>>827それも文字通りにはとらないという法則があってね・・・。
829 :
名無しさん@1周年:02/03/22 09:59
>>790 http://www.mag2.com/ http://www.mag2.com/crecre/ >>826 マリアさん、皆さん
>自分達から見れば自分達のものは正統。
>しかし、他から見ればそれは正統ではない。
>しかし、両者のものはよく調べてみれば同じようなことを言っている。
>スウェーデンボルグには、このような考え方がないのなら、
>やはりそれは、特に新しい考え方ではないわけ。
こんな極論を真に受けられて判断されて、悔しいです。
まことのスウェーデンボルグは、各宗教の自立を尊重しています。
まことのスウェーデンボルグは、各宗教の自立を尊重しています。
まことのスウェーデンボルグは、各宗教の自立を尊重しています。
スウェーデンボルグ本人は、誰にも改宗を求めませんでした。
スウェーデンボルグの救済論は大きく分けて2段階、もう一つ分けると3段階になっています。
小さなヨハネさんは、その中のキリストによる救いだけしか救いがないかのように説いています。
しかし、他宗教によっても救いがあります。
スウェーデンボルグ自身は、キリスト教ですから、彼の説いたキリスト教による救いが一番に来るのは
当然です。しかし、キリスト教と自称するキリスト教の中で、スウェーデンボルグほどはっきり
他宗教による救いの有効性を語っているキリスト教はないのではないかと思います。
この際はっきり言っときます!
ここで語られているのは、聖母が神格化され、救いの門が極端に狭い
スウェーデンボルグを自分勝手に応用した「小さなヨハネ教」という新しい宗教です。
聖母が偶像化されて出てくるだけでも、全くスウェーデンボルグ主義とは言えないのに、
自分の半端な理解を押し付けて、スウェーデンボルグを名乗るとは何事か。
830 :
名無しさん@1周年:02/03/22 11:27
スウェーデンボルグでは「連結」ということを言います。
すなわち、自分が信仰を持つ対象と内的に連結して、その対象から影響を受けると
いいます。これを「流入」といいます。
「流入」にもいろいろあり、被造物は、一般恩寵として常にある種の神からの命の
流入を得ていますが、キリストを救い主として信じることにより、さらに積極的に、
キリストの完成された人格の影響を「流入」され、それによって、個人の人格の改善
を達成することを救いとします。
三位一体が嫌われているのは、日本神道的三位一体論とは関係なく、父と子と聖霊
が別神格であるとする理解により、実質的に人の心に三人の神が神像として、人の心
に描かれてしまうことを問題としています。
人間は、弱いもので、「三位一体の神は一人」と言っていても、父とか子とか、人
間に模した表現がなされていることから、これに具体性を持たせると、三人の神にな
ってしまう可能性を否定できないことを問題としています。神はお一人なので、心に
三人の神の像を描いた信者に答えようとしても、他の二神格については、実質上空席
で、そこに他の霊が入り込んで、それと連結し、キリストの人格からの影響力に被害
を及ぼす可能性を懸念します。
831 :
名無しさん@1周年:02/03/22 11:28
さて、目下のところ問題は日本神道ではなく、小さなヨハネさんです。
小さなヨハネさんは、イエスを主としながら、実質上聖母マリアも偶像として持って
おり、主イエスに連結しながら、聖母マリアにも連結しています。聖母マリアを愛し
ておられる方には申し訳ありませんが、スウェーデンボルグによれば、聖母マリアは
主イエスの救済計画のために主イエスに遺伝悪を授与した者、単なる人間です。
よって、小さなヨハネさんは、主イエスを信じて連結すれば、主イエスから正しい
流入を得ますが、聖母と連結しているときには、聖なる人格ではなく遺伝悪の流入
を得ることになります。
霊の感動によって語っているとしても、二つの霊によって語ることになり、その一
つは罪ある人間性です。
それが、小さなヨハネさんの本来持っている、人の説を勝手に自己流に解釈し直し
ても平気という肉と相応し、勝手にスウェーデンボルグを曲解して、このような異
端的な宣教を展開することを良しとすることになっているとしてもおかしくありま
せん。
と言っても、どうせ本人には分からないのですが、本人以外の方には分かって頂けれ
ばと思います。よろしくお願いいたします。
小さなヨハネさんに、主の憐れみを祈ります。
832 :
名無しさん@1周年:02/03/22 11:45
小さなヨハネよ
「死に至るまで忠実であれ」とは、
自分の思い込みを死に至らせても、不愉快な思いをあえてしても、
