法華経の薬王菩薩本事品第二十三は阿弥陀信仰を肯定ないしは、法華経との
融和を解いているように思うのですが、日蓮系の法華経解釈では阿弥陀信仰
や浄土門は謗法とされていますが、この二つは本来的に矛盾・対立するもの
なのでしょうか?
創価・公明板では無視されて誰も答えてくれないので、詳しい方いたら教え
てください。
2 :
名無しさん@1周年:02/05/02 22:44
日蓮宗系の教えと、法華経の教えは矛盾してると言う事だよ
と、いうことは日蓮聖人の法華経の理解は独善的なものである、と断言してよいのですか?
4 :
名無しさん@一周年:02/05/02 23:17
日蓮系もそうだが、浄土経典も原典を素直に読めば専修念仏
なんて事は書いていない。特定の経典や一尊一佛の信仰に拘り
一行のみを正行とするのは末法思想という特殊な背景から来ている
ようだ。しかも其の論理は、華厳の一即一切とか、真言密教の一字
に萬徳を含む等の論理なんだよね。それでいて華厳や真言を否定した
りするのだから自家撞着もいいとこ。現代では鎌倉仏教系が日本仏教
の代表勢力になってしまってるからあまりおおっぴらには言われない
けど仏教全体からみれば、偏頗な信仰教学である事は否定し難い。
ちゃんと学問を積んで広く他宗等を学んだうえで日蓮系や真宗系を穏やかに
信仰してる分には問題ないと思うが、ともすれば創価学会や日蓮正宗・親鸞会
等の原理主義にも近い勢力を産むことにもなる。
5 :
名無しさん@一周年 :02/05/03 10:47
阿弥陀さんに向かってお題目唱えるのはいいの?
6 :
名無しさん@1周年:02/05/03 11:16
妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五には、漢訳にはないが
原典からの訳(岩波文庫法華経(下))にはここにも阿弥陀仏が出てきます。
西方に、幸福の鉱脈であるスカーヴァティー(極楽)世界がある。
そこに、いま、アミターバ仏は人間の御者として住む。
極楽浄土の阿弥陀仏ですね。
>>5 平安時代は朝題目夕念仏といって朝は「南無妙法蓮華経」、夜は「南無阿弥陀仏」と唱えるのが一般的だったらしいです。
7 :
名無しさん@1周年:02/05/03 11:25
法華と浄土は思想の系統が違うって何かで読んだな。
うろ覚えでスマソ。
>>4 と、いうことは日蓮聖人の「四箇格言」は聖人ご自身の自己否定ということなのでしょうか?
9 :
名無しさん@一周年:02/05/04 14:35
>>8 日蓮聖人を含む鎌倉仏教の歴史的精神的背景を良く考慮して
教条主義に陥らず相対的にその長短所を取捨すれば如何?
禅系や浄土系の祖師方と比べれば日蓮聖人は菩薩道志向=
国家仏教志向=総合仏教志向が強く、しかも後発で教相派
だから行き過ぎた他宗批判が目立ちかなり無理矛盾も目立つ
よう思います。日蓮聖人が強調した「本尊」も「曼荼羅」も
狭義的には密教の概念です。尤も、「曼陀羅」の語は、クマ
ラージャ訳の「法華経」「阿弥陀経」に出てきますね。因みに
「浄土」の語は、意外に浄土経典には殆んど出てこず「法華経」
に出てきます。
鎌倉仏教の母体となった「天台本覚論」を臨済禅流に言えば「公案」
として鎌倉仏教諸宗が出来しているのですから、それぞれが否定と肯定
、批判と継承のパラドキシカルな関係にあるわけです。あまり特定宗派
のドグマに教条主義的に縛られすぎるとその辺の思想的機微の醍醐味を
味わえないと思います。
10 :
名無しさん@1周年:02/05/05 10:26
浄土の語に対応するサンスクリットも無いんだよね。
法華ではどうなの?
これは文献で残ることだが
日蓮じたい神道を否定していない
自分の生地が伊勢神宮の領地であるから日本の中心地にいるようだ
とものべとるし
源将軍が伊勢を祭るのを評価もしていた
阿弥陀経との関係は国教として神道仏教が両立してた頃からの名残
明治時代に神仏分離の歴史的関係から混乱を招いたといえる
特定宗派は恐らくこれらの事実を知らんだろう
12 :
名無しさん@1周年:02/05/05 12:02
>>10 >>6 から察するに西方(極楽)浄土はスカーヴァティーなのかな??
>>12 そのとおり。
原義は「楽があるところ」
よって大経では安養とも訳される。
14 :
名無しさん@一周年:02/05/05 22:06
>>13 無量寿経を大経とよぶことから察すると真宗ですね。
仏教全体の中で真宗教学と日蓮教学の位置付けは如何?
又、現代の仏教学の中で真宗学の意義は?
15 :
名無しさん@1周年:02/05/05 22:10
浄仏国土思想の擦れになりそうな予感。それは奴が来襲する悪寒を呼ぶ罠。
みなさん、いろいろとありがとうございます。
出来ればもっとご意見を伺いたいのでよろしかったらもっとお願いします。
>浄仏国土思想の擦れになりそうな予感。それは奴が来襲する悪寒を呼ぶ罠。
適切なるご提言ありがとうございます。
ここでは大乗仏教においての法華経と阿弥陀信仰のご意見を聞きたいので
T氏やその関係者の立ち入りはご遠慮願います。
17 :
名無しさん@1周年:02/05/06 21:35
ひはす聖人って誰?
18 :
名無しさん@1周年:02/05/11 22:05
age
19 :
名無しさん@1周年:02/05/13 18:36
j:uec@>
20 :
名無しさん@1周年:02/05/14 14:23
21 :
名無しさん@1周年:02/05/18 15:42
age
22 :
名無しさん@1周年:02/05/20 21:46
age
法華経第二品「方便品」によると、
悟りを得るためには色々な方法があってよいと書いてあります。
(例えば、狂った心で絵に描いた仏を拝んでもそれも悟りに通じる。)
だから、阿弥陀如来を信仰することは法華経に矛盾しないと思います。
それどころか解釈を広げていくと、キリスト教の神を信仰することですら
悟りに通じるというわけです。
24 :
名無しさん@1周年:02/05/22 22:50
法華経では、阿弥陀さんは「尽十方無礙光如来」。
なんか、でも…、こういうのって結局教養主義にしかならないんだよなあ。
自分の甲羅に似せて穴を掘る。みたいな。
近代人は自分がどの時代よりも優越した時代を生きていると無意識的に自覚している。
みたいなこと、どなたかおっしゃってたね。
って、別にぼくは相対主義論者じゃないけど、
でも学問的に厳密な手続きで得られたはずの結論の裏側に
べったりと卑小な日常意識が貼り付いてたりするんだよね。往々にして。
いや、煽りみたいでスマソ。
26 :
名無しさん@1周年:02/05/26 16:26
age
27 :
名無しさん@1周年:02/05/26 16:34
>>25 NBさん
ひまなとき、もっと簡単にゆうてくれんか?そのレス
いや、煽りではないよ。
>>27 はあそうですね。最近独り言ばっかりで。。スマソ。
まあ、でも、法然聖人も親鸞聖人も「一仏乗」を追求する中で阿弥陀信仰に
至ったんだよね。
29 :
渡海 難 ◆0AE5SZ4. :02/05/26 21:18
>一仏乗を追求する中で阿弥陀信仰に至った
<阿弥陀信仰??。阿弥陀信仰って何??。独り言でもNBさんは声が大きいね(笑)。>
>>29 いや、スレのタイトルのままに表現したまでですよ。
31 :
名無しさん@1周年:02/05/26 23:35
恐らく、
>>23 のような、あらゆる教えは肝心釈すればすべては人々を成仏させる為の教えであり、
相手の能力に応じて説かれている。
このことを一乗妙法というのじゃろうな・・・
32 :
渡海 難 ◆0AE5SZ4. :02/05/27 18:09
>いや、スレのタイトルのままに表現したまでですよ。
なるほど。
このスレは法然・親鸞の浄土教を語ろうというスレなの?。それとも法華経にある阿弥陀論を語ろうというスレなの?。
阿弥陀信仰という言葉はいつ頃からある言葉か知らないけど、信仰という言葉は親鸞には出てこないんじゃないか?。この辺はNBさんの方が詳しいかな。NBさんは「五会法事儀讃略抄」を知らなかったんだから、そうとも言えないかな(笑)。ま、あまりいじめるはよそう。
信仰という言葉は蓮如さんが使っている。これは僕のにわか勉強です。蓮如さんは信じ仰ぐという意味で信仰という言葉を使っている。ひれ伏して相手を拝むという感覚だ。
蓮如さんには阿弥陀を拝むという意識はない。蓮如さんは南無阿弥陀仏を本尊にする。南無阿弥陀仏に対してひれ伏すことは、蓮如さんにはあるんだろう。蓮如さんがひれ伏すということは、蓮如さんの言葉では頼むということだ。頼むには主体的関与がある。
南無は機であり、阿弥陀仏は法だ。だから、頼むということは南無阿弥陀仏に主体的に係わっていくことだ。
主体的に係わっていけば、主導権は自分にある。つまり南無阿弥陀仏の主になる。主体的に係わっていくということは、受動的にひれ伏すということじゃないだろう。主になることだ。
機法一体の南無阿弥陀仏を本尊にするということと、機の無い法だけを信仰するということは矛盾する。どう思う?。NBさん。
親鸞は教行証を敬信する。親鸞が大事にするのは阿弥陀仏ではなく、教行証だ。
南無阿弥陀仏を称えなさいよという教え、それに促されて南無阿弥陀仏を称えるという行為、南無阿弥陀仏を称えることで南無阿弥陀仏を称える人の仲間参加し、南無阿弥陀仏を称える人と共通認識界に入るというその証、この教行証が大事なんだと思う。
教行証を敬信することと離れ、色も形もない阿弥陀仏を信仰するということは、親鸞には無い。どうだろうか。NBさん。どう思う?。阿弥陀仏を信仰するというのは、キリスト教の考えだろう。
NBさんは難しいことを考えるのは嫌いかな?。「大王、座禅して念仏申すベし」。結局、僕の話はそこに落ち着いてくる(笑)。機法一体も、主体的も、教行証の敬信も、みなここに集約される。
33 :
名無しさん@1周年:02/05/27 18:37
>>32 もう何度もやりあって、すでに決着ついてると思いますけどね。
とどめを刺してないだけで(w
望遠鏡と額縁って一体何?といえばお分かりかと思います。
って、もうこのスレには書きませんので、よろしゅう。また今度。
スレ違いsage
35 :
渡海 難 ◆0AE5SZ4. :02/05/28 07:50
阿弥陀さんのことが法華経で出てくるのは、
薬王菩薩本事品だけではなくて、化城喩品にも出てきます。
化城喩品では、釈迦如来と、阿弥陀如来がどういう関係なのか、
分かるような記述があります。
釈迦如来と阿弥陀如来は、ずっとずっと(想像をはるかに超える)昔に、
大通智勝仏という仏の息子だったと書いてあります。
釈迦如来と、阿弥陀如来は、勿論初めは完全な悟りを
開いているわけじゃないので、如来じゃなかったんだけど、
がんばって、如来になったわけです。
大通智勝仏には16人の息子がいて、その全員が如来になりました。
その16の如来うち、
阿閦と須弥頂は、東方の世界におり
師子音と師子相は、東南方の世界、
虚空住と常滅は、南方の世界、
帝相と梵相は、西南方の世界、
阿弥陀と度一切世間苦悩は、西方の世界、
云々、
第十六番目の釈迦如来は、娑婆世界。
こういう風に化城喩品では書いている。
このスレッドをご覧の皆様へ
大変残念なお知らせです。
渡海難が来てしまいました。
>>29>>32>>35 渡海難は、「キンタマ」「オマンコ」などのような下品な発言を繰り返します。
したがって、このスレッドは汚染されます。
参考までに、被害に遭ったスレはこちらです↓
http://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1019565021/ そこで、皆様にご注意申し上げます。
今後、渡海難の相手をしないようにお願いします。
渡海難に対して何らかのレスをすると、余計に荒れます。
また、渡海難が攻撃しても一切無視してください。
マターリとしたスレにするためにも、皆様のご協力をよろしくお願いします。
もういい加減にしたら?>32
>>14 今更の遅レスで申し訳ない。
私は真宗ではないよ。
よって
>>14さんの聞かんとする位置づけには答えがたい。
重ね重ね申し訳ない。
40 :
渡海 難 ◆0AE5SZ4. :02/05/28 20:09
41 :
名無しさん@1周年:02/06/01 17:17
age
42 :
名無しさん@1周年:02/06/06 18:27
age
43 :
本願寺派門徒:02/06/06 18:57
お題目として南無阿弥陀教,南無阿弥陀教と唱えるのは駄目ですか?
44 :
名無しさん@1周年:02/06/06 21:29
普門品の「南無観世音菩薩」と唱えるのもいいと思うがどうか?
45 :
名無しさん@1周年:02/06/09 11:50
46 :
名無しさん@1周年:02/06/09 11:58
梵語のアミターバつまり阿弥陀はもともとが太陽神だから
キリスト教やユダヤ教よりも古い宗教の
ミトラ教やエジプトの宗教やゾロアスター教に由来するのでは?
天照大神と阿弥陀の関係も興味深い。
あるいは古代の太陽崇拝が後の大日如来や天照や
阿弥陀となったのかもしれない。
47 :
名無しさん@1周年:02/06/09 12:15
正確な記憶ではないですが、ウイグルの遺跡発掘調査をしている京都の某大学の人が、
出てきた文献の中に「アピュタ」という文字があり、これは文の流れとすれば
阿弥陀如来を指しているらしい。しかし「アピュタ」はウイグル語で太陽そのものを表すということでした。
アピュタとアミターバも、ちょっと似ているような。
不正確でスマソ。
48 :
名無しさん@1周年:02/06/09 12:34
漏れは一応本願寺派の門徒ですが、原始仏教を少しかじったら「阿弥陀仏
という絶対者に帰依し救われよという」という浄土真宗の教えは本来
の仏教とかなり違うキリスト教やイスラムのような一神教に近いよう
なもとに思えてきました。これなら、クリスチャンにでもなったほうが
ましかな
49 :
名無しさん@1周年:02/06/09 12:37
天照のアマテラと似てるねアミターバ
つまり天照大神はウイグル起源?
関係ないけど
イザナキノミコトとシュメール神話のアヌンナキ神は似てないか?
50 :
名無しさん@1周年:02/06/09 13:14
こりゃ、エジプトまでいっちゃうなあ。
ファラオのラーは、阿弥陀信仰か???
>>48 浄土真宗も、もすこしかじってください(w
原始『無量寿経』(24願系)は西北インド成立と考えられてるんだよね。
まあ、なんらかの文化融合があったと考えても不思議じゃないかな。
52 :
名無しさん@1周年:02/06/09 14:52
そういえば、ユダヤ一神教の神の期限はイクナートン(アメンホテプ4世)というファラオの崇拝していた太陽神(アトン)だという話があった・・・
53 :
名無しさん@1周年:02/06/09 15:19
とりあえず、お天道さん信仰というのは、どこにあっても不思議ではない。
といってみるテスト。
54 :
名無しさん@1周年:02/06/09 15:21
太陽と法身仏と釈迦を三位一体で結びつけたのが大乗仏教か?
55 :
名無しさん@1周年:02/06/10 23:40
そうかもしんない
56 :
名無しさん@1周年:02/06/15 00:19
スウェーデンボルグに、「霊界の太陽」てあったよな。あれなんなんだろう。
57 :
名無しさん@1周年:02/06/15 01:17
>>48 こんばんは。この掲示板には初めてお邪魔します。
私はカトリックの信者ですが、浄土真宗には共感しています。
実際、洗礼受ける前に数年間、真宗寺院にもお世話になりました。
今はカトリックで、確かに呼んでいただいたのだ、私のふるさとは
ここにあったのだ。。などなど、深く感じて精一杯生きています。
でも、真宗に触れた時の経験も、今の私を何処かで生かすもとと
なっているように感じます(^^)神さまは私が真宗と出会う
経験を通過して、その上で抱き取ってくださったみたいで、
なんというか、これが適切な表現か分かりませんが、阿弥陀さまと
イエスさまが2人で相談しあって私を捕まえてくださったみたいで(笑)
何となく、感謝の気持ちを伝えたくて・・・
真宗のみなさまのこと、心に留めさせて頂いてます。
59 :
名無しさん@1周年:02/06/15 08:45
太陽神について/コピペ
古代バビロンの太陽神、バールあるいはベルスは「主」という意味です。
女神バールティあるいはベルティスの意味は「わが婦人」で、
そのラテン語訳「メア・ドミナ」がイタリア語になまって、
「マドンナ」に変化しました。
エジプトの太陽神ラーと女神イシスもそうです。
太陽神はローマ帝国でミトラの名で、『仲介者』として崇められ、
女神アフロディテはミリッタ(女性仲介者・Mediatrix)として崇められました。
これらのことが何を意味するか分かりますか。
バビロンからローマに来て拝まれていた太陽神と女神の性質が、
イエスとマリヤの名称にすりかえられて、
今も崇められているということです。
渡海難の意見はないのか?
必要なし
62 :
渡海 難 ◆0AE5SZ4. :02/06/15 15:31
>渡海難の意見はないのか?
阿弥陀仏とは何かということになると、大日如来の金剛界・胎蔵界からあたりを視野に睨みながら議論しないと明確にならない。
ユダヤ教の神を考えるには、エジプトから脱出した奴隷を束ねてるときに用いたモーゼの神権政治手法を無視できない。モーゼの神の原点は、紀元前14,5世紀にバビロニアに地方で生活していたアダム(農夫か?)という人物の両親を考えないといけない。
イエス・キリストを考えるなら、紀元前後にイスラエルに生まれた一人の向こう見ずで無鉄砲な男の突っ張りを考える必要がある。向こう見ずで無鉄砲というと夏目漱石の「坊ちゃん」を思い出す。イエスとは、いわばあんな男だったのだろう。
一方で、そういう彼をやっかい払いしたいと思った連中がいた。エルサレムの神官だ。イエスと神官との間の神経戦、せめぎ合いという瓢箪からある駒が出た。それがキリスト教の神だ。駒は、言葉の多義性と言葉尻から出た。
法華経には法華経独自の教育学的視点がある。
太陽神は、古代エジプトあるいはバビロニアの発想、特に神権政治と統治の正統性という問題が絡む。
宗教学的には一つ一つ大きな問題だ。全く無関係な多義多様な論点の切れ端が出過ぎ、このスレは整理不能の2ちゃんねる的状況にある。
キリスト教の神は、アダムの両親が、アブラハム又はノアによって氏神化され、モーゼによって万物の創造主化され、ヨシュアによって軍神となり、イエスによって大衆化し、パウロによって世界神化したというプロセスがある。
キリスト教の神は博愛の神だが、博愛化したのは、フランス革命あるいはアメリカの独立戦争に勝利した近代思想家達が、敗北した旧体制側からの報復を恐れて創作した概念だろう。
アダムの両親に発した博愛のキリスト教の神が、阿弥陀仏にまで普遍化してきたのは、日本の寺檀制度の崩壊を恐れた明治の本願寺仏教者達が仏教を変質させた結果だ。多田鼎らの働きが大きいと思う。
クリスチャンが見ている仏教は、多田鼎らがキリスト教の神を仏教の中に取り入れた後の仏教を見ている。いわば自分の自画像を見て、自分たちにそっくりだと言ってビックリしているに過ぎない。
63 :
名無しさん@1周年:02/06/15 20:30
aage
64 :
名無しさん@1周年:02/06/15 23:20
>>62 ???
あの・・57発言者なんですが、私はどちらが本家とか
なんか、そう言うことが言いたかったんじゃないのです。
ただ、私がキリスト教に導かれる前に真宗と出会えたことが、
私にとってありがたかった、そのお礼を言わせてもらえるなら
伝えたかった、それだけなんです・・
あんまり難しいことは分かりません。。
すみません、もう来ません。
65 :
名無しさん@1周年:02/06/15 23:55
age
66 :
名無しさん@1周年:02/06/16 01:39
>64
おかわいそうに。考えられる限り、最悪のタイミングだったですなあ。ご同情申し上げます。
人生、こんなことばかりじゃありません。
67 :
名無しさん@1周年:02/06/16 07:29
>>64 まあ犬に噛まれたとでも思って。
よくあることだよ。気にするな。
68 :
渡海 難 ◆0AE5SZ4. :02/06/16 17:22
>私はどちらが本家とかなんか、そう言うことが言いたかったんじゃないのです。
「どちらが本家とかなんか、そう言うことが言いたいんだ」と受け取った人がどこかにいたのですか?。
>お礼を言わせてもらえるなら伝えたかった、それだけなんです・・
キリスト教に導かれる前に貴方が真宗と出会えたことで、貴方からお礼を言われるような方が、2ちゃんねるに出入りしているのですか?。
>あんまり難しいことは分かりません。。 <貴方は非常に難しいことを仰っているようですよ。>
>すみません <貴方が謝られなければならない相手がいるんですか?。>
>もう来ません。
何かお気に障りましたか?。
もう来ないと決めないで、気が向いたら気軽に書き込まれると宜しいんじゃないですか?。
>>66 <64さんのお知り合いの方ですか?。>
>>67 >まあ犬に噛まれたとでも思って。よくあることだよ。気にするな。
<??僕を犬という67は、猿だな。猿知恵で書いたカキコかな>
69 :
名無し仔猫@1周年 ◆DMOUBKE2 :02/06/16 17:30
「アダムの両親」って言い方はどっから?
70 :
名無し仔猫@1周年 ◆DMOUBKE2 :02/06/16 17:34
ああ、書いてあった。創世記の神話の背後には、
メソポタミアの広大な文明的背景があると思われ
るんで、おれはアダムの両親がどうこうとは思わ
ないな。
フレイザーの「旧約聖書のフォークロア」を買っ
て置くんだった・・・。
71 :
名無しさん@1周年:02/06/16 21:16
>>59 バールはキリスト教では悪魔だよな?
太陽神エホバの敵が異教の太陽神とは皮肉。
いや、エホバは雷神か?
インドラやゼウスと同じ荒ぶる雷帝・・。
とすると
雷神対太陽神の構図が?
異教とキリスト教の歴史に?
72 :
名無しさん@1周年:02/06/16 22:21
法華経の方の話が出てこないんでひとこと。
法華経には、観音経が入ってっていますが、観音菩薩っていつ頃から仏教に出てきているんですか。
日本では仏教そのものという感じだけど、釈尊の時代に観音信仰があったとは思えない。
あれは、もともとはヒンズーですか。
そういや幸福の科学の本に観音さまは釈尊ご在世当時はアバロキティーシュバラ
という名前でありました。
とか書いてあったような。ちょっと、つーかだいぶ鬱入りました。
記憶違いだったらすまそ。
観音さまの起源かあ。文殊実在説ってのはあるんだけどなあ。
74 :
渡海 難 ◆0AE5SZ4. :02/06/16 22:40
75 :
名無しさん@1周年:02/06/16 22:52
アヴァローキテーシュヴァラの起源はシヴァ神だったかな?うーん・・・
76 :
名無しさん@1周年:02/06/16 23:16
アヴァローキテーシュヴァラの後半のイーシャ、イーシュヴァラ、
これは自在天ですよね。
77 :
名無しさん@1周年:02/06/16 23:19
では、オウムのシヴァ神は、観音信仰???
バラモン教(ヒンズー教)のシヴァ神の妃が観音みたい・・・
アフォめら、よく聞けや。
>ごくらく、あみだ、ほけきょう、みょうほう、げきょう、きりすとさま、
これらはじつは全部ただの呼吸法だぜ。認識できない外界も極楽も苦労して思い描く
ような馬鹿なことをして何になる?幼稚に過ぎるぜ。
呼吸が狂うから調子がわるくなる。それだけのこと。呼吸を良くする為に知らない
内に宗教ができただけのことだ。そいつを忘れるなよ。
80 :
名無しさん@1周年:02/06/17 10:54
みんな知ってることを、いちいち
「アフォめら、よく聞けや」とかいうな。あふぉ。
大安般守意経でも勉強せいや。
お前のいいたいことがもっと高度なレベルで書いてあるぞ。
81 :
名無しさん@1周年:02/06/17 10:56
>78 観音様は女? 男? 性を超えている?
>81
観音様は「男」です。そもそも、「観世音」または「観自在」と訳された
「アヴァローキテーシュヴァラ」は男性形とのことです。
ただし、「**観音」と呼ばれているものでも、「白衣観音」などは女性。
「アヴァローキテーシュヴァラ」とは別物らしい。
83 :
名無しさん@1周年:02/06/17 19:45
>82
原型は何ですか? やはりシヴァ神、ヴィシュヌ神?
あと、どんな背景で仏教に取り入れられたんでしょう。現世利益でしょうか。
84 :
渡海 難 ◆0AE5SZ4. :02/06/17 19:47
>>79 >これらはじつは全部ただの呼吸法だぜ。 〜 呼吸が狂うから調子がわるくなる。それだけのこと。 〜 そいつを忘れるなよ。
79の頭が悪いのは、呼吸が狂えば調子がわるくなることを忘れてるからなんだな。79は、自分(79)で呼吸法の重要性を知らない幼稚過ぎるアフォなのかな?。
全部ただの呼吸法だったら、仏典読むより、ハウ・ツー物で商売しているカッパブックスを読んだ方が人生の為になりそうだ。
85 :
名無しさん@1周年:02/06/17 20:21
>84
なんだ たまには 面白いこと言うんじゃないか
おれ 浄土教系のスレって あまり見ないんだが
なんだか 無意味に長いレス見ると 読む気なくなるんだ
その調子で がんばってくれ
やれば できるじゃないか パチパチパチ
>83
起源については、明確になってないらしい。
87 :
名無しさん@1周年:02/06/17 21:39
逝って良し
88 :
名無しさん@1周年:02/06/17 21:40
89 :
名無しさん@1周年:02/06/17 21:46
死にやがれ
90 :
名無しさん@1周年:02/06/17 21:47
阿弥陀とキリストなんさを一緒にしやがるな、ヴぉけが。
91 :
名無しさん@1周年:02/06/17 21:47
92 :
名無しさん@1周年:02/06/17 21:51
すべてキリスト教徒
93 :
名無しさん@1周年:02/06/17 22:34
>72
ほけきょう?正しい教えの白蓮?
良家の息子よ、とかなんとか言っているのでみんなひがむのでやめよう!
私はひがんで、こんなもん釈迦の地味な教えを後々に残すために弟子たち
が魅力的に飾って書いたものと結論ずけたYO!でも、少々悪意があって、
「いろいろな仕事に従事し、種々さまざまな意図をもってそれぞれに良心に
よる判断に従って行動する人々に、善根を生じさせようとして〜」だと、徳
を失えー!きっと書いた人貧乏だったんだ。
法華経に出て来る念仏・南無仏・本願・阿弥陀・浄土・名号
<方便品第二> 以深心念仏 修持浄戒故応忍 同 一称南無仏 皆已成仏道
深浄微妙音 喜称南無仏
<譬喩品第三> 以本願故 説三乗法
<化城喩品第七>西方二仏 一名阿弥陀
<法師品第十>加刀杖瓦石 念仏故応忍
<見宝塔品第十一>彼仏本願 我滅度後
<勧持品第十三>并欲自満本願
<安楽行品第十四>但一心念仏 同 若無比丘 一心念仏
<如来寿量品第十六>我浄土不毀 而衆見焼尽
<薬王菩薩本事品第二十三>於此命終 即住安楽世界 阿弥陀仏
<観世音菩薩普門品第二十五>一心称観世音菩薩名号
「南無仏」は三帰依の「南無帰依仏」に該当すると思われ。
「念仏」は、禅定で仏を念ずるのことと思われ、口称〜ではないYO。
「浄土」ももちろん、極楽ではないよ。
まあ不確かなので一応原典当たってみてくれ、誰か。
>>95それはそのとおり。
それが諸仏ではなく阿弥陀仏、諸本願ではなく四十八願さらには第十八願、
諸方ではなく西方、諸浄土ではなく極楽浄土、禅定念仏?ではなく口称念仏、
と変化して行った訳だが浄土思想がまるっきりインドから離れた外来思想(
仮に本来はそうだとしても)ではなく、この法華経という大乗経に載っている
通りの当時のインドでも普遍性がある思潮を基盤としていたであろうと言いたいだけだ。
97 :
名無しさん@1周年:02/06/17 23:06
ただ、観世音菩薩普門品第二十五の原典には
>>6 のように西方浄土の阿弥陀仏が出てくるようです。
98 :
寿能町の隣は盆栽町:02/06/18 14:26
末法の現在、念仏を信仰しても成仏はできません。
念仏で成仏できるのは、釈尊(釈迦)滅後千年までに、
日本、中国、インドの3国に生まれた人のみです。
末法の現在では、御本尊様を信じて御題目を唱える以外、
成仏の法はありません。
末法では、三大秘法の法華経こそが、唯一の成仏の法です
99 :
名無しさん@1周年:02/06/18 14:27
100 :
名無しさん@1周年:02/06/18 14:30
100番ゲーット!
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ (´´
∧∧ ) (´⌒(´
⊂(゚Д゚⊂⌒`つ≡≡≡(´⌒;;;≡≡≡
 ̄ ̄ (´⌒(´⌒;;
ズザーーーーーッ
101 :
名無しさん@1周年:02/06/18 16:35
>>96 それはむしろ、法華経は、法然親鸞流の浄土教をも包容しているってことかな。
102 :
名無しさん@1周年:02/06/18 19:31
>98 :寿能町の隣は盆栽町
あなたのいう成仏とは、何ですか?
103 :
名無しさん@1周年:02/06/18 19:42
>98
あのさあ、日蓮宗、日蓮正宗、創価学会のそこがいけないわけ。そこまで言うん
だったらさぁ(他宗に不安を売っているYO)、法華経のどこにそれが書いてある
とか、きちんとみんながわかるように説明してくんない?
104 :
名無しさん@1周年:02/06/18 20:30
>>98 御題目じゃなくて、法華経をちゃんと読経すればあ(w
お経に南無するなんて頭おかしいんじゃないの?
105 :
名無しさん@1周年:02/06/18 21:33
>98
きちんと説明して下さい、その根拠を。説明しないならば法華経が2chで相手にされなく
なるばかりか抹殺されますよ。(2chってあほがいっぱい、こんなところで抹殺されても
いいよ〜なんて思わないで下さい)
それに、念仏は完全に非難されていますよ。念仏の皆さんがんばって反論しましょう。
106 :
名無しさん@一周年:02/06/18 21:36
>>98は、まともな日蓮系の人じゃなく、おそらく検証会だから相手にしないように
あちこちのスレ荒らしてます。
107 :
名無しさん@1周年:02/06/18 22:06
>>105 相手がまともな人なら反論するけど、まともな人じゃなさそっぽいもん。
げきょうもだぶつも呼吸法、
何度もいっとろうが。
日蓮はげきょう派、法然はだぶつ派ってだけ。
あとはそれに思いこみをオモイッキシこねくり回して宗教にした。
ただそれだけだよーーーーんんんん、ってこれ
「ん」ってHの小文字ねってって
109 :
名無しさん@1周年:02/06/18 22:27
仕方がない、こーゆー時こそ渡海さんに何か言ってもらおう!念仏の人ってあとは
頼りないからなぁ。渡海さん、念仏はダメって言ってますよ。98に何か言ってや
って下さい。(>108 仕方がない 人にものごとを頼む時仕方がないとは非常識
な)とか(>108 念仏はダメならまずあなたが答えるべきだ)とか変なこと言っ
て逃げないで下さい。
110 :
名無しさん@1周年:02/06/18 22:36
>109
108は109に訂正
なんだよ、人が一生懸命になっているのに
本当のこと言うなよ<108 日蓮も法然も、ちゃんとした教義がないから
説明もできないし、あんたの宗教ダメだと言われても、反論できな
いよ、たぶんネ!
渡海は浄土真宗や親鸞聖人をかたります。
この「かたる」は「騙る」です。
彼の言うことは仏教でも浄土真宗でもありません。
座禅念仏渡海教です。
オウムが仏教だと名乗っていたのと同じです。
一目瞭然のことですが彼はただの一キチガイです。
以上をご理解の上議論をしてください。
※渡海を支持するDQN、煽り、荒しなども存在します。
何が正しいかわからなくなったらまず自身で調べてみましょう。
渡海の嘘と妄想が見えてきます。
http://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1019565021/
112 :
名無しさん@一周年:02/06/18 23:20
113 :
NB ◆Zut9KezY :02/06/18 23:26
>>96 >それが諸仏ではなく阿弥陀仏、諸本願ではなく四十八願さらには第十八願、
>諸方ではなく西方、諸浄土ではなく極楽浄土、禅定念仏?ではなく口称念仏、
>と変化して行った訳だが
仏教学的には法華経よりも阿弥陀系経典の方が成立が古いね。
ちなみに、成立の早い『大阿弥陀経』にすでに
称名念仏の考え方が出ているよ。
114 :
渡海 難 ◆0AE5SZ4. :02/06/18 23:27
>>109,
>>112 −苦笑− こういう時の僕って何なの?。
ま、いいや。109さん。112さん。98さんは立派な方だよ。98さんは立派な人だ。98さんは仏様になるそうだ。大したもんじゃないですか?。御題目を唱えて仏様になる。大したもんだ。並じゃない。普通じゃないよ。
98さんや。あんたは立派な人だね。成仏の法、御題目をお唱えなさっているんだね。大したもんだ。あんたは仏様になるんだね。
ところで、あんたはいつごろ仏さんにおなり遊ばすんじゃ。8月か?。9月か?。善は急げ。いいことは早い方がいい。大したもんだ。あんたは、お釈迦様に次いで人類で二人目のお方になるんじゃな。
これまで多くの仏弟子達が挑戦し、みんな失敗してきおった。伝教大師も、天台智ぎも、みんな失敗したんじゃ。誰も仏様にはなれなかった。お釈迦様以外、今まで一人も仏様になれなかった。それが、21世紀なると、事態は一変したんじゃな。
あんたはお偉いお方じゃ。御題目を唱えて仏様になる。あんたは人類で二人目の仏様になる。大したもんだ。ところで、いつごろあんたは仏様におなりあそばすんじゃろうのぅ?。
115 :
渡海 難 ◆0AE5SZ4. :02/06/18 23:27
僕もいい時代に生まれたもんだ。僕もいよいよ仏様にお会いできそうだ。希望が持てる。98さんや。あんたが仏様におなり遊ばす予定日が決まったら、2ちゃんねるに教えてくれるといいな。間髪おかずにマスコミは世界中に打電するだろう。
国連などは蜂の巣をつついたような大騒ぎになるかも知れんな。いよいよ人類は二人目の仏様を戴く時代に入ったと。
待ち遠しいのぅ。どんな仏様になるのかのぅ。どんな鼻持ちならん仏様になるのかのぅ。自慢たらたら、他人を蔑むばかりのイヤミ一色、ただ臭いだけの仏様になるのかのぅ。立派な話じゃなぁ。
臭いばかりの鼻持ちならん仏様。イヤミ一色の仏様が生まれれば、あんたは臭いばかりの鼻持ちならん方々の、希望の星になるんじゃろう。
あんなアホでも、バカタレでも仏様になったわぃ。21世紀はすごいのぅ。御題目はすごいのぅ。あんなバカタレでも仏様にしてくださる。大したもんじゃ。大したもんじゃ、と。世界中がお祝いしてくださるじゃろう。
98さんや。あんたが仏様になる日が待ち遠しいのぅ。いつおなりあそばすんじゃ?。
それともあんたは、題目を唱えても仏様になれないとでも仰るのかな?。
116 :
名無しさん@1周年:02/06/18 23:51
渡海さんは賢い。我々が何を98に対し反論しようか考えているうちに、もうこれだもんなぁ。
仏教を語れるってことは信念があるからさ。でも、98や創価などは、他人は非難するけど、説明
して下さいとせっかくのチャンス?を与えたのにもかかわらず、説明しない。私の宗教のみが正しい
とする人は、ここぞとばかりに、どんな人に対しても説明したいと思うハズだけどなぁ、違うかなぁ。
創価などはただ、盲信しているだけじゃん、そう思えてくる。そういう創価は他宗を非難せず、小さく
なれ!創価の人、人数多いんだろ?ひとりでいいから説明できる人説明してよぉ〜 創価も98と同じ
ようなこと言っているよ。
117 :
名無しさん@1周年:02/06/18 23:54
創価は始末に負えないただの「創価馬鹿」です。
ただ日蓮と同じ自家中毒患者なので、誰も相手にしていません。
法華経も同じです。
以上
118 :
☆一闡提☆:02/06/18 23:58
法華経と阿弥陀信仰は当然矛盾しない。
が、法華一乗と弥陀一仏とは当然両立し得ないだろう。
南無妙法蓮華経という言葉が法華経二十八品の中には一切出てこないことは
有名である。
仏の名前を呼ぶ、称名は南無釈迦牟尼仏、南無観世音菩薩と言う形で法華経の中に出てくる。
称名念仏の影響を受けて、唱題(南無妙法蓮華経)が成立したのであろうとも
よく言われることである。
観無量寿経に
為讃大乗十二部経 首題名字 以聞如是諸経名故 除却千劫極重悪業→唱題
智者復教 合掌叉手 称南無阿弥陀仏 除五十億劫 生死之罪→称名
と両者を奨める箇所がある。
もし念仏するひとは、まさに知るべし、この人はこれ人中の分陀利華なり@観経
釈迦一切の凡夫を指勧して、この一身を尽して専念専修して、
捨命以後、さだめてかの国に生るれば、すなはち十方諸仏
ことごとくみな同じく讃め、同じく勧め、同じく証したまふ。
なにをもつてのゆゑに、同体の大悲なるがゆゑに。一仏の所化は、
すなはちこれ一切仏の化なり。
一切仏の化は、すなはちこれ一仏の所化なり。@(善導)観経疏
如来興世の正説、奇特最勝の妙典、一乗(一乗でてるよ:NB註)究竟の極説、
速疾円融の金言、十方称讃の誠言、時機純熟の真教なりと@教行信証
121 :
☆一闡提☆:02/06/19 01:59
今末法に入りぬれば、余経も法華経も詮なし、但南無妙法蓮華経なるべし」(上野殿御返事)
^^; もはや法華一乗を通り越して題目一乗ですな。
122 :
NB ◆Zut9KezY :02/06/19 07:10
もう忘れちゃったけど、日蓮上人の御消息って、相手によって内容が食い違ってた
ような記憶があるなあ。
そのへんは教義的にどうなんだろ。思想の「深化」とかそういうやつ?
123 :
名無しさん@1周年:02/06/19 10:50
日蓮宗系は置いといてですね、法華経からすると、日本の阿弥陀仏系統も方便として認められるんじゃないかなあと、思うんですが。
もちろん念仏の方からはまた別の立場でしょうが。
>>118 奨めているわけではないでしょう。
記述はありますが。
125 :
名無しさん@1周年:02/06/19 11:52
これは、歴史的な釈尊と、久遠実成仏と、法身仏と、阿弥陀如来が、
それぞれどーゆー関係になっているか、ということですかね。
このスレは「渡海難VS98」の基地害ガチンコ対決スレに変更します。
以後、渡海難と98以外の書き込みはご遠慮ください。
98はもう来ないと思うけど。
128 :
NB ◆Zut9KezY :02/06/19 16:43
弥陀成仏のこのかたは
いまに十劫とときたれど
塵点久遠劫よりも
ひさしき仏とみえたまふ
久遠実成阿弥陀仏
五濁の凡愚をあはれみて
釈迦牟尼仏としめしてぞ
迦耶城には応現する
@親鸞聖人『浄土和讃』
129 :
名無しさん@1周年:02/06/19 17:35
1)
>塵点久遠劫よりも
>ひさしき仏とみえたまふ
2)
>久遠実成阿弥陀仏
というと、こういった部分は、ほとんど法華経の寿量品と同じですね。
そこで思ったのですが、なぜ親鸞さんは、法華経に依らず、浄土経典に依ったので
すか?
130 :
名無しさん@1周年:02/06/19 17:52
>>128 法華経が日本的に展開されたその一つが真宗。
ということでOKかな?
>>129 法華経には、弥陀の本願が説かれていないから。
じゃないかな。
131 :
NB ◆Zut9KezY :02/06/19 18:14
>>119が一つの例になるかもしれませんね。
天台の僧であった親鸞聖人は法然聖人の元へと山を下る決意をされるまで、
百日間六角堂に参篭し、それからまた百日間法然聖人の元へ通いつめられました。
ものすごく慎重に、というか、真摯に悩まれたんですね。
選択本願念仏が本当に「一乗」であるのか。どのようにして「一乗」と言えるのか。
そのへんにこだわられたんだと思いますよ。
というわけで、『選択集』から一部抜粋。
問ひていはく、それ宗の名を立つることは、本、華厳・天台等の八宗・九宗に
あり。いまだ浄土の家においてその宗の名を立つることを聞かず。
しかるをいま浄土宗と号する、なんの証拠かあるや。
答へていはく、浄土宗の名、その証一にあらず。元暁の『遊心安楽道』にいはく、
「浄土宗の意、本凡夫のためなり、兼ねては聖人のためなり」と。また慈恩(窺基)
の『西方要決』にいはく、「この一宗による」と。また迦才の『浄土論』にいはく、
「この一宗ひそかに要路たり」と。その証かくのごとし。疑端に足らず。
いろんな疑問をすべてぶつけた上で、浄土経典を所依とする法然聖人の「浄土門」に
依られたんでしょうね。
132 :
NB ◆Zut9KezY :02/06/19 18:22
>>130 問ひていはく、聖道家の諸宗おのおの師資相承あり。いはく天台宗のごときは、
慧文・南岳(慧思)・天台(智ギ)・章安・智威・慧威・玄朗・湛然、次第相承せり。
真言宗のごときは、大日如来・金剛薩タ・龍樹・龍智・金智・不空、次第相承せり。
自余の諸宗またおのおの相承の血脈あり。しかるにいまいふところの浄土宗に
師資相承の血脈の譜ありや。
答へていはく、聖道家の血脈のごとく浄土宗にまた血脈あり。ただし浄土一宗に
おいて諸家また不同なり。いはゆる廬山の慧遠法師、慈愍三蔵、道綽・善導等これなり。
いましばらく道綽・善導の一家によりて、師資相承の血脈を論ぜば、これにまた両説あり。
一には菩提流支三蔵・慧寵法師・道場法師・曇鸞法師・大海禅師・法上法師。
[以上、『安楽集』に出でたり。]二には菩提流支三蔵・曇鸞法師・道綽禅師・善導禅師
・懐感法師・小康法師。[以上、唐・宋両伝に出でたり。]
@選択集
>132じゃわかりにくいですね。
>法華経が日本的に展開されたその一つが真宗。
>ということでOKかな?
すごく乱暴に言い放っちゃえば、そう言えるかもしれませんね。どうでしょ。
134 :
☆一闡提☆:02/06/19 18:43
如来寿量品=アニメの「アルプスの少女ハイジ」の最終回
クララ「私歩けない(泣)」
医者「足は治っているんだが、歩けないと思い込んでいて気力が…」
ハイジ「クララの馬鹿!」泣きながら走り去る。
クララ「あっ、待って!」思わず立ち上がる。
…私、歩ける、歩けるのよ」
ハイジ、クララの元に駆け寄り二人は抱合う。
クララ=衆生
ハイジ&医者=釈迦
135 :
名無しさん@1周年:02/06/19 18:49
>>132-133 ありがと。わかりにくいけど。
ただなんというか、法華経自体が大乗仏教の総まとめみたいな面があって、それで真宗と通じるところが出てくると。
ああ、言ってることおかしくないかな。
136 :
NB ◆Zut9KezY :02/06/19 19:18
137 :
名無しさん@1周年:02/06/19 20:06
>>131 浄土教も「一乗」ということをいうのですか?
皆様ありがとうございます。
139 :
NB ◆Zut9KezY :02/06/19 22:31
>>137 めちゃくちゃ言いますよ(w
「一乗」は大乗なり。大乗は仏乗なり。一乗を得るは阿耨多羅三藐三菩提を得るなり。
阿耨菩提はすなはちこれ涅槃界なり。涅槃界はすなはちこれ究竟法身なり。究竟法身
を得るはすなはち一乗を究竟するなり。異の如来ましまさず。異の法身ましまさず。
如来はすなはち法身なり。一乗を究竟するはすなはちこれ無辺不断なり。大乗は二乗
・三乗あることなし。二乗・三乗は一乗に入らしめんとなり。一乗はすなはち第一義乗
なり。ただこれ誓願一仏乗なり。
『涅槃経』(聖行品)にのたまはく、「善男子、実諦は名づけて大乗といふ。大乗に
あらざるは実諦と名づけず。善男子、実諦はこれ仏の所説なり。魔の所説にあらず。
もしこれ魔説は仏説にあらざれば、実諦と名づけず。善男子、実諦は一道清浄にして
二つあることなし」と。{以上}
またのたまはく、(徳王品)「いかんが菩薩、一実に信順する。菩薩は一切衆生をして
みな一道に帰せしむと了知するなり。
一道はいはく大乗なり。諸仏・菩薩、衆生のためのゆゑに、これを分ちて三つとす。
このゆゑに菩薩、不逆に信順す」と。{以上}
またのたまはく(涅槃経・師子吼品)、「善男子、畢竟に二種あり。一つには荘厳畢竟、
二つには究竟畢竟なり。一つには世間畢竟、二つには出世畢竟なり。荘厳畢竟は六波羅蜜
なり。究竟畢竟は一切衆生得るところの一乗なり。
一乗は名づけて仏性とす。この義をもつてのゆゑに、われ一切衆生悉有仏性と説くなり。
一切衆生ことごとく一乗あり。無明覆へるをもつてのゆゑに、見ることを得ることあた
はず」と。{以上}またのたまはく(同)、「いかんが一とする、一切衆生ことごとく
一乗なるがゆゑに。いかんが非一なる、三乗を説くがゆゑに。いかんが非一・非非一なる、
無数の法なるがゆゑなり」と。{以上}
乃至
本願を憶念して自力の心を離る、これを横超他力と名づくるなり。これ
すなはち専のなかの専、頓のなかの頓、真のなかの真、乗のなかの一乗
なり。これすなはち真宗なり。すでに真実行のなかに顕しをはんぬ。
@教行信証 (長文すまそ)
140 :
名無しさん@1周年:02/06/19 22:36
>>134 この話を聞くとどうしても
「立った立ったクララが立った。」
「駄スレも立った(びょん)」
のAAを連想してしまう(w
>>139 ありがとうございました。
親鸞さんが一乗思想を背景としていた、なんて知らなかったものですから。
それらに触れることは知っているつもりでしたが。
阿弥陀一尊ということもついこの間まで知らなかった。
142 :
NB ◆Zut9KezY :02/06/20 11:09
いえいえこちらこそです。ありがとうございます。
もし念仏するひとは、まさに知るべし、この人はこれ人中の分陀利華なり@観経
ですからね。
分陀利華は白蓮華。プンダリーカ。『妙法蓮華経』の「蓮華」と同じ訳語ですね。
まあ、ご承知のこととは思いますけど、一応、念のため。
143 :
名無しさん@1周年:02/06/20 11:30
>142 :NB ◆Zut9KezY
もし念仏するひとは、まさに知るべし、この人はこれ人中の分陀利華なり@観経
この場合の念仏とは、口でとなえんですか、それとも、観想?
