな激しい修行は誰だって最初から出来るものではないし、俺だってできない
しかし、「あこがれ」を持つことでいずれ可能となる事を切に願うし、回向もする
それが真の「大乗」であると心から信じる
大乗のどこが仏教なんだ。
悟りを求めないお題目、お経だけの信仰が仏教といえるのか。
400 :
神も仏も名無しさん:2012/03/05(月) 16:01:17.99 ID:uCQuMrCe
>>399 それは君の大乗に関する知識が誤っているからに他ならない。
大乗はテーラワーダの戒定慧に加えて菩提心、ハラミツ、誓願、廻向などがあり、
その他にも方便が豊富だ。
日本の大乗解説は、共通な基盤を知らずに特殊な方便を恣意的に解釈したものが多いので、
信用できないものが多い。通説も間違ってる。
せめて、以下のどれかを一冊読んでくれ、話はそれからだ。
ダライラマ『智慧の眼を開く』
山口益『仏教思想入門』
『入中論』
テーラワーダの悟りは置いておいて
日本仏教の悟りは明らかに変質している。
会得するものであって、経を唱えて授かるものではないし、死んで悟れるわけでもない。
402 :
神も仏も名無しさん:2012/03/05(月) 16:56:05.35 ID:PQhyDj8V
霊感は与えてあとは相手がどう間違おうとスルー。
そんな聖者たちが関わった神智学が誤謬でないことを、
彼はどう確証するんだろう?
>>401 何によって感化されて発言したのかは推測しきれないが
君はあまりにも仏教を知らな過ぎる
そもそも仏教を仏教たらしめる理念とはなんだ?
仏教における悟りとはなんだ?
また君はそれらを何を以て確固たる典拠に足りると判断したのだい?
せめて基礎を固めた上で発言してほしいもんだね
君の問題提起は学部一回で卒業しておくべき稚拙なものだよ
ほほう、では問おう
題目を唱えるだけで無我の境地になるのかね。
>>404 ノットホンドの方、そろそろそういう話が出るんじゃないかと、お待ち致しておりました。
私はここではコメントを差し控えますから、
仏教の根幹であります「無我の境地」についてご説明して
これこそが「迷いからの解脱」であることを解らせてあげてください。
お願いいたします。
(敬具)
>仏教における悟りとはなんだ?
先生
私は何年も修行しましたがいまだわかりません
407 :
神も仏も名無しさん:2012/03/05(月) 19:27:38.42 ID:+w7V3kbo
宝珠氏はアートマンやブラフマンを語っているが、
そういったものを体験して語ってるいるの、それとも本の知識なの?
体験して語っているなら尊敬するけどね。
408 :
神も仏も名無しさん:2012/03/05(月) 20:47:43.48 ID:5+bvMXOY
こんなのがブッダの真説だなんて正気とは思えないw
34 宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk [sage] 2011/12/03(土) 16:04:32.29 ID:wkxCY3fC0 [3/3]
尚、これは自分の師ということではありませんが、自分の体験を話しますと、私はたった一度だ
け、すべての覚者方の長であられる神智学が説くところのマイトレーヤ存在、つまり、西洋ではキ
リスト(イエスではない)と呼ばれ、東洋ではボーディサットヴァ(弥勒仏)として知られるお方と直
接会いました。
このとき、マイトレーヤはファミリア(顕示体)と呼ばれるご自身の意志力で作られた肉体(大抵
は実在する人間の肉体のコピー)を着用されており、この私にぶつかってきて、そして、暫しの会
話を交わしました。20年くらい前の出来事です。
とにかく、平均的な仏教徒らはあまりに無知なので、覚者方が今もいるのかいないのか?そして、
どこにいるのかを全く知りません。
彼らはいるともいないとも無記ともいい、また恒常ではないとか・・・。
とにかく混乱の中にあります。
409 :
絶対神:2012/03/05(月) 20:53:28.83 ID:iOfJhWf4
>>406 「そもそも『無いもの』は判りようがないよな」(大笑)
410 :
神も仏も名無しさん:2012/03/05(月) 20:55:38.30 ID:5+bvMXOY
30 宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk 2011/11/26(土) 15:12:26.74 ID:6GrRG9zg0
>>.28
死後の復活と昇天は、キリスト・マイトレーヤによってイエスの肉体が動かされ、
最後に空中で諸元素へと還元された奇蹟現象の一貫でした。
37 宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk 2011/12/04(日) 18:40:23.15 ID:1ZUpHivJ
>>.36
>その時イエスの意識はなかった?というか死んでいたの?
イエスは死の状態です。
>マイトレーヤーが念動力で眠っているイエス/イエスの遺体を回収したのか?
イエスはパプテスマの洗礼から十字架の死までの約三年間を
キリスト・マイトレーヤによるオーバーシャドゥの状態にありました。
つまり、イエスの肉体を当人(イエス)の了承の元で共有していたのです。
イエスの死後はマイトレーヤがこれ(イエスの遺体)を使用した。
こうして復活と昇天の奇蹟として演じられました。
>ファミリアって「使い魔」とも訳されるけど関係はあるの?
ただ言葉的に被るだけで全くの無関係です。
「大抵は実在する人間の肉体のコピー」というのは、やや訂正しておきます。
これは、時には実在する人間の肉体のコピーを使用し、
多くの場合には、全く新しく創られた肉体のようです。
411 :
絶対神:2012/03/05(月) 20:57:09.75 ID:iOfJhWf4
「現代人で、悟りとか解脱とか大真面目に信じているやつは」
『正気ではないと思う』
こういうと
「信じているのではない!」
とか反論されそうだが
『仏教なんて信仰だっつーの』w
仏教の駄目なところは、「キリスト教」と違って
「自分たちが「信仰している」事すら素直に認められない点なんだよ」
そういう面に関しては
『典型的なカルト宗教だと思うよ』(いまどき、宗教が
信仰と無縁だなんて本気で信じれるやつはあまりいないだろう)
412 :
神も仏も名無しさん:2012/03/05(月) 20:58:29.30 ID:5+bvMXOY
38 本当にあった怖い名無し 2011/12/06(火) 14:01:06.14 ID:Q15u6J88P
>イエスはパプテスマの洗礼から十字架の死までの約三年間を
>キリスト・マイトレーヤによるオーバーシャドゥの状態にありました。
>つまり、イエスの肉体を当人(イエス)の了承の元で共有していたのです。
どうしてあなたにそんなことがわかるんですんか?
41 宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk 2011/12/06(火) 23:25:46.48 ID:dsV0v3UF0
>>.38
これがハイアラキーの覚者から提供された神智学の情報と教えだからです。
私は神智学徒の一人です。
42 本当にあった怖い名無し 2011/12/07(水) 10:19:59.79 ID:4ZDUWbhJP
>>.41
つまり、あなたが自分自身でわかっているのではなくて神智学の情報だからそう信じているというだけですね。
そしてオーバーシャドウ云々は、神智学の情報ではなくベンジャミン・クレームの情報ですね。
神智学協会はベンジャミン・クレームやアリス・ベイリーを神智学とは認識していませんよ。
あなたが誰を信じようとあなたの自由ですが、事実は正確に記述してください。
神智学ではないものを神智学であるかのように装って何も知らない人たちをミスリードされは困ります。
413 :
絶対神:2012/03/05(月) 21:15:58.49 ID:iOfJhWf4
『釈迦自身は自分たちが「信仰とは無縁」だと信じていたのかもしれないが』
「実際は、「典型的な宗教」だという事だよ」(ひとりの師が
いて、それの指導、それが定めた教義によって運営されていく)
『教義の内容は全然問題じゃなくて』
「根本的な形態として、釈迦は典型的な「カルトリーダー」でしかないんだ」
『そういう意味で言うなら、「神道」や「ユダヤ教」の方が』
「よっぽど宗教じゃないし」
釈迦が否定している「ヒンズー教」の方が
『よっぽど宗教じゃないよ』(特定の教祖がいないんでね)
414 :
絶対神:2012/03/05(月) 21:20:46.19 ID:iOfJhWf4
「つまり、二元論というのは」
『概念としては「一元論」より「優れているんだ」と思うよ』
「どうしても、一元論で語る場合、人間の精神活動をすべて論じるとすると」
『ゆがみがでてしまうの』
「温かみとか情とかいうものを入れて精神を論じる場合」
「一元論とか、科学的な視点というものは」
『明確に「欠陥がある」思考法なんだよ』
>>406 >私は何年も修行しましたがいまだわかりません
何年も修行した僧が、諦めて故郷に帰り、やっと「わかりません」に到達した。
って話があるくらいですから、
なかなかここまで到達するのは難儀かもしれませんですね。
いまだ→未だですからね。
わかりません→分かりませんですからね。
こんなとこに仏教の奥儀があるやもしれんですね。
416 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/03/06(火) 10:15:56.60 ID:gndRvMv1
>>395 >こんなこと認める仏教徒はテーラワーダにも大乗仏教にも全うな人なら居ないよ。
>流石に文献学者で上の説を認める人は皆無だと信じる。
>なぜなら、そんな人は流石に学会から弾かれるだろうから。
それはショウガナイ!
これらの情報は神智学のみに明かされたものなので。
よって、いわゆる伝統的な記録によっては知ることはできませんから。
>つまり、19世紀オカルト西洋女のお告げこそが、君のいう「真の仏教」なわけだ。
>いっとくが、19世紀オカルト西洋女のお告げの真偽をオイラは言ってるわけじゃない、
>ただ言いたいのは、それは伝統仏教じゃない。
>それを仏教というのは、止めた方がいいと思う。
私は“仏教”などとはいってませんよ。
そして、「神智学は仏教とは違う」とブラヴァツキー自身がハッキリと明言しています
(H・P・ブラヴァツキー著『神智学の鍵』竜王文庫刊p25)。
>それだけなんだが、なんで仏教ということに拘るのかオイラには理解できない。
>それほど自信あるなら、ただ神智学ではこういう、信じるか信じないかは自由と言えばいいだけだと思う。
かなり誤解がありますが・・・
この私が仏教スレで語る多くの仏教関連の主張は、
その殆どが私個人の仏教学修による理解に基いたものですから。
そして、神智学分野で「仏教とは云々」などといった教授はまず殆ど皆無です。
実際、神智学徒の殆どは仏教のことを全然、知りません。
いや、あなたの方こそ、
「では、なんで真言宗に在籍してるの?」と
強く首をひねりたくなったりするのですが・・・。
まっ、テーラワーダにはない勝れた部分を見てるのでしょうけれどね(それは在るでしょう!)。
417 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/03/06(火) 10:16:39.76 ID:gndRvMv1
>>397 >釈尊は、そういう立場。
>「私はこういう道を歩んだので解脱した。信じるならやってください。
>信じなくても結構です」だよ。
それを完全に無視したのが大乗だったのでは?
>トゥシタ天におられる弥勒からチベットの聖者たちは、どうやって教えを受けたんだい。
>あるいはチベットの聖者たちから、ブラバッキーはどうやって教えをうけたんだい。
マイトレーヤの過去二千年間(及びそれ以前にも)の所在は
ヒマラヤ5.400メートルの高所にある霊的センターです(トゥシタ天とは仏教の象徴的比喩)。
マイトレーヤと神智学を提供された直弟子たる覚者方とは、過去、約二千年間に及ぶ師弟関係にあります。
普段は内界で繋がっていてコミニュケーションを摂っており(テレパシーを含め)。
もちろん、稀には肉体レベルでのこともあります。
ブラヴァツキーはチベットの覚者方(当時はシガツエ地方に在住されていた)とは、
もちろん、肉体レベルでも直接に会って指導を受けました。
また、普段の多くは夜間のアストラルトリップ(幽体飛行)と、そしてテレパシーです。
彼女の二大著作は自動書記によるものです(三人の覚者方による共作でした)。
尚、これらの驚嘆すべきチベットの覚者存在の目撃は彼女だけではなく、
当時の協会の主要メンバー複数が対面しています。
>それとも何か龍樹菩薩や無着菩薩など仏教聖者にはそんな能力はないが、
>ブラバッキーなど神智学の聖者にはあるんだとでもいうのかな?
彼女はアルハット(未完の意味)であり、この使命の適任として選ばれたのです。
龍樹菩薩や無着菩薩などでは時代が古過ぎます。
神智学はハイアラキーの決定によって、この近代の西洋社会へと与えられたのです。
他の時代と場所ではダメなのです。
418 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/03/06(火) 10:17:39.85 ID:gndRvMv1
>>400 >大乗はテーラワーダの戒定慧に加えて菩提心、ハラミツ、誓願、廻向などがあり、
それは別に良いものといっています--わたしは!
ダメな部分の筆頭は、まさに
>>399>>404など。
いいんです。そういう宗教があっても。
ただし、それらは仏教とはいえない、と。
419 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/03/06(火) 10:38:32.20 ID:gndRvMv1
>>402 誤解を招いたようで申し訳ありません。
この場合に意味することというのは、「一方的に与えられた」または、
「互いの了承の元に与えられた」ということとはかなり違います。
それは当人(受けて側)の達成レベルと能力に応じて、
途切れ途切れにハッキリと、もしくは全体的におぼろげに感受します。
与えられたというよりは、自分で持ってきたものです。
それをどの程度理解して具象化するかは本人しだいです。
正しく効果的に使用できるとも限りません(この場合には)。
つまり、すべては受信するラジオの能力やセッティングに拠ります。
ただし、神智学が人類(ブラヴァツキーを通じて)に提供された際には、
このような場合とはまったく異なりますから、どうかご安心を--
>>408>>410>>412 わざわざコピー紹介、ご苦労様です。
やるならソコで切らないでもらえます?
ハイ!!続きはコレ
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/occult/1311457715/47-57
420 :
神も仏も名無しさん:2012/03/06(火) 10:54:12.60 ID:uA6pyhys
>>419 やっぱり、うちの宗教は例外、ですか。
神智学で「聖者が霊感を与えた」ことになってる諸宗教でも
そういう形になっているはずですが。
つまり、その部分は聖者の霊感でなくても、当の信者たちによって
完成形やら本物、ということにされる、ということです。
そして「聖者」たちはそれを放置してきた前科があります。
神智学がそうでないことをどう証明するんでしょうか?
他の宗教のように設定だけですか?
421 :
神も仏も名無しさん:2012/03/06(火) 11:01:10.03 ID:uA6pyhys
>>418 「ダメな部分の筆頭」?
さとりを求めない仏教なんてありえないでしょう。
悟らない限り輪廻の中で苦しみ続けるんですから。
これを事実とみなすなら、悟りを求めないことはありえず、
事実とみなさないなら、それは少なくとも仏教ではありません。
日蓮の成仏観についてはよく知りませんが、信ある人は、
死後「霊山浄土」に赴くことになっているようです。
422 :
神も仏も名無しさん:2012/03/06(火) 11:27:38.84 ID:n9hMPXoQ
>>416 君の場合、論理が一貫してないのに自覚がないんだよね。
要するにオカルト信仰と素朴実在論に基づく仏教文献学を混ぜてるだけなんだけどね。
> 私は“仏教”などとはいってませんよ。
> そして、「神智学は仏教とは違う」とブラヴァツキー自身がハッキリと明言しています
なら、いいが、じゃなんでこんな大口たたいて、
> 363 名前: 宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk
> 私のは学問上の裏打ちされた正解答です。
アートマンとの合一が仏教といったり、
動物へ輪廻しないなどというわけ?
たしかにアートマンとの合一が仏教という少数の学者は居るが、
その説を盲信してるだけで、文献学的根拠は極めて薄弱といわざるえないでしょ。
さらに動物へ輪廻しないなどという文献学者は誰もいないし、文献学的な根拠など全くなく、テキスト的には全く逆だ。動物に生まれ変わった記述に充満してる。
この説の根拠は神智学説じゃないのか?
これが仏教文献学にオカルト信仰を混ぜてる一例だよ。
君の言ってることはほとんどこれだ、要するに神智学説こそが真の仏教で正しいと言いたいだけ。
その自覚なく、指摘されても認められず、変な詭弁ばっかウダウダ言ってるだけだから、一向に進歩せず、基本的に相手にされないんだよ。
423 :
神も仏も名無しさん:2012/03/06(火) 11:33:31.98 ID:n9hMPXoQ
> マイトレーヤの過去二千年間(及びそれ以前にも)の所在は
> ヒマラヤ5.400メートルの高所にある霊的センターです(トゥシタ天とは仏教の象徴的比喩)。
> マイトレーヤと神智学を提供された直弟子たる覚者方とは、過去、約二千年間に及ぶ師弟関係にあります。
> 普段は内界で繋がっていてコミニュケーションを摂っており(テレパシーを含め)。
> もちろん、稀には肉体レベルでのこともあります。
>
> ブラヴァツキーはチベットの覚者方(当時はシガツエ地方に在住されていた)とは、
> もちろん、肉体レベルでも直接に会って指導を受けました。
> また、普段の多くは夜間のアストラルトリップ(幽体飛行)と、そしてテレパシーです。
> 彼女の二大著作は自動書記によるものです(三人の覚者方による共作でした)。
> 尚、これらの驚嘆すべきチベットの覚者存在の目撃は彼女だけではなく、
> 当時の協会の主要メンバー複数が対面しています。
こういうオカルト話は信じるが、きっちり「チベットの覚者方」が認める仏教の大乗経典やテルマの感得は信じられない創作だというわけねw
「チベットの覚者方」で一人でもブラヴァツキーが聖者と認めた人をオイラは知らないが、
君は誰だときっちり指摘できるんかw
ほんと君の場合、論理的一貫性がなくて、話にならん
やっぱ今回も話は終わりだ
424 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/03/06(火) 11:38:09.99 ID:gndRvMv1
>>420 >そして「聖者」たちはそれを放置してきた前科があります。
インスピレーションによる是正や
別の新しい人物を通した新しい啓示の提示などの繰り返しはあるでしょう。
>神智学がそうでないことをどう証明するんでしょうか?
>他の宗教のように設定だけですか?
神智学は、
ですから全面的に直接に教授されたものです。
ただし、教授後の歪曲の蔓延りや教えの無実践については、
護持すべく側の問題です。そして、協会は堕落しました。
>>421 「ダメ」といったのは、
大乗のダメ部分のことであって、
その顕著な部分をこの投稿者も指摘してる、
ということをいったのです。
425 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/03/06(火) 12:00:36.23 ID:gndRvMv1
>>422 >さらに動物へ輪廻しないなどという文献学者は誰もいないし、
>文献学的な根拠など全くなく、テキスト的には全く逆だ。動物に生まれ変わった記述に充満してる。
>この説の根拠は神智学説じゃないのか?
