1 :
名無しさん@3周年:
2 :
名無しさん@3周年:2006/12/21(木) 16:24:08 ID:9n9F3Nvs
3 :
名無しさん@3周年:2006/12/21(木) 16:25:24 ID:9n9F3Nvs
4 :
名無しさん@3周年:2006/12/21(木) 16:59:48 ID:9n9F3Nvs
age
5 :
名無しさん@3周年:2006/12/21(木) 17:07:57 ID:9n9F3Nvs
人コネ━━━━(゚д゚;)━━━━!!
6 :
南無大師遍照金剛:2006/12/21(木) 18:00:02 ID:bSWpEUKt
ヽ(´∇`)ノ余裕の6ゲト♪
7 :
名無しさん@3周年:2006/12/21(木) 18:08:54 ID:BQznX3NR
人キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!
と思ったら南無かよ・・・・(^^;
8 :
南無大師遍照金剛:2006/12/21(木) 18:20:33 ID:bSWpEUKt
9 :
名無しさん@3周年:2006/12/21(木) 18:24:29 ID:BQznX3NR
>>8 1、新スレ立つ
2、過去ログと保管庫のurlが貼り付けられる
3、人が来ない
4、南無が来る
5、スレ主落胆
6、南無怒る
ここまでが質問スレのテンプレですw
10 :
南無大師遍照金剛:2006/12/21(木) 18:31:45 ID:bSWpEUKt
(ノ-o-)ノ ┫
新スレ立ちましたか。
>>1 乙。そして
更新しますた!
シマスタ!!
∧_∧
( ´Д` ) __ Λ_Λ_
(ぃ9 つ / m9(゚−゚). \
/ /~> ) \/| ̄ ̄∪ ̄|\
(_) (_) \|____|
ここまでテンプレ?w
12 :
名無しさん@3周年:2006/12/22(金) 08:56:35 ID:B10c48vO
あぐぇ
13 :
名無しさん@3周年:2006/12/22(金) 18:48:53 ID:1mveeUmN
般若心経は仏陀の教えなんですか?
葬式などでお経を唱えるとき、お坊さんはなぜ漢語で唱えるの?
死んだ人間の魂を慰めるのが葬式の目的なら
現代の日本人の魂に対しては漢語より現代日本語を唱えたほうが
理解してもらえると思うのだが。
15 :
名無しさん@3周年:2006/12/23(土) 21:12:48 ID:Vqozwr/0
wikipedia に下記の文があったのだが
仏教では、人間の欲を諸悪の根源としており、無欲を善いことであると見ている。
修行や諸活動を通じて無欲に近づくことを求めており、自制ではなく欲からの解放を求めている。
仏教とは人間の最も高次な欲求である"無達欲"を求める。(編集中)
無達欲って何?
16 :
南無大師遍照金剛:2006/12/23(土) 21:19:47 ID:DfLxgjj+
欲にも種類質程度があるよね
欲なら全て一律に否定するわけではないよね
無明からの欲か
そうではない欲か
例えば肉食欲が全て駄目というわけではなく
必要以上にむさぼる肉食が駄目
でなんだっけ(笑)
17 :
唯俺:2006/12/24(日) 00:09:15 ID:FtDF8Uon
>>15 >無脱欲:自分が持っていない能力や物、情報を欲しいと思う欲求。
>アリストテレスの"人間は生まれながらにして、知ることを欲す。"もこの範疇に該当する。
>この概念は2006/12/19に筆者により認知され、発見される。
>この欲は人間の持つ創造力の源である。
>また、ゴータマシッダールタ(釈迦)の"悟り"とはこの欲を完全に停止することにより得られる。
>無達欲:人間の持つ最も高次な欲のひとつ。前述の"無脱欲"とはまったく逆の欲である。
>最も高次な欲求ゆえ、この欲をもつ人間は限られる。
>"無脱欲"でも人間の創造性が発揮されるが、この"無達欲"は爆発的な創造力を産み出す。
>(参考文献:服部敏夫著 創造の工学)(編集中)
この書を読んでいないので何とも言えませんが、
おそらく著者の服部敏夫氏の造語でしょう。
18 :
名無しさん@3周年:2006/12/24(日) 00:14:00 ID:oPsGZyhj
地蔵参りを3日続けてやって次の日やらなかったら、
結局三日坊主となって効験等はなくなるのでしょうか。
19 :
唯俺:2006/12/24(日) 00:52:03 ID:FtDF8Uon
>>17 すみません。訂正いたします。
「無脱欲・無達欲」を造語されたのは、
服部敏夫氏ではなく、wikiの筆者氏のようですね。
蛇足ながら、
>仏教では、人間の欲を諸悪の根源としており、無欲を善いことであると見ている。
ならば、
>人間の最も高次な欲求である"無達欲"
もまた「諸悪の根源」であるとしたほうが論理的ですね。
>>19 返答ありがとうございます。グーグルで検索してもwikipedia の1件のみだったので
不審に思ったのですが、造語のようですか。
21 :
唯俺:2006/12/24(日) 09:15:53 ID:FtDF8Uon
>>20 そうですね。以下の文章から判断いたしました。
>無脱欲:
>この概念は2006/12/19に筆者により認知され、発見される。
22 :
名無しさん@3周年:2006/12/24(日) 18:40:17 ID:yaB1KVUQ
仏教は日本にきて観念論の極みに達した。無用の長物。
宗教にしても思想にしても、民衆を統率するひとつの手段に過ぎないと感じてる。
24 :
名無しさん@3周年:2006/12/27(水) 05:17:48 ID:Rq2en7CL
これは仏教だけの問題ではないが、
仏教はぼうさんに霊を確実に成仏させるかいなかの試験を課すべき。
もしも
「そんな試験の一般化などできない」というならば、
そもそも仏教そのものが詐欺である証拠。
これは 仏教だけの問題ではなくキリスト教でも霊を確実に天国に送り届けることが
できるか、その一般化ができ泣
なければ そもそもキリスト教は詐欺ということになる。
25 :
足乃 香:2006/12/27(水) 07:27:41 ID:setPt8E/
そんなに坊さんを追い詰めるものじゃないわ。あの人たちだって商売なんだから、
そんな理詰めで迫ったらオマンマ喰えなくて困っちゃうでしょ。
言っとくけどね、宗教だけなのよ実体のないもの売って詐欺にならないのは。
26 :
南無大師遍照金剛:2006/12/27(水) 11:37:14 ID:qrs7TpL8
>>24 成仏ってなにかわからないけど
戒名が居士で33年位かかるからね(笑)
それにお坊さんに過大な期待するより自分で頑張ってね
27 :
名無しさん@3周年:2006/12/28(木) 11:18:30 ID:KFS5d3jO
昔聞いた話でウロ覚えなんだけど、教えてください
茗荷の名前の由来になった人は頭が悪くて自分の名前さえも
覚えられなかった
おしゃか様(仏さま?)は、弟子に説教をしたけど
この頭の悪い人は全然理解できなかった
それでもおしゃか様は、この頭の悪い人を見捨てずに
「○○○○○とは、要するに一生懸命身辺も心も清らかにしなさいよと
いうことだ」と言って(違うかもしれない)、それ以来茗荷の名前になった人は
「塵はらわん、■■■■■」と唱えながら一生懸命お掃除をして
(作務?修行?)最終的に悟りを得た
という話なんですが、これは仏教の話というか、有名な話なんですか?
正確な話をご存知の方がいらっしゃったら、教えていただけませんか。
(あるいはヒントでも)
>>27 周利槃特・朱利槃特・cudapanthakaとかで検索すると出てくるとおもいますよ。
原典は『増一阿含経』の「善知識品」
29 :
名無しさん@3周年:2006/12/28(木) 12:08:41 ID:wYOmJjyp
お聞きしたいのですが、
創価学会(員)は正月、玄関に しめ縄を飾りますか?
30 :
27:2006/12/28(木) 17:23:03 ID:iTjjTINm
>>28さん、ありがとうございます!
まさしく周利槃特の話でした。おかげさまで覚え違いも修正できて
良かったです。
最近になって個人的に苦しいことや悩めることもあり
祖母の話とか、お坊さんの話とか聞けるときに、もっとよく聞いて
覚えておけばよかったとおもいました。ありがとうございました。
31 :
名無しさん@3周年:2006/12/29(金) 10:31:18 ID:IZIxZc4D
仏教はインドから来たみたいですが、何故今の現地はヒンドゥー教信者ばかりなのですか?
『インド=仏教』というイメージだったのですが、なぜかちょっと残念です。
32 :
名無しさん@3周年:2006/12/29(金) 11:27:27 ID:TcMDb/Yi
33 :
名無しさん@3周年:2006/12/29(金) 13:58:50 ID:mgGVkwge
今、鎌倉、室町幕府による宗教政策(禅宗について)調べています。
分かりやすいホームページ有りましたら教えてください。よろしくお願いします。
34 :
31:2006/12/29(金) 14:46:44 ID:IZIxZc4D
>>32 ありがとうございます。
スッキリしました&勉強になりました。
35 :
名無しさん@3周年:2006/12/30(土) 19:59:10 ID:T+Oy2nD7
唯仏与仏ってどういう意味ですか?
36 :
南無大師遍照金剛:2006/12/30(土) 22:07:02 ID:S0b67ftS
正法眼蔵の道元さんの言葉
佛法は人の知るべきにあらず
いくら海外旅行案内のパンフレット眺めても
実際に海外に行かないと分かりませんよ?
仏になったものだけが理解するって意味
だとアンチョコに書いてまふヽ(´∇`)ノ
37 :
名無しさん@3周年:2006/12/31(日) 01:58:53 ID:A6FhxlbP
大乗仏教と小乗仏教と上座部仏教を優しく解説していただけませんか?
38 :
名無しさん@3周年:2006/12/31(日) 05:55:18 ID:zU9YaXOC
大乗は在家というか世俗の人間が始めた宗教で出家しなくても救われることを旨とする。
その精神が表れている典型的な経典は維摩詰経で、世俗のある金持ちが
ブッダの弟子たちをことごとく論破して諭される。修行は世俗の中でこそ行われるべきだとか、
悟りは世俗の迷妄の中にこそあるとか、至って庶民にとって実用的な教えが説かれている。
それに対し小乗は、大乗仏教徒がそれまでの出家した僧中心の仏教を批判して付けられた
あだ名で、元はそういう名称はなかった。大乗仏教登場以前にいろいろ分かれた
仏教集団の一つが上座部仏教で、「長老たちの教え」仏教という意味。
出家者至上主義で、出家して解脱しても阿羅漢にはなれるが、仏陀にはなれないなど
自らに制限を設けている。誰でも仏陀になれるとする大乗仏教とはここが大きく違う。
ちなみに大乗とは大きな乗り物という意味で、小乗は小さな乗り物。
こう聞くと、大乗は進歩的な改革派で、小乗もしくは上座部は
劣った集団におもえるかもしれないが、事はそれほど簡単ではなく、
現実をみれば世俗の金や欲やエゴにまみれる僧侶や信者がいるなど大乗は
堕落しやすい危険性を常にはらんでいる。小乗もそういう堕落した僧がいるが、
原理的に大乗ほど大胆に堕落しにくい。
原理的というのは、彼らの生活が良くも悪くも大乗の坊さんより世俗と離れているためで、
それは例えば世俗の女性と手を触れることも許されないなど戒律が厳しいため。
酒を飲まないとか結婚しないなど、特に日本の大乗仏教とは大きく違う。
また日本では葬儀と言えば寺や坊さんを思いつくほど、葬式と仏教の繋がりが
強いが、元々の仏教はそういう葬儀を取り仕切ることはなかった。
39 :
名無しさん@3周年:2006/12/31(日) 06:32:38 ID:zU9YaXOC
ちなみに日本映画「ビルマの竪琴」がビルマで上映されたとき、僧侶が
竪琴を弾くシーンはカットされた。理由は、ビルマの上座部仏教では
僧が音楽を奏でることは固く禁じられているため。
また、日本で「祇園精舎の鐘の声」と言われる祇園精舎とは、仏教の創始者
ブッダが教えを説いたインドの寺のことだが、鐘など実際にはない。
日本で寺といえば鐘を連想するが、インドの寺には鐘はない。
またビルマ(現在のミャンマー)などの上座部仏教では、今でも寺の掃除や調理を
僧侶がすることはなく、在家の人間に任されている。日本の曹洞宗で典座といわれる
食事仕度係の坊さんが最も尊ばれているのとは大きく違う。
このように上座部仏教は在家信者の助けによって成り立っているなど、現実逃避的
傾向が強い。人が皆出家したら僧侶の生活が成り立たなくなるし、
結婚もセックスもしないから子孫が生まれず世の中も成り立たなくなるという
限界ももっている。ブッダが説いた教えで最も重要なものの一つに、
人生は苦というのものがあり、生まれてくる子にそんな苦労をさせないように人は
子供を産むべきではないという考えも成り立つから、皆が出家して人類が
滅んだ方が世界のためにもいいのかもしれないが。
いずれにしろ大乗・小乗それぞれ長所と短所があり、優劣は決められない。
また、大乗の僧にしろ小乗の僧にしろ、難しい教義を知っていたり説くことがあっても、
実生活ではエゴにまみれて貪欲になったり怒ったりして、
自ら修行が足りないと証明してるような人もいるから要注意。
40 :
37:2006/12/31(日) 10:19:04 ID:A6FhxlbP
41 :
35:2006/12/31(日) 12:17:27 ID:AxBWbBk7
>36 ありがとうございますた。
>>38 世俗の人はどうして大乗を始めたのですか?
>>42 既にちょっと書いたように、それまでの仏教が出家した坊さんのみが解脱できるという
閉鎖的なもので、世俗の人が不満を抱いたり、一部の坊さんも従来のやり方では
世俗の人に訴えかける力が弱いと感じたかららしい。
大乗仏教が勃興したインドでは当時、ヒンドゥー教が世俗の行事に積極的に
関わって庶民に親しまれるなど、旧来の仏教徒側は脅威を感じていたのも
理由の一つじゃないかと。
ま実際、大乗仏教が出来たとは言え、インドではその後結局ヒンドゥー教に
仏教が飲み込まれてしまったんだけどね。(ブッダをヒンドゥー教の神の
化身として飲み込んだ。)
小乗仏教という小さな乗り物に乗って、出家した僧だけが解脱できるというのに対し、
僧侶も在家信者も共に幸せになれるという大乗仏教が生まれたのも当然といえば当然かも。
小乗(上座部)の僧侶が、あくまで自分だけの究極の幸せ(解脱)と目標とするという、
傍か見ると自己中心的で自分勝手(実際、ブッダも妻子を捨てて出家したことで、
自分勝手だと批判する人もいた)なものに対し、大乗の僧侶はどちらかというと
庶民を助け手本となる教師といった性質がある。
>>42へ続き
ただ大乗と言っても、禅宗のように基本的に自ら座禅など組んで厳しい修行をしないと
悟りは開けないとするものもあれば、自らの力で悟りを開くのは困難だから
仏の力に頼って成仏しようという浄土真宗みたいなものもある。大雑把に言うと、
禅宗がこの世に生きているうちに幸せになろうとするのに対し、浄土真宗では
死んであの世に行ってから幸せになろうとするというキリスト教に近い性質を
もっている。同様に他の大乗の宗派もいろいろあって、真言宗の護摩という儀式の
ようにヒンドゥー教の儀式に似たもつものもある。(ちなみに護摩とはヒンドゥー教の
homaという儀式の音写らしい。)
このように大乗仏教は庶民のために出来たという性質のせいか、庶民のいろいろな
好みやニーズに応えるように様々な違いをもつ宗派が存在する。こうした
小乗と大乗の違いや、大乗内での宗派による違いゆえに、過去には他の宗派を
批判することが互いにあったが、今ではあまり行われない。なぜなら、仏教を興した
ブッダの教えの観点からすると、写経さえすれば救われるとかいう大乗の教えの
一部には、本来の仏教の教えとは違う面もあるが、誰でもブッダ(目覚めた人)に
なれるという観点からすると、創始者ゴータマ・ブッダの教えだけが正しいわけではないから、
多様な教えも正しいということにもなり、結局立場の違いで優劣を問うのは無意味だと
理解されるようになったから。
訂正
「小乗(上座部)の僧侶が、あくまで自分だけの究極の幸せ(解脱)と目標とするという、
傍か見ると」
ー→
「小乗(上座部)の僧侶が、あくまで自分だけの究極の幸せ(解脱)を目標とするという、
傍から見ると」
誤解ないようついでに補足しとくと、小乗というのは大乗を興した人たちが
軽蔑する意味で使った蔑称で、今日ではあまり使われず、上座部と呼ばれる。
今の視点からすると小乗という蔑称で呼ぶとは何と失礼なとおもうかもしれないが、
当時はとにかく大乗を広める必要があり、そのためにはそうやって既存の権威を
批判することで自分たちの良さをアピールしようとしたのであろう。
大乗が広く定着した今ではそんな失礼なやり方をする必要がないから、小乗という
蔑称もあまり使われなくなった。
すごく解りやすいし読ませ方がうまい
>>43 小乗と大乗では その教(教義)於いて本質的にどの様な違いが有り 出家人の個人的な悟りだとか 在家でも悟れるだとか 言うのでしょうか?
どこがへん?
大乗運動勃発時に教義に於いて大乗と小乗では違いが有るのか!と言うこと
違いが無いとすれば、大乗側は、何をもって在家でも悟れると言ったのであろうか?と 言うことです。
在家に親しむ為の方便なら 大事には成らなかったと思う。
釈尊は一般人とのコミュニケーションを大切なしていた人だもの。托鉢の意味を考えれば分かるとおもうんだよな。
たんなる人気取りで大乗側はそんな事を言い出したのかな?
大切な ×
大切に 〇
在家が大乗を唱え始めたと言うのは… 地学ないかな。
>>53 >在家が大乗を唱え始めたと言うのは… 地学ないかな。
うん、実際は微妙だね。
現時点では「正確なとこは( ´ー`)シラネーヨ」だと思う。
大乗教団を、かつてのように奉じる経典によって区分する見方もあれば、
原点回帰運動だと捉える向きもある。
ここから先になると、もう最先端の話になるんじゃまいか?
教義の違いについても同じ事がいえそうだなぁ。。。
55 :
信仰難民:2007/01/02(火) 09:24:32 ID:tChdOrnN
結局のところ大乗仏教って真理になるの?
真理ならば、大乗の目的である「誰でも仏陀になれる」ということから、既に何人もの仏陀が現われていてもいいはずだが
現実には仏陀など現われず、逆に争いが生じる等様々な問題の元になっていると思われる
これは教えが間違っているとしか考えられない
そもそも葬式の為の仏教なんておかしい
本来の仏陀の教えに沿うように、絶対改めるべきだ…
56 :
名無しさん@3周年:2007/01/02(火) 12:32:23 ID:VE6Qm5NR
19歳です。
質問です。
今日私は佐野厄よけ大師に行ってきました。
私の彼は浪人生で今年大学受験を控えています。
彼の両親も地元の神社で合格祈願のお守りを彼に買ってあげたみたいなんですが私も今日彼のを買いましたが、あげても大丈夫でしょうか?
57 :
名無しさん@3周年:2007/01/02(火) 14:09:09 ID:xvcmhT6o
ウドンとソバと どっちが健康的ですか?
58 :
南無大師遍照金剛:2007/01/02(火) 14:34:57 ID:pwJeQ8zH
あけおめ〜♪
偏ると不健康なるかもヽ(´∇`)ノ
チェギラ♪
59 :
名無しさん@3周年:2007/01/02(火) 15:03:03 ID:JxrLXZGR
質問します。
今年もやっぱり南無大師がここの回答者として仏教かたるんですか?
そんなにいい加減で、誰も咎めないんですか(笑
60 :
名無しさん@3周年:2007/01/02(火) 15:25:05 ID:xvcmhT6o
蚊取り線香は金鳥ですな!やっぱり
>>56 「人知を尽くして天命を待つ」
それしか言えない
宗教的信仰の対象としては??
ただ、フラシーボ効果(名称には自信なし)っていうのがある‥いわゆる思い込みっていうやつ
これは案外バカに出来ない
試験は一発勝負!
本番に実力を十分発揮出来るようバックアップすること(その気にさせること)は決して悪いことではない
要は気持次第かな
それと、人の幸運を願うことは、決して間違っている訳ではない‥
↑四無量心に通じると思われる
(四無量心については、個人的には納得したので敢えて取り上げた)
以上、健闘を祈る!
62 :
61:2007/01/02(火) 16:30:15 ID:tChdOrnN
>>61は訂正
失礼!
>>56は、厄除大師のお札を渡すと神社のお守りと一緒になってしまうが大丈夫かってことだけだった
それは受け取る人次第だな
結局、そういうことを気にするかしないかになる
ただそれだけ
相手により対応を変えることになる 以上
63 :
愛のみ:2007/01/02(火) 19:39:03 ID:klTN91sg
殺処分数
平成17年度の殺処分数 犬:221頭 猫:1635頭
譲渡実績
平成17年度の譲渡実績 子犬:22頭 成犬:16頭 仔猫:8頭 成猫:3頭
64 :
愛のみ 慈悲とは?:2007/01/02(火) 19:40:30 ID:klTN91sg
犬猫の殺処分問題を何とかしたいのであれば、
次のHPをできるだけ多くの人に紹介していけばと言われました。感動です。
児玉小枝さんのホームページ
★全国どこでも電話帳見て、お近くの保健所、動物管理センターに電話して、講習受けに行ったら、ただでもらえます。
全国保健所、動物管理・動物愛護・動物保護センター で検索したら
すぐ出ます とてもすごいホムペです。
全国に、もらい手がおらず殺処分を待つかわいそうな子がいます。
処分の日をドリームデイといいます (´;ω;`) お正月したいお
このホムペ、目から鱗でした
「動物愛護団体」を考えるページ この作者天才です。
パソで犯罪画像使ったら足がつく
ネカフェでもモニターと●●と●で足がつく
人の家からやってもこれはすぐばれる
動物愛護団体の追及はものすごい まじびびる
罪に鈍感で、それにも気づけない人間が過ちを犯すのだろう それこそも悲劇
しかし人生はどこからでもやり直せる
自分が収容されている立場になって行動 思考できたらいいな
国会議員とかでアニマルポリスできつつあるからかわったもんだな
ドリームデイはふざけてるな!
66 :
名無しさん@3周年:2007/01/05(金) 22:11:37 ID:fkViEwDq
駅の駐輪場のそばにあるお地蔵様に、ずっと不安で祈ってた。
最初おじぎしたりして、暴言を思ったことをわびた。
バイト先の人に迷惑をかけたのを声を出してわびてしまった。
駅の線路の向こう側にいる奴らにちーびとからかわれ、
それだけで足らず何度も駐輪場と往復しながら祈っていた。
そのうちまた暴言とか留置場とか浮かんできたのでそれを打ち消す言葉を小声で唱えて祈った。
打ち消す願望とかを小声でぶつぶついって祈ってた。
当然、通る人とかには変な目で見られた。
もしかしたら後ろを通ったおじさんに声を聞かれたかもしれない。
そういう場合どうなるのでしょうか?祈ったり願い事とかは無になるのでしょうか。
不審者扱いされてしまったのではないかと不安です。
>>66 2chをやめなさい。
精神科のカウンセリングを受けなさい。
自分に自信を持ちなさい。
お地蔵さんに手を合わせ願うことが、なぜ不審者扱いになるのか?
あなたの中に、街頭でのそうした行為に対する偏見・先入観があるんじゃないですか?
いや、そうした素朴な行為すべてに関して、
あなた自身が、偏見の、軽蔑の視線を持っているから、
自分の行為もまた、「他人からそのように見られている」と感じてしまうのではないですか?
あなた自身が、祈る・願うという行為を見下しているんじゃないですか?
68 :
南無大師遍照金剛:2007/01/05(金) 22:32:14 ID:96B5f93N
69 :
名無しさん@3周年:2007/01/05(金) 22:35:37 ID:fkViEwDq
>>67 カウンセリングより投薬のほうがいいだろうって先生に言われたんですよー。
自分に自信?どうやってもつの?
祈るだけじゃなく、お辞儀したりしたんだよ、何回も。
それでからかわれた。
ぶつぶつ言って祈ってたら、通る人がこっち見てた。
だから不審者扱いされたに決まってる。
祈る行為は見下してないです。
>>68 違います、パソコンです。
70 :
南無大師遍照金剛:2007/01/05(金) 22:55:24 ID:96B5f93N
71 :
名無しさん@3周年:2007/01/05(金) 23:54:41 ID:fkViEwDq
いるわけないでしょ
72 :
名無しさん@3周年:2007/01/05(金) 23:55:12 ID:fkViEwDq
で、それが何か関係あるんですか?
彼女できれば自信がつくとでも?
>>72 まずは、
「自分はここに居ていいんだ」
「今のままの自分でいいんだ」
と、自身を抱きしめてあげることです。
自分の立ち位置が、しっかりと、安全に確保されれば、
向上へのベクトルも生じ易くなります。
あなたは、(無意識かもしれませんが)
自分の行為を、自分で奇異だと見做しているのではありませんか?
だから、「他の人も奇異の目で見ているだろう」と想像してしまう。
公園で一人、太極拳をしてる人が居たとする。
太極拳を知らない人は、「怪しい動きをする変な人」と思うかもしれない。
知ってる人は、「あ、太極拳やってる」ただそれだけでしょう。
そして本人は、そんな周囲の視線など気にもしていないでしょう。
(※もっとも、初心者だったら気恥ずかしさ等あるかもしれませんが・・w)
上の喩えじゃ解り難いですか?
>>69 >だから不審者扱いされたに決まってる。
決め付けているのはあなたです
不審者だと思う人がいない、なんて嘘は言いません
そう思う人も有るでしょう
でも、そう思わずに(ああ、よっぽど気に掛かる事が有るんだな、大変だな)と思い、口に出さなくても
心配してくれる人も有りますよ
それにね、あなたが思うほど、他人は他人の事を見ていないのです
誰だって、一番大事なのは自分ですから
自分が関心のある事に人は目を向けているので、他人の事ははっきり言って、自分に関係なければ
そんなに気にしないんです
気楽にして大丈夫なんですよ
本筋と外れるけど、道端のお地蔵さんは、そこで不慮の死をとげた人の慰霊だとか、
交通安全を願って置かれたものが多いから、本来のお地蔵さんの仕事からはずれた
余計なお願いをして、本業の邪魔しないほうが良いよ。
本業が重要だからこそ建てられたものだから。
これは無縁さんなんかもそうだと思う。
76 :
名無しさん@3周年:2007/01/06(土) 04:16:12 ID:IX600dS0
>>73 今のままの自分・・か。
今の自分はダメな自分だから許容できないな。
許容できれば自信つくのかもしれないけど。
もともと病気の症状として強迫行為としてやっている感が半分あるので、
奇異なのではないかと思っています。
お寺とかにあるお地蔵様や仏像などには祈ってももちろんいいと思いますが、
道端や駅のところにあるお地蔵様に一生懸命祈るのは違うのかもしれないかなと思います。
でも、お地蔵様などへの破壊的イメージが浮かんでしまうと、謝らずにはいられなくなってしまう。
それがお地蔵様がない場所での、お地蔵様のイメージでも。
友達とかは、例えばスーパーの駐車場で、スクワットをしている人を見かけると
あ、あの人変じゃね?wと言って来るので、そういうのにも影響されているのかも。
あと、僕は神仏への畏怖の念があるのに比べ、母親が宗教に対して異常なまでに嫌悪感を持っているのでそれもあるのかも。
太極拳の例えはわかります。
自分も一度、ネット仲間と気功を公園でやったことがありますから。
その時は、一人でじゃなかったからあまり恥ずかしくなかったですけどね。
>>74 世の中、いい人もいれば悪い人もいるのですか。
ああ、よく言いますよね、そういう風に。自意識過剰な人に対しての言葉。
それを何度も聞いてもまだ不安になるというかどこかで信じられずにいるんです。
んー、じゃお地蔵様の前でお辞儀を何度かして線路の向こう側からちーび!とか聞こえてきたのってなんだったんでしょう?
実際僕は背が低いので僕の事を見てから勝っているのかと思っていますが・・。
>>75 なるほど、では道祖神におまいりをするのは間違っているのですね。
でも、暴力的な観念がそこで浮かんでしまったら謝らなくてもいいのですか?
>>76 性格的にちょっと気が小さいか神経質ってのもあるんじゃないの?
まあ元々宗教に頼る理由は、そのせいもあるんだろうけど、
そういう周囲の目を気にしすぎると、不思議なことに他人から
ますますいろんなこと言われたりするんだよね。
自分の経験でも、弱気なときは他人の攻撃を受けやすいが、
強気で前向きに生きているときは、何故かそういうことがなくなる。
なんか迷信みたいだけど、自分にとっては事実だったから仕方ない。
で、前向きに生きるって言っても、わざと自分にそう言い聞かせて
そう生きようとしてもあまり効果なく、無意識のうちに自然にそういう
生き方をするようにならないとだめだよ。
あくまで自分の経験では、何かに精一杯取り組んだりして忙しくしていると、
自然に前向きで他人の目も気にならなくなるし、他人から冷やかされたり
しなくなる。こんなことよく聞いたことがあったが、実際に経験するまでは
実感できなかった。
仕事でも勉強でも旅行でも何でもいいから、とにかく余計なことを気にする
余裕がなくなるまで取り組んでみては?
あ、言っとくけど、今の貴殿の状態じゃ、件の地蔵にお参りしようが願掛けようが、
他人の目が気になるということへの根本的な解決にはならないと思う。
それは別にその地蔵が交通安全の願いしか聞き入れないからとかでなくて、
お参りとかお願いという行為そのもののせいで気にするという問題を抱えているわけだから、
他の手段で解決した方が効果的じゃないかってことね。
なんか上から目腺で答えてしまったけど、ここは質問スレだからこうなってしまうのは
ご容赦願いたい。
78 :
南無大師遍照金剛:2007/01/06(土) 09:56:24 ID:AEJiPVeu
>>76 75:護摩もんがら童子さん曰く
道端のお地蔵さんは、そこで不慮の死をとげた人の慰霊だとか、
交通安全を願って置かれたものが多いから、
きっとお地蔵さんに手を合わせてた君を見た人達は
君を不審者ではなく心優しい人だと思うよ
最近来なくなったね
寂しいかったよ(笑)ウソポ
かなり調子よくなったじゃん?
彼女見つけたらもっと良くなるよ
君は悩む余裕がありすぎるら彼女のこととかで悩んだ方が良いよ
79 :
名無しさん@3周年:2007/01/06(土) 11:04:18 ID:EahBpTMl
なぜ新興宗教には日蓮系が多いのですか?
仏教思想の中にある「普遍による相対の克服」というのはどういうことなのでしょうか?
>>79 お題目を勢い良く唱え続けると、気の弱い人・意思の弱い人は恐怖を覚え、勧誘者の言いなりに
入信し易く、また脱会しにくいため。
やくざを恐れている人が、陰で文句を言いながらも、当のやくざの言いなりになってしまうのと同じ。
また、そのような気の弱い人・意思の弱い人は自分で道を開く事が出来ない為、ほんの僅かな事を
気に病み、常に他人の助言を求める為、なおいっそう鴨られ易い所為もある。
>>80 キリスト教と対比すると分かり易いかな?
極論なんだけどねw
キリスト教の方だと「神に背く」って言う言い方、良くするよね。
あれは、どこか定まったとこに神様がデンと居て、その前で顔を神に向けられない、だから背を向ける、
そう言うニュアンスでしょう?
神と自分とが相対する、それが出来れば善し、出来なければ悪し。そう言う事だよね。
だけど、仏教(日本の神道もだけど)はそうじゃない。
山川草木悉皆成仏
天地の間にある一切のものは仏に成る。何故ならそれぞれの中に仏が居て、仏があるから。
仏は普遍在(日本の場合は神もそうだ)。仏(神)は何処にでも遍くいらっしゃる。自分を取り巻く世界の
中にいろんな形で居られるし、自分自身の中にも居られる。
何処を向こうと、全て仏(神)の中にある。
全ての存在が仏(神)であるから、相対するものではなく、同一なものである。
例えば右手と左手のように、別々ではあるが、それらは同じ一つの身体を形成する部分の呼び名でしか
なく、その一つの身体はまとまったものとして認識される。
相対とは永遠に続く区別であり、普遍とは限り無い同化である。
すなわち、相対とは一方的な上下関係に過ぎないが、普遍とは上下左右の一切無い360度の関係であり、
相対を越えた関係である故に、それを克服したと言うものである。
83 :
名無しさん@3周年:2007/01/06(土) 23:01:54 ID:2J4YZ25H
>>77 そうです、僕は気が弱く、臆病で、神経質なんです。
周囲の目を気にするとますます言われるの?
まさに泣きっ面に蜂、悪循環。
強気で前向きになれたらいいんですけどね・・・。
自己暗示かけて前向きになっても良くないんですか?
何かに精一杯取り組む、か。
バイトは短期集中で休みほとんどなしで取り組んでました、この間まで。
だけど、その最中も不安に襲われたりしました。
むしろ別の不安が浮かんできた感じ。
他の手段かー、仕事で余計不安になったなら勉強か?
それとも一人旅?でも旅だと余計に人の目が気になりそうだ・・・。
引きこもって勉強するが吉か。
>>78 心優しい人と思われまするか。
それならいいのですが。
調子はまた悪化してきています。
強迫観念はいろいろ気になっていますし、独り言が大きくなってきている・・・。
彼女ねー、それができれば苦労はしませんよ。
恋で悩めたら幸せなんでしょうけどね。
84 :
南無大師遍照金剛:2007/01/06(土) 23:49:08 ID:AEJiPVeu
>>83 少しだけどかなり良くなってるよ
自分じゃ気付いてないんだね(笑)
完璧求めちゃ駄目だよ
気が弱くを謙虚に、臆病を思慮深く、神経質を何でも良く気がつくに変える努力したら
今のままの自分を受け入れちゃう
そして慣れちゃう
今の自分が嫌だけど変えれないなら
受け入れそして使いこなす
85 :
brown:2007/01/07(日) 00:17:11 ID:MGuVzw8L
>>83 今度,街中でも,人ごみでも,地蔵菩薩の前でも,人目が気になったら,
「
タッ ヤター オーム ムニ ムニ マハ ムニ シャカムニ イェ ソワー
」
と3回唱えて,その後,その人(気になった人)のことを見ないで,
その人を,可愛らしい子供のように「可愛らしい」と心の中で思いなさい。
その人が瞬時に可愛らしい赤ちゃんになったと置き換えて,そう思いなさい。
心の成熟度によるが,二ヶ月後には,貴方の自意識過剰は治癒されるであろう。
>>83 >周囲の目を気にするとますます言われるの?
何故かというね、他人の目を気にするビクビクした心が、おどおどした態度として
外に表れて周囲に伝わり、他人はそれを見て面白がってますます冷やかすから。
自動改札機の普及した今じゃあまりないけど、改札係がいたころは、キセルしてる人は
おどおどしてるから駅員にばれやすいとよく言われたもんだよ。あるいは恋愛でも、
ビクビクしてると、相手から気持ち悪がられたりするでしょ。あれらと同じで
そういうのって相手に伝わっちゃうんだよね。
>自己暗示かけて前向きになっても良くないんですか?
自己暗示だとストレス溜まるし、下手なやり方だと不自然になりやすく、相手に
伝わっちゃうんだよね。よく自己啓発セミナーとか合宿に行く人いるけど、
帰ってきてしばらくすると、また元に戻っちゃう人が多いみたいなんだよね。
あれも不自然なものだから、一人でやるとなると長続きしないからなんじゃないかな。
>バイトは短期集中で休みほとんどなしで取り組んでました、この間まで。
>だけど、その最中も不安に襲われたりしました。
>むしろ別の不安が浮かんできた感じ。
それは自分にとってやりがいのある仕事じゃないからだよ。その仕事に対する
見方を変えてやりがいを見出すようにするか、できなければその仕事から
効用を得るのを諦めるしかない。どんな仕事でもいいけど、やりがいを
感じる仕事をしていると、そういう不安な気持ちにはならないはず。
>引きこもって勉強するが吉か。
確かに学校や資格のための受験勉強なら、後で報われるからそういうのもいいけど、
一時的に現実逃避しているわけだから、引きこもること自体は解決策にはならないよ。
勉強を通して自分に自信がもてるようになり、前向きに生きられるようになるというのなら
別だけど。
>>83への続き
とにかく仕事にせよ勉強にせよなんでもいいけど、達成感を得てやりがいを感じ
自信をもつと、まるで追い風に乗ってるかのように何かの力の突き動かされているように
感じるはずだよ。すると他のことも好転して、周囲の目が気にならなくなるのは
もちろん対人関係とかも、不自然に意識することなく自然にこなせるようになるよ。
>彼女ねー、それができれば苦労はしませんよ。
>恋で悩めたら幸せなんでしょうけどね。
今のあなたの状態じゃ、例え凄く魅力的な女性に出会って相手があなたに
一目ぼれしても、うまくいかないと思う。何故って、まずあなた自身が
相手とどうやって付き合っていいか分からないだろうから。おどおどして
何もしないんじゃ、関係は発展しないし、相手も退屈して愛想を尽かす。
先に書いたように、追い風に乗ったようにいると、恋愛面でも好転して、
自然に相手と接して関係が深まるようになる。無理をしているんじゃ
お互い落ち着かず長続きしない。それと、活き活きとして生活してた方が、
魅力的なオーラが漂って、もてるようになると思う。
>>81さんも言ってるように、自分の人生なんだから、何事でも勇気をもって
自分で道を切り開かなきゃ。運命の女神は勇者に微笑むというのも、
あながち嘘ではない。
それと
>>84さんが言ってるように、自分の”欠点”と思われる部分も、
ありのままの自分として受け入れることも役に立つよ。仮にあなたが
他人と話すときどもりがちだとしても、それで引け目を感じると
相手は面白がって冷やかすこともあるかもしれないが、逆に
「これが自分なんだ。おかしいか?」ってくらいの心意気を内面にもつと、
不思議なことに相手も滅多に冷やしたりしなくなる。
欠点は長所の裏返しでもあることがあるから、無理に直そうとすると、
返って他の面の良さが失われてしまうこともあることもお忘れなく。
仏教の教えの一つに、自分を客観的に観察して心の落ち着きを得るというのがあって、
呼吸するとき吐いたり吸ったりするのを意識して観察することで、落ち着くことが
できる。その時、内面の心の動きも観察するといい。さらにこれを敷衍して、
心の動きやあなたがここでした質問のようなことを、その都度書き出してみて、
自分が第三者の視点から回答するように書いてみるのも効果があるよ。
もちろんわからないから質問が出るんであって、必ずしも自分で答えやアドバイスを
書けるとは限らないが、それでも書くことによって、考えが明確になり、
今まで気付かなかったことがわかるようになったりするから、有効な手段だと思う。
「読書は豊かな人間を、討論は冴えた人間を、執筆は明晰な人間をつくる。」
―ー フランシス・ベーコン
90 :
名無しさん@3周年:2007/01/09(火) 20:17:03 ID:kVEf22vw
>>84 嘘?!本当に良くなってる?
今日とかでも、テレビに成人式で神社参拝の映像とか
ニュースで神社の映像とか、お寺とかの映像流れて、不安な強迫観念が浮かぶと、
それが願い事になってしまうんじゃないかと不安になって、もう一回流れないか各局確認しますよ。
今日なんて、それで昼夜逆転になってしまった・・・。
マイナス面をプラス面に変えるんですね。気が弱いは謙虚か。なるほど。
今の自分を受け入れたほうがいいんですね。
>>90 ほら、あなたは気付いていないだけですよ
>それが願い事になってしまうんじゃないかと不安になって
不安になったら、それは願い事になっておらず、ただの不安になってしまっているんです
決して願い事になったりはしていません
だから大丈夫、あなたはいい方向へ向かっています
92 :
南無大師遍照金剛:2007/01/09(火) 23:34:04 ID:6Icb+z8+
>>90 かなり良くなってるから次いくね
神を馬鹿にしたり刑務所行きたい、お願いしちゃった
そんな時は
これは神様からの自分自身が悪いことをしないようにって気付かせる警告だと思いましょ
そして
神様、僕に気付かせくれてありがとう
と感謝しましょう
大切なことは
貴方がまだ自分で良いこと悪いことを判断でき
その判断にしたがって行動できてること
に気付きましょ
自分を責めず気付かせてくれてたことに感謝しましょう
もっと良くなりますよ
>>1 スレ立て乙。
次回はローカルルールのリンク修正もお忘れなく。
94 :
信仰難民:2007/01/14(日) 14:24:17 ID:gbY5+qrI
大乗仏教について質問というか確認なんだけど、
大乗は弟子達が作った(まとめた)ものだが、その精神は仏陀の教えに沿ったものだったという解説を見つけたんだがこれ本当?
今の日本の仏教界みたらとてもそんな風に思えないんだけど‥
みんなはどう考える?
95 :
信仰難民:2007/01/14(日) 17:01:04 ID:gbY5+qrI
(°o °)人こねぇ〜
追加
大乗仏教が成立しなかったら、もしかして仏教って滅んでいたかも知れないのかな?
そうなると、あながち大乗が間違っていたともいえなくもない
結局の所、よーわからん!
>>94 捉え方が粗過ぎ。
> 大乗は弟子達が作った(まとめた)ものだが、
およそ、伝わり残っている仏教らしきものは全てそう。大乗に限ったことではない。
>その精神は仏陀の教えに沿ったものだったという解説を見つけたんだがこれ本当?
大乗興起及びそれを伝えてきた先達たちには、そうした自負があったと思う。
> 今の日本の仏教界みたらとてもそんな風に思えないんだけど‥
そうですね。
エッセンスや精神、理想として受け継いでいる、という解釈が為されていると思います。
>>95 > 大乗仏教が成立しなかったら、もしかして仏教って滅んでいたかも知れないのかな?
そうでもない。
が、地域的な拡がり・思想としての発酵・バリエーションの豊かさ(→広範囲な対象者)などなど
を考えると、その誕生・存続の意味は大きい。
> そうなると、あながち大乗が間違っていたともいえなくもない
結局は、どこに基軸を据えるか?による。
2500年前の釈尊のみを軸とするか?聖と俗(出家と在家)の関係をどう見るか?
哲学的思弁を重視するか?庶民の受け入れ易さ(≒実践し易さ)を重視するか?etc.
そもそも、「大乗」という括りで拾える仏教は如何なるものか?
その括りの中に、全く異質な要素・相反する要素を含んでしまわないだろうか?
また、大乗興起・加速の要因に大きく二つの面があると思う。
僧侶(僧院)内で閉じていた仏教を庶民へと開くこと。
理論(縁起等)の原点回帰を行うこと。
質問箱なんでこのくらいで勘弁。
仏教関係でマターリ会話のできるスレってないんだよね・・・w
97 :
承狂:2007/01/14(日) 17:38:55 ID:afJsbTsL
ホントにねー。
>>97 素人氏と承狂氏の二人でまた〜り会話すればいいじゃない。
あんなスレやこんなスレにお邪魔しないで(笑
99 :
承狂:2007/01/14(日) 20:42:23 ID:afJsbTsL
お?
なんかチョットユーメーに成ってんのか?オイチャンは。
でも、他人様の質問に答えられる様な者ジャねーぜ。俺は。
>>99 某スレで私が、荒らしてあげてるでしょ(笑
針に引っかかってきたようだしw
活発になればいいね。
101 :
信仰難民:2007/01/14(日) 21:37:23 ID:gbY5+qrI
>>96 レス、サンクス
よーく分かりました
【個人的結論】
大乗の存在も必要性も認めることにする
しかし、現在の仏教が純粋に釈迦の教えに沿ったものとは認められない
特に、ただ誹謗中傷したり、罰があたる等と恐怖心を植え付けるような宗派
及び、やたら高い戒名料を取ったりする葬式仏教はやはり認められない
102 :
信仰難民:2007/01/14(日) 22:13:17 ID:gbY5+qrI
【大乗に対する個人的印象】
大乗の存在価値は認めるが、経典はちょっと脚色しすぎだと思う
やはり、純粋に釈迦の教えに沿っているとは思えない ─以上─
103 :
承狂:2007/01/14(日) 23:35:16 ID:afJsbTsL
あ、そーゆーオチなのね。
ドーモお邪魔しましたー。
仏教の言葉の中で現代でも使う言葉って何がありますか?
民俗の中に色々残ってるけど、具体的にはどんなジャンルに残っている言葉が知りたいの?
たとえば↓こんなのも仏教用語か、仏教とともに伝わったサンスクリット起源だよね
愛嬌、にんにく、ふしだら、出世、ナイショ、オカマ、お正月、有頂天、因縁、おっくう、ガキ、あばた、ダンナ
ダンナは、ふしだらなオカマ
オカマも仏教用語だったんだ
初めて知った(◎д◎)ヾ
ここって為になるねぇ‥
108 :
紅茶の子:2007/01/16(火) 13:35:42 ID:soaQseCg
仏教のこと、全く無知なのですが、相談させてください。
私は決まった信仰を持たず、特に勉強もしていないのですが、知らない人に突然、「あなたに菩薩さまがついてるわよ」と言われ、手をあわせられました。
これって、どういう事なんでしょうか?よく分からなくて、不思議な気持ちになりました。
詳しい方、教えてください。
109 :
名無しさん@3周年:2007/01/16(火) 16:29:32 ID:JAOcjMNF
仏教についてまだ何も知らないのですが、教義について教えてください。
>>109 仏教は生きることが苦しい人のための宗教だと思います
今苦しいですか?
仏教に教義というものはなくてそのときに応じて適した教え方をするのが仏教です
>>108 いきなり他人にそう言う事を言う人は、頭の変な人ですので、適当に聞き流した方がよろしいです。
その手の人は自分のことを霊感持ちだと自称しますが、多くの場合は幻想に過ぎませんし、本当に
能力のある人は唐突にそんな言葉を発しませんから。
あと新興宗教の勧誘でそういうふうに近づいてくる人いるよ。
113 :
八文字:2007/01/16(火) 20:12:48 ID:soaQseCg
>>111さん
>>112さん
そうですかぁ(*^_^*)少し嬉しくも有ったのですが、聞き流しておきます。
10年前の出来事で、ずっと気にかかっていましたが、すっきり(?)しました。
ありがとうございました
m(_ _)m
114 :
紅茶の子:2007/01/16(火) 20:15:00 ID:soaQseCg
済みません。違う名前で書いちゃいました(>_<)
中村天風は仏教と関係ありますか?
>>115 仏教と言うよりヨガの方と関わって来られた方のようですね
そいじゃ、ヨガと仏教は関係ありますか?
無関係ではありませんが、現在では密接には繋がっていないようです
ヨガはどちらかと言えば、ヒンドゥ教との繋がりの方が強いです
ネットによると、密教で、行者の三密(身・口・意)の働きが、仏の三密と相応した境地を瑜伽(ゆが)というそうです。
瑜伽はヨーガの漢字。ゆが。
瑜伽教といったら密教のことみたいですね。
きっと昔は関係がふかかったんでしょうね。
用賀料金所の「用賀」もヨガが語源って聞いたことある
121 :
名無しさん@3周年:2007/01/17(水) 12:37:17 ID:wxM0WHMM
>>106 お正月は仏教用語なの?
くわしくおせーてくらはいm(u_u)m
>>108 >知らない人に突然、「あなたに菩薩さまがついてるわよ」と言われ、手をあわせられました。
変な言い方ですね。
菩薩というのは狐や狸みたいに「人に憑く」ものじゃない。
(狐憑きというのも、実際はあるわけではない)
「あなたに菩薩さまですか?」。
とか、そういう意味で使います。
(つまり菩薩とは人格的呼称です)
ホームレスとか、一見、菩薩もどきの人はいますが、
その境涯はなかなか普通は分らんもんです。
(付き合ってみると、それらしき人はいる)
ちなみに布袋さんは、菩薩のイメージモデルです。
(架空の人物ですが)
>>24 超亀レスだが
仏教は霊魂を成仏させるためにあるわけじゃないし
亡くなったひとに対してお経をあげるのでもない
葬式とかは、遺された人々が、身近な人の死を仏縁として、教えをきいていく、というのが目的
また亡くなった人は、死というものを身をもって教えてくれたので
それで「仏に成った」、「成仏」したという考え方もある
あと成仏っていうのはもともと悟りを開くってことだが、
亡くなった人を「成仏させる」っていうのはなんかおかしい。もう成仏してるのに
よく葬式とかで、「安らかにお眠りください。」っていう言葉を聞くけど
遺された人にとっては、安らかに眠っててもらわないと困る。という思いがある
亡くなった人に対して、「成仏させる」っていうのもそれと同じで
自分たちに迷惑かけるなよ、早く天国に行ってくれ。と思って出る言葉
そういうふうに考える人は、坊さんではなく、霊能者とかに頼んだほうがいいと思う
>>121 お正月は違ったかもしれません。ごめんなさい。
年が明けて行われる法会=修正会(しゅしょうえ)によって正される月だから
「正月」って坊さんが法話で言ってたんで、そうかなと思ったんですけど、
調べてみると、秦の始皇帝にちなんで「政月」→「正月」という説があって
そっちのほうが本当ぽい感じがします。
125 :
名無しさん@3周年:2007/01/17(水) 19:46:32 ID:qvcNLn7E
>>85 それは真言ですか?
地蔵菩薩様のではないですね。
気になった人って綺麗だと思った女性?
あ、そうじゃなくて変な風に思われているんじゃないかと言う人か。
不特定多数に及ぶ場合はどうすればいいですか?
