主イエス・キリストは父なる神です。 これを言うと反論されますが、あえて言います。 クリスチャンもそれを知りません。
クリスチャンじゃないけど 反論しません。
3 :
名無しさん@1周年 :01/12/03 21:32
違うよ。
スゥェーデンボルグ主義の方ですか?>1
>1 イエスにはお母さんがいたような・・・ 人間だと思うよ。
6 :
名無しさん@1周年 :01/12/03 21:41
人類を正しく導かないで自殺するような卑怯な神なら必要ない。
どうでもいいです
8 :
名無しさん@1周年 :01/12/03 21:44
イエスは御使いです。 しかし、だからといってイエスの価値が減ずる訳ではありません。
9 :
名無しさん@1周年 :01/12/03 21:45
なんで世界の終末に再臨するんだ。 今、出て来いや。ばかたれ。
10 :
バカなヨハネのハハ :01/12/03 21:57
1の母です。すいません、1は精神病院を逃げ出しまして、探していたのです。 今やつと見つけだしたものですから、お騒がせしてすいませんでした。 みなさん、そういうことですから、こうこれっきりにしてやってくださいませ。
11 :
小さなヨハネ :01/12/03 23:50
ええ、確かにスウェーデンボルグの洗礼を受けました。私は、外国語も全くできませんし、神学も知りません。 わずかの日本語の本を読んだだけの異邦人のガリラヤの漁師にしかすぎません。
12 :
小さなヨハネ :01/12/04 00:10
「ご覧なさい。母上と御兄弟たちが、お話ししたいと外に立っておられます。」 「わたしの母とはだれか。」(マタイ12・47,48)
13 :
名無しさん@1周年 :01/12/04 00:58
「わしじゃあゴルア!」
14 :
教えてチャンでスマソ2号 :01/12/04 01:07
15 :
小さなヨハネ :01/12/04 06:05
私の父は主イエス・キリストです。 「主よ、わたしたちに御父をお示しください。」「こんなに長い間一緒にいるのに、 わたしが分かっていないのか。わたしを見た者は、父を見たのだ。」(ヨハネ14・8,9) そして、私の母は聖母マリアです。 「見なさい。あなたの母です。」(ヨハネ19・27)
16 :
小さなヨハネ :01/12/04 06:12
主イエス・キリストは父なる神です。 「ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに 与えられた。権威が彼の肩にある。その名は、『驚くべき指導者、力ある神、 永遠の父、平和の君』と唱えられる。」(イザヤ9・5)
キリストが神の事を語り出したとき 大工の親父のヨセフは、どう思ったんだろうね。
18 :
小さなヨハネ :01/12/04 21:06
ヨセフはイエスのお生まれになる前からイエスが父なる神であることを知っていました。 「“私たち”の子供のために。ヨゼフ、よく覚えておいてください。“世間の目” では、彼はそうあるべきです。御父はその到来を奥義のヴェールで隠し、私たちは、 そのヴェールをはずしてはいけない。彼イエズスは、その時が来たら、そうするでしょう」 (マリア・ワルトルタ/聖母マリアの詩上P185) ヨゼフが 「おお、私は、私の家にどうして、神を迎えうるか?神が私の腕の中に?あまりの 喜びのために、私は死ぬほかない・・・私はあえて彼に触ることさえもできないで しょう!・・・」 マリアが 「おお、ヨゼフ、やがて私たちを“お父さん、お母さん”と呼ぶ、神の声を聞く でしょう。おお・・・」 (マリア・ワルトルタ/聖母マリアの詩上P178〜179)
19 :
名無しさん@1周年 :01/12/04 22:04
こいつはただのサベリウス主義者だよ。>小さなヨハネ 気にするな。 こいつが言っていることは、いくらでも論駁できるけど、 あまりにもあほらしいからしない。 しないと、よけいいい気になって、のさばるのかもしれないが。 ただ一言だけ。 >クリスチャンもそれを知りません。 って、知ってるよ、勉強したことのあるクリスチャンなら。 それをサベリウス主義と言うことも、知ってるよ。 それさえも知らないのは、あなたの勉強不足だよ。 あなたの新発見じゃないんだよ。 それだけ言っとく。
>小さなヨハネ様
ヨハネ福音書のまともな注釈(例えば聖アウグスティヌスのそれは教文館から邦訳が出ています)を読むことをお勧めいたします。
>>19 様が言われているとおり、あなたのおっしゃっていることはただのサベリウス主義です。
21 :
名無しさん@1周年 :01/12/04 22:32
イエスが父なる神なら、 イエスはいったい誰に祈ったの?
22 :
小さなヨハネ :01/12/05 00:40
主は御自身の本質である「父」に祈られたのです。主がまるで他人に祈るように 「父」に祈られたのは、我々が常に神に祈るようお手本を見せて下さったということも あるでしょう。 それと、主が受け継いだ人間性の弱さを完全に克服される前は「主の卑下の状態」と いい(スウェーデンボルグ/天界の秘義1999)、人間的なものを身につけている うちは、御自身の本質である父エホバに対しては僕のように振る舞われたのです。 それは完全なエホバの状態に較べれば僕でしかないからです。また、卑下の状態に こそ内なるエホバからのものは流れ入り、エホバそのものに変えるのです。 そして人間的なものを脱ぎ捨てられてエホバそのものになられた状態を「主の栄化の 状態」といいます。山上で姿を変えられたのは、その片鱗をお見せになったのです。 人間のものを脱ぎ捨てるに従って主は人間の子ではなくなるのです。ですから母と 兄弟が訪ねて来たとき、主は「わたしの母、わたしの兄弟とはだれか」 (マルコ3・33)と言われています(天界の秘義2159)。
23 :
小さなヨハネ :01/12/05 00:44
私はサベリウスという人が何を言ったのか知りません。 私の言っていることが何主義かも知りません。 しかし、ではお聞きしたいのですが、皆さんは神を何人いると言われる のですか?
24 :
教えてチャンでスマソ2号 :01/12/05 00:48
>>22 じゃあ十字架上の言葉「我が神、我が神どうして私を見捨てられたのか」は
どう解釈するのかね。
25 :
教えてチャンでスマソ2号 :01/12/05 00:52
>>23 >私はサベリウスという人が何を言ったのか知りません。
>私の言っていることが何主義かも知りません。
己の発言が神学的にどう言う系譜に連なるかを反省もしないで
こういう発言をする事事態無責任とは思いませんか?
それくらい自分で勉強しなさいよ。世の中にはまともな
神学書やらレファレンスが一杯あるんだから。
26 :
教えてチャンでスマソ2号 :01/12/05 00:54
>>25 発言をする事事態(誤)⇒発言をする事自体(正)
27 :
名無しさん@1周年 :01/12/05 01:02
>23 神はご一体で、しかも父と子と聖霊のご三かた、 三位一体だー。
28 :
名無しさん@1周年 :01/12/05 01:15
イエスがヨハネから洗礼を受けた時、 天から「これは私が喜びとするいとし子である」 と言う声がしたのは、父なる神の声ではないのか?
29 :
小さなヨハネ :01/12/05 21:59
詩篇89・39,40 しかしあなたは、御自ら油を注がれた人に対して 激しく怒り、彼を退け、見捨て あなたの僕への契約を破棄し 彼の王冠を地になげうって汚し 詩篇89・45−47 あなたは彼の清さを取り去り 彼の王座を地になげうたれた。 あなたは彼の若さの日を短くし 恥で彼を覆われた。 それは詩篇にあるように、主が諸々の地獄と戦われたときの試練の状態と その時の主の悲嘆が述べられているのです。(スウェーデンボルグ・天界の秘義 9930)
30 :
名無しさん@1周年 :01/12/05 22:09
>29 スウェーデンボルグの思想史的な位置づけを、お聞かせください。 それから、自分が書き込んでいることが、思想史の中でどのあたりに位置しているのか、 お聞かせください。 また、ニケア・コンスタンチノポリス信条に 真っ向から反対しているくらいだから(しかも聖書を持ち出して)、 聖書の箇所を引用するだけでなく、その部分の釈義と、 ニケア・コンスタンチノポリス信条の講解とを、 是非お聞かせください。
31 :
名無しさん@1周年 :01/12/05 22:10
そういう護教意識丸出しな意地悪な質問は好感がもてません
32 :
名無しさん@1周年 :01/12/05 22:50
日本の教会で、天父受難説を採用しているのは、イエス之御霊教会くらいか? あと、小教派のペンテコステにもいたかもしれない。 イエスが天使(ミカエル)というのは、たぶんエホバの小母さんだろう。
33 :
終了認定委員 :01/12/05 23:31
>>25 ,30の質問にまともに答えられないみたいですね。はっきりいってそんな
体たらくじゃ、聖書釈義する資格まったく無し
よってこの駄スレは本日ただいまをもって終了
34 :
小さなヨハネ :01/12/06 00:28
スウェーデンボルグの位置付け等の難しいご質問は、私には全く分かりません。 ご存知でしたらどうぞご説明ください。 洗礼の際に関するご質問について、さっき書いていたのですが、つなぐときに失敗 して消えてしまいました。明日また書きます。
35 :
名無しさん@1周年 :01/12/06 00:35
>31 30の質問の、一体どこが護教になるのかわからんにゃ。 説明しておくれ。 漏れは、思想史的な位置づけと、聖書的根拠について、聞いているだけだぞ。 >34 全く分からないくせに、堂々と論陣を張るなんぞ、たいしたものだ。 その点では、たいしたものだと思うよ。いや、皮肉でなく。 それとも、現実を知らないだけなのかな? おそらくあなたは、ディベートの場でもまれた経験がないな? あなたのお説、直接誰かに話したことあるかい?
37 :
dendo. :01/12/06 17:37
36の前半に禿同。 聖書的根拠はともかく、 スヴェデンボリの思想的位置付けを聞くのは護教論と 関係ないと思われ。
みなさんに特別に知らせます。「星からのメッセージ」のお知らせ の中に私の 本当のことを知らせていますので、今後、私イエスのことは勝手に解釈しないよ うにしなさい。検索に「星からのメッセージ」と入れれば分かるようにしています。
39 :
小さなヨハネ :01/12/06 22:44
「祈り」は神と語ることであり、その時、人間の内部が開かれて、祈る者の情愛の 中に、希望、慰安、喜びが流れ入って来ます。それは一つの啓示であり、まして主 が祈られたとき、それは主の内部の父御自身(主御自身)との対話であり啓示だっ たのだそうです。 主の洗礼の場面以外にも、山に登られてお顔の様子が変わり、服が真っ白に輝いた 場面(ルカ9・28,29)、天から「わたしは既に栄光を現した。再び栄光を現 そう」と声が聞こえて来た場面(ヨハネ12・27,28)も同様のようです(天 界の秘義2535)。ヨハネはそれを霊の耳で聞いたのだと思います。また鳩につ いても霊の目が開かれて見たのでしょう。 「我々はイエスが洗礼を受け給うた時天界が開け、ヨハネは聖霊が鳩のように降る のを見た(マタイ3・16、マルコ1・10、ルカ3・21,22、ヨハネ1・32 ,33)という記事を読むが、これは洗礼は再生と聖化とを意味するために起こっ たのである。鳩もまた同様の意義をもっている。何人でも鳩は聖霊でなく、また聖霊 は鳩ではないことを認めることが出来よう。鳩はしばしば天界に見られ、それが見ら れる時、天使達はその鳩は近くに居る者達の再生と潔めとにかかわる情愛と思考との 象徴であることを知るのである。」(静思社/スウェーデンボルグ/真の基督教144)
40 :
小さなヨハネ :01/12/06 22:47
私はスウェーデンボルグについて、誰がどう言っているか、ではなく、 私がどう思うかを述べています。位置付けとか、誰かの批評は興味が ないので、知りませんと言いました。人にどう思いますかと聞いたこと もありませんし、ディベートというのも知りません。私はただの「サマ リアの女」(ヨハネ4・7)です。私にとって大切なのは、私が感動し、 納得することであって、人がどう思うかではないのです。そして感動し 納得したことを伝えているだけです。 「あなたがたは、何が正しいかを、どうして自分で判断しないのか。」(ルカ12・57)
-=∋oノハヽo∈ -=≡ ( ´D`) ジンジャーなのれす! -=( つ┯つ -=≡/ / // -=≡(__)/ ) -= (◎) ̄))
>40 そうか、そういうことか。 聞いた私が悪かった。 結局、あなたのそれは、文学なのだ。 だが、それを真理と勘違いしてはいけない。
43 :
名無しさん@1周年 :01/12/06 23:02
やれやれ。これだからクリスチャンは嫌だ。
44 :
名無しさん@1周年 :01/12/06 23:16
>>40 >私にとって大切なのは、私が感動し、
>納得することであって、人がどう思うかではないのです
そういうのを「個人的妄想」っていうの。自分の命題の妥当性は
単に自分が感動しただけじゃ判定できないでしょ。やっぱ 他人さんとの
議論を通じて論理ってのは磨かれるんだから。あんたのやりかただと
賛同者なんて永遠に一人もできねぇよ.アフォ!
あと「とどめ」を一発かまさせてもらうけどよぉ
「私にとって大切なのは、私が感動し、
納得することであって、人がどう思うかではない」のなら
不特定多数の人間が見るような掲示板に糞スレ立てるなヴォケ
逝ってヨシ
45 :
1の身内です :01/12/06 23:30
40は宗教オタクです。いわば基地外です。キリスト狂をかじると皆このようにな ってしまう典型のようなものです。ウジムシがクソにむらがって喜んでいるように、 聖書をひもといて、喜んでいます。迷信を盲信しているのです。 このような精神病者はうようよしています。家族も精神病棟にいれようと努力して いるのですが、逃げ回って、2チャンネルで遊び回っています。それしか脳がない のです。勘弁してください。
46 :
名無しさん@1周年 :01/12/07 11:10
>私にとって大切なのは、私が感動し、 >納得することであって、人がどう思うかではないのです では、それはあなたの「感情」が主になっていませんか? 「神」の側ではどう思われているのでしょうか? 「神」が主でなければならないのではありませんか?
小さなヨハネさん、そのとおりだ。 心から感動し、納得することを信じ、語るのが、真理を語ることだ。 感動も納得もしないことを信じ込み、 形式的にボランティアしてアーメンといっている最低のパリサイ人が 今のクリスチャンさ。 ノンクリスチャンでもそういうのは多いけどな。 主の忌み嫌う人々だよ。 「私はあなたたちを知らない」 >「神」の側ではどう思われているのでしょうか? 主はこう私に言われる。 「私を読め。そしておまえが心から感動し、納得したことを語れ」 おまえも主に聞けばよい。 もし主がお答えにならないのなら、おまえは誰か別な霊に聞いているか、 虚空に聞いているのだ。
サベリウス主義について語っていたものがいたね。 それは異端だと。 キリスト教会の溜め込んできた神学と言うゴミ滓を信じる哀れな者よ。 誰かの言葉に主義のレッテルを張り、 それが異端であると言う組織の言葉を鵜呑みにする者よ、 お前は真理を求めてはいない。 おまえは真理より組織を愛する者、 神よりも世間を愛する者だ。 アタナシウスは天国へは入れなかった。 主を三人だと内心で考えていたからである。 三位一体を三人格の一実体と心から盲信するものは、 全てこのようなものである。 反論したければすれば良い。 その言葉がお前を裁くだろう。
49 :
このスレに、これまでに書き込んだ人たちを代表して :01/12/07 21:50
>es 殿 あなたは、そんなに立派で偉いお方だったのですか。 存じませんでした。
アタナシウスはいいところまで行ったんだネ。天国よりも。
esが、どうかはともかく、 >形式的にボランティアしてアーメンといっている最低のパリサイ人が >今のクリスチャンさ。 >ノンクリスチャンでもそういうのは多いけどな。 >主の忌み嫌う人々だよ。 >「私はあなたたちを知らない」 これは、納得できること。
52 :
名無しさん@1周年 :01/12/07 22:12
アッラーは偉大なり、アッラーの他に神は無し・・。 エホバは、偉大なり、唯一絶対の創造神なり・・・、我の他に神は無し。 唯我独尊の釈迦である。我の他に、ホトケ無し。 私は天の父なる神である。私によらずして天国へは行けません。私を信じなさい。 イエスより。 文ちゃんの精液をのみなさい。文ちゃんによらずして天国へは行けません。 否、池やんの仏法が一番です、創価学会に任せなさい。そうでないと地獄へ行きます。 否、岡やんの手かざしが一番です。奇跡がいっぱい、いちころよ。 いや、奇跡なら、真光よ、蛇がのろのろのたうちます。 いや、手かざしなら、うちが一番、我が神にたのめば力が倍増します。 否、世界が平和でありますように、みんなで祈りましょう。白光です。 否、うちらの神の霊の方が強いから、見に来てください。 否、こちらが一番です、諸新興宗教です。 否、天声です。否、定説です。否、宇宙の使者です、フリーセックスしましょ。 ラエルより。
53 :
小さなヨハネ :01/12/07 22:39
ああ、esさん、ありがとう!! esさんに、神の祝福が豊かにありますように!! 反論されている方にも耳が開かれますように!!
イエスは御使いだ。神ではないぞ。 しかし、だな。 イエスのもたらした福音は神から来たもの。 そういった意味では、ちいさなヨハネは間違ってはいない。 と、いうか〜〜、その姿勢は神には愛されるとは思うぞ。
55 :
小さなヨハネ :01/12/07 23:10
ああ、意見はちょっとちがいますが、あなたにも神の祝福がありますように!! でも、悪意でなくて、知らない人も多いのです。今は真理が欠乏しています。 時の終わりとは今でしょう。 私の考える三位一体説はまた明日書きます。
>小さなヨハネ様 聖パウロはガラテア書で福音を曲げる者に警告を発しております。 聖伝にもとづく聖書解釈を謙虚に学ばれるべきです。 独りよがりの思いこみを奉じることは一種の自我崇拝ではございませんか。
57 :
名無しさん@1周年 :01/12/07 23:48
>52 ステキー。
58 :
小さなヨハネ :01/12/08 20:37
「三位一体」とは「父と子と聖霊」(マタイ28・19)という表現や、「父の右に 座したもう主」(マルコ14・62、コロサイ2・3・1)という表現、あるいは先 ほどの「主が父に祈る」場面等々から、父と子と聖霊とは別々と考えられています。 表現からだけ見れば確かにそう受け取れます。しかし、それでは「神は唯一」という 一神教の建前に反します。 「聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である。」(申命記6・4) 「わたしが主、ほかにはいない。わたしをおいて神はない。」(イザヤ45・5) ところが、あからさまに父が唯一の神であり、主イエス・キリストはただの人である と言ってしまうと、もうキリスト教ではなくなってしまいます。なぜなら明らかに聖書 ではキリストは神であると言われているからです。 「この方こそ、真実の神、永遠の命です。」(ヨハネ1・5・20) この矛盾を解決するために、「三位であるが神として同質」、あるいは「神はお三方 であるが御一体」という苦しい説明がなされて来たようです。
59 :
名無しさん@1周年 :01/12/08 22:09
>>56 その聖パオロこそ、思いっきしイエスの教えを捻じ曲げた――つーより、イエスの
教えを調味料に自分の思想という材料で料理を作っといて、エルサレム使徒教会に
これもキリスト教だと承認させた、キリスト教における元祖自己肥大野郎なんすけ
どね。
ちなみに本家は父の御国での地位を争った弟子連中。こっちはかわいいね。罪がな
い。聖パオロの呪いは2000年たってもキリスト教から消えない・・・・
60 :
名無しさん@1周年 :01/12/08 22:14
>59 その辺に転がっている通俗書を読みかじっただけで、全部分かったつもりになって、 いい気になってものを言う、生意気な奴が、ここにも一人。 「聖パオロ」って、一体だれだい?
61 :
ふらんちぇすこ :01/12/08 22:33
ニューエルサレム教会の人か?>1 めずらしいね。
62 :
小さなヨハネ :01/12/09 00:16
私は最近カトリックで洗礼を受けた、ただのクリスチャンです。
63 :
ふらんちぇすこ :01/12/09 00:19
をいをい。君の指導司祭は大丈夫か? カトリックは放置プレイがお家芸とはいえ。。。心配だ。
64 :
勉強にはなりますが :01/12/09 08:03
スウェーデンボルグは、決して議論をしない人でした。彼は教会にも行きませんでした。 教会に行くと、識者が自分の霊を攻撃するからです。 それによって、愛する主が冒涜されるを恐れました。 スウェーデンボルグは、議論が人を説得しないことを知っていました。 教えは、祈りと愛によって、赦しのうちに広められていくべきではないでしょうか。 小さなヨハネさんのお気持ちはわかります。 でも、このように展開されることが、ヨハネさんの愛される神様の方法かどうか。 外野で見物しているには、本当にありがたいのですが。
65 :
小さなヨハネ :01/12/09 11:09
「父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、 わたしの願いどおりではなく、御心のままに。」(マタイ26・39)
66 :
小さなヨハネ :01/12/09 11:11
「あなたがたわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。 あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、 わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、わたし があなたがたを任命したのである。互いに愛し合いなさい。これがわたし の命令である。」(ヨハネ15・16,17)
67 :
小さなヨハネ :01/12/09 11:13
「わたしはあなたがたを遣わす。それは、狼の群に羊を送り込むような ものだ。あなたがたは地方法院に引き渡され、会堂で鞭打たれるからで ある。また、わたしのために総督や王の前に引き出されて、彼らや異邦人 に証しをすることになる。また、わたしの名のために、あなたがたは すべての人に憎まれる。」(マタイ10・16、17,18,22)
68 :
小さなヨハネ :01/12/09 11:16
「だから、だれでも人々の前で自分をわたしの仲間であると言い表す者は、 わたしも天の父の前で、その人をわたしの仲間であると言い表す。 しかし、人々の前でわたしを知らないと言う者は、わたしも天の父の前で 、その人を知らないと言う。」(マタイ10・32、33)
69 :
名無しさん@1周年 :01/12/09 11:21
私は父でなく、母が欲しいのです。しかもケトウの父母はいりません。
スウェーデンボルグが議論をしなかったのは、彼の生き方である。 他人が主を冒涜するのを恐れたというただそれだけならば、 天界の秘義さえ出版しなかったろう。 議論は人を説得しないが、 真理を求めて議論を聞いているものには道標となろう。 主は、スウェーデンボルグを模範とせよとはおっしゃらない。 模範とすべき方は主である。 小さなヨハネさんが、このような生き方を選んだのは、 それが主のみ心にかなうと思われたからであろう。 小さなヨハネさんは優しい方であるから、 全クリスチャンが地獄へ落ちるのでは、あまりに哀れだと思われて こうせずにはおれなかったのであろう。 真剣に自分の信ずる道を歩むものに真理は開示される。 天国へ入るために生きたものは、偽善を生きるものだ。 パウロもザビエルも歴代教皇の多くも地獄に落ちている。 クリスチャンはこれを知るべきだ。 全クリスチャンは 三位一体と十字架の刑罰代償説をただちに否定せよ。 一人格三相の神として主イエス・キリストを受け入れよ。 誰一人として罪は許されてなどおらず、 根性のまがったものは全て地獄に落ちることを知れ。 異教徒の方が天国に相応しいことを知れ。 主を信じ祈るだけでは地獄に落ちると知れ。 これをよくよく考え、自分を救え。
ちょっと待った。 これはオーバーランだ。 >全クリスチャンは >三位一体と十字架の刑罰代償説をただちに否定せよ。 >一人格三相の神として主イエス・キリストを受け入れよ。 >誰一人として罪は許されてなどおらず、 >根性のまがったものは全て地獄に落ちることを知れ。 >異教徒の方が天国に相応しいことを知れ。 >主を信じ祈るだけでは地獄に落ちると知れ。 あのな、三位一体だぞ。天主はな。 それに、なに脅迫してるんだよ? 異教徒でも救われる。それは確かだ。 が、クリスチャンだって救われるんだぞ。 実践した方がいいんだが、現代では難しい。 主はな、もっと寛容だ。 ちょっとやそっとじゃ怒ったりしないぞ。 そこらへんの祟り神とは違うんだぜ。
72 :
勉強にはなりますが :01/12/09 15:22
やはり、感情的だと見られたほうが、結果的には議論に負けちゃうんだよね。 一生懸命なのはわかるけど。 スウェーデンボルグ自身の書物は、もっと、内村鑑三や、誰だっけ?社会派の…、 とにかく、ここに顔出してる人よりずっと優れた人たちを唸らせるほどのものをもっていたと聞いている。 そういう雰囲気を感じさせてくれるように書いてくれなきゃ、 弟子の出来が悪いだけで、本人までそういう人だったとか、そういうふうに思われると、スウェーデンボルグも気の毒。 主を模範にするって、主は、いつも怒って喧嘩ばっかりしてたの? せめて、聞く気のある人にくらいは、気持ちよく聞けるように言ってほしい。 あなたたちには常識でも、そうでない人のほうが圧倒的に多い。 ふつうのキリスト教だって、庶民にゃ分かりにくいといわれているんだ。まして、スウェーデンボルグにおいては。 70さんは、バプテスマのヨハネの弟子? でなけりゃ、ボアネルゲの弟子のように見えるよ。 まあまあ、とにかく落ち着いて。 あなた方のもっているものが真理であると自信があるなら、広い心でね。
73 :
名無しさん@1周年 :01/12/09 15:53
キリスト教はこれまで、全人類の三分の一を殺してきました。 もつともっと、議論してね。奥は深く、底なしだから・・
74 :
小さなヨハネ :01/12/09 16:15
esさん有難う御座います。主があなたの御親切を覚えられますように! 今朝、教会の庭の聖母像に、助けてくださいと祈りました。すると、ミサ 後に会った求道者の方が祈って下さいました。そして聖母は確かにesさん を、私の助けとして派遣して下さいました。聖母は祝されますように!
75 :
小さなヨハネ :01/12/09 16:20
聖母は、神が下さった私たちの母です。しかし、その話はおいおい・・。 「イエスは、母とそのそばにいる愛する弟子とを見て、母に、『婦人よ、 御覧なさい。あなたの子です』と言われた。それから弟子に言われた。 『見なさい。あなたの母です。』そのときから、この弟子はイエスの母 を自分の家に引き取った。」(ヨハネ19・26,27)
76 :
小さなヨハネ :01/12/09 16:24
おお、確かに三位一体です。しかしその三位は主イエスの内にこそ完結 しているのです。イエスは父(本質)であり子(姿)であり、また聖霊 (働き・力)を発する方です。ですから従来の並列的(○=○=○)な 把握ではなく、重層的((○))な把握をしなければなりません。 「わたしが父の内におり、父がわたしの内におられることを信じないの か。」(ヨハネ14・10) 「わたしと父とは一つである。」(ヨハネ10・30) 「キリストの内には、満ちあふれる神性が、余すところなく、見える形 をとって宿っており、あなたがたは、キリストにおいて満たされている のです。」(コロサイ2・2・9,10) 「この方こそ、真実の神、永遠の命です。」(ヨハネ1・5・20) 私たち人間が魂と身体と発揮する力を持っていることと正確に一致しています。イエスは1/3の神ではなく、3/3=1の唯一で完全な神その方なのです。
>63 >カトリックは放置プレイがお家芸とはいえ そうだったのか。 洗礼を授けるまでは、しっかりとカテキズム教育をするが、 洗礼を授けてからは、放置プレイなのか。 プロテスタントの中には、その反対に、 信徒の活動を縄で縛って攻めまくる、と言う教会もあるようだけど、 放置プレイはいかんなあ。 関係ないレスなのでsageとく。
>>76 この書き込みのあなたの意見には、ほぼ賛成します。
三一論の一は、キリストであるというのは…
北森神学を思い出してしまった(キリスト論的三一論)…よくわかります。
それから、子から聖霊が発出する、と言うのも大賛成。
ただこれだと、東方教会の連中が黙っていないだろうな。
三位一体ってね、これですよ・・・。 それぞれの、「○」がなにを指すのかはここでは言わんけどな。 ○ / \ ○───○ 三位一体、どれが特別偉いとか言ってないでしょ? ただ、統一体をとる事だってありますし、 三者バラバラ、あるいは2対1って形で分離する事だってあります。
あ、横バーが一つ多い、鬱だ・・・。
81 :
ふらんちぇすこ :01/12/09 17:29
>>30 カトリックは本人の自主性に任せるからね。
小さなヨハネさんはミサの時の信仰告白を心から「信じる」と
言ってるんだろうか?
83 :
小さなヨハネ :01/12/10 18:54
もちろん信じて言っています。キリストの内に父と子と聖霊を認めるのですから。 しかし、3人の神を信じる人はどうしてキリストを神と信じられるのでしょう?
84 :
名無しさん@1周年 :01/12/10 19:57
85 :
小さなヨハネ :01/12/10 21:34
はい、とても。 「しかし、前にも言ったように、あなたがたはわたしを見ているのに信じない。」 (ヨハネ6・36)
86 :
小さなヨハネ :01/12/10 23:45
「愛の渇きを満たすために、神は人に理解できる存在の形をとられたのである。 こうして、神は人となった。それは、子供たちがあらゆる聖なる御使いとともに彼 を見、歓ぶためである。わたしをみた者は父をみたのである、とわたしが言ったの はそのためである。わたしは、人の形をとっている間は、“子”と呼ばれるが、永遠 の父である。わたしと父と聖霊は一つである。」 (サンダー・シング/聖なる導きインド永遠の書/徳間書店/P200)
87 :
小さなヨハネ :01/12/10 23:51
横一列に書いても、三角に書いても、それは「並列」です。 父と子はあくまでも「重層的」です。 「わたしが父の内におり、父がわたしの内におられると、わたしが 言うのを信じなさい。」(ヨハネ14・11)
88 :
名無しさん@1周年 :01/12/10 23:53
89 :
名無しさん@1周年 :01/12/10 23:59
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90 :
名無しさん@1周年 :01/12/11 00:06
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91 :
名無しさん@1周年 :01/12/11 00:14
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92 :
ふらんちぇすこ :01/12/11 00:23
小さなヨハネは真面目なんだから、荒らすな。
93 :
小さなヨハネ :01/12/11 06:34
ありがとうございます。 ふらんちぇすこさんに主と聖母の祝福がありますように!
94 :
小さなヨハネ :01/12/11 06:38
「人々に憎まれるとき、また、人の子のために追い出され、ののしられ、 汚名を着せられるとき、あなたがたは幸いである。その日には、喜び踊り なさい。この人々の先祖も、預言者たちに同じことをしたのである。」 (ルカ6・22,23)
95 :
小さなヨハネ :01/12/11 06:42
「今満腹している人々、あなたがたは、不幸である、あなたがたは 飢えるようになる。 今笑っている人々は、不幸である、あなたがたは飢えるようになる。」 (同6・25)
96 :
勉強にはなりますが :01/12/11 16:42
>51 さま イエスは御使いだ。神ではないぞ。 しかし、だな。 イエスのもたらした福音は神から来たもの。 そういった意味では、ちいさなヨハネは間違ってはいない。 と、いうか〜〜、その姿勢は神には愛されるとは思うぞ。 「イエスのもたらした福音」って何?
>小さなヨハネ さん |主イエス・キリストは父なる神です というあなたの理解は、多分『テサロニケ人への第2の手紙』の思想に 近いだろうと思います。この手紙はパウロ自身による第1の手紙に近い 表現をしていながら、パウロの文言をちょっとだけ替えて、「神にして 主なるイエス・キリスト」と訳すことが適当である表現にしています。 かつ一カ所(2:16)は、写本による支持は弱いですが、「私たちの主 イエス・キリストにして私たちの父なる神・・」だったのではないか、 と〈憶測〉されるようなものとなってます(いずれも邦訳はそうは訳 してませんが)。
>小さなヨハネさん 97の続き:しかし、ヨハネ福音書などに基づいて、 |主イエス・キリストは父なる神です と主張するのは無理だと思います。 ヨハネは、両者を、 見えない父なる神 ―― それを顕した子なる神 というように区別し、区別したからこそ、 「私と父とは一つである」 というような発言が成り立つからです。 もちろん、ヨハネの発言に、後に成立した三位一体の 理論を直接適用するのは、時代錯誤でしょうが、ヨハ ネの文言と、三位一体論とは、親和性が高いですね。 父とイエス・キリストは区別した上で、両者がいかに して「一つである」と言われるのかを考えていただき たいです。 ただしもし、小さなヨハネさんがヨハネ福音書に基づ いて、 主イエス・キリストは、ヤハウェです と主張されるのなら、ヨハネの思想はそういうもの だと、支持しましょう。
イエスキリストなんて存在していません。あほくさ。 イエスが生存したとされる当時のローマ人は彼らの統治下に起こったあらゆることを 事細かに記録していた。(例えば法廷の仕事や結果について) ↓ そしてどの記録にもイエスという名前が記載された客観的な独立記録はない。 ↓ 福音書の内容は50年ないし、100年後の使徒、伝道師によって書かれたものばかり である。 ↓ 新約聖書は旧約聖書の流れを受け継いでおり、「大がかりな奇跡」「嘘臭い超常現象」が登場するところ等、 共通性が見られる。 ↓ すなわち、キリスト教とは民衆信仰によって生まれたもので、誰かが創作したものである (おそらくモデルとしてのイエスは存在したが聖書のような人ではない。おまけに大衆受けするようにと 名前も当時ありふれていた「イエス」にしたのである。) ↓ 聖書とは「神話」をまとめたもの。実在した覚者によって伝えられたものではない。 ↓ 神話を信じているわけだから、キリスト教徒がドキュソなのは当然。世界で一番殺戮を繰り返す宗教となった。 ↓ しかし、「イワシの頭も信心から」というように実際に存在しないものを拝みたければそれも自由である。そういう宗教は世界に いくらでもある。だが、実在した覚者によって伝えられた宗教=仏教と同格に置か ないでほしい。 ↓ 上記の説はおそらく9割くらいの確率で正しい、と思われる。心ある者は早めに仏教に改宗し、真実への道を歩んでほしいと 痛感する。
100 :
小さなヨハネ :01/12/11 22:50
>ブルネルスさん 私にとっては、イエスは「父なる神」と言うも、「エホバ」というも同じです。 それ以上に深く考えてはいません。「父なる神」も神の名であり、「エホバ」も 神の名なら両者は同一の神です。なぜなら私にとって、神はただお一人だからです。 「父なる神」が神の何らかの属性を現し、「エホバ」がまた神の別の属性を現すと いう議論は成り立つでしょうが・・・。
101 :
小さなヨハネ :01/12/11 22:53
さて、主はこの世に来られて、神とあからさまには名乗れなかったので しょう。そんなことをいきなりおっしゃったら、すぐ磔になってしまっ たでしょうから。なぜなら、父の子と言っただけで、殺されそうになっ たのですから…。 「このために、ユダヤ人たちは、ますますイエスを殺そうとねらうよう になった。イエスが安息日を破るだけでなく、神を御自分の父と呼んで、 御自身を神と等しい者にされたからである。」(ヨハネ5・18) ですから、「父」、「子」という言葉を使われたのです。
102 :
小さなヨハネ :01/12/11 22:56
主はあの世では「父」、この世では「子」なのです。 それは、私たち人間に把握してもらうためにそう表現されたのです。 なぜならあの世では皆、神なる主を父と知っていますが、この世では、 主は父ではなく、子だと皆、思っているからです。 神様が私たちのために、この世に来て下さるなんて、そんな馬鹿な! と思っているからです。私たちは父の本当の愛情を知らない、根っからの 恩知らず、罰当たりの子なのです。 「人が心の思うことは、幼いときから悪いのだ。」(創世記8・21)
103 :
小さなヨハネ :01/12/11 22:58
主は私たちの認識力・把握力に合わせて表現してくださったのです。 例えば、幼い子供が言います。「お父さん、お日様が昇ったよ!」 お父さん:「本当だ、お日様が昇ったねー。」 そんな時、お父さんは子供に「地球が回っているだけさ」なんて言うで しょうか?そんなことを言ったら、子供は訳が分からなくなってしまい ます。しまいには、 お父さんの嘘つき!…なんてことに。
104 :
小さなヨハネ :01/12/11 23:01
さて、では、譬え話を一つ致しましょう。 ある時、ローマにおられる教皇様が、教皇様のことについて何も知らない 子供たちで荒れている、某国のインターネットをご覧になり、それを深く 憐れみ、教えてあげようとはるばる来られたとします。さて、教皇様がい きなり、私は教皇ですと言ったら、御行儀の良い子供たちが、すぐ信じて くれるでしょうか? 「 うるせー、逝ってよし!」なんて言われたりして・・。ここの皆さ んは良い子ですから、おっしゃらないと思いますけど・・。) それではこの計画は台無しです。 うーん、どうしよう?
105 :
小さなヨハネ :01/12/11 23:04
その時、教皇様は良い考えを思い付きました。 そうだ、「ハンドルネーム」を使おう!それなら追い出されないだろう。 (…光の子の皆さんもHNをお使いになるでしょう?ごくたまに名無しさんも いらっしゃいますけど・・。) そして、教皇様はおっしゃいました。 おじさんは○○って言うんだけど、教皇様に言い付かって来たんだよ、 みんなに私のことをよく教えて上げて下さいってね。 元気な子供たちは聞きます。 おじさん、じゃあ、教皇様を知ってるの? 教皇様は、知らないと言うわけにはいきませんので、 うん、もちろんよく知ってるよと言いました。そして、教皇様はわざわざ 私を遣わされるほどに、みなさんを愛していらっしゃるよと言いました。
106 :
小さなヨハネ :01/12/11 23:06
しばらくする内に、分かりの良い子供らは、おじさんの立派な行いを見た り、素晴らしい言葉を聞いて、この人はただ者ではないぞ、教皇様の知り 合いなんて謙遜して言ってるけれど、ひょっとして、教皇様ご本人かも しれない?いや、きっとそうだ!そうか、この人は教皇様だったんだ! と気が付きました。 しかし、中には分かりの悪い、子供らもおりました。 彼らは言います。 おじさん、僕はもっと教皇様のことを知りたい。おじさんはそんなに教皇 様を知ってるって言うんなら、教皇様を見せてよ!
107 :
小さなヨハネ :01/12/11 23:08
すると、教皇様は言いました。 うーん、そうだね。そのうち教皇様のことをもっとよく分かるようになる よ、いや、実はすでに見ているんだ!これほど長い間一緒にいるのに、 まだボクたちは、私が誰か分からないかい? おじさんを見た人は、教皇様を見たんだよ!(…私が教皇様じゃないか!) もし、それでも信じられないなら、おじさんが、どうして教皇様のように 色々なことが出来たり、知ってたりするのか、よく考えてご覧? そうです。この世の教皇様でさえ、ハンドルネームを使わなければならな いくらい私たちが素直でないとしたら、まして天地の創造主、私たちの父 なる神がハンドルネームをお使いにならずにこの世に来られたでしょうか!?
108 :
小さなヨハネ :01/12/11 23:11
もし、教皇さまが、おじさんは教皇様の息子なんだけど、と言ってたらどうでしょう? 分かりの超早い子は、あれ、教皇様に息子なんているだろか?と気が付き ます。ですけど気が付かない子は気が付きません。 なかには、自信家の学者のようなボクたちは、とんでもないことを言い 出しました。 教皇様というのは、ご本人と息子さんと御二方であり、御使いのかたも 実質的には教皇様としての権限をお持ちなんだから、結局、教皇様は御 三方であって、同質、ご一体なんだ、…なんて。
109 :
小さなヨハネ :01/12/11 23:15
でも、この世の教皇様でさえお一人に決まっているのですから、天地を 治める神様が三人もおられるでしょうか? あれほど隆盛を誇った共産主義も、今や一顧だにされなくなってしまい ました。当時は共産主義を讃美した学者もたくさんいたでしょう。 今はまだ、この木で鼻をくくったような、訳のわからない並列的三位一体 説が大手を振って歩いています。でも、そのうちその矛盾が明らかにされ 、それを主張して絶賛を浴びた人ほど笑い者になる日がきっと来るでしょう。
110 :
名無しさん@1周年 :01/12/11 23:21
ごくろーさんなこった。
111 :
ふらんちぇすこ :01/12/12 00:17
むう。小さなヨハネ。 三位一体の教理史などを読んだ方がいいと思われ。 キリスト教徒は神が三人いるなどとは思っていないんだが。。。。 「ペルソナ」という言葉にまどわされているのだろうか? とりあえず、教父辺りから。 ブルネルスもきっと薦める「個の誕生」坂口ふみ 「キリスト教東方の神秘思想」V.ロースキィなど読むがよし。
なんだ。小さなヨハネ氏は、ただスエデンボルグだか、サンダースだかの 教えを、口移しに唱えているだけなのか。 人と対等に論じるのではなく、一方的に自分の主張を繰り返すだけなのか。 聖書、聖書といいながら、ちゃんと聖書のことばを検討しようとはしてな いな。 その辺のところ、考え直す気はないかね。
113 :
名無しさん@1周年 :01/12/12 00:40
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114 :
ふらんちぇすこ :01/12/12 00:41
>>113 だからそれはやめいちゅうの。お供え餅がズレてるしな。
115 :
名無しさん@1周年 :01/12/12 00:42
>>113 アフォは死んでもなおりませんでしたとさ。
116 :
ふらんちぇすこ :01/12/12 00:57
>ブルネルス メアド欄が気になるな。
117 :
名無しさん@1周年 :01/12/12 00:58
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118 :
名無しさん@1周年 :01/12/12 01:12
小さなヨハネさん。 神道でも、一つの神に荒御霊と和御霊というのがあって、 この二つの御霊=性格が成り立って一つの神なんだけど、 この場合も良く似たものですね。 父なる神は、御子イエズスを発出した。 父なる神は、聖霊を発出した。 しかし逆に、子は父を発出できませんし、 聖霊は父を発出できません。 確かに、子と聖霊はどれも父のものであり、同じ意志ももちます。 別の意志を持つ神ではないですね。 ですから、三柱神がいるという説は否定されます。 そして、子は父かといえば違いますね。 子は発出されたものだから。 そういう意味でペルソナ=性格は同じとは言えないです。 でも、あなたの言うとおり父と子と聖霊は同じ意思を持ちます。 それは間違えではありません。
119 :
marupo :01/12/12 01:44
福音館書店てキリスト教と 関係あるんすか?
120 :
小さなヨハネ :01/12/12 07:07
本をお薦めいただけるのは在り難いのですが、とてもそんなには読めません。 申し訳ないのですが、この本の何処にこう書いてある、というふうに具体的に 教えていただけませんか?あるいはダイジェストいただくとか? それから、では具体的にみなさんは三位一体をどう考えておられるのですか? 私は、父なる神、エホバ御自身が来られたのがイエス・キリストと思います。 ですからイエス・キリストは神ご自身と申し上げるのです。 みなさんのお考えで次の言葉を説明してみていただけますか? 「ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに 与えられた。権威が彼の肩にある。その名は、『驚くべき指導者、力ある神、 永遠の父、平和の君』と唱えられる。」(イザヤ9・5)
121 :
小さなヨハネ :01/12/12 20:38
イエスはヴァッスーラにこう言われます。 「聞きなさい ヴァッスーラ、私のほうに注意を向けなさい。神と私が一体である ことを知るように、私は父であり子なのです、さあ、分かったか?私は唯一、唯一 の神であって、すべてなる者です、聖霊は私から出ている、これで分かったか? すべてが一つ。聖三位は一体なのです、 あなたは私を父と呼ぶこともできるのです。 英知は私から出ている、私は英知でもある。私はイエス。 疑いが浮かぶたびに私のもとに来るように、 私ヤハウェは、あなた方を我が愛で包む。」 (天使館/ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち1/P86)
122 :
名無しさん@1周年 :01/12/12 20:48
118の説明で全て説明ついてるという見解を 普通のキリスト教徒は取ります。 父なる神は御子イエスを発出した。その意思は父なる神と同じ。 父なる神ヤーヴェがイエスとして降りているなら その間は天の国はどうなっているのでしょう? 天使達に預けているのでしょうか? それを示すものをお願いします。 この問題は、あなた方とは単に解釈のとり方が違うだけだと 思いますので、大騒ぎするつもりはありませんが、 全ての福音書などでは、イエスは父なる神に向かって訴える個所があります。 御自分が発出された身の上でなければ、 こんなことは言わないと思いますが、いかがでしょうか?
123 :
小さなヨハネ :01/12/13 01:13
>122さん おっしゃるご趣旨は分かりました。 しかし、確認させていただきたいのですが、その説でいくと 次の言葉の意味をどう説明されるのですか? 「ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに 与えられた。権威が彼の肩にある。その名は、『驚くべき指導者、力ある神、 永遠の父、平和の君』と唱えられる。」(イザヤ9・5)
124 :
名無しさん@1周年 :01/12/13 01:39
すべてこれも説明できていますが?何か?
125 :
名無しさん@1周年 :01/12/13 01:54
この言葉も父と子と聖霊は、 三位一体であるという証拠にしかなりませんね。 子は父と一体である。という証拠にしかなりませんが? どこから読むと父から発出された子ではなく、 父自身であると解けるのでしょうか?
126 :
名無しさん@1周年 :01/12/13 06:57
父と子と聖霊の名に於てしるします。 三角形でイメージされる三位一体の考えは どこからやってきたのでしょうか。 その三角形の中心に、一実体を表象する一眼を置けば、 明らかです。 自分の知恵に自惚れた神学家を通じて、 悪魔がキリスト教会に播いた黒い種が、 このトライアングル・トリニティです。 マリアがこの悪魔について警告しなかったでしょうか? サタン崇拝者のあがめるものが、この三角形です。 キリスト教徒を苦しめているのが、この三角形です。 このまま、キリスト教徒がサタン崇拝をしていることは、 なんと主を傷つけることでしょう。 真の三位一体は、三重丸であらわされます。 小ヨハネのいう通りです。 キリスト教徒の時は近付いています。 もうすぐふるい分けられます。 まだチャンスはあります。
127 :
小さなヨハネ :01/12/13 20:18
>125さん 「どこから読むと父から発出された子ではなく、 父自身であると解けるのでしょうか?」 え?ですけれど「みどりご」は「永遠の父」と呼ばれる、とあるではないですか? 私は外国語が全く分かりません。しかし、この日本語訳を読む限り、 「みどりご」は「父」であるという意味だと思いますが?
128 :
小さなヨハネ :01/12/13 20:21
しかも125さんは125で「子は父と一体である。という証拠にしか なりませんが?」と、一体であるとおっしゃり、さきほどは122で (これも125さんでよろしいですね?出来れば何かハンドルネームを 固定していただけると助かります。) 「父なる神ヤーヴェがイエスとして降りているなら その間は天の国はどうなっているのでしょう? 天使達に預けているのでしょうか? それを示すものをお願いします。」 「全ての福音書などでは、イエスは父なる神に向かって訴える個所があります。 御自分が発出された身の上でなければ、 こんなことは言わないと思いますが、いかがでしょうか?」 と一体ではなく二体(?)のように言われているのですが? いったい、どちらなのですか?
129 :
小さなヨハネ :01/12/13 20:24
>126さん、どうもありがとうございます!! なるほど。それであの三角の中の目の印しが分かりました。 そういう意味だったんですか! たしかに、あの中に入るべきは唯一の神・主イエス・キリストのはずなのに、 サタンは主を追い出して、一体である神を3つに分割し、自分が中に入って 神を名乗って逆らう者を見張っているのでしょうね。
130 :
小さなヨハネ :01/12/14 00:02
主が父の右に座すの意味について。 (静思社・スウェーデンボルグ・天界の秘義9133より。) 「かれの手の中に」は何であれかれに属したものを意味していることは「手」によ り力が意味され、何であれ、たれかの力の中に在るものはその者に属しているため である。従って「手」により、とくに右手によりその人間自身が意味されている。 この凡てから「父の右手に座ること」が主について言われているとき、それにより 意味されていることは、父における凡てのものであり、かくて父御自身であること を認めることができよう―そのことは父の中に、父は主の中に在ることと同じであ り、主のものは凡て父のものであり、父のものは凡て主のものであることと同じで あり、そのことは主がヨハネ14・8−11、17・10、11に教えられている のである。
131 :
ふらんちぇすこ :01/12/14 00:27
電波だ。。。 イエスは神の言葉であり、そもそも神と共に在った。 神の言葉の受肉したものがイエスであり、イエスのうちに父なる神の 本性があるのは当然なんだが。 父なる神、イエス、聖霊は互いに其の本性は一なるモノであり、 重なるのが当然。自立した存在として3だが、実体、本性として 一なんだって。 三位一体はキリスト教のもっとも難しい奥義で、ギリシャ哲学的な 思考とか要求されてムズいし、その理解の道行きは結局三位一体の 成立から理解していくのが一番だと思うんだが、説明するの大変 なんだよ。本読んでもらった方が早い。 スウェーデンボリからそれに近い事を学んで目から鱗なのかも しれないけど、小さなヨハネはキリスト者が理解している三位 一体をすごく浅いところでしか理解していない。 それに、自分の言葉で考えた事を書いて欲しい。
132 :
名無しさん@1周年 :01/12/14 15:36
小さなヨハネは、スウェーデンボルグ教だね。 そのことに気がつかないでいるのが、何とも痛々しい。
133 :
名無しさん@1周年 :01/12/14 17:35
○ 千石イエス氏死去、キリスト教との黙祷は必須です
134 :
名無しさん@1周年 :01/12/14 17:55
>>128 意思(霊と言った方がいいでしょうか?)は同じであり
父なる神の内に在るものが地上に現れた存在を子なる神として捉えます。
父なる神御自身であるならその間は
天の国は父なる神は不在となりませんか?
父なる神御自身は天の国にいます。
そこから御自分の一部分を世に送り出したと考えています。
それがイエス・キリストという肉体を持った体です。
それでなければ福音書の文面が説明つかなくなってしまいます。
この説を解く鍵はユダヤ教にもあると思います。
アブラハム・イサク・ヤコブの神とは別の神ではありませんでした。
アブラハムの神でもあり、イサクの神でもあり、
ヤコブの神でもありました。
また三位一体の神は、父であり、
父から発出される子であり、父から発出される聖霊でもあります。
父なる神は子なる神を発出しましたが
意思は一体であり父なる神の一つの要素であり働きなのです。
聖霊も父なる神から発出されましたが
意思は一体であり父の神の一つの要素であり働きなのです。
ですから、イエス・キリストを見た人は
皆父の神を見たのと同じなのです。
聖霊の御技を見た人も皆父の神を見たのと同じなのです。
135 :
dendo. :01/12/14 17:59
>>本読んでもらった方が早い。 禿同。急がずにね。 とりあえず、父と子というのは有限なる世界に対して父や子として現われる以前に (以前に、という時間的表現は適切ではないが、本性において先立つという意味で) 互いの父であり子であるんだが……まあ、じっくり本を読んで考えるのがいいよ。
136 :
小さなヨハネ :01/12/14 22:51
>132さん 確かに、私がスウェーデンボルグ教と言えば、言えるでしょう。でも、キリストから 啓示を受けて書いたという彼の言葉を私は信じます。みなさんの神学論は学者の人知 によるものでしょうが、主は唯一の師です。スウェーデンボルグのいうことが嘘とい うなら止むを得ませんけれど。 >134さん 丁寧に書いてくださってありがとうございます。 あなたのご親切は主に嘉されるでしょう。ただ、HNを付けていただけるとありがたい です。反論する際、よく分からなくて困ってしまうのです。多勢に無勢ですので、 武士の情けでお願いします。 >ふらんちぇすこさん、dendoさん お相手してくださってありがとうございます。 でも、読んだら分かるなんて冷たいことをおっしゃらずに、ときには引用でも要約で もしてください。そのほうが分かりやすいです。私もみなさんに「天界の秘義」をお 読みなさいなんて申しませんので。 総論的な反論は明日致します。それではとりあえず。 痛々しい小さなヨハネより
137 :
dendo. :01/12/15 01:24
>そのほうが分かりやすいです。 ここでだらだら私ら素人(ブルネルスさんはもしかして神学かキリスト教学?)とだべるより、 まともな人が書いた体系的な本を読むほうが結局は早くて確実だといってるつもり なんですが…… 一見厳しく見える狭くて細い道のほうがたいがいは確実なんだよ。
138 :
名無しさん@1周年 :01/12/15 01:49
,,,,,,,-――――=.._ /:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::ヽ /:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::ヽ イ:::::::::;;;;::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::ノ:::::ヽ /::|:::::::::(・ ):::::::::::::::::::ソ::::::::::::::::(‐・):ヽ (;;;;|:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::| ヾ|:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::;;;;::::::::::|》――― ヽ:::::::::;;;;;;;;::::::::::::::::::/::::::::::::::::::::::::::::::::::::/::::::::::::::::彡彡 ヽ::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::\::::::::::::::::::::::ノ :::::::::::;;;;:::::::::ヾ ヽ、::::::::::::::丿:::::::::::::::(::::::::::::::::::'' ::::::::;;;;:::::::::::;;;;:::::ヽ ー-;;;;;;;;;;○;;○;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;ノ :::::::::::::::::::::::::::::::::)::::::) ゙ー;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;丿::::::::::::::;;;;:::::::::::ソノ:::::ノ ゙ ;;;;;;;;;;WWW;;;;;;;;;;;;;;;;;;丿;;;;;ノY^;;;; )´/ノつ ヘ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;ソ ∪゙゙゙゙゙∪ では、削除されるまでの間、大耳モナーが この糞スレを管理しておきます。
139 :
名無しさん@1周年 :01/12/15 01:55
スウェーデンボルグの教えに対しての審神は マリアさんにでもしてもらいましょうかね。 はちゃめちゃなワールドが展開されることでしょう。
140 :
ふらんちぇすこ :01/12/15 03:21
>小さなヨハネ 元気出してくれ。別にスウェーデンボリ独自の考えは否定しないけど、 カトリックとして洗礼を受けてる以上、カトリックとしての三位一体は 知っておいた方がいいと思う。もし本気でスウェーデンボリに傾倒するなら むしろニューエルサレム教会に行った方がいいと思うしね。カトリック としてはスウェーデンボリの思想は異端とされてしまうから。 で、本なんだが、要約出来るならとっくにしてる。それぐらいめんどくさい 説明がだらだら必要になるんだよね。専門家が判り易く書いた本を読んだ方が いいと思う。時間があんまりこっちも採れないし。スマソ。
141 :
名無しさん@1周年 :01/12/15 06:55
142 :
名無しさん@1周年 :01/12/15 09:12
>136 スウェーデンボルグが、本当にキリストの啓示を受けたのかどうか。 キリストの啓示を受けたと主張している人は、たくさんいるからね。 神秘主義思想家だって、ある意味、キリストの啓示を受けたとも言えるだろうし。 とにかく、4世紀末のカルタゴ会議で、聖書聖典が成立するまでの間、 つまり、古代の信条に記されている信仰に抵触するかどうか、というところから、 まず出発しないことには、間違ってしまう可能性もある、と思う。
どういうことを言っているのかな、と自分なりに考えてみますと、 小さなヨハネさんの神様は、仮面ライダーアギトが、実はショウイチが変身しており、ショウイチは、サワキテツヤだったというような、 本人としてはまったく同一人物でありながら、事情によって変身する神様。 従来の三位一体論は、多分、無尽蔵の生命体スライムが変形するといった印象です。 (精神的レベルがばればれ) キリスト教理にもそれなりに2千年の歴史があるので、 それほどには論じ尽くされている様子のない、スウェーデンボルグの教理について、 小さなヨハネさんが、ここで一発逆転を狙おうとされるのは、ちょっとたいへんだと思います。 小さなヨハネさんの主張していることは、三位一体を普通に理解しているキリスト教会にとってはそれほど問題でもないように思いますが、 ヨハネさんとしては大問題らしく、新しい宗教を布教されているようです。 そこで、一つ入れ知恵したいのですが、宗教を宣伝するには、まず、その主張点が、それまでの宗教と違って、信じる人にとってどのようにメリットを与えるか、ということをはっきりしたらどうでしょうか。 宗教というものは、どの道何らかの点で、信じる人に、霊的にせよ、現実的であるにせよ、メリットを与えるものです。 おっしゃる宗教によって、信じる人は、どういう得をしますか?(永遠の命とか、喜びとかいうのもあり)
144 :
名無しさん@1周年 :01/12/15 20:07
大川先生もキリストと通信できます
145 :
名無しさん@1周年=195 :01/12/15 20:54
スェーデンボルグよりはスェーデンボリの方が原音読みに近いんじゃなかったっけ? 日本はどうも北欧人の名前を英独の発音で読みがちだが (例 アンデルセン>アナセンorアネルセン)
146 :
名無しさん@1周年 :01/12/15 20:59
キリストは「私を見たものは父を見たのです」と言ったんじゃなかったっけ? だったら父なる神とキリストは同一人物・・・いや、同一神ってことになるんじゃないの? 神学的な難しいことはよくわかんないけど・・・
147 :
dendo. :01/12/15 22:38
>>145 新エルサレム教会(東京と高知とあと関西にもあるはず)だと
いまだにスヱデンボルグと表記するらしいぞと。
>>143 New Church はアメリカで一時期それなりに勢力あったのと
エラーノス会議で注目されてたのとで、英語や独語文献でいいなら
それなりに研究されているはずでし。私も詳しくはようしらんけど。
148 :
名無しさん@1周年 :01/12/15 22:41
ユダヤ人のエルサレム教団は日本に来たんだよ。 「日ユ同祖論が真実ならば・・・。」に書いてある。
149 :
名無しさん@1周年 :01/12/15 22:48
>>148 結局のところ、「日ユ同祖論」ってのはどうなの?
一部で大騒ぎしてるみたいだけど。
>ユダヤ人のエルサレム教団は日本に来たんだよ。
それって確かなことなの?
150 :
小さなヨハネ :01/12/15 23:02
ああ、みなさん、今夜の下書きを書いているうちに、遅くなってしまい、 すみません。たくさん書き込んでくださってありがとうございます。 それにはお答えできませんけれど、取り合えず書いたものを送ります。
151 :
小さなヨハネ :01/12/15 23:05
総論的な反論を申し上げようと思うのですが、まず、なぜ私が現在の三 位一体論に意見を言うかの理由をご説明します。 それは、現在の三位一体説では救われなかったからという理由によります。 それではキリスト教は理解できなかったのです。わたしは理解できないも の、自分で納得できないものを飲み込むことはできませんでした。
152 :
小さなヨハネ :01/12/15 23:07
刑罰代償説がそうです。高校生のころ、何か変だなというのが私の実感 でした。新約聖書を手にしてはみましたが、パウロの手紙の個性の強さ にもなじめませんでした。ですから長い間キリスト教や教会に全く縁が ありませんでした。しかし一方で、ドストエフスキーの『罪と罰』の雰 囲気やソーニャは好きでした。あるいは『未青年』であったか、『カラ マーゾフの兄弟』(途中までしか読んでいません)であったか、忘れま したが、ロシアの巡礼の老人などに惹かれたのも事実でした。
153 :
小さなヨハネ :01/12/15 23:13
およそ精神的には無知蒙昧の状態でしたが、それで困ることもなく、社 会人になって何年も経ちました。そしてある時、若気の至りで傲慢になり、 人間関係で痛悔することがあり、精神的な救いを求めました。たまたま 友人が教えてくれた谷口雅春氏の本を読みました。しかし、それでも救 われませんでした。谷口氏の本で霊界ものに興味を持ったため、スウェ ーデンボルグを読みました。するとオカルトだとばかり思っていたスウ ェーデンボルグは、実はキリスト教そのものでした。彼は、キリストは 父なる神であるというので、私は最初は面食らってしまいました。キリ ストはただの人間くらいにしか思っていなかったのです。しかし、彼の 書いている内容は素晴らしく、読んでいるうちに今までの疑問も氷解し ました。それがスウェーデンボルグを読むきっかけでした。 (すみません、今日はここまでです。明日は早めに書きます。)
>>152 東方神学だと贖罪より「死への勝利」が強調されますよん。
ドフトエフスキーに魅かれたのなら、正教会への転籍も検討されてはいかが?
