1 :
ゴータマ ブッダ:
私は宗教家ではなく、宗教研究者です。色々な宗教を研究して来ましたが、
これだ!というものに出会えませんでした。しかしとうとう見つけました。
ありとあらゆる仏教系宗教を研究していくと、矛盾点が多く、納得できません。
そして行き着いたのが、「釈迦の教え」でした。例えるなら、他の仏教系宗教は、
釈迦の教えという大木の枝でしかないのです。2500年前に人間、人生について、
完全な答えを出していた、釈迦。皆さんの意見をお待ちしています。
2 :
名無しさん@1周年:02/11/08 23:15
そうですね。その通りだと思いますよ。
3 :
くろしろ ◆Mi0a.9Ms2A :02/11/08 23:15
2げtじゃ
4 :
くろしろ ◆Mi0a.9Ms2A :02/11/08 23:16
ああ求不得苦
5 :
名無しさん@1周年:02/11/08 23:21
スレタイにワラタ
6 :
名無しさん@1周年:02/11/08 23:22
∧_∧ ∧_∧
(・∀・∩)(∩・∀・)
(つ 丿 ( ⊂)
) ) ( (
( ヽノ ヽ/ )
し(_) (_)J
仏教は枝分かれがひどく、釈迦の教えを忠実に受け継いでいる宗派がどれかってことは誰にも分からない状態だと思う。
仏教は押し付ける思想ではないので自分で選ぶことが大事だという事は言っているが、
どの宗派も内心「うちが正しい」と思っているはず。
(これはキリスト教でもいえる事だが・・)
>>1が言う、「釈迦の教え」と言っている概念も、もしかしたら偏った宗派の偏った考えかもしれない。
学ぶに当たり本を読むにしろ、作者の「主観」が必ず入っているからだ。
8 :
名無しさん@1周年:02/11/08 23:28
こういうスレ立てるのも「五蘊盛苦」
9 :
名無しさん@1周年:02/11/08 23:30
やっぱ、禅じゃないか。
どれが正しい教えなのか選ぶという姿勢が苦をもたらす。
ただありのままでいなさい。それが仏陀の教えです。
11 :
名無しさん@1周年:02/11/08 23:33
事実ながら
>>7、それでは話が進まない。
枝を遡る努力があるわけだし。
12 :
名無しさん@1周年:02/11/08 23:36
>>10 逆でしょ。貴方の、そういう解釈が本来の釈迦の考えかどうか、が問われてるんでしょ。
13 :
名無しさん@1周年:02/11/08 23:48
応病与薬。
現在はカルテと処方箋が残るのみ。
どれが釈迦本来の教えかなんてわからないんだから、気にすんな!
釈迦も気にしてないよ!してたら自分で本書いて署名して必死になっ
てるって!
どれが正しい釈迦の教えなのか選ぶ作業に従事した学者僧侶はたくさん
いましたし今も居ますが、それで世界は、人々は救われましたか?
いーえ。
釈迦など気にせず、自分の内なるブッダに気づいていなさい。
15 :
名無しさん@1周年:02/11/09 03:08
仏陀の歴史的足跡は学者が研究しすすんでいるけど
悟りの本質については、まったくダメだろう~ね
まあ、専門用語だして、分かったふりして説明すっけど学者は
心はねじけてるような感じするね。
16 :
ゴータマ ブッダ:02/11/09 10:03
皆さんの意見に感心しました。私は研究者いえ、追究者として「釈迦の教え」
の本質を知りたいのです。2500年に及ぶ伝言の末、色々な枝葉が付きました。
私は枝葉ではなく「釈迦の教え」という巨木に迫りたい。
確かに、「釈迦の教え」を追究したいと思うのも『苦』です。でもその先に
「ああ、そうなのか」と悟りたい(大げさですが)。一人で悩んでいてもしょうがない。
そう思ってこのスレッドを立てました。皆さんもっと「教え」て下さい。
17 :
名無しさん@1周年:02/11/09 10:14
>>1 幸福の科学は、仏教系の枝ではありません。幹の方です。
18 :
名無しさん@1周年:02/11/09 10:18
信心する気のない学者がなにを研究したって
むなしいレポートしか書けませんよ
決まってるじゃないですか
19 :
名無しさん@1周年:02/11/09 10:34
>>17 ウケ狙いでわざとアフォなこと書いてるだろ?
20 :
名無しさん@1周年:02/11/09 10:36
以前、サヨクの連中が「今こそ、マルクスのマルクス主義で
革命を!」といってた時期があった(ソ連が崩壊した時期ね)。
彼らは、「マルクス主義」というとき、いちいち「マルクスの」
をつけて「マルクスのマルクス主義」と言ってたものだ。
「釈迦の仏教」ってのはそれと似ているね。
21 :
名無しさん@1周年:02/11/09 12:00
まあ、思想というものには枝葉がつくものだからな。
巧みな剪定が行われないと、歪な樹木となる。
釈尊の実相には上座部の経典を当たる方が良い。
22 :
名無しさん@1周年:02/11/09 13:41
>>18 ある宗教の僧が、釈迦について語っているのを聞いた事がある。ぜんぜん駄目だった。
自分の宗派の考えにとらわれていて、客観的に語ることが出来ない。
むしろ、信仰心の無い人のほうが、主観にとらわれないでよい事もあると思うのだが。
ぜんぜん駄目だった。←これを判断するのも「主観」による。
まぁキリが無いね~(ワラ
24 :
名無しさん@1周年:02/11/09 14:29
>>23 確かにそうだ。そうするとこの世に「客観的」というのは無い事になる。
25 :
名無しさん@1周年:02/11/09 14:33
>>22 >ぜんぜん駄目だった。
を消去すれば、意見としては正しい。←これも「主観」
26 :
名無しさん@1周年:02/11/09 15:07
ある人が見て、聞いて、考えを確立するのが主観。その人が主観に基づき
意見を言った時に、こちらが自分の主観を混ぜて、相手の意見に判断を下し、
相手に伝えた時、それが、相手にとって客観的意見となる。
ところで釈迦はどこ行った?
27 :
名無しさん@1周年:02/11/09 18:22
age
28 :
名無しさん@1周年:02/11/09 18:25
理屈の捏ねまくりになりやすいのが原始仏教スレ
感情のぶつけ合いになりやすいのがキリスト教スレ
29 :
名無しさん@1周年:02/11/09 18:31
30 :
名無しさん@1周年:02/11/09 18:38
>>29 はぁ~?知らんの?釈迦が生きてた頃~死後100年位の時代の仏教だす。
31 :
名無しさん@1周年:02/11/09 18:42
何でもいいけど、このスレ「釈迦」について語るんだろ?語られてね~じゃん。
みんな知らないんだ。俺もよく知らないけど。キリストの事ならよく知ってる。
日本人なのに(W
33 :
名無しさん@1周年:02/11/09 19:09
初心者です。
阿含宗のことについて知りたいのですが。
34 :
名無しさん@1周年:02/11/09 20:28
35 :
名無しさん@1周年:02/11/09 20:29
1さんの研究業績を教えてください8.
今日本に伝わっている仏教で、初期の仏陀の教えはほとんど有りません。
37 :
名無しさん@1周年:02/11/10 02:08
>>36 そうです。日本には大乗仏教という亜流の教えが来たのです。
お釈迦様の本質に近づきたいのなら、上座部仏教に、お釈迦様直言の言葉が伝えられています。
38 :
名無しさん@1周年:02/11/10 02:46
上流から学ぶか、下流から学ぶか。
上流から学ぶべきでしょうね。つまり根本から学んでいく。
下流から遡ると迷路に陥ります。
上流は水が少なくたくさんの人は入れない。しかも流れは急だ。
下流はたくさんの人が浴し流れも緩やかである。しかも悟りという海も近い。
よって下流の勝ち。
40 :
名無しさん@1周年:02/11/10 09:06
上座部がどうのこうのいうのは 電波男さんに論破されたんだろう、
部派仏教が伝えるお経も何度も書き換えられて、釈迦直説とは
云いがたいし 大乗仏教のお経でも釈迦の真説に近いのが発掘された
とか言う話。
41 :
名無しさん@1周年:02/11/10 09:58
>40
だからといって、釈迦の実像に迫るには、阿含経典群は
一級の資料ということにはかわりないでしょうし
>大乗経典でも真説に近いもの
真説に近いっていう判断はそれまでの阿含経や上座部の
研究から導き出されたものでしょう?
釈迦の原点の仏教は存在しないけど、それに近いのは
上座部だと思うよ。
42 :
名無しさん@1周年:02/11/10 10:01
おい1!
キリスト教は研究しなかったんかよ!
仏教マニアの、ひろさちや、か、あんたは?
43 :
名無しさん@1周年:02/11/10 12:00
>>34 そうじゃなくて客観的に見た点を知りたい>阿含宗
スレ違いですか?ではどちらで知り得ることができるのかしらん?
44 :
名無しさん@1周年:02/11/10 12:08
釈迦ってどんな人だったんだろ?俺は気の優しいお坊ちゃんだと思うんだが。
貴族の一人息子をたくさん出家させて親から猛烈に抗議された。
でも(゚ε゚)キニシナイ!!てな人が釈迦です。
46 :
名無しさん@1周年:02/11/10 13:56
真実の探求こそが目的だった方でしょう。
となると、周りは困ってしまうんですけど。
47 :
名無しさん@1周年:02/11/10 14:45
>>43 「阿含宗という宗教」というスレありますよ。もうパート28まで行ってる。
48 :
名無しさん@1周年:02/11/10 18:56
>47
ほとんど、批判者と信者の泥試合ですね
おなじことのくりかえしで28まで・・・。
49 :
名無しさん@1周年:02/11/10 18:58
>43
あんた密門さん?
50 :
ゴータマ ブッダ:02/11/10 19:00
>>16にも書き込みしましたが、改めて皆さんの意見に感心しました。
他の宗教スレッドに見られるような、感情論がほとんど無い。冷静、論理的、かつ明快です。
私は民族宗教、世界宗教など、色々研究してきましたが、キリスト教、イスラム教と並ぶ、
世界三大宗教のひとつとされる「仏教」にどうして、バイブルやコーランのような聖典が無いのか。
いや、むしろ聖典の山です。どれが本当の釈迦の教えなのか解からない状態です。
阿含経がそれに近いとされていますが、大乗仏教からは無視されている。又は軽視されている。
私は宗教家ではありません。しかし「ゴータマ ブッダ」という2500年前に実在し、一人の人間として
苦悩し尽くした末の「教え」をこよなく愛しています。だから本物に近づきたい、触れたいと思っています
皆さんの意見を楽しみにしています。
age
52 :
名無しさん@1周年:02/11/10 22:50
すごいね~阿含宗のスレ。確か本尊は、真正仏舎利というお釈迦様の遺骨だそうな。
しかし、28までやって飽きないのかな。ホントに、お疲れ様。
53 :
名無しさん@1周年:02/11/10 23:09
>52
同意。あれに決着をつけられるのは、ブッダだけでしょう。
結局自分が、「これが正しいと思う」って判断して、それを人に押し付けない姿勢・・
これがいいんじゃないのかな・・仏教はそれが許される。
キリスト教などは、厄介なことに「伝道」が義務付けられていて、洗脳(?)しなければならない。
正しいかどうかで判断するんじゃない。
たとえ正しくても自分を導かずして何が聖典か?
しかも本当のところは聖典によって、言葉によって悟りを得ることはない。
言葉はある程度まで導くかもしれない。真理を指し示すかもしれない。
しかし悟りの体験は言葉を超えたものだ。
自分で体験するしかない。
聖典は役に立たない。
言葉を超えて悟りに直入するのだ。
56 :
名無しさん@1周年:02/11/11 19:09
聖典、まぁお経というものは、たとえで言うと医者の診断書、処方箋みたいなものだと思うんですよ。
悟りを得るのは、薬を飲んで病気を治す事。処方箋だけ読んでいても病気は治らない。絶対に。
でも処方箋を無視して違う薬を飲むと、病気が治るどころか、悪くなってしまう。
だから、よい医者に診てもらって、診断してもらって、よい薬を飲む。よいお経を読んで、
瞑想、座禅、その他の行を行う、そして悟りにいたる。だから良い医者=良いお経。
良い薬=良い行。そして最後は、自分自身の免疫=自分自身の智慧。これで悟りにいたるんじゃないかな。
57 :
名無しさん@1周年:02/11/11 19:15
58 :
名無しさん@1周年:02/11/11 20:17
>55
それは悟りにいたってはじめて言えることであって
そこに至るためには聖典は必要
目的地にいく足として乗り物があるように
そこに着いたら、まったく不必要で邪魔になるだけだが・・・。
59 :
宗教スレ教祖:02/11/11 20:35
まじめなスレだな~。伸びないよ。だって宗教スレに書き込む奴なんか
胡散臭いのが大好きなんだ。釈迦は胡散臭くねーんだ。
大体、2ちゃんねらーに釈迦の事良く知ってる奴がいると思うかい?
いないよ、俺以外は。な~んてね。まあせいぜい頑張ってくんなまし。
60 :
名無しさん@1周年:02/11/11 21:32
ま、所謂、筏の譬えだな。
61 :
宗教スレ教祖:02/11/11 21:44
言い忘れたことがあるので言っておく。悟り、悟りと言うけど、悟りって何だい?
あれは特殊な精神状態のことを言うんだ。トリップだな。
だがその状態は長続きしない。悟っては、堕落し~~その繰り返し。普通の人はな。
釈迦はその精神状態をずっと保った珍しい人だ。だから今でも名前が残ってる。
2545年も経つのにな。それだけだ。では俺は往く!
62 :
名無しさん@1周年:02/11/11 21:51
瀬戸内寂聴の書いたの読んでみるという手もあるわな。
誰か読んだか?
63 :
名無しさん@1周年:02/11/11 22:06
64 :
名無しさん@1周年:02/11/11 22:17
>63
悪い、まだ発刊されてなかった。
新潮社の「釈迦」
後は無難に岩波文庫の仏教系の書籍だな。
65 :
名無しさん@1周年:02/11/11 22:20
大映の「釈迦」っていう映画があるそうじゃないか。
66 :
名無しさん@1周年:02/11/11 22:21
>>64 有難うございます。明日、書店に走ります。
67 :
名無しさん@1周年:02/11/11 22:21
68 :
名無しさん@1周年:02/11/11 22:28
>>65 観ました、ビデオで。ダイバダッタが釈迦の奥さんを犯す
というエピソードがあって、仏教関係者の大顰蹙を買ったそうです。
69 :
名無しさん@1周年:02/11/11 22:35
たしかダイバダッタの役が、若き日の勝新太郎だったよね
座頭市やる前なのかな?
70 :
名無しさん@1周年:02/11/11 22:47
ダイバダッタは釈迦を教団から追放して、自分が教主になろうとした。
その史実が歪曲されて、あの映画のエピソードを生んだ。
日本人のアホさが良く出ていた映画だった。金はかけたらしいが。
71 :
名無しさん@1周年:02/11/11 22:50
>70
仏典にも出てるよ。ダイバダッタは釈迦に背いた大悪人として。
72 :
名無しさん@1周年:02/11/11 22:52
>71
でも、奥さんを犯したという史実はない!
73 :
名無しさん@1周年:02/11/11 22:53
釈迦の映画あるんすか?インド映画?でもなんで勝新?
74 :
名無しさん@1周年:02/11/11 22:56
>72
ごめんなさい。誤解です。あのエピソードは嘘だが、
ダイバダッタが悪者になってる事は仏典に載ってる
という意味です。
75 :
名無しさん@1周年:02/11/11 23:01
失礼しました~。
77 :
名無しさん@1周年:02/11/12 20:01
手塚治虫の「ブッダ」はどうなの?
実像に近いと思う?
78 :
名無しさん@1周年:02/11/12 20:27
>77
基本路線ははずしてないけど、架空の人物の登場や脚色はかなりあるよ。
でもたまに、ブッダが可愛く描かれていて笑える。
79 :
名無しさん@1周年:02/11/12 20:33
「知ってるつもり」の最終回スペシャルの前編が釈迦だった。感動した(泣)。
ちなみに、後編は「キリスト」でした。
80 :
名無しさん@1周年:02/11/12 20:38
>79
たしか、人間・釈迦として描かれていたよね。
キリスト編は、神の子・キリストとしてだったような・・・。
釈迦の本、買って来ました。なんか素朴で、当然のことを言ってるんだけど、
普段忘れてて、ハッとするっていうか・・・。他の本も読みたくなりました。
82 :
名無しさん@1周年:02/11/12 20:49
>80
そうそう。おんなじ人間だったんだ~って思った。
神話の登場人物みたいな先入観があったので。
83 :
名無しさん@1周年:02/11/12 20:49
>81
それって学研のエソテリカシリーズのやつ?
ムーっぽいやつでしょ
岩波文庫の中村元先生訳のほうが素朴で味わい深いゾ。
84 :
名無しさん@1周年:02/11/12 20:52
>83
岩波文庫の、真理の言葉という本です。あ、そうです、中村元訳って書いてある。
>64さんの推薦だったので。スッタニパータという本もあったけど、題名がチョット(W
手塚修虫の「ブッダ」は最後のほうの巻でブッダが再び悟りを開くのが良いよね。
「みんなの心の中に神がいるんだ!」と気づいてこの新たなる教えを人々に説こうと
決心する。まさに生きとし生けるものに仏性在りだよ。
経典の中に本当のブッダを探しても、結局は見つからない。
ブッダはみんなの内側にいるんだよ。
87 :
名無しさん@1周年:02/11/13 01:55
俺はそんなにブッダに詳しくないんだけど、何かのテレビで見て印象に
残っている言葉がある。確かそれは「私に頼らず、自分で生きなさい。」
みたいな言葉だったと思う。これは、俺たちに対する「ブッダ」からの
叱責だと思うのだが。
88 :
名無しさん@1周年:02/11/13 02:51
自灯明、法灯明
ということであろうか?
89 :
名無しさん@1周年:02/11/13 23:26
手塚治虫のブッダは脚色が多いのはわかってるんだけど
やっぱし「人間、ゴータマ・シッダルタ」として描かれているのがいいよねぇ。
なんか説得力あるんだよな。多分手塚哲学も入ってると思うけどさ。
>>89 同意見です。僕がブッダに興味を持ったきっかけとなった漫画です。
釈迦って人間らしくって他の神様より身近な感じするよね。
まぁ、人だったんだけどさ。
92 :
名無しさん@1周年:02/11/14 00:05
人生は苦だ!から始まって、あ~この世界は素晴らしいと言って終わる。
人生とは、何と甘美なものなのか・・・。(知ってるつもり より)
泣けた。
>>91 人間らしかったのではなく「人間」です。
よって
神として信仰しても、御利益などはありえません。
94 :
名無しさん@1周年:02/11/14 00:15
神じゃありません。仏です。目覚めた人です。
ご利益なんていりません。自灯明、法灯明です。
>>93 仏陀になった人間って書いてるつもりだったんだが。
ちゃんと読んだ?
人が死ぬと死体が残るのみ。
神や仏になると考えるのは、他人のイメージに過ぎない。
死人を「仏さん」と表現することもあるけどね。
97 :
名無しさん@1周年:02/11/14 00:31
最も悪いことは「無明」わかるかな~?わかるよね~。
さぁ~誰が「無明」かな?え?俺?NO!みんなは、わかるよね~。
99 :
名無しさん@1周年:02/11/14 00:35
釈迦は死んだ時点で終わった。
そのイメージは誇張されて現在まで集狂として残る。
それだけのこと。
101 :
名無しさん@1周年:02/11/14 00:38
ゴータマ・ブッダというハンドルを使えること自体、釈迦にあまり敬意を
持っていないような気がします。
>>1氏は、釣り師にしか思えないのですが。ひとつ釣られてみますか・・・。
>2500年前に人間、人生について、完全な答えを出していた、釈迦。
不完全であろうあなたが、なぜ釈迦の教えを完全であるとわかったのか・・・。
また、あなたが、もし完全な人間であるというのなら、「これだ!というもの」
を外に探し求める必要も無かったでしょう。
102 :
名無しさん@1周年:02/11/14 00:39
103 :
名無しさん@1周年:02/11/14 00:43
ゴーダマ・知ったかルタ
104 :
名無しさん@1周年:02/11/14 00:43
作られた釈迦のイメージに踊らされる者ども。
106 :
名無しさん@1周年:02/11/14 00:46
>>104 >ちなみに、開祖は釈迦の生まれ変わりを自称(w
ワラエル ちょっと仏教勉強すりゃわかろうにねえ(w
107 :
名無しさん@1周年:02/11/14 00:48
>>104 いや、>>1ってすごく客観的だと思うのね。
しかもネタでもないと・・・。
「死んだらおしまい」が正しい。
よって、釈迦が生まれ変わることや、神仏になることもない。
わかったかい?