>>86 なるほど、面白がられてしまうんですね。
ビクビクおどおどしていると悪循環に陥るんですね。まさに泣きっ面に蜂。
確かに恋愛でも、自分に自信がなくて異性が怖くてぎこちなくなったりすると、なんというか、こういうのを別の言葉でなんていうのか
思い出せないけど、それでどもってしまって頼りなく思われたりしてきもがられますもんね・・。
自己暗示は毎日行えばいいのではないでしょうか。
この前やったバイトは自分にとっていい仕事ではなかったんですね。
やりがいのある仕事を見つけることがいいんですね。わかりました。
ただ引きこもるだけでは解決にならないということですか。
資格のための勉強ならいいということですね。
126 :
名無しさん@3周年:2007/01/17(水) 19:56:17 ID:qvcNLn7E
>>87 達成感を得て自信を持つと好運が舞い込んでくるんですね。
今の僕じゃもしも、一目ぼれされてもうまくいかないんですか?
いや、そのデートしたり話をしたりメールしたり・・というのはわかりますよ。
おどおどして何もしないんじゃ、奥手じゃだめですよね。
追い風に乗ると全てうまくいくんですね。
無理してはいけないのですね。
活き活きと生活するには、やはり達成感を得て自信をつけることですか。なるほど。
>>88 勇気を持つか、勇気が出ればなー。
欠点も受け入れるんですね。
どもっても別にいいと考えればいいのですね。
欠点を直そうとすると他の面のよさがなくなるのですか、それは意外だった。
内観法ですね、気持ちや強迫観念を書き出して自分で回答してみるんですか。
そうすれば不安への対処策も見えてくるんですね。
>>92 良くなっているとは、思えませんが・・・。
なるほど、こうした強迫観念や暴言が浮かんでくるのは、神様からの警告ですか。
善悪の判断ができるということですね。
気づかせてくれたことに感謝するんですか、わかりました。
127 :
名無しさん@3周年:2007/01/17(水) 20:01:18 ID:jKHa+F1t
すいません、、質問です。
供養には二種供養、三種供養、四種供養とありますが、
これらの供養の分類方法って何でしょうか?
>>127 供養とは、<佛・法・僧>の三宝や死者の霊などに対して供物を捧げることで、初期の佛教教団では
衣服・飲食・臥具・湯薬が僧団に捧げられていました。
これを『四事供養』と言います。
それが時代が下がるにつれて、供養の内容が法と財の二種に大別されるようになりました。
これが『二種供養』です。
その後、供物の種類・供養の方法・対象についてなおいっそうの分類が行なわれるようになります。
『三種供養』は十地教に言う、利養(財)・教敬(香、花、幡等)・行の三種による供養の事です。
『四種供養』は大日経義釈による香華・合掌・礼敬・慈悲運心の三種による供養のことです。
大まかにはこのような事です。
>>128 とても分かり易い説明、ありがとうございました。
130 :
名無しさん@3周年:2007/01/18(木) 04:28:30 ID:pnfyubwX
明け方や真夜中にお地蔵様に参っても問題ないのでしょうか?
オカ板で聞いたほうが良さそうな問題以前に、
暗いときは、はた目に怪しすぎ。w
通りがかりの車や人がビックリして、パニックになっちゃうかも。
132 :
名無しさん@3周年:2007/01/18(木) 12:36:39 ID:CaEq6vYm
無問題ですが、職務質問等はされるでしょうね。
日中の交通量や人通りが賑わう時は、集中力も途切れがち
でしょうから、そういう時間帯は穴場です。
空気も凛として、異界との交信もスムーズに行くでしょう。
133 :
名無しさん@3周年:2007/01/18(木) 14:09:36 ID:PLdCIffX
>>131 じゃ夜は地蔵様に参らないほうがいいのですか?
>>132 職質は嫌ですね。
場所によっては、大通りっぽいところやバス停がそばにあるところにありますから、
日中は特に、夜もそうですが車が良く通ったりバスが来たりして集中できなかったりしますね。
あと、誰かが通ると祈るのを見られたり聞かれたりしたんじゃないかと不安になります。
祈っているのを見られたりしても大丈夫なんでしょうか?
134 :
名無しさん@3周年:2007/01/18(木) 22:39:14 ID:RBSn2muI
祈っているのを見られても見られなくても、大丈夫じゃないですか。
ようはあなたがそういうことを気にしなければいいだけです。
喩えば、札所へ行くと、大勢の参拝者の居る中で、皆さんそれぞれに
般若心経を唱えたり、熱心に手を合わせたりしています。
別に周りの人の目を憚るような人はいないようです。
135 :
名無しさん@3周年:2007/01/19(金) 09:04:33 ID:Z0LtQMfb
お祈りとか願い事などに影響はありませんか?
これまでに一度だけ、霊らしきものを大勢ひきつれてきちゃったことある。
思い当たるのは、その日おがんだ野外の石仏か、戦争の慰霊碑のどっちか。
変形7畳の部屋に20人(?)以上いた。w
怖い霊じゃなくて、遊んで欲しがってるふうな子供たちだったので
まだよかったんだけど、お寺の仏さん以外を拝むのはこりました。
慰霊碑的な意味合いの強い道端のお地蔵さんや、無縁仏なんかは、
頭を下げる程度で素通りするほうが良いよ。
だいたい願掛けするような仕様で置かれたもんじゃないと思うし。
宗教なんでも@質問箱で質問したのですが
明確な答えがなかったためこちらで質問させていただきます。
Wikipediaによれば死穢は仏教由来で後に神道に組み込まれたそうですが
葬儀の項を見ると現在、仏教式の葬儀では死は穢れでないので
振り塩を行わなくなっていると書かれています。
仏教における死は結局穢れなんでしょうか、そうでないのでしょうか。
あと、仏教では平等の教えがあるという一方で女人禁制などがあります。しかし尼さんもいます。
どういうことなのでしょうか。
138 :
名無しさん@3周年:2007/01/21(日) 18:15:31 ID:pW0p4UPX
小乗仏教(上座部仏教)では衆生(一般的な人々という意味)の救済についてどう考えているのですか?
139 :
名無しさん@3周年:2007/01/21(日) 18:38:51 ID:biUj9L/V
エシャロットは仏教で言うところの五葷に該当しますか?
>>139 日本で売ってるエシャロットって、実はラッキョウだから入るんじゃないかな。
141 :
名無しさん@3周年:2007/01/21(日) 23:29:01 ID:3OpfkrNT
質問させていただきます
コーサラ国の王と后が、お互いに「自分以上に可愛いものはない。」
ということで悩んでいて、釈尊に相談したところ、釈尊は「私も自分以上に可愛いものはない。だから他人を愛するのだ。」
というような内容の話が記されている、経典の名前を教えていただきたいのですが
もし知っている方がおられましたら、教えていただけないでしょうか。お願いします
質問です。
NHKの大河ドラマ「風林火山」を見ていたら、
武田信玄(まだ少年役)が、
「ちーさーちーさー しゅーりーしゅーりー そはじゃーそはじゃー」
と経文を読む場面があったのですが、これは何でしょうか。
真言系と般若心経ぐらいしか聞いたことがなく、こういった事柄に疎いもので、
ご存じの方がいたらお教えください。
>>142 そのテレビみてないけど「消災妙吉祥陀羅尼(消災呪)」の一部の
天台系の読みかただと思うよ。
144 :
142:2007/01/22(月) 20:10:51 ID:Bk0FtFC0
>>143 素早いお答えありがとうございます! こちらにお尋ねしに来てよかったです。
>>141 手っ取り早いところでは、
『ブッダ神々との対話/岩波文庫』P169-170。(サンユッタ・ニカーヤ 第T章-第3篇-第1章-第8節 "マッリカー")
中村元は註に於いて、「これに相当する漢訳は見当らない。しかしMN.U,p.107f.には王との対談が述べられている。」
と記す。
おそらく中部87"ピヤ・ジャーティカ スッタ(愛生経)"のこと。
ただ、内容は、SNのものと同じではなかったような気がする。
その元(マッリカーの発言の根拠)となるような、(王と)世尊とのやりとりだったような・・。
PTSのコピーも南伝のコピーもしていないのでうろ覚えだが・・・。
>>141 ちなみに、お互いに悩んでいたのでなく、
「この世で一番愛しいのは誰だい? ワクワク・・ o(゚∀゚*) 」と王が聞いたとき、
「自分ですw (^^)v 」と答えた后に対し、
(´・ω・`)ショボーンとなった王様、
という感じ。
>>145 家が真言宗の自分に違和感があるって以上の説明がうまくできないので、
消災呪の真言宗よみを並べて書きますね。けっこうちがうでしょ?
禅宗とか天台系(唱えスレから借りました。 Special thanks to たぬぽんさん)
> のうもうさまんだー もとなん おはらーちー ことしゃー そのなん
> とーじーとー えん ぎゃーぎゃー ぎゃーきー ぎゃーきー うんうん
> しふらー しふらー はらしふらー はらしふらー ちしゅさーちしゅさー
> ちしゅりー ちしゅりー そわじゃー そわじゃー
> せんちぎゃー しりえい そーもーこー
真言宗(ほとんど、これ読まないけど)
のうまくさんまんだ ぼだなん あはらち かたしゃ しゃななん
たにゃた おん ぎゃぎゃ ぎゃき ぎゃき うんうん
じんばら じんばら はらじんばら はらじんばら ちしゅた ちしゅた
じっちり じっちり そはった そはった
せんちきゃ しりえい そわか
臨済宗は、
なーむーさーまーんだーあー(経首)
もとなん おはらーちー ことしゃー そのなん とーじーとー えん
ぎゃーぎゃー ぎゃーきーぎゃーきー うんぬん
しふらーしふらー はらしふらーはらしふらー
ちしゅさーちしゅさー ししゅりーししゅりー
そはじゃーそはじゃー せちぎゃーしりえい そーもーこー
なーむーさーまんだー もとなん おはらーちー ことしゃー そのなん とーじーとー えん
ぎゃーぎゃー ぎゃーきーぎゃーきー うんぬん
しふらーしふらー はらしふらーはらしふらー
ちしゅさーちしゅさー ししゅりーししゅりー
そはじゃーそはじゃー せちぎゃーしりえい そーもーこ
なーむーさーまんだー もとなん おはらーちー ことしゃー そのなん とーじーとー えん
ぎゃーぎゃー ぎゃーきーぎゃーきー うんぬん
しふらーしふらー はらしふらーはらしふらー
ちしゅさーちしゅさー ししゅりーししゅりー
そはじゃーそはじゃー せちぎゃーしりえい そーもーぉこぉー
大概三遍返し。魚鱗有は若干変わる。
>>142です。読ませていただいて、なんとなく分かってきました。
甲斐武田家の菩提寺は恵林寺、臨済宗で、
ドラマで耳にした経文も確かに
>>149 「ちしゅさーちしゅさー ししゅりーししゅりー そはじゃーそはじゃー」
が一番近い感じです。
消災呪というのですか、勉強になりました。
皆様ありがとうございました。
子供の「まんまんちゃん、アンッ!!」の発音を聞いてみたい&動作を見てみたいので、
「まんまんちゃん、アンッ!!」の動画をキボンヌ
153 :
名無しさん@3周年:2007/01/27(土) 00:42:36 ID:MHsuJjPn
転寝しようとした時に、行ったことのあるお寺や神社の映像というか記憶が浮かんで、
神社の名前が浮かんで、それから大暴言が浮かんでしまったのですが、どうかなるのでしょうか。
罰は当たらないでしょうか。
祈願などに影響はないでしょうか。
あと、祈願する時、いつものように祈願対象を傷つけるような破壊観念というか暴力観念が浮かびます。
もちろん謝ってはいるのですが、歯止めが利かない状態です。
祈願していない時でもイメージとしてそういうようなことが浮かぶこともあります。
またイメージと共に不安なことが浮かんだりもします。
それは気にしなくてもいいのでしょうか。
実際謝りに行った方がいいのでしょうか?
>>153 2chに依存してきてるな・・・w
いちいち聞きに来る時点で、メンヘル的だ。
2chを離れろ。PCにも触るな。
イメージとか浮かんだとかだけなら、
俺なんかもう、脳内で何人の女の子を犯してるかwwww
あんなことやこんなことまで、もう・・・。
そうだ、実況してみるのはどうだろう?
おもしろいぞw
155 :
名無しさん@3周年:2007/01/27(土) 01:14:28 ID:MHsuJjPn
2ちゃんがなくてもずっと気になっちゃいますよ。
それだと収拾がつかなくなっちゃうから聞きに来ているんじゃないですか。
アナルかい?
と、実況してるとこういう誤爆もあるwww
自分は宇賀神をみるたびにウンコを連想してしまいます。
でも、ウンコの出は良いです。w
>>155 マジレスすると、
君に必要なのは2chなどの言葉じゃない。
リアルな、身体で実感する体験だよ。
自分以外の存在を、肌身で感じることだ。
哲学的には素朴実在論は低く見られがちだが、
あの人もこの人も確かにここに居る。
犬も猫も、木も草も、雨も風も陽の光も、確かに君の周りにある筈だ。
そして、君自身もそこに居る。その中に居る。
身口意の三業というように、「思い・想い」というものは大切だ。
けれども、それが、超能力のように世界を動かすと考えたら大間違いだ。
人の強い思いが世界を動かす時、そこには必ずしっかりとした行動が必要なんだよ。
思ってるだけでは何も変わらない。
君がどれだけいろんなことを考えようとも、世界は何も変わらない。
何をうじうじしてるのか?
行動と連携しない思いなぞ、妄想以外の何物でもない。
160 :
マジレスさん:2007/01/27(土) 12:41:50 ID:DkhludbM
神の教えの知識について以前の質問です。
私は「なぜ神は私を見捨ててしまったのだろう」と思うことがあります。
「信じるものは救われる」のではなかったのかと。
神すらもこの世に全く無意味な存在を作り打ち捨てたのではないかと。
神とはこの世を何のためにおつくりになったのですか。
161 :
名無しさん@3周年:2007/01/27(土) 16:13:39 ID:z2+f7Fzq
竜樹が説いた空思想ってなんですか?
難しくて分かりにくいんです…。
162 :
名無し:2007/01/27(土) 18:23:22 ID:sAo9igYb
机龍之介様
数年前にお世話になりました、住職とは思えない義兄の悪行で姉が心を壊してしまった者ですが、
憶えていらっしゃるでしょうか?
あの節は、姉の病を気にかけていただきありがとうございました。
今回のご相談も姉のことなのですが・・・・
先日、姉がとうとう寺を出てしまいました。
2日がかりで母が聞きだそうとしたのですが、口論の最中に咀嚼中の食べ物を姉の顔に吐きかけ、
食卓のお膳をひっくり返してダイニングを出て行ったとしか話さなくて、詳細は不明です。
義兄としては、殴って青アザをつければ檀家さんにわかってしまうので、巧妙な手口でまた心を
傷つける暴力を振るったと思われます。
3番目の子がお腹の中にいる時、妊娠中の姉と子供と檀家さんを捨てて、女と逃避行をしようと
してから15年が過ぎましたが、最早限界がきたものと思われます。
数年前にご相談した時、3番目の子が中学を卒業したら出て行けと宣告されていましたが、あと
1年を残して自ら出て行くには余程のことがあったと思われます。
結婚後に義兄の父親(先代の住職)が女とギャンブルに溺れて寺を出て、当時小学生だった義兄は
一家離散の憂き目にあったという話を聞き、空恐ろしい気持ちになりましたが、予感は見事に的中。
でも、これが一般家庭でなく寺で起きてること、しかも義兄は若手のトップにいる立場であることを
考えると憤りしか感じません。
こうなった以上、私も二度とあの寺へ心を病んだ姉を帰すことを止めようと思っています。
世間体が悪いからと病院にも行かせてもらえないままなので、そちらの方も心配です。
163 :
名無し:2007/01/27(土) 18:24:52 ID:sAo9igYb
離婚にあたって、義兄には子供や檀家さんには絶対知られたくないやましさがありますから、さっさと
財産を処分してくれたらと思うのですが・・・・
グズって裁判にでもなったら暴露合戦になり、どうしても言ってはならない秘密が明らかにされてしま
います。それは、義兄も恐れているでしょうが、あんな義兄でも子供たちの父親ですから、私たちも
子供たちの耳に入れたくないのです。
そこでお聞きしたいのですが、一般家庭と違ってお布施が収入源である寺の財産を、住職の勝手による
離婚費用に当てることは果たして可能なのでしょうか?
といっても、すでにお布施の何%かはギャンブル代と女に消えていってるので、今更という気もしますが。
数年前に塔を大改修し、この度寺の増築で莫大なお布施を要求している義兄ですから、檀家さんの非難を
浴びることは必至です。
檀家さんの知らないうちに離婚することも不可能でしょうし、うまく事が運ぶのか心配です。
住職で離婚されてる方がどの程度いらっしゃるのかわかりませんが、どのような形態で離婚
されているのか、どこまで檀家さん達が口を挟んでくるのか見当もつきません。
25年前に嫁いだ時、義兄に嫁いだというより寺へ嫁いだという感じの嫁入りの儀式でしたが、
別れる時も一般とは違う手続きがあるのでしょうか?
以上、スレ汚しと知りつつご相談いたします。よろしくお願いします。
164 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/01/27(土) 18:30:43 ID:cjccargY
>>160 >「信じるものは救われる」のではなかったのかと
先ず、ルカによる福音10章25-37節を精読なされまし。
して、貴殿は「良きソマリア人」になれるでせうか?
そのことだけ自らに問うたら宜しいかと思います。
信じることは与えることです。
それなくして何ゆえ救いがありましょうや?
>>161 空思想とは、与えることもなく、ましてや救うこともなきをもって
そのまんまで即心即仏の一如の法門をいうんです。
(簡単ですが、説明させて頂きました)
165 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/01/27(土) 18:48:03 ID:cjccargY
>>162 >数年前にお世話になりました、住職とは思えない義兄の悪行で姉が心を壊してしまった者ですが、
>憶えていらっしゃるでしょうか?
ええ、よく覚えてます。
>そこでお聞きしたいのですが、一般家庭と違ってお布施が収入源である寺の財産を、住職の勝手による
>離婚費用に当てることは果たして可能なのでしょうか?
基本的に寺の財産は檀家のものですから、これは手を付けるのは至難かと思いますね。
つまり住職というのは寺を借りて生活しているようなもんですから。
しかしながら住職が、別に私財とかあるなら、これは離婚費用の対象になります。
女道楽で、果たして私財があるのか?
ここが疑問です。
財産分離は固定資産より流動資産の方がメンドクサクなくていいんですが。
>別れる時も一般とは違う手続きがあるのでしょうか?
いや、住職が寺を出るわけじゃないなら、一般の離婚と同じですね。
166 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/01/27(土) 18:59:05 ID:cjccargY
>数年前にご相談した時、3番目の子が中学を卒業したら出て行けと宣告されていましたが、あと
>1年を残して自ら出て行くには余程のことがあったと思われます。
子供たちは思春期、もしくはそれ以下ですね。
今は子共たちのことを一番に考えるべきかとおもいます。
なにしろ精神的に非常に不安的な時期ですから。
心的外傷(トラウマ)は簡単には消せません。
この因をもちまして二次的な苦労もせにゃならんことになります。
どうか、このことだけは避けて頂きたいです。
167 :
名無し:2007/01/27(土) 22:45:10 ID:sAo9igYb
早々にお返事いただきありがとうございました。
私も環境の違いこそありますが、夫婦の諍いだけとってみれば似たような辛い思いを
していますので、姉も大事なのですが、実はこの3番目の子供が一番気になっております。
上は23歳の長女に大学2年の長男なので、それぞれ自分の意思を持って冷ややかな目で親を
見ています。
3番目の子が中学を卒業したら出て行けと宣告された時以来、姉は家出をするようになっていて、
こうして出たり帰ったりを繰り返すようなことは、かえって子供に悪影響を与えるだけだと思って
います。
事実、私の母も女として最悪の環境にいながら、家を出たのは腹をくくった1回だけでしたから、
今にして思えばそれはありがたかったなと感謝し、先日「ありがとう」と電話したところです。
多分、小さい時に家出を繰り返されたら、自分は捨てられた、とか、愛されていないんだと感じた
はずです。
私は、なぜかそういう劣悪な環境にいても、20代では親の離婚にOKを出せず、35の時
やっと母を開放してあげたい気持ちになり、家を出ることを許したのです。それがさっき言った
たった一度の家出です。あれから10年経ちますが、いまだに父は離婚も許さず1円たりとも
母にお金を出しません。
それでも母は離れて暮らせるだけで幸せだと言うので、私はもっと早く開放してあげれば良かったと
後悔しています。
だから今回出てきた姉に、出て行くなら1円ももらえないことを覚悟して、その方がまだマシだと思う
なら、その気持ちを子供たちに理解してもらってから出るようにと言いました。
私の経験から、子供にとっていがみ合う姿を毎日見せてでも親が揃ってる方がいいのか、さっさと別れて
できるだけいがみ合う姿を見せない方がいいのかは、後になってみないとわからないと思います。
ひとつだけ言えることは、子供にとって親がもう一方の親の悪口を言うのを聞かされることくらい苦痛な
ことは無いということです。
168 :
名無し:2007/01/27(土) 22:46:08 ID:sAo9igYb
姉の子供たちは、弁舌鮮やかな父親に洗脳されていて母親には目もくれない状態です。
義兄は一度捨てようとした後ろめたさからか、猫かわいがりするようになり、常軌を逸した愛情で育てて
きましたから、上2人にとっては何でも叶えてくれるスーパーマンのような存在です。
野球チームのピッチャーのポジションから大学入学の裏工作まで、できる限りのコネを使って子供に苦労を
させないやり方は目に余るものがあります。何でも好きな物を買い与え、庫裏の一室はまるでツタヤかと
思うくらいゲームソフトとDVDで溢れかえっています。
長男長女は、父親に似てギャンブル好きで、長女はお嬢様学校で有名な女子大に通いながら、仲間を
引き連れて競艇通い、長男は昨年ディープインパクトを追いかけてフランスへ行こうとしていました。
そういうことを平気でやらせる父親と、止めようとする母親、子供達にとって姉は文句ばかりつける
鬱陶しいオバサンでしかありません。
姉が心を壊してから、やる気を失くして主婦を放棄することが多々あり、それも長女が卒業して帰って
きたら手伝ってくれて解決すると思っていたのに、就職はしないわ、昼前まで寝てるわで余計モメるだけ。
その上主婦をしない母親を攻め立てるだけなのです。
私はすでに上の2人は見放しています。単なる道楽息子・娘に成り下がった異星人です。
だからこそ3番目の子にだけは見放されないように、家を出るなと言ってたのですが・・・
私財?無いでしょうね。親の代で一旦潰れた寺を大学卒業とともに帰ってきて無一文の
状態から建て直したと聞いています。
寺で私財とはどうやって作れるものなんでしょう?
土地は広大ですが寺の所有だし。。。文化財もありますが県のものだし。。。
それこそ元手はお布施でもギャンブルで勝ったお金を積み立てたら私財になるってことでしょうか?
あの寺では湯水のようにお金が使われているので、本来どこまでが使っていいものなのかどうか
区別がつきません。
でも、残念ながら想像通り檀家さんのものだったんですね。
ああ、今夜もまた眠れそうにありません。
母娘揃って結婚相手から1円ももらえず追い出されるハメになるとは・・・
私には2人の面倒をみる余力なんて無いのに。。。
169 :
名無し@3周年:2007/01/27(土) 23:38:33 ID:HL2mAIfo
子供の頃から仏に関する不思議な体験をしてきました。
観音菩薩の絵を飾って拝みたいのですけど…
仏像をやたらに祭るのがよくないように仏画を拝むのも
きちんとした絵でないといけないのでしょうか?
前に仏を恐れず自分で菩薩の絵を描いてほったらかしにしたら
怖い夢をみて錯乱してしまいました。
それ以来、仏の絵を描くのに抵抗があります。
観音菩薩の絵を飾って拝まなくても
信じて頭で空想して拝むだけでもいいのでしょうか?
>>169 > きちんとした絵でないといけないのでしょうか?
宗派によるかもしれないけど、日本の仏教的には「きちんとした」っていうは、
きれいに書いてあるかとか、印刷か手書きかとかいうようなことじゃなくて、
開眼供養がしてあるかってことになると思います。
開眼供養してないものは、いかに優れた仏画や仏像でも置き物、
幼稚園児が描いた絵でも開眼してあるものは仏さまです。
> 前に仏を恐れず自分で菩薩の絵を描いてほったらかしにしたら
ほんとかどうかわからないけど、、開眼されてないもの、雑に扱われているものは、
悪霊が入ってしいやすいなんていう人もいるので、そういうことなのかも。
> 観音菩薩の絵を飾って拝まなくても
> 信じて頭で空想して拝むだけでもいいのでしょうか?
観音経によると、念じれば助けてくれるって書いてありますよ。
ここの訳がわかりやすいかも。
ttp://www.kitakama-yusui.net/tokusyu/zen-5.html
>>167 上のお子さんは、もう大きいのですね。
それならそんなに心配はいらないんじゃないでしょうか?
大学にも入れているし、充分に親の責任は果てしてますね。
>>168 >私には2人の面倒をみる余力なんて無いのに。。。
姉は、つまり生活力がない。ってことですか?
子供ひとりくらいなら、女の手ひとつで育てている家庭は多いですよ。
というよりも、まだ母親が子供を面倒みるくらいなら良い方で、
なかには爺さん婆さんの預けている家庭もあるくらいですから。
(これだと問題がある)
つまり、姉さんは精神的に不安定なので養育の方が心配なのですか?
っていうか、中学生だとある程度は自立してますから、
さほど経済的なクリアすれば問題はないかと・・・?
ようは、貴女が姉を引き取るのが不安なんですか?
172 :
名無し:2007/01/28(日) 13:30:19 ID:wx9p4ry5
義兄は絶対子供を手放さないと思いますし、子供もついてこないと思います。
あの子達は父親のばら撒くお金無しでは生きていけないでしょう。
義兄も2人の男の子に跡を継いでもらうために、今一大事業を開始しようとしていて、
それが完成すれば早々と隠居する予定にしています。
ですから生活の心配は姉だけなのですが、私は常々姉の一般常識に欠けた行動に
驚かされています。
知らず知らずのうちに、義兄の尊大な態度に感化されて自分まで偉くなったような
気でいるのではないでしょうか。
常に人に頭を下げられているわけですし、ありとあらゆる所から特別接待を受けてる
わけですから、勘違いしても仕方のないことなのかもしれません。
寺の仕事に関してはプロなのかもしれませんが、一般の会社で役に立つとは
思えません。
ましてや、主婦の本分さえこなせず娘からぐうたら呼ばわりされてる者が、
「心の病」を理由に、仕事を休めるでしょうか?
本当に病なのか、怠けているのかは身内に私でも区別がつきません。
ですから、勝手な言い分かもしれませんが、義兄から一人が住める程度の
中古の家を一軒与えて欲しかったのです。
姉は、寺で子供に英語を教えていたので、家さえあれば、一室を教室にして
食費程度くらい稼げるのではないかと思っていました。
今朝確認したところ、やはり私財は無いようです。ですから、一軒家は諦めなければ
いけませんね。
ただ、月給として会社社長クラスの給与を寺から支給するようにしてあるそうなので、
人の心を持ち合わせているなら、そのうち10万でも支払ってもらえれば良いのですが。
それも、別の女を入れる用意があるのなら(今現在そこまでの女がいるかどうかは不明)
無理かもしれません。
173 :
名無し@3周年:2007/01/28(日) 17:09:24 ID:B5syxUEL
>>170 回答、ありがとうございます。
早速、紹介していただいたサイトを見ようと思います。
>観音経によると、念じれば助けてくれるって書いてありますよ。
念じていれば助けてくれるとはとても救われます。
とても安心しました。
姉さんが出戻りしたとしても、貴女と姉さんはウマが合わないのですね?
ウマが合わない同士は、同居したらもっと悲惨ですよ。
姉妹は特に。兄弟でもそう。他人なら遠慮があるけどね。
だけど血の繋がりがある姉妹だから、そう簡単に冷酷になれない。
こういうケースというのは、誰でも頭を悩ますのです。
貴女も、もしかしたら家庭をもっていらっしゃるかもしれませんしね、
選択を誤ると貴女の家庭までオカシクなる。
ここは賢明な判断が必要ですね。
敷地が広いなら、私だったら姉のために別棟を建てる。簡単なプレハブでもいい。
ある程度、姉と距離をおく生活圏を最初に設定するのが大事。
後でやるのは心情的に軋轢をうむ。
まあ、いろんな選択肢を考えとかねばならんでしょうね。
175 :
名無し:2007/01/28(日) 21:01:44 ID:wx9p4ry5
私の実家は本普請専門の工務店を経営していて、住んでる人間は外観とは裏腹に
冷え冷えとしていましたが、建築的には最高水準の誰もが羨む家に住んでいました。
母が出たあと、新しい女を入れるために私から家の鍵まで奪い取ろうとする父から、
何一つ私物を残して行くなと言い渡され、残っていた姉の荷物共々処分して出ましたので、
実家には母娘の物は残っていません。
工務店の家に生まれ、まさか自分が将来家なき子になるなんて想像もしていませんでしたが、
現実に木材など使われていない賃貸に住んでいます。
母はとにかく悲惨だった家(県庁所在地)から遠く離れた隣県との県境の賃貸に住んでいます。
とにかく、知った人に会いたくないとの一点張りで、数年前から眩暈で入院したりもしているので
せめて市内に戻ってくるよう説得しているのですが、埒が明きません。
私の方は1Kで、母の方は2DKなので、今姉は母のところに転がり込んでいます。
私の部屋は一人部屋ですし、例え2DKだとしてもお察しの通り、プライドの高い姉が
日頃から見下してる妹のところへなど来るはずもありません。
私と母が今まで別々に家賃を払って暮らしているのも、お互いにやっていけないのが
わかっているから、二重の家賃が無駄だと知りつつ敢えてそうしているのです。
母と姉にしても、昨日も母から「自分が産んだのだから仕方ない」と電話が入りましたが
近いうちに限界がくると思います。
敷地が広いと言われてるのは、前回書いた寺の敷地のことでしょうか?
寺の敷地内に姉を住まわすのはどうなんでしょう?
新しい女も嫌がりますよね。
176 :
名無し:2007/01/28(日) 21:02:39 ID:wx9p4ry5
実家の方なら上記の理由で、結局女を入れることには失敗したようですが、既に私達の家では無いと
思っています。
私は上記の理由から、姉は父から何度も何度も嫁ぎ先に迷惑をかけることをされ、私以上に父を
憎んでおります。
脳梗塞で倒れた時も、近寄りもせず、会社の後始末も全部私に押し付けて一切の係わり合いを
拒んでいます。
それに、風の噂によると将来私の家を建てると言っていた敷地には、大きなガレージを建てて
いるそうです。
大きな車なんて会社の経費で落とすから乗れる物であって、しかも麻痺が残ってまともに運転も
できないというのに、これ見よがしに国産の最高級車を買い直し、既に大きな車が2台入る
シャッター付きのガレージがあるのに、更に作ったということです。
母に1円も払わずにおいてそういうことを平気でやってのける人なのです。
こんな状態で誰にも頼るところがありません。
実際、私も母も女一人で部屋を借りようと思ったら保証人という問題がが付きまとい
困ったし、家一つとってもこれからどうしてよいものか途方に暮れるばかりです。
仲が良ければ3人で新しい家でも建てれば良い話なのですが、とてもそんなことは
できそうにありません。
177 :
名無しさん@3周年:2007/01/29(月) 00:53:30 ID:BNK3Gh94
父方の祖父母の供養の為にお寺でお経をあげて頂きたいと思ってるのですが、
祖父母の名前しか分からなくても大丈夫でしょうか?
父方の祖父母は自分が生まれた時には既に他界しており、自分が3歳の時に
両親が離婚し母に引き取られたため、今まで一度も父方の祖父母の供養
(七回忌の様なやつ)をした事がありませんでした。
先祖は母方だけではないという事をすっかり忘れてました。
やはり戒名や命日は必要なのでしょうか?
お寺の宗派もきちんと合わせなければいけないのでしょうか?
>>177 おとうさんのほうで、法事やってるんじゃないのかな?
それと、もし亡くなって32年以上たってたら、どの宗派でも成仏してるはずなんで
普通はもう法事はやらないです。
そのご先祖のことも念頭において、ときどき手をあわせていれば良いと思うよ。
それじゃ気がすまないんだったら、お墓参りに行ってみたらどうだろう。
ご先祖が急に気になっちゃったりするのは、自分もありましたのでわかります。
自分の場合突然、上野戦争でなくなった先祖の話をきかされたことを思い出し、
ほぼ同じタイミングで関係ない本を読んでたら彰義隊のお墓の写真が出てきて、
先祖っぽい名前をみつけて、うわっ呼ばれてると思ってお墓参りいってきました。w
そしたら落ち着きました。いまのところ、おさむらいさんが夢枕に立つこともないです。w
179 :
177:2007/01/29(月) 07:32:33 ID:BNK3Gh94
お墓参りに行ければいいのですが、泊りがけで行かないと行けないくらいの
距離なので、なかなか行けないんです。
法事みたいなきちんとした事じゃなくていいので、一度はお寺でお経を上げて
頂いた方がいいかなと思いまして。
とりあえず、祖父母の事を念頭に般若心経を唱えたいと思います。
ありがとうございます。
>母と姉にしても、昨日も母から「自分が産んだのだから仕方ない」と電話が入りましたが
>近いうちに限界がくると思います。
お母さんも、たぶん高齢でしょうし、この先を考えたらもっと大変ですね。
>敷地が広いと言われてるのは、前回書いた寺の敷地のことでしょうか?
いやいや、寺の敷地にはお姉さんを住まわせる訳にはいかんでしょう。
姉さんの実家とかが、もしかして農家とかなら敷地が充分あるかと推測したのです。
>それに、風の噂によると将来私の家を建てると言っていた敷地には、大きなガレージを建てて
いるそうです。
こんな状態なら、実家もあてにはならんですね。
>仲が良ければ3人で新しい家でも建てれば良い話なのですが、とてもそんなことは
できそうにありません。
う〜ん、これは困ったですね。
親子・姉妹が仲良くなるも不仲になるも、大概は親次第ですよね。
いろんな家庭みてますが、これは間違いないです。
でも、これは既に過去のことですから、今さら言うても解決にはなりませんが・・・
これからは、3人の情報交換だけは続けていかなければなりませんね。
今はそれが大事です。
そして、お父さんの相続権がありますから、そのことに関して話合う機会を設けたらいいかもしれません。
もし不安なら公正証書に残しておいて、父の死後に実家に住むのがいいかもしれません。
こういった談合を切っ掛けとして仲直りが出来る場合もある。
182 :
名無し:2007/01/29(月) 21:12:56 ID:2HU1xhm/
家と財産は、ハイエナのような父方の親戚が狙っています。
会社は始末しましたが、家賃収入が月に150万あるので、それを目当てに
醜い争いが繰り広げられたのです。
ただし、強欲が祟り不幸がやってきたり、ああいう父ですから看病しても
感謝のかけらも無い、もらえると思ってたお金も身内ということでケチって出さない、
というわけで一人減り二人減りして、今最後の一家が粘っているところです。
長生きしそうな父ですから、向こうが先に音を上げてくれたら良いのですが。
家は築30年ですが、うちの棟梁が丹精込めて作り上げたものですから、100年は
もつ(もちろん途中補修は必要ですが)と父が言ってましたので、私達の代まで充分
住める家ではあります。
しかし、あの家は悪霊が憑りついているとしか思えませんし、父の死後住むとなったら
尚更父の怨霊の棲家となるでしょう。
私は、鍵を取り上げられた時から自分の家では無いと思っていますから、あの家で
暮らす気などさらさらないし、父自慢の冠婚葬祭用の座敷で葬式を出す気もありません。
父はまだ若い時から葬式は豪華に、仏壇をケチったら化けて出てやると言ってましたので
完全に逆らって密葬だけで済まそうと思っています。
面当てというわけではなく、母も姉も私も自分の時は密葬で済ませたいと思っているので。
姉は、父を私以上に憎んでいますが、父さえいなくなればあの家に住む気があるのかどうか?
もったいない話ですが、経験してみないと理解できないでしょうが、あの家は
外はまともでも中は崩壊しています。そういう腐った家には住めないのです。
今現在元気で働いているからそういうことが言えるのかもしれませんが、
「あの家に住むくらいなら野垂れ死にした方がマシ」というのが正直な気持ちです。
183 :
名無し:2007/01/29(月) 21:14:01 ID:2HU1xhm/
>>親子・姉妹が仲良くなるも不仲になるも、大概は親次第ですよね。
ドキッとしました。まさにその通りだと思います。
この親兄弟の仲の悪さは見事に母の実家そのものなのです。
そして今、うちの状態が見事に姉に継承されていってるのです。
本当に恐ろしくてなりません。
きっと机様には叱られると思いますが、私はこの因果を断ち切るために
結婚をしませんでした。
私と同じ地獄を味わう子供を作りたくなかったからです。
頭の片方でそれは間違ってると思いつつも、結局姉を見ていたらやっぱり
これで良かったんだと思ってしまいます。
実はこのことを話すのはこれが初めてです。親に言えば悲しむと思い
いくら責められても本当のことは言えませんでした。
でも、罪深いことなんでしょうね。。。ごめんなさい。
184 :
名無しさん@3周年:2007/01/31(水) 18:12:01 ID:DxQGNzYP
仏教は女性蔑視の宗教であると言われている。
例えば、『増一阿含経』には、以下のような、女性を蔑視する記述が見られる。
お釈迦様は、長老に「女には、九つの悪い属性がある」とおっしゃった。
その九つの悪い属性とは何か。
女は、1、汚らわしくて臭く、2.悪口をたたき、3.浮気で、4.嫉妬深く、
5.欲深く、6.遊び好きで、7.怒りっぽく、8.おしゃべりで、9.軽口であるということである。
[増一阿含経,第41巻,馬王品]
185 :
名無しさん@3周年:2007/02/01(木) 01:43:52 ID:b0HlAEBI
>>184 この前、人妻塾女風俗ホテヘルを利用したら、
上記の1、〜9.そのまんまにあたった。
すっきりしにいったのに、ストレスたまりまくりだあ。
>>182>>183 >父さえいなくなればあの家に住む気があるのかどうか?
>もったいない話ですが、経験してみないと理解できないでしょうが、あの家は
私の人生も、貴女とよく似てます。
父が死にますと、以外と吹っ切れる。というのが私の体験。
死ぬまでが大変です。
私にも姉がいましたが、父が死んでからからは姉とも関係が無くなってスッキリした。
まあ、血縁というのは他人以上に厄介なもんですね。
だけど貴女は、母とか姉と付き合えるから、
まだいいじゃないですか?
私は貴女よりは血縁が薄いですよ。
父方の家系ってのが、たぶん血縁の薄い家系だったかと思います。
>会社は始末しましたが、家賃収入が月に150万あるので、それを目当てに
>醜い争いが繰り広げられたのです。
この金額だと、たぶん相続税の対象になりますから、名義書換をスッキリしたいですね。
(これが済まないと処分さえできない。幽霊資産になる)
これを済ませれば、わりと気分的には楽になるんじゃないでしょうか?
問題が先にあるままだから、複合的に憂鬱になる。
私の経験じゃ、そうでしたね。
>きっと机様には叱られると思いますが、私はこの因果を断ち切るために
>結婚をしませんでした。
>私と同じ地獄を味わう子供を作りたくなかったからです。
そうですかね?
私は親を反面教師としてきましたけど。
親の因縁は私が断ち切りました。
貴女の人生は別かと思うけど・・・
188 :
名無し:2007/02/01(木) 21:16:06 ID:5mluq3/W
今日、姉と電話で話しをしたら、また驚愕の事実が。
昨日身の廻りの荷物を取りに戻ったらしいのですが、その時の様子を尋ねると、「出て行った時は、
わしの金が無いと生きていけないくせに、一人で生きていけると思ってるのかと怒鳴ったけど、昨日は
声をかけても知らん顔してた」と言ったのです。
まさに父と同じで、お金で女を締め上げる人間です。何と卑劣な男、これが住職とは。。。
>>父が死にますと、以外と吹っ切れる。というのが私の体験
そんなことを聞くと、私の中の悪魔が頭をもたげて、「早く死ね」と言ってるじゃないですか(笑)
>>問題が先にあるままだから、複合的に憂鬱になる。
そうなんです。150万の収入のうち、まともな土地は70万の地代のものだけで、
あとは処理に困るものだらけなんです。
すでに工務店は始末して無いのですから、この先修理はどうすればよいのか。
売ろうと思っても売れるような借家ではないので、国に現物で納税したくても
きっと70万の土地の方を持っていくでしょうね。
私はA型なんで、先々の悪いことをありとあらゆる角度で想像して凹んでしまうのです。
189 :
名無し:2007/02/01(木) 21:19:22 ID:5mluq3/W
>>私は親を反面教師としてきましたけど。
親の因縁は私が断ち切りました。
それは、机様の信心が根本にあるからではないですか?
私は元々信心などなかったうえに、姉が僧侶と結婚した直後から様々なセクハラを
義兄から受け、ギャンブルと女にお布施を注ぎ込む義兄の姿に信心など吹き飛んで
しまいました。
この先も大好きだった祖父の墓参り以外に手を合わせることなど無いと思います。
若い頃は私も反面教師としていましたが、姉があのような目に合ってるのを見ると
あの有名な方が言われている運命と宿命の差である、どうしても変えられないという
宿命を感じずにはいられません。
とても心がけで変えていけるようなものではないと思いました。
私は、最初にセクハラを受けた時、母に義兄は良人ではないことを説いたのですが、
全く聞く耳をもたないどころか、逆に姉のような良家に嫁げない僻みでデタラメを言うなと
きつく叱られてしまいました。
その日から私は一切口をつぐんでそれ以降のセクハラにも耐えましたが、今頃母はあの時の
私の訴えをどう思っているのやら。
義兄は、母がお坊さんなら大事にしてもらえると喜んで娘を差し出した相手ですから、
見事に裏切られてしまったわけです。
しかも、自分と全く同じようなことをされ、挙句に無一文で追い出されようとしている
のですから、母の落胆といったら言葉では言い表せないでしょう。
190 :
名無し:2007/02/01(木) 21:20:53 ID:5mluq3/W
>>だけど貴女は、母とか姉と付き合えるから、
まだいいじゃないですか?
付き合いたくて付き合ってるわけではありません。
母方の悲惨な親子関係を断ち切りたいから無理しているだけです。
12月に上記の祖父が亡くなったばかりなのですが、死にかけてる病室で
伯母さんたちがケンカをしている姿にゾっとしてしまいました。
孫が10人いましたが、祖父は私とだけ仲良くしていて、外出できなくなってから
見舞いに行ってたのも私だけだったのですが、面倒をみていた叔母は、私が財産を
狙ってると他の伯母たちに言いふらしていたのを知って、殺してやろうかと思いました。
一応、自分達はそうならないようにと言い聞かせてるだけで、会いたいとも話したいとも
思ったことはないですね。
私の言うことなど聞くような人たちではありませんから。
机様は、親が僧侶なのですか?それとも俗世の因縁を断ち切るために仏門に入られた
のですか?
僧侶を信用してない私の質問なので怒らずに聞いて欲しいのですが、僧侶ってこの世に
必要なのですか?
僧侶の仕事って何なんですか?
すまないが、場所変えてくれないか?
ここが質問箱であることをお忘れなく。
193 :
名無しさん@3周年:2007/02/12(月) 21:35:53 ID:/FUCSruO
ニンニクの名前の由来を調べたら僧侶が厳しい修行に耐えるために食べたため、忍辱から。
とあるのですが、僧侶はニンニク食べちゃいけないんじゃないの?
194 :
名無しさん@3周年:2007/02/13(火) 05:22:42 ID:TW6oowJI
195 :
名無しさん@3周年:2007/02/14(水) 01:31:43 ID:EJ2sjEov
196 :
アンブロシウス:2007/02/16(金) 20:08:31 ID:rbxOBg1B
石川淳の小説『普賢』が好きで、2度読んだが、どこが普賢菩薩と関係がある
か分からない。この小説は、主人公が慕ふ女性が共産党員になつて、相貌まで
変つたので、嫌になつた、といふ筋。しかし、とりとめもない話が多く、文体
だけが光つてゐる。アナーキスト文士、石川には文殊菩薩の方が似つかはしく
ないか。
智慧は時として理に合わぬもの
故に普賢なのですが
質問させてください。ほとけさまは、どんな人も幸せにしてあげようと思っておられるそうですが
例えば凶悪殺人犯などにも救いの手を差し伸べるのでしょうか。
本人が心を振り向けさえすれば、ですね
200 :
唯俺:2007/02/17(土) 12:14:06 ID:uCJb5xyA
>>198 あなたと凶悪殺人犯の違いはなんですか?
>>199 ありがとうございます。
ひろさちやさんのまんだらの精神の本を読んでいて、
ちょっと疑問に思ったものですから…。
>>200 いのちを大切に思っていることでしょうか。
203 :
唯俺:2007/02/18(日) 00:40:54 ID:wvRjL7++
>>202 >いのちを大切に思っていることでしょうか。
そうですね、人が皆その思いを実践していれば、
戦争も殺人もこの世には存在しないことでしょうね。
残念なことに、他人の命より自分の命の方が大切なんですね。
私も例外ではなく、ゴキブリなどみかけると新聞紙を丸めてしまう。
根が凶悪なんですね。
殺したいと思った人間も一人や二人ではない。
私と凶悪殺人犯との違いは、ただ単に縁起の違いです。
仏教は、私と凶悪殺人犯とを区別しない。
もしも、仏に凶悪殺人犯を救う力が無いのであれば、
この私も救いえないであろうと考えています。
205 :
名無しさん@3周年:2007/02/18(日) 14:40:07 ID:h09mQLH1
知らない人の墓に手をあわせると呪われるってほんとなんですか?
>>204 おそらく同じであろうと思われます
値段の差は、単行本と文庫本の差のような物で、印刷された紙の質や装丁などの差でしょう
>>205 縁も縁もない人なら手を合わせないようにした方がよいでしょう
墓の主が長らく縁者に捨て置かれていたような場合、手を合わせてくれた者が、自分の事を祀って
くれるのだと誤解する事が多いようです
しかも放置期間が長かった分だけ、期待が過剰にかかりますから、その思いが裏切られた場合、
やはり祟りのような事になる事も有ります
207 :
204:2007/02/18(日) 19:44:17 ID:WKbMJI+6
>>206 どうもありがとうございます。初心用は一番安いのでよいでしょうか?
訓、音読み。カナふりなどあるのですが・・
>>207 まずはそれで良いと思います
疑問な点がありましたら、ここでお聞きになれば、ご存知の方がきっと教えて下さる事でしょう
>>206 仏教の墓にはそんな意味合いがあるのですか。自分が信者でないとか関係なしですか?
実は一昨年の秋心霊スポットを探してて見つからずその話を思い出し手をあわせてしまいました。
路地にある墓場にある墓で手を合わせたあと敷地からでて自転車にまたがって考えてると3人組の女の子が路地を通りかかり『知らない人の墓おがんだらいかんのやって。呪われる』と話してて怖かったです。
>>209 仏教でなくても、お墓と言うのは死んだ人のお住まいだと思って下さい
信仰には一切関わりありません
心霊スポット廻りはお止めになった方がよろしいです
もし、あなたが悩み苦しんで、死ぬより辛い思いをしている時に、能天気な他人がやって来て
散々あなたの事をからかい、馬鹿にし、小突き回したら、あなたはどんな気持ちになりますか?
腹が立ちませんか?恨みませんか?憎みませんか?
相手の立場に立って考えて見て下さい
心霊スポット巡りは場所を考えて行ってます。道や寺程度。
やっぱり迷信ぽいですね。
212 :
名無しさん@3周年:2007/02/19(月) 14:38:30 ID:Vel63aHw
質問なのですが、個人的な飛び入りでもお寺での修行を引き受けてくれる、お寺さんをご存知の方はいませんか?
私は度胸も精神力も足らず、自分を変えたいと思って、座禅などで鍛えて欲しいと思ってます。
いくつか、お寺のホームページは見て回ったのですが、個人的な受け入れを募集しているところが見つからなかったので、質問させていただきました。
修行におすすめであったり、有名なお寺がありましたら、是非教えてくださいm(_ _)m
>>213 マンツーマンじゃないといけないんですか?
坊さんだって、ほとんどの部分はマンツーマンで修行してるわけじゃないから、
試してみたい程度で、いきなり行っても難しいと思います。
とりあえず、日曜坐禅会なんかに参加してみたらどうかな。
禅宗だと、在家の人のための居士の会みたいなのがあるところもあります。
菩提寺が禅宗と仲悪くなかったら紹介してもらうとか、
ネットで検索して近いところに行くとかで。
そこからまた縁ができていくんじゃないだろか。
217 :
南無大師遍照金剛:2007/02/22(木) 17:59:51 ID:oGjHcrlx
ヽ(´∇`)ノアゲ♪
219 :
南無大師遍照金剛:2007/02/23(金) 22:05:08 ID:XSHFB+V/
ヽ(´∇`)ノ
220 :
名無しさん@3周年:2007/02/25(日) 20:51:15 ID:1MymIk/s
>>220 大日本帝国守護霊団組合その他とのカキコがありますが、
具体的に存在する団体ではなさそうです。
利己的遺伝子とかミーム論に傾倒してしまった心情右翼か、
丹波哲郎マニアのお遊びだと思われます。
222 :
南無大師遍照金剛:2007/03/03(土) 08:29:51 ID:F1Z5KB82
ヽ(´∇`)ノ
223 :
名無しさん@3周年:2007/03/05(月) 09:38:54 ID:9SgKvG6a
始めまして、
初めて質問させて頂きます。
般若心経についてなのですが、
一般(在家)の方々の捉え方と、
お坊さんたちの捉え方は違う物なのでしょうか?