>これが仏教文献学にオカルト信仰を混ぜてる一例だよ。
はい、迷信だから。
仏典に書かれてあればすべて正しいなどと妄信はしない。
あなたには無理です。原理主義者ですから。
神智学は迷信を説かない。
で、私の見解が一致しているというだけのことです。
人間が下等生命に転生しない論理は以前に説明した通りです。
あなたは私の指摘には全然、解答することができませんでしたね。
まっ、信仰はご自由に-ということですよ。
仏教信仰の下等生命への転生話はそんなに害悪はないから、お好きにどうぞ!
悪業をなさず善行に励むようとの戒め的な効果はあるでしょうから。
そのために書かれたものでしょうから。
426 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/03/06(火) 12:01:39.09 ID:gndRvMv1
>>423 >「チベットの覚者方」で一人でもブラヴァツキーが聖者と認めた人をオイラは知らないが、
>君は誰だときっちり指摘できるんかw
私の知る範囲内で、
普通にチベット密教の信仰分野においては覚者などはいないと思っています。
私が述べているチベットの覚者存在というのは、
その本当のご身分は隠されており、それを公的に知る者は皆無です。
ただし、その覚者の一人は確かにチベット密教寺院内に所属しています。
けれども、その姿はその方の一つにしか過ぎず、また一つの肩書きにしか過ぎません。
この方を囲む数人のチベット高僧はその正体を知っていますが、
それを明かすことは禁じられています。
その方は覚者となられて155年、現在も当時の肉体を不老状態で維持されています。
あなた方やダライラマ程度では知ることは不可能です。
もちろん、こちらから望んでコンタクトを摂ることも絶対にできません。
427 :
神も仏も名無しさん:2012/03/06(火) 15:15:23.26 ID:55jtmvea
>>424 >インスピレーションによる是正や
>別の新しい人物を通した新しい啓示の提示などの繰り返しはあるでしょう。
しかしまともに機能しなかったと。この設定はまずいと思います。
「聖者」が関わっていても、それまであった、または新たに入り込んだ誤謬について
訂正が起こらないかもしれないし、彼らは結局それを黙認するスタンスだからです。
なので、
>神智学は、
>ですから全面的に直接に教授されたものです。
結局、強弁しかありません。しかしこのような「他所とは違う」という説明は
『「聖者が霊感を与えた」ことになってる諸宗教』でも共通しています。
信者がこのようなことを言い出すのはありふれたことだからです。
>大乗のダメ部分のことであって、
少なくともそれは「悟りを求めない」ではありません。
428 :
神も仏も名無しさん:2012/03/06(火) 15:43:55.75 ID:55jtmvea
>>425 >はい、迷信だから。
>仏典に書かれてあればすべて正しいなどと妄信はしない。
論点がズレています。「仏教において」は「正しい」か、仏教が説くかどうかです。
文献学者、仏教学者が動物への輪廻やアートマン説を仏教として認めるかという文脈です。
動物への転生という話題が出た前回はここでしょうか。仏教的な説明は63と72でされてますが、
さわりだけで詳細は正等覚者だけが掴み得るブラックボックスの中、といったところでしょうか。
ttp://logsoku.com/thread/toki.2ch.net/psy/1317654140/ 宝珠さんは252で「善悪を判断できない先天的な知能障害や精神障害の人」はカルマの清算という形になると仰ってますが、
どうして動物ではこれを適用しないのか?
結局「“自分自身の感性”との合致によってですね。 」(269)という形に収まりまってますね。
429 :
神も仏も名無しさん:2012/03/06(火) 15:53:57.15 ID:55jtmvea
>>426 ご隠居にとっての竜樹みたいですね。
内心では伝統は信じていないけど僧の集まり、僧院に属してる。
うーん、その「覚者」には人格的な意味で評価できません。
たとえ信じていない宗教・文化ではあっても、最低限はらうべき礼儀・けじめというものはあるでしょう。
同意・信仰してもいないのに、そこに所属して
活動場所として利用する、というのはどうなのか、と感じてしまいます。
神智学の立場からすれば「より高い目的」のためには正当化し得るものなのでしょうが……。
題目を唱えるだけで無我の境地に達するのか?
って問いにはだれも答えないんだな・・・・
それを悟りと称していいのか?
重要な問題なのにスルーなのね。
>>430 基本的すぎる質問ですね。
題目でも念仏でも座禅でも、それによって無我の境地に達する人もいれば
いない人もいます。
悟りと呼べる体験をする人もいれば、いない人もいます。 それだけのことです。
ただ単に大乗批判をして大乗を踏みつけ蹂躙したいだけなら
題目行ひいては法華経を中心とする日蓮系を攻撃対象にするのが
もっとも容易であり、「赤子の手をひねる」ようなものだろう
しかし、題目行でトランス状態、一種の三昧状態に達した人を俺は知っている
それから大乗=易行、経典崇拝などと表層的に愚かにもスマナサーラレベルで語るのは
愚かなるが上にさらに愚かな愚行である
上座仏教が実践するのはせいぜい「出離」の瞑想ぐらいであり「他者救済」の概念が欠如しているのは
スマナサーラの皮相にして軽薄な人間観察でハッキリわかるのだ
ふたりの腹ペコな人間が一つしかないおにぎりを分けて食べるのは偽善的であり
「本当は自分ひとりだけで食べたい」「人間は自分の事しか本来考えない生き物」というニヒリズムに何を期待できようか?
まるで井の中の蛙で、この世には「信じがたいほど心の清らかな人間もいる」という事実は投げ捨てられている
まるで2000年にわたって大乗が念仏だの題目だけを実践してきたかのような印象操作はもうやめたほうがいい
大乗の基本は智慧と方便で成り立ち、そこに「出離」「空性の理解」「菩提心」の瞑想がおのずと備わっている
偉大な菩薩は「涅槃の楽」を阿鼻地獄に等しく観ずる
なぜなら涅槃に入ればもう、菩薩としての衆生救済は不可能となるからだ
だからといってこの「菩薩大士」が涅槃に入れないわけではないし、悟っていないわけでもない
だいたい世間の人間は「悟りとは何か?」知っているわけがないのだ
「悟り」という概念そのものがすでにこの二元性のまぼろしの世界の産物にすぎない
言葉を変えれば「悟った」「無我」(本当は非我)「解脱した」という観念そのものが
マーヤーの領域下にあるのであって、戯論にすぎない
>>431 ↑ 3行目を訂正
いない人もいます。(×)
達しない人もいます。(○)
>>432 >「悟った」「無我」(本当は非我)「解脱した」という観念そのものが
>マーヤーの領域下にあるのであって、戯論にすぎない
体験がなければ、そう考えてしまうのも無理からぬことです。
「覚る」 は難しいが、「悟る」 ことは稀ではありません。
白隠禅師などは 「小悟その数を知らず」 と言われていますね。
妙好人の方々の言葉を読めば、浄土教の救いの何たるかも
理解出来るでしょう。
ただひとつ「ハッキリ」言えるのは
真の大乗とは「普賢行」であり
それはブッダの悟りを目指すのであるが
それ以上の領域を願ってやまない志操堅固な者たちによってのみ実践されるべき事柄であること
つまりこの宇宙という生存領域にひとりでも解脱できず「苦からの出離」がままならない衆生がいるかぎり
永遠に菩薩の救済活動および修行は続行される
衆生ひとりを救うためならコーティ劫にわたって身代わりとなり地獄に堕ちてもかまわない
と考えるのが真の菩薩である
これこそまさに「至上の愛」だ
>>431 どのような原理で無我に達するのでしょうか。
まるで理解できません。
題目の代わりがネットゲームでも無我の境地なのでしょうか。
題目の代わりがマラソンなら無我の境地なのでしょうか。
題目の代わりが読書なら無我の境地なのでしょうか。
なぜ題目で無我の境地に至れるのでしょうか。
>>435 >どのような原理で無我に達するのでしょうか。
それが解れば誰も苦労しませんね。
ネットゲームやマラソンや読書・・・などで得られるのは、
無我ではなく忘我でしょう。
では題目は忘我ではないですか?
なぜその疑問に至らない。
>>437 念仏や題目は忘我にとどまらず無我を現成させる力があるようです。
ただ唱えるだけでは駄目です。経典の内容についての勉強も大切です。
内容が無我にさせるとは?
まるで理解出来ませんね。
あんな短い文章でなにを現成させるのでしょう。
よく考えてみてください。
>>439 仏教が理屈で理解出来る程度のものなら、昔から誰も苦労していないでしょう。
>あんな短い文章でなにを・・・
何を勘違いしているのですか! 法華経の勉強ですよ。
>>430 確か日蓮宗の教義的には、
題目を唱える
↓
来世に霊山浄土に生まれる
↓
釈迦の直接指導を受ける。
↓
菩薩となる
と言うシステムだったと思うが。
別に、題目を唱える事で無我の境地に達するというシステムではなかったとおもう。
仏教ですら無いですね
>>442 このスレは定期的に原理主義者が湧くなw
では問いたい
悟りを求めないものが仏教なのか。
日蓮上人の強烈な個性や創価学会などの布教活動のために、
一般の人は妙法蓮華経(法華経)のことを間違って理解しているのです。
法華経は日蓮宗関係の人々の占有物などでは全くないのです。
聖徳太子以来、法華経は重要仏典として扱われ、日本の仏教研究の中心であった
比叡山・天台宗の根本経典は法華経で、天台宗は天台法華宗 とも呼ばれていました。
比叡山で学ばれた栄西禅師も道元禅師も法華経の教えを非常に大切にされていたのです。
日蓮宗や創価学会などと切り離して、法華経そのものをしっかり学ぶことは非常に意義の
あることなのです。
>>444 では問いたい
その辺のオッちゃんオバちゃんが、「日蓮宗は仏教じゃない」と言うかい?
原点に返るのは重要だろうが、排他的になるのは、それこそ貴方の嫌う日蓮の姿そのものじゅない?
>>444 それから補足しておくが、
>>441のシステムは、別に悟りを求めない訳じゃない。
末法において、独力での悟りが無理だとして、仏の摩訶不思議な力に頼ろうというのが鎌倉仏教の流れだろ。
途中過程に差はあれ、最終目的は悟りに違いあるまい。
原理主義者ウザい
けど広い心でちょっとだけ遊んでやる
悟りへの通路は、ひとつではないという事だ
大乗はさまざまな通路を持っている
では、反対に聞くが
スマナサーラのくだらない世間話で無我に至るのだろうか?
慈悲の瞑想「わたしが〜しあわせに〜なりますように〜」なんてカラオケで無我に至るだろうか?
スマナサーラの薄っぺらい大量の(無意味に大量)の著作物で無我への洞察が生じるだろうか?
マイケルジャクソンの動画を観て笑っている俗物から無我の洞察が生じるであろうか?
ありえない
ありえない・・・
もう仏教ですらないスマナサーラ教ではないか
俺とて日本大乗にはちょっと文句を言いたい部分はある
専修念仏や題目行のような易行を「末法」という名のもとに
「普遍化」し、みずから呪縛し、硬直化した鎌倉以降の流れに対しては
ハッキリとノー!を突きつける
自分に高度な菩提心を起こそうともせず、瞑想と戒律遵守の「真の大乗」を捨てておいて
末法の悪人には易行道しかないのだと開き直った者どもには
やはり「ばかもん!」と叱る必要がある
真の求道者なら「今生は無理でも来世、来世が駄目でもそのまた次の来世に悟りを開こう」
という、ますらおの気概が無ければならなかった
ましてや、真の菩薩道に生きる者は無量劫修行をみずからに課す
釈尊でさえ、無量のカルパという長い時間をかけて成道したのであるから
我々は彼の一億倍の努力が必要であると、わき目もふらず、頭燃を払うがごとく
勇猛精進してしかるべきである
鎌倉時代の高僧でもやはり、法然などの意思薄弱者を明恵上人などは叱っている
真の大乗は甘くはない
>>446 おばチャンがキミの基本ならばそうなんだろうね。
おばチャンを信仰すればいいよ。
>>447 摩訶不思議とはなんぞや。
>>449 その憤りを理解してくれるなら同調もしたい。
>>450 >おばチャンを信仰すればいいよ。
じゃあ、この現代日本で、オバちゃんオッちゃんに頼らずに生きてみろよ
それこそ縁起を大切にした釈尊の教えに反するぞw
>摩訶不思議とはなんぞや。
知らんがなw
分からんからそこの摩訶不思議であり、それを信じるのが信仰だろw
キミの信仰の中心がオバちゃんなら何も言うまい。
それがキミの道だろう。
>>453 結局貴方が日蓮を嫌うのは、同族嫌悪なのねw
>>430 「 >無我の境地 」を、
「所謂お悟りが開けた」ということとするのか、
「恍惚としたトランス状態」とするのか、
「無我夢中で、或る一つのこと一色になっている」ことを指すのか、
「極めて甚だしい滅私奉公に徹することができる」こととするのか、
などで全然違うでしょ。 貴方は上記のどれをイメージしてるの?
それとも上記には無い、別の状態のこと?
456 :
けちゃっぷ:2012/03/06(火) 22:11:44.41 ID:EwqLOXEI
>>430 題目を唱えることで一時的に煩悩を沈静化させ制御することは可能でしょうけど、
題目を唱えていない時間にはまた煩悩が再起動して、悩み苦しみも再起動してしまう。
仏教が目指すのは煩悩を段階的に消していくことであり、
一度消えた煩悩は二度と再起動しない。
柳の木を幽霊と勘違いして怖がってる人が、一度柳の木だと気づいたら二度と怖がらないように。
題目は、幽霊の正体を見破る(悟り)ではなく、
必死に呪文に集中してその間だけ幽霊のことを忘れるだけ。
457 :
神も仏も名無しさん:2012/03/06(火) 22:40:34.38 ID:LG8Vm6we
>>456 煩悩とは、外的状況に応じて生命を維持するに不可欠な心的作用。「煩悩を去れ」
とは「死ね」ということ。
人間が「生老病死」に「苦」を感じなかったら、間違いなく死ぬ。
釈迦は、そのことに思い至らなかった。
>>430 その質問は日蓮的な教義が理解できてなく、
大乗も理解できてないから誰もさわらねーんだよ
とりあえず半年ROMれよ
それか「ひろさちや」でも読めば?かしこくなれるよ^^
>>456 レス嫁カス
忘我については既に指摘されているし
来世は釈尊のスーパー説教で一気に悟らせるのが御題目パワーってのも既に指摘されてるだろ
>>457 それは言い過ぎじゃね?
思い至ってたけど自分の為に死なずに他人の為に利他を心がけたのが釈尊だろ
460 :
けちゃっぷ:2012/03/07(水) 01:26:42.94 ID:MjNDcVy4
>>457 煩悩がなくなれば生きる理由がなくなり、
業(燃料)が尽きたら二度と生まれなくなる。
つまりは、平安なる滅び、すなわち涅槃。
生きものであることからの卒業です。
461 :
神も仏も名無しさん:2012/03/07(水) 01:40:42.51 ID:pprzHiAd
>>460 生を否定する宗教など、「生きとし生けるもの」には百害あって一利なし。。
釈迦がいくら足掻いても、必ず死ぬのだから。
釈迦は、そんなことも判らなかったのか。まともな人間には、皆判って
悟っていることだ。釈迦は、悟ってはいなかった。
ああ、ミスった。
っつーか隠居はコテハンにしろ
まぎらわしいしよNGにもできねえじゃねえか
>>458 日蓮的な教義て・・・
お前は日蓮が悟りを開いた覚者だと認めてるわけ?
>>463 バカ乙
彼は彼なりに大乗経典に教相判釈を与えただけだろ。
単なる仕分け人じゃない。
466 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/03/07(水) 09:53:21.10 ID:z2tlxH6V
>>422 >さらに動物へ輪廻しないなどという文献学者は誰もいないし、
>文献学的な根拠など全くなく、テキスト的には全く逆だ。動物に生まれ変わった記述に充満してる。
追記:
仏教の文献学者というのは基本的に、ただ経典に何がどう書かれてあるかを提示し、
それらを分類したり、纏めたり、または語源を確認したりするだけ。
つまり、動物など下等生命への転生の記述が仏典にはある、
ということを紹介しているだけです。
仏典記述のどの部分は真理であり、またどの部分はそうではないか?
そして、どの部分が後代の附加挿入でゴータマの教えでないものかを、
仏教学でまだまだ明確にはできていません。というより、殆どできていない。
私が認めないのは、要するに非論理的(矛盾)だからです。
尊敬すべきご先祖たちが転生するのならば、
三種の浄肉どころか全面的な肉食の禁止令を出す筈でしょう。
ジャイナ同様、絶対的なベジタリアンに徹すればいいだけのことです。
仏典中には、
後代に挿入附加したであろう神格化部分や象徴的逸話、
誇大表現、宗教的文学表現、道徳心の強化を狙った方便(下等生命への転生といった脅し)
などが随所に含まれています。
---まっ、止めておきます。
467 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/03/07(水) 09:53:55.33 ID:z2tlxH6V
>>432 >なぜなら涅槃に入ればもう、菩薩としての衆生救済は不可能となるからだ
>だからといってこの「菩薩大士」が涅槃に入れないわけではないし、悟っていないわけでもない
意識がニルヴァーナに在りながらの救済活動が何故できないのか?
では、完成者でありながらも涅槃に入らず救済に当たる--という言い方で別に良いのでは?
言葉遊びなどどうにでもなるでしょう・・・。
468 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/03/07(水) 09:54:45.22 ID:z2tlxH6V
>>445 >法華経は日蓮宗関係の人々の占有物などでは全くないのです。
>聖徳太子以来、法華経は重要仏典として扱われ、日本の仏教研究の中心であった
>比叡山・天台宗の根本経典は法華経で、天台宗は天台法華宗 とも呼ばれていました。
仏説として、ゴータマの教えだと信じたからですよ。
そして、
シナの天台大師/智が打ち立てた五時八教説なる教相判釈によって、
その法華経が仏典中において最上の経典であるというレッテルが貼られたからです。
>>464 その判釈は智によるもので、日蓮ではない。
日蓮はこれを真に受けて、法華経信仰と布教に命を賭けた。
しかし、後にそれらすべてが創作経典であることが判明したのでした。
>>465 バカ乙
教相判釈ってことは経典に価値判断を下して悟りへの道を体系化してるって事だ
マジで何か本を読んで基礎知識をつけてくれ、めんどくせえ
だから単なる仕分け人程度だろw
471 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/03/07(水) 10:45:09.20 ID:z2tlxH6V
果たして、
あまりに大雑把な大乗の波羅蜜によって、
ゴータマ教説の道品法にどこまで迫れるのです?