144 :
NB ◆Zut9KezY :02/06/20 12:49
もし善男子・善女人、ただ仏名・二菩薩名を聞くだに、無量劫の生死の罪を除く。
いかにいはんや憶念せんをや。
もし念仏するものは、まさに知るべし、この人はこれ人中の分陀利華なり。
観世音菩薩・大勢至菩薩、その勝友となる。まさに道場に坐し諸仏の家に生ずべし」と。
仏、阿難に告げたまはく、「なんぢ、よくこの語を持て。この語を持てといふは、
すなはちこれ無量寿仏の名を持てとなり」と。@前後追加
と、この場合観想念仏とかそういう難しいことを示されてるんじゃないですね。
称名念仏でしょうね。
ちなみに、
若念仏者」より下「生諸仏家」に至るこのかたは、まさしく念仏三昧の功能超絶して、
実に雑善をもつて比類となすことを得るにあらざることを顕す。
すなはちその五あり。
一にはもつぱら弥陀仏の名を念ずることを明かす。
二には能念の人を指讃することを明かす。
三にはもしよく相続して念仏するものは、この人はなはだ希有なりとなす、
さらに物としてもつてこれに方ぶべきなし。ゆゑに分陀利を引きて喩へとなすことを明かす。
「分陀利」といふは、人中の好華と名づけ、また希有華と名づけ、また人中の上上華と名づけ、
また人中の妙好華と名づく。この華相伝して蔡華と名づくるこれなり。
もし念仏するものは、すなはちこれ人中の好人なり、人中の妙好人なり、人中の上上人なり、
人中の希有人なり、人中の最勝人なり。
四にはもつぱら弥陀の名を念ずるものは、すなはち観音・勢至つねに随ひて影護したまふこと、
また親友知識のごとくなることを明かす。
五には今生にすでにこの益を蒙りて、捨命してすなはち諸仏の家に入ることを明かす。
すなはち浄土これなり。かしこに到りて、長時に法を聞き、歴事供養して、因円かに果満ず。
道場の座、あにはるかならんや。
六に「仏告阿難汝好持是語」より以下は、まさしく弥陀の名号を付属して、遐代に
流通せしめたまふことを明かす。上来定散両門の益を説くといへども、仏の
本願に望むるに、意、衆生をして一向にもつぱら弥陀仏の名を称せしむるにあ
り。
@観経疏
145 :
名無しさん@1周年:02/06/20 19:59
一乗思想について質問。
法華経なら法華経で、真言なら真言で、坐禅なら坐禅で、念仏なら念仏で、それぞれ成仏する。
というのが一乗思想だと思うのだけれどもどうでしょうか?
146 :
名無しさん@1周年:02/06/20 21:36
法華経なら法華経で、真言なら真言で、坐禅なら坐禅で、念仏なら念仏で、それぞれで迷いを生む。
というのが私の見解になりましたがどうでしょうか?
147 :
名無しさん@一周年:02/06/20 21:51
層化や検証は、法華経では救われない、トップ(逝け堕OR麻萎)に帰依して活動
プラス唱題のみ。知らん会では、念仏では救われない、トップ(多可漏り)に帰依
して活動プラス聴聞のみ。唖五ン臭では、真言では救われない。トップ(切り疾浣腸)
に帰依して活動プラス解脱供養あるのみ。それぞれが産んだカルトは、結局仏教利用
して金儲け?
148 :
名無しさん@1周年:02/06/21 21:22
>>145は真面目な質問だったのに
>>146に茶化されてしまいました。
一部の人には不愉快な内容だったのかな。
149 :
名無しさん@1周年:02/06/21 21:30
釈迦は念仏を唱えれば、救われるなんていったのか?
150 :
渡海 難 ◆0AE5SZ4. :02/06/21 22:51
>>148 145も大事な問題を提起しているが、146も本質を突いていると思うぞ。
>>149 釈迦は念仏を称え、念仏を称えることで釈迦は釈迦そのものだったんだろう。
<ボクハ、イマ、イソガシイ。>
151 :
名無しさん@一周年:02/06/21 22:53
152 :
名無しさん@1周年:02/06/22 16:41
>150
釈迦は念仏を唱えれば、救われるなんていったのか?ここが渡海さんの一番弱いところ?
なんかそう考えてしまい、うまく説明できないので逃げちゃったって感じで笑ったYO
結構面白い人。
カタシ カタシよ、逃げちゃダメだ! 逃げちゃダメだ!
154 :
渡海 難 ◆0AE5SZ4. :02/06/23 10:38
>>152-153 釈迦と念仏との関係は難しいことじゃない。念仏の原点を捜して行けば、釈迦の念仏が見えてくる。
大無量寿経はいう。「今日、天尊、如来の徳を行じたまえり。去・来・現の仏、仏と仏と相念じたまえり。今の仏も諸仏を念じたまうことなきことを得んや」。
法華経は言う。「その時、一の菩薩の比丘あり。常不軽と名づく。 〜 この比丘は、凡そ見る所有らば、若いは比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷を皆悉く礼拝し讃歎して、この言を作せばなり。
我深く汝等を敬う。敢えて軽め慢らず。所以は何ん。汝等は皆菩薩の道を行じて、当に仏となることを得べければなりと。しかもこの比丘は専ら経典を読誦するにはあらずして、但、礼拝を行ずるのみなり。
乃至、遠くに四衆を見ても亦復、故らに往きて礼拝し讃歎して、この言を作せり。 〜 得大勢よ、意において云何ん。その時の常不軽菩薩は豈、異人ならんや。則ち、わが身これなり」。
大無量寿経と法華経は扱っているテーマが違い、議論の方向が若干違います。しかしその精神は決して別ではないと僕は思っています。
過去の意欲的な開拓者達、現代の優れたリーダー達、未来の賢人を目指す努力家達、釈尊先生という方は、こういう人々を絶えず尊敬の念をもって心に念じていた方なんでしょう。
こういう姿勢は釈迦に限らず、世界のあらゆる哲人達の過去・現在・未来を通じる共通の姿勢ではないでしょうか。もしそういう姿勢がなければ、僕は祇園精舎の建設などは成功しなかったと思っています。
155 :
渡海 難 ◆0AE5SZ4. :02/06/23 10:39
大無量寿経の引用箇所は、尊者阿難が驚嘆の言葉と共に釈尊先生を仰いだときの発言です。先生は尊者阿難の言葉に驚き、「誰かに入れ知恵されたのか(諸天の汝を教えて仏に来し問わしむるや)」と聞きます。
そうでないと分かると先生は非常に喜びます(善きかなや。阿難。問いたてまつるところ、甚だ快し)。阿難尊者という方は、釈尊先生在世中は有学の徒と言われ、釈尊先生入滅後に迦葉尊者の下でお悟りを開かれ、その後釈迦教団の最高リーダーとなった方です。
生前の釈尊先生が阿難尊者に分かって欲しかったのは、まさに釈尊先生のこの姿勢だったのでしょう。大乗仏教が釈迦から継承した釈迦精神の中核(衆生を愍念)は、仏と仏とが相念するという釈迦のこの姿勢だったと僕は思っています。
この考えは法華経にも当然通じ、大乗仏教全体の精神になっていると考えています。
浄土教は、四方に無数の仏達を観念し、その仏達一人一人をイメージし、その名を称えるという修練法を、大乗仏教という教育学を専攻する学生達に最初(初地)に学ばせてきました。龍樹の十住毘婆沙論 易行品です。
善導流の浄土教は、阿弥陀一仏だけを念じます。これは龍樹流の浄土教の簡単化法だろうと思っています。修練なら、無数の仏達を念じるまでもなく、一人の仏様だけで十分じゃないか。おそらくそういう考えで、阿弥陀一仏に限定するという考えが出てきたものと思います。
念仏というのは、釈迦の精神の中核を継承したものだろうと僕は思っています。
<サイキンイソガシイノデ、アマリヨバナイデネ。オネガイ>
156 :
渡海 難 ◆0AE5SZ4. :02/06/23 10:57
読みにくいので仮名をふります。
法華経は言う。「その時、一の菩薩の比丘あり。常不軽(じょうふきょう)と名づく。 〜 この比丘は、凡(およ)そ見る所有(あ)らば、若(ある)いは比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷を皆悉く礼拝し讃歎して、この言を作(な)せばなり。
我深く汝等を敬う。敢えて軽(かろし)め慢(あなど)らず。所以(ゆえ)は何(いか)ん。汝等は皆菩薩の道を行じて、当に仏となることを得べければなりと。しかもこの比丘は専(もっぱら)ら経典を読誦(どくじゅ)するにはあらずして、但、礼拝を行ずるのみなり。
乃至、遠くに四衆を見ても亦復(また)、故(ことさ)らに往きて礼拝し讃歎して、この言を作せり。 〜 得大勢よ、意(こころ)において云何(いか)ん。その時の常不軽菩薩は豈(あに)、異人ならんや。則ち、わが身これなり」。
常不軽品 岩波文庫 法華経(下)
157 :
名無しさん@1周年:02/06/23 12:46
なんだ、そうだったのか。すっかり逃げたとおもったよ。
でも、逃げたってことも疑わしいけど、そうだったら事実をすりかえるのがうまいネ!
冗談は抜きにして、ホント忙しそう。ホントに忙しかったら出てこれないだろう。
ヨバナイデネ オネガイというくらい忙しいんだから半年ぐらいはでてこないんだろうなぁ。
もし、でてきたらなにも知らない人をごまかすために154 155は書かれたということに
なるし・・・・・逃げたってことを覆い隠すためにネ!半年でてこなかったら信じよう。
158 :
名無しさん@1周年:02/06/23 21:02
>154 :渡海 難
釈迦と念仏との関係を証明するのに、
なんではるか後に編纂された法華経や大無量寿経で「証明」することができるのよ。
もっと古い経典で証拠を見つけ出さなければ、
「釈迦と念仏との関係は難しいことじゃない。念仏の原点を捜して行けば、釈迦の念仏が見えてくる」
といったところで、まったくナンセンスでしょ。
追加
>大無量寿経と法華経は扱っているテーマが違い、議論の方向が若干違います。しかしその精神は決して別ではないと僕は思っています。
過去の意欲的な開拓者達、現代の優れたリーダー達、未来の賢人を目指す努力家達、釈尊先生という方は、
こういう人々を絶えず尊敬の念をもって心に念じていた方なんでしょう。
こういう姿勢は釈迦に限らず、世界のあらゆる哲人達の過去・現在・未来を通じる共通の姿勢ではないでしょうか。
もしそういう姿勢がなければ、僕は祇園精舎の建設などは成功しなかったと思っています。
こんなだたくは、「釈迦と念仏との関係」を明確にするのにまったく必要ないことでしょう。
訂正/だたく→ごたく
「こういう人々を絶えず尊敬の念をもって心に念じていた」のが念仏?????!
161 :
名無しさん@1周年:02/06/23 21:12
そうだよ、念仏を唱えるなら、「すべては水の泡か陽炎のごとく、虚妄
である。一切のこだわりに嫌悪を抱け」そんな感じのことを念じたほうが
いいよ。
162 :
名無しさん@1周年:02/06/23 23:00
>161
これは誰のどのスレに対する、誰のコメント?
163 :
渡海 難 ◆0AE5SZ4. :02/06/25 09:49
>>158 >なんではるか後に編纂された法華経や大無量寿経で「証明」することができるのよ
<釈迦思想の後継者が書き残したものだからです。>
>まったくナンセンスでしょ。
<釈迦は一冊の経典も残していない。古い経典もその後の経典も、所詮は五十歩百歩だ。>
164 :
渡海 難 ◆0AE5SZ4. :02/06/25 09:51
>こんなごたくは、「釈迦と念仏との関係」を明確にするのにまったく必要ない。
有名人無名人を問わず、世の中に賢人・哲人と言われる人はたくさんいる。ある人は社会のリーダーとして働き、ある人は社会の縁の下の力持ちになっている。
体が動かなくなっても、生きていてくれるというそのことだけで、社会を明るくしている人もいる。そういう哲人、賢人の一人として僕は釈迦を尊敬し、釈迦という人に僕は哲人、賢人の本質的あり方を学ぼうとするんだ。
世の中の賢人・哲人達はどんな精神を持っているのか。僕はその具体的なありかたを大無量寿経から教わった。過去・現在・未来の仏達と念じ合うという精神がそれだ。
ところが実は、無数の仏達と念じ合うという精神を学んだ人は僕だけじゃないようだ。もう一人いた。誰か。それは大無量寿経の著者だ。では、大無量寿経の著者は誰から教わったのか。実はこれが問題だ。大無量寿経の著者には、誰が教えたのか。
「過去・現在・未来の仏達と念じ合うというのは世の中の賢人・哲人達の共通的な精神だとしても、釈迦に限ってそんなことはなかった。釈迦はそんな人ではなかった。なぜなら、過去・現在・未来の仏達と念じ合っていたという証拠は、釈迦に何一つないんだから」。
貴方がもしそういうなら、それは貴方の自由だろう。過去・現在・未来の仏達と念じ合っていたという証拠はない。証拠がない以上、釈迦に限ってはそんなことはなかったと言っても間違いじゃない。
でもね、もしそうなら、僕にとって釈迦は全く関心の外に立つんだ。ただ、釈迦の後継者を名乗る人が、過去・現在・未来の仏達と念じ合うということを学んだと言って本を残してくれている。
源泉を探ればそれはお釈迦様から教わったと著者は言っている。それなら、僕はその後継者の言葉を勝手に信じようと思う。後継者の言葉を信じよう。僕はそう決めたんだ。
僕は自分で勝手に決めたんだから、これはそれでいいんだ。釈迦という奴は、実は鼻持ちならん臭いばかりの男だったんかも知れない。
臭い奴ではなかたっという証拠も存在しない。そんなことは誰も証明なんかできない。
でも、後継者を名乗る人が、過去・現在・未来の仏達と念じ合うということを釈迦を源泉にして学んだと言ってくれている。それなら、僕はその後継者達が画いている釈迦像を分けて貰ってるんだ。
165 :
渡海 難 ◆0AE5SZ4. :02/06/25 10:06
>>160 >「こういう人々を絶えず尊敬の念をもって心に念じていた」のが念仏?????!
そうさ。ぼくはそう思っている。これが釈迦の念仏であり、世界の賢人哲人の共通の精神だと僕は思っている。
僕らの念仏の原点は、賢人哲人の精神を知らない僕らが、彼らの共通の精神を釈迦を通じて学ぼうとする心であり、学ぼうとする行為を本質とすると思っている。
基地外の巣窟スレだな
167 :
名無しさん@1周年:02/06/25 10:52
「過去・現在・未来の仏達と念じ合っていた}
ということを別に否定しはしないよ。
渡海氏の話が、いつのまにか「狭義の念仏/南無阿弥陀仏をとなえること」から、
広い意味での「念仏の精神/仏を念じ観想し帰依すること」にすりかえられているところが面白いと思うだけだよ。
過去の諸仏や菩薩に帰依するのは預流として当たり前で、わざわざ「念仏」といいかえる必要はない。
釈迦と念仏の関係を明らかにせよという問いは、「釈迦は南無阿弥陀仏」をとなえていたことはなかろう、
という狭義の念仏の意味でいっているのであって、浄土真宗の釈迦仏教との関係の検証の問題になってくる。
それを、中学生でもわかる論法で、渡海氏はすりかえるわけね。
もちろんこれは論法をいっているのであって、別に信仰者の主観としては否定しないよ。
要するに、そういう精神論でしか、「南無阿弥陀仏」は釈迦その人とはつらがらないということね。
168 :
名無しさん@1周年:02/06/25 10:58
167=158
>渡海 難
>>149 釈迦は念仏を称え、念仏を称えることで釈迦は釈迦そのものだったんだろう。
↓
渡海仏教では、あくまでこういう解釈ですか? もちろん「ナマ・アミターバヤ」(違うかな?w)
か当時のパーリ語とかマガダ語でいいわけだけど。
↓
釈迦は南無阿弥陀仏を称え、南無阿弥陀仏を称えることで釈迦は釈迦そのものだったんだろう。
┌─┐
|も.|
|う |
│来│
│ね│
│え .|
│よ .|
バカ ゴルァ │ !!.│
└─┤ プンプン
ヽ(`Д´)ノ ヽ(`Д´)ノ (`Д´)ノ ( `Д)
| ̄ ̄ ̄|─| ̄ ̄ ̄|─| ̄ ̄ ̄|─□( ヽ┐U
〜 〜  ̄◎ ̄ . ̄◎ ̄  ̄◎ ̄ ◎−>┘◎
オシリペンペン! ☆
/
(`Д´)_ ←トカイナン
( )) 彡 −☆
く く
172 :
渡海 難 ◆0AE5SZ4. :02/06/26 17:53
>>167 >過去の諸仏や菩薩に帰依するのは預流として当たり前で
当たり前なのか?。はて?。どうして当たりまえなの?。帰依という概念はいつごろかあるんだろうね?。お釈迦様が帰依した諸仏や菩薩とはどこの諸仏・菩薩なの?。相手は六師外道か?。
お釈迦様は帰依を受けられたけど、お釈迦様には、お釈迦様自身が帰依した相手がいたというのは、初耳だ。
>すりかえられているところが面白いと思うだけだよ。
すり替えたように思いますか。ちなみに僕は、観想帰依と仏仏相念がイコールとも思わない。むしろ南無阿弥陀仏の源流にある概念だろうと思っている。源流と言えば、観想の源流でもあるという主張は否定しない。まさに仏仏相念は観想の源流でもあるんだろう。
>「念仏」といいかえる必要はない。 <?>
173 :
渡海 難 ◆0AE5SZ4. :02/06/26 17:56
>「釈迦は南無阿弥陀仏」をとなえていたことはなかろう、という狭義の念仏の意味でいっている
お釈迦様は、阿弥陀仏と称えなさいと、祇園精舎の生徒達には言っていたと思う。生徒達はそれに対し、南無阿弥陀仏と称えていただろう。
2CHでもたびたび書いてきたけど、阿弥陀とは先生という意味だ。仏も先生という意味だ。阿弥陀仏は全体で「先生」という意味を持っている。僕はそう考えている。
祇園精舎に入学してくる生徒に、釈尊先生は自分を「先生」と呼びなさいと言ったはずだ。今でも小学校に入学すると、担任の先生は一年生に自分が先生と呼ばれる立場の人間であると紹介し、自分を先生と呼ぶことを要求する。
先生というのは、自分を先生と呼ぶ人にものごとを教えようと心に決めている。
「アホ・バカタレ・キチガイ」と呼びかけてくる相手にものごとを教えようと決めてるわけじゃない。釈尊先生だって自分を先生と呼ぶ人にものごとを教えようと心に決めていたはずだ。自分を「先生」と呼びなさいと教えただろう。
南無阿弥陀仏の南無は感嘆詞だ。「ああ」とか「おお」とかいう言葉と同じだろう。釈尊先生の心の分かった人は、感嘆詞を伴って釈尊先生を「ああ先生」と呼んだろう。釈尊先生をああ先生「南無阿弥陀仏」とよぶ中で、生徒と先生は心と気持ちを通わせたに違いない。
釈尊先生は自分を「先生」と呼ばせなかったと思うのは貴方の勝手だ。お弟子さん達は、感嘆詞をつけて先生を呼ぶことはなかったと思うのは貴方の勝手だ。お弟子さん達が先生に感動することはなかったと思うのは貴方の勝手だ。
僕と貴方は釈尊観が違う。
まあ、証拠が無いんだから、釈迦などはどこの馬の骨だか分かったもんじゃない。そう言われればそれまでだ。釈迦が、南無阿弥陀仏と称えていた証拠を出せと言われても、貴方を納得させられる証拠などない。
推定無罪が建前の容疑者を真犯人として、万民を納得させうるまで十分客観的に立件立証できるようなそんな検察官じゃ、僕はないんだ。
174 :
渡海 難 ◆0AE5SZ4. :02/06/26 17:57
>中学生でもわかる論法で、渡海氏はすりかえるわけね。 <?>
>信仰者の主観としては否定しないよ。 <?>
>精神論でしか、「南無阿弥陀仏」は釈迦その人とはつらがらないということね。
<精神論でつながればいいんじゃないの?>
>>169 ??
175 :
渡海 難 ◆0AE5SZ4. :02/06/26 18:03
>>171 僕は、ムー大陸もエル・ランティーもミカエル大王も知らないんだ。こういうことは、そういうことを知っている人に聞いて欲しい。
ところで、こういう問題では答え終わると、後向いてアカンベーと舌を出す奴がいるから注意するといいだろう。
その場合のアカンベーはどういう意味か、これは先に考えておくことを勧める。
176 :
名無しさん@1周年:02/06/26 19:47
>175
23日に、サイキンイソガシイノデ、アマリヨバナイデネ。オネガイと言った
のに25日にきたのでアカンベー
177 :
名無しさん@1周年:02/06/26 22:49
>173 :渡海 難
>阿弥陀とは先生という意味だ。仏も先生という意味だ。阿弥陀仏は全体で「先生」という意味を持っている。
僕はそう考えている。
2ちゃんねる初心者です。
これはどういう意味ですか。語源的にそういう意味があるのでしょうか?
すでにどこかで説明されているのかも知れませんが。
>釈迦が、南無阿弥陀仏と称えていた証拠を出せと言われても、貴方を納得させられる証拠などない。
最初から、これだけ言えばよいのです。
じゃあ、>158さんに質問。
仏教が誕生したのはいつですか?
釈尊が悟られた「法」が誕生したのはいつですか?って意味で。
そういや、我を見る者は法を見ない。法を見る者は我を見る。んじゃなかったっけ?
181 :
名無しさん@1周年:02/06/26 23:18
夕暮の海辺。瀬戸内海の貧しい島。先生と生徒。
「先生!」
「なんだ生徒」
「信仰の力は偉大です」。
「どういうことだ、子供よ」。
「なぜかとゆーと、釈迦さんはひとりの信心深い在家の念仏者に、浄土真宗に改宗させられてしまいましたからです」。
「釈尊の時代にそんなものはありもしないぞ。仏教では、お釈迦さんが最初だぞ」
「そこが信心の力なのれす。推定無罪です。不可能を可能にします」
「えらい、よくできた子供よ」
「先生、では、夕陽にむかって念仏しませう」
「うむ、これは一本とられた」
かもめの群れ。
「なまいだぶなまいだぶなまいだぶなまいだぶ」
夕陽沈む。
脚本・監督・自作自演 渡海難 「二十四の瞳」
釈迦が南無阿弥陀仏なんか称えたわけがない。
と思うのですが間違ってるのでしょうか?
あとどっかの座禅の人の言ってる事は確実に
善導系の念仏を逸脱してますが、それでも
浄土教なんでしょうか?観念の念仏みたいなこといってるし。
183 :
名無しさん@1周年:02/06/27 01:13
法華経には貨幣ことが書かれているが、
仏陀の時代は貨幣がなかったと聞いたが
どうなんでしょう
仏性(つーか如来蔵)のことを記した経典には「仏性(如来蔵)」を肥溜めにおっこちた
金の仏像のようだ。と表現するものがあります。
この場合、この経典は仏像が一般的になった時代以前の成立と見ることはできませんし、
また、鋳造の仏像ができる以前に成立した経典とみることもできません。(仏教学的には)
まあ、ちなみに釈尊の時代には貨幣経済の発達期であったようです。
185 :
名無しさん@1周年:02/06/27 19:27
大乗経典を説かれた釈尊も、歴史的釈尊も、「南無阿弥陀仏」を称えられたことはないと思う。
「南無阿弥陀仏」は衆生に与えられたものだから、如來さまには必要ない。
また念仏者から観れば、釈尊は南無阿弥陀仏の内と観ることもできる。
歴史的に念仏の原点ということなら、念仏念法念僧がそれたろうと思う。
マハーナーマよ、汝は仏を念ずべきである・・・
というような経典がどこかにあった筈。
186 :
NB ◆Zut9KezY :02/06/27 21:56
>>185 >また念仏者から観れば、釈尊は南無阿弥陀仏の内と観ることもできる。
そうですよね。来いと喚ばう阿弥陀如来。往けと勧める釈迦如来。
言葉は違えど心は一つ。ってね。
まあ、一応、関連してコピペ。
ちかひ(誓い=本願=念仏:NB註)のやうは、無上仏にならしめんと誓ひたまへるなり。
無上仏と申すは、かたちもなくまします。かたちもましまさぬゆゑに、自然とは申すなり。
かたちましますとしめすときには、無上涅槃とは申さず。かたちもましまさぬ
やうをしらせんとて、はじめて弥陀仏と申すとぞ、ききならひて候ふ。
弥陀仏は自然のやうをしらせん料なり。この道理をこころえつるのちには、
この自然のことはつねに沙汰すべきにはあらざるなり。つねに自然を沙汰せ
ば、義なきを義とすといふことは、なほ義のあるになるべし。これは仏智の不
思議にてあるなるべし。@親鸞聖人のお手紙
すみません。「やう」というのは何ですか?
>NBさん
188 :
NB ◆Zut9KezY :02/06/27 23:41
ああ、すんません。「やう」=様(よう)です。
189 :
名無しさん@1周年:02/06/28 14:29
浄土真宗の坊さんをいじめちゃすぎちゃいけません。
連中は、なんとか釈迦さんと阿弥陀仏を関係づけようとして、
曖昧な概念を用いてなんとかいいのがれをしようとしますが、もともと無理な相談です。
しかし彼等にとっては死活問題。
どんな理屈でもいいからつなげないと、
自分たちの商売の根拠が疑われるからです。
190 :
渡海 難 ◆0AE5SZ4. :02/06/28 18:44
>>181 >釈迦さんはひとりの信心深い在家の念仏者に、浄土真宗に改宗させられてしまいました
親鸞は、仏教の原理に戻った原理主義者だと考えています。原理主義にもどれば、釈迦の立場と親鸞の立場は融合するということです。
ただ、原理主義というと通常は復古主義に結びつく。ところが親鸞は時間軸を加えて修正することも忘れていない。つまり、修正主義的原理主義に立つ。親鸞は現代の僕らに釈迦の根本精神を明らかにしてくれていると考えています。
191 :
渡海 難 ◆0AE5SZ4. :02/06/28 18:45
>>182 >釈迦が南無阿弥陀仏なんか称えたわけがない。と思うのですが間違ってるのでしょうか?
僕と貴方とは味わい方が違うのでしょう。釈迦が南無阿弥陀仏なんか称えたわけがないと言っても間違いじゃないかも知れませんね。
釈迦はお弟子さん達からどう呼ばれていたと思いますか。日本語では、教師も医者も政治家も「先生」と呼ばれる。先生は尊称だ。英語では「sir」とよばれる。「先生」や「sir」には皮肉の意味もあるが、元来は尊称だ。
釈迦は阿難や目蓮から「ほとけさま」と呼ばれていただろうか?。そう思うのは自由だ。仏典で釈迦は「尊師」と呼ばれている。「先生」と呼ばれていたんだろう。
指導者は「先生(sir)」呼ばれる。古代インドで釈迦に限っては「先生」と呼ばれなかったと思うのは勝手だ。「先生」と呼ばれたという証拠はないんだからね。
人は感動するとしばしば感嘆詞を発する。感嘆詞をつけて名が呼ばれる。釈迦はどうだったんだろう。釈迦に限っては感嘆詞をつけて「ああ先生」と呼ばれることはなかった。そう思うのならそれは勝手だ。なぜなら、「ああ先生」と呼ばれたという証拠はどこにもないのだから。
教師は自分を「先生」と呼ぶ者に対し、自分の認識を伝える。釈迦はどうだったか。釈迦に限っては違うというのは自由です。
「自分(釈迦)を『先生』と呼んではいけない。まして感嘆詞をつけて『ああ先生』と呼ぶということはとんでもないことです。みなさん(弟子)は私(釈迦)を『ほとけさま』と呼びなさい。
私(釈迦)は私(釈迦)を『アホ』と呼びつけてくる者にも、『キチガイ』と呼びつけてくる者にも、等しく慈悲を垂れます。ですから、みなさんは私(釈迦)を『ほとけさま』と呼びなさい」
釈迦がこんなことを言っただろうか。そう言っていたと思うなら、釈迦に対する見解を僕は異にする。
192 :
渡海 難 ◆0AE5SZ4. :02/06/28 18:47
阿弥陀とは、Amitabha(無量光)、Amitayus(無量寿)という意味だそうだ。仏とはBuddha(覚者)という意味だそうだ。
生徒がつまづいて壁にあたれば、壁を越える知恵を与えるのが教師の仕事だ。知恵を与えられると壁の実体が見えてくる。教師は見えない壁に光を灯す。光を灯されると、越えられなかった壁が越えられるようになる。新たな継続的な歩みが再開する。継続の命が与えられる。
生徒に継続の命を与えるのが教師の仕事だ。
釈迦は、自ら真実を知り、お弟子さん達に限りない光を与え、限りない命を与えた。だからこそ先生と呼ばれた。僕はそう思っている。限りない光を与えれば無量光と呼ばれる。限りない命を与えれば無量寿と呼ばれるだろう。自ら真実を知っていれば自覚者と呼ばれるだろう。
そんな筈はないと思うか?。「釈迦に限って、光を与えても無量光と呼ばれる筈はない。命を与えても無量寿と呼ばれる筈はない」そう思うならそれは勝手だ。
釈迦観が違うようだ。無量光と呼ばれた証拠を出せと言われてもそんなものは出ない。無量寿と呼ばれた証拠を出せと言われてもそんなものは出ない。感性の違いだろう。
阿弥陀の起原は釈迦の尊称だろうと僕は思っている。それをどう思うかは、感性の問題だろう。
>どっかの座禅の人 <パス>
193 :
渡海 難 ◆0AE5SZ4. :02/06/28 18:47
>>183 >仏陀の時代は貨幣がなかったと聞いたがどうなんでしょう <世界史の問題だな。パス>
>>184 >釈尊の時代には貨幣経済の発達期であったようです。 <なるほど>
>>185 >大乗経典を説かれた釈尊も、歴史的釈尊も、「南無阿弥陀仏」を称えられたことはないと思う。
諸仏称名の願、『大経』に言わく、設(たと)い我仏を得たらんに、十方世界の無量の諸仏、ことごとく咨嗟(しさ)して我が名を称せずは、正覚を取らじ、と。(行の巻)
「南無阿弥陀仏」を称えられたことはないなら、諸仏に名を称えさせようとする願は空虚になる。
>歴史的に念仏の原点ということなら、念仏念法念僧がそれたろうと思う。
汎仏教学的には妥当しそうだが、僕は親鸞に共鳴する。念仏の原点は諸仏称名の願にあると考える。
>>186:NB
>釈尊は南無阿弥陀仏の内と観ることもできる。 <?内と観る??>
194 :
渡海 難 ◆0AE5SZ4. :02/06/28 18:54
>>189 >いじめちゃすぎちゃいけません。 〜 もともと無理な相談です。 〜 商売の根拠が疑われるからです。
坊主に心優しく騙されるような人になりなさいということか?。アホジャナイカ?。言っている意味がよく分からん。
渡海よ。
おまえ、「ああ先生」とか書いてて恥ずかしくないのか?
ほかのスレを見てみろよ。
ネタ、まじめな回答、そのほか何かを主張したくて、頭を使って書いてるよ。
それをおまえは何だ。考えた結果が
「ああ先生」か。何それ。
「ああ先生」とか書いて、それがスレの役に立ったか?
誰がおまえのレスに共感するんだ?
昔のことは言いたくないが、「ああ先生」なんて書いてる奴はいなかったよ。
なんか驚かそう。笑わそう。なんか考えてたよ。
その歴史を踏まえて、おまえが書きこむレスは
「ああ先生」なんだな。
わかった。おまえのことはわかった。
これからおまえのことを、哀れな人間として認識することにしたよ。
それから、あらかじめ言っておくが、
ドスケベ・オマンコ・キンタマなんて言って誹謗中傷しようとするんじゃねーぞ。
そんときのおまえのあだ名は、「中年ネオむぎ茶」だからな。おぼえとけ。
196 :
名無しさん@1周年:02/06/28 19:37
>>189 阿弥陀仏を説かれたのは釈迦如来。
これは真宗の坊さんが創作したわけではないぞ。
197 :
名無しさん@1周年:02/06/28 19:43
釈尊真説の法華経とかわらんではないか
いや やめとく
198 :
名無しさん@1周年:02/06/28 21:18
>196 いつごろの何という経典に出ていますか?
199 :
名無しさん@1周年:02/06/28 21:47
>>198 年代には疎いのでいつごろかというのはしかと答えられない。
釈尊入滅が紀元前383年らしいから少なくともそれ以降ということになる。
また大乗経典にはあちこちに出ているそうだ。
代表的なのは、真宗の正依の経典でもある、無量寿経、観無量寿経、阿弥陀経だ。
これらは仏教が日本に伝わる前に成立しているので、真宗の坊さんが作れるわけがないのだ。
200 :
名無しさん@1周年:02/06/28 23:18
???
いつの間に日蓮批判が真宗批判になったんだ?
201 :
名無しさん@一周年:02/06/28 23:55
日蓮も真宗も教条主義のアフォは逝ってよし。シュウキョウに限らず
人間の営みなんてものは、歴史的に成立したのは当たり前だろう。
日蓮宗系も真宗も一緒。所詮坊主ら職業宗教家の飯の種だYO。
言っとくけど今のサヨの連中も同類。逝ってよし。
202 :
名無しさん@1周年:02/06/30 11:27
>>201 >人間の営みなんてものは、歴史的に成立したのは当たり前だろう。
これで何かを批判しているつもりなのか?
その当たり前じゃないレスがあったなら教えてくれ。
203 :
名無しさん@1周年 :02/06/30 14:08
>196 :名無しさん@1周年 :02/06/28 19:37
>>189 阿弥陀仏を説かれたのは釈迦如来。
これは真宗の坊さんが創作したわけではないぞ。
「これは真宗の坊さんが創作したわけではない」
のは当たり前。
問題は「阿弥陀仏を説かれたのは釈迦如来」の方だが、
渡海難も189も、けつきょくは、
阿弥陀仏と釈尊の関係は明確できずに逃げている。
204 :
名無しさん@1周年:02/06/30 14:10
オウムのシヴァ神が釈尊の仏教ではないように、
阿弥陀如来も釈尊の仏教ではないわけね。
205 :
渡海 難 ◆0AE5SZ4. :02/06/30 14:19
>>203 >渡海難も、けつきょくは、阿弥陀仏と釈尊の関係は明確できずに逃げている。
逃げるも何もないだろう。そんな議論は最初からしていない。「釈迦と念仏との関係」は難しいことじゃないというところから始まったんだ。
>>152-154 僕は釈迦と念仏の関係を説明したのであり、阿弥陀仏と釈尊の関係は別の長い議論になる。
>>204 >阿弥陀如来も釈尊の仏教ではないわけね。 <どこの文脈からそういう話がでるの?>
>>205 それは文学的には立証不可能な論であり、あなたの信仰である。
いまふと、思ったので…
いつも渡海シが主張する無量寿論だが、
「無量寿」は阿弥陀さんが「無量寿」なのであり
その永遠性を象徴したもので、我々の命の継続
などは範疇に入っていない。命長らえることは
もとより浄土にはない考え方だ。
浄土にかえるのを永遠の命というのもま違いだし。
208 :
渡海 難 ◆0AE5SZ4. :02/07/01 23:35
渡海の逝ってる大無量寿経は誰の訳のものですか?
>>209 大無量寿経と言えば、康僧鎧のものでしょう。
如是我聞ってようは信仰だろ。
>>208 太鼓(おしえ)は同じ。
耳(きく人)は千差万別。
ま、ティンパニに聞こえようが、和太鼓に聞こえようが
ドラムに聞こえようが、銃声に聞こえようが
勝手だな。真実はおおかたひとつだが。
その勝手な解釈で他人他人を非難するのはみにくいな。
(・∀・)212が良いこと言った(・∀・)
214 :
渡海 難 ◆0AE5SZ4. :02/07/03 22:30
215 :
名無しさん@1周年:02/07/05 16:07
>>203 >阿弥陀仏と釈尊の関係
経典に説かれているというだけじゃだめなの?
216 :
寿能町の隣は盆栽町:02/07/05 17:05
末法の現在、念仏を信仰しても成仏はできません。
念仏で成仏できるのは、釈尊(釈迦)滅後千年までに、
日本、中国、インドの3国に生まれた人のみです。
末法の現在では、御本尊様を信じて御題目を唱える以外、
成仏の法はありません。
末法では、三大秘法の法華経こそが、唯一の成仏の法です
217 :
名無しさん@一周年:02/07/05 20:40
>>216 今度はここに居座ってこぬスレの住人(とくの渡海さん)と法論して下さい。
>>216 法華経をちゃんと読みなさい。
きちんと読んで題目を唱える意味を再確認しければ
恥かきますよ。
ついでに、念仏はもともと成仏の教えなどではありません。
成仏なんかできようもない末法の衆生のために説かれた教えです。
返す返すも、勉強が足りなさすぎですよ。
法華経の阿弥陀仏に関する部分は面白いと思いますね。
是非に天台系の方の意見が聞きたいところです。
浄土・法華などの易行系との解釈の違いとか交えて。
219 :
名無しさん@1周年:02/07/07 22:57
法華経も阿弥陀経も創作経典
お釈迦様とはなーんにも関係ありません。
シナの五時教判の間違いをそのまま輸入しただけ、
おめでたいかな、
ナム ナム
大乗非仏説は仏教大学でも教えてるはずだYO!
220 :
NB ◆Zut9KezY :02/07/08 00:02
>>218 念仏は成仏の教えですし、法華(日蓮宗でしょうけど)が易行というのはどういう根拠?
返す返すも、勉強が足りなさすぎですよ。っと(w
221 :
NB ◆Zut9KezY :02/07/08 00:06
ちなみに、
>>219 >シナの五時教判の間違いをそのまま輸入しただけ、
って、理論的に矛盾した立場に立ってますよ。あなた。
222 :
名無しさん@1周年:02/07/08 00:28
>>219はたぶん、お釈迦さまが仏さまであることがわかっていない。
223 :
名無しさん@1周年:02/07/08 00:29
を、NounashiBouzu 久しぶりだな。元気だったか?
あっはっはっ。元気っすよ。
題目となえるのは易行じゃないの?
だってモデルは称名でしょ。
(浄土の)念仏でどうやって成仏するの?
そこまで保証はしてないじゃん。
226 :
名無しさん@1周年:02/07/08 05:51
>220 :NB ◆Zut9KezY 念仏は成仏の教えですし
ええっ、そーなんですか?
それ、どこに出てますん。
227 :
名無しさん@1周年:02/07/08 09:08
念仏成仏、これ真宗。
228 :
名無しさん@1周年:02/07/08 17:00
あれ、成仏とは仏になることではないの。
浄土に生まれることではなくて。
229 :
名無しさん@1周年:02/07/08 18:51
尊師の<生死を超える>以外に、釈迦直伝の教えは無し
水増仏教、逝ってよし
230 :
名無しさん@1周年:02/07/08 21:06
>>シナの五時教判の間違いをそのまま輸入しただけ、
って、理論的に矛盾した立場に立ってますよ。あなた。
根本2大分裂で「実際は3分裂」お釈迦様の教団を追い出された連中が
お経を持ってないもんだから自分達で勝手に「如是我聞」
私はこの通りお釈迦様から聞きましたと大嘘ついて
勝手に作ったのが大乗仏教なんだよ。法華経に阿弥陀経
それをシナの天台宗第三祖天台大師智顛が 5時教判で
上位にランク付けして日本に輸入したのが日本の大乗仏教。
大本が嘘だと言ってるんです。
大乗非仏説は仏教大学で教えてくれるはず、
真宗の偉い坊さんんもホンに書いてると思ったな。
231 :
名無しさん@1周年:02/07/08 23:50
往生即成仏。
232 :
名無しさん@1周年:02/07/09 00:36
>>230 >法華経に阿弥陀経それをシナの天台宗第三祖天台大師智顛が 5時教判で上位にランク付けして日本に輸入したのが日本の大乗仏教。
間違ってるから訂正しなされ。
ほえほえ
正定聚不退転の位
ってやつか。しかし微妙だな。
234 :
名無しさん@1周年:02/07/09 05:35
>232
仏教史に照らし合わせてどこがどう間違っているか
反論 きぼ〜ん。
235 :
名無しさん@1周年:02/07/09 08:58
>>232 しょうがねえな。
これじゃ法華経と阿弥陀経が同格のように聞えるじゃねえか。
法華経が一番てーのが天台宗だろが。阿弥陀経と並べてどうするよ。
それにこの文章じゃ、日本に輸入したのが天台大師みたいじゃねーか。
もう一つ、日本の大乗仏教には真言宗も禅宗もあるじゃねえか。
みんながみんな五時教判じゃねえのは常識だろうがよ。
236 :
名無しさん@1周年:02/07/09 09:12
ここの人はおヴァカさんなのかなんなのか。
お釈迦さんお釈迦さんって人間釈尊のことをいっているみたいだけど、その人の言葉が今残っているの?
残っているのならみせてみな!
237 :
NB ◆Zut9KezY :02/07/09 20:09
ああさて、何からはじめましょうか。往生即成仏?
それとも大乗非仏説?
ネタ振っといてなんですけど、ちょっと気分じゃないなあ(スマソ
まあ、ただ、近代仏教学の方法論は「悟り」や「救い」を実体的に扱う
ことができるパラダイムじゃないっすね。だって、「科学」であることを
放棄できないから。
そもそも、なぜ、仏典解釈において「近代的(客観的)方法論」が必要であるのか。
文献学的方法論が明らかにするものとは一体何であるのか。
近代仏教学は(学問的プロパーとして)その答えを持ってませんもんね。どうよ?
238 :
名無しさん@1周年:02/07/09 20:59
>236
こんなこといったら、自著を持たないすべての思想家にあてはまるだろ。
もっと的を絞れよ。アー・フォ。
239 :
名無しさん@1周年:02/07/10 04:06
>237 :NB ◆Zut9KezY
信仰者にとっては、文献学的方法論は、ひとつのペースメーカーみたいなものでいいんじゃないの。
神話をどんどんはぎとって、仏教を批評精神の権化みたいにしてしまってもねえ。
むしろ、コスイ文献学者の意見よりも、嘘をついてでも慈悲の心や釈尊の偉大さを称えかった
大乗仏典の物語作者への郷愁を感じるよ。
240 :
ベロ ◆od7XM/js :02/07/10 04:50
241 :
NB ◆Zut9KezY :02/07/11 05:10
おお、ありがとうございます。
まあ、でも、「大学」という制度はどうなんでしょうね。仏教にとって。
たとえば仏教学者は研究の疲れを癒すために行きつけの飲み屋で一杯やろうとも
どっかで性交をしようとも、憶念毘尼すら必要じゃない。
仏教学者の受ける賞罰は経済学者にも工学部の先生にも等しく適用されるものでしょうしね。
つまり、現代の仏教とは、たとえるなら百科事典の1項目以上でも以下でもない。
で、そのことそのものに対して考察や批判を加えることは近代仏教学じゃ無理であると。たぶん。
って、つまり、江戸時代の仏教研究のアンチテーゼであったはずの近代仏教学が
より複雑な形で江戸時代の弊害を受け継いじゃってるんじゃないかなあ。なんて。
科学史の分野ではニュートンやガリレオを「科学者」と捉えることに疑問が表明され
ているそうですけど、
仏教学もそろそろ「仏教学史」を記述してみる必要があるんじゃないでしょうかね。
じゃないといつまでたっても仏教学者個人の主観のなかで学問と信仰の裏取引が…。
まあ、それはそれでありなのかもしれないけど、仏教を世俗化させた張本人は、実は
近代仏教学だと思いますんでね。自分のケツぐらい自分で拭いて欲しいな。っと。
ああ、>241六行目訂正。
近代仏教学にとって、仏教とは百科事典の他の項目と同列に並ぶ1項目以上でも…。
243 :
名無しさん@1周年:02/07/11 20:37
日本の仏教は大乗仏教「中国仏教」ですから
始めから全滅
大乗経典には初期大乗 中期大乗 後期大乗
大まかに分けてこの三つに分類される、
法華経は初期大乗経典 法華経の方便品は
浄土教信仰の基底になった教えでもある。
密教は後期大乗でこれも大乗経典
天台大師智顛が まさかお経が真っ赤な嘘を
付いているとは思わずにお経は全部釈迦の説と思ったのは
無理もない話 、天才が間違えると 後の人は迷惑する。
根本2大分裂でお釈迦様の教団に残った上座部の長老達も
時代の変化を読む事が出来ず、戒律仏教に成り果てた、
追い出された大衆部もこれまた 嘘で固めた大乗経典を創作
し これまた後世に迷惑を与えた点で同罪である。
宗教的感性に優れたインド人が仏教を見捨てた訳が
解るだろう。
早い話が嘘に飽きられたわけだね。
244 :
NB ◆Zut9KezY :02/07/11 20:52
ああ、あの、一般的?に流布してる「理想に燃えた大乗仏教運動」なるものは
(それに付随する形骸化した部派仏教なるものも)日本近代はじめの仏教改革論者が
置かれた時代状況をインドの昔やら「普遍宗教」やらに仮託してなぞっただけのものであって
まともな考察の前提に「史実」としておかれるようなしろもんじゃないっすよ。
と、言ってみるテスト。
245 :
名無しさん@1周年:02/07/11 21:17
>>243 は歴史事実を重視しているみたいなんで、ちょいっとけちつけとくね。
きわどい書き方(言い訳ができる?)しているが、浄土経典のうち、無量寿経の原初形態は『法華経』の最古層より古いよ。
それと、大乗経典を釈尊の説とするのは嘘八百みたいないいかたをしているが、そんなら釈尊のコトバっていったいなに?
そんなものがあるならおしえてぴょ。
246 :
ベロ ◆od7XM/js :02/07/12 00:47
近代的(科学的)文献学の手法にのっとり仏教文献を丸裸にして伝統的な価値観を
とっぱらって批判に批判を重ねてきたのが近代仏教学の歴史でしょう。仏教の中でも
その批判に堪え得る教えこそが、近代人である私達の救いとなる教えではないでしょうか?
不思議と仏教批判を繰り返してる内に仏教の魅力にとりつかれてしまう事もあるのですよ。
過去世・来世・輪廻転生・地獄・極楽・神々・実体的救済者としての仏・菩薩などを排除しても
仏教は現代人の私にとって非常に魅力ある生きた宗教として救いをもたらして下さいます。
>伝統的な価値観をとっぱらって批判に批判を重ねてきた
ってだけなら、これはなにも近代にかぎらず仏教の歴史全体を通じて
行われてきたことですよ。
その中で「科学的」であるということはどういう意味をもつんでしょうかね。
248 :
名無しさん@1周年:02/07/12 11:11
>>246 もう一つ付け加えておきます。
仏教を「近代の科学的思考の洗礼を受けた人間の理性」(と通常の五感の認識と)を唯一絶対の尺度にして合理的に解釈しようとする試み。
もちろんこのような立場の欠を指摘する方もいらっしゃいましたが、いかんせん声が小さい、学会では異端視される・・・
私はなにも「仏教学は摩訶不思議なことを意図的に無視しようとしているからだめなんだ」といっているわけではないので、念のため。
249 :
名無しさん@1周年:02/07/12 12:07
高僧や信者の中には、大乗経典を、何だことおとぎ話は、とか、
坊さんが飯のたねに嘘ついてるんじゃないか、とか言った人がいるね。
>>248 >仏教を「近代の科学的思考の洗礼を受けた人間の理性」(と通常の五感の認識と)を唯一絶対の尺度にして合理的に解釈しようとする試み。
悪くはないと思うけど、それだと結局は仏法不思議、
というところにぶつかって、やっぱり仏教は嘘だ、
という結論になると思う。
また、「唯一絶対」というのはあまり合理的な態度ではないと思う。
250 :
名無しさん@1周年:02/07/12 12:43
>>241、
「仏教を世俗化させた」のは仏教学ではないでしょう。仏教学にそんな力は
ありません。仏教学もまた、社会全体の世俗化=近代化に連動しているだけ
だと思いますが。
> 現代の仏教とは、たとえるなら百科事典の1項目以上でも以下でもない。
> いつまでたっても仏教学者個人の主観のなかで学問と信仰の裏取引が…。
上の話は、学問としての仏教学が、信仰という内的・主観的営みにとっての価値
を括弧にくくるという建前のもとで成立しているということですね。
で、下の話は、にもかかわらず、仏教学の名のもとに、括弧に入れたはずの
信仰が密輸入されているということだと思います。
ちょっとわかりにくいのですが、どちらを問題にされているのでしょう。
仏教学が信仰を括弧にくくるということ自体が気に入らないのですか、それとも、
仏教学が「客観性」をじつは徹底していないことを問題と感じていらっしゃるの
でしょうか。
251 :
NB ◆Zut9KezY :02/07/12 13:13
>>250 特定の宗派に属さなくとも、仏教について知りたければ「本」を
読んで勉強すればよい。
という意識は間違いなく近代に属するものですし、そこでいわれる
「仏教の本(≠経論釈)」なるカテゴリーを作り出したのは、やっぱり仏教学
でしょうね。そういう意識が社会的に違和感のない状態であることを「世俗化」
といってますんで。
ちなみに、明治期の伝統宗派否定論者の多くは大学制度に身をおくことによって
それ(否定・批判)が可能になりましたよね。
それから、仏教学が「客観性」をじつは徹底していないことを問題と感じてます。
もう、そりゃ絶対に(w
ちなみに近代仏教学が必要ないと考えてるわけじゃないんで、念のため。
(もひとつおまけに>248さんはぼくじゃありませんので、一応念のため。)
時間がないんで、そそうな書き方かもしれませんが。また夜にでも。
日本の仏教は天台宗だけではない。だから
>>243の言っていることは天台宗ではない他の仏教にとっては意味がない。
だいたい経典というものは月をさす指なのであって、月そのものではない。それが月をさしている以上はそれは尊ばれるべきものなのだ。
大乗経典というものは、書いたものが仏説と確信して書き、伝えたものが仏説と確信して伝え、聴いたものが仏説と確信して聞いたなら、それは仏説なのだ。
譬えていうなら、文字による口伝といってよいと思う。いわば伝承なのであるから、出所来歴は関係ない、というか、意味がない。確認のしようがないからだ。
また大乗経典とは、今現在説法の経典である。読む者が読めば、如来の直説を聞くことになる。
そういうものなのだ。
253 :
ベロ ◆od7XM/js :02/07/12 23:15
大学に籍を置く仏教学者も多くは実はどこかの宗派の僧籍を持ってたり、
寺族だったりするよね。で宗派とはあまり関係ない原始仏教の研究なんかよくしてる。
>>252さんの意見には同意します「文に依らず義に依れ」って事ですよね。
254 :
名無しさん@1周年:02/07/12 23:23
>大乗経典というものは、書いたものが仏説と確信して書き、伝えたものが仏説と確信して伝え、聴いた
>ものが仏説と確信して聞いたなら、それは仏説なのだ。
そんな事云ったらオームの麻原の言動まで 書く人によっては仏説になっちまうだろう。
事実を見つめることとは信仰に対する、確認作業ですよ。
>>246 >近代的(科学的)文献学の手法にのっとり仏教文献を丸裸にして
>伝統的な価値観を.....