109 :
名無しさん@1周年:02/11/14 00:50
104の続き
なんというタイミングのよさ!
>>102こそ、このオカルト宇宙人宗教GLAの二代目教祖の著書です。用心、用心。
>>102氏
開祖高橋信次氏の説く教えは、ブッダの説く教えとは異なっています。
だいたい、ブッダの生まれ変わりを自称する人間が、なぜ般若心経やら法華経の
解説をするのか。
スッタニパータなどの原始経典を説かなかったことの不自然さに早く気づくこと。
どれもくだらない。
現実的に考えろ。
集狂、無駄。
111 :
名無しさん@1周年:02/11/14 00:53
>101
確かに。でもまぁ、釣りでもいいんじゃないですか。
「釈迦について語る」なんてスレないし。
僕何回も釣られてカキコしてしまった・・・。
でもハンドル「ゴータマ・ブッダ」は「ゴーマンダ」
112 :
名無しさん@1周年:02/11/14 00:54
>>109 本当にタイミングいいですね。
君は幸運だよ。
113 :
名無しさん@1周年:02/11/14 00:57
114 :
名無しさん@1周年:02/11/14 00:59
三宝出版
高橋信次著
「人間・釈迦」
をご一読あれ。
釈迦は死んだ。それで終わり。
仏陀はその後のイメージが作り出した。
それは、分かったか?
116 :
名無しさん@1周年:02/11/14 00:59
101=104=109です。
>>106さん
>>ちなみに、開祖は釈迦の生まれ変わりを自称(w
>ワラエル ちょっと仏教勉強すりゃわかろうにねえ(w
まったくその通りなんですが、形骸化している仏教の本質を教祖が
説いている、だから、教祖の言うことだけ勉強していればよいというのが
信者の理屈なんです。
ちなみに、開祖は、他にもキリストとモーゼの転生も自称。
開祖の妻はマイトレーヤー、弟は親鸞、娘である二代目教祖は
大天使ミカエルだったということだそうです。
>>116 オタクの集団だな宗教は。
お似合いだけどな。
118 :
名無しさん@1周年:02/11/14 02:26
>>116 ・・・ミカエルって(笑)
なんか激しく浅原を連想しちまうねぇ(w
それを信じる人は・・・・ イタイ
つーかその開祖は釣り師?(w
釈迦の過去世の話しに、釈迦が人を大勢殺してる場面あるね、あれ何?
ブッダはみんなの内側にいるんだよ。
それが「私に頼らず、自分で生きなさい」ということ。
だからどの経典もブッダじゃない。
逆に言えば、原始仏典に限らずたくさんの経典がブッダ
の教えということになる。
121 :
名無しさん@1周年:02/11/14 08:13
普通の仏教/儀式的オカルト仏教(あごーん)/理論的オカルト仏教(GLA、幸福科学)/破壊的オカルト仏教(おーむ)
122 :
名無しさん@1周年:02/11/14 10:49
>>121 >理論的オカルト仏教(GLA、幸福科学)
「理論風」オカルト仏教(GLA、幸福科学)
釈迦は神仏になったのではなく
死んで消えていったことだけは分かってくれ。
124 :
名無しさん@1周年:02/11/14 15:15
101=104=109=116です。
>118
>・・・ミカエルって(笑)
>なんか激しく浅原を連想しちまうねぇ(w
実際、麻原彰晃が一時在籍していたということです(w
弟子にホーリーネームをつけていたのは、GLAの過去世認定の
パクリかもしれません。
>それを信じる人は・・・・ イタイ
芸能人の関口宏は、信者です。
125 :
名無しさん@1周年:02/11/14 19:52
>121
オウムは仏教じゃないよ自称してるけど、シバ神おがんでんだから
どちらかというとヒンズー教じゃないの?
126 :
名無しさん@1周年:02/11/14 19:54
幸福の科学はGLAのパクリじゃん。
127 :
名無しさん@1周年:02/11/14 19:55
関口宏は今でも本当に信者なの?
ガセじゃないの
128 :
宗教スレ教祖:02/11/14 20:00
1~全部読んだぞ。
>>1は学者くずれだな。16・50の書きで判断した。そう、釣り師だよ。
それから、
>>101。不完全な
>>1がどうして釈迦が完全か分かったかって?あたりまえだろ。
不完全だから、釈迦の教えを完全と思ってしまっただけだよ。それから、WISE!
最初はピントはずしてたが、いいこと言うじゃないか。みんなの頭を冷やす効果があるな。
それと大多数の宗教オタク!WISEみたいな奴を論破してみろよ。それとも『縁無き衆生は度し難い』か?
あ?偉そうに言うオメーは何者かって?おれは僧侶だよ。こんな僧侶もいるんだよ。ワリーか?
saisilyo
129 :
名無しさん@1周年:02/11/14 20:00
関口一家はやめたという噂もある
130 :
名無しさん@1周年:02/11/14 20:03
>128
どうせボンボンの跡継ぎ坊主でしょ
ほんとうは僧侶なんかやりたくなかったという・・・。
131 :
宗教スレ教祖:02/11/14 20:04
そのとおりだよ。よく分かったな。
132 :
名無しさん@1周年:02/11/14 20:18
>まぁ、のんびりやりましょうや<
133 :
名無しさん@1周年:02/11/14 20:23
釈迦って80歳まで生きたんだって?現代だと120歳位?
134 :
名無しさん@1周年:02/11/14 20:35
ちゃんと仕事しろ
135 :
宗教スレ教祖:02/11/14 22:27
他のスレ回ってきたら、ちゃんと仕事しろ って俺の事?笑ったぜ。
明日は友引だから無いが、土、日は葬式ラッシュだ。最近、冷え込んだからな。
みんなも体には気をつけたほうが良いぞ。という事で俺は寝る。
寺の朝は早いんだ。
136 :
名無しさん@1周年:02/11/14 22:38
寺の朝ははやいんだ、という一言に、仏教徒としての小さな救いを感じる。
137 :
ダルマ大五郎:02/11/15 00:17
123 :wise :02/11/14 11:48
釈迦は神仏になったのではなく
死んで消えていったことだけは分かってくれ。
これを認めると
135 :宗教スレ教祖 :02/11/14 22:27
寺の朝は早いんだ。
この人の職業って誰のおかげで収入を得てるんでしょうか?
しっかりしてほしいんです。
138 :
名無しさん@1周年:02/11/15 00:49
でも結局、弟子に反逆されたりして、人間関係をうまくやれなかったわけだし、
食あたりで死んだのだから、
人間関係に悩む人や、健康に悩む人が仏教に走っても仕方ないでしょう。
139 :
名無しさん@1周年:02/11/15 01:28
釈迦はアーリア人じゃなくモンゴル人だったという説がある。
となると、我々日本人と同じような顔してたのかな?
どうして出家するとき、妻も子も国も捨ててしまうんですか。
自分の悩みを解決したいからって、冷たすぎるんじゃないですか。
人として。
141 :
名無しさん@1周年:02/11/15 02:56
よく言われる例えですが、釈迦は万有引力の法則を最初に発見したニュートン
のように、絶対的な真理(法)を最初に発見した人です。
ですからキリストのような神として崇められる存在とは根本的に違うのです。
無数にあるお経も、釈迦が悟った真理を弟子達が様々な方便を用いて書いてい
るだけで、根本は同じです。
142 :
名無しさん@1周年:02/11/15 03:06
人として冷たいかも知れないけど逆に人間らしくない?それに出家は結婚する前・子供作る前から考え悩んでたって話だし。まぁホントのトコはどーだか知らないけど
当時インドじゃ出家というのはまさに妻子も財産も一切捨てて修行に励むという事だよ。
シッダールタ王子も修行者(サマナ)を見て出家し苦行の道に入った。
しかし結局苦行は捨てて、心身を健康な状態にしてリラックスして菩提樹の下で悟りを得た。
苦行は家を捨てなきゃできないことだが、悟りは妻子や財産があっても得られるものだということ。
だがそれは悟りを開いた後だから気づいたことなんだよ。
144 :
名無しさん@1周年:02/11/15 07:06
このスレ面白い。
145 :
名無しさん@1周年:02/11/15 12:34
>>139 もしそうだとすると、釈由美子は釈迦族の子孫かもしれない。
釈迦を神物と混同するな。
147 :
名無しさん@1周年:02/11/15 13:50
修行をしなければわからない部分がたくさんあります。
修行の実践はきわめて重要です。いろいろとありますが真理はひとつです。
ゴータマはブッダ(仏陀)になったんだけど、
ブッダがゴータマになったとも言えるんだ。
なぜって「存在」はずっとそこにある。
それが2500年前ゴータマ・シッダールタという形をとったということ。
今ここにも「存在」はある。
それに目覚めれば君も私もブッダということだ。
目覚めてる人がかわいそう。
150 :
名無しさん@1周年:02/11/15 14:37
釈尊が苦行で得たもの、
○不退の精進
○心が集中することの持続
釈迦が悪魔ナムチを退けたのも苦行によってである。
経典にもちゃんと書かれている。
物語だよ。
152 :
名無しさん@1周年:02/11/15 14:48
↑
断見ですか?
おいおい、釈迦が生きてたころには悪魔がいて
それと戦う人間がいたりしたのか?
アニメの見すぎじゃないの?オタクさん。
154 :
名無しさん@1周年:02/11/15 14:52
釈迦は修行によって不死になったと公言しているのだが、下痢で死んでいる。
これは仏教における最大の謎だ。
経典を書いたのは弟子たちだからね。
伝統的なバラモン教の影響を脱しきれないことは仕方がない。
苦行(タパス)の力によって神も魔もあやつる、というのがバラモン教の考え方。
だから行者は苦行に励むことになる。
苦行にはさまざまな集中がある。
太陽をじっと見つめる集中、火にあぶられる集中、針の上に寝る集中・・・
でも釈迦は苦行を捨てた。体をきれいに洗って、スジャータから受け取った粥を飲んだ。
心身を健康にして、そして菩提樹の下に坐った。
完全にリラックスして、自分の内側深くへ入って行ったんだ。
どんな集中もそこにはない。まるで自然な状態。
どんどん無意識が後退し、意識がクリアーになって行く。
これが魔が退散したということ。
そして完全にクリアーな状態で、夜明けを迎えた。
どんな言葉も要らない美しい朝を。釈迦がブッダ(目覚めた人)となった日だ。
156 :
名無しさん@1周年:02/11/15 14:58
>>154 ちゃんと仏教書を読んでいればそんな解釈は出来ないはず。
そうだね。
釈迦が不死になったというのは、
死ぬことも生まれることもないと気づいたということだよ。
だって自分がないのだからね。
自分がないのに、どうやって死ねる?
そもそも生まれてないものが、どうやって死ぬ?
それが釈迦の言う無我(アナッタ)ということ。
158 :
名無しさん@1周年:02/11/15 16:06
悟りとは、業熟体のことです。
159 :
名無しさん@1周年:02/11/15 20:41
>157
これもよく言われることだけれども
もともと「無我」って自分が無いっていう意味じゃなくて
バラモン教やヒンズー教でいう「絶対不滅のアートマン」に対して
の釈迦の答えなんだよね。
禅が中国の道教の影響うけて「無」という概念が重要視されてしまい
なんでも無といえば悟ったような感じになってしまった。
160 :
名無しさん@1周年:02/11/15 20:47
というか、訳語間違いなんだよ。
無我って訳したからで、本当は非我というのが適切。
「絶対不滅のアートマン」はブラフマンつまり世界・宇宙そのものというのが、バラモンの教えだよね。
でもこれは自己が世界そのものにまで膨らみ修行者のエゴも膨らませるという危険がある。
釈迦が見出したのは、自己が宇宙となる時、それはもう自己が宇宙へと消え去ったということ。
それなら無自己と言ったほうがいい。
だから学者がもっともらしく区別立てする無我、非我の用語を鵜呑みにしないほうがいい。
162 :
名無しさん@1周年:02/11/15 22:02
用語というか術語だということですな。
カギ括弧付きで理解しないといけないということだな。
この言語の限界を意識しながら経典を読まないといけない。
龍樹辺りも、相当意識していたらしい。
これが抜け落ちた辺りに現代の仏教学者の落ちた陥穽があるのだろう。
163 :
名無しさん@1周年:02/11/16 00:57
>161
それはちょっと違う、バラモンではアートマンがブラフマンに溶け込み一体化(梵我一如)することを解脱とした
アートマン=ブラフマンではない
個我と無間宇宙とは隔絶しているからこそ一体化することを求められたのだ。
ナーガ・ルジュナーが大体仏教を捻じ曲げたんじゃなかったっけ。
165 :
くろしろ ◆Mi0a.9Ms2A :02/11/16 01:31
単に行者の感じ方の違いだろう
まずこうでなければいけないという観念を落とすことだ
それが釈迦に近づく道だ
167 :
名無しさん@1周年:02/11/16 01:40
>よく言われる例えですが、釈迦は万有引力の法則を最初に発見したニュートン
>のように、絶対的な真理(法)を最初に発見した人です。
ニュートンはもはやは古すぎて、絶対的真理でもなければ正しくもない。
誤りだと完全に証明されている。
仏教も真理でも何でもなくなって、最近は全く誤りである事がはっきりしてきた。
世の中の進歩というのはそういうものだよ。
井の中のダンゴ虫の君達は知らないだろうけれど。
168 :
名無しさん@1周年:02/11/16 03:13
>164
それは言い過ぎだな。
大乗仏教を体系化したのは事実だが。
>167
かといって、アインシュタインも正しくないことが分かってきた。
そして、貴殿の発言が正しくないことは、もっと明白だ。
ダンゴ虫に寄生するカビ如きには分からないだろうがね。
169 :
名無しさん@1周年:02/11/16 03:17
>アインシュタインも正しくないことが分かってきた。
意味不明。
そんなに仏陀がエライなら、何で弟子に裏切られるの。
それと、人を誹謗する事が仏教徒の信心かね????
170 :
◆ZRuUZPFLgI :02/11/16 08:20
宇宙即我なんていうのは嘘ですよ。
171 :
名無しさん@1周年:02/11/16 08:49
>167
なにを根拠にしての意見なのか不明
釈迦はいう「涅槃の境涯がどのようなものであるかは汝自身
それを獲得・体験せよ!」
しょせん真理というものは言葉だけでは説明しきれず誤解を
生じることがあるってことでしょう
釈迦はガイドみたいなものだよ。
172 :
名無しさん@1周年:02/11/16 09:50
もはや間違いガイドみたいなものだから、価値ナシ。
仏教もキリスト教とかイスラム教とかに押されまくって沈没!
神を崇めている宗教は存在しやしないものから離れることは出来ないのか?
宗教は人として正しい道を説く一団でよいのでは?
なぜそこに神を出す?
174 :
◆ZRuUZPFLgI :02/11/16 10:08
175 :
名無しさん@1周年:02/11/16 13:55
>169
意味が分からないのは貴殿の知識レベルが低いから。
おそらく、特殊相対性理論すら理解出来てないのだから当然だな。
それから、仏法を誹謗した時点で、
他者に誹謗するなとは言えない筈。
これだから外道の僕は困る。
>172
外道を信ずるのは勝手。
しかし、仏法を誹謗するのは許さん。
176 :
名無しさん@1周年:02/11/16 17:50
>>167 ニュートンは絶対的真理じゃないとか、そういう問題ではありません。
これはものの例えで、法則が先にあってそれを発見したのがニュートン、
法が先にあってそれを発見したのが釈迦、そういう意味です。
別にニュートンの部分は別の科学者でも数学者でも構わないのです。
例えば、新種発見!といっても、実際は発見前から存在していた、そういうことです。
ところが一神教の場合、神が全てを創造した。それ以前は何もないわけです。
そこが仏教との大きな違いです。
万有引力や相対性理論が本当に真理かどうかを知るために様々な計算や
観測を繰り返すのと同様、仏教が正しいのかどうかは修行によって確認していきます。
そして釈迦以降も多くの人が悟りました。それが仏教なのです。
177 :
名無しさん@1周年:02/11/16 18:29
>169
釈迦は解脱への案内人の一人。
彼に従うか、離れるかはそれぞれの勝手。
ダイバダッタらは自分らの道を求めて去っていっただけだ。
そこまでの縁だったということだ。
おれ、小学校のときにブッタの漫画みたよ。
ブッダが道に落ちてるうんこを食べたとこしか憶えてないなあ。
179 :
名無しさん@1周年:02/11/16 19:41
うんこ食べるのって興奮しない?
思わずオナニーしちゃったよ。
ブッダも変態性欲者だったのかなぁ
181 :
名無しさん@1周年:02/11/16 20:13
>178
うんこを食べるのはブッタではなくてブタです。
むかし中国のトイレでは豚を飼っていました。
182 :
名無しさん@1周年:02/11/16 22:22
>>174 激しくスレ違い。特定の宗教叩きはよそのスレでやってくれ
183 :
名無しさん@1周年:02/11/16 22:33
筋少の釈迦は(・∀・)イイ!!
184 :
◆ZRuUZPFLgI :02/11/16 22:48
>>182 違うよ。「人間釈迦」って本がそこから出てるんだよ。
教祖は、仏陀(インド時代の釈迦)の生まれ変わりを主張。
>>169 >そんなに仏陀がエライなら、何で弟子に裏切られるの。
世の中にはお前みたいな奴がいるからだよ~(お前みたいな奴が偉い人でも裏切る) (ワラ
186 :
名無しさん@1周年:02/11/16 22:52
釈迦の生まれ変わりって言ってるヤシは間違いなく
その裏に欲があると思われ・・・
187 :
名無しさん@1周年:02/11/16 22:53
えらけりゃ裏切る人はいない、という単純な発想がイタイ
偉さを理解できない馬鹿もいるってことだろ。
age
189 :
名無しさん@1周年:02/11/16 23:04
つまり顕正会のみが正しい仏法をやっているということですな
層化はあっちへ逝ってください>189
191 :
名無しさん@1周年:02/11/17 01:30
>189
ボケ、もとい法華経に拘泥している宗派以外は正法です。
すべて仏教は淫祠邪教です
193 :
名無しさん@1周年:02/11/17 07:14
>192
理解できない馬鹿さんですか・・・?
政治の道具なんだってさ。そんなもん信じてどうなるよ。
チョソから伝来
196 :
がんばってっ:02/11/17 08:48
>1「人間、人生について、完全な答えを出した」とおっしゃっているところを見ますと、
あなたは、まだ、あの世の存在を信じることができる宗教に会われていないように思われます。
もし、あの世の存在を信じることができれば、安心感で心が満たされますよ。
学者で、探求心をお持ちのあなたでしたら、現世利益を説く新興宗教(創価)などは、
入ることないでしょう。高橋信次著「人間・釈迦」はよかったですよ。高橋佳子著はだめです。
大川隆法は、内容が、うさんくさい(ぱくりだが)。それから、拝火とか荒行系
もやめた方がいいです。
研究は、具体的に何ですか?比較ですか?本質を発見されましたか?
私は、大乗と小乗に分裂せざるを得なかった理由が、しばらくのテーマです。
いいご縁があって、納得いく宗教に会ってください。(縁ですからね。)
釈迦はただの「人」だって分かってない人がかわいそう。
1=16=50、釣り師ですか?
まじレス孫子た。もし、まじならば、もっと自分の思い語らなきゃ、
まじレスつかないでしょ。それに、何に感心なされた?
あの世は信じる信じない、じゃなくて、あるだろう?
そんなのでまじレスされても何も面白くない
>>199 なぜ「あるだろう」になるんだ?
分からない以上「あるかもしれない」にしておけ。
大昔に釈迦という変わり者がなんか思いつき偉そうに
「世の中、なるようにしかならない」って語って
後の者が、色々脚色してありがたく語る。
そして、馬鹿が踊らされる。
どう考えても釈迦より現代人の方が知的であろうに。
201 :
◆ZRuUZPFLgI :02/11/17 12:29
>>196 高橋信次は、高橋佳子や大川隆法よりはいいのかもしれないが、
仏陀と比べれば、高橋信次も大川隆法も高橋佳子も似たもの。
202 :
名無しさん@1周年:02/11/17 13:06
>>200 釈迦のほうが知的だよ。現代人は大切なことを忘れている。
釈迦ほど自分という存在について考えた人はいない。
203 :
名無しさん@1周年:02/11/17 13:22
>>196 >>201 だからおめーらウザイっての。
このスレから出て行け。
ここでは「釈迦」の話をしてるんだよヴォケ!!