*大乗-六波羅蜜
布施波羅蜜、持戒波羅蜜、忍辱波羅蜜、精進波羅蜜、禅定波羅蜜、智慧波羅蜜
------------------------------------------------------------------------
*釈尊-三十七菩提分法
四念処
身念処、受念処、心念処、法念処
四正断
断断、律儀断、随護断、修断
四神足
欲神足、精進神足、心神足、思惟神足
五根
信根 、勤根、念根、定根、慧根
五力
信力、勤力、念力、定力、慧力
七覚支
念覚支、択法覚支、精進覚支、喜覚支、軽安覚支、定覚支、捨覚支
八正道
正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定
472 :
神も仏も名無しさん:2012/03/07(水) 10:45:41.45 ID:6RCnmS/X
>宝珠
不動尊真言 やってるか?wwww
473 :
神も仏も名無しさん:2012/03/07(水) 10:52:47.66 ID:pz3/rzkI
>>私が認めないのは、要するに非論理的(矛盾)だからです。
>>尊敬すべきご先祖たちが転生するのならば、
>>三種の浄肉どころか全面的な肉食の禁止令を出す筈でしょう。
>>ジャイナ同様、絶対的なベジタリアンに徹すればいいだけのことです。
他の人のためにこれだけ指摘しとくね。
こういうこというのは如何に仏教が分かってないか自白してるようなもんね。
なぜか? 要するに縁起・空・無我・仮設が分かってないから。
xという実体・アートマンが永遠不変に輪廻すると考えるから、そうなる。
それと多分にキリスト教などのセム系思想が混入していると予想される。
なぜなら、インドでこんな輪廻を説く宗教を私は知らないから、
つまり、取るに足らない民間信仰ならあるかもしれないが、
少なくとも学者がそういう報告したのは聞いたこともないし、
そういう文献も読んだことがない。
インドだけでなくあらゆる地域、あらゆる時代の仏教も同じ。
そしてまた、仏教では母でなかった生き物は一つもないと説く。
だから、殺してはいけないと説く。
そして食というものは、肉に限らず多くの犠牲のもとに成り立っている。
例えば、米や麦にしても我々の口に入るまで、多くの虫を始めとするものが亡くなっている。
だから、米や麦にしても食する時、それらの死骸を食べるように感謝すべきと説く。
だからこそ、釈尊は残飯で生きることをビクの食べ方にしたのでしょう。
全然、論理じゃないんだは。単に神智学説を盲信してるだけなんだは。
474 :
神も仏も名無しさん:2012/03/07(水) 10:58:10.22 ID:6RCnmS/X
>果たして、
>あまりに大雑把な大乗の波羅蜜によって、
>ゴータマ教説の道品法にどこまで迫れるのです?
以前、セブンも言ってたろ? 大乗は難しいとww
「ナビゲーション付きの単艇でいくか? 皆で大船でいくか?
ただし、大船の場合は、優れた船頭がいないと、船がどこ行くかわかった
もんじゃないwww という危険も大wwww」
475 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/03/07(水) 11:04:28.78 ID:z2tlxH6V
>>473 はい。
お教え有難うございます。
>そしてまた、仏教では母でなかった生き物は一つもないと説く。
>だから、殺してはいけないと説く。
>
>そして食というものは、肉に限らず多くの犠牲のもとに成り立っている。
>例えば、米や麦にしても我々の口に入るまで、多くの虫を始めとするものが亡くなっている。
>だから、米や麦にしても食する時、それらの死骸を食べるように感謝すべきと説く。
これについては問題なしです。
476 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/03/07(水) 11:09:22.63 ID:z2tlxH6V
>>472 ハイ♪
ありがとうございます。
夜勤明けですが、今から開始ですよ。
とにかく眠い。だるい・・・限界っス。
トホホ...
これから、
ナンチャッテ法衣に着替え、
御給仕から始めて約1時間の真言念誦行。
その後、神智学系の簡単な瞑想、
って感じですか・・。
>>474 ま〜わたしも大乗がないと困るから。
実際www
では、今から大乗に肖りますw
ほな堕ちm(__)m
477 :
神も仏も名無しさん:2012/03/07(水) 11:11:56.62 ID:6RCnmS/X
殺生ねえw
よく知らんが、チベット当たりでは、まだ夏安居なんて継承されてるのか?w
オレら凡夫は、そこまで神経質にやると、とても暮らしていけんがww
478 :
神も仏も名無しさん:2012/03/07(水) 11:16:56.29 ID:pz3/rzkI
>>474 そうそういったアビダルマ的基礎学というか、大小乗共通部分を日本仏教、
特に鎌倉新仏教が等閑にしたから、分かりにくいんだよね。
もちろん三十七道品とかれますよ。以下で検索してみて
http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/ 六ハラミツってのは、形式的にはテーラワーダでも説く布施・持戒・生天、戒定慧に忍辱と精進足しただけだから、
欠けてるものは何一つない。
そしてハラミツってのは、私が乞食に布施してるという自他物という三つの対象への意識がなくなった状態、
つまり、自然にできる状態を指しているので、明らかに見解が高いんだよ。
それでこのハラミツの境地に導くために『般若経』などで布施は布施でないとか、
そういった即非の論理と呼ばれる説き方をするわけ。
もっとも大拙さんのいう即非の論理は、問題ありだと思うけどね。
479 :
神も仏も名無しさん:2012/03/07(水) 11:22:43.16 ID:pz3/rzkI
>>477 されてますよ。ただ、どの程度厳密にされているかは知りません。
仏教の場合は、現象より心だから、
それと、ちょっとでもよければいいというところもいいとこです。
つまり、どんな人でも少しでも善いことをすればいいということ。
善いことというのは、果として楽になることという意味です。
480 :
神も仏も名無しさん:2012/03/07(水) 11:28:23.00 ID:6RCnmS/X
>・・・・・・明らかに見解が高いんだよ。
(これを言わなきゃいいのにwww)
481 :
神も仏も名無しさん:2012/03/07(水) 11:41:26.53 ID:pz3/rzkI
>>480 いや、そこをきっちり言っとかないと、大乗がデタラメとかいう人に分かんないでしょ。
要するに部派は常識でも分かる内容を中心に説き、
大乗はより微細な心の面を中心に説いてるから、理解しずらいわけだ。
大抵、空性の理解がある人を前提にした教えだから、難しい。
しかもそれはパーリにもあるよ『ウダーナ』『スッタニパータ』『清浄道論』などにも、
ちょっとだけ説かれてる。
482 :
けちゃっぷ:2012/03/07(水) 12:42:14.32 ID:MjNDcVy4
>>477 涅槃(平安なる滅び)に入ってしまえば生命であることから
卒業するわけで、殺生をする必要がなくなります。
だから、自分が悟って涅槃に入れば無数の殺生をやめることになり、
他の生命にとっても多大な利益となります。
たとえばお釈迦様はもう二度と誰も殺さない。殺せない。
なぜなら、お釈迦様はもう滅び去ってしまったからです。
483 :
神も仏も名無しさん:2012/03/07(水) 15:08:03.83 ID:pz3/rzkI
>>482 それは「滅」という記号に惑わされて、ネハンを「滅び去ること」と捉えているからじゃないですか?
それは部派的な誤解であると説かれたのが他ならぬ龍樹菩薩ですよ。
それに釈尊も十/十四無記で如来の滅後について無記と答えているでしょう。
つまり、あなたの見解は無記ではなく如来の滅後に「滅び去ること」といった
何らかの言葉で指示できる状態を述べていることが、無記に反していることに他なりません。
そうでないことは『ウダーナ』8.1以下 および『ウダーナ・ヴァルガ』26.20以下と
『中論』八不偈を見れば、分かると思います。
484 :
神も仏も名無しさん:2012/03/07(水) 15:14:17.77 ID:7jTRTpFC
どこどこの浄土に如来がいて、何かしている、と述べることは
無記に反しないんだろうか。
485 :
神も仏も名無しさん:2012/03/07(水) 15:20:37.82 ID:pz3/rzkI
>>484 反しないでしょ。
なぜなら、その如来は滅後ではないから。
少なくとも龍樹菩薩や月称菩薩は矛盾しないと捉えてますね。
およそ宗教の世界で論理的という言葉には警戒が必要だ
もちろん理性を捨てろと述べている訳ではない
が、しかしこのマーヤーの世界には微妙でとらえがたい一面があるのだ
「宝珠、お前に言ってるんだよ」
たとえばニルヴァーナに入った聖者は通常「入滅」と称して二度とこの相対世界へは
帰ってはこない
常識では、そう考えられている
しかし、強靭な意志のちからで再び衆生救済のためニルヴァーナから帰還する者がいると
スワミ・トゥリヤーナンダジがおっしゃられている
この人物は尋常の梵僧ではない、その道では有名な聖者である
「菩薩大士」は涅槃に入れないわけでもなく、悟っていないわけでもないが「あえて」涅槃の楽を放棄するのだ
これは単なる言葉遊びではないぞ!
帰還、輪廻における再生、重要なのはここ、このポイントである
すなわち、その再生なり、帰還は「利己的煩悩による流転」か「非利己的目的を持つ自由意志」によるものか?
利己的なら凡夫、非利己的なら菩薩である
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
それはともかく東北大地震で2万人以上の人々が「自然」という恵み深く、それでいて邪悪なる母によって
瞬時に虐殺され、死に絶えたのであるが、彼らは過去世においてどんな「悪業」を積んで、あんな悲惨な目にあったのであろうか?
はっきりとは答えられるか?
もし、あれらの人々が過去世において憎むべき罪を犯しているなら「勝手に死にやがれ
当然の報いだ!」と言ってやればよいだろう
しかし、俺は違うと思う
必ずしも善因善果、悪業悪果の黒白理論では割り切れないなにかがそこにあるに違いない
あまり使用したくない言葉だが、カルマの作用は「不可思議」なのだ
神が存在するとして「殺したいから、殺した」と言うなら、そんな邪悪な神など
の支配を受けるのは死よりも悪い
ナンセンスと笑うべきか?しかし世界の本質とはそのようなものである
あえて恐れずに述べるなら、俺はそのような神はやはり実在すると思う
487 :
神も仏も名無しさん:2012/03/07(水) 15:38:18.28 ID:7jTRTpFC
>>285 無記というのは、「死後いるかどうか」じゃなくて「死後どんな状態か」という言及をさしているのか……?
>>286 ラーマクリシュナミッションとか、別宗教の見解を混ぜるのは危ういような。
488 :
神も仏も名無しさん:2012/03/07(水) 15:44:28.29 ID:pz3/rzkI
>>487 少なくとも十/十四無記で問題になっているのは、
解脱・涅槃した如来の滅後の話。
凡夫の死後は、世俗としては輪廻する。
つまり、何かに生まれ変わる。
489 :
神も仏も名無しさん:2012/03/07(水) 16:58:57.29 ID:7jTRTpFC
滅後と、それを超えた(?)ところの如来の状態・性質というのは
如来が一つの世界に一人しか存在できないのと関係があるのかな?
一世界一仏の原則が、菩薩の状態にとどまることと関係があるというのは聞いたことがあるが、
あえて一世界に仏が複数居つづけたらその世界はどうなってしまうのか。
>>469 何かにつけて仏罰が下る!仏罰なんて狂った発言する宗派の
本なんか読めるかw
頭いかれてるだろ。
一人のブッダが衆生を教化出来る範囲は
ジャンブドゥヴィ―パ(閻浮提)10億個分とされる
しかし、宇宙は無限であるし、そうそうたやすくブッダがあらわれるとは
思われない
また、一口に世界と言っても「現在・過去・未来」
「現在のなかの過去・現在・未来」「過去のなかの過去・現在・未来」「未来のなかの過去・現在・未来」
などが複雑に絡み合っている
一微塵中に不可説不可説転阿僧祇の無限の世界が存在するし、それらの世界にもまた
不可説不可説転阿僧祇の微塵世界がある
結論を言えば
十方三世に諸仏はいるであろうし、いてもどうということはないのである
ただ、衆生の機根を見極め、適時不適時を知り抜いているため
ブッダはいたるところ、目の前にも存在するのであるが
肉体を持ってすがたをあらわし説法するタイミングはブッダのみぞ知るである
492 :
神も仏も名無しさん:2012/03/07(水) 17:33:25.43 ID:7jTRTpFC
サハー世界で釈迦の一代前の過去仏は、新しい仏である釈迦が出現するということで
入滅することにしたんだとか。
>>491 >宇宙は無限であるし、
ビッグバン説では、宇宙は無限ではない。
>>490 469は通仏教的な知識を学べと言っているだけなのに、なんで日蓮宗に固執するかね
そもそも、貴方の発言は三毒に塗れていて、とても悟りを求めるような人物の発言には思えない。
ここで言う「宇宙」とはもちろんこの粗大な世界における宇宙も含めるが
本質的にはアストラル、コーザル界をも包含するところの宇宙これが有限
なぜなら心は無限を超えることはできない
俺が言ってる「宇宙」とはそれら「有限的世界」を包含するところの
アーカーシャ、最も精妙な意識をも超越したところの虚空界的宇宙である
つまり「法界」である
あまりこれを論じてもキリがないので一言でいうと
ブラフマンの領域であり、有限を包括した無限宇宙である
しかし、有限なる人間によってはそれを知ることは必然的に不可能なので
一応、記号にとらわれること無く理解してほしい
知る者が知られる者ではありえないから・・・
>>490 494が指摘してくれたけど、
俺が言いたいのは通仏教的な知識の事を言っている。
とりあえず
水野弘元「仏教用語の基礎知識」
山口益「仏教思想」
末木文美士「日本仏教史」
あたりは最低限目を通せよ。
そして日蓮をディスるならどういった点かを明確に典拠を挙げて指摘しろよ。
お前が言ってるのは日蓮の顔が気に食わないってレベルのいちゃもんなんだ。
日蓮をディスるなら
最低でも、「立正安国論」「開目抄」「観心本尊抄」の
いわゆる日蓮三大部は通読しておかねばなるまい
日蓮が涅槃経にことよせて「法華誹謗者」は殺しても良いなどという発言をした
という誤解は解かれるはずだ
日蓮の主張は彼の主観ではあるが「正法を謗る者」への「布施」を禁止しなさいということであって
殺せなどとは発言していない
ただし、大乗経典「涅槃経」には、釈尊が前世において大乗を誹謗したバラモンを殺したという記述があることは
認めねばなるまい
大乗とは菩薩の道を説くものであり、ひとりを救うためのものでなく
無限数の衆生を救い利益を与えるものである
よって大乗を誹謗するとは、「大勢の無限数の衆生の利益を損なう行為」にほかならず
悪中の悪、これにすぎたるものはなし。という意味が込められている
ちなみに俺は大乗派ではあるが「涅槃経」はあまり好きにはなれない
日蓮の主張、(思い込み)?は、当時の悲惨な疫病の蔓延や、大地震による甚大な数の死者へのやるせない思いから発露されている
現代とほぼ変わらない世相の原因は、法然坊源空の記した「選択本願念仏集」にあり
これによれば、仏教の「あらゆる行」は捨てて「念仏」だけにしてしまえばよいという天下の暴論に
異議申し立てをしたのであり、国家がみだれるのは政治の腐敗であり、正しい仏法を廃仏毀釈しかねない
法然の教えに従う為政者に原因があるとし、そのため国を守る諸天善神も日本を見捨ててしまったからだと主張したかったのである
ただし、俺がもし日蓮をディスるなら、彼の「一念三千を末代幼稚の首にかけ・・・云々」という箇所だ
末法という名のもとに「人々の潜在的可能性」を完全に見捨てている
どんなに優れた教えでも「教えてくれる人」がいなければ理解はされない
逆にどんなに難解な教えでも「注意深く、念入りの指導すれば」人々は理解するものなのである
それを「末代幼稚」と決めてかかるのは「単なる僧侶の怠慢」以外のなにものでもない
パーラミタ―に関する無知をさらした者へ
波羅蜜とは以下の十項目である
布施波羅蜜・持戒波羅蜜・忍辱波羅蜜・精進波羅蜜・禅定波羅蜜・智慧波羅蜜・方便波羅蜜・誓願波羅蜜・力波羅蜜・智波羅蜜
またこれらの波羅蜜はあくまでも大雑把な区分にすぎず
無量阿僧祇の波羅蜜の浄化が存在するとされる
菩薩の学習範囲・行動範囲は「無限」である(維摩経)
日蓮と彼の言説にこだわる者は法華経の真実を観ることはできない。
日蓮は法華の行者を自認していたのだから、日蓮を肯定するも否定するも
自らが法華の行者になってのみ可能なのだ。
まず、しっかりと法華経を学べ!!!
末端に創価みたいな気持ち悪いのがあるの見ると、
絵空事に聞こえるよなぁw
なにかあれば仏罰が下るとか持ち出すし、あんなイカれた門人を
産み出す要素が教義に含まれてるってこったろ。
聞けば聞くほど仏教と程遠いわ。
宝珠氏>私が認めないのは、要するに非論理的(矛盾)だからです。
宝珠氏>尊敬すべきご先祖たちが転生するのならば、
宝珠氏>三種の浄肉どころか全面的な肉食の禁止令を出す筈でしょう。
宝珠氏>ジャイナ同様、絶対的なベジタリアンに徹すればいいだけのことです。
一代氏>こういうこというのは如何に仏教が分かってないか自白してるようなもんね。
一代氏>なぜか? 要するに縁起・空・無我・仮設が分かってないから。
一代氏の「縁起・空・無我・仮設が分かって」いるというのは、そのこと自体で、よくよく考えれば
かなり仏教的に「高い」境地であるということでもある気もするのですが、それとは別にもう少し一
般論的な観点で指摘させていただきます。
仏教で禁忌しているのは「殺生」すなわち殺す「行為」であって、肉という「物質」ではありません。
だから、その肉が、肉親の肉であっても、食べること自体に何ら問題ないどころか、例えば飢餓の状
況に置かれた場合、肉親の肉は(その死んだ肉親が贈り物として自分に係累の「命」をつなげと残し
た)最上の尊き清きの宝と考えることすら可能だと思います。
上記の宝珠氏の発言では、「肉親を殺すこと(行為)」ではなく、「肉親の肉」という物質の方がモ
ノとして汚れている、汚らわしいという発想になっている気がします。一例としてジャイナ教が間違
っているという仏教側からの指摘は、苦行が過度だからという理由ではなく、行為の浄・不浄と物質
の浄・不浄を混同して同一視しているから、その思考パターンからして典型的に外道の思考様式であ
るということが仏教徒側から見て明らかだからです。
行為(業)中心に物事を発想するのが、仏教の思考の基本中の基本文法であって、物体(実体、存在)
を基点に仏教的思考回路が構成されているわけではないのです。業論の話をしても、初期値問題的に
誤解して宿命論を持ち出す人がいたり(マッカリ・ゴーサーラと同じ系統の思想)とか、このスレッ
ドでは、基本的にほとんどが外道と外道の間で仏教の是非善悪功罪を巡って論議されている場合がほ
とんどだと思いますが……。
>>500 「仏教」ってのは、
末端に「オウム」みたいな気持ち悪いのがあるの見ると、
絵空事に聞こえるよなぁw
なにかあれば仏罰が下るとか持ち出すし、あんなイカれた門人を
産み出す要素が教義に含まれてるってこったろ。
聞けば聞くほど悟りと程遠いわ。
坊主憎けりゃ袈裟まで憎いってやつかw
創価=オウムって認識でOKなのかい?
