★阿含宗についての考察★

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1
このスレッドは阿含宗の客観的評価を目的としています。
阿含宗の在り方の是非を世に問うためのスレッドです。
「阿含宗という宗教20、21」の続きですが肯定否定のどちらの側にも組しない立場でのスレッドです。
あくまでも「真実」を知るために役立ててください。
他宗のアルバイトで愚劣な批判カキコするのは止めましょう。
良心に従って自分の意見だけを率直に述べ合おうではありませんか。

★阿含宗という宗教 20★
http://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1015322861/l50
★阿含宗という宗教 21★
http://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1026797552/l50
元真言宗大阿闍梨のかたを中心に活発な議論が続いています。

他宗のアルバイトで批判カキコを続けている方へ、批判側も同じ論調のコピペには
すっかり飽きてしまっています。スレッドが読みにくくなるばかりですのでお止め下さい。
2仏教学より宗教学で見る:02/08/24 10:19
(前スレのコピーです)
バウさんの主観的な考え方に対して、
学問で理屈ずめで電波さんがたたいているって構図ね
つまり、バウさんは信仰体験から、こうではないかと言い
電波さんは学問ではこうだから間違いだと言い
しかし、これって噛み合わんでしょう?
学問と信仰はべつもんだと思いますよ私は
そういう意味では阿含宗をたたいたことにはならないと思いますよ、
こんなんで駄目っていうなら、日本の仏教すべて駄目でしょう。
阿含宗が権威ある宗派として世間に認められているなら、ともかく
たんなる新宗教に権威もクソもないし、意味があるのかな
神を信じない人が、神を信じる人に向かって、これこれしかじかの理由で
科学的、学問的に神はいないって言っているのと同じでしょ
釈迦直説だという宣伝で信者になる人なんていないと思う
わかんないけどけど御利益ありそうだからという理由でしょう
そして御利益だか霊験だかしらないが自分自身変革体験
した人が信者として残り、そうじゃない人は去る
このような構図でしょう。
そういう意味で初めから学問的真理を求めて信者になるってのは
眉つばものですね。大学いって学べ!と言いたい。

3名無しさん@1周年:02/08/24 10:23
>バウさん、あなたのように頭の悪い?弱い?人は、三帰依から入らないと
いけないかもしれないけど、猊下は頭の良い機根の優れた人は、七科三十七道品法
にダイレクトに入って行けば良いとおっしゃっているんじゃないの?
まず最高の智恵を得てしまえば、愛も慈悲もまた他者にたいする尊敬もついて来る
んだから。
電波さんたちがおっしゃっている事はそう言うことだと思うよ。「社会科学としての
阿含仏教」という本、お読みになった?
4名無しさん@1周年:02/08/24 10:28
( ´_ゝ`)フーン
5名無しさん@1周年:02/08/24 10:31
過去ログは一時アクセス不能になったり、また復活したりしますので、
気長にアクセスを試みてください。
また、ダウンロードして保存することをお勧めします。
番号が一部飛んでいますが(20,23)、信者が妨害のために、
規則を守らず、その番号で勝手にスレを立ち上げたためです。

「阿含宗という宗教」
http://mentai.2ch.net/psy/kako/945/945075010.html  1
http://mentai.2ch.net/psy/kako/963/963392863.html  2
http://mentai.2ch.net/psy/kako/965/965611077.html  3
http://mentai.2ch.net/psy/kako/965/965617064.html  4
http://mentai.2ch.net/psy/kako/967/967384782.html  5
http://mentai.2ch.net/psy/kako/971/971700284.html  6
http://mentai.2ch.net/psy/kako/979/979558657.html  7
http://mentai.2ch.net/psy/kako/986/986710038.html  8
http://mentai.2ch.net/psy/kako/990/990087878.html  9
http://mentai.2ch.net/psy/kako/992/992781409.html 10
http://mentai.2ch.net/psy/kako/997/997101916.html 11
http://mentai.2ch.net/psy/kako/999/999507275.html 12
http://life.2ch.net/psy/kako/1001/10010/1001063339.html 13
http://life.2ch.net/psy/kako/1003/10030/1003070605.html 14
http://life.2ch.net/psy/kako/1004/10043/1004381477.html 15
http://life.2ch.net/psy/kako/1005/10057/1005797684.html 16
http://life.2ch.net/psy/kako/1008/10081/1008135142.html 17
http://life.2ch.net/psy/kako/1010/10109/1010984696.html 18
http://life.2ch.net/psy/kako/1013/10135/1013573704.html 19
http://life.2ch.net/psy/kako/1015/10153/1015331759.html 21
http://life.2ch.net/psy/kako/1019/10192/1019229592.html 22
http://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1024213539/l50 24
http://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1027397167/l50 25
http://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1029471820/ 26
6名無しさん@1周年:02/08/24 10:32
以下のスレの一部に、阿含宗がfushianaという悪質な罠を仕掛けました。
くれぐれも罠を踏まないようにお気を付けください。
スレを読む分には問題ありません。

阿含宗HPの詐欺性を世に問う 2000
http://mentai.2ch.net/psy/kako/970/970565184.html 
阿含宗批判資料 (2001/10/31)
http://life.2ch.net/psy/kako/1004/10045/1004523485.html
「よー痴」と「ヨコハマ」を語る (2001/11/2)
http://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1004698418/l50(消滅)
「阿含宗という宗教」の批判限定板
http://life.2ch.net/psy/kako/1004/10048/1004895100.html
阿含宗密教占星術1001
http://mentai.2ch.net/psy/kako/969/969256187.html
桐山靖雄とは何者
http://mentai.2ch.net/psy/kako/963/963586467.html
阿含宗は最低だ!!!日本の、あっ癌だあ!!!
http://mentai.2ch.net/psy/kako/971/971316289.html
阿含宗の方いらっしゃいますか
http://mentai.2ch.net/psy/kako/964/964579830.html
阿含経が読みたいんですが。
http://mentai.2ch.net/psy/kako/958/958342794.html
阿含宗スレッド5
http://mentai.2ch.net/psy/kako/967/967384782.html
阿含宗NYの護摩法要
http://mentai.2ch.net/psy/kako/974/974427737.html
阿含宗NYの護摩法要’
http://mentai.2ch.net/psy/kako/974/974980482.html
桐山靖雄ファンと阿含宗信徒の広場
http://mentai.2ch.net/psy/kako/977/977673729.html
阿含宗HP更新されています
http://mentai.2ch.net/psy/kako/977/977992070.html
☆★☆阿含宗HP更新されています
http://mentai.2ch.net/psy/kako/978/978674567.html
真言宗僧侶覚鑁について
http://mentai.2ch.net/psy/kako/972/972100666.html

7名無しさん@1周年:02/08/24 10:33
阿含宗HPを語る 
http://mentai.2ch.net/psy/kako/968/968807757.html 2001
http://mentai.2ch.net/psy/kako/968/968914805.html 2002
http://mentai.2ch.net/psy/kako/969/969415428.html 2003
http://mentai.2ch.net/psy/kako/970/970113865.html 2004
http://mentai.2ch.net/psy/kako/971/971315195.html 2005
http://mentai.2ch.net/psy/kako/973/973043985.html 2006
阿含宗HPを語る2001ver2
http://mentai.2ch.net/psy/kako/968/968914779.html
阿含宗という宗教
http://mentai.2ch.net/psy/kako/959/959585949.html
仏説阿含経
http://mentai.2ch.net/psy/kako/970/970983081.html
スッタニパータより
http://mentai.2ch.net/psy/kako/964/964228412.html
ヨコハマさん、いいかげんにしなさい!
http://mentai.2ch.net/psy/kako/971/971356246.html
★★阿含宗桐山氏の経歴詐称問題★★
http://mentai.2ch.net/psy/kako/973/973211774.html
桐山氏の「三段の変化」瞑想法の謎
http://mentai.2ch.net/psy/kako/972/972043756.html
阿含宗という宗教20
http://life.2ch.net/psy/kako/1015/10153/1015322861.html 
阿含宗ってどうなんですか???
http://life.2ch.net/psy/kako/1014/10144/1014481699.html
阿含宗という宗教23
http://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1019235115/l50
桐山靖雄管長猊下を讃える歌
http://life.2ch.net/psy/kako/1019/10194/1019461210.html
桐山靖雄炎の大霊言
http://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1020269145/l50
阿含宗元信者被害者の会
http://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1023270466/150
ダライラマと阿含宗の関係について
http://life.2ch.net/psy/kako/1022/10223/1022315297.html
阿含宗
http://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1024327902/l50
★阿含宗という宗教 21★
http://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1026797552/l50
8名無しさん@1周年:02/08/24 11:11
>>2 私には電波さんたちのほうがむしろ感情的に
なっているようにみえるけどね。
9名無しさん@1周年:02/08/24 11:19
>>1 お二人でがんばってねい。
10名無しさん@1周年:02/08/24 11:58
( ´_ゝ`)フーン

11前スレから:02/08/24 12:40
ブッダ最後の旅 大パリニッバーナ経 中村元訳 岩波文庫
われらはともに喜び合って(ご遺骨を)八つの部分に分けましょう。
ひろく諸方にストゥーパあれかし。
多くの人々は眼(まなこ)ある人(=ブッダ)を信じています。
12前スレから:02/08/24 12:42
バウさん、 >>11のどこに仏舎利信仰をせよと書いていますか?

それと「信性仏舎利、真性仏舎利」などミスタイプですよ。ご本尊
なんですから、ちゃんと真正?神聖?仏舎利と書きましょう!
13前スレから:02/08/24 12:45
そこで、マガダ国王であるアジャーサットゥ、ヴィデーハ国王の女(むすめ)の子、
は王舎城に、尊師の遺骨のためにストゥーパをつくり、また祭りを行った。
ヴェーサーリーに住むリッチャヴィ族も、、、
カピラ城に住むサーキャ(釈迦)族もカピラ城に、、、
アッラカッパに住むブリ族もアッラカッパに、、
ラーマ村に住むコーリャ族もラーマ村に、、、
ヴェータディーバに住むバラモン達もヴェータディーバに、、、
バーヴァーに住むマッラ族もバーヴァーに、、、
クシナーラに住むマッラ族もクシナーラに、、、
ドーナ・バラモンも、瓶のストゥーパをつくり、祭りを行った。
ピッパリ林に住むモーリャ族もピッパリ林に、(尊師の)灰のためにストゥーパを、、、
こういうわけで、八つの遺骨のストゥーパと、第九瓶のストゥーパと、第十に灰の塔がある。
以上のように、これはかつて起った(昔の)できごとなのである。

14前スレから:02/08/24 12:47
バウさん、>>13のどこに仏陀のご遺骨を礼拝せよと書いていますか?

「ストゥーパをつくり、また祭りを行った」と言うのは礼拝すると言
うことですか?
15前スレから:02/08/24 12:50
質問ばかりで済みませんが、バウさんに。
そもそも阿含宗は仏舎利信仰の教団なんですか?
これはどなたか他の方でも良いです。教えてください。
16名無しさん@1周年:02/08/24 12:51
>>15 書き込みするならHNつければ!
17名無しさん@1周年:02/08/24 12:55
>15
↓アゴンサイトの「真正仏舎利ついて」
http://www.agon.org/philosophy/phil03.html
18888:02/08/24 13:06
>>16 じゃあ、前スレ改め 888で。

>>17 神聖仏舎利じゃなくて、真正仏舎利ですね。ありがとう。
神聖なではなく「真実の正しい仏舎利」ね。
19名無しさん@1周年:02/08/24 13:07
阿含宗は、仏教において最高の本尊(ほんぞん)であり、仏教徒の総本尊ともいう
べき真正仏舎利(お釈迦さまの御聖骨)を生ける釈尊として、尊崇し、おまつりし
ていますが、仏教徒にとって、真正仏舎利とはどういう意味と意義を持つものでし
ょうか?


20名無しさん@1周年:02/08/24 13:14
仏教には3つの流れがある、北伝仏教、南伝仏教、東伝仏教である。
阿含宗は上の3つの流れを統合した完全仏教を目指します。
もう一度、原点にもどるのである。その分かれていったさまざまな要素、
背景、歴史など一切を包含しながら仏陀の原点にもどるのである。
二十一世紀は、高度のモラル(教え)と、卓抜な行動力(法)を基にし
た宗教でなければ、人も社会も救うことができない。
それを実現するのは、「完全仏教」を体得した新しいタイプの聖者の出現
である。環太平洋圏の各地に、その国の人によるこの聖者をつくり出すのだ。

21名無しさん@1周年:02/08/24 13:16
>>20
じゃあ、原始仏教に戻るってこと?。インドの山奥で修行するのかしら。
22前スレ609あらため阿呆陀羅經 ◆PuxvZ3xQ :02/08/24 13:18
まだやってる(笑)
暇になったら遊びに参ります
23888:02/08/24 13:19
>>20 そのまとめ方はちょっとおかしいよ。もう少し勉強した方がよい。
だから >>21 みたいな質問が来る。
24ねこぢる ◆LYeX7t2Y :02/08/24 13:20
>16 そんなあなたも七資産
25888:02/08/24 13:20
>>22
阿呆陀羅經ってよく聞くんだけど、実在の経ですか?
26阿呆陀羅經 ◆PuxvZ3xQ :02/08/24 13:24
ブッディズムならぬフェティシズムか、阿含宗は(笑)
>>25
日本の伝統笑芸能です。
27名無しさん@1周年:02/08/24 13:24
七科三十七道品法。その1

四念住法(しねんじゅうほう)
旧訳では四念処(しねんじょ)といいます。四念処観ともいいます。さとりを得
るための四種の内観・瞑想法です。身念住(しんねんじゅう)・受念住(じゅね
んじゅう)・心念住(しんねんじゅう)・法念住(ほうねんじゅう)の四つです。

この身は不浄なり。
受は苦なり。
心は無常なり。
法は無我なり。
と観念し瞑想します。すなわち、この身体は不浄である。(すべての)感受は苦で
ある。心は無常である。すべての事物は無我である、と観念し瞑想します。


28名無しさん@1周年:02/08/24 13:29
完全仏教

完全仏教とは、以上の三つの体系の仏教を、一つの仏教に融合した仏教である。
仏教が、三つのものにバラバラになっている限り、完全とはいえない。この三
つのバラバラの仏教が、一つの仏教に融合したとき、完全な仏教といえるので
はないか。
二十一世紀は太平洋の時代である。
私は、二十一世紀の太平洋圏における仏教は、この完全仏教でなければならないと
思うのである。そんなことができるのか?

できる。
29名無しさん@1周年:02/08/24 13:30
なぜならば、それは、もともと、仏陀釈尊がお説きになった根本仏教から分かれて
いったものだからである。
もう一度、原点にもどるのである。その分かれていったさまざまな要素、背景、歴
史など一切を包含しながら仏陀の原点にもどるのである。

来るべき二十一世紀は、高度のモラル(教え)と、卓抜な行動力(法)を基にした
宗教でなければ、人も社会も救うことができない。
それを実現するのは、「完全仏教」を体得した新しいタイプの聖者の出現である。
環太平洋圏の各地に、その国の人によるこの聖者をつくり出すのだ。
三つの体系の仏教の、それぞれを体得し、法位をも持つ私は、それこそが自分に与
えられた使命であると、、、
30名無しさん@1周年:02/08/24 13:34
写真で見る阿含宗のあゆみ
法脈継承のあゆみ

仏教の三つの流れ(北伝仏教・南伝仏教・東伝仏教)

東伝仏教
・1983年:チベット仏教ニンマ派僧位・法号「一切万霊守護金剛」を拝受
・1988年:チベット仏教ニンマ派「金剛阿闍梨法冠授与灌頂」の式典挙行
・1993年:チベット仏教サキャ・ツァル派より、金剛界・胎蔵界両部の伝法灌頂

南伝仏教
・1992年:スリランカ仏教シャム派より、名誉大僧正の僧位を授受
・1994年:ミャンマー仏教界最高の僧位・法号を授受

北伝仏教
・1972年:小田慈舟大僧正猊下より「金剛界法・胎蔵界法」の奥伝を伝授
・1970年:小田慈舟大僧正猊下より「如意宝珠法」の伝授を受ける
31名無しさん@1周年:02/08/24 13:36
以上

http://www.agon.org/hist.html
「写真で見る阿含宗のあゆみ」から。

写真なので一目瞭然。
32888:02/08/24 13:44
コピペ荒らしかと思いつつも

>>27
この身は不浄なり。
受は苦なり。
心は無常なり。
法は無我なり。

この瞑想は 
「この身は、受は、心は、法は」⇔「不浄なり、苦なり、無常なり、無我なり」
こう言う四対四の瞑想になるんだよね。
これは、諸行無常、諸法無我、一切皆苦の三法印の瞑想に他ならないのかしら。



33888:02/08/24 13:47
>>26 仏舎利信仰を f-ism と言っちゃったら、あほだら経を通り越して go to h--l かもね。
34わびすけ:02/08/24 14:04
法力があり徳の高い人間は、命の価値まで高いんですかね
教祖と呼ばれる人間にひれ伏すなんて、
俺には気が知れんです

法力で天変地異を制御した人物といえば出口王仁三郎もおったね
スサノオがどうのというのも王仁三郎だったな
今の人には関係ないか

今が良ければそれで良い
せちがらい世の中
35阿呆陀羅經 ◆PuxvZ3xQ :02/08/24 14:42
「真正仏舎利」とやらにご利益を授けるといった類の霊力が宿っているという
与太話を説くのが「フェティシズム」なの(笑)
36阿呆陀羅經 ◆PuxvZ3xQ :02/08/24 14:47
だいたい仏舎利を「シャカの聖霊宿る聖物」などというところが笑止千万
37888:02/08/24 15:10
>>27 返事が無いので、自分で書くよ。

(ある御著書から)
修行法の分類
どのように修行するか?
四念住(cattari-satipatthanani)
さとりを得るための四種の内観・瞑想法である。
身念住・受念住・心念住・法念住の四つである。

〜  
、、、というように瞑想していくのである。

諸行無常・諸法無我・一切皆苦の仏教の根本原理を理解し、
ニルバーナに到達する智恵を磨く。だだし、これだけではだめで、
〜法の中の、智恵を、、〜法や、念力を、、、〜法を、併せ、修行する。


三法印の内観・瞑想。しかしそれでは足りないので、智恵や念力を養う
法を併せ修行するように管長猊下は指導しておられる。七科三十七道品法の
最初歩だね。それを仏道のすべてだという無知な人もいる。まさに名は体を
顕わす。

38電波男Ψ(`д´)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/24 15:15
>>37
あなたの文体から無知な人であることがにじみ出ています。
39電波男Ψ(`д´)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/24 15:46
悟りへの道として大まかに、見道、修道、正覚の三道に段階分けられる。
この見道とは理論的に四諦などが間違い無いものとして確信され、理性的に揺るがない段階のことで
ある。それが終わって初めて修道に進むことが出来るのである。内容的には同じ四諦などを修道、実
践によって体得していくのが日課であり、理論的なものも再検証、発展拡張敷衍されていく。そして
最終的に正覚に到達するのである。

これは阿含経典でも記されている基本中の基本であり、「バウさんが主観的に述べている」などとい
うことは絶対にありえない。理性の次の段階に修道や神秘体験があるのであり、その順序を取り違え
ると、ただの「狐付き」になってしまう。阿含宗はその病理を明白に自供しているようなもの。
40阿呆陀羅經 ◆PuxvZ3xQ :02/08/24 15:47
>それを仏道のすべてだという無知な人もいる。
『相応部』47・18
「この一乗の道がある。よく衆生を清浄にさせ、憂・悲を超え、苦・悩を
滅し、正理を証得し、ニルヴァーナを現証させる。これがすなわち四念
処である。」
『雑阿含経』24
「一乗道あり。能く衆生を浄め、憂悲を越え、悩苦を滅し、如実法をを
得しむ。所謂四念処なり」
他にも四念処=一乗道と説く経典はいろいろありまっせ。無知なのは誰でし
ょうね〜(笑)
41阿呆陀羅經 ◆PuxvZ3xQ :02/08/24 15:50
>888さん
別に私は「四念処」を仏道のすべてだとは思っておりませんが・・・。そのように説く
経典もありますのでご参考までに。
42888:02/08/24 16:56
>>40 また引用で申し訳ないのですが。

(桐山猊下の著書より)
 以上、七科三十七道品の修行は、前にのべた通り、これを全部、修行しなければ
ならないというものではない。三十七種の修行法の中には、同じような修行法が、
重複してかかげられているのである。
 これは、おそらく、仏陀が、弟子たちそれぞれの能力や才能に応じて課せられた
ものであろう。
 ただ、阿含の聖典では「四念住法」「四神足法」の修行が、いずれも「一乗道」
であるとされているのは、注目すべきである。「一乗道」とは 、、以下略。
 しかし、一般的には、ストレートに、、、以下略。


そういう全体の体系をご存知の上で「他の修行は必要無い」とのご判断であれば
よいと思うのですが。他の項目が全くできてないのに「四念住は一乗道だ!」と
おっしゃっているのならその修行は児戯にも等しいでしょう。お見受けするところ、
五根、五力なども必要では無いかと。
43888:02/08/24 16:59
>>40 阿呆陀羅經さん、バウさんとのディスカッションで、七科三十七道品法
に目が向けられたのは素晴らしい事だと思います。それまでは「そんな修行法は
阿含経のどこにあるんだ!」とかおっしゃってたのに、四念住ほうをちゃんと、
『相応部』47・18や『雑阿含経』24から見つけてこられる様になったんですものね。

データベースは有っても、知識が無ければ使いこなせななかったという一例でした。
44888:02/08/24 17:01
>>40 阿呆陀羅經さん、五根、五力、四神足については、データベースに
載ってますでしょうか?四神足も「一乗道」であるといわれていますよ。
同じ一乗道でも、その違いは何でしょうか?
45888:02/08/24 17:04
>>40 阿呆陀羅經さん、バウさんとのご議論で「スッタニパータのどこに
成仏法が載っているのか」と言うことがテーマになっていましたよね。お二
人ともお分かりにならなかったようですが。七科三十七道品法を学ばれてから、
読みなおしてみて下さい。スッタニパータは、ほぼ全編、七科三十七道品法
そのものです。日常の言葉で語ると七科三十七道品法は、あのような表現に
なるのです。
46阿呆陀羅經 ◆PuxvZ3xQ :02/08/24 17:11
>>42
いちいちトンデモ本を引用してレスする暇があったら、経典にでも当って
自分で桐山氏の記述の正誤をチェックしなはれ(笑)
信解もできとらんのに三十七菩提分法もあったもんやないやろに(苦笑)
47電波男Ψ(`д´)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/24 17:18
>>888
カルトに犯された精神構造としてあなたはいいサンプルになりますよ。
48阿呆陀羅經 ◆PuxvZ3xQ :02/08/24 17:19
>888さん
阿含宗のドグマで三十七菩提分法を云々なんかできません。外道説に
仏教を接ぎ木してもどうにもならへんよ。基礎なくして家を建てよう
とするようなもんやで(笑)
49名無しさん@1周年:02/08/24 17:24
>>46 >>47
ディスカッションの場で、「相手ののしる」というのはとても恥ずかしい事です。
「ののしる以外反論できなかった」と言うことですもんね。

見ていて悲しくなりますね。ちゃんと筋道立てて反論すれば良いのにね。
そういうと、きっと「あんなやつに理論なんか通じないよ」と言うんだろうね。
でもROMはちゃんと見ている。電波男と阿呆陀羅經は反論できなかった!
50阿呆陀羅經 ◆PuxvZ3xQ :02/08/24 17:29
>>45
経典成立の過程をよ〜く考えてみましょう(笑)
51阿呆陀羅經 ◆PuxvZ3xQ :02/08/24 17:35
おまけ
三十七菩提分法は大乗仏教でも重視されてます。桐山説はトンデモです(笑)
52電波男Ψ(`д´)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/24 17:49
>>49
反論もなにも、立論してないのだから何を反論するんだい?
私の立論には何一つ返していないじゃないか。

ROMを代表しているかのようなみえみえの非常に恥かしい情報操作しようとかして、
もし私だったら自殺してしまうよ。チミのような恥かしい存在であったらね。
お前みたいなハクチはもう逝っちゃえ。
53電波男Ψ(`д´)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/24 17:58
>>51
瑜伽師地論などでは現存阿含経典に記されているものよりも以前の形態の
菩提分法が記され、部派仏教に影響を与え、経典も変形していったを考え
られます。この辺が私の専門の一つなのですが、原始仏教と大乗仏教の関係
を考える際、多くのヒントを与えてくれます。
54阿呆陀羅經 ◆PuxvZ3xQ :02/08/24 17:59
>>43
しかし、いつ私がアーガマやニカーヤに「三十七菩提分法」など載ってないと
書いたんだ?文章読めてるのかね?筋道も何もあったもんじゃないな(苦笑)
55阿呆陀羅經 ◆PuxvZ3xQ :02/08/24 18:05
>>53
『瑜伽師地論』ですか。読みこなすのが大変そうな大部の論書ですね。なにか
良質な入門書や概説書があればお教えください。虫のいい要望で恐れ入ります。
56阿呆陀羅經 ◆PuxvZ3xQ :02/08/24 18:18
原始仏教≠現存アーガマやニカーヤの記述ということですね。
57バウ ◆pyDQkkJ2 :02/08/24 20:16
前スレ980 :仏教学より宗教学で見るさん、コメントありがとうございました。

>つまり、バウさんは信仰体験から、こうではないかと言い

ミスティックな部分はなるべく書かずに「人の目でわかる事だけ」書いた
つもりだったのですが。接点がないみたいです。
58バウ ◆pyDQkkJ2 :02/08/24 20:20
前スレ992 :ベロ さん、こんばんは。

>僕はゴータマブッダを捨ててなんかいませんよ。人類で唯一正覚を得た稀有な方であり
帰依しています。
>他には竜樹・世親・羅什など素晴らしい方は

ああそうなんだ。電波さんとかじゃないんだね。良かった。それだといつかは正しい道に
たどり着けるかもね。
59バウ ◆pyDQkkJ2 :02/08/24 20:25
前スレ 909さん、続きお願いします。引用しますね。

957 :バウ ◆pyDQkkJ2 :02/08/23 18:58
>>951 909さん、元阿含宗なんですね。こんな所でお会いするなんて
懐かしい感じがします。

909;
「一切皆空なら、何が挫折しようが、何が衰退しようが構わないはずなんだが。
ところが、*** その矛盾に気付かなかったです。」

バウ;
「一切皆空」と「一切皆無」を間違えておられるのではないですか?
「空」は「無」じゃないんですよ。因と縁(条件)の元で「有」なんです。
あなたが、その因と縁を持っている限り、その状態は永遠に続くのですよ。
未来永劫、何劫も、何百劫も続くのですよ。

958 :バウ ◆pyDQkkJ2 :02/08/23 19:00
>>951 909さん、途中で挫折(と言わせてください)した理由は、
法の力を信じずに、頭でっかちの行をしなかったですか?
一番大事な、法典勤行を毎日されましたでしょうか?

60バウ ◆pyDQkkJ2 :02/08/24 20:29
>>3 そうなんでしょうかね。三宝への帰依から入るのが順序だと
思うけどね。智慧を求める五根、五力の修行でも、信根がまず基本では。
61バウ ◆pyDQkkJ2 :02/08/24 20:33
>>11
ひろく諸方にストゥーパあれかし。
多くの人々は眼(まなこ)ある人(=ブッダ)を信じています。

多くの人々には当然仏弟子も含まれますよね。その人達はブッダを信じ、
ひろく諸方にストゥーパあれかし。と言っているわけです。

また諸部族も(今だと諸国民ですよね)「尊師の遺骨のためにストゥーパ
をつくり、また祭りを行った」。祭りと言うのは祭祀ですよね。遊びじゃない。
62名無しさん@1周年:02/08/24 20:34
( ´_ゝ`)
63:02/08/24 20:47
今日、例祭を見学してきたけど、何か呪文やお経を唱えて、因縁解脱したり、福徳がもらえたりするのかねえ。

お金払えば、先祖の霊障が解脱されるとか、導きを12人すると、勲章みたいなものがもらえるとか、変。

結構、若い女の人とかいるけど、知り合いになれるかな。
64バウ ◆pyDQkkJ2 :02/08/24 20:56
>>39 電波男さん
「悟りへの道として大まかに、見道、修道、正覚の三道に段階分けられる。
この見道とは理論的に四諦などが間違い無いものとして確信され、理性的に揺るがない段階のことで
ある。それが終わって初めて修道に進むことが出来るのである。」

これって仏道入門後ですよね。
じゃあ、「三法印、四法印の信解→入門→四諦などの見道、修道 →正覚」
こうなるのか、四諦の理解より先に「諸行無常、諸方無我、一切皆苦、涅槃寂静」
をマスターしてしまうわけね。?? 涅槃寂静をマスターしたら正覚だと思うけど。 
65バウ ◆pyDQkkJ2 :02/08/24 21:10
最後に、前スレ909さん、「一切皆空」と「一切皆無」を混同されていませんか。
とても気になります。もしお暇ならコメント下さい。

また888さん七科三十七道品法のご紹介ありがとうございました。私は下根の修
行者なので、三福道しか自分には関係ないと思ってしまって、ほとんど勉強してい
ませんでした。反省します。
また、スッタニパータが全面ほぼ道品法の表現と言うご指摘には驚きました。
また、そのつもりで読んでみます。でも、その前に道品法を勉強しないと分かりま
せんが。

>>49 名無しさんありがとうございました。私は真面目に文章を書いているつもり
なのにクソみそに罵られて嫌な思いでした。議論で相手を罵るというのはそういう
事なのですね。ちょっとホットしました。
66松田優作モード:02/08/24 22:02
>>>49 名無しさんありがとうございました。私は真面目に文章を書いているつもり(へぇ)
>なのにクソみそに罵られて嫌な思いでした。議論で相手を罵るというのはそういう
>事なのですね。ちょっとホットしました。

真面目な信者が捨て台詞吐くのかねぇ。
辛抱ねぇな、腹が痛てぇよ。
67阿呆陀羅經 ◆PuxvZ3xQ :02/08/24 22:51
「三福道」ってここから抽出したのか。短い経文なんで書き出してみましょう。
撓繹「含經三供養品第二十二
(2)佛在舍衛國祇樹給孤獨園。
爾時。世尊告阿難。有三善根。
不可窮盡。漸至涅槃界。云何為三。
所謂於如來所而種功コ。此善根不可窮盡。
於正法而種功コ。此善根不可窮盡。
於聖衆而種功コ。此善根不可窮盡。是謂。阿難。
此三善根不可窮盡。得至涅槃界。是故。阿難。
當求方便。獲此不可窮盡之福。如是。阿難。
當作是學。爾時。阿難聞佛所説。歡喜奉行
「三善根」になってるよ。これじゃ判らんわけだ。それに対告衆はアーナンダ
だし、在家向けとも書いてないぞ。「世間福」と「出世間福」ってどこにある?
在家向けの教法ならアーガマ・ニカーヤのなかに他にいくらでも山のように
ある。なんでまたこれを引っ張り出す必要がある。
68阿呆陀羅經 ◆PuxvZ3xQ :02/08/24 22:59
>>67
電波男さんかどなたかに正確な解説や訓読みをお願いしたいです。
69名無しさん@1周年:02/08/24 23:20
>>68 え! 阿呆陀羅經=電波男 じゃないの? そのつもりで読んでたんだけど。
二人ともCDーROMの漢訳四阿含持っているの?ああいうのって高いので、
その道の人しか持っていないと思ってた。
70阿呆陀羅經 ◆PuxvZ3xQ :02/08/24 23:25
私は電波男さんじゃありません。こんな阿呆を電波男さんに間違えるなんて
電波男さんに失礼です(汗)
漢訳四阿含ならhttp://www.jhoo.com/usindex.shtmlで読めます
71名無しさん@1周年:02/08/24 23:35
>>70 そんな事はないよ。電波男さんよりはずっと知性は上。
Q&Aで、ボケが電波さん突っ込みが阿呆陀羅經で、他のスレッドでも
二人三脚で「暗黙のお約束」でやっているのかと思ってた。

じゃあ、解説はせずに、電波さんの解説を待つ。
質問
1)「三善根」になってるよ?
2)それに対告衆はアーナンダだし、在家向けとも書いてないぞ。
3)「世間福」と「出世間福」ってどこにある?
4)在家向けの教法ならアーガマ・ニカーヤのなかに他にいくら
、でも山のようにある。なんでまたこれを引っ張り出す必要がある。

私は答えの用意はできてます。まだ書かないけど。


72阿呆陀羅經 ◆PuxvZ3xQ :02/08/24 23:45
>>71
>>そんな事はないよ。電波男さんよりはずっと知性は上
あなた、他スレでの電波男さんのご活躍をご存じないでしょ。哲学板の
三法印スレの一読をお勧めします。
73名無しさん@1周年:02/08/24 23:53
>>72 素人がその道の専門家に話を聞けば、そう思いこんでしまうんだよ。
あなただって、専門がおありでしょう? その分野でデムパ氏と議論すれば
きっと大人と子供だよ。
私だって「聞かなくても良いくだらねー質問に五分以内に答えるスレ」で選任
解答者?しているよ。自分の専門だと、ホント、素人って可愛い。
74名無しさん@1周年:02/08/24 23:55
阿含宗は素晴らしい。
最終最後の真実だ。
75名無しさん@1周年:02/08/25 00:02
1日100問くらい答えているけどさ、素人の質問って5000種類ぐらいの
バリエーションに限られるんだよね。おかげで、どんな質問が来ても
恐くない自信がついた。仕事にも大いに役立っている。でも、デムパ氏
みたいに、専門用語使ってごまかしたりはしないよ。相手に分かる単語
で、懇切丁寧に説明している。
「オマエはその単語の意味わかっているのか!ハクチ!!」とかは言わない。
専門家と素人では、(知識では)相手はハクチに決まっている。でも、知性
は一緒なんだよ。専門家の陥りやすい罠だよね。つい自分が賢いと思ってしまう。
76名無しさん@1周年:02/08/25 00:13
「三福道」、福を受ける三つの道・方法
一書には「三善根」・「三福業」とある。
77阿呆陀羅經 ◆PuxvZ3xQ :02/08/25 00:31
参考までに
「三善根」
『倶舎論』では「施・慈・慧」
瑜伽行派では「無貪・無瞋・無癡」
「三福業」
「布施・持戒・修習」
78名無しさん@1周年:02/08/25 00:33
>>76 普通、三善根というと「無貪・無瞋・無癡の三善根」。
そうだとこの場合は文脈に合わない。また、獲此不可窮盡之福とあり
獲此不可窮盡之善根とはなってない。だから「三福道」もしくは「三福業」。
道であり方法であるから「三福道」を選択したのかな。修行の結果とし
ては「善業を積む」なんだけど。
79阿呆陀羅經 ◆PuxvZ3xQ :02/08/25 00:42
>>78
問題はこの経文が阿含宗ドグマによってどのように歪曲されてるかという
ことです。
80阿呆陀羅經 ◆PuxvZ3xQ :02/08/25 00:45
>>78
パーリ文でこの経文に相応する箇所をご存知でしたらお教えください。
参考にさせて頂きます。
81阿呆陀羅經 ◆PuxvZ3xQ :02/08/25 00:57
三福業
一、施福業,布施也。 
二、平等福業,起平等之慈悲愛護之心也。 
三、思惟福業,思惟出世之要法也。 
出揶鼈「含經十二三寶品。
一施福業,施與貧窮之人,由施而獲世出世之福利,謂之施福業。 
二平等福業,以平等之慈悲心,愛護一切眾生,因而成世出世之福利,謂之平等福業。 
三思惟福業,以智慧思惟觀察出離之法,為出世福善之業,謂之思惟福業。 
見揶鼈「含經十二。 
  
82阿呆陀羅經 ◆PuxvZ3xQ :02/08/25 01:08
「三福道あり、窮尽(ぐじん)す可からずして、漸く涅槃界(ねはんがい)
に至る。云何(いかん)が三となすや。いわゆる如来の所(みもとに)於
いて功徳を種(う)う。この福窮尽(ぐじん)すべからず。
(省略)
須陀?(しゅだおん)より阿那含(あなごん)に至りて、五下分結断ず。
・・・・」
前スレに出てた桐山氏の著書の引用ですが、訓読も連結も無茶苦茶な気がし
ます。
83名無しさん@1周年:02/08/25 01:15
>>81 全然読めないてないようだから言うけど、

有三善根        三福道あり
不可窮盡、漸至涅槃界  涅槃界にいたる。
云何為三        その三つとは何
所謂於如來所而種功コ  如来の所で功徳を種える
於正法而種功コ。    正法において功徳を種える
於聖衆而種功コ。    聖宗において功徳を種える
此善根不可窮盡     この福窮尽すべからず

「涅槃界にいたる」と書いてあるんですよね。
84カツオ風味のふんどし:02/08/25 01:18
>81
ではアホダラきょうさん、解説を
漢文のままでは解りかねます。
どういう意味かも詳しくお願いします。
どこがどう阿含宗のドグマで歪曲されているか
説明ねがいます。
文献の出典がどうこうだけではしょうがないので・・・。
85888:02/08/25 01:19
>>83 も888です。
じゃあ、涅槃を得るための七科三十七道品法との兼ね合いは?
という事になります。末端信者が誤った事を書くといけませんので。

桐山靖雄著 末世成仏本尊経講義 平河出版社

みなさま、幸い明日は日曜日ですので書店で読んでみてください。合掌。
86カツオ風味のふんどし:02/08/25 01:21
文法がどうのこうの言うだけでは揚げ足取りだと
勘違いされますよ
きちんと解説しましょう
87888:02/08/25 01:22
有三善根        三福道(三善根)あり
漸至涅槃界       涅槃界にいたる
云何為三        その三つとは何
所謂於如來所而種功コ  如来の所で功徳を種える
於正法而種功コ     正法において功徳を種える
於聖衆而種功コ     聖宗において功徳を種える
此善根不可窮盡     この福(善根)窮尽すべからず

88阿呆陀羅經 ◆PuxvZ3xQ :02/08/25 01:24
>>888
『末世成仏本尊経』って、そんな経典製作しちゃったの?阿含宗って(笑)
89888:02/08/25 01:26
有三善根        三福道(三善根)あり
漸至涅槃界       漸く(ようやく)涅槃界にいたる
云何為三        その三つとは何
所謂          それは
於如來所而種功コ    如来の所で功徳を種える
於正法而種功コ     正法において功徳を種える
於聖衆而種功コ     聖宗において功徳を種える
此善根不可窮盡     この福(善根)窮尽すべからず




90888:02/08/25 01:28
>>88
どうして末世なのか、どうして本尊なのか、その説明がちゃんと
書いてあります。どうしてこの経が未来に向けた預言の経典なのか。
91阿呆陀羅經 ◆PuxvZ3xQ :02/08/25 01:28
>>89
国訳大蔵経にでもあたって見るか…。
92阿呆陀羅經 ◆PuxvZ3xQ :02/08/25 01:30
>>90
恐ろしや。ますますトンデモ全開ですな(笑)
93名無しさん@1周年:02/08/25 01:31
>88
本を読んでいないとこうなる
本の題名だろ、その意味については書いてある
もともとの経文の題名じゃはないよ。
まあ、話しそらさないで「ふんどしさん」に説明してやれば?
94阿呆陀羅經 ◆PuxvZ3xQ :02/08/25 01:35
>>86
疑問点は厳密に追求すべき。
95阿呆陀羅經 ◆PuxvZ3xQ :02/08/25 01:40
>>ふんどしさん
上記経典の記述を、仏舎利フェチや焚き火等々のトンデモドグマにどうやったら
連結できるんしょうねえ(笑)
96阿呆陀羅經 ◆PuxvZ3xQ :02/08/25 01:41
今宵は寝るとしましょう。
97なにいってんだか!:02/08/25 01:42
だから、文法じゃなくて仏法の疑問点を追求してんだろ
わざわざ漢文の経文までだしてきたんだからさあ
茶にごして期待をうらぎらないでほしいけどなあ〜。
98名無しさん@1周年:02/08/25 01:44
>96
寝るな!一晩かけて解説しておいてくれ!
明日の朝読むから。
99名無しさん@1周年:02/08/25 01:47
結局ごまかし当て逃げなんだよなぁ〜
護摩がどうたらこうたら
そんなんだったら、むずかしい経文出すひつようねーべな
いつものことだけど・・・
100阿呆陀羅經 ◆PuxvZ3xQ :02/08/25 01:48
>>98
寝る前に…。
解説するつもりで書き出したのではありません。疑問点を追求するための
いわば論題。>>67>>68をよく見るように(笑)
101ベロ ◆od7XM/js :02/08/25 03:26
スレ違いかもしれませんが、電波男さんや阿呆陀羅経さんにお聞きしたいのですが
現存する仏典で最古と考えられるものはどういうものなのでしょうか?僕も知識が
アヤフヤで、現代の仏教学の最先端の動向にも疎いので、是非とも教えて下さい。
「○○経」と言う様には特定できなくても、どの地域出土の、どれくらいの時代の、
誰の手によって編集されたかなど、なんとなくわかってるつもりになってますので
ここでしっかりと確認しておきたいと思ってます。
102名無しさん@1周年:02/08/25 10:28
有三善根        三福道(三善根)あり
漸至涅槃界       漸く(ようやく)涅槃界にいたる
云何為三        その三つとは何
所謂          それは
於如來所而種功コ    如来の所で功徳を種える
於正法而種功コ     正法において功徳を種える
於聖衆而種功コ     聖宗において功徳を種える
此善根不可窮盡     この福(善根)窮尽すべからず
103名無しさん@1周年:02/08/25 10:34
漢文とか解説とか言うほど難しいものでもないとおもけど。

三善根、三福業、三福道といわれるものがあって、
それを実行すると、徐々に涅槃界に至る事ができる。
その三つとは何ですか。
それは、
1.如来の所(みもと)で功徳を種(う)える
2.正法において功徳を種(う)える
3.聖衆において功徳を種(う)える
この福(善根、福業)=功徳恩恵は、計り尽くしがたいものである。




104名無しさん@1周年:02/08/25 10:40
アーナンダに告げているのは、経典ではアーナンダが弟子代表で質問し
仏陀がそれに答えると言う形式が多い。みんなのために易しい事柄に
ついてのQ&Aを組み立てる事も多い。
出家修行者が三福道を実行しても良いが、当時の出家は厳しい瞑想修行
を行っており、三福道の平易な修行は入門時点で済ませていた。従って
在家の信者への指導と思って良いであろう。
105名無しさん@1周年:02/08/25 10:44
では在家のままで、五欲を満たし(妻子、夫、子供を持ち、美味しいものを
食べ、経済活動や普通の生活をしながら)、涅槃界に至る事ができるので
あろうか? それはできるのであるが、根拠となるかなり長い経典が、上記
、末世成仏本尊経講義 という書物に掲載されている。
106名無しさん@1周年:02/08/25 10:49
つぎに、どこに世間、出世間福が得られると書いているか、とのご質問ですが、
まず経典の文言より前に、ゴータマブッダ、私達の時代では涅槃に入り真実の
如来様となられたのであるが、そのゴータマブッダは「応供の仏」である、
と言う事を思い出しましょう。「応供の仏」は私達の供養に答えて、世間・出世間
の殊勝の果報を与えてくださる存在なのです。供養のうち、最も大事なものは
お供えでもお菓子でもなく「こころ」だと言う事はみなさんご存知でしょう。
107名無しさん@1周年:02/08/25 10:58
つぎに経典の文言に入りますが、

漸至涅槃界;漸く(ようやく)涅槃界にいたる

三福道の実践で、涅槃界に至る事ができると書かれています。
涅槃界に至ると言う事はどういう事でしょうか。まず、三悪趣を離れる。
地獄・餓鬼・畜生の実生活や生命活動、心の状況から離れる事ができる。
これがまず、世間福です。地獄・餓鬼・畜生界をはなれ、人・天の生活
が送れるようになるのですから。福徳円満の長者と表現されています。
そして、徐々に五下分結断じ、四沙門果を得て、という出世間福を得る事
ができるのです。
108名無しさん@1周年:02/08/25 11:03
それでは、ここで、三福道と七科三十七道品法はどう違うのか、
三福道で涅槃界に至る事ができるのなら、七科三十七道品法は
要らないのではないか、と言う大きな疑問がわいてくると思います。

それについては詳しく、上記、末世成仏本尊経講義に書かれています。
109バウ ◆pyDQkkJ2 :02/08/25 11:07
>>108 名無しさん、ご解説ありがとうございました。
毎日読んでいるお経ですが、大切なものなのですね。

智慧を説く阿含仏教と慈悲を説く大乗仏教の接点が
ここにあったのですね。感激いたしました。
110名無しさん@1周年:02/08/25 13:22
途中ですみません。
スッタニパータには釈迦の10大弟子の名前がひとつも出てきませんが
みんな後世の創作ってことでしょうか。
111阿呆陀羅經 ◆PuxvZ3xQ :02/08/25 13:27
落第必至の迷訳になってしもうた(大汗)
電波男さんごめんなさい。

私はこのように聞いた。
あるときブッダはシュラーヴァスティー市のジェータ林、
孤独な人々に食を給する長者の園におられた。
世尊はアーナンダにいわれる。
「徐々にニルヴァーナに至るための、尽きることのない
三つの善い行いがある。その三つとは何か。
タターガタのところに功徳の種を植えること。
正しいダルマに功徳の種を植えること。
聖者たちの集いに功徳の種を植えること。
アーナンダよ、これらであるという。
アーナンダよ、これゆえにニルヴァーナに至ることを得る
尽きることのない三つの善い行いという方便を求めなさい。
アーナンダよ、このように尽きることのないさいわいを
得ることを学びなさい。」と
アーナンダは世尊の説かれたところを喜びうけいれた。

「三善根」はここでは漠然と説かれていますね。ここで「功徳」と説かれる
「三善根」がどのようなものであるかはっきりと記されておりませんが。
『増壱阿含経』にみられる「三善根」については>>81を参照してくださ
い。

まあ、「信解」も「帰依三宝」も不可能な阿含宗には「功徳」も「善根」も無
縁の事柄でありましょうけど。
「タターガタ」も「正しいダルマ」も「聖者の集い」も何もない、伏魔殿で
すからね(笑)
112阿呆陀羅經 ◆PuxvZ3xQ :02/08/25 13:36
>>101
ベロさん
私は只のトウシロウですので、ご質問にお答えすることはとてもできかねます。
実は私もベロさんと同じ疑問をずっと持っておりまして、いろいろ資料を渉猟
しているつもりなのですが、素人の悲しさで捗々しい答えが出ません。私も電
波男さんにそのあたりを一度ゆっくり伺いたいと思っているところです。
113阿呆陀羅經 ◆PuxvZ3xQ :02/08/25 14:05
>>104
上記の経典はアーナンダ一人が対告者です。サンガ向けと理解したほうが正
解ではないかと考えます。
>>105
在家のままでの到涅槃は、大衆部系の北道派がこれを認めていたようですが
主流とはなりえなかったようです。「悉皆成仏」を説くのは大乗諸派ですよ。
>>106
タターガタの供養については以下で。

「いかなる修行僧、尼僧、在俗信者、在俗信女でも、
理法にしたがって実践し、正しく実践して、
法にしたがって行っている者こそ、
修行完成者を敬い、重んじ、尊び、尊敬し、
最上の供養によって供養しているのである。
それ故に、ここで『われらは理法にしたがって実践し、
正しく実践して、法にしたがって行う者であることにしよう』
と。お前たちはこのように学ばねばならぬ。アーナンダよ。」
                  パーリ『大般涅槃経』
カルトに「理法」が存在するのでしょうかねえ(笑)
114阿呆陀羅經 ◆PuxvZ3xQ :02/08/25 14:12
>>107
外道説と仏教諸派の教理とオカルトとをごった煮にして出てきた灰汁を
有難がって帰依して拝んで供養しても、三善根はおろか三悪趣から這い
上がるのはとても不可能でしょう。

さて、所用でお出かけです。
115阿呆陀羅經 ◆PuxvZ3xQ :02/08/25 14:56
あまりにひどいので出かけそびれて改訳(恥)

私はこのように聞いた。
あるときブッダはシュラーヴァスティー市のジェータ林、
孤独な人々に食を給する長者の園におられた。
世尊はアーナンダにいわれる。
「徐々にニルヴァーナに至るための、尽きることのない
三つの善い行いがある。その三つとは何か。
タターガタのもとで尽きることのない
善い行いという功徳の種を植えること。
正しいダルマのもとで尽きることのない
善い行いという功徳の種を植えること。
聖者たちの集いのもとで尽きることのない
善い行いという功徳の種を植えること。
アーナンダよ、これらであるという。
アーナンダよ、これゆえにニルヴァーナに至ることを得る
尽きることのない三つの善い行いという方便を求めなさい。
アーナンダよ、このようにして尽きることのないさいわいを
得ることを学びなさい。」と。
アーナンダは世尊の説かれたところを喜びうけいれた。

これでもまだ納得できん(苦笑)
116阿呆陀羅經 ◆PuxvZ3xQ :02/08/25 15:15
もうずたぼろ(大汗)

私はこのように聞いた。
あるときブッダはシュラーヴァスティー市のジェータ林、
孤独な人々に食を給する長者の園におられた。
世尊はアーナンダにいわれる。
「徐々にニルヴァーナに至るための、三つの善い行い
があってそれは尽きることがない。その三つとは何か。
タターガタのもとで植えた善い行いという
種の功徳は尽きることがない。
正しいダルマのもとで植えた善い行いという
種の功徳は尽きることがない。
聖者たちの集いのもとで植えた善い行いという
種の功徳は尽きることがない。
アーナンダよ、これらであるという。
アーナンダよ、これようにニルヴァーナに至ることを得る
尽きることのない三つの善い行いという方便を求めなさい。
アーナンダよ、このようにして尽きることのないさいわいを
得ることを学びなさい。」と
アーナンダは世尊の説かれたところを喜びうけいれた。

勉強部屋に使って恐れ入ります m(_)m
117阿呆陀羅經 ◆PuxvZ3xQ :02/08/25 15:28
>>107
三福道なる新造語は教理的に成立するのかどうか非常に懐疑的です。
三十七菩提道品にせよ、それがブッダ時代の修行法であるかどうか
不明ですし、そうであるとしても阿含宗の比丘(?)が伝統に基づい
たきちんとした体系的修行を行なっているのか甚だ疑問です。具足
戒は機能しているのですか?
118888:02/08/25 15:40
>>117 阿呆陀羅經さん、賢劫経さんと改名されてはいかがでしょうか。

翻訳は >>111 が一番良いと思います。後のものは、ただ単に「功徳を種える」
と書かれているところに、無理やりに「善根」を入れてしまいましたね。
ちょっと無理があります。

それ以外に、一つ翻訳に疑義があります。

「これゆえにニルヴァーナに至ることを得る」

これだと、漸至涅槃ですね。原文は「漸至涅槃界」です。
「界」がついているのですね。その当たりを良くお読みになってください。            
119888:02/08/25 15:45
>>111 阿呆陀羅經さん、
「在家のままでの到涅槃は、大衆部系の北道派がこれを認めていたようですが
主流とはなりえなかったようです。「悉皆成仏」を説くのは大乗諸派ですよ。」

原文は「涅槃界」に至るとなっています。「涅槃」に至るとはなってません。
この経典は、在家のままの到涅槃を説いたものではありません。
「涅槃」に到るには七科三十七道品法の修行が必要なのです。
120阿呆陀羅經 ◆PuxvZ3xQ :02/08/25 15:50
>>888さん
所謂於如來所而種功コ。此善根不可窮盡。
於正法而種功コ。此善根不可窮盡。
於聖衆而種功コ。此善根不可窮盡。
原文の「此善根不可窮盡」の扱いに苦慮しましたねえ(苦笑)
「界」の有無については訳者によって解釈が違うもんで
敢えて単に「ニルヴァーナ」としました。
121阿呆陀羅經 ◆PuxvZ3xQ :02/08/25 15:53
>>888さん
では「涅槃」と「涅槃界」の違いは?
122888:02/08/25 15:58
>>108 名無しさん今日は。
「それでは、ここで、三福道と七科三十七道品法はどう違うのか、
三福道で涅槃界に至る事ができるのなら、七科三十七道品法は
要らないのではないか、と言う大きな疑問がわいてくると思います。」

そうですね、三福道では、五の下分結(あるいは三結)を断って、
四沙門果のうち、シュダオン、シダゴン果を得て、涅槃への道を歩み始める。
すなわち「涅槃界に至る」ですね。涅槃ではなく「界」がついている事に
ご注意下さい。シュダオンを別名、預流(よる、流れに預かる)と言いますが、
涅槃への流れに乗ると言う意味ですね。

そして、上品の修行者は、七科三十七道品法を修行して、五上分結を断つための
修行を行い、アナゴン、アラハン果を目指すのです。

「それについては詳しく、上記、末世成仏本尊経講義に書かれています。」
そうですよね。阿含宗を批判すると言いながら、書物の一つも読んでおられ
ないのには驚かされます。

123阿呆陀羅經 ◆PuxvZ3xQ :02/08/25 16:04
所依の阿含経典すら読まないでアーガマやニカーヤの内容について語ってるぞ。
阿含宗は(失笑)
124888:02/08/25 16:08
>>121 「末世成仏本尊経講義」を読んでいただけたら早いのです。私が説明すると
間違えそうで恐いのですが。

阿含宗では、五下分結(あるいは三結)を断じ、あるいは三結断じ二結薄らぎ、
シュダオン果(預流)、シダゴン果(一来)を得て、涅槃に至る流れに入る事を、
至涅槃界と解釈しています。
また、五下分結断じ、さらに五上分結(両方で)十結断じ、アナゴン、アラハン
に向かう事、最終的には十結断じアラハン(阿羅漢、如来)になる事を、涅槃を
得ると解釈していると思います。

一番最初の段階の、シュダオン果(預流、よる、流れに預(あず)かる)、の
段階に入ると、もう二度と三悪趣(地獄、餓鬼、畜生の世界)には戻らないとされています。
125888:02/08/25 16:14
>>123 宗祖は漢訳四阿含を読破しておられます。
信徒も、日本の仏教徒(僧侶も含めて)の中では、阿含経をよく読んでいるほうだと
思いますよ。阿含宗の出版物の中にもあなたが想像している以上にたくさんの経典が
引用されています。また阿含経の勉強会も盛んですし、ご法話、法座会、勉強会などで
多数の、阿含経典のプリントが配られています。これらは阿含宗出版物には載ってな
い分です。
また、平河出版からも、阿含経典の現代語訳が斯界の権威の翻訳により次々と出され
ています。
126888:02/08/25 16:16
>>124
「もう二度と三悪趣(地獄、餓鬼、畜生の世界)には戻らないとされています。」

だから、聖者の流れに入ってしまう、涅槃への流に乗ってしまう。従って、
流れに預かる、預流(よる)と呼ばれるのですね。

127阿呆陀羅經 ◆PuxvZ3xQ :02/08/25 16:21
>>124
そんなトンデモ本の記述を盲信する前に、ご自分で経典や論書あるいはまともな
啓蒙書を調査されたらいかがですか?
看板と内実のえらい違いが解明できますよ(笑)

それと北道派が認めたのは「在家者の阿羅漢果」でした。おわびして訂正いたしま
す。
128阿呆陀羅經 ◆PuxvZ3xQ :02/08/25 16:25
>>125
「阿含経をよく読んで」いてそのトンデモドグマですか?(失笑)
その出版された翻訳経典をあなたは精読されてますか?
129888:02/08/25 16:31
>>109 バウさん今日は。
「智慧を説く阿含仏教と慈悲を説く大乗仏教の接点が
ここにあったのですね。感激いたしました。」

その通りですよ。三福道(三善根、三福業と言っても同じ事ですが)、
「如来の所(みもと)、正法に於いて、聖衆於いて功徳を種える」だけで、
涅槃界に至る事ができる。これは一見「慈悲」による救いを説く大乗仏教
そのもののような気がします。しかし、よくよく考えれば、「正法、聖衆」
に於いてなんですよね。

聖衆はブッダの正法に於いて、七科三十七道品法を中心に智慧の修行をされ
ている聖衆でないとならないのです。

ここに阿含仏教の智慧の教えと、大乗仏教の慈悲による救いの接点があった
のです。阿含宗は阿含仏教と大乗仏教をあわせせ持った完全仏教なのですね。
130阿呆陀羅經 ◆PuxvZ3xQ :02/08/25 16:33
まともな研究者を起用した現代語訳四阿含の出版が遅々として進まない
のに、トンデモ本ばかり次々出す神経が解らん(苦笑)
131888:02/08/25 16:43
>>128 阿含宗の教えは、あなたが想像されているよりも何千倍も深いものです。

七科三十七道品法に七覚支法というものがありますが、そのうちの一つに、
「択法覚支(ちゃくほうかくし)」と言うのがあります。法を選んでいく修行ですね。
ブッダも各宗派に飛びこんでいって体当たりの修行をされた事は良くご存知だと思います。
風評や先入観にとらわれ、ちゃんと物事を学ばないと言うのは、択法覚支という修行法にも
反しますよ。
132電波男Ψ(`д´)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/25 17:06
>>131
>「択法覚支(ちゃくほうかくし)」と言うのがあります。法を選んでいく修行ですね。
>ブッダも各宗派に飛びこんでいって体当たりの修行をされた事は良くご存知だと思います。
>風評や先入観にとらわれ、ちゃんと物事を学ばないと言うのは、択法覚支という修行法にも
>反しますよ。

なるほど、あなたの理解は数千倍深いものだと確信しました。

>皆様へ
宗教板で哀れな阿含宗に対して少しはマシな対話が出来る人がいるという希望で
議論してきましたが、精神の破綻を来たした連中しか発言していない事が確信で
きました。

有限な人生の一時期をこんな下らない輩を相手に浪費せず有意義に生きましょう。
阿呆陀羅経たちからご質問いただいておりますが、こんな穢れたスレではなく、
まともな場所でお話しましょう。

尚、阿含宗への追及は実社会の方で引き続き行います。



133阿呆陀羅經 ◆PuxvZ3xQ :02/08/25 18:36
>>132
電波男さん
お恥ずかしいレスばかりして申し訳ありません。経典の和訳など素人がやるべ
きでないことまでやってしまい、慙愧にたえません。「ハクチ認定」を頂戴すべ
きですね。
私もそろそろ退け時かなと感じているところですが、カルト信者の精神の病理
構造が理解できただけでも収穫であったと思っております。
一度電波男さんの掲示板に参上して、いろいろとお話を伺いたいと思っており
ます。ご了承いただけますでしょうか?
134サンサーラ:02/08/25 19:41
>>133 ご議論興味深く読ませていただきました。
人間の心は奥深いものです。表面意識があり、潜在意識があり、深層意識がある。
脳にも表面意識をつかさどる大脳新皮質、原始的本能の場である大脳辺縁系、
そして「霊性の場」も存在します。宗教者にとっては、その霊性の場の開発が
必要なのです。あなた様は、大脳の新皮質だけで宗教を捉えようとしておられない
でしょうか?
135サンサーラ:02/08/25 19:49
>>132
これからは、ご自分とその取り巻き達の閉鎖サークルで、お山の大将になられる
わけですか。情けないですね。仮にも真言の法位を得ておきながら、あるいは宗
教学の専門家を標榜しながら、素人と議論さえできずに罵詈雑言ですか?宗教学
の路地裏にいくら詳しくても何の自慢にもなりません。路地に住んでいれば路地
の地理に詳しいのは当たり前。それよりも重要なのは包括的な思想体系でしょう。
136サンサーラ:02/08/25 19:55
>>131 最後に、ご自分自身の心理分析のために。

より効率よくより能率的にと言う、「欲望の強い」大脳新皮質の活動は、
神聖なものにあこがれ、自己の欲望さえ否定していく霊性の場の活動に対して、
激しく反発し、激しく牙をむくのだという事を理解されたほうが良いと思います。

霊性の場の活動なくして、宗教心の発露も理解もありえないのです。
137名無しさん@1周年:02/08/25 20:09
>>135 思想体系たって、七科三十七道品と三福道ばかりじゃないの?
138名無しさん@1周年:02/08/25 20:12
>>136 でも新皮質の話は面白かったよ。新皮質ってのは跪いたり、帰依したり
、拝んだりは嫌いみたいだね。新皮質ってタカピーなのか? いわゆる高僧で
高飛車なのがいるが、それじゃああれは新皮質高僧だね。(W
139阿呆陀羅經 ◆PuxvZ3xQ :02/08/25 21:38
置き土産に。
「あるいはまた、比丘たちよ、凡夫が如来をほめたたえて語りうるのは、つぎの
ようなことです。『ある尊敬すべき沙門・バラモンたちは、信者から施された
食べ物で生活しながら、たとえば、肢体の占い、前兆の占い、天変の占い、夢
の占い、身体的特徴の占い、ネズミの齧りあとの占い、火の献供、杓の献供、
籾殻の献供、糠の献供、米の献供、バター油の献供、油の献供、口の献供、血
の献供、肢体の呪術、宅地の呪術、王族の呪術、墓地の呪術、鬼霊の呪術、土
の呪術、蛇の呪術、毒の呪術、サソリの呪術、ネズミの呪術、鳥の呪術、烏の
呪術、寿命の呪術、矢の護呪、獣の輪といった、このような無益な呪術によっ
て邪な暮らしをしている。しかし沙門ゴータマは、そのような無益な呪術によ
る邪な暮らしから離れている』と。」
                    パーリ長部経典『梵網経』<大戒>
以下、阿含宗批判そのもののような記述が続きます(笑)
140阿呆陀羅經 ◆PuxvZ3xQ :02/08/25 21:51
>>134
総筋肉の脳味噌をカルトウィルスに犯されている阿含宗構成員に何を
説いても無駄でしょうな(失笑)
141バウ ◆pyDQkkJ2 :02/08/25 22:33
>>139 阿含宗で、誰かが「無益な呪術によって邪な暮らしをしている」と言う事は
ないですよ。そういう罵りことばを投げかける前にちゃんと勉強したほうが良いです。
桐山猊下は七科三十七道品法を完成したアルハトです。またそれがわからないと言う
ならば、世界でただ一人の外国人としての高位のラマ僧、ギュルミ・ドルジェ・ドウ・
ドゥル・ツェル、一切萬霊守護金剛です。そういう方の教えを学ばずにけなすのは
良くない事ですね。
142バウ ◆pyDQkkJ2 :02/08/25 22:34
>>140 蛇足ですが「総筋肉の脳味噌」って意味不明ですね。
143バウ ◆pyDQkkJ2 :02/08/25 22:38
>>136
サンサーラさん、はじめまして。
「大脳新皮質は霊性の場の活動に対して、激しく反発し、激しく牙をむく」