224 :
南無大師遍照金剛:2007/03/05(月) 09:45:28 ID:7rf3glqX
宗派によって異なります
人生観価値観に寄っても変わります
空をカラと捕えて
目に見えないものは無と汁か
目に見えなくても何か意味付け汁か
空をソラと捕えるか
無がどの語に係るか
により幾等でも変わってきます
好きな解説書えらんでね(≧ω≦)b
225 :
名無しさん@3周年:2007/03/05(月) 10:00:14 ID:9SgKvG6a
>224
早速の回答有り難うございます。
いろいろ解説書は読んでいるのですが、
お坊さん向けというのも有るんでしょうか?
では、例えば一つの宗で、
お坊さんの教わる般若心経と、坊さんが一般の人に伝える
般若心経の解釈は同じ物なんでしょうか?
質問ばかりですみません。
よろしくおねがいします。
226 :
南無大師遍照金剛:2007/03/05(月) 10:09:13 ID:7rf3glqX
因みに宗派はなんでせう?
227 :
名無しさん@3周年:2007/03/05(月) 10:19:36 ID:9SgKvG6a
曹洞宗です。
228 :
南無大師遍照金剛:2007/03/05(月) 10:22:06 ID:7rf3glqX
禅宗でしね
空=無?ですか
229 :
名無しさん@3周年:2007/03/05(月) 10:31:42 ID:9SgKvG6a
基本的にはそのように書いてあるようですが、、、、、、
般若心経の使い方、といったらおかしいですが、
どんなときにお坊さんは唱え、どんなときに一般の人は唱えるのでしょうか?またはそこに違いはあるのでしょうか?
230 :
南無大師遍照金剛:2007/03/05(月) 11:03:58 ID:7rf3glqX
(ノ_<。)ごめんなさい
僕あんまり詳しいこと分からないんだ…
知ったかブッタだから…
で
なんでそんな疑問持ったの?
一般は世俗諦、僧侶は勝義諦、この二諦の違いでありましょう。
232 :
名無しさん@3周年:2007/03/05(月) 11:20:53 ID:9SgKvG6a
>230
在家と出家の違いを考えていたんです。
僕も詳しくはないので一番身近な般若心経で考えてみようかと。
>231
ありがとうございます。
一般は世俗邸という事は、
自分の見た世界だけをベースに考えることしかできないということで
出家すれば勝義諦(客観的な真理?
を得られるで物事を見れるということでしょうか?
ちょっと極端かもしれません
233 :
南無大師遍照金剛:2007/03/05(月) 11:24:34 ID:7rf3glqX
>>231 (*'▽')ネェネェ
世俗鯛勝ぎ鯛って何でしか?
234 :
南無大師遍照金剛:2007/03/05(月) 11:34:34 ID:7rf3glqX
ある本には
般若心経は在家の為のものとありますた
空は無
無だから
なんもない
なんもないから
修行も要らず
そんな感じ?
ヽ(´∇`)ノ
>>232 心経の使われ方、という点を見るならば、
>在家と出家の違い について多少の益はあるだろうが、
本質的問いへの解としては遠いものとなろう。(心経の内容をいくら調べても、違いは見えてこない。)
在家と出家の違いについて、どのような要素を持って比べるか? によって、
その後の調べ方も変わってこよう。
たとえば、
・生活様式の違い。 ・威儀(服装・身だしなみ)の違い。 ・お経の使用方法の違い。(どのような場面で読まれるか)。
・教義の理解度の違い。 ・お経の内容における、在家と出家への語り方の違い。 ・教義の敷衍のさせ方の違い。
・教義から要請される戒めの違い。 ・教義から要請される、社会(共同体)の中での位置付けの違い。
・世間一般の認知の仕方の違い。(現代日本に於ける現状としての、それぞれの位置(ポジション)の違い)。
・世間が要請する、社会(共同体)の中での位置付けの違い。
などなど。
236 :
名無しさん@3周年:2007/03/05(月) 13:08:49 ID:9SgKvG6a
>235
ありがとうございます。
世間一般の認知の仕方の違い。という観点でみて見たいと思っています。
237 :
南無大師遍照金剛:2007/03/05(月) 13:15:43 ID:7rf3glqX
ヽ(´∇`)ノ
空と無は違う解釈してる解説本見たことあるにゃん?
239 :
223:2007/03/07(水) 11:29:28 ID:0PAf7bns
223です。
おかげさまで狙い処がわかってきました。
とりあえずこれまで分かった事を、
宗派によっては在家、出家の本尊がちがうものもある。
出家は世俗を完全に捨てるので教えられる立場にある。
般若心経のマントラは最初、くまら訳では呪と訳されたため、
不思議な力を持つ呪文と思われた。
西遊記でも三蔵法師が般若心経を唱え、厄災をまぬがれた。
もともと大乗仏教は在家のものだったので最初は出家がいなかった。
教える立場がいないため出家をつくった。
まだ教義の内容等、具体的な違いはわかっていませんが
報告まで。
>>232 真理は二通り(二諦)あるとされる。中論
俗人が様々な知識や経験を踏まえて相対的論理的に空を観る。色即是空(世俗諦)と、
出家して三学(戒・定・慧)のプロセス(修行)を積んで本源的体感的に空を観る。空即是色(勝義諦)
訂正
出家して三学(戒・定・慧)のプロセス(修行)を積んで本源的体感的に色を観る。空即是色(勝義諦)
243 :
220:2007/03/13(火) 14:57:29 ID:sv7RzyaN
244 :
名無しさん@3周年:2007/03/13(火) 19:57:44 ID:j7MpQ87q
だいたいリーマンや成り上がりに限り金に執着して競争心が強いんだよ。生まれながらの裕福層のほうが、実はギラギラしてなく虚栄心がなく利害より趣味的にボランティアをする 居士道精神だ 努力する人は飢鬼だね。
245 :
名無しさん@3周年:2007/03/13(火) 20:00:24 ID:j7MpQ87q
あれっ スレ違いです。上記は間違えました。スミマセン。ニート弁護スレと間違えました
246 :
名無しさん@3周年:2007/03/15(木) 01:36:26 ID:gj2XleNT
だいたい言いたげなコンプは分かったよ。
この前本屋にいたら女性2人が
宗教には頼りたくないと言っていましたが、これについてどう思いますか?
248 :
法華経研究者:2007/03/18(日) 16:28:20 ID:s1mFfLY/
日蓮宗派が唱える「南無妙法蓮華経」は何も日蓮が最初に唱えた訳ではなく、天台宗で既に唱えられていたって本当?
日蓮正宗では本門の題目といい、三宝の一つだと豪語していたから、ちょい確認したくて
249 :
法華経研究者:2007/03/18(日) 16:36:12 ID:s1mFfLY/
>>247 そりゃあ、ただお金目当てとか、祟りがあるとか脅すような変な宗教には頼らない方がいいと思うよ
ただ、人は弱い生き物だから、何かすがるものがないと正しく生きられのも事実だ
何にすがるか‥非常に難しい
250 :
神も仏も名無しさん:2007/03/19(月) 04:05:20 ID:wqY/8IfL
質問です
六道輪廻で、普通の人間が六道のどれかに7回生まれ変わるって、何処(経典)からきてるの?
>>248 ソースははっきりしませんが、
天台宗の御題目は「法蓮華僧伽呪」(ほうれんげさんがじゅ)であり、
最澄がこれを日本流に改め、「妙法蓮華経」とし、
日蓮がこれに「南無」を付けたものと聞いています。
>>248 うちの実家は天台宗だけど題目は唱えないな。勝手な推測だけど
天台宗では考え方としての「南無妙法蓮華経」があって天台宗で
修業した日蓮が念仏に対抗して唱える方式をとったのでは。
日蓮系の宗派の人たちは否定するだろうけど。
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E5%8F%B0%E5%AE%97 wikiを見ると、
>最澄は日本へ帰国後、比叡山延暦寺を開き、後年多くの優れた僧侶を輩出した。
>彼の没後は、法華経を中心としながらも、朝題目・夕念仏という一般向けの行法を広めたり
とあるね。wikiはソースにはならんけど、私も平安時代から「題目」は存在
したんだろう、と漠然と考えてたよ。
>>252の言い分を信用するなら、天台宗は
今は題目を使ってないようね。
日蓮が題目を推し進めたのは当時の時代背景もあったんじゃないかな?
出家僧相手の説法ならともかく、一般民衆に対して布教する場合、
当時の国民ほぼ全部が百姓やってて、GDPも大して高くない世相。そんな
クソ忙しい日常に、やれ天台大師がどーたらこーたらやれ霊鷲山でゴータマ
がどーだこーだ説法されても、「ヒマな時に頼む」としか返答は返ってこないでしょ。
だから手っ取り早い「唱題」を布教の手段として使ったのではないかと。
念仏への対抗、といえばそうかもしれない。
とはいえ、仮にそれを正しいと仮定すると。
対抗相手の(念仏の大本になる)浄土信仰の典拠となるものも比叡山から
日本に流れていったんだけどね。
なんだかんだいって比叡山が鎌倉新仏教の源流になってっから。
間違ってるかもしれないが俺の認識では天台宗は
法華・浄土信仰・禅・密教を総合的に取りまとめた
ものじゃないっけ?密教は別として鎌倉仏教の
宗祖たちは比叡山で修業したのち自分の解釈に
一番合ったものに特化してそれぞれの宗派を立ち
あげたんだと思う。まあ言い換えれば鎌倉仏教の
宗祖たちは天台宗を極められなかった落ちこぼれ
とも言えるんじゃない?
本当に極められたのは伝教大師だけだったんだろう。
仏教は全くの素人ですが、最近少し勉強してみたくなりました。
小学生でも解るようなオススメの入門書はないでしょうか?
>>255 「仏教入門」岩波新書(赤)/三枝充悳
「お経の話」岩波新書(緑)/渡辺照宏
「日本の仏教」岩波新書(緑)/渡辺照宏 (未読)
マンガ仏教入門 (文庫)
蔡志忠 (著), 瀬川千秋 (翻訳)
\580 (本体 : \552)
大和書房
親鸞上人の主著は教行信証
道元禅師の主著は正法眼蔵だとしたら
日蓮上人の主著は何になるんでしょうかね?立正安国論?
>>259 日蓮さんの著書と呼べるものはそれしかないですね。
主著と言うほど著作があるわけじゃないです。
御書なんてのはただの手紙ですから。
質問ですが、たくさん、真言だけが載っている経本や
陀羅尼だけが載っている経本というのはありますか?
夜、お地蔵さんにお祈りしていたら中学生か小学生に、お賽銭ドロボーと間違われそうになりました。
遺憾でした。
そして、祈っている最中に、刑務所に入るーという言葉が心の中で叫んで胸が鼓動がなる感覚を感じてしまいました。
その後必死で反対語などを唱えて祈りましたが、今も不安は消えません。
なぜでしょうか?
神社関係の本で、祈っている最中に掌や胸が温かくなったら神仏に祈りが通じたというしるしだと読みました。
お地蔵様に祈る場合も、これを祈りが完了した目安にしていいのでしょうか?
いつまで祈っていいかわからなかったので、心の中で誰かに助けを求めながら1時間近く祈っていました。
質問です。
仏教の教えではどうしようもない悪人をも赦せとあるようですが
自分にはどうしてもできません。
自分に悪影響のない悪人は無視することで己の心の平安を保てるでしょうが
悪人を赦すことは社会悪を増加させることになり、
他の人に悪影響を及ぼすことになる。
自分に悪影響のない悪人を赦すというのは即ち、自分の心の平静を
保ちたいという自分勝手な欲から来ているのではないでしょうか?
>>265 その場合の「赦す」は、「憎まない」ということだよ。
ニュアンスの違いはあれども、たとえば、
親が子に「優しくする」、と言ったとき、それが決して
怒らず、何でも言うことを聞き「甘やかす」ことではないのと同じように、
厳しく叱責し、或いは厳しく何かをやらせたりすることも「優しさ・愛情」であるように・・・。
硬く言えば、慈悲の慈と言えるかも。
すいません、追加質問です。
自分に危害を与える人にも慈悲の心を持たなければなりませんか?
極端な例で言うと、刃物を持った人に殺されそうになった時、
自己防衛で相手を攻撃するのはどうでしょう?
自己防衛は相手のためではなく、自分のためですよね?
>>268 理念・理想・究極としてはそうです。
仏教者は、そのような状況も甘んじて受け入れるべきでしょう。
とは言いながらも、自分の命も大切にしなければならないし、
相手のそうした行為を野放しにする
(=自分以降も続けるかもしれない=他にも犠牲者が出るかもしれない)
ことも宜しくない。
現実問題、理念だけでは処理できない。
では、そこでどのような対応が考えられるか?
(→畢竟、個人個人次第、十人いれば十通りの対処法となるわけだが・・・)
一例を挙げるなら、
命を奪うようなことにならない限りに抵抗し、諭し、方向性を変えさせる、
というものがベターな選択として考えうる。
「彼のため」を思うならば、目を覚まさせる機会を設ける為という意味でも、
抵抗することはアリだろう。
慈愛というのは、人を見下すことになりませんか?
>>270 未成熟な現状を認め受け入れるレベル(視点)ならば、ケースバイケースとも言えますし、
理想を言えば、(デキた人ならばw)、
そうならないよう、常に、自覚・自戒があるでしょうし、そうした上下を思わない(見ない・設けない)、
というスタンスが確立出来ていることでしょう。
或いは、そうしたスタンスの確立へ向けて、自分の心を調えるでしょうし、調えようとしているでしょう。
273 :
神も仏も名無しさん:2007/04/02(月) 23:40:22 ID:56FPhwI5
突然ですが質問させていただけますでしょうか。
天台宗の止観業にみられる常坐三昧、常行三昧の修行法は、上座部のいうシャマタ、ビバッサナに相当すると考えてよろしいのでしょうか?
よろしくお願いします。
質問です。
ここに宗教を信じない人がいたとします。
その人は科学を正しく理解できていないにも関わらず
間違った形で信奉していて、宗教などは絵空事と
周囲の人に信じないようにと説得をしています。
ある意味、執念を感じます。
貴方ならどうしますか?
275 :
神も仏も名無しさん:2007/04/03(火) 11:25:02 ID:j/DArOY8
地獄の鬼ってえのは衆生に入るのかなあ?
>>274 別にどうする必要も無いでしょ、放っとけばいい。
教えを正しく理解していないのに強引に布教して回る輩はいくらでもいる。
そもそも宗教ではどれが正しい教えなのかなんか判りゃしないんだから。
それに比べればその人のやってる事の方がはるかに罪は軽い。
もし貴方が科学を正しく理解できているのなら、それをもってその人を説き伏せては
いかがですか ?
277 :
神も仏も名無しさん:2007/04/04(水) 04:00:01 ID:yDmJCvOs
>>273 相当するのかどうかわからんが、
やっていることや、求めていることとか
結構似ているんじゃないの。
>>274 執念があるのならいいんじゃないの。
失敗は成功の元っていうし、
いつか正しい科学にたどり着くかも。
レスどうもです。
>>276 相手は偏った見方しかできない人です。
極端に言うと、円周率は3.14で3.140000000....だと思っているような。
間違いを指摘しても全く聞こうとしないんですよね。
科学が絶対と言っているわりに簡単な数学もできない人で
説明しても理解できないらしいです。
掲示板で勝手に話しに割り込んでくるんですよ。
私は放置を決めましたが。
>>277 執念があるのは科学そのものよりも、自分が正しいと主張する事にあるか
それとも宗教を信じたくない何かがあるのか?といった印象を受けます。
宗教を信じたくないから科学を持ち出すといった感じで。
信じる信じないは本人の勝手でしょうが、それを押し付けられるのは迷惑に
思います。
何か宗教にトラウマがあるんでしょうか。
279 :
神も仏も名無しさん:2007/04/05(木) 00:55:12 ID:xeN53ieZ
恐怖があるいじょう、神や悟りなどを信じるというのは欺瞞。
信じようとしているで○
罪を憎んでヒトを許すなんて大嘘。ありえない。
だから、自分の苦、産みの苦しみがよくみえてないというコト。
強いてみせようとすると
分析と称して細かくちぎって、生活の重圧に戻り、宗教、金儲け、お笑いじみた暴力など
さまざまな悲しみと束の間の快楽を繰り返すもの。
恐怖をさけて逃げてみないですむように向上をココロざしても
けっか、恐怖は存在感を増たりするので
仏教の真髄の観る技のなかに奇跡の変革をみいだしたりも出来る。
つまり、変革がある。
存在すべきものなどどこにもないし、努力なしにみるという行為が
仏教的にも愛であって、おおいなる神秘があるということの証拠。
この観ることには、トータルな注意と覚醒が必要なのは云わずと事実だから
快適さやテイの良い静けさをもたらす癖を、向上心と云いビクビク検索するなど実はツマラナイし
ヒトは恐怖を克服しえなかったということ。
あるがままの人間の苦や醜悪さも含んだ全体性に真剣で
一般ウケの一雫すらなくとも、自分に誠実に
(みる)していることがブッタの慈悲でしょ。
愛には、オソレのない広大な空間が必要で、なければならぬな所謂野心や
保身的概念とは共存できないので
多くはゴマカシ逃げて欺瞞に陥るのだよね。
自身のアイデンティティを持たぬ者は、そう語るのであった。
あー、可哀想にねぇ。。。
281 :
神も仏も名無しさん:2007/04/08(日) 01:04:28 ID:znE36i4b
恐怖についてよくご存じないですか?
死や、愛されないこと、愛すること、失うこと、獲得することなどへの恐れ。
これらの恐怖とどう取り組むのでしょう?
精神的な師などを求める衝動は恐怖に根ざしています。
ココにおいて恐怖とは、この尊敬すべき人たちで精神をくるんでしまうこと。
誰しも敬われることが大好きなのです。
事実から外れたことをナニも語ってませんよ。
それは、日々の生活にみられることなのです。
この途方もなく
はびこった恐怖とどうつきあっていくかは今後人類の重要課題です。
もし、恐怖に気がついているならコノ暗い影に近ずく方法はなんですか?
もちろん、恐れている精神が活力を奪われることは明白でソンナ精神は正しく
働かないので合理的に考えられないので
勇気を振るったり野心的暴力的であることに逃げ込みますか?
だから、恐怖とは、意識的なものだけでなく、精神の奥そこにあるものをも指します。
ソレをいかに発見するか?そして本当に発見したとき
アナタはどうするのでしょう。
それぞれが自分なりの多種多様な恐怖をもっているのです。
どんな形であれ恐怖を抱く精神が愛や思いやりや優しさをもつことは出来ないので
理不尽なアナタが直面するやもしれぬ搾取などにも真の意味で取り組めません。
それは、精神を委縮させ思考を歪め
あらゆる種類のはなはだしく巧妙で複雑な理論や
馬鹿げた迷信や教義、信仰へと走らせます。
恐怖が人間の中にある破壊的エネルギーだと判りましたか?
理解できるなら、どうやって精神を清め自由をうるかに始めて移れます。
282 :
神も仏も名無しさん:2007/04/08(日) 21:48:55 ID:ZiEET6o+
突然ですが質問させていただけますでしょうか。
天台宗の止観業にみられる常坐三昧、常行三昧の修行法は、上座部のいうシャマタ、ビバッサナに相当すると考えてよろしいのでしょうか?
よろしくお願いします。
某所のコピペになりますが、簡単に解説させていただきます。
1、常坐三昧じょうざざんまい 90日間、食事とお手洗い以外は、ひたすら坐禅をします。ただし眠気などに悩まされた時は、仏名を唱えることが許されます。
2、常行三昧じょうぎょうざんまい 90日間、阿弥陀様の名前だけを唱え、阿弥陀様のまわりを歩き続けます。休むときは、天井から下げたヒモにつかまって休みます。座ったり寝たりしません。
これは摩訶止観にある天台宗の修行法・止観業の一部です。
止観というのは、サマタ・ビヴァッサナの漢訳ですよね。
283 :
神も仏も名無しさん:2007/04/08(日) 22:06:59 ID:iPIMFIvH
本当に無知で呆れる方もいらっしゃるかもしれませんが、教えてください。
先日、真言宗の葬儀に参列しました。
しかし、どんな宗派なのかさっぱりわからず、焼香の時に合掌してからどうしたらいいのかと思い、実家の浄土宗の南無阿弥陀仏を唱えてしまいました。この場合、なんと唱えたらよいのでしょう?
また、真言宗とはどんなものなのでしょうか?亡くなった方が近い親戚なので知っていたほうがよいと思うのですが、調べても難しくわかりません。
浄土宗→念仏唱えて極楽浄土に!くらい簡単に教えていただけないでしょうか?(この解釈もお婆さまに小さい時に聞いたので噛み砕きすぎかもしれませんが、子供にも説明したいのでこのくらい簡単だと助かります)
284 :
神も仏も名無しさん:2007/04/09(月) 02:30:11 ID:dBVuaKvB
仏教や人生の問う
アイデンティティーなどイメージ(アタシ)の中心が非常に静かになれるのかということ。
欺瞞をすえ置き自分を騙したくないので
分離させ腐敗させるのは他ならぬ中心であるイメージだから
その中心を消せるのか
ぼんやりした断片のようにしていられるのか自分でみいださなくてはと。
もし、その可能性がなければ
自由がない牢獄をウケ入れなければならず、そこでワタシも永久に自分の牢獄を飾りたてていくと。
しかし中心は更に、それは俺が自分のまわりに廻らした有刺鉄線だというので
中心は、その内側に限定されてしまう。
また、誰かがオーラを発散してて、ワタシはやってみよう!あのヒトはそれを得たのに
ワタシはまだ得てないからと云うのです。
そしてワタシは内面的に誰か依存します。
しかし、それはそこにある。それを自分で理解しなければと...
結局、慈悲深いひとであっても、なにが善でなにが虚偽かおシエテくれなわしないので
自分の目でそれをみなければならない。
285 :
南無大師遍照金剛:2007/04/09(月) 13:22:39 ID:Z5C3eY4J
>>283 浄土宗→念仏唱えて極楽浄土に
真言宗→現世利益
(≧ω≦)b
286 :
理趣経 ◆viIIIIIIII :2007/04/09(月) 14:19:33 ID:/4wpqRML
真言宗の葬儀は、故人を即身成仏へと導く儀式
つまり、故人が無事に大日如来の曼陀羅の世界へと帰っていく事を願うものだよ
287 :
283:2007/04/09(月) 19:35:54 ID:BM+ihO0z
288 :
南無大師遍照金剛:2007/04/09(月) 20:41:47 ID:Z5C3eY4J
289 :
神も仏も名無しさん:2007/04/11(水) 01:07:32 ID:dSBHTqpl
いいかな僕たち、、君の恐怖を除きたまえ、凄まじい敵意を除きたまえ
君の幼稚さを除きたまえ、、、そーすれば.....
もはやナニも残らないじゃないか♪
ナニも。するとソノ美をみいだすでしょう。
そして経験をもたなくなるのです、素晴らしい?・
ホカのやりかたは実に偽善的で実際偽善に帰着しますね。
暗記やつめこみ教育が考えなしの浅はかモノを送出してきまそた。
なぜ考えないのか?怠惰、恐怖、正道を踏み外すまいと伝統に沿って歩こうと望むから。
。かれらも変わらず民衆に自分たちの観念をおしつけてきた。
仏教の真髄は知識の蓄積の終焉なのに、自分自身を刻々自分が学んだものから自由にしろと
決して言わないのです。
火が燃えることや腹がへってるという
知識を身につける過程を得る必要はないというのに。
私は神を探究している、と言いながら、
実は、人につらくあたるのです。
突然ですが、失礼いたします。
皆さんは、下記↓のブログについて、どのように思われるでしょうか?
http://macahannnya.blog73.fc2.com/ 「般若心経」による除霊、浄霊だのが書かれており、私には、般若心経を
少しも理解していない、般若心経を語る風上にも置けないものだ、と思えました。
ウワサでは、このブログに登場する「老法師」「祈祷師」「その娘」が、不安を
持つ人の心に付け込み、それを全て「霊障」だとして、般若心経による加持祈祷を
行い、祈祷料を取っているそうです。
更にひどくなると、「葬式のやり直しが必要だ」などと言い出し、50万円近い
料金を取るそうです。こうなると、もう詐欺に近いと思います。
このブログによると、「アトピー症」「うつ病」などは、全て「霊の障り」であり、
祈祷が必要だそうです。
般若心経とは、今を生きる人に対して、それをどう生きるか、を説いた、いわば
「人生の指針」であると、私は思います。
上記のブログ、および登場人物は、般若心経に対する誤解を与えるばかりでなく、
その名を汚すものだと思います。
皆さんは、どのように感じられるでしょうか?
良ければ、ご意見をお願いいたします。
>>290 読むだけ読んで、ゲラゲラ笑ってブラウザ閉じた
292 :
南無大師遍照金剛:2007/04/11(水) 22:34:50 ID:N6NuK05N
>>292 釣りではありません。
皆さんのご意見が聞きたかっただけです。
294 :
南無大師遍照金剛:2007/04/12(木) 06:47:07 ID:v0G6HCOS
>>293失礼
ブログ読んでないけと
般若心経はなんでもあり
(≧ω≦)b
能除一切苦真実不虚な呪だから
全ての苦を取り除く虚ではない真実の呪だから
苦を取り除くならなんでもあり
仏様に祈る場合は、目を瞑って心の中で唱える感じで祈ればいいのですか?
どうしたら、祈りが完了したことになりますか?
大乗仏教について教えてください。
大乗の修行は他利行だそうですが、他利行と縁起はどのような関係なんでしょうか?
なぜ他利行が成仏につながるんでしょうか?
この場合の縁起は、来世へつながるわけではないんですか?
>>293 ブログが釣りだと思う。真面目に腹を立てたのかもしれんが、一々
相手にしない事。
>>295 好きなように。
>>296 利他行は行動の指針とか理念。
縁起ってのは空性の事(説明難しい)。
関係あるか?と問われれば「直接には無関係じゃね?」とだけ。
心相続まで話を煮詰めれば関わりもある程度は出てくるかもだが。
成仏とか来世云々のカルトな話はシラネ
298 :
神も仏も名無しさん:2007/04/16(月) 14:41:22 ID:fXlPusqG
弥勒菩薩について教えてください。
56億7000万年後に現れて人々を救うとありますが、
そのころ人類はおろか地球もなくなっていると思うんですけど、
どのように解釈したらよいのでしょうか?
>>298 好きなように解釈したらよかろう。
釣りでないなら・・・w
300 :
神も仏も名無しさん:2007/04/16(月) 15:15:32 ID:fXlPusqG
>>299 釣りではありません。
あなたはどう解釈していますか。
301 :
聖観世音菩薩:2007/04/16(月) 19:30:32 ID:RuM1fD7K
296さん お答え致しましょう利他行とは菩薩行の事であり菩薩行により
成仏する為のきっかけ(縁起)が生まれるのです
今は末法の世ですしかし諦めるのでは無く信じる力を持って精進致しましょう
極楽百年の修行は穢土(末法)一日の功徳に及ばず(報恩抄)日蓮聖人
縁起とは簡略すると因・縁+生・起→縁・起となります
>>300 ごめんw
そんな未来に興味はないから、どうでもいいw
ちなみに、
知識的な(歴史的・文化的・大衆心理的)解釈を探してるの?
そのエピソードの発祥の理由を探してるの?
誰かの(2ch住人の)個人的な解釈を探してるの?
各宗派の伝統的解釈を探してるの?
関連する大乗経典それぞれの解釈を探してるの?
それによって大きく違ってくると思うよ。
303 :
神も仏も名無しさん:2007/04/16(月) 23:57:27 ID:sRuJcbPM
今年入社した関西からの新入社員で左手首に数珠巻いてる人がいるんです。
いわゆる一般的な仏教では、こんなことしてる若者いないですよね?
仕事中もいつも外さないので信仰が深い新興宗教系かと思ったのですが、
みなさんはどう思われますか?
>>303 長い奴?それともゴム紐の小っさい奴?
後者ならファッション的意味合いが強いかも。
(勿論、仏教に詳しいとか、家が伝統宗教である確率が高いわけだが・・)
好きなアーティストの携帯ストラップを付けてるのと同じでは?
>>303 観光で訪れるようなお寺なんかでも普通に売ってるし、
お寺で記念にくれたりするし、ファッションや、お守りみたいにつけてる人も多いです。
とくに変わったもんじゃないと思う。
うちのお寺の住職(高野山真言宗)も、自分もよくつけてますよ。
306 :
神も仏も名無しさん:2007/04/17(火) 00:28:08 ID:OosBrkcj
>>302 そのすべてを解釈を知りたいところだけれど、
とりあえず、あなたの宗派の解釈をきかせてください。
当方、初心者なもので純粋な気持ちで疑問を感じています。
質問させて下さい。
お通夜に僧侶の姿がなく、般若心経のテープのみが流されるというのは、普通のことなのでしょうか。
今まで行ったお通夜は全て僧侶による読経の中、焼香させていただいておりましたが、
先日初めてテープのみというのに出くわし、驚きました。
余りにも死者に対して失礼なように思えたのですが、最近はこんなものなのでしょうか。
>>306 禅宗なら。
「ああ、現れるかも知れんね・・・w
人類や地球がどうなるか判らんけど、お経に書いてあるならそうなんでしょ。
人のいないとこに現れて、(ちょwww漏れ一人wwww うはwwwwwテラカコワルスwwwww)とかw
けど、あんた、それまで長生きするつもり?www
待ってたってしょうがない。今できることをしなさいよw (´∀`)b」
ってとこじゃねーかな?w
309 :
神も仏も名無しさん:2007/04/17(火) 01:02:30 ID:OosBrkcj
>>308 意外といいかげんなものなんですね。
ところであなたは仏教を通じて何を学んだのですか?
あなたの書き込みは当方を馬鹿にしてるように感じます。
純粋な疑問をもっているものに対して、解る方が知識を分けてあげる。
モラルのある方にとってそんなことは常識だと思います。
解らないのなら無理にあなたが答える必要はないわけで・・・。
あなたは仏教のまえに社会一般的なモラルを学ぶべきだと思います。
人間のレベルが低い!
>>309 まともに答えてると思うよ。
おれ、あれ、初めて読んだときは宇宙の転換点なんかな〜とか思った。
んで、質問です。
>>309 >>308は十分まともに答えてるじゃん。
つか、どう見ても釣りだが、釣りじゃないなら、クレ厨如きが態度
デカ過ぎ。おまいは10年ROMってろ。
もしくは56億年ROMって弥勒が出てきたらそいつに好きなだけ聞け。
>>309 初心者であるなら、もうすこし謙虚に質問されたらどうですか?
>とりあえず、あなたの宗派の解釈をきかせてください。
「とりあえず」という言い方は失礼でしょう。
しかも、>308さんは禅宗の立場からの解釈を回答されています。
それに対するあなたの返事が
>意外といいかげんなものなんですね。
回答が気に入らなくても「とりあえず」お礼の言葉をカキコしましょう。
仏教では死後のことは無記とされます。
それゆえ死後があるというのは嘘、ないといっても嘘です。
もうすこし言えば、死後があるというのも正しいし、ないという立場も正しい。
弥勒が、あなたの死後仏である間はどのような解釈も可能です。
わたしの宗派の解釈も書いて置きますね。
56億7000万年も待つ必要はありません。
弥勒とはあなた自身のことです。
>>309 禅宗のスタンスはこういうものだよ。
2chだから2chらしく答えたまで。
或いはまた、百人居たら百通りの答えが返ってくると思ってもいいw
共通してるのは、56億年後を気にする前に、
今を(今の自分を、今の自分の周囲を)見つめなさい、ということだと思う。
>>312 そのフレーズ、いただきますた。 m(_ _)m
>>309 気にするな。
多分、貴方は基督教系の人なんだろうが、仏教は基督教系とは価値観が全く違うんだ。
貴方達には、絶対理解出来ないから、気にしない方が良いぞ。
316 :
296:2007/04/17(火) 20:07:19 ID:EzpIBSue
317 :
神も仏も名無しさん:2007/04/20(金) 05:10:18 ID:PQBM1Yi5
すみません、素人ですが教えて下さい。最近、仏教を知りたく本を読み疑問に思ったのですが、仏とは悟りを開いた人でその手前が菩薩だと知りました。行基のように現在、菩薩、又は仏と言われている方はいらっしゃるのですか?
>仏とは悟りを開いた人でその手前が菩薩だと知りました
これを前提にして質問されても困るんだけどな。
とりあえずその前提は無視させてもらうよ。
>行基のように現在、菩薩、又は仏と言われている方はいらっしゃるのですか?
日本ではあんまり実在した人に菩薩の称号を送ることはないかもね。
宗派で勝手に宗祖を菩薩と呼んでるとこはあるっぽいけど、一般に浸透
はしてない。
インド人だと、
唯識の開祖は弥勒菩薩(実在した人)。
中観の開祖が龍樹菩薩。
あたりが有名か?
319 :
神も仏も名無しさん:2007/04/20(金) 10:04:37 ID:PQBM1Yi5
>>318 ありがとうごさいます。前提ではないのですね。もっと勉強します。
菩薩とは、大乗的には、既に悟りを得て涅槃に住する資格を持ちながらも、
他の全ての有情が迷いを離れ悟りを得るまでは、自分は涅槃に安住せずに、
不退転の決意で以て、衆生済度の利他行に邁進する人のことだと理解しています。
この解釈が、大乗仏教という利他の側面を強調する思想には、最も適っていると
思われます。
322 :
神も仏も名無しさん:2007/04/21(土) 14:43:52 ID:HrW7bxU8
【在日&在日北朝鮮カルト凶悪犯罪の歴史・日本編】
1992年 8月28日 顕正会への入会強要 顕正会員 2名 逮捕 送検
1993年 3月26日 拉致監禁暴行 男子高校生失明 逮捕 送検
1996年11月 2日 覚醒剤取締法違反 顕正会員 逮捕 送検
1999年 8月 入会強要で暴行 男子高校生骨折の重傷
2000年12月 入会強要 顕正会員 山口 朝子
2000年11月 入会強要 森田 議文 中原 ムネハル 小川 ジュン 北森 某 事情聴取 厳重注意
2000年 9月 恐喝・入会強要 顕正会員 長井 光二 示談
2000年 5月 2日 顕正会員が強制わいせつ・余罪多数 丸山 陽三 立件 逮捕
2000年 3月18日 顕正会員が違法射撃 秀島 裕展 逮捕 送検
2001年 7月25日 顕正会員が住居侵入・暴行 田中 えりな 逮捕
2001年 7月 2日 入会強要・暴行 桜井 祐也 太田 隆司 高橋 康晃 逮捕
2001年 3月 4日 入会強要 顕正会員 武藤 ひさ子 解雇
2001年 2月25日 入会強要 顕正会員 事情聴取 厳重注意
2002年 6月15日 殺人・覚醒剤取締法違反 顕正会員 宇高 明男 宇高 聡 起訴
2002年 6月15日 殺人 顕正会員 宇高 明男 逮捕
2002年 5月 顕正会への入会強要 小池 淳子 厳重注意
2002年 4月 顕正会への入会強要・殺人未遂・暴行 前川 某 逮捕
2003年11月11日 顕正会への入会強要 松野 登志彦 和田 茂樹 逮捕
2003年 9月19日 軽犯罪法違反(つきまとい) 顕正会員2名 逮捕 送検
2004年 6月 ジャパネットたかた契約社員(37)約51万人分の顧客情報を記録して流出させる。
2004年 9月14日 大阪教育大付属池田小学校殺人事件 宅間守死刑執行。
2005年 5月 5日 監禁 石川 秀樹 行徳 祐一 逮捕 「 起 訴 猶 予 処 分 」にて釈放。
2006年 7月 3日 傷害 群馬の中沢誠が元短大教授(71歳)を暴行、顕正会群馬県施設に一斉捜査。
2006年12月 埼玉・行田市で溝口順子容疑者(47)ら2人が器物損壊の疑いで逮捕、ほか二名別件で逮捕
2007年 1月11日 「顕正会本部」を初捜索 大学生に入会強要、「神奈川県警公安1課」が3人逮捕
2007年 2月 派遣社員の顕正会員が派遣勤務先から約900万件の個人情報を持ち出し逮捕。
2007年 4月 奈良の騒音おばさん実刑確定。刑務所送りになる。
2007年 4月19日 1999年9月池袋通り魔事件 造田博被告(31)死刑確定。
323 :
神も仏も名無しさん:2007/04/22(日) 03:46:27 ID:WlR1xCOI
幸福の科学という宗教がありますが、ヤバい宗教かどうか教えてください。ハマってる人が近くにいるので。
>>323 宗教は全部ヤバいです。
ヤバくなかったらただの道徳です。
ヤバイとかいう自己保身を捨てたとき、その宗教の醍醐味に触れられるのかもしれない。
別に妄信を勧めているわけではない。
>>323 ビジネスモデルとしてはなかなか面白そうだ。
大川隆法の著作を売って儲けるというのが基本的なビジネススタイルだから、そのため
に教団規模を拡大し信者を増やそうとする。
広く薄く搾取しようというやり方なんだろうな。
他の新興宗教にありがちな少数の信者から根こそぎ搾り取ろうとする方法に比べれば、
個々の信者の負担はだいぶ軽いんじゃないかと思う。
大川の著作を全部買ったところで経済的負担としてはたかが知れてるでしょ。
個人的には大川は詐欺師だと思うけど、なら既成宗教も含めた他の宗教は詐欺じゃな
いのかと言われれば、とてもそうは言えない訳で・・・
327 :
神も仏も名無しさん:2007/04/25(水) 01:42:44 ID:DyLUhn59 BE:45429942-2BP(0)
質問します。
ベーシックな黒の絡子って、
いくらくらいで売っているのでしょうか?
曹洞宗用ですが。
328 :
神も仏も名無しさん:2007/04/25(水) 01:43:50 ID:Q4HPhvSh
是は分析ではありませんが
どうか気の毒なやつの云わんとすることを聞いて下さい。
カレは云います。
私はしってる、気がついてる、自覚がある、
隠れた恐怖や表面化した恐怖、肉体的、心理的にも沢山の恐怖を抱えてることを..
それにワタシは、その領域内で生きる限り混乱は避けられないこともわかってる。
なにをしようと、
恐怖から解放されるまでは、
その混乱を整理できないだろうということも。。。
是はあきらかです、、いまやハッキリしてるでしょう、、
恐怖あるかぎり闇のなかを生きざるえないという真実を、、
その闇を光と呼ぼうと、いつかそれを乗り越えるなどと考えてもいいのです。
でも、イゼンとしてその恐怖は憑きまとうに違いないね。
329 :
神も仏も名無しさん:2007/04/26(木) 19:25:10 ID:t6JTfSj9
>>328 >>隠れた恐怖や表面化した恐怖、肉体的、心理的にも沢山の恐怖を抱え
>>てることを..
この恐怖をなくすことこそ宗教の目的ではないでしょうか。
330 :
神も仏も名無しさん:2007/04/29(日) 01:47:16 ID:70pTtJPs
宗教やイデオロギー、プロパガンダにおいて
何がおきてきたかを観て下さい。
例えば、、、
滝業は単なる刺激ではなく、行者の観る目は最上のソレとすら公言する
思慮のなさを自己重要感ゆえに露にするものです。極めて健全な者は私であるとすら
言い出す始末です。
抑えようが逃げようが、そこには恐怖(自身の慰め、特許否定など)とそれを取り除きたいという思いとの間に葛藤があるのです。
だから、どのような形であれ、抑圧か逃避があり、邪魔ものを消そうとすることに葛藤が生まれ
恐怖を煽るばかりとなるのです。
そして、一時しのぎの達成感やら慰めを成就とばかりにしがみついたりもします。
だから、もし
過去が干渉するなら
学ぶことは出来ないことを歴史は明かにしてきました。
さらには自分が怯えてることにも気がつきました。
そこで、学ぶためには精神が過去から自由でなければならんという理解と
同時にそうするのがコワイという気持ちの矛盾が生じるわけです。
私は理解する、そして理解することを恐れるという。。。
私たちは変化を怖れていませんか。
マニュアルを求めるなら幾らでも
口を開けて餌を待つ輩のおもう壷なのですね。
331 :
神も仏も名無しさん:2007/04/29(日) 07:48:00 ID:akYglR9h
>>330 >>抑えようが逃げようが、そこには恐怖(自身の慰め、特許否定など)
>>とそれを取り除きたいという思いとの間に葛藤があるのです。
>>だから、どのような形であれ、抑圧か逃避があり、邪魔ものを消そう
>>とすることに葛藤が生まれ 恐怖を煽るばかりとなるのです。
>>そして、一時しのぎの達成感やら慰めを成就とばかりにしがみついた
>>りもします。
確かにおっしゃる通りの現象にはなっていますが、恐怖を取り去るのは
滝行でも断食でも瞑想でもなく、真実(真理)の理解にあるのです。
たとえば、恐怖の根底には『死の恐怖』があり、これは死後の世界があ
るか否かによって大きく変わるのです。死後の世界があるのが真理であ
り、死後の世界の存在の真理の理解が心を占領している誤った思考、唯
物論、物理的道理をいかに否定できるか。自身の勉強努力にかかってい
るのです。
ここが仏教の出発点です。
332 :
神も仏も名無しさん:2007/04/30(月) 01:11:29 ID:kvcsueLl
もしワタシがあの瞬間の美をみればそれでお終了です。
ワタシはソレを追い求めたかありません。
もし追求すれば、ソレは快楽になります。
そのとき、もしソレが得られないと失望、苦痛、などをもたらすの。
で?いつあの美は起こったか?
変えようとせず、精神が完全に静まってたsとき。
あれを変えたい、コピーしたい、撮りたいなsど」とは決していいませんっでした。
精神の動いていまっせんでした。が、すぐに思いが動きだします、、、
『どうしたら静かになる?どうしたら必要なときだけ思いを使いイラナイときは
使わないようにできるの?』
と渇望します。
で、、、習慣、快楽、苦痛、ソレはいつも
その領域内で動いてることが判りました。
ソレは、自分が知らないモノの中でハ働けないの。なぜ?ソノように?
ソレがワタシの知ってる唯一のものだから....
ソノ中に安定、保護、安全があるから。
ソレがしってることの全部ですね。
やがて、ソレに飽きるとソノ領域外のナニかを求める。。。
しかし、ソレが求めるモノは概知のモノで、ソノ神々、その幻視、ソノ霊的状態、
全部、概知である過去から未来の概知への投影なので、
思いはいつも牢獄中で働きます。自分を自由nだ美だの真理だのとどのようにみなすことも」可能。
滝業などもソノ刺激ブツであることの理由です。
不知(知らない)の状態コソ、あの柔らかく暖かい人間の叡智で
ソレは、領域内でウゴキ、もし望めばどこかホカの場所にもいけるモノ。
ソレだのアレの領域内に飲まれることなくね.。。
日本語でおk
334 :
理趣経 ◆viIIIIIIII :2007/05/01(火) 01:11:39 ID:OrJrLiIA
不空訳の理趣経と玄奘訳の理趣分はいいんだけど、
・実相般若波羅蜜多経
金剛智訳
・金剛頂瑜伽理趣般若経
菩提流支訳
・仏説最上根本大楽金剛不空三昧大教王経
法賢訳
・仏説遍照般若波羅蜜経
・仏説金剛場荘厳般若波羅蜜多教中一分
施護訳
等の理趣経について詳しい人やサイトありますか?
335 :
理趣経 ◆viIIIIIIII :2007/05/03(木) 20:25:59 ID:VMgnT1e4
336 :
神も仏も名無しさん:2007/05/04(金) 11:39:46 ID:EXEChLUJ
三二七さん 三万円位では有りませんか。
337 :
神も仏も名無しさん:2007/05/04(金) 18:21:11 ID:idbLPV3U
「まんだらの里」という有料福祉施設がありますが
ここはどういう宗派がやっているんですか
338 :
神も仏も名無しさん:2007/05/05(土) 15:01:24 ID:HaMEG+9W
人間は動物です。哺乳類の仲間です。神と宗教を作ったのも
人間です。宗教は人間が作った文化にすぎないのです。
天国地獄も人間が作った妄想です。
地球誕生の歴史から恐竜時代そして猿人から現代の人間進化
の過程を勉強すると宗教はアホらしくてやってられません。
>>337 場所はどこですか?
新潟県新発田市にある「まんだらの里」なら真言宗のようですね。
340 :
神も仏も名無しさん:2007/05/09(水) 01:57:45 ID:WAKpUO/Y
http://www.e-sogi.com/arekore/kyo1.html 仏教では何かに集中し、一体化して心を静める瞑想を「止(サマタ)」、
何かを観察し、洞察する瞑想を「観(ヴィパッサナー)」と呼びます。
「六波羅蜜多」では「禅波羅蜜多」が「止」に、「般若波羅蜜多」が「観」に
相当し、この最後の「般若波羅蜜多」によって修行が完成します。
↑これは般若心経の解説ページからの引用なのですが、
要するに六波羅蜜のなかの般若波羅蜜が観=ヴィパッサナー瞑想である
と述べられています。
非常に明快で信憑性も高そうな文体で書かれたページですが、
般若波羅蜜=ヴィパッサナーというくだりが私にとっては斬新でした。
六波羅蜜の理解として、この記述は一般的なものなのでしょうか。
341 :
神も仏も名無しさん:2007/05/09(水) 16:36:51 ID:ObTdiuVH
>>340 >>「六波羅蜜多」では「禅波羅蜜多」が「止」に、「般若波羅蜜多」が
>>「観」に相当し、この最後の「般若波羅蜜多」によって修行が完成し
>>ます。
禅波羅蜜多ではなく、静慮波羅蜜多です。
また、般若波羅蜜多は『空の智恵』という意味です。
342 :
神も仏も名無しさん:2007/05/09(水) 22:54:12 ID:WAKpUO/Y
禅波羅蜜多はサンスクリット音写であって静慮波羅蜜多と同義です。
同様に、般若波羅蜜多を智慧波羅蜜多と言う場合もあります。
問題は、この「智慧」の意味をヴィパッサナーと解釈しうる経典が存在するか否かです。
343 :
神も仏も名無しさん:2007/05/10(木) 07:50:15 ID:3cm7jkwO
>>342 >>禅波羅蜜多はサンスクリット音写であって静慮波羅蜜多と同義です。
>>同様に、般若波羅蜜多を智慧波羅蜜多と言う場合もあります。
>>問題は、この「智慧」の意味をヴィパッサナーと解釈しうる経典が存在
>>するか否かです。
確かに禅と静慮とは同義語ですが、大般若経での静慮は阿含経の禅とは
意味が違うのです。大般若は菩薩の教えであって阿含経の『修行』を行
ってはならないことになっています。阿含経の修行を行う菩薩を『犯戒
菩薩』と言います。
また、盤若の知恵は『空』の教え一つだと考えてもよいでしょう。智恵
というのは『空の智恵』をいいます。したがって、空の理解であること
からヴィパッサナーとは意味が違うのです。
344 :
神も仏も名無しさん:2007/05/11(金) 01:30:22 ID:RO9WiumH
>>343 >確かに禅と静慮とは同義語ですが、大般若経での静慮は阿含経の禅とは
意味が違うのです。
興味深いご指摘です。
本題とは離れるかもしれませんが、大般若経での静慮と阿含経の禅との相違点をご教授願えませんでしょうか。
禅宗の禅はどのように見れば良いのでしょうか。
345 :
神も仏も名無しさん:2007/05/11(金) 01:44:05 ID:RO9WiumH
ヴィパッサナーに関しては、こんなのを見つけました。
http://www.dia.janis.or.jp/~soga/excha112.html さて、私は長年、六波羅蜜の「智慧」の位置づけがよく分からなかったのです。
つまり、六波羅蜜は、菩薩の修行方法とされているのに、通常の解説書などを読むと、
前の五波羅蜜を修習することにより、自ずと現れてくる智慧などと説かれていますが、
これだと「智慧」は修行方法ではなく、修行の到達点になってしまうからです。
長老の指導を受けた後、連休中、世親菩薩の「摂大乗論釈」(玄奘訳)を
読んでいましたら、釈に、「又此れ皆生死を解脱せんが為なり。
此れ復云何が能く解脱を得るや。熏と覚と寂と通との故に解脱を得る。
謂ゆる聞に由りて心に熏習するが故に、思に由りて覚悟するが故に。
奢摩多を修するに由りて寂静なるが故に。
毘鉢舎那を証するが故に由りて通達するが故に、能く解脱を得るなり。」
とあるのを発見しました。これと六波羅蜜の部分を照らし合わせますと、
サマタ=禅定、ヴィパッサナー=智慧となります。つまり、六波羅蜜は、
布施、持戒、忍辱、精進を修し、サマタとヴィパッサナーにより菩薩の
悟りが得られるという構造であると理解できます。
346 :
神も仏も名無しさん:2007/05/11(金) 08:32:27 ID:fO9F/KvA
>>344 >>興味深いご指摘です。
>>本題とは離れるかもしれませんが、大般若経での静慮と阿含経の禅と
>>の相違点をご教授願えませんでしょうか。
>>禅宗の禅はどのように見れば良いのでしょうか。
>阿含経での禅定は『初禅〜無想定』ですが、大般若経には『静慮波羅蜜
多』は『布施波羅蜜多、浄戒波羅蜜多、安忍波羅蜜多、精進波羅蜜多、
般若波羅蜜多』などを行うこと自体が『静慮波羅蜜多』になっていると
説かれています。
>>禅宗の禅はどのように見れば良いのでしょうか。
残念ながら、禅宗ではどのような禅を行っているか私にはよく分かりません。
347 :
神も仏も名無しさん:2007/05/11(金) 09:05:57 ID:fO9F/KvA
>>345 仏教は『止観』で構成されているというご指摘がありますが、それは阿
含経の修行と考えられた方がいいでしょう。大般若経は菩薩に対する教
えであるので『止観』を教えるか側、いわゆる教師の立場にあるのです。
禅とは何かと考えるとき、『無想定(何も考えない)』を思い浮かべます
が、それは阿含経でも最終的な禅定なのです。大抵は『禅思(静かに考
える)』が禅の修行なのです。
般若波羅蜜多は確かに智恵ですが、その智恵は『空の智恵』であって、
一般的に考えられているように『空は禅によって悟られる』というのは
誤りです。『空は法則』なのです。座禅によって『四則演算』を悟るこ
とができないように、空は理解によって悟れるものなのです。
>>347 >禅とは何かと考えるとき、『無想定(何も考えない)』を思い浮かべます
>が、それは阿含経でも最終的な禅定なのです。大抵は『禅思(静かに考
>える)』が禅の修行なのです。
では、「只管打坐」はどう説明します?
