1 :
名無しさん@1周年 :
02/04/23 02:31
brownさんたちの話をもっと聞きたいYO! おれはレベル低くすぎてわからないからROMしてるけど、 いつも見てたYO!
http://piza.2ch.net/jinsei/kako/986/986192723.html 2ヶ月ほどまえ、とある本で、
「小人の催眠」というものを知りました。
なんでも、自分の左肩に小人が腰掛けている様子を
イメージする自己催眠をかけると、その小人が
自分の迷うときにはいつでもアドバイスをしてくれる、
というものでした。
ー中略ー
ところが2ヶ月ほどたったある日を境に(一週間ほど前のことです)
ピークルが暴走をはじめました。
ー中略ー
ピークルは「ころせ!ころせ!!首を刈れ!!さもないと貴様の首を刈る!」
と言ってきたのです。それ以降のことはお察しいただけると思います。
ー中略ー
どうか、みなさんの全総力をあげて、なにか情報を提供していただきたいのです。
お願いします
略し過ぎか?とにかく瞑想は怖いぞ。
1さん,新規開設おめでとうございます。 人生の価値とは,安らぎです。安らぎは調和によってもたらされます。 私を信じる者はそれを信じてください。 なぜなら,私はそれを知ったから。
5 :
名無しさん@1周年 :02/04/24 01:21
すげー。 仏陀だよ。
瞑想の実践についてのスレだよね。ここは。 ところで瞑想(MEDITATION)って何だろうか? みんなはどう考えてるのかな。 瞑想やってみたい人は何故瞑想やってみたいのだろう。
7 :
名無しさん@1周年 :02/04/24 01:35
心を鎮めたい。 心を強くしたい。 あわよくば悟りたい。
瞑想すれば心を鎮められるだろうか?(鎮めるのは誰?) 瞑想すれば心を強くできるのだろうか?(心を強くって?) 瞑想すれば悟れるのだろうか?(ところで悟りってなに?)
9 :
名無しさん@1周年 :02/04/24 01:44
月輪観とかはどう?
10 :
名無しさん@1周年 :02/04/24 01:57
>>8 どうでしようか?
私には分かりませんが、その様に説かれている文献は多々ありますよね。
11 :
名無しさん@1周年 :02/04/24 03:36
失礼ですがbrownさんは、御幾つくらいなのですか? なんだか前に家も建てたし。。と書いてあったような・・ お子さんとかも、いらっしやるのですか?
12 :
名無しさん@1周年 :02/04/24 03:51
>>777 マルコ7:8
あなたがたは、神の戒めを捨てて、人間の言い伝えを堅く守っている。
13 :
名無しさん@1周年 :02/04/24 05:45
>瞑想すれば心を鎮められるだろうか?(鎮めるのは誰?) 心があるとき、静けさは無い(見るものは、見られるものだ) >瞑想すれば心を強くできるのだろうか?(心を強くって?) 野の百合を思え・・(自分を防御しない弱さこそ強さ) >瞑想すれば悟れるのだろうか?(ところで悟りってなに?) 否!(。。。。)
14 :
名無しさん@1周年 :02/04/24 07:35
774さんには聞きたいことが山ほどある。 まずは神智学について基本的なことを教えて欲しい。 ベースは正教なのだろうか?
15 :
名無しさん@1周年 :02/04/24 08:51
私は774さんじゃないけど「正教」って?
>>14 神智学ムーブメントは、ある意味、仏教の復興運動みたいなものだと認識していましたが・・。
もっとも、今もその「流れ」が神智学協会内にあるかは疑問。
クリシュナジが星の教団解散してからは抜け殻化したものと思っていました。
その辺はどうなんでしょう?私もその活動に興味はあります>774さん。
>11さん 私は若輩者であなたが想像するよりかなりアオイ人間です。もうすぐ30になります。 社会人として学ばねばならないことは多くあります。家を持ったのもその一つで, ようやくビジネスの仕方とか,人と人のつながりとか少しわかってきたような そんな状況です。仕事が楽しくなってきて,今日も四千万円の仕事決めてきましたよ。 これからの実施が大変ですが。仕事の価値は安らぎではありませんから。そちらは いたって厳粛にやる所存であります。 現在彼女はおらず,募集中です。いい人がいましたらご紹介ください。 好きなタイプはやさしく心の明るさがある人です。心の明るさですよ。性格でなくて。 愛情のもたらす癒しというものは,やすらぎ,つまり人生の純粋な価値とは違い ますが,これも貴重なものでしょう。それは憎しみや激しい苦痛と伴にあり, 常に覚醒への手引きをしてくれます。 私は頭がよく,体験したことを理路整然と語れるのはそのためです。実際には自分では 頭が悪いと思っていますが。世間的にはそういうことになっているようです。 他にとりえもないし,世の中のためにはそれで何かお役に立てる仕事をしていきたい と考えています。というのは,役に立つとは,相手にとってどのような価値があるか ということなので,自分がどう感じるかはどうでもよいからです。
人の徳とは,「素直さ」と「注意深さ」と「物事を理解する力か努力」です。 また,人の偉大さとは,「忍耐か勇気ある行動」と「寛容」と「道徳的行為」です。 より完成された態度とは,周囲の調和のために働くことです。 私を尊敬するものはそれを尊敬してください。 なぜなら,私はそのように幸せに生きているから。
18 :
名無しさん@1周年 :02/04/24 22:18
妄想?
瞑想の入門書でお勧めの本はありますか?
>14 >15 よし。じゃ本格的にやるか。 2CHじゃまだこっち方面は弱いようだしね。クリシュナムルティスレもあるが 違うアプローチでいってみたい。できるだけ正確にカキコするつもりだが、補足があれば言ってくれ。 ちなみに私は神智学協会とは何の関係もない。 クリシュナムルティが去った後の神智学協会にはあまり見るべき ものはないと思う。ORDER OF THE STAR解散のきっかけになったのは、 世界大師マイトレーヤの器として準備されたクリシュナムルティが、 たとえそこで器として完成していたとしても、神智学協会は、組織として 彼を檻に入れてしまうことになっただろうと推測する。だから、個人の 探究にクリシュナムルティは強調点を置いたのではないだろうか。 この時クリシュナムルティは器として失敗したと思われたらしいが、 これはある種、フルイなのだということを、どのくらいの人が理解できただろう? このあたりの経緯はめるくまーるから出ているクリシュナムルティの自叙伝 を読むとよく分かる。いかに人々が何でもポケットに入れたがるか、神でも悟 りでもイニシエーションでも何でも手に入れたがるほど幼稚であるかよく 分かるし、80年ほど前のこととはいえ、そっくりそのままあらゆる宗教団体 、精神世界団体に共通する幻想がなんであるか分かるだろう。 つづく
つづき 神智学協会のあと、覚者(マスター)たちからの教えは、 その後、エレナレーリッヒのアグニヨガ、アリス・A・ベイリー、 現在生きている人と言えば、ベンジャミン・クレームあたりから、 メンタルテレパシーレベルでのコンタクティを持ってもたらされている。 これらの団体は、古いものは新しいものを認めない立場をとっている。 しかし、俯瞰すればやっぱり教えのラインは存在すると言っていいだろう。 シュタイナーはアホな神智学協会に嫌気がさして人智学を始めたが、 神智学の立場から見ると支流になってしまうな。 でも彼は彼なりにすばらしい仕事をした。 ニューエイジという言葉はブラッバッキーが初めて使ったと思う。 これら神智学のエソテリシズムはオーソドックスな宗教から異端 のように思われたり、マジックの系統に思われたりすることがいまだに 多いが、これらの教えは人類の来るべき時代のために用意されている ものだ。彼等の情報は万人向きではないが、これから人類が進むべき道 と、人間を卒業した方々の一団とその顕現過程、人間と太陽系・宇宙の 進化、キリスト(世界大師マイトレーヤ)の再臨、瞑想とその性質、 人類の一体性の確立とその障害について、論じている。 読んでも理解は難しいだろう。 なにしろ広大な分野なので、どう応えていいかわからないがこんなとこかな。
>19 「クリシュナムルティの瞑想録」平河出版社をおすすめする。 彼は難しい用語は一切使わない。 <個>が好きなbrownさんにもお勧めする。共鳴できるものがあると思うよ。 ただ彼は神智学系の団体とは何の関係もない。 そこを後にしてきた人だ。しかし精神世界の数ある本の中で 価値のある本を選ぶとしたら、私的には一番だな。
で、母胎はなんなのだ? キリストとマイトレーヤを一緒くたにするあたり、グノーシスかなんかの 流れか?
24 :
名無しさん@1周年 :02/04/25 06:41
マスタークートフミ。。。
>>23 あなたはいいかげんその石頭どうにかしたほうがいいよ。
27 :
名無しさん@1周年 :02/04/25 10:36
brownは解離性障害とかいう精神障害の可能性がある。 カルト宗教の洗脳等によって精神に障害が生じた人と 言ってることの内容やそこに至る経緯がよく似ている。
がんばっておりますな。相変わらず。 正法は覚者がいなくてもあらゆるところに偏在しています。この時代でも。 もちろん正法が明らかな書籍もありますし,正法の知識体現者もいます。 なので,求めれば必ず得られるでしょう。苦難や迷いは多いでしょうが。 いかなる望みも探し物もそこにしかたどり着き得ませんから。 でないと,せっかく生まれてきたのにもったいないですよ。刻々と削られていく 命が。かけがえのない,交換不可能な,あなた自身が。あなた自身の心をただ, 恐れずにはっきりと見開いていくとき,そこには他にないかけがえのない価値が 眠っているんですがね。私はただそのことを思っているだけなんですがね。
妄想に身を投じるのは,本当にもったいないです。私はそう思います。 いかなる体系にも団体にも属さないことです。自分自身で探求することです。 正法は覚者がいなくてもあらゆるところに偏在しています。この時代でも。 なので,求めれば必ず得られるでしょう。苦難や迷いは多いでしょうが。 自分で求めて探し当ててください。 あなた自身に,かけがえのないその生命の偉大な歓び,大自由が,くっきりと立ち 顕れてくるまで。すべての疑問が,その疑いと比較のない完全な調和の中に, ただ静かに,何食わぬ顔で,跡形もなく溶け去っていくまで。あなた自身が, 自分が何のために生まれてきて,ここで何をしているのか,教えられるのではなく, 自らはっきりと悟りきるまで。 そしてそれは可能なのです。求めたときにその人に与えられます。 だって私はそうやってきたのですから。それは人類普遍の貴重な秘められた宝 なのですから。
私はこれまで自分が悟り知ったことをただ述べてきました。 そのために付け加えたことも隠したこともありません。 (まだまだ語っていないことはありますがね。) これで最後になりますが,それが必要だと思う人は,ただ求めてください。 それは必ず得られるのですから。実際に道を最後まで歩みきった人が ここにいて,はっきりと断言するのですから。 どのような断言もこの断言には叶わないでしょう。 求道者ならそれがわかるはずです。勇気づけられるはずです。 ただただどこまでも求めてください。それだけです。
32 :
名無しさん@1周年 :02/04/25 19:30
ありきたりのコメントだね。
>24 私は一匹狼で、いわゆる団体に属していない。 いろいろコネクションはあるけどね。前にはあるコミュニティで働いたり したが。それは10年前の話。 ちなみに神智学でいうキリストとは役職名のことだ。 だからキリスト=マイトレーヤと表現する。マイトレーヤについては、 ブラバッキーの時代から言われていたことだし、前述のとおり、 クリシュナムルティが神智学協会において器として準備されていることは この分野について知っている人には常識なのです。 グノーシスうんぬんという見方はあなたがクリスチャンだからかな? カキコは自由だが、正直あんまり荒らさないで欲しいね。 そのかわりと言ってはなんだが聞きたいことがあれば分かる範囲で お答えするしよう。 あなたが私をナナメに見ない限りは。
発言が誤解を生んだようだ。すまない。 おれは荒らしではない。ただ無知だっただけだ。 神智学というのはその語感から想像するよりもずっと新しい宗教(?)の様だ。 よろしければ、まずは神智学創始者についての説明をお願いできるだろうか。
35 :
名無しさん@1周年 :02/04/26 03:22
15
>>20 >クリシュナムルティが去った後の神智学協会にはあまり見るべき
>ものはないと思う。
これには同意です。
>このあたりの経緯はめるくまーるから出ているクリシュナムルティの自叙伝
>を読むとよく分かる。
自叙伝ではなく伝記ですよね。
>シュタイナーはアホな神智学協会に嫌気がさして人智学を始めたが、
>神智学の立場から見ると支流になってしまうな。
>でも彼は彼なりにすばらしい仕事をした。
ここは意見が分かれるところかな。
私はシュタイナーはまったく評価しない。
>これら神智学のエソテリシズムはオーソドックスな宗教から異端
>のように思われたり、マジックの系統に思われたりすることがいまだに
>多いが、
これは非常に微妙なところですね。
私は少なくとも数千年の伝統があるといわれる、
とあるエソテリックサークルと直に接触したことがあるので、
世間一般で思われているような怪しいものでは無いのは知っていますが・・
あらゆる意味で素人が手を出すような知識ではないですからね。
36 :
名無しさん@1周年 :02/04/26 03:24
×私は少なくとも数千年の伝統があるといわれる ○私は少なくとも2千年の伝統があるといわれる
まあ、常識的に考えて2千年の歴史のある秘教サークルがあるわけない。 二千年前っていったらキリストさんの誕生日だよ。 まあ言うのは自由だし言われているんだったら仕方がないが、 恥ずかしげもなく権威の象徴のごとく数字を羅列するのはどうかと思うぞ。
気にするな。何もまともなことひとつも書いてないじゃないか。 寝言だろ
39 :
名無しさん@1周年 :02/04/27 04:28
774さん、こないね〜
40 :
髑髏仮面 ◆hmSrkuWE :02/04/27 05:07
やっとこれたよ。
>34
神智学の創始者は、ヘレナ・ペトローブナ・ブラバッキー
ロシアコーカサス出身。
神智学協会ニッポンロッジのHPに、伝記などの書籍の紹介がある。
私がどうのこうの言うよりもネットの検索するか、書籍をお読み
いただいた方がいいだろう。
ブラバッキーについては、多くの誤謬が存在するからそれらを
差し引いておくことも忘れないで欲しい。
神智学協会ニッポンロッジのHP
http://home4.highway.ne.jp/aaaaa/tsjp/tsjp.htm 私の家にある本はここの、「実践的オカルティズム」(竜王文庫)
しかない。SD(シークレットドクトリン)はまだ読んでない。
(モグリですまない)
>35,37
秘教の伝統についてはイエス以前のグノーシスからという考えと、
人類を背後から見守り、導く方々(霊的ハイアラキー)
の存在が常に人類とともにあり、そこから何らかの形で人類に
教えがもたらされているという考え方がある。
この考えでいくとアトランティス・レムリア時代まで遡る。
42 :
名無しさん@1周年 :02/04/27 14:00
ちびっ子の仮面ライダーと同質だったりして?
TMマハリシの超越瞑想ってどうですか?
>42 途方も無い話だからそう思うのも無理はないだろう。 >43 私はやったことはないが、やったことのある話を 聞くかぎりそう悪くはないんじゃないか?ただ お金がかかることは確かなようだ。
46 :
瞑想は気持ちいいヨ〜! :02/04/28 07:40
>>46 さんには悪いけど、人に勧めるほどものじゃないよTMなんて。
48 :
名無しさん@1周年 :02/04/28 09:17
49 :
髑髏仮面 ◆hmSrkuWE :02/04/28 09:34
私は15年程前、古今東西のあらゆる瞑想、 催眠術等を試してみましたが、結果的には、 TMが最も自然で効果的であることがわかりました。 もしあなたが瞑想に興味があり、なにか試して みたいならお勧めします。自分で全部試して みても良いですが時間とお金がかかりますので、 どうぞ私の意見を参考にしてお考え下さい。
>>50 無知にもほどがある。
TMのような手法は、ある種の体系の中で正しく把握してのことなら、
ある程度の範囲以内で有効ではある。
それ以上でもそれ以下でもない。
もちろん、マハリシがその体系に無知なのは周知の事実。
52 :
名無しさん@1周年 :02/04/28 20:09
>>50 TMでは魔境をどのように判断して扱っていますか?
それがわからないと怖くて入っていけないでしょう。
53 :
髑髏仮面 ◆hmSrkuWE :02/04/28 20:41
TM。う〜む。宇宙意識。う〜む。
54 :
名無しさん@1周年 :02/04/28 20:57
それで? 瞑想で何を得たのさ?
55 :
名無しさん@1周年 :02/04/28 21:26
どくろうざい
56 :
名無しさん@1周年 :02/04/29 00:25
TMは、意外と「ひたすら何にも考えない」座禅系に近い。 ただこの「何も考えない」ってのはチト難しいので マントラという小道具(多分サンスクリット語の短い単語)を 思い浮かべることで何も考えないことに代用するのがTMのやり方。 マントラの響きとでも言うものにナビゲートされて瞑想状態に 入っていく。 マントラは少なくとも一般の日本人には意味不明 なので何も考えていないのに等しいし 妙な先入観にとらわてイメージを作ったりしないというメリットがある。
57 :
名無しさん@1周年 :02/04/29 00:26
ついでに以下、勝手な想像 「ナムアミダブツ」ってのは、現代人が聞くと 仏像の姿とか「南無阿弥陀仏」とか思い浮かべてしまいそうだが、 初期に民衆に広められた頃は、TMでのマントラのような 意味の無い瞑想用のキーワード (ただし、本当はありがたい意味を持つが)として使われていた 可能性はないかな?
58 :
名無しさん@1周年 :02/04/29 00:26
で、魔境は?
そうそう、魔境知らずに禅やるのはあぶない。 TMだけやるのもね・・・
60 :
名無しさん@1周年 :02/04/29 00:47
>>58 TMでは瞑想中に現れる想念・気分・感覚等は
良いも悪いも、快も不快もすべて心のガーベージコレクションの
ような ゴミ=雑念 なので無視し、
どうしても気分が悪ければマントラを一旦止めるとか、
瞑想も中止する
こういう雑念はストレス解消(ガーベージコレクション)の現れだから
内容は気にしないように教えられる。
また例えば瞑想中にグッドアイデアが出たときなんかでも、
しょせんゴミの履きだしで思いっきり内容が怪しいので
瞑想していない時によく考え直すようにと教えられる。
魔境もこういう対処になるのかなあ?
TM中に魔境に会ったことがないので、、(別ので体験したことはある)
よくわからずスマン
私が前回言いたかったのは、私の経験の中でTMが一番自然で 効果的であり、お勧めしたいということです。もちろん他の 瞑想法で良いものを知っている方がそれをなさるのは全然 かまいません。 私は、他の多くの瞑想法では経験の出来なかった様々な事を TMの中では簡単に経験出来ましたのでこれは本物だと思う わけです。 他の瞑想法を経験されている方であれば、TMをやってみて その違いを比べてみれば私の言っている事がわかるのでは ないかと思います。 私が『絶対』に触れることか出来たのはTMだけです。
魔境っていうのは元々、禅での言い方だよね。 神智学的には、ある特定のセンターへの過度の集中により、 エーテル体の膜が破れアストラル界との接触が望まれない 形で起こること、になると思う。 つまり瞑想のヤリ過ぎや不安定な精神状態での瞑想が原因となって、 精神の平衡がくずれることを言うと思う。 基本的に地に足のついた人が瞑想や禅(たぶん。私は禅者でないので) と関わるべきだろう。 よく勘違いして、精神が病んでいるのに瞑想が効果あると考えて いる人がいるらしいが、全くの逆効果で過度な刺激になって危険だね。
TMやってる人で多いのが「効果を求める」ってことだなと思う。 実際TMはそれを謳ってるし、他の瞑想でもそういう効果を強調 しているところはあるが、何かを得るための手段が瞑想なのだ としたら、瞑想の本質とはなんなのだろうか?それは手段に 過ぎないということなのだろうか。 私も瞑想をしているが、何かを得るために瞑想をするというのは どうにも下戸に思えるのだ。私自身は何も瞑想に求めてはいない。 メシを食べるように瞑想しているというのが正直なところだ。 そしてそのタイミングは自分の意志を越えているところから信号 のように届いてくる。
>>774 さん、
自然に瞑想するっていうのは本来の姿かもしれませんね。
本当はだれもが自然にそれを知り、食事をするように瞑想
するのが良いのでしょう。774さんの場合はそれを元々
直感的に知っていたのだと思います。
しかし人は必ずしも774さんのように知識が豊富では
ありませんし、普通多くの人は意志を越えたところから
信号が来てくれる訳でもないでしょう。
だから入り口というのは色々あって良いのだと思います。
色々な動機から入って瞑想の良さを知ればその人の人生も
また違った物になることでしょう。
774さんは気がついているでしょうが、本当は瞑想で謳われる
効果というのは表面的な物に過ぎません。だからこそ、その
奥に広がる世界を知った者はそれを自分だけのものにせず、
みんなに教えてあげるべきではないでしょうか?
瞑想を知っても実践しないのはその人の自由です。無理に
押しつけるつもりは毛頭ありません。だまそうとしている
わけでもありません。ただ自分が良いと思うものを勧めて
いるだけです。ここが実践瞑想スレッドなもので・・・
65 :
名無しさん@1周年 :02/04/29 04:44
瞑想者さんはTMに非常に詳しそうだが、なぜ魔境には触れない? もしや体系付けられてないな?
66 :
名無しさん@1周年 :02/04/29 04:45
魔境って、なんですか?
67 :
名無しさん@1周年 :02/04/29 05:09
瞑想してるやつが陥るヤバイ状態のことだ。 幻覚・妄想くらいならまだいいらしい。 いわゆる心身症を発症することもあるという。 禅界では白隠禅師が有名。 禅師はこれを軟酥の法で乗り切る。
>>65 さん、
ごめんなさい。避けたわけではないんですが、
>>60 さん
がほとんど答えてらしたので省略してしまいました。
TMの大きな特徴は『無理をしない』ところにあると
言えるかもしれません。言い方を変えると自然な方法
なのです。
またTMはマハリシが始めたのですが、実はそのルーツ
はとても古く、極めて深いノウハウを持っています。
実際には、例えばあなたが魔境の経験をしたとすると、
その事をTM教師に相談することが出来ます。教師は
あなたにTMを指導した人で基本的には一生あなたの
担当になります。
そういう意味で、マハリシは魔境について軽視しては
いないと言えます。
>>68 さんを補足しますね。
>その事をTM教師に相談することができます。
というのは、”個人チェッキング”といわれるものです。
(日本では、たぶん海外でも)無料で何度でも受けることができます。
これはどの教師でもかまいません。
海外でTMを習った外国人の方が、日本に来て、
日本人のTM教師に個人チェッキングを受けるということも聞いています。
(言語の壁はありますが)
世界のどこででも、TM教師がいれば個人チェッキングは受けられます。
これはよく考えるとすごいサポート体制だなぁと思います。
あともう一つチェッキングといわれるものがあります。 教師は、あなたにとって適したマントラを選び、その正しい使い方を指導しますが、 (これを“個人指導”といっています。) あなたがマントラを忘れちゃった! あぼーん… したときや、 これでよかったんだっけ… なんか違う気がする…というときに、 “個人指導を担当した教師”から“マントラのチェッキング”を 受けることができます。 これも何度でもうけることができ、追加料金は一切かかりません。 > 教師はあなたにTMを指導した人で基本的には一生あなたの担当になります。 ということになりますです。
>>56 さんの
> TMは、意外と「ひたすら何にも考えない」座禅系に近い。
というのも、誤解があるといけないので…補足しますね。
「ひたすら何にも考えない」という行為、
この「ひたすら」の部分ですが、これって努力ですよね。
うまくいっているうちは、努力もいいかもしれませんが、
うまくいかないときの努力ほど、つらいものはありません。
そしてそれはストレスになります。(そして、そのストレスが魔境を…)
一方TMは、“2つの自然な傾向” に基づいた完全に自然な方法です。
2つの自然な傾向とは、
より魅力あるものに惹かれていくという 心 の自然な傾向 と、
ストレスを取り除き、生理機能のバランスを維持しようとする 身体 の自然な傾向 です。
ですから、TMは自然法則にかなったものであり、
自然で、
自動的で、
努力の要らない方法です。
とはいっても、人はまさに変化をし続けていくと生き物ですから、
本来の、自然で、自動的で、努力のいらないTMから遠ざかってしまう人もいるかもしれません。
ですから、“個人チェッキング”が用意されているのです。
私個人としては、TMから恩恵・効果を感じられないと言ってる人は、
TM中に“一生懸命TMをやっている”人だと思います。
72 :
髑髏仮面 ◆hmSrkuWE :02/04/29 10:50
>>71 >TM中に“一生懸命TMをやっている”人だと思います。
確かに。一理あるかと思います。
他のところは存ぜぬが・・・。
瞑想者さん: 私はTMをやったことがないので、やっている人の体験を聞かされているに すぎないが、あなたの言うような「入り口」の必要性は確かに認める。 私自身もあるコミュニティの中で何らかの方法にそった瞑想を最初のころ 行った。それは良かったと思っている。 自分の状態を詳しい人から聞けたり、見守られる環境は私自身の体験から、 瞑想に関わる最初のうちはあった方がいいと思う。僧院などでは、 兄弟子や師がいるわけだからそういう心配はないが、瞑想の本だけ読んで 我流で始めてしまう人も最近は多いのではないかと思う。 正直ちょっと心配だ。 マハリシの超越瞑想の伝統は、グルデヴからのものなのかな?
74 :
名無しさん@1周年 :02/04/29 13:08
一瞬、実践「妄想」スレッドって読めた…鬱堕氏悩
さらに瞑想者さん: 瞑想のいわゆる「効果」を前面に出すというのは、初心者への 導入のためと考えて良さそうなのかな。実際、瞑想の効果を気に する人はいわゆる初心者に多いと思う。確かにそれは導入としての 役目があるのだろう。 瞑想中の平安や至福の中では、何かを得ようとする心の傾向は 単なるさざ波にすぎなくなる。 平安・至福は、心の静寂とともにやってくる。瞑想者として、 本当に多くの人に味わってもらいたい。自身を分ち、隔てる 様々な要因を乗り越えてそれを味会う価値があることを瞑想者と して是非みなさんに伝えたい。 そして、人類を分ち、隔てる様々な要因をも乗り越え、平安と喜び のうちに共に生きる世界を建設するための意志もまたその静寂から 生まれてくるのだ。このことも知って欲しい。是非知って欲しい。
>マハリシの超越瞑想の伝統は、グルデヴからのものなのかな? TMの伝統の中に上がる名前のうち古いものははヒンドゥー教、仏教、 等に連なるヴェーダ伝統の名前(クリシュナ、仏陀、etc)が多くあり、 5000年以上前のことでは、本当の原型はよくわからない。 今の超越瞑想(TM)の方法論や体系を古代の伝統から復活させた といわれる直接の創始者は恐らくシャンカラ・チャーリア(初代) 現代インドに再度この形を復活させたのがグルデヴ 超越瞑想と名づけ、 インド以外にも広めたのがマハリシ・マヘーシュ・ヨーギ-
>瞑想のいわゆる「効果」を前面に出すというのは、初心者への >導入のためと考えて良さそうなのかな。 詳しくない私ですみませんが、 「世界中の人を悟りに導こう」というのが マハリシの祈願。 正しい瞑想を学ぶために聖者に会いに行くのに何年も 旅しなければらならかった昔でなく、現代ならそれが可能 と踏んだからだとか、 ただ、初めから瞑想の価値が判っていて何年も旅した 昔の求道者を相手にするのではないから新しいPRの切り口として 「瞑想のいわゆる効果」を出したのじゃないかな、 「効果」そのものはウソじゃないし、 イヤ実際 個人的経験では効果絶大だし。
あと、例えば、brownさんの >人の徳とは,「素直さ」と「注意深さ」と「物事を理解する力か努力」です。 >また,人の偉大さとは,「忍耐か勇気ある行動」と「寛容」と「道徳的行為」です。 >より完成された態度とは,周囲の調和のために働くことです。 といったことは、瞑想によって「真我」=「存在」に触れて それに立脚して実践し、身に付けないと砂上の楼閣である。 というのがTMの考え方なので 乱暴に言うと「何でも良いからとにかく瞑想から始める」 のがとにかく大切なのです。 瞑想を勧めるために効能をPRに用いるのはこのためかも。
ところで、誤解を防ぐ意味で。 瞑想によって触れることのできる「真我」=「存在」=「純粋意識」 というのは60で書いた「瞑想中に現れる想念・気分・感覚等」とは 違います。 どうやら五感を超えるものだそうで、初めのうちは瞑想中に現れる たんなる無意識の空白としか認識できません。私はこの段階。
瞑想者さんの もっと深いコメント希望
>>774 さん、
ほとんど
>>56 ,60さんが答えてくださったので私は少しだけ
補足します。グルデヴとはビートルズの『アクロス・ザ・
ユニバース』の最後の『ジェイ・グル・デーヴァ』の人です。
マハリシの直接の師匠にあたります。(この辺も知ってそうだなぁ)
>>774 さんはとにかくなんでもとても詳しい事と、またその意識の
高さに驚きました。おそらく瞑想によって培われた・・・いや多分
生まれた時から正しい方向を直感的に感じ取れる力を持っているの
でしょう。
しかしせっかくそれだけの意識を持ち合わせているのなら、
もっと上を目指さないともったいないのではないでしょうか?
実はTMでは啓発(悟り)の段階も体系づけられています。私が
経験しているのは『超越意識』と言われる段階で、瞑想中に一瞬
ーしかし永遠に感じられるような全ての答えがある世界に触れる
瞬間を感じるのです。
これは、覚醒ー眠りー夢に続き4番目の意識の状態と言われて
いますが、実はその上にはまだまだ高い意識の段階があるのです。
5番目の意識状態はその『超越意識』の至福の状態が24時間続く
ようになる状態です。一般にはこれが悟りの状態と言われています。
面白いのは悟りの状態にも段階があると言うことです。5番目の状態
を『宇宙意識』と呼びますが、その上には『神意識』『統一意識』と
いうのがあるのです。
マハリシは『宇宙意識に到達出来た人がそこで留まってしまうのは
もったいない』と言ったと聞いています。
方法は別にTMでなくても良いのですが、私がTMを推薦する
気持ちも少しはわかっていただけたのではないかと思います。
TMは非常にわかりやすく万人に適した瞑想法と言えると
思います。目指すところはまさに
>>774 さんと同じです。私達も
瞑想を通じて万人に啓発と世界平和をもたらそうとしています。
82 :
名無しさん@1周年 :02/04/29 17:24
TMはけっこう費用がかかると聞いておりますが、実際いくらくらいかかります?
83 :
名無しさん@1周年 :02/04/29 17:24
それで、培ったそのテクニックで、境地で、社会で何をしているんだよ? 無駄な自己のエネルギー消費を滅して、今、何をしているのですか? 何ができるのですか?
セックスより気持いいとオナっています。
>>82 さん、
ごめんなさい。私がTMを習ったのは十数年前なので正確な値段は
わかりません。マハリシは2週間分の給料を基準に値段を設定する
ように指示したと聞いています。私の時は年収により2段階になっていまし
た。現在は宿泊付のコースの設定になっていたと思いますので、その
分の値段もプラスされると思います。緑の中でリラックスして瞑想すると
進化をより多く実感出来るという事ではないでしょうか。
>>83 さん、
難しい質問ですね。私が何をしているかを一言で説明すると、世界平和を
創造するためのお手伝いをしている、といったところでしょうか。しかし
TMを始めたからといって、別に世界平和創造を手伝わなければならない
というわけではありません。世界中にはものすごい数のTM瞑想者が
いますが、皆それぞれ普通の生活をしています。
TMはただ単に、無駄な自己のエネルギー消費を滅するだけではあり
ません。それをする事で、すばらしい世界が開けるのです・・・ちょ
っと抽象的ですか?でも申し訳ありませんが、説明する事は出来ます
が難しいんですよね。体験してもらえれば一発でわかると思うんです
が・・・もう少し具体的な形で質問していただけると私の方も答え
やすいかも知れません。
86 :
髑髏仮面 ◆hmSrkuWE :02/04/29 19:29
>>85 こういったジャンルは多少興味がありましたので、随分参考になりました。
私は体験した事がありませんのでコメントは避けます。
今後、スレが盛り上がる事を期待しております。
>>85 レスありがとうございます。当時でいくらでしたか?
現在の値段ご存知の方いませんか?
88 :
名無しさん@1周年 :02/04/29 21:11
TM関連の人の発言に一つも具体的な魔境対処法が書かれていないのが気になるな。 禅家ではナンソの法だと言っている。 TMにもなんかあって良いはずだ。 本当にフォローできる力がある証拠を挙げてくれ。 それから、その、なんつーんだ?真理みたいなものには簡単に到達できるの? あなた方の中で既に真理に触れましたって言う人、コメントください。 お待ちしております。
>>82 基本コース
関東地域:129,700円(レジデンスという合宿費含む)
関東以外:91,700円(合宿費含まず。含む場合は関東と同じ)
マントラ伝授と瞑想のやり方を学ぶ。
http://www.maharishi.co.jp/tm/tmqa/index.htm 一番基本のTMをする場合でもレジデンスか体操コースとかで、
ヨーガ体操を出来れば体操を学んだ方が良いし
各地のセンターの毎月のミーティング(無料ー1000円ぐらい)には
出た方が、自分の瞑想を確認できて良い。
上級コースA:TM上級テクニック
10万円ちょい。 マントラ伝授された後、1年半毎に学ぶことが可能
(学ばなくてもよい)
上級コースB:TMシディ
50万円(4週間の週末通い)+25万円(2週間合宿)
(年収800万円以上はもすこし高い)
上級とかシディは、その値段に価値を見出すかどうか、
他、瞑想の効果、みたいなもので色々と相談もちかけると
ヴェーダ健康法とか色々勧められるが、
これらは保険が利かないため結構高額となる
宣伝くさくてゴメンナサイ
>>88 TM的な魔境対処法は、私は上に上げたもの以外知らない
(し、これだけでも、過去にやったもののように魔境には陥らず
その前兆みたいな段階で避けているのは何となく実感)
しかし、それでも の場合のもっと詳しい内容はここには
出ないかも知れない。
マントラの伝授と一緒で、微妙な内容は文章だけで表せるものでは
ないし、資格をもち、正しい知識を持った人間が正しく伝えないと有害
だったり、過去に間違った知識が伝言ゲームで一人歩きして
瞑想が凋落した過ちを繰り返さないようにしているとのこと。
まあ、特定の薬や療法は医師以外は処方できない。
と言うのと似てるが、確かに色々なことを
もう少しインフォームドコンセプト的に
原理やさわり あたりを説明してもらいたいとは私も思う。
>瞑想者さん もちろん私なりに上を目指してます。私もある程度の段階でしかないので。 先の道程がまだまだあることを知ってます。 あなたの言う5段階の悟りで思い当たるのが、神智学でいう5つのイニシエーションですね。 そのまま当てはまるかどうかは疑問ですがせっかくなので少し紹介しましょう。 ただし、秘教の教えを受け入れられない人はここから以降は読まないでください。 もし読んだとしても、あなた自身でその確証が得られない限り信じないでください。 第一イニシエーション---誕生 物質界、肉体エレメンタルに関するコントロールの達成 第二イニシエーション---洗礼 アストラル界、感情体のコントロールの達成 第三イニシエーション---変容 メンタル界、メンタル体のコントロールの達成 第四イニシエーション---放棄 諸体3体からの解放 第五イニシエーション---復活 物質界のいかなる影響も受けない状態 第五イニシエーションを受けると覚者となる。 誕生から復活まで書いてあるのは、イエスの生涯になぞらえているから。 イエスの生涯は、人がいかにして神になるかということの象徴と言われている。 皆、この門を通って覚者となっていく。イエスが「私は真理であり、道である」 と言ったのは霊的な意味で本当なのだ。 そして現在最初のイニシエーションの門口にいる人々が多数存在する。 過去数十年の瞑想ブームも偶然のことではない。 最初のイニシエーションが近付くとき、人は自然と菜食になる。 またなんらかの瞑想に引き付けられ、魂(高位我)との接触が始まる。 またこのイニシエーションのプロセスは現在のところすべて内界で行 われるもので、誰かから授けられるものではないことを強調しておき たい。 詳しくはアリスAベイリーの「イニシエーション」(英文:ルーシストラスト)か、 ベンジャミンクレームの「マイトレーヤの使命1、2巻」(シェアジャパン)を あたってください。
>>88 >その、なんつーんだ?真理みたいなものには簡単に到達できるの?
私や瞑想者さんが言っている
真我=存在=純粋意識=超越意識 のことでしょうか?
(何か色々言い方があって統一されてません)
私のような、瞑想中の無意識の空白としての認識として「触れる」
だけなら、遅くとも始めて1年以内には、、、早ければマントラ伝授され
た日ぐらいにらしいです。
これが純粋意識なのかどうかというのは私程度では傍証でしか
実感されませんが、少しずつ真理に近づいている気はします。
具体的にはその時というか後や瞑想後の至福感と
日常生活で麻痺してしまった感覚の回復があります。例として
・本当の空腹と、疲労・ストレスから来る食い気の違い
・コーヒー等で、無理矢理に眠気を追い払っている場合の不快感
等がわかる。
・くだらない怒りやあせりが激減する
など色々 まあ、この程度で真理?といわれるとそれまででは
ありますが。 なんだか 瞑想の効能書きみたいかなあ、、、、
>>91 >最初のイニシエーションが近付くとき、人は自然と菜食になる。
おお、ここ最近とみに肉がまずくなったんすが、良い兆候?(笑)
型にハマるな、我流であれ 正しく行えばそれでよし。
>94 型にはまらないのは時として正しいとも言えるし、間違っているとも言える。 正しく行う瞑想とは何かが問題なのです。 我流だとその識別力がつかない。 識別力、それは自己の動機、感情、思考についても、 様々なグルや団体についても使っていかないといけない とても重要なものです。 そしてそれは使うことで培われるものだから、自分本位な態度 では自分本位な使い物にならない判断しか培われない。 このことは瞑想に関わる人は熟孝すべきでしょう。
96 :
名無しさん@1周年 :02/04/29 22:25
方法論を否定する奴は氏ねよ。 否定ばかりしないで、94も道を示してみろ!
97 :
名無しさん@1周年 :02/04/29 22:29
真の真理は大衆にとっては、猫に小判 しかし、なんらかの方法論によって、アプローチしなければ、始まらない。
>>97 少なくとも日本において
ここ1000年や2000年の歴史上の比較で、ここ最近ほど、大衆の中の
個人一人一人がこれほどの力をもった時代があったでしょうか?
そういう意味では今は真の真理が大衆に必要な時代と思う。
99 :
名無しさん@1周年 :02/04/30 00:07
関係ないけどインフォームドコンセプトじゃない。 インフォームドコンセントだ。 こんな横文字普及するわけあるまい>医療関係者の方々
100 :
名無しさん@1周年 :02/04/30 00:08
注意深くなろうね、大事なところだ
1000年→100年→10年と変ってきてます。
一応まじめに話してるみたいだったから黙ってROMしてましたが・・・
瞑想者さんが
>>61 で、
>私が『絶対』に触れることか出来たのはTMだけです。
と書いていましたが、彼が「絶対(パラ)」という言葉の意味が
わかっているとはとても思えない。
例えば瞑想者さんは
>>81 で、
>実はTMでは啓発(悟り)の段階も体系づけられています。私が
>経験しているのは『超越意識』と言われる段階で、瞑想中に一瞬
>ーしかし永遠に感じられるような全ての答えがある世界に触れる
>瞬間を感じるのです。
と書いていますが、
こういう段階は「絶対(パラ)」でもなければ、
「宇宙意識(イシュワラ)」でもありません。
だいたいTM的手法というのは身、口、意による礼拝のうち、
口(言葉)による礼拝(ジャバ)の伝統をアレンジしたものに過ぎない。
外面的知識の提示と、初心者誘導の意味はあるかもしれないが、
大体がマハリシマヘッシヨーギ自身が悟っていない。
あとは推して知るべし。
ジョンだってセクシーセディーって歌で痛烈に批判している。
まあ、それはそれで、普通のヨーガスクールにだって存在意義はあるのだから、
嘘をつかずにやっていればいいが、
やれ、「絶対」に触れた、とか言いふらすのはいかがなものか?
普通に技法としてみるならジャバはジャバだから別に悪いとは思わないけど、
やり方がちょっと胡散臭いと思うね。
104 :
名無しさん@1周年 :02/04/30 10:43
無料〜安価で指導してくれる所ないですか? TMは高くてできません。
106 :
瞑想は気持ちいいヨ〜! :02/04/30 11:36
46です。 >47さん 添加物の入った食品も普段食べている人にはおいしく感じられるようになって 来て、逆に本物のおいしさを解らなくなるものです。あなたが仮にTMをやって 良さを感じられなかったのでしたら、それと同じで生理状態を本来のあるべき 状態に戻す必要があります。やってなくてそういう発言をするとしたらまさに 「猫に小判」、食べず嫌いですね。 >103さん >ジョンだってセクシーセディーって歌で痛烈に批判している。 ジョンはマハリシに父性を求めていてうらぎられたと思ったのであり、単なる 誤解であったと思います。その気持ちを仮に持ちつづけていたとしてもTMを 素晴らしいと思う気持ちはずっと持ちつづけていたと思います。それでなけれ ばセクスィー・セディーの後に出来たアクロス・ザ・ユニーバースでジェイ・ グル・デーヴとは歌わなかったと思います。それと All my love for the first time in my life my eyes can see. I see the wind oh I see the tree. Everything is clear in my heart. ※All my loveより この詞の中の「見ることが出来る」「全てがクリアーである」という 部分は明らかに彼の生理が変化した結果のものであると思われます。 このような一生の宝になるものが10万円なんて安いと私は思います。
107 :
瞑想は気持ちいいヨ〜! :02/04/30 11:40
>105さん なんとなく誰か解ってしまいますね。(゚o゜)\バキ こら〜うらぎり者!禅なんか足が痛くてやっとれません!
>>103 どういう段階が「絶対(パラ)」?
>TM的手法というのは身、口、意による礼拝のうち、
>口(言葉)による礼拝(ジャバ)の伝統をアレンジしたものに過ぎない。
全部あるよ。
ただ、ヨーガの実践をサマーディーから始める
元の姿に戻しただけ。とのことです。
103
>>106 >ジョンはマハリシに父性を求めていてうらぎられたと思ったのであり、単なる
>誤解であったと思います。その気持ちを仮に持ちつづけていたとしてもTMを
>素晴らしいと思う気持ちはずっと持ちつづけていたと思います。
いくらなんでも・・・
だいたいジョンは「GOD」って曲で、
僕はギータを信じない、とか、
神を信じないとはっきり歌っている。
名曲「イマジン」だって宗教を否定している。
Oh my loveだって、一時期プライマルセラピーうけたりして、
ジョン自身が苦しんで探求してきた中で見つけたもので、
TMとはなんの関係もない。
110 :
髑髏仮面 ◆hmSrkuWE :02/04/30 12:04
宇宙意識→神意識・統一意識。 成る程。大変参考になります。 興味深くROMさせて頂いております。 コメントは避けますが・・・。
まあまあ。 どうしても自身の関わっている瞑想や、指導者や体系をひいき目に 見てしまうものだし、それらが批判されると反応してしまうものだ。 特に信奉者は反応してしまうんだろう。しかし良い信奉者であることと、 その人自身の瞑想には何の関係もない。グルや体系はハシゴのように 利用すべきもので、それにしがみつくのは歩みを遅らせるだけだ。 自分が信奉者かどうか、識別力を要するところだと思う。 瞑想はTMだけでもないし、他にも選択肢もあるのだから、 自身で選択することが大事だろう。そして選択した以上はその体系 に従うのが筋ではないだろうか。いやなら止めればいいわけだし。 瞑想もいやなら止めればいいだろう。ジョンレノンはそう選択したの だからそれを誰にもどうのこうの言われる筋合いはないだろうね。 人生は瞑想だけじゃないのだから。 それから、誰かのことを悟っている、悟ってないと断じるのも、 根拠の弱い水掛け論になるし、その判断もやはり先入観から出発 している場合がほとんどではないだろうか。この人は悟っている と判断できるのは同じように悟った人かそれ以上の人だろう。 断じる前に自分は悟っているかどうか、胸に手を当ててよく考えた 方がよさそうだ。頭でもいいかもね。
774さん ありがとう
113 :
dokuro :02/04/30 13:25
114 :
髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/04/30 13:29
>>111 成る程。
甲乙つけ難し。
双方に一理あり。
あえてコメントせず。推移を楽しみにしております(^^)
毎回、私が答える前に誰かが良い答えをしてしまいますね(爆)
答えになるかどうかわかりませんが、十数年前の私の事を話して
見ます。
当時私は、リラクゼーション法等を利用して企業相手に
能力アップを謳った自己開発セミナーのような物を売れないかと
あらゆる書物を調べ、実際に自分で体験し検証していました。
そんな時、知り合いから『TMは素晴らしい!』と勧められ
ましたが、実は私も
>>103 さんと同じような反応をしました。
正直いって私は当時TMをうさん臭い宗教染みた瞑想法と
決めてかかっていましたので、「将来能力開発セミナーの
先生になった時、生徒にTMのことを聞かれたら『あ〜あれは
私もやったけど、こういうところがだめだね』と言えるように
やってみといた方が良いな」という思いから始めたのです。
結果はこれまでにここに書いた通り、TMは最も自然で無理
がなくとても効果的だったのです。
私が『絶対』に触れたかどうかは誰にも証明できません。しかし
私がその体験を通じて大きく変わっていったのは事実です。
理論上で考えるのと実際やってみるのとはものすごく違います。
『すべては体験の中にある』・・・マハリシの言葉です。
116 :
名無しさん@1周年 :02/04/30 14:35
>109さん >名曲「イマジン」だって宗教を否定している。 別に否定しているのではないと思います。 多くの人が神のようになれば宗教にしがみつき 宗教を理由に戦争をするようなおろかしい事 もなくなると言いたいのだと思います。 それとTMは宗教ではありませんがTMで生理 が純粋になれば精妙なものを感知できるように なり、宗教の教えのデリケートな部分がより認 識できるようになると言われています。TMを している人にはカトリック、プロテスタント 仏教、ヒンズー、イスラムなどあらゆる宗派 の方がいます。 『知識は意識に構築される』・・・これもマハリシの言葉です。
だんだんと・・・。だんだんと・・・。 ROMしている人は・・・。 TM。やりたくなってきたんではないかな?(^^)
>>95 馬鹿だな、解るまでするんだよ
失敗なしに得たものは真には身につかない。
TMは邪悪だよ性根が。
>>96 見出せないのは己が足りていないからだよ。
>>95 自分本位なものに捕らわれるのなら端から失敗だよ
正しく行っていると、開けてくるのが解るからそうはならんのだがね
この経験がない人は我流だと自分本位になると言う、もはや何とも…。
>>119 にわとりが先か、たまごが先か、、、
ところで 少し荒れて来ましたね。 117さんは本物?
>>96 道は示されているのだよ、いつもどんな時も
それに気づけないのは個人の裁量だ。
受け入れる側がそれでは到底気づけんて。
>>115 最後の一行はその通りじゃな
その体験も与えられたものか、自らたどり着き得たものかの差はあるが
オウムなんぞは空間、雰囲気をつくり与えてたからな
だから与えている側の意思で左右されすぎてしまうんじゃ。
勿論すべてのケースがそうとは言わんが。
例えばTMで得たとして、TMを捨てれるか? 捨てれないのならば、それは真に得たとは言えないんじゃよ。 これが解るのなら実践してみるがええ。
125 :
名無しさん@1周年 :02/04/30 15:22
>>124 とりあえず、宇宙意識と呼ばれる段階まで行けば
瞑想そのものは必要なくなりますね。
126 :
名無しさん@1周年 :02/04/30 15:23
もちろん、それが結構、なかなかみたいですが(笑)
127 :
名無しさん@1周年 :02/04/30 15:24
日常会話で瞑想を要約すると 「よーく考えて行動しなさい」 これだけなんでしょ
>>125 向こうからもこちらからも流れを遮るものがなくなる
意識することも構えることも自然となくなる
融和、調和することに気づき受け入れておるからのう。
TM。やろうか?どうしようか?迷っているのかな?
130 :
名無しさん@1周年 :02/04/30 15:30
>>127 よーく考える。 ためには 正しく よーく 感じることが必要
考える場合、鈍った感覚を掃除してきれいにし、考える基盤を正しく
体験から考えられ 頭でっかちにならないようにする。
131 :
名無しさん@1周年 :02/04/30 15:38
>>127 >「よーく考えて行動しなさい」
10万円が、高いか?、安いか?よーく考えて。
103
>>108 >どういう段階が「絶対(パラ)」?
ここらへんは基礎知識を要するところだし、
簡単に説明はできないです。
>全部あるよ。
そうなんですか?
それなら伝統的修行法と変わらないはずだから、
特に他の修行法より簡単とか、優れているとはいえないんじゃないかな?
特に「簡単で早道だ」みたいな言い方は問題だと思いますよ。
>ただ、ヨーガの実践をサマーディーから始める
>元の姿に戻しただけ。とのことです。
サマーディーから始める?
前行もなしにですか?
そもそもいきなりサマーディーに入れないからヨーガや瞑想するわけなんだけど・・・
矛盾していない?
別に必要以上に叩くつもりも無かったけど、
言ってることがここまで宣伝くさいと釘をさしておきたくなる(笑)。
瞑想者さんにはよかった、ということなのかも知れないし、そのこと自体は否定はしない。
しかし、それは違うだろう、という部分が多々あったのでね。
>>128 ただ、それが解るから実践する のは順序が逆で
実践して初めて わかり始めるものですが、、、、少なくとも私の場合
>>133 さん、
私が2チャンネル形式に慣れてないせいもあり、きちんと答え
きれていない部分があると思います。番号でもいいからHNをつけて
もらえませんか?話者が沢山いますのでTM実習者の方の考え方も
様々だと思います。一つづづ答えさせてもらえばわかりやすいと
思うのですが・・・
>>133 さん
少しコトバ足らずでした。TMは全部ありますが
まずマントラによる瞑想から入りますし、それを
大変重視します。 他は、瞑想の実践を基盤とし、
それなしにはしませんと言うべきでした。
また、仰る通り、 私はヨガ系はTM以外知りませんし
座禅も入門書を一通り読んだくらいの知識しかありあませんから
問題かも知れません。お詫びします。
ただ
>>105 で手っ取り早いと言いましたのは、
>>108 での
サマーディーから始めるというのと関係があります。
774さんの
>>76 の言葉を借りると
>そして、人類を分ち、隔てる様々な要因をも乗り越え、平安と喜び
>のうちに共に生きる世界を建設するための意志もまたその静寂から
>生まれてくるのだ。
という、私は774さんの所まで行ってませんが、
この感覚がある程度「実感として」わかります。
ですから
サマーディーを完全に体得して宇宙意識以上になっていなくても
瞑想によって部分的に触れることによって
礼拝とか勤孝とか心構えとが楽しく、内から沸いて来るので
その価値が知識だけで得たものより、よく判ります。
勿論、私の触れている無意識は本当のサマーディーではないのかも
知れませんが、だとしても実際には触れていてまだ気づいて
いないだけなのだと思っています。
こういう体験からしますと、ここの座禅スレッドや
>>124 さんの
発言等読みますと、まず心構えありき、で、何だか回りくどいなあ
そんなの瞑想すればあとから付いてくるのにと思うわけです。
しかし、これも座禅をよく知らない身で勝手な比較でした
お詫びします。
>>136 なかなか貴重なレスかと思います。
コメントは避けますが・・・。
理論が先か、体験が先か。ということだろうか? どちらも大事でしょう。 ある先生が2人の生徒に泳ぎを覚えるよう指示し、泳ぎ方の本を 生徒両名に与え、プールへ連れていった。 一人は本をまず読んでから、プールに入って泳いでみた。 もう一人はプールに入って自分で泳いでから本を読んで もう一度泳いだ。 たいした差はないんじゃない?
先入観。あるいは「後」の理論付け。 う〜ん。 先達諸兄の見解は如何に?
>>138 それは勿論そのとおり、理論と体験は車の両輪です。
ただ、理屈屋の私には理論っていくらでも異論が言えてキリが
ないし、体験と理論は必ず同時か体験が先というTMが合っていた
と言う事だと思います。
141 :
名無しさん@1周年 :02/04/30 21:06
どくろうざい
体験はただの体験にあらず、理論も同時に体験し学ぶものなのだ 食事と同じなのじゃ、体中を用いてそれが何なのかを知るのじゃ 味だけではない、知識だけではない、効用だけではないものなのじゃ それがこの体験なのじゃよ。順序は必要とする者は必要とすればいい。 より個と部と全を見ることじゃな、誤りがなければ必ず見えてくる筈じゃ。
143 :
名無しさん@1周年 :02/04/30 23:48
2ちゃんはいい。 優勢な意見が出てくると必ずそれをつぶそうとする勢力が現れる。 ある意味これは非常に健全なことだ。 ここではTMとやらがちょっと優勢に見える。 でもなんか怪しい。 おれも折角だからつぶそうとする勢力の方に加担する。 実はおれは魔境魔境と騒いでいたやつだ。 ここでTMを喧伝しているものは結局この魔境の具体的な解決法を示すことができない。これはTMの組織の末端に属しているに過ぎないことを意味している。 にもかかわらず、なにやらもったいなさそうな真理に触れたの垣間見たのとほざいている。 確かにTMのホムペを見ても、簡単に悟れます、みたいなことが書いてある。 覚醒がそれほど容易では無いことはちょっとお勉強すればわかるはずだが、お勉強の嫌いな厨房がたくさんいるのがこの痛い世の中である。 怪しい点はこれだけではない。 このような集団の背景には必ずと言っていいほど宗教・思想的背景があるものだ。 これについても何も語られていないが、これは隠していると言うよりも知らされていないと見る方が妥当かも知れない。 この文章を読んでいるものは、是非かの麻原しょーこーが単なるヨガのインストラクターだった(装っていた?)事実を思い出すべきだと考える。
144 :
名無しさん@1周年 :02/04/30 23:48
144は商売が下手ということで、よろしいか
う〜ん、商売と言うよりもう少し崇高な(?)目標を持っているかも知れない。 そっちのほうがずっと気味悪いぞ。
瞑想の良さや体験ばかりでなく、その危険性についても しっかり伝えないといけないという点では144さんに同意しますね。 基本的に瞑想というのは危険です。本人の意識状態が変わっていくのだから。 それから確かに魔境のようなことはあるし、間違ったやり方で精神をくずし てしまった人も個人的に知っています。その人は瞑想と名のつくものなら なんでもやった人でしたが。つまりやり過ぎたのです。 そしてにわか「悟り」の問題もあります。体験による錯覚を起こしてしまって 自分が救世主だとか、仏陀の生まれ変わりだと思い込んでしまうようなこと です。このような落とし穴は結構多いということを知ってください。 瞑想の道はまさに注意深さが必要とされる自分自身との戦いでもあるのです。 麻原の場合は錯覚と同時に悪のフォースが働いていた可能性も否定できません。 アストラル界との接触(これに注目を向けてはいけません!!)を通して このフォースは影響を及ぼしますから、常に常識を持つことが不可欠です。 彼等が利用するのは分離、憎悪、利己的な動機と行動に対して開いている マインドと感情を持った人々です。これらのことを常に瞑想者は自身の内 にも外にも見張っていないといけません。さもなくば破壊的です。
148 :
名無しさん@1周年 :02/05/01 01:35
釈迦の悟りも魔境だったんじゃないのか。
魔境に入ると大体利己的・独善的になって他を攻撃しはじめる。 だから、はたから見てると結構わかりやすい。 利他的で慈愛に満ちた魔境というのは一度見てみたいものだ(w
>>143 さん、
私が魔境の具体的な解決法を示すことができないとしたら、
それは私が魔境が何かを良く理解していないからではないで
しょうか?
