悟りとは何か

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1Φιλοσοφ ◆d........o
     ∧ ∧
    ( *‘ω‘*)
     (⊃\)_________
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         悟り
2Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/28(火) 22:41:12 ID:OhjeRnwh BE:3077849489-PLT(13230)
このスレが1000になるまでに悟りをひらくお^^
3Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/28(火) 22:45:45 ID:OhjeRnwh BE:2393883078-PLT(13230)
 ブッダの悟りとは何かを考えてみましょう。ブッダの悟りを一言で表すなら
、すべての生ずる性質のものは滅する性質のものであるのだから、いっさいの執
着から離れなければならないというものです。

因果関係のこと言っているのか・・・
これからはじめるか・・・
4神も仏も名無しさん:2009/04/28(火) 22:54:43 ID:joDaXJN5
悟りとは迷わないことです。
口だけでは簡単です。
では実際に迷わない人がいるかといえばいません、
5Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/28(火) 23:03:16 ID:OhjeRnwh BE:1538924966-PLT(13230)
>>4
いや・・
おいらの目指している悟りはその悟りではないんだよ・・・
即身成仏に近い悟り・・・
能所識の止滅なんだお^^
6Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/28(火) 23:05:41 ID:OhjeRnwh BE:897706837-PLT(13230)
まずは・・・
自己の意識を宇宙の意識まで高めたい・・・
7神も仏も名無しさん:2009/04/28(火) 23:12:35 ID:joDaXJN5
密教的な悟りなのかな。
まぁ、がんがれ。
8Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/28(火) 23:20:31 ID:OhjeRnwh BE:769463429-PLT(13230)
宗教は何も知らない・・・
昨日仏教の唯識論を知っただけ・・・^^
9神も仏も名無しさん:2009/04/28(火) 23:32:10 ID:QlI0t8Vr
なんでも死んだ後にしか解らないみたいです

それが悟りなのだ
10Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/28(火) 23:37:13 ID:OhjeRnwh BE:512974962-PLT(13230)
それも一理あるね・・・
11神も仏も名無しさん:2009/04/28(火) 23:37:59 ID:joDaXJN5
でも、おまいの求めてる悟りとはちがうだろ。
初志貫徹がんがれ。
12Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/28(火) 23:39:31 ID:OhjeRnwh BE:1282437656-PLT(13230)
悟りへの第一歩・・・
観察からはじめるか・・・
よく見ること・・・^^
13Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/28(火) 23:44:06 ID:OhjeRnwh BE:1282437656-PLT(13230)
〔真実としては〕認識対象は存在しない(nirartha)にも拘らず、
〔凡夫に・とっては〕三種の分別(karpa-traya名称・自体・属性を設定すること
が存するのであり、あるがままの遍く智にとっては(=悟った智で見れば)それ
(認識対象)は存在しない


認識対象は存在しないだな・・・^^
実践実践^^
14神も仏も名無しさん:2009/04/28(火) 23:46:36 ID:QlI0t8Vr
んでも日本の昔の偉い人は悟りみたいな境地に到達した人も居たみたいで…

意を放ち 私を離るれば永遠不滅 なんだってさ?

(^ヘ^)なんのこっちゃ?
15Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/28(火) 23:47:02 ID:OhjeRnwh BE:1367933748-PLT(13230)
目の前の机・・・
存在しない・・・
なぜなら・・・
名称・自体・属性として・・
認識対象として存在してるからである・・・
16Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/28(火) 23:50:35 ID:OhjeRnwh BE:854958645-PLT(13230)
永遠不滅・・・

因をもたない存在は滅びない・・・
なぜなら果をもたないからである・・・

では因をもたない存在とは???

果て?

おいらうまいこと言ったかお^^?
17(^-^) ◆K3PkkhVAkA :2009/04/28(火) 23:54:08 ID:3IUJPHlM
こんなクソスレを建てるとそのうち親鸞会から落ちこぼれた人達が嵐に来るから気をつけてね
(^-^)
18神も仏も名無しさん:2009/04/28(火) 23:55:22 ID:U89LCEpk
神秘の世界もしらないのか、それはミラクルなんだよ。

現実ではないとか言い出す厨房がいるが、それは間違っていない
ただ無関係でもない、繋がっているからこそそこにある、
19Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/28(火) 23:56:57 ID:OhjeRnwh BE:341983542-PLT(13230)
悟りを開くのに団体に所属する人たちは何考えているんだろう・・・
悟りは一人で開くものだおぉおおおおおおおおおおおおおおおお^^
と開く前から言ってみた^^
20神も仏も名無しさん:2009/04/29(水) 00:01:52 ID:QlI0t8Vr
う…?ソクラテスは野っぱらで三日くらい立ちんぼして悟りを拓いたらしい

キリストはイチジク 釈迦が菩提樹だっけ

現代でいえば深夜のコンビニ行って悟りを拓いた気分なのか?
21Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/29(水) 00:02:14 ID:gc9q24Eh BE:854958645-PLT(13230)
悟りを開く近道は・・・
即身成仏か薬か・・・
どちらかだろうね・・・^^
22Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/29(水) 00:03:52 ID:gc9q24Eh BE:1154193293-PLT(13230)
そういえば・・・
離脱体験も悟りのうちに入るのかな・・・
23Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/29(水) 00:06:07 ID:gc9q24Eh BE:3462580499-PLT(13230)
悟りを開きたいけど・・・
おいらの肉体がね・・・
足をおもいっきりひっぱっているんだお^^
24Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/29(水) 00:08:45 ID:gc9q24Eh BE:1538924966-PLT(13230)
ここ何回も書き込みしても規制されないね^^
天国みたいなとこだお^^
7回書き込みすると規制されて書き込めない板あるからね・・
おそろしいお^^
25神も仏も名無しさん:2009/04/29(水) 00:08:46 ID:eQRIIDQD
最近スターウォーズシリーズ見直してヨーダの説くフォースの暗黒面が、こんな深い意味を持っていたなんて初めて知ったのだよ
今生きる我らにも無関係ではないよーな気がしたし…
何故に心は悪いには簡単に引き寄せられ易くて 良いからは遠ざかるんじゃあ?
なんでやねん?
26神も仏も名無しさん:2009/04/29(水) 00:11:06 ID:Rh/9rMXR
悟りとは - はてなキーワード
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%B8%E7%A4%EA

簡単に言えば顔を隠したコスプレ女装写真を日記等のサイト内に掲載する行為の総称。
通常「悟りを開く」「悟りを開いた人」または単に「悟りました」などの形式で言及される。*1
2004年1月12日にあるサイトの日記で公開された、男がメイド服を着た首から下の(顔の部分を含まない)写真が発端となり、
同年2月ごろから一部の日記、blogサイトにて流行し始めた。
明確な定義はされていないが、顔を出さないことと女性ものの服であることが必須条件であり、
服はメイド服やコスプレ衣装などの萌え被服であることが基本である。
動機は様々であるが、多くは萌え服(または可愛い服)への愛着とTV(トランスベスタイト)の一種であると思われる。

関連語
 天竺 …… 顔まで含めた写真を掲載する行為。
 悟レイヤー …… 悟りを開いたコスプレイヤー
27(^-^) ◆K3PkkhVAkA :2009/04/29(水) 00:12:13 ID:uLWfqvPK
>>23
すごく太ってらっしゃるんですね(^-^)
28神も仏も名無しさん:2009/04/29(水) 00:14:47 ID:eQRIIDQD
魔裟斗くらい強くても悟ったとは言えんし アインシュタインくらい頭良くても悟りじゃ無いんだからなあ
んでゲイツくらい大金持ちでも悟りじゃ無い…

悟った実物を見てないだけに都市伝説みたいだ
29神も仏も名無しさん:2009/04/29(水) 00:16:23 ID:Rh/9rMXR
悟り
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%82%9F%E3%82%8A

悟り(さとり)は知らなかったことを知ること、気がつくこと、感づくことを言い覚りとも書く。宗教上の悟りは迷妄を去った真理やその取得を言う。

サンスクリットでは「 बोधि bodhi ボーディ 」。日本語では「菩提」「開悟」「成道」(じょうどう:成仏得道の略)ともいう。
悟りを開いた者を「buddha ブッダ」といい、漢字で音写し「仏陀」「仏」としたり、「覚者」と意訳したりする。
真理(法)に目覚めること。迷いの反対。さとりは初期仏教から部派仏教あたりまでは究極目的であり、悟るためにさまざまな修行が説かれ実践される。
仏教の悟りは智慧を体としており、凡夫(ぼんぶ)が煩悩(ぼんのう)に左右されて迷いの生存を繰り返し、輪廻(りんね)を続けているのは、
それは何事にも分別(ふんべつ)の心をもってし、分析的に納得しようとする結果であるとし、輪廻の迷いから智慧の力によって解脱(げだつ)しなければならない、
その方法は事物を如実(にょじつ)に観察(かんざつ)することで実現する。これが真理を悟ることであり、そこには思考がなく、言葉もない。

大乗経典では、それ以前の教義と峻別するために「覚り」を超えるものとして「阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい、原語Anuttara samyaksaMbodhi)」
「無上正等正覚(むじょうしょうとうしょうがく)」を措定している。
30神も仏も名無しさん:2009/04/29(水) 00:19:35 ID:Rh/9rMXR
悟りの意味の違いが宗教・宗派の違いであるということもできるが、
般若経などでは、「覚り」と「悟り」は別のものとして使い分けられていたが、
現代日本の仏教界(この記事を含む)では混乱して使われている。

釈迦(しゃか)は多くの哲学者や宗教家の教えを受け、苦行にも専念したが悟りを得られなかった。
そこで今までの修行法をすてて、尼連禅河(にれんぜんが)で沐浴し身を清め、
村娘スジャータから乳粥(ちちがゆ)の供養(くよう)を受けて河を渡り、対岸のピッパラ樹の下で坐禅をして禅定に入った。
その禅定がしだいに深化し、三昧の中で「三明」が顕れ、真理を悟ることができた。
これによって釈迦は悟った者(覚者)、すなわち「ブッダ(仏陀)」になったのである。

この悟りの境地を「涅槃(ねはん)」といい、それは「寂静(じゃくじょう)」であるとされる。
煩悩が制御されているので、とらわれのない心の静けさがあるということである。

また、悟りを求める心を菩提心という。悟りを求める点では部派仏教も大乗仏教も共通であるが、
自分のさとりを追求する部派仏教の場合、声聞(しょうもん)は四諦(したい)の教えを聞いて修行し、
縁覚(えんがく)は十二因縁を覚ってそれぞれ解脱するとする。
31Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/29(水) 00:22:20 ID:gc9q24Eh BE:1196942047-PLT(13230)
何故に心は悪いには簡単に引き寄せられ易くて 良いからは遠ざかるんじゃあ?

悪いって欲望のことかな・・
良いって欲望の反対??

また仏教では、眼・耳・鼻・舌・身・意(げん・に・び・ぜつ・しん・い)
の六根から欲を生ずるとする。また三界(無色界・色界・欲界)といい、
このようなさまざまな欲を持っている者が住む世界として欲界(よくかい)
があり、現実世界の人間や天部の一部の神々などがこの欲界に含まれる存在
であるとする。

なお唯識仏教では、欲は別境(べつきょう、すべて心の状況に応じて起こすも
の)で、そのはたらきに善・悪・無記(善と悪のどちらでもない)という3つ
の性(三性)を求めるとする。善欲は精進して仏道を求める心であり、悪欲は
貪(とん、むさぼり)として根本的に具わっている煩悩の1つとする。


32神も仏も名無しさん:2009/04/29(水) 00:22:28 ID:Rh/9rMXR
また「覚り」とも言い、部派仏教の旧訳(くやく)ではサンスクリット語「vitarka」の訳である。vitarkaは「尋」とも訳し、対象を推しはかって分別する麁(あら)い心の働きをいう。
一方、細かい心の働きを「vicaara」(旧訳では観(かん)、新訳では伺(し))といい、両者は対になって用いられる。この両者はともに定心(じようしん)を妨げるが、禅定の深まりによって消滅する。

大乗経典では「覚り」は「bodhi」の訳で「菩提」と音写され、覚り、もしくは覚りの智慧を表す。古くは「道(どう)」「意」「覚意」などと訳された。
大乗仏教では自分の悟りは他人のさとりを前提に成立するという立場から、六波羅蜜(ろくはらみつ)という利他行を実践する菩薩行(ぼさつぎょう)を強調する。
悟りは固定した状態ではなく、悟りの行は、自利と利他の両面を願って行動し続けることであり、自らの悟りに安住することなく、
悟りを求める人々に実践を指導するために活動し続けた釈迦の姿が想定されており、活動していくことに悟りの意味を求めているのが、大乗仏教の菩薩の特徴である。
そして菩薩の悟りは声聞や縁覚と違い、究極最高のものであるとして「阿耨多羅三藐三菩提」「無上正等正覚」、あるいは単に正覚と呼ばれる。
33(^-^) ◆K3PkkhVAkA :2009/04/29(水) 00:25:12 ID:uLWfqvPK
ね、親鸞会(笑)が出て来たでしょ(^-^)
34Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/29(水) 00:26:00 ID:gc9q24Eh BE:512975243-PLT(13230)
唯識仏教がおいらにはあってるお^^
35神も仏も名無しさん:2009/04/29(水) 00:28:26 ID:eQRIIDQD
可能なのか…それが…
何も持たないが全てを得た者 存在そのもので完璧で無限である
身体が在りながら心身共に光である 全てに停滞なく完全な存在
そうか!それがフォースなのか!何故アメリカで爆発的にヒットしたのか?あの映画は全ての生きる人々にとって最も大切な心を説いていたのか!でなければジェダイにはなれないのだ!真の悟りまでには様々な悪の誘惑があるのは我々も同じだ
つまり我々はジェダイの騎士見習いなのだな!
36神も仏も名無しさん:2009/04/29(水) 00:28:39 ID:Rh/9rMXR
仏教の中国における大きな支流である禅には段階的な手順を得て起きる悟り(漸悟)を説く北方禅と、
瞬時に起きる突然の悟り(頓悟)を説く南方禅に分かれた時期があったが、北方禅は先に廃れたため、
日本に伝わったのは、突然の悟りを説く南方禅の流れを汲む宗派である。
しかし、日本に伝わったのは宋代で、禅が形骸化してきた時代でもあり、全盛期の唐代のものとは大きく違う。
例えば現代日本の臨済宗、曹洞宗は、それぞれ臨済、洞山の悟りに対する宗風をほとんど受け継いでいない。

もうひとつの中国仏教の大きな支流は浄土経であるが、この宗派は時代背景を反映して、
阿弥陀仏の浄土に往生することを欣求し、悟りは大きな目標とはしない。
これは平安時代の日本に伝わり、貴族の間に極楽往生を求める信仰が広まった。
37Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/29(水) 00:32:04 ID:gc9q24Eh BE:641218853-PLT(13230)
<唯識ゆいしき> : 仏教で、この世の事物・現象は客体として実在しているのではなく、人間の心の
根源である阿頼耶識(あらやしき*1)が展開して生じたものであるでとする思想。
法相宗(ほっそうしゅう→華厳宗)の根本教義。→阿頼耶識

唯識って仏教ではどのような存在だろう・・・
38神も仏も名無しさん:2009/04/29(水) 00:33:00 ID:Rh/9rMXR
悟りへの道「四諦・八正道」
http://homepage2.nifty.com/shusse-kannon/budda/budda4.htm

 仏は、個人的な悟りを得たいと求める人のためには四諦の法門を説いて、
生・老・病・死をはじめとするさまざまな人生苦から救い、
現象へのとらわれから解脱した境地を極めさせました。
また人生のいろいろな出来事を縁として自ら悟りを開こうと努めるものには十二因縁の法門を説き、
もっと大きな志を持ち人を救い世を救うことにより仏の境涯に達しようとする者には六波羅蜜の法門を説き、
あらゆる物事を総合的に明らかに見通す大きな智恵を得、悟りに至る手段を明らかにされました。
39Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/29(水) 00:35:13 ID:gc9q24Eh BE:3077849489-PLT(13230)
現象へのとらわれから解脱した境地

これだけ読んだお^^
40神も仏も名無しさん:2009/04/29(水) 00:36:33 ID:eQRIIDQD
最強など初めから無かったのだ!そうか!そうなんだな?
行き着けば止まる だがしかし宇宙は無限だろうな
何故ならば止まっても必ず向こう側には何かが無ければならない
その向こうに無は無いのだ!空間せよ質量のある物体にせよ必ず有る、或いは在るのだ
我々の心は無限なのかを悟れるのか?分からない
しかし肝心なのは今まさに生きている認識がある事かも知れない
しかしながら悩みは尽きない 何故だ?分からなーい!
41神も仏も名無しさん:2009/04/29(水) 00:37:53 ID:+puz8KyA
聴聞とは、名号のいわれを聞かせていただくこと、
広義で言えば、それを勧めて下さる方のお話を聞くことです。
つづめれば、五逆十悪の罪人も必ず救うと聞かせていただくことに極まります。
繰り返し聞き、洗脳されることでも、
頭の中に概念を構築していくことではありません。
「必ず救う」、ただこの事を今聞かせていただくだけです。
聴聞を繰り返しせよ、と言うのは、信心を獲るためではありません。
もし、聴聞を繰り返したことによって、信心決定・浄土往生が定まったとするならば、
自分の聴聞の功を認めることとなり、自力信と言わねばなりません。
必ず浄土へ参らせるに疑いがないという
如来の真実心を聞かせていただくのです。
こちらの意を運んで向かっていくのではなく、如来の真実心が私に間違いなく、
疑いなく向かっている事を聞かせていただくのです。
握った信心は必ず変わっていきます。私の心が絶えず変化し続けているからです。
如来の「必ずタスケル」の心だけが変わらないのです。
故に、聞くことが即ち信心だと言うのです。聞いてわかったが、信心ではないのです。
42Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/29(水) 00:39:58 ID:gc9q24Eh BE:854958454-PLT(13230)
信心なんていならいお^^
悟りは独りで悟れ〜〜だお^^
43Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/29(水) 00:42:26 ID:gc9q24Eh BE:1795412467-PLT(13230)
ここで42スレの消化は痛いお^^
44神も仏も名無しさん:2009/04/29(水) 00:43:18 ID:eQRIIDQD
神により救われた人々など現実には一度も見た事もない
ならば宗教とは全てがインチキのボッタクリ紙芝居なのではないか?
他が救う事など有り得ない!自分を自分で救うしか方法は無いのではないだろうか!
つまりお布施があるなら自分の為に好きに使って楽しく生きるほうがイイ!という事なのだ!
45神も仏も名無しさん:2009/04/29(水) 00:45:09 ID:Rh/9rMXR
「余は今まで禅宗のいはゆる悟りといふ事を誤解して居た。
 悟りといふ事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思って居たのは間違ひで、
 悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きて居ることであった。」

   By 正岡子規
46Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/29(水) 00:46:09 ID:gc9q24Eh BE:641218853-PLT(13230)
仏教は教えそのものは真理を得ているけど・・・
47Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/29(水) 00:47:34 ID:gc9q24Eh BE:1025949683-PLT(13230)
悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きて居ることであった。

それもまた勘違いだお^^
48神も仏も名無しさん:2009/04/29(水) 00:49:17 ID:+puz8KyA
その中にあって、浄土宗の鎮西流白旗流の聖冏上人だけは、五重相伝として法然上人が慈覚大師〜良忍上人、叡空上人と次第相承されてきた円頓戒を復興されました。もちろんこれは、浄土宗のことで江戸期以降もこの戒は相承されていこました。また浄土律も提唱されました。
日蓮宗でも深草の日政上人(元政上人)とその法類により、法華律が提唱されました。
しかしながら親鸞聖人は、大乗頓教中の頓教である法体成就の南無阿弥陀仏一つの唯信の教えを徹底して選んで下さいました。
(それが法然上人の真意として)、如何なる諸善の行体も戒体も法体大行の南無阿弥陀仏の外にないことを示して下さいました。
真宗的には、今さらですが無戒としか言うようが無いのではないでしょうか?
ですから、破和合僧なんかが、真宗の立場で問題になること自体がおかしい。
まして他に対する「律」として(これは、本来、比丘・比丘尼に対するものです。)
として人を縛るのは論外だと思います。
戒としての在家でも最低限の帰依三宝も阿弥陀仏の方が無仏・無法の私に帰依して下さっているのが南無阿弥陀仏です。
堕地獄は因果の理法から必然ではないかと言われれば、その通りですが。
必成仏道の金剛宝器戒の戒体も生きた南無阿弥陀仏としてこの地獄必定の極悪人のなかに現成してくださっていると教えてくださったのが親鸞聖人でしょう?
 堕地獄必定も往生一定(後生の一大事)も惑業苦も自覚の問題、縁起の問題です。
私を離れて阿弥陀仏を離れて客観的な実体としてあるのではありませんよね(業感縁起)。
その自覚の有無が信・未信ということですよね。
ですから教団を実体視しがちな戒律論は、真宗の立場からは不毛じゃないでしょうか?
真宗には、本来的な意味での比丘はおりませんし、菩薩戒を持した優婆寒もありませんよ。
本願寺歴代善智識は、青蓮院で得度されますが、大乗戒壇に登壇されるわけでは無いですよね?
存覚上人は確か途中まで四度加行を受けてられますが・・・ 。
ましてや、一般在家は比丘・比丘尼でも、優婆寒・優婆夷でもありません。
49神も仏も名無しさん:2009/04/29(水) 00:49:27 ID:Rh/9rMXR
『迷いの着物を脱いでもね 悟りの着物を着たんでは』
禅のことばに「万劫(まんごう)のケロケツ」がある。
「悟り」のことばにしばられて、かえって身動きできぬこと。
「迷い」の網をぬけて「悟り」の網をかぶってしまうこと。
「悟り」の網でも、網をかぶったら不自由です。

 By 相田みつを
50Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/29(水) 00:50:37 ID:gc9q24Eh BE:2693118479-PLT(13230)
悟り=変性意識状態だお^^

だれか調べてお^^
51Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/29(水) 00:55:15 ID:gc9q24Eh BE:1709916858-PLT(13230)
悟りの本質は概念や論
理では十分に把握することは困難であり, 正に
直接体験することによりのみ直覚されるもので
ある。そこでの直覚つまり気づきの覚は,前述
した宇宙識のカテゴリーに含まれる内容である
自己と自己を取り巻く宇宙との一体感,主観と
客観の感覚が喪失した主客未分の,いわば純粋
経験である。この経験では無常の真理の深みが
天恵の如く降臨してくるのを自ら確信,体得で
きる状態である
52神も仏も名無しさん:2009/04/29(水) 00:56:53 ID:Uk8G3aPg
変性意識にも幅があるし、悟りと部分的に重なってるけど悟りそのものではないと思うけどね
変性意識は空性に片足突っ込んだ状態
悟りは全くの無

変性意識の論文
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/re/k-rsc/hs/hs/publication/files/ningen_5/045-54.pdf
53神も仏も名無しさん:2009/04/29(水) 00:57:41 ID:eQRIIDQD
新しい事をやり続けたら悟れなくても別にイイかも知れないが俺個人としては、やはりサッサと悟って楽したいんだよ!
俺には悟りとは完全な楽でしかない! 誰が何と言おうが自分が楽しくて何にも不都合無ければ他人や世界なんかどうでもイイんだよ!
死んでから後もあるなら自分は最高に楽に生きて行きたいんだよな!
御大層な名前の仏連中だの、使えないヘタレな神どもなんかイラネェ〜!
54神も仏も名無しさん:2009/04/29(水) 01:00:47 ID:+puz8KyA
ご存知のように、五逆罪には大乗の五逆と小乗の五逆があります。
小乗の五逆とは、皆様ご存知のあの五逆罪です。五逆罪をおかすと教団追放されたということです。
親鸞会がよく用いられる「和合僧を破る」もオリジナルは和合僧とは出家僧の集団であるサンガを指していますね。
大乗の五逆は1寺、塔を壊し、経蔵を焼き、三宝の財物を盗む。2声聞、縁覚、菩薩の教えを謗ること、3僧侶を謗ること、4小乗の五逆をおかすこと。
5因果の道理を無視して重悪を行う事、といわれますね。
現代、過去の日本においてインド的なサンガは存在しませんでしたから単純に一対一対応するとはみなせないでしょう。
釈尊の真意を汲み取れば(親鸞会が「和合僧を破る」を大罪とみなすように)これら釈尊が厳しく戒められたものは、大変な悪果を招来する、とみなすべきではないのでしょうか。
そして妄説得上人法戒(大妄語戒)とは、やはり大悪業とみなされ、これをおかすと教団追放ですね。 
いずれの比丘といえども、自ら証知せずして、上人法を己に関係せしめ、関係せしめ、完全なる聖なる知・見ありと主張せん、(すなわち)
「このごとく我は知り、このごとく我は見る」と。(しかして)彼はそれより後時において、あるいは追求され、あるいは追求されずして、罪を浄化することを欲して、
次のごとく説かん、(すなわち)「友よ、我れは知らざることを、このごとく我は知ると言い、見ざることを、我は見ると言い、空虚なる妄語を無益に語れり」と。
(かく言うならば)増上慢を除いて、これもまた波羅夷にして、共に住すべからざるなり、と。
律蔵の 「パーリ戒経」(パーティモッカ 波羅提木叉)から引用しました。
55神も仏も名無しさん:2009/04/29(水) 01:01:40 ID:9zo/UxA6
ここは私の家です文句あるなら出てけ?何が私の家だよ。
お前がローンとか払ってるわけじゃないくせに。
父親が朝早くから夜遅くまで働いて返してるからこの家があるんだろうが。
父親がいなければ何も出来な屑のくせに。
お前みたいに働かない家事もやらない毎日寝てテレビ見るだけしかしてない汚物に言われたくないんだよ。
誰が家のこと全てやってると思ってんだ。誰のおかげで今家があって衣食住あると思ってんだ。
そんな父親にも全く労らず、毎日毎日キーキーキーキーヒステリックばっかりおこしやがって。
お前なんかいなくても誰も困らねぇんだよ。むしろお前の存在自体が迷惑なんだよ。
屑は屑らしくそこらへんわきまえとけよ。ってかさっさと氏ねじゃなくて死ね。
世の中に必要とされてない人間なんだよお前は。図々しく生きやがって。
父親も可哀想。何であんな奴と結婚したんだろう。何で子供三人も作ったんだろう。
貴方がいなければアイツは生きていけないんだから離婚すればいいのに。
むしろそっちの方が助かるでしょ?毎日毎日文句言われて愚痴聞かされて・・・疲れて帰って来てるのに。
あんなストレス溜まる存在見捨てればいいのに。
父親の祖母や祖父の前では猫被って家事やりやがって。うざいんだよ。きもいんだよ。目障りなんだよ。さっさと死ねよ。屑。
祖母も祖父の騙されちゃって。本当のこと伝えても 今反抗期なんです だってさ。
それを信じて笑ってる祖母や祖父もアレだが一番アレなのはやっぱりアイツだよな。
反抗期ですませてんじゃねぇよ。だったら私の反抗期はお前が死ぬまで続くんだよ。

いっぱい愚痴ってごめん。


56神も仏も名無しさん:2009/04/29(水) 01:04:08 ID:Rh/9rMXR
 得は迷い 損は悟り

  大意

       寶

 得は徳を損じ 損は徳を積む

小さな得を取って 大きな徳を失う事を愚かという

能(あたう)かぎり自らを捧げて他のために働く徳こそが

   何よりの寶である

  澤木興道老師の言葉
http://14.pro.tok2.com/~ynaka/kyoukunhen/kyoukun.html
57Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/29(水) 01:05:45 ID:gc9q24Eh BE:512975726-PLT(13230)
〔真実としては〕認識対象は存在しない

このスレの流れを見て確認できた・・・
おいら悟りに近づいた・・・^^
58神も仏も名無しさん:2009/04/29(水) 01:06:08 ID:eQRIIDQD
何度拝んでも効き目の無い下らない仏教なんかイラネ〜ッ!
本当に言われるような力があるなら人間の頼みや願い事なんか簡単に叶えるはずだ!
第一 見た事もない千手観音だの如来だの 本当に居るか?絶対に居ないと思う!少なくとも誰が拝んでも居ないと確信している
無いモノを有ると信じる人間は詐欺に引っ掛かる
「あっ、オレオレ!大日如来」
「あら!ありがたや〜」
「お布施プリ〜ズ!」
「はい、百万円」
「嘘だぴょん、タヌキ霊でした」
「警察ですか?オレオレ神に詐欺られました」
59神も仏も名無しさん:2009/04/29(水) 01:14:54 ID:Rh/9rMXR
仏というも さとるというも 名はかわれども同じ道なり
わが本心をさとる人を すなはち仏と名づくるなり

一休宗純禅師
60神も仏も名無しさん:2009/04/29(水) 01:18:19 ID:Rh/9rMXR
彼は彼 我は我 木は木 日月雲霧(にちげつうんむ)
虫けらけだものみな一物にて候 悟れば一つ
迷えば各々にて候

澤庵 禅師
61神も仏も名無しさん:2009/04/29(水) 01:24:11 ID:Rh/9rMXR
無事是れ貴人なり
但だ造作すること莫れ
祗だ是れ平常なり
なんじ外に向かって傍家に求過(ぐか)して
脚手をもとめんと擬す
錯(あやまり)了(おわ)れり

大意
何事も無いのが高貴な人というみものである、
無事の上に気遣いしなさんな、平穏無事なら心を労するな、
ただあたりまえである事がよい、
君達は脇道に向かって外のものを探し求めて、
何か幸福の手がかりをつかもうとしている、
其れはとんでもない心得違いである。

臨済碌
62Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/29(水) 01:24:45 ID:gc9q24Eh BE:512975726-PLT(13230)
おいらこっそり悟るお^^

悟りは自主申告かな・・・
63神も仏も名無しさん:2009/04/29(水) 01:24:48 ID:eQRIIDQD
仏なんか少しも憧れねえーっ!ケチで貧乏臭くて生き方が小さいんだよな
カッコいい神がいい 自分の願いを何でも好きなように叶えられる神になりたいんだよお!
64神も仏も名無しさん:2009/04/29(水) 01:25:36 ID:Rh/9rMXR
日々是好日

大意
毎日が良い日ばかりである。
たとえ自分にとって都合の悪い過酷な日であっても
すべて好日として対処するより他はない。

唐末の禅僧 文偃(ぶんえん)の言葉
65神も仏も名無しさん:2009/04/29(水) 01:30:58 ID:Rh/9rMXR
杓底一残水
汲流千億人

しゃくていのいちざんすい
流れを汲むせんおくにん

自然物を最小限の使用に止める、道元禅師は水を使う場合必要な分量だけ器にとり
杓の底に残った水は必ずもとの谷川へ戻された

永平寺門柱の文字
66神も仏も名無しさん:2009/04/29(水) 01:32:13 ID:+puz8KyA
別段、なんたることもないです。聞其名号の説示の通りですから。
必ず浄土へ参らせる、という勅命を蒙るだけのことであります。
浄土があるのか地獄があるのか、何もなくなってしまうのか、
いくら議論を尽くしても、自分が死んでみなければ、
実際わからないから、意味がありません。
今、阿弥陀如来の本願に依ると、必ず参らせるとの誓いであった、ということだけの話なのです。
あとは取るも取らないも、各自の自由です。
どうと言うほどのことでもないですね。
洗脳と言えば、私たちは生まれてこのかた、常に洗脳されています。
父母の意向、先生の意向、様々な出来事、新聞、テレビ、雑誌、書籍、ゲーム、洗脳されていない日などなかったのかもしれないと言うことです。
あなたの死んだら骨になって、意識も何もなくなってしまうというご意見は、洗脳の結果でないと果たして言えるでしょうか?
本当のところは、実際死なねばわからないわけですから。
私たちは、皆、完全に公平であり、超絶した観点からものを観察することはできません。
それぞれの経験によっての判断であり、
それも他の影響を受けて、刻一刻と変化し続けます。
洗脳されている私が判断基準になりうるのか?ということです。
67神も仏も名無しさん:2009/04/29(水) 01:33:13 ID:Rh/9rMXR
道心の中に衣食(えじき)あり
衣食の中に道心なし

大意
道を求める心があれば人が生きるための衣食は自ずからついてくる、
いくら衣食が豊かになってもそれだけでは道を求める心は決して生まれない
「衣食足りて礼節を知る」の反対語

伝教大師
68神も仏も名無しさん:2009/04/29(水) 01:35:21 ID:+puz8KyA
求道上の話には、わたしもテンションが上がります。ありがとうございます。
えー、このしんどさはですね、聴聞のポイントがわずかにズレている状態です。
(でも、早くもこのしんどさにたどりつかれた、というのは、とてもセンスが良い方だと思います)

「後生の一大事をこころにかけて」と言いますが、もしこれが出来る人なら、「罪悪深重の人」とは言えません。
どちらかというと、「後生の一大事がこころにかからない」という方が、「罪悪深重の人」と言えます。
なので、こころにかからない人こそ、阿弥陀仏の正客(お目当て)だということです。

だから、「後生の一大事をこころにかけるぞ!」といって不可能なことに力むよりも、
「阿弥陀仏は『あなたは後生の一大事をこころにかけられない人(罪悪深重の人)だよ』と言っているが、本当だろうか?やってみよう」
という感じで、自分が後生の一大事をこころにかけられるかどうか、挑戦してみてください。
絶対できませんから。できたら菩薩さまです。できなければ、阿弥陀仏の正客です。

後生の一大事をこころにかける・真剣に聴聞する・無常をとりつめる・罪悪をとりつめる。などなど、
いろいろアドバイスはありますが、
「後生の一大事をこころにかからない自分・真剣に聴聞できない自分・無常をとりつめられない自分・罪悪をとりつめられない自分」
がある程度発見できれば、これらのアドバイスは、捨てて捨ててOKです。
それよりも、「阿弥陀仏の本願を繰り返し聞くこと」が1000倍重要です。

後生の一大事をこころにかけられないような、どうしようもない人だからこそ、阿弥陀仏は万善功徳がつまった南無阿弥陀仏を用意してくださったのだ、という本願を聞いていってください。
後生をかならず救うよ、という本願を聞いていってください。

ここらへんはほんとにデリケートなところなので、分からないことはなんでも聞いてください。
69神も仏も名無しさん:2009/04/29(水) 01:36:06 ID:t2SjbggL
唯識=臨済禅=オカルト=体外離脱=魂の世界
70神も仏も名無しさん:2009/04/29(水) 01:36:10 ID:Rh/9rMXR
不立文字 (ふりゅうもんじ)
教外別伝 (きょうげべつでん)
直指人心 (じきしにんしん)
見性成仏 (けんしょうじょうぶつ)

大意
釈尊の教えは文字や言葉によらず
人の心から心へ直接伝わる
己の心を深く見つめ
仏心に目覚めれば仏になれる
己の中の仏性に目覚めよ

達磨大師
71神も仏も名無しさん:2009/04/29(水) 01:37:12 ID:eQRIIDQD
そーいえば…この前 コンビニ駐車場でオナガ鳥が近くの雀に俺が投げたパンを渡してた
不思議だと思ったね 人間より過酷な保証の無い世界の連中なのに、種類違う鳥に貴重な食べ物を自分を後にして渡すなんてな
人間同士がその立場なら絶対に考えられん。俺なら真っ先に他を押し退けて殺してでも自分が食べる
感心して新たにパン買ってきていっぱい撒いてあげたな
あの鳥には、自分には真似の出来ない何か尊いものを感じたな
ま、それだけだがな
72神も仏も名無しさん:2009/04/29(水) 01:39:11 ID:Rh/9rMXR
本来無一物
何処惹塵埃

ほんらいむいちもつ
いずれのところにかじんないをひかん

大意
私たちの心というものは元来無一物の物で空っぽで何もない
何もないのだから埃や塵も付きようがない

六祖 慧能禅師
73神も仏も名無しさん:2009/04/29(水) 01:39:50 ID:+puz8KyA
高僧和讃
「仏号むねと修すれども 現世をいのる行者をば これも雑修となづけてぞ 千中無一ときらはるる」
この和讃の千中無一の異本左訓に
「千がなかに一人も生れずとなり。懐感禅師の釈には万不一生と釈せられたり」

でも、これは「一万人に一人」の文証にはならない

源空讃
「専修のひとをほむるには 千無一失とをしへたり 雑修のひとをきらふには 万不一生とのべたまふ」

万不一生の左訓には「万に一人も報土に生れずとなり」とあり、万人に一人も「報土」には往生できないの意なんだね

・・・しかし、二十願には「至心回向してわが国に生ぜんと欲せん」とある。
この至心に回向することが凡夫に(また凡夫である私に)可能かどうかを考えるべきだろう。

「いまこの心は、これ如来の清浄広大の至心なり、これを真実心と名づく。」(略典)
「一切の群生海、無始よりこのかた乃至今日今時に至るまで、穢悪汚染にして清浄の心なし、虚仮諂偽にして真実の心なし」(本典)
「しかるに微塵界の有情、煩悩海に流転し、生死海に漂没して、真実の回向心なし、清浄の回向心なし」(本典)
74神も仏も名無しさん:2009/04/29(水) 01:43:29 ID:t2SjbggL
墓場で死体を見つめながら瞑想。
75神も仏も名無しさん:2009/04/29(水) 02:25:18 ID:Uk8G3aPg
認識対象が存在しないんじゃなくて対象を認識する自分(主体)が存在しないんだよ
といううか存在するといえない
主体が存在すると判断してるのがその主体自身というパラドックス
存在するとかしないとかいえない
この世の全てが○○であるとかないとかいえない
そのとき境界も分別もなくただありのまま
有も無も「無い」というのが悟り
76神も仏も名無しさん:2009/04/29(水) 07:01:33 ID:EGnCug7b
悟りは自覚、つねに吾の心をしかりと立てること。
77Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/29(水) 08:30:52 ID:gc9q24Eh BE:769463036-PLT(13230)
すなわち有無によって示される空間的社会的にも、生滅によって示される時間的
歴史的にも、すべての存在現象は、孤立してでなく相互の関係性によってのみ現
象していることを説いたものである。
釈尊がさとられたように、いっさいのものはすべて独一存在でなく無我である。
しかし、無我でありながら、無我のまま価値を持ち存在性を持ちうるのは、すべ
てが縁起であるからである。此は彼に対して此であり、彼と対さなければ此は
此でない。このように関係においてのみ存在は存在性を獲得することができる
78神も仏も名無しさん:2009/04/29(水) 08:46:54 ID:AjLurQx9
>>53 感動した
79Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/29(水) 09:16:29 ID:gc9q24Eh BE:1795412467-PLT(13230)
/ || ̄ ̄|| ∧_∧
|.....||__|| (     ) ・・・・・
 ̄ ̄\三⊂/ ̄ ̄ ̄/ 
|    | ( ./     /
 ___
/ || ̄ ̄|| ∧_∧
|.....||__|| ( ^ω^ )  今日から悟り開くお^^能所識の止滅だお^^
| ̄ ̄\三⊂/ ̄ ̄ ̄/
|    | ( ./     /
80Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/29(水) 09:19:15 ID:gc9q24Eh BE:512975726-PLT(13230)
240 :Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/17(金) 18:58:26 0
臨死体験の時の状態を次の様に記している。「過去・現在・未来はなく、すべ
てが現在である。つまり過去・現在・未来は一つにつながったものである
。例えるならば、マンダラの絵のようなもの。過去・現在・未来は同時にすべ
てを認識することが出来る。」「ここには過去・現在・未来という時間の流れ
もない。例えるならば、すべて現在である。時間は意識の中に認識としてだけ
存在する。光の世界はゼロ次元である。ゼロ次元というのは空間も時間もない
という意味である。光の世界には何もない。あるのは意識だけである。」
その他の例を挙げてみよう。「(臨死体験で垣間見た世界では)時間は止まっ
ていた。意識は線形的時間を超えた次元で存続していた。そこでは過去と現在
と未来が一つになって永遠の現在となっていた。永遠が現在となり、今は決し
て終わることはない。」「光に包まれると我々の知っているような時間は存在
しなかった。過去・現在・未来は解けて一つの瞬間になっていた。」時間は止
まっていた。過去・現在・未来は時間のない生命の統合の中で一つになってい
た。」「現在・過去・未来が一つであるような同時状態のエクスタシーとして
この体験を表現できる。」「線的な時間の枠組みはなかった。すべての事が一
度に生じる。しかし何の混乱も生じない。時間の経過は霊的な覚醒のレベルに
達することはない。「光の世界とトンネルには、時間はなかった。」
81Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/29(水) 09:20:44 ID:gc9q24Eh BE:854958454-PLT(13230)
41 :Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/17(金) 19:04:50 0
肉体(物質)から離脱すると、意識の非局所性は明確になる。臨死体験
の事例は、そのような非局所的な意識が物質界の時間と空間の制約から解放
されていることを示している。非局所的な意識には、時間と空間の分離がな
いので、完全視覚(遠隔透視・内部透視・360 度完全視野・予知など)とテ
レポーテーションが可能となる。また臨死体験者が垣間見た世界では、時間
と空間による分離がないので、すべてのことがいつでもどこでも同時に存在
し出来事になることが可能である。
臨死体験者が意志の自由を感じるのは、物質界の時間と空間の制約から
解放されるためである。時間と空間の分離がないということは、因果律がな
いということである。時間の流れがないのであれば、記憶の必要もない。 
また距離による隔たりがないということは、すべての物体を素通りし、テレ
ポートすることが可能である。臨死体験の例には、テレポーテーションが多
数みられるが、テレポーテーションは空間を前提しているから、空間は存在
するが、空間の分離(距離による隔たり)は存在しない。臨死体験の世界に
も出来事の順序というものはある(たとえば人生回顧のシーンで)。しかし
時間による分離というものはない。
82神も仏も名無しさん:2009/04/29(水) 09:22:13 ID:KQ/MT0CW
悟りを教えますので、9800万円でどうですか?
83神も仏も名無しさん:2009/04/29(水) 09:24:13 ID:FdgGEtXH
参考までに張ってみた^^

悟りを教えますので、9800万円でどうですか?