本当にその通りですね。驚きました。たぶん普段は知的で冷静な方たち
だろうに、汚い罵りことばを恥ずかしげもなく投げつけるのだから。
まあ、こういうアノニマスボードで良かったですよ。またよろしくお願いいたします。

しかし、ご本人もどうしてご自分がこんなに激しく反応するのか、
理解されてないのでしょうね。

144バウ ◆pyDQkkJ2 :02/08/25 22:40
>>141の訂正、

桐山猊下は七科三十七道品法の修行を完成したアルハトです。
145名無しさん@1周年:02/08/25 22:43
>しかし、ご本人もどうしてご自分がこんなに激しく反応するのか、
>理解されてないのでしょうね。
を理解されてないのでしょうね。
146電波男Ψ(`д´)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/25 22:51
>>113
阿呆陀羅経さん
いつでも現代思想掲示板においでください。あそこは阿含宗のようなドグマ全開無知蒙昧の
徒は参加できる雰囲気ではありません。あなたのように訳を試みるなり向上心のある方は大
歓迎です。間違った事を正されても「教祖はアラハトだから」などと精神科医なら即断できる
症状を露呈している人たちに近づかない方がいいようですね。私は主宰する「脱会カウンセリ
ング」で阿含宗を叩きつづけます。
147阿呆陀羅經 ◆PuxvZ3xQ :02/08/25 22:54
>>113
電波男さん
失礼ながらもうお邪魔してしまってます(汗)
148名無しさん@1周年:02/08/25 22:58
>139
そんなこと言ったら真言宗や天台宗、日蓮宗も、仏教とは
いえない、おどおどろしいカルトってことで
初詣などに行き護摩祈祷やら木剣加持を受ける人らはみんな
カルト信者ってことになるな、阿含宗だけの問題じゃなくなると
思いますけどいかがなもんでしょうか。
またこういったことでもって(加持祈祷)心の平安を得ている人も少なからず
いるのはどういう訳なんでしょうか?
149阿呆陀羅經 ◆PuxvZ3xQ :02/08/25 22:59
>>148
文句はブッダか経典編集者に言ってください。私は引用しただけ(笑)
ではさいなら〜
150名無しさん@1周年:02/08/25 23:02
>146
脱会カウセリングってこんな下品なことして脱会させるの?
TVでみたけど、電波氏のやり方じゃかえって信者は心を
閉じてしまい失敗してしまうでしょう。
電波氏の元へいくんだったら、まだ麻原のほうがいいな(笑)。
151名無しさん@1周年:02/08/25 23:06
148のような人々もいる理由で、脱会カウセリングに
なっていないってことが笑える。
だって、アゴンやめても真言宗行けばいいんだから・・・?
ああそれが狙いだったんだ!・・・失礼
カウセリングの問題点だね。
152名無しさん@1周年:02/08/25 23:08
>149
つまり、日本で仏教と称するものは
みんな偽物ってわけなんでしょう
よくわかりました
おげんきで〜。
153名無しさん@1周年:02/08/25 23:36
>139

また同じ話を書いていますね。
加持祈祷しているから、阿含宗もよそも同じだという。
正式な真言宗、天台宗、日蓮宗のどこの教義に、
因縁で他人を脅かしたり、霊障で人を脅かしているか、言ってごらんなさい。
自分たちは阿含経の釈迦の成仏法で祈祷しているなどと、
嘘を並べている教団があるのなら言ってごらんなさい。
同じ護摩を焚くのでも、
人を脅かすために焚いている護摩は阿含宗だけです。
天台宗や真言宗の正式の護摩で、霊障の仏を解脱するための護摩などない。
バラモン教から取り入れたにすぎない護摩を
釈迦仏教に基づいているなどという嘘を言っていない。
嘘デタラメを並べて、霊感商法をしているカルト宗教は阿含宗だけです。
154名無しさん@1周年:02/08/25 23:40
>152
引継ぎ業務連絡です。
以降、冷笑発現ショウを開始してください。
155名無しさん@1周年 :02/08/25 23:48
「阿含宗HPの詐欺性を世に問う 2000」より

みなさん阿含宗ってごぞんじですか。
そうです、あのオウム真理教の母体となった最悪の宗派です。
仏陀(ゴータマ・ブッダ、釈尊)と仏陀の教え(阿含経)をデタラメに曲解して
日本、そして世界に広めようとしているニセ仏教の教団です。
そのインチキに満ちたホームページをみながら、阿含宗が如何に酷い教団であるか
その実態を正しく暴きましょう。
http://www.agon.org/

この掲示板にはここ数ヶ月でいくつもの阿含宗関連のスレッドが立ちました。
その数々のスレッド上の議論を拝見させていただきましたが、
特定の1名乃至2名の狂信者達以外には阿含宗擁護に参加される方がないことを発見して、
たいへん嬉しく思っています。
また、その特定の狂信者達は、ある時は他の信者を装い、又ある時は他の人になりすますなど、
仏弟子としても,又人間としてもまるで誠実な方とは思えません。
またそのピントのずれた低レベルの批判は事実を歪曲したうえでの、ステレオタイプ化したものとなっております。
その事実歪曲の卑劣さは「教祖の経歴詐称、多数の犯罪歴、過去の詐欺的な活動,オウムとの深い関係等々」において
も、
社会的に既知となった事実さえ大きく捻じ曲げ,まるで常習詐欺師の口上そのものです。
信者を騙して餞別までとって刑務所に行くような最低の教祖を信じて
反社会的な凶悪犯罪を犯した多数の元直弟子達も今,次々に死刑の判決を受けています。
第2のオウム真理教を生まない為にも、全ての発端となった阿含宗の正体を明かにすべきでしょう。
これ以上犠牲者を出さない為にも。
合掌。

156名無しさん@1周年 :02/08/25 23:53
桐山氏はどこで真言宗の伝法潅頂を受けたのか

1970年 1月 初護摩にて「念力の護摩」を公開の場で焚く
11月 小田慈舟大僧正猊下より「如意宝珠法」の伝授を受け、
翌年1月より初護摩が如意宝珠法によって奉修される
1972年 〜 小田慈舟大僧正猊下より「金剛界法・胎蔵界法」の奥伝を伝授

突然ですが、以上阿含宗のHPからの抜粋です。
1970年は昭和45年、1972年は昭和47年ですね。
さてさて、桐ちゃんが天台宗僧籍取得の為に天台宗宗務庁に出した経歴書には、
「昭和35年2月 真言宗金剛院派得度加行
昭和35年   四度加行 学識灌頂 講義講式
昭和35年   伝法灌頂 」  とあります。
護国寺で行われた仁和寺の小田慈舟大僧正による金剛頂経講伝の際に提出した書類では、
「得度    昭和30年10月5日 戒師 北野恵宝師
伝法灌頂  昭和40年5月10日 北野恵宝師に従って」となっています。

昭和45年8月に護国寺で行われた仁和寺の小田慈舟大僧正による「金剛頂経講伝」では、
《「金剛界法・胎蔵界法」の奥伝を伝授》などという内容ではありませんでした。
また、時期も全然違いますね。1972年(昭和47年)ではありません。

なおかつ、桐ちゃんは講義途中で未入壇の疑いにより帰されています。
なにやら凄いストーリーですね。
「未入壇の疑い」つまり・・・・。とても言葉に出来ません。
157雪山女:02/08/25 23:55
ここが電波男さんのスレだという事で来ました。ちょっと雲行きがおかしい?
阿含経の勉強がしたいのですが。もしすれ違いなら教えてください。

「比丘たちよ、縁起とは何であろうか。比丘たちよ無明によって行がある。
行によって識がある。識によって名色がある。名色によって六処がある。
六処によって触がある。触によって受がある。受によって愛がある。愛によって
取がある。取によって有がある。有によって生がある。生によって老死・愁・
悲・苦・憂・悩が生ずる。かかるものが、すべての苦の集積のよって起こる
ところである。比丘たちよ。これを縁によって起るとはいうのである。」
158名無しさん@1周年 :02/08/25 23:56
いつ阿闍梨、大僧正になったのか (過去ログより)

かって私が例会で直接「グル桐山」から聞いた話。
当時は平河町の狭い建物だった。
いつものように護摩が終わり、最後に恒例の質問の時間がきた。
誰かが手を挙げた。
「管長先生は權大僧正でしたのに、先月から肩書きが大僧正に変わっていますが、
高野山からいつ授与されたのですか?」
彼は多分悪気はなかったのだろう。
いつもなら大体質問者は決まっていて筋書き通りに終えるのだが、この日は時間がたまたま
余ってしまった為、最後に用意していないフリーの信者が当たってしまった。

私が退会を決意したのはその3分後だった。

「先日、中外日報の記者が私のプロフィールを間違えて大僧正と新聞に書いてしまったんですよ。
どうしたものかと思いましたが、いい機会だから、仏様のプレゼントだと思い
そのまま大僧正を名乗ることにしたんです。」

一部で拍手が起こったものの、私の周りはかなりしらけていた。
ずっと引っ掛かっていた胡散臭さが一気に露見したようなものだ。

阿含宗では真言密教の行法を教えています。
真言密教の行法を教えるためには、真言宗の僧侶の資格がいります。
真言宗の僧侶、阿闍梨であるためには伝法潅頂を受けたはずです。
だが、それを授けた人はいません。
桐山さんは偽僧侶です。
159名無しさん@1周年 :02/08/25 23:58
いつ阿闍梨、大僧正になったのか(続き)

伝法灌頂の嘘。
昭和43年8月 天台宗僧籍取得の為に天台宗宗務局に出した履歴書では
得度   昭和35年2月
四度加行 昭和35年
伝法灌頂 昭和41年。
昭和45年8月 小田猊下の「金剛頂経」講習会受講に際して提出した履歴書には
得度   昭和30年10月
四度加行 無記
伝法灌頂 昭和40年5月

つまりなにひとつ受けていないことがわかります。
本当に受けていたら正しい履歴が書ける筈です。
いずれにしても小田猊下からは伝法灌頂は受けていません。
なぜならば昭和50年6月の例祭で、小田猊下の講習会に「戸籍名」で参加したと言い,また
「これで阿闍梨になったわけです」と言っています。
真言宗の基本的なシステムすら知らないとはお笑いです。
そのへんの小坊主以下ですね。
それに得度すら受けていないから「戸籍名」で参加だそうです。(激爆々々〜〜〜!!)

さらに偽坊主がばれて講習会開始前に追い出されたとは、ホント落語みたいな話だったのです。
160名無しさん@1周年 :02/08/26 00:00
いつ阿闍梨、大僧正になったのか(続き)

伝法灌頂の嘘−2。
昭和43年8月 天台宗僧籍取得の為に天台宗宗務局に出した履歴書では
生年月日 大正10年4月20日

昭和45年8月 小田猊下の「金剛頂経」講習会受講に際して提出した履歴書には
生年月日 大正10年1月5日

自己申告の書類で自分自身の生年月日を偽った事実は有名な話。
つまりHPの経歴を信じる方がおめでたいということ。

HPより。
>1970年11月 小田慈舟大僧正より広島県の御自坊・城福寺にて
>「如意宝珠法」を伝授される。1972年-1973年小田慈舟大僧正
>より、京都道場にて、「金剛界法・胎蔵界法」の奥伝を伝授される

これらも全て事実無根。
これまでの自己申告による経歴話(例祭・履歴等)では講習会は1970年の事。
ただしこれは伝法灌頂の類ではなく,単なる「講習会」。

1970年11月の話も嘘八百。
さらに小田猊下は京都道場になど行っていません。これも嘘。

いつものことながら反論されなくなってからの嘘八百言いたい放題。
当時の信者が殆どいないのをいい事に経歴の書き換えをはじめた桐山は
ついでに生年月日も新しくしたらいい。(3回目だね)
161名無しさん@1周年 :02/08/26 00:03
阿含経も読まずに阿含宗をたてる

「阿含経」についての認識

更に云えば、桐山氏が「阿含宗」を立宗したとき、「阿含経」を読んでいなかったのは
明らかです。「阿含経」についての認識も満足では無かったことも、『阿含密教いま』
13頁から16頁までの文と、『原初経典 阿含経』67頁から70頁を読み比べれば明白です。

一部引用しておきます。
『原初経典 阿含経』より
「第三には相応部経典であって(中略)そこには七千七百六十二経があつめられておる」
次ぎに
『阿含密教いま』から
「第三には相応部経典で(中略)そこにはなんと七千七百六十二経がかぞえられます」
パーリ語相応部では二千八百七十五経。漢訳雑阿含では千三百六十二経と云うのが
妥当な数値です。大正新修大蔵経では通し番号がふられ、1362で終了しているのですが、
読んでいれば、当然、その番号が経の数を表していることを知っている筈です。

経典も読まないで、都合の良い処を盗んでいるのが「一目瞭然」の「立宗の書」なのです。

162雪山女:02/08/26 00:05
では、比丘たちよ。老死とは何であろうか。生きとし生けるものが、老い衰え、
朽ちやぶれ、髪しろく、皺生じて、齢かたむき、諸根やつれたる。これを老
というのである。また、生きとし生けるものが、命おわり、息絶え、身躯やぶれて、
死して遺骸となり、棄てられたる、これを死というのである。かくのごとく、
この老いと死とを、比丘たちよ、老死というのである。
163雪山女:02/08/26 00:10
(もう、コピペは良いよ。お話できないじゃない。)

もういちど。

阿含経の勉強がしたいのですが。

「比丘たちよ、縁起とは何であろうか。比丘たちよ無明によって行がある。
行によって識がある。識によって名色がある。名色によって六処がある。
六処によって触がある。触によって受がある。受によって愛がある。愛によって
取がある。取によって有がある。有によって生がある。生によって老死・愁・
悲・苦・憂・悩が生ずる。かかるものが、すべての苦の集積のよって起こる
ところである。比丘たちよ。これを縁によって起るとはいうのである。」

164雪山女:02/08/26 00:10
では、比丘たちよ。老死とは何であろうか。生きとし生けるものが、老い衰え、
朽ちやぶれ、髪しろく、皺生じて、齢かたむき、諸根やつれたる。これを老
というのである。また、生きとし生けるものが、命おわり、息絶え、身躯やぶれて、
死して遺骸となり、棄てられたる、これを死というのである。かくのごとく、
この老いと死とを、比丘たちよ、老死というのである。

165名無しさん@1周年 :02/08/26 00:11
桐山家系譜の嘘

『人は輪廻転生するか』154頁〜160頁を引用
わたしの母方の祖父は、武士であった。
信州某藩の剣術指南番の家柄に生まれ、若い頃、三年間、江戸に留学して神田お玉ケ
池の千葉周作の門に入り、免許皆伝となった。かなりの腕であったようだ。
鳥羽源一郎といい、のち、浪人して桐山家に入り、桐山姓となった。
この祖父が、明治維新に際し、勤王佐幕の争いで、二人の家中を斬った。
殿様の命による上意討ちであった。
祖父は二百五十石の上士で、佐幕派であった。 (中略)
何回か出撃して、全部で十八人斬った。
そのうち、じっさいに祖父が手をかけたのは、二人だったという。 (自賛が続くので中略)
しばらくして、藩論が急変して、勤王派が天下をとった。勤王派のクーデターが成
功したわけで、そうなると、殿様などというものは、いいかげんなもので、今度は、
祖父たちが佐幕派の上意討ちの対象となった。
(中略)
この桐山家のその後の状況を見てみよう。 (引用終わり)


(過去ログより転載)
嘘である。信州十一藩に、このような事実は無い。
1995年の夏休みの2ヶ月、信州を回り、歴史博物館や、各図書館、郷土史家を訪ねて
伺ったが、「そのような事実はありません」と一笑に付されてしまいました。
「そのような事実があれば、斬られた家中のご遺族も、何らかを伝えている筈でしょうが
聞いたことはありませんし、その記録も、各藩史にも残っていません」との事でした。
166名無しさん@1周年 :02/08/26 00:13
桐山家系譜の嘘(続き)

(引用)
わたくしは、若い頃から運命学を学んで、自分に「刑獄の因縁」のあることを知っていた。
(中略)
わたくしの場合もそうであった。気がついたら、酒税法違反という罪名で起訴されていた。
わたくしが、もっと素直に、そして冷静に行動していたら、罰金だけか、悪くいっても、
執行猶予はついていたであろう。
(引用終わり)

桐山氏は『キリンビール』という、偽ブランドのビールを造っていたのです。
起訴されたのは、「酒税法違反」「私文書偽造」「詐欺罪」で実刑を受けています。
罪の重いのは残りの2つですが、それには一切触れていません。
確かに、「酒税法違反」だけなら『罰金か執行猶予』かも知れませんが、3つもでは
『冷静に行動して』していても、露見すれば実刑でしょう。
今ならば、「商標権の侵害」でしょうか。つまり、得意の「パクリ」です。
その教訓も活かせず、相変わらす「パクリ」を続けているのは先祖の悪い遺伝子なのでしょうか。
彼の得意とする「ソンディ博士の理論」のいうところの
「子孫の無意識の意識のなかに抑圧されている特定の祖先の欲求」
とは、このことでしょうかね

167雪山女:02/08/26 00:13
質問;
阿含経典を読むまでは、十二支縁起はもっと抽象的なものだと
思っていたのですが、この様に具体的なものだったのでしょうか。
168名無しさん@1周年 :02/08/26 00:16
桐山家系譜の嘘(続き)
(転載)
信州某藩の件で問い合わせた(阿含宗・広報)ら、
「管長が霊視されたと、言われているのだから・・・」
との答えでしたが、有りもしないことを「霊覗」出来るのでしょうか?

>べつに一宗たててもいいじゃん。
>新興宗教なんだから、伝統宗教の一つだというなら
>問題だとおもうが。 (信者側の書き込み・過去ログより)

一宗をたててもかまいませんよ。
他の宗派を「偽の経典に基づいて立てられた」等と言わなければ。
自分は「パクリ」で阿含宗を作りながら、他の宗派を非難する根性が情けないし、
嘘を垂れ流して「金儲け」に奔走する姿があさましいと申し上げているのです。

阿含経に基づく「戒律」には、出家修行者は「金銭に触れても、蓄えてもいけない」
と説かれています。「嘘をついてはいけない」「与えられないモノを盗んではいけない」
と云うことも。
169雪山女:02/08/26 00:16
また、比丘たちよ、生とは何であろうか。生きとし生けるものが、生まれて、
身体の各部あらわれ、手足そのところを得たる、比丘たちよ、これを生と
いうのである。
170名無しさん@1周年 :02/08/26 00:17
阿含宗と阿含経

もともと阿含経は仏教の初期経典であり、
仏陀滅後に最初に編纂された仏典に近いものだといわれています。
ところが現在の阿含宗は護摩を焚くなどきわめて密教的な色彩が強くでています。
密教というのは仏教の歴史ではかなり遅く成立した者です。
護摩を焚くだの真言を唱えるなど、そんなことは全く阿含経になど書いていません。

仏典の阿含経と、いわゆる阿含宗とは何の関係もありません。
すこし仏教の歴史を知っている者ならば常識の範囲です。
阿含宗は、密教の影響を受けた新興宗教のひとつです。

171雪山女:02/08/26 00:20
(とりあえず、入力して後でまとめますね。コピーの連続すごいね。)

また、比丘たちよ、有(存在)とは何であろうか。比丘たちよ、それには三つの
存在がある。欲界すなわち欲望の世界における存在と、色界すなわち物質の世界に
おける存在と、無色界すなわち抽象の世界における存在である。比丘たちよ、
これを有というのである。
172名無しさん@1周年 :02/08/26 00:24
桐山と阿含宗の犯罪歴抜粋
「犯罪歴について」
<転載>
「偽ビール事件」は昭和28年8/17の毎日、朝日新聞の夕刊に載っています。
桐山氏(本名/堤真寿雄)32才の時です。
昭和35年、桐山氏39才の時、習志野刑務所に約1年間、服役しました。
控訴したために刑(酒税法違反・私文書偽造の罪)が確定するまで、時間がかかりました。
「求聞持聡明法秘伝」(平河出版)の中で桐山氏は27才の時に酒税法違反で1年間、
刑獄の人となったと書いていますが、ウソをついた理由は、
若気のあやまちと言いたいことと、
昭和29年、33才の時に横浜で観音慈恵会をはじめていたからです。
刑務所に入るとき、信者にはご霊示により修業に出るとウソをついていました。
(当時の機関紙「慈恵」より)
いまだに同じ様な手口のサギををやってると、思いませんか?
また、彼は17〜20代初めまで結核で自殺を考えるほど苦しんだ、と言ったり、
書いたりしていますが、「霊障を解く」には18、9才の学生の頃、
山登りが好きでロッククライミングをやっていた。
夏休みには軽井沢に行って勉強していたと書いてあります。
彼のデタラメと見えっ張りな性格がモロに出ていて笑えます。
173名無しさん@1周年 :02/08/26 00:24
桐山と阿含宗の犯罪歴抜粋
<転載>
ニセビールの前年、昭和27年8/26 詐欺、契約違反で西新井署に、
同年12/2手形詐欺で千葉県松戸署に逮捕されていますが具体的な内容は不明です。
上記の情報は元信者 広野隆憲さんの著書「阿含密教の研究・桐山密教の内実」
東方出版1992年初版にのっています。
(桐山氏の経歴がかなり詳しく書いてあるコッテリした告発本です。)

昭和60年5/4 朝日新聞に「6700万円所得隠し」
当時、阿含宗全体の経理を担当していた関西総本部が国税局に摘発されています。
ちなみに責任者の和田尚子事務長は桐山氏の愛人といわれている人で、
現在は関西総本部のトップになっています。
阿含宗の関連企業の代表、役員はすべて桐山氏の身内です
174雪山女:02/08/26 00:25
比丘たちよ、また、取(取著しゅじゃく)とは何であろうか。比丘たちよ、それに
は四つの取著がある。欲にたいする取著、見(けん)にたいする取著、戒(戒禁)
にたいする取著、我にたいする取著がそれである。比丘たちよ、これを取というの
である。
175名無しさん@1周年 :02/08/26 00:26
桐山と阿含宗の犯罪歴抜粋
<転載>
昭和62年1/20神奈川新聞、朝日新聞に「密教食は違反食品」
無許可の漢方薬品を混合した「密教食」を600〜635円で仕入れ3000〜4500円で
信者に7億円売りさばく。光和食品社長(当時)桐山靖雄ら7人が神奈川県警と横浜港南署に
薬事法違反で書類送検される。

平成3年12/20 朝日新聞(朝刊)に「米州長官に現金」
勲章好きの桐山氏がアメリカの警察署長協会に寄付をしてメダルかなんかを貰ったお礼に
役員夫妻5名を日本に招待し土産として現金各々40万〜160万を贈ったものです。
一行のリーダー、バージニア州サザード公安長官はお金は返したのに辞表を出したそうです。
可哀相に・・・
176雪山女:02/08/26 00:31
>>163 からです、よろしくお願いします。順逆に考えてみたいのです。
レポートも書かないと逝けないし。でも、ここじゃ無理みたいね。
いちおう明日また来ます。
177バウ ◆pyDQkkJ2 :02/08/26 00:38
>>176

雪女さん、十二支縁起の考察ですね。仏教の基本。
三法印より具体的かもしれませんね。
178バウ ◆pyDQkkJ2 :02/08/26 00:43
しかし、真言大アジャリの称号、やったやらないのと大変だね。
電波さんに言わせれば、真言大アジャリなんて掃いて棄てるほどいて
ばかばかしいから返上した、なんて言っているのにね。
桐山管長に対してだけ厳密なんだね。

だから阿含宗ホームページで、一々伝法その他の写真を見せているんだね。
プロパガンダで「嘘も百回言えば真実になる」とヒットラーが言った
とか言わないとか。でもHPの写真見れば一目瞭然。
179名無しさん@1周年:02/08/26 00:47
チペット密教の歴史1200年。その歴史上ではじめてのチベット人以外の
ラマであらせられて、ニンマ派仏教大学の名誉教授。
涅槃を成就した阿羅漢であって、その名は一切萬霊守護金剛。
180名無しさん@1周年:02/08/26 00:48
チペット→チベット
181名無しさん@1周年:02/08/26 01:04
犯罪歴は法衣でも隠せない。
182名無しさん@1周年:02/08/26 01:51
経典とかは知らんけども・・・

阿含宗ってHP見た限りだと如何なものかと思うけど。。
そこらの新興宗教と変わらん気がするねぇ。

つーかご本尊に真正仏舎利云々・・・
解脱のためのカリキュラム云々・・・
護摩が云々・・・(これには激しく笑ったが)

いつお釈迦さんが護摩焚いたんだよと小一時間(以下略
183名無しさん@1周年:02/08/26 08:01
>護摩を焚くだの真言を唱えるなど、そんなことは全く阿含経になど書いていません。

そんなことは当たり前。
ただ釈迦の時代は出家をしてかつ相当な修行をしなければ悟れなかった。
猊下は現代社会の在家でも解脱できるように阿含経を基本として後世の先端的技術を加味して
独特なカリキュラムを確立したわけ。つまり我々凡夫の為に敢えて巷の愚かな誤解を省みず
阿含宗を立ち上げ、仏陀の法を伝授しているんだよ。
つまり人類全体にとって、ノーベル賞以上の功績があるのは明白。
184電波男Ψ(`д´)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/26 09:13
灌頂を受けているかどうかなど、取るに足らないこと。伝統教団は自らの怠惰と
堕落をカルト追及という事で清算してしまうつもりもあったのでしょう。

元々、灌頂とは如来から直接受けるものであって、教団の秘法や伝統がその手法
を継承し、権限を与えられているわけではありません。

しかし、そのことと阿含宗の宗教としての正否は別のことです。阿含経が釈尊
直説の経典だとか大衆部が大乗の流だとか出鱈目、嘘八百をまだに喧伝し、仏教
の正統(伝統ではない事に注意)であることを自認していますが、大きな間違い
です。
185電波男Ψ(`д´)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/26 09:22
大日如来をたてる密教において、その正当性を主張するのに如来直伝を前面に出す
必要があった。それが灌頂の流の始まりだと考えますが、そのことは逆に当時の
伝統教団の堕落、腐敗が背景にあったと推測できます。伝統の中で権威付け、他の
ものを認めないという狭い了見があるところに仏教の命は失われていきます。

天台円頓戒もそのような権威である授戒に反発して登場しましたが、今度は自身が
その伝統に取って代わってしまうのです。三法印を心に刻み、四諦を観察し、苦の
來源とその展開を思惟し、止悪を体現するのであれば、それで立派な仏教者です。
186電波男Ψ(`д´)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/26 09:23
でも阿含宗は違う。
187雪山女:02/08/26 09:41
>>177 バウさん、コメントありがとうございました。
雪女ではなく、雪山童子からとった雪山女(せっせんじょ)です。
よろしくお願いします。十二支縁起のレポートは、まだ一文字も
書けてません(波だ)。最悪そのまま写して出そうかな。
文章著者は増谷さんという方です。図書館で見つけたんだけど。
188909:02/08/26 09:49
>バウさん

土日は仕事が忙しかったので....。

>「一切皆空」と「一切皆無」

「一切皆空」でよろしいのですよ。それだけでも自分という存在が「実体のないもの」
であることが理解できる。「雪山女」さんの引用箇所を順にお読みになってください。
最後に得られる結論とは、今の自分という存在は、仮の存在にすぎないのだという
事実です。その「仮の自我」が因縁に苦しみ、病気や貧苦や人間関係に喘いでいる。
その地獄から這い出ようとして、念仏唱えたり、座禅を組んだり、仏舎利を拝んだり
するのもまた「仮の自我」です。

死んだ後、体は分解して食物の根を潤し、水分は天に帰って雲に姿を変える。こうして
万物に形を変えながら流転していく。だから、自分という存在はかりそめとも言えるが、
永遠であるとも言える。「仮の自我」に執着して、いつまでもそのままで居ようとする
から「死」の苦しみが現れます。自分もまた、万物の一部として、素直に流転を続ける
ことを受け入れるならば、「苦」は去ります。それが仏教の教えです。

念仏や座禅は、「仮の自我」を消し去るための方便です。「仮の自我」が消えるとき、
念仏も座禅もやむ。最後には方便すら消えてしまうのですから、方便の形は何でも
よいのです。問題は、果たして阿含宗の教義がそれに叶った方便になっているかどう
かですが、私は非常に否定的です。
189888:02/08/26 10:02
>>187 雪山女さんはじめまして。難しいテーマですね。
私自身も十二因縁はもっと抽象的なものかと思ってました。
仏陀は人間の存在に即して語っておられるのですね。
また、勉強してみます。
190909:02/08/26 10:05
道元は、仏道修行で最も大切なのは、作務(食事の準備、草むしりや庭掃除
などの雑務)であることを、若い頃に留学先に学び、最も初心者を対象とす
る教えとされた阿含経を重視した人です。

私は、個人的には道元の法孫である、大愚良寛に仏教の究極の姿を見ます。
雨が降れば庵の中で暮らし、雨が上がれば桜を愛でに出かける。過去に対する
一切の後悔はなく、未来に対する一切の期待もない。東風が吹けば西へ流れて
いき、北からの雨には南の堂に雨やどりする。

そこには、数字を並べたり、仏法を分類するなどの戯論は一切なく、あるのは
仮の自我を捨てきって、一切の執着から解放された自由人の姿のみです。
191888:02/08/26 10:26
スレッドのまとめ

A.阿含仏教(おもに漢訳四阿含を典拠とする仏教)

1.七科三十七道品法を中心とした(主に)出家者ための仏教。上座部仏教の萌芽。
2.三福道(三福業、三善根)を中心とした(主に)在家の為の教え。大乗仏教の萌芽。
3.スッタニパータで語られている「火の祭祀は祭祀の中で最高のものである」。
  これは経典を通して伝えられてないバラモン時代からの祭祀。密教的なものの萌芽。
4.釈迦が荼毘に付されるや否や始まる仏塔信仰。仏陀在世は禁止された概念が、荼毘に
  付されたその日から始まるわけも無い。仏陀在世からの約束事。在世仏教は仏舎利信仰
  が中心である事の証。

* 三福道(三福業、三善根)とは、真の如来のみもと、正法において、聖衆において、
功徳を種える事である。真の如来とは「ゴータマ・ブッダ」。正法とは七科三十七道品法
を中心とした阿含仏教。聖衆とは七科三十七道品法を中心とした教えを守り、実践し、
達成している聖人達とその仲間。
192888:02/08/26 10:27
B.変質した大乗仏教

三福道(三福業、三善根)とは、真の如来のみもと、正法において、聖衆において、
功徳を種える事である。その三福道を実践する在家の集まりが大乗仏教の萌芽だと考えられる。

真の如来→創作した仏
正法→作られた仏をたたえる経典
聖衆→その仏と経典の周りに群がる僧侶まがい
193888:02/08/26 10:33
三福道に関する阿含宗の立場。

如来;真正仏舎利のおみたまを、ゴータマブッダのおみたまとする。
   その根拠としては、さまざまな奇蹟、奇瑞があるが、一般の人(大脳新皮質)
   は、それ(奇蹟、奇瑞)を嫌う場合も多い。
正法;七科三十七道品法を中心とする仏陀の教え。典拠としては漢訳四阿含などの
   アーガマ文献群。
聖衆;七科三十七道品法を中心とする仏陀の教えを守り、実践し、成就する
   聖人の集まりとその仲間達。
194888:02/08/26 10:38
現在の日本の大乗仏教へのアンチテーゼ。

真の如来→創作した仏⇔真の仏陀(ゴータマ・ブッダ)を捜し求めよ。

正法→作られた仏をたたえる経典⇔真の仏陀(ゴータマ・ブッダ)の教えを捜せ。
                それは阿含経典群の中に有るのではないか。
                特に成仏法。すなわち七科三十七道品法。


聖衆→その仏と経典の周りに群がる僧侶まがい⇔七科三十七道品法を中心とした成仏法を
                      実践している僧侶達。


195888:02/08/26 10:41
>>194 のように考えると、それは、日本大乗の仏教行事に群がる僧侶まがい
の人達にはとても容認できる事ではないかもしれません。なかなか厳しい道
ですものね。

でも、少数の方々は、激しい、厳しい修行をされているんですよね。
どうせ修行をするのなら、仏陀の教えの通りの実り有る修行のほうがよいと
思うのですが。
(これは在家のものが修行者に言えることでは有りませでした。お許し下さい。)
196888:02/08/26 10:45
>>190 909さんはじめまして。
「こころ」はどうなんでしょうねえ。
>体は分解して食物の根を潤し、水分は天に帰って雲に姿を変える。
「こころ」はどこへ行くのでしょうか?
197888:02/08/26 10:50
>>190 座禅によって安心(あんじん)を与えられるわけですね。
分類すると慈悲の仏教なのでしょうか。 (分類ばかりで済みません)。
198888:02/08/26 10:51
>>191 訂正、在世仏教→在家仏教
199888:02/08/26 10:57
正法;七科三十七道品法を中心とする仏陀の教え。典拠としては漢訳四阿含などの
   アーガマ文献群。

これは、電波男さんの言われるように、超初期の大乗仏教文献が混ざっても、何ら
差し支えないと思います。大乗仏教は、仏陀が荼毘に付された時点で、その日から、
スタートするのです。むしろ、仏陀在世の頃からあったといってよいでしょう。
もちろん、変質する前の、真の大乗(在家)仏教ですが。

まあ、大乗という用語が「自称、尊称」ですから、語彙的には問題があると思いま
すが。

(その当たりをお突きになって、ハクチ認定かもね。)
200名無しさん@1周年:02/08/26 11:09
>>190
そういう人は、もはや人間ではありませんね。
社会に存在する事も出来ないでしょうね。
201888:02/08/26 11:13
>>200 またそんな霍乱業務(サボタージュ)を。
202名無しさん@1周年:02/08/26 11:14
つづき。
社会から逃れたい、とか 社会生活が嫌だという人はそうなればいいですね。
変な言い方をすると、世捨て人という感じがします。
ホームレスの方たちの中には、
そのお坊さんと同じ境地になっている人もいるのではないですかね。
203888:02/08/26 11:16
>>202 スレッド読みにくくなるからやめてね。
自分のスレッドがいくつもあるんでしょ?
204200:02/08/26 11:20
私のは、200と、202だけ。
205909:02/08/26 11:24
>>196

「こころ」もまた、仮の存在なのです。盤珪禅師が、在家の信者達を相手に、わかり
やすく説いています。ある人が「自分は生まれつき怒りっぽいから、三毒からは
離れられない」と言ったのに対して、「その怒る心というのは、寝ても醒めても
いつもあるものか」という疑問から初めて、「怒る心」も自分が勝手に作り出した
ものにすぎない、と説明しています。同様に、「心を安んずることができない」と
訴える弟子に対し、達磨大師は「心という実体があるなら目の前に出してみよ」と
迫っています。

「こころ」という実体が「無」という意味ではなく、やはり「空」で、因縁に従って
移り変わっているのです。私自身は、仏の「こころ」という状態、からりと晴れ渡って
何も妨げるものがないような心象風景が実在すると思っています。「自他不二」、
「一切平等」の境地は、凡夫のわれわれには想像し切れませんが、それに近づいていく
ことは可能と思います。それこそが仏教修行なのではないでしょうか。
206名無しさん@1周年:02/08/26 11:24
>179 チペット密教の歴史1200年。その歴史上ではじめてのチベット人以外の
>ラマであらせられて、ニンマ派仏教大学の名誉教授。
>・1988年:チベット仏教ニンマ派「金剛阿闍梨法冠授与灌頂」
 これは阿含宗の公式見解なのでしょうか?
だとしたら、大変な勘違いをされているようです。
チベット仏教各宗派において、チベット人以外のラマはたくさんおられます。
また、チベ研のペマ所長から直接うかがった所では、ニンマの阿闍梨灌頂を
授けたのではなく、あくまでも「法冠授与」式であるとの事でした。
つまり金剛阿闍梨の法冠を与えただけで、位を与えたわけではない。
たんなるプレゼントです。また、名前を授けるのはサービスで良く行われます。
裏話ですが、この式典の主僧をされたニンマの大ラマは、当日の朝まで出席を
拒んでいたそうです。「あんな、不浄な所には行きたくない。」と言って。
最終的には、左右の腕をつかまれ、引き立てられるように連れて行かれたとか。
「ダライ・ラマ法王猊下の命令」には逆らえなかったようです。
207電波男Ψ(`д´)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/26 11:27
大乗仏教が在家仏教だとするのは大きな間違いですよ。
208909:02/08/26 11:33
>>200さん

社会活動から一切身を引かねば、「成仏」できない、というのは小乗仏教だ
と私は考えています。まだ「救われるべき、自我」が残っているからです。
断食大会で優勝できれば、世界一うまい物が食える、と断食に励むようなもの
です。

良寛さんは、実生活では落ちぶれ果てて、乞食生活をせざるをえなかった。
裕福な身分のままで良寛さんが悟りを得たかどうか、私にもわかりませんが、
悟りを開けば「貧富」、「欲と無欲」の差ですら意味を失うのです。「富」
を求めるのが煩悩なら、それを嫌うものまた煩悩です。富むときには富、
貧のときには貧となって、過去にも未来にもいらぬ心の痕跡を残さないのが
「成仏」だと思います。それなら、「成仏」してもサラリーマンはやり続け
られるし、21世紀の仏教はそうあるべきだと思います。
209888:02/08/26 11:37
>>207 たぶんそうおっしゃるだろうと思ってたのですが、
そこの所を詳しくご解説下さい。
210888:02/08/26 11:38
>>206 ご自分のスレッドで遊んでてください。5つぐらい阿含宗関係スレッド
持っているでしょう?
211名無しさん@1周年:02/08/26 11:39
社会生活、サラリーマン、
考えてみてください。
悟りとはまったく反対の生き方じゃないですか。
212211:02/08/26 11:43
211=200です。
213名無しさん@1周年:02/08/26 11:43
>>211 
東伝仏教
・1983年:チベット仏教ニンマ派僧位・法号「一切万霊守護金剛」を拝受
・1988年:チベット仏教ニンマ派「金剛阿闍梨法冠授与灌頂」の式典挙行
・1993年:チベット仏教サキャ・ツァル派より、金剛界・胎蔵界両部の伝法灌頂
法脈継承の歩み(「阿含宗の歩み」から抜粋) [ 写真でご紹介 ]


1991年 4月 チベットのニンマ派仏教大学名誉学長・客員教授就任

214211:02/08/26 11:45
?????
215名無しさん@1周年:02/08/26 11:48
>>214 誤爆? あらしさんがいるのでHMつけてね。という私も名無しさん。
216909:02/08/26 11:51
>>211

>悟りとはまったく反対の生き方じゃないですか。

そうですか? 具体的にはどうことでしょう?
217電波男Ψ(`д´)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/26 11:53
別スレッド参照してください。嫌というほど解説していますからね。
在家仏教運動として大乗仏教興起と考えるのは否定されて久しいですよ。

1 仏教内部における成仏の系譜と非成仏の系譜
2 部派仏教内部における大乗仏教
3 大乗仏教の中における非成仏の系譜
4 現存阿含経典における大乗思想の混入(有部を中心として)

などなど。私の修士論文でそこれらを考察しましたが、最近では盗用されまくりです。
218211:02/08/26 12:04
例えば、サラリーマンは、必ず利益を追求する人たちですね。
219888:02/08/26 12:06
>>217 さん「成仏と非成仏」とはどういうことですか。
これも、お返事は「別スレみて下さい」かな?
220909:02/08/26 12:14
>>218

そうです。人間は肉体を保持するために、食を取らねばなりません。当然、
対価を要求されるから、利益を追求するのです。

「金の受け渡し」自体には三毒はありません。1万円貰ったら正当報酬だが、
百万円なら貪りになる、というわけではありません。同じ1万円でも、素直
に受け取れば問題ありませんが、「あいつは日頃怠けているくせに、給料は
自分と同じだ。こんなのは不公平だ。」と不満の心で受け取れば、貪りの心
を生み出します。

サラリーマンは、「会社のために」利益を追求しますが、同時に「自分の
ため、自分の家族のため」でもあり、また「社会のため」でもあるのです。
本来に「善悪」がないものを、「サラリーマンの利益追求は悪だ」と決め
つけることこそが煩悩なのです。どのようなものにも必ず二面性があって、
詳しく知れば知るほど、「完全に悪だ」などと切り捨てることができないこと
がわかります。
221電波男Ψ(`д´)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/26 12:16
>>219
別スレ見なくとも、えらそうにスレッドを纏めているのならそんな事常識でしょ?
222211:02/08/26 12:17
>>220
利益を考える事は、煩悩ですね。
223888:02/08/26 12:20
>>221 この宗教掲示板に来たのがはじめてなもので、
別スレッドとおっしゃられても、どこを見て良いことやら。
224909:02/08/26 12:32
>>222

私は、そうとは限らないと思います。水を飲もうと考えるのは、水を飲んだ
ら喉の渇きがおさまるとか、そういう利益を考えるわけだから、それが煩悩
だとすれば、仏教修行者はたちまち干からびて死んでしまいます。

サラリーマンの例で言えば、働いている間中、給料のことを考え続ける人
などいないと思いますよ。たいていは、仕事に没頭している。問題は給料日
で、明細を見た途端に「安すぎる」と不満の心を起こす。働いているときには
煩悩の心が起こらないが、金の受け渡しの時に「危ない橋を渡る」ことになる
んじゃないでしょうか。

いい意味、悪い意味含めて、実際の仕事に没頭しているときというのは、
煩悩がわかないと思います。むしろ、頭の中であれこれ悪巧みを思い巡ら
したり、思い通りにならないものをクヨクヨ考えたりする時があぶない。
銀行ギャングだって、銀行で活躍中に煩悩なんて出す余裕などないで
しょう。後で余裕が出来ると、たちまち煩悩を出して、仲間割れです。
225909:02/08/26 12:47
これは私見なんですが。
いわゆる肉体の欲求を満たすことは煩悩ではないと思っているのです。
肉体の欲求は、満たされればやみますから、あまり中毒性はないのです。
女色は煩悩の代表みたいに言われますが、肉体的には限度があります。
後宮に美女が三千人、なんて言っても、皇帝ひとりが毎日相手にしていた
わけじゃない。三千人位ないと、いくら美女でも飽きてしまう、ないし、
皇帝なんだから三千人の美女を独占して当然だ、という発想が後宮を生み
出したのです。つまり、これは「こころ」の貪りの現れです。

二匹の犬にふたつの餌を投げ与える場合、独立にひとつずつ与えれば、平和
に胃袋を満たすことができますが、一遍に与えると、恐らく喧嘩になる。
胃袋二つに対して、餌二つで、二匹の腹のヘリ具合だって変わらないのです
から、喧嘩を引き起こした貪りは「こころ」が生み出したものということに
なります。

肉体的な欲望は、煩悩の引き金になることはあっても、煩悩そのものでは
ありません。
226211:02/08/26 12:48
銀行ギャングは、煩悩が行動に出たものでしょう
利益についていえば、やはり、給料がもっと欲しいとか、
出世したいとか、いうような、煩悩が行動に出たものです。
227909:02/08/26 14:04
>>226

銀行ギャングが、最初に煩悩を出して計画を練ったのは確かだけど、計画通りに
実行する場面では、煩悩とは直接関係ないですよ。仮に人を刺し殺したとしても、
「無我夢中で刺した」ので、煩悩は働いていません。一種の自己防衛本能が働いた
だけです。

極論になりますが、家畜の屠殺を職業とする人の場合、殺す瞬間に殺意などない
でしょう。機械的に---ギロチンが落ちて首をはねるように処理するのです。この
場合、煩悩が行動に出ているとは言い難い。
228888:02/08/26 14:54
>>217 電波男さん、別スレッドはさがしようも無いので、できれば
ここで教えてください。しかし、話は最後まで擦れ違いで終わるか
もしれません。なぜなら、「出家、在家の定義」があなたと私では違
う見たいなのです。私はすべての私的持ち物(仏陀が許可した以外の
もの、あるいは妻子、夫子供、親族)や住家や社会的地位を捨てて、
仏陀の教法にしたがったものを「出家」だと思っていました。

「在家仏教運動として大乗仏教興起と考えるのは否定されて久しいですよ。」

大乗仏教の定義として、仏陀釈尊の教えを否定して(小乗と貶めて)、自らを
大乗と自称した、仏教概念を使った新たな教義を中心とする教え。その主体は
僧侶、出家と自称する在家の経典読み、経典語り。および在家信徒。
その萌芽として、(仏教としては)、仏陀の教えの三福道、仏舎利信仰などが、
利用されているかもしれない。もちろんさまざまな仏教的教説も利用されている。
その成り立ちは、「スレッドのまとめ」に書いた通りである。

これが私の素朴かつ未熟な見解なのですが、現代の仏教学の見地から訂正して
いただけませんでしょうか。
229888:02/08/26 14:56
>>217 電波男さん、例えばあなたは、出家であられたと思われているかもしれませんが、
私は、あなたは一貫して在家であったと判断しています。(これもご訂正下さい。)
230名無しさん@1周年:02/08/26 14:59
そもそも阿含宗に戒律守った出家はいるのかい?
231888:02/08/26 15:04
>>217 電波男さん。

1 仏教内部における成仏の系譜と非成仏の系譜
どう言うことなのでしょうか、簡単に。阿含仏教の時代を過ぎると、
すっかり非成仏の時代になってしまったと言うことでしょうか?
それは、七科三十七道品法を捨てたのだから当然だとも思いますが。

2 部派仏教内部における大乗仏教
部派仏教内に、上記>>228のような、仏陀の教えを否定する「大乗」仏教が
芽生えていたと言うことでしょうか?もちろん、釈迦在世のおりにも、結集の
きっかけになったとされている
「お釈迦様がお亡くなりになって、これで我々は開放された」という考えも
有ったわけですが。

3 大乗仏教の中における非成仏の系譜
当然だと思うのですが、大乗仏教には成仏の系譜は無いのですね。

4 現存阿含経典における大乗思想の混入(有部を中心として)

大乗思想の定義が分からないのですが、釈迦在世の頃から、あるいは、
亡くなられるや否や、大乗的思想は展開していたわけで、当然混入はみられる
でしょうね。

私は「良い意味の大乗仏教」もあると思うのですが。今回は仏陀の教法の否定
という否定的な意味で。

232電波男Ψ(`д´)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/26 15:12
>>228
>大乗仏教の定義として、仏陀釈尊の教えを否定して(小乗と貶めて)、自らを
>大乗と自称した、仏教概念を使った新たな教義を中心とする教え。

いいえ、大乗仏教は現存の大乗経典ですべてを推し量る事は出来ません。後に成立
した大乗経典では特殊性も出てきますが、「大乗非常仏説」は経典に対するもので
はなく、誰もが成仏できるとする考えへの批判です。

世親を例にしますが、彼は「修行すれば誰もが成仏できる」とする釈尊の本来の
思想に立ち返り、阿含経典を引用し駆使して主張します。それに対して長老派たちは
成仏できるのは釈尊一仏であり、我々は涅槃に至っても釈尊と同じ仏にはなれないと
言います。その2つの流は部派仏教誕生当初から始まっており、成仏の系譜と非成仏
の系譜として私が命名しました。その2つの流が変形して後の大乗に混入するのです。
つまり五性客別説と一乗説としてね。
233888:02/08/26 15:12
>>230 出家の戒律が、仏陀の時代と違うのは当然だと思いますが、
厳しい修行生活を送られ、信徒からは尊敬されています。現代に
おいて、衣鉢だけを持ち、野山にすみ、蓄えるのは塩だけと言うことは
ないと思いますが。衣類物品にしたってコインショップですべてが
そろう時代です。何宗であっても、仏陀の時代の生活を送る必要はない
と思いますよ。

何人か、出家の方々を、出家前から存じ上げていますが、その生活観は
やはり常人ではなかったですね。普通の物欲や怠惰性を持つ人間は阿含宗
では出家は無理です。厳し過ぎます。
234電波男Ψ(`д´)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/26 15:14
部派仏教誕生の時代から悉皆成仏を主張する大乗の流とそれを否定する流があって、
大乗は釈尊の本義を伝えようとする人たちの集まりのことです。
235電波男Ψ(`д´)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/26 15:19
>>888
>それは、七科三十七道品法を捨てたのだから当然だとも思いますが。

これは大きな間違いです。殆どの大乗経典の冒頭部に記されています。
「ごーこんごーりきしちぼーだいぶん、はっしょうどうーーーーーー」とか耳タコ
ですよ。それを成じた聖者たちを形容する文脈でね。
236名無しさん@1周年:02/08/26 15:23
>230
そもそも得度していないということは、戒律を受けていないと言うこと。
従って、出家ではないし僧侶でもない。完全なニセ坊主。
僧侶でない集団に、戒律を守っているかと聞くだけヤボというもの。
某会のように在家だけの集団と考えれば、無茶な教義も頷ける。
つまりは、シロウトがシロウトを騙す新興宗教そのものと言うこと。
237電波男Ψ(`д´)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/26 15:23
>>888
バウさんも最初は議論が成立しそうだったのですが、次第にドグマに陥り、
双方向の対話化不可能になりました。あなたもその護教タイプですか?

キチント対話が成立するのであれば、お話は続行しましょう。バウさんと
同じなら、これで打ち切りにしましょう。
238電波男Ψ(`д´)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/26 15:27
先ほど述べた「大乗」には先入観を完全に排除しないと理解し難いのかもしれません。

1 大乗経典すべて、あるいはそれらに大乗精神がすべて表されているとするのは間違い
2 大乗とは成仏の系譜であり、すべてが彼岸に赴く事の出来る大きな乗り物
3 少なくとも世親在世当時では上記1,2が大乗の定義であり
4 所依の経典(引用経典)の殆ど99%アーガマであり、明らかな大乗経典は解深密経のみである

これらを念頭に入れてください。
239名無しさん@1周年:02/08/26 15:34
>>236
法脈継承の歩み(「阿含宗の歩み」から抜粋) [ 写真でご紹介 ]
はじめに 仏教の三つの流れ(北伝仏教・南伝仏教・東伝仏教)
東伝仏教
・1983年:チベット仏教ニンマ派僧位・法号「一切万霊守護金剛」を拝受
・1988年:チベット仏教ニンマ派「金剛阿闍梨法冠授与灌頂」の式典挙行
・1993年:チベット仏教サキャ・ツァル派より、金剛界・胎蔵界両部の伝法灌頂
南伝仏教
・1992年:スリランカ仏教シャム派より、名誉大僧正の僧位を授受
・1994年:ミャンマー仏教界最高の僧位・法号を授受
北伝仏教
・1972年:小田慈舟大僧正猊下より「金剛界法・胎蔵界法」の奥伝を伝授
・1970年:小田慈舟大僧正猊下より「如意宝珠法」の伝授を受ける


これだけの法脈があれば十分ではないですか。とやかく言われる方も有
るので、すべて写真付きです。

240名無しさん@1周年:02/08/26 15:39
南伝の具足戒を受けたのかい?
それ守って暮らしてるのかい?
桐山センセーって
241名無しさん@1周年:02/08/26 15:46
>>240 じゃあね、いつまでも自分のスレッドで遊んでいてね。
桐山管長の生活は厳しいものですよ。

あなたの本日の瞑想の課題。
「桐山管長猊下のあの厳しい日程を自分でこなしてみる」。喝!!
242名無しさん@1周年:02/08/26 15:46
http://www2.big.or.jp/~yba/asia/kairitu.html
さて桐山センセーはこの中のいくつを守れてるでしょうか?(w
243電波男Ψ(`д´)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/26 17:17
>>232
× 大乗非常仏説
○ 大乗非仏説
244バウ ◆pyDQkkJ2 :02/08/26 18:27
>>225 909さん、座禅をされているんですね。阿含宗でも瞑想は大事だ
といわれます。
禅と言うのはどういうのでしょうか。その際に特定のテーマとかは有るのでしょうか?
245バウ ◆pyDQkkJ2 :02/08/26 18:45
>>237 電波男さんこんにちは。ドグマに陥っているバウです。
でも阿含宗徒で信仰しているんだから、ドグマに陥っていると言われるのはつらいなあ。
ちゃんとドグマを理解してドグマに入っているより、知らずにドグマに陥っている方がきついかもね。
「日本人らしく普通に暮らせ!」とかが一番強いドグマだったりして。

>>233 888さんこんにちは、ご議論楽しみにしています。止まっちゃったのかな?

阿含宗徒を「折伏」するのだったら、いったん全人格をどっぷり阿含宗的思考法に
漬けてから、それで、「ここはこうじゃないの?」とか言っていただきたいですよね。
246バウ ◆pyDQkkJ2 :02/08/26 18:46
阿含宗徒を「折伏」するのだったら、いったん全人格をどっぷり阿含宗的思考法に
漬けてから、それで、「ここはこうじゃないの?」とか言っていただきたいですよね。

↑ これは電波男さんに。電波さんこそ自分のドグマ押し付けているくせにね。
247電波男Ψ(`д´)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/26 18:47
>>バウさん。
ドグマの意味わかってる?(憐憫笑
248バウ ◆pyDQkkJ2 :02/08/26 18:50
>>247 ドグマ大使、お元気?
249909:02/08/26 18:51
>>244

一度も師家についたことはなくて、まあ、野狐禅なんですけどね(^^)
一般的には、公案(くあん)と言って、「隻手の音を聴け(両手を叩くと
パチンと鳴るが、片手のみの場合はどんな音がするか)」とか、いわゆる
禅問答についてずっと考え続けるという流派(臨済宗)が主流で、それより
もやや少数ですが、道元さんが始めた日本曹洞宗というのがあります。曹洞宗
では公案はなく、ただひたすら座れ(只管打坐)と教えます。

私見ですが、どちらも「仮の自分」との我慢比べであり、「仮の自分」が壊れ
るまで自分を追い込むというのがポイントのようです。これは、真言宗でも、
天台宗でも、日蓮宗でも同じです。過酷な行を通じて、自分を壊すのです。
250バウ ◆pyDQkkJ2 :02/08/26 18:55
>>247 冗談はさておいて。他人に対して「ドクマに陥っている」とか
「マインドコントロールされている」とか言う方は、
「標準の考え方」とか「標準の無!教条(主義)」が有り得ると思っているんだよね。

そう言う意味では、あさはか。
251909:02/08/26 19:06
>>バウさん

前にも書きましたが、私は阿含宗に籍を置いて修行していました。もう20年近く
昔のことですが。各地で映画会をやるために、風邪ひいて熱があっても無理に
チラシ配りをやっていました。

今では、すべて桐山氏に騙された、無駄なことで青春を棒に振ったものだ、と自虐
的な苦笑いをしていますが、自分を壊す訓練として、それはそれで立派な仏道修行
だったと思っているのです。問題は、その動機なんですよね。自分の成仏や開運の
ためか、それとも釈迦直説の仏法を世の中を救うためだったのか。前者なら、詐欺
に合ったと目くじら立てるのでしょうが、後者なら、あまり腹も立たないのじゃな
いでしょうか。犠牲にした青春の期間は、釈迦の教えである「一切皆空」を身に
つけるために役立ったわけですから。

変な話ですが、桐山氏が本当に詐欺師だったとしても、それを知らずに献金した人
がすべて死後は極楽へ行き、桐山氏ひとりが地獄へ落ちるということもありえると
思うのです。一念三千、極楽も地獄も「心のもち次第ひとつ」なわけですから。
成仏法と呼ばれるものが、「仮の自我」を壊す方便である以上、それは何だってよい
のです。理想的には、釈迦の教えの原点に戻るのが一番いいのですが。
252バウ ◆pyDQkkJ2 :02/08/26 19:06
>>249
「ただひたすら座れ(只管打坐)」ですか。

一番つらいですね。私も今瞑想をしているのですが「テーマ」瞑想(自己流)です。
阿含宗の正式のは呼吸法も入るのですが、呼吸法もけっこうきついです。まあ、怠け
たらだめなんですけど。、、「勤行がある意味瞑想ですから」、、と言うのは言い訳。
頑張ってくださいね。
253バウ ◆pyDQkkJ2 :02/08/26 19:13
>>251 909さん、そこが不思議なんですが、私は一度も騙されたなんて
思ったことがないんですよ。出費も献金とは思ってないしね。会費は、あれだけの
施設を自由に、相談等に仕えるんだからとても安いと思うし。解脱供養料も
たのお坊さんに比べてもとても妥当だと思う。

たぶん、解脱供養の効果が、1回1回チャンと認識できるからだと思うんだけど。

元の質問に返りますが、ちゃんと1年、2年、3年と勤行はされましたか?
254909:02/08/26 19:27
>>253

ええ。千座行は完了して、赤房ももらいましたよ。伝法会だって、欠かさず参加
しました。もちろん、大柴燈護摩のご奉仕だって、皆勤賞です。支部活動では、
世話役の取り巻き連のひとりとして、運営に当たっていました。護摩木勧進は、
三千本やったことがあります。ほとんど自腹で、資金は回収できませんでしたが。

>会費は、あれだけの施設を自由に、相談等に仕えるんだからとても安いと思うし。
>解脱供養料もたのお坊さんに比べてもとても妥当だと思う。

サービス商品としてみたら、そういうことになるでしょうね。しかし、『密教・超能力
の秘密』などで、神秘世界を見極めたいと考えて入行してきた若者達には、私も含めて
満足の行く内容ではなかったのです。とことん深入りしないと、正体というのはなかなか
見えてこないものです。阿含宗に距離を置いているお陰で、信じ切れるバウさんはかえって
私よりもラッキーかも(半分は皮肉、もう半分は本音です)。
255バウ ◆pyDQkkJ2 :02/08/26 19:42
>>254 赤房ねえ。それじゃあ大先輩ですね。うちの母が「お護摩で赤房のお袈裟
落とした。もう貰えない」と嘆いていました。
そこまで行った方がどうしてなんでしょうね。阿含宗流に言うと中途挫折の因縁が
強いのでしょうか?
256バウ ◆pyDQkkJ2 :02/08/26 19:48
>>254
「『密教・超能力の秘密』などで、神秘世界を見極めたいと考えて」

超能力はほしいと思ったことはないです。普通に暮らせれば良いです。

でも霊障で家中苦しみぬいていたし。特に夕暮れから夜が辛いんですよね。
あの辛さがなくなっただけでも幸せです。解脱供養の様子は霊感が強いのか
「手に取るように」ではないのですが、おおむねわかります。

「哲学は死の練習」「瞑想も死の練習?」とか言いますが、霊障も有る意味
死の練習ですね。筆舌に尽くし難いくらい辛いです。
257909:02/08/26 19:53
>>255

>阿含宗流に言うと中途挫折の因縁が強いのでしょうか?

相変わらずですね(^^)。 最初は、密教占星術から、次に教学面で、次々に
桐山氏の嘘がばれたからですよ。熱心な修行者は、阿含経を全巻揃えて、
「どこにも霊障解脱のことが書いていない」ことを確認して、早々にやめて
いった。私も数年間はバウさんのように「中途挫折の因縁が出た」なんて
呑気なことを言ってたのですが、実際に自分が矛盾にぶつかったときは、非常
に苦しんだし、やめるときにも勇気がいりました。やめた後は、因縁返しとの
闘い、何でも身に降りかかる不幸を因縁返しにする「カルト依存症」との闘い
が数年続きました。

教団を離れることができた今は、阿含宗という巧妙に作り上げられた巨大な
蟻地獄の構造が一目にして見渡せます。
258バウ ◆pyDQkkJ2 :02/08/26 20:10
>>257
>「どこにも霊障解脱のことが書いていない」

最近の御著書には、チベット密教の招霊法?の事が書かれていましたね。
ああいう霊的な世界の事は、バラモン時代から阿含時代への引継ぎで、ごく当然の事
として記載されてなかったのかもしれませんよね。ご自分たちのことを「真のバラモン」
と呼ばれていたくらいですから。
また、密教的考え方と言うのが当時からあって、そういう事は「弟子相伝」だったの
かもしれませんね。

私は解脱供養に関しては、実感が先なので、文献は否定的には読めないです。
例え全巻目を皿にして、そういう記載がなかったとしても「漏れている」と思うだけ。

「すべてをご存知の仏陀が、これほどの事実を知らなかったわけがない」。
このように、まず思ってしまいます。
259バウ ◆pyDQkkJ2 :02/08/26 20:13
>>257 「一つの真理を知れば今日死んでも良い」と言う言葉が経典にあります。

私は「空の概念」を教えていただいた。それだけで十分感謝しています。その上
解脱供養までしていただいて。

そう思うのですが。
260909:02/08/26 20:13
どんなものにも「表裏」があり、教団という組織を維持するには「裏」の運用が
不可欠です。それでも「表」の部分で精神的に安らぎを得られる人がいるのなら、
存在価値があると思います。

どこまで「裏」を認めるかについては、個人差があります。潔癖な人なら、道元の
ように一切の「裏」を否定するでしょうし、宗教である以上、「我慢できないもの
は我慢できない」のです。私の場合も、桐山氏の嘘が許容範囲を越えるレベルに
なったので、素直にやめたのです。そして、二度と戻る気はありません。

バウさんのように、他の教団よりも格安で供養をしてくれる寺として付き合い、
供養のお陰で辛いのがいくぶんでも楽になったのなら、阿含宗は愛想もサービス
も行き届いた「よい」お寺です。しかし、釈迦直説の仏法を真面目に学び、仏道
を歩もうとする求道者には、全く無縁の場であることを申し添えて、この辺で
カキコを終了します。
261バウ ◆pyDQkkJ2 :02/08/26 20:18
「釈迦直説の仏法」

阿含宗では、七科三十七道品法と三福道がその真髄と教えておりますが。
曹洞禅、道元禅師はどのように? 
またお暇なときによろしくお願い致します。

909さんのお幸せをお祈り致します。
262バウ ◆pyDQkkJ2 :02/08/26 20:20
最後に「つらいのがいくぶんでも楽」ではなく、「人生がすっかり変わるほど楽に」でした。
263909:02/08/26 20:22
行き違いになってしまったので、少し追加カキコします。

>ああいう霊的な世界の事は、バラモン時代から阿含時代への引継ぎで、
>ごく当然の事として記載されてなかったのかもしれませんよね。

過去の桐山氏の著書に、神道の「鎮魂帰神」法について述べているものが
ありますね。私もそれなりに勉強してみたのですが、招霊法なるものは、
インドやチベットへなど行かなくても、日本により完璧な形で伝承されて
いるのです。元は古事記に記載されていたものを、平田篤胤が行法の形に
復活させました。詳しくは類書に解説を譲りますが、招霊においては、必ず
霊の正体を見抜く「沙庭(さにわ)」と呼ばれる試験をやらねばなりません。
先祖霊と名乗る場合の多くは、いわゆる邪霊のお芝居にすぎないからです。
これは、大正年間に欧米で行なわれた心霊研究でも確認されていることです。
邪霊は自分の正体を必ず偽る。有名人か、もしくは憑いた本人の先祖になりすま
す、というのが常識です。
264あごーん:02/08/26 20:29
 
265909:02/08/26 20:30
(続き)

私自身に霊視能力があるわけではないので、具体的に○○の邪霊の仕業だ、
などとはわかりませんが、阿含宗の解脱供養のように、あまり頻繁に先祖の
不成仏霊が出て来るようなら、ちょっと眉唾ものと思います。

>阿含宗では、七科三十七道品法と三福道がその真髄と教えておりますが。
>曹洞禅、道元禅師はどのように?