>200
見える世界がある以上、見えない世界があるのは当然じゃん。
すべてのものごとには裏と表があるんだよ。一面だけの存在なんてあるかよ。
+があれば-。それで安定して存在できるんと違うんか
205 :
ゴータマ ブッダ:02/11/17 14:55
皆さんの意見を楽しみにしている者です。私の真意は、1・16・50で書いた通りです。
宗教家ではありませんが、「釈迦の教え」を愛しています。その言葉に嘘はありません。
個人の乏しい知識、主観的な思考だけでは、気づかぬうちに、迷路にはまります。
反対意見が有るのは良い事です。しかし、冷静に、論理的に、そして明快に反論した方が
より良い方向に「精神思考」は向かうでしょう。『釈迦』がそうであったと思います。
最後に・・偉そうな事を言って申し訳ありませんでした。
>>202 現代の人間は大切なことを忘れている。
釈迦は大切なことを知らない。
忘れているほうが少しはましだろう。
>>204 いや、無いものに裏も表もないだろ。
207 :
名無しさん@1周年:02/11/17 15:25
だから、釈迦がどうしたよ
釈迦は「人」
人だけど、変な神霊が憑依して、でたらめを語ったのかもしれないね。
210 :
名無しさん@1周年:02/11/17 16:00
釈迦自体に後世のことを考えて統制する力量はなかったと思われ。
ただのキ●●●に過ぎなかったかというのが正しい。
>206
有るものを見て推測してるだけなんだけどね。
絶対的な有ってあるのかな?
212 :
名無しさん@1周年:02/11/17 18:57
>208
そうだよ。釈迦は人だよ。ただし、人類史上稀に見る大哲学者だった事は確か。
後世の人が脚色した神話的記述なんか、はなっから信じてない。
213 :
名無しさん@1周年:02/11/17 19:58
俺も釈迦は哲学者だったと思うな。
もしギリシャに生まれていたら、釈迦はプラトンみたいなふうに
扱われていたんじゃないか。
インドだったから、神秘的に扱われたんだと思う。
214 :
名無しさん@1周年:02/11/17 20:38
どこが偉大なんだろう。地獄を説いて人をおびえさせるような教えはろくなもんじゃありません。
215 :
名無しさん@1周年:02/11/17 20:41
やくざといっしょですね。
216 :
名無しさん@1周年:02/11/17 21:27
真理・・・それは、第二次世界大戦中のソ連は強かった。
よく冬将軍の到来でドイツ軍は敗退したと思われているが。
ソ連軍は第二次世界大戦で最優良戦車といわれているT34戦車を
ドイツを遥かに上回る生産力で量産し、結局ベルリンを陥落させたのだ。
つまり、スッタニパータやダンマパダを読んでも自分の煩悩は消えはしない。
知的な欲求は満たされるだろうが。
217 :
名無しさん@1周年:02/11/17 21:36
>214
説いてませんよ。
それは後世の混入です。
輪廻思想はオリジナルの仏教にはありません。
>215
尻馬に乗っても仕方ないでしょう。
自分の言葉で語りなさい。
>216
どこで変な世界史学んだんですか。
きちんとした書物を読まないから、
とんでもない妄想に囚われるのですよ。
釈迦だけが偉い。信者には自分がない。
釈迦は釈迦になった。信者はその影を拝んでオナニーしてる。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
220 :
名無しさん@1周年:02/11/17 22:04
少なくともここにいる我々より偉大なことは間違いないでしょう。
1000年の後にその名が語られることなどないでしょうから。
釈迦はただの思想家の人の一人。
決して神ではないよ。
分かりきった事を言うなよ。
222 :
名無しさん@1周年:02/11/17 22:10
仏と神の違いはわかってますよね?
224 :
名無しさん@1周年:02/11/17 22:15
釈迦が偉いのはまあわかるが、釈迦の骨はえらいのか?
225 :
名無しさん@1周年:02/11/17 22:18
釈迦はしゃかで一発変換できます。偉いですね。
226 :
名無しさん@1周年:02/11/17 22:22
釈迦の骨はただの骨です。
227 :
名無しさん@1周年:02/11/17 22:22
釈迦の一族は滅亡したのですよね
228 :
名無しさん@1周年:02/11/17 22:25
しゃか→釈迦
俺の名前も一発変換できるけど偉くないな。
230 :
名無しさん@1周年:02/11/17 22:37
231 :
名無しさん@1周年:02/11/17 22:49
やっぱり相対の世しか説いてないようだが
釈迦は俺ほどの知識も無い、昔の人です。
233 :
名無しさん@1周年:02/11/17 23:02
>>232 おまえに知識なんてあんのか?
エロ画像を探す知識だけろ?
>>233 釈迦は電話の使い方も知りませんでした。
235 :
名無しさん@1周年:02/11/17 23:17
ぶっだが悟ったなんて思ってるのは大間違いですよ!!!
236 :
名無しさん@1周年:02/11/17 23:30
>>234 あんたの言う知識ってそういうことなのか。
237 :
名無しさん@1周年:02/11/17 23:32
終了
238 :
名無しさん@1周年:02/11/17 23:38
釈迦なんてくだらねーや
239 :
名無しさん@1周年:02/11/17 23:42
240 :
名無しさん@1周年:02/11/17 23:51
西洋哲学なんぞ仏教の足下にも及ばない。
全て俺の足元にも及ばない。
242 :
名無しさん@1周年:02/11/17 23:54
243 :
名無しさん@1周年:02/11/17 23:57
>>241 そういう人間がカルト宗教の教祖になる。
244 :
ベロ ◆eOod7XM/js :02/11/18 00:04
偉大だと言われる人を貶すのは気持ちいいんだよね。
釈尊の偉大さには何の関わりもないけどね。
246 :
名無しさん@1周年:02/11/18 00:16
>244
べつに気持ちよかないよ。
そう思うヤシが変態なだけだよ。
247 :
ベロ ◆eOod7XM/js :02/11/18 00:18
僕は不遜ながら釈尊の事を「善き友達」と思っています。
僕と同じ苦悩を2500年前に解決しえた「善き先輩」と慕っています。
248 :
◆ZRuUZPFLgI :02/11/18 00:21
>>203 だからその擬似仏教教団では、善友の集いと称した集会があるのだよ。
249 :
名無しさん@1周年:02/11/18 01:02
釈迦の教えだろうとそうでなかろうといいものはいい。
釈迦にも悪い面はたぶんにある。
250 :
名無しさん@1周年:02/11/18 01:03
所詮にんげんだからね。完璧なわきゃない。
251 :
名無しさん@1周年:02/11/18 01:04
現代までの間に釈迦の教えを進化させてきた聖人といわれる人はいくらでもおる。
仏教なんてふるいものにかじり付いているのはただのおばかさん。
252 :
名無しさん@1周年:02/11/18 01:39
仏教は真理を説いているのです。
だから古いも新しいもないのです。
時間も空間も超越しているのです。
なるほどね。崇高なんだね。
問題はその真理を人間の世界にどう生かすかなんだが。
それが洗練されてきているのは歴史をみればわかるだろう。
仏教が説いたことには現代に通用する部分とそうでない部分があるはずだ。
254 :
名無しさん@1周年:02/11/18 01:51
255 :
ベロ ◆eOod7XM/js :02/11/18 02:05
全ては苦と思い、その苦の原因を追求し、苦を滅ぼす方法を考え、実践する。
苦の原因は自分の行為にある事が多い、だから善き行為をなすように努力する。
輪廻がなかったとしたら、生まれながらの不幸はどう説明されたの?
逆に言えばソクラテスはインドに生まれていたら宗教者だったろう。
グル、あるいはブッダとしてあがめられたかもしれないな。
ギリシアに生まれたがために最後は毒殺されたがな。
259 :
名無しさん@1周年:02/11/19 18:00
仏教が人間のすべての悩みをなくすことができるってのは本当か
うそをついちゃいかんど
だから、GLA総合本部では、煩悩マップと称して、
すべての煩悩を類型化して、「私が変わります宣言」で
煩悩を断てると主張しているのだよ。
まあ、主観的にだろうが。
GLAスレッドが、ここ数日の間に7つも教団シンパらしいのによって沈められた。
よって、その荒らしが2ちゃんねる側に捕捉されたとわかるまで、GLA・TL
人間学批判者は動けないという事情です。
262 :
名無しさん@1周年:02/11/20 00:34
>>260-261 知るかテメーラの事情なんぞ。
負け犬はどっか別の板ででも細々やってろ。
スレ汚しなんだよ、腐厨ども。
263 :
名無しさん@1周年:02/11/20 03:14
このスレって、もうぐちゃぐちゃで、おシャカになってしまいました。
264 :
ブッタの名前日本語読み:02/11/20 03:37
良い牛目覚め人
>>262 釈迦の悟りでは、貴殿が負け犬ということになる。
わかるかね?
釈迦のことなんざ知らなくても十分逝きていける。釈迦が死んだのは不要になったからだ。これを宇宙の摂理と呼ぶ。
267 :
仏教を語るひとへ:02/11/20 11:53
漢字の一文字や熟語で表現するのではなく、現代の人間の言葉・現代の人間にわかるような譬を使って解説できる人が居ないということは、本当に理解している人は殆どいらっしゃらないのではないかと思うわけです。
漢字だらけの抽象的な経典を読むことだけが能ではないでしょう。私たちの実際の生活の場面ではそのような言葉が登場することは稀です。できれば小難しい知識的なものに逃げずに、どうぞ具体的に法説をおっしゃってください。
268 :
名無しさん@1周年:02/11/20 12:43
269 :
名無しさん@1周年:02/11/20 12:46
>>268 そうやって、海王星・フサエルごっこやってな
271 :
名無しさん@1周年:02/11/20 13:24
GLAもアンチGLAもどこかに逝ってくれ。
他人の迷惑を考えろ
272 :
名無しさん@1周年:02/11/20 15:04
>267
言っちゃ悪いが、
貴殿が如何ほどの者か分からない以上は、
法を釈くことも出来ぬ。
応病与薬もままならぬ。
抽象的になるのは普遍性を以て釈くしかない為だ。
具体的な話を聞きたければ対話説法しかあるまい。
自らの足で赴かずに空虚な論を唱えるでない。
>>267 ちょっと賛成しかねます。
その論理では、オカルトな新興宗教(あごん、GLA、幸福科学、おーむ等)を
肯定することにつながります。
仏陀の生まれ変わりを主張し、伝統経典に勝手な解釈を与え、それが現代
日本語で書かれているため、信者はだまされてしまいます。
般若心経でも、じっくり取り組み、何年もかけて、1字1句理解していくのが
本道でしょう。
漢文がわからないからといって、新興宗教による安易な解説に走ることこそ、
仏教に反する態度というべきでしょう。
274 :
名無しさん@1周年:02/11/20 15:25
>>273 オウムが仏教経典訳して訳語もより原義に近くするために再定義
している解説資料を見たことがあるけど、彼らの仏教経典に対す
る真摯な姿勢や見識は正直すごいと思った。「勝手な解釈」という
のはどのあたり?
むしろ既存宗教と異なる立場から「原点」に帰ることを目指す新興
宗教のほうが経典に「じっくり取り組んで」「安易な解説」を避ける
場合もあると思うが。
275 :
名無しさん@1周年:02/11/20 15:38
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
★ 真如苑信者 ◆ZRuUZPFLgI にレスを返される方へ警告 ★
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
真如苑信者◆LqBgPfUY=◆ZRuUZPFLgI=◆uUZPFLgIは、様々なHNを 使い分けな
がら、心と宗教板、社会学板に粘着スレを立て続け、他宗の誹謗中傷を続けています。
真如苑信者 ◆ZRuUZPFLgI の相手をされる前に一度下記のスレを一読 される事を強
くお勧めします。 真如苑信者 ◆ZRuUZPFLgI へのレスが不毛な結果に落ち着くことは
下記過去スレッドにおける数々の悪行にて完全に証明されています。
※ 真如苑信者 ◆ZRuUZPFLgI とは議論が成立しません
真如苑信者 ◆ZRuUZPFLgI は最初に出した論を頑として変えず、自身に都合の 悪い反論
は全て無視するため議論が全く成立しません。 また、自らの都合によって節操無く自説
を変える一方、他人の誤りに関して は粘着質にからみ、高慢なかつ無礼な態度にてレスを
返し続けます。 なお、彼は自己の誤りを決して認めないという事も付け加えておきます。
※ 真如苑信者 ◆ZRuUZPFLgI は卑劣漢です
真如苑信者 ◆ZRuUZPFLgI は他人からは非常に分かりやすい自作自演を行い、自己擁護を行
いつつ他人を叩く一方、自分の気に入らない他人のレスを頭から 「自作自演」と決めつけ、
慇懃無礼な文面でひたすら非難を繰り返します。 真如苑信者 ◆ZRuUZPFLgI が2ちゃんねる
において取っている行動は悪質な荒らし、 煽り以外のなにものでもありません。これまでに
多々の各板住人によってその行動、 言動を非難されながらも依然として自らの行動を改めな
い真如苑信者 ◆ZRuUZPFLgI 。 彼はこれを読む貴方がその貴重な時間を割いてまでレスを付
けるに値する人物で しょうか?
--------------------------参考スレッド-------------------------------------
http://life.2ch.net/psy/kako/1014/10146/1014649164.html 「新・真如苑を教えてvol.7 」
http://life.2ch.net/psy/kako/1022/10223/1022345492.html 「新・真如苑を教えてvol.8 」
276 :
宗教スレ教祖:02/11/20 19:55
相変わらず、やってるな、無明の者ども。こうなると思ったよ。
>>59で書いた通り、
「釈迦について語る」事なんて出来ないだろ。続かないだろ。知らね~んだからな。
考えた事もね~だろ?それが、>1の思うツボなんだよ。宗教スレは最後は誹謗中傷
になる。「正義」は人口の数だけある。収まるわけがない。みんな「正義」だからな。
学者くずれの>1はそれを見越して、「釈迦について語る」なんてスレ立てたんじゃねぇのか。
俺か?俺は書いてるぜ。
>>61を見ろよ。ざま~みろ。じゃあ、そーゆー事で。
PS・・今週末も葬式で大忙しだぜ!
277 :
名無しさん@1周年:02/11/20 20:24
>272
現代の社会に対して、とかでもいいが。
>273
すべてわかって悟ったという人がいれば、解釈の間違いがあるはずないだろう。
279 :
名無しさん@1周年:02/11/20 21:40
かれは、われを罵った。かれは、われを害した。かれは、われにうち勝った。
かれは、われから強奪した。という思いをいだく人には、怨みはついに、やむことが無い。
実にこの世においては、怨みに報いるに怨みを以ってしたならば、ついに怨みの、
やむことがない。怨みをすててこそ、やむ。これは永遠の真理である。
dhammapada3・5
280 :
名無しさん@1周年:02/11/20 21:50
>>278=デムパと確定いたしました。
今後は完全に無視しましょう。
>279
それは確かに真理ですよ。しかし実際にそれを実践しきることが現代でできます?
現実問題として阿含経などの初期仏教は戒、禅行、仏法を全て会得すれば悟りに至るとしているが
実際、戒を全て守っている僧などいない。禅を極めた僧侶?さて、現在の日本で何人いるだろう。
法?ま、これは学問だからなんとかなるかもしれないが・・・
282 :
名無しさん@1周年:02/11/20 22:23
>278
マジレスしても意味なかった、この人には。自分の意見と違うものは理解不能だと。
283 :
名無しさん@1周年:02/11/20 23:58
284 :
名無しさん@1周年:02/11/21 02:17
____
/∴∵∴∵\ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
/∴∵∴∵∴∵ヽ | 忿れるものにいかりかえすは
|<・>.∴∴<・>∴∵:| | 悪しきことと知らねばならぬ。
|∵/○ \ ∵∵∵| | 忿れるものにいかりかえさぬ者は、
| |三 | 三丶∵∵| | 二つの勝利を得るのである。
| | __|__ | ∵∵| < 他人のいかれるを知りて
\|. === | ∵/ | 正念におのれを鎮める者は、
\___|/ | よくおのれに勝つとともに、
______.ノ (⌒) | また他人に勝てるのである。
//::::::::|-、 ,-/::::::ノ ~.レ-r┐ \_____________
/ /:::::::::::| /:::::ノ__ | .| ト、
| /:::::::::::::::| 〈 ̄ `-Lλ_レ′
レ::::::::::::::::::|/:
>>282 どうせ、荒らしの一味だろう?貴殿は。
釈迦も、地震の原因はわかってなかったことが仏典に
明らかにされているんだぜ。
すべてわかって悟った「人間」というのは、存在しない。
貴殿のいう
>すべてわかって悟った人
とは、あさはら君のことかね? 具体的に示したまえ。
↑君です。
あさはらもそうです。
どちらが荒らしだか解っていないあなたと議論することは、私にとって、人間として最も屈辱的な事。
289 :
名無しさん@1周年:02/11/21 12:53
>>286 自分自身を指してどうする?
で、すべてわかって悟った「人間」とは誰?
かわいそうだから教えてあげるが、
釈迦の教えをすべてわかったひと。
292 :
名無しさん@1周年:02/11/21 13:49
「釈迦ではダメだ!日蓮でなくては!」と言った人もいるが
どうなのでしょうか?
麻原に利用されてしまい
数々の災厄を生んでしまった・・・と言えないか?
麻原は悪くないだろ。
信者が麻原や釈迦の教えを欲しているんだ。
釈迦も悪くない。
釈迦の教えだから崇高だと思っていることが間違いなんだ。
295 :
名無しさん@1周年:02/11/21 16:06
>292
まあ、仏教の性質からすれば、そちらの方が良い場合もあるわな。
応病与薬だからな。
働き過ぎには、少し休めと。
怠け者には、少しは働けと。
教えも違ってくるわな。
>294
いや、麻原が曲解したのは罪があるだろう。
それを接受した信者にも責任はある。
尊い教えを見出したから釈尊が尊いのである。
逆ではない。
釈迦は尊く、麻原は尊くない。
釈迦を信じるものは救われるが、
麻原を信じるものは破滅する。
一般人と麻原とを比較してみると、信者にとって麻原は一般人よりもうんと偉い人。
大多数の一般人から見れば麻原は低俗な人と思われている。
また、麻原に一般人よりも優れたものを感じている人もいる。その人は麻原は一般の人間よりは偉いと言うだろう。
同じく、釈迦に対しても偉い人だと思うひとと思わない人がいても不思議はない。
297 :
仮尼正特数達羅薩:02/11/21 17:54
>>281 現代社会だろうと、どんな時代の社会だろうとその真理を人間が実践するのは困難
な事ですよ。そんあことは初めから分かり切った事と観念せねばなるまい。
実践しきれようが、しきれまいが、とにかくやってみる。実践してみる。未熟でも
過ちが多くても、とにかく出来る事は一つでも実践して行く。それが道というもの
ですよ。そして道は自分が歩まねば進まないんですよ。
言葉遊びをしているとしか思えんな。
釈迦が悟っていたと仮定しても、それを現代の日本語で説明できる者がいない。
長い年月をかけても弁証法的に万人を説得できるロジックが確立されない。
その一方で仏教で糊口をしのぐ者達がもっともらしい事を言う。
無きものをあるかの如く、あるものを無きかの如く言えば衆生(DQN)は納得する
とでも?
299 :
名無しさん@1周年:02/11/21 18:39
何もかも仏教で説明できる。とするのは戴けない。
300ゲット
301 :
名無しさん@1周年:02/11/21 22:27
>298
貴殿の空虚な言葉に比べれば
なんと実り多き嘉禾かな。
>299
と、捏造するのはもっと戴けない。
>>282さん
GLAスレの過去ログでわかりますが、狂信シンパ、アンチGLAとも
会話の成立しないケースが多い。相手に理解してもらおうなどという発想が、
そもそも希薄。言いたいことを、不可思議な日本語で、ただ垂れ流すだけ。
教祖自らが、具体的な定義なしに言葉を弄する傾向があります。
一部の批判者は、教祖高橋佳子・信次のその影響から抜けきれないのかもしれません。
303 :
名無しさん@1周年:02/11/21 22:42
宗教とは、「哲学、思想に神秘性を加味したものである」違うかな?