504 :
神も仏も名無しさん:2012/03/08(木) 09:58:57.58 ID:oZoVmWKi
仏教ってのは、「悟り」「解脱」という崇高なる『真理』への道を歩む という
のが方向性なわけだ。 そこには、どうしてもある程度の「個人の努力」
(修行と言い換えても良いが)が必要となる。 そのあたりが、
「ただひたすらに神を信じ、その救済を待つ」という宗教と異なるところだが。
仏教がもつ、そのような一側面は、必然的にある弊害を生み出す。
「私は、清浄なる道を歩む者である。」
「私は、貴方がたよりも真理を了解している。(分かっている)」
「貴方がたは、真実を知らない凡夫、外道である。」
と言う、『己を高し』とする根拠のない思いあがり、
『自分の意見を入れない者を、愚か者と規定する傲慢さ』・・・・
このような「勘違いバカ」を数多く生み出すことになるww
この宗教板にも、実に多くの「分かってる君」がいるわけだww
そう言う、生悟りの勘違いバカほど、すぐに、したり顔で説教し始めるがw
その典型がお前だよ、不説 wwwww
506 :
神も仏も名無しさん:2012/03/08(木) 10:49:04.71 ID:oZoVmWKi
本人してみれば、
「俺は無知な衆生に仏法を説いて、真理に導く菩薩行をしている。」 と思って
んだろうww
つくづく、勘違いバカは始末におえんwww
507 :
絶対神:2012/03/08(木) 10:58:56.03 ID:WvZd1Zp/
>>497 「何を読まなくても、日蓮の偏狭さとどうしようもなさは誰でも判る」
まあ、日蓮自身が神ともいうのなら、その排他性は当然、肯定されるが
彼は、神でもなんでもないからなw
>>502 『そもそも、悟りだとか解脱だとかいう概念じたいで十分絵空事だってば』
わたしゃー、そういう意味では、釈迦自身も「じゅーぶん詐欺師」だと思う
大人なら、「誰だってそんな境地なんてありえない事くらい理解してる」
『神が全能だっていうのならともかく、人間が「悟り」なんて開ける訳ないじゃん』
>>503 何処をどう読んだら、「創価=オウムって認識」なんて話になるんだwww
日蓮→末端に創価
仏教→末端にオウム
末端にろくでもない物があるだけで根本を否定するなら、同じ論法で仏教自体が否定されるだろうと言っているの。
日蓮を否定したいなら、「日蓮の説いた教えの○○の部分がダメだから、日蓮は仏教からほど遠い」と言う論法を取らなけりゃダメなんだよ。
そして、これまでの論調を見る限り、創価を否定したいんだろうが、
それならそれで、日蓮を否定するんじゃなく、創価自体の問題点を上げなきゃ効果は薄いぞ。
そんな深い意味などもともと無いだろこのガキどもには
ただ単に大乗を叩きたいだけ
それも自分は上座部の教えが気に入っているから
自分こそ「原始仏教」というトレードマークを付けた釈迦の正当継承教義に従う者だという
まるで根拠のないおごりに憑りつかれているだけでたいして意味などはじめからないと思うぞ
なにせあの教祖にしてこの弟子ありきで
まるで大乗批判にさえなっておらず、ただ日蓮のような攻撃しやすい対象を持ち出し
重箱の隅をつついてるだけのチンケなヤツラである
草加やオウムなんて、大乗派の俺でさえ相手にしていないし、普段、話題にもならないのにね
それからここは仏教議論スレなので草加叩きは別スレ立ててよそでやれ
この、ボケ
草加はあたかも糞を喰らう蛆虫のごとし
されど上座部はクソの山、糞のかたまりそのものだ
上座部小乗フェチ、正確にはパーリ経典フェチの変態神智学徒・宝珠はさらに
キモい
大乗は否定しないくせに、大乗をポップな感覚でとらえすぎている
見苦しいヤツよのう
>>511 505を見て題目教団嫌いになるの分かってくれればいい。
>>512 それなら創価をディスればいいだけじゃねーか
大乗や日蓮ディスってんじゃねーよ
そんで、ここは議論スレなんだから大乗や日蓮ディスるんだったら典拠なり根拠を挙げてディスれよ
もし議論する気が無いなら自分のブログにでも書けよ
>>514 見て言ってんじゃねーか
まさか、それが日蓮や大乗をディスってた根拠?
505凄いなw
これを肯定する奴いるんか?
517 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/03/09(金) 09:34:07.80 ID:gtxhv5LU
>>486 >「宝珠、お前に言ってるんだよ」
>これは単なる言葉遊びではないぞ!
ハイ!!
私もそういう意味として理解していますよ。
>帰還、輪廻における再生、重要なのはここ、このポイントである
>すなわち、その再生なり、帰還は「利己的煩悩による流転」か
>「非利己的目的を持つ自由意志」によるものか?
>利己的なら凡夫、非利己的なら菩薩である
了解です。神智学においても、
“完全なる非利己的な自己犠牲の奉仕”にあたられる存在が覚者である、
と説明されています。
>それはともかく東北大地震で2万人以上の人々が「自然」という恵み深く、
>それでいて邪悪なる母によって 瞬時に虐殺され、死に絶えたのであるが、
>彼らは過去世においてどんな「悪業」を積んで、あんな悲惨な目にあったのであろうか?
>はっきりとは答えられるか?
>---中略---
>あえて恐れずに述べるなら、俺はそのような神はやはり実在すると思う
518 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/03/09(金) 09:35:06.49 ID:gtxhv5LU
神智学的理解では、
すべてが単純に個人の過去世における悪業の報いという見方はしません。
地域のカルマ、国家のカルマ、民族のカルマなど・・・個人を超えて大きく包含しているカルマの働があり、
しかも、それらは単純にすべて悪業であるというわけではないということです。
要するに、この惑星の生体的リズム(地震と地殻変動などは)というのは、
この惑星ロゴス(神)の進化レベルをそのままに顕示しているのであって、
即ち、この惑星ロゴスはロゴスのレベルとしては、まだまだ神聖とはいえない段階であるということ。
外宇宙の他の惑星ロゴスの進化段階と比較すると、相対的にはまだまだ低く、
結果的には、惑星生体リズムが人類に直接的な危害を与えてしまっているのです。
将来、もしも人類全体としての意識レベルがアップするならば、
それに伴って比例し、巨大地震による悲劇も減少するものと見なされています。
>>498 >パーラミタ―に関する無知をさらした者へ
私のことと思われますが・・・。
いずれにせよ、波羅蜜というのは抽象的であまりに大雑把な分類でしかないので、
これで道品法のすべてを網羅しているというのであれば、確かにそれもまかり通ってしまうでしょうね。
いや、波羅蜜がダメという意味ではないのですよ。
519 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/03/09(金) 09:36:36.28 ID:gtxhv5LU
>>501 >上記の宝珠氏の発言では、「肉親を殺すこと(行為)」ではなく、
>「肉親の肉」という物質の方がモノとして汚れている、汚らわしいという発想になっている気がします。
“汚らわしい”というのとは全く違いますよ。
先祖や血縁親族に対する尊敬や愛着心から、
とてもその肉を食らうことができない筈でしょう?
---という意味です。
ご意見、素直に感謝します。
520 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/03/09(金) 10:35:35.50 ID:gtxhv5LU
ー---- 一代へ
批判一辺倒でもショウガナイので、
もう少し親和的に接したいと思います。
私も大乗の恩恵にあずかっている者の一人として、
大乗には非常に良き部分や勝れた点があることは正直に認めます。
だからこそ、敢えてこのままじゃダメではないか?というのですよ。
そんなに、大乗マンセーというわけにはいかないでしょう。
この後の未来に、
素晴らしき大乗として存続する為にも、
一度、スパッと反省の上に立って自浄努力し、そこから再生して欲しいと思う。
まず、これまで勝手に
仏説(ゴータマの教え)など謳ってきた嘘の事実を認めて、信者と大衆に謝罪してその虚言を止めるということ。
“お題目で浄土行き”などというのも、そのことを事実として確認した上でのものではないのですから、
ハッキリいってその保証すらもないということを明確に認めること。
嘘、偽り、誇大宣伝はすべて改めること。
こうして、信者自身にこれまでの大乗宗派の信仰を続けるかどうかを自己選択してもらうこと。
如何?
>>520 >事実として確認した上でのものではないのですから、
>ハッキリいってその保証すらもないということを明確に認めること。
おいおい、それを自分で言うかwww
それとも、神智学だけは別枠なのか?
>>520 横からだが
> 仏説(ゴータマの教え)など謳ってきた嘘の事実を認めて、信者と大衆に謝罪してその虚言を止めるということ。
> “お題目で浄土行き”などというのも、そのことを事実として確認した上でのものではないのですから、
> ハッキリいってその保証すらもないということを明確に認めること。
> 嘘、偽り、誇大宣伝はすべて改めること。
なんて言い出したらSn.の最古層しか仏教として認められなくなっちまうじゃねーか
そらそうだ。
自称覚者さんばっかだもの。
仏陀の名前で改変、改変、酷いもんだ。
自称覚者の名前の教えなら100年も残らないの知ってて改変してやんの。
>>522 だよなw
しかも、Sn.の最古層だって、また聞きのまた聞きで、百年以上たってから別の言語に翻訳したうえで書きとめたやつだし、どこまで「仏説」なのか、保証の限りに非ずw
>>519 宝珠愚者氏
>“汚らわしい”というのとは全く違いますよ。 先祖や血縁親族に対する尊敬や愛着心から、
>とてもその肉を食らうことができない筈でしょう? ---という意味です。
それは失礼いたしました。否定的な理由ではなくて、肯定的な理由での、禁忌ということでしょうか。
>>466 >三種の浄肉どころか全面的な肉食の禁止令を出す筈でしょう。
このような文脈でしたので、「それは不浄だから禁止するべきである」という話だと自然に受け止めてしま
いました。
むしろ「愛着があり、美味しいものだから、食べるな」と、「我慢、禁欲すべきだ」という発想で肉食を禁
ずるべきではないか、という話なわけですね。
ただ、否定的・肯定的いずれにしろ、肉体という物質と、先祖や親族は別々と見ますので、嫌悪するにせよ、
愛着するにせよ、それは名色を混同・同一視しない仏教的な思考様式とは遠いものです。なので、「動物に
輪廻すると考える」一方で、「全面的に肉食を禁じない」ということには、何ら矛盾を見出せないことは確
かです。そこに矛盾を見出すという判断は、仏教外部の思考様式に基づかねば、可能になりません。
基体を設定しないと、業論が成立しないという考え方に固執した上で、輪廻を否定する主張をする(その一
方で輪廻肯定を攻撃する)人々もいますが、この考え方が仏教外部(外道)の思考様式に基いているもので
あることは言うまでもありません。ただ輪廻を肯定する人々においても、肯定したらしたで、名色を混同視
しする思考様式で肯定すると、色(物質)に輪廻を肯定しない場合と違って様々な意味合いが帯びてきてし
まいますので、却って迷信的な縛りが発生してしまうことになります。仏教(中道)的思考様式においては、
名は名、色は色なので、輪廻を肯定したところで、何ら、弊害は生じるような考え方にはならないわけです。
日本人は、海外と比べて、故人の遺体に異常に執着するという話を聞いたことがあります。
526 :
神も仏も名無しさん:2012/03/10(土) 01:05:20.54 ID:QY88gzEd
それよりも「種が明かされない方便」というものが釈迦の教えにあるのか、
気になる。大乗仏教でもないだろ。握り拳は持たない、って本人は言ってるんだし。
真実なら言わない理由はないし、誤解を放置しておく理由もない。
宝珠愚者は方便という言葉を都合よく使いすぎな気がする。
527 :
神も仏も名無しさん:2012/03/10(土) 01:13:39.28 ID:QY88gzEd
過去世のどれかが人間でない、という理由で 動物は食べてもよいものになりうる
って発想はどの程度仏教的なんだろ。
「全ての生きとし生けるものは 幸せであれ」なんだろ。
>>527 西洋的世界観では、人間は生物の中でも別格だから。
他のあらゆる動物の頂点に立っており、
その、「位、ステージ、階位、レベル、スキル」などが段違いだから。
人間の高次な精神の働き(≒魂の階位)は、他の動植物の及ぶところでないから。
だから、人間以外の生物は、全て、人間の爲に供されてよいということになる。
当然、神智学もこの枠組みから出ていない。寧ろ、この考え方についてはガチガチの保守派だw
なんで西洋が基本なの。
530 :
絶対神:2012/03/10(土) 15:16:41.33 ID:LrUgRtH7
『何がカルトを防ぐか』
「人間が、何か善悪だの物事を判断にする時、何を基準に判断すると思います?」
「結局、「自分自身」です」
「自分の頭によって判断します」
そして、自分とは何があるから存在できますか?
『自我であり、エゴがあるから存在できるんです』
「自分というものを持たなければ、「そもそも判断しようがありません」」
『当然ですが』
「仏教は、宗教でないとか、自分で判断する教えだとか言いながら」
『その自我や、エゴを否定させます』
「つまり、根本的にへんなんです、矛盾しているのです」
531 :
絶対神:2012/03/10(土) 15:20:14.56 ID:LrUgRtH7
「宗教である以上」
『ある程度の矛盾はやむを得ないのですが』
「仏教の場合、「判断力を積極的奪う」という事をもっともらしい理屈をつけて
「最大の目標」にしているところが、駄目なんです」(まだしも、正直に、
絶対者を信じろと言っている方が、判りやすい分ましですよ)
『恐らく、無我だとか、悟りだとかいうのは、元々、釈迦教団が、信者から
判断力を奪う為に、都合で生みだした教義でしょう』(原型はそれ以前から
当然あったでしょうが)
「冷静に考えてみれば、客観的に見てみれば」
『要するに、仏教が、キリスト教なんかよりもはるかに最悪のカルト宗教である
事が判ります』(単に、誰もそんな事を本能的に実行しないから、破滅が
しばしば回避されているだけですが、オウムみたいにもろに破滅を招きよせた
場合もありますね)
『では、どうすればカルトを避けられますか?』
532 :
絶対神:2012/03/10(土) 15:25:30.04 ID:LrUgRtH7
「自分というものを実在として「肯定」する事」
『自我を肯定する事です』
「裏を返せば、「悟り」や「無我」を「否定する事」です」(そんなものは
『悪魔の教え』以外のなにものでもありません)
『そして、自我とは決して奇麗なものではありません。ある程度、他人をいぎたなく
蹴落としていく部分があるもので、ある程度、争うものです(場合によっては激しく)』
「それを肯定できた時、他者の命令によって動かされるロボットになる危険から
かなり解放されるでしょう」
『それと、自分の欲望、自分の自然な煩悩や幸福を求める心を』
「ある程度、正直に肯定してやる事ですね」
『そうすれば、一部の上層部や教祖の幸福や欲望の為にこきつかれる事が嫌になるはずです』
「自分自身の自然な幸福を追求してやる事を肯定すれば」
『不自然に、自分を抑えて、誰かに対して奉仕する事ややめてしまいます』
そういう意味では、自我を否定し、欲望を否定する「仏教」という教えは
『究極の宗教であって、どこも自分たちが宣伝しているような自分の頭で考える
ような合理的なものなどではあり得ない事に気づくでしょう』(自我と欲望を
否定している時点で、本当は誰でも「そうである」事に、あっさり気付くと思うのですが)
533 :
絶対神:2012/03/10(土) 15:33:54.86 ID:LrUgRtH7
「仏教の最大に駄目な点にひとつは」
『素直に宗教である事を認めない点なんです』
「人は救いを求めて宗教の門をたたきます」(仏教も例外ではない
世襲の坊主とかでもない限り、救いを求めて仏教を求める事じたいには何の違い
もありません)
『素直にそれを認めた方が良いと思います』(何故、否定する
のです? 自分が救いを求めている事を、また、救いを求める欲求を)
「自分たちが宗教である事を素直に認め、自分たちが弱い人間であり、神仏の
救済を求めている事を素直に認めてこそ」(でなければ元々、仏教なんかに
関わりませんよw ふつうに何の宗教の特に信じない、かかわらないで生きるだけです)
『初めてありのままの自分を認めた事になると思いますが?』(神仏が
いるかどうかは置いておきますが)
「仏教は、「宗教」であり、釈迦の教えを受け入れ実践する事は「信仰」でしかありません」
『それくらいの事を認められもしないで、何が「ありのままを認めているのですか」』(大笑)
「そのあたりは、本当に「仏教」というものは、幼稚で、笑ってしまいます」
『奇跡とか神とかいうレベルではなくて、そんな大前提として、誰もが見抜ける
レベルの事として』
「「仏教」は、『根本的に変なんですよ』」
指導者が煩悩を持ってるかどうかで判断で防げるよ。
カルトは煩悩まみれ。
それだけで簡単に解決。
豪華の建物
豪華な袈裟
豪華な仏壇
これがあるとこは煩悩教団。
これを作りたいと目指すとこは煩悩の権化。
日常的に喜捨をすれと勧める、買えというとこはだいたいカルト。
教えを学ぶことより、人を集めたがるとこは危険。
質素な庵、質素な生活、質素佇まい
心の平安、心の瞑想、悟りとは何かを考えないとこは偽物。
教団を大きくすることで世界や貴方が幸せになると言い出すと暴走が始まる。
だって煩悩だから。
535 :
絶対神:2012/03/10(土) 15:51:56.13 ID:LrUgRtH7
「まあ、だからしまいには仏教も」
『日本仏教みたいになって』
「平凡な神仏を拝む宗教に変化していったんだろうけどね」
釈迦の教えが、本当に、誰にでも実践でき、万人を救えるのだったら
『殆どまったく変化しなかったと思うよ』
究極の救いとは
「要するには、高尚な教義や哲学なんてどうでもよくて」
『神に助けを求める事さね』(それ以外、いかなる
手もないだろう)
「もっとも、神様が助けてくれるかどうかはしらんがね」(多くの
場合は、助けないと思うが(笑))
536 :
神も仏も名無しさん:2012/03/10(土) 15:52:42.95 ID:a9d1EbWq
だから、なんでここには定期的にポエマーが湧くんだよ
マジで自分のブログでやれ
おーいココ仏教スレですよ?