ひとことで言えば「只今、ここ、自分」に徹するということです。過去や未来、
どこか他の場所で起こっていること、他人のこと、これらを一切排除して、「今」
に集中して生きれば、煩悩など起こらないということです。簡単そうで、なかなか
深い悟りの内容だと思います。

>909さんのお幸せをお祈り致します。

バウさんを真の仏道へ導くよう、仏様のご加護がありますように。 
266名無しさん@1周年:02/08/26 20:30
>258
>「すべてをご存知の仏陀が、これほどの事実を知らなかったわけがない」。
>このように、まず思ってしまいます。

自分一人で何を思いこもうが自由。
自分が体験したことを仏陀が知らなかったはずはない、などと、
何を一人で悦に入っているものやら。
まるで、バウさんの体験が崇高で、すばらしく、
従って、釈尊も体験したはずだと言っているように聞こえます。
その身の程知らずの自己陶酔的な表現には吐き気がする。
「漏れている」だと?
よくそんなアホウな話が言えるものだ。
釈尊を利用して、自分の妄想や思いこみの激しさを
正当化するのはおやめなさい。
まるで自分の心の病のひどさを正当化するために、
釈尊を利用しているように聞こえます。
よー痴信者とそっくりですね。
どこの教団でも、奇跡としか思えないような現証はある。
どこの新興宗教の機関誌でも、
その種の霊的な奇跡談は山のように御利益話として載っています。
霊障の話を釈尊を使って正当化しようしても無理。
阿含経のどこを探しても、霊障もなければ、霊障解脱もない。
267名無しさん@1周年:02/08/26 20:53
猊下・・・ハイテクでは無くローテクです。『智慧』の宗教が長時間掛けてこの有様です。
論破に時間掛け過ぎです。痛いです。痛過ぎです。何卒お得意の奇跡を!
 ̄ ̄ ̄V ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
   ∧_∧ 
  ( ´∀`)
  (    )
  | | |
  (__)_)

268名無しさん@1周年:02/08/26 22:13
>元は古事記に記載されていたものを、平田篤胤が行法の形に復活させました。

平田はそんなことしていない。
もう少し調べた方がいい。
ところで
私は猊下については本物の聖者だと理解している。
そもそも聖者は細かなことには囚われないものだ。
その為にしばしば周囲から誤解を受けるがそれは荘子も指摘しているように
大した問題ではないのだ。
269名無しさん@1周年:02/08/26 22:39
脳梗塞も糖尿病も大した問題ではない。
因縁が切れなくても大した問題ではない。
タチがガンで死んでも、娘が逃げ出しても、
借金でクビが回らなくても、大した問題じゃないさ。
予言のバカハズレも大した問題ではない。
阿含聖者は細かいことには囚われず、
勲章だけ集まれば良いのだよ。
信者も細かい事は気にせずに、ぐだぐだ言ってないで、
霊感商法に血道をあげて、金を稼いで、阿含聖者に供養せよ。
なあに、他人に嫌われようが、
宗教で人間関係を壊そうが、金がなくなろうが、大した問題ではないさ。
護摩や占いが阿含経の教えだなどと釈尊を誹謗しても、大した問題ではない。
どうせ、それを理解するだけの知性も、
感じるほどの良識もないのだから、大した問題ではないさ。
270名無しさん@1周年:02/08/26 23:06
>909さん
どこに完璧なかたちで招霊法が古神道に残っているんですか?
鎮魂帰神の法を勘違いされているのでは?
鎮魂帰神を大成され、いちおうまとめあげたたのは
本田親徳という方で平田篤胤ではありません。
それにどのような神を帰神させるのかはっきりしませんし
神道においては神ながらの道を尊ぶのでその必要も
ありません、ただ邪霊の類に惑わされないように
審神をおいて判断するのです。
この法は戦前の大本教において盛んに修法されましたが
あまりにも邪霊や霊障のほとけみたいのが浮き出てきて
しまい収拾がつかなくなったようで、現在の大本教では
危険という理由でおこなっておりません。
本来は神と合一する法で招霊法などというものでは
ありません。



















平田篤胤は理論の方でしょう。
271名無しさん@1周年:02/08/26 23:10
>269
ぐたぐた言ってないで、そう思うなら黙ってな!
272名無しさん@1周年:02/08/26 23:15
>270
ちなみに、その大本の帰神法からの流れが
世界救世主教、崇教真光、真光文明教団、などの手かさし系教団に
簡略化?された形でうけつがれているのです。
273名無しさん@1周年:02/08/26 23:24
まあ阿含スレなので、ついでに一言いうと
「独鈷の加持」あれに帰神法ににた所が一部あるんだ
古密教修験からのものだから不思議はないんだが
霊障発現があまりにも、ひどかったからか知らないが
今は「開運独鈷」で方向性を変えているようだけれど・・・。
274名無しさん@1周年:02/08/27 00:08
>269
いささかの知性も感じない愚劣な外道の批判だ。
読んでいて憐れになる。
275名無しさん@1周年:02/08/27 00:09
>258
横レスですが・・・

シッダルタは当時の霊的なものを見世物、売りとしていた宗教や加持祈祷の類を
否定してませんか?? しかも「真のバラモン」って・・・
雨が降るのは「雨が降るべくして降った」だけ、ましてや「超能力」なんぞ
まやかしでありただ人を惑わせるものでしかない。
私は上記のようなオカルトな要素を一切排除したものだと思っていたのですが。

超能力の存在如何は別としてもそもそもそれで人は救われるのですか?
現実から逃げているだけではないですか?
あなたのその仏教に関する知識が正誤は別としても無駄になってませんか??
何よりもあなたにとって。

以下は僭越ながら私の単なる所見なので読み飛ばしてもらって構いません。

突っ込まれる前に言っときますが(笑)私には仏教に関する専門的知識はありません。
しかし価値観は違うにせよあまりにも矛盾点が多いと思いません?
K氏も人間ですから間違いはあるでしょうが、それを認めないでいる(?)のは
どうなんでしょうねぇ。
信者の方が庇いたくなる気持ちも解ります。「信じている教えを実践している」人
なんでしょうから。

しかし客観的に見て一人の人間として見たときにどう思いますか?
ほんのわずかでも「う・・・」と思った人はどうせ人に頼るならこんな人に頼るのは
やめたほうがいんじゃない?
せめて自分の中で正しいと思われる部分を自分の生きる糧とするくらい
に留めて置くべきかと。盲目的に信じることは時に危険なものであることを
考えるべきです。悲しいかな実例が出来てしまっているし。

以上、長文失礼しました。
276275:02/08/27 00:17
訂正

>私は上記のようなオカルトな要素を一切排除したものだと思っていたのですが。

私はシッダルタの説く教えは上記のようなオカルトな要素を一切排除したものだと
思っていたのですが。

です。
277名無しさん@1周年:02/08/27 00:25
>いささかの知性も感じない愚劣な外道の批判だ。
>読んでいて憐れになる。
としか、よー痴の知性では反論できない。常の如し。
278名無しさん@1周年 :02/08/27 04:08
>>271 :名無しさん@1周年
>>269
>ぐたぐた言ってないで、そう思うなら黙ってな!

>>274 :名無しさん@1周年
>>269
>いささかの知性も感じない愚劣な外道の批判だ。
>読んでいて憐れになる。

258のバウさんのカキコ内容を批判した269さんに、
「名無しさん」として罵倒カキコか。
下劣路線で登場するときはコテハン使わないってわけね。
毎度のことながら、品性卑しいぞ、よー痴エン。
「いつもの言葉遣い」で猿脚丸見えだ。

しっかし、どこを取っても阿含宗ってとこは、
釈迦仏教とは似ても似つかないね。
いっそ信者の質にあやかって、阿呆宗とでも名称変更する方が妥当だと思うが。
279名無しさん@1周年:02/08/27 06:11
a

280888:02/08/27 06:12
>>232 電波男さん、コメントありがとうございました。あの後出掛けて食事。
久しぶりに早く寝ました。ふと起きたら早朝でした。お返事遅くなりました。

>世親を例にしますが、彼は「修行すれば誰もが成仏できる」とする釈尊の本来の
思想に立ち返り、阿含経典を引用し駆使して主張。

>それに対して長老派たちは成仏できるのは釈尊一仏であり、我々は涅槃に至って
も釈尊と同じ仏にはなれないと言う。

>その2つの流は部派仏教誕生当初から始まっており、成仏の系譜と非成仏の系譜

>その2つの流が変形して後の大乗に混入するのです。

>つまり五性客別説と一乗説。

興味深いお話ですね。
281888:02/08/27 06:15
>>234
>部派仏教誕生の時代から悉皆成仏を主張する大乗の流れ
(釈尊の本義を伝えようとする人たちの集まり)

>それを否定する流え


282888:02/08/27 06:18
>>235
888 
「大乗仏教は七科三十七道品法を捨てた」

電波男さん
「殆どの大乗経典の冒頭部に記されています。
「ごーこんごーりきしちぼーだいぶん、はっしょうどうーーーーーーとか耳タコ」
「それを成じた聖者たちを形容する文脈で」


888 七科三十七道品法の修行を棄てた、と書き改めます。

283名無しさん@1周年:02/08/27 06:21
284888:02/08/27 06:24
>>238
>(電波さんの言う)「大乗」は先入観を完全に排除しないと理解し難い

*大乗経典において、必ずしも「大乗精神」がベースになっているわけでもない。
(電波男さんの言う)大乗とは成仏の系譜。

*大乗の原義は、「すべてが彼岸に赴く事の出来る大きな乗り物」

>少なくとも世親在世当時ではこれらが「大乗の定義」である

よく分かりました。
285888:02/08/27 06:40
>>238 電波男さん、
>4 所依の経典(引用経典)の殆ど99%アーガマであり、明らかな大乗経典は
>解深密経のみである

この部分がはっきりしませんでした。

世親らの説く「大乗精神にあふれた」「悉皆成仏」
「修行すれば誰でも成仏できる」「釈尊本来の思想に立ち帰る」「一乗説」
の「本来の大乗仏教」の典拠となる文献は解深密経を除き、99%がアーガマだと言う事でしょうか。

阿含宗では、阿含仏教を漢訳四阿含(など)を典拠とする仏教と定義し、
本来の釈尊の「成仏できる仏教」に立ちかえれと主張していると思うのですが。
世親らの主張が、99%のアーガマに、解深密経を付け加えて、ゴータマにもどれ
というのであれば、阿含宗と同じ主張なのではありませんか?
阿含宗の場合も、そう言う意味では「正しい大乗」です。もっとも、大乗とは名乗らず、
根本仏教と東伝大乗、北伝大乗、南伝仏教を総合した完全仏教であると主張していますが。

286888:02/08/27 06:42
>>266 〜 >>278 スレッドが読みづらくなります。妨害はお止め下さい。
287名無しさん@1周年:02/08/27 08:40
>>268,>>270

あ、そうだったかもしれません。ずいぶんと昔に勉強したことなので、記憶違いが
あるかもしれません。本田親徳氏には、八幡書店から全集が出ているので、それを
購入して勉強しました。

>あまりにも邪霊や霊障のほとけみたいのが浮き出てきてしまい収拾がつかなく
>なったようで、現在の大本教では危険という理由でおこなっておりません。
>本来は神と合一する法で招霊法などというものではありません。

出口王仁三郎が出張中に、修行場が邪神に荒らされたという有名な話ですよね。
私は、原則として鎮魂帰神で降りてくるのは、正神界か邪神界の精霊で、先祖の
霊が出て来るなんてことはないと思っています。大本教団から発行されている
記録もいろいろ探しましたが、先祖霊が出てきた例は皆無です。では、桐山氏が
主張する不成仏霊とは何か? 鎮魂帰神の常識で言えば、単なる邪霊のお芝居と
いうことになるのではありませんか? 例外的に「本物」があるとしても、それ
は数としてごく少ないでしょう。ところが、ガンや横変死の因縁で死んだ人は、
すべて不成仏霊になると桐山氏は主張する。これでは、数字が合わないのです。

「手かさし系教団」の憑霊についても、私は同様の疑問を持っています。
288909:02/08/27 08:41
287は私のカキコです。
289909:02/08/27 08:53
憑霊は、憑かれた本人の潜在意識から情報を盗み出して、別の人物になりす
ますので、欧米人なら「キリスト」、「シーザー」、「ナポレオン」といった
名前が並び、日本人なら「釈迦」、「天照大神」、「西郷隆盛」などが並び
ます。特に日本人は、先祖供養に関心がある人が多いため、普通ではない死に方
をした先祖のことを気にかけていると、たちまち憑霊に利用されてしまいます。

憑霊が本物かどうかを「沙庭」するには、故人とその家族にしか知られていない
事実を言い当てさせるという手があります。某教団で、自分の先祖をリストアップ
する際、わざと架空の人物を混ぜて提出したところ、その先祖が地獄へ落ちて
苦しんでいるという託宣が降り、インチキがばれたという実話があります。
阿含宗においても、同様のチェックが不可欠です。
290バウ ◆pyDQkkJ2 :02/08/27 09:20
>>287 909さん、はじめまして。ずいぶん霊界の事にお詳しいのですね。

禅に関しては、秋月龍眠先生が「真人間になれよ」とおっしゃっていたように
記憶しています。909は文面からお察しするに、じゅうぶん「真人間」に
なられているような気がします。それも、これも、阿含宗と道元禅のおかげ
ではないでしょうか。禅だけだったら無理だったような気がします。阿含宗の
下地があったからではないでしょうか。
291バウ ◆pyDQkkJ2 :02/08/27 09:30
>>287 909さん、続きですが、

道元禅師のことばに、
「この三十七品菩提分法、すなわち仏祖の眼晴鼻孔、皮肉骨髄、手足面目
なり。仏祖一枚、これを三十七菩提分法と参学しきたれり」というのがあるそうです。
(管長猊下の書物の受け売りですが)。

阿含宗で赤房まで修行された。それは決して無駄になってないと思います。
また、今の禅の修業を通して、安心(あんじん)の教えから三十七菩提分法
まで行っていただきたいものです。

私のように、「解脱供養で楽になった」「普通に暮らせて嬉しい」。それだけの
人だけじゃないんですよね。レクレーション無しに、仕事一本で暮らせるのも
すごい超能力、、なんて開き直ってたらだめですね。私も頑張ります。
292バウ ◆pyDQkkJ2 :02/08/27 09:34
>>290 の出だしが「はじめまして」になってます。「おはようございます」でした。
実はもう一人の方に書くつもりだったので。難しいご議論ですね。良く読んでから、
またコメントさせていただきます。邪霊、凶悪霊のことは猊下の書物にも有りますよね。
293909:02/08/27 09:43
>>290

秋月龍a師の本には、私も大変にお世話になりました。師は「菩提心(利他心)」
の重要性を一貫して説かれていますね。自分自身が救われんとしてやるのは、
仏法ではなく外道だということです。

>禅だけだったら無理だったような気がします。阿含宗の下地があったから
>ではないでしょうか。

反面教師という意味で、「阿含宗の下地」が役に立ちました。自分の因縁解脱
や成仏を目的にする修行は、最初の段階ではよいでしょうけど、そのままでは
仏法からはみ出してしまいます。釈迦直説の仏法を実践しようと、阿含経に
書かれた行法をやるという教団もありますけど、私がお会いした人々は、残念
ながら仏教徒とはほど遠い方ばかりでした。「我」をなくすのに、「我こそが
正しい」、「我は偉い」と一々自慢せねばすまないというのでは、もはや仏法
とは言えないと思います。彼らは、「上座部」が犯した過ちの道を辿っている
という気がします。阿含宗に居た頃にも、この種の「氷のような心を持つ」修
行者を散見しました。オウム真理教が犯罪集団になったのも、菩提心が欠如して
いたからです。

私が秋月龍a師の本から学んだことは、いかなる立派な修行であっても、菩提心
(利他心)からそれを行なわない限り、魔道へ落とす巨石を我が身にくくりつけ
ることに等しいということです。
294バウ ◆pyDQkkJ2 :02/08/27 09:59
>>285 888さん、電波男さん、こんにちは。

そこで世親を大乗仏教の始まりとするなら、

(桐山猊下御著書より)
、、、阿含経のどこをみても、この経は小さな乗りものなどとは記してなく、
かえって「天乗」「梵乗」であると讃(たた)え、「一乗」であり
「大乗」であると説いている語さえみえるのであるから、、、、、

こう言うことから、阿含仏教こそが「大乗」であるともいえますよね。

まあ、混乱を避けるためにも、ここの議論に当たっては、世間一般の、
「バウッダ」に載っている程度の大乗仏教の定義で良いのでは?
295909:02/08/27 10:12
>>291

肝心なのは、その三十七品菩提分法の具体的な中味です。少し大きな書店
へ行けば、『正法眼蔵』がありますから、「第六十 三十七品菩提分法」
のところを立ち読みしてみてください。

道元によれば、「まことに諸佛諸祖の皮肉骨髓、ただ四念住のみなり。」
で、三十七品菩提分法は四念住に総括されるというのです。四念住とは、
1.観身不浄、2.観受是苦、3.観心無常、4.観法無我、で、
何ということはない、「四宝印」そのままです。四念住以外の修行法
を見ても、どこにも「不成仏霊」も「成仏法」も出てこない。あくまで
「菩提分法」=悟りを分け与える修行法ですから、死者の供養が出て
こないのは当たり前です。

当たり前の世界を、当たり前のように観るのが悟りですから、悟りの中味
とは「眼横鼻直」(眼は横に、鼻は縦についている=当たり前のことを認識
する:道元の言葉)ということになるのです。

不成仏霊も、解脱供養も、阿含経のどこにも書いていない概念です。もちろん、
道元もそんなものは認めていません。
296電波男Ψ(`д´)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/27 10:24
>>バウさん
いいえ、大乗に関して歴史的にも文献的にも学問的にもその用法が間違っていますので、
本来的に正す必要があるのです。阿含経典の古層は仰るように大乗そのものです。それは
世親が正しく認識しており、成仏の系譜として伝承されている以上、大乗です。

小乗というのであれば、大乗仏典と呼ばれているある一部にこそその「小乗根性」が存在します。
大乗の仮面を被った傲慢思想こそ許せないのです。

ですが、阿含宗は認めませんよ。あなたのような会話不成立な人が多いのですからね。
297909:02/08/27 10:25
ついでなので、道元の成仏観を紹介します。輪廻(生死)の束縛から離れる
のが成仏だというのは間違いだ、と言っています。

「もし人、生死のほかにほとけをもとむれば、ながえをきたにして越にむかひ、
おもてをみなみにして北斗をみんとするがごとし。いよいよ生死の因をあつめて、
さらに解脱のみちをうしなへり。ただ生死すなはち涅槃とこころえて、生死と
していとふべきもなく、涅槃としてねがふべきもなし。このときはじめて生死
をはなるる分あり。」

輪廻(生死)を厭い、脱出したいと願う限り、ますます輪廻の因を集めて解脱
からは離れてしまう。輪廻を厭わず、涅槃も願わず、という心の状態になって、
はじめて輪廻から離れることができる、という意味です。
「生死すなわち涅槃」という一句が利いています。

これは、桐山氏の主張とは真っ向から対立する考え方です。それにも関わらず、
三十七品菩提分法を我田引水するために、不用意に道元を持ち出して馬脚を
現してしまった。桐山氏自身、道元をちゃんと読んでいないという証拠です。
298電波男Ψ(`д´)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/27 10:27
その意味では道元禅師はその殆どを阿含経に拠っています。
909さんのご判断は妥当であると評価しております。

>>888 さん
もし、双方向の対話の成立をお望みなら場所をニフティへ移しませんか?
現代思想フォーラムFSHISO 14番会議室です。ここなら煽りや嫌がらせを
排除して冷静な議論が成立します。
299電波男Ψ(`д´)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/27 10:34
バウさんは大学院の演習などでしか聞けないことを聞かされて消化不良を起こしているのでしょう。
良薬の苦さしか感じる事が出来ないとは哀れです。勿論、私が教える立場なのですが。
300バウ ◆pyDQkkJ2 :02/08/27 10:40
>>297 コメント全般に関しましては、ちょっとむつかしことも多いので
良く読んで、夜までに、なんとかご返事が書けるかもしれません。

最後の件だけについてですが、桐山猊下は、七科三十七道品法を修していない
日本大乗の僧侶は、祖師方も含めて誰一人成仏はしていないが、三十七菩提分法
に言及された道元禅師だけは、その可能性が「ひょっとしたら」ありうる。
そういう文脈で書かれていたと思います。

また、「四念処法」「四神足法」の「一乗道」についてはご著書でも言及されて
いますが、七科三十七道品法のうちどれを修するかについては適切な師匠の指導
が必要ではないでしょうか。
301バウ ◆pyDQkkJ2 :02/08/27 10:52
>>299 なにせ、桐山靖雄大学ですから。私の頭は縦横罫線すべてが桐山仏教です。
それを基準に他の仏教説を見るんですよね。フォーマットされちゃっているんですよね。

だけどこのフォーマットで仏教を見ると良く理解できるんですよね。
例えば、友松先生の発句経講義。阿含仏典を世に知らしめた功績は認めるけど、
つまんないですもんね。ホテルにおいてある仏教聖典みたい。

きっと電波男さんの著作のほうが面白いと思う。ネットでのやり取りを是非まとめて
出版していただきたいものです。(片寄らずにね)。だって最初から阿含はだめって
決めているでしょ。金銭面に囚われ過ぎ。

「仏教をネタに儲けてけしからん」と言う気持ちは、深層意識にないですか?
302さんさーら:02/08/27 11:00
>>301 バウさんはじめまして。そういうのを、、、と言うのでは?
303さんさーら@禅問答:02/08/27 11:07
>>297 909さん、スッタニパータに毎日怠けている良寛さんに誰かが質問
する場面がありますよね。「怠けてばっかりいて、働かざる者食うべからず。」
じゃあ、良寛さんじゃなかった、ブッダがお返事する。
「〜私も、田を耕す」。「私の信仰は雨で、、、」云々。「信仰は種」だった
かしら。
そこで質問ですが「仏陀の信仰」って何なんでしょう?また「道元禅師の信仰」
って何なんでしょう?
304909:02/08/27 11:34
>>303

信仰というのは、純粋に主観的なものですから、他人がああだこうだ言う
べきものじゃないと思います。私は仏陀でも道元でもないから、彼らの
信仰について語る権利を持ちません。

「仏陀が説いた教え」や「道元の説いた教え」なら解説可能ですし、ここは
合っている、間違っているという議論もできますが、最終的にそれを受け入
る(自分の信仰とする)かどうかは本人に任されています。
305さんさーら:02/08/27 11:48
>>304 仏陀の信仰というとても難しいテーマだと思うのですが。
一般的に、曹洞宗では何をご本尊とするのでしょうか。無知ですみません。
ネットで調べても分かるかしら。
306909:02/08/27 11:53
正確には、以下の通りですね。

77 (師は答えた)「わたしにとっては、信仰が種である。苦行が雨である。知慧が
わが軛(くびき)と鋤である。慚(はじること)が鋤棒である。心が縛る縄である。
気を落ちつけることが鋤先と突棒とである。

78 身をつつしみ、ことばをつつしみ、食物を節して過食しない。わたしは真実
をまもることを草刈りとしている。柔和が私にとって軛を離すことである。

79 努力がわが牛であり、安穏の境地に運んでくれる。退くことなく進み、
そこに至ったならば憂えることがない。

80 この耕作はこのようになされ、甘露の果実もたらす。この耕作を行ったならば、
あらゆる苦悩から解き放たれる。」

釈迦の説いた「一切皆空」の教えを受け入れ(信仰)、それを生活面で実践する
(苦行)ことで悟りという成果が得られる。その時に道具となるのは、四諦など
の智慧と、自分の心や行いに対する反省(慚)である...という意味ですね。
307909:02/08/27 12:00
>>305

道元が開いた永平寺の場合、本尊は釈迦如来ですね。
ttp://www.daimanji.or.jp/i/honzan.htm
この他、阿弥陀如来を本尊とするところもあるようです。昔、念仏と禅を
両方修行するというのが流行ったからです。

ただ、禅宗の場合は「教外別伝」で伝えられた仏法だけが尊重されていて、
本尊を拝んでご利益を頂こうなどという発想はないと思いますよ。
308さんさーら:02/08/27 12:43
>>307 909さん、よくわかりました。
信仰は教えを受け入れること。
永平寺の場合、本尊は釈迦如来。
阿弥陀如来を本尊とするところもある。ということですね。

本尊を拝んでご利益。
悟りという成果に向かうご利益も有るわけで、仏陀は福田とされ
本来ご利益を授けるものですから、気にしなくてもいいと思うんだけど。

利他が大事だけど、ご自分自身も救うべき衆生と言う意味では「他」
ですよね。救ってあげる仲間にご自分も入れてあげて下さい。
309さんさーら:02/08/27 12:44
>電波男さん。
仏陀にとっての信仰とは何なんでしょうか?
もしよろしければご教授下さい。
310名無しさん@1周年:02/08/27 12:53
へ(-.-)へ やれやれだよ
311909:02/08/27 14:17
>>301

>例えば、友松先生の発句経講義。阿含仏典を世に知らしめた功績は認めるけど、
>つまんないですもんね。ホテルにおいてある仏教聖典みたい。

う〜ん。『発句経』も、『仏教聖典』も私の座右の書だから、そんなにきっぱり
と否定されるとショックだなあ(^^; 『発句経』は、釈迦の日頃の口癖を書き
記したとされていて(記憶違いならスマソ)、釈迦の生の声に近いはずなんで
すけどね。バウさんの目から見ると、釈迦もつまらない人間に見えちゃうんじゃ
なかろうか、といらぬ心配をしてみるテスト。
312909:02/08/27 14:29
>>308

いくら「福田」でも、耕さなきゃだめですよ。信仰の種まいて、実践の水を
やる。306で引用した聖句のようにね。ただ拝んでいるばかりじゃ、煩悩の
雑草がはびこるばかり。
313888:02/08/27 14:44
スッタニパータ
「譬(たと)えば、堅固なる船に乗り、橈(かい)や舵(かじ)をそなえて
おれば、操縦法を知るかの巧みな智恵者は、他の多くの人をその船に乗せて
渡すが如し」
314888:02/08/27 14:47
>>301 バウさん、友松先生の発句経講義はもう一度読みなおしてみて
下さい。味わい深いですよ。そこに何らかの理論のようなものがある
というものではないと思うのですが、心の糧としてとても良いものだと
思います。たぶんあなたは若いから、そのしみじみとした良さが分か
らないのかも。
315888:02/08/27 14:56
>>306

信仰が種である。
苦行が雨である。
知慧がわが軛(くびき)と鋤である。
慚(はじること)が鋤棒である。
心が縛る縄である。
気を落ちつけることが鋤先と突棒とである。
身をつつしみ、
ことばをつつしみ、
食物を節して過食しない。
わたしは真実をまもることを草刈りとしている。
柔和が私にとって軛を離すことである。

努力がわが牛であり、
安穏の境地に運んでくれる。退くことなく進み、
そこに至ったならば憂えることがない。
この耕作はこのようになされ、甘露の果実もたらす。
この耕作を行ったならば、あらゆる苦悩から解き放たれる。

ギャーテーギャーテーハーラーギャーテー
ハラソーギャーテー、ボージーソワカ
316888:02/08/27 15:00
信仰、苦行、知慧、
慚(はじること)、心
気を落ちつけること、身をつつしみ、ことばをつつしみ、
食物を節して過食しない、
真実をまもること、柔和、

努力が、安穏の境地に、退くことなく、
そこに至ったならば憂えることがない、
甘露の果実、あらゆる苦悩から解放、
317888:02/08/27 15:03
>>306 909さんこんにちは。

>>316の徳目だけでサンガが形成できそうですね。
これを、三十七菩提分法に一々当てはめる事もできそうです。
318888:02/08/27 15:07
>>298 現在 so-net に入っています。コンテンツ会員数種。けっこう
役立ちます。ニフティーはどうなんですかねえ。良いコンテンツがあり
ますか?知りあいにも何人かメールアドレスがニフティーの人がいます。
319電波男Ψ(`д´)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/27 15:11
ニフティにはほぼ全分野を網羅するフォーラムがあります。数で言えば2chの全アクティブ
スレッドよりも多いと思いますよ。それぞれにフォーラムマネージャーやスタッフがいて、
落ち着いた議論が出来ます。
320888:02/08/27 16:40
>>319 そうなんですか。知り合いに頼んで一度中を見せても
らおうと思います。so-net新しい、ニフティー古臭い、と
思ってたのですが。
321雪山女:02/08/27 17:24
ちょっと、長めの経典入れさせていただいて良いですか。
十二縁起についてです。30枚くらい(20枚でも、10枚でも)
レポートが書けると助かるのですが。sage ます。
322雪山女:02/08/27 17:25
分別
南伝 相応部経典 12、2、分別
漢訳 雑阿含経 12,16、法説義説

かようにわたしは聞いた。
ある時、世尊は、サーヴァッティー(舎衛城)のジェータ(祇陀)林なるアナ
ータピンディカ(給孤独)の園にましました。その時、世尊は比丘たちに告げ
ていった。
「比丘たちよ、わたしはいま汝らのために、縁起を分析して説こうと思う。汝
らはそれをよく聞いて、考えてみるがよろしい。」
比丘たちは、
「大徳よ、かしこまりました」と答えた。世尊は説いていった。
「比丘たちよ、縁起とは何であろうか。比丘たちよ、無明によりて行がある。
行によりて識がある。識によりて名色がある。名色によりて六処がある。
六処によりて触がある。触によりて受がある。受によりて愛がある。愛により
て取がある。取によりて有がある。有によりて生がある。生によりて老死・愁
・悲・苦・憂・悩がある。かくのごときがこの苦の集積のよってなれるところ
である。(比丘たちよ。これを縁によって起るとはいうのである)
323雪山女:02/08/27 17:26
では、比丘たちよ。老死とは何であろうか。生きとし生けるものが、老い衰え、
朽ちやぶれ、髪しろく、皺生じて、齢かたむき、諸根やつれたる。これを老
というのである。また、生きとし生けるものが、命おわり、息絶え、身躯やぶ
れて、死して遺骸となり、棄てられたる、これを死というのである。かくの
ごとく、この老いと死とを、比丘たちよ、老死というのである。
また、比丘たちよ、生とは何であろうか。生きとし生けるものが、生まれて、
身体の各部あらわれ、手足そのところを得たる、比丘たちよ、これを生という
のである。
また、比丘たちよ、有(存在)とは何であろうか。比丘たちよ、それには三つ
の存在がある。欲界すなわち欲望の世界における存在と、色界すなわち物質の
世界における存在と、無色界すなわち抽象の世界における存在である。比丘た
ちよ、これを有というのである。
比丘たちよ、また、取(取著しゅじゃく)とは何であろうか。比丘たちよ、そ
れには四つの取著がある。欲にたいする取著、見(けん、所見)にたいする取
著、戒(戒禁)にたいする取著、我(が)にたいする取著がそれである。比丘
たちよ、これを取というのである。
324雪山女:02/08/27 17:26
比丘たちよ、では、*愛(渇愛)とは何であろうか。比丘たちよ、それには六つ
の渇愛がある。物にたいする渇愛、声にたいする渇愛、香にたいする渇愛、味
にたいする渇愛、感触にたいする渇愛、*法にたいする渇愛がそれである。比
丘たちよ、それを愛というのである。
比丘たちよ、では、受(感覚)とは何であろうか。比丘たちよ、それには六つ
の感覚がある。眼の接触によりて生ずる感覚、耳の接触によりて生ずる感覚、
鼻の接触によりて生ずる感覚、舌の接触によりて生ずる感覚、身の接触により
て生ずる感覚、ならびに意の接触によりて生ずる感覚がそれである。比丘たち
よ、これを受というのである。
比丘たちよ、では、触(接触)とは何であろうか。比丘たちよ、それには六つ
の接触がある。眼による接触、耳による接触、鼻による接触、舌による接触、
身による接触、および意による接触がそれである。比丘たちよ、これを触とい
うのである。
比丘たちよ、では、六処(六根六境によってなる認識)とは何であろうか。
眼の認識と、耳の認識と、鼻の認識と、舌の認識と、身の認識と、意の認識と
である。比丘たちよ、これを六処というのである。
比丘たちよ、では、*名色(五蘊ごうん)とはなんであろうか。受(感覚)と
想(表象)と思(思惟)と触(接触)と作意(意志)と、これを名というので
ある。また、四大種(地・水・火・風)およびそれによって成れるもの、これ
を色というのである。つまり、そのような名とそのような色とを、名色という
のである。
325雪山女:02/08/27 17:27
比丘たちよ、では、識(識別する作用)とはなんであろうか。比丘たちよ、そ
れには六つの識がある。すなわち眼識と耳識と鼻識と舌識と身識と意識とがそ
れである。比丘たちよこれを識というのである
比丘たちよ、では、行(意志のうごき)とはなんであろうか。比丘たちよ、そ
れには三つの行がある。すなわち、身における行と、口における行と、心にお
ける行とがそれである。比丘たちよ、これを行というのである
比丘たちよ、では、無明(無智)とはなんであろうか。比丘たちよ、苦につい
ての無智、苦の生起についての無智、苦の滅尽についての無智、苦の滅尽にい
たる道についての無智である。比丘たちよ、これを無明というのである。
比丘たちよ、かくのごとくにして、無明によりて行がある。行によりて識があ
る。・・・・・これがこのすべての苦の集積のよりてなるところである。
また、無明をあますところなく滅することによって行は滅する。行を滅するこ
とによって識は滅する。・・・・これがこのすべての苦の集積のよりて滅する
ところである」
326雪山女:02/08/27 17:29
分別(Vibhanga=division)とは分かつこと、分析である。十二縁起の各支を、
一つづつとりあげて説明しているのである。したがって、そこには、仏教述
語の基本的なものが簡明に説かれている。珍重すべき経である。

*愛(tanha=thirst) 渇愛と訳する。欲望の激するありようを喉の渇きに
比していうことばである。
*法(dhamma) 観念というほどの意。
*名色(namarupa=name and shape) 五蘊すなわち人間存在である。五蘊の
うち、受・想・行・識の四は、ただ名をもって知られる。だだ、色蘊は物質
であって形をもって知られる。人間はそれらの構成するところである。

出典 阿含経典 第一巻 増谷文雄
327雪山女@m(_ _)m:02/08/27 17:32
だいたい意味は分かったのですが、最後の、

無明(無智)とはなんであろうか。比丘たちよ、
「苦についての無智、苦の生起についての無智、苦の滅尽についての無智、
苦の滅尽にいたる道についての無智である。」
比丘たちよ、これを無明というのである。

このカッコ内の部分の意味が全く分かりません。電波男さんとかその他の識者の方、
教えていただけませんでしょうか。長々と引用すみませんでした。
328名無しさん@1周年:02/08/27 18:43

信者が教団について詳しくなさそうなので
『阿含経についての勉強スレッド』
で路線変更しますか(w

・・・って最初からそんなようなものだけど(W
329サンサーラ:02/08/27 22:15
>>327 雪山女さん、はじめまして。学生さんですか?なかなか鋭い質問ですね。
いちおう仮の解答ですが。

無明とは「苦についての無智、苦の生起についての無智、苦の滅尽についての無智、
苦の滅尽にいたる道についての無智である。」

苦とは無明から始まり→有、生、老死、→苦の生起
また、無明の滅尽から→有、生、老死の滅尽→苦の滅尽。
すなわち、十二の因縁、十二の縁起の生起と滅尽を知る事が、
「苦についての智、苦の生起についての智、苦の滅尽についての智、苦の滅尽に
至る道についての智」なのでしょうか。

十二の縁起の、第一番目の無明、その無明を断つとは、「無明から始まり
苦に終わる一連の縁起を知る事」。

これが私の解答ですが。他の方々はいかがでしょうか。自身がないので、できれば
大学の教授をされている電波男さんにご教授お願いしたいのですが。


このカッコ内の部分の意味が全く分かりません。電波男さんとかその他の識者の方、
教えていただけませんでしょうか。長々と引用すみませんでした。


330サンサーラ:02/08/27 22:18
訂正、

自身→自信

(このカッコ内の部分の意味が全く分かりません。電波男さんとかその他の識者の方、
教えていただけませんでしょうか。長々と引用すみませんでした。)
↑これは引用ログの消し忘れです。




331サンサーラ:02/08/27 22:32
阿含宗やその他の方にお尋ねします。いま桐山猊下の輪廻(サンサーラ)に
関する書物を読んでいるんですが、一つ分からないのが、輪廻転生者として
特殊で病的な例ばかりが出てくるのです。私は、涅槃を得たもの以外は
すべて転生するので、人皆全員が輪廻転生者だと思っていたのですが、
この当たりはいかがなんでしょうか。過去ログを読むと、お詳しい方も
おられるみたいなのですが、よろしくお願いいたします。
332サンサーラ:02/08/27 22:34
>>329 自分のコメントに対してですが、

それでは、十二の因縁を十分に理解し尽くせば、無明が滅尽して、苦の滅尽に
至るのでしょうか???
333名無しさん@1周年:02/08/27 22:35
>>327
「四諦」についての「無知」=無明
と解釈できると思います。
ちなみに「四諦」とは「苦諦・集諦・滅諦・道諦」のことです。
334名無しさん@1周年:02/08/27 22:42
苦諦=生苦・老苦・病苦・死苦・愛別離苦・怨憎会苦・
   求不得苦・五取蘊苦(五盛蘊苦)
集諦=渇愛(三愛=欲愛・有愛・無有愛)
滅諦=渇愛の滅
道諦=八正道(正見・正思惟・正語・正業・正命・正精進・正念・正定)
335名無しさん@1周年:02/08/27 22:57
阿含宗ご法話は録音禁止なんですよね?
ICレコーダーとか、MDレコーダーで録音してもダメかな。
ICレコーダーだと見つからないですよね。
カメラ、録音機のチェックなどはありますか?
336サンサーラ:02/08/27 23:05
>>334さん、
集諦=渇愛(三愛=欲愛・有愛・無有愛)、滅諦=渇愛の滅

>>323 >>324 の
有(存在)とは。三つの存在、
欲界すなわち欲望の世界における存在、色界すなわち物質の世界における存在と、
無色界すなわち抽象の世界における存在である。

愛(渇愛)とは何。六つの渇愛がある。
物にたいする渇愛、声にたいする渇愛、香にたいする渇愛、味にたいする渇愛、
感触にたいする渇愛、*法にたいする渇愛がそれである。比丘たちよ、それを
愛というのである。


この二つが微妙に混ざった概念だと思いませんか?
337名無しさん@1周年:02/08/27 23:10
>>335 かく乱電波発生!阿含宗は写真や録音はダメって言うけど。
別に取締りとかチェックはないよ。阿含宗みたく大甘。
338名無しさん@1周年 :02/08/27 23:19
えーと、ここは★阿含宗についての考察★ スレですよね。
せっかく考察するなら、やはり「阿含宗の詐欺性」について論議されなければ
意味がないと思われます。

阿含経についての考察なら「阿含経勉強スレ」でも立てればよいわけで、
本来の>>1さんの趣旨に則って(笑)、
せっかくですからこれまでのヌマエビさんの書き込みを
ダイジェスト版として随時掲載させて頂きますね。
ヌマエビさんには転載の許可をお断りできませんが、
この場を借りてお詫び申し上げます。(見切り発車ですがご容赦下さい)

阿含宗と阿含経はまったく関係ないので、
阿含経について論議すればする程、阿含宗の考察という本来の趣旨から離れてしまいますから。
おまけにこのスレを立てたどっかのオバサン信者は大のヌマエビさんファンのようですから、
きっと喜んで頂けること間違いなしですね!!
339名無しさん@1周年 :02/08/27 23:21

「密教占星術奥伝」
夏期伝法会の「密教占星術奥伝」の種本は、ご指摘のとおり、
「九星日盤鑑定要法 初伝」(斉藤擁道、東洋運命学研究会、1978年)です。
桐山氏は、他人の書いた本を、「密教占星術奥伝」とラベルを張り替えて、
信者から金をとって、講義というよりは、ただ丸ごと読んだのです。

桐山氏が伝法会で「密教占星術奥伝」の講義を始めたのは、
1978か1979年ですから、なんと釈迦の仏教を標傍する阿含宗を
立宗した後で、この詐欺的行為をやったことになります。

斉藤氏の本は、当時、神田あたりに出ていて、
占いの好きな人なら手に入れていました。
他人の本を丸ごと講義するという、簡単にばれるようなことを、
なぜ桐山氏はしたのでしょうか。

たぶん、桐山氏はこれが出版された本だとは知らなかった、
あるいは今でも知らないからです。
斉藤氏の本は手書き本です。
本をコピーして、表紙や奥付がなければ、
まるでだれかが筆記したノートのように見えます。
おそらく、K書店あたりの古本屋のオヤジが、
斉藤氏の本のコピーをとり、それを桐山氏に高値で売ったのでしょう。
桐山氏は、本のコピーとも知らず、手書きの秘伝だと信じ込んだのです。
桐山氏は本のコピーだと密教占星術で見抜けなかったのでしょうか。

「密教占星術奥伝」の件は、桐山氏の手の内がばれただけでなく、
彼の宗教者としての良心がどうであるかを明瞭に示した事例です。
これだけ明瞭な事実でありながら、これを知った時の
信者たちの反応は、たいへん興味深いものがありました。

「密教占星術奥伝」の講義は現在は行われていないと聞いています。
その前に、元修行者さんも知らないオチがつきました。


340名無しさん@1周年 :02/08/27 23:22
「密教占星術奥伝」その2
 1989年、例祭法話(信者を対象とした桐山氏の話)で、
「今度の伝法会で、諸君が布教活動につかえるすばらしい
占星術を伝授する」
と桐山氏は発表しました。
すでに伝法会を終了している信者までが金を出して参加しました。

ところが、講義内容は密教占星術奥伝そのものだったのです。
桐山氏は前に自分が伝法会で講義したことをすっかり忘れていたのです。
桐山氏は求聞持聡明法を修行して、
カメラやテープレコーダーのような記憶力をもっていると自称していました。
前の講義から十年もたたないのに、金をとって教えたことを
求聞持聡明法の体得者はすっかりお忘れになっていたようです。
受講生から苦情が出ると、桐山氏は、いつものように、
ヒステリックに受講生をどなりつけ、黙らせました。

しかし、桐山氏はこの時、大きなミスをしました。
341名無しさん@1周年:02/08/27 23:22
>337
昔、別院の例祭法話中1F本堂でノートワープロ操作してても何も言われませんでした。
それほど桐山は鈍感。職員もかなーり馬鹿きゃは。
342名無しさん@1周年 :02/08/27 23:22
「密教占星術奥伝」その3
桐山氏は密教占星術奥伝の講義録の一部をコピーして信者に配ったのです。
それは斉藤氏の本のコピーそのものでした。
桐山氏は、自分の講義が斉藤氏の本からの盗用であることの証拠を
自ら配ったのです。

桐山氏は、二つに分けてコピーして、別々の題名をつけて配りました。
その両者を組み合わせないと使えないように分けたのです。
自分は他から盗んできていながら、今度は、それが盗まれないようにと、
二つに分けて信者に配ったのです。

1989年に至るまで、桐山氏に対して、だれ一人、密教占星術奥伝が
斉藤氏の本の盗用であることを指摘しなかったのです。
もう10年以上たちましたから、桐山氏は
また密教占星術奥伝の講義をするかもしれません。

これだけ、桐山氏が手の内、頭の程度、根性をさらけ出しても、
ほとんどの信者は動揺もせず、ついていきます。
桐山氏よりも、信者を見ているほうがよほどおもしろいのです。
343名無しさん@1周年 :02/08/27 23:24
「天命殺」その1
桐山氏は、密教占星術では、運気の悪い時期として、
小天命殺
中天命殺
大天命殺(死期)
があると述べています。
名前からしてわかるように、天命殺は、天中殺を模倣したものです。
名前の模倣や、他人の占いを名前だけ張り替えて、自分のオリジナル
であるかのように公表するのは占いの世界では珍しいことではありません。
占い師に、占いへの道徳、倫理、品性を求めるのは無理でしょう。
しかし、桐山氏は宗教家であり、聖者を自称しているのですから、
占い師と同等ではありません。
桐山氏は、超人的能力の一つとして高い道徳性をあげていました。
占い師がやっているからといって、桐山氏が同じことをやって、
許されることにはなりません。

344名無しさん@1周年 :02/08/27 23:25
「天命殺」その2
中天命殺は天中殺そのものです。
阿含宗では、信者の中天命殺がいつであるかを出して下付しています。
天中殺を出すのに、今ならパソコンで簡単にできます。
智慧を説く阿含宗では手作業で出しているらしく、
計算まちがいと思われる中天命殺をもらった人がいました。
まちがっていることを指摘すると、その信者は
「これは仏様から下付されたものだから」とありがたく信じていました。
天中殺(中天命殺)など何の意味もないことは言うまでもありません。
時間の天中殺まで計算すると、人生の半分は天中殺です。
345名無しさん@1周年 :02/08/27 23:26
「天命殺」その3
小天命殺は九星を用いています。
元修行者さんが伝法会で聞いた天命殺はこの小天命殺のことです。
9年のうち2年が運気の悪い時期です。
生まれた年とは関係なく、全員が四歳、五歳で最初の小天命殺に
入り、以下、九年ごとに巡ってきます。
生まれた年などまったく関係なしに年齢だけで決まります。
同じ年の人が全員いっせいに運気が悪くなるという点だけでも、
小天命殺などいかに無意味かがわかります。

小天命殺、中天命殺は占いとしても意味がありません。
しかし、これを桐山氏側から見ると、大きな意味があります。

346名無しさん@1周年 :02/08/27 23:27

「天命殺」その4
小天命殺と中天命殺を合わせると、12年に最大で4年は運気の悪い
時期になります。
これだけ長いと信者を脅かすのにはたいへん効果的です。
4年もあれば、何かおこりますから、「天命殺が当たった」と天命殺を、
またそれを説く桐山氏をさらに信じるようになります。
信者は天命殺を避けるために、お守りやお札を購入します。
信者は「阿含宗を信じていれば天命殺も大事には至らない」
と教えられますから、いよいよ離れることができなくなります。
「信仰しているのにトラブルがおきた」という信者からの訴えにも、
「天命殺だから」とか「信仰しているからその程度で済んだ」
と言い訳に用いることもできます。
このように、天命殺は信者へのアメとムチとして、
桐山氏にとっては大きな意義があります。
347名無しさん@1周年 :02/08/27 23:28

「コンピューターによる因縁透視」その1
阿含宗では1983年頃からコンピューターを用いて、
人生全般の占いを「因縁透視」と題してやっていました。
桐山氏が業者に依頼してソフトを作らせました。
料金は最初は一万円くらいで、あとで値下げしました。
後に、ソフトがいかれたらしく、1990年頃、中止になりました。

「因縁透視」の中身は紫微斗数です。
元修行者さんの知り合いが指摘したように、種本は羅洪先の
「紫微斗数鑑法全書」で、和訳も売られています。
コンピューターの因縁透視の説明と、この本に書いてある説明を
比較しましたが、ほぼ丸写しです。
348名無しさん@1周年 :02/08/27 23:29

「コンピューターによる因縁透視」その2
両者には一カ所だけ違いがありました。
因縁透視には「霊障あり」(霊的な祟りがあるという意味)が出てきます。
それも、因縁透視が始まった頃は記入されなかったのに、
後になると、「霊障あり」が増えてきます。

因縁透視とはいいながら、中身は「○○の因縁」といった具体的な
脅迫文字がないため、インパクトが弱いのです。
そこで、「霊障あり」を乱発したのでしょう。
「霊障あり」を解決するためとして、一般の人たちには入信(入行)を勧め、
信者には1体10万円の解脱供養を勧めることができます。

349名無しさん@1周年 :02/08/27 23:29

「コンピューターによる因縁透視」その3
紫微斗数は生まれた時間の干支を元にして星を出します。
紫微斗数そのものである因縁透視も生まれた時間が必要です。
日本人で自分が生まれた時間を正確に知っている人は少数です。
因縁透視を申し込んだかなりの数の人は生まれた時間がわかりません。
これでは因縁透視を出すことができません。
では、桐山氏はどうやって、この難問を解決したのでしょうか。

生まれた時間を全部12時にして計算したのです。
紫微斗数は生まれた時間が違えば、出てくる星は違います。
このようなデタラメな解決法は普通の人では思いつきません。
桐山氏は天才です。

350名無しさん@1周年:02/08/27 23:30
ブッダのつづりって、Vだった、Bだった?
google で Vuddha で検索してみよう。
351名無しさん@1周年 :02/08/27 23:31
解脱供養も全体の流れをみるといろいろおもしろいものがあります。
その前に、せっかく出たので、因縁について書きます。

「因縁診断」その1
観音慈恵会時代、「お伺い書」で因縁を桐山氏に見てもらうことができました。
元修行者さんの時期には、桐山氏はすでにお伺い書を中止していたと思います。
1988年頃から現在まで、「因縁解脱修行宝鑑」で信者は因縁を教えてもらえます。
タダではもらえません。
一人以上導き(入信させること)がノルマです。
ノルマを達成したら、次に因縁診断士と面接して診断してもらいます。
因縁診断士が報告書を職員に出すと、職員は因縁解脱修行宝鑑の原稿を
ワープロで書き、最後に桐山氏がまちがっていないか確認します。
さて、その中身です。
352名無しさん@1周年 :02/08/27 23:31

「因縁診断」その2
因縁解脱修行宝鑑に書かれている因縁は、桐山氏が因縁を霊視して
いるのではなく、信者本人からの聞き取りを元にしたものにすぎません。
因縁診断士は信者とその家系の人たちの人生や病気、
死亡形態を聞いて、そこからその人の因縁を推測します。
たとえば、家系にガンの人が多いと、「ガンの因縁あり」と書きます。
信者は自分で情報を与えているのだから、気がついていいようなものですが、
桐山氏が最後に因縁を霊視していると信じているのです。

因縁解脱修行宝鑑に書いてあるの課行(ノルマ)に赤丸がつくことがありました。
これは桐山氏がつけたものです。
つまり、目を通してはいたのでしょう。
しかし、桐山氏のしたことは赤丸を付ける程度です。
因縁診断士や職員が決めた因縁を桐山氏が修正しているはずはありません。
それは次の事例を見ればわかります。

353名無しさん@1周年:02/08/27 23:32
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354名無しさん@1周年 :02/08/27 23:33

「因縁診断」その3
桐山氏本人による因縁霊視は1984年頃、一時復活したことがあります。
元修行者さんも覚えているかもしれません。
「三人の導き」です。
三人の信者を獲得すれば、因縁を桐山氏が霊視してくれるというものです。
こうして桐山氏の直筆の因縁霊視をもらった信者がいます。
その人たちが今度は、因縁診断を受けて、再度因縁を見てもらいました。
そして桐山氏直筆の因縁と、因縁解脱修行宝鑑の因縁とを比較しました。

一人目のケースです。
この信者の場合、桐山氏直筆の因縁霊視のコピーを因縁診断士に提出した
にもかかわらず、因縁解脱修行宝鑑に書かれた因縁はまったく違っていました。
宗務局(阿含宗の事務局)に苦情を言うと、苦情を言った因縁を書き加えた
ものを後でくれたそうです。
冗談のようなほんとうの話です。
桐山氏が霊視しているのなら、数年差で因縁がこれほど違うことはありえません。
因縁霊視以前の問題として、このくらい雑でいい加減なのです。
355名無しさん@1周年:02/08/27 23:34
Vuddhaだと、一件しかヒットしないね。
356名無しさん@1周年 :02/08/27 23:34

「因縁診断」その4
二人目のケースです。
因縁診断士に面接した時、桐山氏直筆の因縁霊視に書かれた因縁とは
まったく違う因縁が出やすいように話をしました。
その結果、因縁霊視の因縁とはまったく違う、そして話した内容に
そった因縁がそのまま書いてある因縁解脱修行宝鑑をもらったそうです。
本当に桐山氏が因縁霊視をして因縁診断士の書いた因縁を修正して
いるのなら、こんなことがおきるはずはありません。

このことを桐山氏に訴えれば、次のような答が来るでしょう。
「ウソを書いていることは霊感でわかっていた。師を試そうとする
不遜な態度を見抜いて、本人の申告どおりの因縁を書いてあげた」
この詭弁的言い訳に多くの信者は拍手して安心するでしょう。
本当に見抜けるならそのように書いて、桐山氏が自分の超人的能力の
一つとする「物事の明快な認識力」を示すべきです。

357名無しさん@1周年 :02/08/27 23:34

「因縁診断」その5
修行者座右宝鑑での因縁は次のように出しているのです。
因縁診断士が、信者から聞き出した個人や家系に関することを元に、
阿含宗でいう因縁にあてはめ、報告書を提出する。
職員は、その報告書を元に、因縁を書き込み、ワープロで打ちだし、
桐山氏に提出する。
桐山氏は目を通し、時には課行などに赤丸をつけるが、修正はしない。
そのまま信者に授与する。

修行者座右宝鑑の因縁は、信者の自己申告を元に、因縁診断士と
職員が適当に推測して書いているにすぎません。
こんな程度なら、自分で家系を調べれば十分です。
信者たちは、桐山氏が霊視してくれたものと信じて、ありがたく拝受します。
桐山氏にとって、信者の因縁などどうでもよく、赤丸をつけたように、
導き(信者獲得)など教団拡大に興味があるだけです。

358名無しさん@1周年 :02/08/27 23:35

「因縁診断」その6
修行者座右宝鑑には性格の長所と欠点が書かれます。
信者たちは、桐山氏が霊視して指摘してくれたものと信じています。
これは、誕生日の十二支から出てくる性格を元にして因縁診断士や職員が
書いているのです。
元ネタは桐山氏の著書「密教占星術T」にも書いてある淘宮術です。
生まれた年、月などの十二支占いから出る長所、欠点を適当に混ぜて書きます。
市販の暦の後ろなどに書いてある程度の性格判断です。
当然ながら、こんなものは当たりません。

悲惨なのは欠点です。
全てを透視する聖者から指摘された内容ですから、絶対的なものとして信じます。
欠点を露骨に並べられると、たいていの人はかなりショックを受けます。
それが性格の欠点として思いあたらないと、はずれたのではなく、
自分の潜在意識にあるのだと信じます。
女性に奥手な男性に「色情のまちがいをしやすい」と書いてあったため、
女性と同席することすら避けるようになった人がいます。

この程度の代物を修行者座右宝鑑と称して授けているのです。
桐山氏は信者をなめきっています。

359名無しさん@1周年 :02/08/27 23:36

「因縁診断」その7
因縁は適当に言っても当たります。
ガンは死亡原因のトップで、約30%です。
「ガンの因縁」と言うと、三人に一人くらい当たります。
「ガンの因縁」「脳障害の因縁」「循環器系障害の因縁」の三つを
書いておけば、ガン、脳卒中(15%)、心臓病(15%)などが
これに相当しますから、三人に二人は当たります。
三人に二人が当たれば、信者ばかりか、数字に弱い桐山氏も
自分の霊視能力のすばらしさを信じるでしょう。
しかし、これは霊視という予言ではなく、誰がやっても当たる、
単なる確率の問題です。

桐山氏は修行者座右宝鑑で、因縁を霊視しているのではなく、
信者に「因縁を付けている」だけです。

どうして手の内が簡単にばれてしまう因縁診断などするのでしょうか。
それには桐山氏にとっての背景と理由があります。

360名無しさん@1周年:02/08/27 23:36
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361名無しさん@1周年 :02/08/27 23:39

353、360は荒らしの方ですか?
スレの迷惑になるでしょうから、
削除依頼でもしましょうかねえ?