自分の勝手な信念を捨てて、語られている師の理解のもとに
自我を没してみよということではないのか。
>>829あたしがここで出してきた話は、
母の家の伝承で神道のものではないのよ。
他の民を見て判断する時に、魔性のものかそうでないものかを
見分けるために用いた技法なのだけどね。
聖母マリアはカトリックでも神格化はされていない。
彼女はその信仰が素晴らしかったために、
ヤハウェは彼女に御一人子を与えた。というのが東方説。
西方説では、マリアは無原罪であり新しいエバとなった女性。
とは捉えるけど、それもやはり信仰深い人という捉えね。
>>830スウェーデンボルグのその考え方は、
悪いけどやはり足りていないわ。人だからそれでいいけどね。
あたしも足りているわけではないからね。
三位一体論を悪いというのは、
それはスウェーデンボルグの見解だということね。
父と子と聖霊は役割は違うが、同じ神であるといっているわけ。
イエズスは人として現れ、彼自身が父という神があり、
人の子という自分が在るといっているからよ。
何故彼が自分のことを神と呼ばないかというと、
それは人でいる内は人だからなのよ。
自分のことを神という人がいるなら、その人は怪しいわけよ。
神道理解の三位一体論は、三柱論といって、
三柱の神よりこの世の色んな神々(存在=もの)が生まれていった。
ということになっていくわけ。それは、すぐにどこかへ隠れたの。
現在の科学の仮説と非常に良く似た話が、そこに描かれているのよ。
神道の神系譜は、進化を示すものだからね。
途中までは無性生殖だけど、途中からは女神と男神が産まれるの。
>>831イエズスの母マリアに関する考え方は、
プロテスタントの考え方の進化系ね。
初代教会では、彼女は発言は何もしなかったけど、
イエズスの母=師の母ということで一定の信頼を得ていたらしいわ。
だから、余計に彼女は何も発言しなかったらしいけどね。
母マリアは女性だから、逆にユダヤでいうところの
地の属性として考えられているから、従順な女性として描かれる。
地は、天のものを無条件で何でも受け入れるからね。
あたしも別の意味で、集落のことは滅多に発言しないわよ。
あたしはこの土地では神を現す者だから。
この土地の人から見れば、あたしは天皇さんに次ぐ存在よ。
雲の上の人よ。
だけど、そこには共通点もあるわ。人からの信頼は重いということよ。
その点、あたしには2ちゃんねるという逃れ場があるけどね。
そこから考えると、マリアの出現というのは
地母神が化けたものであろう?と考えてしまうのだけど、
神というのは、その人、その時代が
求めるものに応じた姿に変化するということ。
新しくて古いあの神が出現する準備ね。
スウェーデンボルグは、そのつなぎのために神に用いられた人かもね。
836 :
小さなヨハネ:02/03/22 23:15
>>829-
>>831さん
スウェーデンボルグ読者からのご批判を歓迎致します。私は皆さんが出て来てくださる
ことを待っていました。このスレッドは私の個人的な色彩が強く、皆さんが発言しにく
だろうなと、申し訳なく思っていました。できればスウェーデンボルグ・スレッドとい
う公式なスレッドを立てることが出来ればと考えていました。そうすれば、スウェーデ
ンボルグ読者の方が自由に発言でき、また一般の方のご質問も受けられるだろうと思っ
たからです。ただ私にはそれを維持をする任でもないので躊躇していました。しかし
あなたのような方がたくさんいらっしゃれば、可能だと思います。いかが思われますか?
837 :
名無しさん@1周年:02/03/22 23:18
>>836あなたはそうやって、またスウェーデンボルグをいいように利用するだけなのだ。
838 :
小さなヨハネ:02/03/22 23:21
>>829さん
メルマガの記事ありがとうございました。
839 :
名無しさん@1周年:02/03/22 23:22
メルマガをどうぞおやり下さい。期待してます。
840 :
小さなヨハネ:02/03/22 23:26
>>837 名前:名無しさん@1周年 さん
>
>>836あなたはそうやって、またスウェーデンボルグをいいように利用する
>だけなのだ。
ははは。また明日お願いします。
841 :
名無しさん@1周年:02/03/22 23:28
了解。
842 :
小さなヨハネ:02/03/22 23:42
マリアさんもたくさん書いて下さって有り難うございます。
843 :
名無しさん@1周年:02/03/22 23:43
好きに解釈してくれていいですよ。マリアさんのは。
844 :
小さなヨハネ:02/03/23 12:49
>>843 :名無しさん@1周年
>好きに解釈してくれていいですよ。マリアさんのは。
・・・・?
