A・スマナサーラ☆ヴィパッサナー瞑想法Part.4
1 :
神も仏も名無しさん:
スレ立て乙
3 :
神も仏も名無しさん:2007/10/10(水) 18:08:36 ID:9JsMqpKA
この瞑想で何がどう変わったか体験聞きたい。
4 :
神も仏も名無しさん:2007/10/10(水) 18:39:48 ID:MkQwXoUB
5 :
神も仏も名無しさん:2007/10/11(木) 00:11:02 ID:QN4dQt8P
スマ氏が「大乗はハリー・ポッターみたいなもの」と言ったという
その言動は聞き捨てならない。「大乗はオウム真理教だ」以来の
爆弾発言だ。
まず第一に、長老は映画『ハリー・ポッター』を観たのか。
長老が映画を観たとしたら、出家者の戒である、「歌舞音曲に親
しまないこと」に抵触する。長老は戒律を破ってまで大乗仏教を
否定したいのか。
第ニに、長老が『ハリー・ポッター』を観ていない場合。
なぜその映画を観ていないのに大乗仏教とその映画を比較する
ことができるのか。映画の周辺情報だけで映画の内容を憶測し、
その憶測でもって大乗仏教をそのように言い表していたとした
場合、それは正当な大乗仏教批判ではない。単なる揶揄である。
極めて次元の低い悪口であり、嘲笑である。
いわば2ch以下の意地悪虫である。
いずれにせよ、スマナサーラ氏は栄誉ある上座部仏教の長老の
名に値しない。早く日本での活動をやめてスリランカに帰れ。
自分の俗っぽさを潔く認めて還俗しろ。日本人にこれ以上上座部
を誤解させるな。
>>5 素朴な疑問なんだけど「ハリーポッター」って「歌舞音曲」なのか?
上座部の戒律によれば、出家者は映画、音楽など芸術全般
を自ら観たり聴いたり行ったりすることは禁じられている。
それがどんなに世間で評判の高い映画や音楽や演劇や絵画
などでもそうだ。世間と出世間とでは価値観が全く異なるから
それも当然。
チベット仏教のリンポチェの中には自分で映画を撮ってしまった
人もいるが、あれはチベット仏教が比較的戒律のゆるい大乗
だから。しかもチベット仏教の中でも最も戒律のゆるいニンマ派
のリンポチェだから。
ちなみに漏れは出家者でもないし、在家の戒律も受戒してないし
上座部原理主義者でもないから映画も観るし音楽も聴くよ。
ただ現代仏教全般をウォッチしてるだけの一個人にすぎません。
あしからず。
こんなところで罵ってないで
本人に直接言えば?
>>7 俺テラワダだけどジャズが好きでね
ハービーハンコックとウエインショーターの学会のビデオがあるっていうので
会社の学会員に聞いたら選挙入れてくれたらくれるって
投票所まで一緒に行ったのに未だにくれない(ホントの話だよ)
ほんとにほら吹きだと思った
10 :
神も仏も名無しさん:2007/10/11(木) 01:27:58 ID:kaHc+MH0
>>5 それ以前にスマ師は自分の著作で歌舞伎を観察している記述があるからもうアウト
上座部の信徒じゃないから戒を破るなとは言えないけど、破ってしまったなら
テーラワーダを名乗らないで新しいサンガを作った方がいいと思う
11 :
神も仏も名無しさん:2007/10/11(木) 01:36:51 ID:rU0BhUHI
>>5 ハリー・ポッターは映画だけでなく本も出ているのだが。
というか本の方が原作で、本の方が先に発売される。
12 :
5,7:2007/10/11(木) 03:47:58 ID:6mQCp3CI
>>8 協会の会員じゃないのでスマ氏に会う機会がないのと、
協会の掲示板は検閲が入ってスマ氏を批判する内容
の文章を投稿できないようになっているので、仕方なく
ここに書いてます。
13 :
5:2007/10/11(木) 04:22:06 ID:6mQCp3CI
>>11 映画じゃなくて本の方だとしても、「『ハリー・ポッター』を読む
上座部の長老」というイメージはやはり非現実的です。
『ハリー・ポッター』が『指輪物語』でも『ナルニア国物語』でも
『ゲド戦記』でも同じです。どれも仏教と関係のない子供向け
ファンタジーだからです。長老ともあろう者が、そんな本を手
に取るのでしょうか?
おそらくスマ氏は『ハリー・ポッター』の原作を読むこともなく、
映画を観ることもなく、TVやネットから断片的な情報を得て
いるだけなのではないかと私は思います。
日本人向けに分かりやすい話をしようとしているのかもしれ
ませんが、娯楽作品と大乗仏教を結び付けるあたりは愚の
骨頂です。
スマ氏こそ、真言宗等の大乗仏教教団に乗り込んで、
「大乗はハリポタです」
「密教はいんちきです」
と直接言うべきです。その勇気がないなら、自分の教団の
中だけで陰口みたいにひそひそ他宗教の悪口を言い続け
るのはやめるべきです。
信者を自分の教団に引き付けておくためにやっている行為
のようで、卑劣きわまりない。
会員でなくてもお寺か講演会に行ける地理の人なら、いくらでも本人に質問できますよ。
批判的であっても筋の通った意見であれば、見解を述べてくれると思います。
15 :
神も仏も名無しさん:2007/10/11(木) 16:58:00 ID:0eO45+ia
吊し上げは覚悟汁
16 :
神も仏も名無しさん:2007/10/11(木) 19:01:54 ID:kHZbQZ2x
以前、熱海の瞑想合宿に云った時、スマさんの部屋にはテレビがあって
アニメとか「笑っていいとも」とかやってたよ。
1階がスマさんの部屋で、2階が参加者の寝床。
スマさんの部屋のドアを開けると、2階までテレビの音が聞こえてたからよく覚えている。
その時はそんなものかと思っていたけど、上座部に、「歌舞音曲に親しまないこと」
ていう戒があるんだったら、抵触しないのかな?
まあ外国人にとっては、日本語を覚えたり、今の日本の世相や国際情勢を
知るにはTVは見ておいた方がいいんだろうけど、本来ならTVで娯楽番組を
見るなんてのは、上座部僧にふさわしくないな。ニュース番組くらいならまだ
許せるが。
スマさんの説法には芸能人や歌手も出てくるぞ。
話題になってる番組とか映画は確実に見てるはず。
歌謡曲や、芸能界の話題も詳しい。
芸能人になりたいのでは・・・
そのうちバンドはじめたりしてな。シャクソン5
>>18 スマは破戒僧決定。似非上座部仏教決定。
「スマの上座部仏教は大乗仏教のようなものだ」と言いたい。
そもそも民衆寄りに世俗化した仏教が大乗仏教なんだから。
スマはダライラマとではなくスマップとでも対談してろ。
22 :
神も仏も名無しさん:2007/10/12(金) 01:12:57 ID:E7ShbnYy
別に個人としてならこの程度の破戒が悪いとは思わないけど、そこは伝統を重んじる上座部の決まりだからね。
それに世俗を全否定してサンガという殻に籠もっていては僧侶の形をしたロボットしか出来ないと思うし。
まあ、伝統を守っていくにはその方がいいんだけどね。
ともあれ、スマ氏は原始仏教を骨組みにした全く新しい宗派を作ればいいと思うんだ。
23 :
神も仏も名無しさん:2007/10/12(金) 12:32:56 ID:5vWCGMX7
『歌舞音曲に親しんではならない』
これって中道に反しないか?
両極端どちらも外道、中道は正道とするならば
こういった戒律こそが外道だと思うんだが
放蕩(カオス)の対極に具足戒(ノモス)があると思う
古代中国戒律主義に反抗してできた孔子の道徳律が、結局信奉者たちによって戒律化され、
のちに国教になり形骸化したものが儒教なら、
仏教も儒教と同じ道を辿っているんじゃないか?
24 :
神も仏も名無しさん:2007/10/12(金) 14:07:34 ID:9tApUUKy
反しないんじゃないか。
在家でも布薩戒(八戒)を守る時には、音楽も聴かない様にする。
とはいえ、街を歩けば街頭放送から音楽が流れてくる。
店に入ってもだ。どうするか。出来るだけ聞かないようにする
テレビなどニュースのはしごだ。ドラマは見ない。
だが、次第にルーズになってくるよ。
上座部では、「歌舞音曲は情欲を増すからこれを自ら行わない」のだとさ。
「中道に反する」といえば「結婚してはならない」ことも中道に反しないか?
結婚して子供を育てるのは人間の自然な姿ではないか?それなら日本の
大乗仏教の方が中道においていい線行っていることになると思うが、必ず
しもそうとは限らないでしょう?不殺生だってそうだ。必要な時には自ら殺
して食うことを儀式化しているアイヌの方が中道ってことになるが、だから
といって自ら殺さない出家僧が仏教的な意味での中道においてアイヌより
劣っているということにはならないだろ?
出家したら独身を貫き通す上座部仏教の方が、仏教としては世界的に飛ぶ
鳥を落とす勢いで広まっているのは、出家者が戒律をきちんと守って仏教
本来の面目を保っているからだよ。出家したら結婚しないこと、芸術しない
こと、殺生しないこと、などなどは上座部の体系の中ではそれなりに理由が
あって定められている戒律だろう。
だから世俗の価値観からすれば「芸術しないこと」は中道に反するかのよう
に思われるが、出家の価値観からすればそうではないということだ。
(つづく)
(つづき)
上座部にはたくさんの戒律がある。出家者は在家者に頭を下げてはならな
い、後ろから声をかけられても振り向いてはならない、小便は立ってしては
ならない、外出するときは異性を直視しないように扇を持って歩く、金銭に
手を触れてはならない、午後は食事してはならないなど日常的に「そのくら
いいいじゃないか」とか、理不尽で不都合、厳しすぎるように思われるものも
多い。だからスマ氏や大乗仏教のように、あまり戒律にとらわれすぎないタイ
プの僧侶も出てくるのだろう。
しかし、戒律を守ることは上座部が上座部たるゆえんでもある。禁欲的な
戒律厳守の僧伽がなければ、それこそ仏教が形骸化してくると思う。葬式
仏教化した日本の仏教がいい例だ。葬式という儀礼も儒教の影響が色濃く
反映されていると思う。戒律があってなきに等しい日本仏教の方が、形骸化
し「儒教と同じ道を辿っている」と思う。
それでもなお、仏教の戒律厳守に疑問を感じるなら、仏教はやはりニヒリズ
ムではないかと疑ってみて、それに耐えられないと感じるなら仏教から離れて
他の宗教の価値観を学ぶなどして相対主義的に仏教を観察する視点を持つ
のがいいと思う。芸術を否定しない宗教は他にたくさんあるからな。
27 :
神も仏も名無しさん:2007/10/12(金) 14:50:56 ID:aduW92Zm
うーん。誰もニヒリズムとまでは言ってないけど、極端なストイシズムだとは思う。
『大道廃れて仁義あり』という感じがする。まあ、老子の考えと違って仏教はもともと性悪説だけどね。
具足戒が無いと伝統仏教としては腐っていくというのは同意する。仏教本来の活動より防腐効果の意味合いの方が強いんだろうと解釈してる。
だが、それでも釈迦の説いたことの道理が分かってればあえて戒律を守らずとも立派な仏になれると思う。
世俗に向き合いつつ、世俗に呑みこまれないよう闘うのが本来の仏教徒の在り方だと思う。
28 :
神も仏も名無しさん:2007/10/12(金) 15:35:49 ID:XTnThl8t
>釈迦の説いたことの道理が分かってればあえて戒律を守らずとも立派な仏になれると思う。
私もそう思うし、ブッダも、時代に応じて律を変更していいと言った。
しかし上座部は戒律を変更しないところに誇りをもっている。
上座部の僧ならば上座部の生き方をすべきでしょう。
戒律で押さえ込むというやり方はヴィパサナ的かな?
そんなことなら、なんのためのサティなのかわからなくなる。
悪い影響から逃げるのではなく、それをサティすることが大切
ではないのか?
出家してまで修行している僧侶でさえ、サティが出来ないのだ
ろうか?
戒律は釈迦が作ったものではなく、後の教団が作ったんだろ。
だから、このへんはサティをひたすら強調するクリスナムルティ
なんかのほうに好感を感じる。
31 :
神も仏も名無しさん:2007/10/12(金) 16:41:29 ID:XTnThl8t
>戒律は釈迦が作ったものではなく、後の教団が作ったんだろ。
戒律は釈迦が作ったものです。
だから上座部は、今でもそれを頑なに守るのです。
>『ハリー・ポッター』が『指輪物語』でも『ナルニア国物語』でも
>『ゲド戦記』でも同じです。どれも仏教と関係のない子供向け
>ファンタジーだからです。長老ともあろう者が、そんな本を手
>に取るのでしょうか?
映画版だって子供向けファンタジーだろ
長老ともあろう者が、そんな映画を観るのでしょうか?
ですから、映画を観たなら観たで長老らしからぬ行為だし、
観てないなら観てない映画に例えて大乗仏教を批判しよう
とするのは、誹謗中傷にも似た、きわめて次元の低い行為
であるというわけです。
前にインドのアショーカ・K・バンカーという人の「ラーマヤナ」を
ファンタジー小説にしたものを呼んだ
感想は「ロード オブ ザ リング」にすごく雰囲気が似ている
読んでるとヴィシュワーミトラなんかガンダルフにだぶる
法華経に羅刹の住む島に漂着し・・云々(ランカー島 スリランカの事)
という記述があるので あながち長老の「ハリーポッター」大乗仏教説は間違いではない
批判的 分析的 客観的に観るのは対象に親しんではいない なにも聴いたりみたりしてない
のと同じ
戒については瞑想修行に対するテクニカルな側面を完全に無視して論ずるのは間違い
たとえばインドのヨーギーは修行中は厳密に戒を守るが禅定に達すれば結婚する人も多い
>>33 長老の言いたいことはテーラワーダはこれのみ単独で成立するという事です
某在家仏教みたいに他の経は方便だとか やれ聖道門は難行だとかということが予め教義
に織り込みずみではない ただ比較という観点をもちだすと批判になるだけです
36 :
神も仏も名無しさん:2007/10/12(金) 23:36:02 ID:XTnThl8t
>>35 その批判の仕方が変だと言われているのです。
ハリーポッターを引き合いに出すのはおかしいでしょ。
芸能とかお笑いとかアニメとか見ているのも、上座部の僧侶としては、変でしょ。
ブッダは、決してそんな次元の低い他宗教批判はしなかった。
そもそも大乗仏教も存在しない原始仏教時代に釈尊が批判していたのは
バラモン教でしょ。
また、大乗仏教が「小乗」と呼び慣わして批判の対象にしていたのも、厳密
には部派仏教の中の説一切有部であって、上座部は直接の批判の対象
ではなかったのではないかと私は思います。その証拠に、大乗仏教は説一
切有部の法有我説を批判していますが、上座部は法有我説ではないでしょう?
そして説一切有部は今日存在しません。
大乗と上座部の対立は、あったとしても今日文献上に痕跡が残っているだけ
の、過去のできごとであり、仮想の、すでに終わったことなのではないでしょうか?
それをいまさら蒸し返そうとするのでしょうか?
そもそもパーリ三蔵のどこかに、徹底した大乗仏教批判の経や論があるの
ですか?スマ氏が大乗を批判しようとするとき、パーリの経や論を根拠にして
論理的にものを言っているのでしょうか?単なる感情論ではないでしょうか?
上座部の長老なら、TVや映画などでなくパーリ三蔵にもとづいた「法話」をして
ほしいものです。信者さんたちは、お金を払って大乗仏教の悪口を聴きに来て
いるのではなく、上座部仏教そのものについての話を聴きに来ているのです。
スマ氏の話を聞いてると、別に上座部と大乗との間に長い論争の歴史が
あってそれが思想史の一部だから必然的に大乗批判の話になるというより
は、単なる個人的逆恨みで大乗の悪口を言っているだけのような気がしま
す。
あるいは日本人に対して、上座部の徒である自分と、上座部の協会を偉く
見せたいがために、日本の仏教である大乗を必死で蔑もうとしているだけ。
私はスマ氏以外の上座部長老の話も聞きに行きましたが、ああいうふうに
嫌味ったらしい話をするのはスマ氏だけです。ちゃんとした上座部の長老
は普通、パーリ仏教に専念することが第一であって、大乗など他宗教の事
にいちいちかかずらわって生きていないと思います。
38 :
神も仏も名無しさん:2007/10/13(土) 07:05:32 ID:7biyripJ
同意
スマさんは大乗など他宗教を勉強してるんですよ。
それでみんなにわかりやすく説明するために比較したりするんじゃないのかな。
他宗教について知識のない他の僧侶が話題にできるわけがない。
40 :
神も仏も名無しさん:2007/10/13(土) 11:54:35 ID:UYI+SjTx
詐欺師が大きな顔で徘徊している方が不快なので
詐欺師の悪口など気にならんが・・・。
自分たち詐欺師の正体をばらされて面白くないんだよ。
41 :
神も仏も名無しさん:2007/10/13(土) 12:08:11 ID:+7Nzs2wr
他宗を批判するのは結構。
批判の内容や言動が、仏法からみて相応しくないと言われているだけ。
信頼している人が悪く言われると気分悪いのは分かるが、
謙虚に人の意見を聞く姿勢も大切じゃないかな。
>39 >40 の発言は、何となく人を見下しているように感じるが、
日本の上座部が、仏道から離れていかないことを祈る。
42 :
神も仏も名無しさん:2007/10/13(土) 13:07:37 ID:/0AJ9gfR
スマさんは大乗など他宗教を怨みをかえすため勉強してるんですよ。
それでみんなに曲解した説明するために比較したりするんじゃないのかな。
スマさんを批判する内容は、スマさんの言動が仏法からみて相応しくないと言われているだけ
でも、ああいう説明はよくわかるぞ。
宝島新書の般若心経の批判の本で、空とか無の意味がわかった。
44 :
神も仏も名無しさん:2007/10/13(土) 13:44:27 ID:D6yID26F
・・・怨み?
それこそ仏教精神に無いこと。
それになんか上座部が日本仏教にボコボコにされたことなんかあったか?
スマさん個人が性格が悪いのでルサンチマンを克服できていないということだ。
鈴木よりはまし
スマさんは大乗をファンタジーときって捨てるけど、ダライ・ラマや鈴木大拙の本読むと、かなり大乗って精緻な理論と深遠さがあると思える。
そうだよ。
大乗は子供騙しのファンタジーではないよ。
魔法の世界でもないし。空飛んだりモンスターと戦ったりしないだろ。
経典には誇張もあるかもしれないが、真の大乗実践者はそれを字面
通りに受け取って怪力乱神を語るものではないよ。
バカスマ。
49 :
神も仏も名無しさん:2007/10/14(日) 03:01:20 ID:I96qUEKa
大人騙しのファンタジーだったりして。w
字面通り実践できない経典に何の意味があるの?
「精緻な理論と深遠さ」で心が静まる?
大乗の実践って具体的に何?
>>50 経典通り100%実践なんて出来ないのは、大乗に限った事では無いと思いますが
それなら、ビジネス書でもマナー集でも無意味ですがな。
大乗で最も緻密なのは、チベット密教だと聞いています。ダライラマにでも聞いてください。
52 :
神も仏も名無しさん:2007/10/14(日) 07:19:13 ID:oee84OQn
>>50 否定ばかりではなにもできない
あなたにとって完璧な宗教の方法は何ですか?
53 :
神も仏も名無しさん:2007/10/14(日) 07:46:03 ID:pgMci6DL
>>46 もとスマのパトロン
スマもつれられてミャンマーに瞑想に行ったw
>字面通り実践できない経典に何の意味があるの?
「字面通り実践できない」とは誰もいっていないと思いますよ。
形而上的な表現で真理を表している部分について、字面どおり解釈するのは浅いってことでしょう。
>「精緻な理論と深遠さ」で心が静まる?
「精緻な理論と深遠さ」で心が静まるとは誰もいっていないと思いますよ。
長老が「科学ですよ」というのと同じ文脈です。
心が静まる瞑想や心のもち方や真理や智慧について、理論的な裏付けが緻密だということです。
しかし「心が静まる」ことになぜ執着するのですか?
大切なことだとは思うけれど、心を静めるのが仏教の目的ではないでしょう。
それが主目的なら鎮静剤でもお打ちになればよい。
>大乗の実践って具体的に何?
世の中、人に頼る前に自分で調べてから聞けって種類の質問がありますよ。
55 :
神も仏も名無しさん:2007/10/14(日) 09:41:13 ID:zLs3azoj
一応大乗の実践を書いておくと
六波羅蜜
1)布施 2)持戒:3)忍辱:4)精進:5)禅定
という5つの波羅蜜を通じて
6)般若波羅蜜という智慧の完成、即ち悟りに至る
ブッダの考えと、そんなに離れていないと思うぞ。
56 :
神も仏も名無しさん:2007/10/14(日) 09:51:42 ID:zLs3azoj
>>43 宝島新書の般若心経の批判の本で、空とか無の意味がわかった。
それは良かったね。その本は読んだことないけど、
正しく空の概念を分かりやすく説明しているのなら、いいことだ。
でも私は別のところで、スマ氏の般若心経批判を読んだが、批判が的外れだったよ。
考えられるのは、
1.スマ氏は般若心経を正しく理解していない
2.大乗を批判するために、わざと般若心経を間違って解釈している
スマ氏の学的能力からすれば、たぶん 2. だと思うけど。
57 :
神も仏も名無しさん:2007/10/14(日) 11:10:20 ID:c4+N/OI4
世の中には経典読んだだけで100%実践できる超人もいるらしいぞw
>>56 しかし、他の人(大乗の人とか)との対談のなかでも般若
心経批判しているけど、反論してる人はいない。
説得的だからじゃないの?
これだけ批判されているのに、誰一人として反論の本を
出す人がいないのは、スマ氏の般若心経批判が完璧な
ため反論出来ないんだと思う。
パーリ語仏典で訓練してきた実践者と漢訳仏典しか知らないひとじゃ議論にならないからな
60 :
神も仏も名無しさん:2007/10/14(日) 13:09:31 ID:LKuo7rk0
もう隔離スレ作れよ
61 :
神も仏も名無しさん:2007/10/14(日) 13:34:45 ID:zLs3azoj
>>58 誰と対談したの?
私が知っているのは、禅宗の作家くらいだけど。
作家を論理でねじ伏せても仕方ないでしょう。
ちゃんとした大乗の学僧と対談したことあるの?
スマ氏は学問系なんだから、相手も学問系でないと話にならんでしょ。
それと、議論で相手を説得することと、正しいこととは違う。
昔、オウムに上祐というのがいて、メチャクチャなこと言ってたけど
それでも彼を論理的に説得することはできなかったし、逆に説得されてただろう。
スマ氏もレトリックや論理の組み立てがうまいから、議論には強いと思う。
62 :
神も仏も名無しさん:2007/10/14(日) 13:47:22 ID:zLs3azoj
>>58 >これだけ批判されているのに、誰一人として反論の本を出す人がいないのは
これだけ て どんだけ〜 ?
そんなに批判ばっかりしているの?
ちなみに、どこの出版社が出してくれるの?
出版社があれば出す人いると思うよ。
でも反論なんて数ページで終わるから、それだけだと本にならないでしょ。
出版じゃなくてもいいじゃない。まちがってると思えばwebでもなんでも発表する手段はある。
一口に大乗?禅とその他はわけるべき
そうそう一括りに大乗って言ってるけど
だいたい鎌倉発在家仏教風ファシズム団体(s学会 s会 k会)は
大乗を名乗ってはならない
密教と禅と浄土教とカルト宗教は分けましょう。
67 :
神も仏も名無しさん:2007/10/14(日) 20:16:04 ID:xvHKe0zI
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E4%B9%97%E4%BB%8F%E6%95%99 大乗仏教(だいじょうぶっきょう、Mah?y?na Buddhism)は、
伝統的に、ユーラシア大陸の中央部から東部にかけて信仰されてきた
仏教の分派のひとつ。自身の成仏を求めるにあたって、
まず苦の中にある全ての生き物たち(一切衆生)を救いたいという心(⇒菩提心)
を起こすことを条件とし、この「利他行」の精神を大乗仏教と上座部仏教
(=部派仏教、俗称「小乗仏教」)とを区別する指標とする。
大乗(大きな乗り物)という語は、磐若経で初めて見られ、
一般に大乗仏教運動は般若経を編纂護持する教団が中心となって
興起したものと考えられている。般若経典の内容から、声聞の教え、
すなわち上座部仏教の中で特に当時勢力を誇った説一切有部を指して
大乗仏教側から小乗仏教と呼んだと考えられているが、
必ずしもはっきりしたことは分かっていない。なお思想的には、
大乗の教えは釈迦如来入滅の約700年後に龍樹(ナーガールジュナ)ら
によって理論付けされたとされる
68 :
神も仏も名無しさん:2007/10/15(月) 08:32:13 ID:wABvFcRD
>>56 どの部分がどう間違ってるかをかけないのなら、
「読んでませんね」といわれますよ。
実際読んだことがないのでしょうが、長老の本も、大乗経典も、般若心経も。
長老は、信者が一緒になって大乗批判していることは知ってるのかなぁ?
それについては、何とも思わないのだろうか?
長老は仏教の専門家だし、上座部の僧侶としての意見もあるだろうけど
尻馬に乗ってる人は、大乗や日本仏教に対する不満や怒りに火がついてるだけだと思うんだけど・・。
長老の意図がどこにあるかは知らないけど、批判を一緒になってしている人は
結果的に焚きつけられてると思うんだけど、違う?
日本ではほとんだ知られていない上座部仏教を語ること自体が、
日本の仏教に対する批判になるわけで、それはもうしかたない
だろ。
明らかに攻撃入ってない?
仕方ない範囲とはとても思えないんだけど。
72 :
神も仏も名無しさん:2007/10/15(月) 18:26:37 ID:VoMFla0G
ただ上座部仏教を説くだけなら、大乗批判にはならないよ。
スマナサーラ以外のまともな長老の法話を聞いてみるがいい。
大乗に対して余計な悪口言わないから何も問題ないだろ?
大乗の悪口言うのは、上座部仏教としては愚かな行き方だと思う。
日本の大乗を撲滅するのが目的ってわけでもないのなら、
的外れな悪口を言うのはもう止めて、自分らの宗教に専念すべきである。
そして日本において大乗と共存することによって、大乗に自然と
影響を与えられるようになればいいのである。
大乗の悪口言うのは、上座部そのものの伝統ではなくて、スマナサーラ
個人の習慣。知れ協会員。
海外のあやしげな和食レストランでとんでもないものくわされたら「こんなの日本料理じゃない」て怒るだろ
同じだよ
74 :
神も仏も名無しさん:2007/10/15(月) 19:29:24 ID:oILVfaql
>>63 出版じゃなくてもいいじゃない。まちがってると思えばwebでもなんでも発表する手段はある。
その通りですね。でもそれは実現しないでしょう。
なぜなら、学のある大乗仏教徒や学者は、そういう本を読まないから。
世の中には般若心経の本があふれかえっていますから、普通いちいち読まないです。
仮に、たまたま読んだとしても、やはりいちいち非難したりしないでしょう。
例えば、寂聴さんというわりと有名な僧(女流作家)がいますが、彼女の般若心経論は
はっきり言って仏教学的に言えば、いろいろ問題があります。
でも、どこかの教団が、それを糾明したり非難したりという話はききません。
いい悪いは別にして、日本の伝統的な教団は、いちいち他宗の人の非難をしないのです。
でも、出版社が、こういう内容で書いてくださいと頼めば、書く人はいるでしょう。
もっといいのは、スマ氏が日本の学会に学術論文として出すことです。
学術論文なら学のある人が見ますから、議論したければ議論できるでしょう。
75 :
神も仏も名無しさん:2007/10/15(月) 20:06:07 ID:oILVfaql
>>68 どの部分がどう間違ってるかをかけないのなら、「読んでませんね」といわれますよ。
宝島新書の般若心経の批判の本は、読んだことないし、他で読んだ般若心経批判も、以前ちょっと読んだだけで
手元にないし、正確な記述が分からないから、確かなことが書けない。
なので、不正確だけど、何を的外れと思ったかというと
「般若心経のある句が、論理的に成り立たない」というような批判だったわけ。
変だと思わない?
般若心経て論理学の書じゃないでしょ。というか、実はお経でもない。
原文は、「般若波羅蜜多心」と書いてあるだけで、経とは書いていない。
だから経ではなくて、陀羅尼のようなもの、もう少し言えば、瞑想のツールとして唱えられてきたもの。
よく般若心経を読んでも意味が分からないという人がいるが、そんなの当たりまえで、
あれは分かるように解説した文章ではないから。
論理の飛躍、論理の前提の省略は当然のことで、そうでなければ240字くらいに収められない。
長々と解説したら、瞑想のツールにならないからね。
行間を読み取って、その意味するところから批判するなら分かるのだけれど
字面の形式的な論理だけで批判してたから、的外れだと思ったわけ。
そんな批判しても、「般若心経はそういう意図で書かれていません」て言われたら、話は平行線。
万葉集を読んで、それ論理的に間違っていると言っているようなもんだなと思ったわけ。
もっともサンスクリットに詳しい人に言わせると、原文は形式論理的にも問題ないらしいけど
私はサンスクリットには詳しくないから、その真偽はよく分からない。
論理的でないことを理解することは難しい。呪文だから書いてあるとおりに信じろといわれたところで
たぶんそれはなにごとも自分自身で確かめたこと以外は信じるなという本来の仏教ではなくなってる。
世の中には般若心経を瞑想のツールとしてではなく仏教のエッセンスを凝縮したものと考えてるひとも
いるので、そうしたひとたちへの警句としてならスマさんの批判は有効と考えるということでよろしいか?
>>72 そうでもないみたいだよ
プラプロム・クナーポン(パユットー)の「仏法」の冒頭に
「大乗の経典は単にパーリ語経典に簡潔に述べられた内容を詳細に
説明したものに過ぎない」と書いてあった
原因は日本の坊主の社会的地位の低さじゃないかな?
「頭丸めて坊主にでもなれ」って言ったら純粋な悪口だもんね
他にも時代劇見てたら権力闘争に敗れて出家させられるとか
日本最大の在家仏教団体はご近所や職場親類間では変人扱いだし
マイナスイメージの塊だもんね
それで実際他人から「小乗」と揶揄されたこともあって長老はトラウマに
なってしまった(笑)
78 :
神も仏も名無しさん:2007/10/15(月) 20:49:41 ID:oILVfaql
76>>
誤解があるといけないので、念のためかいておきますが、「呪文だから書いてあるとおりに信じろ」とは言ってませんよ。
『大般若経』とか『説一切有部』という部派仏教とか、そういう前提を知らなければ、般若心経だけ読んでも意味は分からないというだけです。
ただ意味は知らなくても瞑想のツールとして使えないことはない。
ダライラマは、意味も分からず心経を唱えても無意味だと言ってたと思うけど。
そういう背景や前提を分かっている人からすれば、心経は般若経のエッセンスを凝縮したものともいえますね。
仏教のエッセンスというと言い過ぎな気がする。
でも空海みたいに言葉の意味をどんどん膨らませる人だと、仏教のエッセンスと言えなくないかな。
般若心経を誤解している人への警句なのかもしれないけど、申しわけないが
宝島の本を読んでないので、あまりとやかく言えない。
たぶんその本は警句として役立つのでしょう。
79 :
神も仏も名無しさん:2007/10/15(月) 21:17:22 ID:wABvFcRD
どうして読んでないのに批判だけしてるのでしょうか。
読んでないから意味を勘違いしてるのは、明らかにあなたのほうなのに。
>>75 長老は何かを語るときは物凄い勉強をしてますよ。大乗経典の用語だってちゃんと知ってる。
>宝島新書の般若心経の批判の本は、読んだことないし、他で読んだ般若心経批判も、以前ちょっと読んだだけで
>手元にないし、正確な記述が分からないから、確かなことが書けない。
80 :
神も仏も名無しさん:2007/10/15(月) 21:39:48 ID:oILVfaql
79>>
いや申しわけない。
書きたくはなかったんだが、
>>68 どの部分がどう間違ってるかをかけないのなら、「読んでませんね」といわれますよ。
言われたので、何を的外れと思ったのか書いただけ。
>>78 の文章は
>>76 で そうしたひとたちへの警句としてならスマさんの批判は有効と考えるということでよろしいか?
と聞かれたので、読んでないから分からないと答えただけ。
>>長老は何かを語るときは物凄い勉強をしてますよ。大乗経典の用語だってちゃんと知ってる。
私もそう思います。だから、こんな批判しなくてもいいのになと思ったわけ。
宝島の本は読んでないから、その本に関しては批判はしていない。
宝島の本にはしっかりした論理的な批判がしてあるのかもしれないので、
「たぶんその本は警句として役立つのでしょう」と書いた。
私何か間違ってますか?
81 :
神も仏も名無しさん:2007/10/15(月) 22:27:08 ID:xBA/p32M
スマは色即是空は真実だが、空即是色は蛇足とか言ってたな
「人間は皆死ぬ」これは其のとおり
じゃあ「死ぬものは皆人間」といえるか?
言えないでしょう?
ということらしい
ゲンユウソウキュウ氏との対談本「仏弟子の世間話」
ちなみにテーラワーダは在家否定かというと
(二)学識があり、よき修習を受けて大胆で、勧行により安穏なる
法を達成し、法を説いて真の成果をみせることができ、生じる論争
(矛盾する教義、他派の議論、あるいは型破りな教え)を制圧して
法の原理に従い正しく収めることのできる長老の声聞があり、さらに
同様の能力がある中位、新参の比丘声聞があること
(四)同様の能力があり、梵行と欲楽とを共に感受する在家の優婆塞があること
(五)同様の能力があり、梵行と欲楽とを共に感受する在家の優婆夷があること
在家の優婆夷を欠くだけでも、梵行は確固として成し遂げられ
完成したとは言えない (長部波梨篇 清浄経)
ということらしい
83 :
神も仏も名無しさん:2007/10/15(月) 22:50:29 ID:xcCd92Yb
>>75 行間を読むということ自体が、上座部から言わせるとおかしいのでは?
経律論、いや、経と律だけでもなかなかの量がある上座部において、
ブッダは語るべきことは全て語ったわけだ。
そのうえ論も作られた。
行間を読むも何も修行者のために一言も漏らすことなく懇切丁寧に
ブッダと後代の長老たちが
語り書いてきたのに、そのうえ行間を読むなどという面倒なことはしなくても良い。
そんな必要があるなら、それこそが後世のインチキ創作である証拠だ。
というような主張も成り立ちそうだな。
84 :
神も仏も名無しさん:2007/10/15(月) 23:02:56 ID:3lu2zQgn
>>77 「大乗の経典は単にパーリ語経典に簡潔に述べられた内容を詳細に
説明したものに過ぎない」
と言われるのなら話は分かる。
その説明なら、大乗仏教を一概に否定するのではなく、大乗仏教と
上座部仏教との関係についての見解を述べているものとして納得
できる。上座部仏教と大乗仏教との関係についての説明として、
パーリ聖典の優位性を主張すると同時に、大乗経典に対する敬意
も払っている。決して悪口に陥らない、見事な見解の言葉だと思う。
それに対して、
「大乗はハリー・ポッターのようなものだ」
これは駄目だ。伝統宗教と大衆文化という、次元の異なるふたつ
のものを無理やり比較しようとする、愚かな発言であり、根拠のない
単なる悪口である。その根底には悪しき心が潜んでいる。つまり、
大乗に対する根深い憎悪が、スマ氏をしてかくも愚昧な発言を吐か
せるのだ。これは彼の背負った悪業であり、心の病であると言って
よい。このような、悟りからはほど遠い卑劣な人格の持ち主を、宗教
指導者として尊敬する気にはなれない。ちょっとぐらい頭がよくても、
肝心の心が歪んでいては失格なのだ。
85 :
神も仏も名無しさん:2007/10/15(月) 23:04:00 ID:iMlvfxRx
>>76 たぶんそれはなにごとも自分自身で確かめたこと以外は信じるなという本来の仏教ではなくなってる。
輪廻はあなた自身が確かめたの?ねぇねぇ。
それとも、長老が言ったから?