お金など存在しない・・^^
84神も仏も名無しさん:2009/04/29(水) 09:26:05 ID:AjLurQx9
9800円だろ。常識的に考えて。
85Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/29(水) 09:27:31 ID:gc9q24Eh BE:512975726-PLT(13230)
悟りを教えてもらう・・・
これを洗脳という・・

悟りは独自で開くもの・・
唯識などがおもしろい・・・^^
86神も仏も名無しさん:2009/04/29(水) 09:30:04 ID:KQ/MT0CW
>>85
悟りを開くと、常に楽しいよ〜
9800万円でそれが得られるなら、安いよ〜
87Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/29(水) 09:31:05 ID:gc9q24Eh BE:2693118479-PLT(13230)
仏教に人間関係を求めることは道が違う・・
悟りのために仏教は存在する・・
お?存在か・・・
88Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/29(水) 09:34:05 ID:gc9q24Eh BE:256487832-PLT(13230)
悟りを開くと、常に楽しいよ〜

すでに俗世界に浸っている・・・
楽しい・・・
まだまだだな・・・^^
89Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/29(水) 09:36:30 ID:gc9q24Eh BE:2693118097-PLT(13230)
つまり・・・
レスを返すことで自己が存在する・・・
それ以前の自己とは・・
無であるのか・・・
90神も仏も名無しさん:2009/04/29(水) 09:37:11 ID:KQ/MT0CW
>>88
悟りを開くと、常に苦はなくなるよ〜

なので、
俗世界に浸らなくても
阿弥陀仏のように、自然と微笑みになるんだよ〜
91Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/29(水) 09:38:07 ID:gc9q24Eh BE:384731633-PLT(13230)
宇宙の起源・・・
ビックバン以前の状態と同じような気がする^^
92素人A:2009/04/29(水) 09:38:16 ID:3Op/p7DG
存在とは一つは(○)無いと困る。存在二つ有ったら違うところが出て出会うことも無い○○?
一つが色色な物化けているだけか。化けるとは共通の決め事=法か◎。法等全ては智慧が決める?
智慧とは何なのでしょうか、円もゆかりも抜け出して行くのかどうかも分からない?智慧が元か?私の脳では無理。
93Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/29(水) 09:41:24 ID:gc9q24Eh BE:1025950346-PLT(13230)
感覚を持つこと自体ものをよく見ていない・・
楽が存在すること自体苦もそこに同時存在する・・
94神も仏も名無しさん:2009/04/29(水) 09:45:45 ID:KQ/MT0CW
>>93

悟りを開くと、常に苦はなくなるよ〜

なので、
苦がなくなるから、楽もなくなり、
阿弥陀仏のように、自然と微笑みが残るんだよ〜

9800万円、安いよ〜
95Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/29(水) 09:47:29 ID:gc9q24Eh BE:2393882887-PLT(13230)
識とは、いわゆる知識であり、客観的に物の何であるかを分析して知る分析智で
ある。このような知識を克服して、それを実践智に深め、物の真相に体達するこ
と・・

ものをよくみろ・・・
ということだな・・・
現象に惑わされず素直にみろ・・・と
96Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/29(水) 09:51:02 ID:gc9q24Eh BE:1923655695-PLT(13230)
なんかプラトンの対話方使ってる人いる?^^
97Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/29(水) 09:52:46 ID:gc9q24Eh BE:512974962-PLT(13230)
対話によって悟りを得る方法もあるけど・・・
やはり・・自分で悟りをえないとな・・・
98神も仏も名無しさん:2009/04/29(水) 09:54:13 ID:KQ/MT0CW
>>95

悟りを開くと、常に惑わされることはなくなるよ〜

なので、
苦がなくなるから、楽もなくなり、
阿弥陀仏のように、自然と微笑みが残るんだよ〜

9800万円、安いよ〜
99Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/29(水) 10:03:15 ID:gc9q24Eh BE:598471627-PLT(13230)
 ___
/ || ̄ ̄|| ∧_∧
|.....||__|| (     )  9800万円、安いよ〜
| ̄ ̄\三⊂/ ̄ ̄ ̄/
|    | ( ./     /
 ___
/ || ̄ ̄|| ∧_∧
|.....||__|| ( ^ω^ )  禅問答かお〜!?
| ̄ ̄\三⊂/ ̄ ̄ ̄/
|    | ( ./     /
100Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/29(水) 10:06:24 ID:gc9q24Eh BE:1538924494-PLT(13230)
悟りとは即身成仏で得られるものである・・

これだけでいいお^^
101神も仏も名無しさん:2009/04/29(水) 10:13:13 ID:KQ/MT0CW
>>99
/ || ̄ ̄|| ∧_∧
|.....||__|| (     )  情報がいっぱいで迷いだらけじゃ〜
| ̄ ̄\三⊂/ ̄ ̄ ̄/
|    | ( ./     /
 ___
/ || ̄ ̄|| ∧_∧
|.....||__|| ( ^ω^ )  これではだめだ、
| ̄ ̄\三⊂/ ̄ ̄ ̄/
|    | ( ./     /


吉野から那智の滝まで一本道、10日間の食糧背負って、他人に頼らず一人で歩こう
雪つもってるかもしれんから、死ぬかも知れんぞ〜。悟りを得るためから、楽チン楽ちん。
102神も仏も名無しさん:2009/04/29(水) 10:19:38 ID:t2SjbggL
俗に始まり、俗に終わる。
しかして不生不滅、不生不死。
色即是空、空即是色。
103Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/29(水) 10:43:10 ID:gc9q24Eh BE:769463036-PLT(13230)
エネルギー保存の法則

何もエネルギー源のないところからひとりでにエネルギーが生まれることはなく
、逆に発生したエネルギーが消滅することもないということを表わしている。

恐ろしいお^^
104Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/29(水) 10:45:21 ID:gc9q24Eh BE:1496177257-PLT(13230)
因果の因がなければ消滅しない・・・(果がないので)
エネルギーには因がない・・・
魂には因がない・・・
すなわち消滅しない・・
105Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/29(水) 10:53:55 ID:gc9q24Eh BE:256488023-PLT(13230)
639 :Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/29(水) 10:41:03 ID:gc9q24Eh ?PLT(13230)
魂はエネルギーだとするとなくならずに保存されるんだお^^
そのエネルギーがまた形を変えて現れるかもしれない・・

常見はあり得るね・・・

存在前の因果と関連して現れる可能性もあるな・・・^^

スレ間違えてしまったお^^
106Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/29(水) 10:56:14 ID:FdgGEtXH
パチンコと言う名の禅に行ってこよう・・・
毎日が修行の日々だおだお^^
107神も仏も名無しさん:2009/04/29(水) 13:34:28 ID:nvFAdr6g
パチンコで負けた金は北朝鮮に流れてる!!??
http://namidame.2ch.net/test/read.cgi/pachi/1239367857/l50

1 :ヽ(´∀`≡´∀`)ノ7777さん:2009/04/10(金) 21:50:57 ID:C6lW6scX
詳しくはこちらを↓
パチンコの真実
http://pachinkokouryaku.fc2web.com/chousenjin.html

他にも色々
右翼の真実
http://www.geocities.jp/uyoku33/
朝日新聞の真実
http://asahi.kirisute-gomen.com/
毎日新聞の真実
http://www8.atwiki.jp/mainichi-matome/pages/125.html
108神も仏も名無しさん:2009/04/29(水) 13:37:14 ID:nvFAdr6g
【脳と体を】パチンコ依存症14【破壊】
http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/utu/1238928716/l50

1 :優しい名無しさん:2009/04/05(日) 19:51:56 ID:/Ci8YhaV
過去スレ

初代スレ
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/utu/1146545487/
パチンコ依存症2
http://life8.2ch.net/test/read.cgi/utu/1161171168/
【認める?】パチンコ依存症3【認めない?】
http://life8.2ch.net/test/read.cgi/utu/1169706578/l50
【否認】パチンコ依存症4【現実逃避】
http://life8.2ch.net/test/read.cgi/utu/1182067689/
【病的】パチンコ依存症5【賭博】
http://life8.2ch.net/test/read.cgi/utu/1189810841/
【人生の】パチンコ依存症6【岐路】
http://life9.2ch.net/test/read.cgi/utu/1198250740/l50
【金銭感覚】パチンコ依存症7【故障中】
http://life9.2ch.net/test/read.cgi/utu/1202726813/
【続ける?】 パチンコ依存症8 【止める?】
http://life9.2ch.net/test/read.cgi/utu/1205583098/
【油断】 パチンコ依存症9 【大敵】
http://life9.2ch.net/test/read.cgi/utu/1209366276/
【緊褌】 パチンコ依存症10 【一番】
http://life9.2ch.net/test/read.cgi/utu/1215609340/
【終わりは】 パチンコ依存症11 【ないのか】
http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/utu/1221744231/
【減パチ】 パチンコ依存症12 【ギャンブル全般】
http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/utu/1226833832/
【玉いれ】パチンコ依存症13【絵合わせ】
http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/utu/1232542153/
109神も仏も名無しさん:2009/04/29(水) 13:41:55 ID:nvFAdr6g
在日朝鮮人経営が9割 大阪朝日放送『ムーブ』で暴露されたパチンコ業界における在日朝鮮人経営の割合
http://pachinkokouryaku.fc2web.com/chousenjin.html

韓国籍か朝鮮籍かは、民潭所属か朝鮮総連所属かの違いだけである。
そもそもこれらの団体は、本人の意志で自由に脱退や入団が出来るので、韓国籍、朝鮮籍を区別すること自体にあまり意味はないと言えるだろう。
北朝鮮による日本人拉致の発覚後、朝鮮籍から韓国籍に移るものが相次ぎ、韓国籍の割合が増えたと言われている。
日本人から略奪した物資を売りさばき開店資金を工面
いま全国に約一万八千軒あるパチンコ店のうち、在日および帰化者二世・三世を含む)が経営する店の割合は、六割とも七割とも言われる。
三軒に二軒は、オーナーが韓国・朝鮮系ということなのである。
パチンコ台の製造メーカーにも、最大手の「平和」を筆頭に、韓国・朝鮮系の経営者が名を連ねている。
パチンコが全国に広まり大衆的な人気を博するのは、明らかに日本の敗戦直後からである。身近に安価な娯楽がなかったためという理由ばかりではない。
焼け跡闇市の時代の庶民を何よりも魅了したのは、景品に出されるタバコだった。
配給制で常に不足がちなタバコが、強力な呼び水となって、戦後最初のパチンコ・ブームを巻き起こしたのである。
かくしてパチンコ店は雨後の筍のように増えていくのだが、当時、開店資金をどのようにして工面したのか、その経緯が在日自身の口からおおやけにされることも、私の知るかぎり絶無と言ってよかった。
『こんなことを話す人間は、ほかにおらんだろうね』 と前置きして、キムが語る。
『闇市で儲けて、それからパチンコ(店経営)に走った人が多いんですよ。じゃあ闇市で何をして儲けたかというと、結局、ヒロポンと贓物故買(ぞうぶつこばい)だよね』
 密造した覚醒剤を売りさばいたり、盗品の横流しをしたりして、短期間のうちに大金を作り、それをパチンコ店開業に振り向けたというのである。
『そういううしろ暗い過去がなかったら、カネなんていうものはそんなに貯まらんですよ。うしろ暗い過去があるから、人にも言われんわけでね』
(「コリアン世界の旅」 野村進 1996年 講談社 より)
110Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/29(水) 15:20:01 ID:gc9q24Eh BE:512974962-PLT(13230)
なんぞwww
111Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/29(水) 15:34:34 ID:gc9q24Eh BE:683966944-PLT(13230)
他人を知るものは賢く・・・
己を知るものは悟りを開く・・・
112Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/29(水) 15:39:38 ID:gc9q24Eh BE:1709916285-PLT(13230)
唯識(ゆいしき、skt:विज्ञप्तिमात्रता vijJapti=maatrataa)とは、個人、個人にと
ってのあらゆる諸存在が、唯(ただ)、八種類の識によって成り立っているとい
う大乗仏教の見解の一つである。ここで、八種類の識とは、五感(視覚、聴覚、
嗅覚、味覚、触覚)、意識、2層の無意識を指す。よって、これら八種の識は総体
として、人の広範な認識作用、表象作用、思考を内含し、それらと相互に影響
を与えあう無意識の領域をも内含する。

この思想結構納得できるお^^
113Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/29(水) 15:41:44 ID:gc9q24Eh BE:1154193293-PLT(13230)
唯識思想では、各個人にとっての世界はその個人の表象(イメージ)に過ぎない
と主張し、八種の「識」を仮定(八識説)する。

あらゆる目に見えるものは存在しないか・・・^^
114Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/29(水) 15:46:30 ID:gc9q24Eh BE:1367933748-PLT(13230)
例えば・・・椅子
椅子は座るものとして意識されまた認識される・・表象(イメージ)
椅子も例えば木の形を変えたものだけとして認識されないもんな・・・
木もそもそも物質もっと言うと素粒子が形を変えたものだからな・・・
115Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/29(水) 15:48:41 ID:gc9q24Eh BE:1282437656-PLT(13230)
例えば素粒子が世界を見ると・・・
すべては同じものとして映るだろう・・・
このことはどんな意味があるのだろう・・・
116Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/29(水) 15:51:14 ID:gc9q24Eh BE:897706073-PLT(13230)
>>115
素粒子の世界から見ると人間の世界は無に見えるだろう・・
すべてが幻想の世界・・・
117Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/29(水) 15:53:20 ID:gc9q24Eh BE:512975434-PLT(13230)
幸福も無ければ不幸も無い・・・
ただ素粒子が存在してるだけ・・
現象は無であり空である・・・
118Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/29(水) 15:58:05 ID:gc9q24Eh BE:1282437465-PLT(13230)
# その次に意識、つまり自覚的意識が来る。六番目なので「第六意識」と呼ぶこ
とがあるが同じ意味である。また前五識と意識を合わせて現行(げんぎょう)と
いう。
# その下に末那識(まなしき)と呼ばれる潜在意識が想定されており、寝てもさ
めても自分に執着し続ける心であるといわれる。熟睡中は意識の作用は停止す
るが、その間も末那識は活動し、自己に執着するという。
# さらにその下に阿頼耶識(あらやしき)という根本の識があり、この識が前
五識・意識・末那識を生み出し、さらに身体を生み出し、他の識と相互作用し
て我々が「世界」であると思っているものも生み出していると考えられている


意識、末那識(まなしき)、阿頼耶識(あらやしき)・・・
同じ素粒子なのに他素粒子と区別されるのは・・・この3つの意識があるからか・・
119神も仏も名無しさん:2009/04/29(水) 16:02:15 ID:Wq3d1if4
>>116
素粒子は、「どのようにつながっているか」が大事じゃないのか?
並び方、つながりの硬さで、かなり自由が利くようになると思うが。
120Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/29(水) 16:02:44 ID:gc9q24Eh BE:2051899586-PLT(13230)
瑜伽行唯識学派は、中観派の「空 (くう)」思想を受けつぎながらも、とりあえ
ず心の作用は仮に存在するとして、その心のあり方を瑜伽行(ヨーガの行・実践
)でコントロールし、また変化させて悟りを得ようとした(唯識無境=ただ識だけ
があって外界は存在しない)

唯識無境=ただ識だけがあって外界は存在しない

そのとうりだよなあ・・
外界すなわち素粒子だけの世界・・・すべては同一
しかし識があるからいろいろな存在として認識される・・・
121Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/29(水) 16:05:01 ID:gc9q24Eh BE:256488023-PLT(13230)
>>119

お?そうだね・・・
重力の働きがその最たるものだと思われるが・・・
122神も仏も名無しさん:2009/04/29(水) 16:10:14 ID:Wq3d1if4
>>121
全ての物質には微弱な重力があるというし。
123Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/29(水) 16:16:39 ID:gc9q24Eh BE:1709916285-PLT(13230)
人間の目からではなく、素粒子の目線で世界をみてみると・・
素粒子と4つの力以外はないかも知れない・・・

自然界の4つの力:強い力は、陽子と中性子をもとに原子核を形成します。
また、太陽エネルギーを作り出して、地球上の全生物のエネルギーの源となって
います。電磁気力は原子、分子を作り、また、虹、雷、オーロラなどの自然現
象を起こします。弱い力は不安定な原子核を崩壊させますが、地熱はまさに地
球内部の物質の放射線崩壊によって作り出されたと考えられています。重力は
渦巻き星雲(M 5 1)などの天体を形作ります。強い力から重力まで、力の大
きさは40桁も違います。現在、素粒子の世界では重力は無視できますが、宇宙
創成時にはこれら4つの力は同じ大きさであったと考えられています。

間違ってることでも気にしないで書かないと・・
真理は得られないからね^^
124月に疲れたピエロ:2009/04/29(水) 16:16:45 ID:hIXlrLXg
音楽も皆 同一といえば同一だけど
それなら単音を聴いていればよいことになる
125Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/29(水) 16:20:49 ID:gc9q24Eh BE:1068698055-PLT(13230)
音か・・・
現象と同じことだね・・
音は存在しない・・・
とは言えないな・・・
126Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/29(水) 16:28:51 ID:gc9q24Eh BE:1025950346-PLT(13230)
言霊の秘伝であったろうか。ここには、「五大(地、水、火、風、空)には全て
響きがある」(『声字実相義』)(21)と書いた空海が、音を介して根源へ接
近することによって、神道と密教を深いレベルで帰一させていたのではないか・・・

音も宇宙の根源として重要か・・・
127Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/29(水) 16:45:15 ID:gc9q24Eh BE:1025949683-PLT(13230)
我(が)
自我の意。行為主体としての自己。永遠不滅の本体。自己主観の中心となるもの
。仏教ではこのような常恒の我を認めない。存在は縁起によってなるものとし無
我の立場をとる。

がっ^^
128Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/29(水) 16:50:19 ID:gc9q24Eh BE:1025949683-PLT(13230)
色即是空(しきそくぜくう)
色とは形あるものの意。物質の一般。すべて形あるものは、因縁によって生じた
ものであり永劫不変の実体がない、ということ。
129Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/29(水) 16:51:35 ID:gc9q24Eh BE:2693118097-PLT(13230)
すべて形あるものは、因縁によって生じた
ものであり永劫不変の実体がない

これは真理だな・・・
130Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/29(水) 17:09:13 ID:gc9q24Eh BE:341983924-PLT(13230)
唯識は、修行して自己の中の無意識を知ることを説く。  
131Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/29(水) 17:12:51 ID:gc9q24Eh BE:1538924494-PLT(13230)
 ☆ 阿頼那識→ 一切種子識=蔵識 (アラーヤ=蔵の意)
    業(過去の行為)が、瞬間瞬間に刻々種子を、深層心理の中に植え付けていく
132Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/29(水) 17:18:15 ID:gc9q24Eh BE:3462580499-PLT(13230)
唯識でみれば、「境(きょう)」のみが存在するとする。
   「境」には、こころだけ有って一切は存在しない。
133Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/29(水) 17:20:02 ID:gc9q24Eh BE:641218853-PLT(13230)
   ◇悟りを得た後の「自然」とは、末那識・阿頼耶識を超えた処から見るものである。

  あるがままの自然 真如→我と万物は同一根→「自然(じねん)」→円成実性(えんじょうじっしょう)

134Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/29(水) 17:21:28 ID:gc9q24Eh BE:1196941474-PLT(13230)
よくよく見れば自分と他人との区別は無いのだ。→ すべての事象は、相互に関連し在って成り立っている。
 我が身一つででき得るものは、一つも存在しない。
 従って、これを「依他起性(えたきしょう)」という。
135Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/29(水) 17:44:39 ID:gc9q24Eh BE:854958645-PLT(13230)
  唯識では、 一切の日常の現象世界はすべて阿頼那識から生ずる という。
     〈阿頼那識は、過去の「業」の貯蔵庫:プールである。〉



このくらいでいいですか・・・^^
136Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/29(水) 17:46:55 ID:gc9q24Eh BE:1154193293-PLT(13230)
あとは・・・ヨーガの実践だけだな・・・

ヨーガの方法

○ 汚気を吐く→息に想いを集中  →心を定める

○ 入出即念定・・息に成りきる
137NAS6 ◆kl1JWE6W72 :2009/04/29(水) 17:51:55 ID:XXV36zCK
ルカによる福音書14.31
また、どんな王でも、ほかの王と戦いに行こうとするときは、
二万の兵を率いて進軍してくる敵を、自分の一万の兵で迎え撃つことができるかどうか、
まず腰をすえて考えてみないだろうか。もしできないと分かれば、敵がまだ遠方にいる間に使節を送って、
和を求めるだろう。だから、同じように、自分の持ち物を一切捨てないならば、
あなたがたのだれ一人としてわたしの弟子ではありえない。

138神も仏も名無しさん:2009/04/29(水) 17:54:33 ID:kP061JDc
悟りとは、「全てあるがままに認め、捉えること」

自我の判断に従わず、ただ「在るまま」
139Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/29(水) 20:32:31 ID:gc9q24Eh BE:1367933748-PLT(13230)
浄土教思想が大乗仏教である限り、その根柢には中観・唯識と呼ばれるいわゆる
大乗仏教哲学の根柢を形成する二大学派の哲学的思惟がなければならない。浄土
教思想の哲学的思惟を問題とするとき、単なる純粋哲学の領域に留まるものでは
ない。それは宗教哲学の領域にも深く関わる。さらに西洋哲学・科学思想とも密
接に関わる。こうしたグローバルな視野から浄土教思想は研究されなければなら
ない。

そのとおりなんだよな・・・
140神も仏も名無しさん:2009/04/29(水) 20:35:24 ID:eQRIIDQD
なあ〜んにも求めない人もお〜(o`-')
必死に悟りを求める人も

死ぬ時にゃ同じですからあ〜☆
141Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/29(水) 20:38:42 ID:gc9q24Eh BE:1538925449-PLT(13230)
>>140
カルマの存在信じる?
142Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/29(水) 20:44:41 ID:gc9q24Eh BE:512975726-PLT(13230)
同じじゃない可能性もあるんだよな〜^^
例えば・・・
現世に因を残したまま肉体だけが滅したとしよう・・・
エネルギーである魂は滅しないで保存される・・・
その保存状態が問題なんだよ〜^^
その保存されたエネルギーがまた形を変えて物質に変化したとき・・・
例えば人間として姿を現したとき・・・
その因がまた再生され果を生み出すこともあり得る^^
143Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/29(水) 20:47:37 ID:gc9q24Eh BE:512975243-PLT(13230)
エネルギー保存の法則・・

何もエネルギー源のないところからひとりでにエネルギーが生まれることはなく
、逆に発生したエネルギーが消滅することもないということを表わしている。

魂がエネルギーだったらどおするんだお^^
144Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/29(水) 20:51:47 ID:gc9q24Eh BE:2094647677-PLT(13230)
エジソンは、人間の魂もエネルギーであり宇宙のエネルギーの一部であると考え
ていた。エネルギーは不変なので、魂というエネルギーは人間の死後も存在し
、このエネルギーの蓄積こそが記憶なのだと考えていた。

エジソンも同じこと考えていたのか・・・^^
145Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/29(水) 20:55:51 ID:gc9q24Eh BE:2308387469-PLT(13230)
例えば・・・だお^^
善を行ってきた人の魂のエネルギーは白く輝き・・・
悪を行ってきた人の魂のエネルギーは黒くくすんでいる・・・
こんな現象があるかもしれないお^^

でもね・・その前に善悪そのものが存在しない可能性もあるからね・・・
146Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/29(水) 21:00:14 ID:gc9q24Eh BE:3077849489-PLT(13230)
善が存在するということは悪も同時に存在しなければならない・・・
すなわち片方だけ存在するというのは非現実的であると・・・
147Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/29(水) 21:03:20 ID:gc9q24Eh BE:769462092-PLT(13230)
唯識的見方だと・・・
善悪は当然存在しないな・・・
人間の意識が概念として作り上げたものだから・・・・
148Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/29(水) 21:48:26 ID:gc9q24Eh BE:769463036-PLT(13230)
悟りの世界

仏果(修行して得た仏の世界)の世界は、言葉では説けない。「果分不可説」
しかし、ありとあらゆる世界が微塵の中に入り込んでいる。
無限に重なり合って影響している世界を観ることである。
149Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/29(水) 21:49:51 ID:gc9q24Eh BE:384731633-PLT(13230)
無限の関係性の世界

それは「重々無尽(じゅうじゅうむじん)の因縁」である。

なるほどね・・・
150Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/29(水) 21:58:49 ID:gc9q24Eh BE:427479825-PLT(13230)
華厳経では、
一、すべてのものは、かりに因縁によって成り立っているものにすぎないから、もの
の本性は空なるものである、ということが理解できれば、仏を見ることができる。(唐経、
須弥頂上偈讃品)
二、すべてのものは、本来空なるものである。ゆえにすべてのものは滅することもな
い。このことを悟るならば、仏がつねに現われていることになる。(晋経、菩薩雲集妙勝
殿上説偈品)
三、ものの本来的あり方を見ると、それは空であって、とらえることも、これが空だ
と見ることもできないものである。本来、空なるものであると知れば、それがすなわち
仏なのである。(唐経、須弥頂上偈讃品)
などと説かれている。
151Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/29(水) 22:08:25 ID:gc9q24Eh BE:2308387469-PLT(13230)
華厳経の核心は、善財童子が楼観の門に入ったという無分別智の体得と、生きとし生け
るすべてのものが円融無礙なる関係を保つことを可能ならしめる大悲の行願にある
152神も仏も名無しさん:2009/04/29(水) 22:11:34 ID:gmx90JQg
クオリアの風景 : ◆ユングと唯識:種々比較すると・・・
http://cmann3.exblog.jp/2010042/

●まず心をどういう構造体として捉えているか、表層から深層に向かって列記すると・・・
 ・ユングでは・・・『意識』『自我』『無意識』『普遍的無意識』
 ・唯識では・・・・『意識』『マナ識』『アラヤ識』『アマラ識』
ということで、個々の意味するところは多少違うにしても,驚くほどよく似ています。
「マナ識」は別名「分別識」といって、本来ひとつのものを言葉で分別していくことで執着を生む、自我のネガティブな側面とよく似た執着の源。
「アラヤ識」は無意識に相当しますが、基本的にはその人自身を超えた輪廻転生の源、やはり個人的なものと普遍的なものを含むようであり、特にその中の「アマラ識」は菩薩になりうる「淨」の集まった普遍的なところということです。

●で、誰がために何を目指すか・・・
ユングで目指すものは・・・自己実現、あるいは個性化、いや実は何も目指してはいない?などと議論してきましたが、唯識ではずばり涅槃を目指すということになります。
ただ小乗仏教の涅槃が自分自身の涅槃を目指すのに対して、大乗の唯識では、涅槃の境地に達しても涅槃に入らず、世俗に残り救済に勤めるのが最高の涅槃ということのようであり、
『十牛図』の悟ったのち街に帰り救済に当たる原型はこれなのかもしれません。

●ならば悟りに達するプロセスは・・・
ユングでは無意識の領域から浮かび上がってくる各種の元型を自我がとりこみ、より完成した形の自我を形成していくことが個性化ないし自己実現のプロセスということになりますが、
唯識では本来、不浄なものが充満しているアラヤ識を修行により浄なるものに置きかえていくことが涅槃への道ということになります。
153神も仏も名無しさん:2009/04/29(水) 22:13:26 ID:gmx90JQg
●ではそれを目指す修行とは・・・
ユングはもともとセラピストやカウンセラーがクライエントに対して働きかけるといったところから出発していて、自身が何かを目指して積極的に修行といったニュアンスは希薄です。
通常は無意識からの原型は状況により補償やエナンティオドロミアといったエネルギーフローとして沸いてきてしまう、
ないしはカウンセラーが必要に応じて井戸水をくみ上げるようにくみ上げるといった感じで、クライエント自身は、まな板の上の鯉といった感じはいなめません。

対して唯識では、「多聞薫習」そして「瞑想」。正しい教えを多く聞く、それが薫製の煙が滲みこむようにアラヤ識の中に蓄積し、浄なる種子となり、やがてそれが芽をふく。
悟りとはアラヤ識の中の不浄な種子を如何にして浄なる種子に置き換えていくかということのようです。
「瞑想」とは座禅ですが、唯識の座禅は無念無想の方法だけでなく、言葉やイメージを使って思いつめることでアラヤ識の浄化を図る一種のイメージトレーニングのようなものもあり、なるほどといった感じです。

以上ですが、ユングがたとえ修行の書ではないとしても、ユング理論に精通し、それを心の迷路を歩く地図とすることでセルフカウンセリングし、自己実現を目指す・・・といったことには期待が持てる、
それがユングの魅力との思いは変わりません。
154神も仏も名無しさん:2009/04/29(水) 22:16:08 ID:gmx90JQg
クオリアの風景 : ◆井筒さんの「文化と言語アラヤ識」・・・
http://cmann3.exblog.jp/9114583/

ユングは心を『意識』『自我』『無意識』からなる三層の構造体としてとらえますが、唯識ではこの三層を『意識』『マナ識』『アラヤ識』と称し、このアラヤ識を種子が貯蔵されるところだと。
では種子とは何だということになるのですが、井筒さんは・・・『意識』や『マナ識』が意味分節機能を持った言葉によって構成されているのに対して『アラヤ識』の種子とは今だ分節を持たない意味可能体であり、
それを蓄えるところとしてのアラヤ識は「言語アラヤ識」とも呼ぶべきものなのだと・・・

井筒俊彦著「意味の深みへ」、岩波書店1985年刊。
その第二章が「文化と言語アラヤ識」、副題が“異文化対話の可能性をめぐって”ということなのですが、勝手な要約をさせていただくと・・・

------------
文化は各々の民族の思考や行動に対して規制力を持つが、それは言語によりカオスを秩序付けるメカニズムでもある。

言語はコミュニケーションの手段であるだけでなく、意味分節の体系であり、二つの異なる言語共同体は異なる文化を持ち、異なる現実を経験している。

言語は意味分節単位の有機的連合体として強固な枠組みを形成し表層部を覆っている。したがって表層のみに生きるなら人は紋切り型の思惟、感情、行動に縛られざるを得ない。
155神も仏も名無しさん:2009/04/29(水) 22:18:28 ID:gmx90JQg
だが言語はその下に深層構造を持っている。そこでは言語の意味は流動的、浮動的、未定形であり今だ「意味可能体」の状態にある。
意識構造の深層に働くこの内部言語は明確な分節性の無い「呟き」のようなもの。そしてこの深層構造が『言語アラヤ識』であり、「呟き」が「種子」なのだと・・・

人が日常見聞きする全ての言葉や感覚、それにより想起する心の動きはもれなく深層部に痕跡を残し、それがカルマとしてアラヤ識に蓄積される。
唯識では蓄積されたものが薫習により種子となるとされるが、種子はカオスの海で常に生起消滅を繰り返す泡沫のようなもの。
したがって表層部の強固に固定された意味ネットワークとは異なり、深層部の種子、意味可能体は本性的に柔軟性と可塑性を持ったもの。

そこでこの章の副題、“異文化対話の可能性をめぐって”ということにもどると、異文化の接触がこのレベルで起こるなら文化テクストの織り直しは可能ということになるのですが・・・

-----------
ところで・・・ユング、唯識、言語アラヤ識、そしてクオリア・・・コツコツ拾い集めた断片的な知識をわが心のカオスに投入すると、なんとなく心のイメージが浮かび上がってきます。
156Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/29(水) 22:18:51 ID:gc9q24Eh BE:641218853-PLT(13230)
そうだよね・・・
おいらもユングが仏教を基に精神分析していたんじゃないかと・・・
157Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/29(水) 22:21:16 ID:gc9q24Eh BE:512975726-PLT(13230)
ユングにかかわらず・・・
哲学者・・物理学者も仏教を基にしている・・・
158神も仏も名無しさん:2009/04/29(水) 22:23:27 ID:gmx90JQg
「ユングのマンダラと密教の曼荼羅」
http://www002.upp.so-net.ne.jp/u-jung/page7/page7.htm
――西洋と東洋の深層心理比較,自我と無我について――

人間のこころの探究を無意識の領域にまで広げたユング(1875〜1961)は,東洋思想の内面性,特に仏教思想に強い関心をもち,私たちは多くのユングの著書からもそのことを感じ取ることができます。
しかし残念なことに,実際には仏教のもつ多様性,ならびに両者の基本的なコンテクストの相違については,当時ユング自身あまり理解していたとは言えないようですし,
その後のユンギアンもほとんどこの基本的問題には触れてきませんでした。
他方仏教サイドのほうはと言えば,伝統的に西洋心理学の無意識に対して無関心であったこともあって,結果として両者の間で根本的なカテゴリーの相違について,客観的検証がなされていないのが現状です。

一方,1960年代から70年代にかけて,一部ユング心理学の流れを受け,東洋思想を取り入れたカウンターカルチャー運動,いわゆるニューエイジ,ニューサイエンス運動がアメリカ西海岸を中心に広まりました。
この運動自体は現在ではほとんど姿を消しましたが,この流れの延長線に位置するのが,東西思想の統合を唱えるウィルバー(1949〜)に代表される,トランスパーソナル心理学です。
しかしこれもユングの場合と同様と言うか,さらに両者のコンテクストの違いを不明確にしたまま,安易にいいところ取りをした考え方のように思われます。

そうした背景を踏まえた上で,よくユングと仏教の類似性の例として一般的に挙げられるのが,「ユングのマンダラと密教の曼荼羅」および「ユング心理学と唯識思想」です。
本文では,これらの例を通して両者の本質的な相違点を,東西比較思想の視点に立って比較検証してみたいと思います。
さらに両者のコンテクストの底流にある「自我と無我,空の思想と実在論」「仏教思想史の釈迦仏教と大乗仏教」の問題も併せて考えてみたいと思います。
159Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/29(水) 22:28:39 ID:gc9q24Eh BE:427479825-PLT(13230)
なんだよ〜〜おいらが今日考えてたことが・・・
文章となって明確に書かれている・・・
これは驚いたおぉおおおおおおおおおおお^^
160神も仏も名無しさん:2009/04/29(水) 22:34:36 ID:gmx90JQg
カール・グスタフ・ユング
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%A6%E3%83%B3%E3%82%B0

フロイトは無神論を支持したが、ユングは神の存在に関する判断には保留を設けた。
ユングは歴史や宗教にも関心を向けるようになり、やがてフロイトが「リビドー」を全て「性」に還元することに異議を唱え、
はるかに広大な意味をもつものとして「リビドー」を再定義し、ついに決別することとなった。[2]
ユングは後に、フロイトの言う「無意識」は個人の意識に抑圧された内容の「ごみ捨て場」のようなものであるが、
自分の言う無意識とは「人類の歴史が眠る宝庫」のようなものである、と例えている。
ユングはその学位論文『いわゆるオカルト的現象の心理と病理』において、従妹ヘレーネ・プライスヴェルクを「霊媒」として開かれた「交霊会」を扱ったこと
(ただしこの論文では神秘的要因ではなく精神の病理的状態に帰されている)、また錬金術や占星術、易などに深くコミットしたことにより、
オカルト主義的な傾向を見て取られ、また新異教主義的な人々からその預言者とみなされる傾向がある。
これにはおそらく母方のプライスヴェルク家が霊能者の家系として著名だった出自も影響していると思われる。
また「集合的無意識」や「元型」などの一般の生物学の知見とは相容れない概念を提起することによって、
20世紀の科学から離脱して19世紀の自然哲学に逆戻りしてしまったという批判がある。[8]。
またフロイトもユングとまだ訣別する前に、「オカルティズム」を拒絶するよう強く求めた[9]。
161神も仏も名無しさん:2009/04/29(水) 22:39:41 ID:gmx90JQg
>>159
それがユングの言うシンクロニシティだ。
この世に偶然は無く、全ては必然なのだ。
全ては起こるべくして起きる。
因(原因)がなければ果(結果)はない。
162Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/29(水) 22:43:17 ID:gc9q24Eh BE:427479252-PLT(13230)
>>159

哲学板の決定論のスレの住人来たお^^
163神も仏も名無しさん:2009/04/29(水) 22:51:44 ID:eQRIIDQD
>>141 カルマって業とかいうのだっけ?
難しくて理解不足なんだにゃ(*~ρ~)
カルマとは何なのか…教えて
164神も仏も名無しさん:2009/04/29(水) 22:56:29 ID:gmx90JQg
>>162
自分にレスして楽しいか?
俺はそのスレは知らないな。
165神も仏も名無しさん:2009/04/29(水) 23:00:10 ID:gmx90JQg

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A5%AD

業(ごう 梵: कर्मन्、巴: कम्म karman)とは、サンスクリットの動詞の「クリ」(kR)の現在分詞である「カルマット」(karmat)より転じカルマンとなった名詞である。
したがって、「なすことそれ自身」という意味であって、古人が「造作」の義と言い伝えてきたとおり、動作の抽象的非人格的なものを言う。
そこには、一般に言われている「なすもの」「なされたこと」「つくられたもの」などの意味はない。
業とは仏教の基本的概念である梵: कर्मन्、巴: कम्मの漢訳音写の羯磨(かつま)を意訳したもの。本来は行為の意味。
因果思想と結合し、業はその善悪に応じて果報を与え、死によっても失われず、輪廻転生に伴って、代々伝えられると考えられた。
「ウパニシャッド」にもその思想は現れ、輪廻思想・業感縁起の基礎となる。宿業思想に発展し、一種の運命論となった。中国、日本の思想にも影響を与える。

善をなすものは善生をうけ、悪をなすものは悪生をうくべし。浄行によって浄たるべく。汚れたる行によって、汚れをうくべし
善人は天国に至って妙楽をうくれども、悪人は奈落に到って諸の苦患をうく。死後、霊魂は秤にかけられ、善悪の業をはかられ、それに応じて賞罰せられる
– 『百道梵書』 (Zatapathaa-braahmana)
166神も仏も名無しさん:2009/04/29(水) 23:06:34 ID:KQ/MT0CW
あらら、もう165まできちゃったね。
1000までで悟れるのかいな?
悟りは体達しないと得られないんだよね?
このままじゃ、先人の単なる知識の寄せ集めになっちゃうかもお
167Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/29(水) 23:07:17 ID:gc9q24Eh BE:427479825-PLT(13230)
「カルマ」は仏教用語ではあるが、仏教においては、この世は無限のカルマが絡
み合って影響しあって成立ってる世界とも言われている。無数の過去世から未来
世へと絡み合ったカルマが続く。何度も何度も繰り返し生まれ変わる私達の運命
が全てこのカルマによって支配されていると言うのだ。
「輪廻」とはまさにこのカルマの渦の中をぐるぐる回り続ける状態なのだ。
これらのカルマを断ち切るために修行者は修行し、悟りをひらくのだ。解脱と
は、このカルマの渦から抜け出る事なのだ。
168Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/29(水) 23:08:51 ID:gc9q24Eh BE:341983924-PLT(13230)
>>159

哲学板の決定論のスレの住人来たお^^

>>161に訂正だお^^
169NAS6 ◆kl1JWE6W72 :2009/04/29(水) 23:12:58 ID:XXV36zCK
そんなもの要りませんっ!

分かりやすいでしょ
170神も仏も名無しさん:2009/04/29(水) 23:15:10 ID:96mVZ1xb
てーすーと
171161:2009/04/29(水) 23:16:06 ID:gmx90JQg
>>168
だからそんなスレ知らないっつってんだろwよく読め。
勝手に決定するな。
まさにお前の方が決定論者じゃないか。
172神も仏も名無しさん:2009/04/29(水) 23:22:18 ID:eQRIIDQD
>>165>>167 ふむ 2人共すげ〜知識人だな

今の世の中とは違う法則なんかな?悪いのでも金持ちで楽してるし善人で不幸な人も居そうだしな

輪廻なんか最早、人間の力及ぶどころじゃなさそうに見えるんだが…
そこから解脱てのかな?何とかなった人いるんかいな?
173NAS6 ◆kl1JWE6W72 :2009/04/29(水) 23:36:18 ID:XXV36zCK
>悪いのでも金持ちで楽してるし

近視眼的な人は困るね
174神も仏も名無しさん:2009/04/29(水) 23:40:33 ID:gmx90JQg
>>172
>すげ〜知識人だな

知識人?ほほー、それはそれは。冗談キツイねwww
>>1も俺もググって適当にコピペしただけで、
別にコピペの文章内容が大して身についてるわけではない。
その気になりゃ誰だって赤ん坊だってあのくらいの知識は集められる。
知識をいかに多く集めるかよりも知識をいかに上手くもちうるかが人生で最も重要なんだよ。

>今の世の中とは違う法則なんかな?悪いのでも金持ちで楽してるし善人で不幸な人も居そうだしな

うむ、古来から因果否定派の主張する代表的な論説ですな。
たしかに現世だけを見れば、悪人が得をしてばかりで、善人は損ばかりなんてざらだね。
だから、現世は何とか努力でこらえて来世や天国に期待するというのが宗教側のありがちな回答。
でもそれでは満足できないのが現代人。なかなか一筋縄にはいかない問題だわな。
175Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/29(水) 23:40:43 ID:gc9q24Eh BE:897706837-PLT(13230)
悪いの概念がわからない・・・
素粒子にとって悪いとは・・・
どんな状態なのか・・・
176Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/29(水) 23:46:45 ID:gc9q24Eh BE:1025950346-PLT(13230)
まぁ最初の段階としては・・・
人間の視野でものを捕らえるのではなく・・・
素粒子の視野でものを捕らえるようにしてみるよ・・・
177Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/29(水) 23:47:45 ID:gc9q24Eh BE:2693118479-PLT(13230)
ところで・・・
ヴィパッサナー冥想って・・
どうなの?
今はじめて知ったが・・・^^
178NAS6 ◆kl1JWE6W72 :2009/04/29(水) 23:48:12 ID:XXV36zCK
>たしかに現世だけを見れば、悪人が得をしてばかりで、善人は損ばかりなんてざらだね。

近視眼的な人は困るね
現世でどこに逃げ場はありますか?
179神も仏も名無しさん:2009/04/30(木) 00:00:59 ID:baqeRa1R
>>178
>現世でどこに逃げ場はありますか?

現世に逃げ場はない。逃げてもカルマは解消されない。
あるがままを受け入れ、立ち向かうしかない。
カルマの試練は熊や虎と同じで逃げれば逃げるほど追ってくるし食われる。
釈迦は前世において、虎から逃げることよりも、むしろ自ら飢えた虎に身体を差し出すことを選んだという。
180Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/30(木) 00:01:38 ID:AQUi4ffD BE:2094647677-PLT(13230)
たしかに現世だけを見れば、悪人が得をしてばかりで、善人は損ばかりなんてざらだね。

NAS6 さん^^
決定論スレに貼ってくれば・・・
1日中議論するお^^おもしろいお^^
181神も仏も名無しさん:2009/04/30(木) 00:08:04 ID:kB9y3xwO
死んでない以上、死んだ後の世界なんか本当は誰も分からないでないかな?

天国なんて誰かが行ったのを本当に確認した人いるんかな…分かってる振りしてる人が多いだけで実際は、いつも言葉だけだし

言うだけなら簡単なんだけど、結局は単にみんな同じく死んでしまうだけなんかな?
本当は難し過ぎて誰にも分からないままなんじゃ?

この手の話は、しょっちゅう霊感商法や詐欺の温床になるし 実際なりやすいよね
絶対に確認出来ないものを、いつの時代も何故人々は信じようとするんだろうね?
うひゃは☆
182神も仏も名無しさん:2009/04/30(木) 00:18:31 ID:baqeRa1R
>>181
昔は俺もリアリストで霊もオカルトも信じてなかったが、
霊感の強い人と知り合ったり、
自分でも何気にガチな霊体験に遭遇したりしてたら、
段々そうも言ってられなくなった。
科学では証明できないが不可思議な現実というのは結構実在するもんだよ。
ただ天国に行って帰ってきた人には俺もまだ一人もあったことがないから
天国があるかどうかは知らない。
183神も仏も名無しさん:2009/04/30(木) 00:19:57 ID:kB9y3xwO
家も車も洋服だって ちゃ〜んと自分で確かめてから買うよね 普通の人なら

それ以上に重大な事だと思うんだけど…いつの時代も無計画な上に猪突猛進

デタラメな地図を最初から正しいと信じて目的地に必死に向かってるみたいに見える

(*~ρ~)んで、ず〜っと迷いまくるの?
184Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/30(木) 00:22:24 ID:AQUi4ffD BE:341983542-PLT(13230)
まぁね・・・
けど・・・
死んだ後の世界と・・・
生まれる前の世界では・・・
同じと思う???

違ってるとしたならば・・・
それは大変なことになるお^^
そのためにも悟りを開いて魂を浄化させておかないとねw
185Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/30(木) 00:25:15 ID:AQUi4ffD BE:2693118097-PLT(13230)
死んだ後の世界と・・・
生まれる前の世界では・・・
これ
今思ったんだけど・・・
両方の世界では自己は存在せず・・
全体として存在してるんじゃないのかな・・・^^
186Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/30(木) 00:28:19 ID:AQUi4ffD BE:2393882887-PLT(13230)
つまり・・・
死後の世界があったならば・・・
全ての魂は1つになる・・・
意識が1つに統一される訳だ・・なんてねw
187神も仏も名無しさん:2009/04/30(木) 00:28:41 ID:7pVv3MaN
ようはカルマ、業というものは自分でつくったものであるけれども、
一度染み付いてしまうと、そう簡単には取れないというか、
逆にこんどはカルマによって支配されてしまうことが多い。
つまりカルマとは来世の幸福を抜きにしては、考えられないということ
なのだ。悟りとは霊界における段階であり、当然高ければ、高いほど、
幸福度は増すということになる。しかし来世のそうした幸福を抜きにした
幸福はからなずしも、幸福となるとはいえないということなのだ。
188神も仏も名無しさん:2009/04/30(木) 00:30:58 ID:kB9y3xwO
>>182 それは分かる
霊は確かに存在する これは自分で数え切れないくらいに体験したから信じざるを得ない
でも自分に霊感あるとか思わないな 自由に見れる訳じゃないし…
いつも霊の方から姿を見せてくる感じがする。何故か分からない

しかしながら神や天国は凄過ぎて全然身近に感じられないのに、悪魔や地獄は何か自分も含めた人間全てに近い気がするのだ

特別な例外としてマザーテレサは常に天国と共にあったのかな?何となくそんな感じがするな
189Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/30(木) 00:31:17 ID:AQUi4ffD BE:2393882887-PLT(13230)
魂は因を残すと浄化されずに生まれ変わる・・・
エネルギー保存の法則により確定されました・・・w
190神も仏も名無しさん:2009/04/30(木) 00:32:09 ID:GfEL1Ut6
無限に広がる無の世界がふと思った
「つまらんの〜」
そして無数の世界が生まれたが
それは無から生まれた幻の世界でしかなかった
191神も仏も名無しさん:2009/04/30(木) 00:42:31 ID:kB9y3xwO
だが、しかしだ!聞いておきたいのだよ!
いくら浄化したいとはいえ 自分の心を浄化するのは、俺には実に途方もなく難しいです!

