悟りとは、目の前にあるものを純粋に見ることである。
デカルトは、全てを疑った。
しかし、「我」までは彼にとってあまりにも自明であったため、疑われることはなかったようだ。
しかし私的コンテクスト中の諸物諸現象を疑っていって、ついには「我」さへ疑うと、なにが残るのか?
「我」は疑念として、コンテクスト上に現われるのを、禁じられる。
すると、疑われた「私」は、「私」を指示できない。
さらに、「私」そのものであったところの、「私的コンテクスト」上のものも一切や(特別な地位にある)疑いをも
指示できなくなる。
しかしながら、「我思う、ゆえに我あり」と言う言葉は実際存在する。
この言葉が引き起こす現象を順を追って考えると、
@テーゼを私的文脈に取り込む
Aユニークな切り取りによってそれを解釈する
B「我」を疑う
C持っていた切り取りは、切り取り先を指示しなくなるし、切り取りそのもの(イメージの断片)をも指示しなくなる
こうして我々は、このテーゼによって、世界に参画することを拒否させられるのだ。
証明は簡単だ。「我」を疑いながら、私的コンテクスト上のものを何でも良いから指示してみたまえ。
それが不可能であることが分かるはずだ。
しかしながら、これを積極的に解釈すると、そうなった状態では、一切のイメージのない純粋世界を見ることが可能になる。
これがすなわち、「悟り」である。
おいおい、レスなしかよww
5 :
神も仏も名無しさん:2007/06/27(水) 21:30:52 ID:ZxX3W2C2
ありのままに見ることだろ?
6 :
神も仏も名無しさん:2007/06/27(水) 21:33:34 ID:ZxX3W2C2
しかし、ありのままと言ったってそう簡単には分らないだろうな
たぶん、勘違いする方が多いな。
7 :
神も仏も名無しさん:2007/06/27(水) 21:54:13 ID:7uWMljB+
どこまでが、「我」ですか?
目の前にあるものは、「我」ですか?
目に入ってきた光の情報は「我」ですか?
目から脳に伝わった情報は「我」ですか?
脳に伝わった情報で認識した”目のまえにあるもの”は「我」ですか?
認識に使った過去の記憶は「我」ですか?
脳細胞は「我」ですか?
脳細胞の中の遺伝子は「我」ですか?
遺伝子の中のたんぱく質は「我」ですか?
たんぱく質の中の分子、原子は「我」ですか?
分子、原子を含んだこの宇宙は「我」ですか?
ありのままに見たらどうなりますか??
8 :
神も仏も名無しさん:2007/06/27(水) 22:11:04 ID:ZxX3W2C2
9 :
神も仏も名無しさん:2007/06/27(水) 22:36:49 ID:7uWMljB+
「我」とはなにか?が定義できないので、聞いてみました。
「我」と「我以外」の間の境界線はどこにあるとお考えですか??
10 :
神も仏も名無しさん:2007/06/27(水) 23:07:02 ID:e7uGEYk1
人は細胞の寄り集まったものにすぎない。
無数の個の共存する生態系であり、本体と呼べるものはない。
一つの細胞の隣に別の細胞があり、また隣に細胞があり、
細胞が纏まっているのを一つの個と錯覚しているだけなのである。
また、人同士は粘膜を通して繋がることもあり得る。
性的絶頂と体の密着により合一感を得る。
そうして自分以外の存在の実感を確かめ、
お互いに孤独を埋め合わせるのである。
逆に言うなら、我々無数の細胞は
元々一つの存在だったものを無数の空間に切り分けられ、仕切られ、
個別の存在として生かされているのである。
本来全ての存在は無一物なのである。
その無一物に帰るのが悟りだと思っている。
11 :
神も仏も名無しさん:2007/06/27(水) 23:33:57 ID:7uWMljB+
無一物に帰ると、なにか本質的に変るのですか??
12 :
神も仏も名無しさん:2007/06/27(水) 23:52:43 ID:ZxX3W2C2
>>9 定義とか境界なんて考えるなよ
他から傷つけられるのが嫌なのが自分だ。
自分は脳に伝わった情報がなんて、とか遺伝子や分子原子を感知できるのか?
自分の意識、意志、感触をしっかり認識していろよ。
ふらふらし過ぎだよ、それでは何を考えるとか、その状態になってないと思うよ。
13 :
優子:2007/07/06(金) 00:58:17 ID:ZurxmaTG
12>
もっと優しく教えてあげて。悟ることってなかなか難しいんだから。
14 :
優子:2007/07/06(金) 01:02:58 ID:ZurxmaTG
悟りとは、差を取ること、つまり、低位な自分と悟りとの間を、取り去ること。
その間にあるものが、物、現象的事象への執着。それをを滅却することですよ。
15 :
優子:2007/07/06(金) 01:05:54 ID:ZurxmaTG
12>だから、意志は残るが、感触が、しっかり残っているようではだめ、感触をしっかり取り去ること。
16 :
名無し募集中。。。:2007/07/10(火) 22:21:26 ID:mp8/L0g7
悟りとは物事の道理を見極める事。
自分自身を知る事だと思う。
17 :
12:2007/07/11(水) 22:59:01 ID:oakE2Iw8
違うんだな
上にもあったようにありのままに見る。
だが人はありのままに見ているようでも、じつはそうでない
いつも他に何かを考えているんだよ。
例えば、今、夏だからビールを飲むよね
その瞬間は何もかも忘れて最高の気分だ。 そのときは何も(心配事や明日のことなんて)
考えていない。今、そのときの感情に浸っている。これが大事なんだよ。
すべては自分を生かしているんだけど、自分は今の瞬間とは関係の無い思考を繰り返している。
つまりは自分はそこにいるんだけどいないんだね。(やるべきことをやったら後は余計な
思考はいらない)
思考は必要なときに使用すればいいんだが、いつでも使用している。
現実をありのままに感じる。思考より湧き上がってくる感情を感じていることが
大事で、これが結局幸福の何たるかを教えてくれる。
生きているということはこういうこと。
宇宙は無条件に我を生かしている。宇宙は愛
言っていること、分ったかな?
18 :
神も仏も名無しさん:2007/07/11(水) 23:03:53 ID:12M/DXbI
19 :
神も仏も名無しさん:2007/07/19(木) 23:23:25 ID:wdsmqmEk
誰もレスしてこないけど、悟りを知り実行していかないと、これ、近い将来、
死活問題になるって知らないだろ?
20 :
神も仏も名無しさん:2007/07/20(金) 01:26:51 ID:fcAhvNJ2
人間の言葉じゃ完璧には説明できない気がするね。
早く悟りたい!
ブッダが悟ったとき、幸福すぎて
そのまま死にたくなったらしいねw
拡散していく感覚かな。
悟りたい!って言う度に悟りからは遠ざかります。
22 :
神も仏も名無しさん:2007/07/20(金) 13:19:33 ID:ZKzB1fLH
いろいろな悟りがあるのかもしれないが
自問自答なのかなと思った。
本気で考えるに値する問いを見つけ
その後自分で納得できる答えを見つけ出す。
人によって問いも違えば、答えも違う。
他人にとっての間違いでも、自分には正解と感じれば、答えにできる
一回、若しくは複数(回数や種類を含む場合も)行うことによって
満足しきってしまう状態なのかもしれない。
そういう状態や感情にとらわれてしまうと
思考や日常生活をあまりしなくなっていっても
幸福感に包まれたような感じになり
ますます何もしなくなっていくと思う。
23 :
神も仏も名無しさん:2007/07/20(金) 16:30:45 ID:VM+vGx7R
悟りとは、科学を、宇宙真理を知る事なのだよ
24 :
神も仏も名無しさん:2007/07/20(金) 16:43:05 ID:ZKzB1fLH
>>23 それも一つの悟りの内容で
>>23の自問自答のテーマなのだと思う。
だから宇宙真理を知ることを望まなければ
知らない事によって、別の自問自答により
悟りの状態に出来てしまうと思う
26 :
神も仏も名無しさん:2007/07/20(金) 17:32:17 ID:ZKzB1fLH
>>25 そうなんだ。
知る事や満足しきってしまうこと等
いろいろな悟りがあるってこと?
お、放置してたら伸びてたw
>>9 まあ、まずベルグソンでも読んで、万物には境界があるという幻想を捨てよう。
かといって、万物は連続しているわけではない。
全ては一人称的な、切り取り切り貼り解釈反省再解釈。
>>12 人間の常なる反省、だね。
「私」を意識しだすと、その存在が懐疑に晒されることもある。
私的コンテクストとは、「私への反省と共に日常を生きること」であるが、「私」を留保した今、
それは意味を全く失う。かえって浮き立つ日常コンテクストは、ただ反省なき生存のためへと態度を改めさせ、
こうして「私」であったところのものは、意義的に諸動物のそれにまで落ち込む。
危機だね。
.
>>26 いやそうじゃなくて、それを観るためのいろいろな道はあっても、
観えるものは同じってこと。つまり真理は一つ。
真理は一つであり、その真理ゆえに世界は無数の可能性を持つ。様々な存在を生む。
>>27 つまるとこは悪しき輪廻に落ち込むってことだな。
31 :
19:2007/07/20(金) 21:54:33 ID:WgJpVzLZ
いろいろな悟り、といっていること自体、分っていないという事だ。
悟りとは、どういう状態かを追求してくれ!
聖者たちが言っている話に耳を傾けるのもよし。
はっきりとさせて実行していくように。
32 :
神も仏も名無しさん:2007/07/20(金) 22:18:07 ID:ZKzB1fLH
一人一人の悟りがあるんじゃないの?
たくさんの人間が存在するのに
一つの決まった形じゃなきゃいけないの?
一人一人の悟りがあるよ。
でも観るものは同じものなのさ。
それは私だけじゃなくて、今までの、賢者だと言われている人たちの
言動が一様にその一つの真理を指している。
その真理とは、宇宙は分別しない、ということに尽きる。
で、スレ主が言ってる、在りのままに観るとはそういうことさ。
分別しないってこと。それはその真理を知ったからさ。
35 :
神も仏も名無しさん:2007/07/20(金) 22:45:05 ID:ZKzB1fLH
>>33 なぜ賢者と言われている人の言動を鵜呑みにしなくてはいけないの?
>>35 なぜなら賢者とは新たな思考の広がりを諭してくれる存在だからだ。
賢者が賢者足るには、その言動に矛盾がないからだ。矛盾があっては賢者とは呼ばれない。
矛盾を探して、その矛盾が見つからなければ、その考えは正しいと認めざるを得ない。
鵜呑みにする必要は無い。ただ、賢者達は同じものを観るというだけさ。
例えば、自分にとっては新たなものを創造したと思って、世界を見渡してみれば、すでに
その設計図があった。そんな感じかなw
『悟』という字を見てごらん
ノ
('A`) ソーユーコト!
( (ゝ
<ωヽ
38 :
神も仏も名無しさん:2007/07/20(金) 23:17:17 ID:i0IxBARN
一人ひとりの悟りがある、人はそれぞれ自由に人生を選択している。
それは確かなことだが、
私が言っているのは、現在の考え方、つまり意識のあり方はもうしばらくすると
通用しなくなるということだ。
そういう考え方を続けたいのなら、近い将来、肉体を残し地球を去らねばならない
ということだ。 地球にはふさわしくなくなる。
もちろん、その考えは多いに尊重したい。
それも充分に有り。
>>38 はて?どうやら私の勘違いかな、、、
地球は別に素晴らしいところじゃないよ。
人界という世界にしかすぎない。
この世界が浄土になるというなら話は別だが。
でも悟りの話なんだよね?このスレは。
なら、ある一部分の世界の話じゃないんだけどな。
40 :
神も仏も名無しさん:2007/07/20(金) 23:25:26 ID:ZKzB1fLH
>>36 矛盾が無いから賢者と呼ばれる、か。
それなら、賢者と呼ばれない人も賢者かもしれないね。
42 :
神も仏も名無しさん:2007/07/20(金) 23:38:19 ID:t8h1QmaM
>>39 地球はもうすぐ極楽浄土になるということだよ。
悟るということはそういうことにつながるんだろ。
最近は、そういう話がところどころで持ち上がってきているだろ?
無視する人にはまったく言うつもりはないから、聞き流してくれよ
43 :
神も仏も名無しさん:2007/07/20(金) 23:44:06 ID:ZKzB1fLH
>>41は、矛盾も受け入れる余地が
必要な場合もある事を、知っているんだね。
自分が見つけたものがすでに周りにあった、それならそれでいい。
そこからまたはじめればいいはず。
>>43 うん?私は矛盾を認めてないよ。ただ他の人が人の矛盾を認めるかどうかは
その人の選択だといってるだけで。矛盾をうけいれると意識がめちゃくちゃになるよ。
それがために我々は輪廻してるんだから。
>>42 無視なんかしていないが、弥勒菩薩が降臨するってことか?
ここ数年のうちに下向すると決定されたわけではないと思うけど。
するかもしれないししないかもしれない。しかも偽者もたくさん出るだろうし。
断定しすぎだろ。悟るということは、輪廻しないということだよ。
45 :
神も仏も名無しさん:2007/07/21(土) 00:12:50 ID:+aQrxaRL
>>44 おいおい、2012年の冬至に次元上昇するというアセンションの話だ。
何とかの降臨なんて、それこそ???だな
知らないなら覚えておいてくれよ。
悟りと輪廻とは関係しないだろ。
悟りとは状態のことじゃ?
46 :
神も仏も名無しさん:2007/07/21(土) 00:19:01 ID:bmGcKtfn
>>44 たしかに矛盾を受け入れすぎると、めちゃくちゃになる。
だからといって矛盾を完全に否定すると
矛盾が両立しながら成立している状態を認識出来なくなると思う。
普通の生活が出来る範囲で
ほんの少しだけ、矛盾を受け入れる余地が必要なことも、あると思うよ。
>>45 違うよ。悟りとは涅槃そのものを指す。
あなたの言っている悟りとは、真理を知るということに過ぎない。
私はあなたより先に行っているようだ。別に競争じゃないがねw
真理を知ったからといって、己の業が帳消しになるわけじゃない。
アセンションとは、ある偉大な方が受肉して衆生を導き給うことだ。
釈迦が降臨したときのように。なぜ、アセンションアセンションと
巷で言われるのは、その我々の果てしない業までも清めてくださる
からだよ。その結果みな涅槃に入る。だからアセンションをみな熱望
するのさ。でも弥勒菩薩がこの世に降臨するかどうかは各々の穢れを
己でどれだけ清められるかに掛かっている。弥勒が降臨しても、見え
ない人には最後まで見えないだろうからね。
>>46 確かに矛盾を認めないことはこの世では生き難いことだ。だがそれを
実践して涅槃に近づいている人もいる。つまり矛盾を認めない生き方は
不可能なことではないってこと。ただ単に、自分に対する言い訳をするか
しないかの違い。だが、その見返りの報いの大きさの違いは想像つくでしょう?
48 :
神も仏も名無しさん:2007/07/21(土) 00:45:02 ID:jPFF4aoZ
>>47 君は仏教徒なのか?
君の理解していることに私は口を挟むつもりはないよ。
ただ、私は君と違ってはっきりと別に情報源を持っているだけだ。
いづれ分るが、私のは単に警告だ。人によってはどうでもいいことだ。
わたしは
>>17でもあるけどね
49 :
神も仏も名無しさん:2007/07/21(土) 00:46:14 ID:bmGcKtfn
>>45 俺は状態だと思った。
>>47 矛盾を認めない生き方と
自分に対する言い訳をするかしないかの違いを
結びつける必要は無いと思うよ。
>>49 よく考えてごらん。自分に対する言い訳とは矛盾を認めることだとわかるから。
矛盾を認めない生き方とは、己の悪しき欲望を虚しくしていくことに繋がるんだよ。
>>48 仏教徒だよ。そう言い切るのは、なんか恣意的だな。自らの欲望で動いてないか?
アセンションはあるかもしれないしないかもしれない。断定はできない。以上。
あなたが言っている別の情報源ってなにかな?説明できるかね?
51 :
神も仏も名無しさん:2007/07/21(土) 00:53:46 ID:bmGcKtfn
物事を主観に当てはめるから
善悪の傾向が出たり、両立したり、矛盾を含んだ状態で成立したりする場合がある。
それでも、知ろうとしていけばいい。
52 :
神も仏も名無しさん:2007/07/21(土) 01:10:04 ID:sx6a+Pih
>>50 >>48では君は君の立場から、私は私の立場から言っているということを述べたまでだ。
別に説明するために言ったのではない。
君は仏教徒として長いと思うが、私もこのことに関しては長いんだよ。
ここで説明して通じるものでもない。
このスレでは「悟り」について語ってもらいたいね。
>>52 ああ、、やっぱり。
説明できないということは妄想ということだよ。
通じないということははっきりと知らないってことだよ。
理解できたかい?坊や。
もうこのスレにようはない。あんたは何も知らないってことが私には
わかった。まぁがんばり。
54 :
神も仏も名無しさん:2007/07/21(土) 01:17:05 ID:IKV9VtVk
みんな、ディスカッションもいいけど
まずは瞑想しようぜ!
じゃないと何も始らないよ〜
55 :
神も仏も名無しさん:2007/07/21(土) 01:18:32 ID:sx6a+Pih
>>53 仏教徒としてははずかしい解釈だな。
じゃあね
56 :
神も仏も名無しさん:2007/07/21(土) 01:24:14 ID:RWbtPLIv
矛盾を認めないが、矛盾を[ 理 解 ]する
と言うことじゃないの?そうじゃなければ
釈尊が在家のあり方を説いた事に
説明が付かないと思いますが如何?
釈尊自身は矛盾を認めていないから悟りへの道を説ける
57 :
神も仏も名無しさん:2007/07/21(土) 01:37:29 ID:vgqkwmhp
>>54 瞑想して何か始るのかい?
まるで始らないと思うけどね
皆余裕ないなぁ
ノ
('A`) 必死杉www
( (ゝ
<ωヽ
59 :
神も仏も名無しさん:2007/07/21(土) 01:52:19 ID:bmGcKtfn
もしかしたら、特定の枠組みにとらえさせて、
その枠の範囲でしか知ることが出来ないこともあるって事か‥。
ちょっと悲しいな‥。
60 :
神も仏も名無しさん:2007/07/21(土) 01:56:27 ID:IKV9VtVk
>>58 同感。
心に余裕がないうちは物事の本質は見れないよ。
実体験をともなわない議論は無意味。
悟りの一歩手前で
大は小をかねるというか
親友と思ってた奴が実は誰とでも仲良かったみたいな
そんな最大公約数みたいなそうねんつーか
愛そのものつーか
そんなのだと思う
62 :
神も仏も名無しさん:2007/07/21(土) 02:13:36 ID:uAN2EQXI
>>60 ノ
('A`) ダヨネー
( (ゝ
<ωヽ
悟る・悟らん・悟りすと!無智亦無得!
63 :
神も仏も名無しさん:2007/07/21(土) 02:23:32 ID:IKV9VtVk
やっぱ愛だね!
全てが満たされていることに気づくことかな。
究極の予定調和。
なんだ、今度は本物たちの登場か?おいw
まぁ気楽に楽しく生きていこうぜ。余裕がないとなw
65 :
神も仏も名無しさん:2007/07/21(土) 02:34:29 ID:IKV9VtVk
でも議論しないとスレが盛り上がらないな・・
ごめん、寝るわw
ノ
('A`)オレモオヤスミー
( (ゝ
<ωヽ
67 :
神も仏も名無しさん:2007/07/21(土) 23:06:35 ID:uAN2EQXI
ノ
('A`)アゲ
( (ゝ
<ωヽ
悟るには利己的な思考や感情が次々湧き上がるのは駄目みたいだよ
ノ
('A`)
( (ゝ
<ωヽ
ノ
('A`) 惜しい!
( (ゝ
<ωヽ
70 :
舎利子:2007/07/24(火) 22:12:28 ID:UwxVX0kx
あげとこ
何かを悟ったわけじゃなく、悟りの定義を決めただけに見えるんだが
悟りより、まずは、あらゆる存在を慈悲する
そういやナベツネも
「僕はねぇ無我の境地に至ったんだモフモフ」
とか言ってたな
結局何だったんだろなアレ
現状にというか今現在に大変満足するみたいな感じなのかな?
75 :
神も仏も名無しさん:2007/07/28(土) 14:04:35 ID:msFabUY2
>>74 その“今現在に大変満足する”にしても無理やりできるわけでもなかろう?
そのためには決定的な何かを発見する必要がある。
結果が悟りということだろう。
なるほど
何かを発見するのが悟りですか
となれば今現在に大変満足するには
欲しいものは全て手に入った!とか催眠術でもいいから思い込むこととかでもいいのかな?
でもこんなやりかたじゃその何かを発見するのは無理なのかな
77 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 16:34:57 ID:FLIg6pnZ
78 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 17:05:45 ID:/ExaSkqh
言葉や思考をする自体が既に惑わしである〜本当に悟りたいなら死ぬしかないよ
79 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 18:16:53 ID:Fo+1ohA7
>>78 手っ取り早い考え方だが、それでは人間らしくない。
それでは幸福にはなれない
毎日、死んでるし、
毎日、産まれているよ。
仏教的には苦しんで死ぬと六道輪廻とやらで今よりレベルの低い存在となってやり直すんだがね。
でも神との対話では地獄なんてないし、死ぬ瞬間は人生で最も最高の瞬間と書かれているんだよな・・・
82 :
神も仏も名無しさん:2007/07/29(日) 23:16:05 ID:tK0N94xd0
「こうすればいいのかな?」
こういう考えがある限り悟りは得られない。
83 :
神も仏も名無しさん:2007/07/29(日) 23:39:57 ID:W6NDTqfG0
>>75 の補足だが、決定的な何かというのは、自分を含めて宇宙の構造を知ることだ。
それは「愛」におおいに関係あるのだが、それが理解できると今、自分がどういう状態を
とれば良いかが分る。それが悟りというものだろう。
自殺する奴なんかこの世界に対する理解と言うか知識が足りんよ
本当にどうにかしたいなら悟れとは言わんがもう少し霊的な部分の知識を求めるべきだろう
私は
あらゆる関係があるからこそ、生かされている。
あらゆる関係があるからこそ、存在している。
常に変化していく関係性の中で、
常に一時的な仮の姿をしているもの。それが私。
物事をありのままに見ず、思考に振り回されて、自分勝手に好きとか嫌いとか言っているが、
それらの存在の関係が在ってこそ、私。すべてのものが慈悲の関係で結ばれているのが私。
ノ
('A`)オヤスミー
( (ゝ
<ωヽ
87 :
舎利子:2007/07/31(火) 01:57:09 ID:MnBdE/Lt
ノ
('A`) ジャーン!
( (ゝ
<ωヽ
それでも思い込みみたいなのは何かヒントがあるような気はするけどなあ
もし現実そのものを知ることが悟りに近いなら意識が別々なんてものが無駄な気がするし
仮に気に入らないことがある
それだけの理由で人から暴力受けたとしても
それをなんと言うかあの人は僕のことを思いやって暴力を振るったんだみたいな
天然系のような勘違いは悟りの観点からみたらイケてるような気がする
同じ出来事を
Aさんから見れば地獄だし、
Bさんから見れば、何も気にならない事、
Cさんから見れば、極楽になる。
同じ出来事でも、
Aさんには、地獄の様な結果を残し、
Bさんには、川の流れのように、過ぎ去り、
Cさんには、天界にいる様な結果を残す。
自分のこころの置き方で、すべては変わる。
そりゃそこまで出来るのならたいしたものだけどさ
普通に会社勤めしてて
そこまで悟ったような意識にもっていけるものなのかな?
91 :
神も仏も名無しさん:2007/08/03(金) 13:37:29 ID:qTbvfC/R
【在日北朝鮮カルト顕正会絡みの凶悪犯罪の歴史・日本編 第二部】
1992年 8月28日 顕正会への入会強要 顕正会員 2名 逮捕 送検
1993年 3月26日 拉致監禁暴行 男子高校生失明 逮捕 送検
1996年11月 2日 覚醒剤取締法違反 顕正会員 逮捕 送検
1999年 8月 入会強要で暴行 男子高校生骨折の重傷
2000年11月 入会強要 森田 議文 中原 ムネハル 小川 ジュン 北森 某 事情聴取 厳重注意
2000年 5月 2日 顕正会員が強制わいせつ・余罪多数 丸山 陽三 立件 逮捕
2000年 3月18日 顕正会員が違法射撃 秀島 裕展 逮捕 送検
2001年 7月25日 顕正会員が住居侵入・暴行 田中 えりな 逮捕
2001年 7月 2日 入会強要・暴行 桜井 祐也 太田 隆司 高橋 康晃 逮捕
2001年 3月 4日 入会強要 顕正会員 武藤 ひさ子 解雇
2002年 6月15日 殺人・覚醒剤取締法違反 顕正会員 宇高 明男 宇高 聡 起訴
2002年 6月15日 殺人 顕正会員 宇高 明男 逮捕
2002年 5月 顕正会への入会強要 小池 淳子 厳重注意
2002年 4月 顕正会への入会強要・殺人未遂・暴行 前川 某 逮捕
2003年11月11日 顕正会への入会強要 松野 登志彦 和田 茂樹 逮捕
2003年 9月19日 軽犯罪法違反(つきまとい) 顕正会員2名 逮捕 送検
2004年 6月 ジャパネットたかた契約社員(37)約51万人分の顧客情報を記録して流出させる。
2004年 9月14日 大阪教育大付属池田小学校殺人事件 宅間守死刑執行。
2005年 5月 5日 監禁 石川 秀樹 行徳 祐一 逮捕 「 起 訴 猶 予 処 分 」にて釈放。
2006年 7月 3日 傷害 群馬の中沢誠が元短大教授(71歳)を暴行、顕正会群馬県施設に一斉捜査。
2006年12月 埼玉・行田市で溝口順子容疑者(47)ら2人が器物損壊の疑いで逮捕、ほか二名別件で逮捕
2007年 1月11日 「顕正会本部」を初捜索 大学生に入会強要、「神奈川県警公安1課」が3人逮捕
2007年 2月 派遣社員の顕正会員が派遣勤務先から約900万件の個人情報を持ち出し逮捕。
2007年 4月 奈良の騒音おばさん実刑確定。刑務所送りになる。
2007年 4月19日 1999年9月池袋通り魔事件 造田博被告(31)死刑確定。
2007年 5月18日 千葉県八街市の派遣社員坂本和章容疑者(25)が飲酒運転で男子高校生(15)を轢き殺す。
いろいろと逃避した挙げ句、現実と戦わなくてはいけないと知ること。
悟りとは知識や真理を語れることではない。
日々体現して生きること。意識すること。しかし実際できない。
それを実際に体現して意識して生きようとする人さえ少ない。
実際生きる上において必要ないからだ。強制でもないからだ。
これが分かればいい。
普通サラリーマンをしてて、政治家になりたいと思う人はいないと思う。
それなのに悟りや真理となると簡単に飛びついて悟ろうとする人がいる。
正直そんな安易なものではないということ。
ものすごく楽な方法に見えるのかもしれない。
だから哲学とかあえて難解にして真理を悟らせようとしている
のかもしれない。実際分からないものだと思う。
ヨガにも何通りか道があるらしいよ
悟りを山の頂上にたとえるならいく通りかの登り道があるらしい
人生は夢みたいなものだからね
誰だって脳内
誰だってあるていどマインドコントロール
イラっとくるときも実は自分で怒りを創造している
悟りとは周りの状況に左右されずに神との一体を創造することと見た
仏教を勉強する、ニューエイジにはまる、瞑想をする、
そして、人生を夢だとか、縁起のみで実体はないとか、神と一体となるとか、悟りとか、超越するとか、
まるで魔法でも使うように勘違いしたり、高次な存在になるとか思い違いしない。
悟りや、智慧が降りて来くる、特殊な体験をする、
それだけで、問題は解決しないことに気付いているのに、無視をしない。
必ず苦がある人生を逃げないで、苦の原因を誰のせいにもせず、
私的な感情なしで分析して、必ず実行を伴った対処をすること。
何かに失敗しても、めげるだけ無駄なので、次に実行することを始めること。
悟りの領域は在る
ただ世の中では悟ったとされる人の数も非常に少ないし
他人があの人は悟ってるとか選挙みたいに決めるものでもない、神の法則
わかったは、わかっただけでいい。変に意味を持たせたら、違うものになる。
今をどう生きるかが、最も大事。それがないなら、全て欺瞞だ。
まあ実際にほとんど全員と言っていいほど脳内だからね
現実を見たら解るが怒ろうとも悲しもうとも
現実の世界の法則が何も変わるわけでもない
その人に何が起ころうとも次の日には太陽はまた昇る
それは脳内だからね
悟りという言葉も変だ
どちらかといえば現代科学では解明されてない未知の法則とかのほうがしっくり
くるのかもしれない
悟りとは脳内ではなく神の法則そのもの
神と一つになること
脳内ではなく究極のリアルそのもの
いま、なすべきをなすのみ。後は、捨てろ。
人間の行動の善悪を決めるのは、人でなく神の法則だ
103 :
神も仏も名無しさん:2007/08/06(月) 21:01:16 ID:2wwJ0KFv
良因果も悪因果も
良いとか悪いとか感じるのは人間の価値観でしかない
本質には良かろうと悪かろうと法則のみしかない
悟るとは法則そのものになること
過去を見て悲観し、未来を見て不安になり、横に目をやり他人と比較しはじめる
すべて、無駄。存在しないものを勝手に創り上げるだけ。
あるのは、今、今、今、今、今に生きれば一切の不安、妄想は不要。
それで悟れるのなら問題なし
悟ったか悟ってないかを決めるのは他人ではなく自分自身でもない
悟りとは神の法則
悟りとは言葉ではない
悟る必要もなし。今の一点に生きれば、必要なものは揃っている。
過去をみれば悲観もしようし未来をみれば不安にもなる。他者と比べてみたくもなるし、それら有意義その人の通る道。
固執なくば後悔も不安も一時の人生の彩り。
今今今を誰もが生きている。
悟りだ無だ空だ気にすることなくそのままの自分そのままの他者そのままの全て。
いや別にそれでも良いんだけど
基本が人の能力で、有限な肉体で、限りある時間で
その前提が根本的に悟りとは違う
悟りとはもっと自由で制限が無いものだから
確かに悟る必要なんてない
達成した者なんて今現在で60億以上の人間がいてもいるのかいないのか?
そのくらいに少ない
凡人は何回も生まれ変わるし大体そんなこと気にする必要すらない
だから今を生きるのは正しいのかもしれないけど
今現在の地球規模の環境破壊すなわち因果の無駄遣い
とか見てるとそこまで余裕をもっていいのか?
なんて感じてしまう
同じ事を地面から見ることも出来れば、天からも見えるだろう。
今、今、今・・・・と観じる人もいれば、そのまますべて在ると観じる人もいて、
同じだろうけど。
神、人、悟り、達成、凡人、生まれ変わる、因果、問題とみる現象
地球や宇宙でさえコントロールしたいという欲、あなたが神様でも、
なになにとは、こうであるべきなんて、見方しないで良いんじゃないか。
事実を見ないで、知識を見ているだけになる。
悟りとは、○○と書いた時点で、それは、事実なのか、知識なのか
どうでもいい事だな。
本当にどうでもいいね
112 :
108です:2007/08/08(水) 09:36:41 ID:7RZcZQka
>111
はげどう
ただこの熱心さは好きッス。こういう気概みたいのは大切かと思います。
113 :
神も仏も名無しさん:2007/08/08(水) 21:46:34 ID:4wbZ3lQe
どうでもいいと思えばそのような現実を生きる、あるいは生きていることになる。
結果はきっちりと出る、あるいは出ている。
そういう考えの行き着くところも予測がつく。
どうでもいいと言う言葉に執着した為に、
自分の思考の範囲にとらわれているのでは、
だから、予想がつくのでしょう。
115 :
神も仏も名無しさん:2007/08/09(木) 00:28:13 ID:wjz7QqOb
>>114 疑問符ぐらい打てよ!
思考範囲が狭いように思えてしまうぞ。
○○であるべき
○○なはずだ
これで、見えなくなるものが実に多い
悟りに近い者、あるいは悟った者は本当にまれにしかいない
インドやチベットあの辺りにならひょっとして今でもいるのかもしれないけど
シャンカラは悟れる聖者らしかったけど、とにかく異常に少ない
普通の人はキリスト教のように天国に行けたら良い、仏教でも来世で幸せになりたいから善行を行う
このあたりを目標にしたほうが良いのかも
最近の風潮として、人生は一回きり楽しんだもの勝ちみたいなのには神様もきっと哀しんでるよ
海外にいるかもしれないは幻想
普通の人は幻想
風潮も幻想
119 :
108です:2007/08/09(木) 11:35:14 ID:X0oMywud
『どうでもよい』、文章として成立していないのですが、
「自他もろもろの情勢、何に関しても
(ネガティブ系なら『ごはんをこぼした』〜『軽い追突事故を起こした』〜『親が亡くなった』〜『どこかの戦争に日本が参戦』〜『巨大隕石落下で地球壊滅』など)
に『どうでもよいはずの、もの,こと』」
「どうでもよいはず」は投げやりな感じではなく、「そういうものか」と納得する、みたいなニュアンスというか、
今まで慣れていた自身の反応に際して「待てよ」とブレーキをかけるというのか。
曖昧漠然、読みづらく申し訳ありません。
普通の人と言うより出家とかしてない世俗人
悟るとか解脱とか出家した坊さんですら最上級の称号なのに
普通に生きてても悟れるわけがないだろ
ただ見性といわれるある種の奇跡体験みたいなのは世俗人でも充分ありうるみたいだけど
これは悟りの一歩手前の状態で悟ったと勘違いする人もいるらしいけど、
ここからさらに欲の本元を断たないと本当には悟れないらしいけどね
悟りなんか、どうでもいい。
それは良く知らないからそう思うだけで実感がないだけ
仮に霊的な知識が深まれば
日常のなにげない物事と悟ることの重要性が一致しだしたらきっと何かは感じるだろう
最上級とか悟りが称号というのは団体のくくりの中で通用する価値観。
ある一面からの知識で全否定する考え方はヤバいと思う。
将来、崇高な老坊様になることを狙ってるなら出家して修行せんばならんだろうけど、
何も、悟りって「大型免許ないとダンプ運転できない」みたい世俗的なものじゃないんでしょう。
また、魔術や超能力GETを目的にしているわけでなし。
その人なりの生き方、頑張り方で人生送って。皆現実の世界で辛い目に耐えたり、自分を磨こうと志持って生きてるんだから、
効率的に修行している出家者の方々より時間はかかるだろうけど、いずれ必ず個々に悟るところは持つ。
それが大事なとこなんじゃないかと。
>その人なりの生き方、頑張り方で人生送って。皆現実の世界で辛い目に耐えたり、自分を磨こうと志持って生きてるんだから、
>効率的に修行している出家者の方々より時間はかかるだろうけど、いずれ必ず個々に悟るところは持つ。
>それが大事なとこなんじゃないかと。
まったくそうかも
イスラエルのほうのキリスト教会では24時間ミサが行われてるらしいけど
ギリシャ正教とかやけに厳格なんだけど、カトリックとか普段着の人もいて
なんとゆうかキリスト教ではイエスキリストは特別だから神の横に座れたけど
我々はイエスキリストみたいにはなれないと割り切って
だからそれなりに人生を楽しんで生きようとそんな風に見えた
その点仏教では悟る。すなわちイエスキリストそのものみたいになろうとしてるところが厳格だなあと
聞いた話では大乗仏教はなぜ栄えたかと言ったら信じるだけで涅槃に行けるから
庶民の支持を集めたとか何とか
仏陀は王が何の努力もせず悟ろうとしてるのを見て、王がもし悟れるのなら飼ってるらくだが2階から
飛び降りて逃げたとしてもおかしくないと叱ったとかなんとか
なんにせよ
自分の人生だから自由意志なんだから
遅いか速いかはともかく自分で生き方選べよとそういったことらしいね
125 :
神も仏も名無しさん:2007/08/11(土) 02:48:03 ID:07lY+meW
アセンションという言葉はこのスレでは知らない者が多そうだけど、「悟り」はすごく
重要だ。 致命傷になるだろうな
世の中には司法試験も会社勤めしながらパスする強者もいるのだから
悟れるかどうかは知らないが出家せずともやる気があればなんとかなる
ような気がする
127 :
神も仏も名無しさん:2007/08/14(火) 00:35:17 ID:t8bgQ+bY
例えば、カルキ・バカヴァンという聖者が「悟り」を説いているが、
これは世間一般人のためにしている。
ふつうにして誰でもやれることなのだ。いちど聞いて、読んで理解に努めてほしいね。
>>126 生まれつき頭のイイ奴にしか出来ない。博覧強記。一回覚えたことは忘れないテストに強いタイプな。
悟りというか気付くことはだれにでもできても持続はだれにもできることではない
それは才能l。
一瞬の悟りはだれにでもできるが 日常持続できるのは天賦の才能を持ったごく一握りの選ばれた人間
にしかできん。学業と一緒。
勉強なんて書かれてることただ覚えていくだけのこと 誰でも出来る
さとりも当たり前の理にかなうことに気付くこと これも誰でも出来る
実際は勉強なんてだれもやらないしやる奴だって立身出世の必要があるからやるだけで
目的かなえたら一切しなくなる
さとりもだれもやろうとしない 必要自体が無いししてもだれもほめてくれないし
やる必要は無いからやれるけどだれもやろうとしない。
勉強中は疑問をさしはさむことなく妄信的に信じ込んでいくことができる才能が必要。
さとりも意味を全く考えない池沼みたいな奴にしかできない。
やってることはだれにでもできることで、その実だれにでもできるわけではないところが同じ。
勉強は丸暗記の才能。悟りは無知無能の才能。
俺はだれよりもバカで無能だという自信があれば悟れるかも知れんな。
悟りとは座るときはきちんと座る使った食器は洗う 使った道具は元の場所にしまう
部屋は清潔にしておく掃除する 食べ物には気をつける 学生なら勉強する
テストでいい点取れるまで暗記する 大人なら金を稼ぐ 女がいたら性交に誘う
親が疲れていたら黙って肩を揉む足をさする いらないものがあったら捨てる
朝が来たら目を覚ます 夜が来たら寝る 一日の記録をつける
ってことなので 意識しなくてもたいていのことはしているはずだが
時々意識しないと出来ないこともある。 意識せず出来ないといけない
意識せず当たり前のことできてる状態が悟り
出来てないのは悟ってない
それだけのことでしょ?