私が
>>143 さんに謝らなければならないのは、そこまでの
知識を持ち合わせていないのにすべてを知っているかの
ように話したことです。
実際私の経験した事は、とても小さな事なのかも知れません。
私が言いたかったのは単に自分の経験の中ではそれまでの
何よりも良かったと言うことです。
世の中には私より見聞の広い人も沢山おりますし、考え方も
それぞれでしょう。みなそれぞれの正しいと思うところを
実行していただくことに何の異存もありません。
私は決してTMを押しつけようとしている訳ではありません
が、誤解を与えるような言い方をしたことを再度お詫びします。
>>150 あなたは礼儀正しい人ですね。
私は特にあなたを避難しているわけではありません。
ただ、話の流れからこういうレスポンスも必要だとは思っただけです。
垣間見た途端に我を前面に出し喜び、有頂天になってはいかん。
69です。
では、2ちゃんねるの健全性を維持するお手伝いを、できる範囲でしてみたいと思います。
けして、143さんを攻撃するわけではないので、お手柔らかにお願いしますね。 m(_ _)m
誤解を解きたいだけですので。
まず、魔境のおさらいをすると、
>>62 精神の平衡がくずれること
>>67 瞑想してるやつが陥るヤバイ状態のこと
幻覚・妄想くらいならまだいいらしい。いわゆる心身症を発症することもある
と。 んで、
禅での解決方法は、軟酥の法 で、
参考リンク先
http://www3.justnet.ne.jp/~hnisino/MINKAN17.HTM ここでも、魔境のことを、第3段落で、> 心身を病んだ〜 と定義しています。
次に、魔境の原因ですが、
>>62 > 神智学的には、ある特定のセンターへの過度の集中により、
> エーテル体の膜が破れアストラル界との接触が望まれない形で起こること
> つまり瞑想のヤリ過ぎや不安定な精神状態での瞑想が原因〜
参考サイトでも、
> 修行の無理がたたって〜
とされています。
つまり 過度の実践 自然体ではない精神状態での実践 無理な実践 〜〜
が原因であるといえそうです。
>>71 と重複しますが、これって全部努力ですよね?
快適さとは程遠い状態で実践がなされていますよね。
つまり
>>71 で触れた 心 と 身体 の自然な傾向 とは対極にある状態です。
TMは心と身体の自然な傾向に基づく実践方法ですから、
少なくともTMに関して言えば、いくら実践者がTMをやっているつもりでも、
そこになんらかの努力があるとそれはTMではなくなってしまいます。
> 私個人としては、TMから恩恵・効果を感じられないと言ってる人は、
> TM中に“一生懸命TMをやっている”人だと思います。
TM中に“一生懸命TMをやっている人”は、実は一生懸命TMから遠ざかろうとしている
ということになります。
快適さがないのに、 過度に 不安定な状態で 無理に やろうとするのは、努力です。
超瞑想法TMの紹介
http://www.maharishi.co.jp/tm/intro/index.htm の第1段落の終わりの方にあるように、TMは、> 不自然な努力も必要ありません。
そうです。 必要の無いことは、やらなければよいだけのことです。
簡単です。 無理してやらなくてもよいのです。
いかがですか? おわかりいいただけますか?
それでも、快適でない時、TM教師がそのために待機しています。
十分に訓練されたTM教師は、そのために世界中にいるのです。
なにも実践者が一人で悶々と堂堂巡りをすることはないのです。
じゃ、その教師とやらは一体なにをするのでしょうか?
それは ないしょ なんです。
なぜここまで回りくどいいい方をするのかを言い訳させてください。 推理小説の犯人を知ってしまうとその小説の魅力は、大大台無しになってしまいます。 個人の瞑想の体験はその人個人のとても精妙な精妙な体験です。 同じ小説を読むのでも、人によってその印象は違ってきます。 また同じ個人が読むのでも、読むたびに、印象が違ってきます。 今度はこんな印象を持つように読んでみようなんて思いながら読む人はいませんよね。 つまりこのような場で、 個人指導の内容 個人チェッキングの内容 瞑想の体験 などはないしょなんです。 ゴメンナサイね。 ないしょなんです。 ここで、「超越瞑想入門」から引用しますね。 ここで重要なことは、 TMの実践方法は書物で学ぶことができないのと、同じく TMから快適さが失われた時の対処方法も書物では学ぶことができない ということです。
つまりは、宇宙意識的なものの至福感、恍惚感が第一義的なものか?第二義的なものか? これを注視しています。 あえてコメントは今のところしません。推移によっては参戦しとう存じます。
-------------引用開始(p.81 個人指導の必要性 より)--------------- 超越瞑想の実践方法は、マンツーマンの指導を通じて学ぶ必要があります。 書物で学ぶことはできません。 なぜなら、教師は、学ぶ人に対して、 思考の精妙な状態を経験する方法を示す必要があるばかりでなく、 その人の瞑想が進むにつれて生じるさまざまな経験(!)を確認する責任があるからです。 経験は人によって異なります。 そのため、瞑想中に起こりうる経験を 全部書き記したとしても、それは実際の役には立ちません。 また、初心者がこれから経験することを前もって知っているのは、あまりよくありません。 その理由は、第一に、ある特定の経験を予想すると、そのことに注意を奪われて、 有意義な深い経験をする可能性を失うことになるからです。 第二に、特定の経験を予想すると、自己暗示にかかって、 その経験を空想するだけに終わってしまうおそれがあるからです。 このどちらの場合も成功は得られません。
この瞑想では、心は実際に精妙な経験をしますが、そのためにある特定の経験を想像したり、 予想したり、目指したりする必要はまったくありません。 この瞑想は、教師の個人指導どおりに行えば成功する、まったく単純な方法です。 普通の人にとって、想念そのものを経験するということはきわめて抽象的なことです。 想念(思い)の精妙な状態を経験するということは、抽象的な経験の精妙な状態を経験する ということと同じです。 もし、そのように言われたら、普通の人は、 そんなことはできそうにもない、と思うでしょう。 なぜなら、その人の心は いつも習慣的に、粗大な領域だけを、すなわち現在意識の思考レベルの想念の 粗大な状態だけを経験しているからです。
ところが、想念の精妙な状態を経験し始めるとすぐに、ますます抽象的な経験に 自分が引き寄せられていくような感じがします。 初心者が想念の精妙な状態の経験を 理解するのには、教師の個人的な助けがある場合でも、少し時間がかかります。 このような理由のために、瞑想実践の詳細について書き記すことは、 実際的に価値がないのです。 超越瞑想を学ぶには、瞑想を正確に指導し その経験をチェックするための訓練を受けた、瞑想の熟練者による指導が必ず 必要です。
経験の確認は瞑想を実践する際の非常に大きなポイントです。 これもやはり、書物で学ぶことはできません。 瞑想の実践によって、 必ず人生にさまざまな恩恵が得られるようになりますが、 それは教師の個人指導と、学ぶ人の従順で協力的な態度にかかっています。 これは、きわめて独特でデリケートな瞑想法です。 重要なことは、 この瞑想法は「精神復活運動」から正式な資格を与えられた教師から 学ぶべきものである、ということです。 ---------------------------引用終わり----------------------------------
161 :
名無しさん@1周年 :02/05/01 07:03
どくろうざい 参戦だけはせんでくれ
162 :
名無しさん@1周年 :02/05/01 07:09
ところで69さん。 あなたはTMにとっても詳しそうだが、中枢の人と考えて良いのだろうか。 真理には到達したのだろうか。 真理はおいしかったのだろうか。 やっぱそれもひみちゅ?
>>162 さん おはようございます。
詳しくないよ 手許にある書籍とかの引き写しだと思ってくださいな。
瞑想はね、
純粋に個人のものだから、その人がやってれば、その人は 中枢の人 だよ
その人にとってね
はぐらかしてごめんね
でもほんとうのことさ
わたしはぜんぜん「中枢の人」じゃないですYO
到達?
みんな最初から真理の中にいるんだよ
みんなその真理を味わってるよ
忘れちゃっただけ、思い出せないだけなんだよ
もの忘れて思い出す時さ
一生懸命思い出そうとすればするほど、出てこなくてさ
なんでもないときに ! ってなるでしょ。
たとえていうと、あくまでもたとえだからこの考えに縛られないでね
たとえだよ!
あの ! をマターリマターリキープしていく練習をするのが 瞑想 さ
まぁたとえだからあまり思い込まないでね
でもさ たとえでもさ あの ! がマターリマターリするようになると
楽しいだろうねェ
おいしそうじゃんYO
はやく 自転車 乗れるようになりたいなぁ
みんなと サイクリング したいなぁ
なんてね
それを素直に言える自分って 乗れてなくても
もう十分 おいしいんではないか?
なんて 言ってみるテストにしちゃ長すぎだな
では続くのです。
> 魔境の具体的な解決法を示すことができない その理由がおわかりいただけたでしょうか? それを示すのは、百害あって一利無し なのです。 あと TM実践者が魔境をよく理解できないのは当然です。 魔境を知らないからです。 なぜ知らないのか? 体験したことがないからでしょう。 体験したとしても、早いうちに軽いうちに自ら教師に個人チェッキングを受けたのでしょう。 心と身体の自然な傾向に基づいた方法の 自然な結果 ということだと思います。
>>94 さんのおっしゃる > 型にハマるな、我流であれ 正しく行えばそれでよし。
ですが、TMにおいては その実践を型にハメる という努力は必要ありません。
しかし、それはまた まったくの我流というものでもない のです。
正しく行えば、それでよし というのは まったくおっしゃる通り!
自動的にその実践はなされます。 楽チンです。
なにしろ自動的ですから!
>>143 > 覚醒がそれほど容易では無いことはちょっとお勉強すればわかるはずだが、
そうですね。しかし、難しがっていたのでは、困難の上塗りになりませんか?
自転車で例えると、補助輪をはずしてから初めて自分で自律して前進している感覚を
瞑想者さんはここの皆に分かち合ってもらいたかったのかもしれません。
先週が1メートル3日前が2メートルそして今日は10メートル走れたよ!ってな感じですか?
なんだかボクはあのおじさんのやり方だとうまくいったよ!
走れると気持ちいいよ ボク走れたんだよ!
ごめんなさい 瞑想者さん 茶化してるわけではありませんが、茶化してますか?
それでは、炒って(略
あと > 簡単に悟れます、みたいなこと とは具体的にどこのページのどこでしょうか?
ソースを示していただけますか?
簡単に悟れます、みたいなこと 書いてあったかなぁ〜
例えば
http://www.maharishi.co.jp/tm/chart/index.htm ですけど、
TMの科学的研究というページですが、
心理的効果 生理的効果 行動面ならびに環境面での効果 とありますが、
私の見落としがあるんでしょうか?
すいません。 よろしかったら、どこに書いてあるのか教えてください。
> このような集団の背景には必ずと言っていいほど宗教・思想的背景があるものだ。
> これについても何も語られていないが、
> これは隠していると言うよりも知らされていないと見る方が妥当かも知れない。
> 東洋のもっとも古い知識体系の中から生まれた自然な瞑想法です。
という記述が
http://www.maharishi.co.jp/tm/intro/index.htm にありましたよ。
超瞑想法TMの紹介 のページです。
西洋じゃないってことと 新しい知識体系じゃないってことがわかりますね。
お決まりのQ&A
http://www.maharishi.co.jp/tm/tmqa/index.htm 見てみましょうか。
おっ ありました。
> インドに伝統的に伝わる知識大系の中から、新しい時代の要請に応えて科学的に体系化された瞑想法です。
インドに伝統的に伝わる知識体系 (アッ ジ マチガッテル?)
これって高校かな?習ったようなぁ 感じがしますねぇ
もしかして、アートマンとかブラフマンとかイデアとかロゴスとかあれっ 混ざってる?
東洋ってのがインドだということがわかりますね。
インドで古代で知識体系 フーン
事業所案内見てみますね
http://www.maharishi.co.jp/tm/mri/index.htm ほう ヴェーダ フーン
なんか習いましたね 何とかヴェーダが最古の聖典でなんとかかんとか みたいな
あれと関係あるんですねぇ
マハリシ・アーユルヴェーダの写真、額にごま油たらしているところですね。
なんか
>>153 で引用した 軟酥の法 のページに出てくる結核治した人の実践版ですね。
もしかしたら、軟酥の法 はその源流はヴェーダにありそうですね。興味深いですね。
143さんもしかして ご存知だったんでは?
ちなみに、TM関連書籍一覧のページ
http://www.maharishi.co.jp/tm/book/index.htm に示されている本で、「4才から経営者までのTM瞑想法」だけちょっと手許に
見当たらないんですが、あとの書籍はすべてTMの源流とヴェーダの関連性を書いてあります。
その中の一冊「超瞑想法 TMの奇跡」より、
その中の一冊「超瞑想法 TMの奇跡」より、 ---------------------------引用----------------------------------- (p.99)第2章 最高の瞑想法・TMとは (三)TMの歴史は数千年 東洋の神秘・古代インドから発生 TMは、科学的であり、またアメリカやイギリスなどの西洋諸国を中心として 紹介され始めたため、比較的新しい瞑想法と考えている人も少なくないようだ。 しかし、TMの伝統はきわめて古く深遠である。 TMの伝統は、少なくとも5000年以上も前にさかのぼる古代ヴェーダに 源を発している。 ヴェーダとは、サンスクリット語で、「知識」という意味であり、 宇宙創造のすべてに関する完全な知識をさしている。 そこで、ヴェーダは本来、 この宇宙創造の源である純粋意識の中に見出されるものである。 TMは、ヴェーダに始まり、2500年前に出現した聖人シャンカラへと伝えられた。 (69 これは学問としての歴史とはちょっと違うんですよね。 学問上の、文献として残っているシャンカラさんは岩波文庫にも収録されている ウパデーシャ・サハースリを記した人で、2500年前の聖人シャンカラは、 いわば、初代家元という感じでしょうか わかる人いらしたら オナガイシマス) シャンカラは、ヴェーダの知識と、その知識を体得する瞑想法を厳格に伝えるために、 シャンカラチャリアの座を設置した。 このシャンカラチャリアの座は、 インドにおける精神的指導の最高位とされている。 ヴェーダの伝統のもっとも最近の継承者は、今から40年前に、ヒマヤラの ジョーティル・マトゥにおいてシャンカラチャリアの座に就いていた 聖スワミ・ブラーマナンダ・サラスワティ大師である。 同師は、インドの 前大統領(原文ママ)ラダクリシュナン博士が「ヴェーダンタの化身」と称えるほど 極めて卓越した人物であった。 1941年、マハリシ・マヘーシュ・ヨーギは、物理学の勉強を修了し、 アラハバッド大学を卒業した後、サラスワティ大師の弟子となった。 以来、 マハリシは、同師から13年間、指導を受け、この瞑想法を受け継いだ。 マハリシは、同師のことを愛と尊厳をこめて、「グル・デヴ」と呼んでいる。
ちなみに、ヨーガは本来「統一」という意味のサンスクリット語で、 マハリシ・マヘーシ・ヨーギのヨーギとはこの「統一」を完全に極めた人をさす。 インドのヨーガの創始者は、聖人パタンジャリと言われている。 このパタンジャリはヴェーダの伝統から出た教師の一人であった。 したがってTMはヨーガの原点とも言える。 -----------------------引用終わり-------------------------------------
この文章を読んで感じることは人それぞれ。 しかし、> 隠していると言うよりも知らされていない ということは、ないみたいですし、説明会の時教師からちゃんと説明されたし、 宗教との関連も質問しましたら、きちんと答えてくれましたよ。 気になる人はご自分で質問なさるとよいでしょう。 いかがでしょうか? こんな感じですが、誤解は解けたでしょうか? ほんとに 長々と すいませんでした。 これで失礼しますね。しばらくROMります。 朝の瞑想してきます。 それでは
172 :
名無しさん@1周年 :02/05/01 09:22
サマーディーから始める。 というのは超越瞑想と悟りの前文にありますが何か?
173 :
名無しさん@1周年 :02/05/01 09:23
権威に洗脳されてるだけだな
あ、172はわたしです
69さん 少しヒステリックじゃない? 、、、私も言えたものじゃないけど 774さんや 瞑想者さんの 静かな語り口の方が説得力あるよ
>>175 うひゃ〜 そうですか
気分を害された方すいません。
寝ないでやるとこうなるのね
ウツシ
>>143 >このような集団の背景には必ずと言っていいほど
>宗教・思想的背景があるものだ。
ちゅうわけで69さんも書いてるように背景はヴェーダ
ということになります。
ヴェーダは宗教ではない、とも言うようですが、
これは 厳密な原始仏教は宗教ではないと言うのと似ていて
要は受け取る側の判断でしょう。
>>160 >それは教師の個人指導と、学ぶ人の従順で協力的な態度にかかっています。
ここのところが妙に引っ掛かるのですが、とりあえず参考になりました。
インパクトのあるレスがありましたら参戦しとう存じます。
感想としますと・・・
予想どうりという事でしょうか?
なかなか興味のある内容でした(^^)
179 :
名無しさん@1周年 :02/05/01 17:53
2ちゃんキャラ徹底解析 〜瞑想者逝っちゃってる度ランキング〜 向こう側:バイオ吉川、シバ ボーダーライン:brown、変人(髑髏仮面) こっち側:774氏、TMの方々、たまに2ちゃんに顔を出す伝統宗派の坊さん達 こんなところか? こっち側の人たちの特徴は組織に属していることだな。 勝手な瞑想がどんなに怖いことかは2ちゃんにいるだけでわかるのだ。
私は、瞑想には評価はしても「重視」に非ず。 それは、トンデモ概念を植え付けられると少し厄介な事になる。 そういうスタンスの元で拝見しておるのだが・・・ ある程度の概略は見えてきた。だがしかし、結論は早計というところか? 今後の推移をしかと見届けたい。 一応、アウトサイダー的立場。スレの流れにより参戦を決めたい。
181 :
名無しさん@1周年 :02/05/01 18:23
>>180 >それは、トンテ?モ概念を植え付けられると少し厄介な事になる
まあ、瞑想時の状態ってのは催眠術用語でのトランス状態と結構
似てますからね。妙な暗示を掛けられたり自分で掛けたりすると
やっかいかも知れない。
私が「瞑想中は何にも考えない系」が良いと思うのはそのため。
182 :
名無しさん@1周年 :02/05/01 18:31
真我ってのは、本当は誰でもが日常的に触れていて 実は気がつかないだけのものだと思う。 瞑想とか色々は、気が付かない原因の曇りを少しづつ 取り去るためのものなんだろうと思う。 人間が生まれたときからこの曇りを持っているというのは サトユガの時代に生まれた故か? これをキリスト教では 原罪とでも言うのか? でも、この曇りは恐らく何らかの必要があって今の人間に 備わっているものでもあるのだろうと思う。 こんなことを本で読んだりして頭で考えたりもするが、それで結論が 出るとも思えない 結局、本当に真我にたどりつかなければ、、、、、 ああ、にわとりが先か、たまごが先か、、(笑)
逝っちゃってる度ランキング、これで上げられるかなあ?(笑)
あ、181、182、183は私です。
真我。う〜む。う〜む。 真我。う〜む。う〜む。 真我。う〜む。う〜む。 真我。う〜む。う〜む。 マナ識。阿頼耶識。う〜む。う〜む。
どうも、この真我が分からない。 我は、とりあえず「あっても」「なくても」良いのではないかと思う。 う〜む。
187 :
名無しさん@1周年 :02/05/01 20:50
変人さんの場合、瞑想で逝っちゃったんじゃなくて 最初から逝ってたんでしょ(藁
188 :
名無しさん@1周年 :02/05/01 22:03
133
>>185 あはは。
真我(アートマン)は「不生」ですよ。
個我(ジーヴァ)ではない。
禅で言うところの「無位の真人」とか本来の面目のことです。
189 :
名無しさん@1周年 :02/05/01 22:20
>>186 真我に関する私の現時点での浅はかな想像は次のとおりです。
真我とは何か? とは実は考えていないのです。
ですが真我に生きる者の例としてのモデルを考えています。
それは人の手の加わらない自然の中の人間以外の生き物たち。
彼等は本能という「我」に従い
弱肉強食と言われるように、ほとんど我欲のみに従って生きて
いながら 驚異的な「自然のバランス」を見事に体現していて
これはもう「我」と「天意? 宇宙の原理?」とが直につながって
いるとしか私には思えません。
もちろん人間の場合は、種としてまだ2-300万年若いのと
本能より遥かに速く身につく後天的知恵を使って 適応すべき
環境を目まぐるしく変えるので「完全な本能」を発達させる
ことが出来ないのだという動物学者もいます。
しかし、この境地に達してこのことをダイレクトに表現した人間と
して有名なのが孔子
「七十にして心の欲する所に従いて矩(のり)を踰(こ)えず(従心)」
「己の欲望と、天意が完全に一致している状態」
こうなると我は「あっても」「なくても」良いとも考えられませんか?
(孔子は瞑想してたわけではなさそうですが、、、)
道はあるはず。しかも後天的知恵による制約ともリンクした
人間の使命としての、 完全な本能=真我
と想像しています。
だとすると、これが宇宙意識? 本当の人間の出発点?
あ、なんか自己陶酔状態で、ちょっと変かも、、
もう寝ます&しばらくカキコできないかも、、
190 :
名無しさん@1周年 :02/05/01 22:23
>>179 最近の髑髏は完全に逝ってるぞ。
シバはちょっとやってみて気持ちよくなった程度だから、判定以前の問題。
>>179 あと、組織に属してるっていっても
組織ごと逝ってるのって多いからなあ。
「我」という概念は、瞑想中でも厄介なものじゃないのかと思いましてね。
本来なら意識しない方が良いと思ったのです。
ある段階にきましたら、一切を捨てて円相の位相。つまりマッサラな状態を意味する訳で、
ここにおいての肝要は「無我」。これが極意とされていますからね。
>>189 諸法無我。が根本ですから、どうしてもこの概念が先立ちます。
しかしながら、これも仏教的に捉えての事、そこはそこ寛大な心も必要です。
いうなれば、抽象的概念の範疇ですから、命名自体に心動かされてはなりませぬ。
ということで、貴殿の我の意は「普遍性」を意味していると思われ。そこを吟味してみます。
そこを把握しませんと誤解が生じますから。それから徐々に徐々に・・・
193 :
「「「「「「「「「「「「「「「「「 :02/05/02 00:10
あなたは何回呼吸をしてきましたか。? あなたのマントラは何回明滅してきましたか? あなたは何回食事をとってきましたか? あなたは何人の人の顔をおぼえていますか? あなたはどれだけの生物をみてきましたか? あなたはどれだけの景色をみてきましたか? あなたはどれだけの香りをかいできましたか? あなたはどれだけの思い出が有りますか? あなたの心臓は何回打ってきたのですか? あなたは同じイメージを何回繰り返しましたか? さあ、つぎつぎすすんでください。宇宙意識、神意識。 よほどお金が有れば。 簿記上の取り引きは貸方と借方が一致するのです。 どれだけの取り引きをしてきたか、その質を貸借対照表に みます。しかし貸方と借方は依然一致します。 さあ取り引きをはじめましょう。
194 :
「「「「「「「「「「「「「「「「「 :02/05/02 00:16
熊のぬいぐるみを抱いて眠る子供の吐息はなかなか 美しいものです。
195 :
くまちゃん :02/05/02 00:51
至福だよーーーん。 みんなのくまちゃんにしようね。 争いよりましだよ。 つーーーつーーーーつーーーーー
196 :
くまちゃん :02/05/02 00:53
やられたーーーーーーー ころっ
>>192 一部誤解を招ちゃったみたいですので、、
>>182 とか
>>189 は、瞑想してない時に、純粋意識=真我とか
宇宙意識って何だろう?
と考え想像したことで、TMとは直接関係ありません。
哲学とか詳しそうな髑髏さんに、シロートの想像を持ち出して
混乱させてスミマセン
瞑想中は「一切を捨てよう」「真我に触れよう」とか
そういうことはしません。
>>158 >>159 のとおり
それは不自然な努力ですしね。
もちろん、こんなことを考えた直後に瞑想したりすると
頭に浮かんだりしますが、それは雑念と同じレベルの
ものです。
なんとなく目がさめて、2ちゃんしてしまってる悪い子(実はおっさん)
198 :
名無しさん@1周年 :02/05/02 01:22
>> 「「「「「「「「「「「「「「「「「 くまちゃん
>>194 .195 は判るような気がする。
でも、
>>193 196が全然ワカッランです。
説明キボンヌ。
神智学では、高位我(魂)、低位我(パーソナリティ) 瞑想によって、魂への導管(アンタカラーナ)が作られ、 パーソナリティはより魂(高位我)の刺激に敏感になっていく。 例によって秘教の情報なので、受け入れられない方は読まないでください。 読んだとしても、自身で確証が得られないうちは信じないでください。 神智学では霊的な進歩を、高位我が低位我を掌握する 過程と捉える。これには何度かの転生を必要とする。 魂は転生するパーソナリティを、その旅路の最終段階に、 宗教や瞑想へと導く。それによって転生しているパーソナリティが魂への 注目をつけると、魂がパーソナリティの肉体脳に錨をおろし始め、 連結の過程が始まる。これらの過程はいくつかの転生を経ながら徐々に進み、 高位我=低位我となったとき、魂はその器であるコーザル体の中で壊れ役目を終える。 そして人は転生しなくなり、人間を卒業し覚者となる。
私たちは転生している真我以外のなにものでもない。 次に真我を体験できる(かもしれない)マントラを紹介する。 これもご自身の識別力を使って慎重に判断して使って欲しい。 できうるならば、眉間のアジュナチャクラに軽く注目を置いてください。 この意味がわからなければ無視して構わない。 それから以下のマントラムを声に出して唱えてみてください。 新しい時代の祈り 私は宇宙の中心である。 私は宇宙の父にして母である。 すべては私から来たる。 すべては私にもどる。 心と生気と肉体は私の宮殿である。 真我はその中に、至高の存在の生成を実現する。 これはキリスト(注:神智学でのキリストは役職名)によって紹介された 新しい時代のためのマントラで是認の言葉である。これは、神としての、 存在するものすべての創造主としての真我の概念を表しており、 もし毎日、真剣にこの祈りを使うならば、わたしたちの裡に、わたしたち 自身が本当に真我であり、不滅の存在であるという認識が生じていくであろう。 これをどう料理するかはご自身におまかせする。
201 :
名無しさん@1周年 :02/05/02 02:17
>193 196 ≒ 糸冬 了 >194 ≒ スタート おやすみなさい。
202 :
名無しさん@1周年 :02/05/02 02:29
>>200 匿名だと、危険性を感じる。
オウムかもしれんしww
69さんの書き込みを見て、尚更TMの必要性は低くなったと言うと語弊があるかの?
何故なら基本中の基本でしかないからじゃ、しかし世の中はその基本さえ
必要としておるのか、見る目を養えばいいだけのことじゃが
そんなことまで人は忘れてしまったのかのぉ、それはそれで残念じゃな。
この基本がまた全てにおいて大切なのも確かじゃが。
しかし嬉しく思ったのは69さんが、その目を持っていたことじゃ
それは読めば解る、それがこのスレの救いじゃな。安心したわい。
ただ、その目の使い方を忘れておる人に概念を植えつける事になり得る
書物の紹介などは、ちと頷けないところじゃ。見てみない事には明言できんが。
わしはTMに反対しておるわけではない、例えるならキリストは善きものであったが
キリスト教団は善き教団か?と言うことじゃ。教えは良くとも・・・と言うやつじゃな。
ここが少し危惧するところかのぉ。
>>192 いいとこまできてるのぉ、嬉しいぞい。
>>182 もう一歩ですな、嬉しいぞい、あなたは個であり部であり全であり
蔓延しておる、さてあなたはその前の段階で足踏みしておるのじゃが
先に捨てることじゃ、とだけ言っておこうかの。あなたにはできるぞい。
204 :
名無しさん@1周年 :02/05/02 03:17
罪作りジイサマ ゴルァ ! !
>202 秘教と神智学の教えは確かに危険なものになり得ます。 なので、受け入れるな、信じるなと書いているのです。 その系統の本の扉にもかならず書いてあります。 しかし教えそのものはオープンです。本が出版されてる くらいですからね。ただ、この教えが万人向きではない ことを明言しておきます。私のこの分野のカキコは、 単なる紹介程度のものと捉えていただくと良いでしょう。 あぁこういうのもあるのかと思っていただければ、私と しても満足です。他に他意はありません。
206 :
名無しさん@1周年 :02/05/02 03:32
188
>>192 そのような文脈でしたか。納得。
さて、秘教はなにゆえに秘教なのか?
最近はオカルト的な秘教情報も手軽に手に入るようになってきたが、
それはあくまでも表面上のこと。
秘密は自らを隠す
のであり、知識として隠されていることは一つもない。
そしてもちろん、真我は転生しない。
シュタイナーは覚者ではないし、マハリシ・マヘッシ・ヨーギもしかり。
207 :
名無しさん@1周年 :02/05/02 07:41
206
>>179 どうも774の逝っちゃってる度はかなりなものだな。
>>200 の「新しい時代の祈り」は下記で見つけた。
www19.u-page.so-net.ne.jp/bd6/triad/index.htm
www19.u-page.so-net.ne.jp/bd6/triad/teaching.htm
774はベンジャミンクレームとかいう電波の逝っていることを真に受けているらしい。
ttp://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1010911321/l50 の>104でも発言してると思われる。
私は書店で背表紙を見た程度であまりに怪しいので、手にとったことも無かったが、
ネットで検索したら下記のようなことをほざいているらしい。
http://www.sharejapan.org/creme/bio.html 一番気になったのは↓のところ。
「一九五八年の終わり頃、このグループから抜け、宇宙人との、
非常に親密な接触(コンタクト)に入り、彼等のための仕事をした。
この仕事の性質を明かすことは出来ないが、
私が、彼等や彼等の仕事に関していだいていた多くの誤った概念は是正された。
ジョージ・アダムスキーが英国を訪れた時、ほんの短い間ではあったが、
彼と一緒に仕事をした。私自身の経験から、
彼の接触(コンタクト)が信頼性のおけるものであることを請け合う。 」
言うまでもないがアダムスキーのUFOはトリックだったことが証明されているし、
いい大人が本気にするには幼稚すぎるネタだ。
さらに・・
「さらに、さまざまな書物を読んだ。その中には、H・P・ブラヴァッキーや、
レッドビーターの神智学系の作品もあり、また、グルジェフ、
ウスペンスキーとニコール、ポール・ブランドン、パタンジャリ、
アリス・ベイリー、アグニ・ヨガの教え、スワミ・ヴィヴェカーナンダ、
スワミ・シヴァナンダ、ヨガナンダ、スリ・ラマナ・マハリシの著書を読んだ。
特に私はマハリシの自己認識の道を辿ろうとした。」
要するにパクリ。しかも自分い都合のいいように解釈して利用している。
>>206 >真我(アートマン)は「不生」ですよ。
ということで・・・
>真我は転生しない。
つまり、梵我一如。ユングなんぞの集合意識。そういうふうに解釈しました。
バラモン教に近いかと思う。しかし、私は否定している訳ではありません。寛容ですから・・。
アレフなどが「真我」を言いますね。その概念には興味がありましたものですから。
幽体離脱を起こすらしい。これは一如ではありませんしね。
ある時は「普遍性」であっても、ある時は「飛び出す」。これはギャグになってしまいますからね。
TMの場合はそんな事はないのでしょうけど・・・。
同時なんだな、そこは そこに光というものが絡んでくるんだよん 幽体離脱とは違うが、生命体がそんな感じなんだね わっかるかな〜?極大と微小での相似なんだがシステムと効果と必然性が なーんもわかってないと、とっかかりさえ見つけるのは大変なんだな〜 ひらめきに近いものがいるんだな、考えぬいた後にフッと力を抜いた感じの ひらめきが必要なんだな、多くの人の場合には。 話すと頭の一部だけで考えるから、すごくボヤかしてしか言えないんだけどね 頭に記憶として既存のものとして入れちゃうと、勝手に脳が処理するから 頭で考えるのはいいんだけど、基本として開いてないと正しくはならないんだな フッと力を抜いた、無防備に受け入れる体制に無いと難しいんだな これとは違った方法もあるけど、あれは一歩間違えると危険だから触れないんだな 前もって知りすぎて、おまけに開けてないとなると逆効果になるかもよん それには注意したほーがいいと思うよん。 このスレはともかく世間は良い人ばかりじゃないから気をつけてね♪ これが宗教家なの1?ってのがあるように色んなのがいるからね。 変なの呼ばないようにsageときます。
>>203 迷っているような文章を書いてしまったので、後押しして頂いて
いるものと思います。ありがとうございます。
誉められると嬉しいものですが、やっぱり誤解されてる気も、、
捨てる捨てないうんぬんは
理屈をこねたり捨てようと決心したりするものではなく
私の心が決めることでしょう。
変に決めたりするのは無理な努力と思えます。
私は迷ったり悩んでいるつもりは自分ではありません。
文の内容自体はマジメ系の一休さんマンガを読めば書けるものですが
それを自分のコトバとして書けるように少しづつなってきている
自分を楽しんでいて、
もう少し進歩するとどうなるかワクワクしている状態です。
またこの文章は髑髏さんの
「宇宙意識的なものの至福感、恍惚感が第一義的なものか?
第二義的なものか? これを注視しています。」
に水を向けたものでもあります。
至福はとても大切で、それがもたらしてくれるものは貴重でありますが
第一義、二義とか言うのはあんまり意味がないというか無意味。
結局ランク付けというのは求めることでありますが
こういう具体的な目標をおいてそれを目指すことも
不自然な努力と思います。
>>200 TM:マハリシ総合研究所の雑誌にあったシャンカラの寓話ですが
シャンカラが師と出会って、師に「あたなはだれですか?」
と聞かれたときの答えの一部
(これはマントラではありません)
私は土ででも水でも空でもありません。私はシヴァ神そのものです。
統一された意識です。純粋で絶対なる「それ」です。私はカーストを
超えた存在です。私は「一なるもの」です。私はシヴァ神であり、
絶対存在です。 、、、、、、、私は上にあるのでも下にあるのでも
内にあるのでも外にあるのでも東にあるのでも西にあるのでも
ありません。私は普遍在です。私は目に見えるものではありません。
私は聖なるシヴァそのものです。、、、、、、、、私は目に見えるもの
手に触れるものすべてとは異なる「真我」です。、、、、、
、、、ですから先生のご質問には一言でお答え
できるものではありません。
というのと似てますね。(^^)
>というのと似てますね。(^^) 似てて当然。パクリなんだから。
213 :
名無しさん@1周年 :02/05/02 08:56
>>202 全ては一つ、一つこそが全
全が全を支配し、管理する
個が全を支配し全を纏め上げ全とする
やはり名詞、権威、肩書き、引用が必要か?
214 :
名無しさん@1周年 :02/05/02 09:00
>>212 おいおい、パクリとかじゃなくて
知として得られるものなんだよ、だからまがい物でない経験者なら
みんな知ってることだ、本なんて出すと経験なしに語るのがでてウザイんだよ。
本で得た知識と知の経験ではまるで違う。
>>214 ベンジャミンのが本で得た知識だろうに。
本物とまがい物の区別もつかんか?
216 :
名無しさん@1周年 :02/05/02 09:09
>>214 今は学歴社会です、これは多くの人に染み付いています
今の世の中なら釈迦もキリストもただの基地外でしょう
たとえ経験があったとしても、権威もなく学もなく本の知識もなければ
誰も相手にしません、経験を語るより引用文を書いたほうが素人には良いのです
ほら、知ってる名前や言葉を出されると関心度が増すでしょ?
今はこれが重要視される時代なのです,ある意味悲しいことではありますが。
異なった道をたどりながら、似たような時期に、似たような認識に たどりつくのは、どの世界でもよくある話で、 特徴的なのは工業技術、特許権。 これは1分1秒でも早い方が 遅いほうをパクリ扱いする(というか制度上される)んだけど、 こんな考え方を心と宗教板に持ち込まなくてもいいんじゃない?
219 :
名無しさん@1周年 :02/05/02 09:14
知は過去から今へと続き、共有していますからね これを先に言った者勝ち、後ならパクリってのはおかしい 同じ考えも持っていても、本を出せばその人の独占になっちゃうよ これは馬鹿らしい。
215
>>216 ベンジャミンが言っていることは、麻原がチベット密教について語るのと大して変わらない。
素人には言葉の表面だけでは分からないようなことでも、見る目のある人が見れば嘘と分かる。
その意味でパクリと言っている。
>>209 「生命体」を概念で捉えるか?捉えないか?で、考え方も変わってきます。
私は、いわば後者の方でして、しかしながら貴殿の考えは尊重します。
概念で捉えないとはどういうことか?
ある普遍性に内在しているという事です。これは、正邪の論法ではありませんのであしからず。
>>210 >至福はとても大切で、それがもたらしてくれるものは貴重でありますが
>第一義、二義とか言うのはあんまり意味がないというか無意味。
至福にも色々ありまして、覚醒を得た実感による至福もありましょうし、ドラッグによっても至福感は得られます。
質的には天地の差がありましょう。
派生的、副次的至福感を第二義的至福感・・・。という意味です。
>>220 そうでしたか、納得いきました
残念ながらこのスレを見てもわかるとおり、その目を持たない人は多いのです
確かに言われるとおり、見る目をもつ人が見ればわかります。
やたら専門用語、専門知識を使って話せば不思議と賢く聞こえるでしょう?
意味もなく、その通り、すごい、なるほど、と感じてしまうものなのです
今はこの傾向が強く感覚が軽視されているので、鈍いままの人が多いんです
あなたのパクリの意味は理解できました、ありがとう、では。
223 :
名無しさん@1周年 :02/05/02 10:25
まるで年寄りの話に若者が耳を貸さない社会って感じだな それと昔から素人はそんな奴らの言う事を殆ど鵜呑みにしてたよ 祭司、神父、牧師、教会の言うことは妙に堅苦しいが かえってそれが何かすごいことの様に聞こえるから盲目的になっていた 釈迦やイエスみたいに普通の言葉で説明できることを、専門用語を使って語ると 興味のある相手の意識をこっちに寄せて高めていけるからな。 ど素人相手には優しく、興味を示す相手にはそれなりにってやつだな、 一種の催眠効果だな、言ってみれば。気がつけば好感をもっているってやつ。 見る目は大切だ。
224 :
名無しさん@1周年 :02/05/02 10:43
現代の下らん義務教育に慣らされて育ってきているからね、現代人は。 役に立たないことをたくさん暗記させられて、パーになってるんだ現代人は
225 :
名無しさん@1周年 :02/05/03 00:02
同意。あと嘘をつきすぎ。
2ちゃんねるらしい展開ですね。
>>207 -
私を電波と呼ぶのは一向にさし支えないが、
ホームページの一部や、本を読まずにその表紙だけで、秘教やそれを伝え
ている人間を断じるのは、いかがなものかと思いますが。
それからあなたの指摘している別スレへの書き込みは私ではありません。
神智学のベースには人類の霊的基盤はひとつであるという前提の元に
なりたっているので、古今東西に伝わるものを包括的な観点から捉え
ます。そういう基盤がない方からみるとパクリに見えてしまうのでしょう。
仮にオリジナルにこだわったところで、バモイドオキシンみたいなものを
受け入れられると思いますか?
実際意識の進化の道を辿ることは山登りに似ています。
頂上に近くなれば、違うルートが存在することが理解できるものです。
ふもとの近くだと自分の歩いている道だけが正しいように思ってしまう。
人間の意識の進化に貢献してきた宗教、霊的基盤について包括的
に見ることができる方はまだ少数ではあると思いますが、まもなくそれは
常識となるでしょう。
つづき それからオウム事件以降、瞑想を行う人や私のような考えを持つ人間が 危険視される傾向が続いてますが、スレのバランスを取るためのタタキを 差し引いても、それだけでカルトと言われる筋合いはないと主張します。 正直もうウンザリですね。なんでもかんでもオウムと一緒にされるのは。 それにカルトを問題にすると、すべての宗教も進んだ思想も全部カルトだと 断じることは可能になります。もし私が危険であり、オカルトが危険だと 言うのなら、その根拠を提示すべきでしょう。私が何か反社会的なことを しましたか?誰かをキズつけましたか?当時のオウムが危険だったのは、 具体的にそれをやったからではないでしょうか。ですから私やクレーム氏の ような人がどうオウムの麻原と同じなのか根拠を提示してもらえますか。 たしかに秘教は悪のフォースにとっては都合がいい教えです。ですから読めるというこ とと理解できるということは別なのです。そこに秘密があります。 ただ、愚か者が自分の解釈をそこから引き出すということはあります。 麻原はそれをやったのです。彼こそパクリです。チベット密教や神智学ばかりでなく、 いくつかの団体のやり方も真似てます。 それに思想的にもまったく同じではありません。現にオウム(現アレフ)の方たちは、 クレーム氏の情報は信じてないようです。 しかし、新しい考えに人は慎重になるものです。それは健全なことだと思います。 その限りにおいては私を電波呼ばわりされることも、発言をたたくことも 一向に構いません。ここは2ちゃんですから。 明日から家族サービスです。これでも会社員なんでいろいろ大変なんですよ。 ではまた。>ALL
228 :
名無しさん@1周年 :02/05/03 03:01
774さんはEO師のことをご存知でしょうか? EO師は何故36才で死んだのでしょうか? 誰か詳細を教えて
229 :
名無しさん@1周年 :02/05/03 05:30
>実際意識の進化の道を辿ることは山登りに似ています。 >頂上に近くなれば、違うルートが存在することが理解できるものです。 >ふもとの近くだと自分の歩いている道だけが正しいように思ってしまう。 おお、シヴァちゃんもおんなじこと言ってたぞ。 山登りの例えまでいっしょだ。 出所は同じなんだろうか。 万教帰一ってやつか? それだと仏教もヒンドゥも全部ごっちゃになるんだよな。 ええんかい、そんなこと言っちゃってて。
230 :
名無しさん@1周年 :02/05/03 05:45
>228
=☆= クンダリニーとの調和 2 =☆=
ttp://life.2ch.net/psy/kako/1003/10033/1003399616.html 496 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 01/12/11 06:33
無限庵EOは超イロモノだろう
だって元々架空の人物だしね
キャプテンEOをみて命名したらしい
その程度の話さ
511 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 01/12/14 20:07
>あなたはEO氏本人にあったことがあるの?
あった人は沢山いるよ。
だって今でも元気にぴんぴんしてるんだから。
というよりも、もともとEOは架空の存在だもん。
518 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 01/12/18 18:08
>499-517
おまえら他でスレたてろよ。
クンダの趣旨から逸脱しすぎてるから・・・。自分らで立ててやったほうが良い。
231 :
名無しさん@1周年 :02/05/03 09:25
既出ならすまんが、まったく学の無い俺の例えだ 真理は100b先にある、その道には数々の露店が立ち並んでいる、宗教だ 客引きもいる、街宣車もある、何やら大声で叫んでいる、みんな必死だ 少し耳を済ませてみる、大方間違ってはいない、むしろもっと理解しやすく 云えるものをなぜ高尚に語るのだろう?と疑問を持つ あれあれ、多くの人たちは店に入っていく、真理はすぐそこなのに… 店の中を覗いて見る、場所によってはそれだけで金がいるらしい どれどれ、この先にある真理について語っているのが聞こえる ふむふむ、う〜ん、大半はあっている、がそんなこと自然に学べるものだ 全ては頭から出てくる、誰もがもつ頭で出せるものだ、一冊の本さえ要らない おや?バモイドオキシンに走った若者がいるぞ、母親がスパルタだったらしいな 自分を見失って、ああなるしか自分を保てなかったのだろう、目を奪われたな おや?店からサリンを持った集団が出てきたぞ、目、目が怖い、既に奪われている ある程度の目を養うのに宗教は役立つ、目がある者には不要だ不可欠なものではない 役立つが、そこから目が離れなくなり真理の周りに宗教がつけてきた肉を貪りがちだ 〜学などたくさんの養殖された肉もついてるな、確かに味も香りも悪くない むむ?妙な筋があるな、どうりでかたいわけだ、それがまた味わいでもあるのかな さて、常に自分を見る目を養ってきた俺は、寄り道せず真っ直ぐ行こう。 頭に全てある、頭から学は生まれる その頭から自問自答して捻り出せば良い、釈迦もイエスもそうしたように 目は開ける、自分を常に見る目は欠かせないものになってくる これがないと道を誤る、瞑想だって?瞑想に知識は要らない 入るときには全部置いて捨てていくんだから。 もっと真面目に書いたほうが良かったかな?目がトロンとしてるんで許してね。
232 :
名無しさん@1周年 :02/05/03 13:31
>>230 何でEO師は36で死んだという嘘をつくのでしょうか?
Eoというペンネームが36で終わったということでしょうか?
>231さん、 それだけのことに気づくあなたは素晴らしい直感をお持ちですが 万人の直感が常に正しいとは限りませんね。 >774さん、 自分の欲望のために、宗教や賢者の知識を持ちだして金儲けを した人達はその報いを受ける時が必ず来るでしょう。気にする 必要もないぐらい救いようの無い悲しい人達です。 家族サービス楽しんで下さい。
>>631 100メートル先の真理とは何でしょうしょう?
桃源郷かもしれませんね。
はたまた果てしなくつづく原野かもしれません。
その時に足元を見たら「何にもなかった」。かもしれません。
真理とは、いわばそういうものかもしれません。
気が付いたら、新芽を踏みつけていた・・・と言うことなんでしょうか?
その新芽こそ探し求めていたものと言うことなのでしょうか?
なかなかそこのところが・・・・ムズイ。
>髑髏仮面さん、
私は、『真理』というのは確かにあるんだと思います。ただ
『100メートル先』とか『何もなかった』とかいうような設定は、
それぞれがそれぞれの意識の中に作り上げるものだと思います。
人はそれぞれの設定を持っていますので、一つのたとえを
それぞれの尺度を持った複数で論議するのは難しいのですが
あえて
>>231 さんの『100メートル』のたとえで言うならば
髑髏仮面さんの言うようにそのゴールが実は本物では無いかも
知れないし、本当は途中の店に『真理』があったりするかも
知れません。
慎重である事は悪いことではありません。世の中には人を
だまそうとしているやからが沢山いるのも事実です。慎重に
自分の進む道を捜せば良いのです。
道を捜すのに自分の直感だけを信じ誰の意見も聞かないと言う
のも良いでしょう。他人の意見を参考に総合的に判断するのも
良いでしょう。全部自分の責任において決定すれば良いのです。
『真理が無い』と設定した人が『真理』に出会う
のは難しいのかも知れませんが、捜そうと言う気持ちがあれば
必ずいつか見つかる物だと私は思います。
私の立場から言わせてもらえば『こっちの方が時間の節約に
なるよ!』です。参考にするも無視するもあなたの自由です。
236 :
名無しさん@1周年 :02/05/03 19:43
>>231 あなた、一人で瞑想するのが危険だって過去ログぜんぜん見てないのね。
だから朝からとろんとしてるんじゃないのか。
いいかげんな例だしてくるな。
シバかなんかの手先か?
>>235 真面目に相手すな。
あなたの品性を疑われるぞ。
>>235 寛容な方とお見受けします。
>それぞれがそれぞれの意識の中に作り上げるものだと思います。
まあ。そういう事かと思います。
人間は、幼少のころより極自然に、好むと好まざるに関わらず相対概念を植え付けられます。
つまり、これは極自然に選択をしつつ生きている訳になるかと思います。
さすれば、「迷い」はそれに伴い生じるのは自然の「理」。これを悟らねばならんでしょう。
言葉自体に、この相対性の概念が有するわけですから、これを「言葉」による解釈は相当に至難なのは推測されます。
よってここは、貴殿の仰るように各人の機根のよって作り上げる以外になかろう。
それはそれで良かろうに思う。コンセンサスを得ようとは、これまさに至難なリ。
しかしながら、論じることは大変貴重でしょう。切磋琢磨というところでしょうか?
続き 「真我(アートマン)」とは何か等を含め、 再度申し上げますが、これまでの私のカキコは TMそのものとは直接関係ありませんし、 瞑想の体験とも違います。 恐らく人が「真理」からどれだけ離れているかと いうのは、その距離だけでなく方角も様様でしょう。 私のカキコは私がTMをするようになってから、変化した と思える「私の」距離・方角に基づいて、真我について 考えること等を色々書いているのです。 それが余計に用語を混乱させていることをお詫びします。 ですから「TMで」真我(アートマン)を何と言っているか をもっときちんとするならTMでのヴェーダの教えからの きちんとした引用が必要ですね。 (でも、マントラと同じで伝言ゲームでの誤解を 防ぐ意味とかで、 原典の多くは ひみちゅなの)
>>221 そのような意味でしたら、求道?哲学?者的視点から見て
第一義二義というのは、確かに重要と思います。
ただ、直接髑髏さんの疑問に対する答えにはなっていませんが
実際には、これらは意外と区別が難しいと想像します。
(酒、タバコ以外のドラッグをやったことがないので想像です)
以下理由
人間の喜怒哀楽には脳内を始めとする体内での様様な化学物質
の分泌やバランスが大きく関与していることが知られていますし
これは瞑想時の快い感覚に関してもしかり。
(禅をはじめ、色々な瞑想に関して調査があったと記憶)
こういった物質類は物によっては脳内麻薬と言われたりもして
この物質は色々な感情をもたらす働きを持つことも知られています
さて、だからと言って喜怒哀楽というものはこういう
物質だけが生むものでしょうか? 怒りはアドレナリンを分泌すると
言うように逆に喜怒哀楽が先にあって、この物質を生むものも
事実です。
瞑想の至福感においても同じでしょう。覚醒を得た実感
による至福が脳に作用して、快楽物質を分泌させるのか、
単に瞑想の生む特殊な状態?が 快楽物質を分泌させるのか、
これを区別するためには、至福感に関して「覚醒」を起源と
するバランスの良い脳内物質状態、アンバランスな偽者、
更には人工の合成物(ドラッグ)、を区別できる、
本物を良く知った。至福のグルメ?
みたいになる必要がありそうです(笑)
また続き こうして眺めますと私のカキコはやはり 色々、奇妙な先入観を呼びそうで、イカンなぁとも 思います。 これだけ色々「そんな努力はしません」と書いて もしフムフムと思えば「こんな努力はしないぞー」と 瞑想中に色んな警戒を張り巡らせなければならず、 、、、、これって大層な「努力」ですよねぇ。 結局「瞑想」だって「する」ものだし、 更にその努力も捨ててとなると、、 意味不明な「俗な意味での禅問答」下手すると 開き直りということになりかねません。 スミマセン。TMはそんなものじゃないです。 やっぱ文章で伝えられるものじゃないです。 努力をしないというのだって、人それぞれと思います。 きちんとした知識を持ち、その人の状態をきちんと 把握できる能力をもち、資格をもった指導者に 直接に指導を受けることが必要ですし、 そうすれば、こういうことは簡単です。 宣伝くさくてスマン(笑)
でも、我流はお奨めでない。 というスレの流れと一致してるので 許してちょ。
>>234 一見すると、そこには何もない
不安を感じとまどう程に何もない、しかし実は遠くて近くにもうあるのです
前もって情報をもつ人ほどそこでは迷いがち、勿論一概には言えませんが。
そこでは子供のようにあるのが良いと思います、盲目的とは違います、見失います。
それは言わば希望の光とも言えるもの、人によってその見つけやすさは違う。
>>235 確かにあれは設定です、例えです。がその構図は同じなんですよ万物のそれと
直感と言うよりは万物からの引用ですね、何事からも学びます
そこには正しい自然の姿があります、人もそのようにするだけでいいんです。
師は自然です、目にするもの全てに感謝するばかり、実に美しい。
私達は真理を求めますが、それを持ち、またその中にいるのです。
店には裏口もあるのでしょう、そこを見つけだし通れば人によっては近道で
人によってはかえって迷ってしまい遠回りになるのでしょう。
また裏口のない店もあるのでしょう、作り物の扉や道を備えているかもしれません。
見つける、思い出す、そして受け入れ受け入れられる、一つとなる
その過程が様々な言われ方をされています。それらはほぼ間違いではありません
多少スパイスされているものも多いです。それもまた味わいなのでしょうか、おいち。
世の中何でも勉強になるなぁ。さて、休みも終わり仕事がすぐそこで待っている
寝て待つとしますか。
>>236 USJ>親戚の家でお泊まり>帰宅>2chで疲れて寝むかったんでし。でしでし。
>>241 禅が、自己への洞察という方向性に対し、TMは「外的洞察」という方向性かと思う。
宇宙意識、統一意識、神意識、いうなれば梵我一如の境地と推測される。
至福感は、この「一体感」がこれにあたるのだろう。
何回か瞑想するにつけ、序々に強固な信念となっていくものと思われる。
宇宙との一体、全て統一、神への領域に至るその絶対性。これがキーワードかと思う。
と、いう訳で大体読めてきました。
しかしその後の推移は如何に?「哀れなる民衆の救済」というのがアレフのテーゼ。
「神意識」まで登りつめれば、ただの自己満足ではすまされまい。
明らかに「その後」というのがありそうだニャン・・・?
>>242 >そこでは子供のようにあるのが良いと思います
「子供の眼」というのは重要かと思いますね。
大人になりますと、なかなかシンプルには物事を捉えなくなります。
子供は「気づく」が、大人は「気づかない」という事がよくあります。
「無明」とは、ある意味こういう事なんでしょう。
245 :
名無しさん@1周年 :02/05/04 05:05
逝っちゃってるもの同志、話が合うようだな。
子供のような者を言葉巧みに騙すのもあるねぇ、、 "そこ"に至るまでに人のそれを利用する悪徳なものもあるから悩むところだ。 確かに"そこ"では子供のようにあるほうがいいだろな あれを見たら子供のようになるだろうし、偉大な父、優しく愛しい母 そんな印象も感じるだろうから。 あそこは裸の自分を見て、自分を知る場所でもあるから。
247 :
名無しさん@1周年 :02/05/04 09:31
そこってどこ? 見てきたの?!
>>246 「上の者には絶対服従」。この教義を持ち出すと少しヤバクなるかと思いますね。
裏を返せば・・・・
「無知になれ」「思考するな」。ですからね。
人間に対して「従順になる」。これは相当なリスクが伴うかと思います。
全てが駄目とは言いませんけど・・・。
>偉大な父、優しく愛しい母
これは少しャバイのではないでしょうか?
そこに至るとか逝ってる時点でわかってないと思われ。
>>248 なるほど、
>>178 はそういう意味でしたか。
>>160 の
>それは教師の個人指導と、学ぶ人の従順で協力的な態度にかかっています。
というのはTMという瞑想のテクニックの指導に関してです。
あるTM教師も言ってましたが瞑想はテクニックだから
やり方は重要です。とのこと
このテクニック指導の場で、アートマンがどうのブラフマンが
どうのとかそんなことは言われません。
また、前に言いましたが瞑想中の精神状態てのは催眠術用語での
トランス状態に似ていますから、瞑想中あるいは似た状態で何か
講義等されたら暗示にかかってしまいそうで嫌ですが、
ヴェーダやその精神の講義なんかと、瞑想は、時が全く別です。
>>243 宇宙意識->神意識->統一意識という順番です。いちおう訂正
>明らかに「その後」というのがありそうだニャン・・・?