すぐに欲望に汚れてしまうのだ!しかも汚れて悔い無しなのだから困った
いったいどうやったら不動の心になれるんだ?分からない〜ッ!本当に全然分からない〜ッ!!

良い事は嫌いではないが自分に不都合だったり無理なのは絶対に嫌なんだよ!悪い事はしたくないけど相手次第なら全然構わないと信じて迷いが無いんだ!
これ以上の欲望は嫌でも、ここまでなら最高だ!と確信すらしている
本当に正しい道が分からないんだよーっ!!
192Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/30(木) 00:44:34 ID:AQUi4ffD BE:2051899968-PLT(13230)
「つまらんの〜」

欲望は悪だと言われているが生存本能の一つだと思われる・・
欲望がなかったならば人類は滅亡しているかもしれないし・・
全ての人間が「つまらんの〜」と叫びだしたら・・・
自殺本能が発達するかもしれない・・・w
社会秩序を保つために欲望の抑制が行われるが・・・
欲望は悪ではない・・・
しかしそれによって真実が見えなくなるのも事実だ・・・
193神も仏も名無しさん:2009/04/30(木) 00:59:19 ID:kB9y3xwO
とにかくだ!興味が強くあるのに全然分からないーっ!
これは苦痛だ!精神的に苦痛なのだ!よく名前が出て来る連中は、いったい何を悟ったというのか?
貧乏乞食みたいに餓死寸前の汚ならしい惨めな姿にならないと悟りは得れないのか?何故だ!何故なんだ!そんなのは俺はイヤなんだよーっ!
普通に楽しく過ごして悟った奴はいないのか?
神は光ではないのか?なら豊かな中で悟らせろよー!
ずう〜っと楽して永遠に生きたいんだよ 何とか言いやがれ、この役立たずの神め
いつまで御高くとまって見下ろしている気なんだ!
この世界に神の心なんか全然無いじゃないか!
ホッキョク熊とか助けろよな!神なんか力ばかりで全然使えねー野郎だ!
194Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/30(木) 01:09:04 ID:AQUi4ffD BE:1367933748-PLT(13230)
言語に魂が宿るとはこのことか・・・
195神も仏も名無しさん:2009/04/30(木) 01:14:32 ID:kB9y3xwO
もし俺が神なら、今の役立たずな馬鹿神より色々な事が出来ると約束できる!

まずはホッキョク熊にご飯をあげて救う!もはや自然は人間が管理しなければ様々な種の生命が絶滅に瀕している 世界の権力者の馬鹿どもめ!現実を見ろよな

飢餓に苦しむ人々全てにマクドナルドのハンバーガーとsoyjoyとコーラとデルモンテ野菜ジュースとユニクロとアディダスの服を沢山進呈する

海や河のゴミを拾って綺麗にする 水を大事にするんなら、水の在る環境を綺麗にしやがれ!

67億は多すぎるから人間は30億まで減らす
方法は自然の猛威による

よし これで行くぞ!
196Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/30(木) 01:15:28 ID:AQUi4ffD BE:1709916858-PLT(13230)
上座部仏教の目的は、個人が自ら真理(法)に目覚めて「悟り」を得ることであ
る。最終的には「自分として執着している自我(アートマン)は実体ではない
(無我)」と覚り、苦の束縛から解放されること(=解脱)を求めることである
。一般にこの境地を涅槃と呼ぶ。

これなんかどう??^^

上座部仏教では、釈迦を仏陀と尊崇し、その教え(法)を理解し、禅定などの実践修行によってさとりを得、煩悩をのぞき、輪廻の苦から解脱して涅槃の境地に入ることを目標とする。
197神も仏も名無しさん:2009/04/30(木) 01:45:25 ID:kB9y3xwO
有り得ないが万一に俺が悟ったとしてもそれだけじゃあ嫌なんだよ!
古来から色んな奴らが悟っただの解脱したと聞いてはいるが、世界は全然変らないどころか地球上がますます悪くなってるじゃんかよーっ!

人も植物も動物も細菌も虫も宇宙人もその他?色々も、みんなで最高に幸せに生きて最高に幸せに死にたいんだよ!

聖書の`見よ、世に限り無く永遠の神の光はとこしえに,てのは何なんだ?現実には全然世界を救ってなんかないじゃないか!嘘つき〜っ!
法外な努力の果てにケチケチと個別に解脱じゃなくて一括して全てを救いやがれ!聞いてんのかよ大日如来とか天照大神!
神も仏も名前ばかり偉そうなくせに超どケチな奴ばかりだ!

テメーら役立たずの神は引退しろよ!俺に全ての力を渡して引退しやがれ!
198神も仏も名無しさん:2009/04/30(木) 02:01:19 ID:KFwUpz85
僕が主張したいのはそこだ。俺は菩薩道を極め10の12000乗阿僧祇億劫修行する。そしてブッダを目指すものだ。誇大妄想と笑わば笑え。きみは華厳経スレにきたまえよ。それから華厳経を学ぶ必要があります。嫌なら別にいいけどさ…
199神も仏も名無しさん:2009/04/30(木) 02:02:48 ID:KFwUpz85
神がいないならきみが神になれば良いのではないか?
200神も仏も名無しさん:2009/04/30(木) 02:19:01 ID:kB9y3xwO
よし決めたぞ!これから神として世界を変えるイメージをする
先ずはそこからだ!
だが…どんな夢も叶える力が無ければ妄想になってしまうし
力が欲しい… 自分の全ての願望を自在に叶える力が
でなければ神などなれないのだ!
201華厳命:2009/04/30(木) 02:29:48 ID:KFwUpz85
よし!偉大である。やっぱきみは華厳を学ぶべきです。菩薩道を学ぶのです。でも真実を言えば、きみはすでに神です。ただ究極の境地と究極の救済能力を持たないだけなのです。
202NAS6 ◆kl1JWE6W72 :2009/04/30(木) 05:52:50 ID:pDQe8ff3
だれかの幸福はほかのだれかの不幸によって賄われている
これを
だれかの幸福は自分自身の不幸によって賄われている
とすれば万物平等になるんですね
203Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/30(木) 06:22:59 ID:AQUi4ffD BE:683966944-PLT(13230)
幸福不幸など存在しない・・・
感じるとするならば・・・
まだまだ悟りを得ていないことになる・・・
204Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/30(木) 06:29:36 ID:AQUi4ffD BE:897706837-PLT(13230)
唯識の空

龍樹(中観派)の「一切は空である」という主張に対して、「一切は空である」
と認識する心のみは存在しなくてはならないと唯識は考えます。

矛盾・・・・
205Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/30(木) 06:32:26 ID:AQUi4ffD BE:3077849489-PLT(13230)
八識

唯識では、六つの認識作用(眼・耳・鼻・舌・身・意)に、末那識・阿頼耶識を
独自に加えます。末那識とは深層に働く自我執着心のこと。阿頼耶識のアラヤ
(alaya)とは住居・場所の意味で、個人存在の根本にある認識作用をいいます


深層に働く自我執着心・・・



206Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/30(木) 06:38:01 ID:Nb45jStU
瑜伽行唯識学派は、中観派の「空 (くう)」思想を受けつぎながらも、とりあえ
ず心の作用は仮に存在するとして、その心のあり方を瑜伽行(ヨーガの行・実践
)でコントロールし、また変化させて悟りを得ようとした(唯識無境=ただ識だ
けがあって外界は存在しない)。

唯識無境=ただ識だけがあって外界は存在しない・・・
207Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/30(木) 06:44:22 ID:AQUi4ffD BE:1538924966-PLT(13230)
意識は聖教(経典)を対象として、心が清浄(しょうじょう)になる道を
開くものである。
唯識派では、第六意識のほか、第七末那識、第八阿頼耶識をたてる。
西暦6世紀に中国に現れた天台は第八識のその奥にあらゆる精神の働きを
突き動かしている第九識(阿摩羅識、または根本浄識)の実在に到達した


第九識(阿摩羅識、または根本浄識)の実在に到達・・・
208Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/30(木) 06:48:57 ID:AQUi4ffD BE:384731633-PLT(13230)
これにより天台宗や華厳宗などの法性(ほっしょう)宗は、この阿摩羅識を加え
て新たに九識を立てた。天台宗では、阿摩羅識をけがれが無い無垢識・清浄識
、また真如である真我、如来蔵、心王であるとし、すべての現象はこの阿摩羅識
から生れると位置づけた。したがってこれを「真如縁起」などともいう。真如は
絶対なる真我なれば「識」とは言い難いが、前の八識に隋縁生起する本源なるこ
とから阿摩羅識と名づけられた。したがって法性宗における仏性の異名である

阿摩羅識をけがれが無い無垢識・清浄識・・・
209Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/30(木) 06:56:19 ID:AQUi4ffD BE:1196941474-PLT(13230)
七識までが現世(今世)に於ける経験などに基づくもの

八識(一切種子識、無没識)によって、因果律に基づく輪廻転生がなされる

九識(阿摩羅識とは、最も根源的な宇宙そのものが持つ究極の超意識(清浄無
垢な意識)のことで、即ち仏様の境涯(命の状態)そのものを顕しています
その仏様の境涯である「仏界(仏性)」を、修行に依り自己の命に開き、認識・
身命に当てることで、八識に対し直接働きかける善因を積むこととなります。

ほほう^^


210Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/30(木) 07:02:36 ID:AQUi4ffD BE:512975243-PLT(13230)
唯識思想では六識(眼(げん)、耳(に)、鼻(び)、舌(ぜつ)、身(しん)
、意(い))は表層の意識でしかなく、表層の意識は根源的な深層の意識によっ
て生み出され、外界をあるかのごとく錯覚させられていると出張しました。

錯覚・・・

根源的な深層の意識とは「アーラヤ識」(阿頼耶識)と呼ばれるものです。
ここに自分が経験して知った自分の肉体や外界、あらゆる出来事などが蓄積さ
れ、それらの蓄積されたものは、アーラヤ識の働きによって表層意識に映し出
され、あたかも実在するかのように認識されるという。

実在するかのように認識される・・・

なぜ、実体のないものを実体化して見てしまうのかというと、深層にもう一つ
の潜在意識「マナ識」(末那識)のせいだといいます。
マナ識はアーラヤ識を自我であると思い込む心で、なんでも「俺が、俺が」と
自分に結びつけてしまい、外部世界を自分に結びつけ、実体化して見るといい
ます。

マナ識はアーラヤ識を自我であると思い込む心・・・

なるほどね・・・^^
「眼、耳、鼻、舌、身、意」の六識に対して、「マナ識」は七識、「アーラヤ識」は八識と呼びます。



211Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/30(木) 07:08:44 ID:AQUi4ffD BE:512975434-PLT(13230)
思量とは「恒審思量」といわれ、恒に睡眠中でも深層において働き続け、審(つ
まび)らかに根源的な心である阿頼耶識を対象として、それを自分であると考え
て執着し続ける。この深層的な自我心を滅することによって、我々は初めて真の
無我行を実践することができる。

この深層的な自我心を滅する・・・

212Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/30(木) 07:39:27 ID:AQUi4ffD BE:1025950346-PLT(13230)
精神的苦痛が苦であることはいうまでもないが、楽もその壊れるときには苦とな
り、不苦不楽もすべては無常であって生滅変化を免れえないからこそ苦であると
され、これを苦苦・壊苦・行苦の三苦という。すなわち、どちらの立場にしても
、苦ではないものはないわけで、一切皆苦というのは実にこの意である。
213神も仏も名無しさん:2009/04/30(木) 07:55:59 ID:1cEMPvql
>>212
先生、苦が壊れた後は何になるのですか?
一度の事象に対して苦は何度も訪れるのですか?
過去、未来の苦というものは存在するものなんですか?
214Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/30(木) 08:00:51 ID:AQUi4ffD BE:427479252-PLT(13230)
 ___
/ || ̄ ̄|| ∧_∧
|.....||__|| (     ) 苦が壊れた後は何になるのですか?  
| ̄ ̄\三⊂/ ̄ ̄ ̄/
|    | ( ./     /
 ___
/ || ̄ ̄|| ∧_∧
|.....||__|| ( ^ω^ ) おいら何もわかってないお^^
| ̄ ̄\三⊂/ ̄ ̄ ̄/       いっしょに考えるお^^
|    | ( ./     /
215Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/30(木) 08:05:45 ID:AQUi4ffD BE:427479825-PLT(13230)
人はこの世に生まれる時産声を上げる・・
この世の苦しみをすでに悟る・・


216神も仏も名無しさん:2009/04/30(木) 08:09:00 ID:1cEMPvql
苦と楽はどちらが多いのですか?
217神も仏も名無しさん:2009/04/30(木) 08:10:15 ID:FRtnEz3I
簡単、
苦が壊れた後は死にます。
218神も仏も名無しさん:2009/04/30(木) 08:11:12 ID:FRtnEz3I
考えるほどのことでもないでつ
219Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/30(木) 08:15:51 ID:AQUi4ffD BE:170992122-PLT(13230)
行苦(ぎょうく、saMskaara-duHkhataa) とは「生起の苦の状態」といわれる。
「行」の意味は、「作られたもの」ということで、生存していること自体を指し
ているから、一切の存在が無常であることによって遷り流れてゆくところに感じ
とられる苦である。とくに、人間生存の無常という事実の中に感ずる苦である
から、生存苦、生きること自身が苦であることを示した。

したがって、苦苦も壊苦も、この行苦を根本として起ってくるといえる。
その意味で、行苦や五陰盛苦は、人間の根本的な苦を示す。仏教は、根本的に
は生きていること自体が苦であるという形而上学的な考え方をもととして、
人間の「自分が」という我執こそ苦の根本であると言う。

これと・・・
220Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/30(木) 08:17:28 ID:AQUi4ffD BE:769463036-PLT(13230)
苦諦

このように一切は苦なりという仏教の根本的立場が確立され、苦諦(くたい)と
よばれる。苦諦とは「苦が諦である」ということで、それは苦であることが真
理(サトヤ、satya)であり、人間の生存そのものが苦であるという。その意
味では、苦とは哲学的意味をもった苦である。
しかし、四苦といわれる生・老・病・死、加えて八苦といわれる愛別離苦・
怨憎会苦・求不得苦・五陰盛苦をみても、実際には具体的な現実苦を示すこと
は注意すべきである。

これと・・
221Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/30(木) 08:21:52 ID:AQUi4ffD BE:512975243-PLT(13230)
唯識に「惑・業・苦」の教説がある。
 人には、「惑」(わく)があって、「業」(ごう)を起こし、それが「苦」を
生む。無明が業・苦を起こす
「惑」とは、煩悩である。10種の根本煩悩と20種の随煩悩がある。
これらが、業(思考・行為)を起こし、苦(自分と他人に)を生じる。従って
、煩悩を捨てることが苦の解決になる。 根本煩悩を「本執」ともいう。貪・
瞋・癡・慢・疑・薩伽耶見(我見)・辺執見・邪見・見取・戒禁取の十である
。薩伽耶見(我見)から戒禁取までの五を「悪見」という。悪見を一つとみて
、六煩悩(貪、瞋、癡、慢、疑、悪見)とすることもある。「貪」はむさぼり
、「瞋」はいかり、「癡」は「無明」である。無明は、最も根源的な無知であ
り、一切の煩悩、業、苦の根本原因となる。業と果と四聖諦と宝(三宝)に対
する無知であるという説もある。

これ・・・

無明は最も根源的な無知であり、一切の煩悩、業、苦の根本原因となる・・・

根源的な無知が苦の根本原因となるらしいお^^
222神も仏も名無しさん:2009/04/30(木) 08:23:41 ID:1cEMPvql
無明とは何ですか?
223Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/30(木) 08:26:00 ID:Nb45jStU
悟りの智慧によって、煩悩の根が断たれておらず、無明は滅していなかったわけ
である。煩悩がなくなったわけではないから、大きな出来事があれば、坐禅して
いないとき、煩悩を帯びた業(思考)を起こして「苦」がおこる。苦悩が大きく
なって、心の病気になったり、自殺したりする。あるいは、他者を害して、いじ
めたり、犯罪を犯したりする。
だから、煩悩を捨棄する心の功夫は、2−3か月だけでも基本を修習しておい
て、生涯それを続けていくことは、難しいことではない。そうすれば、自他を
深刻に苦悩させることを予防できる。

座禅の修行か・・・
おいらも座禅と言う名のパチンコ行って来るかな・・・
224神も仏も名無しさん:2009/04/30(木) 08:26:06 ID:1cEMPvql
苦を逃れ得ないものだとすれば、
苦から逃れようとすることにどんな意味がありますか?
225Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/30(木) 08:28:24 ID:Nb45jStU
無明(むみょう、avidya)とは、仏教用語で、迷いのこと。また真理に暗いこと
、智慧の光に照らされていない状態をいう。法性(ほっしょう)に対する言葉で
ある。
仏教では十二因縁の根源に無明をおく。すべての苦は、無明(迷い)を原因とす
る煩悩から発生し、智慧によって無明を破ることにより消滅すると説く。我とい
うものが存在するという見解(我見)が無明である。無常であるものを常住と見
るが、それが失われると苦しみを生じる。すべての苦しみはこの無明を原因とし
て発生すると説く。この苦しみを消滅する方法は、初期経典には定型文句として
四諦、八正道であると説かれている。この四諦、八正道を知らないことも無明で
ある。
226Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/30(木) 08:31:10 ID:AQUi4ffD BE:769463036-PLT(13230)
苦から逃れようとすることにどんな意味がありますか

その行為は意味が無いと思う・・・
おいらなら苦を理解しようとするけど・・・

227Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/30(木) 08:32:29 ID:AQUi4ffD BE:1367932984-PLT(13230)
ふぅうううううううう〜^^
終わったお^^

苦を実感してしまったお^^
悟りはまだまだだお^^
228Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/30(木) 11:37:36 ID:AQUi4ffD BE:769463429-PLT(13230)
ブッダは「内面的にも外面的に外面的にも感覚的感受を喜ばない」ことが重要だと言っている。
229Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/30(木) 11:42:53 ID:AQUi4ffD BE:1709916285-PLT(13230)
無分別智とは坐禅によって下層脳を活性化させ、識別作用(識)の寂滅から生じ
る苦(ストレス)の消滅と、もののあり方を客観的に正しく見る如実知見の二つ
の能力から成る全脳的智慧だと言えるだろう。

ほほう^^
230Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/30(木) 11:44:25 ID:AQUi4ffD BE:1282437465-PLT(13230)
     ∧ ∧
    ( *‘ω‘*)
     (⊃\)_________
    ̄ ̄ v v.\           .|
          |            |
   .〜 〜〜 〜|〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
         禅の悟りとは何か
231Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/30(木) 11:46:10 ID:Nb45jStU
最初に禅を紹介した人物としては飛鳥時代の僧道昭(629〜700)とするのが通説
232Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/30(木) 11:50:24 ID:Nb45jStU
道元の禅はその後多くの弟子達によって布教され日本曹洞宗を形成した。
233Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/30(木) 11:51:04 ID:Nb45jStU
禅に於ける宗派の違いは単に師承の系譜上の違いに基づく。本質的な違いはないと見て良い。
234Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/30(木) 12:11:51 ID:Nb45jStU
禅定により阿羅漢果に達する
「無我」を「体験」する
235神も仏も名無しさん:2009/04/30(木) 12:12:15 ID:KFizvcoc
 禅は以心伝心・不立文字だから、師子相続しかできないね。
 宗派ができるのは当然だね。
236Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/30(木) 12:13:12 ID:Nb45jStU
阿羅漢とは、全ての煩悩が完全に滅した人です。
煩悩が全くありませんので、智慧が何の制限もなくストレートにはたらく
237Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/30(木) 12:14:59 ID:AQUi4ffD BE:2393883078-PLT(13230)
宗派か・・・
おいら何もしらないお^^
238阿羅古希 :2009/04/30(木) 12:17:26 ID:KFizvcoc
おいらはアラコキだ。
>禅定により阿羅漢果に達する
やっぱ仏法の悟りは即身成仏じゃよ。ははは
阿羅漢は嵐寛寿郎の略称だろ。
239Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/30(木) 12:27:22 ID:AQUi4ffD BE:1154194439-PLT(13230)
自我などは、実はもともと存在しないものなのです。冥想実践で自我なんかはな
いことが発見できるのです。「自我というのはただの幻覚だ」とわかるのです。
自分を観察して、自我という化け物が構成されるシステムを発見した人は、もう
どんな条件のもとでも自我を作ることはありません。自我という妄想概念が破れ
たのです。それが悟りです。そうなったらもうだいじょうぶ。何があってもここ
ろの葛藤は起こりません。

自我の消滅・・・
240Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/30(木) 12:34:04 ID:AQUi4ffD BE:1282437656-PLT(13230)
仏教徒なら臨終の時でさえ、瞑想するのです。
241Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/30(木) 12:37:29 ID:AQUi4ffD BE:1196941474-PLT(13230)
仏教の瞑想修行・修習は二種類あります。止(samatha)と観(vipassanâ) です。
242Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/30(木) 12:39:16 ID:AQUi4ffD BE:1795412276-PLT(13230)
観(ヴィパッサナー)は自分の心身や外界の絶え間ない変化を観察し、その、一瞬ごとに絶え間なく変化生滅し続けている現象を、そのスピードのまま、ありのままに捉えるものです。
243Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/30(木) 12:41:15 ID:Nb45jStU
仏教以外にも知られている、いわゆる「禅定」瞑想は、止(サマタ)瞑想と呼ば
れます。観と同じく必死に集中してものごとを観察しますが、視点が観(ヴィパ
ッサナー)とは全く異なります。止(サマタ)では、絶え間なく変化生滅し続け
る現象を、その生滅する一つずつを次々に観察するのではなく、現象を「変化し
ないもの」と仮定して、何か一つの対象だけに集中し続け、そこに心を「留める
」のです。

ほほう^^
244Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/30(木) 12:48:46 ID:Nb45jStU
 何かの対象に触れても心の揺らぎが起こらない、喜悦感も幸福感さえもなくし
た平安状態の禅定が、対象を取る色界四禅の最高の状態です。禅定をこのレベル
まで達してから、釈尊は最高の阿羅漢果に達しました。

平安状態の禅定・・・

245阿羅古希 :2009/04/30(木) 13:20:41 ID:KFizvcoc
>>236
>煩悩が全くありませんので、智慧が何の制限もなくストレートにはたらく
濁ったボンノーではなくきよらかなホンノーで生きよということかな?
濁ったエゴよりきれいなエコが一番だね。
246Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/30(木) 13:56:46 ID:Nb45jStU
八番目に、無所有処を完全に超え、非想非非想処に達します。
何も意識しない心さえなくしてみようと、意識はおろか、意識しようとする衝動
「想(saññâ)」さえ起こさせない、でもそれさえも完全に起こらないのは心自
体が滅することでちょっと不可能で、実際には想が起こるのか起こらないのか分
からないほど微かにして、もちろん意識などは全く起こらない状態にまで達しま
す。
世俗的に言えば仮死状態のような、意識しようとする衝動さえ起こさないよう抑
えられている禅定が、この、色界禅定を超えた無色界等至の最高の状態です。
このように始めは何かの対象を通して四段階、次に心だけで四段階、心を制御す
る禅定が、合計八種類あります。
247Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/30(木) 14:12:28 ID:AQUi4ffD BE:2735866188-PLT(13230)
さて、第一禅定を自在にコントロールできるようにならなくてはなりません
。まず、禅定に入っていくときに心をそれに向けていく、意門転向心ができる
ようにします。次に、禅定に入ってから、ずっと禅定の心を保ち続けることがで
きるようにします。初めて禅定に入った状態ではこれらの区別はできませんので
、後になってからやることになります。
248Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/30(木) 14:14:10 ID:AQUi4ffD BE:641218853-PLT(13230)
このようにしてサマタ瞑想を修行した後、いよいよ四界分別観を媒介にしてに入
っていきます。この瞑想で、精神性と物質性の究極の真実を観ていきます。
そして、無常、苦、無我を観て行くのです。究極の精神的、物質的世界の現実を
観ると、それが常に生じては滅しているということがダイレクトに見えてきます
。それが無常であり、すべてはそのようにして留まることなく流れています
249Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/30(木) 14:15:55 ID:AQUi4ffD BE:1923655695-PLT(13230)
悟りの要素であるこれらの七覚支を育てていき、確固たるものとしていく
ことで、道智、果智という悟りを得ます。ニッバーナ(涅槃)を対象とす
るヴィパッサナーの最終段階の悟りに到るまで、七覚支を深く養っていく
ことです。
250Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/30(木) 14:19:23 ID:AQUi4ffD BE:2308387469-PLT(13230)
さてと・・・
頭で理解しても・・・
実践しないと・・・
悟りは得られないな・・・

どうしよう・・・・^^迷い?
251Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/30(木) 14:20:37 ID:Nb45jStU
 ___
/ || ̄ ̄|| ∧_∧
|.....||__|| (     )  どうしよう・・・・^^迷い?
| ̄ ̄\三⊂/ ̄ ̄ ̄/
|    | ( ./     /
 ___
/ || ̄ ̄|| ∧_∧
|.....||__|| ( ^ω^ )  どうしてこうなった!?
| ̄ ̄\三⊂/ ̄ ̄ ̄/
|    | ( ./     /
252Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/30(木) 14:27:34 ID:AQUi4ffD BE:1709916285-PLT(13230)
まずは・・・
1日30分だな・・
時間も定める・・・
スレが800になったら始めるか・・・
後の200で状況報告をする・・・
頭で理解してると・・
悟るのも早いのかも知れない・・・^^
253Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/30(木) 14:30:23 ID:AQUi4ffD BE:2393883078-PLT(13230)
段階としては・・・
止(サマタ)瞑想から・・・
観(ヴィパッサナー)瞑想へと・・
悟りの要素であるこれらの七覚支を育てていき、確固たるものとしていく・・
これだな・・・
254Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/30(木) 14:31:24 ID:AQUi4ffD BE:341983924-PLT(13230)
まずは・・・
第一禅定を自在にコントロールできるようにならなくては・・・

あぁあああああああああああああああああああああ^^
255神も仏も名無しさん:2009/04/30(木) 16:04:15 ID:kB9y3xwO
(o`-') 座禅…面倒臭いからイヤだ

寝禅ならいいけど
256ドッカク:2009/04/30(木) 17:08:16 ID:MSCTey+Z
唯識の話、読ませてもらいました。
 
感想・・・もう一歩のところまで来た。みんな、がんがれよ
257亭白:2009/04/30(木) 17:33:53 ID:ytR1sNMg
煩悩を滅することは出来ません。煩悩を滅すると人間の肉体が死んだときになりますので、
心を統御し煩悩をコントロールし心を支配下におくことであります。
258ドッカク:2009/04/30(木) 17:48:44 ID:MSCTey+Z
Φ氏には期待している。しかし横道にそれたらだめだね。
王道を歩んでほしい。
 
ヒントをあげよう。意識は言葉であり、無意識は視覚である。
無意識は言葉のない視覚だけの世界であり、夢であり魔境である。
これをどう越え、彼岸に到るのか?
 
瞑想の種類とか方法ではない。
秘密は「思い」にある。
自分の「思い」を根源的に変えなければならない。
259ドッカク:2009/04/30(木) 18:32:41 ID:MSCTey+Z
悟るためには、自分の「思い」を根源的に変える必要がある。
なぜなら、マナ識がアラヤ識を愛している状態が「自我」であり、
この状態を壊さないと悟りがないから。
 
1 マナ識がアラヤ識を愛している ・・・ 根源的な自己愛である
2 マナ識がアラヤ識を嫌う ・・・ 根源的な自己嫌悪である
 
だからやるべきことはつぎのようになる
1 目を開いて、自分の心の底に隠れている自己愛をえぐりだす
2 それを心の底から嫌う ・・・ 生きることは「一切皆苦」である
3 悔い改める → 運がよければ「聖霊」が訪れる
 
聖霊体験をしたら瞑想に専念する。
それまでは、自分の誤り、自分の罪をひたすら探そう。
260Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/30(木) 18:41:07 ID:AQUi4ffD BE:1196941474-PLT(13230)
がんがるおぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお^^
261ドッカク:2009/04/30(木) 19:03:24 ID:MSCTey+Z
>>257
アラヤ識を脱落させれば仮死状態に入ります。
しかしそうやって根本識(九識)を体験できるのです。
それが語られるのは体験者がいるからです。
 
そこから再び帰って来れるのは聖霊の力だろうと思います。
入るにも出るにも聖霊体験が必要です。 
だから聖霊体験が先なのです。
262ドッカク:2009/04/30(木) 19:21:17 ID:MSCTey+Z
Φ氏、聖霊体験だけで画期的。
キリスト教世界では超エリートである。
263Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/30(木) 19:41:09 ID:AQUi4ffD BE:1923656459-PLT(13230)
最後の人生・・焼酎飲んで楽しんでるお^^

あっ・・・
悟りは人には頼らない・・
独学で悟るお^^
これ基本^^
264どっかく:2009/04/30(木) 22:17:41 ID:dCD/Z50S
先日、生物の「死」をテーマにしたテレビ番組があった。
 
ウイルスや細菌は基本的に死なない。
死は雌雄という性ができてから登場した。
そして細胞の中には、死のメカニズムが最初から組み込まれている。
それは生物進化にとって必要なメカニズムだという。
 
もともとの生物は死なない存在だった・・・
「いのち」は死なない、ということを、最新の科学が裏付けている。
雌雄という性があっても、「いのち」は永遠かもしれない。
 
キリスト教の「永遠のいのち」、ありそうである。
265Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/01(金) 00:09:32 ID:0+BT9YSO BE:1367933748-PLT(13230)
映像で見る禅
http://www.rinnou.net/movie/index.html

( ^ω^)やばいお^^本当に悟りがえられそうだお^^
     どうしてこうなった・・・・
266Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/01(金) 00:11:44 ID:0+BT9YSO BE:384731633-PLT(13230)
部屋の掃除からはじめないとならなくなったお^^
267神も仏も名無しさん:2009/05/01(金) 00:22:38 ID:qrvcXiuy
“神に最も近い男”角川春樹 宇宙、宗教、映画を斬る!(後編) - 日刊サイゾー
http://www.cyzo.com/2008/05/post_538.html

 生涯“不良青年”を自称する角川氏は、ビジネスには遊び感覚が重要だとも語る。

「人間がこの世に生まれてきたのは、修行して来世に備えるためなんて考えがあるが、それはウソだよ。
 宗教はウソ。人間はただ一点、楽しむために生まれてきたんだ。
 オレは刑務所の中で宇宙を体験してきて、それがわかった。
 オレがやっている一行詩も会社運営も、すべては遊び。その中でも映画製作は、かなり大掛かりな遊びだな。
 人生を楽しむことこそが、最高の境地なんだよ」
268Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/01(金) 00:28:51 ID:0+BT9YSO BE:2735866188-PLT(13230)
( ^ω^)ひとそれぞれだから・・・
     自分の信ずる道を行けばいい・・
     だけども・・・人にその考えを押し付けるのはどうかな?
269Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/01(金) 00:37:00 ID:0+BT9YSO BE:512975726-PLT(13230)
大乗仏教の考え方の基礎は、この世界のすべての物事は縁起、つまり関係性の上
でかろうじて現象しているものと考える。唯識説はその説を補完して、その現象
を人が認識しているだけであり、心の外に事物的存在はないと考えるのである。
これを「唯識無境」(「境」は心の外の世界)または唯識所変の境(外界の物事
は識によって変えられるものである)という。また一人一人の人間は、それぞ
れの心の奥底の阿頼耶識の生み出した世界を認識している(人人唯識)。
他人と共通の客観世界があるかのごとく感じるのは、他人の阿頼耶識の中に自
分と共通の種子(倶有の種子 くゆうのしゅうじ、後述)が存在するからであ
ると唯識では考える(これはユングの集合的無意識に似ていなくもない)。
270Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/01(金) 00:37:56 ID:0+BT9YSO BE:2393883078-PLT(13230)
人間がなにかを行ったり、話したり、考えたりすると、その影響は種子(しゅう
じ、阿頼耶識の内容)と呼ばれるものに記録され、阿頼耶識のなかにたくわえら
れると考えられる。これを薫習(くんじゅう)という。ちょうど香りが衣に染み
付くように行為の影響が阿頼耶識にたくわえられる(現行薫種子 げんぎょうく
んしゅうじ)。このため阿頼耶識を別名蔵識、一切種子識とも呼ぶ。阿頼耶識の
「アラヤ」という音は「蔵」という意味のサンスクリット語である。さらに、
それぞれの種子は、阿頼耶識の中で相互に作用して、新たな種子を生み出す可
能性を持つ(種子生種子)。
271Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/01(金) 00:39:37 ID:0+BT9YSO BE:2693118479-PLT(13230)
無相唯識と有相唯識とは、阿頼耶識をどのようにみるかに大きな相違点がある。
無相唯識は、阿頼耶識もまた空として、究極的に否定し、仏が個体として現象し
て、見るものと見られるものとが分かれない絶対知が得られると説く。
有相唯識は、阿頼耶識を実有の識体と見なし、それが変化して見るものと見られ
るものとが生ずるという説を立てる。この説にしたがえば、絶対知を得ても阿
頼耶識そのものが否定されるのではなく、そのなかにふくまれている煩悩の潜
勢力が根絶されるのであると説くから、絶対知においても、見るものと見られ
るものはそこにあることになるのである。
272Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/01(金) 00:43:34 ID:0+BT9YSO BE:1709916285-PLT(13230)
法相(ほっそう)とは、存在のあり方を指す。個々の具体的存在現象のあり方だ
けでなく、一切の事物の存在現象の区分やその有様も指している。実際には、
存在現象そのものに関しては、説一切有部などの部派仏教を中心に研究が進め
られ、その研究の上に、存在現象のあり方を、我々人間がどのように認識して
いるのか、という研究が進められた。さらに、最終的には一切の存在現象はた
だ識に過ぎないとする。
さらに三性説を立て、人間が縁起の理法に気付く(覚る)までをダイナミック
に分析する。三性とは、事物は縁起に依るという依他起性、それに気付かずに
執着するという遍計所執性、縁起を覚って円らかになる円成実性である。
基は師の玄奘が訳出した『成唯識論』を注釈し、一切法の相を五位百法に分類
し分析的に説明した。この相と性を学ぶことを合わせて性相学という。→唯識)
273神も仏も名無しさん:2009/05/01(金) 00:46:20 ID:9xV3mStV
俺は時々こう思ってしまう
修行した人もしない人も結局は同じなのではないか?と
生きている人間ならば心臓は必ず動いている
自分でどうにかしようなどと思わないでも動いている
誰にでも生きる力 つまり神は既に万人に宿っているのではないか?
ならばただひたすら好きなように生きれば それで良いのではないか?
274Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/01(金) 00:49:46 ID:0+BT9YSO BE:341983924-PLT(13230)
>>273
自然のままに生きる・・・正論だお^^

けど・・おいらはちがうお^^
275神も仏も名無しさん:2009/05/01(金) 00:52:11 ID:qrvcXiuy
>>270
それは、アカシック・レコードの概念そのものだね。

アカシックレコード
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%AB%E3%82%B7%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%89

アカシックレコード (Akashic Records) は、宇宙や人類の過去から未来までの歴史全てが、データバンク的に記されているという一種の記録をさす概念。
多くの場合、宇宙空間それ自体にその(一種の)記録がなされると考えられており、アカシャ (akasha) とはサンスクリットで「虚空」、「空間」を意味する。

神智学(あるいは人智学)やリーディングの伝統(チャネリング)などでは精神的に目覚めた人は、
この記録から、意のままに過去や未来の情報を引き出すことができるようになり、そして自己の人生の意義や存在の理由がわかるとされる。
多くの預言者や神秘家がこれにアクセスし、予言として世に伝えてきたとされている。

この概念の類似概念は極めて古くから見られるが、直接にこの語が使われるのはインドに本拠地をおいた神智学協会の創始者ブラヴァツキーの主張に始まると見られる。
ドイツの神秘思想家ルドルフ・シュタイナーは、後の人智学協会の神智学協会からの独立の過程でアカシャ・クロニクル(アカシャ年代記。
この英訳語がアカシック・レコード)の概念を高度に体系化し、派生的な様々な影響を与えた。
276神も仏も名無しさん:2009/05/01(金) 00:56:48 ID:qrvcXiuy
倫理の源泉としての死後の実在の観念が社会的に揺らいだ時期である19世紀末ごろには複数の人物が、同時多発的に類似の概念を提唱している。
少し前後してイギリスの心霊科学研究で、場所の記憶をめぐる説明概念である「残留思念」が提唱されている。
残留思念はその元にルヴナンやアッパリッションの概念があり、日本でいう幽霊を指す言葉だが、「往来するもの・思い起こさせるもの」の意味があり、
キリスト教の死者の霊魂は地上から去るという教理と幽霊の伝承の狭間で展開した民間伝承を継承している。

シュタイナーの初期のアカシャ年代記(Akasha Chronik)の概念にも、この観念の影響が見られ、
シュタイナー初期のアカシャ年代記とは生物や万物の生成の背後にあるとするエーテル体の残滓・痕跡を意味しており、必ずしも未来の記録を含む概念ではない。
また、この概念は哲学者ベルグソンの哲学にも類似性がみられる。
これらの観念はギリシア哲学に発しアラブで発展した生気論(特にアル=キンディー)の中に多くのアイデアを見出すことが出来る。
これらの生気論では、生物のみならず鉱物や世界までもが固有の生気=霊魂=プネウマを持つと考えられた。

後にアカシックレコードの概念はエドガー・ケイシーの名前と共に知られるようになる。
現在、人智学、チャネリング、リーディング、あるいはクトゥルー神話に代表されるサブカルチャーのガジェット等、様々な文脈において発展を見せており、必ずしも一様な概念ではない。

虚空蔵菩薩はアカシックレコードを擬人化したものではないか、という説がある。
277Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/01(金) 01:06:30 ID:0+BT9YSO BE:1068698055-PLT(13230)
アカシック・レコードを開く鍵を見つけるために有効なのは、瞑想だけである
というのも、瞑想という行為は、ほかならぬ霊魂の象徴言語の一部を理解する
行為だからである。

瞑想を通じて、アカシック・レコードの特定の記録を解き放つ鍵を見つける術
を学べば、あなたはアカシック・レコードのおよそ無限の叡智にアクセスし、
そこから必要な情報を得ることができるようになる。
アカシック・レコードの神秘の扉を開くことで、あなたはそこに貯蔵されてい
る誰の想念にもアクセスできるようになるのだ。

今までに瞑想でアクセスした人いるのかな・・・
なんか懐疑的だな・・・
278神も仏も名無しさん:2009/05/01(金) 01:13:56 ID:qrvcXiuy
>>277
>今までに瞑想でアクセスした人いるのかな・・・
>なんか懐疑的だな・・・

歴史上にいっぱい居る。西洋ではエドガー・ケイシーあたりが特に有名。
仏教ではアカシック・レコードの叡智と悟りの境地へは
「虚空蔵求聞持法」を修することによって到達できるとされる。

虚空蔵菩薩 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%99%9A%E7%A9%BA%E8%94%B5%E8%8F%A9%E8%96%A9

「虚空蔵」はアーカーシャ・ガルバ(「虚空の母胎」の意)の漢訳で、虚空蔵菩薩とは広大な宇宙のような無限の智恵と慈悲を持った菩薩、という意味である。
そのため智恵や知識、記憶といった面での利益をもたらす菩薩として信仰される。
その修法「虚空蔵求聞持法」は、一定の作法に則って真言を百日間かけて百万回唱えるというもので、これを修した行者は、あらゆる経典を記憶し、理解して忘れる事がなくなるという。

空海が室戸岬の洞窟 御厨人窟に籠もって虚空蔵求聞持法を修したという伝説はよく知られており、日蓮もまた12歳の時、仏道を志すにあたって虚空蔵菩薩に21日間の祈願を行ったという。
また、京都嵐山の法輪寺では、13歳になった少年少女が虚空蔵菩薩に智恵を授かりに行く十三詣りという行事が行われている。 胎蔵曼荼羅の虚空蔵院の主尊であり、密教でも重視される。
279神も仏も名無しさん:2009/05/01(金) 01:23:00 ID:6xgmZVun
ほとんどがネットで見つけてきた文相のコピペだな

埋め埋め
280神も仏も名無しさん:2009/05/01(金) 01:29:44 ID:qrvcXiuy
アカシック・レコードにアクセスするというと一見難しそうだが、
要は俗に言う「ひらめく」とか「(芸術や発明などの)霊感を得る」ことと同じようなもの。
瞑想によってひらめきや霊感を得ることは難しくない。
つまり誰でもアカシック・レコードにアクセスすることは可能ということだ。
煩悩によってアクセスが分断されている状態が我々凡夫、つまり普通の人間の状態。
瞑想しアカシック・レコード(=神仏)とアクセスすることがおそらく古来から悟りと言われている状態なのかもしれない。
281Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/01(金) 01:38:36 ID:0+BT9YSO BE:512974962-PLT(13230)
とにかくこの人の驚くべき能力は、自分自身が催眠状態に入ったままで、本人の
顕在意識にまったく影響されていない自由な潜在意識が、同席している他の人々
と会話をすることができたということである。

彼は催眠状態から何でも答えることができ、それを記録したものが財団に保存
され研究しているらしいが・・

興味がないお^^
282神も仏も名無しさん:2009/05/01(金) 03:27:01 ID:9xV3mStV
いずれにせよ、旦那芸の域を超えてはいないのではないか?
何の役にも立たない気がしてならない
283Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/01(金) 08:38:07 ID:0+BT9YSO BE:598470672-PLT(13230)
>>282
この文を書く意図とは・・^^
284Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/01(金) 08:48:40 ID:0+BT9YSO BE:598470672-PLT(13230)
仏教を何も知らないおいらが勉強して4日目だからね^^
禅定をして早く悟れたら・・・
長年やってる人にわるいお〜^^
285神も仏も名無しさん:2009/05/01(金) 08:59:02 ID:HG2uKhoT
おれは3秒で悟ったぜ
オマエは馬鹿だ
286Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/01(金) 09:08:01 ID:0+BT9YSO BE:641219235-PLT(13230)
おれは3秒で悟ったぜ

おれが存在してること自体悟っていないんだが・・・・^^
287Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/01(金) 09:18:33 ID:0+BT9YSO BE:2051899968-PLT(13230)
思量とは「恒審思量」といわれ、恒に睡眠中でも深層において働き続け、審(つ
まび)らかに根源的な心である阿頼耶識を対象として、それを自分であると考え
て執着し続ける。この深層的な自我心を滅することによって、我々は初めて真の
無我行を実践することができる。
288Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/01(金) 09:20:05 ID:0+BT9YSO BE:1538924966-PLT(13230)
深層的な自我心を滅することによって、我々は初めて真の
無我行を実践することができる