362名無しさん@1周年 :02/08/27 23:40

「因縁霊視」その1
因縁診断を最後に桐山氏が目を通すくらいなら、最初から、
桐山氏が自分で因縁を霊視すればいいようなものです。
なぜ、自分で因縁霊視をしないのでしょうか。

神田にある原書房は占い関係の有名な古本屋です。
そこで、十年くらい前でしょうか、信者が桐山氏を見かけました。
和服を着ているだけでも目立つのに、大きなマスクまでしていたそうです。
隠したいのか、目立ちたいのかよくわかりません。
桐山氏はこのように、占い関係の本を熱心に目を通しているのです。
運命を透視する超能力があるのなら、占いの本などいらないはずです。
363名無しさん@1周年 :02/08/27 23:41

「因縁霊視」その2
137にある、元修行者さんが京都道場で本の箱を見たように、
桐山氏は熱心に占いの本を読んでいます。
この本は天中殺を有名にした和泉宗章氏の師匠にあたる高尾政義氏の
「原典算命学大系」でしょう。
58万円くらいだったでしょうか。

一般信者にすぎなかった元修行者さんがこれらの本の箱を見つけても
おかしくはありません、
阿含宗がゴチャゴチャしているということ他に、桐山氏は頭隠して
尻隠さずのところがあります。
「どうせ、こいつらにはおれ様の手の内などわかりはしない」
と人を侮ったところがあるからです。

364名無しさん@1周年 :02/08/27 23:42

「因縁霊視」その3
桐山氏は因縁を透視する能力をもっているはずなのに、
熱心に占いの勉強をしています。
占いを使う言い訳として、
「いつもインスピレーションが働くとは限らないから、占いで補助するのだ」
と述べたことがあります。
言い訳どおりに占いを補助に、桐山氏が因縁霊視をすればいいではありませんか。
また、これはデタラメな因縁診断をしていることへの言い訳にはなりません。

「三人導きの課行」(160参照)での桐山氏による因縁霊視も、
全国で百人くらいが渡されただけで、自然消滅しました。
三人導きの課行は信者の数を増やす絶好の方法なのに、どうして、
桐山氏は辞めてしまったのでしょうか。

365名無しさん@1周年 :02/08/27 23:43

「因縁霊視」その4
因縁の一覧表を作り、桐山氏が信者一人一人の因縁を霊視して、印をつけ、
職員がそれを清書すれば簡単で確実ではありませんか。
桐山氏はこのやり方に次のように答えています。
「手で書いているうちにインスピレーションが浮かんでくるのだ」
桐山氏は「おしゃべりの因縁がある」と本人が言っているように、
時々、本音をもらします。
インスピレーションとは言い訳で、何か手で書いて、因縁を割り出して
いるのだ、と解釈できます。

このように、因縁診断などという子供だましの手法を用いていること、
熱心に占いの本を買い集めて勉強していること、インスピレーションの
言い訳をみれば、桐山氏のいう因縁霊視の中身の推測がつきます。
桐山氏は霊能力をもたなかった観音慈恵会創設当時、占星術から因縁を
出していたと述べています。
今でも、占星術を用いて因縁を出して、それを桐山氏は因縁霊視と
称しているのでしょう。
桐山氏は今でも占星術から因縁を出していると考えれば、彼の言動は
以下のように、よく説明がつきます。


366名無しさん@1周年 :02/08/27 23:43

「因縁霊視」その5
手作業で占星術の盤(ホロスコープ)を組み、そこから星、つまり因縁を
出すのにはけっこうな手間がかかります。
誰かにさせればいいが、桐山氏は因縁霊視の中身を絶対に公開したくありません。
桐山氏の最後の砦、伝家の宝刀だからです。
他人に教えないためには、自分でやるしかありません。
桐山氏は、三人導きの課行で因縁霊視を百人ほどやってみたが、手作業が
たいへんなので"中途挫折の因縁"を出してしまったのです。
これが三人導きの課行が自然消滅した理由です。

桐山氏が因縁を「霊視している」と称しているのは、占星術から出している
ことがばれないための工作であると同時に、他人にまねされないためです。
占星術だといえば、まねされるかもしれません。
しかし、霊視と言ってしまえば、誰もまねできません。

桐山氏の因縁霊視は占星術だけではありません。
桐山氏は占星術で因縁を出したり、信者からの自己申告による因縁診断を
適当に使い分けしています。
それは次の事例でよくわかります。

367名無しさん@1周年:02/08/27 23:44
ブッダって Vなのかな、Bなのかな。google やってみよう。
Vuddha だと日本語頁一件しかヒットしない。外国語の笑い物頁は
50個くらいはある。やっぱBなのかな?
368名無しさん@1周年 :02/08/27 23:45

「因縁霊視」その6
1987年頃、「ご指導願い」という制度がありました。
信者が桐山氏に文書で悩みを相談し、指導を受ける制度です。
重い病気を抱えたある信者がご指導願いを出すと、「横変死の因縁あり」
と下りてきました。
横変死の因縁とは、事故死、自殺、他殺などで死亡するという運命です。

この信者はその数年前に、三人導きの課行(160参照)を達成して、
桐山氏直筆の因縁霊視をもらっていました。
ところが、この因縁霊視には横変死の因縁はありませんでした。
この信者は三人の導きなど、言われたとおりの修行をしていたのに、
その数年の間に横変死の因縁を作ったことになります。


369名無しさん@1周年 :02/08/27 23:45

「因縁霊視」その7
160や161の事例と違い、168の信者の場合、二度とも桐山氏本人が
因縁霊視をしたはずなのに、違う因縁が出てきました。
その理由はこうです。
三人導きの因縁霊視の時は、桐山氏は占星術から因縁を出したのでしょう。
ご指導願いの時は、占星術から出すのが面倒だから、信者の病気の重さから、
適当に横変死の因縁と付けたのでしょう。
つまり、ご指導願いでは桐山氏は信者の自己申告による因縁診断をしたのです。

この件を桐山氏に質問したら、次のような答を言うでしょう。
「因縁とはカルマの種類を指している。私はカルマそのものを霊視している。
そのカルマをどのように分類し、名付けるかは、見方によって微妙に違って
くることがある。因縁を別々に分けて言わず、横変死の因縁として
まとめてしまうこともある」
信者の多くはこれで十分に納得します。
誰も見えない桐山氏の腹の中の話ですから、なんとでもご都合を言えます。
しかし、このようなもっともらしい言い訳よりも、占星術と因縁診断を
適当に使い分けたとみなせば、簡単に説明がつきます。
信じている桐山氏のご都合で、横変死の因縁を付けられた信者こそ大迷惑です。

370名無しさん@1周年 :02/08/27 23:46

「因縁霊視」その8
占星術と因縁診断が、桐山氏の言う因縁霊視の実態です。
だれか、桐山氏に占星術のソフトが数千円で売られており、
手作業でなくても、簡単に出せることを教えてあげてはどうですか。
きっと、急にインスピレーションが沸くようになって、桐山氏による
因縁霊視を再開してくれるかもしれません。
桐山氏は既存の占星術から出した星に因縁という名前を付けるか、
信者からの自己申告を因縁霊視と称しているにすぎません。

また、172の信者のケースからわかるように、占星術から出す因縁と、
因縁診断から出てくる因縁との間には何の脈絡もありません。
信者にわからないことをいいことに、桐山氏のご都合で使い分けているだけです。

なぜ桐山氏が自分で因縁霊視をしないで、因縁診断をさせているのか、
という疑問への答は次のようになります。

371名無しさん@1周年 :02/08/27 23:47

「因縁霊視」その9
長年の経験から、桐山氏は人を因縁で脅迫するのが一番効果的で
あることを知っています。
「ガンの因縁」「横変死の因縁」があると言われて、心穏やかな人はいません。
そのためにも信者に因縁を付けたいと、三人導きの課行で因縁霊視をしました。
しかし、手作業で占星術から出すのは桐山氏の負担が大きくてやってられません。
かといって、因縁を出すための占星術をコンピューターに入れるには、
中身を誰かに教えなければなりません。

最後に、桐山氏は簡単な方法をみつけました。
それは因縁を信者に自己申告させることです。
信者が申告した因縁に桐山氏は因縁霊視という「桐山ブランド」を貼るだけです。
桐山氏は何の労力もなく、因縁や性格の欠点などで信者を脅迫できます。
導き(入信)、解脱供養(十万円の霊供養)といったノルマを課して、一挙両得です。
因縁診断を物まねされても、一番大事な占星術の因縁霊視は公開しませんから、
桐山氏の手元に残ります。
こうして因縁診断士が登場し、因縁解脱修行者宝鑑が完成しました。
このような子供だましの方法で作った因縁解脱修行者宝鑑をありがたがっている
信者を見て、桐山氏は、自分は釈迦の智恵を体得した天才だといよいよ
確信したことでしょう。

372337〜:02/08/27 23:47
337〜
373名無しさん@1周年 :02/08/27 23:50

「脳梗塞」その1

阿含宗では、毎月1日に朔日護摩という行事があります。
桐山氏が護摩を焚き、話(法話)をし、通信衛星で全国の道場に配信されます。
1996年12月1日、桐山氏は護摩を焚いた後、
「口にできものができた」
と説明して、合い言葉だけを言い、話もせずに引っ込んでしまいました。
桐山氏の発音は不明瞭でした。

1996年12月の例祭(月一度の集まり)でもほとんど話をしませんでした。
かつては3時間以上も話をしていた桐山氏としては驚くべき変化です。

1997年1月1日の初護摩(正月の護摩)では、最後まで
「あけましておめでとう」の一言がありませんでした。
1996年のモンゴルでの護摩の件を書いた文章を脈絡なく読み上げただけでした。
頭の中で文章を構築することがうまくできないらしく、
ニコニコしているだけで、間合いが持てないまま、退場しました。
その後の朔日護摩(毎月一日の行事)の話では原稿を読みました。


374名無しさん@1周年 :02/08/27 23:51

「脳梗塞」その2

桐山氏は、1996年12月1日には、口の中にデキモノができたといい、
次には入れ歯で舌を噛んだと言いました。
理由がこのように二転三転しました。
インプラント(人口歯根)で舌を噛んだとも言いました。
例祭(月一度の集まり)では、そのインプラントを舌の上に出して見せました。
だが、インプラントは骨に埋め込みますから、舌の上に出せるはずがありません。
あれはただの入れ歯です。
オシャレなはずの桐山氏が、この年寄りじみたパフォーマンスを見せたのは、
大したことはないのだと信者を説得したかったからでしょう。

桐山氏はラ行の発音が不明瞭だが、話はできました。
前述の初護摩での様子を見てもわかるように、
まとまった文章が頭から出てこないという状態です。
これは口のデキモノや舌を噛んだというのでは説明がつきません。
口の中ではなく、文章を作る脳の機能に障害がおきたのです。
一番考えられるのは脳梗塞です。


375名無しさん@1周年 :02/08/27 23:52

「脳梗塞」その3

北海道の信者の一人が、「猊下(桐山氏)のご病気・・・」と例祭で言うと、
桐山氏はカンカンになって怒り、「おれは病気ではない」と言い返しました。
それでいて、1999年に出た本では、「身体の不調」で入院し、
回復までに二、三ヶ月かかったと書いています。
桐山氏は脳梗塞になったことを認めたくなかったのでしょう。
桐山夫人は、この時期、激ヤセをしています。

脳梗塞の後、護摩を焚いている最中に桐山氏の動きが止まった事がありました。
信者は桐山氏が火界定(火の瞑想)にでも入ったと思っていたでしょう。
内陣(護摩を焚いている所)はパニックになっていたのです。
以後、法務部(専属の僧侶)と護摩を焚く手伝いの信者には、
桐山氏がフリーズした場合、どうするべきかの指示が出ていました。
20年以上も焚いて、身体で覚えているはずの護摩すらこの有様でした。

それでも、信者の多数は舌を噛んだと信じていました。

376名無しさん@1周年 :02/08/27 23:53

「脳梗塞」その4

桐山氏の脳梗塞は前に兆候がありました。
1996年3月の約一ヶ月間、桐山氏は突然行事出席をすべてキャンセルしました。
桐山氏は
「風邪で咳き込んでいても、護摩を焚いている時にはピタッと止まる」
と豪語し、例祭(月一度の集まり)を欠かしたことがないのが自慢でした。
その桐山氏が一ヶ月近くも行事をキャンセルするなど、ただ事ではありません。
脳梗塞の症状があったのでしょう。
当時の禿○局長は「例祭を自分たちだけでやってみるように言われた」
などと、取って付けたような言い訳を並べました。
古い信者は桐山氏の性格を知っていますから、言い訳に疑いもっていました。
桐山氏は病気を軽くみたのか、この後6月にはモンゴルで護摩を焚いています。

2000年1月にはまたしても例祭を休みました。
1月初めから体調を崩していたと述べています。
3月、12月、1月といずれも老人が病気をしやすい寒い時期です。


377名無しさん@1周年 :02/08/27 23:54

「脳梗塞」その5

信者で、老人病棟に長年勤めている看護婦は次のように話しました。
「管長(桐山氏)は脳梗塞だ。多発性脳梗塞ではあるまいか。
自分が勤めている病院の老人にはありふれた症状だ。
管長が脳梗塞なのは調べてみるまでもない。
信者が管長の、舌を噛んだという言い訳を鵜呑みにしているのが信じられない」

当時まもなく77歳になる老人が脳梗塞になるのは驚くことではありません。
年をとれば、だれでも病気くらいします。
桐山氏もまた普通の老人と同じだということです。

1997年1月末の例祭(月一度の集まり)で40分、2月は90分の話をしました。
数ヶ月でこれだけ回復するには、リハビリに桐山氏は努力したのでしょう。
同じ年代、同じ病気の老人には模範であり、励みです。
桐山氏が普通の老人であるなら、そのとおりです。

だが、自分は普通の人間ではない、超人的能力の持ち主だと売り込み、
長年宣伝してきたのは桐山氏本人です。


378名無しさん@1周年 :02/08/27 23:54

「脳梗塞」その6

桐山氏は、5つの超人的な能力を持つと宣言していました。
その一つに「強靱な体力と卓越した精神力」をあげています。
短時間睡眠でバリバリ仕事をこなし、病気一つしない体力を持っている
というのです。
だが、77歳で脳梗塞になり、80歳の現在も病気を患っているという現実は、
彼の身体が普通の人と同じであることを証明しています。

2000年2月11日の京都の星まつり(年一度の大護摩)では、桐山氏は
総本殿から会場までゴルフで使うようなカートに乗って往復しました。
昔、桐山氏は、他の教団の大護摩で、イスに腰掛けている老人の山伏を
罵倒して、「山登りもできなくなったら、おれは引退する」と言いました。
その桐山氏が、国道1号から護摩の会場までの山伏が行進する山登りを
やめて、会場入口の少し手前から加わるようになって、しばらくたちます。
今年は総本殿と護摩の会場の間すら、自分の足では歩かなくなっています。

桐山氏の売り物であった超能力の一つが否定されました。
ただ、これは問題としてはむしろ小さいほうです。
教祖の脳梗塞は、阿含宗にとって別な重大な意味があります。


379名無しさん@1周年 :02/08/27 23:55

「脳梗塞」その7

桐山氏によれば、彼が持っていた因縁は、
刑獄の因縁、ガンの因縁、強い中途挫折の因縁
となっています。

脳梗塞は彼の因縁の分類からいえば、脳障害の因縁になります。
桐山氏は、自分は脳障害の因縁があると述べたことも書いたこともありません。
また、どのような因縁を持とうが、彼は「因縁切りの大将」で、
因縁解脱を宣言していたのだから、すべての因縁が切れていたはずです。
すべての因縁が切れていたら、脳梗塞になるはずがありません。

現実には脳梗塞という老人には珍しくもない病気を患っています。
自分は因縁を透視する力がある、自分は因縁を切る力をもっている、
自分はすべての因縁を切った、と主張したのは、桐山氏自身です。
この現実を見るなら、次のような結論が出てきます。
●桐山氏は因縁を透視する力はない。
●桐山氏は因縁を切る力はない。
●桐山氏は因縁が切れていなかった。


380名無しさん@1周年 :02/08/27 23:56

「脳梗塞」その8

桐山氏は、自分は完全に因縁を切ったと宣言しています。
48〜49歳でガンになって死ぬ予定だったが、洗い出しが出て、
因縁が切れたという話を、因縁切りの実例として何度も出しています。
「洗い出し」とは、因縁が切れる時、ガンとそっくりな症状が最後に出るが、
以後、ガンにはならないというものです。
48〜49歳でガンで死ぬと予言していたのは桐山氏だけで、誰かが根拠を
確認したことではありません。
ガンの洗い出しと見る前に、心理学に精通しているという桐山氏なら、
まず自己暗示を疑ってみるべきでした。

京都に総本殿を作ったことが強い中途挫折の因縁が切れた証拠だと言いました。
自社ビルを建てたのが証拠だと言われても、宗教的な説得力がありません。
桐山氏が始めておきながら、中途挫折した例はたくさんあります。(一例169)

1990年、アメリカの警察署長の組織にお金を寄付して、勲章を
もらった理由として、
「刑獄の因縁が完全に切れたことを仏様が証明したのだ。
これで自分は完全に因縁が切れた」と述べました。
因縁を透視できる人が、仏に勲章で証明してもらわないとわからないの
でしょうか。
これは勲章をもらうための言い訳にしか聞こえません。

勲章をもらう前の1987年、桐山氏が作り、光和食品(阿含宗の系列)が
売っている密教食が薬事法違反で、各新聞に大々的に報道されました。
桐山氏は最高責任者として横浜港南警察の事情聴取を受けています。
横浜簡易裁判所から罰金二十万円の略式命令を言い渡されました。
これは刑獄の因縁が完全に切れる前の洗い出しだったのでしょうか。

381名無しさん@1周年 :02/08/27 23:57

「脳梗塞」その9

桐山氏は運命的な因縁よりも、心の因縁(煩悩)が切れたかすら疑問です。
桐山氏はどうしてあれほどヒステリックなのでしょうか。
自分の落ち度や誤解であっても、すぐに周囲の者をどなりつけます。(一例136)
信者には反省を説きながら、桐山氏は「瞬間湯沸かし器だ」「ちょっと気が短い」
などと自己弁護するだけです。
桐山氏のヒステリーは性格の欠点ではなく、人格の欠陥です。

桐山氏は毎年のようにたくさんの勲章や名誉を、大金を払ってもらっています。
名誉欲など解脱したはずの聖者が、どうしてあれほどの名誉をほしがるのですか。

このように、桐山氏の説く因縁論は、因縁切りの模範としている本人の
どこをとっても、成り立っていません。

では、信者の因縁切りはどうでしょうか。

382名無しさん@1周年 :02/08/27 23:57

「脳梗塞」その10

因縁切りを教団の表看板にしている割には、信者の例は少数です。
阿含宗の系列会社である光和食品の舟○氏は、信者の前で桐山氏から
「95%因縁が切れた」と太鼓判を押されました。
因縁が切れた割には、根性が悪く、威張りたがり屋、傲慢不遜が直らない
のは、残りの5%か、それとも根性を治すサプリメントがないからでしょうか。
舟○氏は、95%切れる前の1987年、密教食の摘発で、桐山氏と同様に、
横浜簡易裁判所から罰金の略式命令を受けています。(236参照)

長年阿含宗に貢献して、理事職にいる信者は、三人導きの課行(160参照)で
もらった因縁霊視(165〜参照) に「因縁は全て切れた」と書いてあったそうです。
その後も、この信者は持病の胃腸を患い、奥さんを亡くし、苦しんでいました。

この他にも何人か桐山氏に因縁が切れたと言われた人たちがいます。
これらの人たちは、因縁が切れたと言われた事の他に、一つの共通点があります。
それは桐山氏に長年貢献し、絶対服従の人たちだということです。
桐山氏の言動にどれほど矛盾があろうが、不当に自分のメンツをつぶされようが、
信者がどれほど苦しもうが、桐山氏には決して逆らわず、礼賛を繰り返します。
桐山氏のお気に入りになると因縁は切れるようです。

信者の因縁切りの例は少ないが、切れなかった例はたくさんあります。

383名無しさん@1周年 :02/08/27 23:58

「脳梗塞」その11

1994年暮から1995年初頭、信者たちの間にショックが走りました。
関東別院(東京にある本部)でトップの座に君臨した先達(指導的信者)の
松○氏(60代?)、その子分だった某県の世話役の坂○氏(40代)、
阿含宗に莫大な寄進をしていた三○氏(七十数歳?)、
某道場の光和食品(阿含宗の系列)の職員(30代)が亡くなったのです。
この四人は全員がガンで亡くなりました。

松○氏は六百人の信者グループ(ファミリー)のチーフであり、
職員など彼女の鼻息で吹き飛ぶほどの権力をもっていました。
坂○氏は、松○氏の指導の元、信者たちに借金をさせるほどの
強引な数字の成果を上げて、阿含宗側から高い評価を受けていました。
桐山氏は梵行(阿含宗への貢献)で徳を積むことが最高であると説きました。
二人とも、桐山氏の言う梵行の最先端にいた信者です。

関東別院の仏が安置されている内陣の荘厳(法具や装飾)のすべては
三○氏が寄付したものだとさえいわれています。
桐山氏は、阿含宗の仏に供養して、徳を積むと因縁が切れると言います。
三○氏ほどの金の供養をしても、ガンの因縁は切れないようです。
桐山氏は、人の寿命を延ばせると法力を自慢していました。
三○氏ほどの金の供養をしても、平均寿命まですら延命できないようです。
三○氏の何千分の一も供養していない一般信者はどうなるのでしょうか。

桐山氏は常々、栄養学を説き、光和食品の高額なサプリメント
(栄養補助食品)を買うように信者に勧めています。
阿含宗の公報ともいえる「阿含宗報」は、8〜10ページのうち光和食品と
栄養学の宣伝で2〜3ページを占めています。
その宣伝の模範になる光和の職員が、若くしてガンで亡くなりました。
阿含宗も光和食品のサプリメントもガンに対しては何の効果もないことを
証明したようなものです。

384名無しさん@1周年 :02/08/27 23:59

「脳梗塞」その12

ガンが死亡率のトップですから、この人たちがガンで死ぬことは
不思議なことではありません。
しかし、桐山氏の因縁切りの理屈からいくと話は別です。
4人は阿含宗の中で、それぞれに模範的な立場の信者たちだった点です。

4人は、自分の命をもって桐山氏の言う因縁切りが空理空論であることを
証明したのです。

これに対して、熱心な信者たちは次のような言い訳を考えます。
「解脱供養(10万円の霊供養)を出していなかった。我(ガ)で修行していた。
言われたことをやっていなかった。徳積みが足りなかった。
お金を出すだけでは足りなく、心構えがまちがっていると因縁は切れない。
カルマが強すぎて、因縁切りが間に合わなかった」

死人に口なしで、死んだ人に責任をすべて押しつけます。
桐山氏がなぜ先達(指導的信者)である彼らを指導しなかったのか、
桐山氏の因縁論がおかしくはないか、という桐山氏への疑問には結びつきません。
そして、桐山氏が最も得意とするように、都合の悪いことは信者も忘れます。

385名無しさん@1周年 :02/08/28 00:00

「脳梗塞」その13

桐山氏本人も信者にも、因縁切りによる運命転換がなされた例は見あたりません。
桐山氏は因縁を透視(因縁霊視)できると宣言していました。
その中身は占星術か因縁の推測(因縁診断)です(165〜参照)。
だから、桐山氏が自分の脳障害の因縁(脳梗塞)を透視できなくても当然です。
桐山氏の脳梗塞は、因縁霊視がこの程度の稚拙なものであることの証明にも
なっています。

どんな因縁があるか透視するのは、誰でしょうか?
因縁を切れたかどうか透視するのは、誰でしょうか?
すべて桐山氏だけです。
だれも客観的に評価も、比較もできないのです。
桐山氏は、自分で試験問題を作り、自分で答案を書き、自分で点数を付け、
その点数だけを公表しているにすぎません。
桐山氏のいう因縁(試験問題)がほんとうにあるのか、その因縁とはどのような
ものか(答案)、因縁がどの程度切れたのか(点数)、誰一人わからないのです。
桐山氏の作り出した阿含宗は、因縁に限らず、すべてにおいて、
外部からは客観的な評価のできない、一種のブラックボックスです。

386名無しさん@1周年 :02/08/28 00:01

「脳梗塞」その14

桐山氏の説いた阿含宗の特徴は、
・因縁切り
・霊障解脱
・超能力開発
の三本の柱からできています。
脳梗塞は、因縁切りがウソであることを桐山氏が身をもって証明した重大な
事件です。
教祖すらも切れない因縁なのに、信者が切れるはずがありません。
教祖自らが、自分が唱えた宗教の三本柱の一つを倒したのです。
教祖自らが、因縁切りが成り立っていないことを実証したのです。

因縁霊視の中身、桐山氏と信者の因縁切りの結果は、
桐山氏の説いた因縁論が根拠のない空中楼閣であることを示しています。

387名無しさん@1周年 :02/08/28 00:02

「脳梗塞」その15

桐山氏の脳の老化現象は脳梗塞の少し前にもみられました。
1996年6月に出版した「脳と心の革命瞑想」でパール瞑想を売り物にしました。
7月にはノルマを達成した信者に一万円でパール瞑想を講義しました。
午前中は前にやった講義のビデオを流しただけでした。
午後になって桐山氏の講義が始まっても、一向にパール瞑想が出てきません。
講義が終わる頃、職員が桐山氏に耳打ちしました。
それから終了までの約10分ほど、桐山氏はパール瞑想の講義をしました。

桐山氏は、自分がパール瞑想をエサに信者を集めたことすら忘れていたのです。
信者にノルマをかけ、金をとり、一日を費やさせ、「君らにこんな難しいことを
教えてもねえ」ともったいをつけ、本に書いてある事を10分程講義しました。

講義に出席するためのノルマは護摩木10万円分を買うことでした。
これを買うと、もれなくチャクラペンダントがもらえます。
講義でチャクラペンダントを使うから必要だという話でした。
しかし、講義ではまったく使わなかったし、一言の説明も出てきませんでした。
その後も、桐山氏がチャクラペンダントの使い方を講義したことはありません。
護摩木の本数を増やすための毎度の手段です。

講義に出ると瞑想用の真珠をもらえるというのが前宣伝でした。
クズ真珠なら大した値段ではありません。
しかし、桐山氏は準備することすら忘れていたのでしょう。
講義では、桐山氏は観想(空想)で真珠を受け取るように信者に言いました。
桐山氏の投げる目に見えない霊的な真珠を信者は両手で受け取りました。
存在しない真珠を桐山氏が投げ、信者が手を出して受け取るという茶番じみた
光景は、桐山氏の頭の中をそのまま表していました。

桐山氏はサービス精神のない人ではありません。
その桐山氏は信者の気持ちやいらだちすら読むことすらできなくなっていました。
388名無しさん@1周年 :02/08/28 00:02

「脳梗塞」その16

桐山氏の脳梗塞は、老化という自然現象の一貫として起こったことです。
その兆候は、ずいぶん前から見られました。
1990年代から桐山氏の本には独自性がなく、焼き直しばかりになりました。
真偽はともかく、それまでの桐山氏の本にはそこそこの独自性がありました。
脳梗塞を患った前後に出た本は、前の本からの引用がしだいに多くなります。
この時期、全4章のうち2章が前の本からの章ごと転用とか、
400頁のうち、新しく書いたのは最初の30頁だけ、などという本があります。
みっともない本は出さなければいいのですが、本人は気がつきません。
本人は前に進んでいるつもりでも、同じ所を回っているのが老化の特徴です。

桐山氏は突然脳梗塞になったのではなく、その前からはっきりと老化現象が
彼の本や行動に現れていたのです。
脳梗塞は、老化という坂にあった石につまずいたようなものです。
脳梗塞を克服しても、老化という自然の坂には逆らえません。
桐山氏は、普通の人と同じように、老化の坂を落ちつつあるのです。
坂を落ちれば落ちるほど、桐山氏の説いた阿含宗の3本の柱(264)が成り立って
いないことを、自ら証明してくれるでしょう。

桐山氏が脳梗塞になったのは老化だけが原因ではありません。

389名無しさん@1周年 :02/08/28 00:03

「なぜ脳梗塞になったか」その1

桐山氏が脳梗塞になっても不思議ではありません。
77歳の老人であった点、そして、彼の生活ぶりです。
たいへんな夜型の人間です。
明け方まで起きていることも珍しくないと本人が書いています。

もう一つは食事です。
桐山氏は美食家で、ホテル・オークラは彼の食堂です。
店での料理は塩分や油分が多く、血管に悪い影響を与えます。
クンダリニーを覚醒して、身体を自由にコントロールできるという割には、
桐山氏は腹に脂肪がついています。
そのことを暗に指摘されると、「少し太っているほうが体力が維持できる」
と自己弁護していました。

桐山氏が関東別院(東京の本部)で、ビールを飲んで、フラフラになって
いるのをある職員がたまたま目撃しました。
この職員は驚いて、このことを周囲に話したために、クビになりました。
自然のサイクルを無視した生活と、美食と、酒を飲むような不節制をしていれば、
脳や身体が壊れるのは当たり前です。


390名無しさん@1周年 :02/08/28 00:04

「なぜ脳梗塞になったか」その2

食事については、桐山氏は気の毒な面があるかもしれません。
30代半ばで家を出てしまい、以後、家庭の味がありません。

関東別院(東京の本部)に、家庭料理の上手な信者がいました。
桐山氏は自分の料理人になってくれるように依頼しました。
この信者は自分の家庭があるので、断りました。
桐山氏の依頼を断ったことが引き金となり、この信者は様々な意地悪にあい、
阿含宗をやめました。

この信者の子供は法務部(専属の僧侶)で僧侶をしています。
桐山氏の行く先々で、この僧侶は桐山氏の目に触れないように、排除されます。

391名無しさん@1周年 :02/08/28 00:05

「なぜ脳梗塞になったか」その3

美食と同時に、桐山氏の食事の偏りを指摘する声もあります。
桐山氏は昔、玄米菜食主義を主張していました。
「変身の原理」「密教占星術T」では肉食の弊害を説いています。
当時の信者の、肉食をし、酒を飲んでいたという目撃談もありますから、
本当に桐山氏が玄米菜食を守っていたかどうかはわかりません。

1986年頃、突然、彼は方向転換し、肉食の必要性を認めます。
同時に、サプリメント(栄養補助食品)を重視します。
方向転換したとき、すでに桐山氏は66歳です。
若い頃からの長年の偏食が身体に重大な影響を与えていたのでしょう。

392名無しさん@1周年 :02/08/28 00:06

「なぜ脳梗塞になったか」その4

サプリメント(栄養補助食品)の過剰摂取の指摘もあります。
桐山氏は、自分の身体を実験台にして大量摂取していることを自慢していました。
阿含宗カルフォルニア道場の職員に、アメリカのサプリメントを直接
送らせていました。
桐山氏は科学コンプレックスがあります。
研究者の成果を鵜呑みにして、最新の栄養学の知識を自慢します。
桐山氏は良いと言われるサプリメントを大量に摂取していました。
過剰な摂取分の分解には肝臓などに大きな負担をかけます。
桐山氏のような老人の肝臓などは弱っていますから、なおさらです。
過剰な栄養素の摂取が身体にどんな影響があるかは、科学的にもまだ
十分にはわかっていません。
しかし、桐山氏の結果を見れば、逆効果であった可能性が高いでしょう。

393名無しさん@1周年 :02/08/28 00:06

「なぜ脳梗塞になったか」その5

桐山氏の栄養学の目的は二つあります。
・自分の食生活の言い訳
・光和食品(阿含宗系列)がもうけるため

煩悩をすべて断ち切ったはずの桐山氏は食欲という本能が押さえられません。
その言い訳に、桐山氏は
「おれは人の三倍食べて、五倍働く」
桐山氏の栄養学は、おいしい物を好きなだけ食べて、サプリメントで健康を
保つというものです。
自分の食欲はおもむくままにして、サプリメントでごまかすのです。
桐山氏は、
「錠剤を飲めば栄養がとれて、後は何を食べてもいいような時代が来る」
と、あたかも未来予測であるかのように言いました。
これも、自分はサプリメントを取っているから、何を食べてもいいのだという、
食欲と美食への言い訳にすぎません。

幸い、桐山氏の栄養学をそのまま実行するのは普通の信者には無理です。
自分の身体を壊すほど飲む前に、光和食品で財布を壊すからです。

394名無しさん@1周年 :02/08/28 00:07

「なぜ脳梗塞になったか」その6

桐山氏の短時間睡眠も脳に悪影響があったと考えられます。
桐山氏は超人的能力の一つとして短時間睡眠をあげていました。
桐山氏は他人を踏み台にして自分のすごさをアピールするのが好きです。
桐山氏は「八時間も寝る奴はバカだ」と述べたことがあります。
桐山氏は「一日八時間睡眠には科学的根拠がない」と話しています。
根拠はあります。
一日八時間の睡眠をとっている人が最も長生きするという調査があります。
長年の短時間睡眠による脳や身体への影響が蓄積され、脳梗塞や体調不良を
引き起こした可能性があります。

以上のように、桐山氏の脳梗塞は、因縁、霊障、超能力をもってこなくても
説明がつきます。
桐山氏は病気になっても何の不思議もない生活を長年続けているのです。
桐山氏がこれまで病気をあまりしなかったのは、若い頃、結核を患ったことを
除けば、元々身体が丈夫だったからでしょう。


395名無しさん@1周年:02/08/28 00:23
>>337 〜 >>394 
こういう性格の方が阿含宗を叩くからには、返って
阿含宗はその対極にあるという証明になる。
人は自分と同類を好み、他種を嫌うものだ。
396名無しさん@1周年 :02/08/28 00:39


>395
>こういう性格の方が阿含宗を叩くからには、返って
>阿含宗はその対極にあるという証明になる。
>人は自分と同類を好み、他種を嫌うものだ。

そうですよねえ、年中エロコピペや空白荒らしを作って
批判スレに嫌がらせ小細工する阿含宗の信者って、
一般社会の常識から見ても対極にあるという証明になりますね。

>人は自分と同類を好み、他種を嫌うものだ。

だからよー痴猿と呼ばれている信者は
詐欺師桐山を好み、詐欺性を告発する側の阿含宗批判者を
嫌うんですね。
よ〜く判りました!

397ダイエッター:02/08/28 00:44
嵐は去った? 知り合いの阿含宗の方に、瞑想と勤行で
やせられるって聞いたのですが本当でしょうか。本当なら
やってみようかなと思うのですが。
398名無しさん@1周年:02/08/28 07:29
ふー、意外と短い発作だったね。発作の原因は、阿含宗と言う宗教26の謎の書きこみ。
399名無しさん@1周年:02/08/28 07:31
>301 :名無しさん@1周年 :02/08/26 16:12
http://homepage3.nifty.com/mitsumonkai/home.html
>金鶏山 真成院(高野山真言宗)
>密門会ホームページ にとても素晴らしい事が載っているよ。
>302 :名無しさん@1周年 :02/08/26 16:15
>阿含宗の方へ。阿含宗なんて捨てて密門会に入ろう。

私は真言易行で救われました。阿弥陀信仰も真言信仰
と一緒にできるんだよ!


400名無しさん@1周年:02/08/28 07:32
>>399 これって、阿含宗と何か関係あるんですか?初めて聞く組織なんですが。
401名無しさん@1周年:02/08/28 07:38
>>399 そんなちゃんとした宗教法人が他宗を長期間に渡って中傷誹謗し
たりするとは思えないんだけど。スレッドにして1000コメント弱×26個、
中傷誹謗を続けているでしょう? しかも、証拠品(スレッドアドレス)
をスレッド毎に巻頭に掲げているしね。
402名無しさん@1周年:02/08/28 07:56
ここは密門会その他の反対者が専属で連続カキコしているとろだな。
他スレと趣が違う。元信者のカキコは少ないと見た。
匿名掲示板を隠れ蓑に批判するとはエゲツないな。
403名無しさん@1周年:02/08/28 09:21
じゃあ、335からあらしが始まってますので。335〜400をオミットして
はじめましょう。


>>334 :名無しさん@1周年 :02/08/27 22:42
苦諦=生苦・老苦・病苦・死苦・愛別離苦・怨憎会苦・
   求不得苦・五取蘊苦(五盛蘊苦)
集諦=渇愛(三愛=欲愛・有愛・無有愛)
滅諦=渇愛の滅
道諦=八正道(正見・正思惟・正語・正業・正命・正精進・正念・正定)



>>335 :名無しさん@1周年 :02/08/27 22:57
阿含宗ご法話は録音禁止なんですよね?
ICレコーダーとか、MDレコーダーで録音してもダメかな。
ICレコーダーだと見つからないですよね。
カメラ、録音機のチェックなどはありますか?


>>336 :サンサーラ :02/08/27 23:05
>>334さん、
集諦=渇愛(三愛=欲愛・有愛・無有愛)、滅諦=渇愛の滅

>>323 >>324 の
有(存在)とは。三つの存在、
欲界すなわち欲望の世界における存在、色界すなわち物質の世界における存在と、
無色界すなわち抽象の世界における存在である。

愛(渇愛)とは何。六つの渇愛がある。
物にたいする渇愛、声にたいする渇愛、香にたいする渇愛、味にたいする渇愛、
感触にたいする渇愛、*法にたいする渇愛がそれである。比丘たちよ、それを
愛というのである。


この二つが微妙に混ざった概念だと思いませんか?



404バウ ◆pyDQkkJ2 :02/08/28 09:30
>>397 ダイエッターさんはじめまして。
瞑想でダイエットですか!人間の深層意識を探るとその人の体重って
その人の希望どおりかもしれませんね。無意識の層で自分で一線を
引いている。「ここまでは大丈夫」とか。その一線を変えるためには、
瞑想も良いかもね。あと、阿含宗では仏様にお花を捧げると姿形が
美しくなると言われています。これは、うちの家族もそうですよ。
405バウ ◆pyDQkkJ2 :02/08/28 09:36
えーと、どこを見たら良いのかな。335以前ですね。
406バウ ◆pyDQkkJ2 :02/08/28 09:41
>>335 阿含宗のご法話は録音禁止だと思いますよ。だって、そのまま出版
とかされると困るもんね。あと、社内の朝礼に使うとか??
僕はコンサートではMDを使ってます。マイクをバッグからチョコット出して。
音質もCD並。違反だけど、まあ、人に聞かせるわけじゃないし。、、でも、たまに
ダビングして友達に上げることもある。これくら良いよね?
阿含宗は禁止です! (コンサートはOK?)
407バウ ◆pyDQkkJ2 :02/08/28 10:23
>>909さん、270番前後だと思うのですが。

909
>神道の「鎮魂帰神」法というものがある。

>招霊法なるものは、インドやチベットへなど行かなくても、
>日本により完璧な形で伝承され、平田篤胤が行法の形に。

>招霊においては、必ず霊の正体を見抜く「沙庭(さにわ)」と呼ばれる試験

教えていただいてありがとうございました。そちらのほうは勉強不足です。
ちょっと恐いんですね。ただただ猊下の解脱供養・冥徳供養を信じるばかりです。
まあ、効果を感じ取ることができているので、信じているのですが。
408バウ ◆pyDQkkJ2 :02/08/28 10:26
>>275さん、私にいただいたコメントかどうか確認していないのですが。

>>275 :名無しさん@1周年 :02/08/27 00:09
>シッダルタは当時の霊的なものを見世物、売りとしていた宗教や加持祈祷の類を
>否定してませんか?? しかも「真のバラモン」って・・・

僧侶が加持祈祷を生業(なりわい)とすることを否定したんだと私は思っています。
また仏陀の時代には「仏教徒」はいなかったと思います。みんな自分たちを「真の
バラモン=求道者」だと思ってた。
キリストがご自分を「真のユダヤ教徒、真に神に仕えるもの」と規定されてたの
と同じではないですか。(キリスト教のことは知らないので想像です。)
409バウ ◆pyDQkkJ2 :02/08/28 10:28
>>275 さん
>雨が降るのは「雨が降るべくして降った」だけ、ましてや「超能力」なんぞ
>まやかしでありただ人を惑わせるものでしかない。

これは統計学と確率で推論するしかないですよ。どの程度の確率でそれらのことが
起こりうるか。モンゴルの気象はモンゴルの方が一番ご存知ですよね。そのモンゴルの
方々が、管長猊下を「雨を降らせてくれた貴人」と称賛されているのです。狭い地域の
火災じゃないですよ。草原火災は地下5〜60cmの根が焼けていく。熱のベルト、
溶岩流
のようなものです。少々の雨量では消えないのですよ。それが北海道全域の広さです。
410バウ ◆pyDQkkJ2 :02/08/28 10:35
北海道全域の面積に広がった溶岩流が、一夜にして鎮火する。
このすごさはモンゴルの気象に詳しいモンゴル人が一番分かるのでしょうね。

「大脳新皮質が奇蹟を嫌う」と言う話が出ていましたが、あの時の筑紫哲也
さんのニュース番組がすごかったです。モンゴル火災の被害と消火の様子を
取材に行っていたみたいですね。その取材記録の放送日には、もう鎮火して
いたんですよ。たぶん数日立っていたと思う。じゃあ「ただ単に雨が降って
鎮火した」と粛々と放送すれば良いと思うんだけど。新皮質はそれを拒否し
ました。鎮火前の消火の様子を延々と放送していましたよ。奇蹟に納得でき
なかったんでしょうね。

あれだけ大火災のニュースを流しながら、鎮火のことはどの会社もほとんど
触れなかった。「そんなもの、納得いかない!!」だったのだ思う。
411バウ ◆pyDQkkJ2 :02/08/28 10:36
立っていた→経っていた
412バウ ◆pyDQkkJ2 :02/08/28 10:38
>>275 さん、
>超能力の存在如何は別としてもそもそもそれで人は救われるのですか?

モンゴルの火災は降雨法ではなく仏陀の成仏力、迷える霊を助ける力で
行われたと言われています。地域の霊の平安が、国家の平安、家庭の平安、
個人の平安につながっていくことは阿含経にも記されている通りです。
413バウ ◆pyDQkkJ2 :02/08/28 10:43
909
>反面教師という意味で、「阿含宗の下地」が役に立ちました。

909さん、誰かが他のスレッドに書かれてましたが、宗教教団って
「キリマンジェロの雪」だと思うんですよ。頂上に雪があればいい。
あとは「因縁持ち(懐かしい言葉でしょう?)」だから泥の山ですよ。
泥道に足を取られて、頂上の雪の美しさを忘れちゃったらだめですよ。
(自戒の言葉でもある)。
ぜ〜んぶ泥の山なら、立ち去ったほうが良いと思いますけどね。
414バウ ◆pyDQkkJ2 :02/08/28 10:48
>909さん
>不成仏霊も、解脱供養も、阿含経のどこにも書いていない概念です。もちろん、
>道元もそんなものは認めていません。

不成仏霊は阿含経に書かれていますよ。管長猊下のご著書にも経典が多数引用され
ています。「この身破れて、異蘊生ず」と。また「他の教団では死者の行く末を
語らないのに、どうして仏陀は語るのか」という仏典も引用されている。
教団で相争ってた比丘が、懸命に修行をしていたにもかかわらず、二人とも
「紅蓮地獄に落ちちゃったとさ」とか。文献に関しては猊下のご著書に当たってください。
だから、不成仏霊が存在することは、阿含経でも確かです。
415バウ ◆pyDQkkJ2 :02/08/28 10:58
>909さん、次に不成仏霊を供養できるのか、回向できるのか。これに対する
回答は、阿含スレッドを読む限り。

1)仏陀の弟子は七代遡って先祖を清める、と言う仏典がある。
2)どの仏教教団も普遍的に行っており(例外もある?)、何らかの記載されてない
  根拠があるはずである。密教的に相伝されてきたのではないか。
3)現に劇的な効果がある。また、東伝、北伝、南伝の最高位を持たれ、七科三十七道品法
  を完成してアルハトになられた方が言明していることである。
  さらには、世間解=世間のことをすべて知られているお釈迦様がお知りに成らなかった
  はずもない。

これぐらいのことしか書かれていません。もう少しちゃんと書いてほしいですよね。
私の場合は、実感がひしひしと伴っておりますので、個人的には何ら問題はないです。
でも、感じられない人、感謝の気持ちが余りなく「そろそろ良くなる頃だった」と
思いがちな方達の為にも、理論的根拠がほしい。でも、理論的には説明し難いのかしら。
416バウ ◆pyDQkkJ2 :02/08/28 11:02
>909 さん、
>「菩提分法」=悟りを分け与える修行法ですから、死者の供養が出てこないのは当たり前です。

さとりを得る為の、分別された法ではないですか?
これは、生者の成仏法ですから。
死者の解脱は、アナゴン、アルハトの役目みたいです(桐山猊下の著作によると)。
417バウ ◆pyDQkkJ2 :02/08/28 11:06
>909 さん、 道元禅師の生死を離れて、の一句は
「所作すでに立ち、梵行すでに成り、だだ死の時を待て」とか
阿含経にもあったような。出家の最終段階ですよね。
418バウ ◆pyDQkkJ2 :02/08/28 11:08
(14連発やっちゃった。仕事します。)
419バウ ◆pyDQkkJ2 :02/08/28 11:12
>電波男さん、私は大学院生じゃないですよ。知識の消化不良は認めますが。
仏教書は最近読み出した所です。1日1冊くらい。←ちょっと見栄。これは無理です。
420909:02/08/28 11:42
>バウさん

今日は、お客様が多くて少ししか暇がないので、「不成仏霊が阿含経に書かれている」
という部分だけピックアップしてレスします。

阿含経は、おそらく電波男さんがお詳しいと思いますが、かなり多くの部分が後世に
書き足されたものだというのがわかっています。最も古い層に属すると思われた法句
経(ダンマパダ)ですら、現在伝わっているものと違う写本が見つかっています。

ということで、まず、「この身破れて、異蘊生ず」などの記述が、後世の書き足しで
ある可能性があります。私見ですが、スッタニパータに頻繁に現れる「悪魔」なども
後世の脚色でしょう。「悪魔」が出て来るんだから、「肉団子」が出てきてもおかし
くはない。

(続く)
421名無しさん@1周年:02/08/28 11:44
阿含経は、いつ頃誰によって書かれたの?
422909:02/08/28 11:52
仮に、アーナンダが「肉団子」を目撃したのが事実だとしましょう。そして、
師に「あれは何か」と尋ねたと。アーナンダは、それまで不成仏霊の存在を
知らなかったことになります。つまり、不成仏霊を成仏させる修行などという
ものも、師から伝授されていなかったのです。問題の経は、この後「タンハー
を残すと、ああいう形として現れるのだよ」と解説して終わりで、それを成仏
する場面が出てきません。師と弟子が、「肉団子」の通過を見送って、終わり、
です。

人間が死後どこへ行くのか、という問いに対して、釈尊は、死後の世界がある
ともないとも言っていません。どちらを答えても、「外道」になるからです。
(詳しくは、六種外道で検索してみてください)

端的に言えば、

仏道修行は死後の世界の有無には無関係だ
--->不成仏霊も、解脱供養も、仏道修行には無関係だ
--->阿含宗は仏道修行には無関係だ

という結論にならざるをえません。
423909:02/08/28 11:56
>>421

ttp://www.bukkyou.ne.jp/nenpyou1.htm
あたりを参照してください。詳しくは、電波男さんの過去の投稿を検索して
みてください。
424909:02/08/28 12:03
422にちょっと訂正です。
六種外道--->六師外道

ttp://www2.big.or.jp/~yba/QandA/99_03_14a.html
425909:02/08/28 12:16
スッタニパータを見ていたら、おもしろい文章が見つかりました。

578 若い人も壮年の人も、愚者も賢者も、すべて死に屈服してしまう。すべて
の者は必ず死に至る。

579 かれらは死に捉えられてあの世に去って行くが、父もその子を救わず親族
もその親族を救わない。

580 見よ。見まもっている親族がとめどもなく悲嘆にくれているのに、人は屠所に
引かれる牛のように、一人ずつ、連れ去られる。

581 このように世間の人々は死と老いとによって害われる。それ故に賢者は、
世のなりゆきを知って、悲しまない。

579の「父もその子を救わず親族もその親族を救わない」は、解脱供養のような
死者に対する救済法がないことを示しています。また、解脱供養があったと
すれば、581の「(じたばたしても駄目なのだから)それ故に賢者は、世の
なりゆきを知って、悲しまない。」という表現はありえないでしょう。
426バウ ◆pyDQkkJ2 :02/08/28 12:52
909さんコメントありがとうございます。お返事はしばらく考察してから
させていただきたいと思います。
阿含宗の桐山猊下は、漢訳四阿含が中心であとパーリ文献などの日本語訳を
読まれているのではないかと想像しています。パーリ文のほうが古いのでは
と危惧していたのですが。むしろ漢訳のほうが古いみたいで、少し安心しました。
以下に引用します。(つづく)
427バウ ◆pyDQkkJ2 :02/08/28 12:55
小学館 バウッダ ・佛教・ から (頁数が違うかもしれません)
P96
そのような中にあっても、それでもなおパーリ語文献と漢訳経典とがそのような
共通の内容を述べているテクストは、現存する相互の文に含まれる多少の異同に
もかかわらず、すでにマガダ語で聖典が編集された時代に成立したのであろう。
このことは、ほぼすべての学者の支持を得ており、定説といってよい。要するに、
両者に共通する諸経典は古い内容を伝えている。
ただし、それでもなお、両者の綿密な比較対照から、些細の異同は必ず発見されて、
両者ともに伝承の間の変更を見のがすことは許されない。しかしまた、パーリ文と
漢訳とのどちらかにしかないような、たとえばパーリ文にだけあって漢訳にはない、
もしくはその逆の経について、それは新しいと一方的に断定することもまた、早計
を免れ得ない。
(漢訳における、削除、放置の末の喪失)
漢訳の場合には、、、欠落さえしかねなかったという、そのような背景、、、。
したがって漢訳を書くことは、パーリ語文献にとって、それほど重大なマイナスと
は見なさないほうが、かえって妥当な場合もあり得る。ただ、念を押していえば、
あるパーリ語経典は、それに対応する漢訳経典を見いだし得れば、それはかなり
強力な後押しになる、というほどにとどまる。

428バウ ◆pyDQkkJ2 :02/08/28 12:57
パーリ五部と漢訳四阿含、漢訳ではパーリ五部の「小部」を書きますよね。

むしろ漢訳のほうが、基準になると言う事だと思います。
429バウ ◆pyDQkkJ2 :02/08/28 12:58
上記、バウッダ P90

その他の諸テクスト
出土本

出土する地域は、トルファン、ギルギット、インド、パキスタン、ネパール、、チ
ベットなども、、、。
初期仏教の思想として、(話題を提供するであろうが)、
これまで知られていたことをそれほど大きく揺り動かすまでには至っておらず、将
来も多分生じ得ないであろうと推察される。
430バウ ◆pyDQkkJ2 :02/08/28 12:59
>>428 書きます→欠きます
431888:02/08/28 13:06
生まれた時から慣れ親しんだ三次元の認識世界。
目は横、鼻は縦、日は昇り、日は沈む、花は咲き、鳥は飛ぶ、
空は青い、父母は優しい、、、。

そこでふと我に返り考えてみよう。地球は暗黒の虚空にぽっかりと浮いている。

「ミスティックな世界感なんて嘘だ!」と言い切れるだろうか。

この大地にしっかり足を下ろし普通に暮らせば良いさ。
でも、地球はぽっかりと漆黒の虚空に浮いている。
432888:02/08/28 13:08
2500年の昔から言われ続けられてきたこと。

「仏陀(ゴータマ・ブッダ)は不思議を語る」
433888:02/08/28 13:09
○世界観
434909:02/08/28 13:14
>>427-428

また、出かけてしまうのですが...

>むしろ漢訳のほうが、基準になると言う事だと思います。

427の文章を読む限り、そういう結論は出てこないと思います。
パーリ語文献も、漢訳経典にも、共通に出て来る部分は古いだろう、と
いうことのみです。パーリ語文献と漢訳経典はほぼ同列に扱われている
のでは?
435雪山:02/08/28 18:57
(一段階)
無明(無智);苦について、苦の生起について、苦の滅尽について、苦の滅尽にいたる
道についての無智。
行(意志のうごき);三つの行。身に、口に、心における行。
識(識別する作用);六つの識。眼識と耳識と鼻識と舌識と身識と意識。
436雪山女:02/08/28 18:58
(二段階)
名色(五蘊ごうん);
受(感覚)と想(表象)と思(思惟)と触(接触)と作意(意志)と、これを名。
また、四大種(地・水・火・風)およびそれによって成れるもの、これを色。名と色とを、名色というのである。
六処(六根六境によってなる認識);眼の、耳の、鼻の、舌の、身の、意の認識。
触(接触);六つの接触。眼、耳、鼻、舌、身、意による接触。
受(感覚);六つの感覚。眼、耳、鼻、舌、身、意の接触によりて生ずる感覚。
愛(渇愛);六つ。物、声、香、味、感触、法にたいする渇愛。
取(取著しゅじゃく);四つの取著。欲、見(けん、所見)、戒(戒禁)、我(が)にたいする取著
有(存在);欲界すなわち欲望の世界、色界すなわち物質の世界、無色界すなわち抽象の世界における存在
437雪山女:02/08/28 19:00
(三段階)
生;生きとし生けるものが、生まれて、身体の各部あらわれ、手足そのところを得たる、
比丘たちよ、これを生というのである。
老死;生きとし生けるものが、老い衰え、朽ちやぶれ、髪しろく、皺生じて、齢かた
むき、諸根やつれたる。これを老というのである。また、生きとし生けるものが、命お
わり、息絶え、身躯やぶれて、死して遺骸となり、棄てられたる、これを死というので
ある。かくのごとく、この老いと死とを、比丘たちよ、老死というのである、
老死・愁・悲・苦・憂・悩。
苦の集積のよってなれるところ。
438雪山女:02/08/28 19:05
十二因縁は人体の発達に即して考えてよいのでしょうか?

三段階目の生れ落ちてからのことは、すごく分かりやすいです。

二段階目は、五蘊が揃ってからですから、細胞〜エンブリオ時代
なんでしょうか?その頃から、取(取著しゅじゃく);四つの取著、
が生じるのでしょうか???

一段階目は、五蘊が生じる前ですから、いわゆる魂の時代?

無明(無智);行(意志のうごき);身口心(意)の行。
識(識別する作用);六つの識。眼識と耳識と鼻識と舌識と身識と意識。
こう言うのが、魂、霊(霊魂)のピリオドからあるのでしょうか?


439雪山女:02/08/28 19:15
逆に私達が死んで、五蘊が失われる。すると第1段階の「生物」になるのでしょうか。

霊魂というと、当然、無明のかたまりですよね。
三つの意志のうごき、動作への意志、心、言葉にならない言語?は持っていそうな気がする。

六つの識(眼識と耳識と鼻識と舌識と身識と意識)はどうでしょう?こう言うのがあるとすると、
仏様へのお供えの意味も分かる。御香、御花、灯明、食べ物、水、お茶などを供養する。
「仏様が物が食べられるの?」「御花が見れるの?」という疑問は誰にもあると思う。


440雪山女:02/08/28 19:16
四大種(地・水・火・風)およびそれによって成れるもの、

これは、今の言葉では、元素と思えば良いですよね?
441909:02/08/28 19:52
>>439

仏様の供養について、ひとつコメントです。

松原泰道師の著書にこうありました。仏(仏像)に対する献花は、実は仏を拝む信者に
供養されるのだ。なぜなら、花は仏の方ではなくて、信者の方に向けられている、と。
言われてみると、確かに花は正面が「こっち」を向いている。

同様に、仏が合掌しているのは、信者のわれわれに対して合掌しているのだといい
ます。仏が、私たちの内面に隠れている「仏性」に対して合掌しているのだそうです。
442名無しさん@1周年:02/08/28 19:53
>>440 もうこのスレッド終わっているよ。返事はありません。
443サンサーラ:02/08/28 20:05
>>435 雪山童女さん、はじめまして。
十二因縁の、最初の段階が、霊魂の段階だというのは
面白い発想だと思いますよ。

専門家のご意見をお聞きしたいけど、誰もいないみたい。
電波男さんは打ち負かされて去ったし。
444サンサーラ:02/08/28 20:11
>>441 909さん、はじめまして。
松原泰道師って臨済宗のご僧侶ですよね。909さんは阿含宗の方ですか?
もう、誰が誰か分からなくって。
445サンサーラ:02/08/28 20:12
444 ゲットしてしまった!ラッキーかな。
446サンサーラ:02/08/28 20:15
>>438 雪山童女さん、細胞〜エンブリオ時代ってどう言う意味ですか?
エンブリオって何?
447電波男Ψ(`д´)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/28 20:23
>>443
誰が打ち負かされたって?チミみたいなハクチが居るからみんなこのスレから去ったんだよ。
実社会では阿含宗の連中は打ち負かされるのが怖くて私に近づかないんだけどな。
しかしどんな読解力しているのかこのハクチは。

雪山女さんへ
ご質問があるなら別の質問スレッドか、

http://jbbs.shitaraba.com/study/951/

でして下さい。懇切丁寧にお答えいたしましょう。
因みに大種とはアトムみたいなものではなく、「ものの性質の一面」を言っているだけです。
一般通念でインド自然学を捉えると大きな落とし穴がありますよ。
448電波男Ψ(`д´)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/28 20:31
ま、阿含宗の程度の低さを露呈するのにある一定の成果を見せたので終了しているのだが
阿含宗の連中はそれに気付いていない。

ダライラマ来日し花園大学で講演された時、ある阿含宗のハクチがバカな質問して
一笑に付されたのを思い出す。あのバカは専門学界でも質問ばかりし、阿含宗の
ハクチ加減を宣伝していたな。ここに居る阿含宗の連中の方が彼よりまた性質が悪いよ。
449888:02/08/28 22:25
>>409 バウさんこんばんは。モンゴルの大火災は焼失面積が、
国土の20%近くだったのじゃないでしょうか。阪神淡路大震災の
焼失面積がたしか神戸市の3%?だったと思うんですよ。そこで
さっき考えていたんですが、神戸のあの大火災の1万倍以上だった
のかなと。
その巨大な火災をどんどん報道して、その鎮火は一切報道しないというのが
やはりちょっとおかしかったですよね。
450888:02/08/28 22:39
>>443 サンサーラさん、雪山女さん、十二因縁の五蘊以前が、
霊魂と言うのはちょっとした着想だと思う。五蘊がないのだから
当然、意生身(いしょうしん)ですよね。

電波先生なんかは当然霊魂は否定されているんでしょうね?
451名無しさん@1周年:02/08/28 22:45
>>448
へえ〜どんな事を質問したんでしょうか?
内容を伝えもせず、ハクチ呼ばわりするのはアホ学者にすぎません。
452888:02/08/28 22:46
>>415 バウさん、阿含仏教の世界でも当然祭祀は盛んに行われて
いるわけです。祭祀の記述は続々とありますよね。また神霊に祈り
供養する事も記載されている。祭祀と言ってもお祭り騒ぎではありま
せん。祭祀すなわち死者への供養であり、回向です。それを否定す
れば宗教全体の否定になると思いますよ。
453電波男Ψ(`д´)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/28 22:47
>>451
チミ、しんでよ。内容は仏教学界ではハクチ晒された阿含バカとして有名だから
誰かに聞いてみ。
454888:02/08/28 22:49
>>453 電波男さん、そんなのは例の人の煽りですよ。気にしない気にしない。
それよりも、宗教学の先生方はほとんど「霊魂」は否定されているのでしょうか。
455名無しさん@1周年:02/08/28 22:49
電波さん、脱会カウセリングはうまくいっているのでしょうか?
ハクチ呼ばわりするだけでは幼稚園児のケンカですよ
冷静な判断もできない人にカウセリングは無理です!
知識だけじゃ人も心も動きません。
だからそういうのを学者馬鹿と昔からいうのでしょう。
456888:02/08/28 22:51
>>454 私の経験では霊的な事がわかる人は、だいたい1000人に3人程度
何ですよ。宗教学者とて例外ではないと思うのですが。
457888:02/08/28 22:53
>>455 また、そう言う失礼な煽りは止めてください。ご自分のスレッドか
〜会でご法話しててくださいね。
458電波男Ψ(`д´)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/28 22:53
>>455
なぜ学者バカと決め付ける?それがネット人格と気付かないのかね。このバカは。
私を知識だけだと?ま、しんでくれ。
459名無しさん@1周年:02/08/28 22:54
すぐ頭に血がのぼる電波さん
「打ち負かされた」の一言でキレました。
知識と実践が一致していません
さらにわるいことになまじ学があるだけに
人を見下す悪い癖が・・・こわれたレコードのように「ハクチ」
のくり返しです。
460電波男Ψ(`д´)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/28 22:58
>>454
霊的な事柄と、仏教学とは別です。霊障があって困っている壇信徒には様々な
手法で問題解決してきましたし、死後の生命力の余力を見ることが出来ます。
しかし、仏教学や宗教学、引いては宗教として生きていく上では関係のないこ
とです。人生相談に乗るのと同じです。

これらの手法は修験道や真言密教系出身であれば、造作も無い事です。幻覚を
見せる術も心得ていますが、そんなものは役に立ちません。
461888:02/08/28 22:58
>>459 さん、あなたもしかしたらその花園大学で質問した人ですか?
花園大学の講演って何年ごろの話しなんですか?
462電波男Ψ(`д´)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/28 22:59
>>459
投射という言葉を知ってるかい?
463名無しさん@1周年:02/08/28 23:01
>458
いえいえ、ネットでは、あんがい本質的な人格がでるものですよ(笑)。
>ま、しんでくれ。
学者バカでまたまた腹立てて
しにます、いつのひはわかりませんが(爆)。
464電波男Ψ(`д´)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/28 23:03
>>463
はあ、、、ネットでは約5つの人格を使い分けてるんだけどね。
もっと相手にして欲しいのかい?
465888:02/08/28 23:03
>>460
「霊的な事柄と、仏教学とは別です」

そうなんですね。学会ではそうなんでしょう。そうしないと学会では
生きていけない感じはある。何学会だってそうでしょう。霊的な話題を
一番嫌う学会って、精神医学会だって言うもんね。一番関連がありそう
なんだけどね。でも、宗教学から霊魂を抜くと、わけのわからない哲学
になりそうですよね。
466電波男Ψ(`д´)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/28 23:06
精神医学、特に心療内科では肯定している割合が高いですよ。霊的存在をそてい
しなければ治療できない局面があるのですから。この手の話は身元が明かされな
いと詳説できません。

しかし、宗教的に生きていく上では霊的な事柄は必要不可欠ではありませんよ。
467888:02/08/28 23:07
>>466 雪女さんの、十二因縁の「五蘊以前は霊的な世界だ」という
新説はいかがですか?
468名無しさん@1周年:02/08/28 23:08
投射・・・一つの媒質内を通る輻射線が他の媒質の境面に
     達すること。
469888:02/08/28 23:10
>>468 違う違う、他人への批判のうちに自分の内面を逆にさらけ出している
という事。だと、思うよ。たぶん。
470電波男Ψ(`д´)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/28 23:10
学部生であれば、色んな切り口があって、そこから問題提起を始めて深めていけば
いいのです。最初から「間違いだ」と頭ごなしだと萎縮してしまい、自由な発想を
殺してしまいます。今は自由にドンドン夢でも妄想でも膨らませて内容物を増やす
べきなのです。

五蘊以前と言う発想は宗教民族学的なアプローチとして悪くないですね。
471名無しさん@1周年:02/08/28 23:11
>464
へっ?
そんなの自慢になるんですか?
多重人格ですな
病院いったらよろしい〜。
472888:02/08/28 23:12
>>468 検索するなら、「投射 心理学」で検索しないと。物理学で検索してどうなる?
473電波男Ψ(`д´)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/28 23:12
>>469
正解。(笑) 一般用語としては「投影」が通っている。
888さんは心理学に何らかの形で関係してたでしょう?
474888:02/08/28 23:12
>>471 違う違う、それくらい頭が良いと言う事をおっしゃっているの。
475名無しさん@1周年:02/08/28 23:13
>469
だとするなら電波さん自身もそうですね・・・。
476電波男Ψ(`д´)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/28 23:14
>>471
へへへ。
人格が分裂していることと、多重化していることと、意識して多人格を設定して
操るのとではまったく違う事なんだよ。
477電波男Ψ(`д´)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/28 23:17
>>475
そういうのを「後だしジャンケン」と言う。(笑)
面白いぐらい予想通りの反応だ。もう飽きたからどっか逝っちゃえ。

予想通りというのは888さんなら同じように見ていただろう。
478888:02/08/28 23:17
>>473 心理学は全く知らないです。阿含宗徒の常で、知っているのは
フロイトとユングとソンディだけ。でもこれから勉強する気はあります。
それも、名前だけだ。恥ずかしいです。
479電波男Ψ(`д´)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/28 23:19
888さんは阿含宗では珍しく対話の成立する人のようですね。
一度阿含宗から離れて、真っ白になって書物を読まれたらどうですか?
480888:02/08/28 23:19
>>475 それより、あなたの正体が分からない。NHつけてください。
いつもの荒らしさんとは違うのかな? あの人はユーモアの感覚はないから、
ちょっと別人みたいだけど。
481888:02/08/28 23:28
>>479 阿含宗のテキストの「やさしい物理学」のような感じがとても好きですね。
電波男さんもこれから宗教関係の本を出版されるのなら、その線がねらい目ですよ。
桐山管長は相当抑えてやさしく書かれていますから。

482名無しさん@1周年:02/08/28 23:32
>477
そのくらい厨房でも予想できますよ
こんなことでも鼻高々になるんですね学者って。
483888:02/08/28 23:35
>>482 いつもの荒らしさんと言う事で確定。
484名無しさん@1周年:02/08/28 23:36
>476
予想どうり理屈づめの反応ですね。
あっ、これも後だしだ(笑)
485888:02/08/28 23:37
じゃあ、もう寝よう。電波先生、ご講義ありがとうございました。

>>五蘊以前と言う発想は宗教民族学的なアプローチとして悪くないですね。

これは理解不能でした。本気でおっしゃられたのか、衒学的におっしゃられたのか?
(衒学調べないと、広辞苑ないよ〜、使い方あってるかしら?)
486名無しさん@1周年:02/08/28 23:47
>476
下でにでて「尊敬します」と言う態度なら
親切に対応するんですね。
そんな偉い方とは知りませんでした
電波さん尊敬します!
487名無しさん@1周年:02/08/28 23:49
「デンパと遊ぼう!」のスレにしょうよぅ〜
488バウ ◆pyDQkkJ2 :02/08/29 00:01
>>487 わかった、ワウさんでしょう?前スレでいじめられた?
(前スレ読んでないんだけど)
489電波男Ψ(`д´)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/29 00:02
>>486
おまえはあほか。人間なら接する態度でこちらの態度も変えるのが当たり前だ。
俺は聖人君子ではないんだよ。早く氏ね。
490バウ ◆pyDQkkJ2 :02/08/29 00:04
>>487 たとえば、
電波氏の「五蘊以前と言う発想は宗教民族学的なアプローチとして悪くないですね。」

こういう答案って点をつければ0点だよ。何でこんな解答書いたんだろう?
考えずに発作的に書くのかしらねえ。十二支因縁なんて、人間の存在論なんだから
宗教民族学なんて関係あるわけがない。

491バウ ◆pyDQkkJ2 :02/08/29 00:06
(あ、まだ起きてたのか、やばい。)
492バウ ◆pyDQkkJ2 :02/08/29 00:08
(たぶん、お酒飲んでいると思うよ。この時間しらふなのは、阿含宗徒くらいだね。
阿含宗は普通は、酒もタバコもやらないもんね。)
493名無しさん@1周年 :02/08/29 00:11

「阿含宗についての考察」という題名のスレを生かし、
338〜394まで、ヌマエビさんの過去の投稿をまとめて掲載させて頂きました。
つらつらと随時掲載させて頂きますのでご期待下さい。
桐山阿含宗の詐欺性に一人でも多くの方が気付かれますよう、
どうかお役立て下さい。

今後の予定としては、過去スレにおける有意義な投稿も、
テーマ別に掲載していく予定です。

494名無しさん@1周年 :02/08/29 00:11
「一九九九年七の月」1 インドから始まった

桐山氏が世紀末破壊を本格的に書いたのは、1981年の「一九九九年カルマ
と霊障からの脱出」です。
この本を要約するなら、次のようになります。

1980年、桐山氏はインドの祇園精舎の「ミラクルの池」で、釈迦から
「白銀のバイブレーション」によるメッセージを受けた。
それによれば、世紀末に霊障(霊的祟り)による地球的破壊がおきる。
このことはノストラダムスの予言とも一致する。
世紀末の破壊のとき、人類を救うためにアンゴルモアの大王がよみがえる。
アンゴルモアの大王とは、霊障を除去する釈迦、あるいは釈迦の成仏法である。
地球壊滅のとき、桐山氏は再び祇園精舎に来て、釈迦を日本に移す。
桐山氏はアンゴルモアの大王をよみがえらせ、地球壊滅から人類を救済する。

桐山氏は、釈迦からテレパシーでの世紀末の地球壊滅を教えられ、人類救済の
使命を負わされたという話です。


495名無しさん@1周年 :02/08/29 00:12

「一九九九年七の月」2 ミラクルの池

この本の中の見せ場は、釈迦からの「白銀のバイブレーション」です。
桐山氏はこれを祇園精舎にある「ミラクルの池」から受けたとあります。
桐山氏によれば、ミラクルの池とは、昔、釈迦が空中を浮遊し、池の上に降り
立ったとき、身体の半々が火と水になって奇跡を示した場所です。

1981年初護摩(正月の護摩)で詠んだ4つの和歌うち2つにミラクルの池が
出てくるように、ミラクルの池は重要なキーワードでした。
2500年前に奇跡を行った釈迦が、そのミラクルの池に桐山氏宛てに残した、
人類救済のための白銀のバイブレーションという組み合わせは、信者たちに
深い感動を与えました。
指導者である桐山氏が釈迦から直接、人類救済者に任命されたのです。
この後、阿含宗は爆発的な布教活動を開始します。(114参照)
布教の起爆剤こそがミラクルの池と白銀のバイブレーションの話です。

桐山氏は、祇園精舎の中にミラクルの池があると紹介しています。
祇園精舎を案内したのは、祇園精舎の入り口に建つスリランカ寺の初代管長です。
桐山氏の指さす場所を初代管長が「ミラクルの池です」と言ったと書いています。
スリランカ寺の初代管長は1984年に亡くなりました。
幸い、その前に、ミラクルの池を確認に行った信者たちがいます。

496名無しさん@1周年 :02/08/29 00:12

「一九九九年七の月」3 ミラクルの池とは何のことか?