答えろよ?
おれ輪廻信じてないよ 長老がいうからもしかしたらそうかもとは思ってる
瞑想はじめてから、人の悪意なんて気にならないけどね
ニガンタ「居士よ。あなたはゴータマを信じるか?無尋無伺の三昧はあるか
尋伺の滅尽はあるか」と
チッタ「私は世尊に対して無尋無伺の三昧はあるか、尋伺の滅尽はあるか
について、信じるかどうか固執していない。私は望めば、たちまち
初禅に入る・・第二禅に入る・・第三禅に入る・・第四禅に入る
私はこのように知って(体験して)いる
だから私はこれについてゴータマを信じるかどうか固執しない
(相応部六処篇)
ということらしい
89 :
神も仏も名無しさん:2007/10/16(火) 05:49:15 ID:Y7JM7jlN
>>75 長老の本を読んでないだけならともかく、般若心経もしらないくせに、
よくこれだけの長文を書けちゃいますよね。
90 :
神も仏も名無しさん:2007/10/16(火) 06:21:35 ID:6roVg7bD
>>75 佐倉哲エッセイ集というサイトに、「仏教について」という項目があり
そこに仏教思想のロジカルな面について丁寧な解説が載っています。
特に「縁起」、「無我(非我)」、「空」についての論理的な理解は、
般若心経に限らず、仏教全体を理解するのに大変役立ちます。
それが仏教思想のエンジン部分だからです。
幹を把握すれば、枝葉を理解するのは容易になります。
92 :
神も仏も名無しさん:2007/10/16(火) 20:03:44 ID:SrOArotV
>>90 サイトの紹介ありがとうございます。
でも、なぜか仏教のページだけ開けないですね。更新中かな?
私は仏教のロジカルな部分がとても好きです。
書き方が悪くて誤解させているかもしれませんが、私は般若心経が非論理的だといっているわけではありません。
ただ、書いていないことが多いだけです。
例えば、「無眼耳鼻舌身意」ときいて、「眼が無いんだったら、どうやって物を見るんだ?」
という人はいません。
ここは、生物学的な話をしているのではないことは、誰の眼にも明らかだからです。
でも、何を前提に「無眼耳鼻舌身意」と言っているのかは、心経自体には書いていない。
だから、心経だけ読んでも分からないのですが、そこを分かって心経を読めば、充分論理的です。
93 :
神も仏も名無しさん:2007/10/16(火) 20:07:17 ID:SrOArotV
>>81 スマは色即是空は真実だが、空即是色は蛇足とか言ってたな
ありがとうございます。この部分ですね。
これは反論ありませんね。ここはそういう解釈もできます。
この部分は、サンスクリット原典自体が、文法的に変な文になっています。
だからいろんな人が、いろんな解釈をしています。
しかもサンスクリットでは、3フレーズあるのが、漢語では、2フレーズに省略されています。
でも、原典も漢語も、どうとでも取れる言葉なので、どのフレーズを省略して2フレーズにしたのか、
これも諸説あります。
だから空即是色は蛇足と言われたら、そういう解釈も成り立ちますね としか言えない。
ただ、たぶん大乗仏教徒で般若心経を毎日唱えている人は、蛇足という解釈は採用しないでしょうね。
上座部のスマ氏にとっては、般若心経なんて元々どうでもいいものですし、
上座部の経典に照らし合わせれば、色即是空は合ってるが、空即是色は成り立たないということでしょう。
それはそれで構わないと思います。
94 :
神も仏も名無しさん:2007/10/16(火) 21:29:42 ID:Y7JM7jlN
伝聞の伝聞でコメントしてるんですか。
まあ仏典自体が伝聞だしw
「怒りについて」 読みました
冒頭の方で、仏教では、キリスト教と違って、心の浮き沈みを悪魔のように人格的に表現しないという表現が有りましたが
仏教でも悪魔も梵天も立てますよね。 増谷氏は悪魔も梵天も、仏陀の悟りにまつわる心の浮き沈みを悪魔・梵天を
利用して文学的に表現したんだという事ですが、結局聖書と同じ事やってると思うのですが
ああいうスマ氏の適当に言っている所が理解できません。一気に信憑性が無くなり読む気が失せました
97 :
神も仏も名無しさん:2007/10/17(水) 00:34:15 ID:Ru8yyOLf
そんな理屈はスマナサーラには通用しない。
独善だから。
98 :
神も仏も名無しさん:2007/10/17(水) 00:46:08 ID:p6bVN7dA
>>96 岩波文庫から中村元訳「ブッダ 神々との対話」「ブッダ 悪魔との対話」
ってのが出てるじゃん。あれはパーリ語が原典だよな。
スマの仏教が「初期仏教」(釈尊直伝)ではなくて「上座部仏教」(長老の
見解入り)であるいい証拠。
99 :
神も仏も名無しさん:2007/10/17(水) 00:51:18 ID:Ru8yyOLf
梵天?悪魔?お釈迦様のおっしゃることはハリー・ポッターですよw
ハリー・ポッター大好き。
101 :
神も仏も名無しさん:2007/10/17(水) 13:38:18 ID:D3WI6+hZ
102 :
神も仏も名無しさん:2007/10/17(水) 20:15:37 ID:QZgKtLSL
>>98 そんなのあたりまえだろ。初期仏教は、2500年前にしか存在しない。
時間がたてば、どんな存在、どんな団体だろうが変質するものだ。
103 :
神も仏も名無しさん:2007/10/17(水) 21:04:05 ID:Ru8yyOLf
だそうですよ。長老。
104 :
神も仏も名無しさん:2007/10/18(木) 10:50:41 ID:Rw2/EBnb
スマ氏の「死後はどうなるの?」より、玄侑氏の「死んだらどうなるの?」の方が面白かった
玄侑氏は他教や科学にも偏見無いし、戒律が緩い分思考停止のない大乗仏教だからこそ書けることもあると思った
105 :
神も仏も名無しさん:2007/10/18(木) 14:16:42 ID:bBcjFL1q
玄有氏は松原泰道の弟子だったんだってね。
松原泰道氏の本は好きだ。
日常的な視点で語るから、長老や仏教学者のようなアカデミックな評価はされないけど、
見識も深く経験もあり、なにより謙虚で腰が低い。
これぞ僧侶だって気がする。
106 :
神も仏も名無しさん:2007/10/18(木) 14:55:48 ID:toAUNK1F
松原泰道「いま、ここ、じぶん」
107 :
神も仏も名無しさん:2007/10/18(木) 18:48:47 ID:sdT2qS6+
大乗仏教が戒律がゆるいとか思考停止がないとか勘違いもはなはだしい。
結局大乗仏教のことすら知らないで大乗仏教と比べてるわけでしょ。
108 :
神も仏も名無しさん:2007/10/18(木) 18:51:57 ID:3sruccfv
妻帯してるだけで戒律もなにもあったもんじゃない。
109 :
神も仏も名無しさん:2007/10/18(木) 20:59:38 ID:YkzqJIgH
大乗仏教が上座部仏教と比べて戒律がゆるいのは確かだよ。
ただし上座部仏教だって完全に戒律を守るのは至難の業だろう
けどね。スマ氏は他の長老から「破戒僧」と呼ばれてるそうな。
どういう次元の「思考停止」なのか分からないけど、大乗仏教だっ
て修行で「思考停止」を経験することはあると思うよ。日本のでも
チベットのでも。
>>101 その本はいい本だけど極論もある。山田無文の弟子のようだが理論的洗練
や人格面で山田より遥かに優れている。
111 :
神も仏も名無しさん:2007/10/18(木) 21:05:23 ID:I04nF0j4
見識も深く経験もあり、なにより謙虚で腰が低い僧侶コスプレ詐欺師なんか
いらん。
112 :
神も仏も名無しさん:2007/10/18(木) 21:06:34 ID:1hN+P281
113 :
神も仏も名無しさん:2007/10/18(木) 22:08:47 ID:Pb+GF7aQ
大乗は勝義諦において輪廻を認めないよね。
小乗と呼ばれた説一切有部も輪廻は認めない。
チベット仏教も勝義諦では無霊魂、輪廻なし。
お釈迦さんは本当に輪廻を説いたのだろうか。
スマさんや所構わず毒を吐き散らす寺男はなぜあん
なに輪廻に固執するのかまったく理解できない。
まるで輪廻がなければ戒律を守った果報が得られ
ない。せっかく先行投資したのにって感じ。
それに徹底して平等を説いたブッダが罪をおかす
対象で罪業の格付けをしたのは矛盾している。
曰く父殺しは地獄行き。聖者に石を投げたら地獄行き・・・。
恐らく後世の付加でしょう。共同体維持の優先でしょう。
ブッダが輪廻を説いたとして現存の経典のように説いたとは思えない。
最も教団実権者の恣意が働きそうな箇所だから。
114 :
神も仏も名無しさん:2007/10/19(金) 00:58:01 ID:YoWzy7+E
スッタニパータでさえ、後世の「隠遁派」の思想が強いって話だしな。
お釈迦様が輪廻を説いたかどうかはどうでもいいんでは
何様だろうと誰にも証明できない形而上のことあるないと断言したら間違い
116 :
神も仏も名無しさん:2007/10/19(金) 01:24:02 ID:YoWzy7+E
長老はきわめて原理主義的に解釈する。
大乗の仏教徒だって菩薩を形而上的に解釈してるだろうに、長老は原理主義的にとらえて「実在しないんですよ」
みんな知ってるって。
>>115 どこで断言されてるの?具体的にはどこを指してるの?
誰が断言してるの?このスレの住人?
俺が知ってる仏教者で<ほぼ>断言してるのはテーラワーダ一派。
日本の学者はブッダの言説の考証から「ないだろう」と言ってるぐらいで
断定はしていない。
テーラワーダが否定する竜樹も論理的には「ないだろう」と言ってるだけだし。
いずれにしてもブッダの教えの観点からはという条件付きだ。
>何様だろうと誰にも証明できない形而上のことあるないと断言したら間違い
それじゃあ、どうやって『誰にも証明できない形而上のこと』が前提できるわけ?
『あるないと断言したら間違い』ってのはこれは一種の判断でしょ。だからこれは
実は語りえないことを語っているわけだ。
>>116 大乗の人間ではないが
>長老は原理主義的にとらえて「実在しないんですよ」
これは具体的にどういう意味?テーラワーダも本当は輪廻は認めていないの?
長老の本よく拝読するんだけどあれは方便なの?
スマナサーラ長老の書籍を買いあさっているうちに、
「これさえ実践できればお坊さんになれる」という感じがして、
自分も僧になりたい。とも思った。
けど、自分の家を守らなくちゃならない。とも思っているので出家は避けたいと思っている。
スマナサーラ長老が支持している上座部仏教と自分の家で信仰している仏教(真宗大谷派)
信じて修行してお坊さんになるにはどちらがいいだろうか?
私は理想論だが、こう思っている。
真宗大谷派は問法説法のためお釈迦様のための知識が大量に必要だ。
で、問法説法に説得力をつけるために上座部仏教の修行を行いつつ大谷派で活動を行なう。
二派の仏教を信じる本末転倒な結果だが、これが一番最良ではないか?
皆さんどう思いますか?
もう一つ質問。
今は末法の世と言われていて、仏教の教えがうまく伝わらないと言われているが、
末法の世が過ぎたら次は滅法の世になる。
私個人としてはこれは避けたいと思っているのだが、
スマナサーラ長老や仏教関係者は智慧を結集して
避ける方法を考えているのだろうか?
せめて像法の世くらいが永遠に続いて欲しい。正法の世になってもよい。
そもそも末法の世になってしまったのは何が原因だろうか?
121 :
神も仏も名無しさん:2007/10/19(金) 02:16:12 ID:Lz57pySj
昔と今を単純に比べることは出来ないが今が末法だなんてとても思えない。
端的に言って、昔の時代の方が良いなんて思えない。
それに世間の荒廃を見て出家するなんて、視野狭窄。自分は安閑とした中
にいて人を救うことなんて出来ないのは先人が証明している。
テーラワーダ仏教は出家主義かもしれないけど、簡単には出家を認めてくれないとおもうよ。
>>119 神社仏閣板に浄土宗僧侶でテラワダ信者のけちゃっぷさんという
君と同じような人がいるので その人に聞いてみたら
>>123 ありがとうございます。
…でもその人かなり有名人ですね。スレタイに上がっているほど。
とりあえず、先の質問をそのスレに書き込めばいいわけだ。
スレ自体は結構難しい事書いてあるので読んでからにしなくちゃ…
125 :
神も仏も名無しさん:2007/10/19(金) 09:56:40 ID:Md2p5YdL
難しい事が書いてあるのならじっくり腰を据えて、時間をかけて調べながら
読むべきでせう。
そこで都合3年間位このスレに来ないで呉れれば嬉しいです。
126 :
神も仏も名無しさん:2007/10/20(土) 02:57:19 ID:c5RM7th5
127 :
神も仏も名無しさん:2007/10/20(土) 06:20:02 ID:Pu0+QozX
>>120 こいつみたいな誠意の皮をかぶった悪人が社会を腐敗させるまことの俗物
なんだよな。権威と一体化し卑小な自己から逃避する見事なサンプル。
妄想、妄想、誇大妄想
129 :
神も仏も名無しさん:2007/10/21(日) 00:45:40 ID:UOLEX9ow
スマさん忙しいのかもしれないがアビダンマ、口述ではなく書き下ろしして
欲しかった。日本語、苦手なら母国語で書いて誰かに翻訳してもらうとか。
ついでに脚注も本の半分あっていいぐらい。
スマ氏は日本語上手だけど作文させるとやっぱり変な日本語に
なっちゃうよ。
それに、シンハラ語で書かれた仏教哲学の文章を訳せる日本人
って少なさそう。
どっちも大変なんじゃないかな。
「お釈迦さまが教えたこと」1巻は素晴らしかったです
こんなに分かりやすく無常が説いてある本を初めて読みました
が、続刊はどうも……輪廻入っちゃうんですよねえ
132 :
神も仏も名無しさん:2007/10/22(月) 09:05:31 ID:1BhufMIj
なんで現代日本人は輪廻思想に抵抗示すのでしょうかねえ。
「宗教離れ」が起きて「宗教性」が漂っている今日において、
いかにも宗教臭い教義には抵抗があるのでしょうか。
しかし信じる信じないは別として、仏教は輪廻が前提となって
構築されている思想体系です。輪廻抜きの仏教というのは
ないでしょう。そもそもお釈迦様は輪廻したくないから修行して
悟りを開いて解脱して諸々の教えを説いたわけでして。
しかし輪廻は形而上的すぎて信じられないけど、仏教の実践的
な教えの部分は比較的受け入れられやすいんですね。
輪廻思想はたしかにインド思想全般に見られる伝統であり、
仏教固有のものではありません。いわば風土的要素のある
考え方と言っていいかもしれません。インド人でない日本人に
とっては輪廻を無条件に受け容れるというのはなかなか難しい
のでしょう。輪廻が信じられないなら信じられないでいいと思い
ます。何かの比喩くらいに考えておけばいいのではないでしょうか。
僕自身も輪廻を信じられるかと言ったら半々です。仏教の実践的
側面は現代的ですが、神学的側面は歴史的です。
私は仏教の根本は四諦だと思ってますが。輪廻はひとこともふれられてません。
134 :
神も仏も名無しさん:2007/10/22(月) 15:36:46 ID:ketNQYlL
死んだら終わり、何もかも終わり、その後はなにもないならば、我々はどこからきたのか?
135 :
神も仏も名無しさん:2007/10/22(月) 15:37:16 ID:ketNQYlL
死んだら終わり、何もかも終わり、その後はなにもないならば、我々はどこからきたのか?
136 :
神も仏も名無しさん:2007/10/22(月) 15:40:03 ID:ketNQYlL
二重投稿した。二重投稿した。
ふかわかよ。ふかわかよ。
ごめんなさい。
>>135 そういう思いは妄想だろ。
事実だけを見なさい。
輪廻という妄想に逃げてはいけません。
輪廻がウソだとはいってない。いまの自分には真理であると確認できないだけ。
修行が進めばありありと真理であることが実感できる瞬間がくるんじゃないの。
わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといっしょに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電灯の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち その電燈は失はれ)
これらは二十二箇月の
過去とかんずる方角から
紙と鉱質インクをつらね
(すべてわたくしと明滅し
みんなが同時に感ずるもの)
ここまでたもちつづけられた
かげとひかりのひとくさりづつ
そのとおりの心象スケッチです
140 :
神も仏も名無しさん:2007/10/22(月) 21:09:10 ID:zpaVzin9
141 :
神も仏も名無しさん:2007/10/22(月) 22:15:16 ID:VqRUfmHh
>>137 死んだら永久に虚無になるという方が非合理だろう。そんなの俺にタナトフォビアになれと言っているようなものだ
それに死後の裁きで天国地獄に振り分けられるという説よりは遥かに輪廻の方が合理的だと思うんだけど・・・
前世の魂がどうのこうのみたいなスピリチュアリズムとかヒンズー教みたいな六道輪廻は無いと思うけど意識の循環はあると思う
142 :
神も仏も名無しさん:2007/10/22(月) 23:16:59 ID:I79JcapT
携帯から失礼します。
みなさんはセックスをするとき、どんな風に実況中継しますか?
私は(動いている)と中継してますが、合ってるでしょうか?
身体では感じている事を感じ、心ではそれに価値観を入れないで観察します。
世俗的に言うと、興奮はしません。
実況中継でセックルするなんて(笑)
だいたい実況中継という方法自体がバカみたいなので
私は好きではありません。
在家者なんだからどうせセックルするなら感度を高める
方法を模索すればいいと思う。
セックルに執着したくなかったらセックルしなければいい
と思う。
某テーラワーダのブロガーが輪廻を信じ込みたい余り珍妙な説を唱えていた
のを見たことがある。『まともな仏教者は輪廻を説いた』という説だ。この
『意見』に対する反例はあり過ぎて呆れるばかりだがある方との輪廻に関する
プチ論争には絶句した。語彙は仏教のそれだがそこで語られる内容は論証
ではなく単なる罵倒と傲慢なのだ。最後は「生きとし生きるもの〜」云々
の心こもらぬマントラで終えられるが意見を異にする者に対する憎しみは
かつてのオウム信徒を彷彿とさせるものがあった。また評論家の宮崎哲弥氏
の些末な言葉を取り上げ糾弾したりもする。愚かだ。あの手の人間が仏教を
流布する恩恵は計り知れないのに・・。
ヴィパッサナーは信念を強め性格を攻撃的にするのだろうか。ここに挙げた輩以外
でも攻撃的な人が目立つ。ブッダのことばは慈悲深いが彼らの言葉は残酷だ。
ついでに経典の業の説はなぜかサンガに都合良く書かれていて注目に値する。
145 :
神も仏も名無しさん:2007/10/23(火) 01:53:47 ID:OFTBaDym
ほらやっぱり戒律主義には思考停止がつきものなんだよ。
原始仏教の教えを保存するという長所はあるが、そのあまりブッダの借り物の思想を信奉することで思考停止が起きる。
では大乗仏教はどうかというと、逆に原初の教えにとらわれず革新を模索する自由な姿勢のあまりに間違った方向にいってグダグダになった宗派が多い。今は革新ですらない。
保守の上座部と革新の大乗の日本柱、両方が協調しあってこその仏教だと思う。それこそが仏陀の説いた中道。
146 :
神も仏も名無しさん:2007/10/23(火) 02:31:03 ID:xhmzr5rn
>>132 > なんで現代日本人は輪廻思想に抵抗示すのでしょうかねえ。
自分で体験出来ないことだから何も言えないというだけのことでは?
ようするに分からないんだよ。分からないからどちらとも断言しないの。
(でも何となくこの方が仏教的な感じがしないか?)
優しさもなく護教心にのみ溢れた者、彼を狂信者と呼ぶ。
世尊の説いた言葉をろくな吟味もせず反復する者、彼はカルトの子なのだ。
見よ。彼の硬直を。美辞麗句に隠された嘲笑を。
精神は機械化し二値的判断しかできぬ。
経典にあるから1。経典にないから0・・・。
コンピュータほどの精度もないくせに。
彼は開祖の教えの護持者ではない。単なる教えの消費者なのだ。
消費者である以上、文句ばかり垂れ流すだろう。
「彼の仏教理解にはダメ出ししまくりなんですが云々」
「大乗の影響を受けた学者の言うことはバイアスがかかってるから云々」
彼の口調は単なるオタクのそれで、その体躯と表情は秋葉系そのものなのだ。
たまたま仏教に出会っただけで語りに必然性はないのだ。
マニアの心は動かしても衆生の心は逆撫でするだけなのだ。
戦えオタク仏教。行け秋葉仏教徒。
その戦いの先には自らの拠り所とする教団のカルト化が待っているであろうから。
149 :
神も仏も名無しさん:2007/10/23(火) 03:31:21 ID:xhmzr5rn
>>147 そんなやつに俺が名前を付けてやろう。こんなのはどうだ?
仏教ロボ
もちろん合体する。
デザインは大仏風でいいかな。w
150 :
神も仏も名無しさん:2007/10/23(火) 03:32:14 ID:xhmzr5rn
今こんなのも思い付いたから書いておこう。
ロボ仏陀
もう寝よう。
>>146 輪廻は体験できないだけではなく、論理的にも納得できない。
科学的ではない。
仏教の他の教えは科学に合うが、輪廻だけは非科学的。
仏教は科学と調和すると言ってたのはスマさんだろ。
科学に反する輪廻を信じるのは矛盾してます。
輪廻はエネルギー保存の法則だってスマさんがいってたよ。
べつに非科学的だとは思わない。いまのところ反証が難しいから科学的とはいいにくいが。
輪廻が無くちゃ説明できないようなものか?
「仏教は科学的」と主張する必要がどこにあるのか?
宗教であるには違いないのだから、非科学的なところ
があるに決まっているではないか。
スマさんは仏教は科学的だと言ってたよ。
だから、宗教じゃありません、ともね。
キリスト教みたいな非科学的な宗教を信じるなと言ってた。
仏教は科学だから信じろと、言ってた。
その理屈で言うと、輪廻なんて信じる必要はない。
座禅とか瞑想とか効果のほどはどうですか?
精神的に強くなって性格改善とかあります?
157 :
神も仏も名無しさん:2007/10/23(火) 22:03:02 ID:dUaWnDdu
輪廻輪廻って言ってもヒンズー教的な六道輪廻のことじゃないだろ。
>>156 はっきり言ってあります
僕の場合仕事のミスがほとんどなくなり他にも思いつめることがなくなって
その結果人間関係もよくなった
別に神秘的なことは全然なくて
一定時間集中的に体の感覚を感じることで瞑想をやってない時でも感情がおおげさに
動かないクセがつくんだと思う それにすぐ自分の感情を客観的に見るクセがつきます
これで無常を観ることができるとか 悟りをひらけるとかおおげさなことは?です
でもやめるつもりはありません
>解脱まで行かなくとも、死後必ず梵天か天界に生まれ変わります。
著書の一節にこうあるのだが
>>156 瞑想は効果あるよ
160 :
神も仏も名無しさん:2007/10/23(火) 22:18:27 ID:vgFXWN/Z
瞑想が上達すると睡眠時間も四時間くらいでいいくらい疲労が取れるって言うしな
ところでこのスレにはミンデルのプロセス指向心理学に詳しい人いない?
結論かなり楽チンになるのでお奨めです
悟りをめざして難行苦行というのではないです
なんか、効果かなりありそうですね
比叡山の9日間こもってとかは無理そうだけど
性格改善めざしてやってみよう
>>155 輪廻や慈悲を説いておいて宗教でなかったら何なんだ!
上座部は輪廻や慈悲を説くから宗教だろ!
バカスマ
>>164 ストレス軽減法ですw
「比丘らよ、我らは前世でも現世でも、苦の生起と苦の滅尽をのみ定め教示する」
輪廻思想は取扱い次第で本当に恐ろしい思想になるので反証不可能な証拠がない
以上、余り堂々と説くのはやめて欲しい。単純に言えば「あいつは悪いカルマを
背負って生まれてきたから苦しんでも仕方ない」とか「社会的地位のある人は
は良いカルマがあるから当然だ」みたいな思考に陥って制度や社会的差別を正当化
する装置になりかねないから。幾ら魂の存在を否定してもカルマは良い方向に向け
られると教えられても心の奥底でカルマを信じていたら思考が制限されると思う。
「誰のものかもわからぬ業で苦しむ」なんて考えるのは病気だと思う。それなら
ニーチェの言う能動的ニヒリズム、永劫回帰の全肯定みたいな考え方の方が同じ
極端な思考にしても健康的で責任感もあると思う。それに『解脱せねばならない』
という強迫観念は現実問題から目を逸らす格好の逃避口実になり人の生を破壊し
かねない。オウムや和尚のコミューンの成員の人生を見ればこれはわかる。
悟りを目指す自由もあるが悟りを目指さない自由もあることを忘れてはいけない
と思う。
167 :
神も仏も名無しさん:2007/10/24(水) 14:10:49 ID:a0qBH+AJ
転生論と、前世論・カルマ論は必ずしも結び付かないだろうに。
168 :
神も仏も名無しさん:2007/10/24(水) 15:29:31 ID:sFmZKu8F
輪廻後は輪廻前の記憶も何も無いので輪廻などあろうがなかろうがどっちでもいい
169 :
神も仏も名無しさん:2007/10/24(水) 16:33:42 ID:4+mv0kuK
170 :
神も仏も名無しさん:2007/10/24(水) 17:59:25 ID:oBSSQsTy
だからこっちではヴィパサナだけ論じればいいお
スレタイからスマ氏の名前取り除いた方が荒れないお
だお、だお、だお
テーラワーダ全体のことはまだ分からないが、少なくともスマナサーラさんの教えは首をかしげる部分が多いなあ
宗教じゃないなんて言わなきゃいいのに
結局、北米あたりの瞑想から入る感じの仏教のほうがよっぽど宗教色薄いですね
別にスマナサーラの発言を耳をふさいで瞑想だけやっててもいいと思うが。
>>171 でもいろいろな解説も聞いてみたいなら、話も聞けばいい。
ほとんどの人は長老の話は聞くけど瞑想はなんだかんだ口実をつけてやらない。
協会関係者、あの一時出家してるヤツの暴走止めた方がいいぜ。2ちゃんで匿名
で書くようなひどい内容の話を釈迦やスマさんの威を借り、ちんたら続けている
あの馬鹿。あいつが書いてあることは本人の意図はどうあれ受け手にはほぼ協会
の言葉と受け取られるんだから。あいつが個人で組織と関係なくやる分には全く
構わない。単なる人格障害の方のイタイ自意識過剰なブログで終わりだから。
でもあいつ組織成員の名の元にやってんじゃん。暴走が止められないならカウン
セリングでも受けさせた方がいいぜ。カテゴリー的には多分、人格障害だから。
あいつ、前にいた宗教団体かなんかで強烈な洗脳を施されてるの?それとも協会員
は総じてあんな感じなの?それじゃあ仕方ないが、そういう訳でもないんでしょ。
久々にあいつのブログを見て本当に酷いと思った。自意識が肥大化しすぎている。
また自己責任で書ききってないのが痛すぎ。何かあれば仏陀はどう長老はどう上座
部はどう。狡猾にもほどがある。そいで上座部に対する批判には過剰に反応する癖
に一丁前に他宗の開祖は罵倒しやがんの。なんじゃあいつ。本当、誰か脱洗脳して
やれよ。自前でああなったか、前にいた組織でああなったか知らないがあいつの
精神状態は相当ひどいよ。テーラワーダでああなったとは思えないんだが。
174 :
神も仏も名無しさん:2007/10/25(木) 10:55:24 ID:L/IQYW8i
融通の利かない人間ほど宗教に嵌りやすい
得てしてそういうタイプほど厄介
しかし世間では融通の利きすぎる玄侑さんみたいのに限ってコスプレと揶揄される
どっちがいいんだろうね
175 :
神も仏も名無しさん:2007/10/25(木) 11:56:54 ID:HHeA1Uaz
>>174 同感です。
柔軟性やユーモアがない人や集団はブッダの教えとは正反対のところに
行っていると思う。
原理主義者やカルトや極左、極右って客観的に自分や物事を見れなくな
っちゃて柔軟性がなくって融通が利かない。
それに規則やルール好きで他人にも押し付けるw
自分のアタマで考えずに「先生」に答えを聞こうとする
そんでそれを暗記するだけ
>>173 前にいた組織ってぇぇぇ?
あてずっぽでかいちゃいかんよぉ。
あなたがそう感じている部分は、あなたの見解として理解できないでもないが、
あなたがおもっているほどガチガチな方でもないと思うよ。
寺に行って一緒にお茶でも飲んできなよ。
177 :
寺和田の鬼:2007/10/25(木) 16:10:08 ID:htRotzsi
参上!
>>176 可能性としてあげてるだけで断定してないだろ。わざわざああ書いたのはあんたら
一般の信者と区別するためだ。俺が教団と無関係だからといってあそこやスマさん
を全否定するつもりはないからだ。それともなにか?あいつはテーラワーダで狂っ
たと書いた方が良かったか?
それにあいつがいいヤツだったら早く止めてやれよ。地獄への道は善意で固められ
てるっていうだろ。それと俺が言ってるの組織の運営上よくないって意味だ。
例えばトヨタの社員のブログで日産の社長や車を非難していたとする。それが
本当に一個人の責任で済まされると思うか?トヨタ車をべた褒めし社長を持ち上げ
日産の車を貶め「ゴーンたんの経営はダメダメだよ」なんて書いて組織上
いいと思うか?わかるだろ。
それとあいつは岸和田の寺まで来るのか?それじゃあ、あいつにマジ直接言って
やっていいんだぜ。俺は関西なんでぶっちゃけ東京まではなかなか行けないんだ
。なんか二週にいっぺんぐらい修行の集いみたいなのやってんじゃん。
あれにあいつが来るなら俺マジ行くよ。入会費もやっすいしな。ネットでちま
ちま批判すんのは性に合わんし。ただああいう腐った態度を現実でとっちゃ
ボロカス言うぜ。
179 :
寺和田の鬼:2007/10/25(木) 18:35:59 ID:htRotzsi
>>176 あなたの見解はそれはそれとして、すごく理解できる部分はあります。
ただ、blogに見られ方にご指摘の負な点があるにせよ
あなたのような元気な反応があるということである意味
blogとしておおいに成功してるんじゃないかな。
あなたも書いておられるとおり、協会員すべて同じ見解でもないでしょうし、
パティパダ引いてるだけな感じの方からいろいろでしょう。
blogの見解と組織が同一視されては、、、となるくらい組織への執着というか
「組織」がカチッとしてるわけじゃないかもね。
私は、情報として時々見させていただきますが。
近畿に行かれるようだったら会ってお茶飲むといいね。
まあでも一時でも出家されてるから、ボロカスはね、
それも解釈で変わるかもしれませんがw
182 :
178:2007/10/25(木) 19:58:17 ID:RW4z5G+Y
マジ、チンケな俺の金儲けが一段落ついたら岸和田よさせてもらうわ。
喧嘩っぱやいが普段は礼儀正しい輩だから警戒しないでおくれ。スマさん
の本はアビダンマも含め大体読んでるから多少は寄る資格あるんじゃない。
仏教の本は二百程度しか読んどらんが。ちなみに俺は眉間上に小さなキズが
あり下唇が不均衡な形をしております。よくみれば顔面が微妙に変形して
ます。そんな奴が出入りするようになったらお声をおかけあそばせ。
楽しみだな。お茶すんの。こっちに失礼がないように気を付けねばなw
183 :
神も仏も名無しさん:2007/10/25(木) 21:12:43 ID:vor2FbUV
>ちなみに俺は眉間上に小さなキズが
あり下唇が不均衡な形をしております。よくみれば顔面が微妙に変形してます
すまん・・想像して笑ってしまった・・
185 :
神も仏も名無しさん:2007/10/26(金) 08:34:15 ID:h0KZI1of
「不遇な人々をあざける。また、破廉恥な行為をする。これが顔色を悪くする
業である。」──
>>184 お前、少し気をつけろよ。笑う理由はない。
日本人の白痴笑い。
とりあえず批判だけしてみたいというそんだけの文章ですね
>>178 ぜんぜん知らない人を面白半分にとりあえず中傷してみようとすると、
そういう文章に仕上がるんでしょうね。
本読んだ方がいいよ。
慈悲喜捨の瞑想を寝る前にやっているのですが、そういうときに限って眠れません。
長老は「眠れなければ慈悲喜捨の瞑想をずっとやっていれば何時か眠れます」
「眠る時間はそんなに長くなくていい」と書籍でおっしゃっているのですが、
時間を決めてきちんと眠りたい物です。(今のところ夜中なんて起きている事無い)
そして起きるときは眠くならないようにしたい物です。
>慈悲喜捨の瞑想を寝る前にやっているのですが、そういうときに限って眠れません。
なら、慈悲喜捨の瞑想を寝る前にするのをやめればいいだけの話じゃん!
おれは風呂でやっている。
寝る前にやると眠れなくなるのなら、朝起きたときにやればぱっちり目が覚めるのでは。
192 :
神も仏も名無しさん:2007/10/27(土) 16:30:23 ID:j1N61TZY
起きたときにやって二度寝になったら笑える。w
先日からヴィパッサナー瞑想を始めたんですが、ちょっと疑問に思う事が。
座って目を閉じる瞑想だと、境地に達した時に色々な過去の記憶がよみがえったりすると聞いたのですが、ヴィパッサナー瞑想の場合は何か起こるものなのでしょうか?
歩いているし目を開けているからどうなるのか全く想像がつかないのですが、ヴィパッサナー瞑想には境地や涅槃という考えは無いものなんでしょうか。
>>193 誰のメソッドのヴィパッサナー瞑想ですか?マハーシ?
>>193 なにが起きるかは人それぞれ
あらかじめ想定しない方がいい
>>194 自分のための気づきの瞑想ってのを読んでやり始めました。
>>195 そうですね。知ってると逆に雑念になりますね。
ぶっ倒れちゃったりしたら危ないなぁって思ったもので気になっちゃって。
よく考えたらさすがにそれは無いかな。
山下さんの話しは面白いね
歪んでるなぁww
話変わるけれど、最近、長老は本を出し過ぎじゃない?
それにどんどん出版する間隔が狭くなっているような気がするんですが。
202 :
神も仏も名無しさん:2007/10/31(水) 14:06:46 ID:r2tK7l4J
それはひとえに資金繰り
そのためには内容の無い本出すのも仕方ないことなの
教団の運営が上手く回ってりゃ般若心経わざわざ一冊使って否定するようなことはしない
と、まだ俺は信じたい
>>201 禿同
ひょっとして仏教がひそかなブームになっているとか
メディア・週刊誌とかに言われたいのかなぁ。と思ってしまった。
スピリチュアルVS仏教
結構ワクワクする。
スマナサーラ長老と細木さんや江原さんの対談があったら面白そうだ。
是非やってもらいたい。
206 :
神も仏も名無しさん:2007/10/31(水) 19:03:10 ID:HbeIflzL
まあ、そこそこ、ある程度確実に本が売れるので、出版社としてはありがたいというわけだよ。たぶん。
207 :
神も仏も名無しさん:2007/10/31(水) 21:59:23 ID:cunFTvln
>>207 また小銭儲け いいよいいよぉ。前から何度もはってあるけどw。
全然関係ないが、ニキシの上座汁貯煮二代目管理は、
一代目のことといい つーまらぬことで介入しすぎだにゃん。
209 :
神も仏も名無しさん:2007/11/01(木) 05:24:30 ID:dOrLIIoE
>>202 経営状態がそんなに思わしくないのでしょうか?