これ再認識させられたお^^
289Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/01(金) 09:52:15 ID:0+BT9YSO
悟りの説明は、もちろん悟りそのものではなく、単なる知識です。そこから本当
に頑張って修行すれば、道がどんどん開けるのです。でも、経典に説かれている
悟りの説明を読むと、その、知識レベルの説明だけでも、体験した人だけが語れ
る圧倒的な真実があると分かります。その真実に、言葉のレベルでも触れると、
私たちの心も変わります。

ほほう^^
290Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/01(金) 09:53:33 ID:0+BT9YSO
悟りは、四沙門果(修行者が得る四つの結果)と言われるように、四段階あります。
預流果、一来果、不還果の順に一つずつ段階を進み、阿羅漢果で完成します。

阿羅漢果・・・^^

291Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/01(金) 09:57:58 ID:0+BT9YSO
最初の悟り・預流果では、細かく分ければ千五百もあると言われる煩悩の中、たった三つ(三結)だけが消えています。
でもそれは、悟りを決定付ける三つです。

「無常を悟る、無我を悟ることが仏教だ」と言われる、その無常、無我を一瞬だ
けでも「体験」して、「我がある」という邪見・煩悩が、単なる知識として分か
るのではなく、本当に消えるのです。

ほほう^^
292Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/01(金) 10:10:10 ID:0+BT9YSO
預流果に達した人は、真理を一瞬だけでも「体験」していますから、
それだけでも心はガラッと変わっています。心が変わってしまいましたので
、心が決めるその後の進路も、悟りの方向に大きく転換しています。

ほほう^^
293Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/01(金) 10:11:18 ID:0+BT9YSO
まずは・・・
預流果から・・・・^^
294神も仏も名無しさん:2009/05/01(金) 10:25:02 ID:6xgmZVun
>>286
>>293
ぷぷぷっ
まぁ、頑張ってくれたまぇ
295Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/01(金) 10:30:55 ID:0+BT9YSO BE:256487832-PLT(13230)
 預流果に達してからは、説法を聴くだけではもう進みません。瞑想修行もして
、もう一瞬だけ、「私がいない、何もない」瞬間を「体験」すると、第二段階の
一来果に達します。
一来果では、有身見、疑、戒禁取の三結は当然消えていますが、その他に、欲、
怒り、無知の三煩悩が、いずれも弱くなります

ほほう^^
296神も仏も名無しさん:2009/05/01(金) 10:31:05 ID:6xgmZVun
もう、頭ガチガチだな。
297Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/01(金) 10:33:42 ID:0+BT9YSO BE:1025950346-PLT(13230)
瞑想に習熟して、目や耳などの五感に頼らない、しかも六番目の感覚・心で考え
る妄想も全くない、心が純粋にはたらくだけの状態に達したら、それが禅定です
。身体も妄想概念も全部切り離して、心だけが穏やかに生滅し続けます。

禅定・・

298神も仏も名無しさん:2009/05/01(金) 10:34:53 ID:HG2uKhoT
悟どころかガチガチにしがみついちゃってるねw
299Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/01(金) 10:37:44 ID:0+BT9YSO BE:1538925449-PLT(13230)
でも「『私』はない」と無我、無常を「体験」して悟りの段階に入った人が禅定
に達し、梵天界の素晴らしさを体験すると、やはりその素晴らしさに執着します
が、どこかに、この素晴らしさも所詮は無常だという諦めもあります。
 このような聖者は、梵天界に執着する代わりに欲界への執着をあっさり捨てて
しまいます。ですから梵天界には生まれ変わりますが、そこでの長寿を終えると
もう満足していますので、何の執着も残らず、どこにも輪廻せず、ただ消えて
しまうのです。

『私』はない」と無我、無常を「体験」して悟りの段階・・・
300Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/01(金) 10:44:30 ID:0+BT9YSO BE:683966944-PLT(13230)
聖者の道の入口は、二つあります。教えに対する理解・法随行と、仏陀に対する
信心・信随行です。両方兼ね備えていなくても、どちらからでも、聖者の道に入
れます。人によって、教えの理解から仏道に入る場合と、信心から仏道に入る場
合があるのです。

 仏陀の教えを聞いて喜び、理解できるなら、それは法に随って行く悟りへの
道。仏陀の存在を喜び、仏陀に心定まるなら、それは信に随って行く悟りへの
道です。このどちらかがあるなら、悟りへの道は開かれています。

おいらは「法に随って行く悟り」だお^^
301亭白:2009/05/01(金) 10:47:08 ID:IMquAhMT
>>299Φιλοσοφさん
無我、無常を「体験」して悟りの段階に入った人が禅定
に達し、梵天界の素晴らしさを体験する
☆梵天界の世界は菩薩界と如来界の間にある世界です。
 そこで梵天界の素晴らしさとは具体的に御教示願いますか?
302Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/01(金) 10:55:15 ID:0+BT9YSO BE:2051899586-PLT(13230)
禅定に達して心だけでその禅定世界に遊ぶこともできますが、禅定に達した人が
亡くなると、禅定状態への執着が強く、逆にこの普通の欲の世界への未練があ
りませんから、禅定の世界に生まれ変わります。この禅定の世界を、梵天界と
呼んでいます。まだ欲界レベルの天人の世界・天界を遥かに超えた世界です。
そこに住む生命は、天人・神々とは比べものにならないレベルの、梵天と呼ば
れる生命です。
 梵天界は、さらに細かく二種類に分けられます。瞑想の対象にもなる、何ら
かの物質が僅かにある色界と、それさえもない、本当に心だけの無色界です
。色界、無色界の二つの梵天界と、私たちの欲界を合わせて、三界と言います
。 梵天界も輪廻の世界なのですが、五(六)道輪廻の天界には、私たちは普
通、梵天界を含めて考えてはいません。あまりに次元が違うからです。でも、
輪廻する全世界を欲界・色界・無色界の三界に分類する時は、五道輪廻の中の
地獄から欲界天までが欲界だと明示し、それに色界・無色界の二つの梵天も
「天」に含めます。これで、五道でも三界でも、輪廻の全世界を言い表した
ことになるのです。

おいら何も知らないけど・・・
この世界らしいお^^
303Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/01(金) 11:00:19 ID:0+BT9YSO BE:2735866188-PLT(13230)
色界、無色界、欲界で輪廻の全世界の三界か・・

魂がエネルギーだとすると輪廻の全世界もありえるね^^
304Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/01(金) 11:01:40 ID:0+BT9YSO BE:2693118097-PLT(13230)
なぜなら・・・
エネルギーは消滅しない・・・^^
305Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/01(金) 11:04:20 ID:YERc7Bcb
エネルギーは形を変えても消滅しないというエネルギー保存法則の確立の基礎・・
だおったお^^
形を変えても消滅しない・・・だったお^^
306神も仏も名無しさん:2009/05/01(金) 11:07:39 ID:6xgmZVun
勉強しすぎだよ。

僕ちゃんだったら、
菩薩界と如来界の間にある世界なら、ひらがな15文字で説明できちゃうよ。
307神も仏も名無しさん:2009/05/01(金) 11:08:31 ID:6xgmZVun
レスが999ごろになったら、また、見に来るわ
頑張ってね
ばいばーい。
308Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/01(金) 11:10:24 ID:0+BT9YSO BE:769462463-PLT(13230)
>>306
みんなコピペだお^^
クリック2.3回するだけだお^^
309神も仏も名無しさん:2009/05/01(金) 11:31:06 ID:9xV3mStV
う〜ん…いくら言葉を頭で理解しても 現実には何の力も身に着かないし何年経っても変らないんでしょう?

多分 言葉だけ先行して実質的なものが全然無いのには、誰もが飽き飽きしてるんだと思う

今のあらゆる宗教に根本的に足りないのは力

立派な御言葉ばかり並べても、それを叶えられる力が全く無い

だから宗教とかに熱心な人は、奇人変人扱いで指差されて笑い物になるんじゃないのかな?
310Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/01(金) 11:40:10 ID:0+BT9YSO BE:1025949683-PLT(13230)
おいらの基本は・・・
「存在とは何か」
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1239195400
だからね・・・

生きてるうちに理解しておきたいんだよ・・

「存在とはなにか」を考えていたら・・
仏教の教えにたどりついた・・
ただそれだけなんだよ・・・^^
311神も仏も名無しさん:2009/05/01(金) 12:12:39 ID:9xV3mStV
例えば自動車を全く運転せずに、マニュアルだけ何十年も読んで理解した気になっても本当に解ったとは言えないでしょう?

教えは多々あっても何年頑張っても変らないどころか、かえって普通の一般人より精神的に悪い方向にイッてしまってるような人が多い

またこのテの人達の中には麻薬を使用する者も少なくないが、現実の生活や精神状態が乱れているのに悟りを開けるなど有り得ないと思う

最終的には頭デッカチの妄想狂になってしまうのでは?
312Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/01(金) 12:16:08 ID:0+BT9YSO
 __________________
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|.....||               ∧_∧     .||
|.....||_________ (      )     .||  どうして・・・
| ̄ ̄\三三三三三三三⊂/ ̄ ̄ ̄/三三三三\
|    |          ( ./     /        |
313どっかく:2009/05/01(金) 12:34:47 ID:x8AUw4u5
学び、思い、体験することが悟りへの道である。
 
学ばない、思い悩まない、体験もしない、何もしないのではダメ。
学びすぎても、悩みすぎても、体験しすぎてもダメ。
 
ブッダやイエスは、少数の、単純な書物で悟りを開いたと思う。
シンプルにバランスよくやればいい。
 
悟りが趣味になって、袋小路に入らないように注意する。
314どっかく:2009/05/01(金) 12:56:06 ID:x8AUw4u5
瞑想の基本的な性格を知ったほうがいい。
 
瞑想の深さは、信仰の深さに応じた程度である。
それゆえ、瞑想を深めたいなら、信仰を深めなければならない。
 
これを知らないから、いくら瞑想しても悟れない。
そして瞑想するのが苦痛になる。
315神も仏も名無しさん:2009/05/01(金) 13:02:02 ID:9xV3mStV
本当に悟った人なんて誰もいないんでないの?

悟ったと勘違いしてるだけで…

まだ恐竜のほうが深海か何処かに居そうな気がする
316どっかく:2009/05/01(金) 13:04:04 ID:x8AUw4u5
悟りに、瞑想に、「信仰が欠かせない」ことは当たり前である。
 
なぜなら神に近づこうとしているのだから。
 
317どっかく:2009/05/01(金) 13:14:00 ID:x8AUw4u5
>>315
だれでもそう思う自由がある。
しかし、1万年以上前から、多くの人々が神を信じて生きてきた。
信仰には、長い先史、長い歴史がある。
 
信仰は神がいることの証明である。
318どっかく:2009/05/01(金) 13:28:43 ID:x8AUw4u5
キリスト教の福音書
その最初の部分に、重要なことが書かれている。
 
イエスは聖霊を受けてから、荒れ野で瞑想し悪魔を退ける。
聖霊→瞑想→悟り、これが悟りの順番である。
 
仏教の修行者が悟れないのは聖霊体験がないからである。
319神も仏も名無しさん:2009/05/01(金) 14:04:14 ID:jRqCtLQp
>>310
>「存在とはなにか」を考えていたら・・
>仏教の教えにたどりついた・・
仏教の存在の分析はその名のとおり「アビダルマ=存在について」ということだね。
なぜ仏教が存在分析を進めることになったか?
ブッダの法を理解したかったからでしょう。
諸行無常→諸法無我→一切皆苦→縁起→四諦(苦集滅道)→八正道→涅槃寂静
これが根本仏教(アーガマ)のすべてでしょう。
320Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/01(金) 14:52:43 ID:0+BT9YSO
「只管打座」<しかんだざ>(ひたすら座禅をすること)により、直観によ
って、仏教の真理「空」<くう>を体得しようとする「禅宗」の行き方も
仏教の有力な流れとなっています。
(※「只管打座」は、日本の曹洞宗・道元の禅の特色であって、言葉で
は言い尽くせない奥深い実践・修行の道です。書物だけで理解するのは
無理でしょう。道元の著書「正法眼蔵」<しょうぼうげんぞう>はきわめ
て難解な書物です。)
 
321神も仏も名無しさん:2009/05/01(金) 15:19:44 ID:9xV3mStV
おそらくは人々を集める求心力と組織の維持の為には、どうしても具体的な技法が必要なんかじゃないかな

多分 効果は思われている程には無いと思う
無人の洞窟に、いくら呼び掛けても返事は永遠に返って来ないが 木霊なら聞こえる

途方もない努力の果てに、気付いてみれば何ら凡人と変っていないという答を見出だすまで

迷信という名の迷宮を彷徨い続けるのだろうな
322Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/01(金) 15:27:31 ID:0+BT9YSO
 無我説は、自己に恒常不変の主体を認めない。自己は、刻々と縁起して移り変
わっていく存在であるという。すると、過去と現在の自己が同一であるというこ
とは、なぜいえるのであろうか。無我説では、縁起するこころ以外に何か常に存
在する実体は認められない。はたして自業自得ということが成り立つのか。ある
いは、過去の行為の責任を現在問うことができるのか。これは難問であった。

ほほう^^
323Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/01(金) 15:28:29 ID:0+BT9YSO
 現れてくるものは本来、無自性、空で、それ自体としては清浄(自性清浄)な
ものである。ところが日常の世界では「知られる」外界の事物もそれを「知る」
こころも、ともに「依他起」なるもので、それゆえに苦楽、汚れに満ちたものに
なる。しかし、それらは実は、アーラヤ識によって現れた表象でしかない。
この真理をを瞑想(禅定)によって体得することが求められる。
 そのためには経典に説かれる法を知り、六波羅蜜などの修行を積み、瞑想の
段階を深めていく。瞑想における観法によって真実をみる目を得ると、アーラ
ヤ識が虚妄分別としてはたらかなくなる。このとき、「知るもの」と「知られ
るもの」の対立は現れなくなり、自他の区別はなくなり、すべてが平等なもの
として本来の清浄なすがたをあらわす。そして、アーラヤ識はそれまでとは別
の状態に移り、本来のあり方である「完全な真実の性質」(円成実性)を示す
。過去の善悪の業を蓄積する蔵であったアーラヤ識が、あらゆるものの自性清
浄な姿を映しだす大円鏡に変わり、宝の箱が開かれたように行者の仏性(仏に
なる本性)が輝きでるというのである。

ほほう^^
324Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/01(金) 15:36:20 ID:0+BT9YSO
外界に実在すると思いこまれる「知られるもの」という存在も、「知るもの」を
「われ」とする誤まりも、アーラヤ識に蓄えられた根源的な無知あるいは過去の
業の力によって形成されたもので、他のものによって縁起したものである(依他
起性、えたきしょう)。そこから、迷いの世界が現出する。この迷いから脱して
「一切は表象としてのみある」という知見に到達しなければならない。

またまた・・・ほほう^^
325神も仏も名無しさん:2009/05/01(金) 15:37:32 ID:f49zXj4F BE:279871542-2BP(4445)
               γ'フ
           イ ('i, ,/            (ヽ
          ( 'i,`ミ' ヽ i            ヽ`)'フ
        (\ヽ,,_ ` ':.ヽ             )γ),ノ)
        ヾ' ..,,    '; 'l,            ,/ .:' ノ'
           ゝ- .,,,   .: i!         ノ' ,:' ''",フ
       ,,-'', ',,,..    .:' /' ⊂⊃   ''",,::'   "つ
         `ツ、,,ー- .:' (,,,,,/⌒ヽγ´ ''"ヾ、  彡'
          ''-彡,,  ':,  .( ´ω`). ヽ、,,_,,ノ'⌒    なんぞここー
            ,彡'   |    / ' ゙" '-=-'"
            ノ., "シ ( ヽノ   ,,_,,,ミ^ヾ
              "''ツ' ノ>ノ ヽ''ヽ)
                レレ
326神も仏も名無しさん:2009/05/01(金) 15:44:22 ID:9xV3mStV
馬場塚昭久著 「霊箭‐阿波研造物語」の中で
東京大学 姉崎正治博士の研究についての阿波と永井の会話が紹介されている
「日本に伝わった仏教教典は全て偽物だそうです」
「そ、そんなバカなっ!」
「ヨーロッパで早くから進んでいたパーリ語、サンスクリット語による詳しい原典研究の結果、日本に伝わった仏教教典は本物ではないことが分かったというのです。
釈迦入滅後四百年近くも経てから熱心な信仰者たちによって、きらびやかな仏の世界を描いた経典文学が次々と創作された
それが世に名高い『法華経』や『阿弥陀経』等、いわゆる大乗仏教典だというのです。あれは空想小説なのですよ。
『仏教聖典史論』『根本仏教』等の著作に詳しいです」
「そんな重大なことが、なぜ今まで…」
「一般大衆が知ったら仏教界は全滅でしょうね。日本は全て大乗仏教ですから。関係者は自己保身のために黙殺してますよ
しかし、学者たちは皆知っていることです。直説の教えが伝わっていない以上、真実の悟りも存在するわけがない。当然の真理です」
327Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/01(金) 15:53:02 ID:0+BT9YSO BE:854958454-PLT(13230)
読めば分かるよ・・・
真理が書いてあるかどうかは^^
>>326 はどうでもいい^^
328神も仏も名無しさん:2009/05/01(金) 16:29:13 ID:VbNz4jLS
>>326
お釈迦様が作った大河に後世の仏教徒が新たな水となって加わる・・・・鈴木大拙はこう言っていて、
時代とともに仏教に新しい流れが生まれていくのを肯定しているよ。
お釈迦様の時代から教え方や言葉の表現が変わらないほうが道に反していると思う。
329神も仏も名無しさん:2009/05/01(金) 16:34:52 ID:3gXfH9eV
この世のもの、諸法はすべて、恒常なるものではなく、無常なるものである。
すべては変化し、移り変わり、必ず消滅、死んでいく。
つまり万物は流転しているのです。「一切の現象はそのように見つめなさい」、
とこれが釈迦の教えの一つなのです。これは「変化していくものこそが本質である」
というヘラクレイトスの教えでもあり、存在は時間をうちにもつという、ハイデガー
の「存在と時間」の考え方でもあるようです。
330神も仏も名無しさん:2009/05/01(金) 16:46:43 ID:9xV3mStV
反応から精神的な揺れを感じる…
知識を言う事は簡単でも、目的達成は殆ど不可能なんじゃないか?

もう少し日常の生活で他人と触れ合わなければ、何時になっても心が弱いままだ。
そんな人間には悟りなんて宇宙の果てに行くくらい不可能だろう

誇大妄想の精神疾患になる可能性が高いと本気で心配してみる
331大王:2009/05/01(金) 16:55:30 ID:fmmKQnMa
仏教極め過ぎて、理屈がどうでも良くなった、
極め過ぎよりも、飽き気味と言うべきか。

>324 :Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/01(金) 15:36:20 ID:0+BT9YSO
外界に実在すると思いこまれる「知られるもの」という存在も、「知るもの」を
「われ」とする誤まりも、アーラヤ識に蓄えられた根源的な無知あるいは過去の
業の力によって形成されたもので、他のものによって縁起したものである(依他
起性、えたきしょう)。そこから、迷いの世界が現出する。この迷いから脱して
「一切は表象としてのみある」という知見に到達しなければならない。


あんまり真面目に語る気がおきないけど、
外部と内部が唯識においては一体となる、その場合の慈悲の感覚と智慧が生ずる。
曹洞宗道元は只管打坐と言う方向性で、その部分を知る、
ただし、共通項はあるのだが、悟った後の唯識と曹洞宗の空間認識は異なりがある
332神も仏も名無しさん:2009/05/01(金) 16:56:18 ID:9xV3mStV
人が生きて行く上で大切なのは、誰が言ったではなく自分が感じられる現実なのですよ

悟ったような気になっても、現実には弱くて脆いんでしょう?自分の希望に1cmすら近付いていないでしょう?

立派な言葉や教えでも、用いる人がだらしないなら意味を成さないし 嘲笑されるだけですよ

汚ならしい浮浪者がビル・ゲイツの言葉を話しても馬鹿にされて当たり前なんです

自分が悟りを求める以前の問題だと早く気付いた時こそ
初めて正しい道に戻る第一歩なんですよ
333Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/01(金) 17:00:27 ID:0+BT9YSO BE:1154194439-PLT(13230)
鈴木大拙が『大乗仏教概論』の中で言っている言葉です。「宗教と科学が互いを
理解することなく作用するなら、どちらも一面的なものとならざるをえない。」
、「想像力というものは、宗教だけの占有物ではないし、一方弁別や推理という
ものは科学が独占しているものではない。それらは相互的相補的なものである。
一方がなければ他方は何もできない。」。つまり科学と宗教というのは、お互い
に必要としあっているんだということを鈴木大拙ははっきり言っています。

鈴木大拙は日本的霊性、東洋的霊性という言葉でだんだん説明をし始めていく
んですが、それは一つには若い時に書いた『大乗仏教概論』で打ち出したんで
すけれども、これは本当に大乗仏教を概論したものかどうかということについ
て、かなり手厳しい批判を浴びた本でもあります。これは、鈴木大拙がインド
の大乗仏教をどれだけ正確に救いあげたかどうかということについての議論が
細かく色々と展開されていったんですけれども、その後、これはやっぱり鈴木
大拙はあくまで日本的な環境の中で仏教に取り組んで、仏教というものの洗礼
を受けて、また仏教学をやっていたわけです。鈴木大拙自身もそれについてか
なり反省を加えて、むしろ逆に自分がやっているのは実は日本的霊性、東洋的
霊性といわれる。つまり中国で成立し、それが日本に入ってきて大展開してき
たというような宗教学、それが鎌倉禅であり、それから鎌倉における浄土真宗
であると、だから、禅と真宗というものがいわば日本的霊性を支える宗教の二
大骨格であると、ですから、鈴木大拙は生涯に渡って二本柱を追いかけていっ
たんです。

初めて知った・・・^^

334神も仏も名無しさん:2009/05/01(金) 17:14:13 ID:9xV3mStV
いらないと言ってしまった時点で、教えや真理とは無関係な自分がよく見えるでしょう?

自分の培った言葉がまったく無い貧の心なのに、他者の言葉や教えを引用して分かる振りしても絶対に分からないんですよ
現実のあなたは、そんな立派な道を歩いてなんかいないんだから

そういう間違いだらけの考えを正しいと思い込んで、自称修行者とか霊能者ぶってる人が いっぱいいるんですよ

あなたは特別なんかじゃない その他大勢の間違い人間の一人に過ぎないんです

今の あなたでは気付かないだけなんです

でも あなたの周りの人達は気付いていると思う
335Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/01(金) 17:22:40 ID:0+BT9YSO BE:1923656459-PLT(13230)
悟った後の唯識と曹洞宗の空間認識は異なりがある

座禅でもおいらの求めている座禅は曹洞宗の座禅ではなかった・・
336大王:2009/05/01(金) 17:22:45 ID:fmmKQnMa
>禅と真宗というものがいわば日本的霊性を支える宗教の二
大骨格であると


鈴木大拙の日本的霊性は眉唾モノだよ、
明治政府の仏教弾圧の後の仏教の視点だからね、

明治政府が破壊しつくした仏教、
修験道、神仏習合仏教、
天台、真言の打撃は激しい、
修験禁止令で全滅、

本来の、日本的霊性は、修験道、神仏習合仏教
地蔵講とか、観音講、伊勢講とか、習俗的神仏習合が主流でしょう。
禅は少数派、
仏教の伝統的王道で、上流階級文化なら、禅でしょうけれども、
神仏習合、修験道、真言、天台が、勢力低下した明治期だと、
真宗は近代化もしたし、弾圧対象にならない、庶民階級だからね、地域では滅茶苦茶強いし、
神道含有と呪術否定するから、明治政府の攻撃対象にならなかった。
337大王:2009/05/01(金) 17:30:53 ID:fmmKQnMa
まあ、自分は曹洞宗も唯識もシャーマニズムとりあえず自動マスターだから、笑えるなあ、
どうしたらいい、と質問されて答えられないからなあ、
唯識はテレビで徳一の像見て、理解したと言う得たいが知れない、
まあ、それ以前にきちんと唯識の基本的知識を学んだ上だけれども、
338Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/01(金) 17:36:47 ID:0+BT9YSO BE:1795412276-PLT(13230)
テレビで徳一の像・・

この中にあるのかな・・?
http://www.youtube.com/watch?v=ouiDxjqmCQw
339大王:2009/05/01(金) 17:37:58 ID:fmmKQnMa
最近、神社で神仏習合の禅定を遊ぶて、やっていた記憶があ、
慈雲神道とかw
滝がある場所じゃ、法華経の霊山浄土、こう言う場所て、明治以前だと修験道、高野山空海信仰高野聖の霊性が多い。
340大王:2009/05/01(金) 17:41:39 ID:fmmKQnMa
338の徳一、これだと思う、東北地方の寺にのね、
像を見て、至福へ瞬間移動、世界一体感だった、
これなのね、と、
その後、行基の墓でも遊んだ最近、そこは、律宗寺院になっちまたが、
律宗と唯識と両方遊んだ記憶がある、
行基の墓の方が徳一像で得ていたんで初日で、イージーに決まったなあ、
341神も仏も名無しさん:2009/05/01(金) 20:18:41 ID:RHTRuxPy
借金に追われて鬱になって苦しんでる人が、悟る事によりどういう行動を取るでしょうか?
342Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/01(金) 20:38:43 ID:0+BT9YSO BE:1282437465-PLT(13230)
343大王:2009/05/01(金) 20:47:15 ID:fmmKQnMa
借金、はあーすいません、どうでもいいと、借金踏み倒す芸術家の様になり、
天台宗の坐禅で鬱症状をコントロールするんじゃないかなあ、
岩波文庫で、天台小止観と言う本がある、鬱気味の時は眉間に息を集めるように、
躁気味で眠れない時はへそ下、丹田に息を集める。
344Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/01(金) 20:50:23 ID:0+BT9YSO BE:1154194439-PLT(13230)
谷大学生涯学習講座/2008年度前期開放セミナー/大乗の仏弟子−天親−
http://www.youtube.com/watch?v=b_xacGYMtqc&feature=related
345どっかく:2009/05/01(金) 20:50:34 ID:JRDKC80a
スレの前のほう、>>52 で変性意識の話が紹介されていた。
そこに釈迦の悟りがあったので抜き書きする。
 
釈尊は六年間の苦難の修行の後,十二月八日
の払暁,東雲の空に明けの明星の光輝をみて見
性成仏したという。
 
これは空海の悟り、「谷、響きを惜しまず。明星来影す」と同じ。
346どっかく:2009/05/01(金) 20:57:40 ID:JRDKC80a
この話の出典は何だろうか。
それが信用できるなら、釈迦の悟りはおおよそ推測できる。
347どっかく:2009/05/01(金) 21:25:45 ID:JRDKC80a
釈迦と空海とイエスは「明星」で共通する。
 
そしてこの「明星」とはアートマン・・・仏性ではない。
 
であれば空観と唯識は単なる道具である。
348Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/01(金) 21:34:31 ID:0+BT9YSO BE:3077849489-PLT(13230)
12月8日に、暁の空に光る明星を見て「山川草木悉皆成仏」などの言葉を発せられ、悟りを開かれた
苦行に耐え、自分を磨こう、善いことをしよう、生老病死の苦しみを超克しよう
という自己本位の行いがありました。
しかし、自他不二を体得しその大いなるまなこで眺めると、この世のすべてのも
のは「あるがまま」なのだと「気付いた」のです。
それがお釈迦様の悟りです

ほほう^^
349神も仏も名無しさん:2009/05/01(金) 21:34:38 ID:Y8AVGPOa
明けの明星 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E%E3%81%91%E3%81%AE%E6%98%8E%E6%98%9F

その神秘的な明るい輝きは、古代より人々の心に強い印象を残していたようで、それぞれの民族における神話の中で象徴的な存在の名が与えられていることが多い。
また地域によっては早くから、明けの明星と宵の明星が(金星という)同一の星であることも認識されていた。

ヨーロッパでは、明けの明星の何にも勝る輝きを美と愛の女神アプロディテにたとえ、そのローマ名ウェヌス(ヴィーナス)が明けの明星すなわち金星を指す名となった。

キリスト教においては、ラテン語で「光をもたらす者」ひいては明けの明星(金星)を意味する言葉「ルシフェル」(Lucifer)は、他を圧倒する光と気高さから、
唯一神に仕える最も高位の天使(そして後に地獄の闇に堕とされる堕天使の総帥)の名として与えられた。

仏教伝承では、釈迦は明けの明星が輝くのを見て真理を見つけたという。また弘法大師空海も明けの明星が口中に飛び込み悟りを開いたとされる。
350どっかく:2009/05/01(金) 21:35:11 ID:JRDKC80a
ヨハネの黙示録22.16
わたしは・・・輝く明けの「明星」である。
351Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/01(金) 21:47:07 ID:0+BT9YSO BE:769462092-PLT(13230)
自我が空じられて、無我が体得される宗教体験のとき、
智慧(般若)が生ずる・・

何度も見てるので暗記してしまったお^^
352Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/01(金) 21:59:04 ID:0+BT9YSO BE:384731633-PLT(13230)
釈尊は明けの明星を見て悟ったのです。釈尊の空は、人間が見た空とは違います
。人間が考えることのできない、宇宙原理を発見したのです。これが釈尊の空観
の根底になっているのです。
イエスも又、ただの人間ではなかったのです。人間には違いなかったのですが、
イエスは私は神の内にいると言っていたのです。神と共にいると言っているの
です。人間の命の本源である神、存在の本源である神の中にいると言っている
のです。これは釈尊と同じことになるのです。
宇宙の根源の中にイエスは生きていた。釈尊は宇宙の根源の光を見て、一切空
であると悟った。

般若心経は色即是空、五蘊皆空と言っています。大したことを言っているのです。
色とは目に見えるあらゆる現象的物体を言いますが、これが存在していないと
言っているのです。釈尊は今から二千五百年も前に、物質は存在しないと断定
した。これは日本ができるはるか以前の出来事なのです。

二千五百年も前に「物質は存在しない」と悟ったなんて・・・^^
353どっかく:2009/05/01(金) 22:05:28 ID:JRDKC80a
>>351
その話は矛盾していないかどうか。
自我 → 空 → 無我 → 「般若の智慧」
 
空から生まれた「般若の智慧」はやはり空・・・実体がない。
「般若の智慧」はどこからやってきたのか。
354Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/01(金) 22:12:56 ID:0+BT9YSO BE:897706837-PLT(13230)
人間が仏陀になることを、識を転じて智を得るといっておりますが、それは結局
、迷いを転じて悟りを開くということと同じ意味で、要するにわれわれ迷いの人
間が、悟れる仏陀(ほとけ)になるということです。ところで、ここにいう般若
の智慧とは、決して愚痴といわれ、識といわれる、人間のもっているあさはかな
智慧ではないのです。それは知らざるもの、眠れるもの、迷える人間の智慧では
なくて、知れるもの、目覚めたるもの、悟れる人の智慧です。それは宇宙の真
理を体得した、仏陀(覚者)のもてる智慧です。真理の智慧、真理を悟った智
慧、それがとりも直さず般若の智慧であります。

頭が痛くなってきたお^^
355どっかく:2009/05/01(金) 22:16:26 ID:JRDKC80a
悟りをどういうものだとイメージする?
これはけっこう大事かも。
 
悟りを空だと思えば、空体験が目標になる。
悟りをアートマンだと思えば、アートマン体験が目標になる。
 
空体験が目標なら、唯識の持っている意味合いはどうなる?
唯識は不要にならないか?
356大王:2009/05/01(金) 22:18:53 ID:fmmKQnMa
智慧、大円鏡智、成作所智、平等性智、妙観察智
だったけ、成作所智が言葉違いかも、
唯識では、
世界と自己が無心において一体感で、智慧が生まれる
見る智慧が妙観察智
あれがいい、これがいい、自分がいいとか、差別がなくなる、平等性智
成作所智は慈悲の行い、他者と一体感で無心で行なえる智慧なのさ、

感じている部分があるね、徹底してないけど、インスタント的に
357大王:2009/05/01(金) 22:21:46 ID:fmmKQnMa
他者との一体感と慈悲、
キリスト教、アートマンには無い物さ、
大乗仏教の多くはこの流れの影響下にある。
358Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/01(金) 22:23:43 ID:0+BT9YSO BE:897706837-PLT(13230)
四向四果 (しこうしか)とは、部派仏教や上座部仏教における修行の階位である。詳しくは、

* 預流向(よるこう)、預流果
* 一来向(いちらいこう)、一来果
* 不還向(ふげんこう)、不還果
* 応供向(おうくこう)または阿羅漢向(あらかんこう)、応供果(おうくか)または阿羅漢果(あらかんか)

悟りをどういうものだとイメージする?

これらの段階を経て行こうかと・・・
唯物は重要・・・
359大王:2009/05/01(金) 22:25:31 ID:fmmKQnMa
まあ、いいいんじゃないの、
上座仏教の本を読むと、 預流向(よるこう)、預流果手前の聖者の位、
光ってくる所から始まる、
うーーん、不思議、シャーマニズム能力なのかあ??
360亭白:2009/05/01(金) 22:26:36 ID:J97mr4nZ
般若の智慧とはこの世で得られる知恵ではない。高次なる霊的真実を掴む智慧であり、
仏性の光を観る智慧でもあります。
高次なる霊的真実の智慧が善悪二元を越えてある霊的智慧であります。
思想として学ぶだけでなく仏法真理に則した無我なる実践のなかに般若の智慧を観る
ことは可能となってまいります。
361大王:2009/05/01(金) 22:27:41 ID:fmmKQnMa
360は幸福の科学君だあ。
うーーん。
362神も仏も名無しさん:2009/05/01(金) 22:28:53 ID:AY5YTy1e
「悟り」とは、誰が何を言おうと、
自分の生き方、考え方は正しい と
思える境地 の事。
反論ある?
363Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/01(金) 22:28:59 ID:0+BT9YSO BE:1282437465-PLT(13230)
亭白さんは何か分かっておられるお^^
364Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/01(金) 22:30:13 ID:0+BT9YSO BE:341983924-PLT(13230)
>>362
はぁ〜〜だお^^
365Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/01(金) 22:31:55 ID:0+BT9YSO BE:1196942047-PLT(13230)
なんでそこで自分のがでてくるんだお^^
366どっかく:2009/05/01(金) 22:32:35 ID:JRDKC80a
>>354
迷いに覆われた識(根本識、アートマン)があると仮定すれば、
合理的に解釈できる。如来蔵のような考え方。
>>356>>357
空観と唯識の目標が一致し、それが不二一体の空だとする。
この場合、慈悲の思想は空を背景に成立し、実体がないのでは?
367神も仏も名無しさん:2009/05/01(金) 22:33:27 ID:AY5YTy1e
>365
わかってないね
368神も仏も名無しさん:2009/05/01(金) 22:35:36 ID:AY5YTy1e
>366
わかり易い言葉で言えないのは、
自分がよくわかっていないの。
369大王:2009/05/01(金) 22:36:21 ID:fmmKQnMa
毒矢の例えて、あるよねえ、
実体とか、空とか、考えるんだろうか、その時。
キリスト教徒には無いが、キリスト自身には確かに自分を捨てて、
とある、
で自分を捨てて、の先に見える禅定世界は?
慈悲。言葉よりも感覚。
370神も仏も名無しさん:2009/05/01(金) 22:40:20 ID:AY5YTy1e
>369
何を書いてるんだ?
あなたは、そんな難しい生き方をしてるの?
371Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/01(金) 22:42:52 ID:0+BT9YSO BE:170992122-PLT(13230)
慈悲の思想は空を背景に成立し、実体がないのでは?

よくわからないけど・・
九識の段階になると仏様の境涯(命の状態)になるのかな?

九識(阿摩羅識とは、最も根源的な宇宙そのものが持つ究極の超意識(清浄無
垢な意識)のことで、即ち仏様の境涯(命の状態)そのものを顕しています
その仏様の境涯である「仏界(仏性)」を、修行に依り自己の命に開き、認識・
身命に当てることで、八識に対し直接働きかける善因を積むこととなります。
372大王:2009/05/01(金) 22:45:21 ID:fmmKQnMa
生き方と言うよりも精神のゾーンですよ、
骨を切らせて肉を絶つとか、武道的な意味もあるでしょう、
トップアスリートが成功した時自然と言葉に出しているじゃない。
373どっかく:2009/05/01(金) 22:47:34 ID:JRDKC80a
>>369
話としては何となく理解できる。
しかし「自分を捨てる」ということが「空」につながったあと、
善に向かうのか悪に向かうのか?
 
茨城で2人を殺した通り魔事件、犯人は死刑になって死ぬために
事件を起こしたという。自分を捨て悪い方向に走った。
374大王:2009/05/01(金) 22:49:31 ID:fmmKQnMa
悪と言う場合、自分の虚栄心は捨ててないぞ、捨てていても、
他人を捨て、殺すのでは、
自分と他人が一体で慈悲がれば、どうなのだろうか?
375神も仏も名無しさん:2009/05/01(金) 22:50:18 ID:AY5YTy1e
>371
で、あなたはどういう生き方を
使用としてるの?
376どっかく:2009/05/01(金) 22:52:20 ID:JRDKC80a
>>371
それです。そのほうが「般若の智慧」を合理的に解釈できる。
マナ識が迷い、アラヤ識に執着している。
その迷いをなくせば、九識が姿をあらわしてくる。
377神も仏も名無しさん:2009/05/01(金) 22:57:26 ID:AY5YTy1e
>376
人の言ってる事を
あれこれ考えて導き出すのが
悟り?
378Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/01(金) 22:57:26 ID:0+BT9YSO BE:1795412276-PLT(13230)
で、あなたはどういう生き方を使用としてるの?

生き方は必要としていない・・
「存在とは何か」を知りたいだけ・・・
379どっかく:2009/05/01(金) 23:00:38 ID:JRDKC80a
>>374
やけっぱちになって物事の前後を考えずに行動する。
この場合は、まだ自分を捨て切っていないのかもしれないですね。
 
それにしても慈悲の由来が腑に落ちない。
毒矢のたとえは布施のすすめだったと思いましたが?
380神も仏も名無しさん:2009/05/01(金) 23:01:42 ID:AY5YTy1e
>378
それは、純粋な学問になるでしょう。
1つの宗教に縛られない・・・
381Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/01(金) 23:03:20 ID:0+BT9YSO BE:1538925449-PLT(13230)
唯識無境=ただ識だけがあって外界は存在しない^^
382どっかく:2009/05/01(金) 23:10:12 ID:JRDKC80a
>>381
それはひとつの考えであり、夢や魔境を理解する仮説だろうと思う。
この現実が存在しないと思ったら危険であり冒険ですよ。
大乗仏教は諸法「実相」です。
383神も仏も名無しさん:2009/05/01(金) 23:13:21 ID:AY5YTy1e
>381 382
だからー
あなたたちは、どういう生き方をしたいわけ?
384Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/01(金) 23:15:45 ID:0+BT9YSO BE:1923656459-PLT(13230)
実相 (じっそう、tattrasya lakSaNam、तत्त्रस्य लक्षणम् (sanskrit))の「実」
とは虚妄に対していわれる。すなわち真実の意味である。相は無相の義である
といわれる。「実相」とは真実が無相であるということをあらわす。諸法実相
という複合語として使われることが多い。
「無相」とは、人間の言葉をはなれ、心でおしはかることのできないことをい
う。したがって「実相」とは、真実が無相であり、それが萬物の本来の相であ
ることを意味する。
実相を萬物の本体などといって、現象の背後に現象生起の源としての何か実在
的なものと考えるようなことがあるが、それは誤りであり、実相はけっして実
在的実体ではない。実相とはすべてのもののありのままのすがたをいうのであ
る。無相こそ萬有のありのままの姿であるということを説くのが実相である。

ほほう^^
385神も仏も名無しさん:2009/05/01(金) 23:16:35 ID:AY5YTy1e
それと、今まで「悟った」人は、
その後どんな生き方をしてるわけ?
386Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/01(金) 23:17:05 ID:0+BT9YSO BE:641219235-PLT(13230)
悟りの立場から見る(仏知見)諸々の存在のあるがままの真実の姿かたちをいう
。言い換えれば縁起する存在を表す用語である。
諸法実相は大乗仏教の根本に位置づけられる概念だが、中国、日本における解釈
は宗派によって異なる。
例えば、三論宗では空の理法であり、天台宗では三諦(空・仮・中)からなる中
道第一義諦の理法であり、禅宗では森羅万象本来の面目を表す。

ほほう^^
387神も仏も名無しさん:2009/05/01(金) 23:18:54 ID:AY5YTy1e
>384
あなたは、「悟り」という事について
人に何も説明できないんでしょうね。
ただ、言葉を羅列してるだけ。
心が伝わってこない。
388神も仏も名無しさん:2009/05/01(金) 23:20:42 ID:AY5YTy1e
>386
国会議員が、質問に
まともに答えていない、(答えられない?)
のと同じだね。
389Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/01(金) 23:23:22 ID:0+BT9YSO BE:3077849298-PLT(13230)
>>388
あなたの言ってることはどおうでもいい^^

それはひとつの考えであり、夢や魔境を理解する仮説だろうと思う。
この現実が存在しないと思ったら危険であり冒険ですよ。
大乗仏教は諸法「実相」です。

これについて勉強している・・・
なかなか意味深い・・・^^
390どっかく:2009/05/01(金) 23:25:29 ID:JRDKC80a
>>383
善悪の二元を超える・・・これはみんなに共通している
超えたところに霊的な存在がある・・・これはどうだろう?
そのような悟りをえれば、善悪を超えた真実の人生を送れるかもしれない。
酔生夢死ではない、真実の生き方をしたいのです。
391神も仏も名無しさん:2009/05/01(金) 23:27:37 ID:AY5YTy1e
>389
いや、
だから、あなたは勉強してどういう生き方をしているんですか?
また、それによって、何を得ようとしているのですか?
392神も仏も名無しさん:2009/05/01(金) 23:30:18 ID:AY5YTy1e
>391
まず、善悪の定義は?
そして、善悪を超えた真実の人生とは
具体的にどういう状態を思い描いてますか?
393Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/01(金) 23:34:34 ID:0+BT9YSO BE:1154194439-PLT(13230)
>>392
仏祖の現成は、究尽の実相なり。実相は諸法なり、諸法は如是相なり、如是性な
り、如是身なり、如是心なり、如是世界なり、如是雲雨なり、如是行住坐臥なり
、如是憂喜動静なり、如是拄杖払子なり、如是拈華破顔なり、如是嗣法授記なり
、如是参学弁道なり、如是松操竹節なり。

これを簡単に説明してくれ・・・
話はそれからだ・・・
394どっかく:2009/05/01(金) 23:35:50 ID:JRDKC80a
>>392
聞くばかりではなく、あなたの考えも述べてください。
あなたはどういう生き方をしたいのですか?
あなたの善悪の定義は?
395Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/01(金) 23:39:16 ID:0+BT9YSO BE:256488023-PLT(13230)
>>392
これ・・・

 現象世界の眼に見える(色)と
 真実世界の空の理法とは、
 本来、別々ではありません(不二)。
 理法に支えられた現象世界(事)と
 現実世界そのもの(理理)も
 現象世界に表現される真実の道理(理)とは、元来、同じです。
 まったく差障りもなく、現象世界そのもの(事事)も、
 真実世界そのもの(理理)も、
 現象世界と現実世界の相互(事理)も、一つに融けあっているのです。
396Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/01(金) 23:47:10 ID:0+BT9YSO BE:1025950638-PLT(13230)
弥勒菩薩 の悟りの世界。
「是故空中無識・無受想行識・無眼耳舌身意・無色声香味触法・無限界乃至無
意識界 」

人間の深層意識の中に、ものや心などあらゆる存在を生ずる力として種字を説く。
現実世界のすべての現象は、識により生じるのみ。実体はない。
ただ心のみある。

普賢菩薩の悟りの世界
「色不異空・空不異色・色即是空・空即是色・受想行色亦復如是 」

現象界と、絶対の真理の世界は一体無碍である。
「事事無碍・事理無碍・理理無碍」
色(事)とは現象界、空(理)とは仏の絶対の世界のことである。

ふむふむ
397神も仏も名無しさん:2009/05/01(金) 23:52:11 ID:AY5YTy1e
>394
楽しく生きる。楽しくなるように生きる。
ですね。
自分がされていやな事が、「悪」ですね。
善は、 難しい。 単純に いい事 とか 正しい事
とか 親切な事 とか言うのとは違うかも・・・

>395
だから、どう生きなければいけない
と具体的なことを言っていない。ですね。
398神も仏も名無しさん:2009/05/01(金) 23:55:06 ID:AY5YTy1e
>396
言わせてもらうと、
机上の言葉という感じ。
あなたは、それを学ぶ事によって、
どういう人間、人生を目指しているんですか?
399Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/01(金) 23:55:22 ID:0+BT9YSO BE:170992122-PLT(13230)
どう生きなければいけない

ん?
自分の生きたいように生きればいいんじゃないの?
400Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/01(金) 23:56:08 ID:0+BT9YSO BE:769462463-PLT(13230)
どういう人間、人生を目指しているんですか?