意識していても出来ないこともあるわな。特に世の中で難しいことは全部そう。
だからあえて難しいことに挑戦することが悟りを深めることになるわけだ。
学業で頂点極めてるとか 女は全員なんぱできるとか、その道のプロに学ぶ必要が出てくる
といってもやってることはやはり当たり前のことでしかない
丸暗記時間の確保、風呂に毎日入る、鼻毛は抜いておく、服装を清潔にする、優しい言葉をかける などだわな。他にもあるだろうが
ようするに理に沿った当たり前のこと。習わなくても自分で考えたらわかることばかり。
しかし難しい。つまり悟ることはとても難しい。
女にもてて何の意味があるの?勉強できて何が偉いの?
金持ちになって何の意味はあるの?どうせ死ぬのにいきてる意味は?
こういうことわずかでも考えたら悟りの道は完全絶たれる。
無知無能の究極の癖してやれることやるべきことは完璧にこなせる
それが悟りの状態だと私は思う。
133 :
神も仏も名無しさん:2007/08/14(火) 13:25:36 ID:UAsVZ/DB
134 :
神も仏も名無しさん:2007/08/14(火) 22:41:05 ID:izjwqxWE
[悟りとは何でしょう]カルキ・バカヴァン @
悟りはさまざまな方法で定義されるでしょう。
悟りに対する私の一般的な定義は、五感の開放です。さて、あなたが見るとき、マインドの
介入なしには見ません。もし、あなたがマインドの開放なしに見るならばそれは悟りです。
もし、あなたがマインドの開放なしに聞くことが出来ればそれは悟りです。
同じことが匂いや触覚、また思考にさえもあります。思考もあなたが思考に関わることなく、
観察することが出来ます。
さて、何が起こっているかというと、あなたが考えているとき、あなたは“あなた”が
考えて いると思っています。しかし実際、まるで思考があなたから独立しているかのように
それが 流れているのを見ることが出来ます。これは身体に起こる現象です。
実際に思考の流れが見えます。あなたはやって来たりあなたから去って行くどんな種類の
思考もあなたは見ることが出来ます。これが悟りの状態です。
それは五感がマインドコントロールから完全に自由になることです。
そのような人が本当に生きています。マインドがコントロールされていないとき、あなたは
生きていません。マインドがそこに無いときあなたは実際に生きています。
そのため、人々が私に「人生の目的は何ですか?」と聞くとき、
私は「もしあなたが生きているならばそのような質問はしないでしょう」と答えます。
人生の目的は生きることです。それがどういう意味かというと五感の人生を生きると
いうことです。五感はマインドから独立していて自由でなければなりません。
現在何が起こっているかというと、あなたは全く現実を体験していません。
あなたにとって現実とは、五感を通して流れているものなのです。
いつでもあなたは何であれあなたに入って来る情報を解釈します。
135 :
神も仏も名無しさん:2007/08/14(火) 22:54:01 ID:d+qNQIBI
[悟りとは何でしょう]カルキ・バガヴァン A
大きい木を見るとき、大きい木、小さい木、緑の木、マンゴーのなどなど、いつでも
コメントが続いています。
あなたが食事の席に着き、食事を食べているとき、あなたは食べ物を食べていません。
あなたは仕事を心配し始めたり、家族のことやあれやこれや考え始めたりしています。
食べ物自身についてのコメントなどが出てきます。食べ物自身は体験されていません。
ですから私はハマキュアに書きました。
もし現実をそのまま体験したら、あなたはただ至福を体験します。
あなたはこの全ての創造物が完璧だと分かるでしょう。
これが一番美しいところで、すでにあなたは天国にいます。
あなたがこれを地獄にしました。五感を思考の支配から自由にすることは可能です。
思考は要求されたときには必要です。しかし、そうでなければなぜ思考が干渉すべき
でしょうか? 思考が実際の体験を干渉する必要はありません。
五感が思考、又はマインドの支配から自由になったとき、そのとき私たちは
あなたが「無条件の愛」を発見したと言います。このように無条件の喜びと共にいるとき、
あなたが皆とつながっていると感じます。
こうして、あなたは本当の愛を発見します。本当の愛と本当の喜びは別々のものでは
ありません。 この二つは一つの同じものです。
これは自然の現象です。あなたはそうなるようにデザインされているのです。これが常に
人類が体験されるはずのことなのです。あなたはそれを体験しないので、人生が苦痛(みじめ)
になったのです。その精神的苦痛から逃れるために、あなたは様々な逃避手段を作って
きました。あなたはいつも精神的苦痛から逃れようとして来ました
136 :
神も仏も名無しさん:2007/08/14(火) 23:01:02 ID:w9ZCtXgC
[悟りとは何でしょう]カルキ・バガヴァン B
この精神的苦痛それ自身、あなたが現実を体験しないことから作られています。
そのため人々はアルコールや薬やセックスなどなどに走ります。
そうでなければあなたの人生にあるものが意味の無いものになってしまいます。
ですから、この運動の全ての試みは、あなたが現実をあるがままに体験することを
助けることです。それが起こるときあなたは「無条件の愛」と無条件の喜びを発見し
あなたは、全てのものと全ての人とつながっていると感じます。
あなたは切り離された個人とは考えません。
あなたはもうあなただけのために生きることを考えません。
あなた自身が皆になります。 あなたは人類のために生きます。
これは、概念でも想像でもありません。
これは、あなたが悟れば、又はムタク(悟った人)になれば日常の現実になります。
何千人もの人がすでにこの状態になっています。
まさに今、ここに座っている数人の人たちもその状態になっています。
137 :
神も仏も名無しさん:2007/08/14(火) 23:17:57 ID:MXtZFWjC
>>134 2行目、3行目 ・開放× 介入○ でした
138 :
神も仏も名無しさん:2007/08/14(火) 23:21:01 ID:MXtZFWjC
[悟るということ]カルキ・バガヴァン
それぞれの人が無意識に気付き、それから自由になるとあなたは自動的に地球上の
約10万人の人に影響を与えることになります。それがあなた自身の悟りの力です。
あなた方一人ひとりが悟るとき、世界の悟りに寄与しています。
あなたは世界の闘争を減らします。あなたは世界に今までより問題が少なくなったことに
気がつくでしょう。
事故が少なくなり、病気が少なくなり、問題が減り、人間関係の問題も減り全ての社会環境
が変わります。このようにあなたは全人類に貢献します。
それはあなただけのためになるだけではありません。
たった一人の悟りが実際に約10万人の人のためになります。それがたった一人の
悟りの影響力です。ラマナに「なぜあなたはただ座った偶像のようにしているのですか」
「なんで何もしないのですか」と聞きました。彼がくれた一つの答えは、音を立てない
静寂の発電機でした。
ティルナラマナに静かに座ったままでしたが彼はそのような方法で世界に大きな影響を
与えていました。このように誰でも悟れば自分の家の中で静かに暮らしていたりしても
世界に大きな影響を与えます。それがあなたが持つ影響力です。
一口に悟りといってもいろいろあるみたい。
カルキ・バガヴァンさんのもその一つだろうし、臨済宗と曹洞宗がお互いを一種ののしるような意味から始まった呼称(看な禅,黙照禅)はそのズレにより、
「おまえらばっかじゃねえの」
「おまえらこそ超ウザ」
と言い合っていたような気がします。
またインドとか宗教っ気の強い地域だと、よりミステリアスな意味合いを持ちそうな感じがするし(「うちの和尚の中には300年生きてた人がいます」みたいな)。
♪宗教学的な分別はわかんないけど、現実的な普段の心掛け
「真摯に自分と向き合う生き方」
そうあろうと心掛け、努力してる
それを持った上で、世俗的な様々な経験(すげぇ悲しい別れとか、自己責任の範疇超えてしまった血の気が引くような失敗、
これでもかと連続重複してやってくる強いストレス等々々)を生き延びるだけでも、文字や理論では解りきれない、その人その人にとっての(悟りにかかわる)結論なり出てくるものではないかと思います。
またその際、劇的な心境の変化があれば自身の想う『悟り』に照らしてみるのもなにがしかの手がかりになるのではないかな?と思ってみたり。
今ブータンの大乗仏教のことをテレビで見てて面白かった
ブータンの大乗仏教では、化身って呼ばれる
解脱してるのに世俗の民衆救うために人に生まれ変わった僧がいるらしくて
それを取材してて見ごたえあった。
全ての求道者に、もれなく、理不尽な苦が付いてきます。
まだ届いていない方には発送準備中です。
馬鹿みたいにコピペする人は何なの?
145 :
神も仏も名無しさん:2007/08/18(土) 01:37:02 ID:CfmFW6C8
>>144 理由のわからないおまえはバカじゃない?
148 :
sage:2007/08/18(土) 14:44:19 ID:8cohUHM1
名前しか知らなかったけど、カルキ・バガヴァンってこういう人だったのか。なるほど。
カルキ・バガヴァンに会いにいくツアーってものがあるらしい。
予備知識あれば実際行った事のある人に会った時いろいろ聞けたのに('A`)ヴァー
人生必要な時に必要な知識しか得られないようになってんなぁ・・・。
至福の瞬間を常に降ろす方法がわからなかったわけだがなるほどね。
瞑想でもやらないとダメなのかと思ってた。
しかし現実逃避といわれようが、アルコールは大好きだぁぁぁぁ。
意識レベルが上がる時のゆりもどしな気もしないでもないけど。
すみません。おもいっきり上げてます。。。。
>>144、
あのコピペの人、馬鹿みたいにも見えますよね。
ああやって遊んでいるのか修行してるのか。けなすと怒ってみせたりユルユルかわしたり。しょっちゅうスイッチ切り替えてます。
見性しているとの話を聞きましたが、だからといって偉い人というわけではないでしょうし、レスを考察したり質問をしてみるか、気にせず放っておくか。
探るなら禅スレへ、という感じでしょうか。
こと禅となるとどこぞの和尚みたいな受け答えを演じてみせるため疑問符を残すこともありますが、質問には懇切丁寧に答えてくれますよ。
悟り(差取り)の問題を、将棋の飛車取りや角取りと同じ目線で見てはいけない!
現実から逃避して、得られる境地では無いのは確か。
どんな理不尽な苦でも、とことん見つめる気概も必要。
魔法が使えるわけでもないし、霊的にどうのとか、関係ない話。
それよりは、すべてに慈悲できる人格を形成するべきだと思う。
>151
将棋の飛車,角取りと一緒にしても構わないのでは。
否定が出る時点で、もはや差をつけていることにはなりませんか。
>152
逃避するがゆえより強い苦難を背負い、生き延びるうち気付けば逃げていた現実がただの日常になっていることはざらにあるように思います。
「言語道断」と申します。不文立字でも構いません。
自問自答の果てになるのかもしれませんが、
言葉挙げしたくなる思いとの対峙に、
「ありのまま」という言葉の鍵があるように思います。
そこまで来て>152のおっしゃる「全てに慈悲できる人格を形成」に至る、のでしょうか。
5年先、10年先、あるいは晩期を自覚する頃の自分はそうありたいです。
苦をすり潰して、理不尽が理不尽ではなくなり、ありのままの世界に無数の慈悲を感じる。
これが、私の理想だなあ。
155 :
神も仏も名無しさん:2007/08/22(水) 23:17:34 ID:Mh5M6Vq3
>>151 将棋下手なのがすぐわかる。まじめにやらないと勝てないぞ
156 :
神も仏も名無しさん:2007/08/22(水) 23:28:29 ID:Sp+oTSvc
>>152 そう言いながらも「悟り」を遠ざけている感がある。
カルキ・バガヴァンの「悟りとは何か」を掲げた後なのに追求する気がないのかね?
「すべてに慈悲できる人格を形成するべき」ってホントに思っているの?
仏陀は修行を放棄したと言った人に似てるねw
>>1 詳しく言うにらば
空の実相を理解し煩悩を吹き消した者
これが悟りです
160 :
神も仏も名無しさん:2007/08/23(木) 00:53:06 ID:dMNljbyS
161 :
神も仏も名無しさん:2007/08/23(木) 01:25:18 ID:yK85GFPG
極力、あたまは使わないだろうね。
163 :
神も仏も名無しさん:2007/08/23(木) 05:50:59 ID:11cH9TwJ
修行僧よりももっと厳しい現実を生きている人の中に覚者がいる
>156
「全てに慈悲できる人格を形成すべき」
『慈悲
あわれむ、いつくしむ、かわいがる、手厳しく鍛える
他者のことを自らのことのように思いやる』
自分はさておき他を優先、と読み取れます(極論は無我,忘我)。
そうありたいと思って年を重ねてゆくことはかなり重要なのではないでしょうか。
♪カルキ・バカヴァンさんのお話し、再読させていただきました。
わかりやすい言葉で、お考えは一見簡単にも見えますが、読み進めて私には難しい(少し距離がある)ように感じました。
近い感覚をお持ちの方々にとって、出会えたことは最高にラッキーなんだろうな、と感じつつ学べるところを残さぬよう画像メモさせていただきました。
禅や瞑想、ヨガ、或いは全く独自のものの見方など、個々の選んだ道は必ずしも近道ではないでしょうし、またそれを変えるも変えないも個々の宿命とも思えます。
165 :
神も仏も名無しさん:2007/08/23(木) 14:22:22 ID:c8wEU1R2
● [あなたの人生を見て下さい] カルキ・バガヴァン @
あなたの人生を見て下さい。 あなたの人生には何がありますか?
あなたは生まれます。学校へ行きます。 そこにはたくさんの競争があります。テスト
のために勉強したり成績をもらったりします。あなたはストレスにさらされます。
あなたは大学に行きます。またそこでも同じような競争があります。
あなたは誰かを好きになります。しかしその人とは結婚できません。そのようなことが
ずっと続きます。 また挫折します。やっと仕事がみつかります。あなたはそこで満足
するかも知れません。しないかも知れません。 また競争があります。なかなか昇進
出来ません。緊張があります。 やっと結婚します。あなたは三ヶ月間幸せですが、
その後問題が起きます。また子供を学校に連れて行きます。映画に行き、テレビを
見ます。新聞や雑誌を読み食べ物を食べます。ピクニックに行きます。
あなたの人生には本当に何がありますか? 人生には何か意味がありますか?人生に
目的はありますか?あなたは毎日同じ珈琲を飲み同じ朝食や昼食、夕食を取ります。
多少のバリエーションがあるかも知れませんが、どんな(重要)なことがあなたの人生に
ありますか? 私が思うにはあなたは単に存在しているだけです。 あなたは生きて
いません。あなたは死ぬのが恐いので、存在しています。
人生には一体何があるのでしょう? 教えてください。
あなた方全てが総理大臣になりたいときそれは可能ですか? あなた方全てが会社の
最高責任者なりたいときそれは可能ですか? いいえ
あなた方全てがアシュラと結婚したいとき、それは可能ですか? いいえ!ノー、
たくさんノーがあります。 ノー、 ノー、 ノー、
あなたは妥協しなければならないことがたくさんあるでしょう。
あなたはこの人生にはいったい何がありますか? ひどいもがき(苦労)があります。
あなたがお金を稼がなければいけないとします。たくさんのお金です。私は裕福で
しかも「バガヴァン私達は本当に深く落ち込んでいます」と言っている多くの人達
に出会います。
よほど腹を空かせた蛇が、とぐろを巻くスレになったね。n
167 :
神も仏も名無しさん:2007/08/23(木) 14:32:39 ID:Lr+uE36/
[あなたの人生を見て下さい] カルキ・バガヴァン A
ですから、お金は幸せを与えてくれませんでした。それは少しすると嫌気が差して
うんざりするものです。彼はそこかしこを模索してきます。成功している人たちも
幸せではありません。あなたが成功を収めていなくてもどちらにしても幸せでは
ありません。ですから、いったいあなたの人生には何があると言うのですか?
あなたが一人ひとりとしてそこに居る限り、あなたが失敗者であろうと、成功者で
あろうと最終結果は同じです。 あなたは幸せにはなりません。なぜならもしあなた
がそこにいれば、あなたがそこにいること自体が不幸です。
あなたが不幸なのではありません。それは違います。“あなた=不幸”です。
それがあなたの状態です。
この状態はあとどれくらい続くのでしょう。 これは2百年も続いてきました。
それでは悟りとは何でしょう?それはあなたを消すことです。 消しゴムで消すこと
です。私達はディクシャを与えてあなたを消します。あなたが消えてもあなたは今まで
通り機能的です。記憶も残りますし、以前よりさらにずっと能率が良くなります。
あなたが居ないのでそこにあるのは喜びです。 幸せです。 「愛」です。
そうなるとあなたが会社の会長であろうが日雇いであろうとどちらでもかまいません。
北インドに偉大なグルがいました。かれは最高裁判所の日雇いでした。
毎日この夕方、会場にサットサンガを開いています。そのサットサンガには裁判官
(参加者として)座っています。そのグルは講話しています。
次の朝、裁判官が椅子に座っていて記録簿を持っています。裁判官はグルが座って
いるのでブルブル震えています。グルが言いました。「ここでは私は日雇い労働者だ」、
私は立っています。あなたは務めを果たしなさい。
日雇い労働者の方がそこに座っている裁判官よりずっと幸せです。ですから私達は
ある人たちが会社の最高責任者やお金持ちになるより、お手伝いすることはできます。
でも何百万人も助けられない人々はどうすればよいのでしょうか?
168 :
神も仏も名無しさん:2007/08/23(木) 14:35:38 ID:Lr+uE36/
● [あなたの人生を見て下さい] カルキ・バガヴァン B
もし私が重要人物にしてあげたとしても、あなたは今まで通り不幸です。日雇い労働者も
やっぱり不幸せです。
しかし、私達は人々に幸せになってほしいのです。 では私達は何をすればよいの
でしょう。 あなた方を消せばいいのです。あなたは消されるためにここへ来ました。
徐々にあなたを消していきます。あなたを消してしまえばあなたは誰であるか、あなたが
どのような職業の人であるかは全く問題ではありません。
そこにあるのは、喜びと幸せです。 さてもし、喜びと幸せがあなたのなかにあると、
あなたは他人に対して問題を起こすでしょうか? 決して起こしません。
なぜ幸せな人が他人に対して問題を起こすでしょうか?
もし世界中の人々が幸せならば、外側の世界に何か問題が起こるでしょうか?
そこにはまったく問題は無いでしょう。
私たちがワンネスとよんでいる内側の変容、それが起これば外側の世界にも対応した
変化が起こります。皆がとても幸せで犯罪も無く、警察も無く、裁判所もなくもしかすると
いつしか政府すら無くなるかも知れません。皆が幸せでスムーズに運ぶからです。
この内側の世界を私達はワンネスむとよんでいます。
この外側の世界を私達はゴールデンエイジとよんでいます。
新興宗教とカルトにはまりましょう。a
170 :
神も仏も名無しさん:2007/08/24(金) 00:21:25 ID:+kCjkqEm
洗脳セミナー団体だな。霊だとか、特殊なエネルギーだとか、
団体に入って、みんなで悟りましょうとか、洗脳されるだけだろう、
言っている事に、まったくの見性すらない。
ニューエイジの本を読み漁って、普遍的に受け入れやすくて、魅力的なとこを注出しただけ。
嘘臭い気配で充満しているから、釣ってみたら、これか?
いつも、いつも、欺瞞のレッテルを自ら貼るのが好きだな、こういう奴らは。
171 :
神も仏も名無しさん:2007/08/24(金) 00:48:10 ID:QYwqNi9U
>>164 「すべてに慈悲できる人格を形成すべき」、「・・・他者のことを自分のように思いやる」
そうなんだけど、しかしそうなるためには、自分は最も幸福にならなければ他者をも幸福
にはできないと思う。
だから「悟りとは何か」なんてのは、私は大事にする。
他にもある本に書いてあったな、 人は他人を愛することはできない、愛することができるのは
自分だけだ。なんてね
インドのサイババさんは本物かもしれない。
サイババさんがもしかしたら本物なのかもって信じる根拠は、日本に居ながら
奇跡が起こったから
世間で悟ったと言われてる人達は、ひょっとしたらそんな未知のパワーがあるのかもしれないな。
結局、ここの住人は誰一人として悟っていない件!
てか、悟りたくて一番縁遠い所に行っちゃってる人がいる、ってゆうか。
しかし、そこからいつ悟りに進むかは、個々の将来次第。
皆さんに、もれなく当たる理不尽の極みが人生変えるのでしょうか。
もれなく青ざめることが起こるよ〜
こわいよ〜
洗脳セミナーは宣伝しなくていいよ。
>この先恐い事が起きるよとか、アホ言ってないで、印鑑とか壷でも売ってろ。
あした、まにあ〜なっ!
カルキなんとかは、詐欺師だって確信できたのが収穫だよ。あなた達の御蔭でね。
つか詐欺師ばっかだし
宣伝 手伝ってあげるよ。
検索 2ch
カルキ カルキ・バガヴァン バガヴァン ワンネス ゴールデンエイジ センター
東京、悟り、サイババ
181 :
神も仏も名無しさん:2007/08/24(金) 03:46:22 ID:inD+sMm1
182 :
神も仏も名無しさん:2007/08/24(金) 13:35:11 ID:0CMJ54xJ
>>178 どういう部分で詐欺師だと確信できたの?
そのへんをもっと具体的に教えて。
183 :
神も仏も名無しさん:2007/08/24(金) 22:45:02 ID:TsIxlJkz
>>182 それは無理
>>178、こういう奴は絶対に言わないんだな。 根がひん曲がっているはずだから
つうか、私達の団体に入れば、全てがスムーズに運びますなんて言っても、
このスレさえ、スムーズに運ばないで困惑しているじゃん。
185 :
神も仏も名無しさん:2007/08/25(土) 00:25:06 ID:KpukOi+I
>>184 どのレスで勧誘しているか言ってみろ?
このスレは勉強しているんだろが。
スムース゛に行かないのは、おまえみたいなのが邪魔してるからだろ
バカなのか? 消えろ
186 :
神も仏も名無しさん:2007/08/25(土) 00:44:03 ID:bJ5gVB2m
人間は、社会的生き物である。
挨拶、礼儀は、絶対的モジュール。
これができない奴は、悟っているわけはない。
うは、カルト恐え〜〜
188 :
神も仏も名無しさん:2007/08/25(土) 01:01:41 ID:2rFdzdXx
2chで宣伝するカルト団体ってこんなのばかりだな。
だれでも幸せになりますと言いながら、話の落ちが脅迫で終わる。
政府も裁判所も警察もいらない団体だとさ
あのカルキ・バガヴァンの動画を見る限り脅迫しているところなんてどこにもないけどなぁ。
ディクシャは2年くらい前に嵌ってずいぶん受け続けたけど僕は効果を感じられなかった。
なので結局今はカルキからは遠ざかっているけど、動画を見て、やっぱり凄く納得できる。
まあ、納得できない人はディクシャを受けたりしなければいいだけだし、
カルキ自身も、自分とは縁のない人は自然に離れていく、みたいなことを
言ってたように記憶している。
191 :
神も仏も名無しさん:2007/08/25(土) 01:17:56 ID:2rFdzdXx
ディクシャとは、遠隔操作でパワーを送って、悟りが開けますということか?
料金は、おいくらでしたか?
193 :
神も仏も名無しさん:2007/08/25(土) 02:11:59 ID:KRyD/aN0
将棋の駒の話
歩は、敵陣に入ると金と同じ扱いが出来る。
これ、重要!
>>190 セミナーに来る奴は、どうせ何かにすがりたくて来ているから、
こう言ってやると効果的だよね。
あと、自分達の中でしか通じない専門用語を並べるとかね。
馬鹿だから、言葉を一つ覚えただけなのに、何か重要なものを知った気になる。
効果的なマインドコントロールの初歩テクニックだよね。
結構、手慣れてらっしゃるけど、元はどこの組織なの?
195 :
神も仏も名無しさん:2007/08/25(土) 08:22:56 ID:7WabvHqi
カルトはすべて暗示による催眠誘導である。
詐欺師の温床だ。
具体的な批判ではなく、ただただ抽象的にカルトだ、カルトだ、と騒ぐ手法、
これこそ思考停止させる意図をもったマインドコントロールだと言えるね。
具体的に個々の事例について批判してごらん。できないだろう。何も知らないから。
これだけ、内部の人間ですと宣言する書き込みも珍しいね
カルキのグループからはもう離れていると言ってるだろう?
それで具体的な批判はどうして出来ないのかな?
一時期ディクシャを受けていた人間として何か答えられるかもしれない。
具体的な批判をぜひ聞いてみたい。
僕自身もカルキのグループへの批判意見はあるしね。
ディクシャって、なに?
盛り上がっているところすみませんが、スレタイに戻します。
禅宗を以て悟った方にお聞きしたいです。
脳みそが色々反応させてるわけだと思うのですが(で「脳内」とか言ってる?)。
その「奥」というのか、それがいわば縁(宇宙)というのか。
私の場合、そのあたりがユルいのです。
♪やれさとらせろとやってきて文句三昧弟子の尻押し汗だく師のしごと
m(_ _)m
何故、アメリカ大陸にいる先住民をインデアンと命名したか知ってますか…
コロンブスが インドと間違えて 奴隷がいっぱいと勝手に勘違い・・・
バッファローと共生して,幸せな日々を送って来れた先住民文化は見事に侵略されてしまいました。
アイヌ文化 や 沖縄文化 ・・・ 日本人の源さん達も侵略民族・・・・
月には,侵略する者がまだ住んでいなかった・・・・・ ? 唾つけでホラ話しで完結?。
★月周回衛星「かぐや(SELENE)」Part2★
http://science6.2ch.net/test/read.cgi/sky/1186982476/l501 :名無しSUN:2007/08/13(月) 14:21:16 ID:L1Kpfxu7
月周回衛星「かぐや(SELENE)」は、我が国初の本格的な月探査機で、
2007年9月に種子島宇宙センターからH-IIAロケットにより打上げられます。
月の高度約100kmの極・円軌道を周回する主衛星と、より高い高度の
楕円軌道を周回する2機の子衛星(リレー衛星とVRAD衛星)から構成されています。
主衛星は、月表面の元素分布、鉱物分布、地形・表層構造、磁場を詳細に観測するとともに
月周辺の高エネルギー粒子、プラズマなどの環境を高精度に計測します。リレー衛星は、
主衛星と地上局との間の測距信号を中継し、月の裏側の重力場計測を世界で初めて行います。
また、リレー衛星とVRAD衛星に搭載された電波源により、月の表側の重力場をこれまで以上に
精密に計測します。
SELENEには、ハイビジョンカメラも搭載されています。青く美しい地球が月面上から現れる
「地球の出」などを動画で撮像し、放映する計画です。
アポロ計画以来最大の月探査計画であるこのセレーネを、大いに語り合いましょう。
203 :
悟れまいと諭されし者:2007/08/27(月) 15:31:17 ID:MZZ7171K
蝉の声とか今現在がリアルすぎるほどリアル
>>155 なぁに、たった3手だけ先にこちらにやらせてもらったなら、どんな名人相手であってもこちらが勝つ自信があるんだよ。
ていうか、100%確実にこちらの勝ち!
207 :
神も仏も名無しさん:2007/09/02(日) 02:08:31 ID:tDB0lH6E
下手なのがしみじみと出ているなあ。いっかい「24」で指導してやろうか?
208 :
神も仏も名無しさん:2007/09/20(木) 21:16:27 ID:tHFgXJii
悟ったという奴程悟れてないものだ。
209 :
神も仏も名無しさん:2007/09/20(木) 22:04:00 ID:YR4F5Y7N
悟っても人には言わずに内緒にしておこうと思う。w
なんか自慢してるみたいになっちゃって嫌だからな。
それに師と崇めるようなやつらに付きまとわれたら
面倒だ。人間関係に上下を作ったら悟れる者も悟れ
なくなるだろう。実際にはそんなものはないんだから。
だからいつまでも無知な凡夫と思われていたい。
そうすれば間違っても崇められることはないだろう。
自分が無に等しく、さらに無限にも等しい事が理解できること。
211 :
神も仏も名無しさん:2007/09/24(月) 01:12:40 ID:hm4Q7hbp
大悟された方はいますか?
完全な自由と無限の境地に何度か入りましたが長くて数日で戻ってしまいます。
日常を素通しにできない我がまだ幾分残っているためだと思いますが。
完全に行ったきりになるものでしょうか?
その違いはあるのでしょうか?
大悟は程度の問題ですか? 明らかに違う次元ですか?
>>211 まあ白隠禅師でさえも生涯に18回しか大悟していなかったそうだから、このテメーなんかはその3分の1の6回ぐらいの大悟しかできないことだろう。
テメーなんか大悟したことはないので、まだまだ人生が楽しめるという特典付きというもんだ。 w
>>209 >だからいつまでも無知な凡夫と思われていたい
凡夫の悟りこそが偉大なものであるのだぞ! なんて言ってみる
雨ニモマケズ、風ニモマケズ
(中略)
サウイウモノニ ワタシハナリタイ
だな。
215 :
神も仏も名無しさん:2007/09/24(月) 21:52:35 ID:uubwd8b3
>>211,212
回数は意味が無い。
当たり前のことは数えられない。
216 :
神も仏も名無しさん:2007/09/24(月) 22:52:03 ID:LsbkQXS3
18回も大悟しすぎだろ
217 :
神も仏も名無しさん:2007/09/25(火) 04:55:30 ID:uxDHS2Pv
>>215 当たり前というのは、悟りを得ても何もかわらない、悟る前と同じところ、といった意味ですか?
悟りなどなくただありのままといいうのはわかりますが、ホントのありのままは、この日常とは
まるで別世界であり、悟りなどない、ありのままという意見の多くの方は、単なる諦念、あるいは
抑制の境地のように思えるのですがどうなのでしょう。
もちろん悟ればただのありのままの世界になるのですが、しかし今まで目にしてた世界とは一線を
画く驚愕の本当の世界であり、そこに行ったきりでない限り回数は数えられると思うのですが。
もちろん、回数を数えることになんら意味はないと思いますけど。
218 :
神も仏も名無しさん:2007/09/25(火) 10:34:29 ID:TmozweCz
>>217 あなたが私の話に違和感を感じるのはあなたが悟りと神秘体験を混同しているから。
悟りの道程で神秘体験は時折現れることもあるが、それは本質とは関係ない。
当たり前と言っているのは抑制ではなく、もうすでにあるものだから。
当たり前のことを珍しがっている状態だと、当たり前のことを当たり前と言っている人はニヒリストに見える。
219 :
217:2007/09/25(火) 17:51:49 ID:uxDHS2Pv
>>218 そうですね、僕は神秘体験と悟りの区別がついてません。
というより、正直、神秘体験が悟りなのではと思ってしまっています。
神秘体験、神秘主義を悟りではないという意見は多いですが、あれはどういう根拠からそう
言えるのでしょうか?
神秘体験を経て悟ったという経験からなのでしょうか?
ちなみに神秘体験でない悟りでは感情や思考はどうなっているのでしょうか?
悟りはただありのままであると仰る方の話を聞くと、感情や思考が普通に存在してるように思い
ますが、分別の無い状態が悟りなら、差の無いところに何故感情が存在してるのかと疑問に思
います。
悟りとは感情が無くなり、思考が止まり、自分というものが消えている状態のことではないの
ですか?
そういった神秘体験?が悟りなのではと思ってしまうのですが。
神秘体験と悟りについては以前から疑問だったので、よければご意見お聞かせください。
220 :
神も仏も名無しさん:2007/09/25(火) 18:46:26 ID:zK76V22O
まぁ、悟りたいという気持ちがそう表現してしまうわけよ。
221 :
神も仏も名無しさん:2007/09/25(火) 19:53:42 ID:TmozweCz
>>219 >神秘体験、神秘主義を悟りではないという意見は多いですが、あれはどういう根拠からそう
>言えるのでしょうか?
喩が古いが、仮面ライダースナックが悟りとするなら、仮面ライダーカードが神秘体験。
子供はみな仮面ライダーカードをありがたがり、スナックは捨ててしまう。しかしライダースナックの本質は言うまでもなくスナックのお菓子にある。
>神秘体験を経て悟ったという経験からなのでしょうか?
いや、神秘体験はおまけだから。あってもなくてもいい。ただそこにこだわると道からそれる。
>悟りとは感情が無くなり、思考が止まり、自分というものが消えている状態のことではないの
>ですか?
悟っていても感情はあるし、思考もある。
ただ、それにふりまわされなくなる。
>そういった神秘体験?が悟りなのではと思ってしまうのですが。
落差が大きければ神秘的と感じ、実際非日常的なことも起こるかもしれない。しかし、それが日常となれば驚きも動揺もなくなり、当たり前のことが当たり前になる。
しかしそれはそれ以前とは異なり、気づいているべきものに常に気づいている状態となる。
222 :
神も仏も名無しさん:2007/09/25(火) 20:13:51 ID:zK76V22O
まぁ、そうだな
食わなきゃ、味がないんだよ。
223 :
217:2007/09/25(火) 20:43:11 ID:uxDHS2Pv
>>221 感情が生まれる原因がいまひとつわからないのですが。
あらゆるものが同じ(分別が無い)であり、自分が無いならなぜ感情が生まれるのでしょうか?
そういった理由で、悟りはまた違うのではと思えてしまいます。
感情にふりまわされないというのは自分が無く感情を素通しにしてるからだと思いますが、
ではその感情をつくりだしているのは誰なのですか?