でもカトリックに籍があるなら、ニカイア=コンスタンチノープルなり
使徒信経なりを告白しはったんですよね。
キリストがただの人間(ええ、そりゃ人性を持ってますが……)という
理解と、そこのところが、わし、どーしても結びつかない、んだが。
155 :
小さなヨハネ :01/12/16 12:34
スウェーデンボルグのおかげで私は父なる神を知りました。高価な真珠を見つけた商人 のような気持ちでした。また、彼のおかげで聖書の言葉には内的な意味があることを学 びました。例えば「水」には「真理」と言う意味があるなどです。あるいは「草」にも 例えば「真理の知識」という意味があり、「羊」は「霊的な者」であり、「羊に草を 食べさせる」とは「霊的な者に真理を教える」です。人の名前にも内意があり、「ペ テロ」は「真理・教義・信仰」です。主はペテロに「私の羊を飼いなさい」と言われ ますが、「真理・教義・信仰」が人に真理を教えるからです。
156 :
小さなヨハネ :01/12/16 12:37
私はスウェーデンボルグを学びながらも、一方で愛の使徒サンダー・シ ングにあこがれました。しかし、スウェーデンボルグを何年読んでも、 自分が人間的には全く良くなっていないことに気がつきました。知識だ けの限界にぶつかったのです。どうしたらいいのかわかりませんでした。 そんな時、サンダー・シングの伝記の中で、サンダー・シングは神学校 へ数ヶ月だけ行ったが、役に立つことはなかった、しかしトマス・ア・ ケンピスの『キリストに倣いて』だけは大変影響を受けたとあり、それ で初めてトマス・ア・ケンピスを知りました。『キリストにならいて』を 私も何度も読んで、はじめて自分を改めるとは具体的にどういうことか 分かり、ささやかながら努力することによって、少し改善しました。 しかしながら、それでもまた限界がありました。
157 :
ふらんちぇすこ :01/12/16 12:55
>小さなヨハネ まだ続きがあるみたいだね。 待ってるよ。それが終了したら、意見を書く。
158 :
小さなヨハネ :01/12/16 23:20
私は「父」だけでは満たされませんでした。それでは「父子家庭」でした。どうにも 行き詰まってしまったとき、主は私にマリア・ワルトルタを通じて聖母を与えてくだ さいました。私は自分が探していたものが「母」だったとは全く予期しませんでした。 私は遂に「母」に出会い、心は花が咲いたように満たされました。 また、私はスウェーデンボルグに出会って主を信じるようになってから、自分の行く べき教会を考えていました。しかし、所謂「新教会」には何か欠けていました。スウェ ーデンボルグ以外の「新しい啓示」と思われるものも読みました。そして、欠けてい るものとは、「聖体拝領」であることに気が付きました。「聖体拝領」と「聖母」が 必須であり、それを満たすカトリックという、コロンブスの卵のような回答を得まし た。昨年3月から思い切って教会に通い始め、今年の復活祭に受洗しました。40歳 で主を知ってから7年が経っていました。私のまだ見ぬ父と母を探す旅はひとまず終 わりました。日常の問題は海面の波のようにありますが、心の奥深くには初めて平安 が宿るようになりました。
159 :
小さなヨハネ :01/12/16 23:38
さて、私の今に至る経緯は以上の通りです。では、何を申し上げたいかというと、 従来の三位一体説では全く分からなかったということです。つまり、従来の三位一体 説の把握では、焦点が合わず、神が誰なのか全く分からないという点です。そして、 肝心の神が誰なのか分からないのでは、救われるのはそもそも難しいと確信します。 それを申し上げたくてこのスレッドを立てました。
160 :
ふらんちぇすこ :01/12/17 01:12
説明有難う。 小さなヨハネは、三位一体の父、子、聖霊を別々の存在だと思っていたという ことなんだね。肝心の神はそれすべてなんだけどね。 三位一体を探求する事は大切な事だと思う。それこそが神学において 多くの学者が探求した事であり、また修道者が観想のうちに探るものだったり したんだよね。その点において、小さなヨハネの探求は誠実なものだと思う。 ただ、スウェーデンボリだけではなく、他の神学者の書いたもの、或いはその ダイジェストな教義史を読むのを勧める。(何度も言うけどね)その上でやは りスウェーデンボリがしっくり来るというならそれもいいけど。(教父は 例えば以下のような説明をしたりする) 不出生、出生、発出はそれぞれ父と子と霊を性格付けます。この性格づけによって 神性という尊い唯一の本性のうちに三つのヒュッポスタシス(ラテン語のペルソナ) が区別され、保たれます。何故なら唯一の父しか存在しないので、子は父ではあり ませんが、しかし子は父であるところのものなのです。また唯一の子しか存在しな いので、霊は神から発出といわれても子ではありませんが、しかし霊は子である ところのものなのです。三は神性において一であり、一はペルソナにおいて、 三なのです。このように私達は、サベリオスの主張する唯一神論と今流行の アレイオス主義の三神論を避ける事が出来るのです。 (ナジアンゾスのグレゴリウス)
161 :
ふらんちぇすこ :01/12/17 01:26
それから、母マリアは神と同列の存在ではない。 をれ達人間の延長先にある存在だよ。 へりくだり、謙遜を体現する存在であり、 そのからだのうちに受肉の神秘を宿すという行為を通じて、 観想を行うモデルでもあり、御子への取次ぎを行う。
162 :
フランチェスカB :01/12/17 01:38
私も三位一体論はさっぱり訳が分かりません。というか、「会議で正統とされ たから」とか、「要理にそう書いてあるから」ということで、無理やりそれで 納得しようとしている方も多いのではないでしょうか。心底納得している方が おられたら、その「奥義」というものを誰にも分かるように、噛み砕いて教え ていただきたいと私も思います。 私自身は、神は「ありてある」ただ1つの存在であり、その他のものは「あら しめられてある」存在である、つまり神と被造物をはっきり区別すべきではな いかと思っています。 ですから、小さなヨハネさんのおっしゃるようにイエスを父なる神そのものと 見るか、それとも人間と見るか、そのいずれかが「神の単一性」に従った最も 理解しやすくすっきりした考えではないでしょうか。(ただ、同じヤハウェを 神とあがめるモーセやマホメットは、自分のことを神格化したりはしていませ ん。)
163 :
フランチェスカB :01/12/17 01:39
(続き) 歴史的には、かなり大ざっぱに言えば、イエス=人間というアリウス派の考え はニケア公会議で異端とされ、イエスは父なる神そのものとするサベリウスの 単性論も、カルケドン公会議で異端ということにされています。 要するにイエスの神性と人性のどちらかを強調しすぎると、異端扱いされるみ たいですね。 多分、小さなヨハネさんと私は、三位一体論を挟んで互いに反対側にあると思 いますが、サンダー・シングに共感し、大事なのはイエス・キリストに倣うこ とだと思っている点では、よく似ている気がします。
164 :
ふらんちぇすこ :01/12/17 02:06
真理の探求を行うことは虚しくはない。信仰のひとつの形態だからね。 三位一体を観想しながら、小さなヨハネは真理に近づこうとしている。 その誠実な道行きに共感するよ。だからここで、コムズな話をしてる。 結果が同一にならずとも、ここで会話することで互いに真理とは何かを 探ってるに過ぎない。 別に望んでもいない人間にそれを理解しろとは言わない。 三位一体は完全に理解出来るもんじゃないし。をれだってよく判らんよ。 ただ、そのなんともよく判らんものになにかがあると思うわけよ。 もっとも、信仰の前にはすべての知は虚しいとは思ってる。 ただ、そういう知の探求を頭から否定する行為も、愛がない。
165 :
名無しさん@1周年 :01/12/17 02:19
>小さなヨハネさん あなたのキリスト遍歴を見ると驚かされますが、カトリックに結局落ち着かれた という話は、すばらしいと思いました。カトリックもキリスト教として磐石では ないかもしれませんが、それでもキリスト教の本来の姿に戻れる唯一の普遍的な 教会であると自分は思います。実は自分もここ何年も教会活動からは遠のき、 様々な社会経験を経て現在に至るものです。スウェーデン・ボルグは彼独自の キリスト教を追求しすぎていて行きすぎて異端と考えられますが、小さなヨハネ さんのキリストに対する真摯な姿勢とご自身の力で得たお答には自分は共感する ところがあります。カトリックであることを前提に、真の愛と平安を求め続け て下さい。 最後に、お目にかかったことすらなくこんなことをして神様にしかられないか と思いますが、あえてかつて一時期外国で奮闘する自分に「愛」を伝えてくれた一通 の手紙を模して友人でも恋人でもない小さなヨハネさんに詩篇121篇を贈ります。 主の平和!お幸せに。
カッパドキアから来た。
167 :
名無しさん@1周年 :01/12/17 05:45
168 :
名無しさん@1周年 :01/12/17 07:02
パパ銃撃したトルコ人
169 :
ふらんちぇすこ :01/12/17 08:49
カッパドキアの恐怖。
ついでと言ってはなんだけど、カトリックの救済論ってどういうのか教えてください。 煉獄のこととか、あまりちゃんと知らないんだけど。 信じる人は救われるんですか?
だ。
172 :
小さなヨハネ :01/12/17 21:32
ふらんちぇすこさん、今日本屋さんで『キリスト教東方の神秘思想』V・ロースキィ という本を手に取って中を見てみましたが、結局買いませんでした。『個の誕生』坂 口ふみと言う本は品切れでした。 自分がまだ迷っていたなら興味を持ったでしょう。しかし、この問題については自分 なりに分かってしまったので、自分で、もうそう思わない本を、読む気力が湧いてこ ないのです。ごめんなさい。せっかく薦めていただいて・・。 それから、みなさん、私の個人的な経緯を聞いてくださってありがとうございました。 率直で、ご親切なご返事をいただき、心から感謝申し上げます。
173 :
小さなヨハネ :01/12/17 21:37
さて、ここで、理論的な点を離れて、事実はどうだったのか考えて見た いと思います。すなわち、会議で三位一体論が認定される以前の原始キ リスト教時代、使徒時代は彼らは実際どう思っていたかと言う点です。 私は主が父なる神と分かってから、では使徒たちは主が父なる神である ことを知っていたのだろうか?という素朴な疑問を抱いていました。 その疑問はマリア・ワルトルタを読んで、解決しました。彼らも実は、 主を父なる神と認識していたのです。というよりも、162のフランチ ェスカBさんのように、神は「ありてある」唯一つの存在で、そもそも神 が三人(三体)おられるなどとという発想自体がなかったということで す。つまり、父とか子とか呼び名は何であれ、神といえばお一人に決まっ ていたのです。ですから彼らにとって、神が救い主として来られるとは、 唯一の神御自身が来られることに他ならなかったのです。従って、問題 はキリストを神と信じるか、信じないかというだけだったのです。彼ら が福音書の中で、あなたは神の子キリストと言うことは、すなわち、唯一 の神と告白しているのと同じなのです。もちろん弟子によっては父を見 せてくださいと言ったフィリポのように、主を神とどれだけ認識してい たかについては差があったようですが・・。
174 :
小さなヨハネ :01/12/17 21:38
マリア・ワルトルタの本(あかし書房・全10巻)の中で、主が神であ るという告白は、(主御自身がおっしゃる場面も含めますと)100箇 所以上出て来ます。しかし、彼らの告白はどれも、天の父が今目の前に 立っておられるという驚きと感動とに溢れています。福音書には、主を 捕まえに来た者たちが、主が「わたしである」と言われると、神に対す る畏怖の念から、恐ろしくて後ろへひっくり返ってしまった場面がえが かれています(ヨハネ18・6)。彼らが主を神と信じていなくても、 「わたしである」という言葉を聞けば、ひょっとしてと恐れたのでしょ う。「わたしである」と言う言葉は、モーセに現れた神がおっしゃった 言葉ではないかと思います。
175 :
御霊が諸教会に言う声 :01/12/18 00:08
イエスキリストは天地創造の神と聖書に書いてあります。 これから二つの聖書の言葉を書きます。最初は旧約聖書です。 後は新約聖書です。旧約聖書の神は「初めであり終りであるもの」 天地創造の神です。死んだことはあるが生き返ったものは、イエスキリストです。 「初めであり終りであり、死んだことはあるが生き返ったもの」と 同列に書かれていれば、イエスキリストは天地創造の神であると いうことを証明できます。 「主、イスラエルの王、イスラエルをあがなう者、万軍の主はこう言われる、 「わたしは初めであり、わたしは終りである。わたしのほかに神はない。」 イザヤ44:6 「スミルナにある教会の御使に、こう書きおくりなさい。 『初めであり、終りである者、死んだことはあるが生き返った者が、 次のように言われる。」 黙示録2:8 この聖書の言葉を見て、イエスキリストは天地創造の神ではない というものは、聖書を信じないものです。聖書を信じないものは キリスト教信者でも何でもありません。 旧約聖書の父なる神、天地創造の神は始めであり、終りであるものと 言われています。そして、黙示録でイエスキリストは自分を始めであり 終りであるものと言っています。自分で自分は天地創造の神だと 言われているのです。この明確な言葉を信じないものはキリスト教信者 でも何でもありません。
176 :
名無しさん@1周年 :01/12/18 00:45
,,,,,,,-――――=.._ /:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::ヽ /:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::ヽ イ:::::::::;;;;::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::ノ:::::ヽ /::|:::::::::(・ ):::::::::::::::::::ソ::::::::::::::::(‐・):ヽ (;;;;|:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::| ヾ|:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::;;;;::::::::::|》――― ヽ:::::::::;;;;;;;;::::::::::::::::::/::::::::::::::::::::::::::::::::::::/::::::::::::::::彡彡 ヽ::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::\::::::::::::::::::::::ノ :::::::::::;;;;:::::::::ヾ ヽ、::::::::::::::丿:::::::::::::::(::::::::::::::::::'' ::::::::;;;;:::::::::::;;;;:::::ヽ ー-;;;;;;;;;;○;;○;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;ノ :::::::::::::::::::::::::::::::::)::::::) ゙ー;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;丿::::::::::::::;;;;:::::::::::ソノ:::::ノ ゙ ;;;;;;;;;;WWW;;;;;;;;;;;;;;;;;;丿;;;;;ノY^;;;; )´/ノつ ヘ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;ソ ∪゙゙゙゙゙∪ では、削除されるまでの間、大耳モナーが この糞スレを管理しておきます。
177 :
名無しさん@1周年 :01/12/18 01:04
>>175 ってゆーか、ヨハネ福音書冒頭を引用すればいいんじゃないですか?
あそこに「言によらずに成ったものは何一つなかった」というのとは、
別のことを言っておられるんですか?
175さん、あなたの語ることは真理です。 幼子のような者ならすぐにあなたの言葉の正しさが解ります。 理性を使えば解ることです。 理屈を使えば解りません。 そうすれば、理性を放棄して 「本にこう書いてある、三位一体は解らないからこそ神聖だ」 などと言い出します。 本当に心から真理を愛しているなら、理性が主より開かれ、 175さんの言われることの真実牲が解ります。
179 :
ふらんちぇすこ :01/12/18 16:59
>小さなヨハネ
わかったと言ってしまうことは出来ないと思うが。
何故なら神は人間の知覚では認識出来ない超越する存在だし、
言葉という不自由なツールでは表すことも出来ない。
ひとつの誰かの解き明かしたと思う真理をまた、思索し、他の見解から
見なおす行為を多くの人々がやってきた。そうしながらおぼろげに神と
接地する一瞬を得る事もある。そのツールとして、多くの思索があったりする。
スウェーデンボリもそのひとつに過ぎない。
ただ、小さなヨハネは、神の要素の「人格」という部分に多く引きづられているね。
人は確かに神の似姿に造られたと言われるが、神は同時に超越者だ。
超越する存在を人間という卑小な枠に閉じ込め理解するのは本当はおかしい。
しかし人間の認識は現存するモデルから認識するのがより容易いからな。
まあしょうがないかとは思う。そのモデルから理解できる恩恵的要素は
大きいからね。
>>178 es
自己矛盾してるな。君は既に理性を放棄している。
小さなヨハネはスウェーデンボリの信徒ならそれは、それでいいんだよ。
カトリックとして洗礼を受けていることや、また、カトリックの教義を
理解していないから、話してるだけ。
180 :
御霊が諸教会に言う声 :01/12/18 18:27
「終りであり、初めであり、死んだことはあるが 生き返ったもの」はイエスキリストです。ヨハネの黙示録 の明確な言葉です。このヨハネの黙示録の主の明確な言葉を 信じないものは誰の言葉を信じているのでしょうか? イエスキリストの言葉を信じるものがキリスト教信者です。 明確にヨハネの黙示録で主は言われています。 「スミルナにある教会の御使に、こう書きおくりなさい。 『初めであり、終りである者、死んだことはあるが生き返った者が、 次のように言われる。」 ヨハネの黙示録2:8 「主、イスラエルの王、イスラエルをあがなう者、万軍の主はこう言われる、 「わたしは初めであり、わたしは終りである。わたしのほかに神はない。」 イザヤ44:6 カトリックの信者もプロテスタントの信者も誰の言葉を 信じているのですか?イエスキリストの言葉を信じているから キリスト教信者ではないのですか?明確にイエスキリストは自分が始めであり 終りであると言っておられます。イエスキリストがおっしゃるように信じるのが キリスト教信者ではないのですか。
181 :
ふらんちぇすこ :01/12/18 18:50
信じてるよ。だから三位「一体」。 理解が浅いって。
182 :
dendo. :01/12/18 18:55
子は作られずして生まれる。聖霊の発出とともにこれらは時間の外、創造以前の事態であり 子なるキリストが「初め」であることとなんら矛盾しない。 すでにこのスレでも指摘されていることだが、「はじめに言葉があった」、 そして言葉は「神である」だけでなく「神とともにあった」ものでもある。 ここからは神の存在がなんらかの構造を有することは指摘できても、 父と子の区別が消失することはただちに結論できない(そういう読解も可能だけど) あるただひとつの解釈しか可能でない、ということと、 いくつかある解釈のうち、あるひとつの解釈が最も妥当である、ということは 別だよ。
183 :
名無しさん@1周年 :01/12/18 19:00
イエスは言われた、「よくあなたに言っておく。今夜、鶏が鳴く前に、 あなたは三度わたしを知らないというだろう」。 マタイによる福音書26:34 ペテロは外で中庭にすわっていた。するとひとりの女中が彼のところにきて、 「あなたもあのガリラヤ人イエスと一緒だった」と言った。 するとペテロは、みんなの前でそれを打ち消して言った、 「あなたが何を言っているのか、わからない」。 そう言って入口の方に出て行くと、ほかの女中が彼を見て、 そこにいる人々にむかって、「この人はナザレ人イエスと一緒だった」 と言った。 そこで彼は再びそれを打ち消して、「そんな人は知らない」 と誓って言った。 しばらくして、そこに立っていた人々が近寄ってきて、ペテロに言った、 「確かにあなたも彼らの仲間だ。言葉づかいであなたのことがわかる」。 彼は「その人のことは何も知らない」と言って、激しく誓いはじめた。 するとすぐ鶏が鳴いた。 ペテロは「鶏が鳴く前に、三度わたしを知らないと言うであろう」 と言われたイエスの言葉を思い出し、外に出て激しく泣いた。 マタイによる福音書26章69〜75 これはイエスキリストを3回ペテロが知らないといった 場面です。イエスキリストはこのことが起こる前にペテロに 予知していました。その予知が的中している場面です。 皆さんはこのことの意味がわかりますか? たとえば、皆さんが、自分自身が1時間後にお風呂に入ろうと して、「自分は1時間後にお風呂に入る」と予知をしたとします。 しかし、これを確実に行えるかどうかは100パーセントではないでしょう。 たとえば、その間に階段から落ちて、救急車で病院に運ばれるかもしれません たとえば、心筋梗塞を起して死ぬかもしれません。 あるいは、風呂に入るより、テレビの好きな番組があって、それを見るかも しれません。このように予知を的中させるのは、宇宙のすべてのデータ あらゆるものの全データをインプットしていなければ完璧な予測は できないのです。全知でなければ予知ができないということです。
184 :
名無しさん@1周年 :01/12/18 21:51
185 :
御霊が諸教会に言う声 :01/12/18 22:06
「スミルナにある教会の御使に、こう書きおくりなさい。 『初めであり、終りである者、死んだことはあるが生き返った者が、 次のように言われる。」 ヨハネの黙示録2:8 「主、イスラエルの王、イスラエルをあがなう者、万軍の主はこう言われる、 「わたしは初めであり、わたしは終りである。わたしのほかに神はない。」 イザヤ44:6 聖書も信じず、イエスキリストの言葉も信じないでどうして キリスト教信者でしょうか?旧約聖書の「初めであり終りである方」は 万軍の主、父なる神、天地創造の神です。新約聖書の「死んだことはあるが 生き返ったもの」は誰ですか?イエスキリストです。 ヨハネの黙示録でイエスキリストは自分が父なる神、天地創造の神 だと言われているのです。 「耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい。勝利を得る者には、 神のパラダイスにあるいのちの木の実を食べることをゆるそう』。 スミルナにある教会の御使に、こう書きおくりなさい。 『初めであり、終りである者、死んだことはあるが生き返った者が、 次のように言われる。」 黙示録2,7〜8 これは聖書に書いてあり、イエスキリストの言葉であり 真理です。ローマ法王の言葉でもなければ、司祭の言葉でもありません。 みことばであり、イエスキリストの言葉です。 あなたがたは御言葉と司祭や法王の言葉とどちらを取りますか?
186 :
小さなヨハネ :01/12/18 22:53
>175〜「御霊が諸教会に言う声」さん、>178esさん ありがとうございます。私もそう思います。 >179ふらんちぇすこさん 次の言葉にあるように、「分かる」ということはあると思います。(すべてが説明 できるという意味ではありません・・。) 「わたしの羊はわたしの声を聞き分ける。」(ヨハネ10・27)
187 :
名無しさん@1周年 :01/12/19 00:51
キリスト教の教派はいろいろありますが、 「断絶した神と人との関係をキリストが再び結び付けた」 という基本認識はほぼ同じ。 つまりキリストは「仲介者」ということになります。 「関係の一方である神」と「仲介者キリスト」は、 本質的はともかくポジションが違う。 両者を区別するのが間違いということになったら、 救いの基本的な前提が成り立たなくなってしまいます。 自分で自分をいけにえにして自分にささげる、というのはちょっと…。 三位一体は確かに難しくてわかりにくいが、 「父」「子」を区別できなかったらもっとわかりにくくなると思います。
187さん、お聞きください。 「父なる神と子なる仲介者、そのどちらも神である。」 このように考えたとき、 あなたは何らかの不自然さを必ず感じているはずです。 人間なら誰でも本来神が一人であることを心の底で分かっています。 その自然な感覚をキリスト教会は教理で押しつぶすのです。 それはまったく異常なのです。キリスト教会は、悔い改めなくてはならないのです。 そして、本当に主の教会となり、真理を伝えなくてはならないのです。 誤りを伝えるのは、サタンです。真理を伝えるのは、主です。 教会が真理を伝えないとき、それは味のない塩です。何の役にも立たないのです。 いや、キリスト教会は役に立たないどころか、 誤謬を真理として伝えているのだから害毒を広げているのです。 唯一の神を分からなくし、真理を不明確にしてしまうというおそろしい害毒です。 どうか、勇気を出して偽りの教理を投げ捨ててください。 わたしは、私の内面を隠れた私として「父」と呼びます。 わたしは、このわたしを見える私として「子」と呼びます。 わたしの働きを聖霊と呼びます。父と子と聖霊は、呼称です。 そもそも主はいつもたとえで語られたのではありませんか? それを、真に父と子とと聖霊が三者として区別されると思うのは、 あたかも主の王国があの世のものではなく、 この世のイスラエル王国だとしか思えなかった人々とそっくりです。主を殺害した人々です。 また、「救いの基本的前提」も問い直してください。 創造主イエス キリストが何を語られたでしょうか。 救われないものとは、よい実を結ばないものではないでしょうか。 よい実を結ばないものは切り倒され、火に投げ込まれるが よい実を結ぶものは救われるのではないでしょうか? よい実を結ぶとは、どういう意味かは明白です。 どうか、お考えください。
189 :
キリスト教卒業生 :01/12/19 21:11
ばかばかしい。笑! 頭だいじょうぶですか?
190 :
キリスト教卒業生 :01/12/19 21:21
知ったかぶりクリスチャン 頑張って論議してねン♪
191 :
名無しさん@1周年 :01/12/19 22:45
>>188 自分自身が自分の救いを確定できるものだという考えは神の教えに反しています。
神はご自身を愛する人を愛していますし、その愛を隣人、兄弟に向けるように促す
と思います。人は神を愛し、神によって神の判断によって救われますし、同じように
我々が人を愛し、人に愛されることで自分が愛され受け入れられる者であることを
知ります。
192 :
名無しさん@1周年 :01/12/19 23:30
わたしは天から下ってきた生きたパンである。それを食べる者は、 いつまでも生きるであろう。わたしが与えるパンは、 世の命のために与えるわたしの肉である」。 そこで、ユダヤ人らが互に論じて言った、「この人はどうして、 自分の肉をわたしたちに与えて食べさせることができようか」。 イエスは彼らに言われた、「よくよく言っておく。 人の子の肉を食べず、また、その血を飲まなければ、 あなたがたの内に命はない。 わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者には、 永遠の命があり、わたしはその人を終りの日によみがえらせるであろう。 ヨハネによる福音書6,51〜54 イエスキリストの肉を食べ、イエスキリストの血を飲まなければ 我々に永遠の命はありません。 十字架など何の価値もないものです。聖書は永遠の命を得るためには イエスキリストの血を飲み、肉を食べなさいと言っています。 十字架を信じても天国には行けません。 神の肉とはパンのこと、パリサイ人のパン種は偽善 神のパンは善のことです。神の血はぶどう酒です。 ぶどう酒は真理のことです。多くの記述からわかります。 つまり、真理を飲み、善を行わなければ永遠の命 はないと言っておられます。イエスキリストが十字架で ユダヤ人に殺されたのです。人間は自分自身の悪い行為を 責められ、怒り狂い神を殺したのです。これが事実です。 現代もパウロ教(パウロの手紙をみことばとし、イエスキリストの 言葉を排除している宗教の信者)、とカルビン、ルター教( カルビン、ルターが作った、イエスキリストの十字架の死は すべての人の罪を許した行為だと信じるものが救われると 教えた教義を信じる宗教)の信者はイエスキリストの言葉を 殺し、神を殺し続けています。 偽善者たちよ、イザヤがあなたがたについて、 こういう適切な預言をしている、 『この民は、口さきではわたしを敬うが、 その心はわたしから遠く離れている。 人間のいましめを教として教え、 無意味にわたしを拝んでいる』」。 マタイによる福音書15,7〜9
193 :
小さなヨハネ :01/12/20 22:06
前記174で、イエスを捕まえに来た手下たちが、「わたしである」という言葉を 聞いてうしろにひっくり返ったのは、神の名を聞いて恐れたからだろう、というのは 、私のオリジナルではありませんでした。朝文社/佐古純一郎/『パウロと親鸞』P 101の説をそのまま拝借致しました。申し訳ありません。 さて、使徒の時代は主をどう認識していたのかというお話をしましたが、他の疑問点 について先にお答えしなければならないと思います。 187さんの自分で自分を生贄にするのはどうか?という点と、122さんの、イエス が留守中の天国はどうされたのか、イエスが父に語り掛けられるのはなぜか、という 点です。前者と最後の問いはとても難しく、わたしもよく分かっていないので後回し にさせていただき、真中の問題についてです。
194 :
小さなヨハネ :01/12/20 22:12
この問題は比較的簡単です。 父なる神がこの世に降る際、人間の身体をまとわれたのは、私たちが窮屈 なウェットスーツを着て海に潜るようなものだったでしょう。全能の神、 創造主にとって、それはさぞかし窮屈なことだったろうと思われます。 しかもきれいな海ではなく、汚れた、悪意のこもった冷酷な人間の海だ ったのですから・・。そして幼子となって生まれるには、主は一瞬神と しての記憶を喪失した状態に陥られたでしょう。その神としての記憶を 回復する過程がまた主の成長の過程でもあったのではないかと思います。 ところで、スウェーデンボルグによれば、天界は巨大な人間の姿をして いるそうです。そのためにそれを古来から「大宇宙」と言い、人間の身体 は「小宇宙」と呼ばれるということだったと思います。教会もキリスト の体であり、キリストはその頭と呼ばれています(コリント1・12・ 27、コロサイ1・189)。さて、私たち人間は、たとえ意識を失って も、小脳は働いており、呼吸も鼓動も体温もコントロールされています。 人間でさえそうなのです。まして万能の神が、一瞬神としての記憶を喪失 しても、神の身体である天界や宇宙を維持することなど、何の問題もな かったろうと思われるからです。 あるいは、こう考えればもっと簡単です。すなわち、私たちでさえ家を 留守にすることができるのですから、父なる神が天界を留守にして、下界 に出かけられるくらい、どうして不可能だと思う必要があるでしょうか?と。
195 :
キリスト教卒業生 :01/12/20 22:15
説明が長いよ。笑。頭でっかちクリスチャンって本当にバカ。 もう寝る。
196 :
小さなヨハネ :01/12/20 22:35
ばかな私の発言など何の価値もありませんから、カリスマを持っておられる方の 文章から、多少関連すると思われる個所を引用致します。 「神は、宇宙のなかに包みこむことのできない偉大な方でありながら、愛ゆえ にこれほどご自身を卑しく小さい者となされ、母のせまいご胎内でほとんど動 くことも、息することすらもできずにおられることを考えて、まったく驚いて いました。」(天使館/ルイザ・ピッカレータ/被造界の中の神の王国/1巻.P5) 「創造主でありながら、その被造物を自分の愛へと引きつけるために、また、 彼らに恐れを感じさせないために小さな幼子の姿をとるのです。」(同P226) 「わたしの神性そのものの本質を隠すために、わたしは人間の姿を取りました。 そうでなければ、わたしの愛と一致したいとのぞむ被造物にとって、愛より恐れ を呼び起こすでしょうから。」(同P228)
197 :
名無しさん@1周年 :01/12/20 23:03
話が難しくて自分にはよくわからなくなってきたので 確認のために簡単に小さなヨハネさんにお伺いします。 あなたの主はイエス・キリストですか?
198 :
キリスト教卒業生 :01/12/20 23:08
>197 いい質問ですね。
199 :
キリスト教卒業生 :01/12/20 23:11
おやすみなさーい。
200 :
小さなヨハネ :01/12/20 23:29
>197さん はい、私の主はイエス・キリストです。 そして、主イエス・キリストは父なる神御自身であると思っているのです。
>>193 小さなヨハネ
ヨハネ福音書が、イエス・キリストを旧約のヤハウェと重ねて理解していることは、
結構流布している理解ですね。ことに「私である/私はある―エゴ−・エイミ」と
イエスに何回か言わせてますが、これはおっしゃるとおり、ヤハウェがモーセに対
して自らを示したことばを採用しているわけです。
しかし、このことからイエスが父なる神であることにはなりません。
ヨハネ福音書を書いた人は、ヤハウェがイエス・キリストだと信じていたのは確か
ですが、その際に、旧約の中で、人々に自らを顕わしたものとしてヤハウェを理解
していると思われます。つまり、その背後に、見えない神を想定してもいるようで
す。
見えない父なる神と、それを顕わした子なる神、という図式を、旧約の中にも見出
すという神学をもっていたと推察します。
202 :
御霊が諸教会に言う声 :01/12/21 01:10
「 偽善者たちよ、イザヤがあなたがたについて、 こういう適切な預言をしている、 『この民は、口さきではわたしを敬うが、 その心はわたしから遠く離れている。 人間のいましめを教として教え、 無意味にわたしを拝んでいる』」。 マタイによる福音書15,7〜9 現代のカトリックとプロテスタントは人間が作った 教義を信じ、イエスキリストの言葉を信じていません。 イエスキリストが自分は父なる神であると言っているのに です。これは奇異なことです。なぜでしょう? この民は口先ではイエスキリストを主と呼んでいますが 心では三位一体説、十字架信仰という人間の戒めを教えとして 教え、無意味に神を拝んでいる。
>>200 お答え感謝します。ありがとうございます。
ネット上では書き込みでしか意思を確認できないのが残念です。
機会がありましたら、公の場でお会いし『私の主はイエス・キリストです』
とお互いが口で宣言する中で知り合い話し合う機会が来ることを願います。
204 :
名無しさん@1周年 :01/12/21 20:07
>>202 ●「三位一体説」について
キリストを主とする人たちはキリストの言葉により洗礼を授かります。
マタイ28章19節28:19
【だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。
彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、】
のように。父と子と聖霊の名による唯一の主の洗礼を授かっているのです。
三位一体の主という意味合いが教義的にどうあれ、キリストの言葉を無視した
ものではないと思われます。
●「十字架信仰」について
ガラテヤ6章14節
【しかし、このわたしには、わたしたちの主イエス・キリストの十字架
のほかに、誇るものが決してあってはなりません。この十字架によって、
世はわたしに対し、わたしは世に対してはりつけにされているのです。】
という記述をご存知ありませんか?
暴走して次のような状態にならないように気を付けてくださいね。
1テモテ6章3-5節
【異なる教えを説き、わたしたちの主イエス・キリストの健全な言葉に
も、信心に基づく教えにも従わない者がいれば、その者は高慢で、何も
分からず、議論や口論に病みつきになっています。そこから、ねたみ、
争い、中傷、邪推、絶え間ない言い争いが生じるのです。これらは、
精神が腐り、真理に背を向け、信心を利得の道と考える者の間で起こる
ものです。】
205 :
SAKIKO :01/12/21 20:27
>204 偉そうに。。説明が長いよ。こういうクリスチャンってきらい。
206 :
名無しさん@1周年 :01/12/21 21:05
>しかし、このことからイエスが父なる神であることにはなりません。 おらは、クリスチャンじゃねえがよ、じつは、今の今まで 「クリスチャンはなんぼ三位一体と言ってても、 ただ一人の神様を信じてるんべえ。」 と思っていたがよ、あんれまあ、親父と子っこには分けちまってるでねえか。 親父の神様と子っこの神様と二人いて、実はひとりだってか? んなばかなことがあると本当に信じてるだか? イエス・キリストが父なる神でないと断言してるもんなあ。 神様があれこれいてたまるもんけえ。
無益な言い争いを避けるために、聖書の記述を利用するんです。 そうしたほうが、お互いに聖書について理解が深まります。 大事な指摘や戒めが、誰とも知れない赤の他人の恣意的な発言じゃ 言われるほうも嫌でしょ?聖書の言葉なら、お互いに確認し合える し、宗派や教派を超えて共通の土台でもあるわけじゃないですか。 わかってくださいね。
父と子と聖霊の名によって、神は唯一であるというのは、 キリスト教の奥義なので説明不可能なんです。 地球儀ならば、地球の様がある程度一目瞭然なのに、紙に書き出すと どうしても面積や方位や距離が狂いますよね。所詮我々の言葉では 完全に言い表したり表現することは無理なんです。
209 :
名無しさん@1周年 :01/12/21 21:48
SAKIKOよ 正直笑ろーた おまえに座布団5枚やる
210 :
名無しさん@1周年 :01/12/21 22:07
>208 「奥義なので説明不可能なんです」 「所詮我々の言葉では完全に言い表したり表現することは無理なんです」 …あらま、そんなにはっきりとおっしゃる? そんなものをよくあなたは理解できてますね。どうやって体得したんですか?
>>206 奥義なので説明不可能なんです
とまで言ってしまうと、そもそも三位一体説を主張するようになった過程でなされた
厳しい思索を無視することになります。
どこまで考えられるかをつきつめて語った上で、「これでもまだ精確に語ったこと、
理解したことにはならない」と認める、という姿勢が欲しいところです。
そうしないと、皆勝手な三位一体の解釈をすることになって、用語は表面的に同じで
も理解は全く違うということになりかねません。
>>211 の
>>206 は
>>208 の間違い
>>206 には次のように言おうと思ってた:
|親父の神様と子っこの神様と二人いて、実はひとりだってか?
|んなばかなことがあると本当に信じてるだか?
|イエス・キリストが父なる神でないと断言してるもんなあ。
まさに206は、人間をモデルにして個体と存在について固定的に考えて
しまっているので、こういう発言になるのです。私たちが知っている現
実世界にも、もっと別の個体のあり方があるということに気付くという
ようなブレーンストーミングがまず必要でしょう。
「二人がひとりだってか?」という発言によって、複数で語られること
と、単数で語られることとを同一レベルで理解するという誤解に基づく
批判をしていることが明らかになります。
何事についても批判したければ、まず、それがどういう主張であるかを
正しく理解する必要があるでしょう。
213 :
>210.211 :01/12/22 00:08
語れる限界のところまで、語った上で三位一体という言葉も生まれたの だと思います。三位一体が先にあるのではなく、キリストの御言葉に従う ことの是非を問い詰めていくと説明しきれない深遠な事柄ではあるが、 唯一の神が三位一体であることを宣言せざるを得ない時期が歴史に存在 したということなのではないでしょうか? 理解できたから信じるのであれば、人間の教えを戒めと教え、むなしく 神をあがめることになりかねません。理解するためにイエス・キリストを 信じるのであれば、父と子と聖霊の御名によって唯一の神への信仰に入り それはことさら三位一体をうんぬんする信仰ではないのです、実際は。 乱文で失礼!
214 :
小さなヨハネ :01/12/22 00:25
>ふらんちぇすこさん 先日、お薦めいただいた本のことについて、無礼なことを申し上げてしま いました。まことに申し訳ありませんでした。自分でも心が咎めておりま した。今日親しい方の口を通じて叱責を頂きました。それは聖母からのお 言葉と思いました。どうか私の非礼をお許し下さい。 両冊とも読ませていただきます。きっと私にとって勉強になると思います。 >203(197)さん ありがとうございます。まことにそういう機会が来ますように。 >皆さん いろいろな書き込みありがとうございます。ご質問に対する答えの続きを 述べなければならないのですが、むずかしくて今日は何も準備できません でした。明日から自分で分かる分だけ、書かせていただこうと思います。「あの人は建て始めたが、完成することはできなかった」(ルカ14・30)と言われそうです。 まことに愛のない小さなヨハネ
215 :
名無しさん@1周年 :01/12/22 00:58
ちょっとお邪魔します。 こういうのって、単に解釈の違いではないでしょうか? カトリックの洗礼を受けているなら、 三位一体という意味に対する探求をしてみるのは、 良いことだと思います。
216 :
ふらんちぇすこ :01/12/22 01:32
>>214 小さなヨハネ
小さなヨハネは愛があるよ。真面目だし。すごいと思う。
あの本は難しいけど、小さなヨハネなら絶対読みこなせると思うな。
特に東方教会の三位一体論が中心となるけど、西方(カトリック)との
差違もわかって、判りやすいと思う。をれも読むのにすごい時間が掛かってる。
(現在形なのは未だ読み進めている最中。すごい昔に買ったのにな)
同じとこを何度も読み返してるけど、判らない事も多い。でも、それを読みなが
ら探求することで、一種の観想を行ってる状態になる感じだな。
薦めてくれた人に感謝してるな。
自分がもっとも感動した瞬間は大切だからね。スウェーデンボリの考えのどこに
感動したかも記憶しつつ、あらたな感動を見つけていくと良いよ。
思考の前提としてブルネルス氏が書いてくれたアドバイスが役立つと思う。
真相がどうあれ、小さなヨハネのようなものを神は愛するだろうな。 イエスもな。 おっと(笑)。
218 :
小さなヨハネ :01/12/22 09:22
>ふらんちぇすこさん 寛大なお言葉をありがとうございました。おかげさまで胸のつかえが取れました。 主はあなたの寛大さを嘉されますように!これから勉強させていただきます。 >217さん、215さん 温かいお言葉をかけていただきありがとうございました。 皆様のご親切は祝されますように!
219 :
SAKIKO :01/12/22 10:27
218 >主はあなたの寛大さを… せいぜい死ぬまで勉強がんばってください>成りすましヨハネ
220 :
小さなヨハネ :01/12/22 11:34
おお、SAKIKOさん、どうもありがとう!何だかそう言っていただくと安心します。 『フランシスコの小さな花』やトマス・ア・ケンピスの中で、侮辱されることを喜べ という話がありましたが、私にはまったく理解できませんでした。 今、何となく実感が湧いてきました。 それがぴったりの小さなヨハネ
221 :
名無しさん@1周年 :01/12/22 11:46
222 :
名無しさん@1周年 :01/12/22 12:06
洗脳されまくり
223 :
名無しさん@1周年 :01/12/22 12:20
神学とか聖書とかいってもようするに手前証文なんだから。 説得力はぜんぜん無いということにそろそろ気づけよ。
224 :
名無しさん@1周年 :01/12/22 12:53
SAKIKOと仲良くなるなよ〜>220 ごめん!SAKIKO
225 :
名無しさん@1周年 :01/12/22 12:53
>>223 誰に対する説得力なのだろう?
信じていない人に対しては、説得力以前の問題ではないだろうか。
そもそも「説得する」必要はないのだから。
信じている人に対しては、その中身を説明する必要があるから、
説得力は必要。
でも、説得する主体(例えば神。実際には聖書を通して)を信じているのだから、
第三者の証文は必要ではなくなる。つまり、手前証文で十分。
226 :
名無しさん@1周年 :01/12/22 12:55
知識ってある種の固定観念である場合が多いから、蓄えすぎると 間違ってひそかに自分は賢いと思っちゃうことがあり、注意しなきゃ と自分は思うね。ユダヤの格言にはそんな意味のものがある。 神に信頼して、愛の道具として知識が与えられ活用できる人に なりたいな。死を恐れずに人に愛を伝える生方をしている人に、 主の平和!
227 :
SAKIKO :01/12/22 13:16
教会の信者で、ちいさなヨハネみたいのが大勢いるから 教会がうさんくさくなるの。 >224 べつに謝らなくても。。
228 :
名無しさん@1周年 :01/12/22 13:21
>>226 知識と知恵とは別だよね。
確かに知識はあるのだけども、知恵のない人が、2チャンにはたくさんいる。
229 :
SAKIKO :01/12/22 13:28
みなさんはボキャが豊富なのね。私はボキャ貧。。 たしかに知識が豊富な人が多いと思った。 でも頭でっかちクリスチャンはいただけません。
230 :
SAKIKO :01/12/22 13:50
>小さなヨハネ 主イエス・キリストは父なる神です。 断言して書きこんでいるけど、証明してよ。証拠をみせてよ。 単なる妄想としか思えない。
231 :
名無しさん@1周年 :01/12/22 15:24
age
232 :
名無しさん@1周年 :01/12/22 15:58
このスレを建てた奴 逃げんなよ。 サキコにやられるぜ!
233 :
名無しさん@1周年 :01/12/22 16:01
sakikoの勝利かもな
だが、SAKIKOは実は何も言ってない。 単なる、無神論者か?
235 :
名無しさん@1周年 :01/12/22 16:57
Sakikoは幼稚。 もと日キ2世で自称卒業生だとさ。別スレにくわしく書きこみがある。 一旦キリスト教にハマルと辞めるのも大変だそうだ
236 :
名無しさん@1周年 :01/12/22 17:06
本当は賢こそうだが何者かは知らん。
237 :
名無しさん@1周年 :01/12/22 17:09
SAKIKOが言っていることは、主婦の井戸端会議の域を出てないぜ。 どうせなら、もう少し中身のあることを書き込んでもらいたいのだけどな。
238 :
小さなヨハネ :01/12/22 18:32
静思社/スウェーデンボルグ/天界の秘義3833より 「人間が真理へ導き入れられ、真理から善へ導き入れられている間に、かれ が学ぶ凡てのものはかれには明確なものではないが、しかし、善がかれ に連結されつつあり、かれが真理を善から見つめると、そのときはそれは かれに明らかとなり、しかもそれは継続的に益々明らかとなって行く。 なぜなら今やかれは事柄が存在しているか否か、またそれはそうであるか 否かについてはもはや疑いを持たないで、それが存在しており、またそれ がそうであることを知っているからである。」
239 :
小さなヨハネ :01/12/22 18:33
「人間がこうした状態の中にいると、そのときかれは無数の事柄を知り始め るのである。なぜなら今やかれはその信じ、また認めているところの善と 真理から、中心から円周へ進むようにも進むのであり、そして進むに比例 してかれは周囲に存在している事柄を見、しかも継続的に益々広く見るか らである。なぜならかれは絶えず境界を押しすすめて広げつつあるからで ある。このようにして善から真理の光は無限に増大して連続した透明体の ようなものになるのである。なぜならそのときその人間は主から発してい る天界の光の中にいるからである。」
240 :
小さなヨハネ :01/12/22 18:34
「しかし、事柄が存在しているか否かについて、それはそのようなものであ るか否かについて疑惑を持って、論争している者たちのもとでは、これら の無数の、いな、無限のものはいささかも現れはしないのであり、彼らに は凡ゆるものは全般的にも個別的にも全く明確なものではなく、何か真に 存在するものとしては殆ど認められはしないで、むしろその存在も疑わし いものとして認められるのである。現今では人間の知恵と理知とはこうし た状態の中にあり、事柄が存在しているか否かについて器用に論じること ができる者が賢い者と見なされており、それが存在しないと論じることが できる者はそれにもまして賢い者であると見なされているのである。」
241 :
小さなヨハネ :01/12/22 18:40
証明したいと思いますが私にはそれが証明できるかどうか分かりません。 私たちが「自転車」に乗ってバランスを取れることを証明するのは難しく ても、現に乗れることと同じかもしれません。あるいは、雨の日に飛行機 に乗って雲の上に行くと、太陽が見えますが、雲の下でいくら太陽が見え ないからと言っても上に行けば見えるのと一緒です。 私は以前は神を知りませんでした。しかし、今は神(父)がおられること を知っています。証明したいと思うのですが、本当は証明が出来るとか出 来ないとかの問題ではないような気もします。雲の上はとても明るい。 証明などよりも早く来る方がずっといい。私は昔の状態に戻りたいとは 全く思いません。
俺が神だ。男だから、父だな。 女の方、つまり母は忙しく働いてるよ。 じゃ。
243 :
SAKIKO :01/12/22 19:04
小さなヨハネさん。ご自身が何を書きこんでいるのかわかっているん ですか。抜書きしてその文章に酔いしれるのもいい加減にした方が いいですよ。私から(端から)みれば自己陶酔しているにしか見えません 一体なんになるんでしょうね。
頭がおかしいときに、ちょっとだけ、キリスト教の、 勉強したけど、子とは、父から発せられたもので、 人として、現れた状態を指す。ということだったと、思う。 言葉の意味が、難しいけど、理解すれば、そんなほどでも、ないよ。 私は、神道だから、父=本体、子=眷属、聖霊=そこに宿る力 と解いてしまったけどね・・・。 従って、父がイエス・キリスト自身と言う人は、 父が天で空白の間、天界の状態が、どうなっているかを、 聖書から、証明しなければならない。と聞いたよ。 この説では、それが、証明できないそうだよ。 そこのところを、小さなヨハネさんは、どう解釈するか、 だと思うよ。 もし、父がイエス・キリストの時に、 天界にも同時に存在すると言うのなら、 それは、三位一体論に、なると思うよ。 もちろん、父と子と聖霊は、同じ存在だから、 父なる神である、とも言えるとは、思うのだけどね。 確か、ユダヤ人の聖書に、アブラハムの神と、ヤコブの神と、 イサクの神というのが、出てくるんだけど、 この三者は、同じ神というのは、理解できるかな? 名前は違うのだけど、同じ存在を、指すんだけど。 それと、同じ事だよ。 この場合、ある視点で見ると、 父の神、子の神、孫の神となるけど、同じ存在だよね。
神としてはな、ま、人間がどう思おうがかまわんのだがな。 一つ言っておく。 「別に信心しなくてもよい」 日々の生活にいそしめ、小さなヨハネ。 それと、SAKIKO。キリスト教に恨みがあるらしいがほどほどにな。
246 :
SAKIKO :01/12/22 19:13
やっぱり日本のクリスチャンは変。 辞めたっていうのに月報が毎月届くし。こまるよ。
247 :
名無しさん@1周年 :01/12/22 19:14
>>246 ふーん、やめたんだ。
正解だったね!!
248 :
名無しさん@1周年 :01/12/22 19:40
ちいさいヨハネさんは発出と言う意味について理解してますか? それが鍵かも知れないよ。
249 :
SAKIKO :01/12/22 21:02
245の神さん どういう人かわからないけど、冗談がお上手な人なんでしょうね。 ご指導をありがとうございました。
>>249 いやいや、マジだぞ。
某ルシフ○ルとかとも話した事がある。
○○教会とか、○○○の証人とか、○○○○教とかの、
相手をしてやってるようなせこい眷属と違って、
美形のナイスガイだ。
251 :
小さなヨハネ :01/12/23 00:17
すみません、ご質問に対する回答は、今日もまとまっていません。少しお時間を下さい。 それから、 >248さん 「発出」というのは福音書の具体的にどの個所の言葉を指しておっしゃっておられ るのか教えていただけますか?それとも一般的な意味でおっしゃっておられるので すか?
僕とアレクに入会しましょう。 まずはメール下さい。
253 :
名無しさん@1周年 :01/12/23 00:37
>>251 公会議の決定事項における発出の意味だよ。
254 :
小さなヨハネ :01/12/23 06:52
>251さん すみません、よく知らないのです。具体的に教えていただけますか? アタナシウス信条でよければ、手元にスウェーデンボルグの本の中に日本語訳で 全文が載っていますので分かりますが・・・。それでよいのでしょうか? それと、よろしければ、251さん御自身はその「発出」をどう解釈されておられ るのか教えて下さい。そうでないと、何を反論してよいのか分からないのです。
255 :
小さなヨハネ :01/12/23 06:59
>253さんへ ごめんなさい、番号を間違えました。
私に反論する必要はないのです。 ただあなたがご存知かそうでないかをお伺いしただけのことだから。 やはり良く知っておられなかったようですね。 なら学んでみましょう。それが理解への一歩ですから。 発出という意味が分かれば父と子と聖霊は同じ存在であると 確信できますから。 多分今のあなたは私が説明しても理解する余裕は全くないと思います。 ですから説明はしません。 発出という意味が分かるようになれば、 御父=御子、御父=聖霊、父=子=聖霊であることも、 子と聖霊は発出された存在なので区別しているということも 理解できると思います。 主イエズスがいわれる「私を見た者は父を見たのである」とは、 御父=御子であるが、主イエズスは父から発出された存在である。 という証明にもなると考えてます。 ここまでは両性論と単性論の教会も確か同じ見解だったと思います。 ネストリウス派はこれと違って父>子と捉えています。 これではこの言葉は成り立たないと私達は考えています。 小さなヨハネさんは私達に対して父>子という見解を持っていると 持っているのでは?と考えていると思うけど、 御子は発出された存在ですが父=子という見解を持っています。 特にカトリックの三位一体説は父も子も聖霊を発出できると考えているので まさに父=子となります。 正教では御子は聖霊を発出できないと考えています。
257 :
SAKIKO :01/12/23 08:46
>神 美形のナイスガイがすきなんですか。 うちは港区にいるんだけど、一回夫と交えてお話しをきかせて欲しい ですね。
258 :
SAKIKO :01/12/23 09:27
>>234 私は神がいるかどうかわかりません。無神論でもありません。
強いていえば「自分教」です。頼りになるのは結局自分自身ですよ。
そういう意味で自分で「神」と名乗る人がいてもいいと思うんです。
259 :
SAKIKO :01/12/23 09:30
>>256 小さなヨハネと同じ人ですね。日本ならではのお勉強クリスチャン。
260 :
名無しさん@1周年 :01/12/23 12:56
小さなヨハネよ出て来い!! このままではサキコにやられるぞ。
261 :
SAKIKO :01/12/23 13:48
>251 小さなヨハネ 一般的に解釈をして話して頂だい。 あなたは福音書がすべてなんですね。笑。
262 :
本日の礼拝 :01/12/23 15:51
ヨハネ1・1 『初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。』 「ことば=表現(された神)」 「神=意志および想念としての神」 「聖霊=(意志、想念、および表現による)影響力」 と解き、ヨハネ3・34 『神がお遣わしになった方は、神のことばを話される。神が御霊を無限に与えられるからである。』において 意志および想念が発したことばは、神を表現する。意志が影響力を無限に与えられるからである。 と解く。 小さなヨハネさんの説に抵触しますか?
263 :
名無しさん@1周年 :01/12/23 15:53
お〜い。小さなヨハネ 自分が建てたスレぐらい自分で責任とれよ。
264 :
SAKIKO :01/12/23 15:57
本日の礼拝 クリスマス間際の礼拝って基本にもどるからね。 だからってヨハネ1・1を取り出さなくても… アナタは小さなヨハネさんの弟子ですか。
265 :
名無しさん@1周年 :01/12/23 16:00
クリスマスあたりに教会へ行っている人 寂しい人。寂しい寂しい人が集団の中に居たいだけ。
266 :
dendo. :01/12/23 16:01
>>213 はすごくいいことをいった。
ある意味、三一性というのは(人間的理解の範疇にある)表現でしかないんだと私は思う。
だからこそ filioque 問題のような差異が公会議のあとで生産されえた。
ただ、それは特定の三一性理解が不十分か正当かとかいう次元の差異が真に問題なのではなく
三一性による神性の把握によって、存在と神性に対する人間の理解の地平が
拡大される、そしてこの拡大は三一性の概念によってのみ持たらされえた、
ということが重要なんだと思う。
なるほど、理性によって把握される限りでの三一性で神は完全には把握でき
ないとしよう(まあ、キリスト教はそう教え、私もそれに同意する)
だけど、その限界を教えてくれるのは、まさに理性によって把握される
限りでの三一性だけなんだと思うよ。ゆえにこそキリスト教徒と
この宗教に好意的な思想家たちにとっては
三一性は破棄不可能な神理解の根本概念たりうるんだと思へり。
結局盲信という事と変わりが無い。 証明不能なものを真理だとしてその周りに論理の壁を幾ら積み上げて 塗り固めていったとしても、結局芯は空なんだよ。 むしろそこまで突き詰めて考えていって尚、その元々のあやふやなもの に対する疑念を捨て去ったままでいられるのかが理解できない。 選択肢は多く持っておくべきだ。そうしないと肝腎な時に自らの首を 絞める事になると思うのだが。
↑このHNはまあ、冗談としても(w 先端科学ね、色々調べてみたらどうだろうか? 完全否定してるかどうか。 常識とは裏腹に結構肯定的かもしれんよ、神の存在にはな。
269 :
大きなヨハネ :01/12/23 17:50
そうだそうだ!キリストこそ父なる神じゃ。 がっはっはっはっはっはっはっははははははははは!!!!!!!!!!!!
270 :
小さなヨハネ :01/12/23 18:24
すみません、みなさん、今開けています。パソコンが大の苦手なのですが、 年賀状を初めてパソコンで作ることになり、やっと終わりました。前に 「バカなヨハネの母」さん(10)、「1の身内です」さん(45)のおっ しゃっておられた通りです。
271 :
名無しさん@1周年 :01/12/23 19:07
結局肯定してくれる人の通りといいたいんだろ!
272 :
小さなヨハネ :01/12/23 19:17
>253(256)さん ご回答ありがとうございます。「父>子」とはどういう意味ですか? 「御子は発出された存在ですが父=子という見解」はおかしいのではない でしょうか? なぜなら、父=子なら、子も父を発出できるでしょうか?やはり、253 さんはやはり父と子に関して二体の神を考えておられます。なるほど「発出」 をこの世の人間のように、父が子を生むととらえてもいい、しかしこの世 では人間は父=子ではなく、別人です。それでも「一体」というところに その発出の捉え方は破綻があります。
273 :
名無しさん@1周年 :01/12/23 19:27
「父>子」ぐらいの常識(?)も知らないヨハネ。 父=神 子=イエス 御霊(聖霊)=イエスを受けいれた霊 の三位一体説は超基本。 だがこんなのは人間がつくった妄想だ。 これを信じているヤツは目が中に浮いているろくでなし。
274 :
SAKIKO :01/12/23 19:39
小さなヨハネさん アナタは完全に自分を見失っていますよ。 教会がますますインチキな場であるという証拠を見せつけてる! どこまで知ったら気がすむのですか? 第一、アナタはイエスが父なる神というスレをたてて断言している。 その証拠はどこにあるんですか?アナタの妄想でしょ。
275 :
SAKIKO :01/12/23 19:41
アナタというのは小さなヨハネさんですよ。 それぐらいはわかりますよね。笑。
276 :
小さなヨハネ :01/12/23 20:11
神は不可分離です。神はすべてのすべてです。神はたくさんの諸要素、 属性、働きを持たれ、私たちはそれらをたくさんの表現で呼びます。 「父」、「子」、「聖霊」も神の諸要素をそれぞれの名で表現している に過ぎないのです。 では、「発出」とは何か? 「発出」とは「現す」という意味です。人間が生まれるとき、精子に生命 があるとしましょう。その精子は卵子から身体を着、赤ん坊を現出します。 それは生命がそれ自体を「現した」のです。そしてその赤子とはその生命 本人であり、まさに「一体」です。「一体」とは「本人」という意味です。 私たちが主と呼ぶイエス・キリストとは、父が御自身を現された、まさに 父なる神御自身なのです。
くどいようだが、イエスは御使いなんだが。 神はまた別だ。 イエスは、メッセンジャーだよ。要するに。 だからと言って、その価値が下がるわけでもない。 ただ、それの弟子とかは、そのまた弟子とかは、自分流に解釈してしまったんだが。 キリスト教会が、欺瞞と偽善があるのは当たり前。人間のする事だ。 宗教団体もな、政府や会社となんら変わらんのよ、つまりは。 神の言葉から遠い奴の言葉を一つ教えてやる。よく聞くタイプの奴だ。 「わたしの言葉を信じなさい。信じないものは地獄に落ちますよ」 こう言いながら、寄進を求めたり、忠誠を求めたりし始めたらほっときなさい。 脅迫や脅しは神の言葉では無い。だから、捨て置いても全然かまいません。 意識してるか、無意識的かは知らんが、この手は事実上の「悪魔崇拝者」だからな。 来世や現世での利益をちらつかせる輩もそれ。 イエスが説いたのはな「人の道」。このようにすればみな幸せになれる、ってものだ。 だから、誰かが特に得をしたり、損をしたり、と言うものじゃないのだよ。 お題目はどうでも言いのだよ。 他人を不幸にする教義はな、どんなに立派に見えても間違いなのだ。 宗教団体に入るのならば、日常生活を犠牲にしないところにしなさい。
278 :
ふらんちぇすこ :01/12/23 23:01
小さなヨハネはがんばれ。 >神(♂) こんなとこで油を売ってないで、アフガン問題を何とかしろ。
>>278 人間の身体じゃ難しいな、ハッハッハッ。
それに、メシアの仕事を奪っちゃダメだろ。
地球は、アレの担当だよ。
280 :
ふらんちぇすこ :01/12/23 23:13
>神(♂) 君はどこ担当だ?
281 :
SAKIKO :01/12/23 23:31
>神さんのおっしゃること、少しはわかる。 集団というのはいい事がある反面汚いところが必ずある。 なぜなら人間自体に裏と表があるから。 宗教というのは表を引き伸ばそうと努力している人の集団にすぎない。 なにも集団でいなくても自分でプラス思考に考えれば済む事だと 私は思うんですよ。 >ふらんちぇすこ アナタはカトリック?プロ? あなたこそどこの担当なの?
282 :
名無しさん@1周年 :01/12/23 23:57
age
283 :
ふらんちぇすこ :01/12/24 00:01
ん?神(♂)が来ないな。 神(♂)は死んだか。
284 :
ふらんちぇすこ :01/12/24 00:02
>>281 SAKIKO
をれは2ch担当。君は?
285 :
名無しさん@1周年 :01/12/24 00:10
どこでもない。20代の主婦
>>280 俺の担当か〜??
俺の場合はあって無いようなものだな。
あ、神はなかなか死なんぞ。
ニーチェは短気だったんだな。
287 :
名無しさん@1周年 :01/12/24 12:24
>>272 ネストリウス派の神学によれば
御子は御父の類質であり同質であるとは捉えていません。
御子と御父は別の存在であると考えています。
多分小さいヨハネさんは私達の見解がこのようなものであると
捉えていると私は感じます。いかがなものでしょうか?
あなたの言葉に正しい答えがありました。
>「父」、「子」、「聖霊」も神の諸要素をそれぞれの名で表現している
>に過ぎないのです。
その言葉が出ることは予想しておりました。良かったです。
まさにその通りです。結局同じことを言っているわけなのです。
私達の知っている発出という意味が分かる時が来たなら三位一体説も
理解できると思います。
ただもう一つカトリックとの一致には関門があります。
カトリックや正教では主イエズスに神の性格だけでなく
人間としての性格があったか否かとなった時に「あった」と考えます。
これは両性説という考え方です。
私達は主イエズスを「真の神であり真の人であった」と捉えています。
「神の性格しかなかった」と捉えるのが単性説です。
単性説の教会はエジプト・エチオピア・アルメニア・
シリアなどに多くの信者がいます。
これらの教会は両性論と単性論の分裂前の五総大司教区体制の
時のように教区ごとに異なった典礼や祭日を持っています。
アレクサンドリアに教皇がいますが他の総大司教区には
力を及ぼすこともありません。
単意説という説も存在しました。これは今のレバノンで主流でした。
この説は「真の神であり真の人であった」とは考えますが
性格は「神しかなかった」と捉えていた説です。
この教会はマロン派といって今ではカトリックと合同しています。
小さいヨハネさんはどのように考えていますか?
288 :
小さなヨハネ :01/12/24 16:17
>287さん ご回答ありがとうございます。ネストリウス派の主張内容をよく知りませんが、 確かに、287さんのおっしゃる従来の三位一体説は並列的であり、父と子とは 二体と捉えておられると私は想像しております。 私は唯一人の神を想定しており、父という神と子という神がおられるとは思って いません。ですから、私が287さんと同じことを申し上げているとは思いません。 図示すれば従来の「並列的一体説」とは、(○=○=○)であり、これを△に結ん でも同じですが、私は「重層的一体説」であり、((○))となります。 287さんのご存知の「発出」の意味とはどういうものでしょうか? 譬え話をしてご説明いただければありがたいです。また、具体的に図示していただ ければ幸いです。
289 :
小さなヨハネ :01/12/24 16:20
また、主は「真の人であった」という件についてですが、おそらくかな り発想が違います。というのは、「真の人間」とは神を指していると思 うのです。私たち、所謂人間は、実はその「似姿」に造られたものに過 ぎないのです。つまり、私たちが人間の本家本元ではなく、神こそが人 間の原型なのです。どちらが陶器師で主人であるかを考えれば自明では ないでしょうか?ですから、主は真の神であり人間であるとは当たり前 のことを言っているに過ぎないのです。 現在の考えとは、レプリカ達が、主人のことを、自分たちの仲間に入れ てやろうか、どうしようかと議論しているようなものに思えます。
290 :
SAKIKO :01/12/24 16:47
小さなヨハネさん なんだかアナタが惨めに見えてしょうがありません。 神さんとかその他の人がプラス思考に生きているのに、あなたは アナタ自身を見失っていまする。(シャンパンで酔っ払い気味の私) 本当は深刻な悩み事でもあるんじゃないの?最近の教会はそういう人の 集まりらしいですよ。心が病んでいる人が教会に大勢いるらしい。。 どの角度から見てもアナタは主を賛美しているがわではなさそう。 何か不幸でもありそう。。どうしたんだろうねぇ
291 :
名無しさん@1周年 :01/12/24 17:23
自分と神の間の仲介者を取っ払っちまえば? Merry Christmas!!