桐山氏の数年後、信者がミラクルの池の確認に祇園精舎を訪れています。
スリランカ寺初代管長にミラクルの池の案内を頼みました。
するとスリランカ寺初代管長は、
「ミラクルの池とは何のことか?
祇園精舎の中にミラクルの池などというものはない」
と答えました。
桐山氏にミラクルの池を教えたはずのスリランカ寺の初代管長が、ミラクルの池
など知らないと答えたのです。

スリランカ寺初代管長は「ミラクルの池」を繰り返す信者を気の毒に思い、
オーラジャルに案内してくれました。
オーラジャルとは、釈迦が奇跡を示したという伝説のある遺跡です。
祇園精舎から南東方向に2qほどいったところにあるストゥーパ(仏塔)です。
もちろんオーラジャルにもミラクルの池などありません。

497名無しさん@1周年 :02/08/29 00:13

「一九九九年七の月」 4.桐山氏のミラクルの池

近年、信者の一人が祇園精舎を訪れました。
現在のスリランカ寺管長に聞いても「ミラクルの池などない」という返事でした。
ミラクルの池など祇園精舎にも、他のどこにも最初から存在しないのです。
経典にはもちろんのこと、伝説にすらミラクルの池などありません。
スリランカ寺の管長が桐山氏に「ミラクルの池」などと言ったはずがありません。   そんなものが祇園精舎にあると告げたはずはありません。

「桐山氏のミラクルの池」は現在も祇園精舎に存在します。
通路に面した一辺が10mもない窪地で、雨期には池になる場所です。
この窪地は釈迦が奇跡を行ったなどという伝説のある場所ではありません。
釈迦が何かをなしたところには必ずストゥーパ(仏塔)などの遺跡が残ります。
「桐山氏のミラクルの池」のように、窪地として放置されることはありえません。

498名無しさん@1周年 :02/08/29 00:14

「一九九九年七の月」 5.存在しないミラクルの池

桐山氏が白銀のバイブレーションが来たという窪地を指して「あそこは何か」
と質問したから、スリランカ寺初代管長は「池だ」とでも答えたのでしょう。
雨期には水が貯まるから池だと答えただけです。
その前後に、スリランカ寺初代管長は釈迦がなした奇跡の話をしたのでしょう。
桐山氏はこれをゴチャ混ぜにしてミラクルの池を創作したのです。

「一九九九年カルマと霊障からの脱出」では、ミラクルの池と白銀のバイブレー
ションは重要な柱でした。
だが、ミラクルの池は根拠のない単なる物語だったのです。
バジアン予言(216〜参照)のように、自分に都合のいいように作り上げたのです。

桐山氏はこれをインスピレーションだとか、仏陀の智慧だと主張します。
現実と一致すれば、インスピレーションや智慧と言ってもいいでしょう。
当たらないインスピレーションや智慧を妄想といいます。
そして、桐山氏の場合、妄想がとにかく多い。
信者をあおりたてたミラクルの池は桐山氏の妄想にすぎなかったのです。

では、白銀のバイブレーションはどうでしょうか。

499名無しさん@1周年 :02/08/29 00:15

「一九九九年七の月」 6.白銀のバイブレーション

白銀のバイブレーションは桐山氏だけが感じました。
当然の事ながら、すぐそばにいた数十人の人たちは何も感じませんでした。
白銀のバイブレーションが本物かどうかは、19年後の結果をみれば十分です。
ミラクルの池と同様に、なんの根拠もない桐山氏の妄想話です。

桐山氏は、白銀のバイブレーションを受けたとき、高層ビルのある空が真っ赤に
燃える未来の光景を見て、また、すさまじい戦慄と恐怖を感じたといいます。
世紀末の地球壊滅のビジョンを見たというのです。
だが、桐山氏の予言とも、白銀のバイブレーションのお告げとも違い、1999年に
地球が壊滅することも、その兆候もありませんでした。

では、彼が見たこと、感じたことは何だったのでしょうか。
桐山氏はまったくの作り事、嘘を書いたのでしょうか。

500名無しさん@1周年 :02/08/29 00:16

「一九九九年七の月」 7.白銀のバイブレーションと疲労

1980年の桐山氏一行のインド旅行は、約二週間でした。
インド旅行は、団体旅行でもきついものです。
慣れない食べ物でたいていの人は下痢します。
インドの仏跡はほとんどが田舎にあります。
この旅行では、朝早く出発し、夜遅く到着しました。
睡眠不足と連日の長時間のバス旅行は身体に負担がかかりました。
この旅行に参加した信者によれば、疲労困憊で、病人が続出したと言います。
移動に時間がかかるし、1980年当時、ホテルの設備も十分ではありませんでした。
強行軍であったため、予定が消化できず、桐山氏は、釈迦が亡くなった
クシーナガル行きを諦めています。

祇園精舎は一行が最後に訪れた仏跡でした。
ツアーが始まって8日目です。
桐山氏は自分が超人的な体力を持っていると言います。
しかし、このインド旅行では、桐山氏はミネラル・ウォーターをスーツケース
一つ分も持参したといいます。
また、「脳梗塞」(197〜)を見てもわかるように、桐山氏が特別な身体を持って
いる訳ではありません。

当時、59歳だった桐山氏もまた疲労の極に達した状態で祇園精舎を訪れています。
これは妄想や幻覚を見るのには十分な条件です。


501名無しさん@1周年 :02/08/29 00:17

「一九九九年七の月」 8.白銀のバイブレーションと思い込み

さらに、桐山氏の性格を考えるべきでしょう。
自分に対する高い評価と思いこみです。
桐山氏はインドに出発する時、次のように思ったと書いています。
「仏跡はいったい、わたくしになにをあたえようとするのか」
つまり、桐山氏は出発するときから、
「自分ほどのすごい人物が仏跡に来たのだから、何かがおこるはずだ。
凡人どものただの巡礼とは訳が違う。何かが起きなければならない」
という激しい思いこみがあったのです。

祇園精舎は公園のようになっていて、物売りや物乞が入れません。
物乞にしつこく追いかけられ、喧騒から整備された公園に入ると、ホッとします。

激しい疲労と、激しい思いこみ、喧騒から突如解放さたれたのが引き金になり、
白銀のバイブレーションを引き起こしたのでしょう。
高層ビル火災を描いた映画「タワーリング・インフェルノ」は1974年公開です。
燃え上がる空や高層ビルなどは、映画などで見ていれば、ある種のフラッシュバ
ックが起きてもおかしくありません。
桐山氏の見たものが思いこみの激しい人の幻覚にすぎなかったことは、その19
年後をみれば十分です。

疲労と激しい思いこみの他に、もう一つの重要な要因も考えられます。


502バウ ◆pyDQkkJ2 :02/08/29 00:17
>>422 909さん、アーナンダが初心者のために質問をする設定は良くあるのでは
ありませんか?

>>425 その経典の意味は、死んでいく人の命は誰も助ける事ができないという意味
だと思います。

漢訳、パーリ阿含仏典に関しましては、私もパーリ仏典が基本であって、
漢訳のほうがあいまいなのかなと思っていましたが、そうではないみたいです。
一度バウッダをお読みになってください。まあ、15年くらい前の本で
ずいぶん事情も変わっているかもしれませんが。使われる言語が激しく変化し、
内容も激しく変化する。かえって、渡来物が古きを伝えると言う例は、日系
ブラジル人社会などにも見られ(古い日本語形態)、そういう事もあるのかと
思い当たりました。

888さんが書いていらっしゃったと思いますが、阿含時代の祭祀の意味を考えて
見ましょう。祭祀は何のためにされたのでしょうか。
503名無しさん@1周年 :02/08/29 00:17

「一九九九年七の月」 9.白銀のバイブレーションと脳障害

桐山氏は一時的な意識障害を起こした可能性があります。
今日、桐山氏が脳梗塞を患っていることをみれば、ありえない話ではありません。
旅の疲労やストレスから脳の一部に障害が生じ、白銀のバイブレーションと
なったり、損傷の信号が、桐山氏の記憶に刺激を与え、燃える空の映像や、
激しい恐怖感を引き起こした、という可能性です。

老人などは睡眠不足や過労から、卒中発作の意識障害をおこすことがあります。
これらは幻想、幻覚、幻聴を伴うことがあります。
本の中では、
「声が突然すうっと遠のいた」
「がぁんと、頭から頬にかけてなぐられたような衝撃」
とあります。
意識障害の始まりとしてはありえる症状です。

19年後の結果から見ると、桐山氏の頭の外ではなく、頭の中でおこったことです。
桐山氏は59歳で、疲労の極にあれば、脳障害がおきてもおかしくありません。

次の事実も脳に障害がおきたことをうかがわせます。

504名無しさん@1周年 :02/08/29 00:19

「一九九九年七の月」 10.白銀のバイブレーションは脳障害

桐山氏は、祇園精舎の後、ラクナウのホテルで自動書記があったと書いています。
自動書記とは手が勝手に動いて、文字などを書くものです。
自動書記は、桐山氏の大量の著作の中でも、これ一件のみです。
普段から自動書記が得意技ではなく、この時だけです。
この時の自動書記は桐山氏にとっても特殊な状態であったことを意味します。
脳梗塞などで身体の一部が機能障害をおこすことはよくあります。
脳障害が手の震えとなって現れ、それを桐山氏は霊動、自動書記と解釈したの
でしょう。

自動書記の原文は、脈絡がなかったことを桐山氏も認めています。
桐山氏が公開した自動書記文は、原文を元に桐山氏が書き直したものです。
原文は脈絡がないどころか、文字にすらなっていなかったのでしょう。
震える手に鉛筆をにぎらせても、何も意味がありません。
原文は公開しないのではなく、できないのです。
脳障害による手の震えが、桐山氏の豊かな空想力と激しい思いこみによって
自動書記になり、創作されたのが、公開された自動書記文です。

幸い、白銀のバイブレーションも自動書記も一過性のものとして終わりました。
脳卒中などの専門の医者に、桐山氏のこの本を読んでもらい、意見を聞いてみた
いものです。

信者たちは19年間、単なる意識障害からおきた白昼夢につきあわされたのです。
結果を見る限り、それはほとんど事実でしょう。

505バウ ◆pyDQkkJ2 :02/08/29 00:19
また始まったか、陰湿だね。
506名無しさん@1周年 :02/08/29 00:19

「一九九九年七の月」 11.事故

阿含宗のインド仏跡ツアーは班に分かれていました。
桐山氏の班では、バスが横転して、中に乗っていたインド人が両足切断という重
傷を負いました。
日本人はバスを降りていたので、被害はありませんでした。
別な班では、バスがバウンドして、多数の信者が打撲傷を負いました。
一人は骨にヒビが入り、移動に支障が出ました。

旅先で事故がおきても、ましてやインドでは何があってもおかしくありません。
しかし、予知能力を持ち、仏に守られているはずの桐山氏の周囲で、因縁解脱の
修行をしている信者を含めて次々と事故がおきるのでは、ご都合の悪い話です。
奇跡の白銀のバイブレーションの背後で、平凡に信者が病気をし、ケガ人まで
出たのではサマになりません。
信者は帰国後もこの件は話したがりませんでした。
この時参加した信者は、職員を含めて、やめてしまった人が大半です。
桐山氏と白銀のバイブレーションにとってはそのほうが都合がいいでしょう。

507名無しさん@1周年 :02/08/29 00:22
>505 :バウ ◆pyDQkkJ2
>また始まったか、陰湿だね。

何が陰湿なんですか?
スレの目的が「阿含宗の考察」ですから、
これまでの過去ログから有意義な投稿を掲載しているだけです。
別に2チャンのスレッドはあなたの「私物」ではありませんので。
お気に召さなければ、ご自分のHPでもお持ちになれば良いでしょう。



508名無しさん@1周年 :02/08/29 00:23

「一九九九年七の月」 12.ブッダになる

白銀のバイブレーションの話は、桐山氏の常として、時間とともに針小棒大に
膨らみ続けました。
桐山氏は本で、自分が「聖者」であることを高らかに宣言しました。
釈迦を「聖師」と呼び、自分が釈迦の「成仏力」を受け取れる器を持った唯一
の弟子であることを誇らかに宣言しました。

桐山氏は、祇園精舎の数日後、デリーのホテルで信者たちを前に、
「自分は死ぬまでにブッダになる。完全なブッダとなって死ぬ」
と宣言しました。
帰国後の各地での講演会でも、ブッダになって死ぬ、と繰り返しました。

ミラクルの池と白銀のバイブレーションは桐山氏をブッダ宣言に導きました。
意識障害からおきた白昼夢で、桐山氏は聖者になり、釈迦の真の弟子になり、
完全解脱することになりました。

桐山氏は今日に至るまで自分がブッダになったとは言っていません。
90年代初め、桐山氏に、オベッカ信者の一人が例祭(月一度の集まり)で
「猊下(桐山氏)をブッダと呼ばせてください」と言いました。
桐山氏はこれを認めませんでした。
桐山氏にも羞恥心が残っていたようです。

509名無しさん@1周年 :02/08/29 00:24

「一九九九年七の月」 13.メシアへの道

桐山氏は1988年「一九九九年地球壊滅」という小説を出しました。
地球壊滅の時、アメリカにメシアが現れ、日本のスゴイ宗教家が力を貸す話です。
スゴイ宗教家は明らかに桐山氏で、我田引水の自慢話です。
この本を表題どおりに小説や桐山氏の未来予測と見たら何の価値もありません。
しかし、当時の桐山氏の頭の中を示すものとしては一級資料です。
桐山氏の地球壊滅の妄想と自己評価の高さを自ら明らかにした貴重な資料です。

オウム真理教の麻原被告はいろいろな面で桐山氏を模倣したと報道されています。
しかし、一つ重要な指摘がされていません。
地下鉄サリン事件が「一九九九年地球壊滅」をヒントにした可能性です。
この本はカルト集団が原発を攻撃し、ハルマゲドンを人為的に引き起こす話です。
警察の捜査で、オウム真理教は原発の調査をしていたことがわかっています。
麻原被告は勉強熱心ですから、桐山氏の著作から重大なヒントを得たのでしょう。

この本では、メシアと桐山氏とが別々の人物として描かれています。
桐山氏は、自分で自分をメシアだと呼ぶことにまだ恥じらいがあったのです。
この本は、自分をメシアと呼んでくれ、という桐山氏からのサインでした。
信者たちは、聖者様ともあろうお方が、そこまで子供っぽい欲望を持っている
とは思いませんから、誰も気が付きませんでした。
数年後、信者の一人が気付き、桐山氏はメシアに出世するチャンスが訪れます。


510名無しさん@1周年 :02/08/29 00:25

「一九九九年七の月」 14.そしてメシアになった

1990年に出た「メシア出現」はいろかわちひろ氏が編集したことになっています。
いろかわ氏は阿含宗の長年の信者で、先達(指導的信者)です。
実際は、いろかわ氏が数十枚程の原稿を書き、このままでは本にならないので、
桐山氏の指示に従って、出版社が作り上げたのです。
桐山氏は、自分を人類救済のメシアだと言ってほしくてウズウズしていました。
ちょうど、いろかわ氏がそれをやってくれたのです。
桐山氏はメシアだと言われたのではなく、自分で言ったのです。
この本は簡単に言えば、桐山氏のメシア(救世主)宣言です。

桐山氏は「メシア出現」でメシアだと言われてよほどうれしかったのでしょう。
この後、メシア和讃を最初にやったいろかわ氏を重用します。
阿含宗神戸道場を「メシアの館」と名前を変えてみたりと、大はしゃぎをします。
「自分がメシアであるかどうかわからないが・・・」
と桐山氏は信者を前に何回かうれしそうに話したことがあります。

桐山氏がメシアと呼んでほしかったこと、いろかわ氏がそれで桐山氏の寵愛を受
けたことに先達たちが気づくと、なりふりかまわずのメシア連呼が始まります。
そして二匹目のドジョウを狙ったのが360の「ブッダと呼ばせてください」です。
先達たちは、裸の王様のお召し物のすばらしさを競ってほめちぎったのです。

メシア宣言が1990年です。
その前後から桐山氏の本には独自性が薄れます。(274参照)
桐山氏はこの頃から勲章や肩書きなどの大量の名誉をもらうようになります。
一連の出来事がほぼ同時期に起きているのは偶然ではありません。
桐山氏の脳が老化し、名誉欲がむき出しになり、自分はただものではない、特別
な人間なのだという思いこみが「メシア妄想」にまで発展したのです。
妄想はさらに発展を続けました。

511名無しさん@1周年 :02/08/29 00:26

「一九九九年七の月」 15.さらにアンゴルモアの大王に

桐山氏は1996年6月、モンゴルで護摩を焚いたとき、
「アンゴルモアの大王とは自分である」
と宣言して、信者から大喝采を受けました。

アンゴルモアの大王は自分だと臭わせる話はこれよりも前からしています。
1981年に出た「一九九九年カルマと霊障からの脱出」の話はまさにそうです。
桐山氏によれば、世紀末の地球壊滅を救えるのは釈迦の成仏法です。
桐山氏の言う釈迦の成仏法を体得しているのは桐山氏だけです。
釈迦の成仏法を意味するアンゴルモアの大王とは、桐山氏の他にはいません。
最初から、桐山氏は自分がアンゴルモアの大王だ、メシアだと言っているのです。

桐山氏はモンゴルで護摩を焚いて、雨を降らせ、山火事を消したと宣言しました。
桐山氏によれば、モンゴルの山火事は「恐怖の大王」の仕業です。
桐山氏はアンゴルモアの大王として、恐怖の大王と戦って、勝ったというのです。
桐山氏はまた自分は「無能勝明王」であるとも宣言しました。
無能勝明王とは、釈迦の成道を邪魔した悪魔を退散させたという密教の仏です。
これらのストーリー展開を見ると、桐山氏は隠れアニメファンかもしれません。

阪神大震災を予言できず、桐山氏は世紀末破壊予言に自信がなくなっていました。
しかし、モンゴルで恐怖の大王に勝利した桐山氏は、再び自分の妄想に自信を深
め、アンゴルモアの大王の宣言をしたのです。

桐山氏はアンゴルモアの大王に即位し、いよいよ1999年を迎えました。

512名無しさん@1周年 :02/08/29 00:27

「一九九九年七の月」 16.地球を救う桐山メシア

1999年、釈迦の代理人であり、アンゴルモアの大王たる桐山氏が、恐怖の大王に
蹂躙された世界中の人々から、地球を救うメシアとして大歓呼で迎えられる準備
ができました。
桐山氏は、釈迦から与えられた1999年の地球救済の使命を果たすことで、その
偉大な功徳によって、ブッダとなり、栄光のうちに入滅するのです。
桐山氏の名前は、地球を救ったメシア、予言されたアンゴルモアの大王、完全解
脱したブッダとして、永久に歴史に残るのです。

桐山氏の頭の中では、世界中からのメシアコールが鳴り響いていました。
1999年の晴れの舞台に出る瞬間、桐山氏は長年望んでいた「自分はやはりただも
のではない」という自尊心の深い満足を得るはずでした。
その時こそが、長年、桐山氏を前科者、エセ宗教家、エセ霊能者、嘘つき、ほら
吹き、誇大妄想狂、ペテン師、いかさま師、詐欺師呼ばわりしてきた連中を見返
せる重大な瞬間なのです。
桐山氏は、たくさんの勲章をつけたアンゴルモア大王の服装をして、モンゴルで
の成功に酔いながら、舞台の袖で自分の出番の瞬間を待っていました。

だが、ついに桐山氏に出番の声がかかることはありませんでした。
「地球壊滅」などという劇は最初から存在しなかったからです。
万雷の拍手をする観客もいませんでした。
現実は、阿含宗という借金だらけの田舎芝居小屋に、華々しい主役を演じて拍手
をあびる自分を空想している桐山氏と、妄想を信じた信者が残っているだけで、
客席は最初から最後まで空でした。

では、桐山氏が描いた世紀末地球壊滅の晴れの一人芝居を見てみましょう。

513名無しさん@1周年 :02/08/29 00:28

「一九九九年七の月」 16.3度目の原爆

インドから帰国後、桐山氏の世紀末破壊の脅迫的妄想はもっと具体的になります。
1982年の「輪廻する葦」の中で、「原爆は三度落ちる」と題して、次のように書
いています。

「原爆はこの国にもう一度落ちる。それがわたくしには見えるのだ。」

いつ落ちるとは書いていないから、この予言がはずれたとは言えません。
しかし、その前後から、1999年に原爆が落ちるという意味でしょう。
1984年の「間脳思考」では、次のように書いています。

「読者よ、いまや、人類は二つの道を選択するギリギリの時点にさしかかった。
核ミサイルによる地獄の業火か、シャカの仏法によるきよらかな霊光(オーラ)
か、二つに一つである。」

この2冊の本では、1999年には核ミサイルが日本に飛んできて、日本に3度目の
原爆が落ちるのだ、と述べています。

1984年、日本武道館で、ダライ・ラマといっしょに護摩を焚きました。
桐山氏は全国から集まった約一万人の聴衆に前述の内容を熱く語りかけました。
後で、この場面を見ると桐山氏本人も感動すると言っていたほどです。
桐山氏の自信に満ちた感動的な言葉で、三度目の原爆が落ちる、自分には見える
のだ、言われれば、多くの信者が信じたとしても、おかしくありません。

だが、桐山氏の目にはっきり見えたはずの原爆はこの後、様変わりします。

514名無しさん@1周年 :02/08/29 00:29

「一九九九年七の月」 17.原爆から原発崩壊へ

1988年の「地球壊滅」は、原発をテロリストが攻撃して、大惨事になると
いう小説です。
1984年までは原爆で、1988年に原発崩壊と様変わりした原因はなんでしょうか。

もちろん、1986年におきたチェルノブイリ原発事故です。

冷戦時代には、ソ連が攻めてくる、核ミサイルが飛んでくるのではないか、
という恐怖感が日本の中にありました。
だから、1986年以前は、桐山氏は核ミサイルを持ち出しただけです。

当時、桐山氏は、北海道の信者に、個人的な恨みでもあるのかと思う程、
因縁が悪い、レベルが低いなどと、吐き捨てるように脅迫していました。
信者たちは、桐山氏の霊眼には北海道の破滅的な未来が見えているから、
救うために、叱咤していると信じていました。
その頃、北海道にソ連が攻めて来る、核攻撃があるという話がありました。
単に、桐山氏もまたこういう噂を信じて、利用していただけです。

原爆や核ミサイルが「それがわたくしには見えるのだ」とまで書いているのに、
1986年からは事情が変わったから、さっさと原発崩壊に乗り換えたのです。

桐山氏のいう未来予知とは何かを示す典型的な例です。
素人でもやれる予測に桐山氏の思いこみを加えると、予知能力になります。
そして、桐山氏はこの思いこみを仏陀の智恵だと信じています。
もっとも、見方によっては、次の事は智恵かもしれません。

515名無しさん@1周年 :02/08/29 00:30

「一九九九年七の月」 18.はずれた時の逃げ道

予測ですから、桐山氏にも地球壊滅を当てる自信はありませんでした。
予言がはずれた場合に備えて、逃げ道はかなり早い時期から準備してありました。
最初の本「一九九九年カルマと霊障からの脱出」でさえ、地球壊滅が1999年
だとは一言も書いていません。
「現世成仏」(1983年)では、「一九九九年カルマと霊障からの脱出」を解説して、

「その大災害が一九九九年に起きるかどうかはわからないが、わたくしの生涯の
うちに起こるということはたしかである。」

と、1999年と限定するのを避け、逃げ道を用意しています。
桐山氏の言葉どおり彼が120歳まで生きるのなら、当時残り60年近くあります。
60年もあれば、何か大災害がおきるか、あるいは予言も忘れさられるだろうし、
起きなくても、死んだ後なら、桐山氏は何を言われても痛くありません。

「一九九九年カルマと霊障からの脱出」では、題名からして「一九九九年」を
使い、ノストラダムスの「一九九九年七の月」の予言を出しています。
それでいて、「一九九九年に起きるかどうかはわからない」とは、桐山氏らしい
逃げ方です。

桐山氏は責任感が希薄で、言い抜けがお得意だから、いいでしょう。
バカを見たのは、桐山氏の言葉を文字どおり信じたまじめな信者たちです。
「地獄の業火かきよらかなオーラか」を文字通り信じて布教していました。
桐山氏は自分の逃げ道だけは最初からしっかりと確保していたのです。
御大将は、雑兵を残して、いつでも真っ先に逃げる準備をしていました。
これが桐山氏の言う21世紀の仏陀の智慧かもしれません。

516名無しさん@1周年 :02/08/29 00:31

「一九九九年七の月」 19.信者への脅迫と自分の逃げ道

1999年が近づくと、桐山氏は逃げ道を確保しながら、さらに脅迫を強めます。
1995年に出版した「一九九九年七の月が来る」では、

「横変死の因縁を持つ人は、十人中四人」
「無事である人は、10%しかいないのである」
「つまり、一九九五年から「危」に入って・・・・2000年に「滅」を迎える」

横変死の因縁とは、事故死、自殺、他殺などで死亡することを意味します。
ここでは、世紀末の地球壊滅で大量死があることを言っています。
これほどの脅迫をしながら、同じ本で、

「20001(原文のまま)年に、回復、安定に向かう」
「・・・2002年から、地球は回復・安定していくからである」

と書いています。
人口の4割が死ぬほどの大災害がおこりながら、その数年後には、回復し安定す
るというのです。
第二次世界大戦すら、日本人の死者は人口の1割に達しませんでした。
それが4割も死に、後の5割が傷ついたら、回復、安定などありえません。

このような矛盾した予言を出したのは、片や信者を脅迫しながらも、片や自分の
逃げ道を確保するためです。
1999年に何も起こらなければ、「自分は前から回復し安定すると予言していた」
と言い抜けるつもりでいたのでしょう。
実際、後で桐山氏はそれをやりました。

517名無しさん@1周年 :02/08/29 00:32

「一九九九年七の月」 20.横変死4割

桐山氏の言う横変死が4割という数字はどこから持ってきたのでしょう。
桐山氏は数字に弱く、彼の数字はあてなりません。
この時期、桐山氏は因縁霊視(165〜参照)はしていません。
数字は因縁診断(158〜参照)から持ってくる以外にはありません。
因縁診断は信者からの聞き取りによる自己申告であり、根拠がありません。
では、因縁診断でどうして4割もの横変死が出たのでしょう。

信者を脅迫するために、横変死の因縁は最も効果的です。
その結果、横変死の因縁が因縁診断では自然に増えるのです。
先祖や親戚筋まで探せば、たいてい一人くらい事故死、自殺、他殺はいます。
一人でもいれば、その信者には横変死の因縁を付けます。

4割に横変死の因縁があるのではなく、4割に横変死の因縁を付けたのです。
桐山氏は、自分で横変死が増えるように指示して、その結果をもってきて、
今度は、脅迫の材料に使ったのです。
自分で作った恐怖に自分で恐がってみせたのです。
桐山氏は自分で数字を増やしてしまったことにすら気が付いていないでしょう。
4割という数字を案外本人は信じています。
桐山氏の求聞持脳での直感や数字はせいぜいこの程度です。

518名無しさん@1周年 :02/08/29 00:32

「一九九九年七の月」 21.テロリストから大地震へ

桐山氏は、阪神大震災の数ヶ月後に「一九九九年七の月が来る」を出しました。
この本では活断層の一覧表を示し、大地震で原発が崩壊すると方向転換します。

ソ連を恐れていた時代の本では核ミサイルでした。
原発事故がおきると、テロリストによる原発崩壊でした。
阪神大震災がおきると、大地震による原発崩壊になりました。
北朝鮮がミサイルの実験をすると、核ミサイルをまた出しました。
結局、桐山氏の心にある不安や恐怖感を予言と言っているにすぎません。

阪神大震災は桐山氏にとっても相当なショックだったのでしょう。
桐山氏は地震の前日1月16日に京都の総本殿で冥徳祭の護摩を焚いていながら、
まったく地震を予知できなかったからです。
一〜二週間前からゴキブリやネズミすら騒いでいたのに、「事物の明快な認識と予
知」を一番目の超能力としてあげ、大地震は信者に事前に伝えると豪語していた
桐山氏が、すぐ近くでお得意の護摩を前日に焚いてさえ予知できなかったのです。

後に、桐山氏は、「仏像」という仏からのシグナル(ご霊示)があったと話しました。
仏像は九州から紀伊半島を横切る活断層「仏像線」に関係しているというのです。
この仏像線にそった活断層近辺で、近い将来大地震がおきるという意味です。

活断層の一覧表を見た時、桐山氏は仏像線という変わった名前に目がいったので
しょう。
仏像線のことはすっかり忘れた後、道場の仏像を見たとき、何か思い出せない感
覚にとらわれ、それを仏からのご霊示と称したのです。
普通の人なら自分の記憶を疑うところを、桐山氏はご霊示にしてしまいました。
もちろん、この思い込みと思い付きの大予言は今でも実現されていません。

519名無しさん@1周年 :02/08/29 00:33

「一九九九年七の月」 22.十三救いの輪運動

90年代中頃、桐山氏は、信者数増加のための露骨な脅迫策を打ち出します。
1996年8月から始まった「十三救いの輪運動」です。
信者1人が13人の新しい信者を獲得する(導く)という運動です。
桐山氏は、
「13人導けば、1999年の地球壊滅の時、命を保証する」
と断言しました。
逆に言えば、13人入信させなければ命は保証しないというものです。
これは「救いの輪」ではなく、「脅迫の輪」です。
桐山氏は、「一九九九年七の月が来る」の中で、横変死40%を出して、

「あなたは、この10%の中に入るか、40%の中に入るか、どちらだと思っているであろうか。
また、あなたの最愛の人は、どうであろうか?」

と「最愛の人」までひっぱり出して、人質にしました。
信者が減り、経済的にも苦しくなり、桐山氏お得意の一発逆転を狙ったのです。
世紀末破滅を脅迫の材料に使えるのは後数年しかありませんでした。
信者を増やしたいという桐山氏の切なる思いが文章から垂れ流しになっています。

520名無しさん@1周年 :02/08/29 00:34

「一九九九年七の月」 23.十三救いの輪運動の中身

十三救いの輪運動とは、13人を新たに信者として獲得することです。
これまで何人獲得していようが、まったく関係ありません。
桐山氏の言うように、人を助ける徳で自分も助かるというのなら、これまで入信
させた信者の数も数えるべきでしょう。
長年、桐山氏の言う行をやって因縁が切れているはずの人はどうなのでしょうか。

桐山氏の信者へのノルマはこのように前の事は完璧にリセットされます。
常に新しい数字を要求します。
目的が、信者の因縁を切ったり、助けることではなく、信者の数だからです。

13人を獲得できる信者は珍しいでしょう。
当然、そこではごまかしがおこります。
家族を無断で入信させたり、人数をそろえて、ノルマを達成すると、後は辞めよ
うがなんだろうが、知らぬふりです。
立場を利用して、他人の入信者をとってしまう先達(指導的信者)もいます。
こういうえげつないことを有名先達が堂々とやるのです。
こんなことは昔からありました。

中身がなかろうが、他人から盗もうが、桐山氏は気にしません。
桐山氏は目先の入信者の数にしか興味がないのです。
職員も先達もそれを承知しているから、信者に拍車をかけます。
桐山氏のご機嫌を損ねず、自分の命が助かりたいためです。
その結果、実態を伴わない空虚な数字だけが、毎月踊りました。

521名無しさん@1周年 :02/08/29 00:35

「一九九九年七の月」 24.十三救いの輪運動とは宗教ねずみ講

13運動を達成した信者は助かるとして、では、その13人はどうなるのか。
13人はそれぞれが新しく13人を入信させないと助かりません。
脅迫と欲で増殖させる「宗教ねずみ講」を桐山氏は作ったのです。

桐山氏のノルマの掛け方は、信者のエゴをむき出しにさせるやり方です。
元々それほど欲がなかった信者までが、だんだん欲の皮がつっぱってきます。
恐怖と欲望に駆られて、入信者獲得に奔走する信者を見ていると、何のための信
仰、何のための宗教かと、気色悪くなります。

入信させた信者数に対し、グランド・ミッショナリーなどの称号を与えました。
オウム真理教の「正大師」などの称号を、かつて桐山氏はあざ笑いました。
自分が小馬鹿にした内容をまねたのです。
桐山氏は、軽蔑した相手のまねをしたとさえ思っていません。

北朝鮮のミサイル実験を、桐山氏はすぐに恐怖の大王だと断言しました。
後は野となれ山となれで、信者たちを使い古しの手段で脅かし、低レベルな欲を
あおり、ブリキの勲章をぶら下げ、信者数を延ばそうとしたのです。

核ミサイルの、原発崩壊の、大地震の、4割横変死の1999年が近づきました。

522名無しさん@1周年 :02/08/29 00:36

「一九九九年七の月」 25.インド護摩

1999年が近づき、信者を脅迫し続けることはできても、核ミサイルも大地震もな
く、桐山氏の地球壊滅はおきそうにもありませんでした。
桐山氏は、お得意の壮大な言い訳をひねり出す必要に迫られました。

1981年の本の趣旨からいうなら、インドに行かないわけにはいきません。
それも、自分から行ってはサマになりません。
メシアは世界中から求められて、求められて、求められて出現するのです。
相手から請われて、自然に行かざるを得なかったという演出が必要です。

1999年、インドから招聘(しょうへい)され、デリーで護摩を焚きました。
阿含宗の招聘とは、お金をばらまいて、招待されたように見せかけることです。
身から出た錆とはいえ、インドの暑い3月は、体調の悪い桐山氏には負担だった
でしょう。
お金を使ってインドの著名人とのツー・ショットを撮り、準備ができました。

1999年、ついに出た最終章の言い訳本が「一九九九年七の月よ、さらば」です。
はたして、桐山氏の地球は壊滅したのでしょうか。
桐山氏の言い訳は、それはもう大方の予想をはるかに上回る天才的な出来でした。

523名無しさん@1周年 :02/08/29 00:36

「一九九九年七の月」 26.言い訳本の主旨

1999年7月には地球壊滅がおきそうもないことから、桐山氏は言い訳を取り繕
う必要に迫られました。
「一九九九年七の月よ、さらば」の言い訳の要点は次のようになっています。

・ノストラダムスの予言の「1999年7の月」とは、中国に仏教が伝来してから
1999年目にあたる西暦1997年のことである。
・1997年12月、桐山氏は中山大学(中国)で講演をした。桐山氏が中山大学に講
演の原稿を送ったのが1997年7月である。これは、ノストラダムスの「1999
年7の月」の予言と月まで一致する。
・原稿を送ったことがアンゴルモアの大王(釈迦)の「よみがえり」である。
・1998年11月、北京大学での桐山氏の仏教講演はアンゴルモアの大王(釈迦)の
「復活の儀式」である。
・1999年、インドで焚いた護摩は仏陀の「復活祭」、アンゴルモア大王の「生誕
祭」である。
・アンゴルモアの大王(釈迦)を復活させたのは桐山氏であるから、桐山氏が「
恐怖の大王」である。
・すなわち、桐山氏の人生はノストラダムスによって予言されていた。

524名無しさん@1周年 :02/08/29 00:37

「一九九九年七の月」 27.7の月は原稿を送った

桐山氏が18年間、脅し続けた1999年7の月には何が起きるのか。
このことは、この本において、最も重要な点です。

それは、桐山氏が講演の原稿を送ったことだ、というのです。
桐山氏が恐怖の大王であることと、アンゴルモアの大王がよみがえった根拠は、
桐山氏が中国に原稿を送ったことです。
1997年7月に桐山氏が中山大学に講演の原稿を送ったことが、ノストラダムスに
よって、「1999年7の月」として予言されていたというのです。

核ミサイルはどこに行ったのでしょうか。
どこの原発が崩壊したのでしょうか。
4割横変死の死体の山はどこにあるのでしょうか。
桐山氏の7の月では阿鼻叫喚の地球壊滅のはずでした。
それが、原稿を送ったこと、たったそれだけだというのです。
ノストラダムスは、桐山氏が原稿を送ることを大予言したのです。

講演や護摩に、アンゴルモア大王の「よみがえり」「復活の儀式」「復活祭」「生誕
祭」など、思いつく限りの名前を適当にちりばめただけのように見えます。
自分が恐怖の大王だ、自分の人生は予言されていたなどと、品格を重んじるとい
う桐山氏の羞恥心はどうしたのでしょう。

525名無しさん@1周年 :02/08/29 00:38

「一九九九年七の月」 28.名誉欲教授で後塵を拝す

原稿を送って復活したという釈迦は今どこにいらっしゃるのでしょうか。
桐山氏以外に、だれか復活した釈迦を確認した人はいるのでしょうか。
すべては桐山氏の頭の中での話で、誰一人何一つ客観的に確認できません。
仏教が中国に伝来した年は、今日でも学者の間で異説があります。
それなのにノストラダムスは伝来した年を確定していたというのです。

桐山氏がこのような支離滅裂な言い訳をならべた背景は明らかです。
講演した中山大学と北京大学から名誉教授をもらうためでした。
仏教学の基本の一つである阿含経は、中国の仏教学者たちもよく知っています。
桐山氏に御講義いただかなくても、五時教判が間違っていることは知っています。
彼らは、桐山氏の話を聞きたかったのではなく、持参した物がほしかったのです。

創価学会の池田大作氏も、桐山氏よりも前に、両大学の名誉教授になりました。
桐山氏は名誉欲を釈迦の名前を使って正当化したのです。
自分の名誉欲の大行進を、ノストラダムスの予言に強引にあてはめただけです。
そして、池田大作氏の後塵を拝したのです。

地球壊滅の言い訳と名誉欲とを強引にくっつけて説明を試みたのがこの本です。
ただの講演を釈迦の復活という壮大な話に膨らませ、名誉欲を隠して、脅迫の言
い訳もするという一挙両得を狙ったつもりです。
頭の中は名誉教授でいっぱいで、7の月ことなど原稿を送った話で十分なのです。

原稿まで予言した偉大なノストラダムスも名誉欲教授は予言できませんでした。

526名無しさん@1周年 :02/08/29 00:39

「一九九九年七の月」 29.信者の唖然

桐山氏は信者にこの本を積極的に施本するように指示しました。
こんな本を他人に勧めたら、勧めた人の頭の程度が疑われます。

本を読んだ信者たちが一番驚いたのは、
・地球壊滅が1997年、つまり2年も前にすでに終わっている
・桐山氏が恐怖の大王であった
という点でしょう。

本が出る直前まで、1999年7月の地球壊滅を回避するために、信者たちは様々な
イベントを通じて、真剣に護摩木などで祈願をしていました。
阿含宗はそれを奨励し、これをネタに護摩木を集めていたのです。
核ミサイルか、原発崩壊かと、毎月、桐山氏は信者たちを脅迫していました。
いよいよ「その時」が来たのですから、桐山氏を信じている信者は必死でした。
その地球壊滅が、実は、もう2年も前に桐山氏が原稿を発送して、終わっていた
というのです。

信者が自分一人で唖然とするのはまだいいでしょう。
熱心な信者は地球壊滅を説いて、周囲に護摩木を勧めたり、入信させています。
これらの人たちに、いったい何と説明をすればいいのか。
まじめな責任感のある信者であればあるほど立場がなかったはずです。

けなげにも、信者は必死に桐山氏に頭を合わせようと努力します。
言い訳を受け入れ、矛盾は見ずに、桐山氏についていくのが正しい弟子なのです。
先達の一人は、この本を「いちおう、筋が通っている」と評価しました。
この本の筋が通っているのなら、北朝鮮は地上天国です。

527名無しさん@1周年 :02/08/29 00:40

「一九九九年七の月」 30.信者の呆然

桐山氏が恐怖の大王であるという新説にも信者は困りました。
1996年12月、桐山氏は脳梗塞になりました。(197〜参照)
病気の桐山氏を、東京の先達(指導的信者)の一人は、
「アンゴルモアの大王(桐山氏)は恐怖の大王と戦って傷ついた」
と弁護しました。
モンゴルで桐山氏が「恐怖の大王と戦って勝利した」と宣言したことを受け、脳
梗塞だと認めないで済むように編み出した桐山氏へのゴマスリ説です。
アニメのようなこのおとぎ話を、職員もいっしょに吹聴していました。

桐山氏が恐怖の大王なら、桐山氏が自分と戦ったことになり、話が矛盾します。
桐山氏を弁護しヨイショしたつもりが、かえって混乱を招きました。
先達も師をまねて、口をぬぐって素知らぬふりをするのが一番でしょう。

恐怖の大王は空から下りてくることになっていました。
桐山氏が飛行機に乗って中国やインドに行ったことを指すのでしょうか。
上品そうな桐山氏のどこが「恐怖」なのか、よくわかりません。
人々に因縁、霊障、地球壊滅で恐怖心を与え続けたからでしょうか。

脳障害から来た妄想と自己過信で作った予言話の矛盾は説明しきれません。
妄想の上に、詭弁で支えた妄想を積み重ねただけです。
桐山氏のお得意の求聞持脳を駆使しても、妄想は現実にはなりません。

ノストラダムスの大予言で世間をお騒がせした作家たちはたくさんいます。
自分がアンゴルモアの大王だ、恐怖の大王だと名乗ったのは桐山氏一人でしょう。
トンデモ・ノストラダムス本の中でも桐山氏の本は群を抜いた特異性があります。
この本には、これまでの桐山氏の本と比較しても、奇妙な特徴がありました。

528名無しさん@1周年 :02/08/29 00:41

「一九九九年七の月」 31.ひとり盛り上がる桐山氏

この本は、ここ数年の焼き直し本と違い、大半が書き下ろしでした。
それだけに、奇妙な文章が目につきました。

****************************
解くと同時に、愕然とした。次いで、唖然とした。
わたくしは憮然とした。「おれが恐怖の大王か」大声で私は笑い出してしまった。

その瞬間である。ビカリと頭にひらめいたものがあった。そうか!そうだったの
か!一瞬、おどりあがりたい気持ちだった。

忘我の瞬間。何もかも忘れて、無心になる。その刹那、「あ!」それは来た。・・・
仏像?と瞬間、思った。「ちがう!」とわたくしは思わず叫びそうになった。・・・
その刹那、わたくしの戦慄は、沸騰点に達した。・・・私は絶息、絶心していたか
もしれぬ。・・・
・・・わたくしの唇は動いて、問いつづけていた。「なぜ?なぜ?なぜ?」と。

わたくしの頭は、急速に回転した。「そうだ!復活祭だ」私は思わず、大きな声で
叫んでいた。躍り上がって、叫んでいた。
****************************

愕然、唖然、憮然、瞬間、一瞬、忘我、刹那、戦慄、沸騰点、絶息、絶心などの
多用で、一人で感情的に盛り上がり、笑い、叫び、躍り上がっています。
こういう盛り上がる場面は昔の桐山氏の本にもありました。
18年前の本では、白銀のバイブレーションとアルゴルモア大王の謎解きです。
しかし、せいぜいこの2つ程度なのに、この本ではこの技法を多用しています。
何とか読者を自分のペースに巻き込もうと必死の様子が見えます。
だが、おじいちゃんが一人でフィーバー(古い!)すればするほど、読者は白けます。
桐山氏ほどの、人をだます技法にたけた人の文章にしては、ずいぶん稚拙です。
なぜでしょうか。

529名無しさん@1周年 :02/08/29 00:41

「一九九九年七の月」32. なぜ?なぜ?なぜ?

これには二つの解釈が可能です。
一つ目は、桐山氏が読者を丸め込もうと四苦八苦した痕跡であるということです。
実際には、老化と脳梗塞で、読者をだませる能力がなくなってしまったのです。
丸め込もうとしたという点では、デキの悪さに目を覆いたくなる惨状です。
18年前の桐山氏なら、もっと上手なウソを書いたでしょう。

二つ目は、ここで描かれた桐山氏は、そのままの桐山氏であるということです。
老人には新陳代謝の低下や脳細胞の減少で、おだやかになるタイプがあります。
また、欲望や感情がむき出しになるタイプがあります。
理性を司る大脳新皮質の衰えで、押さえられていた欲望と感情が出てくるのです。

桐山氏も、脳の老化で、感情のコントロールが効きにくくなっているのです。
桐山氏の主たる欲望である名誉欲がむき出しになり、一方で、感情のコントロー
ルが効かなくなり、飛んだり叫んだりしているのです。

この二つは結局、脳の老化です。
老化して、隠すことができなくなって現れた桐山氏のあるがままの姿です。
桐山氏はかつてアナゴンというブッダに次ぐ聖者になったと宣言しました。
しかし、露出したアナゴンの姿は、自分を一角の人物として誇示したいという、
本能がもたらす名誉欲にとらわれた、ありふれた老人です。

重要なのは、桐山氏が老化して変わったのではなく、本当の姿が出てきた点です。
若い頃の桐山氏と、老化した点を除けば、何も変わっていないのでしょう。
これが桐山氏の元々の姿であり、今の姿であり、ほんとうの姿です。
これが桐山氏の言う心解脱した聖者の姿です。

530名無しさん@1周年 :02/08/29 00:44

「一九九九年七の月」 33-1.祇園精舎を日本に移す

桐山氏は、18年前の本「一九九九年カルマと霊障から脱出」で
「もう一度、わたくしはこの地に来なければならないのですね」
と述べています。
この地とは祇園精舎とそこにあるミラクルの池のことです。

地球壊滅の時、祇園精舎にもう一度来い、と釈迦から言われたというのです。
地球と人類を救うため、桐山氏は祇園精舎に行き、釈迦を日本に移すという重
大な使命を負ったのです。
桐山氏は釈迦から直々にこの指示を受けました。

この使命を桐山氏に託したのですから、釈迦は桐山氏を高く評価しているのです。
釈迦みずから桐山氏を自分の後継者として選択したのです。
釈迦の真の法を受け継ぐ唯一人の弟子としてのまぶしい桐山氏がそこにあります。
釈迦は、自分の法を体得した桐山氏にすべてを託したのです。
釈迦の期待を一身にあびる桐山氏の姿はなんと輝かしいことでしょう。
531名無しさん@1周年 :02/08/29 00:45

「一九九九年七の月」 33-2.祇園精舎を日本に移す

1999年、祇園精舎から釈迦を背負い、阿含宗の総本山にお招きするのです。
そして、阿含宗の総本山は、釈迦仏教の祇園精舎になる予定でした。

しかし、桐山氏は1999年にインドに行ったとき、祇園精舎に行きませんでした。
18年前に本に書き、各地で講演し、映画で大宣伝したのに、行きませんでした。

理由は、インド旅行だけでもきついのに、祇園精舎は田舎にあるからです。
脳梗塞を患っている78歳の桐山氏の体調を考えて、やめたのでしょう。
行かなかったのではなく、行けなかったのです。

桐山氏が祇園精舎に行くだけで当たったことになる18年前の簡単な予言なのに、
自分自身が身動きがとれず、当たらせることすらできない状態だったのです。
こういうのを自業自得か、それとも仏罰というのでしょうか。
桐山氏は自分が作り出した妄想の釈迦すら背負うことができませんでした。

熱心な信者はこの程度の矛盾や腰折れは物ともせず、
「1980年のときすでに釈迦は移された。ミラクルの池は空だ」
「1999年のインドの護摩で成就した」
と必死に桐山氏に頭を合わせます。

532名無しさん@1周年 :02/08/29 00:45

「一九九九年七の月」 34.アンゴルモア大王の誕生日はいつか

1997年1月5日、桐山氏の誕生日に、桐山氏は、
「1999年7月17日の、アンゴルモアの大王の誕生日です」
という文章を、アンゴルモア大王の紋章を入れて信者に配りました。

アンゴルモア大王は、1997年の原稿を送ったことが「よみがえり」、1998年の北
京大学講演が「復活の儀式」で、1999年3月のインドの護摩が「生誕祭」です。
ずいぶん誕生日がたくさんあるが、いずれも1999年7月17日とは違います。

このメッセージを発信したのは、桐山氏が脳梗塞を発病した一ヶ月後です。
もともと妄想癖の強い桐山氏が脳を患い、無意味な妄想霊感が、ドブ川から発生
したガスのようにわき上がるようになっていたのでしょうか。

桐山氏は、二年後に自分がどんな本を書くか予想できなかったのです。
1999年7月にアンゴルモアのお誕生日のお祝いをするつもりだったのでしょう。
普通、よほどの根拠や確信がなかったら17日などと日付まで予言しません。
16日の冥徳祭で総本山にいるし、17日は土曜日だし、次の週は例祭だから、信
者を集めるのにはちょうどいいと、ご都合でこの日に決めたのでしょう。
これを仏からのご霊示か、霊能力でつかんだように発表しました。

ところが、二年後の本で、誕生日の変更を余儀なくされたのです。
自分で決めた妄想の誕生日のお祝いを実行することすらできなかったのです。
自分が出した予言で自家中毒をおこしたのです。
それとも、これは誕生日を祝ってもらえない恐怖の大王からの逆襲でしょうか。
桐山氏は数字に弱いし、責任感も欠落していますから、わずか数年前に自分が出
した誕生日のことなどきれいに忘れて、彼一人はハッピーなのでしょう。

桐山氏の19年に及ぶノストラダムスに事かけた予言お騒がせは終わりました。
いや、天才の名をほしいままにする桐山氏がこの程度では終わりませんでした。

533名無しさん@1周年 :02/08/29 00:46

「一九九九年七の月」 35.何もおこらないことを予言していた

予言が終わった1999年8月、一流新聞に本の広告として次のように載せました。

「本書の著者は、「一九九九年カルマと霊障からの脱出」(一九八一年七月・平河
出版社刊)でノストラダムスの予言を解き、一九九九年七の月には、破壊も破滅も
おこらない、無事に終わるであろうと断定している。」

桐山氏は18年前から、1999年7月には何もおこらないと予言していたというの
です。
「一九九九年カルマと霊障からの脱出」を中学生に要約させれば、1999年の地球
壊滅を説いていると述べるでしょう。
誰がどう読んでも、逆さに読もうが、後ろから読もうが、この本は破壊が起こる
と書いてあります。
それを桐山氏はこの本で、何もおこらないと予言したと言うのです。
「無事に終わるであろう」と予言し、断定していたというのです。

この本だけではなく、1982年の「輪廻する葦」では「三度目の原爆が落ちる」と
述べ、その様子を自分は見えると断言し、1984年の「間脳思考」では「核ミサイ
ルによる地獄の業火」と書き、1995年に出した本でも、40%が横変死すると説き、
信者に、助かりたければ、13人を導けと脅迫するなど、18年に渡って手段を選
ばず、地球壊滅を説き続けていた桐山氏が、実は、18年前から何もおこらないと
予言し、断定していたと新聞広告を出したのです。

534名無しさん@1周年 :02/08/29 00:50

「一九九九年七の月」 36-1.逆転の開き直り

新聞広告は広告代理店が作ります。
しかし、代理店が、広告主の主張とまるっきり逆のことを書くはずはありません。
この広告は、まるで泥棒の親方が、警察が踏み込んだとたん「おれは前から泥棒
はいかんと主張していた」とにこやかに警察に協力したようなものです。

1999年の予言をはずした五島勉氏のような人たちは、謝罪するか、沈黙しました。
しかし、桐山氏は彼らのような凡人ではないのです。
桐山氏は逆転の発想をもった天才です。

破滅を説き続けた本人が破滅など説いたことがないというのですから、これは普
通の脳の持ち主ではありません。
その前に、普通の神経の持ち主ではありません。
これを仏陀の智慧と称し「21世紀は智慧の時代」という本まで書いています。
常識も世間も理屈もすべて踏み越え、踏みにじったすごい智慧です。

小学生が見ても、桐山氏は詭弁を越えたただのウソツキです。
だが、普通の人にはただの嘘が、熱心な信者には仏陀の智慧に見えるのです。
信者には、桐山氏の仏陀の智慧を批判するのは、浅はかな凡夫の智恵なのです。
そして、桐山氏の言う仏陀の智慧を信じる者だけが残ります。
535名無しさん@1周年 :02/08/29 00:50

「一九九九年七の月」 36-2.逆転の開き直り

埼玉の有名先達(指導的信者)の一人は、
「猊下(桐山氏)は毎日進歩し、昨日の猊下と今日の猊下は違う」
と言いました。
昨日と今日の話に矛盾があっても、それは桐山氏の"進歩"だと言うのです。
桐山氏は自分を求道者であると言っていますから、日々進歩しているのです。
桐山氏の矛盾や嘘をリセットしてくれる、これこそ桐山氏の真の弟子です。

つい一年前まで桐山氏が言った事、本に書いていたことなど関係ありません。
どれほどひどい脅迫をしていようが関係ありません。
桐山氏が、18年前から1999年には何もおこらないと予言していたと言えば、そ
の瞬間から阿含宗ではそれが真実であり、桐山氏の宗教上の偉大な進歩なのです。

536名無しさん@1周年 :02/08/29 00:51

「一九九九年七の月」 37.のぞいてみますか?