845 :
小さなヨハネ:02/03/23 12:59
>>839 名前:名無しさん@1周年
>メルマガをどうぞおやり下さい。期待してます。
私はメルマガというのより、2チャンネルの方がよりオープンで簡単そうで
好きなのです。
846 :
小さなヨハネ:02/03/23 13:09
>>829 :名無しさん@1周年
>スウェーデンボルグの救済論は大きく分けて2段階、もう一つ分けると3段階に
>なっています。
すみません。皆さんにも分からないと思いますし、私にも復習の意味でご説明して
いただけませんか?具体的に何を指しておっしゃっているのか私も分かりません。
847 :
小さなヨハネ:02/03/23 13:22
>>829 :名無しさん@1周年
>小さなヨハネさんは、その中のキリストによる救いだけしか救いがないかのように
>説いています。しかし、他宗教によっても救いがあります。
私は、キリストによる救いだけしかないと申し上げたことはありません。他宗教で
も救われるとスウェーデンボルグも明言していますし、私も、きっとそうだろうと
思います。
>しかし、キリスト教と自称するキリスト教の中で、スウェーデンボルグほどはっき
>り他宗教による救いの有効性を語っているキリスト教はないのではないかと思いま
>す。
・・・全く同感です。
848 :
小さなヨハネ:02/03/23 13:35
>>829 :名無しさん@1周年
>ここで語られているのは、聖母が神格化され、救いの門が極端に狭いスウェーデン
>ボルグを自分勝手に応用した「小さなヨハネ教」という新しい宗教です。
>聖母が偶像化されて出てくるだけでも、全くスウェーデンボルグ主義とは言えない
>のに、自分の半端な理解を押し付けて、スウェーデンボルグを名乗るとは何事か。
私は聖母を神格化していません。神は主イエス・キリストお一人です。聖母は人間
です。しかし、聖母には、これまでに秘されて来た特殊な意味があると考えています。
それについてはおいおい述べさせていただきたいと思います。
ご指摘のように、私は「スウェーデンボルグのみ」主義ではありません。ですから、
スウェーデンボルグを基礎としていますが、従来の意味の「スウェーデンボルグ主
義者」ではないと思います。特に聖母に関してその通りです。
849 :
名無しさん@1周年:02/03/23 16:41
「新しい天」はキリスト教徒から発している新しい天界であり、「新しいエルサレ
ム」は、地上の新しい教会であって、これはかの新しい天界と一つのものとなって
活動するのである。
「子羊」は神的な人間的なもの[神的人間性または神の人間性]の方面の主である。
このことに若干解説のために附加しよう。そのキリスト教天界は古代の諸天界の下
に存在している。その中へ、主がおられた時から、一人の神を三人格の下に拝する
と同時に、三人の神を考えはしなかった者たちが入れられたのであるが、これは三
人格の単一性が全キリスト教界に受け入れられているためである。
しかし、主の人間的なもの[人間性]を他の人間の人間的なものとしか考えなかっ
た者らは新しいエルサレムの信仰を、すなわち、主がただ一人の神であられて、そ
の中に三一性が存在しているという信仰を受けることができなかったのである。こ
れらの者らはそうした理由から分離されて、辺境へ追われたのである。
以上は、スウェーデンボルグによる黙示録解説の中の文章です。
読みづらくて申し訳ありませんが、ぜひお読みください。天国に入る人々について
述べられています。スウェーデンボルグは、三位一体論は、正確に神像を捉えたも
のではないが、では、そのゆえに三位一体論を持っている人々は天国に入れないか
と言うとそうとは言っていません。
850 :
名無しさん@1周年:02/03/23 16:42
「三人格の単一性が全キリスト教界に受け入れられているため」、主の在世当時
以降、三位一体論を持った人々が天国から除外されるならば、天国には誰ひとり入
ることができないという、現代の神学事情をご存知であり、そのような論議よりも、
信仰により善を実行する人々を得ることを本質としておられるため、三位一体論を
もって神を愛する人々も、イエス=ヤハウェ論をもって神を愛する人々も、天国に
は受け入れられていると述べているのです。
この辺りを、小さなヨハネさんはどのように読んでおられるのでしょうか。ある
いは読んでおられないかもしれません。
ですから、現代において、三位一体論が問題で天国に入れないようなことはあり
ません。もっとも、これを頑迷に三神と捉えてゆずらなかった一部の人々は無理で
あったと解釈できるような記述は他にあります。また、イエスを人間であると捉え
ている人にも、天国の門は開かれるのは難しいとあるのですが、それも、他の箇所
と並べて読むと、また、天国への可能性はあると解釈できます。