304 :
名無しさん@1周年:02/11/21 23:11
世界三大宗教は、すべてアジア発。生きる智慧の教えであるのは共通。
死に対する恐怖の減衰を説いているのも共通。慈愛を重んじているのも共通。
釈迦が違うのは、超越した神を持ち出さないで、教え(法)を拠りどころとした点。
305 :
名無しさん@1周年:02/11/21 23:31
>>304 追加したい。あの世があるやなしや等の質問に対して「無記」として
答えてないんだよね確か。(十無記?)
語ることによって余計な迷いを生むと考えたのか自分がはっきり
解らなかったから答えなかったのかよく知らないけど誠実な感じは
しますな。ある意味では現実的な気がする。
>>305 これじゃ何を追加したいのかワカランな(w
神を持ち出さないでってのにかぶるから追加はナシの方向で(汗
307 :
くろしろ ◆Mi0a.9Ms2A :02/11/21 23:37
>>305 其れは内弟子だけの話と聞いたが?
仮の輪廻転生(仮なのは解脱できるから)
を外弟子に向かって説いたとか
308 :
名無しさん@1周年:02/11/21 23:54
>>303神秘性を加味した宗教は偽物。
神秘など無いから。
哲学と宗教は全く関係ナシ。というかまったく反対方向。
哲学・思想は頭で、言葉で考えるもの。論理の世界。
宗教は心で、体で感じるもの。体験の世界。
仏教がどれほどのものか知らんが、釈迦の説法ではこの世での人間の生き方を説いただけなのか?
宇宙全体での人間の位置付けはどうなんだ? 人間が自らのの起源を知りたくなるのは当然だろう?
宇宙の構成についてよく知らないから人間は釈迦に神としての像を求めたりするんじゃないだるうか。
人間はどこから来て何処へ行くのかわからない。それでは神に頼りたくもなってしまう。
311 :
名無しさん@1周年:02/11/22 14:55
>310
分からないことを思惟しても分かるものではない。
それは虚しいことである。
それ故に、左様なことは無記として、思惟の外へ置いたのである。
杞憂するが如きことはしない方が良いのだ。
釈尊から離れるが、
今のほかに人が生きる場所はないのだよ。
312 :
名無しさん@1周年:02/11/22 16:12
死ぬ前に何をやらかしてもいいぞ、と言っている人がいるようです
313 :
仮尼正特数達羅薩:02/11/22 18:32
>>298 お釈迦様でも、全ての人間を納得させる説法などできないでしょう。縁無き衆生は度し難し。
当時の印度で、お釈迦様の説法を聞いても納得できない人は多くいたでしょう。他宗も多く
存在しています。
何より他人を納得させることより、自分を納得させる方を考えた方が宜しいと思いますよ。
僧侶の方は「神仏」は実在せず頭の中に存在すると言います。
「釈迦」は「人」だと解釈してました。
なぜ、信者は誇張して信仰するのでしょうか?
315 :
名無しさん@1周年:02/11/22 18:45
釈迦は実在の「人」ですが、伝えられる人物像は恣意的な解釈です。
仏陀は頭の中にはいませんよ。
ちょうどへその下5センチほどのところ、丹田といわれるところにいます。
これが仏性、人間の中心であります。
この故にむかし日本人が自害するときは切腹をしたのです。
仏性は誰にでも在ります。誰もが仏陀なのです。
しかしそのことを忘れているから、経典をありがたがり、釈迦を誇張して崇めてしまう。
今ここで自分が仏陀であることを思い出しなさい。
317 :
名無しさん@1周年:02/11/22 22:06
318 :
名無しさん@1周年:02/11/22 22:08
あまりにこのスレつまらんから、法句経の連載でもしようかな。
当然岩波文庫、中村元先生訳のやつね。
319 :
名無しさん@1周年:02/11/22 23:12
してして!
人間のうちで、牧牛によって生活する人があれば、彼は農夫であって、バラモンではないと知れ、ヴァーセッタよ。
人間のうちで、種々の技能によって生活する人があれば、彼は職人であって、バラモンではないと知れ、ヴァーセッタよ。
人間のうちで、売買をして生活する人があれば、彼は商人であって、バラモンではないと知れ、ヴァーセッタよ。
>>316 そのあなたが「仏陀がいる」とイメージしている場所自体が
「脳」なのですよ。
分かりますか?
「誰もが仏陀」もありえないことです。
誰も、詩文の名前があります。
あなたの名前は「仏陀」ですか?
違うでしょう。
人間のうちで、他人に使われて生活するものがあれば、彼は雇人であって、バラモンではないと知れ、ヴァーセッタよ。
人間のうちで、与えられていないものを得て生活するものがあれば、彼は盗賊であって、バラモンではないと知れ、ヴァーセッタよ。
人間のうちで、武術によって生活するものがあれば、彼は武士であって、バラモンではないと知れ、ヴァーセッタよ。
人間のうちで、司祭の職によって生活するものがあれば、彼は祭官であって、バラモンではないと知れ、ヴァーセッタよ。
人間のうちで、村や国を領有するものがあれば、彼は王であって、バラモンではないと知れ、ヴァーセッタよ。
われはバラモン女の胎から生まれ、バラモンの母から生まれた人をバラモンと呼ぶのではない。
かれは「きみよ、といって呼びかける者」と呼ばれる。
彼は何か所有物にとらわれている。
無一物であって執着の無いひと。---彼を私はバラモンと呼んでいる。
全ての束縛を断ち切り、怖れることなく、執着を超越してとらわれることの無い人
---彼を私はバラモンと呼んでいる。
革紐と革緒と綱とを、手綱ともども断ち切り、障礙を滅して、目覚めた人
---彼を私はバラモンと呼んでいる。
罪無くして悪罵、殴打、拘束を耐え忍び、忍耐の力あり、心の猛き人
---彼を私はバラモンと呼んでいる。
怒ることなく、道徳を守り、戒律を奉じ、欲を増すことなく、身を整え、最後の身体に達した人
---彼を私はバラモンと呼んでいる。
蓮葉の上の露のように、錐の先の芥子のように、諸々の欲情に汚されない人
---彼を私はバラモンと呼んでいる。
この連続書き込みは?
なにがいいたいの?
既に現世において自己の苦悩の滅びたことを知り、重荷を下ろし、とらわれるところの無い人。
---彼を私はバラモンと呼んでいる。
智慧深く、聡明で、種々の道に通達し、最高の目的を達した人
---彼を私はバラモンと呼んでいる。
在家者、出家者のいずれとも交わらず、住みかがなくて遍歴し、欲の少ない人
---彼を私はバラモンと呼んでいる。
339 :
名無しさん@1周年:02/11/23 01:53
>337
ウザイ
強く或いは弱い生き物に対して暴力を加えることなく、殺さずまた殺させることの無い人
---彼を私はバラモンと呼んでいる。
敵意あるものども中にあって敵意無く、暴力を用いるものどもの間にあって心穏やかに、
執着するものどもの間にあって執着しない人
---彼を私はバラモンと呼んでいる。
342 :
名無しさん@1周年:02/11/23 01:57
芥子粒が錐の先端から落ちるように、愛著と憎悪と高ぶりと隠し立てとが脱落した人
---彼を私はバラモンと呼んでいる。
粗野ならず、事柄を伝える信実の言葉を発し、言葉によって人の感情を害することの無い人
---彼を私はバラモンと呼んでいる。
345 :
名無しさん@1周年:02/11/23 02:35
こういう荒らし方があったか(w
346 :
名無しさん@1周年:02/11/23 02:51
真面目な荒らしですか?
347 :
名無しさん@1周年:02/11/23 03:52
くだらん議論より100倍ほどましだよ。
明日もおねがいね~
というか、釈迦を語るなら釈迦の意見も聞いたほうがよい。
というわけで続行。
この世において、長短、細大、浄不浄を問わず、全て与えられていないものをとらない人。
---彼を私はバラモンと呼んでいる。
現世を望まず、来世をも望まず、欲求もなくて、とらわれない人
---彼を私はバラモンと呼んでいる。
こだわりあることなく、さとりおわって、疑惑無く、不死の底に達した人
---彼を私はバラモンと呼んでいる。
この世の禍福いずれにも執着することなく、憂い無く、穢れなく、清らかな人
---彼を私はバラモンと呼んでいる。
曇りの無い月のように、清く、澄み、濁りが無く、歓楽の生活の尽きた人
---彼を私はバラモンと呼んでいる。
この難路、険道、輪廻、迷妄を超えて、渡り終わって彼岸に達し、精神を安定せしめ、欲望無く、疑惑無く、執着が無くて心安らかな人
---彼を私はバラモンと呼んでいる。
この世の欲望を断ち切り、出家して遍歴し、欲望の生活の尽きた人
---彼を私はバラモンと呼んでいる。
この世の愛執を断ち切り、出家して遍歴し、愛執の生活の尽きた人
---彼を私はバラモンと呼んでいる。
人間の絆を捨て、天界の絆を越え、全ての絆を離れた人
---彼を私はバラモンと呼んでいる。
快楽と不快とを捨て、清涼に帰して、とらわれることなく、全世界に打ち勝った英雄
---彼を私はバラモンと呼んでいる。
全て生きとし生けるものの死生を知り、執着無く、幸せな人、覚った人
---彼を私はバラモンと呼んでいる。
神々も鬼神(ガンダルヴァ)も人間もその行方を知りえない人、煩悩の汚れを滅し尽くした人
全て生きとし生けるものの死生を知り、執着無く、幸せな人、覚った人
---彼を私はバラモンと呼んでいる。
訂正
神々も鬼神(ガンダルヴァ)も人間もその行方を知りえない人、煩悩の汚れを滅し尽くした人
---彼を私はバラモンと呼んでいる。
前にも、後にも、中間にも、一物をも所有せず、無一物で、執着することの無い人
---彼を私はバラモンと呼んでいる。
牡牛のように雄々しく、気高く、英雄・大仙人・勝利者・欲望の無い人・沐浴者・覚った人
---彼を私はバラモンと呼んでいる。
前世の生涯を知り、また天国と地獄を見、生存を滅し尽くすにいたった人
---彼を私はバラモンと呼んでいる。
世に名とし姓として附せられているものは、通称に過ぎない。
人の生まれたその時々に附せられて、仮に設けられて伝えられているのである。
それを知らない人々にとっては、誤った先入観が長い間潜んでいる。
知らない人々はわれらに告げて言う。
「生まれによってバラモンなのである」と。
生まれによってバラモンなのではない。生まれによって非バラモンなのでもない。
行為によってバラモンなのである。行為によって非バラモンなのである。
行為によって農夫なのである。行為によって職人なのである。行為によって商人なのである。行為によって雇い人なのである。
行為によって盗賊でもあり、行為によって武士でもある。行為によって祭官であり、行為によって王でもある。
賢者はこのように、この行為を如実に見る。彼らは縁起を見るものであり、行為(業)とその果報とを熟知している。
世間は行為によって存在し、人々は行為によって存在する。
生きとし生けるものは業(行為)に縛せられている。
あたかも進み行く車が轄(くさび)に結ばれているようなものである。
苦行と清らかな行いと感官の制御と自制と
----これによってバラモンとなる。これが最上のバラモンである。
三つの明知を具え、心安らかに、再び世に生まれることの無い人は、
諸々の識者にとっては、梵天・帝釈なのである。ヴァーセッタよ。このとおりであると知れ。
出典 岩波文庫 ブッダのことば -スッタニパータ-
中村 元 訳
解説より「今ここに訳出した『ブッダのことば』は現代の学問的研究の示すところによると、仏教の多数の諸聖典うちでも、最も古いものであり、
歴史的人物としてのゴータマ・ブッダのことばに最も近い詩句を
集成した一つの聖典である。シナ・日本の仏教にはほとんど知られ
なかったが、学問的には極めて重要である。これによって、我々は
ゴータマ・ブッダその人、或いは最初期の仏教に近づき得る一つの
通路を持つからである。」
というわけで、続きはまたこんど。岩波書店さん怒らないでね。
377 :
ダンマパダ:02/11/23 10:25
じゃあ、こんどは「真理の言葉・感興のことば」から引用して。
出典 岩波文庫 ブッダのことば -スッタニパータ-
中村 元 訳
解説より
「今ここに訳出した『ブッダのことば』は現代の学問的研究の示す
ところによると、仏教の多数の諸聖典うちでも、最も古いものであり、
歴史的人物としてのゴータマ・ブッダのことばに最も近い詩句を
集成した一つの聖典である。シナ・日本の仏教にはほとんど知られ
なかったが、学問的には極めて重要である。これによって、我々は
ゴータマ・ブッダその人、或いは最初期の仏教に近づき得る一つの
通路を持つからである。」
欲望をかなえたいと望んでいる人が、もしもうまくいくならば、彼は実に人間の欲するものを得て、心に喜ぶ
欲望をかなえたいと望み貪欲の生じた人が、もしも欲望を果たすことが出来なくなるならば、彼は矢に射られたかのように悩み苦しむ。
足で蛇の頭を踏まないようにするのと同様に、諸々の欲望を回避する人は、正しい想いがあり、この世で執着を乗り越える。
田畑・宅地・黄金・牛馬・奴婢・雇い人・婦女・親族、その他いろいろの
欲望をむさぼり求める人がいると、無力なるもの(諸々の煩悩)が彼に
打ち勝ち、危難が彼を踏みにじる。
それゆえに苦しみが彼に付き従う。
あたかも壊れた船に水が浸入するように。
それ故に、人は常に正しい想いを保って、諸々の欲望を回避せよ。
船の垢をくみ出すように、それらの欲望を捨て去って、流れをわたり、彼岸に達したものとなれ。
384 :
名無しさん@1周年:02/11/23 18:40
あげ
窟(身体)のうちに留まり、執着し、多くの煩悩に覆われ、迷妄のうちに
沈没している人 ---このような人は実は厭離から遠く隔たっている。
実に世の中の欲望を捨て去ることは容易ではないからである。
欲求にもとづいて生存の快楽にとらわれている人々は、解脱しがたい。
他人によって解脱が得られるのではないからである。かれらは未来をも
過去をも顧慮しながら、これらの現在の欲望または過去の欲望を貪る。
かれらは欲望を貪り、求め、おぼれて、吝嗇で、不正になじんでいるが、
死ぬときには苦しみに襲われて悲嘆する。
「ここで死んでから、われらはどうなるのだろうか」と。
だから人はここにおいて学ぶべきである。世間で「不正」であると
知られているどんなことであろうとも、それの為に不正を行ってはならない。
人の命は短いものだ、と賢者が説くからである。
諸々の生存に対する妄執にとらわれ、この世の人々がふるえているのを、わたくしは見る。
下劣な人々は、種々の生存に対する妄執を離れないで、死に直面して泣く。
何ものかを我がものであると執着して動揺している人々を見よ。
干からびた流れの水の少ないところにいる魚のようなものである。
これを見て、「我がもの」という思いを離れて行うべきである。
---諸々の生存に対して執着することなしに。
賢者は両極端に対する欲望を制し、感官と対象との接触を熟知して貪ることなく、
自分でも非難する悪い行いをしないで、見聞する事柄に汚されない。
想いを熟知して、流れを渡れ。聖者は所有したいという執着に汚されることなく、
煩悩の矢を抜き、勤め励んで行い、この世をもかの世をも望まない。
次回は
第一 蛇の章 七、「賤しい人」 です。
394 :
名無しさん@1周年:02/11/23 21:23
あげ
395 :
名無しさん@1周年:02/11/24 09:44
そんなに読みたきゃ本買ってこいYO!
そんなゼニすら持っとらんのか・・・・・・・
396 :
名無しさん@1周年:02/11/24 22:33
397 :
名無しさん@1周年:02/11/24 22:42
「釈迦」が出迎えてくれる「ブッタ村」とかはないの?
398 :
名無しさん@1周年:02/11/24 23:23
心が安らぎますね・・・。
399 :
名無しさん@1周年:02/11/24 23:27
自殺するの止めて、仏陀の本読む事にしました。
第一 蛇の章 七、「賤しい人」
私が聞いたところによると、あるときブッダはサーヴァッティーのジェータ林、
孤独な人々に食を給する長者の園におられた。
そのとき師は午前に内衣を着け、鉢と重衣とをたずさえて、托鉢の為にサーヴァッティーに入った。
そのとき火につかえるバラモン・バーラドヴァージャの住居に聖火がともされ、
供え物がそなえられていた。
さて、師はサーヴァッティー市の中を托鉢して、彼の住居に近づいた。
火につかえるバラモン・バーラドヴァージャは師が遠くから来るのを見た。
そこで、師に言った。「はげ坊主よ、そこにおれ。にせの道の人よ、そこにおれ。
賤しい奴よ、そこにおれ」と。
そう言われたので師は火につかえるバラモン・バーラドヴァージャに言った。
「バラモンよ。あなたはいったい賤しい人を知っているのですか。また、賤しい人
たらしめる条件を知っているのですか?」と。
「きみ、ゴータマよ。わたくしは人を賤しい人とする条件をも知っていないのです。
どうか、わたくし賤しい人を賤しい人とさせる条件を知りえるように、君ゴータマは
わたくしにその定めを説いてください。」
「バラモンよ、ではお聞きなさい。よく注意なさい。私は説きましょう。」と。
「怒りやすくて恨みをいだき、邪悪にして他人の美徳を覆い、誤った見解を奉じ、たくらみのある人、
----かれを賤しい人であると知れ。
一度生まれるものでも、二度生まれるものでも、この世で生きものを害し、生きものに対するあわれみの無い人
----かれを賤しい人であると知れ。
村や町を破壊し包囲し、圧制者として一般に知られる人
----かれを賤しい人であると知れ。
村にあっても、林にあっても、他人の所有物を、与えられないのに盗み心もて盗る人
----かれを賤しい人であると知れ。
実際には負債があるのに、返済するように督促されると『あなたからの負債は無い』と言って言い逃れる人
----かれを賤しい人であると知れ。
実にわずかの物を欲して道行く人を殺害して、わずかのものを奪い取る人
----かれを賤しい人であると知れ。
証人として尋ねられたときに、自分のため、他人のため、また財の為に、虚偽の申し立てをする人
----かれを賤しい人であると知れ。
或いは暴力を用い、或いは相愛して、親族または友人の妻と交わる人
----かれを賤しい人であると知れ。
己は財豊かであるのに、年老いて衰えた母や父を養わない人
----かれを賤しい人であると知れ。
母、父、兄弟、姉妹、或いは義母を打ち、またはことばで罵る人
----かれを賤しい人であると知れ。
相手の利益になることを問われたのに不利益を教え、隠して事を告げる人
----かれを賤しい人であると知れ。
悪事を行っておきながら、『誰も私のしたことを知らないように』と望み、隠し事をする人
----かれを賤しい人であると知れ。
他人の家に行っては美食をもてなされながら、客としてきたときには、返礼してもてなさない人
----かれを賤しい人であると知れ。
バラモンまたは道の人または他のもの乞う人を、嘘をついてだます人
----かれを賤しい人であると知れ。
新手の荒らしですか?
