根本仏教

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63名無しさん@1周年:02/12/01 15:22
>>61 さん
仏陀の教えには,出家のためのものと在家のためのものがあります。
それを分けて考えましょう。あなたがコメントされているのは出家
に対する教えだと思います。
64名無しさん@1周年:02/12/01 16:17
>>56 さん
>大変な間違いをしている方がいるな

いや、>>55さんは、楽しませようとわざと書いているんでしょう。
65名無しさん@1周年:02/12/01 21:30
パソコンを使ってサイドビジネスを
http://www.mars.sphere.ne.jp/hachy/fortune.htm

66名無しさん@1周年:02/12/01 21:47
6755:02/12/02 17:00
>>60
まず第一に、
「みんなで仲良く正義を守ってやっていこうとするときに、その和を乱す人がおって、
それを不愉快と思うこと」と
「他人の書き込みを見て怒り狂ったり不愉快になったりする」こととは、ぜんぜん違いますね。
具体的現実的な状況と、単なる画面にうつった文字とでは違います。
具体的な苦痛を拒否することと、文字を目で見ただけで反応してしまって不愉快になることでは、違います。

さらに言えば、和を乱す人がいようが、我を失い怒り狂い不愉快になる必要はないはずです。
仏陀が、「もし和を乱す人がいたら、不愉快になって怒り狂って、彼を追い出せ」と教えましたか?
そんな教えはないはずです。

私ががっかりすることは、仏陀の教えを現実問題に適用することを考える人、できる人が極めて少ない事です。
2ちゃんの書き込みにも仏陀の教えは当てはまります。
それは書き込みと、感情を切り離すことです。単なる画面上の文字に反応しないことです。
68名無しさん@1周年:02/12/03 11:52
自然にそうなればいちばん良いんだよね。
69名無しさん@1周年:02/12/16 12:54
ねもと仏教
70名無しさん@1周年:02/12/23 02:48
age
71名無しさん@1周年:02/12/23 17:06
根本仏教は宗教ってより哲学に近いと思うんだが・・・
時と場所によって姿が変わって、解釈を変える為に歴史も捻じ曲げられた
だけではないか?
72凡プー:02/12/24 21:43
ねじ曲げられたというよりは、その時代や文化、環境により自然に変わって来たんじゃないかな。
まぁー諸行無常を説く仏教なんだからいいんじゃない。二千五百年前の教えそのままで今救われるとは限んないし
73名無しさん@1周年:02/12/24 23:24
仏教だけの仏教ならではの素晴らしさって何処だろう。
大乗も含めて主張希望!
74加護♂ ◆/mNQBn2aSs :02/12/25 04:49
>>71
哲学よりは宗教に近いと思うけど。
まあ、思想、かな。
でも、やっぱり仏陀の時代の仏教は、それなりに宗教的だったと思われ。
そもそもの初めから、上座部だけで仏教は成り立っていなかったと思うしね。
75名無しさん@1周年:03/01/07 22:00
釈尊は真理に気付いた。
76Dr.愛パッチ:03/01/14 18:43
純粋上座ヴィパッサナ 情報スレを作ると
悪いカルマをつむことになるか?
77名無しさん@1周年:03/01/15 12:12
スッタニパータage
78名無しさん@1周年:03/01/19 17:21
結局、釈尊は輪廻転生を否定したんですか?
肯定したんですか?
79名無しさん@1周年:03/01/19 17:44
大乗仏教は釈迦の教えではなく、後代の創作。
80名無しさん@1周年:03/01/19 17:49

そんな事いったら
上座部も大半は、後世の作。
81名無しさん@1周年:03/01/19 19:41
過去七仏こそ人類のスピリチュアリティといえるでしょう
82名無しさん@1周年:03/01/19 20:01
上座部ってなに?
過去七仏ってなに?
83名無しさん@1周年:03/01/19 21:19
サーチエンジンをグルとしませう
84 :03/03/04 17:26
85名無しさん@3周年:03/03/09 07:10
四法印と三帰依と二帰依が、根本だと思う。
86名無しさん@3周年:03/03/10 12:23
ZETAに哲学・思想板が出来ました
http://zeta.ns.tc/kiba/philosophy/index.html