というのは、もうひとつ、原典に当たる、ということも指してませんか?
中国の祖師の言葉もまぁよしですが、偏ってたりするし。
訳僧によってえらいこと意味が変わったりしますんでねぇ。
そういう過程自体を否定するんじゃなくて、踏まえたうえで
ものは考えるべきだと思いますがねぇ。
原典なりだとそもそも論理自体が破綻しかねない場合もあるし。
真如から来るものみたいな逐字解釈とか私はイヤ(爆
大乗非仏説は非仏説なんだけど、それをとやかく言うのもなぁ。
非仏説でありながらこれだけの変遷を辿って来たのだから、視点を変えて
考えるべきだと思うが。
>>252のような受け取り方もアリだが、個人的にはまったく説得力のない
意見だ。
言葉上や、信仰の中だけの問題で終始できれば楽なのにねぇ。
>>253 いや、お前は単に現実を知らないだけだよ。
まあ、近いところを空振りしてるがな(w
257 :
NB ◆Zut9KezY :02/07/13 01:37
今の日本の漫画って、現実にはあるはずもない髪の毛に張り付いた大きな水滴型の汗とか
目ん玉のお星様とか、唐突に背中に大量のばら背負ってたりとか、
怒ると十字型の血管が額に浮かび上がったりとか。なんとかかんとか。
きっと、後世の人間は戸惑うでしょうね。
特に日本漫画の記号的表現の伝統が途切れちゃったりしてると。
なんかねえ、仏教学でもそういう読み方すりゃあいいのに。と思うんですけど。
十分可能だと思うんですよ。ってゆうか。そういう論文だってあるのに、なんか、
蓄積されていかないというか。統一的な仏典解釈に適用されていかないというか。
原典批判っていったって、あの結構恣意的にも読めちゃうサンスクリットやパーリ
に対して、(いや、あの、サンスクリットとか、もともとあんまり勉強してないし、
とうの昔に忘れちゃってるんで、突っ込まれてもごめんなさいなんですけど、、)
言語学的な最新理論を取り込もうとするわけでもないんだし。
フツーの記号論すら聞いたことがない。(まあ、ほんとの管見ではありますけど)
文献学的な結論よかは、よっぽど親鸞聖人の漢文読み替えのほうにリアルな
迫力を感じちゃうNBでした。
258 :
波木井坊竜尊@日蓮宗葵講 ◆tfDpfKU. :02/07/13 01:41
法華経は教会福音書、でいいじゃん。
なんか問題ある??(笑)
>>257 漫画的記号表現の喩えはう〜んとか考えてしまいますが、
そういった置き換え的な見方は大切だと思いますね。
自分なぞは、完全に相反する二通りの認識を併せ持つ
格好になっていますから。
それでも(だからこそ)耐えられないとこ多過ぎで。
>>251 > 特定の宗派に属さなくとも、仏教について知りたければ「本」を
> 読んで勉強すればよい。
> という意識は間違いなく近代に属するものですし、そこでいわれる
> 「仏教の本(≠経論釈)」なるカテゴリーを作り出したのは、やっぱり仏教学
> でしょうね。
どうもです。まあ、仏教学が仏教に対する近代的意識を直接
作りだしたというよりも、仏教学は近代に内属している(あえていえば、
世俗化原理を規範として成立している近代社会が仏教学をも作り出した)と
いう方が正確だと思いますが、おっしゃることの意味はだいたい分かりました。
大学制度と仏教(学)の関係は微妙ですね。たしかに、大学という空間が
伝統宗派から距離を置く態度を制度的に保証してくれた側面はあると思います。
が同時に、仏教系の大学というのは、僧侶養成期間(の一つ)として機能して
いることは否定できないのではないでしょうか。私は仏教系大学の卒業生では
なく、ただの門外漢ですけど、興味本位に仏教学を読み漁っていると、伝統宗派
と大学(仏教学)とのあいだには、幾重にも隠微な共犯関係があるのだろうな、
と感じますね。それこそ、伝統宗派に対する「批判」というスタンスも含めて。
横レス気味に質問してみたのも、NBさんがそのあたりのことを考えてらっ
しゃるように思え、興味深かったからです。
> それから、仏教学が「客観性」をじつは徹底していないことを問題と感じてます。
> もう、そりゃ絶対に(w
もう一つ、質問させてください。「仏教学が「客観性」をじつは徹底していない」
ことに対する問題意識というのは、仏教学がもっと「科学」的たるべきという
ことでしょうか、それとも、
客観性を標榜しつつ信仰を密輸入するという振る舞いを自明視する仏教学者が、
そのことで、信仰者として(あえていえば)不完全になっている、というような
こと(があるとして、それ)に対する不満なのでしょうか。
あるいはまた、この両者の微妙な混合形態なんでしょうか。
>>252 >大乗経典というものは、書いたものが仏説と確信して書き、伝えたものが仏説と確信して伝え、聴いたものが仏説と確信して聞いたなら、それは仏説なのだ。
訂正します。
大乗経典というものは、書いたものが仏説と確認して書き、伝えたものが仏説と確認して伝え、聴いたものが仏説と確認して聞いたなら、それは仏説なのだ。
(ちなみにこの仏は、法身報身応身の仏。歴史的釈尊のみを仏といっているのではないので念のため)
>>253 >「文に依らず義に依れ」
さらに言うなら、義に依らず法に依れ、となるでしょう。
>>254 >そんな事云ったらオームの麻原の言動まで 書く人によっては仏説になっちまうだろう。
その通りです。オウムの人々にとっては麻原はすでに仏であり神でしょう。その教えは彼らにとっての仏説であり、われわれはそれをどうすることもできません。そこが宗教の危ういところ。
ところで、歴史的釈尊が仏すなわち正覚者であることは、科学的手法で証明できるのであろうか?
これは大乗経典が仏説であるのを証明するのと同等に困難であると思われるのだが。
>>261 私と近い見解をお持ちのようですね。で、おたづね。
> 大乗経典というものは、書いたものが仏説と確信して書き
というのは何を根拠に「仏説と確信」できたのだとお考えですか?私は初期大乗から登場する般舟三昧によらねば不可能だと思っていますが。
>これは大乗経典が仏説であるのを証明するのと同等に困難であると思われるのだが。
えらく控えめな表現ですね。不可能と断じていただいた方がありがたい。いっちゃわるいが、はたから見れば、ホームレスのじいさんがのたれ
死んだのが大般涅槃。
でも、その人の生涯に特別な意味を見出した仏教徒にとっては偉大なブッダだったわけだ。
263 :
名無しさん@1周年:02/07/13 21:45
>>262 すみません、般舟三昧って何ですか?
諸仏が現前するという三昧ですか?
ほんとはあんまり知らないんです、すみません。
で、お訊ねの件ですが、大乗経典の製作者には、諸仏が現前したと私は思っています。それでなければ経ではなく論とした筈です。
264 :
名無しさん@1周年:02/07/14 09:01
>大乗経典の製作者には、諸仏が現前したと私は思っています。
>それでなければ経ではなく論とした筈です。
仏陀が亡くなってしばらくたち インドは貨幣経済が進み、
仏陀の時代とは経済情勢が変化した、中間富裕層の人々が私達も
仏陀の信仰をしたい、と沢山教団の門をたたいた。
この人達の扱いをめぐって長老達と若手の一部が対立し
飛び出したのが大衆部 残ったのが長老達 出て行ったのはいいが
信者を指導するお経がない、しょうがないからお経を作った、
長老達を批判するのに 彼らは自分のことだけしか考えない小乗だ!
自分達は民衆を教化するのだから菩薩 すなわち大乗だ!と
お経に入れ込んだ 中観派の創始者である龍樹が空の思想「一切皆空」
般若の智慧「妙法」を発表すると大乗仏教の指導者達は
これを論拠にお経を作った 般若教、華厳教、法華教
民衆をどう教化するかで作った書物ですから 論ではこまる、
随ってお経 お経とするために 「如是我聞」を入れた。
般若も空も好きで仏教哲学の一体系とは思うが
大乗仏教のの指導者達が自分達の主張や論をお経にするために
[如是我聞]をいれたのは まずかったように思う。
大乗を何かしら理由をつけて「仏説」と主張するところは
いただけない。
非仏説と認めたうえで展開するべき議論だろう。
ところで仏(=釈迦)説でない仏(=諸仏)説経典とはドレの事なのだ?
諸仏の説かれたものを阿難が聞いたのか?
>>263 諸仏現前三昧のことです。つまりおっしゃるところの
>諸仏が現前したと私は思っています
を実現する三昧です。
>>264 >>265 >しょうがないからお経を作った
とおっしゃるからにはあなたはあたかも小説のごとき空想によって創作されたものとお考えだということですね。
では逆に人間釈尊が説いたと確認できる経説はどれだけありますか?
現存の阿含や律蔵の編纂年代から考えるなら、阿含経典の中にその痕跡を見出し得る可能性がある、
というのがせいぜいいえることではないでしょうか?
その中から人間釈尊の言葉を確定することは文献学的には不可能である、という和辻哲郎の論証に
欠があるようにはおもえません。
どのような経典であれ、「仏説」という意識で伝えられたという点に意味があると私はおもいます。
仏説の定義は案外ひろいもので「法性にかなえば仏説」(釈軌論、だったけ)なんていうのまでありま
すから、必ずしも人間釈尊の言葉に限定されるものではない。むしろ定中で聞法した(と確信した)こと
であっても、仏説とみなしてもよかったのではないでしょうか。
267 :
名無しさん@1周年:02/07/14 12:38
>>1
横超慧日氏 「法華思想」より
なお方便品の説が浄土教の信仰にとって一つの重要な基底を与えている事を
忘れてはならない、それはいかなる点においてであるかというに、
衆生は仏の教えを受ける場合、どこまでも仏の本願を信じそれに随順するのみであって
自己の修行に功を認めるような態度によっては絶対に仏果はえられない、これは
「法華経」方便品の眼目であると同時に後世中国、日本において唱えられた
浄土教信仰の基調でもあった。
また仏子あって心浄く柔軟亦利根にして、無量諸仏の御許にして深妙の道を行ずる。
この諸仏のために大乗経を説く。我は記す、かくの如き人来世に仏道を成ぜんと、
といわれている。これ第三の点である。一応以上の諸分によっても法華経の
方便品と浄土教が密接の交渉をもつことはほぼ知られたことと思う
268 :
名無しさん@1周年:02/07/14 13:43
269 :
名無しさん@1周年:02/07/14 13:50
仏陀釈尊は前五世紀頃の方
初期大乗の祖師である龍樹は二世紀頃の方
釈尊がお亡くなりになり釈尊に付き従っていた
阿難尊者始め多くの弟子達が忘れないうちに
書き残しておこうと経典結集が始まった
多くは仏陀釈尊の付き人であった阿難尊者が記憶を頼りに
何時何時仏陀はこういう事を言われたといい、それを
他の弟子が いや私はこういうふうに聞いた、といった
感じで編纂していったようである。
そんな感じの結集が何度か繰り返されたようである。
「如是我聞」私はこの通り聞いたというのは
この結集編纂での記録を元に書き残された経典群
での形式でもある、
大乗経典の創作者達はお経を作るあたって
この形式である「如是我聞」を真似した
実際に聞いてもいないし もう既に亡くなった十大弟子を
登場させ小乗の批判や自分達の論をお経にした。
つまり 嘘を書いてしまったわけです。
嘘も方便といってしまえばそれっきりでしょうが
中観派の空の概念は悪いものではないのだからもっと別の
お経の作り方はなかったのだろうか、
オウムの麻原は原始仏教から変な教義の抜き方をして
世間に害を成した、
全てにおいて主観を排除した客観的な見方が必要ではないんでしょうか。
スレを読み返してみたら
>>1 の設問には答えがでてないみたいですね。
>日蓮系の法華経解釈では阿弥陀信仰や浄土門は謗法とされていますが、この二つは本来的に矛盾・対立するものなのでしょうか?
経典自体の説と、それを所依とする特定の宗派あるいはその宗祖の理解を切り離して考える必要があるとおもいます。
いくつかのレスで示されているように『法華経』と浄土経典は対立関係にあるものではないでしょうね。一切衆生の済度を説く以上、
浄土経典にしたって明示的にではないにしろ一仏乗を志向しているはずですし(実際、伝康僧鎧訳『無量寿経』には一乗という語が一例ある)、
『法華経』がそれ以前に成立した各種の大乘経典の統合を目指し、また一切衆生を済度するための統一的な原理を提供しようとしている
以上は『法華経』以前に成立した浄土経典を排除することがあったとは考えられないからです。具体例はすでにこのスレで示されたもの
の他、化城喩品の弥陀本生譚も含めてよいでしょう。
ただし、それを所依とする鎌倉仏教の祖師方の理解となると別。浄土教系は明らかに法華一乗思想を前提としていますけれども、
それを主張した法然を日蓮は「謗法」と批判している。日蓮が「謗法」のラベルを貼ったのは浄土経典に対してではなく、法然に対してであった
ということに注意する必要があります。「捨閉閣抛」によって法然は一代仏教から称名念仏のみを末世の凡夫の救われ得る実践として抽出し
たけれども、日蓮は「捨閉閣抛」という言葉を用いたこと自体が謗法である、というのです。
うーん、「捨閉閣抛」は機をかんがみてのことだったんだけども、それでも謗法になるのだろうか。
272 :
名無しさん@1周年:02/07/14 17:23
>>269 >全てにおいて主観を排除した客観的な見方が必要ではないんでしょうか。
釈尊が仏陀(=悟れる者・正覚者)であることの客観的な証明ができるんですか?
>>271 「爾前(五時の教判を前提とした上での『法華経』以前の説法)」の『無量寿経』etc. に依って『法華経』を初めとする諸経典を捨て、閉じ、閣き、抛ったのが謗法だ、ということらしいです。
>>273 しかしそれって、たとえ頭が悪くても東大を目指さない奴はけしからんと言われているみたいで、ちと引けてしまいますね。
>>274 日蓮がいたころの鎌倉はちょうど鎮西義の良忠が教線を張っていた時期と重なっていたはずですね。
良忠という人は教義的には法然の教義をひん曲げたという功績をもつ方ですし、また浄土宗教団を
関東一円の武士階級に定着させた人物でもあります。
どんなに教えがすぐれていても、信者の意識に問題があればそれは批判されるべきものでしょうから
日蓮が本当に批判の対象としたかったのは権力者と癒着し(ひょっとしたら法然の真意をひん曲げて
しまったことも含めて?)良忠だったのかもしれません。まぁ、鎌倉の念仏信者を批判対象にしたのは
間違いないでしょうね。で、そんなことが起こってくる原因はといえば、法然の説きかたに問題があった
とするのがもっとも効果的だった、ということではないのでしょうか。
日蓮にしても、時と機の観点から唱題を主張していることは法然と大差はないし、法然を批判している
からといって彼の批判の言葉は取りようによっては浄土教経典にまで及びますから、自らが謗法して
いるということに気がつかなかったとも思えません。
>>266 > どのような経典であれ、「仏説」という意識
> で伝えられたという点に意味があると私はお
> もいます。
> むしろ定中で聞法した(と確信した)こと
> であっても、仏説とみなしてもよかったので
> はないでしょうか。
まあそう解釈せざるをえないのはわかりますが、
それって結局、すでに仏教徒である人しか説得できない論理ですね。
「人間釈尊が説いたと確認できる経説」が存在しないからといって、
大乗が釈尊の教説に基づいているという根拠にはならないでしょう?
279 :
名無しさん@1周年:02/07/15 17:48
>>278 >それって結局、すでに仏教徒である人しか説得できない論理ですね。
別に仏教徒でない者を説得する必要はないと思うのだが。
> 279、
ああ、それならそれでも、結構ですよ。
281 :
名無しさん@1周年:02/07/15 18:09
>>278 >大乗が釈尊の教説に基づいているという根拠
釈尊の教説も法に基づいており、大乗経典も法に基づいている。
大乗経典が仏説だという主張は、そういうことだと思うのだが。
釈尊の教説、釈尊の教説というけれど、部派所伝のものも大乗のものも同程度に人間釈尊の言葉ではない、
というところを認めるか認めないかはっきりさせておかないと、次の「仏説とは何か」「仏教とは何か」とか
「釈尊の教説に基づいているとはどういうことか」といったことを考える基盤があいまいになりませんか?
283 :
名無しさん@1周年:02/07/15 23:05
私のような詐欺師に
云いように論説されるよう
じゃ
君らもたいしたこと無い。」
とにかく本を読みたまえ 本を。。。。。。。
284 :
名無しさん@1周年:02/07/15 23:10
>269
仏陀のホースを信じなさい
しーんいなさい に^んじなさい。
しゅご^ しゅjごー…………………《《
285 :
名無しさん@1周年:02/07/15 23:16
ダースベイダー
ごめんね。みおとしちゃった
>>278 そのとおりですよ。あるコトバが仏説か否かということを問題にするのは、そのコトバに依ることが正しいかどうか迷うからでしょ。
だからそれぞれの仏教徒自身が納得すればそれで十分でしょ。
それ以外の立場で「これこれがブッダのコトバであるか否か」を問題にするのは、そのコトバが人間釈尊のコトバであるかどうか、
つまり、人間釈尊の思想を推し量る上で資料としてよいかどうかを判ずる場合程度でしょう。そしてそれは再検証可能な方法で
なされなければならない。ところがどっこい、人間釈尊のコトバと断定できるモノは何一つ現存しない。そうなると逆に「これこれは
釈尊のコトバである」云々の議論は全く無意味な不毛な議論となってしまう。
仏教の歴史なんていうのは、インドから日本まで、仏教徒の信仰と思索、実践の歴史。したがって、あるお経が(大乗・部派含め
て)仏説であるかどうかということは、それらが仏説として伝えられた、というところにしか意味はないことになるのではないでしょうか。
ホースって何?
288 :
名無しさん@1周年:02/07/16 14:30
>> 286、
> 仏教の歴史なんていうのは、インドから日本まで、仏教徒の信仰と思索、
> 実践の歴史。したがって、あるお経が(大乗・部派含めて)仏説である
> かどうかということは、それらが仏説として伝えられた、というところ
> にしか意味はないことになるのではないでしょうか。
248さん、どうもご返答ありがとうございます。基本的には異論はありません。
唯一のちがいは、248さんがおそらく仏教徒でいらっしゃるのに対して、私は
仏教徒ではないということですね。
仏「説」の主体=authorとしての釈尊が消去されたとき、おっしゃるような
かたちで、「仏説を信じる人々=仏教徒」の諸実践を、主体として立て直す
ほかはないでしょうね。しかし、それは外から見ると、自己言及的な同語反復
をやっているように見えます。仏教徒とは、仏教徒の実践の歴史を信じる人で
ある、というような。まあたしかに、三宝の帰依が仏教徒の条件であり、そ
のなかには僧宝も含まれていますから、仏教徒的には完結しているかもしれま
せんね。僧に仏・法を収めるようなかたちになるのかしらん。
しかしこれは、「今までの仏教徒の営みを、すべて「仏説」として信じる」と
いうことになりますから、何というか、ものすごく挙証責任が上がりますね。
そんなこと、本当に可能なのかしらん、なんてヒソカに思わなくもありま
せん。
乱文ご容赦ください。どうも失礼しました。
>>288の言うことが理解できない。
どなたか解説願えないだろうか。
ヴァカで申し訳ない。
>>288 お察しの通り、私は仏教徒です。
仏教モノのテキストを読むときの態度として、ある経典が引用、あるいは解釈されるとき、またはある経典を教理上の証拠として用いると
き、そのテキストの著者がその経典に対してどのようなスタンスをもっていたのかということはテキストの読み手は知っていないといけな
い。そうでなければ著者の意図を正しく読み取ることはできないからです。
だから仮に私が仏教徒であったとしてもなかったとしても、同じスタンスで接しているはずです。
そういう意味で、新旧約の聖書、あるいはコーランにしても私は敬意をもって接しますよ(ただしキリシタンや回教徒が異教徒である私が
聖書などを読むことに対してどのように思うかは斟酌してないけど)。
291 :
名無しさん@1周年:02/07/16 21:12
大乗佛教でご飯食べてる方たちの反論だね
何時までも隠しきれるものでもないよ
大乗経典は 嘘で作られたのは事実
教科書ひらけば佛教史が書かれてるから
読んで見れば 。
一つ質問がある 佛教徒というのは
嘘が平気なのかね
>>291 「大乗仏教徒の」と限定しているね。
どういうことを言うのがうそつきなの?はっきり明示しなさい。
それと、仏教史の教科書?
どの本を指しているかは知らないけれど、第一結集が史実であると仮定して、どんな本にでもそこでまとめられた法と律(経と律)が
どういう立場の人によってまとめられたものかは明示されてますね。もちろん比丘によってですね。
これが何を意味するかはわかるでしょう?
それから、第一結集で成立した口頭伝承による聖典と現存の阿含や律蔵と同一であるとは決して書いていないはずだよ。
もしもそんなこと書いているとしたらそれは間違いだわさ。
ああ、もう一つ。
インドの古代史(インド史の時代区分ではイスラムの侵入までを古代とみなす。念のため)の年代なんていうものは
確定できるものはごくわずか。同じ経典の成立年代を述べるにしても、研究者によって五百年以上へだたることも
ある。大乗の成立にしたっていまや定説はないに等しい。
当然、教科書なるものも常に書き換えられなければならないのだ。
それでも何かの教科書にこだわるの?
>>291
295 :
名無しさん@1周年:02/07/17 00:40
大乗経典が本来文字化できないはずのものを文字化しているという意味でなら、確かにそれは嘘といえる。
296 :
ベロ ◆od7XM/js :02/07/17 01:18
だから「嘘も方便」って言うでしょ?たとえ大乗が嘘だとしても、無明の衆生に
仏法が伝わり仏道を歩む決意をさせたならば、立派な手段=善功方便といえるのです。
教科書に何が書いてあろうが、釈尊の金言がどういうものであろうが、仏法が伝わら
なければ何の意味もありませんよ。そんな200年前と同じ批判しててもねぇ。
しかし教科書を持ち出してくるというのも、ある意味すごいが。
298 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/07/17 20:36
大乗経典がウソで作られたとすれば、阿含経典も同じ事です。
教科書を持ち出すのは消防でしょう。今時の消防でも教科書に権威を置くことは
あまり無いようですけどね。
299 :
NB ◆Zut9KezY :02/07/17 20:51
>>260さん。遅レススマソです。
仏教学は「もっと「科学」的たるべき」だと考えます。現状では、レイプのごとく
信仰に関する事柄に立ち入ってますもんね。
>>262さんがおっしゃるとおり「歴史的釈尊が仏すなわち正覚者であることは、
科学的手法で証明できるのであろうか?@>261さん」は不可能っすからね。
ここんとこ三日ばかりあなた様に対するレスをメモ帳で考えてるんですけど(笑い)
あまりにも長文になっちゃうんでどうしたもんかと。
科学的方法論の上から見るなら「私は幽霊を見た」ということと「私は悟りを得た」
ということは同列の地位しかもってませんけど、なぜか仏教学ではそこを無視する。
(なぜか。ってのは聖書の文献学みたいな明確な答えを持ってない。ってことです)
たとえばどのような幽霊遭遇談であってもすべて間違い・勘違いと言いうる可能性が
ある(ってかそっちの説明のほうが多い)にもかかわらず、悟りに関しては「どれか
少なくとも一つの伝承だけは本当の遭遇談であるだろう」なんて無批判に仮定・前提
されちゃう罠。まあ、そのへんが「日本」近代仏教学の無自覚ながらのアイデンティ
ティーなんでしょうけど(つづく)
むかーし、A・シュッツという社会学者(現象学派社会学とか意識社会学とか
ミクロ社会学とか言われてますけど、ああ、それから秘教的ともいわれますね)
の理論を仏教学に組み込めないだろうかと夢想したことがありましてね。
悟り。そのものがどのような認識・状態であるのかを客観的に記述することは
できませんけど、特定のテキストが示す教理が日常世界の意識に対してどのよ
うなリアリティーをもたらし、どのような位置を占め、どのような関係となり、
どのような構造として持続されてゆくかを記述することは、実はできるんですよね。
科学的な手法のもとに。
だって、「悟り」そのものは非経験的な世界と前提されますけど、「悟り」を認識
する場所は経験的世界(=日常世界)なわけですから。
だからつまり、大幅にはしょって言えば、仏教学はあまりにも貧弱な歴史観のもとに
学問的成果を集約しちゃってると思うんです。
何をもって仏典と名づけるのかに対してすら答えを持っていない。
ですからね。もうひとつ重ねて大幅に省略して言えば、大乗/部派はもとより、キリスト教の
聖書から便所の落書きにいたるまで、あるいは「南無オウム真理」なんてのだってもちろん、
あるいは単に「渡海難(w」と呼ぶだけの行為とか、とにかく全てのテキストが仏教となりうる
条件を追求する仏教学が構築できないかと。
あるいは、「仏典」とされているものが、人を「悟り」に導かない条件を追及する仏教学が構築
できないかなあ。と。
そういう「理論仏教学」みたいなものができないもんだろうかと、頭をひねった時期がありましたね。
まあ、その是非はともかく、仏教学はもっと「科学的」たるべく努力しないと、ほんと傲慢な
仏法レイプ者にしかならないと考えるんです。
う〜ん。ってか。全然理解できないような論を書き連ねましたけど、
たとえば大乗成立に至る歴史過程だって、部派教団出家前の幼き在家信仰者が、
出家修行者となったときの認知的不協和に対する考察とか、そんなの仏教学で
聞いたためしがない。
あるいは大乗仏教徒と、部派仏教に帰依する在家信者との経済活動の違いにおける
可能性とか、やっぱり聞いた事がない。
なんつーか。仏教学はやっぱ、もっと科学であることを意識して欲しいですね。
なんか、はしょったつもりでやっぱりすげー長文連続になって、皆さまスマソです。
303 :
P-たん ◆ymQETSmk :02/07/17 21:16
248 改め P-たん どす。
NB ◆Zut9KezY さん、どうもよくわからないのですが、あなたがおっしゃる「科学的」というのはどういうコトなのですか?
304 :
NB ◆Zut9KezY :02/07/17 21:21
ああ、「科学的」っすか。まあ、端的にいえば「実験」による論証可能性でしょうね。
同一の条件のもとで同一の手続きを踏めば、同一の結論にいたるという。
つまり、客観的ってことですね。
305 :
NB ◆Zut9KezY :02/07/17 21:31
ああ、今自己レス読み返すと>304とは違う観点でお聞きでしょうね。
仏教学が「科学的」たるべきというのは科学的研究の結論は「没価値的」
であるということです。
大学制度の「学会」とか「雑誌」とかの結論が、同一の立場とされる人によって
価値評価的に世俗に「密輸入」されることって多くないですか?
306 :
P-たん ◆ymQETSmk :02/07/17 21:48
>>305 すんまへん。どっちにしてもあんまりピンとこない(w
平たく言ってしまえば、事実を事実として明らかにするだけでよい、そしてその事実を明らかにする手続きは
合理的な思考ができる人であれば誰でもたどることができるものでなければならない、ということですか?
仏教学という学問が基本的には文献史学であり、その方法論が主として文献実証主義によるものである
以上、論文が具えていなければならない当然の条件でしょうね。でもその事実の意味を解き明かそうとする
想いがなければテキストは読みきれないのではないでしょうか?
まぁ、NB さんが批判対象として念頭においていらっしゃる連中は想像できますし、その限りにおいては
おっしゃることは理解できます。
>同一の立場とされる人によって
の代表格は・・・名前を出すのはやめましょう。大学という世俗社会で実際にはびこっているのはむしろ
利害関係でのものでしょうね。
307 :
NB ◆Zut9KezY :02/07/17 22:03
>>306 まあ、二行目「平たく言ってしまえば」以下の段落はそのとうりです。
ヨーロッパはどうか知りませんけど、日本に仏教学が導入されたのは
そもそもどういう意味があったかを考えれば…、ってか。まあ、いいです。
おっしゃるとおりですね。すんまそ。
まあ、文献学(文献実証主義っすか)が必然とされてる理由って、ほんとのところいったいなんでしょうか。
いや、文献学(文献史学っすか)を否定してるんじゃないですよ。絶対に。ってか、文献学ぬきにゃ仏教学
はありえないと考えてますし……。まあ…。
ただ、ほんと、なんで大乗経典は「仏説」とされるんでしょうかね。
あるいは「非仏説」とされるんでしょうかね。「近代」の冠がつくんだったら
答えるべきじゃないですか。って、まあ…。
仏教学っていう名前がいけないんじゃないですか?
仏教経典学とかにすればいいのでは。
309 :
NB ◆Zut9KezY :02/07/17 23:19
>>308 おんなじことじゃないっすか?
そういや宇井伯寿によると大乗経典非仏説。大乗教理仏説。だそうで。
なんだかなあ。
310 :
ベロ ◆od7XM/js :02/07/18 01:56
NBさんにとって「仏教学のいい所」ってあるんですか?
「仏教学の難点」はなんとなくわかったから。
311 :
名無しさん@1周年:02/07/18 03:02
ちと興味があるので・・・あげ
>>309 いやあ、仏教経典学とかなら、仏教が嘘でもほんとでも関係ないかなと、思ったんですけど。
仏教は所詮嘘だという結論なら、仏教学という名称は変だなと。
313 :
名無しさん@1周年:02/07/18 08:49
ちょっとお邪魔します。
浄土真宗、鈴木大拙、石原慎太郎、親鸞が大好きな人に
この板を紹介して、いいですか?
関係無い板で、親鸞を語るんで、困っています。
このスレッドなら大いに書けそうな気がしたので
伺ってみました。
314 :
名無しさん@1周年:02/07/18 18:54
315 :
P-たん ◆ymQETSmk :02/07/18 19:18
>>309 > ただ、ほんと、なんで大乗経典は「仏説」とされるんでしょうかね。 あるいは「非仏説」とされるんでしょうかね。「近代」の冠がつくんだったら答えるべきじゃないですか。って、まあ…。
ほぼ暗黙の了解ですね。少なくとも大乘経典が人間釈尊が語ったコトバであることは証明不可能なのだから。
一方で、阿含経典が人間釈尊のコトバであると誤解されている方がむしろたたき潰して驅逐すべき誤解でしょうね。
別に「近代」を冠さなくったって、インドの大乗初期の時代から大乗仏説非仏説論争は存在していましたから、
仏教徒それぞれの立場で何らかの了解を持っていたのは確かですね。
ただ、中国に伝来して以後は、経典の文句通りに80年の生涯を生きた釈尊のコトバとしてすべての経典を受け入
れてしまった。これはしかたがないことだったし、そこから例えば教判など、中国仏教を特徴付ける教理学が生ま
れたわけで、これはこれで意味があるわけなんですが、歴史事実が明らかにされるにつれて、特に日本の伝
統教団の教義を担う人にとっては大乗経典の取り扱いが難しくなってきたわけです。
もっとも!、ここを強調しておきたいのだけれど、宗門大学で日本仏教やあるいは宗乗を担当する人の大半が
「古代人と現代人の歴史認識の違いだけだからほっときゃよい」
という程度の意識である、というのは大いに批判しないといけない。
インド仏教を専攻している僧籍を有する人は、論文をみればわかるけれども、たいがいは大乗非仏説の立場、
大乘経典は人間が創作したものである、という前提で論を構成している。おそらくその中の大半の人は、おのれ
の僧侶としての立場と研究者としての立場が矛盾していることにすら気づいてないのでしょう。
316 :
名無しさん@1周年:02/07/18 20:47
>>315 気づいてるから悩んだり、誤魔化したりするのでしょう。きっと。
研究者と僧侶の顔を使い分けて。
317 :
P-たん ◆ymQETSmk :02/07/18 21:09
>>316 そのとーり。両方ともメシの種だもん。
それこそ嘘つきだ。
318 :
P-たん ◆ymQETSmk :02/07/18 21:11
悩んでいる人は批判しないよ。
あたしゃ、ヘーキで嘘たれている奴が多すぎるのに腹を立てているんだ。
319 :
渡海 難 ◆0AE5SZ4. :02/07/18 21:37
大乗経典「仏説」説も、大乗経典「非仏説」説も、両方とも正しいだろう。議論の立っている地盤がちがうだけだ。
ガリレオは地球が回っていると説いた。彼は絶対論的運動論の立場に立ったんだ。ところが、ものの移動は相対論で捉えても何ら不都合ではない。星の移動を説明する解析計算式が複雑になるだけだ。相対論で捉えれば太陽が回っていると考えても、少しもおかしくない。
大乗経典「非仏説」説も結構だけど、「非仏説」説を説くなら、「仏説」説論者が説いてきた目の覚めるような魂の救済論を展開してみてよ。だれかがそれをやってみせてくれたら、僕も大乗経典「非仏説」説に賛同するだろう。
地球が回っていると説いても、太陽が回っていると説いても、所詮はどっちでもいいんだ。どっちが人間を幸福にするかという、使い勝手の良さで決めればいい。
大乗経典「仏説」説は、おかしな議論ではない。大乗経典「非仏説」説とは、単に仏説観が違うだけ。そこを忘れて議論を重ねれば、生産性がないだろう。
320 :
P-たん ◆ymQETSmk :02/07/18 21:55
>>319 渡海さん、あなたのおっしゃる言葉は現代人ならヘーキで聞くことがで切るものですよ。
でもちょっと冷たいんじゃないかなぁ。
確かに富永仲基は同時代人から無視された。明治の半ばの仏教者の中には
西洋から輸入された大乗非仏説論をまにうけて自殺した人までいるんです。
その人たちに同じ言葉が吐けますか?
ご存知だとはおもうけど、お寺に来ているじいちゃんばぁちゃんには、素朴に
インドにいたお釈迦さまをほとけさまと信じている人がまだまだいるんですよ。
(それを悪いと私は決していわないし、そんなふうに思えもしない。念のため)
321 :
渡海 難 ◆0AE5SZ4. :02/07/18 22:33
>>320 >ヘーキで聞くことがで切るものですよ。 <そりゃそうだろう。当たり前のことを言っているだけだ。>
>確かに富永仲基は同時代人から無視された。 <知らんなぁ。僕はアマチュアなんだ。>
>西洋から輸入された大乗非仏説論をまにうけて自殺した人までいる
太平洋戦争で日本が負けたと知り、南米には自殺した日系人がたくさんいたそうだ。
明治天皇が死んで野木大将は夫婦で殉死した。我が国の最後の殉死と言われている。
勝手に自殺した人を心配してやるほどのヒマは僕にない。
>その人たちに同じ言葉が吐けますか?
<生きてたら「目を覚ませ!!。バカタレー!!」と言ってやるだろう。>
>じいちゃんばぁちゃんには、素朴にインドにいたお釈迦さまをほとけさまと信じている人がまだまだいるんですよ。
僕だってインドにいたお釈迦さまをほとけさまと真っ当に信じてるよ。それが素朴か素朴でないかは知ったこっちゃない。
322 :
名無しさん@1周年:02/07/18 22:46
阿弥陀経ができた後の、脈々と続く浄土系の解釈がおかしい。言い換えれば
法華経ができた後の、脈々と続く法華系の解釈がおかしい。元は同じところから出た。
それを解釈する人間の個性、時間がそういう分離された思想を生んでしまったんだな。
なごんでいる所に、申し訳ありませんでした。
324 :
NB ◆Zut9KezY :02/07/19 01:14
>>310のベロさん。
ぼくのいう「仏教学の難点」がなんとなくわかったんなら
「仏教学のいい所」も「なんとなく」わかるんじゃないかと。
と、煽り半分皮肉半分はさておき。
マジレスするなら、仏教学のいい所。ってのは仏教学の築き上げた、
切り開いた知見は、無条件に全ていい所だと思うよ。
って、ゆうか。日本の仏教学の成り立ちには、そもそも「大きな問題」
が意識されたいたんじゃないか。ということです。
大学制度の一学科を所与として日本近代の仏教学が成立したんじゃなかったはず
じゃないかと。もし、それが認められるならば、今、その文脈で考える
べき課題は何だろうと。そういうこと。
だからといって、大学制度の一学科がすでに所与であるような仏教学を
否定しようとは思わない。
むしろ、尊重するし。つか、尊重とか否定とかそういう以前の問題だし。
まあ、「大学制度」という言葉の使い方とか乱暴な要約ではありますが、
そういうこってす。
それから
>>315P-たんさん。
>別に「近代」を冠さなくったって、インドの大乗初期の時代から
>大乗仏説非仏説論争は存在していましたから、
といえちゃう根拠は一体何なんだろう。ということそのものを問題にしたいと。
そう思うんです。大学制度が云々って、ことも含めて。
ってか、そのような意識って、もうすでに特定の(上記のとこに疑問を生み
出さないような)、特殊な歴史観を前提として成り立ってると思うんですよ。
で、いつまでたってもその歴史観自体には批判がおよばない。
大乗経典仏説/大乗教理非仏説。なんていい方はその最たるものなわけで。
大乗経典仏説/大乗教理非仏説って、反対でしたね。訂正します。てへへ。
326 :
NB ◆Zut9KezY :02/07/20 06:06
327 :
名無しさん@1周年:02/07/20 23:16
>>264 >>大乗経典の製作者には、諸仏が現前したと私は思っています。
>>それでなければ経ではなく論とした筈です。
>仏陀が亡くなってしばらくたち インドは貨幣経済が進み、
>仏陀の時代とは経済情勢が変化した、中間富裕層の人々が私達も
>仏陀の信仰をしたい、と沢山教団の門をたたいた。
>この人達の扱いをめぐって長老達と若手の一部が対立し
>飛び出したのが大衆部 残ったのが長老達
『平川彰著作「初期大乗と法華思想」より要約
華厳経 法華経、無量寿経 などを仔細にみるとこれらの経典が
仏塔と関係が深いことがわかる
「法華経」の主たる目的は一乗の教えを説くことにある。しかしそのために
一乗の教えの内容として、経の前半においては、仏塔信仰が重要な要素と
なっている。
阿弥陀仏の信仰は観仏三昧に基づいている このような観仏三昧において発見された
仏は、その理論的根拠をたどれば唯心論につながるものであり、「般若三昧経」や
「華厳経」などにつながりを持つ したがって仏塔を機縁として触発された教理』
大乗経典製作者達はお経を作るにあたってなにをお経に盛り込んだかというと
まず在家が信仰できるように当時盛んだった仏塔信仰を取り入れた
次に 修行のみに傾き在家の信者を相手するのを忘れた長老達の批判に
小乗の呼び名をかぶせお経で批判した
次に大乗佛教の創始者である竜樹の空の論理を展開した。
お経の冒頭に「如是我聞」を入れてお経の体裁を整えた。
釈尊が無くなり700年経って作られたお経の 中身
どこまでが要約なのか、わかりにくいね。
平川センセもびっくり。
329 :
NB ◆Zut9KezY :02/07/21 02:22
浄土真宗の「宗祖」親鸞の伝記については、前近代と近代において
大きな違いがあって、歴史学的には前近代の伝承の多くは「虚偽」
としなくちゃならない。
しかし、前近代の伝承を払拭して歴史学的に正しい親鸞像が構築
されたからといって、真宗教義そのものに決定的な変更が求められた
わけではないし、前近代的な親鸞伝によって導かれた信仰を虚偽と
判定することもできないわけで。
そのへんはまあ、各宗派とも似たり寄ったりだろうと思うんだけど、
近代において「釈迦」の伝記(とか仏身観)の上にもたらされたもの
だって、実は、おんなじ意味と位置付けで見るべきもんなんだろうと思うね。
浄土真宗の場合、歴史学的な知見を導入することは、常に真宗教団の歴史に
対する反省を抜きには語れない。つまり、真宗学の内部における歴史学的な
方法論とは極めて主体的な営みなんであって…。ああ、なんだろ。ま、いいや。
それから、近代の大乗非仏説は我々近代(現代)人のいう「現実世界」
におけるリアリティーを唯一のものと前提する(三昧とか夢とかの
リアリティーとの間にヒエラルキーが存在する)ことによって成り立つ
「非仏説」なんであって、仏教学の中でそのへんに厳密な考察が加えられた
ことはないと思うんだけど。どうでしょ。
(「思想」なんて用語法は、全て近代的世界観による再解釈にすぎないし。
もっと、「仏教そのもの」に肉薄するべきじゃないかと。)
まあ、つまり、そんな現状で大乗経典は「嘘」だ。なんていっても、
あんまり実りのある議論にはならないと思うよ。
それこそ2ちゃんなんかでグタグタ書きこんでる場合じゃない。
330 :
NB ◆Zut9KezY :02/07/21 03:19
まあ、スレタイに沿った話をするなら、
本願寺第3世覚如上人の弟、存覚上人の『法華問答』を
読まれた方いらっしゃいますか?
>>327 仏塔崇拝とも深い関係があったという程度の認識の方がより自然だと思われ。
もちろん今日においても平川先生の説は仏教学におけるトピックスでは有るけれども、
それに固執するのは、やや無理があると思われ。漏れの浅はかな私見だけれどもね。
まあ想像なんだけども。
如来滅後に、仏弟子の三昧中に、如来が発現して説法された。
その口伝が、蓄積され伝承され、文字化され、それらの過程において編纂され、大乗経典となった。(その間も、如来の発現は続いたと思う。)
いったん大乗経典が成立してしまうと、如来の三昧中の説法もそれを元にしたものとなる。そして歴史的釈尊の記憶が薄れるにつれて、三昧中に発現する如来はその制約を離れる。そして密教経典成立に至る。
これらは、三昧中に聞いたものであるから、如是我聞と書かれる。
単純に言うとこんな感じかと思う。
大乗仏教というのは、歴史的釈尊が悟りを開いた仏である、ということを認めたように、大乗経典を仏説と認めたのである。
333 :
NB ◆Zut9KezY :02/07/22 08:00
まあ、単純に「伝言ゲーム」で発達したともいえますけどね。大乗経典。
ただ、そこにはそれこそ仏塔崇拝やら法師(ダルマバーナカ)やら仏像成立(マトゥラー/ガンダーラ)
やら伝播の特殊性やら、なんやらかんやら、いろんな要素が介在するんでしょうけど。
(部派比丘がどんな信仰をもってたのか。とかもあるかも。今でいえばシンクレティズムと
いえるような意識が見出されるかもしんない。)
まあ、近代の大乗非仏説はキリスト教に対する「普遍宗教」としての優位性を証明する
ことにやっきとなった。って側面が強くて、「人間釈迦の説いた教え」の追及だって、
結局のところキリスト教の聖書に対抗し、かつ、優位なものが欲しかったにすぎない。
と、言い切っちゃうテスト。
仏教をキリスト教と同じような構造をもつ宗教として(つまり、「普遍宗教」として)
理解するために、邪魔なものを排除するための一番手っ取り早い理屈が大乗非仏説だったと。
(富永仲基の場合は国学との関わりとか、ちょっと違うでしょうけど)
たとえば、もし仮に、阿含と大乗経典の歴史的な順序が逆だったとするなら、
歴史的に初期の仏教のほうこそ「本来の仏教」である。という考え方で研究が
進むことはなかったかもしれない。
まあ、バカな仮定ではありますけど、つまり「本来の仏教」をどこに求めるか。
ってのは結局そういう近代人の「好み」の問題にすぎないのではないかと。
もっとも、現在の仏教学はすでに「本来の仏教」なんてものを探る学問領域じゃないですけどね。
ただ、それだって実は、西欧世界におけるキリスト教の位置が低下しつつあることが、
日本社会の中でも知れ渡ってきたから「本来の仏教」を求める学問の地位から開放された
だけにすぎないのかも。
はぁ。書き込むと長文ばっかで、ごめんなさい。
334 :
名無しさん@1周年:02/07/22 19:53
>>333、
どうもNBさん、260(=278=288)です。
>まあ、近代の大乗非仏説はキリスト教に対する「普遍宗教」としての
>優位性を証明することにやっきとなった。って側面が強くて
おっしゃることはよくわかります。
宗教(religion)にしても宗教学にしても、西欧近代(=キリスト教)の
「普遍的」フォーマットのうえに、他の「宗教」を写像するという操作として
成立しています(宗教という語自体は、もちろん仏教起源ですが)。その
フォーマットの「普遍性」のいかがわしさや暴力性には、いくらでもフンガイ
できるのだけれども、結局そうした「反抗」自体が、やはりそのフォーマット
上で演じられないかぎり、感知されない。「宗教」もまた、近代化のそうした
運動に、巻き込まれていったのでしょう。
いわゆる「大乗非仏説」もまた、啓典宗教であるキリスト教が宗教の範型であ
るという(無根拠な)前提のもとで問題とされた側面は、たしかに否定しがた
いと思います。そして、仏教学=文献学が前提としている歴史実証主義も、あ
きらかに近代と共振しています。大乗教典が「非仏説」だからといって、歴史
実証主義が「普遍」である証拠にはならない(近代人には否定しがたいその
「正しさ」にもかかわらず)。おそらくNBさんは、そのようにお考えなんだと
思います。NBさんの思考の揺れのようなものを辿りながら、大いに共感しつつ
一連の投稿を拝読していました。
ただ、どうなんでしょうね。近代の「非仏説」論への挑戦や、「仏教学」の成果
との微妙な共犯関係を含めて、仏教は、近代化というあの悲しくせつない運動の
なかで、どのように「反抗」を演じきってきたと言えるのでしょうか。私はやは
り、どこか中途半端な気がしてなりません。それはたしかに「近代」的な感覚に
「すぎない」。ですが同時に、そうした感覚をもってしまうことも、もはやごま
かすことができないのではないでしょうか。そして、仏教が現代に生きる宗教と
してのアクチュアリティを再生させることができるとしたら、このことと対峙
する(対決するのではなく)方途以外には、ありえないような気がいたします。
その意味でもしかし、「悩める」NBさんのお考えには、注目しております(w。
どうも乱文失礼しました。
335 :
NB ◆Zut9KezY :02/07/22 23:50
>>334さん。
ありがとうございます。そうなんすよねえ。ほんと。
大乗は「嘘」だ。とか、
仏説の定義は仏説として伝えられてきたことにある。とか、
あるいは、仏教は「宗教」じゃない。っていうと、
「じゃ、哲学か?」とかね(w
仏教学的には既に放置したことすら忘れられたような問題ですし、
伝統宗派だって、それをいいことに(というか、気付きもせずに)
そのへんは思考停止。
無自覚な近代化/脱近代化マンセー。あるいは「心の時代」とか…(鬱。
たとえば、浄土真宗教団の教学にしたって、キリスト教に対する
秘めやかなライバル心と近代化の威力に対する強い憧れと、それから
近代社会での立脚点をいつまでたっても見出せないことの焦りでやって
きたようなもんで。(まあ、どこの宗派も似たようなもんじゃな
いかと思うんですけど。)
336 :
NB ◆Zut9KezY :02/07/22 23:56
「近代」をものともせずに
>現代に生きる宗教としてのアクチュアリティ
が認められるのは、いわゆる仏教系カルトだけだったりして。
(((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル
って、実際は、近代における仏教学と伝統宗派の間で放置され続ける
上記の空白が、何でもありでなんでも引き寄せちゃうカルト的な
真空空間を生み出しちゃった。ってことなんだと考えるんですけど。
でも、逆に、この認識が正しいならば、このへんの問題を何とかする
ことの仏教学としての必然性・責任・責務は論をまたないわけで。
しかし、出てくるのは伝統宗派の立場からでさえ、「本来の仏教」
なるものに照らし合わせての切り捨てにも似た拒否反応だったり。=共犯関係。
(その真空空間は現代社会のほんとリアルなアクチャルな苦悩を
引き寄せてるだろうに)
ほんと、近代の仏教ってややこしいです。
まあ、ぼくは仏教学徒としてはとうの昔に挫折しちゃいましたけど、
個人的には、他力のお念仏でお腹いっぱいです。もちろん、近代の
この絶望的なややこしさの中にあっても。
それについては、密かに暖めつづける野心めいたものがない
わけでもないですけど、それはここでは置いときます。
重ねてありがとうございます。なんまんだ。
337 :
NB ◆Zut9KezY :02/07/25 00:52
>330の『法華問答』から抜粋。
もし『法華』の深意を知らば、もっぱら弥陀を尊ぶべし。故いかんとなれば、
弘法大師『法華経』の題号を釈して
一乗妙法蓮華経は観自在の密号なり。浄妙国土にしては弥陀と名づけ
五濁悪世にしては観音と名づく
といえり。〈中略〉…伝教大師のいわく、
はじめ妙法蓮華経より、おわり作礼而去の文にいたるまで、一一の文字は
殊妙の理なり。みなこれ西方の阿弥陀仏なり
といえり。かくのごとくの解釈をみるに、法華と弥陀とまったく一体異名なり。
もししからば、法華を信ぜんものは、もっぱら弥陀を尊ぶべし。弥陀を信ぜん
ものは、もっとも法華を尊ぶべし。
このスレも終わりっぽいね。
まあ、この際だから、仏教学の戦争責任。なんて言ってみたりして。たはは。
339 :
名無しさん@1周年:02/07/26 03:38
結局、大乗が嘘だというのは嘘だということでよいのかな。
僧侶でも学者でもないので、問題の所在がつかめなかった。
>>338 >仏教学の戦争責任。
仏教学者は戦争をしちゃいけないという意味ですか?