個人的には今の私には、宇宙・神・統一意識の違いさえも
説明されてもわかんないぐらいですから、神意識まで登りつめた人
の「その後」なんて、もちろんワカンナイですが(笑)
テーゼと言うなら瞑想者さんの
>>81 の最後
瞑想を通じて万人に啓発と世界平和をもたらす。
です。これには賛同できるので私もそうしようと微力をつくしています。
で、具体的に何やってるの? というのは色々です。
瞑想を基本として、白鳥蘆花に入る的なところがあって目立たない
ことが多いですが、色んな方角やレベルがあって、声を上げて
目立つようなものもありますのでネットで検索して頂ければ色々
と見つかると思います。
252 :
名無しさん@1周年 :02/05/04 11:59
┐('〜`;)┌
>>250 丁寧な解説有り難う御座います。
>>251 >瞑想を通じて万人に啓発と世界平和をもたらす。
最大の焦点はここのところかと思います。
一見、崇高な理念なのですが、これが一つ間違えますとトンデモ行動原理になります。
アレフなどは「哀れなる民衆の救済」の美名の元にソレイケドンドン。
哀れなる民衆は、救われるどころか手痛い目に逢わされます。
言うなれば、選民意識はいわば『余計な事』。ですね。
まあ、TMの場合はこういうことはないんでしょうけど。私の老婆心です。
どーも私は、悪い方悪い方と考えてしまいますね。大変失礼いたしました。
こういう事が無いと信じたい。まあ、それが本当の気持ちかもしれません。
私は、どちらかと言うと寛容なほーですから(^^)
254 :
名無しさん@1周年 :02/05/04 17:21
ある本を探しに中野のブロードウエーに行ってきました。 ブロードウエーという建物は変わってますね。 カクカクした通路は迷路のようですね。 あそこの建物のお店は独特なお店が多いですが、風水的にいいんですかね。 読み終わったら感想を書きます。
255 :
「「「「「「「「「「「「「「「 :02/05/04 23:35
種は変わるべくしてかわる。 個人は相互に働きあう。 阿呆と自覚は相伴って進む。 自覚は即時の行動を生み、 阿呆は自覚を生み出す。 人生は閉鎖過程にはありえない。 休むときはやすむ。 がんばるときにはがんばる。 ここにしか個人の意義はない。ぶっ
256 :
「「「「「「「「「「「「「「「 :02/05/04 23:47
うえから2行目の個人を個体に変えといてくれ。
257 :
「「「「「「「「「「「「「「「 :02/05/05 00:39
しかし、光というのはふしぎだにゃぁ 光に一定の方向性がが与えらて物質ができるそうだ。 俺の人生またしても、かくっ。なにやってんだ。 上記もそういう意味でごわす。失敬!
光あるところに影がある
>髑髏仮面さん、 TMは宗教ではありませんが、TMが新興宗教と大きく違う 点は『すべて自分の意志で行う』ところにあるかも知れません。 私の経験上TMに関するあらゆる事において、押しつけられたり 無理に勧誘されたり、そういう状況に誘導されたりした事は 一度もありませんし、すべて自分の意志で選択してきました。 TMはその技術としても無理な事はしませんが、勧誘等の活動に おいても無理なことはしていません。 私は長いことTMをしていますので教師の人もだいぶ沢山 知っていますが、勧誘しなくてはならないはずの教師の人達が、 みんなあまりに商売っ気がないので心配になるぐらいです。 だからもし『TMを始めてみたいけどちょっと心配』だという 人がいたら、一回センターで教師に会ってみると良いと思い ます。なんなら名前を偽って会ってみたって良いでしょう。 自分の目で見てもらえればインチキかどうか良く判るし、疑問点 も私が答えるよりずっとクリアになると思います。 それと『瞑想を通じて万人に啓発と世界平和をもたらそうと活動 している人』というのは全体から見ると稀な存在で、ほとんどの TMを実践している人はそういう事をしているわけではなく、 普通に普通の生活をしています。 だから、TMを始めたからといって世界平和に貢献しなくては ならない訳ではありませんし、極端な話『自分の為だけにTMを やります』と言ったところで誰も否定しませんし、実際それで 全然構わないのです。 実は私は、普段は説明するのがめんどくさいので勧誘する等と いう事はまずないのですが、なんとなくここで書き込みを始めた らキチンと説明しないと悪いような気になってしまっています。 (勝手な自分の思い込みですが・・・) しかし、乗り掛かった船なので質問があったらなんでも答えます ので、どうぞお手柔らかにお願いします。
>>247 >>249 一つの見方、一つの場所、一つの方向から見た一例を挙げると
母胎、子宮の中ッス、忘れてるんです、みんなあの中で何を学んだのか
何を得てきたのか、どう過ごしていたのか、全てはあそこにあったのだす、あの中に。
愛も希望も何もかも、光は世界、頭上に見える光、そこには全てがある全そのもの
自分の持つ光、それは神からの命、希望そのもの、希望を抱いて出てくるのです
小さい希望を大きく輝かせるために出てくるのです。
全てが自分を待っていて受け入れてくれる、それを感じ期待してでてくるのです
遠いようで近い光、ひっぱられるように、あるいは飛ぶように光へと突き進みます
何度目かの挑戦でそこから出てくることもあれば、一回ででる人もいます
また出られない人もいます、こちらからだと逆で、はいるになるのです
遡っていますから、そう感じるんです。瞑想はするではなく、はいるものです
どんどん裸になっていくのです、細胞の一つ一つに刻まれ染み付いたものを捨て
何ももたないまっさらなあの頃を再び体験するのですから。
今もそれは人の中にあります、人もそれから成っているものです
人の造り出すものはみなそれを基本としています、少しずつ形を変えてますが
その基本は世界に、私達の中にあります、あらゆるものが持ち合わせています。
みんなが神と言うものが、真理と呼ぶものがチリも含むあらゆる法則を含む
まるで大きな意思のような、世界そのものの総称だと言うこと。
そして、そこから始まるものは人生、その輝きが増せば神は喜び強まる。
そこから出て生きるんです、何もかもが。そこからの脱却は自らを切り離し
無に入ること、生きることでも、神とともにいることでもない。
世界には無の領域と有の領域があります、有は繰り返し、少しずつ姿を変えていく
同じものを次々に生み出しながら、しかしそれはまったく同じものではなく
少しずつ微妙に形が変えられている、またその大きさも最小最大と様々でし
そして時に突然大きな変化をするのです。
261 :
231続き :02/05/05 03:21
あれは母胎、そして頭上の光は世界そのもの、真理そのもの、神そのもの そして生命を育む父母とも言えるもの、友でもあり師でもあるもの その中にいて、それを持ち、それを探し、それを見出す、それを思い出す 多くの人は生まれ大きくなるにつれ、こんな世界でいいのか? 自分はこれでいいのか?自分って何なんだ?と様々に思い悩みます 忘れたのものを再び思い出し、また得るために苦心しています。 前述したサイクルの行われているのが有の領域です。 命の種を受け継ぎ、次代へと繋ぐ、それがこの有の基本サイクルなのです これが神とともに生きること、ここからの肉体、精神の脱却は無への旅立ち 神から巣立つことなのです、大人になる準備ができた言うことです 準備ができずに旅立つ人もいます、彼らはどちらもそこで無になります。 これもまた必要なのです。無が広がることは、有の広がる場所を築くことだからです。 そこは愛に包まれそれを感じ取れる場所、丸裸でひたすらに目一杯の愛を 肌で感じる場所、そして全ての元を学んだ場所。 光が増せば世界は更に広がり、有の領域は大きくなる、その周りの無を取り込み どんどん大きくなっていく、世界はこれを望み、大きな喜びとしています。 その過程を遡るのが至る道です、これは焦っても足踏みしても乱れます すごく繊細にできてます、それは自分を一つずつ知ることでもあるのです。 その道を進んでいる時には、それが何なのか、何でできているのか気づけません 遂に到達した時に、眼前を見、振り返り気づきます、それが人生だと言うことに。 そこにはあらゆる知を生み出す元があります、あらゆるものの設計図があります また生命の記憶、人類の記憶があります、それを全身で学ぶ場所なのです。 辿り着いた時、そこに留まるか、光の中に飛び込むかを選択します 多くの人はそこと繋がり飛び出します、その知恵と教えはその人と共にあります 私達はそこでの事を忘れていたのです、大抵はここで伝え広めようとなるものです またそこに留まる人はその時にそれを選びます。 彼らは一時的に有から離れ、無を広げます、後に神が広がり再び有に入るのでし。 無が広いと神はそれだけ大きくなり、それとともに万物も進化します 有の領域が消え去っても、そこは消えません、永遠でし。
262 :
231続き :02/05/05 03:23
そしてそこから次の神が生まれ世界が生まれるのです、新たな神となるのです。 これはほんの一部、一つの図でしかありません、他にも様々な状態があります。 さすがに時間の関係もあり全ては書けないス 自然は偉大な師ですよ、全てを語ってくれる。気づいて見つけるだけでいいでし。 どんな発明も、既にあるものの効用と組み合わせ使い方に気づいただけ。 全ての理です。CPUもサイクルの基本は自然と同じ。あらゆるものに通じている。 経済、交通、通信、みんな同じ構図がそこにある、ほんの少しずつ違うだけ。 そのほんの違いが多種多様なものを生む、なんとも美しく絶妙でし。 なんでそれを見ないかな、草一本、石ころからも学べるのに、なんでしないかな。 それもまた、多種多様なんだねぇ、この世に不要なものはないでし、否定できないす。 Aさんに必要なものはそれはそれであって、BさんにはBさんに必要なものがある 押し付けや、無理強いはその多種多様なバランスを乱してしまうかも知れない でも、この世は弱肉強食の側面もあるでし、それも必要なのでしバランスだねぇ そういった自然体のありのままを受け入れることも大切なんですな。 日曜も仕事があるんで、もう寝ます。
言葉遊びが大好きなんだね。 教え魔先生は何も教え
>>259 明鏡台の塵を払拭できず、愚問を呈してしまいました。
>みんなあまりに商売っ気がないので心配になるぐらいです。
本質のところはビジネスなんでしょうけど、まあこれもなんとなく寂しい響きですね。
商売する方も、商売の対象になる人も、「金〇両」の世界ですね・・・。
>自分の目で見てもらえればインチキかどうか良く判るし
統一協会の諸君のよーに、自分は「インチキては無い」と、頑なに信じ込んでる人間もいる。
勿論、TMの場合はそんな事はないんでしょうけど・・・。
>だから、TMを始めたからといって世界平和に貢献しなくては
>ならない訳ではありませんし
そうですね、「自分のため」と言うのでしたら方向性とすれば宜しいかと思います。
総じて、明鏡台の塵が『ある程度』払拭されました。有り難う御座います。
) ( ┐('〜`;)┌
7つの意識状態について いま蘇る超古代ヴェーダの英知 生き方の極意 p.153〜p.155より ------------------------引用---------------------------------- 第6節 神意識・統一意識 § 宇宙意識以降の進化の可能性 宇宙意識で、その人の意識の進化は終わってしまうのかというとそうではありません。 宇宙意識は啓発の第一の段階です。 宇宙意識がさらに神意識、統一意識へと進化していきます。 宇宙意識では、内なる目覚めは完全です。 つまり真我はしっかりと確立しています。 しかし、 知覚は完全には精妙ではありません。 神意識へ至るプロセスはこの知覚の精妙さが研ぎ澄まされ ていく過程です。 相対世界のもっとも精妙な、まさに神々しいレベルを知覚できるまでに進化し ていきます。 献身という言葉で表現されるのがこの段階の行動でもあります。 次に神意識から統一意識へ進化する時、対象はその絶対のレベルにて認知されるようになります。 すべてが自分自身の真我の現われとして、つまり宇宙のすべては自分自身と同じ純粋意識の表現で あると認知されるのです。 宇宙意識以降の意識の進化についての詳述は、別の機会にさせていただきます。 簡単に図表に表すと次のようになります。
ずれていたら、ゴメンナサイ ┏━━━━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓ ┃ ┃ 自分の内側への覚醒/気づき ┃ 自分の外側/対象物の知覚 ┃ ┃意識状態┠─────────┬────────╂───────────┬──────┨ ┃ ┃自己(小我)の気づき│純粋意識への覚醒┃ 相対的レベル │絶対的レベル┃ ┃ ┃ │ ┃表面レベル│精妙レベル│ ┃ ┣━━━━╋━━━━━━━━━┿━━━━━━━━╋━━━━━┿━━━━━┿━━━━━━┫ ┃深い眠り┃ − │ − ┃ − │ − │ − ┃ ┃ 夢 ┃ ? │ − ┃ ? │ − │ − ┃ ┃目 覚 め┃ ○ │ − ┃ ○ │ − │ − ┃ ┃超越意識┃ − │ ○ ┃ − │ − │ − ┃ ┃宇宙意識┃ ○ │ ○ ┃ ○ │ − │ − ┃ ┃ 神 意識┃ ○ │ ○ ┃ ○ │ ○ │ − ┃ ┃統一意識┃ ○ │ ○ ┃ ○ │ ○ │ ○ ┃ ┗━━━━┻━━━━━━━━━┷━━━━━━━━┻━━━━━┷━━━━━┷━━━━━━┛ ---------------------------------------引用 終わり-------------------------------------
□は全部 スペース です。 見づらくてゴメンナサイ。 ┏━━━━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓ ┃□□□□┃□□□自分の内側への覚醒□気づき□□□┃□□□自分の外側/対象物の知覚□□□┃ ┃意識状態┠──────────┬────────╂───────────┬──────┨ ┃□□□□┃自己(小我)の気づき│純粋意識への覚醒┃□□相対的レベル□□□│絶対的レベル┃ ┃□□□□┃□□□□□□□□□□│□□□□□□□□┃表面レベル│精妙レベル│□□□□□□┃ ┣━━━━╋━━━━━━━━━━┿━━━━━━━━╋━━━━━┿━━━━━┿━━━━━━┫ ┃深い眠り┃□□□□−□□□□□│□□□−□□□□┃□□−□□│□□−□□│□□−□□□┃ ┃夢□□□┃□□□□?□□□□□│□□□−□□□□┃□□?□□│□□−□□│□□−□□□┃ ┃目覚め□┃□□□□○□□□□□│□□□−□□□□┃□□○□□│□□−□□│□□−□□□┃ ┃超越意識┃□□□□−□□□□□│□□□○□□□□┃□□−□□│□□−□□│□□−□□□┃ ┃宇宙意識┃□□□□○□□□□□│□□□○□□□□┃□□○□□│□□−□□│□□−□□□┃ ┃神意識□┃□□□□○□□□□□│□□□○□□□□┃□□○□□│□□○□□│□□−□□□┃ ┃統一意識┃□□□□○□□□□□│□□□○□□□□┃□□○□□│□□○□□│□□○□□□┃ ┗━━━━┻━━━━━━━━━━┷━━━━━━━━┻━━━━━┷━━━━━┷━━━━━━┛ ---------------------------------------引用 終わり-------------------------------------
>>268 私なんかは、どんどん自己否定していくんですね。それがいわゆる修行かと思っていました。
TMの場合は、逆にどんどん自己進化を目指していく。まあここに新風を感じてしまいます。
ある程度「神」には距離を置くのが通常の概念かと思いますが、神を通り越して「統一」。何としたことか?
とは思いますが、これも一つのニュウエージ的感覚なのでしょうか?(ニュウエージとは何ぞや?→良く分かっていませんが)
中間総括といたしまして、感想を記したいと存じます。
相当なインパクトがあります。既成の瞑想では物足りないと言う方においては、非常に魅力的かと思います。
私としましては、充分に興味のある段階です。アクションを起こすと言う事は全く考えておりませんが。
つまりは瞑想も、ある変革期を迎えているんじゃ〜ないかと。そんな気持ちです。
今後、こういった新たな動きに対して推移を見届けたく存じます。
>髑髏仮面さん、 どんなことでもそうですが、やりたくないと思うことは やらなくて良いんですね。 もしもいつか『TMやってみようかな』と思う日が来たならば、 私の言っていたことを思い出して下さい。 私はそれだけで充分満足です。元々利害関係はなんにもありま せんので・・・
見づらい表で失礼いたしました。(AA職人さんたちはすごいなぁ)
>>269 髑髏仮面さん 参考になったみたいでよかったです。
さて、
>>1 さんの
> 瞑想ってどうやんの?
> 瞑想するとなんかいいことあんの?
> 教えてくれたら飴あげるYO!
や
>>104 さんの
> 無料〜安価で指導してくれる所ないですか?
> TMは高くてできません。
ですけど、
本音を言えば、やっぱりTM実践者としてはTMをやってほしいです。
仲間が増えるのはやっぱりうれしいことですし…
しかも、
http://www.maharishi.co.jp/tm/mri/index.htm にあるように、
提供されているのは、瞑想の技術だけに留まりません。
様々な分野にわたり、いろいろな技術・製品・サービスなどが提供されています。
(ここに載ってないこともまだまだあります)
まぁ 当然それぞれいくらかの出費はともなうのですが…
さて、 いま手許にあるTM関連本(マハリシ・アーユル・ヴェーダ関連本) クォンタム・ヘルス こころ/からだの完全健康ガイド に、 (引用 p.187から) 瞑想から精神的な恩恵をフルに得たいと願うなら、尊敬に値する伝統に連なる しっかりした師を求めることが重要である。 しかし、それと同じに、いますぐ 学ぶことのできる、内的静寂を得るための瞑想技法も存在する。 というのも、 瞑想とは基本的に生理学的なものだからである。 そうした瞑想は心─身システムが リラックスした時にあらわれてくる、私たちに本来的にそなわった静寂を活用する ものである。(引用 了) とあって、このあと極々簡単な(注!TMとは違います)エクササイズが紹介されているのですが、 ここを読んでいらっしゃる皆さんからおねだりや賛同が得られましたら、 カキコしようかなとも思うのですが、いかがでしょうか? ほんとに簡単なもんなんで、過度な期待は禁物ですよ。 でも、お試しって言ったら変ですけど、ここで話されているようなことをわずかでも 垣間見るにはいいかなぁと… そんで、それを紹介した後、69がTM以外で、これもいけてるんじゃないでしょうか? というのをみなさんとシェアしてみたいと思いますが、いかがでしょうか? というのも、「大枠で言えば純粋意識を体験して欲しい」、ってのがあるからです。 けど、「これをやれば純粋意識を体験するのをオイラが保証するぜっ」じゃないです。 アクまでも皆さんの参考になったらいいなぁということです。 いかがですか?
>>270 こういった情報を提供する事に意義があるかと思います。
やる、やらない、これは最終的個人の判断でしょうから。
いわば価値観の問題でしょう。
充分に参考になっております。
>>272 >ここを読んでいらっしゃる皆さんからおねだりや賛同が得られましたら、
>カキコしようかなとも思うのですが、いかがでしょうか?
TMについての大枠は大体把握できました。
今後、これ以上の情報が欲しいという方がいましたらお願いします。
そういう方はどういった事に興味があるのでようか?
まあ、こういった事においても関心があります。
274 :
名無しさん@1周年 :02/05/05 20:13
申し訳ないがTMはやっぱり、私としてはやらないし、人にも勧めない。 大体、アユールヴェーダとかジョーテシュとか、69さんが書いた図のことだって 私は多分、69さんより詳しく知っている。 しかし・・・そういったことは、それぞれ独自の伝燈を持っているので 別にマハリシの名前を冠する必要のないこと。 というよりHPを見る限り、表面的な説明過ぎて危うさを感じる説明ばかり・・・。 だれかがキリストはよき者かも知れないが教会はどうか? と書いていたが、まさにそんな感じ。パクリすれすれな危うさを感じる。
276 :
名無しさん@1周年 :02/05/05 22:33
>275さん お勧めがあったら紹介して下さい。
277 :
名無しさん@1周年 :02/05/05 22:55
やろうと思えば、いま、ここで、展開できるんだ。 CMだけして内容を詳しく書けないものは怪しい
>>275 >図のことだって私は多分、69さんより詳しく知っている。
より詳しい説明キボンヌ
279 :
横やりですが :02/05/06 02:13
>>278 横やりスマソです。
君の選んだものが、君にとっては良いのかも知れない
それぞれの表面にある微妙な違いを楽しんでいるのならいいけど
歴史と同じ悪循環も繰り返すのはどうかな?これも図にするとわかりやすいよ。
構造は同じ、造られたシステムと造りだすシステムの順序があるけど、そこを見る事は大事だよ。
君の体の一部が君に出している信号に、まだ君は気づいていない
まだ君の核は君自身を支配しきれていない、支配し一つとなった時
君は即座にどこが声を出し、どこが感じ、どこが反応しているかを知る筈
それらをまとめ一つとなった時、君は即座に気づき即座に最良の判断を下せるようになる。
お腹が痛いとき空いているときに、無意識にお腹をさするのは
とても解り易いその流れ、君の体が図そのもの。その図は普遍、蔓延しています。
>>275 さん、
インドの伝統をご存じなので、マハリシもその伝統を引き継いでいる
こともご理解いただけると思います。マハリシもまたそれらの伝統の
流れをくむ一派と思っていただいて良いですね。
もちろん、アユールヴェーダもジョーテシュも好きな流派を選んで
いただいて良いのですが、他の流派を求めようと思えばかなり大変な
苦労(インドへの渡航費やそれが本物かどうか調べたり・・)が伴う
ことが予想されます。もちろん、275さんはその辺に詳しいので
結構簡単に見つけてしまうかも知れませんが、大抵の方にとっては
難しいと思います。
聖者の反対をおしてヒマラヤを下りて、マハリシがして来た事は
万人に秘伝の知識を広めるという事でした。間口を広げて誰でも
受け入れる体制をとると言うことは、選択する側から見れば良い
事ではないでしょうか?嫌だと思えばやらなければ良いだけなん
ですから・・・選択肢は多い方が良いですよね。
怪しいかどうかと言う話になるとどうしても水掛け論になってしまうので
、アユールヴェーダの事を知っている方だったら自分の眼で検証するの
にうってつけなのがまさにそのアユールヴェーダではないでしょうか?
西洋医学を修めた本物の医者がちゃんと見てくれるクリニックがあり
ますので、質問するなり、受けるなり納得行くまで聞いて来たら良いと
思います。(本当に行く時は予約した方が良いと思いますが、電話なら
簡単に質問に答えてもらえるでしょう)
その上でインチキだと思うなら、それは残念ですがしかたありません。
しかし、世の中には見るからにインチキな物も確かにありますが、
多くは実際に検証してみないとなかなか判らない物です。
何を選択しても何を選択しなくても自由です。検証するも無視するも
まったくあなたの自由です。私はTMをやらない人の意志を尊重します。
275
>>276 >275さん お勧めがあったら紹介して下さい。
いや、275で書いたのは、これはお勧めするけど、あれはお勧めしない、
ということではなく、あくまでも私としては、ということです。
>>278 >より詳しい説明キボンヌ
では基本を一つだけ。
イソップ物語では、目の見えないはずのモグラが、
目が見えるようになる、という話があります。
修行の末?視力を獲得したと思い込んだ若いモグラは、
有頂天になって母の下に帰ってきて、こう言いました。
「僕ね、とうとう目が見えるようになったんだよ!」
母親は、そんな馬鹿なことはない、と思いましたが、
そこまで言うなら、ちょっと試してみようと思いました。
そこで、かわいそうな息子の前に、一片の乳香を置いて尋ねました。
「さあ、おまえの目の前にあるのは何だと思う?」
「うーん」
しばらく目を凝らして息子は答えました。
「分かった!これは石です」
すると母親は、大声で嘆きました。
「お前はとうとう目が見えないだけでなく、鼻まで利かなくなってしまったんだね!」
282 :
通りすがり :02/05/06 04:15
漏れは恥ずかしながらアユールヴェーダと言うのを知らないけど それはたぶんインドの伝統と言うより、人間の知恵とか、自然の知恵とかじゃないのかな 根源にいけばそこにあるもの、ただ行って汲み取ってきただけ いや勿論それができるのはすごいけど、流れに逆らわずにいれば普通にできものかと だって常にいつでも人に密接で密着した、人もその一部のものなんだから。 それに触れる?方向や方法は多種に渡るんだろうとも思う、当たり前の良い事だ。
>>281 >では基本を一つだけ。
さらにキボンヌ
284 :
名無しさん@1周年 :02/05/06 08:52
瞑想によって、少年時代の初々しい気持ちが取り戻せますか?
>>281 人間のあんたにモグラの感性が分かるのかよ?
変な例えだ、怪しい
てか自作自演のやりとりだし ┐('〜`;)┌
>>281 イソップの話で、充分な説明になっていますね。
いわゆる「本分」。ここのところをどー見るか?
これは、おのおの方で見解は多種多様かと思います。
その機根のままで観るのが宜しいかとおもいます。
脳細胞は思慮が本分。肛門は排泄が本分。そこに分別はござらん。
>>284 さん、
色々な瞑想で言われていると思いますが、そういうことは充分
ありますよ。でもあんまりそういう期待を持ちすぎるとそれが
瞑想の体験を悪くする原因になってしまいます。
いざ瞑想を始めると、心臓がバクバク鳴ってかえって緊張してしまいます。 みなさんそういうことないですか?
290 :
名無しさん@1周年 :02/05/06 17:07
>>290 どうもありがとうございます。瞑想やめよかな。
292 :
名無しさん@1周年 :02/05/06 17:59
早く甘露を感じましょう!
294 :
名無しさん@1周年 :02/05/06 21:30
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ ∧_∧ | 人格障害者はおとなしく病院でリハビリしてなさい | ( ´∀`)< | ( ∧∧ つ >―――――――――――――――――――‐< ( ゚Д゚) < こういう奴が病院から出てくると、 | /つつ | ろくなことがねぇしな。 | \____________________/ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ | このスレに来たみなさん。髑髏仮面(変人)のレスは仏教とは | (-_-)< なんら関係がありません。気をつけてください。 | (∩∩) \_________________________/
295 :
名無しさん@1周年 :02/05/06 21:46
日々のすべきことを愛をもっておこなう。 それこそが瞑想だと。 私は教わりましたが・・・
296 :
名無しさん@1周年 :02/05/06 23:23
281
>>283 >さらにキボンヌ
ではその2。
>>267-268 では、内側への気づきと外側への知覚との二つの方向性があるように
書かれているが、実際には一つの運動しかない。
297 :
名無しさん@1周年 :02/05/06 23:28
296の続き。
>>266 で書かれていることはいくらなんでもデタラメ。
298 :
名無しさん@1周年 :02/05/06 23:35
>>287 ごもっともな意見、役割は違っても同じからだ。
>>296 まったくもってその通り。
>>297 あれは、ビジネス化するのに分けてしまった部分だね。
それと名無しだと他者と誤解されるから、気をつけた方が良いよ
それっぽく書いてくる人もいるから。
>>289 あなたがどのような瞑想をなさっているのかわかりませんが
まず、するべきは瞑想を習った指導者に相談することでしょう。
その機会がなかなか得られないならば、暫く瞑想を中断する
のもやはり必要かも知れません。
また、あなたが独学とか自己流でなさっているのならば
まずご自分の健康状態が極端に悪くないか調べ
それに問題がないのなら、例えば、このスレで出てくる
禅の軟酥(なんそ)の法
http://www3.justnet.ne.jp/~hnisino/MINKAN17.HTM のようなイメージングを試してみるのも良いかも知れません。
300 :
chebjcro :02/05/06 23:38
300!! よっしゃ
301 :
名無しさん@1周年 :02/05/06 23:42
>>289 勉強のあとや仕事の後にフッと気が抜けて、何も無くボーとしてるようなもの
これは、やろうとしてするものじゃない。
状況をつくることはできるけど、本当のそれ自体はつくることはできない。
302 :
名無しさん@1周年 :02/05/06 23:45
>>294 あれは言葉を置き換えてるだけ、意味は解る
逆に言葉を重視すると、あなたのように誤解をし兼ねない。
>>289 瞑想によって心拍数が増えるというのは特に異常ではないが、
自身で心配であれば、止めた方がいいと思う。肉体のタイプ
でエネルギーの刺激に過敏な人はいるから、様子を見た方が
いい。一般的に言って、心臓に疾患や呼吸器に障害がある人
は瞑想を行うときには特に慎重になって欲しい。
リマインドさせてください。
前にも言ったと思いますが、瞑想というのは基本的に危険です。
体と心の変成をもたらすからです。それはひとつの状態から
別の状態への移行を生み出し、その過程で心や体に変化が現れます。
瞑想が安全で体にもいいというのは「誰にでも」当てはまるわけ
ではありません。
>>瞑想者さん 瞑想者さんなら分かっていただけると思いました。
病人の巣窟・・・
>>289 >>299 への 書き足しです。
もしも、イメージングをするとしても軟酥の法程度に留めてください。
過去の経験からはイメージングを頑張れば、例えば暑さ寒さや
怪我の痛みとかを感じなくすることや、快感を得ることが出来ますが、
このような「本来必要な不快感」を誤魔化したり偽の快感を得る
のは危険なことですし、状態が瞑想に似ているだけに
勘違いしてのめり込む危険ももっています。
(ここまで来ると、自己催眠のようなもの)
そういう意味では
私も774さん瞑想者さんと同意見です。
勘違い全開で同意してるって。
痛みを遮断する機能は体に備わってるものだ 山での遭難者が無意識に体験したりするのは有名な話。 偽とか自己催眠と言うのは愚かだ、これも同じく生命の機能だよ。 昆虫ですら死の危険が迫ると自動的に痛みを遮断している。 聖人聖者が死の恐怖を克服することも偽の快感で自己催眠なのかい? 視野が狭く、とても不寛容ですね。私はそんな人のいることも認めますけど。 瞑想とは違う、危険も伴うだけの意味で書いていると思いたい。
川で溺れた人が、もう死ぬんだと思った途端 恐怖も苦しさもなくなり至福と快楽に包まれたって話も良くある話だ 命の力をもっと知るべきだ。
>774さん、
ほとんど同意見なんですが、瞑想はちゃんとした指導者と
しっかりしたアフターケアがあればいたずらに恐れることは
ないということを付け加えさせていただきます。
>>310 さん、
ここに来ている人は『実践瞑想スレッド』という名前をクリックして
いるぐらいですから、みんな瞑想について詳しかったり自然に道を獲得
していたりするんですね。
あなたの意見と60さんの意見は矛盾してないように思うんですが・・
>>295 さんの話にもありましたが瞑想を定義するのは難しいですね。
英語で言うメディテーションだと眼をつむって静かにするだけでも瞑想
と言えますし、宗教的な観点から見ると色々な定義が出来るかも
知れませんね。自然に備わった能力と言う点で言えば確かに瞑想は人間
に始めから備わっている能力ですね。
見事なまでに受容してますね、曇りがない。
多くを語りたいが、趣旨から外れるので控えます
また後でも書けるし。
原点回帰とだけ書いておきます、後に続くものは避けます。
>>269 方向は実は同じ、円周、球と考えると解り易いかも
誰も言わないから不安に感じる。
>>312 >方向は実は同じ、円周、球と考えると解り易いかも
円周?・・・ですか?。
一つ、一遍上人(念仏)の言葉を借りれば・・。
「身も心も全部捨てて虚空の南無阿弥陀仏の五字があるのみ」。
道元いわく
「身心脱落」。まあ、分別なしの全部透き通ったかんじなんでしょう。はやく言えば「無し」。
原点回帰の意味するのはこれなんじゃないかと、そんな妄想にふけっております。
>>312 >誰も言わないから不安に感じる。
私は
>>296 で言っているよ・・・・
しかし、まあなんだ、危いね。いろんな意味で。
分かっていない人が、それも道でしょ、みたいなことを言うのは。
どの道も同じ、とか言ってね。
そうじゃないんだけどね。
多くの道が一つに収斂する、というわけじゃない。
もとより一つの道しかないだけなんだよ。
仏教的に言えば一乗真実と言うのかな。
知識でいっぱいになって、本物とまがい物の区別がつかなくなって、
間違いを指摘されても、その微妙な違いが分からない。
危ういね、本当に・・・・
身心脱落=精神病患者 ↑こんな風にならないように。 妄想に気づこうね312さんと髑髏さん
316 :
名無しさん@1周年 :02/05/08 02:14
230
>>232 ギリギリの所に立った時、あるいは定が解けた時、
逝ってしまうのには、まだ早いと思ったんではないでしょうか?
1)行法的な課題
性と定は密接な関係がある。
禅が性を厳しく律するのは、それなりの理由がある。
突き詰めが甘い。
2)俺の勝手な観察
行法の上で逝っても、首を吊って逝っても、
逝くことには、違いはない。
逝くに足りうる理由は在ったにせよ、必然が無いような。
また、そこに必然が有るようならダメでしょう。
逝くにしても、バランス が欲しかったんでしょう。
>>313 意外と気付かない人が多いですけど、☆でも∞でも△でも□でもいいです
それを円で囲んでもいいです、どこから見てもそうです、つまり・・です。
その上人の念仏の中にある「虚空」がまた、色々なものに置き換えれて面白いかと。
このスレにも幾つかそんなのが出てます。TMの方も頻繁に使ってます。
その表面のソースの違いを楽しんで下さい、きっと気付けますから。
これを言い出すと「南無阿弥陀仏の五字」も道元さんの「身心脱落」
あなたの用いた「無し」も他の言葉に置き換えられ出ているのが解ると思います
伝えたい意味は同じです「なんだ元は同じじゃん」です。
言葉に走ると見失いまくるのが難しい、言葉は表現方法の一つに過ぎません
表現したかったものを見ないと、見れる様にならないと文字だけのやりとりは難しい。
その元が解ると「あ、これは偏ってる」この言い方だけだと思ってるのかも知れない
どうやら見てるとそんな感じだ、さりげなく微妙に指摘しようとなります。
受け入れはしてるみたいだが、要の部分に気付いてくれてなさそうで、不安です。
そうしていくと角が取れて、丸くなっていくのが見えると思います。
これもまた原点の図と同じ、少しの違いが多種多様となっている。
表面に捉われては良くないです、そこに目をやるのも必要ですけどね。
そこばかりを見ると他、周りが見えなくなりますから。
それと変革期とかではないです、昔から古代から同じ事を人はやってます
ただまったく同じではなく、まったく同じ事の繰り返しではありません
微妙に変化して、微妙に少しずつ前進とも広がりとも言えるものをしています
早めようとしたことが停滞や足踏み、まるで逆戻りとも言えなくはない事を
引き起こす事も多いですからね。強めるとカルト色がどうしても出ますから。
例えどんな良い事でも過剰になると、弊害が出るのは当たり前ですから。
読み返すと随分と手抜きで言葉足らずな面もありますが
機会があれば追々埋めていきます。。
>>314 ですね、何故か分けるんですよね
独自性がほしいのか、売り文句にしたいのか
昔から、それはあるけど今でも同じこと繰り返すんですよね
それがあるのも、また必要なのも解るんですけど
解った上でやってない風なのが見え隠れしていて、危うさを感じます。
料理人が施した味付けを楽しむか、素材をキチンと楽しむか
元は一つなんですけどね、素材も本質も。
こちら側の一般認識の逆立ちも楽しんで貰いたい。
このスレは311の瞑想者さんが言うように「実践瞑想スレッド」です
しかし、その中身はTM関係者が多くを占めている
だから私はTMの方にこそ、そこに気付き、そこを指摘して欲しかった
そう言った意味で誰も言わないと書いた次第です。
改行すりゃ良かった、エラーが嫌で縮めて読みにくくなった。。 レス二つに分けたんだから入れれば良かった。。スマソ>髑髏仮面さん
320 :
名無しさん@1周年 :02/05/08 03:05
長い しかも 判りにくい。
321 :
名無しさん@1周年 :02/05/08 03:08
甘ったれるな
322 :
名無しさん@1周年 :02/05/08 04:17
迷ったときは出発点に戻る。 1 :名無しさん@1周年 :02/04/23 02:31 瞑想ってどうやんの? 瞑想するとなんかいいことあんの? 教えてくれたら飴あげるYO!
323 :
名無しさん@1周年 :02/05/08 04:42
荒らして流すのも、もうパターンだな。
69です。スレの流れに逆行するのは承知の上で、カキコさせていただきます。
>>266-268 は、60さんの
>>251 のカキコ > 個人的には今の私には、宇宙・神・統一意識の違いさえも
> 説明されてもわかんないぐらいですから、神意識まで登りつめた人
> の「その後」なんて、もちろんワカンナイですが(笑)
っていうのを読んで、あたしも同じく そうそうなんのことやらワカンナイのよねと思い、
(純粋意識でさえもワカッテナイのに)そのワカンナサをみんなにも…と思って、カキコしました。
その説明を知りたいって人もいるのではとも思いましたし、
あと、やっぱり言葉の一人歩きが怖かったから、カキコさせていただきました。
「私はこれを理解している」というスタンスでのことではありません。言葉が足りなくてすいませんでした。
髑髏仮面さんには参考になったみたいでうれしかったです。
でも、その他の、みなさんに不快な感じを与えてしまったのなら、お詫びします。ゴメンナサイ。
けど、送信する直前に231さんの
>>260-262 を読んで、
もしかして、この方は神意識・統一意識を私達にわかりやすく説明してくださっているのでは?
と思い、この引用部分が皆さんの参考になるのではとも思いました。
その時に思ったことを書いてみたいと思います。
(すごくすごく長くなりました。ゴメンナサイ)
>>278 さん
>>283 さん えーっと なんて言ってよいのでしょうか。 ご苦労様でした。
そして、本当にありがとうございました。
お陰で
>>279 横やりですがさん
>>275 =
>>281 =
>>296 さん 髑髏仮面さんから
貴重なアドバイスを戴くことができました。 コメントをつけてくださった皆さん、ありがとうございます。
>>279 横やりですがさん > 君の体の一部が君に出している信号に、まだ君は気づいていない
> まだ君の核は君自身を支配しきれていない
もちろん、おっしゃるとおりです。 先にも書きました通り、
わからなさをわかちあっていただきたいとの思いから、カキコさせていただきました。
気づいていないということにあらためて気づかせていただき、本当にありがとうございます。
横やりさん、( ですが は略させてください)実は、とても、ワクワクしています。
質問させて戴いてよろしいでしょうか? 少しでもよいので、ご意見を伺えたらうれしいです。
(うざければ、横やりさんに限らず放置でかまいませんので、)
(書いているうちに、こんなになってしまいました。ゴメンナサイ)
(ワカラナイわたしが書いているので、教えてくれくれ君になっています。ゴメンナサイ)
最初に確認させていただきたいのですが、
> 君の体の一部が君に出している信号に、まだ君は気づいていない
この「体の一部」というのは、体の器官のことでもあるでしょうが、次行に出てくる「核」と
理解しているのですが、よろしいでしょうか?
そうすると、(前出の)パラ、そしてそれに続くパシュヤーンテ、マディヤーマ、ヴァイカリ
というという経路を、その「信号」は伝わってくる。と。
そして、まだまだ意識に幾重もの「枠」のある「私」は、表面表層レベルのヴァイカリでしか
意識活動を行えないがために、微細で精妙でしかも真実?のその信号を
ヴァイカリのレベルのノイズの中に見失い、迷える子羊になっている…
おっしゃる意味はこういうことかと存じますが、いかがでしょうか?
(このようなやさしくもシャープな表現をしてくだすったことに、感謝申し上げます。
本当に ありがとうございます。)
> (君の核が、君自身を)支配し一つとなった時、
この「核」というのは、アートマンという理解でよろしいでしょうか? もしその理解が正しければ、
「支配し一つ」というのは、アートマンが君「自身」を「支配する」上下?主従?関係なのでしょうか?
(実はこの「君自身」もよくはわかっていません。
>>266-268 の図にある「自己(小我)の気づき」ということ?
これは簡単に「我思うゆえに我あり」かなと理解しているのですが、正しい理解でしょうか?
身体認識よりひとつ深い自己の認識として捉えているのですが、正しいでしょうか?)
そしてそれは、「支配して」それから「一つとなる」という「順序」を現しているのでしょうか?
> 構造は同じ、造られたシステムと造りだすシステムの順序 とありましたが、
それは、その「時」、「支配」も、「一つになる」ことも「同時」に起きるのでしょうか?
このことを考察することによって、「支配して一つになる」ということがどのような過程を経て
自身の内側の認識の中で確立されていくのが解りやすくなると思うのですが、いかがでしょうか?
そして、「一つとなった時」、アートマンは初めてアートマンとしての本来の地位を確立するのですか?
それとも、アートマンは「君自身」を「支配し」なくても、「一つとな」らなくても、支配とか一つとかに
関係無く、それは最初から、アートマンとしてあるのでしょうか?
それとも、それはこの両方なのでしょうか?
支配し一つとなった時、初めてこの核を、自身は知覚?認知?するのでしょうか? それとも逆で、核が自身を知覚?認知?する? はたまたそのいずれでもなくそれは同時? 「君自身」が「君の核」を気づくのが先か、それともその逆か、さらには、同時か 以前にも出てきた鶏と卵ですけれども、 このことを考察することによって、アートマンの在り様に対して、わたし達はどのように対峙するのが よりよいのか?より滑らかなのか?ということがよりはっきりしてくると感じますがいかがですか? さらに「支配し一つになる」というのには、その分離が前提になるとおもうのですがいかがですか? 「支配しひとつになって」初めてそれらに分離があること さらにそれがいわゆるマーヤーであるとの認識に至ると捉えているのですが、いかがでしょうか? その分離を前提に置くこと自体が(もし強さの段階があるのなら)より強いマーヤーとなっている と思うのですが、いかがでしょうか?
> 君は即座にどこが声を出し、どこが感じ、どこが反応しているかを知る筈、
この どこ というのは、以前のどなたかのご発言にありました、パラ のことなのでしょうか?
もし、パラのことだとするならば、その「君」がそれらを知っている意識の状態は、すくなくとも、
>>268 の図でいう純粋意識以降ののことなのでしょうか?
それとも深読みしすぎていますか? 体のどこかの部位がということでしょうか?
もちろん、自身の身体の内側からくる信号をもらさず知覚できるというのは、自身の内面にノイズのある
目覚めの意識以前の状態ではとうてい無理なことは、横やりさんがすでに↓とおっしゃっていますね。
> 君の体の一部が君に出している信号に、まだ君は気づいていない
> それらをまとめ一つとなった時、 「それらをまとめ」というのは、意識がそのそれらを知っているという状態というのを 片時も手放すことがない、つまり失われることがない、ということでしょうか? さらに、「一つとなった時」というのは、 意識とそのそれらを知っている状態とが一つになっているということでしょうか? それは、意識とそのそれらを知っている状態、その双方に分離がないいわゆるサンヒターのことを おっしゃっているのでしょうか? それとも、内側からの様々な信号をまとめ、それらが一つになった時ということでしょうか? 言いかえるなら、その様々な信号は同じ源から発せられているものが、 様々な表現を形にとったに過ぎないとおっしゃっているのでしょうか? ここでは私は、前者のサンヒターのことを指しておられると解釈しました。 間違いがありましたら、よろしければご教授ください。
また、ここでの「一つになる」と、
前出の、君の核が君自身と「一つになる」というのは、同じことなのでしょうか?
もし、それらが違うのであれば、
ここでの「一つになる」は図でいう宇宙意識の状態、前出の「一つになる」は同じく純粋意識の状態
ではないかと推測しておりますが、いかがですか?
横やりさんのおっしゃる
核が自身と一つになる状態を経て、それらを『まとめて一つになった』時というのは、まさしく
私が
>>266 で引用させていただいた
>> 宇宙意識では、内なる目覚めは完全です。つまり真我は『しっかりと』確立しています。
ということをおっしゃっているのではないかと推測いたしました。
> 君は即座に気づき、
「それらをまとめ一つにな」った時、「気づき」。
つまり、「意識とそのそれらを知っている状態とが一つになっている」状態での「気づき」です。
この「気づき」、これは自身がいわゆるマーヤーそのものであることに気づき、
同時にそのマーヤーが、ブラフマンとアートマンとの分離によって起こっているということに気づく
と理解していますが、正しいでしょうか? (いきなりブラフマンという単語を使ってしまってゴメンナサイ)
さて、上での「一つになる」という状態が宇宙意識と過程するなら、
ブラフマンとアートマンはまさに同体であるという気づき、
さらにそれらが分離している、その認識がマーヤーを創り出しているという気づきは、
宇宙意識の状態でその個人にもたらされると思っていて、間違いないかと思いますです。
さらに言いますと、この「気づき」が自身の意識の中で、その「気づき」という経験自体を
繰り返し繰り返し経験していく中で、「気づき」が徐々に徐々にゆるがないものとなっていくことが、
確固とした地位を得ていくのが、容易に想像されるのではないでしょうか。
自転車のハンドル操作、ペダリングに不安や不自然なコントロールが無くなり、
自転車の動きが安定したものになっていく過程です。
これは、同じく、
>>266 で引用させていただきました、
> 神意識へ至るプロセスはこの知覚の精妙さが研ぎ澄まされていく過程です。
> 相対世界のもっとも精妙な、まさに神々しいレベルを知覚できるまでに進化していきます。
のことではないかと推測します。
「気づき」が、経験に裏打ちされた「事実認識=認知」へとはぐぐまれていく過程です。
> 即座に最良の判断を下せるようになる。
これは逆から言えば、最良の判断しか下さない(または最良の判断しか下すことのできない?)
意識の状態ということでしょうか?
>>189 さんがとりあげておられた孔子の
> 「七十にして心の欲する所に従いて矩(のり)を踰(こ)えず(従心)」
> 「己の欲望と、天意が完全に一致している状態」
では、ないかと理解しましたが、いかがでしょうか?
ここで、また「順序」なんですが、「即座に気づき」「即座に最良のの判断を下せるようになる」
のは、「同時」なのでしょうか? それとも、ここでもその「順序」に言及されておられるのでしょうか?
「即座」が重複して使われておりますので、同時ということなのでしょうか?
私には、「同時」をあらわす「即座」という意味合いよりも、そこに迷いや躊躇が発生し得ない
「即座」だという意味合いも含まれているのではないかと解釈したのですが、いかがでしょうか?
このように考えますと、唐突に出てくるように思われる
>>266 の
> 献身という言葉で表現されるのがこの段階の行動でもあります。
も納得できるような気がいたします。
そのような状態に確立された意識は、微塵の迷いや躊躇もなくすべての者の福祉のために、
その行動を選択するでしょう。
最善の判断に基づく行動は、当然最善の結果を導き出すに違いありません。
つまり、このような意識の人は、成すことが、さらにはいついかなる時でも、
すべてが至福の中にあるのではないでしょうか。うらやましいですね。わたしには、想像もつきませんが、
横やりさんはこのような境地を少なくとも垣間見られているのではないかと、察しております。
さて、そのような意識は、自身を含めたすべての対象に対して、
すべての個別性の中に、つまり個別性の現われであるアートマンの中に、
全体性を認知しているのだと思います。
また同時に全体性であるブラフマンに対して大いなる多様性を見ているのではないでしょうか?
その多様性の中に個別性の現われであるアートマンを認知し、
その個別性の現われであるアートマンの中に、ブラフマンを認知する。
そうしてみると、おのずと
>>266 にある> 対象はその絶対のレベルにて認知されるようにな って
くるのではないでしょうか?
その絶対のレベルで認知されるのは、一が多であり、多が一であるということではないでしょうか?。
一が多であり、多が一であるという深い認知に根差した意識は、
> すべてが自分自身の真我の現われとして、
> つまり宇宙のすべては自分自身と同じ純粋意識の表現である
という認知そのものを生きる存在なのではないだろうか?と思いました。
> その図は普遍、蔓延しています。 という横やりさんの最後のフレーズにとても共鳴していると感じました。 みなさんほんとうにすいません。 また長くなってしまいました。 申し訳ありません。 失礼いたします。
>>322 さん、みなさん
わたしもそう思い、
>>272 のカキコをさせていただきました。
いかがでしょうか?
ここらで目先を変えませんか?
>>324 のカキコですが、ろくに推敲もせず、送信してしまいました。混乱しててすいません。
引用したかったのは、>>325-にあるように
横やりですがさんの
>>279 です。
はあ・・・長文ご苦労様。 目の見えないモグラは無理に見ようとしないほうがいい、 ていうか、瞑想はそういうのとは関係ない。 そのうち、あたりまえのこと(臭覚)も分からなくなるよ。 お茶でも飲んで目を覚ましてください。
338 :
名無しさん@1周年 :02/05/08 12:01
>>69 の人へ
目の見えない状態で見ようとするのはまだやめた方がいい
今はジッと追っていく方がいい、焦りには見誤る危険性がある
学ぼうとする姿勢はとても良い。
しかし、焦りは見失うことにもなりかねない。
まずは目を覚ますのが先決です。
>>317 生まれたての赤ちゃんは、誰に教えられるまでもなく母親の乳首に吸い付きます。
一端、母親の母乳の味を記憶しますと、母親と他人の分別は付くそうです。
つまり、人間は「無垢」であってもそれなりの「智慧というのは元々身に付いている」。
というのが私の考えですね。
ですから「無に帰す」というのも非常に単純なことです。考えとしては・・・。
>言葉に走ると見失いまくるのが難しい、言葉は表現方法の一つに過ぎません
そうですね。ここのところは同意です。
つまり「無明」とは「明るくない」。→「明るくなれば良い」。こういう事で非常に単純です。
そこのところをいろいろ言語で説明しようとするところが貴殿の論法かと思います。
ここのところは非常に微妙かとおもいます。例えば・・・
「梵我一如」。これは仏教では否定となっていますが、感覚的にはまさにこの状態でしょう。
合理的、論理的説明と、実際の体験ではまた違いますでしょうから。
そこのところは私としては「寛容」の幅は広げております。
>>311 瞑想者さんへ
それはTMだけに言えることだと思います。
しばらくROMします。>ALL
341 :
名無しさん@1周年 :02/05/08 13:13
盲目の人が何人か集まって象に触ってみた A「象は柱のようだ」 B「象は壁のようだ」、、etc ---------------------------------- 理科の授業 生徒)光は粒子なのですか? 波なのですか? 先生)Aという方法で観測すれば粒子、、これは式aで表される Bという方法で観測すれば波、、これは式bで表される どちらも正しい。 実は 式αというのがあって これは 式aもbも含んでいる。 これによると光が粒子とか波とか言うのは、光の姿の単なる バリエーションに過ぎないということになる。 生徒)電子は粒子なのですか? 波なのですか? 先生)同じく 式d 式e 式β 生徒)結局、物質の本当の姿は、何なのですか? 先生)そんなことは神様にしかわからないんじゃないかな? 私たちは私達が持つ観測手段による認識を使っている 式γ(超ひも理論)は式a,b,c,d,α,β...etcも全て含んでいる (導くことが出来る)式γによれば全ての物質や力・エネルギー とその相互作用は10次元空間に存在するたった一つの超弦という ひものような物の振動のバリエーションということになる。 これが今のところ様様な現象を説明するのに一番矛盾が ないので今はそういうことにしている
69さん 真我(アートマン)は普遍性のことを逝っているよーですね。 阿頼耶識が(主)、表層意識が(従)。この主従未分化が宇宙意識。簡単に言えば。 初めに主あり。これが根幹をなす。それの覚醒と観ました。 この概念は、一端植え込まれますと固定概念として固く定着すると思う。 相当なインパクトはあるかと思いますね。 「良いか?」「悪いか?」これは別。 >修行は努力しなくて良いんです。云々。 というレスがありましたが・・・ 一端ハマリ込むと努力しちゃうんでしょう。やはり「欲」というのがありますからね。 インストラクターは、そこのところを充分承知しているものと察する。 と言う訳で・・・。私は必ずしもアンチTMではありなせん。 ある程度は評価はしております。
>774さん、 瞑想で良い体験のある人ほどいいかげんにやると危険、と言う事 は言えるかも知れませんが、誰もがいつ何どきそうなるかも 知れないと言う点では774さんの言うとおりですね。 実のところ私は本当にシリアスな危機に陥ったことがないので、 その危険性を実感できないのかも知れません。 >髑髏仮面さん、 正しく瞑想が出来ていると、その『欲』とか『こだわり』がいつのまに か消えてたり、少なくなってたりするのを感じるんですよね・・・
344 :
名無しさん@1周年 :02/05/08 19:14
髑髏仮面さん 毎日 坐禅(ですか?)してる?
345 :
名無しさん@1周年 :02/05/08 20:19
>>343 >その『欲』とか『こだわり』がいつのまにか消えてたり、少なくなってたりするのを感じるんですよね・・・
そうでしたか。やはり実感として感じるのが大変宜しいかと思います。
何となく、気持ちが透き通った・・。そんな感じかと思います。
>>344 只管打坐だけが禅ではありませんからね。まあそういう禅定も組みますが。
かつて放浪の山頭火は「歩行禅」というのを極めたとしている。これもあるし、
達磨は「心は腹に置く」。これは丹田呼吸法に近いのかなぁ。まあいろいろ工夫を凝らしています。
茶の湯の前とかは禅を組みます。これは只管打坐でしょう。
手法にはさして拘らず。
↑つい、うっかり仮面を外してしまいました。上レスは私です。 ことわっておきますが、ジサクジエンではありません。 私のメインスレは、ハンドル使っていないもんですから(笑
347 :
名無しさん@1周年 :02/05/08 21:40
光の瞑想って? だれかおしえてよ
348 :
60=341=344 :02/05/08 22:54
>>346 あ、すみません、こちらもハンドル忘れ(メンドーだから放ったらかし)
じゃあ質問変えます。「毎日」「瞑想」してます?(笑)
真実って何? というのの寓話を2題
>>341 に書いてみました
が、やっぱり現代人には盲目のヒトと象より、後半の理論物理学の
超弦理論
全ての物質・力・相互作用は、
根源である「超弦」の振動の諸相のあらわれ
私達はこの断片を見ているに過ぎない
という方が説得力あるかな?とも思いましたが、それとも意味不明?
350 :
名無しさん@1周年 :02/05/09 00:26
ほうざんさん 経典、師匠と来たら 残りは 本人しか残ってないような。
>>339 赤子?そこで終わりですか?
>>340 またいらして下さいね、その時を楽しみにしております。
>>349 どちらもとても解りやすい、でも人はその表層で判断してしまいがち
色んなものがあるのが良いのかもね一色、一イメージだけでなく。
352 :
名無しさん@1周年 :02/05/09 02:12
多少のあるバランスだな。
>>348 >。「毎日」「瞑想」してます?(笑)
広義における瞑想とは「静かに坐って思いをはせる訳でなしそのまんま」。
これでしたら毎日しています。
ここで逝っている瞑想とは狭義?と解釈し、そーいう意味でしたら瞑想はしていません。
そこのところの定義というのが難しいところ。
>>351 >赤子?そこで終わりですか?
その後、徐々に母親から言語を浴びせられる。
「美味しいかい?」「美味しくないかい?」。「眠いかい?」「眠くないかい?」。
相対概念(二元価値観)に順応していく段階において、徐々に「迷い」も出てくるのではないでしょうか?
