1 :
厨房 :
2001/06/11(月) 10:22
ちなみに、前スレでいただいた、皆様からの有り難い意見のうちには、 下記のような興味深いものもあったように記憶します。 ・イスラムやキリストが入る前は支那には哲学がなかった。 ・「万物は水である」は「哲学」だが、陰陽五行説は「迷信」だ。 ・「東洋思想」のような得体の知れないものは「哲学」とはいえない。 ・中国思想は論理を捨てている。非論理的だから「哲学」ではない。
3 :
ななし :2001/06/11(月) 12:04
哲学の定義の問題でしょう。
4 :
1です。 :2001/06/11(月) 12:20
そういう議論も、旧スレでありました。 「ギリシャ起源のものでないと哲学とは認められない」 とか、 「論理的な議論がなければ哲学とは認められない」 とか。 もし前者が「哲学」の定義なら絶望ですが。
5 :
電波男Ψ(´д`)Ψ :2001/06/11(月) 14:04
>>4 後者は必要条件でしょう。
もっとも判断基準の置き方、捉え方に差異があるでしょうが、論理的思考
を遵守する姿勢があれば、「判断基準」や「価値」自体が議論の対象になり、
発展した理論が展開されることでしょう。
遁走天国児童さんには意味不明でしょうが。
6 :
ななし :2001/06/11(月) 14:05
>>3 議論の内容をギリシャを源にする西洋哲学と、いわゆる中国
哲学の同質性を論じるというように問題を言い直してみれば
如何。
7 :
ななし :2001/06/11(月) 14:13
>>5 定義など人によってマチマチ。
だから定義の話は下らんから止めろ。
またバカがでてきた。
8 :
にいななさん :2001/06/11(月) 15:47
>>7 定義が人によってマチマチだと議論ができない。
だからある程度みんなが納得できる定義を話そう。
またバカがでてきた。
>>5 ,8
だからさ、本題に絡めてよ。
中国哲学に明るく無いんだったら他でやってよ。
10 :
電波男Ψ(´д`)Ψ :2001/06/11(月) 16:29
>>7 定義付け作業は議論の前提だろ?お前小学校の社会科から勉強しなおせ。
だれも同じ定義付けしろとは言っていない。その作業が無いと前に進まん
だろ?
もういいからハクチは逝っちゃえ!!
11 :
電波男Ψ(´д`)Ψ :2001/06/11(月) 16:34
>>9 そういうお前は中国哲学に明るいのか。
中国哲学に絡めてないじゃないか。お前こそ他所へいけ。
#「中国哲学」と書いてて違和感がある。西洋哲学の流れで、哲学者が
自ら意識するものとはまったく違うものがある。中国思想の中での哲学
的傾向とでも言うべきか。
12 :
電波男Ψ(´д`)Ψ :2001/06/11(月) 16:40
例えば、インドの論理学を受けて中国で極度に発展した「因明学」と 言うものが玄奘三蔵以降の法相に存在する。 認識論を根幹にすえた概念学、論証学、誤謬論としてまだまだ研究の 余地が残っている。それは哲学と呼んで差し支えないだろう。インド の影響を受けているが、明らかに中国で特化された部分が多く、再ト レース出来ないものである。 これを語るのにも定義づけは必要なんだけどな。わかるかい?>ハクチ君
13 :
ななし :2001/06/11(月) 17:15
>>12 またバカがほざいてらあ。
「因明学」とかぬかしてもお前が教科書で名前を知ってるだけ
の請け売りだろう。
請け売りの知識で定義付けしたつもりになるな。
14 :
ななし :2001/06/11(月) 17:17
このスレは問題の立て方が悪い。 結局入り口の定義付けで終わるな。
15 :
名無し組 :2001/06/11(月) 17:18
>>13 なぜそんな事が解るんだい?お前は超能力者か?
内容で反論しろ。まだこのスレでの定義付けは終わってないんだよ。
このあほ。
16 :
名無し組 :2001/06/11(月) 17:22
じゃ、「因明学」について一歩踏み込んで見ろ。おまえの脳味噌では 無理だろうけどな。
17 :
ななし :2001/06/11(月) 17:47
18 :
電波男Ψ(´д`)Ψ :2001/06/11(月) 18:04
19 :
ななし :2001/06/11(月) 19:18
>>18 微妙な言い方だな。
日本語訳も解説書もほとんどない分野だぜ。
自分で原文を読んで
>例えば、インドの論理学を受けて中国で極度に発展した・・・
>・・・玄奘三蔵以降の法相に存在する。
というようなところまで確認したなら大したもんだ。
玄奘三蔵以降の法相に存在する・・ってどこで確認したんだ?
え?、どうだ。
どうせ請け売りだろうが。
20 :
☆☆楊貴妃(ようきひ)☆☆ :2001/06/11(月) 19:34
21 :
☆☆楊貴妃(ようきひ)☆☆ :2001/06/11(月) 19:45
22 :
電波男Ψ(´д`)Ψ :2001/06/11(月) 21:18
>>19 この分野の専門家ではそんなこと常識です。
玄奘三蔵がインドから持ち帰ったサンスクリットの翻訳で
インドの仏教論理学者でディグナーガの学説を注釈したものに skt nAyapraveSka『因明入正理論』があります。中国の法相宗ではこれを因明学の基本に据え、様々な注釈、解説書が誕生した。しかし、サンスクリットを理解するものが途絶えた後、本義からだんだん離れ、独自性が強まってしまいました。
この論理学の特徴は
1 ものごとの論証と批判が他人をして十全に理解させる手段
2 直接知覚と推論は自分が理解する手段
という出発点にあります。
インドの論理学の特徴として主張命題、理由命題、比喩命題の3つが列挙されるが、この書物は理由命題についての妥当性を考察し、新しい視点を見出したのがこの書物であります。
わたしはインド哲学、特に仏教の認識論、存在論、論理学が専攻であり、基礎作業としては文献学です。サンスクリット諸本、チベット訳諸本、漢訳諸本はじめマヌスクリプトを校合して読み進めますが、当然それぞれの地域、年代における注釈にも当たります。玄奘の翻訳関係や中国の法相宗での注釈にはインドでは散逸した資料を見出すことも出来、非常に貴重なのです。一方では玄奘の翻訳ミスも指摘することになりますが。
ま、インド論理学が玄奘始め、法相学の伝統から中国思想に与えた影響は大きいのです。論理的にものを考えようとする学問的潮流が生まれたのですから。でも、神秘主義や直感に走りやすい中国人たちはその後、次第にその傾向から離れていきます。
23 :
電波男Ψ(´д`)Ψ :2001/06/11(月) 21:20
あ、確認したのは大蔵経を始めとして色んな原典です。
24 :
電波男Ψ(´д`)Ψ :2001/06/11(月) 21:41
訂正 nAyapraveSka → niAyapraveSka
25 :
名無し組 :2001/06/11(月) 21:59
>>19 こら、糞がき。教科書的知識とか、受け売りとか言って人を中傷
してんじゃねーぞ。
27 :
下等恥的生物を尽く抹殺する者 :2001/06/11(月) 22:29
>>26 おやおや、俺が前に馬鹿にした奴が
見事に術中にはまったか。真性馬鹿だな
28 :
ななし :2001/06/12(火) 00:36
>>22 専門の一部にしちゃ随分詳しいな。しかしなんのことはない
みんなの教科書か百科事典からの抜き書きじゃねえか。
お前自信で調べて納得したもんじゃない。だからどれもお前
の言葉で語ってない。どれも請け売りばかりだ。
原点当たったそうだが、解説なしで漢文の仏典がよめる
のかい?そんな人間は日本でも何人もいやしないぜ。
それができるんならお前は当代の大学者さまだな。うそこく
じゃねねえぞ。
学者先生の書いた本の目次を覚えただけで偉そうなことい
うな。もうお前の請け売りにはみんなうんざりしてるぜ。
もう出てくるな。バカやろうが。
29 :
林黛玉 :2001/06/12(火) 01:09
いいなあ・・・電波男さん・・・印哲出身なんですか〜♪ 大蔵経持ってます〜♪(一冊だけ〜♪)それにしても大正 大蔵経の下についている字の異同はどこまで信用していい んでしょうか?とか・・・明版の大蔵経とか元版の大蔵経 とか見に行きたいなあ・・・(しみじみ) 関係ない話をしてすんまそん この辺を詳しくお願いします。 >でも、神秘主義や直感に走りやすい中国人たちはその後、次 >第にその傾向から離れていきます。 これは漢代の讖緯思想とか六朝時代に流行った清談とか道教の ことを指すのでしょうか?それとも、中国仏教の頓悟のことで しょうか?????(王安石とかくらいになると違うかなあと 思う・・・でも専門じゃないので・・・鋳鉄・・・) 玄奘といっているので、唐代以降の哲学を指しているのでしょ うけれども・・・神秘思想かなあと些か疑問に思います(印象 批評)。 楊貴妃さん・・・中国語間違えてます・・・・(しおしお〜) 形容詞述語文には「是」は同居しない・・・それから楊貴妃 玄宗皇帝のお嫁さんになる前に一度道観(道教のお寺)に入っ て出家してるから・・・あなたこそがもうすでに「タオ」ぐら い分かっていらっしゃるのでは(接して漏らさずとか・・・)。 でもやっぱ、何を以てか哲学と曰はん・・・と思います。1さ んのお考えになる「哲学」とか疑問に思う経緯などをお聞かせ 願えたら僥倖に思う次第。
30 :
林黛玉 :2001/06/12(火) 01:19
灯台の法学部の先生で確か儒教の近代性について論じてらっしゃったものがあった なあ・・・(時間があれば探しなおしてきます)。
31 :
名無し組 :2001/06/12(火) 04:08
>>28 だったら教科書か、百科事典を示して見ろよ。この世界、原典読むのに
解説書いるのか?おまえ、馬鹿じゃねーの?漢文ぐらいたて読み、新聞
読み出来ないでインド哲学できるかい。
おまえ、本当におもろないから逝っちゃえ。原典を読めないばかりか、
あまつさえ、原典読むのに解説いると憚るやつなんざ、学問の風上に
も置けない。
氏ね。
32 :
電波男Ψ(´д`)Ψ :2001/06/12(火) 04:40
31は私です。
>>29 現在、容易に確認できるのは高麗版だけです。その他は文脈文意から妥当性
を推測して信用する以外ありません。
私の言う神秘学的傾向とは道教などが根付いてしまう中国の土壌そのものです。
仏教が伝来され、学問的傾向とは別な秘儀参入的な神秘主義的な密教は大いに
受け入れられ、道教の形成にも大きな影響を与え、そして相互に関連しあって
います。(この密教というのは真言宗と同義語ではありません)頓悟もその文
脈で現れたのでしょう。インド仏教の本質(偶有的属性を排除して構成要件の
性質を抽象するという意味での本質)からは頓悟は導き出せません。これには
カマラシーラ(インド、チベット)と大乘和尚(中国の禅僧)との大論争が残っ
ています。
玄奘は純粋な学問仏教でインド仏教からの逸脱を阻止しようと言うのが自身に課
せた大使命でしたが、時の流れと中国の土壌には勝てませんでした。
「我的中文是太幼稚」と言ってるぐらいだから是があっても、的がぬけていても
許してあげましょうや。
>原点当たったそうだが、解説なしで漢文の仏典がよめる
>のかい?そんな人間は日本でも何人もいやしないぜ。
こんな馬鹿なこと言ってるやつよりよっぽどマシだと思いますよ。
われわれの水準では、返り点付き高校生読みでは学問的精度が出せない
ばかりか時間の無駄です。こいつはそれさえ出来ないみたいですけど。
漢訳仏典は非常に読みやすいですね。サンスクリットの助辞(正確には
格変化)からの影響があり、純漢文での読み取りにくい格関係で悩む必
要がないから、どんどん読めます。
33 :
電波男Ψ(´д`)Ψ :2001/06/12(火) 04:43
あ、定義がとか学者先生と言ってるところを見ると、研究者じゃない ようだからただの馬鹿だったんだ。内容的なコメントもないしね。 こんな奴に反応していた自分に自己嫌悪。
34 :
考える名無しさん :2001/06/12(火) 08:53
35 :
にいななさん :2001/06/12(火) 09:06
>原点当たったそうだが、解説なしで漢文の仏典がよめる >のかい?そんな人間は日本でも何人もいやしないぜ。 激しくワラタ。 どうやら、日本で漢文を読んでる人は、 何人もいない「よめる」人間の解説を ただ引用しているだけみたいです。 自分が漢文よめないからって、他人も 自分と同じくらいの読解力しかないとは 思いこまない方がいいですよ。
36 :
考える名無しさん :2001/06/12(火) 11:27
>>35 >自分が漢文よめないからって、他人も
>自分と同じくらいの読解力しかないとは
>思いこまない方がいいですよ。
お前はバカだな。本場の中国人も意味が判らないから
古来色々な注釈書があるんだぜ。
37 :
電波男Ψ(´д`)Ψ :2001/06/12(火) 11:36
>>36 お前こそ馬鹿。中国撰述の注釈書の性格を知らないのか?仏典に限って言えば
自説を補強するために我田引水注釈するのが特徴だ。
漢訳仏典が読めない?意味がわからない?そんな奴は中国思想をする資格が無い。
現在、本場の中国人の漢文能力が低いのは否めないけどね。
漢訳仏典の語学的、言語学的、文献資料学的なものを理解しているのか?
これ以上馬鹿晒す前に逝っちゃえ。
あ、それとな、ぼくちゃんはその「解説書」を沢山書いてるんだけどね。
現代語訳とかもね。もちろん論文のほうが多いけど。(ワラ
38 :
電波男Ψ(´д`)Ψ :2001/06/12(火) 11:38
補足。 「解説書」を著述しているといっても、学界では下っ端だよ。
39 :
電波男Ψ(´д`)Ψ :2001/06/12(火) 11:40
>>36 お前、にいなさんの中国思想に関する見識が解らないのか?ぼくちゃんは
彼(彼女)のレスを3つ読んだだけでお前の数百倍というのが解ったぜ。
40 :
ニイ(2)ナナ(7)サン(3) :2001/06/12(火) 12:41
>>39 私「にいななさん」は、旧スレの「273」(男)です。
ジャコバイトさんに「『考える名無しさん』では区別がつかない」と
指摘されたので、コレハン代わりに「273」を使ってましたが、
新スレで「273」だと混乱するので、この「名前:」使いました。
まあ、前スレでコテンパンにされたからって、急遽別の名前
(「ななし」とか)を使うよりはマシかな、ということで
お許し下さい。
ちなみに印哲にはズブの素人です。
女でもネカマでのないので、誤解なきよう願います。
41 :
考える名無しさん :2001/06/12(火) 12:59
>>37 >あ、それとな、ぼくちゃんはその「解説書」を沢山書いてるんだけどね。
>現代語訳とかもね。もちろん論文のほうが多いけど。(ワラ
その世界で解説書を書いて需要があるとは驚いた。
誰が読むんだ?
どうせデタラメだろう。
しかし沢山解説書書いてるなら人物特定できるな。
どこのバカだか調べようか。
42 :
考える名無しさん :2001/06/12(火) 13:07
>>41 すこし理屈っぽい創価信者なら有り難がって買うんじゃないか。
読まなくても飾って置くだけ。
43 :
電波男Ψ(´д`)Ψ :2001/06/12(火) 13:43
> その世界で解説書を書いて需要があるとは驚いた。 > 誰が読むんだ? あなた、ほんとうに素人さんなんですね。 なんだか読んでいて悲しくなってきました。 素人さんだから悪いとはいいませんが、 素人が専門家に対して、その専門分野のことでケチつけても、 滑稽なだけですよ。よほどしっかりしたバックボーンが無いと。 「あんた弁護士で、法律の説明書もたくさん書いてるんだって? どうせ法律のことなんか、何もわかってないんだろ。 あんたの事務所に需要があるとは驚いた。 あんたの言ってることなんか、どうせデタラメだろう。」
45 :
考える名無しさん :2001/06/12(火) 14:15
>>43 お前は、精神病院からアクセスしてないか?。
病名:精神分裂症
症状:誇大妄想と虚言
そのうち「オレは親鸞の生まれ変わりだ」なんて言い出しそうだな。
46 :
続き :2001/06/12(火) 14:15
少なくとも、他人の書いたものを読みもせずに 「どうせデタラメだろう。」と発言できる方は、 他人から「どうせこんな奴、最低限の常識も 持ち合わせていないだろう。」と思われても しかたありませんね。 まあそういう方でしたらしようがないし、 そういう方が生存しておられることには 反対しませんから、せめて他人の仕事を 見もせずに全否定することはやめて下さい。 私の仕事が否定されたわけではないので 「失礼だ」とは言いませんが、やっぱり 見ていて不愉快です。
47 :
44=46=にいななさん :2001/06/12(火) 14:18
>>45 >オレは親鸞の生まれ変わりだ
ってのは精神分裂だか誇大妄想かもしれんが、
>アンチ創価学会だ。
ってのは別に誇大妄想でも何でもないだろ。
他人が言ってもいないことを印象づけて
議論すりかえようとするんじゃないよ。
48 :
考える名無しさん :2001/06/12(火) 14:26
>>44 >「あんた弁護士で、法律の説明書もたくさん書いてるんだって?
> どうせ法律のことなんか、何もわかってないんだろ。
> あんたの事務所に需要があるとは驚いた。
> あんたの言ってることなんか、どうせデタラメだろう。」
バ〜カ、バ〜カ。この例えばなしで不合理性を指摘したつもりかよ。
49 :
にいななさん :2001/06/12(火) 15:25
別に、不合理性を指摘したつもりはないのですがね。
「読んでいて悲しくなってきました」「滑稽なだけですよ」と
言っただけです。それとも「情けない」「みっともない」と
言い換えましょうか?
譬え(「例え」じゃありませんよ)話ではなく、事実だけで説明しましょうか。
「あ、それとな、ぼくちゃんはその「解説書」を沢山書いてるんだけどね。」(
>>37 )
↓
「(読みもせずに)どうせデタラメだろう。」(
>>41 )
ってのは、みっともなくはないのですか?だったら、
「みっともなくはない。私が電波男さんを非難するのは正しい」
ということを、きちんと「合理的に」指摘して下さい。
「バ〜カ、バ〜カ。」ではなく。
相手の話も聞かずに「バ〜カ、バ〜カ。」と唱えるだけなら、
遁走天国児童さんにでも できますよ?
50 :
考える名無し :2001/06/12(火) 16:43
>>49 >相手の話も聞かずに「バ〜カ、バ〜カ。」と唱えるだけなら、
>遁走天国児童さんにでも できますよ?
2chでだ、匿名のどこの誰かわからんやつが「オレは研究者だ」
「解説書まで沢山書いた」などとぬかしてもだれが信じるものか。
2chで信じてもらえるのは、発言の態度、内容が真実らしいとき
だけだ。教科書か百科事典から書き抜いてきたようなカキコを誰が
信じるかよ。
そんな話に乗るのはお前みたいなバカだけだぜ。
51 :
ジャコバイト :2001/06/12(火) 16:55
およよ、4日ぶりに見ようと思ったら、前の掲示板が閉鎖されててびっくりした。 でも、また活発にやってるようで、今後が楽しみ。 因明学の話は、中村元さんの、「韓国・チベットの仏教」(だったけ?題名がうろおぼえ)でも、例に出されてるよね。 玄奘が自分の宗派が優れてることを論証した時の言葉を分析して、相手が前提にしていないことを述べて自らの優越性の証拠にしてるのは論理的になっていない、とかそんな内容の思惟を因明学が展開した、って話しで、これはヨーロッパと比較しても遜色の無い自分の頭で論理的に考えたものだと思う。 だから、因明学は哲学の名に値すると思う。 ただし、中村元も、因明学はインドから伝わる過程で、なぜか中国ではさっぱり受容されず、チベットと韓国において受容・発展させられた、ってこと言ってたよね?
52 :
電波男Ψ(´д`)Ψ :2001/06/12(火) 16:57
>>50 だから、、内容で反論して見ろよ。待ってるんだぜ、ぼくちゃんは。
それにな、少しでも「かんがえる訓練」したことある人はもうお前の
浅さを見切ってるんだよ。
ぼくちゃんの発言のどこが教科書、百科事典だ?指摘してミロや?
今回は「百科事典的」と言ってないよな、てめーは。
53 :
ジャコバイト :2001/06/12(火) 16:59
それと、もう一言。 せっかく、この掲示板も再スタートしたわけだから、ルールとマナーの感覚の無い人は来ないで欲しいと思う。 中国思想が哲学の名に値すると思ってる人も、思ってない人も、誠ある人ならばどちらであれわけのわからない戯言は述べないと思う。 洋の東西を問わず、誠実さと礼儀は美徳であり、それを欠く人は恥ずかしいものと思うが。
54 :
無名人 :2001/06/12(火) 17:16
やっぱり電波男Ψ(´д`)Ψ=273 か? >ぼくちゃんの発言のどこが教科書、百科事典だ?指摘してミロや? >今回は「百科事典的」と言ってないよな、てめーは。 到底学者や研究者のカキコとは思えない。発想が273さんと 酷似している。
55 :
電波男Ψ(´д`)Ψ :2001/06/12(火) 17:24
>>51 中村先生は因明学(因明学といった場合、中国日本の法相論理学を示す)の研究は触りの部分だけの紹介でその後の展開を研究しておられません。
因明学では論証学と論争学が未分化になっている部分もあり、注意が必要です。きっちりした線引きは出来るのですが、その努力を怠ってきた法相の責任もあるでしょう。
西洋論理学との対比問題ですが、紀元前の仏教内部ですでにテトラレンマが存在し、2.3世紀でアポーハ論が登場してきます。この時点で副産物として多価値論も展開されるのです。仏教の弱点は宗教色があったがために、「釈尊の言葉」には逆らえなかったのです。表向きにはですが。スコラ哲学の「信仰要件だから」というのと同じですね。
それが理由命題の研究者を輩出する背景にもなるのです。仏教の論理学は信仰要件を排除すると冷徹な論理性が見出せます。それでも残る贅肉は時空の特殊性というご愛嬌です。
多価値を見出した仏教が理由命題を研究すればどうなるかは想像に難くないでしょう。未発掘の資料が因明関係、サンスクリット資料、チベット仏典に多く埋もれています。現代論理学の研究者とインド哲学研究者の共同作業で無いと新しい展開は望めないでしょう。
残念ながら私は論理学より、存在論認識論のほうが専門なのです。存在論認識論こそが論理学そのものだと言う声もありますが。
56 :
電波男Ψ(´д`)Ψ :2001/06/12(火) 17:26
>>54 誰がお前を批判しても同じ内容になるということだ。
それだけお前が腐っているという証左だ。
自覚しろ。
>>54 (=
>>41 だという前提で。そっちも他人を自作自演呼ばわりするから、いいよね?)
旧スレの273です。
が、
私は電波男さんではありません。
> 2chで信じてもらえるのは、発言の態度・内容が真実らしいとき
> だけだ。教科書か百科事典から書き抜いてきたようなカキコを誰が
> 信じるかよ。
そこまで解っているのに、どうして自分は「発言の態度・内容」で勝負せず、
ただ相手を「バカ」呼ばわりする「態度」だけで押し通そうとするのですか?
それとも、自分は他人の発言内容を「態度・内容」で判断するけど、
他人は自分のことを信じないといけないのですか?
電波男さんが本当に研究者なのか、本当に本を書いているのか、それは
全くわかりませんが、少なくとも、あなたが見知らぬ他人を「バカ」呼ばわりし、
他人の著書を読みもしないで「デタラメだろう」と決めつける、その程度の、
言ってしまえば「程度の低い人間」だということはわかります。それは
あなたのいう「発言の態度・内容」から、明白にわかります。
さて、信用できる「内容」で反論して下さい。「やっぱお前はバカだ」ではなく。
58 :
ジャコバイト :2001/06/12(火) 19:48
>55 勉強になりました。ありがとうございます。
○「哲学」の定義について 無視されるかもしれませんが、やはりわたしとしては「哲学」の定義について少し 考えるべきではないかと思います。 で、辞書の引用で嗤われるかもしれませんが、専門は哲学関係ではないのでご容赦 いただきたい。 岩波の『哲学・思想事典』から引用します。なおこの項目の書き手は渡邊二郎氏で す 〈哲 学〉 むろん、哲学を広く〈人生観〉(Lebensanschauung)および〈世界観〉 (Weltanschauung)の全般にわたる諸思想の意と解すれば、それが古くか ら東洋でもインド・中国・日本において仏教・儒教・道教その他の諸思潮 となって展開されてきたことは言うまでもない。けれども現代においては、 とりわけ西洋哲学に由来する厳格な論理性において追究される、統一的全 体的な人生観・世界観・の〈理論的基礎〉の知的探求が、哲学の根本性格 を成すものと世界各国で考えられていることは、間違いのないところであ ろう。(次のスレッドに続く)
60 :
林黛玉 :2001/06/13(水) 00:01
したがって、いかに人生観・世界観が広く宗教・芸術・道徳等の うちで表明されるにはしても、やはり哲学は、たんなる宗教的〈信 仰〉や、芸術的〈直感〉や、道徳的〈行為〉と異なり、あくまで首 尾一貫した〈論理〉的追究の態度によって、できるだけ広く文化・ 学問・科学・歴史・社会の諸領域をも巻き込みつつ、人間と世界の あり方をその根本から統一全体的に省みる人生観・世界観の〈理論 的基礎〉の知的探求と言わねばならない。哲学は事柄をその根本か ら本質的に考察する知的探求をその特色とするのである。 (以上)
61 :
林黛玉 :2001/06/13(水) 00:26
以上、岩波の『哲学・思想事典』から引用しました。これに従うもよし、 たたき台にするもよし、一度、1さんの考える「哲学」とか他の方の考 えている「哲学」というのもお聞かせ願えたらと思います。 さて、少し儒教について言及したいと思います。 今、記憶に頼って書いていますが、確か溝口雄三先生が儒教について、 次のようなことをおっしゃられていたようなのです。要は儒教といっ ても、様々な内容を包括しているということなのですが。例えば、そ れは「国家統治」であり「学問探究」であり「倫理道徳」であり、原 始的な儒教に遡れば「シャーマニズム」であり・・・と現代から見れ ば様々な側面を持っています。宗教色の濃い部分も多々あります。そ のような側面を多々持っている「儒教」を「哲学」の枠で括ることに 対して違和感を覚えるのは当然かもしれません。 さて、みなさま如何でしょう?中国哲学は哲学なのかという問いには、 今日における有用性にまつわるものも有りましたよね。 それに関しては以前にジャコバイトさんが日本の近代化のために(そ もそも、日本は近代化したのかという問いの答えは誰にもなされてい ませんが)、儒教を切り捨てたというような発言があったかと思いま す。そのことに関してなのですが、中国の近代化(……)においては、 一時期儒教は否定されるのですが、革命成立後、儒教はもう一度取り 込まれて近代化の前進に役立てられる(例えば人民の倫理規定など) ということを述べた論文が、灯台の法学部の先生が書かれていたよう に思います。 これによれば、中国においては儒教もむしろ近代化の一助を担っている ということになります。
62 :
林黛玉 :2001/06/13(水) 00:39
話を「哲学とは」に戻しますが、渡邊氏の言に従えば、〈哲学〉にも狭
義のものと広義のものがあるということになるのでしょうか?
中国哲学と呼ばれている範疇には現代で言うところの論理的な部分はな
いかもしれませんが、哲学を〈人生観〉や〈世界観〉にまで広げたなら
ば、中国哲学にも人生観や世界観について述べている記述は膨大にある
と思います。
それから中国哲学の現代における有用性ですが・・・易や道教の練丹な
どの思想がユングに影響を与えたのは有名。あと湯川秀樹博士も『荘子』
に着想を得てノーベル賞をとったというのも有名。
今のところはこのようなことを考えています。ではおやすみなさい。
それから
>>34 さん、わたしは電波男さんではありませぬ(別に信じても
らえなくともかまいませんが)。
63 :
名無し :2001/06/13(水) 02:06
273=電波男Ψ(´д`)Ψ=林黛玉 全部自作自演 新書か文庫本から抜き書きしたような話ばかり
64 :
名無し :2001/06/13(水) 02:14
旧スレは、やはり妨害のせいでアクセス不能のなったようだな。
65 :
名無し :2001/06/13(水) 02:17
>>57 にいななさん=273は、旧スレで自作自演がバレた前科者。
おはようございます。
>>63 〜
>>65 「名無し」さん、ハンドルを変えまくるくらいなら、固定して下さい。
それとも、相手の混乱を誘う手法とか、言うだけ言って逃げる手法ですか?
ええと、私(旧スレ273)は、電波男さんでも林黛玉さんでもありません。
「旧スレで自作自演がバレた前科者。」でもありません。
まあ、あなたにとっては、「こいつは自作自演に違いない」とあなたが
思った時点で、「自作自演がバレた」ことになるんでしょうね。
なにせ「〜と思う。」と「〜だ。」との区別が、今だについておられないんですから。
で、他の方はともかく、少なくとも私はまだ待っているのですが、
信用できる「内容」で反論を、お願いできませんでしょうか。(
>>57 )
「こいつはバカだ。」「こいつらは自作自演だ。」という根も葉もない罵倒や
「本から抜き書きしたんだろう」という思いこみで反撃するのではなく。
また万一、「内容で反論できない」or「反論するつもりがない」のでしたら、
待っている私を可哀想だと思って、ひとこと「おまえには反論しない」と
カキコをお願いします。
67 :
普段はROM :2001/06/13(水) 12:51
>>66 >「旧スレで自作自演がバレた前科者。」でもありません。
それなり興味をもって旧スレを見ていたが、議論が妙な方向に
いったと思ったら急にアクセス不能になっていた。
たしかにあなたは273と考える名無しさんの両方で発言していた
ことは、あなたハンドルをまちがえてUPしたときに認めていた
と記憶する。旧スレが過去ログに整理されればわかることだから
いまさら自作自演は否定できまい。それを敢えて否定するようで
は、旧スレへの妨害は、あなたの仕業ではないのかという疑いを
まねくことになる。幸いここは匿名掲示板だから全く新しいハン
ドルで出直したらどうだろう。
68 :
考える名無しさん :2001/06/13(水) 13:05
>>67 なんか勘違いしてない。
名前を空欄のままカキコすると全部考える
名無しさんになるようだよ。
69 :
考える名無しさん :2001/06/13(水) 13:37
>>68 しかしcookieをONしないとUPできないから一度ハンドル
を書き込めば記憶されるはずだぞ。少なくともIEならば。
ハンドルを切り替えるときにまちがえて空欄でUPしたんじ
ゃないか?もし違ってたらゴメン。
70 :
ジャコバイト :2001/06/13(水) 15:10
>61,62 林黛玉さんへ その辞典の哲学の定義、叩き台にするのに賛成です! んで、やっぱり、「論理性」ってのが一つの基準になるべきと思うわけね。 広義の定義だと「思想」と変わらないと思う。その場合は「思想」という用語を使う方がいいと思う。 そもそも「哲学」って言葉自体、西周が「philosophy」の翻訳でつくった言葉だし、「哲学」と「思想」ときちんと分けて言葉を使っていく方が便利だと思う。 それと、中国が最近儒教を肯定し、教育でも教えてるっての、俺も知り合いから聞いたりしてるし、事実とは認めるよ。 だけど、それが近代化を促進してるとは、他の事実をしめしてくれなきゃ認められない。 ハンチントンも中華圏の文明のことを「儒教文明圏」と呼んだりして、当の中国人自体がそれにのっかって儒教を中心に文明圏をつくろうって考えたりする動きが最近あるみたいだけど、そんなことをやってたら、また中国は没落すると思う。 日本が近代化に成功したのは、福沢諭吉らによる儒教の克服があってのことだし、戦後台湾や韓国が近代化に成功したのも日本の植民地時代に儒教がある程度破壊されて法治主義と市場が育ってたからと思う。 最近の中国が経済発展してるのも、やはり儒教が、戦後の革命と文革で破壊されたあとであることに注目すべきではないかい? 儒教のどこがダメだかは話せば長くなるからまた別の機会にさせてもらうけど、結論を先に言えば、近代国家の繁栄には何のたしにもならん思想と思うよ。 ユングが中国や西洋の神秘思想に影響を受けてるのは事実だし、そういった人間の心の深層を考えてく際は昔の中国・インドの智恵がけっこう役に立つだろうことは俺は何も否定してないし、むしろ賛成する。 けど、ユングがそれを確かめていったやりかたは、やっぱり西洋科学的な、実験・臨床だよね。 あと、湯川さんが老荘にも詳しくて影響受けてるのは別に否定しないけど(兄さんたちは大体東洋思想の研究者だしね)、でもその業績がやっぱり西洋科学の先端にのかってることを考えれば、近代日本の「西洋化」があっての業績なんじゃない? つまり、老荘っていうよりかは西洋科学だってこと。 日本が、湯川さんや南方熊楠みたいに、西洋科学を十分消化したうえで、東洋の発想を使ってオリジナリティを生み出すことは俺は何も否定しないし、むしろ望んでいる。 ただ、その前には、西洋をしっかり勉強しとかないといかんし、やっぱりその前提として儒教の批判・廃棄が不可欠と思うわけよ。
71 :
電波男Ψ(´д`)Ψ :2001/06/13(水) 16:37
>>70 >んで、やっぱり、「論理性」ってのが一つの基準になるべきと思うわけね。
論理的一貫性は基準というより前提とすべきものでしょう。あなたは儒教に対して否定的だと思いますが、儒教の何に対してでしょうか?
>戦後台湾や韓国が近代化に成功したのも日本の植民地時代に儒教がある程度破壊され
>て法治主義と市場が育ってたからと思う。
わたしは押さない時期に台湾で過ごしました(日本学校ではない)。しかし、儒教精神は叩き込まれます。現在台湾独立派や外省人支配から脱皮しようとする人でさえ、儒教を倫理規範として生活しております。儒教には為政者に利用されやすい性質があることを否定はしません。しかし、台湾人の親子、親戚、友人、周囲の人を大切にする傾向や千客万来思想(?)は明らかに儒教教育の影響があります。
>最近の中国が経済発展してるのも、やはり儒教が、戦後の革命と文革で破壊されたあ
>とであることに注目すべきではないかい?
文化大革命で中国が経済発展したと本気でお考えなのですか?儒教のもつ倫理軌範を否定した紅衛兵が何をしたのかは歴然としています。最近の近代化の陰に儒教軌範の摂取があったことは中国人ビジネスマンが語るとこですよ。
>けど、ユングがそれを確かめていったやりかたは、やっぱり西洋科学的な、
>実験・臨床だよね。
わたしはユングの方法論は科学的とは考えておりません。方法論の確立自体眼中に無いようですし、恣意的解釈の言い訳として東洋的なものを引き合いに出していると私は観察します。私の専門は瑜伽行唯識派の哲学ですが、その視点から見ると余りにも幼稚でこころの解釈に偏りがありすぎるのです。同じ「深層心理」として西洋思想研究者は見ますが、その人たちは哲学を理解していないのです。
>あと、湯川さんが老荘にも詳しくて影響受けてるのは別に否定しないけど(兄さんた
>ちは大体東洋思想の研究者だしね)、でもその業績がやっぱり西洋科学の先端にの
>かってることを考えれば、近代日本の「西洋化」があっての業績なんじゃない?
>つまり、老荘っていうよりかは西洋科学だってこと。
西洋科学、西洋科学ってまるで信者のように仰いますが、じゃ、ヨーロッパにおける西洋科学の担い手は科学的なのでしょうか?キリスト教信者が多いことも事実ですよ。信仰という不合理な心を持ちつつ、科学を担っている。このことは湯川さんの老荘思想とおなじでしょ?
>ただ、その前には、西洋をしっかり勉強しとかないといかんし、やっぱりその前提と
>して儒教の批判・廃棄が不可欠と思うわけよ。
批判は必要ですけど、廃棄まで言い出すのは行き過ぎです。
72 :
考える名無しさん :2001/06/13(水) 19:06
>わたしはユングの方法論は科学的とは考えておりません。 一見知識豊富な方々の議論に見えますが、物事の捉え方が 一面的ですね。物事にはいろいろな面があるのではないで しょうか。万事、白と黒に色分けするような議論は結局、 皮相な定義論に行き着くだけではないでしょうか。 例えば「科学的」とはどういうことかというように。
73 :
電波男Ψ(´д`)Ψ :2001/06/13(水) 20:12
>>72 あなたは何を材料として「一面的だ」と判断されるのでしょうか?
私が何を考えているのか解るとでも言いたいのでしょうか?
いま、中国哲学を語る前提として「哲学」の定義が問題になってお
ります。その文脈上、「科学的」とか「科学的方法論」が議題にあ
がってくるのは至極自然なことです。
あなたが私に投げかける言葉としては「それではなぜそう思うのか」
と問い掛けるのがが学問的良識、いやマナー以前の問題でしょう。
一面的と断じることが実はステロタイプに自ら陥っているのです。
あなたは恐らくその矛盾から這い出すことが出来ないでしょう。
74 :
考える名無しさん :2001/06/13(水) 22:56
>>72 ユングの方法論を科学的ではないとするのは色々反論もある
ところでしょう。実際は、数式で説明できるような理数系的
に科学的な部分とそうでない部分が混在していると思われま
す。それを科学的ではないと判断するのが一面的だというの
です。
一部でもいわゆる科学的でないなら、それはすべてに及ぶと
いうは物理や化学の世界ならいざ知らず、社会科学や心理学
の世界では適当ではないでしょう。
あなたが行った判断には、当然反論がでますがその場合は、
結局何をもって科学的とするかという定義の問題になって
ゆくのは自明なことですね。
なにをもって科学的とするか・・・という定義論などあま
り益のない議論だとは思いませんか?
>>69 おれはいつもクッキー無しでカキコ出来てるよ。NNかPocketIE。
(このスレは初カキコです)
76 :
考える名無しさん :2001/06/13(水) 23:52
77 :
考える名無しさん :2001/06/14(木) 00:02
age
78 :
75 :2001/06/14(木) 01:13
これが投稿できたらie5でも可能(セキュリティ-高)
79 :
考える名無しさん :2001/06/14(木) 01:30
80 :
考える名無しさん :2001/06/14(木) 01:32
おい、電波男Ψ(´д`)Ψ と 273 起きてるか?
81 :
考える名無しさん :2001/06/14(木) 01:50
そもそも、社会思想って哲学の範疇に入るの? いまいち区分がわからんのだけど。 儒教で基本的性質は社会思想のような気がする。 それをもとに修養を説いているのは、「社会」といいにくいのかもしれないけどね。
82 :
にいななさん :2001/06/14(木) 08:45
はいな。毎日24時間接続してるわけではないんで、
>>66 から、ほぼ1日ぶりアクセスの旧273です。
>>67 〜
>>69 、
>>75 とか
そのとおり、私は普段、NN4.7で、JavaScriptを切ってます。
ゲイツ君のセキュリティ設計を信用するほど厨房ではないんで。
たまに名前を入れ忘れて「考える名無しさん」になることはあっても、
気付くたびに「上の○○は私です」とか明記しているはずです。
それでも問題ありますか?
しかしまさか
>>67 さんは
> 名前を空欄のままカキコすると全部考える
> 名無しさんになるようだよ。(
>>68 )
ということを御存知なかったわけではないでしょうね?
あと、
> 旧スレへの妨害は、あなたの仕業ではないのかという疑いを
> まねくことになる。(
>>67 )
まぁ疑われるのは自由ですが、そんなことする動機は私には無い、という
ことを強調しておきます。私は、
それとも、旧板での論争(?)で、私が不利だったとでもお思いですか?
それをご破算にしようとした、とでも?
> 幸いここは匿名掲示板だから全く新しいハン
> ドルで出直したらどうだろう。(
>>67 )
そんな、自分の発言に責任を持たないような卑怯なことはしません。
している方はおられるみたいですが、私はそういうことはしたくありません。
補足:
自分の発言に責任を持たないような卑怯なことはしません。(
>>82 )
……特定の相手との議論では、ってことです。
一過性の発言をされる「考える名無しさん」を非難しているわけではありません。
ただ、「遁天児」さんなり「名無し」さんなりを意識して、その人への継続した議論・
カキコをする以上、前のカキコと後のカキコとが同一人物なのか否か、ということは
明示しないと、お互いに不便ですし、また自分が無責任なカキコをしてしまう可能性も
ありますから。
さらに補足: 上記のことは、私のオリジナルな見識ではありません。 最初は「特定の相手との議論(?)」に陥ると考えていなかったので、 ここにおられる多数の皆さんと同様、私も「考える名無しさん」でした。 ジャコバイトさんに「固定してくれ、ややこしい」だったかの旨 (過去ログ未整理のため、記憶違いがあるかも)を指摘されて、 納得して、それからはじめて「273」で固定した者です。 そのことを指摘されて揚げ足を取られる可能性が(経験上)あるので、念のため。
85 :
75 :2001/06/14(木) 10:21
こんなん、ウラ技かぁ?
86 :
ジャコバイト :2001/06/14(木) 12:17
>71 俺は、儒教の以下の点がどうしようもないと思ってる。 @機構論が無くて、政治を徳治の発想でしか見れない視点。 A戦略的発想が皆無。 B農本主義。商業経済と不適合。 C四書五経がドグマとなっていて、せいぜいこの解釈で争う程度であり、思考の論理的発展が無いこと。(自分の頭で考える人が出にくいし抑圧されてしまう) 大体、以上の点です。 あと、D非政治的領域への視座が無く、すべて政治に動機付けられてしまう、って点が問題と思います。 あと、俺だって文革はろくでもないものと思うよ。ただ、そうした時系列の推移があるのも事実じゃない? それと、俺は儒教の人間関係における美徳は別に否定しない。ただし、親や友人や客を大切にするのは、何も儒教に頼らんでも仏教やイスラムやキリスト教やギリシャ哲学でも同じなんじゃない? わざわざ、儒教をいまさら担ぎ上げる必要はないと思うけど。 あと、ユングが、科学じゃないってのは、そりゃ見方によってはそのとおりと思う。 心理学ってのは、まぁ、そんなもんだしね。 たださ、臨床や実践である程度役に立ってるわけでしょ。それに、こういう風にデータを集めて仮説にまとめて実践に使うっていう精神医学は東洋にあったわけ? 唯識にしたって、お寺の坊さんが少数でやってただけでしょ。 ヨーロッパがキリスト教が多いし、それが非合理なものってことは否定しない。俺は、儒教と等しく、キリスト教もろくでもないものと思ってるからね。 俺が、西欧の文明で尊ぶのは、別にキリスト教じゃなくて、そういう狂気を懐疑で克服してきた営み、つまりマキャヴェリ、モンテーニュ、ヒューム、ミルといった人々の精神系譜だよ。 ただし、大体においてキリスト教は非政治的領域を志向するものだから、まぁ、儒教よりは国家の運営に害は無いと思う。分けようとすれば分けれるからさ。 儒教は、政治と合体しちゃうでしょ。 まぁ、以上の点でまた反論があればちょうだい。 特に、@〜Cについて、意見があればどこまでも議論したいと思ってますよ。
87 :
考える名無しさん :2001/06/14(木) 12:17
>>82 >それとも、旧板での論争(?)で、私が不利だったとでもお思いですか?
>それをご破算にしようとした、とでも?
cookie切ってるあたりからして一番怪しい。
88 :
ジャコバイト :2001/06/14(木) 12:26
>84 にいななさん 俺の意見を誠実に受け止めてくださり、識別可能な名前を名のってくださったことに感謝します。
89 :
にいななさん :2001/06/14(木) 12:35
>>70 > 最近の中国が経済発展してるのも、やはり儒教が、戦後の革命と
> 文革で破壊されたあとであることに注目すべきではないかい?
文革の結果・評価については措きましょう。個人的には、文革によって
中国の産業は大幅に遅れたと思いますし、識字率も下がったと思いますが、
これについてはいまだに諸説ありますから。
それよりも、「文革による儒教の否定」と「最近の中国の経済発展」との間の
因果関係について、説明をいただきたく存じます。
ただ事件の前後関係にだけ着目するのならば、
「江戸時代の日本が安定・繁栄したのは、やはりキリスト教が、幕府の弾圧で
破壊されたあとであることに注目すべきではないかい?」
「漢帝国が発展した、その基盤が築かれたのは、やはり儒教が、武帝の政策で
国教化されたあとであることに注目すべきではないかい?」
というのと大差ありません。
> 近代国家の繁栄には何のたしにもならん思想と思うよ。
近代国家の繁栄に足しになる「思想」、というのは、具体的には、どのようなものを
イメージしておられるのでしょう?「プロテスタンティズムの精神」でしょうか?