340 :
名無しさん@1周年:02/07/26 11:03
> 結局、大乗が嘘だというのは嘘だということでよいのかな。
> 僧侶でも学者でもないので、問題の所在がつかめなかった。
260です。それは失礼しました。
大乗教典が「嘘」かどうかは、「嘘」の定義をしないかぎり、いいかえれば、
真理条件を確定しないかぎり、意味がない問いだと思います。「釈尊の金口
である」というのを真理条件にするならば、自動的に「嘘」だということに
なるでしょう(w。
しかし、この条件はある意味できつすぎるので、ほとんど無意味だと思いま
す。事実上すべての宗教が、この手の真理条件は満たさないので、「宗教は
嘘である」という結論しかでてきません。
まあ、そういう結論をだす人がいてもいいのだとは思いますが、大乗(教
典)の真理条件が確定していないこと自体が、仏教という宗教にとって
最大の危機的状況だと、私は考えます。この場合、「それで救われたか
ら」というのは、少なくとも、あまり立派な真理条件にはなりません。
信仰は括弧にくくって答えられなければ、「鰯の頭も信心から」と同じに
なるからです。
NBさんも示唆されているように、「大乗は「嘘」」に対して、「仏説
の定義は仏説として伝えられてきたことにある」と答えてみても、それが
本当に有効な解答かどうかはかなり疑問です。要するに、赤信号みんな
で渡ればこわくないと言っているに等しいからです。また、この定義を
認めると、これが仏説であると「申告したもの勝ち」という状況とどう
ちがうのか、説明がきわめて困難になります。
「大乗は「嘘」」に対して、「仏説の定義は仏説として伝えられてきた
ことにある」という答え方でいいと思っていられること自体、正直言って
私は不満を禁じえません。NBさんも、どうもそうお考えのようですが。
神道は宗教ではない、習俗だと主張する。キリスト教も宗教ではない、
真理だと言ってる。仏教も宗教ではないのだな。皆、課税してしまへ。
342 :
P-たん ◆ymQETSmk :02/07/26 11:53
>>340 何が嘘であるのか、というよりも、何をもって嘘とするのかという設問と理解してよいでしょうか?
話の流れを二つに分けて考えます。
1.歴史事実の観点から考えるべきこと。
2.信仰者の側面から考えるべきこと。
1.については言うまでもなく、近代仏教学が解明しようと努めたことですね。
例えば人間釈尊の生存年代とか、教団の歴史であるとか、特定の経典や論書に述べられる思想がいかなるものであるのか。
これを客観的に明らかにするのが仏教学の仕事であって、極論すれば個々の経典や論書の記述が歴史的事実であったか
どうか、現代の科学的な知見に照らして正しいか否かは価値的な意味はもたない(ある経典の記述が歴史的事実に照らせば
間違いである、ということが明らかになればよいのであって、それが当の仏教学者の人間性にとっては意味がないということ)。
2.についてはその教えによって当の信者が(何らかの意味で)救われるか否か。ある経典の記述とその解釈(天台や浄土、
日蓮系etc.)によって救われるか否か、という側面になると思います。
343 :
P-たん ◆ymQETSmk :02/07/26 11:54
(大乗)仏教のすべてあるいは何がしかが嘘であるという主張をする場合、1.によって指摘された事柄をもって2.は間違いである
とする論が一般的ではないでしょうか。大乗非仏説論というのも、1.によって明らかにされた歴史事実に基づいて「2.の教えは
成り立たない」と主張することになってしまう。本来価値的な評価をもつべきではない(歴史事実とは異なるという点のみを主張すれ
ばよいのに)1.の立場から、そこに「嘘かまことか」という価値的な評価を2.に対して下すという誤まりを犯したことになるのでは
ないでしょうか。
1.と2.の立場はよって立つテキスト・資料は同じものです。そして、ことがらによっては相互に補完しあうことも可能なものです。
が、科学的な方法とやらの絶対性に対する信仰をもちかつ、2000年以上にもわたる仏教者の営みという重みをも無視して、
一方的に2.を「嘘である」と否定的な価値付けをしてしまうことは立場の違いを忘れた立論だと思います。
その上で、
>、「大乗は「嘘」」に対して、「仏説の定義は仏説として伝えられてきたことにある」と答えてみても、それが本当に有効な解答かどうかはかなり疑問です。
という評価はどこからでてくるものなのでしょうか。これに加えて、「私は救われたと感じた人がいたし(現在もいる)」という事実が
あるのなら、ことさらに「嘘である」という評価を下す必要もないし、むしろ無意味なことだと思います。
いや、俺も大乗非仏説とかは言いたくないんだけど、仏教を盾にして
キリスト教をどうこう言う輩がうるさいから言ってやっただけ。
日本語では神道にだけは「教」は付かない。国内的には普遍的な宗教で
あるからだが(故にナショナリズムの温床でもあるわけだが)、逆に英語で
はキリスト教はクリスチャニティであるのに、仏教はブディズムと言われる。
カトリックに至ってはクリスチャニティではないカトリック(普遍)だとす
ら言うヤツまでいる。物の見方の問題だとは思うけどね。
346 :
NB ◆Zut9KezY :02/07/26 13:26
おや、仔猫さん。おひさで。
>>341ワロタヨ
>>340さん。激しく同意です。
うーん。いいたいこといっぱいありますけど、
今日からリアル世界がちと忙しいもんで…。
またよろしくお願い申し上げます。
できれば夜またきます。
347 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/07/26 13:33
大まかに大乗非佛説を歴史的に概観してみたい。
(1)初期の大乗非佛説(世親時代。大乗非佛説の登場年代については保留)
1。阿含経典も大乗経典も同じく仏説として取り扱われる事があった。
1.2 伝承の古来性について長老派でさえ、あまり疑問視されていなかった
1.3 特に大乗経典を指し示す事が少なかった
2。世親在世当時ですら多くの大乗仏典が散逸してしまって無くなった
2.2 世親以降に多くの大乗経典がインドに存在した事を考えると、
2.2.1 『法華経』や『阿弥陀経』などの大乗経典とは異なる性格
2.2.2 悉皆成佛が大乗の第一義であり小乗と峻別される点であり
それが『釈軌論』などの論点であることから
2.2.3 長老派の「大乗非佛説」とは「悉皆成佛批判」であることが
そのなかで結論付けられる。
「大乗非佛説」とは、説一切有部における頑固な長老たちによって、当初非難された言葉です。世親
の著述に限って言えば、阿含経典群と世親が用いた大乗経典(確実なものとして『解深密経』がある
が、現存のそれとほぼ同じであるかどうかの確定は出来ていない)は成立史的にも、釈尊の言葉であ
るとして取り扱われていた。
348 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/07/26 13:35
(2)中期の大乗非佛説
中国における疑義経説にに伴ってささやかれたが、詳しい研究は牧田先生の書物や関連論文を参照。
(3)後期の大乗非佛説
ご存知、富仲の「出定後語」だが、文献学(資料論)としては先取りしている。その目的としては国学
側からの仏教批判であるが、注目すべき点は多い。しかし、阿含宗や仏教マニアが現代の仏教学水準
を勉強せず、この書物の伝聞だけで「原始仏教仏説」やパーリ原典主義を謳い、あまつさえ、その観
点で大乗経典批判するのは滑稽極まりない。
(4)
近代の大乗非佛説
バチカンの邪教研究勅令により、フランスなどで聖書学などの手法を用い仏典を解析。結論的には「
出定後語」に近似したものであるが、諸原典を校合するなど学問的手法が洗練されてきている。原始
仏典を読み解く際に奇跡記述などを割愛し人間釈迦を切取ろうとしたが、それは聖書学と同じく失敗
したと思われる。この点はあまり指摘されていないが、渡辺照宏の『新釈尊伝』に「奇跡記述を用い
て表現すべき内容があるわけで、むしろその中に真実が隠されていることが多いので蔑ろに出来ない
」という意見に私は賛同する。
349 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/07/26 13:36
(5)
現代の大乗非佛説
---------------------------
かくのがしんどいから止める。要望があれば書く。私の仏教に対するスタンスとして
1 伝統教団、組織、新興宗教などは全て宗教として否定する
2 釈尊の教えはいわゆる救われていくものではなく、自分で歩むもの
3 その段階で自分自身の限界を知り真理を見つめなおす
4 それでもどうしても乗り越えられない自分自身の限界と存在意義を問い直す
などが最低限あり、このようなものがない限り、仏教ではないと断言したい。
また、キリスト教などで言う宗教とも意味合いがまったく異なるものでも有る。
350 :
名無しさん@1周年:02/07/26 15:04
>>343、344、
P―たんさん、どうもです。
私も今日はちょっと、時間がありません(つーかこのサイトも時々しか覗け
ないのですが)。詳しい返事がいつできるか分かりませんが、私が言いた
かったのは、「大乗は「嘘」」という断言も、「仏説の定義は仏説として伝え
られてきたことにある」という返し技も、どちらにも満足のいかないものを
感じている、ということです。ですから、おっしゃるようなかたちで、
1)によって2)を否定するといったタイプの議論を考えているわけでは
ありません。もう少し、メタレベルの話です。
ついでにいえば、キリスト教の方が仏教より優れているとも考えていま
せん(w。もとより、いわゆる「小乗」が仏説という主張とも関係ありま
せん。
351 :
P-たん ◆ymQETSmk :02/07/26 18:23
>>350 「もう少し、メタレベルの話」というのを説明してもらわないと土俵ができませんね(w
電波ドン、こんちわ。(3)(4)のコメントはまさにそのとおりですね。すっきりする。
(5)については書いてないけれど、特に日本では戦後の人間中心主義の影響と、宗教性を
排除することをよしとする風潮が、「もそも仏説とは何か?」という問い自体をなすことなしに、
漠然とした大乗非仏説論(=詐欺師のでっち上げ?!というような)を支えてきたように思います。
また、(1)の1.、1.2で指摘されていることは、現在の日本の仏教学者で大乗非仏説論
を主張する人はあえて触れない点ですね。
352 :
名無しさん@1周年:02/07/26 19:24
議論が復活してうれしいです。ただ難しい議論なので、今書き込むのは勇気がいりますが。
>>340 >仏説の定義は仏説として伝えられてきたことにある
私はこれでいいと思うんですよね。大乗経典の性格からいって、これ以外にはないんじゃないかと思うんですが。
>これが仏説であると「申告したもの勝ち」という状況とどうちがうのか、説明がきわめて困難になります。
さすがに今は無理でしょうが、かつてはそれで、つまり「申告したもの勝ち」で大乗経典は成立したんじゃないでしょうか。だからこそ、〜宗というものができたと思うんですが。
それと、どうも私には、
>仏教という宗教にとって最大の危機的状況
というのがわかりません。危機的状況といったら、ずっと危機的状況だったと思いますし。
353 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/07/26 20:18
>電波ドン、こんちわ。
こんばんわ、P-たん。これは皮タンから取ったのかな。(笑)
>また、(1)の1.、1.2で指摘されていることは、現在の日本の仏教学者で
>大乗非仏説論を主張する人はあえて触れない点ですね。
そうですね。ここで再度確認しておきたいのは、
特に世親に重点を置いて考えると、大乗非仏説といった場合、
1. 「大乗」とは必ずしも大乗経典を示すものではない
2. 「大乗」とは悉皆成佛を示すものであり、ある意味原理主義運動である
3. 世親が大乗非佛説を批判する時には阿含経を根拠にする
が中心になります。中国、日本では特に大乗=大乗経典という構図が定着しすぎていて先入観からも
のごとを見ようとします。世親在世当時にはすでに「法華経」や「阿弥陀経」などの大乗経典があり
ましたが、世親がそれらをどのように捕らえていたであろうかという推測は要望があれば述べましょ
う。
一部で説一切有部に大乗要素が逆輸入され、説一切有部自体見直す必要があるとする論文があるらし
いですね。その結論は既に修士論文レベルで論述済みであり、その根拠になる経論など多くの資料を
整理したものがありますが、盗用者がいる限り私は一切公表しません。
354 :
P-たん ◆ymQETSmk :02/07/26 20:28
>>353 P−たんはね、うふふっ(悪魔的響きでショ・・・)。最近買った卵が一パック、まるごと卵黄二つでした。
さてさて、353の1、2、はまぁコメント不要でしょ。問題は3.。これが非常に面白いですね。
1〜3を含めて、相当数の阿含経典が皆成を前提にした経典として読めてしまう、という
ことで間接的に証明できますね。
ちなみに、昨夜は宵の徒然に中阿含を頭から読んでおりましたが、所謂「小乗」だとは
どうしてもおもえまっしぇんでした。
有部云々の話はいまさらなにを・・・という感じですね。
(4)
近代の大乗非佛説
>バチカンの邪教研究勅令により、フランスなどで聖書学などの手法を用い仏典を解析。結論的には「
>出定後語」に近似したものであるが、諸原典を校合するなど学問的手法が洗練されてきている。原始
>仏典を読み解く際に奇跡記述などを割愛し人間釈迦を切取ろうとしたが、それは聖書学と同じく失敗
>したと思われる。この点はあまり指摘されていないが、渡辺照宏の『新釈尊伝』に「奇跡記述を用い
>て表現すべき内容があるわけで、むしろその中に真実が隠されていることが多いので蔑ろに出来ない
>」という意見に私は賛同する。
仏典に奇跡記述なんてあったっけ?
356 :
P-たん ◆ymQETSmk :02/07/26 20:36
>>355 いくらでもありますよ(^^ゞ
岩波の訳本でいいですから、阿含系の経典をちょっと読んでみてください。これでもかっていうほどでてきますから。
357 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/07/26 21:45
奇跡記述と言う書き方で戸惑ったのでしょう。「奇跡」というのはキリスト教に
おいては特別な意味を持ちますからね。でもその用法もキリスト教の間違いで
あることに注意すべきでしょう。
では奇跡記述を「不可思議神変、超常現象、超能力、神通記述」に置き換えてみてください。
ブラフマー神が現れて、仏陀に布教を要請したとかの神話的な話のことね。
359 :
NB ◆Zut9KezY :02/07/26 22:23
おーお、やめられまへんなぁー(w
電波男さん。是非とも
>>349の(5)書いてください。描いてください。
適当なスケッチで結構ですんで。お願い申し上げます。
で、つきましては、いくつか質問があります。
2については、「悟れば救われる」みたいな言い方はぼくも好きじゃ
ないんですけど、「悟りを救いと名づける」といった認識についてはどうでしょ?
で、「信をもって能入となし…」みたいな「信」については、2の文脈からは
どう捉えるべきなんでしょうか。まあ、「信」についてはいろんな原語が当てられ
ますけど「信」は思想的な意味で述語化されたんじゃないと思うんです。
それから、1に使われる「全て宗教として否定する」の「宗教」と、
最後の行で使われる「キリスト教などで言う宗教」の「宗教」は
同じ単語として捉えればいいんでしょうか。
それとも用法に違いがあるんでしょうか。ってか、違いますよね?
どう認識されていらっしゃるんでしょうか。
360 :
NB ◆Zut9KezY :02/07/26 22:23
それから、
>>351さん。横レスなんですけど、350さんとは立場的に非常に
近いと思いますのでレスさせていただきますと、
「近代」を相対化する視点の必要性・必然性を指して「メタレベル」と
表現するのだと思います。どうも理解されにくいようで…。
361 :
NB ◆Zut9KezY :02/07/26 22:24
で、
>>339さん。
だいぶ遅レスになっちゃってほんとにスマソなんですけど、
「仏教学の戦争責任」ってのは、仏教学者の立場として
第二次大戦を賛美された方がいらっしゃいましたけど、
そのようなことはどうして可能であったか。仏教学として
正しい態度であったのか。についての反省がされたことは
未だかつてありません。(管見のかぎりでは)
まあ、そういうことです。
(こんなこと、言うだけ空しいんですけど)
362 :
NB ◆Zut9KezY :02/07/26 22:26
最後に仔猫さん。おっしゃることはわかりますけど、
ちょっと、揚げ足とりっぽ。っす。
でもまあ、どんどん言っちゃってください(w
連続カキコで皆様すんまそ。
363 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/07/26 23:07
>359
あえてオブラートに包み込んで、解る人にだけ(というか殆ど解るはず)にお伝えしたかった
のですが。。。。。。
>1 伝統教団、組織、新興宗教などは全て宗教として否定する
は仏教はいわゆる宗教の概念では説明つきにくく、絶対者に判断を仰ぐ考えを拒否するものである。
それでも宗教としての本義を主張するというのであれば、その宗教でさえありえていないという意味です。
「以信能入」とは中国、日本仏教やキリスト教でいう「信」ではありません。「信」は「信解」であり、
「納得が行ってはじめてその道に従う」と言う意味です。現状の宗教団体を仏教という宗教としてそていし、
「信」を論じるなら別ですよ。
364 :
NB ◆Zut9KezY :02/07/26 23:45
>>363 電波男さん。レスありがとうございます。
ううむ。(5)を期待してまちます。
明日は2ちゃんにこれないこと確定なんですけど、
楽しみでリアル世界の気もそぞろのNBではございました。
揚げ足取りって、宗教法人非課税のこと? でも、課税しないのは、
宗教とは基本的に有り難いものであって、税金を取るのはバチ当たり
だからって社会の共通認識があるからでわ?
>>365 ネタと理解しておきます。
そんな問題に対して「社会」なんて
おおざっぱな言い方…。
ちなみに揚げ足とりって、一番思ったのは
「奇跡」に関するところです。
浄土真宗でいえば「他力本願」みたいなもんか。
367 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/07/27 10:40
>358
それだけじゃありませんよ。瞑想中に悪魔と対話してその誑かしを克服したり、精霊たちと会話したり、
水上を歩行したり、難病人を癒したり、弟子を天界に連れて行ったり、その他諸々あります。
つけたりとして、「奇跡記述の排除」とは邪教研究命令を受けた聖書学者が述べた言葉そのものですよ。
368 :
P-たん ◆ymQETSmk :02/07/27 18:39
>> 367 あれはもともと聖書学者の言葉だったの?知らなかった。
>> 363 「信」というと「盲目的」という形容詞がつけられ得るものと理解されるのが現代の日本語の用法ですね。
だけど、おっしゃる通り、仏教用語では「心のきよらかさ=zraddhaa」ですものね。bhakti とは明確に区別しないと。
>>366 いや、真面目な話。宗教法人非課税という制度の根底にある理念は
本来はそうなんじゃない?
>>367 え゛、病気治癒も水上歩行もあるの?
370 :
P-たん ◆ymQETSmk :02/07/27 18:49
>>369 そういうところから、かつてはキリスト教と仏伝との影響関係が論ぜられたこともありますよ。
371 :
ベロ ◆od7XM/js :02/07/28 00:47
梶山雄一先生の「さとり」と「廻向」、1997人文書院、という本には仏伝の奇跡の事や
キリスト教との比較のことも論じられていますね。
「信」はプラサーダって習った覚えがある。バクティのような盲信とは区別すべきだって。
260です。あまり頻繁に書き込めないので、概括的な
カキコになってしまいますが……。
「メタレベル」については、ほぼNBさんの解説の通りです。どうも
ありがとうございました。たしかに、「非常に立場が近い」ようです
ね(w。ただし、私は非仏教徒(無宗教)ですが(爆。
で、この「メタレベル」の問題は、さまざまな方向に展開することが
できます。たとえば:
いわゆる「大乗非仏説」の問題は、現に制度として存在してしまって
いる大乗教団と切り離して考えることはできないと、私は考えます。
たとえば、
>>349で電波男さんの言われている1〜4の結論は、論理
的にはおそらく、もっとも整合的な解(の一つ?)だろうと思います。
仏教学者でもない私が、専門家にこんなことを申しあげるのは失礼か
もしれませんが、仏教学の知見をもとに仏教を論理的に捉え直したと
き、ほぼ必然的に、こういう結論になることは予想できます。
以上のことを認めたうえでしかし、この解答にしたがうなら、現在
仏教徒はほとんどいない、ということになってしまいます(w。このこ
との含意はなかなか複雑なものがありますが、さしあたり言えること
は、こうした立場は、ごく少数の「強い個人」のみが、しかもあくま
で個人的に維持しうるものだということです。もちろん、「強い個
人」にとって、それは正当な選択だと思います。「本来」仏教はそう
いう「強い個人」のものだったという想定も可能でしょう。それに合
わせたかたちで、仏教教団が規模をドラスティックに縮小してくれる
ならば、仏教は宗教として筋が通ります。
しかし言うまでもなく、そんなことはありえないでしょう。だとす
れば、現に動いてしまっている巨大な制度のなかで、「大乗非仏説」
が(いやむしろ近代化が)もたらしたさまざまな帰結とどう思想的に
対決するのか、何よりもまず、それが問われなくてはならないように
思うのです。巨大な制度は、明らかに「強い個人」を前提としていま
せん。ならば、単に「救い」の実利の主張にとどまらず、それに見合
ったかたちで、真理条件を鍛え上げていかねばならないのではないで
しょうか。
その意味で、NBさんの思考の揺れは、私にとってはなかなかリアル
です。
373 :
渡海 難 ◆0AE5SZ4. :02/07/28 09:58
ネズミを捕る猫がいい猫。ネズミを捕らない猫が悪い猫。人々を目覚まし、幸せをもたらす仏教が仏説仏教。幸せをもたらさない仏教は非仏説仏教。
詐欺師の開いた宗教で、借りてきた猫のように沈黙していた大学仏教は、みんな非仏説仏教。詐欺師の開いた宗教を褒めちぎっていた学者仏教も、みんな非仏説仏教。人生の糞の役にも立たない「でくの坊」は、みんな非仏説。
「大乗非仏説」説の方々よ、大衆の目を覚まし、大衆を幸せに導くような教えを説いて見てくださいな。それが出来なければ、「『非仏説』説」も非仏説ということになるでしょう。
誰でもいい。相手はなんでもいい。仕事でも、花でも、友人でも、家族でもいい。人生の困難にぶつかれば、その困難を嘘っこで「先生」とあだ名をつけてみなさいよ。あだ名を付けたら相手に隠れ、相手を自分勝手に「先生」と念じてみなさい。演技でいい。嘘でいい。
背筋を延ばし、腹式呼吸で呼吸を整え、静かに目をつぶり「先生、先生」と念じてみなさいよ。「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と念じてみなさい。
「阿弥陀」とは先生という意味だ。「仏」も先生という意味だ。「南無」は感嘆詞だ。かつて釈迦の弟子達が釈尊先生を「先生」という言葉で念じたように、「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と念じてみなさい。
絶望の中でも南無阿弥陀仏を重ねて称えていけば、見えなかったものが見えてくる。
聞こえなかったものがきっと聞こえてくる。気付かなかったものがきっと気づけてくる。人生の壁にぶつかり、進退窮まったときには、1日,2日,3日,4日、一心不乱(阿弥陀経)に称えてみなさい。
新たな光(無量光)が見え、行動に新たな命(無量寿)が少しでも吹き込まれれば、すばらしいことだ。最悪の最善の選択肢は見つからなくても、最悪の選択肢の選択は免れ、二善、三善の選択肢さえ選べれば、幸せと言うべきだろう。
念仏是真。念仏成仏これ真宗。念仏のみぞまことにておわします。
374 :
渡海 難 ◆0AE5SZ4. :02/07/28 10:01
>>373 誤 ことだ。最悪の最善の選択肢は見つからなくても、
正 ことだ。最善の選択肢は見つからなくても、
>>369 まあ、こんなところで、どうでしょ。
http://news.2ch.net/newsplus/kako/1022/10225/1022524140.html 706 名前: NB 投稿日: 02/05/30 12:45 ID:FzCxcOsU
>>654 えと、まあ、19世紀中盤から終わり頃のヨーロッパの状況が
それだと考えるけど。フランスの二月革命(だっけ?)以降。
一応、義務教育と普通選挙はセットだと思うんで。
ちなみに「近代国家」って単一の宗教を暗黙の了解にしてるから
現代みたいな他宗教・宗派の状況は苦手なんだよね。
そうしたことの反省(としておこうか)が「政教分離」を標榜する要因の大きな一つ。
宗教は国家権力の上に位置するものでもなく、下に位置するものでもない。
ってことね。「宗教法人法」はそうした国家権力と宗教がどう社会の中で
折り合いをつけるか。ってことが目的だし。
それを国家の庇護のもとに税金を免除されてる。とか勘違いする人がいるから
>>595みたいな的外れな意見がでてくるんでしょうね。
宗教家個人は同時に「日本国民」として、負うべき税金は
他の日本国民と同様に納めてるんだし。
376 :
NB ◆Zut9KezY :02/07/28 12:39
>>372さん。非仏教徒ってのは以前のカキコで知ってましたよ。
まあ、問題の所在を明らかにする過程においては宗教/信仰の有無
によって、違った結論が導き出されることはないかと…。
その後の問題は大いに違ってきますけど……(w
377 :
名無しさん@1周年:02/07/29 17:56
>>376、
正確には、元仏教徒っす(w。まあ、仏教、決して嫌いじゃないんですけど
ね。
大乗教典は「伝言ゲーム」という卓抜な表現がありましたけど。しかも、
原メッセージが復元不能だと、皆がどこか分かっている「伝言ゲーム」
……。不思議ですよねえ。
そうだとしたら、「伝言ゲーム」というあり方を/「伝言ゲーム」の
なかで「信じる」という行為は、どういうことになるんでしょうかね。
たぶん、「伝言ゲーム」という総体自体を承認しなければならないはず
ですが、それって、本気でやろうとしたら、気が遠くなりそうです。
そして、それは一体、「何を」していることになるんでしょうか。
こういうことがはっきりしないと、まるでオバケみたいだーと思って
しまうのも、たぶん、「近代的」感覚に「すぎない」んでしょうね(w。
しかし同時に、近代人であることをごまかしたら、もはや自分が自分
でなくなってしまうという意味で、その感覚の存在はやはり圧倒的だ
と思います。三昧の境地が多元的現実として描けるかどうかというこ
とよりも、そうした近代の否定できなさを、仏教がどのように対峙し
ようとしているのかが、なんつーか気になってしまう。
近代的感覚「にすぎない」科学至上主義に反発するかたちで、「信
仰」のリアリティが擁護される。これも分かるんですけどね。だが問
題は、近代に「すぎない」ことがらの、圧倒的な「否定しがたさ」、
その苦痛との対面だと思うんです。皆が皆、近代に「すぎない」こと
に気づかない馬鹿者ばっかりというわけでもないでしょう。
378 :
名無しさん@1周年:02/07/29 19:45
>>377 誠に申し訳ないんだけれども、ここでおっしゃっていることがわからない私は近代人ではないようです。単なる馬鹿なのかも知れませんが。
>近代的感覚「にすぎない」科学至上主義に反発するかたちで、「信仰」のリアリティが擁護される。
>近代に「すぎない」ことがらの、圧倒的な「否定しがたさ」
なんのことかわかりません。他の方でもいいですけど、具体的に説明していただけますか?
379 :
NB ◆Zut9KezY :02/07/29 20:14
>>378 分かりやすくいえば、「仏説は仏説と認められてきたことによって仏説と認められる」
という立場ですよ。
ちなみにいえば、
>>377さん。ぼくの主張するところは、そのような立場を正当化する
ための理論作りにあるんじゃありません。
まあ、また後ほど。
380 :
NB ◆Zut9KezY :02/07/29 20:19
ちょっと、補足するなら、近代的な実証主義の結論によっては仏教を理解した
ことにはならないとするならば、仏教は近代的な実証主義の世界観に住する
「近代人」とは交際の持ちようがないものとなっちゃうけど、それってどうよ?
ってことですね。
381 :
NB ◆Zut9KezY :02/07/29 20:21
ああ、訂正。
近代的な実証主義の結論によっては「本来の仏教」を理解することは
できないと、科学的・実証的に証明する立場があるとするならば、
仏教は、近代的な実証主義の世界観に住する我々現代人とは共有できる
問題を持ちようがないものとなっちゃうけど、それってどうよ?
あああああ、まだまだ訂正。っすけど。この際素直に
>>377さんにお任せします。
また後ほど。
383 :
名無しさん@1周年:02/07/29 21:08
>>379 まだ分かりにくいんですが、そうすると近代の立場というのは、どうしたら仏説を仏説と認めるんですか?
仏説と認識するものがいなくて、仏説が存在するとでもいうのでしょうか?
>>381 まだまだ訂正だそうですが一応。
現代人がその世界観によって仏教のいう無明を克服しているのなら、仏教は現代人にとって無用です。現代人が無明による苦悩を感じることができないのであれば、残念ながら仏教は滅ぶことを覚悟すべきだと思います。
384 :
名無しさん@1周年:02/07/29 21:34
>379
>分かりやすくいえば、「仏説は仏説と認められてきたことによって仏説と認められる」
>という立場ですよ。
分かりやすくいえば、「オウムは仏説と認められてきたことによって仏説と認められる」
という立場ですよ。
オウムは仏説と認められてきたことによってサリンをまいたのです と同じことですね、。
こ う い う の を 詭弁と言う。
主観はどこまでいっても 主観 事実ではない。
385 :
NB ◆Zut9KezY :02/07/29 22:10
>>383-384 議論の流れがつかめてないようです。もう少し前から読んでみてくださいな。
いろんな方がそれらについて言及してます。それでもご理解いただけないなら
少なくともぼくは無視させていただきます。悪しからず。
>>377さん。
>たぶん、「伝言ゲーム」という総体自体を承認しなければならないはずですが
はそのとおりだと思います。で、その上でできることの一例として
>>301を
ご参考ください。まあ、だいぶ前に考えていたことですから、今ならもっと
すごいことができると思います。
近代との対峙・対決。これこそがもっとも現代の仏教に求められているもの
だと考えます。それについてはあなた様も同じだと理解していますけど、
(対決ってのは違うんでしたっけ?)
クローンでも脳死でも、エコロジーだって、まあ、なんだっていいんですけど、
現代の仏教が、それらに仏教的思考による統一的な見解を導き出せないでいるのは
つまり、現代において「本来の仏教」と仮定・前提されているものが近代的「市民宗教」
のカリカチュア・エピゴーネンにすぎないからだろうと考えます。
重複になるんで、ごく乱暴にいいますけど。
でも、そのへんもきっと同じ認識じゃないかと思うんです。以上、確認まで。
それから、「多元的現実」なんて言葉をきくとピクッとなりますけど、
三昧の境地をを多元的に描いたところで、なんの意味もないでしょうね。
まあ、「有意性(レリバンス)構造」「妥当性(プローザビリティー)構造」とか
なんとかかんとか。まあ、そのへんは個人的にとうの昔の懐かしさになってますんで
もしアレだったら、おいおい。
仏教学における「自然的態度」を克服しようとするならば、社会科学的方法論の
お約束から1点だけはみだすことになるはず。
ってのだけ覚えてるんですけど。まあ、それが超ややこしいんです。
でも、そんなのここに書いてみてもあんまり意味ないかも、……です、、、
とにかく、問題は大乗非仏説をどうとらえるか。ってことでしょうね。
あるいは「原始仏教」仏説をどうとらえるか。
386 :
名無しさん@1周年:02/07/29 23:21
260=377です。風邪でふらふらですので、またしばらく訪れられない
と思いますが……。NBさん、ありがとうございました。
>>381 お見事です。たしかに、言いにくいですねー、これは。たぶん、
1)近代的な実証主義の結論によっては「本来の仏教」を理解することは
できないと、証明する立場があるとするならば、それは実証の側にあるの
か、仏教の側にあるのか?
という問題がまずあって、そのうえにさらに、
2)仏教は、近代的な実証主義の世界観に住する我々現代人とは共有できる
問題を持ちようがないものとなっちゃうけど、それってどうよ?(ホントは
1)にしたがってややこしい場合分けが必要)
という問題が出てくるという感じなんでしょうかね。
別の言い方をすれば、科学至上主義が「信仰」にすぎないからといって、仏
教の「信仰」の立場が、それで何か確保されたことにはならないはずなんだ
が、ということですね。これ、「小乗」が非仏説だからといって「大乗」が
仏説ということにはならないというのと、同型の論理だと思います。
387 :
名無しさん@1周年:02/07/29 23:22
>>385 >近代との対峙・対決。これこそがもっとも現代の仏教に求められているもの
>だと考えます。それについてはあなた様も同じだと理解していますけど、
>(対決ってのは違うんでしたっけ?)
はい。そう思います。
「対決」ではなく「対峙」だろうと言ったのは、たぶん近代の総体の完全な
相対化は不可能だろうと考えているからです。でもその手前で、どれだけ粘
れるか、見たい! って感じですかね。
>現代の仏教が、それらに仏教的思考による統一的な見解を導き出せないでい
>るのはつまり、現代において「本来の仏教」と仮定・前提されているものが
>近代的「市民宗教」のカリカチュア・エピゴーネンにすぎないからだろうと
>考えます。
>でも、そのへんもきっと同じ認識じゃないかと思うんです。以上、確認まで。
そうですね。おそらく、クローンだの脳死だのといった「問題」に憑依してし
まうことも含めて、「市民宗教」の戯画になっているんだろうと思います。
>仏教学における「自然的態度」を克服しようとするならば、社会科学的方法論の
>お約束から1点だけはみだすことになるはず。
>ってのだけ覚えてるんですけど。まあ、それが超ややこしいんです。
いや、前にシュッツに言及されていたので(w。「多元的現実」というの
はrelevance程度の意味で使ったのですが、まあそれはともかく。
「ぼくの主張するところは、そのような立場を正当化するための理論作り
にあるんじゃありません」というのは、何となく分かるのですが、もう少
し展開していただけませんか。
388 :
NB ◆Zut9KezY :02/07/29 23:40
>そうですね。おそらく、クローンだの脳死だのといった「問題」に憑依してし
>まうことも含めて、「市民宗教」の戯画になっているんだろうと思います。
見事に一本とられちゃいました(w
素直にうれしいです。ばしばしおながいします。
はい。「もう少し展開」については今日はご勘弁ください。ちと、しんどい。
おやすみなさい。
389 :
NB ◆Zut9KezY :02/07/30 01:56
ああ、ってか、まあ、仏教学においては、「人間釈迦の得た悟り」と同じ
「信憑性構造@バーガー」をこそ「至高の現実@シュッツ」と無条件で
前提しなくちゃならない。
(信憑性構造がプローザビリティーストラクチャーでしたね。たはは。)
そこだけは外しちゃったら、もう近代との対峙もくそもなくなっちゃう。
しかし、それって、ほんとはやっちゃいけないことなんですよね。
でも、それによって初めて、近代との交際が実現するわけで…。
つまり、日本近代において「近代仏教学」が必要とされた問題意識
との連続が確保されると。で、なんでそんなことが方法論的に許され
るかというと…。まあ、、、えと、、なんでだったけ?なんですけど。
今となっては。
(ある不注意で研究ノート全て紛失しちゃったんです。
三昧に入らないと思い出せない(笑&涙
まあ、そんな感じですね。以上はぼくの妄想的な話です。
基本的な問題把握については、シュッツを必要とする必要はないと思います。
普通に歴史学で十分かと…。(まあ、歴史学こそややこしいとも言えますけど)
まあ、とにかく、仏教学の「自然的態度」を徹底的に叩きなおすこと。
それがぼくの主張する立場の基本ですね。単純ですけど。
>>375 宗教者は制度に逃げるなってこと? などと突っ込んでみるテスト
テスト0点。といってみるテスト。
まだ下がり切ってませんでしたとレスなど付けてみたり
愛してるよ。
といってみる。テストじゃないよ(w
う〜ん。我ながらきもかった。と、言ってみる。(マジレス
つか、寝れないねえ〜〜〜〜〜〜〜〜。いや、寝るっす。おやすみなっさいませ。
思いので下げて見るテスト
思いじゃなくて重い! 語源学的には同じだが
>>397 激しく同意。いや、マジで。おおとも!397!
ハイデガーの『存在と時間』なんて、ダジャレのオンパレードで、
翻訳者が苦労するらしいね。寝れ。
400 :
名無しさん@1周年:02/07/30 10:44
大乗は仏説だと思うし、それでなんの問題もないと思うので、何が問題なのかわからない。議論の流れを読んでもわからない。
馬鹿は引っ込めということのようなので引っ込むが、ここで問題にされていることは本当に問題なのか、この問題によってどういう事態が起こっているのか、その問題が解決すれば何かの役に立つことなのか、そもそも解決できる種類の問題なのか、とそういう感想を抱いた。
そもそも近代とは、馬鹿にもわかるように話をするという面があったと思ってもみるが、しょうがないのでこれで引っ込む。
失礼しました。
「仏説は仏説と認められてきたことによって仏説と認められる」という
いかにもあやしげな形式が何を意味しうるのかが議論されていると思う
のですが。それでもなおかつ、「大乗は仏説だと思うし、それでなんの
問題もないと思う」のはあなたの自由だけど、論証抜きで言い放っても、
ただの感想にしかなりません。少なくとも、仏教の外部にはほとんど
説得力のない答え方だと思います。それだけでも「問題」なのでは?
その「問題」が「解決しうるか、役にたつか」etcは、まだ分からない
というべきだろうけど、すべての「問題」が、そのような解決形式を
とる必要はないし、それでも問題は問題でありつづけると思う。
>そもそも近代とは、馬鹿にもわかるように話をするという面があっ
>たと思ってもみるが
それは単なる誤解でしょうw)。400さんが「馬鹿」だとは思わないけ
ど、近代を、あるいは近代のなかで考えるということの難しさを、
少し馬鹿にしているのではないですか?
402 :
NB ◆Zut9KezY :02/07/30 16:00
もともと、日本の近代仏教学は「本来の仏教」を求めるために生まれた。と言って
いいと思います。その背景には、「各宗の所依の経典は釈迦金口の説ではない」
ことの実証的証明を無視しえなくなったこととか、科学的世界観(地球は丸いとか)の
流入とか、西洋諸思潮の流入とか、etc。
もはや、そういうことと無関係に仏教が近代世界に場を占める事ができなくなって
しまったんです。それゆえに、近代世界の中での立脚点を求めるべく近代的な研究法が
正当で権威を持つものとして仏教研究に採用されたのです。
ちなみに
>>400さんの「大乗は仏説だと思うし、それでなんの問題もないと思うので…」
という言い方は仏教史的に「大乗仏教徒普遍の意識」であるかのように自明視されるか
もしれませんが、そうではありません。
明らかにその言い方は、近代仏教学の研究成果によって可能となった言い方です。
また、そこでは、仏教の近代世界における立脚点となった「普遍宗教としての仏教」
といった立場によって「大乗仏教教理」が正当化されていることが前提となっています。
昔の宗教学だと「普遍宗教」は宗教というカテゴリーのトップの位置を占めるものですけど、
現代に生きる具体的な個人の意識の中では必ずしもそうではない。
文明の進歩とともに人々は皆「普遍宗教」のカテゴリーに入る宗教を「正しく」信仰する。
みたいなアナクロなことはもう誰だって信じていない。にもかかわらず、いまだに仏教理解
のパラダイムは「普遍宗教」なんですよね。この幻想と具体的な社会の現実のはざまで、
結構いろいろ、すごいことになっちゃってます。
たとえば、近代以前の各宗仏教教理史の蓄積と「カルト教祖様の仏教観」はどちらが「正しい」か。
については、どちらがより「普遍宗教」として適合的であるか。をもって判断する以外の
基準を現代の仏教は持っていないと言っていいでしょう。
どちらが「リアル」か?と問われれば口をつぐむしかない。みたいな。
403 :
渡海 難 ◆0AE5SZ4. :02/07/30 17:18
NBさんよ。
あなた一人をやり玉に上げるのは本意ではない。あなたはハンドルネームを使っているから、どうしても目に付く。あんた一人の問題でないことも断っておく。これは、教団全体の構造的欠陥だ。
あなたどう思う。大乗仏教は仏説か、非仏説か。こんな話は大乗仏教にとって重要な問題か?。
NBさんはどう思う?。世の中で困っている人が助かる教えなら、それが沖縄から来た話でも、北海道から来た話でも、やってきた出所は僕にとってどうでもいい問題なんだけどね。それともあなたはやはり高貴な御出身でないと価値はないと思う一人かね?。
大乗仏教は仏説ではない。偽物だ。大乗仏教が、本当に人々の役に立つものなら、なぜこんなこと言われなくちゃならんのか?。結局、クソの役にもたたんから言われるんだろう。NBさんどう思う?。
浄土真宗はお釈迦様の教えではない。仮にそれが嘘でも本当でも、本当に役立なら、大きなお世話じゃないのかい?。なんでこんなことを言われなくちゃならんのよ?。
結局、浄土真宗を始めとして大乗仏教を名乗る各宗派の教えが、社会で人々のクソの役にも立ってないゴミ宗教だからだろう。法座に真剣に通った人ほど、人生の苦難にぶつかったとき、激しくとまどい、悔しさと自己嫌悪に見舞われる。
僕も、十八歳から二十九歳まで真宗の法座に通った一人だ。人生の重要な節目でそれがクソの役にでも立った試しがなかったよ。最後はケンカ別れみたいにして分かれた。向こうは僕に最後に言った。「貴方に仏教を教えたのは間違いだった」と。
まあ、僕に仏教を教えたのは間違いだったかも知れないけど、仏教を教わったことは僕にとって間違いじゃなかったようだ。ただ、クソの役にも立たない内容で青春の大事な時間を浪費したということを除けばの話だ。
社会で本当に人々の役に立つものならば、仮にお釈迦様の教えでなくてもそんなことは誰も問題にしないだろう。偽物だなどと言う奴はいないだろう。
404 :
渡海 難 ◆0AE5SZ4. :02/07/30 17:18
「『信憑性構造@バーガー』をこそ『至高の現実@シュッツ』と無条件で前提しなくちゃならない」とか、「(信憑性構造がプローザビリティーストラクチャーでしたね。たはは。)そこだけは外しちゃったら、もう近代との対峙もくそもなくなっちゃう」とか。
「それゆえに、近代世界の中での立脚点を求めるべく近代的な研究法が正当で権威を持つものとして仏教研究に採用されたのです」とか。
僕には全くチンプンカンプンだ。あんたもお坊さんの端くれなら、社会で困難に立ち向かっている人の腹の足しになるようなことを少し考えたらどうよ?。それともお布施を貰わないところでは、社会に役立つまともな話をするのは損だとでも言うのか?。
あんたらの話を聞いても、人生で困ったときに、これじゃ誰一人腹の足しにならんぞ。非仏説だとさげすまれても文句は言えまい。あんたの話を聞けば、これは非仏説だと僕も本気でそう思うよ。
>「どちらが「リアル」か?と問われれば口をつぐむしかない」。
問われなくても口をつぐんだ方が社会にとって益になる坊さんは少なくないだろう。
405 :
NB ◆Zut9KezY :02/07/30 17:42
>社会で本当に人々の役に立つものならば、仮にお釈迦様の教えでなくても
>そんなことは誰も問題にしないだろう。偽物だなどと言う奴はいないだろう。
「役に立つ」という言葉の中身については保留しときますけど、そういう立場が
実際、シンプルで力強いのはそのとおりだと思います。
賛成ですしそうありたいと願ってますよ。
まあ、ただ、渡海さんが「本来の親鸞思想」というテーマでものを考えようと
するのは何故?ってところでご理解いただきたく。
406 :
渡海 難 ◆0AE5SZ4. :02/07/30 20:11
>>405 >「役に立つ」という言葉の中身については保留しときますけど
保留する必要はないだろう。大事なところだ。
少なくとも、お布施の増額に役に立つかと言う点では、坊さん達とは価値観が相違するかも知れないね。
>賛成ですしそうありたいと願ってますよ。
「仏説か非仏説か、そんなこたぁどうでもいいこった」。このぐらい、坊さんなら言ったらどうなのよ?。本当に願っているんなら。
>何故?ってところでご理解いただきたく
こっちはほとんど関心の無い問題なんで静観していたが、お門違いの話の流れに腹にすえかねるものが出てきたんですよ。
>>406 満之の言葉にありますよね。
世間が哲学を重んずれば、忽ち仏教は哲学的なりと云い、
世間が慈善を称すれば、忽ち仏教は慈善主義なりと云い、
世間が倫理道徳を…
ぼくの問題意識の根っこにはこの言葉に対する共感があるんですけど。
近代世界に、はじめて真宗の位置づけを与えたのは満之だろうと考えますけど
彼の「精神主義」だって、「近代」に対する認識なしには生まれなかった。
>>401さんのレスは渡海さんにもあてはまると思いますよ。
408 :
渡海 難 ◆0AE5SZ4. :02/07/31 19:24
>>407 >ぼくの問題意識の根っこにはこの言葉に対する共感があるんですけど。
僕は貴方の言葉に全く共感できません。アホらしくて返す言葉もない(苦笑)。。
>彼の「精神主義」だって、「近代」に対する認識なしには生まれなかった。
名前は同じ浄土真宗で紛らわしいが、貴方の浄土真宗は、僕の浄土真宗と縁もゆかりもないようだ(笑)。
>レスは渡海さんにもあてはまると思いますよ。
<あなたも坊さんの端くれを名乗るなら、ちっとは目を覚ましなさいよ。>
はぁあ。結局、罵倒か。つまり、基礎研究もなにもなしに医療行為を行えと。
どこが悪いかは手術してから決めよう。みたいな。
ま、別にいいですよ。(
>>408の4行目は噴きだしちゃいましたけど。)
仏像をひとつ作ることと、経典を一つ作ることは
まったく同じ行為であったかもしれない。
なんて言ってみても、1次元のテキストを1次元のままバラバラで
理解することしかしないあなたには理解できないでしょうね。
ま、今の仏教学の方法論だって似たようなもんか。めんどくさ。
あ、ちなみに「像」という言葉は「似て非なるもの」って意味ですね。
作仏形像其福甚多。
410 :
渡海 難 ◆0AE5SZ4. :02/08/01 18:06
>>409 :NB
>基礎研究もなにもなしに医療行為を行えと。どこが悪いかは手術してから決めよう。みたいな。
−笑−
患者の病理の基礎研究は誰も止めていない。
患者を前に手術しなけばならないとき、この手術装置は三菱製か、東芝製か、日立製かなどと、装置の製造メーカーの詮索を始める人がいますか?。装置の製造メーカーを検討することは基礎研究ではないですよね。
三菱製でも東芝製でも日立製でもいいんじゃないの?。確かにおかしな機械もあるからメーカを医者がしっかり検討することは大事かも知れない。でも、人類が二千数百年間も使いこんできた装置なら、安全性は折り紙付きだ。
手術前にそれが三菱製か東芝製かなどと議論することは、道楽と同じだ。研究に値しない。手術装置の製造メーカーを突き止めることが医療の基礎研究と言われても返事に困るのさ。
>408の4行目は噴きだしちゃいましたけど。
僕の本心ですよ。世の中に困っている人がたくさんいるときに、三菱製か東芝製かなどと、基礎研究と称してそんな議論を始める道楽真宗と同じだと思われたくないからね(笑)。
>1次元のテキストを1次元のままバラバラで理解する <??>
ようやく風邪が抜けたので来てみましたが、まあ、何と言いますか……。
私には分かりますよ、
> ああ、ってか、まあ、仏教学においては、「人間釈迦の得た悟り」と同じ
> 「信憑性構造@バーガー」をこそ「至高の現実@シュッツ」と無条件で
> 前提しなくちゃならない。
> そこだけは外しちゃったら、もう近代との対峙もくそもなくなっちゃう。
> しかし、それって、ほんとはやっちゃいけないことなんですよね。
というのは。シュッツやバーガー云々は、彼らの議論を知らない人は当然
分からないだろうし、必ずしも知ってなくてもいいと思いますけど(^^;。
ポイントは、「人間釈迦の得た悟り」というのを(外から)客観的に語れ
る地点があると措定するのは、ホントは仏教的にアウトなはずなんだけ
ど、ということでいいんですよね。「人間釈迦の得た悟り」を客観的に語
れる人は、定義上仏になっていなければおかしいから。かといって、それ
を拒否しきってしまえば、圧倒的な数の非宗教的人間にとっては、釈迦を
仏と見なすのは、「要するに仏教徒の趣味ですね」になりますから。伝統
教学の権威がそれだけ(必然的に)下がってしまっているので。
考えてみたら、これは「人間イエス」よりも、さらにヤバイ状況なのかも。
> 仏教の近代世界における立脚点となった「普遍宗教としての仏教」
> といった立場によって「大乗仏教教理」が正当化されていることが前提となっています。
大乗教典非仏説が実証的に否定できない。できないからこそ(という不思
議な逆接を経て)、大乗教理仏説へと反転する。反転のための土台は、じ
つは別のところで与えられているんだけど、そのことも次第に、意識のな
かから消されていってしまう(なかったことにされる)、というわけです
ね。
でも少なくとも(大乗)教典は、「普遍宗教」という基準を律儀に遵守す
るかたちで「制作」されたものではないはず。じゃあ何だったのかと言わ
れるとなかなか言葉になりにくいけど、とりあえずそこに帰ってみる必要
があるのではないか。
NBさんのお考えを推測すると、そういうような筋道になるんでしょうか。
うーん。個人的には、私はこうした問題は、ものすごく大事だと思いま
す。宗教であれ何であれ、自分が何者であるかを直視しようとしない知の
システムは、尊敬に値しないと、私は思っているので。ですから、真宗の
僧侶で、これらのことがらを真剣に考えておられる方がいらっしゃるのに
は、新鮮な感動がありました。本当を言うと、もっともっとお考えを訊い
てみたいのです。
でも、どうもここ向きの議論ではないのかもしれません。NBさんって個人
HPをお持ちじゃないんですか(w?