何も目指してないお^^
401Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/01(金) 23:58:26 ID:0+BT9YSO BE:641219235-PLT(13230)
 ___
/ || ̄ ̄|| ∧_∧
|.....||__|| (     )  どう生きなければいけない
| ̄ ̄\三⊂/ ̄ ̄ ̄/
|    | ( ./     /
 ___
/ || ̄ ̄|| ∧_∧
|.....||__|| ( ^ω^ )  どうしてこうなった!?
| ̄ ̄\三⊂/ ̄ ̄ ̄/
|    | ( ./     /
402神も仏も名無しさん:2009/05/01(金) 23:58:37 ID:AY5YTy1e
>399
宗教は、それを型にはめるものですよね。
403Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/01(金) 23:59:29 ID:0+BT9YSO BE:683967528-PLT(13230)
>>402
宗教など何もしらないお^^
404神も仏も名無しさん:2009/05/02(土) 00:01:57 ID:AY5YTy1e
>401
じゃ何のために、(仏教?)を勉強してるんですか?
405Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/02(土) 00:04:40 ID:0+BT9YSO BE:2693118097-PLT(13230)
「存在とは何か」を考えてるうちに・・・
仏教にたどり着いた・・・
経緯はこれ

存在とは何か
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1239195400
406神も仏も名無しさん:2009/05/02(土) 00:09:50 ID:QLbWN42x
>405
物理には行かなかったんですか?
407Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/02(土) 00:11:08 ID:7Xcuo5rs BE:1025950638-PLT(13230)
「一物の現起は、すなわち、一切万法の現起。ある特定のものが、それだけで個
的に現起することは、絶対にあり得ない。常にすべてのものが、同時に、全体的
に現起するのです。事物のこのような存在実相を、華厳哲学は『縁起』といいま
す。『縁起』は『性起』とならんで、華厳哲学の中枢的概念であります

これ考え中・・・
408神も仏も名無しさん:2009/05/02(土) 00:11:38 ID:AiTV4JB4
409Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/02(土) 00:13:53 ID:7Xcuo5rs BE:427479252-PLT(13230)
>>408
あとで読んでみるお^^
410どっかく:2009/05/02(土) 00:14:38 ID:gFrVed9e
ただ識のみとし、そこから現実世界が生まれるとしよう。
そうすると次のようなことになる。
 
善なる思いが善なる現実を作り、悪なる思いが悪なる現実を作る。
人の思いが現実を作り出し、そして変える。
 
人の中には、人の思いを現実にしようとする不思議な「力」が働いている。
人は悟りによってこの「力」に出会う。
これは、神の業としか理解できない、不思議な「力」である。
411神も仏も名無しさん:2009/05/02(土) 00:16:36 ID:QLbWN42x
>407
また、自己満足の言葉で語りますね。
普段に通用しない言葉で語ろうとするあなたの姿勢に、
人に語ろうとしない、あなたの性格がわかりますね。
残念!

412Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/02(土) 00:26:38 ID:7Xcuo5rs BE:170992122-PLT(13230)
気晴らしにほかのスレ見てみようっと^^
413神も仏も名無しさん:2009/05/02(土) 00:37:09 ID:AiTV4JB4
そもそも悟りは対象を認識してる主体(自己)の存在の有り方(有無)だから、客観や対象の
有り方を考える物理とは方向性が違うし、答えや見解を他者と共有するものでも語りあうもの
でもないんだよな
ただ自己を見つめるのみ
んで自他同一
414神も仏も名無しさん:2009/05/02(土) 00:43:36 ID:QLbWN42x
>413
つまり、
社会とは関係ないもので、
みんな勝手にしたら というもの
が 悟り?
そうすると、悟りは、個人の精神の逃げ場 みたいなもの?
415Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/02(土) 00:50:48 ID:7Xcuo5rs BE:3077849298-PLT(13230)
西田(幾多郎)哲学・・・

「絶対矛盾的自己同一論」(「自己は自己を否定するところにおいて真の自己である」)
416神も仏も名無しさん:2009/05/02(土) 00:58:59 ID:QLbWN42x
>415
で、その言葉から何を学び、
どう生きようと?
417神も仏も名無しさん:2009/05/02(土) 01:06:13 ID:AiTV4JB4
>>414
社会を考える以前に、社会という概念や現象を規定している自己を考えるってことだよ

ということを話し合う以前に、そういうことを考える自己を考えるってことだよ

あらゆることが自己から始まるのだから、そこを考えないと思考も論も始まらないってこと

社会も勝手も個人も精神も逃げ場も。自己(自分)と自己(他者)の間から生じた概念や認識
である限りそれを語るならまず自己からってこと

ということを話し合う以前に、そういうことを考える(思考する)自己を考えてみようってこと
418神も仏も名無しさん:2009/05/02(土) 01:09:39 ID:QLbWN42x
>417
まず、自己からだと
自己優先にはならない?
自己と社会、社会と自己の関係で考えないと、
世の中はダメでしょう。
419神も仏も名無しさん:2009/05/02(土) 01:16:55 ID:QLbWN42x
>417
418の文章はおかしかったですね。
無視してください。

ただ、社会(周り)から見た自分を考えるのは、
悟りにつながりますか?

まぁ、悟り というものが
どういうものか 見当がつかないんですけどね。

今の自分では、回りのことは気にしないとか、
将来の事はきにしないとか もっと小さい事だと
人前で上がらないとか ですけどね。

悟る ってどんな境地なんですかね。

420神も仏も名無しさん:2009/05/02(土) 01:17:28 ID:AiTV4JB4
>>418
それはあなたの自己がそう思ってるんでしょう
あと社会より自己を優先するという話じゃなくて、社会を規定してるのが自己なのだから
自己という問題が解決しない限り社会は語れないという話
社会を考えるためにも自己から考えるべきという話

あと、世の中とかダメとかいうのも自己から出る概念なんだから自己が何なのか見つからない
限り論じようがない
何が世の中とか何がダメとかそれぞれの自己によって違う

というようなことを語る前に自己を知るべきという立場なのでこれにて失礼
421神も仏も名無しさん:2009/05/02(土) 01:24:06 ID:AiTV4JB4
>>419
無視しないで書いちゃった
社会(周り)から見た自分を考えるのもなんでもいいと思うけど、とっかかりとしては

自分とは何かと考えたとき、他人との差でしかなかったり、過去の自分との差でしかなか
ったり
では自分とは他人や過去との差でしかないのかと

自分で自己とは何なのかという答えが出ることが悟り
他人や過去や他の一切との関係性ではない自己に

悟りはただの自由
他人や過去や経験や知識やあらゆるものとは無関係(影響されない)な自由
422神も仏も名無しさん:2009/05/02(土) 01:27:51 ID:QLbWN42x
>420
読んでないかもしれないですが、

悟る って、すべての事から解放される意識の状態 かな
って思う事もあったんです。

だから、いろいろ考えている時期は、悟りの前の状態。
でしょうね。
ただ、悟りの状態の人が身近にいたら、
一緒の社会生活はやりにくいでしょうね。

423神も仏も名無しさん:2009/05/02(土) 01:32:18 ID:QLbWN42x
422続き
何故ならば、
社会規範に逸脱した行動を取るかもしれないから。
(例えば、裸で生活するとか・・・)
こちらも、悟りの境地に達してればいいんですがね。
424神も仏も名無しさん:2009/05/02(土) 01:38:21 ID:M8RymMtc
まあスレ主がどれほど本気で悟ろうとしているのか
あるいは悟りという言葉の意味の本質を理解しているのかは甚だ疑問ではある

おそらく今みたいなペースでダラダラ何年学んでも 十年後には今と変らないか、精神状態が悪化していると予測出来る
425Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/02(土) 01:40:52 ID:7Xcuo5rs BE:512975726-PLT(13230)
決定論からみれば・・・
既に決まってる^^
426神も仏も名無しさん:2009/05/02(土) 01:43:08 ID:QLbWN42x
>425
「決定論からみれば・・・」

あなたの考えではない・・・
427神も仏も名無しさん:2009/05/02(土) 01:53:25 ID:QLbWN42x
私の結論。
「悟り」とは、「自己満足」。
場合によって、周りが迷惑する事もある。
以上。
428神も仏も名無しさん:2009/05/02(土) 01:53:47 ID:M8RymMtc
このスレがスレ主の唯一心の場なら あまりいじめるのも大人気ないのかな?と自己反省してみる

考えてみれば言論の自由てのもあるし 個人的な遊びの一つと思えばなかなか良い趣味なのかも知れない
429神も仏も名無しさん:2009/05/02(土) 02:01:30 ID:M8RymMtc
スレ主は大王さんの様に自分の経験に元づいて得たオリジナルなものは全然無いのかな?

見てると誰々がこう言った書いてるとか… 他人のフンドシで相撲を取るという言葉がピッタリなのですよ

あと、あまり外に出た事がないんじゃない?
430Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/02(土) 02:16:47 ID:7Xcuo5rs BE:598470672-PLT(13230)
ん?メモ帳代わりにこのスレ使ってるんだけど・・^^
何か・・・^^
431Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/02(土) 02:20:12 ID:7Xcuo5rs BE:598471627-PLT(13230)
悟りを得ようとしているか・・・
悟りを得ている人・・・
唯識に興味ある人・・・
以外は書き込み禁止

スレの無駄遣いはやめよう・・・^^
432神も仏も名無しさん:2009/05/02(土) 02:20:47 ID:IEQZX0Xk
書き込み見る限りスレ主は悟りに関してはわかってるでしょう
ある程度の体験もあると思う
ただ明確になってない部分がいろいろ残ってるのでしょう

>>427
自己満足とは何か?
周りが迷惑することは迷惑なことか迷惑でないか?
その基準と判断を下すのは何か?
迷惑という確固たる何かがあるのか?

>>429
オリジナルでないと何故いけないのか?
何故他人のオリジナル性が問題となるのか?
オリジナルとは誰が何を基準に何故判断するのか?
オリジナルという確固たる何かがあるのか?
433神も仏も名無しさん:2009/05/02(土) 03:11:54 ID:M8RymMtc
じゃあ 引用される教えの人物たちの言葉や経験は、その人が自らで得たオリジナルじゃ無いんですか?
もしもその人達が他人の言葉で発表してたら、感銘を受ける人なんか絶対にいないと思う

チラシを何年読み続けたところで 自分の身に付かないこと位は分かるでしょう?

引きこもりや精神疾患者が読んだ本の知識だけ並べ建てても、悟りや啓示を得られるなんて不可能ですよ
434Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/02(土) 03:12:54 ID:7Xcuo5rs BE:1795412467-PLT(13230)
ID:M8RymMtc
君書き込み禁止・・・^^
435神も仏も名無しさん:2009/05/02(土) 03:17:26 ID:M8RymMtc
だいたい悟りを得られるような生き方を本当にしてるんですか?
どう見ても本だけ読んで頭を膨ませただけの人でしょ?
自分だけならいいけど他人を騙すようになったら害虫と同じですからね
436神も仏も名無しさん:2009/05/02(土) 03:25:37 ID:M8RymMtc
なんだ、やっぱり悟りから全然かけ離れてるじゃないですか

さんざん分かってるような事ばかり書いてて、本当の姿はそんな程度だったんですね

結局 自分に合わないものは排除するという あなたの考えは、よく引用する偉人の言葉や悟りなんかとは正反対の極みですよ

何もやってない人のほうが悟りに近い気すらしますね
437神も仏も名無しさん:2009/05/02(土) 03:29:16 ID:IEQZX0Xk
迷惑がいけないという人は自分が他人から迷惑をかけられたくないと思ってる人
迷惑をかけられてもいいと思うとき迷惑という何かはない

オリジナルがいいという人は自分がオリジナルでありたいと思う人
自分がオリジナルでもどうでもいいとき、オリジナルかどうかという分別は気にならない

結局は自分を基準に問題を自ら生じさせているだけである

悟りは得るものではなく、元々あるのに自らで見えなくなってるものを再び見えるようになる
こと
したがって得るものも失うものもなく、オリジナルであるかどうかもどうでもいい
オリジナルをたどればただ永遠に過去に向かうだけ
本当に何もないところから何かが生まれるということはない

この世は何かから何かが生じる永遠の連鎖があるだけであり、オリジナルという確固たる
何かがどこかにあるわけではない
これがオリジナルだという個の視点からの思いと判断があるだけ
438神も仏も名無しさん:2009/05/02(土) 03:31:11 ID:IEQZX0Xk
まあ他人が悟ってるかどうかはどうでもいい
気にするなら気にしてしまう自分を洞察すべき
そこには気にしてしまう何か理由があるから
一切皆空
439神も仏も名無しさん:2009/05/02(土) 03:35:05 ID:M8RymMtc
要するにあなたは調和が全然出来ていないんです

これまでも自分への否定や衝突を恐れて心を閉ざして拒否し、逃げ続けて来たんでしょうね

そんな臆病な人間には、悟りになど最も遠く及ばないのですよ

自分の頭が生み出した勝手な思い込みは、妄想であっても真理とは違うものです
440神も仏も名無しさん:2009/05/02(土) 03:55:13 ID:6q9FiJsh
良薬は口に苦しですな。

忠言を退ける暴君の根拠は自我(エゴ)ですよ。

自分の為をおもってくれている人の存在はありがたいものです。

一時の感情に溺れてはいけません。
441Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/02(土) 07:15:13 ID:7Xcuo5rs BE:1154193293-PLT(13230)
そこ(空なる事態)においては個物の一種であるところの認識主体、認識対象は
未分離の状態であって、識別作用すら存在しない
442Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/02(土) 07:26:28 ID:7Xcuo5rs BE:2693118097-PLT(13230)
引用の経文では、「執着して」という言葉が強調的に語られているが、従って覚
の為には全く不要の語である。即ち既に「これ」も無く、「我」も無いのである
から、どうして無に執着することがあるだろうか。唯衆生が妄して「これは我が
ものである」と執着するのみである。もし仏眼に基づいてこれを言うならば、
即ち「衆生は無に執着する」と述べられる。
これに対して、仏は無に執着しないが故に、衆生が堕ちる魔界から解脱するこ
とを得る。ここを諭さんが為に、この仏法は述べられているのである
443Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/02(土) 07:29:51 ID:7Xcuo5rs BE:2693118479-PLT(13230)
〈悪魔〉人々が「これは我がものである」と語るところの物、「これは我
がものである」と語る人々、そなたの心がそこにとどまるならば、修行者
よ、そなたは、私から脱れることはできないであろう。

〈尊師〉人々が「これは我がものである」と執着して語るところの物、そ
れは、私に属するものではない。「これは我がものである」と執着して
語る人々がいるが、私は彼らの中の一人ではない。このように知れ。悪
しき者よ。そなたは、私の行く道をも見ないであろう。

ほほう^^
444Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/02(土) 07:37:09 ID:7Xcuo5rs BE:2735866188-PLT(13230)
十二支縁起の要素

1. 無明(むみょう、avidyaa) - 過去世の無始の煩悩。煩悩の根本が無明なので代表名とした。
2. 行(ぎょう、saMskaara) - 志向作用。
3. 識(しき、vijJaana) - 識別作用
4. 名色(みょうしき、nama-ruupa) - 物質現象(肉体)と精神現象(心)。
5. 六処(ろくしょ、SaD-aayatana) - 六つの感覚器官。
6. 触(そく、sparSa) - 六つの感覚器官に、それぞれの感受対象が触れること。
7. 受(じゅ、vedanaa) - 感受。
8. 愛(あい、TRSnaa) - 渇愛。
9. 取(しゅ、upaadaana) - 自分の求めるもののために馳求する位。
10. 有(う、bhava) - 存在。
11. 生(しょう、jaati) - 生まれること。
12. 老死(ろうし、jaraa-maraNa) - 老いと死。
445Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/02(土) 07:38:31 ID:7Xcuo5rs BE:427479825-PLT(13230)
十二因縁 (じゅうにいんねん、dvaadaZaaGga-pratiityasamutpaada)は、仏教用
語の一つ。苦しみの原因は無明より始まり、老死で終わるされる、それぞれが順
序として相互に関連する12の因果の理法をいう。
鳩摩羅什訳(旧訳)では十二因縁とし、玄奘訳(新訳)では十二縁起と訳す。他
にも十二支縁起、十二支因縁などと表記する場合がある。
446Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/02(土) 07:40:09 ID:C8aV71ZT
『阿含経』では、釈迦が悟った直後、自らの苦を解決する道が正しかったかどう
か、この十二支によって確認したとあり、人間が「苦」を感ずる原因を順に分析
したものであることを説いている。

古い経典では、釈迦の成道は、十二因縁の順観(anuloma)と逆観(paTiloma)によ
ると説いているが、これは迷いの事実がどのようなものであるかを正しく知る
ことが、とりもなおさず悟りであり、この十二因縁が迷の事実を示している。
447Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/02(土) 07:45:41 ID:C8aV71ZT
このように十二因縁は、迷と苦が無明を原因とし、渇愛を源として展開している
ことを明らかにする。したがって、無明を克服して智慧を得れば生老死の人生苦
はない。すなわち、自我への執着をはなれ、無我の自覚に立ちかえることが、仏
教の指針とされる。

無明の克服とは自我を拠り所とする我執の克服をいう。これは無我の自覚であり
自己否定である。またこれはいっさいの否定であり、絶対無となる。したがって
生活や生命の営みの否定とされる。そこには生活はありえない。しかし、釈迦の
さとりは単なる自己否定ではなく、それが本当の生活であったはずである。すな
わち、無我である自己を破り去ったところに、かえって無我のまま復活しうる道
があった。それこそ真実の縁起の自覚であり、仏教が仏道として生きていく指針
となるのは、無我のまま生活を決然と生きていくということである。

ほほう^^
448Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/02(土) 07:56:32 ID:C8aV71ZT
我々人間は、しらずしらずの間に私自身の現存在を通じて、そこに幼い時から成
長して現在にいたるまで肉体や精神の成長変化を認めながら、そこに「私」と呼
ぶ実体的「我」を想定し、成長変化してきた私そのものをつかまえて、私は私で
あると考える。しかし、諸法無我はそれこそ我執であるとして退け、変化をその
変化のままに、変化するものこそ私なのだと説くのである。この意味で、諸法無
我は、自己としてそこにあるのではなく、つねに一切の力の中に関係的存在とし
て生かされてあるという、縁起の事実を生きぬくことを教えるものである。

一切のものには我としてとらえられるものはないという考え方を徹底して自己に
ついて深め、目に見えるもの見えないものを含めて一切の縁起によって生かされ
てある現実を生きることを教えている。このような共々に生かされて生きている
という自覚の中にこそ、他者に対する慈悲の働きがありうるとする。

ほほう^^
449Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/02(土) 08:01:29 ID:7Xcuo5rs BE:1496176875-PLT(13230)
有為法だけでなく無為法を含めてすべての存在には主体とも呼べる我がないとい
うのは、他の宗教に言われるような「神」などの絶対者もまた無我であることを
意味する。これは絶対者の否定ではなく、神などもまた我々との関係の上にのみ
存在することを意味している。仏典の中にも神が出てくる場面が多いが、絶対者
としての神ではなく、縁起によって現れたものと見るべきであろう。その意味で
、仏教は他の宗教と根本的な違いを持っている。

ほほう^^
450Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/02(土) 08:09:54 ID:7Xcuo5rs BE:598470672-PLT(13230)
自己としてそこにあるのではなく、つねに一切の力の中に関係的存在とし
て生かされてある
451どっかく:2009/05/02(土) 08:45:51 ID:E/kh/CG+
>>450
>自己としてそこにあるのではなく、つねに一切の力の中に関係的存在とし
>て生かされてある
 
事件や失恋や困難に出会い、生きるか死ぬかという瀬戸際に、
関係性だから空である、などと思うだろうか。
空などと観じている人はヒマ人のように思えて仕方がない。
三度の食事は空だろうか。恋愛や結婚は空だろうか。
452神も仏も名無しさん:2009/05/02(土) 08:50:01 ID:6q9FiJsh
空=関係性だけらそれでいいんだよ。
何もないって意味じゃないから。
453神も仏も名無しさん:2009/05/02(土) 08:51:05 ID:6q9FiJsh
>>452
×だけら→○だから
454どっかく:2009/05/02(土) 08:55:31 ID:E/kh/CG+
鎌倉時代から禅宗は武士階級に歓迎された。
その説くところ空が、殺し合いに便利な思想だからである。
 
生かされている思想は、平気で殺してしまう思想にもなる。
空には実体がない。そのため両方の思想が並立する。
455どっかく:2009/05/02(土) 09:03:06 ID:E/kh/CG+
縁起・空の誤りは、主体が見失われることにある。
「わたし」がいなくなる。
 
「わたし」がいないとき、だれが生き、だれが死ぬのか。
「わたし」がいないとき、いったいだれが生活しているのか。
456神も仏も名無しさん:2009/05/02(土) 09:05:02 ID:93a92Ojo
横レス悪いのだけど
いつも仏教は執着を無くせとか、空とか説くけど
悟ろうとすることが執着ではないか?
また悟った状態を維持していくのも執着ではないのか?
空であると説くのも執着でないのか?
457どっかく:2009/05/02(土) 09:23:11 ID:E/kh/CG+
普通に生き普通に悟るのが自然なのだろう。
しかし煩悩を刺激することで繁栄する社会になったいま、
社会に汚染されて空や悟りを忘れてしまう。
 
空や悟りを繰り返し説き、執着しないと、
自分も忘れ、人々も忘れ、そういった価値を目指さなくなる。
458神も仏も名無しさん:2009/05/02(土) 09:23:47 ID:6q9FiJsh
今あんたがしてることがあんただよ。
行動主体というやつ。

我あり、我のもの、自我ありなどは無明とよばれるやつだぜ。
仏教の初歩ですが。
459どっかく:2009/05/02(土) 09:32:07 ID:E/kh/CG+
迷い。無明に覆われた我がある。
この迷い、無明を取り除けばいいのであり、
我を見失っては本末転倒。
 
仏教が我を見失うことを説くならば、人間にとって有害無益であり、
どぶに捨ててしまうほうがいい。
460神も仏も名無しさん:2009/05/02(土) 09:33:40 ID:6q9FiJsh
そうだな。
だとしたらあんたは仏教とは縁遠いようだ。
宗教は仏教だけじゃないしね。ご自由に。
461神も仏も名無しさん:2009/05/02(土) 09:35:38 ID:6q9FiJsh
無明の意味は正確に掴んどいたほうがいいぜ、自性の意味もな。
仏教に批判を加えるなら意味くらい知っとこうよ。
462神も仏も名無しさん:2009/05/02(土) 09:41:04 ID:6q9FiJsh
>>456
当然大乗には悟りに対する執着を戒めた経典なんか腐るほどあるぜ。
463どっかく:2009/05/02(土) 09:42:15 ID:E/kh/CG+
自分はもろもろの関係性から生じ、空であり、実体がないなどと思い、
自分を見失い、主体性をなくすぐらいなら、
 
煩悩に迷い、無明の中で生きているほうがましだろう。
自分があり、自分を生きている。
464神も仏も名無しさん:2009/05/02(土) 09:48:00 ID:xkQJ3wjp
自我と我はちょっと違うかな?
仏教でも自我をなくせとは、言わないです。自分の自我と思い込んでいる
いわゆる「自分」に対する、執着を捨て去り、自由になろうというのが、
仏教全般の思想だと思います。
今のちっぽけな自分の殻をぬぎ去り、自由な存在になろうというもの。
465神も仏も名無しさん:2009/05/02(土) 09:49:09 ID:6q9FiJsh
>>463
実態が無いのでなく、自性が無い。
すなわち単独で成り立つものがない。
たとえば、あんたの周りから空気が1秒でも全て無くなれば、
内圧によってあんたは爆破ってことさ。
466どっかく:2009/05/02(土) 09:50:39 ID:E/kh/CG+
経典は人々の記憶を頼りに作られたものであり、
そこには誤りもあれば偽りもある。
 
経典を無視するのも誤りだが、絶対視するのも誤りだろう。
頭を柔軟にし、その内容が合理的かどうかで判断したらどうだろうか。
まちがった経典と心中するのはお断りだな。
467神も仏も名無しさん:2009/05/02(土) 09:50:52 ID:6q9FiJsh
行動主体であるところの自己と、
エゴであるとこの自我は当然使い分けらてますが。
468神も仏も名無しさん:2009/05/02(土) 09:51:51 ID:xkQJ3wjp
>>456
鋭い指摘だと思います。
良い執着と悪しき執着があると思えばわかりやすいですね。
でも、悟り、ニルバーナにいたる10の階梯の最後は、
おっしゃるとおり、悟りを求める執着を捨て去るというものです。
十分結 「無明」ですね。これは、もう聖者の世界ですけど。
469亭白:2009/05/02(土) 09:52:11 ID:ixkSNM+a
>>363 :Φιλοσοφ さん
恐縮します。 Φιλοσοφ さんのように仏教学用語は知らないので、
反面うらやましいところもあります。
仏教学用語はパズルのようなインテリの分析力で真実を模索してい
るように感じます。残念ですが、ほとんど外国語的認識で半分以上
意味が解らない状態です。
470神も仏も名無しさん:2009/05/02(土) 09:53:05 ID:6q9FiJsh
苦しみの元を断つのが悟りであるのだから、
それ以外の目的なら仏教は使わなくて良い。
宗教を万能にしようとすること自体が間違いじゃないのかね。
471どっかく:2009/05/02(土) 10:00:55 ID:E/kh/CG+
>>464
自分の殻を脱ぎ捨てた自分とは何か?
>>465
心の話をしているのであり、体が爆発する話をしているのではない。
また自性に関しては、意志による選択がそれである。
472神も仏も名無しさん:2009/05/02(土) 10:03:46 ID:6q9FiJsh
困ったな。言葉の定義が違えば会話自体が成り立たないよね。
473どっかく:2009/05/02(土) 10:14:30 ID:E/kh/CG+
>>467
>行動主体であるところの自己と、
>エゴであるとこの自我は当然使い分けらてますが。
 
自己と自我はどのように定義し、使い分けているのですか?
474どっかく:2009/05/02(土) 10:21:53 ID:E/kh/CG+
自我とは自分であり自己のことです。
自己とは自分であり自身のことです。
 
ふつうは、自我も自分も自己も同じような意味で使っています。
475Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/02(土) 10:29:04 ID:7Xcuo5rs BE:1154194439-PLT(13230)
引用の経文では、「執着して」という言葉が強調的に語られているが、従って覚
の為には全く不要の語である。即ち既に「これ」も無く、「我」も無いのである
から、どうして無に執着することがあるだろうか。唯衆生が妄して「これは我が
ものである」と執着するのみである。もし仏眼に基づいてこれを言うならば、
即ち「衆生は無に執着する」と述べられる。
これに対して、仏は無に執着しないが故に、衆生が堕ちる魔界から解脱するこ
とを得る。ここを諭さんが為に、この仏法は述べられているのである

これ」も無く、「我」も無い・・
とすれば・・・執着もないことになるな・・・
476Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/02(土) 10:30:40 ID:7Xcuo5rs BE:897706837-PLT(13230)
あれ・・・いつのまにかレスが増えてるお^^
みなさん・・・熱心ですね^^
477Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/02(土) 10:31:37 ID:7Xcuo5rs BE:1923656459-PLT(13230)
>>476
おまえがな^^
478Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/02(土) 10:34:15 ID:C8aV71ZT
「絶対矛盾的自己同一論」(「自己は自己を否定するところにおいて真の自己である」)
479どっかく:2009/05/02(土) 10:38:17 ID:E/kh/CG+
>>475
「これ」があるから「かれ」がある、
「これ」がなければ「かれ」もない、という縁起観が、
頭の中だけの操作でしかないのでは、という疑いが生じつつある。
 
「空」を悟ってもすぐに、煩悩の世界に舞い戻るのはなぜか?
480神も仏も名無しさん:2009/05/02(土) 10:41:40 ID:6q9FiJsh
自己とは今、ここで自分が為している、誰がやっているのかといえば自己がやっているということです。
自己とは気をつけねばならぬこと。整えること。

自我とは自己中心的な考えのもと、逆にいえば我なし、我のものなしならば、煩悩を起こす目的がありませんね。
自我とは振り返るものでないもの。考えるべきでないもの。
481Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/02(土) 10:42:10 ID:7Xcuo5rs BE:3462580499-PLT(13230)
ほどんどの答えがこのスレの中に書いてあるお^^
482神も仏も名無しさん:2009/05/02(土) 10:43:28 ID:vUE3feKk
>>476-477
この自演は何?
483Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/02(土) 10:51:48 ID:7Xcuo5rs BE:769462092-PLT(13230)
唯識思想では六識(眼(げん)、耳(に)、鼻(び)、舌(ぜつ)、身(しん)
、意(い))は表層の意識でしかなく、表層の意識は根源的な深層の意識によっ
て生み出され、外界をあるかのごとく錯覚させられていると出張しました。

錯覚・・・

根源的な深層の意識とは「アーラヤ識」(阿頼耶識)と呼ばれるものです。
ここに自分が経験して知った自分の肉体や外界、あらゆる出来事などが蓄積さ
れ、それらの蓄積されたものは、アーラヤ識の働きによって表層意識に映し出
され、あたかも実在するかのように認識されるという。

実在するかのように認識される・・・

なぜ、実体のないものを実体化して見てしまうのかというと、深層にもう一つ
の潜在意識「マナ識」(末那識)のせいだといいます。
マナ識はアーラヤ識を自我であると思い込む心で、なんでも「俺が、俺が」と
自分に結びつけてしまい、外部世界を自分に結びつけ、実体化して見るといい
ます。
484Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/02(土) 10:53:15 ID:7Xcuo5rs BE:1282437656-PLT(13230)
>>482
意味が無いお^^
485Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/02(土) 10:58:07 ID:7Xcuo5rs BE:1196941474-PLT(13230)
無対象無思考の「私 'I'」の発見(覚知)2
http://www.youtube.com/watch?v=4IyjyH-ehjE&feature=related
486どっかく:2009/05/02(土) 11:02:07 ID:E/kh/CG+
>>480
自己 = 自分 > 自我 のような関係ですかね。
 
そうすると自我を滅すれば、煩悩の火を大元で消すわけだから、
自己=自分の煩悩も自然に滅せられると。
 
自己=自分の煩悩が滅せられているのは、
自我が滅せられ、煩悩の火が消えていることを推測させると。
 
人間が無自性・空であるとき、人間の主体性はどこにある?
  自我がなければ自己も自分もない。
  自己も自分もなければ自我もない。
 
自我・自己・自分を厳格に使い分ける意味があまりないような。 
487Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/02(土) 11:12:56 ID:7Xcuo5rs BE:2051899586-PLT(13230)
九識(阿摩羅識とは、最も根源的な宇宙そのものが持つ究極の超意識(清浄無
垢な意識)のことで、即ち仏様の境涯(命の状態)そのものを顕しています
その仏様の境涯である「仏界(仏性)」を、修行に依り自己の命に開き、認識・
身命に当てることで、八識に対し直接働きかける善因を積むこととなります。
488Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/02(土) 11:15:35 ID:7Xcuo5rs BE:1282437656-PLT(13230)
禅定に達して心だけでその禅定世界に遊ぶこともできますが、禅定に達した人が
亡くなると、禅定状態への執着が強く、逆にこの普通の欲の世界への未練があ
りませんから、禅定の世界に生まれ変わります。この禅定の世界を、梵天界と
呼んでいます。まだ欲界レベルの天人の世界・天界を遥かに超えた世界です。
そこに住む生命は、天人・神々とは比べものにならないレベルの、梵天と呼ば
れる生命です。
 梵天界は、さらに細かく二種類に分けられます。瞑想の対象にもなる、何ら
かの物質が僅かにある色界と、それさえもない、本当に心だけの無色界です
。色界、無色界の二つの梵天界と、私たちの欲界を合わせて、三界と言います
。 梵天界も輪廻の世界なのですが、五(六)道輪廻の天界には、私たちは普
通、梵天界を含めて考えてはいません。あまりに次元が違うからです。でも、
輪廻する全世界を欲界・色界・無色界の三界に分類する時は、五道輪廻の中の
地獄から欲界天までが欲界だと明示し、それに色界・無色界の二つの梵天も
「天」に含めます。これで、五道でも三界でも、輪廻の全世界を言い表した
ことになるのです。
489どっかく:2009/05/02(土) 11:16:32 ID:E/kh/CG+
>>487
九識(本来の自己)を体験することが悟りです。
490Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/02(土) 11:18:00 ID:7Xcuo5rs BE:512975243-PLT(13230)
「無常を悟る、無我を悟ることが仏教だ」と言われる、その無常、無我を一瞬だ
けでも「体験」して、「我がある」という邪見・煩悩が、単なる知識として分か
るのではなく、本当に消えるのです。

体験しないと答えは出ないね^^
491Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/02(土) 11:22:27 ID:C8aV71ZT
21世紀仏教への旅 ブータン(1/12)
http://www.youtube.com/watch?v=jDjilZvh2rw
492どっかく:2009/05/02(土) 11:26:11 ID:E/kh/CG+
>>490
無常、無我の話になると、悟りから遠のくように感じます。
我はいつもあります。九識も「我」です。
493Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/02(土) 11:29:13 ID:7Xcuo5rs BE:1068698055-PLT(13230)
21世紀仏教への旅 インド(1/13)
http://www.youtube.com/watch?v=1Gy9N9JD-sU&feature=related
494神も仏も名無しさん:2009/05/02(土) 11:34:28 ID:iY4m480H
九識は non-duality であって彼も我もないんじゃないの
495Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/02(土) 11:38:26 ID:7Xcuo5rs BE:1196942047-PLT(13230)
21世紀仏教への旅 インド(2/13)
http://www.youtube.com/watch?v=Z06UPxiKTmE&feature=related
496Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/02(土) 11:47:33 ID:7Xcuo5rs BE:1367932984-PLT(13230)
21世紀仏教への旅 インド(3/13)
http://www.youtube.com/watch?v=JGp7-SLSsHE&feature=related
497Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/02(土) 11:54:46 ID:7Xcuo5rs BE:1282437656-PLT(13230)
21世紀仏教への旅 インド(4/13)
http://www.youtube.com/watch?v=T67c9nSS5o4&feature=related
498Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/02(土) 12:50:29 ID:7Xcuo5rs BE:1538924494-PLT(13230)
"唯識三十頌の一部"

* 煩悩謂貪瞋 癡慢疑悪見
* 随煩悩謂忿 恨覆悩嫉慳
* 誑諂与害驕 無慚及無愧
* 掉挙与昏沈 不信併懈怠
* 放逸及失念 散亂不正知
* 不定謂悔眠 尋伺二各二
499Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/02(土) 15:43:51 ID:7Xcuo5rs
亦入於水。亦入於火。亦入於風。亦入於空。
亦入於彼。亦入於此。亦入於色。亦入於痛痒。
亦入於思想。亦入於生死。亦入於識。亦入於人。
亦入於壽命。亦入於生。亦入於有徳。亦入於無徳。
亦入於欲。亦入於不欲。亦入於有。亦入於無。
亦入於想。亦入於無想。亦入於願中。
亦入於無願中。亦入於無生中。亦入於不生中。
亦入於日月。亦入於星宿。亦入於阿須倫。
亦入於龍。亦入於鬼神。亦入於?陀羅。
亦入於迦留勒。亦入於甄陀羅。亦入於摩[目*侯]勒。
亦入於羅刹。亦入於鳩垣。亦入於薜茘。
亦入於禽獸。亦入於泥犁。亦入於?飛。
亦入於蠕動。亦入於?行。亦入於喘息。亦入於貧賤。
亦入於富貴。亦入於賢者。亦入於仙人。
亦入於須陀?。亦入於斯陀含。亦入於阿那含。
亦入於阿羅漢。亦入於辟支佛。亦入於菩薩。
亦入於佛。亦入於泥?。亦入於四意止。
亦入於四意斷。亦入於五根。亦入於五力。
亦入於七覺意。亦入於八道。亦入於有智。
亦入於無智。亦入於十種力。亦入於四無所畏。
亦入於佛經。亦入於世間經。亦入於巫祝。
亦入於不巫祝。亦入於宿命。亦入於所行。
亦入於展轉生死中。亦入於勤苦。亦入於不勤苦。
亦入於自在。亦入於不自在。亦入於度脱。
亦入於不度脱。亦入於好中。亦入於不好中。
亦入於善中。亦入於不善中。亦入於黠中。
亦入於不黠中。亦入於明中。亦入於不明中。
亦入於過去。亦入於當來。亦入於今現在。亦入於可見。
亦入於不可見。亦入於教。亦入於法。
亦入於有。亦入於無所有。亦入於一切有形。
亦入於一切無形
500Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/02(土) 15:45:02 ID:7Xcuo5rs
亦入於一切無形

すなわち一切無形 だと・・・^^
501Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/02(土) 16:05:35 ID:7Xcuo5rs
所至亦無所入何以故空本無色般若波羅
蜜如是般若波羅蜜如是般若波羅蜜者から

佛語須菩提
如是比曇無竭菩薩爲薩陀波倫菩薩說般
若波羅蜜所入處如是具足說へと・・・
502Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/02(土) 17:24:38 ID:7Xcuo5rs
しかし・・・
ユングの精神分析学から・・・
形而上学における哲学まで・・
基本的には仏教に似ているというか・・・
仏教を基にしているな・・・
503神も仏も名無しさん:2009/05/02(土) 17:31:41 ID:JE6uj+tn
佐藤梨絵
504Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/02(土) 17:37:12 ID:7Xcuo5rs
禅問答かな・・・^^
505Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/02(土) 17:48:05 ID:7Xcuo5rs
「佐藤梨絵」を見ることにより・・・
阿頼耶識が「前五識」「第六意識」の現行及び「末那識」を生み出し・・・
そして身体を認識する・・・
そして「佐藤梨絵」であると思っているものも生み出していると考えられる。
506Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/02(土) 17:49:33 ID:7Xcuo5rs
なんかおかしいな・・・^^
507Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/02(土) 17:52:12 ID:7Xcuo5rs
「前五識」「第六意識」は意識の世界・・・
「末那識」「阿頼耶識」は無意識の世界・・・
508どっかく:2009/05/02(土) 17:54:21 ID:Bq4aWV8T
唯識や心理学は心の構造を明らかにしただけだろう。
悟りの目標(九識)を示しているけど、
だからといって、それだけで悟れると言うものでもない。
 
しかし何だか、すぐにでも悟れるような気がしますね。
なんだ〜 それが悟りかよお (^●^)
509Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/02(土) 17:54:39 ID:7Xcuo5rs
「意識は遅れてやって来る」だったから・・
510Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/02(土) 17:57:27 ID:7Xcuo5rs
「意識は0.5秒遅れてやってくる」から・・
潜在意識の方が先だな・・
511Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/02(土) 17:59:02 ID:7Xcuo5rs
「阿頼耶識」「末那識」「前五識」=「第六意識」の順かな・・・
512Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/02(土) 18:00:18 ID:7Xcuo5rs
* 私たちは毎秒1100万ビット以上の情報を得ながら、わずか50ビット足らずしか意識には上らない
* 意識的に行動を決断すると認識する前に、すでに行動は始まっている
* 意識は現実より0.5秒ほど遅れているのに、時間の繰り上げを行って、
   あたかもリアルタイムで機能し、すべてを把握・管理しているかのようなふりをしている

これ興味深い・・・^^
513どっかく:2009/05/02(土) 18:03:47 ID:Bq4aWV8T
外側のものを順に捨てることで、内側に迫っていくことができる。
 
リンゴの皮をむく。白い果肉が出る。その先に種がある。
そして種の先に何がある? 
何かあるとすれば、それが九識ではないか?
514Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/02(土) 18:09:09 ID:7Xcuo5rs
実験で確かめられた、「『自由意志』が発生する前に脳神経がもう働き始めている」という衝撃の事実!
515Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/02(土) 18:11:08 ID:7Xcuo5rs
「『自由意志』が発生する前に「阿頼耶識」「末那識」がもう働き始めている」

こすればなんでもないこと・・・^^
516どっかく:2009/05/02(土) 18:14:32 ID:Bq4aWV8T
生き物の中で人間は特別なのかもしれない。
 
善悪を知る果実を食べて地獄を放浪し、
そのあげくに自由意志で命の果実を食べてしまう。
517どう書く?:2009/05/02(土) 18:20:45 ID:ZpPJ+BZ9
>>516

イエスさんちのひと?
518亭白:2009/05/02(土) 18:23:51 ID:wmJHYOBM
>>415 :Φιλοσοφ さん
西田(幾多郎)哲学・・・

「絶対矛盾的自己同一論」(「自己は自己を否定するところにおいて真の自己である」)

☆自己の肉体即人間は仮の存在であり、仏性光輝く霊的存在こそ真実なる自己である。
 と解釈しました。
519Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/02(土) 18:25:54 ID:7Xcuo5rs
7虚空蔵求聞持法 集合的無意識とは?
http://www.youtube.com/watch?v=F1R4Pt2ckwI

なんかこれ見てる・・・w
520どっかく:2009/05/02(土) 18:28:02 ID:Bq4aWV8T
悟るためには、利用できるものは何でも利用しよう。
真実はひとつじゃないか (^●^)
 
空海は金星? 釈迦は金星? イエスも金星?
KKも金星人?・・・しかしこれは怪しい
 
521どっかく:2009/05/02(土) 18:39:52 ID:Bq4aWV8T
釈迦の悟りが、金星であることで納得し、安心した。
それは空海の悟りと同じである。
あとはイエスの悟りだが、これも金星であることが次第にわかってきた。
522どう書く?:2009/05/02(土) 18:47:35 ID:ZpPJ+BZ9
>>520-521
> 悟るためには、利用できるものは何でも利用しよう。 真実はひとつじゃないか (^●^)
>  
> 空海は金星? 釈迦は金星? イエスも金星? KKも金星人?・・・しかしこれは怪しい
>  
> 釈迦の悟りが、金星であることで納得し、安心した。 それは空海の悟りと同じである。 あとはイエスの悟りだが、これも金星であることが次第にわかってきた。


金星
きんせい
あけのみょうじょう
きんぼし

どう言う意味で使ってるのだろうか。

それとも、UFO 研究会の 金星人が地球人そっくりな姿が、増殖し、混在してるのだ、とでも?
523どっかく:2009/05/02(土) 18:53:10 ID:Bq4aWV8T
金星とは九識、アートマンである。
 
だから金星の後ろに人がつき、金星人になると妄想になるのではないかと。
524Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/02(土) 19:00:14 ID:7Xcuo5rs
525どう書く?:2009/05/02(土) 19:03:12 ID:ZpPJ+BZ9
>>523 どっかく さん
> 金星とは九識、アートマンである。 だから金星の後ろに人がつき、金星人になると妄想になるのではないかと。

仏教では、無かったんだね。アセアセ( ̄_ ̄ i)タラー

仏教は、諸法無我、だよ。
526Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/02(土) 19:09:57 ID:7Xcuo5rs
日本人で・・
九識(阿摩羅識とは、最も根源的な宇宙そのものが持つ究極の超意識(清浄無
垢な意識)のことで、即ち仏様の境涯(命の状態)
まで意識というか悟った人売るのかな?
527Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/02(土) 19:10:53 ID:7Xcuo5rs
売るのかな????
528どう書く?:2009/05/02(土) 19:12:27 ID:ZpPJ+BZ9
>>526

分別しないことだね。
529どっかく:2009/05/02(土) 19:14:21 ID:Bq4aWV8T
前のほうでも書いたけど、仏教という枠組みをはずそうよ。
仏教やキリスト教やイスラム教ではなく、
真実の教えが聞きたい。
 
真実の教えを聞かないうちに死にたくない。
誠実に語ってほしい。
530Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/02(土) 19:14:42 ID:7Xcuo5rs
悟りを得た人に聞くのが・・・
ブッタに聞くのが・・・
531Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/02(土) 19:16:30 ID:7Xcuo5rs
>>528
意味わからんお^^?
532神も仏も名無しさん:2009/05/02(土) 19:19:18 ID:6q9FiJsh
金星人?
チャネラーか。
がっかりだ。
533どう書く?:2009/05/02(土) 19:23:01 ID:ZpPJ+BZ9
>>529 どっかく さん

そうおもうのは、あなただね。
それぞれについて、わかって無いのだと、思う。

唯一絶対のキリスト教、
同じくユダヤ教から1000年前に派生したイスラム教、

どちらも、他と共存できない教えになってる、ね。

その点 注目にあたいするのが、仏教だね。
一神教ではないから、ね。

中途半端じゃだめだと、思うよ。
どこからも、はねられる。
534どっかく:2009/05/02(土) 19:24:12 ID:Bq4aWV8T
諸法を無我(非我)と感じる主体は何か?
それが問われる。
535どう書く?:2009/05/02(土) 19:25:39 ID:ZpPJ+BZ9
>>534 どっかく さん
> 諸法を無我(非我)と感じる主体は何か? それが問われる。

我と言うものは、無いよ。
536どっかく:2009/05/02(土) 19:32:14 ID:Bq4aWV8T
我がなければ、諸法無我は無意味な主張になる。
仏教は無意味なのか?
537どう書く?:2009/05/02(土) 19:33:40 ID:ZpPJ+BZ9
>>536 どっかく さん

諸法無我、とは、さとり だよ。
538Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/02(土) 19:35:04 ID:7Xcuo5rs
/ || ̄ ̄|| ∧_∧
|.....||__|| (     )  仏教は無意味なのか? 
| ̄ ̄\三⊂/ ̄ ̄ ̄/
|    | ( ./     /
 ___
/ || ̄ ̄|| ∧_∧
|.....||__|| ( ^ω^ )  禅問答してるでしょ?
| ̄ ̄\三⊂/ ̄ ̄ ̄/
|    | ( ./     /
539どう書く?:2009/05/02(土) 19:39:31 ID:ZpPJ+BZ9
>>538 素粒子 さん

>禅問答してるでしょ?