極論すれば、言語が「迷い」の相当な原因になっているのは確かかと思います。
>352 使い減りのバランスでしょう。 ≒ 欲を食い尽くす by 石井館長。
356 :
名無しさん@1周年 :02/05/10 19:37
こんなのが別板に載ってたぞ。 貴様らもまとめるならこのくらい簡潔にやれ。 136 :123 :02/04/13 21:07 ID:VqD8h4v0 どんな宗教でも宗派でも、瞑想という行為自体は、それほど違いはない。 つまり、方法としては、身体を真っ直ぐに保って、単調な刺激に注意を 集中することに尽きる。 私の分類は、瞑想の目的や効果を何処に置くかにかかっている。この観点から見ると、 瞑想には、実に様々な種類がある。数例を挙げれば、 @健康のため。 A気持ちを落ち着けるため。 B異常感覚(幻覚、イメージ等)を得るため。 C超能力を得るため。 D悟り、解脱を得るため。 最初からD以外を目的にしている場合はともかく、Dを目的にしている場合でも、 最大の障害は、Bである。特に、極楽とか神とか仏とかの、プラスのイメージが 出現した場合は、それにとらわれて、先に進めなくなってしまう場合が多いし、 実際、そこを終着点としている宗教・宗派も多い。したがって、行おうとしている 瞑想が、正しい否かの判定基準の一つとして、瞑想中に出現するイメージを どのように扱っているかで判断できる。例えば禅仏教は魔境といって嫌っているし、 気功では入魔といって異常事態として問題視している。 137 :123 :02/04/13 21:08 ID:VqD8h4v0 なお、一つ混乱があったので指摘しておく。瞑想対象として利用するイメージと 瞑想中に生じるイメージは、別物ということを注意しておきたい。 前者はいろいろな瞑想対象(呼吸、身体部位、外界の対象、呪文、....)の一つで あるが、後者は瞑想が深くなった場合に生じる幻覚である。
>356
たしかにまとまってますね。
ただ瞑想の目的で、これ以外のものもあります。
それは私が日頃やっている瞑想のひとつです。伝導瞑想といい、
奉仕の瞑想です。
これはラージャヨガ、カルマヨガ、見方によってはクリアヨガの融合です。
詳しくはこちらを
http://www.biwa.ne.jp/~qga03052/ この瞑想は、あまり初心者向きではないかもしれません。けれども初心者
だからできないということもありません。今、この瞑想を世界に紹介した
ベンジャミンクレームが来日しています。
伝導瞑想の体験もできる機会もあります。(無料です)
新しい瞑想形態であるグループ瞑想を体験できる機会となるでしょう。
すでにこの瞑想は様々な背景の人が自分の意志で行っています。
我こそはと思われる方はどうぞ。ただし、この瞑想と彼が伝えている情報
との関連はありません。つまり、いわゆるブラバッキー、アリスAベイリー
以降のエソテリシズムを受け入れなくともこの瞑想を行う上で支障はありません。
ご紹介まで。
そして瞑想の基本的な危険性の理解が必要なことは言うまでもありません。
ベンジャミン・クレーム講演日程、瞑想会日程
http://sharejapan.org/kouen.html
欧米発集団で行う瞑想は洗脳の手段とされている恐れあり注意されたし。
>358 その根拠は?それに欧米に限らないんじゃないか?
360 :
名無しさん@1周年 :02/05/11 01:02
宇宙人と一緒に働いているとかいう電波の宣伝よくできるな。
宇宙人?なんのこと?
ベンジャミンもアリスAベイリーもインチキ全開。 まあ、特に警告するほどのこともないくらい、 レスするのが馬鹿馬鹿しいくらいだけどね。
なにを根拠にインチキなのかわからないな。 インチキと言えるのは、あなたがインチキでないものを 本当に知っているなら言えるだろう この広い複雑な世界で何が本当かを知り得よう? 謙虚になってはどうかな。
364 :
横やりですが :02/05/11 03:46
>>336 逸る気持ちを落ち着かせて、目を見据えて焦らずにいて下さい
それを踏まえた上で、何が表現されているかを見るようにして読んで下さい。
君の問いは、それ程は誤ってはいない、良くできている。
正しい問いかけには、正しい答えが待っている、正しい導きがある
正しく行えば自動的に導き出される、正しい問いに気付き、見つけ出す
では、その問いを見つけ、問いただし答えるのは誰か
それは君自身だ、そうしない事には君の目にならない、君のものにならない
いかに優れた指導者がおり、その前に座り学んでも、君がそこから学び
そこから気付き、自らに問い答えなければ、それは真に君のものにはならない。
いずれ君は君の指導者自身になり、自分で気付けるようになるのが目的だからだ。
指導者が生徒に「もう私があなたに教えることは何もありません」と
言われるものになるのが目標だ、自分のものにして下さい。
その途中において質問があるのなら、君の指導者に聞くべきだ
指導者は正しい問いを導くように選ばなければならない
TMはその事をどう言っているのか、何故そう言っているのか
そこからも問いを見つけてはどうだろうか。
君の問いは、良くできている
焦れば混乱し、休めば衰える、どちらも見失うことに繋がる、これを肝に。
うまく流れにのれている、君がこの問いを自らの内に出したとき
流れ出てきたことと思う、言葉としては仮に難があったとしても
表現されている元にあるのは、感じ取れているように思う。
答えは、また新たな問いを生む、それに気付き
それを導き、その問いかけに答え学ぶのは君だ、元にあるものが見えてくるだろう。
繰り返しになるが、大変良く見れている。
328以降は特に君自身の問題だ、勿論それ以前のもそうだ。
問いかけにはなっていない
>>332 の
すべての者の福祉の為に、その行動をするでしょう。
これにも君の問いに出ているのと同じ関係がある、それだけは言っておきます。
実はこのレス、一度書いたものを大幅に短縮してあります
そこを読み取り、君が気付き導き出し、自動的に流れ出ることに期待します
大変良く見れている、君の出した疑問符が君にとれるかどうか楽しみにしている。
365 :
横やりですが :02/05/11 04:33
分類しましたか それにより概念が生まれ、見えない人は捕らわれ縛られることにもなる 人は根源を分類する、人はその分類された表面にも根源と権威を感じてしまう そこから根源そのものに踏み出せなくなる人も多い。 根源に行けば、分類されない、一面ではない、一つの全てがある。 その全ての多様性が明らかにされない限り、人類全体規模では辿りつけない これもまた必然、もっと分類されるだろう、誰もできないのであれば 私やあなた達がやってもいい、一つ言っておきたいのは真に新しいものなどない と言うこと。宣伝文句に使うのも解るが、意味が解らず言っているのであれば それら少しずつ明らかにされ、広がりを繰り返す定められた運動の中からは 脱却することは非常に難しいと言わざるを得ないのも事実。 見えないものの目には新しく映るが、見えるものにはそうではないからだ。 双方共に声をおさめられ、和やかに柔軟に寛容にいきましょう。
366 :
名無しさん@1周年 :02/05/11 04:55
TMってどんな瞑想なのですか?
あまりに基本的な質問でスマソ。
>>46 のりんく先をみてもよくわからなかったので。
367 :
名無しさん@1周年 :02/05/11 06:44
>367 私がやっている場所ではテトラヒドロンは見たことが無い。 それに無くてもできる。おそらく水晶や、そのような器具 を使うということでうさん臭いと言っているのだろうが、 指摘させていただくなら、それは先入観年だろう。 テトラヒドロンの役割は私が聞いた話だと、アストラル界 のエネルギーをアースする目的で使われるのだそうだ。 これがあれば伝導瞑想はやりやすいが、なくても大丈夫 ということらしい。 いずれにしろ、あなたご自身の判断をそれがいかなるものであれ、 私は尊重する
目を奪われてる、物や話に。
漏れら極悪非道のageブラザーズ! 今日もネタもないのにageてやるからな!  ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ∧_∧ ∧_∧ age (・∀・∩)(∩・∀・) age (つ 丿 ( ⊂) age ( ヽノ ヽ/ ) age し(_) (_)J
>370 物や話に目を奪われているのはたぶんあなただろう。 私は紹介しただけ。 カキコにはあなた自身の本質が出てくるから注意した方がいいと思うよ。
373 :
名無しさん@1周年 :02/05/11 22:50
>774 だからさ,貴君は貴君自身を省みてから人のことを言いなさい。 そちら様のおっしゃることはあまりにも荒唐無稽であるのに, 自省心が欠如しているから全く気付かない。 まずは「カキコにはあなた自身の本質が出てくるから注意した方がいいと思うよ」 からよく考えて御覧なさい。あなたの上司は大変だろうね。
自省心が欠如しているというご指摘は、 荒唐無稽なことを書くなとおっしゃりたいのでしょうか。 で、何を自省せよと言うのでしょうか? 人々は自分の理解している範疇でしか物事を捕らえられません。 頭ごなしに「荒唐無稽」と言われてもそれは373さんにとって でしょう。 明日5/12にはおよそ500人が参加します。あなたはこの500人に あなたの言う荒唐無稽さを説明するでしょうか。 自省せよというならばしましょう。しかしあなたが瞑想しにくる 500人の目の前で、さらにベンジャミンクレームの傍らであなたの 言う荒唐無稽を実証してください。私が「自省」するのはそれから で、決してその前ではありません。
774の言ってることは明らかに矛盾してる。
>いずれにしろ、あなたご自身の判断をそれがいかなるものであれ、
>私は尊重する
と言っておきながら、
>物や話に目を奪われているのはたぶんあなただろう。
みたいなことを言う。自分のことは棚に上げて。
それによく見よう。
>>370 は特定の誰かに話しかけているわけではない。
なのに774がなぜ反応するのか?なぜ自分のことを言われたと思ったのだろう。
なぜそう思ったのか?自分でも奥深いところで分かっているからだろう。
>私は紹介しただけ。
紹介しただけなら、けなす人がいても動揺するな!
つーか、なんのために紹介するんだ?
自分が信じてるからだろうが。
周りが見えてない。
>375 その通りです。 私でもカチンときますよ。自分が信じているものを「洗脳」だの 「荒唐無稽」だのやったこともないのに自分が正しいと考えている DQNに判断されてはね。 特にこの瞑想は新しい形態であるし、元はアリスベイリーのトライ アングル瞑想ですが、この瞑想が日本に紹介されたのは1976年です。 日本各地にグループもあり、伝導瞑想のサイトを見てもらえれば分か るようにお金をとってるわけでもないし、秘教を押し付けているわけ でもない。 現に現役の住職や、クリスチャンも自分の意志でつつましくやってます。 それを外野から先入観念で決めつけられる筋合いはない。 私は本気ですよ。いっときますが。 ここで妥協したら変なレッテルが貼られますからね。 文句のある人はいつでも相手になりますよ。
378 :
名無しさん@1周年 :02/05/12 05:06
大切な物の為に争う。
379 :
名無しさん@1周年 :02/05/12 06:40
テトラヒドロンは誰がどこで考案したものなのでしょう。 あのおしゃれな姿形にはあまり伝統みたいなものを感じないのだが、 やっぱり先入観だろうか。
脱線しすぎで、スレが潰れるぞ。
>>374 >人々は自分の理解している範疇でしか物事を捕らえられません。
つまりは、この事なんかと思います。
「良いか」「悪いか」この相対により人間は迷います。
分別がそもそも迷いの根源。これを、無分別→分別。善悪一如。すでに二分なし。
さすればもう答えは出ております。いわゆる中道。
私は、そういう意味で断定を避けております。断定こそが偏り。迷いでしょうから。
一如。無分別、それより分別において鑑みますれば既に答えは明解です。
382 :
名無しさん@1周年 :02/05/12 08:22
>>380 汚れるだけで潰れはしないよ。
前スレみてみろ。
スレってのは意外と頑丈なんだ。
383 :
名無しさん@1周年 :02/05/12 08:24
>>381 こんなところで無茶苦茶な中道説いてないで自分のスレにお帰りなさい.
みんな待ってるかもよ(w
384 :
名無しさん@1周年 :02/05/12 08:25
いや〜、変人さんに直接話し掛けるのは久しぶりだ。 なつかしいのお。
>>377 774さん 「目を奪われてる、物や話に」と言うのは、私には
>水晶がいんちきくさい。
>正四面体がいんちきくさい。
というのに対して
「それは仏像やキリスト像があるお寺や教会はインチキ
と言ってるようなもの」 と、取れました。
また、
>>358 >>360 >>362 あたりはまあ、議論でも何でもなく
2ちゃんではどこでも良くある罵詈雑言の類ですし、
まあ目くじらたてるほどのこともないかと、、
60さんありがと。 >379 テトラヒドロンについては伝導瞑想の書籍に解説があります。 詳しくはそちらを見るといいでしょう。
人をDQN呼ばわりしてる自分を見つめ直したほうがいいだろう。
もういいだろう、どっちもバランスを逸脱していると言える。
何でも罵倒の類ですませていると、見えてこないよ 自分自身が。
ものがちゃんと見えている人もいるのね。結構なことですな。 そうそう,「見えてこないんだよ,自分自身が」 あのね,「自省」and/or「自制」というのは,君の所属や主張のことではなくて, 君の主張,これを君自身に当てはめてみろ,ということ。 君は常に他人のことを言っているだけなんだよ。自分は見ない。 「375」は一例なんだろうが,あちこちで矛盾しているし。 自分をきちんと見ないとそなるんだよ。発言や行動に責任を持つという態度 はそこから始まるんだ。 で,私は,申し訳ない,あなたの所属している体系を全く信頼できないが (これは個人的な立場なのでお許しくださいね),その立場からあえて言わせて もらうと,あなたのように矛盾した考えを自省しないからこそ,そのような 体系に所属していられるのだろうな,と考えてしまうのだよ。 あの,所属って,団体に籍を置くとかじゃなくても同じだよ,それを拠り所と しているということだよ。
391 :
名無しさん@1周年 :02/05/12 13:34
レスは長く残るものですし・・・落ち着きましょう。
>>387-390 えー、
>>358 >>360 >>362 は独自の根拠や、根拠のある
他のレスに何も触れていないのですから、常道から言えば
これは罵詈雑言、と言って悪ければ「意味不明」として扱い、
もしかすると荒らしかも知れないので無視するのが
冷静な話し合いをしたい者の態度ですよね?
と、思ったものですから。。。。
393 :
名無しさん@1周年 :02/05/12 21:42
>>386 >詳しくはそちらを見るといいでしょう。
了解。調べてみます。
394 :
名無しさん@1周年 :02/05/12 21:43
トラトラジオンジオンチトフルモ トオチャソウトチャソウホンミアン ジオンプラトアミアミ ミトラホンホントラツ トオライタチプララソト チタチトアミホン
>373さん 私は自分自身がものが分かる。ものが見えるという人は 自分自身を含めて信じない。 さらに私はどのような団体にも所属していない。伝導瞑想のグループは 単なる瞑想のための集まりでそれ以上のものではない。私はその集まりを 利用させてもらっているだけ。住職やクリスチャンの方も自分の考えで 世界に奉仕したいから瞑想にくる。何度も言うがそれだけだ。 さらに過去のカキコを見ていただければ分かるが私は秘教を自分自身で 探究しており、そのテキストととしてアリスベイリーとベンジャミン・ クレームの流れを重視している。(過去には違うものを重視していた) 私は独り探究する人間だ。ここで伝導瞑想の紹介をした以上、私以外 で伝導瞑想されている方にご迷惑にならないよう。最善を私なりにつくす。 ただ、私がカキコする情報と、あなたが受け入れられる情報には開きが あるのは間違いない。それはそれであなたの立場を尊重する。 もうこれでいいでしょうか? まだ突っ込みたいところがあればどうぞ。私なりにカチンとこないように 努力し、あなたの疑問になるべく応えられるようにしましょう。
補足 私も人の子ですから、怒りも矛盾もあります。 それらを取り除くようにもっと自分を見つめましょう。 嫌な思いをさせてしましってすみませんでした>ALL
>774 ご丁寧にどうも。 別に君の活動を妨げようなんて気は毛頭ありません。 ごちゃごちゃとアホなことを書いたが,とにかく勝手にやってください。 「それらを取り除くようにもっと自分を見つめましょう。」 てなことはご立派なことだと思うぜ。 ミーの知ったことではないからな。じゃ,明日昇進試験があるんで,では。
>373さん 試験がんばってくださいね。
399 :
名無しさん@1周年 :02/05/14 03:47
いわゆる、テクノストレスで困ってます。 パソコンやるようになってから、目、首、肩がパンパンに張って つらいです。特に常時、首に力が入ってしまい、朝起きたときも 夜中に知らずに力が入っているのかパンパンに張っています。 実際、ここのスレ見るだけでもつらいです。 瞑想するとこういうのも、改善できるのですか? 経験者がいたら教えてください。
400 :
名無しさん@1周年 :02/05/14 03:50
瞑想すると改善されるかどうかわかりませんが、 ・一時間に一回、眼を閉じてまぶたの上から軽くツボを押す。眉の上も同様 ・目薬も重要 ・寝る前に青竹踏み50回(最初めちゃめちゃ痛いです) ・同じく寝る前にフットバス20分 ……てか、その状態で 2ch は身体にわるいのでわ。。?
401 :
名無しさん@1周年 :02/05/14 03:55
>>400 ありがとうございます。
2ちゃんとか やらないと、どうしても情報が取れないので
我慢してやってるのですが、なんとかこの状態を脱したいです。
いろいろ、探しているのですが、なかなか見つからないです。
ヨガとかのスレも、見たのですが なかなか
いいのがなくて。。。。
402 :
名無しさん@1周年 :02/05/14 05:46
>>401 身体のリラックス等、特に夜中に「知らずに力が入ってしまう」
等には、個人的な経験では瞑想は大変有効です。
しかし本格的なのを始めるのが大変なら、、、というか瞑想は
やはりちゃんとした指導者に習うべきなので、
「全身の」柔軟体操とかを、よく知らなければラジオ体操でも
かまいません、「朝晩」&「適宜」するだけでもかなり有効と思います。
(ヨガ系の瞑想、私の場合はTMですが、
では体操と瞑想を両方習い、やります)
404 :
名無しさん@1周年 :02/05/14 07:36
>>402 >>403 ありがとうございます。いろいろ試してみます。
また、何か体験談や良い方法などの情報があれば遅レスで
いいので、よろしくお願いします。
ただの運動不足ぽい。
407 :
名無しさん@1周年 :02/05/14 15:29
詳しく聞きもしないでえらく一気に宣伝しすぎてないか? なんか怖いぞ。
>>407 同意
>>405 :瞑想者さん ホンモノ?
パンチャカルマは確かに素晴らしいものだけど
TMを習うどころでないお金がかかる。
(確か20-30万円)
ホイホイと気軽に聞いて気軽に出来るものではない。
=気軽に薦めるのは考えモノ。
>>404 いろいろ試してみます。
いちおう念のため「生兵法は怪我の元」
軽い体操くらいなら良いですが、特に瞑想は生兵法はいけません。
ちゃんとした指導者に指導をうけましょう。
実は気になることとして 個人的には瞑想というと少し違う
ような気もするですが、心理療法である自律訓練法や自己催眠を、
アレンジしたような健康法が世の中にはあるようです。
これも肩こり・筋肉痛を和らげる効果はありますが、モノに
よっては無理に自己暗示で痛みを消すようなものもあり
これに頼りすぎて、腰痛→骨格の歪み にまで発展し
再起不能となったプロテニスプレーヤーの話というのを
聞いたことがあるので、心配してしまいます。
(これも恐らく「生兵法」の一種。ちゃんとインストラクターの
指導を守らなかったと思われますが)
さて、私や瞑想者さんのする TMという瞑想は健康増進を
大いに謳っています。しかし実は 本当の目的は
おおざっぱに言えば「悟りを目指す」ものです
このスレでの他の瞑想も大抵同じ、
スレでは流れ、板の性格からしても、この方面の話が主流ですね、
レスの付きがイマイチなのは、このためと思います。
あ、いちおうTMが健康に有益なのは事実、体験談とか説明はここ
http://www.maharishi.co.jp/tm/ これらは大抵は私の体験とも合致してます。
(最後、仲間が増えて欲しいがための宣伝モード、お許しを、笑)
自由なカキコという前提で・・・ >TM=超越瞑想は、その名の通りすべてを超えて、心のいちばん奥深くに向かう瞑想です つまり捉え方としますと、未那識→阿頼耶識という深層部分を覚醒する。こう観ました。 私は、じつはこの論法は最初の頃は肯定しておりました。 2ちゃんにおける最強コテハン「シバ命」も確かこの論法だったと記憶しております。 そういえば、あの御仁はスッカリなりを潜めてしまいましたね。まあそれは良いんですが。 話が逸れて申し訳ありません。 阿頼耶識の覚醒というのも一つの考えですよね。 また、こういった概念そのものを全て捨ててしまうのも一つの考え方。 ここに大きな違いがあると思います。捉え方も全く違ってきますからね。 ここのところは自分で選択せねばならぬところでしょう。 ちなみに私は、この概念はありません。どちらが正しいか?という問題提起ではありません。 やはりこのところは重要かとおもいます。最初の選択は重要でしょう。後々残る概念でしょうから。
>>410 >阿頼耶識の覚醒というのも一つの考えですよね。
>また、こういった概念そのものを全て捨ててしまうのも一つの考え方。
>ここに大きな違いがあると思います。捉え方も全く違ってきますからね。
>最初の選択は重要でしょう。後々残る概念でしょうから。
どうですかねぇ。
確かに、TMは そういう目的だ、というかTM続けると
そうなると、コトバで能書きは、説明されますが、、、
瞑想の時に特にそんなことを念じるわけでもなく、
今晩のおかずのこととか好きなように考えてても
考えてなくてもよく、自然に頭に浮かぶものに
自然にまかせろと言われます。
マントラも、それを思い出すようにひょいと思い浮かべる。
で、あえて言えばマントラに全部委ねるのかな?
と言ってもそんなに必死にマントラするわけじゃないですが、、
このへんは、詳しくなると個人個人で受け止め方が
違うし、教師の指導受けないとですが、
確かに説明されれば心理学用語でいう潜在意識として
どっかにあるかも知れませんが、瞑想以前の心構えというなら
「捨てても捨てなくても」あんまり変わりはないような。
って、これ良くわかってません、恐らくやはり意識を変えるという
行為は何か、例えば俗に言えば先入観とかを捨てる、と似た行為が
付いてくることにはなると想像します。
しかし、自分の場合「何か捨てる」という概念に拘ってしまったり
概念を無理に頭で考えると、結局何を捨てるかわからなく成りそう
ですから体験がそれを教えてくれるまで待っているわけです。
>>411 >考えてなくてもよく、自然に頭に浮かぶものに
>自然にまかせろと言われます。
こういった自由な空気がある反面。
>教師の指導受けないとですが、
こういった「指導」というのが、分かりませんね。
肩肘張らずに瞑想するのであれば、さしてリスクもないかと思いますがね。
テクニックもなさそうだし・・・。
まあ少し余談になるのですが。
一時期、私はアレフに興味がありましてね。情報を得ました。しかしながらアレフの美味しい部分はわかりませんね。
これはやはり内部に入らんとなかなか分からんのでしょう。結論としますとそういう事になりました。
人間は、その環境により随分影響されますからね、金を払って「指導」となれば極自然に従います。
そうやってプロセスを踏まん事には、なかなか分からないんかと思います。
まあ「ミニグルイズム」のよーなもんでしょうか?そこに一つの「連帯意識」みたいのが機能するんでしょう。
寂しい人間にとっては、それだけでも心は満たされた感じになるんじゃないでしょうか?
「良いか?」「悪いか?」これは別問題、現代人の心の空虚を垣間見た感じです。
まあ、TMはそういった事はないんでしょうけど、これも一つの世相の現れかと感じました。
結論から言いますと、現代人はやはり心の奧底では寂しいのかもしれませんね。TMはそんな事はないでしょけど。
>>412 そうですね。私自身も、TMの秘密主義は行き過ぎで、何とかして欲しい
と思っています。
ところで、髑髏さんご自身は、「捨てる」って何のこと? というのを、いかなるプロセスにて 会得なさいましたか? (捨てる、ってどういう意味? とはさすがに無知な私も聞きません、、笑)
415 :
名無しさん@1周年 :02/05/14 23:26
髑髏仮面(変人)はTMなんて入んねえよ 精神病と癌の病院行ったり来たりに忙しいからな(藁 マジレスすんなって(藁>60
>>415 >髑髏仮面(変人)はTMなんて入んねえよ
そりゃそうでしょう。
>マジレスすんなって(藁>60
でも面白いおっちゃんだと思うし、楽しいけど?
ワシモ へん?(藁
みなさん、親切なアドバイス ありがとうございます。 自律訓練法や10万ぐらいで催眠治療を行ったり、独学ヨガ、 瞑想のまねごと などをいろいろためしたことは、あるのですが 催眠治療はまったく効果なしで、他のヤツは確かに一時的には 良くなるようです。でもパソコンを使い始めるとやっぱり力が 入ってしまいます。なので、どうしても長続きしないのも 悪いと思いますが。。。。なかなか、いい方法がなくて やっぱり、あきらめるしか、ないんでしょうかね。 後は、一時的でも直るのをよしとするしか、ないのかも知れません。
>>414 >、「捨てる」って何のこと?
「生」と「死」の狭間を綱渡りすれば、極自然に「一如」の法門に突き当たるやに思います。
そかしながら、こういった状況というなはあくまでも特殊であります。
オーソドックスの考えでしたら、清貧の思想でしょうか。
いわば、無駄なものを排していくなかで、その本質とやらを探る、又は「会得する」。
哲学的に言えば経験論。412にあるとおり環境というのも重視しています。
人間ですから、そういう弱い部分というのも無視はできないかとおもいます。
いわゆる「弱さを知る」という事でしょうか?強くなる事の原点かと思います。
>>414 >、「捨てる」って何のこと?
つまり、死んだ気になって全てを捨て去れば良いんではないでしょうか?
しかしながら、捨てきれないのも人間の執着。なかなかうまくは逝きません。
まあ、そこが修行というもんでしょうけど、方法としては非常にシンプルです。
シンプル・イズ・ベスト。ナンチャッテ
420 :
名無しさん@1周年 :02/05/15 06:51
仮面が早く棄てられないかなー。
421 :
名無しさん@1周年 :02/05/15 08:36
>>417 適度な運動が必要。
症状が本当にひどいのなら普通に医者いったら?
10万円もったいないなあ、まったく。
そう言うことは宗教板じゃなくて身体板でしょ、常識的に。
422 :
名無しさん@1周年 :02/05/15 08:39
髑髏さんが言うと良い事でも悪いことでもなんでもトンデモに見えてしまう。 とりあえずその癖のある喋り方と思考法を捨て去ってみてはいかが?
>>422 >良い事でも悪いことでもなんでもトンデモに見えてしまう。
そういうところが無明なんでしょうけど、また無常も「理」なり。
その機根にて捉えて下されば宜しいかと思う。
424 :
名無しさん@1周年 :02/05/15 10:32
無我の境地
425 :
名無しさん@1周年 :02/05/15 10:33
無我 真我 梵我一如
>>421 医者には、いったんですけどね。
一番、駄目でした。効果が全然なし藪医者かもしれないが
薬も飲んだが効き目なしでした。
あと、身体板に最初いたんですけど、そこの瞑想スレに
ここのリンクが張ってあってこっちの方が詳しいとあったので
こっちに飛んできました。
一応、自分の経験上では 一番瞑想のまねごとをした時に
効果があったので、瞑想スレで情報をと思いまして。。。。
>>425 >無我 真我 梵我一如
とどとつまりはこれなんですが・・・・
「忘我」という言葉がありますね。いわゆる主体の無い状態です。
これが「無我」なのか「真我」なのか?
私見ですが、これはどちらでも同じかと思います。状況とすれば。誤解がないように。
つまり、言葉で説明しようとすればその概念に囚われてしまう。
説明のいらない。いうならば、殆ど言語の話せない子供のまんま。分別の無い状態かと思います。
宇宙意識→神意識→統一意識。その分別は私にはわからないのですが、
「無我」「真我」について、私見としては持っております。
以前、無我についての「道すじ」的見解を提示したことがありますが、いわゆるこの事です。
詳細については述べませんけど、触りだけ逝っておきます。
428 :
名無しさん@1周年 :02/05/15 12:55
瞑想中、棚からぼた餅が降ってきた。 棚にはなにもおいてなかったのだが
429 :
名無しさん@1周年 :02/05/15 13:04
真似事で効果があったんなら 普通に目をつぶってリラックスするだけでいいかもよ マイナスイオンがいいだろうね、力みには。
胎児
431 :
名無しさん@1周年 :02/05/15 18:50
(ROMの一人) 774氏の勇気ある行動に感謝する。 瞑想は奥が深く、ラージャヨガ、クリアヨガなど実際果てしない。 その効用も旨く使えば人類に啓明をもたらし得るだろう。 けっして個人の’霊性進化’のみならず。正しい瞑想はそれ以上にある重要性を持つ。
>>431 >けっして個人の’霊性進化’のみならず。
こういう事ですたら、それなりの評価はしております。
>正しい瞑想はそれ以上にある重要性を持つ。
こういった、意味深なところが不気味さを感じてしまうのですよ。
アレフの「哀れなる民衆の救済」を連想してしまいます。
勝手に「救済概念」を植え付けますと、関係ない人間まで迷惑が掛かる可能性もあります。
「世の為人のため」は、得てして善意かもしれませんが、結果としますと悪意になるケースが圧倒的かと思います。
433 :
名無しさん@1周年 :02/05/15 19:07
マイナスイオンはトンでもっぽいね。 ところで774さん、悟りの後の段階の話なんかついでにしてくれないかなあ。 興味あるんだけど・・・
>>433 ああ、そうでしたね。
では774さんリクエストお願いします。
>>418-419 >>「捨てる」って何のこと
>「生」と「死」の狭間を綱渡りすれば、極自然に「一如」の
>法門に突き当たるやに思います。
これは、そうかなと思います。が、あとのは、どうですか?
上記、生と死の狭間の綱渡り、があったから気づいた後付けでは
ないですか?(違ったらごめんなさい)
清貧の思想、「弱さを知る」、というものの価値は、私の場合は
瞑想をはじめてから実感できるようになりました、というか
知らずに生活がシンプルになっているのに気づきました。
変な話が、瞑想って、一面の現象、
、、知らん間に呼吸が殆ど停止してたり、無意識になったり、、
なんかは 生と死の狭間に似てますよね。(強引かなあ)
ここに何か共通点を感じました。
>>426 不安をあおるつもりはないけど、 そんなに、何にも効かんとなると
目、首、肩が張っているのは 別の原因、例えば胃を壊してる
とか万一ないか多少気になりますね。
一旦色々診てもらって、大丈夫と安心してから
>>429 さんの言うように目をつぶってリラックスするのが
いいかも(マイナスイオンはよく知らないけど、、、笑)
人間ドックは大げさだし、東洋医学系で良いところ、つまり
ふだんの生活等も聞いてくれて体全体のどこにアンバランスがあるか
診てくれるとこが良いと思う。ただし多分人間ドックよりも安い
だろうけど、保険が効かないのもあるぶん一般の医者よりは高いと思う。
評判の良いところを探してみたら?
まあ、東洋医学系でお薦め一つ(たまたま知っている例)
http://www.tamagobl.com/ (大阪、八尾)
ある方面では、有名な鍼医者の名医
(次は、これじゃあ完全に宣伝だなあ、、利害関係はないのだけど、、笑)
TM系東洋医学ではアーユルヴェーダ医というのが居ます。東京と群馬かな?
今は岐阜にもあったような、、、よく覚えていないのでマハリシ総合研究所の
各地センター
http://www.maharishi.co.jp/mri/center/main.htm に連絡したら教えてもらえるか、場合によっては簡単な相談にのって
くれると思う。
あ、まちがえた、東京と、群馬じゃなくて栃木です
>>435 >上記、生と死の狭間の綱渡り、があったから気づいた後付けでは
>ないですか?(違ったらごめんなさい)
そうですね。いわゆる「漠然」とした概念を持ってまして、「生死一如」の熟語に突き当たり、これだ!と思いました。
>なんかは 生と死の狭間に似てますよね。(強引かなあ)
いえいえ、そうではないと思います。
一種の秘法みたいのは、この狭間の悦楽の境地?みたいのはあるように想像しています。
これは臆測ですが、まあこれにハマッテしまうところが恐いのでしょう。
いわゆる「魔」みたいなもんでしょう。カルトなんかもこれを利用したんかもしれません。臆測ですが。
>>438 >いえいえ、そうではないと思います
これは「肯定」の意味です。
紛らわしい表現でした。
440 :
名無しさん@1周年 :02/05/15 22:30
>>431 もうスレに何度か出てるよ、それに理解できていないようだね。
>>433 人体の構造を少しは勉強するといいかも、これは正しい瞑想で学ぶことになる。
>>438 警戒厳重ですねぇ.。 しかし今の世の中、それが最も賢明かつ
絶対に必要な態度と私も思います。ところで、、、
>>432 >>正しい瞑想はそれ以上にある重要性を持つ。
>こういった、意味深なところが不気味さを感じてしまうのですよ。
では、TM「運動」の場合のこの「重要な意味」=「最大のお題目」を
公開します!?(あちこちで公開されてますが)
「集まって瞑想することにより、集合意識を高め
瞑想してない人ともども良くなろう(社会を良くしよう)」
シンプルでしょ?
そして、TMがデムパとか金儲けとか言われる最大の原因もこの主張から派生、、
>>431 さん774さんには「いっしょにするな」と言われそう(笑)
発見されたとされる2つの効果
・1%効果 : 住民の1%が瞑想(TM)する地域は、事故・犯罪等、否定的現象が
減少し、逆に肯定的な現象が増大する。
・√1%効果: (TMの上級)シディの場合、住民の1%でなく1%の平方根の人数で
同じ効果が得られる。
これに「マハリシ効果」と名づけるところも、他の瞑想から疎まれるところかな。
これにも深遠な哲学はあるようだけど知りません。
が、哲学は置いといても、この効能は本当だ、と主張するために、社会学
・統計学的分析を大マジメに行い、その成果を発表した学術文献が山ほどあります。
自然科学方面に走っちゃったのね(^^;
いちおう、ちゃんとした審査を通過した学術文献だそうな。(もちろん批判も沢山)
これほどデムパと言われることうけあいの学術研究を大マジメにやって
るTMって、、、、、だけど774さんの伝導瞑想も目指す方向は同じと
思うし、やってることに連帯感を感じても良い? お許しを!
お呼びでございますか? 確かにここに私はエソテリックなことを色々書けますが、 このスレにはあまりふさわしくはないようですので、 進んだことは書きたくありません。むしろ初心者向け な内容の方が「皆に役に立つ」という観点から見た場合 いいでしょう。先にどのような道があるかは進んでいけば おいおい分かるものだと思います。 悟りについても、誤解を招く恐れもありますので、 悟りについてまずは基本的なことから始めましょうか。 悟りとは何でしょうか?私が思うにそれは認識の拡大、 視野の拡大、意識の拡大だと思います。 では瞑想は認識の拡大をもたらすかというとそうではありません。 私たちが行う努力、あらゆるヨガ、霊的実践を含めて、それが 私たちに悟りをもたらすわけではありません。 それはあなたの環境を整えることであり、荒れ放題の畑から 雑草を引っこ抜く作業です。 いかにして人は認識の拡大を得るか、それは与えられるものです。 それは未知からきます。人間は概知と未知の両方から出来ています。 これは瞑想を実践されてる方は納得できるでしょう。 私たちの意識の中身はすべて概知に属します。 そして瞑想は未知との接触を可能にする意識という環境を 整える努力です。ですから瞑想において努力それ自身が 接触の障害になるということが起こりえます。(努力に こだわるとこうなるということです。つまり霊的な意味 での野心)
つづき 正しい霊的実践、正しい瞑想とはなにか。これは正しい環境の 中にいかに在るかと言う問題です。それは自身の意識の環境、 それから、外的な環境の両方です。大体始めのうちは、外的な環境 に重きを置きがちで、瞑想のコミュニティに参加したり、グルの信奉者 になったりするようですが、いつかそれらを卒業し、独り犀のように進み 出すときがあります。そうしたとき外的な環境は自分にとって重要では なく、内的な環境こそが重要なステップに自然と移っていくわけです。 しかし何故人は瞑想などしたがるのだろうか、認識の拡大を得ようと するのだろうか。私はこれは人間のネイチャアだと思います。 人間のデスティニーは向上だと思います。瞑想する人もしない人も日々 向上しています。志向(aspiration)しています。そしていつか誰でも 覚者になるのです。それは私たちの運命です。 そして人間個人、あるいは人類全体の錯覚もいつかは晴れます。 瞑想を始めると、はっきり何が自分にとっての錯覚か理解できるように なります。以前は自分が世界の中心であったのに、瞑想を始めると、 認識の拡大により、自らの愚かさや錯覚というものをまざまざ見せつけ られます。もしこれが起こればあなたは正しい霊的実践の道にいると 言えると思います。
>>441 >「集まって瞑想することにより、集合意識を高め
フロイトとか、ユングの世界ですね。
「虫の知らせ」とか「胸騒ぎ」とかの論法ですね。
もともとユングあたりは神秘主義の人間ですからトンデモ論と逝ってしまえばそれまで。
しかし、経験的に「虫の知らせ」は信じている人も居るのは事実でしょうから、見解は分かれるかと思います。
まあ、判断の難しいところでしょう。
私は全く否定している訳ではありません。
>>445 それを、トンでもじゃねえぞぉー、
ちゃーんと、科学的・統計学的手法にのっとって証明している。
と
>>422 のように山ほど学術文献を公開してて
「虫の知らせ」的なことは全然主張してない
(少なくとも私は聞いたことが無い)のが、特徴だったりします。
勿論、無理に説き伏せるつもりはありません。
少なくとも「不気味さ」の解消にはなるのではないかと思いましたので。
そろそろ、おやすみなさい。
447 :
名無しさん@1周年 :02/05/15 23:54
瞑想でなくても知れることを付け加える。
448 :
名無しさん@1周年 :02/05/16 01:07
>>446 ユングは統計的手法を用いて自らの仮説に対する否定的な結果を得た。
しかしそれでも持論を捨てることができず、ごちゃごちゃと言い訳を
して取り繕って、それを礎にdでもを築き上げていく。
それが証明されれば大事件なのだが、まだそのときはやって来ていない。
ところで紹介された文献を全部読んだわけではないが、どうも雑誌の信憑性が
低い、というか無い。体裁を整えてもdでもはdでもである。
しかし割合信憑性のあると思われる医学誌でもMaharishi Technologyに関する肯定的な論文が
あった。
本当だったら結構イカス。
ちなみにマハリシとユングを結びつけるのはどうかと思う。
449 :
名無しさん@1周年 :02/05/16 01:43
マハリシ効果?ふぅ・・。
>>436 ありがとうございます。
そうですね。もっと、ちゃんとしたところに見てもらったほうが
いいかも知れません。都内なので、もう少し調べてから
TM系あたりが良かったら見てもらおうかと思います。
451 :
名無しさん@1周年 :02/05/16 05:59
>>450 おだいじに、
>>451 同意。まずは 自分のつてで信頼できるところが一番と思います。
紹介のところは、わからなければ、と
>>448-449 客観的な評論サンキューです。
ところで
じぶんの専門外の雑誌(論文誌)の信憑性をカンタンに
計る良い方法をご存知ないですか?
工学系なら、周りに聞く、という手っ取り早くて最強の手が使えるのですが、、、、
あ、
>>446 のリンク先ちがい 論文リストは>422じゃなくて
>>442 です
>>438 もひとつ別に、質問
>一種の秘法みたいのは、この狭間の悦楽の境地?
>みたいのはあるように想像しています。
秘法じゃなくても、、、
座禅でも、こういうの、
、、知らん間に呼吸が殆ど停止してたり、無意識になったり、、
は、あるんじゃないんですか?(あるようなことを読んだ記憶がアイマイ(藁
少なくともヨガ系ならTMじゃなくても大抵ありますよね。
454 :
名無しさん@1周年 :02/05/16 07:37
>>432 各人に悪い影響があるとするならば、その原因は
瞑想なり神秘行に悪戯に逃避的な霊性進化という誘惑を
感じてしまうことなのかもしれない。それさえやればOKというような。
瞑想はあくまで日常で外的にも身口意で表現されるものとセットとしてバランスよく考えるべきなのだろう。
誰かが書いていたように、エアロビというか気功というものが、血流を浄化するように
心の中の雑草を枯らす程度に考えておく方がいいかも。
だが、たかが雑草と軽く見るな。それは後日、茂って大木になるかもしれない。
>>455 外部から見ると、これは相当強迫概念になるかとおもいますよ。
私は正直言いましてゾットしました。
アレフの行動原理を垣間見たような。まあ、申し訳ないですが。
アレフの事は今まで「謎」でしたが、こういう事かもしれんなぁ。なんて思ってしまいました。
455レスは、インパクトがありますよね。
そうおもいませんか?内部からだと、また考えは違うのかもしれませんが・・・。
>>453 そうですね。
その時に、やはり多少の精神的不安定があるんでしょうが、そこを乗り越えるのが肝心なんでしょう。
失敗すると、ビョ−気というのも考えられる。
457 :
名無しさん@1周年 :02/05/16 10:29
このスレは無事、TM宣伝スレになりました ありがとうございました。
458 :
名無しさん@1周年 :02/05/16 12:28
やや皮相的だ。 荒訃ネタをしたい人は別に板を立ててそこでやってくれ。
ところで髑髏仮面さんはどういう背景の方なのでしょうか。 一休禅師を慕っているようですが、禅に関わってきた方でしょうか。 禅から見ると、いわゆる瞑想についていい面、心配な面を含め どう思いますか。また禅自体、各地に座禅会などありますが、 現在の禅の世界の状況はいかがでしょうか。
>>459 背景というのは全くありませんから、発言は自由な立場です。形式に捉われずという事です。
盤珪の、生活そのものを禅と捉えた「無修行の修行」に傾倒してます。
>禅から見ると、いわゆる瞑想についていい面、心配な面を
殆ど「黙って坐れ」式ですから、さほど形式には関知せずという事になるかと思います。
>現在の禅の世界の状況はいかがでしょうか。
坐禅会も大事ですが、その後の生活の方が大切かと思いますよね。
生活そのものを「禅」と捉えませんと長続きしないでしょうから。
いわば継続性の問題ですよ。一過性でなくして。24時間「禅」という風な捉え方です。
ですから、非常に生活に密着した考え方です。
前レスにありました、TMの秘密主義みたいな、そういった複雑な要素は全くありません。
非常にシンプルにお考えになって頂ければ宜しいかと思います。
>>459 >禅から見ると、いわゆる瞑想についていい面、心配な面を
瞑想に、トンでも概念を吹き込むとアレフみたいに「民衆救済」に使命感を持ちますね。
いわゆる選民意識。これはヤバイと思います。
それが心配な面かと思います。
自分で楽しむ分には一向に構わないでしょうけど。
TMはそういう事はなさそうだけど、それは私からハッキリ申す訳にはいかんでしょうが。
462 :
名無しさん@1周年 :02/05/16 18:05
瞑想で盛り上がっているが、要するに、これは煙草や酒の1種で娯楽と とらえればいい。道だの悟りだのを持ち出してくるから可笑しくなる。 道を求めれば求めるだけ左道に落ちる。こういうのを求める連中の大半が 麻原と同じ道を歩むことになる。自我に自己同一したまま、快楽や超常体験 を味わえば、それは自我を補強し、選ばれた人間に思えてくるわけだ。 そして、自我は理とのホロンを失い。 自己で完結して異質なホロンを作り上げる。要するに、流れのない川となり魂が 腐敗していくということだ。彼等を救うには、宗教やそういったことに興味を持たなく させることだが、そういうのに限って、世を救うためには私の目覚めが必要だなどと、 無意識で考えている・・・・。 自我を観察し、決してそれと同化しない行。俗にヴィパッサナー瞑想、グルジェフは自己観察、 仙道の内観。とも呼ばれる。 心の平安や、快楽を得たいならTMもいいだろう。だが、悟り云々ということなら、 日常生活で実行できるこれらの行法しか.効果はないだろう。 自我が悟っても、意味ないからな。牢屋で自由になるようなもんだ。要するに、いかにして 牢屋から逃げ出すかだろう。そのためには、自我や魂を観察する単純な行が効果的なのだ。 やれとはいわないが。
>>462 >道だの悟りだのを持ち出してくるから可笑しくなる。
例えば、バケツ一杯の悟りを目指すとする。
そうしますと、途中でコップ一杯とバケツ一杯は考えてみると同一。これに気づく。
バケツ一杯に執着するのも良いんでしょうが、まあ人それぞれでしょう。
馬鹿馬鹿しいと言えばそれっきりなんだが、また馬鹿馬鹿しい事に拘るのも人間。
頭で考えても分からん。それが修行というもんでしょう。
簡単に逝ってしまえばそういう事なんです。
まあ、デムパの戯言とおもい、聞き流すのも宜しいでしょう。
自分を正当化することもないし。説明で熱くなる事もナンセンス。
というのは・・・・
あまりこれに真剣になりますと馬鹿扱いにされます。他スレで実証済み。
>髑髏仮面さん、その他 私には瞑想者というものはある程度選民意識を持っているように思えます。 それは特殊な世界にいるというプライドから出てくるような気がしますね。 この点では不生禅も例外ではないと思いますが。もちろんそれぞれでしょうが。 そしてみなさんのカキコを見ても、ある種選民意識を感じますが。。
>>454 >>442 の文献は、私がExperimental Design,Findingsを見た
限りでは殆どが、「地域でB人がC日の間瞑想したあいだ、
交通事故、犯罪、死亡、失業率等が減った」と言う類で
医学的な話題を提供したものはありませんでした
>一件もmedlineの検索にかからないことを確認した。
のはこのためで、
>再現性が無かったり、方法論がええ加減だったり、
とは無関係じゃないですか?
続き
>>454 >考えてみれば、このTMの提唱するこの1%理論とか言うのが本当なら
>こんな聞いたことの無いようなジャーナルところではない。
>自然科学界の最高峰「nature」に載っているはずだ。
実はホント、禿同です(藁
自然科学の主流からは無視されていて、その理由は
・ 1%効果の主張の根拠が自然科学の体裁をなしていない
からだろうと、私もエンジニアの端くれで、自然科学とは何とかは
うるさい方なので、思いっきり疑ってます(矛盾してます?)
ただ454さんも、
やはり瞑想をやってる者として、これが「もしも本当なら」すばらしい
と思い、そのあと裏切られた気がしたて怒りを感じ「トンデモだ」と
叫んだのではないでしょうか?(私は似た気持ちを持っています)
私は「本当であって欲しい」という思いと、
「化けの皮なら、早めに剥いだ方が良い」という思いの両方があります。
ただ きちんと確かめたいと思えば(言ってる内容が驚きだからと
いって)始めから(トンデモと決めて)内容を確かめないではイカンかな?
と思っています。
と、言うわけで、「専門外の学術文献」「この場合は社会学・統計学分野」
の信用度をなるべくカンタンに調べる方法を、引き続きキボンヌ
(瞑想と直接関係なくなってきましたが、もうすぐ
止めますので もう少しお今しばらくお許しを>スレのみなさん)
>>464 >私には瞑想者というものはある程度選民意識を持っているように思えます。
どうも、痛いところを突かれてしまいました。
自分では意識をしていなかったのですが、言われてみれば確かにあるかもしれませんね。
そういうことで、無意識的にレスはワンクッションおくようにはしておりますが、
やはり本音というのはレスに表れてくるんでしょう。
この選民意識というのは厄介なものですね。自分ではなかなか気が付かないもんです。
私の知る限り、神智学系には選民意識が強い人が多いです。
悟りでさえヒエラルキーで捉えてしまう。
クラスソサエティーなアングロサクソン系、ゲルマン系のなせるわざ。
そういえばオウムも階級を導入していましたね。
>>462 はもしかしてピエールちゃん?
469 :
名無しさん@1周年 :02/05/17 07:58
神智学系であろうとなかろうと、人間の集まりの団体ですし468氏やどくろ氏のおっしゃるような 変な選民意識を持つ錯覚に陥っている方はいるでしょう。 しかし仏教であろうと神智学であろうと本当に学んでいる方は、むしろそうした分離意識から遠ざかっているように思います。 原典に詳しく学べばそうですし、あやまったそうした意識が自分にとっても害があることを良く理解しているでしょう。 そうした分離意識の正体が本当は何なのか、むしろそこから問い掛けてもよいのです。 例えは特定の悪い兄弟やグループへの批判が行われます。彼らは邪教である。自分たちは彼らより優れているし、あのような 劣った信仰はしていない。 とか、なんらかの優越意識、軽蔑心も心口意の点からも注意しなければなりません。 また、そうした気持ちを持つことが悪いのではなく、人間としてはごく普通のことなのですが、そういった煩悩の反応の中にも自己発見の手がかりくらいは 残っていそうです。 こうした反応が、例えば被害者への援助、苦しみへの理解へ結びつけばそれはそれでよいのですが。
完全な至上の団体は今だないし、完全な教え、瞑想もないでしょう。 (あったとしても誰も実行できないし理解できないでしょう) 比較的良質な教えはあるかもしれません。 瞑想も、本当には各人に最適なあるいはその時必要な瞑想があるだけでしょう。優劣などは錯覚です。 誰かがおっしゃっていたように誰もが自分が信奉する瞑想を至上のものと考えます。それは一種の執着である、本当の自分のあり方 ではないと気付くまでは、その優越意識が道の上の石ころであることにも気付かないかもしれません。
471 :
名無しさん@1周年 :02/05/17 09:51
>>465 社会科学は医学的な話題だし、medlineにもかかってきます。
でも一般の医学雑誌に比べればその数は少ないだろうし、載っていても
引用されないものもあると思う。
私はmedlineがどのように構築されているのか知らないのでなんとも言えないけど
たぶん漏れは結構あるでしょうね。
また、論文誌がマイナーだからといってそこに真実がないとも限らない。
よって白とも黒ともつかない。
あなたは充分理性的なように見受けられる。
これからはTMの受け売りで1%だの√1%だのを安易に宣伝するのは
止めたほうがいいのでは?
そして是非真実を突き止めて、できれば報告していただきたい。
おれはほとんど瞑想はしない。(たま〜にお寺で坐っていた経験なら無くは無い)
裏切られたとも思っていない。
強い口調でびっくりマークまでつけて糾弾しようとしたのは、似非科学(グレーだが)
の構造がオウム真理教のそれに似ているように感じたから。
バイオレットとか言うオウム崩れは、ヘッドギアの効果が科学的に証明されている
と言って引かなかった。
彼の引用したニュースソースはオウム発行の「科学」雑誌だった。
瞑想には色々な医学的効用がついて来るようだ。
しかし1%の理論は眉唾だし
この感想はおれもあなたも同じ筈だ。
もしそうでないのなら、詐欺に嵌っているか、洗脳を受けているか・・・
まあ、そうは見えないのだが。
>467 髑髏仮面さん 私も人のことは言えません。もちろんあなたを批判するつもりも ありません。 >468 >私の知る限り、神智学系には選民意識が強い人が多いです。 >悟りでさえヒエラルキーで捉えてしまう。 >クラスソサエティーなアングロサクソン系、ゲルマン系のなせるわざ。 これは偏見にしか思えませんね。私の知っている限り、 このような選民意識についての危険性をよく理解している方が多いですが。 アリスベイリーの本に「グラマー世界の問題」というのがあります。(グラマー とは錯覚のこと)この錯覚という問題について覚者は実に厳しく指摘して います。ですからこの問題について私は人事だとは思わないし、自分自身の 内在する錯覚に目覚めていることは、瞑想を実践されている方すべてにとって 重要だと思います。錯覚を錯覚として見て認めること。これが重要なのです。
473 :
名無しは原典を読もう :02/05/17 15:08
468>> >悟りでさえヒエラルキーで捉えてしまう。 んん・・、だいぶ、穿った見方では??? ヒエラルキーではなく段階だとおもいます。本来の真我は不変かつ一切平等ですが、 5段階の悟りは表現の媒体の発達を示すものでしょう。 774さんが以前書かれていた5つの段階は仏教にもあります。唯識では (十住心論)菩薩(ボディサットーヴァ)への道への得度の段階として 1.資糧位→2.加行位→3.通達位(一人前の悟りの段階) →4.修習位→5.究竟位(悟りの完成) の5つの段階があります。 おそらくキリスト教、カバラ、ヒンズー教などでも用語が異なりますが、 それぞれ独自の段階の体系があるはずでしょう。(象徴的に表現されている場合が多い) 神智学系の教えは、煩雑な固有の教義を省き、普遍的な教えの根幹に人類を目覚めさせる事を目的にし 、及び東西の教えを融合した(特に西洋社会に東洋の叡智を紹介した)ものです。 因みに、鈴木大拙は、ブラバッキーの「沈黙の声」を大乗の本質を説いたものとして賞賛していました。 (浄土教世話人より)
468
>>473 その「段階」を「ヒエラルキー」にしてしまうのが西洋人の常。
人智学とか、インチキ自称後継者が多い、ということです。
>神智学系の教えは、煩雑な固有の教義を省き、普遍的な教えの根幹に人類を目覚めさせる事を目的にし、
>及び東西の教えを融合した(特に西洋社会に東洋の叡智を紹介した)ものです。
オリジナルはね。しかし神智学運動の初期から胡散臭い人物はいたわけで、
あれをすべて鵜呑みにするのはよくない。
だからこそクリシュナムルティーはその運動から遠ざかった。
特に日本人は、あなたが言うように唯識などでオリジナルにあたることができるのだから、
そういうのとつき合わせてみれば、どこが間違いか、すぐに分かるはずですよ。
475 :
名無しの伝統宗教もなかなかやる :02/05/17 18:25
>その「段階」を「ヒエラルキー」にしてしまうのが西洋人の常 うむうむ、それはある程度の傾向があるかもしれない。というかブラバッキー自身が嘆いていたようになかなかアメリカなどでは神智学の本質が定着しづらいところもあったのでしょう。 >人智学とか、インチキ自称後継者が多い、ということです。 シュタイナーを弁護しますが、少なくとも教育の面では見るべきところがあるようです。 シュタイナー学校はその教育システムでは勉強になりますよ。(^^) >あれをすべて鵜呑みにするのはよくない。 ここで、貴方が理解できました。というのも貴方が怒って居られるそういった団体を私も幾つか心当たりがあります。イニシエーションをお金で売る悪質な商売人は論外として、そうでなくても自分たちは進化した人間だと考えている団体があります。 まあ、神智学というよりはそれをモディファイしたニューエージ系でもよくあるでしょう。 看板だけでは見分けが付き難い面があります。そういう団体のことでしょうか? 彼らに共通するのは、観念が通用するということです。つまり自分の理想を持つことで、それが実際に存在すると考える事でしょう。 まま、私たちの教えも偉そうには言えません。「信」を尊びますが、弥陀を信じるだけで満足してしまうからです。本当の「信」は外的な生活の場で表現され試され、身を結ぶべきものです。「信」が愛他的行動として日常的に自然に示せるかが肝なのです。 それでいて先達者でも「信をもつ自分」たちがなんとなく他教団や無信心者より上のように錯覚しています。 弥陀の救いは、本当にそんなちまちました人間の切り分け事には全く無頓着に救済して下さるものと思いますが、本当に経典を学んでいるのかどうか考えさせられる時もあります。(嘆) 優越意識の難しさを貴方によって再認識しました。有難うございます!!!(合掌)
475さんにはげしく同意します。 心強くなりました。ありがとう。
477 :
名無しさん@1周年 :02/05/18 00:49
>看板だけでは見分けが付き難い面があります。そういう団体のことでしょうか? そうなんですよ。最近ではアリス・ベイリーとか ベンジャミンクレームとかが電波を垂れ流しているので要注意です(笑)。
>477 よっぽど根に持ってるみたいだね。よかったら理由(わけ)を 聞かせてもらえませんか?それにアリスAベイリーはもうとうの昔に 亡くなってます。またベンジャミンクレームが2chで日本語で 書き込む確立はかなり低いでしょう。日本語わかりませんから。
Bailey, Alice アリス・ベイリー (1880-1949) ☆ 神秘主義関係の多作家にして神智学協会系分派 Arcane School の創立者。その著作の何冊かは魔術にも影響を与えている。 1880年、マンチェスターの宗教的に厳格な家庭に生まれ、修道院そこのけの環境で育つ。多感な少女だったようで、 親に反抗して自殺未遂三回に及んだとのこと。15の年からいわゆる指導霊の存在を意識していたという。 長じて福音活動の関係でインドに赴き、現地で最初の夫と出会って1907年に結婚。夫妻は米国に移住するが、 この結婚は破綻し、三女をもうけて、離婚となっている。このあたりで、既成のキリスト教に疑問を抱くようになったようである。 これを一読して連想するのは解離性同一性障害。 こういう人物の妄想から宗教団体が出来上がることはよくあるパターンではある。
>479さん どこかのサイトが、ブラバッキーやアリスベイリーを魔術師扱いしているところが ありますね。どうやらそれを真に受けているように見えますが。。 しかも情報が偏りすぎ。彼女が神智学協会に所属していたことも知らないよう ですね。15歳のときに会ったのはマスタークートフーミで、後に彼女が神智学 協会に入った時、壁の絵が15才のときにあった人物そっくりであったことに驚いたそうです。 それから彼女は、最初の夫が行方不明になり、貧しさの中で3女を育てました。 なにか魚の缶詰め工場等で働いていたらしいです。そのとき社会の底辺にある 人間としての思いやりの大切さを学んだと彼女自身語っています。
つづき その後、彼女は覚者からのメンタルテレパシーによって口述筆記による ワークを始めたようですが、これにもいろいろ最初は悩み、ジュワルクー ル覚者の後押しが必要だったようです。彼女は彼女の仕事を意志を持 って成し遂げました。 当時の神智学協会がおかしくなっていく中、立派に役割を果たしたと 思います。 それから彼女の著作のある部分は、親しい友人たちに宛てられたものです。 アリスベイリーの翻訳本は最近やっと出てきましたから、読んでみるといい でしょう。東京の神保町の書泉グランデにあります。パタンジャリのスートラ についても覚者が解説しているものもあります。 内容は非常に難解であり読む人を選びます。 解離性同一性障害かどうかは彼女の著作を読んでから 判断されるといいでしょう。連想だけで亡くなった人を判 断するのはおそらくこのスレではあなただけだと思います。 私と議論したいのなら、ちゃんとコテハン使ってくださいね。
米国では神智学協会に参加、ここでブラヴァッキーの著作に接して熱心な協会員になるが、神智学名物の内紛に幻滅してもいる。それでも、神智学協会での経験によって、 1919年に彼女は少女時代からの指導霊の正体を知ったのである。 それは、かのクート・フーミであり、ここにおいてアリス・ベイリーの人生の方向は定まったといえる。 1920年、神智学協会員フォスター・ベイリーと結婚して、米国神智学協会の会報編集に携わっていたが、 誌上でクート・フーミ及び D.K.大師1という「マスター」の霊界通信を発表して物議をかもし、異端者として協会から追放されている。 1923年には自分の組織 Arcane School を創立。以後、彼女は猛烈な勢いで D.K.大師から受け取る「教え」を自動筆記しては出版しており、 組織の運営には通信教育制を採用して勢力を拡大している。 アリス・ベイリーの教義は、キリストを頂点とする一団の「マスター」の指導下に 世界を善導するというものであり、魔術界では「内光協会」あたりに影響を与えている。 1949年のアリスの没後も、組織は発展を続け、今も世界的規模で繁盛している。 反論の余地無くカルト
>482 魔術界と神智学系統は全くの別ものです。 まさか神智学協会員ではないよね? 世界的規模で繁盛?何を根拠に? 神智学協会から追放されたのは本当ですが、同じころシュタイナーも離れたし、 その当時の協会はひどい状況だったようです。 で、反論の余地無くカルトとは何を持って言うのでしょうか。 そしてカルトだと何がどうなのでしょうか?