小さなヨハネは主について語っているが、 まともに反論できない者が小さなヨハネ自身に鉾先を向ける。 それらはウニや昆虫に似ている。
293 :
SAKIKO :01/12/24 18:11
主について語っている・・・>292 そんなこと牧師や神父は語ってもいいとして、どうして無知な人間が 語る必要があるの?おごり高ぶるのもいいかげんにしてよ。
>おごり高ぶるのもいいかげんにしてよ。 そのことばがお前自身の証である。
295 :
名無しさん@1周年 :01/12/24 20:25
esさん。全ては天主の被創造物です。 それらを辱める物言いは止めるべきですよ。
296 :
小さなヨハネ :01/12/24 22:04
おお、そうです。ですけれど、esさんは、きっと、私をかばおうとしてわざと厳し しい物言いをされたのでしょう。 少なくともSAKIKOさんは私に同情してくださった。ありがとう。あなたの優しさは 主が覚えられるでしょう。でも、それは誤解です。私はちょっと頭がおかしいように 思えるかもしれませんが、実は、「自分を見失って」、神(イエス)を見出したので 、嬉しくてここにきたのです。 そして、あなたをはじめ、実にたくさんの方々が、イエスが父なる神ご本人であった ことをご存じないと思ったので、それを知らせたいと思って来たのです。 さっき、クリスマスのミサに行ってきました。去年行かなかったので、私にとって はじめてのクリスマス・ミサでした。たくさんの人が来ていました。しかし、皆が 実は主イエスは父御自身だったのだと知ったら、どんなに救われるだろうと思いま した。それを知ったとき、私たちは感謝の涙であふれることでしょう。 父なる神ご自身が自らこの世に降って下さったとは!!
297 :
名無しさん@1周年 :01/12/24 22:11
>どうして無知な人間が 語る必要があるの? 必要はなくとも語りたくなるのが人間の性 必要はあっても、無知な事では神父・牧師も大差なし
298 :
名無しさん@1周年 :01/12/24 22:12
>296 神とこの世(被造世界)のかかわり=第一義の接触は永遠から永遠に続いている それは、イエスの誕生において成立したものではない
>>296 (ノ´▽`)ノオオオオッ♪、呼んだか?
300 :
名無しさん@1周年 :01/12/25 02:41
小さなヨハネさん、ミサへ行かれたのですね。
初めて降誕前夜祭に預かったのですね?
>>288 仕方ありません。あなたの理解を待ちましょう。
私が説明してもあなたは理解できないと思います。
それにあなたは私達の理解がネストリウス派の捉え、
あるいはそれに類似たものだと思って見ていることは
このお答えからも明らかだからです。
これでは私達の三位一体説への理解をしたとはいえません。
父=子=聖霊という意味をそのまま解いてください。
あなたが私達に対して並立論と呼んでいますが
これでは三神一体論ですから三位一体の捉えとは全く異なります。
301 :
名無しさん@1周年 :01/12/25 03:16
>>289 この件のお答えからも全くあなたは教会で正統とされる説を
知らなかった状態で過ごされて来た理解しました。
この件についても学ばれることだと思います。
何事も疑問に思うことは確かめてみるべきであると思います。
しかし間違っているはずだからという先入観を信じたいなら
無理に学ばれる必要はありません。
そうならスウェーデンボルグ主義の新エルサレム教会は
日本にもございますので連絡を取られてはどうでしょう?
きっとあなたは納得できる信仰生活が送ることが出来ると思います。
この宗教板にはマリアさんという方がおられます。
この方は同性愛か性同一性障害という身体上の問題や
霊感体質という問題があるらしく
カトリックの信仰と自身の信条が一致できず
初期よりのユダヤ人信徒の家系であると自称しておられますが
カトリック教会から離れて神社の巫女として歩んでおられます。
302 :
名無しさん@1周年 :01/12/25 03:29
>301 納得できる信仰生活よりも救霊の方が大事でしょう、 新エルサレム教会に行くよりカトリックでいるほうが良いと思うが。
303 :
名無しさん@1周年 :01/12/25 05:08
>302この上のを見てみたら、 >先入観を信じたいなら って書いてるよね。カトリックの教義より、 教義が間違っているという先入観を信じたい人に、 カトリックにいたら救われるから、カトリックから出て行くな。 と言うのって、カルトチックに思うな。 それに、定められた教義を理解する気がないなら、 何でその教会に移らないのかが、逆に疑問だな。 なんか変な使命感感じてるような気がするな。 オカマ・マリアのように。
304 :
名無しさん@1周年 :01/12/25 06:06
一神教と多神教は、本質において同じという命題を解ける人ならば、主イエスが 父なる神かどうかという問題にも明確な解答ができるでしょう。 多神教の宗教にも、ある神を重視して、他の神を蔑ろにしてはいけないと 教えるものがありますが、これなどは効果において三位一体と同じです。 三柱の神が性質において同じであり齟齬がないということは、一神教とは 少し違ってきます。一神教は概念を重視し、多神教(三神教)は事象を 重視することになります。しかし、本質は同じなのです。
305 :
名無しさん@1周年 :01/12/25 06:07
>303 カトリック教会の外に救いなし、 ラテラノ公会議の言葉だ、 公会議の言葉がカルトチックか、 それに教会は秘蹟なんだよ、 救霊の為の恩恵が十全なんだ、 一箇所教義を理解してないからといって、 他教会に行けば良いなんて無責任だぞ。
306 :
SAKIKO :01/12/25 06:48
小さなヨハネさんは初めてキリスト降臨ミサへ行ったんですね。 聖書の解釈や神父や牧師のおっしゃることの解釈は人それぞれだから 別に父なるイエスでも構わないけどね。 私の場合は20数年間も主を賛美したのよ。私が健康で仕事に恵まれたの は、主イエスのお陰だとは思わない。すべて自分の努力。 安易に「主に守られている」という教会員がいて、その言葉にどれだけ うんざりしてきたことか。もう、20何年も持っていた聖書を捨てた。 たぶん小さなヨハネとは捕らえ方が正反対だと思うョ。
>>287 はこう言っている
| ネストリウス派の神学によれば
| 御子は御父の類質であり同質であるとは捉えていません。
| 御子と御父は別の存在であると考えています。
これは「ネストリウス派」ではなく、「アリウス派」のことではないのか――
ホモイウーシオスとホモウーシオスの差を指摘しているのだろ?
単なる書き違えなら仕方ないけど、こういう話をするときに、基本的なことで
用語の間違いがあると、話がさらに混乱するので、「知っている」と思ってい
る論者は注意して欲しい。
| あなたの言葉に正しい答えがありました。
| >「父」、「子」、「聖霊」も神の諸要素をそれぞれの名で表現している
| >に過ぎないのです。
| その言葉が出ることは予想しておりました。良かったです。
| まさにその通りです。結局同じことを言っているわけなのです。
287は三位一体説を支持しながら、こういうことを言っているらしいが、これ
では三位一体説とは全く違う見解を表明していることになる。
したがって、
| 私達の知っている発出という意味が分かる時が来たなら三位一体説も
| 理解できると思います。
上のような三位一体説とは全く異なる理解にもとづく「発出」理解をしたら、
三位一体説を完璧に誤解することになるのは確かだろう。
三位一体説の本来の発想を書いておく。三位一体説についてよく学 びもせずに勝手な解釈のもとにこれを主張したり、批判したりする 人たちがこのスレにははびこっているからだ。 父と子がホモウーシオスだというのは、私とあなたが別々の個体で ありながら、同じ人間であると言う場合の「同じあり方」をモデル にして理解すべきことである。つまり、父も子も同じく神である、 と言っているのが、本来の意味である。 これだけだと「神は唯一ではないのか」と言われるだろう。 答えの第一段階:プラトン主義的普遍理解を前提して、「私とあな たは二個体だけど、人間としては一つ」というように答える。 答えの第二段階:父・子・霊の三つは、それぞれ無限の存在なので、 互いに他を限定したり、排除したりする仕方で、存在してはいない。 むしろ、互いに浸透しあって、一つとなっている、と答える。 ただし、西方教会は以上の考え方を必ずしも適切に理解したとは限 らない。
309 :
名無しさん@1周年 :01/12/25 15:31
クリスチャンは本当に処女受胎って信じてるのですか? 本当は他の男とコソーリ寝ているのに妊娠しちゃったマリアたん。 だんなにばれちゃ困ると思ったマリアたんは悩みに悩んだ。 そんな時、一芝居打って生まれたのがキリストサマだったと言うところが有力な説だと思うがみんなどうよ?
310 :
ラジオでおなじみのはず :01/12/25 17:08
日本のキリスト教は欲望に絡んでいることが多い。 クリスマス=物がもらえるめでたい日&フリーセックスの日 バレンタインデー=女から、SEXしようと言える日 など。 外国のキリスト教も欲望まみれなのか?日本のキリスト教が特殊なのか? たかがSEXするのに、キリスト教が必要か? どうせ、あんなもの、ホルモンのバランスだよ。
311 :
名無しさん@1周年 :01/12/25 17:12
312 :
ラジオでおなじみのはず :01/12/25 17:35
キリスト教は、すぐにSEXに逃げたがるなあ。 お前の教祖は、不倫の結果のくせになあ。 はりつけ獄門をおがんで、めでたいか?
313 :
名無しさん@1周年 :01/12/25 18:17
過去、完全な童貞性を保ったまま、天に召されたキリスト教信者が沢山 いるんだから、マリア様の処女懐胎をうんぬんする必要も正当性もないジャン。 真実を語らないものは2000年も持たないよ、普通。 アメリカ国家そのものだって200年余りしか経ってないジャンか? アメリカがいつ潰れて、世界が混乱するかなんてわからないよね、現今の 世界の情勢を見るとさ。
314 :
名無しさん@1周年 :01/12/25 18:20
315 :
名無しさん@1周年 :01/12/25 18:30
>>313 >真実を語らないものは2000年も持たないよ、普通。
んじゃ、ゾロアスター教も仏教も真理なんだな。
がんばれムスリム、真理まであと300年!
316 :
名無しさん@1周年 :01/12/25 18:49
なんだよ、アホとは。そうだけど。 ゾロアスター教も仏教も真理なんだな。 >がんばれムスリム、真理まであと300年! 真理なんて、生きている間に見つけるものだ。 何代にも渡って人間社会の基盤になり得た信仰は人間の社会の中で 無視できないものだということさ。その程度だ。ゾロアスターも 仏教も信じるものにとっては真理だろうさ。社会はそれを無視しない ことだ。その限りにおいてオーム真理教のような暴走は起こりにくい。 宗教の悪を悪として明確に指摘せず、無視放置された弱小宗教団体 ほど、社会に対する暗澹とした敵意を醸成しやすいんだろうな。 真理とは、お互いの良いところを見つめ、認め合う、関わりに依拠 するところ大だと、個人的に俺は思うな。
317 :
訂正316 :01/12/25 18:50
ゾロアスター教も仏教も真理なんだな。 に引用符>付けるの忘れた。失礼!
318 :
名無しさん@1周年 :01/12/25 18:52
>>313 ププッ!「事実は小説より奇なり」って事でさあ。 マリアたんは本当にしたたかな女だよね。 だってそんな時代に女が浮気するなんて男社会の男性には考えられなかったもんなあ。 見つかったらその時代なら殺されても正当な権利として認められるだろうなあ・・・ マリアたんもウブだったから優しい口説き文句にころっと騙されてさあ。ばれるかばれないか本当に命があるか無いかの瀬戸際だよね。ほんと必死だったと思うんだ。マジな話。 男の嘘はばれるけど、女のしたたかさはたいした物だよ。世の男性はみんな俺の女は浮気しないっておもってんのかね。 こわやこわや・・・。クククク・・・・。
319 :
ラジオでおなじみのはず :01/12/25 18:53
12月25日は、本来はサタンの誕生日だったといううわさを仕入れました。 本当かうそか、教えてください。
321 :
SAKIKO :01/12/25 19:38
そうよ。憶測じゃ駄目。
322 :
ラジオでおなじみのはず :01/12/25 19:47
サタンはたしか、古代ローマの人気ある神様だったようです。たしか、専門は農業だったそうですねえ。 それを叩き潰すため、、キリストの誕生日を変更したんでしょ? なんでもしってるぜえ。 悪魔の誕生日はいつなんでしょうか?
>>322 「叩き潰した」かなんか知らんが、それは人間のした事。
神も悪魔も関係ない話じゃ。
サタンの誕生日は俺も知らん。
この地の存在ではないので、誕生日知ってもかなり無意味。
324 :
ラジオでおなじみのはず :01/12/25 19:55
神=脳内の妄想
326 :
SAKIKO :01/12/25 19:57
サタンの誕生になんか知ったって無意味だって。
327 :
SAKIKO :01/12/25 19:59
神さんはいても、神は妄想。これでいいの!
>>327 ふむ・・・(笑)。
が、まあ、一応言っておこうか。
物質的な利益をな、自らが必要とする以上は追求せん方がいい。
これはな、どんな基準で決まるかというと、
「己自身にあうかどうか」だ。
金が似合うものは金を身につけるがいい。
銀が似合うものは銀を身につけるがよろしい。
鉄が似合うものは鉄を身につければよい。
自らにあった物を求めれば良いのよ。
他人の目を気にするな。
他人の評価もあてにはならん。
己はどうか。己自身にとってなんなのか。これを常に意識する事。
独立した主体である事。
神が何故手を出さないか。これが説明になるかねぇ。
329 :
小さなヨハネ :01/12/25 21:55
>ふらんちぇすこさん 『キリスト教東方の神秘思想』今日買い求めさせていただきました。『個の誕生』 は先日教文館、サンパウロに無く、今日、岩波ブックセンターと友愛書房へ行き ましたが結局現在品切れのようでした。いつか図書館で取り寄せようと思います。 >ブルネルスさん ていねいな解説ありがとうございました。ところで、272、276、288、 289は自分で真面目に考えたものです。イエスが父御自身とすると、付随した 疑問が発生して来て、それに答える必要があることは承知しています。(それにつ いてはお時間を下さい。)それはそれとして、私の考え自体に対する公平な論評を お願いします。 伝統的な解釈と違うからとか、それは何説だからという表面的なご批評も、それは それでありがたいのですが、それでは考えが進展しません。今一歩内容に踏み込んで、 何が問題か率直にご指摘いただければ幸いです。
330 :
小さなヨハネ :01/12/25 22:22
>ブルネルスさん それから、 「ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたし たちに与えられた。権威が彼の肩にある。その名は、『驚くべき指導者、力ある 神、永遠の父、平和の君』と唱えられる。」(イザヤ9・5) を、みどりごイエスは永遠の父であると単純に捉えることは、この文章からは 間違いなのですか?
>小さなヨハネさん ふらんちぇすこさんはよい本を推薦されました。 異端的キリスト論は「なぜ」ギリシア教父達によって否定されてきたのか、ということまで踏み込んで解説してある本です。 熟読されたし。 あと、トマスの神学大全くらいなら、大きな図書館には置いてありますよん。
マリアたんは他の男と浮気して処女受胎と偽った。これにケテーイ(*゚Д゚)…ィイ!!
333 :
名無しさん@1周年 :01/12/26 02:47
キリストはただの人間。いい加減認めろ!キリスト狂信者。
334 :
名無しさん@1周年 :01/12/26 02:55
いいや!マリア様は処女なのだ。 ただ優男がヤメテヤメテとイヤイヤするマリア様におティムポを押しつけて流れ出たガマン(´Д`;)汁がマリア様の割れ目にアラ、すぽっと入り込んでしまったのだぁ! しかし冗談抜きで受精もしない卵子が妊娠するのだと未だに思っている奴がいるのだろうか?
335 :
vak ◆GA9BCNoI :01/12/26 03:02
336 :
名無しさん@1周年 :01/12/26 03:02
いいや!マリアンは半分処女なのだ。 マリアんを犯そうとした男はまず、香を焚きマリアンの意識は朦朧となった。 マリアンは眠たくなり、ベッドで寝ていると男はひっそりとその部屋にやってきた。 マリアンのスカートの裾をまくり上げ、半ば夢うつつのマリアンにこういったのだ。「私は神である。これからそなたに神の子を授ける」と マリアンにゆっくりと男はおティムポをツンツンしていく。 こうして出来上がったのが父とはまるで似もしないイエスサマが誕生したのであった。本当の父は1000人もの女性と恋に落ちたドンファンであった。
337 :
名無しさん@1周年 :01/12/26 03:03
理論上は可能よ。さて、現実にそういうことがあるかどうかは分からないわ。
338 :
vak ◆GA9BCNoI :01/12/26 03:05
ハァハァハァ・・・ハヤク・・オレサマノ・・アノ ドロドロシタ・・・イヤラシイ・・エキタイヲ・・・
339 :
名無しさん@1周年 :01/12/26 03:07
それかマリア様はとんでもない淫乱娘だったのかも。 平気で処女受胎したって言えるようなアバズレ女だったりして。 まわりの人々もみな穴兄弟でお互い苦笑いを浮かべながら、「人類みな(穴)兄弟!」だといったのだろうか?
340 :
名無しさん@1周年 :01/12/26 03:09
しかし時代背景を考えると男性の浮気はあっても女性の浮気はとても考えられないだろう。 そんなのばれたら死刑だYO。
341 :
vak ◆GA9BCNoI :01/12/26 03:11
ウゥゥ・・クッ・・・ イヤナコトヲ・・・シーットの嵐が・・・・ おまえらは姦淫(SEXとか助平なこと)いっせつしてはならん!! 俺様のヲンナに触れるんじゃない!!!!
342 :
名無しさん@1周年 :01/12/26 03:13
なぜ、信者は処女受胎を信じたがるのか? なんでその一人の女性(マリアサマ)だけにそんな不可思議な産み方させるんだよ。 おかしいじゃねーか。人類皆平等だろ? じゃあそれ以外に奇跡を起こして見せろよ。不妊症の女の人もなおしてやれよカミサマ。苦しんでる人いっぱいいるんだぞマジデ。 ホントにいるとするなら、あんたは本当に残酷だ。
343 :
名無しさん@1周年 :01/12/26 03:20
マリアサマは毎晩毎晩おティムポを前からくわえ、後ろからもくわえ、激しく、とても激しく腰を振っているのでありました。 ・・・(´Д`;)ハァ。得体の知れない物を神格化するのはけがれなき心のしるし。されどそれは無知な心なり。
344 :
vak ◆GA9BCNoI :01/12/26 03:20
いや 平等ではないよ・・・ 俺様としての評価基準は平等だが・・・それは不平等な結果をもたらす そこいらわかってもらわんとな・・・ 俺様の選びは一方的なんだよね・・・ いくらいっても主客転倒は治らないようだが・・・ 俺様はご主人様 糞は奴隷
345 :
名無しさん@1周年 :01/12/26 03:27
おれはタイムマッスィーンを作ってマリアたんを問いつめたい。小一時間ほど問いつめたい。 おれ「あんた姦淫してんだろ?ネタはあがってんだぜ」 マリアたん「(なんかの言語で)ゆ、許してください!許してください!何でもしますから」 おれ「じゃあまずおれのこれを可愛がってもらおうか」といってチャックをおろしたその中にある物を・・・以下略 こうして生まれたキリストはオレの子だったのだ。ちなみにオレはヒゲが少ないので奴のヒゲは本当は付けヒゲなんだ。 新たな史実ハケーン(*゚Д゚)…………ヒィイ!!
いいや、私が種付けしたのである。 ヘラにばれたらマリアのやつもメヂューサに変えられてしまうだろう。 おそろしや、ああおそろしや。
347 :
vak ◆GA9BCNoI :01/12/26 03:32
素直じゃの〜 だが その前がいかん! あのヲンナは俺様の専用だから・・・ダメダメ いまなら一時的錯乱で済ませよう・・・
348 :
マリアんぬ :01/12/26 03:33
カミサマ、もし私が殺されてしまったらどうか私を星座にしてまつってん。
349 :
vak ◆GA9BCNoI :01/12/26 03:35
あ〜 それと今はJAP語が通じる・・・ 少しづつ話は変化するんだよ・・・ ラン・ローラ・ランという映画を診るといい・・・
350 :
vak ◆GA9BCNoI :01/12/26 03:37
絶対評価があってね〜 俺様の掟を守るとか定めを行えば 不可能ではないな・・・・
351 :
名無しさん@1周年 :01/12/26 03:39
アナタサマには前は捧げます。ですからどうか後ろのほうを私めが ヘッヘッヘ・・・。(´Д`∩
352 :
名無しさん@1周年 :01/12/26 03:44
新スレッド 聖母マリアは本当は神々の姦淫の道具だったのだ!の巻
353 :
vak ◆GA9BCNoI :01/12/26 03:44
ヲイ 看護夫 拘束具と鎮静剤を用意しなさ〜い あと警備と助手も5−6人呼びなさい
354 :
名無しさん@1周年 :01/12/26 03:45
(´Д`∩はーい。センセイ。
355 :
名無しさん@1周年 :01/12/26 03:51
スーパーゼウス「もうヘラクレスのやつ、絶対膣で出すなよって言ったのに・・・。 人間が神の子を生んでしまったではないか」 「そうだよ俺たちだって後から入れるんだからな」 ってなにやっトンじゃい。 修道女「ここは神聖なる宗教版。穢れたものは立ち去りなさい!あ、いけません、そこは・・・そこは神の御前ですよ!ああ!」
356 :
vak ◆GA9BCNoI :01/12/26 03:57
ふーむ 古代の消えてしまった神になる妄想に取り付かれているわけだな よしよし 措置入院が妥当だな・・・・ 民族・神話板に隔離することにしよう・・・・
やれやれ・・・(苦笑)。 小さなヨハネには気の毒だな。無茶苦茶なレスばかりになった。 が、まあ、世の中には信じられないことだってあるさ。 色々あるのがこの世界だ。 あんまり決め付けるもんじゃないぜ(苦笑)。
358 :
名無しさん@1周年 :01/12/26 05:23
駄スレ化してるな。
359 :
名無しさん@1周年 :01/12/26 05:25
360 :
小さなヨハネ :01/12/26 07:00
あはは。すべては、主の許しのもとに起こります。生意気で おりこうさんぶった私にはぴったりです。 主に感謝!聖母に感謝!
>生意気でおりこうさんぶった私にはぴったりです。 キショイだけだって。
362 :
マリアんぬ :01/12/26 08:23
12月25日がサタンの誕生日だって?ちがうわよ。サンタの誕生日よアナタたち。
363 :
名無しさん@1周年 :01/12/26 08:28
おごそかな面持ちで、霊験あらたかな神聖なる聖書を読んでると神格化されていった人間の過程が分かっていくような気がした15の夜・・・。
364 :
小さなヨハネ :01/12/26 08:49
私が侮辱される事はちっとも構わない。 しかし、聖母を侮辱する事はやめなさい。 それは皆さんの母を侮辱する事と同じだ。
365 :
名無しさん@1周年 :01/12/26 08:57
何を言ってるんですか。私のお母さんは遙か太古の昔に発生した単細胞生物だよ。
366 :
名無しさん@1周年 :01/12/26 09:27
諸人こぞりて唄え祭れ〜。 真実を見つめることをせずにぃ〜盲目に従うことを選んだ信者たちわぁ〜 キリストのたわごとに従いぃ〜、海の中に沈んでいくブレーメンの音楽隊だぁ〜。 十字軍は異教徒を悪魔呼ばわりしてぎゃく殺しぃ〜、ガリレオは真理をとなえて幽閉されたぁ〜。
367 :
vek ◆GA9BCNoI :01/12/26 09:29
小ヤン・・・俺様の トコロヘアノヲンナヲ・・・・・
>>335 は見たのか・・????
368 :
SAKIKO :01/12/26 09:33
このスレまだあったのね。
>>328 年はいくつなのかわからないけど、それなりの経験はありそう。。
まさにその通りだと思いますね。
369 :
名無しさん@1周年 :01/12/26 09:44
私の母は万物に成った母なる神です。
370 :
SAKIKO :01/12/26 09:49
>369 また面白い人がでてきたね。
>>330 小さなヨハネさん、
|「ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたし
| たちに与えられた。権威が彼の肩にある。その名は、『驚くべき指導者、力ある
| 神、永遠の父、平和の君』と唱えられる。」(イザヤ9・5)
|
| を、みどりごイエスは永遠の父であると単純に捉えることは、この文章からは
| 間違いなのですか?
私は小さなヨハネさんから「質問され」、「解答する」ような立場にはおりま
せん、ということを確認した上でレスをつけます。
上記ご指摘の箇所については、いろいろな次元からの説明があり得ます。
私自身は、岩波書店からでている聖書翻訳のシリーズ中のイザヤ書の当該箇所
に、訳者関根清三が付けている注のような理解を受入れます。
つまり、この箇所は「歴史の転換としての終末における理想の王の誕生の預言」
ではあるが、とくにイエス・キリストの誕生を預言したものではない、という
ことです。
371の続き やがてダビデの王座を継ぐ王が即位する、という預言の中で、その 名が「・・・力ある神、永遠の父、・・・と唱えられる」というこ とに過ぎないので、これらの称号は、キリスト教の教義に出てくる ような、「神」とか「父」と同一視するべきではない、ということ になるでしょう。 次に、この箇所は確かにキリスト教の伝統において、イエス・キリ ストの誕生の預言として受け取られてきました。その場合には、三 位一体説を支持する人たちは、自分に都合のいいところはそのまま イエスの身分をあらわす言葉として理解し、都合の悪いところ(つ まり、まさにご指摘のところ)は、「名は・・・と唱えられる」と いうような言い回しに依拠するなどして、教義にあうように解釈し てきた、と思います。
372の続き ヨハネ福音書には、イエスが自分は父なる神の名によって来たとい うような言い回しで語るところがありますね。 「Xの名はAと唱えられる」ということは、決して「XはAである」 ことと同じではない、ということです。むしろ「XはAの信任を受 け、Aの役割を代行する」という意味になるでしょう。まあ、そう いった解釈が「あり得る」わけです。 この解釈を適用すれば、神とか父とかいう用語については、キリス ト教の用語として理解した上で、イエスを父と(神とすら)同一視 しない解釈が可能です。 以上、私は可能性について申し上げただけで、これらの解釈がいい と言っているのではありません。
374 :
SAKIKO :01/12/26 13:46
ご苦労、、、さま。
異邦人の方々、今起こっていることを良く見ていることです。 さて、御霊が諸教会に言う声といわれる方が、 >「スミルナにある教会の御使に、こう書きおくりなさい。 >『初めであり、終りである者、死んだことはあるが生き返った者が、 >次のように言われる。」 > ヨハネの黙示録2:8 >「主、イスラエルの王、イスラエルをあがなう者、万軍の主はこう言われる、 >「わたしは初めであり、わたしは終りである。わたしのほかに神はない。」 > イザヤ44:6 といいました。 これに対する明確な反論はどこにでましたか? クリスチャンといわれるかたがたは、まともに反論できませんでした。 また、ここにみられるさまざまな腐敗した言葉の数々は, 主イエスキリストが創造主であることを信じない人々のものです。 これらの人々の精神がどんなものであるかが,今明かされました。 私は満足です。真理は語られました。
376 :
SAKIKO :01/12/26 14:05
>es よく見ましたョ。 >さて、御霊が諸教会に言う声といわれる方が、 ・・・ヨハネの黙示録 ・・・イザヤ といいました。 *反論します。それが御霊がいう声でもなんでもありません。 アナタは聞こえたのですか?聞こえたのなら幻聴ぎみです。 >主イエスキリストが創造主であることを信じない人々のものです。 *イエスって創造主?これも嘘。 >真理は語られました。 *そんなのは真理ではありません。未熟者のアナタの妄想にすぎません。
377 :
名無しさん@1周年 :01/12/26 17:23
まりあたんに神聖さを期待したいのは非常によく分かるのですが・・・。 史実とはそんなものですよ。 あなたたちは非常に道徳心も信仰心も高そうで利己主義の現代人とは一線を画していると思いますし、そのようなあなた達を尊敬していこそすれ、バカになどしてはいません。 ただ、そうであるばかりにあなた達が不憫でならないのです。 聖母を汚すような発言、本当にすいませんでした。ほんとうに。
>>375 es は次のように言いたかったのだろう:
ヨハネの黙示録2:8では「初めであり、終りである者、死んだことはあるが生
き返った者と言われているのは、イエス・キリストである。
しかるに、イザヤ44:6 では
>「主、イスラエルの王、イスラエルをあがなう者、万軍の主はこう言われる、
>「わたしは初めであり、わたしは終りである。わたしのほかに神はない。」
とある。
したがって、イエス・キリストこそが、「初めにして終わり」であり、「万
軍のヤハウェ」であり、「唯一の神」であることになる、
と。
三位一体説を主張する人たちは、伝統的教義に従っている限り、上のことを一
つも否定せず、むしろ認めるのです。
だから、「これに対する明確な反論」などどこにもあるわけがありません。
また、三位一体説を主張する人は、
「主イエスキリストが創造主であることを信じない人々」では決してなく、創
造主であることを明確に主張します。
ですから、es 氏は375の書き込みによって、空を相手に拳闘しているだけであ
ることを顕わにしていることになります。
空虚を相手にして「真理が語られた」と満足しても仕方ないんじゃない?
*なお、私自身は三位一体説を支持しているわけではないことを申し添えます。
379 :
SAKIKO :01/12/26 20:00
いいたいことは大体はわかりましたよ。 ただそれは全てesの妄想です。生活の上ではなんにも役に立ちません。
380 :
ラジオでおなじみのはず :01/12/26 20:35
一度聞こうと思ってたんだけど、黙示録って、何が書いてあんの?予言? だったら、宝くじの当選番号、どっかにのってんの? ちなみに、子供のとき、富士山の爆発予言がはやったなあ。
381 :
vak ◆GA9BCNoI :01/12/26 20:40
黙示録は新旧聖書の予言書の目次なんだな〜これが お利口になった? あとは返事はしないよ・・・お前はハヤク消えな!!! 神田あたりにデムパ快感とかあるからそこで思う存分語れ・・・
382 :
SAKIKO :01/12/26 20:45
すごい捨てゼリフ。やめなよ〜。>vak
383 :
vak ◆GA9BCNoI :01/12/26 20:50
俺様は 嫉み 恨み 怒り 復讐 報復 する・・・ そこから逃れられる糞はいない・・・・
384 :
SAKIKO :01/12/26 20:52
汚すぎるよ。
ま〜、神はいっぱいおるな〜。 ホント多いね、神は。 画像板にも時々降臨するし。
386 :
vak ◆GA9BCNoI :01/12/26 20:54
失礼な!! 清潔だよ俺様は・・・舐めてみる〜
387 :
vak ◆GA9BCNoI :01/12/26 20:59
>>385 は周りの変化に鈍感なようだな・・・・・
掃除が行き届いてきたことに気がついていないようだ・・・
本当に消えたやつはどれくらいかな???
388 :
SAKIKO :01/12/26 21:03
>386 嫌!絶対に嫌!
390 :
名無しさん@1周年 :01/12/26 21:55
それなら・・・それならマリアたんのおしりをつかってえ〜!(*゚Д゚)…………ィイ!!
391 :
vak ◆GA9BCNoI :01/12/26 22:01
その趣味は今のところない! で sakeはどうするのかな? 嫌嫌なんて2回・・・それじゃ 嫌もいやも好きのうち・・・ と 解釈できるぞ 日雇い妊婦の以外にキレイナ・・・ 今が試すチャンス!!!
393 :
名無しさん@1周年 :01/12/26 22:23
三位一体とは「前から一本くわえ、後ろから二本ぶち込んだ」状態のことですよ。 みなさん。勉強になりましたか?
394 :
ふらんちぇすこ :01/12/26 23:19
シモネタスレになったな。 小さなヨハネが気の毒だ。めげずに頑張れ。>小さなヨハネ。
395 :
小さなヨハネ :01/12/26 23:21
聖母を侮辱することはやめなさい。それは自分の母を侮辱することと同じだ。 かりにそう皆さんが思わないとしても、他人の母を侮辱することもやめなさい。
396 :
小さなヨハネ :01/12/26 23:23
ああ、ありがとう!ふらんちぇすこさん。
397 :
小さなヨハネ :01/12/26 23:28
>ブルネルスさん ありがとうございます。しかし、よく分からなくなってきました・・・。 三位一体説を唱える人は私やesさんの主張することを否定しない、とい うなら一体何が問題だというのですか?少なくともこのスレッドを立てて から、私は反対を受けてきたように思います。イエスは創造主だが、父で はないということですか? それから、ブルネルスさん御自身は三位一体説ではないとおっしゃって おられるように受け取ったのですが、ではどう捉えておられるのですか?
398 :
dendo. :01/12/26 23:30
>>395 あなたの三位一体説には前に書いたとおりまったく同意できないが
でもこの糞スレ化したスレにふみとどまって頑張っているあなたに
素直に経緯を表したい。
399 :
ふらんちぇすこ :01/12/26 23:32
>>小さなヨハネ こんなになっちゃったら、流石に泣いてるかもなと思ってね。 小さなヨハネは案外と強いな。
400 :
ふらんちぇすこ :01/12/26 23:37
>>397 小さなヨハネ
君が考えていた「キリスト教の三位一体」の姿に誤りがあったからね。
ブルネルスさんや多くの人が言うのは、「キリスト教徒の考える
三位一体とはなにか?」ということだよ。だから「スウェーデンボリの考える
三位一体」は否定しないが、「キリスト教徒はこう考える」ということを
説明している。ということ。
あとブルネルスさんはおそらく哲学的立場から、三位一体の思想を
見ていると思われ。
401 :
ふらんちぇすこ :01/12/26 23:44
を。400をとったぞ。
402 :
マリアたん :01/12/26 23:50
七味痛ーい!
403 :
名無しさん@1周年 :01/12/27 00:10
でもホント強情だな。みなさん。 私の母は私を生んだおかんであり、みなさんの母はあなたを生んだおかんであり、キリストの母はマリアたんであり、マリアたんのおかんはマリアたんを生んだおかんであり、 それを突き詰めると古代に発生した単細胞生物であり、生物の母は無生物であり、地球である。地球の母は宇宙である。 この連鎖から解き放たれるのは不可能なのだよ。おーっと、試験管ベイビーがあるとか言うなよ。ベイビー。 信じることとは疑うことなく身を委ねることである。心の安らぎは得られるかもしれないが、科学は疑うことから生まれるのである。 それでも人は信じる生き物であり、精神的な存在を信じるように設計された生物なのである。 それを否定しようとする学問は不毛であるが、キリストが唯一の神の子だとは思えない。 他の宗教でも他の人々に与える影響は立派に果たしてきているのだし、神はいると個人的に思うが、キリストが全てではないはずだ。 ・・・でも私は、小さい頃から教会とあのパイプオルガンの奏でる荘厳なる雰囲気が好きだ。いや、むしろ愛してる。いや、ほんとうにだいちゅきさ!エヘ(・∀・) ・・・でも宗教とは人が信仰を求めようとする証である。様々な宗教、求める答えはみな同じ。
>>小さなヨハネ
イエス=神の御使い
神はな、また別。しかし、三位でできている。
これが俺の見解。
ま、でも色々あるみたいね。見解は。
>>387 俺はここには詳しくないもん。
>>397 小さなヨハネさん
|私は反対を受けてきたように思います。イエスは創造主だが、父で
|はないということですか?
そういうことです。三位一体論者は、「父は神である――イエス・キリストも
神である」&「神は唯一である」とは言いますが、
「イエス・キリストは父である」は否定するのです。しかし、「子(=イエス
・キリスト)は父であるところのものである」とは(以前、ふらんちぇすこ氏
が引用してたと思うけど)認めるのです。(「父であるところのもの」はもし
かすると訳としてまずいかもしれない――「父がそれであるところのもの」な
のではないかな――いずれ原典を調べておこう > ふらんちぇすこ)
かつ、三位は(三つの別々のではなく)一つの意志、一つの能力、一つの働き
を持つので、父が創造主であれば、子も、霊も創造主だということになります。
三人の人間は互いに相手を排除しあってべつべつに存在するあり方をしてます
が、三位は「互いに互いのうちにある」と説明されます。互いに排除しあうの
ではなく、「浸透しあって」いるのですね。(私は人間同士の間にも、この浸
透しあうというモデルを適用することによって、共生のあり方がよりよく説明
できるなどと思っているのですが)。
405の続き: 三位はしかし、互いに区別されます。 子は父から「生まれた」ものですが、父はどこから「生まれた」 ものでもありません。霊は「父から(西方教会は、ここで「および 子から」と付ける)発出した」ものですが、父はどこからも「発出 しません」。 ただし、「生まれる」とか「発出する」ということを私たちが理解 するのは、私たちの身の回りに起っていることをモデルにしてのこ とで、あくまでも人間がそう言い表すしかない、ということなので すがね。 働きの共同性については、すべては「父から、子を通して、霊にお いて」なされるというように、三者を区別する定式が語られます。
407 :
名無しさん@1周年 :01/12/27 14:38
406の続き:
以上のことは、小さなヨハネさんもたしか入手された
「キリスト教東方の神秘思想」第3章に出ている。
>>397 |それから、ブルネルスさん御自身は三位一体説ではないとおっしゃって
|おられるように受け取ったのですが、ではどう捉えておられるのですか?
新約聖書に含まれる諸文書の見解を見てみても、イエスをどう理解するかは、
まちまちです。大方の傾向としては、著作年代が下るほど、イエスの神格化が
進む、という常識的推測に沿ったものとなっていると思います。
「イエスはメシア=キリストである」という理解は共通しているでしょう(こ
の共通理解の故に、グループとしてのまとまりがあるのですから)。ただし、
「メシア」ということでどういうことを理解しているかには、バリエーション
がありえます。
パウロは、イエスを「神の子」「神のエイコーン(=似像)」として、特別な
存在だと考えてました。この地上に生まれる以前から、神の子としてあった、
と思ってます。しかし、神の子ではあっても、子なる神とは思ってません。
イエスは信仰の対象でもありませんでした(と私は結論してますが、これを証
明するには相当の紙数を要します)。
408の続き: パウロ自身の408に指摘したような理解とは異なり、 *使徒行伝の著者は、パウロに「主イエスを信じなさい」と語らせて います。また、 *テサロニケ第二(これはパウロ自身の書いたものではないと考え ます)では、「神にして主なるイエス・キリスト」といって、さらに は、「父なる神にして主なるイエス・キリスト」という思想をもって いたのではないか、と思わせる表現がでてきます。 つまり、後代になって、「実はパウロはイエスを信仰の対象として いたし、神とも考えていたのだよ」と読者に思わせたい人がでてき たのです。 使徒行伝とセットになっている著作であるルカ福音書では、イエス 誕生を確認した羊飼いは、赤子イエスを見はしましたが、礼拝はし ませんで、「神をあがめ、賛美し」たのです(ただし、24:52では 礼拝の対象になっている)。 が、マタイ福音書のイエス誕生に際しては、東方の博士たちは、 「ひれ伏して幼子を拝」んだことになってます。(この論点は自信 ありません)
409の続き: ヨハネ福音書では、イエス・キリストは、父なる見えない神を顕わ した子なる神であり、ヤハウェと同一視されている、ということは、 以前に書き込みました。 ただし、父と子とをはっきり区別した上で、両者が一つであるとい う主張をしているので、三位一体論者にとってはまことに都合のい い文言がちりばめられています。 以上、私が言いたかったのは、イエス理解は新約聖書内でも様々だ ということ、だんだん地位が高まって、ついには神とまで考えられ るようになったということです。三位一体説はその延長上で考えだ された理論である(理論に過ぎない)――しかし、なかなかよくで きた理論であって馬鹿にはできないなあと、またふらんちぇすこ氏 が言ってるように、個体とか存在とか人間とかを考える際に、新し い発想の源泉になり得るほどの思想的水準を持つ考えが、この理論 をめぐっては展開されているなあ、という感想です。 #ただし、神には、人知を越えた見えなさや沈黙こそが相応しいの であって、この世に現れただの、未来には神の支配が現れるだのと いった、人間の欲求に合わせたプログラムの主張は、神を人間の尺 度に合わせて低く見積もるものではないか、と疑ってもいるのです。
あら、面白いスレッドが立ってるわね。 年末年始の準備は一応終わらせたし、ちょっと一休み。 そうね・・・。イエズスは父なる神である。 ある目から見ればそうとも言えるし、違うとも言える問題でしょうね。 キリスト教徒の世界では、この考え方が主流だし、 あたしも支持してきた説ではあるわね。 双方が頑なにならずに解けば、どうってことない話しなんだろうけどね・・・。 あたしは、神道に移ってしまった人間だから、 同じことを言ってるのに、何をもめているのかしら?と思ってしまうわ。 双方の理論とも、天主を天主と認めているからね。 それに、反三位一体論のスウェーデンボルグ主義支持の方の発言が、 最終的には、三位一体論が行き着くだろう答えと同じ事だったりして、 大変面白いわね。 そうね・・・。もう忘れかけてるから間違っているかも知れないけど、 この問題は、三位一体論は天主の本体を父と捉えるとして、 この父と共にあった言葉が人の姿となって 現れてきたイエズスを、子と捉える。こういうことなのよね。 父なる神という存在と、これと共にあった言葉は、 子となった段階で別の存在かと言えば、どうなのかしら?と思うの。 あたしは、非常に人間的な理解であるけど、 父と子は同じものだと捉えるわね。 何故なら、あたしの発した言葉があたしの言葉でなく、 別の存在だとしたら、非常に困ったことになるもの。 あたしの言葉は、あたしから発せられるものであり、 他の存在に変化するということは、ないものね。 また、他の例えを使うとすれば、あたしの右手は、 あたしの右手だし、他の何者でもない。 あたしの右手を単に右手と呼べば、 右手が別のものに変化するということはないものね。 また逆に、父なる神は本体を指すともいえるわね。 子の発出元も父であり、聖霊の発出元も父であるものね。 子も天主の一部分であるし、聖霊も天主の一部分であるわね。
分体って意味なら、そうかもね〜。 まあ、でも程度を問わなければ人間はみんな神の子だ。 俺は・・・・・・。 (-_-)ウーム。 あ、そうそう、マリアさん。 待ち人来ました?
411 マリアさん、 |あたしは、非常に人間的な理解であるけど、 |父と子は同じものだと捉えるわね。 | |何故なら、あたしの発した言葉があたしの言葉でなく、 |別の存在だとしたら、非常に困ったことになるもの。 |あたしの言葉は、あたしから発せられるものであり、 |他の存在に変化するということは、ないものね。 いやいや、さすがにマリアさん、考える仕方が正統ですねえ。西方教会の伝統 に従って、「ことばを語る」という場面を引き合いにだすなんざあ、アウグス ティヌス、アンセルムス、トマス・アクィナスあたりにのっとってますなあ。 で、まっとうにレスをつけさせていただきますと: 「あたしの言葉」は「あたしから発せられる」ものですから、たしかに「あた しの言葉」以外の何かではない、というのはその通りだと同意します。 では「あたしの言葉」は「あたし」と同じなのでしょうか? 「あたしの言葉」は「あたし」自身ではなく、「あたしから発した」「あたし の言葉」なんじゃあないでしょうか?
414 :
ふらんちぇすこ :01/12/27 19:34
を?重量級のスレになってるな。 しばらく静観。
415 :
名無しさん@1周年 :01/12/27 19:40
ほんまじゃぁぁぁ。 みんなでボクを無視しやがって・・・・。(*゚Д゚)…………ィイ!! マリアたんを穢してやるけがしてやるケガシテヤルゥゥ⊂(´Д`⊂⌒`つ
416 :
ふらんちぇすこ :01/12/27 19:48
>三位一体論者は、「父は神である――イエス・キリストも神である」& >「神は唯一である」とは言いますが、「イエス・キリストは父である」は否定するのです。 >しかし、「子(=イエス・キリスト)は父であるところのものである」とは認めるのです うむ。エクスプローラーを開くと出てくるファイルのツリー構造とはまた違うって こったな。 >(「父であるところのもの」はもし >かすると訳としてまずいかもしれない――「父がそれであるところのもの」な >のではないかな――いずれ原典を調べておこう > ふらんちぇすこ) スマソ。頼む。
417 :
小さなヨハネ :01/12/27 21:27
ブルネルスさん、どうもありがとうございます。先輩にこう申し上げるのは失礼で すが、ブルネルスさんの解説にはとても誠意を感じました。ブルネルスさんは、マ リア・ワルトルタをお読みになられたことがありますか? 私は、ブルネルスさんにあの中に出て来る「ガマリエル」を連想しました。彼は当代 随一の学者で、誠意のある立派な人格者だった、しかし、今一つ釈然とせず、イエス を信じきれなかった・・・。(主の死後、ついに彼は主を信じて、聖母を訪ねて告白 します。) マリアさん、はじめまして。しかし、実は一度だけ、どこかのスレッドで以前お会い したのではないかと思います。私が三位一体を「太陽」に譬え、「本質である燃える 火」、「その輝く姿」、「発する熱と光」、それが「父」と「子」と「聖霊」ですと 書いたところ、あなたは、なるほどと納得してくださったような記憶があります。 あなたは「表象」(=譬え、相応)ということを理解されておられます。 神(♂)さん(・・・ふらんちぇすこさん?)もありがとう。 あなたが、主イエスが父なる神であったことに気がつくときが来ることをお祈りし ます。 415さん、聖母を穢すことはおやめなさい。聖母はあなたのことも祈っておられ ます。あなたはそれを知らないでしょうが、私はそう信じています。
基地害病院の談話室みたいだな )藁
>>413 あたしにとってみれば、本当のことを言うと
ある人がイエズスを、父なる神と言おうが、
三位一体の子のペルソナであると言おうが、
父の類質であると言おうが、
はたまた神と眷属の関係と言おうが、
神と預言者の関係と言おうが、どれも同じ「天主からのもの」なのよね。
>では「あたしの言葉」は「あたし」と同じなのでしょうか?
あたしの見方では、あたしの言葉は、
あたしから出たのだから、あたしの一部となるわね。
そして、それもあたしではあるから、あたしと同じものとも考えられるわね。
何故なら、あたしの中のある意思を表す言葉であるからね。
ただし、神の場合は(またいつものあたしの怪しい話になるけど)
ちょっと人間とは違うのよね・・・。
この場合に限ると、本体の意思をそのまま写す鏡でもあるのよ。
けど、天主の意思というのは、人間の言葉という一定の制限下では、
語り尽くせないものではあるからね。
それでね、一つのものを見るのに、色んな見え方があるとは思うの。
ユダヤ系統の宗教は、天主からの流れを「創造」と見えるし、
あたし達神道の流れでは、単体で現れる現象が神が現れたと見るし、
結合して現れる現象も、男女の神が
新たな神を産んだというふうに見えるしね・・・。
だからね、あたしは諸説を簡単に否定はしたくないわね。
その人には、そんなふうに見えたというところでね。
それから、ブルネルスさん。
あたしの言うことなんて、たまたま浮かんだことよ。
でも、母方の一族からの影響は素直に認めるわ・・・。
>>412 あら、神様。嬉しいわ。
来たと言えば来ただろうし、
まだまだと言えばまだまだって感じよ。
神様の説も、あたしは神道だから良く理解できるわね。
>>417 まぁ、色んな考えがあるということで、
三つの神が合わさって天主が形作られているというのが、
三位一体論という理解をされているようだけど、
あたしはそんなふうには理解しなかったわね。
他の人に、三位一体でなく父なる神だと認めさせたいようだけど、
それは見え方の相違ということで、深層の本質は同じだから、
あなたは別にそれを勧めなくていいのよ。
それが正しいと思う人は、勝手に集まってくるものよ。
それに、宗教の世界の理論と言うのは、
深層で一致する理論においては、
他の理論がおかしいとは、簡単に決めるべきではないわね。
それより、一致できる点があるか否か、探るべきよ。
正神のものの場合は、なぜかしら一致する仕組みになってて、
面白いものよ。
カトリックと他の教会の神学における話し合いなんかが
進んでいるようだけど、
単性論やネストリウス派との話し合いも、
ゆっくりとだけど、確実に進んできているわ。
人間は、あたしも日々好き放題言いたい事言ってから、
反省させられるところだけど、
色んなものを探って一致点を見出してみるのは、
隠れん坊で隠れている人を探し出すようで、面白いものよ。
探求の旅に出て御覧なさい。
>417 小さなヨハネさん、 その小説は知りませんが、ガマリエルになぞらえられたら、光栄のつきあたりで、畏縮 してしまいます。単に説明好きというだけでして・・・。ふらんちぇすこの眼も光って いるしね。 >419、420 マリアさん、 はあはあ、なるほどねえ。いや、なんか議論しかけるような言い方をしたのは、私の 理解不十分でした。 結局はおっしゃるような、見方のバリエーションによるものなのかもしれません。 そもそも、私自身が奉じてない主張を、しゃかりきになって説明しようというのが、 おかしいことでしょう。 お話できて幸いでした。 >414 ふらんちぇすこ こんなふうに終息させてしまっては、ご不満ですかねえ
422 :
ふらんちぇすこ :01/12/27 23:45
え?終り? 原典はどうよ?藁) 収穫の多いスレだったな。保存しとくよ。
三位一体だが分離する事もできる。 が、本質をわけると、三つまで。他は分体、って事になるなぁ。 だから、三位一体、というのが俺の見解。 まぁ、分かれて出たものも、形質は受け継ぐしね。 神って言えば神だ。似たような事しか言わないだろうし。 ああ、俺のは一般の説と結構違うかも・・・(苦笑)。
>422 いや、マリアさん相手に子供みたいにつっかからんで終息するという意味でし てね。原典の話は終わってないさ。 小さなヨハネ相手もね。
425 :
小さなヨハネ :01/12/28 00:26
(ウェルカム!・・・ブルネルスさん。) 皆さんが主イエスこそ唯一の父その方であることに気がつかれますように。 それは、とても大切なことなのです。「主を畏れることは知恵の始まり」 (箴言1・7)とは、そのことをさします。キリスト教にありながら、 それが薄々でも認識出来なければ救われることは極めて難しいでしょう。 「商人が良い真珠を探している。高価な真珠を一つ見つけると、出かけて 行って持ち物をすっかり売り払い、それを買う」(マタイ13・44)。 「真珠」とは真理のこと。「高価な真珠」とは主が父なる神であるという真理 の中の真理のこと、「高価な真珠を見つける」とはそのことに気が付くことです。 それが分かった人は狂喜して、それまでの自分の間違った考えをすべて捨てて しまうという意味です。 「主に贖われた人々は帰って来て、喜びの歌を歌いながらシオンに入る。 頭にとこしえの喜びをいただき、喜びと楽しみを得、嘆きと悲しみは消え去る。 わたし、わたしこそ神、あなたたちを慰めるもの。」(イザヤ51・11、12) 天のエルサレムの門は「真珠」でできています(黙示録21・21)。その 「真珠の門」をくぐらなければ、天には入れないのです。
426 :
御霊が諸教会に言う声 :01/12/28 11:50
偽善者たちよ、イザヤがあなたがたについて、こういう適切な預言をしている、 『この民は、口さきではわたしを敬うが、その心はわたしから遠く離れている。 人間のいましめを教として教え、無意味にわたしを拝んでいる』」。 マタイによる福音書15、7〜9 カトリックとプロテスタントがこの2000年人類に行ってきた 行為は口先の信仰と真理を追究し、世の中を良くしようと 善のために批判をしたり、真理を世の中にあたえようとして 権威と戦ってきた多くの神の意思を受け継いだ預言者たちを 排斥し、魔女や悪魔として殺してきました。 「ああ、エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、おまえにつかわされた 人たちを石で打ち殺す者よ。ちょうど、めんどりが翼の下にそのひなを集める ように、わたしはおまえの子らを幾たび集めようとしたことであろう。 それだのに、おまえたちは応じようとしなかった。」 マタイによる福音書23:37 この言葉はユダヤ人に言われた言葉ですが、あなたがた カトリックとプロテスタントにも言われている言葉です。
>>426 おっ、なるほどねぇ〜。
で、あんたはなんだ?
正しき預言者一人あげてみな。
428 :
御霊が諸教会に言う声 :01/12/28 12:05
「うわべで人をさばかないで、正しいさばきをするがよい」。 ヨハネによる福音書7:24 あなたがたカトリックとプロテスタントは自分以外の 宗教や国民や文化を認めず伝道の名目で神を利用して 他民族を善人でも美しい心をもっていても殺してきました。 あなたがたは悪人でもカトリックとプロテスタントの 信者であればかくまい、善人でも、子供でも他宗教の 信者や他民族の人々を排斥してきました。善悪の判断は うわべでしてはいけません。他民族であっても、他宗教の 信者であっても、多文化を持っていても善を持っているのか 本当のことを愛しているのか、悪人か、美しい心を持っているか そのようなことで判断しなさい。他宗教の信者がやっているとか いう言い逃れはやめなさい。もしそれを言うなら、キリスト教 信者というレッテルははがして、名前を変えなさい。 神様はうわべで物事を判断されるお方ではありません。 「自分たちの父にはアブラハムがあるなどと、心の中で思ってもみるな。 おまえたちに言っておく、神はこれらの石ころからでも、 アブラハムの子を起すことができるのだ。」 マタイによる福音書3:9
俺はカトリックでもプロテスタントでもない。 ある意味、無宗教だ。
425 小さなヨハネ
|(ウェルカム!・・・ブルネルスさん。)
んなこと言われたって
>>425 はただ「真珠=真理=イエスが父なる神である
こと」と断言しているだけで、この断言はあなたが根拠とする聖書に、まった
もとづかずに、ただその言葉をちりばめてるだけでしょ。
この発言は何の効力ももちませんし、コメントの仕様がない、またはすでに書
いたことで尽きてます。なんか、これまで書いてきたことがすごい無駄だった
という感じです(いや、同意せよと言っているのではないですよ。ちゃんとこ
れらに対して応じることを書いてくれと言ってるのです)。
小さなヨハネ氏は、対話する気があるなら、こういう無駄口はやめたほうがい
い。人の言うことは検討しようともせず、ただ自分が信じ込んでいることを一
方的に語りたいのであれば、勝手にやってください。私は降りますから。
431 :
名無しさん@1周年 :01/12/28 14:57
ややこしいスレやねえ
433 :
ふらんちぇすこ :01/12/28 15:11
あああ。 ブルネルス怒っちゃ駄目。。。 とはいえ、小さなヨハネ。 思考がループしてるのは確かだ。 「気づきますように」ったってな。 君にとってはすこぶる大切かもしらんが、こちとら余計なお世話的なこと。 悪いけど。 むしろ、ここでは、イエス=父なる神が正しいということを、 「正統」とされている伝統的なキリスト教の「三位一体」を 論破することで、証明してみせるべし。と思うが? をれは能力ないから絶対出来ないけど。。。
434 :
御霊が諸教会に言う声 :01/12/28 15:33
『わたしが好むのは、あわれみであって、いけにえではない』 とはどういう意味か、学んできなさい。 マタイによる福音書9:13 ローマ法王がいくら歴史的カトリックの罪を口先で懺悔をしても カトリックがやった世界中の国民、民族、文化に対する 排斥は許されることではありません。 あなたがたは自分たちの権威が失墜することを恐れ どれだけ多くの霊的な女性を魔女として火あぶりにしましたか? 彼女らの人生半ばで殺される無念、何も悪いことをしていな いのに排除される悲しみ、火であぶられる痛みや苦しみ はどれくらい大きかったか?カトリックの指導者、信者は 永遠に懺悔をしなければいけません。彼女らの血の責任は カトリックにあるからです。あなた方は霊的であるという ことだけで何も悪を行っていない女性達を無理やり捕まえ 火であぶりで殺したのです。どれだけの霊的な女性を火あぶりに しましたか?その人生を返してあげなさい。返せないでしょう。 このような何も悪いことをしていない女性を霊的だと いうことで、自分達の組織の権威を守るために大きな悪を行えば 永遠に償うことが出来ないのです。あなた方カトリックのやった 行状はもっとあります。その一つをとっても償うことが出来ない 大きな罪です。ローマ法王が口先で歴史的過ちを懺悔した ところで、あなた方に火あぶりにされ苦しみ死んで行った 霊的な女性の一人の血のあがないにもなりません。 「あなたの家を思う熱心が、わたしを食いつくすであろう」 ヨハネによる福音書2:17
435 :
ふらんちぇすこ :01/12/28 15:37
>>434 そういうアジテーションは、カトスレに書き込め。
436 :
御霊が諸教会に言う声 :01/12/28 16:34
「あなたの家を思う熱心が、わたしを食いつくすであろう」 ヨハネによる福音書2:17 真理を追究し、世の中を良くしようとした科学者を 宗教裁判にかけ、どれだけの人間を殺しましたか? 神の道を伝道するという御旗により、無垢なインカ帝国の 多くの人々を惨殺した責任はカトリックにあります。 もし、インカ帝国の人々の心を理解できる人間であれば その美しい自然をいとおしいと思う人間であれば このような残虐な行為はしなかったのです。 もし、神がカトリックの中におられたら、このような情の無い 行いはできません。アフリカ人を奴隷として売り買い し、人間なのに人間とは思わず、動物のように あつかった行為はカトリック以外は人間ではないと 思っている証拠です。 「うわべで人をさばかないで、正しいさばきをするがよい」。 ヨハネによる福音書7:24 カトリックとプロテスタントは今までの行った多くの罪は 懺悔できないほど大きいので、口先で懺悔をしても許されることは ありません。組織を解体するかあるいは本当に真理を追究し 善を行える信者を作る組織にしなければいけません。 現代は昔と同じです。ただ、科学文明があなた方を押しのけた だけです。また、あなたがたに権力が戻れば同じように 霊的女性を火あぶりにし、真理を追究する科学者を宗教裁判に かけ殺し、キリスト教以外の文明や文化は滅ぼし、 多くの犠牲者をだし、自然を破壊します。あなたがたは この地球から見ても、最悪の人間です。 ボランティアや形の善など無意味な行為です。あなたがた カトリックとプロテスタントは見える善しか出来ません。 見える善はその時はいいが、後では不幸を呼びます。 真理や英知を伴った見えない善を行わなければいけません。 現代のカトリックやプロテスタントでは見えない善はできません。 神がいなくて死んでいるからです。 「 それは、あなたのする施しが隠れているためである。 すると、隠れた事を見ておられるあなたの父は、報いてくださるであろう。 マタイによる福音書6:4
>>436 あなたの好むような団体でもつくるスレでも立ち上げたら?
激しくスレ違い。
438 :
御霊が諸教会に言う声 :01/12/28 17:06
カトリック、プロテスタントのウイルスは 明治以降の日本人にも、都会的なアフリカ人にも アジアの人々にも伝染しています。カトリック、プロテスタント ウイルスの特徴は何かを書きますので、これをみて 自分はカトリックプロテスタントウイルスに犯されているか いないかを調べてください。 カトリック、プロテスタントウイルスの特徴 1、文字と言葉と組織と儀式を普遍的真理より愛する 2、隣人愛より、自己愛を優先する 3、自然より人工物を愛する 4、ボランティアのような単純な善を愛し、深い善を嫌う 5、科学知識が唯一の真理と信じる 6、人間や物事をうわべで判断し、目的や内側で判断しない 7、霊や死後の世界や真理や善を排除する 8 このようなものがカトリック、プロテスタントウイルスに 犯された人間の特徴です。自分達はカトリックでもプロテスタント でも無いと思っていても、実はそのDNAを持っていればカトリックであり プロテスタントなのです。
なんでジーザスはユダヤ人で非白人なのにキリ系白人って 有色&ユダヤを差別するの???
440 :
名無しさん@1周年 :01/12/28 18:17
白人選民説はユダヤ人選民説をぱくっただけのもの。
441 :
名無しさん@1周年 :01/12/28 18:22
>>438 正教や単性論やネストリウス派はどうなのだろう?
442 :
名無しさん@1周年 :01/12/28 18:32
本日、夜9時から、「エクソシスト」(デジタル編集版) が、放送されます。皆さん、見ましょう。 これは、実話を元に作られています。 少女の首が一回転する以外は、本物とさほど、 変わりありません。 映画では、最後に、神父が死にますが、 実話のほうでは、大天使ミカエルが、イースターの日に 助けに来て、悪魔に取り付かれた少年が救われています。 彼は、今でもアメリカに住んでいます。
443 :
名無しさん@1周年 :01/12/28 19:36
イエスさまのおティンティンを・・・おティンティンをいれてぇぇ!!!!