224 :
神も仏も名無しさん:2007/09/25(火) 20:56:13 ID:TmozweCz
>>223 ある覚者の母親が死んだ。
あなたの説だと、その覚者はまったく心を乱さず、平然としているべきだ、となる。
しかし私の聞くところでは、おお泣きした、ということだった。
悟るということは、ロボットになることではない、より人間的になることだよ。
225 :
神も仏も名無しさん:2007/09/25(火) 21:14:15 ID:uxDHS2Pv
>>224 平然としてるというより、死にいい悪いの価値を見出さない状態かと思うのですが。
その覚者がそうだからといって悟りがそういうものであるというのはよくわかりません。
それでは覚者の模倣であり、仏教は知識ではなく体験だと思うのですが。
人間的になることが悟りというのには人間視点の我を感じてしまうのですが。
人間的でないより人間的なほうが何故いいのですか?
それは自分が人間だからじゃないのですか?
自分が人間であるという意識や自己がまだ抜け落ちてないというのは間違った見方に
なってしまいますか?
死が悲しみではなく喜びでもあるという精神の選択の自由さが悟りではと思ってしまい
ますが。
226 :
神も仏も名無しさん:2007/09/25(火) 22:20:19 ID:TmozweCz
>>225 >その覚者がそうだからといって悟りがそういうものであるというのはよくわかりません。
いや、あなたが悟れば感情は無くなると言ったから、そうではない1例をあげただけ。
それじゃこのへんで。
227 :
217:2007/09/25(火) 22:49:35 ID:uxDHS2Pv
>>226 そうですか。いまひとつ納得できませんでした。すみません。
ちなみに仰られたことはご自身の体験を踏まえての話だったのでしょうか?
他にも悟られた方、悟りを知っている方で教えていただける方がいらっしゃればよろしくお願い
します。
228 :
神も仏も名無しさん:2007/09/26(水) 00:55:22 ID:BLqzPhP2
>>223 「神との対話」では、感情は魂の声と言っているね。
229 :
神も仏も名無しさん:2007/09/26(水) 15:45:13 ID:BvvQY+23
>221
悟ってもいない人間にそんなこと言われてもなぁw
230 :
神も仏も名無しさん:2007/09/26(水) 20:27:07 ID:JOB0dKeM
>>229 ちょっと訊きたいんだが、左膝おかしくない?
あと洟も調子悪くないかい?
231 :
神も仏も名無しさん:2007/09/27(木) 13:04:53 ID:MzoO8T5n
悟りとはいつもへぼ将棋の棋譜を名人に並べさせている事に
気が付いたへぼ
232 :
>>538:2007/09/27(木) 13:14:58 ID:rpxNSFss
233 :
神も仏も名無しさん:2007/09/27(木) 15:31:53 ID:MzoO8T5n
全世界が私の体を使って今ここを体験している事に気が付く
1の状態って痴呆じゃね?
235 :
神も仏も名無しさん:2007/09/27(木) 16:40:09 ID:qtTfptoq
>>230 ははは、遠隔透視でもしているつもり?
すべて外れてるね。御愁傷様。
236 :
神も仏も名無しさん:2007/09/27(木) 22:48:34 ID:4SxMD20O
237 :
神も仏も名無しさん:2007/09/28(金) 09:08:56 ID:kibcLWdM
>>236 ひゃー大変な事になった。イメージで読んでください。
全世界が一個の意識をもつた世界だとして、そこに
貴方の体や感覚をおいたとします。そこから世界が世界を見ると
貴方の今見ている世界では?臨死体験如何でもいわき道では、
あなたはあなたらしくマイペースこれが道しるべだと思います。
気が向いたら読んでもらいたい本。昔の本ですが
ジョセフ・キャンベル著 神話の力 早川書房
そし何をおいても道元禅師 正法眼臓です。
私は現代語訳正法眼像 玉城康四郎 大蔵出版を読ませてもらいました。
なにも知らないから答えるのかと思うと 汗
あそうだ 神話と力の中のショーペンハウエルがある平凡な警察官が
自分の死を省みず見知らぬ人を助けた行為にたいしての答え。
このような心理的危機は、ある形而上学的な認識ーすなわち、私と他人は
一体である、私と他者とは一つの生命の二つの外見であって、別別に見える
のは、空間と時間の条件下でしか形を経験できないという知性の限界の反映
にすぎない、という認識が が飛び出して結果なのだ。人間の真の実在はあらゆる
生命との一体性と調和の中にある。これが、危機的状況のもとで瞬時に認識される
であろう形而上学的真実です。ショツペンハウエルによれば、
それこそ人間の真実だからです。と
悟ってからが本番。
自分が人間であると自覚したころの 赤ちゃんと同じ状態。
世界は広い。
239 :
神も仏も名無しさん:2007/09/28(金) 21:47:27 ID:9MVhZJQY
悟りを開くとは
又の言い方を、見性と言って自分の性(本性)を知るということです。
自分の中に、意識が二つあるのですが、普通では分かりにくいのですが、
悩んでいる時には分かります。
今の自分の意識と対立する意識が在るのが分かると思います。
その対立(矛盾)が離れていれば、離れている程悩みが深くなります。
その最大のものが生と死です。
お釈迦様は子供時代から何不自由無く育てられたために、何でも思い通り
になるとおもっていた。しかしいたるところで死人を見て、自分も死ぬ
事に気が付いた。思い通りにならない事が有ると言う事に気が付いた。
そして、悩み始めた、悩みは心の対立、心の矛盾である。
悩む自分と悩ませている自分、死にたくない自分と死んでいく自分
悩み、苦しんだ末に、有限の自分と不死を望んでいる自分、二つの意識が
バッタリ出会った、禅ではその時のことを見知らぬ他国でヒヨックリ親父に
会った、真っ暗闇で妻に会ったようなものである、今更お前は誰かと聞く
必要がない、と表現しています。そのことによって、その矛盾が解消
された。仏教では人生は一切皆苦と言います。又絶対の安心と言います
自分が分からないで悩まされている時が一切皆苦です。
自分を知ることが出来た時が絶対の安心と言います、心の矛盾が解消される
からです。その事を悟りが開いたと言います。
240 :
神も仏も名無しさん:2007/09/28(金) 22:08:07 ID:x+npHF/E
242 :
神も仏も名無しさん:2007/09/29(土) 20:44:00 ID:3IoDQ86D
239です
27年前に見性した者です。見性するというのは。自分の性を見るということです。
自分の頭の中には今の自分の意識が在ります、けれどももう一つ自分が知らない(本当は
知っているのだが?)意識が在ります、その意識は仏教では仏性と言う名前を付けています。
キリスト教では神という名前を付けています。どちらも同じものです。
お釈迦様が言ったことは本当です、皆が仏性を持っているということです。
けれども、修行しないと、分からない。次回に続けたいと思います。
243 :
通りすがりの者:2007/09/29(土) 23:21:47 ID:pHp0gpr8
>>242 私は17年前です。自殺する勢いで見つけました。
見つけたときは、自分(意識)は、もう一人の自分が自分を離れて勝手に口を動かしてるのを感じとってるんですね〜。
簡単に言うと、そのもう一人の自分によってスイッチが入れられて自分(意識)がオンしてるんですね〜。
でも、それが分かると人生のからくりがわかっちゃうんですね〜。
仏教もすーと入ってくるし、色即是空とびこえて、空即是色の意味もすぐわかります。
いや〜、生命というのは見事な連携プレーです。
では、さらば。
244 :
神も仏も名無しさん:2007/09/29(土) 23:53:03 ID:pHp0gpr8
>>242 ついでに。
神とか仏とかいう言葉は、人間の思いが創り出したんで、どうでもいいけど。
仏と神は分けたほうがおもしろみがあるよ。
仏については皆が仏持ってるんで修行とかなんとかすれば分かる。でも、いくら修行したって分からないことがあるんですね。それをどう処理するか。
そういうのは神に任せとけばいいんですよ。
一生懸命努力した。あとは分からないので、神社で神頼み、パンパン。でも、不合格したと分かったら、仏へ。
245 :
神も仏も名無しさん:2007/09/30(日) 00:23:02 ID:+OtVD+Lp
見性された方々へお聞きしたいです。
過去の悟ったと言われている高僧達で、あれは悟ってないと他の悟ったとされる高僧が否定
しているのは何故ですか?
悟りとは人それぞれですか?
人それぞれなら否定することもないと思いますが。
否定するのなら悟りは同じだと思いますが、それでは悟ったと言われる高僧がどういった
理由で否定されるのでしょう?
悟りにも段階があるとかそういうことですか?
246 :
神も仏も名無しさん:2007/09/30(日) 00:26:18 ID:1GJFU2iM
247 :
神も仏も名無しさん:2007/09/30(日) 00:33:02 ID:+OtVD+Lp
誰か忘れましたけど、高僧が○○はあれは悟っていないとかいなかったとか言ったという話
を何度か読みました。
もっとも昔の話ですから文献の信憑性もわかりませんが。
高僧の話などは弟子が後に記したものも多いらしいですし。
でもそういう例をいくつか読んだのでどうなのかなと思いました。
248 :
神も仏も名無しさん:2007/09/30(日) 00:37:24 ID:+OtVD+Lp
あと見性された方々には見性と小悟、大悟についてお聞きしたいです。
見性しても元に戻るのが普通だと思いますが、その後どうなのですか?
元に戻らない(大悟?)された方はいらっしゃいますか?
249 :
神も仏も名無しさん:2007/09/30(日) 00:47:35 ID:1GJFU2iM
>>247 少なくとも、言葉で否定したその文献を書いた人が悟ってないです。他は分かりません。
私自身も見性したかどうか(見性という言葉も実は
>>242で初めて知った)分からないですが、
仮に私が見性したとしてもらって私からみると、相手が間違った考え方、悟ってないとか見てないんです。
皆仏もってるんで間違ってはいないわけなんです。
むしろ、なんでそう思うのかなぁというのに興味持ってしまって、いろいろ、相手を知るうちに肯定することになっちゃいます。
相手には仏あるので、否定する気が起こりませんし、否定する気持ちを自ら創る気すら起こりません。
250 :
神も仏も名無しさん:2007/09/30(日) 00:58:48 ID:1GJFU2iM
>>248 小悟、大悟もよく知らない言葉ですが、
元に戻るを小悟、元に戻らないを大悟というのは適切かも知れません。
私は大悟です。なぜなら、見性によって得られたもう一人の自分によってスイッチが入ると、元に戻るのが人間だと分かってるからです。
そのもう一人の自分と、元に戻ろうとする自分の全て知ってるので、元に戻れません。
元に戻るというか、全部知っちゃったんです。
251 :
神も仏も名無しさん:2007/09/30(日) 01:17:00 ID:+OtVD+Lp
レスありがとうございます。
悟ってないと否定したのも有名な高僧だったので、よく言う、その人のことを思って、という
やつかもしれませんが、自分も悟ったら、否定はないかなと思います。
肯定も否定もない世界だと思うので。
ただ、その世界から肯定否定のある世界を眺めて否定することはあるかな。
白はやはり黒ではないという意味で。
252 :
神も仏も名無しさん:2007/09/30(日) 01:23:26 ID:+OtVD+Lp
ちなみに全てを知ったとありますが、感情はどうですか?
全てを知った上で感情はどうなっているのですか?
自分も全てを知った(見た)ような体験をしましたが、その間は感情の無い世界だったものの
時間がたつにつれ日常に戻りました。
知ってはいるものの、また我ができたということでしょうか。
知っているといいつつ、知ったこととズレがまたでているといった感覚です。
本来の世界でなく、また自分勝手に世界をつくってしまっているというカンジです。
その錯覚に気付けばまた本来の世界に入れます。
そのあたりどうですか?
スイッチということは別のスタンスをもっているということですか?
253 :
これが悟り:2007/09/30(日) 01:25:46 ID:YX/qocMz
「自分の死を望む気持ちがあった。どうせ死ぬなら、恨みのある人を殺してからにしようと思った。
人殺しという人生初体験の大事を、極めて冷静に完遂しえた。自分をほめてあげたい」
「昨年末に仕事をクビになって住所不定となり、安心して破滅に踏み切れると思い、
恨みのあった伯母(岩井さん)を殺した。大叔父(加藤さん)に恨みはなかった」
「金品を奪えば死刑か無期懲役しかなく、罪を重くして自分を追い込めると考えた」
松村被告が口にした異常な言葉に、かたずをのんでその瞬間を見守った
京都地裁101号法廷の傍聴席は、驚きのあまり静まりかえった。
http://osaka.yomiuri.co.jp/news/20070910p101.htm
254 :
神も仏も名無しさん:2007/09/30(日) 01:45:58 ID:1GJFU2iM
>>252 全てを知ったと書きましたが、相手に伝えるには、生きている源を知ったというのがより適切かもしれません。生きてることが全てですが。
なんで自分がこうして生きているのかということです。
感情は大きく変ってないと思います。
成功したら嬉しく思うし、失敗したら失敗したと落胆する。
でも、失敗とか成功とかは他人は知らず、自分がそういう感情を作り出しているだけだし、その感情を作り出してる源はもう一人の自分が懸命に生きようとしてくれてるんですね。自分(意識)の背後から支えてくれてるんですね。
その背後からの励ましといいましょうか、そういう感覚があるので、失敗したと思ってもそれなりの方向にはもってけるようにはなりました。
その励ましがなくなったら(スイッチが切れたら)、自分(意識)は死んでしまいます。
255 :
神も仏も名無しさん:2007/09/30(日) 01:54:01 ID:1GJFU2iM
続きで、
その励ましとは、常に与えられてるんですね。エネルギーのようなものなので言葉で表現できませんが、仮に表現するとすれば「生きろ、生きろ、生きろ・・・・」という極めて単純な繰り返しです。
自分(意識)は気づかないですが、そのメッセージは生まれた瞬間から自分(意識)へ送られ続けています。
>>254 ありがとうございます。
自分が体験したこととは少し異なるかあと思いましたがあるいは同じかもしれません。
自分は喜びも悲しみもないけれど、何も無いという安心がある世界を体験しました。
ニヒリズムではなく、ポジティヴに、何も無いなんて、なんて自由なんだろうという感じです。
お話ためになりました、他にも何かあればこれからも聞かせていただければ幸いです。
>>255 そうですね。そういう体験もあります。違うかもしれませんが。
そのときは、この世の全ては悟りに向かっているのだから、全ては同じであると思いました。
もうみんな悟っているのと同じだと。
しかし、何も無いという世界とその世界は少し違うように思え、その差は自分にあるのか
異なる世界(境地)があるのかと、いまだ疑問です。
258 :
神も仏も名無しさん:2007/09/30(日) 02:06:00 ID:GGAM4Iue
キメたらわかるよ
259 :
神も仏も名無しさん:2007/09/30(日) 02:16:38 ID:+OtVD+Lp
>>258 その通りだと思います。
でも自分はシラフでその状態になれるということを知りました。
ちなみに鈴木大拙が合法な頃にLを試して、悟りとはこういったものではないと言ったという
ことをどう思いますか?
260 :
神も仏も名無しさん:2007/09/30(日) 02:18:06 ID:1GJFU2iM
>>256 悲しみはないというのは素晴らしいじゃないですか。
人生ってのは
@楽しい
A苦しい(悲しい)
Bどちらともいえない
に大別すると、
@を目指そうとすると欲張ってAも創りだすしね。
むしろ、Aがないのは素晴らしい。残りは@やBなので、上出来、あとは今が有り難いと思うことですね。
Aがないっていうのは、仏の道へ進んでますね(仏ってのもはっきり知らないですが)。
私は2ちゃんの宗教板に来て半年が立つんです。最初の世の中には生き方について考えている人がたくさんいるんだなぁとネットを通じて感銘を受けたんですが、もう、お腹一杯になってきてね。
ある国家試験にも集中したいんで、実は今日を最期にしようと思ってるんです。こちらこそ、話きいてくれて、ありがとうございました。
261 :
神も仏も名無しさん:2007/09/30(日) 02:24:36 ID:1GJFU2iM
>>257 私もそう思いますね。みんな悟ってるのと同じ状態だと。
ただ、それに気づかないんですね。
262 :
神も仏も名無しさん:2007/09/30(日) 02:31:46 ID:+OtVD+Lp
>>260 こちらこそどうもです。
お釈迦さまも楽しいことは必ずしもいいことではないとか言ってたような。
楽しいと、それがあるのが普通だと思い、今度はそれがないだけで不満になるとか。
楽しいとは悲しみや苦を同時に持ち合わせていると思います。
何かを楽しいとか悲しいとか思うのは結局心、自分の限られた主観であって、与えられるもの
を楽しんだり悲しんだり自分で勝手に選択できる自由な境地が悟りだと思ってます。
わざわざ悲しみや苦を選択しないと思いますが。
また選択できるとわかれば、そういったことをしなくなるように思います。
今日が最後なんですか?
もっといろいろお聞きしたいですが、自分からは望まないでおきますw
国家試験がんばってください。
263 :
神も仏も名無しさん:2007/09/30(日) 02:43:37 ID:1GJFU2iM
>>262 ありがとう、試験頑張るわ。
仏からすると、合格するには、
満点とって合格してやろうと意気込むよりも、不合格なことはしない、っていうことだからね。
今、2ちゃんして勉強してないから駄目だね。
だから、まずは、2ちゃん控えて、とにかく勉強しないといけないのだ。
264 :
神も仏も名無しさん:2007/09/30(日) 02:55:23 ID:1GJFU2iM
では、来年11月に必ず。
御機嫌よう。
さようなら。
来年11月なんだ〜
ではまた来年〜〜ノシ
266 :
神も仏も名無しさん:2007/09/30(日) 02:57:49 ID:6/8x8sJo
氏ね。
267 :
神も仏も名無しさん:2007/09/30(日) 18:26:50 ID:i130Orte
239です
昨日の続きです、誰もが仏性を持っています、車の運転中とか、話をしている
時とか、なにをしている時にも自分の意識と共に在ります。その事が分からなくて
反省する時に、悩み、と不安と苦しみが始まります。
反省すると自分の意識と対立するものが生まれます、自分の意識とのズレ、あるいは
矛盾と言っても良いのですが、この矛盾が悩み、苦しみなのです。
そして、自分の意識と対立するもの(もう一つの意識と言っても良いもの)
を感じると思います。この意識どうしの矛盾を感じない人と、強く感じる人が
あります。強く感じる人が宗教家になってゆくのかと、思われます。
お釈迦様は王子の位までも捨てなければならないほど、精神的に苦悩された。
だるま太子の法を継いだ、第二祖慧可という人は、余りに苦しくて自分の手を肘のところ
から、切って差し出して自分の苦しみを何とかして下さい、と言って弟子にして貰いました。
人は悩み、苦しみますが、皆自分で悩みを作って自分で苦しんでいます。
その訳を説いているのが、仏教の経典なのです。余りに難しくてわかりませんが。
簡単にいうと仏教は心理学なのです、それも心の療法なのです。
自分の意識が在って、この意識が悩み苦しんでいる、その訳はもう一人の意識との意識が矛盾
しているからと言うことを説いているのです。意識同士の食い違いを修正しなさいと説いているのです。
その方法を説いているのが仏教経典なのです。
道元は仏道を習うということは、自分を習うこと、自分を習うことは、自分を忘れること、と説いています。
お釈迦様は「我」を捨てろと言っています。どちらも同じことをいっています。
269 :
神も仏も名無しさん:2007/10/02(火) 23:18:58 ID:6twneX7L
>>267 見性したそうですが、それが本当かどうか、試しに質問させていただきます。
我を捨てると、何が残りますか?
270 :
神も仏も名無しさん:2007/10/03(水) 06:13:07 ID:2kP7AdO3
我を捨てると「素直な心に成りきる事」天啓が閃く「我等の知性を殺しつくした時」
自分の意識がもう一人の自分「無意識」の自分に会います。そのもう一人の自分とは
無意識の時に自分のすることを、やってくれている者、と言ってもいいです、
或いは、自分の行動を全て見守っている、と言ってもいいです、或いは自分の行動を
全て後押ししていると言ってもいいです。
自分の全てを支配している本当の自分の根源と言っても良いと思いますが、自分の
全ての根源と言っても良いと思いますが。
「我」を捨てることが出来たなら、「絶対の安心と絶対の心の自由」が確保できます・
その時は、今までの自分と少しだけ変わってしまうからです。
自分だけのことを考えて、行動出来なくなるからです、自分が行動を起こす時には
その事によって、どういう影響が出るのか、予測してから行動を起こすようになるからです。
従って、なにをやるときもちょっとオーバーな言い方かもしれませんが、命がけと言っても
良いくらいに、一生懸命に生きてゆくように成ってしまうようです。
「我」を捨てる事が出来れば。本当の人生が始まります。
271 :
神も仏も名無しさん:2007/10/03(水) 07:11:45 ID:HszcyUW0
「我」を捨てることは、いつ死んでも良いということに等しい。
いつ死んでも良い人生は、本当に人生と言えるのか。
死にたくないとあがくことが、人生のあるべき姿だとしたら、
「我」を捨てることなど誰にもできない。
もし、「我」を捨てることが本当の人生だというのなら、
本当の人生は誰にも訪れることはないのではないか。
272 :
神も仏も名無しさん:2007/10/03(水) 07:41:19 ID:2kP7AdO3
273 :
神も仏も名無しさん:2007/10/03(水) 08:53:39 ID:fP4pc4mv
>>271 「我」を捨てるというのは、思考を停止させて周りから入って来る全てを、有りのままに
受け入れるということ。
>>134のカルキ・バカヴァンの「悟り」に通じるものがあるから読んでみたら・・
274 :
神も仏も名無しさん:2007/10/03(水) 11:32:12 ID:dTbs52WN
それにしても、2ちゃんってはまっちゃうとほんと
忙しい時でもつい見ちゃうんだよね。
時には大事なことより優先させたりして・・orz
確かに有益なことが書かれてあったりもするけど
うまくキョリをとっていかないとな・・・。
275 :
ヴォイド:2007/10/03(水) 15:01:20 ID:uxObSXik
思考を停止はできない。
とらわれなければそれでいい。
思考停止とは、知識に依存しどうみても確実な場合は知識に
依存する状態で知識の依存度が高い秀才君ほど陥る症状である。
これは知識がもっとも合理的なのだから当然だと思われるが
秀才君ほど知識の合理面に囚われ依存状態となる、統計的な事実と
一般的な状況であれば知識ほど確実なものはないが、客観的に大局から
みた場合にこの常識が間違いになることがある。
具体的には詐欺のような手法で騙される人には秀才系が多いということになる。
どうみても妥当な場合、間違いないと自身をもつからこそ、つまずいたときに
とてつもない転び方をしてしまうのがこの思考停止君に共通な特徴ともいえる。
知識優先の学生などは社会生活に入ったときに知識ではどうにもならない
経験ということが必要になることがある、これは本では書いてない局所的な
常識や矛盾などが一般社会には満ちているからである。
絶対に無いはずの賄賂や礼金、公平のはずの取引が不公平な状態が日常化して
入るなど、違法な行為は数え切れないほど日常に存在しているが。
興味すら感じない、俺とは関係ないと言う思考停止の知識だけの君。
痴漢冤罪で逮捕=(99.9%有罪)されるとかありえるぞ、
何せ証拠など不要なんだから。裁判しても絶対にありえない物証がありながら
最高裁まで行かないと無罪が勝ち取れない状況でもある。
277 :
神も仏も名無しさん:2007/10/03(水) 21:36:55 ID:Vpj59PqC
>>270 で、つまり、ひらがな5文字程度にまとめるとなんですか。
我を捨てると残るのは○○○○○こと
>>269 我を捨てると自他の区別無くすべてと同一になる。
つまりはすべてを手に入れるのと同じでもある。
自他の区別がなくなると、だれかがお金を儲けたそれも「よいことがあった」と思う。
誰かにいいことがあった、それも「うれしいことがあった」となる。
わかりやすく書きましょう。
左手と右手にそれぞれ自我があったらどうなるかと。
左手だったら、「こっちはいつもカバンを持たされて、右手は楽でいいよな」と思う。
自我を無くすとは、この右手だ左手だという個別意識を無くし、一体である視点を持つことです。
280 :
神も仏も名無しさん:2007/10/03(水) 22:19:39 ID:Vpj59PqC
>>279 より、難しくなったような。
下の矢印の単純な集まりで説明すると、どうなります?
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
こうなります
○
282 :
神も仏も名無しさん:2007/10/03(水) 23:07:59 ID:Vpj59PqC
>>281 あらら、単に○だけになっちゃいましたね。
私のはこうです。
⊂
から我をとると、
↑
人はみんな違う
⊂⊃∪∩∪⊃⊂∪∩⊃⊂
∪∩∪⊂⊃∪∩⊃⊂∪⊂
∩∪⊃⊂⊃∪∩∪⊃⊂⊃
⊃∪∩∪⊃⊂⊂⊃∪∩∪
⊃⊃∪∩∩⊃⊂⊃∪∩∩
∪⊃⊂⊃∪∪⊃⊂⊃∪∩
∪⊃⊂⊃∪∩∪⊂⊃∪∩
我をとると
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
独立してるが、みな同じ。
おしまい。
283 :
神も仏も名無しさん:2007/10/03(水) 23:18:44 ID:Vpj59PqC
我を取り去って残った矢印は過去から未来へ永遠に続いている。
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
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↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
>我を取り去って残った矢印は過去から未来へ永遠に続いている。
未来の先はは過去へも繋がっているから
○
なのです。
285 :
神も仏も名無しさん:2007/10/04(木) 01:11:12 ID:xm7KDUUE
284さんが正しい。過去から未来へなんて言ってる時点で、永遠じゃないです。
286 :
ヴォイド:2007/10/04(木) 06:49:41 ID:aHToCYSO
過去も未来も、所詮は時間という概念でしかない。
繋がっているように見えたり、感じたりするのは、連続性をそうみているだけ。
ほとんど金をとらない
性的欲望に溺れていない
高ぶらない
正しい宗教かどうかの身わけかたです
>>239 >仏教では人生は一切皆苦と言います。又絶対の安心と言います
>自分が分からないで悩まされている時が一切皆苦です。
>自分を知ることが出来た時が絶対の安心と言います、心の矛盾が解消される
>からです。その事を悟りが開いたと言います。
差はあってもかなり頭の中がまとめられました。
たしかに人生は苦労が多い。
本人がそう思ってるのだが、しかしそれが人間だと言えませんか?
生まれて生きる(生命&生活を経験する)ことをどう捕らえて過ごすか。
その意味で、物事を受け入れるということが「悟り」のはじめだと自覚しました。
そしてどう処理して乗り越えていくか。
楽な人はいいが、やはりね・・・そうばかりもいかない。
幸福だと感じるか、不幸だと思うか。その時の感情が左右するよね。
・・・このところ捕らえたこと、感情が大事だということ。
自分が経験しようとして生まれてきた人生、大事にしなければ。
>287 ほとんど金をとらない
必ずしもそうとは言えないと思うな。
教会とかの宗教団体も、その団体を維持してくための資金も
必要だろうし。
自分の人生、大事にしなくてもいい
くらいでちょうどいいのでは?
人生というものを歴史年表のように時間軸で捉えて
その年表をなるべくハッピーで有意義な出来事で埋めたい
なんていう錯誤に落ちって無いだろうか?
人生は年表でも歴史でもない
291 :
神も仏も名無しさん:2007/10/04(木) 22:23:36 ID:QDXQrk51
>>284 自己に本来備わっている本性を見究めて(見性)、そこまで見れたのですか。
私の場合は圧倒的な↑を感じただけ。未来と過去が繋がってることろまでは見えませんでした。
そして、私は、⊂の存在。
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
↑↑↑↑↑⊂↑↑↑↑↑↑
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
292 :
神も仏も名無しさん:2007/10/04(木) 23:02:24 ID:QDXQrk51
>>286 わがままからあるがままへ、慈風ちゃんだね。
私が今年始めごろ、初めて宗教板に入ったとき、慈風と対話したような。
もうぼちぼちさいならするよ。
>>291 その矢印は無限に横に並んでいるのだよね。
その矢印はあなたの位置の手前に無限にあるのだね。
その矢印はあなたの位置の先に無限にあるんだね。
無限の距離、無限の大きさというものがどんなイメージになるか考えてみるといいでしょう。
過去にも無限の時間があり、先にも無限の時間があるのだとしたら、無限の時間とはどんな状態か
考えてみましょう。
その無限の時間から蝉の一生の時間と、あなたの人生の時間がどういう大きさになるか考えてみましょう。
それらすべてを融合させるとどんなイメージになるのでしょうか?
縦横無限に並ぶ「↑」の中で「⊂」というあなたの位置を説明するにはどのように説明すれば伝わりますか?
無限の中では座標は通用しない世界なのはわかりますか?
位置、現在、それらは無に等しいのが真に理解できていますか?
同じ方向に全部が進む矢印。 無限の中では何を基準に進んだと認識できるのですか?
無限の中では、それは止まっているのも同じ事。
295 :
神も仏も名無しさん:2007/10/05(金) 00:42:33 ID:173N9vMW
296 :
神も仏も名無しさん:2007/10/05(金) 00:53:50 ID:173N9vMW
>その無限の時間から蝉の一生の時間と、あなたの人生の時間がどういう大きさになるか考えてみましょう。
考えてもいいけど。
7日/無限=0
50歳/無限=0
でも、私は少なくとも30年は生きてます。0ではなく50歳は生きます。
>>294 無限の中では、それは止まってると仰いますが、それはあなたの我が考えたんですよね。
あなたの体にききますが、あなたは止まってますか?
>>296 我を消したときは、無きに等しく、それはすべてにも等しいと感じる。
このように文を書くときは我が出ている。
>7日/無限=0
>50歳/無限=0
>でも、私は少なくとも30年は生きてます。0ではなく50歳は生きます。
無に等しいのは理解できているじゃありませんか。その数式の通り。
50歳生きるというのは我のあるあなたの状態の意識であり、
それを消せば50歳の寿命はゼロにも等しいのがわかるでしょう。
時間の経過について考えてみましょう。 認識をする存在が無ければ、
その間の時間は止まっているのも同然というのは理解できますか?
298 :
神も仏も名無しさん:2007/10/05(金) 01:18:51 ID:173N9vMW
認識とは?
299 :
神も仏も名無しさん:2007/10/05(金) 01:24:35 ID:173N9vMW
>>297 >それを消せば50歳の寿命はゼロにも等しいのがわかるでしょう。
あの〜、もう30年生きているんです。
ゼロに等しいと思わされても。
苦が生じるだけです。
なんで 0に等しい=無に等しい になってるんだ?
物理的に0に等しいはあえて考え無いものとすることにはなっているが
だからと言って無に等しいわけじゃない
301 :
神も仏も名無しさん:2007/10/05(金) 02:41:39 ID:MtJx3l1Y
ちがう!ちがうだろ!
「30年」というものは関係がなかった!
>>298 あなたの目の前にいきなりケーキが飛び出して、いきなり消えたとしましょう。
もう、そのケーキは二度とでてきてはくれなかった。
それはそれを認識したあなたにだけ事実であり、それを見ていなかった人は虚言と思うでしょう。
逆に、あなたが他の人に「私の目の前にドーナツが出てきていきなり消えた」と言われても、
あなたは事実として認識しないでしょう。
それではだれも見ていないところでそういうことがあったら?
認識する存在がなければ何も意味をなさず、無かったのと同然でもある。
認識は記憶されること。 人間が何かの障害で記憶力がまったく無くなったら時間の経過は感じない。
位置の移動も感じない。この症状の理解も難しいですが。
>>299 「もう30年」ですか。まだ半ばまで来てないのでしょう。まだ登りの最中だから希望もあり成長もある。
この場合の成長とは技能力の向上であったりの意味ですが。 (思考は成長できます)
希望がある登りの途中だからこの話は苦に感じます。
下りになり、これからの希望が閉ざされた時には、この思考は救いになります。
極端な考え方の例としてあなたの寿命があと3日だと考えてみてください。
そこで絶望を感じてそのままか、新たな思考が生まれるか。
寿命なんて知らない方が幸せかもしれません。
知らなくていい部分に興味を持ってしまったのならとことん思考し続けてみてください。
3日の寿命で何を考えたか。それの次の課題もあります。
その寿命が尽きたとき、あなたは消えてしまうのか。 消えてしまうのだったら、
何の為に生まれてきたのか。 どうせいつかは今のあなたの身体の寿命が来るのですよ。
それがあと、不慮の事故で3日なのか20年なのか。 これが50歳を寿命と考えたあなたの逆算です。
「何の為に生まれてきたのか」この部分の結論がちゃんと出ると光が見えますよ。
通常の光とは違います。だけどもこの世界でそれを伝えるには「光」という言葉がもっとも適切に感じれます。
これが小悟の一つです。次ぎに生まれる為の行程を考えます(物理的では無く)。
とにかく考え抜いてください。それが今までの思考のパターンから抜け出たところで理解する方法です。
>>300 その通り、物理的には考えないことにするものですよ。
それを越えた部分の話ではないですか?
物理で理解できるようなものではないし、いままでの感覚のままで理解できるものでもない。
それを思考し、そして瞑想をし、いままでの理解のディスタンスを越えたところで理解するものです。
>>301 けっこう自分で思考をちゃんとして理解しようとする方のようですね。何か感じられたようですね。
言葉では伝わりにくい物を理解するというより感じるという方向ができているようです。
急ぎ結論を出してもまたその思考はひっくり返ります。じっくりと何か見えかかったという意識のまま
そのハッキリ見えない物をだんだんと確信に近づくようにしていきます。
何転もして、バウムクーヘンのように形造っていくものです。回りながら感じた物を重ねて進むんですね。
結論を急ぐと思い込みが強く作用し、思考の転換ができなくなります。一方向に突き進んでしまいがち。
それが魔境と言われたりもするようです。
304 :
神も仏も名無しさん:2007/10/05(金) 03:31:50 ID:p4GmK8GJ
マジレスすると悟ったら言葉数は少なくなる。
言葉が増えるのは我が生じ始めた証拠。
分別し始めた証拠。
じゃない??
>>304 その通りです。文章にするときは我がでますね。
これで我を再認識し、瞑想で我を切り離し、回転させてバウムクーヘンを大きくさせていただいてます。
悟っている(そっちの感覚に切り替わっている)時は言葉では表現できない世界の見方になります。
これを個として他者に文章で伝えようとすると、我をもどさなければ文章にできません。
これを繰り返しています。 繰り返さずにあちらの感覚のままでいると世間ズレして世捨て人になりますから。
何か説明をしているときは偉くなったような錯覚に陥るのがありますね。
そこで無限との比較で、偉いなどというばからしい考え方を潰してから瞑想に入ります。
我をつくらないまま語ることもできると思うんだけどね。
事実を事実のように語るように。
雲は白い、みたいに。
でも事実でない領域に思考が踏み入るから我になるんじゃないだろうか。
思考の領域は思考せずただ観ればいいだけで、事実について語ればいいと思うんだけど。
何かが何であるのかを語るのは事実において。
もちろん雲が白いの白いも我の解釈なんだけど。
悟ると白いの意味も違うし、なぜ白いと観たのか自分の本性もわかるけど。
むずかしいですね。
285で、284さんの意見を支持させていただいた者です。
僕が283さんの意見を支持できなかった理由は、ヴォイドさんが言っているように時間の流れが概念であり我によって作り出された錯覚であるからです。
それなのに283さんは、我を取り去って残った矢印は過去から未来へ永遠に続いていると仰る。
我を取り去ってしまえば、我によって作り出された時間の流れの概念も消滅してしまうはずです。
そこに、大きな矛盾を感じました。
一方、未来と過去の端を摘み上げ繋ぎ合わせた○という象徴は、流れという概念を無意味化し今があるという状態を上手く表現していると感じました。
ただ、それ以降の話を聞いていると、284さんも悟りという次元から、時間の流れを肯定しているように感じられる部分があります。
284さんの、時間の流れに対する意見が、僕には上手く理解できません。
よろしければ、もう少し具体的に284さんの立場を説明していただけないでしょうか。
あと、283さんの一生懸命な真面目さには正直感心しています。
308 :
神も仏も名無しさん:2007/10/05(金) 11:11:21 ID:enH7+8g8
我がある時
ブルースリーの「ドラゴンへの道」だったと思います?が
少林寺に入門する時老師に強くなりたいという事で、お願いした時。
老師にコオロギの声が聞こえるか?と聞かれた。{我があるから}聞こえないと
答えた。
免許皆伝になって少林寺を去るときに、又同じ事を聞かれた
今度は「コオロギの声が聞こえます」前の人と話をしていても、足元も
後ろも、全てに、四方八方にも気を使うことが出来るようになること。
我を捨てる時は、達人になること、と言っても良いです。
それは前頭葉機能が抑制されている時に生じる一種の知覚過敏だ。
触覚を伝達する神経が視床下部付近で離断されて生じる視床痛に似ている。
俺はそれを悟りと言う事を、個人的にはしない。
釈迦の言われた八聖道って、欲を断つことだろう。
もっと知的に前頭葉機能を使って、己の未分化でその根源の不明な、
そして不明なまま正当化されがちなその欲望を制御する事にあると思う。
まことに手前勝手ですまんな、この手前勝手さがこれまた煩悩なんだろうがなw
310 :
神も仏も名無しさん:2007/10/05(金) 12:39:38 ID:p4GmK8GJ
例えば幻覚剤等で得られる知覚過敏は実は知覚過敏ではないと思うけどね。
あれは通常の知覚するという我が無くなったせいで外部に対して均一になったせいだとおも。
つまり普段は無意識のうちにも知覚しようという欲求のようなものが常に出てる。
しかし外部に対するそういう意識が無くなり、単に外部からの情報を眺めるのみになる。
すると、耳にする外部の音を選択することもなく、あらゆる音が勝手に耳に入ってくる。
普段は自分では聞いていると思ってても、単に聞きたい音しか聞いてないからね。
視覚も同じ。見たいものしか見てない。
欲望は制御するものではなく、消えさせる。
ちなみに欲望それ自体に完全に気付けば欲望は勝手に消える。
抑制するとか捉われないようにする必要も無い。
というのが体験から推察した悟りと知覚のシステムだけど、どうなんだろうな。
知覚自体も一種の幻覚だから違うんじゃないか?