まだそこまでは・・・
540Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/02(土) 19:39:45 ID:7Xcuo5rs
有為法だけでなく無為法を含めてすべての存在には主体とも呼べる我がないと
いうのは、他の宗教に言われるような「神」などの絶対者もまた無我であるこ
とを意味する。これは絶対者の否定ではなく、神などもまた我々との関係の上
にのみ存在することを意味している。仏典の中にも神が出てくる場面が多いが
、絶対者としての神ではなく、縁起によって現れたものと見るべきであろう。
その意味で、仏教は他の宗教と根本的な違いを持っている。

絶対者がいない・・・
当然であり・・・
絶対者の居る宗教団体は偽者である・・・
541どっかく:2009/05/02(土) 19:40:07 ID:Bq4aWV8T
どうだろうか? 無我と悟りはイコールだろうか?
そう思っているのは予断であり、洗脳ではないだろうか?
なぜなら証明が何もない。なぜイコールなのか?
 
自分を見失うのが悟りだってえ。
お断りする。
542Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/02(土) 19:40:52 ID:7Xcuo5rs
>>540
あっ^^
これ間違いだおぉおおおおおおおおおおおおおおおおおお^^
543Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/02(土) 19:41:44 ID:7Xcuo5rs
キリスト忘れてたお^^
544どう書く?:2009/05/02(土) 19:41:48 ID:ZpPJ+BZ9
>>540 素粒子 さん

自分の言葉でしゃべれるようになったら、いいね。
545Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/02(土) 19:43:13 ID:C8aV71ZT
>>544
仏教のこと何も知らないから無理だお^^
546どう書く?:2009/05/02(土) 19:45:59 ID:ZpPJ+BZ9
>>541 どっかく さん

わるいね、仏教で言う「独覚」 が、コテハンの由来かと、勝手に思ってしまった。(汗)

自分を見失うのではないよ、無我 は。

色即是空の 空にあたるのが、「無我」。
547Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/02(土) 19:47:13 ID:7Xcuo5rs BE:341983924-PLT(13230)
瞑想には、人間の心が多層的な構造を持っていることを踏まえて、高次の意識レ
ベルへと到達することを目的として、その方法が組み立てられているものが多い
。例えば、仏教哲学・仏教心理学では意識は「八識」に分類され、その中には
「末那識」「阿頼耶識」と呼ばれる層があり、仏教の瞑想には、そこへと到達す
るための極めて合理的、システマティックな方法が含まれている。

禅定のことかな・・・
548どう書く?:2009/05/02(土) 19:47:32 ID:ZpPJ+BZ9
>>545 素粒子 さん

> 仏教のこと何も知らないから無理だお^^

素粒子さんの立ち位置は?
549Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/02(土) 19:49:37 ID:7Xcuo5rs BE:2393882887-PLT(13230)
仏教初心者が悟りを開いてみる・・・だお^^
550Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/02(土) 19:52:21 ID:7Xcuo5rs BE:512975726-PLT(13230)
無対象無思考の「私 'I'」の発見(覚知)1
http://www.youtube.com/watch?v=6tyC0Q2jQr8&feature=related

これだれだろう・・・?
551どう書く?:2009/05/02(土) 19:52:32 ID:ZpPJ+BZ9
>>549 素粒子 さん
> 仏教初心者が悟りを開いてみる・・・だお^^

そうかあ、精進、励んでください。

お邪魔さまでしたね。

カエルネー (  ¨)ノ.・.・.・・.・ミ☆゛
552Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/02(土) 19:53:18 ID:7Xcuo5rs BE:1923656459-PLT(13230)
おつ・・・・^^
553どっかく:2009/05/02(土) 19:54:40 ID:Bq4aWV8T
諸法無我なら、自分がないのだからもともと仏教は無意味。
 
無我は自分を見失うのではないというなら、自分はどこにいるのか?
554神も仏も名無しさん:2009/05/02(土) 19:57:34 ID:iY4m480H
>>550
ラマナ・マハルシ
555神も仏も名無しさん:2009/05/02(土) 19:58:34 ID:6q9FiJsh
学ぶつもりがないのなら、仏教用語に対する批判はやめろと言っている。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AB%B8%E6%B3%95%E7%84%A1%E6%88%91
556どっかく:2009/05/02(土) 20:02:46 ID:Bq4aWV8T
どう書くさんは勝手なことを言い質問に答えないで消えるの?
 
あなたは無我と悟りがイコールであることを証明してないと思う。
 
色即是空は証明ではなく単なる主張だよ。
557神も仏も名無しさん:2009/05/02(土) 20:08:49 ID:6q9FiJsh
やつならここにいる。コテを変えて。
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1239878351/

やつに対するあらゆる質問は無意味だと悟りなさい。
558どう書く?:2009/05/02(土) 20:09:07 ID:ZpPJ+BZ9
>>556 どっかく さん

受け取れないのが、あなたの現実です。
証明問題の解ではないですよ。
さとりは、無我です。
無我は、空とも言います。
559どっかく:2009/05/02(土) 20:10:41 ID:KjdDtXCG
       / \  /\  キリッ
.     / (ー)  (ー)\
    /   ⌒(__人__)⌒ \   さとりは、無我です。
    |      |r┬-|    |   
     \     `ー'´   /   
    ノ            \
  /´               ヽ

            ___
       /      \
      /ノ  \   u. \ !?
    / (●)  (●)    \ 
    |   (__人__)    u.   | クスクス>
     \ u.` ⌒´      /
    ノ           \
  /´               ヽ

         ____
<クスクス   /       \!??
      /  u   ノ  \
    /      u (●)  \
    |         (__人__)|
     \    u   .` ⌒/
    ノ           \
  /´               ヽ

560どっかく:2009/05/02(土) 20:11:46 ID:Bq4aWV8T
誠実さも悟りのうちだろうと思う。
不誠実なものは悟っていないと判断していいだろう。
561どう書く?:2009/05/02(土) 20:13:25 ID:ZpPJ+BZ9
>>559 どっかく さん

あらら

name さん でしたか。

剃る牛、いや、素粒子さんも、自演でしたか、(汗)


(;~∀~)ノ~┳"Tバックふりふりばいばーーい♪
562Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/02(土) 20:14:55 ID:7Xcuo5rs
( ^ω^)この明白な事実は事実として受け入れて、みんな仲良くやれお

(^ω^)カリカリすんなお
563どう書く?:2009/05/02(土) 20:15:36 ID:ZpPJ+BZ9
>>560 どっかく さん

口をすっぱくしてお話してるのだけど、それを分からないのも、あなたの言葉で言う、不誠実・・・かな?
564どっかく:2009/05/02(土) 20:16:20 ID:Bq4aWV8T
>>558
>さとりは、無我です。
>無我は、空とも言います。
 
これはあなたの単なる主張ですよね
565Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/02(土) 20:17:14 ID:7Xcuo5rs
どっかくさんはおいらと同じで仏教初心者だお^^
大目にみてお^^
566Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/02(土) 20:21:27 ID:7Xcuo5rs
さとりは、無我です。

どっかくさんは悟ろうとしていないから言っても無理だお^^
さとりは、無我ですを目標にするお^^
567どっかく ◆jqwKOHtwpE :2009/05/02(土) 20:21:44 ID:Bq4aWV8T
>>563
主張を何回繰り返しても証明にはならない。
568大王:2009/05/02(土) 20:21:51 ID:KjdDtXCG

                             ____
   .                        /_ノ  ヽ、_\
                         o゚((○)  ((○))゚o  ,. -- 、
                        /::::::⌒(__人__)⌒:::::: /    __,>─ 、
                        |     |r┬-|    /          ヽ
                        |     | |  |   {            |__
                        |     | |  |    }  \       ,丿 ヽ
  ___,.-------、      .     |     | |  |   /   、 `┬----‐1    }
(⌒    _,.--‐    `ヽ    .     |     | |  |  ./   `¬.|      l   ノヽ
 ` ー-ァ''"/ / r'⌒)     ̄ ̄`ー‐-- \      `ー'ォ /    、 !_/.l    l    /  }
     \\\_/   ノ___       `''ー     {       \     l   /  ,'
        ̄ `(_,r'"        ̄`ー-、    .   / \      ´`ヽ.__,ノ  /   ノ
                        /     /    \     ヽ、\ __,ノ /
                      /     /        ̄ ヽ、_  〉 ,!、__/
                      /  _  く               ̄
                     / /  \ \
                   / /     \ \
         .        / /       / /
                / /        ゝ、 ヽ
              / /             ̄
             /  /
            r___ノ

569Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/02(土) 20:22:50 ID:7Xcuo5rs
>>568
おもしろいお^^

けど・・・なんだおぉおおおおおおおおお^^
570Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/02(土) 20:24:28 ID:7Xcuo5rs
                ディービドンドン♪
          ♪ /⌒ヽ
             ( ^ω^) ))
           (( ( つ ヽ、
             〉 とノ )))
            (__ノ^(_)

             /⌒ヽ ディービドンドン♪
            (( (^ω^ )
          ♪  / ⊂ ) ))
            ((( ヽつ 〈
             (_)^ヽ__)
571Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/02(土) 20:26:26 ID:C8aV71ZT
 ___
/ || ̄ ̄|| ∧_∧
|.....||__|| (     )  ディービドンドン♪
| ̄ ̄\三⊂/ ̄ ̄ ̄/
|    | ( ./     /
 ___
/ || ̄ ̄|| ∧_∧
|.....||__|| ( ^ω^ )  どうしてこうなった!?
| ̄ ̄\三⊂/ ̄ ̄ ̄/
|    | ( ./     /
572神も仏も名無しさん:2009/05/02(土) 20:26:57 ID:KjdDtXCG

  ∧_∧     / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  (    )  <  こんな時間まで2chとかさ
  ( O   )    \__________
  │ │ │
  (__)_)


   ∧_∧     / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  ( `・ω・´) 彡<  おまえら、ほんと屑だな
  (m9   つ    \_____
  .人  Y 彡
  レ'(_)


   ┏━━━━━━━━┓
   ┃   ∧_∧    ...┃
   ┃  ( ´・ω・`).    ┃
  ∧_∧ (m9  つ.     ┃
  (    )人  Y       ┃
  ( O  つ '(_).      ┃
  ノ  ,イ━━━━━━━┛
  レ-'(_)
573どう書く?:2009/05/02(土) 20:29:04 ID:ZpPJ+BZ9
>>567 どっかく さん
> >>563
> 主張を何回繰り返しても証明にはならない。

証明って、どういうことを言ってますか?

さとり

(法、真理、ダルマ) と言います。

それは、諸法無我、と言います。
574どっかく ◆jqwKOHtwpE :2009/05/02(土) 20:30:33 ID:Bq4aWV8T
Φ氏も、どう書く氏も、残念だけど永遠に悟れないと思う。
 
無我は悟りではなく、ただ自分を見失うだけ。
575Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/02(土) 20:31:48 ID:7Xcuo5rs
自分を見失うだけ。

それが悟りって書いてあったお^^
576Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/02(土) 20:33:02 ID:7Xcuo5rs
自分の意識を宇宙意識まで高めればいいだけじゃん。。。^^
577Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/02(土) 20:34:10 ID:7Xcuo5rs
宇宙意識って九識のことね^^
578神も仏も名無しさん:2009/05/02(土) 20:34:11 ID:0eb/oPBq
いつでも好きな時に好きなだけ自由に一瞬で脳内麻薬だせる能力
579どう書く?:2009/05/02(土) 20:34:27 ID:ZpPJ+BZ9
>>574 どっかく さん

> 無我は悟りではなく、ただ自分を見失うだけ。

あなたが、あなた自身を見失ってますよね。

無我

どう受けとっていますか?
580どっかく ◆jqwKOHtwpE :2009/05/02(土) 20:34:54 ID:Bq4aWV8T
ふたりともがんばれ。がんばって自分を見失えばいいお(^●^)
581Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/02(土) 20:36:14 ID:7Xcuo5rs
どっかくさんはどのスレにいってもはじきだされるのが分かったお^^
582神も仏も名無しさん:2009/05/02(土) 20:37:55 ID:0eb/oPBq
お釈迦様はいつでも脳内麻薬を自由に出せたらしい
あとチベットの偉いさんも同じで 素面で脳内麻薬フル状態らしい
前にハーバード大学の研究者が チベットに行って
その人に無断でLSD1000マイクログラム
通常の使用量は100〜200マイクログラムなんだけど
飲ませたらしい 何の変化もなく
その僧侶は常にその状態である事がわかり
弟子になったんだってさ
583どう書く?:2009/05/02(土) 20:39:39 ID:ZpPJ+BZ9
>>580 どっかく さん

自分を見失うと言うあなた言葉が、我が無いと、言うことになれば、いいね。
584Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/02(土) 20:41:08 ID:C8aV71ZT
どっかくさんは ・・つまり・・
自我の執着心が強すぎるということね^^
585神も仏も名無しさん:2009/05/02(土) 21:00:36 ID:kE8hW0P/
>>582
面白い話だと思うけど、無断で摂取させるのは犯罪行為だろw
400mmgも、1000mmgも、そう変わらんよ。

また胃の中に消化物がある状態の1000mmgより、
胃の中が空時の200mmgの方がはるかに効くだろうし。

ちなみの俺は、空腹時で、1000mmgまでは経験がある。
当然、知らない人とも普通に話し出来るが、目玉と景色は・・・・。

586Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/02(土) 21:06:52 ID:7Xcuo5rs
脳内麻酔されると・・
「前五識」「第六意識」は意識の世界・・・
が弱まり
「末那識」「阿頼耶識」は無意識の世界・・・
が意識される

という事かな・・・^^
587Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/02(土) 21:08:25 ID:7Xcuo5rs
ということは・・・
死ぬ直前の状態なのかな・・・・
588Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/02(土) 21:10:49 ID:7Xcuo5rs
ということは・・
死の直前に人は9職宇宙の意識まで到達できる・・・
それ以上の識まで至る・・
ことができると・・・
589Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/02(土) 21:13:05 ID:7Xcuo5rs
九識(宇宙の意識)までだお^^
とすると・・
肉体から離脱し・・・宇宙意識へと帰化すると・・・
590Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/02(土) 21:14:05 ID:7Xcuo5rs
そこで輪廻が出てくる訳だが・・・^^
591Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/02(土) 21:18:08 ID:7Xcuo5rs
九識(宇宙の意識)まで悟ってる人は・・・
輪廻しない・・浄化する
九識(宇宙の意識)まで悟っていない人は・・・
自我(肉体)に執着心があるので・・・輪廻される
ということかな・・・

592Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/02(土) 21:21:15 ID:7Xcuo5rs
死ぬ直前に九識まで悟るとすると・・
意識がエネルギーだとすると形は変わるが消滅しないんだよな・・
では意識のエネルギーはどこへいくのか・・・
593Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/02(土) 21:25:19 ID:7Xcuo5rs
臨死体験の時の状態を次の様に記している。「過去・現在・未来はなく、すべ
てが現在である。つまり過去・現在・未来は一つにつながったものである
。例えるならば、マンダラの絵のようなもの。過去・現在・未来は同時にすべ
てを認識することが出来る。」「ここには過去・現在・未来という時間の流れ
もない。例えるならば、すべて現在である。時間は意識の中に認識としてだけ
存在する。光の世界はゼロ次元である。ゼロ次元というのは空間も時間もない
という意味である。光の世界には何もない。あるのは意識だけである。」
その他の例を挙げてみよう。「(臨死体験で垣間見た世界では)時間は止まっ
ていた。意識は線形的時間を超えた次元で存続していた。そこでは過去と現在
と未来が一つになって永遠の現在となっていた。永遠が現在となり、今は決し
て終わることはない。」「光に包まれると我々の知っているような時間は存在
しなかった。過去・現在・未来は解けて一つの瞬間になっていた。」時間は止
まっていた。過去・現在・未来は時間のない生命の統合の中で一つになってい
た。」「現在・過去・未来が一つであるような同時状態のエクスタシーとして
この体験を表現できる。」「線的な時間の枠組みはなかった。すべての事が一
度に生じる。しかし何の混乱も生じない。時間の経過は霊的な覚醒のレベルに
達することはない。「光の世界とトンネルには、時間はなかった。」

これか・・・
594神も仏も名無しさん:2009/05/02(土) 21:25:27 ID:Fk79loWi
>では意識のエネルギーはどこへいくのか・・・
真空のエネルギー(だーくえねるぎー)にもどるだけだお。

595Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/02(土) 21:26:05 ID:7Xcuo5rs
肉体(物質)から離脱すると、意識の非局所性は明確になる。臨死体験
の事例は、そのような非局所的な意識が物質界の時間と空間の制約から解放
されていることを示している。非局所的な意識には、時間と空間の分離がな
いので、完全視覚(遠隔透視・内部透視・360 度完全視野・予知など)とテ
レポーテーションが可能となる。また臨死体験者が垣間見た世界では、時間
と空間による分離がないので、すべてのことがいつでもどこでも同時に存在
し出来事になることが可能である。
臨死体験者が意志の自由を感じるのは、物質界の時間と空間の制約から
解放されるためである。時間と空間の分離がないということは、因果律がな
いということである。時間の流れがないのであれば、記憶の必要もない。 
また距離による隔たりがないということは、すべての物体を素通りし、テレ
ポートすることが可能である。臨死体験の例には、テレポーテーションが多
数みられるが、テレポーテーションは空間を前提しているから、空間は存在
するが、空間の分離(距離による隔たり)は存在しない。臨死体験の世界に
も出来事の順序というものはある(たとえば人生回顧のシーンで)。しかし
時間による分離というものはない。

これか・・
596神も仏も名無しさん:2009/05/02(土) 21:27:29 ID:HEF3I4K7
そうしてそんなにいろいろと詳しいのですか。
597Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/02(土) 21:27:38 ID:7Xcuo5rs
真空のエネルギー(だーくえねるぎー)にもどるだけだお。

おっおっ^^そうだったのかぁ^^
598神も仏も名無しさん:2009/05/02(土) 21:28:23 ID:Fk79loWi
>>582
お釈迦様は五戒のひとつとして「脳内麻薬は摂取してはいけない」
といっていたね。
599神も仏も名無しさん:2009/05/02(土) 21:29:50 ID:M8RymMtc
いい加減に>>1

自分が何にも出来ないことを

悟ろう…。
600神も仏も名無しさん:2009/05/02(土) 21:35:18 ID:Fk79loWi
日本人にはもともと「我」なんて概念は無いから、誰も無我だね。
日本人には「和」だね。間主観性や集合無意識しかないのが日本人だ。
空気が読めないのは日本人といわない。
601神も仏も名無しさん:2009/05/02(土) 21:38:31 ID:Fk79loWi
悟りは今までとは違った観点に目覚めることだお。
602Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/02(土) 22:01:19 ID:C8aV71ZT
>599

ここであなたが出てくる存在意義について語ろうか・・・だおだお^^
603Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/02(土) 22:47:06 ID:7Xcuo5rs
脳科学的に言えば大脳前頭葉の分別意識を離れ下層脳中心の無意識(無心)優勢
の心に移ると言っていると解釈できる。
604Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/02(土) 22:49:52 ID:7Xcuo5rs
坐禅によって活性化された無心の本体である健康な下層脳(本源清浄の心)に見聞覚知(視覚、聴覚、意識など)の情報や刺激が上層脳から入った時、
本体である脳をハッと覚知する体験である
605Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/02(土) 22:56:51 ID:7Xcuo5rs
禅の悟りにおいては無分別の下層脳(無意識脳)の働きが不可欠である
606Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/02(土) 22:58:27 ID:7Xcuo5rs
「仏教では普通我々が住んでいる世界は曇った鏡のような世界だと言う。
悟りの状態では空の状態に帰る。空の状態は有であり、有が空である。」

脳科学の眼で見れば、空は無分別の下層脳(無意識脳)優勢の脳だと考えること
ができる。
607Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/02(土) 23:23:59 ID:7Xcuo5rs
ハレルヤ!

(^^)/
608Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/02(土) 23:25:58 ID:7Xcuo5rs
 ___
/ || ̄ ̄|| ∧_∧
|.....||__|| (     )   ハレルヤ! (^^)/
| ̄ ̄\三⊂/ ̄ ̄ ̄/
|    | ( ./     /
 ___
/ || ̄ ̄|| ∧_∧
|.....||__|| ( ^ω^ )   どうしてこうなった!?
| ̄ ̄\三⊂/ ̄ ̄ ̄/
|    | ( ./     /
609Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/02(土) 23:44:29 ID:7Xcuo5rs BE:1025950638-PLT(13230)
ハレルヤ!

 ^ー^)人(^ー^
610Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/02(土) 23:45:44 ID:7Xcuo5rs
 ___
/ || ̄ ̄|| ∧_∧
|.....||__|| (     )   ハレルヤ! ^ー^)人(^ー^
| ̄ ̄\三⊂/ ̄ ̄ ̄/
|    | ( ./     /
 ___
/ || ̄ ̄|| ∧_∧
|.....||__|| ( ^ω^ )  またまた・・どうしてこうなった!?
| ̄ ̄\三⊂/ ̄ ̄ ̄/
|    | ( ./     /
611Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/02(土) 23:57:25 ID:7Xcuo5rs
意識10%、無意識90%だとすると・・・
逆転させるとどうなるんだろう・・・
無意識は意識されない・・・
寝てる間は無意識が顔を出す・・
禅により無意識を優勢にさせる・・・
集中力と問題意識・・・
でもな・・・
意識を弱く無意識を強くなんて・・・
できるおぉおおおおおおおおおおおおおおお^^
612Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/03(日) 00:03:37 ID:Wat6RZRD
五識をなくせば無意識が現れるんだな・・・^^
意識と無意識か・・・
素粒子と反素粒子みたいなものだな・・・
どちらも同時に存在しない・・・
同時に存在させると消滅する・・・
では意識と無意識を同時に存在させれば・・
両方とも消滅するのか・・・
613Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/03(日) 00:08:59 ID:Wat6RZRD
粒子と反粒子が出会ってしまうと消滅してエネルギーに代わります。
614Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/03(日) 00:11:28 ID:Wat6RZRD
意識は光であり・・固体、液体、気体に変化するなんて言ってみてもな・・・
615Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/03(日) 00:32:15 ID:Wat6RZRD
 前意識は、ときどき意識できるエリア。

   無意識は、どんなに頑張っても、意識できないエリア。
616Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/03(日) 00:56:00 ID:Wat6RZRD
座禅をして悟りを得る人もいれば・・
座禅をして悟りを得ることができない人も居る・・・

座禅をしなくても悟れる人もいれば・・・

つまり、悟りを得る人と得ることのできない人の違い・・

それは・・・
なんだ^^
617Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/03(日) 00:58:02 ID:Wat6RZRD
とりあえず・・自我の執着心を捨てきれるかどうかだな・・・^^
618Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/03(日) 01:00:24 ID:Wat6RZRD
瞑想して自我の執着心でも絶つかな・・・・^^
619神も仏も名無しさん:2009/05/03(日) 01:21:28 ID:nxX7fRv8
いや、執着心が無くなるのが無じゃないよ。
執着や放擲が自由自在に起こる、そこに自我が関与しないのが無我だと思うよ
620神も仏も名無しさん:2009/05/03(日) 01:29:46 ID:w26f5XaO
>>618 君では無理 ^^
621Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/03(日) 01:31:31 ID:Wat6RZRD
瑜伽行唯識学派は、中観派の「空 (くう)」思想を受けつぎながらも、
とりあえず心の作用は仮に存在するとして、その心のあり方を瑜伽行
(ヨーガの行・実践)でコントロールし、また変化させて悟りを得ようとした
(唯識無境=ただ識だけがあって外界は存在しない)。

(ヨーガの行・実践)でコントロールってあるね^^
自我が関与しないのが無我だね^^

622Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/03(日) 01:33:17 ID:Wat6RZRD
 ___
/ || ̄ ̄|| ∧_∧
|.....||__|| (     )  >>618 君では無理 ^^
| ̄ ̄\三⊂/ ̄ ̄ ̄/
|    | ( ./     /
 ___
/ || ̄ ̄|| ∧_∧
|.....||__|| ( ^ω^ )  どうしてこうなった!?
| ̄ ̄\三⊂/ ̄ ̄ ̄/
|    | ( ./     /
623神も仏も名無しさん:2009/05/03(日) 01:43:04 ID:4I94i6f9
どこまで本気で悟りを求めているのか知らないが
一応マジレスすると>>1は自我の執着心よりもパチンコへの執着を絶つべきだろう。

あと、基本的に瞑想は独学でやっちゃダメだ。
ちゃんとした寺院でちゃんとした師匠についてやらないと危険過ぎる。
もし近くに禅寺があれば住職に話を聞きに行ってみればいいんじゃないか?
624Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/03(日) 01:46:36 ID:Wat6RZRD
大丈夫だおぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおお^^
一人でやるおぉおおおおおおおおおおおおおおお^^
625神も仏も名無しさん:2009/05/03(日) 03:41:43 ID:cwHW/i/G
色んなことが無駄なんだなって気づきました。
ただまだそれを受け入れられないでいます。
626神も仏も名無しさん:2009/05/03(日) 07:10:32 ID:+XaNeDJJ
サンスクリットだとこうなった・・

ボディにサッとぶち込む bodhisattvo 菩薩 求道者
原カントク悲願の優勝 para 波羅 彼岸
三田佳子の次男覚せい剤でつかまる mita 蜜多 行の実践
左官の蓮 sakandhas 蘊 構成要素
ヘルパーもいろんな人がいる rupa 色 存在
十三夜の空 sunya 空 からっぽ
ナノテクはいらない na(英語はno) 無 ない

Φさんはボディブローの達人だお^^
627Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/03(日) 08:34:17 ID:Wat6RZRD
私たちの日常は、意識と無意識によってコントロールされています。

意識と無意識の比率は、意識が1〜3%、無意識が97〜99%とも言われ、
私たちが意識できている部分はほんの一部分に過ぎません。
628Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/03(日) 08:39:41 ID:Wat6RZRD
意識が1〜3%、無意識が97〜99%

もしも・・・・
無意識の領域97〜99%を知ることができたなら・・・
というより・・・
無意識と意識はなぜ区別されるのだろう・・・

629Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/03(日) 08:47:06 ID:Wat6RZRD
無意識まで認識できたなら・・・

言語連想試験の研究によってコンプレックスの概念を見出したユングは、
個人のコンプレックスより更に深い無意識の領域に、個人を越えた、集団や民族
、人類の心に普遍的に存在すると考えられる先天的な元型の作用力動を見出し


元型の作用と、その結果として個人の夢や空想に現れるある種の典型的なイメ
ージは、様々な時代や民族の神話にも共通して存在し、このため、元型や元型
が存在すると仮定される領域は、民族や人類に共通する古態的(アルカイク)
な無意識と考えられ、この故に、ユングはこの無意識領域を「集合的無意識」
と名づけた。

人間の無意識の深層に存在する、個人の経験を越えた先天的な構造領域である
。普遍的無意識(ふへんてきむいしき)とも呼ぶ。

普遍的無意識を知れば・・・


630Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/03(日) 08:49:57 ID:Wat6RZRD
ということは・・・

無意識を認識することにより・・・
宇宙の意識を知ることになる・・・
それは悟りと呼ばれるものであると・・・
631Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/03(日) 08:51:57 ID:Wat6RZRD
無意識の97〜99%のなかに・・・
宇宙の意識が存在し・・・
すべての知恵が・・・
隠されている可能性があると・・・
632Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/03(日) 08:54:05 ID:Wat6RZRD
意識の1〜3%が自我であるとするならば・・
無意識の97〜99%は非自我であり・・
633Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/03(日) 08:55:27 ID:Wat6RZRD
宇宙そのものの意識が含まれると・・・

うん?

なんかおかしい^^
634Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/03(日) 09:04:16 ID:Wat6RZRD BE:2393882887-PLT(13230)
ハレルヤ!

 ^ー^)人(^ー^

キリスト教に方向性をかえようかな・・・^^
635Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/03(日) 09:05:50 ID:Wat6RZRD BE:1154194439-PLT(13230)
 ___
/ || ̄ ̄|| ∧_∧
|.....||__|| (     )   ハレルヤ! ^ー^)人(^ー^
| ̄ ̄\三⊂/ ̄ ̄ ̄/
|    | ( ./     /
 ___
/ || ̄ ̄|| ∧_∧
|.....||__|| ( ^ω^ )  またまた・・どうしてこうなった!?
| ̄ ̄\三⊂/ ̄ ̄ ̄/
|    | ( ./     /
636神も仏も名無しさん:2009/05/03(日) 10:05:11 ID:w26f5XaO
>>1は完全にダメだな

レス見ると、ほとんどの人から相手にされてない理由が分かる

可哀相だから たまに突ついてあげよう
637Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/03(日) 12:13:10 ID:Wat6RZRD BE:854958454-PLT(13230)
 ___
/ || ̄ ̄|| ∧_∧
|.....||__|| (     )   ほとんどの人から相手にされてない理由
| ̄ ̄\三⊂/ ̄ ̄ ̄/
|    | ( ./     /
 ___
/ || ̄ ̄|| ∧_∧
|.....||__|| ( ^ω^ )  笑えるお^^
| ̄ ̄\三⊂/ ̄ ̄ ̄/
|    | ( ./     /
638Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/03(日) 12:17:56 ID:Wat6RZRD BE:427479825-PLT(13230)
>>636
自我の執着心が強いと・・・
相手にされるとかされないとか・・
に拘る・・・
いい例だ・・・^^
639Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/03(日) 12:25:54 ID:Wat6RZRD BE:1025950346-PLT(13230)
最新の成果からは、意識は行動に先んじない(つまり後追いする)という事が確
認されており、この事から「意識とは自分の現状をモニター(監視)する機能で
ある」と結論付けられつつある。つまり意識はモニター監視した結果をフィード
バックする事で、その後の行動に反映するという形で間接的に行動を制御は出来
るが、その瞬間瞬間に行動を直接的に制御しているのではない、といったことで
ある。
640Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/03(日) 12:47:01 ID:Wat6RZRD BE:1538924966-PLT(13230)
瞑想によって知覚や感情、判断などが静められているにもかかわらず、
脳幹網様体が活性化されるとき、体のリズムは整えられ、身体と心は
一つになって活性化され、より高い能力である智慧を生むのである。
641Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/03(日) 12:48:49 ID:Wat6RZRD BE:2693118097-PLT(13230)
落ち着いて物事に対処すると、自然に身体の中から湧き起こってくるものがある
。それが生受ということである。何もせず閑居しているという状況は、まだ修行
が足らない状況で、禅の本当の姿ではない。
642Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/03(日) 13:08:30 ID:Wat6RZRD BE:1367932984-PLT(13230)
マッギンは、ビッグバン以前の前空間的な特性が現在までも保存されており、
それを脳が意識へと変換したのだとか、さらには、私たちの空間概念は片寄って
おり、私たちの知らない真の空間概念においては、意識もそのなかに含まれるに
ちがいないと論じる。
643Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/03(日) 13:11:04 ID:Wat6RZRD BE:683966382-PLT(13230)
私たちの遺伝子は脳を形成し、意識をもつ動物や人間を安定的に生成している。
すなわち遺伝子は、意識の本質を実践的に理解している「哲学者」であると言っ
てもよい。私たちにもまた、遺伝子工学の力を借りて、意識の本質を理解可能に
する道が残されている。けれどもそれには、人間としての通常の生活を犠牲にす
る覚悟が必要だとなる
644Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/03(日) 13:18:47 ID:Wat6RZRD BE:2308387469-PLT(13230)
ユングは無意識を二つに分けて考えた。

・個人的無意識---- 個人の中で忘れてしまった記憶の内容、意識によって抑圧
された内容(性欲・殺人願望他)など。

・普遍的無意識----人類に共通している心の層。全世界に共通している神話的
なイメージ(どの国にも神話や伝説が存在している)。われわれの祖先の経験
が遺伝したものと考えられている。
645神も仏も名無しさん:2009/05/03(日) 13:20:25 ID:w26f5XaO
そして通常の生活を犠牲にした暁には

精神科の扉を叩いて めでたく薬物投与という悟りをひらくのであった

めでたし めでたし^^
646神も仏も名無しさん:2009/05/03(日) 13:31:52 ID:BJrbLHA4
このスレを見て鬼和尚さんの数息観をやってみたら、
サマーディ起きた。

道標を知る事も有効なんだなと思いました。
647Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/03(日) 13:33:22 ID:Wat6RZRD BE:769462463-PLT(13230)
精神科の先生とユング・ラカンについて盛り上がるのもおもしろい・・
648Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/03(日) 13:34:58 ID:Wat6RZRD BE:256488023-PLT(13230)
>>646
数息観おいらも試すお^^
鬼和尚さん探しにいくお^^
649Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/03(日) 13:37:32 ID:Wat6RZRD BE:170992122-PLT(13230)
仏教の阿含経典では、この三昧に至る過程には、まず初禅から第四禅までの4段階
があるとする。続いて空無辺処・識無辺処・無所有処・非想非非想処の4段階があ
るとする。前の4つを「四静慮(四禅)」、後の4つを「四無色定」としている。
さらに深まった状態として「心のあらゆる動きが全く止滅した状態(滅尽定)
」があるとしており、以上9の段階を「九次第定」と数えている。
以上の過程は、三界(欲界・色界・無色界)の階層構造とも関連している。
上記の過程を通して、欲界(欲望を原理とする日常意識)は「散地」となる。
色界は、初禅天・第二禅天・第三禅天・第四禅天の階層に分かれてゆく。無色
界は空無辺処天・識無辺処天・無所有処天・非想非非想処天の階層(四無色定
天)に分かれてゆくのである。それらは三界九地の階層をなすことになる

サマーディ・・・
これね^^ふむふむ^^

650Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/03(日) 13:42:00 ID:Wat6RZRD BE:769462092-PLT(13230)
数息観
http://www.youtube.com/watch?v=RMoVTHOoYSo

これでいいのかお^^
651神も仏も名無しさん:2009/05/03(日) 13:44:18 ID:BJrbLHA4
>>650
私は鬼和尚さんのスレでのやり方しか知りません。
しかし、数息観で変化が出たのは初めてでした。
652Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/03(日) 13:50:44 ID:Wat6RZRD BE:641219235-PLT(13230)
鬼和尚ぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお^^
出てこいっ^^
653Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/03(日) 13:51:46 ID:Wat6RZRD BE:384731633-PLT(13230)
654Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/03(日) 13:57:59 ID:Wat6RZRD BE:683966944-PLT(13230)
655Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/03(日) 17:18:26 ID:Wat6RZRD
仏陀の悟りの位については、菩薩が仏となる修行過程として52の位が存在するともされている[2]ことが理解の助けとなる。

* 十信(下位から1段目〜10段目の悟り)
* 十住(下位から11段目〜20段目の悟り)
* 十行(下位から21段目〜30段目の悟り)
* 十廻向(下位から31段目〜40段目の悟り)
* 十地(下位から41段目〜50段目の悟り) - 41段目の初地の悟りを開いた人は、油断しても悟りの位が退転しない事から、特に「初歓喜地」と言われる。
* 等覚(下位から51段目の悟り) - 仏の悟りの位に等しい事から等覚と言われる
* 妙覚(下位から52段目の悟り) - 仏、仏陀、正覚
656Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/03(日) 17:28:51 ID:Wat6RZRD
無意識を認識する段階か・・・
657Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/03(日) 17:42:32 ID:Wat6RZRD
無意識の中に・・・
遺伝子により何億年もの記憶が存在してたら・・
恐ろしいお^^
658Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/03(日) 17:44:16 ID:Wat6RZRD
仏教では、釈迦仏が仏教という大宗教を成したのは単に釈迦一代のみの事業では
なく、過去においてすでに成道し成仏した前世の功徳が累積した結果であるとす
る。この考え方は相当古くて、紀元前後に建立されたバールフットの欄楯(レリ
ーフ)に、七仏造樹の浮彫がある。
659Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/03(日) 17:49:42 ID:Wat6RZRD
いろはにほへどちりぬるを  諸行無常
わがよたれぞつねならむ   是生滅法
うゐのおくやまけふこえて  生滅滅已
あさきゆめみじゑひもせず  寂滅為楽
660Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/03(日) 17:52:46 ID:Wat6RZRD
次にウッダカラーマ・プッタを訪れたが、それも非想非非想処を得るだけで、真
の悟りを得る道ではないことを覚った。この三人の師は、釈迦が優れたる資質で
あることを知り後継者としたいと願うも、釈迦自身はすべて悟りを得る道ではな
いとして辞した。そしてウルヴェーラの林へ入ると、父・シュッドーダナは釈
迦の警護も兼ねて五比丘(ごびく)といわれる5人の沙門を同行させた。そし
て出家して6年(一説には7年)の修行の間、苦行を積んだ。減食、絶食等、座
ろうとすれば後ろへ倒れ、立とうとすれば前に倒れるほど厳しい修行を行った
が、心身を極度に消耗するのみで、人生の苦を根本的に解決することはできな
いと悟って難行苦行を捨てたといわれている。その際、この五比丘たちは釈迦
が苦行に耐えられず修行を放棄したと思い、釈迦をおいてムリガダーヴァ(鹿
野苑、ろくやおん)へ去った。
661Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/03(日) 17:54:26 ID:Wat6RZRD
そこで釈迦は、全く新たな独自の道を歩むこととする。ネーランジャナー(nair
aJjanaa、尼連禅河、にれんぜんが)で沐浴し、村娘スジャータの乳糜(牛乳で
作ったかゆ)の布施を受け、気力の回復を図って、ガヤー村のピッパラ (pippal
a) 樹(後に菩提樹と言われる)の下で、49日間の観想に入った。そして、つい
に12月8日の未明に大悟する。これを「成道」といい、古来この日に「成道会
じょうどうえ)」を勤修した。ガヤー村は、仏陀の悟った場所という意味の、
ブッダガヤと呼ばれるようになった。
662Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/03(日) 17:55:44 ID:Wat6RZRD
釈迦は、この悟りを得た喜びの中で、このまま浸っていようと考えた。一部の経
典には「このまま無余涅槃に至ろうと考えた」との記述があることから、3カ月
間禅定にあるまま死を迎えようとされたと思われた。ところが梵天によって衆生
に説くよう勧められた(梵天勧請)。3度の勧請の末、自らの悟りへの確信を求
めるためにも、ともに苦行をしていた5人の仲間に説こうと座を立った。釈迦は
彼らの住むバーラーナシー (baaraaNsii) まで、自らの悟りの正しさを十二因
縁の形で確認しながら歩んだ
663Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/03(日) 18:04:40 ID:Wat6RZRD
 ___
/ || ̄ ̄|| ∧_∧
|.....||__|| ( ^ω^ )  ほほう〜〜^^
| ̄ ̄\三⊂/ ̄ ̄ ̄/
|    | ( ./     /
664神も仏も名無しさん:2009/05/03(日) 18:12:14 ID:/hnbDa3h
>>657
>遺伝子により何億年もの記憶が存在してたら・・
DNA遺伝子構造はすべての生物で同一の二重らせん構造だよ。
当然、生命誕生以来の記憶のつまったアーラヤ識がDNA
遺伝子コードだよね。
665神も仏も名無しさん:2009/05/03(日) 18:15:23 ID:/hnbDa3h
>>655
「笑点」じゃ有るまいし座布団何段重ねても悟れないよ。
 せいぜいダルマころがしに合わないよう気をつけることだね。
666神も仏も名無しさん:2009/05/03(日) 18:49:41 ID:cwHW/i/G
人は傷つけあうようにできています。
ただまだそれを受け入れられないでいます。
667Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/03(日) 19:58:27 ID:Wat6RZRD
>>665
ちみの宗教はなにかねw?
668Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/03(日) 20:00:15 ID:Wat6RZRD
鬼和尚の数息観をwmpにしているが・・
うまくできないお^^
669神も仏も名無しさん:2009/05/03(日) 21:56:00 ID:cwHW/i/G
人は自分にとって脅威です。
ただまだそれを受け入れられないでいます。
670Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/03(日) 22:52:12 ID:Wat6RZRD
鬼和尚の数息観できたお^^
>>669
鬼和尚の数息観いっしょにやるお^^
時間がちょっとかかるお^^
鬼和尚に許可えるお^^
671神も仏も名無しさん:2009/05/03(日) 23:22:07 ID:C1jQzCZr
いわゆる密教というと、普通の印象では加持祈祷のあやしげな呪術的宗教であり、極端に言う人は迷信という人もいますが、加持というのは本来はただの祈祷、呪術を意味しているのではありません。
以下、梅原猛氏の解説から抜粋します。「加持とは如来の大悲と衆生の信心とを表す。佛日の影、衆生の心水に現ずるを加といい、行者の心水よく佛日を感ずるを持と名ずく」とあり、つまり仏と衆生が感応するのを加持というのです。
それは、密教ばかりか、すべての仏教にとって本質的なことです。
 では、そもそも密教とは、どういったものでしょう。ここからも、梅原氏の解説を交えながら説明しましょう。

 密教の「密」はどうやら秘密めいたものを感じますが、実際言葉では言い表すことがもはや不可能な仏教的感覚を言うようです。それは、釈尊が悟った内容は本来言葉に出来ないものであり、本来修行によって獲得するものである、という考え方に基づいています。
 実際中国の唐の時代までにはおびただしい経典や論書がインドから伝えられ、翻訳されましたが、それでもまだ、経典に表現された内容は釈尊が悟った内容のホンの一部に過ぎない、とされました。そして、経典に盛り込まれていない内容は、密教として伝わったのです。
 空海は、この密教こそが最強、最善の仏教であることを信念として、彼は多くの密教理論書を書いています。もちろん、その内容は密教そのものを解説したものではなく、釈尊の悟りの世界をいかにして体得するか、という方法論について述べたものです。
 また、他の仏教が釈尊の教えそのものであるとするのに対し、密教は大日如来(宇宙の根本)の教えであると言います。大日如来とは、釈尊のように歴史的実在性をもった仏ではなく、宇宙の初めから存在している永遠不滅の仏性である、と言います。
大日如来は本来、大毘盧舎那仏(だいびるしゃなぶつ)であり、東大寺の大仏様が毘盧舎那仏ですから、これに「大」を付してより大きな広がりを持つ仏を表したものと言えます。また、大日如来のように歴史的実在性を持たない仏を報身仏(ほっしんぶつ)と言います。
672Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/03(日) 23:24:35 ID:Wat6RZRD
 ___
/ || ̄ ̄|| ∧_∧
|.....||__|| ( ^ω^ )  なんぞw!?
| ̄ ̄\三⊂/ ̄ ̄ ̄/
|    | ( ./     /
673神も仏も名無しさん:2009/05/03(日) 23:26:23 ID:C1jQzCZr
 つまり、釈尊は永遠不滅なる仏性の一つの現れに過ぎないのではないか、という事です。
それは応化身と呼ばれ、大乗仏教は報身を応化身より根源的と考えるのですが、
仏教史上唯一応化身となった釈尊を無視するわけにはいかず、むしろ釈尊の言葉を重要視して経典として伝えていく立場を取っています。
しかしながら、密教は報身こそが本質であり、釈尊が伝えていない重要な真理が隠されていると見ます。
また、実在している大毘盧舎那如来は常に法を説いている、それが密教の教説であるとしているのです。密教が説くところは、したがって以下のとおりです。
我々は本来仏性を持っていて、本質において宇宙の中心物である大日如来と同じ性質であるが、
しかし、我々は小さな自我にとらわれているために、このような自己の本質をよく理解していないとしています。
しかし、我々がこうした少我へのとらわれを離れ、自己の内的本質に目覚める(大我に目覚める)とき、我々のなかに大日如来が入り来たり、
我々は大日如来と一体となり、それによって自由自在な仏の境地を得、不可思議な力を発揮することが出来ると言います。
これは、「即身成仏義」に説くところですが、「三密加持すれば速疾に顕る」と言います。三密とは身・口・意の三つのことですが、
この三つには我々にはとても計り知れない深い秘密が隠されていて、普通の仏教ではとても説きつくせないものであり、
この三密を通じて、我々は大日如来と一体になるわけです。
674承狂 ◆nR84EH8w52 :2009/05/03(日) 23:29:45 ID:O1+1LlS7
小五
 ロリとは何か?