>>535 内容が難しいと理解できる人が限られますから簡単なほうがいいらしいですよ
539 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2012/03/10(土) 16:26:57.53 ID:YH6S5uD1
宝呪や絶対紙などの基地外に対する際に、
戒律に拘って言いたい事も言えずにストレス溜めるのは、仏教文献学者の特徴だな。(笑)
(^。^)上っ面だけの知識なんだから無理すんなよ?(笑)
■「善悪中毒」の心理学 ■
http://www.j15.org/GoodEvil/index.html 善悪の錯覚は、個人の心の葛藤を生むだけではなく、何千年にもわたって人類という
巨大な集合体の様々な葛藤/悲劇 ―戦争、テロ、抑圧、殺人、犯罪、拷問、いじめ―
などの、根本的な原因となってきたと考えることが出来るのです。
人々が善悪が生む錯覚に気づき「善悪中毒」という心の病を克服しない限り、人類は
永遠に争い(葛藤)を繰返すことでしょう。さらにいえば、「善悪」の強迫観念・錯覚を
抜きにしては、犯罪心理学、犯罪予防心理学、葛藤や戦争の心理、さらには二重人格・
多重人格といった異常心理についても、理解を深めることは大変に難しいのではないでしょうか。
現状、残念ながら、善悪の錯覚に気づいている人は多くなく、人々は、いわばその手付かず
の危険に晒されています。―これでは、心の葛藤も自殺もイジメも虐待も犯罪もテロも戦争も、
予防できる筈が有りません。 それでは、善悪が生む錯覚とは具体的に何なのでしょう?
―実は、これを正確に理解するのは、容易ではありません。・・・・ry)
>>540 浅い見解だなぁ。
善や悪の根底に何があるのかを考察せずに
善悪の峻別が犯人論に摩り替わってる。
では区別が犯人なのか?て疑問に至らないのかなぁ。
では価値観の統一、全体主義こそが平安なのか?w
全男性の女の趣味を統一したら、それこそ諍いの元になるなw
543 :
黙示録:2012/03/10(土) 17:16:41.00 ID:9ACmlvAt
ヨーロッパ連合は、「古代ローマ帝国」のような巨大な軍事国家になる。
10人の王があらわれる。
「黙示録の獣」があらわれ、3人の王を惨殺する。
3人の王を惨殺してヨーロッパを支配し、「終身大統領」になる。
反キリストと10人の王は、世界を支配することしか考えないだろう。
黙示録の獣(邪悪な支配者)は、「世界統一」「分かち合い」をとなえ、
「世界統一宗教」という邪教(カルト教)を世にひろめる。
この宗教は、サタンの教えとオカルトとキリスト教を融合させた
ような、悪魔の宗教である。
黙示録の獣は、みずから「キリストの生まれ変わり」をなのり、
バチカンの、乗っ取りをくわだてる!!!
狂信者たちを、ローマ法王に、けしかけて、
バチカンを乗っ取る。
バチカンを乗っ取った「黙示録の獣」は、「悪魔の軍団」を組織し、
イスラム教徒、仏教徒、キリスト教徒におそいかかる!!
「ファティマの預言」には、ヨーロッパとキリスト教徒の運命が
預言されている。
くわしいことを知りたければ、預言書を読みなさい。 ミカエル
善と呼ばれるものは
その地域の最適解だろ。
悪と呼ばれるものは
最適解を乱すもの。
善悪の区別は最適解の区分け行為。
争いは個や集団の最適解同士のぶつかり合い。
で最適解を産む行為は不必要か?
限られたリソースをどの様に最適化するのかってだけの話だ。
善や悪の様式は変化しないし、無くなりもしないよ。
数千年単位の最適解をもたらすから宗教は重宝されるんだろ。
それだけの話しだ。
546 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/03/10(土) 18:43:17.86 ID:edrpn1ek
---お知らせとお願い---
皆様も各自、思い々の方法にて
東日本大災害の一周忌追悼のお祈りに
是非、ご参加を宜しくお願いします m(__)m
(私は信仰する寺院に合わせて自宅での追悼勤行です)
東日本大災害
被災物故者追悼並被災地復興祈願大法要
日 時 平成24年3月11日(日) 午前11時〜午後3時30分
道 場 成田山新勝寺 釈迦堂
梵 鐘 午後2時46分 追悼の鐘として打鐘
では、また...
547 :
神も仏も名無しさん:2012/03/10(土) 20:40:37.66 ID:d84cVO6I
宝珠さんはもしかしてヘノーマンさん?
ヘノーマンという神智学徒が、宗教板にかっていましたね。
宝珠@神智学徒さんが
真言の成田?
549 :
神も仏も名無しさん:2012/03/10(土) 22:42:40.19 ID:6nOR6/7D
彼の大乗仏教(密教)についてのスタンスは阿含宗と同じです。
虚偽としながら、使えるところは使う、というものです。
勤行しているという不動明王の位置付けも伝統的な立場とは異なります。
他宗教ネタを消化して用いる神智学のスタイルに忠実と言えます。
ヘノ〜マンは在日っぽいね
宝珠さんはカルマを実体として認めてるんだ。前世の因果とかもある(と思ってる)の?
552 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/03/11(日) 00:14:54.62 ID:kxy/9Lpr
>>501 >業論の話をしても、初期値問題的に誤解して宿命論を持ち出す人がいたり
>(マッカリ・ゴーサーラと同じ系統の思想)とか、このスレッドでは、
>基本的にほとんどが外道と外道の間で仏教の是非善悪功罪を巡って
>論議されている場合がほとんどだと思いますが……。
さすが不説さん。
まー、私も外道による仏教論者の一人に過ぎませんので(苦笑)
それども、六師外道の宿命論と誤解するような愚だけは犯していませんけれどね・・・(笑)。
553 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/03/11(日) 00:22:32.01 ID:kxy/9Lpr
>>551 転生の主体を認めなければ、
前世と現世(及び来世)とを繋げる同一性とは認められませんね。
ただし、この転生を繰り返す主体たる魂というのは、永久恒常なものではなく、
従って、ウパニシャッドの説くアートマンではありません。
この辺を理解できない限りは、
主体を認めない業論なる虚論に陥ったり(三世にまたがる同一個性とはいえない愚論)、
一切の中に空性を無視した普遍恒常の存在を説く間違いを説いたりするでしょう。
554 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/03/11(日) 00:24:38.98 ID:kxy/9Lpr
追記:
前世からの因果と果報は当然あります。
これを否定したら仏教ではありませんね。
これを信じない者は“邪見”と呼ばれて、
仏門に入ることすらもできません。
555 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/03/11(日) 00:25:12.31 ID:kxy/9Lpr
>>526 私は畜生道への転生というのは、
実際には、動物などの下位生命への生まれ変わりなどではなくて、
そのような悲惨な状況(人間としての基本的条件すら満たせないほど)
に置かれる人間として転生すること、
という意味に捉えています。
三悪趣の他二つ、地獄・餓鬼とて同様です。
そういう状態に生きる人間であり、これは死後の状態のみならず
転生後の生存のことでもあると見なしいます。
モロ本当に動物に生まれ変わるという意味として説かれたとするならば方便でしょう。
私はゴータマ自らは、そうは説かれなかったものと信じていますが、
これが後代の改変であってもそうでなかったとしても、
何れにせよ、これは悪業を成さないよう戒める為としては効果的だったのでしょう。
ここの集う人々が本気で動物に転生すると信じていたりするように。
経典中には方便の種あかしはありませんよ。
それをしたら脅し的な道徳効果は完全皆無になりますからね。
それと、ジャータカの物語も後代に作られた創作と見なしています。
あれは信者に道徳心と感動を呼び起こすための絵本ですから。
556 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/03/11(日) 00:26:16.08 ID:kxy/9Lpr
>>527 >過去世のどれかが人間でない、という理由で 動物は食べてもよいものになりうる
>って発想はどの程度仏教的なんだろ。
>「全ての生きとし生けるものは 幸せであれ」なんだろ。
“過去世が人間でなければ食していい”、という発想ではありません。
人間は人間にしか転生しないとみなす神智学徒たちは、
その殆どが厳格な菜食主義の実践者です。
四足動物はおろか、鳥、卵、魚介類などの一切の動物性を摂らず、
玄米主食など菜食オンリーです。
もちろん、これは戒律的な命令などではないので、
各自で好きに自分自身でできる範囲にてのことです。
理由は単純に二つです。
一つは、肉は食材とし霊的志向者にとっては相応しくない性質を帯びているから。
そしてこれは人類社会の理想としてですが、
二つ目は、できることならば人間の食生活から肉食を絶つことで、
諸動物たちの殺戮(苦しみ)を止めたいからです。
557 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/03/11(日) 00:34:03.73 ID:kxy/9Lpr
>>528 まっ、基本的には否定せず!!
男と女の性差を認めて異なる役割があるものと見なすことと、
何でも男女を同一扱いする間違った平等主義とは違うのと同じですよ。
どの生命にも基本的には虐待せず、無益な殺生は慎むべきでしょうね。
ただし、どの生命もそういう意味の平等ではあっても、
その性質や役割、精神の発達レベル(喜びや苦悩の感受感応)というのはそれぞれに全く異なります。
人間を諸動物と同一扱いするのは正しくありません。
558 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/03/11(日) 00:35:37.05 ID:kxy/9Lpr
>>521 神智学は、覚者方自らによる直接的な教示ですから。
(一応、そういうことになっています)
>>522>>524 そんなことはないと思います。
Sn.最古層に絞らずとも原始経典の多くの部分ではその内容に一致が見られます。
大乗諸教の内容とは明らかに異なります。
原始経典と対比するならば、
お題目や六字名号で浄土行きが確実などといった話が出てくる筈がないと思うのですが・・・。
559 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/03/11(日) 00:37:28.61 ID:kxy/9Lpr
>>547 いえ、知りません。
もしも、「アセンションが云タラ・・・」などと語るような人だったならば、
それらニューエージ系の疑似神智学徒などと、
この私を一緒にはしないように。
>>549 >他宗教ネタを消化して用いる神智学のスタイルに忠実と言えます。
思想と教えの基本となる柱は原始経典におき、
修行生活に役立つものは、宗教の違いに限定せずその形態や手法は大いに利用させてもらいます。
更に言えば、世界中のあらゆる諸教の中では神智学と最も類似するのは密教(金剛大乗)です。
ここは思想の幅と懐が実に大きい。
>勤行しているという不動明王の位置付けも伝統的な立場とは異なります。
ご指摘のように、
伝統教義の基本についてはすべてある程度を把握しています。
が、その通りには真に受けていません(大きく部分的には)。
ただし、
勤行そのものは伝統宗派にほぼ完全に即したものであり、
また、なるべく略式にもならないように心掛け、
できる範囲で本式作法で誠意に取り組んでいます。
560 :
神も仏も名無しさん:2012/03/11(日) 00:46:31.32 ID:B4ZczwSP
>>555 >経典中には方便の種あかしはありませんよ。
>それをしたら脅し的な道徳効果は完全皆無になりますからね。
あなたが示すべきなのは、種あかしの無い方便、というものが
「釈迦の説法スタイル、仏教において」あるか、どうかです。
そもそも脅しに嘘を混ぜる必要はありません。
ただでさえ悪趣は恐ろしすぎるのですから。
釈迦は
他のもので十分代用できる(釈迦にとっては真実なのでこのような言い方は本人に嫌われるかもしれませんが)
もののために、真実でない見解を放置するような人間でしょうか。
>>560 奴隷の子は奴隷、バラモンの子はバラモン、ってのと同じだねw
↓
馬の子は馬、蛙の子は蛙、人間の子は人間。
↓
馬の来世は馬、蛙の来世は蛙、人間の来世は人間。
人が、生まれによって奴隷やバラモンであるように、そのように、
馬は、生まれによって馬であり、来世も馬となる。
蛙は生まれによって蛙であり、来世も蛙となる。
人間は、生まれによって人間であり、来世も人間となる。
同じだね。 特権意識から抜け切らない点では、四姓制度と同じだ。
563 :
神も仏も名無しさん:2012/03/11(日) 00:56:03.37 ID:B4ZczwSP
>馬の来世は馬、蛙の来世は蛙、人間の来世は人間
ヒンドゥーや仏教の教義でこう決まっているのを見たことが無いのですが、
出典はありますか?
564 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/03/11(日) 00:58:11.75 ID:kxy/9Lpr
>>560 これが私の本意です。
>>555 >>525 原始経典に詳しい不説さんへ
ジャータカ以外で、明確に動物などの下位生命への生まれ変わりをゴータマが説いた
という部分が本当にあるのならば、その部分の引用提示をお願いできますでしょうか?
(私にも読めるように和訳からで)
単に、ただの「畜生(道)へ生れる」という言い回しに過ぎないものは却下したいと思います。
象徴比喩にしか見えないので。。。
>>563 神智学では、ということ。
もとよりインド思想に於いては、転生先に限定はありませんw
566 :
神も仏も名無しさん:2012/03/11(日) 01:01:24.41 ID:B4ZczwSP
>これが私の本意です。
>>555 なにをどう訂正されているのか、示してください。
『あなたが示すべきなのは、種あかしの無い方便、というものが
「釈迦の説法スタイル、仏教において」あるか、どうかです。』
これは出せますか?
>単に、ただの「畜生(道)へ生れる」という言い回しに過ぎないものは却下したいと思います。
>象徴比喩にしか見えないので。。。
一方的すぎて意味がわからないです。
567 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/03/11(日) 01:03:00.17 ID:kxy/9Lpr
>>561-562 差別思想とは違います。
異なるものを異なるものとして正しく認識し、
その該等に合わせて正しく対応するという意。
これは、人がその行為に応じてバラモンともなり、
別の人間にもなれるという意味合いとは異なります。
>>567 だからw
それは、【インドの伝統ともそぐわない】ということです。
神智学は、所詮「西洋の下等生物管理計画」でしかないのですw
569 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/03/11(日) 01:14:52.75 ID:kxy/9Lpr
>>568 もとより、インド思想の絶対視を否定します。
インド思想絶対視の立場ならば神智学など無用。
570 :
神も仏も名無しさん:2012/03/11(日) 01:25:35.32 ID:Pj6x9M8I
>>569 非キリスト教的なヨーロッパ思想の典型が神智学でしょ
人間間しか認めない輪廻思想なんか、いかにもヨーロッパ人の好みだよ
前世研究のイアン・スティーブンソンは非神智学徒だが、輪廻は人間から人間へと続くものと断定している。
御前達に必要不可欠なのは神様の愛情だよ!?♪。
572 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/03/11(日) 01:33:32.96 ID:kxy/9Lpr
>>565 神智学では、人間界の転生と動物界とは区別されます。
動物界はオーバーソウル(超魂)といい、蛙は蛙にという限定はなく、
個々の一生命体の経験は死後、オーバーソウルへと還元され共有します。
また、人間のような一個人としての同一主体の転生はまったく認めていません。
>>566 実際、
「キサーゴータミーの譬喩」として知られる逸話ではこうです。
『我が子を亡くしたキサーゴータミーという女性に対して、「死者を出したことの無い家からカラシの種を
もらってきたら、その子が生き返る薬を作ってあげよう」と言う場面がある。キサーゴータミーは家々を回り、
どの家にも生老病死というものがあることを知って、釈迦の弟子となった。』(Wiki)
そもそも「方便」というのは、
嘘の正当化というものではなくて、本来、あくまでも「便宜的な手段」ということに過ぎません。
ゴータマは当時、巧みな話術で人々を魅了したのは間違いなく、
時には“嘘も方便”ともいいますが、諭しと導きのためには比喩や創話を積極的に使ったのでしょう。
>一方的すぎて意味がわからないです。
具体的にハッキリと述べた部分の提示を希望するということ。
「鹿に生れてこうなったあーなった」といった感じの具体的な事例話です。
やっぱ神智学って”特別”を作って陶酔する娯楽なんだな。
生き物の中で”特別”な人間である私、人間の中でも神に近い”特別”な私、
と考えるだけで喜べるのだから金がかからなくて良いやね。
574 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/03/11(日) 01:55:33.63 ID:kxy/9Lpr
>>573 輪廻転生というのは“進化のプロセス”を現実のシステムとして機能している状態を示します。
肉体次元では進化論的な見解が基本。霊的次元では主体(魂)の転生です。
進化は形態の進化、そして精神の発達と進化へと成長を続けます。
要するに、これは最初から一定のスケジュールに沿って進んでいるのであり、
偶発的な奇蹟(偶然の賜物)ではありません。
大変、申し訳ありませんが、
仏教というのは輪廻転生のメカニズムが何故、このように作用しているのかについては説きませんでした。
あるのはただ、タンハー(執着)が起動因となっているというのと無明に基づくといったものだけ。
元々、仏教というのはその性質からして、そのことを解明したり、
詳細な解説を説くといった宗教ではないのですよ。
神智学はまったく違います。
これは真実を求める者だけに提供された近代の教えです。
2600年前の古代インドで説かれたものが文字とした継承され伝承されてきたものとは全然、違います。
575 :
神も仏も名無しさん:2012/03/11(日) 01:58:19.95 ID:B4ZczwSP
>>572 キサーゴータミー本人は理解してますよね?