484 :
名無しさん@1周年 :02/05/18 02:38
初めて書きます。 マハリシのTMの本を読みました。(超越瞑想入門) で、こういった事を実践して「存在」とやらに触れて偉業を成し遂げた人は居るのでしょうか?偉業とまではいかなくても、それなりの地位を得たというか成功した方々がいるのでしょうか。
私は思うのですが、ブラバッキーや、秘教(オカルティズム)をいまだに 斜めに見るむきは多いようですね。そして内容に触れずにトンデモ扱い するパターンは残念ですがよくあることのようです。内容が内容だけに そうなるのは仕方がないと私自身は思っていますが。 神智学系の運動自体はブラバッキーから始まり、すでに100年を越えま したが、その目的はすべて、新しい時代の霊性、人類としての一体性の 確立に向けられています。いわゆるニューエイジと言う言葉は、私が記 憶する限りブラバッキーが最初だったと思います。けれどもいわゆるニュ ーエイジ団体とは直接関係はないでしょう。 私は、私たちが新しい時代にすでに一歩踏み込んでいると思います。 おそらく、まもなくこれらの情報は再評価されることになるでしょう。
いいかげんに欺瞞は止めよう。 だれもブラバッキーやオカルティズムを非難していない。 アリスベイリーとベンジャミンクレームを電波だと言っているだけだ。
>486 私に言ってるのかな?でもブラバッキーは認めてるのが良く分からない。 あなたがどう思おうとご自由なように私がどう思うかも自由なのです。 そして自分の考えを押し付けるのは不毛な努力ではないでしょうか。 誰かあなたの主張を真摯に受け取る方がいるといいですね。
488 :
名無しさん@1周年 :02/05/18 04:07
>>484 おれも知りたい!
TMに関わらず、瞑想やら悟りやら見性やら解脱やらそういったものが、
社会においてどのような価値を持つのかしりてーです。
いやまじで。
>488,484 TMについては詳しい方がいるのでそのうちレスがつくでしょう。 瞑想の社会的価値ですか。社会的地位向上、つまり成功するかという 質問であれば、私は世間的な成功とは何の関係もないと思います。 そして瞑想や解脱を自分の成功とみなして追い掛けるというのは野心 であり、それは決していい結果をもたらさないと思います。 瞑想の結果によって、感情や思考に流されることが減ったり、 体調がよくなったりということはあるようです。でも瞑想の結果 ばかりに執着するのも考えものだと思いますね。これについて ご自身の動機を見つめることをお勧めしたいと思います。
490 :
名無しさん@1周年 :02/05/18 05:39
>>489 自身に動機なんてない。とりあえず外側を知りたいの♪
で、神智学はとりあえず社会に貢献しないということで桶なのですね?
では、
>>1 にある、なんかいいことあるの?
と言う問いに、なるだけ短い言葉で答えていただけますか。
その変質は社会生活に影響を及ぼさないのですね。
491 :
名無しさん@1周年 :02/05/18 06:24
>>490 社会のためにはならないけど、すくなくとも個人のためにはなる。
リラックスする方法が身につくから、気分が楽になるとか、健康に
なると言うことはあると思う。くよくよする事が減るとか、不必要な
こだわりが少なくなるとかそういう事はあります。
個人的に気分が楽になって、健康状態も多少良くなれば、周囲にも
明るい気分を及ぼすのでは?
だから、社会生活に影響を及ぼさないと言うことはないと思います。
社会的な成功が目的と言うのは限界があると思いますが、あまり
期待せずにやってみれば忘れたころにご利益があると言うことは
ありえます。そのくらいの下心は持っていいと思う。
492 :
名無しさん@1周年 :02/05/18 07:23
成功例を実例でもって示してくれると納得しやすいのだが。
493 :
名無しさん@1周年 :02/05/18 07:53
読書力(速読力)や外国語習得の能率がすごく上がることはたまにある。 瞑想の種類にもよると思うけど。 睡眠時間が節約できるようになると言うのは良くあること。
494 :
名無しさん@1周年 :02/05/18 12:40
>492 自身がやってみて価値があるか判断するしかないと思うよ。
健康法っていうレベルでは理解したんです。クオンタムヘルス、なんて本も読んでみました。最初の頃スレに出た「ガーベージコレクション」が有効かなと。 それでも、それ以上の事が「超越瞑想入門」に書かれていて「神に近づく」的な話しまでされると、嘘っぽいと思う。 それなりの成果を上げた方が威張ることなく「私瞑想してます」って話をしてくれると信憑性があると思ってるんです。ダメ人間がすがってるのでなくて、活き活きと生活してる人の話し。 私はTMをやるようになって〜な成果があった。安心した・自信を持った迄は判りました。そしてそれは〜につながりました、というトコロが聞きたいです。 例:仕事が順調になった、同僚の信頼を得た、結果的に金持ちになった、など。
496 :
名無しさん@1周年 :02/05/18 16:49
497 :
名無しさん@1周年 :02/05/18 22:42
TMを始めてから、2chにつなぐ時間が減りました。
498 :
「「「「「「「「「「「「「「「 :02/05/19 01:54
やっている意味がわからなくても、あとからわかる 行為というものはたしかにあるもんですね。 まいにち暖をとるためでなく、たき火を炊いてながめるのは へんだし、よい瞑想法ってやっぱあるもんだろうな。 光につつまれるような時間ってのは一日一度はもちたいもんだ。 意識が固定化しすぎるととにかく詰まったりへんになったりする ことまちがいなし。 2chは自己責任を超えてるとこが問題だ。おらも気をつけよう。 変に攻撃したり、へりくだったりせず、エネルギーをエネルギー として、ただしく世界をひろげるよう、啓蒙できるひとがいれば すごいことだ。何においても方法に啓蒙はない。すくなくとも 事実だから笑わないように。出所はべつとして。
で、金持ちにはなれんのか?
500 :
名無しさん@1周年 :02/05/19 03:10
瞑想?何のために? 一日24時間、バランス取れてますか? 折り返しです500
502 :
名無しも瞑想をお勧めする :02/05/19 11:27
>>478 代わりの回答有難うございました。(非常に感謝!!!)
貴方の論点はあるヨーガ修行者に見られる思考の明快さと誠実さがありますな。(^^)
>>479 ,
>>482 ,
>>486 貴殿も分析力をお持ちのような。(^^)ただ、少し悲しいと思うのは貴方が
自己の中で混乱している点に「気付いていない」ことです。
1)自己の信義のみを正しいとし、それと一致しない教えを否定するまたは,蔑む。
(信念に対する信奉であり、他もそれに従うべきだという感覚)
2)非難の為に都合が良い点のみ(つまり自分が気に入っていること)を取りだし
相手を罵ること
(ベイリーの離婚まで挙げての非難はそれが単なる個人批判に過ぎず、
私には女性に対する差別意識すら感じます。×イチ協会から怒られますよ(藁
仏陀は求道に際し妻子を捨てましたが、貴方はこれに批判を加えますか?)
3)真摯に説明せず「電○」とか「カル○」とかとかく粗い言葉を使う事
(まあ、2ch伝統用語なので挨拶の代わりとも受け取って良いですな。)
じっと自分の心を見つめて下さいまし。そして1)〜3)の項目が、その精神態度が
自分の意見のみを正しいとする、情報に偏った見方がある、人の意見をまともに聞こうとしないように私には見えます。
どうでしょう?。それが本当に意味することに正面から向き合えば、貴方はもっと素敵です。
(つまりカルト的傾向は誰もの心の奥に潜みます。その汚れた自分に向き合うのが第一歩です。外的な非難は内部の自己の混乱を反映しているに過ぎないでは。)
瞑想をお勧めします。自分の信じることに忠実に誠実に当たっていけば、瞑想がある理解のKEYを与えてくれるかもしれません。少なくとも信念への盲従という現在の不自由な自分自身の状態には「気付く」事が可能です。
もちろん、今私たちは本当に「不自由」なのですよ。自分の教えを本当に理解した時,初めて対立していた教えの意味や価値が見えて来るでしょう。
(私は弥陀への妄信という隘路に以前陥っていました。その当時では、気に入らない教えをめったやたら邪教呼ばわりしたこともありますよ(わはは)。
それは結局観念の奴隷に過ぎなかったのです!!)
(浄土教世話人)
>>229 さん、
まだロムしてますか?
>おお、シヴァちゃんもおんなじこと言ってたぞ。
>山登りの例えまでいっしょだ。
>出所は同じなんだろうか。
シヴァちゃんのヨーガの知識は
このスレを見れば分かるとおり、
アグニヨーガとか神智学系からかなり取り入れているはずですよ。
オウム真理教の教義もかなりここからのパクリですね。
504 :
名無しさん@1周年 :02/05/19 19:41
しかしながら、シヴァは相当アタマのほーが錯乱してたけど・・・。 あれで、瞑想によって回復したのであろーか? 随分、私には固執していた(笑
506 :
名無しさん@1周年 :02/05/19 22:48
>>505 そうですね。自分なりに信じるところがあったのでしょう。
その信じていることと別のことを言われるとやはり腹が立つのでしょうね。
彼は人に瞑想を勧めていました。
そして、すべての教えは同じと言いつつ、
自己の信義のみを正しいとし、それと一致しない教えを否定するまたは,蔑む。
非難の為に都合が良い点のみ(つまり自分が気に入っていること)を取りだし
相手を罵る。真摯に説明せず「電○」とか「カル○」とかとかく粗い言葉を使う。
そんな人でした(笑)。
しかし彼も自分の矛盾に気がついたでしょう。私はそう信じたい。
このスレにも、TMのことは何を言われても平気なのに、
べつの団体のことを言われると心乱されているひとがいる。
本当に瞑想を愛する人なら、またすべての教えが同じと思っているなら、
TMのことも同じ熱戦さで弁護すればいいのにそうしない。
口でいろいろ言っても、やはりものの見方にはフィルターがかかっている。
世間的な常識に基づいた正当な非難でも、それはこちらのことをよく知らないからだ、
偏見だ、と主張する。私は、そういう人が自分の心の矛盾に気がつくといいと思っています。
>>488 ,484
一応、有名人の名前をテキトーに挙げますが、
また、宣伝くさくなりますし、あらかじめ
自己判断で とお願いしておきます。
自己判断と言いますのは、例えば
TMに限らず、瞑想を健康面・精神面の維持・向上の
一手段として取り入れる人は、日本なら昔の武芸者
がよく座禅をやってたとかありますよね。
で、たとえば座禅をやってるダイエー王監督。
王さんは座禅を良いものと仰ると思いますが
(思ってなきゃ続けてないと思う)
座禅のおかげで野球が強くなったと言うでしょうか?
もし言ったとして、それが信じられます?
ですから、TMをやってる、又は、推薦している有名人が
いるとして、それで信憑性が高まるとしても、それは、
この人が薦めるなら良いのだろう
という「この人」に対する信用の問題ですから、
こういう点をお踏まえた上で、自己判断を、
(以下敬称略)
井深大 稲盛和夫 船井幸雄 山中鑑 上田正臣 etc
スティーブ・マックィーン、ビーチ・ボーイズ、 etc
ちょっと出かけてましたので、
& 今日はもう疲れてますので、
& 明日からも忙しそうなので
タブン、まだ私がするべきレスは、明日以降
、、、、またゆっくりと、、、とぎれとぎれに
、、、いたします
>>506 >しかし彼も自分の矛盾に気がついたでしょう。私はそう信じたい。
う〜ん。成る程。しかし貴殿は寛大な方ですね、
集合意識。つまり自他不二でもある訳ですからね。
まあ、いろいろ教えられます。
509 :
名無しさん@1周年 :02/05/19 23:13
506
>>508 >う〜ん。成る程。しかし貴殿は寛大な方ですね、
とんでもない(笑)。
私は心が狭くて間違ったことはすぐに間違っている、と指摘してしまうほうです。
どちらかというと心構えのできていない修行者は寺から蹴りだしてしまうほうですよ。
錯覚を克服するのに難しい点は、何より自身がその中にいることに 気が付かないことだと思います。他の方のカキコを見て、自身の内に 様々な反応が起こるのは、自身の錯覚をその人に投影して見てしまう からではないでしょうか? おそらくこの状態から真に自由な方は私を含 めて一人もおられないと思います。他人からの指摘や自身の気付きに よってその錯覚にはっきり気付くのは、何度体験しても嫌なものです。 そして錯覚全体を認識するのに時間が必要かもしれません。あるいは 全く認識しないかです。 しかしそれなしには、真の識別力も認識の拡大もないと言えましょう。 またこれについて瞑想が助けになることは間違いないと思います。 私たちは感情や条件付けられた思考に私たち自身をしばしば同一認 します。しかし私たちは本来「真我(魂)」であり、「神」であり、その意味 では梵我一如です。 このような錯覚について釈尊は、「まつげについたゴミ」という表現を されていたかと思います。錯覚は大きな問題に感じられるが、実は 単なる目の前の小さなゴミにすぎないというわけです。 このような制限ある形でのコミュニケーションですが、こういう体験が できるというのは私にとってとても参考になります。書き込んだあと で「ひょっとしてあれは私の錯覚だったろうか」と考えることが多く、 カキコにより注意深くなってきています。まぁ2chにハマってるだけと 言われればそれまでですが。 その意味では本当に実践瞑想スレッドなのだなあと最近思うこと しきりです。 以上、ここまでの感想でした。
>>471 >しかし1%の理論は眉唾だし
>この感想はおれもあなたも同じ筈だ。
はい、突拍子もないですからね(笑)
今の私の思いみたいなものは、
・「もしも本当なら」すばらしいので「本当であって欲しい」
・でも眉唾
・「化けの皮なら、早めに剥いだ方が良い」
・TMがデムパとか金儲けとか言われる最大の原因もこの主張から派生、、
です。出来ればちゃんと調べたい。
>あなたは充分理性的なように見受けられる。
>これからはTMの受け売りで1%だの√1%だのを安易に宣伝するのは
>止めたほうがいいのでは?
ありがとうございます。
紹介しました理由は、直接的には、髑髏さんの「不気味」というのに対し
「こんな楽天主義的な主張(子供っぽい)ことで、あんまり危険は感じられない」
と主張しようということでしたが、
もうひとつは471さんに教えて頂きましたmedlineの検索のように、
批判方面の方から、論文の信憑性を調べる手がかりを色々と得たいと思った
からです。
自然科学における真偽確認、は乱暴にいえば「粗探し」ですからね
反論を期待して、あえて晒したわけです。結果的にやっぱり宣伝に
なってしまったようで不快感を持たれた方には申し訳ありません。
(私の書き込み、結局宣伝というのが多いですが、、、)
続き
>そして是非真実を突き止めて、できれば報告していただきたい。
なんとかしたいと思っています。ですが、結構大変です(苦笑)
このスレがいつまで続くかですが、その間にはどうかな?
また、報告する場合は「60」なんて名無しではどうかなあ?
・一番の難関は私が英語が苦手なこと(苦笑)
・費用、、、仕事でならリファレンスとか、慣れない手つきでも会社の
金だし、JICST等の有料データベースを引っかき回してもですが、、、
・時間、、、苦笑(今のペースだと、1-2年以上は、、、)
・内容、、一応、学術論文ですから、専門家が書いているということ
まあ、日本のTM教師は殆ど文系らしく時々「科学的」という言葉を
ええかげんに使うのに対して「それは科学ではない」と指摘する
(してきた)のは結構カンタンだったりしますが(笑)
今のところは
>>442 の40件強の文献リストのうち10件ちょいは「マハリシ経営大学論文集」
とかの手前味噌なので除外、他の入手検討、一部の中身でWeb上にあるものを
検索、から殆ど進んでいません
>>467 >>私には瞑想者というものはある程度選民意識を持っているように思えます。
>どうも、痛いところを突かれてしまいました。
あはは、髑髏さんの、こういうところ好きだなあ(^^)
負けずに?今更のオトボケレスですが、
瞑想を実践出来るって、いわゆるひとつの「技能」ですよね(笑)
で、他人の身につけてない、あるいは他人より早く、技能を
身に付ければ、一種の優越感を持つのは不思議でも、悪いこと
でもないような、、、と、思うような、考え方の例の一部
パターンA)
5歳の僕は3歳の妹より先に「お箸」が使えるようになったぞ、えへん!
だけどお父さんほどじゃない。僕もお父さんみたいに、もっと
上手くお箸が使えるようになりたいな。
パターンB)
我々日本人は箸を使えるが、アメリカ人の殆どはこれが使えない。
箸がつかえない彼らを救ってやれねばならない。
(アメリカ人の影の声→余計なお世話だ)
勿論もっとパターンはあると思うけど。
上記A)B)は広く捕らえればどっちも「選民意識」というか「優越意識」
といえそうですし、
どっちの考えを持ってる人も、意外と同じような匂いというか
コトバの端々が見えるように思う。
この中で、髑髏さんが問題にしている「選民意識」は多分
パターンB)じゃないかな? パターンA)なら多分問題ないでしょ?
と言う訳で、パターンB)を問題にする、というか自問自答する
べきは自分がこちらに陥っていないか? となると思います。
>>513 貴方の指摘に近いと思います。
ところで、TMについての感想ですが・・・
今までROMしていて気づいたのですが、皆様やはり自信に満ちたレスをしていますね。
やはり確固たる世界観を構築しているのがうかがわれます。
TMと私の世界観は違うにしても、この「相違」のところを外せば共に「世界観構築」の部分は共通しています。
正誤、相違、相対立するものに結論でるまじ。二義的に捉えて宜しいかとおもいますよね。
えてして人間はパーフェクトを目指しますからね。迷いのうちに、また迷いが生じます。
一端それを外しませんと独断的になりますからね。ある程度はファジーな部分というのも大切なんでしょう。
60さん返答ありがとうございます。>507 とっても有名な方々ですが、どちらかというと、ここを見てる方々から「自分は・・」というレスも欲しかったです。(あまり自分の事を自慢げに話すのもアレでしょうが) TM関連でもう少し質問をさせて下さい。 1.フライングについて。これが信じられません。体がある種の状態になると起こる痙攣みたいな類でしょうか。 2.1%云々の話ですが、人口の1%といいますが、実際にTMの実践者が集まるような場所もあるでしょうから、「都市」「国家」という区切りでなくてもその場所周辺は良くなるという現象がありそうなもんですが。仮に良い事があってもその因果関係の証明は不可能ですよね。
>>515 すみません。TMシディ・プログラムは、もっと「ひみちゅ(笑)」
の要素が多いので言えませんし、出てこないでしょう。
ご存知でしょうが一応、フライングの簡単な説明はここにあります。
http://www.maharishi.co.jp/tm/mri/sidhi.htm 個人的に知ってる限りでは、フライングと言っても空中浮遊する
わけではなく、あんな格好で飛び跳ねているのです。
オウム真理教が似たことをやって、TMより有名になったからか、
これを積極的に言う方が少なくなったように思います。
質問2.ですが、すみません。ご質問の意味がよくわかんないです。
とりあえず学術調査は、市町村、県、州、国、と言ったような行政区分を
単位に行われているようです。
意識が意識に働きかける。という仮説の検証なわけですから、多くの人
が「ここが区切り」と意識する行政区分をその単位とするのは個人的には
まあ妥当かなと思います。
ぼそ) 前スレ見たいのだけど、いつhtml化されるのかなあ?
>>514 世界観というのは、つかみどころが難しいですよね。
で、くだらない寓話?を思いついたので、ひとつ。
空気とか水のような、つかめないものを計るには、容器が結構有用です。
水を計る入れ物には木の枡から、でっかい貯水槽までまで色々な
種類があります。
計る容器によって印象は色々ですが、本当の中身である水の
本質は変わらないもののはずです。
いつかは入れ物に頼らず水の本質を計れるようになりたいですねぇ。
>517 浮く、じゃなくて飛び跳ねる、ですね。なら解ります、というか許せます・・ >515 2ですが 紛争のある地域に瞑想者の皆さんが集まると、例えば今のインド・パキスタン国境とかですが、仮に収束したとしても因果関係は証明できないでしょうね、という私の意見で、質問ではないです。あ、インドは本場じゃないですか、あっちには居ないですか、1%ぐらい。 >517私も見たい・・
520 :
名無しさん@1周年 :02/05/23 23:51
印パ国境はホットだね。 TM結集したらいかがか。
>>518 >いつかは入れ物に頼らず水の本質を計れるようになりたいですねぇ。
確かにそうかと思います。
当然、人間が思考する限界というのはある訳ですからね、全てを説明するには至難です。
瞑想が、この思考の範疇を広げたとしても、これを説明する「言語」の限界があるでしょうし。
いわゆる言語にてはもや説明不可能という分野こそが、貴殿の仰りたい部分なんでしょうから。
推測だけでは本質のところは見えません。
コミュニケーションとるには、ここのところが肝心なんでしょう。
523 :
名無しさん@1周年 :02/05/25 05:29
おお、すごい過去スレがあったものだ。 デムパゆんゆんですな(w
524 :
名無しさん@1周年 :02/05/28 07:45
TMの人はなんでこんなイイスレ紹介しなかったんだよ。
>>524 HTML化されてることを知らんかっただけ
すっかりスレが付かなくなってしまいました。 実は私はTMをやっている友人の話しを聞いて内心驚いてマインドコントロールの類かと思ってそれを調べ始めたわけなんです。 瞑想者の方、特にTMをやってる方の意見が欲しいのですが、こんな話しを聞いたことがありますか? ・ヨガ的な(?)製法のお茶。様々な効果によって各種ある。これが50グラムなんと5千円。 ・「歪みを取り除いた商品」普通の日用品なんですが、私の聞いたところでは「歪みを取り除く」といった処理(これが何かは判りません)を行っており、その物の本来の効果を引き出す。私が見たのはハミガキでした。値段は不明 ・空間を快適にするプレート。ガンダルヴェーダ(建築学らしい)に基づいて空間に作用する。値段は不明 瞑想自体は正しくすることには一定の効果があるらしい事は理解できましたが、被暗示性が強くなるという意見がありました。 私はどこかで悪意を持った人がそれを悪用しているように思えるのですが、ご存じでしたら情報を頂けませんか。これらの話しについては関連スレでも見つからないので、ごく一部で密かに悪用されているように思えてなりません。 >皆様
527 :
名無しさん@1周年 :02/05/30 03:47
505 :髑髏仮面 :02/05/19 19:50 しかしながら、シヴァは相当アタマのほーが錯乱してたけど・・・。 あれで、瞑想によって回復したのであろーか? 随分、私には固執していた(笑 505 :髑髏仮面 :02/05/19 19:50 しかしながら、シヴァは相当アタマのほーが錯乱してたけど・・・。 あれで、瞑想によって回復したのであろーか? 随分、私には固執していた(笑 505 :髑髏仮面 :02/05/19 19:50 しかしながら、シヴァは相当アタマのほーが錯乱してたけど・・・。 あれで、瞑想によって回復したのであろーか? 随分、私には固執していた(笑 505 :髑髏仮面 :02/05/19 19:50 しかしながら、シヴァは相当アタマのほーが錯乱してたけど・・・。 あれで、瞑想によって回復したのであろーか? 随分、私には固執していた(笑
>>526 確かにTM関係商品 と言うのは高価ですねぇ
ただ、知ってる限りは霊感商法的な「これを使わないと大変なことになる」
といった不安を煽った「売りつけ、押し売り」的なものはないです。
あげられたもの全部は知りませんが
・ヨガ的な(?)製法のお茶。
多分アーユルヴェーダ ティーのことと思います。医学・健康方面の
ヴェーダに基づいて、ヒマラヤ産の薬草を配合した、いわゆる
ハーブティーです。
安いのは20パックで1000円ちょっと。
高いのは、恐らくアーユルヴェーダ医の健康コンサルタントとか
診断とかに基づいて薬草を患者に応じてカスタムメイドで配合した、
どっちかと言うと薬みたいなもの(ハーブ、飲み薬の場合が多い
ハーブティーの場合もあるのかな?)一品料理だし、場合によっては
高価な薬草が含まれているので高価なのでしょう。
相談しなければ勧めれらるものではありませんし、上記の健康
コンサルタント自体高価なので、それほど多くの人がしてるわけじゃ
ありません。
・空間を快適にするプレート。
スタパティアヴェーダ(建築学)に基づいた、仰るように空間に作用
するとされる(苦笑) モニュメント(模型)
噂では1−10万円ぐらい。こんなの買った人知らない(笑)
あと、スタパティアヴェーダで家建てる人(そりゃ金かかる)も
数えるほどなら居たようです。
・被暗示性が強くなるという意見
コトバに敏感になって、声やコトバを荒立てた会話を聞いたり
否定的な会話や喧嘩がイヤになります。2ちゃん嫌いは多いみたい(笑)
結構高額な寄付とか求められるけど、そうした場合は「遠慮します」
「結局TMは金だよな、やーめた」てのが多く、要するに新興宗教団体みたい
な寄付の義務とかはないですね。そのためかTM教師、マハリシ総合研究所、
てのは結構ビンボー団体です。
>528 ありがとうございます。 ・ヨガ的な(?)製法のお茶。 マハ研関連HPからたどれるアム・・・のHPを見る分には、まぁ、健康志向関連製品という範疇ではこんなものかな、と思うんです。 一般には普通の玉露なんかでも100グラム1千〜2千ぐらいですよね。 しかも、そのお茶は通販で買えるようなのでコンサルタント云々とは関係無いようです。 >・空間を快適にするプレート。 > スタパティアヴェーダ(建築学)に基づいた、仰るように空間に作用 > するとされる(苦笑) モニュメント(模型) 全く「苦笑」です。ネットで探すと波動プレートなんて類のがアルミとかで出来てるのがありますが、そっちのほうがまだ「らしい」。 それはPCで印刷したのをパウチしただけ。こんなのを見て「感じる、感じる」と言っているのは騙されてる、としか思えません。それも心理的な手口と思うのです。
大黒様の置物を縁起物として買うの否定する気はないのですが、パソコンでプリント出来るような物を1万(!)というのは。。 60さんがご存じということはある程度その界隈(?)では知られてる物なんですね。買った人を見たことが無い、とのことですが、作っている人は何者なんでしょうか。。 マハ研直営なのか、関連する人物なのか、それに乗じて商売してる第三者なんでしょうか。 60さんが苦笑するような物を売って儲けているのはTMerを食い物にしている人がいるように思うのです。そう言った被害者(本人の自覚は無いが)がいることは瞑想への偏見を助長すると思います。
>>530 一応、アム・・・さん等の名誉のために言っておくきますと、、、
「TMerを食い物にする」とは穏当な表現じゃないですねぇ(笑)
物によってはヒマラヤの「野草」である薬草を原料としたハーブと
「農園」で栽培した玉露の値段を同列に扱うのは無理があるのでは?
「価値」というのではなく、あくまで「値段、原価」の話です。
あと、私が見たことあるプレート物?はモニュメント(模型)で額に飾れる
ものもあれば、大きな置物的なものもありますが。パソコンで印刷したパウチ
ものというのは見たことはありません。 まあ、でもそういうパウチ物が
1万円だとして、そういうものの1万円が高いかどうか、、、は例えばプロ
CGデザイナーの「一品作品」とか原画みたいなものの著作権料と比較すると?
要するに高価なものは、やはりそれなりのコストがかかっているのだ
と言う事です。
後は買う側が、その「コスト」に「価値を認めるか?」どうかの判断で
しょう。
(私みたいに、苦笑する人間もいれば、逆もしかり、ただ苦笑する人が
多いので、売れてるのを見たことがないのでしょうが、、、笑)
「食い物にする」というのは、こうした高価なものを一種の「必需品」とし
て、大量に売りさばく、一種の押し売りをしている場合を言うのじゃないで
しょうか? それとは明らかに違うと思いますが?
あ、すんませんア・・は他の健康志向の業者とほぼ同じで妥当かな、という意味で書いたんです。伏せ字にしてややこしくしてしまいましたかね。 失礼しました。 プレートは指している物が違うようですね。 私CGのデザインの部署のある会社に所属していたこともあり現場を知らない訳でもないつもりですが、個人的な見方ではあまり大したものでは無いというのが感想なんです。 仰るとおり、価値を認めるか、の一言に尽きますが。 それでは「感じる」という感覚は何でしょう?絵画を見て感じるの類とは違うように見えます。波動を感じる、と言っていたと思います。私は「波動」ってのもさっぱりです。「気功」に似た話になるのでしょうか。 質問ばかりで恐縮です。
あれ、ここはTMスレ? もっと実践的なことは話さないのですか。 「観照のコツ」とか「思考を大幅に減らす方法」とか。 いろいろな体系の持つ「瞑想力学」を解析するとか。
534 :
名無しさん@1周年 :02/05/31 16:24
賛成
わたしも賛成(笑) TMで占拠しようなんておもっちゃいない。
色んな人の話が聞きたい。
>>532 >それでは「感じる」という感覚は何でしょう?
>「気功」に似た話になるのでしょうか。
仰るお話ですと、私は貴方の仰るプレートを見たことがないし
他人がそれから感じているのを見たこともないわけですから、
どう考えても説明出来ないはずですが?
それとも、何か私に「口からでまかせ」を言わせたいわけ?(苦笑)
>535 > それとも、何か私に「口からでまかせ」を言わせたいわけ?(苦笑)そんな気は全然ありません。 久々に会った友人から話を聞いて気がかりなので情報を集めているだけです。 瞑想とは無縁な私には余りにも解らない部分が多かったので、理解したとは言えませんがおぼろげにはなんとかって感じです。 今日「やすらぎの瞑想さがし」の本を読んでみましたが、参考になりました。
537 :
名無しさん@1周年 :02/06/01 02:39
目を閉じるとちっちゃい光の点が見えつづけるんですけど。 コレは何ですか?どなたか教えてください。
>>536 >そんな気は全然ありません。
>友人から話を聞いて気がかりなので情報を集めて
そうですか? あなたは、私が見たことも聞いたこともないと
先に明言しているものについて何か言えといっているのですよ?
また、絵とかそういうものを見て「感じる」などと言うのは
直接的な視覚情報だけでなく、それから連想されたり思い出され
たりするものの記憶からくる印象 や見た場の雰囲気等
色々な感覚とその記憶等々が複雑に絡まって出来る。そうした
断片の中には人によっては第6感?のようなものが含まれて
いることもありましょう。 と言うのが一般的な話と思いますが
例えば、あなたがその中で例えば皮膚感覚だけ取り出して、
説明してくれたとしても、私にはいくらでもその不完全さを
指摘する余地があると思いますよ。
あなたはそれどころか「気功」まで持ち出して、とにかく
こうした複雑な印象から第6感的なもの?だけを抽出して
私に説明せよと言う
私にはあなたの意図が TMとその関連団体は詐欺団体だ、
という証拠を探すこと、と見える。
というか貴方のなかではそれはもう決定していて私に上記のような
不自然な誘導尋問をしかけて無理やり不自然な答えを引き出し、それ
を証拠とする。ことが目的と見える。
いちどその「気功」を使って絵画からなにかを感じると
いうのはどういうものか、気功を知らない私に、
あなたから説明して頂きたいものだ。
と、皮肉のひとつやふたつや三つほど、言ってみるテスト(苦笑)
>>538 網膜は、厳密には光だけでなく、温度、その他にも反応します。
目を閉じて光による網膜刺激を遮断あるいは激減させると
そういった光以外の刺激が、一種の映像として見えると
いうは殆ど誰にでもある一般的な現象です。
また、その光の点というのが、非常に気になるほど強くて不快だったり
目を閉じていなくても見えるて困るというのなら網膜の病気というもの
考えられなくもありませんので、眼科医の診察を受けるのが良いかも。
いづれにしても直接的には瞑想とは関係ないでしょう。
541 :
名無しさん@1周年 :02/06/01 08:43
>>539 で、60よ、TMでは「波動」という単語を使うのか?
>あなたはそれどころか「気功」まで持ち出して、とにかく
と再度気功を持ち出すのは、おれにはカモフラージュに見えてしまうんだがな。
>>1 の問いに答えて。
瞑想(法)とは:
最小限の努力によって最大限の満足を得るための方法。
ちなみに、
悟りとは:
無努力で最大限の満足を得つづけている状態。
そもそも、「満足」とか「幸福感」は内面で感じるもの。
外側の出来事がそのきっかけとはなっても、「満足それ自体」は内面で起こる。
したがって、外側の事象に依存せず、内面を「満足発生に最適化」すれば、
いちいち、外側の条件を整える必要がなく、手間が少ない。効率がよい。
満足や幸福を味わうために、旅行やら、風俗やら行くよりも、内面へいく方が
お金もかからない。
ま、現代の消費社会においては「役立たず」の部類になってしまうかも、ですが。
クリシュナムルティについて:
透徹していて好きです。が、彼の言う「瞑想」はほとんどの場合、「悟り」の状態を
示しているように思える。そりゃ、無理な話だ〜てな感じ。
でも、サマディが起こり始めた人にとっては、示唆に富んだ言葉となるでしょう。
>539 > 私にはあなたの意図が TMとその関連団体は詐欺団体だ、 >という証拠を探すこと、と見える。 このスレに辿り着いたころはそう言う意図は確かにありました。 私は瞑想というものを全く知らなかった人間です。 本を読んだりスレで色んな意見を聞いた今は、瞑想云々を理解する方に重点を置いてます。まさか自分でこういった系統の本を読むとは思わなかったですが。4冊かな。 > というか貴方のなかではそれはもう決定していて私に上記のような >不自然な誘導尋問をしかけて無理やり不自然な答えを引き出し、それ >を証拠とする。ことが目的と見える。 誘導尋問に思えて気分を害されたなら謝ります。 「ご存じでしたら」教えて下さいと言ってるつもりです。 気功はTVで見た程度にしかしらないモノですが、わずかにでも知っている自分の知識に似たものなのかな、と思っての質問です。 それと、プレートのモノが違うのでそれについてどう感じるか、とは言えませんので、ここに、「波動が瞑想者にとって一般的なものならば」という仮定が入ってしまっています。>542を読んでみます。
〉543 非常に素晴らしい明確な 解答及び文章ですね。
>540さん 非常に詳細なレス有難うございました。 昔、瞑想の危険さを知らずに行い偏差(変差?)を起こしてしまい、 それ以来目を開けたままでも時々星のように光の点が炸裂してました。 あまり気にしてはいないんですが、何かチャクラとかと関係あるのかな?と。 只の欲心ですね・・
547 :
名無しさん@1周年 :02/06/01 20:48
>>542 > 使う場合は、こいつh
ttp://www.vedicvibration.com/index.html >のことでしょう。音とか脈拍のような物理的な振動
ここのことか?
>Maharishi Vedic Vibration Technologysm utilizes a refined impulse of Vedic sound, or Vedic vibration, to enliven the inner intelligence of the body and restore proper functioning.
なんでこれが物理的波動になっちまうのだ。
英語読めるのか?
>何の何に対するカモフラージュです?
TMがトンデモと見抜かれることを嫌い、ROM者をケムに巻こうと言う意図を感じた。
まあこれはおれの感想だからどうでもいいことだ。
>>538 さん
瞑想者にとって偏差は大きな問題ですね。
1.肉体行でも偏差は起きることがある。
2.エネルギー操作だと当然起き易い。
3.意識のありようを変える手法でも起き易い。
特にあまり語られてないのが3.ですね。
クンダリーニヨガが危険で、ヴィパサナ(上座部仏教の瞑想)が安全かというと、
そんなことはありません。
ヴィパサナでは呼吸を観察しますが、呼吸の上下動を観照すると、
クンダリーニヨガの技法に似たものになります。
以前、5時間ぐらい連続でヴィパサナをやったことがありますが、
もうエネルギー上がりまくりで、かなりハイになりました。
人によっては自律神経失調症を引き起こしたり、
幻覚・発狂をまねくこともあると思います。
僕の場合は、軽い自律神経失調程度で済みましたが、
心理的な問題の多い人や体の調子の悪い人は、エネルギーが動くような瞑想は
しないほうがいいでしょう。
そういう意味で坐禅は安全な部類ですが、うーん、これもやり方次第では・・・
この件については後日・・・・。
>>544 昨晩〜今朝にかけて少し虫の居所が悪かったようで、やや乱暴な調子で
申し訳ありません。
ことば足らずのようでしたが私が
>>539 で言いたかったのは、貴方の質問は
1.誰がどのように答えても、インチキ呼ばわりが可能な回答を要求している
2.私の知らないことに関して回答を要求している。
の2点です。
2.は明確に言いましたが1.は皮肉に混ぜてしまいました。
つまり、「私は絵を鑑賞するとき、その肌触りの感覚をいつも見る」
と言う方が見えたとします。その方に「それはどのように?」と尋ねて
答えを聞いても、それこそ個人の色々なバックボーンあっての感覚です
から、「どんな回答であっても」「それはおかしいのじゃないか?」と
言えるということです。
これは知っている、知らない、とも関係ないでしょう。
そこで貴方の質問を、TMで使う波動とは何ですか?
と置き換えて、私の知っていることを次でお答えします。
>>547 >Maharishi Vedic Vibration Technologysm utilizes a refined
>impulse of Vedic sound, or Vedic vibration, to enliven the
> inner intelligence of the body and restor>e proper functioning.
>導師ベーダ語振動技術smは、?g体の内部の知能を快活にし、かつ適切
>な機能を回復するベーダの音(すなわちベーダの振動)の精製されてい
>た衝動を利用します。
一応、エキサイト訳。
私の知っている限りでは、この波動(Vedic Vibration)と言うのは
1.字面の通り、サンスクリット語でのヴェーダの一説の朗読(吟唱)
2.1のような音、振動を出すため音声以外の身体動作
3.指で脈拍を取る形のアーユルヴェーダ医による脈診 (これはあまり
波動とは言わないかな?)
を指します。
ヴェーダの吟唱をするのは、その道のエキスパートであるインド人の
パンディットと呼ばれる人達で、古代ヴェーダのサンスクリット語の
発音が非常に正確に出来るよう訓練された人達だそうです。
このようなヴェーダの吟唱の音に何かを感じるか? それがTMerで
一般的か? と言えばセンターに毎月顔を出すような人間なら大なり
小なり何かを感じているようで、私もそうです。
たしかに主張は、1%効果のようにトンでも的ではありますが、
「音」やその振動に何かを感じる。というのは瞑想時に心の中で唱える
マントラの、コトバの意味はわからない単なる「響き」が自分の心の
状態に大きく影響を与える経験からは、主観として否定しきれません。
(これも個人差は大きいようですが)
また、このような原典の音を重視するというのは
僧侶が毎日一定の作法に従って読経をする等、他にも色々みられると
思います。
こうした見方からはTMも、その主張とは違い一種の宗教のようですね。
実際、私個人は宗教とみなしています。
>>547 さん
>>544 さん 私に出来る説明はこの程度ですが
これで回答になりますでしょうか?
>>546 わたしは、あくまで健康人の一般論を申し上げました。
それ以外にも確かに幻覚とかいうのは、センサである網膜が
大丈夫でも信号処理回路である脳の働きによって見えないもの
が見えるということですし、頭を打って目から火が出るという
ような途中の神経経路に入るノイズによるものもありますしね。
過去に自己流のヨガをされて、後遺症で、慢性で、
となると
>>548 非在さん,その他の方々の方がお詳し
そうですので、そちらにお任せします。
>550 丁寧な説明に感謝です。
>>538 さん
>>60 さん
特に支障がなければ、そのままにしておいてもいいのでは?
心身の不調もあるようでしたら、
散歩、足湯や半身浴、規則正しい生活…などで自律神経の正常化を図るとか、
もしくは、気のコントロールをマスターして、丹田に気を下げるとか、
まあ、いろいろあります。。。。
555 :
名無しさん@1周年 :02/06/05 07:28
全然しろーとなんだけど、瞑想って止と観に大別されると考えていいのかな? で、観のほうはあんまり流行ってないというか一般的でないというか・・・ 当然効能効果も違うんでしょ?
>>555 さん
しろーと、にしては高度?なご質問では。
仏教用語は詳しくないので、止と観の説明をよろしく。
で、議論も停滞ぎみなので、ここで叩き台として、
瞑想のメカニズムについて、PCのメカニズムにたとえてみたい。
PCのメカニズム自体にとても詳しいというわけではないので、勘違い
もあると思いますが、まあ、それはそれとしてやってみましょ。
その1【雑念と瞑想】
ほとんどの瞑想の体系において、雑念の軽減・停止は非常に重要視されている。
なぜか?
そもそも雑念とは何か?
PCでいうと、メモリを占めている「現時点で必要ではないデータ」である。
(その発生理由については後日触れる)
メモリがいっぱいいっぱいだと、PCの動作がとろくなったり、ハングしやすいように、
人間の思考・感情など、脳の機能についても「まとまった思考がしにくい」
「知覚認識の精度が低下する」「感情的な負荷に対して適応能力が低下する」
などの問題が発生する。
瞑想とは、そのメモリを一度クリアすることに似ている。
したがって、瞑想がうまく機能している指標として、、、
「雑念の軽減・停止」「まとまった思考の高速化」「知覚がクリアになる(風景が鮮やかに見えるなど)」
「感情的なストレスがリセットされる」などがある。
その2【で、瞑想は必要なのか?】
人それぞれ。必然性を感じる人には必要でしょう。
PCの動作がとろくても、問題に感じない人はそれでいいし、
問題に感じたとしても、自分の内面(メモリ)の問題と感じない人は、必然性を感じないでしょう。
また、悟りまで達するにはよほどの探究心が必要ですが、
こういう人はPCヲタ、みたいなもので、必要もないのにひたすらPCを高速化するような
そういうタイプではないでしょうか。
普通に生きれればいいという人は、毎日適度にメモリをリセットして、頭を軽くしておく程度で
いいと思う。
>>556 瞑想で言われるストレス解消をスレの前の方でガーベージコレクションに
例えてみたんですが、同じことを仰っているのですよね?
だとして、最後の「毎日適度にメモリをリセット」の部分は
レム睡眠によって「夢を見る」ことに相当するのかな?
つまり瞑想中の雑念は、物事に関係のないホントにゴミが掃除される
過程で表面に出てくる物ですが、
「夢」というのも意味のない記憶の断片が重なり合った物が成因とすれば、
現象は非常に似ている。
>>557 >瞑想で言われるストレス解消をスレの前の方でガーベージコレクションに
>例えてみたんですが、同じことを仰っているのですよね?
似ているような気もしますが、ただの無意味な雑念ならば、意識をしゃんと目醒ませて
そのままリラックスしていけば即座に止まると思います。
ですが、過去の感情的な出来事にまつわる記憶や、その出来事によって形成された
思考パターンからくる思考・感情などについてはやはり、「吐き出す」という形で
追体験が必要になってくるかと思います。
>最後の「毎日適度にメモリをリセット」の部分は
>レム睡眠によって「夢を見る」ことに相当するのかな?
もちろん、瞑想することもリセットなのですが、そういうことがめんどくさい人にとって
おすすめなのが、起床時のプチ瞑想です。
起きたばかりの時って、直後に見ていた夢に同一化しているものです。
(夢の雰囲気が残っている)
「夢を見る」のはゴミ掃除ではありますが、捨てかけていたゴミがメモリに残ってしまう
ことがあります。そこで、起きた時に気合で意識を「カッ」と目覚めさせる、ということを
やってみます。目覚めの悪い人は油断すると、夢の雰囲気に戻りがちなので、
周囲の空気感や雑音、自分の呼吸、などを感じていくといいと思います。
難しいようなら、無名庵EO師提唱の「茶碗を頭頂に乗せる」という手法がとても
役立ちます。
朝のトイレの中で5分でもこれをやると毎日すっきりとした頭で1日をスタートすることができます。
559 :
名無しさん@1周年 :02/06/07 21:32
age
雑念は低位マインドの活動結果です。 思考・感情の動きは観察するとすべて記憶から発しています。 この観察が瞑想です。条件づけられた記憶が解放される 時、エネルギーも解放されて心ー体に影響を与えます。 より生き生きとする感じを持つかもしれません。 PCにはまるのが通常の状態で、 PCのスイッチを切るのが瞑想です。 >瞑想は必要なのか? 人それぞれですが、正しいタイミングがあります。 決して無理せずまたーりでいいんではないでしょうか。 結果を求めない態度が重要だったりします。
>>560 =
>>774 さん
>思考・感情の動きは観察するとすべて記憶から発しています。
この観察が瞑想です。
。。。と、
>PCのスイッチを切るのが瞑想です。
。。。では矛盾している感じなのですが、もしかすると、
前者が「瞑想法」で、
後者が「瞑想状態」ということでしょうか。
あと、PCのたとえについては私と例えかたが違うかも、です。
私の例えでは、PCのスイッチOFF=死です。
でも、再起動すれば、必要な情報はHDDに残っているんだから、
774さんのたとえの方がいいのかな。。。。
そのたとえでいうなら、
●メモリ監視ソフト起動=瞑想法を行う
●それによってメモリが常に空=サビタルカ・サマディ(有分別三昧)
●PCでの作業が何も行われない時間が一定以上くると、
自動的にスタンバイ状態に入る=ニルビカルパ・サマディ(無分別三昧)
●PCの電源を完全に切る=サビジャ・サマディ(無種子三昧)
という感じではないでしょうか。
どうでしょう?
>561 非在さん。すごい言葉知ってますね。初めて聞きました。 PCをサマディにたとえているわけですね。 サマディ--これは私にとっては単なる言葉でしかありません。 ニルバーナ、悟り、これらも私にとっては言葉でしかないものです。 PCの動きを自我に見立ててお話してみます。 PCのスイッチをOFFにすることが、自分の存在が終わると考える ものの終わりであり、瞑想が起こる始まりで、自我の終焉です。 そしてそれから先に起こることは「未知」に足を踏み入れるこ とです。PCの活動はHDDの中身が限られているように既知であり、 それを通して未知はやってきません。 私たちの心にはいろいろなものがあると思います。怒り、悲しみ、 苦しみ、トラウマ、コンプレックス、恐怖ー欲望、優越ー劣等感、 等々。これらすべてはPCの中で起きていることなのです。 瞑想することで、これらの自分の心の動きに無執着になってきます。 「すべてはPCの中で起こっていることで、これは私ではない」 と。けれども人はPC上で起こることに嵌ってしまいます。 瞑想を通して、未知との接触と、無執着な態度、それを通した認識 の拡大と、自分の心がどう在るかについての気づきがあるでしょう。 正しい瞑想はこれらを人の存在の中に培います。そうしたとき PCの中身がどうあろうと気にしません。必要とされることを行う でしょう。
>>562 =
>>774 さん
>PCの活動はHDDの中身が限られているように既知であり、
それを通して未知はやってきません。
うん、、、「未知」なるものについては僕も悩みました。
PCの例えだと、どうしてもここのところが説明しにくいと。。。。
>「すべてはPCの中で起こっていることで、これは私ではない」
というように、意識の本体はPCの外にいるわけですからね。。。。
サマディについてですが、僕の勝手な印象ではこのコトバはちょっと拡大解釈?
されすぎているのではないでしょうか。誰でも多かれすくなかれ、体験していることかと。
例えば、アーティストや職人などが自分のやっていることに「一心」となって、
「我を忘れて」取り組んでいる時は、「サビタルカ・サマディ」(覚醒+無思考で、自他の分離はわずかに残る)
といってもいいでしょうし、
熟睡から瞬間的に醒める時、「自他の区別」が再形成されるまでのほんのわずかの間に、
「ニルビカルパ・サマディ」(覚醒+無思考で、自他の分離がない)を体験することもあります。
その体験は完全なものではなく、時間を短いために、自我構造や意識のあり方を本格的に変容しうるものではない、
というだけで、いわゆる一瞥は誰にでもあるのでしょう。
「サビジャ・サマディ」ですが、これは「ニルビジャ・サマディ」の間違いでした。
これはもはや、自他の区別が現われないサマディで、本当の意味での大悟にあたるものと思われます。
ヨガの専門家でもなければ、大悟者でもないので、この解釈が正しいのかどうかは分かりませんが。
複数の師の教えを参考にしています。。。。
非在さんは、ヨガ系を学んでいらっしゃるのでしょうかかね。 一瞥ですか。そういう体験は確かにありますね。
565 :
名無しさん@1周年 :02/06/12 08:37
歩きながら自分を観察する瞑想って何? 神智学だかにはあるのか。 禅の、坐ったあとにてくてく歩くやつもそうか? でもありゃ瞑想じゃないな。
>565 それはキンヒンですね。(漢字がわからない) 神智学系の瞑想についてはここでは詳しく紹介しない ことにしています。理由は素人のものではないし、 まだ誤解も多いので。 知りたい方は書籍を当たってください。
567 :
名無しさん@1周年 :02/06/18 08:39
経行
歩きながらって、ヴィパッサナーの一つじゃないの?
569 :
名無しさん@1周年 :02/06/23 05:35
なあに、それ?
570 :
名無しさん@1周年 :02/06/23 05:38
オウムの新派
>570 ちゃうわい。
572 :
名無しさん@1周年 :02/06/23 09:06
ラリー・ローゼンバーグ著 「実践ヴィパッサナー瞑想 呼吸による癒し」 って本が分かりやすくて面白かったよ。
573 :
名無しさん@1周年 :02/06/23 09:09
だからどんなの?
574 :
名無しさん@1周年 :02/06/23 09:19
ひと言で言うと「呼吸を見つめる」瞑想。
ゴエンカとかも有名ですよね。
576 :
名無しさん@1周年 :02/06/25 02:59
しっかし具体的な瞑想法ほとんど出てこないな、このスレ。 1も草葉の陰で泣いていることだろう。
577 :
名無しさん@1周年 :02/06/25 15:24
具体的な瞑想法をここの書き込みに求めるというのも.....
578 :
名無しさん@1周年 :02/06/25 16:59
瞑想法を知りたければ本屋に飛び込めばいいわけで、 2chにスレ立てる目的はどちらかとゆーと、 >瞑想するとなんかいいことあんの? これが聞きたいとゆーことではないだろーか? 本書きのは自分のセミナーの宣伝だったり、売れるように 書かれていたりするわけで、名も無い素人の体験談が イパーイ聞きたいものと思われ。 とはいえ、本読めばある程度は掴めますが(w
横やりですがさんやその他の皆さんに、小さな声で御礼を言いたい69です。
ありがとうございます。足元を見失わないようにしていきたいと思います。
ありがとうございます。
さて、具体的な云々とありましたので、
>>272 の続きをしたいと思います。
ちょっと長いです。
一番最後のカキコは実際にやってみてから読んだ方がよろしいかと思います。
では、
クォンタム・ヘルス こころ/からだの完全健康ガイド 第U部 量子力学的な人体 7章 治癒の経路を開く 瞑想 ──「超えて行く」テクニック ----------------------------------(引用 p.187から)---------------------------------------- 瞑想とは、心をむりやり静めることではない。すでに心の中に存在している静寂な場所を 見出すことが瞑想なのだ。実際、心の底でざわついている罪悪感、心配、恨み、願望、幻想、 満たされない希望、ぼんやりした夢などを調べてみるなら、こうした内的会話が文字どおり 私たちをコントロールしていることがはっきりわかる。私たちはみな、記憶の犠牲者なのだ。 このことは、何千年も以前からアーユルヴェーダの達人たちにはわかっていたことだった。 しかし、この内的会話というスクリーンのうしろには、まったく別のものが存在している。 それこそが、私たちが瞑想を通じて実現したいと願っている静寂である。なぜそれが重要な のだろうか? その理由は、静寂こそが幸福の生まれる場所だからである。インスピレー ションも、慈悲や思いやりといった優しい感情も、愛も、その静寂から得られるのである。 これらの感情はいずれも非常にデリケートなものであり、内的会話の渾沌としたどよめきの ために、容易に心の底に埋もれてしまう。けれども、自分の心の中に静寂を見出した人は、 心配や怒りや苦しみなどを引き起こすでたらめなイメージには、もはや注意を向けなくなる。 瞑想から精神的な恩恵をフルに得たいと願うなら、尊敬に値する伝統に連なるしっかりし た師を求めることが重要である。しかし、それと同じに、いますぐ学ぶことのできる、内的 静寂を得るための瞑想技法も存在する。というのも、瞑想とは基本的に生理学的なものだか らである。そうした瞑想は心─身システムがリラックスした時にあらわれてくる、私たちに 本来的にそなわった静寂を活用するものである。
瞑想を開始する用意が整ったら、軽く手を組んでふとももの上に置くか、あるいは体の横 に置くかして、静かにすわる。それから目を閉じ、力まずに呼吸し、その呼吸に軽く意識を 向けよう。息が鼻に入り、肺まで降りていくのを感じよう。深呼吸したり、息をとめたりせ ず、ごくふつうの呼吸でいい。息を吐くときは、肺から出た息が鼻から外にやわらかく出て いくのを感じよう。 その際、何も無理強いしないこと。息は穏やかに、楽に出入りし、あなたの意識は、梢の てっぺんで揺れる木の葉のようにその呼吸を見守っている。リラックスしてきたら、呼吸を もう少し軽くしてみよう。この場合も無理にそうするのではなく、呼吸が軽く、静かになろ うとする気配に従い、なるがままに任せればいい。息が足りないように感じられてきても、 心配することはない。それは、もう少し空気が必要であること、また、心の奥のストレスが 現われてきたことを意味している。あるいは、必要以上に息を軽くしすぎているという場合 も考えられる。そのときは、あなたの体が心地好く感じられる呼吸数に戻ろう。 このエクササイズを2〜5分続けたら、目を閉じたまま、ふだんの自然な呼吸に意識を戻 そう。 (次のカキコを読む前に、間をおいて、何回かやってみたらいかがでしょうか?)