おおお、快気お祝いです。
まああ、対「近代」のキリスト教神学の蓄積ってうらやましいです。
仏教なんて幼稚園みたいなもんですね。
でもまあ、ほんと、そうやってレスいただけるんで涙でそうです(w
ああ、いや、半分冗談ですよ。って、まあ、、、
真宗に関していえば、ぼくの属する本願寺派はむかしっからミーハー
なとこありますからねえ。図らずしてぼくもその伝統に乗っかってる
のかと思うと、一人おかしくなっちゃいます。
まあ、大○英昭とか○峰顕とか、へんな人もいますけど、高田信○先生
みたいに良心的な方もいらっしゃいます。
ちなみに今のご門主が『異端の時代@バーガー』に言及されたこともありましたね。
びっくりしましたけど、(って、まあ、ちょっと流行でしたから…)でもあれだけ
読んでも理解できないだろうに。なんて思ってもみたり。(恐々謹白)
そういや佐々木某なる、ちょっと、なあ…、な人も…。
あああ、個人叩きはやめにして、
仏教学でもそういう認識をテーマにした論文(ってかエッセイ)も結構あるんです。
で、結論の決り文句が「このテーマは是非とも若い熱意ある研究者に…」なんて…
で、実際やってみると、見事にバカ見ちゃう(w
でも、個人的にはとっくに捨て去った問題でしたんで、どなたか「若い熱意ある…」方に…
なんて、、、、、、、まあ、素人にはおすすめできない(w
でも、そんな思いでここに書いてみたりしてます。まあ、まさに蟷螂の斧のごとき
ブレイクスルーではありますが。たはは。
また、あなた様にお答えできるように書きます。ご笑覧くだされば幸いです。
ああ、それから、個人HPは持ってませんです、
IBMのやつはPCに入ってるんですけど、
ここ2年ばかり構想のみで…。
>>410 だからあんたはあんたの道でがんばれ。
しかしあんたの以外の他人にはあんたとはちがう道があるのさ。
詰まるところ、自分と違う人間を否定してるのがあんたさ。
416 :
渡海 難 ◆0AE5SZ4. :02/08/04 13:07
>自分と違う人間を否定してるのがあんたさ。
自分を否定してくる迫力が渡海にあると思ってるのか、渡海に否定される弱みが自分にあると思ってるのか。
自力の心をむねとして 不思議の仏智をたのまねば 胎宮にうまれて五百歳 三宝の慈悲にはなれたり
お角違いの坊様は、千年経ても、目覚めまい(笑)。
↑ 日本語?
418 :
名無しさん@1周年:02/08/04 23:55
419 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/05 05:05
某スレではご鞭撻ありがとうございました。
「普遍宗教」としての位置付けのほかに、現代社会に新たな視角を与える
「思想」としての位置付け。ってのも近代世界での仏教の立脚点として
考える立場がありますけど、それにも反対の立場を表明しておきたいですね。
極端にいえば、歴史上全ての「仏教信仰者」の立場を擁護するための理論づくり
こそが、科学としての仏教研究には必要だと考えます。
いや、極端にいえば。ですけど…。
まあ、歴史上全ての「仏教信仰者」ってのは、「信」について電波男さんが
定義を与えてくださってあったら話がしやすいですけど。
また書きます。なんまんだ。
擁護って言葉もやっぱ気に食わないですねえ。
まあ、明らかにする。ってぐらいの意味で。
信仰者の主観に入り込めるような
客観的方法。ってないものかなあと。
421 :
渡海 難 ◆0AE5SZ4. :02/08/05 20:38
宣伝は削除依頼の対象と言うことで。
423 :
名無しさん@1周年:02/08/07 10:54
lk
私は法華経の信仰をしている家に生まれましたので24年間法華経の信仰をして
います。とはいいましても、お寺から出版されている本を読み始めたのは
18歳頃のことでしょうか。他宗のことも少々書いてありましたが、法然の
選択本願念仏集に(しゃへいかくほう)という言葉があるようなのですが
本当ですか?
425 :
名無しさん@1周年:02/08/07 11:43
241
426 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/07 11:53
427 :
名無しさん@1周年:02/08/07 12:03
立正安国論にはそうあるのですが・・・
429 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/07 18:49
>>428 『立正安国論』は日蓮の著作だろうが。(笑)
「私はアホです」と言ったのに対し、
「あいつはアホバカ間抜け、ハクチ、クズ、ボケ、女たらし」
と罵るのに同じ。
430 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/07 18:50
ま、創価学会をはじめとするカルトたちが法然を中傷する常套句ではあるけど、
文献に当たってからにしてくれ。
私は学会ではありません。
初めに1のかたが法華経について質問されていましたが
(ちなみに私は424から参加した1です。)
法華経のことは在家の者が簡単に話せることでは
ありませんので、近くの日蓮正宗、法華講のお寺に
いってみてはいかがでしょうか。
ちなみに日蓮宗では日蓮大聖人様を菩薩としています。
同じ日蓮正宗でも創価学会、正信会、顕正会がありますが、
自分の師僧の名を言えるのは法華講の御僧侶方でしょう。
日蓮正宗では日蓮大聖人様を仏様としています。
最近では、「俺が仏だ」という勘違いな方もいるよう
ですが。
シャヘイカクホウッテナニ?
435 :
P-たん ◆ymQETSmk :02/08/07 20:07
電波タン、久しぶり。いそがしいっすか?
さて、
>>424、
>>428 がいっている『選択集』は、『立正安国論』所引の
『選択集』の文を指していると思うけど。
電波さんはよくよくご存知のはずなんだけど、『立正安国論』所引の捨・閉・閣・抛当該箇所はすべて『選択集』に存在しますが
「ウソ」って言っちゃったそのココロをお聞かせくだされ。
436 :
名無しさん@1周年:02/08/07 20:41
>>424 立正安国論にそういう四文字熟語は出てこないですよ
「或は捨て、或は閉じ、或は閣き、或は抛つ。
この四字をもって・・・」
というような表現であったはずです。
「捨閉閣抛」というのは
選択本願念仏集にそう受け取れる記述がある
という事を端的に表現した後世の造語です
437 :
P-たん ◆ymQETSmk :02/08/07 21:06
>>436 すみません。お尋ねします。「捨閉閣抛」という四文字熟語で語るということは、
「或は捨て、或は閉じ、或は閣き、或は抛つ」とは異なる意味をもつことになる
のでしょうか?そのへんの事情をご教示ください。
私の知る限りでも、この四文字熟語は法然も日蓮も使っていないのは確かな
んだけれど。
438 :
名無しさん@1周年:02/08/07 21:19
>>437 436です、ごめなさい、私の書き方が悪くて混乱させてしまったでしょうか。
意味としては同じでしょう、ただ一言にまとめた方が教学を、
あるいは祖書学を学ぶ上で楽という事で、ずっと後の時代になって
宗派内でそういう表現法を取ったんでしょう。「あれは捨閉閣抛だ」と。
私は424の方が立正安国論の中にそういう熟語があると
勘違いされているのかなと思ってあんなレスを付けてみたのでした。
「捨閉閣抛」は新編御書の242ページに出てきました。
440 :
名無しさん@1周年:02/08/07 21:27
なるほど、見えて来た。日蓮宗的な仏教観からすっと、
法然、親鸞のそれはシャヘイカクホーて片付けられるワケだ。
441 :
名無しさん@1周年:02/08/07 21:52
>>440 新編御書とはいかなる代物か判らないけど
「菩薩及諸世天等載捨閉閣抛四字」
という部分の事ですか?。元が漢文だし
無理にここだけ熟語として読んだ事はないけど。
でもやはり大本の選択本願念仏集ではそういう記述法は
取ってないのではないかと。詳しくは電波男さんや
P−たんさんのレスを待ちましょう。
442 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/07 21:58
>>433 チミのようなハクチにはスレ違いなんだよ。
早く逝っちゃえヨ。
「久遠元始自受用報身如来」なんて命名は仏教について無知で愚鈍で落ちこぼれでないと
付けられないよ。(W
元始:始まりという限定をつけてしまっている以上、「仏」の概念から大きく離れてしまう
過誤に陥る
自受用:これでは仏でも菩薩でもない。単なる欲ボケ
報身:????説明不要の愚劣ハクチ脳味噌
如来:????こんな合成語、、、、、、はぁ。。。。。。
「計れば、それ速やかに生死を離れむと欲はば、二種の勝法の中に、しばらく
聖道門を閣いて、浄土門に選入すべし。浄土門に入らむと欲はば、正雑二行
の中に、しばらくもろもろの雑行を抛てて、選じてまさに正行に帰すべし。
正行を脩せむと欲はば、正助二業の中に、なほし助業を傍らにして、選じて
まさに正定を専らにすべし。正定の業とは即ちこれ仏名を称するなり。み名
を称すれば、必ず生ずることを得。仏の本願によるが故なり。」
↑法然著『選択本願念仏集』岩波文庫版p117〜118です
445 :
P-たん ◆ymQETSmk :02/08/07 22:40
>>443 (『選択集』第十六章段 俗に略選択という部分 これで 閣 抛 は完了)につけたりしときますね。
立正安国論に引用される部分です。
「道綽禅師聖道淨土の二門をたてて、しかも聖道を捨てて、まさしく淨土に帰するの文」(捨)『選択集』第一章段 篇目
「故に知ぬ。諸行は機にあらず、時をうしなへり。念佛往生は、機にあたり、時を得たり。感応豈唐捐ならんや。
まさに知べし。隨他の前には、暫定散の門をひらくといへども、隨自の後は、還て定散の門を閉ず。」(閉) 『選択集』第十二章段
446 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/07 22:43
>>443 それでも「しゃへいかくほう」と云う文句は無いでしょう。日蓮が中傷のために
漢字をくっつけただけ。「しゃへいかくほう」の目的語がそれぞれ異なるのに、
富士門流を中心として「法華経」と決め付けているしね。
ま、富士門流の害吉どもをこれ以上教育してやる義理は無いので、「しゃへいかくほう」
は打ち切り。
>>445,446
補足ありがとうございます。日蓮さんは著者の意図を歪曲して引用(?)し、中傷
したようなもんなのですね。
あの時代(それ以前から)の各宗の中傷合戦なんて
別に珍しくも無いとか思ったりするけどね
449 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/07 23:14
>>447 日蓮が法然の著作を歪曲したかどうかは判断保留です。
日蓮在世当時の念仏自体を批判非難する場合、その開祖たる法然の著述を批判する事
が必要だったと考える必要もあります。法然門下のすべては法然の意図から大きく外
れ、まさに無間地獄念仏に成り下がっていた事も事実です。現在を含めて。
日蓮自体、六種の弥陀をたて、本願について深い洞察を加えています。あまり知られて
いませんがね。
450 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/08 00:23
>>449 「事実」って、…。
もしかしてここは電波男さんの闇市場ですか。
仏教学的結論が百科事典の1項目以上の意味を持つ主張となるための。
いや、まあ、、、、、、、また。
451 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/08 00:26
つか、
http://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1025080834/171-175 171 :名無しさん@1周年 :02/08/05 22:19
転生輪廻やあの世について教えてくれる大学はどこですか。
そのような教授のいるところでもいいから教えて下さい。
172 :名無しさん@1周年 :02/08/05 22:20
ありません。
以上終了。
173 :Missin'You :02/08/05 22:21
>>171
そんな下らんコトを教える人間なぞいない。
怪しげなセミナーにでも参加しろ。
174 :名無しさん@1周年 :02/08/05 22:21
西荻窪の丹波邸へ逝け。
175 :名無しさん@1周年 :02/08/05 22:22
>>172-174 たたみかけましたな(w
このような意識についてどう思われます?
452 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/08 04:41
>>450 私が述べているのはなにも仏教学的結論だけじゃありません。
現実を顧みず、念仏に逃避していったことは事実じゃないとでも?
453 :
ベロ ◆od7XM/js :02/08/08 05:45
僕は「法華経」の一番言いたい事って、それまでは成仏が不可能と思われていた
あらゆるものが、実は「法華経」に依れば成仏が可能だったんだって事だと思う
のですが、皆さんのご意見はいかがでしょうか?
454 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/08 07:42
>>452 >現実を顧みず、念仏に逃避していったことは事実じゃないとでも?
これだけじゃ否定も肯定もできません。
「法然門下のすべて」じゃない主語をこっちでいろいろと
用意したとしても。
455 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/08 08:01
>>454 それでは順序が違いますよ。私は法然門下の宗義の全てを無間地獄の業だと断じて
います。宗派の中で立派な僧侶がいたとしても宗義の非無間地獄性を証明したこと
にはならないし、檀信徒が幸福だと自覚してもその証明にはなりません。
念仏宗の非無間地獄性をプロパガンダするために似非思想家たちが色々へ理屈を
こねまくっています。それに護教傾向がある限り無間地獄性を強める以外の効能は
ないと思いますよ。
ただし、念仏そのものを追及し、原理に帰ろうとする傾向は除きます。
456 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/08 08:10
死後往生を説いてしまった時点で無間地獄性を帯びるのです。
死後と現状(現世)を対比させ、穢土と浄土という相対性を洗脳し、死後の
安穏を憧憬させる。。。。。エホバより建ちが悪いカルトじゃないですか。
457 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/08 08:11
訂正
× 建ちが
○ 性質が
突然入ってきてしまってすみません。
名前の1は一番初めの人の権限でした。
次回からは424と名乗ります。
あの、折伏は決して他宗の悪口ではありません。
過去においては創価学会の強引なやりかたも
あったようですが。
460 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/08 09:36
>>459 いいえ、他宗への誹謗です。他宗の教義に収まらず、経典批判、人格批判にまで
及んでいます。
461 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/08 09:38
法太郎のような壊れた人間を数多く輩出する土壌が富士門流にはあるのです。
462 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/08 09:39
おおお、ありがとうございます。
「死後往生」自体は仏典に説かれた「仏説」ですけど(w
まあ、こんなのもありますよね。『論註』ですけど。
問ひていはく、大乗経論のなかに、処々に「衆生は畢竟無生にして虚空の
ごとし」と説けり。いかんが天親菩薩「願生」といふや。答へていはく、「衆
生は無生にして虚空のごとし」と説くに二種あり。一には、凡夫の謂ふところ
のごとき実の衆生、凡夫の見るところのごとき実の生死は、この所見の事、畢
竟じて所有なきこと、亀毛のごとく、虚空のごとし。二には、いはく、諸法は
因縁生のゆゑにすなはちこれ不生なり。所有なきこと虚空のごとし。天親菩薩
の願ずるところの生は、これ因縁の義なり。因縁の義のゆゑに仮に生と名づく。
凡夫の、実の衆生、実の生死ありと謂ふがごときにはあらず。
問ひていはく、なんの義によりてか往生と説く。答へていはく、この間の仮
名人のなかにおいて五念門を修するに、前念は後念のために因となる。穢土の
仮名人と浄土の仮名人と、決定して一なるを得ず、決定して異なるを得ず。前
心後心またかくのごとし。なにをもつてのゆゑに。もし一ならばすなはち因果
なく、もし異ならばすなはち相続にあらざればなり。この義は一異の門を観ず
る論のなかに委曲なり。第一行の三念門を釈しをはりぬ。
あと、一応、、、、、こんなのはどうでしょ(汗
http://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1021854405/162
463 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/08 10:48
>>462 申し訳ないが、その引用内容では死後往生になりません。
『論』及び『論註』自体の吟味も必要ですが、文献学を離れて、「宗教」を見る場合、
死後往生を説く事の弊害をじっくりと考えるべきです。
「往生」とは死様のことです。それまで生きてきた結果、集約のことです。その死が
たとえ事故死でも殺害でも野垂れ死にであっても墜落死であっても関係ありません。
死の瞬間における心のあり方です。それを死後に伸ばして責任回避すべきではないのです。
464 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/08 10:49
その死様を示し、その良い印象を他人に与え、影響を及ぼす事を還相廻向
というのです。
465 :
P-たん ◆ymQETSmk :02/08/08 12:34
>死後往生を説く事の弊害をじっくりと考えるべきです。
禿同。日蓮の所折の対象も、実際には良忠の息のかかった連中だった。
法然の神経質な言語表現もその意図を探らなければならないですね。
現世をあきらめて来世に望みをかける教義は、たやすく自殺を奨励し、
何もしないうちから凡夫の自覚とやらにあぐらをかくことに転換します。
466 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/08 13:25
>>465 >何もしないうちから凡夫の自覚とやらにあぐらをかくことに転換します。
このようにして観念遊戯に陥り、負の思想へと転落していくのが西谷流なのです。
凡夫の自覚とは死をゴールとして精一杯生きようとするところに生じるのであって、
観念のみから生じるのは魔の囁き以外の何者でもありません。
>>466 マイナスですか?
私は西谷の末流ですが、
>凡夫の自覚とは死をゴールとして精一杯生きようとするところに生じる
と思ってました。
祖師の思いの外あったのかしら・・・?
468 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/08 14:26
>>466 西谷啓仁が浄土教に関して「死をゴールとし、死後に関せず」と言ってますか?
もしそう言って、それを基本思想としているとすれば、私の認識を変えざるを得
ませんね。
私には似非実存主義を代入させた戯論としか思えないのですが。
469 :
名無しさん@1周年:02/08/08 14:29
>453
はい、「ほぼ」その通りです。
誰でも仏になれるという当時としては画期的な教えです。
で、現在は、本義を忘れ、枝葉末節に拘泥する愚か者を産みだしています。
経典なんて筏なんですからねえ。
川渡ったら捨てなさいって。
470 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/08 15:31
うーん。どうも、なんだかなあ。
念仏が電波男さんのおっしゃるような観念体系としても
存在していたことはそのとおりでしょうが、少なくとも
法然聖人の門流におけるそれとは別物ですね。
まあ、なんというか。
>「往生」とは死様のことです。
とか、
>>464のような還相廻向にいたっては、ぼくの立場
からは単なるトンデモ説にしか見えません。失礼でスマソですけど。
もしかして「非神話化」のようなことをおっしゃってるんですか?
まあ、ご承知かもしれませんし、ご参考になるかどうかわかりませんが、
本願寺覚如上人の『執持抄』より。
一切衆生のありさま、過去の業因まちまちなり。また死の縁無量なり。病にをかされ
て死するものあり、剣にあたりて死するものあり、水におぼれて死するものあ
り、火に焼けて死するものあり、乃至、寝死するものあり、酒狂して死するた
ぐひあり。これみな先世の業因なり、さらにのがるべきにあらず。かくのごと
きの死期にいたりて、一旦の妄心をおこさんほか、いかでか凡夫のならひ、名
号称念の正念もおこり、往生浄土の願心もあらんや。平生のとき期するとこ
ろの約束、もしたがはば、往生ののぞみむなしかるべし。しかれば平生の一念
によりて往生の得否は定まれるものなり。平生のとき不定のおもひに住せば、
かなふべからず。平生のとき善知識のことばのしたに帰命の一念を発得せば、
そのときをもつて娑婆のをはり、臨終とおもふべし。
いろいろ考えておきたいこともたくさんありますが、また夜にでもきます。
>>468 >西谷啓仁
納得。
電波サンが西山派の学派までご存知とはと、感心したのですが
いやぁ人名とは。私の不勉強でした。失礼しました。
472 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/08 17:26
>>470 真宗義でしかお話が出来ないのですか?あなた自身はどうなのですか?考える事を
放棄して人を「ト」呼ばわりするのはいただけませんね。あなたには還相廻向を理解
出来る前提があるとは思いません。その証拠として、あなたは本願寺覚如上人の『執持抄』
を掲げていらっしゃる。死に方の業因として先世を持ち出すところなど、さすが宗教
における差別の温床。
真宗義を捨て、真に浄土教と向き合うことをお勧めいたします。
473 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/08 17:29
>>471 申し訳ない。西谷流、、、永観堂ですね。まだ批判できるほどの要素を見出して
おりません。またそれほど西山派については勉強しておりません。少なくとも鎮西派
よりは評価できます。一旦鎮西に身を置くと、西山は非常に理解しにくくなるのは
不思議ですね。
474 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/08 17:51
>>472 と、いうか。「還相回向」といえば、超ふつうに「真宗義」の用語だと思いますが。
だからこそ、こうしてからんでいるわけで。違いましたかね?
それから、
>>470の引用は電波男さんの「往生」についての考え方に対する反証の
一例としてあげたまでで、なんか、、、。わざとやってません?
475 :
名無しさん@1周年:02/08/08 18:09
生きて身を 蓮の上に やどさずば
念佛まうす 甲斐やなからん
西山証空上人御歌
476 :
名無しさん@1周年:02/08/08 18:10
電波さんは、頭でっかちだね。死ぬ時なんて焦り狂うんだろうね。
477 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/08 18:13
>>474 還相廻向を真宗の専売特許と思い込んでいるところがイタイ。
瑜伽行唯識派の思想の中に既に見出せるのですよ。それが大乗では大きな意味を
持ってくるのです。この手の勘違いがあっては正しくものごとが見えません。
それとわざとやっているのではなく、反証として文献を出すのであれば、それに
加えてあなたの考えを付すべきだと言っているのです。
478 :
名無しさん@1周年:02/08/08 18:14
学べば学ぶほど、悟りから遠ざかっているんだよね。
479 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/08 18:14
>>475 永観堂のTさんですか?
ニアミスしていましたが、学生時代に親交を深めたかった人でもあります。
480 :
名無しさん@1周年:02/08/08 18:15
自分では偉いと思っているところがいたい。仏教って
手を合わすことでしょう?
481 :
名無しさん@1周年:02/08/08 18:15
仏教って懺悔だよね。決して神学じゃない。
482 :
名無しさん@1周年:02/08/08 18:17
いざという時に、細かい知識なんてなんの役にも立ちやしない。
483 :
名無しさん@1周年:02/08/08 18:17
電波男さんは、「輪廻」は無記で、「地獄」の方は存在しているわけ?
なんで?
>>電波男さん
いえいえ、ただの一般人です。家にあったお寺のパンフの写しです。
好きな歌なのでカキコしました。
ちなみに我が家は西山深草派の檀家です。
485 :
波木井坊竜尊@日蓮宗葵講 ◆tfDpfKU. :02/08/08 18:22
深草派かあ。散りじりになっちゃった法縁だねえ。
>>485 比較的マイナーな西山派の、さらにマイナーな深草派です(笑)
地元京都以外ではあんまり知られてないでしょうね(笑)
>>電波男さん&P−たんさん
申し遅れましたが、上の「当該箇所」のカキコは私です。今後とも
いろいろご教示ください。
488 :
渡海 難 ◆0AE5SZ4. :02/08/08 18:51
>>449 >まさに無間地獄念仏に成り下がっていた事も事実です。現在を含めて。
末尾は誠にその通り。日蓮さんの時代は知らないけど、現代のアホタレ坊主を見ると、まことに無間地獄そのものだと僕も思いますよ。
日蓮さんじゃないけど、僕だって念仏無間だと言いたくなる。バカタレ坊主に言ったことがある。「地獄に堕ちるぞ」と。
アホタレ宗ナントカ会の教祖などは、会員に善知識と呼ばせてるそうだ。信心決定したと宣言してるらしい。あれなんかは、無間地獄そのものだ。
>日蓮自体、六種の弥陀をたて、本願について深い洞察を加えています。あまり知られていませんがね。
彼は天台浄土教の影響を受けているんでしょう。唱題は観無量寿経に基づく天台浄土教の修練法だ。
>>453 :ベロ
>成仏が可能だった <成仏ってどういうことですか?>
>>456 >死後往生を説いてしまった時点で無間地獄性を帯びるのです。
ここは見解が相違します。気持ちは分かる感じです。
現代のバカタレ坊主の議論を見れば、あれは無間地獄に堕ちると言いたい。本当に堕ちるかどうかは保証の限りでないが、バカタレ坊主は、死後往生・還相回向・成仏という親鸞思想の基本的概念が分かってないようだ。
余所のスレで還相回向や厭離穢土なんかを議論しているけど、バカタレ議論の次元の低さにはいささかうんざりする。≪ココモ似タヨウナモンカ(苦笑)≫
>エホバより建ちが悪いカルトじゃないですか。 親鸞に共鳴する一人として、誠に恥ずかしい限りです。
489 :
渡海 難 ◆0AE5SZ4. :02/08/08 18:53
>>462 >「死後往生」自体は仏典に説かれた「仏説」ですけど <そんなこたぁないだろうよ。>
>『論註』ですけど。 <論註は死後往生なんて、一言も言ってないだろ。>
>あと、一応、、、、、こんなのはどうでしょ(汗
死後往生という思想は、親鸞の晩期に生まれたものだ。親鸞の晩年の手紙と、そのころの親鸞に影響を受けた弟子が書いた歎異抄とに出てくる。教行信証では全く触れていない。親鸞の思想は死後往生という思想で完成する。議論の伏線は観無量寿経や往生要集にたどれる。
ただ、仏教史上で実際に死後往生が出てきたのは晩期の親鸞からだ。教行信証は親鸞の四十代の書き物だ。ある重要な思想で教行信証には曖昧模糊としたものがある。死後往生という言葉が出てくると、曖昧模糊とした思想全体がひきしまってくる。
当時として親鸞は驚異的な長寿を全うしている。人生経験を踏む中で親鸞に死後往生が出てきた。それは蓮如によって大きく広まる。蓮如は、親鸞の思想を正確に理解している。往生と死というものが結びついたのは、戦国・江戸期以降だろう。
>>463 >死後往生を説く事の弊害をじっくりと考えるべきです。
ここは見解が相違する。気持ちは分かる。死という概念を入れないと説明しきれない概念がある。
>「往生」とは死様のことです。 <ここは見解が相違する。気持ちは分かる。>
>それを死後に伸ばして責任回避すべきではないのです。
<責任回避ではない。見解が相違する。気持ちは分かる。>
490 :
渡海 難 ◆0AE5SZ4. :02/08/08 18:55
>>464 >良い印象を他人に与え、影響を及ぼす事を還相廻向というのです。
ここは見解が相違する。語源は世親の浄土論にある。親鸞は還相廻向に独創的な思想を注いだ。世親・曇鸞の思想で考えるか、親鸞の独自思想に照らすかでニュアンスが違ってくる。どちらにも組みしない第三の立場があるならお聞きしたい。
自説の提唱であればそのように仰っていただきたい。
>>465 >死後往生を説く事の弊害をじっくりと考えるべきです。
死後往生を分かったつもりになって軽薄に議論する弊害はじっくりと考えるべきです。
>現世をあきらめて来世に望みをかける教義は、たやすく自殺を奨励し、何もしないうちから凡夫の自覚とやらにあぐらをかくことに転換します。
現世をあきらめて来世に望みをかける教義だと軽薄に思い、分かったつもりになるのはとても恐ろしいことです。たやすく自殺を奨励するとは思わないが、何もしないうちから物知りという自惚れた錯覚にあぐらをかくことに転換します。
491 :
名無しさん@1周年:02/08/08 18:55
つーか、電波氏のいっている無限地獄堕ちは、
渡海難も登録されているわけでしょ。
他人事のようにいってるけど。
492 :
渡海 難 ◆0AE5SZ4. :02/08/08 18:56
>>466 ウン。
>>470 >電波男さんのおっしゃるような観念体系としても存在していたことはそのとおりでしょうが、少なくとも法然聖人の門流におけるそれとは別物ですね。
電波男さんの主張は目新しいとも思えない。仏教本流の思想に近いんだろう。親鸞は空前絶後の独創的な主張をしている。親鸞の思想は、独創的な親鸞のはらわたを独立でつかまないと見えてこない。
はらわたをつかまないで親鸞思想を小手先で振り回せば、本流思想に出会ったときに火だるまになる。
論註が死後往生を説いているなどというのは、論註を読んでない証拠だ。論註を読まないで論註を議論しても余所じゃ通用しない。井の中の蛙になっている。
493 :
渡海 難 ◆0AE5SZ4. :02/08/08 19:04
>>483 >「輪廻」は無記で、「地獄」の方は存在しているわけ? なんで? <ウム? なるほど(笑)。>
>>491 >渡海難も登録されているわけでしょ。他人事のようにいってるけど。 <僕を呼んだ?>
494 :
渡海 難 ◆0AE5SZ4. :02/08/08 19:13
>>490 語源は世親の浄土論にある。 → 語源は曇鸞の論註にある。
どうも阿弥陀経の方のほうが多いようですね。
法華経の無量義経や比喩品にどのようなことが
とかれているかは関心がないようですね。
辛いのは、正宗=学会というイメージがあることです。
現在は組織が破門され、学会員も信徒資格を失っています。
496 :
波木井坊竜尊@日蓮宗葵講 ◆tfDpfKU. :02/08/08 20:38
>>495 お!正宗猿がよったったこといいだしそうだゾ。m(_ _)ノ彡☆バンバン、
「四十余年未顕真実」なんて咽まででかかってるゾ。この馬鹿は。
恥しい。
同じ日蓮系と思われたくねえよ。
497 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/08 20:46
無間地獄とは苦しみが間断なく続くことを言います。地獄という世界があると
考えるのはいいとして、全てに当てはめるところにハクチ性が出ていますね。
498 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/08 20:49
>>495 阿弥陀経のほうが多い???
何ゆーてんの????
法華経はある意味、浄土教であることが理解できないのなら話に加わりなさんな。
これだから富士門流の害吉は困る。
499 :
波木井坊竜尊@日蓮宗葵講 ◆tfDpfKU. :02/08/08 20:51
>>495 正宗=創価学会儀典部
だったナ。m(_ _)ノ彡☆バンバン、m(_ _)ノ彡☆バンバン、
500 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/08 20:52
>>475 西山深草派、、、よーくよーく存じておりますよ。関山先生も確かそうでしたね。
私が学んだのはお釈迦様が華厳、阿含、方等、般若、法華、涅槃と
とかれたことであって、浄土=法華ということはきいたことがありません。
502 :
波木井坊竜尊@日蓮宗葵講 ◆tfDpfKU. :02/08/08 20:55
ううむ。
503 :
波木井坊竜尊@日蓮宗葵講 ◆tfDpfKU. :02/08/08 20:56
じゃ理趣経や大日経はどうなんだ?
>>424さん、。
阿弥陀経は方等時にとかれたお経ですよね。
505 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/08 21:00
>>501 浄土教というのはな、、、、ドシロウト相手にやめておこう。害吉富士門流に何言っても
猫に小判だ。法華経の中に弥陀西方浄土を説いていないと思うのか?法華経における釈尊
の内証としての阿弥陀仏は釈尊の叔父に当たるのだぞ。その意味を考えてみ。
ま、仏教学のお勉強から始めてくれ。
506 :
波木井坊竜尊@日蓮宗葵講 ◆tfDpfKU. :02/08/08 21:00
まあ浄土三部経は、中国作だという話もあるがな。(藁)>504さん。
で理趣経や大日経はぁ!?
507 :
P-たん ◆ymQETSmk :02/08/08 21:00
>>501[鎮西や親鸞が説く] 浄土=[日蓮系諸派の]法華ではないですよ。
でもね、たしかに法華経は浄土教だと思いますよ。声聞たちが授記を受けるくだりなんて、浄土教そのものじゃないですか?
(浄土教という言葉の再定義は必要だけどね)
法然は一言だけ否定しているみたいだけど、寿量品の釈尊は阿弥陀仏とどこがちがうのだ?っておもいませんか?
適切な現代語訳もないし、ここで要約するヒマもないから経典名だけ挙げとくけど、悲華経を読んでから法華経・
無量寿経を読んでみてください。電波ちゃんが言っていることが理解できるとおもいますよ。
508 :
P-たん ◆ymQETSmk :02/08/08 21:01
あちゃ、505 でめちゃくちゃストレートに指摘。
509 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/08 21:02
五時八教を持ち込むな。それ以上愚劣を繰り返すべからず。
脳味噌が崩壊するぞい。
510 :
波木井坊竜尊@日蓮宗葵講 ◆tfDpfKU. :02/08/08 21:02
猿は浄土三部経を謗法だと思っているから読まないと思われ。(笑)
511 :
波木井坊竜尊@日蓮宗葵講 ◆tfDpfKU. :02/08/08 21:04
正宗猿は御怪談様の御法前で方便品と寿量品よんで、マスかいてれば
よろしい。(藁)
512 :
P-たん ◆ymQETSmk :02/08/08 21:05
>>504 いいかげん宗我にこりかたまるのはやめておけよ。
あなただけではなく、浄土系もひどいものだがね。
自分のノーミソをつかってみれ
513 :
波木井坊竜尊@日蓮宗葵講 ◆tfDpfKU. :02/08/08 21:09
正宗猿に何言っても無駄だよ。所詮、カルトだもん。(大藁)
514 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/08 21:10
波木井さんお久しぶり。
日蓮が浄土三部経自体を批判していないことを知らないんだよね。
浄土三部経と念仏宗とない交ぜにして批判しているように誤解、誤読してるんだと
思います。日蓮が『観無量寿経』の唯除誹謗正法を根拠にして念仏宗を批判している
ということが、日蓮自体が浄土三部経に拠っていると言う当たり前の論理的帰結を富
士門流が見出せないんだから処置ナシです。
515 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/08 21:13
>>504 まだ正宗に染まりきっていないように思われます。
いまから脱講して仏教学をご自身で勉強される事をお勧めします。
516 :
波木井坊竜尊@日蓮宗葵講 ◆tfDpfKU. :02/08/08 21:18
>>514 富士門は一切そういう教学的なこと知りませんからねえ。”四十余年未顕真実”
って言えば、浄土系なんて軽いさ、なんて教え込まれているからです。(苦笑)
その辺のことは電波男さんのほうがお詳しいかと存じますが。
しかし、いやはやご無沙汰しています。電波男さん。m(__)m
517 :
名無しさん@1周年:02/08/08 21:27
そう言う迷宮からは早く抜け出たほうが良いと思うよ。
迷宮の地理に詳しくても、自慢にもならない。そこは
一つのブラックボックスであって、釈迦の教えとは
なんのかかわりも無い。仏徒は横目で、あの黒い構築物は
なんだと一瞬思うことさえ時間の無駄と言うものだ。
例えて言えばピカチュウの世界に詳しいのと同じ。
電波オトコ=ピカピカぴかちゅー・オタク。
518 :
名無しさん@1周年:02/08/08 21:28
↑よくわからんので日本語で書いてくれ
519 :
P-たん ◆ymQETSmk :02/08/08 21:31
514 を読むまで 510 の意味がわからんかった(w
ごめんなさいね
>>510
520 :
名無しさん@1周年:02/08/08 21:31
>>518 釈迦の教えとは全く無縁の、意味の無いことを話し合っても仕方ないよ。
521 :
波木井坊竜尊@日蓮宗葵講 ◆tfDpfKU. :02/08/08 22:08
じゃあ、その釈迦の教えってなんだよ。
俺も電波男さんも大乗非仏説をとるものだ。しかし大乗経典が釈迦と全く無縁で
無意味といえるか?上座部仏教の人たちだって大乗仏教典は尊重する。
釈迦の教え、ってナニ??どれがキミの思う”本当の教え”だっていうの??
522 :
波木井坊竜尊@日蓮宗葵講 ◆tfDpfKU. :02/08/08 22:10
>>519 日蓮大聖人の浄土批判の中味を何たるかを知っている電波男さんならではの
すばらしい切り替えし、ですね。
まあ電波男さんだから、即答できたと。そういうワケです。
523 :
波木井坊竜尊@日蓮宗葵講 ◆tfDpfKU. :02/08/08 22:11
しかし、日蓮正宗の馬鹿猿は・・・・。未だに「四十余年未顕真実」・・・。
恥しい。ムンクの叫び状態になりそうです。
524 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/08 22:45
うっわーーーー。ずいぶんと排他的&つまらんスレになっちゃってますけど、
五時八教。別に宗我とか、そんなこという必要も資格もないと思います。仏教学。
それとも、、、、、、ってか、まあ、今日はだいぶ酔ってしまったんで、、、また今度。
ああ、でも、やっぱ、仏教学は徹底的に叩いておかないといけないようですね。乞うご期待。
って、また今度。
525 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/08 22:55
ちなみに電波男さん。つっこめないんじゃなくって、あえて突っ込まない
所も結構あるんですけど。まあ、また今度。
別にケンカしたいわけじゃないのに…。お望みですか?
526 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/08 23:37
>>524 私の言うところ、全て仏教学とでもお考えでしょうか?
仏教学を徹底的に叩く?100年早いですよ。
NBさんの諸説には非常に拙いところが随所に見られます。思想的考察にしても
甘すぎる。別に大した害が無いから突っ込まなかっただけなんですよ。
富士門流のカルト性についてまったく認識が欠如している人には宗教に携わるも
のとして、「排他的だ」と言う資格がありません。
それと、ケンカしたいように読み取れますか?議論の手順、考ええる筋道を整えよう
とする発言をそのようにしか読解できないのであれば、思想を語る資格がありません。
それと、「仏教学」に付いてあなたは決定的に無知です。それ以前に仏教学を括ってしまう
こと自体問題があります。
そもそも何をもってカルトというのでしょう。
あやしいことは無いとおもいますが。
方便品と寿量品のの勤行にしても意味があります。
ひとつだけいえるのは、末法の法華経の行者は日蓮大聖人様
ただおひとりです。
コテハン同士の対話って神経使うよねー
529 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/08 23:46
>>NBさん
つけたりですが、私は伝統宗教、組織宗教、教団などは宗教ないし仏教としては
一切認めない立場なのです。ですから自分の言葉ではなく、宗義に語らせる態度
を潔しとはしません。
還相廻向についてのコメントは?ひょっとしてこれでムキになってるのですか?
『論註』で空振りしたから逆切れしているのですか?よくわからんひとだ。
もっともっと評価していたのに。。。
530 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/08 23:47
>>527 >そもそも何をもってカルトというのでしょう。
↓これです。
>ひとつだけいえるのは、末法の法華経の行者は日蓮大聖人様
ただおひとりです。
531 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/09 07:07
ふふふ。楽しいっすね。
仏教学を叩くということは、仏教学を相対化できる視点が存在するかどうか
について議論することに他なりません。
仏教学的な知見がはたして、絶対であるのか。絶対であるとするならば、はたして
どのようにして絶対であるのか。とか、そんなの。
ですから、仮に、ぼくが仏教学を叩くのが百年早いとして、あるいは仏教学について
決定的に無知であるとして、電波男さんはそのような視角について否定できますか?
あるいはそのような視角について論ずることが無意味であると言えますでしょうか?
まあ、ぼくの論が「非常に拙い」とおっしゃるならば、
>>349について仏教学の位置づけ
も含めて書いてくだされば、それに乗っかってお話させていただいても結構ですよ。
ぼくは僧侶ですから、浄土真宗のご法義について素手で手づかみなさるようなおっしゃり
様には好むと好まざるとに関わらず突っ込みをいれずにはおれません。
また、おんなじ理由で、電波男さんのお立場には常に敬意を払っておりますよ。
まあ、まず、それだけは申し上げておきましょうか。
532 :
P-たん ◆ymQETSmk :02/08/09 07:45
>>531 このスレのずーっと上の方のレスでNBさんのおっしゃっていることの意味がよくわからなかったのですが、
この辺で多少理解できてきました。
仏教学を相対化する視点とおっしゃいますが、仏教学の方法が「再検証可能な科学的方法」である以上、
理性による論理的な思考による学問ですから自己完結しない相対的な立場です。
(ここの説明は不要ですね:浄土真宗の御法義を尊重されるあなたならカントやゲーデルを持ち出さなくて
も中論で確認できるでしょう)
一方でご法義とやらもコトバによるという点ではその限界は仏教学とかわるものではない。むしろ仏教学の
限界が方法論上のものであるのに対して、教団内で確立された自宗の宗義にこだわることは特定の集団
内でしか容認されないドグマをドグマであると認識できない(しようとしない)という点でより仏教学の立場以
上に大きな制約と人心をまどわす危険性をもつことになります。
しょせんは教団組織によって作り上げられたモノですわ。
>>531 お尋ねしますが、浄土真宗のご法義とおっしゃいますけれど、それは誰によって確定されたものなのですか?
親鸞ですか?法然ですか?あるいは善導?ひょっとして蓮如?いずれも不正解ではないですか?
清沢満之の取り扱い一つとっても彼の在世当時と現在ではまったく違いますね。そんなにいいかげんなもの
にこだわる必要はあるのですか?あなたの信仰ですから、それをとやかく言うことはできませんけどね。
533 :
P-たん ◆ymQETSmk :02/08/09 07:57
つけたり。だからといって現在の仏教学マンセーというわけではないですよ (w
534 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/09 08:59
>>NBさん
あはははは。
いままでそんな幼稚な知見でお話されていたのですか?仏教学と真宗義を相対化
させていたなんて、そんなもの学部1回生で克服すべきものですよ。
法義や宗義なぞ、鷲づかみにしてこなごなに分解し粗探しすべきです。僧侶たるもの
盲信していてはいけません。親鸞の思想の本質自体はあまり否定すべきところは無い
のですが、その後がだめですね。腐った組織宗教の中で、自身を正し続けるのはベロ
さんのように常に原理に帰ろうとする態度があるかどうかで決まります。決して護教
精神ではありません。護教は宗教を腐らせるのです。
535 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/09 09:02
「還相廻向」についても同じです。私は本来の意味でお話していたのに、NBさん
は真宗義で反論している。まるで創価学会と「無我」について議論しているみた
いですよ。
>>534 かなり激しく同意。
宗義にしろなんにしろ鵜呑み・盲信は恥ずべき行為ですね。
537 :
名無しさん@1周年:02/08/09 11:40
電波男さんって、いってること矛盾してない?
>私は法然門下の宗義の全てを無間地獄の業だと断じています。宗派の中で立派な僧侶がいたとしても宗義の非無間地獄性を証明したこと
にはならないし、檀信徒が幸福だと自覚してもその証明にはなりません。
「無間地獄の業」って何よ。「檀信徒が幸福だと自覚しても」っていうからには、現在ではなく「死後」の地獄の存在を暗示して、脅しているわけでしょ?
>無間地獄とは苦しみが間断なく続くことを言います。地獄という世界があると
考えるのはいいとして、全てに当てはめるところにハクチ性が出ていますね。
「地獄という世界があると考えるのはいいとしても」って w。
地獄という世界の存在を肯定してるの?してないの? はっきりしないなあ。
とくいの「ハクチ」も乱発しすぎて、最近はインフレ気味。
>「往生」とは死様のことです。それまで生きてきた結果、集約のことです。その死が
たとえ事故死でも殺害でも野垂れ死にであっても墜落死であっても関係ありません。
死の瞬間における心のあり方です。それを死後に伸ばして責任回避すべきではないのです。
基本的には、電波オジサン、この立場なのよね。それだったら、なんで地獄落ちだのいって、人のこと脅せるのよ。
他の人を攻撃するときに限って「死後に伸ばして責任」を問いただすのが大好きなわけ?
「私は法然門下の宗義の全てを無間地獄の業だと断じて います。」なんて脅迫しちゃうのって、フェアではないよ。w
電波男氏の基本的な立場は「三法印と形而上学に対する無記」でしょ。
輪廻についても、地獄(という世界)についても、「無記」であればそれは一貫してるけど、
あるときは「断見」、
あるときは「無記」、
あるときは「無限地獄をふりまわしての脅し」の混在。
脱マインドコントロール商売には都合がいいだろうけど、これでは言ってること滅茶苦茶でないの。
538 :
名無しさん@1周年:02/08/09 11:51
無限地獄×
無間地獄○
539 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/09 12:14
>>537 もっと読解力を養ってください。
わたしは地獄と言う別世界を認めませんよ。無間地獄とはある苦しみの状態を
あらわす言葉。
540 :
名無しさん@1周年:02/08/09 12:14
>>537 だから電波なんでしょう。
とにかく相手をへこますことが第一主義。
541 :
Ψ(*д*)Ψ:02/08/09 12:48
そうだよね、つまんないよね。
頭でかすぎ。
難しい言葉たくさん使うけど、
実際にいいたことはたいした内容じゃない。
しょうもな。
542 :
波木井坊竜尊@日蓮宗葵講 ◆tfDpfKU. :02/08/09 12:50
おいおい。
地獄を否定したからって浄土は否定されちゃいねえぞ。(大藁)
お昼なんでとりあえずのぞいてみました。
また夜にでも。
>>電波男さん
>関山先生
仏教文学の関山和夫先生って深草派だったのですか?
文学ついでに…
昔『平家物語』の灌頂の巻を読んでいて、「六道の沙汰」のくだりの女
院の述懐に描かれる六道を彷徨う人間の姿に、輪廻って他でもない、
今生で体験するものなのだと思い、感じ入ってしまいました。
545 :
名無しさん@1周年:02/08/09 13:29
あのですねえ、電波さん。
>檀信徒が幸福だと自覚してもその証明にはなりません。
「檀信徒が幸福」だとしたら、それでいいわけじゃん。主観的にはこれは全然「地獄」じゃないんだから。
電波さんがもしそれ以外の「無間地獄」をいうのであれば、この文脈では「地獄という世界」を暗示しているわけでしょう。
しかしそれを逆に問い詰められると、急に「無間地獄とはある苦しみの状態をあらわす言葉。」といって逃げる。
>私は法然門下の宗義の全てを無間地獄の業だと断じています。宗派の中で立派な僧侶がいたとしても宗
義の非無間地獄性を証明したことにはならないし、
じゃあ、これは何? 立派な僧侶はいつ苦しむといいたいわけ。壇信徒はいつ苦しむわけ?