416 :
名無しさん@1周年:02/11/25 22:30
レスの返しようが無い。
417 :
名無しさん@1周年:02/11/25 23:09
418 :
安部清明 ◆0lofT9axII :02/11/25 23:40
先人の教えを学ぶのは良い心掛よの。
ちと引用がクドイがな(w
別スレ立てたらいかがであろうか。過去スッタニパータなるスレが
あったような気もするが。 まぁ良いか。
ここは釈迦について語るスレであろう。
ならば、釈迦が具体的に語ったことばについて、意見でも反論でも同意でもなさると善い。
空想の『釈迦』について語ったとして、何の実りがあろうか。
食事のときが来たのに、バラモンまたは道の人をことばで罵り食を与えない人
----かれを賤しい人であると知れ。
この世で迷妄に覆われ、わずかのものを貪って、事実でないことを語る人
----かれを賤しい人であると知れ。
自分を褒め称え、他人を軽蔑し、自らの慢心の為に卑しくなった人
----かれを賤しい人であると知れ。
人を悩まし、欲深く、悪い欲望があって、物惜しみをし、徳が無いのに敬われようと欲し、恥じ入る心の無い人
----かれを賤しい人であると知れ。
目覚めた人(仏)をそしり、或いは出家、在家のその弟子をそしる人
----かれを賤しい人であると知れ。
>>419 だから読みたいヤシは本屋行けっつーの(w
本当に読みたければそれくらいの銭は払うだろ普通。
資源の無駄な消費というんだよ。君のしてる事は。
426 :
俺も賤しい人だ!:02/11/26 20:21
2500年前に真理に気づいていたんだね、釈迦は。しかも、師を持たずにね。
全部、自分で解いた。今の俺たちはどう?全然進歩していない(心に関して)。
2500年、いやもっと前からの、堂々巡り。
この詩句には反論の余地が無い。みんなのレスならいくらでも反論できるけど(w
427 :
名無しさん@1周年:02/11/26 21:29
意見を戦わせ自分を深めて仏陀に少しでも近づこうとしているのに
何故コピペする。仏陀の言葉はググレばいくらでも読める。
仏陀も言っている法友が一番大事だと。
428 :
俺も賤しい人だ!:02/11/26 23:13
>意見を戦わせ自分を深めて仏陀に少しでも近づこうとしているのに<
こういう考えをもった人が多ければ、苦労は無いんですけどね。
>>422 >>433 の詩句に該当しない人、手を挙げて!はい、誰もいませんね。
俺も、おもいっきり該当してます。泣けてくるよ、情けなくて・・・。
「釈迦」しか無いね、もう。
実際は尊敬されるべき人ではないのに尊敬さるべき人であると自称し、
梵天を含む世界の盗賊である人、かれこそ実に最下の賤しい人である。
わたくしが汝に説き示したこれらの人々は実に賤しい人と呼ばれる。
生まれによって賤しい人となるのではない。生まれによってバラモンとなるのではない。
行為によって賤しい人ともなり、行為によってバラモンともなる。
私は次にこの実例を示すが、これによってわが説示を知れ。
チャンダーラ族の子で犬殺しのマータンガとして世に知られていた人があった。
かれマータンガはまことに得がたい最上の名誉を得た。多くの王族やバラモンたちはかれに奉仕するためにやってきた。
彼は神々の道、ちり汚れを離れた大道を登って、欲や貪りを離れて、ブラフマンの世界に赴くものとなった。
賤しい生まれもかれがブラフマンの世界に生まれることを妨げなかった。
ヴェーダ読誦者の家に生まれ、ヴェーダの文句に親しむバラモンたちも、
しばしば悪い行為を行っているのが見られる。
走すれば現世においては非難され、来世においては悪いところに生まれる。
身分の高い生まれも、彼らが悪いところに生まれまた非難されるのを防ぐ
ことは出来ない。
生まれによって賤しい人となるのではない。生まれによってバラモンとなるのでもない。
行為によって賤しい人ともなり、行為によってバラモンともなる。」と
このように説かれたときに、火につかえるバラモン・バーラドヴァージャは師に言った。
「すばらしいことです、きみゴータマよ。すばらしいことです、きみゴータマよ。
あたかも倒れたものを起こすように、覆われたものを開くように、
方角に迷ったものに道を示すように、或いは『眼ある人々は色を見るであろう』
といって暗夜に灯火を掲げるように、きみゴータマは種々の仕方で法を明らかにされました。
このわたくしはゴータマに帰依し奉る。また真理と修行僧の集いに帰依し
たてまつる。
きみゴータマは、今日以降、命の終わるときまで帰依した在俗信者としてわたくしをうけいれたまえ。
>>425 だから読みたいヤシは本屋行けっつーの(w
本当に読みたければそれくらいの銭は払うだろ普通。
誰に向かっての問いなのでしょうか。
私は既にこの本を持っていて、常に読んでいます。
私は読みたいのではなくて、ブッダのことばを紹介したいだけです。
真にブッダが語っていたことばを提示したいのです。
資源の無駄な消費というんだよ。君のしてる事は。
きみとは誰のことですか。何の資源を消費しているのですか。
真摯にお答えください。
これでいいのだ。
ぽろぽろん♪
タ ケ コ ブ ッ ダ ー
彡川川川三三三ミ~
川|川/ \|~ プゥ~ン / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∥|∥ ◎---◎|~ < 「----かれを賤しい人であると知れ。」
川川∥ 3 ヽ~ | と。
川川 ∴)д(∴)~ \_______
川川 ~ /~ カタカタカタ
川川∥ ~ /∥ _____
川川川川___/∥ | | ̄ ̄\ \
/ \__| | | ̄ ̄|
/ \___ | | |__|
| \ |つ |__|__/ /
/  ̄ ̄ | ̄ ̄ ̄ ̄| 〔 ̄ ̄〕
| | ̄
439 :
名無しさん@1周年:02/11/27 19:37
>>435 あぁすまんね。前半は万せーしてた椰子らのことだよ。
後半はあんたに言ってる。
紹介したいならHPとしてどっかにUPしてURL貼りゃすむだろーがよ。
フリーの鯖なんて腐るほどあんのにさ。
掲示板みたいな皆がアクセスするところでそういう行為は
いかがなものか?と言ってるの。
サーバのCPU負荷、及びHDの消費。<資源
OK?
440 :
名無しさん@1周年:02/11/27 19:40
そうそう。
追記しとくと君の一存で他の人らの話を実際にぶった切ってる訳で。
善かれと思っても迷惑なこともあるんですよ?
一応まじめに答えたよ。まだ続けるってんならもう何も言わん。
好きにしてくれ。
好きにされたら困る
愚昧なる宗教板住人に釈迦の真理を知らせるために必要なのですよ。それがわかりませんか?
443 :
名無しさん@1周年:02/11/27 21:33
コピペ書くだけならうましかでも出来る。境地を書かんかい。
コピペ見るだけなら猿でも出来る。自分の意見を書かんかい。
444 :
名無しさん@1周年:02/11/27 23:14
>>443 おみゃーさんの境地はようわかった。何も言わん。
>>442 >紹介したいならHPとしてどっかにUPしてURL貼りゃすむだろーがよ。
>フリーの鯖なんて腐るほどあんのにさ。
上記の文章が理解できませんでしたか?
ネチケットをこんなところで求めるのもなんだがナ(w
どうしてもやりたいならスレ立てろって。
そっちのほうが皆に見てもらえる可能性大でしょ?どう考えても。
よろし?
446 :
名無しさん@1周年:02/11/28 21:03
卑しい人ばっかりなんだな。
447 :
名無しさん@1周年:02/11/28 21:27
448 :
名無しさん@1周年:02/11/28 21:46
449 :
名無しさん@1周年:02/11/28 21:58
>>448 僕も見ました。経典の披露会ですね。1)議論はしない というのは、
泥沼議論スレになるのが嫌なんでしょうね。でもね、根本仏教よりもっと
根本は<釈迦>ですよ。
450 :
名無しさん@1周年:02/11/29 23:45
age
451 :
名無しさん@1周年:02/11/29 23:56
釈迦はシャカシャカ歩いたんでしょうか?
結構いい人だったから
453 :
名無しさん@1周年:02/11/30 00:20
釈つながりで釈由美子は悟っているのでしょうか?
454 :
名無しさん@1周年:02/11/30 00:22
悟っています。
455 :
名無しさん@1周年:02/11/30 00:23
ある意味サトっていると思うゾ
釈さんは・・・。
456 :
名無しさん@1周年:02/11/30 00:24
ビッキリ (・∀・)イイ!!
「太陽の裔である偉大なブッダに、遠ざかり離れることと平安の境地とをお尋ねします。
修行者はどのように観じて、世の中の何ものをも執することなく、安らぎにはいるのですか?」
師・ブッダは答えた。
「『われ有り』と考える不当な思惟の意識の根本を全て制止し、内に存在する
いかなる妄執をも制するために、常に心して学べ。
内的にでも外的にでもどれだけでも理法を知りぬけ。しかしそれによって慢心を
起こしてはならない。
それが安らぎであるとは真理に達した人々は説かないからである。
これによって「自分は勝れている」と思ってはならない。
また、「自分は劣っている」とか「自分は等しい」とか思ってはならない。
いろいろの質問を受けても、自己のそんだ緒を妄想せずにおれ。
修行者は心のうちが平安となれ。外に静穏を求めてはならない。
内的に平安となった人には固執されたものは存在しない。
どうして捨てられるものがあろうか。
海洋の内部においては波が起こらないで静止しているように、静止して不動であれ。
修行者は何物についても欲念を盛り上がらせてはならない。」
「目を開いた人は、自ら体験した法、危難の克服を説いてくださいました。
願わくは、正しい道を説いてください。戒律規定や精神安定の法をも説いてください。
「眼で視ることを貪ってはならない。卑しい話から耳を遠ざけよ。
味に耽溺してはならない。世間における何ものをも、わがものであるとみなして
固執してはならない。
苦痛に触れることがあっても、修行者は決して悲嘆してはならない。
生存を貪り求めてはならない。恐ろしいものに出会っても震えてはならない。
食物や飲料や硬い食べ物や衣服を得ても、貯蔵してはならない。
またそれらが得られないからとて心配してはならない。
心を安定させよ。うろついてはならない。後悔するのをやめよ。
怠ってはならぬ。そうして修行者は閑静な座所・臥所に住まうべきである。
468 :
名無しさん@1周年:02/12/01 21:08
ブッダが言ってることはヤシの妄想でしかない
それを無根拠に信じるヤシは精神異常者
多く眠ってはならぬ。熱心であって目覚めているべきである。
ものぐさと偽りと談笑と遊戯と異性との交わりと装飾とを捨てよ。
我が徒は、アタルヴァ・ヴェーダの呪法と夢占いと観相と星占いとを行ってはならない。
鳥獣の声を占ったり、懐妊術や医術を行ったりしてはならぬ。
>>468 多分、468は「ブッダの言ってること」なんて一字一句も知らないw
472 :
名無しさん@1周年:02/12/01 21:12
権威ある学界の、学者たちの真摯で合理的な研究の成果として、
スッタニパータの「八つの詩句の章」として知られる数編には、
歴史上のブッダの言葉の現存を見てもいい。
これは根拠があることであり、説かれている内容も、
議論を呼ぶような内容でもない。
修行者は非難されてもくよくよしてはならない。賞賛されても高ぶってはならない。
貪欲と物惜しみと怒りと悪口とを除きとれ。
修行者は売買に従事してはならない。決して誹謗をしてはならない。
また、村の人々と親しく交わってはならない。利益を求めて人に
話しかけてはならない。
また、修行者は高慢であってはならない。また遠まわしに策したことばを語ってはならない。
傲慢であってはならない。不和をもたらす言辞を語ってはならない。
虚言を避けよ。よく気をつけて詐りをしないようにせよ。また生活に関しても、
智慧に関しても、戒律や道徳に関しても、自分が他人より優れていると
思ってはならない。
諸々の出家修行者やいろいろ言い立てる世俗人に辱められ、不快なことばを多く聞いても、
荒々しいことばを以って答えてはならない。
善き人々は敵対的な返答をしないからである。
修行者はこの理法を知って、よくわきまえて、常に気をつけて学べ。
諸々の煩悩の消滅した状態が「安らぎ」であると知って、教えにおいて怠ってはならない。
そうすればみずから勝ち、他にうち勝たれることが無い。
他人から伝え聞いたのではなくて、みずから証する理法を見る。
それ故に教えにおいて、怠ることなく、常に礼拝して、従い学べ」
あぼーん
482 :
名無しさん@1周年:02/12/01 21:30
>>464 この部分は、いわゆる「ミザル、キカザル、イワザル」
のルーツになった部分でしょうね。
ひょっとして、あの、サルが口を手で覆っているしぐさは「味に耽溺するな」
と言う意味だったのかもしれないですね。
484 :
名無しさん@1周年:02/12/01 22:21
>>473 おい、本当かよ。だれがどの論文でいってるんだ?
>>484 せめて文庫本の「スッタニパータ」(岩波文庫)ぐらい読んでから質問シル!
>>457-480 を読んで分かるように、
ブッダの法というのは体験であって言葉ではない、ということですね。
体験を言葉にしてみることはできますが、その言葉は体験自体ではない。当たり前ですね。
自分で体験してみなければならない、ということです。
このとき言葉・観念・概念・論理が邪魔になります。
思考の意識をストップできたときに体験がやってきます。
487 :
スッタニパータ狂人:02/12/03 22:20
スッタニパータ好きですね。
>>473 権威ある学界の、学者たちの真摯で合理的な研究の成果として、史上のブッダの言葉の現存を見てもいい。
権威も研究もいらずに、脚色のないブッダの言葉に近いと推測されます。
我々にとってもあまりに当たり前すぎて、脚色しようもありません。
なら、体験したのかっていわれそうですが・・・
すくなくとも、反省する時に、正しい基準にもとずいていると思いますよ。
人間、神の子ですから、
仏陀に言われなくても、スッタニパータの教えくらいは、
分かって生まれてきているはずです。されど馬鹿にしてはいけませんね。
欲望をかなえたいと望んでいる人が、もしもうまくいくならば、彼は実に人間の
欲するものを得て、心に喜ぶ
欲望をかなえたいと望み、貪欲の生じた人が、もしも欲望を果たすことが出来なくなるならば、
かれは矢に射られたかのように悩み苦しむ。
足で蛇の頭を踏まないようにするのと同様に、諸々の欲望を回避する人は、正しい想いがあり、
この世での執着を乗り越える。
田畑、宅地、黄金、牛馬、奴婢、雇い人、婦女、親族、その他いろいろの欲望を
貪り求める人がいると、
無力なる物(諸々の煩悩)がかれに打ち勝ち、危難が彼を踏みにじる。
それ故に苦しみが彼に付き従う。
あたかも壊れた船に水が浸入するように。
それ故に、人は常に正しい念いを保って、諸々の欲望を回避せよ。
船の垢をくみ出すように、それらの欲望を捨て去って、流れを渡り、彼岸に達したものとなれ。
この「欲望」のところは、八正道と言われるうちの「正念」を
説いておられるようですね。
次回は 怒りに関する八つの詩句 にする予定です。
495 :
名無しさん@1周年:02/12/04 02:11
明日も非我昇りますように。
南無阿弥陀仏
萌え♪
496 :
名無しさん@1周年:02/12/04 02:14
釈迦さんの
教えは
南無阿弥陀仏
と唱えることでしゅ。
萌え♪
497 :
名無しさん@1周年:02/12/04 02:15
南無阿弥陀仏♪
風呂あがりの 念仏はまた 格別だな。
萌え
なんで「萌え」なのさ(w
500
600
実に心に起こって他人を誹る人々もある。また心の真実な人々でも他人を誹ることがある。
誹ることばが起こっても、聖者はそれに近づかない。だから聖者は何事についても心の荒むことが無い。
実に心に起こって他人を誹る人々もある。また心の真実な人々でも他人を誹ることがある。
誹ることばが起こっても、聖者はそれに近づかない。だから聖者は何事についても心の荒むことが無い。
欲にひかれ、願いにこだわっている人は、どうして自分の見解を超えることができるだろうか。
かれは、みずから完全であると重いなしたことを行う。
彼は知るに任せて語るであろう。
質問されないのに、他人に向かって、自分の戒律と道徳を言いふらす人、
自分で自分のことを言いふらす人があれば、かれは聖なる真理を保っていない人である、と
真理に達した人々は語る。
平安となり、心が安静に帰した修行者が、戒律に関して「わたくしはこのようにしている」と言って誇ることなく、世の中のどこにいても煩悩の燃え盛ることが無いならば、
彼は聖なる真理を保っている人である、と真理に達した人々は語る。
汚れた教法をあらかじめ設け、つくりなし、偏重して、自分のうちにのみ勝れた実りを
見る人は、ゆらぐものに縁る平安に依存しているのである。
諸々の事物に関する固執を確かに知って、事故の見解に対する執着を超越することは、容易ではない。
ゆえに人はそれらの偏重の住まいの内にあって、教えを斥け、またこれを執る。
邪悪を掃い除いた人は、世の中のどこにいっても、諸々の生存に対してあらかじめ
いだいた偏見が存在しない。
邪悪を掃い除いた人は虚偽と驕慢とを捨て去っているが、どうして輪廻におもむくであろうか?
彼はもはや頼り近づくものがないのである。
諸々の事物に関して頼り近づく人は、誹りを受ける。
頼り近づくことの無い人を、どうして誹り得るだろうか?
かれは執することもなく、捨てることも無い。
彼はこの世で一切の偏見を掃い去っているのである。
510 :
名無しさん@1周年:02/12/05 01:19
読んでる奴いる?
射精して、こころ落ち着く者がいて
こうして書いて、こころ落ち着く者もいて
だいぶん、落ち着いたか?
スッタニパータ好きですね。
タイトル通りに、釈迦について語ってください。知らないなら語れませんが・・・
スッタニパータは、あらゆる根本ではないと思います。
他の経典にスッタニパータ反映されてますか?
質問されないのに、他人に向かって、自分の戒律と道徳を言いふらす人。
アーラヴァカ夜叉は師に次の詩を持って呼びかけた。
「この世で人間の最上の富は何であるか?
いかなる善行が安楽をもたらすのか?
実に味のなかでの美味は何であるか?
どのように生きるのが最上の生活であるというのか?」
「この世では信仰が人間の最上の富である。
徳行に篤いことは安楽をもたらす。
実に真実が味のなかでの美味である。
智慧によって生きるのが最上の生活であると言う。」
「ひとはいかにして激流を渡るのであるか?
いかにして海を渡るのであるか?
いかにして苦しみを越えるのであるか?
いかにして全く清らかなるのであるか?」
「ひとは信仰によって激流を渡り、
精励によって海を渡る。
勤勉によって苦しみを越え、
智慧によって全く清らかとなる。」
「ひとはいかにして智慧をえるのであるか?
いかにして財を獲るのであるか?
いかにして名声を得るのであるか?
いかにして交友を結ぶのであるか?
どうすれば、この世からかの世に赴いたときに憂いが無いのであろうか?」
「諸々の尊敬さるべき人が安らぎを得る理法を信じ、精励し、聡明であるならば、
教えを聞こうとする熱望によって智慧を得る。
適宜に事を成し、忍耐強く努力するものは財を得る。
誠実を尽くして名声を得、
何ものかを与えて交友を結ぶ。
信仰あり在家の生活を営む人に、せいじつ、真理、堅固、施与という
これら四種の徳があれば、かれは来世にいたって憂えることが無い。」
519 :
名無しさん@1周年:02/12/06 01:05
萌え♪
スッタニパ-タが世界に広まりますように。
南無阿弥陀仏。
坊主一同、広めろーーーーーーーーーーーーーっ
521 :
第一蛇の章、110より:02/12/06 14:14
「盛りをすぎた男が、ティンバル果のように盛り上がった乳房のある
若い女を誘き入れて、かの女への嫉妬から夜も眠られない
これは破滅への門である。」
ティンバル果って、どんな果物ですか?
オッパイそっくりなのでしょうか?
522 :
名無しさん@1周年:02/12/07 00:33
>>521 おそらく、小池栄子みたいな女性のことをいうんでしょうね
師は語った
「私は昔、悟りを開こうとしたときに、愛執と嫌悪と貪欲という三人の魔女を見ても、
彼らと性の交わりを行いたいという欲望さえも起こらなかった。
大小便に満ちたこの女がそもそもなにものだろう。
私はそれに足で触れることさえも欲しない。」
マーガンディヤが言った。
「もしもあなたが、多くの王者が求めた女、このような宝を欲しないのであれば、
あなたはどのような見解を、どのような戒律、道徳、生活法を、
またどのような生存状態に生まれ変わることを説くのですか?」
師は答えた
「マーガンディヤよ。私はこのことを説く、ということが私には無い。
諸々の事物に対する執着を執着であると確かに知って、諸々の見解における
過誤を見て固執することなく、省察しつつ内心の安らぎを私は見た。」
マーガンディヤが言った
「聖者よ、あなたは考えて構成された定説を固執することなしに、
『内心の安らぎ』ということをお説きになりますが、その事柄を
諸々の賢人はどのように説いておられるのでしょうか?」
師は答えた。
「マーガンディヤよ。見解によっても、学問によっても、知識によっても、
戒律や道徳によっても清らかになることが出来る、とわたくしが説くのではない。
無見解、無学、無知識によっても、戒律や道徳を守らないでも、清らかになれる、
とも説かない。
それらを捨て去って、固執することなく、こだわることなく、平安であって、
変化的生存を願ってはならぬ。これが内心の平安である。」
マーガンディヤが言った。
「もしも、見解によっても、学問によっても、知識によっても、戒律や道徳に
よっても清らかになることが出来ないと説き、また、無見解、無学、無知識によっても、戒律や道徳を守らない事によっても、清らかになることが出来ない、
と説くのであれば、それは人を迷わす教えである、とわたくしは考えます。
見解によって清らかになることが出来る、と或る人々は考えます。」
とも説かない。
マーガンディヤが言った。
「もしも、見解によっても、学問によっても、知識によっても、戒律や道徳に
よっても清らかになることが出来ないと説き、また、無見解、無学、無知識
によっても、戒律や道徳を守らない事によっても、清らかになることが
出来ない、と説くのであれば、それは人を迷わす教えである、とわたくしは
考えます。
見解によって清らかになることが出来る、と或る人々は考えます。」
師は答えた
「 マーガンディヤよ。あなたは自分の見解に基づいて尋ね求めるものだから、
執着した事柄について迷妄に陥ったのです。あなたはこの内心の平安について
微かな想いさえもいだいていない。だからあなたは私の説を人を迷わすものだと
みなすのです。
『等しい』とか『すぐれている』とか、或いは『劣っている』とか考える人、
彼はその想いによって争うであろう。しかしそれらの三種に関して動揺しない人、
かれには『等しい』とか『すぐれている』とか、或いは『劣っている』という思いは存在しない。
そのバラモンはどうして『わが説は真実である』と論ずるであろうか。
またかれは『汝の説は虚偽である』といって誰と論争するであろうか?