444 :
beck ◆GA9BCNoI :01/12/28 19:46
だから〜 今のところその趣味はないの・・・・
445 :
小さなヨハネ :01/12/28 21:38
大変遅くなりました。ブルネルスさんのご回答に対する質問は次の通りです。 1.主(イエス・キリスト)は「創造主」であるが「父」ではないと言う そうですが(405)、「創造主」が「父なる神」でないなら、何が神な のですか?一般的には「創造主」が「神」の別名ではないのですか? 2.「父」も「子」(イエス・キリスト)も「神」であり、かつ、「神は唯一で ある」なら、当然イエスは父だと思います。神は唯一ではないと言うなら理解で きますが?(405) それでも神は唯一というのは、やはり矛盾しています。
446 :
小さなヨハネ :01/12/28 21:40
3.「三位が一つの意志、一つの能力、一つの働きを持つ」というなら (405)、「子」も「父」を発出できるのですか?もし、「出来ない」 、あるいは「しない」というなら「三位が一つの意志、一つの能力、一 つの働きを持つ」という前提と矛盾しています。
447 :
小さなヨハネ :01/12/28 21:43
4.パウロは主イエスを特別な存在とは思ったが、神とは思っていなか ったということですか?(408)私はパウロは主イエスを神と思って いたと思います。例えば次のような所からそう思います。 テトスへの手紙1・3 わたしたちの救い主である神の命令によって、わたしはその宣教を ゆだねられたのです。 テトスへの手紙2・13 また、祝福に満ちた希望、すなわち偉大なる神であり、わたしたちの救 い主であるイエス・キリストの栄光の現れを待ち望むように教えていま す。 コリント1・8・4−7 そこで、偶像に備えられた肉を食べることについてですが、世の中に 偶像の神などはなく、また、唯一の神以外にいかなる神もいないことを、 わたしたちは知っています。現に多くの神々、多くの主がいると思われ ているように、たとえ天や地に神々と呼ばれるものがいても、わたした ちにとっては、唯一の神、父である神がおられ、万物はこの神から出、 わたしたちはこの神へ帰って行くのです。また、唯一の主、イエス・キ リストがおられ、万物はこの主によって存在し、わたしたちもこの主に よって存在しているのです。しかし、この知識がだれにでもあるわけで はありません。
ここでも徹底的に否定されてるのね。。(哀
449 :
小さなヨハネ :01/12/28 21:44
コロサイ1・13−14 御父は、わたしたちを闇の力から救い出して、その愛する御子の支配下 に移してくださいました。わたしたちは、この御子によって、贖い、す なわち罪の許しを得ているのです。御子は、見えない神の姿であり、 すべてのものが造られる前に生まれた方です。 コロサイ2・8−9 人間の言い伝えにすぎない哲学、つまり、むなしいだまし事によって人 のとりこにされないように気をつけなさい。それは、世を支配する霊に 従っており、キリストに従うものではありません。キリストの内には、 満ちあふれる神性が、余すところなく、見える形をとって宿っており、 あなたがたがたは、キリストにおいて満たされているのです。
450 :
小さなヨハネ :01/12/28 21:47
5.関根清三氏はイザヤ9・5について、主イエスの誕生を予言したも のではないと言うそうですが(371)、福音書に次のようにあります。 イザヤ9・5は該当しないとはどうしてですか? ルカ24・25 そこで、イエスは言われた。「ああ、物分りが悪く、心が鈍く預言者た ちの言ったことすべてを信じられない者たち、メシアはこういう苦しみ を受けて、栄光に入るはずだったのではないか。」そして、モーセとす べての預言者から始めて、聖書全体にわたり、御自分について書かれて いることを説明された。 ルカ24・44 イエスは言われた。「わたしについてモーセの律法と預言者の書と 詩篇に書いてある事柄は、必ずすべて実現する。これこそ、まだあなた がたと一緒にいたころ、言っておいたことである。」
451 :
小さなヨハネ :01/12/28 21:49
6.著作年代が下がるほど、イエスの神格化が進むという常識的推測と のことですが(408,410)、(著作年代が何年頃までなのか知り ませんが)認識はむしろ逆で、主御在世当時の人ほど主は唯一の父なる 神と思っていたのではないでしょうか?時代が下るにつれて、それが信 じられなくなったので、公会議が開かれる必要が出たのではないですか? ミサの中で唱える「栄光の賛歌」にこうあります。 「天のいと高きところには神に栄光、地には善意の人に平和あれ。 われら主をほめ、主をたたえ、主を拝み、主をあがめ、主の大い なる栄光のゆえに感謝したてまつる。神なる主、天の王、全能の 父なる神よ。主なる御ひとり子、イエス・キリストよ。神なる主、 神の子羊、父の御子よ。・・・」 原語ではどうなのか知りませんが、この日本語を素直に読む限り、 「神である主。天の王であり、全能の父なる神である方よ。そして、 その主である御ひとり子、イエス・キリストよ」と、主を父なる神 と呼び、その主であるイエス・キリストよ、と言っています。つまり イエス・キリストを主であり父なる神であると言っています。 この賛歌はルカ2・14に冒頭部分が載っていますが、キリスト 御降誕の夜、ベツレヘムで天使の大軍が羊飼いたちに告げたものと 言われています。これはおそらく古いそのままの形が残っているの ではないかと思われます。 羊飼いたちが主を礼拝しなかったとは思えません。(409)
452 :
小さなヨハネ :01/12/28 21:50
7.「高価な真珠」についてブルネルスさんの解釈をお聞かせいただき たいのですが? 8.272,276、288、289と考えてはおかしい理由はお聞か せいただいたことになるのでしょうか? (329) なお、ご回答いただけますならば、ばらばらで結構です。
453 :
小さなヨハネ :01/12/28 22:37
9.三位一体は、例えば「マグネット磁石」です。 磁石を磁石たらしめている「本質」は見えませんが、それが「父」。 磁石の姿は「鉄の塊り」。それが「子」。そこから「磁力線」が出て、 鉄を引き付けます。それが「聖霊」。それらは、三つの磁石があるの ではなく、すべて一緒になって始めて、一つの「磁石」です。 目に見える「磁石」の姿を指して、私たちは単純に、それが「磁石」 であると言っていますし、それでよいのです。その意識の中には、 当然「金属を引寄せる力」を持っているという前提があります。 神もそうです。神の本質が「父」です。それは「愛」とも呼ばれます。 目には見えません。そして、その神が私たちの目に見える「姿」を現し たのが「子」、すなわち「神の子」・「イエス・キリスト」です。 それは本質である「愛」に対し、「真理」とも「言葉」とも言われます。
454 :
小さなヨハネ :01/12/28 22:38
「父」と「子」は「魂」と「身体」であり、まさに「一体」で「不可 分離」です。そしてその「一体」である神から「聖霊」と呼ばれる働き、 例えば「真理で照らすこと・照示」が発するのです。 「子」は神の「人間性」「言葉」「真理」と言われ、正確に言うと、 それだけではやはり、目には見えませんが、それがこの世に降って 物質である身体をまとわれたのが「神の子」「イエス・キリスト」 であると思います。 「子」は「本質」の「姿」・「身体」であり、「本質」を天に置いて 来たわけではありません。常に「本質」と「姿」は一体なのです。 結局、「本質」である「父」がこの世に直接降られたのです。
455 :
小さなヨハネ :01/12/28 22:40
「磁石」をバラバラにしたら「磁石」でなくなるように、「神」をバラ バラに分けることはできません。神の要素を三つに分けて呼んでいるに すぎないと思います。 ブルネルスさんの「浸透し合う」(405)という概念は、私には結局 「魂」と「身体」の例くらいしか思いつかないのですが、そうなると またそれは私の考えている「唯一の神」となってしまいます。 分かりやすい譬えで説明していただけますか?
456 :
名無しさん@1周年 :01/12/28 23:22
イエス「あらららら・・・わたしのあそこの磁石くんが君のあそこの磁石ちゃんにくっついていくぞ。」 ナイス「あ〜らごっつんこ!」
457 :
名無しさん@1周年 :01/12/28 23:31
>>445 :小さなヨハネ
おお、正面からのアタックですね。歓迎します。
| 1.主(イエス・キリスト)は「創造主」であるが「父」ではないと言う
| そうですが(405)、「創造主」が「父なる神」でないなら、何が神な
| のですか?一般的には「創造主」が「神」の別名ではないのですか?
三位一体論者は、もちろん「父なる神は創造主」だと信じています。
ただし、「すべてはこれ(=ロゴス=イエス・キリスト)によって成った」
とも信じています。繰り返すようですが、創造についても
「父から、子を通して、霊において」という定式を当て嵌めて考えるでしょう。
453の続き: | 2.「父」も「子」(イエス・キリスト)も「神」であり、かつ、「神は唯一で | ある」なら、当然イエスは父だと思います。神は唯一ではないと言うなら理解で | きますが?(405) | それでも神は唯一というのは、やはり矛盾しています。 上のように言うとき、小さなヨハネさんは、ものごとの存在の仕方について、今ま で自分が親しんできたあり方をモデルに考えてしまっています。つまり神という超 越的存在を、人間並みの卑小な存在と同じようなものと考えてしまっているのです。 個体が二つあるのなら一つの存在とはいえない、と考えているわけですからね。 そのときにあなたは、何か物質的な個体をイメージしてますね。それをモデルに 考えてますね。そこが誤解のはじまりです。
459の「453の続き」は「458の続き」の間違い
で、459の続き:
>>446 | 3.「三位が一つの意志、一つの能力、一つの働きを持つ」というなら
|(405)、「子」も「父」を発出できるのですか?もし、「出来ない」
| 、あるいは「しない」というなら「三位が一つの意志、一つの能力、一
| つの働きを持つ」という前提と矛盾しています。
えらい!よく言った!
父と子の関係である、生む―生まれる、ないし 生んだ―生まれた ということ、
父を子から分かつ特徴が「生まれたのではない」であり、子を父から分かつ特徴が
「生まれた」であるということを、三位一体論者は主張します。そして、この三位
の内部での関係に関しては、非対称性が生じるのですね。父と子の働きは一つとは、
ひとまず外部への働きだとしときましょう。その上で、生む―生まれるも一つの働き
の両側面と見ることができれば、ここでも一つの働きといえる、となりますが、この
辺は実際に三位一体論者がした説明かどうか、教父のことばを思いつきませんので、
自信ありません。
ところで、上の質問は諸刃の剣となって、小さなヨハネさんにも向けられると思いま
す。子が父なる神なら、父が子を生むという関係はどうなるのですか?「父が子を遣
わす」とは「子が子を遣わす」「父が父を遣わす」と言い換えてもいいことなのです
か?
460の続き
>>447 :小さなヨハネ
| 4.パウロは主イエスを特別な存在とは思ったが、神とは思っていなか
| ったということですか?(408)私はパウロは主イエスを神と思って
| いたと思います。例えば次のような所からそう思います。
こんどは、三位一体論者の立場へのアタックではなく、私自身の主張への
批判ですね。
| テトスへの手紙1・3
略
| テトスへの手紙2・13
| また、祝福に満ちた希望、すなわち偉大なる神であり、わたしたちの救
| い主であるイエス・キリストの栄光の現れを待ち望むように教えていま
| す。
テトス書はパウロが書いたものではなく、後世のものであると考えます。
ですから、以前にも第二テサロニケなどでは、イエスと父なる神とを同一
視していると推測されるような表現があるとすら言ったのです。当然、
これもパウロの名前で書かれてはいるけど、パウロのものではないと考え
ているのです。
461の続き | コリント1・8・4−7 | そこで、偶像に備えられた肉を食べることについてですが、世の中に | 偶像の神などはなく、また、唯一の神以外にいかなる神もいないことを、 | わたしたちは知っています。現に多くの神々、多くの主がいると思われ | ているように、たとえ天や地に神々と呼ばれるものがいても、わたした | ちにとっては、唯一の神、父である神がおられ、万物はこの神から出、 | わたしたちはこの神へ帰って行くのです。また、唯一の主、イエス・キ | リストがおられ、万物はこの主によって存在し、わたしたちもこの主に | よって存在しているのです。しかし、この知識がだれにでもあるわけで | はありません。 これはまさにパウロが、イエスのことは神と言わないで主と言うことの実例と なる箇所です。確かに後世の三位一体論者が「父から、子を通して(子に よって)」という定式的表現をすることになった典拠となる明確な言い回し があります。しかし、パウロにおいては、イエスは一言も神だと言われてま せん。父なる神と主イエス・キリストは区別され、前者は「唯一の神」、後 者は「唯一の主」というように言い分けられているのです
462で一息。あとはまた明日。おやすみ。
小さいヨハネさんは、三位一体説を良く知らないようだし、 知らないし、おかしいと思うから、非難するのでしょうね。 また、キリスト父説以外を知る気も全くないのでしょうね。 天主という存在を全て知るには、人には難しすぎるもの。 まぁ、そういう理解をしてしまうのも良いでしょう。 それを実際ある部分を見た人なら、それもそうでしょうと言うでしょう。 あたしの知る世界では、人の言葉で説明しようとすれば、非常に困難ね。 神の理解は、常に人の理解を超えているから、 色んな見え方・解釈が出てきたとしても、理解できるわね。 ただ、あたしもよく自分の知る世界にはまり込んで、 他の見解を裁く癖があって、大騒ぎもたくさんしたけどね・・・。 天主のことは、人である限り、 限定したものしか理解することが出来ないからね・・・。 人間の言葉で説明できる範囲内は、非常に限られているもの。 ただ、天主の御技により、少しづつ解き明かされていくということは、 イエズスとして現れて、福音を人の言葉に直し伝えてくれたことからも、 あたしは否定はしない。 そして、今までも聖霊の働きがあったように、 これからも働きがある事として否定はしないわ。 それまでは、他を知り和を探り合いってみることが望ましいと、 あたしの霊的経験では考えるわね。
俺もつい裁きそうになるな(苦笑)。 ワハハヽ(^▽^)人(^▽^)人(^▽^)ノワハハ
466 :
御霊が諸教会に言う声 :01/12/29 09:54
「三位一体説は人間を不幸にし世の中を悪化させるミーム」 もし、三位一体説が人間を不幸にし、世の中を悪化させないなら どうでも良いものです。勝手にすればいいのです。たとえ聖書とは違っていても 問題はありません。しかし、この説は人間を不幸にする、 社会を悪化させるミームだから問題なのです。 カトリックの非常に多くの歴史的な悪を書いてきました。 他にも多くあります。このように、カトリックは悪を 犯し続けているのです。その原因の根本にあるものが 三位一体説です。これはあくまで説であるのに、信者にかかれば 思考をせずに愛してしまい、蜘蛛の巣に捕まった 虫のように決して変えることはありません。 人間が作った説を愛し、神の言葉を軽んじています。 しかし、この説が人間を不幸にしないなら、決して 反対しません。この説はいくら、こねくり回して 論じても、単純な思考の信者には神を三つに分けることに なるのです。そのことにより、人間の心の中に矛盾が生じ その矛盾が普遍的なものを思考するとき、あるいは不思議 なものを考える時、自然な思考が出来なくなります。 自然な思考が出来なくなった人間の行動は社会を悪化させ るのです。西洋ヨーロッパ文明人の自然に対する情のない 破壊も不自然な心から起こったものです。狂牛病も草食動物の 牛に骨を与えるという不自然が起したものです。 もう、この辺で、この説の悪を考え、取りやめる必要が 人類にはあります。そうしなければ、多くの不幸が この説からパンドラの箱を開けたように現れ続けます。 不自然な人間をこの説が作るからです。 「イザヤは、あなたがた偽善者について、こう書いているが、 それは適切な預言である、『この民は、口さきではわたしを敬うが、 その心はわたしから遠く離れている。 人間のいましめを教として教え、無意味にわたしを拝んでいる』。 あなたがたは、神のいましめをさしおいて、人間の言伝えを固執している」。 また、言われた、「あなたがたは、自分たちの言伝えを守るために、 よくも神のいましめを捨てたものだ。 マルコによる福音書7、7〜9
468 :
小さなヨハネ :01/12/29 11:30
ブルネルスさん、早速ありがとうございます。プリントアウトして、ゆっくり 読ませていただきます。また、分からない点があれば質問させてください。 ブルネルスさんも、ゆっくりで結構ですよ。私も頭が付いて行けませんので。 マリアさん、神さま、御霊が諸教会に言う声 さん、皆さんありがとうございます。 ゆっくり、考えさせていただきます。それでは、また。 それと、一つだけ、マリアさんはスウェーデンボルグをお読みになったことがあり ますか?というのは、人によって見え方が違うというご指摘はまさにスウェーデン ボルグの言う「外観の法則」そのものだったものですから・・・。
469 :
名無しさん@1周年 :01/12/29 14:11
ブルネルスさん、パウロはスウェーでボルグ主義では
地獄へ行ったとされているらしいと噂に聞いたよ。
>>466 教皇以下の信者達の心の動きと福音とは一致しなくて当然だよ。
神と人とは違うものだから。
三位一体を奉ずる教会はカトリック・プロテスタント・正教・
単性論にまで及ぶ。これはキリスト教徒のほとんどの数になる。
現存する教会では父子類質論のネストリウス教会程度のもの。
全く奉じていないところはエホバの証人とかだけど・・・。
ひょっとしたらエホバの証人の方ですか?
聖書に書かれていないものはユダヤ人でも秘伝として保持していたらしいよ。
その詳細は失われてしまったものも多いらしいけどね。
>>468 マリアさんは以前にも指摘を受けていたけど全く無関係みたい。
スウェーデンボルグという人自体に対して無知だと思うよ。
良い本を紹介してと言っても「本は良く知らない」と言うしね。
秘伝の神道の本も大和言葉のせいか読めないようだね。
カトリックのことを話す時は母方の先祖の話しを良くするよ。
それ以外はインスピレーションではないかな?
>469 |現存する教会では父子類質論のネストリウス教会程度のもの。 前にも聞いたことだけど、「ネストリウス」というのは事実誤認ではないのか い? それから「現存する」というのは、どこに現存するのかな?
>>466 |この説はいくら、こねくり回して
|論じても、単純な思考の信者には神を三つに分けることに
|なるのです。
これは事実と違うと思います。三位一体を主張する教会の信徒たちが、三
位一体について説明するのを、何度となく聞いてきましたが、教父時代の
論争の中での説明の仕方を標準にすると、異端だと断罪されちゃいそうな
説明がほとんどです。
水と氷と蒸気だなんていうものまでまかり通っているのですからね。
やはり西方教会の流れにある傾向として、唯一性の主張が強く、三性が
弱いです。
ですから、スエデンボリ的なものがそこから出てくるのももっともなの
です。
まあ、厳密な理論闘争は現代の教会の信徒には向かないように思います
し、それでいいのではないでしょうか。信じるという神に対する姿勢な
り態度なりが大事であって、どう理解するかなど、どうせ人間に分かる
程度など知れているのであって、異端も正統も(そういう区別自体に私
はアンチですけれど)50歩100歩でしょうよ。
私がこのスレでうるさいこと言うのは、理論闘争をやる気ならちゃんと
やれということであって、やらないならそれで結構。またーりと、和気
藹々とお過ごしください、ってところです。
>>468 あたしは本なんかあまり読まないから、良く知らないのよ。
>>471 ブルネルスさん。
>唯一性の主張が強く、三性が弱いです。
それも何となくだけど、分かるような気がするわね。
スウェーデンボルグ説は、西方説の理解を、
単純化させたようなものに、あたしは感じるもの。
ただ、もう理論論争なんかは、あたしがそういうのより
霊的なところを重視してしまうから、
あまりしても・・・と思うのよね。
でも、論争も貴重な恵みだったから
時に思い起こすことは、必要であるとも思うわよ。
一致に向かうためには、
色んな説を理解しておく必要はあるでしょうから。
まぁ、あたしはイエズスが伝えた福音から、
多くの人がそれによって、神を見ている。
それは聖霊の導きによる一種の奇跡だと思うわね。
単にあたしが、低脳だからかも知れないけどね。
でも、改めて思いかえすと、不思議な事なのよね。
>>465 あら、神様でもそうなのね。本当に良かったわ。
>>473 元神(♂)です。
おかえりなさい。最近色々と進行したよ。
サタンやルキフェルとちょっと話をした(笑)。
いや〜〜、我ながら凄いデンパだ。
ワハハヽ(^▽^)人(^▽^)人(^▽^)ノワハハ。
475 :
ほんとうのヨハネの母 :01/12/30 07:46
マリアさんというかたのお話を伺うと、たいへんなご苦労をされた方だなあ、と思 います。そういうのが、しみじみ伝わってきます。 主はあなたのお気持ちをご存知だと思います。(私もちょっとはわかりますが。) 祝福をお祈りします。こころより。 ブルネルスさん、よいお話をありがとうございました。これからも、小さなヨハネを見捨てないでください。 御霊の声さん、今日は、あなたの一生懸命なのが、本当によくわかりました。 どのような批判でも、お伺いすることはよいことです。自分への言葉としてお聞き しておきましょう。聞く者には、清めがあります。喋る方は、罠に落ちないようにね。 小さなヨハネさん、スウェデンボルグは、まだまだ、教理のまとめ方が足りないですね。 現代神学は、すでに文献科学としての説得力を持っているので、現代人をそれなりに 説得します。 スウェデンボルグを「人々を裁きから守るために」説こうとする熱意がすばらしいです。 「信じなければ裁かれるぞ」「呪われているぞ」という説得は、ルネッサンス以前の 、御霊の声さんたちの嫌悪されておられる時代の教会の説教とあまり変わるところが ありません。 どうか「スウェデンボルグが見たから」「それを信じたから」というような原始的な 語り口でなく、あなたのような方によって、現代人に説得できるべく、教理として よりよくまとめられますように。期待しています。がんばって。祈ります。(茶化してません)祈ります。 SAKIKO いちばん気になっていた。SAKIKO わたしの愛する人と同じ名前の人よ。 教理に幻滅しても、教会に幻滅しても、神の愛とは関係ありません。 もし、教会が嫌いでも、教理が嫌いでも、そんなところには行かないで、 ただ神のもとにだけは行って。いつか、気がすんだときにね。 あなたのことを思っています。
476 :
cav ◆GA9BCNoI :01/12/30 08:37
俺様を サタン扱いとは・・・勘違いならいいんだが・・・・・・
477 :
名無しさん@1周年 :01/12/30 11:02
クリスチャンが信じてる神はね・・・ ほんとは悪魔なんだよ。 神は死んだよ。俺達が殺しました。
479 :
小さなヨハネ :01/12/30 15:06
ほんとうのヨハネの母さん、ありがとうございます。(・・・びっくりしました。) ご指摘の通り、スウェーデンボルグに対する理解も不十分なまま、こんなところに 出て来てしまいました。現在、皆さんに鍛えていただいています。いつか、たくま しいヨハネとなって戻れますように。本当にありがとうございます・・・。 マリアさん、お答えありがとうございます。でも今は本を読まれなくても、以前は 読まれたのでしょうね。 ブルネルスさん、今、考え中です。ところで、念のため確認させていただきたいの ですが、パウロの本物の手紙(461,462)と言われるのはどれとどれですか? 他の手紙類はいかがですか?それから、著者の真偽は別として、それらは当時(偽物 だとすると、著作年代を知らないのですが)の信者の考えを反映していると考えるこ とは構わないのですか? (ヨハネは都のルールを知らないのです・・・。)
>>479 |パウロの本物の手紙(461,462)と言われるのはどれとどれですか?
|他の手紙類はいかがですか?
ローマ、コリント1、2、ガラテヤ、フィリピ、テサロニケ1、フィレモン
と考えます(現代の聖書学者の中で有力な見解と一致)。
|それから、著者の真偽は別として、それらは当時(偽物
|だとすると、著作年代を知らないのですが)の信者の考えを反映していると考えるこ
|とは構わないのですか?
それはそうです。信徒の考えを反映している以外のあり方は考えにくいです。
また、パウロの名で書かれているが、パウロが書いたわけではない、ということは、
決してそれらの手紙が「偽物」だということではありません。当時のこうした文書を
作る習慣からして、書いた人たちは「偽物」をつくってやろうとは思ってなかった
はずです。「パウロが語るのに一番ふさわしいこと」を自分たちなりに考えて書いて
いたはずです。
また、パウロの真正書簡かどうかというようなことを、プロテスタント、カトリック
のすべての信徒が考えているわけでもありません。パウロの名によって書かれてある
ものはすべてパウロが書いたと信じる立場もあります。
481 :
ポンピドゥーセンター :01/12/31 02:14
ポンピドゥセンターッてなに?
482 :
小さなヨハネ :01/12/31 17:02
ブルネルスさん(480)、了解しました。
483 :
小さなヨハネ :02/01/01 07:47
皆さん、明けましておめでとうございます。 旧年中は大変お世話になり、ありがとうございました。 本年もどうぞよろしくご指導賜りますよう、お願い申し上げます。 皆様の上に主と聖母の新年の祝福が豊かにありますように。
484 :
御霊が諸教会に言う声 :02/01/02 06:39
「プロテスタントの大罪」 「イエスキリスト、終りであり、初めであるもの 万軍の主、天地創造の神、死んだことはあるが生き返ったもの」 は我々人間が本当に良いものを見ることが出来ない 心からユダヤ人が殺したのです。神を殺したのは 人間の心が悪かったからです。 この世に来られた神を見ることが出来なかったのです。 あなたがたは現代においても神を見ることが出来ません。 そして、多くの神の子供を殺し続けています。 これらの人間を作ったのはカトリックであり、 プロテスタントです。現代の良いもの(神)を見ることが できないやからが、神を殺し続けています。 プロテスタントは神をまったく見ることが出来ない人間を 作り続けています。それは「イエスキリストの十字架がすべて の人の罪を許すためだと信じることだけでよい」 と教えたことです。これは人間が作った教義です。 これにより、あらゆる良いものを否定する人間が 出来ました。自分さえ良かったらよいのだを確信した 鬼が世界中を食い尽くしています。 あなたがた、プロテスタントのこの十字架の教義が あらゆる病気や犯罪や環境破壊や不幸を生んだパンドラの 箱だということです。西洋ヨーロッパ文明の毒はこの十字架信仰 から来ています。プロテスタントはこの大罪を悔い、この十字架 信仰を即刻取りやめる必要があります。
485 :
御霊が諸教会に言う声 :02/01/02 06:57
「恐れるな。わたしは初めであり、終りであり、 また、生きている者である。わたしは死んだことはあるが、 見よ、世々限りなく生きている者である。そして、 死と黄泉とのかぎを持っている。」 ヨハネによる福音書1章17〜18 この黙示録の言葉はイエスキリストの言葉です。 初めであり、終りであり、死んだことはあるが生き返ったものだ と明確に述べられています。自分は初めであり、終りである と言っておられるのは、私が天地創造の神であると言うことを 世界中の人々に訴えておられるのです。このイエスキリストの 言葉を無視し、人間が作った説を信じるカトリックはキリスト教 では無いのは明確です。キリストの言葉を否定している 教義を持つ宗教がなぜ、キリスト教か疑います。 イエスキリストは明確に始めであり、終りであると 言っておられます。この言葉を信じればいいのです。 人間の言葉より、神の言葉ではないのですか? 「主、イスラエルの王、イスラエルをあがなう者、万軍の主はこう言われる、 「わたしは初めであり、わたしは終りである。わたしのほかに神はない。 だれかわたしに等しい者があるか。その者はそれを示し、 またそれを告げ、わが前に言いつらねよ。だれが、昔から、 きたるべき事を聞かせたか。その者はやがて成るべき事をわれわれに告げよ。 恐れてはならない、またおののいてはならない。 わたしはこの事を昔から、あなたがたに聞かせなかったか、 また告げなかったか。あなたがたはわが証人である。 わたしのほかに神があるか。わたしのほかに岩はない。 わたしはそのあることを知らない」。 イザヤ書44、6〜8 旧約聖書の神、万軍の主は 初めであり、終りである と言っておられます。カトリックの信者はこの言葉を 教えられたことは無いでしょう。イエスキリストが神だと 言うことを聖書は新約聖書と旧約聖書のこの言葉を 合体することで証明しているのです。聖書を神の言葉とする キリスト教信者はこれを信じなければいけません。
486 :
御霊が諸教会に言う声 :02/01/02 07:16
「 スミルナにある教会の御使に、こう書きおくりなさい。 『初めであり、終りである者、死んだことはあるが生き返った者が、 次のように言われる。 わたしは、あなたの苦難や、貧しさを知っている (しかし実際は、あなたは富んでいるのだ)。 また、ユダヤ人と自称してはいるが、その実ユダヤ人でなくてサタンの会堂 に属する者たちにそしられていることも、わたしは知っている。 あなたの受けようとする苦しみを恐れてはならない。 見よ、悪魔が、あなたがたのうちのある者をためすために、 獄に入れようとしている。あなたがたは十日の間、苦難にあうであろう。 死に至るまで忠実であれ。そうすれば、いのちの冠を与えよう。 耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい。 勝利を得る者は、第二の死によって滅ぼされることはない』。 ヨハネの黙示録2、8〜11 これは神の言葉です。パウロやヨハネや法王やカルビン ルターの言葉ではありません。神の、イエスキリストの 言葉です。聖書の中でイエスキリストの言葉を第1に するべきでしょう。それなら、イエスキリストが明確に 自分を初めであり、終りであると言っているではありませんか なぜ、この言葉を信じず、パウロや人間の言葉を信じるのですか? 「ヤコブよ、わたしの召したイスラエルよ、わたしに聞け。わたしはそれだ、 わたしは初めであり、わたしはまた終りである。 わが手は地の基をすえ、わが右の手は天をのべた。 わたしが呼ぶと、彼らはもろともに立つ。 あなたがたは皆集まって聞け。彼らのうち、だれがこれらの事を告げたか。」 イザヤ書48、12〜14 地の基をすえ、天をのべたと初めであり、終りである方は 言っておられます。イエスキリストは始めであり、終りである方 であり、天地創造の神ではないのですか?新薬と旧約聖書が 明確に言っていることをなぜ、あなたがたは信じないのですか?
487 :
御霊が諸教会に言う声 :02/01/02 07:36
「事はすでに成った。わたしは、アルパでありオメガである。 初めであり終りである。かわいている者には、いのちの水の泉から価なしに 飲ませよう。 勝利を得る者は、これらのものを受け継ぐであろう。 わたしは彼の神となり、彼はわたしの子となる。 しかし、おくびょうな者、信じない者、忌むべき者、人殺し、姦淫を行う者、 まじないをする者、偶像を拝む者、すべて偽りを言う者には、 火と硫黄の燃えている池が、彼らの受くべき報いである。これが第二の死である」。 ヨハネの黙示録21、6〜8 黙示録でイエスキリストは私はアルパでありオメガである。 と明確に述べられています。カトリックとプロテスタントの 信者はこの言葉を信じる必要があります。カトリックと プロテスタントの歴史的権威を否定することに臆病になっては いけません。彼らは誤ったことを教えたから、悪を行ったのです。 真理や事実や正しい情報という御霊が諸教会に言う声に 聞き従いなさい。それが太陽であり、月であり、星であるのです。 光に従うとはそういうことを言うのです。光に従うことを 躊躇してはいけません。カトリックやプロテスタントの 歴史的な権威や儀式や組織は甘い蜜のようですが、しかし、それは 第二の死を呼ぶ恐ろしい「にがよもぎ」であることを 知らなければいけません。 「わたしはアルパであり、オメガである。最初の者であり、最後の者である。 初めであり、終りである。 いのちの木にあずかる特権を与えられ、 また門をとおって都にはいるために、自分の着物を洗う者たちは、 さいわいである。 犬ども、まじないをする者、姦淫を行う者、人殺し、 偶像を拝む者、また、偽りを好みかつこれを行う者はみな、 外に出されている。 わたしイエスは、使をつかわして、諸教会のために、 これらのことをあなたがたにあかしした。わたしは、 ダビデの若枝また子孫であり、輝く明けの明星である」。 ヨハネの黙示録22,13〜16 何度も、何度もイエスキリストは自分は始めであり、終りである と言っておられます。神がこのように何度も、何度も言っておられるのです。 まだ、悟りませんか?
488 :
御霊が諸教会に言う声 :02/01/02 08:10
「永遠の命を得るためには」 プロテスタントの信者は勇気を持ってカルビンルターの 考えた十字架信仰を捨てなさい。そうしないと第二の死に 陥ります。永遠の命を得るためには神の言葉に聞き従いなさい。 「わたしは天から下ってきた生きたパンである。それを食べる者は、 いつまでも生きるであろう。わたしが与えるパンは、 世の命のために与えるわたしの肉である」。 そこで、ユダヤ人らが互に論じて言った、「この人はどうして、 自分の肉をわたしたちに与えて食べさせることができようか」。 イエスは彼らに言われた、「よくよく言っておく。人の子の肉を食べず、 また、その血を飲まなければ、あなたがたの内に命はない。 わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者には、永遠の命があり、 わたしはその人を終りの日によみがえらせるであろう。 わたしの肉はまことの食物、わたしの血はまことの飲み物である。 わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者はわたしにおり、 わたしもまたその人におる。」 永遠の命を得るためには神の肉を食べ、神の血を 飲まなければいけないのです。 「よくよく言っておく。人の子の肉を食べず、 また、その血を飲まなければ、あなたがたの内に命はない。」 こういわれているように、十字架を信じても永遠の命は 無いのです。十字架を信じるものには永遠の命はありません。 そうして、第二の死が待っています。プロテスタントの信者は この十字架信仰を捨て、神の言葉に聞き従いなさい。 神の肉とは何か?神の血とは何かを聖書から探りなさい。 そして、それを行えば、永遠の命が得られます。それ以外に 道はありません。十字架の死を脳に記憶するだけで永遠の命 は得られません。十字架信仰は無意味であり有害なものです。 神の肉を食べ、神の血を飲まなければ永遠の命は無いと明確に 聖書で神は言っておられます。カルビンルターを信じるのか 神の言葉を信じるのかどっちですか?
489 :
名無しさん@1周年 :02/01/02 09:34
>>484-488 御霊が諸教会に言う声(と自称する発言者)さん
|地の基をすえ、天をのべたと初めであり、終りである方は
|言っておられます。イエスキリストは始めであり、終りである方
|であり、天地創造の神ではないのですか?新薬と旧約聖書が
|明確に言っていることをなぜ、あなたがたは信じないのですか?
ルターもカルヴァンも、イエス・キリストが「始めであり、終わりである方であり」
この方によって「全てのものが創られた」ことを信じてます。
したがって、あなたは相手の信じるところを誤解した上で、空を打つ様な批判をして
いることになすのです。このことをまだ悟らないのですか?
492 :
gab ◆GA9BCNoI :02/01/02 19:01
世界三分割で・・・キリが20億位いるかな・・・・??? ちょうどいいじゃね〜か・・・ 三分の一が消えるという預言もあったかな???
493 :
名無しさん@1周年 :02/01/02 19:10
>490 カルトだろ
494 :
名無しさん@1周年 :02/01/03 02:49
御霊が諸教会に言う声へ オーソドックスはいいのかね?
495 :
御霊が諸教会に言う声 :02/01/03 13:09
「理解できなければ実で判断しなさい。」 「 にせ預言者を警戒せよ。彼らは、羊の衣を着てあなたがたのところに来るが、 その内側は強欲なおおかみである。あなたがたは、その実によって彼らを 見わけるであろう。茨からぶどうを、あざみからいちじくを集める者があろうか。 そのように、すべて良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ。 良い木が悪い実をならせることはないし、悪い木が良い実をならせることは できない。 良い実を結ばない木はことごとく切られて、火の中に投げ込まれる。 このように、あなたがたはその実によって彼らを見わけるのである」 マタイによる福音書7、18〜20 三位一体説と十字架信仰は人間が作った 教義であり、誤りであることを、今まで書いたことでも 理解できないほど洗脳されているなら、今までの カトリックとプロテスタントがつけた実で判断しなさい。 カトリックは霊的女性を火あぶりで殺し 真理を追究する科学者を宗教裁判で異端者として 処刑し、聖書の真理を覆い隠して、自分達の権威を 保ち続け、中世のヨーロッパを暗黒時代と 後の世の人に言わせるほどの悪を行ってきました。 ローマ法王の歴史的懺悔でわかると思います。 プロテスタントもアメリカの原住民をキリスト教信者でない ということで排除し、大量殺戮を行ってきました。 このカトリックとプロテスタントが生んだ文明は 環境を破壊し、多くの動植物を絶滅させ、世界中から 美しいものを消し去り、人工物を構築して行きました。 彼らの心が自然でない証拠です。 大量殺戮兵器を作り、世界中の多くの人々を不幸にし 殺しています。現代も不自然な人間をこのカトリックと プロテスタントが生んだ西洋ヨーロッパ文明は作り続けています。 これらの歴史的な悪い実をつけているのがカトリックであり プロテスタントです。これらの実を見て、カトリックと プロテスタントという木が悪い木であることを悟りなさい。
496 :
名無しさん@1周年 :02/01/03 14:06
だから、おーそどっくすはどうなのよ?
497 :
小さなヨハネ :02/01/03 15:55
ブルネルスさんはパウロにとって主イエスは特別な「神の子」では
あっても、「子なる神」ではなく、信仰の対象でもなかった(
>>408 )
と言われます。「神の子」とは神の真理を受け入れた人間のことを意
味します(ヨハネ10・35、ヨハネの手紙1・3・1)ので、要する
に主は特別な人間ではあったが、神その方ではなかったというご主張に
なるかと思います。
パウロにおいては、イエスは一言も神だと言われていないし、「唯一
の神」と「唯一の主」と区別されているというご主張(
>>462 )も
同様で、つまりイエスは神ではないとおっしゃっておられるのだろ
うと思います。
498 :
小さなヨハネ :02/01/03 15:58
しかし、パウロがそう思っていたとは思えません。なぜならパウロと 同時代の使徒たちはこう言っているからです。 ヨハネ20・28 トマスは答えて、「わたしの主、わたしの神よ」と言った。 ヨハネの手紙1・5・20 この方こそ、真実の神、永遠の命です。 彼らは明確に主イエスを神であると告白しています。神が唯一である ということはモーセの十戒にも、イザヤ書にもあります。パウロも言っ ていました(前出コリント1・8・4)。彼らにとって、神が唯一と いうことは常識中の常識だったのです。ということは、彼らが主を神と 告白することは、つまり彼らは主を唯一の神であると言うことと同じ だったのです。
499 :
小さなヨハネ :02/01/03 15:59
当時パウロだけが、主を神ではないと思っていたということはおよそ 考えにくいことです。なぜなら、神に対する認識こそ、信仰において 基本中の基本となることだからです。確かに異邦人にも割礼を施すべき かどうかという論争(使徒言行録15・1−2)などは、あったようで すが、神が誰かの基本的な議論はありませんでした。 当時の彼らにとって、主イエスを唯一の神と信ずるか否か、だけだった のです。主イエスを唯一の神と信じたからこそ彼らは死を賭してまで 信仰を伝え、守ったのです。
500 :
小さなヨハネ :02/01/03 16:36
仮に「子なる神」を認めるとしても、まず「出生」ということ自体 がおかしいのです。「神から神が生まれる・・・?」そんなことは あり得ません。神は唯一であり、そもそもそれがおかしいと単純に 気付かなければなりません。それは何らかの「用語法」なのだと気付 かなければならないのです。福音書にも次のように書かれています。 また、旧約聖書、とくに予言者の書、あるいは黙示録など、聖書には 「譬え」が多いということは公然の約束なのです。譬えの意味する霊的 な事柄を「内意」と言います。その内意を知らなければ聖書をよく理解 することは不可能です。
501 :
小さなヨハネ :02/01/03 16:38
マタイ13・34−35 イエスはこれらのことをみな、たとえを用いて群集に語られ、たとえ を用いないでは何も語られなかった。それは、預言者を通して言わ れていたことが実現するためであった。「わたしは口を開いてたとえ を用い、天地創造の時から隠されていたことを告げる。」 マルコ4・33−34 イエスは、人々の聞く力に応じて、このように多くのたとえで御言葉を 語られた。たとえを用いずに語ることはなかったが、御自分の弟子たち にはひそかにすべてを説明された。
502 :
小さなヨハネ :02/01/03 16:41
では「父」とは何か?それは神の本質である、無限の「愛」を意味し ます。「子」とは何か?それは神の無限の愛の形である無限の「知恵」 「真理」を意味します。神の持つ「人間性」とも言います。「聖霊」と は何か?それは神の「愛」と「知恵」が共になって働く神の「働き」 「作用」を意味します。 人間にも「魂」「意志」があり、「知恵」「理性」があり、「働き」 「動作」があります。あるいは、「魂」があって、「身体」があって、 「動作」があります。そしてそれらすべてを持つ者として「一人の人間」 を意味します。 私たちは聖書独特の用語法を理解しなかったために、文字の意義だけ から、「父なる神」、「子なる神」、「聖霊なる神」の三つの神がおら れると勘違いしただけなのです。
お前は、ノイローゼかい。
504 :
小さなヨハネ :02/01/03 16:43
では、なぜ私たちが勘違いするような表現をしたのでしょう? それは、まず、当時主イエスを父なる神エホバと言うことはそもそも 危険だったからだと考えられます(ヨハネ5・18)。つまり、そんな ことを言えば即死刑だったでしょう。あえて神と言えば伝道することも 不可能だったので、そう言う表現をしたのだと思います。そのために 旧約聖書の「エホバ」を、新約聖書では「主」と呼ぶのだそうです (スウェーデンボルグ/天界の秘義/2921)。 それから、もう一つの理由は、主は時代が下るに従って、人々が主の 神性を信じなくなることを予見され、少しでも主の神性に対する認識 が残るように、「父」「子」「聖霊」というあいまいな表現をあえて されたのだそうです。それは人間の認識能力に合わせた表現だったの です。
505 :
SAKIKO :02/01/03 16:56
やっぱりノイローゼじゃない?>小さなヨハネ
506 :
ver3.0β ◆bMtqBgmo :02/01/03 17:13
三位一体の真相はまったく違うらしいぞ。 少なくとも、父と子と精霊ではにゃい。 新年明けましておめでとうございます。
真相はこれだ。 赤巻神+青巻神+黄巻神=白巻神 ちなみに、悪魔は黒巻神。
>497-499 小さなヨハネさん、 たしかに私は、「パウロはイエスを神だとは思っていない」と主張しました。 それに対して |パウロがそう思っていたとは思えません。なぜならパウロと |同時代の使徒たちはこう言っているからです。 |ヨハネ20・28 |トマスは答えて、「わたしの主、わたしの神よ」と言った。 |ヨハネの手紙1・5・20 |この方こそ、真実の神、永遠の命です。 |彼らは明確に主イエスを神であると告白しています。 ここで指摘されているのは、いずれもパウロよりも相当後の時代の考え方です。 私はこれまで何回もいいましたように、ヨハネ福音書等はイエスをヤハウェと同一視 する理解をもっているのですが、それとパウロは違うのです。 |当時パウロだけが、主を神ではないと思っていたということはおよそ |考えにくいことです。 パウロだけではありません。ペトロをはじめとして、イエス在世中の弟子たちは、誰も イエスが神だなどとは思ってなかったと考えます。それどころか使徒行伝の記述にもと づけば、パウロこそはペトロたちより一歩進んだイエス理解を示した人だったのです。
509 :
小さなヨハネ :02/01/03 17:45
>>458 やはり、「創造主」とは一般的に言って「父なる神」の代名詞だと思い
ます。主イエスが創造主と認めるならば、主イエスが父なる神と言う
のと同じです。
510 :
小さなヨハネ :02/01/03 17:46
>>459 「神という超越的存在を、人間並みの卑小な存在と同じようなものとし
て考えてしまっている、そこが誤解のはじまり」
とのことですが、人間には時間と空間の中でしか考えることはそもそも
不可能なのです。それは神ご自身が許容されることだと思います。
私たちが神について自然界の中の何かに譬えて把握することはむしろ
良いことだと思います。皆さんが拠り所となさるアタナシウス信条も
「霊魂と肉とは一人の人間であるように、神と人とは一人のキリスト
である」と自然界の人間に譬えて言ってはいませんでしたか?
511 :
小さなヨハネ :02/01/03 17:47
>>460 「非対称性が生じる」なら、前提を訂正することが正しいのではあり
ませんか?
私の考えは、神がその本質(父)を現す(=子)ということです。です
から、「子が子を遣わす」「父が父を遣わす」ということはありません。
512 :
小さなヨハネ :02/01/03 17:48
>>461 ,
>>462 パウロが主をどう考えていたかについてはすでに述べました。
ところで、パウロ書簡の真贋ですが、私は聖書学者やブルネルスさん
のおっしゃる根拠を存じませんが、おそらくそれらは、(ペテロ、
ヤコブ、ユダ、ヨハネの手紙も含めて)本物だったのではないかと
推測します。何故なら、第一に、彼らが当時手紙を書いても別に不思議
ではないということ、第二に、偽物が何のために書かれる必要があるの
か疑問であるということ、第三に、本物であるからこそ、当時もそれ
以降も大切に保管され、伝えられて来たのではないかと思われること
からです。
>>500 |仮に「子なる神」を認めるとしても、まず「出生」ということ自体
|がおかしいのです。「神から神が生まれる・・・?」そんなことは
|あり得ません。
「そんなことはあり得ない」と断言するあなたは一体何様なのか?神についてそう
断言できるような知恵を持った存在なのか?人間の限界をわきまえた考え方をしよう
よ。
|神は唯一であり、そもそもそれがおかしいと単純に
|気付かなければなりません。それは何らかの「用語法」なのだと気付
|かなければならないのです。
「生まれる」という用語が人間をはじめとする動物に起こることに基づく語であって、
それをそのまま神に適用してはまずい、という点は同意する。アナロジーとして理解
しなければならないのは、その通りだろう。その理解を、「神からの神、光からの光」
等々(不正確な引用だが)と、ニカイア信条は言い表そうとしている。少なくとも、
これを告白した信徒たちは、神の存在が人間の理解をはるかに越えたものであること
を認め、人間の言い表しには限界があることをみとめながら、彼らが啓示と信じる聖
書全体から何が言えるかを探求した。その真摯さだけは、見習うほうがいいと思う。
単純に「そんなはずがない」といったロジックで扱える相手ではないのだ。
>>510 この発言の限りでは異議はない。私が小さなヨハネに対して言いたいのは、
自分の理解があくまでも、神について人間の理解力の限界内でのもので
しかないことを認めた上での語り方にせよ、ということなのだ。聞いて
いると、何か人間に分かる限界内で神について語り、それで神の存在に
ついて把握できたかのような物言いになっているところを指摘したつも
りだ。
515 :
SAKIKO :02/01/03 21:37
小さなヨハネもブルネルスも気がおかしいようです。 誰か助けてやってください。
>>515 SAKIKOや。
誰も助けてやることはできんよ。
517 :
SAKIKO :02/01/03 21:45
もう、手に負えないってこと?笑。大変ですね。>ITOU
ちなみに俺が今話題の三位の内の一。 666の獣も一ころだが手を出しちゃいかんらしい。 残りの二つは風邪引いてたぶん寝てる。
キリスト教っちゃ、議論が多すぎて、正直疲れるね(w 神さまも飽きてるころだろうよ。
520 :
SAKIKO :02/01/03 21:52
>518 神さん?HN変えたの?
>>520 そうだよ。これもいいでしょ?
なかなか強烈なデンパだしたが、まぁ、荒らす気も無いのだ(笑)。
小さなヨハネの真面目さは俺は気に入ってるしね。
このテーマは悪くないな。
マリアがあらかた片付けてしまった感があるが。
マリアは忙しいんだろうな〜。
まだまだ初詣の季節。戻ってくるのは何時の事やら。
522 :
dendo. :02/01/03 22:19
>>510 「『みなさん』が受けいれるアタナシウス信経」というくくり方自体が
あなたの考え方がスヴェドボリの書き移しでしかないということを露呈
しており、私のような東方神学に一定の共感を持っている人間からすると
はげしく萎えるんだが……
それはまあいいとしても、西方神学を批判するなら、せめて西方神学が
何をいっているかを把握してからにしましょうよ。
523 :
永遠の御父のメッセージ :02/01/03 22:26
http://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1009789346/l50 私は永遠の御父、聖三位一体の第一の位格である。これから三年間に
渡って、十戒、旧約聖書の正しい解釈、諸徳、肉体的憐れみの業、日々
の生活の問題と黙示録に関して、私のいとしき子供たち一人一人に指導
を与えよう。昨年、私は三位一体の栄光である私たちの息子フランツに、
これらのメッセージを書き取らせることを決めた。というのは、偽りの
間違ったメッセージが、私の御名と私の聖なる息子イエズス・キリスト、
そして聖霊と、私の娘である童貞聖マリアの御名によって公表されてい
るからである。
祈りを通してすべてがお前達に与えられるだろう。祈りは人生の本質
的要素であり、日々の生活における第一の役割でなければならない。も
しお前たちが大いなる熱意と恭しさをもって祈らなければ、力強く祈ら
なければ、世界のすべてのメッセージがお前達を救うことはないだろう
525 :
SAKIKO :02/01/03 22:45
>>523 永遠…
あんたは、、、嘘ばかりならべていて読むの,疲れるよ。
>>524 やっぱり神さん。それにしても、その名前は打ちこむのが難しい。。
略してverとしておこうかな。かっこいい〜(はあとまーく)
私は人妻なのでこのへんで。。
>>522 dendo さん
私も、アタナシウス信条をあまり評価しません。だらだら同じようなことを繰り返して
いるだけで、内容的な突っ込みが不足しているという感じです。ニカイア信条以下の
きちっと言うべきことを簡潔に言っているものの方がレベルが高いと思ってます。
>ALL 三位一体説を信じてもいない私が、これを擁護するかのような説明を繰り 返すのは疲れる作業です。誰か、三位一体を奉じている方、役割を代わっ ていただけませんか? 小さなヨハネ氏も、 *三位一体説の代理説明人としての私と、 *イエスはもともと人だったのが、だんだん神格化して、ついには神と され、唯一性とのかねあいを調整する必要から三位一体説なるものが形 成されたのだ、と考える本来の私 とを区別して対応するのが難しくなっているのではないでしょうか。
528 :
名無しさん@1周年 :02/01/03 23:13
SAKIKOのキャラ好きだな。けど人妻???本当に?
529 :
名無しさん@1周年 :02/01/03 23:15
ホントは男です(w
530 :
名無しさん@1周年 :02/01/03 23:56
子持ちのおばちゃん(w
(ΦωΦ)ふふふ・・・・・。 カッコイイだろうか・・・? と、じっと鏡を見る・・・。 ・・むぅ、どんなもんだか?
532 :
dendo. :02/01/04 00:44
>>527 同情するとともにつねにその勤勉にして誠実なること尊敬に値する
ブルネルス氏の困惑を、おそらくこのスレの読者のうち
小さなヨハネ氏だけが理解しないし、しようとしていないところが
このスレの問題であり、ブルネルス氏の悲劇だな、と思へり。
冷たいようですが、三位一体説に共感ものなれど 522 の理由で
つつしんで辞退させていただきます。つか、正教会に通いながら、
filioque にも一定の理解を示しているDQNだかーね。あたし。
あたしと三一論を語りあうことで、小さなヨハネ氏になにか利益があるとも思わないし。
(ただ、限定性一般を「"被限定者を限定するもの"として措定可能」と解釈する限りで
filioque も留保つきで可能なニカイア=コンスタンチノープルの読みだと
思うんだな。自然かどうかは疑問の余地なしとしないが)
533 :
名無しさん@1周年 :02/01/04 00:56
>>519 +520=ひまわり娘
(推定わかる人率25パーセント)
534 :
SAKIKO :02/01/04 06:46
ver3.0さんは小さなヨハネさんがタイプみたい。残念。
いやいや、そういう意味ではない。 小さなヨハネの信仰のありようは悪くないからな。 天主も温かい目を向けるだろう、と言うことよ(笑)。 が、前も言ったが、別に無神論でも結構。 おかしな宗教にはまったりしないのならずっとマシ。
536 :
小さなヨハネ :02/01/04 21:19
ああ、ブルネルスさん、大変ありがとうございました。ここまで よくお付き合い下さいました。私の旅はまだまだ先が見えないの ですが、おかげさまで道程がはかどりました。 ひとつだけお聞きするのを忘れていたのですが、ブルネルスさんは クリスチャンなのですか?
537 :
SAKIKO :02/01/04 21:38
信仰は人それぞれですよね。でも、長々と独自の論理を語られても 困るもの。読むほうの立場ってものを考えてほしい。 ブルネルスさんは知識あるのである意味で熱心なクリスチャンだと 思いますよ。どうなの?ブルネルスさん。。 小さなヨハネさんとあまり変わらない信仰に見えますね。
538 :
ふらんちぇすこ :02/01/05 00:09
このところ、多忙で2chをまともに読む暇も無いが、 このスレだけは、気になるので来た。 >SAKIKO ブルネルスは哲学史的観点から、三位一体を理解していると思うが? 「人間の知を超える存在」と前提される「神」という「概念」について、 古代の人々は三位一体という方法論で解き明かして来たわけだが、 哲学も同様に、人間の現実存在を超える「形而上」の物事を考えたりするけど、 そういう視点だろ。信仰というアプローチからじゃないだろう。「信仰するとは どういうことか?」といった考察はしてるかも知れないが、外部観察者の視点。 ここではブルネルスは単純に、既存のキリスト教神学の正しい説明をしているに 過ぎない。小さなヨハネはキリスト教の神学についてあまりにも無知であるのに、 それについて批判している構造がおかしい。というだけ。 SAKIKOは理解する必要はないよ。君の人生にとっては無駄なものだから 考える必要もない。だから余計なおせっかいを焼く必要もない。 無駄だと思うなら読まなきゃいいんだよ。 ま、このスレでSAKIKOのカキコがあるのがをれは息抜きになって好きだけどな。
539 :
ふらんちぇすこ :02/01/05 00:12
SAKIKOにはこのノリで哲学板に殴り込みにいって欲しいな。
540 :
SAKIKO :02/01/05 00:16
ふらんちぇすこさん、解説どうもありがとうございました。 哲学板へさらっと行ってみますね☆
541 :
ふらんちぇすこ :02/01/05 00:22
>>540 SAKIKO
おお。頑張れ。頼もしいな。
天主って、男かな、女かな、どっちだろう?
543 :
ふらんちぇすこ :02/01/05 00:43
小さなヨハネ >人間には時間と空間の中でしか考えることはそもそも 不可能なのです。 ということは、君もまた、人間の知には限界があり、神は無限の存在である と理解しているということかな?
つーか「父と子と精霊の名において」の「父」がイエスなの?「子」がイエスなの?
イエス=エホバ?
546 :
SAKIKO :02/01/05 01:17
哲学へ行って読みました。とてもついていけませんね。 だから書きこみもする気ない。あんなことばかり考えている人の気がしれません。 また徐々に哲学を読んでみます。(なかなか難しそう。。) 三位一体は、父が神で神の子がイエスと聖書のどこかの箇所に書かれてあった 気がする。基本ですよね。それが違うという小さなヨハネさんの書きこみに 理解ができません。
547 :
京都県民VIPがらすきスーカーパー(69)生カルパーチョ :02/01/05 01:18
ていうか
548 :
御霊が諸教会に言う声 :02/01/05 01:26
御霊が諸教会に言う声とは真理(日)と事実(月)と正しい情報(星) です。 「その時に起る患難の後、たちまち日は暗くなり、 月はその光を放つことをやめ、星は空から落ち、 天体は揺り動かされるであろう。」 マタイによる福音書24章29節 真理と事実と正しい情報が無くなれば、人々は 権威者のあらゆる洗脳を受け入れなければしかたが 無い状態になります。中世のカトリックの暗黒時代は 真理も事実も正しい情報も人々に与えず、権威者が人々を 洗脳し続けていたのです。カトリックはこのようなことを 行ってきました。 「荒らす憎むべきもの」が聖なる場所に立った時に このようになります。彼らは真理より法王の言葉を 聖なる場所に立たせ、事実や正しい情報より司祭の言葉を 上にしたのです。そして、日も月も星もなくなってしまいました。 世の中の光を彼らカトリックは全部消してしまったのです。 世の光とは神という言葉でもイエスキリストという文字でも ありません。真理と事実と正しい情報のことです。 人間は真理と事実と正しい情報があって、つまり、太陽と月と 星があって幸せに生きることが出来るのです。 太陽だけでも幸せに生きることが出来ます。つまり 真理だけでも幸せに生きることができるということです。 日を大切にしなければいけません。日は聖書の文字では ありません。その文字の理解です。神の肉を食べ、神の血を 飲めば永遠の命を得ることが出来ると書いてあります。 神を殺しその血を飲みますか、その肉を食べますか? そうではないでしょう、これは真理を愛し。善を愛しなさい ということです。仏典の叡智を得、慈悲を行うことと 同じです。叡智を追求し、慈悲を行う仏教徒は 永遠の命を得ます。叡智も愛さず、善も愛さず イエスキリストの十字架という文字を何度も何度も 脳に記憶するだけのプロテスタントの信者は永遠の 命を得ることができません真理とはそういうものです。わかりましたか? 真理とは聖書の文字ではなくて、その正しい意味だということを!
549 :
dendo. :02/01/05 01:38
>あんなことばかり考えている人の気がしれません。 いや、まあ、楽しいよ、それなりに。。
>536-538 のみなさま 私が「クリスチャン」かどうかをお尋ねですが、それは「クリスチャン」をどう定義す るかによると思います。 自分としては「クリスチャン」とは自称したくありません。 「イエスはメシア(キリスト)である」と信じる人たちというのが、ポスト・イエスの 時代に、ユダヤ教内に成立したグループ(後にキリスト教になるような)の最大公約数 の信念だったと思いますが、 現在の私は、そのようにも思ってないところがあります。あるいは判断中止しています。 私の正直なところをいえば、神には沈黙が相応しいのであり、人は何か、こうなったら 救いだと(例えば永遠の命を与えられたら救いだと)いうように思うこと自体が、神の 超越したあり方を認めずに、人間レベルにひきずりおろして考えることであるように 思います。 イエス=メシアだという主張をした人々は、神の沈黙に耐え切れずに、自分たちの欲求 にかなったストーリーをあの時点で思いついてしまったのではないでしょうか。 永遠の命が欲しい、という欲求を肯定する姿勢、あるいは復活がなければ希望もないな どというパウロの言葉など(パウロは私は相当好きなのですが)、どうも人の理解の低 さを自覚しないものと思うのです。そこで人間の欲求を肯定する基礎の上に築かれた、 壮大な虚構の体系は、見事ですが(スエデンボルグがなにを言おうが、小さい小さい!)、 虚構の体系だ、と思ってます。 さて、こういう私は「クリスチャン」ではないですよねえ。
550の続き ルターの「奴隷意志論」というのはご存知でしょうか。彼の思想の尖鋭な ところです。これは決して、自分はよいことをしたいのに、ついずるずる と悪をしてします、なんてえことなのではないのです。 人は免罪符を買うにせよ、自ら善いことを一生懸命するにせよ、(あるい はまた、「ただ信ぜよ」というにせよ)、それが自らが救われるためにそ うするのである以上、そこで「自分が善くなること」を求めているのだ ――それは神や他者のことではなく、自分のことを追求するエゴイズムに ほかならず、つまりそういう方向にしか人間の意志が働かないという意味 で、意志は悪へと向かわざるを得ない、というものです。 この主張に私は魅かれてきました。ルターのこの思想はルター自身に向け られた刃でもありましょう。 また、イスラムの思想の中にも(昨今話題の、テロリストたちが、アラー のために死んだら天国行きだと信じて、自爆テロに向かう、というその際 の動機づけとはまさに反対に)、アラーのためになにかをすることによっ て、自分が天国に行けるというような思いでするのは、不純であって、決 して真の信仰ではない、というようなものがあります。 このようなセンスを前提した上で、超越者への信仰があるのか、と聞かれ れば「自分ではよく分からんけど、あるかもしれない」と応えます。
天主が女性だったらみなさんどうする??? 天にまします我らが母になるのかな? ラブリーな女の子という線ってない?
553 :
小さなヨハネ :02/01/05 12:14
ブルネルスさん、ありがとうございました。たしかに、お聞きする ところによれば、現在のところブルネルスさんは「クリスチャン」 ではないように思います。 宗教、信仰、(神も?)が人知のなせる「思いつき」、あるいは「壮大な 虚構の体系」とお考えの方に何とご説明してよいか、自分の無知、無能、 非力のあまり、言葉を失ってしまいます。しかし、これだけは言えると 思うことは、「思いつき」であれ「虚構」であれ、それでも救われた実感 というものが厳然としてあるという事実です。
554 :
小さなヨハネ :02/01/05 12:16
飛行機に乗って雲の上に出る話をしましたが(
>>241 )、富士山に登る
のも同じです。私は以前は樹海をさまよっていました。富士山に登りた
くても、富士山がどれかも、登る道がどこかも分からなかったのです。
そしてようやく、スウェーデンボルグによってこれこそが目指す富士山
であり、登る道であると教わりました。(「不二山」とはよく言ったもの
です。)私にとって、スウェーデンボルグは五合目まで一気に連れて行っ
てくれる「富士スバルライン」でした。
視野がとても開けました。しかし、それは知るだけであり、自分の努力
で登ったのではなく、身に付いたものではありませんでした。(五合目
は自家用車や観光バスで来られる下界の限界でしかありません。)そこ
からがまた苦労の連続で、それは今でも続いている訳ですが、それでも
一歩進むごとに視界がさらに開けてきます。それは幻想だと、おっしゃ
るかもしれませんが、そうではないと感じます。
555 :
小さなヨハネ :02/01/05 12:18
ふらんちぇすこさん、
「人間の知には限界があり、神は無限の存在である」(
>>543 )とは
おっしゃるとおりだと思います。
確かに被造物である人間の知恵など、無限の存在である造物主の知恵に
比べたら無に等しいでしょう。地球上の人間の力は、太陽系の惑星を
生み出し、今もそれらを支え、エネルギーを供給し、維持している、
あの偉大な太陽の働きに比すべくもありません。太陽の光がなければ
暗黒で見えません。あるいは逆に太陽を直接目で見ることでさえ、まぶ
しくて、人間には出来ません。
しかしながら、サンダー・シングの言うように、私たちは太陽がある
ことを感知することは出来ます。それは太陽の暖かく、明るい光の中
にくれば自明です。(それでもそれは幻想だと言う人はいるかもしれま
せんが・・・。)それと同様、私たちには神を感知する能力を神は与え
てくださっているのではないかと思います。
556 :
小さなヨハネ :02/01/05 12:20
>>544 >>545 さん
私の考えでは、主イエスはエホバその方であり、父であり、子であり、
聖霊である方です。
557 :
ななしです :02/01/05 12:38
日本国が平和でありますように。 南無・・・・・。
これからは動乱の時代。 そういう俺は、あまり信用できないサキュバスが一人近くにいる。 確かに波乱でしょ?