90 :
スレ違いにいななさん :2001/06/14(木) 12:47
>>86 (1)〜(3)は、まさに「繁栄の足しになる」か、否か、という
視点からの議論ですね。心理学について「臨床や実践である程度
役に立ってるわけでしょ。」という肯定的(?)評価をされることも。
思想・哲学として問題となるのは(4)のみ、という印象を受けました。
今更で恐縮ですが、ジャコバイトさんの「儒教はダメ」だという
見解は、「現代の政治・経済から見て儒教は役に立たない」という事と
解釈してよろしいでしょうか。
>>87 > cookie切ってるあたりからして一番怪しい。
だから、私は小心者なんです。もちろん Outlook も使ってませんし、
なるべく IE も使わない人間なんです。
もちろん普段使いはNNで、JavaScript も Java も切ってからアクセスするのが
習慣になってしまっているんです。
自分の習慣を他人に押し付けたりはしませんから、どうぞあなたは
Active X を ON にしたままで、どこのページでも閲覧して下さい。
ただし、他人が自分と異なる設定を使っているからといって、相手を
「怪しい」と思うのはともかく、「自作自演だろう」と決めつけるのは
控えていただけませんか?言われた私は、正直あまり愉快ではありません。
91 :
電波男Ψ(´д`)Ψ :2001/06/14(木) 13:05
>>86 ジャコバイトさん
>俺は、儒教の以下の点がどうしようもないと思ってる。
あなたは「儒教」と「儒者」さらには儒教を大義名分とした為政者とその行為の区別が出来ていますか?わたしが儒教と対峙するのは道徳倫理のみです。また、道徳倫理の特性上、論理をも求め続けることはあっても追求することはありません。
あと、俺だって文革はろくでもないものと思うよ。ただ、そうした時系列の推移があるのも事実じゃない?
「文化大革命以降の経済発展が儒教を破棄した結果である」と言う歴史事実誤認を指摘しただけですよ。台湾の事情についてもまったく出鱈目というか恣意的記述にしか思えません。幼稚園から高校まで儒教は修身(道徳)として叩き込まれる事実をご存知内容ですから申し上げたのです。
>それと、俺は儒教の人間関係における美徳は別に否定しない。ただし、親や友人や客
>を大切にするのは、何も儒教に頼らんでも仏教やイスラムやキリスト教やギリシャ哲
>学でも同じなんじゃない?
>わざわざ、儒教をいまさら担ぎ上げる必要はないと思うけど。
まったく持って非論理的です。すり替えや誤謬記述が多いのに気づきませんか?
1 儒教だけが道徳倫理だと主張していないのに別観点から論難(範囲限定の虚偽)
2 過去、現在の事実に対する別手段提示による論難(すり替え攻撃)
3 事実の列挙とその効用を述べているのに担ぎ上げだという。(論点先取の虚偽)
>たださ、臨床や実践である程度役に立ってるわけでしょ。それに、こういう風にデー
>タを集めて仮説にまとめて実践に使うっていう精神医学は東洋にあったわけ?
>唯識にしたって、お寺の坊さんが少数でやってただけでしょ。
もっと歴史的事実を直視すべきです。ユングの心理学が非科学的であったにしても、臨床心理として有用性があったことは精神医学として認めざるをえません。そこは同意します。
しかし、インドにおける紀元前から存在した種痘や輸血技術、薬草学、唯識や六派哲学などが編み出してきた深層心理学による精神医学、受胎から成人そして死ぬまでを観察した発達心理学、その他の医学や科学がありました。それらはイギリスのインド植民地化政策ですべて無にしてしまったじゃないですか。あなたは歴史誤認が甚だしい。明治初期の西洋かぶれ、あるいは侵略者の倫理観念そのものではないでしょうか?
>俺が、西欧の文明で尊ぶのは、別にキリスト教じゃなくて、そういう狂気を懐疑で克
>服してきた営み、つまりマキャヴェリ、モンテーニュ、ヒューム、ミルといった人々
>の精神系譜だよ。
そういった系譜が東洋にはないと思うわけ?ヒョットシテぼくちゃんはトンでもない厨房とお話してるのではないだろうか。。。。。。。。
言っとくけど、ぼくちゃんは西洋哲学を否定しているわけじゃないよ。インド哲学専攻だけど、西洋哲学に関する論文も沢山書いてるよ。
>ただし、大体においてキリスト教は非政治的領域を志向するものだから、まぁ、儒教
>よりは国家の運営に害は無いと思う。分けようとすれば分けれるからさ。
>儒教は、政治と合体しちゃうでしょ。
あなたのこの論理から言うと、十字軍遠征は正義であったと言う事ですね?
92 :
考える名無しさん :2001/06/14(木) 13:29
>>92 > 273が小心とな?ますます怪しいな。
あはは。小心者ですとも。
何の根拠もなく他人を「バカ」「バ〜カ、バ〜カ」と決めつける度胸もありませんし、
誰かが「私の主張は間違っていない。このことは諸橋先生がこの本で書いている」と言えば
念のためにその本を調べてからでないと「あんた間違ってるよ」と言えないくらいにはね。
(旧スレ参照)
94 :
ジャコバイト :2001/06/14(木) 19:21
>89 そうだねェ。 文革による儒教破壊とその後の経済発展の因果関係は論証不可能みたいだね。 この論点は撤回しても構いません。 あんまり証拠を調べもせず、論をたてたことを謝ります。 ただし、江戸幕府が安定してのはキリスト教が弾圧されたからと思うよ。それに、漢が安定したってのはある意味儒教のおかげだけど、反面「塩鉄論」のような発想を葬り去って、その後長い中国の停滞を招いた部分もあると思う。
95 :
ジャコバイト :2001/06/14(木) 19:22
>90 うん、そうだよ。 ただ、思想哲学として論ずるに値するのはCのみってのどうして? @ABも論じて欲しいんだけど。
96 :
ジャコバイト :2001/06/14(木) 19:43
>91 それなら、儒教と儒者と儒教を利用した為政者の区別をして、論じましょう。 俺は、儒者ってのは儒教を信奉してる人。そんで、そうした儒者が為政者になると弊害が大きかったし、自分は特に儒教を信奉してない為政者も多くいたと思うけど、政治言語を儒教のディスコースに載せて表現しなくちゃいけなかったから思考が大きく制限されて、結果としてあんまり制度・政策的に中国が発展しない原因を産んだと思う。 また、儒教が常に、多くの場合、専制政治を擁護・肯定し、人々を呪縛する働きをしてきたと思う。 あと、道徳倫理とのみ対峙する、っていうけど、「修身斉家治国平天下」って言う風に、儒教の道徳倫理と政治志向はワンセットで切り離せないと思うし、どうして切り離したがるわけ? んで、次の論点の、儒教のみが道徳じゃない、ってのを論点先取・すり替え、っていうけど、まぁ、そう受け取られたのならゴメン。 謝るよ。俺も、もうちょっと、整理してから書けばいいのいごちゃごちゃ混ざってて悪かった。 でも、俺が言いたいのは、T、儒教のモラルとして妥当な面があることは認める、U、でもその付着物があまりに政治経済上の思考の毒が多い、V、だから、今日においてもモラルは必要だけど、必ずしも儒教の伝統・言語にのっかって提示する必要はないんじゃない? っていう、俺の提案ね。だから、この提案についてあなたがどう思うかを聞きたい。 台湾が儒教のモラルを大切にしてるのは、別に事実として否定しないし、あなたの方が俺よりずっと詳しいんだと思うよ。 インドが高度な医術を持ってたのは別に否定してないじゃない。どうして、そういう風に攻撃的になるのかなぁ。 ただし、俺から質問したいんだけど、イギリスによって破壊されたという具体的な事例やデータは?参考文献を紹介してくださるだけでも結構です。 あと、唯識とかが、そんなに大勢の民間の人への医療に利用されてたの?俺は、そうした事例を知らないから教えて欲しいし、具体的な普及の程度とかが今の精神科学並だったんなら、この論点に関して俺の非を認める構えは持ってるつもりです。 それと、俺が明治初期の西洋かぶれ、侵略者、っていうのは、具体的にどこら辺が? 俺は、明治初期の思想家では、福沢諭吉と北一輝を一番尊敬してる。 彼らも、あんたは侵略者や西洋かぶれと言うのかな? まず、そこを答えていただきたい。 そうしたら、論じやすくなるし。 あと、提案だけど、議論は楽しくクールになろうよ。
97 :
ジャコバイト :2001/06/14(木) 19:54
>89 そうそう、言い忘れてたけど、俺は近代国家の繁栄の支えは、別にプロテスタントである必要はないと思う。 むしろ、個人的にはプロテスタントは嫌いだし、資本主義社会の立ち上げには働きがあったとしても、その後は不要と思うし、かつ、その自虐的発想がナチスの源の一つって説もあるわけだから、むしろ退けた方がいいかもね。 まぁ、西洋の哲学(非キリスト教)や仏教が、科学と結びついていったら、一番近代社会の運営にはいいんじゃないかなって思うよ。
98 :
ジャコバイト :2001/06/14(木) 20:02
>91 そういった系譜、の東洋の実例を示してよ。 それと、十字軍は俺だってとんでもないと思うよ。キリスト教が政治に介入するのもとんでもないと思う。だから、イギリスのcivil warだって、俺は清教徒とかホント狂ってると思うよ。 でも、ヨーロッパは、そうした政治への宗教の介入を試行錯誤しながら排除していったじゃない。近代には世俗国家を成立させたわけで。 それに比べて、中国は、儒教という宗教が清滅亡まで政治に密接に絡んでたし、その後だって有形無形に絡んでるじゃん。 それと、俺をとんでもない中坊っていうのはさ、そりゃあんたからすれば俺はきっとずっと年下の若輩者だと思うけど、なんだかなぁ。 俺は、あんたを口汚い言葉でののしったりしたか? ルールとマナーもない人が、美徳を欠いてるというのは洋の東西を問わず言える思うんだけど、いかが思います?
99 :
考える名無しさん :2001/06/15(金) 04:58
電波男Ψ(´д`)Ψ さんへ
>>91 >もっと歴史的事実を直視すべきです。ユングの心理学が非科学的であったにし
>ても、臨床心理として有用性があったことは精神医学として認めざるをえません。そこは同意します。
ユングの方法論が、理数科的に厳密性を欠いていても定量的な分析が
できないという性質上、やむを得ないことです。ユングもそれは十分
認識したうえで論文として発表して学会に評価をもとめたわけです。
つまりユングの説はもともと不確実性を認めた仮説なのです。その点
では、心理学としては十分科学的と考えられませんか。
それをあなたは、すっぱりと非科学的と断じましたが大変軽率な判断
と言わざるをえませんね。
100 :
にいななさん :2001/06/15(金) 09:18
>>94 いや、私は「江戸幕府が耶蘇教を弾圧したから幕府が安定した」とか
「武帝が儒教を国教化したから漢帝国が安定した」とか言いたいわけでは
ありません。そんな因果関係は、よほど慎重にしないと「立証」できないでしょう、と
言いたかっただけです。
>>95 (1)〜(3)は、「政治」「戦略的発想」「農本主義」「商業経済」などとの関係から
儒教を「不適合」などと断ずる論理です。「哲学」としての儒教への評価では
ないと、私は思います。
このスレにおける「哲学」の定義について、まだコンセンサスは得られていないので
もう一度確認しますが、
「ジャコバイトさんの「儒教はダメ」だという見解は、
『現代の政治・経済から見て儒教は役に立たない』と
いう事と解釈してよろしいでしょうか。」(
>>90 )
101 :
ジャコバイト :2001/06/15(金) 13:58
>100 そうだよ。 で、それが気に食わないってわけ? でもさ、例えばハイデガーの哲学を、彼がナチスに参加したって行為と截然と分けて考察するって姿勢は俺はおかしいと思うわけよ。 で、あんただったらそれでいいってわけ? ミルの言葉に「人がどのように行動するかは、その人がどのように考えるかによる」って言葉があるんだけど、俺もそう思ってるわけね。 んで、やっぱ、しゃばい行動をするってことは、考えも歪んでるって思うのが当たり前なんじゃない? 大体、儒教の場合、経世済民とか治国とかやたら言うじゃんか。それを言わないんだったら、まだ俺もそんなに批判しないけど、そんなことを言ってて国を滅ぼす思考だから、俺は詐欺だと思うし毒だと指摘してるわけよ。
102 :
ジャコバイト :2001/06/15(金) 14:11
>100 そうそう、それと、「哲学」の定義だけど、林黛玉さんの意見を叩き台にしてこうよ。 それで、そん中の「広義」の定義を「思想」と呼んで、「狭義」の定義を「哲学」と呼ぶのを提唱したい。 にいななさんは、それに異存ある?
103 :
にいななさん :2001/06/15(金) 16:09
>>100 発言の主旨を確認しただけで「それが気に食わないってわけ?」と
言われる筋合いは無いと思いますがね。
そういう言い方をされると、見解の相違をすり合わせることも
できなくなっては しまいませんか?
さて、ハイデガーの哲学が「哲学」の名に値するか否か、は、
ハイデガー本人がナチスに参加したか否かとは、截然と分けて
考察すべきだと、私は思います。
ある「哲学」だか「思想」だかが無価値か否かは、その提言者が
どのような人物だったか、とは無関係だとは考えられないでしょうか。
たとえば馬融の私生活は乱れていたとされ、鄭玄は謹厳実直な儒者と
されますが、だからといって「馬融の経説は無価値で、鄭玄の説は正しい」と
いうことにはなりません。また、サヴォナローラの思想・哲学の価値は、
彼個人や国家の歩んだ末路によって判断されるべきでしょうか?
「人を以て言を廃さず」という言葉もあったかと思いますが?
あ、あと、儒教が「経済」「治平」を唱えつつ国を滅ぼした、ということが
詐欺であり毒であるなら、過去にこの世に存在した全ての政治思想は
詐欺であり毒である、ということになりませんか?
104 :
にいななさん :2001/06/15(金) 16:55
あ、
>>100 じゃなくて
>>101 でした。お詫びして訂正します。
>>102 ええと、「踏み台」とすべき、仮の定義は
「思想」……〈人生観〉〈世界観〉の全般にわたる諸思想の意
「哲学」……厳格な論理性において追究される、統一的全体的な
人生観・世界観・の〈理論的基礎〉の知的探求
でよろしいでしょうか。
「厳格な論理性」「統一的全体的な」などに議論の余地はあるかと思いますが、
今のところ異論もないようですので、とりあえず了解しました。
もちろん、議論が進むにつれて仮の定義に修正が加えられていく可能性が
有ることは言うまでもありません。
で、ジャコバイトさんの「現実に役に立つか」「国を滅ぼすか否か」によって
儒教を価値づけようとする議論は、上記に関する議論とは一応別の議論と
考えてよろしいわけですね?
すると直ちに、朱子学は「哲学」の仮定義を満たしている、という 主張が出てくると思います。即ち、中国にも「哲学」はあるぞ、と。 印哲のほうは詳しくありませんが、おそらく同様のことがあるのでは ないでしょうか。 また、ギリシア系の哲学でも、「哲学」に値しないものが出てくるかも しれませんね。 次回アクセスまでに、上の仮定義がどれほど精密化されているか、または 仕様変更されているか楽しみです。 ではしばらく回線を離れますので……。
106 :
ジャコバイト :2001/06/15(金) 19:16
>103 うーん、「気に食わないわけ?」って質問の仕方が気に障ったなら、ゴメン! 以後気をつける。 哲学の名に値するかは、おっしゃるとおり別に人格と分けて吟味していいと思う。 でも、その哲学の価値になると、やっぱりそうした哲学を持ってる人の実際の行動を考察すべきと思う。 そりゃ、孔子さんも、陽貨に関して「人を以って言葉を廃さず」みたいなこと言ってるのも真と思うけど、同時に人物を評価する時に「その拠るところ」も見るって言ってたよね?(まぁた電波男サンから言葉が不正確と言われそうだけど) ろくでもない人間が立派な言葉を述べてる際、それを採用する、ってことと、人間が行動する際に拠っている哲学を吟味してその哲学と行動の関連と問題を見ていくってのは、また別の論点であり、それぞれに価値のあることと思うけど、いかが? それと、私生活の乱れは、業績さえきちっと残してれば、俺は悪いと思わない。 で、例えば俺みたいな別に能力さえあれば私生活が乱脈であろうとかまわないって思想にのっとって政治家を選ぶ人が多い場合と、私生活の潔癖さを条件として選ぶ人が多い場合と、やっぱりその国のありかたは違ってくるでしょ。 うーん、言わんとすることが伝わりにくかったら、また質問ちょうだい。 あと、サヴォナローラはやっぱり彼の思考枠組みに問題がありすぎると思う。 あと、儒教が経世・治国を唱えつつ国を滅ぼしたのを毒というならば、他の全ても毒となる、っていうけど、どうしてそうなるの? アダム・スミスやケインズの理論にのっとって政策をとれば、だいぶうまくいった歴史があるじゃない。 それに、マルクス主義はうまくいかなかったから、儒教と程度は違うけど、やっぱ詐欺であり毒だったと思う。
107 :
ジャコバイト :2001/06/15(金) 19:19
>104 定義については賛成。 あと、現実の有効性は、この定義問題とは別ということに同意します。 ただし、哲学思想に優劣はあると思うし、その優劣を論じる際、現実との関連は必ず考察されるべきと思う。
108 :
考える名無しさん :2001/06/15(金) 22:29
>>106 ごめん、そもそも現状の社会に満足していないので、あなたの論には賛成できません。
アダム・スミスやケインズの理論にのっとってうまくいった歴史がありますかね。
すごくうまくいっていないように思うんだが。
109 :
ジャコバイト :2001/06/16(土) 18:29
>108 俺も現状の社会に満足していません。まず、そこをはっきり言っときます。 あと、今現在、スミスやケインズにしろ、ヨーロッパ・ディスコースではうまくいってない問題があると、僕は思っています。 でも、歴史的に見ると、例えば18、19世紀の時点では、スミスの思想が、イギリスの自由貿易や穀物法廃止に影響を与え、かつ市場経済の発展を導き、イギリスの富裕をもたらしたと通説では言ってて、僕もそう思ってるんだけど、考える名無しさんはこれに反対ですか? あと、ケインズは、いまはうまくいってないけど、大恐慌の時点では、アメリカのニューディールなど解決策を導いたと通説では言われてるし(フリードマンの反論もありますが)、戦後の資本主義社会の自己修正に寄与してきたと言われてるよね!? さらに、ロックやヒュームの言説が、イギリスやアメリカの国制に影響を与えたと言われてるし(かつその国制は他に比べるととてもうまくいったのでは?)、ミルの思想がイギリスの選挙法改正を導いたって言われてるし俺もそう思ってんだけど。 こうした、歴史認識が誤りだというのなら、証拠を示しつつ言ってただくこちらも納得するかもしれないので、お願いします。 あと、すごくうまくいってない部分が、今の社会にはあると、俺も思います。 でも、その解決が、儒教でできると思う? 儒教のような、徳で世の中を良くしていく、って発想よりは、俺は今の現状のシステムの改正をしていくべきと思う。 また、専制政治や封建社会や農本主義を志向するよりかは、法治主義・代議制民主主義・近代成熟社会の市場原理を認めた上での循環型社会の制度設計、を目指すべきと思う。 要するに、「倫理から論理へ」(「徳から機構へ」)って流れが必要と思ってて、そのためには儒教的発想よりかは、やはりヨーロッパ型の思考方法の方が学ぶことが多いと思うんだけど、どう思いますか? あと、考える名無しさんが、現代社会のどこがうまくいってないと思っているのか、具体的に教えていただくと、議論しやすくなると思うので、良かったらお教えください。
111 :
考える名無しさん :2001/06/16(土) 23:44
>>109 私とあなたでは資本主義の発展時代の評価が違うと思います。
あるいは、ここ3、400年における世界的潮流の評価と言った方がいいでしょうか。
3,400年なんて、実は大して長い歴史ではないですね。
112 :
考える名無しさん :2001/06/16(土) 23:47
付け加えるならば、個人を単位とした効用の極大化のためのシステムですよね、あなたが上で評価しているのはすべて。 その単位の置き方自体が間違っていることが明らかになりつつあるのではないですか?
>>106 儒教が「経済」「治平」を唱えながら、実際には国を滅ぼしたことが
「詐欺であり毒である」ならば、今までに存在したあらゆる政治思想は
詐欺であり毒です。
キリスト教による統治を唱えて滅びた国、民主主義を叫びつつ滅びた国、
社会主義経済を唱えつつ滅びた国、資本主義経済を採用しながら滅びた国、
こんなものは古代から近代まで、いくらでもあるでしょう。
だから「民主主義は詐欺だ」「資本主義は毒だ」ということを認めないなら、
「儒教は国を滅ぼしたから詐欺だ、毒だ」というのはフェアではありません。
つい最近に通貨危機をおこした国々は、ケインズ主義を採用していなかったとでも
おっしゃるのでしょうか?
> アダム・スミスやケインズの理論にのっとって政策をとれば、
> だいぶうまくいった歴史があるじゃない。
儒教にのっとって政策をとって、だいぶうまくいった歴史も、すくなくとも
前漢代に存在すると思います。もちろん後世には様々な弊害を生じましたし、
二千年後には儒教を非難し、別の理念によって代えようとする動きも出てきますが。
さて、「神の見えざる手」によってだいぶうまくいった歴史があることは、
私も否定しません。しかし、結局は「大恐慌」という「破綻」を生じ、
二千年も保たずに放任経済説は破棄されたように記憶しています。
で、スミスの説は「詐欺」であり「毒」ではないのでしょうか。
あと、
>>101 > ハイデガーの哲学を、彼がナチスに参加したって行為と
> 截然と分けて考察するって姿勢は俺はおかしいと思うわけよ。
と、
>>106 > 私生活の乱れは、業績さえきちっと残してれば、俺は悪いと思わない。
との整合性が、私にはよく解りません。ご説明いただければ幸いです。
たとえば宅間容疑者が「命は大切に」という「思想」を唱えたとしたら、
その「思想」は、彼の行為とは無関係に価値あるもの(ジャコバイトさんは
「悪いとは思わない」と評価する)なのでしょうか。
それとも、彼の行為と「命は大切に」という「思想」とを「截然と分けて
考察する」のは「おかしい」のでしょうか。
115 :
考える名無しさん :2001/06/18(月) 11:53
電波男Ψ(´д`)Ψ はどこに行った? 自称、研究者だったが大学院生ぐらいではあったかもしれない、もし かすると本物だったのかもしれないな。しかしそうならが、よほどの バカに違いない。あんなカキコをやってれば狭い世界だから身元がバ レて指導教員や仲間から思いっきりバカ扱いされるに決まってる。
116 :
電波男Ψ(´д`)Ψ :2001/06/18(月) 14:56
今は仕事と他の板で忙しいんだ。
それと哲学と為政論、政治論、国家論を履き違えてるアホには
食指が動かなかっただけ。
カトリック信者が国の宰相である場合も多いけど、ジャコバイトの論理
によるとその場合、カトリックこそが議題として考えるべき問題に摩り
替わる訳だ。かなりの厨房論理だ。
また来る。
>>115 あほ。
117 :
にいななさん :2001/06/18(月) 15:22
>>116 > 哲学と為政論、政治論、国家論を履き違えてる
ジャコバイトさんがこれらを区別していない、という点では
その通りだと思います(失礼)。
が、政治論は中国哲学の重要な一部だと思いますので、
そのことだけでは問題とならないのでは?とも思います。
むしろ問題があるとすれば、実際の効果や結果だけを基準にして
その〈哲学〉なり「政治論」なりを評価する姿勢だと思いますが。
>>115 あんた、「狭い世界」のこと、多少なりとも知ってるの?(藁
118 :
電波男Ψ(´д`)Ψ :2001/06/18(月) 15:35
>>117 そうですね。政治論は中国の「思想」としては大変重要ですが、
それが哲学の範疇に入るかどうかが問題になると考えます。
哲学としてはむしろ、たとえば世界観を陰と陽に分けた太極思想の
方がより近いと考えます。政治は地域、時代、人という時空列と人の
思いによって様々です。一定したものが見出せない以上、哲学だと
位置付けするのはかなり無理があるように私は考えます。
ですから、儒教と儒者に関して、私は取合えず哲学から外したいのです。
倫理学として再検討する場合、別の価値がそこには付与されることを忘
れてはいけませんが。
119 :
電波男Ψ(´д`)Ψ :2001/06/18(月) 15:38
120 :
電波男Ψ(´д`)Ψ :2001/06/18(月) 15:39
遁走天国児童さんはどうしたのでしょうかね。
121 :
にいなな さん :2001/06/18(月) 17:13
問題が二重になっているので、私も混乱しているようです。
たぶんこういうことだと思うのですが、
(1)「政治思想」は「哲学」なのか否か。
……たとえば、マキアヴェッリの「思想」やケインズの「思想」は
「哲学」なのか。儒教の「経済(経世済民)」思想はどうか。
(2)政治思想が「哲学」ならば、その価値や当否は、その「哲学」だけで判断されるべきか、
それとも実際にその「哲学」によってどういう結果が出たかまで判断材料になるのか。
……マキアヴェッリの「哲学」は彼個人や母国を救う役には立たなかったが、
だからといって彼の「哲学」は無価値なのか。
儒教を奉じる政治家が国を滅ぼしたから、儒家の「哲学」は「毒」なのか。
>>120 たぶん、どっかでROMってるんでしょう。
122 :
考える名無しさん :2001/06/18(月) 17:35
>>115 電波男Ψ(´д`)Ψ さん生きてたじゃない。
ボクは、ほんとに研究者だと思っていたから、やっぱり
周囲から釘を刺されたって説はあり得るなと思ってた。
でもはずれだったみたいですね。そうすると研究者とい
うのはウソ?
123 :
電波男Ψ(´д`)Ψ :2001/06/18(月) 17:40
>>121 あなたはジャコバイトさんと違って、気づくのが早い。政治思想を哲学の俎上
に乗せてしまうと、他の哲学との境界線が消えうせたと誤認してしまう人が
多くなってしまい、勢い、批判しやすくなるのです。儒教をその意味で批判
してしまうと自らの立論拠点も消えうせてしまう危うさを裏腹にしてしまうの
です。絶対、相対、二律背反ぐらいのものを考える基礎訓練ぐらいはしていて
欲しいものです。
経済思想はその動機部分を価値論的に論じる場合、哲学的に扱えますが、その
思想そのものは社会学の研究対象です。時空列によって差異が生じる事柄です
から。
>……マキアヴェッリの「哲学」は彼個人や母国を救う役には立たなかったが、
> だからといって彼の「哲学」は無価値なのか。
> 儒教を奉じる政治家が国を滅ぼしたから、儒家の「哲学」は「毒」なのか。
そのとおりですね。仏教も同じです。仏教の流れは身分制度を強化し、為政者のために
民衆を管理しやすくした。そして今でも罪業論を中心に差別意識の温床です。
しかし、仏教の哲学に立ち返れば、人が人としてよりよく生きるにはどうすべきか
と言う動機付けがあり、そこから人生観、世界観が展開されています。
オウムや創価学会というカルトを生んだから仏教は下らんと言う論法がジャコバイト
さんにはあります。
124 :
電波男Ψ(´д`)Ψ :2001/06/18(月) 17:45
>>122 はぁ?
そんな窮屈な世界に生きていないよ。
出来たらコテハンつかってくれないかな。
>>123 > 勢い、批判しやすくなるのです。
政治の結果は目に見えやすいからですかね?
しかし、政治思想と哲学とを峻別して、前者を「社会学」に放り込んでしまうというのは
「中国哲学」の立場から見て、あまり気味の良いものではありませんね。
> そのとおりですね。……
いや、マキアヴェッリの哲学が無価値だと主張したわけでも、
儒家「哲学」が毒ではないと主張したのでもないつもりなんですが。
ジャコバイトさんの立場からは、その設問にどのように答えられるのかを
確認したかっただけです。
126 :
電波男Ψ(´д`)Ψ :2001/06/18(月) 17:48
>>122 研究者であるとかないとかはそんなに大事な問題ではないよ。
ここでは発言内容がすべて。
「やっぱり研究者じゃなかったんだ」とか言う馬鹿なリアクションは
するなよ。(ワラワラワラワラ
127 :
電波男Ψ(´д`)Ψ :2001/06/18(月) 17:51
>>125 「中国哲学」と言う枠がかなり広そうですね。やはり哲学の定義をもっと
つめる作業が必要になります。時空列によってその判断が変化すると予定
される思想は哲学として排除すべきです。これは西洋哲学、東洋哲学に共
通した「真理追求」の取るべき態度です。
しかし、その動機付けの部分では先述したとおりです。
128 :
ジャコバイト :2001/06/18(月) 18:04
>111,112 うーん、個人を単位とした効用の極大化のシステム、ってのが具体的にどういうことか、よくわからないけど、個人主義、あるいは方法論的個人主義ってこと? それがうまくいかない、としたら、考える名無しさんはどのような方法や単位があると思いますか? あと、ここ3、400年の歴史の評価が違う、というのが、僕と考える名無しさんとではどのように違うのでしょうか?
>>127 再掲
>>104 > ええと、「踏み台」とすべき、仮の定義は
>
> 「思想」……〈人生観〉〈世界観〉の全般にわたる諸思想の意
> 「哲学」……厳格な論理性において追究される、統一的全体的な
> 人生観・世界観・の〈理論的基礎〉の知的探求
>
> でよろしいでしょうか。
たしかに「もっと詰める作業が必要」になることは明白です。
この「仮の定義」では、政治思想の占める位置もわかりませんから。
130 :
ジャコバイト :2001/06/18(月) 19:20
>113 まず、行き過ぎた民主主義や資本主義が毒であり詐欺であることは、はっきり僕も認めます。決して、そのことを認めていないわけではありません。 しかし、代議制民主主義は、今でも他のものに比べればはるかにうまくいってると思うし、今後の可能性はあると思う。 また、まったくの自由放任経済は間違ってると僕も思います。しかし、市場メカニズムを十分に検討し認識してこそ、その過ちを乗り越える智恵も出てくるのではないでしょうか? だから、つまり、代議制民主主義と市場は、改善する必要はあるけれども、この上にのかって改善を試みていく土台みたいなもので、これそのものを全否定しても、あまり有効な手は打てない、ってのが僕の考えです。 ゆえに、代議制民主主義や市場を考察した政治思想は、全くの毒ではなく、今後も汲み取るべき智恵の源な部分もあると思うんだけど。 それと、儒教が、漢の頃にうまくいった、ってのは、部分的には僕も言えると思います。(「塩鉄論」の抹殺とか、そうも言えない部分もあると思うけど)。 ただし、近代史における有効性では、儒教と西洋の思想を比べた場合、段違いだったよね? 今でも、かなりそうだと思うんだけど。
131 :
ジャコバイト :2001/06/18(月) 19:39
>114 僕は、その人の思考枠組みが行為を決定すると思います。 ハイデガーは、哲学の中で、運命など考察する時、なぜかいきなり「民族」の契機が入ってきますよね。 こうした、思考枠組みは、彼のナチス参加をもたらしたものであり、彼の行為を不問に付して、こうした哲学の「民族」などの契機があんまり論証もされずに入り込んでくる問題を指摘しないのはおかしいということです。 私生活が乱れていても業績をあげればいい、っていうのは、うーん、どうして上のことと整合性が無いんだろう? 私生活の乱れ、っていうのが、僕とにいななさんとではイメージするのが違うのかな? 僕は、私生活において、贅沢をしようが女遊びをしようが、政治や経済での能力は別だと思う、という思考枠組みはなりたつ、ってこと。 これと、対照的なのが、私生活において徳が正しくなければ、政治においても能力が発揮できるはずがない、っていう儒教的な発想ですよね? んで、事実として見れば、どっちが正しいでしょうか? 古来より英雄色を好むというし(豊臣秀吉や伊藤博文など)、また個人的には清廉だった東条英機や広田弘毅は(彼らは実に儒教的君子だったと思うが)国を率いる力なく社稷を滅ぼすってことが十分あったわけです。 んで、もし、道徳的に潔癖じゃないと政治的能力はない、という思考枠組みを持ってる人が主権者であれば(君主でも国民でも)、有能だが人格的には問題あり、って人が登用されるのを防ぐことになっちゃうんじゃない? もし、能力あれば私生活は問わず、って人が主権者であれば、有能な指導者を潰さずにすんで、国が栄えるかもしれない。 このように、思考枠組みが行動を決定するというのは、何も上の二つのトピックスで矛盾してないと思うんだけど。 また、宅間容疑者が、もし「命は大切だ」と言っていて、あのような殺人行為に出たとしたら、当然、言語へのニヒリズム・自らの言葉と行為を架橋しないでいいといった思考枠組みがそこに存在するわけで、これこそ問題だと僕は思うわけです。 もし、言葉と行為は一致させるべきだ、といった思考枠組みが存在していれば、そういう行為には走らないと思うわけです。 思考枠組みが行為を決定する、って俺の意見、まだわかりにくかったら、また質問ください。
132 :
ジャコバイト :2001/06/18(月) 19:58
>116、117 僕がごちゃごちゃ混ぜて言ってたのでいけなかったのかもしれないので、整理して書きます。 @まず、哲学とは、僕が思うに、厳密な論理において展開されるもので、論理を根拠にした対決・対話であり、もし敗れれば自分の信条をがらっと変えるという、そういう自己変容のプロセスを持ったものだと思うわけです。 Aこれに対して、思想・宗教というのは、ドグマがあり、どんなに論理でおかしいという批判や懐疑を提起されても受け付けない。そして、そういう懐疑や批判を抑圧・黙殺してしまう。思考の発展や変容がない、あったとしてもドグマの範囲内である、と思うわけです。 Bそして、ここからが、僕の意見と電波男さんたちが噛み合わず、あるいは誤解を生じている部分と思うのですが、僕は哲学(@のもの)ならば、文明発展の原動力になり、思想・宗教(Aのもの)ならば時として文明の発達にとても障害になる、と思っているわけです。 Cまた、認識論のあり方を含めて、思考枠組みが人間の行動を決定付けてる、と僕は思うわけです。ゆえに、倫理学の部分でも、儒教は問題あり、と思うわけです。 つまり、僕の言い方が悪かったと思うのですが、整理すると、 T中国思想は哲学の名に値しない。なぜならばドグマであるから。ゆえに、文明の原動力たりえない。むしろ弊害。 Uかつ、倫理学としても、あまり有効足りえない。なぜならば、そのような思考枠組みから生まれた中国の政治思想・及び実際の政治史は、特に西洋と競合することになった近代の歴史において著しい無能と失敗を見せつけたから。このような、実際行動を枠付けてきたものである儒教の思考枠組みにはやはり、問題があるのではないか? という、哲学、と倫理学、の二つの点における問題提起です。一緒にしてたのでわかりにくくてごめんなさい。 それから、電波男さん、どうか、忙しいならいいのですが、もしお時間があれば、僕の考えのいろいろ至らぬところをご指摘ください。 迷える子羊に、それほどの博識があるなら、道を指し示すのが、忠恕であり仁ってものじゃないですか? どうか、話す気がしない、など言って逃げ出さず、僕の以前出した質問に対して、孔子のごとき木鐸の精神を持って、答えてください。 今時の、西洋かぶれの若者一人、論破できなければ、聖学を学ぶものの名が廃るんじゃありません?
133 :
ジャコバイト :2001/06/18(月) 20:09
>121 にいななさん うーん、問題の別の整理も上にしてみたんでそっちも参考にしてみて欲しいんだけど、この整理も有益と思うので、いささか下に私見を書きます。 一、の点については、僕は「政治思想」は「哲学」ではないと思います。 ただし、哲学・思想の枠組みがあって(認識論と倫理学の分野)、それから政治思想も生まれる思います。 二、の点ですが、政治思想は哲学ではない、けれど、政治思想の優劣は現実の効用が試金石になると思う。また、そのような優れた政治思想が依拠してる哲学・思想、とくだらない政治思想しか生まなかった思想は、やはり優劣があると僕は考えています。 それと、マキャべりがイタリアを救えなかったのは、彼の思想が採用されなかったからじゃないでしょうか? チェーザレ・ボルジアが長生きしとけば、あるいはメディチ家のその後の君主がマキャべりの思想を登用しとけば、だいぶイタリアの様子は違ったと思います。 マキャべりの思考枠組みがどのくらい有効であったかは、のちに、ヒュームなどの思想家が影響を受けたことも、また、レーニンやムッソリー二といった実践家で愛読してた人が政権奪取に成功したことを見ても、よくわかる気がするんだけど。
134 :
ジャコバイト :2001/06/18(月) 20:15
>123 哲学と政治思想はカテゴリーとしては峻別すべき、ってのは僕も同意します。 ただし、哲学と政治思想は密接な関係にあり、前者が後者を枠づける、っていう論点を、どうお考えかお聞かせください。 これに、反対ですか? それと、オームを生んだから、やはり僕は、如来蔵思想には問題があると思います。 ただし、仏教全般が問題があるというわけではなく、中観派は基本的に支持してます。 何か、矛盾してますか?
135 :
ジャコバイト :2001/06/18(月) 20:18
>127 だから、電波男さんはどう定義してるんですか? 林黛玉さんの提起したうちの「狭義」の定義ではいけないんですか?
136 :
電波男Ψ(´д`)Ψ :2001/06/18(月) 20:46
質問を整理して箇条書きにしてください。失念しています。(笑) 聖徳太子は仏教を基調にして「和」の精神を尊んだ政治を行おうとしました。 上皇たちは仏教を基調にその座主の権威を手にいれて政治を裏から操りました。 前者が後者を枠つけると言ってもそれは様々で一定のものはありません。 >それと、オームを生んだから、やはり僕は、如来蔵思想には問題があると思います。 >ただし、仏教全般が問題があるというわけではなく、中観派は基本的に支持してます。 松本、袴谷の言い分にそっくりですが、如来藏思想関係の経典や論書に当たることなく、 そう判断するのは非常に危険ですよ。利用しようと思えば何でも利用できるのですから。 核爆弾が日本に2つ投下されました。それはアインシュタインが悪いのですか? この手の論理展開の誤謬性について本当に気づいていないのですか? また別の観点からあなたの考え方は破綻しています。如来藏思想も中観派の思想も仏教 から生まれました。その一方は悪くて一方は好いのですか?
137 :
見抜く人 :2001/06/19(火) 00:20
以前「一面的」と言った者です。今後は固定ハンドルで行きますね。 さて電波男Ψ(´д`)Ψ さんが知識豊富なのは間違ありません。 ただし、知識のみにとどまっていて哲学を自身の中に活かしていない ように見えますね。アクセス不能になった以前のスレから指摘されて いたような教科書や新書から持ってきたような知識という批判も哲学 を自身の中に活かしていないところから出てくるのではないでしょう か。今回も議論がすぐに定義論や範疇分けになり、またそれから出な いのもそのせいである思われます。電波男さんを喩えれば、いわゆる 論語読みの論語知らずといえばよろしいでしょうか。これが電波男さ んの学問に対する姿勢であるとすれば残念なことですね。
138 :
電波男Ψ(´д`)Ψ :2001/06/19(火) 00:37
あのね、今は哲学の定義のお話。 どこが教科書的か新書的か指摘してごらん。
139 :
電波男Ψ(´д`)Ψ :2001/06/19(火) 00:37
あ、わたしが大学のテキスト(教科書)も書いてるから教科書的だなんていうなよ。(笑)
140 :
電波男Ψ(´д`)Ψ :2001/06/19(火) 00:48
哲学の前段階作業は定義、弁別という対象の明確化、判明化です。 その手続きは省略できません。 哲学のと言うより、学問のと言い換えたほうが好いでしょう。
141 :
考える名無しさん :2001/06/19(火) 01:20
>マキャべりがイタリアを救えなかったのは、 百姓上がりの民兵が全く使い物にならなかったからじゃないの? 「良き軍隊は良き君主をつくり、良き君主は良き共和国を作る」(うろ覚え) だから、軍事基盤が脆弱だったらせっかくの思想も空を切ります。
まず指摘を1つ。
ジャコバイトさんの「哲学」「思想」の定義は、ここで問題となっている
仮の定義からは逸脱しています。(
>>132 )
ここで仮定義され問題となっている、仮にパーレン付きで〈思想〉と呼んでおきますが、
それと〈哲学〉との違いは、アプリオリなドグマの有無では無かったはずです。
そのような独自の「定義」によって議論をされるつもりでしたら、まずそのことを
明示して下さい。それがルールです。
さて、結果的に「文明発展」を招いた「政治思想」や、その「政治思想」の母胎となった
「哲学」は「優」で、「文明発展」を阻害した「政治思想」「哲学」は「劣」だという
スタンダードを ジャコバイトさんは採っておられるようですが、そのような
「結果第一主義」によるかぎり、「原爆が投下されたからアインシュタインはダメだ」
「国を滅ぼしたから儒教はダメだ」「マキアヴェッリはダメだ」「ケインズはダメだ」と
ならざるを得ません。
これは〈哲学〉の議論でも「哲学」の議論でもなく、実効性や結果から「政治思想」や
「政体」の優劣を論じる議論だと思います。
143 :
横レス にいなな :2001/06/19(火) 09:36
>>137 > 知識のみにとどまっていて哲学を自身の中に活かしていない
> ように見えますね。
> いわゆる論語読みの論語知らずといえばよろしいでしょうか。
以前の、馬融と鄭玄との譬えでも読んでいただければ幸いです。(
>>103 )
優れた哲学史家や哲学学者(?)が、個人的に聖人君子である必要はないと思います。
キリスト教の歴史を研究する人が、個人的に信仰心が篤くなかったり、仏教徒だったり
すれば、それは「残念なこと」でしょうか?
あと、「定義論」や「範疇分け」は、どんな問題についても、議論をするための前提として
必要なことです。それをパスして、いきなり内容についての議論は、絶対にできません。
「オウムは宗教かカルトか」という議論をするときに、「宗教」とは何か、「カルト」とは何か、という
「定義」が論者によってマチマチなら、その「定義」をウヤムヤにしたまま勝手に所説をぶつけあっても、
そこからは何も生まれません。
「白馬は馬か否か」という時には「馬」「白」の定義でモメることは少ないでしょうが、
このような抽象的な議論の場合には、用語・概念の定義は絶対に必要です。
144 :
にいなな :2001/06/19(火) 09:52
>>133 ごめんなさい。やっぱり
> それと、マキャべりがイタリアを救えなかったのは、彼の思想が採用されなかったからじゃないでしょうか?
> チェーザレ・ボルジアが長生きしとけば、あるいはメディチ家のその後の君主がマキャべりの思想を登用しとけば、だいぶイタリアの様子は違っ
> たと思います。
> マキャべりの思考枠組みがどのくらい有効であったかは、のちに、ヒュームなどの思想家が影響を受けたことも、また、レーニンやムッソリー二
> といった実践家で愛読してた人が政権奪取に成功したことを見ても、よくわかる気がするんだけど。
というのは、納得できません。
一方では、マキアヴェッリについて「仮定法過去」でもって「もし〜ならば結果が出ていただろう」と擁護するのに、
他方では、儒教について「歴史的な結果のみ」を見て「国を滅ぼした、詐欺だ、毒だ」というのは納得できません。
それならば
それと、孔子が中国を救えなかったのは、彼の思想が採用されなかったからじゃないでしょうか?
魯昭公が長生きしとけば、あるいは魯や斉のその後の君主が孔子の思想を登用しとけば、だいぶ中国の様子は違っ
たと思います。
孔子の思考枠組みがどのくらい有効であったかは、のちに、孟子などの思想家が影響を受けたことも、また、王莽や宋太祖
といった実践家で愛読してた人が政権奪取に成功したことを見ても、よくわかる気がするんだけど。
という論法でもって、儒教を擁護できるはずです。
あ、マキアヴェッリはイタリアで採用されなかったけど、儒教は中国で採用された、というなら、
マキアヴェッリを愛読していたというムッソリーニも国を滅ぼしたことを指摘しますので。
145 :
電波男Ψ(´д`)Ψ :2001/06/19(火) 10:56
>>見抜く人さん あなた遁走天国児童さんでしょ? スレッドでお話する場合、先ず過去ログに当たりますね?そして用語の 使い方に共有制を持たせてから話し始めますね。概念定義作業とはそう 言うことから始まるのです。
146 :
ジャコバイト :2001/06/19(火) 11:58
>136 電波男さん 96、98をもう一度読んでください。 特に、懐疑で狂信を克服した中国における精神系譜を具体的に挙げてください。 あと、仏教から中観と如来像が生まれたからといって、どうしてそれが問題なんですか? 僕は、如来像は、仏陀の教えからは遠ざかってると思います。 原爆の投下でアインシュタインが悪いとは思いません。それを使用した軍人・政治家のモラルの無さ、人種差別が問題だと思います。 たとえば、鉄を、農具に使うか殺人に使うかが問題であり、鉄をつくった人が悪いなどということは僕は一言も言ってないはずです。
147 :
ジャコバイト :2001/06/19(火) 12:01
>142 了解しました。では、哲学はドグマではない、ということを提起したいと思います。 それと、鉄器や原子力は使い方の思考枠組みが問題だと思うけど、それそのものが悪いとは思いません。
148 :
ジャコバイト :2001/06/19(火) 12:04
>144 そのとおりですね。 ちょっと拙速に過ぎたようです。 もうちょっと整理してからまた書きます。 ただし、儒教は採用されたけど国を滅ぼした、ってことと、マキャべりは君主論は政権奪取の術であり、リヴィウス論が政体論だと思うけど、そうした共和主義的な政体を採用した、のちのアメリカ・フランスはうまくいったんじゃない? ムッソリーニやレーニンは、共和政体は採用しなかったよね。
149 :
電波男Ψ(´д`)Ψ :2001/06/19(火) 12:14
>>146 ですから法相宗における因明学だと言っております。
如来藏思想がオウム狂気の原因だから如来藏思想は駄目であるという論法を
使ってそれじゃ、如来藏思想を生み出した仏教も悪いことになるではないか?
と煩悶したのです。
それと、あなたは如来藏思想に関してどれだけの知見があると言うのでしょうか?
所詮、松本、袴谷の受け売りでしょ?