Zeta BBS
http://zeta.ns.tc/
87山崎渉:03/03/21 21:55
(^^;)
88名無しさん@3周年:03/03/27 01:58
大いにage

秋にはダライラマも来日されます。
89名無しさん@3周年:03/03/27 16:05
ナンミョーホーレンゲキョー       
90&lro;:03/04/12 00:24
 
91名無しさん@3周年:03/04/13 01:25
四諦が真理でしょ
92山崎渉:03/04/19 23:22
   ∧_∧
  (  ^^ )< ぬるぽ(^^)
93名無しさん@3周年:03/05/07 01:02
age
94名無しさん@3周年:03/05/11 20:15
>>1

>ゴータマ・ブッダ(仏陀釈尊)の真の教えは何だったのか。

こんなんがあったので、、、参考まで、、、 >>2 >>4

> 略)統合された生命についての哲学が見失われると、生命が提供するものは
> すべて実存の表面レベルにある、という考え方が優勢になりました。そして、
> 内側深くに潜んでいるものについては、求めることすら無駄であると思われ
> るようになってしまったのです。このような表面的な見方が社会を支配する
> ようになった結果、「実在」への洞察は見失われ、正しい価値観も忘れ去ら
> れて、生命の安定性が破壊されてしまいました。そして、緊張、混乱、迷信、
> 不幸、恐怖などがはびこるようになったのです。
95名無しさん@3周年:03/05/11 20:16
>  仏陀(釈尊)はこのような状況を正すために現われました。行動の領域が
> ゆがめられているのを見て、仏陀は正しい行動に関する教えを説きました。
> 「存在」すなわち永遠の自由(ニルヴァーナ)に立脚した意識レベルから、
> 仏陀は、自由の境地に確立された行動の哲学を教えました。「存在」に直接
> 接触することによって想念の領域を浄化し、社会における正しい行動のあり
> 方をもたらすために、仏陀は人々に瞑想を勧めました。仏陀の教えは完全な
> ものでした。なぜなら、仏陀が復活した教えの中には、「存在」、思考、
> そして行動の領域がすべて含まれていたからです。
96名無しさん@3周年:03/05/11 20:16
> しかし、仏陀の後継者
> たちが、 瞑想の実践によって生命におけるこれらの異なる領域を体系的に
> 関連づける、ということを怠ったために、「存在」の実現が正しい生命の基盤
> である、ということが次第に不明瞭になってきました。仏陀の教えは、その
> 構造全体がゆがめられたばかりでなく、原因と結果が取り違えられ逆さに
> されてしまいました。正しい行動とは自由の境地に確立された意識状態の
> 結果である、というのが真理なのですが、正しい行動がニルヴァーナを得る
> ための手段である、と見なされるようになってしまったのです。
97名無しさん@3周年:03/05/11 20:17
>  偉大な教師達はみな、こういった不幸を経験してきました。教師は高い
> 意識レベルから教えを説くのですが、弟子たちはそれを自分たちの意識レベル
> でしか受けとめることができません。こうして、説きを経るにつれ、教えと
> 理解との間の溝が大きくなっていくのです。
98名無しさん@3周年:03/05/11 20:19
> 「存在」の実現がまず第一に必要であるのに、そうせずにいくら正しい行動を
> せよと説いたとしても、それは土台のない壁を築くようなものです。そのような
> 壁は風が吹けば揺れ動いて、ほどなく倒れてしまうでしょう。仏陀の真の教えと
> 弟子たちの日常生活との間にあったつながりは、三、四百年もたたないうちに、
> まったく消えうせてしまいました。統合された生命に関する原理が、またしても
> 見失われてしまったのです。「存在」の実現という最も大切なことを忘れて
> しまったために、社会は再び生命の表面的な価値に埋もれてしまうように
> なりました。(略
99山崎渉:03/05/28 09:24
     ∧_∧
ピュ.ー (  ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  =〔~∪ ̄ ̄〕
  = ◎――◎                      山崎渉
100名無しさん@3周年:03/06/15 08:11
ブッダは、生死にする者。
死んだ者は何も苦がない。
そのように生存者もあれと言ってるんだ。
101名無しさん@3周年:03/06/15 10:10
今日のNHKスペシャル(21:00〜22:00)は、
文明の道(03)ガンダーラ仏教大変革の地
▽謎の騎馬民族の祈り
▽発見最古の仏典
102名無しさん@3周年:03/06/15 12:54
死んだ者のように、自身にこだわらず、世間の利得を追うこともなく
世間一切にそむくこともなく、あの世もこの世も望むことなく
何もも望まず、慈しみの心のうちに目覚めていて、人のいない林の中で
愛著なき快楽なき楽しみを得て、生死のない究極の安らぎに近づく。
103名無しさん@3周年:03/06/26 20:59
>>102
こりゃあ。仏陀そのものだね。
104名無しさん@3周年:03/06/26 21:40
飯は食わなくっちゃね。
105名無しさん@3周年:03/06/27 21:44
生存の貪欲に押し流され、自分自身のことに常にこだわり、世間の利得を追い、
自分のこだわりのもと、集団のこだわりのもと、世間にそむくことを正しいと思い、
あの世のために生きること、この世のために生きることを常々心にとどめ、なにも
満足することなく、ないものに望みをかけ、吝嗇で哀れみの心もなく、快楽と享楽
を好み静けさを好むことなく、母体から母体へと生まれかわる。
106Q&A:03/06/27 22:50