よろしい。さて、このエクササイズで何が起こっているのだろうか? おそらくあなたは 気づいただろう。ただ意識を呼吸に向けるだけで、どんどんリラックスしていき、それにつ れておのずから心が静まっていったことに。実際そのように感じられただろうか? もしそ うなら、おそらくあなたは完全な静寂を垣間見たことだろう。といっても、私は静寂に注意 を払うようには言わなかったので、あなたは実際静寂を体験したかどうか心許ないかもしれ ない。しかし、もしあなたが静寂を意識的に探していたなら、それは現われてはこなかった だろう。けれども、この瞑想中、時間の感覚がわからなくなってしまった地点があったなら、 それはあなたがゴールのすぐ近くにきていたことを示すよいサインだ。多くの人はふだんよ り思考が希薄になったと感じるが、これもまたよいサインだといえる。 瞑想の体験を積むにつれて、人は若々しいエネルギーと活力をふたたび感じるようになる。 それは体の深層から解き放たれたものだ。これこそ非常に深遠な変化であり、真実の若さの 泉なのである。 ----------------------(引用終わり ISBN 4-393-71316-8 )------------------------
いかがですか?
一所懸命やっちゃわないように、気楽にやってみてくださいな。
そいで、
>>272 の
>そんで、それを紹介した後、69がTM以外で、これもいけてるんじゃないでしょうか?
>というのをみなさんとシェアしてみたいと思いますが、いかがでしょうか?
も半分見切り発車でいってみようと思います。
でも、TMやってホスィのは、変わりません。
では、
次は、
仏教由来のものです。
般若心経ってありますよね? 般若波羅蜜多心経。
あのお経の最後の部分 呪 のところ、あれってマントラなんですってね。
しかし、日本に大陸経由で渡ってきたとき、その発音の純粋性が失われたようなんです。
羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶
この部分です。日本のお坊さんなんかは ぎゃーてー って発音されてるみたいですが、
もとのサンスクリット語?パーリ語?の発音をカタカナ表記で試みると ガテー らしいです。
チベットのお坊さん↓は、ガテー ですね。
http://www.silcom.com/~eclarson/heartsutra/hs13.html Heart Sutra Tibetan-English with Sound Clips in Tibetan
: PLAY をクリック、保存でその部分の音声が聞けます。 後半部分ですね。
まぁこんなに慌ててやることないです。ゆっくりがいいと思いますよ。
やりかたは、先に出てきたガヤトリー・マントラのやりかたを参考にすればよいと思います。
サイババさんが唱えていたガヤトリー・マントラの、あんなのんびりした感じを参考にして。
全部いっぺんに覚えきれなくても、あせらないでのんびりやってください。
もちろん最初は意味なんて気にしなくていいと思いますよ。
でもやってくうちに興味が沸いてきたら、今年1月になくなった遠藤誠先生の現代書館の
「般若心経」をおすすめします。 合掌
参考サイトは
ttp://akinao.tripod.co.jp/hannya.html 下の方に、カタカナ表記がでてきます。
まだ他にも仏教由来のポピュラーなフレーズがあります。
それでもよいと思います。が、私のおすすめは般若心経です。
ナンダ ソレナラ イママデノ オダイモク ノ オトナエト カワラナイジャンYO!
って言われそうですね。けど、まぁ やってみてくださいよ。
唱えるというより、のんびりつぶやく感じでね。
(他の伝統由来のものは、まだノーコメントにさせてください)
ここまでのは、いかがだったでしょうか?
お金がかからず、簡単で手っ取り早くて…なんですけれど、
それって結局、独習なんですよね。
やっぱり誰かに習いたい。
少し手間がかかってもいいから、誰かに習いにいきたい。
けど、お金はかけたくない…という人向けのがあります。
アナンダ・マルガ↓というのをご存知ですか?
ttp://www.jin.ne.jp/star/anandatop.html ここは無料です。
フォローアップもあるようですね。
ここで、ちょっとした情報です。
アナンダ・マルガの瞑想レッスン のページ
ttp://www.jin.ne.jp/star/ananda2.html の中の、
サハジャ・ヨガという段落の中の第1レッスンで触れられている
「イシュタ・マントラ」「ラビ・バトラ博士の本」気になりますね
「宇宙意識と波動」 PHP研究所 ISBN 4-569-54902-0 に、
「イシュタ・マントラ」がのっていますよ。
(引用 p.124)これは普遍的なマントラ(ユニバーサル・マントラ)ですので、
すべての人が共有できるよう開放されています。(引用終わり)とあります。
ちなみにこの本は、ラビ・バトラさんと江本勝さんの共著です。
江本勝さんは「ありがとう」のところで出てきた「水からの伝言」の著者です。
つぎ、
ボブ・フィックスという人をご存知でしょうか?
ニューエイジに興味がある方なら、聞いたことがある名前かもしれません。
この人も元TM教師です。
彼が指導しているのが、
(もちろん日本国内で瞑想指導してくれるのは、日本人の教師の方です)
フルフィルメント・メディテーション↓です。
ttp://www.fulfillment.jp/ > シュタイナーは覚者ではないし、マハリシ・マヘッシ・ヨーギもしかり。
というカキコがありましたが、こっちは格が違います。
ボブ・フィックスさんが瞑想法の知識を受け取ったのは、チャネリングによってだそうですが、
その相手は、
> 今から250万年前?400万年前?に
この地球の隣の金星から、14万4千のマスター達と共にやって来た
マスターの長といわれる サナト・クマラ、シャンバラの創始者。
と、
> 数千年?2000年?以上も前から、
今もヒマラヤのある場所で肉体を持ったままでいるといわれていて、
キリストやブッダの先生だったといわれていている ババジ。
余談ですがババジの先生は最近サイババと一緒に有名になった
『アガスティアの葉の』のアガスティアというヨギです。
だそうです。
こうなると、一般の方は引いてしまうかもしれませんねぇ
けど、> 大切なのは実際に効果があるかどうか だと思います。
皆さんはどう判断なさいますか?
しかし、ここの教師の皆さんのサイトは情報がいっぱいです。
TMのやつらはなんで情報を出し惜しみするんだと思っている人は、
のぞいてみるといいかもしれませんよ。
とまぁこんな感じです。 あれがない、これがないとおっしゃる方もいるかな? ほんとにいろんな実践方法が、この星にはちりばめられているから… こんなことやるな、あれもやばい、これもやばいと噛みつきたい方も… 一体どれが自分にいいのかわからないあなた! TMはいいと思いますですよ! ほんとに でも、まぁ決めるのはご自身ですからね どれがよいのか迷っちゃうなら、O-リングテストで、 自分の筋肉?にきいてみて、参考にするのもよいかもしれません。 まぁこの方法にも、噛みつきたい方がいらっしゃるとは思いますが…
よーくわかった。TMはインチキとうことだな(w>69
593 :
名無しさん@1周年 :02/06/27 13:33
TMはインチキじゃないよ、トランス状態で教化して収益を上げる緻密なビジネスだよ。 教師自体が催眠術を使ってるのを知らないくらいだから、すごく緻密に仕上げられてるんだよ。 指導手順のマニュアルを暗記するのが最重要だから。マヘシの催眠手法をしっかり代行するんだよ。チェッキングを真面目に受ければ受けるほど催眠にかかりやすくなるように出来てるんだ。 すっかりハマれば「良いことが起きてます」って言葉を信じて、つらくても一生懸命ストレス解消して、成長してる「つもり」になってダメになってくんだ。 トンデモ的な理論を信じるには訳があるんだよ。
ヴィパサナもクンダリーニ上がるけど、 TMでも上がるみたいね。イツアク・ベントフの本に症例が載っている。 症例、といういうように必ずしもいい状態ではない。少なくとも肉体的には。 まあ、禅でもおかしくなる時はなるし、(特に公案はクルね、、、) あんまりハマりすぎないほうがいいかな。どんな瞑想にも。。。。 ただ、とにかくヘンな意識状態を体験したいという人には ドラッグの代わりにお勧めしようか。。。犯罪者になるよか、いいか。。。。
595 :
名無しさん@1周年 :02/06/27 19:53
ヘンな意識状態ならSEXでも体験できるらしいけど・・・。 ところで、瞑想やってると性欲って無くなってくるの?
596 :
名無しさん@1周年 :02/06/27 21:42
>>593 TM経験者?どこから、そう言ってるんだろ。
597 :
名無しさん@1周年 :02/06/27 22:47
肉が食えなくなるのもアーユエウヴェーダマニアになるのもマヘシが地上の指導者になるのも説明がつくよ。
シャンカラチャリアになれなかったマヘシの怨念?はすごいよ。
今はシャンカラなんかよりも遙かに立派な位置にいるよ。商業的にはね。
TMはうまくいけばリラックスはするよ。だけど副作用の方が大きいよ。
真面目にやるほど副作用は大きくて体を壊すよ。
奇特な人がいたらこのHPを日本語訳してUPしてあげなよ。
http://www.suggestibility.org/
599 :
名無しさん@1周年 :02/06/29 09:34
どの瞑想法も大差はないのに 特定の瞑想法を必死で叩きながら その周辺に正解をさがしている人たち。 正解なんてどこにでもあるんだけどな。 このスレでも疑心暗鬼で結局瞑想を実践しない者が 珍説を唱えている。 どうせやらないなら興味ももたなきゃいいのに。
600 :
名無しさん@1周年 :02/06/29 11:20
>>599 そのとおり。瞑想は、実践してその人個人の経験だけが、大事。
瞑想スレのああだこうだ言っていることなんて、何の役にもたたん。
スレの情報に流されることなかれ。答えは、自分の内面にある。
まるで、絵に描いたもち。
601 :
名無しさん@1周年 :02/06/30 10:42
>まるで、絵に描いたもち。 懐かしい響きだ。 役にたたなそうなのは同意だが、面白いからええんちゃうのん?
>>599 >どの瞑想法も大差はないのに
そんなことはないでしょ。
たとえば、「イメージ瞑想」と「禅」。
瞑想する動機だってひとさまざま。
いわゆる願望実現のためにいわゆる瞑想を行う者もいれば、
いわゆる悟りのためにいわゆる瞑想を行う者もいる。
なぜ「いわゆる」なのかといえば、そもそも「瞑想」やら「悟り」の定義がみんな違う。
>瞑想は、実践してその人個人の経験だけが、大事
そうですね。
でも、最終的には個人の経験も大事じゃない。
>何の役にもたたん。
ま、そうですな。。。。2ch見てないで内面を見るべし、、、か。
初心者は「外側」を見るというのも良かったりするんですが。
たとえば、目をつぶって、聞こえてくる音を、特にどの音を聞こうとせず(聞く音を選択しない)
ただ聞く。。。。。前後・左右・上下360度に開け放たれた「球体のような注意力」を喚起する。
これだけで、思考は静まるもんです。
個人的には、マントラやエネルギー操作を伴うものよりも、
こういった「知覚の位相を微調整」する方法が最近は好みです。
603 :
名無しさん@1周年 :02/07/01 13:21
>こういった「知覚の位相を微調整」する方法が最近は好みです。 仏陀ですらこんな難しい表現のし方はしないのですから、 もっと平易な言い方をしてください。できるはずです。 かえってこの人、まだまだやなあって感じがします。 私も無になろー無になろーとしてマントラを唱えたりするのは、 何かを否定しているようで性に合いません。何の操作もせず ただひたすら呼吸を見つめるヴィパッサナーが好きです。
>>こういった「知覚の位相を微調整」する方法が最近は好みです。 >仏陀ですらこんな難しい表現のし方はしないのですから、 もっと平易な言い方をしてください。できるはずです。 じゃ、「ものの見方を変える」でどう? ま、「見方」よりも「知覚の仕方」の方が正確なんだけど。 >かえってこの人、まだまだやなあって感じがします。 もちろん、まだまだですよ。 まだまだ、じゃない境地を御存知のようで、うらやましい限り。 いや、イヤミじゃなく。 あなたの境涯を教えてください。
>何の操作もせず >ただひたすら呼吸を見つめるヴィパッサナーが好きです。 ついでにツッコミ。 「ひたすら呼吸を見つめる」というのは、ある意味では「操作」ですね。 呼吸以外のものを「びみょーに否定」しているですね。 無努力の気付きがあって、「呼吸も見てしまっている」んであれば、 無操作、無為なんでしょうけど。 いや、細かいツッコミでごめん。
>非在さん 「知覚」はOKです。「位相」という単語がチョト難しいと思われ。 私は「まだまだ」のレヴェルにもまだまだの者です。 瞑想に心惹かれて入り口でもじもじしています。 仏陀は「四つの真理」を説きました。(と本で読みました。) この世には苦しみがある。 その苦しみには原因がある。 その苦しみには終わりがある。 その苦しみを終わりに導く方便がある。 この四つです。 私は、「苦しみには終わりがある。」と言った仏陀の言葉を信じている といった段階にいるだけです。こんな段階でカキコしてスミマセン。 >「ひたすら呼吸を見つめる」というのは、ある意味では「操作」ですね。 >呼吸以外のものを「びみょーに否定」しているですね。 確かにおっしゃるとおりです。コレも操作ですよね(w そもそも悟ってない のですから、何の操作(方便)も必要ないはずはないですよね。 ところで、あなたのおっしゃる「無努力の気づき」ができるなら それは「悟っている」と言ってもいいのではないかなあ? 細かいツッコミとは思いませんよ。鋭いツッコミだと思いました。
追加。 「ひたすら呼吸を見つめる」のも操作のひとつですが、 マントラを唱えるのと同類の操作ってわけでもないようにも思います。 マントラを唱えている時って自分自身については、何も見てないですよね。 呼吸を見つめている時は、少なくとも自分の呼吸は見ている。 やっぱ、 自分自身を含めて「いまこの瞬間に起こっていること」に気づいてないと 瞑想とはいえないのではないかと・・・思うのですが。 全面的に「いまに在る」ことが悟りであると思っている私としては。
>ところで、あなたのおっしゃる「無努力の気づき」ができるなら >それは「悟っている」と言ってもいいのではないかなあ? 。。。いや、偶発的に「無努力の気付き」が起こることがあると思う、、、 というか自分の体験からそういえます。でも、それは悟りでもないし、 禅でいう小悟でもないような気がします。 「無努力の気付き」はもちろん意図して起こせるものではありませんけど、 努力的な気付き、、、の努力がふとゆるんで努力を忘れてしまった時や、 あるいは深く無意識(眠っているようないないような状態)に沈んでしまって、 ふと、意識が覚めるような時に起こりやすいようです。 >マントラを唱えている時って自分自身については、何も見てないですよね。 これについては、やろうと思えば、見ることはできると思う。 マントラによって起こる心身の変化を見守る、、、とか。 参考までに、、、、タントラヨガの「アジャパ・ジャパ(称名なき称名)」という 手法はヴィパサナ+マントラヨガとでもいうべきもので、 クンダリーニに働きかける方法とされています。 ヴィパサナも「お腹の動きだけ」に注目するやり方ならいいのですが、 「呼吸の上下動」に注目すると、エネルギーの上昇が起こり、ハイになったり、 人によっては体調を崩すことになるかと思うのですが、 僕の場合、いわゆるテラヴァーダ系の正式なヴィパサナをやったわけではないので 確信的なことはいえません。 ヴィパサナを実践していて、そこのところはどうですか?
>非在さん 私は本で読んで自宅で独習しているだけで、ぜひ知って頂きたいと 思うほどの境地は経験していないので、質問されるとすごく恥ずかしい。 それとクンダリーニをどうこうすることにはあまり関心がありません。 吐く息、吸う息を見つめているはずが、昨日行った美容院のカコイイ お兄さんの顔を思い出していたり、ちょっと気まずくなった友人関係の ことを考えていたりする自分を発見して、「またや!」とびっくりします。 ほとんどずーーーーっと何かを考えている。しかも内容はバラバラ。 時々何も考えてないなって瞬間はありますが、多分1分も続いていない と思います。たとえ3分でも頭がからっぽになったら、何かが変わる だろうと思う。 精進します。 ココでみなさんの考え方や体験談をいろいろと聞けるのが楽しみです。 あ、TMのことはインドの誰かさんがあれはインチキだと言っていて、 私はそれを読んで納得してしまいましたが、どーなんでしょうね。
瞑想に限らず内的なことについては、他人の意見や判断は 参考にはなりますが、自分自身への解答にはなりません。 瞑想で接する内的な体験は生ものです。そしてその評価も時間と、 その人の経験によって変化していくものですから、一時的な 判断や評価が全てではありません。体験に囚われないことが 重要かと思われます。
>>603 さん
>あ、TMのことはインドの誰かさんがあれはインチキだと言っていて、
・・・ってoshoのこと?ですよね。
oshoはマハリシ嫌いだからな。。。
クリシュナムルティは「コカ・コーラ」と唱えていればマントラヨガになる、、、と
皮肉をこめていってたようですが、
いわゆる気持ちいい状態になりたければ濁音をまぜたほうが効果的。
「かつどん」とか。あと、口を閉じて「んー」とハミングするのもいいかな。
いろいろな母音で、体のいろんなところに響かせるのも面白い。
>それとクンダリーニをどうこうすることにはあまり関心がありません。
望む、望まないにかかわらず、
ヴィパサナやってるとエネルギーが上がりやすくなると思います。
以前ちょっと指導してもらっていた禅師がそう言っていたんですが、
実際、僕も5時間ぐらいぶっ続けでヴィパサナした時はアタマにエネルギーが
上がってしばらくの間とてもハイな状態を味わいました。
でも、
>>774 さんの言うように、そういったエネルギー体験やらヴィジョン体験、
ハイ体験にとらわれないほうがいいんでしょうね。重要なのは「体験内容」ではなく
「体験者(意識)の本質」だと思います。
僕も日夜、意識の中心を探して「見ている者はどこにいるんだ〜」と
探しまわっています(笑
クンダリーニに関しては、意図的に働きかけることはお勧めしません。 秘教の本でも、直接的に内在する火を呼び起こすことに関しては秘められて います。呼吸法を用いるような肉体から働きかけることは、本物のクンダリーニ の覚醒とは関係ないと思います。そう安いものではないし、安物のように扱う べきでもありません。どこかお店に行って手に入れられるものではありません。 そう思っている方は火傷をするでしょう。 真にスピリチュアルに価値のあるものは与えられるものです。 しかも、自我が望むか望まないかには関係がありません。瞑想とは関わり を持たない人でも突然クンダリーニが目覚めることはありえます。また前世と同じ 高見に上るために、一連のスピリチュアルな体験をすることもあります。 そのような出来事があってから瞑想を始めるというのもごく自然です。 そう。瞑想は自分がするものではなく、与えられるものです。それを理解し、 敬虔に受け取る用意が整っている人にやってくるでしょう。
613 :
宣伝ぢゃないよ :02/07/05 08:23
Psychol Rep 1995 Jun;76(3 Pt 2):1171-93
「カナダにおける生活の質の改善の経時的分析:社会的変容、集合意識、
そしてTM-シディプログラム」
Assimakis PD, Dillbeck MC.
ギリシャ・アテネ・クレタ大学
カナダにおける二つの反復研究により、社会的変化に対する意識の影響の
フィールド理論が吟味されている。
外因変数を超越瞑想・TMシディプログラム(アイオア)における北アメリカ
最大規模のグループ実修への参加者数とする。
初回の研究では、経時分析および移動機能分析の両法を使用することにより、
1983年から1985年の間の外因変数の変化の後の数週間に、暴力的な死(殺人、
自殺、交通事故)の有意な減少が示された。
第二の研究では、経時分析により、実験期間中及び期間後において、
月刊「basis for Canada」誌1972年から1986年掲載分で利用可能な行動変数
(殺人、自殺、自動車事故、タバコ消費量、ストライキによる労働日数の
減少)からなる指標に基づく生活の質の有意な改善が認められた。
この知見の理論及び社会政策に対する影響が簡潔に述べられている。
(超越翻訳)
PMID: 7480483
訳に責任は持たない。興味があったら原典に戻れ↓
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/entrez/query.fcgi?cmd=Retrieve&db=PubMed&list_uids=7480483&dopt=Abstract
614 :
名無しさん@1周年 :02/07/05 14:45
615 :
名無しさん@1周年 :02/07/06 00:46
>>613 ちなみに√1%って人口1億3千万に対して115人のシダーさんという計算で合ってる?そのぐらい日本にもいるんでしょ?
今マハ研が集めてるのって1000人のシダーとか言ってるけど、そうすると100億の人口って訳?そのぐらい世界中でいるんじゃない?計算違ってたらスマソ。
正しい計算示しちくり。
616 :
こんなのもあった :02/07/06 01:31
Biol Psychol 2000 May;53(1):69-78
「瞑想後の夜間血漿中メラトニン濃度の急速な上昇」
Tooley GA, Armstrong SM, Norman TR, Sali A.
School of Psychology, La Trobe University, Victoria, Bundoora, Australia.
瞑想がメラトニン濃度に影響を与えるか否かを確かめるため、2グループの瞑想者
を、深夜の血漿中メラトニン濃度変化の繰り返し測定実験によって試験した。
TMシディまたは他の国際的に良く知られているヨガの技法のいずれかに熟達した
瞑想者は、対照の同時刻の同じ期間と比較して、瞑想直後に有意に高い血漿中メラ
トニン濃度を示した。
少なくともここで検討した二種類の瞑想は、血漿中メラトニン濃度に影響を与えう
ると考えられる。
これがホルモンの肝代謝の減少によるものか、松果体に対する直接の影響による
ものかは明らかではない。
どちらにしても、一日の適切な時刻における生理学的メラトニン濃度の促進は瞑想
の健康増進効果に対する一つの理由なのかもしれない。
(超越翻訳)
PMID: 10876066
訳に責任は持たない。興味があったら原典に戻れ↓
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/entrez/query.fcgi?cmd=Retrieve&db=PubMed&list_uids=10876066&dopt=Abstract
メラトニンは睡眠導入薬として、アメリカのスーパーで簡単に手に入るホルモンの一種。 時差ぼけの解消のためにスッチーが良く使うと言う。 日本厚生労働省不認可。 瞑想は時差ぼけの解消に役立つかも。
J Behav Med 1992 Aug;15(4):327-41
「超越瞑想およびTM-シディプログラムの実修における血漿中硫酸デヒドロエピ
アンドロステロン濃度の上昇」
Glaser JL, Brind JL, Vogelman JH, Eisner MJ, Dillbeck MC, Wallace RK,
Chopra D, Orentreich N.
マハリシ国際大学(アイオア)生理学・生物学講座
血漿中の硫酸デヒドロエピアンドロステロン(DHEA-S)濃度を、超越瞑想(TM)と
TMシディプログラム(瞑目と静座からなる日に二回のメンタルテクニック)の
実修者男性270人と女性153人に関して測定した。
これらを非瞑想者男性799名と女性453名に対して性別と5歳間隔のグループ
分けにより比較した。
TMグループの平均DHEA-S濃度は女性の全11段階の年齢グループにおいて、そして
男性の40歳以上からなる6グループにおいてより高い値を示した。
若年男性に系統的な相違は認められなかった。
TMグループのデータの単純回帰分析から、この効果は食物、ボディマス指数、
運動量には依存していないことがわかった。
全女性と老年男性のTMグループにおける平均濃度は一般的に5〜10歳若い非瞑想
者グループに匹敵した。
これらの知見は、TM実修者の特徴が副腎皮質から分泌されるDHEA-Sの年齢依存的衰
退を調整していることであることを示している。
(超越翻訳)
PMID: 1404349
雑誌が極めてマイナーなのと、マハリシ大学の研究であるという点で鵜呑みには
できないと考える。
でも、おもろい。
訳に責任は持たない。興味があったら原典に戻れ↓
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/entrez/query.fcgi?cmd=Retrieve&db=PubMed&list_uids=1404349&dopt=Abstract
619 :
名無しさん@1周年 :02/07/08 01:41
ちなみにデヒドロエピアンドロステロンはテストステロンの前駆物質。 回春効果を匂わせているのだろう。
620 :
おれって荒らしぢゃないよな? :02/07/08 01:44
Int J Neurosci 1990 Sep;54(1-2):1-12
ヨギ・フライング時における脳波の干渉と強度
Travis FT, Orme-Johnson DW.
マハリシ国際大学
ヨギ・フライング(YF)のTM-シディテクニックを実修している10人の被験者の
大脳前頭葉中央および頭頂野の脳波強度およびその干渉を、
YFのホッピングを模倣するために座った姿勢でジャンプしている10人の
対照被験者と比較した。
全ての運動における偶発的な要素を、シグナル分析の前に除去した。
もっとも有意な群間差は、跳ね上がる(上昇する?)直前の2.12秒に認められた。
すなわち、YF被験者は30-32 Hzの強度とシータ、アルファ、
ベータ(広域)干渉が対照群よりも有意に大きかった。
YF群内で、初期の30-32 Hzの強度と広域干渉は2.21秒期より前および
全YF期間よりも有意に大きかった。
対照群に有意な群内差は無かった。
脳波の類似性がTM実修の純粋な意識状態の経験時に報告されていることから、
「純粋意識」の経験はTM-シディを成功に導くものと考えられる。
(超越翻訳だからね)
PMID: 2265953
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/entrez/query.fcgi?cmd=Retrieve&db=PubMed&list_uids=2265953&dopt=Abstract ちょっとまともな普通の雑誌掲載分。
621 :
名無しさん@1周年 :02/07/08 17:25
TMのついての否定的な研究についても話した方が公平でないですか。 セロトニンの増加の報告もありますね。 ちなみにマハリシ国際大学って2年連続全米大学ワースト1ですが、こういう分りやすい説明がいいな。 記憶力や知能が高まる筈だったけど逆でした、って分かりやすい。
622 :
名無しさん@1周年 :02/07/08 19:41
>TMのついての否定的な研究についても話した方が公平でないですか。 否定的なのってなかなか表に出てこないんだよなぁ。 まともな論文として。 あったら教えて。 >ちなみにマハリシ国際大学って2年連続全米大学ワースト1ですが、こういう分りやすい説明がいいな。 なにがワースト1だったの? >記憶力や知能が高まる筈だったけど逆でした、って分かりやすい。 そんな結果があったのですか?
623 :
名無しさん@1周年 :02/07/08 21:03
624 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 04:24
>>623 せっかく引用されたので、読みやすい記事を訳してみた。
しかし新聞記事は本当は趣味ではない。
ええかげんな内容が多いし、第一日本語にし難い。
Group Says Movement a Cult by Phil McCombs, Washington Post. Thursday, July 2,
1987; Page C03. (Excerpts)から。
マハリシの啓蒙の時代ニュースサービスからの新聞発表は、彼の「世界平和を生み出す
プログラム」を大々的に喧伝している。
『国家資本において明らかとなるTMシディ“ヨガ飛行”技術』
マハリシのスポークスマン、マハリシ国際大学自然法学部のマーク・ハヴィランド氏は、
昨日、「ホッピング」はヨガ飛行の第一ステージであると発言した。
彼はさらに、「浮揚」と「実際の飛行」(第二、第三ステージ)は未だ達成されていない、
と付け加えた。
我々が今までに体験した結果があれば、第二、第三ステージを達成するまでの時間は長く
ないと感じる、とハヴィランド氏は語った。
彼は、重要なのは「飛行」が個人的・協調的にもたらす干渉であり、それは世界を平和に
導くことである、と語った。
(当然超訳)
飛べると本当に信じているところが痛いというか怖いが、
みんなで浮遊する平和な理想世界。なんかすてきだ(w
625 :
名無しさん@1周年 :02/07/09 04:26
ところで大学ランキングの見方がよくわからない。 ってゆーかまじめに見る気がしない。 結局マハリシ大学はおばかなのか?
626 :
名無しさん@1周年 :02/07/10 00:01
TMの話は、TMのスレでおながいします。
Int J Neurosci 2001 Jul;109(1-2):71-80 サンスクリット文および現代文の読書と比較した超越瞑想実修時の身体的傾向 Travis F, Olson T, Egenes T, Gupta HK. マハリシ経済大学心理学講座, Fairfield, Iowa 52557, USA. これは、意味の分からないベーダサンスクリット文書の読書が異なった身体状態をもたらすという 予想に関する研究である。 我々は脳波、呼吸数、心拍数、皮膚伝導度を、(1)15分のTM実修、(2)15分のサンスクリット 文書、the Bhagavad Gita の詩の読書、(3)15分のドイツ語、スペイン語、あるいはフランス語で 翻訳された同じ詩の読書期間中に測定した。 二種の読書条件は無作為に交換され、被験者は効果の継続を減少するために各実験の区切り に体験の書式を記入した。 皮膚伝導度はサンスクリット読書とTM実修の間に有意に減少し、現代文読書時にわずかに増加 した。 アルファ波強度と干渉は、現代文読書時と比較してサンスクリット読書とTM実修時に有意に高 かった。 サンスクリット読書とTM実修時の同様な生理学的傾向は、TM実修時に獲得される状態がアク ティブな精神的過程と統合される可能性を示している。 (無論超訳) PMID: 11699342 すごい逝っちゃった内容だと思うけど、雑誌はマイナーながらもトンデモ誌ではなさそう。
あたまいてぇ>TM関係者
629 :
名無しさん@1周年 :02/07/11 12:46
TMの話は、TMのスレでおながいします。 TMの話は、TMのスレでおながいします。 TMの話は、TMのスレでおながいします。 TMの話は、TMのスレでおながいします。 TMの話は、TMのスレでおながいします。 TMの話は、TMのスレでおながいします。 TMの話は、TMのスレでおながいします。 TMの話は、TMのスレでおながいします。 TMの話は、TMのスレでおながいします。 TMの話は、TMのスレでおながいします。 TMの話は、TMのスレでおながいします。 understand?
630 :
やかましい :02/07/12 18:01
Int J Neurosci 1982 Feb;16(1):53-8 加齢に対する超越瞑想とTMシディプログラムの効果 Wallace RK, Dillbeck M, Jacobe E, Harrington B. 超越瞑想(TM)とTMシディプログラムの加齢に対する影響を評価するために、 聴覚の閾値、近距離視力、収縮期血圧を利用した生物学的加齢の標準試験法 を、平均53歳の交叉区分グループ84人に適用した。 11人の対照被験者、33人の短期間TMおよびTMシディ参加者、40人の長期的 参加者を用いた。 対照群の平均生物学的加齢は一般より2.2歳若かった。 短期間TM被験者は5歳若かった。 長期TM被験者は12歳若かった。 グループ間差は食物因子に対して有意に変動していた。 また、TMプログラム実修の長さと生物学的年齢の間には有意な相関が認め られた(r = -0.46)。 TMに対してなされた多くの身体的精神的研究に加えて、この研究はTMが、 生理学的変動と関連した年齢に結局影響するある神経機構に影響を与える かもしれないことを示している。 (超越翻訳) PMID: 6763007
おい おまいら 翻訳君を知らないのか? 知らないのは、モグリだな。 第2板で「非実践瞑想スレッド」の主人だった。 あそこが実質の閉鎖だから、ここに流れて来たんだろう。 正しい翻訳君の楽しみ方は、翻訳君を無視して他の会話をすることだ。 そうすると、いままでちょっとウザかった翻訳が あーら 不思議 モダンアートのような無機質な壁紙に変身するってわけだ。 5回に1回ぐらいコメントしておけば、 喜んでまた新しい壁紙を貼ってくれる。 こんな奇特な方を、他のスレに行け だなんて、もったいない。
632 :
名無しさん@1周年 :02/07/12 22:43
>モダンアートのような無機質な壁紙に変身するってわけだ。 そんなえーもんか。 どーせならアラビア語あたりに翻訳してくらさい。 >翻訳君 素敵な壁紙になるです。
633 :
名無しさん@1周年 :02/07/12 23:01
ここの多くの人がテクニックとして瞑想してるのに対してTMってTMであることに固執してるから相手にされなくてイジケテるんじゃ? ちなみにTMの言ってる効果があるんなら他の瞑想でも同じような効果あるでしょ。TMだけ、の効果なんかい?でも俺はマハリシ効果には協力せんぞ。
634 :
名無しさん@1周年 :02/07/12 23:14
おそらくTMってのは、脳内のなんらかの働きのみならず、甲状腺の働きも 関係しているだろうと思うぜ。 何かをつぶやくように唱えるとか、思う、ってときは、人はのどがうなって いる場合がある。そこでまず甲状腺の刺激が起きて、そこでのクンダリニが 出て、脳に回るときの効果があるのが一つで、もう一つは脳内での麻薬物質 の分泌それ自体でもあるだろうなあ。 その効果が混ざったものだ覚醒的効果をもたらす、ということではないかい。 それを、霊的なものと結びつけないで、雨だの傘だの車だのと言った物的 概念を意味するものに結びつけるところにこのTMの特徴があると思う。 そういうものでも、それなりにそうした内分泌腺の活性化効果はある ということなのだろう。 言葉としての繰り返しがある程度までいくと、最後は概念の思い浮かべ だけでも同様の効果をもたらすようになることもわかっている。
TMの中の蛙、退会を知らず
636 :
名無しさん@1周年 :02/07/13 00:44
>>634 TMやったことないだろ。頭の中だけの論理まるみえ。TMの経験がなく、知識がない者が
TMを語るなかれ。ちなみに、私はTM瞑想者。TM初心者なら、もっと勉強しなさいと警告しておく。
637 :
ほるもんとめーそー :02/07/13 02:24
Psychoneuroendocrinology 1997 May;22(4):277-95 適応メカニズムに対する超越瞑想プログラムの効果:4ヶ月実修後のホルモン濃度 の変化とストレスへの応答 MacLean CR, Walton KG, Wenneberg SR, Levitsky DK, Mandarino JP, Waziri R, Hillis SL, Schneider RH. Center for Health and Ageing Studies, Maharishi University of Management, Fairfield, IA 52557, USA. ストレスは心身の疾病と関連している。 ストレスが健康を損なうメカニズムは良く知られていない。 しかし、動物実験によって、慢性的ストレスがコルチゾールの基本濃度を増加し、 急性ストレス要因はコルチゾール濃度が低下することが示唆されており、このような 変化は疾病に寄与している可能性がある。 今までの超越瞑想(TM)の抗ストレス効果に関する研究によって、TM実修の最中 および長期予後における数種類のホルモン濃度の変化が報告されてきた。 今回の無作為試験では、TM実修あるいはストレス対照条件の4ヶ月前後に、実験的 ストレス要因に対する基礎濃度変化および急性応答を4種類のホルモン、すなわち コルチゾール、成長ホルモン、甲状腺刺激ホルモン、テストステロンに関して検査 した。
試験前後に装着したカテーテルから血液を継続的に採取し、血漿または血清サンプル をラジオイムノアッセイにために凍結保存した。 この結果は、4ヶ月後の各ホルモンに関して2グループ間に有意差を認め、もしくは 有意な傾向を示した。 TMグループにおいて、対照群とは異なり、ストレス負荷後の基礎コルチゾール濃度 と平均コルチゾールはテストの前から後へと減少した。 しかし、ストレス要因に対するコルチゾール応答は対照と比較してTM群で増加した。 TSHとGHの基礎的濃度またはストレス応答はテストステロンの基礎的濃度と同様に グループ間で逆方向に変化した。 すなわち、コルチゾールとテストステロンの結果は、TMの繰り返し実修が健康に 対する慢性的ストレス刺激の影響を排除することを示すデータを支持していると考 えられる。 観察されたGH制御の変化の群間差はコルチゾールの相違に由来している可能性があり、 一方TSHに関する結果は慢性ストレスの影響に対する初期の知見とは単純に連関しない。 (超越翻訳) PMID: 9226731 この雑誌は信用できる中堅誌だす。 ちなみに瞑想と甲状腺ホルモンでは論文なかったよ。
ここは実践瞑想スレッドだから、TMもそれに入るけれど、 TMを宣伝する場所ではないよね。 TMが素晴らしいと思うのは結構だと思いますが、その効果と 危険性も含めた形でバランスよく誰が読んでも客観的に評価 できるようなカキコをしないと誰も相手にしないと思いますよ。 個人的にはTMをやったことがないのでなんとも言えませんが、 TMマンセーカキコは、初心者瞑想者の厨房にしか思えません。 瞑想は体験をもたらすのですぐこういうマンセーになりやすい。 これはTMに限らずだけど。そういう反面教師的なカキコは歓迎 しますけどね。
640 :
名無しさん@1周年 :02/07/14 10:27
638、何やってんだろう。TMは科学的に証明されているなんていうのは、 TM瞑想者だけの寓話です。TMに関係ない人間が、読むはずも、それを 読んで受け入れるはずもありません。TM関係者は、もっと現実を直視しないと 恥ずかしい。そういう奴らが多い。バカ丸出し。俺の周りにいたよ。 妄想の域に入ってる。
641 :
名無しさん@1周年 :02/07/14 11:25
印度には自分独自の瞑想をやってる人がいっぱいいるらしいね。 一日中後ろ向きに歩く修行とか一日中喋り続ける修行とか・・・。 組織や集団に所属して安心しちゃうより、オリジナルな修行が できたらいいなあって思います。 TMってカルトっぽいね。それに、アムウェイとどこが違うの? TMでなければ悟れないはずはないのだから、こんなんもあるよ、 で済む話でしょ?数ある瞑想の一つにすぎない。 TMの伝道者になりたいのか、自分自身になりたいのか??
>>639 まんせーに見えるのか?
意外に痛い奴だな。
信憑性の高い論文の内容は真実であることが多い。
おれを相手にする必要はないが、真実を知る機会を大事にすることだ。
一応断っておくが
>>454 で指摘したようにTMは科学の仮面を被ったトンでもである可能性が高い。
だいたい日本人はTMについてしらなすぎるんでないか?
http://www.unstress4less.org/transcendental_meditation-myths.htm Notes of a Fringe-Watcher - Doug Henning and the Giggling Guru by Martin Gardner.
Skeptical Inquirer magazine, May/June 1995. (Excerpt) から。
ヴェーダの飛翔はシディのなかで最も喧伝されてきた。
TM当局によってばら撒かれた写真は蓮華座で一見中空に浮かんでいる信者を示している
この写真は誤解を生み出す。
部外者に空中浮遊を見せたTMerはいまだに一人もいない。
せいぜい彼らは蓮華座で折り曲げた脚のままスプリングの利いたマットレスの上で
ちょっとだけ跳ね上がれることを示せるだけだ。
このまがい物の写真は、仮想的浮遊者が跳ね上がった頂上でスナップされたものだ。
記事ってのはどうでも良いようなこういういちゃもんが多いのであんまり面白くないのだ。
642さんの立場がよくわからないな。 TMマンセーでないなら、TM批判者なのか? どっちなんだろうか。いずれにしろそういう話題は この板にTMスレが立ってるからそっちでやってはどうだろう。 いきなり論文引用のTM賛成または批判のカキコされても よくわからないと思います。発言さかのぼるとヴェーダ学んで いる人でもTM批判する人はいますね。 そうでなければ「あなた」がTMをやって良かったことや 疑問に思ったことをここで書いてはどうだろうか。 その方が論文を引用するよりも皆に読んでもらえると 思いますが。自分が書きたいものより、人が読んで納得 したりためになることを書くと瞑想の実践面で皆の役に 立つと思いますよ。 私の友人に元TMerも、現TMerもいますがまじめにやってるし 彼らは彼らで選択したのだから私がどうこう言うことでもない でしょう。けれども彼らは私にTMを押しつけたりしないし、 TMについて詳しいと同時に一般論で瞑想を語れる人たち です。 そしていくら瞑想たくさんやったところで、急に世の中が良く なったり霊的な成長があるわけでもないし。人類全体の意識 の上昇が必要なのです。確かに瞑想者はそれに一役買って ます。もし自分の意識が高いレベルに達するなら、それは人類 全体のレベルアップにつながるようです。本当に理解のある人 は周囲が理解があるかなど気にかけません。もちろん自分への 批判も、自分のグルや系統に対する批判もです。そして黙々と 自分のなすべきことをし、瞑想するでしょう。そしてその人のハ ートは世界に開かれているでしょう。 私たちは世界です。私たちのハートは世界中の生きとし生ける ものにつながっています。ですから瞑想者の責任は、自分の灯り を高く掲げて世界を照らすことです。この責任に気づくとき、 瞑想の若葉マークがとれるんだと思います。
>>643 >TMマンセーでないなら、TM批判者なのか?
あらゆる事象に対する批判者である。
神智学も批判したいところだが、被っている衣が科学と言うには余りにも
痛々しすぎる故に俎上に載せないだけだ。
>どっちなんだろうか。いずれにしろそういう話題は
>この板にTMスレが立ってるからそっちでやってはどうだろう。
よってTMにしか関心のない奴が集まるような駄スレに行く気はない。
ちなみにおれは瞑想者ではないので体験談など語りようもない。
気に入らなかったら脳内あぼーんしといたらどうだ?
壁紙として楽しむという手もある(w
>>643 >TMマンセーでないなら、TM批判者なのか?
あらゆる事象に対する批判者である。
神智学も批判したいところだが、被っている衣が科学と言うには余りにも
痛々しすぎる故に俎上に載せないだけだ。
>どっちなんだろうか。いずれにしろそういう話題は
>この板にTMスレが立ってるからそっちでやってはどうだろう。
よってTMにしか関心のない奴が集まるような駄スレに行く気はない。
ちなみにおれは瞑想者ではないので体験談など語りようもない。
気に入らなかったら脳内あぼーんしといたらどうだ?
壁紙として楽しむという手もある(w
コピペをミスった(w
>644 >神智学も批判したいところだが、被っている衣が科学と言うには余りにも >痛々しすぎる故に俎上に載せないだけだ。 批判するならそれを知らないとね。
647 :
ぢゃあ勉強だ :02/07/16 04:40
Physiol Behav 2001 Jan;72(1-2):141-6 超越瞑想実修におけるカテコールアミン濃度 Infante JR, Torres-Avisbal M, Pinel P, Vallejo JA, Peran F, Gonzalez F, Contreras P, Pacheco C, Roldan A, Latre JM. Nuclear Medicine Service, Reina Sofia Hospital, Avenida Menendez Pidal s/n, E-14004 Cordoba, Spain. 超越瞑想被験者の交感神経−副腎系の評価を目的として、彼らの血漿カテコールアミン 濃度を一日二回測定した。 この研究はTMまたはTMシディプログラムを常に実修している19人の被験者と、前もっ ていかなるリラックテクニックも使用していない16人の健常被験者の対照群を用いて 行った。 カテコールアミン血漿濃度をHPLCを用いて9時と20時に測定した。 朝夕のノルエピネフリン濃度と朝のエピネフリン濃度はTM群が対照被験者に比較して 優位に低かった。(注:データ省略) 夜のエピネフリン濃度とドパミン濃度に変化は記録されなかった。 TM群では、異なった時間におけるカテコールアミン濃度に有意な相違は認められなかった。 これは日毎のホルモンリズムの消失を意味している。 不安の度合いは両群で同程度だった。 この結果に基づいて、TMの恒常的実修は交感神経−副腎系に有意な影響を与えると 考えることができる。 恒常的TMを通して交感神経を調整することによってもたらされる日々のストレスに 対する低いホルモン応答は、生理学的な効果などが瞑想実修者の健康に関連してい るのに加え、我々の結果を説明できた。 (超越翻訳ですから・・・) PMID: 11239991
648 :
神智学って :02/07/16 04:40
英語でなんていうか教えてよ。
649 :
名無しさん@1周年 :02/07/16 19:46
>>644 しかしまあ!
未体験者がどうどうと、、、。
650 :
未体験だから :02/07/16 20:38
客観的になれる。 ドウドウとしてはいけないのか? いけないのならコソコソやるが。
651 :
名無しさん@1周年 :02/07/16 23:08
でも悟りを開く前の釈尊が 悟りを語ったでしょうか? 未経験の意見が客観的な見方?
652 :
客観的ってのは :02/07/17 00:54
主観を交えない論理的な見方のことだよ。 体験していない方がいいの。 それにおれは実験事実しか扱ってないでしょ? 悟りを語るなんてムリムリ。
653 :
名無しさん@1周年 :02/07/17 02:07
>>悟りを語るなんてムリムリ 私もそう思う。釈尊まで近ずけるとは思っていないから。 >>それにおれは実験事実しか扱ってないでしょ では実験結果を書いた書物なんかで語らずに、自分の実験(体験) を語ったらいかがでしょうか。(ちなみに私もTM経験者です) >>客観的ってのは主観を交えない論理的な見方のことだよ。 主観を交えないのは確かに正しいけどない知識(机上論)で論理的な見方をしても 的外れなのでは? 書いてて馬鹿らしくなったので止めます。 通りすがりの人間でした。
654 :
名無しさん@1周年 :02/07/17 03:11
>>648 神智学は英語で「Theosophy」です。
655 :
名無しさん@1周年 :02/07/17 03:28
656 :
こんなのどぉ? :02/07/17 05:15
超越瞑想の天候に対する報告された影響の検証 by Franklin D. Trumpy. Skeptical Inquirer, Vol. 8, No. 2. Winter 1983-84, pp. 143-148. 天候に対する多人数の瞑想の効果に対するTM運動の研究が、極めて不正確に 述べられていることが見出された。 この研究は、以下の内容を解明した。 すなわち、ある契約業者が国内天気予報(the National Weather Forecast)を 翌日の配送前に各時間で確認しており、しかも瞑想者達はこの委託業者がすでに その予報を確認し終えた後に、その日の後にだけ暖かい天気を探していた。
657 :
Theosophyで :02/07/17 05:21
>>654 medlineを検索してみたけれど瞑想関連では何もかかってこなかった。
(関係なさそうなどうでもいいのが6件かかってきたけど)
神智学はTMのような形式に則った科学の皮を被っていないので、手も足も
出ませんです。
悪しからず。
私は瞑想によって、自己実現というかですね 現実を動かすということがあるんです。 高校のときですか、私は決して頭のいいほうではなくて まあせいぜい帝京大とかそんなもんだろうと思われてたんですが 強烈な瞑想、ヨーガを続けましてね、 某有名大学に受かったんですね。 その後ヨーガはある種の怖さがって止めてたんですが その後不遇な時代があって、こりゃ瞑想にすがるしかないか・・・ と思って数日間実践してましたところ、具体的に「いいこと」があったんです。 これって偶然ですかね? こんな体験ありますか? これって普通ですか? 人にやさしくされたとかじゃなくて、具体的に望んでたことが 実現すること・・・異常なことなのかな・・・
659 :
名無しさん@1周年 :02/07/18 22:22
>>658 その経験は、ただの偶然か、そうでなければ、あなた、悟りに近いのかも。
私が瞑想してても、いいことがあると、瞑想のおかげとか考えがちで、第三者から見ると
ただの偶然だよ、みたいなことは多々あります。その評価が難しい。
強烈なヨーガってどんなのか知らないけれど、短期間で、私的にはいいことがあるというのは
考えにくいです。そうでなければ、元からそういうレベルにあるということなのかなと思います。
または、その強烈なヨーガのせいなのかも。
他の人はどう考えるんでしょうね。でも、長く瞑想続けてると良いこととか
起こっても起こらなくても、どうでもいいっていう感じ。最初はみんな効果を期待してしまうんだな。
私がやってたのはクンダリーニヨガです。 ちょっとインチキ風ですけども。
>>660 オウム系? 雨宮ダイジ系? それともSKY系か・・・?
クンダリーニ上がりました?
だいじ系かも SKY系ってなんすか? っていうかだいじ系がどういう評価されるのかしらないんすけど
だいじ系か、、、僕も本で読んでやったことが。 だいじの弟子に坐禅を教わったこともあったけど、 クンダリーニヨガは教えてくれなかったな。。。。
SKYとは「シンプリファイド・クンダリーニ・ヨガ」の略で、 日本でもずいぶん前にセミナーをやっていた。 ところで、「だいじ系かも」の「かも」ってどういう意味?
ニルヴァーナのプロセスとテクニック を読んで自己流だったんで・・・
おひさのTMマンセー厨房です(w >642さんの立場 >主観を交えない論理的な見方のことだよ。 >体験していない方がいいの。 非常に大切だと思う。ちゅうか、これがあるから現代なんだと思う。 狂信的な争いが少数で色んな瞑想とか宗教とか語り合える、 こういう思想が現代に出来たのは素晴らしい人類の財産だと思う。 >TMが素晴らしいと思うのは結構だと思いますが、その効果と >危険性も含めた形でバランスよく誰が読んでも客観的に評価 >できるようなカキコをしないと誰も相手にしないと思いますよ。 同意。 ただTMは原則として「瞑想体験を語ってはならない」ことになって るので、カキコしにくい。 仰るように相手にされなくなったし(w と、言うわけでまた瞑想・TM関係スレからは退散しまあす。。
あ、じゃあ僕と同じだ。。。 うーん。願望実現にも使えるのか・・・あれって? ガンさんの特異体質のような気もするけど。。。。 でも、クンダリーニヨガってそんなに強烈だった? 手法自体の強烈さでいうと、和尚のダイナミック瞑想あたりが一番だったかな。 体験の強烈さでは公案にうまくハマると、クル。 ま、こういう「瞑想ジャンキー」的な話も深夜な感じでたまには。。。
ちなみにぼくは チャクラというのも明確に捕らえることができません。
和尚のもやったことありますよ あ〜〜〜〜って言いながらガンガン飛ぶやつ。 アレも効いたかも。 あ、 独学でやっても 呼吸止まりましたよ。でもこわくてそれ以上は・・・
ダンテス・ダイジさんですね。ドーリル博士のエメラルドタブレットについて コメントしていた本を出していたと思いますが。もう故人でしたかね。 彼の写真を十数年前にプーナで見たことありますよ。 しかしドーリル博士自体は私はあまり評価しません。 昔、三浦カンゾウさんがアリスAベイリーと、ドーリル博士を一緒にして 紹介していましたが。クレーム氏は、ドーリル博士はグラマー(幻惑)だと 言ってます。 ダイナミック瞑想もよくやりました。ダイナミック瞑想はクンダリーニを上げ るというよりもカタルシスを主眼においてます。これは和尚ラジニーシの瞑 想に対するアプローチを良く顕してるものですね。 私は意図的にクンダリーニを上げるような瞑想はしたことがありませんが、瞑想にともなって、肉体他、情緒体、メンタル体の浄化については、 瞑想を解説している本であればなんらかの形で触れていると思います。 よく瞑想することでこれらの諸体が浄化されると思っている方もいますが、本来は自分の感情、思考、肉体にどれだけ注意をはらっているかという ことなのです。瞑想者にとってこれらの自分の諸体の性向を見抜いて注 意深く扱わなければなりません。それから瞑想です。 プーナのアシュラムでは、21日間のヴィパッサナもやりました。 あれは凄かった。 今では私はラジニーシの信奉者ではありませんがすべていい思い出 です。グル、瞑想体系、テクニック、スピリチュアルワーク、宗教、 これらすべては梯子です。一段一段確実に上っていくこと。 上っていくには自身の精進と、それに呼応するような未知からの働き かけ(まずい表現です)の両方が必要です。 瞑想は和尚ラジニーシ風に言うなら、「存在」との呼応です。
>668 > ちなみにぼくは > チャクラというのも明確に捕らえることができません。 明確に捉えることはできなくても何の心配もいりません。 かえってその方がいいでしょう。チャクラを意図的に操作 するのは極めて危険です。ここで言う操作とは、ある一つ のチャクラに意識を集中することも含みます。チャクラも 個人によって発達の程度や回転のスピード、各プレーンとの 関連など、非常に複雑ですので、たとえチャクラを明確に 捉えることができたとしても操作はすべきではないと思います。 メンタル界上位の魂からのエネルギーにチャクラの発達を まかせるべきです。要するに自然な発達がイイということでしょう。
>もう故人でしたかね なんで死んだんですか?
>>668 チャクラの形にもいろんな説がありますね。
感じ方は人それぞれみたいです。
>>671 =774
確かにチャクラをいじると自律神経がおかしくなりやすい。
でも、自分の体に意識を行き渡らせるという意味で、順番に軽く意識を向ける程度なら
いいかもです。たしか自律訓練法にも似たものがあったような。。。
が、チャクラを開発したいなら、そのチャクラに対応した人間経験を積むのが一番。
自分がやりたいことをあらかたやった人の方が自然に瞑想に入ると思う。
>>669 ダイナミック瞑想は「あ〜」じゃなくて「フウッ」ですね。。。
どんな瞑想でも呼吸が止まることがあって、時にそれがすごく長く感じられて怖いですね。
グルジェフは呼吸法を間違って行うと「睡眠時無呼吸」に陥るとか言っていたような。。。
>>670 =774
>ダイナミック瞑想もよくやりました。ダイナミック瞑想はクンダリーニを上げ
>るというよりもカタルシスを主眼においてます。これは和尚ラジニーシの瞑
>想に対するアプローチを良く顕してるものですね。
うん。。。和尚のクンダリーニ瞑想もクンダリーニを上げるという感じじゃないしね。
ダイナミックで好きなのは「ストップ!」のところ。
激しい動きをいきなり止めると、それまで肉体と同化していた「観察者」が「意識本体の軸」に
スポーンと(後ろ向きに?)飛ばされるんです。
その習慣はマインドも止まってるから、あるのはただ、「無」と「意識本体」。
この分離がなくなると、ニルビタルカ・サマディかあ、、、とも思うが、
それこそ「意志」ではどうもこうもならん。未知の次元からの「恩寵」が必要カモ。
>プーナのアシュラムでは、21日間のヴィパッサナもやりました。
>あれは凄かった。
ヴィパサナはちょっとやるより、持続的に長時間やっていくとどんどん深まりますよね。
といっても僕は最高五時間程度。。。
>今では私はラジニーシの信奉者ではありませんが
実は僕は信奉者です。いえ、信奉はしてませんが、サニヤシンです。
>>672 享年40歳とあまりに早い死であったため自殺説もありますが。。。
あと、坐禅姿のまま死んでいたという話もあり、意識的に肉体を捨てたという説も。
:::自力と他力::: >上っていくには自身の精進と、それに呼応するような未知からの働き >かけ(まずい表現です)の両方が必要です。 僕自信の体験談を。 始めてインドに行った時、特に瞑想というものはしてなかったのですが、「世界最悪の都市」と異名をとる カルカッタで意識がびんびんに張り詰めて、それこそ「気付き」(外側へのですが)を強制されているような感じに。 それが二週間ほど続いたある日、ちょうど「ブッダの聖誕祭」の日に突如、頭頂部に強い同心円上の「波うち感」がおき、 今にも空に飛んでいけそうな高揚感を感じました。 それは数日間続き、いやなことがあっても、静かにしていると頭頂が波うち始め、高揚感に引き上げられるのです。 後で、これは「持続的な気付き行」と「ブッダの恩寵」によるものではないかと思えましたが。。。 さてさて、どうなんでしょう。。。。 。。。。ていうか、最近いろんな「恩寵」で意識が引き上げられることが多いです。 あんまり言うと「宗教」みたいでいやなんですが。。。。
676 :
名無しさん@1周年 :02/07/19 11:10
>>666 TMは何で体験を語ってはいけないのか?