ただ、神概念を修正することによって、その人の信仰姿勢に影響の出ることはあ
ります。
そのことを、先日申しました。
851 :
名無しさん@1周年:02/03/23 16:43
もし、三位一体が本当に問題で、人が天国に入れないとしたら、主は、真面目に
キリスト教会に集っている人すべてに天国を約束すると言いながら、全人類を欺い
てきたのであって、それはもう愛の神とは程遠い悪魔の仕業です。もし三位一体が
本当に問題であるならば、この2000年間、キリスト教会を愛すると言って愛と
奇跡の業を行ない続けて来られた神は何だったのでしょうか。
よって、三位一体かどうかを宣教することは、スウェーデンボルグの本論からは
外れています。神は、今更、現代人に三位一体云々を語るよりも、さらに重要な問
題、すなわち本当に信仰を実行する気があるかどうか、人間の善良であるか否かに
着目しておられます。
ですから、もちろんキリスト教会以外の方々にも、善良であるか否かを、重要な
こととしておられると解釈するのが普通のスウェーデンボルグの読みかたであると
理解しています。
852 :
dendo.:02/03/23 23:22
>一人の神
形容矛盾では。一柱とか一体とか他の単位使えないの?
853 :
名無しさん@1周年:02/03/23 23:24
揚げ足とるな。
854 :
小さなヨハネ:02/03/24 00:40
>>850 :名無しさん@1周年
>この辺りを、小さなヨハネさんはどのように読んでおられるのでしょうか。ある
いは読んでおられないかもしれません。
これは、「啓示による黙示録解説」でしょうか?実は私は「啓示による黙示録解説」
は読んでおりません。「黙示録講解」の方を読んだので、そちらは後回しにしたきり、
そのままとなってしまいました。もしよろしければ何番か教えてください。手元には
持っています。
おっしゃるご趣旨は「三位一体論の人間でも、主を三人の神として拝せず、一人の
神として拝して、善良に信仰を実行した人は天界へ入れる」ということかと思いま
す。それは全くその通りです。そのことは、しばしばスウェーデンボルグは言って
います。
私は、それなら最初から三位一体を正確に把握したらもっと良いではないかと言っ
ているだけです。そのために主はわざわざスウェーデンボルグに聖言の内意を明ら
かに啓示されたのではないですか?
でも、
855 :
名無しさん@1周年:02/03/24 00:56
悪いけど、スウェーデンボルグ主義者の理論も限界ありだね。
それはイェースス・クリストゥスという枠に囚われているから。
その枠を取っ払えば簡単な話しなんだが
キリスト教というペトロの権威とパウロの教義が
作り出したものからはやはり逃れられなかったようだ。
スウェーデンボルグが言わんとしていることは
古くからのカトリック教会の見解とあまり変わらないわけだよ。
あそこはその昔に仏陀を聖人と認めていたくらいだからね。
カトリック教会は真理を持っている。
ただし他の宗教にも真理のいくつかはある。
他の宗教であるからといって救われないということは無い。
・・・昔からカトリック教会はこう考えているわけさ。
三位一体論への批判もどういうわけか
カト・プロの三位一体論と言っていることは結論は同じ。
でも違うのは地上に現れたイエスが御父自身であると言っていること。
聖書に記述に沿う「神の言がイエス」という見解のカト・プロとは違う。
神道ならもっと正確にヤハウェを理解することが出来る。
マリアさんがよく引き合いに出すミカの預言書の一説は良いね。
「全ての民は皆自分の神の名によって歩むが
私達は(神聖至高なる)主なる神の名によって歩む」
(神聖至高なる)主なる神とこの「自分の神」とは
一見切り離しているが同義語であるという暗示とも見ることが出来る。
ここに神道の相対化させる神観を導入すれば
スウェーデンボルグが分かっていて
キリスト教であったために書けなかったことが現れて来るわけだ。
856 :
小さなヨハネ:02/03/24 00:56
>>768 : :さん
>自分では従っているつもりだろうが、相当、面汚しされた。
>スウェーデンボルグをただの宗教にするなの。
>そういう人間しかできないから、この理論は世に伝わらない。
>本当は、封印されて然るべきなのです。
>スウェーデンボルグは、自分の説は、いずれ世に広まるだろうと予想した。
>しかし、200年以上たっても、この通りだ。
>どんな預言が当たっているとしても、これだけは外れている。
>今後も広まる可能性はない。それは、神が見て、広めないことをよしとされた
>からなのだ。
それはおかしいと思います。主がなぜ封印されるべきものをわざわざスウェーデン
ボルグに啓示されたのですか?神のなさることに目的のないことは一つも無いはず
です。それが「神の摂理」ではないですか?