本能・欲望のおもむくままに生きて、果たしてシアワセになれるか?との問い
107名無しさん@3周年:03/06/28 00:53
たとえ、修行者にならなくとも、ブッダと真理の教えとに対して信仰心があり、
慈しみとあわれみと人を思いやる心を喜びの第一とし、修行僧のように林の中で
楽しみ、自然に接することを楽しみにし、静けさを好めば、心の安らぎが得られる
でしょう。ブッダは心の安らぎこそ幸せと説いており、その教えに少しでも従おう
とすることで、人の苦悩は少なくなる。

私にとっては、不満こそ大敵。欲望は不満を生む。今現在、不幸なことがない
ことに幸せを感じさせるブッダの教えです。

「かれらは欲望を貪り、熱中し、溺れて、吝嗇で、不正になずんでいるが、死時
には苦しみにおそわれて悲嘆する、― ここで死んでから、われはどうなるのだろうか
と。」―ブッダのことば

108名無しさん@3周年:03/06/28 06:26
欲望を貪り、多く悪い行為や想念を起こした者が死ねば、必ず地獄に生まれ、
欲望少なく、慈悲心を起こす者が死ねば必ず天界に生まれる。
これが、釈迦の説。
109名無しさん@3周年:03/06/28 07:31
釈尊の教えは"四諦八正道"、"生老病死"、それと八苦、後は初転法輪、仏説阿弥陀教。これらを見たら大抵いいんじゃないか?まあ観経と大経も押さえときや。
110108:03/06/28 10:25
地獄の様子です。

『火はその中に満ちているが焔無く、煙無し。その上をくるくる巡り
歩いている。彼の皮、肉、血は熔けて短くなる。しかし、足を上げれ
ば元に戻る。このように無量の苦しみを受ける。
しかし、死ぬことはできない。必ず彼の不善行を尽きさせる。』
(阿含経より)
111欽チャン:03/06/28 13:45
>>108
無常・無我も言わなきゃダメだよーーー。
112名無しさん@3周年
>>108
「無常」とは何か。「変化」「生」「滅」の三つです。
一切の苦しみはこの三つで造られます。生老病死憂悲悩苦
それはこの人間の世界の寿命が約80年と短いからです。

天界の一つ梵天界の寿命は一劫桁違いに寿命が長く、したがって
時間という概念はありません。