道元ははじめからそうせよ、といっていますよ。
349 :
神も仏も名無しさん:2007/05/12(土) 18:22:20 ID:e/kqB+lo
>>338 :神も仏も名無しさん :2007/05/05(土) 15:01:24 ID:HaMEG+9W
>>人間は動物です。哺乳類の仲間です。神と宗教を作ったのも
>>人間です。宗教は人間が作った文化にすぎないのです。
>>天国地獄も人間が作った妄想です。
>>地球誕生の歴史から恐竜時代そして猿人から現代の人間進化
>>の過程を勉強すると宗教はアホらしくてやってられません。
確かに現代科学を信ずればその通りですが、釈迦はこの世自体を人間の
妄想と説きます。つまり人間の造った幻の世界です。
そうなると、動物も幻、『地球誕生の歴史から恐竜時代そして猿人から
現代の人間進化の過程』も人間の造った幻と説くのです。
そして、神とは幻を見ている人間の本体。また、天国も地獄も人間が次
に見るの幻のことになります。
350 :
神も仏も名無しさん:2007/05/12(土) 18:28:09 ID:e/kqB+lo
>>348 >>では、「只管打坐」はどう説明します?
>>道元ははじめからそうせよ、といっていますよ。
日本には高僧と呼ばれる人がいますが、仏典に無いことを説く者は誰で
も仏教捏造であり、外道と呼ばれます。
351 :
神も仏も名無しさん:2007/05/12(土) 19:31:44 ID:zpEe1bwA
>>530 >仏典に無いことを説く者は誰でも仏教捏造であり、外道と呼ばれます。
仏典に阿含経は含まれないのですか?
根本仏教からの流れを断絶させてしまうのが大乗なら、大乗こそが外道ということになってしまいませんか。
352 :
神も仏も名無しさん:2007/05/12(土) 19:53:34 ID:e/kqB+lo
>>351 >>仏典に阿含経は含まれないのですか?
>>根本仏教からの流れを断絶させてしまうのが大乗なら、大乗こそが外
>>道ということになってしまいませんか。
『仏教経典にないことを説く者は仏教誹謗者であり、外道である。』
**********************************************
或は阿練若に 納衣にして空閑に在って自ら真の道を行ずと謂いて 人間を軽賤する者有らん利養に貪著するが故に 白衣の与に法を説いて世に恭敬せらることを為ること 六通の羅漢の如くならん。
是の人悪心を懐き 常に世俗の事を念い名を阿練若に仮って 好んで我等が過を出さん而も是の如き言を作さん 此の諸の比丘等は利養を貪るを為っての故に 外道の論議を説く自ら此の経典を作って 世間の人を誑惑す(法華経より)
**********************************************
本当の道を説くと称して、金儲けに執着し、美しい着物を着けるために法を説いて世間から阿羅漢のように尊敬される。この人の心は悪に満ち、つねに欲望を求める。これらの僧たちは儲けを貪るため、外道の議論を説き、自らの経典を作って世間を惑わす。
353 :
神も仏も名無しさん:2007/05/12(土) 19:57:53 ID:hlEoRroS
>>345 たしか玄奘訳「大般若経」六百巻には、短いながら、他の五つの波羅蜜について別々に説かれた
分があったと思います。禅那波羅蜜多分を参照すれば、詳しいことがわかるのではないでしょうか。
個人的には、禅波羅蜜の中に止観(サマタ、ヴィパッサナー)の両者が含まれ、
般若(慧)波羅蜜は、観の結果、現れ出てくる智慧のことではないか、と思います。
しかし、
> 熏と覚と寂と通との故に解脱を得(う)。
> 謂(いは)ゆる〔=その意味するところは〕、
・・・
> 奢摩多(しゃまた)を修するに由りて寂静なるが故に、
> 毘鉢舎那(びばしゃな)を証するに由りて通達するが故に、
> 能く解脱を得るなり。」
奢摩多を修することによって(心が)寂静となり、
毘鉢舎那を証することによって(ものごとの真実のすがたに)通達する。
証する、とあるので、修行の面だけでなく、その結果の証果(つまり、智慧)の面をも含むかも知れませんね。
354 :
神も仏も名無しさん:2007/05/12(土) 20:18:56 ID:zpEe1bwA
>>345で引用されている
熏と覚と寂と通
が、なぜどのようにして六項目からなる六波羅蜜に対応することになるのか、どなたか教えてくださいまし m(_ _)m
355 :
神も仏も名無しさん:2007/05/12(土) 20:21:35 ID:e/kqB+lo
>>個人的には、禅波羅蜜の中に止観(サマタ、ヴィパッサナー)の両者
>>が含まれ、般若(慧)波羅蜜は、観の結果、現れ出てくる智慧のこと
>>ではないか、と思います。
般若波羅蜜多は禅定によって悟るものではなく、『空の論理』です。
空の論理とは五受陰は幻である。という意味です。
**************************************
『善現よ、汝はどのように考えるか?
色(物質)と幻とは異なるか?
善現答えて言った『いいえ世尊。どうしてかというと、色は幻に異なり
ません。
幻は色に異なりません。色はすなわち幻、幻すなわち色。受想行識も同
様です。』(大般若経より)
**************************************
このように経典には五受陰は幻であるとはっきり説かれているのです。
これが『空の意味』です。つまり『盤若の智慧』です。決して禅定によ
って悟るものではありません。
356 :
神も仏も名無しさん:2007/05/12(土) 21:03:27 ID:fzAVqAIS
静慮波羅蜜多とは。
**********************************************
仏陀は告げられた「菩薩が布施波羅蜜多を行っている時、その時はすでに心は定に入っているのである。また浄戒波羅蜜多を行っていれば、その時すでに定に入っているのである。そのようにして安忍、精進、静慮、般若波羅蜜多を行っている時すでに定に入っているのである。」
(大般若経より)
**********************************************
357 :
南無大師遍照金剛:2007/05/12(土) 21:19:32 ID:D8zo6RE3
(ノ_<。)最近ここ難しいことばかり話してて
オイラつまんないぉ…
お猿にも分かるようにお話してぉ…
>>357 般若心経の般若波羅蜜多が、止観の観にあたるかどうかに始まって、
六波羅蜜(布施、持戒、忍辱、精進、禅定、般若)の般若と同じか違うのかという問題を経て、
現在、大乗非仏説に入るかどうかという際どい展開になってきている。
無料外野席にいても十分楽しめる一戦。お見逃しなく。
>>358 まとめ乙w
てか、質問箱でする話じゃないがなw
360 :
神も仏も名無しさん:2007/05/13(日) 00:36:11 ID:GNxG/sOP
お経を読むプロというかお坊さんは般若心経を読むときにどの場所で息継ぎをしているのでしょうか?
それとも慣れてきたら息継ぎなどせず一息で言えるのでしょうか?
361 :
南無大師遍照金剛:2007/05/13(日) 00:58:49 ID:XVWJi0Q7
>>360 普通に好きな所で息継ぎします(≧ω≦)b
362 :
神も仏も名無しさん:2007/05/13(日) 02:24:16 ID:R77cFdKk
>>352 仏典に阿含経は含まれないのかどうか聞いているのだが、これでは答えになっていない。
曖昧なままにしておきたいのなら、そう言ってほしい。
不必要にいじめる趣味はないのだが。
363 :
神も仏も名無しさん:2007/05/13(日) 07:36:36 ID:ZpeS/aDr
>>362 :神も仏も名無しさん :2007/05/13(日) 02:24:16 ID:R77cFdKk
>>352 >>仏典に阿含経は含まれないのかどうか聞いているのだが、これでは答
>>えになっていない。
>>曖昧なままにしておきたいのなら、そう言ってほしい。
>>不必要にいじめる趣味はないのだが。
阿含経、大般若、法華経などの経典のように三宝(仏法僧)が説いた経
文を仏典といいます。
>>350で示したように、道元が説くように仏典にありもしない 「只管打
坐」などを説く者を仏教捏造の外道と言うということです。
364 :
神も仏も名無しさん:2007/05/13(日) 08:00:02 ID:ZpeS/aDr
阿羅漢と菩薩
仏教は阿含経から始まり、いわゆる禅定の『初禅〜無想定』の修行をし、
阿羅漢果を得て解脱します。その中、『止観』は初禅の修行なのです。
つまり阿含経一年生の修行法です。
一方、大般若経の六波羅蜜の修行は阿含経の卒業生である菩薩の修行法
です。したがって『止観』という自分自身に対する修行はしないのです。
365 :
神も仏も名無しさん:2007/05/13(日) 18:29:38 ID:R77cFdKk
坐禅ではないとすると、静慮波羅蜜多では具体的になにをすればいいのでしょうか。
366 :
神も仏も名無しさん:2007/05/13(日) 19:37:35 ID:onsoBF69
>>365 :神も仏も名無しさん :2007/05/13(日) 18:29:38 ID:R77cFdKk
>>坐禅ではないとすると、静慮波羅蜜多では具体的になにをすればいい
>>のでしょうか。
「菩薩が四禅を修行し、声聞や縁覚の修行をするならば、これを乱心の
菩薩という。なぜなら四禅の定は菩薩の定ではないからである。諸々の
菩薩は色々な人々を見て私は菩薩行を修行して、これらの人々を苦悩か
ら救いだし、涅槃に導こうと考える。これが菩薩の定である。」
これが静慮波羅蜜多です。
367 :
神も仏も名無しさん:2007/05/13(日) 21:32:14 ID:R77cFdKk
常に落ち着いたご対応、感服いたしました。
また、質問ばかりですが、質問箱ということでご容赦下さい。
引用されている文章は、大般若経の部分和訳でしょうか。
大乗では、私のような菩薩以前の衆生でも声聞の修行をしてはいけないのでしょうか。
368 :
社長:2007/05/13(日) 22:17:29 ID:EMG2sRBA
↑てかお前アホだなwww
369 :
神も仏も名無しさん:2007/05/13(日) 22:46:19 ID:R77cFdKk
まだちゃちゃいれないの>社長
呼吸ってもんがあんでしょうに
371 :
神も仏も名無しさん:2007/05/14(月) 15:42:56 ID:28xa8HuN
>>367 >>引用されている文章は、大般若経の部分和訳でしょうか。
>>大乗では、私のような菩薩以前の衆生でも声聞の修行をしてはいけな
>>いのでしょうか。
引用した文章は国訳一切経の大般若経の一部を現代語に書き直したもの
です。一般に大乗というのは菩薩の修行法と考えていいと思います。菩
薩は声聞、縁覚(阿含経)を卒業した者だと考えられます。そこで我々
が一から仏教を勉強する場合は阿含経から始めることが必要ではないか
と思います。
372 :
神も仏も名無しさん:2007/05/14(月) 19:46:56 ID:/US7wXAb
十三頭陀行でも遂行すれば仏教とは、何なのか理解出来ると思いますよ。
373 :
神も仏も名無しさん:2007/05/15(火) 00:00:17 ID:E9DMfBHz
>>371 六波羅蜜の修行を八正道と対比させるような説明を入門書で読んだことがあるのですが、
実はこれは間違いであって、本来は八正道修道の後に六波羅蜜に入るべきだ、
ということでよろしいのでしょうか。。
374 :
神も仏も名無しさん:2007/05/16(水) 00:17:43 ID:cwcaOSWe
>>371 菩薩の修行では声聞、縁覚(阿含経)の修行である止観業を禁じられているということが
大般若経に書かれている、というご説明だったと思いますが、
釈尊成道時の瞑想修行は止観業とは区別されるということになるのでしょうか?
375 :
南無大師遍照金剛:2007/05/16(水) 08:37:22 ID:70H2+x++
ヽ(´∇`)ノオハニョ〜
376 :
神も仏も名無しさん:2007/05/16(水) 10:19:33 ID:aov9+1RB
>>373>>374 >>菩薩の修行では声聞、縁覚(阿含経)の修行である止観業を禁じられ
>>ているということが大般若経に書かれている、というご説明だったと
>>思いますが、釈尊成道時の瞑想修行は止観業とは区別されるというこ
>>とになるのでしょうか?
阿含経には釈尊が王子の身分から出家されて、修行をし、弟子たちに教
えられた修行法が説かれています。それが『止観』です。そして、釈尊
の滅度も書かれているのです。したがって、釈尊の成道地時の瞑想修行
も阿含経にあるのです。したがって、阿含経を卒業して阿羅漢になり、
菩薩の修行をする者には『止観』の修行は卒業しているのでいらないの
です。中学に入れば小学校の教えはいらないのと同じではないかと思い
ます。
377 :
神も仏も名無しさん:2007/05/16(水) 23:47:25 ID:+JYmdpGU
>>355 禅と禅度とを区別して説いています。つまり、禅を一切智へ廻向する(ふりむける)ことにより
禅度という名を得る、と書かれています。
「世尊は施度・戒度・忍度・進度・禅度を賛嘆なさらず、
智度だけを賛嘆なさり、その名だけを述べられるのでしょうか」
「阿難よ、その通りである。なにゆえか。智度は五度に先立つからである」
「もし施・戒・忍・進・禅・智が一切智へと廻向されなければ、
それらは施度・戒度・忍度・進度・禅度・智度という名を得るであろうか」
「世尊よ、そのようなことはありません」
『摩訶般若波羅蜜経』第3
378 :
神も仏も名無しさん:2007/05/17(木) 01:23:01 ID:6c1WUWnQ
イム
379 :
神も仏も名無しさん:2007/05/17(木) 08:58:03 ID:XafW+ryl
>>377 :神も仏も名無しさん :2007/05/16(水) 23:47:25 ID:+JYmdpGU
>>355 >>禅と禅度とを区別して説いています。つまり、禅を一切智へ廻向する
>>(ふりむける)ことにより禅度という名を得る、と書かれています。
六波羅蜜の中の般若波羅蜜多は『空の論理の智慧』を説いたものですが、
『この世は幻(空)である』と言われても論理的に理解しても潜在意識
の奥まで浸透させることができません。したがって、静慮波羅蜜多(禅)
によって空を実感するという意味です。
>>−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
「世尊は施度・戒度・忍度・進度・禅度を賛嘆なさらず、
智度だけを賛嘆なさり、その名だけを述べられるのでしょうか」
「阿難よ、その通りである。なにゆえか。智度は五度に先立つからである」
「もし施・戒・忍・進・禅・智が一切智へと廻向されなければ、それら
は施度・戒度・忍度・進度・禅度・智度という名を得るであろうか」
「世尊よ、そのようなことはありません」
『摩訶般若波羅蜜経』第3
>>−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
空の論理(智度)を理解することなく、「施度・戒度・忍度・進度・禅
度」を行っても意味はない。空の論理を知ってこそ、「施度・戒度・忍
度・進度・禅度」の意味があるということです。
380 :
神も仏も名無しさん:2007/05/17(木) 23:59:31 ID:pUBDrevg
六波羅蜜が菩薩の修行だとすると、それを行う資格のあるものはどれだけいるのでしょうか。
六波羅蜜は衆生とは縁の遠いもののようです。
仏門にいる大多数は六波羅蜜に目もくれず止観業に精を出さなければなにも始まらないと言うことですよね。
381 :
神も仏も名無しさん:2007/05/18(金) 22:17:51 ID:x6KWGwFY
>>380 >>六波羅蜜が菩薩の修行だとすると、それを行う資格のあるものはどれ
>>だけいるのでしょうか。
>>六波羅蜜は衆生とは縁の遠いもののようです。
>>仏門にいる大多数は六波羅蜜に目もくれず止観業に精を出さなければ
>>なにも始まらないと言うことですよね。
仏教の修行を始めるには、阿含経の修行から入るのですが、阿含経を理
解するには『空の論理』を理解しなければ意味は解らないのです。。
不思議なことに、『空の論理』の教えは菩薩に対する教えである大般若
経の六波羅蜜の一つである『般若波羅蜜多』に説かれているのです。
382 :
神も仏も名無しさん:2007/05/19(土) 00:57:03 ID:uj5bSEP0
天台智は天台小止観や摩訶止観を著した大乗の僧侶ですが、やはり止観(サマタ・ビパッサナ)を納めて菩薩になった後に六波羅蜜を修めるように説かれているのでしょうか。
禅宗は一時代の中国仏教界を席巻した宗派ですが、僧侶は生涯にわたって止観業を中心とした修行体系の中で生活することになります。彼等も般若経典群を学び六波羅蜜を実践しているはずですが、とんだ勘違いといったところなのでしょうか。。
>>381 ご高説、感服致します。大変、勉強させて頂いております(^人^)
拙者の体験では、『空の論理』も『六波羅蜜』も同じ「脈」である。
因縁生滅に基づく本質が「空」なら、六波羅蜜の行いも「空」です。
金剛経の「応無所住而生其心」に通じるものがありますよね。
384 :
神も仏も名無しさん:2007/05/19(土) 01:34:45 ID:uj5bSEP0
>>383 >拙者の体験では、
すると、あなたは菩薩様?
385 :
神も仏も名無しさん:2007/05/19(土) 06:45:01 ID:NsfvGxds
>>382 >>禅宗は一時代の中国仏教界を席巻した宗派ですが、僧侶は生涯にわた
>>って止観業を中心とした修行体系の中で生活することになります。彼
>>等も般若経典群を学び六波羅蜜を実践しているはずですが、とんだ勘
>>違いといったところなのでしょうか。。
例えば、どんなに難しい数学でも、基本の四則演算(加減乗除)という
論理を知らなければ解くことはできません。四則演算を理解せずいくら
考え(禅)ても何も進歩しないのと同じです。座禅(止観)も同様で、
止観の前に論理を知らなければならないのです。それが『空の論理』で
す。
四則演算を理解した人のみ、座禅で4×5+4=24であると考えること
ができ、暗算の達人になれるのです。それが『止観』です。とにかく、
『空の論理』を理解することが、仏教入門と言えるのです。
386 :
神も仏も名無しさん:2007/05/19(土) 07:18:16 ID:pdg9hnqi
一応、空の論理は『小室直樹の痛快宗教学入門』を読んで理解しました。
即ち、物事は因縁によって成り立って居ると言う説ですね
そこで禅に移行する訳ですが
何で禅なの?疑問がある訳です
座禅は要するに心を落ち着けて現象が成立する要因を見極め、現象に対して如何に働きかけて行くかを理論的に考える作業で
立ち上がった時がその実践と言う事でしょうか
ならば何故座禅会とかで「四則計算」たる空の論理を教えないのか
ただ座ってるだけで肩をビシバシ叩かれて痛いだけじゃないですか
387 :
神も仏も名無しさん:2007/05/19(土) 07:56:45 ID:NsfvGxds
>>386 >>**********************************************
一応、空の論理は『小室直樹の痛快宗教学入門』を読んで理解しました。
即ち、物事は因縁によって成り立って居ると言う説ですね
>>**********************************************
空の論理は、『物事が因縁によって成り立っている』という『縁起』と
は少し違うのです。『空とは、この世が幻である』という原理なのです。
この世が空(幻)であるから『物事が因縁によって成り立ってい』のです。
『この世は空なるが故に縁起が働く』ということです。
>>**********************************************
そこで禅に移行する訳ですが
何で禅なの?疑問がある訳です
座禅は要するに心を落ち着けて現象が成立する要因を見極め、現象に対
して如何に働きかけて行くかを理論的に考える作業で
立ち上がった時がその実践と言う事でしょうか
ならば何故座禅会とかで「四則計算」たる空の論理を教えないのか
ただ座ってるだけで肩をビシバシ叩かれて痛いだけじゃないですか
>>**********************************************
『禅』とは縁起を考えることなのです。つまり『禅思』というのです。
『空の論理』とそこから展開される『縁起』について静かに考えること
を言うのです。これが『初禅』です。
ビシバシ叩くのは一心に暗算をしている者を後ろから叩くようなもので
まるで馬鹿げています。
388 :
神も仏も名無しさん:2007/05/19(土) 08:07:24 ID:pdg9hnqi
空の論理は、『物事が因縁によって成り立っている』という『縁起』と は少し違うのです。『空とは、この世が幻である』という原理なのです。 この世が空(幻)であるから『物事が因縁によって成り立ってい』のです。 『この世は空なるが故に縁起が働く』ということです。
御答え有り難う御座いますm(_ _)m
「この世は幻であるの原理」ですが幻というニュアンスをどう解釈すべきでしょう
固定的なものでは無く流転して行く、変化して行くと受け取れば良いですか
変化する実体の無いものだから因縁が働く
こう言う考えで宜しいでしょうか
389 :
神も仏も名無しさん:2007/05/19(土) 08:12:49 ID:pdg9hnqi
例えば「私」にしても変化する実体の無いものと考えれば縁起が働きますね
そこで禅定によって私を私たらしめて居る原因を思索する
因果の方向性を変えると当然「私」も変化する
これが座禅の実践でしょうか
390 :
神も仏も名無しさん:2007/05/19(土) 08:27:41 ID:paAWIS9V
此処って質問箱でないの?
391 :
神も仏も名無しさん:2007/05/19(土) 08:34:11 ID:NsfvGxds
>>388 >>**********************************************
「この世は幻であるの原理」ですが幻というニュアンスをどう解釈すべきでしょう
固定的なものでは無く流転して行く、変化して行くと受け取れば良いですか
変化する実体の無いものだから因縁が働く
こう言う考えで宜しいでしょうか
>>**********************************************
人間が見る幻の代表的なものは『夢』です。
夢は心よって展開するので、この世も『十二因縁』によって展開するということです。
392 :
神も仏も名無しさん:2007/05/19(土) 08:39:42 ID:uj5bSEP0
393 :
神も仏も名無しさん:2007/05/19(土) 08:58:15 ID:NsfvGxds
>>389 >>例えば「私」にしても変化する実体の無いものと考えれば縁起が働きますね
>>そこで禅定によって私を私たらしめて居る原因を思索する
>>因果の方向性を変えると当然「私」も変化する
>>これが座禅の実践でしょうか
おっしゃる通りだと思います。
阿含経は『無常・苦・空・非我』に集約されます。
無常=人間は生まれたり病気になったり老いたり死んだりする。
苦=その生・変化・滅は苦である。
空=なぜ生老病死などの変化があるか。それはこの世が幻だからである。
非我=あなたの肉体も心もあなたでは無く、あなたのものでも無く、存在さえしない。
この『無常・苦・空・非我』を禅思するわけです。
394 :
神も仏も名無しさん:2007/05/19(土) 09:01:18 ID:pdg9hnqi
人間が見る幻の代表的なものは『夢』です。
夢は心よって展開するので、この世も『十二因縁』によって展開するということです。
つまりこの世は文字通りの夢だと言う説でしょうか
或いは心の変化に依って変化すると言う説でしょうか
対立説を上げて見ます。
最近読んだ西島なにがしさん訳のナーガルジュナの『中論』によると、「龍樹尊者」この世に実在と信じるに足りる信仰対象として理性、時間、行為、様々な力関係、そして物質の世界を上げて居るようです
そして私も「物質」が「無い」と言うのは現実にそぐわない極端説だと考えますが如何でしょうか
395 :
暇人:2007/05/19(土) 09:04:58 ID:Cg7DKGFg
>阿含経は『無常・苦・空・非我』に集約されます
ちなみに阿含経を読んでの発言かね
396 :
神も仏も名無しさん:2007/05/19(土) 09:06:37 ID:pdg9hnqi
物理的世界が「無い」とすれば飛行機が飛んだりアスピリンで歯痛が治ったりする現象を説明出来ません
397 :
無我 ◆ZnBI2EKkq. :2007/05/19(土) 09:09:19 ID:pdg9hnqi
>暇人様
もし宜しければ書店で読めるアゴン経の定評のある入門書が在れば教えて頂きたいのですが
398 :
神も仏も名無しさん:2007/05/19(土) 09:20:56 ID:NsfvGxds
>>394 >>**********************************************
つまりこの世は文字通りの夢だと言う説でしょうか
或いは心の変化に依って変化すると言う説でしょうか
対立説を上げて見ます。
最近読んだ西島なにがしさん訳のナーガルジュナの『中論』によると、「龍樹尊者」この世に実在と信じるに足りる信仰対象として理性、時間、行為、様々な力関係、そして物質の世界を上げて居るようです
>>そして私も「物質」が「無い」と言うのは現実にそぐわない極端説だ
>>と考えますが如何でしょうか
>>**********************************************
>>つまりこの世は文字通りの夢だと言う説でしょうか
文字通りこの世は夢であるという説が仏の説です。意外に思われるかも知れませんが阿含経にはそのような極端説が説かれているのです。
確かにおっしゃることはよく分かりますが、私はまず、仏教経典のみを
信じることにしています。ご存じの般若心経にも『物質は無い』とはっ
きり説かれているのです。次に抜粋するのは阿含経の一節です。
**************************************
『一切諸行は皆空、皆寂にして、起こる者、滅する者是れ幻化にして真
実有ること無ければなり。』(阿含経 国訳一切経より)
**************************************
この世の一切は皆空であってね寂静であって、生まれる者、死んで行く
者は幻化であって真実に起きていることではない。という意味です。
399 :
神も仏も名無しさん:2007/05/19(土) 09:22:13 ID:NsfvGxds
>>394 >>**********************************************
つまりこの世は文字通りの夢だと言う説でしょうか
或いは心の変化に依って変化すると言う説でしょうか
対立説を上げて見ます。
最近読んだ西島なにがしさん訳のナーガルジュナの『中論』によると、「龍樹尊者」この世に実在と信じるに足りる信仰対象として理性、時間、行為、様々な力関係、そして物質の世界を上げて居るようです
>>そして私も「物質」が「無い」と言うのは現実にそぐわない極端説だ
>>と考えますが如何でしょうか
>>**********************************************
>>つまりこの世は文字通りの夢だと言う説でしょうか
文字通りこの世は夢であるという説が仏の説です。意外に思われるかも知れませんが阿含経にはそのような極端説が説かれているのです。
確かにおっしゃることはよく分かりますが、私はまず、仏教経典のみを
信じることにしています。ご存じの般若心経にも『物質は無い』とはっ
きり説かれているのです。次に抜粋するのは阿含経の一節です。
**************************************
『一切諸行は皆空、皆寂にして、起こる者、滅する者是れ幻化にして真
実有ること無ければなり。』(阿含経 国訳一切経より)
**************************************
この世の一切は皆空であってね寂静であって、生まれる者、死んで行く
者は幻化であって真実に起きていることではない。という意味です。
400 :
神も仏も名無しさん:2007/05/19(土) 09:23:38 ID:NsfvGxds
すみません。失敗して、二重投稿になってしまいました。
401 :
無我 ◆ZnBI2EKkq. :2007/05/19(土) 09:28:42 ID:pdg9hnqi
御答え有り難う御座います。
聞く所に依るとブッダは賢者の言う事を鵜呑みにせず自分で確かめろとおっしゃったと言います
また、私が説いた事は全て嘘方便の教えだとも言ったと聞きます。
或いはアゴン経や般若心経の教え自体も方便であると言う可能性はありませんか?
402 :
神も仏も名無しさん:2007/05/19(土) 09:31:32 ID:NsfvGxds
>>395 >>>阿含経は『無常・苦・空・非我』に集約されます
>>ちなみに阿含経を読んでの発言かね
当然ですよ。国訳一切経 阿含部を通しでは二度ほど読みました。また、
重要な部分は数十回読みました。25年ほどかかりましたよ。やっと全貌
が理解できました。
403 :
暇人:2007/05/19(土) 09:31:32 ID:Cg7DKGFg
>>397 入門書より翻訳が充実してますよ。是非テキストを。
春秋社から原始仏典シリーズ
長部経典と中部経典が分冊で読めます。
古い訳ですが定番モノとしては増谷さんの阿含経典(全5巻)が
相応部経典の抄訳になります。
岩波文庫で手軽に入手できる中村元さんのシリーズは
重要な小部経典群が中心的に訳されてますので必読です
ダンマパダ スッタニパータ 長老偈 長老尼偈など。
相応部経典の前半の訳である「神々との対話」「悪魔との対話」など
404 :
日々是修行:2007/05/19(土) 09:38:19 ID:bYjlim+4
>>394,396
個人的な認識ですが、間違ってれば、ご教示くださいm(__)m
「空」は「無い」ではありません。「有り」でもありませんが。
逆説的に、「無い」でもあり、「有り」でもあり、です。
その概念を言葉で説明するのは甚だ難しいが、強いて言えば、
「永遠に変わらぬ物事は無い。この本質を空という」ともいえましょうか。
無学な輩の知ってかぶりで、申し訳ありませんm(__)m
405 :
無我 ◆ZnBI2EKkq. :2007/05/19(土) 09:38:49 ID:pdg9hnqi
>暇人様
有り難う御座います
是非挑戦して見たいと思います。
406 :
無我 ◆ZnBI2EKkq. :2007/05/19(土) 09:43:02 ID:pdg9hnqi
>日々修行様
それは仏教用語で言うダールマ(法)と解釈して良いでしょうか
確かに「法」は無いようで在り、在るようで無い
純粋に「思考」によって捉えられる実体ですね
407 :
日々是修行:2007/05/19(土) 09:46:54 ID:bYjlim+4
>無我様
諸法無我。法無定法。法の本質も空ではありませんでしょうか?
408 :
無我 ◆ZnBI2EKkq. :2007/05/19(土) 09:49:46 ID:pdg9hnqi
座禅とは要するに静かに思考して感覚的に現れる世界を成り立たせて居る法を見切る事を目的として居ると考えて宜しいでしょうか
すると私が部屋でねっ転がって「もっと自分や他人が幸せな人生を送る為にはどう行為すればいいかな」とか考えて居るのも座禅と捉えて良いのでしょうか
409 :
無我 ◆ZnBI2EKkq. :2007/05/19(土) 09:52:30 ID:pdg9hnqi
確かに法自体も絶対的なものではないかもしれませんね
思考が生み出した仮説と考えた方が良いかも知れません
410 :
神も仏も名無しさん:2007/05/19(土) 10:02:29 ID:NsfvGxds
>>393 修行のレベルは『須陀亘果→斯陀含果→阿那含果→阿羅漢果』となっています。次は阿含経からの抜粋です。
**************************************
(無間等経)
摩訶拘希羅『須陀亘果を得るにはどんな修行をするべきですか。』
舎利弗『五受陰は病であり、、瘍であり、刺であり、殺であり、無常・苦・空・非我であると思惟せよ。』
摩訶拘希羅『須陀亘果の者が斯陀含果を得るにはどんな修行をするべきですか。』
舎利弗『五受陰は病であり、、瘍であり、刺であり、殺であり、無常・苦・空・非我であると思惟せよ。』
摩訶拘希羅『斯陀含果の者が阿那含果を得るにはどんな修行をするべきですか。』
舎利弗『五受陰は病であり、、瘍であり、刺であり、殺であり、無常・苦・空・非我であると思惟せよ。』
摩訶拘希羅『阿那含果の者が阿羅漢果を得るにはどんな修行をするべきですか。』
舎利弗『五受陰は病であり、、瘍であり、刺であり、殺であり、無常・苦・空・非我であると思惟せよ。』
**************************************
このように『無常・苦・空・非我』の禅思がすべてだということがわかります。
411 :
神も仏も名無しさん:2007/05/19(土) 10:06:53 ID:NsfvGxds
>>396 >>物理的世界が「無い」とすれば飛行機が飛んだりアスピリンで歯痛が
>>治ったりする現象を説明出来ません
飛行機が飛んだりアスピリンで歯痛が治る夢をみることはあり得るのではないですか?
412 :
無我 ◆ZnBI2EKkq. :2007/05/19(土) 10:07:09 ID:pdg9hnqi
法違いかも知れませんが世俗の法律も社会情勢によって変化が求められますしね
昨夜の銃乱射事件でも法制度の問題で強行突破が出来ませんでした。
413 :
無我 ◆ZnBI2EKkq. :2007/05/19(土) 10:13:36 ID:pdg9hnqi
411様
確かに夢と捉えても良いでしょうが
その場合夢と現実と言う区別自体が意味のないものになるのではありませんか
ただ夢と違って念力で飛行機を飛ばす事はできず
厳然とした「法」がこの世では成立して居るように思います。
夢なら重力法則を無視して空を飛べたりするはずですが
精神世界と違って物理世界にはそれなりの制約があります
414 :
南無大師遍照金剛:2007/05/19(土) 10:15:10 ID:iRNOXDux
ヽ(´∇`)ノ釣り師がイパーィ♪ウキウキ♪
でも
おさるにも分かるようにレベル下げてね♪
415 :
暇人:2007/05/19(土) 10:29:58 ID:Cg7DKGFg
416 :
神も仏も名無しさん:2007/05/19(土) 10:46:49 ID:NIP/R2dF
>>415 :暇人:2007/05/19(土) 10:29:58 ID:Cg7DKGFg
>>410 >>**********************************************
君の解釈から『五受陰は』という主語が脱落しているのだが、
1.『五受陰』とは何か
2.無間等経(
http://www.buddhist-canon.com/SUTRA/AHan/T020065b.htm)の
「空」がなぜ
「空=なぜ生老病死などの変化があるか。それはこの世が幻だからである。」
といえるのか
これをまず経文に添って解説して頂きたい。
>>**********************************************
1、五受陰(色受想行識)とは。
色(四大)=この世の一切の物質(肉体を含む)
受(苦受・楽受・不苦不楽受)=外界から受ける感覚。
想 =想念
行 =行為
識 =記憶・知識
2、『空』
空=幻、夢 したがって幻には始まり(生)・変化(老病)・終わり(死)がある。
これが仏説です。
417 :
日々是修行:2007/05/19(土) 10:48:34 ID:bYjlim+4
>>413 永遠に変わらぬ物事ではないので、幻です。
幻=偽物、ではありません。本物も「幻」と思います。
偽LBバッグは壊れるが、本物のLBバッグだって壊れます。
どっちも本質が「幻」ですね。永遠じゃないからです。
逆に、本物のLBバッグは使えますが、偽物だって使えます。
どっちも「真実」ですねw今・この瞬間が存在しているからです。
物理世界にも適用できると思います。
飛行機が飛んでいる。真実です。
降りてきたら、つい数分先大空を飛んでいたのは幻と化してしまいます。
過ぎ去った人生は夢の如く、と良く言われますよね?
418 :
神も仏も名無しさん:2007/05/19(土) 10:50:58 ID:NIP/R2dF
>>413 :無我 ◆ZnBI2EKkq. :2007/05/19(土) 10:13:36 ID:pdg9hnqi
>>411様
>>確かに夢と捉えても良いでしょうが
>>その場合夢と現実と言う区別自体が意味のないものになるのではありませんか
>>ただ夢と違って念力で飛行機を飛ばす事はできず
>>厳然とした「法」がこの世では成立して居るように思います。
>>夢なら重力法則を無視して空を飛べたりするはずですが
>>精神世界と違って物理世界にはそれなりの制約があります
物理的な制約は、『物理的な確信』という念力で造られているのではないでしょうか。
419 :
無我 ◆ZnBI2EKkq. :2007/05/19(土) 10:53:16 ID:pdg9hnqi
>日々是修行様
確かに悠久なる歴史的な時間からすると「幻のようなもの」ですが
今、ここに在ると言う事実に関しては幻とは言い切れないのでは?
幻でないからこうやってコミュニケーションも取れて居る訳ですからね
420 :
神も仏も名無しさん:2007/05/19(土) 10:57:57 ID:NIP/R2dF
>>417 :日々是修行:2007/05/19(土) 10:48:34 ID:bYjlim+4
>>413 >>永遠に変わらぬ物事ではないので、幻です。
>>幻=偽物、ではありません。本物も「幻」と思います。
永遠に変わらぬ世界があるのです。それが『天界』なのです。これが本
物の幻ではない世界です。永遠の寿命の永遠の世界へ行くことが仏教の
目的なのです。
421 :
無我 ◆ZnBI2EKkq. :2007/05/19(土) 11:04:26 ID:pdg9hnqi
いや、仮に幻でも良いのですが
その場合でも幻が「在る」と言う事は否定できないのではないですかね
422 :
暇人:2007/05/19(土) 11:04:33 ID:Cg7DKGFg
>>416 五受陰は『色受想行識』だね。
衆生の、つまり我々人間の構成要素を五つに分けたものだよ。
だから
五受陰の「色」は、我々の物質的要素である『身体』のことだね。
つまり五受陰とは、身体と心(感受作用・表象作用・意思・認識作用)、心身のことだよ。
我々の心身は、病.為癰.為刺.為殺.無常.苦.空.非我と思惟せよと
書いてあるわけ。
423 :
日々是修行:2007/05/19(土) 11:09:39 ID:bYjlim+4
>>416様
お教えください m(__)m
「この世が幻だから生老病死がある」のではなく、
生老病死があるから、「この世」は幻と考えて宜しいでしょうか?
もう一つ、五受陰のご説明、
般若心経の「五蘊皆空」と捕らえて宜しいでしょうか?
>>419 無我様、拙者は今・この瞬間の存在をを否定してません。
仰った通り、コミュニケーションしているし^^
無我様は「幻」の文字(字義)に幻惑されておりませんか?
ここでいう「幻」とは思考概念であって、「無し」ではありません。
424 :
神も仏も名無しさん:2007/05/19(土) 11:15:04 ID:NIP/R2dF
>>423 :日々是修行:2007/05/19(土) 11:09:39 ID:bYjlim+4
>>416様
>>お教えください m(__)m
>>「この世が幻だから生老病死がある」のではなく、
>>生老病死があるから、「この世」は幻と考えて宜しいでしょうか?
>>もう一つ、五受陰のご説明、
>>般若心経の「五蘊皆空」と捕らえて宜しいでしょうか?
おっしゃる通りです。『生老病死があるから、「この世」は幻』です。
また、五蘊皆空=五受陰皆空という意味です。
425 :
神も仏も名無しさん:2007/05/19(土) 11:19:04 ID:NIP/R2dF
>>422 >>衆生の、つまり我々人間の構成要素を五つに分けたものだよ。
>>だから
>>五受陰の「色」は、我々の物質的要素である『身体』のことだね。
色とは肉体だけではなく肉体を含む一切の物質。
したがって、五受陰とは『この世と肉体と心』一切のことです。
だから『一切皆空』というのです。
426 :
神も仏も名無しさん:2007/05/19(土) 11:23:01 ID:UTfuL6Io
2点質問です
・合掌ってなぜするのですか?どのような意味合いがあるのでしょうか?
・以前、知り合いの葬式に出たとき、式後、お坊さんがおときで
お酒を飲んで顔を真っ赤にして酔っ払っていたんです。そんなお坊さんにお経をあげて
もらってほんとに成仏できるのでしょうか?
427 :
神も仏も名無しさん:2007/05/19(土) 11:28:41 ID:NIP/R2dF
>>421 :無我 ◆ZnBI2EKkq. :2007/05/19(土) 11:04:26 ID:pdg9hnqi
>>いや、仮に幻でも良いのですが
>>その場合でも幻が「在る」と言う事は否定できないのではないですかね
おっしゃる通りです。
幻だから存在はしない。しかし、幻としては存在する。
これが仏の説く中道の意味なのです。
428 :
南無大師遍照金剛:2007/05/19(土) 11:29:53 ID:iRNOXDux
ヽ(´∇`)ノ携帯だから読むのめんどくせ〜♪
429 :
暇人:2007/05/19(土) 11:40:06 ID:Cg7DKGFg
「色」を一般化して言う場合は、
肉体だけではなく肉体を含む一切の物質を意味にとってもよいね。
わざわざ『五蘊』を『五受陰』と『受』いれて言う場合、
『受』<upAdAna(煩悩)>を入れているのは何故だね。
我々の『煩悩』や『執着』を問題にしているのだよ。
430 :
暇人:2007/05/19(土) 11:42:58 ID:Cg7DKGFg
厳密には『五蘊』の場合は『五取蘊』というね。
431 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/05/19(土) 11:43:18 ID:DdfdXRiA
>>426 >以前、知り合いの葬式に出たとき、式後、お坊さんがおときで
>お酒を飲んで顔を真っ赤にして酔っ払っていたんです。そんなお坊さんにお経をあげて
>もらってほんとに成仏できるのでしょうか?
話がオカシクないですか?
式後の酒は”お清め”ですから、酒のんで赤面しようが問題にはならんですね。
なんか話がオカシイなぁ〜(~o~)
432 :
暇人:2007/05/19(土) 11:47:36 ID:Cg7DKGFg
一切の物質との意味に取りたかったらそれでもいいが、
忘れてならないポイントは、
『煩悩の対象』としての「色」だよん。
『一切皆空』は、「此の世すべてが夢まぽろし」という意味ではない。
「この世のすべては生滅変化しつづける無常な現象なので、固執しても苦だ」と
いう意味だよん
433 :
神も仏も名無しさん:2007/05/19(土) 11:48:25 ID:UTfuL6Io
>>431 426です ごめんごめん ちょっと分かりにくかったですね
私が言いたかったのは、酒飲むような人間が
ちゃんと死者を成仏させられるのかってことなんです
434 :
日々是修行:2007/05/19(土) 11:49:23 ID:bYjlim+4
>>424 ありがとうございます。
420で仰ってた「永遠の寿命の永遠の世界へ行くことが仏教の
目的なのです」について、少し疑問を感じます。
仏教の生命観は「無始無終」ですよね。
寿命は有限ですが、存在の本質は「是諸法空相、不生不滅、
不垢不浄、不増不減」ではありませんか?
西方浄土極楽世界も終着駅ではなく、阿弥陀仏が幻化した道場です。
そこで「諸善男子善女人」が「花開見仏悟無生」⇒菩薩の境地へ。
仏教の目的は、真理を追求する方法の伝承であって、
真理そのものを教えるのではありません。
絶対的な真理は、教えられるものではありませんからです。
釈尊も「余49年間説法して、何一つ法を説いてません」(金剛経)
お如何でしょうか?
435 :
神も仏も名無しさん:2007/05/19(土) 11:55:50 ID:DHtCY6HI
色受想行識:色=形有る物全ての存在
:受=色を認識する被対象
:想=認識した色を思考する思い
:行=思考した対象への実際の行動
:識=行動により得た知識と経験
空=色が成製流転している一様、その法則に則って
人もまた苦楽を享受している。
以上の事柄>>>>>在りて在る自分>>>>>超えられない壁>>>>>悟り
でしょうかね、釈尊はそれを超える道筋に光を灯したから仏陀
と呼ばれる様になったって聞いた事があります。
空は厳密には形あるものが成製流転する様の一様を表しているに
すぎません、生老病死も同じように生成消滅する一様です。
それを上手く理解して利用するのも人の智恵であり(夢の段階とも言えます)
それらに捕らわれ過ぎて無駄に苦楽の業を深めるのも人の業(わざ幻とも解釈できます)
それと上手に付き合う方法を説いているのが仏道の本核なのではないのでしょうか?
まずは中道に立つ自分と言う事なのでしょうかね?
436 :
神も仏も名無しさん:2007/05/19(土) 12:08:55 ID:NIP/R2dF
>>429 :暇人:2007/05/19(土) 11:40:06 ID:Cg7DKGFg
>>「色」を一般化して言う場合は、
>>肉体だけではなく肉体を含む一切の物質を意味にとってもよいね。
>>わざわざ『五蘊』を『五受陰』と『受』いれて言う場合、
>>『受』<upAdAna(煩悩)>を入れているのは何故だね。
>>我々の『煩悩』や『執着』を問題にしているのだよ。
五蘊・名色・五受陰・五盛陰 皆同じ意味です。
『煩悩や執着』だけでなく、『この世の一切を嫌って離れよ』と言って
いるのです。
>>410の通りです。
受は煩悩ではなく、『苦受・楽受・不苦不楽受』すなわち外界から六入
処(五官と心)によって受ける『苦しいものと楽しいものと苦でも楽で
もないもの一切』という意味で、『外界から受ける一切』という意味です。
437 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/05/19(土) 12:09:00 ID:C37uRkYg
>>433 >酒飲むような人間が
>ちゃんと死者を成仏させられるのかってことなんです
これもオカシな話ですね(~o~)
じゃあ、酒も一滴も飲まんで、しかも女すら抱いたことがない坊主が
お経を読むと成仏できるんでしょうか?
どんな坊主が読経しようと、故人は成仏はできんですよ。
葬式というのはセレモニーなんですから、
これ自体が本来は仏教的ではない。
ただ、
日本的な死生観において、既存仏教がその任にあたっているだけ。
そのような大局的見地において理解して頂きたいもんです。
438 :
神も仏も名無しさん:2007/05/19(土) 12:15:50 ID:UTfuL6Io
>>437 私のような仏教に詳しくない一般人なんかは
お坊さんにお経をあげてもらって成仏できるってなんとなく信じ込まされているんですが
日本の仏教は、そうした一般人を騙してお布施をもらってるってことですか?
439 :
暇人:2007/05/19(土) 12:21:54 ID:Cg7DKGFg
子供ぽい反論をされてもな。。。
名色を五蘊と同じと解釈するのは後代の仏教解釈だね。
例えば倶舎論で名色と言えば、色蘊以外の四蘊だね。
君の云う『受』は、
『五受陰』『五取蘊』という語の『受』『取』upAdAnaではなく、
「五」の中の一つであるvedanA『受』。感受作用のことだよ。
440 :
神も仏も名無しさん:2007/05/19(土) 12:26:33 ID:NIP/R2dF
>>434 :日々是修行:2007/05/19(土) 11:49:23 ID:bYjlim+4
>>424 >>ありがとうございます。
>>420で仰ってた「永遠の寿命の永遠の世界へ行くことが仏教の
>>目的なのです」について、少し疑問を感じます。
>>仏教の生命観は「無始無終」ですよね。
>>寿命は有限ですが、存在の本質は「是諸法空相、不生不滅、
>>不垢不浄、不増不減」ではありませんか?
そこで般若心経はこの世界は幻であるから、生まれることもなく死ぬこともないと説くのです。幻を見ている世界は「無始無終」という意味です。
人間はこの世に対する愛着を滅する修行(阿含経の修行)によって死後、その悟りに比例して寿命の永い世界に生まれると説かれています。もちろん、死後に輪廻する世界は幻に違いはないのですが。
>>西方浄土極楽世界も終着駅ではなく、阿弥陀仏が幻化した道場です。
もちろんそうです。阿弥陀仏が造った幻の世界です。
441 :
神も仏も名無しさん:2007/05/19(土) 12:37:34 ID:NIP/R2dF
>>439 :暇人:2007/05/19(土) 12:21:54 ID:Cg7DKGFg
>>子供ぽい反論をされてもな。。。
>>名色を五蘊と同じと解釈するのは後代の仏教解釈だね。
>>例えば倶舎論で名色と言えば、色蘊以外の四蘊だね。
**********************************************
識を縁じて名色ありとは、云何が名なる。謂ゆる四無色陰の、受陰・想陰・行陰・識陰なり。云何が色なる。謂ゆる四大と四大に作られし色なり。是れを名づけて色と為す。此の色及び前に説きし所の名、是れを名色と為す。(雑阿含より 国訳一切経)
**********************************************
このように阿含経には
名=受・想・行・識
色=四大と四大によって造られたもの。という意味です。
倶舎論など仏説以外はあまり読みませんのでよく分かりません。
442 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/05/19(土) 13:10:57 ID:C37uRkYg
>>438 >日本の仏教は、そうした一般人を騙して
坊主が「成仏します」とか言うのは、これは遺族の立場に立った言い方ですね。
身内を亡くされたばかりですから、
先ずは身内の精神的ダメージを癒すのも坊主の務めです。
その時は騙しでもいいじゃ〜ないですか。
あまり本当のことを言う馬鹿もおらんでしょうから、
社交辞令的に遺族を安心させてあげる。
この方が得策かと思いますね。
>してお布施をもらってるってことですか?
お布施以外に収入の道はないですから、
布施はして頂きたいですね。
無理には言いませんけど、
香典が入るんですから、これはお布施代も含まれておるんです。
443 :
暇人:2007/05/19(土) 13:40:11 ID:Cg7DKGFg
444 :
暇人:2007/05/19(土) 13:46:22 ID:Cg7DKGFg
失礼。
× 六觸身「眼觸身・耳觸身・鼻觸身・舌觸身・身觸身・意觸身」
○ 六内入処「眼入処・耳入処・鼻入処・舌入処・身入処・意入処」
机上の空論
「机の空論」に見えた
447 :
神も仏も名無しさん:2007/05/20(日) 01:00:38 ID:oEzzZdhX
知りうるモノは、過去から現在、未来といった時間の領域にある。
全てのウゴキは時間であり時間は自由の要素では無い。
選択の自由などということは、自由を否定してる。
選択とは、混乱がある所にだけ存在すっるのだw
明確に知覚し内省することで選択の苦から自由になれる。
コノ秩序は、思の産んだモノでは無い。
思考が活動すれば、断片かを促すからだw
愛は、ソレ等、思考や快楽の断片じゃない。
愛と知性は切り離せないモノ。
ココから出た行為は苦痛をウムコトが無い。
ソノ、オーダーが土台だからだね。
448 :
神も仏も名無しさん:2007/05/20(日) 14:32:40 ID:pO8eRM7L
449 :
神も仏も名無しさん:2007/05/20(日) 14:38:07 ID:pO8eRM7L
できれば暇人さんにお答えいただきたいのですが、
六波羅蜜のなかの般若波羅蜜はビパッサナと解釈できたりするのでしょうか?
>>345に紹介された根拠についてどのように思われますか?