なにせ本物と向き合う羽目になってるんですから。
むしろ、種明かしが明快な例です。
576 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/03/11(日) 02:12:46.96 ID:kxy/9Lpr
>>575 まー・・・確かにね。
これは、
ゴータマがいうのだから、本当に死者の出ない家が1件くらいは実在するのか?と、
最初は半身半疑にも我が子の生き返りを願って(ゴータマの力なら生還可能かもしれんと)、
無我夢中で必死に探し回ったのでしょう。
しかし結果、そんな家がある筈がないものとさとらされ、心が落ち着き正気を取り戻した。
ゴータマのおかげで、有得ない無理な願望と悲しみの絶望からその母親自身が生還できたわけです。
そのことに納得して感謝でいっぱいとなって感銘したからこそ、この母親は弟子入りしたのでしょうね。
畜生への転生話が方便使用だったとしても、
そのことで、悪事に手を染めることなく歩め、おかげ様で「こうなってあーなった」と感謝こそすれ。
逆の、悪事に手を染めないで済んだけれど、
「あれは脅しで事実ではなかったのだな」などと怨む人はいないでしょう。
577 :
神も仏も名無しさん:2012/03/11(日) 02:19:13.91 ID:B4ZczwSP
恨むか恨まないか、という話ではありません。
事実でないものが事実としてまかり通り続ける、ということです。
578 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/03/11(日) 02:26:49.42 ID:kxy/9Lpr
>>577 それはあなた自身が判断することだと思います。
私は、ゴータマは動物への転生を事実としては教示していない、
と見なします。
経典の記述は、
ほぼすべてそのままに信じるという人も実際にいます。
一代氏はその典型であり、その筆頭株です。
私はそういう人を原理主義者と見なし、自分自身では思考できない人だとみます。
そういう人というのは信仰心は強烈に強く、たまたま仏教のような穏健な思想だから良いのですが、
これがたまたま攻撃的な宗教であった場合には、そういう人というのは戦争でもテロでもなんでもやります。
原理主義は狂信性を生じやすいのです。
579 :
神も仏も名無しさん:2012/03/11(日) 02:36:14.20 ID:B4ZczwSP
>>578 自分の考える論理性や一貫性に特定の古人をあてはめるのが
さほど賢い選択とは思えません。(無自覚な)偏見の投影とすら言えると思います。
580 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/03/11(日) 02:42:06.75 ID:kxy/9Lpr
>>552 あと、検討に値する経文があるのかどうか・・。
この件については不説氏からの投稿を待ちたいと思います。
>>564
581 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/03/11(日) 02:43:34.78 ID:kxy/9Lpr
久しぶりに書き込みいたします。
>>578 >原理主義は狂信性を生じやすいのです。
なるほど。私がカルトと付き合った経験から、この「狂信性」について一言・・
カルトに嵌った人間を救済する意味にあたってカウンセラーの手助けがいりますが、
この説得をしている最中に、カルトワールドに引き込まれてしまうことがあるんです。
こういうことはカウンセラーもよく分かっていて、必ず二名でやります。
一名は、引き込まれないように監視の役目です。
私は長年この研究をしてきましたが、俗的な意味では「カルトの魅力」というのが根底にはあります。
この魅力というのは、必ずカルトは「原理」つまり極端からくるもんです。
人間の心理というのは、白か黒か?または無か?な極論にピュアを見出してしまうのです。
病理的にも、こういったグレーゾーンの欠如した症状がある人間に
健常者が感応してしまう。ということも事例は多くあるようです。
(俗的には、こういう人間がそれ自体が魅力的で引き込まれるワールドをもっている)
しかしこの研究は非常に奥が深くて、ついつい嵌り込んでしまう精神世界の神秘ですね。
私はこの研究をできるだけでも、本当に生きていて良かった。
と思うくらいですから・・・
583 :
神も仏も名無しさん:2012/03/11(日) 11:24:08.86 ID:I8zJIl11
NHK教育テレビの「真理のことば」を視聴したのです。
日本の仏教(大乗仏教と言うのでしょうか?)とかなり異なっているのに驚きました。
念仏を唱えると極楽往生できるとか
春分・秋分の日に死者の魂が帰ってくるとか
・・・お釈迦様は仰っていないのですね。
どうして日本の仏教は変質してしまったのでしょうか?
カルトに嵌る人は心に隙があるんだよ。
構造として心を□と形作れば、凹だ形をしている。
カルトの構造は凸だ。 凸と凹みが合わさるから強固になる。
健全な宗教は□だ。
□と凹みを結合させても隙間ができる。
その隙間を埋めるものを探しているからこそ、カルトに嵌るのだよ。
悪質なカルトは□な心を凹み変質させ、凸以外と噛み合わないようにコントロールする。
その手段がオカルトパワー、オカルト視感を植えつけて超人願望を触発する手法だ。
神秘もクソもない、単純なトリガーレトリックだよ。
カルト患者の本質は超人になりたい、不安や不満を転化したい願望に過ぎん。
(お久しぶりじゃなイカ?→)机龍之介先生の場合は
◎すべては無である
◎すべては無であるのだから、心も無である
◎心が無なのであるから、禅定(瞑想)をおこなう必要がない
と言う妄執の念に取り憑かれて、そして、洗脳されているんじゃなイカ?
587 :
神も仏も名無しさん:2012/03/11(日) 12:30:44.26 ID:4UVnYl/1
>>583 まず、NHK教育テレビの「真理のことば」は釈尊の教えそのままではなく、
現代人に受け入れられやすいようにアレンジされたものであることを確認ください。
テーラワーダの仏教がどのようなものか知るためにはパユトー『仏法』
あるいは水野弘元『仏教要語の基礎知識』をご覧下さい。
その内容と大乗仏教は矛盾しません。ただ方便が広いので、道が多様なだけです。
その道の一つに念仏があります。
日本では平安末期から鎌倉時代に非常に社会的に混迷していたので、
簡略な方便として念仏や禅がとかれたと考えます。
先祖供養などそれぞれの地域の習慣を否定しないのが仏教です。
ですが、先祖供養などは仏教の本質ではありません。
それが形式化したのは江戸時代に徳川幕府の宗教政策として檀家制が採用されたからと思われます。
檀家制によって仏教は形骸化し弱くなりました。
次に明治政府が近代国家を建設するにあたって、国家神道を選択し神仏分離政策を採り、
富国強兵を掲げて国を挙げて西洋化を目指したため廃仏毀釈が行われ、
僧侶に妻帯令が出されました。その結果、寺院が世襲制になり、仏教は更に形骸化し弱体化しました。
ここに先祖供養が日本仏教の主たる役割となってしまった流れがあると思われます。
以上は制度的な問題ですが、より本質的には平安時代以降、聖者が激減したことにあると思われます。
それが時代が下がるごとに加速し、今に至ったと思います。
588 :
神も仏も名無しさん:2012/03/11(日) 13:23:39.44 ID:qHecl/8u
>>587 同じ人間を「聖者」と「凡夫」に区別した時点で、宗教として終わっている。
基本は1個人である釈迦ではなく、「一切衆生の衆生心」でなければ、「人間界」の
営みとしては無意味・無価値。
念仏や題目で悟りは開けん。
愚者を量産するだけ。
意味の無い行為で自己暗示してる過ぎん。
問題を隠蔽し、何の解決にならん。
>>586 >と言う妄執の念に取り憑かれて、そして、洗脳されているんじゃなイカ?
いやいや、私の研究というのは、そんな了見の狭いことを言うておるんではないのです。
@過去にDVを受けた恋愛をして、別れた後もなお未練を断ち切れない女の深層世界とか
A義父とともに幼児虐待を加担する母親とか
こういった社会的事例にも共通することなんですが、簡単な意味の「洗脳」とは違いますね。
例えば恋愛で説明しますと、崇高を求めるとすればそれは純粋(ピュア)なんでしょうね。
恋愛ってのは、ある意味依存なんですけど、このレベルの高さを求めるなら共依存になる。
それは地獄に堕ちます。
この地獄というのは麻薬的甘美な世界でして、ここで脳はプログラム(洗脳?)されてしまう。
真言立川流は私はあまり情報はありませんけど、究極を求めるなら
髑髏を抱くことが最も純粋なカタチなんじゃないですか?
これは@とかAにも共通している。
ただこういう世界に関心が出ますと、精神科医が
いつか患者のワールドに引き込まれてしまうような類似のリスクはありますが・・・
>>590 机龍之介先生
いやいや、私の研究というのは、そんな了見の狭いことを言うておるんではないのです。
@過去にDVを受けた恋愛をして、別れた後もなお未練を断ち切れない女の深層世界とか
A義父とともに幼児虐待を加担する母親とか
こういった社会的事例にも共通することなんですが、簡単な意味の「洗脳」とは違いますね。
− − −
◎阿頼耶識に深く刻み込まれる
◎阿頼耶識に深く刻み込まれた妄執の念を解(と)きほぐす
◎阿頼耶識に深く刻み込まれた妄執の念を解(と)きほぐす為に禅定(瞑想)を人為的におこなう
↑ こんな感じで良いんじゃなイカ?
>>591 カルトに心酔するメカニズムといふのは、
異性に惚れるメカニズムと共通する。といふことです。
魅力的な異性といふのは、意識的か?無意識か?
相手の心を操作する方法に長けている。
なんかありましたね?今裁判中ですけど、
出会い系で知り合った、プラモデル好きの独身男を上手く騙したブサ女が。
自殺に見せかけた殺人の疑惑事件です。
ああいうブサ女がモテルのは、容姿よりも精神世界に関係してくる。
あの女は精神分裂の可能性があります。
カルトの教義といふのも、精神分裂の要素が充分にあります。
そして人間というのは精神分裂に引き込まれる魅力を感じる。
詳しいことは長くなるから書けませんけどね。
>>592 机龍之介先生
西洋文明の心理学よりも
− − −
瑜伽(ヨーガ)の実践の中に唯識の体験を獲得して、教理にまとめ
とりあえず心(識)だけは仮に存在すると考え
深層意識の阿頼耶識が
自分の意識も
外界にあると認識されるものも生み出していると考え(唯識無境)
最終的には阿羅耶識もまた空であるとする(境識倶泯)
瑜伽行唯識学派(ゆがぎょうゆいしきがくは)の概念の方が優れているんじゃなイカ?
>>593 >瑜伽(ヨーガ)の実践の中に唯識の体験を獲得して
私は、識の体験について話しとるんですよ(苦笑
教条主義的に仏教を語ちてる訳ではない。
実際に識のメカニズムを分析するのも大事です!!
そうじゃないと・・
>◎阿頼耶識に深く刻み込まれた妄執の念を解(と)きほぐす為に禅定(瞑想)を人為的におこなう
「妄執の念」すら意味が分からんじゃないですか?
やばい
俺 法然や親鸞に洗脳され浄土3部よんで極楽浄土を信じてた
創作がファンタジーが救いな異教
>>595 「浄土は実際あるかどうかは分かりません」。と歎異抄に親鸞自身が書いておるのですから、
親鸞が騙してる訳じゃないでしょ?
> 実際に識のメカニズムを分析するのも大事です
識のメカニズムを分析する為には
西洋文明の心理学よりも
瑜伽行唯識学派(ゆがぎょうゆいしきがくは)とか
− − −
アビダンマ講義シリーズ
第5巻 業(カルマ)と輪廻の分析
ブッダの実践心理学
アルボムッレ・スマナサーラ (著), 藤本 晃(著)
出版社: サンガ (2009/07)
アビダンマとか、根本仏典による、心の働きの分析とかの方が優れているんじゃなイカ?
アルボムッレ・スマナサーラ
2ちゃんでは認めない人もいるらしい
小乗の本
>アビダンマとか、根本仏典による、心の働きの分析とかの方が優れているんじゃなイカ?
アビダルマは「心の動きを分析」したんじゃなくて、
有我と無我の矛盾性を、どうにか論理整合性で纏めたものですね。
論理の主軸が全く違うじゃないですか?
心理学という面じゃ、西洋のが優れてますよ。
なんでも東洋(インド)が良い訳じゃない。
五時八教説(天台)
阿含時
経典 - 増一、長、中、雑、小の阿含経、法句経などの南伝大蔵経
位 - 酪酥、蔵のみを説く漸教(秘密・不定教もあり)、誘引の教え
− − −
「『根本仏典は程度の低い小乗の教えである』と言う妄執の念に取り憑かれて、そして、洗脳されている」
↑ こんな感じじゃなイカ?
フロイト、ユングが?w
ヒッピー(英: Hippie)とは、伝統・制度などの既成の価値観に縛られた社会生活を否定することを信条とし、また、自然への回帰を提唱する人々の総称。
1960年代後半に、おもにアメリカの若者の間で生まれたムーブメントで、のちに世界中に広まった。彼らは基本的に自然と愛と平和と芸術と自由を愛していると述べている。
第1世代(1960 - 70年代前半)
彼らは伝統的な社会や制度を否定し、個人の魂の解放を訴えた。
伝統的キリスト教的価値観を否定し、
欧米においては東洋の思想・宗教が広く紹介され、
その系統を引くカルト宗教が多数創設され、社会問題化した。
モットーが "Back to nature" であったためにヒッピーの中には文明を否定して自然に回帰する者も現れ、
現在の自然保護活動家の中にはこの系統を引く者も少なくない。
− − −
バラモン(ヒンドゥー)、仏教の、南伝、北伝、チベット伝、後期大乗密教などの概念を基本として
西洋の心理学として取り入れている西洋の学者も、たくさんいるんじゃなイカ?
>>601 >「『根本仏典は程度の低い小乗の教えである』と言う妄執の念に取り憑かれて、そして、洗脳されている」
というよりも、そもそも「無我」について、どう理論体系を構築するか。
といふ問題に関し、それは結論からすると無理なんですよ。
理由は「無我」ですから主語自体が成り立たない。
論理学の発展したない古代のことですから、そいう時代においては
古典仏典は優れていたのでしょう?
ただそれだけのことですね。
ちなみに古典天文学においては、亀の上に像がいて地球を支えてる。
といふ学問もあった訳ですから。
なにもわざわざ古典に執着する必要性はない。
ノスタルジーに浸る。というのであれば別ですが・・・
世の中と個人と家族が明るく楽しくなるなら仏教でも何でもいいんです
>>604 仏教は無我って、どうして最初から結論をだしちゃうの?
> 仏教は無我って、どうして最初から結論をだしちゃうの?
− − −
机龍之介の場合は
◎すべては無である
◎すべては無であるのだから、心も無である
◎心が無なのであるから、禅定(瞑想)をおこなう必要がない
と言う妄執の念に取り憑かれて、そして、洗脳されている
− − −
ちなみに、私の場合は
◎プトガラ(人我)
◎心相続
◎阿頼耶識
肯定派で、ございます!
http://semi.natura-humana.net/2003/contents/genzemi/bunken/2004-aki/abidaruma.pdf 仏教では輪廻もまた、無明(avidoya)によって生起した迷妄にすぎず
そのゆえに、解脱とともに消滅してしまうのである。
だが、輪廻を否定すると業の主体や因果応報、また人格の連続性を否定されてしまう。
そこでアビダルマで考え出されたのがプトガラ(人我)という考え方であるが
『ミリンダパンハー』では、このプトガラの存在を認めず
かわりに業の相続、つまり行為の連鎖的持続という考え方で
この難問をかわしたと考えられるが、これではまたアビダルマの
小乗的な法の恒有に戻ってしまうのではないだろうか。
そこで、このアポーリアをクリアするために
仏教の深層心理学である唯識思想が登場してくる。
(アビダルマは大乗仏教への架け橋 世親もここから出発している)
唯識では阿頼耶識という無始以来のすべての有情の
記憶が(大脳新皮質と古皮質の問題と考えあわせると興味深い)存在し
それが末那識(いわゆる無意識層)に働きかけ
結果的に意識上に表象された(業によって影響されているが)世界
つまり、識転変こそが我々の認識のすべてである、世界そのものであるとする。
業(行為)はまた、その阿頼耶識に沈潜されて上記のプロセスを経ることで
我々の業を形成し続け、無明の世界の我々の存在となる。
>>606 中道と有我では、そもそも論理整合性は成り立たない。
論理学的考察ならば、そもそも「主語とは何か?」まで言及しなければならない。
ここではその説明は割愛しますが。
この流れを引き継ぎ、仏教論理学で一大飛躍を遂げたのが中論発表かとおもいます。
中論で「主語とは何か?」を考察していけば納得がいくはずです。
>>607 そうだよね。自分で無我を体験したならわかるけど、
残念ながら無我は体験できないのだ (^^)
みなさんも脳みそぶっ壊れた人を一度見てみたら?
>>609 主語は「わたしは・・・」の「わたし」ですよ。
眼前に「わたし」がぶら下がっている。
スッタニパータ 1119
常によく気をつけ
自我に固執する見解を打ち破って
世界を空なりと観ぜよ
− − −
中論を作った
龍樹(竜樹)先生とか
机龍之介先生とかは
『世界を空なりと観ぜよ』と言う空観によって
中論の領域に到達する事が出来たんじゃなイカ?
無我を境地としないなら仏教じゃないだろww
何言ってんだ。
わたしはいるんだが、何を隠そう、実はわたしはいないんだよなどと、
こんなことを言う人はどうかしていると思うのだがね。
空観を体感した事が無い場合は、『空観を理解できない!』
無我を体験した事が無い場合は、『無我を理解できない!』
と言う事で良いんじゃなイカ?
617 :
神も仏も名無しさん:2012/03/11(日) 19:22:40.58 ID:JNrxqoDF
>>613 1119、この詩の意味は微妙だと思う。613さんが書いた後に、
そうすれば死を乗り越えることができるであろう、と続く。
ということは、1119は、死を乗り越えたあとの境地ではなく、
それは死を乗り越える手段である、という意味になる。
>>612 「わたし」と認識するのに、どうプロセスを踏んだからか?
ってのは禅僧の関心があるとこで・・・
禅宗の論書が比較的多いのはこの為である。
とくに臨済録には、分かりやすく説明してある。
簡単に説明すると、条件(関係)がないと認識はできない。
この条件(関係)を切断して、人間実験をやったのがオウムのカプセルです。
この実験で騙されちまうのが・・・つまりアナタの論法です。
> 死を乗り越える
『禅定(瞑想)によって輪廻から解脱する事ができる』
と言う解釈で良いんじゃなイカ?
620 :
神も仏も名無しさん:2012/03/11(日) 19:34:06.63 ID:JNrxqoDF
>>618 違う違う。眼前に自分がぶら下がっているということは、
人間には自分自身を対象化する能力がある、ということですよね。
自分が自分に関係しているのです。
机龍之介先生の場合は
勝義諦としての説明は出来るけど
世間諦としての説明は出来ない
↑ こんな感じなんじゃなイカ?
>>620 >人間には自分自身を対象化する能力がある、ということですよね。
そこに既に論理矛盾があるんじゃないですか?
何故なら、そもそも対象化するものがなければ自分はない。
ってことですから。
無我で、なにかの条件(関係)がなければ無我のまんまですよね。
じゃあ無我でいいんじゃないですか?