(^。^)変態だろうねぇ♪(笑)
675神も仏も名無しさん:2009/05/03(日) 23:34:59 ID:C1jQzCZr
承狂とは何か?
676神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 00:26:22 ID:difyKV40
wと^^と♪と笑を使うのは悟りではありません。
それは見栄みたいなものです。
677神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 00:29:47 ID:difyKV40
ですが、そこから抜け出すのは至難の業です。
なぜなら大抵の人は悟りよりもそれが目的だからです。
678神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 02:37:22 ID:WCfpEKOr
理解しないこと、ただそれだけ。
論理ではたどり着けない世界の仕組みがあるってこと。
679神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 02:40:43 ID:Um6pPkEr
麻生
680Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/04(月) 02:43:10 ID:zkdrc2g9
鬼和尚(数息観)
http://www.stickam.jp/profile/javascript

毎日聞くお^^
681神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 07:45:20 ID:sOlI6E7f
>>667
>ちみの宗教はなにかねw?
信仰告白しなきゃいけないとは思わないけど、
聞かれたから答えよう。
私は日本人としては普通の無宗教だね。
神棚と仏壇は我が家にもある。
だから神道といえば神道に入るだろうし、
仏教徒だといえばそうかもしれない。
キリスト教やイスラム教でないことはたしかだね。
仏教は哲学や論理学としての仏教がすきだね。
唯識・因明なんかも頭の体操にはいいよ。
682神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 07:54:51 ID:sOlI6E7f
>>676
>wと^^と♪と笑を使うのは悟りではありません。
そうだね。それは2ちゃんねるのような掲示板での表現のお約束だね。
文字言語だけだと表現の表情が伝わらないからおもわぬ誤解を受ける
ことがある。それをやわらげるため、冗談だよなんてことを伝えたい
ためにそれらの記号を付加する。
ちなみに私は♪はジャスラック対策で入れてる。歌詞だよということを
明示するためだ。
ついでに句点(。)の代わりにすべてを?で終わる人がいるがなんか
違和感がある。
たとえば今の文を「・・・違和感がある?」とするような表現だけど。
683神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 07:58:44 ID:difyKV40
なるほど…
684神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 08:47:52 ID:9qNcZqoF
^^←は悟りとは無関係ですから

メンヘラ板から宗教板に逃げ込んだだけの話しです
685神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 08:51:56 ID:9qNcZqoF
>>667の反応を見ると
悟りどころか凡夫といったところだなwwwww
686Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/04(月) 09:43:25 ID:zkdrc2g9
なるへそ・・・
687神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 09:48:21 ID:sOlI6E7f
凡夫も覚者も気の持ち様だよ。
覚者が真理勝者であるわけでもない。
悉有佛性でいいじゃないか。
688Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/04(月) 10:39:10 ID:zkdrc2g9
小乗の空

「すべての現象には実体が無いのであって因と縁が合わさり生じた仮の現われ
に過ぎない。
その真理を覚ることによって現象に心をとらわれる迷いを打ち払ってしなわな
ければならない」という教え。

大乗の空

人間の本質の実在を積極的に肯定しようとする。
「小乗の空を踏まえ(すべての衆生がもともと空であることを覚り)、すべて
の衆生が平等に宇宙のいのちの現われであることを覚り、自他の本性を知り、
自他共に生かし活かされることが本質的な救いである」という教え。

悉有佛性・・・^^

689神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 10:58:44 ID:dj34BZy0
>>688
>すべての衆生が平等に宇宙のいのちの現われであることを覚り

大乗の空として、こういう見解は初耳ですな。
根拠となる教典はなんでしょうか?教えていただけますか?
690神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 11:11:17 ID:dj34BZy0
むしろ大乗と対立した説一切有部の主張ではありませんか?

説一切有部の主張

小乗の諸学派は個体の中の自我は否定したが、それ以外の個体の構成要素および外界の物質的存在である法 (dharma) に実体があることを認めた。
とくに説一切有部(せついっさいうぶ)は、伝統的な個人存在を構成する要素であった
五蘊(ごうん)・十二処(じゅうにしょ)・十八界などに含まれる存在要素をさらに分析し整理し発展させて、
「法」を五位七十五法と分析し体系づけ、あらゆるものに実体があると主張した。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%91%E5%9F%B7
691Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/04(月) 11:19:17 ID:zkdrc2g9
 シャーリプトラよ、「かたちあるもの」は「空」の原理を離れていないし
「空」の原理も「かたちあるもの」を離れていない。なぜなら、「かたちあるも
の」が「空」の原理であり、「空」の原理も「かたちあるもの」だからなのだ。また、感覚も、現象も、意思も、知識も、その通りである。
692神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 11:33:23 ID:dj34BZy0
>>691
おかしな話ですね。大乗では空とは万物を成す原理であるのだから、
「空」の原理は「原理」の原理ということになりますが?
693神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 11:37:02 ID:dj34BZy0
>>691
そのような般若心経の色即是空の解釈は一般的ではないのではありませんか?
http://www.google.co.jp/search?hl=ja&q=%E8%89%B2%E5%8D%B3%E6%98%AF%E7%A9%BA&lr=&aq=f&oq=
694Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/04(月) 11:39:12 ID:zkdrc2g9
小乗仏教では、綺麗に咲いている花を見て美しいと思うのは迷いであると説くの
に対して、大乗仏教は美しい花を見て美しいと感じるのは迷いではない。
 しかし、その美しさに心をうばわれ、とらわれてはいけないと説くのです。
このように、小乗仏教は、人間の欲望などは迷いのもととして厳しく自分を律し
ていくのに対して、大乗仏教は、物事にとらわれない、おおらかな心と、まず他
人のことを考えようという、目を外に向けての立場をとります。 

ほほう^^
695Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/04(月) 11:41:57 ID:zkdrc2g9
現在では、セイロン・ビルマ・タイなど東南アジアの仏教国はだいたいこの小乗
仏教系で、中国・日本などは、大乗仏教の教えを奉じています。 大乗と威張っ
ていても、自分を律することを忘れた行のない仏教では困りますし、個人が精進
努力している東南アジアの人々を小乗といって蔑視するのもよくないことです。

ふむふむ^^
696Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/04(月) 11:43:54 ID:zkdrc2g9
大乗というゆえんは、人々はみな迷っている存在ではあるが、しかし、必ず仏に
なる種子を持っており、そして自分よりもまず他人の幸せを願って、共に仏様の
教えに従っていこうとする菩薩の道を説くところから、「大きな・深い・より優
れた教え」と名づけられたのです。 これに対して、小乗では、仏様はお釈迦様
だけで、他の者は声聞とか、阿羅漢という位にしかなれないとする考え方です。

ほほう^^ 
697神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 11:46:36 ID:dj34BZy0
>>695
引用するなら、まず引用元を明らかにすべきではないのですか?
698Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/04(月) 11:48:23 ID:Lt/Y1ngG
悟りを開けば・・・
大乗・小乗なんて関係なくなるわけだな・・
悟りを開けないから大乗・小乗なんて概念が出てくるわけだ・・・

すなわち・・・
悟りを開いた人にはお経は関係なくなるわけだ・・・
699Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/04(月) 11:49:58 ID:Lt/Y1ngG
メモ帳に書いてあるので・・・
引用先は書いてなかった・・・
以後気おつけるお^^
700神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 11:50:52 ID:dj34BZy0
>>698
あなたは悟りを開いたのですか?
それならお経は必要ないでしょう。
701神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 11:51:39 ID:dj34BZy0
仏道というのは他人ごとではありませんよ。
702Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/04(月) 11:52:33 ID:zkdrc2g9
開くも何も・・・
今から座禅をしようとしてるところだお^^
703Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/04(月) 12:01:13 ID:zkdrc2g9
 ___
/ || ̄ ̄|| ∧_∧
|.....||__|| (     )  仏道というのは他人ごとではありませんよ。
| ̄ ̄\三⊂/ ̄ ̄ ̄/
|    | ( ./     /
 ___
/ || ̄ ̄|| ∧_∧
|.....||__|| ( ^ω^ );(汗  どうしてこうなった!?
| ̄ ̄\三⊂/ ̄ ̄ ̄/
|    | ( ./     /
704神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 12:02:22 ID:dj34BZy0
自分の証せざることを引用して掲載したとしても、
仏道といておよそ意味に無いことだからです。
705神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 12:03:04 ID:dj34BZy0
仏道といて→仏道として
706Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/04(月) 12:05:47 ID:zkdrc2g9

>>691 は「大乗の空」としての見解だとおもうお^
707神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 12:07:31 ID:dj34BZy0
>>706
では空とは何ですか。
引用することなくあなたの表現で表してください。
708Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/04(月) 12:08:10 ID:zkdrc2g9
当然・・仏道といておよそ意味に無いことだお^^
でもね・・・
「存在とは何か」を考えたときに・・
この仏教の思想は新たな発見なんだお^^
709神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 12:08:48 ID:dj34BZy0
はっきりいいましょうか。
存在などに意味はありません。
710Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/04(月) 12:09:53 ID:zkdrc2g9
>>707
座禅しないとわからないお^^

あっ・・規制だお^^
711神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 12:10:24 ID:dj34BZy0
少なくても自分の存在を無視するところに大乗の菩薩上の意義があるのです。
712Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/04(月) 12:11:08 ID:zkdrc2g9
形而上学を学ぶ意味はありませんと・・・
人それぞれだからね・・・^^
713神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 12:13:54 ID:dj34BZy0
存在は形而下ですが?
形而上の意味はご存知か?
714Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/04(月) 12:14:08 ID:Lt/Y1ngG
自分の存在を無視する・・・
無視の表現は矛盾を含むと思われるがぁ〜^^

規制だお^^
ID代えたお^^
おいらおとなしくしてるお^^
715Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/04(月) 12:16:03 ID:Lt/Y1ngG
形而上学
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%98%E5%9C%A8%E8%AB%96

コーヒー買ってくるお^^
716神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 12:30:53 ID:DDQSGXHL
形而上学への批判

20世紀前半に活躍したウィーン学団は論理実証主義を奉じ、その立場より形而上学を攻撃した。
その代表的論客カルナップは意味の検証理論に則り、形而上学の命題は経験的にも論理的にも
検証ができないがゆえに無意味であると主張した。
彼によれば、経験的に形而上学で出てくる「存在」や「形相」のような語が用いられている命題の正しさを検証できないし、
そのような命題は論理的にも検証できない(彼は分析命題と総合命題の区別に則っており、ここで論理的に検証できるのは分析命題である)。
このように形而上学の命題は検証ができず、それは間違っているのではなく、単純に無意味なのである。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BD%A2%E8%80%8C%E4%B8%8A%E5%AD%A6


十無記

無記《むき》とは、判断をしないこと、答えを出さないことであります。

 時にお釈迦様は、弟子たちから色々と出される質問の中で、特に形而上学的な問題については判断を示さず、
答えを出さずに沈黙を守ることで、仏教の実践から外れてしまう無用な論争の弊害を避けられることがありました。
 
 特に十無記として、

 一、世界は常住であるのか? 
 二、世界は非常住であるのか?
 三、世界は有限であるのか?
 四、世界は無限であるのか?
 五、霊魂と肉体は同一のものか?
 六、霊魂と肉体は別々のものか?
 七、如来は死後存在するのか?
 八、如来は死後存在しないのか?
 九、如来は死後存在しつつ非存在であるのか?
 十、如来は死後存在するものでもなく非存在でもないのか?
http://oujyouin.com/hotokenomichi18.html
717神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 12:34:44 ID:9qNcZqoF
しかし君は引用ばかりしか出来ないのかね?

もしかしたら病院か自宅に籠りっきりなのではないの?

働いたり学校に行ったりしていないような感じだな
718Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/04(月) 12:35:59 ID:zkdrc2g9
 ___
/ || ̄ ̄|| ∧_∧
|.....||__|| (     )  単純に無意味なのである!!
| ̄ ̄\三⊂/ ̄ ̄ ̄/
|    | ( ./     /
 ___
/ || ̄ ̄|| ∧_∧
|.....||__|| ( ^ω^ )  どうしてこうなった!?
| ̄ ̄\三⊂/ ̄ ̄ ̄/
|    | ( ./     /
719神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 12:37:02 ID:DDQSGXHL
>>717
俺かい?
720神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 12:37:06 ID:3ZQzDFOK
自他は同じもので、どちらも欠ける事はできない関係なのに、
なぜ仏教は小乗と大乗に分けられたのでしょうか。
721神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 12:39:09 ID:9qNcZqoF
>>667の「ちみ」は君という意味なんだろうけど

これは昭和30年代後半〜40年代前半生まれの人しか使わない古い言葉だそうだwwwww
722神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 12:41:24 ID:DDQSGXHL
>>720
人間の脳内作用と、人間同士で勝手に作った線引きでしょ。もちろん線などは肉眼で見えない。
723Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/04(月) 12:41:25 ID:zkdrc2g9
悉有佛性・・・だお^^
724神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 12:41:26 ID:9qNcZqoF
>>719 違う

>>718へのレス
725Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/04(月) 12:42:20 ID:zkdrc2g9
おいらかお〜^^;
726神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 12:46:02 ID:9qNcZqoF
>>725 引用ではなく
そろそろスレ主の個人的な体験と得た知恵を披露して下さい
727Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/04(月) 12:49:56 ID:zkdrc2g9
部屋の掃除もしなければならないしぃ〜〜〜^^
まだまだ理解されてないことがたくさんあるからね^^
仏教の大体の全体像を知らないと・・
やっても意味が無い・・・
728神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 13:19:55 ID:tMqjj/H1
やる奴は四の五の言わずとっくにやってる。
やらない奴はあれこれ理由をつけて一生やらない。
グダグダゴチャゴチャと理屈や言い訳はいらない。
さっさとやればいいんだよ。
729Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/04(月) 13:53:41 ID:zkdrc2g9
20世紀前半に活躍したウィーン学団は論理実証主義を奉じ、その立場より形而上
学を攻撃した。

その後・・・

「論理実証主義の検証ですら確かな検証方法ではない。」

と気づき反省したのであった・・・

                        続く
730神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 14:10:38 ID:DDQSGXHL
>>729
その記述は非常に疑わしいですね。
出典を明らかにしてください。
731Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/04(月) 14:16:51 ID:zkdrc2g9
すべての科学理論は反証不可能な擬似科学・・・^^
732神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 14:17:55 ID:DDQSGXHL
カルトが好みそうな文言じゃないのかい?
733神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 14:18:49 ID:DDQSGXHL
それをもってオカルトと科学を同列に並べたいかい?
734Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/04(月) 14:21:55 ID:zkdrc2g9
735Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/04(月) 14:24:45 ID:zkdrc2g9
>>734の「反証主義に対する批判と、批判への回答」にあたるかも・・

スレの無駄遣い・・・^^
736Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/04(月) 14:38:36 ID:zkdrc2g9
原子命題とは、「明日、太陽が東から昇る」「お隣の田中さんは犬を飼っている
」などのように、それ自体で意味的に完結した単独の命題である。原子命題は、
端的に、反証可能であるか反証不可能であるかのどちらかである。しばしば、
日常において科学的と考えられている命題が原子命題として見られると、その命
題において反証が可能でない場合がある。例えば、「生物は進化した」「大正12
年に関東大震災があった」「彼は殺人を犯した」などである。これらの仮説の
時制を見れば分かるように、一見科学的だがそれ自体では反証可能性を持たな
い仮説は、その仮説の意味内容すなわち検証の直接的な対象が過去の出来事で
あったときに多く見られる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%8D%E8%A8%BC%E5%8F%AF%E8%83%BD%E6%80%A7
737Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/04(月) 14:42:35 ID:zkdrc2g9
反証可能性を持つ仮説のみを科学的な仮説とみなす科学哲学上の立場を反証主義
と呼ぶ。
哲学史的に見れば、反証可能性の概念は科学と擬似科学の判定基準として提案さ
れた。反証主義によれば、科学理論は反証可能性を持ちつつ未だ反証されてい
ない仮説の総体であると定義される。そして、厳しい反証テストに耐え抜いた
仮説ほどより信頼性が高いものとみなされる。反証主義の代表的人物はカール
・ポパーである。ポパーはフロイトの精神分析やアドラーやマルクスの理論を
反証可能性がないため、科学的ではないと批判した。現在では、疑似科学を反
証可能性だけでなく別の要素も含めて特徴付けようとする傾向が強い。テレン
ス・ハインズは、疑似科学の特徴として、反証不可能性の他に証明責任の転嫁
や検証への消極的態度を挙げている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%8D%E8%A8%BC%E5%8F%AF%E8%83%BD%E6%80%A7
738Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/04(月) 14:45:09 ID:zkdrc2g9
「知識の『客観性』について――カール・ポパーの理論」
http://www.valdes.titech.ac.jp/~fumihiko/Popper1.htm
739神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 14:47:51 ID:DDQSGXHL
>>731
の表現はそれであっていますか?
おかしくないですか?
740Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/04(月) 14:50:54 ID:zkdrc2g9
ヴィットゲンシュタイン(Ludwig Wittgenstein, 1889-1951)の『論理哲学論考
』(前期ヴィットゲンシュタイン)に影響を受けたヴィーン学団を中心とした「
論理実証主義」においては、科学であるものはすべて実証されるものであり、
その点において実証することのできない形而上学は無意味(meaningless)である
とされていた。しかしそもそも実証というものは、その実証のためのメタレベル
における「実証」を必要とする。そのようにして繰り返すことにより、理論と
いうものは永遠に実証されないという、無限後退に陥ってしまう(ほらふき男
爵のトリレンマ)
http://www.valdes.titech.ac.jp/~fumihiko/Popper1.htm
741神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 14:53:07 ID:difyKV40
ΦΦ にゃー
742Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/04(月) 14:54:44 ID:zkdrc2g9
>>740
すべての科学理論は反証不可能な擬似科学・・・^^

ちょっと違うかな^^だいぶかな^^
743Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/04(月) 14:55:47 ID:zkdrc2g9
ΦΦ なんだお〜わん^^
744神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 14:57:05 ID:difyKV40
犬だったのですか…
745Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/04(月) 14:57:42 ID:zkdrc2g9
論理哲学論考
http://www.youtube.com/watch?v=YOqJnT9oloM

これだお^^
746Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/04(月) 15:00:14 ID:Lt/Y1ngG
いぬといえばいぬであり・・・
ねこといえば・・・
ねこである・・・
果たしてその正体は・・・
宇宙の1部であるぞよ・・・
747Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/04(月) 15:04:04 ID:zkdrc2g9
メタレベルにおける「実証」・・・
「シュレーディンガーの猫」か・・・
748Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/04(月) 15:05:45 ID:zkdrc2g9
741 :神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 14:53:07 ID:difyKV40
ΦΦ にゃー

これは「シュレーディンガーの猫」をいいたかったんだ・・・
するどいお^^
749Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/04(月) 15:09:50 ID:zkdrc2g9
観測問題(かんそくもんだい)とは、量子力学の実験結果が、観測前は波動関数
(確率に関係する量)で表現される重ね合わせと呼ばれる状態であったと推定さ
れる痕跡があるのに対して、観測後の状態があたかも波動関数が収縮したかのよ
うな一つの状態に確定していることについて、現実に見合った理論が構築できな
いばかりか、それ以前の問題として、現実に起きている現象を推定することが困
難である(例としてシュレーディンガーの猫が挙げられる)ことである。観測
問題の根本には、観測が何を指すのかさえ明確に定義することができないとい
う問題がある。 理論的には、波動関数の時間発展は決定論的であるのだが、
どの波動関数に収縮するかということは確率論的なものであるために、 量子
力学の数学的枠組みで記述できないという問題点がある。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A6%B3%E6%B8%AC%E5%95%8F%E9%A1%8C
750神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 15:34:42 ID:9qNcZqoF
結局 現実には引用してる知識のようには、何年経っても何にも出来ないし解らないんでしょ?

言葉を振りかざす奴ほど役立たずなのは昔も今も変らないな

あなたと同じ事は誰にでも出来るけれど 誰もやろうとはしない

何にも身に着かないし、時間の無駄だから
751神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 15:40:48 ID:9qNcZqoF
ちなみにあなたは
ウィーン学団とは何の関係もありませんし、大乗にも小乗にもお釈迦様にも永遠に関係ありません

言葉を引用して並べ立ててるだけです
752Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/04(月) 15:44:39 ID:zkdrc2g9
悉有佛性
753Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/04(月) 15:45:55 ID:zkdrc2g9
スレがあと250しかないお^^
754神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 15:50:30 ID:Vxh/SPZa
反証して、反証できなかったのと、
反証する試みすらできないのとは意味が違うだろ。
755神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 15:55:46 ID:Vxh/SPZa
あらゆる論理を否定してかかるなら、
己の論理も否定されるべきという馬鹿でもわかることなんだが。
>>1はアホなの?
756Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/04(月) 15:59:40 ID:zkdrc2g9
禅問答スレ・・・^^
757神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 16:01:37 ID:Vxh/SPZa
>>756
禅問答の指すところの意味を具体的に語ってくれますか?
758神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 16:03:16 ID:Vxh/SPZa
意味じゃなくここで禅問答と言ったあなたの意図に修正。
759Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/04(月) 16:03:48 ID:zkdrc2g9
無常.苦.空.非我
760Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/04(月) 16:06:55 ID:zkdrc2g9
 経験知

一 無我とは、偽の我が消えること
二 真我とは、真の我が現れること
三 無我にせよ、真我にせよ、非我
四 自我が消えると、真我が現れる
五 無我説では、非我の前半を説く
六 真我説では、非我の後半を解く
七 無我説は、中観派と繋がるもの
八 真我説は、唯識派と繋がるもの
九 無我説は、仏教で説かれるもの
十 真我説は、瑜伽で説かれるもの
761神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 16:07:33 ID:Vxh/SPZa
論理及び現象の全否定をすることに仏教では躊躇を覚えませんよ。
なぜならば、初心者はそこを目指すのだから。
762神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 16:09:14 ID:Vxh/SPZa
763Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/04(月) 16:10:39 ID:zkdrc2g9
 解脱の書

無所有処 … 無我と真我を越えた、一元の世界
       非我の前半を説くと、無我となる
       非我の後半を解くと、真我となる
764神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 16:13:02 ID:Vxh/SPZa
無色界にすら入ってないのなら、悟りなど程遠いことです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%89%E9%A0%82%E5%A4%A9
765Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/04(月) 16:13:26 ID:zkdrc2g9
>>762
禅の段階かな・・・
766Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/04(月) 16:14:57 ID:zkdrc2g9
悟りは一人で開くもの・・・
教えはいらないお^^
767神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 16:18:57 ID:9qNcZqoF
>>766 君には一生無理だ
768神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 16:19:50 ID:Vxh/SPZa
初めから仏教を学ぶのじゃなくて、中途半端な解説書読んで解ったつもりでいたいだけじゃん。
オナニー以外のなんだってんだろ。
769神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 16:21:19 ID:Vxh/SPZa
>>762
禅の解説書ではありません。
その程度の知識で一人で悟るとおっしゃる。
たいした自信ですな。
770Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/04(月) 16:50:43 ID:zkdrc2g9
「悟り」は人によって解釈が違うと思うからね・・

おいらの考えている「悟り」は簡単で・・・
非我により輪廻への再生がなくなることを目的としてるからね^^
簡単に言えばだお^^
771Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/04(月) 16:53:13 ID:zkdrc2g9
すなわち自分が一番知っている・・・お?知っているんじゃないの^^
自分・・・お?のことだからね・・
難しくは無い・・・
気づくだけ・・・^^
772Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/04(月) 16:54:23 ID:zkdrc2g9
無意識の世界に気づくだけ・・・^^
773神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 16:55:55 ID:Vxh/SPZa
残念ながら仏教における悟りは概念に留まるものではないから
ひとりひとり違うということはない。
違うとしたら段階が進んでいないと考えるべき。
調べれば過去の経典なりにその段階があるはず。
悟りの先にある大乗の菩薩業は悟りを放棄したものであるからこれも悟りとは違う。
774Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/04(月) 16:57:20 ID:Lt/Y1ngG
悟り=難解かしい
これ洗脳されてる・・・

ブッダも普通の人だったからね・・・
ただ気がついただけ・・・
775神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 16:57:28 ID:Vxh/SPZa
>>772
それを法執という。
求めて得られるというものではない。
776神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 17:02:42 ID:Vxh/SPZa
ただ法に生かされているということに気付くだけなら誰でもできる。
宇宙なんとかってそういうことだろ?
777Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/04(月) 17:03:40 ID:zkdrc2g9
煩悩がなかったならば悟りはないといいうことになるのかな・・・^^
778神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 17:04:34 ID:vmxyI1pz
悟りとはオーネット・コールマンの「フリージャズ」なり。
779Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/04(月) 17:05:29 ID:zkdrc2g9
とりあえず・・・
悟りを得ていない人から言われても・・
ということだね^^
780神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 17:05:58 ID:Vxh/SPZa
煩悩が無かったらというのは悟った人から見た場合(勝義諦)
仏教に2つの見方があることを知らなければ。
781神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 17:08:27 ID:Vxh/SPZa
如来は口で法を説かない。
菩薩は悟りを得ていない。
782Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/04(月) 17:08:53 ID:zkdrc2g9
本当のこと言えば・・・
仏教なくても悟りは得られるんだよ・・・
だから仏教なんて知らなくても構わない^^
783神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 17:09:40 ID:vmxyI1pz
悟ったなら、悟っていないことになるし、悟っていないなら、やはり悟っていないなり。チーン!南無仏
784神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 17:09:55 ID:Vxh/SPZa
>>782
仏教でないところの悟りがね。
何教ですか?
785Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/04(月) 17:10:58 ID:zkdrc2g9
そうそう・・・
「悟った」と言う時点で非我でない・・・^^
786神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 17:11:56 ID:vmxyI1pz
悟りなど、幻想だよ…見果てぬ夢だよ…この世界も、幻想だよ…マトリックスなり
787Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/04(月) 17:12:06 ID:zkdrc2g9
ブッダはそもそも仏教から悟りを得たの??
788神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 17:12:28 ID:Vxh/SPZa
大乗仏教徒は悟りに執着しない。
問題無し。
789神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 17:13:28 ID:Vxh/SPZa
>>787
そもそもあなたは仏陀ほどの修行をしたの?
790神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 17:14:05 ID:vmxyI1pz
大乗菩薩道以外いかなる悟りへの手段もない事をいずれ痛いほど泣きを見て悟るなり。お前のどうしようもない現実…
791Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/04(月) 17:14:37 ID:zkdrc2g9
宇宙意識・・・妄想か;;;w
792神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 17:15:28 ID:vmxyI1pz
釈迦が悟った証拠などなにひとつ無いなり。悟っていない証拠も無いなり。わたしは「笑い声」なり。
793Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/04(月) 17:16:23 ID:zkdrc2g9
仏教なくしてもブッダの歩んだ道をたどればいい^^
794神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 17:17:06 ID:Vxh/SPZa
>>791
誰でも通る道。
梵天界を悟りだと勘違いしてしまう。
795神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 17:18:04 ID:Vxh/SPZa
>>792
もうひといきですな。
悟りまでもう一歩。
796Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/04(月) 17:18:07 ID:zkdrc2g9
わたしは「笑い声」なり。

「非我で無い現実を見つめなさい」と釈迦が言ってたお^^
797Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/04(月) 17:21:22 ID:zkdrc2g9
禅問答終わったお^^
798神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 17:23:16 ID:Vxh/SPZa
>>796
現実が非我なのですよ。
諸法無我。
現実を作る法をありのままに見ればそれは我ではない。
799神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 17:26:01 ID:Vxh/SPZa
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A2%B5%E6%88%91%E4%B8%80%E5%A6%82

こいつを釈迦の悟りだというならば、何度でも叩きにきますよ。
800神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 17:26:19 ID:vmxyI1pz
現実は非我なのですよ…という我の主張。ありのままの観察がすでに幻想…なり
801神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 17:27:02 ID:Vxh/SPZa
>>800
そう、何も知ることはできない。
802神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 17:27:25 ID:vmxyI1pz
悟りとはオーネット・コールマンの「ジャズ来たるべきもの」のロンリー・ウーマンなり
803神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 17:30:48 ID:3ZQzDFOK
梵我一如=これらが同一であることを知ることにより、永遠の至福に到達しようとする思想

永遠の至福が残ってたらアカンでしょ。
804神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 17:31:39 ID:Vxh/SPZa
ただただ、身を任せることかな。
805神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 17:34:34 ID:vmxyI1pz
別に至福があってもいいなり。金はいくらあっても困らないということわざ通りなり
806神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 17:34:42 ID:3ZQzDFOK
>>804
それしか私は知らないが、他に方法があるのなら知りたい。
807神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 17:36:05 ID:Vxh/SPZa
何処へ行こうと帰る場所さえ分かればいい。
808神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 17:36:35 ID:vmxyI1pz
鏡は自分を映せないなり、別の鏡が有れば話は別なり…鏡が粉々に砕かれてもそこに残るものあるなり
809神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 17:37:45 ID:vmxyI1pz
炎に燃えるちからが無かったら、炎になんの意味が有るか?なり。
810禅問答終了なり:2009/05/04(月) 17:51:57 ID:vmxyI1pz
悟りとは、黒澤明監督の「八月の狂詩曲」なり。涙ぐんだなり…
811神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 17:59:18 ID:3ZQzDFOK
>>807
ありがとうございました。
812Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/04(月) 18:19:10 ID:zkdrc2g9
( ^ω^)この明白な事実は事実として受け入れて、みんな仲良くやれお

(^ω^)カリカリすんなお
813神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 18:35:29 ID:difyKV40
僕はまだ現実は受け入れられないままでいます。
814どう書く?:2009/05/04(月) 18:44:50 ID:Hvu4H1XT
>>813

リアルは不満が一杯ですか?
815Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/04(月) 18:46:24 ID:zkdrc2g9
そのままでお願いします。
816Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/04(月) 18:47:45 ID:zkdrc2g9
リアルは非リアルの世界で苦しみ続けている・・・
817どう書く?:2009/05/04(月) 18:48:22 ID:Hvu4H1XT
>>815
(。´・д・)エッ どのママですか?そのママ・・・
818Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/04(月) 18:48:37 ID:zkdrc2g9
非リアルはリアルの世界で苦しみ続けている・・・
819どう書く?:2009/05/04(月) 18:49:27 ID:Hvu4H1XT
>>816
それ、妄想・・・

千葉県には、房総半島がある・・・
820Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/04(月) 18:50:28 ID:Lt/Y1ngG
実は受け入れられないままでお願いします。 ^^
821どう書く?:2009/05/04(月) 18:53:20 ID:Hvu4H1XT
>>820
> 実は受け入れられないままでお願いします。 ^^

みそ汁の実は、なにがいいか?いれないままでおねがいしますー
822神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 18:53:24 ID:9qNcZqoF
>>820 ふむ…タフさだけは認めよう
823どう書く?:2009/05/04(月) 18:56:05 ID:Hvu4H1XT
>>822
コンサート会場の前には、 ダフ屋 さんがー
824神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 19:00:59 ID:sOlI6E7f
>>698
>悟りを開いた人にはお経は関係なくなるわけだ・・・
いや、そうではない。
悟りを開いた人の言葉を書き留めたものがお経だよ。
だからお経は「如是我聞」という言葉で始まる。
「私はこのように聞いた」ということでブッダのインタビュー記事
がお経だ。
それに対し、そのお経についてあれこれ議論するのが「論」だ。
また、出家者の集まりを規律する規則が「律」だね。
この「経・論・律」をあわせて三蔵というのだ。
三蔵法師とはこの三種の蔵(書物)に通じている法師ということだ。
825Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/04(月) 19:04:13 ID:zkdrc2g9
タフ  シール・・・

日本で使われている仏教の経典は、日本語のタフシールではなく、中国語の原典
をそのまま使っています。ですから漢字ばかりでしょ。サンスクリット語の原典
は中国で作られたタフシールの完成とともに焼かれてしまったといわれています
。しかし、どうしても中国語に訳せない「般若波羅密多panya- paramita」や、
ギャーテイギャーテイなどのサンスクリット語はそのまま残されています。
826どう書く?:2009/05/04(月) 19:04:15 ID:Hvu4H1XT
>>824
ソフトバンクスホークス

知、不知

して、そのこころは

シッタカァ〜
827神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 19:04:45 ID:9qNcZqoF
それは>>1だった
828どう書く?:2009/05/04(月) 19:05:36 ID:Hvu4H1XT
>>825

意訳もあり・・・
829Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/04(月) 19:07:26 ID:zkdrc2g9
ブッダは悟りを開く前は普通の人だったと・・・?
830どう書く?:2009/05/04(月) 19:08:47 ID:Hvu4H1XT
>>829
悟後も、普通のひと・・・
831Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/04(月) 19:08:49 ID:zkdrc2g9
ブッダは経典を読まずに悟りを開いたと・・・?
832Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/04(月) 19:10:06 ID:zkdrc2g9
ブッダとほかの人との違いは何だったのかと・・・
833どう書く?:2009/05/04(月) 19:10:48 ID:Hvu4H1XT
>>831
他に学んだよ、
834どう書く?:2009/05/04(月) 19:11:33 ID:Hvu4H1XT
>>832
なんら変わることは無い・・・
835Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/04(月) 19:12:06 ID:Lt/Y1ngG
>>833
お?何を???
836どう書く?:2009/05/04(月) 19:13:46 ID:Hvu4H1XT
>>835
師に就いたよ
837神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 19:14:56 ID:9qNcZqoF
ブッダの悟りを確認した人は誰なんですか?
838どう書く?:2009/05/04(月) 19:16:50 ID:Hvu4H1XT
>>837
同郷の出家者

のちに、弟子となる
839Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/04(月) 19:21:24 ID:zkdrc2g9
あるあけがた、シッダールタは、ついにカピラヴァストゥ城を去る。
自らの髪を剃り落とし、一介の修行者となったシッダールタは、当時修行者が
多く集まっていたガヤに向かった。シッダールタは、ウッダカの苦行林に入っ
て、6年間の苦行に明け暮れる毎日を送った。
彼は、心をもって心をコントロールする苦行、吸う息・吐く息の呼吸をとめる
苦行、そして、1日だけ、次に2日、3日、1週間、6ヶ月と絶食(断食)す
る苦行を実践した。
さらにシッダールタは、次のような、異常とも思える苦行をあえて行なったと
いう。
・牛や羊のように草だけを食べる ・牛糞を食べる ・自分の小便を飲む
・イバラに身を横たえる ・朝から晩まで立ちっぱなしで過す ・しゃがんだ
ままで過す ・片手あるいは両手を上に挙げたまま ・灼熱の太陽を凝視する
 ・四つんばいで歩く ・墓地で死体とともに暮らす ・乱暴者や子供から石
を投げつけられ、棒で打たれてもじっと耐えて座禅している
このような激しい苦行をくりかえしたために、周囲の苦行者から「シッダール
タはすでに死んだ」と思われたこともあったという。
しかし、6年間のこうした苦行は、彼に何の答も見つけてはくれなかった。
かえって、断食などの苦行は、身体を苦しめるだけで解脱(心の安らぎには役
立たず、無意味であると考えるようになった。
そしてついにシッダールタは苦行に終止符を打った。シッダールタは、周囲か
ら「シッダールタは、修行者たる資格を失った」とみなされた。しかし彼はそ
んなことはまったく気にしなかった。6年間ずっと行動をともにしてきた5人
の修行者たちは、そんなシッダールタに失望し、彼のもとを去っていった。
シッダールタは、近くの川で苦行に汚れた身体をすっかり洗い清めた。骨と皮
だけになったシッダールタをあわれんで、村娘スジャータは乳粥を彼に与えた
そして彼は、とあるアシュヴァッタ(あるいはピッパラ)の樹の下で心静かに
瞑想にふけった。外からのさまざまな妨害や内なる心の葛藤と戦いながら。
ある夜明けに明星を見て彼は忽然として大悟した。悟れるもの、ブッダとなっ
たのである。

ほほう^^
経典は学んでないな・・・
840神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 19:21:30 ID:9qNcZqoF
>>838 誰なんだ?
841Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/04(月) 19:23:11 ID:zkdrc2g9
心をもって心をコントロールする苦行、吸う息・吐く息の呼吸をとめる
苦行、そして、1日だけ、次に2日、3日、1週間、6ヶ月と絶食(断食)す
る苦行を実践した。
さらにシッダールタは、次のような、異常とも思える苦行をあえて行なったと
いう。
・牛や羊のように草だけを食べる ・牛糞を食べる ・自分の小便を飲む
・イバラに身を横たえる ・朝から晩まで立ちっぱなしで過す ・しゃがんだ
ままで過す ・片手あるいは両手を上に挙げたまま ・灼熱の太陽を凝視する
 ・四つんばいで歩く ・墓地で死体とともに暮らす ・乱暴者や子供から石
を投げつけられ、棒で打たれてもじっと耐えて座禅している

これは・・・・^^
842Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/04(月) 19:26:33 ID:zkdrc2g9
6年間か・・・・^^
843神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 19:28:04 ID:difyKV40
>>814
そうですね…
>>816
そうです、逆もそうです…
844Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/04(月) 19:28:29 ID:zkdrc2g9
ん?スジャータ?
845神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 19:29:18 ID:difyKV40
リアルと非リアルの関係は僕にとって重いものです。
846神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 19:29:44 ID:9qNcZqoF
迷信です 永い年月をかけて誇大広告されています
847Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/04(月) 19:31:05 ID:zkdrc2g9
誇大広告・・・^^
848神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 19:31:56 ID:9qNcZqoF
だが、しかし
>>1 ならば大小便を夕食にしてるかも知れない
849神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 19:33:17 ID:difyKV40
ぷふふ。面白いですね。
850どう書く?:2009/05/04(月) 19:34:48 ID:Hvu4H1XT
>>840
ググレ 刑事
851Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/04(月) 19:34:48 ID:zkdrc2g9
墓地で死体とともに暮らす・・・

やっぱり真理を悟る人は発想も違う・・・^^
852神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 19:34:52 ID:9qNcZqoF
お釈迦様の名前で、今まで金儲けや組織拡大してきた連中は数多いのではないか?