450 :
暇人:2007/05/20(日) 14:48:46 ID:FmGhRaq6
>>449 345さんは個人的修習過程で 自分なりの納得があったので
それでいいのではないでしょうか。
一般的に波羅密は完成の意味で、菩薩の六実践ですので、
「サマタ+ヴィパッサナー」という修行と別体系ですので
違うものを無理にいっしょに読み解く必要を感じません。
あえて言うならば六波羅蜜の「禅定」は
「サマタ+ヴィパッサナー」ではないかと。そこを分けていないと思います。
451 :
神も仏も名無しさん:2007/05/20(日) 23:20:17 ID:pO8eRM7L
>>450 ありがとうございます。
>345さんは個人的修習過程で 自分なりの納得があったので
>それでいいのではないでしょうか。
>>345を書き込んだのは私ですが、リンク先の記述者とは別人ですので念のため。
>違うものを無理にいっしょに読み解く必要を感じません。
やはりそうなりますか。リンク先の記載にはヴィパッサナーに対する偏重を感じましたが、
偏見が入っていたのかも知れませんね。
ついでなのでお聞きしたいのですが、八正道の正念をヴィパッサナーと解釈する説明を
最近見かけるようになりました。
これは正しい解釈と考えてよろしいのでしょうか。
452 :
暇人:2007/05/21(月) 01:08:55 ID:GOJP0xjb
南伝の日本テーラワーダ仏教協会などは、
ヴィパッサナー瞑想を解説する時、「四念処」を例示したりして
説明する立場から「正念」をヴィパッサナーと説明するみたいですね。
「正念」=「四念処」はそのとおりですね。
これをヴィパッサナーと結びつけるようですが、根拠は私にはよく
わかりません。
八正道に無理矢理当てはめれば、
「正念」というより経典に拠れば「正見」か「正定」ではないかと。
「定」はサマタですが、パーリ増支部には「正定」が他の七支を助ける
とありますし、雑阿含では「正見」が他の七支を起すとありますので。
ヴィパッサナー瞑想を具体的に説明するとき「四念処」の
1,身体を不浄
2,苦を体感する
3,心の無常を実感
4.法の非我を知る
が解りやすいかもだからでしょうか。
私はよくわかりませんので原始佛教スレなどで尋ねられてください
453 :
神も仏も名無しさん:2007/05/21(月) 08:25:38 ID:TaHONbGx
ありがとうございました。
最近の原始佛教スレは雑談罵倒スレになってしまっていて、とても見るに耐えません。
あのスレは定期的にこういう状態になってしまうようですので、しばらく落ち着くのを待ちたいと
思います。
とりあえず、質問箱に暇人さんが出入りされているのが知れて安心致しました。
@ 初禅から第四禅までは、いわゆるディヤーナ(禅那、新訳で静慮)ではないでしょうか。
そして第四禅はいわゆる「止観均行」で止と観の両方があり、ここで悟りを開かれ、
またここを出てすぐに無余依涅槃に入られたと。
新訳で「静慮」としたのも、この止の面に当てて「静」、観の面に当てて「慮」とした、
ということのようです。
また禅那 dhyAna の語根 dhyai には、考える、という意味があるので、「止」だけでは
ないように思われます。
ちなみに、正定の「定」は原語がサマーディで、識無辺処定などのサマーパッティ、四禅の
ディヤーナ、シャマタ(サマタ)やヴィパッサナーなどを包含する言葉だと思います。
サマーディ、三昧・定
サマーパッティ、等至・八定
ディヤーナ(ジャーナ)、静慮・四禅。<大乗の六波羅蜜の禅波羅蜜>
シャマタ(サマタ)、止。こころの散乱を止める。
ヴィパシュヤナー(ヴィパッサナー)、観。法を観想する。
A 安那(入息)と般那(出息)を入るに任せ、出るに任せて観察するさまは、身心の動きを、一々
そのまま観察する(言語化もしますが)「ヴィパッサナー瞑想」と同じ方式の観想法のように思います。
「正念」の「念」も「安般念」の「念」と同じサンスクリット語のスムリティ(パーリ語ではサティ)です。
「正念」の方は本来、仏陀の教えを正しく記憶しておく、ということのようですが、スムリティとは
忘れずに覚えておく、ということですので、「安般念」の「念」にも通じるのでしょう。
逆に、「止観」における「観」とは、その原語は同じでも、指している内容はかなり異なっている、
とした方が、要らぬ混乱を防げるのではないか、と考えます。
止観の方には、四諦や縁起などの法を観ずる、という悟りに直結する面があるのに対して、いわゆる
「ヴィパッサナー瞑想」の方は、そういうところに至る前段階の、身心を整える準備段階のものだと思われますので。
455 :
神も仏も名無しさん:2007/05/22(火) 20:00:05 ID:ZRIF/Xcc
>>454 ご丁寧なご回答をありがとうございます。
大変に多くのヒントをいただきました。
そのうちにどこかのスレで議論のネタに使わせていただくことになると思います。
456 :
神も仏も名無しさん:2007/05/22(火) 20:25:47 ID:j/XIlU55
深見さんのごちゃまぜ仏教を肯定したところで、カルトはカルトだよ
観(ヴィパッサナー)は『仏教要語の基礎知識』では三学の定と慧のどちらにも分類されていますね。
「ヴィパッサナー・パンニャー(観慧)」という熟語もあるので、ヴィ(分析して)・
パシュ(観察する)ということが、悟りの智慧を生み出す大切なことがら、ということなのでしょう。
そうして後には「般若仏母」という考え方まで出てくることになったのでしょうね。
「般若波羅蜜は是れ諸仏の母なり」(大智度論34)
458 :
神も仏も名無しさん:2007/05/23(水) 23:38:17 ID:9AYhA31q
観自在菩薩は観法が自在な菩薩だってえのは本当なんでしょうか?
459 :
神も仏も名無しさん:2007/05/23(水) 23:48:48 ID:YKeenXJg
観が自在な法だと思います。
法ならば観は自在だと思います。
460 :
神も仏も名無しさん:2007/05/24(木) 07:54:17 ID:UDxI55HE
釈尊は人間ですか? インド人ですか?
461 :
無我 ◆ZnBI2EKkq. :2007/05/24(木) 08:00:20 ID:wyGNROLz
仏教に置ける超越者に付いて質問致します
一見、仏教は無神論に見え、そう言う解釈もありますが
深く分けいって行くと殆どユダヤ―キリスト教の神と変わらぬような神を説く経典もあり
どうやらこの超越者としての仏に全て実を委ねる事こそが
悟りだと言う側面もあるように思います
超越者に関しては皆様は如何思われますか?
462 :
神も仏も名無しさん:2007/05/24(木) 19:26:58 ID:yOZ/MLJW
ワールドメイト信者乙
463 :
日々是修行:2007/05/25(金) 10:31:02 ID:ReMTM/Q8
>>461 超越者としての仏に全て実を委ねる事こそが悟りだ
「仏に全面的な信頼を置いて、悟りの道を辿る」と思いますが、
お如何でしょうか?
拙者も仏教は無神論だと認識してます。
キリスト:神は絶対的であり、何人とも真似できない存在である。
仏教:衆生は誰でも仏になる可能性はある。
できれば「ユダヤ―キリスト教の神と変わらぬような神を説く経典」を
教えてくださいませんか?
464 :
無我 ◆ZnBI2EKkq. :2007/05/25(金) 16:40:33 ID:9LPrDf9S
>日々是修行様
キリスト教は父と子と精霊の三位一体の神がいる訳ですが
仏教でも「三身説」と言うのが在って
応身仏―報身仏―法身仏の三位一体だと聞きます
また、よく「これも仏の因縁か」みたいな事を言いますが
まるで事物の運命を司る超越者が居るかのような発言に思えます
もしそれが修行して仏になったかつての人間だったとしたら
もはやそれは「人間」じゃないでしょう
自然災害や人の生死の行方まで司る仏なる存在は
もしそれが元「人」だとしたらイエスキリストみたいな「人神」ですよ
少なくとも私はいくら修行してもこう言った事象の運命を操る「仏」には成れないと思う
それは修行してどうなると言う問題では無いですからね
仏は人間です。よく諸法に通達したものを悟ったもの、と言います。
キリストのように空想の神を信仰しているわけではないです。
日蓮大聖人の大曼荼羅には、仏の内証が凝縮されています。
日蓮正宗の信徒は、これを直感的に信仰することで、
釈尊仏法をも内包する果をいただくことができます。
南無妙法蓮華経
466 :
無我 ◆ZnBI2EKkq. :2007/05/25(金) 17:08:14 ID:9LPrDf9S
>南無妙法蓮華経さま
日蓮様を信じてるだけで諸法に通達出来ると言う事は
もちろん貴方もある程度諸法に通じて居る訳ですよね
でしたら是非幾つかの法を説いて聞かせていただきたいのですが
自分が言えるのは南無妙法蓮華経が絶対ということだけです。
勉強中の身なのであまり偉そうに言えないです。
日蓮正宗の僧侶にいろいろ聞いてみられるといいと思います。
南無妙法蓮華経
468 :
無我 ◆ZnBI2EKkq. :2007/05/25(金) 17:25:37 ID:9LPrDf9S
何故南無妙法蓮華経が絶対と言えるのですか?
469 :
無我 ◆ZnBI2EKkq. :2007/05/25(金) 17:27:36 ID:9LPrDf9S
ちなみに仏教で言うところの「法」とは何の事なんですかね
いまいち捕らえどころの無い概念ですが
なんでも当てはまると思います。
娯楽・政治・宗教・産業・・・・・・・・・
全て法だといえます。
南無妙法蓮華経
471 :
神も仏も名無しさん:2007/05/25(金) 17:40:30 ID:XLVefZR3
日蓮と真宗の現代教学は、仏教じゃないからね。
法は、多義的ですが、およそ四つの意味がありますよ。
1.教え
2.因
3.徳、習慣、法規
4.もの、現象
諸法は、移ろいやすく、普遍的に常住するとは言えない。
しかし、日蓮大聖人が顕された大曼荼羅本尊は
確固として700年前から日蓮正宗総本山大石寺に御存在しています。
第三次産業というのは法を売り物にしているといえます。
南無妙法蓮華経
474 :
無我 ◆ZnBI2EKkq. :2007/05/25(金) 17:55:21 ID:9LPrDf9S
確かに大曼陀羅に限らず存在とは一種の因であり法かもしれませんね
私が在る事によって様々な因縁が生じて居るように思います
もちろん私も様々な因縁に因って生じて居る現象なのかも知れませんが
ところで万象の究極の原因として大日如来のようなものが想定されて居るのではありませんか?
それとも大日如来も因縁に因って生じたものですか?
或いは因縁そのものが大日如来であり
在るがままのこの世なのでありましょうか
475 :
無我 ◆ZnBI2EKkq. :2007/05/25(金) 17:59:02 ID:9LPrDf9S
お釈迦様も因縁によって悟られたのではありませんか?
ならばお釈迦様を悟らせた因縁とはなんでしょうか
それとも悟りの因とは万物に存在すると言う仏性なのでしょうか
ならば仏性なるものはどう言った因縁によって生じたのでしょうか
476 :
無我 ◆ZnBI2EKkq. :2007/05/25(金) 18:06:11 ID:9LPrDf9S
法華経の中に観音経と言うのが在って
ヒーッ!助けてと言う衆生の声を聞くと飛んで来て助けてくれるらしいのですが
この観音菩薩とは実存する生身の人間の事なのでしょうか
確かに世間にはたまに菩薩見たいな人も居て存在そのものが救いであり愛であるような場合があります
それとも観音菩薩は形而上的な存在で事象の背後に居て
事象を操り我々をそっと見守ってくれるような神的存在なのでしょうか
日蓮大聖人の御本尊様を因として南無妙法蓮華経をすると、仏に成れます。
南無妙法蓮華経
478 :
無我 ◆ZnBI2EKkq. :2007/05/25(金) 18:22:14 ID:9LPrDf9S
現代科学に依ると人間もまた様々なる因縁に依って生じた現象であるとされますが
塵芥から人間を創造した宇宙の無限なる力
或いは人間を仏にするような無限の力
この力を大日如来と呼んで良いのでしょうか
だとするとそれは「神」(ゴッド)と同次元の存在ではありませんか
ゴーダマ・シッダルダは実在の人間ですがゴーダマさんをこの世に在らしめた力が在ってゴーダマさんが居る訳です
ゴーダマさんはこの無限の力ブラウマーに祈って悟りを得たと聞きます。一元論的に見ればゴーダマさんもまたブラウマーなのであり
自分の中の偉大なるパワー仏性が目覚め、ブッダに成ったとも考えられます
ブッダをブッダに在らしめた力とブッダそのものもまた同じ力なのです
法身がこのブラウマーであり、報身が具体的に働く因縁の力、例えばブッダの父であり、ブッダの敵であり、友であり、飢えたブッダにミルクを与えた少女であり、菩提樹であり、
難行苦行であり、風であり、雨であり、光であり、応身がゴーダマ・シッダルダであり、我々自身なのではありませんか?
479 :
無我 ◆ZnBI2EKkq. :2007/05/25(金) 18:30:46 ID:9LPrDf9S
どうも日蓮宗と言うのはキリスト教と同じ構造を持って居るように思います
南無妙法蓮華経と言うのはキリスト教でいう精霊に当たります
日蓮様はイエスキリストであり
大曼陀羅は宇宙創造神のようなものではありませんか?
480 :
無我 ◆ZnBI2EKkq. :2007/05/25(金) 18:33:35 ID:9LPrDf9S
日蓮宗に限らず仏教、いや宗教そのものが似たような神話世界観を持って居る訳で
生身の人間で在ったイエスは精霊が宿り神に成ります
日蓮も法華経を唱え仏になります
481 :
無我 ◆ZnBI2EKkq. :2007/05/25(金) 18:43:34 ID:9LPrDf9S
仏説によると釈迦の悟りの内容は法華経に書いて在ると言います
だとすると法華経を信じるとお釈迦様になると言う事になります。
神に熱心に祈ったところ法華経が釈迦の精神に宿り、釈迦は法華経を説きました
法華経の原理はこの宇宙に客観的に存在して居り釈迦はそれを悟ったから仏になったのです
すると「悟る」とは法華経を知る事です。
もし、釈迦の悟りの究極的な内容が法華経に書いて在ると言う仏説が事実ならばですがね
法華経を学び実践する者は原理的に皆、ブッダなはずです
482 :
無我 ◆ZnBI2EKkq. :2007/05/25(金) 18:45:24 ID:9LPrDf9S
それとも法華経が最高経典と言う説は嘘なんでしょうか
ようするに、本を読んだらその思想が心にインストールされる、にも通じる話だと思います。
仏の当体である法華経に南無すれば、仏に成れます。
日蓮大聖人の御本尊を強く胸に宿せば、仏に成れます。
良い法を行じるものは、神も守護します。
南無妙法蓮華経
484 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/05/25(金) 18:57:04 ID:2hcf6IvT
>ようするに、本を読んだらその思想が心にインストールされる、にも通じる話だと思います。
なるほどφ(..)メモメモ
>仏の当体である法華経に南無すれば、仏に成れます。
簡単に成れるもんですね(^_^)v
>日蓮大聖人の御本尊を強く胸に宿せば、仏に成れます。
ほんとですかか?(@_@;)
>良い法を行じるものは、神も守護します。
騙されてはいけません\(゜ロ\)(/ロ゜)/
嘘かまことか、まことか嘘か。
確かめるために退屈な人生を
南無妙法蓮華経にかけてみましょう。
南無妙法蓮華経
(^^)
486 :
無我 ◆ZnBI2EKkq. :2007/05/25(金) 19:00:57 ID:9LPrDf9S
ものは試しで今から法華経3巻(岩波文庫)を熟読して見ようと思います
これで仏に成れなかったら嘘です
487 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/05/25(金) 19:34:24 ID:2hcf6IvT
>>485 退屈な人生にかける。って・・・?
そうですね、
それもいいかもしれませんね。
うわああああああぁぁぁぁぁ〜〜〜\(゜ロ\)ココハドコ? (/ロ゜)/アタシハダアレ?
488 :
神も仏も名無しさん:2007/05/26(土) 00:21:23 ID:B7xYjSrb
>>474 大日如来も、あらゆる本尊も空性ですよ。観想の対象としての本尊であって、
実在ではありません。確かに現代真言宗でマクロコスモスとか仰る方がいますが、邪見です。
>>475 縁起です。仏性も空性です。空といっても現れや働きはありますが実体は原子も神もないという意味です。
>>476 加持も縁起です。重要なのは、心の力です。心で強く願い続けることで縁起し加持が起こるのです。
>>478 科学というのは、西洋思想が根源にあって、何か本質を追究する還元主義の流れが主流でした。
しかしながら現代科学の量子論は、反還元主義で仏教の縁起に近い考え方です。
何か還元するクォークのような実体的基盤も、創造主も認めないのが、仏教です。
>>481 それはありません。
>>482 インド・チベットでは法華経が最高経典とはいいません。日蓮の『法華経』解釈は邪見です。
>>486 内容を正確に理解し、それを実際に修行しなければ悟れません。
インド学は、200年の歴史があり、少なくとも1万人ぐらいの人が
文献学によりかなり正確に『法華経』を読みましたが、誰一人悟りませんでした。
それは修行しないからです。それに『法華経』から修行法を読み取るのは難解なので、
本来は、師に就くべきです。それができないならスマナサーラ本かダライラマ本を
読んで見てください。『法華経』に関連するなら『摩訶止観』か『天台小止観』をお勧めします。
489 :
日々是修行:2007/05/26(土) 00:25:09 ID:e/YwcJn5
>>486 無我様、理解する=悟ると、勘違いされておりませんか?
「悟る」とは、「理解」でも「感じ」でもありません。
>>483 法華経は確かに素晴らしい経典ですが、
御題目だけで成仏できるとは思えません。
490 :
無我 ◆ZnBI2EKkq. :2007/05/26(土) 01:25:17 ID:PQnx+fo3
>インド・チベットでは法華経が最高経典とはいいません。日蓮の『法華経』解釈は邪見です。
法華経最高経典説はそもそも日蓮の説ではなく
天台大師や弘法太師の説だと聞きます
天台も空海も仏教界の最高権威者で彼らが悟ってないなら一体誰が悟ってるんだよと言うような人達ですが彼らの意見も邪見なのでしょうかか
>加持も縁起です。重要なのは、心の力です。心で強く願い続けることで縁起し加持が起こるのです。
とすると、ブッダのイメージは大事ですよね。
もう考えられる限りの人間の理想像がブッタと考えて良いでしょうか
そしてそれに成りたい成りたいと強く強く念ずると成れると
>それは修行しないからです。それに『法華経』から修行法を読み取るのは難解なので、 本来は、師に就くべきです。それができないならスマナサーラ本かダライラマ本を 読んで見てください。
悟ると言う事とブッダに成ると言う事は違うのですか?
師に付いた方が良いとおっしゃるのであれば是非師を紹介してください
ダライラマ本を読んで見ますがダライラマは悟ってるのですか?
491 :
無我 ◆ZnBI2EKkq. :2007/05/26(土) 01:37:30 ID:PQnx+fo3
無我様、理解する=悟ると、勘違いされておりませんか? 「悟る」とは、「理解」でも「感じ」でもありません。
悟った事が無いので分かりませんが
熟読すると言ったのは法華経の作者の精神に触れるような読み方をすると言う事ですね
また南無妙法蓮華経さまの口上を信じるならば釈迦の悟りは数学的真理のようなもので学習すれば三歳児の子供でも悟れる性質のものであるような印象を受けます。
悟りと言うものが法則を自覚するものだとすると
法則とは人格とか経験とは無関係に存在して居る訳で
理解が出来れば三歳児でも悟れてるし
理解が出来なければ難行苦行を積んだチベットの高僧でも悟れないものだろうと思います
492 :
無我 ◆ZnBI2EKkq. :2007/05/26(土) 01:48:32 ID:PQnx+fo3
もう考えられる限りの人間の理想像がブッタと考えて良いでしょうか そしてそれに成りたい成りたいと強く強く念ずると成れると
だとすると具体的なイメージとしての御本尊様としての日蓮を拝んで居る日蓮宗の人達の修業法は仏教哲理からして間違いでは無いですね
日蓮が人間の最高の理想像かどうかは扨置き、具体的なイメージがあると精神が集中し易いです。
そう言えば最近、若い世代にキムタクとかタッキーそっくりの人達が増えてますが、そりゃもう言動からルックスまでそっくりなんですが
キムタクやタッキーが彼らの御本尊様だと
段々それらしくなってくるんですかね
そうだとすると仏教理論は正しいですね
493 :
無我 ◆ZnBI2EKkq. :2007/05/26(土) 01:54:48 ID:PQnx+fo3
心理学で言うところの同一化機制と言う奴ですよね
仏像と言うのは無意識の願望を具象化したもので、案外宮沢賢治が阿修羅像を拝んでた為に血へどを吐いて死んだと言う説も正しいかも知れません
494 :
神も仏も名無しさん:2007/05/26(土) 08:25:56 ID:B7xYjSrb
>>490 > 法華経最高経典説はそもそも日蓮の説ではなく
> 天台大師や弘法太師の説だと聞きます
天台大師は、確かに法華経最高経典説ですが、日蓮とは質が違います。
法華経は、包括的な教えで決して排他的な教えではありません。これはインド以来の伝統です。
『摩訶止観』『天台小止観』は、『ヴィスッディマッガ』などによく似ています。
弘法太師は、法華経最高経典説は取ってません。密教は言うに及ばず『華厳経』より低く観ておられます。
悟りには階梯があります。例えば、空性を悟っても、それを深めていかなければいけないのです。
ダライラマ猊下は、少なくとも空性は悟っておられます。
ですが、どの程度の境地かは私のような者には伺いしれません。
ダライラマ本をお読みになるのでしたら、
『ダライラマの仏教入門』
『智慧の眼をひらく』
『仏教哲学講義』
『愛と非暴力』
の順番で読むといいかもしれません。
その前に、マチウ・リカールさんの
『僧侶と哲学者』
『掌の中の無限』
を読まれてからの方が誤解が少ないかもしれません。
師は、ご自身の縁で出会うのが良いと思いますよ。いろんな先生を観てよい先生と出会ってください。
それでは不親切なのでダライラマ猊下の師でもあるトゥルシ・リンポチェはいかがでしょうか?
http://www.chiwongmonastery.com/theabbot.html
495 :
無我 ◆ZnBI2EKkq. :2007/05/26(土) 10:28:11 ID:PQnx+fo3
494さま
紹介を頂き本当に有り難うございます
ところで今、『掌の中の無限―チベット仏教と現代科学が出会う時』のブックレビューをさっと読んだのですが
ちょうど前レスで議論があった空性と創造原理に付いての議論が物理学者とフランス人の僧侶マチウさんとの間にあったようです
どちらの意見にも肩入れせず私の見解を述べますと
仮に宇宙が空性だろうがゴッド創造者が居ようが
人間が今此所に在ると言うのは事実な訳です
前レスの議論で在ったように
仮に私が幻であろうとも幻としての私は在ります
宇宙が幻であり空の原理に貫かれていたとしても
その空は星を造り、太陽を造り、鉱物を造り、生命を造り、動物を造り、人間を造り、テレビを造ったり、パソコンを造ったりしている訳です。
この宇宙の原理が空であれなんであれ
空は「無」を生み出したわけではなく
テレビを生み出し、人間を生み出し
インターネッツを生み出し
仏教を生み出し
地球を生み出し
天文学を生み出し
有りとあらゆるものを生み出したのです
それらが幻であるにせよ
この幻の多産な事に私は驚きます
そしてこれは「時間」の経過と共により高度なものに発展して来て居ります
人間は無数の細胞の集まりですが
空はまず元素を創造し、単細胞生物を創造し、多細胞生物を創造し、さらに社会を創造し、より高度な事物を日々大量に創造して居る
仏教がそんな事は無い全ては空だとかいって目の前の事実すら否定するとしたら
仏教は思想としてはもはや現実しない空疎な観念論に堕落して居ると言う事になるでしょう
496 :
神も仏も名無しさん:2007/05/26(土) 11:25:01 ID:B7xYjSrb
では無我さん、私とは何でしょうか?
私の本質はなんですか?
497 :
無我 ◆ZnBI2EKkq. :2007/05/26(土) 11:31:59 ID:PQnx+fo3
分かりません
何でしょうか
498 :
無我 ◆ZnBI2EKkq. :2007/05/26(土) 11:45:15 ID:PQnx+fo3
私の本質は「思い込み」じゃないですかね
499 :
日々是修行:2007/05/26(土) 11:45:37 ID:e/YwcJn5
>>496 「私」は自我の認識。
「私の本質」は縁起生滅と考えて良いんじゃないでしょうか?
>>495 無我様、なんだか誤解されてるようですね^^
真空生妙有。「空」は「全て無し」ではありません。
そして、仏教は目の前の事実を否定してません。
ただ、目の前の現象に囚われず、その本質を見ようと言ってる。
500 :
無我 ◆ZnBI2EKkq. :2007/05/26(土) 11:52:20 ID:PQnx+fo3
理想と現実に置ける妥協の産物
501 :
無我 ◆ZnBI2EKkq. :2007/05/26(土) 11:55:35 ID:PQnx+fo3
本質などないというのが仏教の立場では?
502 :
、、大王:2007/05/26(土) 11:57:27 ID:t2X1d6gM
むずかしすぎて、、わっかんなあい、、、
503 :
日々是修行:2007/05/26(土) 12:08:53 ID:e/YwcJn5
>>501 どこでそういう曲がった論説を身に付けましたの?
○X宗やX○学会の「ご本尊」はよく解りませんが、
物事に、道理に「本質」はあっていいんじゃないの?
504 :
無我 ◆ZnBI2EKkq. :2007/05/26(土) 12:11:27 ID:PQnx+fo3
仏教では私を私足らしめて居るのは無明であるなんて言いますね
私はこう言うHNですが
よく日常の生活の中でエゴに囚われて失敗してしまうことがあります
だからその都度、イカンイカンと思って
エゴを滅却するのですが
果たしてエゴの正体とは何だったのだろう
さてエゴの代わりに
「仏への意志」があり、それが私の全てかと思いますね
仏とは諸法を悟って衆生を救う存在です
505 :
無我 ◆ZnBI2EKkq. :2007/05/26(土) 12:15:32 ID:PQnx+fo3
ここでの議論の流れの中でそんな話が在ったと思いますよ
この世をこの世足らしめて居る原理などなく一切は空であると
そのような議論の流れの中でレス番495の意見を述べました
506 :
日々是修行:2007/05/26(土) 12:23:47 ID:e/YwcJn5
>>505 だから、その「空」に対する認識が偏ってませんか?
「永遠じゃない」=「無し」ではありません。
507 :
日々是修行:2007/05/26(土) 12:36:20 ID:e/YwcJn5
無我様。「我」をご存知ないんですか?
「我」を知らなければ、「無我」はありえませんぞ?^^
「放下」を言う前に、持ち上げてなければ言う資格はありませんよw
「仏とは諸法を悟って衆生を救う存在」
仏とは衆生を救いたがる存在です。それは仏の意志であり、慈悲である。
で、助けてもらいたい、もらいたくないは衆生の智慧である。
508 :
無我 ◆ZnBI2EKkq. :2007/05/26(土) 12:37:07 ID:PQnx+fo3
多分、偏ってないと思われます
私が仏教で言う空=無であると理解して居ると貴方が理解して居るしたらそれは誤解です
509 :
無我 ◆ZnBI2EKkq. :2007/05/26(土) 12:40:12 ID:PQnx+fo3
確かに御存じないですね
そろそろ無我から空也とでもHNを変えようかと思います
510 :
神も仏も名無しさん:2007/05/26(土) 13:25:45 ID:B7xYjSrb
その通り、本質はありません。
その本質のないことを空と呼んでいるわけです。
本質がないのに私を非常に大切にしますよね。
さらに私の身体、私の父母、私の家、私の車などなど、
所有物を大切にします。そしてそれらがいつまでも変わらず今のままであって欲しいと思います。
これに関連してマチウさんは『掌の中の無限』202頁で次のように述べてます。
> 私たちは、現象についてマクロ的で還元主義的な知覚をもつけれど、
> 私たちには何でもこの知覚に引き寄せようとする頑固な傾向があり、
> 多くの問題がそこから生じているはずです。
身体、父母、家、車などと言われる確固とした実体があるように知覚することを言っています。
そして〜であると認識したら、それ自体がずっと不変であるように思っている。
そして何より、私を実体視し強力に執着することから、さまざまなトラブルが発生するので、
あるがままのありようを観るヒントとして、縁起、無常、空、無我という概念装置を言葉で提供しているわけです。
ですから、空というのは、何もないことを意味するのではなく、
不変の実体、固有性、本質というものがないことを意味します。
すべての現象が縁起によって相関関係のなかで生成していることを意味しています。
それについて『掌の中の無限』は、現代人に納得できるように巧みに説かれているので読んでみてください。
とても私はマチウさん以上に巧くは説明できませんから。
511 :
無我 ◆ZnBI2EKkq. :2007/05/26(土) 14:18:55 ID:PQnx+fo3
丁寧なご説明有り難う御座います
西島和夫さんによると仏教哲学者のナーガルジュナは空を「あるがまま」と捉えて居たと言います
この説に依ると「あるがまま」に生きる事が仏教の悟りと言う事になります
確かに、空を悟るとかやって居るうちは空を生きて居る事にはなりませんからね
空の世界に空である私が飛び込んで行き一体となり空の世界を構成する
これが三昧と言う境地でしょうかね
512 :
無我 ◆ZnBI2EKkq. :2007/05/26(土) 14:22:00 ID:PQnx+fo3
こうやって書き込みをする事も空の世界に実際に影響を及ぼしている訳ですからね
投げた石が水面に波紋を呼ぶように
波紋が波紋を呼び空の世界を構成する
513 :
無我 ◆ZnBI2EKkq. :2007/05/26(土) 14:28:54 ID:PQnx+fo3
実際未熟な人間が「在るがまま」に生きたりするととんでもない事になるのですがそれもまた「在るがまま」の世界なんですよね
「あるがまま」の世界に恐れを成して仏教を学んだりするのもまた「在るがまま」なんですが
一番よいのは「在るがまま」に降伏してしまう事だと思います。
そしてそれは言わば「神」に帰依することと同義なのであろうと思います
514 :
神も仏も名無しさん:2007/05/26(土) 14:30:37 ID:B7xYjSrb
西島和夫さんの本は、完全な邪見ですので、捨ててください。
彼の説は、空と反対の素朴実在論みたいなものだったと記憶しています。
彼の『中論』は、文法を囓った中学生が辞書を片手に言葉を当てはめたようなものです。
しかもそのパズルには、素朴実在論という彼の人生哲学が下絵になっているという、
全く酷いものです。
515 :
神も仏も名無しさん:2007/05/26(土) 14:59:49 ID:B7xYjSrb
>>513 「在るがまま」の意味が違います。それは「思いのまま」「自分勝手に」でしょう。
だから、我、エゴがなくなれば「在るがまま」ですべて巧くいくんです。
その場で、最善のことを「在るがまま」にするからです。
エゴイステッィクな実際未熟な人間が「思いのまま」「自分勝手に」に生きたりすると
とんでもない事になるのですがそれは「在るがまま」の世界ではありません。
516 :
無我 ◆ZnBI2EKkq. :2007/05/26(土) 15:27:32 ID:PQnx+fo3
もちろんそう言う意味で言って居りますよ
自分勝手に生きる人間を在るがままの世界に誘うのが在るがままの世界で
エゴイスティックな人生観を修正しないととんでもないことになりさらには「ポア」されるような原理が働いて居るようにも思える
それが在るがままの世界なのだ
517 :
無我 ◆ZnBI2EKkq. :2007/05/26(土) 15:33:37 ID:PQnx+fo3
西島さんの中論は素朴実在論では無いと思いますね
氏に依ると「空」とは「目に見える総合的な現象」の意味らしいです。
518 :
神も仏も名無しさん:2007/05/26(土) 16:51:10 ID:B7xYjSrb
>>516 仰る意味が分かりません。
とにかく『掌の中の無限』を読んでみてください。
西島さんの説は、私の印象で、素朴実在論みたいだと思っただけです。
ただし訳がムチャクチャなのは、はっきりと憶えています。
なんで、そんな意味になるのかという。
519 :
無我 ◆ZnBI2EKkq. :2007/05/26(土) 17:16:22 ID:PQnx+fo3
いや、西嶋さんに言わせればこれまでの訳が漢訳中心で原典の意味をないがしろにしているとの事でした。
原典に忠実に翻訳すると
ナーガルジュナはこの世に信じるに足りる四つの信仰内容があり
1 理性(hetu)
2 客観的事物(alamaana)
3 現在の瞬間(anantara)
4 現実の神にも似た力関係(tathaivadhipateya)
さらに「行為」について分析して居ると言います。
520 :
神も仏も名無しさん:2007/05/26(土) 18:15:19 ID:B7xYjSrb
それが正に良い例です。それは以下の『中論』1.2に基づいています。
catvaara.h pratyayaa hetur aaramba.nam anantaram |
tathaivaadhipateya.m ca pratyayo naasti pa^ncama.h ||
縁は四種、因縁、所縁縁、等無間縁と、増上縁である。第五縁はない。
これはただ部派仏教で受け入れられていた四縁説を列挙しているだけです。
hetur:因縁
aaramba.nam:所縁縁
anantaram:等無間縁
aadhipateya.m:増上縁 (ここに関しては単語の切り方さえ間違ってる)
という意味で、西島さんがサンスクリット辞典から適当に当てはめた意味ではありません。
こんなこと、ちょっと仏教を勉強すれば分かることです。西島さんの訳は妄想全開ですね。笑える。
こんな簡単なことがクリアーできてない西島さんの本は、読むだけ混乱の元なので、捨てましょう。
西島さんは、傲慢で無知なだけですよ。
『中論』の研究者は、梵蔵漢に基づいて緻密な研究を行ってます。
梶山雄一先生、丹治昭義先生がよい研究をされてます。
最近では石飛道子先生が、真に革新的な研究を準備しています。
和訳は、中村元先生の文庫本が一番入手しやすいので、それがいいでしょう。
といって中村先生の中観研究は、優れたものではありませんが、西島さんに
比べれば、天と地ほどの差があります。
521 :
神も仏も名無しさん:2007/05/26(土) 18:52:53 ID:wfiYf1m4
522 :
無我 ◆ZnBI2EKkq. :2007/05/26(土) 18:57:52 ID:PQnx+fo3
丁寧な御指摘有り難う御座います
ただ、学術的研鑽を積み重ねた中論研究が真理と合致しているかと言うとそうとは限らないと言う場合もあると思います
西嶋さんの妄想爆裂中論研究の方が実は現実的であり(仏法に適って居り)
オーソドックスな研究の方が間違いと言う事はありえるのではありませんか
もっとも!その可能性もあると言うだけの話で何も西嶋さんの研究に肩入れして居る訳ではありません。
私は仏教学者ではありませんので、現実に生きる知恵を仏教経典には期待して居るのです
どちらが正当な解釈かと言う論争は仏教学的には価値があっても宗教的には余り重要では無い。
523 :
無我 ◆ZnBI2EKkq. :2007/05/26(土) 19:17:07 ID:PQnx+fo3
西嶋さんは西洋思想にもかなり通暁して居るインテリと思われその中論研究は欧米形而上学の難問を上手く克服しその先に在るものを掴んで居るような形になっており、オイオイ竜樹さんそこまで考えてたのかよ、ちょっと出来過ぎだろうと言う気が確かにしますが。
しかし彼の中論研究を現代の「仏教哲学者の著作」と考えれば
竜樹さんの思想を現代に生あるものとして甦らせた功績はそれなりに評価できるのではないかと思います。
524 :
神も仏も名無しさん:2007/05/26(土) 19:20:26 ID:I1httt00
神社仏閣でお願い事を唱えていて、それが他人に聞かれてしまったらどうなるのでしょうか?
525 :
神も仏も名無しさん:2007/05/26(土) 20:19:35 ID:B7xYjSrb
>>522-523 西島さんは、話にならない妄説ですよ。言うことはいいました。
後は、ご自身で選択してください。
526 :
無我 ◆ZnBI2EKkq. :2007/05/26(土) 20:44:57 ID:PQnx+fo3
不思議と西嶋妄想訳は心に染み入るものがあるんですな
特に24章【崇高な現実の検証】は目から鱗です
特に西嶋さんの訳が優れて居るからでは無くブッダの教えが際立って優れて居るからかも知れませんが
主観的な独自性への帰属の中では、現実に道義を顕現するものは現れて来ない。
そして現在のこの場所に置いて道義は存在するが、主観的な独自性への帰属は確認される事が無い。
目の前の総合的な現象をはっきりと見る人は、この世の中を見る。
苦しみや、総合的な現象や、それと同じように自己規制は、まさに道義そのものである。
527 :
無我 ◆ZnBI2EKkq. :2007/05/26(土) 20:48:38 ID:PQnx+fo3
525さま
御教え本当に有り難う御座いました。
御仏縁に感謝します
529 :
神も仏も名無しさん:2007/05/27(日) 00:21:43 ID:T2CTeLrN
530 :
神も仏も名無しさん:2007/05/27(日) 01:29:53 ID:lfHReGSX
ワタシたちは、どんな導師も、どんな指導者も、どんな話し手をも
受け入れることを拒否できないのでしょうか/
他人との関係、話しかた、声の調子、つかう言葉などで
自分の観察したこと以外..ナニもうけいれてはイケマセン。
ソノ全てに気がついてれば、、ソノ時、本当に注意深くなってる奈良バ
完全に異質なこつが起こってるの?・
531 :
ルー:2007/05/27(日) 01:44:55 ID:hgvBVKaN
大日如来というのは実在する神なのでしょうか?
ユダヤやキリストの神の同じなのでしょうか?
それと、弥勒菩薩なのですが、神道の日月神示にでてくる救世主ですが、仏教でも
救世主としてこの世に降臨すると予言しているのでしょうか?
日蓮は弥勒が現れると予言しているらしいですが、いかがなものでしょうか?
532 :
神も仏も名無しさん:2007/05/27(日) 02:01:13 ID:lfHReGSX
シンジナイという罪、グループのホカのヒト達と一緒にイナイという罪、
言葉では無く、その背後に潜む感情についてはご存じですね?
わるいことをした
タメに、後悔や懸念を感じ、其のためオソレや不安を感じるということです。
罪悪感は彼らの人生を酷く苦しめます。
すると、それはとてつも無く大きな問題になり、それが非常におおくの人びとの
罪悪感の背景になったりもします。
パターンは云います。
『何かしなければならない!正しい行為とは何か!誰がオシエテくれるのか!
精神科じみた所へいかなくては!』
このような馬鹿げた事実については全部ご存じです。
だから、常に努力は矛盾を意味し、DQN生産モンです。
努力とは、自分がそれとは別のものだという意味なのです。
本当の真実とは、観念ではなく、あなたが自分の特質、自分の怒り、妬み、憎しみ、不安、混乱、であるという現実です。
この事実を実際にみて、そこにとどまるの。注意、、、そうですね。事実から遊離したウゴキは何も無いのです。
xただ事実と共にとどまる仏教。
激しい痛みがあればとどまれません、
しかし、心理的痛みと共にいて、心で、そうだ!痛いんだ!
といえば
ということは、事実から遊離した逃避のウゴキが無いという意味ですが、そのとき
その本質には葛藤がありませんw
あなたの能のパターンを壊したことになりますので、釈迦のように純粋な発見をみいだすのですた。
>>529 そうなんですか
願い事に影響はないんですか?
534 :
神も仏も名無しさん:2007/05/28(月) 06:17:05 ID:heJrEFqX
仏教とは
なまくら坊主が屁理屈を並び立て
民衆をかく乱し
金をふんだくって
道楽をするためのものです
民衆を救うどころか
世をかく乱する 恐ろしい退廃文化である
535 :
神も仏も名無しさん:2007/05/28(月) 15:44:19 ID:e6ttcZ3E
>>533 願いを唱えても叶うことは滅多にないから、
他人に聞かれたからと言って、どうってこたぁねぇよ
あらそうですかあはは・・・
537 :
神も仏も名無しさん:2007/05/29(火) 01:01:07 ID:m88xwN+9
親御さんの培った借金や夜逃げなど、または、
爆竹で年寄りを心臓発作に遭わすような生活態度を省みる
安全な転び方と、正しい立ち直り方について
ソンナ感じですよね。
松岡農相の葬儀の映像で、会場で遺影が掲げられているときに
告訴してと言う言葉が浮かんでしまったのですが、仏教的には大丈夫でしょうか?
仏教のほうがいいと思ったので相談しました。
539 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/05/30(水) 06:53:32 ID:ZoJxAvJJ
>>538 >仏教的には大丈夫でしょうか?
仏教的には大丈夫です。
というか、極端に脳の負担が過度になってるかと思います。
(これは自覚はあるんじゃないですか?)
自覚はあるけど、脳が勝手に反応してしまう。
というのは正常じゃないですね。
http://life8.2ch.net/utu/ ここで相談するのもイイかもしれません。
異常に自覚があるのは、まだまだ軽症です。
たぶんノイローゼかと思いますね。
過度のストレスが原因で、このような症状が出る場合が多い。
540 :
神も仏も名無しさん:2007/05/30(水) 13:40:57 ID:j0/UpNU3
無意識の願望が実現するというのは心理学の世界では常識ですが
人間の無意識の究極の願望は仏に成ると言う事なのでしょうか
無意識なので私にはなかなか意識できないのですが
私の日々の失敗からあらゆる出会いに関しても意識はしてなくてもすべて仏に成る修行をして居ると考えられない事も無い。
仏教ではマナ識アラヤ識と言う世界を想定し無意識の研究は最先端と言う事なので是非知られざる無意識の世界に付いて教えてください
541 :
神も仏も名無しさん:2007/05/30(水) 15:16:49 ID:xb/wj+eG
はじめて滝行してみようかと考えてるんですが、
必要なものはなんですか?褌くらいですか?
543 :
神も仏も名無しさん:2007/05/30(水) 15:55:33 ID:xb/wj+eG
>>542 8年くらい風邪引いてないんで多分大丈夫です。
褌だけでいいっすか?
544 :
南無大師遍照金剛:2007/05/30(水) 16:22:17 ID:Bo/lwqF+
>>540 荒屋敷や真羅邸とかは書店や図書館にあるから見てね
分からなかったら
ヨガとか瞑想もやってね
仏教は瞑想や禅の実践なんでヨロ
>>539 そうですか。脳がオーバーヒートしていると思います。
あと、松岡農相の遺影の写真が流れたときに、ざまあみろと言う言葉が弱いながらも浮かんでしまいました。
この場合は、映像が切り替わっても手を合わせればいいんですよね?
メンタルヘルス板のほうがいいということですね。
ストレスですか、わかりました。
>>540 無意識の願望は実現してしまうのですか?
じゃあ無意識で不利益な願望を抱いていたとしたらそれがなってしまうんでしょうか?
健在意識で抱いている願望は実現しないのですか?
546 :
神も仏も名無しさん:2007/05/30(水) 18:07:49 ID:j0/UpNU3
無意識の願望は実現します
貴方は実際松岡農相が死んだニュースを聞いて「ざまぁみろ」と思われたと言って居りますが、日本全国で何千万人と言う人が「ざまぁみろ」と思ったと思います。
即ち何千万と言う人間の呪いが彼を死に追いやったのです
ユングは個人の無意識の他に集合無意識を想定して居ます
例えば集合無意識のごく表層に「家族の無意識」が在ります。
子供などがそうで自分の意識よりもむしろ家族の無意識に影響されて行動する事があります。
例えば僕は全然野球に興味が無かったのですが何故か少年野球のチームに入りました。
これは親父が無意識に望んで居た事でそれを敏感に察知してなんとなく野球を始めた訳です
我々は言葉では無く「心」に反応する性質があります
親父は言葉では野球しろとは言いませんでしたが心で強く願って居り、しかも無意識の感受性が強いタイプの人間だったので、ついフラフラと「私」は野球チームに入ってしまった訳です
このように心と心は繋がって居り、余り傍若無人な振る舞いを繰り返し周囲の人間に「死ね」と思われて居る人などは
ついフラフラと無意識に崖から足を滑り落としたり、フラフラと首にロープをかけて自殺してしまったりするケースもあると思います
また「人を呪わば穴二つ」と俗に言う言葉が何を意味しているかというと
ある人を呪うとその死の念が伝わります
呪われた人は意識のレベルでは呪殺など全然信じて無くとも
呪われた事によって自分を呪う対象を激しく憎みます
そして無意識に同じ力かそれ以上の「呪い返し」をします
それで共倒れになり「穴二つ」なんだと思います。
ですから如何に憎い相手がいても人を呪う事はやめた方がいいです
どっちにせよそういう人は多くの人の呪いのパワーを背負ってますから長いことは無いのですが
断末魔の呪い返しの力で地獄に引きずり込まれる恐れがあります。
それは死んだ後に思ったことでしょ?
だからその雑念が彼を死に追いやったとは思えない。
無意識の願望が実現するんだったら、俺はとっくに死んでるよ。
548 :
神も仏も名無しさん:2007/05/30(水) 23:36:09 ID:j0/UpNU3
いえ、死んだからふと本音が出て来たのでしょう
まぁ少なくとも死ねと思われて居ても不思議では無いでしょ
好き好き大好き松岡さんとは思われて無かったはず
貴方が死なないのは自我が相当強いか
周りに毒にも薬にも成らない存在と思われて居るからかどっちかで
仮に貴方が死にたいと思ってるとしても
死にたいと思って居る事を意識して居るのでそのことは自我のコントロールにあるのです。
なるほど、そういうことですか。
550 :
神も仏も名無しさん:2007/06/01(金) 02:10:09 ID:Nb8icKqW
ゴ自身の考案物、必死の希望、ある種の慰めへの願いゆえの発露が
相変わらずなので哀れなものですyo
どういうことですか?
552 :
神も仏も名無しさん:2007/06/01(金) 12:19:16 ID:8Rk2oVmf
現実的なものは理性的であり、理性的なものは現実的である(ヘーゲル)と言う事です。
553 :
神も仏も名無しさん:2007/06/01(金) 18:58:35 ID:CAewwJck
>>552 いまだにヘーゲルですか?古ッ!
もう既に破綻してしまった戯言ではなかったのか?
ま、ご自分の周りを見ればわかるだろ。
不合理的な物事がわんさとあるんだろ?
年金問題にしろ、老人医療問題にしろ、皆そうでしょうw
554 :
神も仏も名無しさん:2007/06/01(金) 22:02:39 ID:8Rk2oVmf
破綻してるかどうかはその身で知れ。
これでも仏教徒かねw
555 :
神も仏も名無しさん:2007/06/01(金) 22:05:17 ID:8Rk2oVmf
ま、仏教徒と言っても転びマルキストのにわかの集まりなんだろうが
556 :
神も仏も名無しさん:2007/06/01(金) 22:22:43 ID:k0fIHHg1
なぜ「現実的なものは理性的であり、理性的なものは現実的」なのか?
そもそもここで言う「現実的」「理性的」とはどういう意味か? 説明してください。
557 :
神も仏も名無しさん:2007/06/01(金) 22:26:38 ID:8Rk2oVmf
現実とはそのまま現実の事です
仏教的に言うと現実の中に高度な仏の意志が働いて居ると言う事です。
558 :
神も仏も名無しさん:2007/06/01(金) 22:48:25 ID:k0fIHHg1
>>557 仏教で現実は、無常、無我、空、縁起です。
> 仏教的に言うと現実の中に高度な仏の意志が働いて居ると言う事です。
これはヘーゲル的神、さらにはセム的神を「仏」と読み替えているだけですよね。
さて、仏教でこんな高度な神を説くのは、日蓮宗と真宗の近代教学だけだと思いますが。
>>558 現代日本仏教は、大なり小なり、似たような言辞を用いるよ。
厳密な教義に於いてではなくて、対人としてね・・。
そして勿論「神」としてでもない。
560 :
神も仏も名無しさん:2007/06/02(土) 02:30:44 ID:MBgK8l2F
ちょうど花がそっと咲くようなもんです。
561 :
神も仏も名無しさん:2007/06/02(土) 12:25:22 ID:SDtLsuX+
【悪霊に支配された街:秋田】
〜秋田県民の多くは悪霊が輪廻転生を繰り返した産物である疑い〜
http://www.megabbs.com/cgi-bin/readres.cgi?bo=sci&vi=1179719741 http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/8621/1180437306/ ここまで酷い事が行われているならば
「怨念をもった心霊」が輪廻転生したケースは当然、存在するだろう。
その場合、その心霊が生前に酷い犯罪被害を受けただけで
根は素晴らしい人であるケースや、生前に殺しを繰り返し
根自体も悪霊そのもののケースとが当然ありうる。
後者の場合、輪廻転生を受けた現世の人物自体が
やはり悪鬼(悪魔)になりうる。その負のサイクルを秋田は繰り返しているのでは
ないか。よって秋田の現実の人間達は、代々トランスポゾン汚染されたゲノムだけでなく
輪廻転生した心霊面でも大きなハンディキャップを背負い、
益々、悪鬼化しているのではないか。そういった意味で、心霊面でも
底知れぬ程、病んだ地域というのは実在しうる。また、悪鬼(悪魔)の血族・地域集団
というのは当然、保存されうる。自然淘汰の過程でそういった行動様式・思想様式は
保存され進化しうる。それが秋田でありユダヤではないのか?
そういった意味では秋田にはやはり一般人は近づくべきではない。
悪霊が支配しているのは比喩ではなく事実であろう。
日本国民はこの秋田県地域には絶対に近づかない方がよい。
一つ間違えれば殺害される。彼らの殺しは容赦がない。
9月の秋田国体や8月の竿灯祭にも行かないほうがよい。
一つ間違えれば消される。秋田はそういった特殊非人地域である。
日本ユダヤ問題はこういった事にもつながっている。
秋田は悪霊に支配された怨念地域だ。
悪霊に取り付かれたくなかったら秋田に来るのは止めたほうがよい
ここは黄泉の国だ。人間が住める場所ではない。
そのリクツはおかしい。
神様消えろ!と感情をこめて浮かんでしまったので
浄土宗の懺悔(さんげ)文を唱えました。
これで僕は許されますよね?