机龍之介は、そう言っておるんです。
>>621 んなことはないですね。
私はキチンと世間締で説明しとるではないですか(笑
まあ、
>>622をよぉおく読んでみなされ。
世間諦
↓
世俗諦
↑ 訂正して、お詫び申し上げます
>>619 世界を空なりと観ぜよ、であり、
この文章は、そう観じたらどうなるのかが抜けている。
次の文章では、死を乗り越える、と言っているが、
世界は空だ、とは断言していない。
626 :
神も仏も名無しさん:2012/03/11(日) 19:47:56.71 ID:Ot6zbXLi
>>613 >常によく気をつけ
>自我に固執する見解を打ち破って
>世界を空なりと観ぜよ
「固執する」「観ぜよ」という言葉から、「自我」と「世界」の実体を前提として
いることが判る。これでは「無我」でも「空」でもない。「よく気をつける」者は
誰か?「我」以外の何者でもなかろうw。
>>622 論理矛盾ではなく、そうやって生きているではないですか。
たとえば、反省することは、自分を対象化(客観化)することですね。
反省も後悔も、無我ではないから可能なのですよ。
本日は「無我」について書き込みしましたけど、
また何かの御縁がありましたら、お会いしましょうね。
では、お休みなさいまし。
無我を掲げていない大乗仏教は、どこに存在しているのでしょう?或いは、過去どこに存在したでしょう?
無我を掲げていない日本仏教は、どこに存在しているのでしょう?或いは、過去どこに存在したでしょう?
有我を掲げる大乗仏教は、どこに存在しているのでしょう?或いは、過去どこに存在したでしょう?
有我を掲げる日本仏教は、どこに存在しているのでしょう?或いは、過去どこに存在したでしょう?
空観を体感した事が無い人の場合とか
無我を体験した事が無い人の場合とかは
手に取って触れて目で見えるものは
『そこには何かが有る!』
『そこには何かが無い!』
と言う妄執の念に、とらわれている
− − −
ちなみに私は妄執の念に、とらわれているので
『
>>622をよぉおく読んで』も意味が理解できないんじゃなイカ?
>>626 そういうこと。
釈迦はアートマンを認めていた、ということだね。
>>629 無我を掲げない仏教は、2500年の歴史の中、世界のどこにも存在しないのです。
無我という看板を下げることができないから、
「プドガラ」や「阿頼耶識」といった、別称、言い換えを用いるしかなかったわけです。
「?」や「隠居」は、ここのところが判っていないわけですw
そして、無我と言われる時の「我(Atman , attan)」は、
《日常的な「人称」》或いは《自己を思弁に際して対象として他から区分するときの「自称」》ではないのです。
ここが分別できない限り、仏教は理解できませんし、また仏教である意味もありません。
神智学でも勉強した方がマシでしょうw 人には向き不向きというものがあります。
「?」も「隠居」も、神智学を学んだらどう?
多分、貴方がたにぴったりの教義内容だと思うよw
>>606 >最初から結論だしちゃう
違いますねw
最初でなく、様々な可能性を模索した上で、尚見つけられなかったから、
「最終的に」出された結論なんですよ。
順番がまるっきり逆ですw (´∀`)b
世界を空なりと観ぜよ、であり、
この文章は、そう観じたらどうなるのかが抜けている。
次の文章では、死を乗り越える、と言っているが、
世界は空だ、とは断言していない。
− − −
スッタニパータ 1119 の場合は
世の中の真理を説明しているのではなくて
「『世界を空なりと観ぜよ』と、このような方法によって禅定(瞑想)をおこなって下さい」
と言う禅定(瞑想)法についての説明なんじゃなイカ?
>>627 >論理矛盾ではなく、そうやって生きているではないですか。
そうです。たしかにアナタが書いたことは正しいです。
世俗的に正しいことを世俗締といい、別に仏教は否定してないのです。
しかし、
世俗的に「正しい」ことが、全てに「正しい」とうことには繋がらんのです。
だからこそ仏教では勝義締というのがあるのです。
ちなみに
>>622は勝義締です。
なんで気をつけると注意すると我になるんだい。
水槽に墨汁を垂らした
墨汁が水槽に広がる
その水槽が黒く染まる現象は我かね?
637 :
神も仏も名無しさん:2012/03/11(日) 20:14:15.78 ID:JNrxqoDF
>>632 考え過ぎだよ。いつも使っている「わたし」こそアートマンであり、
これ以外にアートマンはいない。これを対象化(客観化、区別)できるのは、
意識、マナ識、アラヤ識の層が存在しているから。
638 :
神も仏も名無しさん:2012/03/11(日) 20:15:47.17 ID:r0n6LFVE
当時半島からわたってきた渡来人が
日本人を心の中まで支配しようと持ち込んだ
精神兵器をいまだに真剣に思考する必要があるのだろうか
639 :
神も仏も名無しさん:2012/03/11(日) 20:15:59.10 ID:Ot6zbXLi
>>632 釈迦の「無我」が誤っていたということ。いくら足掻いても無駄ですよw。
釈迦がいくら「無我」を唱えてみても、その主体は釈迦の「むき出しの我」です。
神智学は、小乗仏教と同様、その釈迦を盲信するカルト。
> 「よく気をつける」者は誰か?「我」以外の何者でもなかろう
◎変化的生存
◎プトガラ(人我)
◎心相続
◎阿頼耶識
↑ これを肯定的に捉える解釈で良いんじゃなイカ?
642 :
神も仏も名無しさん:2012/03/11(日) 20:22:18.11 ID:Ot6zbXLi
>>636 >その水槽が黒く染まる現象は我かね?
「我」が現象を観察しなければ、現象はない。すべての人間が同時に死に絶えた
と仮定したとき、この世界は実在するか。その実在は誰が証明するのか。
典拠によらなければ、結局個々の素朴実在論の押し付けあいになるってことに気がつけよ
> 釈迦はアートマンを認めていた、ということだね
バラモン(ヒンドゥー)の場合
『アートマンは、絶対不滅、常住不変である!』
仏教の場合は
『渇愛(タンハー)が残っている場合は、変化的生存が、輪廻を繰り返す!』
645 :
神も仏も名無しさん:2012/03/11(日) 20:32:20.26 ID:Ot6zbXLi
>>643 その典拠(釈迦)自体が明らかに誤っているのだから、典拠にいくら執着
しても、意味がない。
人類は、専ら、素朴実在論によって生存してきたのですよw。釈迦もイエスも
その他のすべての宗教信者も同じ。
>>642 我が無くとも現象は起きる。
我は現象ではないし、現象は我でもない。
観察することで現象を知るが、現象を見なくても現象はある。
在るが無い、無いが在る。
「我」が現象を観察しなければ、現象はない。
すべての人間が同時に死に絶えた、
と仮定したとき、この世界は実在するか。その実在は誰が証明するのか。
− − −
瑜伽(ヨーガ)の実践の中に唯識の体験を獲得して、教理にまとめ
とりあえず心(識)は仮に存在すると考え
深層意識の阿頼耶識が
自分の意識も
外界にあると認識されるものも生み出していると考える(唯識無境)
↑ 瑜伽行唯識学派(ゆがぎょうゆいしきがくは)の概念と共通するところがあるような気がする
648 :
神も仏も名無しさん:2012/03/11(日) 20:44:54.88 ID:Ot6zbXLi
>>646 >現象を見なくても現象はある。
「我」が知覚しなくて、どうやって「ある」ことが判る?あまりアホなことを
言ってはならない。君は「現代人」であることを忘れないように。
知覚しようが
知覚しまいが現象はある。
見なくてもリンゴは落ちる。
見ないとリンゴが落ちないのかね。
650 :
神も仏も名無しさん:2012/03/11(日) 20:50:08.19 ID:r0n6LFVE
なぜ仏教をやるか
暇だからである
>>648 判るとか、判らないとか、そんなことに関わらず在るから実在なんだよ。
人間の認識に依存しなければ実在しないだとか、思い上がりもほどほどに。
652 :
神も仏も名無しさん:2012/03/11(日) 21:25:28.08 ID:opODRCUx
wwwwww
隠居がまた馬鹿喚いてる
はい、
>>651 の人が正解ww
653 :
神も仏も名無しさん:2012/03/11(日) 21:27:58.44 ID:opODRCUx
ID:tArGlX+G
この人も正解ww
654 :
神も仏も名無しさん:2012/03/11(日) 21:28:52.91 ID:opODRCUx
んで、
→ 隠居はキチガイ
これにて終了〜〜〜〜〜〜www
プドカラを認めようと認めまいが
無我を宣言するからには
無我を知覚する「何か?」があるのだ
そう常識的に判断せざるを得まい
無我さえ感じぬ無我も同様
実際のところ、これは「知りえない」という真理なのである
金剛般若経などでは
「およそ求道者は生きているという思いも個人という思いも持ってはいない」
とされる
「悟った」とは「悟っていない」ことにほかならず、ゆえに「悟っている」のである
そして如来とは「知ろうとしても知られない」などと説かれている
プドカラ、アートマン、輪廻の主体、その他なんでもよいが
これらの「記号」ではなにも表現しえない「何かが」なければならない
いずれにせよ「悟った」という思いのある者は、個人やら自己の人格、個我性へのとらわれ
我執、妄執、生きているという思い、二元性へのとらわれが有ることになる
ゆえに文字ズラ上では「悟っていない」者こそ「悟っている」と言える
「悟り」も「悟る者」も「悟りへの道」もない
いわゆる「空」だが、これもただの記号にすぎず普通の人間の認識対象ではありえない
結論は「理解不能」なのである
656 :
神も仏も名無しさん:2012/03/11(日) 22:21:03.58 ID:r0n6LFVE
普通とか
公の言葉を
高々何千とある宗教のひとつに過ぎない
バカ仏教が気安く使ってはいけない
おごってはいけない
趣味の世界で楽しんでください
657 :
神も仏も名無しさん:2012/03/11(日) 22:24:54.36 ID:JNrxqoDF
>>655 もっと素直になろう。わからんものはわからん、と言おう。
空など空論だよ。時間潰しでしかない。
>>655 >無我を知覚する「何か?」があるのだ
ここから既に倒錯してるわけです。
(一代は、部派(≒アビダルマ的)の分析厨っぽいと批判するかもしらんがw)
五蘊が立てられている点にもっと注目しようず
根境(識)の和合という意味を、もっと掘り下げてみようずw
なぜ「縁起」が言われたか、もっと真剣に考えてみようずw
いや、だから素直に「理解不能」と言ってるんですが・・・?
>>655 思いなんてもんはフィクションの城郭だ。
記憶に向かって在ると叫ぼうが
記憶に向かって無いと叫ぼうが
単なるの記憶や妄想の塊にすぎん。
記憶や妄想で揺らぶられる感情のゆらぎなど本質的には無いものだ。
在ると信じこんでいる我
それこそが無いってこったろ。
661 :
神も仏も名無しさん:2012/03/12(月) 00:56:53.91 ID:0vozjise
>>655 >無我を知覚する「何か?」があるのだ
心によって体、感覚、概念、意思作用、識別作用が「私」でないことを知る。
そして心は四つの蘊の集合体であり、変化してやまない。心が止めどなく変化するのは日常的感覚からも自明。
>「およそ求道者は生きているという思いも個人という思いも持ってはいない」
ある”モノ”や”想念”が実在するという想いを捨て、世界を空と見て修行するからね
>そして如来とは「知ろうとしても知られない」などと説かれている
ソースを教えてくれないか?
>結論は「理解不能」なのである
典型的な悪取空じゃね
662 :
神も仏も名無しさん:2012/03/12(月) 01:04:27.17 ID:DGdUmnqb
>>651 >判るとか、判らないとか、そんなことに関わらず在るから実在なんだよ。
その「在ること」の証明をドーゾ。宗教的にも、最も重大な問題でしょ。
先日、臨済宗の修行者でもある大学の物理学の教授と飲んでいた際、「先生、
この目の前のビール瓶の実在を証明してください」と言ったら、眼白黒だったw。
>>662 認識力の限界と実在の有無を取り違えてるね。
人の認識には限界があるという点で証明不能の証明がされてる。
宗教的には吹けば飛ぶよな些事ですよ。
664 :
神も仏も名無しさん:2012/03/12(月) 01:19:40.43 ID:DGdUmnqb
>>663 それぞれの動物の種属は、それぞれの認識能力しか有しない。
蝶にとっての世界は、人間にとっての世界とは全く異なる、と生物学者は
述べている。
「人間界」においては、「人間の認識力の範囲」で語ることは当たり前。
人間には、梟の視覚も犬の臭覚もない。彼等に「神」が知覚できれば、彼等
にとっては」神は実在するが、「人間にとっては」神は実在しない。
665 :
神も仏も名無しさん:2012/03/12(月) 01:20:30.59 ID:AsgN1BYv
>>662 >その「在ること」の証明をドーゾ。宗教的にも、最も重大な問題でしょ。
ホントにアホ隠居は何回言ってもわからんねww
元々、知能が低い上に認知症か?wwww
「証明」というのは、あくまでも人間が、ある事実、事象の蓋然性の
高さを他者に示して見せたことに過ぎないのww
ある事象の是非は、人間がその証明に成功しようが失敗しようが
全く関係なしw
細菌は人間がその存在を証明したから、いるわけではないわけw
人間がその存在を証明した瞬間に細菌が誕生したのか?ww
そんなこと言うのは、アホ隠居のみww
大多数の健常な思考能力の持ち主は、「人間がその存在を証明する以前から、
細菌は存在した」と考えてるのww
全く、どうしようもねえな、このキチガイはwwww
>>664 実在は認識の有無を問わずに物体、あるいは事象として在るか無しかの単純な定義ですよ。
人間にとって実在しないのではなく、実在しないと認識しているだけです。
実在そのものとはまったく関係ないので言葉遊びはやめましょうね。
667 :
神も仏も名無しさん:2012/03/12(月) 01:24:39.42 ID:0vozjise
>>663 単純な話で、観測できないものが「在る」ってどうやって知ったの?
ソースplzって話だろ
○○の聖典に書いてあるからってのは、
「ネットで真実を知った」のとおなじくらい何の根拠にもならないことをお忘れなく
669 :
神も仏も名無しさん:2012/03/12(月) 01:30:36.18 ID:AsgN1BYv
他スレにも、隠居のような「強度の人間原理」を語るバカがいるがw
「存在に人間の認識は一切関係なし」・・・・
もし、「人間の認識」が、存在の必要要件であるとすると、
人間誕生以前の地球は存在しない。なぜなら、人間がその地球を認識
していないから。
では、最初の人間はいったいどこに誕生したのか?
それが、たとえどこであっても、そのような場は存在しえない。
なぜなら、人間がそれを認識してないから。すると、人間は永久に
誕生できなくなる。www
あれ? でも、現在、人間は存在しているなw
なら、最初の人間が誕生した「場」ってのは、人間が認識してなくても
あったわけだwww
以上、存在に人間の認識が関係ないことの論理的解説ねww
(これやると、いつも隠居は、何も言えずに逃走wwwww)
観測しないと世界はないらしいよw
星を観測すると星が産まれ
星を観測しないと星が消滅するのかな
>>664 w
人間と蝶を、鈴木さんと田中さんに置き換えてごらんw
貴方は664において、そのような「別個の存在間」での「認識の差異」を述べているのだから。
人間と蝶は、その認識範囲に違いがあるんだよな?
蝶が認識していて、人間が認識していない領域(存在・事象)がある、ってことだよな?
それと、鈴木さん(蝶)が隠している(認識している)エロ本(事象)を
田中さん(人間)は知らない(認識していない)わけだが、
そのエロ本は実在するのかい?しないのかい?
田中さん(人間)にとっては実在しないが、鈴木さん(蝶)にとっては実在する、とでも言うかい?
ならば、『認識していないものが存在する』という言明は成立するんだが?w
672 :
神も仏も名無しさん:2012/03/12(月) 01:43:56.06 ID:DGdUmnqb
>>665 >人間がその存在を証明した瞬間に細菌が誕生したのか?
その細菌が「何時」発生したかは証明できないのだから、結局、「人間による
知覚の時」という以外にはない。
新種のウイルスが続々と発生していることを知らないのw。
673 :
神も仏も名無しさん:2012/03/12(月) 01:44:19.85 ID:AsgN1BYv
ちなみに、この「強度の人間原理」を最も強く主張したのが、中世の
キリスト教の牧師さんw
彼も当然、周囲の者から「人間が全員、寝てる時には月は存在していないと
言うのか?」 と、突っ込まれた。 そこで、彼は、一言
「人間が見ていなくとも、神が見ている。」wwwwww
この強度の人間原理が、「神の存在証明」の理論だったことも、
アホ隠居は知らないんだろうなww
このバカ、最初は「人間原理」という言葉の意味も知らずに、頓珍漢なレスを
繰り返してたしwwww
674 :
神も仏も名無しさん:2012/03/12(月) 01:48:22.39 ID:AsgN1BYv
>>672 wwww やっぱり、真正のキチガイだwww
いいか? 普通の健常な思考の持ち主は、
「予め人間の未発見の細菌が存在していた」→「それを人間が発見した」
このように考えるのwww
「「人間が発見した瞬間にその細菌が誕生した」なんて考えるは
真正のキチガイだけwww
お前の周りの人間に聞いてみなwwwww
みんな、何か気持ち悪いもの見るような目付きするからwwwww
675 :
神も仏も名無しさん:2012/03/12(月) 01:51:13.77 ID:AsgN1BYv
こら、キチガイ隠居www
人類最初の人間が誕生したのは、どこだ?
答えてみいやwww
んで、どうして、その最初の人間はそこに誕生できたんだ?