150 :
電波男Ψ(´д`)Ψ :2001/06/19(火) 12:15
訂正 煩悶→反問 あはははは
151 :
ジャコバイト :2001/06/19(火) 12:24
>149 因明学が哲学の名に値するとは、前に俺も同意してますよね。 ただし、中国で展開はあったの? それと、あなたがそこまで擁護する儒教における懐疑で以って狂気克服って系譜はやはり挙げられないの?
152 :
考える名無しさん :2001/06/19(火) 12:40
>>148 前に
>>121 の(2)でも言ったと思いますが、
そもそも「うまくいった」か否かが、哲学なり思想なりを
判断する上で、問題となり得るんですか?
だとしたら、墨家の〈思想〉〈哲学〉について、何らかの
判断を下すことは、全く不可能になります。
マルクスの初期の思想についても同様でしょう。
あと、「アメリカがうまくいった」ことと『共和国論』との
因果関係を、私にも解るように示して下さい。
このような論法は
>>94 で放棄されたと思っておりましたが。
>>151 横レス
> オームを生んだから、やはり僕は、如来蔵思想には問題があると思います。(
>>134 )
という論法を敷衍すると、さらに根元である仏教に問題があるとせざるを得ません。
ならば、これは
> 仏教全般が問題があるというわけではなく、(
>>134 )
という発言に矛盾します。
如来蔵思想はオウムを生んだとしても、
如来蔵思想全般が問題があるというわけではなく、
という立場も有り得るのでは?
154 :
名無し組 :2001/06/19(火) 12:51
>>151 因明を学問する中国法相宗は唐代以降の学問傾向に大きな影響を与えま
した。ある意味塗り替えたと言っても過言ではないでしょう。その影響
は朝鮮半島、日本にも及んでおり、日本の文明は法相学抜きでは考えら
れません。これぐらいの高校倫社的な知識は自分で確認してください。
>あなたがそこまで擁護する儒教における懐疑で以って狂気克服って系譜はやはり挙げられないの?
私は系譜のことなど言っておりません。私個人に叩き込まれた道徳としての儒教が心のなかで生きている
ということを申し上げたのです。それは台湾でのことですが。
155 :
電波男Ψ(´д`)Ψ :2001/06/19(火) 12:53
クッキーが飛んでしまったようです。154は私です。 如来藏思想に問題がある根拠をお示しください。松本、袴谷の受け売りではなく。
156 :
考える名無しさん :2001/06/19(火) 13:14
>>154 これ以上議論しても研究者としての信頼性を自分で毀すだけだぜ。
前にも
>>31 でドジったろ。人間性を疑うよ。
157 :
電波男Ψ(´д`)Ψ :2001/06/19(火) 13:35
158 :
電波男Ψ(´д`)Ψ :2001/06/19(火) 13:37
クッキーが飛んでしまう現象を知らないのですか? ネットにあまり詳しくないようですね。 セキュリティーの掛かっているところを何度か経由しているうちに クッキーが飛んでしまうのはよくあることですよ。
159 :
電波男Ψ(´д`)Ψ :2001/06/19(火) 13:38
おまえはつまらんから早く逝っちゃえ!!
160 :
ジャコバイト :2001/06/19(火) 13:42
>152 いろいろ批判をありがとうございます。 にいななさんは、電波男さんと違って、口汚い言葉を使わず、真摯に議論しようとしてくれるのでとてもありがたいです。 まず、94で僕が誤りを認めたのは、確たる論証を挙げずに文革とその後の中国の経済発展の関係を述べたことです。 全ての点にわたって、思考枠組みと行為の関係が存在する、という僕の意見を破棄したわけではありません。 あと、もう一度整理して書きますが、 僕は、認識論・存在論>倫理学>社会・政治思想(ダイナリの方が思考枠組みとして規定する)、というふうに思ってます。 そして、まず、社会・政治思想は、有効性でその価値を判断できると思う。 まず、この点にもにいななさんは、異論がありますか? 実際の社会や政治に資するところがない、政治思想・社会思想は、はたして価値があると言えるのですか? 次に、僕は、政治思想や社会思想を、倫理学、ひいては認識論が規定してくると思うわけです。 ですから、直接、有効性で哲学の価値を問えないのは、あんたに同意します。 しかし、もし、行為や政治社会思想がとても問題があれば、さかのぼって認識論や倫理学の段階で歪みがあるのではないか、という仮説は当然成り立つのではないでしょうか? また、哲学か思想かの問題は、厳密な理論で勝負すること→論理で敗れれば自らの誤謬を認めること→ドグマではない、という試金石で分けられるべきだと僕は思ってます? まず、それに、にいななさんが反対かどうかをお答えください。 そして、大体において、こうした哲学の営みはギリシャに発し、西欧で行われたものであり(東洋にも因明など例外はありますが)、中国ではろくに哲学は無く、やはり杜撰な認識論とドグマチックな倫理学とそれに規定されてあまり発達しなかった社会政治思想、というわけで、マイナスが大きかったろう、といってるわけです。 哲学が、卑近な、直接的効用で測れないのは、同意します。 しかし、認識論は諸学の根本であり、倫理学は人の生き方に密接に関係あると思います。 もし、哲学が、なんの有効性も持たず、世の中の役に立たないなら、あなたがたは何のために学んでいるのですか? 一国の興廃は、精神にあり、そのような立国の精神を決めるのが哲学であるのではないのですか? 一見、役に立たなく見えるのは、遠大でちょっとの時間や事象では計れないということを意味しているのであり、究極的なところで人間を枠付けている、やはり価値のあるものが哲学なのではないでしょうか?
161 :
ジャコバイト :2001/06/19(火) 13:59
>152 それと、如来蔵思想について、以下僕の意見を述べます。 僕は、如来蔵思想とは、人間の心には本当の姿がありそれは素晴らしいものである、といった思想だと思っています。そして、その本当の姿=本当の自分を、仏性とか如来蔵と読んでると認識してます。 それに対して、中観とは、自我は虚妄の観念であり、偽りの自分もなければ本当の自分もない、という思想だと理解してます。 まず、この段階で問題があれば、指摘してください。 同じ、仏教とは言っても、思考枠組みが全然違いますよね。 仏教、という場合、何を以って仏教とするかだと思いますが、この二つをそう分類するには、思考枠組みではなく、単なるシンボルとして仏を尊重するかどうかってことだけじゃないの? もし、思考枠組みで以って仏教かどうか決めるなら、もし「無我」を基準にするなら、如来蔵は仏教ではないと思う。 仏陀は無我を説いたのに、如来蔵はむしろヒンドゥー的な実体思想になってると思う。 あと、オームは極端なものであり、おおむねにおいて、普通は如来蔵であっても、問題はないと言えると思います。 ただし、「ここにいる自分は本当の自分ではない」あるいは「ここにいる社会は本当の社会じゃない」っていう発想、そして「本当の姿は別にある」っていう発想と如来蔵は直結すると思うわけね。 こういう発想は、キリスト教では、グノーシス派が採っているよね。 でも、俺は、本当の居場所なんかどこにもなく、たまたまここにいる場所が居場所なんだと思ってる。 また、本当の自分なんてなく、たまたま今いる自分しかないと思ってるし、自我の本質を求める意志(本当の自分を探す意志)が、ありのままの世界を見れなくして世界を歪めさせてしまうと思うわけね。 オームは極端過ぎる例であり、如来蔵思想一般があのような悲惨な結果を招くとは思わないけど、もしオームが中観を採用しとけば、ああはどうしてもなりようがないと思うわけです。 グノーシスの思考枠組みは、やっぱし極端にいけばとんでもない害毒を、また極端に行かなくても、空観に比べて世界のあり方を歪めてしまうものなのではないかと思っているわけです。
162 :
ジャコバイト :2001/06/19(火) 14:06
>154 それでは、儒教がドグマであり、狂気を懐疑で克服するような営みは儒教の中には無いことを認めるのですね? それと、台湾であなたに培われた儒教精神がどれくらい誠実さと美徳を持ってるかを僕に対して発揮することが、儒教が本当に価値あるものかの一つの試金石じゃないでしょうか? 口汚い言葉を使う前に、浅学若輩の僕に対して懇切丁寧にいろいろ教えて下さい。 僕は、寡徳にして、日本の文明にどれほど法相・因明が影響を与えたか知りません。 奈良の頃に少々あっただけで、その後はあんまり無い、という程度の知識しかないので、具体的事例を挙げて教えて下さい。 それと、前に出した質問も、ちゃんと読み直して答えてください。 仁が無ければ、あなたの学といい礼といい、全て何になるというのですか?
163 :
考える名無しさん :2001/06/19(火) 14:12
>>158 以前使ったことのあるハンドルに飛ぶことはあっても、まったく
使ったことがないハンドルにはならないと思う。詳しく教えて。
164 :
電波男Ψ(´д`)Ψ :2001/06/19(火) 14:14
あなたに対する口汚い言葉とはどういうことでしょうか?
165 :
電波男Ψ(´д`)Ψ :2001/06/19(火) 14:19
>>163 仕組みはよく解らないけど、クッキーで記憶されている部分が消えて
しまうことはよくあるよ。パスワードログインもたまにある。
以前使ったことのあるハンドルで空白の「名無しさん」があったから
かな。?????
166 :
ジャコバイト :2001/06/19(火) 14:19
>164 厨房だとか、高校教科書読めとか、侵略主義者だとか、西洋かぶれだとか、いろいろさ。 俺は、ちなみに、あなたには一言もあなた個人の人格や知識の程度を侮辱する言葉は言っていないはずだ。 むしろ、俺よりも知識のある人だとして、相対してるつもりですけど。
167 :
電波男Ψ(´д`)Ψ :2001/06/19(火) 14:26
>>ジャコバイトさん 私は儒教精神のなかで育ちましたが、聖人ではありません。 世間で言う「極悪人」にならないでいるのは儒教と仏教の おかげだと思っております。 >それでは、儒教がドグマであり、狂気を懐疑で克服するような営みは儒教の中には無いことを認めるのですね? 狂気であるかないか、また儒教の定義は横に置いといて、それは同意します。 奈良時代の法相学は日本の学問水準を引き上げました。とい言うか整備しました。 その後も仏教各派の暴走を防ぐ防波堤にもなりますが、天台、真言の出現により、 その力は衰退します。南都は総合大学の位置付けでもありました。
168 :
ジャコバイト :2001/06/19(火) 14:34
>167 おお、はじめて少し話がかみあった! 感謝します。 しっかし、儒教を学んでらっしゃるなら聖人を目指すのが筋では? あと、それでは、哲学とはドグマではない、という僕の意見と、儒教はだとすれば哲学ではない、という論点についてご意見お聞かせください。 それと、僕のどこが侵略主義者で、西洋かぶれなのかもご説明ください。 それと、哲学は卑近な問題には直接の効果は計れないとしても、一国の精神の興廃を決定するものである、という僕の意見 及び、人間の行為は思考枠組みに決定付けられる、ろいう僕の意見に対するご意見よろしくお願いします。
169 :
にいななさん :2001/06/19(火) 14:36
>>160 > 社会・政治思想は、有効性でその価値を判断できると思う。
その「有効性」の基準も保留したいですね。
儒教は現実に2000年間は統治原理として有効に機能してきました。
スミスの理論はその半分の期間も保たずに破綻しました。
古典中国が最終的に破綻した、というのであれば、
アテネもイオニア諸市もフィレンツェも、最終的に滅亡しました。
アメリカやフランスは、たまたま2001年現在では滅びていませんが、
その社会は、固有の哲学・政治思想によって有効に機能しているのでしょうか。
「有効性で判断する」際の「有効性」とは何でしょうか。
経済的に繁栄すること?効率的に他国を侵略すること?
それとも被支配者を有効に管理すること?
> 行為や政治社会思想がとても問題があれば、さかのぼって
> 認識論や倫理学の段階で歪みがあるのではないか、という仮説は
> 当然成り立つのではないでしょうか?
誰かの政治思想が、その人の認識論や倫理によって規定されることがある、
これは認めましょう。
しかし、政治思想が実際の治績に寄与しなかったから、その根元にある
倫理は無価値だ、というのは、短絡した論理だと思います。
たとえば、儒教の根本には「孝」があります。その上で『孝経』などは、
「孝」を根本に据えた政治思想を展開します。
この「政治思想」は、現代的な観点からみて問題なしとはしませんし、
最終的には否定されてしまいます。しかし、この「政治思想」の根本にあった
「孝」という倫理が歪んでいたということには(直ちには)なりません。
倫理や認識論から政治思想を導く際には歪みは有り得ますし、また
その政治思想から実際に施策を行うまでにも歪みは有り得ます。
原始仏教からオウムが導かれるまでの間に歪みがあったのと同様に。
そのことを無視して、政治思想や施策から、その根底にある(かもしれない)
倫理や認識論を評価することは、両者間の因果関係が立証されない限り、
できません。
> 狂気を懐疑で克服するような営み
教科書レベルのことですが、王陽明が朱子学のドグマに懐疑を抱き克服したことを
指摘します。
王充だの欧陽修だのは評価が微妙なので。
> 論理で敗れれば自らの誤謬を認めること
農家と儒家との間とか、墨家と儒家との間に、そういうのがあったことは
『孟子』に見えます。折伏されて相手の学派に転向するような。
儒者が儒教のテキストを疑うことも、唐宋以降に一般化します。
で、中国思想のドグマとは何を指しておられますか?
170 :
ジャコバイト :2001/06/19(火) 14:36
>169 電波男さん 話は変わるのですが、三論、および日本における中観派の発展についてもお教えください。
171 :
ちょっと混乱してる にいななさん :2001/06/19(火) 15:03
>>160 > ドグマがあり、どんなに論理でおかしいという批判や懐疑を
> 提起されても受け付けない。
これを〈哲学〉と〈思想〉とを分ける試金石、というのには抵抗があります。
そのようなものは、「思想」ではなく、むしろ「信仰」と表現したい。
ここで「哲学」か否か、と問題になっている「思想」、つまり「政治思想」やら何やらと、
オウムやキリスト教のような「信仰」とは、分けて考えたいわけです。
たとえば「天皇陛下万歳!」というのは「思想」ではなく「信仰」だと思いますし、
そーゆーのをマキアヴェッリの「思想」などと同じ「思想」というタームで
一括化すると混乱すると思います。
孟子の主張は「天下を救うのには仁義をもってせねばならない!」という
ドグマに縛られていたので、私のなかでは「信仰」に該当します。
「現実に混乱している天下を救うためには緊急避難も有り得るのではないか?」と
考えた淳于コンの「思想」とは同列に扱いたくない。
〈哲学〉は狭義、〈思想〉は広義、とのことでしたが、ドグマの有無が
試金石だとすると、両者は質的に異なるものとなりかねません。
むしろ〈哲学〉の定義を厳密には満たしていない、いわば〈哲学〉未満のものを
〈思想〉と呼ぶようなイメージがありますので。
172 :
電波男Ψ(´д`)Ψ :2001/06/19(火) 15:11
>しっかし、儒教を学んでらっしゃるなら聖人を目指すのが筋では? 私は儒教を学んでいるわけではありません。儒教の土壌に育ったと言うだけです。どちらかというと仏教徒になります。専攻もインド哲学ですし。 >あと、それでは、哲学とはドグマではない、という僕の意見と、儒教はだとすれば >哲学ではない、という論点についてご意見お聞かせください。 哲学がドグマでないと言うのは了解事項です。儒教はドグマであり、倫理的側面も色濃いものであるという認識を持っています。 >それと、僕のどこが侵略主義者で、西洋かぶれなのかもご説明ください。 侵略主義者とまでは言ってませんが、支配と非支配における文化文明の破壊の要素を見定めないのは支配的な視点があると言うことで指摘したのです。 >それと、哲学は卑近な問題には直接の効果は計れないとしても、一国の精神の興廃を >決定するものである、という僕の意見及び、人間の行為は思考枠組みに決定付けられ >る、ろいう僕の意見に対するご意見よろしくお願いします。 それは私はドグマとは少しニュアンスの違う理念と言う言葉を使いたいのです。哲学は飽くまでも客観的な理性によって測られるものであり、感性が入る余地を許してはならないのです。
173 :
ジャコバイト :2001/06/19(火) 17:00
>169 僕は、政治思想の有効性は二点ではかるべきと思ってます。 @外に対しては一国の独立を保ち、A内に対しては国民の幸福を増進することです。 儒教が2000年の間、それなりに中華世界で機能していたことは否定しません(その間とて儒教を知らない騎馬民族に何回となく征服されてきましたが)。 ただし、近代において、欧米列強の前に一国の独立を保つこともできず、国民の幸福も儒教を捨てて近代化に走った日本と儒教を墨守した中国・朝鮮では段違いの差が生じたと思います。 あと、スミスの理論が破綻したとは、どの部分がですか? 僕は、部分的には破綻してると思いますが(政府・公共財の介入の必要の点で)、分業や市場メカニズムそのものまで破綻・破棄されるべきとは考えてません。 分業や市場の論理は今でも有効であり、生き残ってるんじゃないんですか? 市場や分業そのものまでおかしい、破綻しているというのですか? それに比べれば、儒教の中の社会思想は、市場や分業への視座以前の、農本主義・人治の段階だと思います。 英米仏もいつかは滅びるかもしれませんが、他よりも生き残ってきたし、うまくいってると思います。 そして、それらの運営は、やはり、三権分立や代議制民主主義に基づいてるのではないでしょうか? 共和主義についても、前にお尋ねでしたよね? アリストテレスなどのポリス時代の共和主義が、マキャヴェリによって復活されたわけです。ただし、ポリスへの政治参加ではなく、国家の徴兵制度による軍事的参加に読み替えられて。また、一部的には、合議制を導入し、法の支配をもたらすという主張として。 このようなマキャヴェリの共和主義は、イギリスにおいて受容され、かつアメリカやフランスの革命時に影響を与えました。 共和主義から生まれた合議制と法の支配と国民軍の威力がいかにすさまじかったかは、その後の世界史を見れば一目瞭然と思います(同時代のアジアの劣勢も)。 あと、孝に基づく政治社会構想がまちがいだからといって、孝が問題とはいえない、ってのは同意します。 しかし、孝や徳があれば国が治まるとしきりに主張されていれば、そこからそのような政治思想が生まれてくるのは当然の帰結なのではないでしょうか? かつ、徳目主義が非合理に傾きやすかったのも事実では? あと、陽明学は結局、朱子学に圧殺されちゃったじゃない。 その原因は、朱子学の側の弾圧だけではなく、陽明学の側が、自らの正当性を主張する時に経書を挙げなくちゃならなかったことがあると思うわけ。 だから、清代の考証学に、その読みが独創的かもしれないけど恣意的だと言われれば、対抗しようが無かった。 俺が言うドグマとは、四書五経が聖典だってことだよ。 その解釈で争うことはできても、経書そのものを論理的に否定することはできないし、新しい自分の見解の正当性を論理ではなく経書によってしか示せない。 まぁ、これはキリスト教も同じなんだけど、こういうのって、発展が妨げられない? また、孟子のは折伏であって、論理によって説得してないと思う。 具体的に、こういうところが論理的に説得してるっての示してよ。
まず、孟子のは折伏です。それを否定した覚えはありません。 私が言ったのは、孟子の弟子なんかが他学派の論者に説得されて転向したケースが 『孟子』という「書物に」記録されてるってことです。 スミスが破綻していると言ったのは、「見えざる手」に任せきりで 恐慌を招いたり世界大戦を惹起した「結果」から評価してです。 結果的に中国が滅びたことで儒教が「政治思想としてダメ」なら、上記の理由で スミスも「ダメ」なはずですよ。あなたの「結果主義」によるならば。 英米仏が「他より生き残ってきた」ことは、私は認めません。 まず、たかだか数百年では、少なくとも古典中国よりは短い。 それから、英米仏が「うまくいっている」原因が、あなたのいう 「三権分立や代議制民主主義」であることが未だに論証されてません。 もしかしたら産業革命が理由かもしれないし、体格の相違かも知れないし、 神の意志によるのかも知れないし、もっと下らない原因かも知れない。 少なくとも、英米仏が「うまくやっている」からといって、短絡的に 「民主主義」や欧州の「哲学」が優れていることには なりません。 少なくとも、「民主主義を採用して滅びた国」が多数あったことは事実です。 英米仏の「国民軍の威力がすさまじかった」から、英米仏の政治思想は 素晴らしい、その根底にある欧州哲学もすばらしい、ということにも ならないと私は思います。少なくとも、それ「だけ」の理由では。 13世紀モンゴルの「国民軍の威力がすさまじかった」ことはご承知でしょうし、 当時、モンゴルの独立と国民の幸福は確保されていました。 四書五経が聖典だ、ということは、漢代以降は基本的にその通りです。 が、唐宋以降、経典を疑い、部分的に否定することも一般的となりました。 また、漢代以前には、五経によらない、いわゆる「百家争鳴」がありましたが、 これらは聖典によらない〈哲学〉〈思想〉ではないのでしょうか。 陽明学が朱子学に圧倒された、という認識の是非については措きます。 右派について言えば、確かにそうかも知れませんね。 ただ「狂気を懐疑で克服するような営みの系譜」を求められましたので 陽明個人が「克服」したことを一例として掲げたまでです。 しかしそれを言うなら、ブルーノやガリレイも、キリスト教によって 圧殺されましたよ?
訂正。 > 四書五経が聖典だ、ということは、漢代以降は基本的にその通りです。 五経はともかく、四書が経典になったのは宋代以降でしたね。凡ミス。 あとやっぱり > 近代において、欧米列強の前に一国の独立を保つこともできず、 > 国民の幸福も儒教を捨てて近代化に走った日本と > 儒教を墨守した中国・朝鮮では段違いの差が生じたと思います。 という論理でもって儒教を非難し欧州哲学(と日本の脱亜入欧と)を賛美するのは 哲学研究者の論理じゃないと思います。 どこが? と精密な説明を求められると困りますが。 ローマの拡張に、シリアやエジプトは抵抗できず属州化されてしまった。 けどペルシアは、ローマと互角に戦って独立も保ち「うまくやった」。 だからヘレニズム国家群の制度や思想は間違っていて、 ペルシアの絶対専制やそれを支えた思想は「有効だった」。 ……ではおやすみなさい。
176 :
ジャコバイト :2001/06/19(火) 19:16
>172 しからば、儒教は倫理思想ではあるが、ドグマであり哲学ではない、ということに同意しますか? あと、僕が西洋かぶれだということも、どこがそうなのか説明してください。 それと、電波男さん、仏教を学んでらっしゃるなら、儒教の何が自分にとって必要と思われますか? 先ほど、自分が悪人にならないのは仏教と儒教のおかげ、といってましたが、仏教さえあれば悪人にはならないような気がするのですが。 これは、僕の個人的な関心と質問で他の論点とはあまり関係ないのですが。 あと、以前「あなたは儒教のどこが気に食わないのか?」と僕に質問されてましたが、ご理解いただけたでしょうか? かつ、やっぱりどこかおかしいでしょうか? また、上に書いた、中観と如来蔵、どこかおかしければ教えて下さい! 僕はまだ若僧なので、プロのあなたから見れば知識がたりないのは当たり前として、いろいろ御寛恕とご教示のほどを!
177 :
電波男Ψ(´д`)Ψ :2001/06/19(火) 19:21
少し忙しくなりましたので手短に致します。 >しからば、儒教は倫理思想ではあるが、ドグマであり哲学ではない、ということに同意しますか? ドグマというほどきつい意味合いはありませんが、同意いたします。 儒教での人間関係の基本が必要だと思います。これは思想哲学ではなく道徳です。 私の思想遍歴で仏教がありました。儒教は体に染み込んでしまっているものです。 儒教についてはもっとじっくり時間を掛けたいですね。それと如来藏と中観なんて どでかい思想もじっくりと時間を掛けるべきです。こちらのほうは私の専門に非常に 近い。
178 :
ジャコバイト :2001/06/19(火) 19:27
>174 ですから、結果から見てスミスが部分的に間違ってたことは否定していないじゃないですか。 それから、じゃあ、代議制民主主義や三権分立が政治的に有効ではないことを証明してください。 同じく産業革命を経て、かつ同じような体格だったドイツは、一次大戦でも2次大戦でも負けたんじゃないですか? それと、英米が2、3百年とのことですが、まぁそれは事実として、そのような英米に、2000年の中華は負けっぱなしだったじゃないですか。 それから、モンゴルは、国民軍と言えるかどうかは置くとして、その冷徹な軍事・政治の思考枠組みと商業重視は、同時代の儒教的思考枠組みに優っていたからこそ勝てたのだと思いますよ。 さらに、儒教が国教化する以前の百家争鳴は、中国の中では一番良い時代だったと思います(思想的に)。とはいえ、それもあまり論理でもって闘いあったという気もしないのですが。 それと、唐宋以降、経書を疑い批判する、とは寡聞にしてよく知らないので、具体的にどんな人たちが、どの箇所をそのように批判したのか教えて下さい。 それと、経書を根拠とする思惟のあり方が問題なのであって、弾圧云々だけではないと言ってるはずです。
179 :
ジャコバイト :2001/06/19(火) 19:31
>175 どこが哲学者の使う理屈ではなく、どこがおかしいのか教えて下さい。 それと、ローマの支配に対抗できた点で、セレウコス朝やプトレマイオス朝に比べれば、やっぱりササン朝の方が賢明だったんじゃないですか? まぁ、地理的なものもあったと思いますが。(近代の日本・中国では地理は言い訳にならないですよね)。 それでは、おやすみなさい!
180 :
考える名無しさん :2001/06/19(火) 23:34
哲学も弱肉強食と考える人がいるわけだな。 確かに歴史的にはそういう面もあるかもしれん。 権力者に採用されれば勝ち。 勝てば官軍。 しかし、それをもって「哲学の名に値するかどうか」を論じているのは一体なんだ? あんたらの思想はどうせ負け犬だろうってことか? な〜んも頭を使わないさもしい思想だな。
181 :
見抜く人 :2001/06/20(水) 03:14
>>140 >哲学の前段階作業は定義、弁別という対象の明確化、判明化です。
>その手続きは省略できません。
一般的な理解として哲学を人生の根本原理を取り扱う学問とすると、そこには真
理を探究する真摯な態度が期待されるのは当然です。私は電波男Ψ(´д`)Ψさん
の議論の様子を見ていて「真摯」という部分にいささか疑問があるのです。
人の思想や信条を論じるときに果たしてすっぱりと定義や弁別ができるものでし
ょうか。現在盛んに議論されている儒教にしても様々な面があります。孟子と荀子、朱子学と陽明学では正反対と言える部分もあります。例え同じ孟子であっても学ぶ者の理解の仕方と行動への影響は全く様々です。また思想、信条は人に理解され、その人の行動に影響を与えた結果初めて価値を有するものです。となれば表面的な定義、弁別は思想、信条の真相を表すものではないことになります。そのような定義、弁別に意味があるのは、例えば思想史という学問領域を手っ取り早く構築するというような目的に於いてしかありません。
つまり電波男Ψ(´д`)Ψさんの手法は、学問領域の構築や表面的につじつまの
合う議論を展開する上には有効であっても、研究対象の真実、真相、実相を探求す
る真摯な態度に欠けると言うことです。このことはおそらくご自身でも気がついて
いないのでしょう。
182 :
電波男Ψ(´д`)Ψ :2001/06/20(水) 10:17
明朝まで回線離れますので、書き逃げみたいになりますが。 > 結果から見てスミスが部分的に間違ってたことは > 否定していないじゃないですか。 だから、あなたの論法だと、結果的にスミスが失敗したから、 スミスの政治(経済?)思想の根底にあった哲学なり倫理なりが 間違っていたことになるんです。 > 代議制民主主義や三権分立が政治的に > 有効ではないことを証明してください。 たまたま2001年現在では破綻していない、というに過ぎません。 今後永久に有効とは、だれも言えません。 千年前の中国人は「今後も永久に儒教が有効だ」と信じていたのではないですか。 > 英米に、2000年の中華は負けっぱなしだったじゃないですか。 違います。清朝末期には「負けっぱなし」でしたが、清朝初期には、 英国は清朝に頭が上がりませんでした。 それとも、「清朝初期には儒教は有効で西洋哲学は無効であった、 けれど清朝末期以降、儒教は無効で西洋哲学は有効になった」とでも おっしゃいますか? だとすると、その「有効性」は、普遍的なものではありません。 今後も西洋哲学が有効であるとも限りません。 > モンゴルは、〜その冷徹な軍事・政治の思考枠組みと商業重視は、 > 同時代の儒教的思考枠組みに優っていたからこそ勝てたのだと思いますよ。 はぁ。やはり「結果主義」「軍事的な成功」で「思考枠組」や「思想」を 評価なさいますか。モンゴルの思想がそのようなものだったかは措くとして。 では「公海上での海賊行為に勅許を与える」という政策の根底にあった思想も、 結果的に英国を強くしたから正しいのですね。 > 唐宋以降、経書を疑い批判する、とは寡聞にしてよく知らないので、 教科書レベルの知識ですから、誰かさんに怒られるかも知れませんが、 ・孟子は『書』の武成篇を、自分の常識から批判して採用しませんでした。 ・唐代の春秋三子は、三伝を批判し、自分の見識で経文を理解しました。 ・宋の欧陽修は、『易』の一部を聖人の作ではないと断じました。 ・また宋代には『礼記』礼運篇など多数の儒教経典について批判が提出されており、 少なくとも四書五経を全て字義通りに解しよう、とするのは少数派でした。 王安石の『春秋』批判や朱子の『孝経』批判は有名ですね。 ・清朝考証学者は、経書以外の古典籍を分析し経書と比較するなどの「考証学」で 経典を批判しました。現行の『書』が魏晋南北朝時代の偽作だ、との定説に 至った閻百里(清朝初期)の論断はあまりにも有名です。 以上とり急ぎ。
184 :
T大生 :2001/06/20(水) 15:05
>>182 Ψ(´д`)Ψさんの知識と議論はこびは確かにスゴイのですが、
どうも釈然としない部分があった。今回の181で目から鱗ですね。
モヤモヤ感がかなり晴れました。完全な解ではないものの釈然と
しなかった謎を解くヒントは見つかりました。
Ψ(´д`)Ψさんに一言。見抜く人さのお指摘を謙虚に受け止める
べきです。あなたはこれまで他人を散々厨房呼ばわりしてきたのだか
ら、見抜く人さんを無礼者呼ばわりする資格はありません。ところで
見抜く人さんは案外あなたの身近にいる人物ではないかという気がし
ます。心当たりはありませんか。
185 :
電波男Ψ(´д`)Ψ :2001/06/20(水) 16:06
>>184 見抜く人が誰であるかわかってますよ。2chがはじめての出会いではない。
しかし貴方も無いように関しては何も言及しない人ですね。
議論を始める前に、言葉の定義をしないと何もはじまらないでしょ?
HNを見ると大学生との事ですが、あなたが私の生徒であれば叱り飛
ばすところです。すくなくとも私が教えたK大やO大には貴方のような
見当はずれはおりませんでした。
186 :
電波男Ψ(´д`)Ψ :2001/06/20(水) 16:07
訂正: 無いよう→内容
187 :
考える名無しさん :2001/06/20(水) 16:14
>>184 T大生さん。ボクちゃんも同感です。電波男の議論には空疎感を
感じていたよん。まるで思想の標本作りをしているようだとい
えばよいかな。草花の標本を集めて幾らきれいに分類して眺めても、
野山に咲いていたときの美しさが判らないのと同じ。野山に咲
く花の美しさを感じる感性のない人にはその区別できないとい
うことだね。
電波さん、頑張って! 下等恥的生物を尽く滅する者が応援しているよ もうすぐ応援に駆けつけるよ!
189 :
電波男Ψ(´д`)Ψ :2001/06/20(水) 16:19
>>187 Aを主張しているからと言って、当該者にはA以外のすべてが具備されていない
という誤謬を犯すのなら哲学も思想もする価値は無い。
錯誤を続ける181.184.187にこそ美を愛でる感性があるとは考えにくい。
190 :
考える名無しさん :2001/06/20(水) 16:31
>>185 >すくなくとも私が教えたK大やO大には貴方のような
>見当はずれはおりませんでした。
虚仮威しの説で丸め込んだだけだろ。
191 :
電波男Ψ(´д`)Ψ :2001/06/20(水) 16:34
>>190 根拠を示してください。
議論内容に加わらないようなら、
早くどこかへ逝ってください。
192 :
考える名無しさん :2001/06/20(水) 16:38
>>189 A以外を具備していたら標本の分類だけで偉そうな口利くか?
193 :
電波男Ψ(´д`)Ψ :2001/06/20(水) 16:43
>>192 標本の分類とは?偉そうな口とは?
A以外を具備していないとする根拠は?
194 :
考える名無しさん :2001/06/20(水) 16:48
>>193 物の喩えってことが解らないかな。
これまでの議論・論法のなかに表れているよ。
195 :
電波男Ψ(´д`)Ψ :2001/06/20(水) 16:55
>>194 もう面白くないから早く逝っちゃうか芯でくれ。
196 :
W大生 :2001/06/20(水) 23:47 ID:rV1/9cjU
電波男Ψ(´д`)Ψ さんも一番痛い所を突かれたようだな。 表面的な定義や分別で哲学史や宗教史を構成することが空疎であるという 指摘にはオレも納得できるな。大学の講義のなかでも一番退屈なヤツだっ た。試験は講義録とテキストをひたすら暗記しといて書き出すだけだったぜ。
197 :
電波男Ψ(´д`)Ψ :2001/06/21(木) 00:07 ID:Qh4Pr86c
>>196 ぜんぜん痛くありませんよ。なにを血迷っているのですか?
表面的な定義と言うからには表面的でない定義ということを
想定してるのですね?それは何ですか?
もし表面的でない深層のものを探る場合にも表面的な定義は
絶対必要です。それも解らないのなら学問する資格はゼロです。
198 :
電波男Ψ(´д`)Ψ :2001/06/21(木) 00:12 ID:Qh4Pr86c
哲学史や宗教史は表面定義で構築されていません。思想史を講義するのは その人の思想を掛けて教授するものです。それを一番退屈だなんて評価して しまうのは人間の下らなさを露呈する以外の何者でもありません。 一人芝居なのはわかっております。いい年をしてハクチをこれ以上晒さないように 忠告いたします。>すでに遁走してしまった遁天児さん=キャプテン 某所であなたの感性だけでものを言う非学問傾向はすでにコテンパンにされて いるではないですか。いい加減にしなさい。 反論するなら内容で来なさい。
199 :
電波男Ψ(´д`)Ψ :2001/06/21(木) 00:17 ID:Qh4Pr86c
>>196 >試験は講義録とテキストをひたすら暗記しといて書き出すだけだったぜ。
それで単位が取れたのなら思想、哲学、宗教にかんしては三流以下の
大学です。(笑)オリジナリティがないと私は及第点を与えません。
200 :
考える名無しさん :2001/06/21(木) 02:34 ID:gknys03g
>>電波男さん 事情が何もわからない通りすがりの者ですが、一言だけ。 「実るほど頭を垂れる稲穂かな」 こんな言葉はもちろんあなたはご存じでしょうが、知識として知り、あるいはそれを講義できるだけでは何の意味もないのですよね。 これはもちろん私にも当てはまることです。 某所というのはひょっとして私も参加していた空間でしょうか? ちなみにその空間において私の知る遁天児さんとキャプテンさんは、全くの別人でしたが。
201 :
考える名無しさん :2001/06/21(木) 06:53
>ジャコバイトさん >中国の政治思想・及び実際の政治史は、特に西洋と競合することになった近代の歴史において著しい無能と失敗を見せつけたから。 横からすみませんが、日本って中国の影響を受けていますよね。 日本の近代化は、和魂洋才だと思うのですが、どうお考えですか? 戦前の日本は、良い意味でも悪い意味でも哲学や思想の面では、 日本化されたもだと思うのですが… >それと、オームを生んだから、やはり僕は、如来蔵思想には問題があると思います。 >ただし、仏教全般が問題があるというわけではなく、中観派は基本的に支持してます。 そうすると統一教会を生み出したキリスト教って駄目になっちゃいますよね。 これって、オームの解釈がカルト的だっただけだと思うのですが… 蛇足ですけど法相宗は、仏教においては、六師外道とされ釈尊や竜樹に、 日本では最澄に論破されております。なんでも宇宙を物の集まりと考える (事件の集まりと考えるのは仏教)ようで、実体論や本質論といった 西洋哲学的な部分を持っているようです。逆に言えば、仏教は非常に 論理的なのですが、実体論や本質論を前提に考えると訳が分からなくなります。
202 :
電波男Ψ(´д`)Ψ :2001/06/21(木) 07:09
>>200 だからね、言葉の定義しかしていない段階でそれ以外は無能であると
決め付けて非難するのは愚かだと言うのです。そのような人は言葉の
定義をろにします。貴方を含めて。
>>201 法相宗は玄奘三蔵を改組とする瑜伽行唯識派の仏教です。六師外道では
ありません。また最澄と徳一の論争の視点は様々で、論理的に見ると、
最澄の主張は仏教としては破綻しております。
203 :
電波男Ψ(´д`)Ψ :2001/06/21(木) 07:17
訂正 改組→開祖
204 :
電波男Ψ(´д`)Ψ :2001/06/21(木) 07:21
簡単に言えば、最澄の「人間のあり方はそのままですでに仏と同じだ」 と言うのに対して徳一は「現実の人間存在は悪いことだと解っていても せざるを得ない苦しみがあり、どうあがいても解決できないところに また悩み苦しみが掛かってくる。そして悪循環に陥っている」と見る。 現代の視点で見ればどう評価しますか?
205 :
通りすがりの愚か者 :2001/06/21(木) 12:12
>>202 電波男さん
>>だからね、言葉の定義しかしていない段階でそれ以外は無能であると
>>決め付けて非難するのは愚かだと言うのです。そのような人は言葉の
>>定義をろにします。貴方を含めて。
「ろ」は「ないがしろ」でしょうか。
別に私は愚かでも構いませんが、見当違いなところで人を非難しまわっている可能性のあるあなたがお気の毒だったからレスしただけです。
あなたに対して意見を言う人は、みな全て敵対者とみなされ、「愚か者」の烙印を押されるようであり、その点が残念です。
定義ですか?
定義もやはり熟していくものであって、議論する上では「一応の定義」(これは変更される可能性を含んでいるからです)をもとにせざるを得ないでしょうね。
意志疎通のためにはタームを用いざるを得ないのも事実だから、定義をいつも見つめながら議論していく必要はあるでしょう。
しかし、仁とか忠恕とか誠とか仁義とか、あるいは天とか理とか気とか心とか性とか、こういった概念をきちっと定義できるかと言えば私には全く自身がありません。
これらを自信をもって定義できるようになったら、それは儒者として一応完成したことを意味するのではないでしょうか。
「一以貫之」
電波男さんにとって一とは何ですか?
206 :
電波男Ψ(´д`)Ψ :2001/06/21(木) 12:24
>>205 >定義もやはり熟していくものであって、議論する上では「一応の定義」(これは変更される可能性を含んでいるからです)をもとにせざるを得ないでしょうね。
だからその作業をしているのですよ。まだその先には踏み込んでいません。
>しかし、仁とか忠恕とか誠とか仁義とか、あるいは天とか理とか気とか心とか性とか、こういった概念をきちっと定義できるかと言えば私には全く自身がありません。
>これらを自信をもって定義できるようになったら、それは儒者として一応完成したことを意味するのではないでしょうか。
定義しきれる性質者もではないと私も考えていますよ。儒教を否定的に意味付け(定義ではない)ようとする傾向に対して
私は反対するのです。仰る倫理側面を定義してしまえばそれこそ良くない意味でのドグマに陥り、私のもっとも嫌うものに
なります。
いまは哲学の定義の話です。なにか勘違いしていませんか?
>「一以貫之」
>電波男さんにとって一とは何ですか?
このような唐突な質問は吐き気をもよおすほど嫌いです。
207 :
通りすがりの愚か者 :2001/06/21(木) 12:32
>>206 >>いまは哲学の定義の話です。なにか勘違いしていませんか?
あなたの講義スレだとは知りませんでした。
通りすがりに間違えている箇所を見たので指摘しただけです。
あなたの講義に参加するつもりはないので、退散します。
ちなみに哲学の定義を考えるなら、歴史的には日本の西周や井上円了が何をもって「哲学」と呼んでいたかが気になるところです。
>>>「一以貫之」
>>>電波男さんにとって一とは何ですか?
>>このような唐突な質問は吐き気をもよおすほど嫌いです。
そうだろうと思いました。
自分の中の核たる思想に自信があれば、人を非難しまわることは恐らくあり得ないでしょうから。
208 :
電波男Ψ(´д`)Ψ :2001/06/21(木) 13:25
>>207 なら早く撤退してください。迷惑です。
ここは私の講義の場所ではありません。哲学の定義を中国思想という題材の中
皆さんがで探ろうと試みているのですから。
前スレでは遁天児さんという方が自爆されているのに気づかず、幽霊として
出没されていました。
あなたもその幽霊でないことを祈ります。
あ、最後に
>自分の中の核たる思想に自信があれば、人を非難しまわることは恐らくあり得ないでしょうから。
このスレッドの文脈でカミングアウトするほど下品で無粋ではありませんから。
私が人の「思想」を非難してると錯誤されたのですね?それは貴方の思想が砂上の
楼閣だからでしょう。私が非難しているのは間違った論理だけです。
それでは永久にさようなら。違う世界のお人よ。
209 :
電波男Ψ(´д`)Ψ :2001/06/21(木) 13:38
遁天児さんは老荘思想と称してそこに自分の思想をカミングアウト させてたなあ。その手法だと責任逃れできるし体系の自己構築という 血の出る苦労も省略できるしなぁ。でも一番卑怯な手法でもあるな。 ま、だから自己撞着爆裂してしまって出てこれないのでしょう。
210 :
電波男Ψ(´д`)Ψ :2001/06/21(木) 13:46
>>「一以貫之」 >>電波男さんにとって一とは何ですか? >このような唐突な質問は吐き気をもよおすほど嫌いです。 もう少し詳しく説明すべきでしたね。 古典を探索している時に人の日記の独白を強要する物言いには吐き気をもようします。
211 :
ジャコバイト :2001/06/21(木) 14:29
>183 にいななさん うーん、なんか議論がかみあってないような・・・。 俺は別に永遠に効果があるなんて言ってるのではなく、現時点では西洋哲学のほうが儒教よりは効果があるのは事実でしょ、ってことを言ってるだけ。 また、そのおのおのの時点でってこと。 イギリスも、その時点ではドレークとか登用して成功だったでしょ。ただ、それをずっと続けてたらうまくいかないから、やぱりやめた。それでいいんじゃない? 普遍的に、海賊行為はいけないと言いたいの? それと、部分的にテキストを採用しなかったことは以下の例でわかったけど(知らないのも中にはありました。勉強になりました)、なんかさぁ、結局時代考証とかで批判してるわけでしょ。 うーん、俺の言いたいことをまた反復するのもなんだけど、それって論理で反駁してんの?あと、テキストの説そのものを反駁してるわけじゃないんじゃないの?
212 :
ジャコバイト :2001/06/21(木) 14:36
電波男さん ところで、僕が前に書いてた如来蔵と中観への理解、問題あったら、いろいろ教えて下さい。 あと、儒教が、倫理思想としては価値がある、ってあなたは言いたいんですか? かくいう僕も、儒教が血肉化してしまってる部分があって、そのために日頃から学問やら国事に肝脳を砕いてるわけですが、この問題は徹底して考察したいと思います。 ただ、倫理思想として儒教のどこに価値があるかを考察する前に、以下のことを確認したいのですが。 @儒教は哲学ではない。 A儒教の認識論は未発達・杜撰なものであり、因明や西洋哲学に劣る。 B儒教の社会・政治思想は、倫理の価値とは区別して論じられるべきである。しかし、儒教の社会・政治思想は西洋にはるかに劣り、この部分に限っての脱亜入欧は正当である。 この3つに同意しますか? もし、同意するなら、倫理思想としての価値を論じるのに入りたいのですが。
213 :
電波男Ψ(´д`)Ψ :2001/06/21(木) 15:39
>ところで、僕が前に書いてた如来蔵と中観への理解、問題あったら、 >いろいろ教えて下さい。 これはこのスレッドが終わって、改めてお話したほうが好いでしょう。それほど重要で広範囲にわたる問題です。ただ、一言申し上げると、松本、袴谷両氏の反如来藏思想の動機付けは道元の思想にあります。そこには天台宗の佛性思想や本覚思想に対する反発があり、その流れで如来藏思想を批判するのです。天台流の本覚思想とは区別して考えなければなりません。天台本覚思想批判は仏教の本義から見て私も同意するところなのです。 >あと、儒教が、倫理思想としては価値がある、ってあなたは言いたいんですか? 儒教の道徳倫理は実は台湾へ行く前からすでに日本の土壌にあるものから影響され、体に染み付いていて、台湾で補強されたと言うべきでしょうか。その道徳倫理は私にとって、思考を経過しないで体がそのように動いてしまうのです。勿論完全と言うには程遠いですが。しかし、仏教で勧めるところの数々の道徳倫理にも同じ要素が多く、違和感がありません。しかし改まって概念化して道徳倫理を見た場合、もはや実践徳目ではなくなってしまうような気がします。けれど、子供に対する教育となれば別の見解が必要でしょう。 >@儒教は哲学ではない。 >A儒教の認識論は未発達・杜撰なものであり、因明や西洋哲学に劣る。 >B儒教の社会・政治思想は、倫理の価値とは区別して論じられるべきである。しか >し、儒教の社会・政治思想は西洋にはるかに劣り、この部分に限っての脱亜入欧は正 >当である。 少し言葉がきついようですが、大筋で同意します。儒教を大切にしている韓国でも、認識論や政治思想、は儒教に支配されているわけではありません。そのような体裁を取ることはあるでしょうが。それと国民的な意識としては儒教ではなく道教に深く影響されています。これは日本でも同じですね。 >もし、同意するなら、倫理思想としての価値を論じるのに入りたいのですが。 はい、結構です。もともと私は儒教に対して道徳倫理的な価値しか見出しておりません。それ以外での利用は危険ですから。
214 :
ジャコバイト :2001/06/21(木) 16:40
>213 おお、ついに意見が一致した! 長らく議論をしてきた甲斐がありました。 ありがとうございます。 それでは、これから倫理思想としての儒教の吟味に入っていきたいと思うのですが、以下の点についてどう思われますか? @儒教は規範的な議論としては優れているが、「あるべき姿」ばかり論じられていれ、「現にある人間の姿」への考察・観察が著しく欠けている。人間本性そのものへの洞察は、西欧哲学に比べて劣るのではないか? A儒教特有の規範性とは何か?また、その中で他にはない優れた点は?