210 :
神も仏も名無しさん:2007/11/01(木) 10:26:47 ID:1qSnV28/
しかし、長老の本は、何の糞の足しにもならんよな。
何度も読み返せる、瞑想への導入剤のような本が欲しいな。
>>202 出版社が書いてくれって頼んでくるからね。
仲間会社じゃないところのは基本的に売れるからいらいがあるんだお。
長老は喋ってるだけだろ
214 :
神も仏も名無しさん:2007/11/01(木) 22:45:03 ID:NeBYrLqk
流暢とは言えない日本語でしゃべると、
ちゃんとした日本語で書かれた本になるって便利で良いなw
215 :
神も仏も名無しさん:2007/11/02(金) 08:27:29 ID:VC7ZWYr9
ところで、鈴木一生さんが「また大乗仏教の坊さんにもどった」宣言しているね。
心臓の手術も無事に成功したみたいで良かったです
217 :
神も仏も名無しさん:2007/11/02(金) 13:48:20 ID:5Wfgsbmd
>>215 え?
どういうことでしか?
もう、あの人、ころころ変わるなぁ。知ってるおばはんみたいだ。
218 :
神も仏も名無しさん:2007/11/02(金) 14:02:05 ID:PFboxxEq
鈴木さんに関しては、このスレや上座部仏教スレであつかうような対象じゃないとおもう。
いいかわるいかは別にして、鈴木さんは鈴木さんの道を歩んでるのだから。
上座部派生まで含めて議論しだすと、オウムからでたあとの上祐史浩まで含まれちゃう。
>>215 体調回復されてほんとによかったと思います。ただ、
ミャンマーでの一時の行動を留学生が指摘していたことへの回答は
是非 していただきたいとは思います。事実と違うなら、違う、 事実ならそこでしっかりと認める
どちらにせよ。
会社の危機管理ではないですが、信頼の回復には、それが必要かと。
身近に問いただすかたがもしいなければそれはそれで逆に不幸なことかも
しれません。
220 :
神も仏も名無しさん:2007/11/03(土) 11:30:15 ID:0HIsjy59
自分に都合のいい教えを求めて上座部に近づく人は、
さらに自分に都合のいい教えを求めて最終的には上座部からでていくのだとおもう。
221 :
神も仏も名無しさん:2007/11/03(土) 15:52:03 ID:L5AK86jt
はじめまして
新参です
昨日地橋氏の本を手に入れてヴィパッサナー瞑想を始めましたが、スレ違いでしょうか?
ちなみに私の場合、能力開発としての瞑想利用です
222 :
神も仏も名無しさん:2007/11/03(土) 21:36:22 ID:cCfE3ef3
自由にすりゃいいんじゃない?能力開発でもなんでも。
戒も含めて受け入れた上での能力開発ならそれなりにだろうけど、
動機がそのままだと伸びないというか成長は比較的早く
stopだろうと 教えられてる法脈の流れからは予測されます。
223 :
神も仏も名無しさん:2007/11/03(土) 21:41:14 ID:bGyEL/50
そういうあなたがどこまで成長しておられるのか興味深い。
224 :
神も仏も名無しさん:2007/11/03(土) 23:39:57 ID:Xh8nHZZz
>>223 そういうあなたがどこまで成長しておられるのか興味深い。
226 :
神も仏も名無しさん:2007/11/04(日) 00:19:56 ID:DELrjyIV
いつまでやるんだか・・・
なんかヴィパッサナーの解説書って上から視点なのが多いよな。
常に呼吸を意識しろ、やってることを実況中継しろ、ストレスしか沸かない。
凡人が一歩一歩迷いながらも解脱に近づく様子がわかる日記形式の解説本はないのかね・・・
229 :
神も仏も名無しさん:2007/11/06(火) 00:55:52 ID:JL4fkrWm
>>227 >なんかヴィパッサナーの解説書って上から視点なのが多いよな。
こう言ってはなんですが、そう感じるということは、自分のエゴから脱却するほど修行していない証拠ですよ
そういう人だからここにいるのでしょう
私も含め
訳のわからんことを言うな。
俺は今この瞬間の生きてる実感を高めたいだけなんだ。
それに役に立つ方法が見つからない。
>>229 こういう戒めみたいなのも結局は自分の自尊心からきてるんじゃね?
真に慈悲の心で戒めてくれるお方はこのスレにはおらんのかね。
233 :
神も仏も名無しさん:2007/11/06(火) 13:19:03 ID:h4CrSw72
荒らしは来ないでいただきたい
荒らしだと思うか?このスレを荒らすことで何の得になる。
自分の心が荒れているだけなんじゃないの?
235 :
神も仏も名無しさん:2007/11/06(火) 13:59:02 ID:OJWBnwDl
慈悲の心かどうかは分からんが
>俺は今この瞬間の生きてる実感を高めたい
つまりリアルタイムということだね。
入出息念などはどうだろうか。
自分の呼吸の出入りを観察する。
死者は呼吸していない。
236 :
神も仏も名無しさん:2007/11/06(火) 14:04:37 ID:h4CrSw72
ID:RE90ru2S さん、ほんとこないで・・・
来るなら口調変えて
でないとほんと荒れてくるから・・・
ただでさえ荒れやすいスレなのに(最近はそうでもないけど)
>>235 それは今試してるんだが、逆に今の行動の妨げになる。
呼吸を感じることがプレッシャーになってイラっとする。
この世界に存在が根ざしていない、希薄な感じ。
生きている実感が沸かない。慢性的欝なんです。
>>236 このスレに執着してるんだね。それもエゴだよ。
238 :
神も仏も名無しさん:2007/11/06(火) 15:21:47 ID:OJWBnwDl
入出息念は大人物でなければ成就出来ないと言われ、大念住経にはトップにあり
ますが難しいんです。またコツがあって肝心な事が分かっていなければ上手くい
きません。上座部僧に習ったこともありますが布施が少なかったからなのか知ら
なかった、本人は真面目に瞑想していなかったからなのか分かりませんが肝心な
部分は教えてもらえませんでした。自分で調べて分かったんですがそのとたん力
が抜けて入出息念は前ほど熱心には今やっていない。が、諦めてもいない。
>生きている実感が沸かない。慢性的欝なんです。
この辺は私にはあまりないので anyone・・・
働け
自分を変える気づきの瞑想法のタイトルに引かれてヴィパッサナーの本を買ってみました。
具体的にはこの瞑想でどういう風に自分を変えれるのでしょうか?
241 :
神も仏も名無しさん:2007/11/07(水) 08:58:14 ID:r7Kg9UUp
>>215 >ところで、鈴木一生さんが「また大乗仏教の坊さんにもどった」宣言しているね。
正しくは「職業としての葬式用坊さんもどきにもどった」でしょう。
私が幸せでありますように
私の悩み苦しみがなくなりますように
私の願いごとが叶えられますように
私に悟りの光が現れますように
私の親しい人々が幸せでありますように
私の親しい人々の悩み苦しみがなくなりますように
私の親しい人々の願いごとがなくなりますように
私の親しい人々に悟りの光が現れますように
生きとし生けるものが幸せでありますように
生きとし生けるものの悩み苦しみが無くなりますように
生きとし生けるもの願いごとが叶えられますように
生きとし生けるものに悟りの光が現れますように
245 :
神も仏も名無しさん:2007/11/07(水) 22:34:57 ID:Sh2vLy87
はいはい
地橋ね
もう来ないでね
私の嫌いな人々に幸せがありますように
私の嫌いな人々の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々の願いごとがなくなりますように
私の嫌いな人々にも悟りの光があらわれますように
私を嫌いな人々にも幸せがありますように
私を嫌いな人々の悩み苦しみがなくなりますように
私を嫌いな人々の願いごとがかなえられますように
私を嫌いな人々にも悟りの光が現れますように
生きとし 生けるもの が 幸せで あり ますよう に
生き と し 生ける もの の 悩み 苦しみが なくなりますように
生き とし 生けるもの の願うごとが 叶えられますように
生き とし生けるものにも悟りの光が現れますように
249 :
神も仏も名無しさん:2007/11/08(木) 00:30:34 ID:dangJ+dN
私の嫌いなID:/+3TOZ+e が早くくたばりますように
私の嫌いなID:/+3TOZ+e が早くくたばりますように
私の嫌いなID:/+3TOZ+e が早くくたばりますように
私の嫌いなID:/+3TOZ+e が早くくたばりますように
やめろよ。みっともない。
251 :
神も仏も名無しさん:2007/11/08(木) 04:40:08 ID:d9Q+HZeu
なめろよ。もっとみたい。
たべろよ。もったいない。
254 :
神も仏も名無しさん:2007/11/08(木) 18:39:24 ID:rre8XtVG
255 :
神も仏も名無しさん:2007/11/08(木) 18:51:38 ID:+B0fP7/v
なんか白宏会?みたいなこと言うんだね
では私もひとつ アーメンなんみょう南無あみインシュアラー喝
意識的に妄想を止めることが出来るようにまではなった。
放っておくとすぐに元に戻ってしまうけど。
258 :
神も仏も名無しさん:2007/11/10(土) 11:42:18 ID:p1uoySLh
>>258 始めてから2年くらい経つけど
妄想が出るかどうかは日常生活で受ける刺激の強さの影響が大きいと思う
ふと思ったのですが
スマナサーラ長老と地橋先生の教えは違うのですか?
261 :
神も仏も名無しさん:2007/11/10(土) 22:03:47 ID:ivqjeawU
>>241 >正しくは「職業としての葬式用坊さんもどきにもどった」でしょう。
歴史上の実在の人物としてお釈迦様が生きておられた時代にも、先祖供養などの
儀式を職業的にとりおこなうバラモン人たちが多数いた。日本仏教における大乗
の僧侶が果たしている社会的役割というのは、当時のバラモン階級の人々に似て
いるような気がするのだが、どうだろう? 悪くいえば葬儀ビジネスだが、
もうすこし前向きに、生きている人間の生き様にプラスの効果を与えるような
僧侶もいるのではないか? (世間の狭い漏れは、残念ながら、面識ないけど)
262 :
神も仏も名無しさん:2007/11/10(土) 22:23:32 ID:ivqjeawU
>>237 >生きている実感が沸かない。慢性的欝なんです。
それはきちんとした病院にいったほうがいい。 いや、マジで。
幸い「神経症」と診断された場合には、慈恵医大系統の神経科で「森田療法」というのをやっていて、
症状によっては1ヶ月ぐらいの入院治療でなおる場合もある。ただ、昔は保険が効かなかった
ので、1ヶ月の入院で約30万円。でも、症状が直ってしまえば、普通の人に戻れるし、だいいち
「森田療法」では「神経症」を病気ではなく単に本人の性格に起因するものとして扱っている。
ちなみに、「森田療法」では、仏教思想のように、「あるがまま」に生きることを説く。
下記引用=ウィキペディア、森田療法
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A3%AE%E7%94%B0%E7%99%82%E6%B3%95
263 :
神も仏も名無しさん:2007/11/11(日) 01:04:20 ID:CSPSRzLL
ID:RE90ru2S のような粘着が早く消えますように
ID:RE90ru2S のような粘着が早く消えますように
ID:RE90ru2S のような粘着が早く消えますように
ID:RE90ru2S のような粘着が早く消えますように
森田療法は神経症からくる二次的な抑うつには効くが鬱病には効かない
265 :
神も仏も名無しさん:2007/11/11(日) 09:58:12 ID:psDrF9B+
>>264 >森田療法は神経症からくる二次的な抑うつには効くが鬱病には効かない
だが、自覚症状だけでどちらであるかを本人が判別することは難しい。
だからこそ、慈恵医大系の森田療法の専門医師による診断を仰ぐことが必要。
幸い「神経症」と診断された場合には、症状の「苦」を滅する道がある。
>>ID:RE90ru2S
同じかどうか分からないが、自分は思春期の頃に何か現実感覚が薄れていくのを
感じたのを覚えている。
成長過程で心と体のバランスが崩れることはありますよ。
そのまま現在に至ってますが、慣れればそれが現実なのでは。
年とともに感受性は失われるが、自我は育つ。
・・・見当違いだったらスマソ。
mixiのヴィパコミュで勝手にしきってる勘違いオジサンが
すっごいうざいんですけど
>>267 引き寄せの法則。
傍観の立場に立てば、イライラしなくなる。
怒り、怒り、戻りまーす
むしろいろんなコミュニティーで単発質問トピックを立てまくるマ○族のほうがウザいんだが
271 :
神も仏も名無しさん:2007/11/13(火) 22:47:56 ID:nR0rQ+ah
272 :
神も仏も名無しさん:2007/11/13(火) 23:49:57 ID:ItQM6qkH
ものすごく現実味をおびない感覚の時があるんだけど、
あのなんともいえない違和感・・・
自分が存在してない感覚ってこれと関係ある?
何いってるかよくわからんが、
ただボーっとして存在が希薄な感じはよくある。
特に夕方。
離人症かもよ
異界に迷い込んだんだろ
276 :
神も仏も名無しさん:2007/11/14(水) 00:20:47 ID:r6LDTdbh
うん、離人症だな
YOUヴィパサナ極めちゃいなよ
277 :
神も仏も名無しさん:2007/11/14(水) 06:45:51 ID:U/em3MZy
居間でうつらうつらして、ああ部屋で寝なきゃって時は現実感ない
278 :
神も仏も名無しさん:2007/11/14(水) 15:38:49 ID:9ybCZFeg
>>267 すごく各種瞑想経験豊富なタダミにもいっていらっしゃる方ですぞ。
すごいんですぞ。なので人にもアドバイスできるんですぞ。
すごい方なんですぞ。ありがたや。ありがたや。
280 :
神も仏も名無しさん:2007/11/14(水) 20:48:32 ID:9ybCZFeg
>>279 なんてことを。。。ヒドス。
あなたもいろいろ質問して来ればいいのですぞ。
きっと親切にお応えいただけますぞ。
どうみても異常です。管理者のつもりか。
( ゚д゚) どっちも異常です
瞑想の本買ったけど、科学的と言いつつ実験データの提示があるわけでもない
科学的って言葉だけ連呼されても胡散臭いだけなんだが……
スマさんがいう科学的ということばには、1)盲目的に信じる必要がなく論理的な根拠がある 2)やればやっただけ結果が現れる
といった意味があると思う。
根拠があるならその根拠ってやつを一緒に書いとけば良い
やればわかりますって言うだけより読むほうもやる気になるよ
科学的って言いながらトンデモな宗教なんていくらでもあるから
はっきり言って信用できない
>>278 なにがすごいんだか。タダミだかなんだか知らないけど
言動見ればタダの勘違いオジサンだとわかる。痛いよ。
>>286 深い瞑想経験からえられたうんちくがあるのですぞ!
愚かな者は、実にそぐわぬ虚しい尊敬を得ようと願うであろう。
289 :
神も仏も名無しさん:2007/11/15(木) 22:27:38 ID:brAd39mL
そうだな そぐわない尊敬だとね。
実にそぐうったらどうしますぞ!
290 :
神も仏も名無しさん:2007/11/15(木) 23:46:53 ID:DkN0U69D
なんか精神的に問題ありそうなんだよな。長老。
291 :
神も仏も名無しさん:2007/11/16(金) 10:23:07 ID:Cax6M8Ah
どなたかクリシュナムルティとスマナサーラさんについて、意見ください。
意見も何もスマ長老がクリ師のことを書いてただろ
クリ師は生まれながらの預流果だと。
以上。
293 :
神も仏も名無しさん:2007/11/16(金) 14:13:10 ID:0Fwjryvt
法華経けなしてたよね
読んだことあるけどおれも嫌いだな
塔がにょきにょき伸びて、仏がたくさんあつまって、お互いにほめてるだけ。なにあれ?ミュージカルかなんか?
295 :
神も仏も名無しさん:2007/11/16(金) 21:34:10 ID:E9aHuwxk
クルシュナムルティ>無限>スマ
296 :
神も仏も名無しさん:2007/11/16(金) 23:06:15 ID:sYtRvTP7
>意見も何もスマ長老がクリ師のことを書いてただろ
クリ師は生まれながらの預流果だと。
なんの本に?
興味あります。
しね
298 :
神も仏も名無しさん:2007/11/17(土) 01:38:52 ID:7+7JxkpR
一日少しずつ瞑想しています。
進歩したのかどうかわからないけど、
人間関係などスムーズにいくようになりました。
僕は昔、人の言葉がすごく気になる人間でした。
でも、最近、それが妄想だとやっと少し気づいて
悩みがかなり減りました。
自分でも忘れていた記憶がたまに出てくる(偽りの記憶の可能性もある)から困る
300 :
神も仏も名無しさん:2007/11/17(土) 05:39:02 ID:sRPYPNm3
鬱に関して専門に扱った本は長老はだしてないけど、講演会ではちょくちょく語ってますね。
「なにかしたい」のが意思であるのと同様、「やりたくない」ってのも意思らしいですね。
最初は、「なにもしたくない」とか「眠い」が意思である筈ないと、私もそんな馬鹿な話と思ってましたけど、最近は意味が少しわかります。
鬱病になる原因も以前語ってました。
鬱病で悩んでる人が多いからぜひまとめていただけたらなあとは、思います。
302 :
神も仏も名無しさん:2007/11/18(日) 20:58:43 ID:M0XUclmU
303 :
神も仏も名無しさん:2007/11/19(月) 00:20:25 ID:KM3IsBtF
どんだけーーーー
某より
--------------
コメントがつきませんので一言。
従来こういう内容のトピックは、私が解説しておりましたが、
そろそろバトンタッチしたいと思います。
できれば**さんにやっていただきたいと思います。
不足や間違いがある場合はサポートいたしますので、
よろしくお願いいたします。
----------
さすがですな。
( ゚д゚) 2chが穢れる。落書きするな。
305 :
神も仏も名無しさん:2007/11/19(月) 15:41:21 ID:KM3IsBtF
聖なる2CH。。。
今日のお前が言うなスレはここですか?
聖なる2chを見て慌てて名前まで変えたらしい
ageています...ageています...
イメージの破棄を仏教は勧めているけど、それってロボットに成り得ない?
夢も希望も全て幻想、ただ目の前のことを意識せよ。
これでどうして成長が望めるんだろうか?
根本的な誤解があるな
仏教が求めるのは成長とか改革とかではなく脚下照顧だ
312 :
神も仏も名無しさん:2007/11/22(木) 12:30:00 ID:wSPCoTpo
>>312 前向きな明るい感情を選ぶこと。
ヴィパッサナー系の本見てるとどうしても思考を敵対視してるようにしか見えない。
解釈が間違っていたら正してくれ。
煩悩や妄想にまみれて人は生きています。
大抵の人は気づいてすらいませんが。
仏教は煩悩や妄想を破壊します。
その方法は、自分の心の働きをつぶさに見つめる事です。
それをやると、「自分そのもの」と思い込んでいる「精神」だとか、
自分では正しいと確信してしまっている「考え」などが、
じつはたわいのない、浮かんでは消え、浮かんでは消えるものだと
分かるようになります。
つまり、妄想が妄想として識別できて、世界の実態がくっきり見えて来るわけです。
これがヴィパッサナーです。
現実の問題に対しては、このクリアになった頭を使って対処します。
元の木阿弥のようですが、すでにあなたは一皮むけています。
解説あり。でも妄想と想像との違いがよくわからんなあ。
想像を否定するならこの世にある全ての創造されしものを否定することになるが。
こうしよう、ああしようと思うのは妄想?
この世は全て無常、移ろわないものなどない、って実感できたら何が変わるわけ?
なんか見通しが利かないんだよな。目的意識持つのはだめなんでしょ?
一体何がおkなの?
テーラワーダ仏教ってオウム真理教みたいにならないだろうか?
なんかオウムも仏教思想を利用していたし。
あと心配事といえば、今までお世話になったお寺さん(大乗仏教系)とはこれからも付き合っていいかどうかだが…
悟り開きたいよなぁ。お釈迦様のようになって自分と家族、一族を救いたいんだが。
心と精神と肉体のバランスの問題だから病院とかじゃ絶対に解決できないと思っているんだ。
俺の周りの問題って。
317 :
神も仏も名無しさん:2007/11/22(木) 19:00:41 ID:wSPCoTpo
>>315 心をちゃんと制御して、妄想だと気付くのが大事でしょう。
晩ご飯のメニューを考えるべきときに、
晩ご飯のメニューを考えるのはいい。
しかし、車の運転中にスーパーの看板をみかけて
ふと意識が晩ご飯のメニューのことに移ったりしたら、
その瞬間は意識が運転から離れてしまう。
気まぐれな心に操られるのではなく、
心を操るようにする。
>>316 その件に関しては、オウム問題を分析して、テーラワーダと比較してみると
答えが出てきます。
まず、オウムの教義では、個我(アートマン)の永続性と、個我の輪廻転生を
前提として組み立てられていました。
つまり、仏教の「無我説」ではなく、「有我説」の立場をとっていました。
永遠不滅の自我を信じるが故に、殺しても構わないと考えるようになっていった
のです。
まずこれが原始仏教の思想と大きく異なる点です。
第二に、教祖への盲目的追従を強要する点。
教祖麻原彰晃は、完全な悟りに達した正覚者であり、信者は未熟で無智なる者
という視点に基づき、
「未熟で無智な信者が悟り、解脱するためには、正覚者を疑ってはならない。
聖者を疑うことは、無智なる自分の誤謬であり、解脱・悟りの妨げとなる」
という考え方が大前提にあって、指導者への盲目的追従が解脱、悟りへの近道と
考えられていた点。
これが原始仏教の思想と大きく異なる点です。
>>315 > この世にある全ての創造されしもの
仏教は宇宙の創造主を立てないので、この世にある全てのものは
「創造されしもの」ではないのではないでしょうか。
そうかもしれないけど、それを言ったら、原始仏教は研究の
世界にしかないことになっちゃうよ。
研究の世界にもないよ、そんなもん
原始仏教は経典の中にある。
>>317 だからなぜそれがいけないわけ?
晩御飯のメニューを排除すべき理由は?
長老はこの世にある仕事はどれも簡単だって言ってるよ。
なのに仕事は集中しないといけないものってさらに自分を追い込むわけ?
つか妄想の定義を教えてよ。
言葉の意味を一語一語明確にするのもヴィパッサナー的な仕事だと思うけど。
なんか無意識に当たり前のように使ってる感じがする。
>>320 創造主ってのは生きとし生けるもの全てね。
>>326 そんなこといってないよ。
仕事は基本さえ知ってしまえば中途半端にいい加減にやってもできる、
駅員はヘッドフォンで音楽聴きながら、あるいは踊りながらでもできるって書いてある。
329 :
神も仏も名無しさん:2007/11/23(金) 10:12:16 ID:GaIAuIvs
>>325 晩ご飯のメニューを考えること自体を排除するんじゃないと思います。
五感からの刺激によって、自動的に思考が浮かんでしまう、
無意識に思考してしまう内容の中には、
間違った判断や不注意の危険があるのです。
>>329 その間違った判断や不注意を判断する目安は何?
331 :
神も仏も名無しさん:2007/11/23(金) 10:25:44 ID:GaIAuIvs
妄想とは…。
まず、なんとなく、勝手に浮かんでくる思考。
そして、今それを考えても仕方ない思考であり、
今それを考える必要のない思考。
また、今手に入る情報の中でそれ以上考えても新たな回答が出ない、
堂々めぐりになってしまう思考が、
妄想ではないでしょうか。
たとえば、「もうすぐ注射される。怖い。」という思考。
「もうすぐ注射される。」という事実についていくら考えても、事実は変わりません。
「注射しなくてすむ方法は何か」と具体的な手だてを計画するならまだしも、
「もうすぐ注射だ→痛いだろう→怖い→嫌だ→
でももうすぐ注射だ→痛いだろう→痛いだろう→怖い→嫌だ→
でももうすぐ注射だ→…」
と、思考の堂々めぐりになってしまって嫌な感情だけが盛り上がり、
今ここでやるべきことに集中できないことになります。
「そういえば、今日は注射の日だ。もうすぐ注射だ」
という予定確認だけなら、一回考えたら確認できます。
3秒で答えが出たら、それを何度も考えたって仕方ない。
「1+1=2」という計算ができたら、
それ以上「いちたすいちはに、いちたすいちはに、いちたすいちはに」
と何度も考えたって仕方ないのです。
332 :
神も仏も名無しさん:2007/11/23(金) 10:38:37 ID:GaIAuIvs
妄想が危険な理由は、
なんとなくぼーっと浮かんでくるだけの連想ゲームみたいなもんだから、
論理的な思考ではない可能性があるからです。
また、体で何かをやってるときに、
心が無意識に別のことを考えてたら、
体の操縦に失敗する確率が高くなります。
住みなれた家の中で、タンスの角に足の指をぶつけちゃったりするのは、
歩きながら妄想して、意識が歩くことから離れてるからです。
思考は、同時に二つのことを考えられないのですから。
体で同時にいくつものことをやるときには、
心ものすごい速さでいくつものことを巡回しなくてはなりません。
本を読みながら歩く場合、心は本と歩くことの二つのチャンネルを、
ものすごい速さで切り替えているのです。
ちゃんとそれをわかって集中していないと、
信号待ちの数秒間に心が歩くことへの注意を忘れちゃって、
信号が変わったことに気付かないことになります。
信号待ちで許される別の思考はせいぜい数十秒なのに、
妄想がふくらむとタイムリミットさえ忘れて意識が飛んでいってしまったりする。
>>331 注射の例挙げてるけど、怖い、って部分が妄想なのか?
嫌な気持ちを感じるのは実感として感じられるわけで別に妄想じゃないと思うんだけど。
それとも感情を否定するのが仏教の教えなのかな?
つか注射を待つ間その時すべきことって何?
「大丈夫、痛くない」って自分を励ますのも妄想?
それと仏教で言う中庸って何だ?
好きにも嫌いにも傾かない状態=ボーっとしている状態じゃないの?
335 :
神も仏も名無しさん:2007/11/23(金) 10:50:19 ID:GaIAuIvs
好きな人に告白したい…というとき。
「告白したい→でもふられたら嫌だ→でも告白したい→でもふられたら嫌だ…」
と思考が堂々巡りをやっても、
別に新たな答えが出るわけではありません。
思考が堂々巡りになったなら、今ある情報ではそれ以上新たな答えにつながらない。
だから、新たな情報を入手するために具体的な行動を起こすしかないのです。
「告白のセリフはこうしよう、ふられたらこう言おう、オッケーならこう言おう」
と、やるべきことを忘れないために何度もイメージトレーニングするなら、
それは妄想ではないかもしれません。
しかし、単に「○○したい→結果がどうなるかわからない→怖い→でも○○したい」
というのは、妄想です。
思考は具体的に。
思考が堂々巡りになったら、
新たな情報を得るために具体的に動く。
一歩進めば景色も変わりますからね。
>>335 ループする思考、迷いが妄想ってこと?
それならただのネガティブ思考かポジティブ思考かの違いって感じがするな。
つまり嫌な感情が起こるのが妄想、良い感情が起こるのが・・・なんだ?(妄想の反対語)
俺が仏教から感じるのは悪い感情も良い感情も冷めた目で見つめるんだなって印象。
それがスカしてるって感じる。気持ちがよいと感じる方向に進んでいけばいいじゃん。
植物だって日の当たる方向に伸びようとするんだしさ。
337 :
神も仏も名無しさん:2007/11/23(金) 11:00:36 ID:GaIAuIvs
>>333 悪い感情が、人生の悩み苦しみストレスの原因です。
仏教では、悪い感情が起こらないように、注意深く心をコントロールします。
注射のことを考えて恐怖・怒りなど悪い感情が浮かぶくらいなら、
注射のことを考えないほうがマシです。
考えても事実は変わらない、ただ嫌な気持ちになるだけなのに、
そんなことを何度も考えて、わざわざ嫌な気分になる必要はありません。
感情は一瞬一瞬浮かんで消えるので、
そのことを考えなければ感情は過ぎ去ります。
考えて怖くなるなら、考えなきゃいい。
痛みは注射されたときの一瞬辛抱すれば、過ぎ去るはずです。
注射された瞬間だけ嫌な気持ちなればいいだけなのに、
わざわざ長時間嫌な気持ちになって
ストレスを生産する必要はありません。
宝彩さんみたいだな
仏教について考えると決まってイライラしちゃうんだよな。
見通しが利かないから。分派が多すぎるし。
仏教の全容をスッキリ見渡せる世界観をまとめた集大成的な本が欲しいぜ。
聖書みたいな。そういや仏教本のベストセラーってなくね?
340 :
神も仏も名無しさん:2007/11/23(金) 11:07:46 ID:GaIAuIvs
>>336 気持ちいいと思う感情だって、
結局は過ぎ去る感情なんです。
常に冷めた目で見ておかないと、
一瞬の快楽のために人生を失敗することは、
世の中にたくさんありますよね。
それをスカしてると言うなら、
いついかなる時にもスカしていられる人間になることを、
仏教ではめざすのです。
感情に流されずに、論理的に思考し注意深く無駄なく行動する人間をめざすのです。
>>337 それなら悪い感情が起こらなければ
運転中に晩御飯のことを考えるのもありじゃん。
ヴィパッサナーの「ひとつのことに集中しなさい!」
「雑念が沸いたら雑念雑念・・・と繰り返して打ち消しなさい!」
って教えが思考に対する敵対心を植えつけるようで嫌だ。
何かやるたびに「雑念が浮かんだ・・・ショボーン」って気にさせるだけだと思う。
342 :
神も仏も名無しさん:2007/11/23(金) 11:11:11 ID:GaIAuIvs
宝彩さんはマントラを使った瞑想ですね。
でも、マントラを定点にすることで妄想に気付くという方法ですから、
単なるサマタ瞑想でもない気がします。
343 :
神も仏も名無しさん:2007/11/23(金) 11:18:08 ID:GaIAuIvs
>>341 妄想の性質や危険性をわかってる人が、
運転中に危険をわかってて、
危険じゃない瞬間を使って適切なタイミングで
晩ご飯のことを考えるのはいいんです。
別の例ですが、
電話のベルが鳴ってから電話をとるまでの1秒間だけ、
わざと別のことを考えるのはいいんです。
しかし、別の思考にのめりこんで電話をとるのを忘れてはいけません。
もし、そのようなことが運転中の妄想で起きたら、大事故につながります。
五感からの刺激によって、人間はすぐ妄想してしまうのです。
そういう心身の性質についても、
瞑想のときに妄想をはらう訓練をする中で気付かされます。
344 :
神も仏も名無しさん:2007/11/23(金) 11:22:00 ID:GaIAuIvs
>>341 ショボーンとするのも妄想です。
ショボーンとする暇があるなら、瞑想にもどるか、
別のことをやるほうがいいと思いますよ。
だれだよ 八宝菜って
>>344 結局ネガティブな感情を伴う思考が妄想ってことになるが宜しいか?
>>340 全てが無常だと知っておきながらなぜ論理的思考を求めるのだろう?
全てが無常だと悟った後に見えてくるビジョンは何なのだろう?
348 :
神も仏も名無しさん:2007/11/23(金) 12:02:34 ID:GaIAuIvs
>>346 ネガティブなものを含む、煩悩による無駄な思考。
349 :
神も仏も名無しさん:2007/11/23(金) 12:05:02 ID:GaIAuIvs
350 :
神も仏も名無しさん:2007/11/23(金) 12:18:47 ID:GaIAuIvs
351 :
神も仏も名無しさん:2007/11/23(金) 12:21:49 ID:GaIAuIvs
>>348 煩悩ってなry
定義のあやふやな言葉も迷い・妄想の類だ。
追いかけっこになる時点で本質はわかってないのかもな・・・
354 :
神も仏も名無しさん:2007/11/23(金) 14:56:39 ID:Pr14NBzo
初期仏教も好きなんだが
なぜか南無妙法蓮華経を唱えるといい感じになるw
なんなんだろうこれは
スマ氏は認められないだろうなあ
355 :
忘却者:2007/11/23(金) 15:02:13 ID:pd67/3Jq
南無阿弥陀仏を唱えれば
ただそれだけで幸せになれるというのは
すごく進んだ考え方だ。
一生やってろ
357 :
神も仏も名無しさん:2007/11/23(金) 17:49:19 ID:GaIAuIvs
>>354 南無妙法蓮華経じゃなくても、何を唱えても気持ちよくなる。
それをお経の不思議な力だとかいうふうにこじつけなくてもよい。
358 :
神も仏も名無しさん:2007/11/23(金) 17:51:18 ID:GaIAuIvs
>>353 煩悩は具体的に説明されてるし、
修行によってどの煩悩から消えてゆくか、
その順番も解説されています。
Shiva(藁)
あいかわらずレベル低いな
>>333 中庸じゃなくて中道だろ
>>296 『アビダンマ講義シリーズ〈第2巻〉』 P.345
>>362 ありがとうございます。二巻だけまだ入手してませんので、早いうちによんでみたいと思います。
364 :
神も仏も名無しさん:2007/11/24(土) 10:09:07 ID:cgDKcnu7
長老がバガヴァットギータをくそみそにけなしてた箇所があったと思うんだが、どの本だっけ?
>>365 mixiの連中バカなんじゃないの?
mixi上座部批評厨の特徴
自分が正しいと思ってるから無知素人が事情通面して平気で上座部の批評をしだす。
瞑想メソッドマニアが解説しだす。
畳に土足で上がりこむような下話をする。
ぺ○ちゃんはツンデレなんだよ。
温かい目で見てください。
368 :
神も仏も名無しさん:2007/11/25(日) 03:56:23 ID:tH9r2mZM
ウマしか
369 :
神も仏も名無しさん:2007/11/25(日) 03:57:35 ID:tH9r2mZM
ウマしか
実はまだ瞑想合宿に行ったことがありません。
理由は、一言で言うと怖いからです。
怖い理由は、過去の古傷やどうしても言いたくないような汚点でも正直に
寝掘り葉堀、告白する必要があるのかということと(だとしたらとても参加できそうにないです)、
もう一つは長老が相当厳しそうなので、単純に怖いということです。
とくに、一つ目の不安があるので、「あんた何甘えてるんだ」とばかりにやられると
確かに甘えてるのかもしれませんが、まだ勇気が出ません。
厳しいのは仕方ないとして、瞑想会のレポートとアドバイスって、
雰囲気として、どんな感じなのでしょうか?
何か隠しているねって感じで、どんどん切り込まれちゃうのでしょうか?
協会の合宿に行った方教えてください。
>>370 体験しろとしか言えません
私も恐怖心を持ってましたが覚悟を決めて参加し
とても良い経験が出来てよかったと思っています
あなたも参加して修行を終えると
私のレスの意味が解ると思います
>>370 言わなきゃわかんないよ。
別に言わなくていいんじゃないの、そんなプライベートなことまで。
373 :
神も仏も名無しさん:2007/11/26(月) 19:56:19 ID:mt1xdbuS
>>371>>372 ありがとうございます。
言わなくてすみそうなら、それがいいのですけどね。。。
大まかな「怒り」とかそういうことなら言えるのですけど、自分の傷の中心にあることを
こと細かに言うのだったらちょっと・・ということになってしまいそうです。
>>373 初心者指導は済んでます。
375 :
寺和田の獅子:2007/11/26(月) 20:47:21 ID:EoCl7brF
しゃべったから楽になるわけじゃないときもあるからね。
しゃべったことでまた傷ができてしまうこともある。
そういうとこを考えてほしいね。
瞑想やりながら徐々に解決していくんじゃないかな?
377 :
神も仏も名無しさん:2007/11/26(月) 23:22:02 ID:mt1xdbuS
>>374 初心者指導済みなら、とりあえず自分で実践してみては?