欲望もまた知覚であり、抑圧は知覚の偏光板。
まあ、それが悟りというものならそうなのかもね。
知覚と幻覚は違うよ。
幻覚は「対象の無い知覚」と定義されてる。
つまり、夢の様に何の音も光も無い所に音と光を感じるのが幻覚。
対象があれば、幻覚ではないんだよ。
知覚と言えば、自我による内界の探索もまた知覚の一種とも言える。
そこいらは唯識が詳しいんじゃないかな。
313 :
神も仏も名無しさん:2007/10/05(金) 22:17:37 ID:p4GmK8GJ
311じゃないですが、知覚にもいろいろあると思うんですけどね。
ただ通常の知覚も脳内の勝手な判断が大きいという意味で幻覚だとは思いますけど。
無意識のうちに知覚したいものを選別してると思いますし。
ただ、自我が抜け落ちると、視覚も聴覚も認識も、ただ受身になると思うんですよね。
視覚は例えばただの受身のカメラになる。
見たいものを見るわけではなく、景色が向こうから入ってくるカンジ。
カメラマンのいないカメラ。
一般に言うところの知覚はもっと能動的だと思うんですよね。見ようとしてしまう。
だからある意味幻覚と変わらないかも。実際以上のものを見てしまうし。
314 :
神も仏も名無しさん:2007/10/05(金) 23:07:00 ID:173N9vMW
>>307 我をなくしても、血は流れる。
我をなくしても、太陽は登り沈む。
この世に生まれ、次に、大人になり、次に、子供を生み、次に、死んでいく。
「時間」という概念・言葉はなくても、流れはある。見たまんまのことです。
私は流れは感じたが、未来の先が過去へも繋がって○になっているところまでは見えなかった。
そして、その見ていない領域に入り、しかも、頭の中で未来の先を過去に繋げることはしていないだけのことです。
なので、
>>284さんが本当に未来の先が過去に繋がっているのを見たり感じたりしたのであれば、苦は生じないので、それでいい。
315 :
神も仏も名無しさん:2007/10/05(金) 23:27:36 ID:173N9vMW
>>302 ケーキが出てきて消えたり、ドーナツが出てきて消えたり・・・。
甘党ですか。
「何の為に生まれてきたのか」この部分の結論は24歳のころ、もう一人の自分にあってちゃんと出ています。
祝♪ パンチラ議員、ビリ当選おめでとう♪
丸川珠代(まるたま)さん(参院議員/元女子アナ)のパンチラ♪ ⇒
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/soc/1185796056/18 四番目の写真。テレビ番組で。
L_ |\,_ .,ィ゙ l/j, .j:r' ノj ,'.ド!
.j`゙゙'7'''''フ'ーr‐:ッ'/7::l゙ト-:<ノ.ノ
/::::::/::::/::::/::rシ/:::;'::l:::|:::::|゙'´!'、
,'::::::/::::/:::/:://:::::::::Lr‐y:::::|:::::l:::'、
./:::::/:::/:::/:://:::::;.ィ'" .ヽ、,|::::::l;::::'、
.,':::::/:::/:::/:/::∠,,,,,,_,...--‐'´゙>ァ:::::::l,
/:::::/::/::://:::/ ∞ / `'ヽ、,l'、
.,'::::/::/:::/;'_;;ハ、; ;/ ゙ト;l,
/::::/:/::::/;r' \ / |〈!
/l:::;':/:::::;イ `'ドr=/ |:::
不倫担当の小泉チルドレン佐藤ゆかりタン(46歳バツイチ衆院議員)のパンチラが無ーーーーーーーい!
>>307 時間も無限なのだけれども上から見ると(方向を指定するのもおかしいが)「○」であり
それを横から見ると「〜」であり、うねりがある。 うねりがあるからその振幅を時間の流れとして
認識できているような。 揺れない新幹線は速度(この場合時間)を感じにくく、揺れが大きい方が速度を
感じるというような。そのうねりがそんな役目をしているのかもしれません。
まだぼやけているけど、そのうねりが一周すると微妙にズレていて螺旋になっているような感じもします。
その螺旋をもっと大きく見ると、また一つの輪の状態になっているようで・・
物質の構成をどんどんミクロでみていったのを逆にして見ているような。
昨晩得た感覚では、私たちの存在は次元として物質と意識の2つの関わりと思っていたのが
まだ他の要素もあり、物質世界と意識(精神)世界ともう一つが少し明確になりました。
物質世界以外は感じにくいので意識(精神)の1つかと思っていたら別にもう一つ、
名前を付けるとすれば「霊界(幽霊とか、死んだら行くとか言われているのとはちょっと違う)」
または「幽界」とでもいうのか、一見、意識界(精神界)と同一視してしまっていたものがあるようです。
これらの関わりがバイオリズムの「身体(物質)」「感情(意識)」「知性(霊界または幽界)」に比例して揺らいで
いる感じ。 これを数日寝なかったり、数週間睡眠不足(1日3時間半睡眠)をしていると、身体と感情のバイオリズム
は非常に不安定な状態になり、いままでそれぞれでしっかりと描かれていたサインカーブが崩れます。
その不安定な状態を、睡眠不足でも崩れない「霊界または幽界」のサインカーブに同調するかのように
寄せると身体と心が、ある存在(霊界・幽界の要素)を認識できるような。
一つ上の次元から見ると、物質界と意識界はほぼ平行で2つの輪を半分重ねたような感じで、
もう一つの「霊界(幽界)」はそれに対し、30度ほどの角度のズレがあります。
だから、まだ見えていない他の世界もありそうです。 各チャクラに対比してるのかもしれません。
そうすると7つもあることになりますね。 まだまだだなぁ。
すみません。まだ私が浅いようでこんな説明しかできません。
318 :
神も仏も名無しさん:2007/10/06(土) 00:30:13 ID:YavZQAcH
今は、
>>316の丸川さんのパンチラを見て、見えていない領域に入り、頭の中で繋げてしまいます。
これは、もう一人の自分が健全な証です( ̄ω ̄)。
>>312 確かに知覚と幻覚は定義的には別物だ。
それこそ対象が物体として存在していればこそだがね。
どれだけ意識を強く持ったとしても、自分の知覚と幻覚の違いは全くわからない。
それが自我であったとしても、物体として存在している訳ではない以上例外じゃないんじゃないか?
まあ、自我というものがそれすら超えると言うなら話は別だが。
320 :
神も仏も名無しさん:2007/10/06(土) 02:53:49 ID:xZ1FPx8z
悟ると時間概念が変化する。というのは同意だが、
じゃ、毎日これまでどおり1日が過ぎていくことはどう説明するのか?
こうした精神的な話になるとどうもおおざっぱになっていけない。
時間を語るならどういう定義付けで語っているのかが重要だな。
>>316 小泉チルドレンの82名の国会議員、今度の総選挙では70名は淘汰される宿命にありそうだなw
>>314 >>317 ありがとうございました。
ますます分からなくなりました。ゆっくり考えてみます。
でも、とっても楽しいです。
>>320 時間概念の変化。時間に対する認識の変化って感じじゃないでしょうか。
物理的な時間が変化する訳じゃなく、「時間を観察する主体である我が悟りを経て変化することにより、客体である時間と主体との相対的な関係性が変化する」という感じです。
323 :
神も仏も名無しさん:2007/10/06(土) 10:37:41 ID:xZ1FPx8z
このスれおもしろい話も出てくるんだけど、言葉遊びになるきらいがあるんだよなぁ。
>物理的な時間が変化する訳じゃなく、「時間を観察する主体である我が悟りを経て変化することにより、客体である時間と主体との相対的な関係性が変化する」という感じです。
具体的にはどういうこと?
どういう状態からどういう状態に変化するの?
時間が流れているのは、普通の3次元現実世界です。一方通行の時間ですね。
悟りの境地で体感(といっても観のみですが)するのは、全ての時間全ての空間です。
注意を向けたところに飛び、その世界の概要を把握できます。特に注意を向けなければ
すべてが渾然一体となった幻影の霧です。まさに色即是空、空即是色、空想乙。
>>323 僕に具体的で解りやすい説明ができるとも思わないのですが、頑張ってみます。
過去から未来へ向かう時間の流れは、それを認識し観察する主体である我によって便宜上作られた幻想です。
ただ、この世の中に実在するもの、つまり客体からすれば、存在していたとか、存在するであろうなどという状態はあり得ません。
過去であろうが、現在であろうが、未来であろうが、常に今存在しています(今というのは、時間の長さの単位ではなく、存在しているという状態を強める意味で使ってます)。
そして、僕たちもまた実際に存在しています。しかし、我という幻想に囚われってしまって、観察する主体としてしか時間を捉えることができなせん。
もし、悟りを開き、我を捨てることができれば、僕たちは客体である自分、実在しているという状態である自分を体験することができるだろうと思っています。
その時、時間は、今しかない状態、今がどこまでも広がっている状態になると思います。
時間軸を無視しちゃってるという意味では、
>>324さんの考えととてもよく似ていると思います。
イメージとしては、本を今という釘で突き刺してしまったようなイメージです。
始まりから終わりへのページの重なりは時間の流れで、僕たちはそのページの一つにいます。
当然、他のページに移ることはできません。僕たちからすれば他のページは幻です。
しかし、その本に今存在しているという釘を突き刺せば、今あるという状態によって、すべてのページを一つに繋げることができます。
つまり、過去であろうが、未来であろうが、特定のページにいるだけですべてのページに今存在している状態になります。
とまあ、こんな感じです。すいません、頑張ったんですけど、よけいややこしくしてしまったような気がしてます。
時間については、実際は物質世界(目などの五感で感じれる世界)のを基準に私たちは生活しています。
波打って進んでいますが、物質的に時間を決めていますので全体がそのうねりに乗っている状態なので、
この世界ではそのうねりを知る(証明する)術はありません。
でも、この時間の流れと意識界では少しうねりが違い、両方を認識すると船酔いしそうなうねりがあります。
車の中で景色が見えないと速度を感じにくいように(過減速は感じられますが)、他外部の対比する対象が無いと
解らない状態なのは仕方のないことです。
地球が回っているのはいまやほとんどの人が知る常識。 ですけどもその上に乗っている私たちは、地球が
回っていると実感することはできないのです。 他の星との対比で動いているんじゃないかと知ることはできます。
しかし、動いていたんだと実感するには地球から離れ、外から地球を見ない限り理論だけの認識となって
しまいます。
時間の流れに関しても同じことが言えると思います。
327 :
神も仏も名無しさん:2007/10/08(月) 17:00:51 ID:eba4zun9
328 :
神も仏も名無しさん:2007/10/08(月) 17:25:24 ID:GUb4+HrY
327-へ
人間がそんな事出来ない気が狂ったのか?
じゃやってみろ?バーカ
329 :
神も仏も名無しさん:2007/10/08(月) 18:15:26 ID:GUb4+HrY
瞬間移動やっているビデオでも取ってここに貼り付けろ。
出来もしない事をいうな。
早く貼り付けろ。
330 :
神も仏も名無しさん:2007/10/08(月) 18:57:45 ID:E597UsD0
332 :
神も仏も名無しさん:2007/10/08(月) 21:45:36 ID:0xtEWJDo
すごーい。
じゃー大槻教授に見てもらおう
てゆうか、悟りを完全にばかにしとるな
335 :
神も仏も名無しさん:2007/10/08(月) 22:47:49 ID:Ifrl+Amq
この反応はどうなの?
悟りがわかった人の反応とはいささか違うかと。
336 :
神も仏も名無しさん:2007/10/08(月) 23:21:23 ID:eba4zun9
もうさ、悟りを「悟り」という言葉の概念でしか把握できてないんだよね。
言葉で説明できると思っている時点で何か違うよね。
それを説明する必要があると思っている時点で何か違うよね?
って誰かに突っ込んで欲しかったんだけどなあ。
しまった、悟っている人たちにはそのツッコミすら必要のないことだとわかっていたのか!
これはうっかり。
まあ、悟る途中で我がとれてきたら神秘現象はいろいろ起こることもあるけどねー。
でもそういうのを追求するのは単なる欲求だから、お釈迦さま自身、現れた能力を使うのは
単なる悟りの邪魔だとちゃんと言ってる。
仮に何かしらの能力が身についてもむやみに使わないのが悟った人だよ。
とついつい言ってしまうオレは悟りにはまだまだ(´Д`)
これはうっかり。
>>336 そんな事はないハズ。
説明する必要があったから、釈迦は初転法輪を選んだのだ。
そして説明する価値もあった訳だよ。
340 :
神も仏も名無しさん:2007/10/09(火) 02:38:17 ID:LAOQa1wU
ただしそれは本当に悟りの境地に至った人間だからできることでは。
ただしそれは悟りの境地に至るべく釈迦に教えを乞うた相手に対してだけではないのか。
そしてそれが本物の言葉であるならば相手を説得せずとも相手は納得するのではないか。
相手に対して最も効果的な方法で接するのではなかろうか。
教えを求める者には教えを、何も求めない者には沈黙を。
341 :
神も仏も名無しさん:2007/10/09(火) 09:04:07 ID:EjlkkhzA
悟りとはシンプルなもの。
悟りから遠ざかっているほど複雑だ。
それは言葉にも現れる。悟りを複雑に定義したがる。
342 :
神も仏も名無しさん:2007/10/09(火) 11:15:15 ID:+CZbM51s
悟っている状態はそれほど楽しいものではないので
ふつうは維持できない。
せいぜい何秒か息を止めていられるというような、そんな程度
汚れた生活、迷いのある人間らしい生活に戻るのが普通なのですね
343 :
神も仏も名無しさん:2007/10/09(火) 11:32:17 ID:+CZbM51s
悟りとは えるものではなく、「状態」を
意味する。だから無一物の状態になれば
即悟り。金も財産も地位も自分も何もかも捨てる
ふらふらと浮浪者のように生きて野垂れ死にすれば
完全な聖者そのもの 悟った人間になる。
余計なものを一つでも持てば絶対に悟れん。
この身、この心こそが最も余計な物だろう。
だが、それを捨て切れん。
この事実を知る事は悟りではないのか?
金玉が邪魔
無一物の状態になれば、ってのもこだわり、執着では?
金や財産や地位が無価値だってのも無価値にこだわる我だと思いますヨ。
無価値でも価値があってもかまわない。
金、財産、地位があってもなくてもかまわない、同じってのが無分別、悟りではないですか?
だから結果的に金持ちでも悟ってる人は悟ってるかと。
そこまでいくと悟りの状態、空の状態はけっこう続くと思いますよ。
無価値だから捨てるんじゃなくて、
当然大事なものにきまってるそれらを
あえて捨て去らなければ本物では状態のまま。
頭でわかる状態じゃなくて 息すってる様に普通に悟った状態にするには
自分で所有しているものは一切ない状態でないとね
というかいろいろ所有したままでさらに悟った状態でいようなんて
虫が良すぎるんだよね。あれば必ず煩わされるからね。
お釈迦様は妻子も万事思うがままの王族の身分を捨てたわけだし
あってもなくてもかまわないといいながら所有し続けるのは
自分をだまし続けてる卑しい人間じゃないですか。
それこそただ頭の中ではわかってるつもりというだけの偽者
それでまんぞくできるかどうかですわな。結局。
348 :
神も仏も名無しさん:2007/10/09(火) 17:10:26 ID:cAg/9sN6
>>341 シンプルなら、ハッキリわかるようにここにかいてみなみな。
349 :
神も仏も名無しさん:2007/10/09(火) 18:01:17 ID:eiw7uEWY
>>347 出家して悟るのは当たり前、俗世の中に戻ってなお悟った状態でいられるのが本当の悟り
という意見もありますよ。
一休は悟った後、肉を食らい、女を抱くようになりましたし。
お釈迦さまが苦行に意味がないと言ってるのも同じことを含んでると思うのですが。
仰ってることはわかりますが、自分をだますという意味ではなく、本当に全てが同じ価値に
なる境地というのがあります。
僕は長くて数日しか持ちませんでしたが。
その中では愛するものもゴミも金も自分も同じであり、価値があるともないとも言えず、ただ
同一です。
何かを捨てるという発想が起きるのは、何かと何かを比べて、どちらが上とか下とか自分の
中に価値が生じ、分別が起きてる状態だと思います。
大事なものを捨てなくても、大事だと思わなくなればいのではないでしょうか?
逆に大事なものを捨てても、またそれが戻ってきたときに心を乱されるようじゃ意味がなのでは
ないですか?
捨てるのは悟りに向かうには有効ですが、悟るには、最後に捨てたいという欲すら捨てないと
ただの自己抑制になってしまうと思います。
悟りとは抑制でもなんでもなく、ただの自由そのものだと思います。
350 :
神も仏も名無しさん:2007/10/09(火) 18:38:39 ID:xuhQaeAZ
富士の頂に至り、その景色を自らの心に刻みたいと思わないか?
「悟り」も同じだよ。
「美」は見る者の目に宿る ー 映画「氷の接吻」より
351 :
神も仏も名無しさん:2007/10/09(火) 19:56:14 ID:LAOQa1wU
>>349 >悟りとは抑制でもなんでもなく、ただの自由そのものだと思います。
そうですね。そうすると普段の我々というのは無意識にあらゆることを制限している
のかもしれません。長い時間をかけて体に覚えこませたあらゆる秩序、ルール、文化、
思考パターン、振る舞い、表現方法、etc.....
自我のない生まれたての赤ん坊が一番悟りに近いのかもしれませんw
人は時間をかけて自我という鎧を身につけ、今度はなんとかしてそれを脱ごうとする。
でもその鎧が重ければ重いほど、脱いだ時の幸福感を味わえるのかもしれない。
そのために生まれてきているのかもしれない。
352 :
神も仏も名無しさん:2007/10/09(火) 20:06:23 ID:J09QdFm4
悟りとは、自分の意識が自分の無意識の意識に出会う事、それが{自分の性}
を見性したという事。人間は一日何百回も自分の意識に戻ったり無意識の世界
に入ったりしている、自分の意識は自分一人と思っている、しかし本当はもう
一人の自分がいる。それは無意識の中に在る意識である。
悩みが深い時には誰でも矛盾を感じている時です。
矛盾と言う事は一人じゃ無いと言う事です、対立する意識が有ると言う事です。
自分の意識に対立するもう一つの意識が有ると言う事です。
それは、無意識の中の意識です、それに会うための生活が禅による生活です。
その意識の事を、真我、と呼ぶ人もいます、仏性とも神とも、又有りて有るもの
とも言います。有るものでもなくて、無いものでもなくてと言う人もいます。
生まれたわけじゃないから不生だ、生まれたわけじゃないから、不滅だ、不生不滅
だ、と言う人も居た。
353 :
神も仏も名無しさん:2007/10/09(火) 22:53:06 ID:btvFSHH3
ものすごーく、簡単な方法で見性できますよ。
小学性でもできると思う。
見性した人なら分かるよね。
死を覚悟し、退路を絶つことだ。
なんでもどうでもよくなるだけです。
経験や記憶や自分の一切にこだわらない。
でも簡単だけどむずかしい。
ここは書き込めるのか
煩悩多くして未だ悟り得ず
死して理解する者如何なる哉
359 :
神も仏も名無しさん:2007/10/12(金) 03:07:38 ID:/Gw7QKMw
海外行って、マリファナやドラッグを帰れる程度に吸って、脳がどんな効果を
持っているかもしるといい
クサなんてダメだよ、やるならせめてアシッドかキノコかサルビア
でもそんなものナシでシラフで同じ効果が得られる
361 :
神も仏も名無しさん:2007/10/12(金) 04:09:42 ID:k/TPI39h
変性意識状態
小恍惚感 うーむ
362 :
神も仏も名無しさん:2007/10/13(土) 06:19:12 ID:zPk//Wgz
「悟り」を知っている者に聞けばいいのに。あるいはそう言う者の話を分析すればいいのに、
何ではっきりわかってもいない勝手な自分の考えを言うのか、邪魔な気がする。
そりゃ悟ったやつがこんな場所に来るかどうかを考えればすぐにわかることだ。
364 :
神も仏も名無しさん:2007/10/16(火) 16:24:54 ID:bfW0oxyr
365 :
神も仏も名無しさん:2007/10/16(火) 18:33:57 ID:2fHNbhpo
>353 :神も仏も名無しさん:2007/10/09(火) 22:53:06 ID:btvFSHH3
>ものすごーく、簡単な方法で見性できますよ。
>小学性でもできると思う。
>見性した人なら分かるよね。
どうやんの??
見性してみたい・・・教えてください、
おながいします。
2ちゃんねるなんかやってて悟りなんて開けるはずないだろ。
367 :
神も仏も名無しさん:2007/10/16(火) 18:51:18 ID:7ctiILjV
悟りとはだね。変性意識とか意識状態とかそんなんとは関係ないしぃ。
「悟り」なんてもんはないしぃ。何々を悟る、のであってねぇ。
その何々という主語もないような奴に、悟る原因が無いわけよ。
わかったぁ?別に2ちゃんねるが悟るに対して、主語であっても、
ないよりは可能性は有るのぉ。ふぉっふぉっふぉっ
368 :
神も仏も名無しさん:2007/10/16(火) 18:55:18 ID:7ctiILjV
主語と目的語を間違えたのぉ・・・オッパピィ、ルンルん
お前は単なる統合失調症。
370 :
神も仏も名無しさん:2007/10/16(火) 19:03:32 ID:7ctiILjV
この、ばか。なにが処刑ライダーだよ。
371 :
神も仏も名無しさん:2007/10/16(火) 19:30:56 ID:GNfRmJ3l
372 :
神も仏も名無しさん:2007/10/16(火) 19:38:59 ID:7ctiILjV
説教してくださいな。
できれば、お題は「苦楽について」
373 :
神も仏も名無しさん:2007/10/16(火) 19:46:46 ID:GNfRmJ3l
「苦楽について」、なんて分からんよ。
374 :
神も仏も名無しさん:2007/10/16(火) 19:48:07 ID:7ctiILjV
じゃ、なんだったらわかるのですか?
375 :
神も仏も名無しさん:2007/10/16(火) 19:55:58 ID:GNfRmJ3l
「最初の一歩が、最後の一歩」だということだけだよ。
376 :
神も仏も名無しさん:2007/10/16(火) 20:06:10 ID:VbDrlT0n
苦楽はあるのじゃなくて自分がそう思ってるものですよ。
自分にとって苦でもそれを楽と思う人もいるし、その反対もしかり。
それを仏教では空(実体が無い)というわけです。
377 :
神も仏も名無しさん:2007/10/16(火) 20:12:33 ID:7ctiILjV
最後の一歩は最初の一歩にならないのか?
よくわからないけど。
378 :
神も仏も名無しさん:2007/10/16(火) 20:22:05 ID:7ctiILjV
ふーーん。空(実態が無い)か。
本来実体が無いものに、いいとか悪いとか苦であるとか楽であるとか分別(ものごとを分けて
考えてしまう視点)してしまうのが人間です。
しかしそれはあくまで後天的に得た自分勝手な価値観であり、本来この世は、そして自分は
空であるのだと心身ともに理解するのが悟りです。
380 :
神も仏も名無しさん:2007/10/16(火) 20:31:42 ID:7ctiILjV
猫や犬、さらにはゴリラ、チンパンジーにも悟りは見られるのかな?
人特有のものなの?
動物もまた悟ってるといえるかもしれませんが、彼らはそれ自体を認識できません。
悟りと悟りでないものを区別しませんから。
人間は悟りとか悟りでないという判断をするので、あれが悟りだ、これが悟りだ、と言うことが
できます。
しかし、悟った状態だと、そういう悟りと悟り以外のものとの分別もつけなくなりますし、動物
のようなものと言えるかもしれません。
悟ってしまうと、悟りも悟りでないものもなく、ただ全体という意識になります。
動物もそういうカンジなのかはわかりませんがww
382 :
神も仏も名無しさん:2007/10/16(火) 20:43:50 ID:7ctiILjV
人間は動物じゃないのかなぁ?むしろ鉱物にちかいのですか?
どうなんでしょうね。
しかし悟ると動物とか鉱物とかいう区別をしなくなります。
動物や鉱物自身もそうなんじゃないですかね。
小さい子供が動物とか鉱物とか区別がつかないようなものです。
子供は最初、動くものを動かないもので区別するらしいですね。
つまり電車は動くから人間と同じ、植物は動かないから石と同じ。
ただ動物が動物の社会で生きるように、人間も人間の社会で生きなければなりませんから、
おのずと人間のフリ?をするでしょうね。
人里はなれない限り。
動くものを動かないもの ×
動くものと動かないもの ○
385 :
神も仏も名無しさん:2007/10/16(火) 21:04:41 ID:7ctiILjV
え・・・悟った人は人間のふりをしていきているのですか?
386 :
神も仏も名無しさん:2007/10/16(火) 21:06:07 ID:7ctiILjV
だめだよ。まちがえてもそんなこといっちゃ!やっぱりだめです。
そんなこと言っては。
フリというかその場に合った暮らしです。
分別しないから与えられるものでいいのです。
人間の生活を与えられたら、人間として生きるのです。
でも本当は人間でも動物でも鉱物でもない、何かなのです。
388 :
神も仏も名無しさん:2007/10/16(火) 21:27:18 ID:BpUhrBw/
>おのずと人間のフリ?をするでしょうね。
これはどこのカルト教団で教わったの?
統一? アレフ? それとも 創価?
カルト教団ぽいですか?
どのあたりがでしょう?
カルトにありがちな教祖という観念を持ち出していませんが。
自分にとっては教祖もアダルトビデオも地球もゴミも真理も同じなのですが。
仏教、主に禅宗、それにクリシュナムルティは愛読してますよ。
390 :
神も仏も名無しさん:2007/10/16(火) 22:59:06 ID:BpUhrBw/
いや、こんな間違いはどこぞのカルト教団が教えてるんだろうなと気になっただけ。
悟りってのは、この世をクソ貯めだと気が付くことだ。
さあ、みんな、歌おう!
ああ、うじ虫のぉ世の、うじの世の♪
393 :
神も仏も名無しさん:2007/10/16(火) 23:21:44 ID:VbDrlT0n
>>390 よければ間違いでない悟りをお聞かせ願えませんか?
ちなみに
>おのずと人間のフリ?をするでしょうね。
というのは、なにか神秘的なものが人間の姿をとるというようなカルト的解釈などではなく、
無分別の言語化されえない元々何でもないものが人間というスタンスをとる(俗世で生きる)
くらいの意味ですよ。
394 :
神も仏も名無しさん:2007/10/16(火) 23:55:05 ID:BpUhrBw/
>>393 その前にすでに出したおれの質問にちゃんと答えてくれ。
その人間のふりってのはどなたのお考えを参考にしたものですかな?
395 :
さるり:2007/10/17(水) 00:05:58 ID:/nMcYOdK
小難しいこと考えないで、一日しっかり生きてりゃいいんだよ。
>>394 どなたのってことはないですよ。
自分の経験からです。
ただ、さきほど言ったように仏教やクリシュナムルティやろいろな本は読んでます。
般若心経はためになりました。
そういったことから学んで自分が出した答えです。
あと、フリって言葉は誤解を招きやすそうですのであまり捉われないでください。
>>394 あと自分は仏教が体験主義であるように、自分が体験したことをもとに話してますので、
特定の誰かの言葉を語ってるというわけではないです。
誰も何も信奉していません。
ためになったものはいろいろありますが。
>>381 おや、珍しい
> 動物もまた悟ってるといえるかもしれませんが、彼らはそれ自体を認識できません。
そうですよ
動物には、おそらく迷えるほどの心の機能は持っていないのです
> 悟ってしまうと、悟りも悟りでないものもなく、ただ全体という意識になります。
> 動物もそういうカンジなのかはわかりませんがww
おそらく同じでしょう
>>389 > 仏教、主に禅宗、それにクリシュナムルティは愛読してますよ。
ここを聞いてみたかったのです。
どうして今でも読む必要があるのです?
人間社会で適応するには、どうしても思い込みに付き合ってあげる必要があるのです。
例えば所有とは皆の思い込みで成り立っているのですが、
本来は誰も何も所有していないとしても、
所有していると認識を合わせねば、うまくは適応できませんよね
>>398 そうですね、最近は特に読んだりはしていません。
しかし、日常に生きていると新たな我が生じ、再び分別が始まってしまいます。
僕はまだまだ甘いようです。
そういうときにそれら本を読むと、あの無分別の世界に戻れるきっかけになるのです。
しかし、もちろん、それらは不必要であるとわかります。
悟りに関してはあらゆるものは不必要ですから。
きっかけにはなりますが。
悟られた方ですか?
日常においても再び我が生じることはなくなりましたか?
401 :
神も仏も名無しさん:2007/10/17(水) 05:43:44 ID:1iN23GE/
>>400 幾たびも「我」は生じるよ。
「我」を超える「空」を得ただけですよ。
この世が嫌になったんでもなけりゃ宗教なんていらねえよ。
403 :
神も仏も名無しさん:2007/10/17(水) 09:32:37 ID:drI7qzC4
>>401 そのとおりですな。
>>400さんは思い込みが激しい方だ。
人間のふりだの、所有してないだの、
自分の神秘体験に妄想の色付けをして酔っているらしい。
404 :
神も仏も名無しさん:2007/10/17(水) 10:47:08 ID:NoXWZO9T
>悟りとは、目の前にあるものを純粋に見ることである。
ちょっと表現が不十分かも知れない。
「自分の周囲の世界を純粋に感じること」 と言った方がいいだろう。
たとえて言えば、我々は、自分の周囲で起こっていることの99%は知覚していない。
寝床に就いた途端、そばに置いてある時計が秒針を刻む音が初めて聞こえ出す。
その秒針の音は、それまでずーっと聞こえていたはずにもかかわらずである。
その様に、我々にとって、世界が常に我々に提供している知覚刺激とそれによって認識できる世界の実態とに気が付かないことが起こり得る。
そして、その知覚刺激が、世界の最深奥の実相を知らしめる重要なものであるなら、
我々がそれに気が付かないことは、我々と世界との関わりにとって致命的になる。
しかし、そんな重要な刺激に我々が気が付かないことが有り得るだろうか?
この答えのヒントは、
我々が死を迎えて病床に横たわっている時に見出せるだろう。
405 :
神も仏も名無しさん:2007/10/17(水) 10:48:37 ID:NoXWZO9T
(
>>404の続き)
死期の近い人間は、もはやすべての知覚刺激に飽きて鈍感になっている。
食べることはもちろん、見ることも聞くことも、もはや彼の世界から失われつつある。
しかし、そういう事態になって、就寝時の時計の秒針のように、ますます彼に強く働きかける刺激がある。
それは、重力である。そしてその重力によってもたらされる床ズレの痛みである。
(床ズレがどれほど大きな刺激と苦痛をもたらすか、体が腐り穴があく程である)
もちろん、重力が我々の肉体に働きかける刺激は、健在な時にも当然存在するが、
我々はそれに気が付かないし、意識することもない。
しかも、それが、我々をこの世に存在たらしめる最重要な刺激であるにも関わらずである。
釈迦は、最後に菩提樹の下に座禅して悟ったと言う。
想像するに、彼は、世界のすべての刺激に意味を見出せなくなったあと、
その最後の刺激として座禅により、重力の存在を悟ったのではないか。
(重力と我々の存在の関わり方については、また述べてみたい)
406 :
神も仏も名無しさん:2007/10/17(水) 12:02:44 ID:hiGZkrob
>>401 我を超える空とは何なのですか?
空を得てなお我はどこから生じるのですか?
>>403 自分のは神秘体験なのですか?
妄想なら醒めたいのでどこがどうおかしいのかお願いします。
しかしそれはどうしてそうだとわかったのですか?
そういう体験がおありで、なおかつそれは違うと判断したからですか?
すみませんがよろしくお願いします。
>>406 彼はあなたと同じことを言ってると思うけど。
すべては空なりと悟っても我は生じる。
当たり前だ。肉体があるのだから。悟りに果てはなし。
輪廻から脱したときが大いなる悟りを得たといえるだろう。
確かめる方法は死ぬしかない。肉体を捨てて生死からの再生を脱しえるか
どうか。そのチャンスは死ぬときにある。
あなたもまた我があるから生きているわけだろう?
すべては心の現われだが、こうして人である限り生死を脱したとはいえぬ。
なぜなら生きている限り、食欲は沸くし、睡眠も望む。性欲だってある。
ただ空を悟れば、物事に執着しなくはなるね。ただそれだけ。
俺も空を悟ったが、楽しみたいという想いは消えない。ただ肉体がわずらわしく
はなるね。
>>408 それは空になっているのではなく、空の意味が言葉で(知識で)わかっている状態なのでは
ないですか?
肉体が肉体を存続させるのに必要なエネルギーは自分で思っているよりずっと小さなもの
だと思います。
個人的には食欲自体はわかないし(必要な気がするから食べるだけで食べたいとは思わない)
睡眠もすごく少なく、性欲に関してはまったく感じません。
女性の裸を見ようと何しようと。
それが僕の体験した状態です。悟りではなく神秘体験だと言われるかもしれませんが。
そこから考察したことは、食欲や睡眠欲、性欲が存在するのは、それが存在することが
普通だということにしたい、無意識の我、自己が存在するからです。
しかしそのことに気付けば、それはなくなります。
あと我が無くても生きていると思いますよ。
死にたいという欲が生まれないなら、今の状態に自分をまかせるだけです。
今生きているので生きるだけ、というのはへんですか?
生きていても、生死の概念を脱することで、生に対する我は無くなると思いますが。
409 :
神も仏も名無しさん:2007/10/17(水) 20:16:59 ID:7cR/cHM8
>>408 「学んで自分で出した答え」、間違っていますよ。
>>409 どういう意味ですか?
答えが間違っているということですか?
学び方が間違っているということですか?
411 :
神も仏も名無しさん:2007/10/17(水) 20:36:49 ID:drI7qzC4
他人の教えばかり学ぶことに偏りすぎると頭でっかちの言葉遊びになりやすい。
だから、体験を通して学ぶだけでよい。
と思うと独り善がりな考えにはまる。
>>411 それは僕に対するレスですか?