秘密にしておいて知りたがる人の興味を煽る、知られるとレクチャー代が稼げないってトコなんだろうか。密教ならばそんなものかな。意見交換ができないってのは悲しい話。
受講時に契約書書いてるからかな。辞めた人の話聞いても何も秘密にするような内容じゃないのに。
世界平和を願いつつ秘密ってのはかなり怖い。
>674 非在さんは現役でしたか。私は元サニヤシンですね。 >675 おそらく祝福が送られているのだろうと思います。 瞑想もなにもしていないのに、ふいにってことはよくあることだと思います。 >676 商売の話は抜きにして、こういう世界では「言わない」方が往々にして 良いことがたくさんあります。そしてその人の準備が整ったときに 情報が与えられるものなのです。これ以上は瞑想を実践してないと理解 しにくいところですね。良くて誤解するだけだと思います。
678 :
名無しさん@1周年 :02/07/19 21:18
665to677の瞑想すると、ねがいがかなうの? それは具体的にイメージするとか? 興味あるから、よかったら聞かせてください。それらの、瞑想は願望実現を どのように考えているのですか。
679 :
名無しさん@1周年 :02/07/19 21:26
>678 東大合格東大合格東大合格むんむん!!って祈っても 場合によっては叶うでしょうが、それは一種のトランス であって、あまりよくないカルマを積むことになるでしょう。 ・・と麻原君は言ってたっけね。 普通に生きてるとカルマの流れという感じないんですよね。 つまり物盗んだり、人を傷つけたりしても、それがすぐには自分に返ってこない だから、繰り返す。 瞑想やらヨガをすることで、因果律というものが実感できるようになる。 カルマの返りが早くなる。 そうすると、直接的努力(もし受験なら勉強)や善い行い というものが普通に報われるようになる、ということですね。
大学に合格したいというよりも、むしろ、 女の子と仲良くしたいとか祈るわけです。 受験勉強の成果ははっきり分かるから因果律が実感できることであり、 ごちゃごちゃした作業や意識が散漫になることよりも 瞑想やヨガのほうが音楽を聴くとか筋トレのように効果がはっきりわかるので、 直接的努力(受験など)の準備に良いということですか。
私がいかにカルトな奴かわかっていただけないようですが、 っていうか私も日本語下手やけどあんさんも・・・ ともかく瞑想やヨーガによって意識がクリアになっていくと 日常生活のなかで どんなことをするとどんな結果が現れるのかが段々分かってきます。 あなたが、例えば今女にもてないとして、 瞑想をうまいことすれば、何故もてないのか どうすればもてるようになるのかが感覚的に細かいレベルで わかってきます。 普通は大雑把なレベルでしか分からないわけね。 背が低いとか、口がくさいとか、服がダサいとか。 まあ服がダサいのは自覚ない人も多いけど それに気づくのも一種の悟りでしょうなあ
>678 祝福は贈り物です。 それは各種の瞑想またはヨーガを実践していると、 「感じられる」ものです。つまりそのような刺激に対して 敏感であることが前提となります。 瞑想またはヨーガの正しい実践を通して、こころーlからだが 浄化および整列され、健康と心身の平和と、自らの意識と 高次のエネルギーの刺激に敏感になっていきます。一般的に言って。 そのとき思うこと、行うこと、言うことが一致し、本来の自分で いられ、女の子に対してもナチュラルに積極的なれるかもしれません。 願望というのは行動の伴わないない思いです。 願いがかなうというのは、おそらく思うこと、言うこと、行動することの 一致を通してだと思います。
>>679 ああ、ヨギ・バジャンを忘れてたね。。。。
ごめん、あまり興味ないんだ。
685 :
大鳥居つばめさん ◆N8iKy.ms :02/07/20 16:09
>>682-683 ふーん。
>>680 よりも詳しく分かりました。
ありがとうございます。うまくいく方法を経験や本で得たことから考えて、
体を動ける調子にもってこれるような穏やかな時間を作らないとだめですな。
687 :
名無しさん@1周年 :02/07/20 18:05
ダイジは宗教団体ではないしね。
とにかくてめえ 目的はマンコだろ? 四の五のいわねーでやってみろ オウムでも行っとけ 本だけ買うって言うのありだぞ。 ダイジの本は地方ではきつい 東京でもきついかも 森北出版っていうとこからでてるんだけども。
689 :
名無しさん@1周年 :02/07/21 04:43
姿勢の悪い人が瞑想やっても効果あるの? 俺はヨガやってるんだけど姿勢がよくなるに連れて 瞑想も深くなってきてるんだけど。 ヨガをやる前は座禅の真似事をした事があるけど やはり、姿勢のつらさに耐えられなかったので 続かなかった。
691 :
名無しさん@1周年 :02/07/21 07:16
はたヨーガは瞑想のための準備みてえなもんだからね
692 :
名無しさん@1周年 :02/07/21 20:19
瞑想の方法として、背もたれなどにゆったりとしてやる 流派と背骨をまっすぐやる流派があるみたいだけど 効果に違いはあるんですか?
693 :
名無しさん@1周年 :02/07/21 22:04
このスレでは、あまり歓迎されていない感じのTMerです。ちなみに、 私はあまり顔出してませんけど。682、683でそれらの瞑想の願望実現の感覚が なんとなく理解できました。TMとやっぱり、その分野に対しては何となく同じこと いっている感もあります。意識、敏感、細かいレベルでという言葉で、説明していますけど、 TMで言うと意識の広がり、感覚の精妙さといったところかな。それらの説明の中でないと思うのが、 TMの中の自然の支持というやつでしょう。その願望が理にかなっていれば、 全ての自然法則が後押ししてくれる。だいたい、それらの瞑想の目指しているものも 見えた感じです。
> このスレでは、あまり歓迎されていない感じのTMerです。ちなみに、 まあそんなこと言わずに。マターリしてください。ここは瞑想実践スレ ですから。 >689 姿勢がいいのと、瞑想がきちんとできているかは、私個人の経験 から言っても関係があるような気がします。良く瞑想できている時 は自然と姿勢もいいですね。そして肉体を忘れて呼吸も自然と ゆっくりになります。 でも姿勢を良くすれば、いい瞑想ができるかというと、そうでもない 気がします。瞑想中にいい姿勢でいようと努力すると、注意が体に 向いてしまい、散漫になりますね。だから肉体はリラックスできて、 なおかつ意識が醒めて瞑想に入っていける姿勢がいいのでしょう。 >692 たいした違いはないと思います。 肉体には無理をかけない方が最初はいいと思います。 瞑想に深く入って体を忘れるようになると体に多少の無理はきき ます。けれども体もケアしないといけませんね。
695 :
名無しさん@1周年 :02/07/22 03:55
ぶっちゃけ性格を変えるというのは相当にムズイ
696 :
名無しさん@1周年 :02/07/23 23:41
ヨガしてると聞くと女は どう思うだろう
697 :
名無しさん@1周年 :02/07/24 01:55
>696 変な質問。コンプレックスでもあるの?
正直に言います。 僕に最近起こった「具体的ないいこと」というのは 就職なんです。 一年留年して、まあろくでもない大学生活だったんですが、 今2社から内定が出ていて、胃に穴があきそうなんです どちらもそれなりに難関な企業で・・・・っていうか いわゆる企業じゃないんですが 大学職員と、特殊法人(なんとか協会)みたいな組織なんです。 どうしたらいいんだろう・・・・・・・・ ウワ〜〜〜〜〜〜〜〜〜死ぬかも。 ぜんぜんいいことじゃないのかも うわ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 うがああああああああああああああ」 たすけて〜〜
ともかく邪心で瞑想なんてすると しっぺ返しきまっせ
昨日もオナニー的な瞑想にふけってしまったが なんとか答えが見えそうだ・・・ この浮き沈みが問題だが
>700 難しいことですが、下から漏らさないようにこころがけも必要です。 700さんが瞑想しているかどうかは別として、 瞑想し、エーテル体レベルの刺激を受けた結果として、各センター が活発になります。それは性センターも例外ではありません。 そのエネルギーを何か創造的な活動(絵を書くとか音楽を創るとか) なんでもいいですがそちらの方に昇華するか、何らかの利他的奉仕活動 をやらないと、エネルギーは出口を求めて下から出て行くことがあります。 あるいは刺激が強すぎた場合は、各センターが変質する可能性もあります。 (ほんとにひどい場合ね)ですので、理想を言うなら、瞑想と平行して、 創造的活動か、利他的奉仕活動(ボランティア等)も一緒に行ってバランス をとる必要があったりします。
>>698 就職しないで起業しよう!
なんか、期限付きで資本金1円から株式会社作れる法案が今年中にも成立しそうだ。
僕も会社作るから、ガンさんもぜひ
なんかスレ違いな話題になってしまったね。。。
703 :
ガン(末期) :02/07/25 01:39
おっっしゃ 宗教法人つくっぺよ!
704 :
名無しさん@1周年 :02/07/25 12:59
あうmmmmmmmmmmmmmmm
705 :
もうネタ切れか? :02/07/27 21:40
だらしがないな。これでも読んでなさい。 :J Hypertens 2001 May;19(5):947-58 「模擬的高所によって誘発される低酸素症時の呼吸パターンと心臓自律調整」 Bernardi L, Passino C, Wilmerding V, Dallam GM, Parker DL, Robergs RA, Appenzeller O. Department of Internal Medicine, University of Pavia and IRCCS S. Matteo, Italy. 目的:模擬的に誘発した低酸素症に対する急性暴露時の自律的心機能調節に対する呼吸パターンの 相違の影響を評価すること。 実験計画:我々は毎分換気(VE)、酸素飽和度(%SaO2)、RR間隔と血圧のスペクトル分析 の相対的 変化、および平常および急性低気圧低酸素症(低気圧室において、標高5千メートル相当)における頸 動脈圧受容体の刺激に対する反応を測定した。 方法:我々は19人の被験者を研究した。 彼らは年齢的に近い、9人の対照および、10人のウエスタン・ヨガ(なにそれ?)練習生であり、毎分1 5回の対照的自発的呼吸、ヨガ訓練生における完全なヨガ呼吸(ゆっくりとした腹式+胸式呼吸、毎分 約5回)あるいは対照群の単純なゆっくりとした呼吸を行った。
結果:基礎的%SaO2において、VEと自律パターンは両群間で類似していた。 模擬的高所は対照群のVEを増加したが、ヨガ訓練生では増加しなかった。 %SaO2は全被験者において減少した。 (P< 0.0001) しかし、ヨガ群より対照群において顕著だった。(自発呼吸、対照呼吸、ヨガまたはゆっくりとした呼吸に おいて、17対12%、14対9%、14対8%、全P<0.05あるいはそれ以下) 対照群において模擬的高所はRR間隔を減少し(879 +/- 45 から770 +/- 39に。 P < 0.01) そして心拍数変動のスペクトル分析から演繹される指標と(l低頻度/高頻度(LF/HF) 比を1.6 +/- 0.5 から3.2 +/- 1.1に。P < 0.05) 収縮期血圧を(低頻度変動を 2.30 +/- 0.31 から3.07 +/- 0.24に。In- mmHg2, P< 0.05) を増加した。 これは交感神経の興奮を意味している。 これらの変動はヨガ訓練生および、ゆっくりとした呼吸およびヨガ呼吸の両群において低頻度だった。 高所の影響は両群の頸動脈圧受容体の刺激に対しては認められなかった。 結論:高地によって誘発される低酸素症において、ゆっくりとしたヨガ呼吸はVEの増加なしに血中酸 素をよりよく保持し(すなわちより効果的な呼吸となるようである。)、交感神経の興奮を抑える。 PMID: 11393679
707 :
名無しさん@1周年 :02/07/27 22:16
そうですね。 潜水王などもヨガの呼吸法を使って深く潜るのは有名な話ですか。 ところで瞑想中に無思考(無我の状態)になると呼吸が停止していると いうのは本当ですか?
708 :
名無しさん@1周年 :02/07/27 22:20
論文コピペ飛ばして読むと、ここはおもしろいね。
>707 呼吸と思考は連動しています。呼吸がゆっくりになると、 思考が静まります。 けれども呼吸を停止すると死にますので、命がけなことは やらないでください。こういうところで常識を使わないと駄目です。 瞑想を実践している立場からだと、無思考は目的ではありません。 無思考になろうとして無思考になった人はいません。まさにその 努力自体が思考を生み出すわけなので。 瞑想をしている中で、思考の雲が途切れることはあります。 そしてその中で、自分が思考でも感情でも、もちろん肉体でもない ということを瞬間的に実感するかもしれません。その認識は非常に 重要で、一瞥しただけで、その人の人生に対する態度すら変えて しまう可能性があります。
呼吸の停止 心拍の停止 これは解脱への条件です
解脱を求めるのは愚か者です。 そのような人の99%は錯覚の中にいます。 自分が悟りを得られる、解脱ができるという錯覚です。 霊的な意味での野心です。 もし、このようなものに突き動かされるのを許すなら、 物質方のフォースに思いのままに操られる可能性があります。 実際、かの尊師はそうだったようです。たとえ修行ができて 知識があって、卓越した見解を持っていたとしても、底に 野心があれば堕ちています。ですので見抜くポイントは その人の動機を問うことと、自分自身の野心やその背景にあるものと 決着をつけることです。類は友を呼びます。気をつけて。
「私」の終焉、それが解脱。 だから「私」は永遠に解脱しない。 ところで、「私」って何だろう???? ・・・・という疑問が瞑想の入り口。 さー今夜はカツオの叩きだ。
713 :
名無しさん@1周年 :02/07/29 22:00
「私」は、実際には口を開くことはなくても 頭の中で1秒も休まずしゃべりつづけてます。 自分は聖者だという「私」、怒る「私」、 物欲的な「私」、情欲的な「私」、権力欲な「私」... あらゆる「私」が内でしゃべり続け、妄想を生み人をあらぬ行動へとかきたてます。 人は「私」によって眠りこまされてます。 まるで映画「マトリックス」のようです。 あの世界観がふと現実のように思えることがあります。 映画では敵は「私」ではなくコンピュータでしたが。
>>707 >ところで瞑想中に無思考(無我の状態)になると呼吸が停止していると
>いうのは本当ですか?
確かに無思考というか、自分が周囲に溶け込んでいるような状態でふと
意識が呼吸が向いたりすると、呼吸がとまっているような状態(もちろん
息苦しくはない)になっていることもありますね。
私の場合は、仙道の周天法で気を体にめぐらせ、各所に集めて軽く意識
を集中している内に、集中していた「自分」が消えたような感じになって
この状態に入ることがあります(仙道的に言えば「真息」状態)。
いいですか、呼吸が停止しない間の体験というのは すべて幻なんですね。これはあの、仏典にもハッキリと 書かれているわけでして、つまり仏教としての重要なファクターなんですね。
716 :
名無しさん@1周年 :02/07/30 00:23
707です。
>>715 本当ですか?
>>714 なるほど、自然に呼吸停止ている時があると。
>>709 確かに逆の理論、つまり呼吸停止−>無我を作り出すってのは危険な考えですね。
本当に死んでしまいそうだw
臨死体験って呼吸停止状態の時に起きているのだろうかとふと思った。
仏典を読んでください。
718 :
名無しさん@1周年 :02/07/30 07:49
あさはらくんあなたはひとをころしたことがありますね あなたがすたーとらいんにたつにはあなたもころされるとおもいます なんじころすことなかれ
719 :
名無しさん@1周年 :02/07/30 11:39
罪人の名前今更、だしてああだこうだといわんでくれ。みんなを 罪人にしたいのか。
720 :
名無しさん@1周年 :02/07/30 12:46
>>713 マトリックスは、私もはじめ見始めた時から、その内容の深さに引き込まれていた一人です。
自分の中の世界観とよく似ているんです。世間では、撮影技術ばかりすごいといわれてますけど。
あの世界観というのは、あながち、うそではないと私には思えます。今生きている現実は本当は
幻です。キアヌリーブスたちが行った世界が本当だとすると、私はそこは純粋意識の世界、存在
だと思うのです。そこで、幻の現実をコントロールできるのですから。
コンピュターの敵を何とみなすのか。それを私もいろいろ考えました。ちょつと
解釈が違うかもしれませんが、コンピュターとは、幻の現実から見た存在の働きでしょう。幻の現実
から見た存在の働きというのは敵なんです。幻の現実に生きている人にとっては、その現実が全てで
存在の働きは敵に思えるのです。キアヌは最後にコンピュターの動きを全て読み取り、非現実の世界で、
全て可能になりました。それは、敵であった存在の働きを全て手に入れたということです。
ちなみに、私はTMerです。同じ感覚で見ていた人がいただけでうれしい。
ちなみに、ジョーティシュ的なことも出てくるし。この映画何なんだろうと思った。
殺すということではなく、ポアということなんだね これは、高いステージに立った、まあ、具体的に言うと ヤマ天、つまり閻魔大王を超えるステージに立ったものが行うと。
722 :
名無しさん@1周年 :02/08/01 07:27
敵が私だとしたら、私の意図は何だろう? こたえ 般若心経 涅槃
723 :
名無しさん@1周年 :02/08/01 07:36
高いステージなんてものはお前の心の中にだけある 慢心が生んだマトリックスフォルダだよ。そのフォルダから出るには 自分のやった行為は全て自分に跳ね返り,清算してから出ることになる。
常識を使うことがいかに重要なことか あさはらさんのカキコを見てそう思います。 あさはらさんがオウム関係者あるいは親派なら ご自身の立場をここで説明してください。 単なる厨房なら逝ってください。
我々は仏典の教えを日本に降ろすという作業を しているわけだね。 日本人というのは大変に知性の高い民族で 不放逸、つまり努力を怠らない民族でもあると。 これらのことから日本人は非常に高いレベルの 仏典、あるいはその他の聖者が書かれた経典も理解 できるんじゃないかと、こう考えています。 いわば、そのお手伝いをしているといえるだろうね。
>725 自分が理解できると思い込むこと自体、 間違った態度だと思います。聖典のいわゆる 理解というものは、その多くが読む人の思考 が投影される傾向を持つようです。 あなたの理解が正しいと、どう証明します?
727 :
名無しさん@1周年 :02/08/02 20:01
ネタにマジレスカッコ悪い.無視が一番。 煽りに答えるのも煽りbyひろゆき
728 :
名無しさん@1周年 :02/08/02 20:21
>710 :あさはら :02/07/28 05:13 >呼吸の停止 >心拍の停止 >これは解脱への条件です 僕の先生は脳の酸欠状態での体験は全て幻覚みたいなものだといっています。 大脳生理学の本を見てもその通りです。 貴方のような考え方は明らかに間違っていますよ。
> ネタにマジレスカッコ悪い.無視が一番。 > 煽りに答えるのも煽りbyひろゆき カコ悪いのも、ネタだろうことも知ってますが、 瞑想を実践するものとして、オウムがなぜいけない のかということを、はっきり示しておくことに、私はある 種の責任を感じるのです。 あの事件以来時間が過ぎていってますが、いまだに、 瞑想やヨガを危険に見る方もいます。洗脳のテクニック のひとつと捉えている人も少なくありません。 これらの中には極端な反応ということもありますが、 結論から言えば私がここで何度か言ってるようにこういう 世界には危険な側面があることをきちんと踏まえることは 非常に重要です。 そういう危険性を知った上で、瞑想を実践されるのは一向 に構わないと思います。一番良くないことは、グルらしい人 の言うことを盲信することです。たとえ名の知れた霊的、宗 教的な指導者が言ったことをそのまま頭に入れるのではな く、自分の頭で、「本当にそうなのかな」と懐疑することを忘 れないでください。完璧なグルなどいません。たとえ悟りを得 ていたとしてもです。悟りは無限に続きます。究極の悟りなど と言うものは権威の象徴でしかありません。こんなものに絶対 ひっかからないようにしてください。懐疑精神がない人は、 スピリチュアルな世界に翻弄されるだけです。 それから、ある教えやグルのコミュニティでしか生きていけない というのも問題です。遅かれ早かれそのような支えなしで、 独りで探求することになるだろうと思います。そうした時、自分 が何を学んできたのか問われます。そしてあまり身に付いてない ことに驚くかもしれません。つまりその教えを実践せず、本や雰 囲気を得ていただけで、自分の血や肉にする努力を怠っていた ことに気がつくかもしれません。それは良いことです。 人生は瞑想だけではありません。様々なものがあり、すべて自分 でバランスをとっていかなければなりません。若いうちは、一つの 考えに接するだけでなく、違ったものや、違ったものの見方ができ ないといけません。瞑想はその後でも十分です。
730 :
名無しさん@1周年 :02/08/03 19:19
707=713 です。 どうも私の書き込みで変な人を召喚してしまったみたいですね。 すんません。 だれがどれくらい無呼吸状態だったとか、だれそれは正大師だとか、 イニシェーションを受けたとか、どのステージだとか そういうくだらない比較やはかりごと=「我」は、忘却の彼方に.....。 話をかえて、ニュートンの万有引力の発見の話なのですが(リンゴが落ちて...) その時、彼の頭の中で科学の妄想や、理論をしゃべり続けていたら、 見ても見ていかっだろうし、聞いても聞いていなかったのだろうと思う。 一瞬、無の状態ときにリンゴが落ちるありのままの姿を捕らえ それを知った(悟った)のだろうか。 科学の偉大な発見も、意外とひらめきから起こっていることがよくあるが、 このような瞬間は「考える」ということを止めた一瞬、物事をありのままに 捕らえて「知る」という事に至っているのであろうか。
>僕の先生は脳の酸欠状態での体験は全て幻覚みたいなものだといっています。 >大脳生理学の本を見てもその通りです。 「みたいなもの」ではなく幻覚そのものなんだね。 これはわれわれと同じ認識といっていいでしょう。
732 :
名無しさん@1周年 :02/08/03 21:19
アサハラノ子供も幻覚なのかね? サリンで殺されても幻覚なのかね?
>聖典のいわゆる >理解というものは、その多くが読む人の思考 >が投影される傾向を持つようです。 一時期、あらゆる聖典の言葉が「分かってしまう」状態になったことがある。 「おお、グルにでもなれるぞ」と冗談半分に思ってしまったが、 その状態から覚めた今にして思うと、明らかにアレはおかしかった。 せいぜい、ハイアーセルフの託宣レベル。禅的には「魔境」。 いわゆる常識的な理性が欠けていたら、グルビジネスでも始めかねなかった。 思うに、774さんもその手の体験があるのでは?
僕の好きな和尚のことば1 「(2時間にわたる講話のしめくくりに)今、私が話したことは全部忘れてしまいなさい」 僕の好きな和尚のことば2 「(瞑想の後に)今体験したことはすべて忘れなさい。すべては、いま・ここ、にある」
>733 >思うに、774さんもその手の体験があるのでは? 私だけではなく、自分の思考を反映させてしまうというのは 誰にでも、いつであることです。瞑想しているかどうか、 長いか短いかに関係なく。 >734 まさにサニヤシンが言いそうな言葉ですが、 問題なのはサニヤシンの多くが和尚の言葉に依存していると いうことです。和尚ラジニーシのサニヤスが本当に何を意味 するかは、サニヤシンを卒業しないと理解できないと思います。 これはサニヤシンにとってはある種パラドックスです。 私も7年近くを和尚のコミューンで過ごしましたが(彼がまだ 生きている頃)今思えばあそこは幼稚園だったと思います。 和尚の庭でヒーリングでも瞑想でも遊んでいればいいのですから。 それはそれで価値がありますが、遅かれ早かれそこを卒業 することになるでしょう。 非在さんがどういう反応をするかわかりませんが、 元サニヤシンとして言っておきたいことです。
736 :
大鳥居つばめさん ◆N8iKy.ms :02/08/04 11:43
>>730 反射的なレスだが、
発見に対してのインタビューに対してニュートンがした答えが、
「考えつづけてだよ。」だと。
言語脳を使って疲れた後、右脳をふっと使うと、
良いひらめきが出るという話をどこかで見ました。
そういうのは、結構、正しいと思います。
774は自分がサニヤシン卒業したつもりなのか? 他の誰よりも典型的なサニヤシンに見えるけどな。
>737 典型的なサニヤシンの煽りですか。
私にとってサニヤスは梯子だったのです。 それは一旦上ってしまえば後は必要なくなるものです。 自転車に乗るのを覚えるのに補助輪つけるでしょう? いわゆるグルというのはそういうものなのです。 補助輪つけて自分は自転車に乗れていると思いこんでいる ところがあるのではないでしょうか。少なくとも十数年前の 私はそうでした。 クリシュナムルティは補助輪などいらないという方です。 結局、その通りなのです。いつかは補助輪なしで自転車に 乗れないといけない。 いい加減和尚と自分を一緒にしないで独りで歩き始めませんか。 そこのサニヤシンの煽り厨君。
あほか774。 おまえはまだ卒業していないと逝ってるんだよ。
>おまえはまだ卒業していないと逝ってるんだよ。 ということはあなたはまだはまっているんでしょう?
私はただの一度もサニヤシンだったことはない。
>742 それは失礼しました。
えー
サニヤシンとは、、、
どうでもいいです。。。僕の場合。
別にサニヤシンを「やめても」いいんだけど、
どうやってやめていいのか分からない(笑)
プーナに行く気もないし、、、これってサニヤシンといえるのだろーか。
で、
>>734 の引用ですが、
和尚の言葉で迷う人々への最上の言葉かと。
和尚の言葉は美しいけど、多くの人を路頭に迷わせてると思う。
>>思うに、774さんもその手の体験があるのでは?
>私だけではなく、自分の思考を反映させてしまうというのは
>誰にでも、いつであることです。瞑想しているかどうか、
>長いか短いかに関係なく。
ちょっと補足したいのですが、いえ、別に自分が特別な体験をしたからどうの・・・
ということではないんですが、
僕の体験は単なる思考の反映とも違っていたような。
少なくとも通常意識している「思考」じゃない感じ。
なんか変なところから思考が来るようでしたね。
ニューエイジ系であれば「チャネリング」といったところか。
でも、エゴ増長バージョンって感じで、人格的なバランスはちょっとおかしかった。
ま、醒めている自分もいたので他人には他言しなかったけど、
妻はかなり迷惑してたに違いない。
和尚の臨在を感じることはあったけど、それほど嬉しくなかった。 和尚の「非在」と出会いたかったから。 それにはこちらも「非在」でなければいけない。 でも、そうなったらもう「和尚」の「非在」である必要はない。 というのも「非在」は誰のものでもないから。 なにものも なにもかもなし ・・・非在・・・
非在さん。 私がいたころは、コミューン暮らしで、私自身も日本のセンター で働いていましたから、そういう意味ではどっぷり浸かっていたのです。 濃厚な日々でした。和尚も生きていましたから。 それで燃焼できたから、離れることができたんだと思います。 おそらく私が言ったサニヤスについては、サニヤシンであれば耳が 痛いところがあると思います。しかしそれなしには、本当の霊的 成長などあり得ません。ぬるま湯に浸かって悟りを口にしても、 それは言葉だけです。自らの灰汁を追い出すくらいに鍋を煮ないと 単なるアストラル的な自己満足の中に留まることになります。 それからチャネリングは私はお勧めしません。アストラルプレーン を使うものは賢明に避けた方がいいと思います。
どうでもいいがベンジャミンクレーム卒業してくれw
>それからチャネリングは私はお勧めしません。アストラルプレーン >を使うものは賢明に避けた方がいいと思います。 チャネリングかどうかも分かりません。自然に起こったものなので。 今は起こらなくなってます。やろうと思ってもできません。 ちなみに、今は「悟り」とか「探求」とか、あまりシリアスにとらえてないです。 脳にわだかまった思考の断片や感情の余韻のお掃除のために その手のメソッドを使う・・・という感じです。 悟りというものがあるとしても、「僕にはまだ早すぎる」という感じですね。
749 :
名無しさん@1周年 :02/08/07 23:06
>>736 レスありがとう。
まあその時の彼の脳がどういう状態だったかは、
誰にもわかるわけないですか。
アインシュタインの言葉をひとつ。
「知識は重い負担にならない−
そう信じている人は、大変な思い違いをしている。
古くさいガラクタで一杯になった人は、
滅多に新しいことを思いつけなかった。
頭は空っぽにしておくほうがいい。
知識のためには図書館がある。
そこでなら、いつだって知識が君のために待ちかまえてくれるし、
君が行くまでは口をつぐんでいてくれるのだから」
彼の名言をいろいろ読むと、彼は瞑想の達人にも成れた人だとおもうよ。
目的がないと仕方ないよね。>749 環境的世界は自己の延長だし、 その逆ともいえますよね? その橋渡しといえば、やっぱり脳が担っている。 脳はそういう機能をもっている。 逆にいえば脳はそういう機能を果たす構造しかもっていない。 忘れているということは覚えている(つながってる)ということなんだよ。多分。 それはまた、記憶力がいいということ。いつでも引き出せるということ。 知識を通して学習したりもする。もちろんそれは脳をいわば、広げる。 知識ばかり求める脳の傾向は、つながりをひろがりもとめて加速する。 そして、収斂されたビジョンが更に収斂されていく。そのうち、夢の中で 青空をみたりする。産みの苦しみをぬけて。でも、依然とある世界があるだけ。 くたびれもうけ。結局感性ぐらいしか、人はもてない。 でも、こころの無駄なひっかかりはとれる位の脳の余裕がでてくる。 しかし、そんなコツを知っても年をとっても吸収できる脳をささえるのは大変な こと。要は興味がなくなれば、脳は閉塞過程へと向かう。 だから、人は魅力有るもの、興味をそそるものを作り出そうとする。 人間のあくなき、主体性に乞うご期待!! しかし、人類多くのの脳の傾向は環境同化。セックス的なものばかりに目がいっている。 わすれているのはそれが脳の機械化につながっているということ。 そうして、巨大にあいた、脳を持つ人はそれを活かすほどの知覚力をほとんどもちあわ せていない。机に平然とすわるだけの会社の重役さんはスゴイ。 多分、簡単にころがされる。しかし、一日パソコンの2,3画面しかみていない。
しまいに、宇宙人といいだす。 わりぃ
>ちなみに、今は「悟り」とか「探求」とか、あまりシリアスにとらえてないです。 >脳にわだかまった思考の断片や感情の余韻のお掃除のために >その手のメソッドを使う・・・という感じです。 シリアスである必要はないですね。ただ、自分がどのような状態に 今あるのかを知るにはそこから抜け出さないと、誰かに指摘されても 分からないものなのです。これがアストラル意識のグラマーの性質で、 霧の中を手探りで進むような感じがするなら、まさにそうです。 自己満足、自己幻惑です。 その霧の存在に自ら気づくとき、自身のグラマーをはっきり認識する とき、霧を晴らす努力の必要を感じるでしょう。その過程は誰かに押 されてするのではなく自ら始めるものです。いわゆる精神世界に興味 のある人の多くはそこで留まっています。瞑想してなにかの体験があって 満足してしまう人がひっかかってます。しかしもちろん留まるのも先へ進 むのも本人の自由です。瞑想に対して真剣であるか、あるいはそうでないか も自由です。 私は非在さんがこれについてどう想うかを気にかけてはいません。 もとより文字でのやりとりですから正確なことは断言できませんので 適当に受け流していただいて結構です。しかし私の言葉の中に反応する 何かがあるのであれば、たぶんそれは重要だと思います。 非在さんばかりでなく、他の誰かにとっても。
このスレには、オカルト初心者なのに 自分では分かったつもりでアストラルとかいう言葉を 間違った方法で使っているものがいるようだが 気をつけたほうがいい。 この手の電波には何を言っても無駄だろうが真に受けないこと
>753 その言葉そっくりお返しします。
>753 間違っている点があるなら、具体的に指摘すべきでしょう。 そしてそれについて自ら示すべきです。 あるいはアストラル界に関する考え方が違うかですが、 これは議論しても平行線ですね。 私は非在さんをとりたててどうのこうの言うつもりはありません。 もし私の言葉で気を悪くされたのなら、それは私にはどうしようも ないことです。なぜならそういう意図は私にはないからです。 アストラル意識のグラマーの問題についてはアリスベイリーを 読んでいただければ私の説明よりも正しいでしょう。
オカルティズムを学ぶものにとって大事なことの一つは、 それが書物によっては絶対に学べないということを知ることだ。 ましてや、その書物がアリスベイリーのような素人同然 のものの手によるものであればなおさらだ。
>756 またあなたですか。 オマエモナーで返せることばかり言ってないで、 事態を憂いているなら、もう少し長文書いたらどうでしょうか。
>>756 あなたは何によってオカルティズムを学びましたか?
だまされやすい人はどこにいても誰かにだまされる。 だまされやすい心のあり方を変えないまま、 信じる対象を変えてみても卒業したことにはならない。 精神世界を探求してたどり着いたところがアリスベイリーやら ベンジャミンクレームではあまりに情けなさ過ぎる。
774さんへ うーん。「かけそば」でいいのに「鴨南蛮」を勧められている心境です。 別に迷っているわけではなく、明確に「かけそば」でいいという感じです。 まあ、僕との対話の形をとっていろんな人に語りかけたいのでしたら、 存分にお使いください。 でも、とりあえず「かけそば一丁!」
>760 非在さんへ あなたのおっしゃるとおり、私は非在さんをダシに使って しまいました。そのことはできれば許していただければ と思います。 和尚の本を読んでいるなら分かってもらえる だろうとと私が勝手に推測してカキコしました。 どうもすいません。 和尚の意味するサニヤスは、グルジェフのアプローチに 通じるところがあります。つまりトータリティが必要とされる ということです。そこから抜け出すためにそこに嵌るというのが サニヤスです。でも和尚はサニヤスをどう受け止めるかに ついてはサニヤシン個々人次第とも言ってました。ですので かけそばでも一向に構わないと思います。でもサニヤス= かけそばとは思って欲しくはないのです。それを精神世界、 瞑想、神智学、に変えても同じです。 756さんがどういう背景の人かわかりませんが、確かに書物 だけによってはオカルティズムは理解できません。 これは同意できます。アリスベイリーの書物には、マスター ジュワルクールの言葉が述べられていますが、彼女自身も 書いているとおり、これはその当時の1920年代のアーケン スクール関係者に語られた言葉と同時に、瞑想を始めた 現代人にも向けられています。
つづき 他方ベンジャミンクレームの書物は彼の仕事の性質上、 世界大師マイトレーヤ降臨の事実を伝えるというものですが、 それを抜きにすると、グループイニシエーションとグループ ワークについてのハイアラキーの新たな実験という側面が あります。グループという要素は、粗雑に表現するなら、今入 りつつある宝瓶宮(アクエリアス)時代の光線である第7光線 の特質で、これには人類が個として完成したあとの統合をこ れから2000年かけて達成していくというものです。 この情報自体は、アリスベイリーの頃にすでに伝えられて いましたが、ベンジャミンクレームはそれの実践面を表現して いると言えるでしょう。その具体的な形は伝導瞑想です。 あらゆる精神世界、ニューエイジを問わず、このギョーカイは 以外と狭いものです。 ですので私たちは同じ庭でいろいろ 学んでいるのでしょう。私も非在さんも756さんも。 >759 >信じる対象を変えてみても卒業したことにはならない。 私は学んでいるので、信じているのではありません。 faithは持っていますが、beliveしていません。 >精神世界を探求してたどり着いたところがアリスベイリーやら > ベンジャミンクレームではあまりに情けなさ過ぎる。 私を煽ることしかできないのは私よりも情けないですね。
faithとは、持つことができる何かではない。 何かを信じるとき、その人はもうbeliveしているのだ。 faithというのは、その人の存在のあり方にかかわる言葉だ。 faithのある人は、分からないことを分からない、と正直に言う。 誰かがマイトレーヤ降臨を言ったからその言葉を信じると言うのは、 全くfaithではない。 基本的な用語の使い方も知らない厨房が多くて困るね。
>763 faithつまり「信」なしには前へ進めません。「信」なしには、 シークレットドクトリンも出版できないし、覚者方の言葉を伝える 仕事も、瞑想することもできません。できるものならあなたがそれを 示しなさい。 信を持たないならば、、オカルティズムにも関わることはできな いでしょう。そしてオカルティズムのを教科書的に知っていたと しても、第三者から見れば愚かなものを信じてる人ということに なります。 オカルティズムに何らかの形で関わっている以上、あなたと私は 同じ船に載っているわけです。 あなたが、瞑想や秘教、宗教自体を危険視するのなら話は別です。 けれどもそうではないようですね。批判するならもっと徹底的に やったらどうです?ちっとも効きません。 W) つまり、目クソ鼻クソだと思いますが。いずれにしろ勝手にすれば いいでしょう。私は目クソをとりますから、あなたは。。。 なお、これからのあなたの発言は私はすべて放置でいきます。 わかりましたか?鼻クソくん
アストラルというのは低次元の世界であるわけですね。 その段階で、そこに価値があると思うならば、これは当然 魔境にとどまることになると。
釈尊は「信仰」を捨てろと言った。 ここで言う信仰とは言うまでもなくbeliveのこと、 イデオロギーや信条のことだ。 しかし「信」はそういうものとは全く違う。 そう言えば以前、浄土系の人が、自分たちの言う「信」とは、 自分の側で持つものではなく、 阿弥陀さまが持つもので、 自分たちそれに導かれているだけだ、と言っていたな。 どこかの厨房の言ってることとは全く違うみたいだね(w 言ってることがオウムそっくりだし。
faithとは本来、自分に対する真正さ、つまりウソをつかない真っ正直さを言うのである。 シークレットドクトリン(このスレの厨房くんは読んでいないみたいだが)を鵜呑みにすることではない。
>>774 さん
別にいいのですが、ちょっとミスリーディングをされているような。
「かけそば」=「サニヤス」ではありません。例えが悪かったですね。
サニヤスに価値は感じてませんが、ここでいう「かけそば」とは「ストレス解消のために瞑想を使う」というような感じのことです。
以前はそういう使い方に疑問を感じてましたが、今は違います。
瞑想を「精神のラジオ体操として使ってもいいんじゃないか」という考えです。
で、僕の立場としては「ラジオ体操派」ということです。
もちろん、悟りやなんやかんやへの興味が失せ切ったわけではなく、このスレも覗いているわけですが、基本的には「ラジオ体操程度の効果を得られれば十分」です。
一応、このへんを明確にしておきたかったので。
769 :
名無しさん@1周年 :02/08/14 12:03
オカルティズムは書物からしかまなべないでしょ。 ウソついちゃいかんよ正直じゃないね。
> 別にいいのですが、ちょっとミスリーディングをされているような。 > 「かけそば」=「サニヤス」ではありません。例えが悪かったですね。 非在さん。文字だけのコミュニケーションではやはり限界があるようですね。こちらこそすいません。 > で、僕の立場としては「ラジオ体操派」ということです。 もちろん構わないのではないでしょうか。 あなたの立場について私がどうこう言う立場にはありませんね。 特にダイナミック瞑想はストレスと様々な条件付けされた現代人向けに デザインされてるわけですからね。 ダイナミックはやったあと本当に気持ちがいいです。 私の拙い経験から言うと、最初は瞑想を「する」ことが重要だけれども これは徐々に日々の生活でmeditativeであるかどうかが重要なことに 置き換わっていくと思います。 これを言いたかったのです。
瞑想ほど2chにふさわしくないテーマはないな。 ここでは口汚くわかったふりする思い込み激しいやつバカが主導権を握るから。
772 :
名無しさん@1周年 :02/08/16 03:03
ちょっと、過去ログ読むの大変だから簡潔に教えてくれないか? (量膨大だし) >瞑想するとなんかいいことあんの?
773 :
名無しさん@1周年 :02/08/16 08:51
つぎのレスは絶対774さんにしていただきたい。
774 :
asahara :02/08/16 15:37
な、ばかどもが争ってるじゃないか。 俺のほうがましだろ? 偉そうなここといってこいつらの頭独善的で 攻撃的で、どうしようもねえ。 つまり瞑想と言うのはこう言う風になっちゃう危険性があるんだね。
775 :
名無しさん@1周年 :02/08/16 19:40
なんで774番をとっちまうんだよ〜 野暮なやつだ。
776 :
名無しさん@1周年 :02/08/16 20:39
そうとも1000回に一回のチャンスなんだぞ
777 :
名無しさん@1周年 :02/08/17 04:04
こんなもんに意義を見出す瞑想者ですか?
774 番は帰省中に取られましたね W) >771 瞑想ほど2chにふさわしくないテーマはないな。 一理ありますね。 けれどマジレスは必要だと思います。 >772 「瞑想すると何かいいことあんの」に、 私は簡潔に答えることはできないでしょうね。 それは「海で泳ぐといいことあんの」と 聞かれているのと同じような気がします。 知りたければ飛び込むのも必要なことですね。 もちろん言葉ではいくらでも説明できるだろうけど、 それで納得して満足なら、瞑想はしないでしょう。 説明受けても満足しない人が飛び込むのだと思います。
>ここでは口汚くわかったふりする思い込み激しいやつバカが主導権を握るから。 禿同。また馬鹿が書き込んでるみたいだけど。
780 :
名無しさん@1周年 :02/08/20 02:05
説明受けて満足するかどうか試したいから説明してくり
781 :
名無しさん@1周年 :02/08/20 15:18
779は何でそんなにインポなの?
779-780 自作自演のようなので答えません。 このスレを眺めるか、本屋にいく方がいいでしょう。 瞑想も様々ですから。
783 :
名無しさん@1周年 :02/08/20 23:47
社員
また自分勝手な思い込みか・・・ 複数の書き込みを自作自演だと思っている。 まったくショーも無いやつ・・・
785 :
名無しさん@1周年 :02/08/21 10:21
779 が 02/08/20 02:04 780 が 02/08/20 02:05 この夜中ならたぶん同一人物でしょ。
同一人物じゃない、とだけ言っておく。
787 :
名無しさん@1周年 :02/08/22 01:43
>786 なぜ断言できるの?
本人だから
789 :
名無しさん@1周年 :02/08/22 21:38
>>788 どっちでもいいんだけどイヤラシイよおまえさん
790 :
名無しさん@1周年 :02/08/23 04:23
このギョーカイは意外と狭いとか言っているのが気になるな。 ま、ショーバイでやってる確信犯が多いからな。 ショーバイでオカルトやってるとギョーカイとかいう言葉使うようになるのかもな(W。
791 :
名無しさん@1周年 :02/08/23 11:23
座椅子
瞑想スレを見つけて喜んでいたのだけど荒れてるの? って言うかもう終わってるのか
793 :
名無しさん@1周年 :02/09/06 21:52
>>793 ありがとー
無茶苦茶タイムリーですよ
今一番興味をもってる瞑想法です、はいっ
>793 ここで瞑想の実践について語ることはもう困難だと思います。 内的な体験ですからね。 瞑想って何?という質問に答えるのは非常に難しい。 だからdat落ちしても仕方ないかもしれません。
796 :
ダイバ・ダッタ :02/09/08 00:21
>>795 瞑想とは、・・・
・・・と、こういう状態?なにか 感情があったら違うの?
797 :
名無しさん@1周年 :02/09/19 20:44
瞑想したい人はすればいいんです。 瞑想したくない人はしなくていいんです。 否定したい人は否定すればいいし、 肯定したい人は肯定すればいいんです。 どんな人も永遠の中で気づく時は気づくんでしょう。
瞑想したいんですがどんな風にやったら良いかわかりません。 瞑想はやり方を間違うととても危険でちゃんとした人について 指導してもらわないと、麻原や高橋みたいに 基地外になると聴きました。家庭で安全に出来る瞑想を教えてください
>>799 とりあえず、午前中、できれば朝に瞑想された方が良いのでは。
>>795 774さん、おはようございます。
ある方から
「瞑想をしてゆく。
やがて瞑想が瞑想する。」
という公案を頂きました。
瞑想の実体験は難しいですよね。
ところで、クリシュナムルティの瞑想の本いいですよね。
あのあたりから、お話できればと思っております。では、また
>>801 「瞑想をしてゆく。
やがて瞑想が瞑想する。」
ヨハンナ・スピリさん、
とても素晴らしい公案だと思います。
>>802 774さん、レス、ありがとうございます。
774さん、非在さんや皆さんの活発な議論をいつも楽しみにしております。
私は想う、感じるから出発し、止まり、またそこから出発します。
日常は時々、好きな時に瞑想の為に一人きりになります。はっきり言って解脱や霊的な向上の目的は余り興味はありません。
その中で感じる平和な感覚と光に照らされる感覚が唯好きなだけです。
774さんはどうですか。
>はっきり言って解脱や霊的な向上の目的は余り興味はありません。 >その中で感じる平和な感覚と光に照らされる感覚が唯好きなだけです。 あなたと同じですね。昔は私も霊的な向上とやらに夢中になってた時期 もありましたが、それはもう幼稚な感じがします。 向上しようと思って向上できるわけではないですからね。 おいしいお茶と饅頭をよく味わうことができるならそれでOKという ところでしょうか。
>>804 >おいしいお茶と饅頭をよく味わうことができるならそれでOKという
ぱし!(ひざを叩いて)
さすがです774さん。我が意を得たり!って感じです。(^◇^)
瞑想しようとして力んでしたらきっとおかしな方向に行ってたでしょうね。
ところ変な質問ですみません。(どういう瞑想の種類があるかは全く知らないのですが)
瞑想中に見える黒点のようなもの、星みたいなものあれは一体なんなんでしょう。
残像のように思ったりもしますが。
>瞑想中に見える黒点のようなもの、星みたいなものあれは一体なんなんでしょう。 なんでしょうね。いつも見えるのでしょうか? 私は瞑想中にそのような体験をしたことがないので分かりませんが、 色々と見える人も確かにいますね。 霊媒的なものを除外しても、やはり何かあるのでしょう。 瞑想とのつきあいも本当に人それぞれですね。
マントラをただ20分唱えるだけの自己流瞑想をしてるんですが 全然、集中出来なくてつい仕事のこととかを考えて気がつくと 20分すぎていることがほとんどで瞑想が出来ないです 瞑想って難しいですねー(´・ω・`)
808 :
名無しさん@1周年 :02/10/01 01:35
瞑想は難しい。 わたしも大抵できないです。 いつの間にか寝てます。鬱。 何かコツみたいなものがあるんでしょうか。
>807 いろいろ物事を考えるのは頭とはそういう風にできているから だと思います。よくこれは猿に譬えられたりしますが、放って おけば良いと思います。放っておくことで、思考に行っていた エネルギーが引いていき、自然と瞑想に集中できるかもしれません。 あと、うまくやろうとしないことも大事かも。 >808 寝ては瞑想になりません。目覚めていてください。 肉体的に疲れている場合もあるし、瞑想にいくべきエネルギーを どこかで消耗しているかもしれません。まずゆっくり休んで、 リラックスすることを最初にやってから瞑想をやってみてはどうでしょうか。 コツはあると思います。それを会得するには、私は慣れるしかないと 思ってます。今でも瞑想のたびに新たな発見があります。 いのちは神秘的です。
>いつも見えるのでしょうか? いいえ、こころが穏やかな時、和みの中にある時です。 観たいとか、観るという意識が停止した時に、自然に見えます。 目の異常かなと思いましたが支障はなかったようです。 >瞑想とのつきあいも本当に人それぞれですね。 そうですね、瞑想をされる方は、それぞれに主張を持たれており興味深いです。 私のように単純に瞑想が楽しいという人間には解らない深い領域があるのでしょうか。 あまりしゃべると私のほうはすぐぼろが出ますので、ただ瞑想は楽しくやりたい、そこだけは私の唯一の主張でしょうね。
>>809 ありがとうございます。
本とか見ると放っておくのがいいと書いてあるんですが
気にしないでやってはいるんですが、全然効果がないので
つらいですね。せめてリラックスしてストレスを軽減するぐらいは
したいんですがなかなか
瞑想しただけよけいなことが浮かんできて効果が実感出来ないです(´・ω・`)
793です。ようやくスレが静まりましたね。
>>811 最初は瞑想中に思考にとらわれずただ観察するのは
難しいことですね。慣れないうちはすぐに思考や妄想それ自体に
自分自身がなってしまい、頭の中はあの忌まわしいおしゃべりを
延々とくり広げてしまいます。またそれを無理に沈めようとすると
今度は沈めようとする葛藤が沸いてきてまたその思考にとらわれ状態。
サティというのでしょうか、日々の生活の中でも自分の思考や感情をただ観察する
という訓練をしないことには、瞑想のときだけ深い瞑想状態になりたくてもなかなか
なれないとおもいます。そうなるとこれ日々修行になっちゃいますね (W
私も独学で瞑想を始めて日は浅いのですが不眠症っぽかったのが、かなり改善されました。
不眠症って単にあの忌まわしい頭の中の「おしゃべり」がやまずにそれにとらわれ続けるから
眠れなくなってたんですね。
とにかくただ思考をほっておくとそのうち眠気がきてまどろみ、まどろんでいるといろいろな
ビジョン(夢)が見え始めこのまどろみを長く保ちたいのですが、寝てしまいます。
たまに一瞬、思考がやんで静寂がくることがありますが、なんとも静かで平安なことか。
私の場合、ヨガの死体のポーズでそのまま寝てもいいような状態でやってます。(W
>>812 >日々の生活の中でも自分の思考や感情をただ観察する という訓練をしないことには
ありがとうございます。なるほど日々の努力が必要なんですね
814 :
水が入っている :02/10/02 21:04
瞑想で一度だけ意識が頭から背骨?を真っ逆さまに落ちていく体験をした。 ここのみなさんはこれくらい何とも無いですか? 怖くて思わず目を開けて中断した。 後にも先にもこの一度だけの体験。
815 :
名無しさん@1周年 :02/10/02 23:44
>>813 確かに瞑想は集中出来ないよね。みんなうまく集中出来てる?
何かコツないっすかね。漏れも同じで全然瞑想出来ないんだよねー
瞑想のコツね。 自分が瞑想するんではなくて、 ヨハンナさんの「瞑想が瞑想する」っていうのはいいかもしれない。 瞑想を「する」ことに捕われると入っていけないことが多い気がする。 そしてあきらめずに、欲なしに、淡々と、することかな。 扉は筒然開くこともある。
817 :
名無しさん@1周年 :02/10/03 07:05
仕事で失敗した日とか、何か心配事がある日は瞑想出来ないよね なんか、そればかり浮かんで来て結局半日やっても 心配事ばかり頭に浮かんでくるよ、こういうときにこそ瞑想したいのにね
>>816 774さん、ご同意いただいて大変恐縮です。
ところで774さんが既に了解してられるように、瞑想中に発生する光体験は、それ自体あまり重要ではないし、瞑想者の存在するポジション(こういう言い方は適切ではありませんね)
を反映するものではありません。それゆえ、それは放置しておいて良いのでしょう。
また、瞑想はハイヤーセルフとか魂とか言われているものに接触する手段ですが、実際に瞑想自体にはエネルギーを取り込む働きがあり、
むしろそのエネルギーの使い方に意味があるようにも思っております。
このあたりは、瞑想板より神智学の総合スレでお話する方が良いでしょうね。
少し、そちらに私見を書いて見ますので、宜しければご意見を頂きたく、宜しくお願いします。
>>817 > 仕事で失敗した日とか、何か心配事がある日は瞑想出来ないよね
そんなことありません。
心配しているのは誰? 瞑想しているのは誰?
このふたつは同じだと思いますか?
>>818 エネルギーの使い方ですね。
確かに重要です。瞑想して得たエネルギーを、できれば世のため
人のために使うべきでしょう。私たちは転生している魂それ自身です。
自分自身を魂と思うなら、この人生で、それにふさわしいことをする
でしょう。どう生きるかは自身が魂として生きたかです。
(私も肝に銘じないと....)
>このあたりは、瞑想板より神智学の総合スレでお話する方が良いでしょうね。
より突っ込んだ話はそうですね。そちらの質問にも応じておきましたので
見て下さい。
なにげに宣伝
http://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1031411242/l50
820 :
名無しさん@1周年 :02/10/11 19:05
ヴィパッサナー自体は問題ないのだが、 元オウムとかその関連のものが隠れ蓑にしてもぐりこんでいる団体もあると聞く。 十分注意するよう。
824 :
ろんぎぬす :02/10/14 20:35
>822 サン アゴンにいた頃のうろ覚えなのだが 止と観は 違う。 止 は落ち着いていても沸き起こってくる 念 を無くす または 三毒の心や気持ちの 沸き起こるのを 停止させるもの と 聞いたのだか 読んだのだか 記憶がある アゴンでは煩悩の死滅 因縁解脱 説明された記憶がある 観 の方は 仏のイメージ 慈悲の起こる心を作る 思い浮かべて 人を救う手立てを 考え付ける想像力 または 救われていくイメージを 自在に思い浮かべられる事 観得する事 と アゴンでは解脱の瞑想だか 仏界の仏その者になる と 説明された記憶がある
825 :
ろんぎぬす ◆/UlxLqTUjM :02/10/14 20:44
>824 アゴンシューとは別に 自分で調べた参照箇所 ●大乗仏典 中国・日本篇 6摩か止観 中央公論社 p288 毘婆舎那びばしゃな(音写語。正しい直観、観)は、よく煩悩を破するけれども、 奢摩他しゃまた(音写語。散乱したこころを制御して静める、止)の力をもちいて正しい知見を助けるのが普通である。 p289 根本四禅(禅観の基本・・・初禅から四禅まで) ●倶舎論 仏教講座18 桜部 建 著 大蔵出版株式会社 分別賢聖品第六 諦 三賢・四善根 見道・修道 p202 不浄観・持息念(数息観)が止(奢摩他しゃまた、心の静止) ・・・四念住(四念処)は観(毘婆舎那びばしゃな、智恵による観察)
826 :
ろんぎぬす ◆/UlxLqTUjM :02/10/14 21:04
>825 別の視点。 戒は 食事の制御 運動など体調の制御 により肉体の不調から来る 行動要因 動機 転生する悪心の原因を制御 (たとえば 肉食って たまって欲情して襲っただの しないよう 「刺激物は食べない」など) 定は 気持ちの制御 思い浮かべるものの制御 により思考力精神面での 行動要因 動機 転生する悪心の原因を制御 (たとえば 悪い事や失敗があった時の動揺の心を持続させず 衝動的行動を起こさぬよう 気持ちを引き締め「言い聞かせの想念をする」「無念無想」) 慧は 次に何を行動かの選択の制御 考え方の制御 により動作の選択によって生ずる 行動要因 動機 転生する原因のその後の予定を制御 (たとえば 人に何かしらした時の影響 自分への報いなど考え 次の選択 悪への応報の無き 行動選択をする「知恵を働かせる」) この三学の精度が上がれば 個人の輪廻の転生の根っコは無くなり 解脱する と 私は予測した
827 :
ろんぎぬす ◆/UlxLqTUjM :02/10/14 21:09
>826 またまた 別の視点。 お経を 解決事例集として 参考にする 論法を 考え方。分析分類表の方程式一覧として 参考にする 戒律を 禁止や実施事項の行動規範対照表として 参考にする と 三蔵を 考えていた
あなたが実践派ではない、ということは分かった。 観が深まれば心は自然と止であるし、 止があっても観がなければ眠りこけてしまう。 深い禅定では止観は同じもの=禅(ディヤーナ)です。 くだらないのでsage
>>822 サン >アゴンにいた頃のうろ覚えなのだが 止と観は 違う。 繰り返しますが 同じ です。
830 :
名無しさん@1周年 :02/10/19 18:41
原始佛教 U
http://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1031764449/891 891 :名無しさん@1周年 :02/10/19 18:35
>ベロ ◆eOod7XM/js 電波男Ψ(´д`)Ψ ◆c9KW8mn4ss バウ ◆6XpyDQkkJ2
止観は同じというレスは見ました。
ところで、
阿含経から四禅や戒律を 解説するレスを見ません 「原始仏教」の御題ですが 何故でしょうか?
スリランカ仏教やタイ仏教では
原始仏教の説く 第一禅 第二禅 第三禅 第四禅 滅尽定 はドウ解説していますか?
その為の戒律はドウいうのがありますか。
インドのヒンドゥー教のヨガ行の瞑想のように
あるヨガに入る際の 断食・節食・禁忌・準備体操・準備の瞑目 の手順などを 教えて貰えんのですね。
あと阿含経から 心に浮かぶ念や感情など 切り易い順番を 説明して欲しいものです?