565 :
南無大師遍照金剛:2007/06/04(月) 06:26:30 ID:3Vikc4BM
>>561 秋田に来る?
ヽ(´∇`)ノ貴方は秋田県民?
566 :
神も仏も名無しさん:2007/06/05(火) 22:19:00 ID:9rWY9XAL
ずっと前、仏教では煩悩が頭から離れないときは「びゃっこつか」という
考え方があるとTVで聞いた覚えがあります。
しかし、今その内容が思い出せません。誰か分かる方がいたら
教えてください。
白骨化かなぁ?
もしかして、四念処の身不浄観か?
あとは誰か頼む。(笑)
568 :
神も仏も名無しさん:2007/06/05(火) 22:49:46 ID:9rWY9XAL
>>567 「四念処の身不浄観」?
ググっても出ません。よろしければ詳しく教えてください。
失敬失敬。
「四念」
又は、
「四念處」
或いは、
「四念住」
でググってね?
てか、違うかも知れねぇぜ?
570 :
日々是修行:2007/06/07(木) 11:58:45 ID:sX9n1gmI
つ観身不浄、観心無常、観法無我、観受是苦
571 :
神も仏も名無しさん:2007/06/07(木) 17:54:44 ID:O7tz56TP
それは、白骨観、骨鎖観、骨想、骨相、骸骨想などと呼ばれてます。こんな感じです。
不浄観に九想や十不浄というものがありまして、その中の一つをそう呼びます。九想はこんな感じです。
http://www2.library.tohoku.ac.jp/kano/05-000959/05-000959.html 美しい弘法大師の『九想詩』を勝又俊教先生の訓読でどうぞ、
新死の相第一
世上には日月短し 泉裏には年歳長し 速疾なること蜉蝣の如し 暫爾にして落崩しぬ
風雲のごとくに貪庫を辞し 火蜉のごとく欲城を罷む 生期既に数に盈ちて 死籍方に名を注す
諸の寿命は霞の若し 刀利の匠堂に非ざるも 救い贖わんこと未だ解らざる所なり 詠吟して傷を懐く
肪脹の相 第二
丘陵虚しく且つ広し 人跡隔てて猶お断えたり 皎潔として明月度り 蕭瑟として秋葉滿つ
悲みを含んで起つて四に望む 但だ屍の一りあるを覩る 裸衣にして松丘に臥せり 髮を被つて長夜に眠る
唯だ四相を以て遷る 半偈に投ぜし人に非ず 昔の時は万牲の厨 今は更に百獸の膳
青■(ヤマイダレ+於)の相 第三
鬼吏永く脱るること無し 死坑深くして底無し 滿月已に光を掩ふ 寶鏡轉た自ら負る
既に飄を被るる燈の如く 復た落花の枝に同じ 日往いて轉た爛を増す 月来たって更に自ら黛くる
白蠕は孔の裏に蠢き 青蝿は骨の上に飛ぶ 昔日の愛を尋ねんと欲するに 一たびは悲み一たびは愧づ可し
方塵の相 第四
四大は良に厭ふ可し 五陰は理として恃み難し 風火去つて還らず 水土將に朽敗せん
青黒にして且つ寛滿なり 膿んで猶お爛れたる莠のごとし 九孔より流るる所の汁 一界甚だ臭穢なり
猛獸其の側らに踞り 禍烏鳴いて一たび提ぐ 體は此の野の塵に留りて 魂は何の處にか歸るとか為る
572 :
神も仏も名無しさん:2007/06/07(木) 17:58:56 ID:O7tz56TP
方亂の相 第五
見縛は超え難き網 分段は恆の報に非ず 命の速かなること飛ぶ箭の如し 身の空なること朝露の如し
玉顏は亦た膿血なり 芳體は徒に敗腐す 臭氣風を逐つって遠く 膏腹炎のごとく隨つて流る
錦衣は其の爛れたるに羞づ 光枕は人の覩るに非ず 悲歎するに及ぶ所なし 涙を拭ふて還るに路を移す
骨猶連なれる相 第六
影に畏れて陰を知らず 蝶の如くして世雲に居り 命の短きこと電光よりも急なり 松下の塵埃と作んぬ
平生には市朝の華 今は白骨の人なり 黄鵠子を呼ぶに非ず 青柳復た田に非ず
春花徒に自ら香し 明月空しく山を照す 呼嗚永く寂寞として 終に獨り春を知らず
白骨連の相 第七
寂寞として人跡希なり 蕭散して聚落に遠ざかる 見るに朽敗の髏あり 倏然として中澤にあり
松柏良陰を作し 荒茨濕席を蓋ふ 風雲に恆に曝され 霜露更に自ら瀝る
日來れば日に隨つて枯れ 年去れば年を逐つて白し 青柳の根を殖うと雖も 豈能く■(鳥+扁)鵲を招かんや
白骨離の相 第八
永く無きこと夢の虚しきが如し 塵境は如泡の體なり 娑婆は厭ふべき所 閻浮は樂しび寐ぬべきに非ず
膚血は夜の月に異なり 骨柳は復た華さくに非ず 爪髮は各の草を塵る 頭頚は東西に散ず
落葉半ば體を覆ふ 秋の菊時に愛すべけんや 涙を垂れて禁ずること能はず 空しく是れ人の爲めに啼く
成灰の相 第九
山川は長くして萬世なり 人事は短くして百年なり 髏膝已に盡く滅して 棺槨猶お塵と成んぬ
魂尸は依る所なし 神魄豈に墳を守らんや 碑の上に聊か名を題す 隴底に寧ろ君を斂めんや
日月に黄白の土なり 終に黒風の山に歸す 唯三乘の寶のみあり 修せざれば八苦の人なり
六識今何にか在る 四大劣に名を餘す 寒苔は壤を縁つて緑なり 夏の草は墳を鑽って生ず
嚢の中に糧尚お在り 松下に髮猶お青し 蒼蒼として隴雲合ふ 瑟瑟たる夜の松の聲あり
573 :
狗 追う 者:2007/06/07(木) 21:11:31 ID:LVInHucm
┃電柱┃x・`)チラッ
>>574 詳しくは、無いのですが
もともと、中国の公案です。
臨済宗も、中国から伝来。
仏に会うては、仏を殺し。
ほとけとは、くそかきベラ、とも、あるいは、くその一本棒とも。
おまえ自身がほとけなのに、どうして、おまえを殺すの?
ほとけさまの体内にあっては、ほとけ、外に出たとたんに、くそ、と、言う。
>>575 公案は、問う、答えるという形。
問う、
答える、
門前の痩せ狗にも仏性はございますか?
有る。
>>574 臨済宗の開祖は中国の禅僧、臨済 義玄(?-867年)です。
臨済録は彼の語録。
無門関は、中国宋代(960-1279)に無門慧開(1183-1260)によって編集された公案集。
当然、臨済録からも採集されています。
臨済宗は日本の禅宗で、
臨済を日本の禅僧だと勘違いしておりました。
たいへん失礼をいたしました。
お恥ずかしいです。
しかし、本来すごく大切なものを殺せとか糞とか、
禅ってツンデレですね
579 :
狗 追う 者:2007/06/09(土) 21:09:21 ID:6wPz8xTF
>>578 「本来すごく大切なものを殺せとか糞とか、禅ってツンデレですね」
では、大切なもの、とは ?
改めて、考えてくださいな・・・
580 :
素人:2007/06/09(土) 21:45:36 ID:5I8P1BAE
ツンデレとは・・w
言い得て妙ですね・・・。
>>578
581 :
狗 追う 者:2007/06/09(土) 21:49:35 ID:6wPz8xTF
>>580 > ツンデレとは・・w
> 言い得て妙ですね・・・。
>>578 言い得てるのですね・・・_〆(。。)メモメモ…
禅って、アレだろ?
ヨガと仏教のアイノコの宗教だろ?
ツンデレとは違うぜ?
ツンツンした後は馴れ合いじゃねぇの?
悟ったフリを皆でしてる連中だぜ?
583 :
神も仏も名無しさん:2007/06/10(日) 22:04:14 ID:bjuPZvLs
>>582 君は、禅に限らず仏教について殆ど何も分かってないんだから大口叩かないように。
禅は不立文字だそうですが、なんで禅語公案の類がいやになるほど多いんです?
どこが以心伝心だって思うんですけれど
585 :
狗 追う 者:2007/06/11(月) 13:30:28 ID:Krzm5vNt
586 :
狗 追う 者:2007/06/11(月) 13:37:08 ID:Krzm5vNt
>>584 > 禅は不立文字だそうですが、なんで禅語公案の類がいやになるほど多いんです?
> どこが以心伝心だって思うんですけれど
中国で、禅が迫害を受けていた時代、禅僧は見つけられ次第殺され、教の本は、焼かれました。
そこで、中国全土に、散らばっていくことになりました。
それがまた、禅宗の中国全土の隅々まで広がることにもなりました。
そういうわけで、他の人が聞いても、何を言ってるのか分からないような、例えば、その土地のはやり歌やら、俗謡など、方言なども、取り入れられました。
教典はありません。
そこが、不立文字です。
そして、伝えられたものは、以心伝心によって、です。
587 :
神も仏も名無しさん:2007/06/11(月) 16:35:58 ID:h0K78/De
教えてください。ある寺に百度石ってあったんですが、お百度参りと関係ありますか?
寺回りの最中で時間なくて聞けなかったけど気になって。
お百度参りって発祥は?また、何故どうやってやるものなのか知りたいです。
お願いいたしします。
588 :
狗 追う 者 騎射:2007/06/11(月) 17:43:23 ID:88lTpvTN
>>586 慧可が迫害されて死んだのは知ってますが、
禅僧がやたら殺され経が焼かれたと聞いたことがありません
そして禅宗が中国全土に広まったのは慧能以降ですよね
禅宗普及のきっかけとなった六祖壇経は禅の教典ではないのですか
590 :
狗 追う 者 騎射:2007/06/11(月) 22:36:07 ID:EniNQ2Ud
591 :
神も仏も名無しさん:2007/06/13(水) 09:34:35 ID:Q907Ya2D
専用スレにどなたもいらっしゃいませんでしたので、おことわりを入れた上でこちらで質問させて頂きます。
夏休み期間に勉強の為に上京しますと、お盆に予定がさしかかり父母の実家のお墓参りに同行出来ません。
期間中本当に勉強一心なのか?そもそもその勉強自体、娯楽なのではないか?と訳が分からなくなってきました。
一年に一度のお盆の意義をお教え下さい。私への厳しい言葉をお願い致します。
592 :
南無大師遍照金剛:2007/06/13(水) 15:29:47 ID:yPoSbB8D
>>591 貴方はどうしたいの?
結局貴方次第
後悔しないようにね♪
ヽ(´∇`)ノ
593 :
狗 追う 者 騎射:2007/06/13(水) 17:05:11 ID:nb9OD5rD
>>591 仏教と葬具は、無関係、なのです。本来。
いつの間には、葬儀が、仏教みたいになっていますが。
また、
キリスト教も、葬儀とは、無関係なのです。
「死者をして、死者を葬らしめよ」と、イエスさんも、言っています。
宗教のインドにおける原意は、
「いかに、生きるか」と言うことです。
生老病死。
すべて、
生の中の出来事です。
そう言うことが分かってくれば、お盆、とか、見え方も違ってくると思います。
594 :
狗 追う 者 騎射:2007/06/13(水) 19:38:57 ID:n9SvFdzr
>>593 訂正
仏教と葬具は、無関係
↓
仏教と葬儀は、無関係
>>592-593 回答ありがとうございました。自分自身に真剣に問いかけながら、過ごしてみようと思います。
596 :
神も仏も名無しさん:2007/06/15(金) 14:40:29 ID:wPii8IV6
仏教用語
「歌頌」って何て読むんですか?
識者の方m(__)m
597 :
神も仏も名無しさん:2007/06/15(金) 15:44:58 ID:6NRs1kc2
歌頌?
偈頌じゃないの?
>>596 ,.-─ ─-、─-、
, イ)ィ -─ ──- 、ミヽ
ノ /,.-‐'"´ `ヾj ii / Λ
,イ// ^ヽj(二フ'"´ ̄`ヾ、ノイ{
ノ/,/ミ三ニヲ´ ゙、ノi!
{V /ミ三二,イ , -─ Yソ
レ'/三二彡イ .:ィこラ ;:こラ j{
V;;;::. ;ヲヾ!V ー '′ i ー ' ソ
Vニミ( 入 、 r j ,′
ヾミ、`ゝ ` ー--‐'ゞニ<‐-イ
ヽ ヽ -''ニニ‐ /
| `、 ⌒ ,/
| > ---- r‐'´
ヽ_ |
ヽ _ _ 」
ググレカス [ gugurecus ]
(西暦一世紀前半〜没年不明)
かじゅ
599 :
神も仏も名無しさん:2007/06/15(金) 16:45:47 ID:wPii8IV6
600 :
神も仏も名無しさん:2007/06/15(金) 17:45:55 ID:ULjcDzUY
歌頌、カジュは stotraで 歌頌称讃とも訳されるように賛歌。
偈頌、ゲジュは gaathaa, zloka 等で 詩歌。
翻訳文献には両方見られるが、シナ選述文献では禅宗以外では専ら偈頌を用いる。
601 :
神も仏も名無しさん:2007/06/15(金) 18:28:43 ID:rvjhw+MV
教えてください。
なぜ、仏教では、輪廻転生から解脱したいんですか。
永遠に生まれ変わりたいと思ってはいけないのですか。
よろしくお願いします。
602 :
神も仏も名無しさん:2007/06/15(金) 18:47:41 ID:ULjcDzUY
それは一切皆苦だからです。
輪廻の中で経験する全てが苦以外のなにものでもないからです。
603 :
神も仏も名無しさん:2007/06/15(金) 19:12:15 ID:rvjhw+MV
本来釈迦の説いた佛教に「輪廻」は無いよ。
むしろその当時のヒンズー教の教えである「輪廻」を否定した。
日本人の考える仏教(大乗)はほとんどが輪廻肯定だから勘違いが多い。
大乗仏教肯定派は認めようとしないけどねw
605 :
神も仏も名無しさん:2007/06/15(金) 20:00:44 ID:Cg9zWA+S
>>604 またでたよ、末法唯物仏教論者が。
おまえ、原始仏典もろくに読んだことないだろ。
607 :
神も仏も名無しさん:2007/06/15(金) 20:16:06 ID:ULjcDzUY
>>604 それは根本的誤解です。その見解は、日本の近代仏教学者の一部と、現代日本仏教界の公式見解ですが、完全なあやまりです。
所謂、小乗といわれるテーラワーダでも輪廻を受け入れることが仏教入門の第一条件です。
ついでながらヒンドゥーと言われるものはその時代になかったので、
それをいうならウパニシャッド、叙事詩的「輪廻」でしょう。
まったく否定してませんよ。
十無記、十二無記の「如来の死後」というのは、解脱者の死後の問題です。
これについて「如来」を「衆生」と解釈し死後は否定されたとする説が
ありますが、水野弘元先生を始め何人かが徹底的に論破しています。
次に無我、だから輪廻の主体がないので仏教に輪廻があるはずがないという和辻哲郎の
詭弁がありますが、これは無常、無我、縁起、空についての無理解を露呈しているだけです。
現在の我々も無我ですが、縁起して連続していく、それと同じように死後も無我だが、
連続していく、これがはっきり説かれるのは『ミリンダパンハー』ですが、
原始経典にも死後、識が輪廻すると説かれる箇所があります。
その識も無常、無我で空なものが縁起する連続する形相を識と呼ぶに過ぎません。
>>604 此所は、ブッダのダルマではなくて、ぶっきょうの質問箱らしいから、あんまり関わらない方が良いぞ♪
609 :
神も仏も名無しさん:2007/06/15(金) 22:05:14 ID:kFoT4agz
釈迦の仏教に『ミリンダパンハ』は引き合いにならんだろ。
>原始経典にも死後、識が輪廻すると説かれる箇所があります。<そんな明言してるか?
空なものが縁起する、って何じゃそれw 般若心経信者か?
610 :
神も仏も名無しさん:2007/06/15(金) 22:15:49 ID:ULjcDzUY
>>609 では釈尊の仏教と言える文献は何ですか?
また釈尊の仏教で輪廻を否定してる箇所とは?
空が縁起するが理解できなければ、無常、無我なものが縁起するで結構です。
同じ意味ですから。
新規質問お願いします。
数珠が墓前の行事で必要になり、また手元にないので明日購入する
必要があるのですが、ホームセンターに高い確率で売ってますか?
また、そのような間に合わせ的かつ安価なものは無礼でしょうか?
(ない方がよい?)
612 :
神も仏も名無しさん:2007/06/15(金) 22:32:23 ID:ULjcDzUY
>>611 本来は動機の問題です。よい動機で参加されるなら良い行為です。
ですが問題は、他の人がどう思うかで、列席する人が数珠がないと怒ったり、
安物だと怒ったりするとよくありませんね。
だから、そのために数珠を準備するのは慈悲に基づく良い行為です。
なので列席者次第ですから、貴方が判断してください。
ホームセンターは、分かりません珠数屋、仏具屋を検索して、そこにいくか、
目的のホームセンターのHPや電話で確認してみてください。
>>612 ごもっともなお答え、ありがとうございます。
そのとおりですね。大変ためになりました。
仏具屋の開店状況が微妙ですので、ホームセンターであるかどうか
気になってる次第です。ホームセンターの販売状況については、
引き続き回答お待ちします。
614 :
神も仏も名無しさん:2007/06/16(土) 02:10:07 ID:Gl8D42XR
イメージに追従するって、言わずと知れた安易な縁起に起因するのでナニだってことね。
人生の安易さに身をゆだねた、己の醜悪さをも無自覚にゴマカスてるオバサンに、どうしたいの?なんて言われても
真剣な思惑があれば、どうでもいい、としか思えないようなもんでしょうね。
けっきょく幸福を信じ過ぎてはいけないし、アテはずれだけはジブンで処理しなくてはならないんだけどね。
>>614 挙動皆縁法、言行悉造業。
物事は皆、縁起法に基づくものであり、
お喋りや行いは悉く新たなカルマを惹起している。
「無為」の心で過ごしましょう^^
616 :
神も仏も名無しさん:2007/06/17(日) 21:46:56 ID:GTW7OE1P
過去スレもスレ内検索もせず、あえてageで質問します。
昨年、祖母が亡くなり仏式で葬儀をあげたのですが、火葬が終わって骨をひろう時の事ですが、
竹と木の箸で骨をひろいました。
これには何か仏教的な意味があるのですか?
それとも火葬場の演出ですか?
教えてくださいエロイ人
618 :
財政破綻厨房:2007/06/18(月) 12:30:34 ID:BbReqoYk
>>617
なるほど、公営火葬場とは、地方公共団体の財政を圧迫しているわけですね。
よく知恵を出せば、民が個別に埋葬することも可能なわけだ。
知恵者が現れるのを待とうっと。
619 :
希美の情夫:2007/06/18(月) 14:18:15 ID:aNOwyeg4
仏教がキリスト教より優れているんですか?
>>619 教えとしてどっちが優れているのか?というような命題は仏教には
ないかと。
比較宗教学の命題としてあなたがやるのならご随意に。
#まぁ今更比較宗教学の時代でもないけどね。
621 :
神も仏も名無しさん:2007/06/18(月) 15:32:52 ID:hmBtQ0QZ
622 :
狗 追う 者 騎射:2007/06/18(月) 18:36:16 ID:ZGXh6F/k
>>617 学びました、m(__)m アリガトォ
623 :
希美の情夫:2007/06/18(月) 18:55:46 ID:aNOwyeg4
>>619 誰がそれを判断するのかに拠るでしょう。
625 :
狗 追う 者 騎射:2007/06/18(月) 19:06:42 ID:ZGXh6F/k
>>622 りんごの色は、何色 ?
真の暗闇で見たりんごは、何色に見えますでしょうか ?
みかんの色は何色 ?
真の暗闇で見たみかんは、何色に見えますでしょうか ?
見えません。
存在するのかどうかすら、分かりません。
在るのに、無い。
りんごも、みかんも、無い。
りんごという存在もなく、みかんという存在もない。
ただ、真の闇がある。
まあ、空気があると言えば、いいですかねー
すべての存在が、一つの色に、見える世界。
そこを、空(くう)、と言います。
そこに、灯を点します(ひをともします)。
瞬時に、りんごやみかんが、見えます。
そこが、また、色です。
色から入り、
存在の本質は、空であると受け取り、また、色に立ち戻る。
宇宙の成り立ちです。
626 :
神も仏も名無しさん:2007/06/18(月) 19:27:35 ID:doRn+ZmB
627 :
希美の情夫:2007/06/18(月) 19:32:40 ID:aNOwyeg4
仏教は言葉遊びなのね
628 :
狗 追う 者 騎射:2007/06/18(月) 19:35:28 ID:ZGXh6F/k
>>627 そのコテ、やめなよ、男らしくない・・・[壁]* ¨)* ¨) チラッチラッ
629 :
南無大師遍照金剛:2007/06/18(月) 19:36:34 ID:5XT7smlq
(*´Д`)ハァハァ
630 :
狗 追う 者 騎射:2007/06/18(月) 19:37:00 ID:ZGXh6F/k
631 :
狗 追う 者 騎射:2007/06/18(月) 19:37:50 ID:ZGXh6F/k
632 :
希美の情夫:2007/06/18(月) 19:55:26 ID:aNOwyeg4
色即子供
633 :
狗 追う 者 騎射:2007/06/18(月) 20:47:02 ID:ZGXh6F/k
>>595(
>>591)
多岐に亘り、且つ回答にバリエーションの生じる問なので難しいですね。
極端に言ってしまえば、
>>592に尽きてしまうわけだが、それではバッサリいきすぎなので
まず、ポイントを幾つか。
A〔その勉強は貴方にとって〕
1、「どれくらい価値あるものなのか」
2、「必要不可欠なものか」
3、「その時期(機会)でないと駄目なものなのか」
4、「自ら、娯楽のようなものという位置付けをしながらも、それでも必要なものか」
B〔(元レスには、それぞれの実家を守っている人はいると書かれていますので、)
「貴方が墓参しなければならない理由は何か」〕
1、「周囲の人間関係・視線(≒どう思われるか)が気になるから」
2、「自身の気持の問題(≒祖父母に対する後ろめたさ)」
3、「恒例・習慣としていることだから、行かないと、心の座りが悪い」
C〔その勉強が娯楽かどうか〕
これは、Aに関することですが、貴方が判断することです。他人に言える言葉は一つもありません。
D〔ご先祖様をお迎え出来ないのは・・・〕
貴方の受けとめ方次第でしょうw 勉強のためだから(→【貴方の為だから!】)、
ご先祖様も応援してくれるのでは? 毎年行っているならば、一度くらい行かなくても無問題では?
E〔お盆の意義〕
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8A%E7%9B%86 ttp://www.choutin.com/obon/sitteru-iware-frame.htm ttp://www.choutin.com/obon/ Aについて、仮に全てYESとして勉強の為の上京が必須とした場合、
・Bの部分に於いて、貴方が、自身を納得させられるかどうか。
・Cに関して、Dと受け止めることができるかどうか。
ということになりそうです。
個人的には、
せっかくの機会なので、お墓やお迎えは各実家の方に任せ、上京すべきだと思います。
宗教質問箱スレに書いてみたんですが、
こちらの方がいいのかなと思い再度書き込みさせて
もらいます。どうぞよろしくお願いいたします。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
最近、仏教のいろいろなお経に興味が出て
本を読んだりしているのですが、お経っていうのは
釈尊がお話された物語が書かれてるのですよね?
なぜ、その物語じたいが有難いのか、
どうして、仏壇などで、亡くなった方たちの前で
物語を読むことになってるのか、その辺りが疑問に思う
のですけど。
例えば、そういう物語じたいに意味があるのであれば、
漢訳や音訳されたお経じゃなくて、オリジナルの
サンスクリットやパーリ語でお経をあげることになると
思うんです。でも、日本の仏教界はそういうことは
しようともしませんよね?
どなたかお詳しい方ご教授願います。
636 :
635:2007/06/19(火) 09:21:55 ID:vSr48qms
宗教質問箱に書き込んでから丸二日でレスがありませんので、
マルチには当たらないと思います。
どうぞご存知の方ご教授よろしくお願いします。
637 :
神も仏も名無しさん:2007/06/19(火) 09:46:57 ID:h0IoUgTX
>>635 すばらしい質問です。
お経に説かれているのは単なる物語ではありません。
釈尊が体得した法(真理)が説かれているのです。
この真理には多くの者を幸福にさせる功徳がそなわっています。
ですから、真理が説かれているお経を唱えることによって
その功徳が出現するというしくみになっています。
お経を漢訳で唱えるというのは少なからず日本人の形式主義がかかわっています。
昔の僧侶は漢文の読み書きができて当然でしたし、
僧侶だけでなく、知識人はすべて漢文で情報の伝達を行っていました。
しかも上述のごとくお経には読んで出現するという功徳がそなわっていますので、
内容を理解せずとも、読むだけで十分功徳を得ることができると考えられたのです。
この読経の功徳と日本人の形式主義とが相俟って
お経は漢訳のまま唱えるというかたちが習慣となったのでしょう。
ちなみに釈尊の使っていた言語は今日伝えられているサンスクリット語やパーリ語とは
異なるものであったそうです。ですから、これらの言語で唱えることが
そのまま釈尊の説いた説法の再現になるとはかぎりません。
>635
>お経っていうのは
>釈尊がお話された物語が書かれてるのですよね?
違うと思います。
>なぜ、その物語じたいが有難いのか
読み方によります。
仏教の経典は読み方によっては殆ど全部、瞑想法の写本です。
但し日本にはその解読法は、ごく一部を除いて伝わってない筈。
>どうして、仏壇などで、亡くなった方たちの前で
>物語を読むことになってるのか
日本は葬式仏教だから。
基本的に意味はないと思っていいです。
639 :
神も仏も名無しさん:2007/06/19(火) 13:49:18 ID:jWl9NB/v
仏教の経典は哲学書だよん。聖書読みなさい!
仏壇なんて死者には何も関係ないんだな。金儲け仏教が先祖祭らないと祟りがあるとほらふいて金儲け!
祖先には尊敬の念を抱き自分に対し信仰をもてばいいんだよ
俺は希美の観音様を毎日拝んでいる
640 :
神も仏も名無しさん:2007/06/19(火) 15:46:26 ID:r+TBmtlw
>>639 キリスト教は仏教の極楽浄土へ心身の聖めを祈る手立てを
コピーしただけの仏教コピーなんですけど。
641 :
635:2007/06/19(火) 17:04:42 ID:PF98NFyI
>>637様
>>638様
どうもありがとうございました。
法華経や維摩経に関する本を読んでましたので、
これらは文学作品チックで非常に面白く、お経というのは
実はストーリーがあったのかと早とちりをして
しまいました。
「如是我聞」って書いてあるとも聞いたので、
てっきり釈尊がお話になられていると思いました。
勉強になりました。また疑問がわいたら質問いたしたいと
思います。お二方ともありがとうございました。
>>641 気長に待って下さい。
貴方の問いは、(日本)仏教の(継承されてきた)文化的在り様とも関わる部分を含むので、
長文になるかもしれません。
が、
>>637-638だけでは不十分と思われるので、暇を見てレスを返したいと思います。
ノシ
643 :
狗 追う 者 騎射:2007/06/19(火) 22:52:36 ID:tW0EpEwN
>>639 > 俺は希美の観音様を毎日拝んでいる
それ、なんという観音様ですか ?
キミちゃんの個人所有のものなんですか?
葬式は仏教が日本に伝わる前からあったし、むしろ土着宗教に仏教が利用された。
先祖やら輪廻やらに関して仏陀は肯定していない(否定もしていない)わけだから
先祖を祭らないと祟りがあるなんていう思想は「土着宗教」もしくは「大乗仏教」の思想だな。
>>644 土着、で正解でしょうね。
「大乗」つったらちょっと微妙になります。大乗・小乗の定義付けが
揺らいでいる状況では尚更。
>>641 >「如是我聞」って書いてあるとも聞いたので、
>てっきり釈尊がお話になられていると思いました。
偽経も含め、全ての仏典が「如是我聞」で始まりますね。
「お釈迦様がこのように仰っているのを私は聞きました」です。
こう書かれているからといって、その経典が本当にお釈迦様がその
ようにいったか?というとそうとは限らないわけで。
単にその地域の民間伝承でしかなかった逸話を釈迦に仮託して書か
れたものとか、お釈迦様の伝聞として伝わっている話を書きまとめて
いったものとか、他の聖典を切り貼りコラージュしていったものとか、
まるっきりゼロから創造していったものとか。
色々あるでしょうね。
>法華経や維摩経に関する本を読んでましたので、
>これらは文学作品チックで非常に面白く、
その二つに限定していうなら、感受性を磨く為の文学作品として読まれ
た方が宜しいでしょうね。
646 :
狗 追う 者 騎射:2007/06/21(木) 01:19:18 ID:kwr3P7Gq
SabaFc4eIw <= #1UB;mE'x
JihiSjw1CI <= #GUB`.Uqh
Toko.fcp26 <= #B:vb(a#(
ZenhTQw7ig <= #c:v$Q@IP
JihiPLS.kE <= #Bw8P~vqi
DeskpkBmKs <= #mw8UEZ6b
MugarulD1Q <= #6w8sD*Lr
HohoolNbU. <= #Dw8y=X\j
BudomrMzYU <= #uw8&nNUS
ZencLSCXOM <= #v&PKwqM1
ZenIonKCUQ <= #9&PlEF6J
ZenD3juyI6 <= #J&P?aT$^
TetuJYHdGk <= #La{0]5Pk
SusiuaPri6 <= #S1XH#Z?u
Zenwra8Pg. <= #*1XO)Bpf
Mutiz6MBEw <= #Z1XU:3z{
Takoghvebc <= #41X(G*:B
TenCgJtSik <= #)h]Z;wUA
Takejuyz9E <= #Ch]mVrdj
MomonND5do <= #'h]oh#/-
HandZ.2gWk <= #Hh]'CzLf
Haraiog76I <= #@S.42jH[
JihiajzfLc <= #ES.6Pdrz
West/BEG7o <= #oS.M6J5#
YumeVYtVx. <= #vS.q,TJ?
UchuL5EK6M <= #IHW6+.@t
WasirWL4ZQ <= #rHWMIIu&
Ocha50VLBE <= #DHWhfW|b
WestCmlW8w <= ##HW)=nbX
質問です。
釈迦以外に悟りを開いて如来になった方は
今まででいますか?
648 :
神も仏も名無しさん:2007/06/21(木) 01:38:23 ID:9b2J2yt4
いません。だから拝みなさい
「もったいない」が仏道に反するってホントですか?
650 :
狗 追う 者 騎射:2007/06/21(木) 04:50:43 ID:kwr3P7Gq
>>647 おしゃかさまと、如来さま、同じかたです。
>>647 如来というとタターガタ論争を思い出すなw
如来云々を置いといて、「悟りを開いた」或いは「成就した」んじゃないか
な?と思われる先人なら何人かいますね。
確証のない話ゆえ、推測でしかありませんが。
652 :
狗 追う 者 騎射:2007/06/21(木) 18:00:13 ID:ojlL2KFj
653 :
希美の情夫:2007/06/21(木) 19:29:25 ID:x+hcghQ9
>>643 蟻の町のマリア希美様だ!
憶えておけよ。2ちゃんで見掛けたら直ぐに観音様拝ませてもらえ。
654 :
神も仏も名無しさん:2007/06/21(木) 21:58:53 ID:pWwNl78i
もったいないと思う心は執着心=煩悩そのものだそうでして、
煩悩の火を吹き消して悟りの智慧を得ようとする仏教には
相容れない、って聞きました。
「もったいない」って普通の道徳観だと賛美されると思うのですが、仏教では違うのですよね?
655 :
狗 追う 者 騎射:2007/06/21(木) 23:31:03 ID:v5wtwX+Z
>>653 >
>>643 > 蟻の町のマリア希美様だ!
> 憶えておけよ。2ちゃんで見掛けたら直ぐに観音様拝ませてもらえ。
でも、あんた、きみちゃんの、まぶ、なんでしょ?
拝みたいって、言っても、良いの ?
へー
>>654 もったいないから、其のままの姿に執着して手元に置いとくのと、
もったいないから、其の特質を活かして再活用するのは違うと思いますよ?
僧堂の半分は勿体ない精神。
658 :
神も仏も名無しさん:2007/06/22(金) 00:12:56 ID:8QZ/v0Re
特質を活かして再活用するのであれば、それは「特質」に対する執着でしょう。
結局もったいないから捨てることができない。
結果はそのまま手元に置くのとかわりません。
もったいないという言葉には、本来不必要な余り物でさえ破棄することを躊躇させる妙な
魔力がありますよね。
もしかしたら、「もったいない」は法に対する負の真言かもしれない。
>>658 執着して自分の為だけにしか使わないなら、そうですね。
仏教には布施、般若と言う概念も有ります。
あー、後は誰か宜しく。(笑)
660 :
神も仏も名無しさん:2007/06/22(金) 00:41:49 ID:GupY0gp7
仏教についてどのように思いますか?
661 :
勿体無い:2007/06/22(金) 00:41:52 ID:61G6PzXq
勿体無いとは、公共広告機構が3Rを云ってますが、
@無駄として辞去する A消費自体を節約する B資源として再使用する
C資源に戻す再利用する と云います。
4Rとは、リフューズ(Refuse)・リデュース(Reduse)
リユース(Reuse)リサイクル(Recycle)の4つの言葉です。
@リフューズ(Refuse)とは、不要な物を買わない・断ることを
いいます。スーパーのレジ袋や包装紙・割り箸等を購入時点で断ったり
本当に必要な物以外を衝動買いをしないと言う事になります。
Aリデュース(Reduse)とは、ゴミの発生量や資源の使用量を減らす事。
又、長く使える物を選んで購入したりする事もゴミを量を減らす事に繋がります。
Bリユース(Reuse)とは、一度使った物を廃棄せず、そのままの形で
再利用する事を言います。ビール瓶や一升瓶など洗って何度も繰り返し使用したり、
着ない衣類などをフリーマーケットに出す事などを言います。
Cリサイクル(Recycle)とは、一度使った物を廃棄せず、再び資源化して
利用する事を言います。牛乳パックやダンボールなど回収してトイレットペーパー
にしたり、新聞紙にしたりして別の物を作る事をいいます。
実際に社会で行っているのを載せると如何かと余慶なコト書きました。
662 :
神も仏も名無しさん:2007/06/22(金) 01:28:17 ID:8QZ/v0Re
@のみが激しく仏教的みたいな。
refuseと喜捨を合わせて無所得に近づければお悟りの智慧も近いか。
仏教的な「勿体ない」があるとすれば、そこにA、B、Cは不要でしょ。
持っているものが増えちゃうからね。
663 :
希美の情夫:2007/06/22(金) 22:18:31 ID:Jq7aWTgd
>>655俺のハニー希美は博愛精神なんだ。
いつも酔っぱらうとメールで観音様を配布する。
いまならカトリックスレにいるから来いよ。そして乞えよされば与えられん
664 :
狗 追う 者 馬上騎射:2007/06/22(金) 22:23:38 ID:wmBcLjkn
>>663 きみちゃんのまぶさん
>
>>655俺のハニー希美は博愛精神なんだ。
> いつも酔っぱらうとメールで観音様を配布する。
> いまならカトリックスレにいるから来いよ。そして乞えよされば与えられん
しっともせず、坐りもせず・・・(汗々)
カトスレに、キミちゃんは、いるんですね。
しかも、観音様、持ち込んで・・・_〆(。。)メモメモ…
わけ、わかめー、な気がしますー (笑)
665 :
クララ:2007/06/23(土) 00:11:28 ID:uZHOKIeQ
のぞみはそんな女よ。いやがる人にも送りつけてくる。
ひとりよがりの女よ
執着のない心で「もったいない」と思うのは仏教的だと思う。
反発を感じることこそ、実は非仏教的。
お釈迦様が在家から頂いた革靴?を大切に履いていたお話が、多分あったような。
667 :
神も仏も名無しさん:2007/06/23(土) 07:49:28 ID:BQH69B+c
執着がなければもったいなくないと思うのですが。。
そこらへんの関係がわけわかりませんが。。
中道こそ仏教の核となる部分です。
もったいない、と固執すれば、それはひとつの極端論→常見
もったいなくない、と逆説的に固執しても、やはりひとつの極端論→断見
ふたつの極端論を離れた、執着のない、ありのままの「もったいない」→正見
と、左様に解釈しております。
日本語というのは、いろいろと奥深いのではないでしょうか。
「もったいない(ものを大切にする)」という概念の背景にある、分け隔てのない、屈託のない
思いやりとか感謝の念を考えるなら、機械的にそれは情である、と判断するのは、仏教のロボット
化に繋がるのではないかと、私は思うのであります。
669 :
狗追う者 馬上騎射する者:2007/06/23(土) 18:46:07 ID:AJ99LM8q
>>668 是非、コテハンを
でないと、
泥の海の底に沈んだ、黄金の仏像みたいですよ。
670 :
南無大師遍照金剛:2007/06/23(土) 19:27:36 ID:GJe+0B+K
ヽ(´∇`)ノ中道は
八正道関係するね
苦集滅道
苦の集まりを滅する為の道
それが八正道
そして中道とは
片寄らないことにより
苦を産み出さない?だっけ?
671 :
神も仏も名無しさん:2007/06/23(土) 19:35:42 ID:lkwU/ciM
ニューエイジ思想やオカルトと、仏教は、親和性がありますよね。
理論理屈ではなく、霊的な方面からの話題はここではスレ違いですかね。
みなさん、僧侶の方なのでしょうか?
物凄い初心者です。スレ違いでしたらすみません。
牛頭天王と馬頭観音は、なぜ牛頭馬頭と一緒にされ牛頭鬼、馬頭鬼となったのですか?
673 :
神も仏も名無しさん:2007/06/23(土) 23:20:53 ID:BQH69B+c
私は曖昧さをはぎ取ったとしても仏教は成り立つと信じているものです。
さしずめ、仏教ロボット化推進者といったところでしょうか。
なんとなくなあなあでわかった気になっている洗脳信者の方々にはうんざりなのです。
私の理解によれば、中道は智慧を得るためのバランスを意味します。
なんでも極端を離れれば良いというものではないと思うのです。
努力のベクトルは智慧に向かっていますので、この努力の方向性まで半端にしてしまうのは
ナンセンスだと思うのです。
私たちは中道という言葉をなんにでも便利に使ったりしないで、中道のお題として
適切かどうかを充分に吟味するべきなのではないかと愚考する次第なのです。
さて、もったいない、に中道は当てはまりますか?
私はそうは思いません。
仰るとおり、もったいない、には奥深いというか複数の意味があります。
そうであれば、もったいないに含まれるどの意味が適切で、どの意味が不適切なのかを
考える方が適切だと思うのです。
674 :
神も仏も名無しさん:2007/06/23(土) 23:39:37 ID:BiEcYOy0
>>673 染着を離れて中道を歩むとは、左右を見てその真ん中だけ歩く意味では無く、
その縁起や関係性、更には自心まで観てって話じゃないかな?
ならば、どうでも良い、とか全部捨てちゃえと云う考えでは無く、
可能な範囲でのモッタイナイで現状の無駄や贅沢を減らして再利用を考えるのも一興ではないかな。
糞雑衣だっけ?あんなんもある仏教は、モッタイナイに賛成の筈だよ。
676 :
神も仏も名無しさん:2007/06/24(日) 17:08:56 ID:MawrSjm6
>現状の無駄や贅沢を減らして再利用を考えるのも
無駄や贅沢を減らすのは当然だと思います。
しかし、再利用を言い出したら私の仏教ロボ的イメージから離れてしまいます。
再利用はものへの執着だと思うからです。
使えないもの、使えなくなったもの、不必要なもの、これらは捨て去るのが私のイメージです。
ふんぞうえは染料ですら所有しないということですからイメージにぴったりです。
>>676 > しかし、再利用を言い出したら私の仏教ロボ的イメージから離れてしまいます。
そう?
では、サラバだ。またね♪
>>671 >ニューエイジ思想やオカルトと、仏教は、親和性がありますよね。
無い。
あなたが仏教だと思ってるのは日本教か密教だろう。
そういうものを相手にしないのが仏教だ。
てか釣り乙
679 :
狗追う者 馬上騎射する者:2007/06/25(月) 18:19:20 ID:w9vd2ToW
仏教は、極論を離れます・・・
ヴィパッサナー瞑想法というものがありますが、これは何という経典を見れば載っているのでしょうか?
岩波文庫から出ている中村元氏の訳本にはなかったので。
テーラガータ行けばよろし
ただしお勧めはしない
あいにく行けるほど近くにないものでして。
HPは見て、スマ氏の著作もパラパラとはいえ見てみたのですが、出典の明記がないので質問させてもらいました。出典がわかれば自分で研究できますし。
>>682 「ミャンマーの瞑想―ヴィパッサナー観法―」(1993/8/20)
著:マハーシー長老 / 訳:ウ・ウィジャーナンダ大僧正
発行所:世界平和パゴダ (発売元:国際語学社)
中山書房仏書林とか山喜房とかに聞いてみるといいかも。
あと、駒大の売店にはありそう・・w
>>683さん
御回答ありがとうございます。パーリ
三蔵のどの部分から出典したかが
わかるかもしれないので、一読して
みようかと思います。
あ、そうか・・経名か・・・ すまんw
根拠は「大念処経」、詳細な結果は「清浄道論」のよう。
ただ、上記冊子に述べられるもの
(或いは、“ヴィパッサナー観法”として言われる具体的な方法)が、
そっくりそのまま経典の中にあるわけではなかったように思う。
補足・拡大されたものが、(現在の)“ヴィパッサナー観法”と見るのが妥当かも・・・。
けど、おもしろいと思うよ。(禅よりよほど親切w)
686 :
狗追う者とは 狗を馬上騎射する者:2007/06/26(火) 22:50:09 ID:nRImlGfW
>>685 (禅よりよほど親切w)
と言うことは、禅は、語らないからですよね。
でも、自然は、語っていますほとけの歌を。
それが、禅です。
>自然は、語っていますほとけの歌を。
幻聴だよ、きっと
689 :
狗追う者とは 狗を馬上騎射する者:2007/06/27(水) 18:19:53 ID:RR5InP5B
>>688 >渓声尽是広長舌
知ってるけどね。素面で「自然は、語っています」とか言う奴には、
幻聴だよ、って返すことにしてる。
「水はなんでも知っている」って言うのと同じくらい胡散臭い。
僧は言った「聞こえるものすべて、まるで仏の説法のようですな」
師曰く「幻聴だ」
僧は言った「祖師方は、なかなか詳しく語りませんね。何も語らずに、どうして伝えることができましょう。」
師曰く「渓声尽是広長舌」
どちらも、禅の言葉としてはふさわしいw
693 :
狗追う者とは 狗を馬上騎射する者:2007/06/27(水) 19:10:12 ID:RR5InP5B
>>690 >
>>688 > >渓声尽是広長舌
禅境もかなり進んだ地点ですよ。
8か、9
十牛図の・・・
694 :
神も仏も名無しさん:2007/06/28(木) 00:07:18 ID:FhL9ZyLi
まだ禅病を克服できていないだけかもしれない。
そう考えると、1か2か・・
>>694 そういう時は、
「瓦を磨いて鏡になるわけないでしょう?」
「けど、坐禅をして仏になれると思ってるんだろ?」
って感じじゃないかなw
696 :
狗追う者とは 狗を馬上騎射する者:2007/06/28(木) 00:54:01 ID:H/uDOwLa
697 :
神も仏も名無しさん:2007/06/28(木) 09:42:35 ID:s3oik15E
698 :
神も仏も名無しさん:2007/06/28(木) 12:19:48 ID:rAyDRL1Z
>>668 :神も仏も名無しさん:2007/06/23(土) 09:54:44 ID:BkNXCxVN
>>中道こそ仏教の核となる部分です。
>>もったいない、と固執すれば、それはひとつの極端論→常見
>>もったいなくない、と逆説的に固執しても、やはりひとつの極端論→
>>断見 ふたつの極端論を離れた、執着のない、ありのままの「もったい
>>ない」→正見
中道はそういう意味ではありません。
死後の世界は存在するか。との問に対して。
死後の世界は存在しない。→これが断見で間違い。
死後の世界は存在する。 →これが常見で間違い。
この世も死後の世界も存在しないが、空として存在する。
この世も空であり、死後の世界も空である。という意味を中道と言います。
699 :
神も仏も名無しさん:2007/06/29(金) 00:36:33 ID:iytFlJzO
そんでもって、空は幻だ、だからこの世は幻だ、って言い出すんでしょうねw
700 :
神も仏も名無しさん:2007/06/29(金) 06:45:35 ID:bFVUdKbs
@一師有り。現在世に真実是れ我なりと見ず亦復た命終の後にはも真実是れ我なりと見ざるなり。仙尼、其の大一師の現在世に真実是れ我なりと見て知る所の如く説く者を名づけて断見と曰ふ。
A彼の第二師の今世後世に真実是れ我なりと見て知する所の如く説く者は則ち是れ常見なり。
B彼の第三師の現在世に真実是れ我なりと見ず命終の後も亦た我を見ざるは是れ則ち如来應等正覚の説なり。
(雑阿含経)
>この世も空であり、死後の世界も空である。という意味を中道と言います。
釈尊が説かれる「断常中道」とは、有無の二辺や苦楽の二辺を離れること、ようするに、極端な二者択一
を離れるという非断非常→正見中道のことでしょう。死後生の有無にのみ限定して使うとすれば、それは
極めて応用力に欠しいと言わざるを得ません。
大乗の八不(非)中道とか百不(非)中道とか、実に多々。何分にも、空は全てを呑み込んでしまうんですから。
702 :
神も仏も名無しさん:2007/06/29(金) 11:06:58 ID:eear/j/G
>>701 中道の解釈は色々言われていますが、やはり、阿含経の経典から直接の
釈尊の言葉の
>>700が正しいのでは?
一つの見解にのみ固執することは、思考の閉塞感を生み出すのではないですか。
相応部に、
苦は自作である(作すものと受けるものとは同じ)→常見
苦は他作である(作すものと受けるものとは異なる)→断見
如来はこれら二つの極端を離れて法を説く…の記述もあります。
704 :
神も仏も名無しさん:2007/06/29(金) 14:44:15 ID:EDaK7OXp
>>703 佛、婆羅門に告げたまはく『自作自覚は、則ち常見に堕し、他作他覚は
則ち断見に堕するなり。義説法説は、此の二邊を離れ、中道に処して、
法を説く。所謂此れ有るが故に彼れ有り、此れ起こるが故に彼れ起こる。
無明に縁りて行あり、乃至純大苦聚集まる。無明滅すれば則ち行滅し、
乃至純大苦聚滅すと』と。(雑阿含)
705 :
神も仏も名無しさん:2007/06/29(金) 14:55:46 ID:EDaK7OXp
★世間の有無
如実に世間の集を正視する者は則ち世間無の見生せず、如実に世間滅を
正観せば則ち世間有の見生ぜざればなり。迦栴延、如来は二辺を離れて
中道を説く、所謂此れ有るが故に彼れ有り、此れ生ずるが故に彼れ生ず。
中道とは四句分別のすべてを否定した上で、ものごとをあるがままに捉えて
ゆくことでしょう。ようするに相対的分別を超えるということなんでしょうけども、
かくのごとく行じてゆく仏道者自信が、能所二辺の相対的存在者、つまり時間
の制約を受けた無常な存在者であるわけですから、そこんところの自覚を、有名な
哲学者は矛盾的自己同一と示したのでしょうか。
釈尊が説かれた縁起の法は、人間を含む自然界が互いに依り合い、互いに持ちつ持たれつ、
互いに活かし活かされ合いながら成り立っているゆえに、我欲に満ちた人間に足るを知る(小欲知足)を
教えているのだと思います。糞掃衣の意味するところも、再利用即執着ではなくて、併いに活かし活かされの
具現だと考えています。自然界で動物の死体が他の生き物を利するように、完全に捨てる(断見)ということは、
縁起観からいっても不可能でしょう。
707 :
神も仏も名無しさん:2007/06/29(金) 19:23:22 ID:iG/OFIbD
>>700の訂正。
@仙尼、其の第一師の現在世に真実是れ我なりと見て知る所の如く説く者を名づけて断見と曰ふ。
A彼の第二師の今世後世に真実是れ我なりと見て知する所の如く説く者は則ち是れ常見なり。
B彼の第三師の現在世に真実是れ我なりと見ず命終の後も亦た我を見ざるは是れ則ち如来應等正覚の説なり。
(雑阿含経)
708 :
神も仏も名無しさん:2007/06/29(金) 21:10:32 ID:5mXXfIp5
0099_,02,0032a10(03):其第一師見現在世眞實是我。如所知説者。
0099_,02,0032a11(02):名曰斷見。彼第二師。見今世後世眞實是我。
0099_,02,0032a12(05):如所知説者。則是常見。彼第三師。
0099_,02,0032a13(04):不見現在世眞實是我。命終之後。亦不見我。
0099_,02,0032a14(01):是則如來應等正覺説。現法愛斷離欲滅盡涅槃。
第一の師は、「現世に我がある(が、死ぬとその我が断滅する)」と見て説くのであり、これを「断見」と呼ぶ。
第二の師は、「現世と来世に(引き続き、同一の)我がある」と見て説くのであり、これを「常見」と呼ぶ。
第三の師は、「現世に我がある」と見ず、「来世に我がある」とも見ない。
これが如来の説であり、現世において渇愛を断ち、貪欲を離れ、涅槃に至るものである。
0099_,02,0067a02(03):所以者何。迦旃延。如實正觀。世間集者。
0099_,02,0067a03(09):則不生世間無見如實正觀。
0099_,02,0067a04(02):世間滅則不生世間有見。迦旃延。如來離於二邊。説於中道。
0099_,02,0067a05(00):所謂此有故彼有。此生故彼生。謂縁無明有行。
どういうことか。カセンネンよ、
ありのままに、世間の生じる様子を正しく観察すれば、「世間はない」という見方は生じない。
ありのままに、世間の滅する様子を正しく観察すれば、「世間はある」という見方は生じない。
カセンネンよ、如来は二つの極端を離れて中道を説く。いわゆる、これがあるので、それがある、
これが生じるので、それが生じる。いわゆる、無明によって行があり、・・・
0099_,02,0085c11(06):佛告婆羅門。自作自覺則墮常見。
0099_,02,0085c12(05):他作他覺則墮斷見。義説法説。離此二邊。
0099_,02,0085c13(02):處於中道而説法。所謂此有故彼有。此起故彼起。
仏がバラモンに告げられた。
「ある者が行い、その者が自分で感受する」というのは「常見」に陥ってしまう。
「ある者が行い、別の者が感受する」というのは「断見」に陥ってしまう。
正しい説、真理の説というものは、これら二つの極端を離れ、中道にいて法を説く。
いわゆる、これがあるので、それがある、これが生じるので、それが生じる、・・・
709 :
神も仏も名無しさん:2007/06/30(土) 00:46:09 ID:jISmzNp9
チャーリー浜:君たちがいて、アッ、僕がいる。
エッチをすればー<縁起>→気持いいー<縁起>→(中途省略)−<縁起>→生死一体=無限定空
710 :
狗追う者とは 狗を馬上騎射する者:2007/06/30(土) 01:57:02 ID:3tSUfIRR
>>695 瓦と、鏡は、イクオルなんですよ・・・・・・・・・(;-o-) ボソッ
道元禅師についての入門書でお薦めのものがあったら教えて下さい!