いまは少なくとも苦しんでないんだよね。
電波さんはここで、凄くずるく曖昧に、来世を暗示してみせているのではないの。
少なくともこの文脈では。「積極的に」、来世も地獄も肯定している表現ではないの、ここでは。
それって、あなたが否定しているカルトの脅迫の手口と同じじゃない。
ほんとうは、「来世」も「無間地獄」も、電波男の隠しカードとして使われてるじゃん。
輪廻の議論のときもそうなんだけど、電波氏のは「断見」なのか、「無記」なのか、曖昧なのよ。
というより、「無記」を自称しているくせに、ときおり「断見」であるかのようにふるまったり。
それって意図的なの? 戦略なの?
だとしたらずいぶん不親切だよね。ご自分に学識があり、仏教を啓蒙するという使命感がおありになるのなら、
それを一貫したらいいじゃない。
それはそれで立派なことだよ。そんな責任がないとつっぱねるなら、2ちゃんやめれば。
別に、ひろゆきから金もらってるわけじゃないんだし。
気に食わないレスがあると、途端に罵倒する。
何が「もっと読解力を養ってください。」なんだろ。
政治の世界でも、もう恫喝の時代じゃないって、知ってた?
ひょっとして電波男氏は、2ちゃんねる宗教板の裸の王様?
546 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/09 13:48
>>545 ハクチはもう引っ込みなさい。どれだけ外しているか解っていますか?恐らく個々にいる
全ての人があなたを嘲り笑っていますよ。それにあなたに問い詰められるほど落ちぶれて
いませんよ。
無間地獄とは間断なく苦しみが続く状態であり、来世に赴く別世界の事ではないのです。
私がいつ「来世」などを隠しカードとして使いましたか?
恫喝という外しまくりのレッテル貼りもあなたの情緒を疑わざるをえません。
現世を顧みず、来世の安穏をたのみ、念仏に逃避していくことは現世において多くの苦しみが
生じる原因になるということを「無間地獄の業」と言うのです。
地獄といった場合、仏教では本来的に苦しみを形容するものであって、来世の別世界を示しません。
「断見」と「無記」が曖昧?それはあなたに考える素養が無いからです。
547 :
名無しさん@1周年:02/08/09 13:53
548 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/09 13:53
地獄といえば、「来世の別世界」
輪廻といえば、「生れ変り」
もういい加減にバカな先入観や呪縛からはなれたらどうですか?
私が罵倒するのは結論が出ているものに対して、納得せず論に服さない人に
対してです。もしよろしければ、あなたの「論に服さない態度」を論理的に
分解していかに愚劣であるかを証明しましょうか?論理学的手法を元にして。
そうすれば、「ハクチ」と罵るよりもはるかにあなたのプライドを傷つける事に
成りますよ。再起不能なぐらいにね。
549 :
名無しさん@1周年:02/08/09 13:57
>恐らく個々にいる全ての人があなたを嘲り笑っていますよ
ギャラリーをたのむほど、電波さんも落ちぶれたかな。どうでもいいじゃないの、そんなこと。
あなたにとって「嘲り笑われる」ことは重大な過失なのかな。
>それにあなたに問い詰められるほど落ちぶれていませんよ。
やっぱりお年を気にしてる?
で、これ以下は、あなたがさんざんいってきたことでしょ。
繰り返さなくてもいいですよ。
550 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/09 14:00
>>544 関山先生の著書をお読みでしたか。専門書であっても楽しく引き込まれるように
お書きになるのは先生の才能というか人間味に起因するところが大きいかと思い
ます。先生は仏教学ではありませんが、文学や文化からのアプローチで仏教の本
質をがぎとっている数少ない人だと私は思いますよ。
551 :
名無しさん@1周年:02/08/09 14:04
>548
それはわかったってば。
だからそのことをいっているんじゃないって、電波さん。w
537と545は、電波さんの「使い分け」がおかしいといってるの。
それにこちらは、プライドでカキコしているわけではないしね。
そこからしてもうハズしてるよ、このオッサン。
こんなチンピラ「再起不能」にして何が楽しいかね。
「それにあなたに問い詰められるほど落ちぶれていませんよ。」
こんな言葉も出しちゃだめだってば、電波さん。
552 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/09 14:05
>>549 あなたがいかに愚劣かを説明するのにあなたのレベルに合わせてギャラリー
を持ち出したまでですよ。自説を論述するのに他をたのむことなど致しませ
ん。じゃ、ギャラリーに「詭弁論理学」を示すためにもあなたの発言の愚劣
さを分析してみましょう。ですからもうコメントしなくていいですよ。ご自
身の首を締めるだけですから。どうしても相手になって欲しいのならコテハ
ンにしてから出直しなさい。
553 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/09 14:13
>>551 「使い分け」と判断するその基準がおかしいと思いますよ。
文脈を読めていない。
再起不能にして楽しいのではなく、詭弁論理を解説し、あるいは復習するのに
いい見本を手に入れたというほどですよ。
554 :
名無しさん@1周年:02/08/09 14:17
見本なら、ご自分のレス使えば。
その方が内容も情報量もあるしね。w
555 :
ベロ ◆od7XM/js :02/08/09 14:33
僕は電波男さんの「法然門下の宗義の全てを無間地獄の業と断ずる」態度には全く
違和感を感じません。禿同です。「無間地獄」という言葉の使い方も来世を想定
してのものではない事は文脈からあきらかでしょう。「仏法をダメにする」という
意味だと思いますよ。
電波男さんとNBさんとの議論は「仏教(浄土教)原理主義」VS「真宗義」の
構図がすごく面白く期待しています。僕はNBさんのような愛山護法の態度はとても
とれません。ある意味尊敬いたしております。電波男さんは浄土宗の「西山義」と
「鎮西義」の違いとはどんなものだとお考えでしょうか?
あぼーん
557 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/08/09 14:41
相対立するものに結論でるまじ。
ささ、お茶が入りましたよ。
召し上がってくだされ。
558 :
名無しさん@1周年:02/08/09 14:45
>557
下がれ、茶坊主。
失せろ。
559 :
名無しさん@1周年:02/08/09 14:49
560 :
波木井坊竜尊@日蓮宗葵講 ◆tfDpfKU. :02/08/09 14:50
茶坊主のどこが悪いぃ〜〜。(藁)
561 :
名無しさん@1周年:02/08/09 14:56
というわけでホッケキョーは放置路線で逝きます
562 :
名無しさん@1周年:02/08/09 14:57
>電波男さんとNBさんとの議論は「仏教(浄土教)原理主義」VS「真宗義」
>の構図がすごく面白く期待しています。僕はNBさんのような愛山護法の態度
>はとてもとれません。
NBさんはそんな単純に保守的な愛山護法の立場じゃないように思いますけど……。
563 :
名無しさん@1周年:02/08/09 15:03
近代仏教学の外部がいきなり全部保守反動的な「護教」になるわけではない
でしょう。
そういうのも、たしかにたくさんあるんだろうけど。
前近代的「護教」主義に「対決」する素朴近代主義って図式は退屈。
どっちかといえば、ある程度自己批判しているようで
その実宗義の枠に縛られている主張を傍観したい。
565 :
名無しさん@1周年:02/08/09 15:41
560 ←この男をどうにかしてくれ。
節操なく、出没して、唾吐いていく。みんなの迷惑。
566 :
名無しさん@1周年:02/08/09 15:51
冷やかしは放置でお願いします
567 :
名無しさん@1周年:02/08/09 16:19
>>562 でも仏教のコンテキストのなかで、真宗の法義を基準にする態度は護教と
思われてもしかたがないのでは?
NBさんはそのことに関しては何の回答もしていませんよ。
大本狂のカルト信者は放置でおながいします
>>電波男さん
>関山先生の著書をお読みでしたか。
伝統芸能関係の調べ物に『説教の歴史』を使いました。仏教的な視点からも
興味深く再読してみます。ご指摘ありがとうございました。
570 :
名無しさん@1周年:02/08/09 19:21
>>521 あなた達の、語り合っている態度が、全く仏教とは無縁。
魑魅魍魎の世界だよ。
571 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/09 20:42
はい、どうも。なんか盛り上がってるんで、びっくりです。
リアル世界で長丁場の喧騒を終えたばかりであんまりパワー
ありませんけど、、、一応。
>>532 >浄土真宗のご法義とおっしゃいますけれど、それは誰によって確定されたものなのですか?
とのことですけど。これは、いうまでもなく、阿弥陀仏によって確定されたものですね。
「思想」的な切り取りかたによって、このような立場を否定すること
についてはP-たんさんもお考えがおありかと思いますけど。
>>320とか。
おっしゃるとおり、仏教学は「再検証可能な科学的方法」なわけですから。
それの意味するところは、つまり、仏教学を「信仰」することはできない。
ということですよね。(まあ、別に修行とかでもいいですけど)
にもかかわらず、
>>512のレスは、あんまりじゃなかったでしょうかね。
五時八教によって立ち現れる釈尊観を「信仰」する立場は現実にあるわけですから。
大乗経典の全体によって示される世界観とその実体論的な地位や、
あるいは信仰者の主観までもを批判的に検討することの必要性
については、まったく異論はありませんけど、それにはやっぱり、
それなりに慎重な手続きが必要だと思います。
と、いうようなところで
>>533であるならば、ぼくとしては
何の異存も反論もありませんね。あとはどんなところがそうなの
かについてお考えをお聞かせ願いたいと思うだけで。
572 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/09 20:43
>>534 >仏教学と真宗義を相対化させていたなんて
とのことですけど、仏教学を相対化するための視点はあくまでも
「科学的」でなければならないと考えてますよ。
過去レスでもさんざ言ってるのに、、どうも、、ご理解いただいてないようで。
で、一宗の「法義や宗義」を主体的に行ずる(信ずる)人の主観的意識に
聞いていくという立場もあるわけで、そこには単なる「盲信」と断ずる
ことのできない知的レベルがありますね。まあ、なんつうか。
というか、仏教史的にはむしろそっちのほうが多いんじゃないでしょうかね。
適当な意見ではありますけど。
というわけで、
>法義や宗義なぞ、鷲づかみにしてこなごなに分解し粗探しすべきです。
ってのが、どういった立場からおっしゃってるのか。ちょっと確認しときたい
ですね。あと、カルト性が云々とかが言える立場とか。
573 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/09 22:40
もう寝ますわ。今日は疲れた。
ちなみに法然聖人の信心も親鸞聖人の信心も蓮如上人の信心も
ぼくの信心も、まったく同じですよ。って言っちゃうと、どういう
反論がかえってくるんでしょうかね。ま、楽しみにしつつ。おやすみなさい。
>>573 この3者が同じとは…
理解に苦しむ…
まぁ「信心」といっとるだけに如何様にでも
コメントできそうだが。
575 :
P-たん ◆ymQETSmk :02/08/09 22:50
NB さん、こんばんわ。
> いうまでもなく、阿弥陀仏によって確定されたものですね。
あらららら。阿弥陀さんから NB さんが直接聞いたんですか?そんなら文句はないけど。
「弥陀の直説です」と誰かがいったことをそのまま反復してるの?
> 五時八教によって立ち現れる釈尊観を「信仰」する立場は現実にあるわけですから。
お言葉はその通りです。人畜無害ならOKですね。
が、その立場の弊害は無視していいのかな?このあたりのやりとりのコンテクストは、弊害を
見据えたものだったはずだけど。
NBさんは電波ちゃんの死後往生の否定にかみ付いちゃったみたいだけど、もし死後往生だとして、
往生こそを目的とする信仰を持ったならば、「どうして死なないのですか?自殺した方が手っ取り早い
のではないの?善導に「念仏申して死んだら往生まちがいなし!」って太鼓判押された人はいきなり
投身自殺して往生したそうですよ」。こんな風に疊込まれたら私なら死後往生説は撤回します。
これは浄土教系教団が説くことのおかしな点の一つです。仮に善導なり法然なり親鸞なりのいって
いることは間違いないと信じるなら、おかしいと感じる自分がおかしいのか、それとも教団のいってい
ることがおかしいのか、自分のあたまでとりあえず考えてみたほうがいいではないのか、ということです。
576 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/09 23:04
おお、おや、こんばんわです。もちろん、ぼくが直接阿弥陀様から聞かせて
いただいておりますよ。いつだって。
それから、死後往生の否定ももちろんしたいですけど、往生が「死に様」ってのは
一体何なんでしょうか。と思います。
それから、もしかして、仏教「本来」の姿が、現代では非常に有害であるかも。
なんて、研究することだってできるんじゃないですかねえ。仏教学だと。
まあ、ほんと眠いんで、今日はおやすみなさいです。レスありがとうございました。
577 :
P-たん ◆ymQETSmk :02/08/09 23:06
つけたり。
>「弥陀の直説です」と誰かがいったことをそのまま反復してるの?
誰かがいったことを信じるのなら、その誰かが確定したことになりますね。
その「誰か」を信じる立場を認めないわけではないけれども、闇雲に信じるのは
いただけない。「誰か」が悪魔の囁きである可能性は否定できないもの。
すくなくとも「誰かがいったこと」を「弥陀によって確定」といきなり置き換えちゃうのは
飛躍していないですか?
578 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/09 23:11
あああ、訂正。
死後往生の否定はしたくなかったです。死後往生の肯定ですね。
まあ、ってことで、
>往生こそを目的とする信仰を持ったならば、「どうして死なないのですか?自殺した方が手っ取り早い
>のではないの?善導に「念仏申して死んだら往生まちがいなし!」って太鼓判押された人はいきなり
>投身自殺して往生したそうですよ」。こんな風に疊込まれたら私なら死後往生説は撤回します。
の部分はまた。ってか、だって死にたくないからですよ。ぼく。
579 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/09 23:12
なんか、レスが前後しちゃったみたいですね。おやすみなさい。
580 :
P-たん ◆ymQETSmk :02/08/09 23:13
ありゃ、2分のタイムラグ。
つまり浄土真宗のご法義というのは、NB さんが阿弥陀さんからお耳にされたことなのですね。
そんなら、浄土真宗などという既成教団にしがみつかずに、一宗を立てられたらよろしいね。
また、釈文なんか典拠にしなくてもいいでしょう。むしろお聞きになったことを、論理的な整合性
を持ってお説きになるほうがよっぽど話はしやすいです。
お寺にいるんなら単立にするなりなんなりできますわなぁ。
581 :
P-たん ◆ymQETSmk :02/08/09 23:15
>>578 >だって死にたくないからですよ。ぼく。
ということは、死後往生という教えは NB さんは承服していない、ってことじゃないの?
わたしもお休みします。
582 :
ベロ ◆od7XM/js :02/08/10 01:09
阿弥陀さんから直接聞いてるってなんだか天理教か大川隆法みたいですな。
僕にはそんなありがたいお声は聞こえてきません、きっと信心が足りないんでしょうね。
ますますNBさんが羨ましくなった。
阿弥陀さんの大いなるお慈悲から流れ出る称名念仏・名号の中に摂取不捨の
はたらきを見出すって事なら僕にも納得・理解はできるのですが。
583 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/10 05:40
>>580-581 についてのお答えは保留しときます。浄土真宗質問箱みたいになっちゃうんで。
(って、別にそれでもいいんですけど♪)
つまりは、
>>572の
>で、一宗の「法義や宗義」を主体的に行ずる(信ずる)人の主観的意識に
>聞いていくという立場もあるわけで、そこには単なる「盲信」と断ずる
>ことのできない知的レベルがありますね。まあ、なんつうか。
が存在することの確認。ってことで。
584 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/10 05:48
>阿弥陀さんから直接聞いてるってなんだか天理教か大川隆法みたいですな。
とのことですけど、、はあてねえ。別に声なんて聞こえちゃいませんよ。
風がどっから吹いてくるとかどこへ吹いていくとか、
知ろうとも思いませんし知りたいとも思いませんし、
知れるとも思いませんので。
って、つまり、別に耳で聞いてるわけじゃないもので。
って、後ろ二行はそのとおりだと思いますよ。
っていうか、まさにそこですね。問題としたいのは。
仏教学の限界を打ち破ることができるのは、そりゃもう
仏教学だけなんであって、しかし、仏教学が自らの限界
について自覚的であるとはとても思えない。放置されつづける
仏教学の限界についての自覚が、カルトと伝統仏教が同列
のものと見なさねばならないような状況を生み出したのではないかと。
で、なぜ。仏教学が自らの限界について自覚的ではないの
かというと、実はそこにはある種の「信仰」が張り付いて
るからじゃないかと考えますね。
まあ、つまり、それこそ素朴な近代主義。文化進化論が
問題化されないような。たとえそれが「仏教」について
正しい見方であると「仮定」した場合でも。
仏教として行われてきた全ての潮流(って言葉にしときますね。とりあえず)
の一つ一つについて、いちいちそれらを「思想」に翻訳することが
どのような意味をもつのかについて考えるとき、実は、仏教学はあまりにも仏教に
ついて無知なのではないだろうか。という疑問。
つまり、電波男さんがぼくに対して仏教学について決定的に無知である。と言い切
れるのと同じ確率で、ぼくは電波男さんに対して、浄土真宗の「信」の立場につい
て決定的に無知である。とは言い切れちゃいますね。
まあ、とりあえず。おはようございます。ってことで。なんまんだ。
>>584 横レススマソ
>知ろうとも思いませんし知りたいとも思いませんし、
>知れるとも思いませんので。
NBさんとは、@質問箱でかぶって以来ですね・・・
んで、なかなかサエテおります。このレスは。
朝のほーが調子が良いですね。
議論のじゃましちゃ悪いのでシカトして下さい。
>>584 ああ、そうそう・・
>風がどっから吹いてくるとかどこへ吹いていくとか、
一休禅師も、こんな事を仰ってましたね。
今、思い出しました。
NBさんは宗義に100%の信頼を持てないから、「阿弥陀様の直説」とのたまう……………か?
信心を持ち出しての韜晦でなく、(一般人の納得できる形での)レスがホスィ
588 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/10 08:03
髑髏さんもお早いですね。
まあ、朝は如来の霊服、袈裟を着しておりますんで。
って、冗談冗談。いや、ほんとほんと。いや、うそうそ。
いや、やっぱほんとほんと。うーん。でも、うそうそ。って…。
まあとにかく、おはようございます。
>>587 はあて、どうでしょうかね。まあ、もうちょっと
様子みたいです。
589 :
P-たん ◆ymQETSmk :02/08/10 09:16
>>583 あっさり保留されちゃったけど、
>浄土真宗質問箱みたいになっちゃうんで。
ということは浄土真宗では声を聞かなくても聞いたというのですか?聞くという言葉を使うのは変ですねぇ。
それと、再び
>だって死にたくないからですよ。ぼく。
ならつらくってつらくって死にたくなっちゃったら自殺しちゃっていいことになっちゃいますね。
590 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/10 09:49
おお、じゃあ、P-たんさん。
一般的に「ドグマ」だとか「教条主義」なんていわれる代物が
具体的な個人の主観のなかで内面化された時、一体それはいかなる
ふるまいを見せるものであるのか。
「ドグマ」と、無批判・無前提・無自覚にされてきたものが、
はたして本当に全ての個人に対して、独善的・支配的な
たった一つの世界観を強制するものであるのかどうか。
ドグマに対する批判的な検討は本来(ほんらいね:注)この部分に
おいて行われるものであると考えますが、それについて、現在の
仏教学はそれを明らかにできる方法論を持っていません。
そのことは、実は仏教学は「ドグマ」について、それこそ自分の頭
で考えることを放棄していたからであるといってよいと思います。
仏教における「ドグマ」とは何か?それを批判的に検討する場所は
はたしてドコに求められるのか?
これらについては、もうほとんど、論文の表面には直接現れない
研究者の個人的な問題意識の領域とされてきたんじゃないでしょうかね。
その研究者の「思想」がはたしてどのようなものであるかも論じられる
ことなく。
日本近代の最初において提唱された古色蒼然たる、江戸仏教批判の
枠組みから抜け出す努力を怠ってきたからじゃないかと、大いに
疑ってます。
ちと、訂正。5行目。
>「ドグマ」と、無批判・無前提・無自覚にされてきたものが、
を、
「ドグマ」と、無批判・無前提・無自覚に規定(でいいかな)されてきたものが、
592 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/10 10:07
NBさんは筋はいいのですが、基本的に宗教を考える訓練が出来ていない。
岸本宗教学を取っ掛かりに、宗教やその周辺のみかたかんがえかたをご自身の中に
先ず構築する事をお勧めいたします。岸本宗教学がいいと言うわけではないのですけどね。
今のままじゃ、猫に小判で非常に損をしています。
593 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/10 10:13
おお、電波男さん、おはようございます。
もう少し詳しく教えてくだされば幸いです。
594 :
名無しさん@1周年:02/08/10 10:25
人類学的に言うと、輪廻転生概念はトーテミズムに由来する。
クラントーテムと個人のトーテムの関係が、個人的なものを
個人的でない一般へと関連づける傾向の土壌となった。
デュルケムはトーテミズムのあるところ、輪廻転生概念が
存在することを証明した。
595 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/10 10:52
>>593 NBさん、おはよう御座います。ボチボチたなぎょうですね。
岸本宗教学のなかで、宗教を眺める際の視点を仮作業的に提示しています。
宗教という対象として全ての宗教と宗教現象(内外含む)、を取り扱い、まず
「客観的」と「主観」にずばっと縦割りします。
客観的とはつまり歴史学や文献学などの事実学、主観的なものとは宗学や個人の
内証などに言及するものなだが代表例です。しかし、この両者の境界線は隔絶さ
れたものでは無く有機的に連動しています。この連動をいかに観察し、機能的に
再生産し、記述していくかが岸本宗教学の真骨頂であり、続いてその縦割りにさ
れたものを真横からすぱっと切り裂きます。このようにして四つの視点が提示され、
その関連性の上で宗教全体を捉えようとするのです。
以上、岸本宗教学の簡単な紹介終了。
596 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/10 10:59
宗教を学問として取り扱う場合と、「信仰」として取り扱う場合、「行」と
して取り扱う場合、さらに哲学、思想として取り扱う場合と各々の相互関係
の中で宗教全体を見渡す時の有益な方法とヒントを提示してくれます。
わたしが浄土真宗の「信」についてまったく無知だということですが、私は
真宗義に踏み込んでいません。私の語る「信」とは仏教本来の「信」であり、
それを踏まえた上で浄土宗や真宗の「信」に言及します。「浄土教」といった
場合も同じことです。まず出来るだけ古いものにさかのぼり、経典や信仰形態
を踏まえて、思想史的な変遷のなかで個々の浄土教を見ます。還相廻向も同じ
こと。まだこれについてはお返事いただいておりませんね。『論註』も。
597 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/10 11:00
おお、ご面倒ありがとうございました。
598 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/10 11:02
>>596 保留でいいですか?いろいろ考えるところもありますけど。
599 :
名無しさん@1周年:02/08/10 12:05
>>584 仏教的「真理」の定義権をめぐって、伝統宗派の強力なライヴァルとして大学が出現
したという事実にもかかわらず、知識社会学的に言ってしまえば、仏教学と伝統宗派
は明らかに共犯関係にありますよね。
仏教学が教えられているのは、東大などごく一部の例外を除けば仏教系大学です。仏
教系大学というのは、場合によっては経営母体の水準を含めて、既存教団との密接な
関係にある。というか、もっとはっきりいえば、既存教団がなければ成立しえない。
純粋に仏教学を学問としてやりたい学生も、もちろんいるでしょうが、それにして
も、学生の主流は僧侶予備軍でしょうし、確保される「労働市場」の多くも、既存
教団という受け皿に負っているからです。
で、仏教学(者)はこの事実をどう思っているのかなーというのは、外から見てい
て思います。たとえば、「批判仏教」ってのがありますね。私はあれ、「気持ち悪
いなー」と思うのです。仏教学内在的にどうこうというわけではなく、「批判」と
いうそのスタンスが。
仏教学が、上記のような(あえて古めかしい知識社会学用語をもちだせば)存在被
拘束性をもっていることを、この人たちはどう考えているのか。そしてそうした条
件のうえで、「批判」という営みを行っているとすれば、その営み自体の存在被拘
束性があるはずですが、それは一体、どのようなもので、その事実に「批判」は向
き合おうとしているのだろうか。
批判がいけないなんて言いたいのではありません。ですが、何か、「批判」という
所作によって、この両方の問いを都合良く「なかったこと」にしているように見え
るのですよね。
そこがとっても、気持ち悪い。
600 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/10 12:29
ふふふふ。楽しい。いや、そうですね。
ほんとは現代の仏教学のパラダイムで「仏教」について考えていくならば、
必ず「浮遊(浮動だっけ)するインテリゲンチャ」みたいな問題に突き当
たるはずなんです。
しかし、その方面がいわゆる「共犯関係」によってすり抜けられちゃうん
ですよね。えぇえぇ。ぼくもとっても気持ち悪いです(w
ですから、伝統宗派のいわゆる「近代教学」なんてものも、同じ構造
のものとして、そこんとこ批判的にみていかないと。なんて、考えますね。
で、いま見てみたらぼく、ベロさんへのレスにアンカータグもなんもなしでした。
なんかいつも、ついベロさんに対してエラソーな口きいてしまってるようで、
この場でごめんなさい。またよろしくお願い申し上げます。
602 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/10 16:19
>>599 あまりにも一面的ですよ。
そのような大づかみな分析に同調するNBさんも程度が低いですよ。
「共犯関係」にあるのは仏教学を支えている人たちではなく、仏教学で食いつないでいる
でもしか坊主だけです。仏教学を支え、進歩発展させてきた人たちの殆どは原理主義的な
傾向をもっています。「共犯関係」ぐらいにしか考えていない頭の不自由な人たちは非常
に気持ちが悪い。
NBさんはまだ発展途上であるり、共通認識を探るべきだと考えておりましたが、ただの増上
慢であることが理解できました。有難う御座いました。
603 :
名無しさん@1周年:02/08/10 18:47
そもそも学と信が分離していると見做さないと自己を保てない事態そのもの
が現代宗教者一般の頽落を示唆していると思う。長々しく書く趣味はないんで
結論だけ。
604 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/10 18:55
>>603 >そもそも学と信が分離していると見做さないと自己を保てない
これは宗教学やその周辺をご存知無いからでしょう。
岸本宗教学を例にあげれば、学と信を分けて考察分析するが、その目的は両者の
関連性の追求にあるのです。
ま、宗教学で飯を食っている大方の人たちはあなたの言うことが当てはまるとは
思いますが。
605 :
名無しさん@1周年:02/08/10 19:15
>604
あのー、よく読んで下さい。主語は「宗教学者」でなく「宗教者」です。
ていうか、私、宗教学者の端くれなんで、人類学者が祭りで疎外され
民俗学者が田舎で警戒されるように、宗教者も単に宗教学者を嫌悪する
構造は分からんでもないのですが、歴史的に言って宗教は社会の擬制を
構築するだけのモデル化を常に行ってきたにもかかわらず、異教や学を
否定してかかるような在り方はもうすでに頽落傾向だなと感じるわけです。
606 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/10 19:30
>>605 申し訳ない。ごめんなさい。
宗教者と宗教学者を完璧に読み違えておりました。ハズカシハズカシ。。。
仰る事はほぼ同意いたします。主観性の強い宗教者、自己完結してしまってドグマ
に陥っている人に異教や学を否定する傾向がありますね。それは独善的排他的新興
宗教にも当てはまりますね。
重ね重ね、お詫び申し上げます。
607 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/10 20:32
>>604 おいおい、マジっすか?
じゃ、いっときますけど、宗教学者の読解力で
>>603のレスになったわけですか?…(鬱
608 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/10 20:37
って、いうか。
>人類学者が祭りで疎外され
>民俗学者が田舎で警戒されるように、
>宗教者も単に宗教学者を嫌悪する構造は分からんでもないのですが、
上2行はともかく、下1行は、一体いつの話?どこの話?
610 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/10 20:58
NBさん。
もっと生産的になれませんか?
611 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/10 21:10
うーん。じゃあ。
ぼく自身はこのスレにおいて、基本的にバーガーの宗教社会学による宗教の定義
を採用して「仏教」にまつわる諸考察(ってか、ただのレス)をしてきました。
それって、つまり、宗教の究極的な存在の実在性については厳密にカッコにいれつつ、
それぞれを実体的にあつかえる(と、バーガーは言ってます。)立場です。たしか。
もちろん、自分の属する伝統仏教の位置付けについても仏教学的下部構造についても
それを同じように当てはめてレスつけてます。
それの意味するところは、少なくとも宗教学やその周辺に携わる人なら、
ちっとは分かってほしいですね。
612 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/10 21:11
NBさん。あなたの「ト」として
>>24 の
>まあ、でも、法然聖人も親鸞聖人も「一仏乗」を追求する中で阿弥陀信仰に
>至ったんだよね。
があります。徐々に摂受するつもりでしたが、そのような理解では法然浄土教、
親鸞浄土教には絶対にたどり着けません。前提がまったく違うのですから。
佛乗など彼らにとっては問題外であり、穢れきった凡夫の自覚の上で、いかに
救われつづけるかを追及したのです。佛乗かなわず、発菩提心かなわず、絶対的な
絶望の中で見出したのが弥陀の光明です。
613 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/10 21:19
じゃあ、お聞きしますけど、凡夫のままで、いかにして穢れきった凡夫の自覚は
可能なのでしょうか。
614 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/10 21:23
ああ、なるほど、「佛乗かなわず、発菩提心かなわず」ですかね?
615 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/10 21:28
>>NBさん。
宗教社会学における定義で考察する場合、様々な前段階的作業が必要です。
それをすっ飛ばし、語りつづけているからボロボロなのです。
またその問いかけから逃避しての質問返しは、議論するものとしてはあっては
ならない愚劣且つ卑劣な態度ですね。どんな議論の場でもそれだけでアウトです。
論理学を学びましたか?
616 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/10 21:30
まあ、何を指して「様々な前段階的作業」とおっしゃるのか
は分かりませんが、どこがボロボロなのか具体的に指摘して
くださいな。
617 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/10 21:30
ま、答えのヒントとしては「自身は三学の器にあらず」です。
618 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/10 21:32
もしかして、『プロ倫』読んだか?とかそういうこと
じゃないですよね。いや、別にそれでもいいですけど。
619 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/10 21:33
>まあ、でも、法然聖人も親鸞聖人も「一仏乗」を追求する中で阿弥陀信仰に
>至ったんだよね。
この問題が先です。浄土教の僧侶としても不適格だと言いたい。
620 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/10 21:33
おお、いかがせん。いかがせん。万人の智者に…
ですか。
621 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/10 21:34
なんか、、、、ずれたチャットっすね(w
622 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/10 21:50
なんか、チャット止まっちゃいましたけど、
浄土教の僧侶として不適格であるとおっしゃるならば、
そりゃもう、認めちゃいます。スマソです。なんまんだです。
623 :
P-たん ◆ymQETSmk :02/08/10 21:53
こんばんわ。
NBさん、亀さん私を許してね。とりあえずお答えしますね。
>590 の
> ドグマに対する批判的な検討は本来(ほんらいね:注)この部分に
おいて行われるものであると考えますが、それについて、現在の
仏教学はそれを明らかにできる方法論を持っていません。
むしろ仏教学が特定の宗義のドグマが那辺にあるのかを明らかにしているでしょう。
例えば中国・日本の祖師方は、一切経が釈迦金口の直説であることを前提に
して立論しているわけですが、そこを無視して仏教学が明らかにした経典成立史を
前提にしたなら祖師方の意図することなどはなからわかるわけがない。
どういう立場、どういう視点、どういう価値観で見て考えているか、そこを考え
ないならどんなテキストだって読みきることができないのは仏教学をやっている
人なら誰でもわかっているはずです。
一方で仏教学自身にも方法論上の前提、限界がある。それを分からずに仏教学で
仏教のことはなんでも分かっちゃうと思い込むのもイタイけれどね。
624 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/10 21:57
おおお、P-たんさん。こんばんわです。
>むしろ仏教学が特定の宗義のドグマが那辺にあるのかを明らかにしているでしょう。
これは、ほんと、そうですね。
625 :
名無しさん@1周年:02/08/10 22:03
レヴェルの高い議論なさってるんですね。
異星人の会話みたいです。
626 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/10 22:14
うーん。そうなんでしょうか…。まあ、、…。どうなんでしょ。
627 :
名無しさん@1周年:02/08/10 22:17
homo homini lupus
628 :
名無しさん@1周年:02/08/10 22:19
>NB ◆Zut9KezY
君は自分の言ってきたことを読み返すべきだ。
629 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/10 22:22
>>629 ええと、文脈とれません。どういうことですか?
630 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/10 22:33
NBさん。
>>628さんの言うのはあなたの支離滅裂発言を示しているのですよ。
たとえば、
>>624 >>むしろ仏教学が特定の宗義のドグマが那辺にあるのかを明らかにしているでしょう。
>これは、ほんと、そうですね。
とかね。「共犯関係」と断罪しているのに矛盾しているじゃないですか。そりゃ自己発言の
問いかけに文脈とるのは無理だわな。
>>623 祖師の方々は、ボタンを掛け違えちゃったわけで、もう一度ボタンを
全部はずしてからかけ直さないといけない、と言う意味ですか?
親鸞上人は、念仏は仏恩に感謝するためのものであると言っているわけで?それ
だと全く問題ないと思うのですが。阿弥陀如来=釈迦如来と考えちゃって、。
日蓮聖人はどうおっしゃったのでしょうか?ちょっと勉強不足で分からない。
■端口
633 :
名無しさん@1周年:02/08/10 22:49
>632
法身仏→報身仏(阿弥陀仏)→応身仏(釈迦仏) だそうな。
>>633 突然難しいことを。
法身仏=教えとしての仏??
報身仏=分からない、分からない=(阿弥陀仏)
応身仏=現世に身を合わせて出現した(応じた)仏??=(釈迦仏)=歴史上の仏陀?
635 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/10 23:04
>>630 ぼくは一貫して近代仏教学の果たした功績については否定をして
いませんよ。「共犯関係」ってのはたしかに、このスレにおいて
ぼくが最初に使った言葉ですけど、
それはもう少し別の事態を指しています。メタレベルってんですか。そんなの。
636 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/10 23:08
それが支離滅裂です。この際仏教学を徹底的に叩くとか、熱があるのですか?
この文脈でどうすればメタ議論になるのですか?大丈夫ですか?
もう少し地に足つけて、ご自身の考えを整理整頓して話してください。
滅茶苦茶です。
あぼーん
638 :
名無しさん@1周年:02/08/10 23:09
今度は小手先で逃げよう、と。
書いたもの消えないのにな。
639 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/10 23:11
640 :
名無しさん@1周年:02/08/10 23:14
糞土の牆は塗り難し
641 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/10 23:15
岸本宗教学を紹介しても吸収しようとせず、社会宗教学を斜に構えて高見に立つ
道具と勘違いして誤用し、矛盾を突けば目をつむり質問返しをする。非難すれば
居直ってしまう。
ドグマに浸かってしまった症状の典型ですよ。創価学会を反面教師として観察
することをお勧めいたします。
642 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/10 23:29
ひとつ、お聞きしたいんですけど、なんで「現代」の大乗非仏説について
書いて下さらないんでしょうかね。
で、「社会宗教学」なんて学問は知りませんね。
ってか、まあ、いいか(w
「プロレタリアート」という概念について、現代においてはほぼ確実に
それは一種の幻想であったと言わねばならない状況を迎えたように、
民主主義社会においてもパブリックな場の成立について、残念ながら幻想視
せねばならないような状況を迎えているのだと思います。
「現代」社会を構成する人々は、非常にしばしば単に「マス」として、一定の
積極的な意味付け・位置付けを剥奪されたまま、社会の中に放置されていると
言っていいのでしょう。
もっとも、そのような状況に対して、包括的な宗教的立場/思想の必然性や
必要性をただちに主張するような軽挙は慎むべきであると考えますが、しかし、
(というか、それゆえに)合理的な宗教理解・探究の態度が、現代社会に有効に
通用する範囲は確実に狭まっているだろうことは指摘しておきたいですね。
もしそれでも、そうした立場(合理的な宗教理解・探究)には普遍的な有効性が
あるのだと主張するならば、おそらくそうした立場を信棒する集団は、出来の悪い
「前衛」にしかならないでしょう。
「プロレタリアートの前衛」やそれを体現する集団が歴史的にどのような理論化
の元に成立したかについて述べる資格はぼくにはありませんが、
しかし、たとえば仏教学の下部構造がもし仮に、「前衛」的な立場を自認したと
するならば、現状では「プロレタリアート」の概念規定に匹敵できるような何者をも
理論化できていないために、そのような集団(あるいは個人)がカルト的な
性格を帯びるであろうことは指摘しておきたいと思います。
ちょっと、ため息でるね。はぁあ。
643 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/10 23:39
>>642は文書まずかったですね。ご質問があればお受けいたします。
644 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/10 23:39
現代における大乗非常仏説論について、まだ語れるstageに上がっていないのですよ。
プロレタリアート云々以下。。。。。お前はアホか。仏教学の下部構造?お前と話するの
は時間の無駄だ。
645 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/10 23:45
はぁぁ。結局それですか。まあ、いいですよ。
こっちもあなたを傷つけないように気を使うのに
正直、疲れました。じゃあ、おやすみなさい。
646 :
名無しさん@1周年:02/08/10 23:57
すごい散華っぷりだ。本当に
>>642は社会学なり宗教学なり修めたのか。
合理化ってのは社会の有機的連帯をまって初めて各部を理論化するように
して成立するもんだろう。
>>642が言っているのはほとんどマルクーゼの
パロディだ。いやもっと質が悪い。社会を宗教の信によって
逆行させる可能性しか合理化には見ていないわけだから、
>>642の社会
とは、宗教-政治体制を有する超自我風の機械的連帯の段階の社会が
想定されているとしか思えない。
647 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/11 00:10
おおお、そういうやつ。
ってか、よく読んだら、、、なんだかなあ。ですね。
でも、じゃあ、
>>642はたたき台ってことで、現代社会と宗教について、
概観してください。それを土台にやってみましょうよ。
いや、これはマジですよ。ほんと。お願いします。
648 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/11 00:17
ってか、質問受け付けますなのに、なんでいきなり叩きにはいる?
649 :
名無しさん@1周年:02/08/11 00:28
NBさんの言っていることは、言われているほどトンデモとは思わない
けど、
「メタレベルとかそういうの」とか
「おおお、そういうやつ」とかは、
なんつーか、いー加減に見えてしまって損してるように見えるけど。
650 :
ベロ ◆od7XM/js :02/08/11 00:32
結局NBさんは「宗学マンセー」「真宗義マンセー」「親鸞マンセー」
「阿弥陀さまマンセー」って事がいいたいだけじゃないのかと思ってしまいました。
651 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/11 00:37
>>649 気をつけます。すいません。でも、一応2ちゃんねらーですんで…。ダメ?
>>650 違いますよ。真宗に対する批判は大いにすべきだと思います。
阿弥陀仏の実在論的な地位についても、
ただ、それが可能となる手続きについて、批判的な再検討を
してみようじゃないですか。ってことが主張したいですね。
652 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/11 01:26
>>645 結局それですか?もっと気の利いた捨て台詞いえないの?
>>646さんの言ってること本当に解ってるのかい?
>>646がなにもいってないことが理解できてたら、
そんなレスはつけられないと思いますよ。
朝から鬱だね。
まあ、つか、、捨て台詞??????
あの、ぼく、渡海さんは実は好きなんですけど
あなたはあんまり愉快な電波じゃないですね。
もちろん、依然としてあなたの「知識」
に対する敬意は払っておりますけど。
655 :
名無しさん@1周年:02/08/11 07:04
何時だと思ってんねんって思ったら7時だったと気が付いて寝てみたり
>>654 情けないなあ。
おまえなんか嫌い、て言ってるのと同じじゃないか。
子供かね。
もう見苦しいからやめなされ。
相対立に迷うばかりなり。
658 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/11 07:21
真面目な会話の中で「この際仏教学を徹底的に潰す」と仰った時点でNBさんのことは
大嫌いに成りました。その後もいい点を見出そうと努力いたしましたが徒労に終わっ
たのです。実社会においてもまれなる「嫌われ者」だと推察いたします。
私を傷つけてもかまわないからドンドン突いてくださいな。ま、増上慢のことですから
たかが知れてるでしょうけどね。「言葉の責任」ということもお忘れなく。
#宿題たまってるぞい。
659 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/11 07:37
言葉のキャッチボールが出来ないのであれば発言すべきじゃないと思うぞ。
君が噛み付いてきた還相廻向はどうなった?
同じく噛み付いてきた『論註』はどうなった?
こちらがただした「佛乗問題」はどうなった?
いつも論題をすりかえて逃げてるじゃないか。まともに議論しろ。
660 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/11 07:53
例の煽り君は遁走したようなので、NBさんを使って虚偽論をご説明しましょうか。
詭弁論理としてNBさんのご発言の方がサンプル価値がありそうなのでね。(藁
ついでに詭弁心理に言及するのも面白いかもしれません。詭弁には多くの種類が
あるのですが、扱う詭弁によってそのときの心理状態を分析するのも一興かと。
それとその詭弁により何に対して防衛しているのかも明らかになります。
この際、増上慢はズタズタにしておいた方が、彼自身のためでしょう。
なんだかなあ…。つまんないっす。
まあ、がんばってください。
662 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/11 07:59
>>661 予想通りの反応、有難う御座いました。
予想通りの一部として、たまっている宿題つまり
>>659 を始めとするその他多くの
言葉の責任を「つまんないっす」などで逃げようとする態度は最初からあったようです。
キチント議論せず、つまらなくしたのはNBさんなのですよ。自覚しなさい。
663 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/11 08:02
あ、見落としていたけど、ウェーバーが文脈に上がってくるその思考構造が理解し難い。
脳味噌を分解して調べたいぐらいだ。
664 :
P-たん ◆ymQETSmk :02/08/11 08:03
NB さん、
>>624 はまいっちゃいましたよ。きのきいた反論を期待してましたから。
結局 ベロさん
>>650 ということなのかな?
>>632 >祖師の方々は、ボタンを掛け違えちゃったわけで、もう一度ボタンを
全部はずしてからかけ直さないといけない、と言う意味ですか?
そこまでいっているわけではありません。これだと 仏教学=真実、祖師=虚偽という
図式が前提されてしまいます。
もっとも現代の各教団については、パンツをはくところからやり直した方がいいとはおもいますが。
仏教学が明らかにしようとすることは信仰や思想の営みを含めた歴史事実(信仰や
人間性という点については没価値だということ)であるのに対し、祖師方が求めたの
は救いの道筋です(明らかにすべきことに対する価値付けが違うということ)。
このスレのず〜っと上の方に仏説非仏説の議論がありますけれども、何らかの形で
祖師方の前提が承認されれば(特定のグループ内でしか通用しないものであったとし
てもそのグループ内においてのみしか通用しないことをわかっているのであれば)
祖師方の確信はそのまま有效だとおもいます。
その際、祖師方の立論の前提となることのうちすべてが本質的なものであるのか
あるいは一部か、一部ならどの部分か、ということを明確にすることは仏教学の仕事
であると同時に信仰の場にある人(僧侶etc.)の責任でもあります。このことは祖師方以降、
現在の教団に至るまで、常になされなければならなかったことだと思います。
んが、そんなこと、浄土系・日蓮系を含めどこともやっていないですね。
仏教学的事実に迎合しつつそれとはまったく矛盾することをヘーキで説いているのが実情でしょう。
個々の僧侶をみるなら、仏教学やっている坊さんが、お檀家さんの前ではヘーキで
「釈尊のお説きになったなんちゃら経に・・・」なんてやってしまって、二つの立場の間を
つなぐ必要があるとも思っていない、そこがおかしなことになっているとおもうのです。
665 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/11 08:08
>>664 >>624 の答えに代表されるように、このNBって奴はここで遊んでいるだけなので
おちょくってオモチャにしたほうが楽しいよ。生産的な話はベロさんや渡海さん
たちとすべきでしょうね。
666 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/11 08:29
>>664 P-たんさん。すいません。
チャットみたいになるかと思ってましたんで(w
>>623には全面的に激しく同意です。
で、
>>624は、ぼくが見落としがちな点であったと反省したからなんです。
で、
>どういう立場、どういう視点、どういう価値観で見て考えているか、
の領域をも客観化する必要があるのではないだろうか。
というのがぼくの基本的な主張になります。
また、お昼ごろきます。よろしくお願いします。
667 :
渡海 難 ◆0AE5SZ4. :02/08/11 09:28
>>534 「鷲づかみにしてこなごなに分解し粗探しすべきです。」「僧侶たるもの盲信していてはいけません」「ベロさんのように常に原理に帰ろうとする態度があるかどうかで決まります。」「決して護教精神ではありません。」「護教は宗教を腐らせるのです。」
立証抜きで、根拠を示さず、価値観の結論だけを畳みかける。これじゃ相手に心が届くわけない。
「親鸞の思想の本質自体はあまり否定すべきところは無い」。マサカ?。そんなこたぁないだろう。どこに目ン玉がついているのか。
親鸞の思想など、鷲づかみにしてこなごなに分解し粗探しすべきだろう。あいつが言うこたぁ、嘘っぱちばかりだ。あいつは嘘ぱちの固まりだ。言ってる嘘は、一度は洗いざらい白日の下に明らかにしないといかんのよ。仏教学者たる者、盲信していてはいけません(笑)。
>>535 >「還相廻向」についても同じです。私は本来の意味
あんな還相廻向論などは、どこぞのチンピラ学者の受け売りじゃないんか?。根拠を示して欲しいもんだ。
>NBさんは真宗義で反論している。 <冗談だろう。あんなのは反論の内に入らんだろ。>
668 :
渡海 難 ◆0AE5SZ4. :02/08/11 09:30
>>550 >関山先生の著書をお読みでしたか。専門書であっても楽しく引き込まれるようにお書きになるのは先生の才能というか人間味に起因するところが大きいかと思います。
そんなこたぁないだろうよ。関山などの書いたものなど、鷲づかみにしてこなごなに分解し粗探しすべきだろう。仏教学者たる者、盲信していてはいけません。ま、僕なんかはそんなもの読もうとも思わないけどね。
>>592 >NBさんは筋はいい <NBさんは硬直した真宗学のステレオタイプを型のまま発信してるだけだ。>
>岸本宗教学を取っ掛かりに、宗教やその周辺のみかたかんがえかたをご自身の中に先ず構築する事をお勧めいたします。
岸本の書いたものなど、鷲づかみにしてこなごなに分解し粗探しすべきだろう。仏教学者たる者盲信していてはいけません。ま、僕なんかはそんなもの読もうとも思わないけどね。今のままじゃ、猫に小判で非常に損をしています。
>>595 >岸本宗教学の簡単な紹介終了。
他人の宗教学の紹介よりも、自分の魂を赤裸々に切り開くことの方が大事だろう。岸本宗教学を鷲づかみにしてこなごなに分解し粗探した電波男宗教学「岸本批判」を見せて欲しいものだ。
他人の考えた還相回向を受け売りしているだけじゃ無理だろう。
669 :
渡海 難 ◆0AE5SZ4. :02/08/11 09:31
>>604 >岸本宗教学を例にあげれば、学と信を分けて考察分析するが、その目的は両者の関連性の追求にあるのです。
<単なる物知り博士にしか見えないが。>
>>612 >佛乗かなわず、発菩提心かなわず、絶対的な絶望の中で見出したのが弥陀の光明です。
絶対的?絶望?弥陀?光明?なんじゃそれは?。法義や宗義なぞ、鷲づかみにしてこなごなに分解し粗探しすべきでしょう。仏教学者たるもの、盲信していてはいけません。迷信などは信じるものではありません。
腐った組織宗教の中で、自身を正し続けるのはベロさんのように常に原理に帰ろうとする態度があるかどうかで決まります。まあ、僕はベロさんを良く知らんが、決して護教精神ではありません。護教は思想を腐らせるのです。論理学を学びましたか?(
>>615)
仏教学者としても不適格だと言いたい。
670 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/11 10:10
>>664 にも、全てはげしく同意です。
ぼくもまったく同じ問題意識に立ってます。
で、その状況が一体どのような問題を引き起こしているのか。
その問題を解決できる道筋はどのようにつけることができるのか。
を当面の問題としたいですね。
で、その問題に取り掛かるにあたっては、仏教学的真理や伝統宗派の説く真理
の優劣については厳密にカッコでくくって議論をすすめる必要があるだろう。
と、考えてます。
そうしたぼくの理論的立場についての検討はもちろん必要であるとも考えています。
しっかしまあ、結構しんどい作業ではありますね(w
一体なにやってんだろ?こんなとこで。とか思うこともしばしば(w
しかし、掲示板の中で、議論の筋道を公開しておくことは、多数の志
ある人たちにとって、非常に有益なことであると考えます。
未来の仏教全体のために。なんまんだ。
671 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/11 10:12
>>渡海さんへ
あほ。(笑)解ってやってるだろ?