仮にそうだとしたらどのへんが独りよがりなのか教えていただければありがたいです。
あと、よければ
>>406で
>>403に尋ねていることに答えていただけないでしょうか?
>>412 独りよがりなのはあなただってこと。
空を悟るときには、人はみな、あなたが言っている状態になる。
食欲も無く、性欲も無く、眠ることさえない。
しかし、その状態が過ぎるとまた、戻ってくる。
我が生じ、意識が生じ、欲望が生じる。
それは肉体があるからそうなるのは仕方が無い。変化し続けているわけだから。
禅定すれば、無我の状態に持っていけるよ。俺は習熟してないがね。
それはお釈迦様が言っておられる。
ただし、瞑想から覚めればまた欲望が生じる。
なぜなら生きているから。
あなたが言ってることはみなよくわかってる。わかってない人もいるかもしれないが。
ここであなたは何を説きたいのだ?
禅定についておしえてくれよ。よくわかっているなら。
禅定には9段階ある。4段階目で、幽体離脱状態になる。そこまでいけますか?
いけないのなら、あなたから学ぶことはなにもないな。
そういうことはみなお釈迦様が仰って教えてくれているから。
>>411 そしてあなたが言うように、欲望を減じていくことで、輪廻から脱する
状態に限りなく近づくことはできる。
生きていながらまったく欲望が生じなくなれば、虹となって消えてしまう。
つまり、この世にはもう存在しなくなる。再び生まれ変わることも無い。
でもあなたは生きているわけだ。しかもここであなたの生き様を証明することは
できない。比叡山の千日回峰でもしたというなら信じるが、その証明ができるかね?
9日間、飲まず食わず、眠らず、それをみなに公開するなら、みなは君の言うことを
信じよう。どうかね?
415 :
神も仏も名無しさん:2007/10/17(水) 21:06:33 ID:drI7qzC4
>>412 体験を尊重するのもいいが、あなたが学んだ師の中であなたと同じことを言っている部分があればその本の引用でもしてくれ。
それなりに知られた師のね。
>>415 そういうこと。彼がいってることはみなお釈迦様がもうすでに
教えてくれている。諸行無常、12因縁、そして縁起。
さらに四聖諦でその苦から逃れる方法までも。
で、それがどうしたの?ってことなんだよね。もうすでにそんなことは
知っている。がむしゃらに言わなくてもね。
心の現われがすべてだということだ。でも欲望は生きている限り生じる。
それを減じていく方法を述べなければなにも価値は無い。
禅定もその一つである。でも禅定は難しい。道元はただただ座れといった。
空海は仏を心に抱けといった。
そのやり方は千差万別。薬物を使う方法もあるだろう。
禅定で幽体離脱までいける方法を聞きたいね。
やり方として。言えないだろうけど。知らないから。
彼は所詮こわっぱってことだよ。お釈迦様にはなれぬ。
>>413>>414 僕は別にあなたに何かを信じさせようとか学ばせようとか思ってないですよ。
別に僕から何も学ばなくていいですし。
特別何かを意図してるわけでも説きたいわけでもないですから。
それに誰かが他の誰かに何かを教えることなんてできないと思いますし。
僕はただ聞かれたことに答えたり、疑問に思ったことを聞いているだけですし、大悟された方
がいらっしゃれば、その方の話を聞いてみたいとかそれだけです。
あと、僕の考えが違うと思われる方がいらっしゃればその意見も聞いてみたいですし。
そういう意味ではお答えいただいて感謝しています。
考えてみます。
ちなみに僕の考えるお釈迦さま、仏教の内容はそちらとはかなり違うようですが、それに
ついて語ってもあまり意味ないと思いますので省略します。いいですか?
お釈迦さまが実際どういう気持ちで何を語ったのかは解釈が難しいですし。
お経はみな死後弟子が残したものですしね。
ちなみに南方仏教やクリシュナムルティは日常を完全に目醒めた状態で生きるのが本当の
瞑想で、座って三昧になるのは当たり前だと言っています。
僕が禅定(神秘体験?)に入るのも座ってではないですよ。
日常そのままがです。
元に戻るのは生きているからではなく、我が新たに生じるからだと思っていますが。
何かを学びたい方のようですね。がんばってください。
レスありがとうございました。
>>417 ではここであなたが語ることでもあるまい。
自分の修行に専念すればいい話だ。
なぜあなたは命を絶ってない?悟れば命を絶とうとするはずだ。
生きていることがわずらわしいからね。でもあなたも私も生きている。
それは欲であり、因縁だよ。あなたがここで偉そうに言える事でもあるまい。
なぜならあなたは何も教えることができないのだから。
だから反発を食う。なぜならあなたが悟ったと思っているようなことはみな
悟っているからだ。
>>418 >悟れば命を絶とうとするはずだ。
なぜ、命を絶つの?
>>415 手元に本がないですし、引用は手間がかかるのですみません。
時間をもらえればしますけど。
ちなみにクリシュナムルティはそういうことを言っていると思いますよ。
僕の解釈が誤っているのかもしれませんが。
彼のどの本も同じような内容ですのでよければ読んでみてください。
あと
>>416さんがおっしゃっているように僕が言ってることはお釈迦さまがもうすでに教えている
ってことでいいんじゃないですかね。
大乗仏教はなじめませんが、禅宗や小乗仏教、初期仏教はそんな感じだと思います。
これも僕の解釈が誤っているのかもしれませんが。
>>417 お釈迦様の初転法輪を解釈が違うとはこれいかに。
解釈を間違えようが無い。だからこそお釈迦様は説いたのだから。
もうよすわ。所詮、こわっぱの申す戯言か。まぁがんばんなさい。
422 :
さるり:2007/10/17(水) 21:37:08 ID:/nMcYOdK
無欲なんて、古い、ふ・る・い・!
そこからの脱却ですよこれからは
欲を持っても、やる気のある清浄な人間になりたいですなあ
>>418 生きていることはわずらわしいことではないですよ、僕は。
生もまた空ですから。
わずらわしいと思うのは単なる僕の我であって、そういう何かがあるわけではないですから。
修行に専念すればいいというのはその通りですね。
でもこうして話しているのも修行ですし、再び空になるきっかけになります。
ありがとうございます。
>>421 いえ、幽体離脱とかいう話に及んでいたので。
でもお釈迦様の解釈で仏教諸派に分かれたのでは?
もっともどの派の言うことも最終的には同じだと思いますが。
僕は特にがんばりませんがお話しありがとうございました。
>>422 だが、肉体があるかぎり、欲は生じる。
食欲があるからこの肉体を保っている。食欲が無ければ死ぬ。
だが、食欲をなくすのはとても大変な行だよ。睡眠欲しかり、性欲しかり。
それがあるから、争いは絶えない。
それらをなくす方法こそが悟りに至る方法だよ。
それらがあるかぎり清浄とはいえぬ。己だけなくすのも難しいのに、他人を
導くなどとてもとても。1日食をぬくことすら難しいというに。私のような凡人は。
食欲、睡眠欲、性欲なくそうとして、どうするの?
なくして、何がしたいの?
427 :
さるり:2007/10/17(水) 21:51:23 ID:/nMcYOdK
何の為に欲を無くすのか、考えるのも、
大事かも知れませんなあ
私は、大欲がほしいぃーなあ
欲があるとそれが手に入らないと苦しいじゃないですか。
苦しいのはイヤだからなくそうと思うんじゃないですかね。
そうだね、欲があるとそれが手に入らないと苦しいね。
でも、そもそも欲ってなくせるの?
430 :
さるり:2007/10/17(水) 22:02:58 ID:/nMcYOdK
欲が無くなって、自我が内側に溶けた後ですよ。
ひとりニンマリ山奥で座っているわけにもいかないではないですか
菩薩さんみたいに、ボランティアに生きるのもいいですけど、
私としては、生きてることを昇華したいんですね
>>429 何に欲を持つかは人それぞれですからね。
お金だって生きるのに必要なだけあればいいって人もいるし。
そう思うと自分が勝手に欲を出してるだけで、どうとでもなるのではないですか?
他人を見て、なんであんなものが欲しいんだろうと思うように、自分もなんでこれが欲しいん
だろうと客観的に見れればなくなると思いますよ。
自分でも昔すごく欲しかったのに、今となると不思議なものって多いじゃないですか。
>>430 純粋に生きてることを昇華すればボランティアもなんでも同じだと思いますよ。
一休という僧も悟って肉も食うしセックスもするようになったそうですし。
欲が欲以上でなくそのままならすばらしいんじゃないですかね。
そういうのはいわゆる欲とはまた違う気がします。
結局、欲があるってことかな?
自分もなんでこれが欲しいのだろう、
自分でもすごく欲しかった、
欲が起こると、それをなくす。これって、苦しくないですか?
欲を見つめて捕らわれずに自分を許す
>>443 欲を持ってる自分がばからしくなったりするじゃないですか。
そうなると欲を捨てるのは簡単だと思います。
そういう欲がある自分がもう嫌いなわけですから。
ただ、欲を捨てたいだけだと難しいですね。
捨てたいけど捨てたくないから。
ダイエットと同じだと思います。
太ってる自分がほんとに100%イヤになれば誰でも何が何でも痩せるはずです。。
でも太っててもいいかなとか、太ってる自分をまあいいやと思ってるとなかなか痩せないです
よね。
それに欲って感情面が大きいから、不安定かも。
うどんが食いたいって歩き回っててもうなぎの匂いがしたらうなぎが食いたいに変わるじゃ
ないですか。
自分じゃ大きなことのように思ってても、しょせんその程度かも。
436 :
さるり:2007/10/17(水) 22:34:19 ID:/nMcYOdK
SEXだって、素晴らしいですよ、美があります。
エネルギーの高まりの中、無もあれば、慈悲もある
彼女の身体や行為に、海を感じ、地球を感じ、宇宙の神聖を感じます
旨いものも、歓喜という素晴らしいエネルギーに
満ちていると思うんだな
>>435 >太ってる自分がほんとに100%イヤになれば誰でも何が何でも痩せるはずです。。
裏返せば、痩せたいっていう欲ですか?
自分がほんとに100%イヤっと苦しむよりも、痩せたいっていう欲に従って、痩せようとする。何の苦もない。素晴らしい欲ではないですか?
>>400 悟るのは、一時ですよ
それが数秒だったり、数時間だったり、いろいろですね
何かの思いが湧き始めてショックがあり戻る時も有りますし
自然に戻る場合も有ります
どうして戻ってしまうのだろうと不思議に思って
同様のことが書かれていないか本を探したものです
どこかで読んだものに数ヶ月てのもありましたね
でも、探しても原因は良くわかりませんでした
でも良く観察するとあることに気づいたのです
それは、貯まったエネルギー分だけ、放出されているというか
溜まった思いと同じ分だけ一気に解放されている
そんな感じです
それが永続するかどうかはわかりません
でも永続するとしたら、一気に感じる巨大なものではなく、もっと静かなものでしょうねきっと
>>437 そのあたりがむずかしいとこですよね。
よくいう悟りたいって思ってるうちは悟れないって話で。
悟りたいってのも欲ですからね。
無欲になりたいってのも欲だし。
でも原点(自分そのもの)があって、それプラスαが欲なら、原点に戻るのは欲とは違う
んじゃないですかね。
原点に戻りたい、ってのは欲ですが。
むずかしいけど、戻りたい、じゃなくて、戻る。ただ単に。
欲という言葉にもいろんな欲が含まれてますが、そういういろいろ違いがあるんじゃない
ですかね。
だから悟るのも、悟りたい悟りたいと思ってて、その欲が落ちたときようやく悟るとか言います
よね。
あと100%イヤって言ったけど、言い方わるかったようで、それよりは興味ないってカンジ
ですかね。
へんな言い方だけど、太ってることに興味ない。
太るようなことに興味ない。
執着しないとか、肯定しないでもいいんですけど。
それだといいんじゃないですかね。
欲を捨てたいと思っていても、具体的にダイエットで考えると欲が生じている。
なんででしょうかね。おもしろいですね。
でも我が生じるとはどういうことなんでしょう
実際には我が生まれるわけではなく
実体のない機能性のはずなんですけど
面白いものです
>>440 >太るようなことに興味がない。
近づきましたね。
もっと、簡単にいうと、
太るようなことはしない、
っでいいんですよ。
これだと欲がないでしょ?
444 :
さるり:2007/10/17(水) 23:13:53 ID:/nMcYOdK
自我は、個人が本当に所有しているものなんでしょうかね?
どっかに、掛かっている上着を借りて着ているものだったりね、
ごめん、何言ってるか解かりにくいな
うーんどうなんだろう
太っていてもいい
太っていなくてもいい
そんなの気にしない
もありかも
>>438 ありがとうございます。
たしかにそういう部分があるかもしれません。
僕も一番長かったときで数日ですね。
僕が思うのは座禅や瞑想で自我がおさまってくると、抑圧してた奥の自我、欲が出てこようと
するんですね。
しかし自分という境界があるから外に出ない。
しかし、自分というものがあるきっかけなどでわかり、完全に理解できたことで自分と外界の
境界が無くなると、それが出る、あるいは開放、解消される。
それが仰られている貯まったエネルギーかもですが。
そして自分はただのカラッポになる。
すると自分と自分以外の境界がないうちは、摩擦もないし、感情も欲もわかない。
しかし、肉体があるせいか、自分と自分以外のものの違いで微細な摩擦が起き、それが
感情を生み、我、自己となり、自分という境界が生まれ、その状態は終わる。
そんな感じですね。
ここにそういう?話が載ってましたよ、いろいろ。よければ。
http://www.geocities.co.jp/NatureLand/1702/case/index-c.html
おいおい、
太っていてもいいはないだろ。
今、痩せたいことを考えているんだから。
考えてみなよ。
痩せたいってのは欲。
そんな欲張らずに、太らないことはしない。
太らないことはしないんだよ。
結果、どうなるの?
自我が落ちると可笑しいことが起こるんですよ
あれれ、俺どこいったの?今ここに居たのに?
実際には落ちたのでなく、最初から居なかったのです
>>445 あ、そういうことだと思いますよ。
誤解を生みそうで言わなかったんですが、何でもいい、何でもアリだと思います。
何でもアリだから何でもするというのではなく、ほんとに何でもアリなら不必要なことは
しませんよね。
どうでもいい、選ばない、それは無分別、空だと思います。
>>444 自我は本来の自分(空)が着た上着だと思いますよ。
社会性を持ち生きるために着てしまった上着。
経験や記憶や価値観でつくってしまった上着。
それをもう一度脱いでみようというのが悟りの道なんでしょうかね。
気にしないなら、いいか。
でも、太っても知らないよ。
>>448 そうですね、めちゃくちゃどこまでも無限にクリヤーですよね。
そうなって初めて、ふだん気付かずにどれだけ何かを持っていたかわかりますよね。
ホントは何も無かったんですよね。
>>452 人間てのは、失って初めてあったことに気づくようです
持っていると思っていたものは実は思い込みで
元々何も持っていなかったのだと
念を(心の)世界に投影してそれを見ていたんですね
念を通して見なければ、赤は赤く緑は青く、とても綺麗です
455 :
神も仏も名無しさん:2007/10/18(木) 09:59:57 ID:59pfBobN
>>452 間違っていますね。逆です。
私はすべてを持っていたことに気付きます。
(´゚A゚)
このスレで他人を否定してるのってなんだろうな
全てがないも全てもってるもおなじだろうに
犬ちくしょうに仏性ありやなきや 無し!
犬ちくしょうに仏性ありやなきや 有り!
あるもないも無いし、あるもないも有るよ
458 :
佐藤りか:2007/10/18(木) 18:17:49 ID:tbqWP0Ui
なんと私は未来さえ、持っていたのです。
459 :
神も仏も名無しさん:2007/10/18(木) 18:46:42 ID:59pfBobN
時は同時進行、大きな流れ神様かと思います。
昨日2チャンネルしたら機嫌が悪くなった
そのサイトおもしろいですね
ちなみにエックハルト・トールの本は私も持ってます
464 :
神も仏も名無しさん:2007/10/21(日) 11:57:26 ID:PMtjkMuZ
真実とインチキごちゃ混ぜのヨーガ根本経典の解説では
真我は生物の数だけありと書いてあったのですが
それじゃ真我1 真我2 真我3 となりおかしいと思う。
真我は全世界に一つしかないと思うのですがどうなんで
しょうか。
465 :
神も仏も名無しさん:2007/10/21(日) 18:51:30 ID:sVExAPZO
「真我」、イカサマ言葉だから惑わされるな。
466 :
濱田沙織:2007/10/21(日) 18:54:48 ID:6/I2MyPP
真に我が強いという意味ですよ。だから、惑わされませんよ
467 :
神も仏も名無しさん:2007/10/21(日) 19:56:32 ID:PMtjkMuZ
なあんだそんな事か 有難う。
468 :
神も仏も名無しさん:2007/10/21(日) 21:30:38 ID:yx/giZW+
真我(無我)はひとつだけど、肉体がちがうからその個性はでるよ。
桜も梅も我(無我)の点では同じだけど咲く時期も匂いも当然違うようなもの。
469 :
ビンセント・スキノイゾ:2007/10/21(日) 22:06:38 ID:tsqGb9Os
真我とは虫の蛾とは少し違う。
何故なら、体のつくりがちがうからだ!!
しかし、蛾だって、一匹一匹模様が違う。
人は人に逢いて、世間を知る。世界を知る。
ゲンジツを知る。
人は花に逢いて、酔い、酒に逢いては、酔う。
山にあいて海にあいて酔う。
文字やストーリーにおいて、酔いは深くなる。
集中力とはすなわち酔うことである。文化である。
シンガとはビックミーのことであっても、うみの藻屑ときえることはできても
海のモズクはたべれなあい。
このろくでもないすばらしき自己満の世界
471 :
神も仏も名無しさん:2007/10/21(日) 22:40:12 ID:tsqGb9Os
このろくでもなきすばらしきキッコーマンの世界
>>468 など良い返答だと思います。
真我はアートマンの日本語訳ですが、語訳が誤解を生みやすいのではないかと思います。
言葉から連想すると、真の我(われ)になり、意味が異なっているように見えます。
無我と訳したほうがいいかもしれません。
アートマンは数を数える対象ではないので1つとも複数とも認識できませんせん。
しかしながら、アートマンは唯一の実在であり、存在であると言えます。
>>463 エックハルト・トール探して見てみました。
> トールは、この体験後、「なにものにもゆらぐことのない、深い平和と幸福に包まれた日々を送った」といいます。
> 5ヵ月後、至福感はやわらいだような気がするが、それはたんに 至福感に慣れただけなのかも知れないとも言っています。
Eトールもまた戻ったようです。
> トール自身は「十字架の道」によって覚醒を得ましたが、現代は必ずしもそれ だけが唯一の道ではないと主張しているところが印象的です。
トールのように消えてしまいたいことはなかったが、「十字架の道」表現してあるが、耐え難い「地獄の門」であったことは確かです。
この門をくぐること無しに本当に可能なのでしょうか?とても疑問です。
喩え悟ったとしても、そのまま誰にも伝えずに過ごす人もいれば、
大勢に伝える人もいます。
釈迦も前者だったそうですが、後に後者に変えたそうです。
私が思うに圧倒的に前者が多いと思います。
なぜなら、あのような地獄の門を誰に勧められるでしょう?
その後に至福や真実が待っているとしても、それを勧める気にはなれないでしょう。
そのように思うのです。
しかし、もしも勧めるとしたら、既にその門への扉をくぐろうとしている人だけです。
Eトールのような、「たえまのない不安やあせりに苦しみ」のあるどうしようもない人だけです。
見えることはとても苦しい。
478 :
神も仏も名無しさん:2007/10/22(月) 07:43:23 ID:UdaOILz4
>>473 有難う 無我がいいですね。 それと輪廻転生では時空の
空間は超越出来たが、時間は継続して流れているのはおかしいと
思うのですがそれの説明なら真我便利だからかと。
無我なら全てを超越していると思う。
私の見る世界は無我の見つめ合いですか。うまく言えない
のですが。
479 :
神も仏も名無しさん:2007/10/22(月) 07:44:21 ID:yIQYplXD
へっ
480 :
神も仏も名無しさん:2007/10/22(月) 09:42:51 ID:WtQYvCQg
>>473 間違っていますね。
>真我はアートマンの日本語訳ですが、語訳が誤解を生みやすいのではないかと思います。
>言葉から連想すると、真の我(われ)になり、意味が異なっているように見えます。
あなたは我という言葉にレッテル貼りをしている。
そしてその言葉にこだわっている。
自己満の世界!
>>480 473ではないですが、あなたもこだわるということにこだわっているのではないですか?
正解と不正解(間違っている)を分けているのは誰ですか?
それともあなたはこだわらずにこだわるという天真爛漫の境地を体得されている方ですか?
483 :
神も仏も名無しさん:2007/10/22(月) 12:59:42 ID:Ju1AWvIF
ここに悟った人は居るのかい ?
484 :
神も仏も名無しさん:2007/10/22(月) 16:25:17 ID:Sneh13oM
悟りがどんなものかは分っている。
手の届かないもの
487 :
神も仏も名無しさん:2007/10/22(月) 19:30:55 ID:POL8Yubw
>>485 自分で調べたら! 上のレスにもあるからさ。
思考を入れずにありのままに見る。そして感じる。そして、悟りから続きの話は続くんだけど、
それは、結局は自分で求めることによって価値がある。
この世に生まれたからには何らか
向上せねば、また浄化及び昇華するステップであるから、
恨みの思いより慈愛の思いを得たい。
これは「悟り」に近づく方法ではありませんか?
489 :
487:2007/10/23(火) 12:48:10 ID:ZXby8zro
悟りは悟りできちんとそういう意識の状態がある。その状態の意味は深い。それは真実と、
現実が幻想ということについて。
バカじゃなのおまいら
上のレスは悟りとは全く接点のないレスばかり!
何様だろか
何処からかもらって来たお話だけじゃないか
ここは普通の人間ばかりだ!
メロンが大好き
492 :
アリス:2007/10/23(火) 19:42:26 ID:0waMs1Ya
汝 ヤハウェに依り頼め、己れの悟りに因ることなかれ
旧約聖書の言葉より
>>490 悟りがどういうものか教えてください><
>>493 なぜ教えてほしいんだ?
あんたも、いろんなお話しを読んだだろうに
それで充分だろう!
あぐら組んで、座蒲団の上でバタバタして、空を飛んだ気になった後、
都内でなんかまいて、死刑になるメロン好き
496 :
神も仏も名無しさん:2007/10/24(水) 05:06:11 ID:d09c1bY1
>>490 上のレスって上の全部を言っていると思っているなら、お前がバカだ。
ふつうの人間でないのもいるだろ? 言っても無駄な奴か?
498 :
神も仏も名無しさん:2007/10/24(水) 16:15:50 ID:MiBrpEn+
>>497 私は
>>484で、分っていると言ったんだがねえ。 調べる気がねえだろ? 知りたいとも思わないよな、そんなレスしているんだから?
あとは放置
500 :
神も仏も名無しさん:2007/10/24(水) 16:43:33 ID:xFPLW0ed
しょーがねえなあ。
>>489でどういう状態をいうのか、もう分った。そういう信頼できる情報は
あちこちで、また本でも読んだし毎日試している最中だ。
自分で探し求めていかないと意味ないぞ。
このスレはエンターテイメントなのかい?
それともマジレスするの?
はたまた両方かな?
ちなみに悟り最優先です!(私の人生は)
502 :
神も仏も名無しさん:2007/10/24(水) 19:07:07 ID:jyxtiqYx
アホでいたかったら低レベルのレスしていればいいだろ?
私は自分を高めるために常にマジレスだ。期限があるからな
>>502 低レベルのレスに途轍もない意味があるんだが!
504 :
神も仏も名無しさん:2007/10/24(水) 19:50:53 ID:jOz/E79V
カルキ・バカヴァンの話のレスを早く読め! これは私が持って来たものだ。
悟りを知っていたらそんなレスは絶対しない。まじめにやれ
>>496 ふつうの人間でないものとか、悟ったレスってのはどれのこと?
なんだかここは
同じ人がIDをかえてレスってるな!
一向に返事が返ってこないし!
508 :
神も仏も名無しさん:2007/10/24(水) 21:07:40 ID:fFCt2MCD
もしかして、ここに悟を開いたものが居るのかと想像していました!
でもここには至ってふつうの人間ばかりでした。
カルト・バカヴァンもメロンが大好き
510 :
神も仏も名無しさん:2007/10/24(水) 21:45:23 ID:fFCt2MCD
511 :
神も仏も名無しさん:2007/10/24(水) 22:27:11 ID:AncET+74
見性したぐらいならいっぱいいるんじゃない?
上のカキコ見れば
でも自演してるひといるみたいだね
512 :
神も仏も名無しさん:2007/10/25(木) 09:30:57 ID:ivfoFQg1
感情が無くなる、とか、思考が無くなる、とか、真我という言葉は間違い。とか言ってた勘違いさんはもう消えたのかな?
一生懸命なところはかうが、プロの翻訳家よりも自分のほうが言葉を知っていると宣言してしまったのは痛い。
513 :
498:2007/10/25(木) 09:47:29 ID:veZw3zoX
>>507 だから放置って言っただろ。 しょーもない奴だから見切りをつけたって訳だ。
>>512 あなたも悟られた方なのですか?
あなたにとって悟りとはどんな感じなのですか?
>>513 悟りがどんなものかは分かっている、と書かれた方ですよね
分かっているだけじゃなく実際悟られた方ですか?
ちなみにしょーもないとか見切りとか、悟りがどんなものか分かった人でもそういうこと思う
のですか?
それともあえてわざと言っているのですか?
515 :
神も仏も名無しさん:2007/10/25(木) 12:18:37 ID:ivfoFQg1
>>514 ご本人のようですな。
悟りがどんなものって...それをここで短文で説明して、それを読んだ人がすぐ納得できるなら私は世界中の誰もできなかったことをやった人物ということになる。
漠然とした質問だと思うのだが。
516 :
513:2007/10/25(木) 13:08:57 ID:OoylTawi
>>514 >>500で、毎日試しているって言ってるだろ? 何できちんとレスを読まないのかな?
だから、その反応として、しょーもないって出てしまうんだろ?
517 :
神も仏も名無しさん:2007/10/25(木) 13:09:16 ID:gkb7EXVB
ご本人?
感情が無くなる、思考が無くなるは言ったことありますけど、真我という言葉が間違いや、
プロの翻訳家よりも自分のほうが言葉を知っていると宣言したことはないですよ。
違う人かと思います。
悟りの内容を短文で説明できるとも、それを読んだ人がすぐ納得できるとも思いませんが、
ただあなたが何故他人のことを勘違いとか痛いとか書きたくなったのかをお聞きしたかった
のです。
またそのように書くなら、説明とまではいかなくても、なにか悟りを理解するのに役立つお話
、ヒントでも聞けるのではと思いました。
それなら答えていただけますか?
>>516 そうですね、わかりました。
ありがとうございました。
519 :
リトル・ブッダ:2007/10/25(木) 13:46:12 ID:gkZhqTBW
520 :
落武者:2007/10/25(木) 17:51:21 ID:5HnPoHyW
「愛」と「空」は別の境地だろうか?
意見を求む
521 :
神も仏も名無しさん:2007/10/25(木) 18:14:57 ID:gNQbA2tQ
私たったいま悟りをひらいたよ!!
522 :
神も仏も名無しさん:2007/10/25(木) 18:27:52 ID:pl/zZvno
もぐらたたきのようにいかないのが残念だ
523 :
神も仏も名無しさん:2007/10/25(木) 18:43:09 ID:gNQbA2tQ
愛は心にあります
空はみあげればよいのです
524 :
神も仏も名無しさん:2007/10/25(木) 18:47:20 ID:fcn7sjQ6
>>520 自分もそのことには関心あります。
愛の境地は全てのものはただ悟りに向かっているのだという慈愛の境地で、空の境地は
一切のものが無いという境地のように思います。
どちらも全てのものに差はない、違いはない、同じであるという意味で同一なのですが
何か違うように思いました。
その差が自分に残っている自我の視点の差なのか何なのかわかりませんし、いまだ答えは
見つかっていません。
しかし、その違いを語ってるひとたちもいますよね。
どうなのでしょう。
526 :
神も仏も名無しさん:2007/10/25(木) 19:00:10 ID:fcn7sjQ6
527 :
神も仏も名無しさん:2007/10/25(木) 19:03:43 ID:gNQbA2tQ
読み方がソラではなくカラだという事を悟りました。
528 :
神も仏も名無しさん:2007/10/25(木) 19:10:58 ID:fcn7sjQ6
わても悟ったでー
530 :
神も仏も名無しさん:2007/10/25(木) 19:18:08 ID:fcn7sjQ6
531 :
神も仏も名無しさん:2007/10/25(木) 19:22:18 ID:gNQbA2tQ
愛と空は別の境地のものです。
まずあなたが親御さんに抱くものは空ではありません、愛です。そしてジュースを飲み干してしまったコップは愛ではありません、空です。
初歩的ではありますが日々考え、精進する事により見えてくると思います。
私は迷える子羊の味方です。
533 :
神も仏も名無しさん:2007/10/25(木) 19:37:54 ID:gNQbA2tQ
悟りをひらけばよいのです。
534 :
神も仏も名無しさん:2007/10/25(木) 19:39:06 ID:fcn7sjQ6
>>531 結局のところ愛、空のどちらにも肯定的なのですか?
別の境地とのことですが、段階的なものですか?それともまるで別個のものなのですか?
そうした違う境地が存在するのは何故だと思われますか??
自分も悩むところなのでよければお願いいたします。
536 :
神も仏も名無しさん:2007/10/25(木) 20:18:56 ID:gNQbA2tQ
目に見えるありとあらゆるものが存在するのです。追求した果てに得るものが悟りではないのです。ソースはソースです。コロッケにかけたらコロッケなんです。食べたコロッケで貴方は恋人に会いに行きます。
これはコロッケの法則と言われています。
537 :
神も仏も名無しさん:2007/10/25(木) 20:45:58 ID:gkb7EXVB
でも僕はコロッケなんでソースをかけることもコロッケを食べることもないわけですよ。
人間でなくコロッケにひと言お願いします。
コロッケ君、ミンチカツに負けるな。
>>525 > その差が自分に残っている自我の視点の差なのか何なのかわかりませんし、いまだ答えは
> 見つかっていません。
愛と空は別のものではないです。
自我の視点の差によるものです。
540 :
神も仏も名無しさん:2007/10/25(木) 23:59:44 ID:AothoEOI
愛とは宇宙余すところなく偏在しているものだ。
空は無と捉えられているなら、それは人の思考を停止した状態だ。
神は愛そのものだが、これをそのまま受け入れるには心は思考することを止めて、
ありのままを見ることだ。目の前のありのままの与えられた自然、出来事を感じ取り、すばらしさ
から来る感情を経験するのだ。
いわゆる、これが悟りなのだ。
,.-‐───-、、,
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/ ; .; .:.:; .; .; .;: ;;:::ヾ
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j、、、,, 、,,、zニニ'''ー-,、 _,,, ィ⌒ヽ
r'⌒ヾー.イYニ、ヽ、,,、、z=='''"´ .:;;< 7 〉 明日死ぬかのように生きろ。
{{`=ン}='リr゙ー'-`i|"´ .:.:.:.::::j_ソ/ /
>‐ イ ヾ_,,ノ .:.:.:::::.:.:ーイソ 永劫永らえるかのように学べ。
i il ,,,.;;:;;:.: .、 .:.:.:::::::::/^Y´
\ゞ=''iiiii!!!!!:; ;:`ヾ .:.:.:.:./ .:.:::! ガンジー
V>---‐ ''"⌒ヾ!.:.:.:./ .:.:.:.:.:.| ̄`¨`ー-
゙,`二ニニ´ /.::/ .:.:.:.:.:.:.:./\
ハ ノ/ .:.:.:.:.:::::::/ \
/ >---‐''"´ .:.:.:.:.:::::::::::/ \
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>>539 ありがとございます。僕もそうだろうと思っています。
愛は例えばかわいそうだなぁと思って、自然に滅んでいくようなものも助けてしまいますよ。
わたしもたった今さとに帰りました。ああ極楽極楽。
545 :
神も仏も名無しさん:2007/10/26(金) 06:51:16 ID:cUWkRcxI
このスレにもあわれなのがいるけどあたたかくみまもってあげない
546 :
神も仏も名無しさん:2007/10/26(金) 07:41:20 ID:50dLHdO4
お腹が空になりましたので何か食べます。
547 :
悟り中:2007/10/26(金) 08:16:42 ID:VelG+GY6
__( "''''''::::. 〜@ 〜@ 〜@
--;;;; ______,,,,,,---'''''''"""" ヽ ゛゛:ヽ. 〜@ 〜@
::::::::"""" ・ . \::. 丿
::::::: ..........::::::::::::彡''ヘ::::....ノ
::::::::::;;;;;,,---""" ̄ ^``
/  ̄ ̄ \ ザーメン ぴゅっ!ぴゅっ!ぴゅっ!
/:::::::: : ヽ |::::: しこしこしこしこリアルシコシコ中 :: ヘ
ヽ:::::: :::.. ノ
\::::::: /\:::;;;;;;__ ノ
オナニーの最中はおそらく空になってると思われる。
何も考えない、己さえ忘れ去っているからね。
もし自意識過剰ならオナニーはできない。過去も未来もなく大切な今に集中している悟りそのもの
ズバっと答えを書いたら、
「空気読め!」とフルボッコにされるのでしょうか。
550 :
神も仏も名無しさん:2007/10/26(金) 12:41:36 ID:7PV6JUIL
そんなことないんじゃない?
551 :
神も仏も名無しさん:2007/10/26(金) 15:01:32 ID:5m5KM+h0
愛と空の境地を探し、答を求める事が悟りではないのです。全く悟っていない方が答えていらっしゃいます。愛と空は別の境地ですが、起点と終点は同じなのです。別か同じかで考える事は悟りをひらけていないという事になるのです。
552 :
神も仏も名無しさん:2007/10/26(金) 15:06:38 ID:VpW1xZ6E
553 :
神も仏も名無しさん:2007/10/26(金) 15:19:15 ID:Vr4EVzcb
>>551 起点と終点が同じなのに別の境地となるのは何ゆえそうなるのですか?
554 :
神も仏も名無しさん:2007/10/26(金) 16:19:51 ID:5m5KM+h0
思想の境地とは決して最終地点ではないのです。統一された最終地点に達する事が境地ではありません。そこに達する事もできません。一人の人間で例にします。誕生を起 死を終 その人の愛と空の境地は別のものとなります。
555 :
N:2007/10/26(金) 16:53:52 ID:rwIODbTY
悟りってなんだい?大きな勘違いでしかないだろ。
556 :
神も仏も名無しさん:2007/10/26(金) 16:56:54 ID:Vr4EVzcb
ありがとうございます。
>統一された最終地点に達する事が境地ではありません。そこに達する事もできません。
統一された最終地点は存在しないということですか? それとも存在はするが達することは
できないということですか? あるいは存在するがそこを目指すなということですか?
そういった別の境地が生まれる原因がいまひとつわからないのですが?
人間だから(我、思考があるから)ということですか?
558 :
神も仏も名無しさん:2007/10/26(金) 17:33:02 ID:5m5KM+h0
最終地点に到達する為に即身仏(死)になります。一般には衆生救済の為ですが、境地に達した言われる人間がこのような行動を行う意味は深いです。
終点と同時に最終地点に達する事ができるかもしれません。
最終地点に達する事ができていない状態では境地は別と考えられています。
559 :
神も仏も名無しさん:2007/10/26(金) 17:58:11 ID:XgcSUCtb
>>558 自分バカなので、その即身仏の行為が、他の人たちに何をもたらすのかを、
もっと詳しく書いていただけるとありがたい。
ただやりたいことやって死んだんだなくらいで、どんなありがたみがあるのか
その行為では凡人の私に伝わってこないんです。
自殺者と同じではないのですか?
境地って本当にそれが境地なのですか?