559 :
SAKIKO :02/01/05 15:15
最近の若い人の考え方についていけません。ここを訪れると特に気になる。 実際必要なことは(小さなヨハネさんは女性ですよね?)お料理のレパートリーを 広げたり、お掃除の仕方を覚えることの方がもっと大事なんじゃないの? その方がクリスチャンらしい生活だと思いますが。 余計な思考錯誤ばかりしている人、結婚した時に何もできないようでは 大変でしょ。
560 :
SAKIKO :02/01/05 15:17
試行錯誤→思考錯誤の変換はワザとですよ。察知してねン♪
561 :
SAKIKO :02/01/05 16:03
哲学板また読んだよ。 あそこは哲学科を選んだ大学生のたまり場みたいよ。 私が書きこむ場所じゃない。>ふらんちぇすこ
562 :
フランチェスカB :02/01/05 21:15
ちょっと他スレにもありましたが…。 小さなヨハネさんは遠藤周作の「イエスの生涯」「キリストの誕生」 を読まれたことがありますか? これも、いわゆる「正統的」カトリ ックからは顰蹙を買っている、イエス伝的な論文というか著作なので すが。(いずれも新潮文庫にあります。) 私は皆さんのように高度に抽象的な神学についていける素養はありま せんで、以前に、神と被造物とをはっきり区別し、神は唯一の存在と 考えた方がすっきりして理解しやすいと書きました。 遠藤氏のこれらの著作には、類無き愛の人であったイエス、神は愛で あると説き、徴(現実における力、奇跡)ばかり求める民衆や、弟子 たちにさえも理解されなかったが、人々の重荷を最後まで背負おうと し続け、神の愛、絶対的な愛を身を以て証明したイエスが描かれてい ます。 そして、このイエスという一人の男の無残な死のあと、弟子たちの激 しい後悔と追慕、原始キリスト教会への迫害、パウロの登場、エルサ レム陥落という民族の危機、これらの激動を経て、イエスが尊敬する 師から主、メシア、神の子、さらに神そのものへと神格化されていっ た過程と、イエスのことをそう考えざるを得なかった、使徒や信徒た ちの内的必然性を、作家の目から追体験しようとしています。 こうしたイエスの人間像と弟子たちの心理的変遷は、私にはかなり蓋 然性があるように思えるのです。こういうイエスを遠藤氏は信仰対象 ではなく、悩み苦しむ人間の「永遠の同伴者」と呼んでいます。 こういう考え方はいかがですか?
563 :
小さなヨハネ :02/01/06 00:04
フランチェスカBさん、 遠藤周作さんの本は全く読んだことがありません。 以前から遠藤さんは主イエスのことを神と思っておられたのかなとは 疑問に思っておりました。フランチェスカBさんのお話では、人間と 思っておられた様子。 主イエスに「永遠の同伴者」という側面はもちろんあるでしょうが、私に はあくまで「神」としてです。たくさんの人に、主への興味を抱かせる 導入的な本として意義は充分あると思いますが、やはり通過点としての もののような気がします。救われるためには「同伴者」のみならず「救い 主である父なる神」とまで認識する必要があると考えるからです。
よっ!! 今やただの半荒らしのデンパ野郎ver3.0βだ。 神は(おそらく)三位一体。 しかし、その中身は謎に包まれているのだよ。 わははははl。
さて、そうね・・・。まず、小さなヨハネさん。 あたしは、宗教本なんかあまり読まない。読んでも理解出来ないもの。 ブリタニカ国際百科は、昔によく読んだわよ。 ただ、あたしが読んだのは宗教の話し以外のものよ。 スウェーデンボルグ主義に対しては、全くの無知ね。 昔は本を読んだはずですなどと、 人が言っていることに対して、勝手にそれを想像で 打ち消すような発言をするのは、あたしは良くないと思うわ。 相手があたしだから良かったけど、人によっては感情を害するものよ。 それから、天主の姿についてスウェーデンボルグはどう解き、 あなたがそれを支持するのは勝手だけど、 他の理論を知らないのに、間違いであると決め付けた時点で、 あなたの神理解は、残念ながら今はそれ程度って事よ。 イエズスの福音の原点に、もう一度戻ってみましょう。 何故、イエズスが愛しなさいというのか?許しなさいというのか? その意味が分からないことには、この問題も解ける事はないわ。 イエズスの福音は、律法を完成するものと、信者なら知っているはずよ。 三位一体のことについては、創世記の1章の2節にもヒントがあるわ。 そこには、水の上に神の霊が漂っていたとあるわ。 明確に、天主と霊がここで分けられているということも、 三位一体説の主張が、多数を占めた一つ意味でもあるでしょうね。
ブルネルスさん。 あたしの母の先祖達も、当時ではイエズスを主=メシアと考え、 天主という理解まではしてなかったようよ。 しかし、かなりパウロには不快感を持っていたようよ。
神様は名前を変えたのね。
568 :
cav ◆GA9BCNoI :02/01/06 01:33
俺様の警告を素直に受け入れた・・・なかなか奸臣???
569 :
dendo. :02/01/06 03:08
>主イエスに「永遠の同伴者」という側面はもちろんあるでしょうが、私に > はあくまで「神」としてです。 めまいがした。 どういう立場なんだろこれ。 えーとえーと、伝統的神学(つかメインストリームでは) イイスス(イエス)は神でありまた人でもあるのだが、 少なくともそれはわかった上で批判してるんだよね?>小さなヨハネ
570 :
小さなヨハネ :02/01/06 12:41
マリアさん 憶測でものを言い、大変申し訳ありませんでした。マリアさんがいろい ろなことをよくご存知なのだと思い、それらの知識はきっとたくさんの 本を(スウェーデンボルグを、という意味ではなく)学ばれたことによ って得られ、そして謙遜しておっしゃっておられるのだろうと思って申 し上げました。私の邪推であり、申し訳ありません。どうかお許しくだ さい。 三位一体論のたくさんの理論について私がよく知らないことは事実です。 ただ、従来の「並列的」と思われる三位一体論では、どのような理論構 成をするにせよ、結局「三神論」に繋がり、神の概念があいまいになっ て、弊害があると考えます。「重層的」三位一体論(これは単純な一神論 です)と、どちらも同じとは思えません。
571 :
小さなヨハネ :02/01/06 12:44
dendoさん 私は遠藤さんの『永遠の同伴者』の意味をよく知らずに書いてしまいま した。私はその言葉を、主はいつも一緒にいてくださる方、という単純な 意味に捉えました。間違えていたらすみません。 そして、ただの人で、のちに神にまで祀り上げられた方というのではな く、人の姿をとられてこの世に降られた唯一の父なる神であり、それか らも、いつも、今も私たちと共にいてくださる方という意味で自分は思 っていますというつもりで申し上げました。
572 :
名無しさん@1周年 :02/01/06 13:10
結局は独自の信仰を貫くのが小さなヨハネなんであって 他人に意見を求めるほどのスレッドでもないじゃん。
573 :
名無しさん@1周年 :02/01/06 13:16
小さなヨハネはどういう答えをすれば気が済むんだろ。
574 :
名無しさん@1周年 :02/01/06 13:41
みんなが自分の説に同意すれば気が済むんだよ。
神ではないからね、俺は。 ただ、俺にとっての神はただ一人のみ。 それが天主。 光であり、闇であり、創造と破壊を司るもの。 ゲームとかでよくある言葉だよね、これ。
576 :
ボーダー住民 :02/01/06 14:12
パウロ神学が見事な虚構の体系だというのは、奇しくも、スウェーデンボルグ的です。 これは私見ですが、パウロは、宣教の効率化を狙ったため、霊的メカニズムを阻害し ない程度に、知識を操作した。でも、本当に良くできている。 スウェーデンボルグが流行らないはずです。スウェーデンボルグはパウロ自身を 擁護しませんが、パウロの文章は、有益な宗教書と認めています。 それとは別に、スウェーデンボルグの言い分に一理ありと思っても、 やっぱりパウロの神学を信じていたいですね。
577 :
名無しさん@1周年 :02/01/06 14:29
ただの自己主張。 そうですよね。そうですそうです。(同意) 小さなヨハネ これで気が済んだか
578 :
名無しさん@1周年 :02/01/06 23:50
小さなヨハネさん、もう、この辺でやめましょう。 豚と野良犬ばかりに真珠を投げてやっても、 向き直って噛み付いてくる繰り返しです。 これらの善悪真偽もわからない、世の中を 良くしたいとも全く思っていない無意味な 蛆虫を相手にするのは、もう、やめて、 自分の傷ついた心を癒すために、もっと、 神の心を持った人のところにいって、 心を高めてください。これらの蛆虫は地獄 で苦しめばいいのです。小さなヨハネさん もう、十分です。価値がわからない豚や 何でも噛み付く野良犬や蛆虫にかかわり、自分を 落とすことはありません。もう、十分です。 我々と世の中を良くするにはどうしたらいいかを 考えましょう。これらの蛆虫は排泄物にたかるやからです。 真珠や美しいものにたからしてはいけません。 この世にはこのような善も真理も愛さないやからが 非常に多くなって来ています。特に日本には教育により これらの蛆虫が排出されています。政治家や官僚も 蛆虫です。日本は蛆虫の国になってしまいましたので 豚や野良犬にたからせなければ、善が行えないのも 事実ですが、あまりにも見ていられません。 蛆虫は捨て置いて、神の心を持ったもので、世の中が 良くなるためにはどうするのかを考えましょう。
579 :
名無しさん@1周年 :02/01/06 23:57
人間性で人を計るなんて、傲慢なクリスチャンだな おごり高ぶるのもいい加減にしろよ!>578
580 :
名無しさん@1周年 :02/01/06 23:59
>579 え、じゃあ他に何で人を計るの? ああ、そうか、策略で人を謀ればいいのか。
581 :
名無しさん@1周年 :02/01/07 00:06
クリスチャンは日本の人口のたった1パーセントに満たない。 教会に来る人はそれ以下。 クリスチャンのほかに立派な人はたくさんいます。 仏教にかなわないんじゃないの? 逆にいじわるなクリスチャンもいます。 人間性で教会員を測ることほどみっともない、身の程知らずってもの です。やめましょう。
>>578 人間を蛆虫と言うお前が、神がどうのこうのというのはおかしいな。
小さなヨハネをどうするつもりだ?
策略を使っているのはお前だろう。
小さなヨハネもこんなのはほっとけよ。
元神(♂)からの忠告だ。
584 :
SAKIKO :02/01/07 00:15
>>581 かなり悟っていますね。視野がひろい。
ちいさなヨハネさん、あなたかなり視野狭いよ。
(自分は視野広いと思っているでしょうが)
585 :
SAKIKO :02/01/07 00:34
ver3.0さんって、やっぱり小さなヨハネが好みみたいね☆ どうぞ仲良く。
>>585 真面目だからさ。それは買える。
って、いうか、俺は女いるんだが、ちゃんと。
女神のような、な・・・(笑)。
あと、可愛いサキュバスが一人いる。
こっちはトラブルメーカー。
587 :
小さなヨハネ :02/01/07 23:13
>>578 さん
ありがとう。ですけれど、わたしも本性は豚で犬で蛆虫です。この方々
は真理をご存じないので私に反対しておられるだけなのです。
さて、いよいよ、主がなぜこの世に来られたのか説明しなければなりま
せん。いくつもの理由があるようなのですが、実はむずかしくて、自分
でもよく理解できていないのです。私はただの受け売りだと言われます
が、受け売りでいいので、もっと受け売りできる才能があればと思い
ます。明日から少しづつ順不同で書きます。
もし、どなたか、従来の説ではどう説明しているのか教えていただけたら
参考になってありがたいのですが。不勉強で面目ありません。
588 :
dendo. :02/01/07 23:43
>>587 あなたが説く父=子論が「真理」だったとしても
あなたが西方的三一論をスタンダードな理解に立った上で批判しているわけ
ではないという事実は残るんだよ。
^^^^^^^^
ブルネルス氏ってほんと偉いよな。。
小さいヨハネさん、あらあら、お答えしましょう。 >三位一体論のたくさんの理論について私がよく知らないことは事実です。 >ただ、従来の「並列的」と思われる三位一体論では、どのような理論構 >成をするにせよ、結局「三神論」に繋がり、神の概念があいまいになっ >て、弊害があると考えます。 であるなら、あなたは反対説を的確に理解するべきね。 あなたはそれを悪いと決め付けて、理解しようとはしないわね。 あなたがイエズスに従う者であるならば、 イエズスの福音から捉えて、ものを考えてみるべきでしょう。 他を理解しないまま拒絶することが良いことなのか? はたまた良くないことなのか?と考えてみるべきでしょう。 批判は簡単な思い込みで、するべきではないわ。
590 :
小さなヨハネ :02/01/08 00:35
>>588 dendoさん
dendoさんのご指摘は全くそのとおりです。しかし、どうか冷たいこ
とをおっしゃらずにスタンダードなところの主の来られた理由を少し説明
していただけませんか?
591 :
小さなヨハネ :02/01/08 00:41
>>590 マリアさん
先日は邪推して申し訳ありませんでした。マリアさんは福音から
主の来られた理由をどう捉えておられるのか、もしお差支えなけ
れば具体的に教えていただけませんか?
592 :
名無しさん@1周年 :02/01/08 02:32
イエスが生まれたとき、3人のアラビアの王がイエスのもとを訪ね、 敬意をあらわしました。そのうちのひとりは、 その子が神を愛する人になるだろうと強く感じました。 ふたりめは、この子は神から愛される人になるだろうと言い、 3人目は、この人こそはまさしく神であると感じました。 人はそれぞれ違うのですから、意見も人によってさまざまです。 古代の人々はさまざまに違ったものの中にただひとつのものを見ていたのに、 現代の人々は、ただひとつのものをさまざまに違ったものに切り刻んでいます。
593 :
dendo. :02/01/08 03:07
あたし、死亡者の確定申告書の空欄を埋めるのに忙しいの。
594 :
御霊が諸教会に言う声 :02/01/08 06:16
真理と事実と正しい情報はすべて光です。人間を見える状態で 進ませてくれます。しかし、カトリックとプロテスタントは 自分達の権威の失墜を恐れて、これらの真理も事実もこの世界に 与えることなく、排除し、否定し、忌み嫌ってきました。 神様から死後の世界の霊とのつながりを許され、人々に 死後の世界を見せようとする神の思いを身に受けた霊的な 女性達をカトリックは何も悪を行っていないのに、霊的だという理由だけで 宗教裁判にかけ、火あぶりにして焼き殺しました。 また、死後の世界をこの世の人々にあからさまに見せ 霊的な真理をあらゆる人にあらわし、死後の世界はどうなっているのか と思い悩む人々に光を与えようとされた神の思いを うけ、死後の世界をこの世に克明に現したスエデンボルグの霊界の事実を、排除し 認めない、世の中に光を全く与えないカトリックとプロテスタントの は神様から見れば恐竜であり、最悪の獣です。 みなさんはこれらの恐竜と獣に洗脳されています。 みなさんの手と額は洗脳され、行動も思考もこれらの獣に 洗脳されています。 「 また、小さき者にも、大いなる者にも、富める者にも、貧しき者にも、 自由人にも、奴隷にも、すべての人々に、その右の手あるいは額に刻印を押させ、 この刻印のない者はみな、物を買うことも売ることもできないようにした。 この刻印は、その獣の名、または、その名の数字のことである。」 黙示録13、16〜17
595 :
御霊が諸教会に言う声 :02/01/08 06:32
「 また、小さき者にも、大いなる者にも、富める者にも、貧しき者にも、 自由人にも、奴隷にも、すべての人々に、その右の手あるいは額に刻印を押させ、 この刻印のない者はみな、物を買うことも売ることもできないようにした。 この刻印は、その獣の名、または、その名の数字のことである。」 黙示録13、16〜17 皆さんは、自分達が手(行動)やひたい(思考)に刻印を 押され、獣の子供にされていること、つまり、洗脳されている ことを知らないでしょう。アメリカ大統領から、田舎のおばあさんまで じつは洗脳されています。その洗脳は文字や言葉による 洗脳よりもっと恐ろしい、社会的雰囲気による洗脳です。 カトリックとプロテスタントは西洋ヨーロッパ文明の中に この洗脳を埋め込み、西洋ヨーロッパ文明を受け入れる 社会に自分達の子供を生みつけています。 たとえば、形で人間を判断する行為、これは西洋ヨーロッパ文明 を受け入れなければ得ることが出来ないものです。 死後の世界を心では決して信じない心、普遍的真理を排斥する 心、もっとありますが、これらの心を西洋ヨーロッパ文明 を受け入れた人々の心に産み付けられています。 それは寄生蜂が宿主の身体に針を刺し、卵を産み付けるような もので、カトリックとプロテスタントはこのような 卵を西洋ヨーロッパ文明という針に載せて、それを受け入れた 人々の身体に生みつけ、やがて、その卵はかえり、その人間を 蝕み、殺します。そして、その人間を獣にしてしまうのです。 皆さんはテレビのアボリジニやインディオを見て、なんと 不潔なと思ったときに自分の中にあるカトリックとプロテスタントの 卵を見つけなければいけません。もし、見つけることが 出来なければ、この卵は孵化し必ず、あなたを殺します。
596 :
小さなヨハネ :02/01/08 21:11
ところで、私は従来の考え方を理解しようとしないと、このスレッドで たびたび非難されたように思います。 しかし、それは真実ではありません。実は理解しようにも、中味が無い のです。空疎な理論を理解したくとも、無い物は理解できません。 私が、どうぞ中味をお示し下さい、具体的に説明して下さいと何度も お願いしたのはそのためです。
597 :
小さなヨハネ :02/01/08 21:13
皆さんが従来の理論は素晴らしいとお思いかも知れませんが、それは 単なる錯覚です。だれもそれを理解した者はいないのです。 つまり、「透明な着物」を示されて、素晴らしい素晴らしいと思っている だけなのです。そのために口を開けば神は「不可知」であるとか、 理解できない・理解しようとしない者が悪い、と主張するだけの不毛 な議論に陥ってしまうのです。 誰もその着物(その真理の内容)を見た(理解した)者はいません。 そうです。王様は裸だったのです。私は「王様は裸だ」と言っただけな のです。
599 :
小さなヨハネ :02/01/08 21:15
私から、ではその着物(真理・理論)を見せて下さいと言われて、皆さん が理解しておられたら、とっくに見せて下さったでしょう。なぜなら、皆 さんは知っているのに教えないような不親切な方々ではないからです。 神学大全(もちろん私は読んだことはありませんが)を書いたトマス・ アキナスが、晩年、幻で示されたのか、これまでに自分の書いたものは 「藁屑」のようなものだったと言って、それ以上何も書こうとしなく なったというような話を清水書院の新書で見た記憶があります。恐らく 主はそのことを彼に示されたのではないかと推測します。
600 :
小さなヨハネ :02/01/08 21:16
スウェーデンボルグのみがすべてであり、万能だなどと主張するつもりは 全くありません。それはあくまでも五合目(神を認識する)までなのです。 そこから先は霊的な実践であり、修養です。別にスウェーデンボルグでなく ても、五合目まで来れる人や、すでにその上におられる方には不要でしょう。 カトリック、正教、プロテスタントの伝統には素晴らしいものがたくさん あると思います。仏教や回教もそうでしょう。 しかし、スウェーデンボルグはすべての宗教・教派に対して霊的な真理を 提供するでしょう。それは、彼が考え出したものではなく、主からの啓示 だろうからです。現在スウェーデンボルグ主義の教会というものが世にあり ますが、別にスウェーデンボルグ自身は自分の主張する宗教教派を作ろう とはしませんでした。彼は黙示録に出てくる「新しいエルサレムが天か ら降ってくる」とは、キリスト教会の教義が主を神と認めるものに変わる ことを意味しているだけであると言いました。なぜなら、現在のキリスト 教では主は唯一の神とは殆ど認められていないからです。
601 :
小さなヨハネ :02/01/08 22:55
さて、父なる神である主が人間となってこの世に降られた理由を申し上げ れば、第一に、神を忘れてしまった人類に神を認識させ、思い出させるため であったでしょう。 人間は死後、(大半は中間の霊界を経た後)天界かあるいは地獄に行って、 永遠に生きるそうです。どんな宗教であれ、唯一の神を信じ、愛し(神へ の愛を抱き)、神の掟に従って善良な生活を送った(隣人愛に生きた)者は 天界へ行き、神を否定し、自己愛(支配欲、名誉欲、傲慢、軽蔑、利己主義) や世間愛(金銭欲、物欲、快楽)に生きた者は地獄へ、それぞれの同類の いるところへ自分から行くそうです。天界へ行った者が「天使」であり、 地獄へ行った者が「悪魔、サタン」です。かれらはすべて、以前はこの世の 人間だったのです。
602 :
小さなヨハネ :02/01/08 22:57
「最古代」の人間は神を知り、善良で、知恵に満ち、この世でも死後も 幸せにくらしていました。この時代を「黄金時代」と呼び、その時代の 教会を「最古代教会」といい、旧約聖書の「アダムとイブ」とはその時代の 教会、あるいはその時代の人々を意味しているそうです。「エデンの園」とは 「最古代教会」の人々の素晴らしい「知恵、認識能力」を意味します。 ちなみに、「アダムとイブ」が最初の人間の男と女を意味しているのでない ことは、彼らの子供である、カインが弟のアベルを殺した後、人々から 殺されることを恐れたという記述(創世記4・14)からも明らかです。 最初の人類の子供が「人々から」殺されるはずもないからです。 ちなみに、「カイン」とは教条主義となってしまった信仰、「アベル」とは 愛を意味しています。教会は時間が経つと、教条主義に陥って、愛を殺して しまうという意味です。
603 :
小さなヨハネ :02/01/08 22:59
そのように聖書の言葉には単純な自然的な文字の意味だけではなく、霊的な 「内意」があります。主が譬えを用いないで話す事はなかった(マルコ4 ・34)、と言われるのはこのことです。その「内意」を知らなければ 聖書を正しく理解することは極めて困難です。スウェーデンボルグは私たち に聖書の言葉の「内意」を教えてくれます。
604 :
御霊が諸教会に言う声 :02/01/08 23:15
「ヨハネのバプテスマはどこからきたのであったか。天からであったか、 人からであったか」 マタイによる福音書21、24 カトリックとプロテスタントに聞きます。スエデンボルグの 霊界の事実と神の言葉の霊的な意味の説明は神が許されて 行われたものか?地獄の悪魔からのものか? どっちですか?あなたがたは神がこの世界の人々の 死への悲しみをどうにかして取ってあげようとして スエデンボルグに霊の世界を克明に見せ、人々に知らしめ ようとした心がわかりませんか? 聖書の深い意味をあらわして、あいまいになっていた 聖書の理解をはっきりさせ聖書の理解の誤りから 人々が不幸にならないようにされた心がわかりませんか? みことばの霊的意味と霊界の事実をこの世に表され 世の中を良くし、人間を幸せにしようとされたのは誰ですか? みことばの霊的意味と霊界の事実を見れば、死後の世界が わかり、すべての人は今まで、死んだら終りなんだと思っていた 心が永遠に生きるということがわかり、喜びと 平安が得られます。みことばの霊的意味は善悪真偽の 正しい判断を世の中に示します。そうして、世の中を 確実に良くします。世の中を良くし、人間を幸せにする ものは神から来るものですか?それとも悪魔からくるものですか? それに引きかえ、あなたがた、カトリックとプロテスタントは歴史的に 何をしてきました。人々に真理も事実も情報も与えず、霊的女性を 火あぶりにし、真理を追究する科学者を宗教裁判にかけ アメリカインディアンを惨殺し、インカ帝国を滅ぼし 環境を破壊し、西洋ヨーロッパ文明を受け入れた国々の人々の 心を破壊し続けています。神様はあなた方を竜や獣と 黙示録で名指しで批判されています。これはあなたがたの歴史的 悪が示しているでしょう。 こうしてイザヤの言った預言が、彼らの上に成就したのである。 『あなたがたは聞くには聞くが、決して悟らない。見るには見るが、 決して認めない。 この民の心は鈍くなり、その耳は聞えにくく、 その目は閉じている。それは、彼らが目で見ず、耳で聞かず、 心で悟らず、悔い改めていやされることがないためである』。 マタイによる福音書13、13〜15
>>591 邪推の話はもう終わったことよ。もうしなくていいのよ。
そうね。あたしの理解だと、福音は良き知らせ。
神の国が近づいた=全てを混乱(良い意味の混乱)をさせるためと、
その後に訪れる和解の予告のために、現れたのでしょうね。
そして、その和解への道に全ての人を導くために福音を伝えたのでしょう。
この和解とは、真に天主から来るものであり、
そのために全ての人が、人の真の姿に立ち返った時に気付く、
まるで言葉で説明できないような、世界がそこにあるのよ。
正統論では、自ら生贄となり十字架の贖罪が重要視されるわ。
それ以前の一切の人から出た罪を贖った救い主というところ。
それから、この救い主が伝えた福音によって人は新しくされる。
あたしは、これも支持はするけれど、
それだけで終わらせるのは、ちょっと尻切れトンボ。
その後の時の流れも参考にして、勝手に付け加えるわ。
愛と許しについて、イエズスの理解をして、 この道を全ての宗教の概念の中に、組み入れることができれば、 互いを理解し合い、対立せず、互いの不理解から出た、 過去の過ちを互いに許し合えるでしょうね。 その時に、全ての民はエルサレム=平安の都にいるでしょうね。 それまでは、互いに疑い、誤解し、争うでしょう。 しかし、互いに自分の教えを見つめ直し、互いの教えも見つめ直せば、 そこには一つの真理があり、一つのものから下された救いがあるでしょうね。 イエズスは、律法の上に福音を置いたわ。 この福音は、全ての普遍の核でもある。 うちの伯父のような神道の神主でも、イエズスの福音については、 「このお方は真に神人の一人であらせられる」と言わしめる。 どちらかといえば、現在主流のキリスト教理解より、 あたしの神道的立場から見ると、イエズスは非常に神道的な方ね。 本当の神道をイエズスは体現し、来て見せてくれた方に見えるわね。
小さなヨハネさん
残念ながら、あなたは他の理論を理解する気は無いということ。
そうであるならば、所詮はあなたはその程度の人だということ。
神のある一面を見て、それのみを正しいといって他を否定する
これまでの人たちと何も変わりは無い。
>>604 受け手の人が、それのみを正しいといい、
他の天主からの人々に授けられた恵みまでも
点検せず否定に走るなら、それは人の傲慢による技。サタンの技。
天主という存在への、不理解から来る傲慢な技。
天主は普遍の存在であり、全ての源。
サタンは試す者。サタンを越えれば神が見えましょう。
多くの者は試しを理解出来ない。
まだ神を見ることが出来ず、他を否定する。
何と悲しきことか。しかし、これも試練であり試しであるわね。
608 :
ver3.0β ◆hL8vyfXE :02/01/09 04:11
はてさて、俺も書きこんでおくか。 ちいさなヨハネ、神のことについて考えるのものいいがな。 人としてどう生きるべきか、それを考えるほうが早道かもよ。 そっちを考えないで、ヤマ張るといかんねぇ。 困りものだが可愛いサキュバスは去っていった・・。 また、次の世で会えるかも知れぬが。 つーか、父なる神か・・・(苦笑)。 天主は父だったり、母だったりするぞ。 最初で最後のものだしな。俺としては、「父なる神」が天主ってのは違和感あり。 って、ことで、マリアさんどうよ? 父、って男性として呼ぶなら・・・。 凄い笑える(笑)。 主は主、って事にしとけや。 男だって勝手に思ったのは男の宗教家だろうな〜。
609 :
名無しさん@1周年 :02/01/09 04:51
スエデンボルグの著作を読んでいる者からしたら、
小さなヨハネさんの言ってることも分からなくもないのだけどね。
でもスエデンボルグの著作は、
彼の時代の主にキリスト教圏の人に対して書かれた物だと思うので、
その辺は考えた方がいいと思う。
あと三位一体論にあまりこだわりすぎるのもどうかと思います。
>>606 キリストが神道的というのは良いですね。
スエデンボルグの教えも神道的といえると思いますよ
>>608 そうね。福音に沿って生きるという事が、
分からないようなら、神の話しを語ることは難しいわね。
神から離れ、自分の妄想の世界に引きこもるからね。
天主というものは、男も女も超えたもので、
旧約聖書の神は何故父というのかというと、
男系のユダヤ人では、父的な性格を見たのよ。砂漠の民だからね。
母の家の言い伝えでは、昔は母といえば、地を指すことが多かったらしいわ。
母であるチリが固まったものの中に、父は息を吹き入れる。
父には意思があるが、地は父によって作られているから、
母である地は父に対して従順で、
意思は全て父から来たものとも考えていたらしいの。
まぁ、これは母の氏族だけでしょうね。
他の氏族では、別の伝承もあったでしょうね・・・。
大体、ユダヤ人といっても、元は氏族の連合体だから、
神の捉えといっても、色んな捉えが昔はあったのよ。
神意を受け、モーセがそれを一つに統一したのが旧約の始まり。
本来はヤーヴェ神とは、一つであり、また各氏族の神々であったの。
日本人は、父系母系両方の民族が交わっているから、
天主である天之御中主という存在は、父でも母でもないのよ。
人間に関与する高天原主宰神は、太陽である天照大神という女神。
天主は人間の捉えからは遠く及ばないものなのよ。
全ての起源の神という捉えであるから、人間世界に関与はしない。
ユダヤ教=キリスト教=イスラム教の捉えというのは、
神道の神全てを一つにしたような感じの捉えよ。
まぁ、神道も一つの存在から始まっているから、
正確に言うと、神道の神は天主の一つ一つの性格を現しているものよ。
>>609 あたしは良く知らないけど、スウェーデンボルグの
三位一体の否定は、ちょっと人間的に考えすぎてしまったわね。
まぁ、これはキリスト教社会で生きていたせいでしょうだし、
人だから、判断ミスも犯すでしょう。
天主の世界は、人智では解明が難しいと思うし、
あんまり人間的に捉えると失敗する存在であるわね。
むしろ、三位一体という姿も、またそうだし、
一神という姿もまたそうであるし、
全ての神々の源であり、正体という姿もまたそうであるし、
あたしには、どれもそうであるので、どれも正解でしょうと言うしかないのよ。
612 :
名無しさん@1周年 :02/01/09 15:42
ノリローゼぎみ・・・
>>610 そうだな〜(笑)。
天主は確かに男性も女性も超えたもの。
男でもあり女でもあり○○でもあるだろう。
三位一体であるからね。
で、そういうわたしはサキュバスが去った後、
陰険なトラップを掃除してもらい、宇宙最強の蛇と猫が遊びに来て、
エッチな化け物を退治してもらった所。
なかなか危険もあったので、現在ハイパーモードです。
と、いう妄想の世界に引きこもっております(笑)。
こうなっちゃいかんよ、小さなヨハネ。
614 :
名無しさん@1周年 :02/01/09 22:10
スエデンボルグの事はよく知りませんが、 小さなヨハネさんの「キリスト=父なる神論」には、 知識や理論よりは経験に基づく確信という印象を受けました。 何らかの神秘体験をとおして「神からじかに教わった」という確信を 持っておられるのではありませんか?
>>614 スウェーデンボルグの本を読んで、
目が開かれたのでしょうね。
それはそれでいいことなんだけどね。
どちらにしろ、福音的視点に立たないと、
キリスト教の天主というものは見えて来ないと思うわね。
これは、あたしの経験上だけど・・・。
616 :
小さなヨハネ :02/01/09 23:13
(すみません、614さん、615マリアさんの分を読まずに書いたものです。) マリアさん あなたは、では誰を神と信じておられるのですか?あれも神、これも神、 なら多神教なのですか?あなたはイエス・キリストは誰だと言われるの ですか?福音に沿って生きる(610)とは御自身のことをおっしゃっ ているのですか? さらに、あなたは私に人の理論を理解する気がないと言われますが、 あなたはスウェーデンボルグの三位一体論を理解して判断ミスとおっ しゃっているのですか(611)?もし、理解して言われているなら もう少し具体的に理由を説明してください。もし、理解せずに言われて いるなら私と同じということですか?
617 :
小さなヨハネ :02/01/09 23:17
ver3.0さん なるほど、主とはすべてのすべてですが、一応私たちには「父」と把握 しなさいというご命令なのでしょう。 なぜなら「天にまします我らの父よ」(マタイ6・9)と祈りなさいと 主はいわれるからです。また、主御自身、実際男性のイエス・キリスト としてこの世に来られました。 ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。 ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。 権威が彼の肩にある。その名は「驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、 平和の君」と唱えられる。(イザヤ9・5、他にもイザヤ7・14) マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。(マタイ1・ 21) 母については聖母を与えて下さいました。 「見なさい、あなたの母です」(ヨハネ19・27)
618 :
小さなヨハネ :02/01/09 23:58
>>614 さん
神秘体験など全くありません。ただ、スウェーデンボルグで聖書の
「内意」を学んでゆくと、それまで全く意味が分からなかった聖書の
文章の内容がだんだんと分かってくるのです。これはすごいことで、
スウェーデンボルグは実際それは、主が私たちを照らされるのだ(照示)
と言います。主はひとりひとりに聖書の聖言を通して、語りかけられる
のだそうです。
>>616 意味が分からないのも無理はないでしょう。
まず、天主と神という概念の違いを教えるわね。
一神教と多神教の対立は、全く違うものを指しているのに、
互いにそれが間違っていると思い込んでるの。
天主というのは、全ての源である存在。
神というのは、太陽神なら太陽の力を指す例えとか捉え。
月なら月神の力を指す例えとか捉えなの。
さて、イエズスについては、あたしははっきり書いたわね。
あたしの答えに、理解出来ないということね。
なら、どこが理解出来ないか、質問してごらんなさい。
またスウェーデンボルグの見解についての
あたしの感想については、
三位一体論を否定して父なる神論を持ってきたことについては、
あたしはそう見えたのなら、そう見えたで良いと言っているの。
実際にそう見えたのでしょうから。
620 :
名無しさん@一周年 :02/01/10 00:27
このスレをコピーしてレポート提出にするからみんな頑張って
マホメットも、三位一体論が理解出来なくて、 誰かの噂を鵜呑みにして、 父と母と子が三位一体論だと間違っていたもの。 この場合も一緒。父と子と聖霊の本質は同じとか、 父と子と聖霊という捉えとか、発出されたとかいう 概念があなた方に非常に難解であると思うの。 だから、理解が出来てないということなの。 例えを出しても、よく分からなかったでしょ? でも、あなたは、元々理解などはしたくないという気はあるわ。 そうでなければ、論を読み解いてみてから、 このスレッドを立てたことでしょう。 一つのものを見る時、見え方というのはね、 見る角度によって色々に見えるのよ。 だから、色んな角度から見ていく必要があるのよ。 スウェーデンボルグもあなたも、 ある角度から見た天主理解に、留まっているのよ。 三位一体論を超えようと思うなら、 三位一体論の角度からも見てみることよ。
>>617 まあそうね、父は父でいいかな?
男として現れる方が都合がいいことが多いからな。
でも、天主はどのようにでもなれる。
人間の常識的なものではないね。
天主のことを考えるのもいいが、まずは人の道。
そうすると自然にわかるかも。
最近の俺はますますデンパになってるが、これはいえるねぇ(笑)。
あんまりはまり過ぎない程度にはまる様にね〜。
あたしの話しは難しいかしらね? 要は分からない話を間違いだと単純に捉えるのは、 間違いだという話をしているのでもあるのだけどね。
ver3.0βは、「なにか」のバージョンの3世代目。 βは、正式採用一歩手前。 「なにか」が想像つきますか? 想像つく人は、つく、の一言(笑)。 わかれば凄い。 三位一体、それは・・・。 ただ一つの神が、男+女+中性に気質を分けて分離したものである!! 真偽はいかに? ワハハヽ(^▽^)人(^▽^)人(^▽^)ノワハハ
626 :
名無しさん@一周年 :02/01/10 19:00
>>620 どーせ2chに著作権ないしいいんじゃない?
小さなヨハネさんに申し上げます。 私が三位一体を攻撃するのは、以下の理由です。 現代社会の歪みの根底には、 現在の支配的な文明である西洋文明の歪みがあり、 西洋文明の歪みの元は、西洋人の意識の歪みであり、 その元には、キリスト教の歪みがあり、 その歪みの元が、三位一体だからです。 西洋文明の臭気を嗅いだ未開人の文化は、ほぼ確実に堕落し、壊滅していきます。 それは、実は神よりも、エゴを大切にする社会だからです。 西洋文明の中核の神は、キリスト教が提示し続けていますが、 その神には実体がない虚像なので、人間はエゴを中心に据えました。。 現代文明が歪みを無くし、 多くの未開文化のような輝きを取り戻せば、我々は大変に幸せになります。 子供達にすばらしい世界を残すためには、これしか方法はないと思っています。 私は、もう傷ついてもかまいません。 ただ、子供に傷を与えることは、恐ろしい耐えられないことです。 現代文明は、確実に子供の心を歪め、傷つける社会です。 三位一体を核としたキリスト教が真の一神教になるか、 真の意味で真理が普及してキリスト教が全く権威を失ってしまうか、 いずれにせよこの世を歪める臭気を沸き出している臭い臭い三位一体を消しさらねば、 世界は臭いままです。 人間は自然にのびのびと、清明に正直に生きていれば、 かならず口には出さなくとも心の底から一人の神を信じ、幸福になります。 それを阻む現代文明を、なんとしても撃沈しなくてはなりません。 そのためには三位一体の臭気を絶たなくてはならないのです。
>>627 三位一体は、日本にも良く似た概念はあるし、
世界中どこにでも転がっているような話しよ。
また少し違うわね。
>>627 天主は唯一なの。でも、三位一体。
それでもいいじゃないか・・・。
人間の常識外なんだから、どうせ。
ま、どっちにしても気にしないと思いますぜ。天主は。
何が真実であったとしても、このスレッドが天主にとって珍問答なのは、
まず間違い無いな。
人間は人間としての生を全うすれば良いだけ。
寛容と友愛を持ち、他人を陥れたりしない事。
もしそうなら、無神論者でも結構。
「神に仕える」と言う名目で我欲を貪る輩が実は一番嫌われとる。
630 :
ボーダー住民 :02/01/10 21:53
スウェーデンボルグ主義者って、本当に言葉が悪いよね。まるでファリサイ人だ…。 スウェーデンボルグはもっと良いことも言っているぞ。 やっぱり、ああいう仲間になってしまうと思うと、スウェーデンボルグにはまりたくないよ。 人は外見で判断するからな。外見さえも繕えないほどなら、中身は知れてると思われても仕方ない。 やっぱり、キリスト教文化の持ってきた民主主義を非難するくらいだからな。 話し合いとはどういうことかってところからして、知らないんだと思うよ。 それに比べたら、民主主義は偉いよ。こういう反対思想の持ち主も、自由に喋らせておく。懐が広い。 実を見て判断せよと言われたら、やっぱり、スウェーデンボルグ主義者はご免だ。 って、いくら言ってやっても、わかんねーんだろうなー。 そーゆー人間しか作らないのか、スウェーデンボルグは? わかってんの?
スウェーデンボルグは、他を否定するような、 そんな気はなかったと思いたいわね。 あちらへ行ってきた人なら、分かるはずと思うけど・・・。
632 :
小さなヨハネ :02/01/11 01:07
>>619 マリアさん、「神」というのはいわゆる神ではなくて、「天主」が神
というのは分かりました。その「天主」を信ずる一神教ということですか?
イエズスをマリアさんが「天主」(父)と捉えておられるのか、「子」と
捉えておられるのか、このスレッドを全部読み返してみましたが、よく分
かりませんでした。色々な見え方があるというお話は分かりますが、マリア
さん御自身は結局どうお考えなのですか?人がこう見ているという話で
はなく、アリアさんの見方を教えて下さい。
スウェーデンボルグはそれでよいなら、なぜ判断ミス(
>>611 )と言われた
のですか?(
>>589 )「他を理解しないまま拒絶することが良いことなのか?
はたまた良くないことなのか?と考えてみるべきでしょう。
批判は簡単な思い込みで、するべきではないわ。」
と言われているのは、では何なのですか?
>>621 マリアさん、難解ではありませんし、私は理解などしたくないのでは
ありません。理解する中身が無いということに気がついたのでこのスレッド
を立てたのです。難解で中身があるというなら、どうぞ中身を示してください。
634 :
小さなヨハネ :02/01/11 01:10
>>627 esさん
おもしろいですね。しかし、時間の問題だと思います。インターネットは
悪魔の誤算でした。これのおかげで、従来の三位一体説はあっという間に
共産主義のように、前時代の遺物になるのではないでしょうか?
私のように無知な者から「王様は裸だ!」と言われるのですから。
>>632 あたしは今は神道の巫女。何度も書いているでしょうに。
それから、あたしにはあなた達の一位格一神論でも、
太古からの概念である、この世の柱三柱の概念に沿った三位格一神論でも、
その人がそれで理解出来るのなら、別にそれでいいと思う。
互いに間違えだとか、馬鹿騒ぎしなければね。
でも、ここでははっきり馬鹿騒ぎしているわけよ。だから文句がある。
それから三位一体については、太古の人類共通の普遍的概念に
この世の柱は三柱であるという概念があったの。
この概念が何故起こったか?まぁ、身の回りを見渡してみなさい。
それで、ユダヤ人と神道の日本人は、
今でも神を数える時は一柱、二柱、三柱・・・と数えるの。
当然、旧約聖書もこの法則に従って書かれているの。
今のユダヤ人は忘れてるかも知れないし、
忘れていたほうが彼らには都合がいいかも知れないけどね・・・。
でも、生命の木に描かれている柱の数を御覧なさい。
また、ユダヤの神はヤハウェ、アドナイ、エロヒムの三位格がある。
アドナイは、ヤハウェの代わりに唱えられた主という意味だけどね。
その裏には、わざとそう呼ばせているところもあるのよ。
旧約では、父なる神が居り、言葉が発出して、
聖霊も発出したことを書いているの。
この三つの柱がこの世の三柱、天主なわけ。
三位一体論は、三神一体論でも並立論でもなく、
一神にて三つの位格の一体論なの。
あなたは、多分こういう原則を理解してないなら、
太古よりの三柱から続く三位一体の意味が理解出来ないわけ。
何も分かっていないのに、否定しているとはこういう意味なの。
そりゃ、見え方の違いで三神になった場所もあれば、
一神になっているところもあるけど、三柱はこの世の共通概念なの。
当然、神道のように、三柱の伝承をそのまま守っている場所もある。
これは、イスラエルの民がイスラエルの民になる前からの伝承であり、
イスラエルの伝承でもあるのよ。
しかし、見え方により一つの柱、一つの位格、一つの神にしか
見えないとも言える。
あたしはそれを何も悪いことだとは思わない。
636 :
ボーダー住民 :02/01/11 12:04
あたしも、ムカシャー、語りつづけたいと思ってたもんですねー。 奇しくも、「語りつづけろ」とは、彼らの嫌っているパウロの言葉だ。 彼らの支持する四福音書は「聞いても聞かなくてもいいから、とにかく語りつづけろ」 とは言ってないよなー。主イエスは、わからない人間には喋るなとまで言っているんだ。 豚に真珠をやるなとね。このスレの対象が豚なら、どうしてそこまで喋り続けて、パウロ的にやれるんだろう。 単なる経験不足というところがにじみ出てるよ。あんまり布教とか、したことない? Maybe 中身がないというけど、中身はあるんだよ。 たとえば、キリスト教で神体験が多くなると、 仏教なんかじゃ、そういう体験はないと思い、自分だけが神に会っていると思いやすい。 でも、創価学会の人間は創価学会の人間で、幸福の科学の人間は幸福の科学の人間で、 それなりに、体験ってあるんだよ。それをもとに、神概念を築いているんだよ。 もちろん、プロテスタントにもカトリックにも、現実的な神とのやりとりがある。生活の中でね。 そういう、具体的な、相手の考えや体験をわかってなくて、『中身がない』って言ってしまえるのが、 そもそも、思いやりに欠けるんだ。優しいヨハネ君よ、こう言っても、マダ、ダメカ? だんだん、くたびれてきた。 もー来るのやめるかなー。今までの大将たちも、こうしてだんだんくたびれてやめたんだ、きっと。 自分たちがそういう話し方をしているということが、わかんない?
かえってわからんようになるかもしれんけど、書きこもう。 ただし、これは俺だけの見解だ。 主は唯一の者ではあるが、三つの位格を持てる。 これは俺流に判りやすく言うと次のようになる。細部はほっとけ。 うーんつまりだ、本質が同じであり出所が同じものだが、三つの代表的な人格を持てる、のであるよ。天主は。 ただし、それらが相互に融合する事もあれば、分離する事も出来るし、 身体を別に持つこともできる・・・。 必要ならば、化身を更につくれるであろう・・・。 だから、三位一体でも、三神論でも、一神論でもいいことになる。 俺としては、だがね。 あ、でも、おれはあちらへは行っていません(笑)。 わたくしは三下でありまする故。垣間見た程度。
638 :
dendo. :02/01/11 15:04
>>636 マリアさんの書きこみでこれだけまとまった量のは初めて見た。
ところで言は発出するのではなく出生するのではなかったっけ。
日本語訳だと。
神経でも神言は「作られずして生まれ」、神聖神は「出で」るとある。
重箱つっこみスマソ。
>>637 話はかわってスピノザ流の「神の無限の属性のうち、人間が認識できるものは二つ」
ってのはどよ。あれは位格論とは別なんでスレ違いの話だけど。
639 :
dendo. :02/01/11 15:10
ああ、636じゃなくて
>>635 向けね。うー。
「中身がないから理解できない」って、よく学生が口に
する逃げ口上なんだよね(小さなヨハネ氏の属性はしらんが)
パウロは「(仮想)論敵の論理構造を把握/シミュレイトして、
それを反駁する」という作業をこつこつやっている。
荒井献が反グノーシス論だと指摘してるところなんて典型。
これは小さなヨハネに一番かけている視点だと思うがどうかね。
小さなヨハネを「パウロ式」と呼んだら
パウロがでんぐりがえりを打って嘆くと思へり。
>>638 そうだな。認識できるものは二つ、っていうのはわからんでもない。
人間は神の子。そして、そんな人間は男と女しかいない。
つまり、父なる神か、母なる神。
そういう見方しか人間には出来ないと思うな。
古来必ずそうしてきてるしね。
641 :
dendo. :02/01/11 15:30
あの、スピノザがいってるのは そういうのじゃなくて 「延長」と………… ま、いいか。どーでも。
だって、俺はスピノザは知らんもん(笑)。 昔読んだかもしれんが覚えちゃいないはず。 ただ〜、俺は詳細はよくは知らんが、神様は神様よ。 知ってる限りの事では、マリアさんので大体オッケー。 まあ、あらゆる神の出所は一つと言う事で。 教義とかには疎い、つーか、知る気もなし。 ただなぁ、イエスは俺の理解では特殊任務を帯びてやってきた人。 志願して。 世が荒れとるから、どうでもいい「奇跡」でも見せてみたんだろうな。 そんなとこ。 別に人がどう思ってもいいのだが、つい参加してしまうな。
643 :
小さなヨハネ :02/01/11 20:54
>>635 マリアさん
私は、他人がどう思うか、ユダヤ人や、日本神道ではどう考えているか
ではなく、あなたがどう思っておられるのかを伺いたいのです。あなた
ご自身はイエズス・キリストを父なる神、天主御自身と思っておられる
のかをお聞きしているのです。
>>636 ボーダー住民さん
私は「並立的三位一体論は中身がない」と言っているのであって、他宗教、
他教派の宗教体験について「中身がない」などと申し上げてはおりません。
>>637 ver3.0さん
主は父なる神で、今もあなたのすぐそばに立っておられ、あなたの考え、
思い、一挙手一投足、すべてをご覧になっていらっしゃると、私は思い
ます。
>>639 dendoさん
確定申告書の記入は終わられたのですか?よろしかったら、あなたの考え
ておられる「主の来られた理由」を教えて下さい。
Swedenborgは人類史上最大の天才で、たくさんの著名人に影響を与えています。
哲学者ではカント・シェリング・エマーソン・ベルグソンといった人々がおり、
カントは40歳ぐらいの時Swedenborgを批判するという愚挙に出ましたが、
純粋理性批判を出す前に、友人に「Swedenborgの思想は崇高である。」といったそうです
(その資料あり)。文学者ではバルザック・ゲーテ・ドストエフスキー・ユゴー・E.A.ポー
といった人たちがいます。ストリントベリは特に心酔していたそうです。
その他へレン・ケラーやリンカーン大統領といった人たちがおり、日本では内村鑑三、
鈴木大拙といった人たちがいます。特に鈴木大拙はその全集にSwedenborg神学の日本語訳があり、
鈴木大拙の著作の言葉にはSwedenborgを上回る天才はいないといった、最大級の賛辞が書かれています。
Swedenborgは預言者であり、凄まじい霊能力を使えた事が当時の資料から、
分かります。この人は実際にこの世にいながら、霊界に出入りしています。
その霊界についての記述は人間に特有の「エゴ」が全く見られないので、実際の
経験から書かれた事が分かります。
>>1 僕も小さなヨハネさんの言われるとおり、イエス・キリストは唯一の神であると
認めます。主イエスは地上において全知全能の力を使ったからです。全知全能の力を
使えるのは唯一の神であられる方だけでしょう。
>>638 そうね。あたしは言いたい放題だからね。
でも、表現は本当に言葉は難しいわね・・・。
言葉が産まれたのも聖霊と同じように、発出と呼ぶと思っていたわ。
教えてくれてありがと。
>>643 まず、あたしが何故巫女だと書いているのか理解してね。
巫女とは何か?ちょっと考えてね。
だから、人間的理解に基づいた回答は出来ないのよ。
人間世界の正誤を、天主に適応することになる。
それは、全ての神々の源である天主に対する冒涜であるからね。
何故なら、例えば、円すいのある部分を見て、
ある人は三角だというでしょう。
また、ある人は丸だというでしょう。
それで、三角であるとか丸であるとかで騒いでる。
円錐は三角の要素も丸の要素もあるのにね・・・。それと同じ事よ。
あたしが、天主の三位一体論を支持したのは、
主流教会が支持しているからではなく、
確実に三位一体であったから支持したのよ。
でも、他の見え方があったとしたら、それもそうということ。
一つの姿を見たのであるなら、三位一体でなく一神でしょう。
また、三位一体の位格が一つづつ見えたなら、三神論になるでしょう。
それから、ユダヤや神道を持ち出したのは、全く違う場所であっても、
それも太古より三柱にまつわる話については、一致してるという代表例よ。
何故、そういう概念が古くから全世界で普遍化したのかしら?
その理由がどこにあるのかしら?
この世界は、どういった世界かしら?と考えてみるのもいいことよ。
646 :
小さなヨハネ :02/01/13 00:02
>>644 さん
おお、ありがとうございます。おかげさまで無知なヨハネに箔がつき
ました。それから、あなたの告白は、主は必ず覚えられるでしょう。
「だから、だれでも人々の前で自分をわたしの仲間であると言い表す者
は、わたしも天の父の前で、その人をわたしの仲間であると言い表す。」
(マタイ10・32)
「あなたは力が弱かったが、わたしの言葉を守り、わたしの名を知らない
と言わなかった。」(黙示録3・8)
647 :
小さなヨハネ :02/01/13 00:05
>>645 マリアさん
巫女になられた動機は何だったのですか?つまり、御自分から志願され
てなられたのですか、それともご家業の関係でなられたのですか?
「あたしが、天主の三位一体論を支持したのは、
主流教会が支持しているからではなく、
確実に三位一体であったから支持したのよ。
でも、他の見え方があったとしたら、それもそうということ。
一つの姿を見たのであるなら、三位一体でなく一神でしょう。
また、三位一体の位格が一つづつ見えたなら、三神論になるでしょう。」
わたしがお聞きしたいのは、他の人の見え方のことではなく、マリア
さんにとって「確実に三位一体であったから」というその三位一体は
「並列的」三位一体を指すのか、「重層的」三位一体を指すのかという
ことです。つまり、マリアさんにとってイエズス・キリストは父なの
ですか?という質問です。
648 :
名無しさん@1周年 :02/01/13 00:06
主 主の平和。 平 和。
649 :
小さなヨハネ :02/01/13 00:07
みなさん、主の来られた理由についてまだまとまっておらず、中断して しまいました。誠に申し訳ありません。明日の夜には少し書きます。
>>645 マリアさんは、ほんとうにご存知の様ですね(笑)。
そう、天主は三位一体。
しかし、説明は難しいな(苦笑)。
>>647 まず、あたしが巫女になったのは、
先祖代々のものを受け継いだの。
当然、それには霊的な導きにがないとなれなかった。
そうでなければ、看護助手を続けていたか、
勉強して看護婦になってたかも知れないわね。
それから、イエズス・キリストは父なのですか?
というけど、そういう質問を受けること自体が、
巫女であるあたしにとっては、意味のないない質問なのよ。
確かに、あたしは三位一体の子の位格をイエズスに見た。
当時カトリックだったあたしには、そう見えたわよ。
当時のあたしが、ここであなたに質問を受けたなら、
「私達の主御子イエズス・キリストは、
創世の書に記されてあるとおりに神の言葉でありました」と答えたかもね。
でもね、ある人は、あなた達のように見るでしょうし、
神道の人なら、アメノミナカヌシ・カミムスビ・タカミムスビの
造化三柱の神をみることでしょう。
そして、自分の見た以外の姿に見えるということは、
あの世界を知っている者なら、理解出来るはずよ。
その天主の姿について、どの姿が正しく、
どの姿が誤っていると、人間の側から決定や設定しようとしている時点で、
非常に人間的な考え方だから、悪いけどついていけない。
天主は普遍な存在。それを冒涜することは、あたしには出来ない。
俺は三位一体論から離れる。不毛であるからな。 どのようにでも姿をとれるものを言ってみてもしょうがない。 一つ言えるのは、霊能力を基準にしちゃいかん。 イエスの福音・ブッダの言葉。 こっちの方が重要だな。「奇跡』は気にせん事。 友愛・寛容、・・・後はデンパにならん様にな。 正常に社会人するべし。 じゃな。
小さなヨハネさん いつもお世話になっているものです。 残念ながら、わたしはあちらには行けません。 今日も、入ろうと思いましたが、無理をしない方がいいでしょう。 噂ではいろいろ聞いていましたが、私は、教会内でいろいろな人と関わってきた経験上、 彼のことは、それなりに理解できるつもりです。その上での判断です。 まだまだあなたにお聞きしたいことはいろいろあります。 またほかの方法を考えましょう。 申し訳ありませんが、このあいだの再セットアップで、 あなたのアドレスを失いましたので、私の方にメールくださいますでしょうか。
654 :
名無しさん@1周年 :02/01/13 21:12
>>652 >一つ言えるのは、霊能力を基準にしちゃいかん。
>イエスの福音・ブッダの言葉。
>こっちの方が重要だな。「奇跡』は気にせん事。
これをやると、イエスの言葉ではなく「イエス・キリストの復活」に基礎
をおく「キリスト教」は成立しなくなる....。
655 :
小さなヨハネ :02/01/13 22:15
(
>>411 )「そうね…。イエズスは父なる神である。
ある目から見ればそうとも言えるし、違うとも言える問題でしょうね。
キリスト教徒の世界では、この考え方が主流だし、
あたしも支持してきた説ではあるわね。
双方の理論とも、天主を天主と認めているからね。
子となった段階で別の存在かと言えば、どうなのかしら?と思うの。
あたしは、非常に人間的な理解であるけれど、父と子は
同じものだと捉えるわね。」
(
>>651 )「確かに、あたしは三位一体の子の位格をイエズスに見た。
当時カトリックだったあたしには、そう見えたわよ。
当時のあたしが、ここであなたに質問を受けたなら、
『私達の主御子イエズス・キリストは、
創世の書に記されてあるとおりに神の言葉でありました』と答えたかもね。」
マリアさん、最初の頃は「父と子は同じもの、これを支持してきた」
(411)と言われながら、直近では「当時、子の位格をイエズスに
見た」(651)とおっしゃっていますが、どちらなのでしょう?
(
>>651 )
「その天主の姿について、どの姿が正しく、
どの姿が誤っていると、人間の側から決定や設定しようとしている時点で、
非常に人間的な考え方だから、悪いけどついていけない。
天主は普遍な存在。それを冒涜することは、あたしには出来ない。」
なぜ、天主の姿を私たちが知ろうと努力することが冒瀆なのですか?
神は私たちに御自分を探求して欲しいと願っておられないでしょうか?
656 :
小さなヨハネ :02/01/13 22:18
さて、主の来られた理由の続きですが、「最古代教会」の人々(アダム とイブ)は「天的」な人々であり、彼らを支配していたものは「主に対 する愛と信仰」であり、そこから善と真理を認識(エデンの園)できた のですが、「最古代教会」も時代が下るに連れて「自己愛」が生じ、認識 能力が落ちて、神についても、霊的な認識からではなく、感覚的、自然 的なものから判断するようになってしまいます。 それが「蛇」にだまされることです。感覚とは視覚、聴覚、味覚、嗅覚、 触覚ですが、そのうち最も原始的・代表的なものが接触による触覚であ り、「蛇」とは地を這うことから、触覚を意味し、人間の感覚的なものを 意味します。蛇は腹ばって地の塵を食うとは、感覚的なものからはもう 天界を見上げることができないことを、すなわち、この世的、地的なもの しか信じなくなること(神に対する不信仰)を意味します。ひいては 「蛇」は悪のすべて、とくに自己愛を意味します。それは隣人と主に 対する憎悪です。
657 :
小さなヨハネ :02/01/13 22:19
「またわたしは、おまえとその女の間に、またおまえの裔と女の間に 敵意を置こう。かれはおまえの頭をふみにじり、おまえはかれのかかと を傷つけるだろう。」(創世記3・15) これは主が世に来られることを予言している最初のものです。 「蛇」は悪の凡て、とくに自己愛を、「蛇の裔」により凡ゆる不信仰を 意味し、「女」により教会を、「女の裔」により主に対する信仰が意味さ れています。「かれ」により主御自身を、「蛇の頭」により悪の支配、特 に自己への愛の支配が意味され、かれのかかとを傷つけるとは「かかと」 は人間の最も外側の自然的なものを意味し、蛇は単に人間の最低の自然的 なものは傷つけることができるが、人間の内的なものや、霊的なものは傷 つけることは出来ないという意味だそうです。 また「女の裔」が主に対する信仰のみでなく、主御自身をも意味するのは 、主のみが信仰を与えられ、かくして信仰であられるためであり、そのた めにこの世に生まれるのをよしとされ、主はかくて女の裔であられるため 、「それは」ではなく「かれは」と言われています。
658 :
小さなヨハネ :02/01/13 22:20
このとき主が、自己と世への愛によって悪魔的な自分自身のものになって しまった教会の中へ生まれることをよしとされたのは、その神的な力に よってその人間的な本質の中に人間的な自分自身のものに神的な天的 な自分自身のものを結合し、かくして主の中にその二つのものが一つと なるためであったのであり、この結合が行われなければ世界は死滅して いたに違いないとスウェーデンボルグは述べています。(静思社/スウェ ーデンボルグ/天界の秘義250、256、259) この辺はなんとも難解で、私にはああ、きっとそうしないと大変だった のだろうくらいしか分かりません。間違えていたらすみませんが、どなた かご指摘ください。
659 :
名無しさん@1周年 :02/01/13 22:20
聖地ハケ−ン! 「主」って何?
ってゆうかここってなりきりスレ?
>>654 全ての宗教は天主に通じるもんだよ。
あ・・、これがいかんのか。
まぁ、とにもかくにも日常生活だな、日常生活。
そっちを楽しく明るくやった方がいいな。
>>655 同じことを言っているのだけど?
あたしは三位一体の環境の中で育ってきたから、
あなた達への説明が、うまく出来てないのかもね。
まず、御父の言葉が人の姿となって降りたのがイエズスだけど、
それは御父とは違うものか?