で、仏教についてある程度学んでみた上で、
いろいろ疑問が出てきて直接質問してみたくて仕方なくなったら、
また指導を受ければいいのでは?
あわてなくていい気がするのですが。
>>375>>376>>377 レスどうも。いつかは行かないといけないないなぁと思っております。
たしか、途中で帰るのも自由と聞いておりますので、もし心配している意味で合わなかったら帰るつもりで
参加したいと思いました。
人前にさらすようなことではありませんが(というかできない)、
どのみち解決しないと、心に傷を抱えたままで、かと言って背負いきれてもいない状態で生きていくことになりそうです。
ありがとうございました。
379 :
神も仏も名無しさん:2007/11/27(火) 13:59:28 ID:tFrAL0wv
>>378 精神的な傷ってなかなか解決しませんよね。
私は「一日一善」作戦でだいぶん軽くなりましたよ。
コンビニ入ったらお釣りを募金するとか、道ばたのゴミを拾って帰るとか、
一善と言わず気づいた時に小さなことをコツコツと(笑)。
380 :
神も仏も名無しさん:2007/11/27(火) 20:16:07 ID:+cyVZntY
一般のカウンセリングと同様、自分のトラウマを打ち明けるのは本人の心の準備が出来てからの方がいいと思いますよ。
382 :
神も仏も名無しさん:2007/11/28(水) 07:32:32 ID:iMqTxGbw
mixiの痛い浮浪者
Chandra
↓
Shiva
↓
Vayu
もう秋田
384 :
神も仏も名無しさん:2007/11/28(水) 08:57:26 ID:4ylqM/bh
真のグル(導師)じゃ。
385 :
神も仏も名無しさん:2007/11/28(水) 21:16:43 ID:2ay+ydbh
今日はおなかがグルグルです。
>>386 見た。
長老も良い場所に写ってますね。
でも顔と文字の大きさは、まだまだですね。
五木さんって、小説で宗教扱ってとはいえ、なんでこんなにもてはやされてるんだろ。
そんなにすごいこと言ってるのかなぁ。読んでないから、知りもしないけれど・・。
388 :
神も仏も名無しさん:2007/11/29(木) 16:33:03 ID:U4RaQlus
図書館へGO!W
389 :
神も仏も名無しさん:2007/11/29(木) 20:12:34 ID:Mg3ZQVdl
KITTY
390 :
神も仏も名無しさん:2007/11/29(木) 21:12:38 ID:snpVztbg
グリーンカレーとリンゴとヨーグルト。
私は385じゃないので、全然関係なくてスマ。
392 :
神も仏も名無しさん:2007/11/30(金) 20:41:35 ID:9YFL7Rfr
ヴィパッサナー初心者です。
車の運転をしていて、視界の悪い駐車場で車や人が出てくるのを注意するのは妄想になるんでしょうか?
またそのときに、この考えは妄想?って考える事は妄想なんでしょうか?
文章下手で解り難いですが、教えて頂けたら嬉しいです。。
妄想では無くて、思考になるのでしょうか?
どっちにせよ注意するのを止めるのはありえないのですが。
394 :
神も仏も名無しさん:2007/11/30(金) 22:48:46 ID:yHMX8fe9
>>393 運転のときに運転のことを考えるのは
妄想ではないのでは?
通行人に注意を払うべきときに注意を払うのは
妄想ではないのでは?
妄想か妄想ではないかということより、
やみくもに動きまわりたがる心をいかに制御するか
ではないかと思います。
車をうまく運転するように、心を運転する。
>>394 レスありがとうございます!
やはり妄想では無いですよね、ちょっと誤解していたようです。
瞑想を始めてから、ここから車が飛び出してくるかも、人が居るかも、と
気をつけてる自分を客観視する様になって、少し混乱していました。
最後の言葉、とても勉強になりました。
サティも良いけど車は安全に運転してください。
運転ではないけど頭使う作業はサティ出来ないですし
サティ慣れないとスローになりそうなので、運転はちょっと怖い
もし慣れないサティで事故ったら洒落にならないよ
運転しながら別のこと考えてるのはサティじゃないんでないかい?
仕事しながら別のことを考えてるのも。
そもそも車運転しながらラベリングするのは瞑想なのかどうか判断に困るところである。
ただ、「吐き気」だとか「痛み」だとかを仕事中にラベリングして、和らげようとするのは
方便であろうか?
そういう俺は本気で瞑想をする気はない。難しそうで怖いよ。アレは。
むしろ「お釈迦様の言葉の解釈」を楽しみに待っている。>書籍を買った俺。
豚に真珠
402 :
神も仏も名無しさん:2007/12/11(火) 23:42:03 ID:geR9g7bD
403 :
神も仏も名無しさん:2007/12/13(木) 01:04:54 ID:s1s01NqW
...瞑想が科学的に証明されていますねー。
ってのに
*1サマタ ヴィパッサナーは、科学とは別に関係ない。
そういうことを言うから誤解を生むみたいなコメントだったよね。
いたって普通な見解でしょう。
それに対してか、
*2 「科学教の信者ですか?」って感じのが続いてあったな。
今日は*2コメントまで消去になってるな。
404 :
神も仏も名無しさん:2007/12/13(木) 07:46:32 ID:larAZRQo
またmixiか
科学科学言うやつって往々にして科学で証明できないことは信じない。
現実起こっていることでさえ科学の力が足りずに証明できないのに
信用に値しないとする弊がある、という面もある。
ってかんじじゃないの。
406 :
神も仏も名無しさん:2007/12/14(金) 11:33:40 ID:lYzCe7yr
そういう方も世間にいるのも確かだね。
でも *1の書き込み見て そういう科学に頑固な感じはしなかったけどね。
ちゃんとした実践者のようだったし。
むしろ瞑想に関しても客観的に妄信はしないで取り組むタイプなんじゃない。
そうであれば、ある意味健全な姿勢。
それを「科学教?信者ですか?」って皮肉るって、宗教体質的にはどうですかな。
407 :
神も仏も名無しさん:2007/12/16(日) 06:03:30 ID:ZguWOlyl
ヒューマン・スイーツ(笑)の略
410 :
神も仏も名無しさん:2007/12/16(日) 23:56:35 ID:TTFq7OuG
>>408 HMSっての略なんだ、なんで400にきいてんだw
なだぎ武が自転車から降りる時に
いちいち報告するのもヴィパッサナーですか?
脳内劇場
414 :
神も仏も名無しさん:2007/12/23(日) 10:45:38 ID:QzKRAHsK
>>412 おお、立派なヴィパッサナーだ。
しっかりとした確認で、
身体は動かしているが間は取ってるし、
間というのはそれなりの人格がないと取れないもんだ。
君も気軽に修行し給い
415 :
神も仏も名無しさん:2007/12/24(月) 02:58:18 ID:pB3u1qP4
勝山もいれてやれ。右から左。
あれも高度な 気づきの一種だ。
416 :
神も仏も名無しさん:2007/12/24(月) 10:37:06 ID:wLNU2+ET
日本上座部仏教協会・「オモロイ坊主を囲む会」
小乗仏教もスマナサーラさん以外の寺院もあるみたいですね。
やってる内容は、小乗仏教どうしということで、ほとんど同じっぽいけど。
417 :
:('A`)::2007/12/24(月) 23:04:32 ID:Fgl8631k
今日、仙台の瞑想会いきました
なるほどわかりやすかったのでポイント書きます
1.妄想の入る隙もないくらい実況中継
2.自分が〜、という一人称をなくす
3.座る瞑想のときは動いてはいけない(口の中や眼球、指先も)
4.その状態でヴィパッサナーをする
5.立つ瞑想、歩く瞑想はゆっくりと一定の速さで行う(スピード調整
のために目で確認してはいけない。感覚でスピードを感じるように)
6.背筋をしっかり伸ばす←すごく重要なようです。
と、今日習ったポイントを箇条書きしました。参考になれば嬉しいです。
418 :
('A`):2007/12/24(月) 23:22:42 ID:Fgl8631k
↑書き忘れ↑
瞑想をするときはひとりでこっそりとやる
なぜなら複数でやると比べてしまったり、誉められたいと
欲をかいてしまったりと集中できないから
とのことです
419 :
神も仏も名無しさん:2008/01/09(水) 10:23:21 ID:5w6gfhDQ
お前らあけおめ
新年になってからこのスレ閑古鳥だぞ・・・勿体無い・・・
420 :
神も仏も名無しさん:2008/01/09(水) 21:50:38 ID:cjJOnaWD
お前らヴィパサナ関連の書籍で一番お勧めの本教えて
下さい
個人的には地橋氏の「ブッダの瞑想法」が一番かな
次点はマハシの「ミャンマーの瞑想」
スマ氏のはヴィパサナの本に関してはいまいちな感じがする
>>420 スマ氏に関しては、あんまり瞑想に関することを詳しく本にすると悪用されるからだと聞いたことがある。
それに本を見るなとは言わないが、瞑想はやはり指導者について教えてもらうのが一番。
本だけ見て我流でやるのは危険なのでやめたほうがよろしいかと。
424 :
神も仏も名無しさん:2008/01/10(木) 23:46:01 ID:XVMBKgvQ
>>421 テーラワーダの人気の一因として、
禅寺での修行とかより敷居が低くオープンな感じが
手軽でいいのだと思います。
その流れでいくと、
さらに手軽に、本やビデオだけ見て自宅でできる、
なんとかブートキャンプみたいなのに、
どうしても人気が集まってしまうでしょうね。
425 :
神も仏も名無しさん:2008/01/11(金) 11:28:45 ID:SMuIEsxB
この人の本を3冊ほど読んだけど、支離滅裂というか、
文章として論理がつながってないのだけども。
それと、内容も処世術ってな感じ。
漠然として高尚な言葉がちりばめられたほうがありがたい?。
427 :
神も仏も名無しさん:2008/01/12(土) 18:32:41 ID:oeDIJv0n
>>421 え、すんげぇ詳しく書いてるじゃん。
アビダンマシリーズと、あれが重ければ「心の中は〜」、
それに「人生は〜」。
「やばいんじゃないの?」というくらい詳しいぞ。
>>421 スマ氏は瞑想修行をしたことが無いに等しいからです。
ちょっとだけならしたことはありますが。
誰の意見も信じ無い方が良い。人それぞれ。
連想とは、雑念ですか?
431 :
神も仏も名無しさん:2008/01/13(日) 08:09:35 ID:d/qRqbhp
>>430 連想しなくていいときに連想してしまうのは、雑念では。
連想に感情が絡みつくとややこしい妄想になりがちだよね
【ミニ百科】
ヴィパサナの手法は、サイエントロジーやアバターのテキストにもっと詳細且つ体系立てて出てくる。
いきなりすべての人が出来るようにはならない。
釣りです 釣りです
リサーフェシングというアバターのテキストを読んでみるといいよ。
ジュンク堂あたりに置いてあるから。
437 :
神も仏も名無しさん:2008/01/14(月) 13:05:18 ID:GnYcX6na
おもしろそうだな。 試してみるのもよさそうだ。 金がかかりすぎなければ。
>>437 アバターコース33万円 サイエントロジー200万円〜∞
リサーフェシングのテキストだけで十分だし、
その上で上記サイエントロジーフリーゾーンの英語サイトから
使えそうなテクを訳出して補助的に使えばいいよ。
アバもサイエンも組織には絶対に関わるな。
荒れてます 荒れてます
長老のテレビ出演が決まったそうです。
喜ばしいことと思うと同時に、何か申し訳ないような気もします。
長老本人は嫌がってはないと思いますので、これでいいのだとは思いますが・・
あまりメディア等の露出は、なんだか使ってるような気分もします。
442 :
神も仏も名無しさん:2008/01/18(金) 22:28:58 ID:dO798Yet
>>441 そんなことねぇだろ。
受ける、ということはそれなりの考えがあるんだろうし、
そんなこと気に病んでる暇のうちに
さっさと修行しる。
それが一番喜ばしい
443 :
神も仏も名無しさん:2008/01/19(土) 12:14:44 ID:ReLI/0L/
悪い感情の生起ってのは、自分の良心とか魂に刻まれた業からのメッセージ
じゃないのか。だから目線を現実に戻すことで思考や妄想の集積からの苦しみ
を避けるなんてのは、臭いものに蓋をしてしまう行為のような気がするね。
この瞑想で少し落ち着いたときに、森田療法など過去の自分の行い、
を深耕して、自分の妄想パターンの由来と想念パターン(心のくせ)
を理解して、業念に気づくことが必要じゃないのかな。
パニックがきついときには、人の手助けが必要だろう。
そのあとに、長年の心のくせを減らすために、とらわれ解除の瞑想が
有効かと思うけどな。
森田療法は過去の自分の行いを深耕する性質のものじゃないと思うが、、、、。
445 :
神も仏も名無しさん:2008/01/22(火) 13:54:36 ID:3vIdNwmG
しかしだ。メディアやインターネット、世間の言葉は、警戒と懐疑、偽りと不信、不安と快楽、
狡猾さが覆っている。一方でまじめでやさしさに満ちたものが、社会との距離を置いて、
自己卑下して萎縮し衰退しているような、そういう傾向が日本の縮図になっている。
無節操で衝動的で混乱するだけの自我とその欲望のままに、社会・経済が流されていった結果だ。
当初良かれと思ったことが、時間とともに心の混迷を深め、喧騒と無秩序な毒の感染を余儀なくされている。
瞑想で猛毒感染しないように、日々勤めようとするのはわかるが、
世界規模で毒ガスが広がる一方の今、歯止めの智恵をどうやって創るか、
瞑想による極度な混乱・錯乱抑制の行為と同時にそれを実行しないと、
悪行を見てみぬふりとなんら変わらんのじゃないか。
そういうことをつくづく思ってしまう。何ができるのだろうか?
何ができるのだろうか、歯止めをかけなければ、という衝動、
その衝動そのものが実は猛毒感染してしまったことの結果なのだよ。
447 :
神も仏も名無しさん:2008/01/22(火) 20:07:51 ID:4dAf7yZF
だから書いてあるじゃん、
「世直し思考をやめて」
「仏教は最終的に、正義が勝つとは思っていません」
って。
人のことなんてどうでも良いから、自分を変えろ。
自分を変えたくないから、どんな自己欺瞞だってする。
「世直し」ってのは、格好のネタ。
448 :
神も仏も名無しさん:2008/01/23(水) 01:28:57 ID:zfKN+7ne
そうだ!他人なんかどうでもいい!ほっとけ!
苦しんでても、どうでもいい!
環境が破壊されようと、自分に降りかからなければ考えるな!
福祉や弱者救済制度なんか、時間の無駄!
少なくとも、自分が恩恵を受けない限りは!
他人が福祉をやるのは勝手だし、恩恵は受けるけどね!
>>447 ってことですよね?
449 :
神も仏も名無しさん:2008/01/23(水) 01:31:23 ID:zfKN+7ne
たまたま平和な状態に生まれてラッキー!
たまたま罪もないのに貧困や争乱に巻き込まれて殺されるこどもたちはお気の毒w
でも、「自分のこと」にだけ目を向けよう。
他者に援助なんて「世直し」は猛毒感染の自己欺瞞!
助けるべき他人など存在しない−−−−クリシュナムルティ
世の中で起きていることが「自分以外」という認識であるうちは、
君は何も「為す」ことは出来ない。なぜなら、それは君自身ではないのだから。
このパラドックスの意味が理解できるようになった時点でまたここにおいで。
452 :
神も仏も名無しさん:2008/01/23(水) 13:19:15 ID:zfKN+7ne
ありがちな曲解唯心論乙。
それをそのままうけとって単純な解釈で周囲に適用したら大変なことになる。
他者と言ってもいろんな次元がある。
その次元での「他者」がないなら、
>>447のいう「自分」もないことに気づいたほうがいい。
自他がないなら、社会的な弱者を救済しても、そこに、なんら問題はない。
なぜなら、救済されるのは他者じゃないし、しているのは自己じゃないから。
このパラドックスに気づいたら、またおいで。
453 :
神も仏も名無しさん:2008/01/23(水) 13:20:03 ID:zfKN+7ne
で、以下の「他者」は、またそれと違った次元での「他者」。言葉で表現するしかないから、
上記と矛盾するが、わかるかな。
自分が使ってる物品の1つでも、他者に依存してないものはあるのかw
精神的なものに関しては最終的に自分で自分を救うしかないが、
それでも態度1つ他者に利益になるようにとダンマパダには語られている。
誰かに、用意してもらった、ほどよくぬるい環境に生まれ育ったから
それでも通用するだろうが、自分がどれほど多くのものを他者に助けてもらっているか、良く考えるがいい。
>>452 馬鹿だね。救いようがない。
お前にとっては自己と他者がいる。それが今の現実なわけだ。
だから救済なんか出来ないってことだよ。
実際、お前に何ができるのだ? 何もできやしない。
そのことがわかってからここにおいで。可哀想な坊やw
ほどよくぬるい環境に身を置いているからこそ、
他者を助けられると勘違いしてしまう。
環境保護団体の馬鹿どものようにね。
そしてクジラを保護するためには捕鯨船を沈めて船員たちを殺しても構わないと思うようになる。
他者を救済するためには邪魔者は救済しなくてもいいというわけだw
ここでグダグダ能書きばかり並べてないで、お前の言う救済とやらを実践してみろよ。
出来るものならなw お前に何が出来るんだ? www
457 :
神も仏も名無しさん:2008/01/23(水) 18:32:16 ID:h2rZcdlp
>>448 考えがごっちゃになってるな。
細かく答えてやりたいところだが、
まぁなにしろこっちもプロじゃないんでな。
お前の、苦しんでる他人をなんとかしたいという気持ちは、
大変立派な心、「悲」だ。
環境が破壊されていれば、それに対して心を痛めるその優しさ。
それを日本に留まらず世界、そして全生命に拡げてくれたまえ。
しかし、まずはお前自身に優しくしろ。
でないと、その優しさが怒りを生んで、
却って悪い結果を生む。
でだ、問題なのは、
「皆が苦しんでるから私は幸せにならない」というこちらだ。
逆に言うと、「お前らが苦しんでるから俺は幸せになれない」となる。
自分が原因で他人を苦しめるのは、お前が一番嫌がることではないか?
それとも、別に平気か?
だから、だ。
弱者を救うの結構。環境破壊に対して何ができるのか、
自分の能力を鑑みて行動するのも結構、
現時点で何もできなければ、募金だけでも結構。
ただし、ヴィする時には、それらはどっかに置いとけ。
大事なのは、集中だ。
弱者の事を考えながらするのは悲の瞑想。
他では、置いとけ。
でないと、いざ助ける行動に出るようになった時すら、
智慧が出んぞ。
平和を願うはずの君らの心は少しも穏やかじゃないね
健康のためなら死んでもいい
平和のためなら戦争も辞さない
毛皮のコートを着て動物愛護のためのデモ行進
仏法をひろめるためなら中傷や毒舌を使い愛語を無視することも辞さない
464 :
神も仏も名無しさん:2008/01/27(日) 17:01:24 ID:P1JG7h7K
サンガ新書の新刊「結局は自分のことを何もしらない」読書中(≧∀≦)ノ
465 :
神も仏も名無しさん:2008/01/27(日) 17:15:15 ID:63Q6lzUs
また本を出したか。
しかしよく書くなあ。w
話してることをそのまま本にしてるだけだろw
467 :
464:2008/01/27(日) 20:51:36 ID:NjbmviF9
「結局は自分のことを何もしらない」読了、よかった(≧∀≦)ノ
国書刊行会から出た「ブッダの青年への教え」も読んだけど、こっちはいまいちだったw
>>461 なんかブルーハーツのイメージって曲思い出した
『どっかの坊主が親のすねかじりながら/どっかの坊主が原発いらないってさ』
469 :
神も仏も名無しさん:2008/01/28(月) 14:40:44 ID:16pEkz0F
ほんと次々と本が出るね。ちゃんと売れているのかね。
おれは全部買ってる 固定ファンがいる著者は強い
471 :
神も仏も名無しさん:2008/01/28(月) 20:07:04 ID:sHaOUDgc
おれも全部読んでるが、「わたしたち不満族」はつまらなかったな;´Д`)
最近でた宗教学者の山折さんとの対談。山折さんの頭の悪さが際立っててワロタw
山「宗教を考えるうえで性欲の問題は非常に大きい問題だと思います」
ス「たいしたことじゃないですよ。食べなかったり寝なかったりしたら死にますけど、セックスしなくて死んだ人はいません」
山「……」
473 :
神も仏も名無しさん:2008/01/28(月) 21:41:40 ID:sHaOUDgc
山折りサンはおれも軽蔑してるお(゚∀゚)アヒャ
知識はあるが知恵がない罠w
慈悲の瞑想とヴィパッサナー瞑想を始めて、1ヶ月半。
まず、キレにくくなった。怒っても、以前のような粘着性がなくなった。
キレられても、以前のような感情的な反応をしなくなった。
酒を飲まなくなった。何だか落ち着いている。文章・自身の行動・他人の行動を
細かく分析できるになった。
こんな胡散臭い世界とは縁がないものと思っていたが、実際に体験しているんだから仕方がない。
実際に心が、今、穏やかなんだから、仕方がない。
これまで、まぁ、心のモヤモヤ・不全感を何とかしたくて、
小説、哲学、政治哲学、社会学全般、心理学全般、民俗学等、まぁ、いろいろ本を
読み散らかしてきた。それらをそれなりに楽しんだが、心の不全感が解消されることはなかった。
まぁ、日常生活に支障が出ない程度に続けていきますよ。
あと、スマのアドリブ説法部分が、俺のオヤジの生活態度とかなりカブルだよなぁ。
生きとして生けるものが幸せでありますように。
慈悲の瞑想がどうしても好きになれない、何故なんだろう
ロジカルに作る慈悲に人工的な物を感じるからなのか
生きとし生けるものの幸せを願うというのがスケールが大きすぎるからなのか
嫌いな人の幸せを願うというのが嘘臭い気がするからなのか
どうも素直に慈悲の瞑想をする気になれない
個人的にはティクナットハン氏の微笑みの瞑想の方が合うかも
>>472 俺は中島義道氏(怒り肯定派)とスマ氏(怒り否定派)の対談が見てみたい
スマさんは怒るひとだろ 怒らなければいけない相手ともたくさん付き合ってるだろうし
うーん、確かに怒る人だよね。だから阿羅漢になってない(失礼)んだろうしなあ。
だからこそ長老でありながら切れ味のある論客でもいれるしその説法を聴ける。
でも立場上怒り否定派のスマ氏が怒りを交えながら怒りの危険性を語る様が見てみたいんだな。
>>475 好きとか嫌いとか
それを超えるのが修行でしょうに
正確に言えば、スマさんは怒ったフリをするひと
>>475 > 個人的にはティクナットハン氏の微笑みの瞑想の方が合うかも
ティクナットハン氏のどの本に微笑みの瞑想って
載っていますか?
>>481 『あなたに平和がおとずれるー禅的生活のすすめ』
二章『矢を花に変える』に詳しい
ベトナム仏教は大乗と上座部がいいとこ取りされているのが良いね
上座部ゆずりのストイックさで、大乗ゆずりの融通性というべきか
>>472 その本読んでないけど
山折さんは親鸞フェチだから、そういう言葉が出たんだろうね
親鸞は52歳のとき末娘ができてるしw
484 :
神も仏も名無しさん:2008/01/30(水) 01:37:41 ID:+9QSPsLB
ティク・ナット・ハンとスマナサーラじゃ人格力が違う
正直、長老の本を1000冊読んでも慈悲の気持ちがわくことはないだろうが、
ティク・ナット・ハン氏の文章は、氏の慈悲が伝わってくる。
攻撃的な平和主義者のそばにいても、平和な気持ちにならないのと同じ。
だが
>>482の本の訳が非常に残念だ
「慈悲」や「慈しみ」と訳されるべき部分が全て「哀れみ」という言葉になっている
訳文はニュアンスが命だってのに「哀れみ」じゃあ・・・
世界平和を言うヤツに限って、自分の心は平和じゃなかったりする現実。
スマ長老って、怒り否定派だったんですか?
私は、てっきり肯定派だと思ってました。
本ではたしかに否定してますけど、信者の言動見ても、
とても否定派には見えないです。
怒りはダメだって言ってるんだろ!
あんまり頭悪いこと言ってんじゃないよ!
みたいのは、協会では指導と呼ぶのかもしれませんが・・。
488 :
神も仏も名無しさん:2008/01/30(水) 17:28:43 ID:7CZvOzn1
>>474 瞑想を始めてから 気分の高低差が激しくなりませんでしたか?
私は始めてからまだ10日ですが、気分の良い日と落ち込む日が交互にきて
辛いです。今日など特に眠たくて仕方がありません。
眠りは怠けだ。慈しみの気持ちは偽善で我慢することが苦しい。の繰り返し。
これに動揺せずに実践あるのみなのでしょうか。
489 :
神も仏も名無しさん:2008/01/30(水) 19:05:21 ID:V+LTmPFm
>>488 そりゃあ、欝か神経症の兆候だね。瞑想やめて運動でもしたほうがいい。
>>488さんへ
>瞑想を始めてから 気分の高低差が激しくなりませんでしたか?
気分の高低差があったような記憶がありますが、
明瞭に思い出せません。ですから、激しい高低差はなかったもの
と思われます。
なお、今でも、気分の高低差はあります。
が、以前ほどの高低差はありませんし、かなり落着いています。
>慈しみの気持ちは偽善で我慢することが苦しい。
私も慈しみの瞑想には抵抗がありました。
偽善というより、心の中で唱えることさえ、恥ずかしいという
気持ちが強かったです。
ですから、私は、ヴィパッサナー瞑想から、始めました。
そして、その効果を実感した後、慈悲の瞑想を始めました。
慈悲の瞑想を始めた当初は、まさに空念仏状態。
ただ、口から音を出しているだけ。心の中で、ただ、機械的に思っているだけ。
「私の嫌いな人々が〜〜」のクダリが、なぜか上手く唱えられなかったり。
その空念仏状態でさえ、私には、落ち着きをもたらす効果がありました。
以上、私の体験を書き込みさせて頂きましたが、私は瞑想につきまして、
経験も浅く、専門的な知識も有しておりません、ただの素人です。
あくまでも参考程度にとどめて下さい。
491 :
神も仏も名無しさん:2008/01/30(水) 21:07:05 ID:7CZvOzn1
>>489 ご指摘をありがとうございます。
年末まで精神科に通院していました。
鬱か神経症か人格障害かは診断されませんでした。
薬は夜寝る時に1錠飲んでいましたが、瞑想で回復するのが望ましいと
始めた次第です。やはりやめたほうが良いのでしょうか。
>>490 ご丁寧にお答え下さりありがとうございます。
不安になり質問させて頂きました。
経験や実感も十人十色なのでしょうね。
回復を焦り混乱してしまいました。
素直な方ほど効果がありそうです。これからも瞑想を楽しまれて下さい。
ありがとうございました。
492 :
神も仏も名無しさん:2008/01/30(水) 21:17:55 ID:/vuqe8NK
瞑想で不安定になるのは上昇過程、しょうがない
安定・不安の繰り返しだから
493 :
神も仏も名無しさん:2008/01/31(木) 00:55:54 ID:xMqMUU0M
487さん
>本ではたしかに否定してますけど、信者の言動見ても、
>とても否定派には見えないです。
確かに。
スマ長老のシンパって怒りっぽいよね。何でだろ?
相手が上座部信徒でも、スマ長老んとこで教えられているのと違うこと言ってたりすると、噛み付いたりするし(「田舎神学」とか決め付けてさ)。
スマ長老より明らかに高潔で高名な人を相手にした場合は、表向き褒めるふりして、さりげなく書評に嫌味を混ぜるとかするよね。
まあ、一番あきれたのは、非仏教徒の運営する掲示板で、仏教徒かどうか不明な相手に「浄信」を求めてカッカしていたのを目撃した時だけど。
494 :
神も仏も名無しさん:2008/01/31(木) 10:35:01 ID:sCkhFOAp
人格は伝染するからね。
教義とかよりも、人格をよくみきよわめて学ばないといけないと思う。
495 :
神も仏も名無しさん:2008/01/31(木) 18:26:02 ID:BjufpTNt
まさしくプロテスタント仏教
立場的には革新派にあたる大乗の方がプロテスタントになって然るべきなのに
何故か上座部の方がプロテスタント的に見える
496 :
神も仏も名無しさん:2008/01/31(木) 19:54:20 ID:sCkhFOAp
仲介者を設けないで、ダイレクトに絶対なるものと出会うという意味では、そうだね。
497 :
神も仏も名無しさん:2008/01/31(木) 22:08:18 ID:0ETrR/fz
どれ、原訳「法句経」一日一悟でも読み返すか(´・ω・`)
498 :
神も仏も名無しさん:2008/01/31(木) 22:38:22 ID:820PjYJM
まぁ、仏教原理主義者だしな
499 :
神も仏も名無しさん:2008/02/01(金) 01:51:03 ID:Ga2B6cmv
長老は、超能力使ったり、過去世を見たり、食べ物を食べないで生命を維持したり、出きるの?
500 :
神も仏も名無しさん:2008/02/01(金) 10:33:55 ID:bpkoPucl
できない。
いろんな本を読むんだけど、「サティを入れる」って簡単に使っていて
でも、どういうことなのかをキチンと説明していないのでね〜。
503 :
神も仏も名無しさん:2008/02/01(金) 21:17:12 ID:PkX7JpeU
504 :
神も仏も名無しさん:2008/02/02(土) 10:13:33 ID:EFggADLn
5日は、ちくまプリマーから「ブッダの幸福論」発売!(゚∀゚)
>>501 これは以前に既にスレに張ってあったが、
ちゃんとyoutubeにあがってるファイルのタイトルをしっかり読もうね。
↑ 貼る 乙
>>505 Mahasati Meditation だが、意味わかって言ってるのか?
知ったか乙
なら 俺だけかと聞く必要はないと私は思うんだけどね。
知ってたならよかった。さすがだね。
からむなよ 心が汚れる
510 :
神も仏も名無しさん:2008/02/04(月) 01:35:01 ID:JAaKTNzd
511 :
神も仏も名無しさん:2008/02/04(月) 14:35:33 ID:v54/nVqO
瞑想を実践していらっしゃる方に質問です。
座る瞑想の時には、じかに座るのですか?おしりの下に座布団などを敷いても
良いのですか?
お答えをどうぞよろしくお願い致します。
>>510 ヴィパッサナだからじゃない?
ヴィパッサナーなのに
>>511 寺和田は座布団敷いてるよ
背筋が伸びて安定すれば何でもいいんじゃないかな
俺は椅子に座ってやる
514 :
神も仏も名無しさん:2008/02/04(月) 18:31:31 ID:EU9PBZgG
515 :
神も仏も名無しさん:2008/02/04(月) 20:22:30 ID:v54/nVqO
>>513 ありがとうございます。
違う瞑想方法から こちらにしてみようと思い 今までの瞑想も座る時に
おしりの部分に座布団を敷いていたので。
姿勢は大切だと思いまして質問させて頂きました。
これで瞑想中の雑念が1つ消えそうです。
516 :
神も仏も名無しさん:2008/02/05(火) 03:29:31 ID:WFq9txpi
517 :
神も仏も名無しさん:2008/02/05(火) 18:00:25 ID:ZD9EeDbi
518 :
神も仏も名無しさん:2008/02/06(水) 11:24:43 ID:AkIQAZY+
シンドラーのリストって映画観た??
519 :
神も仏も名無しさん:2008/02/06(水) 18:58:45 ID:LOQs8vOR
M創始者 マハリシ・マヘッシ・ヨーギ逝去
[アムステルダム 6日 ロイター]
ビートルズにも影響を与えたインド出身のヒンズー教指導者、マハリシ・マヘシュ・ヨギ師が、
オランダの自宅で死去した。生年月日は明らかになっていないが、享年91歳とみられる。
マハリシ師はビートルズをはじめ、1960─70年代の有名人たちに瞑想を教え、
世界中で信奉者の数は600万人ともいわれる。
これまでに大学や学校を世界各地に設立したほか、自然法党を率いてさまざまな国を訪れていた。
1959年に初めて米国を訪問し、1990年には本部をオランダに移していた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080206-00000894-reu-ent
結局、知識争いに勝つより、
他人を攻撃しないで、幸せを願える人が勝利者なんだと思う。
何でみんなつまらないことでいがみ合いたいたいんだろうね.
自分を知らないからさ
524 :
神も仏も名無しさん:2008/02/08(金) 22:18:35 ID:Vg2/bDgg
おもしろいことではいがみ合わんだろう。
おもしろいことがないから、つまらないことでいがみ合うんだな。
つまり、いがみ合うのがおもしろいわけだ。
それがおもしろくなきゃ、輪に入らんことだ。
因みにシンドラーのリストかなり昔に観た。
吹き替えが堀だったんで。
レンタル屋に行くとスマっちに会えたりするのかな。
科学って連呼するけど科学的手法をとってないよな
業とかあの世とか言って科学は無いだろ
526 :
神も仏も名無しさん:2008/02/10(日) 15:21:19 ID:Jdpe41Sq
検証したいのなら戒律を守って瞑想しなさい、と言うことだろう。
酒もタバコも飲まず、セックスもマスターベーションもしないで
瞑想しなさいと。
この検証作業は誰にでも出来ないがな。
527 :
神も仏も名無しさん:2008/02/10(日) 15:37:57 ID:LY+ony6x
瞑想とは自己洗脳。思考で捕らえられない何かを知ることはできない。
528 :
神も仏も名無しさん:2008/02/10(日) 16:39:41 ID:NcElmjsq
ちくまプリマー新書の新刊「ブッダの幸福論」読了だお( ゜∀゜)
529 :
神も仏も名無しさん:2008/02/11(月) 12:26:25 ID:AXcKGAN3
昨夜、NHKの番組でリハビリをすることによって脳に刺激を与えると
使っていなかった脳神経が活発になりさらに神経が生きてくると実験結果&経過を見せて
もらった。
瞑想体験でもこのような脳神経の動きがあるのかなと想像してみたが、
想像ではなく、是非、脳神経と瞑想との関連を実験してみてもらいたい。
それが、科学で証明するということで 証明されたことによって
もっと多くの人々に受け入れられると思った。
今のままじゃ瞑想はなんとなく神懸り的なもので、一般には浸透しなさそう。
530 :
神も仏も名無しさん:2008/02/11(月) 12:38:06 ID:qjj32hsG
脳波計るとかは既にやられてそうだね。
宝彩有菜さんの友達が大脳生理学の研究してる関係でいろいろ計ってもらってるらしい
深い瞑想状態になると起きてるのに熟睡してるのと同じ脳波になるんだってさ
逆に言えば脳波ではそれくらいしかわからんってこと。
このへんは京極夏彦の鉄鼠の檻でもくわしく取り上げられてる
532 :
神も仏も名無しさん:2008/02/11(月) 13:03:46 ID:PlGLOx3S
>一般には浸透しなさそう。
仏教そのものが一般には浸透し易いものではない。
尊者よ、ちょうど同じように、完全な悟りに到達した尊いお方であるあの世尊の
ことばは、賢人を染めることができます。また鍛練することもみがき上げることも
できます。しかし、愚かな人々を染めることはできません」『中部経典』第五六経
533 :
神も仏も名無しさん:2008/02/11(月) 13:44:22 ID:AXcKGAN3
難しい言葉は、もっと一般に浸透しづらいよ。
周りみてもほとんどが精神的な苦しみの中で生きている。
アル中だったり不倫してたり子供の問題、嫁姑関係どれも根深いし。
瞑想をすることで自己観察できたら少しは楽になりそうだけど。
もう少し脳科学が進歩したら 瞑想効果を証明してもらいたい。
瞑想は科学です。と言っても絵に描いた餅状態では。
瞑想すればこうなりますといわれて実際そうなるんなら科学だよ
再現性、反証可能性が揃えば立派な科学 だれでもってとこが問題だが
相性占いみたいな心理学の方がよっぽどあやしい
535 :
神も仏も名無しさん:2008/02/11(月) 14:11:26 ID:AXcKGAN3
昨夜の番組では、脳いっ血などであきらかに脳に障害が起き
今までは、安静にしておく方法しかなかったが、専門的なリハビリによって
その驚くべき効果が誰が見てもわかる。
だから、次に生かせるし もちろん患者さんにとっても希望が見えるんじゃ
ないかなと思った。で、瞑想もわかりやすく証明できればなと。
この世は、すべて無常。でしたね。
認められたい欲が出てしまった。
536 :
神も仏も名無しさん:2008/02/11(月) 15:31:49 ID:EKq7pU27
dhammam saraņam gacchāmi.