なぜ、桐山氏はこれほどの大破壊を18年に渡って説いたのでしょうか。
桐山氏には予知能力などありはしません。
たまたま当たった1つを10倍に拡大して覚え、はずれた9つをきれいに忘れる
という超能力を持っているだけです。
簡単に言えば、誇大妄想癖です。

宗教家生命を断ち切られかねない予言を本という文字に何度もしてまで、なぜ彼
はこのばかげた予言に18年間とりついたのでしょうか。
1981年の最初の本でやめておけばよかったのです。
壊滅がいつ来るかは、「現世成仏」にあるように、巧みに逃げていたのです。
桐山氏自身、ほんとうに世紀末破滅が来るかどうかわからなかったからです。

ところが、1995年になってすら「一九九九年七の月が来る」を書いています。
直前の本に、題名にまですれば、自分で逃げ道をふさいだようなものです。
なぜ、このようなバカげたカケに桐山氏は出たのでしょうか。

桐山氏の主張は、地球壊滅も含めて、外の現実世界にあるのではありません。
桐山氏の頭のなかにあると考えるととてもわかりやすいのです。
桐山氏の宗教は、霊能力、超能力、予知能力にあるのではなく、彼の心にある抑
圧と葛藤、自己顕示欲などの欲望から来た妄想だと考えれば、理解できます。
桐山氏の心の中をのぞくと、大破壊を説かざるを得なかった理由がわかります。

聖者様にしては、おおよそ、きれいとはいいがたい心ですが、
のぞいてみますか?
537名無しさん@1周年 :02/08/29 00:55

「刑獄の因縁」 1.劣等感と優越感

桐山氏の心を知るためには、彼の生い立ちから見る必要があります。
桐山氏の年表から、子供の頃かなり貧しかったことがわかります。
父親は定職すらなかったようです。(292〜年表参照)
一方で、母方の桐山家は武士の子孫であり、彼はその長男です。

貧乏の劣等感と武士の子孫という優越感が混在していたのです。
ヒトカドの人物になることが堤(桐山氏の本名)少年の目標だったのでしょう。
桐山氏がベンツに乗り、ホテル・オークラに出入りし、総本山に銅像を建て、勲
章を欲しがるという、聖者の行いとはかけ離れたことをするのは、彼のこの頃の
劣等感を癒してくれるからでしょう。
鳴り物入りで姿を現し、聖者として、信者たちがひれ伏す構図は、桐山氏の優越
感をいたく満足させるものなのです。

ただ、昭和初期なら、堤少年の境遇は特別珍しいものではありません。
貧乏も、教育を受けられないことも、立身出世を夢見ることも、同じ境遇の人た
ちはたくさんいました。
これだけでは、因縁、霊障、予言で人々を脅かし、妄想と思いこみの宗教を作り
上げた今日の桐山氏の姿は十分には浮かび上がってきません。

桐山氏のその後の人生を見ていくと、最初に目を引くのが犯罪歴です。
538名無しさん@1周年 :02/08/29 00:56

「刑獄の因縁」 2.偽ビール事件

桐山氏は若い頃、酒税法違反で逮捕され、刑務所に入ったことがあります。
いわゆる「偽ビール事件」です。
この話は、桐山氏を批判する本や記事には必ず取り上げられます
信者たちは、前科の話がでると「また、それか」とあきれ顔をします。
その信者たちも実際に何があったのかを詳しく知っている人はまれです。
たいていは桐山氏の言い分をそのまま繰り返しているだけです。

事件の経過を見て、桐山氏の言い分を聞いてみましょう。
桐山氏もある程度認めている偽ビール事件の経過は、次のような内容です。

桐山氏と仲間たちは合成ビールを醸造した。
仲間がキリンビールの偽ラベルを作り、偽ビールを販売した。
昭和28(1953)年、偽ビールを積んだ車が立ち往生し、犯行が発覚した。
昭和29(1954)年、桐山氏と仲間は裁判にかけられ、桐山氏は1年半、罰金5万円
の実刑を言い渡された。
この年、桐山氏は一時収監され、上告したが、高裁でも有罪となった。
昭和35(1960)年、桐山氏は刑が確定し、約一年間服役し、仮出所の後、半年の保
護観察を経て刑期を終えた。

539名無しさん@1周年 :02/08/29 00:58

「刑獄の因縁」 3.桐山氏の言い分

偽ビール事件についての、桐山氏の主な言い分です。

桐山氏は合法な合成ビールを販売する計画だった。
桐山氏に同意なく、仲間が偽ビールにして販売しようとした。
これらの仲間とつきあったのは、作家的な興味からだった。
桐山氏は出資しただけで、仲間の罪をかぶったのだ。
犯罪も酒税法違反という軽いものなのに、実刑は重すぎる。
犯罪を軽く見た桐山氏は、最初自分で弁護士を雇わなかった。
国選弁護人は親身になって弁護してくれなかった。
当時、他の密造酒事件で死者や失明者が出たために、見せしめに実刑を科された。
桐山氏はすでに処罰を受けて、刑期を終えている。
酒税法違反は40年以上も前の話であり、犯罪としても時効だ。
いつまでも前科者扱いするのは不当で、人権侵害だ。

仲間が犯罪をなして、桐山氏は巻き込まれ、運悪く、他の密造酒で死者が出たた
め、軽度の犯罪であるにもかかわらず、実刑を科されたということです。
判決文を見ると、桐山氏は3人の犯人の3番目に来ています。
他の犯人たちは、別な密造酒の2件でも訴えられていますが、桐山氏はこれらに
は連座していません。
桐山氏が懲役1年半に対して、主犯格のS氏は懲役3年の判決です。
つまり、桐山氏は主犯ではないのです。
これを見るかぎり、桐山氏の言い分にも一理あります。

540名無しさん@1周年 :02/08/29 00:58

「刑獄の因縁」 4.逆効果の前科批判

償いをしている人にいつまでも過去の過ちを追求するのはまちがいです。
桐山氏の前科は、宗教家になる前の若い頃の過ちです。
桐山氏は、この前科を、血の涙を流しながら悔いたと言います。
何度も自殺を試みたと桐山氏は書いています。
昭和28(1953)年に逮捕され、昭和29年には観音慈恵会を設立しているのですか
ら、桐山氏は罪を悔い改めるために宗教を目指したように見えます。

前科だけを批判すると、それを悔いて宗教家になった桐山氏を、マスコミ報道の
被害者にするだけで、かえって桐山氏の本性を覆い隠してしまいます。
信者から見れば宗教的迫害です。
前科を持ちながら、血の涙を流し、最後は聖者にまで到達したという桐山氏は、
信者の目には宗教的英雄に見えます。
これでは桐山氏を受難者として祭り上げるようなものです。

桐山氏への批判記事、批判本では前科のみがとりあげられました。
前科を前科のみで取り扱うと、桐山氏の姿はかえって見えなくなります。
前科者というレッテルを貼って終わりにするのではなく、前科に現れた桐山氏の
心の中を見るべきです。

そこで、もっと丁寧に何があったのかを検証してみましょう。

541888:02/08/29 00:59
909さん、電波男さん、あほだら経さん、

「岩波文庫 ブッダ最後の旅 大パリニッバーナ経 中村元訳」に、三福道をみつけました。

P46ナーディカ村にて
まずブッダは亡くなった弟子達の行く末を語ります。
その後に、一般的な法則を語る。

わたしはここに、法の鏡という名の法門を説こう。

ここに立派な弟子がいて、ブッダに対して清らかな信仰を起こしている。
またかれは法に対して清らかな信仰を起こしている。
かれはサンガ(つどい)に対して清らかな信仰を起こしている。

みずから自分の運命をはっきりと見究めることができるであろう。

わたくしには地獄は消滅した、畜生のありさまも消滅した。餓鬼の境涯も
消滅した。悪いところ・苦しいところに堕することもない。わたしは聖者の
流れに踏み入ったものである。わたしはもはや堕するところの無い者である。
わたしは必ずさとりを究める者であると。

かなり省略していますので、原本でお読みになってください。欣喜雀躍ですね。
もう、私たちは二度と苦境に堕することはないのです。
542名無しさん@1周年 :02/08/29 00:59

「刑獄の因縁」 5.三度の逮捕歴

桐山氏の前科をもう少し詳しく見てみます。
桐山氏の逮捕歴は3度あります。

昭和27(1952)年8月16日、詐欺、契約違反、警視庁西新井署
昭和27(1952)年12月12日、手形詐欺、千葉県松戸署
昭和28(1953)年8月16日、酒税法違反、私文書偽造、警視庁防犯課

このうち、裁判で有罪になったのが、三番目の事件です。
偽ビール事件で逮捕される前に別件で二度逮捕されています。
桐山氏は、酒税法違反の件は本にも書いていますが、その前、二度もある逮捕歴
についてはまったく書いておらず、釈明もしていません。

裁判で訴えられた内容は酒税法違反だけではありません。
昭和28(1953)年の逮捕に私文書偽造の罪があります。
桐山氏が千葉県の農協の契約書や組合長の印鑑を偽造して、桐山氏の経営してい
た北日本物産商会が独占的に青森や岩手のイモを入手しようとしたものです。
契約書は昭和26(1951)年頃、桐山氏の流山の自宅に、和文タイプライターの業者
を呼んで文書を作らせました。

私文書偽造は明らかに桐山氏本人のやった犯罪であり、仲間が勝手にやって、桐
山氏が巻き込まれたのとは違います。
酒税法違反で逮捕される2年も前の話ですから、偽ビールを作る前から、桐山氏
は犯罪行為をなしていたことがわかります。

前に二度の逮捕歴があることを書いてしまうと、桐山氏の偽ビール事件への言い
訳は説得力がなくなるので、口をぬぐったのでしょう。
桐山氏の言い訳では、偽ビール事件は、何も知らない無垢な桐山氏が突然プロの
犯罪者集団に巻き込まれたような言い方でした。
しかし、実際の桐山氏は、何年も前から自ら犯罪をなし、さらには二度もの逮捕
歴を持つ、立派な犯罪者予備軍だったのです。

543888:02/08/29 01:04
如来の所(にもと)で、正法に於いて、聖衆において功徳を植える。
この福窮尽すべからず。涅槃界に至る。
544888:02/08/29 01:06
909さん、電波男さん、あほだら経さん、

「岩波文庫 ブッダ最後の旅 大パリニッバーナ経 中村元訳」に、三福道をみつけました。

P46ナーディカ村にて
まずブッダは亡くなった弟子達の行く末を語ります。
その後に、一般的な法則を語る。

わたしはここに、法の鏡という名の法門を説こう。

ここに立派な弟子がいて、ブッダに対して清らかな信仰を起こしている。
またかれは法に対して清らかな信仰を起こしている。
かれはサンガ(つどい)に対して清らかな信仰を起こしている。

みずから自分の運命をはっきりと見究めることができるであろう。

わたくしには地獄は消滅した、畜生のありさまも消滅した。餓鬼の境涯も
消滅した。悪いところ・苦しいところに堕することもない。わたしは聖者の
流れに踏み入ったものである。わたしはもはや堕するところの無い者である。
わたしは必ずさとりを究める者であると。

かなり省略していますので、原本でお読みになってください。欣喜雀躍ですね。
もう、私たちは二度と苦境に堕することはないのです。
545名無しさん@1周年 :02/08/29 01:06

「刑獄の因縁」 7.桐山氏は善良な市民だったのか

二度の逮捕歴は、偽ビール事件と桐山氏との関係を知る上で、重要です。
偽ビール事件の前に二度の逮捕歴があることで、偽ビール事件の流れはまったく
違ったものに見えてきます。
偽ビール事件での桐山氏の立場は、その前に二度の逮捕歴があるかないかで、ず
いぶん違ったものになります。

それは、桐山氏が犯罪に巻き込まれた善良な市民であったかどうかという点です。
桐山氏の弁舌では、「善良な市民」の桐山氏が、犯罪者たちに手玉にとられて、巻
き込まれたのが偽ビール事件でした。
偽ビール事件だけなら、桐山氏のいうように、事件に巻き込まれた、という言い
訳も成り立つかもしれません。

しかし、「善良な市民」であったはずの桐山氏が、実はその前年に二度も逮捕され
ていたというのです。
酒税法違反の前に、二度逮捕されていた、という事実は、偽ビール事件が偶発的
に起きて桐山氏が巻き込まれたものではないことを示しています。
二度逮捕されて、ほとぼりも冷めない次の年に、大々的に密造酒を作るのは、ど
う見ても「善良な市民」ではありません。
こんなことをするのは、犯罪を犯罪とも思わないような性格なのか、逮捕すらも
勲章だとする特殊な道の人たちだけです。
二度の逮捕という事実は、桐山氏の「善良な市民」という姿を瓦解させています。

二度の逮捕という事実からは、偽ビール事件は桐山氏と関係なしにおきたのでは
なく、彼の性格の延長にあった、彼が作り出したと考えるべきでしょう。
犯罪者に手玉にとられ、巻き込まれたのではなく、桐山氏自身が犯罪者的な素質
を十分に持ち合わせ、自ら犯罪に手を染めたと考えるのが妥当です。


546名無しさん@1周年 :02/08/29 01:07

「刑獄の因縁」 8.裁判官の慈悲

桐山氏は最初の裁判では「おれは悪くない」と開き直って、自分で弁護士すら雇
わなかったと言います。
これは今日の桐山氏の、都合の悪いことを忘れたり、変えて信じてしまう性格を
見れば、納得できます。
桐山氏は決して自分の非を認めません。
矛盾を追求されると、怒鳴りつけ、相手を威嚇するのが桐山氏の解決方法です。
桐山氏は家族にすら「おれを怒らせるなよ」とすごんでみせると自慢しています。
だが、こんなことは家庭や阿含宗内ならともかく、世間では通用しません。
さすがの桐山氏も裁判官をどなりつける訳にはいきませんでした。

前年に二度も逮捕され、懲りずにまた大がかりな犯罪を繰り返し、裁判でも見え
透いた言い訳を繰り返す人物に、裁判官はどのような判決を下すでしょうか。
裁判官の立場になって考えてみましょう。

逮捕歴、犯罪内容を並べてみると、私文書偽造など、簡単に言ってしまえば、詐
欺的な性格です。
32歳の、まだやり直しのきく青年が二度と犯罪に手を染めずに、まっとうな人生
を送るようにさせるにはどうしたからいいか。
刑務所で臭い飯を食わせ、二度とこんなことをしないように、身体で覚えさせる
しかない、と裁判官は判断したのでしょう。

有罪は、ある意味で裁判官の慈悲だったかもしれません。
あるいは仏の三度目の慈悲だったかもしれません。
だが、その慈悲は堤青年にも、今日の桐山氏にも通用しませんでした。

桐山氏の、一見もっともらしい言い訳も、丁寧に見ていくと、おかしなことがた
くさんあります。

547名無しさん@1周年 :02/08/29 01:10


888さん、541と544は二重カキコですね。
削除依頼出しましょうか?

548名無しさん@1周年 :02/08/29 01:11

「刑獄の因縁」 9-1.国選弁護人が悪い?

桐山氏は弁護士を雇わなかったことを敗訴の理由の一つとして上げています。
国選弁護人が親身になってくれなかったから有罪になったと述べています。
裁判から有罪が確定するまでの経緯は以下のようになっています。

1954年3月、第一審判決、有罪(懲役一年六ヶ月、罰金五万円)
1954年10月、東京高裁、有罪
1960年5月、上告中、実刑が確定

地方裁判所で有罪になり、高等裁判所に上告して有罪になり、最高裁判所に上告
して、訴えが棄却されて、最初の判決どおりの実刑が確定したのでしょう。
桐山氏は一審で有罪になったのに驚いて初めて弁護士を雇いました。
それでも判決をくつがえせなかったのは、桐山氏によれば、
「一審を二審でくつがえすというのは至難である」

549888:02/08/29 01:12
>>547 コピペ、もう良いですよ。興味ないからね。私たちは
桐山氏から与えられた「教え」に興味があるの。どうでも良い事を
書き連ねないでね。
550名無しさん@1周年 :02/08/29 01:12

「刑獄の因縁」 9-2.国選弁護人が悪い?

桐山氏が無実であれば、くつがえすことは不可能ではありません。
逆転判決は特に珍しいことではありません。
くつがえせなかったのは、一審の判断が正しかったから、二審どころか、3番目
の最高裁も支持したのです。
最高裁が棄却したのは、審議するに値しないくらい、犯罪行為が明瞭であり、判
決も妥当なものだと判断したからです。

少なくとも3人の裁判官が、桐山氏を有罪であり、懲役一年六ヶ月、罰金五万円
が妥当であると判断したことになります。
一審から弁護士を雇おうが雇うまいが、結果は同じだったのです。

桐山氏が主犯格とみなされなかったのは、国選弁護人が仕事をした証拠です。
国選弁護人が桐山氏の弁護に親身にならなかったのではなく、犯罪行為があまり
に明瞭で、有罪の者を無罪であるなどと虚偽の主張をしなかっただけです。
国選弁護人も、その場限りの開き直りの詭弁を並べる桐山氏を目の前にしたら、
「裁判官に通用するかどうか言ってみろ」と内心思っていたのでしょう。
つまり、3人の裁判官と1人の弁護士が見ても、桐山氏は有罪だったのです。

551888:02/08/29 01:13
あんたの書きこみ邪魔するために、書いているんじゃないの。
みなさんに、一刻も早く、幸せの経典を教えたいから書きこ
んでいるんだよ。
552888:02/08/29 01:14
909さん、電波男さん、あほだら経さん、

「岩波文庫 ブッダ最後の旅 大パリニッバーナ経 中村元訳」に、三福道をみつけました。

P46ナーディカ村にて
まずブッダは亡くなった弟子達の行く末を語ります。
その後に、一般的な法則を語る。

わたしはここに、法の鏡という名の法門を説こう。

ここに立派な弟子がいて、ブッダに対して清らかな信仰を起こしている。
またかれは法に対して清らかな信仰を起こしている。
かれはサンガ(つどい)に対して清らかな信仰を起こしている。

みずから自分の運命をはっきりと見究めることができるであろう。

わたくしには地獄は消滅した、畜生のありさまも消滅した。餓鬼の境涯も
消滅した。悪いところ・苦しいところに堕することもない。わたしは聖者の
流れに踏み入ったものである。わたしはもはや堕するところの無い者である。
わたしは必ずさとりを究める者であると。

かなり省略していますので、原本でお読みになってください。欣喜雀躍ですね。
もう、私たちは二度と苦境に堕することはないのです。

553名無しさん@1周年 :02/08/29 01:16

>549
>私たちは
>桐山氏から与えられた「教え」に興味があるの。どうでも良い事を
>書き連ねないでね。

どうでもよくありません。
この宗教板は「カルト問題を考える板」でもあるのです。
カルト教団の阿含宗を野放しにはできません。




554888:02/08/29 01:17
>>553 三福道と言う真理を与えてくれた方。それだけで十分。
555名無しさん@1周年 :02/08/29 01:19
>551 :888
>あんたの書きこみ邪魔するために、書いているんじゃないの。
>みなさんに、一刻も早く、幸せの経典を教えたいから書きこ
>んでいるんだよ。

阿含宗と阿含経はまったく関係ありません。
桐山氏の教えは、人を不幸に貶める教えです。


556888:02/08/29 01:19
>>553

「岩波文庫 ブッダ最後の旅 大パリニッバーナ経 中村元訳」に、三福道を
みつけた。これがどんなに素晴らしい事かわかる?
昔から書いてあったんだよ。何度も読んだんだよ。しかし気がつかなかった。
557名無しさん@1周年 :02/08/29 01:20

「刑獄の因縁」 10.心証が悪かった?

桐山氏の雇った弁護士は、一審の書類を調べ、
「すごく心証が悪いですねえ」
と述べたと桐山氏は書いています。
裁判官が何か気分が悪くて感情的に桐山氏を有罪にしたような書き方です。
桐山氏は、事件そのものに対する心証が悪いと解釈しているようです。
自分はそのとばっちりを受けたと言いたいようです。

判決は、犯罪そのものの重さではなく、心証が悪いという感情的なものであると
主張したいのでしょう。
桐山氏によれば、この裁判官は、心証だけで判決を下すような、裁判官としては
不適格な人物だったことになります。
絶対に自分の非を認めない桐山氏には、自分の弁舌を受け入れない裁判官のほう
こそがおかしいのです。
桐山氏の理屈が正しいなら、一審から最高裁まで3人もの裁判官は全員が心証と
いう感情だけで判決や判断を下したことになります。

雇われた弁護士すらも、心証が悪いと強調したということは、いかに桐山氏が裁
判で開き直りを言い、周囲をあきれさせていたかを示しています。
今日、まだ判決は不当だったと言っているのですから、当時はもっとすごかった
のでしょう。
逮捕歴が二度もあるのに、懲りずに、また犯罪に手を染め、何の反省もなく、詭
弁で開き直りを言い張る人物に、裁判官でなくても心証が悪いのは当たり前です。
しかし、3人の裁判官は御気分で有罪にしたのではなく、桐山氏のやったことが
実刑に値する犯罪だから、有罪にしたのです。

558名無しさん@1周年 :02/08/29 01:21

「刑獄の因縁」 11.「実刑は不当」=「無実」?

「どうころんでも執行猶予がつくケースだ」
と桐山氏の雇った弁護士が言ったと書いています。
執行猶予がつこうがつくまいが、有罪は有罪です。
桐山氏が無実だと思ったなら、こんな発言はしません。
問題は、桐山氏のなしたことが有罪なのか無罪なのかです。
刑務所に入ったか、執行猶予がついたかではありません。
弁護士が見ても、桐山氏は無実ではなかったのです。
金で雇われた弁護士すらも、有罪だと言ったのです。

桐山氏の巧みな言い訳に惑わされないためには、
◎桐山氏は無罪か有罪か。
◎実刑は不当に重い刑罰であったか。
の二点に分けて考えるべきです。

桐山氏は実刑が不当なものである点を強調することで、あたかも犯罪そのものが
大したことがないような印象を与えようとします。
さらにはまるで冤罪であるかのような印象を与えようとします。

桐山氏のさわやかな弁舌に、すり替えに気づく人は少なく、信者の多くは彼の詭
弁を信じます。
なぜなら、書いている桐山氏本人が自分の言い訳を一番信じているからです。
自分が作った妄想をしゃべり、書いているうちに、桐山氏が一番酔って信じてし
まうのです。

実刑が不当に重い刑であると強調して、犯罪の焦点をずらし、あたかも無実であ
り、冤罪であるかのように、巧みにすり替えるのが、桐山氏の論法です。

559名無しさん@1周年 :02/08/29 01:21

「刑獄の因縁」 12.軽犯罪程度か

桐山氏は「酒税法違反なんて軽犯罪のようなものだ」と言ったことがあります。
自宅でドブロクを作って飲んでいたというのなら、軽犯罪程度です。

桐山氏は、4月から醤油工場を借りて、密造酒のプロと酒を造りました。
3万枚のキリンビールの偽ラベルを印刷していました。
販売した偽ビールは、わかっているだけで「2ダース入り2百箱」、つまり約5千
本です。
この年の6月には偽ビールが新聞沙汰になっています。
発覚する8月まで少なくとも2ヶ月に渡って販売していたことになります。
どこをどう見ても、計画的な密造酒の醸造と販売です。

桐山氏の本によれば、偽ビールの販売を知らされたのは、事件が発覚する2日前
だったといいます。
事件が発覚する2ヶ月も前に偽ビールが新聞沙汰になっているのに、「これまでは
ある程度主導権をにぎっていた」桐山氏が、3万枚のラベルを偽造し、5千本の
ビールが販売されたことにまったく気が付かなかったなどありえるでしょうか。

計画的な大量の密造酒の製造と販売はドブロクと同程度の軽犯罪ではありません。
これはれっきとした犯罪です。
桐山氏に実刑が科されようが、執行猶予が付こうが、有罪であったという点こそ
がもっとも重要なのです。

560888:02/08/29 01:23
こうやって地獄への坂道を転げ落ちるわけか。
561名無しさん@1周年 :02/08/29 01:25
>560
>こうやって地獄への坂道を転げ落ちるわけか。

それはカルト信者のあなたのことでしょう?
カルト信者であるだけで、詐欺の荷担をしているのも同然です。
まあ、あなたが地獄に堕ちるのはまったく構いませんよ。
どうかいつもでも阿含宗の信者でいて下さい。

562名無しさん@1周年 :02/08/29 01:26

「刑獄の因縁」 13.主犯のS氏にだまされた?

桐山氏は、主犯格のS氏を見て、小説のネタにしたかったと言います。
作家的な興味から、S氏とつきあっていたというのです。
S氏とその仲間は前から密造酒を作っていた人たちです。
彼らが密造酒のプロであることを桐山氏は知っていたと書いています。
それまで密造酒を作っていたプロが、突然、心を入れ替えて、合法的に作ると桐
山氏は本気で信じていたのでしょうか。
密造酒は売らなくても、醸造しただけで犯罪です。
作家的興味だけで、こんなに簡単に犯罪に手を染めたりするものでしょうか。

偽ビールの販売をS氏から聞かされても、呆然とするだけで、手も足もでなかっ
たと桐山氏は述べています。
何かあるとすぐに人をどなりつける今日の桐山氏の性格からは考えられません。
大きな資本を投資しているにもかかわらず、約五千本もの偽ビールを販売したの
も、すべてS氏であり、桐山氏はまったく知らなかったというのです。
三十すきだ桐山氏のこの言い分が裁判官に通用するはずはありません。
すべてS氏のせいにして子供じみた理屈を堂々と唱える桐山氏を見たら、裁判官
でなくても心証が悪くなります。

桐山氏のS氏への責任転嫁はこの程度では済みませんでした。

563888:02/08/29 01:26
909さん、電波男さん、あほだら経さん、

「岩波文庫 ブッダ最後の旅 大パリニッバーナ経 中村元訳」に、三福道をみつけました。

P46ナーディカ村にて
まずブッダは亡くなった弟子達の行く末を語ります。
その後に、一般的な法則を語る。

わたしはここに、法の鏡という名の法門を説こう。

ここに立派な弟子がいて、ブッダに対して清らかな信仰を起こしている。
またかれは法に対して清らかな信仰を起こしている。
かれはサンガ(つどい)に対して清らかな信仰を起こしている。

みずから自分の運命をはっきりと見究めることができるであろう。

わたくしには地獄は消滅した、畜生のありさまも消滅した。餓鬼の境涯も
消滅した。悪いところ・苦しいところに堕することもない。わたしは聖者の
流れに踏み入ったものである。わたしはもはや堕するところの無い者である。
わたしは必ずさとりを究める者であると。

かなり省略していますので、原本でお読みになってください。欣喜雀躍ですね。
もう、私たちは二度と苦境に堕することはないのです。
564名無しさん@1周年 :02/08/29 01:27

「刑獄の因縁」 14.S氏は悪魔的な性格?

桐山氏は「現世成仏」で、S氏を「悪魔的な性格」と生来の犯罪者のように述べ
て、いかに自分がこの男に魅入られ、巻き込まれたかを描いています。
S氏を悪魔的な性格に描くのに桐山氏の文筆能力がいかんなく発揮されました。
自分が犠牲者だという書き方です。
S氏は反論できないのですから、どうにでも悪く描けます。
S氏に全責任を押しつけようとしたのです。

S氏は、桐山氏がおだてに乗りやすく、自分くらい頭がいい者はいないと信じて
おり、思いこみが激しいことを見抜いて、適当にあしらっていたのでしょう。
桐山氏は、自分ほどの者を手玉にとったのだから、悪魔的だと思ったのでしょう。
桐山氏の性格は、悪魔的でなくても、見抜けます。

桐山氏は、S氏と仲間が口裏を合わせて、自分に罪をなすりつけたと言います。
桐山氏一人が有罪であったなら、この主張は成り立つでしょう。
S氏は3年の実刑ですから、彼が主犯だと裁判官はみなしたのです。
S氏がなすりつけたかどうかはともかく、判決に影響はありませんでした。
桐山氏が言うように、彼一人が罪をひっかぶったのではありません。

桐山氏は、S氏が時効まで逃亡したことを出して、いかに悪人であるかを強調し
ています。
S氏が悪人であるからといって、桐山氏の犯罪行為が消えてなくなるわけであり
ません。
S氏が悪人であることと、桐山氏の犯罪行為とは別な問題です。
S氏に大悪人というラベルを貼り、桐山氏は彼の犠牲者であるという印象を与え、
自分の犯罪行為を矮小化しようとしたのです。
自分の犯罪を隠したいとはいえ、反論のできない人を悪魔的であるなどと、宗教
家がよくここまで人を悪し様に描けたものです。
ここには、桐山氏の、自分を浮かび上がらせるためなら、他人を足で蹴りつけて
も何ともない性格がよく現れています。

565名無しさん@1周年 :02/08/29 01:28

「刑獄の因縁」 15.インスタント酒?

桐山氏は、当時、つぶれかかった醸造所を買い入れ、合成酒を販売するつもりだ
ったと言います。
「インスタント食品の走り」と桐山氏は描写しています。
このような事が当時成り立ったのでしょうか。

インスタント食品とインスタント酒では、話はまったく違います。
今日でも日本では、酒類の製造、販売には強い規制があります。
戦後の混乱期には、なおさら税務署が目を光らせていました。

醸造所を勝手に売買しても、許可を取り消されれば、何にも作れないのです。
合成酒を作っても、許可がとれなければ販売はできません。
許可がとれなければそれまでの投資はすべて無駄です。
醸造所を買い、内容不明の合成酒を売れるなら、みんなやっていたはずです。
今だって、醸造所が無許可の酒を造れば、即刻、免許が取り消されます。

酒造メーカーは酒類によって許可を別にとらなければなりません。
通常、新しく酒類を醸造するには税務署から本免許の前に内免許を取ります。
その際、設備や人員など厳しくチェックされます。
密造に携わったような人たちがいれば、まず許可はおりません。
酒は内容が厳しく問われます。
正体不明のインスタント酒に許可が下りる可能性は極めて低かったでしょう。

桐山氏は、休眠中の宗教法人の売買を見て、宗教では何をやっても自由だから、
醸造所も何を作ってもいいだろうと、後で勝手な言い訳を思いついたのでしょう。

インスタント酒はインスタント食品ではなく、酒です。
密造酒をインスタント食品と置き換えて、あたかも大した事がないようにみせか
けようとしたのでしょう。
言葉をすり替えて中身をごまかす桐山氏お得意の手口です。

566名無しさん@1周年 :02/08/29 01:29

「刑獄の因縁」 16.醸造所を買い入れるつもりだった

醸造してから許可をとるつもりだった、などとは今でも税務署には通用しません。
店で商品をポケットに入れてから、レジで金を払うつもりだったと弁解するよう
なものです。

戦後、密造酒が作られ、問題になっていたことを桐山氏が知らなかったはずはあ
りません。
正式に合成酒を作ろうというのなら、いくらでも調べられたはずです。
当時の税務署に相談に行けば、桐山氏の言う、醸造所を買収してインスタント酒
を作るなど、ほとんど不可能であることがわかったはずです。
インスタント食品の走り、醸造所の買い取りなど、一見、もっともらしい言い訳
に聞こえますが、いずれも当時も今も成り立つ事ではありません。

S氏が偽ビールとして売ってしまったから失敗したような言い訳をしています。
S氏が売らなくても、桐山合成酒が正式のルートで売れたはずがないのです。

桐山氏の「醸造所を買い入れ、インスタント酒を正式に売ろうとしていた」とい
う言い訳は成り立ちません。
桐山氏は最初から密造酒で一儲けしようとしたのです。
皆がやっていることだからとばかりにお気軽に始めたのでしょう。
当時、闇商売で大儲けして借金を返し終えた桐山氏は、密造酒も他の連中よりは
うまく儲けてやると、「新規事業」に自信たっぷりだったのでしょう。

密造酒をインスタント食品などと名前を付けて、犯罪内容をごまかしてしまうや
り方は、桐山氏の作った宗教にも随所に見られます。
密造酒も宗教も、製造方法は桐山氏にとっては大差ないのです。

567名無しさん@1周年 :02/08/29 01:30

「刑獄の因縁」 17.一罰百戒の犠牲者か

別な密造酒事件で死者や失明者が出たことが判決に影響したと桐山氏は言います。
自分たちは軽犯罪程度だったが、他の事件の影響で、一罰百戒の見せしめにされ
た犠牲者なのだというのです。

桐山氏は1954年の判決に不服として、上告しています。
最高裁が棄却して、刑が確定したのは1960年です。
1954年の判決が、別な密造酒事件の影響を受けた可能性はあるかもしれません。
だが、6年たっても、最高裁の裁判官が別件の密造酒事件を記憶していて、一罰
百戒のみせしめの判断をしたとは考えられません。
なぜなら、棄却され有罪が確定した6年前の事件など、新聞ネタにすらならず、
何ら見せしめ効果はないからです。

最初の判決が6年後も支持されました。
最高裁では審議するに値しないとみなされるくらい明瞭な犯罪でした。
他の裁判官が、6年後に客観的に判断しても、最初の判決は妥当だったのです。
つまり、一審の裁判官も、他の密造酒事件の影響ではなく、純粋に、桐山氏本人
がなした犯罪に対して、実刑を科したのです。

他の密造酒の影響など、これもまた桐山氏の言い逃れにすぎません。
使える物は何でも使って、自分の犯罪行為を隠蔽し、矮小化し、焦点をずらすと
いう桐山氏の文筆の才を示す例です。

568名無しさん@1周年 :02/08/29 01:31

「刑獄の因縁」 18.宗教団体を作る必要はない

桐山氏は1953(昭和28)年に逮捕され、翌年には観音慈恵会を設立しています。
桐山氏によれば、自分の犯罪を悔い、因縁解脱の道を歩むことが目的だったとい
います。
一見、もっともらしく、しかも立派な弁です。

だが、ここにも桐山氏の詭弁が隠されています。
「宗教に救いを求めること」と「宗教団体を作ること」とは違います。
自分の罪深さに目覚め、宗教に救いを求めるのに、宗教団体を作る必要はありま
せん。
自分を罪深い存在だと心底思うことから出発するなら、いきなり宗教団体を組織
したりするでしょうか。
宗教団体を作るとは、他人を指導ことです。
自分でもどうしたらいいかわからないような状態の桐山氏が、自分を変えるため
と称して、他人の指導をいきなり始めるなど、理屈になっていません。
多額の借金を抱えた人が金持ちになる方法を他人に教えているようなものです。

因縁切りが桐山氏の自己申告どおりの目的なら、教祖などにならずに、まずは師
匠を求めるべきでしょう。
桐山氏は、あちこちの門をたたいたが、これぞと思う師匠に巡り会えなかったと
述べています。
桐山氏のように、自分ばかり賢いと思いこんでいる人では、どの師匠も役不足に
見えたのは当然の結果でしょう。

それほどオメガネの高い桐山氏が生涯唯一師匠として選んだ相手は、北野恵宝氏
でした。
北野氏は、後に、あの桐山氏すらも照真秘流というエサでだました、猛者です。
両者は、まさに因が縁を呼ぶような、極めて類似点の多い師匠と弟子でした。

569名無しさん@1周年 :02/08/29 01:31

「刑獄の因縁」 19.宗教は転職先の天職

1954(昭和29)年3月に第一審判決が下り、5月に一時収監され、上告します。
観音慈恵会を設立したのは、その数ヶ月後の8月〜9月です。
罪深い自分をなんとかしたい、因縁を切りたいとほんとうに思っているのなら、
その方法を求めて、少なくとも何年間か宗教遍歴をするのではありませんか。
その間に自然に信者が集まり、宗教団体が作られたのならわかります。
ところが、判決がおりるとわずか数ヶ月でさっさと宗教団体を作り、教祖に納ま
ってしまったのです。

桐山氏は「宗教に救いを求めること」と「宗教団体を作ること」を巧みにすり替
えています。
多くの信者はこのすり替えに気が付きません。
宗教に救いを求めたという格好のいい桐山氏の弁明に惑わされます。
偽ビールにキリンビールの偽ラベルを貼ったのと同じ手法です。
実態は、宗教団体を作って、教祖になって逃げ込んだにすぎません。

桐山氏は人助けと称して占いで生計を立てていました。
桐山氏の言うように、餓死するならそれでもいいという悲壮な決意をしたのなら、
どうして占いなどしたのでしょうか。
仏教徒として信仰するのなら、釈尊が禁止した占いなどすべきではありません。
桐山氏の言葉どおり、托鉢によって生活すればよかったのです。

占いで信者を獲得するという、今日の阿含宗でやっているそのままのことを、桐
山氏は最初からやっていました。
宗教に救いを求めたなどというきれいな話よりも、事実を見る限り、宗教で一旗
揚げようとしたことは明瞭です。

前科を持ち、世間では通用しそうもないから、占いや宗教という警察官や裁判官
のいない世界に「転職」をはかったとみるべきでしょう。
口がうまく、マスクもよく、インテリの雰囲気を漂わせ、ハッタリの得意な桐山
氏には、今日の結果をみても、この転職先は天職でした。

570名無しさん@1周年 :02/08/29 01:33

「刑獄の因縁」 20.偽ビール事件の顛末

桐山氏の偽ビール事件は次のようにまとめられます。

桐山氏は、犯罪に巻き込まれた善良な市民のような言い訳をしているが、それは
成り立たない。
なぜなら、桐山氏の詐欺的な面は偽ビール事件が最初ではない。
前年に二度も詐欺系の事件で逮捕されても、桐山氏は反省することがなかった。
偽ビール事件は桐山氏の性格の延長にあり、自ら計画した犯罪である。

当時、密造酒が金になることを、嗅覚の鋭い桐山氏は知っていた。
桐山氏は合成ビールを密造し、ひと儲けすることをたくらんだ。
犯罪であることは百も承知だから、S氏など、密造酒のプロと組んだ。
桐山氏は、頭の良い自分のやり方であれば、ばれる心配はないと確信していた。
桐山氏はいつもの自己能力過信で、グループの主導権を握ったつもりだった。
実際にはS氏のほうが一枚上手で、手玉にとられて事件が発覚した。

桐山氏は、前年の二度の逮捕では、自分の弁舌で釈放されたものと信じていたか
ら、同様に、裁判も簡単に言い逃れができると確信していた。
並の弁護士よりも、頭のよい自分のほうがよほどうまく弁護できると自信満々だ
ったので、弁護士など必要がないとばかりに、自分では雇わなかった

571名無しさん@1周年 :02/08/29 01:33

桐山氏は何の反省の色もなく、醸造所の買収やインスタント酒など、桐山氏が今
でもやっている詭弁で言い逃れをしようとしたので、裁判官の心証が悪かった。
裁判官は、桐山氏は前年二度も逮捕されるような詐欺的な性格であること、密造
酒が計画的で、彼が最初から深く関わっていることから、有罪とした。
判決は犯罪内容に対する客観的なもので、実刑が不当なものでないことは、二審、
最高裁での棄却が示している。

桐山氏は、その性格の常として、事件のすべてをS氏などに徹底した責任転嫁を
して、自分は犠牲者だという妄想を作り上げ、本人が一番信じた。
前科をもった身では世間では通用しないという理由をつけて、客観的な批判を受
けることがなく、ごまかしの効く宗教に新たな活路を探した。

572ベロ ◆od7XM/js :02/08/29 01:34
このコピペの嵐はすごいが、ザッと飛ばし読みしただけでも、
桐山阿含宗の欺瞞性とその信者の哀れさが非常によくわかります。
阿含宗の方々には聞きたくない事かもしれませんが事実だと思います。
573名無しさん@1周年 :02/08/29 01:38
>572

ベロさん、ヌマエビ氏の投稿は大変有益です。
これまでの投稿は飛び飛びで一気には読めませんでした。
せっかく「阿含宗についての考察」というスレが立ったので、
皆さんのお役に立てばと思って掲載をしてみました。

必ず喜んでくれる人たちがいるものと信じています。



574名無しさん@1周年 :02/08/29 01:39

「刑獄の因縁」 21.犯罪に現れた詐欺的性格

桐山氏の犯罪歴をよく見ると、一つの共通項があるのがわかります。
詐欺、契約違反、手形詐欺、酒税法違反、私文書偽造
これらはすべて詐欺的行為です。

偽物を本物といい、人をだましてもさしたる罪悪感もなく詐欺的行為をなす
「詐欺的性格」
は桐山氏の性格を表すキーワードの一つです。
後々、桐山氏が作り上げた宗教でも脈々と生きている重要な性格です。
前科のみを強調すると、この重要な性格が見えなくなってしまいます。
前科は桐山氏のこの重要な性格が現れた一例にすぎません。

ここであえて「詐欺師的性格」と言わないのは、詐欺師は最初から人をだますこ
とを目的としているからです。
しかし、桐山氏の場合、他人をだましているという意識はありません。
自己弁護が強すぎて、自分がなしたことを省みることもないから、だましている
という意識がないのです。
「1999年七の月」の件のように、詭弁を弄して自分を正当化してしまいますから、
桐山氏は人をだましているつもりも、罪悪感もありません。
そこでここでは、詐欺的性格と呼ぶことにします。

ただし、本人が人をだまそうという意識があろうがなかろうが、結果的に人をだ
ましていますから、詐欺師と呼ばれて当然です。

575名無しさん@1周年 :02/08/29 01:40

「刑獄の因縁」 22.すべて他人が悪い

犯行に対する桐山氏の言い訳をもう一度並べてみましょう。

密造酒ではなくインスタント酒だった。
主犯格のS氏の悪魔的な性格。
別の密造酒事件のとばっちり。
国選弁護人の怠慢。
裁判官の不当な判決。
高等裁、最高裁の裁判官の判断ミス。

個々の言い訳は、よく見ると、一つの共通点があります。
別々のことを言っているようでありながら、実は一つのことしか言っていません。

●自分は悪くない。悪いのは他人であり、他の要因だ。

この考えは、徹頭徹尾、桐山氏の人生を支配する大原則です。
今日に至るまで桐山氏の重要な人生哲学の一つです。
絶対に自己責任を認めず、他人のせいにするのが桐山氏の一大特徴です。

すべての悪い事の原因を自分以外のものにもっていくのは、桐山氏が若い頃から
今日に至るまで連綿とやってきたことです。
血の涙、自殺未遂など、一見反省をしているのようでありながら、桐山氏の述べ
ていることは、結局、「自分には責任はない」と言っているのです。

自分の心を観察し、自分と向き合うことを教えた釈尊とは、百八十度も違う態度
です。
仏教は懺悔、つまり自己反省から入ると信者に説教している桐山氏が一番やって
いません。
桐山氏はあるがままの自分を絶対に見ようとせず、自分を直視することを避ける
ために、ありとあらゆる言い訳と手段を用いたのです。

彼はこの責任転嫁の手法を宗教に持ち込むことで、大きな成功を得ました。
576名無しさん@1周年 :02/08/29 01:41

「刑獄の因縁」 23.因縁への責任転嫁

桐山氏は責任転嫁の大原則を使って、宗教を作りました。
それが桐山氏の因縁論です。
桐山氏は、密造酒を造り、有罪になり、服役することになったのは
「刑獄の因縁のなせる業(わざ)」
であると書いています。
この一文には見事なまでに桐山氏の責任転嫁の成果が凝縮されています。
自分がなした犯罪を因縁の一言で片づけています。

因縁などではありません。
因縁がやったことではなく、桐山氏がやった犯罪に対して三度逮捕されたのです。
密造酒を作ったのは桐山氏であって、因縁ではありません。

因縁という何か不可抗力な力に支配されたような言い逃れをしています。
因縁という仏教用語を使えば、桐山氏の犯罪は、仏教でも説かれている不可思議
な力によって操られたかのような印象を与えることができます。
もちろん、釈尊の説いた因縁とはまるで違う使い方です。

最初から最後まで、桐山氏本人がやったことに対して罰せられたのです。
因縁があったから、犯罪人になったのではありません。
犯罪人になったことを、因縁のせいにしただけです。
桐山氏は、自分の人生の言い訳を因縁と置き換えて宗教を作りあげました。

577名無しさん@1周年 :02/08/29 01:42

「刑獄の因縁」 24.先祖の因縁が悪い?

桐山氏によれば、因縁は先祖の因縁と前世の因縁の2種類から成り立っています。
しかも、運命を決定づけているのは、大半が先祖の因縁だというのです。
多い人は運命の7〜8割を先祖の因縁に支配されていると強調しました。

釈尊が説いたことのない悪因縁で人々を脅かすのは、桐山氏の阿含宗だけではな
く、新興宗教では珍しいことではありません。
釈尊は先祖の因縁、刑獄の因縁などの悪因縁を説いたことは一度もありません。
因縁をこのような意味に用いるのは、新興宗教の教祖たちの独特の使い方です。

だが、先祖の因縁を桐山氏ほど強調した教祖も少ないでしょう。
どうして桐山氏はこれほど先祖の因縁を強調したかったのでしょうか。
信者たちは、桐山氏が霊能力で悟った根拠があると信じています。

桐山氏の、自分の犯罪を何とかひとのせいにしたい、という最も根本的な欲求を
考えれば、先祖の因縁を強調するのは当然のことです。
桐山氏の刑獄の因縁は、現在の自分はもちろんのこと、前世すら原因ではなく、
先祖が作った因縁こそが原因だと、責任逃れをしたかったのです。
「おれは悪くない。先祖が作った因縁によって、おれは犯罪者になったのだ」
というのが、桐山氏のもっとも主張したい点です。

この子供じみた責任放棄の心癖から作られたのが、桐山氏の因縁論です。
桐山氏は、仏教用語を本来の意味とはずらして用い、さももっともらしい教学を
作ったため、多くの人たちは彼のこの本音には気づきませんでした。
今でも多くの信者は気が付いていません。

578名無しさん@1周年 :02/08/29 01:43

「刑獄の因縁」 25.刑獄の因縁に若い頃気がついていたのか

桐山氏は若い頃、運命学から刑獄の因縁に気が付いていたと言います。
「最初から刑獄の因縁のあることは知っていた、だが、自分が犯罪などするはず
がないと、軽く見た」と述べています。

知っていて、密造酒に手を出すのはいくらなんでもおかしくありませんか。
密造酒造りが犯罪であることくらい、三十すぎの頭のいい桐山氏が知らなかった
はずはありません。
ほんとうに刑獄の因縁を自覚していたら、明らかな犯罪に自分から手を染めるな
どということがありえるでしょうか。
「自分が犯罪などするはずがない」と言いながら、自分から犯罪をしたのです。

若い頃から気が付いていたという言い訳は、宗教を立て、因縁話を作る過程で思
いついた物語にすぎないのでしょう。
桐山氏は後になってから、壮大な自己弁護を作るのが得意です。
暴露された前科を本に書くとき、最初から刑獄の因縁を知っていたような話を作
り上げて、本人もそれを信じ込んだのでしょう。
刑獄の因縁に最初から気が付いていたが、頭のよい自分でさえも、因縁があると
このように巻き込まれてしまうのだと言えば、物語は様になります。

桐山氏の言う因縁霊視は今日に至るまで彼しかできないのですから、刑獄の因縁
を後になって付けることくらい朝飯前です。
桐山氏が宗教を始めた当初から刑獄の因縁のあることを公開していたのなら、若
い頃からこの因縁に気が付いていたという主張もいいでしょう。
だが、暴露されるまで信者には刑獄の因縁があるなどと一言も述べていないどこ
ろか、明らかに前科を隠そうとした証拠すら残っています。

579名無しさん@1周年 :02/08/29 01:45

「刑獄の因縁」 26.必要のない嘘まで膨らませる

桐山氏は前科があることを信者に話していたと述べています。
しかし、1960(昭和35)年、刑が確定して、収監される前に、桐山氏は機関誌に「行
に立つの記」と題して、
「このたび、御本尊準胝観世音大菩薩の御霊示を蒙り・・」
と述べて、山にこもって修行すると述べています。

刑期を終えると、機関誌に次のように書いています。
「・・老師家をお訪ねしました。口をそろえて、『法器である』『宝器だ・・・』
と過褒のお言葉を頂いたことは・・・」

刑務所に入るのを恥じて、山に籠もると嘘の言い訳をしたことは責められません。
人間ですから、最小限の嘘はしかたないでしょう。
だが、心底恥じて、血の涙を流し、自殺まで図った宗教家が、ここまでの無用な
嘘を書くでしょうか。
「御本尊から御霊示」「過褒のお言葉」などなんら必要な嘘ではありません。
「山に籠もる」という一つの嘘で十分なはずです。
580名無しさん@1周年 :02/08/29 01:46

桐山氏はこのような嘘をつくためにも堂々と仏の名前を利用しています。
必要もないのに仏の名前まで持ち出すところに、桐山氏の信仰心がどうであるか
をよく示しています。
本尊の御霊示や老師まで作り出し、壮大な嘘を言い訳に使っているという点に、
桐山氏の性格がよく現れています。

桐山氏がよく使う「仏様からの御霊示」が何であるかをよく示した例です。
仏様からの御霊示と言われてしまえば、誰も何も言えません。
桐山氏にとって、仏とは実に便利な「道具」です。

普通の人なら嘘は最小限にするところを、桐山氏は逆に力任せに嘘を膨らませて
壮大な物語を作り上げてしまう虚言癖とも言える性格であるのがわかります。
この性格と才能は、後に阿含宗を作る上で大いに役立ちました。

教団の正式な会報に残っているこれらの嘘の言い訳は、一般信者の多くが長年、
桐山氏の刑獄の因縁については何も知らなかったという証拠です。

581名無しさん@1周年 :02/08/29 01:47

「刑獄の因縁」 27.暴露された前科

桐山氏の後の言い訳と違い、前科は長い間、信者には知られていませんでした。
前科を最初に暴露したのは、1975年、桐山氏が師事した北野恵宝氏の一派です。
桐山氏が、自分には刑獄の因縁があった、と言い出すのはこの後です。

1975年に北野氏側が前科を暴露したのは、信者の多くが知らなかったからです。
信者たちが皆知っていたなら、北野氏一派にとって意味のない宣伝でした。
信者たちにとって初耳だったからこそ、攻撃として効果があったのです。

阿含宗立宗が1978年ですから、わずか数年前まで、実に15年間、桐山氏は自分
の前科を信者たちに隠していたのです。
1976年、毎日新聞の「宗教を現代に問う」の中で、続いて1978年、「宝石」で
前科をマスコミが取り上げ、世間に知られることになります。
すると、昔から信者に語っていたかのように、自分の刑獄の因縁の話を始めます。

阿含宗の前身の観音慈恵会では因縁切りは大黒柱でした。
因縁切りを説くなら、自分の因縁を公開し、どれだけ切れているかを示すべきで
す。
刑獄の因縁こそが宗教を求めたきっかけであり、今日、信者を指導するための「座
右宝鑑」に取り上げる程なのだから、最初から示すべきでした。
しかし、暴露されるまで、桐山氏はガンの因縁と強い中途挫折の因縁だけで、刑
獄の因縁があることを述べたことはありませんでした。
1973年の「密教占星術T」には因縁が紹介され、刑獄の因縁の説明もあります。
しかし、桐山氏の刑獄の因縁については一言も触れられていません。

刑獄の因縁だけは、公開したのは他人に暴露されてからです。
凡人なら前科を隠すのは当然としても、宗教家として刑獄の因縁や因縁解脱を説
きながら、自分に都合の悪い刑獄の因縁はひた隠しにしていたのです。

582名無しさん@1周年 :02/08/29 01:48

「刑獄の因縁」 28.前科と刑獄の因縁の両方を隠した

桐山氏は前科を悔いて自殺まで図ったと述べています。
前科がわかる前は、病気や仕事を苦にして自殺を図った話になっています。

ここで注意すべきは、血の涙も自殺も、桐山氏しか知らないという点です。
刑獄の因縁を若いころから知っていたという話同様に、誰もそれを確認することが
できないことですから、何とでもいえます。
刑務所に入ったときの言い訳をみてもわかるにように、あとで作った桐山氏の言い
訳は信用ができません。
自殺の原因が、病気や仕事の失敗から、いつのまにか前科になっているのは、
作家・桐山氏の作った物語であることを証明しています。
この人の物語は時間とともに変化し、増長するから、あてになりません。
583名無しさん@1周年 :02/08/29 01:48

桐山氏が信者に前科を隠したことだけが問題なのではありません。
前科を隠すことと刑獄の因縁を隠すことは、宗教的には別なことです。
宗教家として刑獄の因縁を説きながら、自らの刑獄の因縁を隠していたことは宗教
的重罪です。
因縁を売り物にし、後には、刑獄の因縁を三大悪因縁の一つにまで数えて、人々を
脅かし、教団の拡大に利用したのです。
血の涙とか、自殺とか、それほどの慚愧心のある宗教家が、どうしてこのような信
者に対する二重の裏切り行為ができたのでしょうか。

こうした流れをみれば、明らかに、桐山氏はバレなければ前科も刑獄の因縁も隠し
通すつもりでした。
人々をさんざん悪因縁で脅迫しておきながら、都合の悪い自分の因縁は口をぬぐう
つもりでいたのです。
ここには宗教家・桐山氏の良心、宗教心がどのようなものか如実に現れています。

予知能力があるという桐山氏の予想に反して、15年目に暴露されてしまいました。
しかし、転んでもたタダでは起きないのが桐山氏です。
逆風を利用して、新しい物語を作り始めます。

584名無しさん@1周年 :02/08/29 01:49

「刑獄の因縁」 29.そして霊障物語が始まった

桐山氏は前科がばれてしまうと、今度は、それを逆手にとって、霊障話へと妄想
を発展させていきました。

1978年に「宝石」で前科が報じられると、例祭法話で、続いて1981年の「1999
年カルマと霊障からの脱出」で、自分の前科を逆手にとって、霊障の怖さを宣伝
し始めます。

1980年以降、霊障こそが悪因縁の元であると主張し始めます。
他の新興宗教では珍しくもない霊障ですが、桐山氏はそれまで説いたことがあり
ませんでした。
桐山氏は自分に霊視能力が備わったからだと述べています。
2年前に阿含宗を立宗したので、阿含経と霊視能力をくっつけ、一石二鳥を狙っ
たつもりでした。

霊障話が突然出てくるのが、前科が世間に知られた時期と一致するのは偶然では
ありません。
前科を正当化するための言い訳を構築する必要に迫られていました。
桐山氏は転んでもタダでは起きません。
逆転の発想で、前科がばれると、壮大な霊障物語によって、自分のカモフラージ
ュに留まらず、阿含宗に新たなセールスポイントを付け加えたのです。

霊障物語によって、前科は先祖の因縁だけでなく、大元は霊障によって作られた
のだと、言い訳に「奥行き」を持たせました。
作家として、詐欺師としての真骨頂です。
だが、桐山氏の主張を聞くときに忘れてはならないのは、因縁も霊障も、桐山氏
以外には誰も何一つ確認のできない内容だという点です。

585名無しさん@1周年 :02/08/29 01:50

「刑獄の因縁」 30.霊障話が教団を発展させた

桐山氏の前科は、幕末に祖父が斬り殺した勤王派の武士たちの霊障、つまり祟り
によるものだと言います。
前科は桐山氏がなしたことではなく、祖父の作った怨念によって、何の罪もない
子孫が苦しんだのだという話にすり替えられました。

桐山氏のすごい点は、前科の言い訳に終わらせず、霊障の不成仏霊などというお
どろおどろしい新しい世界まで創作したことです。
霊的な世界は桐山氏にしか見えないのですから、完全な独り舞台です。
どんないい加減なことを言っても、誰も文句が言えません。
宗教の世界こそは裁判官も警察官もいない桐山氏に最も適した世界です。
桐山氏は霊障物語のヒーローになったのです。
586名無しさん@1周年 :02/08/29 01:51

桐山氏の責任転嫁の霊障物語は阿含宗を飛躍的に発展させます。
「守護霊を持て」などの一連の著作が爆発的に売れ、各地で行われた布教のため
の映画会などにたくさんの人が訪れました。

桐山氏は、守護霊というアメと霊障というムチを手に、信者の数を増やすことに
成功しました。
守護霊も霊障もすべて桐山氏の手の中にあるもので、誰一人確認も批判もできな
いのですから、完全な独占権を得たのです。

前科の目くらましに使えただけでなく、教団の拡大をもたらしたのです。
前科の暴露という攻撃を逆手にとって、かえって教団を大きくしたという自分の
能力、知能に、これまでにもまして深い自信を持つようになりました。
同時に、世間の連中など、自分の弁舌に簡単にひっかかるくらい愚かなのだと、
桐山氏の重要な性格の一つである他人を侮り、軽く見る心癖も拡大しました。

桐山氏の常として、言い訳に作り出した霊障話や悪因縁話を繰り返し話し、本に
書いているうちに、彼自身が最もよく信じるようになりました。
彼にとって嘘も百回しゃべるうちに本当になってしまうのです。

では、桐山氏の祖父が作ったという霊障を見てみましょう。

587名無しさん@1周年 :02/08/29 01:53

「祖父が作った霊障」 1.親の因果が子に報い

桐山氏は前科が公表されると、
「因縁に動かされて、実刑を科せられる方向に無意識のうちに行動してしまうの
である」
と述べ、犯罪の元は刑獄の因縁であると責任転嫁しました。
さらに、この刑獄の因縁の元は、桐山氏の祖父が作った霊障であるといいます。
桐山氏の祖父が作ったという因縁と霊障とは次のような話です。

桐山氏の祖父は信州のある藩にいた剣術の指南番であった。
幕末に勤王派の武士たちを、祖父が中心になり合計18人を上意討ちにした。
この時の武士たちが祖父に非常な恨みを持ち、霊障のホトケとなり、桐山家に祟
りをなした。
その結果、祖父の子供は、長男が事故死、末娘が自殺、二女の長男が事故死、そ
して、長女の子供にあたる桐山氏が刑務所に入るといった悪因縁を作り出した。
祖父が直接斬ったのは2人だが、霊障のホトケとなって3人が現れた。

恨みによって家系の者に祟るという、まるで江戸時代の怪談話のような物語を桐
山氏はたいへんな熱意と説得力で講演し、本に書き続けました。
百年以上も前の血みどろの武士たちが恨みをもって斬りかかるという描写では、
桐山氏の文才はいかんなく発揮されました。
親の因果が子に報うという手垢のついた古典的な題材が、桐山氏の才能によって、
リアリティ豊かに創作されたのです。

1980年代前半、阿含宗が拡大する上で、霊障は重要なキーワードでした。
桐山氏は霊障によって地球は壊滅すると断言し、1999年7の月の話を生み出しま
した。
つまり、桐山氏の祖父の話は、阿含宗教学の因縁、先祖供養、解脱供養、地球壊
滅、成仏法などの基礎であり、最も根幹にあるのです。

そのほど重要な桐山氏の祖父の話は、いくつかの点で奇妙なことがあります。

588名無しさん@1周年 :02/08/29 01:53

「祖父が作った霊障」 2.上意討ちは犯罪か

桐山氏の祖父の上意討ちは犯罪でしょうか。
当時の武士としては与えられた仕事をしたまでです。
上意討ちが犯罪とみなされたことはありません。

桐山氏の理屈が成り立つなら、死刑の許可を出した法務大臣や死刑執行に関わっ
た人たちの子孫は横変死や刑獄の因縁を持つことになります。
戦争で敵を殺した人たちの子孫は横変死や刑獄の因縁を持つことになります。

桐山氏はそこで武士たちの恨みといった怨念を出してきます。
第二次世界大戦で殺されたアジアの人たちの怨念など、上意討ちよりもはるかに
強いでしょう。
しかし、戦争に行った人たちの子孫だけが横変死したとか、刑務所に入ったなど
という話は聞きません。

人類の歴史は戦争、殺し合いの歴史です。
その多くは、上意討ちよりも、もっと激しい憎しみあいです。
桐山氏の理屈からは、人類の大半は横変死か刑獄の因縁を持つことになります。
これが事実なら、桐山氏言う地球壊滅のような大量死がおきるでしょう。
現実は、桐山氏の脅迫的な予言ははずれ、何もおきませんでした。

多くの人たちが犯罪に巻き込まれて、刑務所に入ることになってもいいはずです。
犯罪者が一般人よりはるかに少ないのは桐山氏の理屈では説明がつきません。
自分の意志とは関係なしに犯罪に巻き込まれてしまう人は今でも少数です。

要するに、桐山氏は祖父を犯罪人にしたかったのです。
祖父の上意討ちが犯罪でないと困るのは桐山氏だけです。
祖父が悪業を積んだことにならないと、自分の犯罪を正当化できないからです。
桐山氏は、自分の罪をごまかすために、祖父を犯罪者に仕立てる恐ろしい孫です。

589名無しさん@1周年 :02/08/29 01:54

「祖父が作った霊障」 3.人を殺すことと詐欺は同じか

桐山氏の祖父は人を殺しました。
武士たちの恨みで、悪因縁ができたと仮定しましょう。
人を殺した業がどうして子孫の詐欺行為となって現れるのでしょうか。
桐山氏が横変死の因縁を持っていたというのなら筋の通りもいいでしょう。
だが、桐山氏は横変死の因縁がないとはっきり断言しています。

なぜ殺された武士の恨みが酒税税法違反という詐欺行為になるのでしょうか。
恨みによって桐山家の人たちが事故死や自殺したというのはもっともらしいが、
桐山氏一人は、何の脈絡もなく、ただの詐欺です。
殺された武士の怨念の結果が詐欺とは、なんとも竜頭蛇尾です。
血みどろの武士が桐山氏の潜在意識に偽ビールを作るようにささやきかけたとす
れば、この光景は悲劇というよりは喜劇です。

桐山氏は簡単に刑獄の因縁とひとくくりにしています。
しかし、人を殺すことと詐欺を、刑務所に入れば同じだというのは暴論です。
桐山氏は両者が同じことであるかのように見せたかったのです。
詐欺罪とは書かず、刑獄の因縁と重々しく書くから、なんとなく読むほうは、横
変死の因縁と同じような深刻さがあるかのような錯覚をおこします。

桐山氏の犯罪は、これまで見てきたように、彼の弁明とは違い、不可抗力や偶然
ではなく、自ら計画し実行しました。
事故死や自殺した人たちと、自ら進んでやった犯罪とを同一に取り扱うのは、死
者に対する冒涜です。
事故死や自殺者たちを利用して自分の犯罪を正当化しただけです。

桐山家の家系の話にごまかされないことです。
自殺や事故死を、詐欺と同列に扱うのは桐山氏の目くらましです。
血みどろの武士、悲惨な死に方をする桐山家の人たちというおどろおどろしい話
に自分の詐欺行為を混ぜて、ごまかしているにすぎません。
590名無しさん@1周年 :02/08/29 01:56

「祖父が作った霊障」  4.信州の武士は情けない?