御父は言葉により、あなたに子が降りると天使を介して知らせたの。
あなたは御父と御父の言葉が、違う存在と捉えているから、
それを解決するために御父論を奉じている。
しかし、あたしや三位一体論では同じと捉えているの。
この意味は、全然あなたにとって理解不能。そういうことよ。
もし、違う存在であるなら、御父とそこから生まれた言葉は別の存在となる。
御父の言葉は、御父の意思と別の存在となる。
あたしや三位一体論では、こう考えるのは矛盾があると考えるわね。
あなたも、そう考えているはずよ。
いい例として、人間は神の似姿として作られているから、 言葉を発する仕組み、何かをする時の仕組みを簡単に解説するわね。 人間が言葉を発する時、言葉を発する意思があるから言葉を発する。 人間が、例えば手を洗う時、手を洗いたいという意思があるから手を洗う。 これと同じように、天主もこのようであると天主自体が言っているの。 「似姿」という意味は、このような意味もあるわけ。 しかし、あなた方の三位一体への理解は、 「三位一体論では、父である意思と言葉は別の存在で、 言葉にも独立した意思がある言っている」 と思い込み、 「三位一体論では、父である意思と霊は別の存在で、 霊にも独立した意思があるといっている」 と思い込んでるわけ。これは、はっきり言って名誉毀損よ。 三位一体というのは、 「天主は、言葉による技、霊による技を起こすけど、 それは天主の意思によって起こされます。 言葉と霊には単独の意思はありません」と解説している訳。
分かりにくければ、こうではどうかしら? 「御父が言葉によって命じたり創ったりします。 御父が聖霊を出します」ということを言っているわけ。 「御父から発せられる言葉と聖霊は、御父のものですよ。 御父の意思により出たものですよ」と言っているわけ。 スウェーデンボルグは、 その一つの姿を見て御父を認識したの。 だから、イエズスは御父自身が直接降ったと思ったわけよ。 それがおかしいかというと、おかしくもあり、そうでもなく、おかしいわけ。 イエズス自体が、御父の言葉でなく、御父であれば天地がひっくり返る。 しかし、以後もひっくり返ったという事実はない。だから、それはない。 これを主張することは、太古に天主から人にたらされた伝承は嘘となる。 よって、こういう主張はおかしい。 ただ、御父でないかというと、御父の言葉は 御父の意思を完璧に体現しているから、その捉えは正しい。 しかし、上記の点で間違っているので、正しくない。 また、人間が軽軽しく天主の姿を知って喜んで他を裁くのは冒涜よ。 人間はそれをするために探求する癖もある。 あなた達は、まさにそれをここでやっているじゃない。 それは、そんな人間に探求して欲しくないと天主は望んでるからよ。 もっと神に立ち返りなさい。それが先。 人の言葉に惑わされず、福音に従って生きなさい。
ひさしぶりにこのハンドル(笑)。 >>小さなヨハネ ま、めげるな。でもな〜、ん〜、イエスとね、天主は違うと思う。 聖書でも、主に祈ってるだろ、イエスは。 それにね、一緒でなくてもいいわけだよ、別に。 正しい言葉かそうでないか、それが大事なの。 主に祈って、イエスを敬う。それでいいじゃん。 あ〜、しかし、そろそろ俺も目が覚めてきた感じだよ(苦笑)。 まだまだ眠いんだけどね。
666 :
小さなヨハネ :02/01/14 23:48
>>659 さん
「主」とは天主、エホバ、父、つまり唯一の神のことです。神はお一人に
決まっていると私は思います。その神がこの世に降られたのが主イエス・
キリストです。主は柴の中からモーセに「わたしはある。わたしはあると
いう者だ」(出エジプト3・14)と言われますが、主イエスもこう言わ
れます。
「あなたたちは、人の子を上げたときに初めて、『わたしはある』という
こと、また、わたしが、自分勝手には何もせず、ただ、父に教えられたと
おりに話していることが分かるだろう。わたしをお遣わしになった方は、
わたしと共にいてくださる。」(ヨハネ8・28,29)
自分勝手には何もせず、父に教えられたとおりに話す・・・?
わたしをお遣わしになった方がわたしと共にいてくださる・・・?
そうです、実は主イエスは父なる神ご本人なのですから、当たり前なの
です!いずれ、それが通説になる時が来ると思います。
「わたしは、これらのことを、たとえを用いて話してきた。もはやたとえ
によらず、はっきり父について知らせる時が来る。その日には、あなたが
たはわたしの名によって願うことになる。」(ヨハネ16・25,26)
イエス・キリストとしては2000年ですが、主(唯一の神)としては
永遠の方です。
「はっきり言っておく。アブラハムが生まれる前から、『わたしはある。』」
(ヨハネ8・58)
マリアさん、神さん、ありがとうございます。また明日書きます。
>>666 聖書から導くのはやめたほうがいいわ。
聖書は、太古に天主が人に与えた理解に基づいて書いているの。
つまりは、イエズスは御父の言葉であることが、書いてある箇所ばかりよ。
スウェーデンボルグの見た世界を、書いて行って御覧なさい。
そこからの方が、あたしにもあなたにも分かり良いでしょう。
668 :
小さなヨハネ :02/01/15 23:24
>>667 マリアさん、スウェーデンボルグの内容を話せばいいのでしょうが、少し
準備不足でこんなことを始めてしまったので、今は、ちょっと出来ません。
ただ、言えるのは、マリアさんのその『言(ことば)』という意味は誤解
されています。主は「たとえを用いないでは何も語られなかった」(マタイ
13・34)とあるように、その『言』にも、深い意味があるようです。
ここの『言』とは、神の「知恵」、あるいは「真理」という意味だそうで
す。
そして、神とは本質は「愛」、あるいは「善」であり、愛と知恵、あるいは
善と真理が一体となられた存在であり、別々で存在しているのではないの
だそうです。愛は知恵の中にあり、知恵は愛の中にあるのです。
「初めに言があった。言は神とともにあった。言は神であった。」(ヨハネ
1・1)ここでは、『言』は「知恵」を指し、『神』は本質である「愛」を
指しています。そして両者は不可分の一体であり一人の神・主なのです。
「言葉は神とともにあった。」
そしてそのご自身の知恵を通して愛なる神は万物をつくります。
「万物は言葉によって成った。」(ヨハネ1・3)
669 :
小さなヨハネ :02/01/15 23:25
その愛と一体となった知恵がこの世で姿を現されたのがイエズス・キリスト です。「言葉は肉となって、私たちの間に宿られた。」(ヨハネ1・14) 『言』だけが、あるいは知恵だけが来られたのではありません。ここで 言う『神』すなわち愛と、知恵である『言』とは一体なのです。 「この言葉は初めに神と共にあった。」(ヨハネ1・2)「初めに」とは 永遠の昔からです。 「共にあった」とは(不可分の)一体という意味です。「わたしが父の内 におり、父がわたしの内におられると、わたしが言うのを信じなさい。」 (ヨハネ14・11)、「わたしと父とは一つである。」(ヨハネ10・30) も全く同じ意味です。 ですから、私たちの発する「言葉」のように、神の発する「言葉」だと思う のは間違いです。神が中に入っている神の姿そのものなのです。
670 :
小さなヨハネ :02/01/15 23:26
>>665 神さん、
主なる神は本来の「人間」の原型であり、本当の「人間」です。私たち
人間はそのレプリカ(複製)です。
唯一の主なる神はこの世の「人間」となって出てこられました。私たち
人間は神に祈ります。ですから人間となられた神なる主も祈られたので
す。私たち人間は自分の心の内部に向かって祈ります。そこに主からの
流入を受けるからです。主も祈られましたが、それは私たちと違って、
御自身の内部、すなわち神ご自身(父)に祈られたのです。私たちも神
に祈ると流入を受けますが、それは神との対話です。主は御自身の内部で
御自身であるエホバと対話されたのです。(
>>22 参照)
「これはわたしの愛する子」(マタイ3・17)と天から声がしたと書かれ
ているのは、その時「霊眼」ならぬ「霊耳」が開かれた洗者ヨハネあるい
は、同様の何人かに聞かれたのだろうと思います。そこにいた人々全員に
聞かれたのではないと思います。なぜなら、ヨハネ伝ではその部分は、
「わたしは、“霊”が鳩のように天から降って、この方の上にとどまるの
を見た」と「洗者ヨハネは証した」(同1・32)とあります。
(
>>39 参照)
>>668-669 あらあら、うまくひっかかってくれたわね。ありがとう。
これで話がしやすくなったわ。
>>670 それから、残念だけど内面との対話では、
イエズス自身は御子だという事を認知していることにもなり、
父と子の位格の存在を、肯定している説となる恐れがあるのよ。
御父自身であるならば、内面との対話はあってはならないのよ。
御父そのものであると宣言しなければならないし、御父に祈ってはならない。
当然「私を見た者は、父を見ているのである」とか
御父と自分の関係について語ってはいけない。
何故なら、御父であるためには、それ自身で無ければならないからね。
また、御父も天から霊を発出し「これは私の子」と伝えてはならない。
御父そのものであるなら、イエズスの体から鳩のような霊が飛び出し、
「これは私自身、これは全ての創造した者、私は父である」
と宣言しなければならない。
あなたの理解なら、通説の三位一体説と同じような理解。
そういう説であるということを意味しているわけ。
だから、どちらが正しいというなんて、今のところは馬鹿らしい話なのね。
それでは、続きをどうぞ。
672 :
dendo. :02/01/16 15:23
>神はお一人に > 決まっていると私は思います。 このスレは 「神を『あなたが』どう思っているか」についてのスレだったのね。 神がどのような方かを 限られた力を与えられたとはいえ神の像として作られた人間が論じ 神に近づこうというスレでもないし、 キリスト教神学やらなんやらの歴史を参照しつつひとつの神概念としての 「父子同一論」を論じるスレでもないのね。 じゃ、あたしの出る幕はないわね:) みなさまの御多幸を祈ります。 ご縁があればどこか他のスレでおあいしませう!
673 :
小さなヨハネ :02/01/16 22:41
>>671 いいえ、マリアさん、それは明らかにおかしいです。
マリアさんだって、心の中で自分に向かって「独り言」を言うことがある
でしょう?あるいは「感情」と「理性」が葛藤することはありませんか?
あるいは、心の中で神に祈ることがあるでしょう?神だって同様です。神
は人間のために本当に苦しまれた。私たちは苦しい時ほど祈ります。神は
苦しまれたのでたくさん祈られたのです。主はしばしばお一人になって
祈られたではないですか?人となられた神がどうして祈ったらいけない
のですか?
逆に、同じ意志だというなら祈ることもおかしいではないですか?
「感情」は心、意志、愛、善、命に相応しています。つまり本質である
「父」に相応しています。「理性」は霊、信仰、真理、身体に相応して
います。つまり「姿」である子に相応しているのです。前者が小脳であ
れば、後者は大脳です。あるいは前者が心臓であれば後者は肺臓です。
それらはどちらも一人の人間の中のものですが、両者が密接に交流して
いるように、一人の神の中で父(愛)と子(理性)は密接な交流をされ
たのです。
674 :
小さなヨハネ :02/01/16 22:42
主は唯一の全能の神であられながら、この世で人間同様、いえ、それ以 上に、本当に無限に苦しまれたことは、マリア・ワルトルタの本を読む とよく分かります。主はユダのことをどれほど祈られたか!!主はユダ を思ってどれほど泣かれたか!! 神がこれほど苦しまれたことに、驚 きと感動を禁じ得ません・・・。 主を父なる神と信じておられる方に、今更スウェーデンボルグをお読み なさいなどとは言いません。しかしマリア・ワルトルタは本当に読む 価値があります。すべての方にお薦めいたします。こんなに感動する本を 私は読んだことがありません。
675 :
小さなヨハネ :02/01/16 22:44
>>672 dendoさん、そんな冷たいことをおっしゃらずに、相手をしてくだ
さい。申告書は書いたのですか?なんて、もう決して言いませんから・・
・。伺いたいことがあったのです。dendoさんは正教の方のようです
が、正教について私が読んだのはこの一冊だけです。
―『ギリシャ正教』/高橋保行著/講談社学術文庫―
この本の内容はオーソドキシーのオーソドックスな意見と思ってよい
のですか?
・・・。 もう一度だけ、書くぞ。 @ イエス=天主 これはな、×。俺の知る限り、ではな。 更にいえば、天主はこの地のことには直接は関わらぬ。 ただ、見守るのみ。 A イエス=御使い こっちが、○。これも俺の知る限りではね。 物事には役割と言うものがあり、イエスもその任を果たしたのだよ。 ただ、その言葉は天主から出たものだ。 しかし、どう思うか。それは自由だ。 天主もイエスも人間がどう思っても怒りはせぬ。 やれやれ・・・。と、思うだけだよ(苦笑)。 ただ、よく考えてみた方がいいな。過去ログもう一度見てみたら?
>>672 まぁ、あたし達人というのは、こんなものよ。
仕方ないわよ、人なんだから。大目に見てやってちょうだいよ。
>>673 ほらほら、またあなたは通説の三位一体説をも説明してる。
父と子は一体であると、自分で説明してるじゃない。
これまでの説と変わり映えしないわよ。
それに、この考え方なら、常に御父は天に居られることになるわ。
地上に出てきている存在、イエズス・キリストとは何なの?
この内容なら、御父でないことを自ら認めていることになるわよ。
また、意思の葛藤や分裂まで言及しているわね。
人間であれば、自分の中に対立する意思がある場合、
それを「もう一つの自分が・・・」と表現するでしょ?
このもう一つの自分に相当する心が天主にあるなら、
これは一体何者なの?
これじゃ、神道と同じで、御父一柱の神の中に
荒御霊と和御霊があるというふうな説明にもなるわよ。
>>675 そのことが聞きたければ、
自分から正教のスレッドへ行って質問してご覧なさい。
678 :
小さなヨハネ :02/01/17 23:47
>>676 ver3.0さん
それもおかしいです。創造主である父は、人間を創造しっぱなしで、あと
は直接関わらず、見守るだけでしょうか?どこの世界に子を生んだら生み
っぱなしの親がいるでしょう? 人間でさえそうなら、親よりも親である
愛の神がそんな冷たいことをなさるでしょうか?ver3.0さんが人の
子の親ならお分かりになるでしょう。聖書には、いたるところに父なる神
の愛について触れられているのに気が付くでしょう。
「あなたがたの父は、願う前から、あなたがたに必要なものをご存じなの
だ。だから、こう祈りなさい。『天におられるわたしたちの父よ、御名が
崇められますように。御国が来ますように。御心が行われますように。天
におけるように地の上にも。わたしたちに必要な糧を今日与えてください。
わたしたちの負い目を赦してください、わたしたちも自分に負い目のある
人を赦しましたように。わたしたちを誘惑に遭わせず、悪い者から救って
ください。』」(マタイ6・8−13)
679 :
小さなヨハネ :02/01/17 23:48
「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つ かる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。だれでも、求める者は 受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。あなたがたのだれが、 パンを欲しがる自分の子供に、石を与えるだろうか。魚を欲しがるのに、 蛇を与えるだろうか。このように、あなたがたは悪い者でありながらも、 自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして、あなたがたの 天の父は、求める者に良い物をくださるにちがいない。」(マタイ7・7− 11) 「それは、あなたの断食が人に気づかれず、隠れたところにおられるあなた の父に見ていただくためである。そうすれば、隠れたことを見ておられる あなたの父が報いてくださる。」(マタイ6・18) 「だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥より も価値あるものではないか。」(マタイ6・26) 「小さな群よ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる。」 (ルカ12・32)
>>678 ほらほら、そのような目でしか見ることが出来ない。
その裏にある事情を、知ることも出来ない。
681 :
小さなヨハネ :02/01/17 23:51
「ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに 思い、走り寄って首を抱き、接吻した。」(ルカ15・20) 「はっきり言っておく。あなたがたがわたしの名によって何かを父に願う ならば、父はお与えになる。」(ヨハネ16・23) 「わたしがあなたがたのために父に願ってあげる、とは言わない。父御自身 が、あなたがたを愛しておられるのである。」(ヨハネ16・27) 百歩譲って、ver3.0さんのおっしゃるように、主が父の御使いであ り、その言葉は天主から出たものだとしても、これらの言葉は天主御自身 の御言葉であることになり、天主が、わたしたちをどれほどのしてくだ さっているか分かるでしょう。 人間の親も、愛して止まない実の子から、冷たい親だと誤解されたらどんな に悲しいでしょう。天主は私たちに把握できない、何か冷たい存在だと思う ことは何と天主を悲しませることでしょう。まして、天主御自身が出て来て くださったのがイエスだったとしたら、何ということでしょう!! 「エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、自分に遣わされた人々を石 で打ち殺す者よ、めん鳥が雛を羽の下に集めるように、わたしはお前の子ら を何度集めようとしたことか。」(マタイ23・37) 「エルサレムに近づき、都が見えたとき、イエスはその都のために泣いて、 言われた。」(ルカ19・41)
682 :
小さなヨハネ :02/01/17 23:53
>>677 「それに、この考え方なら、常に御父は天に居られることになるわ。
地上に出てきている存在、イエズス・キリストとは何なの?」
マリアさん、あなたは実によい指摘をしてくださった。いままで分からな
かったことが今日分かりました。それはまた明日。
天主が直接関わっては、人間は何時までたっても自立できぬ。 道は御使い達が示した。 それをどう解釈し、血肉とするか。それも人間に任せられているのだよ。 ただ、いつも見守っている。それは事実だ。 気を安んじて日々の生活を全うする事。それだけでいいんだよ。
>>678 あなたは人の目で神を見ている。天主と人を同一に見ている。
それはあなたの理解であり、しかし、それだけでは足りない。
あなたの視線から見た神のみで他を退けることは、
天主は、それだけでは良しとはしないわね。
あの方にはそう見えたということよ。
あの方が言っていることも、また正しいことよ。
何故なら、本人が「遣わされた」と言っている箇所もあるからね。
これが分からない内は、天主の理解は不完全なの。
彼の見たものに対して、
「創ったものをほったらかしにしている」
という決め付けは、人間の心に基づく悪いもので、良くないものよ。
理解しなさい。
685 :
小さなヨハネ :02/01/19 00:02
>>677 マリアさん
>それに、この考え方なら、常に御父は天に居られることになるわ。
>地上に出てきている存在、イエズス・キリストとは何なの?
イエズス・キリストはやはり天主その方・御父その方です。
そうです。主のお姿である「子」・イエズス・キリストはこの世におられ
ましたが、その内部である「父」(神そのもの)は、実は、この世におら
れると同時に天にもおられたのです。決して天を留守にされたのではない
のです。それは以下のスウェーデンボルグの語っているところから推論で
きます。
686 :
小さなヨハネ :02/01/19 00:03
天界の秘義3884/静思社 「内的な天界がわたしに開かれて、わたしはそこにいる天使たちと語り合 っていた時、以下の現象を認めることを許されたのである。わたしは天界 の中にいたものの、それでもわたしはわたし自身の外にいたのではなくて、 身体の内にいたことを知られるように。なぜなら天界は、人間は何処に いようとも、人間の中に存在しており、それで主が良しとされるときは、 人間は天界の中にいつつも尚身体から引き出されはしないからである。」
687 :
小さなヨハネ :02/01/19 00:05
天界の秘義8918[4] 「世の人間のすべては空間の観念から(物を)考えるが、そのように空間 の観念から考える者は地獄は人間からはるかに離れており、天界もまた そのように離れているとしか考えていない。しかし実情はそうではない。 地獄と天界は人間の近くに在り、じつに、人間の中に在り、地獄は悪い 人間の中に、天界は善い人間の中に存在しているのである。さらに凡ゆ る者は世にいる間にすでにその中にいたところのその地獄の中へ、また はその天界の中へ入って行くのである。しかし状態はそのとき変化する のである。すなわち、世では見えなかった地獄が見えるものとなり、 世では見えなかった天界が見えるものとなり、凡ゆる幸福に満ちた天界 が、凡ゆる不幸に満ちた地獄が見えるものとなるのである。天界はわた したちの中に在ることを主はルカ伝で教えられている― 神の国はあなたたちの中に在る(ルカ17・21)。」
>>685 これはね、西方理解の三位一体論とは異差が少ないわね。
父と子は一体であり、同じ者だったというところに重点をおくからね。
でも、ここで気をつけなければならないのは、
この捉えのままだと、やはり聖書の捉えは足らなかった。
特に初期の福音書に関しては理解不足だった・・・。
そういうことになるわけね。
イエズス自身さえも、人性に振り回されて
自らの神性を良く理解してなかった。伝えきれなかったともなるわね。
内面との会話については、キリスト教理解では、
これは自己との対話と捉えるわけね。
それは、良心との対話で、聖霊の導きのもので助けにはなることもあるけど、
しかし、それだけでは足りない。
ユダヤ・キリスト教の世界では、聖霊は天から降ってくるの。
よって、聖書の話と合わない概念になるのよ。
聖霊が降りてくるには、洗礼によって罪を洗い流し、
新しく聖の道に生きること。
信仰の道を歩むことにより、聖霊に満たされて人は生きる。
あたしの家の道では、人は神の御分霊が宿る器と捉えるから、 一見内面との対話とは、良く似ているけど、 祓い清めの行を日々行い、その御霊に沿ってありのままに生きる。 しかし、それだけでは足らない。 その分霊である御霊と神霊は感応し、降ってきて神人合一が成ること。 これが、本物の巫女である条件。あたしは、まだ修行不足だけどね。 神霊理解は、内面のものだけでは足りない。 その後に導かれるままに、全てのものを見て、 全ての存在の中に神霊を見出し、その神霊と交わり、 それらによって生かされていることをも 知らなければならない。 よって、あたしの経験では、イエズスは御子であり、 御父とおなじ御霊は有しているが、天には御父が居た。 よって、父と子は同じであるが、子は父と同じ意志をもち、 その意思を人に伝える存在。父と同じではあるが、父ではなかった。 それから、こういう捉えもできる。 人体は小宇宙であるわ。しかし、大宇宙自身ではないものね。 同じものを持っているけれどね。父と子は、そのようなものでもある。
わたしではどうだろうね? 見る目をもつ者は見るが良い(笑)。わかるものにはわかるであろう。 イエズスは、わが主その人ではない。 わが主はこの地の人間の世に直接は関わらぬのだよ。 既に前に述べている者もいる。 あまりマリアを困らせるな(苦笑)。
691 :
信仰虚弱 ◆H7uaEVrQ :02/01/19 02:13
多くの博識な方々が三位一体についてさまざま教えて下さっています。その通りだと 思うのですが、「小さなヨハネ」さん。まあ俗っぽくこういう説明はどうでしょう。 「父なる神」と「子なるキリスト」と「聖霊」という3つの偉大な霊が存在するんです。 その三者が、まるで、とっても仲のいい家族のように、心を一つにして、それぞれに 働いておられる。それが、まあ「三位一体」です。 「とっても仲のいい家族」というのがイメージできなければ、スポーツのチームとか POP音楽のユニットとか、そんなものをイメージしてもいいかも知れませんね。 「3」であるが「1」である。ということは、そんなに難しいことではないのでは?
>>690 言ってることはわかるが、嘘ついてないか?
693 :
小さなヨハネ :02/01/19 10:32
>>688 マリアさん
>この捉えのままだと、やはり聖書の捉えは足らなかった。
>特に初期の福音書に関しては理解不足だった・・・。
マリアさん、勘違いなさってはいけません。当初“三位一体”などという
発想はなかったのです。これは後世の「発明」だということを忘れてはな
りません。それ以前も当時も不信仰とは言え、“神は唯一”は常識中の常
識であり、現代が非常識なのです。当時、主を神と信ずるか、否かだけ
だったのです。(
>>451 「栄光の賛歌」についての記述をご参照。)
694 :
小さなヨハネ :02/01/19 10:34
>>690 代行さん
(1).>イエズスは、わが主その人ではない。
では、次の聖句を説明してください。
「トマスは答えて、『わたしの主、わたしの神よ』と言った。」
(ヨハネ20・28)
(2).>わが主はこの地の人間の世に直接は関わらぬのだよ。
そんなことはありません。関わってくださいます。では、次の聖句を説明
してください。
「うろたえてはならない。彼らを恐れてはならない。あなたたちに先立
って進まれる神、主御自身が、エジプトで、あなたたちの目の前でなさ
ったと同じように、あなたたちのために戦われる。また荒れ野でも、あ
なたたちがこの所までたどった旅の間中も、あなたの神、主は父が子を
背負うように、あなたを背負ってくださったのを見た。こう言っても、あ
なたたちの神、主をあなたたちは信じなかったが、この方こそ、あなた
たちの先頭に道を進み、あなたたちのために宿営の場所を探し、夜は火、
昼は雲によって行く手を示された方である。」(申命記1・29−33)
695 :
小さなヨハネ :02/01/19 10:35
同様に、宇宙が存在するのは、主による「絶えざる創造」です。主は 創造主御自身です。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている」 (マタイ28・18)とは謙遜して言われているに過ぎません。 神である主が一瞬でも手をお抜きになれば、宇宙は崩壊してしまうで しょう。 では次の聖句を説明してください。 「二羽の雀が一アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽 さえ、あなたがたの父のお許しがなければ、地に落ちることはない。」 (マタイ10・29)
696 :
小さなヨハネ :02/01/19 10:35
>>691 信仰虚弱さん
>「父なる神」と「子なるキリスト」と「聖霊」という3つの偉大な霊が存在
>するんです。その三者が、まるで、とっても仲のいい家族のように、心を一
>つにして、それぞれに働いておられる。それが、まあ「三位一体」です。
神は三人もおられません。会社に社長が三人いたらおかしい。日本に天皇
陛下が三人おられたらおかしい。世界中から笑われるでしょう。まして、
宇宙に三人の神(偉大な霊)がおられて一緒に働いているという発想はお
かしいのです。イエズスも神と言うのなら、父なのです。父でないと言う
のなら、イエズスは神でないとおっしゃっているのと同じです。神という
のは「不可分」なのです。
では、次の聖句を説明してください。
「聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である。あなたは心を
尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。」
(申命記6・4−5)
697 :
名無しさん@1周年 :02/01/19 13:05
一神教って不具合がおおいんだね。 小さなヨハネ君みたいのが出てくるけど だれも説得できないし。
お、俺の知る限りでは、聖書は全てが正しいわけではないのだが・・・。 が、ヨハネの黙示録で述べられた天主の姿は結構写実的。 どういえばいいのやら、既にわからないぞ、俺は・・・(笑)。
>>698 おっと、補足。ヨハネの黙示録うんぬんと言うのはな。
;;;;(;・・)ゞウーン。幻のようなものだから・・・。
ホントかどうかはわかんないよ。
ちゃんと審神受けたわけじゃないからね、俺のは。
動物霊とか低級なのが見せたものかもしれない。
まぁ、スウェーデンボルグよりはアヤシイと言うことで。
・・・自分でもわからなくなってきたぞ。
俺はただの怠惰な人間だからねぇ・・・。
700 :
信仰虚弱 ◆H7uaEVrQ :02/01/19 16:10
>>696 > 神は三人もおられません。会社に社長が三人いたらおかしい。日本に天皇
> 陛下が三人おられたらおかしい。世界中から笑われるでしょう。
神が3人いるとか、会社に社長が3人いるとか、日本に天皇が3人いるとか
私がいつ主張なり例示しましたか?私の
>>691 をぜんぜん読んでないのですね。
私が言ってもいないことを挙げて「あんたの主張は『世界中から笑われる』」
みたいに決めつけるのですか?悲しい方ですね。
701 :
【^▽^】スレイマーン・ジョーカー :02/01/19 16:30
イーサー(イエス)はアッラーの使徒・預言者の一人です。 ムハンマッドに次いで、アーダム(アダム)、ヌーフ(ノア)、 イブラーヒーム(アブラハム)、ムーサー(モーゼ)と 並ぶ重要で偉大な預言者です。
702 :
【^▽^】スレイマーン・ジョーカー :02/01/19 16:32
しかし、イーサー(イエス)もムハンマッドと同じく、 あくまで人間でした。
>>693 あらあら、そんな嘘は良しなさい。
三位一体論以前の捉えは、三柱論というものがあったことは先に言ったわよ。
三位一体論も、この流れを引いているわけ。
これはアダムがの時代から神から知らされていたもので、全世界共通のもの。
それをあなたは否定しているわけ。よって、聖書の伝承は参考資料で嘘。
そういうことをあなたは、間接的にはっきりと言っているわけ。
ユダヤで神を指す、ヤハウェ、アドナイ、エロヒムについて調べてらっしゃい。
そして、これがどのような使われ方をしていたかも調べてらっしゃい。
聖書はこれに基づいて書かれているわ。
父と子と聖霊は一体のもの。
本質は同じ者。分けることの出来ない一体のもの。
それから、あたしが主に言いたいことは、あなたとずれている。
内面との会話についての話し以降よ。
主な内容は
>>689 ね。これを参考にしてちょうだい。
そうね、スウェーデンボルグは仏教的な考えでもあるわね。
よって、スウェーデンボルグの考え方なら、
いつか言った、イエズスの体から鳩のような霊が飛び出さないと、
聖書の話は間違っていることになるのよ。
天から降りてきたのではないと訂正しないといけなくなる。
天とは、内面にあるものだけであり、外にはないとなる。
天主に、三つの性格が存在していることを否定する理論だからね。
そして、聖書全体を書き換えなければならなくなるのよ。
この理論は、あたし達にとっても新しい理論。となるわね。
隠されていた理論でなく、新しい理論。
>>694 主はアドナイであるの。ヤハウェ自身ではないわ。
アドナイはヤハウェのことでもあるけど、
ヤハウェ自身全てのことではないの。
この意味がわからないと、三位一体の意味も分からない。
>>697 大体天主について、ある人間の見たある一部分のみに基づいて
正しいとか、正しくないとか、そういうことを言っているのだからね。
多神教の世界は、性格が違えば全て神として分離してしまうから、
こんな問題は起こらなくていいのよ。
705 :
名無しさん@1周年 :02/01/19 16:42
>>697 誰か説得しようとしてた人いたっけ?
神を探究しようとはしているが自説に酔って先へ進めない 1と
指摘する人と自説を語る人とマルチポストコピペと
煽りしかいないんじゃないの?(そしてもしかして、騙り)
モナーAAと吉牛コピペがあれば、さらに 2chらしいスレに
なるんだろうけど、残念だねえ。
>>704 随分勘所に迫ってますな。マリアさんも短気。
俺は動物霊のはずなのだが、何故だかあまり認識が違わない(笑)。
でも、ま、騙す者は多くの真実の中に僅かな誤謬を混ぜると言うし〜。
だから、本当の事もちょっとは見せてくれたのでしょう。
>>698 会社では、社長はみなに自分の意志を知らせないとダメ。
その方法として、大きな会社であれば、
支社長なりに確実に伝える者が必要なわけ。
その者が言うことは、社長の意思なわけ。
よって、その者が言うことは、社長の命令と一緒。
極秘事項は、今でもそういったやり方をしているものよ。
後、電話、ファックス、インターネット、色んな機械が使われる。
これも、それを指しているのよ。それらは、社長のものね。
社長の意思を伝える者でないなら、何なのかしらね?
天皇とは、日本国統合の象徴であり、
神道の最高祭祀を司るものであり、皇族の家長である。
この三つの性格を持っているわね。
三人の天皇が姿があるわね。
>>706 調べることによって、
色んな知識を吸収できればいいじゃない。
色んなことを知らないで、あれは間違い、
これは間違いというからややこしくなる。
ある人の考え方に共感するのはいいけど、
調べようともせずに盲信する姿勢は、避けるべきね。
それに、最終的に突き詰めていけば、
どの説も三柱に帰る説よ。
本人自身がそういってるじゃない。既にね。
710 :
ふらんちぇすこ :02/01/19 18:03
ううむ。まだ続いているか。すごいな。 神の三位一体なんて語る事がほんとうは出来ない ものなんだな。でも、沈黙できないんだなぁ。
α・β・Ω「合体!!」 α「聞いて驚け!」 β「見て笑え!」 γ「なんとこれが天主の正体!!」 α「ピー(妨害を受けました・・・)」 β「ピー(妨害を受けました・・・)」 γ「ピー(妨害を受けました・・・)」 ・・・。 天主「わたしはαでありΩである・・・」 なんかゲッターロボみたいだよな。
712 :
小さなヨハネ :02/01/19 23:44
>>703 マリアさん、
>>689 よって、あたしの経験では、イエズスは御子であり、
>御父とおなじ御霊は有しているが、天には御父が居た。
>よって、父と子は同じであるが、子は父と同じ意志をもち、
>その意思を人に伝える存在。父と同じではあるが、父ではなかった。
イエズスは御父ご自身なのですよ・・・。
「父が私の内におられ、わたしが父の内にいることを、あなたたちは知り、
また悟るだろう。」(ヨハネ10・38)
713 :
小さなヨハネ :02/01/19 23:45
>ユダヤで神を指す、ヤハウェ、アドナイ、エロヒムについて調べてらっしゃ >い。そして、これがどのような使われ方をしていたかも調べてらっしゃい。 ヤハウェは「存在している」を意味します(天界の秘義7636)。「私は あるという者だ」「ありてある者」と同じです(天界の秘義10579)。 アドナイは「主」という意味で、おもに神の善について述べる場合に使わ れます。全般的に主題が神の愛または善のときは「エホバ」と呼ばれ、神 の真理について述べられる場合は「神」(エル)と呼ばれます。その両方 が同時に取り扱われている場合は「神エホバ」と言われるそうです(天界 の秘義2921)。 しかし、神の持つ善の力、あるいは全能が取り扱われているときは、 「エホバ・ゼバオス」すなわち「万軍のエホバ」、あるいはやはり「主」 とも言われ、「万軍のエホバ」と「主」とは同じ意義を持つそうです。
714 :
小さなヨハネ :02/01/19 23:47
エロヒームはエル(神)の複数形で、天使達は主から得ている真理から 「神々」と呼ばれます。これはヨハネ10・34,35でも主がおっし ゃっています。また同時に逆の意味もあり、「諸国民の神々」とは誤謬の ことです((天界の秘義4402)。 「あなたらは他の神々の名を口にしてはならない」(出エジプト23・ 13)は「他の神々」とは誤謬の教義、「口にする」とは考えるという 意味です。なぜなら考えたことを人間は口にするからです。従って、 これは、あなた方は誤謬の教義から考えてはならないの意味です(天界 の秘義9284)。
715 :
小さなヨハネ :02/01/19 23:48
>>700 信仰虚弱さん
>神が3人いるとか、会社に社長が3人いるとか、日本に天皇が3人いる
>とか私がいつ主張なり例示しましたか?私の
>>691 をぜんぜん読んでない
>のですね。私が言ってもいないことを挙げて「あんたの主張は『世界中から
>笑われる』」みたいに決めつけるのですか?悲しい方ですね。
>>691 >「父なる神」と「子なるキリスト」と「聖霊」というが存在
>するんです。その三者が、まるで、とっても仲のいい家族のように、心を
>一つにして、それぞれに働いておられる。それが、まあ「三位一体」です。
「3つの偉大な霊」あるいは「三者」とおっしゃっているではないですか?
>>712 それなら、何故御父と自分をイエズスは区別しているのかしらね?
御父自身なら、全く区別する必要はないのにね。
まぁ、聖書から導き出すのは辞めなさいって。
>>713 あたしの母の先祖ユダヤ人の見解とは、全く違うのだけどね・・・。
いつから、そうなってしまったのかしらね?
後からユダヤ人でもない人が言ったことが、
昔のユダヤ人の言っていることより間違ってないとなると、
昔天主が教えられたことは、変更されたか嘘だったとなるわね。
718 :
小さなヨハネ :02/01/20 00:01
失礼しました、信仰虚弱さん。引用文を間違えました。以下が正当です。
>>691 >「父なる神」と「子なるキリスト」と「聖霊」という3つの偉大な霊が存在
>するんです。その三者が、まるで、とっても仲のいい家族のように、心を
>一つにして、それぞれに働いておられる。それが、まあ「三位一体」です。
「3つの偉大な霊」あるいは「三者」とおっしゃっているではないですか?
天主の中には、三つの格がある。 正統三位一体はこういう感じなんだけど、 あなた達の場合は、これを勝手に別のものといい、 イエズスが何故自分と父を分けている理由を理解しないからね・・・。
くそぉ・・・。 はっきり言ってやろうか・・・。 ε=ε=ε=ε=ε=ε=ε=ε=ε=ε=(;T-T)/モウイヤ〜
721 :
ふらんちぇ@牢名主 :02/01/20 00:09
アリストテレス。 形而上学。
722 :
名無しさん@1周年 :02/01/20 00:12
723 :
名無しさん@1周年 :02/01/20 00:14
神に纏わる云々は、すべてソッチ系の人による妄想です。
724 :
名無しさん@1周年 :02/01/20 00:18
にしても人間って愚かで脳の無い進歩しない生き物だね 何千年前の電波にいつまで有り難がってんだよ。 そこに人類の精神が縛られたままになってる事にも気付かないのかね? お前らが人類の精神進歩止めてるんだよ落ちこぼれが。
>>724 まだまだ、それがみんなわかる時代ではないでしょうよ。
待っていたら、やってくるのよ。
三位一体論への疑問 1. 御茶ノ水大学教授 藤原正彦氏によるとI.Newton は天才中の天才だそうですが、 そのNewtonの事項より 岩波哲学・思想事典 P1225 ニュートンの項より ○同じ時期、神学研究に熱心にかかわり、三位一体論を否定する 教義にいたっている。そのため終生キリスト教神学の異端アレイオス主義の支持者であり 続けることになった。 ○また聖書年代学や神学の研究をも素人の域を超えて研究した。それらの研究は膨大な遺稿として のこされている。そのような研究によってアングリカンの正統神学の三位一体教義をも否定した。 2.C.G.ユング関係の本を読んでいるとバチカンでは最近 主イエスの母マリアも合わせて、四位一体 とも言われているそうです。三という聖数でなくていいのでしょうか。 3.一人の人間の父親は一人しかいないので三位一体となると父親が三人いることになり、お前の かーちゃんは尻軽の浮気女かということになります。 4.三位一体というのは唯一の神であるイエス・キリストを三つにぶった切って、なきもの としようとする、邪念がその根底にあると思います。これらの教義をブッシュマンなどの民族に 言えば、馬鹿にされて大笑いされると思います。 5.古来三位一体論で幸福になった人間はいないでしょうし、それでは宗教の教義として 全く意味を持ちません。
続きです。 ○新約聖書において主が御自分の行った奇跡を「天の父上の力である」というように 言われますが、これは主イエスに「自己愛が全くない」からであります。 神は自分の功績を自分に帰さないのです。全ての病人の病気を一瞬で治しても 自分がやったのだとはいわれません。 ○下らない引用になりますが昔オウムのアサハラが宇宙からたくさんの隕石が 降ってくるといい無事なところに避難させると言ってたくさんの人からお金を騙し 取り、それで結局隕石は降ってこなかったのですが、それについてアサハラはこう 言いました「私が(隕石群の落下を)止めた。」←これは自己愛です。 >>小さなヨハネさんへ ここで説教をやっても無駄だと思います。ここは歌舞伎町のどまん中のような所です。 本当にS神学の有り難味がわかるのは、苦労した事のある人間だけです。宗教の「し」の字も わかっていない人にS神学を伝えても意味をなさないのではないかと思いますが、 しんどかったらもう引かれてはどうでしょうか?
人間がどうなろうと知ったこっちゃない。 そんな気分になってくるな。
一神一柱主義者は、この世を一次元の世界に戻そうとしているわけね。
神が持つ三つの柱のうちの二つを消し去りたいわけなのね。困ったわね。
まぁ、そういう者は常に少数者でしょうけどね・・・。
それより、世は宗教なんか越えた道に進んで行くわ。
>>726 2でそんな憶測に基づいたことを言っているけど、
そんなことはないわよ。聖母マリアは人間だからね。
それは天の神ではないから、四位一体は無理ね。
エロヒムの属性が、彼女にあるというなら別だけど、無いわけだしね。
3いつから三位一体説はそんな説になったのかしらね?
あたしは知らないわ。父は一柱しかいないからね。
4父と子と聖霊とは、天主のある性格を解説したものなのにね。
父は天に居り、子は父から産まれ、聖霊を発出する。
どの本質も父にある。それらの言う言葉や現象は、父のものである。
したがって、ある目から見れば、御父自身とも見える。
>>727 イエズスは父のものという。
何故なら、イエズスの意思は父のものであるからね。
霊のものであれば、その霊は父のものだから父のものという。
ただ単に、あなた達の理論は西方三位一体説を
分かりやすく解説してるだけの理論を信奉しているだけなのに。
それを分からずに、あれこれ人間理解に基づいた詭弁を書くから、
余計に溝が深まってしまう。
あなた方は、まだまだ善と悪しか知らない世界の人間だということよ。
スウェーデンボルグは違っていたと、信じたいわね。
一応、瞑想のようなこともされている方だしね。
730 :
小さなヨハネ :02/01/20 17:20
>>726 ,727さん
有難うございます。知らないことを教えていただきました。
しかし、わたしにもどうすべきかよく分かりません。ただ、スウェーデン
ボルグが神から与えられた真理をわたしたちが持っているなら、それを分
かち合うことは必要ではないかと思ったのです(ルカ13・16、同14・
5)。私のパンと魚もあの少年同様粗末なものですが(ヨハネ6・9)、差
し出しても減るものではありません。私のものが不足したときにはどうか助
けてください。
731 :
名無しさん@一周年 :02/01/20 17:25
キリストって神なの? 神がマリアにどーのこーので生まれたのがキリストじゃないんだね。
>>729 何か「のむらさちよ」に説教されているみたいなので文体を変えさせてもらいます。
>>726 >2でそんな憶測に基づいたことを言っておられますが、
そんなことはないです。聖母マリアは人間ですから。
それは天の神ではないから、四位一体は無理と思います。
エロヒムの属性が、彼女にあるというなら別ですが、無いわけですしね。
エセンシャル ユングという本に書いてましたが。
>3いつから三位一体説はそんな説になったのでしょうか?
私は知りません。父は一柱でしかないはずです。
一人しかいない神がイエス・キリストだと本人が1750年ごろに言いに来ている
でしょうが。
>4父と子と聖霊とは、天主のある性格を解説したものです。
父は天に居り、子は父から産まれ、聖霊を発出します。
これは人間の考えた事で真実ではありません。
>どの本質も父にあります。それらのいう言葉や現象は、父のものであります。
したがって、ある目から見れば、御父自身とも見えます。
天主とはイエス・キリストの事であります。
またまた文体を変えさせていただきます。
>>727 イエズスは父のものといわれています。
何故なら、イエズスの意思は父のものであるからです。
だからイエスは唯一の神ご自身だといっているでしょう。
>霊のものであれば、その霊は父のものだから父のものであるということです。
↑言語ゲームですか?
>ただ単に、あなたがたの理論は西方三位一体説を
分かりやすく解説してるだけの理論を信奉しているだけなのだと思います。
それを分からずに、あれこれ人間理解に基づいた詭弁を書くから、
余計に溝が深まってしまうのです。
Swedenborgは「三位一体説」をはっきり誤謬だと断言しているので
そういう詭弁はやめて下さい。それとマリアさんは我々と同じ人間なのに
人間を超える理解が出来るのですか?
>あなた方は、まだまだ善と悪しか知らない世界の人間だということです。
スウェーデンボルグは違っていたと、信じたいですが。
一応、瞑想のようなこともされている方だそうですね。
善と悪以外に一体何があるのですか?「瞑想」って何ですか?Swedenborgは霊界に
ちゃんと出入りしていたのですよ。それで予言もできたわけです。
追加:I.Newton の件はどう思われますか?
人間もいれば人もいる・・・。 最近情緒不安定のver3.0βです・・・(T-T)ウルウル。
735 :
名無しさん@1周年 :02/01/20 23:11
Swedenborgiana ってみんなこんな感じになるね。 なんでだろ。 むかし fj.life.religion にいた「しずかないずみ」こと河原さんも もううるさいことうるさいこと、人の話は聞かないしスレッド違い グループ違いはあたりまえ、いわゆるうさげでまで吊し上げられてたもんな。
>>735 >むかし fj.life.religion にいた「しずかないずみ」こと河原さんも
もううるさいことうるさいこと、人の話は聞かないしスレッド違い
グループ違いはあたりまえ、いわゆるうさげでまで吊し上げられてたもんな。
どこがうるさいのですか。誰が人の話を聞いていないのですか。
正当な根拠もなしに感情的な「死に体」の批判はやめて下さい。
>吊るし上げられていたもんな
宗教に関わる者の使う言葉ではありませんね。
>>730 ただ、スウェーデンボルグが神から与えられた真理をわたしたちが持っているなら、
それを分かち合うことは必要ではないかと思ったのです。
小さなヨハネさんは善意でやっておられるのですが、それを理解できる人はここでは
すくないようです。善意を仇で返す事は宗教に携わる者のやる事ではありません。
> 私のパンと魚もあの少年同様粗末なものですが(ヨハネ6・9)、差
し出しても減るものではありません。私のものが不足したときにはどうか助
けてください。
いえいえ、こちらこそ。僕は貴方を助けられるほどたいした者ではありません。
微力ですが協力させてください。でもあまりスレの雲行きが悪くなればやめた方が
良い場合もあると思います。
>>732 それじゃ、お返事ね。まず文体の件。
これは、あたしの癖よ。説教でも何でもないわよ。
>エセンシャル ユングという本に書いてましたが。
そんなものはカトリック教義に全く存在してないのよ。
人というものは、理解出来ないものは誤解してしまうものね。
聖母マリアは「人」というのがカトリックの理解よ。
>一人しかいない神がイエス・キリストだと
>本人が1750年ごろに言いに来ているでしょうが。
あたしが見たのは天主は一つのもの一柱ではなかった。
その中は三柱からなり、イエズスは父の右に座す者だったけどね。
でも、これはあたしにはそうの方が理解しやすかったから。
三位一体の教義の中で、当時は生きていたからね。
>これは人間の考えた事で真実ではありません。
これは聖霊の導きによるもの。
しかし、他の映り方が間違いであると断言したのは人間の不理解。
これは仕方がない。人とは自分が理解出来ないものを誤解してしまうから。
>天主とはイエス・キリストの事であります。 イエズスは、父を写した者。イエズスは言葉を発する。父の右の座に座す者。 父は本質であり中央の柱。中央の座に座すもの。 スウェーデンボルグが見たもの。まさに一体の姿。 もし人が天主の姿を見るなら、一体の姿を見てそう思う。 それは父であり、イエズス・キリストであり、聖霊である。 よって、イエズスは父であるとも解けるのよ。 イエズス・キリストをスウェーデンボルグは見たのは当然のことよ。 あたしには、その理解もできるわね。 何故なら、イエズスは父と人との仲介者の性格もあるから。 キリスト教徒であるなら、人となったイエズスを通さないと 天主は見ることが出来ないものね。何故なら、天主自身だから。 >↑言語ゲームですか? ある一説を盲信するから、あたしの真意が分からない。
>Swedenborgは「三位一体説」をはっきり誤謬だと断言しているので >そういう詭弁はやめて下さい。それとマリアさんは我々と同じ人間なのに >人間を超える理解が出来るのですか? イエズスも人としてやってきた。あなたも人。 あたしは巫女、あたしは神に仕える者。時に神の意思を伝える者。 あたしの話す言葉は、時に神の言葉であることもある。 あたしもあちらへ行った人間よ。そこで分かったのは、 大体人間は、ある一説に固執しすぎ、他の見え方を拒否する。 円すいを見て、三角か丸かで争っているに過ぎない。 人を再び天主の元へ一つにするはずの教えを、 人は分裂させるために使ってしまう。 宗教の本質は、人を一致させ、和解させるものなのに・・・。 西方三位一体論と、スウェーデンボルグ説は、そっくりなのよ。 西方の三位一体説について、学んでみなさい。 何故、子からも聖霊を発出できるのか?という意味を探り、理解することよ。 >善と悪以外に一体何があるのですか? >「瞑想」って何ですか? >Swedenborgは霊界にちゃんと出入りしていたのですよ。 その世界は、内面から得られた世界であるという事実を述べているのみよ。 そこからも霊界に行くことはできる。 しかし、それは内面から自らの理解できるものを 得ただけであるということだけ。 外も理解すれば、一層完璧に理解出来たものを・・・。 しかし、それをするのはその後の世代の者。まだ時ではなかったのよ。 彼も、その準備の為に人に示された者。 三柱とは、太古より神霊と人とがまだ近かりし頃より 全ての民が知っていたもの。 一神教であれ、多神教であれ、この世のものは全て三柱により成ると、 太古の昔から知らされていたこと。三柱にて一つとなる。 善と悪とは何か?その元はどこにある? 善と悪は、何のために存在するのかしら?サタンの本来の意味は? >I.Newton の件はどう思われますか? 人は、自分の理解の範囲が及ぶことまでしか理解できないものよ。
人間の一生はそれ自体が修行。 あ、バージョンがちょっと上がってβ2に変ったぞ。 胸から○○が出てくる様になった。正式採用も近い感じ。
742 :
名無しさん@1周年 :02/01/21 15:51
正式採用って何?
>>742 お婿さん。今、彼女の実家の連中にいたぶられてる。
全然関係無い話で、スマソ。
744 :
ボーダー住民 :02/01/21 19:19
スウェーデンボルグを基本的に支持していますが、 マリアさんのおっしゃることは大変ごもっともです。 >>735 みんながこうじゃないんだよ。うるさいものがうるさいだけ。 こうゆう輩は、スウェーデンボルグの肯定的な表現は無視して、 既成教会の非難だけに取憑かれている。 三位一体さえ批判すればなんでも真理が流入すると思っているのか? スウェーデンボルグ自身が遺稿の中でなんて言っているか知らないのか? スウェーデンボルグが、こういう人間たちのせいで嫌われたら、 こういう人間たちは、他生で祝福されると思っているのか? 悪徳医者や悪徳警官がニュースになって、善良な医者や警官が迷惑するのと同じ。 我々は大変迷惑している。 スウェーデンボルグは確かにカトリックもプロテスタントも批判した。 それは、身内を戒める愛から出たことだ。 しかし、スウェーデンボルグ主義者を非難していない。 なぜなら、そのような者が、彼の時代には存在しなかったからだ。 もし今の時代にスウェーデンボルグがもう一回来たら、 その時一番酷く非難されるのは、スウェーデンボルグ主義者だ。 中でも、スウェーデンボルグ原理主義者だ。 ヨハネ君、君の善意を信じる。でも君は若い。 応援してくれる人々の、内面を見抜けていない。 君が他の輩と同じ扱いをされるのを、私も、多分私の仲間も喜ばない。 君に理解者がいるなら、そこでやり給え。
745 :
小さなヨハネ :02/01/21 22:11
>>726 さん
ありがとうございます。しかし、人につまずく必要はありません。人が悪口
を言おうと、気にしてはなりません。実際我々はその程度のものなのですか
ら。それに、主と聖母がついていてくださるのです。傷つくことなどありま
せん。しかし、疲れることはあります。そのとき応援とは大変有難いもので
す。また、摩擦があればこそ、車は前に進むのです。
さて、ちっとも前へ進まないという御批判はもっともです。それは、摩擦は
充分なのですが、エンジンが非力だからです。
人にわかりやすい言葉はないかしらと探るけど、 人間の言葉に置き換えるのは、大変容易でないから 誤解を招くかも知れないけど、 西方三位一体説での御子であるイエズスは、 一種の御父と呼ばれる存在のクローンのようなものともいえるわね。 これは、父と子は同じものということよ。 結局、スウェーデンボルグ説と同じことを言ってるのよ。 互いに違うと言い合うでしょうけどね。 あたしは内からも外からも見れるから、そう見えるのよ。
747 :
名無しさん@1周年 :02/01/21 22:46
マリア様ってステキッ!
748 :
小さなヨハネ :02/01/21 22:48
>>744 ボーダー住民さん、
なるほど、御批判はもっともです。私は皆さんにご迷惑をお掛けするのは
本意ではありません。私の力不足は認めます。しかし、可能な範囲でして
いるだけです。間違いがあればどうか具体的にご指摘ください。
スウェーデンボルグの真理を知っていて信じているなら、提供すべきだと
私は思うのです。私はカトリックもプロテスタントも正教も皆素晴らしい
伝統を持っていると思います。良いものを提供し合うことは主の御旨に叶
うのではないかと思うのです。
749 :
小さなヨハネ :02/01/21 22:50
主の来られた理由を述べねばなりません。結論だけ申し上げれば、色々な 理由はあったようですが、非常に重要なのは、主は悪魔の勢力を斥けるため に来られたということです。悪魔と言っても、地獄と言っても同じです。 それは二回目の「最後の審判」だったようです。もともとは天界だけだった のですが、自己愛に駆られた悪魔ができたので、天界と地獄を分けられたの が「洪水」という第一回目の「最後の審判」だったようです。 しかし、その天界の低い部分が魔鬼や悪霊に占められるに至り、天界にも この世にも悪影響を及ぼすようになったため、主は来られて彼らを放逐 され、それによって霊的な者の天界が出来たのだそうです。(天界の秘義 6854、6914)(この辺は準備不足で自信ありません。どなたか 補足してください。すみません。)
750 :
名無しさん@1周年 :02/01/21 22:54
なんか聖書から大きく逸脱して、憶測によるカキコが多いように思うが。。。
>>744 あら、良いご意見をありがとう。
あたしは、イエズスから「私が知らせた福音が全てであり、
全ての鍵がある」と聞いているわ。
本当にイエズスを信じる人なら、
福音によって生きなければならない。
これこそがキリスト者の道。
多数の日本人は、福音は善きものと受け入れる。
それは、神道絶対主義のはずの神主の伯父も
「これはキリスト教でなく、神道である」と受け入れるもの。
しかし、後は受け入れない。理由はなぜか?人のものだからよ。
人のものによって、全てを知ったかのように振舞ってはならない。
それをするなら、かつてのカトリックやプロテスタントと同じ。
もう少しさかのぼれば、イエズスを十字架につけた者達と同じ。
それを楽しみたくないものは、しっかり目を覚ましていれば良い。
天主が示したものは、新約においては福音である。
人は、これに沿って歩むように心がければ良い。
>>749 そういう見え方も出来るけど、
神霊との交わりの中でいた時代から続く伝承では、
持つと別の見方も出来るのよ。
754 :
名無しさん@1周年 :02/01/21 23:10
755 :
名無しさん@1周年 :02/01/21 23:11
ところで、マリアさんって女性?ネカマ?
756 :
名無しさん@1周年 :02/01/21 23:14
俺、マリアさんのファンだよ。 考え方は合わないけどね。 でも、カキコが面白いんで読んでる。 神社の巫女さんなんでしょ?
758 :
ボーダー住民 :02/01/22 09:52
>748 いや、まあ、君はいいんだよ。周りが見えてないだけで、基本的に悪意はないし、 ここで愛されているか、何らかの好意を戴いているか、 ウーン、ま、何かかまって貰える要素があるから、 マリアさんも相手にして下さるんだろう。 相手にしてもらえる程度に頑張って欲しい。 既に、ある程度の読者には匙を投げられているとは思うからね。 こっちの言っているのは、その周辺事情のこと。 応援するなら、敵も味方も聞いて気持ちのいい応援をしろっての。 再生を目指す者ならね。 がんばれの。 マリアさんも、よろしくお願いします。 もう話をしてやって下さるのはあなたしか居られません。 小さなヨハネは、いい子です。保証します。
>>745 盲信しはじめると、他の意見が悪口なのかそうでないのか
見分けがつかなくなる。
みんな悪口に見えてくる。それは、試しに負けている証拠。
サタンを知りなさい。
それから、天主の世界は人の理解を超えたところ。
しかし、そこを見た人にはそれぞれの理解しか出来ない。
また、あなたがキリスト者なら、福音に沿って生きなさい。
福音の中にある鍵に沿って解いて御覧なさい。
何故、ペトロとその後継者が天と地の鍵を手にしているというのか、
また、その鍵とは一体何なのか?
それから、何故イエズスが持つべきその鍵を人に渡したのか?
カトリックの洗礼を受けているなら、探ることも必要よ。
俺は悪口は言ってないぞ〜(笑)。 ただ、ま〜、ちょっと、うーん。 天主とイエズスは違うとしか言いようが無い。 イエズスは天主の御分霊。 俺にはこうとしか言いようがない・・・。 あ、また参加してもた。
762 :
ふらんちぇ@牢名主 :02/01/22 19:35
ボーダー住人はいい奴だな。 をれはスウェーデンボリの解釈自体は否定しないよ。 結局のところ、だれもこれだという確証のない事柄が三位一体だからね。 しかし、伝統的キリスト教の三位一体を、きちんとした理解をしないで、 批判してる事自体は変じゃないの?と思うだけよ。 批判するなら、批判するで知への誠意が必要だという事だ。 批判していいんだよ。ただ批判するならばそれ相応の理解をした上で行わないと いけないと思うんだな。ブルネルスはその辺りを一生懸命解説してたね。 をれも、勉強になったな。知への誠意というのはああいう事だよ。 キリスト教の三位一体なんて信じては居ないけど、知識として理解している。 という態度ね。 理解してると思っているようだけど、抽象概念ということ自体が 全然理解出来てないみたいだね。ということを言っていたんだな。 だから、ギリシャ教父の理解からはじめなよ。とアドバイスはした。 形而上の存在理解への態度ということがね。違うなと。 小さなヨハネは真面目だからね。ここは気になって読んでたよ。 スウェーデンボリがいいと思うなら、なにも他との比較、他者の否定に 頼らずとも、これは素晴らしいよと、主張するだけでいいと思うんだよね。 そうすれば別に突っ込みもいれないよ。ああ、そういう理解もあるんだな。 と思うだけだし。 あと、小さなヨハネはカトリックで洗礼受けてるらしいけど、 洗礼を受けるという事は、その教会の教義自体を受け入れると言うことなんだよ。 そのことには責任を果たしていないね。スウェーデンボリが素晴らしいならば ニューエルサレム教会に移籍すべきだよ。それが、誠実ということになると思うん だけど。今のままでは所属教会の教義を否定しているのに、ミサで信じますといっ ていることになるわけだからね。スウェーデンボリだって、こんなに自分の思想を 受け入れてくれるなら、自分の思想の教会に来て欲しいと思うだろうよ。
763 :
ボーダー住民 :02/01/22 23:09
>762 ふ。ありがとよ。あんたにそう言われると照れるよ。あんたこそ、ほんとに、いい奴だよ。 で、三位一体信じてないの? >760 ひ〜え〜。トキって、なあに? ヨハネ君、大丈夫? まあ、マリアさん、小さなヨハネは、そう簡単にはへたばりません。申し訳ない。 ヨハネ、ここまでやるには覚悟があったんだろ? 味方とか、応援とか、弱音を吐くなよな。 (そのうち応援してやるからな。あてにしないで待っとけな。) 外典のどっかにあったな。「人は孤独であるとき主イエスとともにあるのである」 なんか、そんなんだったよ。
764 :
ふらんちぇ@牢名主 :02/01/22 23:40
>ボーダー住人 >で、三位一体信じてないの? いや。あれはブルネルスの事。 をれも、そのままその通り、三位一体がまったく正しいとは言いきれないな。 それがまったくの神の姿だ。というのはね。神の事は隠されていると思うか らね。 ただ、神とキリスト、働きかけてくる聖霊という存在を考える時や、 形而上の事を考える時ね、キリスト教が伝統的に考えつづけて来た、 三位一体は一番しっくり来るんだな。考えやすいというか、いや考えにくい からこそ、色々想像する過程でね。色んな神学の三位一体の理解が役立った りする。いつのまにか、観想をそれで行ってたりする時あるね。 だから素直にクレドと言える。 小さなヨハネもここに書くことで神の姿について観想してるんだと思うよ。 ブルネルスや、神♂(ver3.01β2) dendo、マリアと対話しながらね。 面白い論客ばっかりだし、いいスレになってると思う。
765 :
小さなヨハネ :02/01/23 00:22
>>758 ボーダー住民さん
ありがとうございます。チベットを裸足で行ったサンダー・シングを思え
ば、何と言うこともありません。726さん、私ひとりで良い子になるつ
もりはありません。いつでも助けてください。主は皆が協力し合うことを
お望みのはずです。
(すみません、762のふらんちぇすこさんまでを拝見して書いています。)
766 :
小さなヨハネ :02/01/23 00:23
>>750 さん
確かに奇想天外に思われるかもしれません。しかし、啓示は一度にすべては
無理で、私たちが知らなかったことも、徐々に現されて行くのだろうと思い
ます。主も次のように言われます。
「言っておきたいことは、まだたくさんあるが、今、あなたがたには理解
できない。」(ヨハネ16・12)
「わたしはこれらのことを、たとえを用いて話してきた。もはやたとえに
よらず、はっきり父について知らせる時が来る。その日には、あなたがた
はわたしの名によって願うことになる。わたしがあなたがたのために父に
願ってあげる、とは言わない。父御自身が、あなたがたを愛しておられる
のである。」(ヨハネ16・25−27)
767 :
小さなヨハネ :02/01/23 00:25
「わたしは御名を彼らに知らせました。また、これからも知らせます。」 (ヨハネ17・26) 「このほかにも、イエスは弟子たちの前で、多くのしるしをなさったが、 それはこの書物に書かれていない。」(ヨハネ20・30−31) 「イエスのなさったことは、このほかにも、まだたくさんある。わたしは 思う。その一つ一つを書くならば、世界もその書かれた書物を収めきれな いであろう。」(ヨハネ21・25) 「わたしは、自分の二人の証人に粗布をまとわせ、千二百六十日の間、 預言させよう。」(黙示録11・3) スウェーデンボルグの本も啓示であると信じますし、他にもたくさんある と私は思います。マリア・ワルトルタも啓示されたものとしか考えられま せん。あれこそはまさに「新しい福音」です。子らを思う主が、啓示を中断 される理由が見当たりません。
768 :
小さなヨハネ :02/01/23 00:26
さて、主が地獄と戦われたことについて、スウェーデンボルグ次の聖句を 引用しています。(最後の審判とバビロンの滅亡46) 「今こそ、この世が裁かれる時。今この世の支配者が追放される。」 (ヨハネ12・31) 「これらのことを話したのは、あなたがたがわたしによって平和を得るため である。あなたがたは世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたし は既に世に勝っている。」(ヨハネ16・33) 「エドムから来るのは誰か。ボツラから赤い衣をまとってくるのは。その 装いは威光に輝き 勢い余って身を倒しているのは。」 「わたしは勝利を告げ 大いなる救いをもたらすもの。」 「なぜ、あなたの装いは赤く染まり 衣は酒ぶねを踏む者のようなのか。」 (イザヤ63・1) 「わたしはただひとりで酒ぶねを踏んだ。諸国の民はだれひとりわたしに 伴わなかった。わたしは怒りをもって彼らを踏みつけ憤りをもって彼らを 踏み砕いた。それゆえ、わたしの衣は血を浴び わたしは着物を汚した。」 (イザヤ63・3) 個所は失念しましたが、次の聖句もどこかで引用していたと思います。 「わたしは、サタンが稲妻のように天から落ちるのを見ていた。」 (ルカ10・18)
769 :
小さなヨハネ :02/01/23 00:27
それから、スウェーデンボルグは指摘していたかどうか知りませんが、 実は使徒書簡にも主が悪魔と戦った記事はあるのです。 「ところで、子らは血と肉を備えているので、イエスもまた同様に、これら のものを備えられました。それは、死をつかさどる者、つまり悪魔を御自分 の死によって滅ぼし、死の恐怖のために一生涯、奴隷の状態にあった者たち を解放なさるためでした。」(ヘブライ人への手紙2・14−18) 「悪魔の働きを滅ぼすためにこそ、神の子が現れたのです。」 (ヨハネの手紙1・3・8)
770 :
小さなヨハネ :02/01/23 00:28
>>762 ふらんちぇ@牢名主さん
お久しぶりです。ロースキイは140ページまで読んで中断しています。
『<個>の誕生』は近くの図書館で取り寄せることが出来て、読み始めま
した。
さて、「知への誠意」とのことですが、ブルネルスさんとの議論は、ブルネ
ルスさんが中断されたいご意向のように私は受け止めましたので、ご無理
を申し上げるのも失礼と思い、即刻中断させていただきました。ブルネルス
さんには大変感謝しております。(
>>526 ,
>>536 )
もし、ふらんちぇすこさんご自身があの後を継続していただけるならあり
がたいと存じます。わたしも、自分の提示した質問に対する回答を聞かせ
ていただけるなら幸いです。
771 :
小さなヨハネ :02/01/23 00:29
教会の教義についてですが、まだ論及していませんでしたが、使徒信条は 実は並列的三位一体論でも重層的三位一体論でもどちらでもその通り受け 取れるように出来ているのです。ですから、私が重層的三位一体論だからと いって、信仰告白において嘘をついて責任を果たしていないということは決 してないのです。 並列的三位一体論の方が途中から成立したとしたらどう思われますか? スウェーデンボルグはニューエルサレム教会というものを作ってはいませ ん。彼は教会の教義が新しくなるということを述べているだけです。それが 物理的に新しい教会を意味しているのか定かではありません。しかし、現行 の教会が放置される訳ではないと思います。そこで教義に対する認識が変化 して行くならばそれも新しいエルサレムです。最初は並存し、そして変わる でしょう。重層的三位一体論の認識を完全に否定できるのか疑問です。
772 :
ふらんちぇ@牢名主 :02/01/23 00:47
>>771 小さなヨハネ
久しぶりだね。頑張ってるなあ。
ブルネルスの続きってのが良くわかんなかったんだけど、
すまんが、もう一度疑問点を書いてくれでないかい。
それで、まぁ、3を並列的とか、理解してるみたいだけど、
並列でもないんだよ。1は3であり、3はそれぞれに1でもある。
でも3は互いに他の3の部分とは重ならない。
という状況。
途中でもなんでも、初期がすべていいとも限らないし。
ニューエルサレム教会は、スウェーデンボリが始めたわけではないが、
スェーデンボリに共鳴した人たちが集まって作ったものだからね。
イエス御自身は神だけど、父ではない。
イエス御自身が父ならば、イエスの祈りは心を打たないし、
まったく其のまま完全に「子」であるから、それが犠牲となったという
凄みがあると思うんだよね。キリスト教の場合、関係性を家族になぞらえて
理解するからね、その物語性といった作用から考えるのもいいかもね。
ただ、をれは三位一体についてこうだって事は実は語れないんだよ。
本当は言葉やなんかで表現出来ないものだと思うからね。
「語る事が出来ない事は沈黙しろ」といったのはヴィトゲンシュタイン
という人だそうだけど。判る気がするよ。
>>763 まぁ、時というのは面白いものよ。
色んなことがあるものよ。
それを受け入れられるか受け入れられないか。
受け入れられない時もある。受け入れられる時もある。
まぁ、それはいいってことよ。
この場合は、結局最後の結末は、所詮一緒だってこと。
本人がそれを受け入れるか、受け入れないかは別としてね。
天主は、その人がそれで理解出来たなら、それで良しとしているもの。
スウェーデンボルグは、自分の内部に宿る神の分霊から探った。
しかし、外部に身を置いては探らなかった。
まぁ、でもこれでいいのよ。神の世界へ人をいざなう功績をしたのだもの。
三位一体論をおかしいと思っていた人にも、救いを与えたのだもの。
これも、神の技よ。
>>771 さて、それはあなたの作った理解でしょ?