I go to the Dhamma as my refuge.
ちゃんと、説明してくれたら信じてもいいってか。
自分で確かめるのが科学的な態度ではないのか。
537 :
神も仏も名無しさん:2008/02/11(月) 15:35:17 ID:EKq7pU27
よって信じるか否かは別として
酒もタバコも飲まず、セックスもマスターベーションもしないで
瞑想することが追試験であり科学的な態度である。
538 :
神も仏も名無しさん:2008/02/11(月) 17:12:38 ID:wk6iLpjz
スマさん、仏教が宗教じゃないなら
宗教は何を信じてるんですかね。
>>538 スマさんは何も信じてないよ むしろ「信じてはいけない」っていう人
必要なのは信仰ではなく理解
541 :
神も仏も名無しさん:2008/02/11(月) 21:40:53 ID:02BZwz3Z
スマ流科学。「チョー能力」だそうですえ。
「インドではこころを集中して、時空関係を超えてさまざまなものを認識できる能力を獲得した人が大勢いました。」
「居ながらにしてその場所にないものを見たり聞いたりする能力を開発して、認識の次元を伸ばしたのです。現代風に言えば超能力です。」
「昔からインドの社会では、真剣に修行して超能力を得た人々が、人間は死んでもそれで終わるのではないと、自分の超越した体験にもとづいて言っていたのです。」
「そういう人々が初めて、死後の世界、というよりは過去の世界について語り始めた。それはほとんど自分自身の過去のことなのです。」
「その宗教家の人々は自分の過去を四十劫年まで見るのだと。だいたい過去を見られる長さはそれぐらいまでのようです。」
「劫年というのは宇宙の時間であって、ひとつの宇宙ができあがって消える間を一劫年と計算するのです。」
542 :
神も仏も名無しさん:2008/02/11(月) 21:45:20 ID:02BZwz3Z
>>540 死後の輪廻も、過去世を見るのも、スマさんは信じてるらしいぜ。
「神々というのは異次元に住む生命の一種」
「神々という生命は、あまり物質的エネルギーを摂取しないからです。それよりは主に精神的なエネルギーを摂取して生きているのです。」
まあ、すごいですね。
死後の世界とか超能力とかそういうのに興味を持つ人がたくさんいるから、興味を持続するために話してくれるんだよ。
信じろとはいってないじゃん。悟ればわれわれにはない能力もいろいろ身につくらしいし。そういうこともあるのかなーくらいでちょうどいい。
そういう話を全部削除したところでスマ氏の話の価値はまったく変わらない。
544 :
神も仏も名無しさん:2008/02/11(月) 22:17:52 ID:02BZwz3Z
いや、断言してるしw
教義の基底だしw
「死んだらどうなるの」って本だしw
断言してるのに興味を持続させる為にいってるんだったら詐欺だよな。
545 :
神も仏も名無しさん:2008/02/11(月) 22:21:07 ID:02BZwz3Z
大乗より酷いw
「神々は異次元の生命体で、精神エネルギーを食物としてる」って、スマが確かめていってるの?
もしなかったらどうするんだw
どこが科学だw
「興味もたすために言った、信じろとはいってないじゃん」って、子供かw
546 :
神も仏も名無しさん:2008/02/11(月) 22:22:43 ID:qjj32hsG
自分に見えるからって、それを第三者が証明できないことは科学とは言わないんだけどなw
四十劫の過去まで見えた。自分はそれを真実だと確信した。
他人が証明できるかどうかなんて関係ない。自分に分かってればそれで十分。
それはやはり宗教であって、科学ではないだろ。
でもさ、新たに惑星を発見したとして、それを他の誰も証明できないなら、それはやはり科学ではないよな。
自分の死後に第三者が証明してくれたら、それでやっと科学的事実になるだけだ。
548 :
神も仏も名無しさん:2008/02/11(月) 22:50:28 ID:IJYntzX6
幽霊の 正体見たり 枯れすすき
知らないこと言われたからといって不安になるんでない。
>居ながらにしてその場所にないものを見たり聞いたりする能力を開発して、
これはSamathaの中のあれやあれをやれば可能だ。私も時々はやっているが、
あまり不思議なことはない。少しはあったが、それを目的としてやっている訳では
ないからな。禅定を得る上で必要な作業だぜ。超能力はその結果だ。目的では
ない。
>精神エネルギーを食物としてる
経典読んだことないのか。あのことを言っている。
だからさ、目の見えない人だけの国でひとりだけ見える人がいて
暖かくなったり寒くなったりするのは太陽が登ったり沈んだりするからだといったところで
目の見えない人には確かめようがないだろ
それを確認するにはそれなりの計測機械のようなものが必要。事実かどうか確認できないこと
はすべてウソだと断言する方が非科学的。
>>549 ウソと断言する必要は無いが、本当だと第三者に理解させるには、主観だけじゃ説得力が弱すぎるよな。
自分に太陽が見えて、自分にとっては疑う余地も無いほどに真実だとしても、第三者にはそれがわからないんだよ。
分かって欲しいなら、分かって欲しい自分が計測機械を作るなりしないと。
分からない、理解しようが無いお前らが悪い。自分で作れというなら、それは本心からわかってほしいとは思ってないんじゃないか?
もちろんそこまでして分かって欲しいと思わないなら、作る必要は無い。
でだ。そこまでして分からせるなんて面倒だというなら、それは大乗が言うところの声聞乗ということになるんだろうな。
552 :
神も仏も名無しさん:2008/02/11(月) 23:06:39 ID:wk6iLpjz
客観的な批判ができないからねぇ。
自分の主観的な経験はどこまで確かといえるのか。
経験は確かだって?いや、だって錯覚というものがあるだろう。
だから目が見えるようになるにはどうすればいいかを一生懸命説明してるんだろスマさんは。
計測機械なんてつくってもしかたないじゃん。
554 :
神も仏も名無しさん:2008/02/11(月) 23:08:19 ID:Xj3TM5Dj
第三者が「おれは見えない」「おれは証明できない」と言えば、科学じゃなくなるぞ。
現代で言う「科学」は、条件が曖昧過ぎるんだな。
また恐らく、死後の輪廻は見えないぞ。
そんなことは言ってないはずだが。
かなり厳密に未来の話は避けてる。
再現性、反証可能性が揃えば科学(に、なるはず。詳しくはしらんが)
だれでも「簡単に」は再現できないってことがネックだな
目の前の人が修行して、自分の体験を語り、あなたも同じことをすれば必ず悟れるからがんばれと言う。
だがそれは客観的批判ができない。
その人は一生懸命この世の理を説明し修行方法を教えてくれるが、でも、客観的証拠は一つも出してくれない。
ということは、残るはその人の言うことを信じるか否か。信仰するか否か。
これってやっぱり宗教だろ。宗教なら堂々と宗教だと言えばいい。科学だなんて言う必要は無い。
ブッダは実際にいろんな能力を身につけ、第三者から見ても納得せざるを得ない奇蹟をいろいろ示したらしい。
つまり、ブッダが生きてる時点では仏教は科学だったのかもしれない。
目の前のカールルイスが世界一の速度で走ったら、他の誰も真似できないが科学的な結果とは言えるだろ。
それと同じことだ。
だが時がたつにつれ、昔カールルイスという人がこんな速度で走ったと言われても、証拠が無いなら納得なんかできるはずが無い。
今はそれを上回る記録が、カールルイスを生で見た人が生きてる間に塗り替えられていくから、客観的に納得がいくというだけのこと。
はるかな未来、みんな遅くなってたら、VTRがあろうが記録があろうが、誰も納得しないよ。
再現性が無いんだから。
たしかに仏教が科学といえた時期はあったのだろうが、少なくとも今は宗教としか言えないだろう。
瞑想すればこうなるといわれて実際そうなるんなら科学とはいえないのか?
558 :
神も仏も名無しさん:2008/02/11(月) 23:21:31 ID:wk6iLpjz
それだったら健康食品のCMは全部、科学的になってしまう。
薬の認可が下りるのは大変だろ。
>>557 言えないんじゃないか?
それが幻覚でないと、誰が証明できる?
自分にしか見えないことを真実と思いこむのは個人の勝手だが、科学的とは言えないと思う
さっきのたとえに戻るわけだが、1m先にりんご、2m先にみかん、3m先にはバナナがあるよといわれて
目が見えるようになるとたしかにそのとおりだとわかる。それが幻覚かどうか確認するのは簡単だな。
ちなみに、仏陀の教えは、科学的だとは言えるだろう。
諸行無常とかそういうのね。
だけどその場合の科学と言うのは、一般的にイメージするところの科学=自然科学ではない。
徹底的に論理に論理を重ね思考しつくした先に見出せる真理だ。
だがそれが、仏陀の主観において見えるとか感じられるからと言って、自然科学的に真理かどうかというのは、別の問題だろう。
スマ長老はそのレベルにおいて科学だと言いたいように見えるんだよな。
仏教的な意味での科学、って言葉があるのかな。
ウィキで「科学」を検索するとおもしろい。
原因と結果を探してゆくのが科学的方法だって。
>>560 実は簡単じゃないかもw
3m先にまで歩いた。バナナを手に取った。むいて食べた。美味しかった。
そこで目が覚めて夢だと分かった。そのバナナは本物か、それとも幻覚か?
きりが無い問いかけなのは分かってるが、そこまで突き詰めないと幻覚かどうかを本当に確かめることにはならないかもよ
>徹底的に論理に論理を重ね思考しつくした先に見出せる真理だ。
たぶん違うぞ。体験を不完全な言葉で表現してるだけだとおもう。
自然科学だと人間の感覚は5つだけど仏教では6つある。眼耳鼻舌身意。
思考・感情すら感覚のひとつとして観察することで、自己を感覚から引き剥がすと
浮かび上がってくるものがあるよ、といってるだけなんだとおもうけどね(これは俺的理解)。
そのどこに他人をだましたり幻覚を見たりする要素があるのかわからんな。
566 :
神も仏も名無しさん:2008/02/11(月) 23:42:21 ID:VLLxqRZu
輪廻とか神秘主義じゃないって言っても、修行を積んでわかる人にはわかるけど
そうじゃないと理解が難しいとか、神秘主義者と目される人が言ってることと変わりない。
お釈迦様はなんていってるのかな。
567 :
神も仏も名無しさん:2008/02/11(月) 23:44:42 ID:wk6iLpjz
科学が因果関係の追及なら、ずーと因果の流れの中にいるわけだろ。
するとこれは仏教的には輪廻してるも一緒なわけで。
現象が生じては滅し、滅しては生じ。
すこしも、解脱できてないことになる。仏教が科学のうちは解脱は無理でしょ
>>564 そこにバナナがあることは眼の見えない人にも確認できるじゃん。行って触って食べればいい。
眼が見えればそんなことすらする必要はなくなる。
>>567 そうそう。だから仏教は科学なんかじゃない。宗教なんだよ。
どんなに修行さえすれば再現性があるのだとしても、それをしない人間をも納得させうる客観性を持ち得ない限り、科学とは言えない。
科学性にこだわる限り、解脱なんかできない。仏陀の言うことを心底信じきり修行にその身を投げ打てる信仰心が無い限り、無理。
570 :
神も仏も名無しさん:2008/02/11(月) 23:52:41 ID:Xj3TM5Dj
>>556 > 第三者から見ても納得せざるを得ない奇蹟をいろいろ示した
まぁ今で言う所謂デモンストレーションではないが、
スマっち、生で見るとほんと(法話中など)、隠してないぞ。
あれにはびっくりする。
因みに、修行に信仰心は要らないぞ。
あれば助けにもできるが、邪魔にもなったりする。
仏教が言っているのは、「全ての妄想を捨てたらどうですか」。
それだけ。
他の話は、上にもあるとおり、興味を持たせるとか、
怒りを利用して導くとか、そういうことだな。
571 :
神も仏も名無しさん:2008/02/11(月) 23:53:25 ID:VLLxqRZu
テラワダも信仰って結論がでましたね
そろそろ寝るけど、科学ってのはおそらく信じようが信じなかろうが、どんな人間でも無条件でその恩恵に欲せる。
それこそが本当に科学的な真実ってことになるんだろう。
火は熱い。火でお湯が沸かせる。
レンジでコンビニ弁当を温められる。
そこまでいって初めて、科学的と言えるのではないだろうか?
だけどそこまで突き詰めると、それこそ”月に人類は本当にいったのか?”ということまで疑うトンデモさんになってしまうから、科学とそうでないものの線引きは難しいんだけどなw
573 :
神も仏も名無しさん:2008/02/11(月) 23:54:40 ID:qjj32hsG
>>569 疑いながら修行して確認してみれば良いんじゃないの?
>>570 たとえばどんな奇蹟?
俺も生で何度も見てるが、そういうのは一度も見てないんだが。
スマさんは阿羅漢じゃないんじゃないか、確か。
本人も否定してたような記憶がある。
たしかに修行に信仰心はいらないだろうけど、本当に修行すれば悟りを開けるという信頼は必要なんじゃないか?
そして、信頼と信仰心というのは紙一重だと思うぞ。
>>570によれば「全ての妄想を捨てたらどうですか」だそうだ
これに信頼は必要かな?
>>573 いや、疑いながらじゃ修行に身が入るはずが無い。
疑う気持ちがあって毎日何時間も瞑想できるか?
仮にできたとして、それで得られる効果(落ち着きを得るとか)は、すでに脳波測定で科学的に証明されてる。
寺和田の瞑想を本気でやるのはそういう副次的効果を求めるんじゃなくって、解脱したいからだろ?
疑いながらだと、早晩壁に突き当たり、それで満足してしまう気がする。
俺は昔に比べてはるかに怒らなくなったが、だからと言ってこれが解脱に本当に繋がるとは、まだ信じられない。
断定できないことにこだわるのは悪見というそうだけど
断定できないことは語らないほうがいいと思う。
テラワダは納得できるところが多いだけにそこが目立ってしまうと感じる。
578 :
神も仏も名無しさん:2008/02/12(火) 00:03:37 ID:7iNapYwB
信頼もあった方がいいかも知れないが、
邪魔になる時もあるんじゃないかなぁ。
疑いながら何時間も瞑想してもいいだろう、別に。
それができないなら、根性がない、ってだけの話だな。
そもそも、疑いなく完全に信頼してるのなら、もう悟れてるわけで
>>578 疑いながら何時間も瞑想できる人はすごいと思うぞ。
根性も何も、普通の科学的現代人wwwは、無駄なことに何時間も時間を割こうとは思わない。
落ち着きを得るとか、そういう科学的根拠を理由に瞑想するなら別だけど。
>>そもそも、疑いなく完全に信頼してるのなら、もう悟れてるわけで
それは預流果の段階だな。まだ阿羅漢じゃない。
もちろん預流果にまでなれれば解脱は確実に保障されてるから同じようなものだが。
580 :
神も仏も名無しさん:2008/02/12(火) 00:10:39 ID:7iNapYwB
>>574 う〜ん、具体的なことになるとこっちの素性も知れちゃうんでそれはできないが
(この時点で疑ってもらって結構)、
手品みたいなもんだな。
あれは、タネも仕掛けもわからんから、驚くだろ?
ところが、タネと仕掛けがわかれば、「ああそうか」と思ったりする。
ところが、本当に上手いマジシャンは、
タネも仕掛けもわかったところで、
「それはできん!」と思わせる。
そこがプロ。
そういう話だ。
瞑想に効果があることには疑いはないけどね。
じゃ、疑わずだまって瞑想しとれやってことかw
>>580 よくわからんがブラックジャックでカウンティングするようなものか
そもそも瞑想は諸行無常、物事が変化するという
因果関係を明瞭に把握する為にやってるんだから
悟れないと思うんだけどねぇ…
>>567で指摘したように、瞑想が科学的でもそれだと解脱ではないわけで。
リラックス効果が目的でやってる人のほうが多いのかもね。
>>580 うまいこと言うなw
だが「それはできん!」と思わせるのは、カールルイスも同じだ。
そしてそれは、第三者にも納得しうるちゃんと科学的なことだろう。
>>582 もしかしてカウントできる人?
すげぇな。
585 :
神も仏も名無しさん:2008/02/12(火) 00:23:51 ID:7iNapYwB
>>582 おう、そういうことだ。
理論上できることはわかるが(勿論おれはわからんことだらけだが)
現実にやって見せるとなると、どんだけ訓練が要るか、と。
カウンティングができるだけでかなりの年季が入ってるわけだが、
それを見破る方も年季が入ってくる。
すると、カウンティングする方も、さらに見破られないように訓練する。
こうなると、
というかもう最初から、
そもそも素人には何やってるかわからんだろう?
>>583 瞑想やっても悟れないんだったら、なんのために瞑想するんだ?
サマタとヴィパッサナーをごっちゃにしてないかい?
たしかにヴィパッサナーを極めるイコール悟りではなく、ヴィパッサナーによってあるものを見ることで悟りやすくなるだけだから、いくら見れたって悟らない奴もいるんだろうけど。
いや、なんていうか瞑想やってそれがきっかけで
悟れると思う。
しかし、仏教ってのは因果関係、変化を超えた先、
永遠があんのか?とか思ってな…。
たぶん、大乗仏教の阿弥陀仏にしても大日如来にしても、修行を通して得た体験を
論理化して、その上での境地や悟りをわかりやすく人格化したものでしょ?象徴化っていうか。
「異次元の生命体である神々」とかって、長老はそういう意味で言ってるの?それとも、バシャールとか
さいきんのニューエイジ本みたいな感覚なのか?
「阿弥陀や観音はいないんですよ(笑)」って感じで語ってるのみてるけど、
大乗の人だって、まさか異次元の生命体として阿弥陀仏や観音菩薩が存在してるとは
思ってないわけでしょ?
長老はそれとは別に異次元生命体の神々というものがあるといってるの?
590 :
神も仏も名無しさん:2008/02/12(火) 00:44:03 ID:7iNapYwB
「悟り」という言葉を付けているだけで、
悟りという現象ではないからなぁ。
見たら、悟るんだ。
変化は、超えない。
と、書いてあるような気がする。
> 異次元の生命体として阿弥陀仏や観音菩薩が存在
これはいいかも知れんw
ただ現在の状況が複雑になっちゃうし
(なにしろ定義が増える)、やっぱりまずいだろうなぁ・・・
>>589 神々の体は分子だか素粒子だか2,3個でできてるっていってるねw
まあ、「菩薩」といったとき、なんかわかりやすいのよ。
いるかいないか、じゃなくて、「利他行を行い、慈悲を尊び、六波羅蜜を修めナンタラカンタラする境地」
を菩薩と呼べば、イメージしやすい。
目指すべき尊崇すべき頼りにすべき「境地」であるから、いるかいないかはそもそも問題外。
個人がそういう「概念」を常に抱けばいい。
でも異次元生命体となると、「いるかいないか」って議論の対象にはなるんだよなぁ。
まあ、いないと思ってもいいんだろうけど、大乗よりよほどキリスト教的な「信仰」の世界って気がするわ。
593 :
神も仏も名無しさん:2008/02/12(火) 02:45:54 ID:n+jbKFkd
無余涅槃があるかどうかなんて誰にも分からんだろ。
俺には意識の完全なる終了、という現象がどうも論理的に理解できない。というか少し恐い。
こんなこと言うとお前は仏教には向いてないとか言われそうだが。
(仮説)
解脱→有余涅槃→転生→有余涅槃→転生→有余涅槃→・・・
こうかも知れない。
解脱すると絶えず変化する世界をありのまま傍観する者として存在し続ける。誰にも影響を与えず、ダルマと同化する。
これならまあまあ合点がいくんだが、これじゃ殆ど梵天か。
上の方に、瞑想で超能力がつくとかいう話があるけど・・・
超能力くらいサマタ瞑想すればいくらでも出来るようになるさ。
超能力がほしいんなら、なにもヴィパサナなんかする必要はない。
能力がほしいという気持ちを捨ててしまうのがヴィパサナの世界だろ。
>>590 阿弥陀如来は確実に異次元の生命体ですね
「観無量寿経」には葡萄酒がイダイケに差し入れられた話が出てきますが
当時マガダ国には葡萄酒は存在しなかったので
パラレルワールドで他の「マガダ国」が存在した確実な証拠なのです
>>595 異次元の生命体なんて言われると
何の興味もなかった阿弥陀如来のことを知りたくなってくるよ。
葡萄酒と聞くとキリスト教とのつながりを想像してしまうけど あんまり短絡かな。
と、観無量寿経を読んだこともないけどつぶやいてみた。
創作といったらそれでお終いだけど
一応、どっかの王様でそれが出家して、とても長い時間修行して
阿弥陀仏になった。ってことだから、人間なんだけどね
なるほど。
「人間として」の阿弥陀さまは、警句とか修行法とかの言葉を残しているの?
創作キャラにしても。
599 :
名無し:2008/02/12(火) 21:58:36 ID:bW/OWDVU
法蔵菩薩ってのがいて、たくさんの修行をしたんだよね。
その菩薩が阿弥陀さんになった、と。
無量寿経に出てくる。
阿弥陀仏の修行方法は無量寿経を見る限り基本的に
菩薩の修行方法だね。あんまり目新しい事は書かれていない。
むしろ、やたら記述されてるのは、やはり誓いの
ほう。こっちが阿弥陀仏が救済者として信仰されてる理由だから。
601 :
神も仏も名無しさん:2008/02/13(水) 00:28:27 ID:1+cA7Jy2
そういうのも、ブッダのジャータカと同じで厳密な歴史的事実として語られてたわけではない。
古代インド人って歴史上事実と形而上事実の区別を厳密に捉えてないよ。
暦だって長いことなかったんだから、「昔」っつーとどのくらい前なのか語ってるほうもわからなかったりする
劫とかも、「めッちゃむかし」って意味なんだが、長老にかかると「超能力でだいたい40劫くらい前まではわかるそうです」なんて言っちゃう。
インド哲学で存在論って扱わないの?
昨日付けの読売新聞からの引用なんだが
インドに伝わるサンスクリット語の仏典(大乗仏典)では母親の
マーヤ婦人は無憂樹の木陰で釈迦を出産したとされる
対してパーリ仏典では沙羅の木の下で生まれたとされる
全日本仏教協会から依頼された考古学者が生誕地ルンビニーを
92年から発掘調査 釈迦の時代の地層まで地面を掘り下げ
炭化した種子の組織を調べて植わっていた木の種類を同定
結論は「沙羅の木節の樹種であると推定される」だった
単純に言えばパーリ仏典の勝ちだが
これもパラレルワールドで説明できる 異次元のルンビニーが存在したのだ
ありのままに見る者は、
感受されたものは、感受されたものであると知り、
妄想は妄想であると知る。
605 :
神も仏も名無しさん:2008/02/13(水) 18:35:13 ID:EPQEZkOT
過去の足跡は何らかの形で残されているが
過去そのものは存在しない、架空と言ってもいい
時は常に今の瞬間しかない
正しいことは今あることだけだ
606 :
神も仏も名無しさん:2008/02/14(木) 16:06:25 ID:yTc//+sc
ホウゾウがいたのは、宇宙が生まれるはるか前。いや、宇宙が無限に近い
回数、生まれては消滅したよりももっとまえの存在。だから人間ではない。
もともと超次元生命体。宇宙をも包み込む大存在。当然、宇宙の法則も超えている。
人間の想像のはるかに及ばぬ不可思議如来。その国土は広大無辺。
というより、空間とか時間とかしょぼい概念も成り立たぬ、不可思議世界。
南無阿弥陀仏。
607 :
名無し:2008/02/14(木) 16:40:24 ID:Zfmb6Q4o
阿弥陀というのは、アミターユス。
量ることのできないいのちと時間。
無量寿、無量光。
だから不可思議と。
そんなものが、この日常の自分と、どう関わってくるのか。
そこは、これまた不可思議。
まあ、ありがたいこっちゃと感じられれば。
ラベリングって難しいね
609 :
神も仏も名無しさん:2008/02/14(木) 17:47:16 ID:yTc//+sc
自分のバックには大親分、阿弥陀仏がついていると思えば臆することなく日々を送れるのではないか?
ふーん…阿弥陀仏をなんだかよくわからん超生命体にして
いたのは当の浄土教徒たちだったのか。。。
611 :
神も仏も名無しさん:2008/02/14(木) 18:03:47 ID:yTc//+sc
五劫も思惟するぐらいだからなんだかわからない超生命体だろう。
そういうのを聞くとどうしても「百億の昼と千億の夜」を思い出すのは俺だけではないはずだ
>>612 萩尾望都・画の漫画版をもっていたけど、あらすじをわすれて具ぐった。
でも懐かしや。
弥勒は高々56億年。地球スケールの菩薩
615 :
名無し:2008/02/14(木) 23:53:16 ID:Zfmb6Q4o
大通智勝仏は、ひとたび坐して三十劫。
仏法現前せず、と。
616 :
神も仏も名無しさん:2008/02/15(金) 00:25:52 ID:YrDh2pR1
>>615 30劫のご愛顧ありがとうございます。ヒサヤ大黒堂です。
>>613 諸星大二郎の「孔子暗黒伝」のほうが面白いよ
わけわかんなくて・・シリアスな作品なのに大笑いするよ
618 :
名無し:2008/02/15(金) 00:38:38 ID:UIh9977Y
じぶんの悩み苦しみがあまりにも概出すぎてイヤになってきたよw
ところで悟って、その後に何するんだ?
621 :
神も仏も名無しさん:2008/02/15(金) 20:28:35 ID:8DUIOjqF
>>620 さらなる修行です。涅槃に至るまで、悟っては修行、悟っては修行
それって悟り?
サトエリ
てな冗談はともかく、悟りが開けたときとは自分の内的安寧だけでなく、
自分を取り巻く外的環境や自分にかかる来る、あるいは生起する現象すらも
すっかり変わってしまうんだと思う。
極端な話、雨が降って欲しくない状況で自分が外を歩いていれば
その場だけ、その間だけは雨が止むとか。
少なくとも、自分の想念の汚れが引き寄せるようなたぐいの問題や不幸は
起こってこないんだろうね。
624 :
神も仏も名無しさん:2008/02/15(金) 22:15:43 ID:8DUIOjqF
いや、悟っても悩みはなくならないだろうし、いやなことはいやだろう。
625 :
神も仏も名無しさん:2008/02/15(金) 23:01:17 ID:xS15fcnW
自分で悟ってみれば全てわかるだろう。
そんなに気になるなら、とりあえず悟ってみたら?
悟ってない人に聞いたってわかるわけないし、
悟ってる人に聞いても、悟ってない人にはどうせわからないし。
いざ、悟ったというとカルトの教祖扱いされるという現実…。
ひみつにしとけばいいじゃんそんなもん
628 :
神も仏も名無しさん:2008/02/15(金) 23:38:06 ID:xS15fcnW
わざわざ人に言うもんじゃあないな
家にTVもないし、あまり娯楽もなく生活していて、それが気に入っているんだけど、
たまに、コンビニとかで漫画を立ち読みし、のめり込んでしまうことがある。
でも後で貴重な時間を無駄にしたと反省する。
でもまた時がすぎると、ちょっとだけならと漫画を手にしてしまい、・・・
のめりこむ、の繰り返し。
これを、直したいんだけど、どうしたらいいかな。
ちょっと凝った構成の謎解き要素のある漫画だと、解説サイトを見たりしてしまうことも。
>>629 漫画を止めて、小説にする。
謎解き要素のある仕事を探す。
漫画も小説も同じ娯楽だし、後で無駄に過ごしたと反省するのは同じだから、
やめときたいです。
マンガや小説にもいいものはある。
カムイ伝なんか一こまで言葉に表現しきれない花鳥風月人情の機微が映し出されてたり、
アドルフに告ぐも群像の中で人間というものを考えさせられる。
ドストエフスキーの小説も非常に仏教徒でも共感させられるものがある。
トルストイのイワンの馬鹿やイワン・イリッチの死もすばらしい。
「娯楽」も「悪いもん」と特別視すべきじゃないと思う。
ヴィパッサナー瞑想を実際にどこか、だれかの指導の元で
本格的にやった人いる?
何か大きく変わりました?
外的現象に過敏反応しなくなったとか、副次的に健康が増進したとか、
一番聞きたいのは自分の身に起こってくる現象自体が変わってくる
ような変化。
瞑想で自分が変わるのはそれとして、瞑想によって変わった自己が
外的現象まで変えてしまうのではないかと思っているので・・・
>>633 怒らなくなったのは確か。ふと怒りが沸いても
「怒ったって損するのは自分。ばからしい」
とすぐに覚めるようになった。
しつこい人間に長時間くどくど説教されると
段々いらだってくるよ。
しつこい人が同じ話を延々続けるのはなぜだろう。
636 :
神も仏も名無しさん:2008/02/16(土) 17:38:42 ID:msIoTTko
違うだろう。同じ話を延々とする人間のことをしつこいやつという。
637 :
名無し:2008/02/16(土) 18:59:11 ID:FoYUwj3v
話がくどくなるのは、不安のためなんじゃないかね。
「この話が相手に届いてないのでは」という不安。
そして、だいたいそういう人は、いつもくどい。
いつも不安、無力感がある。という背景。
やっぱしおさまらない何かがあるんじゃないの。
たぶん自分の怒りだろうけど。
くどくど無意味な説教してよけい自分をいらだたせてることに気づかないんだろうな。
んで相手のためにも多分ならないんだなきっとw。
自分もそうだったわけだが。
639 :
名無し:2008/02/16(土) 22:02:14 ID:FoYUwj3v
そうだね。たぶん怒り。
くどくどくどくど……しかしいっこうに相手に効きそうもないから、余計にくどくど。
そして、そういう自分にムカムカして、またくどくど。
自分がくどい、かもしれない。
ま、それはおいといて。
問題は、そういうくどい人とのやりとりを、どううまく処理するかだよね。
はい、わかりました。で、すんなり引き下がれればいいけど。
相手が立場が上の場合など、くどくどを、はいはいと神妙に効いていなくちゃいけない。
そういうとき、どうするか。
いくら修行して自分が気にしなくなっても
悪意を持って近づいてくる人をどうするか。これは課題だよね。
相手が疲れるまで無視するという戦略だけしかなさそうで。
怒ったふりをすればいんだよ
お尋ねします。
たまに、自分の質問が浮上したときに、自由に、
修行を積んだ人を訪問し、質問して答えをもらう、
ということができればいいなと思っているんですが、
関西人なんで関西でないか探しています(お坊さんか、ちはしさんみたいな人の本拠地)。
以前探したときは、無いっぽくて諦めたんですが、
そういうとこもしご存知だったら教えてください。
>>617 おすすめありがd
諸星大二郎 絵がうすら怖いねぇ そこも相乗効果で笑えるのかなw
>>646 1分以上もちますか?
相手が目の前にいるんですよ?
相手が自己中できちんと聞いていないと話すほうもしかたなくしつこくなる。
あと、相手がバカで理解力が弱いと、くどい説明が必要となる。
>>647 ていうか、逆に1分も相手の話を聞けないほうが問題。
社会的訓練を受けてないってだけ。
交渉事項は感情、責任問答含めて数時間程度の罵倒・クレームはそれほどめずらしくはない。
そこんとこどうにかするために修行するんじゃないの?
>>648 馬鹿じゃないので1回聞けばわかります。
>>649 一分以上聞けますがここでは
10秒以内で理解できる話を相手は延々と続けるのです。
お客からのクレームのなら長かろうが遥かに楽ですよ。こちらから
解決策も出せますしね。
問題の解決よりわかって欲しいのは自分が怒ってること、怒りによって嫌な思いをしていることなんじゃないかな。
そういう人にとっては。
自分が怒るといういやな思いをしたのでそれに対する報復として相手を傷つけたいという気持ちがあるのかもしれない。
思いがけずあなたのせいで嫌な思いをしたのだからその復讐をさせてもらいます。あなたももっと傷ついてくださいね、って。
そういう相手には忍耐かな?
>>650 具体策はありますか?
相手が自分より下だと思えばおもいっきり攻撃してきますよ。
>>653 説教が終わった後他の事でまたぐちぐち言ってきたんです。
丁寧に「他の人に違うように聞いてますが?それでいいのでしょうか?」
言ったのですがプライドが傷ついたのか発狂してきました。
黙ってればよかった。
>>652 もしあなたの相手がおれの言うような奴(かつてのおれみたいな)だったら望んでいるのは
あなたが傷つき苦しみ打ち萎れ憂いに沈み込むことだろうね。
そういう悪魔に負けないための修行じゃないのかな。
私は怒りっぽいのでしょうね。
心は煩いボケでいっぱいでした。
でもここで無視すると悪口が始まるんですよね。
ストレスを受けるしかない。カルマでしょうか。
ばくぜんと修行とか言ってるけどおれにはこれ以上のことはわからない。
もっとわかった人が答えてくれるといいんだが。
658 :
神も仏も名無しさん:2008/02/17(日) 02:56:12 ID:tAzShUvK
しつこいやつにはどうするか?
馬鹿の振りをして呆れさせること
じーっと相手をみつめて無表情のまま相槌もしないこと
10秒に1センチぐらいずつ気づかれないように遠ざかること
携帯を取り出して「警察ですか。ストーカーがいるんですけど」という
>>652 縁をきればいいのでは?
切れない相手なら、同じ話を一生懸命聞いてあげるか
どうして同じ話をするのか、同じ話を繰り返されるのはうんざりだ、ということを徹底的に話すかどちらか。
>>656 そりゃ、無視すると怒るしくどくなるでしょ。
無視したいなら、相手に「こういう理由で無視する」ときっぱり断言してから無視しないと同じゲームが続くでしょうね。
相手が職場の上司だったら俺なら
口を出させない行動と結果を出すか
あきらめて怒られ続けるか
辞めるか
異動願いを出すか
飲みに誘って朝までぐだぐだになるまでやりあうか。
状況次第かな。
バッティングセンターに誘って、二人で「死ね〜!!!!」と叫びながらボールを打ちまくる。
カラオケに誘う。
相手の家族とか趣味とか個人に関することに興味を示して、仕事上ではやりあってますけど
ないがしろにしているわけじゃないと伝える。
相手の良いところや尊敬できるところが一ミリでもあったら率直に誉める。
なるべく突っ込まれないように仕事をきちんとする。
どうでしょか。
ヴィパッサナー瞑想によって、いやなことが
起こらなくなる、降りかかってこなくなる・・・的なことは無いの?
