☆ 卍 仏教 @ 質問箱 卍 ☆ パート30

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448神も仏も名無しさん
>>426
最初の世代(の自己意識)は感得方式だったでしょうね。
「ヴェーダ 聖仙」で検索されたりすると、インド的な伝統として掴めるところはあるかと。

感得(真理を感受し文章表現へ「翻訳」)だからこそ阿含経と異なる記録であっても問題とされなかった。
法華経に書かれたような情景が事実なら、弟子たち信者たちの記録や記憶に残らないはずがありません。
外部からすると、それは突っ込み所にはなったでしょうが、当人たちは上記の事情で問題としなかった。

しかし世代が下り、インド外にも仏教がつたわると、インド的発想ともともと無縁な人々の手で、
法華経をはじめとする大乗経典は阿含経と同じように当時の釈迦が語ったことにされ、説法の順番が云々されることになります。