215 :
一度だけの :2001/06/21(木) 16:49
電波男Ψ(´д`)Ψという人の口癖。 「定義づけは大事。このハクチ。おもしろくないからはやく逝っちゃえ!」 これが儒教の中で育った人間の発言かあー。むべなるかな。 私は今までロムってたものですし、この方面の知識ないので文字どおり 今回限りで逝きます。さよなら。
216 :
ジャコバイト :2001/06/21(木) 16:59
>201 和魂洋才、ということに異論はありませんが、その定義をどうするかですよね。 僕は、戦前の日本が、皇室と日本語を保ったという点において、和魂というか大和魂だし、そこから生まれる独立の気概が果たした役割も大きかったと思う。 ただし、まず、政治・社会思想においては、はっきりと儒教を捨てたと思います。まず、伊藤博文ら政府側も 統治形態はドイツ国家学を学んでつくってるわけで、儒教的な統治形態は捨ててるわけです。かつ、自由民権の側も、統治形態としては、フランスのルソーなどを学んでるわけです。その後は、社会主義者も国家社会主義者も、つまり幸徳秋水や北一輝も、マルクスなどの概念装置でモノを見て語ってるわけです。 倫理の面においては、部分的に儒教が生き延びている部分もあるし、部分的に儒教を捨て去ってる部分もあると思います。 教育勅語は、儒教そのままではないですよね。遵法精神や、「智能ヲ啓発シ、徳器ヲ成就シ」といった能力主義は、「必ずや訴えなからしめんか」や「徳は器ならず」といった元の儒教からは大きく変化して近代に適合的にアレンジしてあると言えます。まぁ、その上で、人倫の部分で儒教を生かそうと西村茂樹や元田永フは考えたわけでしょう。 しっかし、福沢諭吉は倫理面も含めて儒教の全面破棄みたいなことを言ってたわけで、そうした福沢門下から、三井三菱を担う実業家が輩出したと言えると思います。 軍事面でも、儒教べったりの乃木将軍が無能だったのは明白。 日本化、という言葉で、あなたは何を指してるのですか? それは、儒教とはどのような関係があるのでしょうか? それと、キリスト教の中には、統一教会の陰・陽の発想はなく、あれはマニ教的二元論、もしくはグノ―シスとして正統キリスト教からは異端とされてきた思考枠組みです。 僕は、思考枠組みを常に問題としてるわけで、シンボルでくくった場合の宗教カテゴリーを問題にしてるわけではありません。 ですから、如来蔵は、仏教というより、ヒンドゥーなどの実体論に近づいたものであると僕は理解してると言ったはずです。 思考枠組みで言うなら、キリスト教とグノーシスは別物であり、中観(僕が正統仏教と思うもの)と如来蔵は別物と思ってます。
217 :
考える名無しさん :2001/06/21(木) 19:14
相変わらず、現実感のない話を展開してるんだね。実際、中国哲学なんて 学問にすぎないくて誰も感心なんてもってないでしょうが?西洋対東洋っすか? アナクロニズムじゃない!
>>211 半日かけても接続が回復しませんでした。
他プロパから書き逃げ。
あなたは、ある国や勢力が「現実にうまくいってる」のは、
その採用している政治思想が優れているからだ、という論法と、
政治思想が優れているのは、その根底にある思想や倫理が
正しいからだ、という論理で、儒教を批判しておられます。
儒教を採用していた中国は欧米にかなわなかったから、
儒教はダメで、西洋の政治思想や西洋の哲学の方が
優れているんだ、と。
ドグマが云々以前に、あなたはまず、この段階で儒教を評価してます。
ここまでは認められますか?
いや、確認させて下さい。下記の命題について、あなたのお考えを
聞かせていただきたい。
(1)ある国が、対外的に独立を維持したり、国民を幸福にしていると、
その国の「政治思想」が優れているということが、
「それだけで直ちに」言える。
(2)ある「政治思想」が優れている場合、その政治思想の根底にある
(とされる)倫理・思想・哲学が優れていると、「それだけで直ちに」言える。
(3)ある国が、独立を維持できなかったり、国民を不幸にした場合、
その国が採用している「政治思想」がダメであることが
「それだけで、直ちに」言える。
(4)ある「政治思想」がダメだった場合、その政治思想の根底にある
(とされる)倫理・思想・哲学も「それだけで、直ちに」ダメである。
219 :
ジャコバイト :2001/06/21(木) 19:32
>218 3は、まぁどれくらいの時間ではかるかは問題だけど、確実に言えると思う。 1、はその国がその思想を採用していれば、言える。 2、も言えると思う。 4、はどういう風な関係の持ち方だったかが難しいけど、その関係を確定できたら、言えると思う。
一体何だこれは・・・→
>>188 あのう、なんで儒家たる者人を食わなければいけないのでしょうか?
221 :
T大生 :2001/06/22(金) 01:50
>>214 >>216 なんだジャコバイトと電波男Ψ(´д`)Ψ の出来レース議論か。
ひとり芝居じゃないのか。
ところでこのスレの最高のカキコは見抜く人さんの
>>181 でしょう。
私もほんとに目から鱗でした。ありがとうございました。
>思想、信条は人に理解され、その人の行動に影響を与えた結果初めて価値を
>有するものです。となれば表面的な定義、弁別は思想、信条の真相を表すも
>のではないことになります。そのような定義、弁別に意味があるのは、例え
>ば思想史という学問領域を手っ取り早く構築するというような目的に於いて
>しかありません。
この見抜く人さんのこの議論を聴いて、私なりに思うところをまと
めてみました。
見抜く人さんの議論は言われてみれば当然です。しかし私がこれ
まで読んだものにはこのような指摘はありませんでした。人間の知
的活動のメカニズムが解明されていないため、思想の真の姿を捉え
るのは簡単でないが、少なくとも多面的な複雑さをもつことは間違
いないでしょう。これを全く無視して後から体系化しやすいように
皮相的な定義付けや分別を行うのは本末転倒ですね。結果的に議論
は悉く空疎なものになり果てています。これを別に言い換えれば自
分の説に合うように対象をトリミングしているのです。それをもっ
て学問をした、研究をしたと言うならば学者、研究者の風上に置け
ぬ輩というべきです。そして電波男Ψ(´д`)Ψさんは、実にその
類の研究者であるといえるでしょう。その卑劣な人間性は議論の中
で相手をを口汚く罵るところにもよく表れています。
私の結論「似非研究者の電波男Ψ(´д`)Ψよ、逝ってよし」
222 :
201 :2001/06/22(金) 06:46
>ジャコバイトさん 正統と異端を区別するなら了解です。 でも結局のところ解釈の歪み=異端なのですから、オームも異端ですよね。 それから中観(ジャコバイトさんが正統仏教と思うもの)と如来蔵は別物っていうのは同意見です。 日本化とは、西洋哲学のジャパナイズとでも考えてください。明治政府は、確かに国家体系を西洋から輸入したけれど、あくまでも手段としてのものであって、その背景まではしなかったと思います。今でいうと単なる輸入学問ではなく、日本に適した形にアレンジするということです。これが即西洋哲学となるのかどうかという事なんですけど、和魂洋才の定義に関わる問題ですよね。 つまり儒教との関係ではなく、西洋哲学が社会発展に即役に立つのかどうかという事です。上記の意味で、西洋哲学の日本化がなければ成功しただろうかということです。
223 :
下等恥的生物を尽く抹殺する者 :2001/06/22(金) 06:49
>私の結論「似非研究者の電波男Ψ(´д`)Ψよ、逝ってよし」 これは又クソの役にも立たない結論が出たね(W 相手を罵る事を非難しながら「T大生」とかいう奴は自分も同じ事を している愚か者 結局こいつの意見は、内容がまるでなく単なる他人の批評でしかない 能無しだって事さ、逝ってよし、ってか(W
224 :
201 :2001/06/22(金) 06:58
>電波男Ψ(´д`)Ψ 論破したという言い方は、マズイですね。 それから六師外道=法相宗というのは、単に西洋哲学的視点を持つという点でなので。 それがいいたかっただけで、まあ、禅門答などのは訳が分からないけど、実は論理的なんだ…ともね。 >最澄の「人間のあり方はそのままですでに仏と同じだ」 と言うのに対して徳一は「現実の人間存在は悪いことだと解っていても せざるを得ない苦しみがあり、どうあがいても解決できないところに また悩み苦しみが掛かってくる。そして悪循環に陥っている」と見る。 これって様は解釈でしょう。ただ視点の違いが、こういう考えの違いを生むというわけで、釈尊の仏教の流れでは徳一的思考はありえないわけです。よくも悪くも宗教なので、ドグマ的になるのは否めませんから。もちろん、どちらが正しいかは別問題ですけど、この意味では、法相宗は仏教じゃないなと。ただ哲学としては相対化してみざるをえないですけど。
225 :
考える名無しさん :2001/06/22(金) 08:52
>>224 201さんの話、もっと聞きたい。すごく興味ある。わかりやすいし、耳あたりのいい口調でほっとする。
こういう穏健な人ばかりだといいのに。
226 :
電波男Ψ(´д`)Ψ :2001/06/22(金) 09:16
>>224 中国、日本で展開された仏教と言う視点で見ると徳一的な思考に違和感
があるでしょうが、釈尊そのもの、つまり仏教の本質にせまると実は
徳一的な思考が主流になります。本来仏教にはドグマに支配される宗教
ではありません。飽くまでも人生、世界を冷徹に冷静に眺めて、それから
生き方を模索するのです。
私は諸問題があるにせよ、法相宗こそが、仏教的だと考えます。
227 :
考える名無しさん :2001/06/22(金) 11:00
>>221 対象のトリミングねえ、ふむふむ。電波男Ψ(´д`)Ψのやり方をうまく
表現してるね。別スレ立てるか。
228 :
考える名無しさん :2001/06/22(金) 11:03
227の続き
>>221 >なんだジャコバイトと電波男Ψ(´д`)Ψ の出来レース議論か。
>ひとり芝居じゃないのか。
ボクにもそのように見える。
229 :
見通すもの :2001/06/22(金) 11:08
221=225=227=228=??? がははは。
230 :
哲学板住人 :2001/06/22(金) 12:52
228 などの煽り諸君へ。 まじめな議論にチャチャを入れないで欲しい。 もし入れたければ哲学的なウイットにたんだやり方でお願いします。 それが出来ないのであれば、議論の内容に参加してください。 例えば定義付けにおける価値観の妥当性についてとか、論理空間の 限定範囲などの哲学的作業をしてください。 でなければ非常に迷惑ですから出て行って欲しいものです。
231 :
W大生 :2001/06/22(金) 13:00
昼休みにまた覗いてみたが書き込みが多いな。
オレも書こうと思ってたらT大生クンに先をこされちゃっだぜ。
>>221 >人間の知的活動のメカニズムが解明されていないため、思想の真の姿を捉え
>るのは簡単でないが、少なくとも多面的な複雑さをもつことは間違いないで
>しょう。これを全く無視して後から体系化しやすいように皮相的な定義付け
>や分別を行うのは本末転倒ですね。
これには、激しく、激しく同意
研究の対象を都合良く定義したり、弁別したりすれば、そりゃどんな
議論でもできるわな。オレが思想史の講義を退屈に思ったのも各々思
想を葉のない枯れ木にして較べようって話だったせいだ。
んでオレもT大生クンに倣って結論といこうか。
「哲学の枯れ木研究家、電波男Ψ(´д`)Ψよ、逝ってよし」
232 :
考える名無しさん :2001/06/22(金) 13:10
>>230 哲学板住人さん、君は電波男Ψ(´д`)Ψの弟子かい?
233 :
哲学板住人 :2001/06/22(金) 14:20
>>232 電波男さんとは縁も所縁もありません。
私の専攻は数理哲学のオーバードクターです。インド哲学とは程遠いですね。
>>231 ほんとうはお一人でしょうけど、君たちは最低最悪の人種です。
論証無しの結論で「哲学の枯れ木研究家、電波男Ψ(´д`)Ψよ、逝ってよし」
なんて人を非難抽象するなんて論外です。
君たち学部生にはもっとすべきことがあるはずです。
234 :
ジャコバイト :2001/06/22(金) 14:57
あの、言っとくけど、電波男さんと俺は全くの別人です。 電波男さんは学者さんでしょうか?東京の人? 俺は、玄界灘の辺に住む、一学徒です。
235 :
電波男Ψ(´д`)Ψ :2001/06/22(金) 15:46
>>234 あ、私は大阪、奈良に生息する以前は大学教員だった一研究者です。
現在は著述活動、や脱会カウンセリングをしており、日々の糧のた
めに建築設計をしております。(笑)
236 :
電波男Ψ(´д`)Ψ :2001/06/22(金) 15:51
>>233 思想オタクはその域を出ることは絶対に不可能です。
考える訓練を受けたかどうかの違いが如実に現れて
います。
>例えば定義付けにおける価値観の妥当性についてとか、論理空間の
>限定範囲などの哲学的作業をしてください。
哲学系の学科では最初に受ける訓練です。これは自然科学系でもまったく
同じですね。自然科学ではこの訓練を受けないといかなる結果も導き出せ
ません。文系では必要ないと考える人が多いようですが、「ものの見方考
え方」、筋道のたてかたと言う学問の基礎以前の問題です。
Wならそんな訓練受けてないのかもしれません。少なくとも旧帝大系では
そこのところキチンとしていないと大学院への門は閉ざされます。
237 :
ジャコバイト :2001/06/22(金) 17:15
>222 201考える名無しさん 同感です。 ところで、考える名無しさん(できれば他と判別しやすい名前を名乗ってぜひ議論に参加して欲しいのですが)は、和魂の具体的な中身は何だと思いますか? 僕は、皇室と日本語かと思うのですが、他にも思いつけば教えて下さい。 それと、明治における西洋の「日本化」はいろんな問題を抱えてますよね。 一番、「日本化」だったなぁ、と僕が思うのは、皇室を中心に擬似家族的に(もしくは擬似公共的に)、近代国家を形成していったことと思います。 つまり、村のメンタリティを残したまま、日本全体をでっかい村にすることで、公共性をつくりあげた。 そのおかげで、近代化に成功した面もあって、そうしなけりゃ成功しなかったろうし、反面同調圧力の強力な国になってしまったし、内発的変革ができにくくなってしまい、敗戦に結びついてしまった部分もあると思う。 この、擬似家族か、それすら捨て去って西洋型の市民社会にするか、ってのは難しい点で、明治では儒教的な論客、元田永フや頭山満は前者をめざし、洋学者系の、福沢諭吉や田口卯吉は後者を目指してて、結局政府の伊藤博文や、あと在野でも徳富蘇峰らはその折衷で切り抜けたんだと思う。 でも、常に、この合理的・西洋的な「市民社会的なもの」を貫徹しようとする動きと、心通い合う藩的・村的な「土俗的なもの」の復興に執着する動きとが、拮抗し争ってきたのが日本の近代史かと僕は思うんですが、いかが思われますか? 2.26の青年将校や三島由紀夫なども、後者の典型と思います。 そして、それらに惹かれる心も、僕の中にはあるんですけどね。
238 :
回線トラブル中 にいななさん :2001/06/22(金) 18:06
常時接続も、トラブったらゴミ以下ですよね。 接続困難な状況ですので、遅スレはご容赦下さい。 > 219 みなさんジャコバイトさんの立場に異論はないようですね。 では、 ・東欧がモンゴルによって征服されたのも、 ・中国が欧米列強によって植民地化されたのも、 東欧や中国が採用していた思想がダメだったからだ、と いうことになります。 ・アレクサンドロスが世界を征服したのも、 ・秦が天下統一したのも、 ・イギリスがアヘン戦争に勝利したのも、 ・アメリカが世界の憲兵のままでいるのも、 彼らが採用していた思想が優れていたからだ、と いうことになりますね。必然的に。 ここまでも、よろしいですか? >>有象無象様がた 「中国哲学は哲学なのか?」 「それを考えるには、まず『哲学とは何か』のコンセンサスが必要だ」 という議論の中に乱入してきて、 「そんな定義ばかり考えるな」 とか 「おまえには美を愛でる感性がない」 とか 「表層的な定義は空疎だ」 とか 寝言をいうのはやめて、どうぞ御勝手に 「老荘思想を賛美するスレ」 でも 「東洋思想はすばらしいスレ」 でも立てて下さい。
失礼 >彼らが採用していた思想が優れていたからだ 彼らが採用していた思想が、侵略するのに優れていた と云ってくれ(分かってるだろうが)
240 :
ジャコバイト :2001/06/22(金) 19:23
>238 東欧がモンゴルに占領された経緯は詳しく知らないので教えてくださいな。 知らんからなんとも判断できん。 中国が欧米列強に植民地化されたこと、それと日本と違ってますますその深みにはまってたのは、そりゃ採用してた思想が無能だった証拠でしょ。 たぶん、あなたが言いたいのは、中国の側が正しく、侵略した欧米が悪いってことじゃないの? そりゃ、アヘン戦争もアロー号事件も、なんの正義もイギリスにはないと思うよ。 林則除は立派だったと思う。 だがね、政治思想として、どちらが国を富ましめ強くして、以って独立を保たしめたかは一目瞭然でしょ。 それに、儒教を固守して滅びて屈辱と貧困を国に招き寄せた中・韓の指導者よりかは、明治期の日本の政治家こそ独立とアジア解放の栄光をつかみとれたとは思わんの? アレクサンドロスがペルシャに勝つ背景には、ギリシャの高度な技術力があり、その背景にはそうしたものを生む政治体制とそれを支える思想があったのは明白でしょ。 秦の天下統一の背景にも法家の思想があったのはよく言われること。 アメリカが世界の憲兵であることが可能なのは、ファシズムや共産主義を打倒し、かつ未だに強国であることを可能にした、制度とそれを支えるエートスがあったのはあなたもわかってるんじゃないんですか?
241 :
双丸一(201) :2001/06/23(土) 01:55
>電波男Ψ(´д`)Ψ >釈尊そのもの、つまり仏教の本質にせまると実は 徳一的な思考が主流になります。本来仏教にはドグマに支配される宗教 ではありません。飽くまでも人生、世界を冷徹に冷静に眺めて、それから 生き方を模索するのです。 電波男Ψ(´д`)Ψ さんの考えは、わかります。 でも、この視点というのはは、哲学的つまり学問として仏教を見ているのであって、 宗教として仏教を見ているのではないと考えます。つまり相対化し過ぎているのであり、オームを評価した学者や文化人と同じ視点だと思うのです。 仏教を考える上で、というより宗教を考える上で重要なのは、相対化する事ではないと 思うのです。仏教で言えば、釈尊が否定したものは、やはり否定されるべきであるし、 最澄の流れを組む宗派であれば、やはり最澄が否定したものは、否定すべきなのです。 (もちろん科学的根拠により否定された事柄に関しては、別ですが) つまり六師外道も法相宗の徳一も否定すべきのです。確かに徳一は、「飽くまでも人生、世界を冷徹に冷静に眺めて、それから生き方を模索」するのでしょう。しかし、 その前提が誤っているのであれば、結論もまた間違っていると言わざるを得ません。 釈尊は、宇宙・世界は「物の集り」ではなく「事件の集り」と考えていました。 事件・出来事の集りであるから諸因諸縁が寄合う−−つまり縁起ですよね。 「物の集り」では、縁起説は導く事ができません。 続きます。
242 :
双丸一(201) :2001/06/23(土) 01:56
>電波男Ψ(´д`)Ψ 続きです。 そしてまた「事件の集り」とするからこそ(因や縁によって結びついているのであり、 単独で存在する事は不可能だから)、無実体・無本質(無我・無自性)になるのです。 あえていえば因縁が結びついている「仮有」と因縁が断たれている「仮無」でしか ないのです。だからこそ矛循律に反する「非有非無」(空)が成立するわけです。 だから推理推論して実際にある/ないとする西洋哲学的思考ではなく、 反省判断する際に便宜上ある/ないとするのが仏教なわけです。 法相宗の前提にあるのは、西洋哲学的な実体論・本質論なので、実は最初から 仏教を否定しているのです。たとえ「飽くまでも人生、世界を冷徹に冷静に眺めた」 としても、最早それは人生論であり、仏教ではないのです。 この辺は、ハーバーマス(構造−機能主義)とルーマン(機能−構造主義)の論争に 近いものがあります。社会をシステムとして捉えるとして、先に構造(組織などのアクター)を、次に機能(アクター間の関係や影響)を考えるのか、その逆か という事です。 結局、最終的には価値観ですけど。
243 :
双丸一(201) :2001/06/23(土) 02:42
>ジャコバイトさん 和魂についてですよね。 例えばジャコバイトさんがアダム=スミスやケインズをあげて、経済発展を例に あげていましたが、日本では江戸時代に基礎は作られていますよね。 いわゆる商道ですが、これはスミスやケインズとは全然関係無いし、 町人文化なのだから儒教的要素をたぶんに含みますし、未だに根強く残っていますよね。日本型経営だとか、日本独自の経済行動とか(系列・談合など)。 こういったのは教育勅語にもありますし、地方の教育としての青年団なんかにも あります。 それから輸入学問の日本化ということは、イコール西洋哲学ではないわけで、 逆に言えば、日本の学問が西洋の影響を受けただけとも言えますし、 たとえそこまでいえなくても、日本化されなければ近代化は果たせなかったでしょう。 教育勅語を叩き込まれた日本人が近代化をしたともいえるわけですし。 >合理的・西洋的な「市民社会的なもの」を貫徹しようとする動きと、心通い合う藩的・村的な「土俗的なもの」の復興に執着する動きとが、拮抗し争ってきたってきたのが日本の近代史 この辺りは、もっと政治的であり、また実に生活に密接したところからのものであって、疑問ですね。 2・26事件は、単なる軍隊内の派閥争いです。一方、5・15事件は、田舎出身の 青年将校が中心で、天皇と民衆との間に位置する悪い政治家や政商を取り除こうとする もので、まさに国の為のものです(都市と田舎の格差が大きくなり、田舎出身の 青年将校が、その元凶たる政治家や政商を排除しようとした) 実際、5・15事件では全員無罪でしたし、新聞発表は事件の一年後で、 美談として紹介されました。 これを見て、国や天皇を掲げれば何をやってもいいと考えた馬鹿が、2・26事件を 起こしたわけです。
244 :
たまねぎ :2001/06/23(土) 02:53
>>240 >それに、儒教を固守して滅びて屈辱と貧困を国に招き寄せた中・韓の指導者
>よりかは、明治期の日本の政治家こそ独立とアジア解放の栄光をつかみとれ
>たとは思わんの?
次のような疑問や評価もあるよ。
日本の発展を明治期の政治家の功績とするのは妥当か?
明治の指導者は天皇を神とする迷信のような国粋思想を国民に吹き込ん
だとえいないか?
日本人は自信過剰に陥り無謀戦争を起さなかったか?
無謀な戦争に敗れて(無条件降伏をした)人類史上最後の敗戦国となり
末代までの恥を残した。
245 :
にいななさん :2001/06/23(土) 22:21
もう数日は、私の回線は接続回復しないようです。悪しからず。
>>240 相変わらず他プロバイダからの、十分な時間をとれないカキコで、
舌足らずな書き込みにレスいただき有り難うございます。
私が言いたいのは、「中国が正義で英国が悪だ」ということではありません。
私は個人的には儒教の人ですが、だからと言って別に、儒教を正義とする
新しい教科書を書きたいわけではありません。誤解を恐れずに言えば、
どっちが正義かなんて、どうでもいい。
私だって、英米や日本が栄えて、中国が滅びたことは認めます。
が、「それだけで、直ちに」中国の思想が悪だった、というのは
認めません。「中国の亡国」から短絡的に「中国の思想」を評価する、
あなたの論法を問題にしたいのです。
「中・韓の指導者」が「儒教を固守して滅びて屈辱と貧困を国に招き寄せた」(
>>240 )
のは認めても、だからといって儒教が悪だったと「直ちには」言えない。
「指導者」が「儒教を標榜していた」ことは認めます。オウムが仏教を
標榜していたように。北朝鮮が民主主義を標榜しているように。
だから仏教は悪で、北朝鮮が滅びたら民主主義は悪なんでしょうか。
やはり、(1)「中国の政治思想はこの点でダメだ」ということと、
(2)「このダメな点は、儒教のこの点から必然的に導かれる」ということとが
ともに証明されないと、「儒教はダメだ」ということにはなりません。
「仏教のこの点から、オウムは必然的に導かれる」のか、それとも
「仏教のこの点を曲解すると、オウムが出現する可能性がある」のかでは
大きく異なります。もし前者なら「仏教はダメ」ですが。
大日本帝国も「脱亜入欧」し、立憲君主制を整えましたが、その後、
「指導者」たちは体制を「固守して滅びて屈辱と貧困を国に招き寄せた。」
結果から「それだけで、直ちに」、立憲君主制という「政治思想」や
背後にある欧米の思想(日本はこれを輸入して採用しましたよね?)を
評価すると、どういうことになるでしょうか。
ペルシャや中国の政治思想や技術はマケドニアやイギリスのそれに
劣っていたかもしれません。少なくとも、結果から判断すれば、
劣っていた、つまり、自国の独立を保つ機能で劣っていました。
でもってペルシャや中国が「採用してた思想が無能だった証拠でしょ。」
というなら、
数十年前、フランスはナチスに対して独立を保てませんでした。
もちろんこれは、三色旗に象徴されているフランスの「政治思想」と
背後にある「採用してた思想が無能だった証拠でしょ。」と
いうことになります。ナチスのナチズムのほうが優れていたと。
あなたの仮定、つまり政治的な優劣は思想的な優劣に直結する、
という仮定からは、そうならざるを得ないと思うのですが、
なぜか私は、三色旗に対するナチズムの優位を認めたくないのです。
あ、フランスは最終的にナチスを排除した、というなら、
ペルシャも最終的にマケドニアを排除してますので。
中国も、モンゴル帝国(優れた商業思想でもって儒教の中国を
圧倒した、でしたね?)から独立して儒教帝国を復興してますし。
246 :
七資産 :2001/06/23(土) 22:25
てすてす
247 :
たまねぎ :2001/06/23(土) 23:49
>>245 >数十年前、フランスはナチスに対して独立を保てませんでした。
>もちろんこれは、三色旗に象徴されているフランスの「政治思想」と
>背後にある「採用してた思想が無能だった証拠でしょ。」と
>いうことになります。ナチスのナチズムのほうが優れていたと。
支配、被支配の関係から、それぞれの背景思想の優劣が論じられるか
という問題だね。ジャコバイトさんは、ナチスの方が優れていたとい
うんじゃないの。早くご本人の見解を聴きたいものだ。
248 :
考える名無しさん :2001/06/24(日) 14:55
age
249 :
考える名無しさん :2001/06/24(日) 19:33
>>247 言い換えれば、中国共産党がチベットを占領しているけれど、
毛沢東思想がチベットの仏教よりも優れているかと言ったら、
そりゃあいったいどうなのよ?ということですよね。
250 :
にいなな :2001/06/24(日) 20:02
相変わらず接続不良の「にいななさん」です。
>>211 > それって論理で反駁してんの?あと、テキストの説その
> ものを反駁してるわけじゃないんじゃないの?
説明が足りませんでしたね。(過去ログを入念に見るヨユウも
ないもので。自分がいかに回線環境に依存しているか再確認中です。)
遅レスで とても申し訳ありませんが。
たとえば、宋代に見られた『礼記』礼運篇批判は、その篇の内容が
他の儒教テキストと矛盾するから、というのが理由です。
これは「論理的」批判ではありませんでしょうか?
他経典というドグマからの判断でしょうか。
『書』に、殷周革命の際に大量の戦死者があり、「血が流れて武器が
血の上に浮いて流れるほどであった」という描写があります。
孟子は、彼独特の判断(そんな大量の血が流れるはずはない)でもって、
『書』のこの部分を批判し、「ことごとく『書』を信じるくらいならば、
むしろ『書』なんてものは無いほうがマシだ」との名言を残しました。
ちなみに『書』(『書経』・『尚書』とも)は、孔子も尊重したという、
儒家のもっとも基本的な経典です。
たとえば儒教一般には「身を殺して仁を成す」という考えがあります。
一方で、『孝経』には、「身体髪膚は父母に受けた、いわば親の遺体だから、
なにがあっても傷つけてはいけない」という教えがあります。
身体を傷つけてはいけないなら、我が身が大事で「仁を成す」ことは
二の次になります。江戸時代の儒者なんかは、これはおかしいと判断して
『孝経』を批判するものもあらわれました。これは
「結局時代考証とかで批判してるわけでしょ。 」に該当しますでしょうか。
あと、ジャコバイトさんがイメージしておられる「論理でのテキスト批判」の
イメージを、私はつかみ損ねているみたいですので、参考までに、
西洋哲学において「論理でテキストに反駁している」というものの具体例を
何か示していただければ幸いです。
251 :
W大生 :2001/06/24(日) 23:58
>>250 にななさん氏の言うところも、儒学の「多様で複雑」の実態だよね。こんな
ことは儒学の原典を読んだ人間なら誰ですぐに気が付くことだぜ。ところが
電波男Ψ(´д`)Ψ←気持ち悪い、とジャコバイトは、儒学を無造作に人括
りにして論じていた。こいつらほんとは儒学について学んでいるか疑問だな。
高校の倫理の教科書程度の知識しかないんじゃないか。オイオイ。電波男
Ψ(´д`)Ψは、大学の教員をやっていて、旧帝大はWとは違うとか言って
なかったか?
252 :
ジャコバイト :2001/06/25(月) 14:08
>243 双丸一さん うーん、あなたの言うことは大体納得なのだが、5.15が正義で、2.26が単なる派閥抗争からのバカなもの、っていうのは納得がいかない。 2.26の将校は、農地改革・財閥解体、また、教育の充実や空軍の創設という、当時では画期的な国家改造を目指してたわけであり、単なる破壊志向の5.15の将校連よりよっぽど優れてたと思うが・・・。 あと、石門心学などが、日本的経営の本であることは同感ですが、これらは日本独自で、だいぶもともとの儒教とは違うと思うんですが。
253 :
ジャコバイト :2001/06/25(月) 14:10
たまねぎさん まず、244は賛成。両面あるのが、日本の近代史と思うわけです。 247、は、ナチスは俺は嫌いだがねェ。フランスが、負けたあとも、秩序が存続したこと、つまり国民国家が成立していて持続していたことを俺は高く評価してる。
254 :
ジャコバイト :2001/06/25(月) 14:12
>245 ですから、繰り返し言ってるように、 @、中国が専制政治しか構想しえず、ろくな制度論を構想できなかった。 A、それは儒教に原因がある。 ってことですがな。
255 :
ジャコバイト :2001/06/25(月) 14:12
249 言っとくけど、俺はチベット独立を願ってます。
256 :
ジャコバイト :2001/06/25(月) 14:14
>251 もっと詳しく儒教の、その多様性を説明してちょうだい。 それと、学歴をひけらかすのは見苦しいよ。 実力で勝負しな。
257 :
ジャコバイト :2001/06/25(月) 14:15
電波男さん 214の@とAの質問に良かったらお答えください。
258 :
電波男Ψ(´д`)Ψ :2001/06/25(月) 15:26
>>241 >でも、この視点というのはは、哲学的つまり学問として仏教を見ているのであって、
>宗教として仏教を見ているのではないと考えます。つまり相対化し過ぎているのであ
>り、オームを評価した学者や文化人と同じ視点だと思うのです。
いいえ、まったく違います。私の視点とはオウムも創価学会も阿含宗も幸福の科学も完全に否定するものです。
>つまり六師外道も法相宗の徳一も否定すべきのです。確かに徳一は、「飽くまでも人
>生、世界を冷徹に冷静に眺めて、それから生き方を模索」するのでしょう。しかし、
>その前提が誤っているのであれば、結論もまた間違っていると言わざるを得ません。
>釈尊は、宇宙・世界は「物の集り」ではなく「事件の集り」と考えていました。
>事件・出来事の集りであるから諸因諸縁が寄合う−−つまり縁起ですよね。
>物の集り」では、縁起説は導く事ができません。
徳一や法相宗の理解では「物の集まり」だなんて一言も言っておりませんよ。それに法相宗と六師外道とは何の共通要素もありません。それと誤解されているようですが、
「物があると〔私が〕認識するのは、諸要素が仮に諸原因、諸条件によって集まって出来上がったもので、そこにはそれを成立せしめる実体があるのではない。またその存在を成立せしめる普遍者があるわけではない。さらにそこに他のものと区別できるそれ自体の特殊性として単一に実態として存在しているわけではない。またさらに外界の存在は認識手段によってのみ類推、推測として判断されるのみである。そこに執着すべき価値があるのいえるだろうか」
が正解です。また縁起をこの場所で用いるのも妥当ではありません。現象は起こっているのではなく、原因と結果、諸条件によって絶えず変化しながら続いているのです。これを主観側で言えば、「すべての事柄は〔私の〕認識内部で因縁として生起している」と言います。仏教の世界観は認識を離れて現象を説明しません。
また、十二縁起は現象を説明するのではなく、心の迷いの構造を始めとする心のあり方を因果関係と認識過程、概念と事象に絡めて解きほぐします。
以上を基本に考えると
>そしてまた「事件の集り」とするからこそ(因や縁によって結びついているのであり、>単独で存在する事は不可能だから)、無実体・無本質(無我・無自性)になるのです。以下省略
>法相宗の前提にあるのは、西洋哲学的な実体論・本質論なので、実は最初から
>仏教を否定しているのです。たとえ「飽くまでも人生、世界を冷徹に冷静に眺めた」
一体だれがそんなこと言ってるのですか?法相唯識は実体論を真っ向から否定します。その原型であるインドにおいても同じです。
>としても、最早それは人生論であり、仏教ではないのです。
三法印、十二縁起などを始めとする基本教義の無明より生じ、煩悩を断じ無ければ、悪循環はとどまることは無いとする人生論(人間観)は仏教の根本思想です。天台の本覚思想や真言密教はこれに反する教義を打ち出します。
259 :
電波男Ψ(´д`)Ψ :2001/06/25(月) 15:26
ジャコバイトさん 現在、締め切り(残、400×200枚相当金曜日提出)に追われていますので簡単に失礼します。 >@儒教は規範的な議論としては優れているが、「あるべき姿」ばかり論じられていれ >「現にある人間の姿」への考察・観察が著しく欠けている。人間本性そのものへの洞 >察は、西欧哲学に比べて劣るのではないか? 同意します。儒教の持つ倫理的側面は哲学として進展していません。儒学者の中では努力した人がいたようですが、国粋的な人たちに利用されるだけで終わったのかもしれません。 A儒教特有の規範性とは何か?また、その中で他にはない優れた点は? 「規範性」といった場合、多くの意味を持つと考えます。道徳律として教育の中で身についたものには「規範性」は必要なく、いわゆる物心ついてから自身を律する必要性を感じ、倫理道徳の規準とする対象が「規範性」と呼ばれるのではないでしょうか。その一つ一つの条項を含め。他に無い優れた点と言いましても比較の対象が無いので解りません。 強いて言えば、宗教以外で倫理道徳を大義名分に出来る特色があるため、広く長く伝わったのでしょう。それとは裏腹に利用できる土壌も広めたことになるでしょう。まるでキリスト教布教が、植民地化政策の尖兵隊であったように。
260 :
ジャコバイト :2001/06/25(月) 15:29
>250 いろいろ勉強になりました。 「論理でのテキスト批判」っていう言い方は適切かどうかわからないけど、西洋は何らかのテキストを神聖視せず、おかしいと思えば批判してきたのが哲学の歴史として、ずっとあると思うよ。 デカルトやらヒュームやらカントやら、ね。
261 :
ジャコバイト :2001/06/25(月) 15:31
>259 お仕事がんばってください! 終わったら、またいろいろご教示のほどを!
262 :
W大生 :2001/06/25(月) 16:19
>>256 >もっと詳しく儒教の、その多様性を説明してちょうだい。
これまでに出た話で十分でしょ。まだわかんないの?
儒教を一括りに論じるキミの理解の浅薄さをまず認めたまえ。(藁
>それと、学歴をひけらかすのは見苦しいよ。
>実力で勝負しな。
あれ、帝大がどうの言い出したのは電波男だったろ。
実力はキミより上だよ。(藁
それにしても電波男とジャコバイトの議論はやらせくさいな。
263 :
電波男Ψ(´д`)Ψ :2001/06/25(月) 16:29
>>262 また君ですか。内容的な発言が出来ないのですか?
これまで何一つ出来なかったんだから今後も望めないでしょう。
>それにしても電波男とジャコバイトの議論はやらせくさいな。
これが君の人間としての限界です。
264 :
W大生 :2001/06/25(月) 16:37
>>253 >247、は、ナチスは俺は嫌いだがねェ。フランスが、負けたあとも、秩序が
>存続したこと、つまり国民国家が成立していて持続していたことを俺は高く評
>価してる。
関係ない話で誤魔化さないようにね。
キミの論法では、ナチスのほうがフランスの自由思想より優れている
ってことになるが、ちがうのかい?
265 :
にいななさん :2001/06/25(月) 17:17
私の
> 下記の命題について、あなたのお考えを聞かせていただきたい。
> (1)ある国が、対外的に独立を維持したり、国民を幸福にしていると、
> その国の「政治思想」が優れているということが、
> 「それだけで直ちに」言える。
> (2)ある「政治思想」が優れている場合、その政治思想の根底にある
> (とされる)倫理・思想・哲学が優れていると、「それだけで直ちに」言える。
> (3)ある国が、独立を維持できなかったり、国民を不幸にした場合、
> その国が採用している「政治思想」がダメであることが
> 「それだけで、直ちに」言える。
という質問(
>>218 )に対し、ジャコバイトさんから
> 1、はその国がその思想を採用していれば、言える。
> 2、も言えると思う。
> 3は、まぁどれくらいの時間ではかるかは問題だけど、確実に言えると思う。
と答えていただきました。(
>>219 )
ジャコバイトさんの立場に対する私の見解は、
>>264 さんのそれと(不本意ながら)一致します。
ジャコバイトさんの立場から見ると、フランス三色旗の思想よりも、ナチズムのほうが、
思想的に優れていることになります。
あと誰かが言ってたように、チベット仏教よりも毛沢東主義のほうが優れているということにも。
さて、上記とは切り離して考えるべきですが、
ジャコバイトさんの論法(思想を価値付ける基準)とは別に、
(1)、中国が専制政治しか構想しえず、ろくな制度論を構想できなかった。
(2)、それは儒教に原因がある。(
>>254 )
ということも考えないといけません。
啓蒙専制君主の思想、いわば「 all for the people , nothing by the people . 」というのは
儒教における「善政」の基本ですが、そこには確かに、国民全てが政治に参加するための
制度論、という発想はありません。
せいぜい、いわゆる読書人階級をどうやって官僚に登用するか、という制度論と、
あとは税金をどうやって集めるかとか、軍隊をどう監察するかという制度論くらいです。
皇帝が読書人を試験して官僚にする、というのは、ある意味、民意を政権に取り込む「制度」です。
今の内閣が「有識者の委員会」とやらに諮問して政策を決定するのと、どっちが民主的で、
どっちが「制度論」として優れているでしょうか。
で、このような「制度論を構想できなかった」「専制政治」でもって、中国は二千年続きました。
ジャコバイトさんの言い方だと、独立を保って国民を守った。
そりゃ何度も「亡国」はありましたが、新しい政権は、なぜかまた儒教による専制を採用した。
「負けたあとも、秩序が存続したこと、つまり儒教国家が成立していて持続していたことを」
どのように評価すればよろしいでしょうか?
何十年か前に加地伸行氏が提示した初歩的な疑問ですが、「もし儒教がそれほど悪いものなら、
なぜ二千年以上も中国は儒教を放棄しなかったのか」。
266 :
にいななさん :2001/06/25(月) 17:27
>>260 > 「論理でのテキスト批判」っていう言い方は適切かどうかわからないけど、
> 西洋は何らかのテキストを神聖視せず、おかしいと思えば批判してきたのが
> 哲学の歴史として、ずっとあると思うよ。
よくわかりました。そもそも「テキスト批判」が問題なのではなかったのですね。
お騷がせしました。
ただし、「ずっとある」というのは、たとえばスコラ学全盛期なんかを否定したと
見えますが、そう理解してよろしいでしょうか。
聖書の一字一句を「神聖視」する「思想」だか「哲学」だかも、中世の初期から
現代の北米南部に至るまで綿々と続いている、欧米思想のうち重要な一部では
ないのですか?
あと、アリストテレスを経典視して一切の批判を封殺してきた歴史とか。
267 :
応援団 :2001/06/25(月) 17:35
>>263 >また君ですか。内容的な発言が出来ないのですか?
内容が好きだね。
キミのいう内容って内容と言う言葉に値しないよ。
キミが物知りでありそうなことはわかる。しかしそれだけだ。
これまで指摘されたように儒教を万事一括りでジャコバイトと論
じているのはあまりにお粗末と言えるな。
これは私も以前から思っていたことだか思想や哲学の人間に学
ばれて初めて影響を持ちうるものだってこと。しかし多様で複雑
な実態をもつ思想や哲学が、どのように人間に作用して社会や国
家に影響するかは解っていない。なぜなら人間の心の中を覗くこ
とはできないからだ。それにも関わらず、例えば阿片戦争の勝敗
の要因を単純に双方の思想の違いに求めるような議論は根本的に
間違っていないかい?。
これを認めればキミが長年取り組んできたが研究が根本的に崩れ
るという恐怖感があるのかも知れない。しかしそれにこだわって
自分の説を変えないというは、真理を希求する研究者ではないな。
前にも見抜く者氏も言っていたようにだよ。
>>236 >哲学系の学科では最初に受ける訓練です。これは自然科学系でもまったく
同じですね。自然科学ではこの訓練を受けないといかなる結果も導き出せ
ません。文系では必要ないと考える人が多いようですが、「ものの見方考
え方」、筋道のたてかたと言う学問の基礎以前の問題です。
そうなんだよ。筋道の立て方の問題だよ。但しキミの筋道の
立て方、もっと言えば、哲学史、思想史という領域の学問の
筋道の立て方に欠陥があるのではないかな。
268 :
にいなな :2001/06/25(月) 18:03
>>265 の前半に補足。
私は、ジャコバイトさんの論理について述べているだけです。
決して、「ジャコバイトさんはナチズムを支持する危険人物だ」とかの
個人攻撃をしているわけではありません。
相変わらす個人攻撃が盛んなスレなので、念のため。
少なくとも私は、自己の思想を確立しようとして苦悩する哲学者でも、
聖人君子をめざして四書五経を体得しようとする儒者・道学先生でもなく、
一介の哲学研究者・哲学史研究者にすぎません。
ある人物の論理や思想と、人物そのものとは、峻別しているつもりです。
269 :
電波男Ψ(´д`)Ψ :2001/06/25(月) 18:24
>>267 言葉の定義の話ですよ。コンセンサスを得なければ話は進みません。
何度言ったら解るのですか?>同一人物のオコチャマ。
だれがアヘン戦争の要因の話をした?おまえ分裂してるだろ?