712 :
狗追う者とは 狗を馬上騎射する者:2007/06/30(土) 17:02:14 ID:adq+8N3Y
713 :
神も仏も名無しさん:2007/06/30(土) 21:34:33 ID:P2I33l79
>>711 著者の主観が入る解説書など読まずに「正法眼蔵」に行けばいいと思いますよ。
714 :
神も仏も名無しさん:2007/06/30(土) 23:41:47 ID:jISmzNp9
それにしても「正法眼蔵」の文体って、スタイリッシュでむちゃくちゃカッコイイ。
道元はこういう文章スタイルを如何にして身に付けたんだろう。
内容よりもそっちの方が気になる。
彼女が仏教徒らしく、明日協会で何かの会?があるらしく、明日その会?で花を捧げる役をやるらしいのですが仏教でそのようなことはやるのでしょうか?
ちなみに彼女は学生です。
717 :
711:2007/07/01(日) 01:46:03 ID:juod0KP6
レスありがとうございます!
>>712 実践はなかなか難しいですよね。
>>713 原典も色々あって迷いますね。
>>714 内容と不可分な気もします。
>>715 癖があるのが好きなので買ってみたいです。
718 :
神も仏も名無しさん:2007/07/01(日) 07:57:17 ID:BXDtUBGR
>>709 :神も仏も名無しさん:2007/06/30(土) 00:46:09 ID:jISmzNp9
>>チャーリー浜:君たちがいて、アッ、僕がいる。
>>エッチをすればー<縁起>→気持いいー<縁起>→(中途省略)−<縁起>→生死一体=無限定空
エッチをすれば→ますます性欲が強くなる→中略→強姦をするようになる。→強姦が精神に焼き付く。→死後、地獄へ生まれる。
719 :
神も仏も名無しさん:2007/07/01(日) 13:26:42 ID:mkbYDCnv
720 :
狗追う者とは 狗を馬上騎射する者:2007/07/04(水) 19:19:23 ID:NZ9DdtAc
SingrK3ovg <= #{5af*aL,
Kami7zSUsQ <= #s5auX#wg
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Kobu/CNs/U <= #imS.ta5W
SabaM9TVh. <= #JM~3F=W?
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KabaOeqius <= #4M~*}ILO
TumeNU1WdU <= #_M~=b4yW
MizuHhw89w <= #k*5a%l0:
KutiDky3cg <= #r*5_/4oT
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HaneChPHyw <= #jQ0W-1'4
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Hohob4.nW6 <= #hk`V-CVS
SukimfN1zo <= #+k`u\t[h
HimeCMVxpM <= #xk`\(;JW
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Muga1YkZO. <= ##5xT~-pY
SajiK6TW6k <= #~5xdLPy(
KabaAC9Nrw <= #c5xwSh}|
HohovicwJo <= #-5x![Qdo
722 :
神も仏も名無しさん:2007/07/07(土) 11:14:12 ID:fZh0so0G
723 :
神も仏も名無しさん:2007/07/07(土) 16:43:51 ID:sYdoqtd6
>>707 :神も仏も名無しさん:2007/06/29(金) 19:23:22 ID:iG/OFIbD
>>@仙尼、其の第一師の現在世に真実是れ我なりと見て知る所の如く説く者を名づけて断見と曰ふ。
仙尼よ。第一の師は現在、ここにいるのは真実の私であると、見たとおりのことを説く者を『断見』という。
>>A彼の第二師の今世後世に真実是れ我なりと見て知する所の如く説く者は則ち是れ常見なり。
第二の師は現在の私は真実の私であり、死後の世界の私も真実の私であると説く者を『常見』という。
>>B彼の第三師の現在世に真実是れ我なりと見ず命終の後も亦た我を見ざるは是れ則ち如来應等正覚の説なり。
第三の師のように現在の私を真実の私と見ない。また、命が終わった死後の世界の私もまた真実の私と見ない。これが如来と同じ考えで正しい考えである。
(雑阿含経)
日本の大乗仏教が、
本当に仏教だと思ってるバカはどうして存在するのでしょう?
725 :
狗追う者とは 狗を馬上騎射する者:2007/07/07(土) 18:06:19 ID:DP0Ly8kz
>>721 >
>>720 > 日本語でおながいします
『 上着を奪う者には下着も与えよ。 』
『 右のほほを打たれれば、左のほほを差し出し、打たせよ 』
聖書から
これ、公案、です。
無門関 では
無門関 第四十五則 他是阿誰
和尚が言った。
「釈迦も弥勒も彼の奴隷である。さて言ってみよ。彼とは誰か」
第十二則 巌喚主人
ある僧は毎日自分を主人公と呼び、自分で問い自分で答えていた。
「目を覚ましているか」「はい」、
「人に騙されるでないぞ」「はいはい」
と言っていた。
726 :
神も仏も名無しさん:2007/07/07(土) 18:52:10 ID:ANZtLJaL
>>和尚が言った。
>>「釈迦も弥勒も彼の奴隷である。さて言ってみよ。彼とは誰か」
んで。答えは?
727 :
狗追う者とは 狗を馬上騎射する者:2007/07/07(土) 21:39:09 ID:DP0Ly8kz
728 :
神も仏も名無しさん:2007/07/08(日) 08:56:33 ID:uu6EJTDC
仏教者や仏教学者のなかには、「釈尊は『我なるものはない』
という無我説を説いたので、仏教は、霊魂の存在を否定する無霊
魂説である」と考える人がいます。仏教を少しかじって、そのよ
うに主張する人がいるのですが、それは間違いです。
インドの「アートマン」という言葉には二義性があり、「魂」
と「自我」という二つの意味を持っています。そのため、前者の
意味に受け取って、「無我とは霊魂がないということである」と
解釈する人がいるわけです。
しかし、仏教が説いている無我とは、「我執を去る」という意
味で無我なのです。この「我執を去る」ということと「魂がない」
ということが同じ意味ではないことは、みなさんも分かるでしょ
う。
魂、霊、意識など、何と呼んでも結構ですが、車の運転手に
当たる部分、すなわち、長い転生輪廻を生きていく主体の部分は
あるのです。仏教は、この転生輪廻の主体があることを認めてい
るのであり、もし、それが存在しないならば、そもそも修行は成
立しえなくなります。
問 上記の主張は誰の主張か次の1から5の中から1つ選びなさい。
1 池田大作 2 桐山靖雄 3 高橋信次 4 大川隆法 5 麻原彰晃
729 :
神も仏も名無しさん:2007/07/08(日) 17:32:06 ID:WuF8KDiA
>>和尚が言った。
>>「釈迦も弥勒も彼の奴隷である。さて言ってみよ。彼とは誰か」
はい。
彼とは創造の神。
>>和尚が言った。
>>「釈迦も弥勒も彼の奴隷である。さて言ってみよ。彼とは誰か」
オレのオナラは臭いぞ!
731 :
南無大師遍照金剛:2007/07/08(日) 19:17:03 ID:5yrUWtEp
ヽ(´∇`)ノ
荒れまくり♪
縁起?
>1 池田大作 2 桐山靖雄 3 高橋信次 4 大川隆法 5 麻原彰晃
シャクソン・ファイヴ
うまい!!
735 :
阿修羅王:2007/07/09(月) 23:16:25 ID:lFgp0nOM
質問です
どうすればブッダに成れますか?
>>735 日本では死ねば誰でも仏に成れることになっています。
737 :
狗追う者とは 狗を馬上騎射する者:2007/07/10(火) 00:55:04 ID:7DtDspBl
↓ 30秒で世界を変えちゃうWEB新聞
http://www.teamgogo.net/webgougai/top.html 30秒で世界を変える方法 > 30秒で世界を変える30のチェックリスト
毎日一個はゴミを拾って、そんな自分をほめたたえよう♪
お尻を拭く時、トイレットペーパーはちょっぴり短く使おう。
宴会・パーティーは、マイ箸、マイカップ、マイ皿でゴミゼロに挑戦しよう。
週に一度はミートレスの日を作り、肉絶ちに挑戦しよう。
週に一度はテレビレスの日を作り、会話を楽しもう♪
週に一度はマイカーレスの日を作り、公共の交通機関を使おう。
移動手段は歩いたり、自転車を使ったり、あいのりをしよう♪
たくさんの木や植物を植えよう♪
長持ちするものを買おう。そして仲良く年をとろう♪
お風呂は電気を消して、ろうそくの灯りでムーディーにして入ろう♪ (愛する人とならなおいい感じ)
冷房で寒すぎるお店には、「冷房の温度を1度上げてください。」と お客様の声を届けよう♪
シャワーの時間を毎日一秒ずつ減らすゲームをひそかにしよう♪
買い物をするとき、奥の賞味期限の新しいのを買わず、手前から買おう♪
エコバックを持ち、そして買い物のときは「このままでいいです」と 最高っ!の笑顔で答えよう♪
スイッチ付コンセントで待機電力をカットしまくろう。
食べ残しをすると、懐かしの「もったいないおばけ」がでたらかなり怖いので、 完食しよう♪
冬は厚着をして暖房の温度を下げ、夏は部屋を「ここはサウナだ」と 言い聞かせよう。
エレベーターよりも階段上り好きになろう。
アイドリングストップ。
オーガニックを選びなるべく国産品を買う。
生ゴミを堆肥にしよう
一家団欒(一緒に電気を共有する)の時間を増やそう
旬で、近くで作られたものを買おう
車の調子を時々チェックしましょう。
自然にふれあい、自然の大切さを共有しましょう。
フライパンやナベを火にかけるとき、底についた水滴をふき取りましょう。
洗濯はなるべく一度に多く洗いましょう。
暖房の効率を良くするため、窓に厚手のカーテンをしましょう。
歯磨き、洗顔など、水の出しっぱなしに気をつけましょう。
電気の無駄使いを減らすためにも、早寝早起きをしてみよう。
738 :
狗追う者とは 狗を馬上騎射する者:2007/07/10(火) 00:55:43 ID:7DtDspBl
>>735 阿修羅王 さん
> 質問です
> どうすればブッダに成れますか?
「釈迦も弥勒も彼の奴隷である。さて言ってみよ。彼とは誰か」
彼とは、誰か
739 :
麒麟泡般若:2007/07/10(火) 19:03:13 ID:iM1jUKMR
比留遮那仏?
日蓮大聖人の南無妙法蓮華経です。
南無妙法蓮華経
^_^
>>723 >死後の世界の私もまた真実の私と見ない。
これは潤色し過ぎじゃないですか? 原文は 我を見ず としか書いてありません。
不見今世後世眞實是我 とせず、不見現在世眞實是我、命終之後亦不見我 と態々分けた意味が失われてしまいます。
常見での解脱とは 我が死後も存続しつつも輪廻はしない とするものですが、
引用文だと、未解脱者だけについての言明になり、アラカンの死後は当てはまりませんね。
>>728 >無我とは、「我執を去る」という意味で無我なのです
>長い転生輪廻を生きていく主体の部分はある
無我とは (身体や感覚・思考などは)我ではない ということです。
そもそも 我がない とか 霊魂がない とかいう断定ではありません。
主体がある と言ってしまっては、仏教の正しい見解から外れてしまいます。
ある と 無い という両極端を離れた中道において、縁起の法を説いたのが釈尊でした。
>問 上記の主張は誰の主張か次の1から5の中から1つ選びなさい。
この問いで それまでの文章を全否定している と理解してもよろしいのですね。
742 :
狗追う者とは 狗を馬上騎射する者:2007/07/11(水) 00:23:32 ID:G93nxYl4
>>739 麒麟泡般若
比留遮那仏?
>>名前:南無妙法蓮華経
日蓮大聖人の南無妙法蓮華経です。
それは、奴隷の生活です。フキフキ ""A^^;
身は安穏にして、心は禅定の、生活
南無妙法蓮華経
^_^
744 :
狗追う者とは 狗を馬上騎射する者:2007/07/11(水) 00:42:11 ID:G93nxYl4
>>743 > 身は安穏にして、心は禅定の、生活
> 南無妙法蓮華経
> ^_^
まさに、奴隷生活ですね。
廃、ずっと、右を見てと、50年間右だけを見てるという・・・生活・・・
745 :
南無妙法蓮華経:2007/07/11(水) 00:44:32 ID:gsK0h0Fz
どんな良い生活してるかは、おれのみが知るところ。
パソコンの向こう側には、教えてあげないよ。
南無妙法蓮華経
^_^
746 :
狗追う者とは 狗を馬上騎射する者:2007/07/11(水) 00:46:17 ID:G93nxYl4
>>745 > どんな良い生活してるかは、おれのみが知るところ。
> パソコンの向こう側には、教えてあげないよ。
> 南無妙法蓮華経
> ^_^
(笑)
すぐ、ちょい切れ・・・......(o_ _)o ドテ!
聞きたくないし・・・・・・・・・(;-o-) ボソッ
747 :
波木井坊竜尊@日蓮宗葵講 ◆rMNMPSLh1Y :2007/07/11(水) 00:48:44 ID:CJoN8shJ
お祖様はそんな生活をしておりませんでした。
南無妙法蓮華経をすると、安心です。
南無妙法蓮華経
^_^
749 :
波木井坊竜尊@日蓮宗葵講 ◆rMNMPSLh1Y :2007/07/11(水) 00:52:48 ID:CJoN8shJ
お祖様は安心な生活など送ってはおられませんでした。
750 :
狗追う者とは 狗を馬上騎射する者:2007/07/11(水) 00:55:22 ID:G93nxYl4
>>748 > 南無妙法蓮華経をすると、安心です。
> 南無妙法蓮華経
> ^_^
そのあんじんを、ここへ出しなさい。
751 :
神も仏も名無しさん:2007/07/11(水) 02:35:35 ID:zr2QJdM7
現代心理学(特に深層心理学)について仏教の側はどう評価しますか?
心理学の方は仏教を高く評価して居るようですが
752 :
神も仏も名無しさん:2007/07/11(水) 05:08:30 ID:tZA3Sq2E
>>・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
751 :神も仏も名無しさん:2007/07/11(水) 02:35:35 ID:zr2QJdM7
現代心理学(特に深層心理学)について仏教の側はどう評価しますか?
心理学の方は仏教を高く評価して居るようですが
>>・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
仏教は深層心理学を高く評価しています。
仏教は深層心理学そのものだからです。
学問としての心理学(社会心理学の方)ならともかく、深層心理学みたいな
カルト屋の集まりとは仲悪いと思うが。
ユング系と相性がいいのはトランスパーソナルに出入りしてるような怪しげな
連中だろ。あんな連中がエラそうに仏教語るから困る。
754 :
神も仏も名無しさん:2007/07/11(水) 11:05:20 ID:Es3W4AAG
>>ユング系と相性がいいのはトランスパーソナルに出入りしてるような怪しげな
>>連中だろ。あんな連中がエラそうに仏教語るから困る。
仏教から心理学は語れるが、心理学から仏教は語れない。
象の足だけを見て、象を語れない如く。
755 :
神も仏も名無しさん:2007/07/11(水) 11:32:18 ID:zr2QJdM7
では是非仏教から心理学を語って見てください
実際は心理学から仏教が語られる例は多いのだが
仏教から心理学を語る発言は余り見られないんですね
756 :
南無妙法蓮華経:2007/07/11(水) 11:37:32 ID:gsK0h0Fz
心は捨てるものだと、仏教は説きます。
心の師とはなるとも心を師とせざれとは六波羅蜜経の文ぞかし。
南無妙法蓮華経
^_^
757 :
南無妙法蓮華経:2007/07/11(水) 11:38:43 ID:gsK0h0Fz
いろいろ悩むなら、精進せよ、というところ。
南無妙法蓮華経
^_^
758 :
神も仏も名無しさん:2007/07/11(水) 11:50:42 ID:zr2QJdM7
心を捨てよと言うのも心だし
精進せよと言うのも心ではありませんか
ついでに言うと
南無妙法蓮華教も心が生み出した教えだと思います
759 :
南無妙法蓮華経:2007/07/11(水) 12:57:30 ID:gsK0h0Fz
自身の劣る心を捨てて、仏の心を入れなさい、というのが仏の教え。
仏の御心は妙法蓮華経なので、南無するのが一番良いそうです。
南無妙法蓮華経
^_^
760 :
神も仏も名無しさん:2007/07/11(水) 13:51:17 ID:zr2QJdM7
しかしですよ
仏の偉大な心をダウンロードするのも心の働きでは無いですかね
死ぬまで南無して居る人はダウンロードし切れなかったと言う事では?
761 :
神も仏も名無しさん:2007/07/11(水) 15:15:36 ID:mrIRHiWI
質問です。
どなたかお教えください。
アメリカの田舎に住んでいるのですが、周囲は当然のようにクリスチャンばかりです。
何かあると「聖書では・・・」と説明されるのですが、「他宗教はすべて邪教」「キリスト教のみが真実で真理である」という排他的な態度に辟易しています。
そこで、仏教や神道では、他宗教に関して、どのような見解があるのか知りたくなりました。
どなたかご指導いただけませんか?
よろしくお願いいたします。
所詮臨終只今にありと解りて、信心を致して南無妙法蓮華経と唱ふる人を
「是人命終為千仏授手、令不恐怖不堕悪趣」と説かれて候。
と日蓮大聖人は言われています。臨終は今だ、と解(さと)って題目するひとは
命終まで千の仏が手を授けて、恐怖もなく、悪趣にも堕ちることはない、と言います。
南無妙法蓮華経
^_^
763 :
狗追う者とは 狗を馬上騎射する者:2007/07/12(木) 00:29:24 ID:McOyjEr0
764 :
狗追う者とは 狗を馬上騎射する者:2007/07/12(木) 00:30:49 ID:McOyjEr0
>>761 一を選択してしまった者は、いずれも、排他的になるでしょうね。
悦ばしいかな一仏二仏に非ず、百仏二百仏に非ず、
千仏まで来迎し手を取り給はん事、歓喜の感涙押へ難し。
法華不信の者は「其人命終入阿鼻獄」と説かれたれば、
定めて獄卒迎えに来たって手をや取り候はんずらん。
南無妙法蓮華経
(^人^)
仏教以外の宗教のことを外道と言って全否定するのが仏教です。
767 :
761:2007/07/12(木) 01:34:09 ID:52SzAitE
>>764 >>766 ご返答ありがとうございました。
そうですか・・・仏教はもう少し寛大な見解があるかと思っていましたが、やはりキリスト教と同じく排他的なのですね。
なんだか残念ですが、宗教とはいずれもそんな感じなのでしょうかねぇ。
なぜ、外道というかというと、終末論を説くから。
仏教は、時間は、無始無終だと、説きます。
意味も無く、排斥しているわけではないよ。
南無妙法蓮華経
^_^
>仏教や神道では、他宗教に関して、どのような見解があるのか知りたくなりました。
わが国では、古来より神仏習合という形態に見られるように、外来の宗教である仏教
と在来固有の神道とは、互いに排斥し合うことなく共存して来たのではないでしょうか。
明治の国家神道による廃仏毀釈はあったにしても、それは一過性のことにすぎません。
絶対神を崇める一神教と違って、実に融通無礙で寛容なのが仏教であり神道なのです。
仏教は、その聖典語はサンスクリットですが、それはバラモン文化やバラモンの様々な
学派の聖典語として、仏教に先駆けて用いられていたのを、仏教みずからの聖典語と
して採用することによって、見事にそれらと融合していったのです。排他的な一神教だと、
このようなスマートな換骨奪胎は無理でしょうね。
対立することなく融合していく、これは神道にもそのまま当てはまります。
770 :
素人:2007/07/12(木) 08:33:31 ID:EaZF/5bu
>>767 766を鵜呑みにするなw
そんな単純な話じゃない。
771 :
神も仏も名無しさん:2007/07/12(木) 09:05:56 ID:Yw+IJ6bs
>>767 :761:2007/07/12(木) 01:34:09 ID:52SzAitE
>>764 >>766 ご返答ありがとうございました。
>>そうですか・・・仏教はもう少し寛大な見解があるかと思っていまし
>>たが、やはりキリスト教と同じく排他的なのですね。
>>なんだか残念ですが、宗教とはいずれもそんな感じなのでしょうかねぇ。
その理由は、キリスト教徒は聖書の意味を知らず、仏教徒が経典の意味
を知らないからなのです。
仏教の経典も新約聖書もほぼ同じ事を説いているのです。
真剣に牧師に洗脳されることなく聖書を読み、僧侶に洗脳されることな
く仏典を読めば、それがよく分かります。
772 :
神も仏も名無しさん:2007/07/12(木) 09:50:45 ID:gso55/n2
>>761,766
外道=心外求法(仏教以外の宗教だけを指す言葉ではない)
仏教は「外道」を否定しません。求道の過程にある一つの現象である。
仏教も他宗教を否定しません。あるがままを「観る」のです。
実際、所謂「宗教」の範疇を超える所もあって、
宗教関係なしに仏教経典や仏法を研究・勉強する神父・牧師もいる。
仏教では仏法の行われる時期を正法・像法・末法と分けられていますがこれは何を根拠に分けられているのでしょうか?
774 :
761:2007/07/12(木) 13:59:40 ID:52SzAitE
761で質問した者です。
多数の方にお答え頂きまして、大変恐縮であります。
>>768
なるほど。終末論を説くものと無始無終では、大きな違いが感じられます。
周囲のクリスチャンたちに「ハルマゲドンで、他宗教に属するものは淘汰される」と半ば脅されます(苦笑)
けれど、そういう恐怖心を煽る宗教には、どうしても違和感を感じずにいられませんでした。
それよりも仏教はもっと宇宙的なんですね^^。
ありがとうございました。
>>769
宗教に関して全く基礎知識の無い私にも、わかりやすいご説明、感謝いたします。
私も例外にもれず、神仏融合の宗教観をなんの疑問も持たずに、それを当然の事として育って来ました。
それはまさに、仏教と神道の寛容さの賜物だったわけですね。
ありがとうございました。
>>770
す、すみません。
皆さん、おっしゃることがごもっともなので・・・^^;
775 :
761:2007/07/12(木) 14:00:41 ID:52SzAitE
>>771
深いですね。
各々の教徒が互いに排他的になるだけで、経典はほぼ同じ事を説いている・・・ですか。
そういえば、こちらで「あなたの宗教は?」と聞かれる時、説明が面倒なので「仏教」だと適当に流しちゃっているのですが、
以前「仏教」を「ブードゥ教」と間違えられて、血祭りに上げられそうになりました^^;
私は周囲を見て、ついついアンチ・クリスチャンに傾倒しがちですが、それは排他的になる事ですから気をつけたいと思います。
ありがとうございました。
>>772
大変わかりやすかったです。
外道という位置づけはしても、「否定はしない」と言う事ですね。
確かに「信仰」というのは「○○教」という枠組み内だけで語りつくせるもので無いのかも知れませんね。
日頃、キリスト教徒でないという事で、否定されっぱなしなので、それを聞いて安心しました。
あるがままを「観る」。なるほど〜。
ありがとうございました。
776 :
1/3:2007/07/12(木) 20:01:13 ID:TD/V4eTp
>>635 > お経っていうのは釈尊がお話された物語が書かれてるのですよね?
大雑把に、「経・律・論・その他・前世物語」に分けられます。
このうち、日本で一般的に「お経」と呼ばれるのが「経」に当たります。(全てをお経と呼ぶことも可能です)
律に分類されるものも、漢訳等諸本では経として括って良い場合もあります。
(というか、漢訳では「経・律・論」という分類はあまり大きな意味はないかもw)
さて、その「経」の内容ですが、
修行法・理論・喩え話・訓戒・エピソード・理想形・外教との相違点・・・等等様々です。
これらが幾つか組み合わさったものがお経の内容と言えます。
喩え話や釈尊自身の経験がエピソードとして語られているもの(部分)ならば、
≪釈尊がお話された『物語』≫と言っても良いかも知れません。
ただ、弟子達のエピソードや弟子が語ったものもあるので厳密には不適切な言い回しとなります。
→「お経の話/渡辺照宏(岩波新書緑)」
> なぜ、その物語じたいが有難いのか、
行法や理論でなく、物語調であっても、その物語が含意する・示すところの意義が読み取れるならば
ありがたいものと言えます。(特に、アングリマーラ経)
777 :
2/3:2007/07/12(木) 20:02:07 ID:TD/V4eTp
>>635 > どうして、仏壇などで、亡くなった方たちの前で物語を読むことになってるのか、
まず、読経という行為自体に功徳があると考えられています。
だから、読経するということは功徳を積むこととなります。
この時、「自らの(行為の)功徳は自らが受ける」のが原則となりますので、
読経した人が功徳を積んだこととなります。
もう一つ「回向(回転趣向)」という考え方があります。これは、
ある功徳を、悟りの為の資として方向付ける(悟りへと回し向ける)ということになります。
上に述べたように功徳は自ら受くものですが、その功徳・効能を、
相手或は第三者が積んだかのようにその人のものとする事です。
この功徳を誰それの方へ向けます、という宣言と言えます。
ですから大抵、単に読経するのみでなく、終わりに回向文を読みます。
勿論、自分へ向けたものであれば回向はなくても構いませんw
(また、様式に則らなくても、内容を心で念じるだけでも良いと思います)
ま、概して一般的には、法要・読経・念仏・布施などの善行を通して、
それによって生ずる功徳を亡者に回し向け、仏道に入らしめる(或いは安楽を継続させる)こと、
と言ってよいでしょう。(なんとなれば、亡者は自分で功徳を積むことができないから)。
ですから仏前での読経は、そうした、故人の安楽等を願ってなされるのです。
(勿論、回向の内容として様々なことを盛り込むことができます。)
ちなみに、自身がきちんとお経が誦めるなら、坊さんを呼ぶ必要はありません。
あくまでも坊さんは、誦めない誦まない人々の代わり、
或いは読経する集まりの代表として誦んでいるからです。
> 例えば、そういう物語じたいに意味があるのであれば、
はい。ですから、それぞれがお経を読み解くことはいいことだと思いますし、
もっとなされていいでしょう。お寺側からも、もっと解り易く語ってゆくことが大切でしょう。
778 :
3/3:2007/07/12(木) 20:03:25 ID:TD/V4eTp
>>635 > 漢訳や音訳されたお経じゃなくて、オリジナルのサンスクリットやパーリ語でお経を
> でも、日本の仏教界はそういうことはしようともしませんよね?
リズム、雰囲気、言語環境、基礎知識、憶え易さ、などなど様々な要素があると思います。
お盆の時期に、町のあちこちから聞こえる読経や木魚は、もはや風物・文化と化していますw
それはともかく、日本では、もともとインテリの間で広まったので、
中国語のままでも構わなかった面はあると思います(多少発音に違いはあるにせよ)。
また、真言・陀羅尼と同様、音そのものに力があるとも考えられたでしょう。
そして、日本仏教は中国仏教の輸入であり、決してインド、中央アジアの仏教ではないという面もあるでしょう。
和文はあくまで解説や和讃・御詠歌が中心で、本論(経)は伝統そのままの漢文が使用され続け現代に至ります。
パーリ・サンスクリット・チベット語は難しいですよw
解説・理解のためであれば現代語訳が良いでしょうが、現代語訳そのままでは
韻律も何もありませんし・・w(七・五調でまとめる手もありますが至難の技でしょうw)
理解の助けとして現代語訳が広く知られ参考にされるなら、今のままでも良いかと思います。
>>641 > お経というのは実はストーリーがあったのかと
はい。寓話的に、物語仕立てなものもあります。
また、その構成の仕方に幾つかのパターンが見られたりもします。
それはそれで興味深いですよ。【仏典なりの】起承転結とでもいいましょうか・・w
(特に、大乗仏典に顕著ですが・・w)
> 「如是我聞」って書いてあるとも聞いたので、
> てっきり釈尊がお話になられていると思いました。
そういうものもあるし、そうでないものもある。
その点はパーリ系の方が、若干(w)誠実かもしれない・・・w
>>777に補足
>物語を読む
という言い方に敢てこだわるなら、
「その内容を噛みしめる、確認する」という意味合いで捉えたら如何でしょう。
或いは、回向という概念も絡めて、故人に対して聞かせる(「故人が内容を確認する」)と捉えてもよいでしょう。
また、真言、陀羅尼と同様に、その言葉・音を発すること、念じることに意義がある、と見ることもできましょう。
780 :
神も仏も名無しさん:2007/07/12(木) 22:11:39 ID:6Srfx6Lc
>>……………………………………………………………………………
635 :神も仏も名無しさん:2007/06/19(火) 09:16:22 ID:vSr48qms
最近、仏教のいろいろなお経に興味が出て
本を読んだりしているのですが、お経っていうのは
釈尊がお話された物語が書かれてるのですよね?
なぜ、その物語じたいが有難いのか、
どうして、仏壇などで、亡くなった方たちの前で
物語を読むことになってるのか、その辺りが疑問に思う
のですけど。
>>……………………………………………………………………………
お経には物語が書いてあるのではありません。
仏の教えが説かれているのです。
人間はなぜ生まれてくるのか。この世はなぜ苦しみが多いのか。
死後の世界はどうなっいるか。など、人間が知っておかなければならない一番大事なことが書かれているのです。
死後の世界のことも説かれており、亡くなった方に告げるためにお経を読むのです。
>>……………………………………………………………………………
例えば、そういう物語じたいに意味があるのであれば、
漢訳や音訳されたお経じゃなくて、オリジナルの
サンスクリットやパーリ語でお経をあげることになると
思うんです。でも、日本の仏教界はそういうことは
しようともしませんよね?
>>……………………………………………………………………………
本当は漢文を読むより日本語に訳したものを読むのが一番よいのではないでしょうか。
781 :
神も仏も名無しさん:2007/07/12(木) 22:37:38 ID:vbh+tY3n
意味がわかってれば、漢文のまま読むのも速く読めて便利ですよ。
あと、翻訳してしまうとニュアンスが変わってしまう場合もあるので、
原文をちゃんと保存していくのも大事かもしれません。
>>781 お、賢い人が来たw
細かく見ればそういう面もありますね。
>>780はワシのレス完全無視だし・・・・w (^^;
翻訳の際の中国の決定的ミスは、その際の底本を残していないことだw
>>782 中華思想の国だからしょうがない。
漢訳してしまったら漢訳された経典が最上、元本など
要 ら ぬ
とばかりに捨ててしまったんでしょうな。
まぁ大昔の経典を今でも原本のままきっちり残してる日本が異常とい
えば異常なんだけど。
784 :
神も仏も名無しさん:2007/07/13(金) 09:27:02 ID:TOPn2AEw
仏教を中国に流布させる為、経典を漢訳したってこと。
サンスクリットのままだと誰も読めんじゃん?
それに、漢訳に当り、翻訳者を厳選(拉致?)し、
再三の推敲を経て、かなり時間をかかってたらしい。
>>784 それは当然そう。
でも君が書いてる事は元本を捨てる理由にゃならんでしょ。
拉致されて漢訳作業に勤しんだ有名人といえば鳩摩羅什を真っ先に
思い浮かべる。
四大翻訳家にリストアップされてる不空はスリランカの人だったっけな。
この人は拉致されたわけじゃないと思うけど。
786 :
南無大師遍照金剛:2007/07/13(金) 11:38:29 ID:4bKJsMs3
ヽ(´∇`)ノ
787 :
神も仏も名無しさん:2007/07/13(金) 12:12:42 ID:TOPn2AEw
>>785 捨てたのではなく、大事に保存されてたが、戦乱の世になり、
破壊・紛失って可能性も考えられるが。
あの国のことだから、いつも戦争ばかりやってるだろ
788 :
神も仏も名無しさん:2007/07/13(金) 12:25:27 ID:xuO4CmlN
>>635 「どうして、仏壇などで、亡くなった方たちの前で
物語を読むことになってるのか、その辺りが疑問に思うのですけど。」
↑
お経を読む功徳(クドク)を、死者のために回向(エコウ)しているのでしょう。
お経を読むことは、仏教を学ぶことになるので善行(心の平安につながる行為)です。
善行により心に積もる善い影響が、功徳です。
その功徳を他人のために回し向けて、
他人に善い影響が及びますようにと願うのが回向(エコウ)です。
法事などは、回向が目的と言ってよいでしょう。
789 :
神も仏も名無しさん:2007/07/13(金) 12:31:27 ID:xuO4CmlN
例えば、怒りやすい性格の人は、
怒りやすい分むかつくできごとが増えますから、
それだけ日常生活が快適じゃないのです。
で、仏教の修行により怒りにくい性格になれば、
むかつく事(嫌な事)が減るので人生が快適になります。
怒れば怒るほど怒りの思考回路が太くなるので怒りやすくなります。
逆に、怒りの思考回路を使わなくすれば退化し、怒りにくい性格になります。
怒らないようにするという善行の功徳によって、
怒りにくくなり、不快な時間が減って快適な時間が増えます。
790 :
神も仏も名無しさん:2007/07/13(金) 12:41:03 ID:xuO4CmlN
徳を他人に回向する心は慈悲の修行なので、
これもまた功徳があり、自分がより慈悲深くなることでしょう。
で、回向を受ける死者等は、
善行を行っている人を見て、すばらしいことだなと随喜することで、
自分が善行を行ったのと同じように功徳になるのです。
例えば、電車で席を譲るのは勇気がいりますが、
一度譲れば、二度三度と譲ることに抵抗がなくなり、りやすくなります。
これが譲った人本人の功徳です。
一方、それを横で見ていた人がいたとします。
その人は、自分が席を譲ったわけじゃないけれど、
譲った人を見て「すばらしいな」と随喜します。
すると次から、今度は自分が席を譲ることに抵抗感がなくなり、
ついには自分も席を譲る性格になっていくのです。
他人の善行を喜ぶことで、自分も功徳になるのです。
791 :
神も仏も名無しさん:2007/07/13(金) 12:46:09 ID:xuO4CmlN
怒れば怒るほど怒り癖がつきます。
その分イライラしやすい性格になり快適じゃなくなります。
逆に、許せば許すほど許し癖(功徳)がつきます。
その分イライラのストレスが減り、快適になります。
で、怒らずに許す人を見て「すばらしいことだな」と喜んだ人も、
それにより怒り癖が減り許し癖が増え、
イライラが減り、人生がより快適になります。
>>787 そだねー。
でも漢訳本は残ってるんでしょ?
793 :
神も仏も名無しさん:2007/07/13(金) 17:33:46 ID:TOPn2AEw
>>792 コピー(漢訳)がいっぱいあったからでしょう^^
唐の時代に大規模な「仏教潰し」があって、大量の原典が焼失したらしい。
コピーは沢山あるから、焼き切れなかったでしょう。
あと、昔に「敦煌」って映画にも出てたように、誰かが隠したとか・・・
原典はある意味、異国の文化・思想の象徴だもんなぁ・・。
時代、為政者によっては、(アピールとしても)重要なターゲット(排撃対象)だよなぁ・・・w
796 :
狗追う者とは 狗を馬上騎射する者:2007/07/14(土) 03:06:54 ID:47g5hx7j
CatsNgkKOw <= #alx`4O0#
AshizQyO7I <= #OLc4sz3]
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Mayuus..dQ <= #z8}jnj+w
King8z7JoE <= #78}:hkK[
Muti6Cj8Oo <= #23HJS5z2
797 :
神も仏も名無しさん:2007/07/14(土) 21:57:40 ID:y4TB9vQ2
「死ねば仏になる。」ってのは日本では御馴染みなんだけども、
これって死後の世界があるよって事じゃなくて、死んで全ての執着から抜けたという意味で仏って言うんだよね?
オカルト的な商売やってる人は、ここの理解を悪用してるような・・・・
798 :
神も仏も名無しさん:2007/07/14(土) 22:50:57 ID:KBkzjYaj
ずっと仏教を勉強してきて疑問なんだけど『悟った人』って本当にいるの?
悟ったと自称する花園大学とかで教えてる坊さんの説法は別に大したことはなくてむしろなんか残酷で正直
「こんなんになりたくないな」
と思う。
釈迦の言葉には無量の慈悲が感じられるけど。
799 :
神も仏も名無しさん:2007/07/14(土) 22:58:09 ID:y4TB9vQ2
>>798 正法眼蔵を読んでいると、悟りの上にまた悟るという言葉もあるし、
悟りというのは悟ったらそれでお終い、人間完成ですよ!ではないのかと思う。
悟った境地にまた新たな迷いが生じ、また悟る。
心には迷いが生じるものだと悟るのも一種の悟りとも言えそうだしね。
死ぬまでそれの繰り返しなのかもしれない。
800 :
799:2007/07/14(土) 23:01:18 ID:y4TB9vQ2
訂正です。こちらのほうが言いたいことが伝わるかな。
>悟りというのは悟ったらそれでお終い、人間完成ですよ!ではないのかと思う。
悟りというのは悟ったらそれでお終い、人間完成ですよ!ではないのだと思う。
801 :
神も仏も名無しさん:2007/07/15(日) 00:03:39 ID:hOBEv0yA
四向四果が説かれるように、悟りには四段階あるのではないでしょうか。
802 :
神も仏も名無しさん:2007/07/15(日) 08:29:52 ID:rRwrihEY
>>……………………………………………………………………………
801 :神も仏も名無しさん:2007/07/15(日) 00:03:39 ID:hOBEv0yA
四向四果が説かれるように、悟りには四段階あるのではないでしょうか。>>……………………………………………………………………………
その通りです。
須陀亘向→須陀亘果→斯陀含向→斯陀含果→阿那含向→阿那含果→阿羅漢向→阿羅漢果』
803 :
神も仏も名無しさん:2007/07/15(日) 09:14:33 ID:hOBEv0yA
>>802 禅宗の僧侶が「悟った」と言っても、
それはまだ第一段階か第二段階かもしれませんね。
804 :
神も仏も名無しさん:2007/07/15(日) 09:46:27 ID:rRwrihEY
>>……………………………………………………………………………
803 :神も仏も名無しさん:2007/07/15(日) 09:14:33 ID:hOBEv0yA
>>802 禅宗の僧侶が「悟った」と言っても、
それはまだ第一段階か第二段階かもしれませんね。
>>……………………………………………………………………………
須陀亘果を得るには『身見・戒取・疑』を滅尽しなければなりません。
身見=非我であることを悟る。
戒取=「十不善行」を犯さないこと。
疑=仏の説・仏法・仏の弟子の言葉を疑わないこと。
つまり、禅宗の僧侶が「悟った」と言っても、第一段階にも達してはいないのです。
805 :
南無大師遍照金剛:2007/07/15(日) 16:48:22 ID:akEgti8+
ヽ(´∇`)ノ
悟った
例えば歩けようになる
じゃ
あとは歩かなくてよいの?
悟った
あとは悟らなくてよいの?
悟るようになる
歩けようになる
悟れば終わりではなく
いつも悟りを上手く使えるようにならなきゃね
806 :
神も仏も名無しさん:2007/07/15(日) 22:15:19 ID:hOBEv0yA
>>805 悟りと禅定は違うのでは?
仏教の悟りとは、煩悩が段階的に消えていくことでしょう。
で、いったん消えた煩悩は二度と復活しないそうです。
ですから、使いこなすものではないのでは?
一度勘違いだと気付いてしまえば、二度と同じ勘違いをしないようなものでしょう。
今月か来月、接心か座禅会に参加したいんですけど
一般人の参加を受け付けてるお寺はあるでしょうか?
できれば東北で
808 :
南無大師遍照金剛:2007/07/16(月) 00:09:35 ID:ESSylQkZ
>>805 悟りと禅定は違うのでは? ←言わんとしてる意味が分からない
仏教の悟りとは、煩悩が段階的に消えていくことでしょう。←そうなの?初めて知りました。じゃ悟るって言葉は間違いだね
悟りつつあるってことだね
で、いったん消えた煩悩は二度と復活しないそうです。←なんで?幾等でも沸いてくるよ ?
ですから、使いこなすものではないのでは? ←へぇ〜そうなんだ。じゃ飾って置くのかな
一度勘違いだと気付いてしまえば、二度と同じ勘違いをしないようなものでしょう。 ←ごめん
俺何回も同じ過ちするから良く分からんよ
てか
仏教って苦を取り除いてナンボよヽ(´∇`)ノ
苦集滅道
苦の集まりを滅する為の道
それが仏教
809 :
神も仏も名無しさん:2007/07/16(月) 01:40:28 ID:RSiSJ3tB
>>804 >つまり、禅宗の僧侶が「悟った」と言っても、第一段階にも達してはいないのです。
十牛図って知ってる?
禅の知識を持ってから発言してみてらいかがでしょうか。
810 :
神も仏も名無しさん:2007/07/16(月) 04:57:55 ID:6h08QBPW
>>808 禅定は、釈尊登場以前からバラモンの仙人さん達が実践していました。
心には欲界心・色界心・無色界心の三界があり、
眼耳鼻舌身からの刺激に依存する欲界心は、私達の通常の心です。
色界心・無色界心は、人間が禅定に入っている時の心か、梵天の心です。
で、禅定に入っている間には煩悩は一時休止しますが、
禅定から出て欲界心にもどったら、煩悩は再発動してしまうのです。
ですから、禅定だけでは悟りではないのです。
それでも、自在に禅定を操れれば、
好きな時に煩悩を休止させられるようにはなるでしょう。
怒らないようにはならなくても、禅定で怒りを鎮めることはできるようになる。
811 :
神も仏も名無しさん:2007/07/16(月) 05:06:56 ID:6h08QBPW
>>808 一方、仏教の悟りは、たとえば怒りの煩悩が消えて、
二度と怒らなくなることです。
しかし、怒りが消えるのは悟りの第三段階くらいの話です。
悟りの第一段階で消える煩悩は、有身見・疑・戒禁取見の3つだそうです。
例えば心身が無常・無我だといったん気付いて(悟って)しまえば、
心身が実体であるという見解(有身見)は消えてしまうので、
二度と有身見は復活しません。
不必要な戒律や苦行や儀式への執着(戒禁取見)を
意味のないものだったのだと悟ってしまえば、
二度と戒禁取見は復活しません。
保守的な心(既存の概念や観念のため)により真理を確かめようとしない見解(疑)を
誤りだったと一度悟ってしまえば、二度と疑は復活しません。
812 :
神も仏も名無しさん:2007/07/16(月) 05:22:30 ID:6h08QBPW
>>808 次から次に煩悩が湧いてきても、
そのつど思考を停止させて煩悩による思考を中断させられるならば、
苦悩も中断できますよね。
しかし、悟っていないなら、また同じ煩悩がわいてくる。
たとえば儀式への執着について「なぁんだ必要でも大切でもなかったんだな」と悟れば、
二度とその儀式への執着は湧いてこない。
しかし、それについて悟っていなければ、同じ執着がまた湧いてくる。
読経やらマントラやら念仏やらの、禅定系の修行に没頭している間は、
その儀式への執着も忘れているから、
その儀式への執着による苦悩も消えている。
しかし、禅定系修行をやっていない日常生活の状態で、
つまり欲界心(眼耳鼻舌身に依存する心)において、
儀式に関することを見聞きしたりしたら、
「あ、そろそろあの儀式の準備をやらなきゃ。めんどくせーなぁもうっ!
でも大事なことだからな、でもめんどくせーなぁ!」
などと、儀式への執着とそれに伴う苦悩が復活しちゃうのです。
813 :
神も仏も名無しさん:2007/07/16(月) 05:38:03 ID:6h08QBPW
>>809 十牛図ってどんなんでしょうね…
まちがって煩悩即菩提の思想になると仏教じゃなくなるかも。
禅定を使いこなせるようになり、欲や怒りを好きなところで中断できるようになれば、
欲や怒りも恐るるに足りないかもしれません。
しかし、欲や怒りが湧いてくるなら、まだ欲や怒りが消えてないから、
二段階目の悟りにいくかいかないかくらいの状態ではないでしょうか。
禅僧には、無常無我を知って、真理を疑わず、
儀式や苦行やしきたりへの執着もないような、
悟りの第一段階にいってるような人がたくさんいます。
それでもまだ、欲や怒りが湧いてくるという人も多い気がします。
十牛図なんかがあるために、悟りの第一段階で止まっちゃってるのでは?
814 :
神も仏も名無しさん:2007/07/16(月) 06:49:22 ID:EcdzwII8
>>……………………………………………………………………………
811
悟りの第一段階で消える煩悩は、有身見・疑・戒禁取見の3つだそうです。
例えば心身が無常・無我だといったん気付いて(悟って)しまえば、
心身が実体であるという見解(有身見)は消えてしまうので、
二度と有身見は復活しません。
不必要な戒律や苦行や儀式への執着(戒禁取見)を
意味のないものだったのだと悟ってしまえば、
二度と戒禁取見は復活しません。
保守的な心(既存の概念や観念のため)により真理を確かめようとしない見解(疑)を
誤りだったと一度悟ってしまえば、二度と疑は復活しません。
>>……………………………………………………………………………
身見=『無常・無我』を悟らない間違い。肉体を我と考える間違い。
戒取の意味は、その逆で、戒律を守らないことをいいます。
疑=仏の言葉、仏の法、弟子の言葉を疑うこと、いわゆる仏法を疑うことです。
815 :
神も仏も名無しさん:2007/07/16(月) 07:05:56 ID:EcdzwII8
>>……………………………………………………………………………
809 :神も仏も名無しさん:2007/07/16(月) 01:40:28 ID:RSiSJ3tB
>>804 >つまり、禅宗の僧侶が「悟った」と言っても、第一段階にも達してはいないのです。
十牛図って知ってる?
禅の知識を持ってから発言してみてらいかがでしょうか。
>>……………………………………………………………………………
もちろん知っています。
禅定も原始仏教の一部であり、そこから発達させたものです。
だから、仏教の論理を無視して禅定を行っても意味はないのです。
例えば、競馬に熱中している者がいるとします。この競馬への執着が禅定によって治すことができますか?
ますます、競馬に集中してしまうだけです。仏教の教理を飛び越えて、禅定をするからです。
まず、競馬を分析します。つまり苦の分析です。
自分が買った馬券の金はどうなるのか。その金から競馬場の使用料を引き、馬の飼育料を引き、騎手の賞金を引き、馬主やら厩舎のいろいろな経費を引く、そして残った金をお客さん達で奪い合っている。
この真実を悟り、これによって、競馬の実体を知ることによって、競馬の執着から離れるのと同じです。
禅定というのはこういう法則を考えることをいうのです。これを禅思といいます。
仏法はこのように苦の分析から始まるのです。
おじちゃんたちぎぜんしゃなの?
817 :
南無大師遍照金剛:2007/07/16(月) 08:45:48 ID:ESSylQkZ
>>810 は
>>806?
だったら
こてはん着けようね
(´・ω・`)矛盾しまくらちよこ
いみわかめ
818 :
南無大師遍照金剛:2007/07/16(月) 08:46:43 ID:ESSylQkZ
819 :
神も仏も名無しさん:2007/07/16(月) 09:46:06 ID:6h08QBPW
>>816 禅定は、三昧のことではないんですか?
三昧に入っているときに苦の法則を分析するのでしょうか?
苦の分析などは禅定というより智慧では?
仏教は戒・定・慧の三学と言われます。
仏教の悟りは、慧(智慧・観)ではないでしょうか。
定(禅定・三昧・止)だけでは悟りじゃないのでは?
820 :
南無大師遍照金剛:2007/07/16(月) 10:08:00 ID:ESSylQkZ
禅定には、止と観の両面があるのではないですか。
822 :
神も仏も名無しさん:2007/07/16(月) 11:19:08 ID:iInSTQNk
>>……………………………………………………………………………
819 :神も仏も名無しさん:2007/07/16(月) 09:46:06 ID:6h08QBPW
>>816 禅定は、三昧のことではないんですか?
三昧に入っているときに苦の法則を分析するのでしょうか?
苦の分析などは禅定というより智慧では?
仏教は戒・定・慧の三学と言われます。
仏教の悟りは、慧(智慧・観)ではないでしょうか。
定(禅定・三昧・止)だけでは悟りじゃないのでは?
>>……………………………………………………………………………
そうです。禅定はほとんど考えることなのです。
禅定で考え、苦を分析して考えることによって、智慧(法則)を知るのです。
まず、「十不善行」などの戒めを守ること、次に禅定(定)で考えること。次に法則を理解する智慧が生じる。次に解脱すること。次に解脱したことを自分自身で悟ること。
これが『戒・定・慧・解脱・解脱知見』です。
823 :
神も仏も名無しさん:2007/07/16(月) 14:06:14 ID:6h08QBPW
>>822 止(サマタ・禅定)と観(ビバシャナ・智慧)との違いは何ですか?