教えてください。
560 :
神も仏も名無しさん:2007/10/26(金) 18:40:39 ID:5D0r4BWW
>>556 「統一された最終地点」は存在するよ。
その存在まで達することも出来る。
釈迦と不肖私も。
>>560 私もそう思います。
言葉にすると矛盾するので書きませんが。
562 :
神も仏も名無しさん:2007/10/26(金) 19:19:19 ID:QptZ6QBg
563 :
神も仏も名無しさん:2007/10/26(金) 19:27:17 ID:5D0r4BWW
564 :
神も仏も名無しさん:2007/10/26(金) 19:41:05 ID:QptZ6QBg
565 :
神も仏も名無しさん:2007/10/26(金) 19:52:09 ID:QptZ6QBg
566 :
神も仏も名無しさん:2007/10/26(金) 19:55:49 ID:fN/s1ixA
放っておけばいい。何言ってんだかわからん。
僕はナニ様だろう・・・
ニンゲン様かな? まだまだですね( ^ω^)
お子様だ!
お子様はかなりレベル高いですよwww
570 :
神も仏も名無しさん:2007/10/27(土) 02:27:15 ID:90tIrOgQ
今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今
今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今
今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今
今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今
今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今
今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今
571 :
神も仏も名無しさん:2007/10/27(土) 02:35:56 ID:90tIrOgQ
愛や空を知りたければ衆生救済や境地のことは放っておきなさい
573 :
神も仏も名無しさん:2007/10/27(土) 07:30:22 ID:ncDxAnMW
私は悟りをひらきましたが宗教に興味はありません。
574 :
神も仏も名無しさん:2007/10/27(土) 07:46:26 ID:mIevVyk6
「空」は「解脱」の一歩手前、意識的に寸止め地帯に留まっている境地。
なぜなら「解脱」は肉体的な「死」を伴うから。
「空」はエネルギーが完全に静止している状態。
「愛」はエネルギーの創造的表現。
575 :
神も仏も名無しさん:2007/10/27(土) 08:04:17 ID:BjxIvf3t
>>574 具体的に分るように言えよ。言葉遊びしてるんじゃないんだぞ。
悦に入っている奴としか思えん。分っているとは思えん。
576 :
神も仏も名無しさん:2007/10/27(土) 09:13:12 ID:d2NA0RdN
>>574 なるほどなあと思いました。
しかし僕は「空」の状態でまだ愛に執着がある状態が「愛」の状態のような気もするんです
けどね。
なにか空の状態の方がスッキリするんです。
でもそれは僕がまだ空に執着を持っているからかなあとも思います。
どちらの状態も同じだとも思いますし。
自分の感じた感覚でいうと「空」はエネルギーが素通しの状態、「愛」はエネルギーと同じ
方向を向いてる(エネルギーに乗っかってる、感じてる)状態のように思ったんですが、
これは間違った解釈だと思いますか?
解釈してどうするのだ。
感じて、そのまま表現すればいいのだ。
578 :
神も仏も名無しさん:2007/10/27(土) 09:42:39 ID:d2NA0RdN
>>577 解釈と言うか洞察のつもりなんですけどね。
まあ同じかな。
単純に違う状態だとなんでかな〜〜と思います。
おもしろい状態だなあという意味でそのまま表現(体感)はしますけどね。
まあでも答えが出てないのは解釈する我が残ってるからですかね。
579 :
神も仏も名無しさん:2007/10/27(土) 10:03:34 ID:s1PCjGLd
解釈、つまりこの理解を仕方がいいのか?って聞いてるんだろ。間違っていたら
しょーもないだろ?
きちんと聞いてやれよ
580 :
神も仏も名無しさん:2007/10/27(土) 10:06:46 ID:s1PCjGLd
空って無のことだろ?瞑想の状態だろ? 無のようで無じゃないぞ。あれは崇高な状態だと思うな。
582 :
579:2007/10/27(土) 11:25:35 ID:4nPORM6T
583 :
577:2007/10/27(土) 11:52:29 ID:Te1TgOqR
はーい。
577です。
ラーメンとおにぎり食べてまちた。
悟りなら任せてくさい。
584 :
神も仏も名無しさん:2007/10/27(土) 11:57:23 ID:ncDxAnMW
ありとあらゆるものを受け入れるのです。
585 :
577:2007/10/27(土) 12:17:18 ID:Te1TgOqR
とにかく、我を無くしていくと、脳みその中で気持ちのいい液体がピュッピュッピュッで出てくるのを感じたたり、
血が流れ出るのを感じたり、敏感になるんでつね。
なのでね、「空」が「解脱」(=死の一歩手前)の一歩手前なら、エネルギーはめちゃくちゃあるのかんじるのよね。うんうん。
もう死ぬ〜。って思っても、心臓を構成する何億もの細胞は生きようエネルギーばりくそあるんでちゅよ。それを感じれたら最高でつね。
ごちそうさまでちた。
私は「空」を勘違いしてたかもしれん。
このスレの存在は助かる。
突然今までの自分を喪失した上に、絶望や苦しみの感覚が麻痺した安らぎ体験が2日程あったので、
その物凄い延長上が「空」だと思っていました。
587 :
神も仏も名無しさん:2007/10/27(土) 12:37:57 ID:sfSoCgcZ
あらゆるものを受けとめるのは違うと思う。
人によって悟りの意味は、それぞれ異なる。
私にとっての悟りとは間違っている事はダメだと認める。自分に対しても相手に対しても。
全てを我慢せずに許容範囲の境界線は自分で作る事。無理しすぎない事。
いまのところの考えです。
588 :
577:2007/10/27(土) 12:40:26 ID:Te1TgOqR
絶望や苦しみがあるなら、まだまだ余裕なんでつよ。
大丈夫でつ。絶望や苦しみの背後で気づかないがもう一人の自分がきっちり仕事してくれてまつ。
>>586 僕はそれでいいと思いますよー。
僕もよくわかっていませんが。
麻痺というとなんですが、物事を絶望や苦しみと捉える自己、我が抜け落ちたらそこから
自由になれるんじゃないですかね。
全てのことから自由になれるのが空、悟りだと思ってます。
また、自由になると
>>585さんの言ってるように、今まで気付かなかった感覚にいろいろ気付く
ことがあるように思います。
それは気付かないように自分を設定した自我が抜け落ちたせいだと思っています。
590 :
577:2007/10/27(土) 13:00:32 ID:Te1TgOqR
その物凄い延長上というか、自分なりに変更させてもらうと、
今の自分と「空」の自分とは距離的に実は非常に近いんですね。
ただし、非常に近いんですが、その間にエベレストが聳え立ってるんでつね。
なので、道のりにすれば物凄い延長線上なんですが、悟ってしまえばな〜んだ、
こんなに近かったのかってことです。
悟りの手前まではたどっていける(延長線上)けど、悟り自体はそこからジャンプすること
だっていいますからね。
個人的にはテレビのチャンネルが変わるようにガラリと全てが変わる印象です。
でも
>>586さんも麻痺したときそんなカンジがしたんではないでしょうかね。
592 :
577:2007/10/27(土) 13:08:48 ID:Te1TgOqR
>今の自分と「空」の自分
よりも適切にいえば、悟る前と悟った後でつね。その間の距離は近く目と鼻の先だが、その間にエベレストが聳えてるのでつね。
では、今日はこのへんでおちます。
>>592 悟ったあと空の状態が永続するのか、また、元に戻ってしまうのかを次回お願いします。
お話ありがとうございました。
>個人的にはテレビのチャンネルが変わるようにガラリと全てが変わる印象です。
>でも
>>586さんも麻痺したときそんなカンジがしたんではないでしょうかね。
自分は妄想癖のある人間なので、こんな素敵な表現は思い浮かばなかったです。
「とてもいい霊」に憑依されたのでは? と最近まで思っていました。
>>592 お話ありがとうございました。
そして、懐かしさを感じました。
>>594 僕も自分の気が狂ったかと思いましたよw
あと何度も脳内の錯覚や病理を疑いました。霊うんぬんも。
ま、それらの状態も空と表裏一体だと思いますけど。
自我の消えるのを恐れて空の状態を具間見ると、残った自我でいろいろな勝手な解釈をして
しまうように思います。
残った自我、自己をも冷静に見つめられればより空、悟りになるのではないですかね。
>残った自我、自己をも冷静に見つめられればより空、悟りになるのではないですかね。
なるほど。そういう発想は自分にはなかったです。
ただただ日常に追われているだけというか。
だから定期的に自分は大きな挫折を味わうような出来事に遭遇するのかもしれませんね。←妄想
ありがとうございました。
598 :
神も仏も名無しさん:2007/10/27(土) 16:14:44 ID:tqkBbv+v
バカしかいねぇな!
>>593 悟りで得た境地は永続しますし、悟る前の元からあったものも永続します。
なぜなら、
>>590で言ったように目と鼻にあることに気づいただけですので。
600 :
N:2007/10/28(日) 15:20:23 ID:5fdGmm1t
悟りで得える境地などありませんし、悟りは時間とは関係ありません。
なぜなら>>599で言われたように、目と鼻の先には距離などないのですんで。
>>600 具体的に説明していただかないと、ただケチを付けているようにしか見えないよ。
602 :
神も仏も名無しさん:2007/10/28(日) 16:18:33 ID:0DmTIiaS
>>599 では空の状態から戻ってしまうとよくいうのは何故?
仏教でも得た悟りの境地を自分のものにするまで何度も悟ったりを繰り返すというのは
どういうことだと思いますか?
603 :
N:2007/10/28(日) 17:24:37 ID:5fdGmm1t
>>
601
あなたは、ばかかい?けちつけてるだけにきまってるだろ。
わかってるくせにぃ
604 :
N:2007/10/28(日) 17:30:12 ID:5fdGmm1t
青の人、自分が具体的に物事語ってると、思っているのだろうか?
思っているんだろうけど、どうだろうねぇ。世間でもパソコンでも、
反応はそう変わらないとおもうヨ。こんな普通の書き込み、わざわざ
あなたは、どう解釈して、消化するのかしらないけれども、、、、
どうぞーーー
605 :
神も仏も名無しさん:2007/10/28(日) 17:33:52 ID:Rapv/7Xp
>>悟りとは、目の前にあるものを純粋に見ることである。
思考によらず心の沈黙の中で物事を見ること。これが悟り。
606 :
N:2007/10/28(日) 17:49:35 ID:5fdGmm1t
悟りはそのような教条ではありえないんです。
そのような努力はいずれ忘れ去られていきます。
人間そんな飛び級できません。泣いて修行し、笑って悟る。
あたりまえにあることはそんな征服心がわくように、困難でもなけりゃ
沈黙がどうたらとか、そんな神妙なもんでもないです。間違った習慣を
克服しうるのは、間違った習慣のうちにないんだから、もっと勇気をもちま
しょう。例えば、あなたが悟りのお墨付きをいただきました。それであなたは
どうなりませう。
607 :
N:2007/10/28(日) 18:29:58 ID:5fdGmm1t
しかし、悟りってなんだろな・・・・・
いや、まじに
608 :
神も仏も名無しさん:2007/10/28(日) 18:31:28 ID:wFChSmkc
誠実さがないと分かれば、もうどんな言葉を並べてもただの羅列に過ぎませんね。
精神的な遊びを逸脱しています、あるいは勘違いしています。(-人-)
610 :
N:2007/10/28(日) 18:39:12 ID:5fdGmm1t
そうですか?無駄でしたか?わざわざ、ご登場ありがとう。
608さんは1さんですか?
611 :
N:2007/10/28(日) 18:48:17 ID:5fdGmm1t
こむづかしいこと。言葉の羅列ですか?
精神的な遊びですか?誠実さですか?勘違いですか?
けちをつけてるようにしか見えないよ」
事の発端にさかのぼって考えたらいかが?
好きな文章だけかえってくる道理はありませんよ。そうしたいなら
そうすることですね。
612 :
N:2007/10/28(日) 18:49:40 ID:5fdGmm1t
「けちをつけてるのでは?」
と聞かれて
「けちをつけてない」
とはいいませんし、「けちをつけてる」といいますけどね。
自分の場合。
613 :
神も仏も名無しさん:2007/10/28(日) 19:49:17 ID:XzKu+uX7
真理を語るときは真剣にしないとな。相手に乗るのではなく、意を語る。
614 :
N:2007/10/28(日) 19:52:30 ID:5fdGmm1t
真理ありき、前提では話にならない。
性善説、性悪説についても、しかりだね。
嘘の中に真実性を見出さないと、なんにもならない。
意などという、雰囲気だけでは、なんにもならない。
どうもどうも、相手してくれてありがとうございます。
>>602 ホホホホッ。簡単な質問ですね。元に戻るのはなぜか。簡単ですよ。人間ですので。
仏教で何度も悟ったりを繰り返すのは、なんででしょうかね?仏教でそういう風に教えられてるのか、結局悟ってないのか、死にたいのか。
私は何度も悟りたくはないですね。繰り返したら、下手すると死ぬでしょ。
もっと質問はー。けちでもなんでもいいお〜。
>>615 それなら人間である615さんも元に戻っているわけですか?
空のままの状態でずっといるわけではないのですか?
617 :
N:2007/10/28(日) 20:33:20 ID:5fdGmm1t
そのなんというか、、、そう簡単に壊れるなよ。
>>616 そら、ご飯も食べるし、うんこもするし、寝るし、考え事もしちゃうし、悟る前と同じことしてますね。
でも、悟ったから、ご飯食べる、うんこする、寝る、考え事する、これら悟りの境地から眺めてます。
ところでね、よーく読んでね。
>>593に対するレス
>>599で、私は「空」っていう言葉は外してるんですね。
文言「空」で思い悩まされることになりますからね。
>>617 いいおー。遠慮せんと、ばんばん言うてくれたら。悟ってるんで。
620 :
N:2007/10/28(日) 20:42:42 ID:5fdGmm1t
あっしもこうして、登場してしまったので、それなりに考えますが、
仏教で言う悟りなんて、私にとっては関係ないんです。それなら
真実という言葉を用いますが真実は何か
考えてみると、それが精神を解放するものであってほしいと、のぞみますが、
それは、望みであって結果どういうものかわかりませんからね。
情報というものを考えて見ますに、偽、またはどうでもいいもの、関係ないもの
がやっぱり至極多いわけです。それならば、真実性とはなにか、虚偽のものから
見出さねばならないかと思ってるわけです。とある教義や、思想や哲学に真実
があれば、それ専門でもよいかとオモイマスが、それはよしとはしていない
ということです。だからといって、自分がまともとは思っていません。天地が
開闢するなどという、よくいわれている悟りなど私はしないでしょう。
期待や、できあがった教義にそういったことを見出そうとしたなら、興味ないな。
まあ、暇なんでレスしますが、たまにストレスから書き込みますよw
621 :
N:2007/10/28(日) 20:45:20 ID:5fdGmm1t
ついでに本当の感想をいうと、悟っているという前提なんてどうでもいいんです。
悟りの虚偽、本当なんてのもどうでもよいのです
>>620 おー、すいごい文章量だー。
頭つかってますね。
でも、それと同じくらいに、足使って手使って、考えるより、真実見た方がいいでー。
623 :
N:2007/10/28(日) 20:52:32 ID:5fdGmm1t
ばか、おれは肉体労働についていけなくて、
部屋でひたすらすわってるんだよ。多分おまんさんまんまんのほうが
手足使ってねぇよ。食ってぷーしてるから、少しぐらい反省の意があるので
きいてやるけどな。
>>618 それは悟ってまた俗世に戻るという意味ですか?
そのとき日常の感覚はどうなのですか?
怒ったり悲しんだりしてるのですか?
不安や問題や悩みはどうしてるのですか?
ご飯も食べるし、うんこもするし、寝るのはわかりますが、考え事をするのはよくわかりま
せんが。
625 :
N:2007/10/28(日) 20:57:28 ID:5fdGmm1t
ボクちゃんに言わせると、体なんてたいしたことない、
過酷なこともすれば、ひたすら怠ける時も有る。
体重だって2,30キロは簡単に変わる。
だから、精神のありようを考えている。
きさま624は、精神のありよう、がぬけてる、2年前の私だ。
怒ったり悲しんだり不安や悩み、全て受け止めてます。
そうれをどう自分が処理していくのを眺めるのが、おもろいんですわ。
627 :
N:2007/10/28(日) 20:59:33 ID:5fdGmm1t
624よ、どうせ、またあんたは泣かないとだめだろうな。
俺も同じだ。そういう意味では。
泣くは修行だ。笑うは悟りだ。質問など受け付けているようでは
笑えんな。ずっとやってろ
628 :
N:2007/10/28(日) 21:02:28 ID:5fdGmm1t
626は、ええことだと思いますね。
しかしだよ、クリシュナムルティがどうとか、そういうくさった人間に
なるなよ。なんかの縁かもしれないから。
>>624 生きてることの素晴らしさを知ったら、どんなことがあろうと受け止められますよ。
悲しみよ、こんにちわーー。
>>624 それは単に客観的に自分を眺める心理を得ただけで悟りとは違うように思うのですが。
ちなみに
>>624さんの心は自由ですか?
>>628 ご心配なく。
あんたがそう想ってるだけ。
クリシュナムルティ自体知らん。なんじゃそりゃ。
>>630 心が自由か。それはないね。そんな奴おるんか。
ただ、生きることは自由だね。
じゃ、逆に質問だけど、君が想ってる悟りとはなんだ。
すまん、トイレ行きたくなってきた、ついでに風呂も入ってくる。
>>632 心が自由ってことですよ。
物事を悲しいととるのも苦しいととるのもただ自分の心でしかないのですから、全てが空だと
心底悟れば、悲しみ、苦しみを喜びと思うこともできるはずです。
それができないのは自分の中にまだこだわり、価値観、自分らしさが存在するからだと思って
ます。
自分がからっぽになるのが自由であり悟りだと思っています。
もちろん肉体があるから物理的な問題はありますけど。
635 :
神も仏も名無しさん:2007/10/28(日) 21:57:03 ID:kLD2q9+H
良スレage
>自分がからっぽになるのが自由であり悟りだと思っています。
>もちろん肉体があるから物理的な問題はありますけど。
その問題をクリアしないと、悟りを考えると常にその問題に思い悩まされることになるよん。
そしてね、悟ったらね、どうなるかって言うと、「悟りだと思う」ってのは書かなくなって、「悟りだ」になっちゃうのよね。
私のレスには「悟りだと思う」って表現は一切ないよん。
おもしろかったわ。
それじゃ、おやすみ。
>>636 物理的な問題とは怪我をすれば痛い、みかんはみかんの味がする、といったものです。
心でそれプラスαの意味づけをしないただそのままです。
心は自由ですので思い悩まされることはないですよ。
痛いときにただ痛いと感じるだけです。
悩みには移行しません。
悟りだと思うでも悟りだでもどうでもいいです。
単なる状況を表す言葉ですから。
そういうこだわりはありません。
自分にとって問題は、ただ空の状態が永続しないだけです。
だいぶ続くようにはなりましたが。
こちらこそどうもありがとうございました。
638 :
神も仏も名無しさん:2007/10/29(月) 11:02:23 ID:/+d5Yha5
639 :
神も仏も名無しさん:2007/10/29(月) 11:47:46 ID:9kR2sKvL
求めない
640 :
神も仏も名無しさん:2007/10/29(月) 15:02:06 ID:9kR2sKvL
私はアセクシャルです。小学生の頃から自殺衝動があり
治療として性転換手術を受けさせられました。
アセクシャル (asexual) 通称:シャカ
(生物学的に)性別がない(無性の)、あるいは性とは無関係の意味。
転じて、男性および女性のどちらをも性愛の対象としない人、
もしくは性欲そのものがない人のこと。
641 :
神も仏も名無しさん:2007/10/29(月) 15:03:16 ID:9kR2sKvL
解離(悟り)すると、暗示にかかりやすく、そそのかされやすくなりますが、
インドや東南アジアや中国や日本などの、座禅瞑想の類では、
俗世間の影響を排除するために、人里離れた山の中で、解離します。
ただし、座禅瞑想は宗教的ですので、
その宗教の暗示にかかり、そそのかされます。
半陰陽の友人によると、釈迦は、性交渉が苦手で、
色情から遠ざかるためでなく、性的快感を得るために、
座禅瞑想に耽りました。
深く解離すると、性的快感を得る回路が作動します。
朝、目覚めた時、勃起しているのと同じです。
性的な夢を見なくても、睡眠・夢は、深い解離と同様の状態ですので、
自動的に性反射の回路が作動します。
乳児も、自我が未熟で、解離した状態ですので、勃起します。
動物には、発情期がありますので、
自我が未熟で、解離状態にあっても、
発情期でない時期には、性反射の回路は作動しません。
人間は、発情期がなく、常時発情状態ですので、
解離すれば、性反射の回路が、自動的に作動します。
642 :
神も仏も名無しさん:2007/10/29(月) 15:03:51 ID:9kR2sKvL
快感を得る回路には、何種類かの先天的な反射回路があります。
根本は、同一の快感回路が作動しますが、
その手前で、個体維持の快感と、種族維持の快感に、分かれています。
個体維持のほうは、さらに、
睡眠の快感、食事の快感、排便の快感など、
多数の先天的な反射回路に、分岐しています。
人間の、種族維持の快感は、性器の反射回路のみが、先天的です。
動物では、性的快感以外にも、
種族維持のための反射回路を、先天的に多数、持っています。
それぞの反射回路は、さらに分岐していますが、
ここから先は、先天的でなく、
後天的な学習によって形成された条件反射回路で、
網目状に、互いに連絡しています。
クリームパフェを食べると、食事の快感反射の回路が作動しますが、
ピーマンを食べても、作動せずに、
反対に、苦痛の回路が作動する人もいます。
社長になって気持いい、有名人になって気持いいという感覚は、
学習による後天的な条件反射回路ですが、
どの先天的な快感の、反射回路に繋がっているか、暇なら考えて下さい。
643 :
神も仏も名無しさん:2007/10/29(月) 16:43:55 ID:3Ua/57sw
悟りがどんなもんかを説明する必要など一切無い。
悟り状態を言葉では説明できないからだ。
グダグだいってねーで、
誰でも悟り状態になれる方法を書け。
それが書けないなら、ただのペテンだ。
それで多くの人が悟れないのなら、ただのペテンだ。
>>643 そうやって他人に依存したり求めたり、ペテンだとかなんだとか判断しなくなれば誰でも悟れ
るよヽ(゚∀゚*)ノ
645 :
神も仏も名無しさん:2007/10/29(月) 17:13:46 ID:sM7dy3BH
9kR2sKvL の話をまとめると、
「悟るにはチンチンを切り落とすことである」でオケ?
646 :
神も仏も名無しさん:2007/10/29(月) 17:39:03 ID:TjiNvHb1
>>643 おまえを筆頭に書いても誰も読まない。だから、ペテンもなにも関係ない。
>>643 このスレを堂々と否定。ある意味憧れる。
648 :
神も仏も名無しさん:2007/10/29(月) 19:09:02 ID:asXDNP3I
改めて、 バカしかいねぇな!
649 :
神も仏も名無しさん:2007/10/29(月) 19:10:27 ID:asXDNP3I
日本人ども死ねや!
>>648 何度も言わなくとも、ちゃんと私には伝わってるよ
651 :
神も仏も名無しさん:2007/10/29(月) 19:35:54 ID:asXDNP3I
>>642 簡単。社長になりたいってのは、種族維持の快感につながっています。
10秒暇つぶしになりまちた。
653 :
神も仏も名無しさん:2007/10/30(火) 06:16:01 ID:CNW7XYOQ
>>643 悟りを開いた人のスレで落武者さんが書いてるよ
>>653 あれは悟りじゃないんじゃね?
みなさんどう思う?
655 :
神も仏も名無しさん:2007/10/30(火) 14:04:05 ID:Zcd6L2u2
ひとりごとだとおもう
656 :
神も仏も名無しさん:2007/10/30(火) 19:14:55 ID:jmm3o+7W
このスレタイ見たとき
こう思ったよ!
「あぁ〜、こいつバカだわ」
あたりまえのようにバカは居るんだよな!そこらじゅうに!
657 :
神も仏も名無しさん:2007/10/30(火) 20:04:17 ID:fYJvn4FM
656のようにいう奴ってのは、あたまわるいんだよなー。かしこいのはふつう言わないな。
ちょっとしゃべってくれよ。って言っても逃げるか、まともに喋れないし。
658 :
神も仏も名無しさん:2007/10/30(火) 20:15:30 ID:jmm3o+7W
>>657 オマエか?このスレ立てたの
なんでこのタイトルなの?
バカまるだしー
659 :
神も仏も名無しさん:2007/10/30(火) 21:02:37 ID:jmm3o+7W
このようなスレをちょこちょこ確認しに来るようでは
悟りとは程遠いと、思わないかい?
光明を得た者が
わざわざ「私は悟りの窮地に、たどりつきましたよ」
等と言うと思うかい?
言うこともあるかもしれないが、言わないだろう!
悟りとは、人に教えてもらうようなモノではないであろう!
光明とは、人に教えるようなモノではないであろうよ!
そこまでの過程を人に伝える事はあると思うが!
>言うこともあるかもしれないが、言わないだろう!
661 :
神も仏も名無しさん:2007/10/30(火) 21:53:19 ID:6SiCrnM3
>>659 人類の進歩ってのは、個々が交流し個々の情報交換によって成り立つ。2CHのこんな
やり取りでもなんらかの役に立っているわけだ。 タイトルなんてどうでもいいんだな。
こんなタイトルでも最小限度以上意味は通っている。
このスレでは「悟り」がどういうものか?素人が語り合うためのものだろう?
究極的には「悟り」は個人が自身で取り組むものではあるが、そこへたどり着くまでには
どんな者でも試行錯誤したり、あるいは情報が重要になる。
「悟り」がどういうものか分ったとして個人だけのものにしておくのも、どうかと思う。
知識の共有として、人類の進歩の重要なファクターとして「悟りの境地」は誰もが知る必要がある。
私はスレ主ではないが、656のレスからしたらよくまともなレスを返したもんだよ。
662 :
神も仏も名無しさん:2007/10/30(火) 23:16:01 ID:rRVX8LpI
悟りとは、知性や理性でもなく赤ん防に戻ることである。
悟りで無我を感じたやつに聞きたいんだが、無我に近づくって事は逆に自我から離れるのかい?
664 :
N:2007/10/30(火) 23:35:28 ID:qr9zSx+m
ちょっと感じたんだけど、悟りっていうのは
「ひきもこり」のことだと思うんだよね。
「ひきこもり」じゃなくて、
ひきもこり」っていいじゃない。なんかもっこりしていて、
底なしの不安と共に、底なしの希望があるかないかだよな。
前者だけってことは、ないんじゃないか。
教育者や、師匠や、先輩や、上司に糞食らえなんかいわれたら、
食う奴なんかいないと思うけど、一遍臭いでみたら運勢開けるかなぁ
とか思えたらいいんじゃないか。
だから糞食らえだよ。小便が匂うのは糖尿だよ。気をつけな。
>>663 無我になった瞬間、自我が消えてることに気付くって感じですよ
自分なんて何も無かったんだって気付く感じ
自分で勝手に自分があるって錯覚してただけだったんだっていう
666 :
N:2007/10/30(火) 23:46:57 ID:qr9zSx+m
悟りの歌
嗚呼、幻よ
われ立ちて、黄金の液体をたらす時、
ああ、幻よ
幻の黄金の液体、尿よ、あの暑い夏の日に、ビールとなりて
帰って来い
嗚呼まほろばよ!幻尿よ
あまりに私の汗が純粋であるがゆえに、ああ黄金の液体、
きたりて我をつつみて、こころの乾きすら潤す
嗚呼私があの夏倒れたのはあなただけのため、麦酒たちよ。
いつか、我はあなたそのもの、黄金となりて、まっすぐな透明な純粋を
ああ、あなたたちに垂らすだろう
667 :
N:2007/10/30(火) 23:48:11 ID:qr9zSx+m
悟りの歌→糖尿の歌
>>665 答えてくれてありがとう。
俺には無用の何とやらってことか。
669 :
神も仏も名無しさん:2007/10/31(水) 00:00:23 ID:qr9zSx+m
人間の本性は、パーぺチュエイション、永続性だよ。
三昧がすぎて、悟る時が来るでしょうよ。求めて、一個ぐらい
座方をしっていればね。ところが、意識の側から、あの現象」を捉えなおす作業は
必要となってくる。本質的にだよ。正悟だの、頓悟などいうけど、パーぺチュエイションを求めている姿そのもの
が、本質的に悟り、悟りのリズムだときづかないと、頓馬なままになりうる
可能性がある。
670 :
神も仏も名無しさん:2007/10/31(水) 00:03:18 ID:qr9zSx+m
パーぺチュエイションを求めている→悩んでいる
のほうが解りやすい。
頓悟の人は悩んでいる姿そのものが悟りであると、いうことにいたらな
ければ、頓馬のまま。
素人だから悟る人はほとんど自己流か頓悟ってやつでしょ。
だから、悟った時のことを思い出すことが、良いのではないかのぉ
ただ単に
671 :
N:2007/10/31(水) 00:07:14 ID:M3Noo5jV
>>670
残尿感ってやつですね。
どうせまた、だすんだから、一滴もらさず、
一歩前へ、出し切ってしまえっていうことですね。
672 :
N:2007/10/31(水) 00:08:35 ID:M3Noo5jV
そうだ!残尿感があるということは、
それを自覚しているということは、
一滴残さず出し切るということなのだ。
悟りという悩みについても同じことだ!
なんという自演w
しかしこれもまた悟りw
現実なんて自我の自演だしねwwww
674 :
神も仏も名無しさん:2007/10/31(水) 08:34:54 ID:blBpCnAd
どんなもの
675 :
神も仏も名無しさん:2007/10/31(水) 08:36:57 ID:blBpCnAd
こんなもの
676 :
神も仏も名無しさん:2007/10/31(水) 12:13:36 ID:1qSkM+9i
悟りが自我を離れ執着を離れる心身の境地だとするならば
そのきっかけとなるのは音、音楽をおいてない。
部屋の掃除をしたいとき、のりのりになって作業したいとき、
音楽の力は偉大。無と音楽は即悟り。
677 :
神も仏も名無しさん:2007/10/31(水) 12:54:58 ID:bcRVgrH5
>>676 言ってることはわかるけど音楽なくなって戻るんじゃ無じゃなくて集中と麻痺じゃない?
セックスで自我を離れた気になるんと一緒でしょう
無は何かに集中するのではなく、何ひとつ集中しないこと
逆説的に全てに集中してる状態かと
678 :
神も仏も名無しさん:2007/10/31(水) 19:58:51 ID:H106AXI+
死ねや!カスども
なっ 早くに!
679 :
神も仏も名無しさん:2007/11/01(木) 11:20:58 ID:fsZXZ4bW
なんとかは死ななきゃ直らん。と言うけれど、死んでも直らんの間違いやろ?
なんとかを隔離できればいいんだが、それができんのがネットの泣きどころやなあ。
680 :
774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/11/01(木) 12:49:47 ID:R2y/DPTt
>悟りが自我を離れ執着を離れる心身の境地だとするならば
悟りを知る前に、自我、執着、「離れる」こと、心身
これらについて、言葉の上だけでない自らの認識が要るでしょう。
そんなの分かってると言うかもしれないが、実際はとっても奥が
深い。
悟りとは認識だ。知ることは疑うことから始まる。
だから1さんのセンスははずれてないよ。
681 :
N:2007/11/01(木) 13:25:03 ID:hZcYfWnv
そう悟りとは、認識なのです。そして、そう知識の泉は疑いなのです。
最近は、生体認証システムが、普及してきました。ですが、人間は
もともとあらゆる角度から物事を、分析し認知する能力があります。
その、生体認証システムと、その対象である故人は同一ではありえないの
であります。774のちんおが皮かむっているからといって、そのことが
すなわち774の全てではないのですから、馬鹿にしないでやってください。
682 :
N:2007/11/01(木) 13:31:44 ID:hZcYfWnv
そう、だから1さんのセンスはまちがってないよ。わたしは774という
ブランドなんですから、そんなこと解ってるかというかもしれないが、
実際はもっと臆がふかくて届かない。15センチでもね。だってぼくは774なん
だから。
683 :
N:2007/11/01(木) 13:35:23 ID:hZcYfWnv
そう、それがわれわれの認証の仕方なのです。
ここでは、強いて一例を挙げたにすぎませんが、
疑うことの強みは、直接智慧をさずかるよりも大きいということです。
それがメロンバンナちゃんのいかんに問わず、「ありえる」
のですから、世界は自己の延長線上にあるなどという分離した
「思考」に陥らんがために、われわれは努めるのです。
684 :
N:2007/11/01(木) 13:40:36 ID:hZcYfWnv
たとえば678、君がパンツリミットに入ったとしてみよう。
パンツリミットとは何を意味するかわからないと678はいうだろう。
しかし、パンツリミットに入ったものだとしろと脅迫されて、あなたは
世界を認識続ける。さてそんなおり、君がなにか悪いことを冒そう
としたとき、権力者に「君のパンツリミットは短かった!」といわれたとき、
あなたはパンツリミットを認識し始めるだろう。
685 :
N:2007/11/01(木) 13:43:54 ID:hZcYfWnv
たしかに679のいうとおり、〇〇は死んでも直らないかもしれない。
しかし、死ぬという概念と〇〇という概念はイコールではないのですから
同等に、相殺することはないのです。
その事実を知ってのことですか?679はパンツリミットについて
学習をし終えたわけでありますが、相殺という概念について次は
勉強をしなければならない。
686 :
N:2007/11/01(木) 13:48:03 ID:hZcYfWnv
ごはんをたくさん食べたのに、漬物が減っていない場合、へしこを
たべたのかもわからない。盆カレーをかけたのかもしれない。
けれどもその「かもしれない」は、どこまでいっても
かもしれない」のである。だから、ご飯に対して漬物を
「絶対値」とするのである。これはルールというより、世界を認識
する際における、キィすなわちかぎなのである。漬物からご飯の
量を推測することも出来る。この漬物をあなたの自我ととらえてみたら
どうだろう?ごはんは世界そのものだ。すなわち漬物という自我は
絶対値として、「認識」し・て・み・るのである。
687 :
N:2007/11/01(木) 13:50:15 ID:hZcYfWnv
それから、これは難解な問題だが、あなたの仕事が立ち仕事
だとしたばあい、「立ち小便は仕事になるのかどうか」
という命題である。この命題をといたならば、あたなは、天地
が開闢するような悟りをえるだろう。
そう、そんどんようる、いやさか、すめらみこと、えい
688 :
神も仏も名無しさん:2007/11/01(木) 14:00:28 ID:KOl9wgIi
Nさん
あなたは死んだ人かい?
あなたのレスは慈悲なのかい?
689 :
N:2007/11/01(木) 14:23:31 ID:hZcYfWnv
私の書き込みは、怒りをともなった冗談なのです。まだ、
ワードなどの白紙に、このようなことは書くことが出来ません。
言葉そのものへの呪詛でありますから、本来そうあるべきなのですが。
690 :
N:2007/11/01(木) 14:48:01 ID:hZcYfWnv
社会上、不通になることと、
ネット上、不通になることは、
本来違います。確かに、ネットは擬似社会であるものの
はじめから擬似社会は社会たりえないのです。
そのようなことを誰が教えるのでしょうか?
擬似環境で悟りなどという心の様相を語るのは
どういうことなのか、どうせなら、そういうことをテーマに語らないと
いけない。
691 :
N:2007/11/01(木) 15:00:33 ID:hZcYfWnv
どれだけ、自己を説明する理論にであっても、ウィンドウは
ウィンドウです。幾ら覘いても、本来何もありません。理論武装
にすらなりません。
生身の社会で、語られてきた言葉は、生身できかなければ
ありがたみすらないんです。あたかも、あなたのことがわかった
かのような返答には、みな戸惑うのではないでしょうか?