270 :
双丸一 :2001/06/26(火) 00:42
>電波男Ψ(´д`)Ψ 例えば↓のアドレスに www.geocities.co.jp/Berkeley/4549/ishida.htm >外道義の問題は昔のインドの問題であって、一千八百年前の正法時代迄に、釈尊と竜樹との手によって、内外相対論として、完全に破折され尽くして解決していたからであります。この事は『阿含部諸経』や『大槃若経』や「中論」等に依って明白であります。その後、この外道義は姿を変えて法相宗の中に・法相義の中に忍込んで復活して漢土に出現したとはいえ、我国に渡来するや・伝教大師に依って完膚無き迄に破られ追放された所のものであります。即ち、権実論争(天台宗伝教大師vs法相宗徳一法師)がこれであり、『法華秀句』で結末を見た所のものであります。そしてこれらは末法以前・像法時代の事でありました。 とあります。
271 :
双丸一 :2001/06/26(火) 00:44
>電波男Ψ(´д`)Ψ >物があると〔私が〕認識するのは、諸要素が仮に諸原因、諸条件によって集まって出来上がったもので、そこにはそれを成立せしめる実体があるのではない。またその存在を成立せしめる普遍者があるわけではない。さらにそこに他のものと区別できるそれ自体の特殊性として単一に実態として存在しているわけではない。 まず実体論というのは、宇宙を「物の集まり」と捉えることから導かれます。 徳一や法相宗では直接述べてはいませんが、上記のように認識論から実体論を展開していますよね。つまり実体の有無を論じている(この場合は実体は無いと主張)わけです。ところで実体論とは、実体がある/ないと論じることであることはおわかりですか? 一方(釈尊の)仏教では、前に述べたように実体はある/ないという枠組みでは論じる事はできない(断定することはできない)というものです。 また「外界の存在は認識手段によってのみ類推、推測として判断」(徳一や法相宗)とあるますが、仏教では推理推論として判断することはありません。反省判断するのです。要するに認識する姿勢が異なるのですよ。 法相唯識は「実体論」を真っ向から否定するのではなく、「実体」を否定していることをご理解下さい。そして私は、それこそが問題だと主張しているわけです。 それから、ここで縁起説持ち出したのは妥当ではなかったかもしれません。 >現象は起こっているのではなく、原因と結果、諸条件によって絶えず変化しながら続いているのです。これを主観側で言えば、「すべての事柄は〔私の〕認識内部で因縁として生起している」と言います。仏教の世界観は認識を離れて現象を説明しません。 これを私は、ほぼこの通りの事を主張しているんですが… ただ、認識の視点が六師外道と法相の徳一とは同一であり(実体はある/ないと断定する)、釈尊とは異なるといっているのですが。
272 :
双丸一 :2001/06/26(火) 01:02
>ジャコバイトさん 確かにおっしゃる通り「2.26の将校は、農地改革・財閥解体、また、教育の充実や空軍の創設という、当時では画期的な国家改造を目指してた」わけですが、統制派と皇道派の派閥争いでもあったことはご存知ですよね。最近の研究では、後者の派閥争いが主目的であり、前者はその為の正当性を得るためというのが通説みたいです。 また「単なる破壊志向の5.15の将校」というのは全くの誤りである事が分かっています。まず単なるテロリズムに過ぎないのであれば、何故、彼らが無罪になったのか説明できません。また当時の新聞が彼らを英雄視した事もです。繰り返しになりますが都市と田舎の経済格差があり、田舎出身の青年将校がこれを是正しようとして決起したというのが真相だということです。この辺りの事は、当時の新聞か最近の研究を調べれば分かります。 ただ、馬鹿と言い切ってしまうのはマズイですね。 商道=石門心学とはいえませんし、倫理観・道徳観などは儒教の影響を受けざるをえないでしょう。そもそも商道といっても、定義し難いものですし(あえていえば商人版武士道か?) それに江戸時代の経済発展は、何も商人だけじゃなく武士も関わっていますから。 ちなみに川勝平太氏によれば、江戸時代の蓄積が明治の近代化を促したことは間違いないようです。ですので儒教を即駄目とは断定できないと思いますよ。
273 :
胡蝶 :2001/06/26(火) 01:07
これだけ議論があるのだから、十分に哲学だし、 現代でも十分に論ずるに値する。 レヴィ=ストロースは野生の思考で「西欧中心主義」を批判した。 ポストモダンは西欧思想を一貫して支配してきた「同一性」を原理とする 形而上学的思想を徹底的に解体した。 今後これらを乗り越えるには中国哲学、東洋思想のが要の気がする。 哲学上の問題だけなく、、、 経済、環境、ビジネス、軍事、人口問題等々、、 過去もいいが未来も語ってもらいたい。そのほうがクリエイティブ。
274 :
考える名無しさん :2001/06/26(火) 01:13
>>254 >>@、中国が専制政治しか構想しえず、ろくな制度論を構想できなかった。
>>A、それは儒教に原因がある。
中国には本当に専制政治しかなかったのでしょうか。
そもそも専制政治ってなんですか?
ヨーロッパには、寝る時間を削って書類を決裁していた君主っているんでしょうかね。
275 :
にいななさん :2001/06/26(火) 09:08
あぼーん
277 :
考える名無しさん :2001/06/26(火) 10:43
また荒らしか?
278 :
ジャコバイト :2001/06/26(火) 14:45
>272 うーん、統制派と皇道派の派閥抗争があったのは事実だけど、上記の目標がその正当化だけだったとは思えない。つまり、僕は通説に納得がいかないのです。通説は、どういうことをその根拠に挙げてるのですか? 真崎や荒木はそうだったとも思うけど、青年将校は国の前途を憂いての決起だったと思います。 磯部浅一は繰り返し、北一輝の「国家改造法案大綱」を一点一画そのままに実行することを、獄中手記で書いてますよね。 農村と都市の格差があったのはそのとおりで、5.15も2.26も、何とかその解決をしたいとの純情無比な動機から起こっていると思います。 5.15のみそうだったとし、2.26を否定する理由は何なのですか? かつ、5.15は、具体的な社会構想を何も持ち合わせていなかったんではないですか? 法廷で、誰か将校の一人が、われらは破壊をなすのみ、そうすれば後に続くものが建設をなすだろう、って発言してたのを前に本で読みましたが(あなたほどの方なら私より詳しくご存知と思います)。 あと、商道や石門心学などの、「日本化」された儒教と商業経済のエートスの話ですが、僕はこの「日本化」は、「脱儒教」と言ってもいいと思っていまして、どうもそこで双丸一さんと意見が食い違うようです。 どう思われます?
279 :
ジャコバイト :2001/06/26(火) 16:57
>265 うーん、Bに書いたように、ある程度時間をみると、ナチスはやっぱ負けたわけだから、俺の言ってることもそんなに矛盾してないとも思うんだけどな。 でも、やはり、一国の興廃が、その国の採用する政治思想に直結するかというと、そうも言えないみたいですね。 少なくとも、地理や人口の要素を加味しないといけない。 その点、僕のテーゼはいさささ訂正が必要ということを認めます。 しかし、全面的に決定するわけではなく、地理・人口等の要素も加わるとしても、やはり僕はその国の採用している政治思想は、ある程度大きな要素として、一国の興廃を左右すると思います。 そこで、にいななさんにお聞きしたいのですが、 @近代の中国の衰退に全く儒教は責任・関係がないと思うか? A政治思想は、一国の興廃に全く関係がないのか?もし、関係がないとすれば、南北朝鮮半島や東西ドイツをどう説明するのか? B儒教は2000年続いたのは本当としても、では、何故、辛亥革命や共産主義革命が、新しく儒教以外の、三民主義やマルクス主義を必要としたのか?もしくは、あなたはそれらは必要なかったと考えるのか? お答えください。 それと、268、ありがとうございました。 あなたの誠実さと品格の良さには、本当に僕も含めて、この掲示板の利用者は学ぶべきと思います。 にいななさんn、こういう態度のおかげで、にいななさんとの議論はとても楽しいなぁ、って思います。
280 :
ジャコバイト :2001/06/26(火) 16:59
>273 胡蝶さん あなたも、面白い人とお見受けする。ぜひ、議論に参加して、そのクリエイティブな問題提起を我々にしてくださいな。
281 :
ジャコバイト :2001/06/26(火) 17:01
>266 そのとおり! ずっと、ってのはおかしかったですね。 訂正します。 しかし、やがて、アリストテレスの権威を全否定していったですよね。 儒家は、孔孟の権威を否定できたでしょうか?
282 :
W大生 :2001/06/26(火) 17:04
○○再 掲○○
ジャコバイトさんへ
ココは大事だからもう一度確認したいな。
>>253 >247、は、ナチスは俺は嫌いだがねェ。フランスが、負けたあとも、秩序が
>存続したこと、つまり国民国家が成立していて持続していたことを俺は高く評
>価してる。
関係ない話で誤魔化さないようにね。
キミの論法では、ナチスのほうがフランスの自由思想より優れている
ってことになるが、ちがうのかい?
283 :
W大生応援団 :2001/06/26(火) 18:17
>>269 >言葉の定義の話ですよ。コンセンサスを得なければ話は進みません。
>何度言ったら解るのですか?>同一人物のオコチャマ。
>だれがアヘン戦争の要因の話をした?おまえ分裂してるだろ?
アハハ、取り敢えず同一人物ではありませんよ。
私は、W大生君の先輩です。
まず、阿片戦争の件から
キミは、ほんとにそそっかしいね。例だよ、例、だから最初に
例えばって断っているでしょう。
君とジャコの議論の共通点は思想の優劣を論じる際に、それぞ
れ思想を背景とする国家間の紛争の勝敗を基準としようとしてい
ることだね。私は、まず思想の優劣を論じようという点がまず疑
問だが、その優劣の基準が戦争の勝ち負けとは驚いた。キミは大
学でそんなことを講義してたのかね?。信じられないよ。少し頭
の切れる学生だったら強烈に反発するだろうね。
さて、ここでこの議論をちょっと拡張してみよう。戦争とは多く
は領土を含む富の争奪戦と言える。ここで富の争奪戦をもっと直
截的に表現して金儲けとすることもそう無理ではないだろう。と
なれば金儲けのうまいヤツが信奉する思想、哲学は優れた思想と
いうのが電波男Ψ(´д`)Ψ君とジャコ君の共通認識というわけ
だな。
イヤハヤ、なんともお見事な見解だ。
これが哲学の研究者とはね。
定義の話よりこの方が面白い。
284 :
ジャコバイト :2001/06/26(火) 19:39
>282 ならないと思ってる。 ナチスは最終的に負けた。 それに、フランスが生き残ったのは、負けても国民国家という単位で国民がまとまってたからでしょ。 関係ない話ではないと思うよ。 それと、俺の立場は、誤解が多いようだから、279で訂正しました。 それと、あんたも、いろいろ詳しそうだし、一家言持ってるようだから、議論に参加して欲しい。 それには、他と識別しやすい名前を名乗って欲しい。 あんたが、俺よりか儒教に詳しいのはわかったから、だとすると単なる論語読みの論語知らずにならぬように、寡徳な俺にわかりやすいように、懇切丁寧にいろいろ教えてちょうだい。
285 :
ジャコバイト :2001/06/26(火) 19:42
>283 価値相対主義の提唱や、国家の盛衰と思想は無縁ってことの提起も、興味深いし、どんどんして欲しい。 ただし、もうちょっと語調をやわらかくして、礼儀と品の良さを心がけようよ。 それは、洋の東西を問わず、美徳なんじゃないの?
286 :
ジャコバイト :2001/06/26(火) 20:04
>265 にいななさん うーん、科挙ねェ。 今の有識者の委員会とどっちだ民主的かと聞かれても、どっちかは俺にはわからない。 でも、国全体として比べたら、選挙権がある分、今の方がマシと思う。 読書人が科挙の通れば登用、ってのは、確かに能力主義で民主的って言えなくもないかもしれない。 けど、実際は、地主や官僚の師弟のみ、通るような教育を受けて通ってた、ってのが歴史の現実だよね。 そして、庶民はろくに権利もなく、恣意的な法の運用で苦しめられ、とても法治言える状況じゃなかった。歴代中国王朝は。 まぁ、今の民主制も、日本は、世襲議員やら官僚やらが跋扈して、科挙と同様制度は建前ばかりかもしれないけどね。 しかし、とりあえず、法の支配は保たれてるよね。
287 :
にいなな :2001/06/26(火) 20:32
>>279 > やはり、一国の興廃が、その国の採用する政治思想に直結するかというと、
> そうも言えないみたいですね。
> 少なくとも、地理や人口の要素を加味しないといけない。
> その点、僕のテーゼはいさささ訂正が必要ということを認めます。
ありがとうございました(ちょっと「折伏」に成功したみたいな自己満足)。
というわけで、近代に英米に圧倒された「だけ」では、儒教を評価できない、と。
やっと内容から儒教を批判ないし擁護する話に入れるみたいです。
なんですが……
> (1)近代の中国の衰退に全く儒教は責任・関係がないと思うか?
> (2)政治思想は、一国の興廃に全く関係がないのか?
> もし、関係がないとすれば、南北朝鮮半島や東西ドイツをどう説明するのか?
> (3)儒教は2000年続いたのは本当としても、では、何故、辛亥革命や共産主義革命が、
> 新しく儒教以外の、三民主義やマルクス主義を必要としたのか?
> もしくは、あなたはそれらは必要なかったと考えるのか?
言いたいことは山ほどあるのですが、申し訳ありません、また20〜30時間ほど、
回線を外れます。最小限のことを先に書いておけば、
288 :
にいなな :2001/06/26(火) 20:32
・「全く関係がない」とは思いません。「全く政治思想の責任である」と思わないのと同様。
一国の興廃は、様々な要因が関係すると思いますし、その中には「政治思想」という要因も
含まれるかも知れない。しかし、何の論証もなく、他の要因を無視して、「中国は滅びた。
その理由は、政治思想が劣っていたことに100%帰す」とは言えません。
・スミスが続いたのは本当としても、では何故、ケインズが新たに必要とされたのでしょう?
もしくは、あなたはスミスは必要なかったと考えるのか?
(この場合、スミスは、儒教と同様に「毒であり詐欺であった」のでしょうか?)
・機種依存文字は使わないで下さい。
舌足らずですみませんが、詳細は後ほど。
>>281 > しかし、やがて、アリストテレスの権威を全否定していったですよね。
> 儒家は、孔孟の権威を否定できたでしょうか?
そうですね。西洋思想は、最終的にアリストテレスを克服したように見えます。
でも、その先にあったものは、既にアリストテレスの思想ではなく、またそれを含む
ギリシャ思想でもありませんでした。
もしも儒家が孔孟を全否定したら、それはもはや「儒家」ではありません。
「儒家は、孔孟の権威を否定できたでしょうか?」と聞くのは、
「スコラ学は、聖書の権威を否定できたでしょうか?」に似た質問です。
「中国は、孔孟の権威を否定できたでしょうか?」のほうがフェアでしょう。
あと、
>>265 の後半についてのジャコバイトさんの見解をお示し願えれば幸いです。
> フランスが生き残ったのは、負けても国民国家という単位で国民がまとまってたからでしょ。
というなら、中国も、モンゴルに負けても儒教国家として復興しました。
グールドが言っていることですが、「一般に、恐竜は愚鈍だった思われている。
愚鈍だから滅亡したと。しかし、滅亡する以前、彼らは一億年以上も繁栄していた。
恐竜を愚鈍だと笑う我々人類は、あと一億年も栄え続けることができるだろうか。
一億年も繁栄を続けた恐竜が愚鈍であったとは信じられない。」
(記憶に頼っているので正確ではないと思います。多分こんな感じだったと……)
なんといっても、二千年の実績には「重み」があると、私は思います。
では例によって、書き逃げ失礼。
289 :
双丸一 :2001/06/27(水) 00:34
>ジャコバイトさん 2.26は、真崎や荒木、及び青年将校達が参加していた結社(桜会)に注目すれば 通説が正しいと思います。純朴な青年将校達が利用されたという見方もできますが。 5.15は、確かにテロのあとにどうするかは想定していませんでしたが、 逆に言えば、軍隊内の派閥争いとは無関係でいられたわけですよね。 つまり誰を首魁にして内閣を作るのかを決めていたのが2.26で、 5.15は国賊を排除すれば、必ず上層部は改革してくれると信じていたわけです。 この辺りは自分達が先兵となり捨て石となるのだという思想ですね。 2.26は自分達が改革する(利益を得る)わけです。 (中心人物の)私心の有無が異なると思ってます。 それから軍人(特に青年将校風情)が政治(内閣の組閣)に口を出すのは、 たとえ立派なものを掲げていても、どこかおかしいとは思いませんか? 「日本化」=「脱儒教」の点で食い違うようですね。 政治と経済は密接な関係があるわけで、当時の日本は武士階級では 儒教的なものも多く、そうすると言い切る事に疑問を感じるわけです。 商人経済も武士階級を無視して成り立つわけではないですから。 また農業革命が江戸時代になされていたことも考えれば、なおさらです。 農業革命は武士と農民の手によるものですから。 これは農業革命があって、初めて産業革命が可能になることを考えれば、 自然な事ですよね。
290 :
W大チアガール :2001/06/27(水) 15:24
>>284 ジャコバイトさんは陥落。残るは電波男Ψ(´д`)Ψ さんですね。
電波先生、他の板で道草喰ってないではやく戻ってきてね。イェ〜イ。
age
292 :
考える名無しさん :2001/06/27(水) 21:06
>273 中国じゃ、ヨーロッパの哲学は乗り越えられないよ。 西欧は西欧の問題圏で思考しているよ。 中国哲学は、まず、レーニンをどう評価するかを問う必要がある のでは?それから、党の問題ね。 彼らは過去を捨てたわけだからね。それは、それで潔しとしなきゃ!
293 :
考える名無しさん :2001/06/27(水) 21:09
共産主義の問題に目をつぶるために、中国哲学といっているよう な気がするよ。中国に哲学なんてなし!
294 :
考える名無しさん :2001/06/27(水) 21:28
そうそう、中国になにかあるっていうのも、オリエンタリズムの一種だね。 東洋人だってオリエンタリズムをいだくのさ、それはサイードがいってる ことだけどね。
295 :
胡蝶 :2001/06/27(水) 21:54
>中国に哲学なんてなし! >オリエンタリズムの一種だね。 アメリカは中国を軍事、ビジネス共に最も重要視し、 戦略的競争相手と定義した。 中国は毎年10%近くの経済的発展を遂げている。 5年後上記のようなのんきなことをいっておれれば良いのですが。
296 :
考える名無しさん :2001/06/27(水) 22:02
E・サイードくらい読んでから議論をはじめてよ。
297 :
考える名無しさん :2001/06/27(水) 22:37
>295 そんなことアホでもしってるよ。ばぁか! おまえこそのんきなんじゃないの?ちゃんと、思想、読めよ。
ジャコバイトさんが、儒教は制度論を持たない、と指摘されるのは、 おそらく、国民全員が政治に参加する制度、という意味だと思います。 現代の民主主義国家や社会民主主義国家において、そのような「制度」が 現実に機能しているか否か、という問題もありますが、少なくとも 古典中国には、そのような「制度」「建前」さえ無く、皇帝による「専制政治」を 理想としていました。 繰り返しますが、 > このような「制度論を構想できなかった」「専制政治」でもって、 > 中国は二千年続きました。 儒教が政治思想として無能だの邪悪だの詐欺だのと主張するためには、 なぜ二千年も続いたか、を説明する必要はありませんでしょうか。 > うーん、科挙ねェ。 > 今の有識者の委員会とどっちだ民主的かと聞かれても、どっちかは > 俺にはわからない。 > でも、国全体として比べたら、選挙権がある分、今の方がマシと思う。 > 読書人が科挙の通れば登用、ってのは、確かに能力主義で民主的って > 言えなくもないかもしれない。 > けど、実際は、地主や官僚の師弟のみ、通るような教育を受けて通ってた、 > ってのが歴史の現実だよね。 文字が読めて、ある程度の知性だか教養だかを持っている人間でなければ 政治に参加できない、という、安全な制度だとは評価できませんか? もともと「国民全員が政治参加せねばならない」という「ドグマ」も 中国にはありませんでしたし。 寡頭政治に陥る危険と、衆愚政治に陥る危険と、どちらが大きいかは 私には判りません。 > そして、庶民はろくに権利もなく、恣意的な法の運用で苦しめられ、 > とても法治言える状況じゃなかった。歴代中国王朝は。 その通りです。 法の支配ではなく、親が子を慈しむように、君主は民草を慈しむ、というのが 儒教による「善政」です。もちろん君主が虐政を行う可能性は常にありますが、 それは君主の個人的な問題です。 今の日本やアメリカにおいて、政治家が恣意的に法を運用する可能性が無いとは 私には思えませんが。 > まぁ、今の民主制も、日本は、世襲議員やら官僚やらが跋扈して、 > 科挙と同様制度は建前ばかりかもしれないけどね。 > しかし、とりあえず、法の支配は保たれてるよね。 ローマ共和国は、「法の支配」という建前を保ちながら、「暗黒の一世紀」を経験しました。 古典中国は、「君は民の父母」という建前を保ちながら、幾多の亡国を経験しました。 60年代アメリカは、「法の支配」という建前を……
299 :
ジャコバイト :2001/06/28(木) 16:43
にいななさん 今、とても忙しいので、2,3日ほどあとにゆっくり議論させて下さい。 ごめんなさい。 今後をとても楽しみにしてます。
300 :
ジャコバイト :2001/06/28(木) 16:52
>289 双丸一さん しかし、5.15の将校が信じたように、上層部は改革してくれたんでしょうか? 犬養を殺したことで、状況は少しでも良くなったのでしょうか? 軍人が政治に介入することは避けた方が良いけど、非常事態にはしかたないと思う。 歴史を見ても、ナポレオン、朴正煕、ナセル、と多々軍人が国を救った例もあります。 「既成事実への屈服」と「権限への逃避」という無責任が日本的メンタリティと丸山真男は言ってましたが、2.26の将校は自らの手で国全体を憂えて先見の明ある政策を実行しようとしたわけで、僕はやっぱりとても尊敬しています。 私欲、というのは、青年将校の場合当たらないと思います。もし私欲であれば、陸士を主席で卒業したような彼らは、何もしない方が保身になったし、将来も約束されてたわけで・・・。 安藤輝三大尉などは、日頃から給料をさいて農村出身の兵士の生活を支援していたことをあなたは知っていましたか? 東北の農村の荒廃を我がことのように憂い、皇室を愛する点で、2.26の青年将校の右に出るものはなかったと思うのですが。
301 :
双丸一 :2001/06/29(金) 03:09
>ジャコバイトさん とりあえず儒教が発展に役に立たないというのは、 すぐには言えないということで宜しいんですよね。 あとスレとはもはや関係あるんだかわからない議論のことですが、 改革という点では、5.15も2.26もどちらも無意味であったので、 この点での比較は無意味でしょう。 むしろ罪を問われた者が出た点で、2.26の方が悪いのでは。 「軍人が政治に介入することは避けた方が良いけど、非常事態にはしかたない」 これがジャコバイトさんと私の価値観の違う所ですね。 政治体制上許されないことは、基本的には、どんな理由があろうと 許されるべきではないと考えるからです。ただ政治理論による正当化がなされている 場合(例えばロックやルソーが基となった市民革命など)は別ですが。 またナポレオンは、単に軍人出身者にすぎず、国民の支持を得ていましたよね。 国民投票によって政治に進出したわけで、2.26や5.15とは異なります。 それからジャコバイトさんは、2.26を青年将校と政権を担うと期待された 軍上層部を区別していますが、これに意味があるのでしょうか? 両者セットで2.26ですし、軍隊内の派閥争いを棚上げすることは おかしいと思います。テロの対象となった者の中には、派閥争いが理由で 殺されている者もいますし。 もちろん青年将校だけに限ればジャコバイトさんの意見は正しいと思います。 青年将校に限れば、5.15も2.26も同じだと考えられるからです。
302 :
にいななさん :2001/06/29(金) 09:17
>>300 >2.26の将校は自らの手で国全体を憂えて先見の明ある政策を
> 実行しようとしたわけで、僕はやっぱりとても尊敬しています。
もちろん、あなたが個人的に彼ら個人を尊敬している、ということと
彼らが客観的or歴史的に正しかったか否か、ということとは、別問題ですよね?
彼らが「私欲」を持たず、自分たち(だけ)の理想に向けて邁進したことは、
彼らの行為を正当化する役には立たないと思います。
オウムの実働部隊だって、「私欲」を持たずに、自分たちの理想に向けて
邁進していたのではないでしょうか?
303 :
にいななさん :2001/06/29(金) 09:18
>>300 > 軍人が政治に介入することは避けた方が良いけど、
> 非常事態にはしかたないと思う。
この論には、あなたの好きな「制度論」はありませんね。
日本にはディクタトールの「制度」はありませんし、
どんな非常事態でも、内閣なり帝国議会なり天皇なりに
軍人風情が口を挟むことは許されなかったと思いますが。
大元帥でも何でもない、ただの青年将校が「今は非常事態だ」と
認識すれば、それだけでクーデターも可、軍人独裁も可、という
ことになりかねません。
> 歴史を見ても、ナポレオン、朴正煕、ナセル、と多々
> 軍人が国を救った例もあります。
そこに、カダフィと全斗換も加えておいて下さい。
304 :
考える名無しさん :2001/06/29(金) 16:12
前スレ、過去ログ倉庫からも消えてない?
305 :
ジャコバイト :2001/06/29(金) 18:32
>301 ううー、昨日徹夜だったので眠い・・・。 儒教が発展に役立たんのは、あとで考察しましょ。 俺の趣味で2.26と5.15の話につきあわしちゃって悪かったけど、俺は結構楽しかったよ。双丸一が楽しいならまだ続けたかったんだけどね。 このスレと何の関係が?ってことだけど、直接はないけどさ、俺の問題関心としては密接にあるんだ、俺の儒教批判と昭和史はね。 俺の問題関心は、何で大東亜戦争であんな破滅的な事態になったのかってこと。 あの戦争は避けられなかったのか、もしくはもっとうまく戦えなかったのかっ思うわけよ。 んで、いろんな要因があるけどさ、「責任倫理」が当時の為政者に足りなかったのが一つの原因と思ったわけ。 ヴェーバーの「責任倫理」と「心情倫理」のことは知ってるよね。 んで、あの当時の日本は、社会的矛盾がすごくて、改革が必要だったのに、政党は何もできず、5.15などのファシズムは何の構想も打ち出せず、統制派は現状悪化しかもたらさなかった中で、2.26が具体的な起死回生の革命プランを持ってたのは事実だよね。 んで、俺はなんとしても成功させたかったと思うわけよ。 もう少し、彼らが「責任倫理」を持っていればなぁ、ってつくづく思うわけ。 それに、あの時代の日本人って「心情倫理」ばかりあって、本当どうしようもないと思わん?まぁ、統制派の「心情倫理」もない連中よりかはよほどマシとは思うんだけどさ。 まぁ、2.26の話はここまで、ってして、ご要望がない限りやめましょ。 でも、一つ関連して提起したかったのはね、儒教って「心情倫理」ばっかりで「責任倫理」が欠如してない? 儒教の純粋培養みたいな吉田松陰は、マジで「心情倫理」ばかりで、んで2.26の将校が松陰にいかにかぶれてたかを考えると、革命が必要な時に、儒教的な思惟がまたあったらとんでもない、なんとかそれは回避したいって俺は思うわけ。 ついでに、もう一つ、あんたは当時の国法で罰されると罪人、って発想のようだけど、その論法でいくと吉田松陰も大塩平八郎も単なる罪人になるんじゃない? 革命家が当時の国法で罪人になるのは当たり前、後世が評価する時はそれは基準にはならんよ。 結局、自発的に農地改革と財閥解体ができず、GHQの手を借りてやっとやったって恥と思わない? あんたが言う「日本化」っていうことを大切にするならさ、日本人の手で内発的に「農地改革」と「財閥解体」をやろうとしたっていう日本人は、誇りと思うんだがね。 おっと、脱線、脱線、この話はここまで。 あんたが日本のナショナル・アイデンティティを大切にしてると思ったんで、ちっとは2.26の話も合うとかと思ったが、どうもそうでもないみたいだね。三島由紀夫はお嫌いか。
306 :
ジャコバイト :2001/06/29(金) 18:40
>288 265の後半へのコメント まぁ、確かにモンゴルの支配の後に儒教国家が復活したのは、その点で言えばフランスと同じ現象だわな。 ただし、清滅亡後は、各地に厳罰ができ、とてもフランスと違うってことを言いたかった。 そのうえ、フランスは第3共和制と第4共和制は別に建国以来の理念は一貫してるけど、中国は清と民国と人民共和国ではだいぶ断絶しとると思うよ。 それに、儒教国家が2000年続いたのは認めるけど、そりゃ夜郎自大のようなもので、欧米や日本と接触したらひとたまりもなく、んで結局儒教国家であることは放棄して民国や人民共和国をつくったんじゃない? 2000年続いたっての、今の時点で滅んでることの前では、あんまし無意味と思うけどね。
307 :
考える名無しさん :2001/06/29(金) 18:45
釈迦、老子、孔子による三聖会談って何を話していたんですか?
308 :
ジャコバイト :2001/06/29(金) 18:52
>289 江戸時代がその後の日本の発展の基礎を蓄えたってことや、農業技術が発達したってのはあんたに賛成なんだ。 ただ、それと儒教は、反する関係じゃない? 日本人にさ、自分の頭で考える人間が段段出てきたところが俺はすごいと思うわけよ。 三浦梅園とか海保青陵とかさ。海保なんか、当時の儒者が何の経済政策も弁えず無能なことを批判してるじゃん。 それに、商業や文化の発展で、日本の近代の芽ができた時期って言われるのは田沼時代だけどさ、江戸時代って見てると田沼とかあるは家斉の時代にせっかく商業や文化が繁栄してくると、変な儒教イデオロギーに凝り固まった松平定信や水野忠邦が全部ぶちこわすって図式じゃん。 寛政や天保の改革って大失敗だったじゃん。それに比べて、田沼は蝦夷地開発も対ロシアを考えて乗り出そうとしてて、すんげえ政治家だったと思う。 大体、本場の中国の儒教って、農本主義であって全然商業経済を支えるエートスがないじゃん。 日本の商道や石門心学は、むしろ日本人がそうした儒教的なものを思いっきり変化させた、オリジナリティの発達としてとらえんと、意義がわからないんじゃない。 それに、何より、李氏朝鮮は日本よりかはよっぽど儒教が浸透してたじゃん。 日本が、李朝に比べて発達しえたのは、儒教が李朝に比べて浸透度が浅く、受容が外面的に留まってたからじゃないかい?
309 :
ジャコバイト :2001/06/29(金) 19:15
>298 やっと本格的な儒教の政治思想としての面の吟味になってきたわけだ。 まず、俺が制度論って言葉で要求したいのは、別に国民全員が参加するってことじゃないよ。 衆愚政治は俺も嫌いで、直接民主制なんてとんでもないと思ってるし、日本じゃ首相公選制もとんでもないと思ってる。 俺が言いたいのは、そうではなくて、一個人の恣意に支配されず、法の支配が貫徹してること。また、一部の人間の利益が恣意的に国家に繁栄されず、国家全体の利益が考慮されるように制度が工夫されてること。つまり、権力の相互掣肘の仕組みが工夫されてることだよ。 整理して言うと、 @個人の恣意が国政に反映されにくくなっており、非人格的な法の支配が貫徹してること。 A権力の相互掣肘の仕組みが工夫されており、一部の党派的利益ではなく、公共の利益が実現されるように制度ができていること。 ってこと。 代議制民主主義、ってのも事実は寡頭制で、ただし、投票圧力で公益を図るように動機付けてることと、人材の流動性と競争性をもたらしてる、って点で優れてるわけで、俺は別に愚民の意志が反映されるべきとか参加させるべきなんて微塵も思わんよ。 だからね、俺は衆愚政治よりかはおっしゃるとおり読書人の政治がいいかもしれんが、選挙による投票圧力と競争がないと寡頭制ってのは腐りやすいので、選挙に基づく寡頭制ってのがそうでない寡頭制よりかははるかに優れてると思う。 それと、君主の善政に儒教は期待してるんだけど、これってめちゃくちゃ確立低いじゃん。 李世民みたいなのは、何百年にひとりいるかいないかでしょ。 そういう人が出た時は、そりゃ君主制は素晴らしいよ。唐もローマも、太宗やアウレリウス帝の時はうまくいってたさ。 君主制は一番労力が少なくて可動するしね。 でもね、君主制一般を考察する時は、名君っていう例外ははずして、むしろ悪辣暗愚な君主を想定して論じるべきではないかい? イギリスなどは、法の支配と優れた制度を持っていたから、ハノーヴァーの歴代君主は凡庸か暗愚なのが多かったけど、その間も大英帝国として発展しつづけたわけよ。中国風のシステムでこれは可能だったかい? ローマは法の支配は結局すたれてるよね。専制政治になってしまったわけ。 ローマの没落は徳性の衰退ではなく、機構論の不備だってことを18世紀のイギリスのヒュームなんかは言い出して、イギリスの機構論を工夫したわけよ。 それでは、また。 眠くて語調がくだけてるのは平にご容赦。
310 :
ジャコバイト :2001/06/29(金) 19:17
290番代の考える名無しさん あんた、語調がきつすぎ。 思想的には、なんだか俺に似てるみたいだけど、胡蝶さんに対して無礼に過ぎる。 もっと、やわらかい口調で議論は楽しみましょう。
311 :
W大生 :2001/06/29(金) 23:46
電波先生Ψ(´д`)Ψガンバってる?オレは今日サークルの飲み会だった。 はやく戻って来てオクレよ。先輩も待ってるぜい。 チアガールは高見の見物だとさ。 ところで前に電波を哲学の枯れ木研究家って言ったが、いくら何でも枯れ木 じゃ商売できないだろうということになった。 そこで電波クンに新しい肩書きを進呈する。 「哲学の盆栽職人」 どうだキミの生き様にピッタリな肩書きだろう。感謝してくれよ。(藁
312 :
双丸一 :2001/06/30(土) 01:57
>ジャコバイトさん >当時の国法で罰されると罪人、って発想のようだけど、その論法でいくと吉田松陰も大塩平八郎も単なる罪人になるんじゃない? 書き方がまずかったですね。政治制度上の事で、2.26や5.15に関して言えば、 軍人の政治参加に対しての事だったんですが。それと理論的正当性の存在があれば、 即悪と断ずるとはいってないんですけど。ロックやルソーを例にあげているわけだし。 それに今の価値観でも、軍人の政治参加は否定されますよね。いわゆるシビリアンコントロールという意味において。 それから儒教と昭和史を結び付けたい気持ちは分かるけど、でもそれは2.26に 限ってのことだよね。血盟団事件や5.15、そして2.26はむしろ法華教と密接な 関係があるし、ジャコバイトさんの賛美する北一輝もそうでしたよね。 あえて儒教と結び付ける姿勢が良く分からなかったりします。 それと「責任倫理」の欠如を批判しているのに、なぜ2.26を賛美するのか 理解に苦しみます。 三島由紀夫は嫌いではないけど好きではないですね。所詮は、憧れを実現するために 外見を取り繕っただけですから。でも文学的には、文体を創るという才能を見せたり、 結構凄いとは思うんですけどね。 と、ファシズムに関する議論は、サブとしてちょこちょこやるぶんには、いいのかな? 迷惑がられてはいない?みたいだし。 ただ、とりあえず本筋じゃないよねってことを確認したかっただけだから。 江戸時代に関して言えば、ジャコバイトさんはなにやら誤解しておられるようです。 農業革命=生産性を高める方法で、日本の場合、小規模な土地で品種改良による 増産という形でなされました。これによって余剰人的資源が他の産業に移動可能に なるわけです。この意味で、日本においては儒教社会における農本主義が 成功していたとはいえませんか? またこれ無しには、経済発展などできないのですよ。 そして商道=近代経済学ではないですよね。つまり、これまでジャコバイトさんが 主張していた経済の近代化ではないわけです。だから田沼も経済の近代化の 旗手ではないし、むしろ封建制下のことですよ。それと商道における職業倫理は、 儒教的側面を否定できないといっているんであって、それ以上でも以下でもありません。 それと日本が李朝に比べて発達しえたのは、農業革命の成功したからですよ。 また政治体制における儒教的精神と商道とが両立していたこともですね。
313 :
にいなな :2001/06/30(土) 10:09
>>305 > あの当時の日本は、……改革が必要だったのに、政党は何もできず、
> 5.15などのファシズムは何の構想も打ち出せず、
> 統制派は現状悪化しかもたらさなかった中で、
> 2.26が具体的な起死回生の革命プランを持ってた
だから、立憲君主制度下における手続きを踏まずに、自分たちの「革命プラン」を
暴力でもって全国民に押し付けようとしたわけですね。
よくわかりました。ありがとうございます。
> あんたは当時の国法で罰されると罪人、って発想のようだけど、
> 革命家が当時の国法で罪人になるのは当たり前、後世が評価する時は
> それは基準にはならんよ。
あなたの大好きな、西洋における「法の支配」という結構な「制度論」を、
この際のみは無視されるのですか?
それと、
「後世が評価する」ということについて、私とジャコバイトさんとの間に、
根本的な見解の相違があるみたいですね。
その「後世」って、いつですか?2001年現在の価値観による「評価」が、
永遠に有効な普遍的な価値でしょうか?
「後世の評価」とは、時代の価値観によって変わるものだと思いますが。
> 儒教国家が2000年続いたのは認めるけど、そりゃ夜郎自大のようなもので、
> 欧米や日本と接触したらひとたまりもなく、……
> 2000年続いたっての、今の時点で滅んでることの前では、あんまし無意味と思うけどね。
これは、「儒教が役に立たない」という論拠として掲げておられますか?
今滅んでるっての、2000年続いてきたことの前では、あんまし無意味だと思いますがね。
百年前に滅びた、ということは、千年前に現実に有効に機能していたということを
否定する論拠にはならないと思うのですが。
最終的に破綻して、ケインズの新たな理論に取って代わられたということの前では、
過去において、スミスの理論が ある程度 有効に機能していたということも
「あんまし無意味だと思う」のですかね?
314 :
にいなな :2001/06/30(土) 10:10
>>309 > でもね、君主制一般を考察する時は、名君っていう例外ははずして、
> むしろ悪辣暗愚な君主を想定して論じるべきではないかい?
じゃあ、民主制一般を考察する時は、自覚した市民っていう例外ははずして、
むしろ蒙昧貪欲な大衆を想定して論じるべきではないかい?
> (1)個人の恣意が国政に反映されにくくなっており、非人格的な
> 法の支配が貫徹してること。
あの巨大な国では、そのような運営は難しいと思いますが、この点については
もうすこし考えさせて下さい。
> (2)権力の相互掣肘の仕組みが工夫されており、一部の党派的利益ではなく、
> 公共の利益が実現されるように制度ができていること。
儒教ではたしかに、皇帝権力に対しては、董仲舒みたいな形での「掣肘」と、
あとは外敵への協力や反乱という形でしか抵抗できなかったと思います。
しっかし、儒教帝国とか「朕は国家なり」とかの場合、「公共の利益」ってな
一体何なんだろ。
しかし、儒教帝国ではなく、儒教の「理念」としては、もちろん君主や国家よりも
「民衆の生活」を最優先するのですがね。念のため。
315 :
双丸一 :2001/07/02(月) 02:58
>ジャコバイトさん 312大嘘書いてしまったので訂正です。 江戸時代なんで、品種改良ではなく労働集約のおかげのの方が正しいですね。 川勝氏もそうおっしゃっていますし。
age
317 :
電波男ファンクラブ怪鳥 :2001/07/03(火) 13:56
電波センセイはどこ行ったんですかー?
318 :
ジャコバイト :2001/07/03(火) 13:58
にいななさん 双丸一さん 私生活でとても悲しいことがあったので、当分ここで議論をするエネルギーがありません。 結論までまだまだのなのに申し訳ありませんが、しばらくこの掲示板から退場させていただきます。 ごめんなさい。 ただ、ちょっと付け足すと、にいななさん、あなたは立派な人と思うけど、いくら2000年続いても、今の世に役に立つ部分を俺に説明して欲しかった。 あと、制度論ってのは、偶然的要因をできるだけ排除することにどれだけ成功してるかが基準と思うわけね。 それが、「法の支配」とか権力掣肘ってこと。 もう、俺はこの板離れるけど、ヒュームやミルを参考にしてみて。 あと、法の支配にしろ何にしろ、要は公益をどれだけ実現するかだから、国が危機に瀕してる時は強力なクーデターなり革命で強引に制度をつくり直す必要があると思う。これは、マキャヴェリやミルだって肯定してる。 2.26は、農地改革と財閥解体等の国家改造を3年以内にやって、そのあと普通選挙を開いてそれでできた国会で新憲法を制定するって予定だった。 これは、非常時の改革っていう政治思想の王道で肯定されてる内容の線にそったものであると思う。 それに、2.26の将校が目指した国は、「近代民主国家」だったことは、遺書集にも繰り返し出てくるので、明白。 まぁ、俺が言ってるのは、通説とあまりに違うから、反発するのもムリはない。 でも、俺は、自分の頭で考えて納得したことのみ語ってるつもりだよ。 それと、双丸一さん、農業が江戸時代に発達したのが近代化の礎石ってのは賛成します。 でもね、それだけじゃなくて、たとえば生糸なんかがやっぱり近代日本のあらゆる発展を支える外貨獲得手段になったことを思えば、韓・中にくらべた日本の優位をもたらしたのは、商工業の発達と思う。 それに、田沼が徳川体制をはみでるものじゃなかったってのは、そのとおりだけど、俺が言ってるのはそういうことじゃないのはわかってんでしょ!? しっかし、一度聞いてみたかったが、あんたたちは福沢諭吉をどう評価してるんだろう? やっぱし、儒教の心を解さない西洋かぶれ、だろうか?
319 :
電波男ファンクラブ怪鳥 :2001/07/03(火) 14:14
国家大好きなジャコバイトくん、さよーなら。 電波男になりかわって挨拶をします。 お元気で!
何があったのかは存じませんが、「しばらく」どうぞ お元気で。 お互いに、解決していない宿題も多いので、エネルギーが出たら また遊んで下さい。
ジャコバイトさん、互いに宿題もできたということで、いずれまた。 それにしても電波男氏はどうしたのだろうか?
322 :
W大チアガール :2001/07/04(水) 12:02
>>321 ほんとに電波先生どうしているんでしょうね。
登場したらW大生さんに教えてあげることになってるの。
323 :
哲学盆栽職人 :2001/07/04(水) 23:42
>>321 ドモ、ご無沙汰してるね。
このところクソ暑いから盆栽の水やりに忙しい。
324 :
にいななさん :2001/07/05(木) 12:38
生木すら触ることのできないW大生さんが、他人を「盆栽職人」呼ばわりするのは勝手ですが、
少なくとも「W大生」さんは、研究対象について定義も弁別もせずに、いきなり議論を行うような
教育を受けてこられたようですね。W幼稚園では それでも良かったのかな?
あ、まともなディベートの訓練すら受けてないから、「まず対象の定義や弁別をする」という
基本的なことを「退屈に思った」(
>>231 )のか。
W大の思想史の先生に同情。
> 研究の対象を都合良く定義したり、弁別したりすれば、そりゃどんな議論でもできるわな。
だからこそ、最初の「定義」が大事なんだけど、どうせそんなことは解んないよね?
325 :
愚か者 :2001/07/06(金) 00:38
「哲学」とは「論理学」の別称か? 「哲学」と「論理学」との関係や如何?
326 :
考える名無しさん :2001/07/09(月) 18:16
そして誰もいなくなった。 −−−−−−−−−− 終了 −−−−−−−−−−
327 :
ジャコバイト :2001/07/10(火) 16:56
何じゃコリャ? 俺がないと、中国思想を哲学もできんのかい? 俺が出した論点でも整理して、それに対する反駁でも書き付けといてよ!
┌── ┌──┼──┐ | ○ | | | | | / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ | ´∀`.. | < ここまで読んだ、っと。 | | \________ | | | | | | | | | | └─────┘
329 :
双丸一 :2001/07/11(水) 06:01
>ジャコバイトさん どうやら復帰されたようですね。 >生糸なんかがやっぱり近代日本のあらゆる発展を支える外貨獲得手段になったことを思えば、韓・中にくらべた日本の優位をもたらしたのは、商工業の発達と思う。 川勝平太氏によれば、生糸及び木綿の優位性は、イギリス産の物との質の違い(品質ではなく、種類や用途の違いのことで太さや厚さが異なる)が主因です。また韓国や中国に対する優位性も労働集約型の産業革命のおかげです。まず産業革命の構造もイギリスなどとはことなっていることを指摘しておきます。つまり西洋型の発展ではない=日本独自の発展であるのです。 また、商工業の発展は農業の発展がなければ不可能なのです。農業の充実によって生み出された余剰人員(食料を少ない人数で生産できる)が、商工業に流れることで発展するわけです。これはジャコバイトさんも「農業が江戸時代に発達したのが近代化の礎石」ということで認めているわけです。 それから商工業の発展の思想=西洋哲学ではなくて、商道=商いの「道」なわけです。なぜ「道」なのかを考えれば、儒教的影響があることは否定できないでしょう。儒教国家であり封建制であった江戸時代の発展は、儒教の下で発展したことは否定できないのです。だから儒教だから駄目ということはできません。 福沢諭吉は「天の上に〜」で有名だが、意外と道徳面では儒教的な側面もあったと聞くが。 儒教は、道徳や倫理的側面が強く現代社会には無用?というジャコバイトさんの考えもわかるのですが、政治学なんかではロールズを初めとして、アリストテレスやプラトンの見直しなどが盛んになってます。というのは効率性ばかり追いかけてきた近代への反省です。効率を追いかけることによって貧富の差が生まれ、それが拡大する一方であるのは正しいのかという疑問ですね。経済学ではセンが、そういう立場からノーベル賞を受賞しています。つまり道徳や倫理といった価値観を排除してきた近代に対する反省です。この意味では、儒教はまだ意味があると考えます。
330 :
にいなな :2001/07/14(土) 19:41
おかえりなさい。
>>327 じゃあ反駁しやすいように、ジャコバイトさんの論点を戯画化してみましょう。
(1)思想、とくに政治思想というものは、国民の幸福を増進させるという点においてのみ
価値がある。
もちろん、現世利益をもたらさない思想は、それだけで無価値である。
(2)これまでに人類が生み出した、もっとも優れた思想は「民主主義」「法の支配」という
西欧の政治思想である。これは、現在まで数千年の間で最高の思想であるのみならず、
今後どれだけ人類が存続しようとも、永久に普遍的な価値を持つ。
(3)このような思想を体現したフランスやアメリカは、世界中で最も優れた国である。
明治維新後の日本帝国も、これに準ずる。
331 :
にいなな :2001/07/14(土) 19:41
(4)このような政治思想を持たなかった中国や韓国は、仏米や日本に対して劣った国である。 もちろん、彼らが採用していた思想(儒教)も、無価値な思想である。 (5)正しい思想によって運営されている国の行為は、劣った国のそれよりも正しい。 中国がアヘン漬けにされて植民地化されたり、韓国が日本に併合されたのは、 つまりは彼らの政治思想が劣っていたためで、自業自得である。 (6)「法の支配」という正しい政治思想を体現した「国家」は、守るべき貴重なものである。 そのような「国家」が危機に瀕した場合、一時的に「法の支配」という建前を無視しても、 クーデターなどの非常手段によってでも、その「国家」を救わねばならない。 ……こんなとこですか?