ま、数点だけ言っておく。
1 親鸞の思想に関して原理を追及する上で、対象の境界線を何処に置くかで話は変わる。
2 還相廻向は受け売りではない。これについては別スレを立ててじっくりやりたいものだ
3 関山先生は仏教学者ではない。文学史研究者だ
4 岸本宗教学を鵜呑みにしているわけじゃないが、非常に多大な影響を受けた。私なりに咀嚼しているが短い時間に語れるかい!!(笑)
5 私は盲信などしていません。
酒飲んでませんか?
672 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/11 10:20
>>670 >未来の仏教全体のために。なんまんだ。
伝統宗教、組織教団をすべて潰さないと未来の仏教はありません。
673 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/11 17:57
仏教学国教化。がんばってくださいね。先生。
輝かしい未来の仏教のために!!
やっぱ、バシバシ広宣流布っすね。先生。
ところで
>>642は理解できましたか?
674 :
名無しさん@1周年:02/08/11 17:59
浄土真宗の恥さらし。
675 :
名無しさん@1周年:02/08/11 19:32
あああ、あかんー。そんなところで切れちゃ。
ふふふ。
677 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/11 19:59
>>NB
あーあ。。。。
何一つ理解できなかったんだね。ハクチ君。
678 :
名無しさん@1周年:02/08/11 20:02
NB氏も、渡海氏と同類だったんだなあ。
ちょっと感慨深い。
679 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/11 20:03
それだけじゃつまんないっすよ。電波男さん。
今日はチャットOKですんで。よろしくおながいます。
680 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/11 21:07
>>678 そうですよ。同一念仏無別道故。
渡海氏が、お念仏称えりゃ等しきお同行。なんまんだ。
681 :
名無しさん@1周年:02/08/11 21:23
NBも電波に壊されたか。
682 :
名無しさん@1周年:02/08/11 21:24
>>680 浄土真宗の念仏と、渡海氏の念仏とが同じ念仏であると認めたわけだな。
683 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/11 21:33
684 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/11 21:48
まああ、認めるのは阿弥陀様。知ったこっちゃない。
つーか、元から壊れていたんだね。
686 :
名無しさん@1周年:02/08/11 21:49
議論する必要はないねえ。
同一念仏って自分で書いてるやん。
687 :
名無しさん@1周年:02/08/11 21:51
念仏坊主は意固地で愚鈍と中世からの相場なんで
いまさら驚きはしないが、まったくの類型でほとんど
没個性の典型になってることくらい認識してくれ。
688 :
名無しさん@1周年:02/08/11 22:09
自分からスレ誘導しておいて、「知ったこっちゃない」か。
しかも阿弥陀さまに尻拭いしてもらおうとするとはね。
これじゃ他力本願も誤解されるわけだ。
689 :
名無しさん@1周年:02/08/11 23:03
阿弥陀様?
それを客観化して一般に提示できるのか?
同じ信仰している共同幻想の中でのみその価値は発揮するが、それ以外のものにとっては
カルトとして映るのみ。
仏教学はその点、万人に開かれたテーブルに文献、思想なりを提示してくれる。
この違いが解らないNBは腐れ念仏坊主。
690 :
名無しさん@1周年:02/08/11 23:06
電波が岸本宗教学を提示していたが、を買いかぶりすぎ。
もっと相手を見抜く力をもて>電波
691 :
名無しさん@1周年:02/08/11 23:26
腐れ念仏坊主は処払いで桶?
692 :
名無しさん@1周年:02/08/11 23:28
ほーらやっぱり、ただの保守反動にされてる。
NB氏の言いたいこと(言うことに成功したこととは言わない)は、「近代を
疑う」という感覚がない人には、おそらく伝わらない。そしてそういう人は
決して多くない。
言っとくけど、この人が近代仏教学を全否定して真宗義に「引きこもる」人
だったら、近代を疑うなんて感覚はもてないよ。投げやりになると引きこも
りモードも出てくるみたいだけど(w。
NB氏は社会学が好きみたいだが、社会学で言えば、近代社会のメタ観察と
いう視点を、現代社会の仏教と仏教学の関係に応用して考えるみたいなこと
を、この人は意図している。これもまた、成功しているとは言わないが。
ただこれは、社会学でも玄人筋の一部しか知られていないテーマだから、
はっきり言って読者の平均的理解力は期待できない。だから解説はしないが
それにしても、よくやるねえ。
つーか本人も、はっきりした自覚はないんだろうが。何しろシュッツ、バー
ガーだからなー。
少なくとも、近代に内属している宗教学の主観/客観の区分を分かってない
というような話じゃないと思うよ。まあでも、シュッツやバーガーじゃ
どうしようもない。せめてルーマンでももってこんと。
まあでも、援護射撃はここまで。言い出しっぺの本人にがんばってもらわん
と。
投げやりに人にからんでる場合じゃないよ。
693 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/11 23:32
ルーマンはお手上げです。(w
ありゃ、わからん。正直な白状。
694 :
宗教社会学者の腐れタマゴ:02/08/11 23:45
>>692 平均的理解力を舐めたらあかんぜよ。コテハン連中は現象学的宗教社会学なんざ十分
射程に収めきって話しているのがNB並にワカランのか?
メタ観察という視点を現代社会の仏教と仏教学との関係に適用させる時にその適用作業
(電波は前段階作業といってる)をすっ飛ばしているのが問題なんだぜ。社会学の基礎
作業としてはドシロウトもいいところだ。
ピーター・バーガーも読みきれていなくて、ただ単に感銘を受けてそれをひけらかそう
とする厨房にしか見えないんだな、これが。
岸本宗教学は「近代に内属している宗教学の主観/客観の区分」では語りきれないよ。
そんなこと遠の昔に予測していて展開されているんだから。批判する前に岸本宗教学
を読め。クソがぁ!!
で、ルーマンを持ってきてどうしようと言うのだ?(ワラワラワラワラ
お前、2chだからって舐めてるだろ?
695 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/11 23:48
おお、盛り上がってまいりましたあ!
696 :
宗教社会学者の腐れタマゴ:02/08/11 23:49
>>693 >ルーマンはお手上げです。(w
>ありゃ、わからん。正直な白状。
その程度でえらそうにピーター・バーガーなんて言ってたのか?
Pたんや電波などはルーマン程度は原語で読みきっていると見てるんだがな。
でないと特に電波はあんなことはできんだろうて。
697 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/11 23:50
まあ、ちなみに一言だけ弁明させてもらうと、
このアプローチはもうぼく自身が10年以上前に
考えていたことの追憶みたいなものなので、
だから、もう一度洗いなおされるのはうれしいねえ。
698 :
宗教社会学者の腐れタマゴ:02/08/11 23:51
>>NB
言葉の責任を果たさず、なに不埒な発言しとんのじゃ、おのれは。
699 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/11 23:52
まあ、Pたんさんはともかく、電波男さんがどのへんで
そういう認識を持っていると感じたのか、具体的に教えてキボン。
700 :
宗教社会学者の腐れタマゴ:02/08/11 23:52
701 :
宗教社会学者の腐れタマゴ:02/08/11 23:53
>>699 過去発言よめよ。
それと電波がしているカウンセリングだ。
702 :
宗教社会学者の腐れタマゴ:02/08/11 23:55
早く出てこんかい!!したり顔の社会学者ぶったエテ公!!
703 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/11 23:55
>>701 わっかんないね。
岸本宗教学を「咀嚼」されていらっしゃるようだけど(w
704 :
ベロ ◆od7XM/js :02/08/11 23:55
なんか電波男さんとNBさんは決裂してしまったようですが、このお二人を
P−たんさんがつなぐ事はできそうですね。立場としてP−たんさんと電波男さんは
接近しているようですしNBさんもPーたんさんの立場には理解を示していますもんね。
僕は新しい檀家さんと仏教の話をする時は仏教学の視点でお話しています。真宗義は
伝わらない事が多い。逆に昔からの古い檀家さんには真宗義で話すこともあります。
「近代を疑う」って世間ではもうだいぶ時代遅れのような気もするのですが、
伝統仏教教団は世間レベルの近代化さえしていないのですから「近代を疑う」
事などできるはずもないと思いますが。よしんば「近代を疑う」事ができても
その立脚点が伝統宗義なる中世・近世思想ならお話にもならないと思いますね。
705 :
宗教社会学者の腐れタマゴ:02/08/11 23:58
>>NB
ばーか!!お前じゃ不足なんだぜ。俺は
>>692を呼んでるの!!
電波が岸本宗教学を出したからってそれが彼にとって全てだと思ってるのか?
706 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/11 23:58
おお、そうかね。じゃ、お言葉に甘えてしばし静観。
707 :
宗教社会学者の腐れタマゴ:02/08/12 00:01
>>ベロさん始めまして。
仰るように私はこの「近代を疑う」と言う陳腐であほらしい問いかけを知ったかぶり
をして学者たちにケンカを売っているNBに虫唾が走るのです。
それ以上に
>>692に腹が立つ。
708 :
宗教社会学者の腐れタマゴ:02/08/12 00:02
>>NB
お前は一生すっこんでろ!!宗教パラサイトめ!!
709 :
宗教社会学者の腐れタマゴ:02/08/12 00:05
>>692 お前の専門に近いものが現れたとたんにダンマリか?
NBはもう何も言えないみたいだぞ。語っている分野にたいして何も言えんみたいだぞ。
援護しないのか?
710 :
名無しさん@1周年:02/08/12 00:06
オレはアンタたちみたいに難しいことは全然分からん。
ただ、ROMしてる印象は、自慢のこきあいって感じ。
増上慢バトルって感じや。
まぁ、せいぜいプライド賭けて頑張って。
711 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/12 00:07
いや、もう確実に1個ボロだしてるから。あなた。何個でてくるか
数えとくよ。
712 :
宗教社会学者の腐れタマゴ:02/08/12 00:10
>>692 なんで俺が沸騰しているかわかるか?それは
「近代を疑う」という感覚がない人には、おそらく伝わらない。そしてそういう人は
決して多くない。
というような陳腐なこと言うからだ。
713 :
宗教社会学者の腐れタマゴ:02/08/12 00:12
>>711 誰が出てきて好いと言った?あぁ?!!
なにいってるのか解らんが、筋外のこと話すのは悪いくせだぜ。
714 :
宗教社会学者の腐れタマゴ:02/08/12 00:15
>>711 解ったぞ、お前の言いたい事。想像どおりだとすれば、よほどの愚鈍。
「誉められた」と言うなよ。絶対的に軽蔑してるんだから。俺的には。
715 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/12 00:17
まあ、つか、ただの荒らしか。
なんで?
ところでさ、近代を疑うってどういう意味で陳腐っていってるの?
ってか、ここで展開してる論に具体的に突っ込んでみて。もしできるんなら。
716 :
宗教社会学者の腐れタマゴ:02/08/12 00:17
>>692 出てこないのか?じゃ、俺は寝る。
こらNB。俺が許可するまで出てくるなよ!!
717 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/12 00:20
知ったこっちゃないね。
宗教社会学者ってんなら寝んなよ(w
718 :
宗教社会学者の腐れタマゴ:02/08/12 00:23
ゴラァ!! 勝手に出てくるな!!
文献学や哲学とは近代もクソも何もかも疑うのが基本的立場なんだよ!!
それを社会学のつけたり「疑う」で切り口を入れるからピントがぼやける。
お前が本当にそれをやりたいのなら真宗の宗義を持ち出すべきじゃない。
一生寝ていろ!!チンカスがぁ!!
719 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/12 00:24
あのさあ、社会学のしゃの字もあなたからは感じられないんだけど。
720 :
宗教社会学者の腐れタマゴ:02/08/12 00:26
>>717 出ましたNB特製「知ったこっちゃない」
ウルヘーヴォゲェ!!3日ねずの焼酎一升だ!!寝るぞ!!
はよ氏に晒せ!!
721 :
宗教社会学者の腐れタマゴ:02/08/12 00:30
すっこんどれ!!毛じらみ坊主め!!
なぜ個人属性を詮索するのかねこの脳味噌破綻男は。
もう何も言うな。お前では役不足。
だれもお前なんか相手にしていないのだ!!かまってくれ君よ!!
722 :
ベロ ◆od7XM/js :02/08/12 00:30
>>694の腐れタマゴさん
お怒りの気持ちは良く理解できますが、もう少しおだやかにいきましょう。
「近代を疑う」というのは近代人の常識じゃないのかなぁ。何もNBさんに
声高に言われなくてもここのコテハンの皆さんの共通理解だと思いますが。
723 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/12 00:34
じゃあ、自称宗教社会学者のお方も参加してくださったようなので、
こんどから楽しいですね。今日はおやすみなさい。
724 :
宗教社会学者の腐れタマゴ:02/08/12 00:36
NBよ。おまえ本当にもう氏ねや。かす。
俺は自称宗教社会学者ではなく、学者になり損ねた「宗教社会学者の腐れタマゴ」。
わ か っ た か ? 外吉め!!
725 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/12 00:38
まあ、ベロさん。「近代を疑う」って、結構大変ですよ。
常識的理解で判断しないように。
まあ、常識の成り立ち自体に疑問を持つってことですから。
726 :
宗教社会学者の腐れタマゴ:02/08/12 00:42
まだ氏なないのか?かすめ。
>まあ、常識の成り立ち自体に疑問を持つってことですから。
こっちが赤面してしまうほど当たり前な事ゆーな!!そんな低いレベルでの話やったのか?
もう消滅してしまえ。かす男!!
727 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/12 00:45
>>726 ねえねえ、聞きたいんだけど。
常識の成り立ち自体に疑問をもつ
理論的な立場って、どういうものがありますかねえ。
728 :
宗教社会学者の腐れタマゴ:02/08/12 00:45
一言だけ。
あのなぁ、NBよ。Pたんや電波がお前と何を共有しようとしていたのか
理解できていたのか?お前の目が曇っていなかったらここまで荒れなかった
んちゃうんか?
729 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/12 00:47
あの、論理の展開の仕方が電波男さんに
すごく良く似てるのは気のせい?
730 :
宗教社会学者の腐れタマゴ:02/08/12 00:47
>>727 お前には質問する資格はないんじゃい!!かすめ!!
731 :
宗教社会学者の腐れタマゴ:02/08/12 00:49
気のせいじゃないよ。だって俺、電波男なんだもん。
と言ったらどうするね?
732 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/12 00:50
ああ、今日はもう寝るよ。(w
733 :
宗教社会学者の腐れタマゴ:02/08/12 00:53
ねーへんのんちゃうんかいチンカスがぁ!!
はあー。
なんで俺が槍玉に上げられるのかよーわからんが。
このスレにからむ気はもうないんだけど、宗教社会学者の腐れタマゴさん
よ。
あなた、言ってることおかしいというの、分かってないかな。
宗教社会学を目指した人間が、どうして宗教者のことを「宗教パラサイト」
だの何だの、平気で罵倒できるんだい? そこからしておかしいと思わな
いか? 俺はおかしいと思う。
NB氏の議論は、そりゃあたしかに、専門家から見たら穴があるだろう。
だけど、NB氏は社会学者じゃないんだ。彼は宗教者なんだよ。そもそも
観察視点が社会学と異なるのは当たり前だし、その意を汲んで、読みとろ
うとすることから、まず始めるのが社会学者なんじゃないのかい。信を捨
てられない立場からの観察という点で、NB氏はかなりいろいろ考えてい
ると、俺は思う。
たとえば、前の方で、「共犯関係」を指摘しながら、宗学のドグマを修正
する仏教学の機能を彼が認めたのが、「矛盾」だと叩かれてたよね。
宗教社会学者の腐れタマゴさん、あなたはこれを矛盾と思うか。俺はそう
じゃないと思う。少なくともその可能性はあるのに、NB氏本人も含めて
誰もまだはっきり言明してない。
これを「学問的手続きが穴だらけ」云々で切って捨てられると思えると
したら、あなたはNB氏を社会学者か何かと勘違いしているのであり、
それだけ強く、社会学に内属していることになるよ。近代を疑うのが陳
腐だなんて、とんでもない。
まあたしかに、穴はいろいろあるけど(w。だけどそれでもって勝ち誇る
趣味はないね。
これがホントに最後だ。俺はもう出ない。NBさんも傍観モードはやめ
てほしい。もうちと穴は埋める努力はしてよね、矛盾してるけど(w。
宗教学は、まず、神秘的な力を認めるかどうかから入らないといけない。
神秘的な存在がないのなら、宗教は全く研究する必要がない。社会学の
一範疇で充分。
そう言うものを認めるかどうかでまず宗教学を二分したほうが良い。
宗教学者は,蔦のように絡まった自己の妄想を裁断することが、人間に
なるための、まず第一歩だね。
736 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/12 05:02
あのさー。いきなりため口でわるいんだけど、
あんた、言ってる事やっぱおかしいよ。きのうはいきなりでびっくりしたけど、
援護射撃とやらをしてもらっておいて、こんなこと言うのもなんだけど、
べつにバーガーなんてそんなマイナーな存在じゃないと思うし、
で、なんで「せめてルーマン」なのかもわかんないし。
それにね、あんたがいっている「ひきこもりモード」ってのも
聖的存在を認めない態度と認める態度の違いを示すためにやってる
ってことも読みきれてないし、
つうか、穴なんてないじゃん。そそうな書き方になったときは
そのことを断って書いてるし、シュッツを引いたときだって
穴のある可能性に十分留意してるしさ。
つうか、まだ穴が生まれるような部分には言及してないよ。
つうか、スレのレスと論文の違いもわからんのか?あんた。
で、
>NB氏は社会学者じゃないんだ。彼は宗教者なんだよ。そもそも
>観察視点が社会学と異なるのは当たり前だし、その意を汲んで、読みとろ
>うとすることから、まず始めるのが社会学者なんじゃないのかい。信を捨
>てられない立場からの観察という点で、NB氏はかなりいろいろ考えてい
>ると、俺は思う。
これは一体何?とてもじゃないが、あなたも社会学を知ってる人間にゃ見えないね。
737 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/12 05:03
宗教社会学者の腐れタマゴが明らかに電波男であることも、わざとかどうかは知らんが
見抜いてないし、はっきりいって迷惑だ。
つうか、電波男の存在って、宗教社会学的に見りゃあ仏教学カルト教祖であることが
わかんない?
まあ、予測はしてたけど、マジであそこまでカルトだったとは、正直驚いてるけど。
仏教学的な権威を根拠にしてるからややこしい存在だけどね。
まあ、誰にレスしてんのかもわからんレスだけど、そういうことで。
もうこないんだよな。くるなら無責任でいいかげんな援護射撃とやらだけは
しないでほしい。
もっとも、こんどは叩きにくるのかもしれんがね。
738 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/12 07:47
>>737 NBさん。
朝起きて、たいへん面白く読んでおりましたがここに来て興さめです。
さて、私が宗教社会学的に見て仏教学カルト教祖であることを証明してください。
そして私が仏教学的な権威を根拠にしていることも証明してください。過去ログ
を見ていただいたら理解していただけるのですが、私は既存の仏教学的な権威とも
闘っているのです。
それと宿題を果たしてください。
739 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/12 07:54
腐れ玉子氏が某スレの277だろうと言う蓋然性をリアルタイムで見ていた人には
すぐに察しがついただろうけど、もうホントにいやはや。。。。
なんか腹が立ってきた。
誰にでもすぐ噛み付くな。頭を冷やせ。
740 :
名無しさん@1周年:02/08/12 07:54
おはようございます。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。
>それにね、あんたがいっている「ひきこもりモード」ってのも
>聖的存在を認めない態度と認める態度の違いを示すためにやってる
>ってことも読みきれてないし、
>つうか、電波男の存在って、宗教社会学的に見りゃあ仏教学カルト教祖である
>ことがわかんない?
それを、NBさん本人の口から明言してほしかったんだよ。メタメッセージ
に込めるんじゃなく……。
742 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/12 08:03
>>741 そのような斜に構える態度は最初から明らかだったし、多くの人が非難しているところです。
でも
>>738 で求めた証明はNBさんには出来ないでしょうね。
メタメッセージに込めるというのも使い古された大嫌いな言い回しで反吐が出ます。
743 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/08/12 08:12
やっと「タタキ台」が出来た・・・。
今後は如何に?
744 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/12 08:17
745 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/08/12 08:23
>>744 今まで議論が噛みあっていなかったよーでしたし・・・
これから何か進展の気配がしたもんですから。
ギャラリーの立場として。
746 :
P-たん ◆ymQETSmk :02/08/12 08:56
お出かけ前にと一瞥したら、昨夜は暴風雨だったのですね。
NB さん、
>>737 の
> 電波男の存在って、宗教社会学的に見りゃあ仏教学カルト教祖であることが
わかんない?
ということの証明を私からも要求します。
そもそもNBさんと電波ちゃんの決裂は、還相迴向と死後往生の議論あたりから
だったでしょ。
>>456、463 で指摘している死後往生説の危険性は、私もまったく同意します。
私の立場は、仏教学であっても宗学であってもご法義なるものであっても、ある
前提を措定している。仏教学者であれ坊さんであれ、自分の立場が「なんらかの
前提を措定して初めて成り立つものである」ということを自覚していないかぎり、
独断的排他的になる危険性を持つ、ということでした。
ただ、その独断性排他性も人畜無害ならば、驅逐すべきものではないでしょうが、
上の電波ちゃん指摘のものは有害この上ない。
NBさんはこの点について、ご法義とやらをもちだしてきて、その一方で仏教学の
ドグマ性を指弾しましたが、
>>623 での私の反論には答えないままでしたね。
>>737 の発言をNBさんが証明なさるのなら、電波ちゃんや私の反論に対する
解答にもなるものと思います。
なお、私は当分ネットに出ることができませんので、お返事は先のことになります。
あしからずご了承ください >NB 殿。
どうせまた逃げてしまって、ひょこっと「しったこっちゃ」
とか誤魔化しながら出てくるんだろうよ。
748 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/12 09:44
749 :
名無しさん@1周年:02/08/12 09:56
髑髏鬱陶しい。貴様のつむじの皿で茶を出せ。
飲んでやる。
750 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/12 11:29
宗教社会学者の腐れ卵氏が電波男さん、あなたではなかったのであれば、
大変失礼なことであったと、心よりお詫び申し上げます。
しかし、
>>665に代表されるような数々の陰湿な発言をしておきながら、ここへきて
はじめて(
>>738参照)「朝起きて、たいへん面白く読んでおりましたが
ここに来て興さめです。」といったおっしゃり方には、未だ疑念を払拭でき
ずにおります。
それと、電波男さんはおそらく、「根本仏教」を提唱された姉崎正治の系譜につらなる
ものであることを意識されていらっしゃるように拝察するのですが、そのような立場
が、現代社会においてはカルト的な色彩をおびるであろうことの考察について、既に
>>642において指摘をしてあります。あなたはそれについて、
>>644のような、それこそ
知的誠実さを疑わずにはおれないような態度をしめされましたね。
「仏教学カルト教祖」とのレッテル貼りは軽率であったと認め、お詫びいたしますが、
それについての証明は、
>>642に対する反論・質問の形でお受けさせていただきます。
これは、P-たんさんについても、同じことをお願いいたします。
751 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/12 11:29
P-たんさんの「
>>623 での私の反論には答えないままでしたね」については
>>666および
>>670で、既にぼくの見解をしめしてあります。
それから、電波男さんがおっしゃる、ぼくの「斜めにかまえた態度」とは、すなわち
一宗の教義について「思想」としての切り取りを拒否する態度に他なりません。
そのような立場は、歴史的に常に存在してきましたし、ぼく自身が仏教理解の基本に
おく態度です。仏教はそのような多義・多元的な意味においても現代世界に場をしめ
ていることは、まづ、ご理解いただきたい。そしてそれが、電波男さんの思考方法論
の土俵には乗せきることのできないものであることを確認しておきたいのです。
そのような意味において、往生や還相について二つの立場から議論を進めるための
手続きを我々は持っていないことを確認しておきたかったのですが、、
たとえ、あなたが岸本宗教学の心理学的理解を援用するにしても、非合理的世界観の
合理的理解。(内在的理解としてもいいのですが、そこではつねに、研究者の客観的視点
の確保が問題となりますね)といった方法では追求できないレベルを含んでおります。
つまり、「親鸞(日蓮)」と「親鸞聖人(日蓮聖人)」の立場の違いです。
電波男さんはこの両者について無視すべき違いと考えていらっしゃいますが、ぼくは
決してそうではありません。まづ、そのことを互いに確認した上で、新たに議論が成立
する場について、模索をしていたのですが、ご理解いただけなかったようでした。
思うに、ボタンの掛け違いはこのあたりにあったのかもしれません。
まあ、とりあえず。
うえの二つのレスで、電波男さんにご理解をいただけなかった。との表現は
ぼく自身の言葉がたらなかったためでもあることをつけくわえさせていただきます。
753 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/12 11:49
>>751 >P-たんさんの「
>>623 での私の反論には答えないままでしたね」については
>>666および
>
>>670で、既にぼくの見解をしめしてあります。
については、他スレの
309 :NB ◆Zut9KezY :02/08/11 18:22
まあ、ドグマってのを「単一の世界観で社会を塗りつぶそうとする意志」
とするならば、少なくとも多くの伝統宗派の教義自体はドグマとはいえない。
そのへんはやっぱり、歴史の中で培われてきた多元性に対する蓄積があるわけで。
問題は近代的世界観に対するとき、ドグマ化しちゃう恐れ大。
ってとこじゃないかと。
について、P-たんさんのご意見をいただきたいとも思います。
ふむ。
全然法華経じゃないな・・・
755 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/12 12:33
少しまともにお話が出来るようになりましたね。喜ばしい事です。
>それから、電波男さんがおっしゃる、ぼくの「斜めにかまえた態度」とは、すなわち
>一宗の教義について「思想」としての切り取りを拒否する態度に他なりません。
「斜に構えた態度」というのはこのことではありません。それはいいとして、拒否するどころ
か、私が最も尊重したい態度の一つでもあります。「近代的な場」として語ることが大切であ
るのは異議の無いところです。しかし往生にしても還相廻向にしても長い仏教思想史の中で現
れてきたものであり、その真相はまだ完全な形で提示されていない以上、語り合い、耳を傾け
る必要があると考えます。あなたが「仏教学の功績」を認め初めていいらっしゃるるのならご
理解いただけると思うのですが。
わたしの思考方法論と仰いますが、まだ上記の範囲でしかお話しておりませんので決め付ける
のは早計です。私も非合理的世界観の合理的理解はどは不可能と考えています。しかし非合理
的世界観の記述は出来るはずなのです。記述され以上、それは概念化客体化され対象であり、
合理的な整理が不可欠になります。その整理と理解の区別はつけておられるでしょうか?
ゴータマとゴータマ・ブッダとの立場の違いに関する2つ視点は仏教学をする上で絶対に意識
し続ける必要のあるものと認識しています。仏教学をする動機として様々ですが、宗教者が研
究する場合、あえて後者の視点を殺して全てを疑います。しかしそれからいかにアプローチす
るかでその真価が発揮されます。仏教学界全体にそのようなものごと考える傾向が希薄なのでN
Bさんが「仏教学を叩く」と言うのも頷けないこともありません。
ですから
>電波男さんはこの両者について無視すべき違いと考えていらっしゃいますが、ぼくは
はまったくの誤解です。私の仏教学はドグマに陥らず、常に原理に帰るためのものです。
「思想」として切取る場合、宗義内部の言語を用いる事は保守護教主義と間違えられるだけで
なく、共通言語を否定し、反発を招くと思いますよ。NBさんにとっては残念なのかもしれませ
んが、共通言語は仏教学の方にあります。もしそれが苦痛なら哲学言語を使うべきです。
756 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/12 12:50
>>750 疑念を払拭するもしないもあなたの勝手です。しょうもないとしか言いようが無い。
>それと、電波男さんはおそらく、「根本仏教」を提唱された姉崎正治の系譜につらなる
>ものであることを意識されていらっしゃるように拝察するのですが、
大変大きな誤解ですよ。私はその系譜(似非原理主義といってもいいかも知れない)に対
して真っ向から挑戦する一人でもあります。
>そのような立場が、現代社会においてはカルト的な色彩をおびるであろうことの考察について、既に
>
>>642において指摘をしてあります。
そんな了見で私をカルト認定したのですか。。。情けない。「プロレタリアート幻想」
について、あなたはどれほど実感しておられますか?カミングアウトになるから言いま
せんが、そんなプロ幻を尺度にお考えなら、2chを侮っているとしか思えませんよ。
>あなたはそれについて、
>>644のような、それこそ
>知的誠実さを疑わずにはおれないような態度をしめされましたね。
あれは言い過ぎたかも知れませんが、「売り言葉に買い言葉」と言うことで。
757 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/12 12:51
なるほど、おしゃることはよく理解できました。
こちらにも誤解がありましたね。
仏教学の功績については、あるいは仏教学という学問自体についての
ぼくの考えは、くりかえしになりますが、常に一貫して尊重しています。
(
>>324参照)
ちなみに、ぼくが「仏教学を叩く」と言ったのは『法華経』や浄土経典の
理解のみならず、日蓮諸宗や浄土諸宗の理解についても、伝統教義を無条
件に捨て去って仏教学的理解によれとの主張をP-たんさんや電波男さんの
レスの中に感じ取ったからでした。
「無条件に捨て去れ」ということが誤解であるならば、「叩く」については
軽率な表現であったことは認めます。
まあ、むしろ、それを取り掛かりにしてそのへんに含まれる問題について議論が
できれば、とは考えていたのですが。
758 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/12 12:53
質問です。
仏教学の下部構造って何ですか?
仏教学を研究するひとを個として認識していますか?
759 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/12 12:58
>>758 ああ、そこはいいかげんな概念規定であることは認めます。
仏教学全体を問題とする定義について、充分な言葉を
検討できていませんね。
760 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/12 12:58
>ちなみに、ぼくが「仏教学を叩く」と言ったのは『法華経』や浄土経典の
>理解のみならず、日蓮諸宗や浄土諸宗の理解についても、伝統教義を無条
>件に捨て去って仏教学的理解によれとの主張をP-たんさんや電波男さんの
>レスの中に感じ取ったからでした。
ま、専門分野が違うのでお互い誤解しやすかったのでしょうね。私が言いたかったのは、
宗義の中で埋没するドグマ性や独善性は仏教学で正すべきで、その責任が仏教学研究者に
あるということです。例が悪いですが、創価学会の排他性独善性に対しては「仏教でない」
ことを前面として、宗教学的には「宗教として認められない部分が多い」と言うことを前面
にして叩く必要があるからです。
761 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/12 12:59
ただ、思いますのは、仏教学の全体を見渡す見取り図のようなあれば、
問題ももっと明確になるのに、とはいつも思うんです。
762 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/12 13:01
>>760 理解いたしました。ありがとうございました。
763 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/12 13:04
>>761 見取り図。。。。。難しいです。NBさんの言う意味での見取り図は無いかもしれません。
それは仏教学者の怠慢だと思います。
764 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/12 13:07
まあ、しかし、楽しいチャットです。ありがとうございます。
しばらく落ちます。またよろしくご教示のほど、お願い申し上げます。
765 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/12 13:38
ああ、それから、
>>755等による以上、電波男さんへの「カルト教祖」との
誹謗は完全に誤りでありました。撤回して、重ねて深くお詫び申し上げます。
申し訳ありませんでした。
766 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/12 15:56
言語が異なるという原因で誤解と敵意が生じてしまいましたが、思うところが近しいと理解で
き嬉しく思っております。277氏はやりすぎだと思いますが、喧嘩をしないと本音を分かり合え
ないというのは間違いじゃないかもしれませんね。
仰る
>それと、電波男さんはおそらく、「根本仏教」を提唱された姉崎正治の系譜につらなる>も
のであることを意識されていらっしゃるように拝察するのですが、
という系譜は色んな意味で徹底的に叩き潰すべき対象です。原理主義の仮面を被りながら、実
は教団に属し自坊ではその研究内容とは乖離、対立することを平気で壇信徒に説教を垂れる。
また学究肌でない第一線で壇信徒と泥まみれになり仏道を歩んでいる僧侶たちを鼻でせせら笑
い「アイツは何もわかっとらん。求めてきた時に手を貸すべきであって、それ以外では放置す
べきだ」と蔑むのです。彼らを詰問すると仏教学の知識で反論してくるのですが、それ以上の
ものはありません。彼らの常套句として「まだ解明されていない要素がある限り、結論を出す
べきではなく、思想的なことに言及しても仏教学で言うところの事実として根拠がない以上、
主張すべきでない。もし物申すとすれば、それは小説である」と言い切るのです。NBさんの仰
る「気持ち悪い」どころではなく、そのような体質体制も叩き潰す必要があると考えます。
それではその系譜から脱却し、原理を追いつづけるとはどういうことかを述べる必要がありま
すが、スレッドを100以上立てて議論すべき大切な課題と思いますのでアウトラインのアウ
トラインを言います。
767 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/12 15:57
1 仏教でありつづけるためには三法印を基本に据えるべきである
2 これに反するものは仏教ではない
3 生れ変りとしての輪廻を説く傾向が特に中国日本では強いが仏教学的には間違い
-------------------
4 生れ変りを肯定した弊害に「宿業論」などの差別思想の土壌を育成してきた
5 かの系譜では「生れ変りとしての輪廻」の肯定を容認したという罪がある
6 それは寺院維持という「気持ち悪い」打算が働いたのかもしれない
7 仏教学にその気持ち悪さがあるため、カルトの発生を許してしまった
8 それはオウム容認へと繋がる
非常に大づかみですが、仏教学が原理主義として発動し始める一例としてこれらのものがあり
、表現手段として様々なものを採用しようとします。またこの発動は社会への積極的な関わり
であり、仏教学のみで完結するものとは認識しておりません。我々が声を上げても橋渡しをす
る人がその意図を掴んでくれる保証が無いからです。2chのような本音でぶつかれる環境を提示
してくれるところは少ないと思いますよ。
これ以上書くと焦点が狂ってきますので、今後徐々にという事にして下さい。
768 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/12 17:01
>>766 いや、恐れ入ります。ほんとうに、先入観のみで電波男さんを非難してきましたこと、
恥ずかしく思います。
まあ、ぼくがバーガー云々を持ち出すのは、単に宗教学的な記述法だけでは近代の大乗
非仏説の問題解決には有効ではないと考えたからでした。
ご承知のとおり、仏教経典には様々な成り立ちがあります。それら全てについて
釈迦金口に「近い」とされる説から偽経までを平等な場でとらえて、それぞれに
仏教になる可能性と外道になる可能性を等しくみていくような、科学的方法がとれ
ないかと考えたからでした。
つまり、教説自体がただちに成仏を指示するのではなく、教説が主体の中で受容さ
れるその仕方によって成仏が可能となるのだ。という仮定にたつものです。
ですから、教説が個人の主観の中でどのような構造となるのか。どのようなふるまいを
みせるのか。に注目できる方法を求めたのです。
いえ、実は、そこにおいて「三法印を基本とする」という立場をぼくも想定して
いましたのです。まあ、もっとも、はなはだ未熟なかたちでのことですが、
こんなことを長々書くのも、恥をしのんでではあるのですが…。
で、また、続けてご教示願います。ありがとうございます。
ところで、「一切行苦」を仏教が成仏の対象とする機を規定するものとしては
捉えられませんでしょうか。「一切行苦」が全ての衆生にあてはまるならば、
「涅槃寂静」もまた、全ての衆生の必然である。みたいな。
いや、ドキュンで恥ずかしいですが…。また。
あああ、上のレス。おばかで、無視してください。
3. 固定ハンドル(2ch内)に関して
叩きについて
最悪板以外では全て削除します。
スレッド
固定ハンドルが題名に入っている・固定ハンドルが占用している・閉鎖的な使用法を目的としている・等は、自己紹介板・最悪板・夢・独り言板・おいらロビー・なんでもあり板以外では、原則として全て削除または移動対象にします。
ただし、固定ハンドル個人が一群または二類に属する時は、他の削除規定に触れない限り様子見となります。
このスレは「固定ハンドルが占用している・閉鎖的な使用法を目的としている」ため、削除対象となります。
771 :
名無しさん@1周年:02/08/12 17:16
仏教思想に一貫した基調は「何か」ということになれば、
おそらく、それは、「無常」とか、「無我」とか、「空」といわれる思想にもとめられる。
どのように発展し変遷した仏教であっても、
いやしくも、仏数であるかぎり、
すくなくとも、無常、無我、空の思想が、その基調になければならない。
仏教は、無常、無我、空の思想を基礎としておればこそ、
他の宗教思想とちがった独自性をもつと考えられるのであって、
もし、仏教に無常、無我、空の思想がなければ、
もはや、それは仏教でないといって過言でない。
>>770 違います。このスレは決して閉鎖的に他者を排除するものではないと考えます。
また、スレの目的自体も決して固定ハンドルのみの興味に限定されたものでも
ありません。
773 :
名無しさん@1周年:02/08/12 17:21
輪廻転生は、仏教の特徴であるかのように勘違いされているが、
決して、仏教のオリジナルではない。
古代インドにおいて、一般常識化していた輪廻転生というものを
仏教も無視できなかったというレベルのことである。
したがって、輪廻転生を仏教の主テーマであるように扱うことは
間違いである。
774 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/12 18:13
>>769 いいえ、ぜんぜんお馬鹿ではありません。あなたの「三法印を基底ににする」と言う
お考えは仏教学的には正論で間違いはありません。
あなたの問いかけに対して即答できるのですが、宗教社会学に造詣が深いという前提
のうえで、有益な回答になるよう、すこし考えてみます。「気持ち悪い共犯関係」を
指弾するにはあなたのような視点が必要なのです。当初、私も誤解していたように、
気持ち悪い人たちならなおさら絶対に聞く耳を持たないでしょう。重傷なのは、伝統
宗教の人々が、彼らを重宝するところにもあります。
これから10日ぐらいは業務多忙になり、巡回数が減りますが、大切な問題ですので、
ゆっくりと議論しましょう。私にとっては今後の自分自身の展開と言う意味でジャスト
タイミングでもあるのです。
775 :
渡海 難 ◆0AE5SZ4. :02/08/12 21:03
>>773 >輪廻転生を仏教の主テーマであるように扱うことは間違いである。
ウン。まあ。そうだね。誤解があるんだろう。浄土教の先輩達の腹立たしいばかりの怠慢があると思う。
ものごとの本質を捉えてそれを理解していく手法には二つある。一つは、ものごとを具象から抽象へ、抽象から具象へという思考をくり返していく考え方だ。西欧的な思考に慣らされた我々は、それが唯一の方法論だと錯覚している。
ところが、現実を象徴的に捉え、象徴的に捉えた概念を現実に投影させるというもう一つの考え方がある。我々はしばしば無意識にそれを行っている。例えば幾何学などは、抽象的概念を具体的な絵に描いて考える。
仏教は、抽象手法と象徴手法という二つの思索手法を持っている。抽象手法は、思考過程で無形化という手続きを取る。一方、象徴手法は、有形化という手続きをとるんだ。
例えば仏壇などはいい例だ。あれは、真理そのものを有形的に表現したものだ。
浄土教は、古来、象徴手法で思索してきた。浄土教は観想という行法を守ってきたんだ。
観想という行法を守ると、無形のものでも有形的に捉える必要がある。
観想は、思索対象を形でイメージしようとするから、有形のものさえ無形化する抽象手法はなじまない。浄土教は、有形的に考える象徴的な手法を飛躍的に発達させ、一部では絵画彫刻を飛躍的に発展させてきた。
輪廻転生というのは、空・無常・無我を、思索の手続きとして有形的に象徴手法で説明する説明的概念だ。空・無常・無我とは、輪廻転生を、思索の手続きとして無形的に抽象的手法で説明する説明的概念と言っていいだろう。
象徴手法は抽象手法を補完する。抽象手法は象徴手法を補完する。輪廻転生論は、空・無常・無我のもう一つの説明方法であるということを知って欲しいと思うんですよ。
いえいえ、まあ、ぼくみたいのは仏教学的には変態不真面目落ちこぼれのトンデモの
まあ、いかようなスティグマでも語れちゃう存在だ。ってことは充分自覚しておりますんで。
まあ、宗教学とかだと宗教学とは何かを考えるだけで論文できるのに。なんてうらめしく
思った時代もあった。ってだけのことです。
もう、ほとんど忘れちゃってますね。このスレでレスしながら、理論的な思考・記述能力が落ち
ちゃってることを痛感してます。
はああ、ほんと、恥ずかしいっすね。
まあ、ゆっくり楽しみながら、いろんなところでいろんなお話お聞かせいただけたら
うれしいです。
現代において、あるのか無いのか分からない(科学的に言えば無い)ことに関して
グダグダ言うのは、マジ腹たつ。幸せしか知らないものの思考遊びにしか見えない。
ドグマがどうだろうと、おまいらが明日生きていく上で、それが本当に必要なのか?
俺は理系なので、宗教学は学んでないが(ていうか、「宗教学」や「心理学」と言った学問が
成立しているのが既に理解できない。なぜ、自分の心の動きや、お経に対して解説がいるんだ?
心理学で何を明かされても悲しいときは悲しいし、あるいはお釈迦様の説法に対し一言一言
文殊菩薩が解説をしたのか?そうじゃなかろう?人々はお釈迦さまの言われることを
自分で聞いて、自分なりに理解したはずだ)、法華経を読めば、法華経の中に浄土思想が
あるのは明らかだ。創価学会の人たちがそれが認められないのに対し、別にとやかく
言う必要は無い。法華経の中に貫かれている方便、待機説法の思想の結果だ。
お経は必要なところだけを吸収すればよいし、吸収できない人にとってはその部分は
無意味だ。まだ時期が来ていないだけだ。
浄土だろうと法華だろうと、宗教家が金儲けに走らなければそれで良い。後は聞きたい
人が聞く。
伝教大師の頃ならともかく、現代において、浄土だ一乗だと討論して救われる人がいるのか?
頼むから、お釈迦様の言ったことを、思想の遊び道具にしないでくれ。
お釈迦様は決して後世において、思想のネタにされるためにお経を説いたのではなく、
幾ばくかの人が幸せに暮らすためにお経を説いたはずだ、と俺は思う。
宗教を学問にできる人は、宗教を人に語るだけの人生経験をしていないとしか思えない。
かくいう俺も、人よりは多少不幸かも知れないが、そんなに人生経験豊かな訳ではない。
だから語る資格は無いのだろう。
でも、宗教を科学の様に扱うのは見ていられない。俺が科学の使徒であり、また
お釈迦様がいれくれてよかった、と思う者だからだ。
778 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/12 22:45
>>777 あのですね。
私はおそらく自然科学分野、とくに工学系ではあなたの数段先を歩んでいると思いますよ。
だって、それで研究所を持ち、食べてるんですからね。
「科学」の定義というより、輪郭もつかんでいないようですね。嫌なら来るな。
779 :
名無しさん@1周年:02/08/12 22:47
>777
これも正論だね。
780 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/12 22:50
>>776 NBさん
そこまで謙遜する必要はありません。ま、宗教学プロパーなら随筆でも飯の種になる
現実もありますが、別分野からのアプローチのほうが優秀ですよ。
仏教の原理主義と組織と宗学と社会的意義と言う観点でベロさんやPたんさん、渡海
らと本音で語り合えば、きっと何かが生まれるはずです。
781 :
名無しさん@1周年:02/08/12 22:51
>778
> 私はおそらく自然科学分野、とくに工学系ではあなたの数段先を歩んでいると思いますよ。
> だって、それで研究所を持ち、食べてるんですからね。
議論と関係のないものを持ち出して比較して自慢したってどうなる?
782 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/12 22:53
>>779 どこが正論ですか?ただの流に関係の無い独白じゃないですか。
今のコンテキストは正に衒学的傾向を批判して、本来の宗教を見極め、原理的に
それを実践していこうという同意を取り付けたところなのに、あまりにも頓珍漢
すぎる。
783 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/12 22:54
784 :
名無しさん@1周年:02/08/12 22:55
>782
お前が世界の宗教の救世主にでもなるつもりか?
大川や麻原、桐山と意識的には変わらん奴だな。
理屈では理解できない身近な人の死の悲しみなどという経験をなさったことがない様ですね。
あるいは、学校に行きたくてもいけないような子とマジに付き合った事の無い、レベルの
高い人生を送って来られた様ですね。
世の中は理論によって動いていますが、人は理論によっては生きていません。
どうぞ、親の臨終の際に、そのの死を科学的、あるいは宗教学的立場で分析して
幸せな人生をお送りください。
毎日を一生懸命生きるしかない我々庶民には、机上の空論は役にたちません。
おっしゃるとおり、もうきません。せいぜい、臨終の際の親に得意の宗教論を
展開して、浄土だ、大乗だと語って、安心させて逝かせておやんなさい。
さようなら。
786 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/12 22:57
787 :
名無しさん@1周年:02/08/12 23:00
>786
ちゃんと伝わる発言をしろ!
788 :
名無しさん@1周年:02/08/12 23:02
>776
おやおや、突然卑下慢?
789 :
名無しさん@1周年:02/08/12 23:12
おいおい。宗教は777にとってセンチメンタリズムと同列なのか。
お薄い認識が「理系」さんの特徴なら、単にセンスがないとあしらわれて
御終いだ。
790 :
名無しさん@1周年:02/08/12 23:19
>789
いや、現実はそんなもんや。
末期がんを宣告された患者や家族の前で
ドグマや近代を疑うなんて、癒しにすらならない。
前略
ああ、もう来ないといったのに、すいません。
>>778 数段上、ですか。私もそんなに上位のレベルにいると思ってないですが、私のレベルを
知りもしないで、私を煽るために、自分の経歴を自慢せずに居れないあなたに、哀れみを
感じずにはいられません。
あなたの最愛の人が死んだとき、あなたのその最先端の科学の知識と宗教理論が、どうか
あなたを平静にしてくださいますようにお祈りします。
草々
792 :
名無しさん@1周年:02/08/12 23:28
なんか急に煽りが入ってきてますね。
>末期がんを宣告された患者や家族の前で
>ドグマや近代を疑うなんて、癒しにすらならない。
生きているうちから思考停止、ですか?
>>789 はぁ?薄っぺら?
あんた、どれだけの死体と直面して、あるいは死体の遺族と直面して
俺のことを薄っぺらって言ってるんだ?
あるいは自分の親が、死に際に何かを自分に告げながら死んでいったような、
そんな経験があってそんな発言してるのか?彼女の兄貴が事故で死んで、彼女と
その親が、何も言えず、ただ泣いている、そういう経験があっていってるのか?
小学生の女の子を残してお母さんがしんじまっって、子供が怖がって母親の
死体に近づけなくなってるところや、二十歳前の子供残して、自殺しちまった
父親の死体に娘が半狂乱になって抱きついてるところ、見たことあんのか?
あんた、一体、その子らに何を語るんだい?あるいは俺や、俺の彼女に
何を語って安心させてくれるんだ?
794 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/12 23:34
>>790 パソコン操作で困っている人にレジストリに手を加える事を教えますか?
チップの説明をしますか?でもハードの設計者やプログラマー同士の会話
に対してそれらを語ることでなんの解決にもならないといいますか?