自分の心が制御できてくると、波動がまとまってきて
想念の汚れが良くない現象を引き寄せるようなことが
起こらなくなるみたいな・・・
瞑想して心のレベルが上がると同じ出来事でも受け取り方が変わるんじゃないの
いままでは我慢できなかったり対処できなかったことが、軽ーく処理できたりとか
>>663 私は、嫌だという気持ちとか、嫌なことがおこらないで欲しいという妄想がすごく辛いのだなーと
ちょっと分かったところ。
自分で自分をむち打って喜んでいる変態というか。
事実だけ見られるようになったひとは、楽でしょう、きっと。
666 :
なまえはまだない:2008/02/17(日) 12:18:14 ID:X2S7gSEK
過去のよくないカルマがあらわれた。
いままさにあらわれている。
そしてそれは、あれわれたのだから、そのまま消えていくんだ。
いままさに、完了しているところなんだ。
──そう思うってのは、つらいとき、いやなとき、たまにおれがやる方法。
ま、ブッダのいう「二の矢を受けない」ということにもつながると思うけど。
音、音、音でいいんじゃない。
668 :
神も仏も名無しさん:2008/02/17(日) 14:08:56 ID:tAzShUvK
合気道のようにさ、相手の攻撃を鏡のようにそのまま相手に返す方法はないのかね。
そんなことしたら相手が反撃してくるだけじゃん
仏はノコギリで切られても笑ってろってんだろ。
最大の復讐は自分が幸福であることっていうからね。
仏に帰依した毒ヘビがいてさ、なにされても反撃しないからいじめられてボロボロになってたんだって。
それを見た仏が「おまえバカだな。噛まずに、噛むふりをすればいいんだよ」といったとか。
1秒間に何発ものサティを入れ続けて24時間過ごすと
くたびれませんか? つか、そんな芸当が出来るのか?
674 :
神も仏も名無しさん:2008/02/17(日) 14:40:31 ID:tAzShUvK
サティは統合失調への道
>>663 嫌な事が起きるのは過去のカルマの結果だから、避けようが無い。
無理やり避けようとしても先送りされるだけだ。
たとえば、殺される必要のあるカルマがあるとして、殺されないために相手を殺したら、それはさらなるカルマを積むことになる。
この場合大変残念だが、心安らかに殺されるしかない。そうすればさらなる殺人のカルマを積むことなく、過去のものを解消したことになる。
とまぁ、こういうのがカルマの説明としてよく言われることだよな。
過去のカルマは起こらず受け取り受け流し、新たなカルマを作らないようにする事が大事だと。
でもさ、これって本当か?
素直に殺されるべきだってのは、感嘆には受け取れないよなwww
ラベリングは思考じゃないかな?
「右足上げます」というのは、「右足」とか「上げる」という判断が働い
ているわけだからね。
その感覚が、「右足」の感覚だと判断する以前の感覚に気付くことが
大切なのではないだろうか。
判断している時点で、すでに思考(妄想)が働いている。
私の場合、ラベリングを続けると、どんどん思考の中に入って行くよ
うな気がする。
それで、ラベリングをやめてみました。
判断が働く以前の感覚を、ひたすら追いかけていくというふうに瞑想
しています。
感覚だけの世界のなかで「いま、この瞬間に生きている」ことが体験
出来るような気がする。
もうなにもかんがえなければいい。
聖者もアホも見分けがつかないように。
まず思考と観察を区別できるようにならないとな
>>678 だから、ラベリングは観察という名前の思考ではないかと・・・・
観察に主観を持ち込んでるからそう思うんだろ
上司のいやみが聞こえれば音、音 うなぎの蒲焼きのにおいがすれば匂い、匂い
女のハダカがみえれば視覚、視覚でいいやん
観察が思考かどうかはよくわかんないけど禁止するんじゃなくて、
観察以外しないってことがポイントなんじゃないの
682 :
神も仏も名無しさん:2008/02/17(日) 20:03:55 ID:zxG/jh6n
元々ブッダの瞑想法の中に ラベリングなんて無かったのだから
ラベリングが合わないのなら、やらなくていいと思うよ。
ラベリング(マハーシシステム)の瞑想が出てきたときも、ヴィパッサナー瞑想では
ないという意見が、だいぶあったみたいだし。
「右足上げます」ではなく、「右足上がった」と過去形でラベリングすることで、
その時の感覚をしっかり観る、としている人もいる。
ラベリングで思考が入るのなら、そういうやり方もあるかな。
683 :
643:2008/02/17(日) 21:10:38 ID:5WxCKQuK
>>645 どうもありがとう御座います。
HPをみるかぎり、所在地らしき住所が東京のようですが。
また、いまいち現在の活動状況(定例の瞑想会があるのかどうかとか)
がよく分かりませんでした。
684 :
神も仏も名無しさん:2008/02/17(日) 21:49:02 ID:hPe2wT9K
ジャータカ アンド トシ
ラベリングしながらも、自分の体はラベリングとは無関係に
日常の生活動作をしているんだよね?
右足を上げたから「右(足)」...だけど、その間にも左手、右手だって、
動いてる。目だって何かを見ているはずだし、・・・・もしかすると、
おちんちんがどっちかに向いてこぼれているかもしれない。
それらをすべて同時に観察してラベリングするわけにはいかない。
日常で何かの情報が特別に飛び込んでくれば、その情報に
ラベリングすればいい。音(聞いた)、匂い(嗅いだ)、・・・などなど。
でも、そうでない場合、たとえば唯一、自分の歩行という動作に限った
場合には特別な外的情報にラベリングできないがゆえに、かえって
ラベリングしなければならないことが多くなってしまうのではないか?
つまり、「右足」「上げた」んなら「左手」「右手」「左足」「頭」・・・は
どうすんの?
>>685 >おちんちんがどっちかに向いてこぼれているかもしれない。
うむ。大問題だ。
心臓打ちます 心臓打ちます 止まりまーす
>>687 おちんちんは多少意識で動かせる所もあるみたいけど、心臓は・・・・。
つか、止めんなw
>>685 それは、地橋氏本の138ページにに優勢の法則とかいうのが載っている。本屋で立ち読みしなさい。
>>689 ああ、ここで優勢の法則が出てくるのですね。なるほど・・・
地橋さんの本は持っています。ブッダの瞑想...
一読したんだけど、技術的なところになるとイメージを膨らませて
読んでも、わからないことが次々に出てきてね。
あと、99回は読み返さねば・・・
>>689 「中心対象以外でも、心がはっきり経験した優勢な現象にはサテイを入れるのが原則です」
かな?
あんまり答えになってない気もするけど
ポイントは、
『サティを入れて、その後に続く思考の流れを止めてしまえば、
心は反応を起こしません。』
ってことだよね。
つまり、
●条件反射的に(無意識に?)サティを入れられるかどうか
●入れたサティが知覚情報の観察レベルで止められるかどうか。
(=妄想・執着が作り出す思考にまで及ばないでいられるかどうか)
なんだよねえ。
693 :
神も仏も名無しさん:2008/02/18(月) 12:32:01 ID:tDshcUF2
>>666 なまえはまだないさん
ブッダのいう「二の矢を受けない」というのを、詳しく教えてくれませんか?
人に怒られてるときって、物質的にみると単なる音、空気の振動を浴びせられてるだけだよね。
単なる物理的振動に反応して勝手に感情的混乱・思考的妄想を生成している自分の内部システムに自覚的であり
巻き込まれないようにするって感じで割り切っていいのかな?
あまりに人を舐めすぎてるような気がして、その人の立場とか思いとか考えたほうがいいのかな、
と思うけど、するとそれって妄想じゃんってことになって堂々巡りになっちゃうんだよね。
何を怒っているのかは言ってることを聞けばわかる。
どうしてこういう怒り方しかで着ないんだろうとか考えるからややこしいんじゃないのかな。
逆にこっちの腹が立ってきてしまう。
だからそこは相手の弱さであり無明だと割り切るしかないだろ。
そういう強さも身につけるべきではないかと思うけどな。
ヴィバッサナー瞑想で思考を入れない訓練をするのであれば
中村天風がカリアッパ先生から教わった「天の声を聞く」修練
つまり、聞いていても心に入れない状況を作ればいいとも言える。
そう考えると、都会を離れ、原風景の残るような田園地帯で
農業をやるのは良いのかも知れない。
物理的にTV、広告などの情報刺激物は少なくなる。
雲の移りゆきに意識を入れれば無にもなれる。
黙々と土に鍬を入れていれば、雑念は生じても存外にサティを
入れやすくなるのではないか?
情報という意味での環境はかなり整理されているからね、農作業中は。
>>649 皆さん口でサティすればいい言ってますけどね。
外野でこうやれああやれ野次飛ばすのは誰でもできますよ。
>>695 普段考えてることとその場で対処できるのは全く違うんですよ。
「凡夫は、その苦を縁にして、さらに怒りや恨みなど、執着に基づくさまざまな反応を起こし、
無用の新たな苦(第二の矢)を作って、みずからそれを受ける。」
んだってさ。
699 :
なまえはまだない:2008/02/19(火) 11:07:14 ID:mDIgCM9J
>>693 >ブッダのいう「二の矢を受けない」というのを、詳しく教えてくれませんか?
仏教を知らない者と知る者との違いは、
「二の矢を受けるか、受けないか」
にあるとブッダは説いた、とある。
「不幸にして、矢に打たれた人があるとしよう。ここで、次にどうするのかに関して、二種に分かれるだろう。
一人は、慌てふためき、第二の矢を受けてしまう人。
もう一人は、矢に打たれても痛みに耐え動揺せず、第二の矢をかわすことのできる人である。
仏の教えを知らない凡夫は、最初の人である。苦しさに嘆き悲しんで、混迷の心は深まるばかり。楽も、かえって迷いの心を増すばかりである。
仏の教えを知る人は、第二の人である。苦しみを受けてもそれに耐え、苦しみに囚われることがなくなり、生死の束縛を脱することができる。
このことが、仏教を知らない者と知る者との違いなのである」
(サンユッタ・ニカーヤ)
700 :
神も仏も名無しさん:2008/02/19(火) 12:18:43 ID:O1av8/14
でも、二の矢といって、全て耐えてばっかりでいいんだろうか。。。ともちょっと思うのだけどな。いじめに耐えてとか。
そこは仏教の思想上の欠点でいいんじゃないの?
忍耐さえ必要ないレベルもあったりすんじゃないの。
つーかみんなそこ目指したいからおしゃか様に帰依してんじゃないの。
>>704 いやそれは違うような気がする。仏教とはそんな超人的なものになる話では無いと思う。
悟った張本人のおしゃかさんだって、最後に腹が痛いのに耐えて死んだのだし。
べつに超人的な話じゃないでしょ。
超自分的かもしれないけど。レベルとかいったって超越的な話じゃない。
今まで気になってたことが気にならない、理解できる、許せる、ってことはあるよ。
>>706 いや忍耐さえ必要ないレベルを目指したいからおしゃか様に帰依してんじゃないのって言われたんで、
忍耐さえ必要の無いレベルの人間って変だと思いました。許せる理解できるレベルといえばよかったのではないですか?
怒りや欲は生存のための仕組みであって、それを否定するのは生存への否定。
欲を持ちすぎるのがよくないということかもしれないが世の中そんなもんじゃない。
びんびんに欲を研ぎ澄まして、食うか食われるかの勝負にいどまなければ
生存すらできないのだ。
たしかに忍耐さえ必要の無いレベルってのはちょっと難しいかもしれない。
解脱を目指しての修行が忍辱や平穏だと説いてるからね。
>>708 それじゃあ修行と反する考え方じゃないですか。俗世間的な。
瞑想し始めて、少しは感情の動きを観ることが可能になって来たけど
法話を読み進めると やはり悟りは、夜空の月と言う気がしてしまう。
妄想妄想と観て 白けてしまってそれでいて心は清らかになるのには
相当時間が掛かりそうだし。何だか狂気じみて怖くなる。
「世間虚仮 唯一仏真」って言葉がある。
世間的なものだけが価値ではなく、そういうものを超えた宗教的価値がある、
だからそれを学ぼう、思い出そう、って言うのが仏教だと思う。
これキリスト教で言えば「カエサルのものはカエサルへ、神のものは神の元へ」でしょ。
要するに、世間的な価値とは別に、そういう単純な「損得」を越えた宗教的真理ってものが有るってことだろ。
俺のような凡夫には目の前の損得が大事に見えるけど、
ダンマパダには
「目の前の損得より大事なものがある、心の清いものは、この世では生きづらく、心の汚れたものは
この世では生きやすい」と説いてる。
キリストも最後には、苦悩しながらも貼り付けになったわけだ。
「神よ、できればこの杯(苦しみ)を取り除いてください。でも、あなたのお心に従います」
とかなんとか言ってる。
これなんかまさに「世間虚仮 唯一仏真」だと思うよ。
自我としての自分は「生きたい」けど、宗教真理としての自我は「でも神(真理)に従います」。
ブッダがキノコにあたっても、「彼を責めるな、命は永遠じゃない」と言った。
俺だったらあたるようなキノコ出した人の責任を問い詰めたところだろうが、
ブッダは「命は無常」という真理に従ったわけだ。
二人とも、俗世間の現象(イエスは迫害、仏陀は事故)に影響され命を失うわけだけど、
そこで、イエスは神に従い、仏陀は無常に従った。
これって同じことだと思う。
凡夫の俺だったら、貼り付けになるなら「俺は悪くない」って怒って逃げるし、
キノコにあたったら責任追及して恨むと思う。
まあ、イエスにも
>>708氏のいう、当然の生存欲求、
「生きたいという本能的欲求」があったから苦悩するわけだけど、
それとまた矛盾するような「神(真理)への信頼」が、その生存欲求と
天秤にかけられ、結局自分を貼り付けにする人に対しても、
「神よ、彼等をお許しください、彼らは自分が何をしているかわからないのです」といったのではないか。
>>709氏の言う「忍辱」だね。
自分の「当然の生存欲求」を捨ててまで宗教的真理を取るという、、、、。
西洋人は自我の観念が強く、十字架の磔刑は自我を殺す象徴、
と鈴木大拙はいっていたけど、
人間である以上708氏のいう生存欲求は当然ある。
そしてその生存欲求を超えた価値を、悟りを開いた人は見いだしてる。
「怒り、復讐心」も生存欲求の表れだから、宗教的真理に近づいて「大安心」
を得るほど、復讐心も減っていくんだと思う。
>>706の言うとおりに。
715 :
神も仏も名無しさん:2008/02/20(水) 12:07:51 ID:7GpDrMn7
今はこの俗世にあるのだから、俗世で生きやすいように穢れた心のままのほうがいいのではないか?
清い心をもって迫害されると余計なエネルギーを必要とするではないのか。
716 :
なまえはまだない:2008/02/20(水) 12:29:50 ID:SCEfj5r4
「世間虚仮 唯仏是真」
と言ったとされる聖徳太子は、そういいつつも、俗世で生きたわけだよね。
俗世にあって清い心でいるのは、すごい修行だと思う。
ほっとおくて、どんどんと汚れていくし。
山奥で修行していたら、悪い縁には触れないので、
心がそれほど汚れることはないと思うが。
しかし、やはりこの俗世で生きるのがやはり醍醐味だと思う。
そこのところを必死で探求したのが、大乗仏教のスタートだと思ったりもする。
717 :
神も仏も名無しさん:2008/02/20(水) 12:58:32 ID:ZMClQ3Nr
中庸が大事だと思うよ
中道とは少し違うけどまあ通じてはいるかな
俗世否定仕切れないから俺は老荘の考えも持ってる
そういう人はミンデルのプロセス指向心理学おすすめ
718 :
神も仏も名無しさん:2008/02/20(水) 13:09:55 ID:7GpDrMn7
山や修行道場にこもるのはなんというか違う気がするね。
短期間そういうのはあってもいいけど、一生涯それだと、俗世に生まれてる意味がないね。
>>716 誰だか忘れたけど、ヒマラヤの奥地にいる聖者はたしかに聖者だが、
それは山奥という環境だからこそ聖者でいられるのであって、
俗世につれてきたらダメになってもそれはそれで仕方ないと言ってた。
だからといってその悟りは弱いとか、間違ってるとかではないんだとか。
ヒマラヤの奥地でしか悟れない人間でも、悟ってそれを維持し奥地で死ねば、もう輪廻しなくて済む。
だが俗世に下りてきて悟りが汚されてしまうと、業を作り転生してしまう。
つまりこの現代社会というのは、業を作るあらゆる罠で溢れかえってるんだな。
それに引き換え昔はそのへんの村や町だって、今から比べればはるかに欲を刺激するものが少ない。
したがって業も作られにくいし、引きずられる要素が少ない。
かつては阿羅漢がごろごろ生まれたのに今はほとんどいないのは、環境も原因だというのはなるほどと思った。
比丘たちは食料をもらわないといけなかったから、人の多い
都会近くにいることが多かった。
だから現代のほうが悟れそうな気もするけどなぁ。
おまいらの前にもし仏陀が現れたら相当疑うことだろう
>>721 古代の町の近くと今のヒマラヤの奥地を比べたら、人口密度はそんなに変わらないんじゃないか?
食料もらいにいける距離はそんなに変わらないんだから。
サドゥーがバックパックに大量に食料もって山奥に行くわけでもないし。
っていうか、その気になれば今日からでも托鉢乞食屋根無し生活はスタートできるけど、
やるかって言ったら「え〜」ってなもんだしね。
>>724 日本の気候を考えたら、難しくない? 雪が降るような寒さの中のホームレス
なんて苦行になってしまう。
どうですかね。まあ屋根はともかく日本の托鉢僧はどんな感じだったのかな。
良寛さんの本読んだら、けっこう五合庵のくらしとか大変だったらしい。
禅宗なんか冬でも大変だし、一遍さんや行基上人の時代は
今よりも大変だったろう。
虚無僧なんかは政府から特別許可証みたいなのもらって
優遇されてたと聞いた。
>>724 托鉢は在家が修行者に率先して与える文化が無ければ成立しない。
タイとかインドでは「良い来世」というエサがあるからこそご飯くれるのであって、
「そんなわけないじゃんプゲラwww」という日本ではただのホームレスと同じ。
釈尊はどうして僧侶に生産活動に従事することを許さなかったんだろうね。
托鉢とか在家の余剰物で生きることにどんな意味があると考えたんだろうか。
いったん、比丘になった人間を社会復帰させるのを難しくさせた…とか?
そして、教団を拡大させるようにした。とか。
ま、修行に集中させる為というのがそれっぽいと思うけど。
働かざるもの食うべからずとは考えなかったからじゃないか?
もしくは、そういう見た目の労働よりも崇高なものがあると認めたか。
いまでもタイとかはそうだよね。セックスやりまくり、酒飲みまくり、だけど労働しないといけない在家より、
戒律を守る出家の生活のほうがはるかに厳しく、価値があると考える。
以前NHKか何かで見たんだが、ミャンマー人がリポーターに
「出家したら毎日瞑想とかだけで楽そうなんですが、しないんですか?」
みたいなことを聞いてた。
するとミャンマー人は
「あんな厳しい生活は俺には無理だと、一時出家でよく分かった。ふつうに働くほうがはるかに気楽だよ」
と答えてた。
日本じゃそこらの坊さんなんてろくに尊敬されてないもんな。
ぶっちゃけ何のためにいるのかよく理解されてないし。
現在の日本の坊さんは修行者じゃなくって、ただの葬式業者だからな。
ただの労働者だから、宗教者として尊敬されなくても当然。
禅宗ですら、その大半は寺族の跡継ぎ。ただ単に葬式執行業者の免許を取りに来てるだけ。
イギリスの貴族院や日本の皇室と同じで、何でかわからんけどいる、って感じだな
まあ、それは僧侶ばかりの責任というより、日本人すべてがそういう状況を
作り出した、って感じじゃないの?
仏教の退廃化、形骸化っていうのは、いつの時代にもあることだけど、昔はその中から新しい人物が出た。
そういう退廃化の反動から新しい人物が現れる、って現象は、
釈迦やイエスの時代から、奈良仏教、平安仏教、鎌倉仏教でもあったわけだけだし、
既成仏教から外れて遊行する聖もいた。
別にそれを俺らがやってもいいのに、実際だれも自分がそうなろうとは思いもしないわけだしね。
めんどくさいし今の生活すてられないから、結局他人任せで既存の仏教形態の文句を言ったりするわけだ。
自分は料理しないのに、レストランの客になったつもりでメニューが悪いってイチャモンつけてるようなもん。
自分の生活の範囲で、好みの仏教本を読みながら、
時々思い出して実践して2ちゃんに感想を載せる、で、身内が死んだら話は別で葬式をだす。
これが「一般的日本人が自分で選んだ仏教スタイル」なんだから、僧侶ばっかりに責任負わすのは酷ですよ。たぶん。
日本仏教は自分たちで、ちゃんと末法といってるから
こんなのでいいのだよ。仏教終了宣言済み。
末法思想の前には浄土と法華思想以外は無効化され
もはや坊主は存在せず、凡人しかいないのです。
これを否定しないと、自力は成り立たないけど
そうすると日本の大部分の人がもはや仏教徒でもなんでもなくなる。
>>735-736 「日本仏教」ってものの代表者がなんと言ってるか知らないけど、
自分が納得いかないならそれに準じる必要もないでしょ。
不満があるなら、自分が「日本仏教」になればいい。その僧侶としてたてばいい。
仏法はすべてのものに平等なんだから、誰でも権利はあるはず。
例えば、一人で托鉢するのは無理としても、
いまここで人をつのって、日本の仏教に不満を持つ者たちが集まって、
サンガを作るってことは出来るんだよね。
お互いバイトして集めた金を持ち寄って、
外見への執着を立つために「糞雑衣」と呼ばれるくらい粗末なもの着て、
頭坊主にして、質素な家で暮らし、あいた時間は瞑想にあてる、完全な宗教生活。
でもやらない。「世間」体があるし、怪しいって後ろ指を差されるのがいやだからw
タイやミャンマーみたいに尊敬されるならともかく。
だから、やっぱサラリーマン生活の片手間に、在家で趣味感覚の仏教やるのがあってるんだよ。
俺たち日本人にはね。
そんな現代日本で、僧侶だけに仏教界の衰退の責任を求めるのは無理なんじゃないの。
739 :
神も仏も名無しさん:2008/02/21(木) 01:32:20 ID:5nWPhPrI
>>738 > でもやらない。「世間」体があるし、怪しいって後ろ指を差されるのがいやだからw
それは妄想ではないか?
そうかも。俺の話ですから。
742 :
神も仏も名無しさん:2008/02/21(木) 02:24:45 ID:S5WPOiZ/
日本では勤労の義務、納税の義務があるから、托鉢僧はだめだろう
743 :
神も仏も名無しさん:2008/02/21(木) 07:06:00 ID:8Wi8huZ5
悟ることってやっぱり凡夫には怖い。
自我の消滅は 精神の死のような感じがするし・・。
幸せになる事って怖い。
744 :
神も仏も名無しさん:2008/02/21(木) 07:49:23 ID:JG53nYBI
そうだね。同意だ。
医師の日野原先生を見ると理想だなと思う。
睡眠時間が毎日3時間で、人の役に立つ仕事あり、趣味も沢山あり
あと5年先までやりたいことで埋まってるって。
すべてにほどほどに、有意義な人生に見える。
>>734 日本人が招いたと言うか。。。
思うんだが、本当に悟りたい人ってどれだけいる?
魂のそこから悟りを求めて求めて仕方が無い。狂おしいほどに悟りたいほど、悟りに飢えてる人は?
おそらくほとんどの日本人は違うでしょ。本心としては悟りなんかどうでもよくて、日々の快楽な生活のほうがはるかにありがたい。
解脱したいと言う気持ちはこの世が本当に苦に満ち溢れているという確信から湧き上がるものだが、それほどみんな本当に苦しんでるかい?
なんだかんだ言ったって、日々の生活を楽しんでないか?
これじゃ、仏教がその本気を発揮できなくても、仕方ないよね。
これは上座部でもインドでもブータンでも何でもいえることだと思う。豊かになればなるほどこの世が苦だという心理が実感しづらくなり、解脱を追い求める覚悟に欠けるようになるんじゃないだろうか?
>>742 宗教法人は納税の義務を免除されている、つまり、ただしい意味での宗教者は納税という世俗の義務を免除されると考えるべきじゃないか?
それは労働の義務も同じ。法的にはね。
心の底から悟りたくて仕方が無い、悟りしかもう救いの道は残されていない。
そう思い込めない限り、仏教の真価を体得するのは無理な気がするんだよ。
最近俺は、どういうふうにすればそこまで追い込めるかと考えることがある。
と同時に、本当はそんなの嫌なんじゃないか。それこそ来世は楽しいことだらけの天界に転生したいだけじゃないかと思うこともある。
もちろんそれこそが渇望に過ぎないことはよく分かってるが、どうしてもこの世のことを苦として断ぜられない。
そこまで非難し心底嫌だと思うことが出来ないんだよな。
昨日の少林サッカーも面白かったしw
>解脱を追い求める覚悟に欠けるようになるんじゃないだろうか
そう思いますよ。覚悟というか必然性というか。
もちろん社会状況いかんに関わらず、個人的に慈悲心が強いタイプの人が菩提心を起こしたり、
性質的にやや特徴があるタイプの人(宮沢賢治は躁鬱、釈迦は鬱器質だったって説もある)が
それを縁にしてると思うけど、鎌倉時代に民衆宗教が発展したのも、
世が乱れ乱れてそれこそ末法的な世界観になったからでしょう。
個人的には、自分が悟りたいっていうより、苦しみに満ちた全人類が
救われるような見解がないのか、という気持ちで仏法に関心がある。
右見ても左見ても金に困って自殺する人や、不慮の事故や、事件に巻き込まれて絶望してる人が多い。
この間も一家の大黒柱が家族を殺すって事件があったけど、
そういうのを見るとこの世を超えたなにか摂理というか大慈悲みたいなものがあってくれなきゃやりきれない。
自分の身にも起こる可能性がいくらでもあるんだから、無関心ではいられない。
>>748 気持ちはよくわかるけど、その発想は大乗的だよね。菩薩思想とでも言おうか。
上座部は、ブッダは道を指し示すことしか出来ず、実際に歩く(修行)して悟れるかどうかは個人に帰結してしまってるし。
つまり上座部は、全人類を救うことなんか考えてない。縁なき衆生は度し難しというやつ。
たしかにそれは真理だとは思うけど、だからこそ、小乗と非難されることになっちゃったんだけどね。
いいじゃないか。この時代、世界を救うおうなんて考えは
迷惑で仕方が無い。
自分が苦しいなら自分で自分を救えばいい。それだけでしょ。
他人の出てくる理由も無い。
たしかに悟りの内容は個人がそれぞれ悟らなければ共有できない
個人の問題って側面がありますね。
人類全部が良い暮らしを得られればいいと思うけど、
今日家族を殺された人、屋根のない人、家族が犯罪を犯した人、
自分が犯罪者になった人、誹謗中傷を受けたり、実際に落ち度があって世間から非難されてる人がいて、、。
なにより肝心なのは、自分も一時間後にはそうなるかもしれない、ってことです。
人間は弱く、完璧なものはいないし、運命は読めない。
誰も当事者になるとは思ってなかったでしょう。
世にそうした物理的な苦はつきまとい、永遠になくならない。
じゃあ、何を寄る辺にすれば、と思い、仏教に興味が沸いたので、
世の中全体が幸福で天界の暮らしを営めるならば、関心もなかったと思う。
実際いまでも個人的な悟りにはあまり興味がない、、。
仏教の法門は八万以上あるという言葉がありますが、
上座部は向上心から興味をもつ人が多いと思う。生まれ持ったタイプによって縁もさまざまですね。
>>750 誰も彼もが個人の救済にしか興味が無いのが、今の資本主義教ではないでしょうか?
他人の救済を考えることが菩薩道だというのは、まっとうな発想だとは思います。
そういう人がいないと社会ってギスギスしたくだらない世界に成り下がります。
それがオウムのようになったら困るけどw
あれ?もしかしたらギスギスしまくったほうが、個人の覚悟は決まりやすいのか?
まあ、他人の救済、っていうのも、自分を知ってないと単なる独善、エゴの押し付けになりかねないしね、、、。
共感、慈悲が大事だと思う。自分には無縁のことと思いながらやるなら、ただの自己慢になる。
オウムにしろ、一部の社会活動家にしろ、、、。
だから、救う救わないは社会活動家にもできるが、気持ちに共感すること、が仏教修行の大事な要素なんじゃないか。
上座部でも慈悲の瞑想はあるわけだし。
たとえば新聞読んでも、犯罪被害者や、まあ一部の加害者も、今どんな気持ちなんだろうなぁと思うよ。
だれでも自分と同じで、うまくやれりゃうまく生きたいわけで。
じゃあ助けてやればいいじゃん、って声も聞こえるけど、それが出来ない無力さもあるし、
自分でも偽善かな、と思わなくもない。
でも、慈悲の瞑想も無益ではないと思うので、寝る前にそうした人のことを考えるようにはしてる。
だから大乗仏教が登場したんだな、と思うよ。
>>744 良いものをありがとう
10/10が見つからないんですけど、消されたんですかね?
サティを入れる = ラベリングする
で良い?
ここら辺の区別が本を読んでも微妙にわからなくて・・・
758 :
神も仏も名無しさん:2008/02/21(木) 23:23:13 ID:5nWPhPrI
>>747 心の底から悟りたい? でもそれ、なんとなく執着のようにも思えるなあ。
執着しちゃったら、悟りからは離れちゃうんじゃないか?
悟りをどこか遠い所にあるものだと思って、追い求めちゃったりしたら、
本当にどんどん遠くに行っちゃうような気がする。
この世、というか、生きることは苦を避け続ける運動のようなものだけど、
嫌う必要はないんじゃないの? 単にそういうものだというだけのことで。
別に、それでもいいじゃない。嫌おうが好こうがそれは変わらないんだしさ。
腹が減ったら食えば良いし、クソがしたくなったらすれば良いんだ。
そんなもんに善し悪しはない。ただそういう流れがあるというだけのことで、
我々の体はその仕組みで動いているというだけのことだ。
心の底から悟りたいと”期待している”と気づきを入れて
そんな事は執着じゃないか!と”思考した”と気づきを入れる。
個人の悟りの哲学などどうでもいい。
子供のころ「やればできる」って言われてたのは妄想を植えつけられていただけだったのか(´・ω・`)
>>758 まったく正しい テーラワーダ的にも
ここらへんが一番誤解されるところだね
762 :
神も仏も名無しさん:2008/02/22(金) 02:06:31 ID:uqtU8Mh0
まあ、悟ってから言わなきゃ同じだな。
最近フォーカシングなるものを知ったんですが、
禅とかの瞑想のヒントになるらしいです。
ヴィパッサナーやってて、フォーカシングを参考にしてる人いたら
効果の程など教えてください。
>>758 悟りたいと言う執着をどう脱するかがポイントだというのは確かにそのとおりかも。
だがひとつ聞くけど、悟りたくも無い人間がどうして瞑想なんか毎日やる気になるんだ?
最初は悟りたいという執着で構わないんじゃないかと俺は思うんだ。
座ってるうちに徐々に執着が落ちていき、いつか自然に座れるようになる。それこそ習慣のように。
そうなってはじめて、悟りが近づくんじゃないかな?
最初から「悟りたいと言う気持ちも執着だ」とか言われても、座る気になんかなれなくないか?
長老じゃないが、他の誰かが、良い執着と悪い執着があり、悟りを目指す気持ち(発菩提心)は良い執着だとか言ってた。
ダライラマだったかなあ。
そういやダライラマは怒りにも良い怒りと悪い怒りがあるとか言ってたな。
長老と対談してほしいものだ。食い違いまくる?
それとも、意気投合する? どっちにしろ見てみたい。
765 :
華厳命:2008/02/22(金) 11:32:52 ID:xPk0hmIq
座ってやる瞑想より歩きながら瞑想するほうが成功率が高い
悟りたい=自分だけがよくなりたい ではないはずだからいいんじゃないの?
>長老じゃないが、他の誰かが、良い執着と悪い執着があり、悟りを目指す気持ち(発菩提心)は良い執着だとか言ってた。
>ダライラマだったかなあ。
ダライ・ラマ「怒りを癒す」って本で
「忍耐をうまく行じるには、きわめて強い熱意を、願望を持つべきであることがわかります」と。
ダンマパダにも蛇の皮を捨てよとか、つとめはげめ、とか、
スッタニパータにも熱意を起こせとか書いてある
「この世になんの快があろうか」とか「この世は闇黒」とかいう言葉ものってるけど、
それも出離心をうながしてるんだと思う。
>そういやダライラマは怒りにも良い怒りと悪い怒りがあるとか言ってたな。
「hatredのない怒りは原則として受け入れることもできる。他者が不当な扱いを受けていることへの怒りが触媒となって
強力な利他業を成す可能性もある。だがhatredには何の長所もない。hatredは人間をうちから食い荒らし、人間関係を毒する」
と。また、敵に対しても、常に慈悲心を観じることが重要だと言ってた。(「怒りを癒す」)
長老も、「その時だけ怒るのはいい、それをいつまでも抱えるのがいけない」と言ってた。
悟りたいと言う気持ちは渇愛だ
悟りというのは渇愛を捨てることなんだよ。
悟る必要はないよね。
いや、悟りたい人はそれでいいんだけど、それよりも瞑想によって、
日常の悩み癖がすっかり消えたとか、
こころの状態が非常に落ちついているとか、
外的ストレスに対して過敏に反応しなくなり、
自分の中に二の矢として受けることがなくなったとか、
運勢的にも良いことばかりが生起してくるようになったとか、
・・・そういう現実的変化が起こることに期待したい。
770 :
神も仏も名無しさん:2008/02/22(金) 18:14:16 ID:c0hOGRiU
771 :
神も仏も名無しさん:2008/02/22(金) 18:18:56 ID:uqtU8Mh0
>悟りというのは渇愛を捨てることなんだよ。
渇愛を捨てたいというのは渇愛じゃないの
>>771 「渇愛を捨てたい」というのが「悟りたい」ということだろ。
そういう気持ちを捨てる、つまり「諦める」んだよ。
瞑想体験談とかあったら聞きたいんだけど。
瞑想しました・・・じゃなくて、何年か瞑想歴があって
それ以前と以後で自分が劇的に変わった・・・みたいな・・・
しかし、「諦める」動機は、、、。
戒律には理由があるわけで。その理由は、、、、、。
775 :
神も仏も名無しさん:2008/02/23(土) 01:11:31 ID:F7kBG7EJ
「慈悲」って、上座部においてどんな意味を持つんだろうね。
単に周囲とうまくいくだけのテクニック?自分だけのもの?だとしたら別に取り立てて慈悲を言い立てることもないよね。
実生活で必要なものはいくらでもあるけど、その中でなぜ「慈悲」を取り沙汰すのか知りたい。
他人への慈悲って悟りにおいて、必要不可欠なの?
776 :
神も仏も名無しさん:2008/02/23(土) 01:13:45 ID:F7kBG7EJ
つまり、「慈悲心」をつちかわなければ、悟りに近づけないの?
それをスルーして、悟りにいたることは出来ないって理屈?
大乗だとかなり重要な要素になってるけど。
ヴィパッサナやってる時に
他の生き物で心が乱れるのを防ぐ為。
昔は地べただろうから、虫やら動物やらにも慈悲、
共同生活があるから、人間にも慈悲。
現代は人間関係のストレスwpためない為に、慈悲がメインに。
だから心が乱れないなら慈悲が無くても大丈夫。
昔、神を信じることがデフォルトだった時代に
神を信じなくても別に構わない。ようなことをいうと
来世が不安で仕方ないだろうから、神にも慈悲。
慈悲の根本は平等でしょ。この世って言うかすべての世界を
織り成してるちっぽけな要素に過ぎないっていう。
自分も他もそういうものに過ぎないっていう。
780 :
神も仏も名無しさん:2008/02/23(土) 05:38:28 ID:+W++VT6G
>>760 それは言葉が足りないんだ。やれば出来るのは確かだ。但し、全ての人が同じ
やり方で目標を達成できると考えるのは間違いだ。背が高い人なら手を伸ばせば
高い棚にも荷物を乗せられるだろう。しかし背の低い人が同じように手を伸ばし
たって届くわけがない。同じやり方では目標は達成出来ないのだ。台を持って来て
乗るなりして棚に手が届くようにしなければ出来ない。
781 :
神も仏も名無しさん:2008/02/23(土) 06:08:06 ID:+W++VT6G
>>771 そうそう。そんな感じで堂々巡りになる。欲をなくしたいという欲、という感じだ。
この堂々巡りになるもの全体を低くして行ってどちらでもない状態に持って行く
必要があると思うんだけどね。つまり、悟りたいとも悟りたくないとも思わない
どちらでもない状態だ。このどちらでもない状態にある程度意図的に持ち込む
方法の内の一つに瞑想があるということだろう (だから、意図的に瞑想しようと
しなくても悟ってしまう人が居る)。
782 :
神も仏も名無しさん:2008/02/23(土) 07:32:38 ID:92XZhX6b
ややスレチだけど。どんなに瞑想してても
他人への恨みや悪意があったら絶対に自分は救われない。
自我意識というか自己愛を捨てる事でしか自分は救われない・・。
それには自分を捨てて他人に尽くすしかないと思う。
それは通常の感覚で考えたらすごく損に思えることだけど。
やっぱり最終的には理屈では人は救われないと思う。
だから、それが渇愛だってば。
それだけ必死で救われたいと自分に執着しながら、自己愛を捨てる
なんて矛盾してるだろ。
偶然の出来事は、妄想ですか?