桐山氏の祖父は2人斬り、全体で18人の勤王派の武士が斬り殺されたそうです。
全員、霊障のホトケとなって桐山氏の解脱供養を受けたことになっています。

武士であり、藩に逆らおうというのだから、死ぬ覚悟くらいできていたはずです。
それなのに、斬り殺された武士は全員が怨霊になっていたというのです。
いくら腰砕けの情けない武士でも、これはおかしくありませんか。

桐山氏によれば「こいつさえいなければ」という無念の気持ちが、全員を不成仏
霊にして、桐山家に数代に渡って祟りをなしたと言います。
「その無念の思いは、祖父一人に集中されたに違いない」というのです。

武士たちにとって桐山氏の祖父は恨まなければならない相手だったのでしょうか。
藩主の命令で殺しに来たことくらい、彼らも知っていたはずです。

桐山氏の祖父は逆恨みされるような人だったのでしょうか。
後に、祖父は勤王派に追われたが、逃げのびることができた理由として、
「多少、人望らしいものもあったようだ」と桐山氏は書いています。
人望があるのなら、なおさら逆恨みなどされるはずがありません。
591名無しさん@1周年 :02/08/29 01:56

「藩主を恨めないから、桐山氏の祖父が恨まれた」という理屈も成り立ちません。
藩主が絶対的なら、逆らってまで、勤王運動をやろうとはしないでしょう。

一人くらいが逆恨みするというのなら、まだわかります。
直接手をかけていない人を含めた18人もの武士が、一人の例外もなく桐山氏の
祖父に祟りをなしたなどありえません。
桐山氏の手にかかると、信州の武士たちは道理を理解せず、目の前にいる人間を
一方的に恨むような愚かでみっともない武士になってしまいました。

こんな情けない武士がたまたま18人もそろうはずがありません。
文筆力に任せた桐山氏の作り話も、妄想を膨らませすぎて、現実にはありえない
話にまでなったのです。
誰も確認できないことだと、桐山氏は好き放題に話を膨らませます。
桐山家に祟った18人も最初は3人でした。

592名無しさん@1周年 :02/08/29 01:57

「祖父が作った霊障」  5.増殖した霊障の武士

どれほど強い怨念であったか、どれほどひどい霊障であったか、したがって自分
の犯罪は不可抗力であり、桐山氏には責任がない、と言いたいのです。
それを強調するために桐山氏の妄想は拡大していきました。

1981年「霊障を解く」では3人の武士が霊障の仏として現れたと書いています。
1991年「冥徳供養」では、斬られた18人を全員成仏させるのに3年かかったと
書いています。

桐山家に祟っていたのは3人だったはずなのに、十年たつと、斬られた18人全
員が桐山家に祟りをなしています。
十年の間に6倍に桐山家の怨霊の数は増殖したのです。
これは桐山氏の妄想が増殖したことを意味します。
3人の武士の怨念だけでは物足りないから、文筆の勢いにまかせ、後で残りを加
勢させたのでしょう。

武士たちの祟り方も並大抵ではありません。
普通の不成仏霊なら1〜2回の供養で済むという桐山氏でさえ、何と3年かかっ
たというのです。
毎月一回、解脱供養をして、36回もの修法が必要だったことになります。
信州の武士たちの祟り方は普通の人の何十倍も強いことになります。

593名無しさん@1周年 :02/08/29 01:58

話が時間とともに針小棒大に膨らむのは桐山氏の常です。
桐山家の霊障をひたすら大きく強烈にしたいのです。
桐山家の霊障は、通常ではありえないほど強烈であり、強烈な霊障から生まれた
強烈な刑獄の因縁に、自分は翻弄されたのだと言いたいのです。
前科は自分の責任ではなく、武士たちの空前絶後の祟りだと言い逃れるために、
霊障話を拡大させたのです。

十年の間に霊障が3人から18人まで拡大したのは他にも理由があります。
80年代後半から桐山氏の脳は老化が顕著になり、客観的に自分の書いた物を見る
知性がますます失われていました。
作り話ならなおさら注意深く書くべきなのに、生来のズボラさも災いして、脳の
老化で、この程度の注意力すらも散漫になっていました。

594名無しさん@1周年 :02/08/29 01:59

「祖父が作った霊障」  6.死人総出演の霊障物語

桐山氏は、亡くなって口のきけない人たちを総出演させ、霊障物語の舞台で演技
をさせているのです。
18人の武士や、祖父ばかりか、一族郎党など、使える人は全部登場させ、さんざ
んな三枚目の役を与えて、霊障物語を作りました。

自称・霊視能力をもっているのは桐山氏一人ですから、どんな人を出演させよう
が、どんなひどい役割をさせようが、死人は誰も文句を言いません。
中身を知っているのは桐山氏一人ですから、筋はなんとでも作ることができます。

前科は自分のせいではない、というたったこれだけのことを言うのに、作り上げ
た壮大な物語です。
死人たちは、桐山氏の思うがままに操られ、数を増やしながら、桐山氏の前科を
覆い隠すための霊障劇を演じさせられました。
普通の人なら犯罪を認めて終わりにするのに、桐山氏は何十年もかけて、言い訳
のための物語を作り、さらに阿含宗の教学の柱にまでしました。
595名無しさん@1周年 :02/08/29 01:59

霊障を前科の言い訳に用いただけではありません。
父親の事業の失敗で学校に行けなかったこと、結核になって戦地にも行けず、サ
ナトリウムで青春をすごしたこと、事業が失敗したことも、すべて霊障のせいに
しています。

うぬぼれの極端に強い桐山氏は、自分ほど才能に恵まれた人間が失敗、挫折する
のは、霊障や因縁以外には考えられない、と確信しているのです。
能力の欠落や努力の足りなさにすぎないのに、反省心のない桐山氏はことごとく
霊障のせいにして、あるがままの自分を認めようとはしません。
この意味では、阿含宗は桐山氏の人生の自己弁護教、言い訳教であると言えます。

霊障物語は完全に桐山氏の頭の中にあるために、本人と死人以外は誰も検証も批
判もできない独壇場でした。
だが、悪事千里とでも言うべきか、死人をもてあそんだ罰というべきか、霊障物
語に思わぬところから伏兵が現れました。

596名無しさん@1周年 :02/08/29 02:00

「祖父が作った霊障」 7.信州の藩で殺し合いはほんとうにあったのか

桐山氏の祖父らが幕末に勤王派18人を斬り殺したという事件は、昼行灯氏の調
査によれば、次のようになっています。

****************
嘘である。信州十一藩に、このような事実は無い。
1995年の夏休みの2ヶ月、信州を回り、歴史博物館や、各図書館、郷土史家
を訪ねて伺ったが、「そのような事実はありません」と一笑に付されてしまいまし
た。
「そのような事実があれば、斬られた家中のご遺族も、何らかを伝えている筈で
しょうが聞いたことはありませんし、その記録も、各藩史にも残っていません」
との事でした。
****************
(以上、「阿含宗という宗教1」の45からの転載、
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=psy&key=968997070)

昼行灯氏の調査によれば、信州では、桐山氏の書いているような、勤王派と佐幕
派による斬り合いの事件はなかったというのです。

これは阿含宗の屋台骨をゆるがしかねない重大発見です。
霊障物語の基本中の基本になっている血みどろの18人の怨霊武士たちは歴史上
存在しなかったことになります。
これが事実なら、阿含宗の教義の大半が崩壊するといっても過言ではありません。

597名無しさん@1周年 :02/08/29 02:01

「祖父が作った霊障」 8.記録に残らないはずがない

幕末の信州の藩内で上意討ちなどの殺し合いがあったという記録はありません。
たかだか150年くらい前の話ですから、どの県でも、郷土史研究家などが調査を
行っているものです。
信州も公式な「長野県史」が発刊され、詳細に歴史が調べられています。

たとえば、信州で幕末に一揆をおこした百姓を3人撃ち殺したといった具体的な
数字すら残っています。
小藩といえども、いや、小藩だからこそ、18人もの人が殺されたら、記録が残ら
ないはずはないのです。

幕末の信州は平田派の国学がさかんで勤王派の人たちがいました。
信州出身で討幕運動に参加したり、支援した人たちもたくさんいました。
幕末ですから、信州の武士たちも死んでいます。

だが、藩内の武士同士が殺し合いをしたという記録はまったくありません。
上意討ちの記録などなおさら残っていません。

信州の藩主たちは、歴史家が日和見と批判したように、佐幕か勤王かと迷い、ど
っちつかずのうちに明治になってしまったのです。
経済力も武力も小さい小藩ばかりでは、当然のことだったのでしょう。
勤王派を斬るなどという強硬な藩主は一人もいなかったのです。

598名無しさん@1周年 :02/08/29 02:02

「祖父が作った霊障」 9.信州の藩では殺し合いなどなかった

桐山氏の説明によれば、勤王派が優勢になると、佐幕派の人たちは、桐山氏の祖
父ともう一人を除いて、すべて殺されたと言います。
一つの藩の中で、おそらくは三十人以上も殺されたことになります。
実際の身分が低い百姓が3人殺されても記録されているのに、小さな藩の武士が
数十人殺されても記録が残らないなどありえないことです。

藩主が秘密にする理由はありません。
上意討ちは殺人ではなく、藩主の権限であり、正式な命令ですから、公務であり、
隠す必要がないのです。
藩主が命令して勤王派を殺したとすれば、幕府に対する忠誠です。
隠しておくどころか、幕府に逆らう者はこうなると、みせしめのためにも、公表
したはずです。

後に、形勢が逆転しても、いったん公表した内容を消すことは不可能です。
勤王派は殺された武士を革命の英雄として記録したはずです。
誰にとっても隠す必要などありませんでした。
だが、桐山氏の言う数十人にも及ぶ死者を出した上意討ち事件など、信州の藩の
どこにも歴史的事実としては存在しません。

とすれば、もう一度、情報源から見直す必要がありそうです。

599名無しさん@1周年 :02/08/29 02:03

「祖父が作った霊障」 10.隠れたかったのか、目立ちたかったのか

霊障物語の情報源は桐山氏の祖父です。
桐山氏の祖父は仇討ちを恐れ、死ぬまで枕元に旅仕度を置いていたそうです。
家族に藩の名前さえ固く口止めしていました。
桐山氏が18人の武士の話を聞いたのは、霊視能力をもってから、母親に質問し
た時だといいますから、家族内でも秘密だったのです。
家族にすら上意討ちの詳しい内容が伝わらないほどの箝口令がしかれていました。

これほど用心深く、仇討ちを恐れたはずの祖父は、明治になってからとはいえ、
別な事件の犯人逮捕に協力して、知事から金一封までいただいています。
犯人が武士出身で手強いので、警官が頼みに来たというのです。
つまり、「桐山の旦那」は剣豪としてその近郷では有名だったのです。
剣豪として有名で、大立ち回りまでやってしまっては、仇討ちに、自分はここに
いるぞと宣伝しているようなものです。

上意討ちは、武士としての使命を果たしたのだから、家族や近所に隠す必要など
何もありません。
自分の藩名や上意討ちを近所にも明らかにして、もし仇討ちが尋ねて来れば、す
ぐに連絡が来るようにしたほうがよほど合理的です。

孫すらも上意討ちについて詳しく知らされていないほど家族でも秘密扱いなのに、
近郷では「桐山の旦那」はスゴ腕だと知られていました。
「桐山の旦那」が普段から剣術の自慢話を近所にしていたからでしょう。
祖父の矛盾した態度は、仇討ちを恐れていたというのでは説明がつきません。

桐山氏の祖父は流れ者のようにやって来て、桐山家に婿入りしたのですから、彼
の本当の素性を知る人はだれもいなかったのです。
剣術指南番だったことも、上意討ちの話もすべて祖父一人の自己申告であり、そ
れを確認した人は桐山家の家族にも近所にも誰一人いなかったのです。

600名無しさん@1周年 :02/08/29 02:03

「祖父が作った霊障」 11.祖父の素性

桐山氏の祖父は、犯人逮捕のとき、刀を預け、警官から借りた十手をもってにら
み合ったといいます。
人前で武士同士の斬り合いをしたくなかったという理由を述べたといいます。
刀をさして十手で、というのならわかります。
勝負に出るのに、武士の魂である刀を他人に預けたりするでしょうか。

相手が強くて、刀では自分が負けそうだから、丸腰なら、まさか相手は斬りかか
ることはないだろうと、一か八かの賭に出たともとれます。
祖父は孫とよく似て、ハッタリが得意だったようです。
ほんとうに強かったかどうかは誰も確認した人がいないのです。

祖父が恐れていたのは仇討ちではなく、婿入りした桐山家の家族や近所の人たち
が、元の藩に素性を調べに行くことではなかったでしょうか。
調べられないようするには、家族には仇討ちが来ると脅かせば十分です。
近所の人たちには藩名さえ教えなければ、信州では藩が十以上もありましたから、
調べがつくことはまずありません。
家族には藩名すら口にしないように言った理由もこれでわかります。

祖父は何か家族にも知られたくない秘密、素性を調べられては困ることを隠して
いたのでしょう。
上意討ちで藩を追われたのではなく、人に知られては恥ずかしいような失態をし
でかして逃れてきたのでしょう。
それならば、武士として名誉にしていい上意討ちや藩の名前すら必死に隠そうと
したことも説明がつきます。
枕元に旅支度の準備をしていたのは、仇討ちを恐れていたのではなく、素性がば
れたとき、一目散に逃げ出すためだったのかもしれません。

こういう人物が霊障話の全ての源なのです。

601名無しさん@1周年 :02/08/29 02:04

「祖父が作った霊障」 12.大法螺吹きの遺伝子

歴史的には存在しないにもかかわらず、桐山氏の霊眼には血に染まった18人の
不成仏霊となった武士たちが見えたそうです。
上意討ちは桐山氏が母親を通じて祖父から伝えられた話です。

上意討ちの事件も、18人が斬り殺されたという話も、あの桐山氏の祖父の情報が
すべてです。
家族を含めて誰一人実際に見たり聞いたり、確認したのではなく、祖父がただそ
のように言っただけです。
情報源が桐山氏の祖父だけである点はとても重要です。
祖父の性格は孫である桐山氏を鏡として考えればよくわかります。

祖父と孫は大法螺吹きの遺伝子を共有していたと考えれば、それだけで説明がつ
いてしまいます。
桐山氏の、話をどんどん膨らませていく物語作家としての性格が、祖父からの遺
伝であったと考えれば、ありえない話ではありません。
祖父もまた、桐山氏と同様に、自分を大きく見せるためなら、嘘をつくことが何
ともない性格だったなら、上意討ちが彼の空想でも不思議ではありません。
602名無しさん@1周年 :02/08/29 02:05

武士としてやむなく人を切ったというのは、自分がすごい剣士であることを誇示
するためにはちょうどいい物語です。
実際には悪いことをして、藩から追放されたのかもしれないが、それを正当化す
るために、このような話をでっち上げたと考えれば、理解できます。
桐山氏が刑務所に入るのに、仏様から修行に行くようにご霊示があったというの
とよく似た手法です。
幕末、あちこちの藩での勤王と佐幕の争いの話は伝わっていただろうから、その
あたりからヒントを得て、物語を作ったのでしょう。
桐山氏は祖父から作家としての才能を受け継ぎました。

祖父は18人が斬り殺された法螺話を作り上げ、孫は霊視能力で色を添えたので
す。
阿含宗の信者は、祖父と孫の二人の大法螺吹き大将にまんまとひっかかったので
す。
603名無しさん@1周年 :02/08/29 02:06

「祖父が作った霊障」 13.崩壊する阿含宗教学

桐山氏の祖父の法螺話は、孫の作った宗教に致命傷を与えます。
阿含宗では、因縁と霊障は重要な大黒柱です。
桐山氏の刑獄の因縁は、祖父の作った霊障からできたことになっています。

武士の怨念 → 霊障 → 桐山家の因縁 → 桐山氏の刑獄の因縁

という順序で組み上げられています。
武士の怨念こそは土台中の土台なのです。
これが嘘だとなると、桐山氏の刑獄の因縁は根拠がないというだけには留まりま
せん。

阿含宗では霊障と因縁は極めて重要な位置を占めています。
霊障から桐山家に生じたという横変死、刑獄の因縁に肉親血縁相剋の因縁を加え
て三大悪因縁と称され、阿含宗では特に重視されています。
阿含宗の霊障と悪因縁の話はすべてこの武士の怨念から始まっています。
どこを切っても、霊障と因縁が出てきて、桐山氏の法話といえば、この二十年、
これが十八番です。

霊障の仏を解脱させる解脱供養は桐山氏の重要なウリの一つです。
柴燈護摩では霊障解脱の護摩木を別に書かせ、不成仏霊を供養するための壇をわ
ざわざ設けています。
霊障と悪因縁によって地球が壊滅すると脅迫し、それを解決できるのは自分だけ
だと豪語していたのです。
このように18人の血みどろの武士は阿含宗の宗教的な土台なのです。
604名無しさん@1周年 :02/08/29 02:06

だが、18人の武士が存在しなかったとすれば、将棋倒しのように、次の霊障、桐
山家の因縁、桐山氏の刑獄の因縁はすべて存在しなかったことになります。
この霊障話の延長にある阿含宗の宗教行事はすべて根拠を失います。
存在しない霊障の武士が見える桐山氏が霊視し、成仏させる不成仏霊とその霊障
とはいったい何でしょうか。

宗教としての土台となっている武士の怨念が空想にすぎなかったとすれば、因縁
と霊障という阿含宗の教学の重要な柱は二つとも瓦解します。
祖父の嘘が孫の宗教を瓦解させたとすれば、阿含宗では何というのでしょう。
霊障から生じた家運衰退の因縁、肉親血縁相剋の因縁、それとも孫の運気を剋す
る因縁でしょうか。

605名無しさん@1周年 :02/08/29 02:07

「祖父が作った霊障」 14.実在しなくても霊視できる霊視能力

実在しない18人の血みどろの武士を霊視したということは、桐山氏の得意技で
あり、客観的には誰も確認のできない「霊視能力」にも疑問をはさみます。

桐山氏は解脱供養をするのに不成仏霊を霊視するといいます。
祖父の作り上げた架空の物語に登場する架空の人物の姿をありありと見るという
桐山氏の霊視能力とはいったい何なのでしょうか。
霊障の武士たちは、桐山氏の頭の中にしか存在しなかったのです。

本人の霊障のホトケすら実在しないのですから、信者の家系の不成仏霊もまた桐
山氏の頭の中にのみ存在するのでしょう。
最初3人の武士だったのが、十年後には18人全員が祟りをなしていたように、
桐山氏の霊視能力など客観性がありません。
不成仏霊の霊視と称するものがどれほどいい加減なものであるかを示しています。

不成仏霊と霊障は外の世界ではなく、桐山氏の頭の中に存在するのです。
桐山氏は、1999年の地球壊滅のビジョンをインドで見たように、普通の人には作
り出せないような、リアルな妄想を体験できる能力があるようです。
存在しない物が見えるのなら、まず病院に行くべきです。

解脱供養は10万円という高額な供養料を取ります。
解脱供養をするとは「あなたの先祖は成仏していない」「霊障を発している」とい
うことになります。
根拠となっている桐山氏の霊視能力では、架空の人物すらも見えるのです。
妄想を元に、先祖が苦しんでいるとして高額な供養料をとるのは、人の不安や不
幸につけこんだ霊感商法以外の何物でもありません。
606名無しさん@1周年 :02/08/29 02:08

「祖父が作った霊障」 15.闇黒の谷底に落とされた祖父

桐山氏は犯罪の責任を回避するために、荒唐無稽の因縁論や霊障話を作り、これ
を元に阿含宗をたてました。
最初と最後を見るなら、「おれには責任がない」と言いたいがために、阿含宗を作
ったと言ってもいいでしょう。
自己責任を回避するために、彼は一生をかけたのです。

そのためには桐山氏は手段を選びませんでした。
桐山氏の祖父は、亡くなって、闇黒の谷底に、悲痛な叫びをあげながら、落ちて
いき、斬り殺された18人に取り囲まれ、霊障のホトケになっていたそうです。
桐山氏の霊眼にしか見えないことだから、自分の祖父を、文筆の才能に任せて、
煮ようが焼こうが誰も文句は言いません。
桐山氏の霊能力はありもしないものを見るのですから、これはあの世の話ではな
く、桐山氏の心の中を象徴する光景と考えるべきです。

著書の中で、次のように書いています。
「人を殺した祖父に代わりその子三人を死刑にし、孫を刑務所に送りこんだわけ
である」
祖父は子を死刑にし、桐山氏を刑務所に送ったというのです。
自分はまったく悪くなく、祖父がすべて悪いといいたいのです。

この文章は、何やら祖父への憎しみすらも感じさせます。
死人に全責任をなすりつけ、さらに死体を憎しみを込めて切り刻んでいるような
不気味な文章です。
桐山氏の常で、妄想で作りだした霊障話を本気で信じ込んで、刑務所に送ったの
は祖父だと逆恨みし、文章で復讐しているのでしょう。

ここまで責任転嫁が徹底すると、桐山氏の心は極めて病的です。
聖者には絶対にあるはずのない心癖がここに如実に現れています。

607名無しさん@1周年 :02/08/29 02:09

「祖父が作った霊障」 16.先祖を売り渡して得た勲章

桐山氏は今でも「祖父が悪い。おれは悪くない」と叫び続けています。
この様子は、聖者や解脱者ではなく、ダダをこねて、わめいている子供です。

桐山氏は、先祖を供養して、大切にして、守護してもらおうと説きます。
ところが、ご本人は祖父を大悪人に仕立て、責任をなすりつけ、憎しみを込めて
なぶり者にしても、何の罪悪感もありません。
言うこととやることが違うのは桐山氏の場合珍しくないものの、これほどの大き
な落差は桐山氏の心に深いゆがみやひずみがあることを感じさせます。

桐山氏は祖父に責任転嫁しただけではありません。
人殺しや強盗などの凶悪犯罪ではないのだから、自分の詐欺行為を率直に認めれ
ば済んだことです。
認めたくないばかりに、壮大な絵空事で宗教を作り、人々を脅迫し続けて、その
見返りに、宗教家としてのそこそこの成功と、たくさんの勲章を得ました。

霊障を元にして宗教を立て、様々な名誉を得ました。
桐山氏は、武士たちの血と祖父への侮辱を、勲章と引き替えにしたのです。
祖父を踏み台にして、思いっきりその頭を踏んづけることで、勲章を得たのです。

祖父を大犯罪者に仕立て、勲章と引き替えに売り渡しただけでは物足りなく、勲
章をくれた祖父を逆恨みし、憎しみを燃やしたのです。
桐山氏の胸についている勲章は血と侮辱に汚れています。
桐山氏の先祖供養とは、先祖をありもしない侮辱で踏みつけて、その見返りに勲
章をもらうことのようです。
608名無しさん@1周年 :02/08/29 02:10

「祖父が作った霊障」 17.責任回避の先祖供養

桐山氏の祖父に責任をなすりつけるやり方は、そのまま阿含宗の先祖供養の方法
になっています。

阿含宗では不幸や災難は、成仏できずに苦しんでいる先祖の霊障が原因です。
阿含宗の先祖供養とは、不成仏霊となっている先祖の成仏から始まります。

これではまるで先祖は不幸の製造器のような存在です。
自分の努力の足りなさや、欲の深さを棚に上げて、先祖のせいにするのは、桐山
氏と手法がまったく同じです。
先祖は勝手に不成仏霊にされ、先祖が原因で子孫が不幸になったと、まるで病原
菌扱いです。
その根拠は、桐山氏による霊視と、信者の思いこみです。
実在しない霊障のホトケを霊視できる桐山氏の霊視能力がすべてなのです。

これほど先祖を小馬鹿にした話はありません。
先祖供養の名を借りた、先祖への罵倒や侮辱です。
先祖に感謝する日本の伝統的な先祖供養の習慣とは、似て非なるものです。
霊障の不成仏霊として手を合わせられて喜ぶ先祖がいるでしょうか。
先祖にしてみれば、解脱供養など、どこも悪くないのに強制的に入院させられ、
ありもしない病名をつけられて、手術されるようなものです。

桐山氏の目的は先祖供養ではなく、自己弁護と責任逃れです。
スタートから不純な動機を持つ先祖供養を、信者がどんなに純粋な気持ちでやっ
ても、最初のボタンの掛け違いは直りません。
阿含宗で先祖供養をするのは、自分の先祖を侮辱するだけでなく、桐山氏の責任
回避の片棒を担ぐことです。
609名無しさん@1周年 :02/08/29 02:11

「祖父が作った霊障」 18.自分は悪くない。自分には責任がない。

最初から刑獄の因縁について見てみましょう。
桐山氏によれば、悪いのは主犯格のS氏であり、死者を出した他の密造グループ
であり、親身にならない国選弁護人であり、桐山氏の言い分を受け入れない裁判
官であり、二審で判決を覆せなかった弁護士です。

こういう現実への責任転嫁だけでは足りず、妄想の言い訳を作り始めました。
桐山氏の小説家としての才能が発揮されます。
まずは刑獄の因縁という絵空事です。
しかも刑獄の因縁を作ったのは桐山氏ではなく祖父です。
祖父もまた法螺吹きの素養があり、上意討ちの作り話をしていました。
孫はこの物語をヒントに霊視能力で脚色し、18人の恨み武士をでっち上げました。

桐山氏の態度は終始一貫していて、現実の世界ばかりか、空想、妄想の世界でさ
えも、絶対に自分は悪くないと言っているのです。

「自分は悪くない。自分には責任がない。」
これだけを言うために、S氏を悪魔的な性格にして、弁護士や裁判官を無能、無
理解にし、18人の武士を創作し、祖父と桐山家の死人たちに演技をさせました。
霊障から来る地球壊滅まで説いて、人々を脅迫したのは、自分に責任はないのだ
と言うことから始まっているのです。

この姿勢は桐山氏の人生、宗教を理解する上で、とても重要なポイントです。
桐山氏の宗教は「自分には責任がない」と言うために作り上げたといっても言い
すぎではありません。
前科に限らず、桐山氏はあらゆる責任を認めたくないために、妄想を広げ、虚構
の世界を生み出していきました。
宗教や霊的な世界を骨格にして、桐山氏の妄想と思いこみが血肉となって、つい
には「宗教小説・阿含宗」を作り上げてしまったのです。
610名無しさん@1周年 :02/08/29 02:11

「祖父が作った霊障」 19.自己責任からの解脱?

桐山氏の責任感のなさは今日も何ら変わっていません。
教団内で問題がおきると、見苦しい言い訳をして、すべて職員や信者、世間のせ
いにします。
事実関係の調査をろくにしないから、自信たっぷりに間違ったことをしゃべりま
す。
桐山氏が恐いから、誰も反論などしません。
すると桐山氏は、自分の言い分が理論的にあまりに完璧なので、周囲の者は納得
し、心酔し、ひれ伏しているのだと、自分の智恵に確信を持ちます。
オベッカ使いが桐山氏を礼賛すれば、これで仏陀の智慧の完成です。

自己反省、自己責任という仏教の基本とは逆から桐山氏は宗教を出発しました。
自分のやった犯罪行為をS氏、裁判官、弁護士、18人の武士、祖父に責任を転嫁
し、因縁、霊障のせいにする宗教に作り上げたのです。
スタートからして仏教とは逆方向ですから、いくら釈尊を教団の看板に使っても、
矛盾だらけになるのは当然です。

あるがままの自分から一生逃げ続けた人です。

桐山氏の主張どおりに心解脱したのなら、詐欺的性格も消えたはずです。
逆に、詐欺的性格が変わっていないなら、同様のことが彼の人生には繰り返し現
れるはずです。
さあ、どちらなのか。
宗教家としてスタートした頃から、桐山氏のその後の人生を見てみましょう。
611275:02/08/29 02:15
なんかえらいことになってるねこのスレ(苦笑

>>408
>僧侶が加持祈祷を生業(なりわい)とすることを否定したんだと私は思っています。
そのつもりで書いたのですが・・・ 書き方が悪かったですか。
ただ、私の疑問は加持祈祷の類をゴータマ・シッダルタが行った形跡があるのか?
そもそも肯定的だったのか否定的だったのか?という点です。
逆に阿含宗においては加持祈祷(護摩?)はどのような位置付けなのですか?
解脱供養ですか?一体10万(だっけか?)ですか?

>また仏陀の時代には「仏教徒」はいなかったと思います。
いかに無知な私でもそれくらいは・・・(^^;

>みんな自分たちを「真のバラモン=求道者」だと思ってた。
>キリストがご自分を「真のユダヤ教徒、真に神に仕えるもの」と規定されてたの
>と同じではないですか。(キリスト教のことは知らないので想像です。)
当時のバラモン階級(身分制度の特権階級の僧侶達)は何かと祈祷してたような・・・
という意味合いでの「真のバラモンって」発言でした。
求道者という意味で言ってたのですかK氏は。失礼しました(汗)
612275:02/08/29 02:51
>>409
>これは統計学と確率で推論するしかないですよ。どの程度の確率でそれらのことが
>起こりうるか。モンゴルの気象はモンゴルの方が一番ご存知ですよね。そのモンゴルの
>方々が、管長猊下を「雨を降らせてくれた貴人」と称賛されているのです。狭い地域の
>火災じゃないですよ。草原火災は地下5〜60cmの根が焼けていく。熱のベルト、
>溶岩流のようなものです。少々の雨量では消えないのですよ。それが北海道全域の広さです。
モンゴルの火事の件は私は存知ません。「雨は降るべく・・・」発言は単なる例えのつもりですが。
そんな事まで言ってるのですか?K氏は。

ここでこんな事を書くのもなんですが原爆が投下された広島では爆雲が立ち上って暫くして
雨が降ったのはご存知ですよね?いわゆる「黒い雨」。
広島市は北海道の何分の一の面積ですか?(知らんけど)
そんな広大な範囲でしかも「溶岩流のような」熱が生まれたなら上昇気流もすごそうですよね。
しかもゴビ砂漠ならともかく「草原」ってことはそれなりに大気中に湿度もあったんじゃないですか?
条件的には(当時の風向や風速、気温は知りませんが)雨が降っても「おかしくはない」(当然降るとは言いません)
こんな事は冷静に考えれば判る事ですよね?
613275:02/08/29 02:52
>>615の続きをもう少し。

人が祈れば雨でも降らせることが出来る・・・
私は只の傲慢としか思えません。

そもそも人間も他の生命と同じく「自然に生かされている存在」なのではないですか?
またその事に感謝して生きよと仏教の教義にあるのではないですか?(私の勝手な思い込み
なら素直に謝りますが) だから「不殺生」なのでは?
どういうつもりで挙げられた例か判り兼ねますがもう少し客観的に物事を考えられませんか。

>>275 でも触れましたが「奇跡」とか「超能力」という言葉に惑わされて
本来の大事な学ぶべき、追求すべき事を見失っていると思うのですが。
神秘的な事が好きな方は(それ自体は非難する気はさらさらありませんが)上記のような
ことに惹かれますよね?これは仕方ない。好きなんだから。
問題はそれを「前面に押し出す」点にあります。ご利益とか言ってね。言わばそれは釣りの撒き餌。
K氏の人となりには興味はありませんが「今日も信者が釣れた」とほくそ笑む顔が目に浮かびます。

別にこれはバウさん個人に言ってる訳では無く、宗教に変に嵌ってしまっている方々に
言いたい事ですが。どんな優れた学問も論理も学ぶ姿勢が大事なのでは???と問いたい。

そういった意味で個人的には電波さんのほうが好感持てますね。スタンスがはっきりしていると思います。
ハクチ発言はともかく(笑)

またまた長文失礼しました。
614275:02/08/29 03:20
訂正。
>>615の続きをもう少し。
>>612の続きを・・・でした。

失礼しました。
615909:02/08/29 08:40
>>888さん

何度か繰り返し引用されている「三福印」に関する聖句についてですが、私はこれを
ブッダ=桐山師、法=阿含宗の教え、団体=阿含宗、という風に置き換えて読むのは
どうかと思います。

数多い仏教経典の中には、明らかに矛盾するようなものもあります。たとえば、生前
の行いが悪ければ、死後に救いはない、と説いてる部分もあれば、盂蘭盆会の目連さん
の逸話のように、死者の供養を勧めている部分もある。仏教教典は、千年を越える長き
にわたって加筆・修正されてきたものですから、各時代の人々の願望や要請に合わせて
枝葉を広げていったのです。

このように、部分的に矛盾が出るようなものを、ある部分だけ取り出して「証拠」と
するのは意味がなりと思います。仏教経典は、いわば錯誤だらけの長編小説のような
もので、全体を通じてストーリーの核を掴むように心がけないと、カスを掴んでしま
います。
(続き)
616909:02/08/29 08:52
スッタニパータやダンマパダのような、「定評」ある文献をさらっと一読す
れば、説いている内容は「あらゆる祈祷や供養やマジナイに対する、四諦の
実践の優越性」であることがわかります。このような大きな流れの中に、
時折、先祖供養に関する話や、輪廻に関する話が紛れ込んだとしても、それ
らを「主」とするのは無理があります。

もし、阿含宗の主張するように、死者の供養のために「成仏法」が不可欠だ
というのが本当なら、こんな大事なことをなぜ説いていない、あるいは閑話
休題的な軽い扱いでしか説いていないのでしょうか。

「三福道」についても同様に、ブッダ=桐山師、という証拠がない限り、
絵に描いたモチにすぎません。桐山師によれば、ブッダとはすべての悪因縁を
断ち切った聖者ということですが、そんな聖者が他人の本をコピーして伝法会
のテキストにしたり、自ら脳梗塞に苦しんだりするでしょうか。瞬間湯沸し器
を自称する桐山さんは、今も相変わらずですが、貪瞋痴の三毒を断ち切った
はずの聖者がこれでいいのでしょうかね。あなたの「三福道」、大丈夫ですか?
617909:02/08/29 09:05
>>502(バウさん)

>その経典の意味は、死んでいく人の命は誰も助ける事ができないという意味
>だと思います。

ところが、その直後にこうあります。

585 みずから自己を害いながら、身は痩せ醜くなる。そうしたからとて、死んだ
人々はどうにもならない。嘆き悲しむのは無益である。

586 人が悲しむのをやめないならば、ますます苦悩を受けることになる。亡く
なった人のことを嘆くならば、悲しみに捕らわれてしまったのだ。

590 だから(尊敬されるべき人)の教えを聞いて、人が死んで亡くなったのを見
ては、「かれはもうわたしの力の及ばぬものなのだ」とさとって、嘆き悲しみを
去れ。

死んだ人は、「わたしの力の及ばぬものだ」と悟って、嘆き悲しむのをやめなさい、
というのが釈迦の教えです。この教えに忠実に生きるなら、解脱供養を申し込みに
阿含宗の門を叩くことなどありえないでしょう。死んだ人の浄福や、自分の死後の
浄福を願って火で供養していたのは、バラモン教の僧侶達の方です。
618888:02/08/29 09:19
>>691 909さん、おはようございます。昨夜のあらしはすごかったみたいですね。
私のコメントというと、以下のものでしょうか。

544 :888 :02/08/29 01:06
909さん、電波男さん、あほだら経さん、
「岩波文庫 ブッダ最後の旅 大パリニッバーナ経 中村元訳」に、三福道をみつけました。

P46ナーディカ村にて
まずブッダは亡くなった弟子達の行く末を語ります。

その後に、一般的な法則を語る。
わたしはここに、法の鏡という名の法門を説こう。

ここに立派な弟子がいて、ブッダに対して清らかな信仰を起こしている。
またかれは法に対して清らかな信仰を起こしている。
かれはサンガ(つどい)に対して清らかな信仰を起こしている。

みずから自分の運命をはっきりと見究めることができるであろう。

わたくしには地獄は消滅した、畜生のありさまも消滅した。餓鬼の境涯も
消滅した。悪いところ・苦しいところに堕することもない。わたしは聖者の
流れに踏み入ったものである。わたしはもはや堕するところの無い者である。
わたしは必ずさとりを究める者であると。

かなり省略していますので、原本でお読みになってください。欣喜雀躍ですね。
もう、私たちは二度と苦境に堕することはないのです。

619888:02/08/29 09:29
>>615 909さん、
>何度か繰り返し引用されている「三福印」に関する聖句についてですが、
>私はこれをブッダ=桐山師、法=阿含宗の教え、団体=阿含宗、という
>風に置き換えて読むのはどうかと思います。

これはそういう風には思ってないです。

真の如来=仏陀=ゴータマ・ブッダ、仏陀釈尊=阿含宗では真正仏舎利
正法=阿含経典群を中心としたゴータマ・ブッダの教え
聖衆=七科三十七道品法を修行し、あるいは完成した修行者達。三福道の修行者達の
   仲間。
このように思っています。

909さんも、真の如来、真の教え、真の聖衆が
見つかるはずですよね。人それぞれの道でよいと思います。ただ、真の如来として、
祖師や教祖を挙げるのは間違いだと思いますよ。

真の如来はゴータマブッダでないとだめだと思います。

阿含宗では真正仏舎利を真の如来だと規定し、その根拠として証明擁護仏の
現形を挙げていますが、それが納得できないかたは、他の方法で真の如来様を
見つけられたらよいと思います。


620888:02/08/29 09:53
「岩波文庫 ブッダ最後の旅 大パリニッバーナ経 中村元訳」

P95
、、、、、尊師は修行僧たちに告げた。
「修行僧たちよ。それでは、ここでわたしは法を知って説示したが、お前たちは、
それを良くたもって、実践し、実修し、盛んにしなさい。それは、清浄な行いが
長くつづき、久しく存続するように、ということをめざすのであって、そのことが、
多くの人々の利益のために、多くの人々の幸福のために、世間の人々を憐れむために、
神々と人々の利益・幸福になるためである。そうして、、、  
その(法)とは何であるか?それはすなわち、四つの念ずることがら(四念処)と
四つの努力(四正勤)と四つの不思議な霊力(四神足)と五つの勢力(五根)と
五つの力(五力)と七つのさとりのことがら(七覚支)と八種のよりすぐれた道
(八聖道)である。、、、、、、
621888:02/08/29 10:13
> 909 さん、出家の修行は基本的には七科三十七道品法です。

四つの念ずることがら(四念処)と四つの努力(四正勤)と四つの不思議な霊力
(四神足)と五つの勢力(五根)と五つの力(五力)と七つのさとりのことがら
(七覚支)と八種のよりすぐれた道(八聖道)である。、、、、、、

(四念処)のみというのは、あくまで略式ですよ。

また、四つの不思議な霊力(四神足)と言うのがあります。管長猊下はこれが、
死者の供養に関係しているとおっしゃってますよ。

不思議な事をすべて排除するヨーロッパ式の仏典の読み方もあるかも知れませんが、
基本の七科三十七道品法に四神足=不思議な力がある、という事を忘れないように。

622888:02/08/29 10:15
また、昨日、雪山女さんとサンサーラさんがおっしゃってたように、十二支因縁の
五蘊(肉体と心)が生ずる前の、無明、行、識 (名色=五蘊)は一体何なんだ?
五蘊がない時の自分って何なんだろう? 禅でも「父母未生以前の自分」とかが
テーマになるのではありませんか。

623909:02/08/29 10:47
>>621(888さん)
「四神足(=四如意足)」の原文の意味は、

1.欲定断行成就如意足
(比丘は欲定を成就し、諸々の行を焼き、如意足を修行し、無欲により、離に
より、滅により、非品に至るを願う。)

2.精進定断行成就如意足
(比丘は精進定を成就し、諸々の行を焼き、如意足を修行し、無欲により、離に
より、滅により、非品に至るを願う。)

3.心定断行成就如意足
(比丘は心定を成就し、諸々の行を焼き、如意足を修行し、無欲により、離に
より、滅により、非品に至るを願う。)

4.思惟定断行成就如意足
(比丘は思惟定を成就し、諸々の行を焼き、如意足を修行し、無欲により、離に
より、滅により、非品に至るを願う。)

で、これだけから「死者の供養」をひねり出すことは到底不可能です。もともと、
「神足力」とは、身体を思うまま自由にする(如意)という能力のことですから、
死者は関係ありません。
624909:02/08/29 10:50
ついでに、888さんに伺いますが。

>仏陀釈尊=阿含宗では真正仏舎利

ということなら、もし年代分析にかけてみて、仏舎利が贋物だと証明された
ら、あなたは阿含宗を去るのですね?
625バウ ◆pyDQkkJ2 :02/08/29 10:53
なにか台風が迫っているようですが、昨夜のこのスレッドもすごかったですね。
毎晩これが続くのでしょうか。(別に良いけどね)。

>>618 888さん、 経典のご紹介ありがとうございました。
「P46ナーディカ村にて。まずブッダは亡くなった弟子達の行く末を語ります。」
手元に本がないのですが、読んだ事はあります。たしかスジャータが三結断じて、
どこそこに生まれ、とか輪廻の話だったですよね。

626バウ ◆pyDQkkJ2 :02/08/29 10:59
>>620 888さん、もうひとつの経典もご紹介ありがとうございました。
「それは、清浄な行いが長くつづき、久しく存続するように、ということをめざ
すのであって、そのことが、多くの人々の利益のために、多くの人々の幸福のた
めに、世間の人々を憐れむために、神々と人々の利益・幸福になるためである。
そうして、、、  。 その(法)とは何であるか?」

七科三十七道品法が「仏陀最後の旅」にも出てくるのですね。しかもその修行
は個人のものではないと書かれている。多くの人々の利益と幸福の為になる。
とかかれていますね。聖衆は七科三十七道品法を修行する。しかもその聖衆は
たぐい稀なる福田である、と言う事なのですね。
627バウ ◆pyDQkkJ2 :02/08/29 11:12
>>616 909さん、こんにちは、888さんもおっしゃっているように、
阿含宗では仏陀はブッダ・ゴータマです。

桐山管長猊下は聖師のお一人ですね。
例えばダライラマも聖師です。道元禅師も(よくしらないのですが)、もし
ブッダ・ゴータマに帰依され三十七菩提分法を修されたのであれば聖師です。

909さんもご自分の仏陀が見つけられると思いますよ。(つづく)
628名無しさん@1周年:02/08/29 11:16
>>624
以前、科学的分析がされて、年代的には合っている事が確かめられたけど。
629バウ ◆pyDQkkJ2 :02/08/29 11:18
ところが、909さんの文章を読んでいますと、とても「阿含宗の解脱供養」
にこだわっておられますよね。やっぱり気になるんだなと思う。私は、信じて
納得してやってもらってますから何ら問題はありません。

仏教徒としては、ブッダ、ダルマ、サンガ、を求める。そして帰依する。
七科三十七道品法、あるいは、そのうちのいくつかを修行する。それで十分
だと思いますよ。
でも私は、解脱供養や冥徳供養で清めていただいたほうがずっと楽。

909さんも「深層意識では「阿含宗の解脱供養」が気になっている」と
自覚されたほうが良いかもしれません。そう言う時は、誰かにビシッと否定
してもらいたいものですね。

(でも、私は肯定します。)
630888:02/08/29 11:21
>>628 そうなんですか? でもC14だった?とか使っても
年代だけなんでしょう。炭素の同位元素の崩壊で年代を決めるんですよね?
631888:02/08/29 11:26
>>626 バウさん、こんにちは。そうなんですよね。市販されている岩波文庫の
ブッダ最後の旅に「三福道、七科三十七道品法、仏舎利供養」が載っているのですから。
驚いてしまいまいした。また、聖衆=福田、思想も載っている。輪廻思想も載っている。

その上、雪山童子さんの説だと、十二支因縁自体が霊魂の存在を語っている。そうです
よね、霊魂がないのなら、十二支因縁は五蘊で始まり五蘊の崩壊で終わるはずですよね。
無明から生に行きつくまでが長いんですもの。

今回のセッションはもうそろそろ終わりかもしれないけど、とても有意義でしたね。
632888:02/08/29 11:33
>>623 909さん、死者の供養の事は一年ぐらいかけてじっくり考えましょうよ。
仏陀の時代でも、神霊への供養や、祭祀は盛んに行われていました。それが何だったのか。

ブッダ最後の旅の、最初の一章はヴァッジ族の話ですね。そこでもブッダは地域の
神霊への供養を大変重視されていますよ。

神霊と名づけようが、祖霊と名づけようが、「生きてないもの」への供養や祭祀は
行われていた。ブッダもそれを重視していたと言う事です。そして、今に至るまで
仏教教団はそれを連綿と続けています。
633名無しさん@1周年:02/08/29 11:39
>十二支因縁は五蘊で始まり五蘊の崩壊で終わるはず
>無明から生に行きつくまでが長い

意味不明
634名無しさん@1周年:02/08/29 11:41
>>630 同じ時代に荼毘に付された骨だと測定は同じです。精密度は知らない。
誤差はどれくらい?1日?1月?数日単位だとすごいよね。調べてみます。
635名無しさん@1周年:02/08/29 11:46
>>634 調べました。間違えてた、、荼毘に付されてできた「すみ」は関係なかったよ。

>>生物は外界と炭素の交換をしていますので、生きている限り生物の
>>体内の炭素14濃度は大気とほぼ同じです。生物が死ぬと外界との炭
>>素の交換がなくなりますので、死んだ瞬間から炭素14の量が減りは
>>じめます。

その生物が死んでからの年代が分かるみたいです。
636909:02/08/29 12:10
>>628

そうですか。それを証明するものは何かありませんか? 阿含宗が率先して
C14年代測定をやったのなら、「阿含ニュース」などに取りあげないはずが
ありませんから。
637909:02/08/29 12:21
人骨なら問題なく年代測定できるようです。誤差は数%位でしょうか。
釈尊の没後2600年として、プラスマイナス50〜100年位で測れそうです。

ttp://www.um.u-tokyo.ac.jp/museum/ouroboros/01_02/nendai.html
638サンサーラ:02/08/29 12:30
>>636 さんはじめまして。
何か「否定したい!」という気持ちが先に立ってないですか?心から
黒い霧がもくもくと立ちこめ、体全体が怒りに震えとぐろを巻いてい
るのが見えますよ。

スリランカ大統領官邸で、ジャヤワルデネ大統領が手ずからお渡し下
さった真正仏舎利。
インド・ブッダガヤーの金剛宝座より発掘された由緒ある御聖骨をど
うしてそのように否定する理由があるのですか?

639サンサーラ:02/08/29 12:33
909さん、一番大事なのはブッダ釈尊に帰依するという気持ちだと
思いますよ。まず気持ちがあるかどうか。
640909:02/08/29 12:42
>>639

いや、釈迦が今の日本に現れたなら、仏舎利をひっつかんでドブに捨てて
いたと思いますよ。こんなものを「偶像崇拝」して、肝心の仏法がないがし
ろになっていることに苦悩されてね。仏舎利が仏法を説くわけではない。
釈迦の無念をはらすために、微徳ながら、わたくし奴が現代科学で偶像を
一刀両断にし、煩悩の雲を切りはらわんとしているわけでございますよ。

偶像を第一の売り物にしている阿含宗とは、本当に仏教教団なんですか?
単なる先行宗教の真似で、信者集めに利用しているだけなんじゃありません?

>昭和41年、上座部仏教の国、タイのパクナム寺院から仏舎利を奉戴し、その
>縁から、以来、真如苑では三帰依文・五戒文をパーリ語で唱和するように
>なりました。
ttp://www.shinnyo-en.or.jp/on/ryakushi.html
641909:02/08/29 12:50
いい忘れましたが、638のあなたの透視はデタラメですね。あまり妄想に
はまってそれを信じ切るとと、いつか痛い目に会いますよ。もし、あなた
に透視能力がないのに「見える」と書かれたのなら、不妄語の戒を犯した
ことになります。「見えるものは見える、見えないものは見えない」と
言うのが仏道の基本ですよ。一応、ご忠告しておきます。
642サンサーラ:02/08/29 12:51
>>641 909さん、でたらめじゃないですよ。黒い煙を吐いておられます。
いま、とても苦しいでしょう?
643サンサーラ:02/08/29 12:52
>>640 909さん、真如園のHPを見てみました。まず、お仏舎利を
奉安して、三帰依をされているのはとてもよい事だと思いました。
644サンサーラ:02/08/29 12:54
真如苑HPから

概要
名称 真 如 苑

本尊 久遠常住釈迦牟尼如来(教主謹刻)

経典 大般涅槃経(だいはつねはんぎょう)

645サンサーラ:02/08/29 12:55
本尊 久遠常住釈迦牟尼如来(教主謹刻)

これは彫像なのでしょうか?もう少し踏みこんで仏舎利にされたら良いのにね。

646サンサーラ:02/08/29 12:57
経典 大般涅槃経(だいはつねはんぎょう)

888さん、バウッダさんのご議論の通り、経典 大般涅槃経=ブッダ最後の旅
には、三福道も七科三十七道品法も仏舎利供養も載っているみたいです。そう言う
意味では、阿含経典だし、よい選択かもしれませんね。しかし、他の阿含経典群は
捨て去っても良いのでしょうか?また、その中心課題をご理解されているのでしょうか。
647サンサーラ:02/08/29 13:01
ブッダ、ダルマと来ましたが、三番目のサンガはどうなのでしょうか。

サンガ=聖衆;トップに七科三十七道品法を修している聖者、修し終わった聖者、
三福道を実践している人々、すなわちブッダの法による四双八輩が必要です。

このあたりは全く知識がないので、真如苑の方おられましたらよろしく。
648サンサーラ:02/08/29 13:03
909さん、真如苑のご紹介ありがとうございました。
いま、あなたがとても苦しんでいたのは、表面意識は阿含宗を激しく否定し
激しく憎んでいる。でも、深層意識は阿含宗の教法を求めている。だから、
とても苦しかったんですよ。

ちょっと、楽になりましたか?
649名無しさん@1周年:02/08/29 13:16
>>647 そのサンガがめちゃくちゃんだわ。
650名無しさん@1周年:02/08/29 13:19
>>650 想像で喋るのはやめて!
651909:02/08/29 13:22
>サンサーラさん

マジレスじゃないとは思いますけど、万が一、マジレスなのでしたら、
心理カウンセリングをお受けになった方がよいと思います。
これ以上、あなたを刺激したくはないから、これにて退場します。
652サンサーラ:02/08/29 13:25
>>651 いったんおさまって、いろんな思いが吹き出て、泣きたい気持ちに
なっていた。たぶん昔の恋愛かな? それが、また怒り基調に変わりましたね。
653888:02/08/29 13:28
>>652 サンサーラさん、そういうことは控えたほうが良いですよ。
誤解されちゃいますよ。(霊能者は霊障者って言うでしょう?)
654:02/08/29 14:00
じゃあ、みなさん退場と言う事で、このスレッドお終いにします。

電波男さん、ベロさん、あほだら経さん、ワムさん、雪山女さん、
サンサーラさん、バウさん、888さん、その他の方々、ありが
とうございました。

仏教の肝要は、七科三十七道品法と三福道という結論でした。簡単には
「ブッダ最後の旅」を精読してみましょう。合掌。
655:02/08/29 14:01


the EEEEEEEEEEEENNNNNNNNNNNNNDDDDDDDDDDDDDD
656:02/08/29 14:03
追伸ですが。荒らしさん、あとはお好きに書き込みしてね。
657名無しさん@1周年:02/08/29 14:06
はあ、
ずいぶんこの人、桐山さんのこと愛してたんだね。
ハンケチ握りしめながら、
わかれた男の癖まで再現して、なじっている女みたい。
658内海:02/08/29 14:22
終わっちゃうの、残念ね。ROMしてたのに。
659阿呆陀羅經 ◆PuxvZ3xQ :02/08/29 14:29
>>654
パーリ『大般涅槃経』はニカーヤでも編集成立が遅い層。ちゃんと注釈読みな。
「三十七菩提分法」や新造語の「三福道」がブッダ金口の直説とでも思ってんの?
660バウ ◆pyDQkkJ2 :02/08/29 14:34
>>659 一経だけ見つけて喜んでいるみたいだけど、二経あるんだよ。
そちらは、三福道。もう一度調べてね。
661バウ ◆pyDQkkJ2 :02/08/29 14:35
>>1 終わりったって、雪山女さんの宿題は? 
662バウ ◆pyDQkkJ2 :02/08/29 14:37
435 :雪山 :02/08/28 18:57

(一段階)
無明(無智);苦について、苦の生起について、苦の滅尽について、苦の滅尽にいたる
道についての無智。
行(意志のうごき);三つの行。身に、口に、心における行。
識(識別する作用);六つの識。眼識と耳識と鼻識と舌識と身識と意識。
663阿呆陀羅經 ◆PuxvZ3xQ :02/08/29 14:38
ニカーヤやアーガマに収められる長い経典は本来バラバラに説かれていた教えを
時代が下ってから、所属部派の教理などを盛り込んで編集を繰り返されたものが
多いようなので、読むのに注意を要します。
664バウ ◆pyDQkkJ2 :02/08/29 14:40
436 :雪山女 :02/08/28 18:58

(二段階)
名色(五蘊ごうん);
受(感覚)と想(表象)と思(思惟)と触(接触)と作意(意志)と、これを名。
また、四大種(地・水・火・風)およびそれによって成れるもの、これを色。名と色とを、名色というのである。
六処(六根六境によってなる認識);眼の、耳の、鼻の、舌の、身の、意の認識。
触(接触);六つの接触。眼、耳、鼻、舌、身、意による接触。
受(感覚);六つの感覚。眼、耳、鼻、舌、身、意の接触によりて生ずる感覚。
愛(渇愛);六つ。物、声、香、味、感触、法にたいする渇愛。
取(取著しゅじゃく);四つの取著。欲、見(けん、所見)、戒(戒禁)、我(が)にたいする取著
有(存在);欲界すなわち欲望の世界、色界すなわち物質の世界、無色界すなわち抽象の世界における存在
665電波男Ψ(`д´)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/29 14:40
皆さん。阿含宗ということを抜きにして別所でお話しましょう。
台風のような書き込みは内容は別にしてウザイですから。(笑)

それに雪山女さんのお若い発想をドンドン膨らませて最後にまとめてあげるのも
我々の責任ですよ。

「三福道」などは阿含経典には絶対に存在しないことでもお話しましょうか。
三業道とは意味が違いますからね。功徳と善根、福徳、福道、福田など、それぞれ
意味がまったく異なります。
666バウ ◆pyDQkkJ2 :02/08/29 14:41
437 :雪山女 :02/08/28 19:00

(三段階)
生;生きとし生けるものが、生まれて、身体の各部あらわれ、手足そのところを得たる、
比丘たちよ、これを生というのである。
老死;生きとし生けるものが、老い衰え、朽ちやぶれ、髪しろく、皺生じて、齢かた
むき、諸根やつれたる。これを老というのである。また、生きとし生けるものが、命お
わり、息絶え、身躯やぶれて、死して遺骸となり、棄てられたる、これを死というので
ある。かくのごとく、この老いと死とを、比丘たちよ、老死というのである、
老死・愁・悲・苦・憂・悩。
苦の集積のよってなれるところ。
667電波男Ψ(`д´)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/29 14:42
バウ。
お前は悪魔の紋章だ。
668バウ ◆pyDQkkJ2 :02/08/29 14:42
438 :雪山女 :02/08/28 19:05

十二因縁は人体の発達に即して考えてよいのでしょうか?
三段階目の生れ落ちてからのことは、すごく分かりやすいです。
二段階目は、五蘊が揃ってからですから、細胞〜エンブリオ時代
なんでしょうか?その頃から、取(取著しゅじゃく);四つの取著、
が生じるのでしょうか???
一段階目は、五蘊が生じる前ですから、いわゆる魂の時代?

無明(無智);行(意志のうごき);身口心(意)の行。
識(識別する作用);六つの識。眼識と耳識と鼻識と舌識と身識と意識。
こう言うのが、魂、霊(霊魂)のピリオドからあるのでしょうか?
669バウ ◆pyDQkkJ2 :02/08/29 14:43
439 :雪山女 :02/08/28 19:15
逆に私達が死んで、五蘊が失われる。すると第1段階の「生物」になるのでしょうか。
霊魂というと、当然、無明のかたまりですよね。
三つの意志のうごき、動作への意志、心、言葉にならない言語?は持っていそうな気がする。
六つの識(眼識と耳識と鼻識と舌識と身識と意識)はどうでしょう?こう言うのがあるとすると、
仏様へのお供えの意味も分かる。御香、御花、灯明、食べ物、水、お茶などを供養する。
「仏様が物が食べられるの?」「御花が見れるの?」という疑問は誰にもあると思う。

440 :雪山女 :02/08/28 19:16
四大種(地・水・火・風)およびそれによって成れるもの、
これは、今の言葉では、元素と思えば良いですよね?
670電波男Ψ(`д´)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/29 14:45
671バウ ◆pyDQkkJ2 :02/08/29 14:47
>>663 >>665 あほだら経さん、電波男さん今日は。
長文引用すみませんでした。雪山さんの考えてあげる事にします。
(私の意見は要らないかしら?)

三福道、三福業の経典は、二経ありとして、桐山管長の書物にどちらも
引用されています。(手元にないのですが)。原典には当たってません。
(当たる気もないくせに、、)。よろしくお願いします。
672バウ ◆pyDQkkJ2 :02/08/29 14:48
>>670 行っても良いけど、いぢめられそう。いじめないと約束するなら
行ってもいい。
673電波男Ψ(`д´)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/29 14:48
>>671
雪女さんの考え、否定していなかった?
あ、あれはサンサーラさんだったかな。。。。
雑音が入ると読み返しにくいですね。(笑)
674バウ ◆pyDQkkJ2 :02/08/29 14:50
>>670 このご招待は、雪山女さんあてかな。早とちりでした。
私もあまり親密モードは嫌い。真実から遠ざかるでしょう?
675電波男Ψ(`д´)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/29 14:51
>>672
可愛い事いうねえ。(笑)
誰もいぢめないよ。真剣にお話する人ばかりだから。

バウさんは滅茶苦茶なとこはあるけど、一応コメントのやり取りは成立するから
そのうち冷静にお話できるかと思うんだけどね。

どうぞいらしてください。一応、キャップもつけてくださいね。
676阿呆陀羅經 ◆PuxvZ3xQ :02/08/29 14:52
>>671
原典を引用(省略なし)すると桐山氏のインチキがバレルからかいな(笑)
>>雪山女さん
一度「霊魂」という観念を捨象しないと仏教は見えてきませんよ。
677電波男Ψ(`д´)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/29 14:53
親密モード?なにそれ?
議論するのに親密関係ないよ。

議論とは別に、万が一、バウさんが女性だったら、可愛い人だと思う。(冗談)
678バウ ◆pyDQkkJ2 :02/08/29 14:58
>>675 サンサーラさんは、一段目は霊だと思う、そして、エンブリオの意味が分からないと
書いておられます。

サンサーラさん、エンブリオ=胚です。胎児はfetus (fi:tas=発音符号のつもり)。
英和辞典には、受胎後3ヶ月まではembryo、以後は fetus. 雪女さんはそこまで
分けて考えているかしら。
679電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/29 15:00
顔変わったのわかる?
680名無しさん@1周年:02/08/29 15:01
あーーーーーーー!!

…電波男が、電波男が、

色っぽい話をした。 

>万が一、バウさんが女性だったら、可愛い人だと思う。(冗談)   

                       あーーーーーーー!!!
681バウ ◆pyDQkkJ2 :02/08/29 15:03
>>676 阿呆陀羅經 さん、

(一段階)
無明(無智);苦について、苦の生起について、苦の滅尽について、苦の滅尽にいたる
道についての無智。
行(意志のうごき);三つの行。身に、口に、心における行。
識(識別する作用);六つの識。眼識と耳識と鼻識と舌識と身識と意識。

議論は、これが何だということになってます。
五蘊生じる前の、身、口、意(心)の動き、そして、六つの識別する作用。
夢の中の自分みたいじゃないですか?
682電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/29 15:04
>>680
なにはしゃいでるねん?
683バウ ◆pyDQkkJ2 :02/08/29 15:05
>>679 わかる。すごく精神の起伏が激しい。何故だろうね。
音楽家と言うのも、ああ見えて、激しい心の訓練をしているので、
かなり感情の起伏が激しいらしいけどね。
684名無しさん@1周年:02/08/29 15:07
だって、

ちゃ、茶目っ気がで、でてるんやもん。

           あ、あんた。だ、だいじょぶか?
685阿呆陀羅經 ◆PuxvZ3xQ :02/08/29 15:08
>>681
流転縁起の話?
遥か昔に電波男さんが紹介された、水野弘元著『仏教要語の基礎知識』に詳しく
記述されてますよ。まだ読んでない?
686電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/29 15:09
>>683
あ、本当の顔の話してるんだね。それは当たっているかも。
でも今回は

電波男Ψ(´д`)Ψ
電波男Ψ(`д´)Ψ

の違い。目の形ね。

ぼくちゃんは元々声楽家志望で、芸大受かったけど、周りから反対されて断念
したんだ。そして今は音楽じゃないけど、芸術的な仕事をしている。造形方面ね。

でも起伏が激しいのは車の運転している時だけだよ。(笑)
687電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/29 15:11
>>684
ネットではお茶目で通ってるんだけど。。。。本当は。。。。。
ヒロへロって知ってる?
688バウ ◆pyDQkkJ2 :02/08/29 15:12
>車の運転している時だけだよ

仕事前と、帰宅時は乗らないほうが良いよ。一番危ないから。
電波さんは日本の宝だからねえ。
689バウ ◆pyDQkkJ2 :02/08/29 15:14
>>685 そう言う文献から離れて、自分の頭で考えたら?
五蘊がないのに、何があるんだ?!
690バウ ◆pyDQkkJ2 :02/08/29 15:15
>>686 日本のマエストロ、安藤さんとどちらが偉いの?
691名無しさん@1周年:02/08/29 15:16
翻訳しる。

仕事前と帰宅時には極力車を運転してくださいね。一番楽しいから。
なんてたって、電波さんは阿含宗にとっては目障りな悪魔ですからね。
692バウ ◆pyDQkkJ2 :02/08/29 15:17
>>691 そうでもないよ。阿含経徒は「真理」を求めているから。
あなたは、阿含宗徒を誤解しているよ。ご利益ばかりと思っているでしょう?
693電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/29 15:18
>>690
ぼくちゃんは爆発系でもデザイン芸術系でもないよ。機能美居住性追求型。
でも全然偉くない。飯の種にしているだけ。
694阿呆陀羅經 ◆PuxvZ3xQ :02/08/29 15:18
>>689
教えてあげない(笑)
あんたあの本「絶対読む」とか言ってたやん(笑)
695名無しさん@1周年:02/08/29 15:18
そうか。多元人格ね。

髑髏仮面も、実は電波男だったんだ。うまく化けたもんだな〜。
696電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/29 15:21
2chでは電波男Ψ(´д`)Ψだけだよ。
697バウ ◆pyDQkkJ2 :02/08/29 15:21
>>695 どくろ仮面って、チラッと見たけど、頭すごく悪いよ。
698電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/29 15:23
冗談だったけど、バウさんて本当に女性のようだね。
頭のいい人しか相手にしないタイプ?

でも実社会では頭の悪いフリをした秀才が多いよ。
699バウ ◆pyDQkkJ2 :02/08/29 15:24
>>694 そうじゃなくって、

「五蘊がないのに、何があるんだ」というテーマで、一時間くらい瞑想したら
良いよ。瞑想しないとだめ。「瞑想の習慣がない人で偉大な人はない」という
誰か有名人の言葉があるでしょう?

瞑想の敵はなんだ。やっぱ、睡眠だね。
700名無しさん@1周年:02/08/29 15:24
いや、だから、

あの頭の悪さ(天然)を見事に演じられたら、

電波氏は、相当に頭がいい……ちゅうネタですねん。
701電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/29 15:27
>>699
それは桐山氏がなんども言ってるよね。
でも瞑想の習慣なんて特に必要ないと思うよ。
「ものごとを判断する時に沈思する」これだけでも同じ効果が得られるよ。
702阿呆陀羅經 ◆PuxvZ3xQ :02/08/29 15:31
>>699
「五蘊がない」なんて、モノじゃないんだから・・・(苦笑)
さて仕事じゃ。
703バウ ◆pyDQkkJ2 :02/08/29 15:36
>>702
じゃあ「お父様とお母様が生まれる前、あなたはどこで何をしていたの?」
でもいいよ。

じゃあ、こちらも仕事するね。
704名無しさん@1周年:02/08/29 15:40

ほんとに、仕事が、あるんだか…。

いままでネット覗いてた輩が。
705691:02/08/29 15:41
行っても良いけど、いぢめられそう。いじめないと約束するなら行ってもいい。

ヒヒヒ、、翻訳しる。

行ってもいいけど、乱暴に扱われそう。優しくすると約束するなら行ってもいい。
706名無しさん@1周年:02/08/29 15:42
>>704 ほんと残業の山だよ。やり残した事ばかり。発熱しそう!
707名無しさん@1周年:02/08/29 15:43
>>705 もっともっと深い意味だよ。HN省略。
708691:02/08/29 15:43
電波はここに「オンナ」を感じたのだろうか?
だとすれば、電波はスケベだな。ケケケケケケ。
709電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/29 15:48
。。。。。。なんでこんな奴がここにいるんや。
710名無しさん@お腹いっぱい。:02/08/29 18:37
せっかくヌマエビの嘘吐きレスシリーズが転載されたことだから
時間があるときにひとつづつ論理的な反論でもしてやろう。
まあ相手にするのも穢れだけれど。
711正義漢:02/08/29 18:39
http://wow.bbspink.com/test/read.cgi/hneta/1030295662/l50
 
ここの方々なら上記のスレの>>1のやってることに怒りを覚えるはず・・・!
一喝してやってください。
712名無しさん@1周年 :02/08/30 00:36
>710
>せっかくヌマエビの嘘吐きレスシリーズが転載されたことだから
>時間があるときにひとつづつ論理的な反論でもしてやろう。
>まあ相手にするのも穢れだけれど。

これまでよー痴オバンがまともな理論で反論できたことがあったっけ。
まあ、頑張ってアホカキコして笑わせてくれな。
あー、楽しみだ!