332 :
初挑戦 :2001/07/14(土) 20:38
>>330 -331 いくらなんでもそれはやりすぎだと思われ。面白いけどさ。
>(1)
思想Aが事象Bに有効性が小さいからといって無価値とは言えない。
ただしこれは、思想Aが事象Bに有効であることの根拠には全くならない。
>(2)「最も」「最高」「永久に普遍」などと定義しだすと論議にならない。
>(3)(2)と同様
>(4)(1)と(2)の合わせ技
>(5)何に対して「正しい」「劣っていた」のか不明。一般化しすぎ。
>(6)
思想C上に事象Dが生まれたが、状況Eにおいて事象Dが否定されそうになった際、
思想Cに例外を作れば事象Dが否定されない場合ってことかな。
思想C上に生まれた事象Dそのものが重要なのか、恒に思想C上にある事象Dが
重要なのかを問うならば、状況Eの仮定に具体性が薄すぎる。
それから、国家を救わねばならないのはどの立場の話なの?
第三者の思想として? 国民の思想として? 権限を委任された者の思想として?
333ゲット
334 :
にいなな :2001/07/15(日) 20:27
>>332 いや、だから「やりすぎ」に戯画化したんだってば。
335 :
332 :2001/07/15(日) 23:42
>>334 分かってるよぉ。面白かったってばさ(笑)
でも戯画化するにしても相手の主張を変えすぎると「面白いね」だけで終わっちゃう。
いや、それで満足ならいいんだけどね。
336 :
にいなな :2001/07/16(月) 09:17
>>335 > 戯画化するにしても相手の主張を変えすぎると「面白いね」だけで終わっちゃう。
> いや、それで満足ならいいんだけどね。
「変えすぎ」たかどうかは、ジャコバイト御大にしか判断できません。
上の「まとめ」で、あなたの論点からズレすぎている部分があったら、
ご指摘をいただければ「反駁」や議論が活発になると思うので、
お手すきの時にでもお願いできませんか? >ジャコバイト様
337 :
にいなな :2001/07/16(月) 09:26
338 :
WIZ :2001/07/16(月) 12:28
中国の論語? 哲学だとおもうよ ちゃんとしたねぇ
339 :
↑ :2001/07/16(月) 13:21
なんで? どこらへんを指して?
340 :
332 :2001/07/16(月) 13:51
>「変えすぎ」たかどうかは、ジャコバイト御大にしか判断できません。 う、その通りですな。フライングしてしまった。反省、反省。 「ちょっと意見を変えすぎなんじゃないかと思った。」を付け加えて読んで下さい。 # 論語は立派な思想体系だけど現代哲学からは遠い、と私は思う。
341 :
W大生 :2001/07/17(火) 11:40
夏休みだあ〜。今、孟子を読んでるよ。 電波男こと哲学の盆栽職人はどうしたあ? あの浅薄な定義付けに自分でも気が付いて自己嫌悪に陥ったんじゃ ないかって先輩は言っていたがズボシかもしれないな。 人は、後戻りが出来ないところに来て道を間違えたとことに気が付 くことほど悲惨なことはないそうだ。 オレもそうならないように気をつけようっと。
342 :
横レスにいなな :2001/07/17(火) 18:32
>>341 > あの浅薄な定義付けに自分でも気が付いて自己嫌悪に陥ったんじゃ
> ないかって先輩は言っていたがズボシかもしれないな。
ええと、確か
>>197 で、電波男さんが
> 表面的な定義と言うからには表面的でない定義ということを
> 想定してるのですね?それは何ですか?
と言っておられるので、まずそれに答えてから出直して下さいな。 >W大学部生さん
343 :
電波男Ψ(´д`)Ψ :2001/07/20(金) 10:16
>>にいななさん 6月末日締め切りの原稿を昨日まで引き伸ばしてもらいました。 W大生はまだほざいているのですね。あらゆる学問の最初の作業である「言葉の定義」 を軽視する人は卒業すら出来ないでしょう。私なら及第点は出しません。噛んで含めて も理解できないならここに来なきゃいいのにね。
344 :
中西 :2001/07/20(金) 10:40
前略 我、欲するところに従いて、則を超えず。孔子 だったけか? ・・・・に至らなくてはいけないわけね。
345 :
W大生 :2001/07/20(金) 11:57
お帰り! 電波男Ψ(´д`)Ψ >あらゆる学問の最初の作業である「言葉の定義」 >を軽視する人は卒業すら出来ないでしょう。 少し涼しくなったから盆栽の水やりはお休みか? さてだ。 数学はいざ知らず、人間の哲学的思索を適当に範疇分けしたり 定義したりするところにあんたの浅薄さがあるってことに気付 けよ。 先輩はこう言っていたな。 例えばだ。原野に自然と生えた松も盆栽になった松も松には変 わりない。DNAレベルでは同じだろう。しかし本来、原野に 育っているのが松であり、盆栽の松は葉っぱの形が同じという だけだ。だから松を知ろうとして盆栽を松を見ていたのでは松 の真の姿を見失う。 思想や哲学は人間の精神活動の中に存在する。人間はさらに社 会の中に存在する。となれば思想や哲学は、その人間、社会の のあり方のなかではじめて特徴づけられるのだよ。極論すれば 同じ思想を学んでも、学んだ者によってその思想はそれぞれ すでに違っているということだ。 解ったかね?。 オレはこれを聴いてなるほどと思ったぜ。
346 :
電波男Ψ(´д`)Ψ :2001/07/20(金) 12:20
>数学はいざ知らず、人間の哲学的思索を適当に範疇分けしたり >定義したりするところにあんたの浅薄さがあるってことに気付 >けよ。 おまえ本当に救いようの無い馬鹿だな。概念の世界に居る限り、 それを共時的に共有する限り、学問の世界にとどまらず、あらゆる 営みの中で必要であることぐらい早く気づけ。思想を述べるのはそ の作業を終えてからだ。同じこと何度も繰り返すな。ハクチ。
347 :
考える名無しさん :2001/07/20(金) 15:50
>>346 >おまえ本当に救いようの無い馬鹿だな。概念の世界に居る限り、
>それを共時的に共有する限り、学問の世界にとどまらず、あらゆる
>営みの中で必要であることぐらい早く気づけ。
言葉や概念の定義付けをしたい気持ちはわかる。しかしそれが
哲学、思想の世界で厳密に可能であるかどうか、または有効で
あるかはたしかに疑問かもしれない。むしろ相当困難であると
いうのが現実か。
348 :
電波男Ψ(´д`)Ψ :2001/07/20(金) 19:01
>>347 狭義の哲学、つまり論理的斉合性を最大限重視する世界では可能を前提にしないと
成立しません。また広義の哲学での可能性、有効性についてですが、概念の定義付
け作業の過程で、双方の見解の相違が早期に明らかになり、議論の順序、展開方法
としては妥当であり、一番の早道でもあります。可能性については議論の結果次第
と言うことで、可能性への期待よりも大きな収穫があるはずです。
また、この手法で議論を進める利点は客観性を重視しますので、年齢や経験を問わ
ず、誰もが参加できるところにあるでしょう。345のような馬鹿炸裂は除外して。。。
349 :
考える名無しさん :2001/07/21(土) 00:32
>>348 >可能性については議論の結果次第
>と言うことで、可能性への期待よりも大きな収穫があるはずです。
つまり議論によって導きされた結果がなるほどといえるぐらいにもっとも
らしければそれで良いということでしょうか。言い換えれば議論のつじつ
まが合っていて、きれいに論理が構築されていればよいということでしょ
うか。どうも理解に苦しみます。
350 :
電波男Ψ(´д`)Ψ :2001/07/21(土) 00:54
>>349 なにを読んでいるのでしょうか?違う人間が同じ認識に至るほうが
困難なのです。その過程において相違点を判明明確にし、問題点が
露呈され、新たな次へのステップが開かれるのです。それを収穫と
言ったのです。言葉の定義だけで完結してしまうほど哲学は浅くあ
りません。定義で共通認識が得られなくても次へのステップは可能
なのですから。
351 :
胡蝶 :2001/07/21(土) 03:15
かつて三人の聖人がサミットを行った。 三人の名は老子、仏陀、孔子と呼ばれていた。 ある日三人は壷の中にある酢をなめた。 老子は「甘い」と言った。 仏陀は「苦い」と言った。 孔子は「酸っぱい」と言った。
352 :
考える名無しさん :2001/07/21(土) 09:33
>>347 むしろ相当困難であるというのが現実か。
>>349 >違う人間が同じ認識に至るほうが困難なのです。
電波男さんもここでお認めになったように、定義にせよ議論の
結果にせよ。人が違えば認識が同じになるのは困難だというこ
とでしょうか。しかし共通認識に至った(実際は至ったと思っ
ているだけの場合もあり)としても実はその認識は違っている
かもしれません。
また現実には、我々が手に出来る資料は限られた物に過ぎませ
ん。何時新しい資料がでるかもしれず、その場合はそれまでの
議論は全く無価値となる可能性もありますが、電波男さんの議
論はそのような危険性を前提にしていると考えてよろしいでし
ょうか。
353 :
考える名無しさん :2001/07/21(土) 09:39
354 :
電波男Ψ(´д`)Ψ :2001/07/21(土) 09:55
>>352 できましたらコテハンしていただくと混同しないのであり難いのですが。。
>また現実には、我々が手に出来る資料は限られた物に過ぎませ
>ん。何時新しい資料がでるかもしれず、その場合はそれまでの
>議論は全く無価値となる可能性もありますが、
どのようなことを想定しておられるか私にはわかりませんが、
「まったく無価値」だとは考えておりません。新資料が出てきても、
それまでの議論や研究などを基軸にして四方八方、どの方向にも
進めるからです。「足場」と理解すればわかりやすいと思いますが、
この「足場」は大変貴重なものであることは歴史が証明しております。
ウパニシャッドが無ければ仏教も無かったし、ニュートン力学が無ければ
相対性理論も無かったことと共通しますね。
355 :
ジャコバイト :2001/07/21(土) 11:27
大体いつもの面子もそろったみたいだなぁ。 327の宿題はきちんとできる人がいなかったので、自分で論点を整理してみます。 @中国は自前で孔孟の権威を否定することができず、アリストテレスを乗り越えていった西洋に比べて、懐疑や論理的思考が著しく劣っている。 A儒教には認識論が欠如していて、この点で西洋哲学・仏教に劣っている。 B儒教の倫理学は、 A.規範においては妥当なものも多く、今日も有益なものもあるが、論理的根拠を欠いており、ドグマである。 B.かつ、規範的議論ばかりで、人間本性をあるがままに認識する営みが欠けており、この点で西洋哲学に劣っている。 C儒教の社会・政治思想は、 @ 機構論・制度論が欠如しており、君主制の恣意的な体制しか構想し得なかった。「法の支配」ではなく「人の支配」のみである。 A 戦略的思考・責任倫理が欠如しており、心情倫理しか存在しない。 B 消極的自由の概念も思想も欠如しており、公共性無き共同性としてしか国家を構想しえず、パターナリズムでしか政治を把握できない。 といった特徴があり、西洋哲学(特に英米自由主義)はこの欠点を補える。 といったのが今までの俺の主張で、俺の納得する有効な反駁は今のところない。 鶏肋として、 一、儒教は2000年続いたから、価値があるという論法があるが、長く続けば即ち今日にも意味があるとは言えない。たとえば、南米のいけにえの儀式や、インドのカースト制度も長く続いたが、ゆえに今日も意味があるとは言えないであろう。 二、儒教と「日本化」の関係を云々する説があるが、儒教も西洋哲学も外国のものという点では同じである。何も、日本化と儒教を結びつける必然性はなく、むしろ儒教から相対的に自由だったことに日本の個性が見られるだろう。 三、一国の興廃が、すべて政治思想で決定されるわけではなく、人口・地理の要素も働くが、しかしながら人間の行動を決定するのが思考枠組みであることを考えれば、政治思想が一国の興廃を左右する大きな要素であることも否定できないだろう。近代中国の衰亡は、即儒教が悪かったと確実には言えないが、高度の蓋然性が存在することは否定できまい。近代中国の没落に儒教は関係なかったというのならば、そう主張する人の方がこの高度の蓋然性を否定する論拠を示さなければならないだろう。 ってなことです。 これらは、電波男さん・にいななさん・双丸一さん、という得難き論客との議論の中で洗練された論点であり、深くここに感謝するものであります。 ところで、この掲示板の常連で、口汚く相手をののしったりしないのは、俺と双丸一さんぐらいではないか? にいななさんもその一人だと思っていたが、近頃「戯画化」やら、ちょっと変わってきたようで悲しい。 電波男さんは、当初は違ったが、こちらが誠を示せば、ちゃんとわかってくれ、儒教を語る人に礼儀を説けばわかってくれるんだなぁ、と嬉しかった。 しっかし、W大生君はなんとかならんのかなぁ。俺は再三再四注意したはずだが。 「論語読みの論語知らず」だよ、それじゃ。 「孟子」読んでるなら、あんたこそがまず言葉遣いを正して衆に模範を垂れるべきなんじゃないの? それに、いいかげんT大とかW大って名乗るやつの自尊心ってそれしかないのか、って気がして悲しくなる。
356 :
考える名無しさん :2001/07/21(土) 11:34
このスレからイカ臭い匂いがするね。 あ〜臭い臭い。
357 :
千人の仙人 :2001/07/21(土) 17:14
私は西洋哲学も東洋哲学も哲学だと思っております。
>>355 >>@、B
孔子→孟子→荀子という儒家の流れに懐疑はなかったと思いますか?また論理的思考
を記述しないのは哲学書ではないのですか?哲学は哲学的知識を持った人達の井戸端
会議なのですか?
>>A、B
認識が欠けていたらどうして倫理や規範を導き得るのですか?
>>C
「法の支配」ではなく「人の支配」だとおっしゃっていますが法は人がつくるもので
はないのですか?
中国哲学の深遠を見るのはこれからですか?これで終わってはこの板の価値が無いと
思います。完全でないから価値がない、とか結果として成功していないから価値がない
、みたいな議論は不毛だと思います。それを言ってしまったら西洋哲学も論破できる
ものなんていくらでもありますので。
358 :
考える名無しさん :2001/07/21(土) 17:28
>>357 演繹ではなく経験の累積のなかからにじみ出た真理もあるだろう。
熱帯のジャングルの住む者にシベリアの寒さはわからない。
東洋哲学(思想)あり、西洋哲学に乏しいのはこれだね。
359 :
ジャコバイト :2001/07/21(土) 17:44
>357 それぞれについて @まぁその程度はあったのは認める。しかし、孔孟の権威を否定して先に進むことはできたと思うの? A認識論、ってわかるよね!?認識や知識そのものを吟味する学問ね。それが儒教にあるかい?認識がないなんて変なことは俺は一言も言ってないよ。 Cもちろん、法は人がつくるものだよ。ただ、法の支配ってのは、恣意的な支配と対になったもので、あらかじめ公表してあるルールに基づいてものごとを決め、裁くこと。「人の支配」ってのは、法がなくても、恣意で裁断できることね。
360 :
考える名無しさん :2001/07/21(土) 22:01
>>359 中国の文化なり政治なりが儒学を下敷きにしていたという認識があっての議論
だろうが、だいだいそこから間違っているのではないか。孔子も孟子も結局世
に容れられなかったのだ。後には世に容れられるようないなったいうのか。そ
んなはずあるまい。だから孔子や孟子が作った儒学が中国の文化なり政治なり
の下敷きになっているという説には疑問を抱くべきだ。精々権力の正当性を示
すための権威づけに利用されているのではないか。勿論その哲学や思想は、国
家や社会に影響を与えるが儒学を含めて思想や哲学は権力に意識的かどうかは
別にして都合良く利用されてきたというのが真相ではないか。
これは西洋哲学でもみられることだ。色々議論はあるが、ナチスとハイデガー
のように。
361 :
考える名無しさん :2001/07/21(土) 22:13
>>360 孔子、孟子とその後とは同じ儒教と呼ばれていても内容は断絶
しているということだな。馬鹿はその区別ができない。
362 :
千人の仙人 :2001/07/22(日) 15:00
議論に水を差しちゃったかな? 孔孟と西洋哲学・仏教を対比させて優劣をつけることに疑問を感じるけど、私の知る 限りでは儒教を否定して成立したのが墨家、制度論が出てきたのが荀子以降の儒家、 戦略的思考は兵家、消極的自由は道家、社会・政治思想は諸子百家が密接に関係を 持ってきた。もちろん儒家や道家や兵家や墨家も密接な関係があるし役割も大きい。 こんなにきれいに区分けできる訳ではないけれど孔孟=中国哲学とすることは浅い と思う。孔孟ほどの新しい思想家は出てこなくても注釈書は膨大な数が出ている。 このスレを語る場合に西洋哲学が出てくることがあるのは仕方ないとしても『中国哲学 は「哲学」の名に値するのか』、という問いに孔孟と西洋哲学・仏教の優劣では結論が 出てこないと思った。 ちなみに哲学が「普遍的な価値を持つ思想体系」だとすれば私は中国哲学は哲学だと 思う。
363 :
考える名無しさん :2001/07/22(日) 15:08
結論が出るわけないのに ご苦労なこったね、このスレの馬鹿住人は。 せいぜい永遠に無限ループ描いていたまえ。 死ぬまでな。
>>363 そうだったら、なぜ結論がでないか示してやれば?
人の議論をけなして喜ぶお前も、ここにいる住人とは違うところで
ループ描いてるだけだろ。
365 :
考える名無しさん :2001/07/22(日) 16:09
「哲学」の定義さえまだ共通認識に至ってないのでは?
>>365 その通りです。だってヘーゲルもパースも同じ哲学者なんだよ?
定義できるわけないっす。
367 :
電波男Ψ(´д`)Ψ :2001/07/22(日) 17:34
定義できないと結論を先取して議論放棄することを「思考の退廃」と言う。 結論を出すことも大切だが、議論過程にも大きな意義がある。
でも結局定義できないことには、かわりないだろ・・・。 議論過程が大切なら、問題の立て方を変えてやるべきで、 定義を下すことを題目にするべきでないことには、かわりはない。 定義の意味をきちんと把握してくれ。
369 :
電波男Ψ(´д`)Ψ :2001/07/22(日) 20:08
>>368 定義の意味を把握しなければならないのは君のほうだよ。
確かに共通認識としての定義付けは困難だ。しかしね、主張者単位での定義付けと
言う意味では相互了解が得られるのは大前提になる。
定義を導き出根拠、つまり判断する際の価値基準が露呈されるわけだ。哲学思想
における相違点は全てこの価値基準の相違にあると行っても過言ではない。異なる
見解における定義付け作業とはお互いの相違点を見出す作業でも有る。
だから
>でも結局定義できないことには、かわりないだろ・・・。
このような視点はスカタンとしか言いようが無い。
定義することの意味をもっと深く考えるべき。
370 :
368 :2001/07/22(日) 21:30
>>369 だ・か・ら・・・君が
>>369 でしめした過程は、哲学の定義を下す
問題としてやるのは、定義の定義からすれば、不適切だと
言っているだけでしょう?
なんで、
>>369 にいうような問題を、定義を下す問題として扱う必要が
あるの? 仮にお互いの相違点を見出したとしても、価値基準が露呈
したとしても、それらは哲学を定義することにつながっていかない
でしょう?
371 :
電波男Ψ(´д`)Ψ :2001/07/22(日) 21:52
>>370 だからね、哲学の定義そのものが問題になっているのではなく、
有象無象の中国思想について異なる見解を持っているものたちが
それなりの哲学に関する定義を持ち出して検討して整理しようか
というのがこのスレッドの目的なんだよ。
文脈読んでくれ。
それと、定義作業に必ず付随してくるのが価値基準の露呈だと言ったけど
その目的も「哲学の定義」ではなく、相違点の確認が第一になる。
「哲学の定義」にこだわりすぎていないか?勿論最終的に問われてくるのは
そこに行き着くんだけどね。
372 :
考える名無しさん :2001/07/22(日) 21:56
>>369 しかし結局はさ、怪しい定義の上に積み上げているん
じゃないの電波男の議論はさ。違うかい。
373 :
電波男Ψ(´д`)Ψ :2001/07/22(日) 21:58
>>372 なぜそうなる?定義しきっておらんのに何故その上に議論を積み重ねることが
できるんだい?ちゃんと読んでるのか?
そろそろ所詮はすべて主観房が出てきそうだ(w
375 :
理科系 :2001/07/22(日) 22:03
ニュートン力学を持ち出すのは変だな。
>>354 >ニュートン力学が無ければ
>相対性理論も無かったことと共通しますね。
相対性理論によってニュートン力学は絶対的な真理ではないことが
明らかになったが、ニュートン力学があればこそ相対性理論がある
のだから、ニュートン力学の価値は不滅だといいたいのかな。
哲学と自然科学とは事情がちがうよ。
自然科学は再現性があるからその範囲ではあくまで真理だよ。
しかし哲学思想の歴史の世界では、なんか新しい発見があれば、電
波さんの研究はほとんど無価値となる可能性もあるんじゃないの。
屋上屋を架すあほな話だったって馬鹿にされる可能性もあるよ。
376 :
電波男Ψ(´д`)Ψ :2001/07/22(日) 22:15
>>375 違うよ。不滅だとは言わないが、無価値なものとして捨象すべきじゃない
といいたいだけ。何かを乗り越えた時に乗り越えたものを否定する傾向
が最近多いように思えるけど、それははきちがいだよ。
化学と自然科学とは事情が違うってどういうこと?その辺について教えて
くれないかな?わたしは基本的に同じものだと考えてるんだけどね。
私の研究で、例えば文献資料をもとに割り出し、一定の思想史として提示し
たものが新しい資料の発見により完全に覆されたとしよう。そうであるなら
ば、私の思想史に関する当該研究は無価値になることは認めるよ。
そのような、いわゆる「事実学」とも言うべきものはより確かな証拠によって
覆されていくのは歴史の必然だと考える。しかし、一方で思考的な営みによる
発展形態やその過程を経る中で、乗り越えてきたものを無価値にするのは
有る意味傲慢だともおもうよ。
377 :
電波男Ψ(´д`)Ψ :2001/07/22(日) 22:17
ごめん訂正。 化学と自然科学→哲学と自然科学 熱くて脳味噌沸騰してる。。。もう寝る。鬱陀
378 :
W大生 :2001/07/22(日) 22:24
暑苦しい夜のせいか議論も熱くなってるな。
>>361 >孔子、孟子とその後とは同じ儒教と呼ばれていても内容は断絶
>しているということだな。馬鹿はその区別ができない。
そうそうオレが言いたいのこれだよ。儒教として括られる「思想、哲学」
でも質的には正反対といえるぐらい変化している可能性がある。だから
それを考慮にいれずに「儒教は・・・」と議論するのは間違いだという
ことになる。ということは、儒教という範疇分けあるいは定義が内容を
伴わない表面的なものでしかないことだな。
オイ、電波男Ψ(´д`)Ψ よ解ったか?解らなかったらオツムがオー
バーヒートしないように氷枕でもして寝ていなさい。
379 :
理科系 :2001/07/22(日) 22:34
>>376 >違うよ。不滅だとは言わないが、無価値なものとして捨象すべきじゃない
>といいたいだけ。
ニュートン力学を捨象すべきでないことは君が言うまでもない。
この人ほんとにバカなんですか? この人=電波男
380 :
電波男Ψ(´д`)Ψ :2001/07/22(日) 23:45
>>378 そんなこと当たり前。キリスト教でくくっても、その中では千差万別だ
。そんな当たり前のことをわざわざ発言するお前って。。。。。
>>379 いきなり来て失礼な奴だな。
ニュートン力学を否定すべきだと言う人が居るから
説明してるだけだろ。ちゃんと読め。
ニュートン力学に詳しいのなら説明してやってくれ。
それと自然科学と哲学の方法論は隔絶されたものと勘違いしている
人も居るので、理系の君から説明してやってくれ。
381 :
W大生 :2001/07/23(月) 00:01
>そんなこと当たり前。キリスト教でくくっても、その中では千差万別だ >。そんな当たり前のことをわざわざ発言するお前って。。。。。 でもオマエの議論の定義や範疇分けってそれぐらいいい加減だろよ。
382 :
電波男Ψ(´д`)Ψ :2001/07/23(月) 00:05
>>381 おまえ脳梅毒決定だ。「儒教とは」という疑問命題を誰がしてるんだ?
文脈読めない奴は出て行け。「議論の定義」だと?おまえ本当に思想系
で勉強してるのか?
383 :
にいなな :2001/07/23(月) 09:29
>>355 おひさしぶりです。学期末で無駄に忙しいニイナナです。
> にいななさんもその一人だと思っていたが、
> 近頃「戯画化」やら、ちょっと変わってきたようで悲しい。
あなたが一時脱落されて、さらに
> 俺がないと、中国思想を哲学もできんのかい?
> 俺が出した論点でも整理して、それに対する反駁でも
> 書き付けといてよ! (
>>327 )
ということでしたので、反駁しやすいように、あなたの論法の問題点を
整理してみただけです。で、
> あなたの論点からズレすぎている部分があったら、
> ご指摘をいただければ「反駁」や議論が活発になると思うので、
> お手すきの時にでもお願いできませんか?(
>>336 )
さて、
>>355 についてですが、
384 :
にいなな :2001/07/23(月) 09:29
(1)その通り、中国の正統思想は、孔孟の権威を乗り越えられませんでした。 これを乗り越える可能性があった陽明学左派などは、「乗り越える」前に 正統思想サイドから潰されました。ブルーノやガリレイが潰されたのと同様に。 中国思想には「懐疑」はなかったとは言いませんが、未成熟なまま潰され、 主流は考証学に移行してしまった。これは認めます。 あ、中世西欧のスコラ学も「懐疑や論理が欠如していた」のは認めますよね? 新約に記載された「奇跡」という非科学的なものを史実として認め、さらに その上に論理を積み重ねた現代のキリスト教やキリスト教哲学も同様に。 (2)儒教には認識論が欠如している。これも認めます。『荘子』的な思考は、 中国では流産しました。 だから「この点で西洋哲学・仏教に劣っている」と言われれば、それまでです。 朱子学にあって西洋哲学や仏教に欠如している概念を多数列挙すれば対抗できますか? (3A)「倫理としての有効性」は、「哲学として優劣」の判定基準でしょうか? (3B)『孟子』や『荀子』を読みなおして下さい。 (4)有効な政治思想を生み出し得なかったから、「儒教そのもの」も無価値ですか。 この点については、私やジャコバイトさん、電波男さんとも意見の一致をみておりません。 (一)その論法では、ナチス占領時代、自由主義の思想は無価値だったことになります。 あなたの論法は、「今日」とか「その当時」における実効的な価値の有無によって、 「当時において有効に機能していた」ことまでも否定する論理に見えますが、如何? (三)「近代中国の衰亡は、即儒教が悪かったと確実には言えないが、高度の蓋然性が 存在することは否定できまい。」とのことですが、「高度の蓋然性」を示して下さい。 それが示されないと「この高度の蓋然性を否定する」こともできません。
385 :
にいなな(補足) :2001/07/23(月) 09:41
>>355 > 南米のいけにえの儀式や、インドのカースト制度も長く続いたが、
> ゆえに今日も意味があるとは言えないであろう。
別に、儒教帝国や生贄の儀式を現代の中国や南米において復活させろ、と
言っているわけではございません。現代においてこれらが有効に機能するとも。
ただ、儒教帝国や生贄の儀式は、過去において(カースト制度は現在でも)
国家を有効に統治する機能を有効に果たしてきましたよね?
それとも、その当時において儒教や生贄が有効に機能してきた、つまり
当時において優れた価値を有していた、ということは、儒教の価値を判断する
根拠にはなりませんか?
(ex.アテネの民主主義は、奴隷制に基づくもので、今日において施行する意義はない。
だからアテネの民主主義や、その根本にあった思想は無価値だ。)
386 :
W大生 :2001/07/23(月) 09:47
>382 >「儒教とは」という疑問命題を誰がしてるんだ? バカはオメエだよ。このスレ遡って読んだらにいなな氏やジョコバ イト氏と議論してたろ。わすれたか? >「議論の定義」だと?おまえ本当に思想系で勉強してるのか? オマエ小学校卒業してんのか?センセイが言ってたろ、「良く読 みなさい」ってな。小学校で「こくご」の勉強をやりなおせよ。 オレが言ったのは 「でもオマエの議論の 定義や範疇分けってそれぐらいいい加 減だろよ」 だ判ったか?頭を氷漬にしろ。
387 :
W大生 :2001/07/23(月) 10:05
電波男の脳味噌は異常発酵して腐敗寸前の模様です。(臭そう) 簡単な文章が理解できなくなっています。
388 :
考える名無しさん :2001/07/23(月) 10:54
>電波男の脳味噌は異常発酵して腐敗寸前の模様です。(臭そう) 暑いからな、暑い暑い。
389 :
電波男Ψ(´д`)Ψ :2001/07/23(月) 11:00
「儒教とは」じゃないんだよ。「儒教には」なんだよ。 いい加減にせよ。議論の定義?もうしゃべるな。それ以上晒すな。何の 立論もできないのなら迷惑だから来るな。 #FSHISOで遁走天国児童が発言したら叩きのめす。ID晒しながら衆人看視 のもと議論できるからな。
390 :
W大生 :2001/07/23(月) 11:07
391 :
W大生 :2001/07/23(月) 11:19
>>389 >議論の定義?もうしゃべるな。
バカがまだ言ってます。腐りかけた脳味噌でも解るようにいってやれ
という先輩その他の意見がありましたので説明します。
「議論の中で使う定義や範疇分けは・・・」ということだよ。
どうだこれなら少し臭くなってきた脳味噌でもわかるだろう。
392 :
末席の主 :2001/07/23(月) 11:47
>>367 定義の議論は興味深く読んでいます。
>名前:電波男Ψ(´д`)Ψ 投稿日:2001/07/22(日) 17:34
>定義できないと結論を先取して議論放棄することを「思考の退廃」と言う。
>結論を出すことも大切だが、議論過程にも大きな意義がある。
これは疑問ですね。まずどこまで議論が可能かを慎重に検討するべきであり、
はじめから限界を意識して議論をするべきです。無理に議論を進めると「と」
な結論を得るに過ぎません。
とはいえ学究の徒としては中途半端な議論で止めていたのでは論文にならない
ので何かしらの結論を導き出す必要があるのでしょうが、これは学問としては
邪道です。マイナーな分野だからどうせ分野外の奴らには解らないだろうとい
う態度は以ての外です。
393 :
にいなな :2001/07/23(月) 12:20
>>392 > どこまで議論が可能かを慎重に検討するべきであり、
> はじめから限界を意識して議論をするべきです。
微妙な意見ですね。
「どこまで議論ができるか」ということについて
議論をはじめる前に予め結論を出しておけ、
それから既定の限界を意識しつつ議論をせよ、
という意味だとしたら、賛同いたしかねますが。
394 :
電波男Ψ(´д`)Ψ :2001/07/23(月) 12:29
>>391 後出しじゃんけんするな。
>>392 >これは疑問ですね。まずどこまで議論が可能かを慎重に検討するべきであり、
>はじめから限界を意識して議論をするべきです。
それは意識して議論していますよ。共通認識臨界測定を内在した議論だ
と言うことです。議論可能領域を限定してしまうことは外延領域を狭める
事であり、議論としては建設的ではありません。無理に議論を進めるとは
何を示しているのでしょうか?そのような蓋然判断を元に評価し、あまつさえ
「と」であるというには、ご自身の思考パターンを投影していると推察する
以外ありませんよ。
異なる見解の間で、同じタームをめぐる概念と判断根拠の相違を明らかにする
作業がなぜ「中途半端」だと断定するのかその根拠を私は知りたい。
395 :
電波男Ψ(´д`)Ψ :2001/07/23(月) 12:36
>>392 共通認識を得られるのが困難だと言う「限界」を意識し、想定すると
言う意味ならジャコバイトさん、にいななさん共に前スレッドからコン
センサスを得てますよ。
そういう議論の初歩、考えることの初歩、考える際の手順の初歩を弁え
ない遁天児が場を荒らして現在に至っているだけですよ。
396 :
ジャコバイト :2001/07/23(月) 12:43
>384 (1)もちろん認めます。これについては、合意、ってことでいいかな? (2)認識論の欠如(儒教における)、も合意、ってことだよね? (3)A.哲学としての優劣の判定基準、ってことはまた語の定義をしてかなくちゃすれ違いになりそうだけど、儒教の倫理規範がいいのもあるけど、論理的根拠がなくてドグマ、ってのは、合意するのしないの? B.読んでもよくわからん。マキャヴェリやホッブスやヒュームのように、人間本性をリアルにそれ自体として認識してるようにはとても思えん。っていうか、それがテーマになってるとは思えん。徳で本当に政治ができると思ってる時点で、価値合理性だけあって、目的合理性に乏しいと思うが。 (4)別に無価値とは言わないよ。俺が言ってるのは、相対的に、西欧や近代日本の思想と比べて、ってこと。愚民教化や初学者には、今でも価値があるかもね。 (一)がどうしてそうなるの?ナチスは短期間で負けた、って何回言えばいいのだろう。 それに、当時において有効に機能してたことは、俺は否定してないよ。封建制の桎梏の下、自発的にそのくびきを解く術を知らないような国民においては、他のオールタナティブは考えられなかったろうし、愚民教化と腐った体制維持に大いに効果があったと思うよ。 (三)355で挙げたような思想を採用していた国が、その欠点のない思想を採用していた国と戦って負けつづけた、ってことにおいて、まぁ、地理や人口の要因も働いてるかもしれないけど、思考枠組みが作用してるとは当然予想されるじゃん。 だから、儒教が近代中国滅亡に作用してない、って証拠を挙げてよ。 たとえば、君主制じゃなければ、西大后が日本が海軍増強してる時期に同じぐらいの金を衣装代に注ぎ込む、なんてできなかったろうて。
397 :
ジャコバイト :2001/07/23(月) 12:47
>358 演繹からばっかりで経験からにじみ出たものがない、ってそりゃ大陸合理論、でしょ。 イギリス経験論(ベーコン、ヒューム、バーク、オークショット)は、中国なんかよりよっぽど経験の蓄積と大英帝国の智恵の深さを感じるけど。 中国は、全然経験の蓄積がなくて、秦から清まで、相も変らぬ退屈な、宦官と外戚と農民反乱と異民族侵略のドタバタ悲喜劇の繰り返しじゃんか。 ビザンツ帝国と変わらないよ、愚かしさの点で。
398 :
考える名無しさん :2001/07/23(月) 12:53
>>394 >後出しじゃんけんするな。
オイオイ、子供の喧嘩じゃねえぞ。
399 :
ジャコバイト :2001/07/23(月) 12:57
>362 千の仙人さん 道家に消極的自由の発想があるとはとても思えん。説明してちょ。 じゅん子や韓非子の制度論、ねェ。制度論って言えば制度論かもしれんが、西欧に大分見劣りすると思う。 兵家が戦略的発想、ってのは、納得。 孔孟=中国思想、とは言わんよ。ただし、その影響力も害毒もずば抜けてると思うので、ここに照準をしぼって今考察してるってわけ。 兵家はだいぶ好きだよ
400 :
考える名無しさん :2001/07/23(月) 13:08
>>399 >じゅん子や韓非子の制度論、ねェ。制度論って言えば制度論かもしれんが、西欧に大分見劣りすると思う。
時代が違いすぎないか?2000年の隔たりがある。
401 :
考える名無しさん :2001/07/23(月) 14:10
>>396 >たとえば、君主制じゃなければ、西大后が日本が海軍増強してる
>時期に同じぐらいの金を衣装代に注ぎ込む、なんてできなかった
>ろうて。
牝鶏司晨は国家を滅ぼすとうのが儒学の教えなんだがね。
西太后の問題は中国で儒教の教えが実践されなかったために
起きたことにならないか。
402 :
考える名無しさん :2001/07/23(月) 14:23
>>394 >後出しじゃんけんするな。
電波男ってカワイイところがあるじゃんか。
403 :
にいなな :2001/07/23(月) 16:11
>>396 (1)いわゆる正統の儒教は、スコラ学やカソリックと同様、
「懐疑や論理が欠如していた」。王陽明や陸象山などに
見られる「懐疑」は、「正統の儒教」とはなり得なかった。
ここまでは「合意」します。
「だから中国思想すべてには……」とは飛躍しないで下さい。
わたしも「ブルーノを焚殺したから、西洋思想というのはすべて…」
とは言いません。
(2)儒教に、インド仏教のような「認識論」が欠如していることは認めます。
インド仏教に、朱子学のような人間観が欠如していることと同様に。
(3A)たとえば「いやしくも人間たる者、孝を実践せねばならない」とか
「人間の本性は善であるから、善に向かうよう努力せねばならない」
とかいうのが「ドグマ」だというなら、認めます。
でも、それならば、たとえばストア哲学も「ドグマ」ですよね。
(3B)上記のようなドグマを持っていなかったからこそ、孟子や荀子は
多様な議論を展開していったわけで、その根本には、人間の本性を
認識しようという努力があると思います。
でないと、荀子のようなリアルな政治思想も構築できない。
(4)前世紀においては、西欧の政治システムのほうが、中国のそれよりも
有効に機能していた(自国の領土を保全し、自国民の幸福を増進し、
他国を侵略し、他国民を効率的に殺した)ということは認めます。
西欧の政治制度を生み出した思想は、前世紀においては、儒教よりも有効に
政治・軍事のバックボーンとして機能した。これも認めます。
404 :
にいなな :2001/07/23(月) 16:11
(一)あなたが古典中国をどのように理解しているのかはさておきまして、 政治システムとして儒教が有効に機能していたことは認められますね? 経済的に劣位に立っていた国々を侵略・搾取していた腐った体制を 維持するために「自由主義思想」とやらが大いに役に立ったのと同様。 (三)あなたの例挙・立論には、可能性はありますが蓋然性はありません。 犬を食べていた中国は、牛を食べていた欧米列強に負けっぱなしでしたが、 その原因は、食肉の相違にあるかも知れません。犬肉が中国の弱体化に 作用してない、っていう証拠を挙げて下さい。
405 :
考える名無しさん :2001/07/23(月) 16:58
>>399 ジャコバイトさん、私の東洋思想好きが嵩じてつい乱暴な文章になりました。
すみません。m(_ _)m 消極的自由が道家だ、とすることには多少無理があるのですが、
私がそう書いたのは道家が人為に対して無為を説き(消極的)、人間の自然の性を
本能的な欲望や楽しみに求めた(自由)のがその理由です。これは当時の戦乱が大きく
影響しています。ちなみに道家は名家という論理学派の影響を受けている中国で初めて
の自然哲学です。老子→荘子→列子→淮南子と続きます。
制度論は西欧より劣っているでしょうね。私の知る限りでは。
あと、私のHNは「千人の仙人」で「千の仙人」ではありません。私の寒い駄洒落を
間違えないでください。
>>384 にいななさん、初めまして。卓越した知見をお持ちですね。(にいななさんだけでは
ないですが)考証学に移行してしまったことは私も認めます。そのくらいの時期から
中国哲学が停滞してしまったことも。やっぱり正統思想という観点にしたほうがいい
んですかね?墨家は諸子百家では稀有な存在でしたし・・・。純粋に「思想としての
中国哲学」と考えてしまうとそんなに脱線しますか?でもせめて荀子や墨家を認めない
理由を教えていただきたいです。
406 :
千人の仙人 :2001/07/23(月) 17:40
すみません、
>>405 は私です。先日他のスレで千人の仙人らしからぬ
西洋哲学の書籍紹介をしてしまいました。イメージを大切にしたかったのですが。
不覚。(汗
ついでに
>>403 見てませんでした。またまた(汗
407 :
ジャコバイト :2001/07/23(月) 17:46
403 ほぼ意見が一致したみたいじゃん。 俺的には、良かった良かった、って気持だがね。 @中国思想全般が、儒教に懐疑がないからだめとは言わんよ。ただ、この点に関しては儒教はだめだね。スコラもダメだってのは認めるよ。んで、中国の場合は、儒教の他のものが、西洋がスコラを乗り越えたほどには、乗り越えれなかった、ってことは、合意するのしないの? Aも、合意ってことだね。良かった、良かった。 BA、だから、俺はそれがドグマって言ってたわけよ。なんで人間だったら孝を尽くさんといかんか、その論拠がすぽっと抜けてるわけでしょ。常識だったら、確かに普通はそれでもいいんだけど、例外に対処できんわけよ、ドグマだと。たとえば、ファザーファッカーにも孝養を尽くせとか、雪の中に竹の子をとりにいけ、とか飢えた親のために自分の子を殺してくわせるとか、俺はとんでもない、って思うわけよ。ドグマってので、合意、でいいね? B、孟子のリアルな人間本性認識、ってのはさっぱしわからん。Aのようなドグマに満ち満ちてる気がするが。じゅん子も、まぁ、相対的に孟子に比べりゃリアルかもしれんが、情念がどうして起こるかとか体系だった記述はなくて、断片的な言葉ばっかりじゃん。とても、396で挙げた三人には比肩すべきもないと思う。 Cおや、一致しとるじゃんか、意見。そうそう、俺が言ってたのはそのことなんだよ。んで、21世紀も、儒教よっか西欧の学問が役に立つだろう、って思うわけ。俺たちにとってね。んで、そうは言えんって言うわけ?だったら、儒教の今日的意義や価値を教えてちょうだい。俺は、自分の時代の難問に取り組むためにも(「運命愛」ってやつさ)、苦々しくても、日本は脱亜入欧を完遂した上で、欧米と対抗してくしかないと思うわけさ。 別に、史的意義として儒教を追求するってのだったら、また俺も意見が変わってくるけど。 でも、にいななさんの口ぶりだと、20世紀でも21世紀でも儒教が有効性がとってもあるみたいに聞こえたんで(俺の勘違いかもしれんが)、批判してたわけ。 今でも山ほどいるじゃん、そういう馬鹿どもがさ。
408 :
にいなな :2001/07/23(月) 17:46
ええと、
>>405 の後半は、私への質疑ですか?
私は荀子を「認めない」と言った覚えはありませんが……。
荀子は前漢中期以降「正統の儒教」と認められることはありませんでしたし、
墨子も「中国思想の正統」だとみなされたことはありませんでした。
これは教科書的な「事実」とみなしてよいと思います。
このことと、私個人が荀子や墨子をどのように評価するかは別問題ですぅ。
409 :
ジャコバイト :2001/07/23(月) 17:48
>401 だからね、君主制の欠点なんだよ、そりゃ。 んで、儒教は君主制しか構想できなかったしょ。 ほんまに儒教的聖人統治が実現されてれば、っていう発想しかできんところで、儒教はすでにだめなわけよ。 アホが君主でもうまくいく、って機構を、イギリスは考え出したってことを俺はいってるわけ。
410 :
ジャコバイト :2001/07/23(月) 17:53
>404 蓋然性がないってことにはならんでしょ。 まぁ、蓋然性・プロバビリティ、って言葉を使いたくないなら、可能性・ポッシビリティ、でもいいよ。 んで、極めて高い可能性があると思うんだけど。 犬肉・牛肉には、興味ないんで、どうでもいい。あなたの好きな方で、どうぞ。 それよっか、儒教がだめだから中国が近代に没落した、って言えないことを証明してくれ。
411 :
ジャコバイト :2001/07/23(月) 17:55
>405 千人の仙人さん あなたが使う、極めて特殊な使い方としての消極的自由、はわかった。 でも、通例だと、全然意味が違うよね。俺は、バーリンの定義に従って使ってるから。
412 :
ジャコバイト :2001/07/23(月) 17:58
>400 そうそう、だいぶ時代の懸隔がある。 んで、2000年もかけながら、中国は397でも言ったように、なんもろくに進歩なく355で挙げたような欠点を克服できなかったわけよ。
413 :
にいなな :2001/07/23(月) 18:03
>>407 すれ違いレス
(1)乗り越えましたよ。「六經、我に注す」とかの立場もあります。
これは「儒教」ですが、経書の記述よりも我が心を優先する立場でしょう。
つまり、中国思想にも儒教にも「懐疑や論理」は存在しました。
ただ、これらは正統の儒教として認められなかった、ということです。
(2)合意します。で、それは儒教が劣っている理由になるんですか?