「止観」を極めた「実践派」の具体的な解説を お伺いしたいですよ。
私は 阿含宗の呼び物 解脱のシステムがある 道品法(七科三十七道品)を実践する
などと入信させて 真言宗だか禅宗の
八段錦法(準備体操) 数息観(準備瞑目) 阿字観(観) 月輪観(止)
四度加行(金剛&胎蔵界法) 加持祈祷法(如意宝珠法) 求聞聡明法(虚空蔵菩薩供養法)ぐらいで
アナパナ?だか 数息観の原型の解説など ボラって
ちっとも阿含経から その他の修行法を 具体的に遣る伝法を 聞いた事が無いですよ
お金出して 教祖の護摩祈願や 道場建立の「資金集め」の 「財施」ばかりでね
「法施」は 世間様に阿含宗を広める事で
自分の関係者に「阿含宗の護摩木や祈願札やメダルを買わせる事」「阿含宗の信者にする事」 だそうで
どこに成仏法「道品法」 があるんでしょうかね(笑
いつも著書による 呼び込み題目となえで お終いですから
それが阿含宗の現世成仏の「修行の中身」でしたよね(笑
831 :
名無しさん@1周年 :02/10/19 18:56
>ベロ ◆eOod7XM/js 電波男Ψ(´д`)Ψ ◆c9KW8mn4ss バウ ◆6XpyDQkkJ2 瞑想は 創価学会の教学に 関係ないよ 邪宗に所属している事自体が 言っている事と遣っている事が違うからだが 天台宗や真言宗や禅宗を否定し 日蓮宗や法華経のみ偉い とする団体どころか それ以上に 池田大作の使用人としての 防衛反応や攻撃意欲を 機能を果たす 人間たちの スル事だから 題目を唱えて 選挙活動に 嫌がらせ して瞑想もねーだろう キリスト教のチャペル・ベルを鳴らして お題目を唱えて 池田先生の著書の朗読ですかいな 教義 実践 倫理 道徳も めちゃくちゃや 創価教育は学会本の解説では 「真」善美ではなく 「利」善美 でしたしね だから 創価大学は地目が山林 聖教はショウギョウと読めない 強姦は無罪 突き落としは自殺 アウトソーシング宣伝は 下請けと資本は創価子会社や創価金融で 大企業の乗っ取り作戦 とか 真実でなくとも 利益になればよく 金貸し屋の教祖のカネになれば何でもあり そのオコボレで 信者にウマミがあると言う 人の不幸を生き甲斐に喜ぶ 利益追求団体だからね 基本的に法華経のお札を持って 票集めやサラ金業や地上げ屋行為な脱税団体で 宗教団体でないから
他スレのコピペをここでやって、何が言いたいの?
833 :
名無しさん@1周年 :02/10/19 22:58
えっとですね。お分かりでしたら教えていただきたいのですが。 本旨は、 >原始仏教の説く 第一禅 第二禅 第三禅 第四禅 滅尽定 はドウ解説していますか? >その為の戒律はドウいうのがありますか。 >あるヨガに入る際の 断食・節食・禁忌・準備体操・準備の瞑目 の手順などを 教えて貰えんのです[か]ね。 >あと阿含経から 心に浮かぶ念や感情など 切り易い順番を 説明して欲しいものです? それと貴殿への創価学会と思われる集団の私生活の攻撃の 可能性の注意と警戒呼びかけです。
>原始仏教の説く 第一禅 第二禅 第三禅 第四禅 滅尽定 はドウ解説していますか? >その為の戒律はドウいうのがありますか。 私は原始仏教を全く理解してないのでお応えできませんね。 >あるヨガに入る際の 断食・節食・禁忌・準備体操・準備の瞑目 の手順などを 教えて貰えんのです[か]ね。 このヨガはハタヨガのことかな? これも詳しくありませんのでお応えできません。 >あと阿含経から 心に浮かぶ念や感情など 切り易い順番を 説明して欲しいものです? 阿含経も知りませんのでこれも説明できません。 さて、これらに私が応えることができたとしても、それを知って貴殿はどうするおつもり なのでしょうか?貴殿は瞑想よりも言葉を好むように私には思えますがいかがでしょうか? しかもその言葉はあなたの満足のいくものでないといけないようですね? 瞑想は知識の蓄積とは無関係です。あなたは瞑想についてありとあらゆるものを学べる でしょう。しかし瞑想しなければ無意味です。梯子の構造をいかに研究しても、それを 使って上に登らないと意味がありません。さらに、それは登ったあとはどうでもよくなる ものなのです。明らかに梯子が重要なのではなく、上に登ることが重要です。 宗教、修法、教典、瞑想法、人生、愛、死、出会い、別れ、人間の愚かさと自身の愚かさ、 人々とのつながりと自然、詩。等々。これらは皆私たちの梯子です。そして瞑想はこれら とは無関係です。 >それと貴殿への創価学会と思われる集団の私生活の攻撃の >可能性の注意と警戒呼びかけです。 信仰者を責めるのは常に信仰者です。いつまでそこに居るおつもりですか? >それと貴殿への創価学会と思われる集団の私生活の攻撃の >可能性の注意と警戒呼びかけです。
835 :
名無しさん@1周年 :02/10/21 00:26
833 :名無しさん@1周年 :02/10/19 22:58 ok
あげ
837 :
名無しさん@1周年 :02/10/27 10:14
実際、瞑想をどこでどうしているんだ? 家の中?山ごもり? 30分?10時間?
774さん 瞑想は魂の光に私たちを近づけます。 本源は神の光のセンターであり、私たちの活動源です。 また、瞑想は生き生きとした感受性としてハートを蘇らせます。 キリストが、磔刑の後復活を遂げることが出来たのも、ハートにある命が 宇宙の愛の本源と一体となったからです。それ故キリストは如来です。 私たちの意志それははかない希望のように今は小さくとも、それは神の御意志、お力により 様々な個人の目標や計画を導きます。 瞑想がそれらを導きます。 そして瞑想は、貴方のうちにある完全なる愛と光をお互いに結びつけ、人類全体としての一体感へと それは運んで行くでしょう。 悪しき人間の心、それは征服されるのではなく、瞑想による魂の光によって消散されもとある位置に 留められるでしょう。(止観) さあ、774さん、あなたは偉大な旅の道に既に立っておられる。 そこには唯一にして聖なる光、愛、力が、貴方によって有用に使われ、益々 にして774さんご自身の大いなる望みがかなえられることを神も喜んでおられるのです。 偉大な経綸が成就しますように。
ここは電波スレッドだったんですね。 気づくのが遅れました。
あいたた・・・・
843 :
名無しさん@1周年 :02/11/05 12:54
イタイのはつきものなんよね。 奥へ進めば進むほどそうなっていくもんなんよ。
浅瀬でちゃぷちゃぷ・・・自分では奥まで進んだつもり・・・あいたた・・・
浅瀬でちゃぷちゃぷ・・・と思ったら深みにはまった。 あいたた・・・
846 :
名無しさん@1周年 :02/11/07 09:29
vv乳もみあげ
847 :
名無しさん@1周年 :02/11/07 23:45
クンダリーニヨガのテキスト買おうかとおもうんだけど 「チャクラの覚醒と解脱」「密教ヨガ入門」 どっちがいいの? ほかにいいのある? 「魂の科学」とか?
>>847 読んでから決めてはどうでしょう。
クンダリーニを覚醒させたいのでしょうか?
849 :
stupid :02/11/09 12:41
基本的な瞑想方法を教えてくれよ 調べても色々流派みたいのがあって複雑だよ。目を瞑り眉間に意識を集中しろとか 、平和と愛を願い集中しろとか、心と光を一体にするつもりで、、、霊と会話するように とか、、、わけわからん。 あと坐法も教えてほしい
平和と愛かよ! 宗教と瞑想は分けて欲しいぞ。 あくまで、頭が良くなるとか、現実社会で役立つためにやっているんだが。
852 :
stupid :02/11/09 21:03
ベーシックな瞑想のやりかたおしえてよ
>>849 ,852
いろいろやってみるしかないね。
じゃないとどれが自分に合うかわからないでしょ?
これが初心者向きの瞑想ってものはないんだ。。。
そういう風に宣伝するところがあったとしてもね。
あなたが自分で選択してやってみるしかない。
そしてあなた自身の判断で進むしかない。
こういう世界はすべてat your own risk だ。
とりあえず、瞑想やってるところに参加してはどうかな。
>>850 現実世界で役に立つというのは、よく瞑想の宣伝で使われる言葉だ。
もちろんそういう効果もあると思うが、それだけ求めるのなら、
どこかで瞑想と決別することになると思う。
それと平和と愛は宗教とは関係がないと思う。
854 :
stupid :02/11/09 22:35
>>853 そんな所に出入りするのは危険だ
オレは自宅でできる21世紀型のオレなりのお手軽な瞑想をやりたいだけなのに。
>>854 とりあえず、1日10分「ただ座る時間」を作ってみましょう。
無念無想だの意識の集中だのイメージだのといったことは一切
なし。ただ自分の中に浮かんでくる想いやイメージを見つめる。
坐法はこの種の瞑想(というか坐忘)ではとりあえず何でも良い
でしょうが、落ち着いて座るには正座が適しているかな。
この瞑想を続けるうちに自分(と思っているもの)の中に浮かん
でくるものを「別物」として見つめる自分が目覚めてくるかもし
れません。そうなったら、その「見つめる自分」を日常生活でも
「目覚めた」状態にしてみましょう。それで、夢の中で目覚めた
夢を見ることが、少なくとも夢を見ている自分を見ることができ
るはずです。
あとは、夢の中で目覚めた自分を夢見る瞑想、より良い夢を見る
瞑想、目覚めた夢を創り出す瞑想など各種の瞑想が開発(^^;され
ているのでお好きなものを選べばよいでしょう(超能力や霊能系
は良い夢を見るためのものですね)。
ただ、最初にあげた「ただ座って見るめる」瞑想がもっとも単純
で、かつ劇的な瞑想なのかもしれませんが。
856 :
stupid :02/11/10 00:06
>>855 わかりました。
しかし、落ち着くといっても隣の部屋ではねーちゃんが携帯でくっちゃべっていて、
弟はいつもダッシュで階段をかけあがってきてあまりにウルサイので決まった時間に
落ち着ける時間がもてない。深夜になってもテレビをつけっぱなしで寝てるので音が自分
の部屋に筒抜けで入ってくる
こーいった状況下でも1人部屋を暗くして根気をもって落ち着くようにした方が良いか、
耳栓でもして音を少し遮断させて瞑想すべきか、違う場所を選択するか、イヤフォンで
演奏のみのバロック音楽でも聴きながらやった方がいいか、
どれがいいでしょうか?
857 :
名無しさん@1周年 :02/11/10 00:30
一応、漏れがやってる健康瞑想法はただ自分の好きな言葉を 20分唱えるだけをやってるよ でも、うまく集中出来ないんだよね〜これが
>>854 オレ流というのが曲者なんだよね。
自分が正しいという感覚を持ってしまうと、自分の意識の中で
変化があったときに対応できなくなる。錯覚に陥っても気づき
にくくなってしまうんだよね。それでも良いならどうぞ。
怪しい瞑想会が嫌なら座禅の集会でも行くといいよ。
とにかく我流でやろうが、誰かのやり方に従おうが瞑想に危険は
つきものです。
もう少しフォローを。
>>856 本格的な瞑想を求めているわけではないわけね?
瞑想に何を求めているのかな?
なぜ瞑想しようと思ったのかな?
860 :
stupid :02/11/10 19:25
>>859 瞑想に興味を持ち始めたきっかけは速読や記憶力のHOW TO本に瞑想をすると、
脳波が下がり右脳の能力が発揮しやすくなると書いてあったから。
特に、頭の中のモヤモヤしたものが消えて、目にしたものをそのまま写真のように
頭の中で映しだせたり、イメージしたものを鮮明に見えるときいたんで、これを発展
させていけば直観像記憶(写真記憶のようなもの?)も可能になったらおいしいなぁー
と思って。まぁそこまで行くのは難しいとしても、最低でも迷いが無くなり決断力が
ついたり、集中力が増すのではと考えて瞑想しようと思いました。
やっぱり瞑想しているとイメージしたものをそのまま写真のように鮮明に見えるんですかね?
自分は原色を頭でイメージしても黒みがかっていて色でさえはっきり見えないんで。
>>860 ふむふむ。TM(超越瞑想)やっている人が見たら喜びそうな質問ですね。
集中力、記憶力、脳波の変化については、大脳生理学的に確かに瞑想には
効果があるようだけど、瞑想が唯一の方法というわけでもないと思う。
イメージについては訓練かな。ある種の瞑想ではイメージを使うからね。
迷いがなくなるかどうか>大きく迷わないと、迷いもなくならない(謎)
それから瞑想は感覚を鋭敏にする。それが本人にとっていいことなのか
どうかは別な問題だ。瞑想の世界は思ったよりも深い。落とし穴も一杯だ。
それでも山に登ってみるかい?
862 :
stupid :02/11/11 17:16
>>861 写真記憶ができるような瞑想の訓練を教えてください
今の段階では何をイメージしても頭の中の黒みがかったモヤモヤが邪魔して
色でさえイメージできません。しかし最近は見たものをイメージする力はついて
きたかなとは思う、鮮明ではないですが。
しかし色になると黒紙の上から原色のクレヨンをぬっているようで背景が黒でそこ
に薄い色がついてるに過ぎません。
写真記憶に至るにはこの段階を抜けるのがまず第一歩だと思うのですが、お願い
します
>>862 写真記憶ねぇ。お役に立てなくて残念だけど、私にはわからないなぁ
864 :
stupid :02/11/12 23:29
>>863 わかりました
無理いってすみませんでした
865 :
名無しさん@1周年 :02/11/13 01:26
瞑想で集中力つきますか?
866 :
名無しさん@1周年 :02/11/14 23:25
867 :
名無しさん@1周年 :02/11/16 12:51
瞑想で集中力つきますか?
868 :
名無しさん@1周年 :02/11/16 14:55
age .
あのね。 瞑想の効能ばかり追及するというのは、本来は外道なんだよね。 瞑想に対する動機が不純なら、結果もそれなりだ。 瞑想して人知を超えたものに憧れるというのは、決して、自分の 現状の不満やコンプレックスからではなくて、自然と求めはじめる ものなのよ。 だから自分がなぜ瞑想したいと思うのか、正直に 動機を見つめることは、瞑想に取り組む前に最初にしておかなければ いけないことと、私は思うわけだ。さもなければ、オウム信者のように どこかで落とし穴にはまるよ。
まじめちゃんのせいで、だんだんスレがつまらなくなってきた。 もうダメ、ぽ...
871 :
名無しさん@1周年 :02/11/23 14:42
非在氏カムバックきぼ..
誰が何を言おうと、ベンジャミン・クレームが糞だと思う人の数↓↓↓
873 :
名無しさん@1周年 :02/11/24 01:40
ってゆーか、774さんは何の目的で瞑想始めたの? 何らかの効用を期待したんでしょ。 初心者なんてそんなもんじゃない?
>>873 私の場合は効用を期待してはいなかったね。興味はあったけど。
効用を期待して、だんだん瞑想の世界に正しくはまっていくということは
もちろんあるだろうね。その可能性を全部否定するわけじゃない。
私の瞑想に対するここでの立場は、瞑想はメソッドが重要ではないということと、
「慎重に関われ」ということだ。
それとは対照的に瞑想はメソッドと効用こそ大事と考える人がいても、
ぜんぜんOKだ。もっと気軽に関わってよいという人がいてもかまわない。
瞑想とは何かについていろんな意見があってしかるべきだろう。
ここを読む人はそれらから自分なりに汲み取るしかないんだよね。
あとは自分でやってみるしかないと思う。やってみて前へ進むガチンコ
なんですよということを声に出して言いたいね。
がチンコ?
876 :
名無しさん@1周年 :02/11/26 20:39
メソッドってなに?
やり方、かナー?
やり方がチンコ?
オン・ユア・リスクの世界、ってこと、かナー?
パタンジャリのヨーガ経典はもう読まれましたか なかなかいいこと書いてます。 ヴィヴェーカーナンダもそれについて論じています。 また、近年ではアリス・ベイリーが「魂の光」というタイトルで 現代解説をしています。
インテグラルヨーガとかいう、解説本なら昔読んだけど、けっこう面白かったナー。
882 :
名無しさん@1周年 :02/11/27 07:23
さ〜て、夜明けだ。 活元でもやって寝るとするか…
バストリカでもしとくか。
885 :
名無しさん@1周年 :02/12/06 16:55
ナウリでもやっとくか。 う… うッ… ううぅッ… 腹の筋肉使わずに、内臓に圧をかけてみる。 ム… ムッ… ムムムムッ… (;´Д`)ハァハァ 今日はもうちかれたから、昼寝ですっか。
886 :
名無しさん@1周年 :02/12/14 20:04
age
887 :
名無しさん@1周年 :02/12/24 21:44
888 :
名無しさん@1周年 :02/12/31 00:51
年末挙げ
889 :
名無しさん@1周年 :03/01/03 13:32
年始挙げ
まかば瞑想法ってどよ いろいろあるね〜瞑想法って(藁)
これらもほんとの起源は古い。 エッセネ派の実践瞑想に詳しい人なら一目瞭然だと思う。
みなさん あけおめ。 893>> 890のヤクザさんには感謝する。 私にダイヤモンドをプレゼントしてくれた。 そろそろ私もmentaiに逝くかな。 みんな、機会を逃すな。 つまらない偏見でダイヤモンドを見逃すな(謎)
なぜにsage進行?
774さん、こんばんわ 私も伝道瞑想はダイナミックでかつ極めて有用な瞑想だと思っています。 ただ、形式の簡略な面からは解らない難しい面もあるようですね。 しかし、効果はある時点から高まるように思えます。 勿論、伝道瞑想以外にも様々な良い瞑想法はあるでしょう。
勿論、やっているうちに瞑想を行う動機が変化したのには驚きました。 私としては伝道瞑想とたまたま縁がありましたが、どの瞑想が一番いいという 議論には全く関心がなくなりました。 各種の教義についてもしかり。 しかし伝道瞑想はイイ(独り言)(w)
890さんほんとにありがとう。 前のスレのどの部分がダイヤモンドかは言わないことにしよう。 10年以上伝導瞑想やってますが、私自身で変化は感じませんね。 ただ、近しい他人から言わせると私は変わったようです。 所詮「感じられる変化」というものはままごとなのでしょう。 ここで問題なのは、多くの瞑想者、特に瞑想を始められた方は、 「感じられる変化」を求めるということです。これを捨てられる人は、 一文の価値のないものに価値を見いだせるでしょう。そしてそこからが 瞑想の世界の本当のスタートだと思います。
>「感じられる変化」を求めるということです。 うーん、今の私にとってはかなり難しいそれは一つの壁になるでしょうね。 勿論、伝道瞑想とイニシエーションを結びつける考えは横に置いています。 また、瞑想の領域が生活全てに行き渡るなら尚嬉しい限りです。 私のグループでは、「感じかつ検証できる結果が出ない」ということで止めていかれる方、 も少しですがいます。 もう少し座ってみればまた違う角度(霊的な体験や感覚とは別に)で瞑想に対する発見ができるかも しれないと思うと残念なこともありました。もちろん、そのことで少しも同様はしませんし、次に新しい人もやって来られます。 止めた方の中にはその後個人で瞑想をやはり続けられる方もいるようです。 伝道瞑想は少し特殊なテーマなので自分の動機をどうもっていけるか、本当の動機を発見できるか、 常に自分でも考えさせられる項目ではありました。 思うに瞑想は、特定宗教あるいは霊的な行と考えないである種の呼吸のように捕らえてもよいほど、 実はもっと生活に近い普遍的な領域にあるのではないかと思います。 アフリカのある部族やアボリジニのある集落では、恐らく文明が始まる以前から瞑想があるようですね。
>>899 890さん
>うーん、今の私にとってはかなり難しいそれは一つの壁になるでしょうね。
私もそうでした。一方、その壁は瞑想へのカギでもあると思います。
公案にしてみたらいかがでしょう。
>伝道瞑想は少し特殊なテーマなので自分の動機をどうもっていけるか、
>本当の動機を発見できるか、常に自分でも考えさせられる項目ではありました。
なるほど。動機がどこから来るのかを「見る」ために伝導瞑想をすると言う
のでも、全く差し支えはないと思います。裏を返せば誰の動機も不純なのです。
それを見て、さらに逃げないことは良いことです。瞑想が逃避ではなく、
自分自身の闘い(雑な表現です)であるならそれは本物でしょう。瞑想の中で
真実でないものが暴かれるなら喜ぶべきでしょう。けれども私たちはほぼ確実に
そのとき痛みを感じるはずです。なぜなら感情や思考など、心中のあらゆるもの
と自身を同一化しているからです。それは痛いのだけれども、同時に自由もも
たらします。この自由を味合わないと瞑想の意味がないと私は考えてます。
なんであれ瞑想を続けていると、たとえ霊的野心に燃えていようとも、いつか
それは自身に投げ返され、変性します。種々のレベルの欲求は奉仕への意志に
変性します。それが伝導瞑想をやっていると起こることだと思いますね。
以上は、私の個人的見解です。間違いも含まれていると思うし、言葉の限界も
ありえますのでテキトーに受け取ってください>All
>思うに瞑想は、特定宗教あるいは霊的な行と考えないである種の呼吸のように >捕らえてもよいほど、実はもっと生活に近い普遍的な領域にあるのではないか >と思います。 たぶんそうだと思います。だから何が瞑想なのか定義は広いのでしょう。 >アフリカのある部族やアボリジニのある集落では、恐らく文明が始まる以前か >ら瞑想があるようですね。 つまり、人間であれば誰しも瞑想と繋がっている、ということかな?
902 :
名無しさん@1周年 :03/01/08 17:50
>ヴィパッサナー自体は問題ないのだが、
>元オウムとかその関連のものが隠れ蓑にしてもぐりこんでいる団体もあると聞く。
ええ、
>>823 さん、ヴィパッサナー関係でオウムいるの?
私、ちょうど、ヴィパッサナー習いたいと思ってました。
でも、ヴィパッサナーは妄想を取り除いて、ありのままを見つめる作業だから、
ちゃんとやれば、信者も信者でいられなくなりそうだよね。
関係ないけど、誰かヴィパッサナースレ立ててくれないかなぁ。
903 :
名無しさん@1周年 :03/01/08 19:03
「クリシュナムルティ・禅・ヴィパッサナー実践スレ」 と云うのはどう? 面白そう。
うわああ〜ん、903さん、それすごくイイ! クリシュナムルティってのもいいですね〜!
905 :
名無しさん@1周年 :03/01/08 21:38
905さん、新スレたててくれたのですね、有難う、乙カレー! 私も微力ながらカキコしますね。 取りあえず、ヴィパッサナーについて書いてみます。 では、逝ってきまーす。
907 :
名無しさん@1周年 :03/01/09 23:22
あげとこうか。 ウバキンよりメッターを込めて。
908 :
Dr.愛パッチ :03/01/13 18:42
ゴエンカ ジー のとこの熱心な古い生徒っている?一本にしぼってるひと。 あるいはマハーシシステム以外の方法で先生にきちっとついてやってる人も 2chにきてるのかあ? ちょっと上座vipaでスレをたててみようかと。。。。
909 :
名無しさん@1周年 :03/01/13 19:25
ただナー、、、 ヴィパッサナーの場合ナー、、、 カルマわるくしないようにしなくちゃナー、、、 議論は難しいよー、、、
910 :
Dr.愛パッチ :03/01/13 23:58
議論すれじゃなくて 情報スレでいこうと思う。 いまのマハーシ道場はどんな状況か。パオックの評価 今回のダンマバーヌの先生は誰とか
911 :
ロンドン児嶋 :03/01/14 02:04
mmm
(^^)
774さん
>>901 もう居られないかもしれませんが、亀レス申し訳ありません。<(__)>
>>アフリカのある部族やアボリジニのある集落では、恐らく文明が始まる以前か
>>ら瞑想があるようですね。
>つまり、人間であれば誰しも瞑想と繋がっている、ということかな?
人間にとって瞑想がなんだか宗教家や、精神世界、あるいは霊的な向上を考えている
人に限られた関心と実践に留まっていることが少し残念でした。
どんな人も微かに真我との繋がりはあると信じています。(くもの糸のカンダタにも)
失われた繋がりを取り戻すという時に、特定の宗教に拠らない形で進められる瞑想は
余りに少ないと思います。
アボリジニも恐らく本格的に瞑想するのは晩年からでしょうけれど、することが例えば
自分自身を見つめたり、日記をつけるように宗教意識抜きに自然に行われているようにも
思えます。
なまじ宗教が入るとあの宗派は駄目、あの瞑想は駄目とか排他的な意識や
つまらない優越感も生じるでしょう。
要は真我というか生命の本源とどう繋がっているかだけなんだと思います。
見かけの方式はそれぞれ違っていても・・・
890さん。 哲学板から帰ってまいりました。ヤレヤレです。 >人間にとって瞑想がなんだか宗教家や、精神世界、あるいは霊的な向上を考えている >人に限られた関心と実践に留まっていることが少し残念でした。 瞑想に関心を持つ人というのはたぶん少数派だと思います。 そして飢えている人は必ず来ると思います。 > なまじ宗教が入るとあの宗派は駄目、あの瞑想は駄目とか排他的な意識や >つまらない優越感も生じるでしょう。 みんなより所が欲しいのだと思います。それなしでは暗黒の平原をいくように 思えるのでしょう。 真理は道なき大地だとクリシュナムルティは言いました。 わたしたちは勇敢なアボリジニが平原を独り行くように、 たったひとりで真理に立ち向かわなければならないと思います。 どんな瞑想や宗教等に執着していたとしても、いつかは独りで歩み出すほかないことを 見いだすかもしれないし、その中に埋もれてしまうかもしれない。 それを正直にみつめ、乗り越えていくのも、 やはりそれぞれ自分自身にしかできないことだろうと思います。 >要は真我というか生命の本源とどう繋がっているかだけなんだと思います。 >見かけの方式はそれぞれ違っていても・・・ 私はよく独りで散歩します。何の変哲もない街ですが。 人々の表情、風の匂い、音、建物の陰影などを見ます。そしてそれらと 自分との関係は一緒であるのを見て、正体不明な喜びがあります。 生命の本源とは何でしょう。私にはわかりません。 しかし独りの散歩は楽しいものです。
お帰りなさいませ。774さん、お疲れ様でした。 >みんなより所が欲しいのだと思います。それなしでは暗黒の平原をいくように 思えるのでしょう。 ストレス、疎外感が目立ちアイデンティティが見つけぬくいこの世界で、拠り所とする 安心できる場(実践、人、教え)は必要というのは同意でます。 そしてそれは、あたかもその人をある時期保護する役目も必要性もあると思います。 私の以前歩いてきた道(伝統的仏教)でも、ある世界観、宗教観の中で全てが説明できるかのような 枠組みの中で居りましたが、確かにその中では気持ちが良いものでした。 (一歩枠組みから出んとする時、大変な苦痛があったことは事実ですが) >私はよく独りで散歩します。何の変哲もない街ですが。人々の表情、風の匂い、音、建物の陰影などを見ます。 このあたりの微妙な感じ方は774さんと私の瞑想実践量の差、あるいは何かの体験から来る内的なものなのか、 瞑想についてますます興味深い点ではあります。(^^) 以前どこかのBBSで誰かがフェルメールの絵は、その見つめる意識が密教瞑想の状態であり、 絵自体にそのメッセージがあると聞いたことがあります。 彼の絵は、日常の平凡な営みに何かを見出しているようでした。
激しく禿同
brown君はもう来ないのかな? なかなかいい事を書いてたと思うのだが。
918 :
名無しさん@3周年 :03/01/31 23:53
オウムっぽいヨーガはどこで出来るのでしょうか?
919 :
名無しさん@3周年 :03/02/01 00:17
920 :
名無しさん@3周年 :03/02/01 01:13
>919 殺す
瞑想と座禅は、どう違うのですか。自分としては、ストレス解消・短気を直す・ 自分の良いところや悪いところを客観的に自分を見つめて人間関係を良くしたいなどが、 目的です。一応両方やってみました。瞑想では、その日、その何日か前、過去の自分が 友人や仕事関係など他人と話ししているシーンが目をつぶっているときに現れ、それを いい悪いの判断せずに映画のシーンを見るように瞑想を20分ほどしました(本に書いて あったやり方)。瞑想始めてから3分ぐらいで、胸と丹田あたりで熱いほのうが浮かんで きました(力強いエネルギーのような感じ)。たしかにその日のストレスはなくなり すがすがしい気持ちで瞑想が終わりました。 座禅は目を開けてひたすら1点を見つめるので、頭のなかに今日の出来事や過去の 出来事が浮かんできてもひたすらそれらの妄想を打ち切って、なにも考えずに 1点を見つめて座禅を30分ほどしました。座禅の感想は、日常生活で邪念や怒りが おきた時に、それらを振り切る(忘れる・誘惑に負けない)訓練ができる気がします。 ただ、自分を見つめる事は座禅の場合長くしていればできるようになるのでしょうか。 みなさん、どちらがお勧めですか。
922 :
名無しさん@3周年 :03/02/05 03:29
両方やればよろしいのでは?
>>921 いいな集中力があってオレはやればやるだけ
仕事のことが浮かんできて仕事の心配しかしていなかった
オレみたいに集中力がない人間には無理なんだろうね
そういうの
924 :
名無しさん@3周年 :03/02/05 03:56
ダイナミックをやるとよろしいでしょう。
925 :
名無しさん@3周年 :03/02/05 03:57
>>924 ∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
(ω・ )ゝ < なんだって?
. ノ/ / \_____
ノ ̄ゝ
>瞑想と座禅は、どう違うのですか。 ディヤーナが禅の語源だという説があります。 そしてディヤーナとは瞑想です。 >みなさん、どちらがお勧めですか。 あなたがやりたい方をやってはどうでしょう。
>いいな集中力があってオレはやればやるだけ >仕事のことが浮かんできて仕事の心配しかしていなかった >オレみたいに集中力がない人間には無理なんだろうね >そういうの まあやってみたらいいよ。 無理だと思って躊躇っていたら何も変わらないでしょ? 途中で投げ出して諦めるのは簡単。 瞑想みたいなのは根気も必要だと思うよ。 座りたければ、座ってごらんよ
>>927 疲れている時とかやっているよ
眠れなくてでもなかなか集中が出来ないだよね
トランス状態と瞑想とはどうちがうの。 能力開発系はトランスのほうなのかね。
930 :
名無しさん@3周年 :03/02/07 19:34
前スレを読んで、brown氏お勧めの「ミャンマーの瞑想」を買いましたぜ。
931 :
名無しさん@3周年 :03/02/17 01:06
あげてみよ
>>774 > どうにも下戸に思えるのだ。私自身は何も瞑想に求めてはいない。 > メシを食べるように瞑想しているというのが正直なところだ。 本当に本当にそうだろうか? 俺もやはり、そう思いたいのだが、自信はない。瞑想が習慣になり、そのことが 苦ではない。しかし、やはり何かを求めているのは間違いない。 ここ1ヶ月は毎朝毎晩瞑想を20分程度している。 何か変化がないかと期待しているが、特に変わったことはない。 いやすこし変わったようでもある。それが瞑想のせいかどうかは わからない。 私の瞑想の教科書には旅をするようにと書いてある。しかしさりげなく 効果らしきものがあるように書いてもある。 ほしくてしようがないのに、冷静をよそおっている状態なのかもしれない。 そうだとすればほしいものをそのままほしがった方がいいのではないかとも思う。
933 :
名無しさん@3周年 :03/02/18 20:41
あげ
>>932 おなかが減ったからゴハンを食べる。
心の平安を求めて瞑想する。
悟りの何たるかに漠然と飢えて瞑想する。
何かを求めるという点では同じですね。差異を見出さないことが重要かも。
もうひとつ付け加えるとすると、誰かが「ゴハンの時間よー」
と教えてくれるのです。ではそれを知らせる者は誰か。
>何か変化がないかと期待しているが、特に変わったことはない。
>いやすこし変わったようでもある。それが瞑想のせいかどうかは
>わからない。
大樹はゆっくり生長する。
>私の瞑想の教科書には旅をするようにと書いてある。しかしさりげなく
>効果らしきものがあるように書いてもある。
ふむふむ。
>ほしくてしようがないのに、冷静をよそおっている状態なのかもしれない。
you know that !
>そうだとすればほしいものをそのままほしがった方がいいのではないかとも思う。
as you like.
935 :
名無しさん@3周年 :03/02/19 01:47
チャクラの覚醒ってどうすればいいの? このチャクラはこすればいいっていうのはどういう本にのってるの? おしえて
>>935 > チャクラの覚醒ってどうすればいいの?
> このチャクラはこすればいいっていうのはどういう本にのってるの?
> おしえて
本は山のようにあるでしょう。チャクラが開く感覚はわりと簡単に
つかめるのではないかな。
俺の場合、走る禅という本をよんで毎朝2,3Kはしっていたら、頭頂部のチャクラが
ひらきましたよ。
いつのまにか、閉じましたけど。
もう少しで、覚醒するところだったかもしれん。
最近は走る禅から、座る禅に変えた。 寒いからね。
> >そうだとすればほしいものをそのままほしがった方がいいのではないかとも思う。 > as you like. おいしそうな話についつられそうになる。チャクラだとかなんだといわれると ぐぐぐっと耳をそばだてたくなる。 しかし、最終的には自分でやる以外ないよなと思い直す。 これを自信というのだろうか? 単に偽者を多く見すぎたせいだろうか? どこからかグルが現れて、頭をポンと叩いて「覚醒いっちょあがり」と やってくれればそれですむものを。 誰かが「真理は道なき大地」なんていうもんだから、余計に自信がついちまって、 やっぱり、これで間違いないな、なんて思うのだ。 私のところには「時間だよー」なんてご飯をしらせるものはこない。 それでも俺は十分ドン臭いので、解決すべき、悩みがすこしはある。 次元の低い悩みではあるが、それの一つ一つが、覚醒の道しるべ になっているなと、思うのである。
>>929 > トランス状態と瞑想とはどうちがうの。
> 能力開発系はトランスのほうなのかね。
軽いトランス状態には、サッカーや、野球の応援でもなっています。
トランスというのは、その気になって乗ると、かなり深いとこまでいけます。
プッツンしようかしまいか、ええーいいってまえー、やっぱりやめた。
そのくらいまでは、いったことがあります。やっぱり最後の手綱だけは
離さないでかえってきました。
あるダンサーの話ですが、自分自身のコントロールを獲得するもっとも
手っ取り早い方法は、なにか憑き物のようなものに自分をのっとらせる
といいそうです。
わたくしはそこまではしたくありませんので、あなたの体験談をお待ち
したいとおもいます。
山のようにっていうのは嘘でしょう じゃあ効果的なのを2三冊紹介してくださいよ
940 :
名無しさん@3周年 :03/02/20 03:52
ベゲザンビークについて知ればよろし。
>>939 > 山のようにっていうのは嘘でしょう
> じゃあ効果的なのを2三冊紹介してくださいよ
あるある。やまのようにある。
けど紹介しても意味ないとおもう。
自分にあったのを探したほうがいい。
胡散臭いのも山のようにあるし、非常に素晴らしいのもある。
おれはその両方が好きだから、なにを紹介したらいいかまよってしまう。
きみはどっちがすきなんだろう。
最近見つけたテクニックだけど、朝、通勤の混雑時とかさ、集団で同じ歩調で 歩いているとき、わざと「ユックリ」と歩くの。気を緩めるとつい周りの歩調に 無意識的に合わせちゃうから油断なく注意深くしながらするの。まあ、結果的に 自己観察を保つことになるんだけど、これだけでも瞑想的状態に入り込んだYO! これってヴィパッサナということなの?
うそやないか 「チャクラについてかかれた本」はたくさんあるが 具体的なメソッドがかかれた本はほとんど見当たらない
944 :
hiki luna :03/02/20 19:01
>942 おまえそんなんで解脱できたら苦労しねえよ
解脱ってなんのことだかわかんないやあ
>>944 > >942
> おまえそんなんで解脱できたら苦労しねえよ
そんなんで解脱をするのが重要なんじゃ。特別のことを
しようとするのが間違い。
947 :
名無しさん@3周年 :03/02/23 02:39
>946 あなたの方が間違いです あなたみたいなニューエイジャーが宗教を堕落させる 誰が普通のことして解脱しましたか? 肉くって、人の悪口言ってセックスして寝て 解脱ですか? あなたはいつするんですか? 釈迦は?ヴァルダマーナは?キリストは?ヨガナンダは?ババジは? 普通のことしてたわけか?
>>947 > >946
> あなたの方が間違いです
> あなたみたいなニューエイジャーが宗教を堕落させる
> 誰が普通のことして解脱しましたか?
> 肉くって、人の悪口言ってセックスして寝て
> 解脱ですか?
> あなたはいつするんですか?
> 釈迦は?ヴァルダマーナは?キリストは?ヨガナンダは?ババジは?
> 普通のことしてたわけか?
ホッホホッホーーほ。
どんな特別なことをしたのでしょう。
それが解脱に結びついたのでしょうか?
それはなぜなのでしょう。
あなたは解脱はどのようにすれば起こると考えるのでしょう?
まあまあ。とにかく僕が知りたいのは集団心理から自らを外して自己観察ユックリ歩き 結果瞑想的状態はヴィパッサナの行法にあたるのかということです。 どなたか精しいかたご説明をお願いいたします。
950 :
名無しさん@3周年 :03/02/24 07:13
禅開くん話をそらすな きみはだめだな。 絶え間なき自己観察 だろうが 肉食わないだろうが 悪口言わないだろうが クンダリーニヨガだろうが 禁欲だろうが 流されないように生きるだろうが スウソクカンだろうが それは「特別」としかいいようがない。 いや、本来普通のことというのは・・・ と話をもっていくなら それは詭弁でしかない。
>>950 > 禅開くん話をそらすな
いや、そらそうとしているのではない。
話を戻そうとしているのだ。
お前のいいたいことは分かるし、誤解を恐れずにいえば、
おまえは正しいのだ。次にそのことがどれだけ価値をもつか
が問題だとは思わんか? 折角勝ち取った勝利も鼻くそほどの
価値もないことだとしたら、悲しいだろう。
そもそも、解脱という概念は、解脱を目指すもの以外には
たいした意味をもたないと思うのだがどうだろう。
お前は解脱をもとめているのだろうか?
それとも単に外野で、解脱を解説したいのだろうか?
お前が解脱を求めているのならば、当然修行をしていると
思う。その内容が、
> 絶え間なき自己観察
> 肉食わないだろうが
> 悪口言わないだろうが
> クンダリーニヨガだろうが
> 禁欲だろうが
> 流されないように生きるだろうが
> スウソクカンだろうが
こういうことだろうか? こういうことについて多少は
聞き及んでいるが、俺は坐禅以外のことはやらない。
おまえはこれらに何か、特別な意味を発見したか?
僕はヨーガしてみたら肉が食べられなくなったYO
あぼーん
最近感じたこと。 男パワーと女パワーがあって、 肉体面では男が凸、精神面では女が凸になってるのがいい気がします。 どう思われますか?
>>954 そう言えば
魂はプラスエネルギー(オス)、肉体と心はマイナスエネルギー(メス)
でセクースとは実は瞑想なのだ。どっちもえくすたしーで燃える。逝ってしまう。
魂の光:ソーラーパワー(太陽天使)
こころの光:ルナパワー(月の生命)
合一とはハイヤーセルフとしてのセクース(藁
月の光ももとを辿れば太陽から来る。小さい光はより偉大な光に統合される。
瞑想とはセクース、南無3
左目は心、右目は魂、第3の目は神としての神我 魂への入り口はハート、ハートより入れ。 そして乳を探れ。じゃねえぇよ父なるヘッドチャクラに至れ 息を吸いハートからヘッドに昇り、息を暫し止めよ 今度は注目を太陽叢に向け、呼気を放ち降れ。 太陽叢にはもう一つ秘密がある。普通は怒りや様々な感情の溜まり場でエネルギーの 出入りする場所だ。 この荒い感情をハートで純化する方法がある。誰でもできる方法だ。
瞑想: 実はごいう
合一をしたがっているのは魂の方だ。だから魂に抱かれればヨイ。 良い声を出して、魂に抵抗するな。素直な乙女のように抱かれてみよ 魂に抱かれるのを怖れる、自分の小さい部分がある。 そう、自我とはそうした小さい想念の塊。そしてそれは未だばらばらで動いている。 その小さい部分がごちゃごちゃ言うのでお前はいつもエクスタシーにたどり着けない。 だからお前はその小さな自己の部分と向き合い彼の気持ちを感じて言い分を聞いてやれ。 自己理解が深まった時、その瞬間に魂への合一に入れ。 自己の小さな部分(パーツ)も少しずつ光に変化するのが見えてくるだろう。 あせるべからず
瞑想には潮時がある。 普段からエネルギーの流れを感じていれば瞑想時がわかる。 満月と新月、朝と夕方、季節、場所、肉体的周期… エネルギーがどこで満ちているか、冴えている時、冴えない時 魂は瞑想している。魂は普段は神なる神我に向かって瞑想している。 お前が瞑想する時、魂はお前の方を振り向く。 魂とは瞑想し整列し、神我との間にあって二つを繋いでいる。 外部に見える瞑想は姿だけである。呼吸あるいはリズムのみが存在している。
真言、マントラは瞑想に役立てることが出来る。 オン、またはOM,AUMの聖語を唱えよ 聖語は、心の中の流れを素早くし、それをかき混ぜ不純物を弾き飛ばす。 聖音が時として雑念を駆逐するのはそういうところによっている。 聖音を意識するだけでよい。実際に声に出してもよい。
>>956 > 真言、マントラは瞑想に役立てることが出来る。
> オン、またはOM,AUMの聖語を唱えよ
> 聖語は、心の中の流れを素早くし、それをかき混ぜ不純物を弾き飛ばす。
> 聖音が時として雑念を駆逐するのはそういうところによっている。
> 聖音を意識するだけでよい。実際に声に出してもよい。
マントラは俺には理解できない。意味はなんだね。
トランスに入っていくのか?
不純物を吐き出すどころか、マントラのほうが不純物にならないか?
マントラにお金を払うとしたら、きっと不純なものになるだろうな。
極度にあたまを使うと耳鳴りがするんだが、
耳鳴りを聴くのと、マントラを唱えるのとどっちがいいと思う?
マントラというのはなんでもいいみたい。「バナナバナナ・・」でもね。 ただ、それの優れた効用は前頭葉や新皮質などを沈静化させ、もっと 生命の根源的な神経系(脳幹)からの情報を引き出し、意識化させることにある。 禅開さんがやってみると耳鳴りが治るかも。
>>958 > マントラというのはなんでもいいみたい。「バナナバナナ・・」でもね。
> ただ、それの優れた効用は前頭葉や新皮質などを沈静化させ、もっと
> 生命の根源的な神経系(脳幹)からの情報を引き出し、意識化させることにある。
たとえば、どんな情報が意識化できた?
それ生命の根源からくる情報?
ああ、まあ無意識というやつじゃないかな?、例えば、時空間の認識だけど、 ある程度までは我々の前頭葉や新皮質の情報系、つまり意識そのものだけど、 その意識じたいが時空間を「解釈」、つまり実際の時空間の在りようを 「変調」しているのに気づくとか。 あと、生命を司る脳幹の情報ということで、たとえば、マントラを唱える 瞑想した後だとタバコがまずくて吸えなくなるとかさ、まあ、生命肯定的な 衝動(情報という言い方は適切ではなかったかも)が起こるよ。
>>960 > ああ、まあ無意識というやつじゃないかな?、例えば、時空間の認識だけど、
> ある程度までは我々の前頭葉や新皮質の情報系、つまり意識そのものだけど、
> その意識じたいが時空間を「解釈」、つまり実際の時空間の在りようを
> 「変調」しているのに気づくとか。
あまり面白くない。前頭葉、新皮質、、、、こういう言葉は何かを説明して
いるようで、ほとんど説明になっていないと思わないか?
「時空間のありよう」を知覚したのであれば、そのことを説明しないと
意味ないよ。
「生命肯定的な衝動」というのも、普通の人は普通に生命肯定的だよ。
のどが渇いたら水を飲む。腹が減ったら飯を食う。
タバコがまずくなるとか、肉が食えないというのも、もう少し突っ込んだ
気づき(理解?)のしかたをしないと、ヨーガの本などからの単なる刷り
込みかもしれん。全体的に「安易、ムードにのまれている」そんな印象
をうける。
966 :
名無しさん@3周年 :03/03/05 21:10
>951 あんたが何をやろうとね、それはどうでもいいんだ だがこれこそ正しい道だなんていう風に言われるとね こまるんだよ。 ぎゃくにアナタの言い方を取り入れるならね、 心拍停止にいたるクンダリーニヨガだろうがそんなものはなんでもない この世に「特別なもの、こと」などなにもない って言ってもいいわけ。勿論逆に すべては特別だって言ってもどうでもいいんだ とにかくナントカヨガはみちから外れてるとかね、 そういう発想自体が違うんだと思うわけよ。 釈迦のように耳から血出るまで 息止めればいいじゃん。 超能力のためにチャクラ覚醒させればいいじゃん なんでもないよそんなもの
>>962 > あんたが何をやろうとね、それはどうでもいいんだ
> だがこれこそ正しい道だなんていう風に言われるとね
> こまるんだよ。
何か意味が通じてないような気もするが、誤爆じゃないよな。
こまらんでもいい。
俺が坐禅以外やらないのは、他の方法にまだ意味を見出せない
からだよ。
色々な方法があった方がいい。そういう発想がないのが問題だろう。
発想はどうしてででくるんだ? 意味を見出したからだろ。
じゃあその意味は何なんだろうな、という自然な問いかけだ。
> 釈迦のように耳から血出るまで
> 息止めればいいじゃん。
ほう、それは初耳だ。俺は耳処女だからな、そのうち
初潮が来るかもしれん。
> 超能力のためにチャクラ覚醒させればいいじゃん
> なんでもないよそんなもの
何でもないようなものを覚醒してもなんでもないんじゃないか?
>全体的に「安易、ムードにのまれている」そんな印象をうける。 そうかい?、勝手にしろよバ〜カ。。。<と2ちゃんらしく煽ってみる。
>>964 > >全体的に「安易、ムードにのまれている」そんな印象をうける。
> そうかい?、勝手にしろよバ〜カ。。。<と2ちゃんらしく煽ってみる。
簡単に行き詰まるだろ。まともな返事ができない。
それ以前に、(柄にもなく難しい言葉を使い始めた時点で)行き詰まっているんだが。
瞑想はそこから始まるとおれは考える。行き詰まりを超えなければ次の段階には
進めない。
だから、行き詰まりが重要だ。もし行き詰まりがなかったら、意図的にそういう
状態をつくりだす。つまり限界に挑戦することだ。一日一回は限界に挑戦してみる。
それは、おもいっきり嫌なことだよ。決して生命肯定的なんていえない。
「そんなことをしてなんになる。馬鹿なことはやめとけ。頭がいかれる。
瞑想は生命肯定的だ。楽な方法が正しい」そういう誘惑に勝たなければならない。
というか仕事中だったのでまともな返事も書けなかった。すまん。 あと、別に難しい言葉は使ってないが(笑)、こういう言い方も できるだろうと思ってさ。 あと、「楽な方法」だけど、僕は「苦行」だと思っているよ。 チベット密教では修行を「タパス」と呼ぶが、その語源は 「焼く」ということ。苦行から起きる熱で、瘴気を焼くみたいなさ。 君は勝手に人の発言を貶めるようなことばかり言って いるけど、そんなんでほんとに瞑想できているのかい?
971 :
名無しさん@3周年 :03/03/06 20:04
やっぱわかってない 全快だめぽ
>>966 > あと、「楽な方法」だけど、僕は「苦行」だと思っているよ。
> チベット密教では修行を「タパス」と呼ぶが、その語源は
> 「焼く」ということ。苦行から起きる熱で、瘴気を焼くみたいなさ。
「楽な方法」がなぜ「苦行」なんだ。意味がわからん。
楽な方法でも熱が出るから、苦行と一緒ってことか?
それより、「楽な方法」の方が逆に難しいというのならなんとなくわかる。
初心者は苦行の方が分かりやすいし、最初はそのほうが速く進歩する、
とおれは思う。
> 君は勝手に人の発言を貶めるようなことばかり言って
> いるけど、そんなんでほんとに瞑想できているのかい?
ほんとの瞑想?それが俺にわかるとおもうか? 自分の信じるところで
やっていく以外方法はないと思うぞ。
貶める? そうかもしれん。都合のよいように、これが良くて、あれはだめでは
瞑想にはならんと思う。
耳障りのいい言葉だけ聞きたいのか?
>>967 > やっぱわかってない
> 全快だめぽ
お前みたいに簡単に分かると思うやつのほうが、
だめぽ。
ちょっと略しすぎた。 「楽な方法」をしているとは一言も言ってないのに決め付けられたので ああいう書き方になりました。で、わかりやすく書いておくけど、 僕は楽な方法はしていなく、苦しい修行をしていたということを 申し上げたかっただけの初心者です。よろしく。 ベテランかも知れないが(笑)
>>970 > 僕は楽な方法はしていなく、苦しい修行をしていたということを
> 申し上げたかっただけの初心者です。よろしく。
> ベテランかも知れないが(笑)
どんな苦行?
なぜ過去形なのだ?
まあ一連のヨーガと気功法かな。過去形なのは、今は瞑想しかやってないから。
失恋したりすると胸が痛むのは何故ですか?
978 :
名無しさん@3周年 :03/03/09 16:31
簡単にわからないのnに 人には断言か メデテーナ くそ
979 :
名無しさん@3周年 :03/03/09 18:00
TM(超越瞑想)はど〜よ? 再開してみようか、と思うんだけど。
>TM わざわざ金払う必要なし。単純な言葉を(できれば自分の知る言語では意味をもたない言葉を) 繰り返し頭の中で唱え続けることと同じ。
981 :
名無しさん@3周年 :03/03/09 23:16
>>980 名に言ってるの?もしかしてバカ?
金払うか寺にでも行くかしかないだろが。
>>3 でも見とけ。厨が。
?なにがなんだか・・・、ああ、そうか指導する人が必要だという 意味か。そりゃそうだな。確かにその通り。あんたは偉い! その意見は了見が狭いが。
>>974 > 簡単にわからないのnに
> 人には断言か
> メデテーナ
> くそ
断言についてだが、瞑想は注意深い観察が大切でしょう。
こういうことは断言できるでしょう。
会話は、
曖昧が、より詳しく具体的になる方向に、
不明確がより正確になる方向に、
不一致が一致する方向に、
進んでいくものではないでしょうか?
これも断言できるでしょう。
具体的に苦行とは何かと聴かれて、
「ヨーガや気功だ」では、明らかに会話は
成り立たない。非常に特殊ヨーガしかしらないのか?
それとも、ヨガに対する思い込みがあるのか?
それとも答える気がないのか?
それとも、質問の意味が理解できないのか?
会話のできない人は、「注意深い観察」とは程遠いのでは
ないでしょうか?
会話のできない人にとって「ヨーガや気功や瞑想」とは
単にものめずらしいものを渡り歩いているに過ぎない
のではないでしょうか?
こういうことは断言できないことでしょうか?
>981 自分の瞑想法にケチをつけられ激怒か〜 なんの為の瞑想なんだろう? 真の厨に問いたい。 >983 明らかに会話が成り立たないのは、 あなたが相手を理解しようとしないからです。
まあ、おれも人様のこと言えないなー
お久です。 禅開さんの文章には誠実な印象を受けました。 あなたは自分の考えや気持ちに対してとても正直ですよね。 なんとなく好感が持てます。 瞑想については、たしかにこれがホンモノだと言いたい気持ち も分からないではないけど、 自分に会うもの、会わないものというのはあると思います。 自分にとって良かったものが、人に会うとは限りません。 ですから、ここで瞑想やテクニックや体験や背景についての意見を 聞くにはいいかと思いますが 自分が知っている以外の道を安易に否定することは、瞑想から 遠ざかるように思います。「それもプロセスだ」なんて言われれば それまでなんですが。 それから理論と実践は違うということについて、謙虚さが必要 じゃないかなと感じました。 たとえば、桜の花はもうすぐ咲くけど、同じ木でも枝によって、 開いたり、開いていなかったりという違いがあるように、私たちの 悟りの開花も、日光や気温の条件どおりにいくとも限らない。 それは、神秘な要素は必ず含まれるわけで、それについても、 受け入れていった方がいいんじゃないかと思います。 以上感想です。
ちょいと付け足し。 先の感想は、私も含めてみんなに共通することじゃないかと思います。
988 :
名無しさん@3周年 :03/03/11 01:36
で(笑)、ゆっくり歩きは ヴィパッサナ足りうるのでしょうか?
> それから理論と実践は違うということについて、謙虚さが必要 > じゃないかなと感じました。 このことの意味がわかりませんが、謙虚さについていえば、 謙虚は創造性にとって制約にならないでしょうか? 創造的であると同時に謙虚であることは、可能です。 しかし思ったこと、感じたことを、「謙虚さ」のフィルター にかけてしまうと、「リアル」が伝わりにくくなります。 メッセージが非常に強ければ別ですが、真に伝えたいことが、 埋もれて、ただの言葉の羅列、礼儀作法やオベンチャラになってしまう 場合があります。 立場を守って喋るのも同じように難しい。774という 立場で長く喋ると、当然今まで話した内容との整合性や、関連する 団体や人に気を配らなくてはなりません。匿名であっても、何らかの 制約がでてくるのです。 だから、話が段々つまらなくなる。初期のころの774は、 もっと創造的でした。 謙虚さや、立場を貫くことは社会生活上は重要なことですが、 創造性にとっては邪魔になると思うのです。 ですから、 謙虚さが必要なのではなく、 謙虚さがなくても、会話が成り立つ環境が必要 なのではないでしょうか? > 悟りの開花も、日光や気温の条件どおりにいくとも限らない。 > それは、神秘な要素は必ず含まれるわけで、それについても、 > 受け入れていった方がいいんじゃないかと思います。 そうですね。私にとっては、神秘に触れていることが、瞑想かも。
>>983 > 先の感想は、私も含めてみんなに共通することじゃないかと思います。
みんなに共通?
992 :
名無しさん@3周年 :03/03/12 21:23
>>988 ベンジャミン・クレームの信者はデムパだからな。何でも知ったかぶり。
禅開さんこんばんは >しかし思ったこと、感じたことを、「謙虚さ」のフィルター >にかけてしまうと、「リアル」が伝わりにくくなります。 おっしゃることの意味は分かります。 でも私がここで問題にしたいのは、たとえば誰かが、悟りとはこうである、 瞑想とはこうである。と、言うとき、そこにははたして、悟りという未知の事象 に対する謙虚さがあるのだろうかということです。あるゆる瞑想法、アプローチ、 態度、そういうものにもちろん私は私なりに、あなたもあなたなりに、 誰かも誰かさんなりに接してきたかと思います。 瞑想を語るとき、瞑想そのものではなく、それまでの経緯やバックグラウンド を皆語っているように思えるんですよね。(私もでやんす) それに瞑想そのものを語ることができるかと言う問題もある。 >立場を守って喋るのも同じように難しい。774という >立場で長く喋ると、当然今まで話した内容との整合性や、関連する >団体や人に気を配らなくてはなりません。匿名であっても、何らかの >制約がでてくるのです。 このヘンは痛いほど某スレで学びました。 まだ傷がうずくのであんまし突ついて欲しくないんですが(笑) > だから、話が段々つまらなくなる。初期のころの774は、 >もっと創造的でした。 ここのところがなんだかショック。ガーン。 >ですから、 > 謙虚さが必要なのではなく、 > 謙虚さがなくても、会話が成り立つ環境が必要 >なのではないでしょうか? 名言ですね。2チャンネルで「瞑想」についてこれができるかどうか 試してみたい気がします。
994 :
名無しさん@3周年 :03/03/13 04:06
994
995 :
名無しさん@3周年 :03/03/13 07:47
992
996 :
名無しさん@3周年 :03/03/13 08:57
993
997 :
bloom :03/03/13 09:08
>>989 > >もっと創造的でした。
> ここのところがなんだかショック。ガーン。
毒です毒。「 謙虚さがなくても、会話が成り立つ環境」のためには
毒への耐性をつくる必要があります。
999
1000
1001 :
1001 :
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