言語上解ったことは、言語上でしかありえませんから。
外界にとらわれるな、てことなんだろうけど。
諸行無常とか。諸法無我とか悟りというと既にこれ分別。
693 :
神も仏も名無しさん:2007/11/01(木) 17:32:48 ID:in2P1If4
>>1 目の前にあるものを純粋に見ない時は有るのですか。
何か見た瞬間はだれもが純粋に見ていると思う。
694 :
神も仏も名無しさん:2007/11/01(木) 19:48:47 ID:JBXatD95
悟りでいう、純粋に見ると言う意味は、思考を入れないということ。
ありのままに見て、あれやこれや考えない。
目は一部しか捉えることができない。
建物の裏側は同時に見れず、中も同時には見れない。
目は表面しか捉えることができない。
絵にしろ音楽にしろ、心で感じ取るのが第一歩。
696 :
神も仏も名無しさん:2007/11/01(木) 19:59:53 ID:KOl9wgIi
697 :
神も仏も名無しさん:2007/11/01(木) 20:14:21 ID:KOl9wgIi
>>695 コインの裏と表が同時に見れない事を知り
心で感じたならば
第二歩目は心で感じないことを知らねばならない!
>>687 暇つぶしに解いてみました。
仕事が最上位概念の表現
立ち仕事とは「仕事」に「立ち」という限定を仮定すると、
仕事は立ち仕事を含む。・・・@
立ち小便とは、「立ち」に「小便」という限定を加えたものと仮定すると、
「立ち」は立ち小便を含む・・・A
よって、@Aの包含関係より、
「仕事」は「立ち仕事」を含み、「立ち」(仕事)は「立ち小便」(仕事)を含むことになるので、
以上、仕事は立小便を含むことになる。ただし、「立ち小便」「立ち仕事」それぞれが「立ち」を分離できず、一体不可分の一つの全く別のものを含んでいるとすればこの限りでない。
699 :
神も仏も名無しさん:2007/11/01(木) 20:48:27 ID:in2P1If4
>>694 >>695 まず1日のひと時でもいいからそういう時間を作る。
この社会は頭を使わずにはいられないのだから。
700 :
神も仏も名無しさん:2007/11/01(木) 22:24:49 ID:XOPYa/31
>>696 じつは、それだけじゃだめなのよ。いろいろ調べていくと、悟りということが宇宙や神へつながって、
自己というものがより良く理解できてくる。
701 :
N:2007/11/01(木) 23:23:54 ID:hZcYfWnv
カルマパ17世が、来月来日。
>>700 > じつは、それだけじゃだめなのよ。いろいろ調べていくと、悟りということが宇宙や神へつながって、
> 自己というものがより良く理解できてくる。
それじゃ元の木阿弥
蛇足は余計なもの
703 :
神も仏も名無しさん:2007/11/02(金) 01:07:32 ID:BQM1Eo98
そう私のように悟りをひらけばいいのです。
>>703 > そう私のように悟りをひらけばいいのです。
ひらいたたところに私はないはずだが
705 :
神も仏も名無しさん:2007/11/02(金) 01:18:07 ID:BQM1Eo98
それはただの言葉の認識の違いです。
706 :
神も仏も名無しさん:2007/11/02(金) 07:45:35 ID:4upToYem
>>702 そうですよね。宇宙でも神でもどうにも出来ない物が
目の前にあるのに。
707 :
神も仏も名無しさん:2007/11/02(金) 07:51:40 ID:NCgz+9Ck
>>702 それは知らない者がいうこと。悟りとはそういうもの
>宇宙でも神でもどうにも出来ない物が
目の前にあるのに。
それは自分の我に都合の良いようには、ということ。
宇宙は法則or摂理によって動き、人は自分の欲(希望でもイイ)に依る。
従って物事、自分の思うようにはなりませぬ。
. . ゚ . o ゚ 。 . , . .o 。 * .゚。 ゚.☆
。 。 *。, + 。. o ゚,
゚ o . 。 . . , . , o 。゚. ,゚ 。 +
゚ , , 。 . + ゚ 。 。゚ . ゚。, ☆ * 。゚.o.
。 . .。 o .. 。 ゚ ゚ , 。. o 。* 。 . o.
。 . 。 . .゚o 。 *. 。 .. ☆ .
。 . . . . . 。 ゚。, ☆ ゚. + 。 ゚ ,。 . 。
゚ 。 ゚ . +。 ゚ * 。. , 。゚ +. 。*。 ゚.
。 . . 。 。゚. 。* 。, ´。. ☆。。. ゚。+ 。 .。 .
. 。 ゚ ゚。 。, .。o ☆ + ,゚。 *。. 。 。 . 。
゚ .゚ ゚ 。゚ + 。. +。 * 。゚。゚., ,+ 。゚. 。 . . ,
゚。゚+゚`, o。。.゚*。゚ 。.゚ 。 ☆+。。゚. ° 。 . , ゚
。, .゚。 + ☆。,゚. o。 。+ 。゚., . ゚ , 。 。
゚. o * 。゚。゚.。゚。+゚ 。 。 ゚。 ゚ 。 ゚
゚` .゚ *。, + 。. .゚. ゚. . ゚ . ゚ . , . .
. . 。 . . . , 。
>自分の思うようには
↑
自分だけの思うようには
711 :
神も仏も名無しさん:2007/11/02(金) 14:56:11 ID:W+9Lhqcn
>>708 それなら、我欲を捨てて、宇宙の意志に身を委ねれば・・
思考を交えずに、宇宙を受け入れる(ありのままを見る)。
これが悟り。繰り返し言っているでしょ? 理解するにはそれだけじゃダメとも言った。
くだらん。
713 :
神も仏も名無しさん:2007/11/02(金) 19:30:42 ID:CuVIoHl+
明らかに悟っておらず、悟りが何であるか知りもしないおまいらが、
小耳に挟んだ言葉から想像して「悟った人」を演じても何の意味もないだろ。
そんなことしてて、面白いのかい?
714 :
神も仏も名無しさん:2007/11/02(金) 19:40:43 ID:01KipZok
ここはエンターテイメントだね!
715 :
神も仏も名無しさん:2007/11/02(金) 19:55:49 ID:01KipZok
ナルシスト、スレ!
もう畳めよ、ここ
716 :
神も仏も名無しさん:2007/11/02(金) 19:57:55 ID:01KipZok
管理人出てこいや!
717 :
神も仏も名無しさん:2007/11/02(金) 20:14:15 ID:01KipZok
明らかに悟っておらず
718 :
神も仏も名無しさん:2007/11/02(金) 20:14:47 ID:01KipZok
管理人出てこいや!
719 :
神も仏も名無しさん:2007/11/02(金) 20:16:51 ID:01KipZok
720 :
神も仏も名無しさん:2007/11/02(金) 22:07:47 ID:z5aVm5TY
713 はひとりごとだそうです。
721 :
神も仏も名無しさん:2007/11/02(金) 22:29:44 ID:01KipZok
>>720 管理人はオマエか?
私は悟りました、とでも言いたいのか?
722 :
神も仏も名無しさん:2007/11/02(金) 22:41:22 ID:Eu7kEIoH
>>721 なんでそんなに管理人にこだわってるのー??
なんでそんなに他人が悟ってるかどうか気になるのー??
723 :
神も仏も名無しさん:2007/11/02(金) 23:00:35 ID:jUtUUoVU
>>721 おまえも「悟り」を理解しろよ。 理解する気はないのかい?
724 :
神も仏も名無しさん:2007/11/02(金) 23:16:33 ID:01KipZok
>>722 ただ、嘘コケと言いたいだけだ
>>723 > おまえも「悟り」を理解しろよ。?
私は悟りました、とでも言いたいのか?
725 :
神も仏も名無しさん:2007/11/02(金) 23:31:51 ID:Eu7kEIoH
>>724 なんでただ、嘘コケとか言いたくなるのー??
自分のことでもないのになんで気になるのー??
726 :
神も仏も名無しさん:2007/11/02(金) 23:51:22 ID:01KipZok
>>725 誰でも言いたくなるだろ
ここは掲示板だ
きみは、私は悟りました、とでも言いたいのか?
727 :
神も仏も名無しさん:2007/11/02(金) 23:58:16 ID:01KipZok
仏陀、イエス、クリシュナ、和尚、etc....
このなかにオマエラの名前を入れろと言うのか?
ふざけるな!
悟ったならば別だが!
728 :
神も仏も名無しさん:2007/11/03(土) 00:00:30 ID:Eu7kEIoH
>>726 自分以外の人間が悟っても悟ってなくても、悟ってると勘違いしててもいいいんじゃないー?
自分が悟れるかどうかだと思うけどー?
悟ってないと指摘するなら悟れるように具体的に言ってあげたらー?
729 :
神も仏も名無しさん:2007/11/03(土) 00:01:33 ID:L/7EmyqI
>>727 仏陀、イエス、クリシュナ、和尚、etc..が本当に悟ってるってどうしてわかったのー??
悟ってま〜す。
なんか、質問ある〜。
ウィー。
悟りー
サトリー
サントリー大山崎工場
ウィー
あー、ちんぽかゆー。
>>701Nちゃん、つっこんできていいよー。悟ってるんで受け止めるでー。
732 :
神も仏も名無しさん:2007/11/03(土) 00:23:54 ID:alw8pIZt
>>728 >>729 どうして反発するんだ?
俺はここでこういうやり取りをしたかった(あなたと私みたいな)
こういうやり取りが新鮮だよ!
文章でどのレスの人か分かるよ
仏陀、イエス、クリシュナ、和尚、etc..が本当に悟ってるかどうか
そこから創めないか?
もういらねぇよ、どっかの本の文句は
偽者覚者くん?
反発もいらね
見たこと無いのは、なんも無いでおしまいだおーー。
仏陀が悟ったかどうか、見たことないので、しりましぇーん。
これは自分にとって、真実なのだお。
734 :
神も仏も名無しさん:2007/11/03(土) 00:33:27 ID:L/7EmyqI
>>732 反発とうけとるか何とうけとるかはあなたの心の状態かもよー。
何が語りたいのー?
仏陀、イエス、クリシュナ、和尚、etc..が本当に悟ってるかどうかー??
735 :
神も仏も名無しさん:2007/11/03(土) 00:35:23 ID:L/7EmyqI
>>733 じゃあ見たことあるものはわかるのー??
自分が見たと錯覚してるだけかもよー。
そのちがいはどうやってわかるのー??
見たことあるものは見たことあるんだよん。
見てないのを頭の中で新たに作り出して、見たような気になってるのが錯覚だよん。
ちがいは頭の中で創り出したか否かだよん。
737 :
神も仏も名無しさん:2007/11/03(土) 00:49:57 ID:L/7EmyqI
>>736 じゃあ愛もやさしさも錯覚でおk−?
自分が誰かも錯覚でおk−?
夢と現実はどうなのー??
夢は見てるから錯覚じゃないでおk−?
はーい、愛は錯覚でーす。
鏡で自分を見たことない人が自分が誰かと思うのは錯覚でーす。
夢は錯覚でーす。
かんきつ類の、はっさくでーす。
739 :
神も仏も名無しさん:2007/11/03(土) 01:03:15 ID:NkK5SyH8
おもしろくない。
740 :
神も仏も名無しさん:2007/11/03(土) 01:03:56 ID:L/7EmyqI
>>738 夢も錯覚ならいまこれが夢じゃないってどうやってわかるのー?
自分が見たのが夢の中の錯覚じゃないってどうやってわかるのー?
741 :
神も仏も名無しさん:2007/11/03(土) 01:05:14 ID:alw8pIZt
ID:L/7EmyqI vs ID:empxB52l
どっちが勝つかな〜*^x^)||
カスどもが(^_^)
age
はーい、ナイフを自分につきつけ、死のうと錯覚しても、
死ねなかったら、夢じゃありませしぇーん。
744 :
神も仏も名無しさん:2007/11/03(土) 01:13:09 ID:L/7EmyqI
>>742 ナイフで自分を刺すのー?
じゃあこの世が錯覚じゃないってナイフで自分刺してわかったのー?
悟りは見たのー?
見てないなら悟ったってのも錯覚ー?
見たよー。
746 :
神も仏も名無しさん:2007/11/03(土) 01:16:16 ID:L/7EmyqI
なんかね〜。すごかった。脳みそにピュッピュピュッピュ送られるのが感じるのよ。
単純な繰り返しでピュッピュピュッピュって。
でも、それがとにかくウォーって感じなのよ。
748 :
神も仏も名無しさん:2007/11/03(土) 01:22:13 ID:L/7EmyqI
>>747 それじゃ
>>736で「見てないのを頭の中で新たに作り出して、見たような気になってるのが
錯覚」って言った錯覚と区別つかないよー。
目に見えたのー??
それが錯覚じゃないってどうしてわかったのー?
頭つかってない。感じただけなのよ。
なので、難しくてごめんね。悟りって教えるの難しいね。
とにかく、ピュッピュピュッピュ、グォーなのよ。
そのピュッピュピュッピュのおかげさんで、手を使ったり、
足を使ったり、と同じように、頭を使ったりしてるだけなのよ。
それが偶々自我などとよばれる概念を作り出してるのよ。うんうん。
だからみんなピュッピュピュッピュなのよ。
751 :
神も仏も名無しさん:2007/11/03(土) 01:32:42 ID:L/7EmyqI
>>749 だからそれじゃ
>>736で「見てないのを頭の中で新たに作り出して、見たような気になってる
のが錯覚」って言った錯覚と区別つかないってばよーwww
それじゃ感じてるだけで見てないよー。
ま、でももうそろそろいいや。
僕もそういうの体験済みだからわかるよw
ちなみにそれはどのくらい続いたー?
752 :
神も仏も名無しさん:2007/11/03(土) 01:38:50 ID:alw8pIZt
皆さん
これが、悟ったクン達の
やり取りです、バトルですた〜!
お・わ・りっ!
753 :
神も仏も名無しさん:2007/11/03(土) 01:42:00 ID:L/7EmyqI
>>752 僕は悟ったなんて言ってないよー
ずっと見てたんだー、ありがとーwww
10秒ぐらいかなぁ、その後、すぐ気を失ってしまいまつた。
じゃ、分かるよね、錯覚が。そのピュッピュピュッピュに踊らされてるのよ。
普通なら、自問自答させると元に戻って矛盾してるねっで終るけどね、
私の場合、感じたままなんで、永遠に続いちゃうよ。
じゃぁね、よい夢を
お休みー
756 :
神も仏も名無しさん:2007/11/03(土) 01:47:06 ID:L/7EmyqI
おやつみー
これもよい夢だけどねーwww
757 :
神も仏も名無しさん:2007/11/03(土) 01:49:23 ID:alw8pIZt
ひとりー
誰か遊んで
758 :
神も仏も名無しさん:2007/11/03(土) 01:55:50 ID:alw8pIZt
独り〜一人〜ひと里〜
┐(´д`)┌ヤレヤレ
わずか拾秒の悟りかあ
たったそれだけでもその残った感覚は何日か続くのだよな
十秒ならアヘアヘしてるうちに終わるし
実際、時間間隔がわかるわけないのだが
てゆーか
アヘアヘしか説明できないのも肯ける
てゆーか
悟りとアヘアヘと次元が違うんじゃねーか
てゆーか
悟りてのは、そんな拾秒単位のもんじゃなくて
数ヶ月かけて起こるもんだぞ
762 :
神も仏も名無しさん:2007/11/03(土) 02:07:54 ID:alw8pIZt
763 :
神も仏も名無しさん:2007/11/03(土) 09:19:36 ID:09PH+emJ
ここは天国の為の情報収集スレですか?
まったく!空も飛べない奴らが、悟りとな
┐(´д`)┌ヤレヤレ
意思することで物質が変わることなんかあるのかな?
錬金術とかみたいに
原子とか細胞とかよく理屈はわからないけど、意思することで変化するとかありえるのか
よく聞くのは恨んだら他人が不幸になったとか
よくあそこでは自殺するとかそこでは確かに変な空気を感じる
死はその人にしてみれば世界の終わり
我々の意思とは関係なく世界の法則は行われているけど
悟ったら法則に変化が起きたりとかありえるのだろうか?
法則の外=眠りもないしお腹も減らないってことだからね
>>767 もうひとつの悟りスレに居るこいつにでも聞いてみたらw
350 :神も仏も名無しさん:2007/11/02(金) 05:05:34 ID:BQM1Eo98
無という言葉の深さを学びましょう。無とは何もない状態ですが、何かが存在してるからこそ無が成立するもの。
悟りとは理屈で全てを説明できるものではありません。誤った書き込みには注意して下さいね。私ほど悟りの道を歩んだ人は少ないでしょう。
769 :
神も仏も名無しさん:2007/11/03(土) 17:11:27 ID:WEtGrLHx
それもあやしい
771 :
N:2007/11/03(土) 17:30:05 ID:8iEw1x/Z
ややこしく説明してあげよう!
わたしもそれなりに、わかるよ。自ら、悟る」
ぐらいしか、自分の価値をひっくり返す法がないということだろ。
底うっても、浮上しないこころのありよう、とはなんだ?
すなわちそれが悟りだ。悟り悟りということはそういうことだ。
自ら、悟りたくもないのに、悟りという言葉に篭城し、プライドを
肥やす。ついには、どんな、価値観も悟り一つでひっくり返して、
教えをたれようとする心持で社会とつきあい、
それが通じないとわかるや、その度に訂正して、仏教の権威を省みて、あがめる。
その時、拾った言葉を、また垂れる。
まあそういうことだろ。
772 :
N:2007/11/03(土) 17:47:02 ID:8iEw1x/Z
垂れた釣り糸、に食らいつくものといえば、単なる冷やかし。
でも、坊主じゃ帰れんから、新しく、無だの空だの有だの
といった、言葉をつなぐ方法をおぼえて帰る。
要するに、あのようなつり方ではつれないなという糞智慧を
を悟りという言葉の価値観だけを高めることによって、さもありがたく、
いただいた言葉のように発す。
だから、結果的に本当の悟りとは?などと思っているようでは悟れない。
それに人間の個性はそう変わるもんじゃない。なんど消去法を繰り返しても
そこにいきつく。無関心であたりまえの言葉がありがたい時代なわけ。
そういうのをまっぽとかいうんだろうな。まっぽの手先だな。w
めんどくせ
774 :
N:2007/11/03(土) 17:56:51 ID:8iEw1x/Z
結局何がいいたかったのかすら、書いてるうちに忘れるような、
状況にわたしは、いるのですが、
要するに、同じ仏を夢見るものとして、いいたいのは、
正法眼蔵がはたして、今の世にあるか、と考えると大体偽がほとんど。
だから、末法眼蔵だなぁと。そのほうが早いかもしれないよ。
せっかく正しい眼をもってるのに、偽だと思われたら、心外かもしれない
けど、末法かもしれないから、しかたないかもねぇ。
775 :
N:2007/11/03(土) 18:01:40 ID:8iEw1x/Z
なにやっても、なかなか実らんからっていって、
飲まれてタンではよけい弱くなりし、仕方がないから、
強い眼で見張ってないといけない。若いエネルギーは
そのように使うべきだね。そのうち擦り切れるよ。
そうしないと
776 :
N:2007/11/03(土) 18:08:31 ID:8iEw1x/Z
ウインドウばっかみてても仕方ないわけ。
昔は、そういうのは窓際族とか言ったわけ。
ウインドウには変わりないだろ。w
777 :
N:2007/11/03(土) 18:13:32 ID:8iEw1x/Z
昔は11pmなんかやってて、
コマーシャルに写る間に美女がうつるわけ、
それを待ち構えてみてるわけ。
一方、プロデュースする、大橋巨泉なんていうのは、さっさと見切りをつけて
オーストラリアで暮らしてるわけ。w
778 :
N:2007/11/03(土) 18:16:26 ID:8iEw1x/Z
悟りになると、いざしらず」それは違う」とみなさんは言えるかな?
また、損こぐよ。
「またへたこいだ」「おぱぴぃ」と人前でいえるくらいだと、
まあ、銭になるw。
すんません。これくらいにしときます。
一番最後の言葉を見てホッとした
780 :
N:2007/11/03(土) 19:09:18 ID:8iEw1x/Z
「うーむ。だけどですよ、少しディープな話題をすると、チベットの
僧がですよ、彼らは砂の精緻な曼荼羅をこさえて壊すということを
年に一度習慣としてしているわけですが、そのチベットの僧が、そのむかし
テレビというものを見て、「日本人は毎日こんなものをみているのか」
「日本人の多くは、悟りのステージが高いといわざる得ない」などという
意のことを言ったらしい。仮想現実は、現実に立ち返ればマーヤだったと
思わざる終えないわけですが、どうして仮想現実から得た悟りのようなもの
が現実に反映されないのでしょう。ネットでの出来事を真に受けた、まあ
書きにくいんですが自殺とか、ありますよね。仮想現実が、現実を凌駕する
ようなことが起こってる。まあ、経済がこのネット社会の合理性を受け入れ
ているところがあるから、ネットの方が現実味があるのかもしれませんが、
(携帯のワンコールで仕事によびだされたり、給与にしても現生ってことは
ないですからね。最近は、自分の口座に数値がインプットされるだけです。)
チベットの砂の曼荼羅は壊す為にありますが、日本の曼荼羅はそれを体制として
維持することにあり、その辺に違いはあるかもしれません。
まあ、何言ってるかわからなかったら、悪いんですが、どちらがいいんですかね。
現実そのものを幻とみるようなスタンスが最近できてきているわけですが、
なんだか生きにくくなるんじゃないですかね。悟りというものがあるなら
それは諦念、観念、諦め、の類ではないですからね。それなりに、あつく
語るからこそ、あとから、あほなこといってたなぁと思うのであって、
最初から悟ってるような感じが「受けるなんていうスタンスはなんなんですかねぇ。
>>727 >仏陀、イエス、クリシュナ、和尚、etc....
>このなかにオマエラの名前を入れろと言うのか?
入れてみよう・・・
仏陀、イエス、クリシュナ、和尚、神も仏も名無しさん
おお! ピッタリとまとまるではないか!!
782 :
727:2007/11/03(土) 19:56:39 ID:alw8pIZt
783 :
727:2007/11/03(土) 20:58:18 ID:alw8pIZt
IDチェックはちゃんとしてね!
なんか、必死に埋めようとしているカルト団体でもいるのか?
>>770 > 最後の言葉が余計だな
> 自慢しとるがな
てゆーか
>
>>767 > 何かが存在してるからこそ無が成立するもの。
そんなわけねー
> 悟りとは理屈で全てを説明できるものではありません。誤った書き込みには注意して下さいね。私ほど悟りの道を歩んだ人は少ないでしょう。
全然、無じゃないんだが
787 :
神も仏も名無しさん:2007/11/04(日) 07:16:30 ID:Xwn6EgtG
>>1 目の前にあるものこれが解ればすべてが解るのか
少しずつ進むか 歩くの好きだから。
788 :
神も仏も名無しさん:2007/11/04(日) 07:26:37 ID:jH7NkT5L
悟りをひらいた私がまた見にきましたよ。
789 :
ゼロ ◆ZwzTRF3Nd2 :2007/11/04(日) 08:46:20 ID:Wp1xlJjJ
無我や悟りは、我(アートマン)と無常を学べば分かるみたいよ。
諸行無常(常住不変なものは無い)だから、死や消滅も一つの変化に過ぎないのだと。
執着心といったものを無くす事が「解脱」とされる。
それを徹底理解したものが、悟りを啓いた者とされるそうな。
それで、我にすがる事も執着だから、「無常だから無我である」と…
って仏陀って人が言ってたよ。
んで、
>>1さんが言っているのは、
仏陀の教えの「あるがままに見よ」っていうことだと思う。
悟りを啓く為の準備活動的なものだった希ガス。
イコールではなかったんじゃないかな。
790 :
神も仏も名無しさん:2007/11/04(日) 13:04:02 ID:oaQSax3j
「悟り」を理解したい者は、上の方にある カルキ・バカヴァン の話を読むように。
決して、読んだからって悟ることができることとは違うからな。
悟るにはその状態を体験していかなければならない。
791 :
ゼロ ◆ZwzTRF3Nd2 :2007/11/04(日) 13:27:36 ID:Wp1xlJjJ
悟りには色々あるみたいだね。
だから、カルキさんのも悟りの一つに過ぎない。
ちなみに俺が
>>789で書いたのは、一般的な初期仏教の仏陀の悟り。
他宗教と違って、仏陀はオカルトチックな事柄を嫌ったそうだ。
だから、無常を説いたのさ。現代人に一番しっくりくる悟りではないかな。
幽霊とか魂とか輪廻とか出てこない悟りだよ。
792 :
ゼロ ◆ZwzTRF3Nd2 :2007/11/04(日) 14:14:22 ID:Wp1xlJjJ
>>473 今更だけれど、間違っている箇所があるので指摘しておくよ。
アートマンと無我(アナートマン)を一緒にしてはいけない。
アートマンというのは、あくまで「真我」であり、
インド哲学において「魂」のようなものとされ、宗教的救済の根本となっている。
一方の無我は、仏教の、それに対するアンチテーゼなわけです。
「an-atman=アナートマン」なわけだからね。
そういえば最近真理とか宇宙とか悟りとかわかっちゃったんだけど
愛だったわ
愛には全てが入ってるし愛は全てに入ってたわ
ほんでなんか色々ぐるぐる廻ってた
8の字だったよ
794 :
N:2007/11/04(日) 17:26:01 ID:qfLt9HI6
愛 愛
愛 愛
愛 愛
愛 愛
愛
795 :
N:2007/11/04(日) 17:34:41 ID:qfLt9HI6
愛愛
愛 愛
愛 愛
愛愛
愛 愛
愛 愛
愛愛
どう?愛が足りない?
俺は悟りについて理解してるから教えてやろう
まず悟りを経験したものにしか悟りそのものは理解できない。。
俺は経験してないから悟りがどういうものかしか理解できない。
悟ったという奴は悟りを理解してない。
仏教とかの教えは悟りを得るための手法でしかない。
798 :
神も仏も名無しさん:2007/11/04(日) 19:10:00 ID:q9HxFaZd
>>791 いろいろあるというなら、その文献を持って来いよ。見てみよう。
君の思い込みじゃダメ。
宇宙に対して悟りという状態はひとつしかない。これは真理だな。
目の前にあるものを純粋に見ること
ありのままで見ることは悟りを得るための手法であって悟りの状態ではない。
根本的に違う
もっというと悟りを経験した人間には悟りを経験したことがはっきり分かる。
悟りがどういうものかはっきり分かってない人間は悟りを経験していない。
801 :
N:2007/11/04(日) 19:28:19 ID:qfLt9HI6
なんだ、まだクシャトリアのことなんか言ってたのか・・・・
明日は日中、西日本側から雨が降り出すよ。
802 :
ゼロ ◆ZwzTRF3Nd2 :2007/11/04(日) 20:04:30 ID:Wp1xlJjJ
>>798 悟りの境地が共通かどうかは分からんが、
アプローチが違う以上、悟りの定義もことなるだろうと、俺は思うんだ。
現にこのスレッドにこれだけの悟りがあるわけだから。
何一つ同じものが無い。
俺は単なる仏教好きだからね。
傾向として、宗教には悟りが重宝されているものだよ。
>君の思い込みじゃダメ。
この思い込みあふれるこのスレッドで、よく俺を指摘しようと思ったね。
「ダメ」と否定したいならば、
そちらの方からまず文献を挙げれば手っ取り早いのでは。
俺は各宗教の悟りが統一されているなんて、一度も聞いたことが無い。
興味があるな。
803 :
神も仏も名無しさん:2007/11/04(日) 20:27:09 ID:ibYmYR+6
>>802 私は、カルキ・バカヴァンの講話を持ってきたんだが。
悟りがどういうものか理解すれば、幾つもあるなんて考えないんだよ。
804 :
ゼロ ◆ZwzTRF3Nd2 :2007/11/04(日) 20:41:32 ID:Wp1xlJjJ
〜追記〜
あと、俺が何で
>悟りには色々あるみたいだね。
と言ったか分かるかい?客観的な視点で述べたのが分かるかな。
俺は他人の信仰を否定したくなかったんだよ。
そして、カルキさんの悟りと仏陀の説く初期仏教の悟りが全然違うからだ。
カルキさんの方には「愛」などの現世利益が含まれているからね。
仏陀は諸行無常を説いている。
即ち、苦しみからの解脱は執着心を絶つことにあるのだと。
悟ったなら、争いをしてまで何かを得ようという心は芽生えない。
805 :
ゼロ ◆ZwzTRF3Nd2 :2007/11/04(日) 20:45:06 ID:Wp1xlJjJ
>>803 そうだったのか。そいつは分からなかった。
ところで、カルキさんは何教を修行し悟りを得た人だい?
このスレッドを斜め読みしただけだけれど、よく分からなかったんだ。
ディクシャ読んだ。
催眠術じゃねえか。あほすぎる。
807 :
803:2007/11/04(日) 23:33:55 ID:STpWH0vw
>>805 私は、悟り しか興味がないから、それ以上のことは分らない。
悟りに関しては、いろいろなところから情報を得ていて、総合して結論を出している。
実は、悟りに関しては通過点ではあったが、さらにアセンション情報へと続けていっている。
進めていくと、悟りの状態が、今になってすごく重要なことと分ってきた。
今は毎日、できるだけその状態に近づけるように試みている。
808 :
774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/11/05(月) 15:42:48 ID:+xZmW5Al
さてどうしたもんだか...
>今は毎日、できるだけその状態に近づけるように試みている。
無理無理。絶対無理。試みてって実験じゃないんだからw
それともそのくらいのものにしか思ってないのかな。
人の悟りなんか放っておけよ。そんな情報、何の役に立つよ。
まぁグルメレポーターのコメントなど信じず、犀のように独りで
進めよ。それから悟ったという人には気をつけた方がいいな。
インド人にとっちゃ信じやすい日本人などカモでしかないよ。
しかし似たようなグルが良く出てくるよな。たぶん笑いが止まらない
と思うぞ。
809 :
ゼロ ◆ZwzTRF3Nd2 :2007/11/05(月) 16:00:38 ID:wWBn2CSk
>>807 精進してみると良いよ。きっと何かは得られるからね。
俺は仏教徒として精進するよ。
>>808 悟りについて、何か知っていそうだね。
810 :
774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/11/06(火) 02:14:34 ID:BonX9uVU
>悟りについて、何か知っていそうだね。
自分はそれについて何も知らないということを知っている。
階段を1段上がったところで何かがわかるものでもない。
次の一段が見えるだけ。でもそれはただの想像でもない。
アセンションなどただの妄想、悟りも同じくただの妄想。
ただの言い訳で単なるお遊びだ。インドで遊んだり、何か
の概念や体験で遊ぶのはその人の勝手だが、子供がおもちゃに
飽きるように、グルやら悟りやら、アセンションやらのおもちゃを
捨てる勇気がないとね。話はすべてそこから。
811 :
ゼロ ◆ZwzTRF3Nd2 :2007/11/06(火) 03:02:53 ID:LktbtaNd
>>810 なるほどね。つまり「知ったかぶり」を嫌っての事、ということか。
俺は、仏陀の啓いた悟りしか知らないけれど、
初期仏教における「悟り」「解脱」は、妄想とは違うものなんだ。
仏陀の悟りは、執着心からの脱却。諸行無常。
神々がどうとか、輪廻がどうとか、魂がどうとか、
そういった、主観の入りかねない「空想的独断」は一つも関係ない。
むしろ、そのことで争うことの無意味さを、沈黙という形で説いている。
無我とは、妄想、盲信の消極的否定。非我と訳した方が意にかなう。
悟りには色々あるみたいだし、各々が満足していれば、それで良いんじゃないかな。
ただ、押し付けや争い、無理強いの勧誘などには、「えっ!?」だけれどさ。
悟りっていうのは、
諦めること、受け入れることを経て
自分を含めた世界を好きになることですよ^^
by 浄土真宗教徒(浄土真宗では悟るって言わないけどなw)
813 :
ゼロ ◆ZwzTRF3Nd2 :2007/11/06(火) 03:39:36 ID:LktbtaNd
>>812 浄土真宗ではそうなっているのかぁ。
さすが初期仏教から派生しただけの事あって、俺好みだなぁ(だから何ってこともない)。
誤解がないように付け加えとくと、
浄土真宗の教えでは人間は基本的に悟れませんし煩悩から解脱できませんw
なので、オレは悟ってないことになるわけです。
ただ、自分が死ねば阿弥陀仏の力によって極楽浄土に生まれ変わってから
そこで阿弥陀仏の力によって悟りを得るというのを馬鹿正直に信じているわけですw
(まー、禅宗とか他の宗派の方が悟りを得られてたとしても、努力が出来ない俺には修行について行けないわけで無理です。
しかし、そんな俺でも努力をせずとも阿弥陀如来が勝手に悟らせてくれるので、今は気楽に好きなことして生きているわけです。)
815 :
ゼロ ◆ZwzTRF3Nd2 :2007/11/06(火) 04:13:29 ID:LktbtaNd
>>814 そうなんだ。
まぁ突き詰めると、悟りは入滅するまで基本無理だろうね。
執着を完全に捨て去るなら死しかない。
しかし、悟りを理解し、極限まで涅槃に近づくことは出来るだろうね。
それが「煩悩」を捨て去ることなのだろう。
宗派については全然無知だから、勉強になるなぁ。ありがたい。
だったら、さっさと死んで極楽浄土に生まれ変われよと言われそうですが、そいつは無理です。
なぜなら、自分には煩悩がありますので頭では分かっていますが、それゆえ自殺できない訳です。
(もっというと気楽に好きなことして生きてますので、あまり死にたくございません^^これもやはり、煩悩のせいでしょう)
阿弥陀如来はどんな人間でも100%極楽浄土へ連れて行ってくれる仏様なので、特に何もすることありません。
別に阿弥陀如来を信じなくてもおkです。
というのも、今は信じれなくても機が熟せば阿弥陀様が勝手に信じさせてくれるので何もせず身を任せればいい訳です。
念仏も唱えなくてもおkです、機が熟せば阿弥陀様が勝手に唱えさせてくれるので何もせず身を任せればいい訳です。
817 :
ゼロ ◆ZwzTRF3Nd2 :2007/11/06(火) 04:34:53 ID:LktbtaNd
>>816 そうなのか。
これは、俺の考えで仏教の教えではない(と思う)から、
気に入らなかったらスルーで良いけれど書くことにするよ。
「自殺」というのは、煩悩が成すものではないかと思っている。
それは、何故かというと、「死への執着」があるから。
俺は自殺はしない方が良いと思うなぁ。
自分が悟りを啓いたからって、周り(家族など)は啓いてないわけで、
釈迦のように妻子を捨ててまで涅槃に辿り着こうというのには賛同しかねる。
気楽に好きなことして楽しんで、死する時が来たら潔く死ぬ。
それが素晴らしいのではないかなぁ。
なので、現世では悟りを得ることは諦めております。
それゆえ、煩悩の中を生きていますが人間とはそういうものだと諦めております。
ただ、阿弥陀仏が救ってくれる事だけは確信しております。
もし、救ってくれなくても、阿弥陀仏の救い以外に方法が無いので永久に輪廻を煩悩で苦しむようになったとしても、それが自分の運命だと諦めています。
そういう感じで色んなことを諦め続けていくと特に執着が少なくなった気がしますが、それもまた、そう思いたいという煩悩なのでしょう・・・
人間の行ない全て、夢ごとです。
真理は阿弥陀仏が救ってくれる、それだけです。
以上
>>817 「自殺」も煩悩だと俺も思うよ。
んで、浄土真宗においては「自殺」の善悪においては言及しない。
死にたかったら死ねば良いし、生きたかったら生きれば良いという立場。
820 :
ゼロ ◆ZwzTRF3Nd2 :2007/11/06(火) 04:51:30 ID:LktbtaNd
>>818 そうかぁ。信仰心があるね。
お互い人生を楽しもう。それがなによりだよ。
インドでは悟りを得ると人間の上の存在に生まれ変われて、天女を抱けると信じられてきた。
釈迦は天女を抱くために出家したんだよ。
四諦はただの伝説です。
822 :
神も仏も名無しさん:2007/11/06(火) 04:55:10 ID:envgJnTa
へ
823 :
ゼロ ◆ZwzTRF3Nd2 :2007/11/06(火) 04:58:45 ID:LktbtaNd
>>819 賛同ありがとう。
そして、浄土真宗を教えてくれてありがとう。
>>俺は自殺はしない方が良いと思うなぁ。
>>釈迦のように妻子を捨ててまで涅槃に辿り着こうというのには賛同しかねる。
これらも考えが偏ってる。
だからと言って、何が正しいかは俺も分からん。
阿弥陀様に全てお任せしとこうと言うのが浄土真宗の考え方。
一見、考えを放棄している思想だけど、
般若心経と同じく「全ては無であるこだわるな」と同じなわけ。
825 :
ゼロ ◆ZwzTRF3Nd2 :2007/11/06(火) 05:11:50 ID:LktbtaNd
>>821 それは、きっと後に作られた経典でのものだろうね。
仏陀それじゃ悟り啓いてないじゃん。弟子つかなそ〜(笑)
四諦が伝説というのははじめて知ったなぁ。
まぁある意味全ては伝説か。伝来したものを信頼するしかない。
俺の信頼している説では、仏陀は現実を見て悟りを得たとされている。
宗教的救いではなく、現実的救いをしていた。
キサー・ゴータミーの物語というものがあってね。とても現実主義なんだ。
諸行無常を絵に描いたような話だよ。
>>823 俺が教えたのではなくて、
俺を通して阿弥陀如来が教えたんだよ。
※自分の行ないを否定している思想だけど、
般若心経と同じく「全ては無であるこだわるな」と同じなわけ。
まー、意味分からんと思うわw
基本好きなように生きたらおkです。
くれぐれも親鸞会には手を出さないように。
んじゃね。
827 :
神も仏も名無しさん:2007/11/06(火) 05:24:14 ID:X24dMCgZ
どうやら浄土真宗と初期仏教は根本的に違うようだ。
>>825 >現実主義
これは大正解
仏教は論理的な「哲学」です。
仏教を一言で言うと「諦めろ」っていうことです。
なぜなら、精神的なコンプレックスとかいったものは全て諦めがつかないから、
苦しいわけで、諦めることさえ出来れば苦しくないわな。というわけです。
仕事が辛い→諦めて受け入れろ
彼女が出来ない→諦めろ受け入れろ
んで、悟りというのは思想のシフトのことです。
呼吸法・瞑想とやらを身につけても、24時間それをするのは無理です。
仕事しながら瞑想してたらクビなる。それでは意味が無い。
しかし、思想を変えた上で仕事するのは可能なわけ。
そういった意味では、阿弥陀如来というのも実は「諦める」に至るまでを論理的を助ける道具です。
>弟子つかなそ〜(笑)
これも正解、営業手段として伝説が作られたのが真実
なぜなら、ロジックで説明するよりも物語にして説明した方が聞き手も楽しめて理解できるから便利なわけ。
829 :
ゼロ ◆ZwzTRF3Nd2 :2007/11/06(火) 06:19:07 ID:LktbtaNd
>>828 何故か連投のアク禁食らってた(笑)
四諦も四つの諦めって書くし、そういうことなんだろうね。
>仏教は論理的な「哲学」です。
本当にそう思うよ。学べば学ぶほどさ。
>阿弥陀様に全てお任せしとこうと言うのが浄土真宗の考え方。
様がいるのかぁ。何か信仰って感じだね。
神と違って、ものすごく透明な存在っぽいけれど。
>>何か信仰って感じだね。
浄土真宗は理屈で追求すると信仰心が出来るから
意外に神とか仏を信じれない人の方が向いていると思う。
俺は人生・自分自身に絶望して、仏教にすがった人間だけど
般若心経から初めて、釈尊、禅宗とまぁ、仏を信じない人間だった。
初期仏教・禅宗やらの戒律やお経唱えたり修行をやってみたが結局挫折して苦しんでばかりいた。
(第一、お経を唱えたら悟れるというのが理解できん)
そこで、易行の念仏仏教、浄土真宗の研究をしてみたけど、
阿弥陀如来が全然信じられなかった。
しかし、心理学やら色々理屈で追求すると実に理にかなった
(阿弥陀仏を道具として利用した)教えだと理解できて今に至る。
実は浄土真宗は凄く論理的で理解する宗派です。
けど、仏教には色々宗派があるので色々勉強すると良いよ。
現実主義でいくならば、小乗仏教から始めると良い。
(多分挫折すると思うけど、キツイので)
>>神と違って、ものすごく透明な存在っぽいけれど。
阿弥陀仏は信じなくても、たとえ坊さんを100人殺しても極楽浄土に連れってくれるから、
まー、そういう奴です。
それと浄土真宗は多分、絶望しないと理解出来ない宗派だから
(開祖親鸞も仏教に絶望した人間なので)
もしかすると、絶望経験がないと理解出来ないと思う。
けど、生きてたらそのうち絶望すると思うし、その機会がなかったらラッキーということで良しとすれば良い。
では、
832 :
神も仏も名無しさん:2007/11/06(火) 07:28:24 ID:SxFd6vXM
神も仏もいないから頼らず自分の力で生きていけ、と気付く事が悟りなんじゃないか?