等しいとか等しくないとかいうことのなくなった人は、誰と論争にかかずらうで
あろうか?
住宅を捨てて、住居なくさまよい、村の中で親交を結ぶことの無い聖者は、
諸々の欲望を離れ、未来に望みをかけることなく、群集に対して異論を立てて
談論をしてはならない。
竜(修行完成者)は諸々の偏見を離れて世間を遍歴するのであるから、
それらを固執して論争してはならない。たとえば睡蓮や棘のある蓮が
水にも泥にも汚されないように、そのように聖者は平安を説く者であって、
貪ることなく、欲望にも世界にも汚されることが無い。
ヴェーダの達人は見解についても、思想についても、慢心にいたることが無い。
かれの本性はそのようなものではないからである。
彼は行為によっても導かれないし、学問によっても導かれない。
彼は執着の住所に導き入れられることがない。
想いを離れた人には結ぶ戒めが存在しない。智慧によって解脱した人には
迷いが存在しない。想いと見解とを固執した人々は、他人と衝突しながら
世の中をうろつく。」
537 :
名無しさん@1周年:02/12/07 04:14
そんなことより、おっぱいフルーツについて詳細きぼん!
「どのように見、どのような戒律を保つ人が、『平安である』といわれるのか?
ゴータマよ。お尋ねしますが、その最上の人のことを私に説いてください。」
師は答えた。
「死ぬよりも前に、妄執を離れ、過去にこだわることなく、現在においても
くよくよと思い巡らすことが無いならば、かれは未来に関しても特に思い煩うことが無い。
かの聖者は、怒らず、おののかず、誇らず、後悔をなさず、神呪を語り、
そわそわすることなく、ことばを慎む。
未来を願い求めることなく、過去を追憶して憂えることも無い。
感官で触れる諸々の対象について遠ざかり離れることを観じ、
諸々の見解に誘われることが無い。
貪欲などから遠ざかり、偽ることなく、貪り求めることなく、
物惜しみせず、傲慢にならず、嫌われず、陰口を事としない。
快いものに耽溺せず、また高慢にならず、柔和で、弁舌さわやかに、
信ずることなく、欲を去ることも無い。
利益を欲して学ぶのではない。利益が無かったとしても怒ることが無い。
妄執の為に他人に逆らうことが無く、美味に耽溺することも無い。
平静であって、常に正しい想いあり、世間において他人と自分を等しいとは思わない。
また自分が勝れているとも思わないし、また劣っているとも思わない。
かれには煩悩の燃え盛ることが無い。
わだかまることのない人は、理法を知ってこだわることが無いのである。
彼には、生存のための妄執も、または生存の断滅の為の妄執も存在しない。
諸々の欲望を顧慮することのない人、
かれこそ『平安なる者』である、と私は説く。
かれには縛めの結び目は存在しない。彼は既に執着を渡り終えた。
彼には、子も、家畜も、田畑も、宅地も存在しない。
既に得たものも、未だ得られなかったものも、彼のうちには認められない。
諸々の凡夫、または道の人、バラモンどもが彼を非難して、
貪りの咎があると言うであろうが、彼はその貪りなどを特に顧慮することは無い。
それ故にかれは諸々の論議を受けても動揺することが無い。
聖者は貪りを離れ、物惜しみすることなく、『自分は勝れたものである』とも、
『自分は等しいものである』とも、『自分は劣ったものである』とも
論ずることが無い。
かれは分別を受けることの無いものであって、妄想分別におもむかない。
かれは世間において所有が無い。また無所有を憂えることも無い。
かれは諸々の事物に赴くことも無い。
彼は実に『平安なる者』と呼ばれる。
釈迦の教えはまことに真実の光を放っています。
2000年以上経った現在にまでその光は届いていますね。
随分捻じ曲げられてしまいましたが。
あぼーん
554 :
名無しさん@1周年:02/12/07 22:38
>>552 そんでさぁ、釈迦の教えっていったいなにさ?
あのおっさんはさぁ、家出してぇ、45年ほどホームレスやってさぁ、そんで食中毒で死んだんだろぉ?
ねじまげるもまげないもないだろぉ?(以上、仏教徒のたわごとれす)
明日は成道会。そして大東亜開戰の日。
仏教学者ども(特に日本仏教を専攻とする宗門系大学の教員ども)にはその意味を死ぬ気で考えてもらいたいものです。
age と sageになにか意味があるの?
私は議論は致しません。
私はただ釈迦の教えをこの板に提示するだけです。
釈迦の教えがいったい何か、それはご自身でお考えください。
なぜなら、宗教的体験と言うものは、一人一人のものであり、
誰かに教えられたり、習ったりするものではありませんから。
557 :
名無しさん@1周年:02/12/08 02:53
age
釈迦は自分の宗教体験を語ったわけだ。
釈迦は釈迦の宗教体験を語るしかない。
自分の体験を提示する。まあ当たり前の話し。
君には宗教体験はまったくないのか?
それで釈迦の言葉をそのまま引き写すかないと。
559 :
名無しさん@1周年:02/12/08 17:25
ところでどう思うか?
宗教体験というのは教えられたり習ったりするものではない。
その通り。それは不可能だ。
一人一人が自分で体験して味わうしかない。
それでは釈迦はいったい何を教えていたのか?
教えられるものではないはずなのに、一体何を教えていたというのか?
本当は釈迦には教えるようなものは何もなかったはずだ。
なぜなら体験するしかないから。
釈迦はただみんな各自で「それ」を体験して味わって欲しいと思っていただけだ。
それは「教義」や「教え」というより「気づきへの誘い」とでも言った方がいいものだった。
しかしはっきりとした教義を欲した弟子たちが、釈迦の言葉をかき集めてたくさんの経典を作ってしまった。
これが多かれ少なかれ迷いのもとだ。
560 :
名無しさん@1周年:02/12/08 18:19
今日は、お釈迦様が悟りを開いた日です。こんなに大事な日なのに、どうして日本人はクリスマス一色なんでつか?
561 :
名無しさん@1周年:02/12/08 18:36
釈迦は社会のゴミ
562 :
名無しさん@1周年:02/12/08 19:58
釈迦信者は基地害
釈迦信者は基地害
563 :
きりますお:02/12/08 20:38
釈迦信者はこ汚ねぇ生活してるごみカルト信者
565 :
アサハラお焼香:02/12/08 23:45
死んだヤツは、いい。生きてる、いけた駄作とか大川りゅぽう等をコーゲキすてくんろ。
566 :
名無しさん@1周年:02/12/09 11:50
「週間パンチ」という昔売っていた雑誌のグラビアで可愛い女の子のヌード写真で
興奮した。そしてオナニーすることにした。
その他にもヌードの女の子の写真がたくさんあったので、(出だしはこいつ、
次はこいつ、そして最後はこいつでフィニシュだ!)と順番を決めた。
やがて佳境に入ってきた。
(よーし、とっておきの子で…)
爆発寸前になったら、その子のページがみつからない。
今にもいきそう!
(こうなったら誰でもいい!、間に合わん!)
いきなり開いたページには美肌のプリプリした体が!
「あぁぁぁぁぁぁぁぁーー!!!」
逝った後、よく見ると「貴乃花と北の潮」の特集だった。
567 :
名無しさん@1周年:02/12/09 16:15
以上、コーチショの
まつもとのちづちゃんの回想録より引用。
とりあえず仏典引き写し野郎は消えた。
これからは自分の体験を語って釈迦の言葉と照らし合わせるスレとする。
「彼には、子も、家畜も、田畑も、宅地も存在しない。
既に得たものも、未だ得られなかったものも、彼のうちには認められない。
諸々の凡夫、または道の人、バラモンどもが彼を非難して、
貪りの咎があると言うであろうが、彼はその貪りなどを特に顧慮することは無い。
それ故にかれは諸々の論議を受けても動揺することが無い。」
上記コピペの句です。これを読んで悟ったことがあるんで聞いてください。
どうして「子も、家畜も、田畑も、宅地も存在しない」のに、いろんな人から「むさぼりの咎あり」と非難されるのでしょうか?
それは、外面的に見ればその人には財産があって貪っているように見えるから、そんな風に言われるんじゃないですか。
たとえ身の回りに財産があってもそれに執着しない、そして一向に非難にも気をとめない、それが悟りの状態ではないでしょうか。
じっさい釈迦にもいろいろな精舎があり、数千の僧団、王族の帰依があったけど、それに執着しなかったから、悟ってたんでしょう。
571 :
名無しさん@1周年:02/12/10 20:10
無欲の人をブッダというのかぁ~!
>>568 消えてなどいない。仏陀の教えは未来永劫続くのです。
573 :
名無しさん@1周年:02/12/10 20:47
>566
君のいとしの貴乃花は膝の故障で引退しちゃうゾ
どーする?
犯罪者の精神鑑定で、こんな質問がされるそうです
「ある所にお父さんとお母さんと息子が暮らしていましたが、
お父さんが死んでしまいました。お母さんは、お父さんのお葬式に
やってきたお父さんの会社の同僚に一目ぼれしてしまいました。
一週間後、お母さんは息子を殺しました。さて、どうしてでしょう?」
考えてみてください。
この質問をされた90何パーセントの人が、こう答えるそうです。
「息子は邪魔だったから。」
ところが、宮×勉と酒××薇は、こう答えたそうです。
「息子の葬式でまた、一目ぼれした相手に会えるから。」
575 :
名無しさん@1周年:02/12/10 20:51
>573
そりゃ息子のほうだろ
二子山親方でイッタんだよ566は
576 :
名無しさん@1周年:02/12/10 20:54
は?
577 :
名無しさん@1周年:02/12/10 22:27
>>570 うーん。
つまり物を持たない無所有が悟りって思われてるけど、実は財産ありまくりの方が釈迦の言う「真のバラモン」ってことか。
要は財産に囲まれていて人から非難されてもそれに動揺せず、執着せずってことが大切なのね、、、
長老ティッサ・メッテーヤが言った。
「きみよ、性の交わりに耽る者の破滅を話してください。
あなたの教えを聞いて、吾等も遠ざかることを学びましょう。」
師は答えた
「メッテーヤよ、性の交わりに耽る者は教えを失い、その行いは邪である。
これは彼の内にある卑しいことがらである。
かつては一人で暮らしていたのに、のちに性の交わりに耽る人は、
車が道から外れたようなものである。
これは彼の内にある卑しいことがらである。
かつて彼の持っていた名誉と名声とは全て失われる。
ことことをも見て、性の交わりを絶つことを学べ。
かれは諸々の欲の思いに囚われて、貧困者のように考え込む。
このような人は、他人のとどろく名声を聞いて恥じ入ってしまう。
そうして他人に詰られたときには刃(悪行)をつくり、虚言に陥る。
これが彼の大きな難所である。
独身を守っていた時には一般に智者と認められていた人が、
ついで性の交わりに耽ったために、愚者のように悩まされている。
聖者はこの世で前後にこの艱難のあることを知り、堅く独身を守り、
性の交わりに耽ってはならない。
俗事から離れることを学べ。これは諸々の聖者にとって最上のことがらである。
しかし、これだけで自分が最上のものだと考えてはならない。
彼は安らぎに近づいているだけなのである。
587 :
くろしろ ◆Mi0a.9Ms2A :02/12/11 21:28
もてないんですか?w
聖者は諸々の欲望を顧みることなく、それを離れて行い、流れを渡り終わっているので、
諸々の欲望に束縛された生ける者どもはかれを羨むのである。」
俗事を離れてはならない。これは聖者にとって最高の教えである。しかし、
これだけ自分が最上の悟りを開いた彼はついに俗事について学ぶ。そして
安らぎに浸るのである。
聖者の欲望はついに燃え上がり、それを離れては近づく。まるで流れを渡り歩く
村人のように、それは近く遠く輝く。生贄を必要とされるのは、馬鹿である。
良いことを言った聖者も、我々と同じ地球に捨てられる。もっとも、よく磨かれた
鏡は家のようになる。しかし、まるで、命だ。以て、烏の鳴き声と解く。考える
ことを止めよ。
見よ、あなたはそれを知らない。だが、それは同じである。光について学びなさい。
おそらくそれは、最大の空間を必要とされた。聞くことを止めよ。回すことが全てである。
臨終のときに聞かされるのはお経である。
三角形の成り立ちを知っているか。三角は四角よりなる。決して喜んではならない。
今の時間を有効に使うのです。
私は誰である。まったく現れもしない。それを言うと満たされろ。そうでも
しないと走り寄る暇もないであろう。
神は嵐のようだ。一人静かに昨日の夜を過ごす。行ってしまえ。
千人の狼よりも、六匹の羊のほうが正しい。未知はいかなる鉄槌をもってしても
びくともしない。然るに善をなし、それを飲食する未満の親指は成就される。
師は答えた
「メッテーヤよ、性の交わりに耽る者は教えを失い、その行いは邪である。
これは彼の内にある卑しいことがらである。
598 :
名無しさん@1周年:02/12/12 07:39
お釈迦様が無欲の人である・・・・なんて大きな間違いだ。
まず、欲とは、名誉欲、睡眠欲、食欲、色欲、財欲からなる。
お釈迦様が何十年も生きていらっしゃったのは、食って寝たからだ。
すなわち、お釈迦様も何かを食べたくて、寝たかったのだ。
という事は、お釈迦様も無欲ではないわけだ。
やれやれ
600 :
名無しさん@1周年:02/12/12 08:19
600GET!
601 :
ズームイン:02/12/12 16:18
お前は、間違っている。 お前は、間違っている。 お前は、間違っている。
お前は、間違っている。 お前は、間違っている。 お前は、間違っている。
お前は、間違っている。 お前は、間違っている。 お前は、間違っている。
602 :
598さんへ:02/12/12 16:41
有余、無余、無住処、はぁー、やれやれ、いたた
603 :
名無しさん@1周年:02/12/12 20:11
>597
子供がうまれず、老人ばかりの世界になってもいいのかよ!
604 :
名無しさん@1周年:02/12/12 23:18
>597
セックスに溺れるな、という意味でしょう。在家には妻帯を認めていたんだから。
605 :
名無しさん@1周年:02/12/13 00:15
Kill The Buddha
釈迦を殺せ
自分の中にいる釈迦を殺すのだ
それが唯一の救われる道だ
仏に逢うては仏を殺し。祖に逢うては祖を殺し。羅漢に逢うては羅漢を殺し。
父母に逢うては父母を殺し。親眷に逢うては親眷を殺し。始めて解脱を得ん。
ハイ、手にデバボチョウを持って
突く場所わかってるぅ? 心の臓をひと突きーーーーーーーーーーーー
読んでる香具師1名
書いてる香具師1名 知りたかったのはそれだけだ
609 :
名無しさん@1周年:02/12/13 14:57
↑誰にいってるの?
我ら親子、冥府魔道を歩む。
611 :
名無しさん@1周年:02/12/13 21:45
カルトの根源を根絶せよ
あらゆるカルトの根源を撲滅せよ
目覚めるのだ
カルトを生じるは大カルト教祖釈迦にありと
魂の声を聞け
我らを落としめる最大の罪人釈迦を葬りたまえ
アーメン
いんや、敵はムハンマドどぅわ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
言い争う人々を見よ。杖を執ったことから恐怖が生じたのである。
私がどのようにそれを厭い離れたか、厭い離れることをのべよう。
水の少ないところにいる魚のように、震えている人々を見て、また
相互に反目している人々をみて、私に恐怖が起こった。
世界はどこも堅実ではない。どの方角も全て動揺している。
私は自己のよるべき住所を求めたのであるが、
すでに、死や苦しみなどに取り付かれていないところを見なかった。
生きとし行けるものは終極においては違逆に会うのを見て、私は不快になった。
また私はその生けるものどもの心中に見がたき煩悩の矢が潜んでいるのを見た。
617 :
名無しさん@1周年:02/12/14 15:49
しゃかもまだまだだな。
やはり、ムハンマドだな!
619 :
名無しさん@1周年:02/12/14 16:51
コーランとは比較にもならない。
釈迦経は汚染廃棄物だ。
620 :
名無しさん@1周年:02/12/14 21:01
↑おまえらみたいに他を認めない方がカルトって事で、いいですか?
621 :
名無しさん@1周年:02/12/14 21:59
釈迦思想を絶やそう
622 :
お毛けフサフサ:02/12/14 22:15
いや、ソーシキ仏教を絶やそうって言うんなら
わかるんだが。
釈迦の書を全部萌えるゴミに出そう
624 :
名無しさん@1周年:02/12/15 21:29
親鸞会が言うには、お釈迦様もいろいろな経典を残されたが、阿弥陀仏の部分以外は全て方便で、
阿弥陀仏のみが衆生を救ってくださると言っているが・・。
本当なの?
欲をすてよ、というのは、全ての人間は欲を捨てる事ができないという事を知らしめるための方便だとか。
そういえば、いくら欲を捨てきったと言った高僧も、寝て、食っているではないか・・・。
欲を捨てているとはいえないなー。
という事は、やはり親鸞会が言っている事は正しいのか???
625 :
名無しさん@1周年:02/12/15 22:39
お釈迦様も実際は、荒行と、クスリで頭飛ばしてたんじゃないの?
誰も、答えれなさそうだね・・・。
627 :
知んらんかい!:02/12/15 23:50
>624・626
本気でアミダブツ以外は方便と思っているわけ?
仏教史でも勉強すれば?
628 :
名無しさん@1周年:02/12/16 01:09
歴史と宗教のレベルを混同している時点でアウト!
仏教は
ヒンズー教の一つの流派以上のものではないね。
630 :
名無しさん@1周年:02/12/16 05:21
>>627 じゃあ、説明してよ。
というのも、俺は親鸞会じゃないが、最近会員の奴にすごく説法されててな・・・。
お前が俺を納得させてくれよ。
633 :
名無しさん@1周年:02/12/16 06:17
>>631.2
誰だよ、それ?
誰も、俺を納得させてくれる人はいないんだよなー。
↑おまえを納得させても何も得せんしなぁー。 逆に聞きたい、アミダ仏の部分ってどういう内容でしたか?
635 :
名無しさん@1周年:02/12/16 12:33
欲をすてよ、というのは、全ての人間は欲を捨てる事ができないという事を知らしめるための方便だとか。
いくら欲を捨てきったと言った高僧も、寝て、食っているではないか・・・。
これは私が思うに欲を捨てることが出来ない世界に生まれてしまった私たち人間の哀しい現実。
その現実世界から救われたいと願うからの阿弥陀信仰では?
636 :
名無しさん@1周年:02/12/16 18:54
>>634 アミダ仏の部分・・・、ってなんだよ??
俺は別に親鸞会員でもなく、浄土仏教の信仰者でもないのであしからず。
>>635 阿弥陀仏信仰の根源は、そうなんじゃないかなって、俺も思うよ。
結局、仏教の目的ってなんなんだろう?
浄土の世界に行くという事?
親鸞会が言うには、後生の一大事ってことになるんかねぇ・・・??
お釈迦さんは阿弥陀仏を信仰しろなんて言ってないと思うが。
むしろ阿弥陀信仰や浄土信仰の方が方便。
638 :
名無しさん@1周年:02/12/17 23:58
_,..-――-:..、 ⌒⌒
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639 :
名無しさん@1周年:02/12/18 23:43
親鸞会ってのは何なの?
スレ違いじゃねーのか?