だとしたら、同じ理由で、仏教は儒教より劣ることになりますがね。
(3A)刑法200条はとんでもないとか、親のために子供を殺すのはまかりならん、と
いうのも「ドグマ」です。「親の命は子供より大切」という「ドグマ」と、
「ドグマ」である、という点で、これらは同じものです。
その上でしたら、儒教の根本にある「孝」もドグマであると認めます。
(3B)正論篇や王制篇などを読み直して下さい、としか言えませんね。
(4)蒸し返しますが、というか、結論が出ない限り永久に蒸し返すことになりますが、
「俺たちにとって役に立つ」ということが、イコール思想の価値なんですね?
あなたにとって。
あと、私は右翼でも早起き会でもありません。儒教帝国を復興させようともしていません。
ついでに、@AとかTUとかは機種依存文字なので、できれば使わないで下さい。
414 :
にいなな :2001/07/23(月) 18:08
>410 だから、蓋然性のない可能性を掲げて、「そう言えないことを証明せよ」というのは 不当だと思うわけ。この場合、立証責任はどちらにあるんですか?通常。 というわけで、「牛肉・犬肉」でも「キリスト教・儒教」でも「白人・有色人種」でも、 「それが原因である」ことを証明するのは提言者の義務だ、と言いたかったのですがね。 論敵に「それが原因ではない」ことを証明させるのではなく。
415 :
ジャコバイト :2001/07/23(月) 19:34
>413 (3B)読んでもよくわからん。 (4) 思想の価値、といった場合、 1、思想史上の価値、2、今日の我々にとっての価値 の二つがあると思う。 んで、儒教は1はあっても、2がほとんどない、むしろ害毒が多いということを俺は言ってるわけ。 んで、あんたは、1なのか2なのか、どっちついて言ってるのかはっきりしてくれ。 >414 なんで提言者の義務なわけよ。 社会科学では、数学ほどの厳密性では因果関係を特定できないってヴェーバーも言ってるし、反証可能性がなければ真だとポパーも言ってるでしょうが。 あんたが、立証するべきっしょ、近代中国の没落破滅と儒教が関係ないと。 もし、それが嫌だったら、ヴェーバーとポパーに文句を言ってからにしてくれ。
416 :
考える名無しさん :2001/07/23(月) 20:31
>>409 >アホが君主でもうまくいく、って機構を、イギリスは考え出したってこと
>を俺はいってるわけ。
考え出したっていうより結局そうなったんじゃないの。
それぞれの歴史や国家の置かれた環境があってそうなったんじゃないのかな。
だからそういう観点から考えれば、儒教は国家の衰亡を招いた原因ではなく
たまたま衰亡した国家が置かれていた環境が、儒教を国家ににおいて指導思
想としていたんじゃないの。
だから西欧でも、ジャコバイトさんのいうような政治体制が一様に起こった
わけではない。フランス革命やアメリカ独立の影響がイギリスをしてあのよ
うな政治体制ならしめたと考えられないかな。
417 :
考える名無しさん :2001/07/23(月) 20:43
>>416 結局、ジャコバイトは、絶対的な君主の権力を誓言するような体制を
西欧は得た。そしてその点で中国に勝っているというわけだ。しかし
西欧であるドイツでナチスが台頭したのはどう説明するのかな。ナチ
スはヨーロッパ中に災厄をバラマキ、ドイツ自体も大いに傷つけた。
英国を見ると結果オーライではあるが、そこで信奉されている政治
信条が結果オーライの原因であるとはいえないのではないか。
418 :
考える名無しさん :2001/07/23(月) 21:27
誓言?・・・制限が正しい。
「贅言」だったりして(ワラ
420 :
考える名無しさん :2001/07/23(月) 23:40
>>415 私はポパー主義者ですが、ポパーはそのようなことは言っていません。
反証可能性は科学と非科学の境界設定の問題であって、「反証可能性が
なければ真だ」ではなく、反証可能性を持つ命題でなければ科学的な命
題とはなりえない、非科学的=形而上学的な命題であると述べたのです。
ただし、ポパーは形而上学的命題であるからといって、それが無価値だ
とは言っていません。むしろ積極的に評価します。それが論理実証主義
との違いです。
仮に「真」ではなく「偽」のミスだったとしても不正確です。
要するにジャコバイトさんの意見、ポパーを持ち出すところは誤ってい
ます。
あと、ジャコバイトさんの問題は哲学の理論の真理性や正誤に関して、
国家が成功するための貢献度や有用性をもって善し悪しを図っている
のが強いところです。
にいななさんが問題としてるのはそこでしょう。
哲学が貢献するのは国家に対して、なのでしょうか。
ただし中国哲学は自由という観念を生み出すことはできなかった。
もちろん日本も。そういう意味で西洋哲学に劣るというのなら私も
然りです。
しかし、私もポペリアンだから西洋哲学の方を持つが、なんでそんな
に儒教がダメといいたいのかな。
欧米=現代で覇権を持つ、中国=ヘボ、遅れているというのを過剰に
言うのが建設的かな〜
役に立つ思考を受け容れればいいだけジャン。
421 :
考える名無しさん :2001/07/23(月) 23:51
>420 >役に立つ思考を受け容れればいいだけジャン。 概ね同意! 儒教の徳目、仁、義、信を尊ぶ人と親しくなりたいもんですね。 逆にこれらを頭から否定するような人間は全く信用できません。
422 :
逍遥遊 :2001/07/24(火) 00:14
>ただし中国哲学は自由という観念を生み出すことはできなかった。 「自由」という近代的な共同幻想の制度を生み出さなかった。 もしくはなじまなかった。(他民族集合国家ゆえ) それも現在のような制度は数十年のもの。 歴々たる多くの中国文化、詩、藝術をみるに キリスト教的価値観にしばられた西洋より、 余程、壮大、自由に思えますが。
423 :
考える名無しさん :2001/07/24(火) 01:04
ジャコバイトの評価基準は、軍事的かつ経済的成功をなし得たか否か 即ち戦争が特異であったか金儲けが巧かったかどうかってことだ。 確かにイギリスは巧かったよ。しかしその原因が議会制であったとは 結論できないだろう。
424 :
にいなな :2001/07/24(火) 09:21
>>415 > 思想の価値、といった場合、
> 1、思想史上の価値、2、今日の我々にとっての価値
> の二つがあると思う。
> んで、あんたは、1なのか2なのか、どっちついて言ってるのかはっきりしてくれ。
私は1によって儒教を評価しています。あなたは全く2の立場によって
「儒教は無価値だ」と考えておられるようですから、この点において、私たちの
立場は(少なくとも現時点では)一致していません。
このまま「もの別れ」になるか、「今後の課題」になるかはわかりません。
> なんで提言者の義務なわけよ。
> 社会科学では、数学ほどの厳密性では因果関係を特定できないって
> ヴェーバーも言ってるし、反証可能性がなければ真だとポパーも言ってる
> でしょうが。
> あんたが、立証するべきっしょ、近代中国の没落破滅と儒教が関係ないと。
この点には色々ツッコミも入っているようですが(
>>420 )。
私が「近代中国の没落破滅と儒教が関係ない」ことを立証しなければ、あなたの提示した
可能性を認めなければならない、ということになれば、当然ながらジャコバイトさんは、
「牛肉・犬肉」が近代中国の没落破滅と関係ないことを「立証するべきっしょ」。
>>407 > 例外に対処できんわけよ、ドグマだと。
本当に『孟子』を読まれましたか?
公羊の「権」の概念について、どう思われますか?
「諫争」とは何ですか?
あと、「孝」は「ドグマ」で、「自由」とか「人権」とかは「ドグマ」ではないのですか?
425 :
ジャコバイト :2001/07/24(火) 16:10
>424 だから、思想の価値、の1の点では、俺は儒教の価値は認めてるっしょ。昔の書き込みをよく読んでちょうだい。 んで、2の点ではあなたがどう思うか聞いてるわけさ。 2の点ではどう思うの? 1の点では価値がある、けれど2の点では価値が相対的に低いし害毒も大きい、って俺の意見のどこに反対なわけよ? そこをはっきりしてちょうだい。 ポパーはそうだったけかなぁ・・・。420の読んで、夏休みの間にポパーについては勉強し直します。 しっかし、ヴェーバーについては? にいななさんの考え方だと、ヴェーバーの「プロ倫」も無効になるんじゃない? つまり、ヴェーバーが言うように、当時の資本家にプロテスタントが多いのでプロテスタントの世俗内禁欲のエートスが資本主義社会を立ち上げた、ってテーゼは、あんたの理屈だと立証できないので言えない、ってことになるわけよ。 ここんところ、はっきりしてちょうだい。 んで、「権」っていう風に、臨機応変って発想もあるけどさ、儒家の場合、この「権」の原則がちっともわからんじゃない。特に日頃言ってるドグマと「権」の関係がさ。 んで、415の3Bがやっぱしわからんので、質問に答えてよ。 あと、「自由」はドグマと思わんよ。ちゃんと理屈が通ってるからさ。 んで、「人権」がドグマだってのは、賛成。 俺は、天賦人権説ってのには反対なのだよ。
426 :
ジャコバイト :2001/07/24(火) 16:13
>416 おいおい、勝手にほっといたらなるわけないじゃん。 君は、極めて丸山真男の言うような意味での、日本人的な政治観だなぁ。 んじゃ、聞きたいけど、ハリントンやヒュームやミルが、あんなに努力して紡いだ思想と、それが与えた影響ってのは無い、っていうわけ? あれらがなくても、ほっといてもイギリスはああなったんだろうか?
427 :
ジャコバイト :2001/07/24(火) 16:25
>420 あんたとは大分話が合いそうだ。 質問に答えるとして、 「どうして儒教をそんなに批判するのか?」ってのはね、今でも儒教が通用すると思ってるアホが多いからだよ。 もう死んだけど、梶山静六もそんなこと言ってたし、それにいま中国で儒教文明圏とか言ってるアホどもがうようよいるでしょうが、中国の覇権拡大の正当化のためにさ。 それに、日本は未だに儒教的発想っていうかさ、儒教のいい部分が消滅したくせに、思考の型として、儒教の愚かしい部分がたくさん残ってると思うわけよ。 たとえば、論理的発想に乏しく、権威に弱く、戦略的発想や責任倫理に欠け、能力や意見ではなく徳という漠然としたもので人を判断するとかさ。 だから、儒教の克服は未だに今日的課題と思ってるわけ。 それに、近代の東アジア史を見るとき、儒教をどう評価するかで大きく見方が変わってくるでしょ。俺は、脱亜入欧が正当だったと思うし、どう時代の清や李朝の愚かしさを批判したいわけよさ。それは、自虐的歴史観の克服にも不可欠なんじゃない? それに、大戦期の日本は、先祖帰りして、また儒教的発想がはばをきかせたのが、悲劇の原因だったと思うわけよ。広田弘毅や東条がいかに儒教的価値観で生きてたかは、わかってるよね?それに、北一輝以外のファシスト連中もね。んで、日本がああいう愚かしいマネに再び陥らんために、俺が再三再四言ってることの克服が必要と思うわけさ。 んで、これらが建設的じゃない、って言うなら、その理由を言って。
428 :
ジャコバイト :2001/07/24(火) 16:29
>421 そりゃ、俺のことかい? 俺は一度も儒教の信とか仁とかいうことは否定しとらんよ。 355をよく読んで。 しかも、この板でも、一度も相手を罵倒する言葉も言ってないし、常に誠実さと礼儀が向上するように勧告してきた。
429 :
ジャコバイト :2001/07/24(火) 16:30
>422 俺も、キリスト教は嫌いだし、あんなものを日本は導入しなくていいと思うが、西欧より中国が壮大、自由とはとても思えん。 どういうところをあなたはそう思うの?
430 :
にいなな :2001/07/24(火) 17:52
>>425 > だから、思想の価値、の1の点では、俺は儒教の価値は
> 認めてるっしょ。昔の書き込みをよく読んでちょうだい。
> んで、2の点ではあなたがどう思うか聞いてるわけさ。
「2、今日の我々にとっての価値」というのが、
「実際の政治制度に応用する」という意味なら、
儒教が理想とする一君万民制は、現在の西欧や日本では
実現困難ですし、実現する意味はありません。
それは認めます。
そのことと、「朝鮮が日本に征服されたのは儒教が劣っていたせいだ、
だから儒教には価値がない」という議論とは混同しないで下さい。
> にいななさんの考え方だと、ヴェーバーの「プロ倫」も
> 無効になるんじゃない?
その通りです。この点で私は、ヴェーバーの所説を認めません。
もし私が、
「日本はキリスト教を受け入れなかったから太平洋戦争に負けた」
という「可能性」をひとたび提示さえすれば、あなたの論法だと、
ヴェーバーやジャコバイトさんはこれを認めねばならなくなります。
あなたが「そうじゃないことを立証」しない限り。
私が「そうであることを論証する」のではなくてね。
431 :
にいなな :2001/07/24(火) 17:53
>>425 続き
> んで、415の3Bがやっぱしわからんので、質問に答えてよ。
前レス118でうかがったところによると、あなたは
> 俺は、こう見えても、四書五経から近思録、伝習録、読んだことあるぜ。
> むろん、老子・荘子もな。
とのことですので、ついでに『荀子』も読んでいただけますか?
特に真ん中の部分あたりを。
そこに述べられている政治論の根本にある人間についての議論が
> 規範的議論ばかりで、
> 人間本性をあるがままに認識する営みが欠けており、(
>>355 )
というものにしか見えないのでしたら、私が『荀子』を深読みしすぎていると
いうことでしょう。
横レス
>>427 > 「どうして儒教をそんなに批判するのか?」ってのはね、
> 今でも儒教が通用すると思ってるアホが多いからだよ。
> それに、日本は未だに儒教的発想っていうかさ、儒教のいい部分が
> 消滅したくせに、思考の型として、儒教の愚かしい部分がたくさん
> 残ってると思うわけよ。
> だから、儒教の克服は未だに今日的課題と思ってるわけ。
あなたが「儒教のいい部分」とやらを認めておられるとは、いままでの
カキコからは、到底うかがえません。
「坊主憎けりゃ」のごとく、儒教を全否定しようとしているように
(過去に有効であったことも含めて否定しようとしているように)
見えるのですが、私の悪意ある(or偏見による)誤解でしょうか?
432 :
ジャコバイト :2001/07/24(火) 18:24
>431 おいおい、そりゃ悪意ある読みだよ。 繰り返し言ってるけど、俺は規範的部分の倫理としては、否定して無いでしょうが。もう一度、昔のを読まれたし。 それに、筍子は昔読んだよ。なんか、修飾的文章やけに多かった記憶が・・・。 人間本性についてリアルな認識、ねェ。単に性悪って言ってるだけじゃん。 だからさ、情念がどうやって生まれるか、とか土台筍子の課題になってるわけ? (俺のパソコン、じゅん子が漢字で出ないんで、とりあえずこの漢字にしてるけど、また鬼の首をとったように筍じゃありませんとか野暮なこと言わないでよ) あなたの深読みの素晴らしい解釈を教えてちょうだい。 それと、あなたを傷つけると思って尋ねなかったけど、スミスの国富論はマジで読んだ?えらく批判してたけどさ。
433 :
ジャコバイト :2001/07/24(火) 18:29
>430 んなら、一致してるじゃんか。 専制君主制は近現代では全然だめだってことに合意するんだね? あと、李朝は儒教を採用したままで生き残れたと思うの? 金玉均を殺したこととか、どう思うわけ? キリスト教なら、採用して滅びた国は山ほどある。近代でもネ。エチオピアやら太平天国やら。 だから、日本がキリスト教を採用してたら大東亜戦争に勝てたとはいえない。 けれど、近代で儒教に固執した国は全部滅びてる。(李朝と清ね) わが大日本帝国に、旧弊な封建国家は敗れ去ったわけよ。
434 :
ジャコバイト :2001/07/24(火) 18:31
>430 しかし、ヴェーバーを否定する人とは、もはや社会科学については何も語り合えぬ気がするのだが・・・。 つまり、あなたは思想が現実には何も影響を及ぼさない、って言いたいわけかい? だったら、あんたは何のために、思想を学ぶわけ? 暇つぶし?オナニズム?
435 :
420 :2001/07/24(火) 21:05
>>427 産業が発達した現代社会において儒教が影響を与えていたような
共同体社会はどんどん解体しつつある、というのがむしろ現代的
な視点では?
梶山が述べたのはそうした若い世代に対する一種の危機の表明で
しょう。しかしそうした言明は基本的に相手にされないでしょう。
儒教的な家父長制度などはまだ残存している、とうのならば話は
分かりますが、家父長制ならヨーロッパにだってあります。
僕が言いたいのは、ジャコバイトさんの言う儒教の悪いところな
んてのは吟味する必要もなく悪いというか言わなくても消えると
いうことです。
明治から大戦への流れは儒教の悪弊だけに還元できるものではな
く、それこそ天皇制をも視野にいれた広範な検討が必要であると
思います。要するに儒教の悪弊(本来の儒教が悪いなどとは思っ
ていません)などは哲学的に検討するに値しません。
ジャコバイトさんは哲学というよりはむしろ政治に還元できる話
をなさろうとしていませんか?もちろん哲学と政治は無関係では
ありませんが(哲人王=プラトンの昔から)。滅ぶとか勝てたと
かそういう基準で哲学を語るのはナンセンスです。
恥ずかしい話をすれば「真理を知りたい」というのが哲学です。
「勝つための真理」というのもあるでしょうが、それならば大文
字でいう哲学の話題ではありません。
あと
>>437 にいななさんはヴェーバーを全否定などしていませんよ。
拡大解釈しないように。それに学問的自由の見地から言えば、別
に否定したってかまわないでしょうに。ヒステリックになること
ではないと思いますが・・・
>>422 自由が共同幻想だというのは私も認めます。ジャコバイトさん
なら違うかもしれませんが「自由」も「人権」も突き詰めれば
ドグマです。だが、それが必要だと思っています。中国の文化に
ついては偉大だと思ってます。ただ、劣るとかいう次元の話をあ
まりしたくないのです。
個人的にはヘロドトスより司馬遷の方が偉大だと思ったりしていますが。
436 :
420 :2001/07/24(火) 21:17
すみません前レスの
>>437 はむろん434の誤りでふ。
未来予言はポパーの戒めるところ。欝山車能
437 :
胡蝶 :2001/07/24(火) 21:49
前述したが構造主義は「西欧中心主義」を批判した。 ポストモダンは西欧思想を一貫して支配してきた「同一性」を原理とする 形而上学的思想を徹底的に解体した。 彼らは「制度」に潜む、言語ゲーム及び無意識までさかのぼり脱構築という戦略を企てた。 そのような「制度」は一見洗練され、合理的に見える。 しかしそのような先進的な制度は、地球を温暖化し、人間中心的な世界を作るに至った。 「暑い!!」「くそ暑い」…ほんの数年前より2,3度も東京の平均気温は確実に 上昇しているのだ。これが現実。今後も地球温暖化は確実に進行していく。 東洋、老荘思想の持つ循環の思想、自然の中にあるという人間観、共生の思想。 人間の限りない欲望を戒める思想。消極、謙虚な思想が必要と思ふ。
438 :
揚げ足取りニイナナ :2001/07/25(水) 08:12
>>432 > 人間本性についてリアルな認識、ねェ。単に性悪って言ってるだけじゃん。
「性悪」ってのは、「性」を放任すると社会がどうなるか、から判断したテーゼです。
単に奇をてらって孟子に対抗したわけでも、頭の中で「性悪であるべきだ」と演繹した
わけでもない。現存する人間を観察した結果として得られた「リアルな認識」だと
私は思いますが。
> だからさ、情念がどうやって生まれるか、とか土台荀子の課題になってるわけ?
それは問題ではありません。いわゆる正統儒学では、その問題を宋学におけるほど重視しません。
むしろ荀子は、現実の人間の本性を放任すると社会が混乱する(「悪」に陥る)ということから、
これを防ぐために「社会秩序」が生じた(聖人の人為=「偽」によって)としていますので。
で、「情」がどこから由来するか理論付けるのが「リアルな認識」なんですか?それとも、
そんな議論は軽視して、とりあえず現実に存在する人間の本性を理解し対処して、適切な社会の
システムを考えるほうが「リアル」ですかね?
> スミスの国富論はマジで読んだ?
マジには読んでません、演習で読まされるほどには。 訳本をざっと流した程度です。
で、放任経済は世界恐慌や世界大戦を引き起こしましたが、「2.」の点において、
スミスの価値はどの程度のものでしょうか。読まなくても、結果から判断すれば
いいんですよね?
439 :
にいなな続き :2001/07/25(水) 08:13
>>433 > けれど、近代で儒教に固執した国は全部滅びてる。(李朝と清ね)
> わが大日本帝国に、旧弊な封建国家は敗れ去ったわけよ。
だから何度も言うように、その例挙では、因果関係が立証されないんです。
「近代で、白人国家と戦争した有色人種の国家は全部負けている。
わが合衆国に、劣等なイエローモンキーは敗れ去ったわけよ。」
日本帝国は、有色人種のままで生き残れたと思うの?
>>434 > しかし、ヴェーバーを否定する人とは、もはや社会科学については
> 何も語り合えぬ気がするのだが・・・。
では、孔孟を否定する人とは、儒教について何も語れませんね(笑)。
420さん、フォローありがとうございます。(
>>435 )
> あなたは思想が現実には何も影響を及ぼさない、って言いたいわけかい?
それこそ、昔のカキコをみて下さい。繰り返しますが、
思想が現実(あなたのいう「国家」)に対して何らかの影響を及ぼすことは、当然あり得ます。
現実の国家が興亡した原因を、100%思想の優劣のみに帰すことは「厳密な論証を経なければ」できません。
単に「儒教を採用していた国が滅びた、だから儒教はダメだ」とは短絡して言うことはできない。
>>389 電波男さんのFSHISOでのハンドルは何ですか?
僕の知る限り、1番部屋では思いつかないので、教えて下さい。
ここは何を論じていらっしゃるのかよく理解できませんが、
1 「中国哲学は「哲学」の名に値するのか?」という話であれば、
「哲学」はともかく、「Philosophy」 に該当するのは明確だと思います。
手元のWebsterによれば、
Philosophy ----- a search for a general understanding of values and reality by chiefly speculative rather than obserbational means.
とある定義がありますが、中国哲学はこれに該当しておりますね。
傍証として、Chinese Philosophy という語の多くの使用例をあげることも一応可能です。
2 中国哲学と西洋哲学の優劣について論じているのであれば、それは個々人によっていろいろな意見はあるでしょうし、僕はあえて他人を説得しようとは思いません。
ところで、西洋近代思想に対する中国思想の影響(宣教師経由)について御存知の方はいらっしゃいますか?
441 :
考える名無しさん :2001/07/25(水) 14:59
442 :
考える名無しさん :2001/07/25(水) 15:15
にいななさん今日は
>>384 >(1)その通り、中国の正統思想は、孔孟の権威を乗り越えられませんでした。
これを乗り越える可能性があった陽明学左派などは、「乗り越える」前に
正統思想サイドから潰されました。
以前から「正統思想」とう言葉を利用されていますが、今ひとつ理解
できません。だいたい思想に正統やら異端があるのでしょうか。単に
権力に認められた思想を正統と呼ぶならわかりますが。
443 :
くりたん :2001/07/25(水) 15:22
NAM最大の理論家のぼくもこのスレに 参加したいな〜 いいかな〜??
444 :
考える名無しさん :2001/07/25(水) 17:27
>>440 FSHISOで遁天児に噛みつくヤツが電波男だろう。しか
し遁天児は、相手の議論の矛盾を突くのが巧いようだ
から電波男が返り打ちにされるかもな。
445 :
千人の仙人 :2001/07/25(水) 17:54
>>408 にいななさん、私の見当違いの質問にレスをつけていただいて恐縮です。
>>415 ,
>>427 ジャコバイトさんへ
中国哲学の「今日の我々にとっての価値」を考えるときにそれがそのまま現代社会に
適用可能か、という視点で評価をする人は多くないと思う。兵家が好きなら納得して
もらえると思うけど。
でも中国哲学の全部とは言わないけれど普遍的価値をもって我々に訴えてくるものが
数多くあるから残ってきたし愛読されるものも多いのだと思う。あと
>>427 だけど孔子
は戦争は嫌いだったよ。
>>360 で書かれていたように利用されていた面が大きいんじゃ
ないかな。中国哲学を活かす場合の要は現実把握能力とバランスじゃないのかな?
私の歴史認識が特に深いという訳ではないですし、歴史を省みることが無駄とは全く
思わないけどジャコバイトさんの現時点での歴史認識は浅いと思う。
現実に対処して行こうとする意志は素晴らしいと思うけど。
仁義礼智信の五常がどう有害かは考えてみてほしい。
>>396 の(三)
それと特ににいななさんの肩をもつ訳ではないけれど「あるもの」が真か偽か
はっきりしないときにきちんとした根拠がないから真だ!というのは西洋哲学には
ないと思う。文章からはそう読み取れてしまう。ここは否定しているジャコバイトさん
が立証すべきだと思う。
446 :
にいなな :2001/07/25(水) 18:18
>>442 > 以前から「正統思想」とう言葉を利用されていますが、今ひとつ理解
> できません。だいたい思想に正統やら異端があるのでしょうか。単に
> 権力に認められた思想を正統と呼ぶならわかりますが。
そうですね、不用意に言葉を使ってました。ゴメンナサイ。
私は「単に権力に認められた思想」を「正統思想」と呼んでいます。
具体的には、『五経正義』とか『十三経注疏』とかをイメージしてます。
元明以降の朱子学を「正統思想」入れると、また議論は微妙にズレるのでしょうが。
>>440 〜
>>444 > しかし遁天児は、相手の議論の矛盾を突くのが巧いようだから
> 電波男が返り打ちにされるかもな。(
>>444 )
は〜ん。遁天児さんってば、どこかの板で、まだ活動してるんだ。(有料板は面倒でキライ)
447 :
ジャコバイト :2001/07/25(水) 18:22
448 :
考える名無しさん :2001/07/25(水) 18:38
>>446 >私は「単に権力に認められた思想」を「正統思想」と呼んでいます。
なるほど解りました。ということは権力が特定の思想を正統とする
においてはそこで何らかの価値判断が働いているはずですが、それ
は何を基準にしたんでしょうね。この点を考察したことがおありで
すか。
449 :
考える名無しさん :2001/07/25(水) 23:07
おのおの方、靖国問題も、標題にからめて論じてくれ。
450 :
にいなな :2001/07/26(木) 09:46
>>448 はぁ?
それこそ思想史の教科書でも見て下さい。
董仲舒とか武帝とかについての教科書的な概説でもよければ
ざっとまとめて書き込んでもいいけど、退屈でしょう?
念のため、私は、儒教のうち特定の学派が政権や世間から「正統」の立場を
与えられたことを歴史的に認めていますし、その「正統な思想」が硬直化したり、
陽明左派を排斥したりしたことも承知してます。儒教に色々な立場・学派があり、
私のいう「正統な思想」が儒教のうち一部に過ぎないことも。
ただし、歴史的に、「正統な思想」がオーソドックスな儒教の立場として認められ、
後世においては(批判の対象としても)儒教を代表していることも事実でしょう。
しかし、私という個人が「正統の儒学以外は異端だ、無価値だ」とか思っている
わけではありません。荀子も王充も章学誠も、少なくとも思想史的に意味はある。
もし「正統な儒教」というのが、私個人の価値判断を含むという誤解を招きやすい
表現であるなら、「オーソドックスな儒教」とか「カソリックな儒教」とか呼べば
よろしいですか?
451 :
考える名無しさん :2001/07/26(木) 10:33
>>450 どうも私の質問の仕方が悪かったかもしれません。
例えば、英米の合理主義には正統や異端というような区別が
ないように思えます。自ずと行き着いたところに名前をつけ
て合理主義と呼んでいます。しかし特定の儒学が正統とされ
た(選ばれた)のは、それをなさしめた理由があったはずで
あり、もし西欧と中国の思想を較べるならば、そのレベルで
検討する必要があるのではないかという問題意識を私はもっ
ております。そこでそのあたりをにいななさんにお尋ねした
わけです。
452 :
にいなな :2001/07/26(木) 10:41
儒教が政治に密着していたから、ではないでしょうか? カソリックが政治に密着していたように。 特定の教義が公会議によって選ばれたのは、 それをなさしめた理由があったはずでしょう。
453 :
ジャコバイト :2001/07/26(木) 11:19
ちと忙しいので、ちょっと休みますが、俺の偽者が出現してます。 447は俺ではない別の誰かが俺の名を語っています。 そういうのは要らぬ誤解を招くのでやめてください。
454 :
電波男Ψ(´д`)Ψ :2001/07/26(木) 13:26
遁天児はFSHISOではまったく相手にされていないトーシロー。 バカに噛み付くことはしないよ。 ここで噛み付かれたから言い返しただけさ。
455 :
考える名無しさん :2001/07/26(木) 13:59
ソリック対政治権力と儒教対政治権力では、事情が ちがうでしょう。カソリックは王権を凌ぐ存在になった が、儒教は常に皇帝の奉仕する存在であったように。 だから単に、なさしめた理由が政治に密着してるから では答えにならないのではないでしょうか。正統と された特定の儒教には独特の理由があるのではないか と思うのですが。 儒教
456 :
考える名無しさん :2001/07/26(木) 14:05
法王庁は、キリスト教という権威によって政治権力を獲得した。 だから、キリスト教について、何が正統で何が異端かを決める必要があった。 漢は、儒教という権威によって自身を正当化した。特に前漢末期。 だから、儒教について、何が正統で何が異端かを決める必要があった。 『白虎通』なんかね。 これらは何か違うの?儒教が自身で法王庁を持たなかったこと? 政治に密着したのは同じでしょう?
457 :
にいなな :2001/07/26(木) 14:07
あ、上の456は私ね。
458 :
にいなな :2001/07/26(木) 14:15
あと、法王庁が自立する前から公会議はあった、とか言わないでね。 末期のローマ帝国も、キリスト教を採用してたんだから。
459 :
考える名無しさん :2001/07/26(木) 18:32
>>456 法王庁=カソリックだけど漢≠儒教 じゃないの。
どうも変だな。
460 :
ジャコバイト :2001/07/26(木) 19:34
>435 あなたも名前をなのって参加してね。 んで、儒教のいいところがほっといたら無くなるってのはわかるんだけど、儒教の悪いところがほっといても無くなるというのは全然納得がいかん。 355に挙げた思考の欠点が、いま日本でどれくらいできたと思ってるの? それと、日本の愚かしい敗戦が、全て儒教のせいだなんて俺は一言も言ってない。 ただ、その原因の一つではあろうし、また近代日本の危機を救うたしにもならなかったってことを言ってるわけ。 それと、儒教の悪弊がなぜ論じるに足らんのか、また、本来の儒教はなにも悪くないってのは何故なのか、355をじっくり読んだ上で、ご説明を。
461 :
ジャコバイト :2001/07/26(木) 19:40
>438 んで、その社会秩序の設計に儒教はどれだけ寄与できたの? それと、何を以ってリアルとするかが食い違ってれば、話にならんのだが、じゅんしと、ヒュームとどっちが体系的で現実の人間の複雑な心理を描写できてると思うわけ? 情念が発生するメカニズムを把握しとかなきゃ、現実の人間への理解も、社会秩序の設計も、どだい精緻ならざるものになるでしょうが。
462 :
ジャコバイト :2001/07/26(木) 19:47
>439 何回同じことを言わせりゃ気が済むわけ? 社会科学じゃ厳密には因果関係は言えないんだってば。 ただし、大体そう言えれば、そう言えるってことなわけよ。 つまり、反対例がなければとりあえず真ってこと。 んで、あんたのその醜悪な例は、日本が特に近代史で実力を以って打破してきたでしょうが。 日本は、ロシア、ドイツ、といった白人の軍を打ち負かし、大東亜戦争においても緒戦では英米蘭を撃破し、以って東亜を解放した。 それに、アメリカは日本には勝ったかもしれんが、中国と引き分け、ベトナムには負けてる。 また、米軍は白人だけでなく、黒人の将軍だっているでしょうが。 それと、俺が聞いてるのは、全面的に思想が国の興廃を決定するかではなく(それは俺も否定してる)、一要素ではある、ってことでしょ。 んで、あんたはそれを否定するなら、思想が現実に影響を及ぼさないって言ってるのと同じなんだよ。
463 :
ジャコバイト :2001/07/26(木) 19:48
>438 思想が現実に影響を及ぼすと認めているなら、なぜ「プロ倫」や俺の所説を否定するのか、その論理的整合性を説明されたし。 あんたは矛盾してると思う。
464 :
ジャコバイト :2001/07/26(木) 19:51
>440 哲学の定義に関しては、このスレの59−62、104を参考にされたし。 それと、優劣を論じんとは、あなたは価値相対主義者か? 西洋への中国の影響はあるよ。 ラプ二ッツやヴォルテールへのがよく言われるよね。
465 :
ジャコバイト :2001/07/26(木) 20:08
>445 俺の歴史認識のどこが浅いのか、具体的に言ってもらえんと訂正のしようが無いので説明されたし。 それと、繰り返し言うのが面倒くさいけど、俺は儒教の規範の中で妥当なものもあると認めてます。ただ、355で挙げたような欠点の克服が必要と言ってるわけよ。んで、そのことについて是非を言っとくれ。 仁義礼智信、は有害どころか、今でも有益だと思ってる。 思いやり・気遣い、正義、マナー、理性的思考能力、誠実性、って言い換えてもいいよね。 これこそ、一貫して俺の訴えてる、求めてる価値観であることは、以前のを追って確認されたし。 んでね、こうしたものを求めればこそ、近現代においては、355で挙げたような思考の欠点を克服し、洋学を学び、現実に生かしてく必要があると思うわけよ。 福沢諭吉や北一輝は、儒教を激烈に批判したけど、当時の儒者の誰よりも、上記の五つの徳があったと思う。 この5つの徳があったればこそ、355で挙げた思考の克服を主張したわけよ、んでいろいろ言論活動したと思うわけ。 福沢は、近代においても儒教に固執するのを「腐儒」って読んでるよね。 俺もそう思うわけさ。 儒教は、仁や経世済民を説くでしょう。 それなのに、現実へ思想を生かそうともせず、また現実への思想の責任を否定してる連中は矛盾していると思う。 老荘は、その点の矛盾はないから、俺はあんまり批判しないわけよ。 老荘は、なんら現代の危機を救うとも思わないけど、そのようなことを主張せず役立たずなことを自ら認めてるゆえ、論理内在的な矛盾は無い。 しかし、儒教は、仁や経世済民を説くのに、進みたる洋学を取り入れず、自らの克服必要性も認めず、現実への責任を否定するなら、明白な矛盾だと思うわけさ。 現代では、真に仁や経世済民を目指すならば、孔孟の思考的欠点を批判し、儒教の廃棄を主張すべきである。 それなのに、思想に現実への責任はないと主張し、欠点も克服しようとせずにいるのは、仁や経世済民の志があると言えようか? 「論語読みの論語知らず」とはこのことではないか? 清の考証学が思想的衰退と認めながら、自らの考証学化をなにゆえ自覚しないのであろうか?
466 :
ジャコバイト :2001/07/26(木) 20:15
465の補足 たとえば、現代においてもキリスト教のいいところもあるが、害毒もあるよね。 隣人愛は今でも素晴らしいことと思う。 だが、その排他性や非合理な発想、心情倫理しかない部分、等々は今でもしっかり批判してかなくちゃならんのじゃない? 今でもアメリカの南部とかにゃ狂信者がうようよいるわけだし。 それと同じように、儒教の欠点の克服も必要なわけ。 キリスト教の弊害を、これは本当のキリスト教のせいじゃないからキリスト教は悪くないって言ってたら、なにも始まらんしおかしいと思わん? 儒教もそれと同じさ。 まことに隣人愛があればこそ、ただ祈るだけじゃだめだし排他的であってはならないように、まことに仁があればこそ、355であげたような欠点を克服したかんといかんと思うわけさ。
467 :
考える名無しさん :2001/07/27(金) 00:09
>>462 何回同じことを言わせりゃ気が済むわけ?
>社会科学じゃ厳密には因果関係は言えないんだってば。
>ただし、大体そう言えれば、そう言えるってことなわけよ。
>つまり、反対例がなければとりあえず真ってこと。
それらしい説明ができていれば真なんですか?
社会科学ってそんなにいい加減だったか?
これじゃ導かれた結論は全然当てできないってことになら
ないか?
468 :
千人の仙人 :2001/07/27(金) 01:25
>>465 儒家≒儒学で儒教と全く同じものではないのは御存知だと思いますが、もうこのスレ
は『中国哲学は「哲学」の名に値するのか』、の内容からジャコバイトさんの言う
「日本における儒教の悪弊」や「現実の人間への理解と社会秩序の設計」に内容を
移したほうがいいのですか?何か本題の話をしているようで全然違う話に持って行って
いるような気がするんだけれど。これは私だけではないと思います。新しくスレを立て
たほうが議論がすっきりするかもしれませんよ。全部見ても
>>1 の内容とジャコバイト
さんが御自身で書いている内容が並行して進んでいるのでどちらでレスをしたらいい
のか分からなくなってしまいます。内容もごっちゃになってますし。
>>1 ではなく
ジャコバイトさんのが本旨でしたら私のレスは全部意味がなくなってしまいますね。
他の方のレスも多くも。
>>464 岩波の『哲学・思想事典』から引用した哲学の定義は私は否定します。現代において
こう考えられているであろう、多数を占めているであろう哲学を渡邊二郎氏が書いたに
すぎないと思います。本人も断定はしていませんし。哲学は渡邊二郎氏の書いた枠で
やらなくてはならないとは思いません。渡邊二郎氏のは哲学の一面をよくあらわして
いると思いますが人間の多面性は考慮されていないのではないでしょうか。近年
ヨーロッパで見直されている中国哲学があるのは御存知ですか?
469 :
にいなな :2001/07/27(金) 09:40
>>461 > んで、その社会秩序の設計に儒教はどれだけ寄与できたの?
は?荀子は儒家ですよ?
荀子が構想した「社会秩序の設計」に、儒家が寄与していないとでも?
> 情念が発生するメカニズムを把握しとかなきゃ、現実の人間への理解も、
> 社会秩序の設計も、どだい精緻ならざるものになるでしょうが。
そうは思いません。現存する人間の情念(荀子のいう「欲」)がどのようなもので
どう作用するかを把握すれば、充分「緻密」な対処は考えられると思います。
「発生するメカニズム」は問題ではありません。
>>462 > 社会科学じゃ厳密には因果関係は言えないんだってば。
> ただし、大体そう言えれば、そう言えるってことなわけよ。
> つまり、反対例がなければとりあえず真ってこと。
「大体そう言えれば」ってのは、二つの事柄をただ並列することですか?
そのような例証で因果関係を立証しようとする立場は、二千年ほど前に
王充によって否定されました。たとえば下記のような議論は成立しない、と。
(1)「彼は善人であった」
(2)「彼は福・禄・寿に恵まれた」
(3)「だから、天が善人に幸福を授けることは明らかである」
「大体そう言えれば」というのは、「中国も朝鮮も負けて滅びた」
「中国も朝鮮も儒教を採用していた」「だから儒教が悪い」という
ことですか。
だったら、私の「日本はキリスト教じゃなかったからアメリカに負けた」戯説も
成立するはずです。
470 :
省略されたにいなな :2001/07/27(金) 09:40
> アメリカは日本には勝ったかもしれんが、中国と引き分け、ベトナムには負けてる。
そうですね。不注意でした(前者は「朝鮮戦争」のことですよね?)。
では、欧米の自由や民主主義の思想は、共産主義の思想に劣る、という論も成立しますね。
> 俺が聞いてるのは、全面的に思想が国の興廃を決定するかではなく
> (それは俺も否定してる)、一要素ではある、ってことでしょ。
違います。少なくとも
>>218 -219あたりでは。
>>279 で立場を改めていただいたようにも見えますが、
> んで、あんたはそれを否定するなら、思想が現実に影響を及ぼさないって
> 言ってるのと同じなんだよ。
私が否定しているのは、王充の「偶然」を短絡的に因果関係で結ぶ立場です。
>>463 > 思想が現実に影響を及ぼすと認めているなら、なぜ「プロ倫」や俺の所説を
> 否定するのか、その論理的整合性を説明されたし。
> あんたは矛盾してると思う。
もう一度
>>439 を見ていただければ幸いです。ついでに、私の
>>288 を再掲します。
> 一国の興廃は、様々な要因が関係すると思いますし、その中には「政治思想」という要因も
> 含まれるかも知れない。しかし、何の論証もなく、他の要因を無視して、「中国は滅びた。
> その理由は、政治思想が劣っていたことに100%帰す」とは言えません。
これと、私が「プロ倫」やあなたの所説を認めないこととは、矛盾してますか?
471 :
にいなな :2001/07/27(金) 10:10
>>459 法王庁という政治権力は、カソリックという宗教によって自己の権威を維持した。
漢帝国という政治権力は、儒教という宗教(当時)によって自己の権威を維持した。
日本国という政治権力は、宗教的な権威に依拠していないから、特定の宗教を公認する必要はない。
法王庁は、異端を自己の権威を損なうものと考え、自分に都合の良い教義を政治的に選んだ。
漢帝国は、異端を自己の権威を損なうものと考え、自分に都合の良い儒教を政治的に認めた。
何か「変」ですか?
472 :
ジャコバイト :2001/07/27(金) 13:46
467 ヴェーバーを読んで。 にいななさんが言うような意味では、証明できないってこと。
473 :
ジャコバイト :2001/07/27(金) 13:49
>470 だから、100パーセントではないけれど、責任が無かったともいえない、って言ってんだろうが。 あんたはそれを否定するんだろう。 何遍も同じことを言わせんでくれ。 「責任がないと思うのか?」 この問いに是か非で答えてくれ。
474 :
ジャコバイト :2001/07/27(金) 13:51
>469 じゅんしも儒家も、ろくな設計ができなっかったでしょ、って意味。
475 :
ジャコバイト :2001/07/27(金) 13:57
>468 しからば、リクエストがないかぎり、この板から撤退します。 俺は、この前の板が「中国思想を哲学する」ってタイトルだったので、あたうかぎり、吟味してきたつもりです。 俺の問題提起を、受け止めるも受け止めないのも人の自由です。 「腐儒」かそうでないか、各人が選択することです。 それと、中国の政治・社会思想が未発達で杜撰なものに留まったのは、355で挙げた欠点のためと思っているので、つまり認識論や論理的思考や懐疑の不足、って思ってるので、哲学どうかって問いと無関係な論点ではなかったと思うけど。 まぁ、あなたの設問から、ちょいずれたところで白熱してしまったのは、あなたには残念だったね。 それでは、Adios!
476 :
にいなな :2001/07/27(金) 16:55
>>473 「否」です。
何の検証もせず、「責任はゼロだ」というのも、
何の検証もせず、「責任は100%だ」というのも、
説得力も合理性もありません。
我々の立場は、下記のうち、どれでしょうか?
立場1「(検証抜きに)中国が滅びたことに、儒教は全く責任はない。」
立場2「責任はあるかもしれないし、ないかもしれない。検証すべき。」
立場3「(検証抜きに)中国が滅びたのは、儒教の責任に決まってる。」
(立場3a「儒教に責任の一部はある。」)
(立場3b「儒教が責任の全てがある。」)
あなたが「立場3」に立たれるのでしたら、「3a」だろうが「3b」だろうが、
477 :
にいなな :2001/07/27(金) 16:56
私の答えは「否」です。私は「立場2」のつもりですから。「検証」が済むまでは。
あなたは、「立場2」の「検証すべき」という意見に対して、
> 社会科学じゃ厳密には因果関係は言えないんだってば。(
>>462 )
という立場を取っておられるようです。それはそれで一つの見識だと思いますし、
白状しますと、私も「その通りかもしれない」とも思います。正直言って。
しかし、そうであるなら「立場2から先に進めない」というのが学者の態度だと思いますし、
「検証」が行えないから「立場3」や「立場1」に移行する、ということはできません。
>>462 > つまり、反対例がなければとりあえず真ってこと。
この論理を認めることが、私にはできないのです。
478 :
千人の仙人 :2001/07/27(金) 18:10
>>465 すみません。私の書き方が悪かったです。歴史認識が浅い、というのを歴史知識は
深いが歴史認識は若干浅い、と思いました。文章だけで実際の本人がそうかは分かり
ませんが。例を挙げると、
>マルクス主義はうまくいかなかったから、儒教と程度は違うけど、やっぱ詐欺であり毒だったと思う。
>アホが君主でもうまくいく、って機構を、イギリスは考え出した
みたいなところです。マルクスの哲学がそのまま実践された国がないことは御存知
ですよね。イギリスの機構が有名無実なことが多かったことも。
>>465 が東洋哲学と西洋
哲学がお互いに欠点を補い合うべきだ、ということなら私は賛成です。反対意見もある
だろうけれど。
あと撤退すべきは私のほうですね。哲学は批判されてこそ哲学だと思います。
「腐儒」は言い過ぎだと思いますが極論すれば現代に生きて古いものに固執し新しい
ものに向かわざる者は哲学者らしからぬ者、という見方もあると思います。
スレのタイトルは「中国思想を哲学する2」みたいなもののほうがよかったな。
個人的には。では撤退します。みなさんありがとうございました。
479 :
ジャコバイト :2001/07/27(金) 18:12
>477 実に良心的な告白、感心しました。 見直しました(この頃、私の誤解か相当見損なってたので)。 しかし、あなたも立場2がムリと正直言ってムリだとすれば、立場3aに進むべきではないか? 立場3bは俺も否定する。 そして、責任がある可能性を認めれば、当然その克服に進むべきだある。 俺が355で挙げたような思考の欠点が、日本やアジア諸国はどの程度できていると思う? 俺は、まだまだできておらず、民度が低いと思ってる。 とすれば、儒教が洋学に劣ると認めること、そして、上記の思考の欠点の克服に努めるのこそ、学問に志すものの良心と思うが。 少なくとも、我々は「腐儒」であってはならないというところでは、あなたと一致していると思い、かかる提言をしているのであるが。
480 :
小泉純一郎 :2001/07/28(土) 01:44
「靖国神社は熟慮して参拝する。」 結論の落としどころが、東洋的だろ。 この問題のやり取りの英訳(西洋哲学)は不可能?