名言すぎる自分に驚愕してる
833 :
ゼロ ◆ZwzTRF3Nd2 :2007/11/06(火) 07:56:17 ID:LktbtaNd
>>830-831 あなたもこの世に絶望をみた一人なんだね。
俺?恐らくあなたの知らない世界を知っているよ。
恐らく絶望や鬱などを経験しないと宗教に辿り着くこともないでしょう。
だって、何かにすがる必要ないんだからさ。
苦悩に苦悩を重ね、俺は結果的に理屈(「何故」)から仏教に辿り着いたんだ。
では、また機会があれば。
834 :
774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/11/06(火) 10:25:41 ID:CF8C3Vxk
>悟りには色々あるみたいだし、各々が満足していれば、それで良いんじゃないかな。
>ただ、押し付けや争い、無理強いの勧誘などには、「えっ!?」だけれどさ。
悟りはお客さんだ。向こうからやってくるものだから、
突然やってきて、えっ、聞いてないよ。ということもあるわけ。
にんげんの理解を遙かに超えている。
それから悟りで満足だなんて馬鹿なことを言うなよ。
それは認識の幅が広がる分、苦しみも増えるということなんだぜ。
観音様なんかと同じ視点に立ってみろ。この世の苦しみをまさに自分
の苦しみのようにしか感じられないぞ。満足どころの話じゃない。
>苦悩に苦悩を重ね、俺は結果的に理屈(「何故」)から仏教に辿り着いたんだ。
人間というものは自らの絶望すら自慢したいものなのだな。
835 :
神も仏も名無しさん:2007/11/06(火) 17:03:37 ID:Ul8bxyOi
>>834 あんたのレスは、じつは、読まなくてもいいことはよく分っている。何の価値も見出せないから。
836 :
UNKO:2007/11/06(火) 17:25:10 ID:PjIpcjWb
価値とはなんだ?価値とは。わしUNKO(どう読もうがあんたの自由だが)
が、アジアの貧しそうなところを徘徊しておったときじゃ。
犬に値札がついておった。だれかのいたずらだろうが、それは一種の
悲哀をかもしだし、たまに、えさなどをもらい、比較的丁重に、扱われておった。
野良犬気取りの犬、実は値札を貼ってもらいたいような目をした犬、
値札が貼られているのに気づかない犬、犬とは本来この三種に
分かれる。
飼い犬は犬ではないから、この三種だ。834は一貫して、どの
タイプの犬かいや、人間化ということだ。果たして、自分にはどこからどこまで
値札がついている人間なのか。普通はわかるものだ。どこまで値札が
ついているのか解らないようなやつは、値札がないのと同じだ。
値札がついてないのに、ついてると思っているところなんかが、
絶望的なのだ。そこんとこ間違えてはいけない。
837 :
ゼロ ◆ZwzTRF3Nd2 :2007/11/06(火) 17:49:07 ID:LktbtaNd
>>834 >悟りはお客さんだ。向こうからやってくるものだから、
それを言うなら、自分にふりかかる世の中の出来事全てがお客さんだろう。
そう考えると、己の肉体もある意味で客だ。
>観音様なんかと同じ視点に立ってみろ。この世の苦しみをまさに自分
>の苦しみのようにしか感じられないぞ。満足どころの話じゃない。
観音になることが悟りと思っているのかい?
それは仏教の悟りではない。どこから湧いて出た発想だ?
苦しむのが悟り?何の悟りだそれは。
認識が広がる事が悟りとは、はて、どこの誰が言った事だろう。
苦悩しない限り、苦しみから逃れようとは思わない。悟る必要も無い。
838 :
UNKO:2007/11/06(火) 18:02:11 ID:PjIpcjWb
ちょっとあなたはもうやばいですね。
パソコンを閉じて、だれといったいかいわしているのか。
周囲をみまわしてくらさい。
深呼吸をしてください。よろしく
839 :
こんばんわ:2007/11/06(火) 18:41:23 ID:URuvvYXS
>>苦悩に苦悩を重ね、俺は結果的に理屈(「何故」)から仏教に辿り着いたんだ。
苦悩から解脱したいのなら、仏教で大丈夫です。
ただ、1つ言わせてもらうとココの板で書かれている他人の意見にすがってはいけない、
間違った方向へ進んでしまう恐れがある。
というのは、色々読んでみたけど神秘体験とか理解しずらい説明など
意味不明なことばかり書かれているからです。(というか大体間違ってる)
それに書き込んでいるのは煩悩に塗れた人間が書き込んでるに過ぎないし、
そんな人間の考え説教は役に立たないのは明らか。
自灯明・法灯明といった言葉があるように
自分で考え、法を学んだ方が正確に苦悩から解脱できる可能性が高いです。
般若心経を読んだりと色々と真理を学ぶのがお勧め、
もし、浄土真宗を学んでみたいのなら「私訳歎異抄」だけ読めば良いと思います。
840 :
ゼロ ◆ZwzTRF3Nd2 :2007/11/06(火) 18:56:24 ID:LktbtaNd
>>839 今朝はどうも。こんばんは。
>ただ、1つ言わせてもらうとココの板で書かれている他人の意見にすがってはいけない、
>間違った方向へ進んでしまう恐れがある。
そうだね。そう思うよ。こういった匿名掲示板は信憑性に欠ける。
文献紹介なんかは役に立つけれどね。
>般若心経を読んだりと色々と真理を学ぶのがお勧め、
>もし、浄土真宗を学んでみたいのなら「私訳歎異抄」だけ読めば良いと思います。
ありがとう。参考にさせてもらうね。
841 :
774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/11/07(水) 01:15:53 ID:QhFRGj+L
ゼロ君は甘い、甘すぎる。そしてたぶん若い。
全然ゼロじゃない。
>自分で考え、法を学んだ方が正確に苦悩から解脱できる可能性が高いです。
とかいいながら、
>般若心経を読んだりと色々と真理を学ぶのがお勧め、
>もし、浄土真宗を学んでみたいのなら「私訳歎異抄」だけ読めば良いと思います。
と言い切るのはどうよ。悩める若人には悩ませておけよ。
それに人間は間違いを通してしか学ばないよ。これが苦から逃れる唯一の道だと
いう前に、彼が彼自身の苦しみを自慢できないくらいのものを授けなさいよ。
苦から逃れる術はない。生臭坊主ならそれくらい分かっているんだろ。
842 :
774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/11/07(水) 01:29:35 ID:QhFRGj+L
>それを言うなら、自分にふりかかる世の中の出来事全てがお客さんだろう。
>そう考えると、己の肉体もある意味で客だ。
これは通じないとは思ったがその通りだね。しかたあるまい。
>観音になることが悟りと思っているのかい?
誰もがそういう存在になる運命だよ。
>それは仏教の悟りではない。どこから湧いて出た発想だ?
お前が何を知っている?悟りの世界を味わってから言え。
それまでは口を閉じていることだ。
>苦悩しない限り、苦しみから逃れようとは思わない。悟る必要も無い。
苦しみから逃れる術はない。悟る主体はどこにも存在しない。唯一認識
のみが輝く。悟ろうとすることは、葉の水滴が大海を手に入れようとする
ようなものだ。悟りの事実は水滴が大海に溶けさるというもの。
甘い。甘い。超甘いよ。
843 :
774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/11/07(水) 01:39:29 ID:QhFRGj+L
結局、煮詰まらないと何をやってもだめだな。
逆に言えば煮詰まっているなら何をやっても良い。
それから中世に興った日本の仏教には敬意を表するが、それは中世の人々に
最もよく効く。現代人のためには工夫が必要だよ。否定するものではないがね...
どの道かを選ぶ前に間違いを侵すことはとても重要だ。
道を選んでから「やっぱり違う道に...」となることもあるからな。だからこれが
唯一の道であると言う奴は信じちゃだめだ。というか、自分の中の願望も含めて
何も信じない方がいい。浄土をやるならバランスを取るためにクリシュナムルティ
でも読んでおきなよ。仏教しか喰わないとか言うな。食わず嫌いは大きくなれんぞ。
テスト
845 :
774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/11/07(水) 01:51:06 ID:QhFRGj+L
そういえば親鸞上人の生涯からは苦悩を感じるね。
これほど苦が似合う日本仏教の宗派はないんじゃないの。
オラも苦しむし、悩む日々だ。上人はあやかりたいものだよ。
いまごろどこぞの星にでもなっているのだろうな。 合掌
846 :
神も仏も名無しさん:2007/11/07(水) 01:57:52 ID:ooYSBW0g
自力と他力は結局同じだと思うんだけどな。
自力は自分の力で自分を無にすることでしょ。
他力は他に全てをまかせるという意味で自分を無くす。
でも自力は自力で無になろうとしてる自分を肯定しちゃってたりとか、無の概念に捉われて
無になってない場合が多いし、
他力は他力で、ほとんどのことは他力なくせに根幹では自分で判断してたりする。
他力ってのは他力を止めろって言われたらハイ止めます、信心を辞めろっていわれたらハイ
辞めますってことだよ。
自己の意見とか持ってるうちは他力じゃない。
もちろん自力も。
自力も他力も中途半端な人が多すぎなんだよね。
>悩める若人には悩ませておけよ。
それはゼロ ◆ZwzTRF3Nd2さんが自分で生き方決めるので貴方が決めることでない。
>彼が彼自身の苦しみを自慢できないくらいのものを授けなさいよ。
言っている意味がよく分からないけど、阿弥陀如来が上手くやってくれるから大丈夫
>>苦から逃れる術はない。生臭坊主ならそれくらい分かっているんだろ。
ならば、どうぞ勝手に苦しみながら一人で生きれば良いでしょう。
それが貴方の運命です。
>浄土をやるならバランスを取るためにクリシュナムルティ
>でも読んでおきなよ。仏教しか喰わないとか言うな。食わず嫌いは大きくなれんぞ。
どうせ阿弥陀如来の力で来世には極楽浄土に生まれるので、
読んでも読まなくても最初から結果は一緒ですし、お金と時間が無駄なので遠慮しておきます。
>現代人のためには工夫が必要だよ。
これも阿弥陀如来が上手くやってくれるから大丈夫。
>生臭坊主ならそれくらい分かっているんだろ。
ただの大学生ですw
>他力は他力で、ほとんどのことは他力なくせに根幹では自分で判断してたりする。
「根幹では自分で判断と」ありますが、
その判断でさえ「色んな働き(阿弥陀如来とか前世とか過去とかetc)」
によって結果(ここでいう判断)が起こるのでやっぱり他力です。
>他力ってのは他力を止めろって言われたらハイ止めます、信心を辞めろっていわれたらハイ
辞めますってことだよ。
南無阿弥陀仏は意訳すると「阿弥陀仏にお任せする」という意味です。
なので、上記のように他人にコロコロと惑わされません。
自分の全てを委ねるのは阿弥陀仏のみと言うわけです。
850 :
神も仏も名無しさん:2007/11/07(水) 02:59:13 ID:ooYSBW0g
>>849 阿弥陀仏の言葉をどこで聞いたんだい?
阿弥陀仏がキミに何をどうしろと言ったんだい?
お経は阿弥陀仏じゃなくて言葉だよ。
阿弥陀仏ってのはアミターヴァ、無限、限りがないってことだ。
つまりこの世界全体ってことだよ。
阿弥陀仏と他人、あるいはキミ自身を分けてたら阿弥陀仏でもなんでもないよ。
後世にできたお経じゃなくて阿弥陀仏の本当の意味、仏陀の教えから阿弥陀仏の概念が
生まれた理由をよく考えてごらん。
お経の通り信じろというのは阿弥陀仏じゃなくてただの坊さんだ。
阿弥陀仏の声を聞いてごらんよ。
>阿弥陀仏の言葉をどこで聞いたんだい?
釈尊→善導→法然上人→親鸞聖人→ググれ→歎異抄→俺
>阿弥陀仏がキミに何をどうしろと言ったんだい?
極楽浄土に連れてってくれる。
>お経は阿弥陀仏じゃなくて言葉だよ。
>阿弥陀仏ってのはアミターヴァ、無限、限りがないってことだ。
>つまりこの世界全体ってことだよ。
>阿弥陀仏と他人、あるいはキミ自身を分けてたら阿弥陀仏でもなんでもないよ。
>後世にできたお経じゃなくて阿弥陀仏の本当の意味、仏陀の教えから阿弥陀仏の概念が
>生まれた理由をよく考えてごらん。
俺のような煩悩にまみれた、つまらない無知な人間でも、
阿弥陀仏によって救われると固く信じております。
貴方のように博識のある方が私の信心をくだらないと思われても、
俺にとってはこれ以上ない素晴らしい教えです。
もし、他に優れた教えがあったとしても、
それについていく力が無いのでとてもついていけませんし、理解できません。
俺にとって煩悩から救われるのは阿弥陀仏の約束だけが希望なわけです。
なので、ご遠慮しておきます。
訂正(言葉が足らないので)
>阿弥陀仏がキミに何をどうしろと言ったんだい?
何もしなくても、来世に極楽浄土に導いてくれて悟りを得させてくれる。
>>851 そうかい。
じゃあ法然や親鸞や他の坊さんの間にも阿弥陀仏や阿弥陀仏と唱えることの解釈の違いが
あるから、よければそのことでも学んでください。
ちなみに僕はキミの信心をくだらにとは思わない。
くだらないともすばらしいとも思わないけどね。
それが僕の知ってる阿弥陀仏(無分別、無限であること)だよ。
ま、だからキミにどうしてほしいとも思わないし、キミはキミの法のままに生きてくださいな。
>じゃあ法然や親鸞や他の坊さんの間にも阿弥陀仏や阿弥陀仏と唱えることの解釈の違いが
>あるから、よければそのことでも学んでください。
何もしなくても、来世に極楽浄土に導いてくれて悟りを得させてくれるので、ご遠慮しておきます。
>ま、だからキミにどうしてほしいとも思わないし、キミはキミの法のままに生きてくださいな。
南無阿弥陀仏
856 :
神も仏も名無しさん:2007/11/07(水) 08:36:30 ID:H0dxU7e5
無課金浄土真宗教徒さん、
誰でも極楽浄土に連れて行ってもらえるってことだけど、じゃ今はどんな悪いことをしても、好き放題で他人に迷惑をかけてもいいの?
って疑問をもつ人があると思うけど、そのへんはどう理解してるの?
そんな理由で親鸞さんも迫害されたよね。
ちなみに歎異抄は結構気に入って読んだことあります。
857 :
ゼロ ◆ZwzTRF3Nd2 :2007/11/07(水) 09:23:57 ID:DhEnE0s8
ん?寝ている間に返事が。
>>841 俺が若いかって?あぁ、若い。とても若いよ。
>>842 >悟りの世界を味わってから言え。
悟りを知っていない事を知っている、という774が何を言う。
何たる自己矛盾だ。人に言うならまず自分がそれを味わうといい。
>苦しみから逃れる術はない。悟る主体はどこにも存在しない。唯一認識
のみが輝く。
まぁ、全部苦しみという事を知ることで苦から解放されるわけだから、
逃れる術がないというのはある意味間違ってはいないわな。
しかし、単なる言葉遊びだ。そして、悟る主体がないとは?空が悟るのか?
あなたのいう「認識」とはアートマンを指していると思うのだが、
存知の通り仏教では無我だ。輝きもしないし。
>浄土をやるならバランスを取るためにクリシュナムルティ
>でも読んでおきなよ。仏教しか喰わないとか言うな。食わず嫌いは大きくなれんぞ。
ありがとう。参考にするよ。
俺は、釈迦にあやかり信仰はしない。
言ったの言わないだの。どんどん難解になっていったり。
信じるものは救われる…それは釈迦の意図するところではない。
何故信じるのか、何故行うのか、明確にしておかないとね。
>誰でも極楽浄土に連れて行ってもらえるってことだけど、じゃ今はどんな悪いことをしても、好き放題で他人に迷惑をかけてもいいの?
>って疑問をもつ人があると思うけど、そのへんはどう理解してるの?
浄土真宗では悪も善も、自分の意思によってなされるのではなく、
過去の行い、宿業によるものであるということと考えています。
簡単に言うと、自分の良心、悪心というものを生み出す様々な行為や結果は、
実は自分で選んだり、自力で成し遂げられるものではないと言うわけです。
なので、阿弥陀仏はそれを最初から分かっているので、善悪かわりなく救うと約束したわけです。
俺も生まれてから、何万もの尊い命を殺して(食べるとか毛皮を着るとか木を切るとか)生きてきたわけです。
ならば、例えば肉食を止めろと言われても煩悩まみれの俺には根底から無理なので、俺も悪い人なわけです。
俺は自分の悪を自覚して自分を悪人と認めてますが、善人は他人を批判するけど己の悪さえ自覚していない偽善者・大悪人なわけです。
そんな「善人」ですら救われるのですから、「悪人」が救われないわけがないのです。
続く
続きです。
しかし、阿弥陀仏は許して救ってくれるけど、世間が許さないわけです。
我々日本人は日本の法律に従って生きていくことを強制されてますので、犯罪を犯した場合も当然法律に従ってもらいます。
殺人者が上記の通り「自分の意思でない。阿弥陀仏が救ってくれる」とか言ったとしても、
俺らは阿弥陀仏じゃねーよ馬鹿野郎、死んでから救ってもらえやボケと
世間が死刑なり終身刑なり法律通りに罰を与えれば良いわけです。
我々(世間のこと)が犯罪者を救ってやる義理は御座いません。
と、いうわけで浄土真宗は道徳団体でもなければ人権派でもないわけです。
ただ、何もせず(逆に言えば何をしても)死んでから阿弥陀仏に救われると固く信じているのです。
参照:歎異抄
>そんな理由で親鸞さんも迫害されたよね。
迫害されることで浄土真宗が出来たので、必然であったと考えることもできます。
なので、阿弥陀仏の導きかもしれませんが、そんなことどうでも良いわけです。
(自分で振っといて「どうでもいい」というのは変に思われますが、そんなこと関係なしに極楽浄土へ……(省略)という訳です。)
862 :
856:2007/11/07(水) 19:02:03 ID:H0dxU7e5
>>858,861
なるほど。それが絶対他力ってやつかな。
その発想だと傲慢さが消え、あせりが消えるだろうね。
確か空海さんが言ってたな、神の胸に飛び込めっていうような。それと似たものを感じる。
ところで来世で救われるのは良いとしても今世で救われたいと思わないの?
863 :
神も仏も名無しさん:2007/11/07(水) 19:27:46 ID:2QhGFR4+
みんな色んな知恵があるんだね。凄いね。
源と直結したままで居られる方法とかあったら教えて下さい。
865 :
神も仏も名無しさん:2007/11/07(水) 21:36:05 ID:+sUz4S9x
>>862 >確か空海さんが言ってたな、神の胸に飛び込めっていうような。
おもしろいね。よく似た文句で、ある本のタイトルに、迷ったときには運命に任せろ!
というのがあった。この本の内容は読んでないけど、なんとなく分る気がした。
こんばんは、お答えいたします。
>ところで来世で救われるのは良いとしても今世で救われたいと思わないの?
まず、「救う」というのは上記の通りあくまでも来世での話しなので、
「今世での救い」というものを「悟りを得て苦から解脱すること」と解釈させて頂きたいと思います。
その苦も「身体的な苦痛」と「精神的な心の苦痛」とに区別させて頂きます。
次に、「身体的な苦痛」については現代医学で麻薬を使ったりとそちらにお任せできるので、
「精神的な心の苦痛」についてお答えさせていただきます。
それらを前提として俺、個人について申しあげますと(他人は度外視です。)
現世においては悟ることで「精神的な心の苦痛」から開放されることは
絶対に無理・不可能なので諦めきっております。
(理由:俺は煩悩にまみれた、つまらない無知な人間であるため)
次に今までの書き込みの通り、俺が信じているものはこの世で阿弥陀如来だけです。
例えば、お金は信用しておりません。なぜなら、お金の価値は常に変化しているからです。
当然、親も全く信用しておりません。なぜなら、親も煩悩にまみれた人間でしかないからです。
繰り返しますが、俺は阿弥陀如来以外の全てを信用しておりません。
信用してないっていうことは俺にとって何も全く価値がないということになります。
なので、人間関係や仕事関係などで成功しても別に価値がありませんから何も思わず傍観してるだけです。
逆に、人間関係や仕事関係で失敗しても別に何も価値がありませんから何も思わず傍観しているだけです。
阿弥陀仏の約束だけが俺にとって唯一価値があることなのです。
だから、何しようとどうでも良いと思いながら流れるまま生きていきて死にたいと思います。
訂正(価値と無価値の対比で説明した方が分かりやすい+付け足し)
>だから、何しようとどうでも良いと思いながら流れるまま生きていきて死にたいと思います。
↓↓↓
だから、何しようと無価値であると思いながら、流れるまま(ここでの川は運命のことです)生きていきて死にたいと思います。
868 :
神も仏も名無しさん:2007/11/07(水) 22:45:41 ID:3Y74MF43
>>867 そうですか?
私は私の前に起こることはすべて価値があり、自分にとって何らかの教訓をもっていると思い、
それが何を意味しているのが、考えますね。
(さらに付け足し)
>繰り返しますが、俺は阿弥陀如来以外の全てを信用しておりません。
とありますが、俺自身も信用していないということです。
なぜなら、煩悩にまみれた、つまらない無知な人間だからです。
>>868 了解しました、貴方は起こることはすべて価値があり、自分にとって何らかの教訓をもっていると思い、
それが何を意味しているのかと考えているのですね。
了解しました。
871 :
868:2007/11/07(水) 23:14:51 ID:3Y74MF43
これは、私の意見ですから気にすることは無いですが、例えばこういう考えもあります。
自分を幸福にできなかったら、ましてや他人をも幸福にさせることも難しい。
自分が不幸で、その陰を落としているなら他人は寄り付きがたいでしょう?
バカヴァンの話の中にもありました。ヒマラヤに棲む聖者が悟りを開いている。
それは、世界に向けて幸福の波動を送っている。それは、「悟り」そのものなんですよ。
>自分を幸福にできなかったら、ましてや他人をも幸福にさせることも難しい。
人を幸福にさせるのは阿弥陀仏にお任せしております。
そして、俺が極楽浄土で生まれ変わり悟りを得て仏になってから、
新たに得た力で人々を救いますので万事OKです。
>自分が不幸で、その陰を落としているなら他人は寄り付きがたいでしょう?
>それは、世界に向けて幸福の波動を送っている。それは、「悟り」そのものなんですよ。
貴方はそう思っていらっしゃるのは了解です。
873 :
神も仏も名無しさん:2007/11/07(水) 23:53:38 ID:0lcoR+I9
あなた達!地獄へ流します・・・。
874 :
862:2007/11/08(木) 07:07:02 ID:BF4s3t6a
無課金浄土真宗教徒サン、オモシロイ話をアリガトウ。
親鸞サンノ教えハスゴク好きなんだけど、ヤハリ今生ヲドウスルカッテコトガシックリシナイトコロナンデス。
絶対他力ニヨッテ今生モ救われるノカナ?ッテ感じモスルノデスガ。
ヤッパリ悟りヲ深めタイナア、ト思うノデス。
善人デアッテモ、悪人デアッテモ、煩悩マミレデアッテモスデニ悟ってイル。ソレニ気付いてイナイダケナノダ。
トイウ考え方ガアリマス。
私ハココヲ追求シタイト思うノデス。
875 :
862:2007/11/08(木) 07:41:55 ID:BF4s3t6a
>善人デアッテモ、悪人デアッテモ、煩悩マミレデアッテモスデニ悟ってイル。ソレニ気付いてイナイダケナノダ。
絶対他力を追及するとここに通じる感じもしてきたな。
言葉の違いだけで結局一緒なのかもしれない。
876 :
神も仏も名無しさん:2007/11/08(木) 08:39:13 ID:/tDQkkMK
「今を生きる」というのは、他のところに望むものは無いという考えから来る。
それは、いつかあるだろう、どこかにあるだろう。であって、到達することはない。
今という現実において、求めることによって得られるのだ。
877 :
神も仏も名無しさん:2007/11/08(木) 09:34:50 ID:BF4s3t6a
無課金浄土真宗教徒さん、この世には意味が無い、来世で救われる。
とすると、「なにをするために生まれてきたのか?」って疑問が出てくる。
生まれてくる必要ないよ。ってことになる。
私は「この世は幻影であり、その幻影を楽しめばよい」って思いますね。
幻影であっても価値があるのだと。
単なる言葉の違いかもしれないが。
>>871 >世界に向けて幸福の波動を送っている。それは、「悟り」そのものなんですよ
なんかわかる気がします。
だって傍にいて気持ちのいい人と、やな感じの人(別に悪い人ではない)といますよね。
それそのものを感知しないならば論外だけど、しかしわからなくても波動とやらは
受けていて影響される物かもしれない、とこの頃思う。
879 :
神も仏も名無しさん:2007/11/08(木) 11:51:37 ID:uV2/k6q4
>>887 「この世は幻想の世界」ってよく最近いわれますが、この意味は、我々が棲む三次元世界
というのは四次元あるいはそれ以上の次元の幻影なのです。
つまり繊細なエネルギーが物質化される次元に我々が置かれて、感覚器官によって体験させ
られ、物事の道理を学習しているわけです。
ただ、物事に囚われるのではなく、その奥にある「因」についてよく観るようにしなければ
ならないでしょう。
880 :
神も仏も名無しさん:2007/11/08(木) 11:53:49 ID:uV2/k6q4
881 :
hage:2007/11/08(木) 13:01:19 ID:q0BD7I2s
はじめまして
「苦労」できることを感謝して「喜び」に換えさせて頂くことができます。
「諦め」で苦を逃れたように感じても、諦めた自分の心は存在します。
人間の一瞬一瞬の念には地獄の世界から仏の世界にいたるまで同時に存在しています。
浄土は死後の世界にあるのではなく、生きた人の心の中にあるものです。
こんにちは、お答えさせていただきます。
>無課金浄土真宗教徒さん、この世には意味が無い、来世で救われる。
>とすると、「なにをするために生まれてきたのか?」って疑問が出てくる。
>生まれてくる必要ないよ。ってことになる。
「なにをするために生まれてきたのか?」については
浄土真宗において明確な答えがありますので、お答えさせていただきます。
「阿弥陀如来によって救われるために生まれてきた。」これです。
一つ、付け加えさせて頂きたいのですが、
「なにをするために生まれてきたのか?」とは「他力」の考え方ではありません。
なぜなら、この「なにをするた・・・」という表現も主語は「私が」になると思います。
すなわち、「(私が)なにをするために生まれてきたのか?」と考えていただけると、
つまり、「自力」の概念が前提とされている発想だと理解できると思います。
「他力」では、「阿弥陀仏が俺を救うために父母を使って俺を生ませた。」ということです。
続く
この主語が誰であるかという意味を注意すると、
「阿弥陀如来によって救われるために生まれてきた。」も間違った言い方だとお気づきになられると思います。
さらに、
>無課金浄土真宗教徒さん、この世には意味が無い、来世で救われる。
での、「この世には意味が無い」は俺の書き込みの
>だから、何しようと無価値であると思いながら・・・(省略。
からの引用かと、思いますが。ここにも主語を入れてみると、
だから、(俺が)何しようと無価値であると思いながら……省略。ということなり、
一言でいうと、「阿弥陀如来以外の自分を含めた全ての事を否定している」ということです。
ですので、
>私は「この世は幻影であり、その幻影を楽しめばよい」って思いますね。
>幻影であっても価値があるのだと。
と言われても「俺が思ったこと」を俺自身がすぐさま否定しますので、
ただ「了解しました。」としか言いようがないのです。
ですので、了解です。
ただ、阿弥陀如来の約束だけが希望なのです。
884 :
hage:2007/11/08(木) 15:17:59 ID:q0BD7I2s
無課金浄土真宗教徒さんに質問
現在今一瞬の貴方は存在しますか?
1秒前の貴方は存在しますか?
1分前の貴方は存在しますか?
10分前の貴方は存在しますか?
1時間前の貴方は存在しますか?
1日前の貴方は存在しますか?
1年前の貴方は存在しますか?
10年前の貴方は存在しますか?
20年前の貴方は存在しますか?
そして一番初めに答えた一瞬の過去の貴方は存在しますか?
もし、存在しないなら、貴方の存在は何時にありますか?
>親鸞サンノ教えハスゴク好きなんだけど、ヤハリ今生ヲドウスルカッテコトガシックリシナイトコロナンデス。
しっくりこないのは煩悩のせいです。
>善人デアッテモ、悪人デアッテモ、煩悩マミレデアッテモスデニ悟ってイル。ソレニ気付いてイナイダケナノダ。
気付いていないのも同じく煩悩のせいです。
逆にいうと、煩悩の妨げによって「しっくりこない」「気付けない」からこそ、
阿弥陀如来の救いを確信できるのではないでしょうか?
阿弥陀如来の救いの内容を思い出してください。
阿弥陀如来は煩悩まみれで苦しんでいる我々を救うために仏になられた方です。
>>884 すいません、意味が分からないです。
どれだけ噛み砕いて質問されても無知な俺には理解できないですゆえ、
諦めて頂きたいと思います。
887 :
hage:2007/11/08(木) 15:44:01 ID:q0BD7I2s
無課金浄土真宗教徒さんに質問
「生きる希望」はどうすれば、現在生きたままの人間が得ることができますか?
死んだ後の心の存在と、現在生きている心の存在の違いは何ですか?
>>884 質問の意味が理解できましたので、お答えさせて頂きたいと思います。
「知らないです。」
889 :
hage:2007/11/08(木) 15:48:13 ID:q0BD7I2s
私は
>>884に対しては
「全て存在する」と答えます。
890 :
hage:2007/11/08(木) 15:49:52 ID:q0BD7I2s
何時については
「全て同時同体に存在する」
と答えます。
>「生きる希望」はどうすれば、現在生きたままの人間が得ることができますか?
知らないです。
>死んだ後の心の存在と、現在生きている心の存在の違いは何ですか?
俺個人でいうと現在は煩悩まみれで無知です。
死んだら救われて仏になれますので、煩悩から解脱できます。
893 :
hage:2007/11/08(木) 15:59:09 ID:q0BD7I2s
私は「生きる希望」は生きた人の心の中に有る「希望」を感じることで希望を得る事ができると思います。
私は、死んだ後の心の存在と、現在生きている心の存在の違いは無いと思います。
仏となってもその心の中に地獄界は存在し、地獄が存在するから慈悲の心が持てのだと思います。
895 :
hage:2007/11/08(木) 16:08:02 ID:q0BD7I2s
どうも、ありがとうございました。
南無阿弥陀仏(-人-)
悟ったと思っている人。よかったら、あなたはこの世界で何のために生まれてきて、
この世界であなたがこれから何をすべきなのか解っていると思いますので、
それを書いてみてください。
それを見れば悟ったのかそうでないのか解りますから。
何のために、なんてないよ
何をすべきかもない
そういった思いが生じたらそれはただの錯覚だよ
899 :
悟った人:
何のためとかそういうものは一切なく、ただ存在していると言う事実だけがあります。
なすべきことなどなにもありません。ただたのしくおもしろおかしくくらせばよいのです。
それがすべきことというよりしたらよいことです。