今のように、通信や記録媒体が整備されていない時代だし、
極めて不十分な伝わり方の中では変容しても仕方なかったのかもしれませんね。
確かに念仏や阿弥陀信仰は仏陀が説かれたことではないでしょうが、
かといって、それは当時の仏教者たちが、人民をなんとか御仏の教えに近づけて
救いたいと言う願いの表れでもあるのは否定できないと思います。
ですから、今こそ、原始仏教にアクセスし、釈迦の教えに近いものを
感受することが何より大切なのではないでしょうか。
641 :
名無しさん@1周年:02/12/19 00:39
原始仏教にアクセスするといっても、いつまでも頭で考えていても悟りはやってこない。
実践してみなければ、それはただ原始仏教をネタにおしゃべりしているに過ぎません。
そこで原始仏教の実践となりますと、在家か、出家か、はっきり分かれる。
自分がどちらか決めなければいけない。
在家ならば五戒を保つ。できれば出家僧のもとで戒を受けて誓約するのがよい。
そして時には八斎戒を実践し、布施をして功徳を積む。
出家ならば二百五十戒を保って、托鉢し経論の研鑚に励む。瞑想も行う。
まあ極めて省略して簡単に言うならこんなもんだす。
ソーシキぶきょう、びゃんじゃい!
643 :
ベロ ◆eOod7XM/js :02/12/19 02:49
ただ釈尊ならできる事なら出家を勧めるだろうね。在家の五戒や八斎戒、布施の実践
などは最終的に出家をする為の準備だと思う。中には在家のままで阿羅漢を得たという
信者もいるけど、釈尊在世中の話だそうだからねぇ。
けれども大乗になると出家菩薩と在家菩薩という考え方が出て来て維摩居士のように
在家でも立派に正覚を得てる人もいるね。維摩にはきっとモデルとなった実在の人物
がいたように僕は思う。
釈尊仏教と大乗仏教には継続の面とやはり断絶というか離反の面もあると思う。
維摩居士は実在ではないので、どうにでも作れると思う
仮面ライダーのような改造人間にもモデルがいないし
理想の居士像を夢みているだけだろう。
645 :
ベロ ◆eOod7XM/js :02/12/19 03:48
そうだね、理想像を託しただけかもしれない。でも釈尊滅後の教団では、極端に
阿羅漢が出にくくなった。現在の上座部仏教の出家僧では阿羅漢はもとより、
預流果の悟りを得ている人さえもいるかどうかわからないそうですよ。
大乗はそんな現状を直視し、ある意味釈尊仏教を超えた?(逸脱?離反?)仏教を
作り出したんだと思う。そのある種釈尊の教えとは言えないような新たな教えに
よって結果的に救われた人類の数は膨大になったと思うよ。
ただ今となってはその大いなる教えも形骸化し寺院仏教は司祭・儀式・観光・などに
堕落してしまっているので、今こそ釈尊の教えに戻って出直す事が重要ですね。
646 :
阿呆陀羅經 ◆MGPuxvZ3xQ :02/12/19 13:27
>>645 ベロさん、どうもです。
部派の中でも大衆部系の北道派なんかは在家者の阿羅漢果を認めていたみたいです
が、一般化されなかったようですね。ただ、ブッダの父スッドーダナ王は死の直前
に阿羅漢果を得たとされています。また、維摩居士のモデルはパーリ『相応部』の
「チッタ篇」に登場する資産者チッタ(質多羅長者)ではないかといわれてたりもしま
す。比丘はもちろんマハーヴィーラ(ジャイナ教祖)相手にも臆せず論議し、アビダ
ルマ論師はだしの説法までやってのけてます。重病の床を見舞った神々に対し教え
を説いたりもしています-どこかで聞いたような話-。この人、パーリ聖典の記述
によると不還果までを得たとされていますが、漢訳阿含ではニルヴァーナに至った
と記されているようです。詳細は中村元氏の『仏弟子の生涯』に取り上げられてい
ます。(選集第13巻)
647 :
阿呆陀羅經 ◆MGPuxvZ3xQ :02/12/19 14:29
まあ、質多羅長者も経典の記述どおりの人物が実在したとは言い難いでしょう
が、そのモデルとなる教理に明るい優秀な在家信徒が存在したのは事実だと思
いますね。そうした伝承が後に『相応部』「チッタ篇」や『維摩経』に発展した
のではないでしょうか。
言い争う人々を見よ。杖を執ったことから恐怖が生じたのである。
私がどのようにそれを厭い離れたか、厭い離れることをのべよう。
水の少ないところにいる魚のように、震えている人々を見て、また
相互に反目している人々をみて、私に恐怖が起こった。
世界はどこも堅実ではない。どの方角も全て動揺している。
私は自己のよるべき住所を求めたのであるが、
すでに、死や苦しみなどに取り付かれていないところを見なかった。
生きとし行けるものは終極においては違逆に会うのを見て、私は不快になった。
また私はその生けるものどもの心中に見がたき煩悩の矢が潜んでいるのを見た。
この矢に貫かれた者はあらゆる方角を駆け巡る。
この矢を引き抜いたならば、駆け巡ることもなく、沈むことも無い。
その世間においては諸々の学問を学ぶ。世間における諸々の束縛の絆に
耽溺してはならない。
諸々の欲望を究めつくして、自己の安らぎを学べ。
聖者は誠実であれ。傲慢でなく、偽りなく、悪口を言わず、怒ることなく、
よこしまな貪りと物惜しみとを超えよ。
こころを安らぎにとどめる人は、眠りとものぐさと塞ぎこむ心とに打ち勝て。
怠惰を宿らしめてはならぬ。高慢に留まっていてはならない。
うっさいはげ
虚言を避けよ。美しい形に愛着を起こすな。
また、慢心を熟知せよ。暴悪を離れて振舞え。
古いものを喜んではならない。また新しいものにも魅惑されてはならない。
滅び行くものを悲しんではならない。牽引するものにとらわれていてはならない。
わたくしは牽引するものを貪欲、強大な激流と呼び、吸い込む欲求と呼び、
はからい、捕捉と呼び、超えがたい欲望の汚泥であるとも言う。
バラモンである聖者は真実から離れることなく、陸地(安らぎ)に立っている。
かれは一切を捨て去って、「安らかになった人」と呼ばれる。
658 :
ベロ ◆eOod7XM/js :02/12/20 01:51
阿呆陀羅さんフォローどうもありがとうございます。
阿呆陀羅さんは釈尊と大乗の関係をどのようにお考えですか?
僕はスッタニパータのコピーを貼り付けている方には感謝します。
659 :
名無しさん@1周年:02/12/20 03:42
阿含宗最高!!
660 :
阿呆陀羅經 ◆MGPuxvZ3xQ :02/12/20 19:10
>>ベロさん
「全ての人々がブッダになりうる」という教えが「大乗」であるのならば、ブッダは
「大乗」を説いたのではないかと考えます。『テーラガーター』や『テーリーガー
ター』を読んでいるとその観を強くします。ただ、ブッダ自身はその教法が後世
にいわれるような意味での「大乗」であるとは、特に意識していなかったと思いま
すね。
阿弥陀仏の部分
ってこーゆーことかも。
あみだ=不可思議なひかり、無量光 無量寿
ぶつ=ブッダ
なむ=同一化
南無阿弥陀仏、念仏でも原始仏教のいうところの同じ状態像で
苦から救われた人はいるでしょう。
否定するひとは理解すらしていないといえば
すぐにだれかが噛み付いてくるのがいまの世の中。
出家者と称する者が、妻帯してちゃあ、もうそりゃ
ブッダまげるよなぁ・・・・
ザブトン、十枚取って!
663 :
栗花 馨 :02/12/21 01:20
妻帯していても「信」で悟りの流れにのれますよ。
664 :
名無しさん@1周年:02/12/21 01:59
愛別離苦
についてでしょうかな。
665 :
ベロ ◆eOod7XM/js :02/12/21 02:04
>>660 阿呆陀羅さん、どうもです。
電波男さんも一切の成仏の可能性を認める所で釈尊は大乗だとおっしゃってましたね。
どんな人間でも出家して修行を積めば成仏できるとは言っても、在家のままで
特別な修行もせず成仏できるなんて釈尊は説いていないと思いますね。
ただ現状を見てみるといわゆる上座部仏教の国々では国家政策もあってか、まだまだ
人民の一人一人に仏教徒と言う意識は強いし、小学生でも釈尊の一代記や簡単な教説
などは理解してるそうですが、大乗相応の地と言われる日本では全くもって情け無い
現状でしょ?中国や朝鮮半島はどうかわかりませんが。チベットは大乗の中では一番
マシかと思います。どうしてでしょうね。
成仏など御伽噺よ!
あまちゃんがなにすがってんだか
しねばみなほとけ。
667 :
知ってるつもり人間釈迦:02/12/21 03:31
お経よんで良い気分
でも、実行できないから
仏教書よんで詳しくなり、なったつもり・・・。
668 :
アサハラお焼香:02/12/21 03:47
シュギョーして、なったつもりがソンシかな?
669 :
名無しさん@1周年:02/12/21 04:49
原始仏典の中で修行して「ブッダになった」出家修行者あるいは在家者はいるでしょうか?
いないと思います。
ゴータマ・ブッダも弟子や信者たちに「お前たちは誰でもブッダになれる」とは説かなかったと思います。
670 :
万年救護大本尊の朴蓮:02/12/21 05:35
大乗経は仏陀の教えではないし、
根本仏教や原始仏教でも限界はあるよ。
仏教を実践してるつもりが魔術を実践してる可能性もある訳だ
671 :
名無しさん@1周年:02/12/21 09:52
>670
つーか、魔術以前にテングになっている奴等ばかりじゃん!
引用や解説だけ偉そうにって感じで。
つーか、悟りを得たいだけの小乗と一切衆生とともに救われようとする大乗は基本的に違うでは?そして悟りを得てからの釈尊はどちらかと言えば大乗よりとオモワレ
673 :
名無しさん@1周年:02/12/21 13:06
>>671 そーだ!そーだ!
ひろさちや♪なんぞ、エラソーな事言っといて
タンス貯金どろぼーされてるしな(爆
674 :
阿呆陀羅經 ◆MGPuxvZ3xQ :02/12/21 15:10
>>665 ベロさん、大変な問いかけをあっさりとしてくださいますね(笑)
佛教がシュラマナ(沙門)と呼ばれる修行者たちを敬い供養する風習が根付き、彼ら
を養うことが物心共に可能な歴史的社会的背景を条件に発生し、発達した教派であ
ることはご存知だと思います。しかしながら、全く異質な社会的経済的状況下に生
きている我々が、釈尊の教え、初期佛教そのままの修道生活を送れるとは思えませ
ん。戒律の厳しい上座部の僧侶でさえ、くわえ煙草で托鉢に歩いていますし、日本
に来ればタガが緩んで・・・(以下封印)。日本の現状では、本来の意味での「出家」は
まず無理でしょうし、下手に教団に所属すれば俗世間顔負けの泥沼に陥る可能性が
大いにありそうです。かといって「原始佛教」を標榜するカルト宗教などは論外です
が。 *「大乗相応」ってのは「大乗経典」しか本格的に研究されなかった伝統を指す
のであればピッタリな表現かもしれませんね。
このような現状に不満を覚える者は、聞・思・修を各々の個人的営為とする以外に道
がないのではないかと考えています。現代の個人主義的生活様式は、その是非はと
もかく、自己の内面に沈潜できる時間を作りやすいといえる点で便利ではなかろう
かと思います。佛道が自己と法を帰依所とする営みであるならば、こうしたあり方
も許されるのではないかと考えて日々を過ごしております。家内に「家庭内出家」と
笑われながら。それと「特別な修行」と仰る意味がもうひとつ掴めないのですが、ど
のようなことをお考えでしょうか?
あと、誤解を恐れずに申し上げますと、私は殊更「成佛」に拘っておりません。生き
ている限り、教法を学んで思索考察し心を鎮めて暮らして行ければこの上なく幸せ
に思いますし、そうして得たものを社会や他者にいくばくかでも還元することが出
来るのであればが望外の喜びです。そのように暮らして生きて「到涅槃」や「成佛」を
するもしないも因縁次第だと思っております。
仏陀の教っつーか
仏陀の願いからして曲解。
676 :
ゴーティカ:02/12/21 16:40
皆さんいろいろ立派な議論と知識の披瀝をしておいでですが……。しかし、成道と
はあらゆる面を含めて社会放棄、自己放棄ですから。メシ食って、カミさん抱えて、
世俗的に人生をエンジョイしてでは、ドモなりません。
で、どうでしょう。
よく見れば なずな花咲く 垣根かな 松尾 芭蕉
程度(これも私にはできかねますが)に自己に課しては。
私たちの身体は炭素や水素、酸素などの元素からできていますが、これは150億年
の歴史を持つ宇宙が壮大な核融合で作った物。そして地球に存在する物質すべては
同根です。故に、猫もゴキブリも人間もバイ菌も無機物も「宇宙の子供」です。
法に従って生きるとは、そのことをしっかり意識して生きることではないでしょ
うか。「それで充分、それで完成」だと思いますが。
677 :
名無しさん@1周年:02/12/21 16:53
釈迦も人生をエンジョイしきったから悟りの道へ入ったんだ。
エンジョイしきらないうちに修行の真似事をしても欲望を抑圧するだけです。
みなさん十分にエンジョイしませう。
678 :
ソーシキ仏教国:02/12/21 18:29
贅沢なオボーサンたちを見てる分、ENJOY派には
なれませぬうー う う うーーー・・・
679 :
ゴーティカ:02/12/21 22:55
677さん。釈尊は人生をどうやってもエンジョイできなかったから解決法を求め苦行に入
った。ですがそこでは解決法は見つからなかったわけです。
なお、「釈迦」という呼称はシャカ族を指すと思われますから成立しません。お釈迦様
とか釈尊なら、シャカ族の特定の人物を指しますから、ゴータマ・シッタルダ(これも学
問的には異論があります)という歴史上の人物となります。
「欲望を抑圧するだけ」とおっしゃいますが、自分の欲望こそ、悪を行わせ、愚を行わせ、
怒りをもたらせ、自分に刃向かう強烈でかつ最強の敵であることも事実です。
で、エンジョイですが、その実体はウロウロ、ドタバタ走り回り、アチコチ覗き歩いて
ハッピーな気分でいる、そんなところではないでしょうか。
680 :
経読みの経知らず:02/12/21 23:06
俗世間にまみれきってる僧侶ほど
こんな哀れな人は、いない のかも・・・ 合掌
681 :
栗花 馨 :02/12/21 23:35
Otherenessとown-nessが一体化する感覚が生じた瞬間から
すべては 同根となり、すべてと同調共振する感覚を持ち生きていけるってことが
法に従って生きるってことなのでしょうか?
エンジョイとは「軽安」に近い意味でしょうか?
>メシ食って、カミさん抱えて、 世俗的に
親鸞の境地を思い出します。弟子は一人も持たないと釈迦と同じこといってたようですね。
深い意味をかんじます。在家で釈迦の教えを受けて良い境地までになった人たちの存在と
重なる部分もあるようにおもいます。
一方でお布施を受け取るお坊さんの反応やらゴルフや酒をたしなむことやら
みると、「さとり」は人生をエンジョイしきってからと釈迦の出家前の追体験
にいそしんでいる坊主の立派な姿とやはり合掌しなくちゃいけない存在でしょうかね。
682 :
異なるを歎く:02/12/21 23:40
自分の血の分けた息子にも裏切られた親鸞さん。かなぴ。
683 :
南無阿弥陀仏:02/12/21 23:43
慟哭で間違えてしまいました。
自分の血を分けた__です。
684 :
名無しさん@1周年:02/12/22 01:32
ごーたまは王族に生まれて家来に囲まれ何不自由なく暮らしてたそうです。
体は健康、学問は優秀、食べたいものを好きなだけ食べられたし、
ほとんどやりたいことはなんでもできた。
父王はごーたまが快適に過ごせるように乾期と雨期用の建物を建てて、
そこでごーたまは女官達にかしずかれながら好きなだけ飲食をし踊りを見て
美女たちとセクースもいっぱいしたでしょう。そして美人のお姫様と結婚して
子供までもうけた。
もしごーたまが王族に生まれず乞食として生まれたら果たしてブッダになれたでしょうか?
いつもお腹をすかせて欲求不満で、その欲求を満たしたこともない、乞食に生まれて
いたとしたら悟りをえられたのか?
ごーたまは若くしてすべての世俗的欲望を体験し、その先まで見通せたから解脱の門に
入ってゆけたのでしょう。
685 :
こころの時代:02/12/22 01:43
日本の若者よ、ブッダになる環境に気付け! 気付け! 気付けーーー!
686 :
名無しさん@1周年:02/12/22 01:46
王族に生まれていない時点でそれはごーたまではなく別のヒト
687 :
名無しさん@1周年:02/12/22 16:17
>>686 その通りです。
ごーたまは王族に生まれて世俗の欲望を知り尽くしたからこそ、ごーたま・ぶっだとなったのです。
もし王族に生まれなければごーたま・ぶっだもありえなかったでしょう。
未だかつて欲望を満たすことを知らず、ただ禁欲・欲求不満であっては、いったい
どうやって世俗を超えたものを求められるでしょうか?
解脱とは解き放ちです。
欲望はそれを堪能することによって初めてそれから解き放たれます。
そのとき欲望は自然に落ちます。
禁欲は欲望を押さえ込みます。押さえ込まれた欲望は心の奥底に引っ込みますが、
消え去るわけではありません。
688 :
名無しさん@1周年:02/12/22 16:24
>>687 あふぉか。
おまいはメシ一回食ったら未来永劫満足か?
オンナ抱いたら未来永劫満足か?
あふぉがヤリタイホーダイするのが悟りか?
おまいと釈迦と一緒にするなよな。
解脱=解き放ちとかヴァカでないかえ?
これ以上アフォを世間にさらさずにセンズリでもして休日を有意義にすごしなさい。
689 :
名無しさん@1周年:02/12/22 16:51
あはは。
私がいつ「飯を一回食ったら未来永劫満足です」と言いましたか?
人の言っていないことを取り上げて批判しても無意味ですよ?
だいいちアホ、バカといった言葉を使うのは、それを使う人の人格を表しています。
よろしいですか?
さまざまな種類、さまざまな深さの欲望は、一時満たされても、また不満に陥ります。
人は欲望を味わい尽くすことによって、それが輪廻(同じことの繰り返し)
であることを見抜けば、自然にその繰り返しから脱することを求めるようになる、
ということです。
それを見抜ける感受性、センスがなければ、いつまでもその繰り返しの中に
溺れてしまっているでしょうね。
しかしごーたまのように悟りを得る人物というのは、例外なくそういった
センスがあったのでしょう。
690 :
名無しさん@1周年:02/12/22 17:14
>>689 >だいいちアホ、バカといった言葉を使うのは、それを使う人の人格を表しています。
うむ、わし少々下品ではあるが、はソレを使うにふさわしい相手にしかつかわんがな。
釈迦がいつ欲望の限りを尽くさねば悟りがひらけんというた?と問うておる。
そんな事もわからんとはナサケナイ奴だと、言うたまでのこと。
これくらい言わんとわからんかの?やっぱ○○○じゃの←少し上品にしてみたぞ。
691 :
名無しさん@1周年:02/12/22 18:01
「釈尊は欲望の限りを尽くした」と言うような事を書いてるみたいですが、おそらく間違いでしょう。まぁーそれは置いといて。
いくら恵まれていたといっても二千五百年も前の話。現在の日本人と比べると…うーん。どっちが贅沢してるのかな?
692 :
名無しさん@1周年:02/12/22 19:00
要は気持の問題ですからね
今で言うと大金持ちの御曹司でないと
というと長島一茂か松岡修三とかか
693 :
名無しさん@1周年:02/12/22 19:03
ブッダの教えに帰れ
694 :
くろしろ ◆Mi0a.9Ms2A :02/12/22 19:05
釈迦族は弱小部族ゆえに欲望の限りを尽くすことはできないはず。
あぼーん
696 :
名無しさん@1周年:02/12/22 19:06
スッタニパータのカキコミ希望
697 :
名無しさん@1周年:02/12/22 19:16
698 :
阿呆陀羅經 ◆MGPuxvZ3xQ :02/12/22 19:32
佛伝に記される在俗時代の釈尊の「酒池肉林」の生活ぶりは、マウリヤ王朝時代
以降の誇張された記述であり、事実とはいえません。
699 :
名無しさん@1周年:02/12/22 20:47
大乗の経典には現在の仏として阿弥陀ブッダが、未来の仏として弥勒ブッダが現れます。
彼らが王族として生まれ、後に出家するというのは単なる偶然でしょうか?