イエスも然り

まさに事実無根の誇大妄想広告
853神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 19:37:04 ID:9qNcZqoF
>>1 はオウム関係者か?
854どう書く?:2009/05/04(月) 19:37:40 ID:Hvu4H1XT
>>845
> リアルと非リアルの関係は僕にとって重いものです。

非リアルは、ないよ。

リアルがあるから、その反対に非リアルがあるかのごとく見えるだけ。
855Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/04(月) 19:38:48 ID:zkdrc2g9
 ___
/ || ̄ ̄|| ∧_∧
|.....||__|| (     )  >>1 はオウム関係者か?
| ̄ ̄\三⊂/ ̄ ̄ ̄/
|    | ( ./     /
 ___
/ || ̄ ̄|| ∧_∧
|.....||__|| ( ^ω^ )  どうしてこうなった!?
| ̄ ̄\三⊂/ ̄ ̄ ̄/
|    | ( ./     /
856どう書く?:2009/05/04(月) 19:40:06 ID:Hvu4H1XT
>>852
イエスは、大風呂敷

神の国は、近づいた、



ひろげた
857どう書く?:2009/05/04(月) 19:41:15 ID:Hvu4H1XT
>>855
オウムは、口真似、

コピペ真似、ダロ──(´゚∀゚`)9m──ッ!。
858神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 19:42:24 ID:sOlI6E7f
>>1
×悟り
○釣り
859どう書く?:2009/05/04(月) 19:43:31 ID:Hvu4H1XT
>>858
釣りは、(゚听)イラネー、取っときなー
860神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 19:43:44 ID:9qNcZqoF
なんか>>1凄い反応したな…マジでオウムか

なんか変な感じはしたんだが
861Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/04(月) 19:43:51 ID:zkdrc2g9
(^ω^)カリカリすんなお
862どう書く?:2009/05/04(月) 19:45:09 ID:Hvu4H1XT
>>861
> (^ω^)カリカリすんなお

借金は、計画的に・・・借り借り・・・
863Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/04(月) 19:45:14 ID:zkdrc2g9
朝生の麻原たんはかわいかったお^^
864どう書く?:2009/05/04(月) 19:47:54 ID:Hvu4H1XT
>>863
かわいいと言うのは、重要な要素ではない、特に、大人であれば。。。幼児では、もう無いからね・・・おとなは・・・
865神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 19:47:56 ID:sOlI6E7f
>ブッダの悟りを確認した人は誰なんですか?
ブッダだろ。悟りは自覚することだろ。
866Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/04(月) 19:48:11 ID:zkdrc2g9 BE:2051899968-PLT(13230)
最近仏教おもしろいので・・・
お寺周りして、悟りを得た人のとこにいってみようかなと・・・
だれかいるかな?悟りを得た人・・・?
867どう書く?:2009/05/04(月) 19:49:18 ID:Hvu4H1XT
>>866
おてらには、いないな、それは職業だから、お寺の経営と言う・・・
868Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/04(月) 19:49:30 ID:zkdrc2g9 BE:598470672-PLT(13230)
悟りは自覚することだろ。

自覚した時点で悟りではない・・・お^^
869神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 19:50:17 ID:sOlI6E7f
>>859
自分が釣り上げられてりゃ・・。www
870Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/04(月) 19:50:29 ID:zkdrc2g9 BE:512974962-PLT(13230)
>>867
お?どこにいるんだお?
871どう書く?:2009/05/04(月) 19:51:34 ID:Hvu4H1XT
>>868
さとる前は、さとりを得るという事を求めるが、さとったあとは、もう、いらね・・・さとり・・・イラン( -.-)ノ ・゜゜・。ポイッ
872神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 19:53:39 ID:9qNcZqoF
自己申告 なったような気

そういえば自称神から使命を受けたとか(通り魔)天使が囁いたとか(変質者)
イカレた人が現代には多いけど 昔はあんまりいなかったから…

それで誇張された姿が伝説となったのですね
873Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/04(月) 19:55:04 ID:zkdrc2g9 BE:769463429-PLT(13230)
根本仏教では学道を完成し最早それ以上学ぶ必要がない、尊敬と施しを受けるに
値する倶解脱の体験者を阿羅漢または羅漢と言い、修行者の到達し得る最高位で
ある。「かれらは、心の解脱を具現し、また智慧の解脱を具現する。。かれらは
(輪廻を)終滅させることができる。」とも説いている。何れにしても解脱は段
階的に継続して深まり行く連続的体験と言えようか。

この人たち・・・出てこいっ!!
874神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 19:56:26 ID:sOlI6E7f
>>838
>同郷の出家者
これは真逆だろ。
ブッダは同郷の出家者に対し初めて説法しその出家者が悟ったことを
ブッダが証明したんだ。
「初法転輪」や「コンダーニャ」でググッテみなはれ。
875Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/04(月) 19:56:26 ID:zkdrc2g9 BE:1709916858-PLT(13230)
かれらは(輪廻を)終滅させることができる。

出た出た・・・おいらの目標^^
876Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/04(月) 20:00:45 ID:zkdrc2g9 BE:1795412276-PLT(13230)
自力の解脱…ダンマパダは「浄いのも浄くないのも、各自のことがらである。人
は他人を浄めることができない。」と説く。また「自己こそ自分の主である。他
人がどうして(自分の)主であろうか?自己をよくととのえたならば得難き主を
える。」という。釈尊は自力で修行し解脱したのである。では釈尊の教えを継承
する大乗仏教はどうか、「上求菩提」は、自己の解脱は自力で、「下化衆生」は
「衆生済度」は衆生にとっての他力の解脱を示すものである。

さっきおいらが書いたことと同じだ・・・
もっと言うとそっくりだお^^
877神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 20:01:11 ID:difyKV40
>>854
そうですよね…
全てリアルなんですよね…
878Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/04(月) 20:02:15 ID:zkdrc2g9 BE:683966944-PLT(13230)
おいら=ダンマパダ の方程式がここで成り立つお^^
879Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/04(月) 20:04:15 ID:zkdrc2g9 BE:256488023-PLT(13230)
リアルであるが実体はないと・・・^^
880神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 20:10:01 ID:vmxyI1pz
自燈明・法燈明、多いに結構なり。しかし、悟りとは「求めて」得られるものなのか?もしそうなら、いずれ失われる時が来る…絶対不動なるものは「すでに」無ければならないなり
881神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 20:12:52 ID:vmxyI1pz
悟りという言葉にたぶらかされ、催眠術にかけられたようなものなり。大乗的観点からも「悟り」「救い」は他者に譲るべきなり。でないとますます目標から遠ざかるなり…
882神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 20:14:32 ID:sOlI6E7f
>>825
>日本で使われている仏教の経典は、日本語のタフシールではなく、中国語の原典
>をそのまま使っています。
現在ではサンスクリット原典からの日本語への直接翻訳の経典はいっぱいあるよ。
「スッタニパータ」とか岩波文庫で誰でも読める。
883Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/04(月) 20:16:03 ID:zkdrc2g9 BE:427479252-PLT(13230)
「智慧の完成は離脱し、空であり、その同じ無執着なるしるしをもっているので
、あらゆるものは離脱し、空なのである。」

これ悟り^^
884Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/04(月) 20:16:50 ID:zkdrc2g9 BE:1282437465-PLT(13230)
>>882
ほほう^^
885神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 20:18:06 ID:vmxyI1pz
そなた以外いかなる悟りも有り得ない…いかなる真理も有り得ない…そしてそれはインドラネットで繋がっておるなり。
886神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 20:18:11 ID:sOlI6E7f
>>881
日本では平安・鎌倉時代から既に末法の世の中だったから
既に現在は滅法の世の中だね。
メクラ滅法に仏教もどきを説法してるだけだ。
887神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 20:19:03 ID:9qNcZqoF
>>883 火葬場に書いてありそうな言葉だなwww
888Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/04(月) 20:20:01 ID:zkdrc2g9 BE:3077849298-PLT(13230)
部派仏教は空を実体がないと説明し、実体を重視した。
大乗は実体を破壊するために空を説いた。

部派→「我空法有」、大乗→「我空法空」
889Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/04(月) 20:22:34 ID:zkdrc2g9 BE:1496177257-PLT(13230)
今や大乗仏教においては、無我説と空観とが一致させられるにいたったのである。

いたったのか・・悟ったのか?
890神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 20:22:36 ID:vmxyI1pz
末法は人の心にてのみ起こるものなり。ところで我々は無常を感じるなら「心」ではないなり…
891神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 20:23:44 ID:sOlI6E7f
>>883
そうだね。
ハニャハラミッタの一説だろ。
ハンニャハラミッタは漫才グループではなく日本語に訳せば
「智慧の完成」といい智慧を以って彼岸に渡りきったということ。
892Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/04(月) 20:26:30 ID:zkdrc2g9 BE:683966944-PLT(13230)
実は部派仏教のひとびとが、この実体という概念を重要視して、実体というもの
にある意味で取りつかれていたからなのです。そこで、この実体という考えを否
定するあるいは破壊する、実体化することを打ち破るものとして、シュ−ンヤと
いうことばが使われました。

シュ−ンヤ(空)

般若経典で空を繰り返すのは小乗諸派が法の実有をとなえていたのに対して、
それを攻撃するために、とくに否定的にひびく「空」という語を使っていたのか・・・
893神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 20:26:46 ID:vmxyI1pz
絶対的真理は無いわけではないなり。それを想定する以上、その存在を否定することはできないなり。しからば自己とは、真理、悟りとは何か?釈迦さえ、説明出来なかったなり。経典ならSanskritの大乗経典もあるなり。それはニューウェイブなり
894神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 20:27:15 ID:LU+t64er
「我空法有」 これが空即是色じゃないの?
895Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/04(月) 20:30:41 ID:zkdrc2g9 BE:1709916285-PLT(13230)
八界(六根処と六境処のほかに眼・耳・鼻・舌・身・意の六識を加えたもの)な
どの法は存在するという「我空法有」を主張し、そしてその法は現在だけでなく
、過去にも未来にも三世にわたって常恒であるという説一切有部の「三世実有法
体恒有」の思想を展開させたのである。

わかんないお^^
896どう書く?:2009/05/04(月) 20:31:05 ID:Hvu4H1XT
>>874
さとりは、個人のもの。

かれも、それまで多くのさとった人たちと同じように、さとりのなかで楽しんでいればよい。
897どう書く?:2009/05/04(月) 20:32:05 ID:Hvu4H1XT
>>880
やはり求めなければ、さとりは無い。
898どう書く?:2009/05/04(月) 20:34:59 ID:Hvu4H1XT
>>886
彼も知らない屁理屈だが・・・
899神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 20:35:02 ID:LU+t64er
色即是空 → 我空

空即是色 → 法有(我を空にしたら法のみがあった。)

じゃないかな…。
900どう書く?:2009/05/04(月) 20:36:41 ID:Hvu4H1XT
>>892
空とは、ゼロ

ゼロは、インド人の発見
901神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 20:37:36 ID:vmxyI1pz
最後にちょいと希望を与えて放置プレーするなり。それは遅かれ早かれすべてが悟るなり…これが真実なり(ニヤリ)
902どう書く?:2009/05/04(月) 20:37:43 ID:Hvu4H1XT
>>899
> 色即是空 → 我空
>
> 空即是色 → 法有(我を空にしたら法のみがあった。)
>
> じゃないかな…。



 ̄|_|○ドテッ
903神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 20:39:50 ID:LU+t64er
世間虚仮、唯仏是真

これが空即是色じゃない?
904神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 20:40:43 ID:difyKV40
あと100レスもないですね…
誰か悟れますかね…
905Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/04(月) 20:42:56 ID:zkdrc2g9 BE:683967528-PLT(13230)
大乗経典は全て数百年前に生きた釈迦が説いたこととされ,真の創始者の
姿が隠されている・・・

これどうなの?
906神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 20:44:08 ID:LU+t64er
ナーガルジュナって人いなかったけ?
907Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/04(月) 20:44:42 ID:zkdrc2g9
 ___
/ || ̄ ̄|| ∧_∧
|.....||__|| (     ) あと100レスもないですね…
| ̄ ̄\三⊂/ ̄ ̄ ̄/        誰か悟れますかね…
|    | ( ./     /
 ___
/ || ̄ ̄|| ∧_∧
|.....||__|| ( ^ω^ )  どうしてこうなった!?
| ̄ ̄\三⊂/ ̄ ̄ ̄/
|    | ( ./     /
908Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/04(月) 20:47:48 ID:zkdrc2g9
>>904

___
/ || ̄ ̄|| ∧_∧
|.....||__|| ( ^ω^ ) スレを立て直しおいらの意思を継いでくれお^^
| ̄ ̄\三⊂/ ̄ ̄ ̄/
|    | ( ./     /
909神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 20:48:50 ID:2wD+y1Vd
禅友に贈る書 − 曹洞宗の問題点
http://www.karupapa.net/soutousyu.html
910Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/04(月) 20:56:01 ID:zkdrc2g9
>>909
なにぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい
悟りを求めないだとおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお

このスレの存在意義がなくなるぅうううううううううううう

ちょっと真剣にかんがえるか・・・・^^^
911神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 20:58:34 ID:2wD+y1Vd
道元禅師の言葉
http://soto-tokai.net/cgi-bin/kotoba.cgi?page=26&bl=0

 「釈迦牟尼仏言、一切衆生、悉有仏性、如来常住、無有変易。これわれらが大師釈尊の獅子吼の転法輪なりといへども、一切諸仏、一切祖師の頂寧眼晴なり。」
 この「仏性の巻」は先の「正法眼蔵弁道話」の巻、「正法眼蔵現成公案の巻」と併せて正法眼蔵の中では特に大切な巻とされています。この三巻の中で道元さまは「真理」を説き、「悟り」について説いておられます。
この巻でいう「仏性」ということにつきまして道元さまが比叡山でのご修行中よりいだき続けられた疑問でありました。しかし、当時日本では道元さまのいだく疑問を満足に解きあかしてくれる人がいませんでした。
それで道元さまはこの疑問を解くべく中国に渡られたのであります。
 この巻は仁治二年十月興聖宝林寺において弟子たちに説かれた巻であります。仏性ということは大乗仏教の成立とともに取り上げられた大きな問題であり、特に「大般涅槃経」ではこれを深く掘り下げられています。
道元さまは中国に渡っても、すぐにはこの仏性について納得できる答を得ることが出来ませんでした。それで道元さまは諸々の経典、諸説を学び、多くの祖師に参じたのであります。
ここにあります「釈迦牟尼仏言、一切衆生、悉有仏性、如来常住、無有変易」というくだりは「大般涅槃経」の中にある一句であります。
この意味は普通に読みますと「お釈迦様が言われるには一切衆生にはことごとく仏性がある。それは常住で、変わることが無い。」ということになるのでありますが、
実は道元さまはそのようには捉えていなかったのであります。
912どう書く?:2009/05/04(月) 20:59:11 ID:Hvu4H1XT
>>909
> 禅友に贈る書 − 曹洞宗の問題点

ここ出るから、赤線を引くようにってやつ?問題点・・・
913神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 21:02:24 ID:2wD+y1Vd
 仏性とは「仏であることの本質」であります。ここでいう仏というのは「ものごと」が真理に従って、あるべきようにあることでありまして、執着を離れることであります。
先の現成公案の巻や弁道話の巻においてお話しいたしました「あるがままにする」「空」の道理に従って「因縁所生」にあるということをいうのであります。
 それを覚られたのがお釈迦さまであり、諸仏諸祖であります。曹洞宗では道元さまの師匠天童山の如浄禅師までにお釈迦さまから数えて五十人の祖師方がいます。
その方々は仏性の道理を正しく捉えて悟られたのであります。
そして道元さまは一切衆生、悉有仏性を「一切衆生はことごとく仏性がある」とは捉えず、涅槃経にありますように「一切は衆生なり、悉有は仏性なり」と読み、
ことごとくあるその全存在が衆であり、その内も外も全て仏性であるというのであります。お釈迦さまの全存在、全行動が仏性であります。
諸仏、諸祖の皮肉骨髄、頂寧眼晴全存在、全行動が仏性であるということになります。さらに申せば森羅万象全てが仏性ということになります。
また「仏性は成仏以後の荘厳なり」と説いておられます。一切は衆生であり、全存在が仏性であるというのでありますが、
しかし、この仏性は弁道話のところでもお話しいたしましたように「修せざるにはあらわれず、証せざるには得ることなし」であります。発心し、修行し、菩提し、涅槃してはじめて現成するのであります。
つめて言えば、正しい発心、修行、菩提、涅槃がそのまま仏性ということになります。
 自己のあるべき姿とは「自己をわするるなり」であります。つまり無我になりきることであります。それは自己と他己との対立を捨て去ることであり、執着を離れることであります。
そうすることにより「萬法がすすみて自己を修証する」境地が開けるのであります。
道元さまのことばに修証一如というのがありましたが実践の中に悟りがある、あるがままの実践が本来の衆生であり、全存在であり、悟りであります。
 正しい体験の世界に没入するとき、融通無礙の自己を会得しうるのであります。
仏性は常住不滅でありまして、悟りを開かれた祖師方は不断の仏作仏行により煩悩の火が二度と起こらないのであります。
したがって開悟された祖師方でもその後もたゆまぬ修行をつづけられるのであります。行持道環であります。
914どう書く?:2009/05/04(月) 21:04:55 ID:Hvu4H1XT
>>911
彼が、言うには、

変わった事は何も無かったよ。
眼は横に、鼻は直(たて)に日本人と同じように中国人も、くっついてたよ、インド人の達磨さんも、同じだった・・・アセアセ( ̄_ ̄ i)タラー

と、言ってたよ。
915どう書く?:2009/05/04(月) 21:06:05 ID:Hvu4H1XT
>>913
型にはめようって、魂胆?
916神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 21:07:03 ID:sOlI6E7f
>>895
>説一切有部の「三世実有法体恒有」の思想を展開させたのである。
これは現在の自然科学とくに物理学の依ってたつ立場と同じだね。
時間は過去現在未来にわたって存在し、エネルギー保存の法則は恒有
であるとする立場だね。
917神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 21:14:24 ID:sOlI6E7f
>>905
大乗非仏説では大乗の仏法は釈迦の法の上に自分勝手に屋上屋を重ねた
法だという加上説で説明する。江戸時代の日本でも既に大乗非仏説は
論議されている。
918Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/04(月) 21:22:17 ID:zkdrc2g9
天童山(てんどうざん)でと出会ったのです。
そこには坐禅(ざぜん)を中心と如浄(にょじょう)禅師した本物の修行がありました。
『正法眼蔵』は禅師の代表的な著作であり、90余卷にもおよぶ内容は、悟りの
境地を余すところなく伝えています。

師は如浄(にょじょう)禅師でブッダではない・・・
経典は『正法眼蔵』かな・・・

お釈迦様の教えを中国から日本へ持ち帰ったのが道元禅師(高祖承陽大師・
こうそじょうようだいし ?〜1253年)、その教えを全国に広めたのが瑩山禅
師(太祖常済大師・たいそじょうさいだいし 1268年〜1325年)といわれ、こ
の二人を両祖として仰いでいます。

お釈迦様ってブッダではなく如浄(にょじょう)禅師もことかな・・・
919神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 21:22:49 ID:sOlI6E7f
>>890
>ところで我々は無常を感じるなら「心」ではないなり…
「色受想行識」の「受」が感受する心だろうが・・・。
920神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 21:23:32 ID:2wD+y1Vd
>>917
大乗は初期キリスト教あるいはミトラス教の影響で成立したと思う。
あくまで個人の悟りを重視するのが小乗であるのに対し
すべての衆生の悟りと救済を説く大乗の論理はキリスト教を彷彿とさせる。
921神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 21:24:59 ID:sOlI6E7f
>>918
>経典は『正法眼蔵』かな・・・
『正法眼蔵』は論蔵だよ。経典ではない。
922Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/04(月) 21:26:05 ID:zkdrc2g9
お釈迦様の教えではなく中国の如浄(にょじょう)禅師の座禅の教えで

道元自身が悟りではなく開眼したということかな・・・
923Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/04(月) 21:29:19 ID:zkdrc2g9
私は昼も夜も坐禅をした。酷暑極寒(こくしょごくかん)のおりには病気になっ
てしまう、と多くの僧が坐禅をやめた。しかし私は“病気でもないのに修行をし
なかったら中国まできた意味がない。病気で死んでも本望だ”と坐りつづけた」
(『正法眼蔵随聞記』)

ブッダと比べては申し訳ないが・・・むむむ^^
924神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 21:30:41 ID:sOlI6E7f
>>922
道元の好きな経典は法華経だよ。
925Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/04(月) 21:32:36 ID:zkdrc2g9
けど・・・
釈迦の仏教とは違う・・・
金星は見えたのか・・・・?
926Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/04(月) 21:36:24 ID:zkdrc2g9
道元の教えの最大の特徴は坐禅を専修することを強く主張し坐禅は「只管打坐」
でなければならないとした点である。専ら坐禅に打ち込むことこそ釈尊正伝の
「真実の仏法」を学び取る唯一最高の道であると説いた。坐禅という修行と悟り
は別のものではなく、また「修行が手段で悟りが目的」と言うことでもなく「修
行そのものが悟りの証である」としてこれを「修証一如」と表現した。そして人
間には修行と悟りは本来的に備わっているもので、これを煩悩によって曇らせ
ないように厳しく修行することが必要であると説いた。

修行そのものが悟りの証であるか・・・^^
927神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 21:38:31 ID:2wD+y1Vd
道元 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%93%E5%85%83

徒に見性を追い求めず、座禅している姿そのものが仏であり、修行の中に悟りがあるという修証一等、只管打坐の禅を伝えた。
主著正法眼蔵はハイデッガーなど西欧の現代哲学者からも注目を集めた。

浄土真宗の開祖親鸞とは、互いに母方の縁戚にあたり面識があったとする説があるが確証はない。
著作『正法眼蔵』の「生死」の巻は、親鸞に向けて書かれたものであるとする説がある。
928どう書く?:2009/05/04(月) 21:39:09 ID:LU+tzqK6
>>918

じゃーさー
うその修行って。どういうもの?
929Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/04(月) 21:39:15 ID:zkdrc2g9
仏道をならふといふは、自己をならふなり。自己をならふというは自己をわする
るなり。自己をわするるといふは、万法に証せらるるなり。万法の証せらるると
はいふは、自己の身心、及び他己の身心をして脱落せしむるなり。

釈迦と同じように見えるが・・・
930神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 21:40:03 ID:sOlI6E7f
>釈迦の仏教とは違う・・・
そうだね。法華経は大乗仏教だから。
大乗非仏説では釈迦の仏法は
「諸悪莫作 修善奉行 自浄其意 是諸仏教」
だけが仏教だという。
931Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/04(月) 21:41:25 ID:zkdrc2g9
うその修行って。どういうもの?

そんなこと言ってないお^^
修行してないからわからないお^^
932どう書く?:2009/05/04(月) 21:43:02 ID:LU+tzqK6
>>926
かれは浪人してたので、仕官の口はないかと、座布団を引っ叩いて、気を紛らわしていた・・・はず


しかん たざ
933どう書く?:2009/05/04(月) 21:44:03 ID:LU+tzqK6
>>927
宗教は、他力。
934Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/04(月) 21:44:14 ID:zkdrc2g9
正法眼蔵の中身を一言で言えば「生も死も自分の内にあるものだ」と書いてある
。人には量り知れない在り方がある中に、生という在り方もあれば死と言う在り
方もあると言うのが道元の考え方である

ほほう^^
935Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/04(月) 21:51:49 ID:zkdrc2g9
探しに行った自己も、探された自己も、ともに忘れ去られた状態、これこそが
「無」であり、「空」である。主観と客観が未分化な、主客未分の境涯である

これが、禅的な悟りの心であり、悟りの身体の位相である。これは、図像とし
ては、円相の中に何も無い状態で描かれる。「無の円相」である。道元のいう「
身心脱落」とか「即心是仏」とかは、こうした「身心」の位相である。
 このような道元の禅的身体論に対して、空海は密教的身体論を展開した。
それは「即身成仏」という身体論である。道元が13世紀の人であるのに対して
、空海は9世紀の人である。二人とも、当時の大文明国である中国に留学して
、空海はわが国に密教を導入し、道元は曹洞禅を持ち込んだ。二人とも日本の
天才的な仏教僧であるが、その思想と身体論は、180度ほども違う。
 というのは、道元がイメージを消す、無念無想の瞑想法としての坐禅を推奨
したのに対して、空海は阿字観や月輪観などの図像的イメージを豊富に用いる
ことを提唱したからである。瞑想とイメージないしヴィジュアリゼーション(
視覚化・視像化)に対する二人の考えと実践は、まるで正反対なのである。
 同じ仏教僧ではあっても、この正反対なまでの対照性をわたしは面白く思う
。イメージを消す坐法と、イメージをふんだんに活用する坐法の二つがあるの
だ。前者の禅の坐法は、道元が主張したように、釈迦本来の仏教の坐法に基づ
いている。それに対して、空海の提唱した密教の坐法と瞑想法は、ヨーガある
いはヒンズー教の坐法と瞑想法と共通する。チベット仏教も基本的に密教であ
るから、空海の提唱する坐法や瞑想法と同じタイプである。


ほほう^^
936Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/04(月) 21:56:29 ID:zkdrc2g9
空海はイメージを活用することによって自己を変身させようとする戦略をとった
。それに対して、道元はイメージを消し去ることによって自己をリセットし、あ
るいは初期化し、自己本来の面目に至ろうとしたのである。空海は自己身体を、
たとえば不動明王やその本体である大日如来一体化させるようなヴィジュアリ
ゼーションをフル活用した。衆生の身口意の三業を如来の身口意の三密に同化
させる瞑想法を身体技法と瞑想法の根幹にすえたのである。「三密加持すれば
速疾に現る」とは空海の主著『即身成仏論』の中の言葉である。
 空海は、その名のとおり、自己を空と海に、また宇宙大に拡大しようとした
。それに対して、道元は、その名のとおり、道の元に徹し、自己に対するあら
ゆる幻想を捨て去ることに専念し、自己を「無」に帰す道を辿った。この二人
の身体論と身体技法は、僧の身体を考える上で大きな指標となるであろう。

またまたほほう^^
937神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 21:56:37 ID:2wD+y1Vd
道元の「自己を習う」ってのは、
ソクラテスの「汝自身を知れ」と同じ意味だと思う。

ソクラテスは、知識の集積としての「知」ではなく、絶えざる自己吟味としての「知恵」(「善」や「美」と表現される)を重視したとされる。
常識や通念を鵜呑みにするのではなく、常に自分の中でそれらを捉えなおして反省を重ねてこそ、人間にとって最も大切な徳(アレテー)がわかるに違いないと考えたのである。
更に、正しく知ろうとする姿勢を持つことこそが、根本の徳に他ならないとの考えに至ることとなる。
ソクラテスは、滅びることのない魂こそが自分自身に他ならないと考え、魂をよりよいものにするためには、何をするにあたっても正しいやり方を知ることだと主張した(徳は知である)。
これは、デルフォイのアポロン神殿に掲げられていた「汝自身を知れ」との戒めの言葉にヒントを得たものとされる。またソクラテスは、徳を実践する者の人生は幸福であるとも主張した。
938どう書く?:2009/05/04(月) 21:57:25 ID:LU+tzqK6
ふくろう?

ホーホー
939Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/04(月) 21:58:42 ID:zkdrc2g9
ん?
道元は、その名のとおり、道の元に徹し、自己に対するあら
ゆる幻想を捨て去ることに専念し、自己を「無」に帰す道を辿った。

再三言ってきたことだが・・・
940どう書く?:2009/05/04(月) 21:59:13 ID:LU+tzqK6
>>937
求法ぐほう

じこをならう
941どう書く?:2009/05/04(月) 21:59:55 ID:LU+tzqK6
>>939

いま、へをこいたでしょう?
942Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/04(月) 22:02:30 ID:zkdrc2g9
結局道元の座禅でも悟りは得られるということだな・・・

それより・・・

いままで「仏教とは即身成仏である」と思っていたのは・・・
空海の思想だったのかな・・・
943Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/04(月) 22:03:46 ID:zkdrc2g9
>>941
( ^ω^)おっおっ
944Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/04(月) 22:06:25 ID:zkdrc2g9
あと50で終わるお^^
このスレはほとんどの人が見れなくなるから・・・
あんしんだおーー^^
おいらの役目も終わったお^^
あらゆるネットから探してきたが・・・
みんなありがとうね^
945神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 22:07:33 ID:2wD+y1Vd
空海は「即身成仏」
道元は「即心是仏」
946神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 22:10:27 ID:2wD+y1Vd
>>944
>おいらの役目も終わったお^^

ちょっと待て。1000までに悟りを開くんじゃなかったのか?
947Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/04(月) 22:11:33 ID:zkdrc2g9
道元は悟りを学ぶより実践しろ・・
そうすれば悟りが解ってくるから・・・
ということで・・・
おいらに言われてるみたいだお^^
こわいお^^

948どう書く?:2009/05/04(月) 22:11:44 ID:LU+tzqK6
>>945

> 道元は「即心是仏」

それ
黄檗禅師
949どう書く?:2009/05/04(月) 22:13:04 ID:LU+tzqK6
>>947
教室内を落ち着き無く歩き回る小学生・・・

教師は、言う。

ただ、坐れ!
950神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 22:13:06 ID:INPeLIwE
空であることを悟ると悟空だ
951どう書く?:2009/05/04(月) 22:13:59 ID:LU+tzqK6
>>950
だね
952どう書く?:2009/05/04(月) 22:15:32 ID:LU+tzqK6
>>947
> 道元は悟りを学ぶより実践しろ・・

それが、坐れ

実践と言っても、それくらいのこと
953Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/04(月) 22:16:00 ID:zkdrc2g9
修行自体が悟りか・・・

ということは・・・

おいらが1000までいってから・・・
修行をはじめれば・・・
悟りになるわけだ・・・^^

道元たん〜ありがとう^^なむなむ^^
954どう書く?:2009/05/04(月) 22:17:56 ID:LU+tzqK6
>>953
どうげん、きいてないおー という
955Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/04(月) 22:18:38 ID:zkdrc2g9
全て解決うまくいったお^^

これを円満解決という^^
956どう書く?:2009/05/04(月) 22:19:17 ID:LU+tzqK6
>>955
なんら、、、、、、
957神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 22:19:48 ID:2wD+y1Vd
即身成仏 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%B3%E8%BA%AB%E6%88%90%E4%BB%8F

即身成仏(そくしんじょうぶつ)は、仏教で人間がこの肉身のままで究極の悟りを開き、仏になることである。
主に天台宗・真言宗・日蓮宗・禅宗などで説かれる。

即身仏(修行者が生きたままミイラになること)と混同されがちであるが、即身成仏と即身仏とは全く別物である。

即身成仏を開くためには、日常生活の枠から逸する必要があり一定以上の修行が必要とされる。
時には比叡山の千日回峰行のように限りなく死に近接することもある。
これらの修行の面を重視したのが天台・真言など密教や山岳信仰の流れを汲む修験道である。
修験道では修験者(山伏)が白装束(古来の日本では死装束でもあった)を纏って修行するなど死を前提とした点での即身成仏と混同されやすい由縁もある。
背景には擬死再生の思想があり、山伏の籠もる深山は山中他界と観念されていたのである。
山伏は一種の他界から帰還する(=蘇る)ことによって超人的な力(法力)を獲得すると考えられ、平地民の間では天狗のイメージのように畏怖の対象ともなっていた。
禅宗の間でも只管打坐という修行が知られている。
958Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/04(月) 22:20:27 ID:zkdrc2g9
おつかれだお^^
かいさんだおーー^^
お休みだおだお^^
959どう書く?:2009/05/04(月) 22:20:42 ID:LU+tzqK6
>>957
かれは、エリート
960神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 22:23:59 ID:2wD+y1Vd
「即心是仏」という語を聞くと、無知な者は悟りを開いていない衆生の慮知・念覚そのままを仏と思う。この様な考えは、未だ正師に出会わないからその様な考えに陥るのだ。
印度の先尼(セーニャ;男性)という外道もそうだった。その見解は次の様なものだ。

「霊知は我々のこの身体の中に有り、その有様は容易に知ることが出来る。それは、苦・楽を区別し、冷・暖を認識し、痛み・かゆみを感ずる。
万物に影響されず、対象とは独立している。物は移り変わり、認識対象は生・滅すれども、霊知(アートマン)は常住・普遍である。
この霊知は誰もが持っている。凡人・聖者の区別も無い。若し空華と言う幻を認識していても、心に伴なう霊知が現れれば、物も・認識対象も生滅して、霊知の本性のみが輝く。
たとい身体が滅ぶとも、霊知は滅ぶこと無く、身体を出る。家が火災になった時、住人が避難するが如し。この明らかに存在する霊知(アートマン)は仏とも呼ばれ、悟りとも名付ける。
自他共に備えており、迷い・悟りの心を貫いている。霊知は対象と共に有るのではなく、物と同じではない。永遠に変化せず・常住である。
いま現れている諸対象も、霊知が存在するから真実として認識される。本性から縁起しているが故に、実在の存在の要素なり。実在ではあるが、永遠の存在ではない。生滅するのである。
霊知は明・暗に関わらず、物事を認識するので霊知と言う。又た真我とも言い、悟りの根源と言い、本性と言い、本体と呼ぶ。この様に本性を悟ることを永遠の存在に帰ったと言い、真実に帰った大いなる真人と言う。
この後は輪廻せず、不生・不滅の真実の海に悟り至る。この他には真実は無く、この本性が顕現しないならば、3界・6道を輪廻するのだ」。
これが先尼(セーニャ)という外道の教えだ。
961Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/04(月) 22:24:05 ID:zkdrc2g9
レスを残しとかないと・・・
即身成仏・・・
禅宗の間でも只管打坐という修行が知られている。

おいらの宗教観は即身成仏にあったのに・・・^^
962どう書く?:2009/05/04(月) 22:27:31 ID:TPIoVz/S
>>960
在り、と言ってるね。

さとりは、無我。

我は、無い。
963どう書く?:2009/05/04(月) 22:28:27 ID:TPIoVz/S
>>961

> おいらの宗教観は即身成仏にあったのに・・・^^

このスレで、学んだんだねー
964Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/04(月) 22:29:29 ID:zkdrc2g9
モハメド。。。アリ・・・
965神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 22:29:49 ID:2wD+y1Vd
所謂仏祖が保ち続けている即心是仏は、外道とか2乗の者達の夢にも見る処ではない。
仏祖から仏祖へ伝えられたものが唯1の即心是仏である。
それは、概念で解釈したり、知るべきことではなく、即ち行仏である。
つまり即心是仏は仏として、聞き・行じられ・証されるべき主体的・行動的な在り方だ。

仏は丈6の金身ではなく、草々(くさぐさ)だ。それを摘み又た捨て去る。その行持である。
「即」は即答を要求される公案だ。見性を待つのでなく、成功とか失敗も無い。修・証は1つだ。
「是」は、是(こ)れ3界だ。3界の外は無く、唯心でもない。
「心」は瓦礫である。土をこねて作るでもなく、作らぬでもない。
或るいは即心是仏を研究し、心即仏是を研究し、仏即是心を研究し、即心仏是を研究し、是仏心即を研究する。
是(か)くの如き連環の行持がまさしく即心是仏なり。

113.禅宗とは何か?(道元「正法眼蔵」の研究22.)「即心是仏」の巻き: 安岡明夫トップページ資料編 /ウェブリブログ
http://556iigon.at.webry.info/200711/article_27.html
966神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 22:30:28 ID:zkdrc2g9
>>963
づうぅうううううううううううううううううううううううううううううと昔だお^^
967Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/04(月) 22:33:27 ID:zkdrc2g9
禅宗・・この文を読む限りにおいては・・
何言ってるかわからないお^^
968Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/04(月) 22:34:54 ID:zkdrc2g9
修行しろ・・・修行しろ・・・

おそろしいお^^
969Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/04(月) 22:40:33 ID:zkdrc2g9
ほかのスレで遊んでくるお^^
970Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/04(月) 22:43:55 ID:zkdrc2g9
971神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 22:46:35 ID:difyKV40
また、会えるかな…
972神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 22:46:49 ID:2wD+y1Vd
結局このスレでは誰も悟れませんでした。ということは悟った。

次スレを立てるなら、サントリーとは何か・・・とかがいいかもな。
973Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/04(月) 22:52:49 ID:zkdrc2g9
96 :名無しさん@京都板じゃないよ:2008/11/08(土) 14:15:18
そもそも禅と仏教とは別物だったと聞いた事がある
974亭白:2009/05/04(月) 22:54:17 ID:Xn1oHcqG
>>593 :Φιλοσοφさん

臨死体験の実践された臨場感を感じます。貴重な経験されていますね。

ただ、光の世界はゼロ次元ではありません。たぶん天国に到るところのこの世とあの世の境

としてのまるい光のトンネルをご覧になったのでしょう。光のトンネルは四次元であります。
975Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/04(月) 22:56:27 ID:zkdrc2g9
976神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 23:03:04 ID:2wD+y1Vd
>Φιλοσοφ

いまさらだが、なんて読めばいいんだ?
977フリージャズ:2009/05/04(月) 23:08:33 ID:vmxyI1pz
地球に巨大隕石が衝突し、粉微塵になろうと〜!世界が業火に包まれようと〜!あ〜!「空間そのもの」にゃ、何の関係もありゃしねえ〜!来るのでもなく、去るでもない…なり。大乗経典「華厳経」なり。
978神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 23:09:05 ID:2wD+y1Vd
坐禅と見性第65章不二而二(ふににに)
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1239878351/l50

1 :神も仏も名無しさん:2009/04/16(木) 19:39:11 ID:mdISNASM
このスレの1章は、南予さんが建てたスレッドである。
禅は、来る者は拒まず、去る者は追わず、である。
スレの興隆は、時空のながれ。
遠くの山は、青く見え、旅に誘う。
あの青い山の向こうに、何があるのか。
白い雲は、山にかかると、さっと分かれて、又、元に戻り何事も無かった如く流れていく。
水も又、川面に顔を出している大石にあたると、さっと分かれてまた、もとの流れとなる。
行く雲、流れる水に、修行僧がたとえられるゆえんである。
縁があって、対話してきた各章のつらなり。
1000章が、つぎのステップである。
坐が坐のまま、真理、ダルマ、法である、われら。
公案に参禅。
979神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 23:11:53 ID:2wD+y1Vd
>>977
美輪明宏の「愛の賛歌」みたいだね。

高く青い空かが頭の上に落ちてきたって この大地が割れてひっくり返ったって
世界中のどんな重要な出来事だって どうってこたぁありゃしない
あなたのこの愛の前には 朝日が目覚めたときあなたの温かい掌の下で
あたしの体が愛にふるえている 毎朝が愛に満たされている
あたしにはそれだけで充分

もしあんたが望むんだったら この金髪だって染めるわ
もしあんたが望むんだったら どんな宝物だってお月様だって盗みにいくわ
もしあんたが望むんだったら 愛する祖国も友達もみんな裏切ってみせるわ
もしあんたが望むんだったら 人々に笑われたってあたしは平気
どんな恥ずかしいことだってやってのけるわ

そしてやがて時が訪れて 死があたしから
あんたを引き裂いたといってもそれも平気よ だってあたしも必ず死ぬんですもの
そして死んだ後でも二人は手に手を取って あのどこまでもどこまでも広がる真っ青な空 の
青の中に座って永遠の愛を誓い合うのよ
なんの問題もないあの広々としたあの空の中で そして神様もそういうあたし達を
永遠に祝福して下さるでしょう
980フリージャズ:2009/05/04(月) 23:14:09 ID:vmxyI1pz
空劫以前の消息…古仏の悟り…いずれも道元のオリジナリティーは感じられんなり。きゃつは華厳の影響を受けとるなり。しかし、中国華厳宗はインド華厳の霊性の根本義を忘却しているなり。道元、敗れたり!やるせねぇにゃ〜
981神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 23:25:22 ID:2wD+y1Vd
仏性についての考え方では天台宗が性具説を説き凡夫が次第に修行によって仏性に目覚めて行くと説くのに対し、
華厳宗では性起説を説き、もともと衆生には円満な仏性が備わっているとする。
鎌田茂雄はこの考え方が道元の仏性観、修行観(修証一味)に影響していると指摘している。
華厳宗の本尊は歴史上の仏を超えた絶対的な毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)と一体になっている。
菩薩の修行の階梯を説いた「十地品」、善財童子の遍歴を描いた「入法界品」などが有名。
東大寺の大仏も本経の教主・毘盧舎那仏である。
毘盧遮那とはサンスクリット語の「ヴァイローチャナ」の音訳。
史実の人物としてのゴータマ・シッダールタを超えた宇宙仏(法身仏)。
宇宙の真理をすべての人に照らし、悟りに導く仏。
982神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 23:25:22 ID:LrV1Gjc5
悟ると
世界の宗教の本質と、説こうとしてる真理が全てわかるよ。
なぜなら、みな一つのものを、伝えようとして努力した結果だから。
根は全て一つに帰結する。
違って見えるのは、悟りに達してないからだ。
真理を悟ったものでも間違いを起こすんだよ。
それが宗教だ。

そうじゃない人は、悟って、そしてこう思うんだ。

自分にできることなんて何も無い、と。
983Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/04(月) 23:30:40 ID:zkdrc2g9
223 :神も仏も名無しさん:2009/04/28(火) 23:56:12 ID:5a6+CE4x
悟りとは何か
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1240925943/l50

1 :Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/28(火) 22:39:03 ID:OhjeRnwh ?PLT(13230)
     ∧ ∧
    ( *‘ω‘*)
     (⊃\)_________
    ̄ ̄ v v.\           .|
          |            |
   .〜 〜〜 〜|〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
         悟り


2 :Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/28(火) 22:41:12 ID:OhjeRnwh ?PLT(13230)
このスレが1000になるまでに悟りをひらくお^^

http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1234456132/

なんぞこれぇええええええええええええええええええええええええw


984どう書く?:2009/05/04(月) 23:31:42 ID:rxl517ur
>>982
> 悟ると

仮定だね・・・
985Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/04(月) 23:34:20 ID:zkdrc2g9
>>984
次の悟り者はちみだお^^ 
頼んだお^^
986神も仏も名無しさん:2009/05/04(月) 23:36:54 ID:2wD+y1Vd
>>982
白隠禅師は生涯に大悟18回と言っていたらしいが、
悟りに終着点はないよ。
ひたすら修行し続け悟り続けるしかない。

♪人は誰でも幸せ探す旅人のようなもの
 希望の星にめぐり合うまで 歩き続けるだろう
 きっといつかは 君も出会うさ 青い小鳥に
987ダンシング・フラワー:2009/05/04(月) 23:37:30 ID:vmxyI1pz
というわけで、オーネット・コールマンは現代のヴィルシャナ仏なのだ!これでいいのだー!ハーモロディック理論はやはり「観音」なり、「華厳」なり。
988どう書く?:2009/05/04(月) 23:38:52 ID:rxl517ur
>>986

白隠禅師だからこそ、深化させていったんだね。
989ダンシング・フラワー:2009/05/04(月) 23:45:07 ID:vmxyI1pz
無限時間、無限エネルギー、無限空間は…分割不可能な極小に圧縮できること。そこから、膨張と収縮が果てしなく繰り返されるなり。それはお前なり。ひとつ以上の分子で結合された事物は分解されるけど、結合されざるものは分解不可能。よって無常の風も影響を及ぼさないなり。
990ダンシング・フラワー:2009/05/04(月) 23:46:13 ID:vmxyI1pz
そいつは「お前」なり。by華厳命
991神も仏も名無しさん:2009/05/05(火) 00:08:07 ID:bYwvaVw/
さぁ、いよいよ1000に近づいてきた
悟れたかなぁ
一気に埋めちゃおうかなぁ
992神も仏も名無しさん:2009/05/05(火) 00:11:55 ID:UBegQQ3N
453 :チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッたん ◆pottan7VXM :2009/05/04(月) 15:09:51 ID:Hvu4H1XT

定という名前の上座がいて、臨済をたずねて来て問う 「仏法の大意についてお伺いしたい。」

師は自分の座を降りてきて、定の胸倉をつかんだまま頬を張りとばしてそのまま突き放したが、
定はわけがわからずに呆然と立ち尽くした。

そばに控えていた僧に 「定上座、なぜ師に礼拝されないのか? 」 と言われ、 はっとして師に礼拝したその瞬間にこつ然と大悟した。


さとりとは何でございますか?
ここだ!パーンチ!ドリャッ!! o( ●゜ー゜●)=◯)`ν°)・;'.、ウゲッ!!



麻谷 (まよく) がやってきて、自分の座布団を敷いて臨済に問う 「十二面観音はどこが正面でしょうか? 」

師は自分の座を降りて来て、片手には麻谷の座布団を取り上げ、もう一方の手では麻谷の胸倉をつかんでこう言った 「ほーら、十二面観音はどこかへ行ってしまっただろ。」

麻谷はすばやく身をひるがえして師の座っていた座にすわろうとするが、師が棒を取ってこれを打とうとすると、麻谷はこれを手でうけとめ、
二人は互いにみ合いながら、師の居間のほうへごろごろと転がっていって、見えなくなってしまった。
993華厳命:2009/05/05(火) 00:22:10 ID:it1e2s5q
なぜか、今、俺の頭んなかで「千と千尋の神隠し」のテーマがリフレインしとる。千尋「すごい、ハク、神様みたい!」釜ジイ「わからんか?愛だ、愛」あ〜。千尋とハクが手をつないで空飛んで行く時のテーマ曲ね。う〜ん、せつない…
994神も仏も名無しさん:2009/05/05(火) 00:27:16 ID:bYwvaVw/
うんうん、泣けるねーあのシーンは
995神も仏も名無しさん:2009/05/05(火) 00:32:41 ID:UBegQQ3N
そういえば鬼束ちひろって今どうしてるんだろう。
996Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/05(火) 00:41:43 ID:QV0QrjQF
永遠とは時間が無限に続くことではなく、時間がなくなることである。
997どう書く?:2009/05/05(火) 00:43:48 ID:Af7LlTru
>>992

コピペしていただきましたが、どうかしましたか?
998Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/05(火) 00:44:09 ID:QV0QrjQF
意識は肉体という物質界の制約を受けているが、本来時間と空間の制約を超
えて思考したり想像したりできる特格を備えている。これは意識が何らかの
仕方で、時間と空間の分離を超えた量子の世界と関連していることを示唆し
ている。個人の意識は普遍的な宇宙意識を何らかの仕方で反映している可能
性があろう。肉体を離脱して、意識のみが臨死体験の世界に移行するのは、
このことと関連していよう

おっおっ^^
999どう書く?:2009/05/05(火) 00:44:43 ID:Af7LlTru
>>996
と言うことは、タイムイズマネーと?
1000Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/05(火) 00:44:57 ID:QV0QrjQF
悟りとは・・・
10011001
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。