今まで幾度となく自分が、困り果てた時に本当に偶然に救いの人が現れたり・・・
テーラワーダに出会った事も偶然の出会いだった。
これってやはり妄想ですかね。
それとも不思議じゃなくて不可思議と解釈しても良いのかな。
苦しい人生もその偶然の出会いで救われて来た所があって
自分は、何かに守られていると思い込んでいました。
>>784 テーラワーダでは前世のカルマなどの結果だというだろう。
大乗、特に浄土系なら、他力というだろうw
仮にカルマだとしても、前世の記憶が無い人にとっては奇蹟や偶然としか思えず、他力のような気がしてしまうんだよね。
でもそれは妄想に過ぎず、瞑想を重ね前世まで見られるようになれば、すべては自力によるカルマの因果に過ぎないと分かるようになるらしい。
結論:気にすんな
断酒には成功したが、煙草はやめることができない。
修行が足らんなぁ。
ところで、みなさんに質問なのですが、瞑想中、肩に強い痛みを
感じ、その痛みばかりに、サティして、瞑想が終了してしまうことが
多々あります。
やはり座る姿勢が悪いのでしょうか。
よろしければ、どなたか、お知恵をお貸しください。
788 :
神も仏も名無しさん:2008/02/23(土) 13:03:02 ID:F7kBG7EJ
大乗の他力ってのは、すべてまかせるわ、ってことで、助けてもらえてももらえなくてもかまわない、ってことだと思う。
789 :
神も仏も名無しさん:2008/02/23(土) 13:07:07 ID:F7kBG7EJ
一般的にいう自己放棄ってやつね。
>>785 カルマですか。修行になるご縁も沢山あり、その縁ですごく苦しんで自分が
過去生でよほどの事をしてきたのかと思っていたので 良い縁があると
不思議だったのです。
>>786 そうですね。そう思えるように修行したいです。
791 :
神も仏も名無しさん:2008/02/23(土) 17:33:30 ID:ctrIi0lQ
無意識のうちに肩、首、背中などに力が入っているのかもですね。
座ったらまずは姿勢を観察してみて、上半身の力を抜いてみてください。
これは、座禅のたびに試行錯誤してみてください。
これが第一段階。
つぎに、それでも
瞑想中に肩が痛くなったら、我慢できなくなるぎりぎりまで動かさず、
その痛みにサティしていきます。もちろん、痛みの間にもお腹の膨らみや
周囲の音や雑念に気づいたら、それにもサティしていきます。
痛みへのサティは集中を高め、ある意味、ありがたいものです。
痛みがセンセーションのメインオブジェクトでしたら、とにかくひたすら
痛みをサティしていたほうがイイです。
最初から最後まで傷みにサティしていてもいいのです。
何の判断も期待もせずに、ただひたすらあるがままを観察し続けることが
肝要です。
瞑想何時間やってるわけ?
>>791 >無意識のうちに肩、首、背中などに力が入っているのかもですね。
>座ったらまずは姿勢を観察してみて、上半身の力を抜いてみてください。
>これは、座禅のたびに試行錯誤してみてください。
肩に痛みを感じない日もありますので、姿勢に問題があるのかもしれません。
ご助言を参考に、いろいろと試行錯誤してみます。
2点目につきましても、了解いたしました。
ご助言、ありがとうございました。
>>792 私は、1日につき40分程度です。
1時間ほど歩く瞑想やって精神状態がかなり落ち着いてはいるんだけど、
どうも無感情無表情になっている
これでいいのかな・・・・
>>794 OKOK。これでいいのかなと思うのは、まだ俗世の感情に執着が残ってるだけだ。
気にせず精進されよ。
喜びがないから悲しみも無い。だから安らぎ。
無感情無表情になるのは当然でしょう。
とはいっても、人間としての何かはなくすでしょうね。
わかった
やめておくわ
>>797 悟りってのは人間としてのなにか=執着を無くすことにほかならない。
ただの人間でいたければ、瞑想はある程度で止めておくべきだな。
>>797 妄想捨てて、ただの人間にもどるんですよ。
>>796 喜びも悲しみもあるよ。
喜ぶときは喜ぶこっきり、悲しむときは悲しむこっきり。
人が死んでもなんとも思わなくなってしまうことを
目指すというのであれば、瞑想も構わない。
人が死んだらやっぱり悲しみたいというのであれば
やめるべき。
人の生き死にで喜んだり悲しんだりするには生への執着があるからね。
歩行瞑想って、右足・左足をかなりゆっくり上げ下ろしするの?
で、右足、上がる、降ろす、・・・ってな感じで?
>>803 悲しもうと思えば悲しめるんじゃないの?フィクションとしてかもしれないけど・・・。
>>805 さぁ?聖者の心はわからないからね。ただ、泣く聖者というのも
個人的には、想像できないけど。
>>806 泣きたいことだってあるんじゃないの。わからないけど。
ただ、二年ほど冥想やった私の感じではここでわざわざ盛り上げて
泣くことないな〜 と自分の演出に気づくことあり。
亡くなった人の思い出に浸る優しい自分 にヒタってよけい悲しむこともあり。
まだまだ元気に生きていたかっただろうと妄想してナケルこともあり。
そうですよみんな妄想ですよ。
でもどの妄想を採用?するかは自分で決めていいんでしょ。
痛感神経がありかぎり、阿羅漢だろうが痛いものは痛い。
それは肉体というものに備わっているシステムであって、悟りとかは関係ない。
ドライアイスを触って痛くもなんともないからと手放さなければ、確実に低温やけどだ。
肉体を維持するために手を離すという判断をすることになる。
問題はここから。なんでドライアイスを素手で触ったりしたんだと自己嫌悪をしたり、
誰がこんなところに置いたんだこの野郎とか思ったりすると、
その感情を元に新たなカルマが生まれる。
だから、ドライアイスを触ってしまった→肉体の必要性によって手放した。
ただそれだけで終わらせれらるのが聖者。泣きも怒りもしない。
それを怒りや後悔に変換させてしまうのが俗人。
809 :
神も仏も名無しさん:2008/02/23(土) 22:43:42 ID:sIgsC591
ようするに現象に対して価値付けや意味づけをしない、ということだね。
それなら別にサティの方法じゃないやりかたもあると思うけどね。
>>809 サティというか、ラベリングはマハーシ式で取り入れられている一つの手段に過ぎないからな。
うまいハンバーグを食べた。うまいと感じたのは事実であって、どうしようもない。
いちいち「食べてます、食べてます」とかやる必要は無いでしょ。うまいんだから、今は精一杯うまさを味わえば良い。
その後、あの時食べたうまいハンバーグをもう一度食べたいなと思うのが貪りというカルマを生み出す執着。
後日まったく偶然に同じハンバーグを食べる機会に出くわし、食べたらまたうまかった。それはそれ。味わえ。
だが、食べ終わった瞬間にはそのうまさを忘れろ。執着するな。
げっぷのにおいで味を反芻してはいけないwww
ということでは?
うまいともまずいとも思わずに淡々と食べるのが良いのかもしれないが、
味というのは痛みと同じく、味らいという神経を刺激する一つの感覚に過ぎない。
まずさを感じるのは、農薬餃子を「ペッ」と吐き出すためにも必要な感覚だし、
逆にうまいというのは体に良いものを取り入れることを助ける感覚だからな。
>>810 (うまい)と感じた
そんな風にサティを入れては駄目?
>>812 いいのかもしれないけど。。。うまいというのは、価値付けなんだよね。
自分の体にとって良いものか悪いものかという価値判断の結果でもある。
したがって、じつはうまいというのは809が言うところの現象に対しての価値付けなんだ。
ラベリングは価値や意味づけをしないんだから、うまいとかまずいとかではなく、あくまでも「食べてます」とすべきではないんだろうか?
うまいというラベリングをすると、そのうまさという感覚が尾を引く可能性がある。
だが、食べてますというラベリングなら、食べ終わった後は関係なくなるし。
大事なのは、ある瞬間において必要だった価値判断を後に引きずらないことでは?
サティをすべきか否かではなくてね。
サティとは、後に引きずらずその瞬間に精神をとどめるための方法だから。
まずいものを「ぺっ」と吐き出すことに関連して、涅槃経の仏陀の亡くなり方。
鍛冶工チュンダの布施してくれた料理を食べて死んじゃうわけだけど、当然仏陀の肉体は「こんなのはき捨てろ」と危険信号を発したと思うんだよね。
だけど仏陀は、うまいまずいというのが肉体を維持するために必要な価値判断であることをよく理解していたのではないか。
そして、もはや涅槃に入っても良いと考えていた仏陀は、肉体維持の価値判断を制御し、チュンダの供養物をおいしく食べてあげること、彼の供養を無駄にせず成就させてあげることを選んだ。
これは感覚と、感覚が発する危険信号の意味を完全に理解していた仏陀ならではの行いだと思う。
その感覚に振り回されず、その時点で取るべき行動を取れるわけだ。
のこぎりのたとえとかも、この部類だろうね。
瞑想の進み具合というか、習熟度合いは
ラベリングやサティの入れ方の習熟度合い
でもあると思うんだけど・・・
たとえば、初心者が
(鍵を)持った →(手を)伸ばした →(鍵穴に鍵を)入れた →
(鍵を)回した → (鍵を)抜いた
とラベリングしたとするでしょ。
これなら、毎日できるし、基本形を覚えるとか、基本から外れない
っていう意味では参考になるのだけれど、
習熟が進むと、こういうものでも1秒間に何発ものサティが入る
みたいな秒速サティに自然になっていくものなの?
>>815 サティが進むと映画のコマ送りのように、瞬間瞬間の感覚が細かく分かるようになるらしいよ。
そうなると言葉という概念を用いたラベリングでは追いつかなくなるので、自然にラベリングしなくなるらしい。
817 :
神も仏も名無しさん:2008/02/24(日) 00:03:43 ID:X9q/veu6
>812
まあほぼいいのですが。
「うまい」は本人がそう思った内容であり、その場合は「(うまいと)感じて
いる、感じている。」です。
あまり言葉にとらわれず、「うまいと感じた」という事実に気づいていること
が大切です。
リトリートとかでサティして食事してると、食べ物の美味しさのほとんどは妄想
の産物であるとかわかります。
実際の口中では、触れる、味覚、硬さ(噛む)などの感覚が錯綜し、そこに鼻から
香り情報や目から視覚情報などが合わさって、脳内でうまさという幻想を紬だして
いるようです。
サティの目的は要するに無意識に行っていた思考、行動を白日の下にひきずりだすことにあるといっていいのではないか。
無意識が完全になくなった状態が悟りだと。
819 :
神も仏も名無しさん:2008/02/24(日) 00:06:41 ID:dDrjeemO
あるものを危険信号とするのも意味づけ、価値付けなんだな。
うまいもの、美しいもの、というのに執着しないというのまではまだいいとして、
まずいもの、醜いものに危険を感じないとすぐに死んじゃうよね。
サティもどきをやってみたのだけど、知り合いをみて「動物、動物」とラベリングして
挨拶もせずに無視してしまいそうになった。
意味づけ、価値付けをしないと、生きていけないと思う。
820 :
神も仏も名無しさん:2008/02/24(日) 00:13:18 ID:dDrjeemO
>>818 そうすると悟った人は、周りからは、
乾燥した、冷めた、マシーンのような人間に見えると思うけど、
それでいいのかな。
お互いそうなると、世界は砂漠のようで、なんか生きてる意味がなくなりそうだ。
それを理想的と考えるのが仏教なのかな。
821 :
神も仏も名無しさん:2008/02/24(日) 00:13:53 ID:X9q/veu6
続けて書き込みます。
>815
(鍵を)持った、(手を)伸ばしたい、伸ばしているときの筋肉の感覚や皮膚感覚、その時々の指や腕の感覚
にもいちいちサティしていく、鍵穴に入れた時の触れた感触も感じたらそれにもサティ、
回したい気持ちもサティ、回すはじめの動き、途中の動き、回し終わりの感覚、など、
さらにその間に、音や、妄想が入ればそれもサティ。
サティに細かすぎることはありません。
>>819 >知り合いをみて「動物、動物」とラベリングして
>挨拶もせずに無視してしまいそうになった。
(知り合いだと)思った
とサティを入れるとか?
あるいは、慈悲の瞑想をして
この知り合いが幸福になりますように
この知り合いの悩み苦しみがなくなりますように
・・・
のほうが良いのでは?
動物、動物ってのは・・・w
>サティもどきをやってみたのだけど、知り合いをみて「動物、動物」とラベリングして
>挨拶もせずに無視してしまいそうになった。
まてやコラw
ラベリングするなら「見ている見ている」じゃないの。
825 :
神も仏も名無しさん:2008/02/24(日) 00:20:44 ID:X9q/veu6
動物というは、もう判断してしまってます。
見えている、とか、動きとか、色、形の段階でサティ入れば良いが。
動物と判断してしまったのだから、「思っている」「思った」などでしょう。
>>824 でもさ、あまり好きじゃない知り合いだったのかな〜と思って笑えたよ。
827 :
神も仏も名無しさん:2008/02/24(日) 00:27:17 ID:dDrjeemO
>>826 昔ね、大学受験のとき、高校の教師が「周りの受験生を、芋やかぼちゃが並んでると思えば楽だよ」と
言っていた。
それも面白いけど、取れないぶどうはすっぱいと思うとか、嫌な人間を目の前にしたらただの物体だと
思うとか、ある種の意味づけを積極的にするのが精神衛生によいことがあるとは思う。
>>821 >サティに細かすぎることはありません
これは相当の熟達者レベルになってのことですよね。
普通はメイン情報を追いかけるだけで手一杯で
細かい階層に潜っていると、次のメイン情報に
ついていけないし、そうなると、ある情報に対しては
かなり細かくサティが入れられるのに、それに引っかかっていて
次から次へと入ってくる情報をバンバン飛ばしていかざるを得ない
わけで・・・
>>820 悟りもない瞑想も何もしていない社会的な意味での普通の状態の時から、人はまったく分かり合えないって絶望が前提にあるんじゃないかな。
社会的な意味で人との交流が妄想の産物に過ぎないというのを無意識的に感じてしまった人が瞑想に向かうみたいな感じで。
830 :
神も仏も名無しさん:2008/02/24(日) 02:10:02 ID:GHOBRfeD
フグだってあたるまではうまいんだから、釈迦だって人間だもの、あたるまでわからないことだってあるだろ。
831 :
神も仏も名無しさん:2008/02/24(日) 02:14:45 ID:dDrjeemO
ふぐは危険を冒してまで食うほどうまいとも思えんがなあ。
832 :
なまえはまだない:2008/02/24(日) 08:52:37 ID:jALH47jN
ブッダは、「托鉢で出されたものは、どんなものであれいただく」という考えでいたのかね。
それは、食べられない。それは、困る。
なんていうふうに托鉢していたら、弟子たちが、その真似をして、嗜好に走るおそれがある、と。
旨いまずいうれしい悲しい、というのは言葉にしなくても「ある」でしょ。
価値判断か感情感覚そのものを指すのかは文脈によるんだね。
旨いものを食ったときはうまいなぁと喜べばいいのさ。
長年悩まされていた鬱病が毎日10分ほどの瞑想で
治ってしまったという事例には興味があるんだよね。
薬が手放せなかったのに、その必要もなくなったとか。
>>834 なら、自分で実践してれぽを書けばよろしい。
書き込むたびにコメントする、ただの一言居士って感じの方がいますね。
いちいち君のコメントは必要ないよ。
>>832 托鉢で出された物はなんでも食べないといけない。ふだん食べないとんかつとか入れられておなかこわすこともあるらしい。
838 :
神も仏も名無しさん:2008/02/24(日) 14:04:41 ID:dDrjeemO
>>837 悪意をもって毒を入れられているとわかってる場合は?
そんなもん食べるわけないだろ 僧侶がバカだとおもってんの?
841 :
神も仏も名無しさん:2008/02/24(日) 16:44:08 ID:lPvOq9oQ
>>834 まあ、そういうこともあるんだろうな。というか、鬱と言っても何か他の原因で
抑鬱状態になっているということもあるから、そちらが解消して鬱状態も消える
ってことはあると思う。特に大きな不安が原因でストレスが溜まって鬱状態に
なっている場合、不安の方が小さくなれば鬱状態も軽減する可能性がある。
で、普通は不安の元は簡単に言ってしまえば妄想だろう。ならばその不安を
発生させるような妄想が小さくなれば不安も小さくなる。
職場に瞑想室がある人っています?
病気が治りたいから、瞑想するという人が思ったより多いんだね。
スマさんもびみょーな表現するし。
スマさんが精神病者?を罵倒し泣かした説法のビデオのタイトル知ってる人、いたら教えてください。
見てみたいのです。
845 :
神も仏も名無しさん:2008/02/24(日) 20:15:15 ID:lPvOq9oQ
唯識スレって消えたね。
自と他に分けず現実を一枚の絵として観ろ!って言うけど
やっぱり人を見れば 好き、嫌い、不快、怖いと感情や思惟が生じてしまうよ。
一切の現象を分子サイズまでバラバラにして他人をただの映像として観る事は思いのほか難しいッス!
847 :
神も仏も名無しさん:2008/02/24(日) 23:18:25 ID:gm2BZfq9
そういう時は
──「身(呼吸)のみあり」とは、念が彼に起こると、女でなく、男でも
ない、私ではなく、私の物でもないというように概念的に執着しないのを
示す。──
とあるように入出息念に励みませう。
自分の呼吸の出入りを観察する。
瞑想をするような人に問題を抱えている人が多いのかも知れないけど
まあ、人は100%の人間が何らかの問題を抱えていたりするわけで・・・
たとえば、そういう問題を深刻に考える人たちが瞑想に興味を
持つのかなと、我が身に照らして考えたりするわけだけど、
そういう見方をすると、そういう人たちの場合、程度問題として、
瞑想に向かわない多数に比べ、より神経質だとか、より感受性が強いとか
ってことがあるのかも知れない。
問題は、そういう気質を持った人がラベリングだのサティだのを厳しく
評価して修練しようとすると、自分を窮屈にしたり、達成感を味わえないとか
かえってノイローゼを醸成しないかという危惧を持つのだけど、そこら辺は
どんなもんなんでしょうか? あっ、これは自分がそういう神経質&完璧主義
の悪癖持ちなので、こういう邪推をしちゃうわけですけど・・・
849 :
神も仏も名無しさん:2008/02/24(日) 23:53:44 ID:dDrjeemO
>神経質&完璧主義
執着の塊なので仏教修行をもっとも必要とする。
850 :
神も仏も名無しさん:2008/02/24(日) 23:57:52 ID:gm2BZfq9
仏教の初歩は施・戒・生天の三論から入って、戒・定・慧の三学へと続き
ますが、神経質&完璧主義の人だったら、まず戒に拘りませんか。
それは戒随念の下地にもなりますし、ラベリングやサティでノイローゼに
なる前に戒で少しノイローゼになりませんか。
851 :
神も仏も名無しさん:2008/02/24(日) 23:58:27 ID:7fGXVsPd
>>848 危惧するのは妄想。
窮屈だとか、達成感を味わえないとかも、妄想。
なんか交通事故に遭いそうだな。
赤なのか青なのか、車の区別、そこらへんは大丈夫か。
853 :
神も仏も名無しさん:2008/02/25(月) 00:04:12 ID:7fGXVsPd
>>848 「感受性が強い」「完璧主義」という表現の中に、
ぎらぎらした変なプライドを感じる。
あなたは、
言葉の上では自分の短所のように言ってるけど、
本当は短所だと認めたくないのでは?
あなたは、完璧主義であり神経質であることを、
短所ではなく、むしろ他人よりも優れている点なのだと思いたいのでは?
神経質や完璧主義はやっぱり潜在的に妄想に支配されてる可能性もあるかしらと。
妄想の中の自分と比較して自分を卑下したり哀れんだり自分自身をダメな子認定してる思考があって、
自分にとっての不幸ってのはそうやって自分で勝手に不幸を作り出している状態なのだなあと気づいたことがあります。
妄想と比較している限り不幸の種は尽きないわけで…
完璧なサティやラベリングというのは、いったいこの世界のどこにあるんだろう、
本を読んだり人の話から勝手に自分が作り出した妄想に過ぎない可能性もあるわけで。
現実に存在しないものを気にしても疲れるだけですよね。
>>853 と思うあなたが誇大妄想かも
あ〜、きりね〜
856 :
神も仏も名無しさん:2008/02/25(月) 00:11:05 ID:wmyJRb8J
>ぎらぎらした変なプライドを感じる
>言葉の上では自分の短所のように言ってるけど、
>本当は短所だと認めたくないのでは?
>あなたは、完璧主義であり神経質であることを、
>短所ではなく、むしろ他人よりも優れている点なのだと思いたいのでは?
妄想大爆発。
857 :
神も仏も名無しさん:2008/02/25(月) 00:12:32 ID:aTNkvEJ9
何事もこだわらない、気にしない人がいます。これは平安な人です。
ただ、周りは迷惑なことがあるかもしれません。
858 :
神も仏も名無しさん:2008/02/25(月) 00:15:28 ID:wmyJRb8J
俺もどっちか言うと神経質だけど、これってプラスの意味で用いられることほとんどないだろ。
>>853 ここまで主観分析に走っちゃうってすごいなw
>>853 >あなたは、完璧主義であり神経質であることを、
>短所ではなく、むしろ他人よりも優れている点なのだと思いたいのでは?
いや、ハッキリと短所だと思ってますよ。
それも致命的な短所だと・・・
特に、社会に生起する問題が次々とマスコミをにぎわせる日々が続く現代では
社会の秩序が落ちついていないだけでイライラするとか。
自分にマイナスになるだけとわかっていても・・・。
あるいは、仕事でも、あるいはあるいは・・・
そういうことにストレスを感じないで流せる人は体の不調も起こさないし、
うらやましくて仕方がないです。
860 :
神も仏も名無しさん:2008/02/25(月) 00:30:21 ID:aTNkvEJ9
>>859 そういう人がいて社会に秩序が保たれるということがあると思うけど。
仏教的には社会はもっとアナーキーでよいのかな。
861 :
神も仏も名無しさん:2008/02/25(月) 00:36:03 ID:wmyJRb8J
完璧主義の人は、認知療法やるといいんだよな、、、。
自責思考が起きるたびにメモっておいて、「白黒思考」とか「全か無か思考」とか、
認知の歪みを修正する奴。
思考は自覚する前に流れてしまうから、自覚して極端を正そう、ってものだけど、
著者は東洋思想にもヒントをえて作ったそうだし、鬱や神経質的な症状の人に特化したサティ法だと思う。
862 :
神も仏も名無しさん:2008/02/25(月) 00:39:37 ID:wmyJRb8J
認知のゆがみというと、ゆがみも妄想といわれそうだけど、
それは単に認知療法の専門用語で、「事実に基づかないネガティブ思考」のことで、
あくまで「自動思考」に気づき偏りを認知するのがメソッド。
確か仏教と認知療法の関連書もあったし、認知療法から「マインドフルネス」に移行した本もある。
サティの初歩的な段階を学ぶのと、精神的健康を回復するのにいいと思う。
たとえば、雀鬼の桜井章一さんの本なんかには
点で捉えていると余裕がなくなるから、円で捉えろ
みたいなことを言ってますよね。
「運に選ばれる人 選ばれない人」
執着を少し剥離してみろという風に受け止めましたけど。
ラベリングにより妄想を消してしまうのも、本質は似ているかな。
864 :
ななし:2008/02/25(月) 11:14:36 ID:eskrhcoO
雀鬼の桜井章一さんと甲野義紀さんの対談が出たね。
立ち読みしてみるかな。
けっきょく、桜井さんのいうのは、どんなにどこか別のところで修行しても、たいせつなのは日常の心構え、というところ。
865 :
神も仏も名無しさん:2008/02/25(月) 18:32:27 ID:0vdHfJwJ
知事、スキー焼けしすぎ
釈迦は神経質だと思う
そして僕らの抱くどうしようもない感情・欲望のこともよく知ってると思う
そしてそれに打ち勝つ方法も
神経質かどうかはしらないが、ある精神科医の本に釈迦は鬱器質だと書いてあった。
森田療法の森田正馬は自分の神経質を生かして森田療法を作ったらしいから
あながち外れていないかも。
>>868 とにかく忙しくしているとか、体を使って黙々と雑務をこなすのは
精神衛生的には良いね。
ある意味、畑仕事なども瞑想状態に近いものを体感できる。
中村天風先生の聞いた天の声のように、農作業しながら
流れ行く雲の中に絶対のしじまを聞くこともあるし。
870 :
ななし:2008/02/25(月) 22:01:54 ID:eskrhcoO
私はいとも快く、無上に快く、極めて快くあった。
わが父の邸には蓮池が 設けられてあった。
そこには、或る處には紅蓮華が植えられ、
或る處には白蓮華が植えられてあったが、
それらはただわたくしだけのために為にされたのであった。
わたくしはカーシー(ヴァーラーナシー)産の栴檀香以 外は決して用いなかった。
わたくしの被服はカーシー産のものであった。
襯衣はカーシー産のものであった。
内衣はカーシー産のものであった。
寒、暑、塵、草、露がわたくしに触れることのないように、
實にわたくしのために昼夜とも白い傘蓋
がたもたれていた。
そのわたくしには三つの宮殿があった。
一つは冬のため、一つは夏のため、一つは雨期のためのものであった。
(『アングッタラ・ニカーヤー』)
というような育てられ方をしていたのなら、
それは繊細で神経質な人格だったかもしれない。
とにかく、おおざっぱじゃなかったろう。
某スレで癌で鬱病で友達にも理解されず去られて一人ぼっちで身よりもないって人がいたけど、、。
こういう人見ると、自分一人悟り開いていったい何になんの?って思ってしまうな、、。
個人的な生きる意味みたいなものを越えて、人間が生きる意味ってものを知りたいよ。
まあ両者に区別はないんだろうけど、、、。
「意味なんて妄想」とか言われそうだけど、余裕のあるときはなんとでも言えるからな、、、。
解脱する為の修行だからなぁ…。
たった一人で完全に死ぬ為に、今から必死で努力する。
せっかく生きてるのに何でそんなことするの?
っていったら、よっぽど生きてるのが、嫌か、苦しんだなぁ…ってことだろうし。人のためにってのは、この世界に希望をもつことになるから
解脱を望む、この世界への嫌悪とは逆なんじゃないかなぁ。
少しでも生きるのを楽しくしたいのか、解脱したいのか。
なんか、幸せになりたければ仏教ってのは、
おかしいと思うよ。私は。でもそれだと、流行はしないだろうけど。
自分の思うがままに生きてみて!
>>845 仕事中疲れたり緊張が取れないときは、トイレに入って20分ぐらい瞑想してるよ。
痔になるよ
>>875 なぜに。
ちなみに肛門には力入れてないからw
解脱とか悟りとか中途半端だと辛い。中途半端と言うか修行の道は辛い。
今、橋の上でそっちへ行こうか、戻ってしまおうか立ちすくんでます。
中途半端なら今まで通り苦しくても普通に音楽楽しんで、たまには美味しい物食べて、ファッション楽しんで
旅行楽しんで、苦しさの励ましに楽しいことを見つけて生きてる実感を
味わいたいかなとも思う。
これまで楽しめていたことが、すべて冷めてしまい、寂しいです。
寂しさも怒りなんですよね。
妄想だとしても好きなアーティストのライブを思いっきり楽しめていた自分が
懐かしいというか何と言うか。
瞑想し始めて悩んだという方いますか?
878 :
神も仏も名無しさん:2008/02/26(火) 21:08:06 ID:ySRkhH4Q
>>871 誰でも病気になるし、他人は必ず去ります。
そういう外的要因に依存しなくても幸せに生きて死ねるために、
仏教が役立つのでは。
>
>>877 修行進むと醒めるものなの?
進んでないからかしらんが、私は醒めてないなぁ。
でもいっぱい悩んだり泣いたりしたよ。自分のだめなところが見えるからね。
880 :
神も仏も名無しさん:2008/02/26(火) 21:14:19 ID:ySRkhH4Q
>>877 どのみち、年齢とともに、
そういう刺激に対する興味は減っていきますよ。
子供が喜んで遊ぶオモチャにも、大人はもう飽きていますよね。
スマナサーラ長老の本来のスピードでやる読経にほれますた。
不謹慎でしょうか
>>880 >子供が喜んで遊ぶオモチャにも、大人はもう飽きていますよね。
うっ ガチャポンとか好きなんだが
ま ガチャポンは横へおいといて
大人になれてないってのが瞑想して発見したイタイ事実30代
>>879 私は、冷めて見えるようになりました。
>>880 その時々に楽しいと思えること。それが思えなくなるって感じです。
だったら修行やめろよって話ですね。
>>883 辛いことも消えるけど楽しいこともない、みたいな?(想像だけどね)
私の場合 寂しいのは 何かが欲しいからで
与える気持ちを育てたらいいんじゃねーかと思い 慈悲の冥想してますが。
どうっすか。
>>877 心を動かされたい=感動したい
それ自体が執着だから。
解脱とか悟りはそういうのに動じない心を作ることであって、
一般人からすれば無感動な人間に思われるようになるかもしれない。
でも当人の中では、静謐で落ち着いた安寧の中につねにいられるわけだし。
そういうのが嫌なら、悟りを開こうとは思わず、悪趣に落ちることだけ気をつけて、
天界と人間界を行き来できるような功徳だけ積んでおいたほうがいいかもしれない。
>>887 悟りの世界を垣間見て、恐ろしくなって逃げ帰ってきた人さw
あれほどまでに完全な無の世界は・・・
>>888 どうして、修行して感情が無くなっていったのに怖ろしくなっちゃったの?
>>889 悟りの世界が万教帰一という前提で捉えて欲しいんだが、
別の宗教・別の文化・別の手段・別の伝統を使った、とだけ書いておくよ。
それを使えば一足飛びに悟りの世界にたどり着けるんだが、狂うかもしれない両刃の剣。
完全に悟ってしまえば表面的には常人ぶることはいくらでも可能になる。
だが内面は徹底的に冷徹な、無でしかなくなる。
そうなると生きていても仕方なくなって、即身成仏(一般的な言い方では餓死)の道を歩むことになる。
仏陀も菩提樹の下でそのまま死のうとした。だが梵天が現れ、教えを説くことに下した。
それはこのうえない奇蹟なのさ。
狂ってしまった人は、解脱の一歩手前で止まってしまった人。
完全に行くことも出来ず、後戻りもできないために狂うしかなくなってしまう。
激辛はいきなり食べるともう食べたくなるだろ?
だが徐々に体を慣らしていくと、それが美味しくなってくる。
辛味の奥の旨みもわかるようになってくる。
俺はいきなり食べたせいで、悟りがトラウマになってしまったんだ。
狂わなかっただけありがたい。
今は徐々に体を慣らせようとしてる。ヴィパッサナーでね。
だがあの無を思い返すと、本当に解脱する事が幸せなのかと疑問に思うこともある。
それでも解脱を追い求める気持ちが、俺のどこかにあるからこの板にもいるんだな。
徐々に感情をなくし恐れをなくしていけば問題ないのかもしれないけど、感情を保ったまま覗き見ると、狂いそうになる代物なんだ。悟りってのは。
悟りに飢えて飢えて飢えて、もう悟り以外に救いはないというほどに思いつめなければ、
あの無には耐え切れないと思った。少なくとも今の俺には。
この世を徹底的に苦と見、悟りを希求するには、この世はあまりにまやかしの楽で溢れかえりすぎてる。
執着を持ちやすい時代であることは確かだろうな。
仏教の三法印→諸行無常、諸法無我、涅槃寂静はまさに真理。
無常といったら全てが無常だし、無我と言えばすべて無我なんだ。
そしてそれらを突き詰めれば、そこには全き無の、涅槃寂静の世界が広がってる。
それが真理。
では六道輪廻ってなんだ?これは真理じゃないのか?
と思う人がいるかもしれない。
だがそれは、シッダルタ菩薩が仏陀になったこの法界でのルールでしかない。
他の法界では七道かもしれないし、一道かもしれない。
そんなのはそれぞれの法界で勝手にやればいい。
創造主がどんなルールを作ろうが知ったことか。
そう、この法界の創造主は、存在しえる話だ。
だがその創造主もまた別の創造主に作られたかもしれない。
縁起の法則。無限の連環。だがその全体で究極の真理は唯一つ、無。涅槃寂静。
そのあまりにクールすぎる真理を直視するより、神のリーラ(戯れ)と割り切って輪廻転生を楽しんだほうがいいかもしれないと思うこともある。
うーん。饒舌なあなた。がんばってください。
半分も理解できてませんm( )m
長々書かせてもらったが、ヴィパッサナーをやっていくと日常生活も良くなるとかストレスがたまりづらくなるとか、
いいことはいろいろあるかもしれない。
いい瞑想法だよ。それは本当。
だが本当に本気で悟りを開こうと目指すなら、いつかは選択しなければならなくなる。
本当に悟りを開き預流果以上の流れに乗るのか、乗らないか。
乗ったら二度と戻れない。いつかは必ず涅槃に入ってしまうからな。
だからあえて乗らない人だっていくらだっている。三法印を理解したうえで、あえてそれを楽しむ覚悟を持った人間だ。
それを大乗では菩薩というのかもしれないな。
スマさんはそこまで言ってないでしょ。在家でいくら瞑想したって、そんな選択を迫られるレベルまで極めることはまず無理だから。
だからこそ気軽に瞑想のよさばかりを宣伝する事ができる。
その方法は間違ってないと俺も思うよ。
だがスマさんは、出家を勧めはしないよな?
瞑想はあんなに勧めてるのに、出家は勧めない。
出家の功徳とかは本や雑誌で何度も書いてるのに、実際に出家することはまったく勧めてない。
協会員ですら一時出家しかさせない。
それは、出家とその行き着く先の悟りの世界が、安易に人に勧められるものじゃないからだよ。
将来、本気で悟って涅槃に入りたいという変わった人が現れたら、その時は出家の案内もしてくれるかもね。
ではみなさん、せいぜい俗世の生活を良くし、良い転生をするため程度を目標に、修行に励んでください。
それが一番幸せなことだと思います。
まあ、悟りは現代では必要はあまり無いのかも知れない。
解脱する前は畏怖や恐れが生ずる。
といって、解脱はそれ程恐ろしいものでも無いんだけれど。
何故、困難なのだろう。
解脱は自我を失う事であり、それは死と同等であり、生物としての本能を侵害する恐怖。
悟ったからといって、何ら日常は変わりはない。
まだ、俗世間の凡夫の方が刺激的で良かったかもと思ってしまう。
ただ、安堵と静けさは常に有る。
895 :
神も仏も名無しさん:2008/02/27(水) 00:07:19 ID:++r7kPxF
日本人で悟ってるといえば道元だと思うけど、どう思う?