誰も認識していないのに、そのような誕生の場 が、どうしてあったの?ww
誕生する前に発見する、生じる前に見る、殴られる前に痛がる。
高度なテクニックを世界は要求するんだな。
677 :
神も仏も名無しさん:2012/03/12(月) 01:55:46.99 ID:DGdUmnqb
>>671 知覚の経験は、「記憶」と「他者への伝達」が可能であることを、忘れては
ならない。
>>673 >「人間が見ていなくとも、神が見ている。」
その時点で、彼の存在論は破綻した。
人間にとって「ものが実在する」とは、(必要な場合には観測装置を使用して)
人間の五感で知覚できること、と定義できる。知覚出来ない対象が実在すると
信じることを、「妄想」と呼び、精神医学による治療の対象となる。
実在判定の補助的テストは、対象が人間の生命の維持に直接関係するか否か、
である。知覚異常者や宗教患者の妄想を排除するためである。
678 :
神も仏も名無しさん:2012/03/12(月) 01:58:34.08 ID:AsgN1BYv
>>677 はよ、
>>675 に答えんかい、キチガイ隠居wwww
また、いつものように、こそこそと逃走か?wwwww
認識が具象する世界では、最初の場所というものも認識した時点でコロコロと具象を変えるんだろうな。
ちょっと中学生気分になれそうな破綻世界。
680 :
神も仏も名無しさん:2012/03/12(月) 02:04:06.52 ID:DGdUmnqb
>>675 人類発生前のことは、あくまで、現在知覚できる物からの「推測」「想像」。。
「原初の地球の画」や「恐竜大百科のに出てくる恐竜」は、あくまで「想像画」
であるw。
発見
http://ja.wikipedia.org/ 発見(はっけん)とは、まだ知られていなかった(あるいは自分が知らなかった)事柄や物、現象、説明のしかたを見つけ出すこと。
英語ではdiscoveryや、findingなどを用いる。物品を新たに作るのは発明である。
実在ってそれ見たよ
ってだけの話。
見ることと 在ることは違う。
682 :
神も仏も名無しさん:2012/03/12(月) 02:08:56.46 ID:AsgN1BYv
>>680 誰が、人類誕生以前の地球の様子を語れと言ったか?wwww
また論点すり替えて、逃げ出すの?ww
俺が言ってるのは、
「最初の人間が誕生した場」というのは、(たとえそれがどのようなところでも)
どうして、誰も認識していないのに、そんなところがあったのか?
と聞いているの?ww
わかった? キチガイ隠居ww
はよ答えんかいwww
人類なんてあったかどうか目で見てないから分からないよね。
自分が死んだら全てが消える。
自分で見たもの以外認めない。
他の者が見たなんて、自分で見ていないからそんな事実も実在しないよね?
これが言いたいだけかな。
684 :
神も仏も名無しさん:2012/03/12(月) 02:16:15.41 ID:DGdUmnqb
>>681 西洋哲学でも、近時、唯識論(唯心論)が見直されているらしいよ。いかなる
哲学者も、「反論」は不可能だから。
世界を成立させているのも、人間の生命の機能としての五感の知覚である。
人間は、その五感で知覚できる世界の中でしか生存することができない。
これが「色即是空」されど「空即是色」の意味である。すべてが人間による
仮設であるから、仮設という言葉はもはや意味を失う。
>>539 承狂さん!
見っけ!w
最近、忙しいのか?
686 :
神も仏も名無しさん:2012/03/12(月) 02:18:19.36 ID:AsgN1BYv
隠居は底抜けのバカなので、再度くどいが
「人類最初の人間が存在するには、その『存在する場』というものが
必須なわけ。それがたとえどのようなものであろうとも、必ずいるわけ。
なぜならば、それがないと、その最初の人間が存在できないから。
しかし、同時にそのような場があったら、おかしいことになる。なぜなら、
そのような『場』は誰にも認識されたことがないから、あるわけがない。」
以上、強度の人間原理というのは、その主張自体に論理矛盾を内包しているんだよ、アホwww
見直されてるかどうか
自分で見てないのに、どうして見直されてる考えるの?
哲学者全員に直接会って、話を聞いたのかな?
文字が事実をは限らないし、五感で確かめてもいないでしょ?
688 :
神も仏も名無しさん:2012/03/12(月) 02:19:52.17 ID:DGdUmnqb
有神論者の君たちが唯物論者。無神論者の私が唯心論者。皮肉な逆説だねw。
689 :
神も仏も名無しさん:2012/03/12(月) 02:21:39.56 ID:AsgN1BYv
>>684 んな、ごタクはいいからハヨ答えんかいwww
690 :
神も仏も名無しさん:2012/03/12(月) 02:21:47.32 ID:DxgbSGuM
ヘルプアニマルズ 姦国犬肉 - 姦国からの手紙
姦国動物保護団体 CARE より
http://www.all-creatures.org/ha/kaps.html 食用とされる犬たちは捨て犬や盗難されたペットなど全ての犬が対象になっている。
劣悪な飼育方法とその間の拷問は言うまでもなく、屠殺方法にいたっては電流・絞殺
・撲殺・焼殺など残虐極まりない方法で行われている。
また、屠殺直前に殴打したり、絞殺しながら同時に焼き殺すという屠殺方法もある。
こうすることによって味が良いという見解があるからだ。
犬が食用とされる原因には「健康神話」(迷信)があり、「伝統」「慣習」などと言う
名目の元に「補身湯」「栄養湯」と呼ばれる犬鍋や、「補薬」と呼ばれる漢方的解釈の
飲料や酒にされている。(補薬には犬のみならず猫も利用されている。)
「犬食は姦国の文化だ。」と主張する人がいる。
でも、このように残虐極まりない形で生命を冒涜する行為は、ただの悪習にすぎない。
★姦国大使館へ意見を届けてください! メアド
[email protected]
>>684 人間の知覚・認識力なんて多寡が知れてんだろ?w
世界には、人間以外の数多の生物が居り、
それぞれが、人間以上(人間とは別種)の知覚認識によって世界を把捉しているんだよな?
そうした数多の生物と人間とは、漫画のような交わらない平行世界にいるのかい?
同じ世界にはいないのかい? それならいい。
君の言う通り、『認識されていないものは存在しない』と言えるだろう。
もし、平行世界でなく同じ世界に居ると仮定するならば、
人間が認識しないもの(他の生物が認識するもの)が存在することになるわなw
そこんとこ、どうなん?w
無神論な仏教徒ですが・・・
693 :
神も仏も名無しさん:2012/03/12(月) 02:24:39.04 ID:AsgN1BYv
>有神論者の君たちが唯物論者。無神論者の私が唯心論者。皮肉な逆説だねw。
結局、関係ない話をしだして、逃げ出すとww
いつものパターンかwwww
こそこそ逃げ出す位なら、始めから出てくるな、カスwww
694 :
神も仏も名無しさん:2012/03/12(月) 02:25:03.54 ID:DGdUmnqb
>>687 最近の哲学書を読め。新書でも出ている。たしか「観念論について」という
書名だったかな。
695 :
神も仏も名無しさん:2012/03/12(月) 02:26:17.99 ID:AsgN1BYv
ちなみに、俺も
360度、どっから見ても、バリバリの無神論者ですが?wwww
>>694 だからさw
五感で直接見ていないだから、哲学者が実在してるかどうかも怪しいし
そんな哲学書が実在してるのかも怪しいし、新書なのかも怪しいよ。
だって知らないのだから、実在していないんでしょ。
697 :
神も仏も名無しさん:2012/03/12(月) 02:34:39.33 ID:DGdUmnqb
>>695 君は無神論者ではなく、「知覚できない神の実在」を何とかして維持したい
からだけではないの。例の「宗教の黒幕」君か。
無神論者であれば、「人間が知覚できない神は、非実在」という結論にならざるを
得ないはずだが。
仏様は佛性があるから尊いのであって
神ではない。
699 :
神も仏も名無しさん:2012/03/12(月) 02:42:18.17 ID:AsgN1BYv
>>697 >君は無神論者ではなく、「知覚できない神の実在」を何とかして維持したい
>からだけではないの。例の「宗教の黒幕」君か。
wwwwww ば〜〜〜〜〜か、「神の実在」なんて、「ドラえもんの実在」と
同じくらいにしか思ってないわいww
俺が言っているのは、「存在は人間の認識に干渉されない」・・・・これだけ
人間が認識しようが、しまいが、存在自体に全く関係なしww
お前は、「人間の知覚」というものを「何かすごいもの」のように
「信仰」しちゃってるのwwww
だから、「生命教」と言われるんだよ、教祖さんwwww
こんな罵り言葉とかwwwwとか
やってる痛いくんはスルーしないと
相手してあげるだけ損、最初っから
荒らすためだけに来てんだから
>>696にどんな回答を寄せるのか期待したんだが・・・
この部分には答えず仕舞いなんだな。ガックリ
702 :
神も仏も名無しさん:2012/03/12(月) 02:59:44.14 ID:AsgN1BYv
>>700 ん? 新手のバカか?www
そんな総論的野次しか飛ばせないアホは、お呼びでないから消えなwww
704 :
神も仏も名無しさん:2012/03/12(月) 03:14:53.74 ID:AsgN1BYv
>>703 だからね、そうやって、「アホ、バカ」レベルのことしか
言えないアホは、このスレでは用はないのww
とりあえず、書き込みの瑕疵を指摘した上で、やりとりが成立するわけww
できないんでしょ?w
だから、そういうアホがいるところではないから消えなと言ってるのw
わかった?ボクちゃんwwww
705 :
神も仏も名無しさん:2012/03/12(月) 03:28:46.76 ID:DGdUmnqb
>>696 本は、五感で知覚したから購入して読んだだ。今手元に見当たらないが、先述
したように、五感の知覚の「記憶」は残っている。本が実在する以上、それが
人間が書いたものであることは、過去の五感の記憶から充分に判断できる。
佛教の「唯識論」が西洋哲学でも認められたことになる。
なお、人類の生命の発生以前のことは、人間には関係ない。考慮する必要はない。
存在論やっている宗教は佛教だけ。「眼耳鼻舌身」は、実在を成立させる五感。
「意」は五感からの入力を処理する器官。従って五感の一部。これらは、現代の
解剖生理学そのまま。「意」は意識だと誤解している仏教者が多いが、五感と並列
されているのだから、五感の統合器官、従って五感の一部と解するのが正しい。
キリスト教には、存在論は皆無。只、人間の肉体から超越した「神」を連呼している
だけ。仕方なく、知覚できるナザレ村の気の狂った若者イエスを、神の座に据えた。
お話にならない妄想宗教である。
707 :
神も仏も名無しさん:2012/03/12(月) 03:32:21.58 ID:AsgN1BYv
708 :
神も仏も名無しさん:2012/03/12(月) 03:40:22.40 ID:DGdUmnqb
>>699 >俺が言っているのは、「存在は人間の認識に干渉されない」・・・・これだけ
君は、日常生活において、物の実在・非実在を、一体どうやって判断している
のかねw。
709 :
神も仏も名無しさん:2012/03/12(月) 04:08:21.77 ID:AsgN1BYv
>>708 論点がずれてるがww
また、そうやって逃げるの?ww
「判断」は関係ないでしょ? それはあくまでも、人間側の問題に過ぎないのw
今の問題は、「判断」以前に、「実在、非実在」は、人間の認識、
すなわち、判断も含めて、人間の精神作用の干渉に左右されるか? って
ことww
そして、俺の見解は、「俺の判断にかかわらず」
ある対象の「実在、非実在」は決定される。 言い換えれば、
俺の死後も当然、地球は存在し続ける・・・ というわけww
俺の日常生活における判断など、全く「存在」に関して関係なしw
例えば、今、俺の頭上に鉄骨が落下しかけたとする。
それが、実在のものであれば俺は死ぬし、単なる妄想による幻視であれば
俺は死なない。 それだけのことw
俺がそれを実在するものだと「判断」したからといって、「幻視」が実在物
に変化することはないし、幻視だと「判断」したからといって、実在物が
幻視へと変わることもない。ww
いったいコイツは何がしたいん?
恥と無知を上塗りしたいだけのドMなん?
>>705 知らない=実在しない
であるなら
おいらがその本を知らない時点で実在してないことにならんの?
おいが貴方を知らないので実在していないことにならんの?
貴方には実在してても、おいらには実在していない。
では実在してるのでしょうか?実在していないのでしょうか?
712 :
神も仏も名無しさん:2012/03/12(月) 09:01:06.77 ID:b72a2gKD
>>709 >>711 人間界は徹頭徹尾共同体だから、実在の成立要件としての五感の知覚は、あくまで、
「不特定多数人(健常者)のほぼ同一の知覚」でなければならない。
知覚異常者、妄想患者、宗教患者の知覚を除外するためである。彼等は単に
要治療者に過ぎない。
自分だけが知覚したと思っても、その対象は、不特定多数人を連れてきても
同様に知覚できるものでなければならない。
日常生活における経験から帰納しなければ、何を以って論理の「正しさ」を
判断するのか。
兎に角、君の目の前にPCが実在するとはどういうことか、から始めるとよい。
>>712 ではパプアを例にあげようか
パプアニューギニアの国民、512万人は
貴方の存在を知らないし、その本を知らないし、貴方の発言も知らない。
512万人が知らない貴方は実在するの?
貴方を知らずに産まれ、貴方を知らずに死ぬ。
貴方は実在してるの、してないの。
714 :
神も仏も名無しさん:2012/03/12(月) 09:18:20.31 ID:b72a2gKD
>>709 「精神作用」ではなく、「何物かが実在するか否か」の判断はは五感の知覚のみ
で足り、精神の介入を要しない。「その何物かが何である」かは、共同体における
合意とそれに基づく自己の過去の知覚の記憶、即ち精神作用による。
いずれにせよ、「神や霊」は不特定多数人のほぼ同一の知覚で知覚できないから、
人間にとって実在しない。それを「空想」「妄想」「幻覚」と呼ぶ。
715 :
神も仏も名無しさん:2012/03/12(月) 09:23:52.61 ID:b72a2gKD
>>713 パプアの人々が来日すれば、知覚できるだろうw。
パプアの人が知覚していなくても、日本の不特定多数人が知覚できるだろう。
いくら「我思う、ゆえに我有り」と思っても、他者が我の身体を知覚しなければ
「我は無い」。従ってデカルトのコギトは誤り。西洋哲学の誤謬の根源である。
717 :
神も仏も名無しさん:2012/03/12(月) 09:42:22.82 ID:AsgN1BYv
>>714 そういう「お前の妄想」はいいから、早く
>>682 に答えんかいw いつまで逃げ回るんだ?ww
718 :
神も仏も名無しさん:2012/03/12(月) 09:45:41.31 ID:b72a2gKD
>>716 来日しなくても、日本の私の周囲の人々に電話で問い合わせれば判る。「知覚
の経験は、記憶と伝達が可能である」。
君たちがいくくら足掻いても、「神や霊」は不特定多数人のほぼ同一に知覚
できないから、「実在」ではなく、「非実在」「空想」「妄想」である。
なお、目の前のPCの知覚に自信が無い場合は、そのPCで自分の頭をぶん殴って
こぶや出血が生じるか、最悪の場合に死ぬかどうかを試してみればよい。これ
が「生命の維持に対する直接の影響」という、知覚異常者、妄想患者、宗教患
者用の「補助テスト」である。健常者は五感の知覚のみで足り、この補助テスト
は不要である。
無人島に>714が遭難し10年後そこで死んだ。
運悪く火山により死んだ痕跡も消えた。
無人島だから714を知覚出来る第三者が存在しない。
714は実在してるのでしょうか、実在していないのでしょうか。
第三者の合意がないので、遭難した時点で消滅したのでしょうか。
>>718 存在を知らないのにどうやって電話をするのでしょうか?w
721 :
神も仏も名無しさん:2012/03/12(月) 09:52:17.75 ID:AsgN1BYv
>>718 誰も、神様のことなんか話していないが?ww
んな、妄想はいいから、はよ答えろやww
「最初の人類が誕生した『場』というのは、誰も知覚していないのに
何であったわけ?」 www
722 :
神も仏も名無しさん:2012/03/12(月) 09:58:33.37 ID:b72a2gKD
>>717 >
>>682 に答えんかいw いつまで逃げ回るんだ?
とっくに答えているだろ。前レスをよく読め。
人類の生命の誕生前のことなど、人間には無関係。考えるだけ、時間の無駄。
1億光年前の星のことを調べて、一体何の役に立つ?wそれよりも、「自分の
肉体」をいう小宇宙のことをもっと知るべきだろう。爪の先だけでも、すべての
宗教の教典を集めても解き明かせない神秘が宿っていることを知れ。
君がいくら足掻いても、「神や霊」は実在しない。
723 :
神も仏も名無しさん:2012/03/12(月) 10:09:18.95 ID:AsgN1BYv
>>722 どこが答えているんだ?wwww
>考えるだけ、時間の無駄
>一体何の役に立つ?
wwwww 答えられないから、「役に立たない」だの「考えるのは無駄」
だの言って、逃げ回ってるだけだろうがwwww
「人間が知覚していないものは存在していない」→「ならば、最初の人間
の誕生した『場』は、どうやって存在したのか?」wwww
お前の説などは、始めから破綻しているのww
>君がいくら足掻いても、「神や霊」は実在しない。
もう昨夜のこと忘れたの? ニワトリ隠居ww
俺は、「神の実在なんて、ドラえもんの実在並みに、信用してない」
と言ったの、忘れたの?ww
反論できないから、俺を有神論者にして逃げようとwww
全く、どこまで姑息なんだろうね、このカスはww
>>722 カミオカンデが建造される前までは
ニュートリノは実在しなかったの?
電気を発見する前は電気なかったの?
ビッグバンという仮説にもとずき
宇宙の生成と壊滅、膨張と収縮を考慮して存在論を論じるに
これらとまったく関係ないところに真理は隠されてはいないか?
いわゆる虚空、「空間そのもの」は宇宙の活動とは何ら関わりなく存在するのではないか?
それゆえ「存在は認識を必要としない」という発言には一理あると思う
726 :
神も仏も名無しさん:2012/03/12(月) 13:41:22.61 ID:b72a2gKD
>>723 生命発生前のことは、発生後の生命の知覚に基づく推測・想像。何ら証明
はされていない。太古の地球の画も恐竜の画も、あくまで「想像画」。
無神論者なら、何故それほど「知覚できない物の実在」に拘るのか?
>>724 「何時から実在したか」の証明は不可能だから、「知覚時」とする以外には
方法が無い。
>>726 知覚は実在の証明にならないので、そもそも実在の有も無も証明不能だと気づきましょう。
>>726 知覚時から?それは現在ですね。
カミオカンデは16万光年先のニュートリノを捉えましたが
現在から16万年前に遡り、知覚のための現象が起き
やってきたことになりますね?
タイムパラッドクスになりますよ?
729 :
神も仏も名無しさん:2012/03/12(月) 14:03:47.65 ID:b72a2gKD
>727
君は、目の前のPCの実在を一体どうやって確認しているのか。朝から晩までの
生活において、物の実在と非実在を一体どうやって確認しているのか。
よーく考えて発言すること。
見えない物が実在すると思うのなら、その物で自分の頭をぶん殴って、生命の
維持に危険が生じないか否かを試してみよ。何の危険も生じなければ、その物
は非実在・妄想であったことが証明できる。
存在しないものが大勢に知覚・追認されるのはありえない。
つまり、知覚・追認される一秒か、コンマか小数点が物凄く並びまくるか、
僅かでも知覚・追認されるよりも過去にその存在は実在する。
というか、このやりとりも何度も繰り返されてるんですけどね。
論破されてもご隠居は何度も脳味噌をリセットしますが。