あなた個人の理解ではあるけど、教会の理解ではない。
勝手に解釈してはいけないわね。
勝手に解釈したいなら、あたしのように出てお待ちなさい。
洗礼・堅信はずっと無効にならないわ。
何が正しいか、何が間違っているか、
これまでの歴史でも、ある人間は理解出来ないものを間違えと決め付け、
不十分な理解で満足することによって、自己を正当化させようとする。
そんなものだけど、それが悪いかというと、そうとも言えない。
後世の人間は、それを見て学ぶからね。また、それも良しよ。
しかし、世はどんどん移り変わっていくわ。
世の人たちは、宗教の矛盾に気付きつつあるわ。
宗教にとっては困ったことだけど、神にとってはどうかしらね?
また、それも良かれなのよ。
神もね、神の苦しみがある。人間には人間の苦しみもあるように。 神様だってね、愛されるのは好きだ(笑)。俺はそれは知ってる。 だからね〜、小さなヨハネの天主とイエスの関係についての理解は少々ヘンだけど。 どうヘンか説明しろと言われても困るけど(苦笑)。 でもね、神とイエスを求める心とね、敬する心はね、天主も喜ぶと思うんだな。 たぶん。いや、絶対(笑)。 でもな、了見は広く持ったほうがいいぞ。 色んな考え方が実は一つのものを指し示してるって事もあるんだ。 天主はね、命を産み出す者であると共にその守り手。 悪であっても命であるから、余程でない限り手は出さない。 この地の悪は、人間が解決すべき問題なんだよ。 だから、じっと見守っているのです。
776 :
dendo. :02/01/23 12:46
よ、ふらんちぇお久しぶり。
わけあって(友達の論文に出てきたので)ナジアンソスのグレゴリウスを
読んでいる。三一論じゃないけど。
……思ったんだが、小さなヨハネにすすめたほうがいいのは
グレゴリウスじゃなくて、むしろデュオニシオス・アレオパギタなんじゃ
ないのか?
こう、何がね、もにょるといってだね、
我々有限者が把握する神の概念や(概念じゃなくても光の横溢でもいいですが)
なんやかやというのは「有限者が把握する神」でありそれ以上でも以下でも
ない。それをわかってないんじゃないかということなんだよね。
そんなだから「トマスの藁屑」を
>>1 みたいなやっぱりたんなる論弁的な命題(しかも論証なし)
で置きかえられると思っているところね。そんなもんじゃない。それは
トマスの、というより理性的な思弁によって絶対者を捉えようとする
すべての思索の営みに対する侮辱だ。
そのことに比べれば、東方神学が全然視野に入ってないなんてのは
瑣末なことでしかない。
でもきっと、
>>1 にはわからないんだろうなあ。
じゃね〜ふらんちぇ。またまた〜りスレででもあおう。
777 :
小さなヨハネ :02/01/23 23:39
皆さん、色々有難うございます。お話したいことはたくさんあるのですが、 来週から2週間半ほど出張となってしまいます。その間、土日は帰って 来るのですが、ゆっくりと拝見したり、書いたりは出来ないかと思います。 ふらんちぇすこさん、質疑応答の内容について、継続させていただくのが いいのか、全く新しく始めさせていただく方が良いのかもう少し考えさせ てください。
>>777 dat落ちしない程度に上げておくよ。
たぶん、雑談スレになると思うが(笑)。
出張頑張って行ってらっしゃい。
>>777 行ってらっしゃい。
仕事中は仕事のことだけを考えて、頑張ってらっしゃいね。
780 :
ふらんちぇ@牢名主 :02/01/24 01:16
>>776 dendo.
をう。
偽ディオニシウスは実は良く知らないんだな。
そのうち読まねばとおもいつつ、放置してるんだな。
天上位階論だけ、ちょとこ読んだよ。
>こう、何がね、もにょるといってだね、
>我々有限者が把握する神の概念や(概念じゃなくても光の横溢でもいいですが)
>なんやかやというのは「有限者が把握する神」でありそれ以上でも以下でも
>ない。それをわかってないんじゃないかということなんだよね
そう。オッカムが切り分けたナニ。
その理性で語る事が出来る部分における、またその限界を知りながらも、
ぎりぎりまで考えつづけたがるわけなんだが。
論は自分への客観も必要なんだけどね。
自論への辛辣な批判能力がないと、その論考は脆弱になっちゃうんだよ。
>トマスの、というより理性的な思弁によって絶対者を捉えようとする
>すべての思索の営みに対する侮辱だ。
知への誠実は、あらゆる論に対する誠実を求められる。
その誠実は批判というかたちをとる場合もある。それはそれでいいんだよね。
ただ、その論者がなにをどのように理解しているのかまで、把握しないとね。
その点で、トマスはほんとに誠実なひとだね。
781 :
ふらんちぇ@牢名主 :02/01/24 01:20
>>777 小さなヨハネ
を?スリーセブンだな。
待ってる。仕事頑張れ。
君の好きな方法でいいよ。
782 :
dendo. :02/01/24 02:07
>>780 『神名論』も読んでね\hearts
正直、天界位階論だけだと、何が新プラトン主義と彼との決定的な差異
なのかをつかむのはむずかしいと思へり。
某・汁さんはクザーヌスに共感を表してたから、ディオニュシオス解説やらせると
おもしろいかも、と思うのですが、ハブとマングースみたいになっても嫌だ
よねえ。。
783 :
ボーダー住民 :02/01/24 09:24
チャンネル2にはあまり入りたくないのだ。 ここで大きな顔をしたくない。錚々たる方々が居られるからね。 だから、あんまり凄い応援はできないよ。 まず、 聖書から神の姿を導こうとして、だんだん三位一体論が出来上って来た、 などと、言っておられました。 まあ、そうなんでしょうが、つまり、三位一体は、あの文章に結構馴染む。 特に3次元に住む我々には。 聖書も、本当に神格化されてしまったものだ。たかがこれだけの文章が。 あれだけの文章の中には入りきらない現実があったろうに。 でも、文章(聖書)を読むと、三位一体は難しくないと判断出来る。 スウェーデンボルグ信者がスウェーデンボルグを信用するのは、 見た者を信用しているからであって、理屈的にはどうか、と言えば、ですね、 三位一体論に関しては、理屈ではない。 強いて言えば、スウェーデンボルグ先生が嫌っているから、というだけ。 他のところは理屈もある。霊的心理学と言うか。心理現象学というか。 それは勉強になりますよ。
784 :
ボーダー住民 :02/01/24 09:29
本来、原始キリスト教は、理屈からは発生していない。 (もちろん三位一体を見たことのある者はいない) 2千年も経つと神学も理路整然としているようだが、 始めは、見た者が「見た」と言ったところから始まっているんで、 それも、「復活した」なんて、理屈もへったくれもない主張を 受け入れるところから始まっているのですわ。 当たり前に母親から生まれた大工の息子を神と信じ、メシアと信じ、 それが罪人として、処刑されて死んで、復活した。 普通に考えりゃ、でっち上げのはずの、それを信じさせたのは、 奇跡なんかもあって、信じられたこともあるんだろうけど 主張した人たちが信用できるから信じられたわけで、 その時点で理屈の通る話は一つもない。
785 :
ボーダー住民 :02/01/24 09:30
で、スウェーデンボルグも、ある程度信用出来る訳な人です。 で、私自身が信用しているのは、スウェーデンボルグだけじゃなくて、 その他にも、信用できそうな人が、つまり、小さなヨハネ君の言っている サンダー・シングとか、他にも、大変立派な人で普通の霊性じゃない人たちが、 スウェーデンボルグと同じように、イエス=主なる神という姿を見たり、 聞いたりしているんです。 フツー以上に霊的で健全で善良な人が、 フツーじゃない状況で見たり、聞いたりしている。 スウェーデンボルグからキリスト信仰に入るような人間たちというのは、 超常現象を受け入れやすい人種で、この手の情報は早いです。 (で、オレはそんなんじゃねー! たまたま、挟まってしまったんだ、と言いたいんだが。 つまり、彼らよりも、もうちょっとこの世の理屈を信用していて、 五感で確かめられるものを信用していて、第六感はあんまり、という人のはず。) マリアさん、今度機会があったら、是非、イエスにも会ってみてください。 で、感想をお聞かせ下さい。聞いてみたいです。 自分には、そこまでのチャンスはないだろうと思います。
786 :
ボーダー住民 :02/01/24 09:31
味方するとか言っておきながら、こんなこと言って悪いよね、彼女(彼氏?)。 でも言ってしまおう。 聖書とか、理論とかで、スウェーデンボルグの見た物、 あるいは、他の偉大な人々が見た物を立証するのは、無理なんだ。 なんか、マリアさんとか、dendoさんとか、皆さんの焼き直しみたいですけど、 自分としては持論なんですけど、無理。 ていうか、これ一般論なんじゃないの? 巫女さんのマリアさんが言っても、 神学系の先生っぽいdendoさんが言っても、 カトリックの真面目なふらんちぇさんが言っても、 スウェーデンボルグをそれなりに納得している自分が言っても、 結局、大筋こういうことになるんだから。 復活出来るし、世界を造るし、時間も造るほどの神なら、 その他にどういう形態でも取れる。 「三位一体だけは、理論的に有り得ない」とか言うのは、 人間の理論では無理なんよな。無理だというのが解るだけ。 もっと言ったら、本当に全能の神なら、 三位一体でも、主イエス=父でも、どっちでも出来るんよ。 いや、出来ると主張し、それなりの理屈を組めば、理屈上はどうとでも言える。 唯一の神なのに地上にいて、父よ、と天を見上げても、そりゃ、神様の御都合です。 唯一の神なのに三位格でありえたとしても、それも御都合。 まー、善神と悪神がいて、戦っているというゾロアスター教のシチュエーションでも、 やろうと思えば出来ちゃう。 なんでか? 解りません、人間にはわからないフカーイ理由がおありなんだとしか。 人間の世界で「全能」という言葉を最大限に使えば、そんなもんです。
787 :
ボーダー住民 :02/01/24 09:32
ヨハネ君、世間の理屈というのは、一般的にこういう具合に進んでいるんだ。 超理論的なのは、「三位一体は絶対無理」と主張するヨハネ君ということになる。 (と、思うよねぇ。思わない? だって、君曰く、 『聖書読んで、現行の教理では、何のことかさっぱり、わからなかった。 ところが、スウェーデンボルグを読んだら一発でわかった!』 これってのは、超人的だ。 現行の教理は、一般に人間に納得できるから、成立発展してきた物なのに、 それは解らないで、超自然的なスウェーデンボルグなら解るとはね……。 根っからの他生人、選ばれた人じゃないかと思うよ。これ皮肉? じゃないと思うが。 で、自分は、いつかヨハネ君の味方をしてやると言ったんだが、 いつまでたっても味方になってないよな。そこで、ちょっと方向を変えよう。) ボーダー住民は、見た人を信じることにした。 最初の信者たちがしたと同じように、見た人を信じる。その人たちは、結構な人たちだ。 でも、それだけで信じたわけじゃないよ。 あまり詳しくないけれど、自由主義神学のこともある。 聖書の考古学を探求して行くと、原始的な聖書論では通用しないことがよくわかる。 聖書を、一言一句無謬と考えていきたいが、無理がある。 その辺を、スウェーデンボルグの理屈は実に超自然的な言い分で カバーできるみたいなんだな。それでいて、聖書を神の言葉と言い切れる。 自由主義のように、「聖書がこうなら信仰する意味はない」みたいな 結論にはならないどころか、かえって神を恐れさせる。とも言える。
788 :
ボーダー住民 :02/01/24 09:33
それに加えて、スウェーデンボルグの信仰的メソッドが、 ぜんぜん自分的にはマッチしているってことが言える。 スウェーデンボルグを知る以前に体験したのに、 自分の宗教体験は、自己改善に関しても、霊界関係に関しても スウェーデンボルグの説と、ほぼ一致する。 しないところは、自分が到達できていない部分なんだろうが、 ここまで一致すれば、ほぼはずれはないだろうと思える。 つまり、人間の理性で協議して作り上げた教理は、自分には作用しない。 キリスト教の理論は、体験で知るかぎりの霊的、神的事実と食い違う。 修行中だから、あまりオーバーなことは言えないくて、申し訳ない。 自分は、本当は、イエス=主なる神、というのは、あまり納得したくなかった。 三位一体的現象というのは、この世にいくつもあるからね。 誰かが言ってたでしょうが、サッカーのチームみたいってね。あれも言える。 この世が神の理屈で創られていて、これだけ三位一体的現象があるなら むしろ、これを否定するのはおかしいと思ったもんだ。 しかし、とりあえず、今は、見た人を信じている。自分もある程度見るからね。 だから、自分の体験した事実と、それを与えた神を信じている。
789 :
ボーダー住民 :02/01/24 09:34
まー、読みにくい文章だよ。 スウェーデンボルグは、科学者だったんだけど、 とんでもなく驚くべき世界を描写するのに、 物凄く、平易な、面白くも何ともない表現をしているよね。 例えると、生まれて初めて花火を見ながら、びくともせず、 「酸素と鉄が化合して赤を発色する」と記帳している人みたいなところがある。 それが真理を伝えるのに正しい表現だと言っているらしいが、 読者が感情の動物だということを解ってたの?と言いたくなる、つまらーん文章だ。 あれ読んで、小さなヨハネみたいな、天使みたいな人間ができるのは稀。 大抵は、変な偏屈ができるらしい。皆さん御存知の通り。 自分が、小さなヨハネとは違って、あまりスウェーデンボルグを積極的に 伝えようという気になれないのは、実際には、こうゆう輩のことを見るからでもある。 やはり、世界に多くの宗教が存在し、真理はともかくも善を追究しようとしたということは、神の英知ではないかと思う。 品性に善の基盤が出来ないうちに、知識だけ受けると、どうなるか。 多分、あのような人間ができるのだ。知ったことだけで全てを得たような錯覚に陥り、 ちょっと悔い改めたくらいで、ものすごい試練に遭ったような顔をして、 理屈だけで、知りもしない他者の世界を非難する。 知識から、本質に至るのは、本当は大変なことなのだ。 それを、完全にこの世に復元して見せることは、誰にもできない。 モナリザの絵を見て、絵にどういうことが書かれていたか、細かく述べることはできる。 女がいて、目はこうで、口はこうで、色はこうで、背景はこうで。 だが、言われたことを聞いて、モナリザの絵を全く復元できる人間はいない。 スウェーデンボルグは、見た世界を淡々と書き記した。 それを完全に現実的に見たと同じく理解できるように復元できる者はいない。 彼は人格の変革について書き記した。 書かれた物だけでも膨大だが、書かれた説明を聞いて、 実際に変革を遂げようとする道は、そんなに簡単なものではない。 おそらく一生物だ。
790 :
ボーダー住民 :02/01/24 09:35
その道を、ただ知っただけ、自分の小さな経験だけで、 既に得たように思い込み、後は他者を非難するのみ。 その姿勢のどこか、中世の魔女狩りと違ったところがあるというのか? 彼らの本性は、まだまだ片付いていない。 まあ、自分も大きなことは言えない。 小さなヨハネは、善人だ。持っている本質が善良なのだ。 だからこそ、そういうところが見抜けない。 で、知識を知らせれば何でも片が付くと思う。 自分は、本質的に悪人出身者だからね、うらやましいよ。 ヨハネが、新教会に行けなかったのには、 彼(彼女?)の善良さがそれを許さなかったという理由があるんだろう。 友達も言っている。 スウェーデンボルグはいいが、主義者とは付き合いたくない、とね。 心あるスウェーデンボルグ主義者は、なんかカトリックに潜伏したがるらしい。 (何人かあると聞いている。) 確かに、この間、知らん顔して、神父さんに確認したんだが、カトリックの一面は プロテスタントなどより、スウェーデンボルグ的に近いらしい。 (神父さんはもちろん自覚していない) 自分の場合はカトリックに加わる気はないよ。 でも、彼らの善良さが好きだ。神は善人が好きだと思う。 おしまい。 ヨハネ君、ちょっとは味方になったかな?
791 :
dendo. :02/01/24 10:33
誤解のないように。 たしかに私は人文系研究者のはしくれではあるが…… 神学やキリスト教学ではないよ。ただ(特に近世以前の)西洋哲学をやると、 いずれにせよ神概念の問題は避けて通れない。 神学についていえば、 大学院の入試対策で勉強した以上の知識は私にはないっすよ(w
ちょっと見ない間に、小さなヨハネは出張し、
ふらんちぇ@牢名主さま と
dendo氏 を中心とした
またーりスレッドになりそうな雰囲気だね
まあ
ボーダー住民さん がどう絡むかにもよるけど
>>791 ほう、「人文研究者のはしくれ」がここに来ているのか。
dendo氏は「(特に近世以前の)西洋哲学をや」ってるということなのかなあ?
793 :
dendo. :02/01/24 13:59
ドイツ古典主義・非純哲、現在公募探しまくり状態・めがねっこ(誰も訊いてない) 常勤にありつくまえに米櫃がつきないように毎日おいのりしています。 ブルネルスさんは?:)
>793 そうか、人にものを聞くと、自分も答えなくてはならなくなるわけね。今後気を つけよう。 私も「はしくれ」。常勤になって大部たちます。米櫃には当面心配ないが、余計 な野暮用が目の前に山と積まれて、つらい日々ではあります。 おっと、中世の浮き世離れしたとこと、臨床的な非純哲?との間で、ビュリダン のロバ状態。
>>小さなヨハネさん 出張 気をつけて行ってください。 I.Newtonが三位一体を否定したというのにまだ三位一体を支持する人がいるとは 驚きです。それではPRINCIPIAを基にして出来ているPCなどを使う資格はないかもしれません。 兵法では「敵勢力を分断して支配せよ」というのがあります。 地獄の唯一神に対する攻撃方法は「唯一神を三つに分断して殲滅せよ」 ということですね。よくわかりました。 >>マリアさん あなたは善と悪というものが対立するものだと考えておられるのですか? 悪にそれほどの力はないでしょう。
796 :
ボーダー住民 :02/01/25 10:57
えー! ヨハネ君、出張なの? そんなのあり? ちょっと待った。皆さん、まだ行ってらっしゃいってのは早いよ。だめだめ。 来週からでしょうが? 行ってらっしゃいなんて言ったら、来たくても来れなくなるじゃないか。 まさか、海外? でも、今日はまだ入れるはずだよ。 キミガ コナケリャ ハジマラナイ! おれ、ひとりぼっちでお留守番なんてしないよ。君がいないと駄目!
797 :
dendo. :02/01/25 11:04
常勤のひとははしくれなどといってはいけません。これからは Herr Dr. Prof. ブルネルスとお呼びしてもよろしくって? :) ところで留守番の件だが、850-900くらいで次スレ立てを考えなきゃいけないから 小さなヨハネが戻るまでみんなちょいと書きこみは控えたほうがいいんじゃ ないか? 個人的には「またーり雑談スレ@三一論」も捨てがたいが、このペースで いくと来週までにスレ消費しそう(ちなみに保守ageなら一週間に一度 くらいでも、宗教板なら大丈夫みたい)
>>795 ほら、そう誤解してしまうでしょ。
人というのは、自分の理解出来ない話は誤解して理解するのよ。
あたしの質問の意味は、分かりにくかったかしらね・・・。
それならその話は後にしましょう。分かりやすいところからね。
サタンとは何?
799 :
小さなヨハネ :02/01/26 00:08
みなさん、親切なおことばを有り難うございました。ボーダー住民さん、 ご指摘のとおり、みなさんから行ってらっしゃいと声を掛けていただい たり、ボーダー住民さんから、良い子のように言われ、いじめっこがほめ られたら借りてきた猫になってしまったようで、出てきて良いものかどう か、柱の蔭でもじもじしておりました。 それから、スウェーデンボルグについて書いてくださり、本当にありがと うございました。ボーダー住民さんのご説明は私にも新鮮でした。是非 またよろしくお願いします。 おっしゃるとおり、日曜日までおります。国内出張です。(海外は全く 縁がありません。)ただ、行く前に激論というのも今ひとつですので、 おとなしくしております。
800 :
小さなヨハネ :02/01/26 09:26
と、申し上げて、寝たのですが、どうも主はそれをお望みではないようで す。だまっていることに良心の呵責(?)を覚えて明け方に目が覚めまし た。残り2日といえども、働けということのようです。 先週のミサで私は聖書第一朗読を仰せつかりました。それはイザヤ49・3, 5−6でした。その後の答唱詩篇はこうでした。「わたしは人々のつどいの 中で、あなたの救いのわざを告げ知らせ、けっして口を閉じることがない。 神よ、あなたはそれを知っておられる。」(詩篇40・2、4ab,6,10)
801 :
小さなヨハネ :02/01/26 09:28
イザヤ49章は「島々よ、わたしに聞け」で始まります。「島々」とは地の 果ての島々のことであり、「地」とは教会を意味し、「島々」は真理を知ら ない教会外の人々、真理に暗く、誤謬をいだいているが、それでも真理を 知りたいと願っている異邦人・諸国民のことです。「ギリシャ」も同様の 意味です(黙示録講解50、406)。ヨハネ12・20にギリシャ人が イエスを尋ねて来た話しが出ています。当時であれば、神からの聖言のあっ た教会の中心であるエルサレムに対して、ギリシャは異邦人の地でしょう。 そして、教会は異邦人の地に移って行くことをスウェーデンボルグはしば しば解説しています(天界の秘義2910,2986他)。なぜなら、 彼らは霊的な真理を知らないので、逆に頑なな誤謬も持っておらず、 素直に真理を受け入れるからです。今であれば、日本などその「島々」 の資格は充分あるのではないかと思います。
802 :
小さなヨハネ :02/01/26 09:28
スウェーデンボルグは「基督教世界から遠く離れ、そのため、“霊界の” 悩ます者らから遠ざかっている或る国民には多くの希望を持っている」と 天使が語ったと述べています(最後の審判とバビロンの滅亡74)。 (関連記事:霊界日記857、4779,4780、聖書116) ただ、それは空間的な地形に限った話ではなく、心の状態の話でしょう から、アフリカを指すかもしれませんし、あるいは主がヴァッスーラに 言われるように、それはロシアのことかも知れません(天使館/ジャック・ ネランク著/『あなたは預言を無視しますか』/P195)。
803 :
ボーダー住民 :02/01/26 10:54
dendoさん、神学系じゃなかったんですか。なーんだ。 だと思った。にしちゃ、ツメが甘いっぽいもん。(すませーん)で、キリスト教徒なんです? ブルネルスさん いろいろ教えていただきたいことはあるんですが、自分からは、絡むのは趣味じゃないので。 面積のない2次元のボーダーライン上に住むことが宿命らしい、ボーダー住民にとっては、 居住面積の拡張とは、ひたすら、未知の思考を極め、その対立思考を極めることなのですが、 人様に絡むほど、一つの主義に肩入れできないです。 小さなヨハネ君 かわいい。別にいじめてないよ。 ずっと思ってきたけど、やはり、スウェーデンボルグの本文で勝負した方がいいんじゃないかな? こっちも、読んでないのが沢山あるし、いいと思ったところ紹介してよ。 それで、皆さんに感想を聞きながらやっていくってのも、 あ、明日から居ないんだったね。 あんまり応援もしたくないんだけど、(君が嫌いだからじゃないよ。ここが苦手なだけ) また、かわいそうになったら来てあげる。
804 :
小さなヨハネ :02/01/26 19:05
>>803 :ボーダー住民さん
>ずっと思ってきたけど、やはり、スウェーデンボルグの本文で勝負した方が
>いいんじゃないかな?
>こっちも、読んでないのが沢山あるし、いいと思ったところ紹介してよ。
>それで、皆さんに感想を聞きながらやっていくってのも
私も実は引用した方が好きなのです。なぜなら、私は自分の解釈・説について、
基本的に、間違いを犯している可能性が充分あると常々思っています。それは
人の解釈・説に関しても同様にそう思います。ですから、私は聖書の聖言ある
いは、「新しい啓示群」と思われるものの中から、主がどう回答されているか、
直接の回答になるものを探そうとします。あれば幸い、なければ、自分で考えま
すが、しかし、自分がそう思う根拠となった文章を示した上で、説明すること
は必要だと考えます。なぜなら、自分がどうその文書を解釈したか、それが全く
の勘違いか人にも分かるからです。根拠とする文書なしに語るのは、間違いの上
に、間違いの屋上屋を重ねる結果に繋がるからです。
しかしながら、あまりに引用をすると、それはただの受け売りだ、とか、自分
の言葉で語れとか言われることがあり、確かに引用文を読んでいただくのは
煩瑣な作業となりますから、やむをえず、省略することが多くなります。
もし、よろしければ引用もさせていただきたいと思います。
805 :
ハリポタ危険らしい :02/01/26 19:16
806 :
名無しさん@1周年 :02/01/26 19:39
お前が危ないんだよ
807 :
名無しさん@1周年 :02/01/26 19:47
>805 ハリポタを蒸し返さないでくれよ〜。 いいかげんにしろ〜 しかもリンク先「角笛」。 小石師のスレもあるからぜひそちらへ。 このスレは「主イエス・キリストは父なる神」なり。
808 :
ボーダー住民 :02/01/26 20:49
プロテスタントの人も結構読んでるわけだね?
>>788 あたしが知る範囲では、
「主なる神」とイエズスが言う「父なる神」は、
同じものであって違うものなのよ。
表現が難しいから、うまく言えないけどね。
何故、大昔にイエズスが「父」と呼んだ存在について、
神の名をみだりに唱えてはならないといって、
その存在の名を唱えさせないようにしてしまって、
代わりに、アドナイと呼ばせたことにも、理由があるらしいのよ。
ユダヤ教徒が名を呼ばなくなったその存在は、神道の天之御中主神のように、
人には直接関与しない存在だったらしいわ。
人に関わるのは、アドナイかエロヒムだから・・・。
その存在の意思を知ることは出来ないから。
だから、名を呼ばせないように仕向けたと聞いているわ。
イエズスは「福音に沿って歩めば、全ては解ける」と言われた。
そして、聖書と同じように父なる神については、
「父」と「人の子」をあたしには区別していたわね。
ほほほほーほほほほーほほhhほほほhほほーほほhほーほほほーほほほほー ほほほほーほほほほーほほhhほほほhほほーほほhほーほほほーほほほほー ほほほほーほほほほーほほhhほほほhほほーほほhほーほほほーほほほほー ほほほほーほほほほーほほhhほほほhほほーほほhほーほほほーほほほほー ほほほほーほほほほーほほhhほほほhほほーほほhほーほほほーほほほほー ほほほほーほほほほーほほhhほほほhほほーほほhほーほほほーほほほほー
ほほほほーほほほほーほほhhほほほhほほーほほhほーほほほーほほほほー ほほほほーほほほほーほほhhほほほhほほーほほhほーほほほーほほほほー ほほほほーほほほほーほほhhほほほhほほーほほhほーほほほーほほほほー ほほほほーほほほほーほほhhほほほhほほーほほhほーほほほーほほほほー ほほほほーほほほほーほほhhほほほhほほーほほhほーほほほーほほほほー ほほほほーほほほほーほほhhほほほhほほーほほhほーほほほーほほほほー ほほほほーほほほほーほほhhほほほhほほーほほhほーほほほーほほほほー ほほほほーほほほほーほほhhほほほhほほーほほhほーほほほーほほほほー ほほほほーほほほほーほほhhほほほhほほーほほhほーほほほーほほほほー ほほほほーほほほほーほほhhほほほhほほーほほhほーほほほーほほほほー ほほほほーほほほほーほほhhほほほhほほーほほhほーほほほーほほほほー ほほほほーほほほほーほほhhほほほhほほーほほhほーほほほーほほほほー
812 :
ボーダー住民 :02/01/27 11:56
>809 やばいことになってきましたな。マリアさん、あんまり突っ込まないでくださいよね。 >「主なる神」とイエズスが言う「父なる神」は、同じものであって違うものなのよ。 > 表現が難しいから、うまく言えないけどね。 難しいです。 > ユダヤ教徒が名を呼ばなくなったその存在は、神道の天之御中主神のように、 > 人には直接関与しない存在だったらしいわ。 > 人に関わるのは、アドナイかエロヒムだから・・・。 > その存在の意思を知ることは出来ないから。 > だから、名を呼ばせないように仕向けたと聞いているわ。 神道は、ユダヤ教的な雰囲気が相当強いそうですが、スウェーデンボルグでは、 ユダヤ教そのものが、神への誤解によって成立しているってんですよね。 あまり詳しくないので、小さなヨハネに聞いてほしいんですが。 小さなヨハネ、秋葉原でノート型3万円くらいから中古があるから買って持って行ってよ。 > イエズスは「福音に沿って歩めば、全ては解ける」と言われた。 どこで聞かれました? 聖書ではないですよね。 で、その「福音」っていうものの解釈なんですが、 マリアさんの「福音」ってどういうものなんですか? > そして、聖書と同じように父なる神については、 >「父」と「人の子」をあたしには区別していたわね。 私自身は、言うことが矛盾しているようなんですが、 主は福音書の中でイエスと父を分けて表現しているんだから、 読んで信じた人が、区別して理解したっていいじゃない? と思っているんですわ。 神の実態がどうであっても、自分で自分のことを「父から遣わされた」と言っておきながら それをそのままに信じたくらいで裁くなら、神は頭が硬い! か、頭が悪い! 三位一体による信仰への弊害はほとんどない、なぜならば、今の文化は過去への反省に立脚している。 反省してる者には優しいんだよ、うちの神様は、と、主義者に言いたいのが、ホントの私のメッセージでして。
813 :
ボーダー住民 :02/01/27 11:56
マリアさんのお話は、イチイチ頷けることが多いんです。私らの知らないことも知っておられるようだし。 ユダヤ教のこと、教えてください。それから人間と関わる神と関わらない神とは、どこらへんで線が引かれてるんですか? アー!!! また、嵌ったらどうしよー。ヨハネ、おまえのスレッドだぞ。 私も明日から出張で……はないですが。ちょと多忙です。
814 :
名無しさん@1周年 :02/01/27 12:06
長崎はその日晴れだった
>(深見の説明)
>長崎に原爆がなぜ落とされたか。
>それは日本神界の神神が小倉を曇らせ、長崎を晴れさせてB29を誘導したからだ。
>ではなぜ長崎だったか、それは長崎にキリスト教の信者が多かったからだ。
>神界の神神は長崎に神罰を与えたのだ。
>−−−−−−−−−−−−
>以前、こんなことをぬけぬけとこきやがった。
>WMの神様ってのは、人間を恐怖におとしいれる神なのだ。
>オサマ・ビン・ラディンか。
『谷口雅春と長崎原爆ナントカ』というドリコメビデオでしょ?
原爆炸裂直下にあった人はあまりの高温で文字どおり瞬時に蒸発死。
数キロ離れたところにいた人が悲惨この上なかった。
無数のガラスの破片が目といい頭といい、全身に容赦なく突き刺さるんだよ。
老若男女関係なく。
さらに数千度の灼熱地獄。顔が熱で溶けて生きながらのっぺらぼうのようになった人もいた。
ヨハネの黙示録を連想させるこの世の終わりそのもの。
フカミはおそらく原爆そのものの人類最大最悪の非人道性について何も知っちゃいない。
一 回 フ カ ミ も 原 爆 に 遭 っ て こ い !
http://www.worldmate.or.jp/
関わる神は、この地(地球)の土着の神々。 関わらない神は、この地に所属しない神々。
小さなヨハネさんって、単性説って言うかぁ、単質主義の信者さんなんでせうか?
>>812 あら、悪いわね。でも、これも縁というものよ。諦めなさい(笑)
>難しいです。
イエズスの存在とその存在の本質が、どこから来ているか?
ということだからね。福音書のイエズスが語っていることはね。
神道では、同じ神が時や場所を超えて出現している場合が
あるとも捉えるの。名前が違っていても、同じ神と捉える場合が多くある。
原始ユダヤ教でも、アブラハムの神・ヤコブの神・イサクの神と、
昔にアブラハムの氏族は表現してきたけど、
アブラハムの神とヤコブの神とイサクの神は同じ神ではあるけど、
違う者に因り付く神でもある。しかし、その本質は同じ神であるわ。
>神道は、ユダヤ教的な雰囲気が相当強いそうですが、スウェーデンボルグでは、
>ユダヤ教そのものが、神への誤解によって成立しているってんですよね。
>あまり詳しくないので、小さなヨハネに聞いてほしいんですが。
ええ。今の神道は天孫族的に改変それているからね。
天孫系の一族のものは、原始ユダヤ教に近かったと聞く。
天孫族の習慣と、ユダヤ人の習慣は良く似ているらしいわ。
それから、ユダヤ教は神を恐れるあまりに秘儀を隠しすぎて、 後に理解出来なくなってしまって、律法主義に陥ったのだから・・・。 後の一時期のカトリックと良く似ているわよ。 あたしの母の先祖のグループが、国を出て異邦人の元に住んだことも、 イエズスを信じたのにも、それを守るためといった理由が あるらしいと聞いたことがあるわ。 それが一体何を意味しているのかは、あたしには推測しか出来ないけどね。 >どこで聞かれました? 聖書ではないですよね。 >で、その「福音」っていうものの解釈なんですが、 >マリアさんの「福音」ってどういうものなんですか? あたしには、何度がそういう経験があるから、 ある日祈っていたら、現れてそう言われたのよ。 あたしのいう福音とは、天主の言葉で神の国へ行くための秘儀、 「人を愛しなさい、人を許しなさい、寛容でありなさい」 この三つよ。イエズスの言うそれに従って生きていけば、全てが解ける。 そういうことよ。これに沿うなら、神の国は来るからよ。 今のクリスチャンは、教義に縛られて身動きが出来なくなっている。 かつては、お釈迦さんも東洋の聖人だったのに、情けない話しよ。 >私自身は、言うことが矛盾しているようなんですが、 >主は福音書の中でイエスと父を分けて表現しているんだから、 >読んで信じた人が、区別して理解したっていいじゃない? >と思っているんですわ。 そう。イエズスの存在とその存在の本質が、どこから来ているか? ということだからね。福音書のイエズスが語っていることはね。 人は、円錐のある部分を見て三角だとか、丸だとか言う。 そんなことは知っているもの。 円錐だという事が理解出来ないうちは、そういうものよ。 一であり、三である。これが天主の姿。どっちでもいいのよ。 そんなことで紙は起こりやしない。 でも、どの神の本質も一であることは確かだから、 あたしはスウェーデンボルグの見てきたものを、全く否定できないわね。 本人は人間だったから、捉えの部分においては 不完全な部分もあったかも知れないけど、それは仕方がない。 人の理解には、限界というものはあるからね。
>>813 ユダヤ教のことは、
多くの習慣を母の一族も無くしてしまっているから、
既に分かっていないことも多いのよ。痕跡だけしか分からない。
ただ、ユダヤ教はアドナイを通じてヤハウェと拝み、
エロヒムを崇める宗教。昔はそうだったらしいのよ。
そういえばつい最近まで俺は某神の分け御霊であったのだな〜。 が、現在は違う。御霊は本来の御方にお返ししたからな。 って、ことで今の俺は普通の人・・、のはずなんだが・・。
822 :
小さなヨハネ :02/01/27 18:25
>>809 :マリアさん
>
>>788 あたしが知る範囲では、
>「主なる神」とイエズスが言う「父なる神」は、
>同じものであって違うものなのよ。
>表現が難しいから、うまく言えないけどね。
>何故、大昔にイエズスが「父」と呼んだ存在について、
>神の名をみだりに唱えてはならないといって、
>その存在の名を唱えさせないようにしてしまって、
>代わりに、アドナイと呼ばせたことにも、理由があるらしいのよ。
(811まで見て書きましたので、その後のボーダー住民さんとのやりとりと
つじつまが合っていませんが・・・。ボーダー住民さんも有り難うございます。)
823 :
小さなヨハネ :02/01/27 18:26
マリアさん、有り難うございます。しかし、神・主がお一人であることはご存知 の通り聖書にはたくさんあります。以下はほんの一例です。もしそうでないと おっしゃるなら、その根拠となる文書あるいは、伝承であれば誰が何と言って いるのか説明いただくとともに、これらの聖句を否定していただかなければなら ないのではないでしょうか? もちろん聖書など最初から信じないということならそれはそれで良いかも知れま せんが、それでも、ご自分の主張の根拠を示す必要はなくならないと思います。 (新共同訳聖書/申命記6・4) 聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である。 (申命記5・6−7) わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した 神である。あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。 (イザヤ64・3) あなたを待つ者に計らってくださる方は神よ、あなたのほかにはありません。 昔から、ほかに聞いた者も耳にした者も目にした者もありません。
>>820 あらら(^^;)
さうなの(^^?)
私はてっきり単質主義ではキリストの神格と神性の違いを拒否するものと
思っていましたので、至聖三者を同一に見ると思っていましたがぁ(^^?)
827 :
小さなヨハネ :02/01/27 18:34
ご参考までにエホバを主と呼んだ理由をスウェーデンボルグも説明しています ので引用します。 (静思社/天界の秘義624) 「教会が無い所には『神』が用いられる言葉であり、教会が在る所には 『エホバ』が用いられている。例えば教会が存在しなかった創世記第一章 には『神』と言われているが、第二章には教会が存在した時、『神エホバ』 と言われているのである。『エホバ』という名は非常に聖くて、教会にの み属しているが、しかし『神』という名はそれ程聖くはないのである。なぜ なら神々を持たない国民は無く、それ故神という名はそれ程聖くはなかった からである。たれでも真の信仰を知らない限り『エホバ』という名を語る ことは許されなかったが、しかしたれでも『神』という名は語っても良い のである。」
828 :
小さなヨハネ :02/01/27 18:38
(同/天界の秘義2921) 「かれらがエホバを『主』と呼んだ隠れた理由の中には以下のようなものが あった。もし当時、主が旧約聖書でしばしば言われているそのエホバであら れると言われたなら(1736)人々はそれを受け入れはしなかったであろ う。なぜならかれらはそれを信じなかったであろうし、さらに主はその神的 な本質をその人間的な本質に、その人間的な本質にその人間的なものをその 神的なものに完全に結合されなかったうちはその人間的なものの方面でも またエホバとはなられなかったからである。 完全な合一は十字架の試練であるその最後の試練により成就されたのであり、 そうした理由から復活の後で、弟子たちはかれを主と呼び、トマスは『我が主 よ、我が神よ』と言ったのである(ヨハネ20・28)。」
829 :
小さなヨハネ :02/01/27 18:39
(静思社/真の基督教297) 「神エホバの名はそれ自身において聖いものであるため、ユダヤ人は、その名 が用いられた最初の時から、敢えて『エホバ』とは決して言わなかった。そし て彼らのために福音記者達も、使徒達もこれを記していない。彼らはエホバの 代わりに新約聖書中に引用されている旧約聖書の種々の記事に見られ得るよう に(マタイ22・37、ルカ10・27、申命記6・5等と比較せよ)『主』 と語ったのである。」
830 :
小さなヨハネ :02/01/27 18:40
(新共同訳聖書/マタイ22・37) イエスは言われた。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなた の神である主を愛しなさい。』」 (ルカ10・27) 彼は答えた。「『心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、 あなたの神である主を愛しなさい、また、隣人を自分のように愛しなさい』と あります。」 (申命記6・4−5) 聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である。あなたは心を尽くし、 魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。
>>825 単性説は、イエズスの神性を強調している説なのよ。
イエズスの人間性は、神性に吸収されて一つだったかしらね?
>>827 それなら、わざわざヤハウェとアドナイを分ける必要はないのよ。
何故分けさせたかということは、それは歴史の証言どおりよ。
エホバと読ませたのは、後世の推測によるものであるのよ。
ヤハウェは、アドナイとエロヒムの本質が座す場所だからね。
一つが三つとなり一つが分かれ地に下る。 しかし、分かれようとも本質は一つ。 主は一つだが三つでもある。 しかし、イエズスはどの一つでもない・・・。
>>831 さうなの(^^?)
手元の資料に拠れば・・・
451年の第4回カルケドン公会議は、キリストが神格者であるといいつつも、
神格と神性の違いを否定する単質主義を退けた。単質主義によると、キリストが
神格者であったならば、ふたつの性質を共有することはできない。だから、
ひとつの性質のみであるとなる。公会決議は、神格のうちに神性と人性は混同せず、
変化せず、分かれず、離れず、ひとつであるとなっている。
とすれば、「イエス・キリストを父なる神」と言うことは神性と人性の混同では
ないの?
835 :
小さなヨハネ :02/01/27 19:08
エホバ・主・イエズス・キリストに関して全般的に触れている個所をご参考 までに引用します。少し長くて大変申し訳ありません。ご興味のある方は ご覧下さい。(すみません、会話に参加していなくて・・・。) (天界の秘義1733) 「天と地とを持たれる方」(創世記14・19)。これは内なる人または エホバが内的な人と外的な人と連結していることを意味しており、そのこと は『天と地』の意義から明らかである。人間における内的なものは『天』と 呼ばれ、外的なものは『地』と呼ばれている。『天』が人間における内的な ものを意味している理由は、人間はその内部の方面では天界の映像であり、 かくて一種の小さな天界であるということである。主は天界の凡てのものに おける凡てであられ、かくて天界そのものであられるため、第一義的には主 の内的な人が天界である。外的な人が地と呼ばれているのはこのことから生 まれている。また同じ理由から、予言者の書と黙示録とに語られている『新 しい天』と『新しい地』とにより、主の王国以外には、また主の王国である ところの、または主の王国がその内に宿っているところの者以外には何ごと も意味されてはいないのである。『天と地』がこれらの事柄を意味している ことは、すなわち、『天』については82,911番に、『地』については 82,620,639、913番に見ることができよう。
836 :
小さなヨハネ :02/01/27 19:09
[2]ここに『天と地を持たれる方、いとも高い神』は主の中に内なる人が内 的な人と外的な人と連結していることを意味していることは以下の事実か ら認めることができよう、すなわち、主はその内なる人の方面ではエホバ御 自身であられたのであり、内なる人またはエホバは、父がその子を導き、教 えるように、外なる人を導き、教えられてため、それで主は、エホバに関連 しては、その外なる人の方面では『神の子』と呼ばれたもうたが、しかし母 に関連しては、『人の子』と呼ばれたもうたのである。エホバ御自身であら れる主の内なる人はここに『いとも高い神』と呼ばれるものであり、完全な 連結または結合が行われる以前は、『天と地を持たれる者』すなわち内的な 人と外的な人の中にある凡ゆるものを持たれるものと呼ばれている、なぜな らこうしたものが、前に言ったように、『天と地』によりここに意味されて いるからである。
837 :
小さなヨハネ :02/01/27 19:10
(天界の秘義1735) 「いとも高い神が祝福されますように[ほめたたえられますように]」(創世 記14・20)。これは主の内なる人を意味していることは内なる人につい てすぐ前に言われたことから明白である。古代教会では、『高いもの』は内 なるものを表象し、それでそのことを意味し、かくて『いとも高い者』は最 も内なるものを意味したという理由からエホバは『いとも高い』神と呼ばれ たもうたのである。そこから古代教会の礼拝は高いところに、山に、岡に行 われたのである。最も内なるものもまた外的なものと最も外なるものに対し ては、最高のものが低いものと最低のものとに持っている同じ関係を持って いるのである。もっとも高いものは、または最も内なるものは愛の天的な ものであり、または愛そのものである。
838 :
小さなヨハネ :02/01/27 19:11
エホバは、または主の内なる人は、愛の天的なものそのものであり、すなわ ち、愛そのものであったのであり、この愛には純粋な愛の属性いがいには、 かくて全人類に対する純粋な慈悲の属性以外にはいかような属性も適合し ていないのであり、それは凡ゆる者を救って、かれらを永遠に幸福にし、か れらにその持っている凡ゆるものを与えようと欲するといったものであり、 かくて純粋な慈悲から、進んで従って来ようとする者をことごとく天界に、 すなわち、それ自身に、愛の強い力により引きよせようと欲するといった ものである。この愛そのものがエホバである。
839 :
小さなヨハネ :02/01/27 19:12
[2]愛を除いては何ものにも存在が属性づけられることはできない。凡ゆる 生命の存在そのものが、すなわち生命そのものがこの愛から―それが愛の中 に、または愛そのものにぞくしているため―発している。そしてエホバのみ が愛であられるため、かれのみが生命の存在であられ、または生命そのもの であられるため、一切のものはことごとくそこからその存在と生命とを得て いるのであり、また何人もエホバのみによらなくては、すなわち主のみに よらなくては、自分自身からは存在し、生きることはできないため、人間 が人間自身から生きているように人間自身に思われているのは感覚の妄想 [迷妄]である。天使たちは主の愛の中に生きているため、主の生命の存在 そのものの中に生きているからには、かれらは自分たちが自分たち自身から 生きているのではなくて、主から生きていることを明らかに認識している のである。しかしそれでもかれらにはかれらはかれら自身から生きていると いう外観が言いつくしがたい幸福とともに他の凡ての者にもまさって与え られているのである。それでこれが主の中に生きることであって、それは わたしたちが主の愛の中に、すなわち、隣人に対する仁慈の中に生きない 限り、決してありえないのである。
840 :
小さなヨハネ :02/01/27 19:13
(天界の秘義1736) 主はここに『いとも高い神』と呼ばれたもうているエホバであられることは 聖言から明白である。イザヤ書には― 万軍のエホバはその御名であり、あなたのあがない主、イスラエルの聖者 である、全地の神とかれは呼ばれたまうている(54・5) ここにはあがなう者イスラエルの聖者は主のみであられて、『万軍のエホバ』 であられ、『全地の神』であられることが明らかである。さらに― あなたのあがない主、イスラエルの聖者はこのように言われた、わたしは あなたの神エホバである(48・17)。
841 :
小さなヨハネ :02/01/27 19:14
さらに― わたしはまことにあなたを助ける、とイスラエルの聖者、あなたのあがな い主、エホバは言われる(41・14)。 『イスラエルの聖者』と『イスラエルの神』という表現は何度も現れてい る。主はイスラエルの聖者であられ、またイスラエルの神であられることは 以下に明白である。― かれらはイスラエルの神を見た、その御足の下には青玉で作ったものの ようなものが、すきとおっているために天の原質のようなものがあった (出エジプト24・10)。
842 :
小さなヨハネ :02/01/27 19:14
[2]他のいかようなものもユダヤ教会によりエホバとは承認されなかった のであり、またエホバとも呼ばれなかったのである、なぜならそれは一人 の神エホバを拝したからであり、しかもそれは以下の理由から―その理由 はかれらの大半には知られていなかったのではあるが―さらに充分に行 われたのである、すなわち、かの教会の祭儀はことごとく主を表象したの であり、聖言の凡ゆるものは、その内意では主を意味していたのである。 イザヤ書には― かれはとこしえに死をのみこまれるであろう、主エホビはすべての顔から 涙をぬぐいさりたもうであろう。そしてかの日言われるであろう、見よ、 この方がわたしたちの神である、わたしたちはかれを待っていた、かれは わたしたちを救われるであろう、この方はエホバである、わたしたちはか れを待っていた、その御救いの中に歓びおどり、喜ぼう(25・8,9)。 これは主が来られることをとり扱っているのである。
843 :
小さなヨハネ :02/01/27 19:15
[3]同書に― 見よ、主エホビは力をもって来られるであろう、その御腕はかれのために 統べ治めるであろう。かれは羊飼いのようにその羊の群を養われるであろ う、かれはその腕の中に子羊を集められるであろう、かれはその胸の中に かれらを抱いて連れて行かれるであろう、かれは乳のみ児を導かれるであ ろう(40・10,11) ここに主エホビであられる主が明らかに語られている。かれが『力をもっ て来られる』ことと『その御腕がかれのために統べ治められる』ことは主 は主御自身の力により地獄を征服されるであろうということを意味してお り、『かれの羊の群を養い、その腕の中に子羊を集め、かれらをその胸の 中に抱いて連れて行き、乳のみ児を導く』ことは主の愛または慈悲につい て述べられているのである。 「主エホビ」・・・祈願がささげられるとき、「ああ、善にましますエホバ よ」の意味(天界の秘義9167)。
844 :
小さなヨハネ :02/01/27 19:16
[4]さらに― 諸天を創造られたエホバ、地を形作り、それを作られた神御自身はこのよう に言われた、かれはそれを確立された、かれはそれを空ろなものに創造ら れなかった、かれはそれを人がそこに住むように形作られたのである、わ たしはエホバである、他にはたれ一人いない。わたしはエホバではないか、 わたしの他には神は一人もいないではないか。(わたしは)正しい神、救い 主である、わたしの他には一人もいない。地の凡ての端よ、わたしを見つ めて、救われよ、わたしは神である、他にたれ一人いないからである (45・18,21,22)。 ここには主は主のみがエホバであられ、神であると明らかに語られている。 『諸天を創造し、地を形作る』ことは再生させることであり、かくて天と 地との創造者は再生させる方であられることは、前の16、88、472番、 その他に認めることができよう、それで主はしばしば創造者、形成者[形作 る者]、作成者[作る者]と呼ばれたもうている。
845 :
小さなヨハネ :02/01/27 19:17
[5]さらに― あなたはわたしたちの父であられる、アブラハムはわたしたちを知らない し、イスラエルはわたしたちを承認しないからであります。ああ、エホバ よ、あなたはわたしたちの御父、わたしたちの贖い主であられる、あなたの 御名は永遠から存在しています(63・16)。 ここには主が明らかに意味されており、主のみが『贖い主[贖う方]』である。 モーセの書には― かれの御顔に心を留めよ、その御声をきけよ、かれを怒らせてはならない、 かれはあなたらの咎を負われはしないであろう、わたしの名はかれの真中に あるからである(出エジプト23・21)。 『名』は本質を意味していることについては、前を参照されたい(144、 145番)。そして『真中に』は最も内なるものを意味している (1074番)。
846 :
小さなヨハネ :02/01/27 19:19
[6]イザヤ書には― わたしたちに一人の子供が生まれたもうた、わたしたちは一人の御子[息子] を与えられた、政りごと[統治]はその肩の上に在るであろう。その御名は驚異、 勧告者、神、英雄[ますらお]、永遠の父、平安の君ととなえられるであろう (9・6)。 これは明らかに主について言われている。エレミア記には― 見よ、日が来て、わたしはダビデに義しい芽を出させるであろう、かれは王 として統べ治め、理知をもって行動し、地に審判と公正とを行うであろう、 その日にユダは救われ、イスラエルは信頼して[安んじて]住むであろう、これがかれらがかれを呼びまつる御名である、すなわち、わたしたちの義、エホバ(23 ・5,6)。 これは明らかに主を意味している。ゼカリア書には― エホバは全地を統べる王となられるであろう、かの日一人のエホバがおられ、 その御名は一人である(14・9)。 これは明らかに主を語っている。『名』は本質を意味している。
>>834 こちらの理論は、
イエズス自体が父なる神そのものであるという理論だから、
ちょっとわけが違うのよ。人性は拒否されているからね・・・。
これは、単性説に似ているけど、少し違うみたいよ。
848 :
kav ◆GA9BCNoI :02/01/27 19:25
なんか嘘の匂いが・・・ 俺様の名? みだりに唱えるものを 俺様は罰せずにはいない・・・ 大きく違うと いはれる翻訳でさえほぼこの内容で訳されているようだが? 昔と・・今も? ユダヤ人が思ったのは「禁句」言えばやられる・・・ コレダネ!!! 文章(文字さえ?)読めない糞が多いことは知ってはいるが・・・
小さなヨハネさん、あなたが得たものは新しい神の見方。 あたし達には関係があってないものなのよ。
>>847 あぁ、それぢゃ最悪だなぁ(^^;)
キリストを神の意思とする単意主義よりも、短絡的なんですね。
これぢゃぁ、お話になりません。
異端よりも異端な超異端ぢゃないですか。退散させて頂きます(_"_)
天主はね、この地には直接関与しないの。 大統領が市町村の事に首突っ込んだりはしないだろ? だから、この地で活躍してる神ではありません。
852 :
kav ◆GA9BCNoI :02/01/27 20:15
???851は何者? いちいち過去を調べたりはしないが・・・ 素直かと思ったんだがな〜〜〜 この世の神であり すべての神である俺様が この地に関与していない? 聖書読んだことないの? ・・・アオリか・・・ま 思ったとおりになるが・・・
>>850 そうね・・・。確かに、両性説と三位一体なら超異端ね。
でも、それによって理解出来るなら、それで良いとあたしは思うのよ。
その中に福音が働いているのなら、いずれ一致の時も来るでしょうから。
あら、間違えた。両性説と三位一体からなら・・・ね。
>>849 追加だけど、でも、そういうものの見方は重要なのよ。
一つの面だけでは、ものは見れないからね。
あなた方は、一つのものの見方しかしない過去に新しい光を当てた。
でも、あなた方は過去の人たちと変わらない見方をしてしまう。
そこが悲しいわね。
神は一つなんだよね。というか全体なんだよね。 で,イエスという,神の子は,神の意思を具現化したものなんだよね。 で,精霊が,神の働きを実際に行う機能なんだよね。 いろいろ,神に対する見方,考え方はあるだろうけど, 神は神だから,私達がどう考えようと,神であることに変わりは ないと思います。 神のことは神自身が決めるのでしょうね。
857 :
【^▽^】単性論太郎ジョーカー :02/01/27 20:36
イエスの人性は神性に吸収されております。 イエスは父なる神(ヤーウェ)そのものです。
858 :
小さなヨハネ :02/01/27 20:44
>>809 :マリアさん
>ユダヤ教徒が名を呼ばなくなったその存在は、神道の天之御中主神のように、
>人には直接関与しない存在だったらしいわ。
>人に関わるのは、アドナイかエロヒムだから・・・。
>その存在の意思を知ることは出来ないから。
>だから、名を呼ばせないように仕向けたと聞いているわ。
マリアさんのみならず、何人かの方々が、天主の存在は知ることができない、
と言われます。人間と何の関わりもないという、何か冷たい無生物のような
神を想像されているのでしょうか?
しかし、私は全くそうは思いません。天主は温かい父とも母とも言える神で
あると思っています。そして、子らを思うあまり、この世にまで降ってくだ
さったのだと信じています。そして、世の親が子を思う以上に子を心配し、
世話を焼きたくて仕方なく、子らがそんな父なる神の気持ちを理解しな
いのでとても悲しんでおられるのを想像します。
859 :
小さなヨハネ :02/01/27 20:46
(イザヤ45・15) 「まことにあなたは御自分を隠される神」 なるほど、そういう言葉もあります。しかし、それは私達が気がつかない ことを指して言っているのだと思います。聖書は私達人間の感覚に合わせて 記述されているのだそうです。これをスウェーデンボルグは『外観の法則』 と言っています。主が隠れるのではなく、私達が気がつかないのです。 (箴言1・7,22) 主を畏れることは知恵の初め。 いつまで浅はかな者は浅はかであることに愛着をもち 不遜な者は不遜であることを好み 愚か者は知ることをいとうのか。 (箴言2・4−5) 銀を求めるようにそれを尋ね 宝物を求めるようにそれを捜すなら あなたは主を畏れることを悟り 神を知ることに到達するであろう。
860 :
小さなヨハネ :02/01/27 20:47
主を知ることは出来ないと主張するより、主を知ろうと努力するほうが ずっといいではないですか。 (イザヤ45・14,21) 神はたしかにあなたのうちにいます。ほかにはおられない。他の神々はむ なしい。わたしをおいて神はない。正しい神、救いを与える神はわたしのほか にはない。地の果てのすべての人々よ わたしを仰いで、救いを得よ。 わたしは神、ほかにはいない。 (イザヤ45・18) わたしが主、ほかにはいない。 わたしは隠れた所で、地の闇の所で語ったことはない。ヤコブの子孫に向 かって混沌の中にわたしを求めよ、と言ったことはない。 (マタイ5・8) 心の清い人々は、幸いである、その人たちは神を見る。 「見る」とは理解する、知る、という意味だそうです。私達が天主を知る ことができないなら、そんなことをどうして書くのでしょう?
861 :
kov ◆GA9BCNoI :02/01/27 20:48
これだけ ここの板でたくさんヒント出してるんだから・・・ いいかげんにわかれよ! 重ねて言おう 「俺様こそが彼である・・・」
862 :
小さなヨハネ :02/01/27 20:49
天主を人間が知ることが出来ることについて、また求めれば答えていただ けることについて聖書にはたくさん載っています。有名な「求めよ、さら ば与えられん、探せよ、さらば見出さん」(マタイ7・7)もそうです。 「このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い 物を与えることを知っている。まして、あなたがたの天の父は、求める者 に良い物をくださるにちがいない。」(マタイ7・1) 「わたしの名によって何かを願うならば、わたしがかなえてあげよう。」 (ヨハネ14・14) そうです、悔改めた息子を遠くから見るやいなや、走って来て首を抱き、 接吻してくださる父(ルカ15・20)とは父なる神・主イエズスご自身 が御自身のことを語っておられるのだと思います。どうして、そんなに 人間には分からない神、関与してくれない神などとおっしゃるのでしょう?
863 :
小さなヨハネ :02/01/27 20:50
天主が何もしてくれない冷たい神と思うのは、子供が親の気持ちも知らずに 冷たい親だと思うようなものだと思います。聖書にはやはり、やさしい、 手を差し伸べてくださる神の姿がたくさんあります。 (イザヤ65・2) 反逆の民、思いのままに良くない道を歩く民に絶えることなく手を差し伸 べてきた。 (イザヤ46・3−4) あなたたちは生まれた時から負われ 胎を出た時から担われてきた。 同じように、わたしはあなたたちの老いる日まで 白髪になるまで、背負って行こう。 わたしはあなたたちを造った。 わたしが担い、背負い、救い出す。
864 :
小さなヨハネ :02/01/27 20:51
(イザヤ49・15−16) 「女が自分の乳飲み子を忘れるであろうか。 母親が自分の産んだ子を憐れまないであろうか。 たとえ、女たちが忘れようとも わたしがあなたを忘れることは決してない。 見よ、わたしはあなたをわたしの手のひらに刻みつける。」 そのことを教えるために、わざわざ父は天から降ってイエズス・キリスト となられ、御自らのことを私達に教えようとされたのではないでしょうか? 「もはやたとえによらず、はっきり父について知らせる時が来る。その日 にはあなたがたはわたしの名によって願うことになる」(ヨハネ16.25, 26)。
865 :
kov ◆GA9BCNoI :02/01/27 20:52
誰だか知りもしない・・・特に男など 抱きしめたり接吻する 趣味はない! イヤダ〜〜〜〜〜!!! カワイイ ヲンナなら善処するが・・・
>>858 父なる神は、主を通して関わる。
何故なら、父とイエズスが呼んで位存在は、全ての本質だからね。
>人間と何の関わりもないという、何か冷たい無生物のような
>神を想像されているのでしょうか?