スウェーデンボルクは、聖絶についてどう考えているのだろうか?
858 :
名無しさん@1周年:02/03/24 01:04
>>852一柱は一人と同じ意味。
ユダヤの神観とキリスト教の三位一体の神と
神道の造化三柱神は良く似た意味があるね。何故だろうね?不思議。
859 :
小さなヨハネ:02/03/24 01:06
>>855 名前:名無しさん@1周年 悪いけど、スウェーデンボルグ主義者の
>理論も限界ありだね。
>それはイェースス・クリストゥスという枠に囚われているから。
>その枠を取っ払えば簡単な話しなんだが
>キリスト教というペトロの権威とパウロの教義が
>作り出したものからはやはり逃れられなかったようだ。
>スウェーデンボルグが言わんとしていることは
>古くからのカトリック教会の見解とあまり変わらないわけだよ。
>あそこはその昔に仏陀を聖人と認めていたくらいだからね。
・・・?
あなたが何をおっしゃりたいのか、さっぱり分かりません。
カトリックが釈迦を聖人と認めていた(?!)こととスウェーデンボルグと
何の関係があるのですか?
860 :
小さなヨハネ:02/03/24 01:09
>>857 名前:T氏の落書き ◆RSrQg8hk さん
>スウェーデンボルクは、聖絶についてどう考えているのだろうか?
すみません。「聖絶」というのは何ですか?
861 :
名無しさん@1周年:02/03/24 01:25
>>859分からない?君達スウェーデンボルグ主義者は、
基本的にカトリックと大して何も変わらないことを言っているのに、
自分達がさもカトリックより上位にいると勘違いしているということ。
君達より上位にいるのは、まともな教えとなら相対化できる
神道の神観だということ。
>>860落書きなんかほっとけ。
殺人に美学を感じている害基地だから。
862 :
小さなヨハネ:02/03/24 10:30
>>861 :名無しさん@1周年
>
>>859分からない?君達スウェーデンボルグ主義者は、
>基本的にカトリックと大して何も変わらないことを言っているのに、
>自分達がさもカトリックより上位にいると勘違いしているということ。
>君達より上位にいるのは、まともな教えとなら相対化できる
>神道の神観だということ。
ええ、本当に何をおっしゃっているのか訳が分かりません。
それと、率直な感想ですけれど、私などどうでもいいですが、私のように理解
力も表現力も無い者の言うことでスウェーデンボルグを判断されるのは間違
いの元だと思います。やはり原典をお読みになった方が確実です。せめて「真
の基督教」くらいは。そして、もしあなたが学者であって、学者としてスウェ
ーデンボルグについて批判されるなら、「天界の秘義」を通読しなければ、お
話にならないだろうと思います。なぜなら、スウェーデンボルグの真価は「表象
・相応」の解説にあると思うからです。それには「天界の秘義」を読まなければ
なりません。
しかし、それによって得られるものは計り知れません。新しい発見が必ずその中に
あるでしょう。人の話で間接的に知って、スウェーデンボルグをコメントしたりす
ると、後で赤恥を掻くことになるような気がします。それはあなたもそうですし、
マリアさん(偽?)も同様です。
we'll go to next sled.
865 :
小さなヨハネ:02/03/24 11:19
>>864 :名無しさん@1周年
>>682 >「天国と地獄」はどうですか。
・・・うーん。スウェーデンボルグの基督教を批判なさるなら「真の基督教」が
良いかなと思ったのです。「天界と地獄」も神を信じられなくて、死ぬのが怖い
人には最適かもしれませんね。
すみません、これからお花見に行ってきます・・・。
866 :
名無しさん@1周年:02/03/24 12:36
false:you write 〜
↓
true:you cannot write〜
sorry.
868 :
名無しさん@1周年:02/03/24 13:50
>>862残念ながら、どこををどう読んでもでも
カトリック説を基準に神道の息吹を入れた程度の説でしかないからだよ。
日本人にはそんな説を超えたものを知っているから流行らない。
マリアのようにユダヤからカトリックの伝承に馴染んだ後に
神道の伝承の中で生きる人間には非常に中途半端に見えることだろう。
山里に隠れ住んでいるせいか本屋もないのかも知れないが、
読む気もせずに宗教マニアに基本を解説して貰うとは、
もはや得るものがそこに無いということを知っているのかもね?