795 :
名無しさん@1周年:02/08/12 23:36
宗教に<個人的>癒しや慰籍以外の機能を見いだせないってのは
文学をすごく特殊化した自分の生活相だけから見て、
文学にたとえば聖女の面影を持ったヒロインの美しさしか
見いだせないというのと同じくらい近視眼的ですな。
796 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/12 23:40
>>777 あなたは本当に薄っぺらです。そのような体験をNBさん、ベロさん、Pたんさん
私が経験して無いとでも言うのですか?そういう経験で涙や値を流しきって、
枯れ果てて、傷ついて絶望して何かにたどり着いたという暗黙の了解で議論して
いるのですよ。おそらくあなたの言う100倍は最低経験しているでしょうね。
場や人を読めないのならもうきなさんな。
797 :
名無しさん@1周年:02/08/12 23:40
>794
ふ〜ん、やっぱりそういう意識なんや。
パソコン動いとる現場とはかけ離れたところにいるんやね。
アンタ等は宗教を作り操作する、雲の上の人なんや。
798 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/12 23:41
>>795 あはは。その言葉を777に解らせるには大翻訳家が必要ですよ。
799 :
名無しさん@1周年:02/08/12 23:42
>796
> いるのですよ。おそらくあなたの言う100倍は最低経験しているでしょうね。
透視能力があるんか?
パソコン通じて相手の人生も人格もすべてお見通しなんやね。
800 :
名無しさん@1周年:02/08/12 23:43
>793
まず、あんた意味論的な暴走を批判できるだけの知力を
培いなさいよ。
801 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/12 23:45
>>797 なんでそうなる?(笑)原理主義が発動し、社会に対して積極的に関わっていこう
というのが雲上人だと言うのか?
>>796 俺の100倍?すげえ。1日15人くらいか。
で、工学の最先端?医者でもなし、警察でもないだろうし・・・わかんね。
でも、まあ、そんな経験してるのなら、負けたよ。参った。すまなかった。
俺が悪かった。許してくれ。
803 :
名無しさん@1周年:02/08/12 23:48
>801
あんた自分の考え・言葉に自分が酔ってるよ。
自分のカキコを読み直せよ。
804 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/12 23:53
>>799 投資能力はありませんが、100倍経験しているというのは間違いありません。
これでも少なく見積もっておりマス。
それ以上はカミングアウトになるからヤンピ。
805 :
名無しさん@1周年:02/08/12 23:55
歯磨きよし!おしっこよし!
明日になる前に寝よ〜
お・や・す・み
806 :
名無しさん@1周年:02/08/12 23:57
まあ、拙劣な印象批判は鼻であしらわれるってこった。
有効な批判をしたいなら、読み込んで、問題群の構造を
つかみ取った上で、足下すくうくらいの批判をやってくれ。
807 :
名無しさん@1周年:02/08/12 23:58
あぁ、後は仲良し5人組み(?)でお楽しみください。
808 :
名無しさん@1周年:02/08/13 00:01
>>807 僻み屁こき虫の臭い付けかぁ。
もう見飽きたな。
809 :
ベロ ◆od7XM/js :02/08/13 00:07
今来てみたら、さすがはお盆休み2chには夏厨が出る季節ですがここも真っ盛りですね。
電波男さんは777さんの思うほど、薄い人間では決してありませんよ。深い絶望の中では
言葉や理論が通用しない事など身に染みております。だからこそ仏教に生涯を託そうと僕は思う。
NBさんと電波男さんの接近は僕もうれしく思います。「親鸞」を「親鸞聖人」と
言わずにはおれないNBさんと同じ様に、僕は「釈尊」を「釈迦」とは言えません。
三法印を仏教の基準にするのは僕も同じです。参考までに哲学板の三法印スレです↓
http://mentai.2ch.net/philo/kako/1010/10107/1010788424.html
>>804 もう、参ったんで、これ以上議論するつもりは無い。
ただ、最後に二つ忠告させてくれ。
自分の親と、彼女の兄貴、100人殺しちゃあ、いかんぞ。それは。
君のせいじゃないんだろうけど。
それとな、安易に「涙が枯れる」なんて表現、使わない方がいいんじゃ
ない?ぺらいよ。そんな言葉が出る時点で、ぺらい。
811 :
名無しさん@1周年:02/08/13 00:12
軽薄な777の屁も軽いってか
812 :
名無しさん@1周年:02/08/13 00:19
なんだよおい。まるで人生の真理の深さはその死を看取った人の数と
比例するなんて言いたげな馬鹿がいるな。こういう馬鹿に限って
現に思索すべき問題を自分の置かれた立場の劇的状況に置き換えて
思考停止するんだよ。まあ、ある意味ナルシストと言っても良い。
813 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/13 05:38
>>809 おお、ありがとうございます。
まあ、ベロさんとの立場の違いを一言だけ断っておきますなら、
ぼくの、いわゆる立ち返るべき「原理」は、いかなる意味においても
親鸞聖人じゃありません。
「いなかの人の文字をも知らぬ人々」です。
反則技みたいに思われるかもしれませんけど…。
まあ、傲慢な態度だと言われりゃ、沈黙で答えるしかありません
けどね。てへへ。
原理を語るのに人と対比させる必要なんてなかったですね。
お許しください。逝ってきます(恥
まあ、近代という土壌にまかれた種なら、どんなにいやでも
そこからのびる根っこは科学の水を吸わにゃならんもんです。
宗教に科学的研究が必要ないとおっしゃるならば、
あなたは「科学の水」を既に吸っていることに単に気づいていないか
あるいは、根もなくて芽がでてると錯覚してるだけだと思います。
好んで人に根っこを見せたくはないぐらいの美意識はもってる
つもりでおりますんですけど…。
お盆休みの徒然に、宗教学入門、脇本平也著、講談社学術文庫と言うのを読んで
見たんだけど、基本的なことが何にもわかっていない人が、宗教を「科学的に」
扱ってみたところで、どうにもならないと言う見本だった。
例えて言えば、「物理学」が全くわからない人が、「科学史、物理学史、
現代物理学概論」を書いてみたようなもの。大学時代,科学史家?という教授、
教授と言うよりむしろ「ヤシ」だが、そういうヤシの講義を受けさせられれたが、
あれも亜保やったね。
信仰体験のないものに宗教史の研究ができるわけがない。それは、一流の物理学者
でないと、まともな物理学概論が書けないのと同じ。
817 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/13 08:23
>>813 NBさん
ベロさんの過去のご発言をお読みください。
彼の立ち返ろうとする原点は仏教の基本的立場(三法印)とその実践です。
ここに来てNBさんのお考えの一つが解りました。思っていたより更に私にも近いものがあります。
以前はまったく逆の印象をもっていたのですが、それは私の先入観によるものでした。
ここにお詫び申し上げます。
818 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/13 08:29
>>815 科学的という言葉を777は恐らく理解できていないと思いますよ。
とうも「科学的」というのと「自然科学的」というものを "A=B,B=A”で
捉えているようです。科学的という言葉を説明するのは難しいですが
1 体系化し
2 概念化し
3 客観的化し
4 論理的斉合性と真理性を追究し
5 質的に再生産可能なものとする
というところでしょうか。
819 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/13 08:35
その対象が「自然現象やそこから抽出されたもの」であるか「人間としての営み」
であるかの違いがあり、ここの具体的方法論はおのずと異なってきます。
777はそのような上下位概念や分類概念を適用させず、いちゃもんをつけているだけ。
820 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/13 08:40
日蓮正宗が出版した『日蓮本物論』と言う書物に近代仏教学の大乗非常仏説論に
対する批判が書かれてありました。それは正に科学批判であり、777と同じ捉え方
をしておりました。要点は
1 科学的なものが万能ではない
2 人に幸福をもたらすものとは限らない
3 広島長崎に落ちたものはその成果だ
4 だから科学よりも日蓮大聖人の文言に頼れ
というバカ全開のものでした。これも近代大乗非常仏説論の周辺事情というサンプルですね。
共犯関係になる以前の書物ともいえましょう。
821 :
名無しさん@1周年:02/08/13 08:51
>809
> 今来てみたら、さすがはお盆休み2chには夏厨が出る季節ですがここも真っ盛りですね。
単なる夏厨、煽りとしか見ずに、蔑視して切り捨てるしかできない、
そこにアンタ等の問題がある。
現実社会とは無関係なところで、知的ゲームとしての言葉遊び、
机上の空論を楽しむだけ。
坊主の集まりではそれなりの屁理屈こいてインテリぶってる坊主が、
檀家・門徒相手にはただお経を唱えて、調子よく世間話の与太話。
檀家を見下して、どうせこいつらはアホやから・・・と言わんばかりの態度。
自分は知識人というプライドに心地よさを感じているだけ。
822 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/13 09:00
>>821 一体何を読んでいるのでしょうか?NBさん、ベロさん、Pたんさんらは一貫して
>坊主の集まりではそれなりの屁理屈こいてインテリぶってる坊主が、
>檀家・門徒相手にはただお経を唱えて、調子よく世間話の与太話。
>檀家を見下して、どうせこいつらはアホやから・・・と言わんばかりの態度。
>自分は知識人というプライドに心地よさを感じているだけ。
このような態度を批判し、原理に立ち返ろうという前提でお話しているのですが?
理解できませんか?
823 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/13 09:04
>>821 自分には理解できない議論をしていると「机上の空論」と断じてしまうところに
あなたの病巣が潜んでいるのです。
824 :
名無しさん@1周年:02/08/13 09:12
>823
私はアホです。
しかし、あなたに私のことが分かるはずがありません。
カルトの教祖か、霊能者のようなことをいう方ですね。
825 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/13 09:23
>>824 同じことをあなたに返しているだけですが?
電波男様
私は、ある神経系の病気になって
今なお身体的に問題があります。
生老病死の「病」に悩まされ苦しんでいます。
知識的な部部では、諸行無常、諸法無我、というのは、
理解できるのですが、知識的に理解しただけでは、
何も解決しません。
自分の人生自体の意味も分かりません。
諸行無常、諸法無我というところから考えると、
自分の人生に意味なんかないのかもしれません。
そう思うと、もう終わりにしてもいいのかとも思ったりします。
827 :
名無しさん@1周年:02/08/13 09:42
仏教学と、たとえば「不立文字」とは両立すんの?
828 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/13 10:07
>>826 諸行無常、諸法無我というのは仏教の教えの一部分です。
それで全てを推し量ってはいけません。
ひとの営みにおいて、宗教や仏教があますところなく説明できるわけでもありません。
どんなもので一部だけ取り出して自身の局所だけに当てはめると害が生まれることも
あります。
諸行無常だけでは人生の意味を見出せません。おそらくあなたは諸行無常、諸法無我
を実感されているのでしょう。それは真理の一面だけであってもう一方の真理を見出して
いるとは考え難いです。
もう一方の真理とはあなたが今、ここにいて、人とのかかわりの中で善く生きていこう
とすることです。諸行無常、諸法無我はこのような現実的な真理とともに語られるべき
ものです。
829 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/13 10:10
ではどんな場合に諸行無常などが語られるのでしょうか。
それは人の営みの中で、過剰な欲望やそれに伴う様々な弊害が生じてきたときに
諭すための真理なのです。
有難うございます、電波男さん。
わたしの病気に対する悩みは、
おそらく自分の身体が元の状態になって欲しいという、
過剰な欲望が原因だと思います。
その欲望さえなければ、私も苦しみませんが、
病身の人間は誰しも元の状態に戻りたいというのが、
普通の思いだと思います。
電波男さんのおっしゃる、もうひとつの方の真理、
今、ここにいて、人とのかかわりの中で善く生きていこう、
というところの特に「今、ここにいて」という、
その問題が・・・・。
語彙力がなく説明し切れません、すみません。
なぜ、自分がこんなめに遭い、また何のために生まれてきたのか、
まったくわからない。
そういう疑問にはおしゃかさんは答えなかったのでしょうか。
831 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/13 10:59
直接お会いしないと伝わり難いとおもいます。
元の状態になって欲しいという願望は過剰な欲望ではないと思いますよ。
病苦は当事者で無いと実感できるのもではありません。
「今、ここにいて」の問題がおありになるのでしょうが、衆人監視のなかでは
なかなか告白できないですよね。
釈尊は真諦に障害があるのとの来歴については一切語っておりません。伝統宗教や
カルトでは「過去の悪業」と言う非常に罪な罪業論を展開します。
釈尊は誰に対してもその生きている価値を尊重し、何らかの使命とも言えるべき
役割を持って生まれてきていると説いています。
このスレで私的な問題に関わってしまって申し訳ありません。
もう少し続けますが、御容赦ください。
私の問題は、私個人問題ですが、同じような問題を
抱えている人はたくさんいると思います。
私の場合は、身体的な問題ですが、経済的な問題など
さまざまな問題に直面していると思います。
その直面した問題を超えられないと思うときに
たぶん、みなさん、人生の意味を問うことになると思います。
電波男さんのおっしゃる、
「釈尊は誰に対してもその生きている価値を尊重し、
何らかの使命とも言えるべき役割を持って
生まれてきていると説いています」
ということを伺っても、自分の人生は価値があるとは今思えません。
おしゃかさんは、四苦八苦から疑問が起こっているから、
人生の意味ということに直面しているはずだと思うのですが、
おしゃかさんはどう克服したのでしょうか。
そしてそれは悩める万人に適応できるものでしょうか。
833 :
名無しさん@1周年:02/08/13 12:05
>>827 「不立文字」、と言ってしまったら、もう文字が立つ。言わぬが花って
ことだ。それが分かってりゃ学者の文書ももうちょっと中味のあるものに
なるんだろうがね。
834 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/13 12:21
>>832 四苦八苦も残念ながら一般的基本論で、個別に適用させる場合は、かなり読み替え
補足が必要です。
では質問ですが、生きている価値が無いと思われるのは病気があるからですか?
そうだと思います。
社会的な役にも立っていなし・・・。
苦しんでいるだけのように思えます。
苦が何か自分の人生における教訓めいた意味があって、
それを見出せれば、納得できるかもしれません。
こんなことで付き合っていただいて申し訳ありません。
836 :
渡海 難 ◆0AE5SZ4. :02/08/13 13:11
智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。
電波男さんの話は、心が伝わるのかなー。伝わるかも知れないし、伝わってないかも知れない。僕には伝わってる感じがしない。偏見だろうか。知は伝わらなくても、心は伝わることがある。心が伝わらないと、知は伝わらない。ムズカシイモノダ(苦笑)。
伝えているつもり。伝わってきているつもりになると思わぬ怪我をすることもある。
お釈迦様の心を伝えることは可能でも、裸になったありのままの自分の心を伝えることは、ムズカシイ。ムズカシイ。
837 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/13 13:15
>>835 社会的に役に立つ事に大きな意味があるでしょうか?
誰かがいて欲しい、生きて欲しいと思うことのほうが
価値があるのではないでしょうか?
838 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/13 13:19
社会的というのは、自分と関わる人世界全般のことで、
私の言う意味では、家族も含まれています。
つまり、私は家族にお世話になっているが、
何の役にも立っていないのです。
ただ意味も見出せず、だらだらと生きる。
この辛さ、分かるでしょうか?
840 :
名無しさん@1周年:02/08/13 13:38
働いて食べることが人生の目的ではない。
働いて食べるのは生きるための手段や。
働いとらん、金を稼いどらんという意味で、
社会の役に立っとらん、
家族の世話になりっぱなしと考えるなら、
それは考え直したほうがいい。
坊主なんて何も生産しないし、なんの役にもたっとらん。
でも、堂々と生きとる。
841 :
渡海 難 ◆0AE5SZ4. :02/08/13 13:42
>知も心も汚い渡海の裸体が伝わるわけだ。(笑)
−苦笑−
842 :
名無しさん@1周年:02/08/13 13:45
渡海もちょっとキャラ変わったな。
真宗坊主無関係なら冷静なんか?
843 :
渡海 難 ◆0AE5SZ4. :02/08/13 14:00
>>842 >キャラ変わったな。
あなたがそう思うだけだろう。
電波男は筋の通ってないことはあまり言ってないと思うぞ。考えの筋は十分理解できるからね。筋を通して対応している人がいれば、こちらは特に言うこともない。
ま、ちょっとひかっかるところが、僕から見て玉に瑕だけど、そんなところは自然に変わっていくだろう。こっちも変わる。
真宗の坊さんでも、筋の通ったことを言う人と筋の通らん人では、こちらの腹は違ってくる。真宗にも立派な坊さんはいるだろう。ただ、真宗学には構造的な欠陥があるようだ。宗学に構造的な欠陥があれば、立派な人でも筋を通した思索はできないだろう。
840さん
私の言っているのは、
経済的な生産性がないから
役に立っていないといっているのではありません。
私の表現の仕方が悪いのかもしれませんが、
そういうことではありません。
845 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/13 14:15
>>844 まあ、とりあえずですけど、どうよ?
生そのものは誰にだって実に苦です。それを忘れていたいから、
誰だってうつし世の救いを様々な対象に求める。
生の苦を解決することなく、ただ忘れつづけるためだけに。
時には死にすら救いを求めつつ。
実はみんな知ってるんじゃないですか、そうして求め、得たつもり
でいるうつし世の救いが無常・無我であると。
涅槃は生の苦そのものの解決ですね。それがすなわち、生死・老病
の解決となるんでしょう。
もし、あなたの人生が仏道の歩みとなるならば、
ちょうどわき目もふらずに蜘蛛の糸にすがって天高く昇った
一人の罪人の姿が、そのことだけで、そのまま、他の多くの地獄
の亡者達に救いとなる蜘蛛の糸のありかを教えることにもなるん
でしょう。
そうして歩む仏道の灯火が、ぼくにとっては他力のお念仏なんです。
長文スマソ。
846 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/13 14:17
>>840 江戸時代の僧侶に対する見方はそんな感じだったそうですね。
で、僧侶の役目は世間に道徳を教えること、秩序を守らせること。
なんて具合に規定されたと。
847 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/13 14:25
>>817 いえいえ、恐縮です。
「いかなる意味においても」なあんて大見得切っちゃって、あいかわらず
のドキュソっぷりっす(w
まあ、真宗坊主にだけは死んでもなるもんか!なんて思ってたころの
ラジカルさだけは保つ努力はしてるんですけど…。へへ。
実は、こっちがそれならベロさんは…。なんて、カキコした後で
考えていたんです。ありがとうございました。
まあ、浄土真宗ですと「悪人」なんて言葉もありますけど、
あんまりにも近代的「親鸞思想」理解の手垢にまみれすぎてる
ようで、好きじゃないんです。
いま、思いついたんですけど、浄土真宗だと、3本柱は
「悪人」「他力」「浄土」となりますけど、
三法印と対照させて考えると面白いのかもなああ。なんて。
848 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/13 15:13
>>839 家族、特に親に面倒をかけることも一種の親孝行ですよ。
あなたが弱音を吐くことで悲しむ人がいるはずです。
これは真諦の障害の有無とは関係ないですね。
実は私はある一定時期車椅子生活でした。ま、これ以上はこんな場所では
お話できませんね。(笑)
あなたが考えているほど周りはあなたを不必要としていないと思いますよ。
849 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/13 15:20
>>847 >まあ、浄土真宗ですと「悪人」なんて言葉もありますけど、
>あんまりにも近代的「親鸞思想」理解の手垢にまみれすぎてる
>ようで、好きじゃないんです。
申し訳ない。最初は近代的悪人理解者としてNBさんを見ていました。
私が「実存主義的宗教学者の包み被り」とか「西谷啓二流の独善家」と批判している
人たちが正にそれです。個を主張しているようでいて、実は孤高であると勘違いしている
傷の舐めあい集団であって、気持ち悪く感じております。
大体ケルケゴールのキリスト教理解を解体せず、似非近代合理主義を持ち込んで悦に
入っているだけですから処置ナシです。
850 :
名無しさん@1周年:02/08/13 16:19
悪しき概念代替物を消費材として出版に乗せてる自称哲学者や自称宗教学者
が沢山いるのは
>>849の電波男氏のおっしゃる通りです。自分はちょっと前
からたまにここに書いてる者で、コテハンにしない主義の者なんですが
雑誌類で人も知る大家がふざけたこと書いてると怒り心頭ですね。当方も
誤解されないように自重したいと思いますが。しかし最近は教養の無い編集者が
増えまして、戦いながらでもないと言いたいこと載せられないんですよね。
851 :
名無しさん@1周年:02/08/13 20:37
お盆でお坊さんたち稼ぎに忙しいから
ここはしばらく静かかなぁ〜?
852 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/13 21:35
>>849 こうしてお話させていただけると、色々と得るものが多く、ありがたいです。
よくよく考えて見ましたら、電波男さんがおっしゃる伝統宗教を認めない立場、
って、ほんとぼくも同じ立場なのかもしれない。なんて、ここまできて可笑し
くなってしまいます。
いや、と言いますのも、現場での布教の立場においては、伝統教義の「ドグマ」
「信・行」を受け入れることのできなかった個人的ルサンチマンに過ぎない
「思想化(としておきましょうか。とりあえず)」でもって宗派の袈裟をまとう
ぐらいならば、むしろ沈黙すべきだと思うからです。
853 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/13 21:35
伝統教義に対して自分が行う知的な対象化作業について、
それがほんとに仏祖からの要請によるものであるかどうか。
単に疑問を拭えない自分の都合にすぎないものではないか。
について常に慎重に注意をはらう必要があると考えるんです。
まあ、もっとも、現代人としての「自分の都合」の地位には一定の意義
もあるんでしょうけど。
僧侶が、仏祖そのものからの要請を見出し得ないならば、つまり、その宗派を
去るべきであると思いますし、そこにおいても宗派を去ることができないならば、
むしろ、自分の言葉ではない「伝統教義」に埋没すべきかと…。
それで宗派が滅ぶなら仏の本懐ここに極まれり!じゃないかと。なあんて。
まあ、
>>529を思い出しながら書いてるわけですけど、
>自分の言葉ではなく、宗義に語らせる態度
にも、潔さがあるかもしれませんね。と、そういう話です。
まあ、現代的こけおどしで「宗義」を無理強いすることだけは
何があってもしちゃならんですけど…。
854 :
名無しさん@1周年:02/08/13 22:56
仏教って論理的で合理的な考え方だと好きだなと思ってきたけど、
一部インテリのものでしかないのかもって気がしてきた。
新興宗教と呼ばれるものが流行るのも無理ない気がする。
>>854 仏陀ってけっこう神秘主義ですよ。学者が故意に、そのあたりを
落としているだけ。どうしても浅はかだから理解できないみたい。
原始仏典などに神秘主義的な記述があると「それは後生の混ざり物である」
と、まず断じて、その証明に一生かけるわけです。電波さんなんかその典型。
神秘が分からないならば、宗教から離れれば良いのにね。
857 :
名無しさん@1周年:02/08/13 23:28
でもね、オレは奇跡とかって好きじゃないんだ。
理解できんし、信じられん。
858 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/13 23:38
>>856 うーん。それよりは方向性として複雑な気がするんですけど。
>Aさん。
思考実験の答案として、あれ、どうでしたでしょうか。
厨房なもんで、気になるんです(w
>>857 奇蹟ってね「見た者しか信じない」んですよ。
きっとあなたは、見た事がないんでしょうね。
>>859 人まちがい? 私、夏休み限定で全宗派書きこみのAですが。
普段は忙しいので、とってもここまでは見られない。
奇蹟、奇瑞は「見た者しか信じない」。
見ていない者は宗教学者にならないで欲しいね。
862 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/14 00:14
863 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/14 00:17
まあ、でも…。
>>861か…。反論はありますが、おいときます。
864 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/14 00:34
854のNB的翻訳。
仏教って、宗教はただの道徳か人生訓でいい。みたいな考え方で
好きだなと思ってきたけど、
そういうのとは全然違うのかもしれないって気がしてきた。
違うんだったら新興宗教と呼ばれるものにいっちゃおうかな。おれ。
まあ、叩くつもりじゃないんだけど。ごめんね。
違ったら教えて下さい。
で、
>>855のAさんは、NB訳の
>そういうのとは全然違うのかもしれない
に対して、仏教は「神秘主義」でもあると。
こうおっしゃるんですね。たぶん。
まあ、もしそうなら、Aさんが
>>856で批判の対象として想定した立場は
電波男さんじゃなくって、あなた自身にあてはまることになりますよ。
宗教学者と言うのは嫌な存在でね。こっちは宗教学には全く詳しくない。
と言うか触れてもない。どう見たって無意味だからね。最初の数頁読めば
「学者と言ったって、馬鹿な事書いているな」と思うだけなんだけどね。
こちらには別の専門もあるし、知性では負けはしないと思うけど、
まあ、その学問をやった人間とやらない人間では、大人と子供だよね。
電波に言わせれば、学者とハクチか?
無意味な知識体系の人間に、自分の大切な分野を汚されるのは悲しい事
だけど、こちらとしても、そう言う無意味な事に時間をかけるわけには
いかないので、宗教学は横目で見て通りすぎるよ。
という事で、昨日買ってきた 「玄奘三蔵 慧立、彦心宗」長澤和俊訳、
講談社学術文庫でも読みながら寝よう。
↑ 「心+宗」の心は、立心偏だ。
おお、そうっすか。寝てください。ぼくも寝ますわ。
と、思ったけど。あなた例の理系の人?
ま、あ、やっぱ寝ます。おやすみなさい。
もうちょっと、つっぱってくれると寝れなくなるんだけど。
871 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/14 02:15
>>854 >一部インテリのものでしかないのかもって気がしてきた。
そんなこと無いですよ。専門同志の会話であって、
すべてに向けられたはなしだけではないですから。
新興宗教でも教学部の人たち同志ではもっとわからない言語を使いますよ。
872 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/14 02:15
>>NBさん
このAさんは放置で行きましょう。関わる価値はまったく無いようです。
例えば
>>856 :A :02/08/13 23:08
>原始仏典などに神秘主義的な記述があると「それは後生の混ざり物である」
>と、まず断じて、その証明に一生かけるわけです。電波さんなんかその典型。
>神秘が分からないならば、宗教から離れれば良いのにね。
このように一般化させた仏教学者に対する批判を私個人に向けている。この問題については随
所で見解を述べているのに、こんな言い古されたいかにもカルトらしい批判を展開する人に関
わるのは時間の無駄です。対話が成立しないのですから関わるのは無意味です。NBさんの優し
い皮肉も理解できていない。
ま、このような人を観察対象にしてカルト性に切り込むというのもありますが、それにしても
このAさんではサンプル価値も無いでしょう。
Aさんの専門分野でも彼はたいしたことは無いでしょう。何しろこの立論能力ですからね。神
秘主義に関する話をしていないからといって、その方面で無知だと決め付けているのも痛いで
すね。当初NBさんに感じていた「手ごわさ」を100とすれば、彼は1以下です。あなたを10
0だと仮定するのが大変失礼なのかもしれない。
おちょくるのにはオモロイかも知れませんが。例えば神秘主義に関して彼の主張する逆の方向
へと誘導しておいて自己矛盾を指摘し自滅させるとかね。
昨日お昼にお世話になった、Aです。
昨日の夜に出てきた、Aと名乗る人は、
私ではありません。
たぶん分かっていらっしゃると思いますが、
急に変身してしまったと思われた方も
いるかもしれないので、念のため。
874 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/14 08:01
>>873 非常に特殊な理由が無い限り2つの人格を使い分けるのは難しいでしょう。(笑)
あなたから人間的柔らかさを感じますが、もう一方にはさびたなまくら刃物しか
感じません。もし私の勘が当たっているとすれば、その「柔らかさ」で周りを幸
せにして下さい。
875 :
名無しさん@1周年:02/08/14 08:45
>864
人を頭ごなしに無知蒙昧・無教養と決めつけて見下すな
876 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/14 08:52
本日は留守にします。
「音の収束臨界点の測定と解決」のための作業です。
Aさんには理解できないでしょうね。(笑)
877 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/14 08:53
Aさんとは根性悪のほうです。
878 :
名無しさん@1周年:02/08/14 09:11
>871
例えば、他力本願といって全てを阿弥陀さん任せにして
自分では何もしなくていいという浄土真宗も、
教行信証という親鸞の著作を読まなければ、
その思想の真髄は理解できないという。
しかし、とても、一般人が寝床で読めるような書物ではない。
879 :
名無しさん@1周年:02/08/14 09:15
>876
> Aさんには理解できないでしょうね。(笑)
知識教養はあっても、根性は嫌らしいな。
880 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/14 09:17
もうすぐ出かけますが。。。。
>>878 >教行信証という親鸞の著作を読まなければ、
>その思想の真髄は理解できないという。
そういう態度を、ここにいるコテハンたちは嫌悪し批判しているのです。
その批判は自然、専門的になってしまいますが、その後は開かれたものになります。
881 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/14 09:19
>>878 その評価で結構です。勘違い君には徹底的に思い知らせる義務があると私は感じておりますから。
882 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/14 09:20
883 :
名無しさん@1周年:02/08/14 10:46
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆氏はたぶん建材の材料物性屋さんなんだな。
塗料を野ざらしにして5年間ぼーっと観察したりしてる仕事。
884 :
渡海 難 ◆0AE5SZ4. :02/08/14 11:13
>>880 >そういう態度を、ここにいるコテハンたちは嫌悪し批判しているのです。
電波男さん。嫌悪し批判するコテハンからは、僕だけは除いておいてね(微笑)
>>878 >教行信証という親鸞の著作を読まなければ、その思想の真髄は理解できないという。しかし、とても、一般人が寝床で読めるような書物ではない
貴方の仰ることは実にもっともだと思うんですよ。教行信証という親鸞の著作を読まなければ、その思想の真髄は理解できない。確かにこれは大変なことだ。
でもね、深い、深いお釈迦様の教えが、教行信証を読むだけで分かるというのは、これまた大変なこと。素晴らしいことでしよ。これは親鸞様のご苦労の賜だと僕は思う。
現代ではいろんな人が教行信証を読んでくれている。これからの人は教行信証なんか読まなくても、その思想の真髄は理解できるんですよ。
885 :
渡海 難 ◆0AE5SZ4. :02/08/14 11:14
貴方の仕事でもいい。家族でもいい。友人もいい。どんなものでもいい。憎らしい上司でも、可愛い孫娘でもいい。嘘っこでいいから、本人に隠れて自分勝手に「阿弥陀仏」とあだ名をつけてご覧なさい。
「阿弥陀仏」とあだ名をつけたら、その昔、お釈迦様のお弟子さん達が、時折、釈尊先生を「先生、先生、ああ先生」念じたように、「阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と、嘘っこでそれを念じてみなさい。きっと素晴らしい世界が開かれてくる。
阿弥陀とは先生という意味だ。仏とは先生と言う意味だ。「阿弥陀仏」は全体で先生と言う意味です。「南無」は感嘆詞だ。「ああ」という意味だ。
かつて釈尊先生はお弟子さん達に「先生」と呼ばれ、「ああ先生」と仰がれた。現代では釈尊先生はいない。でも本当にいないというわけではない。
植物学者は花を先生にし、花から生命の起源を学び、病理学者はネズミを先生にし、そこから最先端の病理を学んでいる。石に地球の起源を学ぶ人もいれば、絵画の神髄を学ぶ人もいる。あらゆるものが我々にさまざまなことを教えてくれている。
あらゆるものが、お釈迦様のいない現代のお釈迦様だ。
包丁を持ってバスに乗り込み、乗客を殺して運転手を脅迫した少年の言葉に、歪んだ少年の心理を真剣に学ぼうとする心理学者もいる。検察官はその言葉から犯罪の真の原因を学ぼうとする。
実に一切のものが先生となって真理を語っている。お釈迦様のように真理を語っているんだ。
一切衆生悉有仏性などと気張る必要はない。一つでいい。二つでいい。
嘘っこで阿弥陀仏とあだ名を付けてみなさい。背筋を延ばし、呼吸を整え、できれば座禅の姿勢で「南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏」と称えてみなさい。称え続けていってみなさい。
昨日の阿弥陀仏と今日の阿弥陀仏は違ってもいいんですよ。どうせ嘘っこなんだから。あだ名をつけた相手は決して阿弥陀仏ではない。そんなことは分かっている。
でも、それでも、それだけで貴方はもう仏道修行者の仲間だ。伝教大師・弘法大師・道元禅師などのお仲間の一人になる。立っている世界が変わる。素晴らしい世界に入る。
親鸞さんはそんな風に教えてくれているんですよ。
886 :
名無しさん@1周年:02/08/14 12:40
>884-885
あなたの言葉・表現なので、私にはすぐにはピンと納得・理解できませんが、
参考にさせてもらいます。
それにしても、昔の人たちは、圧倒的多数が教行信証を読んでいないだろうに
どうして浄土真宗を信仰できたんだろうね。
887 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/14 18:20
>>875 ダシにしたことはお詫びします。
ただ、無知蒙昧・無教養と決めつけたのではないです。
現代的仏教理解の典型的な1例として見ることができ
るようにみえたので、、、いじわるでした。ごめんなさい。
888 :
渡海 難 ◆0AE5SZ4. :02/08/14 19:58
>>886 >あなたの言葉・表現なので、私にはすぐにはピンと納得・理解できませんが、参考にさせてもらいます。
貴方には貴方なりの親鸞像があり、仏教観がある。そうなんでしょう。僕の親鸞像、仏教観を、貴方が納得する必要はない。理解する必要もない。これはあくまで僕の親鸞像であり、仏教観です。
あなたが元気で幸せでいられるときは、貴方は貴方の親鸞像、仏教観を堅持なさっているといいと思います。
ただ、万一貴方の親鸞像、仏教観では間に合わないことが起きるかも知れない。僕の親鸞像、仏教観はそのときの非常時用にそばに転がしておいてくれるといい。
僕の親鸞像、仏教観などは、一生使わないで済むかも知れません。それならそれでお幸せでしょう。でも、人生の中で、にっちもさっちも行かなくなり、身動きがとれなくなったら、そのときちょっと思いだして欲しい。
渡海 難の親鸞像、仏教観は、口から出任せ、嘘っぱち。みんな間違いです。でも、外に手段がないような非常時には仕方がない。嘘パチでもしかたない。溺れる時は藁でもつかまにゃならんときがある。
万策尽きたときは、鼻をつまみ、目を覆って、忌々しくても、ちょっと騙されてみて欲しい。嘘と分かって騙されて欲しい。
889 :
渡海 難 ◆0AE5SZ4. :02/08/14 20:00
非常時なんてのは、人生の中で長くない。三日か四日、精々一週間だろう。精々一週間程度なら偽物とつき合ってもいいだろう。
その間は、貴方の本物の親鸞様にはお詫びする。
「申し訳ありませんけど、しばらく目をつぶっていておくんなさいまし。今は非常時です。長くありません。渡海 難のバカヤロに暫く騙されてきます。ご勘弁下さい」。そう言って仏壇を閉め、僕の偽物の仏教もどきを思い出して欲しい。
何の結果もでなければ、「やあ、やっぱり渡海 難は大嘘つきのコンコンキチだったワイ」。そう思って、生涯忘れてください。二度と振り向かないでおくんなさい。
もし、何か結果が出れば、非常時を乗り切るでしょう。最善の策は見つからなくても、最悪の選択肢の選択だけは避けられれば幸せだ。そのときはもう非常時ではない。さっそくもとの本物の親鸞さんの下に戻って行きなさい。僕のことは忘れてください。
二度と振り向かないでおくんなさい。
僕の仏教などは所詮そんなもンです。嘘です。インチキです。それでいい。ただ、人生の中で、にっちもさっちも行かなくなり、万策尽きて身動きがとれなくなったら、一日でも二日でも思い出して欲しい。その間は、本物の親鸞さんには目をつぶっていて貰いましょう。
僕からの提案です。
>どうして浄土真宗を信仰できたんだろうね。 <彼らは念仏を称えたんでしょ。>
890 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/08/14 22:29
>>883 近いようで遠いよ。
へぼ設計がした残響室の後始末だ。
音は生き物だということを理解せず、計算だけで詰めてしまったのが間違いの始まり。
891 :
名無しさん@1周年:02/08/14 23:13
>889
> 彼らは念仏を称えたんでしょ。
そうかもしれんなぁ?
理屈で納得しようとするから、
念仏・他力をどこかばかばかしいと感じて念仏ができんのかもしれん。
なんとなく自分は科学技術の発達した現代人だから
知識が豊富 = 賢くて、
昔の人は無学で教養がなかったんだと
馬鹿にしてたかもしれんなぁ。
理屈で納得できたらってんじゃなくて、
薦められたら素直に念仏してみることも大切かもしれんなぁ。
盲信・迷信との区別が難しいとこやね。
教行信証も信仰が無い人間には価値がないと言うことで。
893 :
名無しさん@1周年:02/08/14 23:45
念仏を信ぜん人は、たとい一代の法を能く能く学すとも、
一文不知の愚どんの身になして、尼入道の無知のともがらに同して、
知者のふるまいをせずして、只一向に念仏すべし。
894 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/15 00:02
近代社会における「阿弥陀仏の不在」を背景として「悪人」「凡夫」
に究極的な地位を与えてしまった上で、
>>893を読み替えてしまうと、
とんでもないことになってしまうと。
まあ、単純化して言えばそういうことなんだと思います。
895 :
ベロ ◆od7XM/js :02/08/15 00:42
確か「浄土教批判」っていう野々村直太郎と言う戦前の龍谷大学の教授が書いた本には
阿弥陀仏のいる浄土に往生するという浄土教の根幹を信じ切れない現代人にとって、
そういう神話的な物語の要素を排除しても、なお親鸞浄土教は堂々と現代人の帰依処に
なりうるって主張して宗派から教授職と僧籍を剥奪されたんだったかなぁ?
896 :
名無しさん@1周年:02/08/15 01:35
>894
NBさんの火宅にも阿弥陀仏はお留守ですか?
>>896 スレほとんど読まずに聞いてるね?たぶん。
ったく。知ったこっちゃない。こんなんばっか。
>>895 あのころは絶対的に近代化マンセーだったからねえ。
ベロさん結構好きなんじゃない?違う?
898 :
名無しさん@1周年:02/08/15 08:36
>889
> 彼らは念仏を称えたんでしょ。
「聖人(親鸞)一流の御勧化のおもむきは、信心をもつて本とせられ候ふ。」
っというような言葉に捕われすぎかもしれませんね。(あっ!主語は私が・・・)
信心だけが大事だって妙にこだわりすぎて勘違いしてたかもしれません。
それこそ机上の空論ですね。
信仰(智慧)だけがあって実践がなかったら仏教じゃありませんよね。
「信をはなれたる行もなし、行の一念をはなれたる信の一念もなし。」
って親鸞さんの言葉があるんですよね。
念仏を称えると言うことを離れた信心はないんですよね。
って分かったようなことをカキコしたけど、
実は、今ちょうどそういうことを書いてある真宗の入門書を読んでたんだ。 (^_^;)
899 :
名無しさん@1周年:02/08/15 08:50
>888
> 理解する必要もない。
私は偏屈者で素直じゃないから・・・。
でも、私の仏教・浄土真宗に対するイメージと、
あなたのカキコはそんなに距離はないように感じました。
まぁ、とりあえず、ですけど。
900 :
渡海 難 ◆0AE5SZ4. :02/08/15 13:55
>>898 >「信をはなれたる行もなし、行の一念をはなれたる信の一念もなし。」って親鸞さんの言葉があるんですよね。念仏を称えると言うことを離れた信心はないんですよね。
ウ?。信をはなれたる行もなし?。聞いたことがない。親鸞は何人いるのかな?。
「真実の信心は必ず名号を具す。名号は必ずしも願力の信心を具せざるなり。このゆえに論主建めに我一心と言えり<信の巻>」。
我流の親鸞理解は怪我のもと。
如来の所説は十二部経なり。ただ六部を信じて、未だ六部を信ぜず。このゆえに名づけて聞不具足とす。
<900 ゲット>
数字も読めない奴が偉そうに
つうかjaneの表示が狂ってた。もう逝こう(;´Д`)
903 :
名無しさん@1周年:02/08/15 14:39
>900
親鸞聖人御消息の7
これは親鸞聖人の言葉と違うんかな?
904 :
名無しさん@1周年:02/08/15 16:01
>903
暇やし、オレがコピペしたる。
(前略)
さては、仰せられたること、信の一念・行の一念ふたつなれども、
信をはなれたる行もなし、行の一念をはなれたる信の一念もなし。
そのゆゑは、行と申すは、本願の名号をひとこゑとなへて往生すと申すことをききて、
ひとこゑをもとなへ、もしは十念をもせんは行なり。
この御ちかひをききて、疑ふこころのすこしもなきを信の一念と申せば、
信と行とふたつときけども、行をひとこゑするとききて疑はねば、
行をはなれたる信はなしとききて候ふ。
また、信はなれたる行なしとおぼしめすべし。
これみな弥陀の御ちかひと申すことをこころうべし。
行と信とは御ちかひを申すなり。あなかしこ、あなかしこ。
(以下略)
>>900 >ウ?。信をはなれたる行もなし?。聞いたことがない。親鸞は何人いるのかな?。
別に親鸞聖人にお聞きなならんでも、阿弥陀様にお聞きになればその通りのこと
なんだけどなあ。ま、…。
906 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/15 18:15
じゃあ、ぼくもひまなんで、コピペ。つか、手で入力。
第四章 信仰確立に関する卑見
上陳の如く、釈迦も人間の範囲を出でざるものなりと論じ、
此人間の範囲を出でざる釈迦の外には具体的な仏陀あることなしと
論じ、凡そ大乗仏教なるものはその流れを釈迦の説に汲む所あるも、
釈迦已後において大に開展せしものなりと論ずれば、吾人の信仰に
おいて影響するものなきやと杞憂する者なきにあらず。然りといえども、、
余は此に依てかえって健全なる信念の確立するを覚ゆ。
但し凡そ信仰なるもの大に二種ありというべきか。その一は常識に訴えざる
道理以外の信仰にして、他の一は常識に訴えて常識の認可を得る信仰是なり。
此二種の信仰の中において、第一は社会の文運と共に退却せざるを得ず。
社会の進歩と共に伴うものは第二種の信仰ならざるを得ず。
余輩不肖尚以て常識の判断を棄てて理外に信念を養成する能わざるなり。
況や世の識者においてをや。
@村上専精『仏教統一論』
で、結論は諸宗ともども、浄土教に統一すべし。みたいな感じ。
でも、その過程では座禅と念仏の両方を究極においていると。
まあ、反論したいと思いつつ、こりゃかなわん。なんて思うところも多々。
渡海さん。読んだことありますか?(w
907 :
名無しさん@1周年:02/08/15 19:15
ちょっとずれるかもしれんけど、
仏教の行が専修というのは日本へ来てからなんだってね。
禅宗は座禅専門、日蓮宗はお題目専門、浄土系は念仏専門って。
中国じゃぁ、座禅したり念仏したりって、併修が当たり前なんだってね。
908 :
渡海 難 ◆0AE5SZ4. :02/08/15 20:22
>>903 >親鸞聖人御消息の7
なるほど。これはノーマークだったよ(苦笑)。でも、結論は間違ってなかったろ。ここは法然仏教を脱した親鸞思想の独壇場だからね。
「広く三経の光沢を蒙りて、特に一心の華文を開く。しばらく疑問を至してついに明証を出だす。誠に仏恩の深重なるを念じて、人倫の哢言を恥じず。浄邦を欣う徒衆、穢域を厭う庶類、取捨を加うといえども、疑謗を生ずることなかれ、」と。
天才親鸞がその直感で開いてきた世界だ。僕らに特別に注意を喚起している。これは忘れてはいけない。親鸞聖人を宗祖と仰ぐ者、「一心」だけは、絶対に間違えてはいけない。ここを外したら宗祖に顔向けできない。親鸞思想の核心はここに極まるんだからね。
>>905 :NB
>阿弥陀様にお聞きになればその通りのことなんだけどなあ。ま、…。
こういうことは、阿弥陀様の声が聞こえるようになってから言っても遅くないな。もっとも、そんな時を待っていたら、NBさんは一生こういう事が言えないということか(笑)。
>>906:NB
>渡海さん。読んだことありますか?(w <ま、興味がないな>
>>907 >座禅したり念仏したりって、併修が当たり前なんだってね。 <黄檗宗でしょう>
興味なしか。。わかりました。
910 :
〇ん?暴マン:02/08/15 23:33
NBさんの主張されてる事拝見する限り現代の伝統教団人の苦労されてる
近代教学の超克の問題が何だか浮き彫りにされてるように思います。
『神学校の死』なんていう国教会を舞台にしたそういう問題意識をテーマに
したミステリも出てますね。浄土真宗本願寺派も大村先生や大峯先生でその志向が
ツルッて滑ってしまった感じ(笑)ですからね。しかしその志向は下手するとΩの宣伝に使われた
先生や牛尾系文化人(かぶってる先生もいますね。○折先生とか)に通ずる危険性を常に孕んで
いるのではないでしょうか?別スレになりますけど確かNBさんが、創○学会を日蓮聖人の思想
を代表的に表現しているとか親○会の教義が阿弥陀仏についての近代的解答の一つだと書き込まれ
て(間違っていましたら御免なさい。)おられたのを見るにつけてもその危険性を感じます。
きちんと近代マンセーは、勿論論外にしましてもきちんと近代思想による批判は、徹底的に通過すべき
ではないでしょうか? 失礼な表現お詫び致します。
911 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/15 23:59
待ってましたああ!!それです。それ!そうなんすよ。
>創○学会を日蓮聖人の思想を代表的に表現しているとか
>親○会の教義が阿弥陀仏についての近代的解答の一つだと書き込まれて
いや、よく覚えていてくださって、恐れ入りますですけどこの両方とも、
実は究極的存在のリアリティーについて、ハッキリとした我が身の上の
証拠みたいなもんで、説明しようとする立場なんだと思うんです。
おっしゃるとおり、そこんところで近代に対するずるっぽい思考停止をしちゃあ、
もう、激しくだめだめさん。なんだと思います。
912 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/16 00:03
まあ、最初にごめんなさい。ってあやまっときますけど、、
○折先生なんざあ。クソ喰らえ。
そういや、水戸、、、水戸なんだっけ。変容のドラマツルギーがどうとかこうとか。
大っ嫌いです。
いや、もいっかい、ごめんなさいと、お詫びしておきますけど…。
ああそれから金○なんとか、、、ああ、言い出したらキリがありませんわ。
まあ、911の「究極的存在」なんて言い方も、実は嫌いなんですけど…。
いや、ぜひとも、〇ん?暴マン さんのお考えをお聞かせ願いたいです。
もう熱烈にキボンヌです。
ちなみにぼくは親鸞聖人と蓮如上人のズレ(としておきましょうか)の構造でもって、
そのまま現代を見るとどういう世界に見えるんだろう。
とかはちょっと、考えたりします。
まあ、つまり、現代の『御一代記聞書』みたいなもんでしょうかねえ。
単純に言っちゃうと。って、単純なんですけど。
まあ、ぼく自身は、「安心論題」に代表されるような伝統教義は
いっこもいじる必要がないと思います。ってか、いじっちゃいかんと
思うんです。ただ、それにどれだけ深い反省を与えられるか?が
考えられるべきかと。それについてはいろいろ思うところもあります
けど、まあ、とりあえず。
まあ、それも危険っぽくって、また叩かれそうですが…(w
舞い上がってしまいましたあああああああ!!(鬱
P・L・バーガー『異端の時代』「序」より。
伝統を維持しようと願う人びとには、三つのおもなオプション、つまり〈可能性〉がある。
つまり一つには、伝統に対する挑戦を無視してその権威を再肯定すること、二つには、
伝統を世俗化しようとすること、そして三つには、その伝統に体現されていた諸体験を
明らかにして復活せしめること、である。(中略)それぞれ演繹法、還元法、帰納法と
呼ぶことにする。(中略)帰納的な研究の道こそが結局はものになると主張したい。
中略
私が身を入れていたのは、伝統への復帰ではなく、伝統との葛藤へ立ち戻ることで
あった。当時も今も考えは変わらないが、そのような葛藤は、伝統それ自体が世俗化
してしまえば何の意味もなさなくなる。そこで願わくは、本書が私の理解している
通りに、〈反動的〉でもなければ〈革命的〉でもない私の立場を明らかにしてほしい
と願っている。
中略
あらゆる宗教的肯定が最後に拠り所とするのが勇気だということで、知識人は他の
人びとに比べて何らの特権をもたぬ、ということを心に留めておくのは(文字通り
の意味で)有益なことである。
921 :
名無しさん@1周年:02/08/23 01:36
さびれまくってますが、
このスレはもう終わったんですか?
922 :
名無しさん@1周年:02/08/23 01:49
はい、ほとんど終わってます。
結局平行線を辿りました。
個人的には曹洞禅を勧めておきます。
末法なんて間違えた思想をやめて黙って坐りましょう。
それ即ち悟りですから。
923 :
名無しさん@1周年:
ぱーと2希望あげ