空海はどうなのよ。
悟りと解脱ってどんなもの。
悟りも解脱もいらない。
瞑想にそのどちらも自分は求めていない。
それより、日常生活が心豊かに安心な気持ちで暮らせるかどうか、
外部刺激で心が簡単に乱れてしまったり、ストレスで体調を
おかしくしてしまったり、あるいは、日常生活でツイていないことばかり
起こるようなことがあれば、それは自分の運進路が間違っている
ということだから、そういう流れを呼び込まないで、良い運気に
包まれる=良いことばかり起こる・・・そういう実質的な変化に
期待したい。
悟ったところで、変わらない日常。
悟ってから言えよ。
悟ってから言えよ。
日本じゃ誰も悟って無さそうだから
仏教を伝える人がいなくなって終わりそう。
905 :
神も仏も名無しさん:2008/02/27(水) 04:18:21 ID:GJ5nZRbN
スマナサーラ長老は悟ってますよ!
合えば解る。
ここは悩み苦しみで溢れてるスレですね
907 :
神も仏も名無しさん:2008/02/27(水) 04:40:27 ID:GJ5nZRbN
ブッダは輪廻(りんね)をどう捉(とら)えていたか。古層の経典では
、確かに輪廻は業報(ごうほう)と結びつけられ、積極的に説かれる。
だが著者は文献を精査し、最古層の経典には輪廻(サムサーラ)という
語は見出(みいだ)せず、「来世」や「再生」などの表現はみえるものの、
いずれも否定的な文脈に限られている事実を突き止める。ブッダ自身の輪廻観
は飽(あ)くまで否定的であったと推すことができるのだ。
「無我なのにどうして輪廻という生死を超えた我の存続を認めるのか」
との疑問が氷解するとともに、当時から流布していた輪廻という観念の
因襲を、無我の思想を立てて解体しようとしたブッダの姿を、本書は見せてくれる。
908 :
神も仏も名無しさん:2008/02/27(水) 10:28:39 ID:hRi78qWi
とりあえず、何があっても何の我慢も辛抱もすることなく
・怒らない
・悲しまない
・悩まない
・心配しない
・苦しまない
・恨まない
・妬まない
・僻まない
でいられる自分でありたい
>>893 質問真面目に答えてくれてありがっと。理解力なくてすまん。
悟り八合目まで登って帰ってきても、得た物(この場合は捨てた物?)は
色々あるんだろうね。
>>909 909さんの願い事が叶えられますように。
912 :
893:2008/02/27(水) 22:31:02 ID:hRi78qWi
>>910 いえいえ。分かりやすく書けなくてすまん。
俺は解脱から尻尾巻いて逃げた人間なんで、覚悟決めて悟った人間なら、もっとわかりやすく書けたかもしれない。
引き返してきたけど、もちろん瞑想は続けてる。
そんな俺が得た・捨てたものがあるとすれば、仏教の三法印はまさに真理だと本気で理解できたことかな。
諸行無常・諸法無我・涅槃寂静。
それ以来、巷間に溢れるスピリチュアル本で真我がどうこう、アートマンがどうこうと書かれてても、それは悟りの一段階でしかないことが分かるようになった。
悟りには無限の段階があって、それぞれが真実を語ってる。間違いじゃなくて、段階や言い方・表現が違うだけ。
神とか創造主の存在も、悟りのある段階においては真理。
究極じゃないけど。
それは、仏陀の教えを否定することにもならない。
俺らの世界に絶対の権力を持つ創造主ですら、三法印から逃げられない。
全ては同じ一つに収束するのよ。無に。万教帰一。
原始仏教の教えはまさに究極です。
俺も小悟ではなく、大悟を目指す、生涯一学徒。
あなたも、みなさんもがんばってくださいね。
914 :
神も仏も名無しさん:2008/02/28(木) 06:27:30 ID:Iej6R/Gw
>912
マスターベーションは楽しいかね。
心を汚すな
潔癖性はね、辛いわよ
人の間で生きていくのが
万教帰一なんていったらヒンドゥー教じゃないか。
瞑想しすぎて仏教から外れてしまったな。
どの宗教においても自分こそが正しく他は間違っているという姿勢こそが災いを引き起こしてるのを見れば、
おのずからどういう姿勢をとるべきか分かりそうなものだがな。
だって仏教は仏教でしょうよ。
スマさんは仏教の出家者であって
ジャイナ教の出家者ではないでしょう。
ヒンドゥー教のグルではないでしょう。
そういや、禅だと魔境とかの概念あるけどテーラワーダの瞑想はどうかな。
教義や宗派には興味はないな。
あくまで自分のこころの安定とか、外部刺激に対する
過敏反応制御ができればよいだけだしね。
それに加えて、瞑想が進むことで自分を取り巻く気が
きれいにまとまってきて、それによって自分に起こる
現象が良いことばかりになれば現実的にも瞑想が
良い結果をもたらしてくれたことが確認できるわけで
瞑想してよかったと安堵できる。それは、これからも
この方法でやっていけばいいかなという安心でもある。
と、書いてみたものの、ラベリングも稚拙だし、サティの
入れ方もよくわからないし、入れて妄想が止まること
ばかりじゃないし、気がつけばほとんどの時間はラベリング
していない日常。その上、大事な外部刺激の場面で
ラベリングを忘れるお粗末さ。
癖がつかないとダメだね、こりゃ。
921 :
神も仏も名無しさん:2008/02/29(金) 00:31:56 ID:Lgim+NJP
誰もが罪を犯さずに生きるのはむずかしい。だから、その重さを自覚すべき、これは覚えておこう。
今に生きるのが大事なんだね。楽しさを感じること。
テーラワーダに影響受けてる人は
論理的なせいか、妙に攻撃的だよね。
その攻撃性が社会に引っかかって躓いてるんでしょ
924 :
神も仏も名無しさん:2008/02/29(金) 20:01:38 ID:T0afy+IQ
無知の知が抜け落ちるのは理論武装の落とし穴、か。
925 :
神も仏も名無しさん:2008/02/29(金) 20:42:52 ID:zl286pGm
僧侶コスプレ詐欺にも「和を以って尊しとなす」だから文句を言わないのが
非攻撃的という話かな。詐欺師にとって都合の悪い輩は攻撃的だとさ。
あのさ、慈悲の瞑想ちゃんとしろよ。冗談じゃなくて。
927 :
神も仏も名無しさん:2008/02/29(金) 23:03:05 ID:HbqrREN/
158 先ず自分を正しくととのえ、次いで他人を教えよ。(Dhammapada)
928 :
神も仏も名無しさん:2008/02/29(金) 23:16:42 ID:Bc8sy89g
先ず詐欺行為を止めませう。詐欺師が他人に教えるのは相応しくない。
いいかげんにしろよ。テーラワーダ信奉者ならなおさらだ。
930 :
神も仏も名無しさん:2008/03/01(土) 00:17:52 ID:5FKfMLxs
221 怒りを捨てよ。慢心を除き去れ。いかなる束縛をも超越せよ。名称と
形態とにこだわらず、無一物となった者は、苦悩に追われることがない。
(Dhammapada)
慈悲の瞑想って難しいよね
怒りって言うのは、慢心なんだな、自分の言っている事が絶対正しいと思っているから人を怒れるんだよ。
でも一体何が正しいと言える根拠なのか。頭の中の概念に過ぎないだろう。善とは悪とは、それを計るモノサシはどこにぶら下がっているのか
自分勝手な決め付けをすててしまえば、怒る根拠も失うだろう。
>>931 難しいとは?
たとえば、自分が嫌いな人間に対して
幸せでありますように
悩み苦しみが消えますように
なんて言うことに生理的に強い拒否反応がでるとか?
自分もやむにやまれずに慈悲の瞑想をやりだしたけど
言えるようになってきた。
ついでに言うと、朝、神棚の水や塩を取り替える時に
言ってみたりして・・・まだ、習慣化していないんだけどね。
934 :
神も仏も名無しさん:2008/03/01(土) 01:15:33 ID:KtZY2btU
いや俺は、私が幸せでありますようにの時点で空々しく感じる
慈悲の瞑想も妄想だと思うよ。
ヴィパサナだけでいい。
936 :
神も仏も名無しさん:2008/03/01(土) 02:40:49 ID:CptQ5Q4V
>>935 ヴィパッサナーだけでは預流果止まりなわけで…。
慈悲の瞑想は、一来果以降を見据えた修行かもしれません。
>>936 ヴィパッサナーが預流果止まり???
これこそが阿羅漢果を得る方法だろうに。
サマタと勘違いしてないか?
もしくは、慈悲が無いと云々と言うのは大乗じゃないのか?
預流果、阿羅漢果、一来果・・・
ついでに大乗も小乗も・・・
全部あわせて忘れる。
つまり、理屈や論理的整合性、教義、優劣・・・
こういうものをいくらいじくっても心の平和は訪れない
そんなことがようやくわかってきたんだ。
だから、あくまでなにがあっても自分のこころが安定していて
涼やかでいられるかどうか、人生が楽しいと思えるかどうか、
年齢にかかわらず、その時の自分がいとおしいほど好きで
いられるかどうか、・・・
ひいては、そんな自分でいられることによって、自分に
起こってくる現象が良いことばかりになっているかどうか・・・
瞑想に期待するものは、こういうことかな。
急狂句的なところ、もはや仏教である必要も無いよね。
って究極ね。狂ってんのは俺か。
941 :
神も仏も名無しさん:2008/03/01(土) 11:36:35 ID:sUMcrmHp
>938
良いことばかりになることは無いと思いますよ。
すべては諸行無常で、思い通りにはなりません。
そうではなく、どんな最悪と思われることが生じても心乱される事無く
平常心で居られるということでしょう。
瞑想実践すると、何か効果みたいなものを期待しがちですが、
期待して瞑想すると、うまくいかないと思いますよ。
ただ粛々と身心に生じることをできるだけ詳細に気づいていくだけです。
>>941 もちろん、人生だから様々なことが降りかかってくると思うし、
生きていればいろんなことは起こる。
でもね、自分の体験で言うと、人に親切にしていて言葉遣いにも
気をつけていた時期は、ある頃から、ドドッとうねりをたてて他力が
援護射撃してくれるようになった。問題は、その時を振り返ると
他にもいろいろな良い現象ばかりが起こっていたんだよ。
四柱推命、六星・・・いろいろな占い・易もあたらなかった時期。
でね、自分の場合には、それを恨む同僚の強い怨念を受けて
やられちゃったんだ。自分も流せなかったんだけど、嫌がらせは
壮絶を極めていたから・・・
で、今はそこら辺の浮き沈みが冷静に客観できるようになって
「ああ、やっぱり、ああいう態度で行って良かったんだな」と
思い直しているところ。
自分の場合、他人のために働くと運気がもの凄く良くなることが
わかっていて、同時に星回りに関係がなく良いことが頻繁に起こる
現象もハッキリと確認しているので、そういう時に忍び寄る邪魔に
対して、おおらかにやり過ごして心の状態を壊さないという一点が
もの凄く大切なんだなあとね。瞑想にはそこら辺のことを求めたい。
943 :
神も仏も名無しさん:2008/03/01(土) 16:40:18 ID:CptQ5Q4V
>>937 ヴィパッサナー「だけでは」。
一来果以降は、禅定が必要になってくるので、サマタ的要素が要る。
また、一来では貪と瞋の煩悩を減らしていくわけだから、
不瞋の心である慈悲を育てる段階とも言える。
944 :
神も仏も名無しさん:2008/03/01(土) 16:46:36 ID:CptQ5Q4V
自分は、気が短く怒りっぽいところがあって嫌なんですが、
「また怒っちゃった」と反省するばかりでは仕方ないわけで、
結局は瞑想するしかないんでしょうね。
しかし、逆に言えは、「そうか、瞑想すればいいんだ」という、
糸口が見えたような安心感があります。
945 :
神も仏も名無しさん:2008/03/01(土) 19:19:21 ID:mQvT2x31
慈悲の瞑想は目を開いたままじゃなくて
つぶってやれば集中できて気持ちがこめられますよ。
瞑想のために時間とった時だけじゃなく、普段から
サティ入れるようにするとなお良いんですよね。
たとえば、ふとしたときに、昔の良い思い出を思い出すことがあります。
サティを入れて現実に戻ることができますが、
そのようにして良い思い出さえも、思い出に浸るようなことはせず、
すぐ終了して現実に戻るほうが、ベターなんですかね?
・悪いことではないが、思い出に浸らないほうがベター
でしょうか?
それとも、
・良い思いでさえも、少しでも妄想がないほうが好ましいので、、すぐ回想を終了するべき
ですかね?
仕事が忙しくてつかれてくる夕方あたりに腹が立つことが多くあります。
克服するにはやっぱ瞑想ですか。
人にはめられて腹が立つ時があります。騙されている自分にも悔しい。というか、騙している人間より、そんなものに騙された自分が情けないのかな。と独り言。
瞑想で幸せになれるのなら、いいかも。
>>948 自分も、智慧のあるひとなら切り返せるだろうなぁとか 思って でもはめられちゃうことがあるw
私の嫌いな人々も幸せでありますように
私を嫌っている人々も幸せでありますように
で、今日は楽になれました。
ぐだぐだ恨むと、胃がやられちゃうのでよくないね。
「忍耐と堪忍は最上の修行」なんですね。
はいわかりました。がんばります。(泣
951 :
神も仏も名無しさん:2008/03/02(日) 00:59:13 ID:Je1hIyeN
サティを入れることによって、何もしなかった頃にくらべればいくらか瞋や嫉妬、
憎しみなどから解放されましたが、完璧には無理と思いました。
瞋や嫉妬などのマイナー感情から完全に解放されるにはやはり悟るか、あるいは
悟りのレベルにかなり近づかないとダメたと思います。
でも、悟るには
それこそ在家で居て朝晩の瞑想と普段の気づきくらいじゃ、まあほとんど望みは
無いと実感してます。むろん、何もしないよりはだいぶマシだし、そういう意味
では、瞑想の効果は実感してます。
出家しないまでも最低八戒は守り、瞑想センターにでも行って、それこそ終日
瞑想に明け暮れてはじめて、瞋や嫉妬などに悩まされない境地になるのではない
かと思います。
それと慈悲の瞑想も、本当〜に心底、嫌いな人が幸せであると思えるようになる
には、これもそれこそ相当の気合いと覚悟で精進しないと、そんな境地には
ならないと思います。
何もしない頃に比べると、嫉妬や瞋などの途中でブレーキが利く効果は確かに
あると言った程度です。
>>950 ふっ わかっていてはめられてあげたのさ・・・とか
内心つぶやいてみたりして。
一緒にがんばりましょ。
>>951 私は楽器をやっています。楽器をいくら修練しても、今更プロにはなれません。
でもだからって、楽器を全部止めてしまうのは人生の多くの面白い事や、生きがいとか失ってしまうような気がして止めてません。
楽器とか音楽はあるレベルに達しないと意味が無いというほど底の浅いものでは有りません。瞑想だって同じ事だと思うのです。
草野球だって、マラソンだってそうでしょう。草瞑想家でいいんじゃないでしょうか。
慈悲の瞑想はどうもしっくりこない。最初は良かったんだ。
自分が嫌いな人間、自分を嫌っている人間・・・こういう対象にも幸せを祈り、
悩み苦しみが消えることを祈り・・・やろうと思えばできるし、こだわりなく
できるようになった。問題はここからだった。
これを瞑想中に言うのは問題がないのだろう。
自分はこれを神棚を前にして日々の挨拶の中で言ってみた。
すると、もの凄い違和感を感じた。その理由を考えてみた。簡単だった。
神は人間の願いを一切聞き賜わない。
もし願いがあれば、「こうしてください、ああしてください」ではなく
完了形で言うのが神様に対する際の正しい作法らしい。
つまり、慈悲の瞑想で使われる文言は、すなわち、今現在が幸福ではなく
悩み苦しみが消えておらず、・・・それを認める形で唱えているに等しい。
「幸せになりますように」とは「(今現在は)幸せでない」ということを神に対して
ブツクサ愚痴っているようなものだ。
これが違和感の正体だったのだ。
神に対しては、完了形で言うと同時に「感謝」から入らねばいかんのだね。
神棚を前にして、文言を書き換える(書き換え続ける)ことが大切だと
学んだ瞬間だった。
私もそう思います。
慈悲の瞑想は、ヴィパサナとは矛盾しています。
スマさんも地橋さんも「慈悲の瞑想すると奇跡が起こる」と言ってます。
慈悲の瞑想は御利益的なところがあるね。
しかし、わたしたちはあるがままを受け入れる修行をしているのだし、そ
れがヴィパサナのはず。矛盾しているよ。
956 :
神も仏も名無しさん:2008/03/02(日) 05:56:59 ID:UzFMUAWi
>>951 いやあ、そんなに気合い要るかなあ?
小さい子供の頃のことを思い出して欲しいんだけど、そんなに嫉妬とかありましたか?
ほとんどないですよね? で、子供の頃はその状態を実現するのに気合い入れてましたか?
入れてませんよね? 何の努力もしていないノーマルな状態で嫉妬とかがほとんどない
わけですよ。その時の状態と今の状態の何が違うのか? 何かが違っているわけです。
その辺のことに気づくことが鍵だと思います。
解脱したい人よりも、慈悲深い人になりたい人が多いからでしょう。
958 :
神も仏も名無しさん:2008/03/02(日) 09:10:32 ID:vNED4sEO
>>954 慈悲の瞑想を神棚に対して行なうこと自体が違っていない?
959 :
神も仏も名無しさん:2008/03/02(日) 09:28:33 ID:vNED4sEO
>>955 >わたしたちはあるがままを受け入れる修行をしているのだし、それがヴィパサナのはず。
理論的にはそうだが、ヴィパッサナーだけやっていると、すぐイライラして怒りっぽくなるよ。
(かなりのレベルでヴィパッサナーやっている人でも、そういう人がいる。)
心が伴わないで、観る力、感受能力だけ高くなると高慢になる。
サンガに入って徹底してヴィパッサナーをやるならいいかもしれないが、
普通の社会生活をおくりたいのなら、相手を思いやる心の方が大切。
それと、慈悲の瞑想は奇跡など期待しない方がいい。
ただ自分の心を清らかにし、安らぎを得るのみ。
(結果的に奇跡が起こるとしても)
960 :
神も仏も名無しさん:2008/03/02(日) 10:02:57 ID:Rb3bV/9a
>>954 仏教で言う幸せとは、
悩み苦しみがなくなり、
願いごとがかない(つまり願いごとがなくなり)、
悟りの光が現れることではないでしょうか。
悟らないかぎり完璧な幸せではないということ。
ですから、生きとし生けるものがすべて悟るまでは、
完了系で報告なんて無理。
あと、慈悲の瞑想はやはりサマタ瞑想ですよね。
ですから、慈悲の言葉の内容にあまりとらる必要はなく、
慈悲の言葉以外の雑念が入らないように集中することが大事では?
961 :
神も仏も名無しさん:2008/03/02(日) 10:07:05 ID:Rb3bV/9a
>>954 一応神様がいると仮定するなら、
神様に瞑想の功徳を回向するつもりでやったらどうでしょうか?
瞑想しているあなたの姿を、神様も随喜してくれるのでは。
962 :
神も仏も名無しさん:2008/03/02(日) 10:19:03 ID:Rb3bV/9a
仏道は昔から、
戒・定(止:サマタ)・慧(観:ヴィパッサナー)の三学だと言われますね。
テーラワーダの在家信者の場合、
戒は五戒、定は慈悲の瞑想、慧はサティをやるわけですね。
963 :
神も仏も名無しさん:2008/03/02(日) 10:27:59 ID:Rb3bV/9a
『ブッダ最後の旅』より
『尊師はかの王舎城〈鷲の峰〉なる山に住して、修行僧たちのために、
このような数多くの〈法に関する講話〉をなさった。―
「戒律とはこのようなものである。
精神統一とはこのようなものである。
知慧とはこのようなものである。」』
…以下略。
964 :
951:2008/03/02(日) 10:46:48 ID:Je1hIyeN
>953
草瞑想家か・・・、
まさにそのとおりですね。
なんか、笑みがこぼれてしまいました。
本気で悟ろうとすれば、一流を目指してフランスの音楽学校やアメリカの
テニス学校行くみたいに、ミャンマーの瞑想センターあたりで十数年みた
いくらいじゃないとダメ思います。
芸事やスポーツでも大方は血のにじむような努力を経てますもんね。
ちょっと修行して悟る方もあるとは思いますが、やはりほとんどは終日瞑想
修行してやっとたどり着けるかどうかの境地でしょう。
たとえば草瞑想で第四禅定なんてとてもムリっぽいし。
でも、瞑想は自分の有り様が分かってきて面白いです。
これからも草瞑想続けます。
解脱できなかったら、自分はまた生まれ変わるんだなぁ
って思ってる人いる?
>>959 相手を思いやるのは、自分で慈悲の心を持とうと努力してそうなるも
のだろうか?
そうではなく、ヴィパッサナ瞑想によって慈悲のない自分に気付くこと
によって、そうなるのではないのか。
相手を思いやるというのは、相手をありのままに受け入れることであり、
それはヴィパッサナーそのものです。
自分の思考で慈悲の心を持とうとしても、自己を押しつけているだけで、
本当の慈悲とは言えない。そう言う意味でも慈悲の瞑想には疑問があ
る。
人間というのは価値観をジャンプする体験をすると変わる。
たとえばトイレ掃除が良いと言われても、便器の中に素手なんて
絶対につっこめない。ばい菌だらけだと思っているし、おそらく
100%の確率で雑菌はある。
その時に、エイヤ!!と素手を突っ込んでゴシゴシ掃除してしまうと
何かがプツッと切れる。それが価値観の転換であり、ジャンプ。
数千円の時計でいいやと思っている人が、ある日、時計屋で
ロレックスの時計を見た。オメガの時計を見た。
時計なんてもんは高々1万円でいいじゃないかと思っているから
ブランドなんて馬鹿馬鹿しい。そう思っているのだけれど、妙に
惹かれているうちに高級時計の魅力や価格に対する価値観が
変わってくる。で、買ってしまう。それで自分の中の何かがカチッと
変わってしまう。スッポリ入れ替わってしまう。
・・・とまあ、いろいろなことで価値観のジャンプは起こりうる。
問題は、自分の外界との呼吸がそれでうまくいくのかということ
なんだろうね。その外界との軋轢で様々な個人的な闇苦しみが
生まれてくるのだから。
価値観がジャンプしてしまうと当然、つきあう人というものも
変わっていかざるを得ない。でないと自分が苦しくなってしまう。
自分の場合、仕事を変えたところから人間関係が全部入れ替わってしまった。
人の質が全然違ってしまった。元の会社の親しかった人と会って
話をすることがあっても、全然話が合わなくなって、ついには
袂を分かってしまった。
>>967 それは俺にもある。
いまじゃ学生時代の友人は皆無。
いまだにアニメやゲームを追っかけてる彼らと、話が全く合わなくなってしまった。
俺はそんなことに使う時間は無いと思うようになってしまったからな。無常なものに執着してなにが面白いんだと。
それどころか普通に友達も人付き合いもほとんど無くなってしまった。
仕事以外は瞑想と仏典などの本読みだけで時間がすぎていくが、不満も何も無い日々。
>>955 ご利益がある、と、ご利益を期待する、の違いがわかりますか。
970 :
神も仏も名無しさん:2008/03/02(日) 13:51:00 ID:vNED4sEO
>>966 自分に考えを押しつけているのであれば、それは慈悲の瞑想にならないから、止めたほうがいいですね。
慈悲の瞑想にもいろいろあるので、全部やる必要もない。
生きとし生けるものの幸せを願うことが、受け入れられなくても、
自分が幸せになることを願えるのなら、それから始めればいい。
慈悲の瞑想だけが唯一の方法ではないから、合わなければやらなくてもいい。
サマタ瞑想には、40くらいやり方があるから、自分に合うものをやればいい。
ヴィパッサナー瞑想だけで、安らぎを得たいなら、死ぬ気でやった方がいいと思うよ。
高い禅定レベルがなければ、ありのままに観ることなどできないし、今の日本のように刺激の多い
世界だと、入ってくる情報が多すぎて、日常においてヴィパッサナーを維持することは難しい。
感受する能力ばかり高くなると、かえって大変。
ヴィパッサナーだけで、すべてが解決すると考えるのは危険。
それなら、仏陀はヴィパッサナー以外のことを語るはずがない。
戒や定や、いろんなものが有って、上達していくものでしょう。
Q.「慈悲の瞑想」と「ヴィパッサナー瞑想」は矛盾しないのでしょうか?つまり、「〜ように」と言う言葉を唱えるということは、「欲」にはならないのでしょうか?
A.矛盾はありません。欲にもなりません。慈悲について書いてあるところを斜めでもいいから、少々お読みなれば私は楽だと思います。
「見返りを期待しない優しさはどのように欲になるのかとこちらが教えてもらいたいのです。
慈悲のこころがなければ、この世でvipassanaも語れません。(無知で、頑固で、我侭で、
苦しんでいるのにも拘わらず認める勇気もない、理解もしようとしないのに反対だけをする、
思考はあべこべで、善は悪だと、悪は善だと誤解している、聞く耳さえも持ってないこの俗世間の人々に
眼が覚めるように語ることは楽だと思って欲しくない)
「欲」になるかならないかはそのその人の主観の問題です。慈悲の問題ではありません。
欲の人はこれも一つの商売だと思っているかも知れません。それは清らかな慈しみではないので、
決して自分にとって良い結果も(心の安らぎ)得られないと思います。
どれほど説明してあげても解っていただけないのは「慈悲」のこころです。
私が冥想会などで慈悲について語らなかった日が無いほどです。
「またかいなぁ」という気持ちで聴いていると話す気持ちさえも…
「つまらなくしてはいけません」と言う自己戒めにより消えていきます。
もし人が慈悲の実践によって精神的に悩むことに、ストレスが溜まることに、他人に嫌になるような結果になるならば、
「本当に慈悲か」と疑問が生じます。心理学的に絶対あり得ないことです。
慈悲は無執着のこころです。見返りを求めないこころです。
どちらかというと、過去から今まで無数の生命のお陰で生きてきたことに恩返しのようなものです。
慈悲は知恵を刺激する、知恵を開発してくれる冥想です。
そう簡単にできるとも思えないのです。
自分のわがまま、執着、期待感、
「何でアイツに慈悲をしなくてはいけないの?」と思う怒り、
慈悲をしているのだから皆私に親切にするはずなのに結果は逆ではないかと思う欲望、
「あの人は可愛い、色々とお世話になった、一緒にいて楽しかった、などの訳、
理由などをつけて何かをする」ケチ(物惜しみ)感と
戦ってやらなくてはならないのです。
これはある面で人格者の生き方です。
ある面で厳しい修行です。人生観の次元を破ることです。
>>972 あのー、972さんって冥想会で説法されてるような偉い方なの?
見返りを期待しない優しさあっても、そうなりたいと欲するのは欲で
はないのですか?
ヴィパサナはあるがままを、善悪の価値判断なく受け入れることで
あり、そうすることが結果として人を慈悲の人に変えていくのではな
いのでしょうか。
見返りを期待しない優しさを願うことによって、人は変わるでしょうか?
ごめん、971-972はスマさんのセリフです。
>「見返りを期待しない優しさはどのように欲になるのかとこちらが教えてもらいたいのです。
長老のこの言葉につきるんじゃないですか。
976 :
神も仏も名無しさん:2008/03/02(日) 16:05:04 ID:QUF87XUN
好きな音楽などを聴いて、憂さを忘れるというのと瞑想は違うのでしょうか
>>975 そもそも、見返りを期待しない優しさなんて、普通の人は持って
ないだろ?
だから、そういう人が祈っても、欲でしかないと思う。
だいたい、見返りを期待しない優しさを知らない人間が、慈悲の
瞑想して何を願うというんですか?
>>977 信じて慈悲の瞑想をするべきだと思う。
そうすれば自ずと霧が晴れるかのように真理が理解できるようになります。
ゆるすことと慈悲は関係あると感じる。
怒りで引きつっていた肩のあたりの筋肉が 慈悲の冥想をしていると
温泉をかけたみたいに上からほわーっとほどけていく感じがするよ。
ま、湯冷めには注意ですが。
どこかで 慈悲のかけ流し って一言書き込んでいた人がいたね。
>>977 あまり理屈をこねないで下さい。
理屈は毒ですよ。
慈悲の瞑想の定義付けとか、他の瞑想との関係付けとか、
そんなもの学者に任せておけばいいのでは。
慈悲の瞑想を実践してみて、効果がなければ、関わらないことです。
>>978 そういうのは奇跡を期待するのと同じだよ。
お題目のように、わけもわからず唱えておれば、奇跡が起こるというやつだね。
それだったら、「南無阿弥陀仏」でも何でもよくはない?
>>980 効果がなければって、そんな単純なもんかな?
効果はあるらしいよ、例えば奇跡が起こるとか・・・・・・
でも、ヴィパサナとは矛盾すると思うから、併用していくのには
無理があるのではないかという気がするのです。
願う気持ちを捨てたから、ヴィパサナするのであって・・・・
>>976 感覚的なものはいつか飽きて、新しいものが欲しくなるという苦を抱え込むことになる
個人的には全否定はしないが
984 :
神も仏も名無しさん:2008/03/02(日) 16:47:20 ID:Rb3bV/9a
>>982 サマタもヴィパッサナーもトレーニングのひとつだから、
矛盾もくそもない。
水泳選手が陸上で筋トレしてても、
「水中の競技なのに陸で練習なんて矛盾する。」
なんて言わないでしょう。
慈悲は、怒りと反対の心です。
ヴィパッサナーでめざす悟りも、怒りを消さねばなりません。
ですから、慈悲の瞑想もヴィパッサナーも、向いてる方向は同じ。
煩悩を消すという方向性は同じ。
985 :
神も仏も名無しさん:2008/03/02(日) 16:51:29 ID:sTqb+wqr
986 :
神も仏も名無しさん:2008/03/02(日) 16:53:12 ID:Rb3bV/9a
>>976 音楽聴いてる時は嫌なことを忘れてても、
音楽聴いていない時にまた思いだしてしまう。
結局、悩みは解決していない。
音楽に集中して、サマタ瞑想の一種になる場合はあるかも。
しかし、スマナサーラ長老によると、
サマタ瞑想は煩悩を休眠させるだけであり、煩悩が無くなるわけではない。
音楽に集中してるときには悩み苦しみを忘れて悩み苦しみが休眠するけど、
集中が途切れたら悩み苦しみが再起動する。
987 :
神も仏も名無しさん:2008/03/02(日) 16:54:17 ID:Rb3bV/9a
>>985 お世話様ですm( )m
レンタル漫画を返してきたらまた来ようw
>>954 気持ちはよくわかるよ。ひろさちやはそういうのを「請求書の祈り」と言い、完了形で言うのを「領収書の祈り」とした。
彼は浄土教徒だしテーラワーダを小乗とバカにするのでそのまま参考にするわけにもいかないんだが。
たしかに願い事をかなえてくれる神や仏、如来がいるとしたら、請求書を叩きつけるのはあまり行儀が良くないかもしれない。
だがテーラワーダの場合、全てはカルマの法則に従うだけで、なにを願ったところで誰かが叶えてくれるわけじゃない。
自分が幸せになりたいなら自分でパーラミターを積むしかないし、それは他人の同じ。
だからこそ、せめて気持ちだけでも皆が良いパーラミターを積めればいいねと思う。
そういう気持ちが大事ってだけのことじゃないか?
全ては己のカルマだから、どこに請求するのでも、誰から領収するのでもないと考えれば分かりやすいかと。
990 :
神も仏も名無しさん:2008/03/02(日) 17:28:51 ID:eOZGyP5J
>見返りを期待しない優しさ
云々を読んで昔に読んだあの話を思い出した。記してみます。
『 一陽来復し、野も山も春を謳歌する或る日であった。弟子たちは、
いつものようにお庭の掃除をしていると、裏庭の築山から鶯の鳴き声が
聞こえてきた。掃除の手を休めて聞き耳たてた弟子たちは、期せずして
築山へ走った。いうまでもなく鶯を捕らえんがためである。捕獲劇は
いよいよ高潮に達した。我れを忘れて狂乱する弟子たちの叫びが、
師の耳を驚かせた。あたかもその時、師は内仏の勤行を終って立ち去ろう
としていられた。師の足は急ぎ早に客殿の裏縁に向かった。弟子たちの
捕獲劇を見るなり師は、声高に「何をやっている! 早く止めよ、馬鹿な
ことを……」と叱って、居問へ去られた。あとでのお茶の席で、師は窘
めるように説き示された。「お前たちは、鶯の鳴き声にひかれ、愛するの
余り、捕えてわが所有にしたいために、鶯を捕らえようとして追いまわっ
たのであるが、それは大変な誤りである。鶯を愛するがゆえに、捕えて
籠に入れる。それは鶯にとって迷惑千万である、ちっとも愛することに
なっていない。もし本当に愛するならば、築山の植込の中で鳴いているの
を、こちらの方からじっと見守ってやりなさい。愛というのは、仏教では
貪愛と云って、煩悩の一つに数えられている。″愛は奪う″と云って、愛
すると自己の所有にしたくなる。所有せられて果して愛することになるか、
所有せられる方にしてみれば、決して幸であるまい、むしろ迷惑である。
所有せずに愛する、それが本当の愛である。仏教では、所有しないで、
相手を自由の立場においたまま愛するのを捨という。それは慈悲の極致で
ある。無所得の愛、それが捨の精神である……」と師の教誠は長く続くの
であった。
991 :
神も仏も名無しさん:2008/03/02(日) 17:30:52 ID:eOZGyP5J
上記は大法輪から。この師とは真言宗智山派のどなたかであったか現物
も見当たらず、コピーもその一部しか残っていない為、失念いたしまし
た。ご存知の方、おられますか。
この一文をある上座部僧にご紹介し、これが「捨」なのですか、と
問うてみたことがある。
『善い話ではあるけれども、これは捨ではない』がそのお答えであった。
行うか行わないか。それは自身の自由ですよね。
理屈はないと思います。
>>992 それは慈悲の瞑想を行うか行わないかは、自身の自由ですよね?っていう意味ですか?
そうです。
995 :
神も仏も名無しさん:2008/03/02(日) 19:16:08 ID:d6g5ENYi
151 立ちつつも、歩みつつも、坐しつつも、臥しつつも、眠らないでいる限りは、
この(慈しみの)心づかいをしっかりとたもて。
この世では、この状態を崇高な境地と呼ぶ。(Suttanipata)
>993
我々はブッダの言う通りに慈悲の瞑想を行いませう。
996 :
神も仏も名無しさん:2008/03/02(日) 20:05:57 ID:FLkTZ6GQ
慈悲を施すとね、気分がよくなるんよ。なんと言うか心がポーっと赤くなる。
恥ずかしいような嬉しいような。恋するのと一緒。女性が恋をすると綺麗に
なるでしょ。ああいうことなのよ。 で、俺もね、時々ソッと浮浪者に
するめとワンカップ上げたりするわけ。
そうするとね心がポッと赤くなってストレスとかなくなっちゃう。
スマさんはホームレスを見たらどうするんだろうか
998 :
神も仏も名無しさん:2008/03/02(日) 20:14:04 ID:W3tQ/4LJ
君、善い人だね。
でも、お酒はやめときなよ。
999 :
1:2008/03/02(日) 20:34:42 ID:W3tQ/4LJ
2007/10/10(水) から2008/3/2まで約5ヶ月。
1000 :
1:2008/03/02(日) 20:36:00 ID:W3tQ/4LJ
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。