そのように私達を捉える事自体が、福音に反すること。
推測はしてはいけない。
>しかし、私は全くそうは思いません。天主は温かい父とも母とも言える神で
>あると思っています。そして、子らを思うあまり、この世にまで降ってくだ
>さったのだと信じています。そして、世の親が子を思う以上に子を心配し、
>世話を焼きたくて仕方なく、子らがそんな父なる神の気持ちを理解しな
>いのでとても悲しんでおられるのを想像します。
それはあなたの推測であって、神のものではないわ。
867 :
kov ◆GA9BCNoI :02/01/27 20:54
手の平を傷つける? 自傷癖はない! 自称と呼ばれてるかもしれんが・・・
868 :
kov ◆GA9BCNoI :02/01/27 20:57
ヲい! チビヤン! おまえが首チョッパされてもかまわないから・・・ アノ ヲンナヲ・・・アノ・・・ヲンナヲ・・・ヲナンヲ? ハァハァハァ マチキレンナ〜〜
イエズスが父という存在の使う言葉は、 私達人間の言葉ではない。 人が理解するには、人の言葉でないと理解出来ない。 主は、人の言葉によって語られたけど、 父は言葉によって語られたことはないものね。 聖書では、本人がそう言っているのだからね・・・。 とまぁ、私達はこう考えるのよ。
>そうです、悔改めた息子を遠くから見るやいなや、走って来て首を抱き、 >接吻してくださる父(ルカ15・20)とは父なる神・主イエズスご自身 >が御自身のことを語っておられるのだと思います。どうして、そんなに >人間には分からない神、関与してくれない神などとおっしゃるのでしょう? 神の本質は、あたし達に知ることは不可能。 何故なら、あたし達が日々排斥することさえも、 それを良しとしているからね。 この世に現れるものは、神は全て良しとされたものだからね。
871 :
kov ◆GA9BCNoI :02/01/27 21:06
オレサマハ 今のところイエスッスではない・・・ イ〜サ〜なら関係なくもないが・・・・・・ 869の「意見」とは正反対の記録しかないが・・・一神教系では・・・ わからない といっても外国語混じり、外来語混じり程度のはずだが・・・
>「もはやたとえによらず、はっきり父について知らせる時が来る。 >その日にはあなたがたはわたしの名によって願うことになる」 それは、福音によって歩むならの話。 歩めない者には、知ることは出来ない。
873 :
ボーダー住民 :02/01/27 21:08
やっぱり、ヨハネの言い分は、あまり理解されておらんようだなぁ。 というか、ヨハネも他の人の説を解かってないし。説明の仕方も悪い。 まー、いいんちゃう? 御免よ、余り役に立たなくてね。 以前、ブルネルスさんが、三位一体論者でもないのに、その主義を主張しているかの如くに 説明しなけりゃならないので疲れると言っておられたが、似たような境地です。 ただ、相手をしてくださる方には、愛があるなあ、と感心するのみ。 そこで、私の好きなスウェーデンボルグの一節を。で、ひとまず、おしまいに。 「キリスト教以外の人達も、自分の持つ宗教に従って、神に反する罪 を悪として避けるだけでいいのです。自分の持つ宗教をもとにして、 十戒の教えに従って生活するなら救われます。」 いい言葉でしょう。これさえあれば、宗教戦争は終わりです。 スウェーデンボルグ君は、神は平和主義者だと言いたいのです。 「どんな宗教でも、心から唯一神を信じるなら、そこには主イエスが居る」のです。 「うちの宗教じゃないと駄目」って言わない。 それで、その宗教にある正常な戒律を心を込めて守る人は、 どんな宗教でも救われて天国に行ける。大好きです。宗教戦争反対!!! イエスは愛なのだ。
874 :
kov ◆GA9BCNoI :02/01/27 21:09
すべてヨシ? 不幸も忘れるなよ・・・・・・
>>871 残念ながら、古くは父と呼ばれる存在は、
アドナイとエロヒムの意思を司る存在。
母とは、全てを受ける存在。母は黙っているもの。地を意味する。
人はそれを、母なる大地というけどね・・・。
>>843 十戒は解釈次第ね・・・。どのようにでも解けるもの。
日本人には、十戒は不必要ね・・・。
877 :
小さなヨハネ :02/01/27 21:27
会話する余裕も無く失礼しました。一言居士さん、わたしが何説なのか、 まだ勉強中で知りません。しかし、分類するより、主をもっと知り、もっ と喜びに溢れるほうがずっといいではないですか? みなさん、有り難うございました。ボーダー住民さん、よろしくお願い致します。 それでは、しばらくお別れです。主の平安が皆さんと供に!! (私は主と聖母のご絵を持って行きます・・・。)
878 :
kov ◆GA9BCNoI :02/01/27 21:30
介錯次第ではなく 態度次第なんだが・・・ JAPに不必要? わかっているじゃないか・・・ JAP代表が伝える話でも JAPは死んだら地獄逝き・・・ イザナミのいったところは一神教では「地獄」だな 地獄「ゲヘナ」は「ジャハナム」・・・ジャハンの訛りだろ〜〜〜
>>877 行ってらっしゃい。またね。
>>878 いいえ。解釈の仕方次第でどのようにも解けるもの。
まぁ、心の動き次第ね。
十戒は日本に不必要なのは、ある価値観がその時代のものでしかないと、
あたし達は知っているからよ。
イザナミの行った世界は黄泉の国。ゲヘナではないわね。
ゲヘナはもっと違う世界よ。元は、地で彷徨う死者の世界よ。
アホか。
882 :
ボーダー住民 :02/01/28 09:31
>875 マリアさん、ようわかってはるなあ、ほんま、今更誉めてすんません。 そうやねん、母は「地」あるいは「国土」。そう解くと、旧約がよう解かんねん。 >877 >みなさん、有り難うございました。ボーダー住民さん、よろしくお願い致します。 せやから、ワシでは役に立たんちゅうとんねんやんか。ほんまに、なんも解からんと、ああ、行ってまいよった。 はよ帰って来いや、どなんなっとっても知らんぞ。秋葉原でノートパソコン買わへんかったんか?
883 :
ボーダー住民 :02/01/29 09:20
教会外の人たちについてのスウェーデンボルグの言葉から 「主の憐れみは無限ですから、教会内の少数の人たちに限定されず、 むしろ地球全土の人たちにも及んでいます。 教会外に生まれて信仰がないことは、かれらの罪ではなく、 結局、知らなかったから主への信仰がないわけで、断罪される理由はありません。 人類の大部分が、比較的少数人口のヨーロッパの外で生まれたために 永遠の死で滅びるなど、良識のある人は言いません。 また永遠の死を味わうために生まれる人がこれほど多くいて、 それを主が見過ごされるなど、良識のある人は言えません。 これこそ、神意と慈悲に反することになります。 それだけではありません。異邦人と呼ばれていて、教会外にいる人たちは、 教会内にいる人たちに比べて、ずっと品行方正な生活をしています。 しかも信仰の真理に関する教義を、ずっと素直に受け入れます。 これは来世での霊魂たちの様子を見れば、いっそうはっきりします。 全体から見て最悪の魂は、いわゆるキリスト教世界から来ます。」 ボーダー住民コメント 原理主義者が誤解しているのは、最後の行を 「キリスト教会全部が最悪の魂だ」と読んでいるところですよね。 確かに、真理を提示されて、素直になる余地のなかった魂は、 知的に教理を知っているだけに、真っ向から主の知識を軽んじることとなり、 本当に最悪であることは事実です。皆さんも御存知の通り。 しかし、全部が最悪なのではありません。最高の魂も、けっこう出るのです。 その多くは、「『自分は知っている』と言えない魂」ですが。 主の愛を痛感しながらも、己の無知を理解するものは、結構最高です。 そういう人も、私は知っていますよ。 今日はここまで
キリスト教徒はよく他教を蔑視する。 この世が皆キリスト教になれば良いと思っている。 他は邪教だと、心の隅にいつも抱いている。 福音を信じて説きながら、自分の見た目に映れば良ければ良き事と、 見た目に悪く映れば悪しき事という。また、足りないという。 自分たちの理解だけを盲信してしまう人が何と多いことか・・・。 ということかしら?その意見には、あたしは賛成よ。 それが福音に沿った行いといえるのか? 教義はどこからきたのか?と言いたくなるわね。 そして、そのスウェーデンボルグ主義者も、 他のキリスト教徒がやっていることをやっているわけね。困ったことね。
885 :
ボーダー住民 :02/01/30 09:02
まあ、スウェーデンボルグも上手に読まないといけないということじゃないかと思います。 スウェーデンボルグだけをまともに読んでいたら、だんだん知りもしないキリスト教会が憎くなります。 やっぱり、スウェーデンボルグにあそこまで言われているのは、あの時代のキリスト教会も それなりに、悪かったのだろうなぁ、と思います。 ただ、全部が悪いと言うたら、そう言う人間のほうが裁かれることくらい、当たり前でしょう。 今の時代、ユダヤ教徒は「世間で言われるほど悪くない」とユダヤ人がいくら頑張っても、 主イエスの時代には、どうしようもなく悪かったから、主にあそこまで言われていたんで、 『イエスとパウロが、ユダヤ教徒への憎しみを世界に送り込んだ』と文句をつける前に、 その時代なりのものを反省しないといけないのと同じでしょう。 現実的に、キリスト教徒も、「完全無欠の愛」を説きながら、 異教徒に対しては物凄い憎しみを持っていたりします。 熱心な人のほうがずっと凄い。でも、「愛」という大義名分のために、 表面上の素晴らしい笑顔を作らなければなりません。 で、本当に良心的な人は、この矛盾をどうしたらいいのか困惑しながらも 「神様の嫌っている偶像信者だから、嫌わなけりゃ」と、良心の善意の声に耳を塞いでしまう。 つまり、『偶像』という言葉に対する解釈が間違っているわけですわ。キリスト教以外は何でも偶像。 ところが、スウェーデンボルグでは、結論から言うと、宗教はほとんど善。 但し、社会に迷惑をかける、明らかに悪霊憑きの宗教は駄目。 (・・・なんだと思う。とにかくあの頃とは時代も文化も違うので、『良心的に』類推するしかない)
886 :
ボーダー住民 :02/01/30 09:03
つまり、人に善意を教える宗教はキリストの守りの内にあり、 唯一の神であるキリストは、心から唯一神を求める人は、 神の名を何という名で呼んでも、その人の信仰心に答えると言う。 だから『キリストの名によって』というのも、いわゆるキリスト教会とは違う。 『主の名をみだりに唱えてはならない』という第三戒は、 『信者のくせに、キリストの性質に相応しくない生き方をしてはならない』ということだと、 スウェーデンボルグは言っています。(ええ話でっしゃろ?) つまり、ただ『キリスト』のお名前だけをお題目のように唱えるのが『キリストの名による信仰』だと思って、 『イエス様、信じます。アーメン』と言わせるためだけの宣教活動している教会は、キリストの心がわかってへんと。 憎しみは悪霊からのもので、スウェーデンボルグを信じようが、キリスト教を信じようが 憎しみを持ってたら、口で何と言ってもあかんのんですわ。
887 :
ボーダー住民 :02/01/30 09:47
本日のスウェーデンボルグ 「人が良心にもとづき、それに従って生活するのでないなら、記憶した事柄は死んでいます。 人がそれに従って生活するとき、記憶したことが『いのち』の問題になります。 そしてその時初めて、その本人にとって、死後役立ちとなり、救いとなります。 知識や認識は、それが『いのち』に染み込んでいないなら、 それまでに啓示された事柄をすべて知っていても、 本人にとって来世では、何の役にも立ちません。」 ボーダーコメント ああっと、来世のことは質問せんといてください。良心について、引用したつもりなので。
お話は良かった。でも、唯一というところが気にかかるところ。
まぁ、その時代のヨーロッパでは、あたし達のことは知らないものね・・・。
日本では、三柱が主だから、天照大神、氏神や産土神、崇敬社。
この三柱をほとんどの日本人は持っているからね・・・。
人によっては、七柱崇敬している人もいるもの・・・。
>>886 御免なさい。あの、ユダヤ教徒や一般キリスト教の訳では、
ちょっと違うのよ。「ヤハウェの名をみだりに唱えてはいけない」
アドナイ(主)と唱えるようになったのは、このことからなの。
アドナイは主に民族の神を指す。ヤハウェは天地創造の神を指す。
この二つは、同じであるけど、働きが違う。
天之御中主神と天照大神との間柄と良く似ているわ。
初めの神が天之御中主。高天原を主宰する神は、天照大神というふうにね。
889 :
ボーダー住民 :02/01/30 22:49
> 888(ゲマトリアのイエス・キリスト888。そういえば、666は誰だった?) せっかくですから、お話お聞きしたいです。お続け下さい。 スウェーデンボルグのユダヤ教理解は、実は、ユダヤ教の出だしの所から 相当ユニークな解釈だったと覚えているんですが、自分で説明できるほど解かっていないので。 ただ、一般には、旧約聖書といえばアダムとエバもノアも、 所詮は原始ユダヤ教みたいなもの、と考えられ易いんですが、 スウェーデンボルグは、そうとは言っていないんです。 彼らは、まったく違った宗教を持っていたらしく、(あー、これ、ヨハネ君に聞かないと解からん) ユダヤ教時代に入ると、すでにこの宗教形態にしたこと自体に、 「ユダヤ民族性」に対する、主の配慮みたいなものがあったらしいのですが。 ヨハネ君、はよ帰って来て。もう、偉そうに言いませんから。
890 :
dendo. :02/01/31 02:35
聖アファナシイ(Athanasius)記憶age.
891 :
ボーダー住民 :02/01/31 09:45
神に関して三という数字があるのはわかります。 スウェーデンボルグでは、平たく言うと「父」「子」「聖霊」というのは、 いわば、神様の性格みたいなものです。 と言ったら、神学面、いや近世以前の哲学面からはどうなんでしょうか?dendoさん。 (茶化さんでも、ちゃんと御存在を認識させていただいております。) 三位一体は、ヨハネが帰って来てから、と思っていますが。 (帰って来んうちにケリがついたら悪いからなあ。あ、うそうそ。 帰ってくるまでに目茶目茶になってたら悪いから。ほんまです。)
892 :
ボーダー住民 :02/01/31 09:46
神に関して三という数字があるのはわかります。 スウェーデンボルグでは、平たく言うと「父」「子」「聖霊」というのは、 いわば、神様の性格みたいなものです。 と言ったら、神学面、いや近世以前の哲学面からはどうなんでしょうか?dendoさん。 (茶化さんでも、ちゃんと御存在を認識させていただいております。) 三位一体は、ヨハネが帰って来てから、と思っていますが。 (帰って来んうちにケリがついたら悪いからなあ。あ、うそうそ。 帰ってくるまでに目茶目茶になってたら悪いから。ほんまです。)
893 :
ボーダー住民 :02/01/31 09:50
すんません。ダブりました。
>>889 最初はみんな、神道の氏神に似たような崇敬法よ。
一つの民に一つの主がいたらしいの。単にそれだけ。
たくさんの民をひとつの民にするために、
たくさんの主を一つの主なる神にしたの。
それから、諸々の精霊なんかをエロヒムとして崇敬の対象にしたの。
だから、良いのと悪いのがいるのよ。
それがモーゼの時。しかし、ヤハウェとアドナイは区別された。
民族の主としてのアドナイと、天地創造の神としてのヤハウェがあるの。
イスラエル人の優位を民に示すために、両者を一つにしたの。
でも、実際アドナイの本質はヤハウェであるから、
この表現は間違えではないの。
でも、両者は別だから自分たちが日ごろ唱えても良いものはアドナイで、
ヤハウェは唱えないようにさせた。
一年に一回だったか、大祭司が唱えて良い日があったらしいの。
だから、大祭司になる人しか、本当の名前は知らない。
その周りの人も、一部の人は知っていたけどね。
895 :
ボーダー住民 :02/02/01 09:13
>894 それは、日本神道の系列に伝わることですか? それで、3、または7という数字は、どのあたりから発生しているんですか? >一年に一回だったか、大祭司が唱えて良い日があったらしいの。 ちなみに、これは、今でもありますよね。ユダヤ教には。 神道にも似たようなのがあるんですか?
896 :
dendo. :02/02/01 11:55
あー。
私はもう小さなヨハネを相手にしてません。
このスレ自体はおもしろいから、ふらんちぇとかマリアさんにつっこんだり
こっちから聞いたりすることはあるけどね。
>>895 大祭司、いまいないでしょ。
ヤブネに再建されたサンヘドリンでも、すでに祭司はいなかったはず。
>>895 これはね、ユダヤ人を先祖に持つ母の家の言い伝えなのよ。
あたし達の方では、ユダヤ民族にはユダヤの神道がある。
我々には日本の神道があるといった考え方だから、そんなことは知らない。
ただ、皆一つのところから出てきたものだとは、
少なくともあたしの家の神道では考えているの。
ユダヤ人にはアドナイが在り、
日本人には日本の総氏神の天照大神が在ると考える。
それから、三柱については、
この世が始まったのが、三柱の神により産み出されたものが、
この世の元になったと考えているから・・・。
天之御中主が出、その後高産霊神・高皇産霊神の二柱が出た。
それは、ある説によればこの二柱は、
天之御中主神の陰陽の性質が、色んなものを産み出すために
出たものであるとか言ってたわ。
しかし、出た存在だから、別と捉える。
例えば、親と子が同じものかといえば、同じ遺伝子はもっているけど別。
単為生殖であっても、出てしまえば別の存在。そういう感じみたい。
そんな話を小耳に挟んだわ。
知り合いの人が「こんな説も聞くよ」と話をしてたんだけどね。
>>896 ええ。確かに今はいないと聞いているわね。
ユダヤ人自身も、何と呼んだのかさえ分からないままのはずと思うわ。
898 :
ボーダー住民 :02/02/01 15:38
>私はもう小さなヨハネを相手にしてません。
そういうこと言わないの! もともと、あの子がいなけりゃ、ここで遊べなかったんでしょ?
>一年に一回だったか、大祭司が唱えて良い日があったらしいの。
>>895 >大祭司、いまいないでしょ。
そうです。大祭司はいません。ちょとその辺誤解ですが、
一年に一回だけ、その名を唱える日というのはユダヤ教にはあります。大贖罪日ってね。
あの日、ユダヤ人はみーんな仕事を休むんですよ。どんな不真面目な人でも休む。
で、私も、その煽りを食らいそうになったんで、覚えています。
ユダヤ暦の1月の、確か10日頃だったはずです。
去年は9月25日前後でした。あまり詳しくは知りません。
呼んだのは「ヤハウェ」で正しいんじゃないですか?
皆さんYHWHは「ヤハウェ」で、正式名称と考えて使っておられるのだとばかり思っていました。
誰かが、文献から検証されたと言っていたように思ったんですが。
三位一体、私が喋っちゃっていいのかな、ヨハネが喋るからこそ話が続くんですが。
多分、今日の深夜には帰ってくる。
無学な俺には勉強になる。
>>877 そうね。クローンも出てしまえば別の存在。
育ちが違い、環境が違えば、自己改変だって・・・するかもしれない(笑)。
>>878 小さなヨハネは面白いよね(笑)。頑固だけど。
少々アレだが、善き者って感じするんだよな、俺には。
900 :
ボーダー住民 :02/02/01 18:07
スウェーデンボルグの「イエス=YHWH」論を表現するのに、いくつかあると思うわけですが、 2次元人ボーダーとしては、どうしても、これは言ってみたい。次元の違いがそこにある。 つまり、同じ神だが、3次元の中にお出でになったのがイエス。YHWHは、無限次元の神。 金曜日7時と言えば、『ドラえもん』ですが、(こういう例証が多くてすみません) たとえば、のびたが、ドラえもんのタイムマシーンに乗って過去に戻るんです。 そして、過去の自分に向かって、「30分後の自分だけど、これからお小遣い使って カップラーメン10個買おうとしているけど、それは止めた方がいいよ」とアドバイスする。 「なんでだよ」と過去ののびた。「カップラーメン10個なんて一度に食べきれなかったからさ」 と現在ののびた。 で、過去ののびたはそのアドバイスを聞いてカップラーメンは止めてプラモデルにするわけです。すると、1時間後ののびたが来て、「プラモデルは止めた方がいいよ。難しすぎてできなかったから」とまたアドバイスする。 (自分は、こういうことができるんだったら、のびたはどうして0点取ったテストを 覚えていて前日の自分のところに行って、勉強していない自分にアドバイスしないのか と思うわけですが。そこは正義の味方ドラえもん。そういう筋書きは作らない。) のびたは自分で自分に会って話しているんです。 3次元に住む我々には不可能なことなんですが、ドラえもんの道具があると、それができる。 「イエス=YHWH」論では、もう少し違っているんで、このままでは駄目なんですが、 イメージとしては、どうして同一人物が、対峙して会話するか、そういう事態が起こり得るか ということは納得できる? ドラえもんでさえもできるなら、まして神ならなおさら。
901 :
小さなヨハネ :02/02/02 00:05
こんばんは。今日帰って来ました。ボーダー住民さん、皆さん、有り難うござい ました。ちょっと頭が戻らないので、何を申し上げていいのか分かりません・・・。
902 :
kep ◆GA9BCNoI :02/02/02 00:09
アドナイはアブナイの誤写が妥当かと・・・
903 :
ブルネルス :02/02/02 00:28
>900 ボーダー住民 さん 私の見るところでは、ヨハネ福音書も 「イエス=YHWH」論 の立場なんですけど。ただし、この場合は、 見えない父なる神に対して、それを人々に顕したものという位置を ヤハウェに与えているわけで、ヨハネ福音書のばあい、 旧約において人々とかかわったヤハウェが今やイエス・キリストと してこの世に来たわけで、だからこそ イエスは「私はある」といい、また、「聖書(=旧約)は私につい て証をするものだ」と言っている。 だからヤハウェの背後に見えない神を想定するような神学というか 旧約理解をしていたのではないか、と思う。 えーと、私がこう思っているというのではなく、ヨハネ思想につい ての解釈に過ぎませんが
904 :
名無しさん@1周年 :02/02/02 08:56
すいません! スエデンボルグは六六六の獣の数字のことは何と言ってたんでしょう? 誰か知ってたら教えてください、お願いです。
905 :
小さなヨハネ :02/02/02 11:40
>>903 ブルネルスさん
>だからヤハウェの背後に見えない神を想定するような神学というか
>旧約理解をしていたのではないか、と思う。
ブルネルスさんがそう思われた根拠は何ですか?
906 :
小さなヨハネ :02/02/02 11:41
>>904 さん
スウェーデンボルグ/静思社/黙示録講解847より
「 『そしてその者の数は六百六十六である』(黙示録13・18)は、
にも拘らずその性質(仁慈から分離した信仰、たとえば信仰のみによる義認
等の信仰の性質のこと)は、凡ゆる誤謬とそこから発する凡ゆる悪の綜合体
である。このことがその数の意義であるのは、『六』は凡ゆるものを意味し、
真理について、そこから発する善について述べられ、その反対の意味におい
ては誤謬とそこから発する悪について述べられているためである。なぜなら
その数は二と三とを共にかけ合わせた数から構成され、二の数は善について
述べられ、反対の意味においては悪について述べられ、三の数は真理につい
て、その反対の意味においては誤謬について述べられ、合成数はそれを構成
している単純数と同じような意義を持っているからである。それでこれが
『六』は凡ゆる真理とそこから発する凡ゆる善との綜合体を意味し、その
反対の意味においては、凡ゆる誤謬とそこから発する凡ゆる悪との綜合体を
意味している理由である。この凡てのことが充分に意味されるためにその数
は三重倍にされ、三重倍により六六六の数が起こっている。なぜなら三重倍
にされた物は初めから終わり迄完全になったものを、充分になったものを意
味するからである。それでここではそれは真理と善とは何であれ何一つ残っ
ていないことを意味している。」
907 :
ボーダー住民 :02/02/02 16:20
ヨハネさん、お帰りなさい。 >904 ちょっと小耳に挟んだんですが、904さん、ピーター・ワグナーとロナルド・サーカーという人が、 『××の女王との戦い』みたいな本を出している、と友達が言っているんですが、それどんなことが書いてあるの? 見たら解かるサイトとかある? ヨハネさんの>906を噛み砕いて申し上げますと、スウェーデンボルグという人が言っている 666は、一般的に言われているようなものとは全然違って、ものすごーくユニーク。 再臨論とかも、全然、あっと驚く解釈。「悪魔」というものそのものがまた、全然ユニーク。 残念だけど、666が特定の誰かとか、組織とかを表わしているとかいうことは、全然なし。 >903ブルネルスさん 私も、ヨハネさんと同じようなこともお伺いしたいです。 でも、 >私がこう思っているというのではなく、ヨハネ思想についての解釈に過ぎませんが と言われるので、もう少し、質問の仕方が違うのですが。 ヨハネさんとしても、その論拠を、聖句などから引っ張ってもらいたいのではないかと拝察します。 たかが留守番と思っていたが、結構疲れましたので、 今日はヨハネさんがいてくださってほっとしています。
>>906 小さなヨハネさん!ご返答ありがとうございました。
でも難しいですね・・・。 勉強します。
>>907 >ちょっと小耳に挟んだんですが、904さん、ピーター・ワグナーとロナルド・サーカーという人が、
>『××の女王との戦い』みたいな本を出している、と友達が言っているんですが、それどんなことが書いてあるの?
>見たら解かるサイトとかある?
分からないです。
>ヨハネさんの>906を噛み砕いて申し上げますと、スウェーデンボルグという人が言っている
>666は、一般的に言われているようなものとは全然違って、ものすごーくユニーク。
>再臨論とかも、全然、あっと驚く解釈。「悪魔」というものそのものがまた、全然ユニーク。
>残念だけど、666が特定の誰かとか、組織とかを表わしているとかいうことは、全然なし。
あ、いえ、私もスエデンボルグの本は、アルカナ出版の本を何冊か読んでますから、スエデンボルグの基本的な事ぐらいは分かります。
909 :
ボーダー住民 :02/02/02 20:27
小さなヨハネさん もし、今度の土日に帰ってくるときまでに、 レスが満杯になった場合のことを考えておいてください。 それから、個人的なお願いですが、暇があったら、アダムとエバ、ノアの民族と宗教について 解かりやすいところを引用しておいてくださればありがたいですが。
910 :
小さなヨハネ :02/02/02 23:56
出張中に考えたのですが、三位一体をめぐる論争とは、分かりやすくまとめ るとこういうことかと思います。 つまり、「父」と「子」と「聖霊」という聖書の表現から神を三つの異なる 存在と考え、それを肯定する理論を構築するのが従来の『並列的三位一体論』。 一方、神は本来唯一の存在と考え、「父」と「子」と「聖霊」とは、一人の 神の持つ属性として考える『重層的三位一体論』。 それぞれ難問があり、前者の『並列的三位一体論』にとっての問題は神が 唯一という大前提に反してしまうこと。そのため、「同質」という概念で 三つの異なる存在を「質」の面で一つと説明します。しかし、それはあく までも「同質」という意味に過ぎず、「一体」、「唯一」の説明にはなって いません。 なぜなら、そもそも前提が「三つの異なる存在」ですから、それを「一つの 存在」であるというのは自らを否定することになり、その意志もなく、矛盾 した無理な話であるからです。
911 :
小さなヨハネ :02/02/02 23:57
後者の『重層的三位一体論』は単純明快で、神は唯一、従って、同一の神 であると考えます。聖書が「譬え」で語られていることがしばしばあること を前提に考えれば、「父」と「子」と「聖霊」という表現も文字通り三つの 存在と受け取る必要はなく、文字の意義以外の霊的な何かの意味を表わして いる筈だと想定します。 これ自体は論理的に充分説明可能と思いますが、主が父に祈られたり、神な のになぜ十字架につけられて死ななければならないのか、等々の付随した疑 問点がいくつも湧いてきます。 どちらを選ぶかは、どちらの難問を覚悟するかですが、やはり私は神は唯一 を選びます。私には神が二人あるいは三人、ないしは、二つあるいは三つの 異なる存在というのは考えられないからです。
912 :
小さなヨハネ :02/02/02 23:59
ボーダー住民さん >たかが留守番と思っていたが、結構疲れましたので、 本当にお疲れ様でした。しかし、私のワンパターンな説明ではなく、 ステレオ放送のようで、おかげさまで音に広がりが出ました。 >もし、今度の土日に帰ってくるときまでに、 >レスが満杯になった場合のことを考えておいてください。 月曜日までおりますので、そのとき立てようかと思います。 >それから、個人的なお願いですが、暇があったら、アダムとエバ、ノアの >民族と宗教について解かりやすいところを引用しておいてくださればありが >たいですが。 了解しました。やってみます。
>>910 異なった存在とは三位一体論では考えていないわよ。
良く知りなさいよ。
914 :
ブルネルス :02/02/03 01:01
>905 >907 >ヤハウェの背後に見えない神を想定するような神学 について ヨハネ福音書では、イエスは *子なる神であって、見えない父なる神を顕した者とされている(1:18)。 *「我あり(エゴ・エイミ)」としばしば発言する。例えば「アブラハム の生まれる前から、私は在る」(8:58) これは出エジプト記におけるヤハウェの語源とも言われている発言「私は ありてある者」「私は在ると言われる方が私を遣わして・・・」を明らか に念頭において、そのヤハウェの「我あり」をイエスが語っているという 仕方で、両者を同一視する理解を示したものである。 *ヨハネ福音書では、 見えない父なる神 ―― それを顕した子なる神 という関係が明言されている。したがって、後者を見たということは前者 を見たことになるし、「私と父とは一つである」とも言われる。 以上から、子なる神の方にヤハウェが該当すると考えている以上、そして 「(旧約)聖書はイエス(つまりヤハウェ)について証言するものだ」と 言っている以上、旧約におけるヤハウェの役割を、見えない神を顕し、 人々に顕れた存在とみていることになる。 実際、出エジプト記あたりには、そういう解釈を可能とするような記述が ある(別発言でいずれ)。
915 :
小さなヨハネ :02/02/03 11:28
>>913 :マリア さん
>
>>910 異なった存在とは三位一体論では考えていないわよ。
>良く知りなさいよ。
そうでしょうか?
>>689 :マリアさん
>よって、あたしの経験では、イエズスは御子であり、
>御父とおなじ御霊は有しているが、天には御父が居た。
>よって、父と子は同じであるが、子は父と同じ意志をもち、
>その意思を人に伝える存在。父と同じではあるが、父ではなかった。
>それから、こういう捉えもできる。
>人体は小宇宙であるわ。しかし、大宇宙自身ではないものね。
>同じものを持っているけれどね。父と子は、そのようなものでもある。
916 :
小さなヨハネ :02/02/03 11:30
>>691 :信仰虚弱 さん
>多くの博識な方々が三位一体についてさまざま教えて下さっています。
>その通りだと思うのですが、「小さなヨハネ」さん。まあ俗っぽくこう
>いう説明はどうでしょう。
>「父なる神」と「子なるキリスト」と「聖霊」という3つの偉大な霊が
>存在するんです。
>その三者が、まるで、とっても仲のいい家族のように、心を一つにして、
>それぞれに働いておられる。それが、まあ「三位一体」です。
>「とっても仲のいい家族」というのがイメージできなければ、スポーツ
>のチームとかPOP音楽のユニットとか、そんなものをイメージしても
>いいかも知れませんね。
>「3」であるが「1」である。ということは、そんなに難しいことでは
>ないのでは?
マリアさんご自身は通常の私が言う「並列的三位一体説」なのかどうか分かりま
せんが、689のマリアさんのご発言、「天には御父が居た」、「父と同じでは
あるが、父ではなかった」からは、マリアさんはやはり父と子は異なる存在と捉
えておられるように思われます。
また、691で信仰虚弱さんが所謂「三位一体説」を単純にご説明くださいま
した。もしこのご説明が正しいとすると、「3つの偉大な霊が存在するんです」
、「その三者」という表現からは通常の「三位一体説」も明らかに三つの異なる
存在を考えているように思えますが、いかがでしょうか?
917 :
小さなヨハネ :02/02/03 11:32
>>914 :ブルネルス さん
ということは、ヤハウェ以外にまだ神がおられるということですか?
すると どちらが父なる神なのでしょう?
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
928 :
ボーダー住民 :02/02/03 14:17
>914ブルネルスさん ありがとうございます。 >(別発言でいずれ) 期待しています。 ブルネルスさんのお考えとしては、ヨハネ福音書には 「一つの神の本質のうちに、父、子、御霊として、それぞれ知られている三つの永遠の区別がある。」 という思想は「ない」と考えられるのですか?
929 :
ブルネルス :02/02/03 18:18
>928 ボーダー住民さん >ブルネルスさんのお考えとしては、ヨハネ福音書には >「一つの神の本質のうちに、父、子、御霊として、それぞれ知られている三つの永遠の区別がある。」 >という思想は「ない」と考えられるのですか えーと、上に引用した「思想」の意味がよくわかりませんが、そもそも「本質」など というギリシア的概念、そして後にキリスト教が三位一体の理論化をしたときに使っ た概念を、ヨハネに持ち込んで、あるのかないのか、と言われても答えられないので す。 しかし、もしご質問の意味が「父と子は同じなのか、違うのか」と言われれば、 ヨハネは区別していると私は書いております。 ここのところ付け加えているのは、 父なる神:子なる神(=イエス) =旧約中のX(見えない神):旧約中のヤハウェ とヨハネは考えている、ということだけです。言ってみれば「父なる神はヤハウェに は対応しない」とヨハネは考えているのではないか、という少々常識的でない解釈の 可能性を書いたつもりです。
>>915 そうでしょうか?と問われれば「ええ、そうよ」と答える。
あなたは今は、あたしの言っていることが理解出来ないだけよ。
あたしもあたしが見たものを頑張って説明してみるわね。
まず、あなたの言わんとすることを、より小さいものに当てはめてみる。
この項でも使った「宇宙」をもう一度使用してみるわね。
あなたの説では「人体に宿る小宇宙は大宇宙それ自身だ。
大宇宙の存在は妄想である」と言っていることなるのね。
それに対して、あたしは「大宇宙も実在しているわよ」と言っているの。
父なる神とイエズスの間には、これとよく似た関係があるわけなの。
大宇宙と人体にある小宇宙の関係は、同じものであるけど区別される。
両者とも同じ性質のものを持ち、宇宙という存在であるけども区別されるわけ。
父なる神と御子の関係も、これと同じように区別される。
あたしが見たものは、父とイエズスと聖霊は別の柱だったの。
こういう事が何故起こるのか?
人から見た場合は、父は、子(言葉)や
そこから発出される聖霊を通して現れるというか、理解出来る柱なの。
現に、あなたもスウェーデンボルグという一種の仲介者を通して、
理解しているわけだからね。そのままを理解したわけではないでしょ?
あたしもそう。イエズスという仲介者を通して、父を見たの。
何故なら、人は言葉を聞いたり、イエズスを見たり、
またはそれが遣わした天使を見たり、聖霊を受けて導かれたりするからなの。
イエズスと聖霊の全ての本質は父であるけど、
イエズスや聖霊が本質自身ではないわけ。
信仰虚弱さんが言っていることも、まさしくこれを簡単に説明したもの。
三つの柱が天主の中に存在すると、単に言っただけのことよ。
父の本質は父でしかないけど、イエズスの本質は父であり、
聖霊の本質は父であるの。
931 :
ボーダー住民 :02/02/03 22:20
>929ブルネルスさん
とすると
>>914 :ブルネルス さん
>ということは、ヤハウェ以外にまだ神がおられるということですか?
と言われる小さなヨハネさんの質問は、外れてないわけですね。
私は、自分が何か読み違いをしていたのかと思って、>928の質問をしたので。
>しかし、もしご質問の意味が「父と子は同じなのか、違うのか」と言われれば、
>ヨハネは区別していると私は書いております。
私もそうだったように思っていたのですが、もう一度過去の記述を読んでみます。
てゆーか、常識でない解釈は別に、スウェーデンボルグもですからビクともしませんが
父なる神:子なる神(=イエス)=旧約中のX(見えない神):旧約中のヤハウェ
なら、十戒の第一戒との整合性はどうなるんでしょうか……。
とりあえず、
>(別発言でいずれ)
も、よろしくお願いします。
932 :
ブルネルス :02/02/04 00:18
>931 ボーダー住民さん > 父なる神:子なる神(=イエス)= > 旧約中のX(見えない神):旧約中のヤハウェ > なら、十戒の第一戒との整合性はどうなるんでしょうか……。 見えない神はヤハウェの背後であり、両者は一体(子が父と一体であるとヨハネが 言っているような仕方で)なので、ヤハウェのみを神とせよという命令でいいので す。 えーと、私はこのことについてあくまでもヨハネ思想を探っているだけの話でして、 「常識的でない」とは、「ひょっとすると学問的に今まで知られていない知見を見つ けつつあるのかも」という、いささかずうずうしい気持ちで言っているのです。 あはは。 出エジプト記をはじめとして、人は神を見ることができるのか、できないのか、見た ら死ぬと言っていると思うと、モーセは見たらしい、と思われる記述があったりして、 この辺のところについての、ヨハネないしヨハネ教団の解釈を推測しようとしている わけで。あるいはアレクサンドリアあたりのユダヤ教の解釈を手がかりにできないか なあ、などと思っている次第。 そういうレベルの発言であることにご留意ください。
933 :
dendo. :02/02/04 00:53
>>アレクサンドリアあたりのユダヤ教の解釈 具体的にはいつごろの? たとえばフィロンに対応可能な箇所をすでに見つけておられるとか?
934 :
永遠の御父 :02/02/04 01:38
聖主: 聖父と聖子と聖霊との御名によりて。アーメン 私は永遠の御父、聖三位一体の第一の位格である。これから三年間に 渡って、十戒、旧約聖書の正しい解釈、諸徳、肉体的憐れみの業、日々 の生活の問題と黙示録に関して、私のいとしき子供たち一人一人に指導 を与えよう。昨年、私は三位一体の栄光である私たちの息子フランツに、 これらのメッセージを書き取らせることを決めた。というのは、偽りの 間違ったメッセージが、私の御名と私の聖なる息子イエズス・キリスト、 そして聖霊と、私の娘である童貞聖マリアの御名によって公表されてい るからである。
>>932 興味深い議論になってきましたね。
あるいはとっくに検討済みの問題かもしれませんが、
一つの反応として語らせてください。
モーセ五書にはしばしば「ヤハウェの使い」というものが登場します。
これは補囚後確立した「仕える霊」としての天使とは異る観念で、
「ヤハウェの顕現」を意味しています。
(現行テキストには若干考慮を必要とする部分がありますが)
五書自体に「ヤハウェ」と「ヤハウェ顕現体」を区別する発想があり、
おそらく多くの神顕現伝承をヤハウェの名のもとに統合していく過程で
こういう区別が生じたのではないかと思います。
この区別は新約時代のユダヤ教でも意識されており、
たとえば五書のみに権威を認めたサドカイ人は「天使」の存在を
認めませんでしたが(使徒23:8)、これは五書に登場する「使い」を
「ヤハウェ顕現体」と見ていたということでしょう。
これに対し、モーセに対するヤハウェ顕現を
「(仕える霊としての)天使による代行」と見なす流れもありました。
(使徒7:35など)
ヨハネ共同体にも同じような認識はあったはずで、
「キリスト=ヤハウェ」よりはむしろ
「キリスト=ヤハウェの使い(顕現体)」と見なしたと考えるのが
よいかと思います。
936 :
ボーダー住民 :02/02/04 09:17
>932ブルネルスさん >えーと、私はこのことについてあくまでもヨハネ思想を探っているだけの話でして、 >「常識的でない」とは、「ひょっとすると学問的に今まで知られていない知見を見つ >けつつあるのかも」という、いささかずうずうしい気持ちで言っているのです。 イメージ的には、私のスウェーデンボルグ的神概念とかなり似ているのですが、 >見えない神はヤハウェの背後 という表現は、もう一つはっきりしないように思います。 そんなことより、こんなところで発言して、著作権はいいんですか? これをコピーしてレポートだか、卒論だか書くって言っていた人いましたよ。
937 :
ボーダー住民 :02/02/04 09:46
>言ってみれば「父なる神はヤハウェに >は対応しない」とヨハネは考えているのではないか、 と言われるので、そのへんがちょっと。 ヤハウェに対応しない神がいて、どうやって、唯一神教が成立するのか。 著作権に障らない程度に。もしできれば。
>>937 あたし達の理解では、ブルネルスさんのそれはヤハウェに相当するわね。
そして逆に、ブルネルスさんの言っているヤハウェはアドナイに相当するわね。
>>933 dendo さん、おひさしぶりでした。なんか急に硬い話をし始めて、恐縮です。
たしかに、フィロンを念頭に置いています。以前、イエスを「神のエイコーン」と
するパウロの言葉を理解するのに、フィロンの創世記解釈が役に立って、パウロは
もちろんフィロンの追従者ではありませんが、ディアスポラの教養あるユダヤ人と
して、共通する解釈法を仮定すると、パウロのイエス理解の背景にある創世記解釈
が推定されたもんですから、今度もうまくいかないかと・・・皮算用中でした。
>>935 romさん、実に興味深い情報提供(というよりこれはご教示という
べきですね)をありがとうございました。
私が言及しようとしていたことは、まさにおっしゃるところの、
> 五書自体に「ヤハウェ」と「ヤハウェ顕現体」を区別する発想があり、
に該当するものと思われます。
だから、堅い線で主張すれば、おっしゃるように、
>「キリスト=ヤハウェ」よりはむしろ
>「キリスト=ヤハウェの使い(顕現体)」と見なしたと考えるのが
> よいかと思います。
ということなんでしょうね。ここからヨハネにおける対応を言い直せば、
父なる神:子なる神(イエス・キリスト)
=旧約のヤハウェ:旧約のヤハウェ顕現体 となるでしょう。
ただ、私はここから、そもそも旧約のヤハゥエは、人間に現れた神(つまり
顕現体こそヤハウェ)だとする理解が可能なのではないか、という考えを
なお捨て切れません。>次発言へ
>940 の続き: *rom さんご指摘の顕現体について:例えば、創世記18章でマムレの樫の 木のところでアブラハムに現れたヤハウェは、3人の人の一人として描か 顕現体でしょうが(あるいは後代になって三位一体の象徴のように3人を 見る立場からは3人まとめて顕現体?)、17章冒頭で抽象的に描かれる顕 現もまた顕現体なのではないでしょうか。さらに、出エジプト記3章の燃 える柴の中に現れたのは、2節では「ヤハウェのみ使い」、4節では「ヤ ハウェ」自身と記述されてますが、いずれにしてもヤハウェ顕現体に当た るのでしょうね。そのヤハウェ(顕現体)こそ、「私はある」と自らの 名を示したのでした。 *私が言いたいことは、「み使い」という表現をされてなくても、人に現 れ、語りかける場合、ヤハウェは顕現体として現れるしかないのではない か、ということです。 *そもそも「我あり」と名乗るのは、語りかける相手=人間があってこそ 意味あるのであって、そういう意味では、顕現体としてのヤハウェにこそ、 「我あり」という名は相応しい。 *あ、ここまで書いて分かりました。「見えない方の神はヤハウェではな いのではないか」という私の前言を撤回します。そう主張する必要はあり ませんでした。 *次のように言い直します:顕現体としてのヤハウェは、自らを「神」と し、「我有り」と名乗ります。が、その顕現体としてのヤハウェはしばし ば「ヤハウェのみ使い」と呼ばれることがあるということにヨハネ(グ ループ)は注目して、顕現体としてのヤハウェと、それを「遣わした」ヤ ハウェと、ヤハウェを二重化して理解する思想に至ったのではないか、と。 *繰り返すようですが、そもそもヤハウェは人々に語りかけ、関係をもっ てこそヤハウェです。だから、ヤハウェはほとんどヤハウェ顕現体として 登場するしかないのであり、人はその現われた神から、その背後に、遣わ した見えない神を想定するしかない、ということになるでしょう。 *ヨハネが、イエスを「我有り」の主体として描き、「聖書は私について 証言するものだ」、「私を見た者は父を見た」「私と父は一つ」等々と 発言した・・・といったことと、以上の理解とは整合的だろうと思います。
>>938 マリアさん
おっしゃることは分かります。940,941 はマリアさんへのレスでもあります。
で、
ヨハネ・グループがイエスを「主」と呼んだとき、彼らは旧約の「ヤハウェ」
を「アドナイ」と声に出して読んだ人々の思いに連なりつつ、あったのだろ
う、と思います。そういう理解のもとで、おっしゃることに同意します。
943 :
名無しさん@1周年 :02/02/04 18:35
>937 ボーダー住民さん、 以上の一連の発言によって、937の問いかけへのレスを兼ねさせていただ きます。 おかげさまで皆様と一緒に考えるということができまして、私にとっても 益となるやりとりができました。ありがとうございました >ALL (いや、これで終結したという意味ではありませんが)
945 :
ボーダー住民 :02/02/04 22:28
>944 ブルネルスさん うーん。なかなか。いいですね。 ありがとうございました。(論文できたら見たいですね。)
946 :
小さなヨハネ :02/02/04 22:55
皆さんのおかげで、このスレッドもついに900番台を迎えることが出来、大変 有り難うございました。ご協力に心より感謝申し上げます。少し早くて申し訳 ないのですが、新しいスレッド「主イエス・キリストは父なる神(その2)」 を立てました。今後ともどうぞよろしくお願い致します。
948 :
ボーダー住民 :02/02/07 16:48
お掃除屋さん いつも御苦労さまでございます。 こちらのスレッドは、大変有意義でした。ちょっと、余計なものを省いて整理してコピーするまで 消すの待ってくれる? ちょこちょこ書き込むからね。 ちょっとくらいなら、掃除屋さんが入ってもいいけど。
949 :
ボーダー住民 :02/02/11 08:17
ありがとうございました。もういつ消してもいいよ。
950 :
スエデンボルグのファン :02/02/14 04:08
三位一体『論』にこだわりすぎるのはどうかと思う。 スエデンボルグはそんなこと望まなかったはず。 霊界で主を父なる神と認めるのは、仁慈の実践。 仁慈の実践が霊界では英知となるわけですから。 この世で頭で主を神と認めても、仁愛に生きたのでなかったら、 霊界では愚者となり、主を神と認めることはなかったはずです。 逆にこの世で主を神と認めなくても、真に仁愛に生きたのなら、 それが、霊界では、主を神と認める英知となって救われたはず。 うろ覚えで書いてるので、間違ってたらごめんなさい。 でもスエデンボルグはそんな感じだったと思います。
>>950 新スレッド ↑
>>947 参照 に書き込みなおしたらいかが!
もうここには誰もこないよ
952 :
ボーダー住民 :02/02/14 17:57
>950 よう言うた! そんな感じじゃない、そのとおりだ。でも、もしよかったら、新しいスレッドにどうぞ
>951>952 申し訳ない。ウロ覚えで書いてて、自信なかったもんで。 ちゃんと読んでから、また新スレにカキコミし直します。
954 :
名無しさん@1周年 :02/03/10 05:21
キリストは神じゃないよ。
955 :
名無しさん@1周年 :02/03/10 05:25
キリストは、釈迦と同じ神界にすんでいる、神霊ですよ。 従って、この世界を創造した創造神は、別に居ますよ
956 :
名無しさん@1周年 :02/03/10 05:25
>キリストは神じゃないよ えっ、どうして?
957 :
名無しさん@1周年 :02/03/10 05:31
糞スレ上げるな
958 :
名無しさん@1周年 :02/03/28 00:02
959 :
名無しさん@1周年 :02/04/03 21:21
めでたし 聖寵満ち満てるマリア、主御身とともにまします。 御身は女のうちにて祝せられ、ご胎内の御子イエズスも 祝せられたもう。天主の御母聖マリア、罪人なるわれらのために、 今も臨終のときも祈り給え。アーメン。
960 :
名無しさん@1周年 :02/04/12 12:50
ageageageageageageageageageageageageageageageageageageage
961 :
名無しさん@1周年 :02/04/12 12:50
御本尊様を信じて南無妙法蓮華経と唱えれば、必ず幸せになれます。 南無妙法蓮華経の意味は分からなくても、信じて唱えれば功徳がでます。 ただし、御本尊様を誹謗中傷したら、必ず罰があたり、間違いなく身を滅ぼします。
962 :
名無しさん@1周年 :02/04/12 23:22
%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%
963 :
名無しさん@1周年 :02/04/14 14:40
age
964 :
名無しさん@1周年 :02/04/14 19:32
age
965 :
名無しさん@1周年 :02/04/14 20:52
age age age
イエスって流れ者の子供だろ? かあちゃんはヤリマン。 びっくり、でもないか。
967 :
名無しさん@1周年 :02/04/14 21:36
iuvyg48v79745g7@:@ob\,s9bg954s08bm ou567y9070gvk8mep:trmvs\tm[v45eb604m86 tiyuo9v578697790:v5\[dce5e5m\@ibg450 bv95876b/nrebi8ur05uiboptruyoidrt obvi5p0bm@5r@bitpiybir\pyd5piitmidt iby:568:biidrtpibp@tdriypidrtp:ib@ bpgyi5:0dbimd:@criy@pipcyiopdtriybp bo0p5du/bie7inm\dmifdyiptryb:nrd5\yi biu96n78:bsorrdbyt:irdo:pbitrimbfyt byi7;h/dir:pgiy\d@ibd@6ibupdytrpibuip b;ou56bmxir:ybdyig\r:ir@\ph\omd:pdy5mih7 biu5p04ibm\tro:pbid:rpot6ipibtrd:pib:prtu ibup0564dubptirpyirptiypfyphrdt:ibydp:r5ib5@4 bpo7:5d4:phb/hfocty@pid5phi@prtib@\di5b]imd bp80657;grtpoyrdto\ydort]b@otirp:bip@dti bi6ibmpdoihfitypip\fbiydmibmidrtbyhpd6u@ibd
968 :
名無しさん@1周年 :02/04/14 21:41
969 :
名無しさん@1周年 :02/04/14 21:54
urtri8485 4u69unv95 u97rdptbdb p/g-5-hl876/ g@oprb6unyu /6h/[n6n66\ b6n\un@o6n h56oon\6r]n n6\\nu\rnu
970 :
名無しさん@1周年 :02/04/14 22:13
pupupupupupupupupupu
971 :
名無しさん@1周年 :02/04/14 22:23
ΞΘΩΜΑΡΘΓΤΣΨΜΚΞΠΡΑΚΖΦΤΓΜΝΕ
972 :
名無しさん@1周年 :02/04/14 22:31
kjryi4y5v8 y5467viorytio uvgy986/i@\5\ 678i:br5oy@prb 7iu89/dbhipypir5 pb7086m/ndtyr/t@ 7iu8/dryt/b/byt: :i7:0b,hdr:ytpy/nt b7i86or/tofuy @6:8,oh//:ytbf@/ 78i9/o,ftyu:,o @687]i9ftypu@iy 709i8/ftty@un 87i9:6nio6p:57o8756 7069@6nr/ovyftf,p@n 67i8:n:6hk/i;rffbip i876nf/yigggnfuyt/nik 670i8nm::nfr6r/fb/;tu: 867in9/@fn,vty;i/nu,futf 8n60minf/@oytuno:n:\vb 7@68n6i@nfi/gyuinptinuif5 8n6i90f/b:tyou:n\ogvnyou@f6 n6@8iobtrpipytu
973 :
名無しさん@1周年 :02/04/14 22:54
あげ あげ あげ あげまくる
974 :
名無しさん@1周年 :02/04/14 23:03
yy48f7qc y45vuisr vjrovi vriet vjrtiy
975 :
名無しさん@1周年 :02/04/17 00:11
976 :
名無しさん@1周年 :02/04/17 00:16
Moccいいかげんにしろ。
977 :
名無しさん@1周年 :02/04/19 16:50
978 :
名無しさん@1周年 :02/04/20 22:38
979 :
名無しさん@1周年 :02/04/27 17:04
age
980 :
名無しさん@1周年 :02/05/01 23:16
age
age荒らしかい。。。 これでまたdat逝きが遠のくなあ。 1001まで一度埋めたほうが早いのかな。 倉庫送り制度復活を激しくきぼん。
意味もなく埋め草。 「字義通りの意味」……そですね、へい。文学テキストとして読むなら教授が おっしゃる通りで、ここは自分の思考にひきづられて飛躍した表現になってました。 Ex.3:2 で「主の使いが燃える柴の中にて現われる」 %Ex.3:1-2前半は時系列に沿って、というよりは、この挿話全体を総括して提示する %ものだと思われる。叙事詩の invocation ほど明確ではないが。 Ex.3:4 で微妙な叙述の変化があって、それ以降は燃える柴の中で話しているものは 「主の使い」ではなく「主」=「神」であるといわれる。 で Ex3:14で、その「神」は名を尋ねられ、「我あり」と答える…… 記述Beschreibung のレヴェルでいえることはたしかにここまでですね。 例の書きこみをしていたとき、無意識に美術史学的な寓意解釈戦略を念頭に おいてしまったせいもあり、つい筆がすべりました。つづく。
>>941 \footnote{
\begin{quote}
*そもそも「我あり」と名乗るのは、語りかける相手=人間があってこそ
意味あるのであって、
\end{quote}
なお、この箇所で、「神」は自発的に名乗ったわけではないことを留意すべき
だろう。神の名を問うモーセの問いに対する答えとして「我あり」は与えられている。
本論の範囲を超えるためここでは立ちいらないものの、この一連の応答と
Gen.32:29との比較は、創世記と出エジプト記における神概念の異同を
検討する上で重要な示唆を与えるように、筆者には思われる}
%以下ちと余談 M-x latex-region-comment-out
まーなんですか……
ちょうど、誰かが別の誰かの属性を思い計って、で、質問したつもりは
なかったのかもしれないけど答えと再質問をくらって、で自分が何者かを
告げざるをえなくなった……レヴェルは違うけど、同じようなことが起こ
ってるんだよね。
問われなければ答えはない。でも問われたからといって答えがいつもある
わけではない(ex. Gen.32:29)。旧約の神は基本的にあんまり返事してくれなさげ
なんだけど、詩篇とか見るとそうでもなさげなんだよね。神概念が変質して
くるのかな:-) つづく。
こんなスレが残っていたんですね。
>>984 そうなんですよ。。カトスレの羊さんとは別の方?
ともあれsage信仰ご協力ありがとう。
986 :
スレ通読ROM :02/05/02 00:13
あらためて読み返してみれば何ともマターリした平和的ムード。 それでも小ヨハネ氏にとってみれば 「折伏」が思うように進まず、ストレスたまりまくり。 しれが第3スレでバクハツしたというか……。 「邪悪な何者かが不正に自分を妨害している」という観念に 閉じこもってしまった。 今はどう思っているんだか。
なんだ、ここでもまだ書き込みが続いているのか。 これが、荒らし対策で、連続書き込み制限がどうしたとかいう協力もとめの やつね。 なるほど。同じことが起こっている。 ところで、神の沈黙ということが言われるけど、神は隠れていて、呼びかけても 応えない、ってえところがいいとこなんだ、と思うようになってしまった。 「あんまり返事してくれなさげ」はそうで、それに付け加えて 「だけど大事なとこで返事してくれることもある」となるか、 「結局やっぱし、返事はない」となるか。 キリスト教は前者を主張してるけどねえ。それって、隠れた、沈黙の神に 耐え切れなかくて、「顕れた、顕れた」って言ってしまったのでは? あ、これは埋めるのに協力せいとのお達しへの応答で、内容はないよう。
おとっと。ageちった。
さて、%
>>930-950 あたりで(ぉぃ)提出されているブルネルス説を、とりあえず踏襲する。
旧約の神は以下のように表現されている。
「(人に対して顕現する)ヤーウェ」
=「(有限な被造世界に対する、端的に神的なものとしての)神
\footnote{諸神の神、という表現も散見するが、これがたんなる修辞上の問題なのか、
周辺民族が有した多神教文化に対する意識的な優越性の主張なのか、は本小論の枠組を超えるので、
やはり立ちいらない。}」
=(イスラエル/諸国民を「僕」として規定する)「主」
ここで表現の相違は、「ヤーウェ」と世界との関係をどのように規定するかに
求められ、神の内部での構造を反映するものではないように思われる。
一方、キリスト教の三一性は、なるほど神と世界との関係規定を含みはするものの、
伝統的には、神の存在様態を原理的に規定するものとして理解されてきた。
我々はここに、ある断絶を見いだす。
\footnote{
おそらくこの断絶は、キリスト教を、
ユダヤ教やあるいは後に登場するイスラム教とわかつ決定的な相違であり、
それにくらべればナザレの大工が救世主かどうか、というのは副次的な問題
である。}
ヤハウェの使い=ヤハウェ(=ヤハウェ顕現体) という解釈に基づき、小さくないほうのヨハネは、イエスに「父が私を遣わした」 「私はある」「私と父とは一つである」等々の発言をさせた。 霊についてのヨハネの言及も律法=モーセ五書の解釈に基づいていると推定され。 してみると、後半に出てくる、慰め手という聖霊理解はどういうことになるか? 「慰める」という言葉の日本語としてもつニュアンスは、この語を私たちが理解 する際に、不適切な要素を持ち込んでいるのではないだろうか、などなど。 いつかまたやってみたい。
カトスレの羊です。
ブラウザが変で、名前欄の漢字がおかしくなるんです。変えました。
懐かしいですね。
>>987 顕われはほんとうは微妙なんですよ。W)
続きが読みたいので、現行スレno?でも続けてほしいですね
確かに神のあり方について三一論は語ってますわなあ。 だけど、それは結局子なる神だの聖霊だのを登場させてしまったので、それと 父との関係について規定しなけりゃならなくなったからで、 私のような立場からみれば、後知恵ですな。あまりたいしたこっちゃないよう な気がしたりして。まあ、見事に辻褄を合わせたけどね。大掛かりな装置でね。 でも、そうしたことは、自分が超越者に対してどういう態度をとるかという ことに比べたら、たいした問題ではないように思ったりして。
>>986 でしょ。個人的には宗教板議論系スレッドではまたーりの極致にあるスレだと思って
るんだけどねえ。。てのはおいといて。
しかしユダヤ教から発生してきたという歴史的事情は、キリスト教における
神概念を旧約に基づいて構成することを余儀なくした。少なくとも新約聖書の
記述に、その確信を読みこむことはあながち不当なことではないように思われる。
そうして、キリスト教徒はこの確信をいまでも捨ててはいない。
\footnote{旧約を放擲する試みがなかったわけではない。しかしそれは異端として
断罪され、かえってキリスト教が、旧約がおのれの源泉であるとの確信をより
強固にすることに繋がる。}
しかし、このキリスト教内部では意識されなかった断絶は、ユダヤ教における
旧約読解と、キリスト教における旧約読解との差異を、あるいは意識的に、
あるいは無意識的に%この辺、修辞。……埋められるにこしたことないが。
拡大することにつながった。
キリスト教が自らの出自としての旧約に適応した読解戦略は、キリスト教
においては「予型論」と呼ばれる。これは旧約の諸エピソードを「福音」
つまりイエスの生涯と死、および復活をあらかじめ予告する表現ないし
事象として解釈する読み方であり、たとえば先述の「燃える柴」は
柴=自然所産であるマリアが、神性=子なる神イエス・キリストを
後者の超越性によって損われることなく、というよりは同じく超越ではあるが
人間と神の間の関係性をつねに更新する「慰め主」としての聖霊に
よって胎内にはらむことを示している、と解釈される。
予型であるということは、「神が全てを無から創造した」からですね。
%994最終行、まだ考えがまとまってないけどとりあえずながす。 %あんまりいじめちゃやよ。でもつっこみ歓迎。 ところで、このような読み方は通例「象徴」といわれるが、キリスト教に おいてはすでに教理としての神の理念が与えられており、それを旧約の 個別表象に適応していく作業が行われている。%後だしじゃんけん、だね。 筆者はここでF.J.W.Schelling の用語法を踏襲し、このような対応関係に 基づいて成立した表象を「寓意」と呼ぶことにする。 %Schematismus,Allegorie,Symbolの区別があんのだ。 モーセ五書の編集者たちにとって、当該箇所が端的に神の顕現を現わす ものだったとすれば、キリスト教においては、これはある一時点における 神の顕現を現わすものであると共に、信経がいう「子が……聖霊と処女マリアによって人となる」 という事態の寓意的表現として与えられたものでもある。%N-Kだっけ?これ。 ところでシェリングは、キリスト教神話においては、子なる神イエスだけが 実在と観念がそのうちでは等しい表象、つまり「象徴」であり、あとのものは ことごとく「象徴的な表現」である、と主張する。%PdK、引用箇所めんどいからパス。
>>995 よくわかんない。本スレのほうで改めて説明してくれるとありがたし。
筆者はここで、有限的かつ時間的存在者であるマリアもまた「象徴的行動」
であるとされていることに注目する。シェリングにおいて、マリアは産出の
寓意であり、それは非物質的な意味での自然であるとされる。
象徴と寓意が厳密に別れたのは近代になってからでは
999です
それではみなさん、いずれまた……
1001 :
1001 :
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