824 :
神も仏も名無しさん:2007/07/16(月) 14:13:46 ID:iQwzLNYX
>>823 :神も仏も名無しさん:2007/07/16(月) 14:06:14 ID:6h08QBPW
>>822 止(サマタ・禅定)と観(ビバシャナ・智慧)との違いは何ですか?
仏の論理(智慧)を知る修行。つまり八正道や四念処観など三十七菩提の修行を『観』といい、はじめに行う修行です。
したがって、仏教のほとんどがこの修行と言えます。
『止』の修行は、この三十七菩提の修行を終えた者の修行といっていいでしょう。
四禅という四段階の修行の中、初禅は『観』の修行です。その後『第二禅〜第四禅』と『止』の修行を行うことになるのです。
825 :
神も仏も名無しさん:2007/07/16(月) 17:38:50 ID:0zUpCyTX
『仏教の目的は「一切の喜楽を滅すること」です。』
『この世の一切の苦は喜楽から変化するからです。』
禅定には四禅といって『初禅→第二禅→第三禅→第四禅』と四段階の修
行になっています。
まず、初禅は
>>815で競馬の例で述べたように、法則によって喜楽を滅
尽する修行なのです。これが『観』の修行です。観察するからです。
こうして、この世に対する喜楽が滅尽されたら、第二禅の修行に入るの
です。第二禅は喜楽が無くなった喜びに浸るという修行でこれは『止』
の禅定に入ります。
826 :
南無大師遍照金剛:2007/07/16(月) 22:39:38 ID:ESSylQkZ
苦を取り除く為に喜をも取り除く?
(´・ω・`)お釈迦様
そんなこと言ってましたっけ?
クックックッ(`ー´)
有学なり南無♪
828 :
神も仏も名無しさん:2007/07/16(月) 23:17:04 ID:6h08QBPW
>>824 順番が逆ではないでしょうか?
止(禅定)の訓練で集中力を養ってから、観(智慧)をやるのでは?
829 :
神も仏も名無しさん:2007/07/16(月) 23:21:29 ID:6h08QBPW
830 :
神も仏も名無しさん:2007/07/16(月) 23:30:02 ID:6h08QBPW
禅定を最終目的にするのなら、仏教じゃなくなる気がします。
悟りの最終段階である阿羅漢になるためには、
色界と無色界への執着もなくさなければならないそうです。
色界と無色界は、禅定の世界です。
初禅から四禅までが色界の心で、五禅から八禅までが無色界の心です。
これらの禅定の世界はすばらしいものだそうですが、
そんなすばらしい禅定の世界への執着も煩悩です。
禅定を最終目的にしてしまうと、
梵我一如や自体不二や如来蔵を目的にしちゃって、
仏教以前のバラモンの仙人さん達の境地と大差なくなってしまいます。
仏教は、智慧によって、
あらゆる煩悩と煩悩の親玉である無明を滅ぼす教えでしょう。
831 :
神も仏も名無しさん:2007/07/16(月) 23:40:28 ID:6h08QBPW
>>826 初禅の心には、尋・伺・喜・楽・一境性という五つの心所がある。
二禅では、尋・伺が消えて喜・楽・一境性の三つになる。
三禅では、喜も消えて楽・一境性になる。
四禅では、楽も消えて一境性のみになる。
一境性とは、心の対象との一体感のことです。
何か一つの対象を観想して(智慧の観とはちがう)集中することで、
その対象との一体感あ生じることにより、初禅から四禅の色界心に入っていく。
テーラワーダと禅宗とでは禅の定義からして違うのです。
833 :
神も仏も名無しさん:2007/07/17(火) 00:00:07 ID:WNta4NDx
>>832 なるほど。
禅宗における「禅」の定義とは何でしょう?
禅の根本思想は
不立文字・教外別伝
直指人心・見性成仏
にある。
835 :
神も仏も名無しさん:2007/07/17(火) 07:03:06 ID:qKroUF/k
>>……………………………………………………………………………
831 :神も仏も名無しさん:2007/07/16(月) 23:40:28 ID:6h08QBPW
>>826 初禅の心には、尋・伺・喜・楽・一境性という五つの心所がある。
二禅では、尋・伺が消えて喜・楽・一境性の三つになる。
三禅では、喜も消えて楽・一境性になる。
四禅では、楽も消えて一境性のみになる。
一境性とは、心の対象との一体感のことです。
何か一つの対象を観想して(智慧の観とはちがう)集中することで、
その対象との一体感あ生じることにより、初禅から四禅の色界心に入っていく。
>>……………………………………………………………………………
初禅では喜・楽を捨てる修行で、尋・伺は『法を伺い尋ねる』ことを言います。『有覚有観』ともいいます。これは智慧を得るための『観』の修行法です。
第二禅では『尋・伺』が消える、つまり『法を伺い尋ねる』ことをやめる、つまり『無覚無観』で何も考えないという修行になるのです。これが『止』です。喜楽や苦の思考の停止です。
また、第二禅の喜楽は初禅の喜楽とは意味が違います。
一般的な喜楽を捨て、心が楽になったときの喜楽という意味です。
836 :
神も仏も名無しさん:2007/07/17(火) 07:55:42 ID:WNta4NDx
そういう解釈は初めて聞きました。
尋は言葉による思考で、伺は言葉によらない思考だと聞いたことはあります。
禅定をつくるための修行がサマタ(止)で、
智慧をひらくための修行がヴィパッサナー(観)ではないのですか?
止で集中力を養った上で、ものごとをありのままに観察するのでは?
837 :
神も仏も名無しさん:2007/07/17(火) 07:58:13 ID:WNta4NDx
>>835すみません、 三禅・四禅についても解釈おねがいします。
838 :
南無大師遍照金剛:2007/07/17(火) 09:59:26 ID:UTbW+wKz
(´・ω・`)
仏教は苦を取り除く教え
中道も八正道も
苦を取り除け無ければ間違い
勿論、禅もね
839 :
神も仏も名無しさん:2007/07/17(火) 10:44:25 ID:TwkaRPgn
>>837 :神も仏も名無しさん:2007/07/17(火) 07:58:13 ID:WNta4NDx
>>835すみません、 三禅・四禅についても解釈おねがいします。
★第三禅
第二禅の喜楽の滅尽による喜楽もなくなり、心が安楽になる。
そして、聖者のように正しい智慧が湧いてくる。
★第四禅
第三禅によって心は安楽となっている。初禅〜第三禅で苦と楽が滅せら
れているので、ここでは『苦でも楽でもないもの』を滅する。この世の
一切の思考を完全に滅尽し、心は「空」となる。
840 :
神も仏も名無しさん:2007/07/17(火) 12:49:53 ID:iC/1xe2v
禅宗では『大梵天王問仏決疑経』によって、釈尊から摩訶迦葉一人に法が付嘱されたとし、その法
を禅宗の開祖の達磨(達磨大師)が付法蔵の第二十八祖として付嘱を受けたとしています。また、仏
の教えは経文の外に別に伝えられたものであるとして、「以心伝心」「即身成仏」を主張しています。
これに対し大聖人は、達磨が付法蔵の二十八祖であるとの説は仏説にないこと、『決疑経』等を用い
ながら「不立文字」を主張することは自語相違であること、その『決疑経』が偽経であること、己れ
の心を師とする坐禅は仏の教えを蔑ろにするものであることなど挙げて、その邪義を破折されてい
ます。そして、
「仏全く教外に別伝ありと仰せられず。若しありといはヾ外道の法なるべし、天魔の所説、正法
破滅の源なり」(禅宗天台勝劣抄 新編333)
と仰せられ、禅宗は仏教の中にも入らない天魔の説であると教示されています。
841 :
神も仏も名無しさん:2007/07/17(火) 13:26:20 ID:/SOdjT1f
しかし公案などは心の執着を断ち切る技術なのでは?
以心伝心に近い
842 :
神も仏も名無しさん:2007/07/17(火) 13:29:43 ID:/SOdjT1f
読み間違えでした
よく仏教では在るがままを見よと言いますが
心も存在して居るのですから
心を見つめるのはそれなりに有益かと思うのですが
どっちもどっちw
社会的に穏健な分だけ禅宗の方がましじゃね?w
>>840
844 :
波木井坊竜尊@日蓮宗葵講 ◆rMNMPSLh1Y :2007/07/17(火) 13:47:11 ID:aspsHoG+
しかし禅宗系、自我の肥大症候群があるよな。
>>844 2chの禅宗は、マニアな居士の野狐禅だからwww
846 :
神も仏も名無しさん:2007/07/17(火) 14:31:51 ID:HXIzvoTc
>>842 :神も仏も名無しさん:2007/07/17(火) 13:29:43 ID:/SOdjT1f
>>読み間違えでした
>>よく仏教では在るがままを見よと言いますが
>>心も存在して居るのですから
>>心を見つめるのはそれなりに有益かと思うのですが
八正道の『正見』を『在るがままに見る』と訳したのはとんでもない間
違いです。『正見』の意味は、『この肉体を自分自身と見ない。非我』を
正見つまり正しく見る。というのです。
847 :
神も仏も名無しさん:2007/07/17(火) 14:35:06 ID:HXIzvoTc
>>840 仏の教え以外を仏教と呼ぶのは、仏教捏造です。
848 :
神も仏も名無しさん:2007/07/17(火) 14:52:52 ID:/SOdjT1f
八正道の『正見』を『在るがままに見る』と訳したのはとんでもない間 違いです。『正見』の意味は、『この肉体を自分自身と見ない。非我』を 正見つまり正しく見る。というのです。
しかしその解釈の正しさの根拠はどこにあるんですか?
八正道は
苦の集まりを滅する道
つまり苦を滅することが出来る道でなくてはならない
苦を滅することの出来ない解釈の八正道は間違い(´・ω・`)
>>849 水子は、存在するのですか?
その除霊のために、写経を奨めたりする人は、いんちきですか?
851 :
神も仏も名無しさん:2007/07/17(火) 15:35:46 ID:uWFjoFh2
>>849 :南無大師遍照金剛:2007/07/17(火) 15:07:01 ID:UTbW+wKz
>>八正道は
>>苦の集まりを滅する道
>>つまり苦を滅することが出来る道でなくてはならない
>>苦を滅することの出来ない解釈の八正道は間違い(´・ω・`)
四聖諦とは何か。
苦聖諦 苦を如実に知る。 生老病死憂悲悩苦
苦集聖諦 苦がなぜ集まるかを知る。 欲望と愛着による。
苦滅聖諦 苦を滅する法を知る。 欲望と愛着を滅する。
苦滅道跡聖諦 苦が起きない修行法を知る。 八正道を修行する。
852 :
神も仏も名無しさん:2007/07/17(火) 15:45:40 ID:uWFjoFh2
↑
すなわち、一切の苦は『欲望と愛着』によって生まれる。
したがって、『欲望と愛着』を滅すれば、『苦』が滅する。
と言うことです。
>>844 本覚思想の悪い部分をまんま受け継いでるとこ、あるからね>禅宗
「ありのままの自分のままで仏」とか素で言いかねないとこがイタすぎる。
この辺の改善には山口組の糾弾に期待したいとこですな。
854 :
南無大師遍照金剛:2007/07/17(火) 16:37:16 ID:UTbW+wKz
>>852 神も仏も名無しさん 2007/07/17(火) 15:45:40 ID:uWFjoFh2
↑
すなわち、一切の苦は『欲望と愛着』によって生まれる。
したがって、『欲望と愛着』を滅すれば、『苦』が滅する。
と言うことです。
(´・ω・`)中道に反しまっせ♪
旦那
855 :
神も仏も名無しさん:2007/07/17(火) 17:07:19 ID:vW2Ks1bZ
>>(´・ω・`)中道に反しまっせ♪
>>旦那
残念ながら、一般に中道の意味を間違えている。
856 :
南無大師遍照金剛:2007/07/17(火) 17:08:36 ID:UTbW+wKz
858 :
神も仏も名無しさん:2007/07/17(火) 18:12:26 ID:0sXjm/5H
>>856 『欲望と愛着』を滅すれば、『苦』が滅する。は中道とは関係ないでっせ。
んで、
そんな質問に逃げつづる精神的な働きは?
やっぱり、中道?
んで、
さっぱり成長しない南無の修行方法は?
写経?
念仏?
是非、質問しまぁ〜す(^o^)/
860 :
南無大師遍照金剛:2007/07/17(火) 18:18:54 ID:UTbW+wKz
>>858 中道と八正道は深く関わってます(´・ω・`)
おっ、昔みたいに、あちこち興奮して、
基地外みたいに騒がなくはなったんだな(笑
写経なんてむりだぁ〜( ̄□ ̄;)!!
霊障だぁ〜ヽ(^。^)ノ
とか、よくやってたじゃん。
いゃぁ〜、そんな南無が、中道とは・・・・・・・・・・・・
まして、八正道・・・・・・・・・・・・・・・・・・
まあ、人間は皆、厚顔無恥であるべきだ(^o^)/
>>859 お応えしまし。
> やっぱり、中道?
彼は空を体験したらしいから中道かもね?
> さっぱり成長しない南無の修行方法は?
いやいや。既に空を体験したらしいから、ボサツ位にあるのかもよ?
だから、成長しないんじゃなくて、きっとボクラの程度に合わせて下さってるんだよ、たぶんきっとそんな感じ?
>>861 >まあ、人間は皆、厚顔無恥であるべきだ(^o^)/
君と南無は完璧にクリア出来てるよ♪
>>862 なるほど、それで、痛いくらいに下品なんですね。
深く、納得しましたwwwwwwww
南無様、どうぞ、相手のレベルに合わせて、これからも講釈してください(^o^)/
>>863 わっ( ̄□ ̄;)!!
しょうきょうさんがいないのが意外だったんですけど、
しょうきょうさんの「レベルが高い」って、意味なんですねヽ(^。^)ノ
さすがw!
>>866 ここは、仏教の「まじめ」な質問スレです。
嵐行為や自スレの宣伝行為等はおやめください(^o^)/
868 :
神も仏も名無しさん:2007/07/17(火) 19:13:37 ID:WNta4NDx
>>854 中道とは、快楽主義でもなく苦行主義でもないという意味であり、
それ以上に余計な意味をつける必要ないのでは?
煩悩を消すための修行(八正道・六波羅蜜・三学)は、
快楽を追いもとめる行為でも苦行でもないので、
中道ではないでしょうか。
>>867 あ!
ゴメンね?
目的は済ませたから、逃げまーす。
お邪魔しやした〜。
((((((((^_^)
870 :
神も仏も名無しさん:2007/07/17(火) 20:26:38 ID:I2Dt0Lmc
>>……………………………………………………………………………
868 :神も仏も名無しさん:2007/07/17(火) 19:13:37 ID:WNta4NDx
>>854 中道とは、快楽主義でもなく苦行主義でもないという意味であり、
それ以上に余計な意味をつける必要ないのでは?
>>……………………………………………………………………………
これも中道の一つではあります。
871 :
南無大師遍照金剛:2007/07/17(火) 20:38:03 ID:UTbW+wKz
中道って
ナーガールジュナじゃねーの(´・ω・`)
872 :
神も仏も名無しさん:2007/07/17(火) 20:42:11 ID:I2Dt0Lmc
>>彼は空を体験したらしいから中道かもね?
空は体験するものではなく、『空=幻』という意味です。
873 :
素人:2007/07/17(火) 20:46:37 ID:hzrQ16xv
874 :
南無妙法蓮華経:2007/07/17(火) 20:58:33 ID:iC/1xe2v
俺のところでは、南無妙法蓮華経の五字七字が
仏教のすべてだと、教わります。
大海(仏教)から、一滴(南無妙法蓮華経)を取り出すと、
その一滴に、大海原の成分が、ことごとく具足している、ということらしい。
南無妙法蓮華経
^_^
875 :
南無妙法蓮華経:2007/07/17(火) 20:59:18 ID:iC/1xe2v
南無妙法蓮華経は、ありがたいです。
南無妙法蓮華経
^_^
876 :
神も仏も名無しさん:2007/07/17(火) 21:40:17 ID:2vCEW2EB
>>872 般若心経の『色即是空』は『色即是幻』という意味で、
物質は即ち是れ幻である。という意味です。
877 :
南無大師遍照金剛:2007/07/17(火) 21:50:16 ID:UTbW+wKz
(´・ω・`)
空は空気の空
目に見えなくてもあるの
878 :
ゴミ捨て@占術・呪術@ザビビ:2007/07/17(火) 21:52:22 ID:yHhHVwJG
ゴミ捨て@占術・呪術@ザビビ 52 :賢者 158 :つかいま 300 クサ 腐っ オエ おけけ 3 名前: T-G クサ 腐っ オエ
ゴミ捨て@占術・呪術@ザビビ クサ 腐っ オエ クトルゥー クサ 腐っ オエ ゴミ捨て@占術・呪術@ザビビ
クサ 腐っ オエ
クサ 腐っ オエ 53 :森のネクトン クサ 腐っ オエ 52 :賢者 3 名前: T-G
クサ 腐っ オエ クトルゥー300
158 :つかいま 3 名前: T-G クサ 腐っ オエ ゴミ捨て@占術・呪術@ザビビ 52 :賢者
クサ 腐っ オエ クサ 腐っ オエ 52 :賢者
ゴミ捨て@占術・呪術@ザビビ クサ 腐っ オエ
クサ 腐っ オエ 158 :つかいま
クサ 腐っ オエ 300 クサ 腐っ オエ 158 :つかいま
クサ 腐っ オエ クサ 腐っ オエ ゴミ捨て@占術・呪術@ザビビ クサ 腐っ オエ ゴミ捨て@占術・呪術@ザビビ
クサ 腐っ オエ クトルゥー
クサ 腐っ オエ 300 クサ 腐っ オエ
クトルゥー
ゴミ捨て@占術・呪術@ザビビ
クサ 腐っ オエ おけけ 158 :つかいま クトルゥー
クサ 腐っ オエ 3 名前: T-G
クサ 腐っ オエ ゴミ捨て@占術・呪術@ザビビ クサ 腐っ オエ ゴミ捨て@占術・呪術@ザビビ
879 :
神も仏も名無しさん:2007/07/17(火) 21:59:35 ID:WNta4NDx
880 :
神も仏も名無しさん:2007/07/17(火) 22:01:16 ID:WNta4NDx
>>871 ナーガールジュナは、中観(中観派)じゃないの?
中道とは、苦行でも快楽追求でもないという意味では?
881 :
南無大師遍照金剛:2007/07/17(火) 22:44:34 ID:UTbW+wKz
そもそも苦行と快楽は対なの?(´・ω・`)
苦しい修行は苦行
楽な修行は快楽なの?
(°∀°)へぇ〜♪
882 :
南無大師遍照金剛:2007/07/17(火) 22:50:08 ID:UTbW+wKz
(°∀°)お釈迦様は苦を取り除くには
快楽も取り除けなんて言ってないよ?
お釈迦様は苦を取り除いたり苦を発生させない手段を示したけど
苦や快を滅することが仏教の目的なんて言ってないぉ(°∀°)♪
883 :
神も仏も名無しさん:2007/07/17(火) 23:25:20 ID:WNta4NDx
>>882 そんなこと言ってませんよね。
煩悩による欲望・野望を叶えること(快楽)を目指すのでもなく、
苦行で来世に快楽を貯金するのでもなく、
煩悩を消すことで苦悩を消すのが中道ではないでしょうか。
884 :
神も仏も名無しさん:2007/07/17(火) 23:31:34 ID:WNta4NDx
お金持ちになりたいけど今は貧乏だということで悩んでる人がいたとする。
お金持ちになるのをめざすのが、快楽を求める行為。
今ガマンして貧乏生活していれば来世で天国とかに行ってぜいたくできると
信じて痩せガマンするのが、苦行。
お金持ちになりたいとかぜいたくしたいとか貧乏は嫌だとかいう煩悩を
智慧によって消すことで、苦悩を消すのが、中道でしょう。
885 :
神も仏も名無しさん:2007/07/17(火) 23:41:48 ID:WNta4NDx
>>874 ある意味正しいが、結局お題目はお題目にすぎない。
喩えるなら、
色んな教えが、お魚食べろとか牛乳飲めとか言ってるとする。
これに対し法華経は、「カルシウム摂取しろ」と言ってる。
「南無妙法蓮華経」とは、「カルシウムはいいぞ!カルシウム万歳」みたいなもん。
で、それはあらゆる教えを総括した大号令ではあるかもしれない。
しかし結局、具体的にカルシウムを摂取する方法は説いていないわけです。
実際に進歩するには、
やはり魚や牛乳を摂取しろという教えにもどるしかない。
お題目は、「仏教万歳!仏教はすばらしいぞ!」という程度の意味でしょう。
886 :
南無大師遍照金剛:2007/07/17(火) 23:43:17 ID:UTbW+wKz
>>883 神も仏も名無しさん 2007/07/17(火) 23:25:20 ID:WNta4NDx
>>882 そんなこと言ってませんよね。
煩悩による欲望・野望を叶えること(快楽)を目指すのでもなく、
苦行で来世に快楽を貯金するのでもなく、
煩悩を消すことで苦悩を消すのが中道ではないでしょうか。
逆でおま(°∀°)
中道によって苦悩を消す
苦悩を取り除くことが出来ないなら
その中道は間違い
仏教は自己満足じゃなぁ〜い♪
887 :
神も仏も名無しさん:2007/07/17(火) 23:47:10 ID:WNta4NDx
>>886 ?逆でも意味かわらない気がしますが。
煩悩を消して苦悩を消すのが中道なんだから、
煩悩を消せず苦悩を消せないなら中道じゃないですね。
中道は煩悩を消して苦悩を消す道なんだから、
煩悩を消して苦悩を消せないならなら中道じゃないですね。
888 :
南無大師遍照金剛:2007/07/17(火) 23:52:36 ID:UTbW+wKz
>>884 お金持ちになりたいけど今は貧乏だということで悩んでる人がいたとする。
お金持ちになるのをめざすのが、快楽を求める行為。←快楽じゃねーべ
お金持ちなるのを目指すのとお金持ちは別でそ?
今ガマンして貧乏生活していれば来世で天国とかに行ってぜいたくできると
信じて痩せガマンするのが、苦行。
お金持ちになりたいとかかぜいたくしたいとか貧乏は嫌だとかいう煩悩を
智慧によって消すことで、苦悩を消すのが、中道でしょう。
貧乏いやなら金持ちなれば良いじゃん
お金持ちになることが問題じゃない
お金持ちになるためにどのような手段をとるかが問題
人をだまくらかして金持ちになるのと
人に尽してその結果金持ちになるのとは違うでそ(´・ω・`)
仏教は
因縁果報を正しく読み利用し
その結果苦悩を取り除く
因縁果報を正しく読めば
未来の苦悩を避けることが出来るでそ(°∀°)
889 :
神も仏も名無しさん:2007/07/17(火) 23:53:33 ID:WNta4NDx
釈尊の当時は、一般の人々は欲望をかなえるために頑張っていて、
一方で出家者達は苦行に精を出していた。
で、釈尊の教えはそのどちらでもない新しい立場だ、
ということをわかりやすく表現した言葉が、「中道」でしょう。
「第三の立場」という意味でしょうね。
890 :
神も仏も名無しさん:2007/07/17(火) 23:59:26 ID:WNta4NDx
>>888 お金持ちになることは問題じゃないけれど、
お金持ちになりたいと思う煩悩は、苦悩の原因だから問題ではないでしょうか。
「お金持ちになれてうれしいな」という達成感も快楽だと思いますよ。
煩悩がなくなり、お金持ちになってもならなくてもどちらでもいいと思えるなら、
快楽を追い求める必要もなくなります。
891 :
南無大師遍照金剛:2007/07/18(水) 00:04:40 ID:UTbW+wKz
仏教は
我慢するための教えじゃなく
未来を予測する教えだよ
未来を正しく予測し
正しく行動すれば
苦悩を消したり避けたり出来る教え
その為に
自問自答や禅そして瞑想をする
(´・ω・`)
たまにお経も読もうね
892 :
神も仏も名無しさん:2007/07/18(水) 00:06:34 ID:CxxMHn7F
>>888 金持ちになっても、すべて無常で空なんですから、意味ないでしょう。
「貧乏嫌だ」という気持ちも無常で空なのだから、
金持ちにならなくても「貧乏嫌だ」を消すことは可能でしょう。
金持ちになりたい人の誰もがもれなく金持ちになることなど、無理じゃないですか。
もちろん、金持ちになりたくなくても、金持ちになってしった人もいるでしょう。
金持ちとか貧乏とかを気にしなくなれる修行が、中道ではないでしょうか。
893 :
南無大師遍照金剛:2007/07/18(水) 00:08:38 ID:xnegZWxH
金持ちなりたきゃ成ればいいじゃん
金持ちなっても苦悩にならない為の教えが仏教なんだって
全ての欲が苦悩を産むわけじゃないから
そもそも金持ちになりたいのがどんな苦悩を産むのさ
(°∀°)
894 :
南無大師遍照金剛:2007/07/18(水) 00:10:04 ID:xnegZWxH
無情と無常
おんなじだと思ってない?(°∀°)
895 :
神も仏も名無しさん:2007/07/18(水) 00:12:44 ID:CxxMHn7F
>>891 苦悩を感じながら未来のために苦悩を我慢してるなら、
それは苦行であって中道じゃないでしょうね。
未来のため未来のためと言って今・ここで苦しんでてはしょうがないです。
今・ここの、この瞬間に苦悩を消す方法が、仏教でしょう。
感情は、捕まえておくから逃げないのであり、
捕まえなければ勝手に過ぎ去ります。
過去は過ぎ去りもう無い。未来は未だ来たらずまだ無い。
今・ここをありのままに観るならば、苦悩はありません。
896 :
南無大師遍照金剛:2007/07/18(水) 00:14:20 ID:xnegZWxH
無常とは
いつも同じじゃない
その無常は不規則に変化するんじゃなく
空という法則に支配されているんだよ
だから空を正しく読み正しく行動すれば苦悩を取り除けるの(°∀°)
空=無なんて仏教の教えじゃねーから
897 :
南無大師遍照金剛:2007/07/18(水) 00:15:57 ID:xnegZWxH
未来は変えるもんなんだよ
それが仏教の教えなんだって(´・ω・`)
898 :
神も仏も名無しさん:2007/07/18(水) 00:18:45 ID:CxxMHn7F
>>893 「なりたい」は苦悩を産みます。
なりたくてもなれないことが多いし。
「なりたい」じゃなく「なろう」なら、まぁいいかもしれません。
「なりたい」→「なれない」→「なりたいけどなれない」(苦悩)となる。
「なろう」→「なれない」→「なれないなら他の手段を」と、サッサと生きていける。
899 :
神も仏も名無しさん:2007/07/18(水) 00:25:40 ID:CxxMHn7F
>>896 「空」=「無」とは言ってません。
「空」=
「正しい認識ではない、勘違い、早とちり、余計な情報がついたこと、判断しすぎ」
だと思います。
「空」は、法則でも真如でもないと思います。
900 :
神も仏も名無しさん:2007/07/18(水) 00:32:07 ID:CxxMHn7F
判断・概念・観念に対して「これは空だ」と気付けば、苦悩は取り除けるでしょうね。
たとえば、「金持ち」とか「貧乏」とかいう観念は、余計な判断であり、空です。
個々のできごと・場面は、
何かを買おうとして、そのためには具体的にいくら必要で、
結果的に手持ちがなくて買えないという事実確認だけでいいでしょう。
「金持ちじゃないから」「もっと金持ちだったら」とかいう思考は、
その場面が縁となって頭が妄想してるだけです。
901 :
神も仏も名無しさん:2007/07/18(水) 00:44:05 ID:CxxMHn7F
>>894 そんなこと言ってませんよ…。
「金持ちになりたい」という思考は、無常ですよね。
普段「金持ちになりたい」と思ってる人でも、
毎日24時間「金持ちなりたい金持ちなりたい金持ちなりたい…」と
たえまなく念じてるわけじゃありません。
メシ食うときはメシの味について考えたり、
トイレットペーパーちぎるときは手の動きを意識したり。
「金持ちになりたい」を思い出したときだけ、
「金持ちになりたい」と苦悩してるだけです。
で、心は、同時に二つのことを考えられません。
ですから、「金持ちになりたい」ということ意外のことを考えてやれば、
「金持ちになりたい」は消えます。
また、心は変化しつづけるので、「金持ちになりたい」というのは一瞬で忘れてしまってます。
ただ、また思いだしちゃうからいけないのです。
そして、頻繁に思出してるのをあとで勘違いして、
「一日中そのことばかり考えてた」と思ってしまってるだけです。
「あ、また思いだしちゃった。これは空だ、妄想だ。忘れよ。」でいい。
902 :
南無大師遍照金剛:2007/07/18(水) 01:04:32 ID:xnegZWxH
>>901 現実逃避して楽しいですか(´・ω・`)
てか
貴方は禅すらしたことないでしょうね
903 :
狗追う者とは 狗を馬上騎射する者:2007/07/18(水) 01:28:31 ID:Heyxa0r7
>>838 > (´・ω・`)
> 仏教は苦を取り除く教え
> 中道も八正道も
> 苦を取り除け無ければ間違い
> 勿論、禅もね
苦、とは?
904 :
南無大師遍照金剛:2007/07/18(水) 01:48:53 ID:xnegZWxH
906 :
狗追う者とは 狗を馬上騎射する者:2007/07/18(水) 02:19:16 ID:Heyxa0r7
>>904 >
>>903 > (´・ω・`)知らんがな
そうだったんですか・・・知らんがな教祖、だったのですね・・・[壁]* ¨)* ¨) チラッチラッ
907 :
神も仏も名無しさん:2007/07/18(水) 07:57:21 ID:CxxMHn7F
>>902 現実逃避ではありません。
現実の煩悩を消せば現実の苦悩が消える。
現実的で具体的です。
あなたのおっしゃっていた、法則うんぬん、未来うんぬんという方法は、
現実的なのでしょうか?
908 :
神も仏も名無しさん:2007/07/18(水) 07:59:12 ID:CxxMHn7F
>>891 未来を正しく予測して正しく行動するとは?
具体例をお願いします。
909 :
南無大師遍照金剛:2007/07/18(水) 08:16:57 ID:xnegZWxH
>>908 八正道って述べてご覧よ
八正道から説明してあげるから
(*´Д`)
910 :
神も仏も名無しさん:2007/07/18(水) 08:27:07 ID:CxxMHn7F
>>909 述べてごらんよ、とは?
列挙しろという意味?今どき検索すればすぐでますが、
レスの無駄では。
どうぞ説明してください。
ちゅか、おまえら好い加減ナムはNG登録しろよw
無駄にスレ消費するんじゃねぇ
912 :
南無大師遍照金剛:2007/07/18(水) 08:41:03 ID:xnegZWxH
>>910 八正道そのままが
未来を正しく予測し
正しく行動することなんだよ
てか
君リアル厨房か消防だよね?
日本語の使い方のレベルが低い
ちゃんと国語辞典くらい引きながら書き込みしましょう
(°∀°)♪
まあ、南無に質問してる時点で、終わってるんだけどねw
しかし、いつまで、この馬鹿をほっとくつもりなんだろうねぇ〜
914 :
神も仏も名無しさん:2007/07/18(水) 12:36:27 ID:CxxMHn7F
>>912 たしかに、煩悩が苦悩の原因なのですから、
八正道で煩悩を消せれば、未来の苦悩も消せますね。
とりあえず、『南無の仏教質問箱』を別スレで立ち上げることにすれば?
本人は、喜ぶと思うよ。
質問者がいるかどうかわからないけど・・・・・・・・・・・・
916 :
南無大師遍照金剛:2007/07/18(水) 14:26:02 ID:xnegZWxH
917 :
神も仏も名無しさん:2007/07/18(水) 15:51:52 ID:KCIBhMij
>>899 :神も仏も名無しさん:2007/07/18(水) 00:25:40 ID:CxxMHn7F
>>896 「空」=「無」とは言ってません。
色即是空=物質(色)は即(すなわ)ち是(こ)れ空である。
無色受想行識=物質・感受・想念・行為・知識は無である。
つまり、『空=無』ということである。
918 :
南無大師遍照金剛:2007/07/18(水) 17:20:22 ID:xnegZWxH
>>917 何故
色即是無とせず
色即是空としたか?
空と無は別だから
(´・ω・`)
919 :
狗追う者とは 狗を馬上騎射する者:2007/07/18(水) 19:55:53 ID:V1lDxoKF
>>912 >
>>910 > 八正道そのままが
> 未来を正しく予測し
> 正しく行動することなんだよ
> てか
> 君リアル厨房か消防だよね?
> 日本語の使い方のレベルが低い
> ちゃんと国語辞典くらい引きながら書き込みしましょう
> (°∀°)♪
(笑)
正しいって、なんでしょうね・・・?
920 :
狗追う者とは 狗を馬上騎射する者:2007/07/18(水) 19:57:28 ID:V1lDxoKF
>>917 >
>>899 :神も仏も名無しさん:2007/07/18(水) 00:25:40 ID:CxxMHn7F
>
>>896 「空」=「無」とは言ってません。
> 色即是空=物質(色)は即(すなわ)ち是(こ)れ空である。
> 無色受想行識=物質・感受・想念・行為・知識は無である。
> つまり、『空=無』ということである。
とは、どういう事なんだろ・・・?
921 :
狗追う者とは 狗を馬上騎射する者:2007/07/18(水) 19:58:11 ID:V1lDxoKF
>>918 >
>>917 > 何故
> 色即是無とせず
> 色即是空としたか?
> 空と無は別だから
> (´・ω・`)
(゜o゜)ヾ(--;オイオイ...ほんとかー・・・?
922 :
南無大師遍照金剛:2007/07/18(水) 20:27:20 ID:xnegZWxH
>>921 うん♪(°∀°)
わざわざ
無って単語と
空って単語使い分けしてるじゃん♪
同じなら根拠必要
空はソラとも読めるし
目に見えないクウとも読める
例えば
目に見えない(けど有る)
空気
空間
は無とは無関係
無と同じなら根拠必要
てか
同じなら一つに統一しなきゃレベルが低い下手くな文章じゃん
違うからこそ分けてるじゃん
普通に中学の現代文の期末試験に出たし
(^_^)v
つまり
中学レベルの読解力の問題だね
そうか、携帯で改行できなかった奴が、
ついにあぼーんを知るようになったのか・・・・・・・
八正道って、すごいんだなぁ〜
924 :
南無大師遍照金剛:2007/07/18(水) 20:56:49 ID:xnegZWxH
>>919 '正しい'は瞑想禅自問自答により養われる
(≧ω≦)b
925 :
南無大師遍照金剛:2007/07/18(水) 20:58:10 ID:xnegZWxH
またアボーン(;O;),
926 :
神も仏も名無しさん:2007/07/18(水) 21:05:58 ID:CxxMHn7F
927 :
南無大師遍照金剛:2007/07/18(水) 21:07:46 ID:xnegZWxH
>>899 >>896 「空」=「無」とは言ってません。
> 色即是空=物質(色)は即(すなわ)ち是(こ)れ空である。
> 無色受想行識=物質・感受・想念・行為・知識は無である。
てか
ここでの色は肉体の意味だぉ(´・ω・`)
色+受想行識=人間
無色+無受想行識=さて何でしょう?
928 :
神も仏も名無しさん:2007/07/18(水) 21:35:40 ID:56jjpKgJ
つーか色が空だからなんだっつーの?
こんなお題目がそんなに偉いのか?
929 :
南無大師遍照金剛:2007/07/18(水) 21:55:45 ID:xnegZWxH
>>928 どうでもいいのんとちゃうのん?
(´・ω・`)
930 :
神も仏も名無しさん:2007/07/18(水) 22:24:42 ID:CxxMHn7F
>>928 物質も夢、幻だから、それに執着する必要ないということでしょう。
931 :
狗追う者とは 狗を馬上騎射する者:2007/07/18(水) 22:54:31 ID:V1lDxoKF
>>922 まさに、厨房だねー
おなじだよ、
ほとけ
空とも言い、無とも言い、一如とも言い、如来とも言い、存在とも、宇宙とも、真理とも・・・
しかし、まあ、思わず、ぽったんまで、まじめなことを言わせてしまう南無って、ある意味強力w
933 :
南無大師遍照金剛:2007/07/18(水) 23:04:52 ID:xnegZWxH
>>931 (´・ω・`)
そんなに意味あったら違うぢゃん
空とも言い、無とも言い、一如とも言い、如来とも言い、存在とも、宇宙とも、真理とも・・・
林檎(ほとけ)を表現する時
(林檎は)甘い酸っぱい赤い…青い不味い旨い…好き嫌い
だから赤いも青いも甘いも…全部(空と無は)同じってのと一緒ぢゃん
934 :
南無大師遍照金剛:2007/07/18(水) 23:08:36 ID:xnegZWxH
禅とか瞑想しない人に限って
空と無おんなじって言うよね
空はそんな薄っぺラじゃないよ
(´・ω・`)
935 :
狗追う者とは 狗を馬上騎射する者:2007/07/18(水) 23:25:40 ID:V1lDxoKF
>>933 >
>>931 > (´・ω・`)
> そんなに意味あったら違うぢゃん
> 空とも言い、無とも言い、一如とも言い、如来とも言い、存在とも、宇宙とも、真理とも・・・
> 林檎(ほとけ)を表現する時
> (林檎は)甘い酸っぱい赤い…青い不味い旨い…好き嫌い
> だから赤いも青いも甘いも…全部(空と無は)同じってのと一緒ぢゃん
空って、なんだろ?
936 :
狗追う者とは 狗を馬上騎射する者:2007/07/18(水) 23:26:23 ID:V1lDxoKF
>>934 > 禅とか瞑想しない人に限って
> 空と無おんなじって言うよね
> 空はそんな薄っぺラじゃないよ
> (´・ω・`)
では、分厚い、空とは?
937 :
南無大師遍照金剛:2007/07/18(水) 23:32:10 ID:xnegZWxH
>>936 貴方様は禅とか瞑想しないの?(´・ω・`)
938 :
神も仏も名無しさん:2007/07/18(水) 23:49:23 ID:56jjpKgJ
議論とかして無いでとっとと空を生きたらいいじゃん
939 :
神も仏も名無しさん:2007/07/19(木) 02:55:14 ID:cy5AzCqt
僕は生きるには、君を愛しすぎているんだぁ〜〜
♪はーー!あーー!あぁーー!♪
だ か ら 死を 待たせては、イケナイよっということで仏教だね?・
940 :
神も仏も名無しさん:2007/07/19(木) 05:38:30 ID:31F5itsB
みなさん何故、仏教の勉強をしているのですか?
>>940 1、お寺の跡取りだから。
2、掲示板でエエカッコシイができる。
3、科学と違って、いくらでもごまかしがきく。
4、そろそろお墓の心配をする年になったから。
5、彼女が新興宗教に嵌ってしまった。
6、模範囚として仮出所が早くなる。
7、その他、家庭の事情。
8、仏の野郎に捕まった。
942 :
神も仏も名無しさん:2007/07/19(木) 07:52:31 ID:McQssqmg
2ちゃんにいるエエカッコシイの仏教徒に恥をかかせるのが痛快でやめられん
議論するためにしかたなく2ちゃんで勉強している
944 :
南無大師遍照金剛:2007/07/19(木) 08:00:21 ID:MosKiET1
>>941 ヽ(´∇`)ノモバゲ強制退会になって暇になったから
2ちゃんねるに戻って来たぴょん♪
945 :
神も仏も名無しさん:2007/07/19(木) 08:04:40 ID:109laPDW
>>……………………………………………………………………………
934 :南無大師遍照金剛:2007/07/18(水) 23:08:36 ID:xnegZWxH
禅とか瞑想しない人に限って
空と無おんなじって言うよね
空はそんな薄っぺラじゃないよ
(´・ω・`)
>>……………………………………………………………………………
薄っぺらとかじゃなく。
『空=無』と般若心経に書いてあるの。
946 :
神も仏も名無しさん:2007/07/19(木) 08:08:48 ID:109laPDW
>>……………………………………………………………………………936 :狗追う者とは 狗を馬上騎射する者:2007/07/18(水) 23:26:23 ID:V1lDxoKF
>>では、分厚い、空とは?
そういって質問すると『不立文字』って言うよきっと。
空は瞑想で解るものではないのだよ。
947 :
神も仏も名無しさん:2007/07/19(木) 08:21:11 ID:McQssqmg
「○○は空だ」と言うときは、
「○○は執着に値しないと気付け」という意味でしょう。
ですから、空だからすばらしいと思うようなら間違いでしょうね。
空だからくだらないのです。
948 :
南無大師遍照金剛:2007/07/19(木) 08:41:16 ID:MosKiET1
>>945 空=無が般若心経に書いてある?
(´・ω・`)どこに?
君の教科書?
949 :
南無大師遍照金剛:2007/07/19(木) 08:42:58 ID:MosKiET1
>>946 君の般若心経の教科書には書いて無いかもしれないけど
般若心経には瞑想で空が分かると書いてます(´・ω・`)
般若心経読もうね
950 :
南無大師遍照金剛:2007/07/19(木) 08:50:57 ID:MosKiET1
観自=自を観る→自問自答瞑想禅
観自在菩薩=自を観つめて在る菩薩
(´・ω・`)瞑想禅自問自答している菩薩様が出てきますが?
そしてこの菩薩様が行(自問自答瞑想禅という)を深め般若波羅蜜多という状態に達した時
照見五薀皆空度一切苦厄
五薀を空に照らし合わせ見た時
一切の苦厄を度する
つまり
自問自答や禅瞑想しながら
空を見極めれば一切の苦厄は解決する
(´・ω・`)
教科書じゃなくちゃんとお経読もうね
951 :
日々是修行:2007/07/19(木) 09:51:05 ID:c9HHTktZ
>>950 ちょっと待って下さい!
『観自在菩薩=自を観つめて在る菩薩』
これは貴方様の解釈ですか?
『自在を観る菩薩』と思ってましたが。
観心自在、観時自在、観地自在、観衆生自在、観一切自在。
すべて「心無掛碍」。そして、行深般若波羅蜜多時・・・
「般若波羅蜜多の行を深めて・・・」つまり、
「布施波羅蜜、忍辱波羅蜜、精進波羅蜜・・・などの行を極めて」
浅学の者で、恥じを忍んでお伺いしたく存じますが、お如何でしょうか?
だから、南無は、いんちき霊媒師w
水子の霊障で、仏教スレで大騒ぎし、
いんちき写経を布教した「自称仏教徒」
面白いから、もっと、言わせてあげてください。
ちなみに彼は、仏教質問箱の公認名誉長老です(^o^)/
仏教、凄いですw
953 :
南無大師遍照金剛:2007/07/19(木) 10:47:10 ID:MosKiET1
>>951 お釈迦様はどのようにして悟られたか?
それは
自という観を見て
つまり
菩大樹の元で瞑想禅自問自答して悟られた
って聴いたことありますか?
死んだ後に残る魂のようなものを仏陀は否定していると本で見たんですが、そうだとするなら何が輪廻するのでしょうか?
輪廻というと魂が別のものに乗り移るようなイメージが自分の中にありまして、どういうことなのかよくわからないです。
>そうだとするなら何が輪廻するのでしょうか?
輪廻の主体を設定しようとすると、即常見に陥るだろう。
「縁起は輪廻する」という以外には無い。
>輪廻というと魂が別のものに乗り移るようなイメージが自分の中にありまして
その前提が間違い。
956 :
神も仏も名無しさん:2007/07/19(木) 11:38:40 ID:lO3Nseqe
輪廻(回転)だから当然主体(中心点)があるということだけれど、
前の記憶はなくなって、記憶は無意識のほうに転写されているんだよね。
957 :
南無大師遍照金剛:2007/07/19(木) 11:47:17 ID:MosKiET1
>>951 自在って
変幻自在とか
自由自在とか?
修飾語のない自在って国語辞典でしらべてね(´・ω・`)
958 :
南無大師遍照金剛:2007/07/19(木) 11:57:42 ID:MosKiET1
>>954 死んだ後に残る魂のようなものを仏陀は否定していると本で見たんですが、そうだとするなら何が輪廻するのでしょうか?
死後魂のような残るものは無い?
微妙な発言ですね(´・ω・`)
@魂は残るが魂のようなものは残らない
A魂もまた魂のようなものも無い
Bその他
ちなみにお釈迦様は霊に付いては
無記つまり触れて居ない
触れていないということは肯定も否定もしていない
否定しているとの主張は間違い
ナムが珍しく正しい事を書いてるが、アンカー打つと負けなので、打ってあげない。
960 :
神も仏も名無しさん:2007/07/19(木) 12:46:41 ID:McQssqmg
>>950 観自在菩薩は観世音菩薩(観音様)の別名で、
つまりは固有名詞にすぎないのではないでしょうか。
太朗君と聞いたって、いちいち太くて朗らかな人だと思う必要ないでしょう。
さて、般若心経には、
「是故空中 無色 無受想行識…」とありますが、
これについてはどう解釈したらよいでしょうか?
961 :
神も仏も名無しさん:2007/07/19(木) 12:57:46 ID:McQssqmg
色受想行識は空(くだらない妄想にすぎない)だから、
色受想行識は無い、という意味じゃないの?
962 :
南無大師遍照金剛:2007/07/19(木) 13:03:45 ID:MosKiET1
>>960 (°∀°)
あのさ
すげー大切
般若心経は
お釈迦様が悟りを開いた時を説明したお経
どのようにしてお釈迦様は悟ったか
観自在菩薩行深般若波羅蜜多時
つまりお釈迦様は瞑想自問自答禅で悟った
そして
悟ったお釈迦様は悟りとはなんぞやを
舎利子に説明しているんです(´・ω・`)
誰が誰に何を伝えたくて説法してるのかをイメージしないとね
是故空中無色の意味も変わってくるの
無受想行識も
是故空中無色は
空と色受想行識は別ものって意味だね
963 :
南無大師遍照金剛:2007/07/19(木) 13:23:54 ID:MosKiET1
是故空中無色
是れ故
空の中には色は無い
つまり空と色は別もの(´・ω・`)
色即是空を色=空って解釈は間違いだね
文章の意味が通じなくなるから
空と色は同じ
是れ故え
空の中には色は無いってのはナンセンス
そこで空=色は間違いって気付かなきゃね
・心経を思想的に解釈したいなら(本意を探したいなら)、サンスクリットから考察するべきでしょう。
・そうではなく、漢訳を読み解きたいなら、訳者が(心経中で)用いる語をどう位置づけているか、も必要でしょう。
各語義の定め方は勿論、文脈の繋がりと、訳者の意図(立場)への視線も必要でしょう。
・また、訳語から見る思想的変遷を知りたいなら、
サンスクリットは勿論、諸漢訳の異本間の相違を知る必要があるでしょう。
・また、数多ある古い解釈解説であっても、それらは著名な僧たちがどのように読んだかということ
→「彼らの(立場からの)読み」であることも忘れない方がいい。
・また、自身に合った、恣意的な解釈で構わないという場合でも、各用語の語義について、
どういった解釈を採用するか、という足場の決め方が必要となります。
どんな読み方をするにしても、最低限これだけ(どの語義に拠っているか)は必要でしょう。
(その採用しているスタンスの表明が必要な場合もあるでしょう。)
でなければ、あまりにも無茶の過ぎるトンデモ解釈になってしまうでしょう。
漢訳は、訳者のよる恣意的な省略や意味の増広、恣意的な意訳が大きく行われたものである、
という意識は必要かと思われます。
ま、サンスクリット自体、強烈に凝縮された言い回しの集合なので、致し方ないとも言えますし、
古の漢訳者達のセンスには目を瞠るものがあります。
勿論、個々人による個々人の為の「読み」を可能にしてしまう所に、
心経の大きな魅力の一つがあるとも言えるわけですが・・・w
965 :
神も仏も名無しさん:2007/07/19(木) 13:30:18 ID:IY+wq2Ss
>>……………………………………………………………………………
954 :神も仏も名無しさん:2007/07/19(木) 11:17:27 ID:ImQ6cDJ2
死んだ後に残る魂のようなものを仏陀は否定していると本で見たんですが、そうだとするなら何が輪廻するのでしょうか?
輪廻というと魂が別のものに乗り移るようなイメージが自分の中にありまして、どういうことなのかよくわからないです。
>>……………………………………………………………………………
仏教では、この世界を空(幻)と見ています。
だから、幻の我とは別に幻を見ている我があるわけです。
だから、この世で死ぬと、現実の我に目覚めるのですが、覚めたとたん
に次の幻を見るわけです。つまり再び人間の世界に赤ん坊として生まれ
てくるというわけです。これが輪廻転生です。
だからのりうつる魂のようなものを想定する必要はないわけです。
>>960 確かに固有名詞ですが、それは、
名付けられる対象の特性に着目して付けられていることを忘れてはダメです。
この場合を「太郎」に比するなら、「その人物が、太く朗らかだから、太郎と名付けられたのだ」ということです。
仏や菩薩の名前は、常にこのような関係の上にあります。
967 :
神も仏も名無しさん:2007/07/19(木) 13:37:58 ID:IY+wq2Ss
>>960 >>……………………………………………………………………………
さて、般若心経には、
「是故空中 無色 無受想行識…」とありますが、
これについてはどう解釈したらよいでしょうか?
>>……………………………………………………………………………
『是れ故に空(幻)の中には、色無く、受想行識無し』
という意味です。
968 :
神も仏も名無しさん:2007/07/19(木) 13:39:36 ID:IY+wq2Ss
>>961 >>色受想行識は空(くだらない妄想にすぎない)だから、
>>色受想行識は無い、という意味じゃないの?
その通りです。
969 :
南無大師遍照金剛:
空と無は違うっていいながら空=無って何よ(´・ω・`)