スウェーデンボルグの説は最終ではないのさ。
彼は人であるのでその「人の理解の限界」を示している書であるわけさ。
「パウルスは地獄にいる」とかも平気で言っているが、
それがどういう意味が考えたことがあるかね?
彼もまだユダヤ・キリスト教的な「神の代理として人を裁いても良い」から
逃れられなかったということさ。
彼の理論はキリスト教から見ても中途半端だし、
神道から見ても中途半端となる。
一見中庸に見えるが、そうでもない。
全ての宗教をキリスト教化しようとする旧約の魔神の謀略だよ。
他を凌駕したいと狙い他を潰してきた悪しき神。
イェーススはその妬む神からの解放者だった。
しかしパウルスを使ってまた元の妬む神を
愛の神として拝むように仕向けたのだよ。
スウェーデンボルグはこれに反発して振りをしているが同じだよ。
869 :
小さなヨハネ:02/03/24 20:55
>>866 :名無しさん@1周年
>i build the 3rd sled.
・・・ありがとうございます。まだ800番台なのに申し訳ありません。
了解しました。早速移ります。
>>868 :名無しさん@1周年
>残念ながら、どこををどう読んでもカトリック説を基準に神道の息吹を
>入れた程度の説でしかないからだよ。
おお、では、何を読まれてそうおっしゃるのか、新しいスレッドでお聞か
せください。
870 :
名無しさん@1周年:02/03/25 07:29
>>836 >あなたのような方がたくさんいらっしゃれば、可能だと思います。いかが思われますか?
たくさんいません。
>>852 dendo.さん
実は、近頃このスレッドを読んでいて一つ分かったことがあります。
三位一体そのものが問題なのではないということです。
神とは、一人なのか、一柱なのか、一体なのか。
ヨハネ君には、そのような高度なことは分かっていません…。か?
>>853さん、
>>852のご指摘は、実に話の的を突いた疑問、揚げ足ではないです。
少なくとも、この場ではそうです。
スウェーデンボルグの主張は三位をもって表わされる神は「一人」だということを執拗に強調しているのです。
なんか、すごくわかってきちゃったなぁ。ふむふむ。
神道ではおそらく、三位をもって表わされる神は「不可知の存在」だから、柱のような抽象的な存在なのだ。
キリスト教理では「一体」つまり一グループ的一体。
>>856 >私は、それなら最初から三位一体を正確に把握したらもっと良いではないかと言っているだけです。
もしそれを把握させることができるとしたら、神はとっくに君のようなあまりわかっていない人ではなくて
もっとわかりやすくものを言える人々を遣わしていると思います。
もし本当に神が説得したかったら、マザーテレサにもキング牧師にも語らせていました。
単に議論を引き起こして、宗教の本質を分からなくさせ、人心の改良に悪影響を与えると判断されたから、
神は、2000年の間、これを説得することを放棄されて、三位一体を受け入れる人を天国に入れることにされたのです。
あなたのような人が、ごちゃごちゃ言うと、ただでさえ宗教的でない人々は、
議論を見ただけで信仰を求めることを嫌うのです。かえって躓きになるのです。
あまり宣教の経験がないからわからないのでしょう。
871 :
名無しさん@1周年:02/03/25 09:25
>>856 >それはおかしいと思います。主がなぜ封印されるべきものをわざわざスウェーデン
>ボルグに啓示されたのですか?神のなさることに目的のないことは一つも無いはず
>です。それが「神の摂理」ではないですか?
神の摂理によって、あなたのようなキリスト教会の教理では理解しない人のために、あるいは、
論争好きな宗教の内には、真理を見出す気になれない人たちのために、神はスウェーデンボルグを用いたのです。
キリスト教会が世に躓きを与えていることは事実であって、そのために聖書やキリストには興味があっても
神を求めることのできない人々で、スウェーデンボルグであればキリストを神と認めることのできる人々のために
与えられたのです。50億人のうち5万人を救えたのです。その他の人々には、その他の宗教があります。
あなたは、昔、信仰を持たなかった時代に、このような論争をしている人々を見て、
その人々の内の誰かの主張する宗教は絶対的に真理なのだと思って、
その人々の内の誰かの主張の中から真理を見つけようとして、その論争の行方を真剣に見つめましたか?
それとも、なんだか善行をして、なんとなく仲良くやっている集団を見て、その人々に好意を持ちましたか?