713名無しさん@1周年 :02/08/30 00:37

ヌマエビ氏の過去の投稿を順次掲載しています。
このスレの題名「阿含宗についての考察」という趣旨に則って、
阿含宗という教団を判断する材料としてお役立て頂ければ幸いです。

714名無しさん@1周年 :02/08/30 00:38

「桐山氏は阿闍梨か?」 1.血の涙のその後

桐山氏は前科に血の涙を流して懺悔したはずでした。
桐山氏は悔い改め、因縁切りの修行によって、完全に変身したはずでした。
「変身の原理」「人間改造の原理と方法」などという本まで出したのですから、桐
山氏を特徴づける責任転嫁、詐欺的性格は改造されたはずでした。

しかし、桐山氏の自己宣伝と違い、その後の宗教活動には、偽ビール事件と同様
の詐欺行為がふんだんにみられます。
まず疑われているのは桐山氏の僧侶としての資格です。
宗教家としてスタートしたのに、血の涙も乾いていない最初に位置づけられる僧
侶の資格に、早くも疑惑があるのです。

僧侶になるためには、得度し、伝法潅頂を受けて、初めて真言宗の僧侶、つまり
阿闍梨として認められます。
学校でいえば、得度は入学式で、伝法は勉強であり、阿闍梨の資格とは卒業証書
をもらうようなものです。

阿含宗では真言密教の行法を用い、信者にも金をとって伝授しています。
行法を弟子に伝授するためには、本人が真言宗の阿闍梨であり、他の阿闍梨から
行法を伝授してもらったことが前提です。
血脈や法脈といい、空海以後だれに伝授されてきたかを重視します。

阿含宗を立宗する前は、桐山氏は真言宗を標傍していました。
1971年の「変身の原理」では真言宗金剛院派副管長、1972年の「密教超能力の
秘密」では真言宗大日山金剛華寺管長を名乗りました。
真言宗を標傍した限りは、真言宗の僧侶、阿闍梨であるのは当然でしょう。
阿含宗では桐山氏にあいさつするのに「阿闍梨様に三礼」と声がかかります。
阿含宗を立宗した今も、桐山氏は阿闍梨の資格があるはずです。

では、桐山氏はいつ伝法潅頂を受けて阿闍梨になったのでしょうか。

715名無しさん@1周年 :02/08/30 00:38

「桐山氏は阿闍梨か?」 2.あまりに違う二つの経歴書

桐山氏は四十冊以上の著書がありながら、得度と伝法潅頂について具体的に記述
したものは一つもありません。
自慢話を羅列するための法話でも、ほとんど出てきたことがありません。
マスコミによって公開された桐山氏の経歴書は次の2つのみです。
得度と潅頂の部分だけを抜粋すると、

1968(昭和43)年8月、天台宗僧籍取得のために天台宗宗務庁に提出した経歴書
昭和35年二月 真言宗金剛院派得度加行
昭和36年 四度加行、学識潅頂、講義講式
昭和41年 伝法潅頂

1970(昭和45)年8月、小田慈舟大僧正の「金剛頂経講伝」に提出した経歴書
得度 昭和30年 戒師北野恵宝師に従って得度畢る
伝法潅頂 昭和40年 大阿北野恵宝師・大原最俊師に従って潅頂畢る

マスコミの取材に、北野師からの伝法潅頂は昭和38年頃と答えています。
合わせると、桐山氏本人の申告でありながら、伝法潅頂は3年、得度に至っては
5年も差があります。
経歴書が提出されたわずか2年ほどの間に、得度と潅頂の年にこれほどの違いが
出てくるのは、どういうことでしょう。

普通の人でも、自分が何年に学校を卒業したか、資格をいつ取ったかくらいは覚
えているし、経歴書を書くのに、記憶に自信がなければ、確認します。
普通の人と違い、経歴書を提出した頃には、桐山氏は求聞持法を体得して、目が
カメラに、耳はテープレコーダーになっていたはずです。
書くたびに、聞くたびに38年、40年、41年と答の違う求聞持法の記憶力は、普
通の人以下のように見えます。

違いを取り上げたマスコミの多くは、桐山氏の嘘の一つとして片づけています。
しかし、それでは桐山氏の頭の中を理解したとはいえません。
数字の違いに、桐山氏の性格や心癖のいくつかが現れています。
716名無しさん@1周年 :02/08/30 00:39

「桐山氏は阿闍梨か?」 3.都合の悪いことは存在しなくなる

普通の僧侶でさえ忘れない伝法潅頂の年をどうして覚えていないのでしょう。
ここには桐山氏の頭の中がよく現れています。
まず、桐山氏には本人が言うようなすごい記憶力などありません。
阿含宗の職員の顔と名前すらも完全には覚えきれません。
数字はさらにデタラメで、分数の概念を理解していません。

記憶力や数字が不得意なだけではなく、桐山氏の独特の心癖も影響しています。
それは、桐山氏の頭の中では自分にとって都合の悪いことは消去されるのです。

僧侶としての資格がないのは都合が悪いことですから、思い出さないようにして
いたのでしょう。
その結果、ほんとうに年を忘れてしまったのです。
嘘でも同じ年を言い続ければいいものを、それすら忘れてしまったのです。

感情的に不愉快なことはすべて忘れ、思い出さないという技にかけては、桐山氏
は徹底しており、見事に忘れます。
事実であっても、桐山氏にとって感情的におもしろくなく、気分の悪いことはい
っさい見ないようにします。
忘れるというよりも、存在すらしなかったようになります。

自分にとって不愉快な人物に対しても同様のことをします。
一度でも、桐山氏に不快感を与えた職員や先達は、目に触れないように排除され、
最初から存在しなかったように忘れ去られます。
桐山氏に100%の落ち度があっても結果は同じです。
桐山氏は自己愛が強い分、他人への慈悲や愛情に欠けた人ですから、貢献してく
れた職員や先達であっても、頭の中からきれいに消去できるのです。
717名無しさん@1周年 :02/08/30 00:40

「桐山氏は阿闍梨か?」 4.別な話にすり替える

伝法潅頂の件が桐山氏の記憶で曖昧になっているということは、外から指摘され
ては都合の悪い事だということを意味します。

桐山氏の頭脳では、伝法潅頂を受けていない彼が悪いのではなく、それを持ち出
してきたマスコミが悪いのです。
自分の能力に嫉妬した僧侶たちや、商売敵の宗教団体から金をもらったジャーナ
リストという、彼の頭が作り出した敵の悪意に満ちた攻撃としか映りません。

伝法潅頂の問題が、桐山氏の頭の中では、他人の嫉妬や攻撃の話にすり替ってし
まいます。
「嫉妬されるくらいおれは偉い」「阿含宗がそれくらい世間から注目されている」
といった物語を作って弁舌をふるいますから、信者の多くは信じます。

一番信じるのは、毎度のことながら、話している桐山氏本人です。
嫉妬や他宗教からの攻撃の話で、桐山氏の求聞持記憶テープは上書きされ、伝法
潅頂の問題は消去されます。
自分がすり替えた物語に一番酔い、すっかり気持ちがよくなり、問題が何であっ
たかをきれいに忘れるという特技を桐山氏は持っています。

妄想の世界では桐山氏は大阿闍梨なのですから、資格などどうでもいいのです。
世間からの批判すらも、それを格好よく踏み越えていく大阿闍梨様の妄想物語に
色を添えているにすぎません。

不愉快な事はすぐに忘れ、他人のせいにして、話をすり替えてしまうという桐山
氏の心癖が伝法潅頂の件にも端的に現れています。

718名無しさん@1周年 :02/08/30 00:41

「桐山氏は阿闍梨か?」 5.伝法潅頂したという僧侶は否定

年月はともかく、伝法潅頂そのものはどうでしょうか。
桐山氏を伝法潅頂した阿闍梨として北野師、大原師が上げられています。
ジャーナリストや僧侶が二者に取材、確認したところ、桐山氏への伝法潅頂を否
定しています。

北野師は得度と準胝法、護摩界法を授けたことは認めたうえで、
「自分は桐山という人に加行も潅頂も授けた覚えはない」
とはっきりと否定しています。

大原師は真言宗正暦寺の住職で、桐山氏によれば、北野師から伝法潅頂を受けた
時の証明師だったようです。
大原師が伝法潅頂したのではなく、立会人だという意味です。
真言宗の僧侶からのこの件についての質問に、大原師は手紙で返事をして、
「・・少々知名の方々へは大変迷惑をおよぼしているらしく困った人物です」
と、証明師どころか、桐山氏を困った人物とまで評しています。

桐山氏は、北野師から伝法潅頂を受けたと主張し、北野師は授けていない、大原
師は証明師をしていないという。
桐山氏と北野師側でどちらが嘘をついているのでしょうか。
まず桐山氏が選んだ師匠である北野師について見てみましょう。

719名無しさん@1周年 :02/08/30 00:42

「桐山氏は阿闍梨か?」 6.金剛院派の肩書き

北野師は桐山氏が宗教において選んだ唯一の師匠です。
北野師といつから師弟関係にあったかは、前述の2つの履歴書でも、得度に5年
も差があるのではっきりしません。
いずれしろ昭和三十年代には北野師の伝法会に参加していたようです。

北野師は真言宗金剛院派を名乗っていました。
これは高野山真言宗とは何の関係もない真言宗系の新興宗教にすぎません。

この手法を桐山氏はまねて、「密教超能力の秘密」では、真言宗大日山金剛華寺管
長を名乗っています。
真言宗大日山金剛華寺とは桐山氏の作った、あたかも真言宗であるかのように装
った新興宗教であり、これまた高野山真言宗とは関係ありません。
阿闍梨かどうか疑わしいのでは、なおのこと、真言宗を名乗る資格はありません。

この本では、真言宗大日山金剛華寺管長、観音慈恵会々長、日本密教根本道場主
という3つの組織の長の肩書きを載せています。
実際には桐山氏が作った一つの小さな教団に別々の名前をつけたにすぎません。

桐山氏が1990年前後から急に海外から肩書きを買い集め、それまでとは方向が
変わってしまったと嘆く信者もいます。
しかし、桐山氏が名誉や肩書きをほしがるのは、最近のことではなく、この例を
みてもわかるように、昔から実体を伴わない肩書きが大好きでした。

1971(昭和46)年に出た「変身の原理」には、真言宗金剛院派副管長という肩書き
を載せています。
この本では権大僧正を、1972年以降の本では大僧正を名乗っています。
権大僧正は金剛院派という新興宗教の中での位階であり、高野山真言宗の正式の
ものではありませんから、世間的にはまったく通用しません。
桐山氏は金剛院派以外からは権大僧正の位階をもらったことはありません。
大僧正に至っては、金剛院派のものですらなく、まったくの自称であることが元
信者たちの証言にあります。
720名無しさん@1周年 :02/08/30 00:43

「桐山氏は阿闍梨か?」 7.偽位階を見抜けない超能力

権大僧正など、当時の桐山氏の肩書きは金剛院派という新興宗教でしか通用しな
いものでした。
観音慈恵会があたかも高野山真言宗の一派であるかのように装い、自分が真言宗
の正式な阿闍梨、権大僧正や大僧正であるかのように名乗っていたのです。
屁理屈をいくら並べても、明らかな詐称です。

最初の頃、桐山氏はもらった肩書きが高野山真言宗でも通用すると信じていた形
跡があります。
このことは、1967年頃の会報に載った次の文章からもよくわかります。

「今回、はからずも、不肖不徳の身に、三国伝来の大マンダラを授かり、且
つ、高野山摂播本部副総監、中僧正、弘教、学匠という僧階を頂き、皆様よ
りお祝いと激励の言葉を頂きましたことは、真に有難く、心から御礼申上げ
ます。」

まるで高野山真言宗からこれらの位階をもらったような書きぶりです。
高野山真言宗は今日に至るまで桐山氏にいかなる位階も出していません。
高野山真言宗からの位階であるかのように北野師が桐山氏をだましたのです。
これらはすべて金剛院派でしか通用しない位階です。

この桐山氏の文章には興味深い点があります。
桐山氏が位階をもらえることを心底喜んでいる点、そして、北野師にだまされて
いることにまったく気が付いていない点です。

桐山氏の記述は明らかに、高野山真言宗から位階をもらえるものと誤解しており、
その権威に誇りを感じています。
会報が出た1967(昭和42)年には、桐山氏は求聞持法を体得していたはずです。
5つの超人的能力を持つと自慢する桐山氏にしては、北野師の簡単なトリックに
簡単にひっかかっています。
桐山氏の名誉心が強いことを見抜いて、北野師は手玉にとったのです。
桐山氏の言う、透視能力などの超能力とはせいぜいこの程度です。

721名無しさん@1周年 :02/08/30 00:44

「桐山氏は阿闍梨か?」 8.北野師とのトラブル

金剛院派の副管長や肩書き授与など、桐山氏と北野師との間はしばらく蜜月が続
きました。

北野師との関係がギクシャクした最初の事件が、1968年の高野山での勤行です。
北野師の口利きで高野山で千座行を勤行するつもりで行ったところ、高野山はま
ったく相手にしてくれず、拒絶されました。
大橋覚阿師の助けで、かろうじて次の日に勤行して体裁を保ったものの、桐山氏
は千人もの信者の前で大恥をかかされました。
桐山氏は初めて、金剛院派など高野山では全く通用しないことを知ったのです。

ここまでなら、桐山氏は北野師にだまされた被害者でした。
金剛院派の肩書きを捨てて、一から出直せばよかったのです。
北野師が高野山真言宗から相手にされていないことを見れば、自分の僧侶として
の資格や伝法内容についても疑問をもっていいはずです。
大橋師などから正式に伝法潅頂を受け直せばいいことです。

だが、桐山氏の野心と自負心だけは超人並です。
反省し、間違いを率直に認め、軌道修正するのではなく、嘘を更なる嘘でごまか
すという出家前と何の変わりもない心癖を出しました。
いつものように、自分の頭の良さを過信し、世間の目をなめきって、すべてをう
まく利用する道を選びました。
722名無しさん@1周年 :02/08/30 00:46

金剛院派副管長、大日山金剛華寺管長を名乗っているのに、今さら、伝法潅頂し
てくれでは、引っ込みがつかないといった消極的なものではありませんでした。
桐山氏のやったことは、金剛院派の肩書きをやめるどころか、後に自称・大僧正
を名乗り、むしろ嘘の上塗りに出ました。

金剛院派副管長を名乗ったのは「変身の原理」だけでしたが、北野師と小田師に
師事したと、1973年の「密教占星術T」まで両者を利用し続けました。
1974年以降、桐山氏は両者の名前を引っ込め、北野師の名前は二度と使いません
でした。
北野師との関係がギクシャクし、小田師側からも抗議が行ったからでしょう。
小田師の名前は、存命の間は出さず、死後、桐山氏は本に写真まで出してその権
威を使い、今日では伝法会で小田師を看板に利用しています。

723名無しさん@1周年 :02/08/30 00:47

「桐山氏は阿闍梨か?」 9.奇跡の売り方

あの桐山氏をだますほどの北野師とはいったいどのような人物でしょうか。
北野師の性格や宗教家としての活動は弟子の桐山氏に劣りません。
宇宙人と会ったと称してテレビに出たこともあります。

北野師は観音慈恵会の信者の前で、おみくじの番号を透視したり、念力で電球を
つけてみせて、機関誌に「現代の奇跡」として紹介されました。
いずれも初歩的な手品にすぎないことくらい気が付きそうなものですが、信じる
者、信じたい者には奇跡と映るようです。

桐山氏には念力の護摩からモンゴルの雨まで、奇跡と称するものが付き物です。
この手法で信者を集め、信仰心を強くさせる手法が、桐山氏のオリジナルではな
く、北野師からの「伝法」であることがよくわかります。

念力電球の目撃者は信者たちでした。
信者たちが「疑って見ていたが、ほんとうにこの目で見た」と言えば、本人が信
じているだけに、説得力があります。
黙っていても、目撃者の信者たちが真剣に周囲に奇跡話の宣伝をしてくれます。
後に、念力の護摩やモンゴルの雨で信者たちを目撃者にして、宣伝に利用したの
と同じ手法です。

手品でもできるパフォーマンスをして、自分の力を示そうとする僧侶の汚れた心
のあり方にまず疑いを向けるべきでしょう。
だが、御利益を得たい、超能力や成仏力を得たいなどと欲にかられていると、た
だの手品が超能力や法力による奇跡に見えてしまうのです。
724名無しさん@1周年 :02/08/30 00:47

「桐山氏は阿闍梨か?」 10.奇跡は詐欺のエサ

北野師の、手品を奇跡と言い換える手法を桐山氏は非常によく学び、後々まで奇
跡を用いて、信者たちの目くらましに使い続けます。
今日でさえ、桐山氏は総本山に修行場を作り、そこで賢人を作ると称しています。
桐山氏の知能程度、体力を見れば、彼のいう賢人がウルトラマンと同じ空想の物
語にすぎないことは明らかです。

昔の超能力を成仏力と名前を変えたにすぎないことにすら、今でも信者は気が付
かず、阿含宗から賢人が出現すると信じています。
あわよくば、自分もそのおこぼれに預かろうとしています。

賢人を作るという修行場に多額の寄付をする信者たちは、三十年ほど前に北野師
の手品を奇跡だと賛嘆した信者たちと同じレベルです。
時代が変わっても、簡単にだまされる人たちが常に存在するという実例のような
ものでしょう。

ところが、今の信者は、超能力時代の信者を軽蔑さえしています。
辞めた信者は超能力を求めただけの我欲の信者だったと、桐山氏が自分を正当化
するために作った屁理屈を今の信者たちは信じているからです。

しかし、桐山氏が信者に与えたエサは、超能力を成仏力とラベルを張り替えただ
けで、昔も今も中身はまるで同じです。
超能力時代の信者たちは最初だったから、詐欺にひっかかったのかもしれません。
今の信者は、前例がありながら、同じ罠であることすら気が付いていません。
仏陀の智慧や賢人を目指す前に、まず世間的な常識を学ぶべきでしょう。

北野師の念力電球と桐山氏のいう賢人の話は、規模が違うだけで、人の目をあざ
むき、中身のない手品だという点では同じです。
三十年間、師匠から伝授された桐山氏の手法は変わっていません。
725名無しさん@1周年 :02/08/30 00:48

「桐山氏は阿闍梨か?」 11.照真秘流の千座行

念力電球くらいはまだかわいいほうでした。
北野師による最大の宗教詐欺は照真秘流でしょう。
また照真秘流こそが、二人の決裂が表面化した直接の原因でした。

照真秘流は金剛院派の最大の売り物でした。
北野師は照真秘流の第五十三世を名乗り、桐山氏は五十四世の予定でした。
しかし、真言宗のどこを探しても照真秘流などという流派はありません。
当時の桐山氏は、照真秘流は、真言宗の伝統的な小島流や三宝院流よりもはるか
に上位の流派であると信者には宣伝していました。
桐山氏は金剛院派の副管長して、照真秘流一本槍で来たのです。

1966年に出た「千座行教典」では、大白身法準胝尊千座行がどのように伝えられ
てきたかという血脈を次のように書いています。
大日、金剛、・・・・・、晴弘、恵宝、靖雄
また、機関誌の中で、千座行の由緒を次のように桐山氏は書いています。
「金剛院秘流に伝わる秘法で、密教門中最高最勝の因縁解脱法として有名な御法
であります。」

つまり、照真秘流は、真言宗に秘かに伝えられたインド伝来の由緒正しい流派で
あり、千座行はその中にある有名な修行法であると位置付けていたのです。
照真秘流を用い、千座行を真言密教の秘法として権威付けをしていました。

千座行の血脈と由緒は桐山氏による創作であり、まったくの嘘、デタラメです。
後に桐山氏本人すら、千座行は自分で編纂したものであることを認めています。
金剛院派の照真秘流の馬脚が現れて、認めざるを得なくなったのです。
では、照真秘流千座行の血脈と由来の馬脚を見てみましょう。
726名無しさん@1周年 :02/08/30 00:49

「桐山氏は阿闍梨か?」 12.昭和初期に作られた照真秘流

照真秘流を標傍していた当時、桐山氏は自分が編纂したにすぎない千座行を、イ
ンドから伝えられた真言密教であると権威付けをしていました。
ばれないだろうと世間を甘く見て、権威付けのための壮大な話を作りあげるのが
桐山氏の得意技です。

桐山氏は知らなかったが、北野師もまた桐山氏とまったく同じ手法で、照真秘流
の権威付けをしていました。
互いに架空のホラ話で、自分の宗教を権威付けしていたのですから、一方が崩れ
れば、もう一つも崩れます。
そして、実際に崩れました。

照真秘流とは、昭和初期、実川泰仙氏が始めたもので、真言宗とは何の関係もな
い宗教です。
実川氏が発行した本を種本にして、北野師はあたかも流派を引き継いだように自
称し、中身を桐山氏に切り売りしていたのです。
実川氏は、北野師とはまったく面識がないと述べたと、実川氏の家族が、後に本
で証言しています。
北野師は実川氏から学んだことすらなく、単に本から盗用していたのです。
これなど後に、他人の本を丸ごと盗用して密教占星術奥伝と称して信者に伝授し
た桐山氏と同じ手法です。

師匠は昭和初期に他人が作ったものをインド伝来の密教として教え、弟子は自作
の千座行を照真秘流やインド伝来の密教として宣伝していたのです。

照真秘流のネタがばれても、本来なら困るのは北野師だけです。
ところが、桐山氏も全く同じ方法で千座行の血脈や由来に利用していました。
打ち合わせもしていないのに、アウンの呼吸で同じ手法を用いて権威をでっち上
げる、両者はまるで双子のように似た師匠と弟子でした。
だが、ばれた時の開き直りの手法は桐山氏のほうがはるかに上手でした。

727名無しさん@1周年 :02/08/30 00:50

「桐山氏は阿闍梨か?」 13.照真秘流の実態がばれた

照真秘流からの盗用が本格的にばれたのは1975(昭和50)年でした。
この年、照真秘流の復刻本の広告が出ました。
復刻したのは著者の実川氏ではありません。
実川氏が亡くなったと思い、誰かが勝手に復刻して金儲けをしようとしたのです。
当時、実川氏は復刻を聞いて、「静観する」と述べたと言われています。

実川氏の本を見て、桐山氏は愕然としたに違いありません。
秘法として北野師から伝授された内容が、実川氏の本にそのままあったのです。
北野師は「照真秘流教伝書」という二冊の本を出していますが、これは実川氏の
二十冊以上にも及ぶ本からの抜粋にすぎません。

桐山氏はこの機会をうまく利用して北野師と公式に縁を切る作戦に出ました。
桐山氏は、ずっと前から照真秘流の実態を知っていたが、北野師の名誉のために
沈黙していたというような、お得意の自己弁護を展開しました。
しかし、桐山氏が縁切りの宣言をしたのは復刻本の広告の出た1975年です。
復刻本の広告がなければ、口をつぐんでごまかすつもりでした。

広告が出ると、信者に対して次のような文面を配りました。
「北野氏は弘法大師直伝の照真秘流第五十三世と名乗っているが、同流は昭
和初期に実川泰仙氏が開いたもので、北野氏のは詐欺だ。桐山は一時は北野
氏に師事したが現在はいっさい無関係である」

宗教詐欺のデパートか卸問屋のような桐山氏をして、「詐欺だ」と言わしめた北野
師は、師匠だけのことはあったのです。
この文面には、全責任を巧みに北野師に負わせて、しかも縁を切りたいという一
挙両得を狙った桐山氏の意図がはっきりと表れています。
北野師と縁を切りたかったのは照真秘流という宗教的な問題だけではなく、桐山
氏にとってもっと現実的な実害があったからです。
728名無しさん@1周年 :02/08/30 00:51

「桐山氏は阿闍梨か?」 14.照真秘流は最大の売り物だった

真言密教とは何の関係もない照真秘流を、真言密教の最高の秘法として、桐山氏
は信者たちに宣伝してきました。
1969(昭和44)年には「慈恵会特別研修」という伝法会が行われています。
機関誌には次のような写真入りの報告を載せました。
「今回の研修は中等科で、昭和二十三年、文部大臣の認証を得た秘流の霊能開発
倫伽行法等の行事を研修する。」(「倫伽」は原文のまま)

照真秘流が文部大臣の認証を得たとは笑止千万です。
桐山氏はあたかも公の機関が保証したかのように、信者をだましました。
世俗的な権威を使う手法は昔も今も変わりません。

当時の観音慈恵会の広告には、セールスポイントの一つに次のような「虫切り」
というのがありました。
「霊法「虫切り」「虫封じ」施行。病邪の毒素が、毛穴から微細な糸状になって吹
き出し、健康になります。」
実川氏の照真秘流では「神伝顕法肝虫封じ相伝書」に公開されています。

他にも、桐山氏が「変身の原理」で書いた足止めの法などは照真秘流の「蟇霊念
力念誦秘録」にあります。
元ネタがばれてしまうと「霊法」というネーミングのすごさに驚かされます。
元ネタを知れば唖然とするような内容に「霊法」「秘法」「正法」「奥伝」
「成仏法」などと名前を付けて信者に高値で売りつけるのは桐山氏の得意技です。

今日、釈尊や阿含経を看板に利用しているだけで、阿含宗の中身が釈尊の教えと
はまるで脈絡がないのと同じ手法です。
昭和初期に作られ、真言密教と関係のない照真秘流を、インド伝来の真言密教の
最高峰であると桐山氏は長年宣伝していたのです。
729名無しさん@1周年 :02/08/30 00:52

「桐山氏は阿闍梨か?」 15.照真秘流よりも切実な理由

北野師との関係が冷え始めたのは前述の高野山参拝がきっかけでした。
しかし、照真秘流を桐山氏も売り物にしていたので、持ちつ持たれつの宗教詐欺
師同士の腐れ縁がありましたから、全面戦争には至りませんでした。

桐山氏によれば1975年の復刻本の広告の前に真実を知っていたといいます。
1969年になった金剛院派の副管長を1972年には満期を理由に辞めています。
1973年の「密教占星術T」を最後に北野師の名前を削除したことから見ても、少
なくともこの段階で照真秘流の実態を知っていた可能性はあります。
それなら、この段階で、率直に自分の過ちを認め、軌道修正をするべきでした。

しかし、「大法輪」という信者の目にも触れる本に復刻本の広告が出るとわかって
から、桐山氏はあわてて弁明をしています。
つまり、桐山氏はばれなければそのまま嘘を突き通すつもりでいたのです。
730名無しさん@1周年 :02/08/30 00:53
ここには桐山氏の宗教や法に対する態度がよく表れています。
桐山氏にとって照真秘流の嘘など、信者にばれなければどうでもいいのです。
さんざん霊法だの最高最奥の秘伝だのと宣伝したことなど、きれいさっぱりと忘
れてしまう特技をもっているからです。
桐山氏は法に厳しくあれと信者には教えますが、自分自身はこのように場当たり
的でデタラメです。
ばれなければごまかすという態度は桐山氏の宗教人生にいつもつきまといます。
この態度には宗教者としての良心が感じられません。

桐山氏のこういう態度をみればわかるように、照真秘流の元ネタがばれた程度な
ら、北野師との絶縁宣言は必要がなかったのです。
絶縁宣言は、照真秘流という宗教的なものが原因ではありません。
宗教的な決別などという高度なものではなく、もっとドロドロした、桐山氏にと
って切実な理由がありました。
それは信者の取り合いです。
731あぼーん:あぼーん
あぼーん
732名無しさん@1周年 :02/08/30 00:54

「桐山氏は阿闍梨か?」 16.信者の争奪戦

北野師との対立が始まった一番の理由は、信者の取り合いです。
当時の観音慈恵会の信者は、桐山氏の師匠である北野師の所にも出入りしている
人たちがかなりいました。

念力の護摩や超能力などの密教ブームに乗って売り出し中の桐山氏にしてみれば、
北野師からは学ぶものは何もないばかりか、信者を引き抜く商売仇です。
信者の引き抜きに腹を立てながらも、北野師と公式に絶縁ができなかったのは、
照真秘流があまりに弱みだったからです。

長年に渡り、照真秘流を看板にしていたのに、1975年の復刻の広告で、真言宗の
秘伝ではないことがばれて、信者に言い訳を繕う必要に迫られました。
桐山氏にとってこのピンチはチャンスでした。

言い訳を構築することになれば桐山氏の得意分野です。
北野師をかばうために沈黙していたなどと自分を正当化し、全責任を北野師に押
しつけて、一気に北野師との関係を断ち切ることで、教団を守ろうとしました。
照真秘流という宗教的な大義名分を表書きにして、実際には、信者の取り合いで
もめていた北野師と縁を切るのに利用したのです。
733あぼーん:あぼーん
あぼーん
734あぼーん:あぼーん
あぼーん
735あぼーん:あぼーん
あぼーん
736あぼーん:あぼーん
あぼーん
737あぼーん:あぼーん
あぼーん
738あぼーん:あぼーん
あぼーん
739あぼーん:あぼーん
あぼーん
740あぼーん:あぼーん
あぼーん
741あぼーん:あぼーん
あぼーん
742あぼーん:あぼーん
あぼーん
743名無しさん@1周年 :02/08/30 01:02


よー痴さんへ

これまでのコピペを繰り返し、攪乱しようとしても無駄です。

重複部分は順次削除依頼を掛けますので。
あなたは狂信的信者の代表です。


744名無しさん@1周年:02/08/30 01:02
あ〜、しかしこんなに料金が値上がりするんだったら、
10年前に無理をしてでも上級コース受けておけばよかったなあ。


「闇の部分」って、別にTMに限らず、他の技法でも充分ありうることなんですが、
最近「スピリチュアル・エマージェンシー(霊的危機)」として研究が端緒についた
ばかりのものなので、説明がなかなか難しいですね。
TMの初級くらいだと、そこまで問題にする必要ないのかもしれないけど、実際に
チャネリング現象やクンダリニーの覚醒が起きてしまった人もいるわけでしょう?


745名無しさん@1周年:02/08/30 01:02
んなわけで、日蓮宗復帰を完全に否定などできない、んじゃないかな?
と思った次第です。
ま、様子をみなけりゃわかりません。
年内に発表があるのかもしれないし、無いのかもしれません。
いすれにしても、佼成会が直接関係するのは七面山敬真院でしょう。
大野山はどうなんだろ??

746名無しさん@1周年:02/08/30 01:03
被害救済ネットごが報道関係者をよんだのでは?
マスコミに叩かれてるっていうは、
今回のことでは、たたかれてないんじゃない?
むしろマスコミに相手にされなかったのでは?
747名無しさん@1周年:02/08/30 01:04
いや、宿直をする必要もない。
このURLから画像を落とし、プリントアウトすればいい。
ちょっと目をぱっちりさせたり、アイコラしてカラダは水着姿に仕上げれば
748名無しさん@1周年:02/08/30 01:04
宗教に家族ぐるみで
入ってるそうです。
こんど一緒に話しを訊きにこないか?と誘われています。
なんでも 石原知事や貴乃花も会員とか言ってましたけど
ここってちゃんとしたとこなんですか?
洗脳してるとこですかね?
お金はかからないとのことですが 毎月集会があるとか言ってますた。
実際何してるとこなんですか?
749名無しさん@1周年:02/08/30 01:05
立正佼成会のスレ違い?
750名無しさん@1周年:02/08/30 01:06
教会では宿直は、菩薩行精進されコ分の高い一部の限られた幹部の特権で、
一般信者にはさせてもらえません。それほど御本尊(釈尊・一乗大師・慈道菩薩)を
御守し御給仕する事は尊く大変有難い事なのです。だから信仰の低い人にはさせてもらえません。

751名無しさん@1周年:02/08/30 01:07
高く評価していますし、諸行無常は世の常とは言え、
やはり立正佼成会はいつまでも存在して欲しいと思います。
だから、次代を担う青年部はしっかりしなきゃならないし、そのため
にも青年部の補強は不可欠であろうと。


752名無しさん@1周年 :02/08/30 01:07

よー痴さんへ

これまでのコピペを繰り返し、攪乱しようとしても無駄です。

重複部分は順次削除依頼を掛けますので。
あなたは狂信的信者の代表です。
753名無しさん@1周年 :02/08/30 01:08
732以降、信者により嫌がらせ荒らしコピペが
され始めました。

順次番号をふっていきますので、順番に読み進めて下さい。




754総合失調症:02/08/30 01:10
あげ
755阿呆陀羅經 ◆PuxvZ3xQ :02/08/30 01:10
>>703
「無記」&「捨置」(笑)
756あぼーん:あぼーん
あぼーん
757あぼーん:あぼーん
あぼーん
758総合失調症:02/08/30 01:15
3.
759名無しさん@1周年 :02/08/30 01:15
よー痴さんへ

まあ、よー痴さんがどんなにヌマエビ氏の投稿をコピペしても
どこを読んだって阿含宗の詐欺性についての記述ですので
どんどんコピペしてこのスレを終了してくれてもいいですよ。


760総合失調症:02/08/30 01:17
プロテスタントでも地獄の存在認めてはるはずやが。
変なお人や。

761総合失調症:02/08/30 01:17


762総合失調症:02/08/30 01:18
大学はまだ夏休み中だぞ。

763総合失調症:02/08/30 01:19
のように色々やってもおりますのでご興味ある方はお立ちよりのほど
764名無しさん@1周年:02/08/30 01:20
言うのは良くないけど、否認できなかった
とても痛かった 二度と行かない



765名無しさん@1周年 :02/08/30 01:21

まあ、ガイキチ信者よー痴猿のバカっぷりを皆さんでたっぷり見物しましょう。
毎回自作自演コピペで自分のスレを荒らし終了していますから。

このスレあたり、よー痴さんのコワレっぷりが見物です。

阿含宗HPを語る.2006
http://mentai.2ch.net/psy/kako/973/973043985.html 2006

766通り掛かり:02/08/30 01:22
>>763 変なハンドルだね?どういう意味
767総合出張症:02/08/30 01:24
>>766 出張が多いので、自律神経が、
768通り掛かり:02/08/30 01:24
自律神経失調の事ね。低血圧?
769総合出張症:02/08/30 01:27
ここはちょっと今取りこんでいるみたいで
すね。今度また来ます。僕でもでもでも種
う教できますか。もうだいたい直ったので
すが。自律神経の方は調子良いです。。。
770総合出張症:02/08/30 01:29
横の幅は20文字にそろえたら良いですか。
上のコメントは19文字になってしまいまし
た失礼しました、しました、しました、、。
771名無しさん@1周年:02/08/30 01:33
>>770 大丈夫かおまえ、不眠症か?オレもそうだけど。
飲みすぎるなよ。酒は不眠症には効かんぞ。
772総合失調症:02/08/30 01:39
>>771
1234567891011121314151617181920
ありがとう、あしたまたこのじかんにきます。夜はあまりよく眠れな
いので、外に出てパソコン喫茶に来ています。もう返らないとしから
773名無しさん@1周年:02/08/30 01:41
>>
774名無しさん@1周年 :02/08/30 01:43

阿含宗狂信者、通称よー痴猿と呼ばれているオバサン信者が立ち上げたスレ一覧表です。
この女性信者がどういう性格の信者が一目で判ります。

もしこの信者以外に、これほどまでアホスレを立てる人物がいるのなら、
阿含宗信者というのは、もはや救いようのないレベルということになります。

客観的判断でどうぞアクセスしてみて下さい。
中には批判側の有益な書き込みもありますので。

阿含宗密教占星術1001
http://mentai.2ch.net/psy/kako/969/969256187.html
桐山靖雄とは何者
http://mentai.2ch.net/psy/kako/963/963586467.html
阿含宗の方いらっしゃいますか
http://mentai.2ch.net/psy/kako/964/964579830.html
阿含経が読みたいんですが。
http://mentai.2ch.net/psy/kako/958/958342794.html
阿含宗スレッド5
http://mentai.2ch.net/psy/kako/967/967384782.html
阿含宗NYの護摩法要
http://mentai.2ch.net/psy/kako/974/974427737.html
阿含宗NYの護摩法要’
http://mentai.2ch.net/psy/kako/974/974980482.html
桐山靖雄ファンと阿含宗信徒の広場
http://mentai.2ch.net/psy/kako/977/977673729.html
阿含宗HP更新されています
http://mentai.2ch.net/psy/kako/977/977992070.html
☆★☆阿含宗HP更新されています
http://mentai.2ch.net/psy/kako/978/978674567.html
阿含宗HPを語る 
http://mentai.2ch.net/psy/kako/968/968807757.html 2001
http://mentai.2ch.net/psy/kako/968/968914805.html 2002
http://mentai.2ch.net/psy/kako/969/969415428.html 2003
http://mentai.2ch.net/psy/kako/970/970113865.html 2004
http://mentai.2ch.net/psy/kako/971/971315195.html 2005
http://mentai.2ch.net/psy/kako/973/973043985.html 2006

775名無しさん@1周年 :02/08/30 01:43

阿含宗HPを語る2001ver2
http://mentai.2ch.net/psy/kako/968/968914779.html
阿含宗という宗教
http://mentai.2ch.net/psy/kako/959/959585949.html
仏説阿含経
http://mentai.2ch.net/psy/kako/970/970983081.html
スッタニパータより
http://mentai.2ch.net/psy/kako/964/964228412.html
ヨコハマさん、いいかげんにしなさい!
http://mentai.2ch.net/psy/kako/971/971356246.html
阿含宗という宗教20
http://life.2ch.net/psy/kako/1015/10153/1015322861.html 
阿含宗ってどうなんですか???
http://life.2ch.net/psy/kako/1014/10144/1014481699.html
阿含宗という宗教23
http://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1019235115/l50
桐山靖雄管長猊下を讃える歌
http://life.2ch.net/psy/kako/1019/10194/1019461210.html
桐山靖雄炎の大霊言
http://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1020269145/l50
阿含宗元信者被害者の会
http://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1023270466/150
ダライラマと阿含宗の関係について
http://life.2ch.net/psy/kako/1022/10223/1022315297.html
阿含宗
http://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1024327902/l50
★阿含宗という宗教 21★
http://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1026797552/l50
776名無しさん@1周年 :02/08/30 01:56

現在阿含宗についての議論が進行形の形で行われています。

阿含宗という宗教26
http://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1029471820/l50

過去スレの有益投稿については、この「阿含宗についての考察」スレに
順次書き込んでいく予定です。

皆さんでカルト問題に取り組んで行きましょう。


777名無しさん@1周年 :02/08/30 02:12

「桐山氏は阿闍梨か?」 16-1.信者の争奪戦

北野師との対立が始まった一番の理由は、信者の取り合いです。
当時の観音慈恵会の信者は、桐山氏の師匠である北野師の所にも出入りしている
人たちがかなりいました。

念力の護摩や超能力などの密教ブームに乗って売り出し中の桐山氏にしてみれば、
北野師からは学ぶものは何もないばかりか、信者を引き抜く商売仇です。
信者の引き抜きに腹を立てながらも、北野師と公式に絶縁ができなかったのは、
照真秘流があまりに弱みだったからです。

長年に渡り、照真秘流を看板にしていたのに、1975年の復刻の広告で、真言宗の
秘伝ではないことがばれて、信者に言い訳を繕う必要に迫られました。
桐山氏にとってこのピンチはチャンスでした。

言い訳を構築することになれば桐山氏の得意分野です。
北野師をかばうために沈黙していたなどと自分を正当化し、全責任を北野師に押
しつけて、一気に北野師との関係を断ち切ることで、教団を守ろうとしました。
照真秘流という宗教的な大義名分を表書きにして、実際には、信者の取り合いで
もめていた北野師と縁を切るのに利用したのです。

778名無しさん@1周年 :02/08/30 02:13

「桐山氏は阿闍梨か?」 16-2.信者の争奪戦

桐山氏には、照真秘流の元ネタがばれたことは大した問題ではありませんでした。
宗教的な中身など、桐山氏の手の内で誰にも見えないのだから、彼の詭弁をもっ
てすれば、信者をだまし続けることは簡単です。
後に、照真秘流などから寄せ集めた雑多な密教にすぎない内容を、阿含密教と称
して、あたかも釈迦仏教であるかのようにすり替えた特異能力の持ち主です。
照真秘流が何者だろうが、ばれようが、桐山氏には大した問題ではありません。

桐山氏にとって深刻なのは、信者の数です。
信者の数は教団の勢力であり、金銭と直結します。
大教団を作り、伽藍の中で聖者としてかしずかれ君臨することが夢である桐山
氏にしてみれば、北野師は師匠どころか、邪魔者でしかありませんでした。

北野師との決裂は一見、照真秘流という宗教上の争いのようにみえながら、水面
下では、数年前から信者の奪い合いという泥仕合が始まっていたのです。

779名無しさん@1周年 :02/08/30 02:14

「桐山氏は阿闍梨か?」 17-1.信者よりも教団

両者の激しい誹謗中傷合戦が始まると、信者の取り合いが表面化します。
北野師側は報復として桐山氏の前科を暴露しました。
両者の中傷合戦は当時「宗教を現代に問う」を連載していた毎日新聞にまで取り
上げられました。

桐山氏は、北野師と二股をかけている信者をスパイさせて、行かないように言う
など、教団を守るために必死でした。
透視能力があるのなら、スパイなど使う必要もなかったでしょう。

桐山氏は口癖のように「信者が一人もいなくなっても、自分一人で托鉢から始め
ればいい」といいます。
解脱した自分は何ものにも執着しないというお得意のポーズです。
これが本心で、自分に自信があれば、信者を引き留める必要などありません。

確かに桐山氏は信者個人には執着がありません。
役に立たないとか、桐山氏の気に入らない信者は、職員でも先達でも、何のため
らいもなく切り捨てられ、きれいに忘れさられます。
執着しているのは数としての信者であり、誰であるかはどうでもいいことです。
百人がやめても、無知な百人が入信すれば桐山氏には同じことです。

780名無しさん@1周年 :02/08/30 02:15

「桐山氏は阿闍梨か?」 17-2.信者よりも教団

桐山氏が執着しているのは自分の教団です。
教団の構成要員である駒としての信者がほしいだけです。
信者を守りたいのではなく、自分の教団を守りたかったのです。

自分が築き上げたという自負心と強い執着のある教団が、かつての師匠によって、
土台を揺さぶられていると危機感をつのらせていました。
北野師が実際に信者を引き抜いていたかどうかは問題ではありません。
実際に教団が危機に陥っていたかどうかではなく、攻撃を受けると、程度にかか
わらず、桐山氏の頭の中では警報が鳴り続け、止まらなくなるのです。

教団への妄想的な危機感が、北野師を攻撃し、前科をばらされるという、返り血
をあびるような愚かな選択をさせたのでしょう。
桐山氏は自分や私有物である教団が攻撃されていると感じると、冷静さや度胸を
失い、こっけいなまでにヒステリックな反応を示すのが常だからです。

781名無しさん@1周年 :02/08/30 02:16

「桐山氏は阿闍梨か?」 18-1.教団の守りは無能無策

観音慈恵会は桐山氏の私有物であり、彼は創業の社長ですから、会社を乗っ取ら
れるなど、プライドにかけて許されることではありません。
桐山氏はこういう時には過剰なまでの防衛反応を示します。

ある時、幹部信者が組織運営をもっと自分たちに任せてほしいと申し出ると、桐
山氏は「出て行くのはキサマらだ!」とどなりつけたことを自慢していました。
幹部信者たちは、桐山氏の一貫しない運営を正常化しようとしただけでしょう。
だが、桐山氏はこれを教団の乗っ取りと受け取り、過剰反応したのです。
透視能力があるはずなのに、幹部たちの気持ちも透視できず、しかも、何年も後
になって、どなりつけて追い出したことを自慢しました。

教団に強い執着を持っている割には、教団の守りは見事なまでに無策です。
桐山氏は攻撃が主体なので、好対照に、守りはまるで無能です。
適当な手だてが思いつかないという知性の問題だけでなく、桐山氏は攻撃を受け
ると頭に血が上って、冷静さを失ってしまうからです。

782名無しさん@1周年 :02/08/30 02:16

「桐山氏は阿闍梨か?」 18-2.教団の守りは無能無策

1980年代末にオウム真理教が阿含宗の信者の引き抜きを始めて、実際信者が流れ
ても、具体的な対策が何もとれませんでした。
オウム信者が道場の前でチラシ配りしたので、職員がどなりつけて追い返したの
を法話で自慢していました。
どなりつけ、それをまた自慢するのですから、チンピラ程度です。
桐山氏は、守りが無能だと自覚することはなく、自分は完璧な知恵者だとかたく
信じて、今もどなりつけています。

しかし、弱みまで握られているかつての師匠では、桐山氏の唯一の防衛策である
どなりつけることは通用しません。
仏陀の智慧を自認する桐山氏のとった防衛策とは、北野師に全責任を押しつける
ことであり、結果、前科をばらされるという彼にとっては最悪の結末でした。
前科を暴露されて霊障物語を作り、嘘の上にさらに虚の話を作り上げることにな
ったのですから、この防衛策はその意味でも最悪であったと言えます。


783名無しさん@1周年 :02/08/30 02:17

「桐山氏は阿闍梨か?」 19. キツネとタヌキの師匠と弟子

北野師は桐山氏の師匠だけあって、決別すると、桐山氏の創作である千座行を大
白身千座因縁解脱法として、金剛院派の中にちゃっかり取り入れています。
北野師の、何のツテもない高野山にいきなり桐山氏を連れて行く度胸のよさや、
他人の本を切り売りするだけの照真秘流など、今日の桐山氏を彷彿とさせます。
弟子は、照真秘流を権威に自作の千座行の伝説を信者に宣伝しておきながら、嘘
がばれると、師匠に全責任を転嫁して、口をぬぐってしまいました。

宗教詐欺師の師匠と弟子をはるかに超えて、キツネとタヌキの化かし合いです。
二人はまるで双子のようによく似ていました。

桐山氏はよく「因が縁を呼ぶ」と言います。
簡単に言えば、類は友を呼ぶ、レベルの似た者が集まるという意味です。
嘘の多い桐山氏の教えですが、北野師との関係においては、この教えが正しいこ
とを身をもって示しています。

北野師と公式に決裂した1975年、「変身の原理」が角川書店から再刊されたこと
もあり、信者が増加していました。
反面、超能力開発が空宣伝であることに気づいたり、桐山氏の前科を知ってやめ
る信者もたくさんいました。
北野師からの信者の引き抜きはあっても、出入りが激しいことが幸いして、致命
的な打撃にはなりませんでした。

むしろ、阿含宗の立宗や、北野師がばらした前科を逆手に霊障物語を作り上げ、
教団を発展させたと言ってもいいでしょう。
桐山氏の希望どおり、百人がやめても、何も知らない百人が入信しました。
観音慈恵会は知名度が低かったので、だませる一般人が多数存在したからです。

784名無しさん@1周年 :02/08/30 02:18

「桐山氏は阿闍梨か?」 20.唯一の師から何を学んだか

桐山氏が北野師から最もよく学んだことは、宗教そのものではなさそうです。
信者をいかにうまくだますか、いかに外部の権威を利用するか、北野師の大胆で
ズボラな手法を桐山氏は実によく学び、後に実行しました。

北野師は照真秘流の本から盗用したにすぎないのに、自分こそは秘法の継承者で
あるように自称していました。
桐山氏も、他人の書いた本を丸ごと密教占星術奥伝と称して、伝法会で金をとっ
て信者に講義しました。

北野師は「渡印入蔵沙門」と称して、チベットで一年八ヶ月修行したなどと、パ
ンチェン・ラマの名前まで出して宣伝しています。
桐山氏はチベット仏教から寄付によって法位法号をもらうなど、ダライ・ラマな
どの権威をたくみに利用しています。

北野師は「小乗と大乗と金剛乗である現代は、まさに応用仏教でなければならぬ」
と書いています。
桐山氏の「阿含宗は北伝、南伝、東伝を合わせた完全仏教」とそっくりです。
あちらこちらからの宗教を切り張りし、寄せ集めて、師匠は「応用仏教」、弟子は
「完全仏教」と称しているのです。
北野師が応用仏教を書いたのは1974年頃、桐山氏の完全仏教は1995年頃ですか
ら、決別から二十年たっても、弟子は師の教えを忘れませんでした。

桐山氏が最も学びたいと思っていた宗教詐欺を、彼自身を教材にして実行してみ
せる、すばらしい師匠についていたのです。
北野師は、自分の教えた宗教詐欺を見事に開花させてみせるすばらしい素質を持
った弟子に恵まれました。
785名無しさん@1周年 :02/08/30 02:19

「桐山氏は阿闍梨か?」 21-1.詐欺を見抜けなかった超能力

北野師の照真秘流にだまされた件は、桐山氏の自己宣伝の実態を知る上で重要な
ことが含まれています。
それは、長年、桐山氏が北野師の正体も照真秘流の中身もまるで見抜くことがで
きないままであったという点です。

桐山氏が求聞持法を成就した時期は明らかにされておらず、著書では「四十歳を
こえていた」とありますから、1961(昭和36)年以降になります。
1971(昭和46)年に「変身の原理」で世にデビューしたとき、すでに5つの超人的
能力を獲得したと書いています。

ところが、「変身の原理」の著者略歴には金剛院派の副管長という肩書きと、北野
師に師事したことが書いてあります。
桐山氏が金剛院派の副管長を降りたのは1972年で、北野師に師事していたこと
を本に書かなくなったのもこの後です。
これらの著者略歴は、超能力を獲得したはずの後も、北野師の詐欺行為を見抜く
ことができずにいたことの証拠です。
786名無しさん@1周年 :02/08/30 02:20

「桐山氏は阿闍梨か?」 21-2.詐欺を見抜けなかった超能力

桐山氏の獲得したという5つ超人的能力の一つ目に、
「事物の明確な認識と予知および正確な選択力」
とあります。
北野師や照真秘流に対する明確な認識はどうしたのでしょう。
後で嘘だとわかって大騒ぎになることは予知できなかったのでしょうか。

この一例だけでも、桐山氏が自己宣伝した5つの超人的能力など、いかに根拠の
ない思いこみにすぎないかが、はっきりとわかります。

ただし、「正確な選択力」だけはあったかもしれません。
宗教的な詐欺に長けた北野師を、生涯唯一人の師匠として選択したのは、桐山氏
にとってはたしかに「正確な選択力」でした。
787名無しさん@1周年 :02/08/30 02:20

「桐山氏は阿闍梨か?」 22.北野師の僧歴

ケンカ別れした北野師が、桐山氏に有利な証言をするはずがありません。
北野師が「潅頂していない」と言っても、信用できるどうかわかりません。
つまり、桐山氏は北野師から伝法潅頂を受けた可能性も残っています。
そこで、北野師の経歴をもう一度見直してみましょう。

北野師の真言宗金剛院派の本覚寺は、元は浄土宗の寺でした。
北野師は浄土宗の僧侶でした。
戦後、彼は本覚寺を勝手に真言宗金剛院派と改めました。
真言宗金剛院派といっても、北野師がそう名乗っているだけで、高野山真言宗と
は関係のない、真言宗系の新興宗教にすぎません。

北野師が浄土宗の僧侶であることは確認されていますから、正式な僧籍をもった
僧侶です。
だが、浄土宗の僧侶だからといって、真言宗の伝法潅頂をする資格はありません。
北野師はいつ誰から伝法潅頂を受けて阿闍梨になったのでしょうか。

北野師の「照真秘流教伝書」には、初版の著者に「金剛仏子晴弘」とあります。
「金剛仏子晴弘」とは、北野師の師匠で浦野耕牛氏のことです。
浦野氏は真言宗を名乗っていますから、彼から北野師は伝法潅頂を受けたのでし
ょう。

桐山氏が北野師から伝法潅頂を受けたとしても、北野師が本当に阿闍梨かどうか、
さらにはその師匠の浦野氏が阿闍梨かどうかが問題です。
真言宗では法脈が大事で、その前の一人でも正式でない者がいれば、以後、すべ
ては資格がなくなります。

浦野氏とはどのような人物なのでしょうか。
浦野氏は、戦後、脱税目的に作られた皇道治教の教祖の一人でした。
788名無しさん@1周年 :02/08/30 02:23

「桐山氏は阿闍梨か?」 23.宗教詐欺師の法脈

皇道治教は、宗教法人を悪用して、脱税することを目的にしたフランチャイズ方
式の宗教で、浦野氏は教祖の一人でした。
皇道治教が検挙され始めると、浦野氏は自分の教団を真言宗高野山大師教と、あ
たかも伝統宗教の一派であるかのように名前を変えてすりぬけました。
北野師の真言宗金剛院派、桐山氏の真言宗大日山金剛華寺と同様に、真言宗高野
山大師教は高野山真言宗とは何の関係もない新興宗教です。

浦野氏は戦時中は憲兵だったといいますから、僧侶ではありません。
戦後、食うために皇道治教で一旗揚げようとしたのでしょう。
正式の僧侶なら、戦後、雨後の竹の子のように出現した新興宗教の中から、わざ
わざ脱税目的のいかがわしい宗教を選ぶ必要はありません。

金剛仏子晴弘こと浦野氏は、管長、大僧正を名乗り、易者をしていたそうです。
桐山氏も「金剛靖雄」を名乗り、管長であり、自前で大僧正を名乗り、占いの本
を出し、真言宗を権威に使い、僧侶の資格がないなど、浦野氏とよく似ています。
偶然とはいえ、セイコウとセイユウと名前まで似ています。

北野師の著作の奥付を信じるなら、照真秘流を最初に盗用したのは、北野師では
なく、浦野氏であることになります。
北野師は脱税目的の宗教団体で、このような人物を師として仰いで、指導を受け
たのです。
こうしてみると、北野師と桐山氏という双子の宗教詐欺師という図式ではなく、
浦野氏から三代に渡る宗教詐欺師の系譜であることがわかります。

「千座行教典」の法脈の系図には、大日如来から始まり、「・・、晴弘、恵宝、靖
雄」と続いています。
789ベロ ◆od7XM/js :02/08/30 02:58
電波男さん、別スレで電波男さんに反論を求めてる方がいますよ。
http://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1012922974/l50
790名無しさん@1周年:02/08/30 10:01
>>772 総合失調症さんこんにちは。かわったHNですね。
ここはごらんの通り、嵐がひどいので相談は無理かもしれませんね。
でも、荒らしは午前0時から午前3時までと決まっていますので、
そのほかの時間でしたら相談できますよ。
たぶん、夜の夜中にわざわざパソコン喫茶まで行って荒らし行為を
されているんでしょうね。IPなど証拠が残るのが嫌なのでしょう。
でも、嵐の内容と録音が全く一緒だったらどうなるのかな?
791名無しさん@1周年:02/08/30 10:04
>>772 総合失調症さん、それと、次数は一行20字じゃなくても良いです。
むしろ、行にでこぼこがあったほうが自然なので、一行ごとに、字数を変え
た方が良いですよ。字数を揃えていると、かえって誤解されます。
792名無しさん@1周年:02/08/30 10:05
>>772 総合失調症さん   


次数→字数
793雪山童女:02/08/30 10:41
ハンドル名変えました。だけど、私のコメントが見つからないよ。
どの当たりだったのでしょうか?
794名無しさん@1周年:02/08/30 11:00
>793

>>435-440あたりじゃない?
795雪山童女:02/08/30 11:33
>>794 さん、ありがとうございました。 

>>798でご紹介のスレッドに移りました。
796名無しさん@1周年 :02/09/14 23:53

よー痴さんの嫌がらせ大量コピペも阿梵していただきましたので、
スレもすっきりしたところでヌマエビ氏の投稿を再開します。
797名無しさん@1周年 :02/09/14 23:53

「桐山氏は阿闍梨か?」 24.阿闍梨ではありえない

北野師は浄土宗の僧侶ではあるが、真言宗の阿闍梨ではありません。
北野師は桐山氏に伝法潅頂する資格そのものがないことになります。
つまり、仮に北野師から伝法潅頂を受けたとしても、桐山氏は真言宗の正式な阿
闍梨ではありえません。

桐山氏が北野師から伝法潅頂を受けたとすれば、証明書があるはずです。
伝法潅頂を疑われたら、証明書を見せれば済んでしまうことです。
だが、仮にあったとしても、桐山氏は出すことはできません。
資格のない北野師が出した証明書では、桐山氏が自称・阿闍梨であることを文書
で証明するようなものだからです。

桐山氏が阿闍梨であるかどうかは、簡単にまとめれば次のようになります。
第一に、伝法潅頂を授けてもらったという北野師も、証明師の大原師も否定して
いるのですから、桐山氏は阿闍梨ではありません。
第二に、仮に、北野師が実際には伝法潅頂をしていながら、嘘をついても、北野
師が自称阿闍梨では伝法潅頂自体が無効です。
偽医者の作った偽の国家試験に合格した偽医者のようなのものです。

真言宗が法脈を重視している限り、桐山氏はどこをどうひっくりかえしても、真
言宗の僧侶の資格はないし、阿闍梨ではありません。

桐山氏は、僧籍詐称には沈黙し、批判を無視し、その代わり、発展途上国などか
ら金で法位を買い取りました。
だが、外国からいくら法位を購入しても、阿闍梨を詐称していることの帳消しに
はなりません。
取得するのにさして難しくなかった僧籍すらも詐称し、大僧正も自称する桐山氏
の宗教心とはいったいどのようなものなのでしょう。
798名無しさん@1周年 :02/09/14 23:55

「桐山氏は僧侶か?」 25.資格もないのに行法を教える

桐山氏は阿含宗を立宗し、宗祖になっています。
真言宗ではないのだから、真言宗の僧侶である必要はないという見方もあります。

桐山氏が真言宗の行法を利用していないのなら、この理屈は成り立ちます。
だが、桐山氏は阿含宗の伝法会で信者に対して、金をとって真言宗の行法を伝授
しています。
伝法内容も真っ先にあげられているのが四度加行、つまり如意輪法、金剛界法、
胎蔵界法、不動法、不動護摩という真言宗からもってきた行法です。
伝法会の神髄は合同講義だと桐山氏はいいますが、合同講義とは例祭での話と同
じようなホラ話、自慢話の羅列にすぎません。
伝法会の売り物が四度加行であることは明らかです。

真言宗の僧侶の資格のない桐山氏が、信者に真言宗の行法を伝授するというのは
問題にされて当然です。
いかに国家資格ではないとはいえ、仮にも仏に仕える者が、阿闍梨であると偽っ
て伝授するのは、信者ばかりでなく、仏に対する詐欺行為です。

桐山氏は、どこに出しても恥ずかしくない由緒正しい真言宗の行法であると信者
たちに告げています。
小田慈舟大僧正から伝授された三宝院流憲深方という正統な権威と法脈のある行
法であることたびたび強調します。
この点はどうでしょうか。
799名無しさん@1周年 :02/09/14 23:57
「桐山氏は阿闍梨か?」 26.小田師からの伝法

桐山氏は阿含宗の行法が小田慈舟師からの直伝である証拠として、小田師からの
伝法の際の録音テープを伝法会で信者に聞かせています。
著書には、1972年に小田師から伝法を受けた時だという写真を載せています。
小田師からの伝法は、マスコミの調査と桐山氏の本からを合わせると、次の3度
になります。

1970(昭和45)年8月、護国寺での小田師の講義で、未入壇の疑いで途中から退席
させられる。
1970(昭和45)年11月、広島にある小田師の城福寺で如意宝珠法を伝授される。
1972(昭和47)年、観音慈恵会京都道場で、金剛界法、胎蔵界法を伝授される。

後の2つが本当にあったかどうか、疑問視する声もあります。
800名無しさん@1周年 :02/09/14 23:58
他の僧侶たちの面前で退席させられた桐山氏が、そのわずか3ヶ月後に、同じ小
田師から伝法を受けたとは考えにくいことも事実です。
堂々と思いこみで嘘を本に書いてしまう桐山氏の話では、録音テープや写真とい
う証拠を示されても、どこまで信用していいのか疑問が残ります。
小田師の生前には沈黙し、亡くなってから、死人に口なしとばかりに、本に公表
している点も、桐山氏らしいやり口です。

しかし、ここでは桐山氏の話をとりあえずそのままにしておくことにします。
なぜなら、小田師もまた他の多くの人と同様に、桐山氏にだまされた可能性があ
るからです。
桐山氏への批判本を初めて書いた真言宗の織田隆行師は、その著書のなかで、小
田師が桐山氏について次のように述べたと伝えています。

「彼の正体は後でよくわかり問題にしておらない」

つまり、最初は桐山氏の正体がわからず、小田師は桐山氏に何らかの伝法をし、
その後、正体を知り、付き合いをやめたともとれる発言です。
これは桐山氏の性格を考えるとありえない話ではありません。
801名無しさん@1周年 :02/09/14 23:58

「桐山氏は阿闍梨か?」 27.小田師をだます

桐山氏は、1970年8月の護国寺での小田師の講義で、阿闍梨の資格を疑われて、
途中で退席させられています。
桐山氏の性格からすれば「今にみておれ」という気持ちだったでしょう。
桐山氏は、僧籍詐称の代わりに外国から法位を購入したように、身から出た錆を
反省するのではなく、話をそらして、別な形で取り返すのが得意です。

言葉巧みに小田師に近づき、取り入ることに成功したのでしょう。
桐山氏は、自分が大物だという印象を与えるのが得意です。
多くの人がこのハッタリに引っかかり、信者になりました。

桐山氏と最初会って話をすると、たいていの人は、何か大人物なのではないかと
いう印象を持つようです。
桐山氏の伝法潅頂の証明師であることを否定した大原師でさえ、
「受けた感じでは熱心な求道者であるなー位でした」
と、桐山氏の第一印象が決して悪くなかったことを述べています。

阿闍梨の資格を正式にとるという普通の解決方法を桐山氏は選びませんでした。
自分を拒絶した小田師本人から伝授を受けるという、自分の溜飲を下げるための
方法を選びました。
まじめな小田師を、海千山千の桐山氏が手玉にとるくらい訳のないことです。
要するに、小田師もまた桐山氏にだまされたのです。

桐山氏は得意満面で、1971年の「変身の原理」から1974年の「説法六十心1」
までの本の経歴に「小田慈舟大僧正に師事」と書いています。
師事というと、まるで弟子として長年仕え、真言宗のすべての行法を伝授された
ような言い方です。
自己申告を信じても、たった二度、それも阿闍梨であるかのように師をだまして
伝法を受けたことが、桐山氏の手にかかると師事したことになるのです。
802名無しさん@1周年 :02/09/15 00:00

「桐山氏は阿闍梨か?」 28.求聞持脳には学習効果なし

小田師の護国寺での講義で、伝法潅頂を疑われて追い返されるという恥をかいた
ら、同じまちがいを繰り返さないようにするのが普通の人です。
犬猫でも、一度痛い思いをすれば、次からは気をつけるものです。
だが、5つの超人的能力を持つ桐山氏には犬猫程度の学習効果は通用しません。

護国寺でのことは限られた僧侶たちの前での話ですから、時間がたてば、当時、
名もない桐山氏のことなど忘れてくれたでしょう。
そこで正式な阿闍梨になっておけば、以後、恥をかかずに済んだはずです。
ところが、桐山氏はこのような簡単な軌道修正すらせずに、いきなり阿闍梨とし
て本を出してしまいました。
本にまで書けば、今度は世間から阿闍梨を疑われます。
本を出す一年ほど前、大恥をかいて、軌道を修正するチャンスがありながら、桐
山氏はこれを生かすどころか、わざわざスネの傷を公表し、広げました。

803名無しさん@1周年
ここには桐山氏の、普通の人にはない独特の心癖が如実に現れています。
普通の人なら、阿闍梨でないことを反省して、今後、こんなことで恥をかかない
ように、正式に伝法潅頂を受けるという当たり前のことをするでしょう。
ところが、桐山氏は、自分を反省し、阿闍梨の資格を取るのではなく、小田師に
取り入り、伝法を受けることで、阿闍梨の問題をすり替えてしまったのです。

小田師から由緒正しい法脈の伝法を受けても、どんな奥伝や秘伝を伝授されても、
阿闍梨でないことの問題は何も解決されません。
両者がまったく別な問題であることは小学生でもわかります。
ところが、桐山氏は、小田師から伝法を受けると、すっかり有頂天になり、阿闍
梨の問題が解決したような錯覚に陥り、堂々と本にまで書いてしまったのです。
自分ですり替えをしていながら、元の問題が解決できたと本人が信じ込み、問題
そのものを忘れてしまうのは、桐山氏の人生の随所に見られる独特の心癖です。