違います。原始経典から大乗まで、ブッダというのは王族として何不自由なく暮らした上で、この世の無常を悟るものと
考えられていたから、ごーたま同様弥勒も阿弥陀も王族として書かれたのです。
それは現世の欲望すら満足したことのない人がこの世を越えた悟りへと向かうはずがない、と考えられていたからです。
700 :
名無しさん@1周年:02/12/22 20:49
ハイハイそれから?
701 :
名無しさん@1周年:02/12/22 20:52
弥勒??
702 :
阿呆陀羅經 ◆MGPuxvZ3xQ :02/12/22 21:00
弥勒=マイトレーヤ(メッテイヤ)はバーナラシーの大臣の子とされています。種
姓はバラモンです。バラモンのバーヴァリンの許で学び、後にブッダの許に遣わ
され、弟子となったという伝承が残っています。
703 :
名無しさん@1周年:02/12/22 21:05
>>699 もういいから、カキコやめておとなしくROMってなさい。
704 :
名無しさん@1周年:02/12/22 21:24
同じことです。バラモンは金もあったし子作りも盛んにした。
不自由ない生活というのは同じことです。
ところで仏像というのは実在のごーたま・ぶっだをそのまま模写していると
考える人はいるでしょうか?
仏像の顔は歴史上のごーたま・ぶっだとは関係ありませんよね。
仏像の顔は、われわれ自身のある心の状態、瞑想の姿を表しています。
その顔を見ていると、われわれの心にも瞑想をかもし出します。
現実のごーたまがどんな顔だったか?とは関係がありません。
悟りのプロセス、つまり欲望を知ったうえで、それを超えていくということにも
歴史の事実は関係ありません。ごーたまの酒池肉林ぶりは歴史的にどうだったか?
とか弥勒は経典にはどうか書かれているとかがポイントではありません。
欲望・無意識・悟り。これらにはっきりと気づく必要があります。
705 :
名無しさん@1周年:02/12/22 21:26
>>704 分からん自分を捨てきってみなされ。
それとて不増不減。さよう、もうお解かりだろーよ。
増えることもなし、減ることもなし、なんにもなし。
「生まれいずるも分からねば、死んだ先まで分かりょうか?」。 by盤珪
もともと「ない」もんが、こうして心臓が動いていて、なおかつ息を吸ったり吐いたりしてるではないか。
それで充分ではないか。
こうゆうことだと思うよ。
あけましておめでとうございます。今年も皆さんの意見を参考にしながら、
釈迦の教えを追及していくつもりです。
707 :
名無しさん@1周年:03/01/01 13:40
>>705 もともとないと、どうして分かるんだか?盤珪が釈尊と同じ悟りの境地にいたとは、到底
思えないですね。盤珪自身も、自分が釈尊と同じ悟りを得たなどと言ってはいないでしょ。
でも、あなたはそこで十分なのは否定しません。それはそれとして尊重しよう。
708 :
名無しさん@1周年:03/01/01 22:12
名無しでも髑髏のレスには必ず突っ込みが入るな。
新年早々めでてーな。
709 :
名無しさん@1周年:03/01/02 00:50
さあ~みなさん
肉体と身口意の制約を受けた、二元性の世界の中で、
今年も仏教を語らってまいりましょう
物々しく議論をし、お互いに誹謗中傷のやりとりをしながら、
己が心の本性を見つめてみましょう
710 :
名無しさん@1周年:03/01/02 10:25
>>709 では、早速。世界は二元ではあるまい。二元であるなら仏教の中核である、中道は成り立
たないであろう。
711 :
髑髏仮面 ◆8Z1PfzdK1. :03/01/02 10:33
私は、このスレにカキコしたことはない。
して、
>>705は私のカキコしたもんを誰かがコピーして貼ったもんです。
それ以上わたすは知らん。
712 :
名無しさん@1周年:03/01/02 11:42
釈尊の思想が如何なるものであったかよりも、
その実践者としての人格の完成こそが問題って感じがするな。
その教えは当時としては革新的でそれ故に彼は巨大な存在になったけど、
一度創始者が現れてレールが敷かれれば、釈尊以降の仏教者にも
その実践者としての人格という意味で釈尊の域に達した人は結構いそうな気もする。
釈尊の教えとは離れた膨大な仏典や思想がその後に形作られて行ったのも、
形としての言葉ではなく、その精神を受け継いだと確信した人々が
数多くいたからでしょう。
713 :
名無しさん@1周年:03/01/02 14:28
>>710 鏡に映し出される自己像と鏡は切り離せないものだ
相対を抜きにして中道は見出せない
ありのままを映し出す鏡の力が中道である
714 :
名無しさん@1周年:03/01/02 16:08
>>712 釈迦の教えの革新的なところとはどこでしょうか?
715 :
名無しさん@1周年:03/01/02 20:58
サマーディ
716 :
名無しさん@1周年:03/01/02 21:12
*********************完*********************
717 :
名無しさん@1周年:03/01/04 18:25
>>713 鏡を毎日みている女が悟れないのは、どうしてだろう。どうやら、鏡の力は中道では
ないようですなあ。鏡というのも、いいセンまでは行っているんだが、相対の彼岸に
ある0を含めた3元論には劣るものであろう。
718 :
名無しさん@1周年:03/01/04 20:50
鏡の力こそが〝zero some creative〟でしょうに。
女が悟れないのは、鏡から抜け出して鏡の像を見ているからだよ
それにしても、長~いサマーディだったなあ
くゎ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~つ!!
ルン
>>714 中公新書の「インド人の論理学」という本では、
お釈迦様の縁起の理にインド的論理思考の原点があるのでは、
という仮説を立ててました。ま、確たる根拠はないようですが、
その著者が知る限りでの最も古いインドの
論理学的思考はお釈迦様の言説だそうな。
渡海難さん、あなたの釈尊論はいかがでしょうか?お聞きしたいです。
721 :
名無しさん@1周年:03/01/09 23:19
乞食の王様しゃかにょらい
722 :
名無しさん@1周年:03/01/09 23:33
バクシーシ・ラージャ釈迦
723 :
名無しさん@1周年:03/01/19 17:23
輪廻を肯定する人手を挙げて
(^^)
725 :
渡海 難 ◆wd0AE5SZ4. :03/01/26 17:26
>>720 >渡海難さん、あなたの釈尊論はいかがでしょうか?お聞きしたいです。
ウーン。僕の釈尊は、親鸞さんが釈尊として尊敬した釈尊です。経典の著者達が釈尊と
して尊敬したところの釈尊です。史上の釈尊とはズレがあ。史上の釈迦を探りたい人には
物足りないだろう。その意味で観念化しています。それでも、僕の釈尊は、宗教的には血
も涙も通っている釈尊だと思っています。
釈ちゃんはひとつの宗教であると思うよ
727 :
名無しさん@3周年:03/03/08 21:33
大日如来マンセー
728 :
阿含原理主義者:03/03/09 00:14
阿含経で、一番重要なのは、止息経です。
これが解れば、仏陀になれる。
729 :
名無しさん@3周年:03/03/09 00:27
>728
マスターできればってことでしょう。
(^^;)
(^^;)
曹洞宗の説法を聞きにいきました。そこの住職は自閉症とか肢体不自由者の施設の経営者で
本まで出しています。障害者と共に幸せを分かち合うというような内容でしたが精神障害者は虐げているようです。
釈迦の教えでは心の病も治ると聞きましたから、曹洞宗の教祖より釈迦のほうが器がでかいと思います。
733 :
名無しさん@3周年:03/03/23 09:31
736 :
名無しさん@3周年:03/04/08 09:56
誕生日おめ~
737 :
名無しさん@3周年:03/04/08 15:14
738 :
名無し@2周年:03/04/11 20:59
仏教は間脳を開発する技術です
739 :
名無しさん@3周年:03/04/11 21:03
仏教はフランスの教えです。
釈迦の最後に言った「私の亡き後は、小々戒は廃してよい」というのがおれは
一番好きだぞ。
741 :
くろしろ ◆HmpqTQkciE :03/04/11 21:12
僕は彼女ができないし、そんなことどうでも良くなりかけてるのですが、
そのことについてブッタはどういっているのでしょう。
742 :
名無しさん@3周年:03/04/13 22:37
42 名前: バウ ◆6XpyDQkkJ2 投稿日: 02/10/05 20:09
「食べてないのがバレバレ。」
↑
これは良かったよね。阿含宗では密教食を無理に
買わせたりしていないのがバレバレ。買いたい人が
勝手に光和食品で買うのさ。何の問題もない。
ゴールド密教食だけど、SOD様作用があるんだ。
スーパー・オキサイド・ディスムターゼ様作用だったかしら?
間違ってたらスマソ。簡単に言えば抗酸化作用。
∧_∧
( ^^ )< ぬるぽ(^^)
744 :
名無しさん@3周年:03/04/23 23:01
時は風のように速く過ぎてゆきます。人生は氷が溶けるように、なくなって
しまいます。早かれおそかれわたしたちは肉体を捨て、人生の目的を究めず
に世を去ります。生命が去った肉体は、埋葬されあるいは火葬に附されます。
人生とはいったいなにでしょう。人として生をうけた目的を認識せず、感覚
を満たすために過す、ことは、時間の浪費です。
745 :
名無しさん@3周年:03/04/23 23:02
ある日、仏陀が旅をしている時、刀を手にした悪人に出会いました。
「仏陀よ!お前の愛は、本日ここで我が妬みに屈服してしまうのだ。
お前の命は今日限りだ!」と告げられた仏陀は、笑みを浮かべて悪人に
こう答えたのです。「私は、妬みにも憎しみにも屈服することはない。私
は、褒められても咎められても心を動かすことがない。私は私に対して、
そのような悪意を抱くそなたさえも愛している」と。
他の人々を憎む者たちは、ついには自らの憎しみによって燃え尽きてしまう
のです。妬みで一杯の人々は、ついにはその中で身を滅ぼしてしまいます。
仏陀はある時「世界で最も富める人は誰ですか?」と尋ねられ
「自分の持っているものにおおいに満足している人が富める人である」
と答えました。「最も貧しい人は誰ですか?」という問いには、
「多くの欲望を持っている人である」と答えました。
746 :
名無しさん@3周年:03/05/14 22:21
747 :
名無しさん@3周年:03/05/14 23:41
748 :
名無しさん@3周年:03/05/14 23:49
すき すき すき すき
すきっ すき♪
一休さん
749 :
名無しさん@3周年:03/05/15 00:13
ぶっちゃけ「悟り」って「一世一代の大勘違い」だよな。
ふつー「悟った!」って思っても「いや、待てよ…」となるし。
結局その大勘違いでその後数千年間数億人騙したんだから偉大といえば偉大だ。
人間のもつ脳の欠陥を直すのが、「悟り」なんですけど。
わかりますか? みなさん。
「悟り」は勘違いに
秀同。
脳の欠陥を埋めるってのも独りよがりかも
知れない。
日本の仏教はカルト。それを無視して原点の釈迦に目を向けるのは秀逸。
752 :
名無しさん@3周年:03/05/24 09:23
753 :
名無しさん@3周年:03/05/24 16:13
百千万劫難遭遇
754 :
名無しさん@3周年:03/05/29 10:20
仏教伝道協会の『仏教聖典』についてはどうお考えですか?
756 :
名無しさん@3周年:03/05/29 12:19
ゴータマ・ブッダは自信に満ちていますよねえ。完全無欠って感じです。
ゴータマの宗教は、やはり中村元博士が言うようにヨーガ宗教、つまりバラモン教の教えの上
に帽子のように乗っかった宗教だと思いますよ。
その証拠はと言えば、まず初期の仏像は結跏フ座して印相を結んでる。また髪の毛がパーマの
ように見えるが、あれは一つ一つが螺ホツで結んであるので、当時のバラモン教の行者の髪型
にしてるって事ですよねえ。しかし弟子たちには剃髪を要求した。これは衛生のためだと思い
ます。
だから途中まではバラモン教の修行法を行じたんだと思いますね。そうして、ある程度以上は
仏教独自の智慧を身につける修行法をして明智を獲得し、それによって煩悩を絶ち切ってしま
う。
教えの内容もある部分まではバラモン教と重なりますよねえ。しかし革命的な内容がその上に
ある。
それはアートマンに関することや、空だとか、輪廻からの解脱などがそうですねえ。
ゴータマは別称としてヨーガの達人とか大仙人とか幻術者とか呼ばれていた。
やっぱり大超能力者だったのではないですか。
通り一ぺんの道徳や悟りを説いた程度の人が、2500年も拝まれるわけはないですからねえ。
ブッダの弟子たちの多くがブッダと同じ境涯であるアルハトに到ったということを考えても
、今行われている既成仏教とはまったく違うことを教えていたように思います。
それを探るヒントはヨーガなどの実践法の中に案外多く見られるように思うのですが…。
756に対する批判の意見をお願いします。
758 :
名無しさん@3周年:03/05/30 10:21
755に対する批判の意見もお願いします。
>>758 批判ねー。
古い伝統、既存の文化を元にして、分類し型をはめようとする姿勢が気になります。
なんでもかんでも既存の型へ還元する主義がどうも…
760 :
波木井坊竜尊@日蓮宗葵講 ◆IByKs72gR2 :03/05/30 10:50
御意。
ぼくも同意見だね。その実験、日蓮宗では日本山がやって南アジアでは
いちおうの成果があったにはあった。
しかし反面仏陀をもっと高い抽象概念に持っていかないと世界宗教に
なれないというアンチテーゼも存在する。
そして一番の問題なのは、仏陀を崇拝の対象にしていっていいのかどうか。
法本尊という概念とのかねあいをどうとるのか。その辺のバランスかねあいも
疑問に思うんだが。
761 :
名無しさん@3周年:03/05/30 11:22
仏教が世界宗教になるためには、まず「煩悩」「涅槃」「アラハト」のような
テクニカルタームを、もっと一般的な用語に置き換えなきゃね。それに、○○宗
というのも捨ててしまわないと。
宗教的真理は「主観的真理」で、信じる人には真理に見えても、万人の真理で
あるとは証明できない。だから、世界宗教が成立するということは、「主観的
真理」を削っていって、どんどん「ローカル色」を消すということだ。しかし、
万人が納得するような「超越的存在」には、名前を付けることができないだ
ろうし、何か特定の教典を「神聖化」することもできない。相対主義の極限
は、ヘソのないお腹みたいにグロテスクだ。
実は、そのヘソこそが宗教の正体だと見なすこともできる。釈迦は、徹底的
な合理主義者で、ヘソについては語らなかった。「腹痛に苦しむ人が、ヘソの
有無を議論して何の役に立つか」というわけだ。だから、ヘソがないのが淋し
い仏教徒たちは、阿弥陀如来とか、大日如来といったヘソを自ら作り上げたの
だと思う。世界宗教にはヘソは許されない。しかし、ヘソがなければ宗教にな
らない。そういうパラドックスがあると思う。
762 :
波木井坊竜尊@日蓮宗葵講 ◆IByKs72gR2 :03/05/30 11:27
そうかなあ。ちょっと異論があるんだよ。宗教はあくまでも主観主義でいっておれは
いいと思うぜ。キリスト教だってイスラム教だって、主観主義だよ。客観主義じゃない。
主観を離れたらそれはもう本質的には宗教じゃなくなる、と俺は思うぜ。
世界中の万人が理解できる宗教、それはたしかにローカル色を消し去っていった
最大公約数的にものにならざるおえないだろうが、だからといって必ずしも
そうじゃない。
ぼくはもっと概念的なことを言ってるんだよ。
釈迦の教えは、ヘソがない分、客観性があって、そのまま哲学の形にする
ことができると思う。実際、仏教思想のほとんどは、ポストモダニズムの
哲学に引き継がれていると思う。西田幾多郎なんか、その好例だ。
「苦」の解消ならば、哲学でも目的は達成できるだろう。客観性があって、
しかも有効性がある。だから、心理カウンセリングに近い。
問題は、「苦」が片付いた人間が、ヘソを必要とするかどうかだと思う。
764 :
波木井坊竜尊@日蓮宗葵講 ◆IByKs72gR2 :03/05/30 11:37
まあそういう考え方もできるだろうが。でもそれじゃあ宗教じゃなくなっちゃうよ。
>>762 宗教が主観主義という意味のひとつは、「確定した御利益が保証されない」
ということです。客観的真理ならば、誰が信仰しても御利益が得られる
(銀行に預金したら、誰でも金利がもらえるように)。しかし、主観的
真理だから「本当は嘘かもしれないけど、自分はその可能性に賭ける」
ということになる。つまり「自律性」が宗教の本質です。
一方、釈迦は実益性のある「客観的事実」を説いたと言えます。
宗教が主観主義である、というのに実は欺瞞が隠されています。「御利益
を求める」というのは客観的立場であるにも関わらず、それは宗教では
保証されていない。そのとき、本当の主観的立場なら「御利益なんて
どうでもいい。自分が正しいと思う生き方を貫くから、構わないでくれ」
ということになります。しかし、実際の場合は「自分は御利益があると
信じているんだから、信仰をぐらつかせるのはやめてくれ」であって、
それは「主観的真理を客観的真理と偽る自己欺瞞」にすぎません。
「ヘソを求める」とは、何の利益も期待できないものを求めるという
意味で、「仏教は無功徳!」と断言する者だけが、真に主観的立場に
立っているのです。
例えば、ここに、生活に苦しむ人A,Bが居て、運良くある歌手のコンサートの
チケットに応募してゲットしたとします。Aさんは、その歌手が好きで、自分が
そのコンサートへ行こうと考えます。Bさんは、その歌手は特に好きではないが、
噂によると、そのチケットが高額で取引できるというので、それを生活費にしよう
と考えます。
ある時、AとBが顔を合わせて、「噂」が話題になります。「どうも、あの噂は
ガセらしい。金権ショップでも引き取ってくれないってよ」。
Aさんは「私には関係ないね。好きな歌手のコンサートだからね」
Bさんは「そんなわけない。応募で使ったハガキ代をどうしてくれるんだ。
私はそんなの信じないからな」
Aさんは純粋は主観主義で、「無功徳」を前提にしているから、何も怖くない。
Bさんは、主観主義と言いながら、実は客観主義の「色気」が隠れているから、
外から客観性が否定されると忽ちボロが出てしまいます。
キリスト教もイスラム教も、ほとんどの信仰者はBのような立場です。
正しいと思う事、好きと思う事も移ろってゆく。
哲学が分析学と現象学に割れたのはなぜだと思いますか?
哲学はカウンセリングや宗教の代用にはならんでしょう。
哲学者の自殺少なくないし、ホモ多いし。
釈尊の仏教にもちゃんと御臍はあります。
「私」から離れて「私」の至福や抜苦はないでしょう。
>767
哲学は、あくまで道具だと思います。ただ、現実をあるがままに見るためには
哲学は不可欠です。各個人の主観的真実を、他人と対話できるほどまでに客観
的にするには、哲学は避けて通れない。自分の仮説を、ジンクスではなくて、
科学的事実と証明するには、科学的実験が不可欠なのと同じです。
>正しいと思う事、好きと思う事も移ろってゆく。
これもまた、実存主義的な人間把握であって、すでに哲学的です。
>哲学はカウンセリングや宗教の代用にはならんでしょう。
哲学によって救われる人は確実にいると私は思います。哲学する心さえ喪失
した人は救われないでしょうね。
>哲学者の自殺少なくないし、ホモ多いし。
道具の開発者の性向と、道具の効能とは無関係だと思います。
>「私」から離れて「私」の至福や抜苦はないでしょう。
その「私」を批判的に見直してみるのが哲学の本来の目的だと思います。
人間て、「悲しいから泣く」んじゃなくて、「泣くから悲しい」という不合理
な面があると思います。「自分は、本当に泣くほど悲しい理由があるのか」を
見つめることが必要だろうと思います。名前は失念しましたが、ある高名な
禅僧が、「自分は短気で困る」という町人に対して、「短気などという実態は
存在しない」ことを教え諭したということです。この世の中の「苦」の多くは、
よくよくその原因を辿っていけば、ほとんどの場合は自分の妄想が生み出した
「不合理の連鎖」が原因になっているのがわかると思います。しかし、その
不合理の只中に居る人には、それが見えない。そこで、哲学的に、自分の主観
を一旦離れて(「不合理の連鎖」に苦しんでいる実態が主観だから)「自分」
を見つめ直すことが不可欠になります。
770 :
波木井坊竜尊@日蓮宗葵講 ◆IByKs72gR2 :03/06/02 11:53
771 :
名無しさん@3周年:
釈迦ってつおい?