その人々が本当に愛しあっているのを見たら、それがキリストの弟子の証拠です。
とヨハネの福音書で、主は言われていますね。
スウェーデンボルグの教えは、むしろすべての宗教論争を止めさせるものです。
もし、あなたが他の宗教を持っている人を尊敬していると言われるなら
なぜ尊敬している人に説教するのですか? 私は、尊敬している人に説教している人を、
見たことがありません。尊敬できるかできないか、よく分かりもしない人々にどうして説教するのですか?
信仰を持っていない人のために語るのなら、信仰を持っている人を当て馬にするようなことをするべきですか?
自分のしていることが、有効に未信者の心を打つと思っていますか? もし自分ならどうですか?
872 :
名無しさん@1周年:02/03/25 11:18
私が、スウェーデンボルグの書を読んで欲しくないと思うのは、
一つには、それがあまりにも、既成キリスト教に対して批判的過ぎるからです。
このスレッドに出てきた極端な人たちを見たでしょう。
キリスト教会の内情を知らずにスウェーデンボルグだけを読む人は、あのような錯覚に陥って当然です。
あなたも、心の中では、キリスト教会とはひどいところだと思っているのではないですか?
スウェーデンボルグのキリスト教会批判は、キリスト教会への憎しみを形成するに十分です。
憎んでいなかった人にも、新たに憎しみを持たせるものです。
スウェーデンボルグの時代は、確かに、彼の言うところの最後の審判の時代だったのです。
キリスト教会がにっちもさっちも行かない、裁かれる以外にない時代を批判しているのです。
ある人間が10代に非行少年だったとしても、それを反省して立派な社会人になることはよくあることです。
それを、いくつになっても、10代のことばかりでその人を判断するべきではないでしょう。
自分が薩摩の出身なら、平成の世になっても、長州と手を組んで政府を倒すことを目論むでしょうか。
時代錯誤なスウェーデンボルグ読者は、キリスト教会2000年に変わらず存在する、決定的な悪の巣窟と判断します。
自己批判と反省のために、キリスト教会の人間がそれを読むならよろしい。
キリストなきキリスト教会時代のために、スウェーデンボルグは書いたのです。
しかし、教会外の人には、ただ、知らないものへの憎しみを募らせるだけなのです。
それを読むには、ちゃんとした指導の下に読まなければならないのです。
しかし、日本にはそれほどの指導者はいません。
アルカナから出ている三冊の説教集計156篇には、三位一体論を批判攻撃したテーマのものはありません。
873 :
名無しさん@1周年:02/03/25 11:52
その他にも問題はあります。
人間の心について、記述が厳密過ぎるのです。
「××であることを、△△であるかのように本心から考えて、それを心から○○するべきである」
という具合に、信仰的心理学を語っているところがたくさんあります。
それは本当なのですが、現実的には、そう書いてあることは、実行が大変むずかしいのです。
あなたも、スウェーデンボルグを読んだだけでは、自分の心に何の変化もなく、
ただ苦しんだだけだと言っておられました。
たとえば、「人の顔にはこういう筋肉がこのように付いていて、笑う時にはどの筋肉がどのように動く」
と、演劇の基礎で習うそうです。ところが、人間の微妙な笑いを表現する時には、どの筋肉を動かそう考えるよりも、
その筋肉のことを考えるよりも、その状況で笑うことを本気で考えた方が、ずっと正確に簡単に笑えるのです。
スウェーデンボルグの記述は、人の心が「だいたいこんなもの」ということを考えていないように思えます。
その記述にこだわりすぎると、かえって自然な心のあり方を阻害し、
わかっているようで、何かモノになっていない、それでいて、理屈だけでは分かったような
おかしな人間性を演出するように思えます。
信仰心を持って、あとで反省するには、とても良いと思います。
しかし、信仰を持つ前に、あのような心理学を提示されたら、
私なら、信仰を持つことはできなかっただろうと思います。
874 :
名無しさん@1周年:02/03/25 15:30
>>870ユダヤ教も神は柱なんだよ。エロヒムは柱の数で数える。
ヤハウェの柱とアドナイの柱とエロヒムの柱で主なる神となるんだ。
この柱は重層的複数形であるということなんだよ。
ヤハウェ・エロイとアドナイ・エロイとエロヒム・エロイで神になる。
キリスト教の三位一体説も父という柱と子という柱と聖霊という柱で
天主という理解を示す。
もっとも小さなヨハネさんには分からない話だし、
時代遅れの過去の遺物でしょうがねぇ・・・。
スウェーデンボルグは説からは、
彼自身がキリスト教の三位一体論について
理解していないから三位一体を退けているようにしか読めないね。
同じことを言っているのに違うと言っている訳だし、
私がキリスト教徒だったら???が飛んでしまう。
そういうわけで中途半端。
>>869どこをどう読んでもキリスト教の域からも出ていない。
また、神道の概念をちょっと拝借しているだけの域からも出ない。
ヤハウェであるアドナイなるエロヒムは、
イエスでもあり、全ての神であるという説ではないからね。
まずスウェーデンボルグのイエスありきであって、
他の神はその下位に存在するという説だから、
これは従来のキリスト教徒ほとんど変わりは無い。
まともに考えたら分かってくるはずさ。
スウェーデンボルグのイエスも、
キリスト教の三位一体の神も、
ヤハウェであるアドナイなるエロヒムも、
釈迦と話をしたブラフマンも、神道の造化三柱の神も、
みんな同じ存在を指しているってことさ。
同じだけど違い、違うけど同じ。そういうことなのさ。
875 :
dendo.:02/03/25 16:42
>スウェーデンボルグの主張は三位をもって表わされる神は「一人」だということを執拗に強調しているのです。
スヴェドボリはちゃんと読んでないからウロ覚えなんだけど
彼自身の表現は"unum"じゃなかったっけ。
柳瀬訳がどうだったかは覚えてない。
ただキリストの人性を三一性自体に適応してその存在様態を理解してるとすると
「一人」という表現になるだろうということは御指摘でふと思へり。
キリストは人性持ってるけど、三位一体の一位格としてはもちろん神なんだよね。
神であり人であるのであって、神そのもの(聖三者)が人になっているわけじゃないのだ。
でもそれを認めたくない人々は古代にもいたし、いまもいる(やうだ)。
おそらくこれからもいるだろう。
私としてはキリスト教や西洋哲学史に疎い人がうっかりこのスレを見て
「へーそうなんだ。なるほど」(ぽん)
とか騙されなければそれで満足です:)
876 :
小さなヨハネ:02/03/26 07:09
>>875 :dendo. さん
>神であり人であるのであって、神そのもの(聖三者)が人になっているわけじゃな
>いのだ。
いいえ、違います。神そのものが人になられたのです。では、dendoさん、下記の
高橋司祭の文章に反論してください。
>478 :小さなヨハネ :02/03/06 00:37
>しかし、このことはギリシャ正教でも言われるようです。『ギリシャ正教』
>/高橋保行司祭著/講談社学術文庫を読んだ限りですが、例えばキリスト
>のことを「唯一の神が、天より降り人となった」(/P215)、「知ること
>のできぬ神が人となり、イエスと呼ばれてこの世に住み」、「アブラハム、
>イサク、ヤコブの神、あってある者、生ける者の神が、人との交わりの
>ために、あえて人となり、みずからを人に知ることのできる神とした」
>(同P242)と言います。
>さらに、
>「神父(かみちち)の右手に座したというこの条項は、キリストが神の
>『利き手』であることを意味している/右手は器用さを表すから、神の
>右手に座すという表現はキリストが神の力をもつ者であることを明らか
>にする」(同P34)とも言っています。
>私の理解が正しいかは疑問ですが、スウェーデンボルグの言っている
>こととほぼ同じように思え、驚きました。
877 :
名無しさん@1周年:
>>875 dendo.さん
どのへんを読まれました? unumって何?
てか、私もどこかにポケット版のラテン語辞書があるんですが、
別に勉強するために買ったんじゃなくて、合唱団にいたころ、
ラテン語の歌を解釈するので買ったんですよね。とほほ。
>>874 これまでのところがキリスト教理解から出ない、というのは、
そういうところまでしかまだ語られていないからでしょう。
スウェーデンボルグは、「神とは人間だ」と言っていますよね。
「神こそ真の人間だ」とね。この辺はどうですか? 普通のキリスト教?
これは、実にはっきりと明言されているんですが、これはもう論証の域を出ます。
いや、私ごときの稚拙な理解力には、です。
三位一体かどうか、神が人間かどうか、人間とはどういう意味か、
多分、小さなヨハネさんも、あなたに納得のいく説明をしてくれないです。
信じるか信じないか、イエスかノーか、押し問答の世界がこれからも延々と続き、
その中で、彼はただ、自分の信仰告白をこの場でしていくのです。
彼はそのためにこのスレッドを立てたのです。
人の話を聞くためにではなく、自分の話をするために。
しかし、信仰とはまた、そういう面もあるわけで、それが彼の持ち味なのです。