481 :
考える名無しさん :2001/07/28(土) 09:03
>>471 名前:にいなな 投稿日:2001/07/27(金) 10:10
>法王庁という政治権力は、カソリックという宗教によって自己の権威を維持した。
>漢帝国という政治権力は、儒教という宗教(当時)によって自己の権威を維持した。
>日本国という政治権力は、宗教的な権威に依拠していないから、特定の宗教を公認する必要はない。
法王庁(バチカン)は、宗教権威が政治的権力に発展したもの。つまりまず宗教的
権威ありき。漢帝国は、まず軍事的つ政治的権力ありき。後に儒教を取り入れたもの。
全然ちがうよ。どうしてそれが解らない?
法王庁は、異端を自己の権威を損なうものと考え、自分に都合の良い教義を政治的に選んだ。
漢帝国は、異端を自己の権威を損なうものと考え、自分に都合の良い儒教を政治的に認めた。
何か「変」ですか?
482 :
にいなな :2001/07/28(土) 12:30
>>481 法王庁と漢帝国とは、成立の事情は違うかも知れない。
でも、石渠会議や白虎会議の時点で、儒教と漢帝国が癒着していたことは事実でしょ?
前漢帝国の権威と孔子の権威とが癒着していたことも。
別に私は、前漢帝国が儒教の権威を利用して成立した、と言ってるわけではない。
すでに政治権力として成立していた前漢王朝り法王庁なりが、自分の権威維持に都合の良い
教義を選んで「正統なもの」と認めた、ってことも否定されますか?
483 :
にいなな :2001/07/28(土) 13:10
>>479 私は「腐儒」です。といって悪ければ、蛸壷の中の「学者バカ」「盆栽職人」です。
あ、「盆栽職人」は他の方に奉られた称号ですので遠慮しときましょう。
政治家ならば、儒教が国を滅ぼすという「可能性」があれば、念のため儒教を禁止する、
という政策をとる選択があるかも知れません。水俣病や薬害を予防するように。
(「そして、責任がある可能性を認めれば、当然その克服に進むべきだある。」
>>479 )
社会学者ならば、「儒教に責任がある可能性が高い。儒教の責任という仮説を採る」との
立場もありえますし、「推定有罪」の上に『プロ倫』でも『儒教と亡国』でも書けるでしょう。
それによって、社会に蔓延する儒教的な悪風を矯めて、社会に貢献するかも知れない。
たとえ儒教が無実であったとしても、あなたにとっては結果オーライなのでしょう。
(「儒教が洋学に劣ると認めること、そして、上記の思考の欠点の克服に努めるのこそ、
学問に志すものの良心と思うが。 」
>>479 )
私は社会学者ではなく人文学者で、「死んだ犬の毛を数えるように」儒教を研究しています。
『礼記』に「君子は質言せず。」とありますよね?これはそのまま「真理を知りたい」私の立場です。
以前に
>>434 で、
> つまり、あなたは思想が現実には何も影響を及ぼさない、って言いたいわけかい?
> だったら、あんたは何のために、思想を学ぶわけ?
> 暇つぶし?オナニズム?
と尋ねておられましたが、私は別に、思想の研究でもって日本の国を救いたいわけでも、
世界平和に貢献したいわけでもありません。この点において、私とあなたとの間には、
越えがたい溝が存在します。
哲学はもともと虚学の最たるものです。結果的に社会に貢献してしまうことはあるかも知れませんが、
社会に貢献することが哲学の目的ではないし、存在意義でもない、と、私は信じています。
文部科学省や予算委員会は認めてくれみたいですがね。
484 :
にいなな :2001/07/28(土) 13:12
> しかし、あなたも立場2がムリと正直言ってムリだとすれば、立場3aに進むべきではないか?
> 立場3bは俺も否定する。
あなたが立場3bから3aに移行されたことは、
>>179 で承っております。
しかしあなたは、立場2と3aとを明確には区別されず、これを否定することを
ダイレクトに立場1だと見なしておられたようです。(
>>473 )
故に私は、
>>469 -470のような立場を表明しました。
「立場3aに進むべきではないか?」というのは「推定有罪」の論理、薬害予防の論理です。
逆に「立場1に進むべき」という「推定無罪」の論理、これも有り得ます。
政治家や弁護士であれば、どちらかを選ばねばならない。
しかし、思想を研究する上では、巧遅よりも拙速を貴ぶ理由は無いし、誤った結論に飛びつくほうが
不誠実だと思います。
政治家が「国が滅ぶ可能性があるので、念のため儒教的な親孝行を禁止する」のは勝手です。
しかし、人文科学者には政策を決定する権限も責任もない。ないからこそ、自由に研究ができる。
「立場3aに進むべきではないか?」とは思いません。
検察が「中国を殺した儒教に死刑を求刑する」と言うのも、弁護士が「証拠を出せ」と言うのも、
ヴェーバーが「儒教の責任だと厳密には立証できないが、儒教の責任でないとも立証できない。
念のために儒教は死刑にしておくべきだ」と言うのも、これは自由です。
まあ良心的な裁判官なら「推定無罪」にするんでしょうが。
しかし、人文科学者の研究結果は人命を左右しないし、儒教は単なる研究対象にすぎない。
儒教の基本的人権も名誉も、我々は尊重しない。だから自由に儒教を研究して、公正な
結論を出せる。
これを「オナニズム」と呼ばれるなら、その通りです。
485 :
W大生 :2001/07/28(土) 23:29
にいななクンの主張は、儒教と一口にいっても内容は多様だということだろ。 だから孔子に始まるいわゆる儒教を「儒教」と一括りにして論じることは正 しくないの。盆栽職人どもの仕事のひとつがこのでたらめな一括り=範疇分 けなのだよ。利点は、理解しやく議論がきれいにまとまるところ。しかしち ょっと考えればいい加減かつでたらめであることはすぐ解る。でも学者こと 盆栽職人はそれを認めないのだ。哲学の盆栽職人よ、逝ってよしなのだ。
486 :
ジャコバイト :2001/07/30(月) 14:01
>483,484 よくわかりました。 あなたと私には、深い埋め難い溝があります。 それは、それで尊重すべきことと思います。 しかし、念のためにお聞きしたいが、俺が465で言ってることについてはどう思う? 仁や誠に、「腐儒」や「オナニズム」は悖る、ということを認めるんですか? また、もしそれを認めるならば、あんたは清代の考証学をもはや「停滞」とは批判できないのではないか? しかし、考証学を停滞と前に言ってたとも思うけど。 にいななさんは、どこかの大学に勤める学者さんですか? 俺は、玄界灘の辺に住む一学生です。 住んでる県と、職業だけ、お教えください。 もし、私よりも年上の方で、しかるべき学者の方であるならば、今までの非礼のお詫びと付き合ってくださったことに感謝を言いたい。 埋め難き溝はあれど、あなたとの議論は、思考を随分整理させてくれました。 これ以上、議論することはもはやないと思うので、ここに感謝をしときます。
487 :
にいなな :2001/07/30(月) 16:41
また回線ダウンで、なかなかここに顔を出せません。
「時々落ちる光ケーブルなど、電話回線に劣る」。
>>486 あなたが
>>465 で言ってること、ってのは、
> 儒教は、仁や経世済民を説くでしょう。
> それなのに、現実へ思想を生かそうともせず、また現実への思想の責任を否定してる連中は
> 矛盾していると思う。
ということですか?
この点に対する私の立場は、ずうっと以前の、馬融と鄭玄の譬えを越えることはありません。
> 現代では、真に仁や経世済民を目指すならば、孔孟の思考的欠点を批判し、
> 儒教の廃棄を主張すべきである。
まあ「廃棄を主張」するのは、儒教の欠点が明らかになってからにして下さいね。
> それなのに、思想に現実への責任はないと主張し、欠点も克服しようとせずにいるのは、
> 仁や経世済民の志があると言えようか?
> 「論語読みの論語知らず」とはこのことではないか?
「論語を研究する立場」と「論語を実践する立場」とを区別して下さい。
仏教研究者は、みな仏教信者であるべきで、研究者はみんな滝に打たれて修行すべきですか?
488 :
にいなな :2001/07/30(月) 16:42
> 清の考証学が思想的衰退と認めながら、自らの考証学化をなにゆえ自覚しないのであろうか?
少なくとも私は、清朝考証学の直系の子孫のつもりですし、あれを「思想的衰退」と認めた覚えも
ありませんけどね。「停滞」と批判した覚えも。
> 仁や誠に、「腐儒」や「オナニズム」は悖る、ということを認めるんですか?
「悖る」という、価値判断を含んだ評価は、たぶん、私とあなたとの間では共有できません。
あと、年齢や職業によって態度を変えるのは、できればやめていただきたい。
もしあなたが そのようなことをなさるのでしたら、私の中のあなたの評価は、
遁天児さんよりも以下になってしまいます。少なくとも彼は、「カキコの内容で
判断されるべきだ」とは言っていました。自分で実践していたかはともかくとして。
私が旧帝の現役教官だろうと、ヒッキーの厨房だろうと、私がこういう場所で評価されるのは、
カキコの内容のみによるべきだと思います。
>>485 ああ、そうですね。一口に「儒教」と言っても、内容は多彩です。
で、「儒教」という括りを批判すると、具体的に電波男さんの議論の
どこらへんが崩れるんでしょうか?
あと、あなたは、多様な儒教を、全く分類も整理もせずに、肌で感じておられるのですか?
それとも、電波男さんの括りとは異なるカテゴライズで儒教を理解しておられるのですか?
489 :
ジャコバイト :2001/07/30(月) 19:45
>488 了解。 態度を変えるって言うか、個人的にあなたに興味があっただけですが、まぁ答えたくないなら全然答えなくて良いです。 それでは、これ以上論点が無ければ、私はこの板から去ります。 Adios!
490 :
W大生 :2001/07/30(月) 22:31
>>488 にんななクンも早とちりだぜ。盆栽職人というのはさ、いい加減な
定義や範疇分けで見かけだけきれいで立派そうな説を構築する連中
のことよ。なにも電波センセイに限ったことではないさ。
ところで電波センセイはどうしてるんかな?
491 :
W大生 :2001/07/30(月) 23:06
<バカ発見のお知らせ>
ちょっと古いログを読んでいて真性のバカを発見しました。
そのバカとは電波男Ψ(´д`)Ψです。
皆さん、バカがうつらないように電波男Ψ(´д`)Ψの
カキコを読んだ後では、必ず手を洗いましょう。
>>376 >化学と自然科学とは事情が違うってどういうこと?その辺について教えて
>くれないかな?わたしは基本的に同じものだと考えてるんだけどね。
>>377 化学と自然科学→哲学と自然科学
哲学と自然科学が同じハズがないだろう。古代ギリシャでは
そりゃ起源は同じだとしても、数式による表現と精密な実験
によって再現性が確認された現代の自然科学のどこが同じな
んだよ。
電波男よ、オマエの論文に微分方程式がでてくるか?。オマ
エの論文が書くのに実験をやってるのか?。もし方程式が出
てきて実験をやってるなら見せてみろよ。この大バカ野郎が。
492 :
千人の仙人 :2001/07/31(火) 00:31
>>491 孔子、老子の後、性善論を完全に説き明かしたのは孟子です。
>>355 でジャコバイト
さんも書いているけれどもその類の発言はなんとかならないかなあ。発展的にいこうよ
。孟子を読んでいるんでしょう?勿体無い。
ところでにいななさんとジャコバイトさんの議論は一段落したとして
>>1 はどうなる
の?
493 :
考える名無しさん :2001/07/31(火) 04:04
んー、長かった。 ここまで全部読んだよ。 415読んで「おいおい」と思った直後に420が登場。 なかなかイイスレッドだねこれ。 で、俺の意見。 なんか今までの議論を全部ひっくり返すようで何だけどさ、 「中国哲学と呼ばれている学問領域」の歴史性・政治性に関する 考察がまったく抜け落ちてないか? 「中国哲学と呼ばれている学問領域」で語られる内容については おおよそこのスレッドで議論されてきた通りだ。 でもその学問領域自体が、どのような経緯で成立したのか どのような政治的意図があってのことだったのか、それを考えなきゃ このスレッドの議論はただの砂上の楼閣だろう。 「中国哲学」「支那哲学」って言葉自体は日本製だよな? 1890年代くらいか。 日本では従来の漢学の伝統に加え、ヨーロッパ的シノロジーを導入した。 そこには「東洋にも西洋に負けず劣らず、哲学があるのだ」っていう ま、資本主義萌芽論争の思想版みたいな政治的意図があって それを「中国哲学」「支那哲学」として再組織したんじゃなかったか? 中国本土にもこの日本製の訳語が導入されて、今ではすっかり「中国哲学」なる 学問分野が幅を利かせてる。これってある意味滑稽なことだよな。 もっとも現在日本では「中国哲学やってます」なんて言う人は少ないはず。 東大の中哲も大学院からは名前が変わったんだっけ? 「中国哲学」「中哲」って言葉を避けるようになったのも、 この学問分野が持っている政治性に対して無自覚でいられなくなったってことなんだろうな。 だから、このスレッドのタイトルである「中国哲学は『哲学』の名に値するのか」って 問いは、俺にはかなりナンセンスなものに聞こえるわけ。 朴訥にこの問いに対して答えようとするならば、 このスレのこれまでの議論のような議論にならざるを得ないけど、 ここはひとつ、問い自体を対象化する視点を導入する必要があるんじゃなかろうか。 ある学問分野が持つ政治性みたいなのは、 ここでも誰かが触れてたサイードの問題意識に近い。 207が一瞬だけこの方向に持っていこうとしてたんだけどね。全然続かなかったね(ワラ
494 :
考える名無しさん :2001/07/31(火) 05:18
らげは出て行けーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 逝けーーーーー
495 :
にいなな :2001/07/31(火) 11:48
>>490 いや、だからさ、あんたは盆栽職人とは違うんだろ?
「見かけだけきれいで立派そうな説」なんかで偉そうにはせずに。
だったらあんたは、どういう風に儒教を理解しているのさ。
それとも、整理したり理解することを放棄しているわけ?
再掲するけど、
> あなたは、多様な儒教を、全く分類も整理もせずに、
> 肌で感じておられるのですか?
> それとも、電波男さんの括りとは異なるカテゴライズで
> 儒教を理解しておられるのですか?
>>493 まあ、「支那学」を明治に「文」「史」「哲」に分けた時点で、
西洋的な分類の影響を蒙っているわけで。
496 :
にいなな :2001/07/31(火) 14:53
「中国哲学」というのは、「支那学」のうち経部と子部だと 私は思っているけど、この「定義」で、とりあえず良いですか? >皆さん あと〈哲学〉と〈思想〉の定義については繰り返さないけど、 とりあえずの仮定義は了解済み、今後の議論によって見直す、 ということで。
497 :
ジャコバイト :2001/07/31(火) 19:29
んで、やっぱ中国思想は哲学ではないと思う。 どうして、だいたい「哲学」と呼びたがるんだろう? 493みたいなことがあるとしても、今日までさ。 「思想」でいじゃんねぇ。
498 :
電波男Ψ(´д`)Ψ :2001/07/31(火) 20:04
>>491 だれが同じだと言った?
あ、ポパーやゲーデル、あるいは現代論理学に言及する時には
数学を思いっきり使うよ。本当の意味で哲学をする場合、数学
抜きでは不自由なんだよ。それを知らないおまえは門外漢。
499 :
考える名無しさん :2001/08/01(水) 03:33
よこれす 数学使いますよ>哲学(構造主義の勉強した?)
500 :
考える名無しさん :2001/08/01(水) 03:43
よこれす2 哲学とは分野が違うけれど、精神分析などでラカンが自己を表す概念の提示に 微分や積分使ってたよ。
491 名前:W大生 投稿日:2001/07/30(月) 23:06 <バカ発見のお知らせ>
491 名前:W大生 投稿日:2001/07/30(月) 23:06 ↑<バカ発見のお知らせ> >再現性が確認された現代の自然科学のどこが同じなんだよ。 再現性が確認されないものは哲学じゃないですよ。 501は失敗。 僕電波男じゃない。
だからさ、コケにすんのは短くすっきりやりゃ良いのにさ。 こうやってクドクドやるから外野からも自作自演と疑われんだよ。 まじでこんな罵り合い小学生の精神構造と変んねーよ。 一々指摘しなくてもROMってる奴はわかってるつーの。
504 :
にいなな :2001/08/01(水) 10:20
で、問題なのは、 「再現性があるか否か」ということ? それとも 「数式を使うか否か」ということ? > W大生さん
ほんと、まじ百済ねえ煽りだな。 もうROMすんのも止めるわ。 一生やってろ。
506 :
電波男Ψ(´д`)Ψ :2001/08/01(水) 11:27
哲学や思想などを履き違える学生が結構多いのも確かです。 卒業していい大人になっても履き違えたままの人もいます。 「再現性」、フッサールの言葉を借りれば「再生産性」と 言うことを学問のどの範囲まで拡張すべきかその線引きが 必要であるのはいうまでもありません。ジャコバイトさん にはその意識を前提にして対象を明確化したあとに思想と 政治とのかかわりを論じて欲しいものです。
507 :
493 :2001/08/01(水) 17:50
ネタフリしてみたものの、食いつきが悪い模様。 電波男のレスがほしかったり。
508 :
にいなな :2001/08/02(木) 11:42
>>497 またニセモノですか?
「哲学」と呼ぼうが「思想」と呼ぼうが、そりゃあ、指す対象は同一でしょう。
その意味では「思想」でも構わないと思います。
ただ、「西洋哲学は〈哲学〉だが、インドや中国のは〈思想〉だ」という立場の方は、
「〈哲学〉は〈思想〉よりも高い価値を持つ」という意識が透けて見える方が多い。
だからこそ「哲学の名に値するのか?」という設問も行われる。
で、遁天児さんが潰したところにまで議論を戻して良いんですかね?
(〈哲学〉〈思想〉の定義を共有し、中国に〈哲学〉があるかを考える、と)
509 :
考える名無しさん :2001/08/02(木) 13:24
>>498 >だれが同じだと言った?
>あ、ポパーやゲーデル、あるいは現代論理学に言及する時には
>数学を思いっきり使うよ。本当の意味で哲学をする場合、数学
>抜きでは不自由なんだよ。それを知らないおまえは門外漢。
しかしそれは、哲学というより論理学の守備範囲だよ。
ここでの哲学とは、中国思想や中国哲学だからやっぱり
数学は使わないよ。
っていうか初めからROMなんてお呼びでない、ウゼー
512 :
考える名無しさん :2001/08/02(木) 13:36
もう一度、このスレを遡って読みました。
>>498 >だれが同じだと言った?
素直によむと
>>376 では同じだと主張していますね。
厨房的、哲学科の学生ならいざ知らず、電波男さんは、
学者のようだから、同じと言う前に哲学と自然科学の
学問としての性格の違いを明確にしておくべきでしょう。
ポパーはゲーデルを持ち出しても、「同じ」ことには
ならないでしょう。
513 :
電波男Ψ(´д`)Ψ :2001/08/02(木) 14:07
>>509 >しかしそれは、哲学というより論理学の守備範囲だよ。
論理学は哲学の基礎学です。それを回避して哲学は成立
しません。論理学にはその「思考形式」と「思考の根拠」
を追求する2つの道筋があって、両方を兼ね備えることが
哲学研究の前提になります。中国哲学を記述する再に、そ
の命題根拠を記号化する研究もないことはありません。「易経」
などの研究ではすでに始まっております。これに関しては
詳しくありませんがね。
中国論理学歴史や法相学研究でも数学を使ってますよ。これはカント
研究者たちが中国思想研究を始めた時に導入した方法論です。カント
学者が数学を使うことは広く知られるところです。
>>512 学問の方法論としては同じと言ったまでですよ。
学問としての性格の違いは記述できません。対象の違いと言い切る人も
いますが、認識論的な処理を介在させると、フェノミナは全て思考に
還元できるものですし、線引きそのものが無意味になります。
哲学にも様々な立場があり、その距離を保っています。分野によっては
ある哲学とある自然科学との距離は他のものより近いものもあります。
「学問的性格の相違」ということでは私には導き出せません。私の専門
分野の一つでインド論理学の「多価値論」がありますが、ファジー理論
への肉付けに寄与した部分も沢山あります。私の研究ではありませんけ
ど。(笑)ちなみにこのインド論理学も数式だらけです。
514 :
千人の仙人 :2001/08/02(木) 16:11
前回のスレ「中国哲学って哲学なの?」を初めて読みました。全部読みました。
カキコする前に読んでおくべきでした。恥ずかしいです。すみません。>みなさん
>>493 ご指摘ありがとうございます。サイードの「オリエンタリズム」ですか?今度機会を
見付けて読んでみようと思います。
>>506 その言葉は心に留めておきます。
>>496 「中国哲学」というのは、「支那学」のうち経部と子部だと〜
取り敢えず私は構いません。断言できるほどの知識もないので。
>>496 ,
>>497 >>468 でも書きましたが私は仮定義であるだろう、
>>59 -
>>61 を否定しました。
論理的思考に頼った西洋哲学が中国哲学を見直しているという現実も私の知る限り少し
ですがあるんです。ジャコバイトさんの好きな兵家もそうです。
これまでの内容からすると何か今、その人にとって有用性を持たないと哲学ではなく
て思想、その他として扱われてしまうように感じるのですが、すると西洋哲学も哲学で
はないものが出てきて(ニーチェとかトマス・モアとか)、現在の哲学も数十年、数百
年経つと哲学ではなくなってしまうのでしょうか?他の方々から見ると幼稚な質問に
見えるかもしれませんがどうも私には納得できないのです。ある哲学に栄枯盛衰がある
としてもそれを単に〈思想〉と片付けてしまうのは私には横暴に思えます。(思想と
哲学の優劣を言っているのではありませんが)
今の私にはまだ儒家(道家とか)は哲学で儒教(道教とか)は思想です。
>>508 よろしくお願いします。
515 :
にいななさん :2001/08/02(木) 16:31
>>514 > その人にとって有用性を持たないと
> 哲学ではなくて思想、その他として扱われてしまうように感じるのですが、
有用・無用によって「哲学」か「哲学ではない」かを弁別する、というのも、
有用・無用によって「哲学」の価値を云々するというのも、
私は否定したいですね(
>>483 -484)。
社会に貢献することが哲学の目的ではない、と私は信じていますし、
ましてや、
国家に貢献することが哲学の存在理由ではない。
(ジャコバイトさんは若干異なる見解をお持ちのようですが、
これはまぁ立場の相違ということで。)
ある個人にとって安心立命の役に立つ、というのでしたら、オウムも
統一協会も「有用」です。しかし、統一協会の自己矛盾した教説は、
少なくとも「哲学」ではありませんよね?
あと、道家と道教の区別はともかくとして、儒家と儒教の区別を
共有したいと思いますので、所説を開陳していただけません?
516 :
千人の仙人 :2001/08/02(木) 17:15
>>515 二人の方に向けて一度に書きこむと誤解が生じますね。すみません。
>あと、道家と道教の区別はともかくとして、儒家と儒教の区別を
>共有したいと思いますので、所説を開陳していただけません?
開陳するというほどのものではないのですが、私は儒家は儒学を修める人で儒教は
儒学に基づいた民間の思想や国教だと思っております。そして儒学=哲学だと。
違っていましたら御指摘ください。
オウムや統一教会のことは詳しくは存じませんが信仰を持たせてしまうところで
哲学とは異質なものと思っております。
517 :
考える名無しさん :2001/08/02(木) 21:13
>>513 >学問の方法論としては同じと言ったまでですよ。
>学問としての性格の違いは記述できません。対象の違いと言い切る人も
>いますが、認識論的な処理を介在させると、フェノミナは全て思考に
>還元できるものですし、線引きそのものが無意味になります。
哲学にも数学を使うとのお話ですが、それは記号論理のような分野で
しょう。代数や解析が利用された例はしりませんね。ひとつ数学が哲
学的とえるのは、数学では研究の対象を抽象化し、また対象そのもの
を自ら定義してしまうことでしょう。例えば、虚数のようにです。
しかし、それ以外の自然科学の領域では、あくまで研究の対象は、現
実に存在する物質であり事象です。それを抽象化=モデル化して数式
に表すこともありますが、必要に応じて誤差を考慮します。
しかし哲学は如何でしょうか、ソクラテス、プラトン、デカルト、ヘ
カント、ヘーゲル、・・・・、ハイデガー、・・・の哲学論文には数
式や実験は出てきません。このことから、学問の性格の違いは明らか
ではないですか。
それすら十分に認識できず、もしご自分の研究が、今日の自然科学と
同等の厳密さを有するとお考えならそれは「ト」であるといってもよ
いでしょう。
518 :
電波男Ψ(´д`)Ψ :2001/08/02(木) 22:23
>哲学にも数学を使うとのお話ですが、それは記号論理のような分野で >しょう。代数や解析が利用された例はしりませんね。ひとつ数学が哲 >学的とえるのは、数学では研究の対象を抽象化し、また対象そのもの >を自ら定義してしまうことでしょう。例えば、虚数のようにです。 それはチミが哲学を知らないだけさ。何人かがその実例を挙げてるでしょ? 知らないことは恥ずかしいことじゃないんだよ。 >しかし哲学は如何でしょうか、ソクラテス、プラトン、デカルト、ヘ >カント、ヘーゲル、・・・・、ハイデガー、・・・の哲学論文には数 >式や実験は出てきません。このことから、学問の性格の違いは明らか >ではないですか。 判明しました。あなたが「ト」です。「厳密」の意味も理解していない。 フェノミナを現実に存在する物質だと断定している科学者もいない。それは 認識の曖昧さを自然科学者が良く理解しているからなんだよ。 外界としての現象を実在と断定する哲学や自然科学はもう古いんだよ。 アリストテレスやデカルトに「君は哲学者か?」と云う質問をすれば、 どんな答えが返ってくるか恐らく君には想像できないだろうね。 君は哲学、自然科学の両方に疎いんだからね。大学院も行ってない馬鹿の アオラーでしかありませんね。(ワラ
519 :
電波男Ψ(´д`)Ψ :2001/08/02(木) 22:24
話の本質は、、、、、。 ま、好いか。 俺の生徒じゃないからな。
520 :
考える名無しさん :2001/08/03(金) 00:31
>フェノミナを現実に存在する物質だと断定している科学者もいない。それは >認識の曖昧さを自然科学者が良く理解しているからなんだよ。 >外界としての現象を実在と断定する哲学や自然科学はもう古いんだよ。 松沢病院に行きなさい。
>数学を使ってますよ こんな妙な言い方するわけないじゃん。 電波男Ψ(´д`)Ψ の書き込みは表面的過ぎて恥ずかしいよ。
522 :
考える名無しさん :2001/08/03(金) 02:25
>>520 >松沢病院に行きなさい。
激しく同意。
>話の本質は、、、、、。 (プ
524 :
にいなな :2001/08/03(金) 10:21
>>520 -
>>523 内容で反論せず個人攻撃に走るのは、遁天児さんの悪い癖でしたね。
>>516 とりあえず「儒学=哲学だと」というのは保留。
〈哲学〉の定義も、「儒学」の分析も、未だできてませんから。
教科書的には、武帝以降の国教化された「儒」的な思想を
「儒教」と呼んでいるようです。
個人的には、前漢初期に盛んであった荀子系の「儒学」は、
董仲舒から以降ぷっつりと断絶して、「天人相関」なんかを
前面に押し出した「儒教」になってしまった、と
理解しています。(董仲舒以前は「儒学」、以降は「儒教」と。)
もちろん、武帝以降に「国教」とされたのは「儒教」。
「儒家」というのは、「儒学」であれ「儒教」であれ、
「儒」を信奉している「人間」「学派集団」を指す呼称でしょう。
以上は、私の個人的なターム定義です。
問題や異議があれば、ぜひ指摘して下さい。
あと、「儒学に基づいた民間の思想」というのが具体的に
どのようなものかイメージし損なってますので、御教示願います。
525 :
にいなな :2001/08/03(金) 10:38
>>515 > 信仰を持たせてしまうところで
> 哲学とは異質なものと思っております。
「キリストは磔にされて3日後に復活した」という信仰は「ドグマ」です。
「まことのお父様」が「まことのお父様」であるという信仰も。
これらは、「理性ある万人に共有される前提」ではありません。
このような「ドグマ」を持たせるのが「哲学」ではない、ということは
以前にジャコバイトさんから指摘されています。そのようなものは「思想」だと。
しかし、あるテーゼが「理性ある万人に共有される前提」か「ドグマ」か、
という判断が、そもそも万人に共有されてはいない。これは大問題です。
「自由」「平等」は、自明に存在する前提であり、哲学の基礎となり得る
ものでしょうか。それとも一部の西洋人だけが持っている「ドグマ」でしょうか。
「自由」「平等」の思想の上に組み立てられた思想体系は、はたして
「哲学」でしょうか、それとも「ドグマ」「信仰」に根ざす「思想」に
過ぎないのでしょうか。
「孝」「慈」はどうでしょうか。「愛」は。「性善説」は。
526 :
にいなな :2001/08/03(金) 10:38
儒教は「孝」というドグマを持っているから「哲学」ではない、と いうならば、スピノザの独特な「神」も、ルソーの「自然」も、 「ドグマ」「信仰」でしょう。彼らの「思想」は「哲学」ではない。 ヘーゲルやジャコバイトさんが「国家のみが国民の自由を実現し得る」と いうのも「ドグマ」でしょう。 (たびたび引き合いに出してすみません。他意はありません。>ジャコバイト様) そのように考えると、「理性」すら「ドグマ」である可能性がある。
527 :
ジャコバイト :2001/08/03(金) 14:17
>525 儒教の本を読んでて思うのは、仁や孝が何故良いのか、価値があるのか、ってことがすっぽり抜けてることだよ。 それに比べて自由や平等は、ドグマとは思わない。 っていうのは、西洋では、何故自由が価値があるのか、ミルなどが功利的な観点から精緻に理由付けてるから。 平等、はあんまし理由付けできんってことで、賢い西洋の人間はやっぱし人間が平等とは思ってないんじゃない? 法の前の平等、っていう正義に関しては、精緻な理論付けをヒュームがやってるけどね。 財産や能力が平等であるとかあるべきだってのは、俺も思わないし、んなこと言ってるやつはドグマと思うけど。 んで、ミルの自由が価値があるってことの論拠付けや、ヒュームの正義の根拠付け、をドグマって呼べるのかなぁ・・・。
528 :
ジャコバイト :2001/08/03(金) 14:25
>508 いや、思想と哲学は指す内容が違う。 たとえば、西洋の中でも、ルソーは思想だが、ロックやヒュームは哲学だ。 要するに、論理的に厳密かどうか、体系的か、ってことが一つおおきな基準になると思うわけさ。 んで、俺は仏教は哲学じゃない、なんて言ってない。 仏教の中には哲学の名に値するものがあると思ってる。 それは、俺のかつての因明に関する書き込みを見ればわかるはずだ(この板の最初の方)。 ただし、儒教と道教は哲学の名に値しない、ってことを言ってるわけよ。 んで、哲学と思想の優劣が透けて見える、って俺は論理性と懐疑的精神では哲学の方が上と言ってるだけで、他の基準では変化しうると思う。 たとえば、倫理を基準にすれば、それなりに儒教にも評価するべき点はあるでしょう。 しかし、その他の点について毒を認識して克服しないととんでもないことになると俺は言ってるだけです。
529 :
考える名無しさん :2001/08/03(金) 15:48
>儒教の本を読んでて思うのは、仁や孝が何故良いのか、 価値があるのか、ってことがすっぽり抜けてることだよ。 中国が風土によって導き出された経験的直感だな。 そして経験的にかなり有益であり、人間の心を安 らげる働きがある。
530 :
考える名無しさん :2001/08/03(金) 15:50
そもそもソクラテスは論理的に厳密ではないと思われ。 このスレに参加している方々にとって、ソクラテスは哲学者ではなかったっていう結論でいいですか? でもって、誰が一番最初の哲学者なわけよ?
531 :
考える名無しさん :2001/08/03(金) 15:52
532 :
ジャコバイト :2001/08/03(金) 16:00
>530 ソクラテスは、それでも、めちゃくちゃ理屈っぽいじゃん。 問答法、ってのは、中国にはないんじゃない? 懐疑的精神、って点じゃ、哲学的って思うけど。
533 :
考える名無しさん :2001/08/03(金) 16:14
>>524 >「儒家」というのは、「儒学」であれ「儒教」であれ、
>「儒」を信奉している「人間」「学派集団」を指す呼称でしょう。
>以上は、私の個人的なターム定義です。
>問題や異議があれば、ぜひ指摘して下さい。
あんたはトロイよ。
現実に判断する場合は儒を信奉していると自称している
のが儒家です。
真に「儒」を信奉してるかどうかは関係ありません。
なぜなら人間の心の中を覗くことはできず、真に「儒」
を信奉しているかどうかを知る方法がなからです。
ただし儒家を自称し、自身で「儒」を信奉している
と思っていても、その信奉するものが果たして「儒」
といえるかどうかは又問題であって、なかなか複雑です。
534 :
考える名無しさん :2001/08/03(金) 16:25
>>529 「経験」とはなかなか面白い議論だな。
ジャコバイトさんに考えるきっかけを与えるのでは
ないかな。
535 :
キンカン :2001/08/03(金) 21:45
>>533 >現実に判断する場合は儒を信奉していると自称している
>のが儒家です。
ごもっともな話ですね。確かにそのとおりです。
536 :
考える名無しさん :2001/08/04(土) 02:24
靖国問題も中国哲学の問題として、含め考えなければ このスレッドは単なる机上の遊戯。
537 :
W大生 :2001/08/04(土) 03:32
>>533 >>以上は、私の個人的なターム定義です。
>>問題や異議があれば、ぜひ指摘して下さい。
>あんたはトロイよ。
>現実に判断する場合は儒を信奉していると自称している
>のが儒家です。
グサっと鋭い指摘だな。
「にいなな」さんは大見得切ったんだからよく考えてレス
したほうがいいよ。
あとでオレの考えも書くよ。
538 :
電波男Ψ(´д`)Ψ :2001/08/04(土) 07:15
>>537 やっぱりお前は遁走天国児童だったんだな。(ワラ
FSHISOで苛めてやるよ。脳タリン。
お前がどういう考えをするのか見てやろうじゃないか。
539 :
W大生 :2001/08/04(土) 08:03
>>538 よっ、盆栽職人のお出ましだ。
オレは過去の人間とはカンケーないの。
遁走天国さんにそんなに怨みがあるの?
でもさ大学院出てないからバカだとかいうカキコして
りゃまわり中敵だらけになるぜ。だからみんなから代
わる代わるおちょくられてんだよ。バカだね。
オマエの仲間うちじゃもうオマエが電波男とこかいう
HN使って学者の面汚ししてるって割れてんじゃない
の。だからそう言う連中のカキコだってあるんじゃな
いのケッコーするどいカキコあるしな。
オマエはな、隅っこ方で哲学の盆栽を並べてつじつま
合わせの学説でも書いてりゃいいんだよ。
オレのまわりのセンセイも学者の風上にも置けないっ
ていってるぜ。
になるさ。
540 :
千人の仙人 :2001/08/04(土) 10:19
>>524 >あと、「儒学に基づいた民間の思想」というのが具体的に
>どのようなものかイメージし損なってますので、御教示願います。
「儒」を信奉している「人間」とほぼ同じイメージです。御教示ありがとうございま
した。
>>525 ,
>>526 >しかし、あるテーゼが「理性ある万人に共有される前提」か「ドグマ」か、
>という判断が、そもそも万人に共有されてはいない。これは大問題です。
そうですね。そして「理性ある万人に共有される前提」として明言し得るものは?
と考えると、自由や平等でさえ危うい。何故なら自由や平等が「理性ある万人に共有
される前提」ならば地球上に現存している人種差別や身分制度は?と矛盾になって
しまう、もしくは理性ない人々の所作、ということになる可能性も含んでいる。
孝は「親と子との愛と敬、徳の基本」ということでよろしいでしょうか?
慈はいつくしむ心、愛は仁の一つ、「性善説」は人間の本性はもともと善、で。
「理性ある万人に共有される前提」はないのか、それともあるのか、あるとすれば
何なのか、全くわからなくなりました。
個人の言動に迷いがないとき、その人間には何かしらのバックボーンがあるはずだ。
私の人生経験は他の人からすると目を覆いたくなるようなものもあるけれどそれでも
私個人の「孝」、「慈」、「愛」、「性善説」は揺るぎ無い。単に私の心が「こうで
あってほしい」、と意地を張っているだけなのかもしれない。
でも「孝」、「慈」、「愛」、「性善説」などを全て「ドグマ」だとしてしまうと
私が静かに崩れてしまう。「無」になってしまう。
この問いに答えるのは私が「個人」である限り無理なのか、ソークラテースや
プラトンのようにアテナイの広場にいて多くの人と議論をすれば出てくるのか。
少なくともこのスレだけでも意見の一致している部分とそうでない部分がたくさん
ある。はたしてこれは「理性ある万人に共有される前提」か。ただいま思索中。
>>536 靖国問題ですか、確かに考えなくてはいけないことですね。深いなあ、このスレは。
靖国問題一つ解決できないで何の哲学か、という視点ではジャコバイトさんはある意味
素晴らしい。私など考古学好きの穴掘り程度のものかもしれない。
541 :
考える名無しさん :2001/08/04(土) 10:49
だいぶ荒れてますね。
>>533 はわたしも重要な指摘だと思います。
にいななさんはこれまでかなり濃い議論をしてきた
わけだが、根本的な定義の部分で何らかの見直しを
迫られることになりそうです。わたしもじっくり考
えて行きたいと思いました。
542 :
キンカン :2001/08/04(土) 21:57
>根本的な定義の部分で何らかの見直しを >迫られることになりそうです。わたしもじっくり考 >えて行きたいと思いました。 定義ってむずかしいね。
543 :
考える名無しさん :2001/08/05(日) 02:24
人能く道を弘む。道、人を弘むるに非ず。
544 :
考える名無しさん :2001/08/05(日) 22:31
どうしちゃったんでしょうね。 発言ありませんね。
545 :
W大生 :2001/08/06(月) 00:55
にいななクンは貝みたいに黙ってしまったぜ。 電波男Ψ(´д`)Ψよ、助け船を出してやったらどうだ?、ん?
546 :
電波男Ψ(´д`)Ψ :2001/08/06(月) 01:58
>>545 ごちゃごちゃ言ってないで、お前の考えを早く述べよ。
547 :
にいなな :2001/08/06(月) 09:11
>>545 > にいななクンは貝みたいに黙ってしまったぜ。
ああ、毎日接続しているわけではありませんのでね。
某注疏を全部読むって仕事もいきなり入ったので、
ここ数日、板のチェックをさぼってました。
ところで、そろそろ
>>495 の質問に答えては頂けませんか? >W大生さん
>>536 あなたにとって「靖国問題」が何よりも重要だということは
わかりました。
で、他人にいきなり「靖国問題について議論せよ」という前に、
あなたなりの考えを述べて下さい。それが出発点になるでしょう。
548 :
にいなな :2001/08/06(月) 09:11
>>533 > 儒を信奉していると自称しているのが儒家です。
> 真に「儒」を信奉してるかどうかは関係ありません。
あ、そりゃそうですね。オウム信者も「仏教徒」だし、
統一教会の信者も「キリスト教徒」ですから。
だれかが「真に『儒』を信奉している」か否かは、他人には
判りません。その通りです。
ただし、思想史上においてある人物が「儒家」か否かを
考える上では、このことはあまり重要ではないとも思います。
たとえば欧陽修が実はペテン師で、彼が心の底では「儒」を
信奉していなかったとしても、思想史上、彼を「儒家」と
扱うことには問題はないでしょう。
>>537 「大見得」ってのは、「私の個人的なターム定義」を
共通の議論の場で俎上に載せることですか? (藁
549 :
考える名無しさん :2001/08/06(月) 10:16
ただし、思想史上においてある人物が「儒家」か否かを 考える上では、このことはあまり重要ではないとも思います。 >たとえば欧陽修が実はペテン師で、彼が心の底では「儒」を >信奉していなかったとしても、思想史上、彼を「儒家」と >扱うことには問題はないでしょう。 そうかい? 儒学の功罪を論じる場合、にいななさんの説では 似非儒家の執った判断、行動まで儒学の功罪とな ってしまうでしょう。 もういちどよく考えた方がいいのではないでしょうか。 これは大きな問題ですね。
550 :
考える名無しさん :2001/08/06(月) 10:51
どうでもいいことじゃぁ
551 :
考える名無しさん :2001/08/06(月) 11:13
>>524 >以上は、私の個人的なターム定義です。
>問題や異議があれば、ぜひ指摘して下さい。
定義とは万人に共通なものであって始めて意義ある
ことです。各人が自分の思うままに定義していたら
議論などなりたちません。
個人的な定義と言い切ることは、議論を始めから拒
んでいることです。奇怪なはなしですね。
これまでにいななさんはかなり密度の高い議論をし
ていたのに不可解な発言です。
552 :
にいなな(うんざり) :2001/08/06(月) 12:15
>>549 自称「儒家」のとった行動が「儒学」の功罪になる?
何の話ですか?
欧陽修は、表面的には「儒家」的な立場でもって言動し、彼の
学説も「儒家」的なものでした。
たとえ彼の内面が「似非儒家」でも、
彼を「儒家」と捉えるのに何か不都合がありますか?
東京拘置所にいる自称「仏陀」の学説や行動は、およそ
一般的な「仏教」とはかけ離れたものです。
彼が内面的に「似非仏教徒」かどうかは判りませんが、
外面的に彼は「似非仏教徒」であると私は判断します。
彼の判断・言動は「仏教」の功罪になるのですか?
本スレの最初のほうで行った議論を繰り返すつもりはありません。
>>551 だから、「個人的な定義」をたたき台に提示して、
それに対してひろく「問題や異議」を指摘してもらって、
結果「共通な定義」を作ろうとしているのが判らない?
>>515 -524をもう一度確認して下さいな。
553 :
考える名無しさん :2001/08/06(月) 12:49
>>532 ジャコバイトさん
>>ソクラテスは、それでも、めちゃくちゃ理屈っぽいじゃん。
>>問答法、ってのは、中国にはないんじゃない?
問答法って厳密になんのことかはわからんが、論語だって朱子語類だって、問答によって話を進めている部分はあるのでは。
主観的な話ではなく、ソクラテスが哲学者であり、朱子が哲学者ではない理由を教えて下され。
>>538 電波男Ψ(´д`)Ψ
>>FSHISOで苛めてやるよ。脳タリン。
FSHISOの参加者でもないのに、下卑た発言をしてFSHISOを貶めるのはやめた方がいいんじゃないでしょうか。
554 :
電波男Ψ(´д`)Ψ :2001/08/06(月) 12:55
>>553 FSHISOの参加者でもないって誰のこと?
555 :
電波男Ψ(´д`)Ψ :2001/08/06(月) 12:57
遁天児か私の事を指していると思うけど、どうしてFSHISOの参加者じゃ ないと判断したのかな。不思議なななし君だね。
556 :
考える名無しさん :2001/08/06(月) 13:28
>>552 >たとえ彼の内面が「似非儒家」でも、
>彼を「儒家」と捉えるのに何か不都合がありますか?
つまり君は儒学を信奉してない人間でも儒家と呼んで構わない、即ち
儒家の定義に合致するとしたわけだ。しかし前になんて言ったか思い
出しなさいな。
>>522 >「儒家」というのは、「儒学」であれ「儒教」であれ、
>「儒」を信奉している「人間」「学派集団」を指す呼称でしょう。
>以上は、私の個人的なターム定義です。
判ったかい。
557 :
考える名無しさん :2001/08/06(月) 13:48
>555 >遁天児か私の事を指していると思うけど、どうしてFSHISOの参加者じゃ >ないと判断したのかな。不思議なななし君だね。 遁天児さんは発言してないから電波男さんのことでしょう。
558 :
にいなな(うんざり) :2001/08/06(月) 13:54
ああ、だから
>>548 で訂正したでしょ。過去ログは見ましょうね。
「信奉」ってのが内面的なことを示すタームだと誤解を誘ったんならゴメン。
あ、あと
>>552 も見てくれれば幸いです。 >遁天児さん
あと、「儒家」か否かの判断は、彼が儒家を自称しているか否かではありませんよ。
>>533 さんは「自称」を信用して人を判断するようですが、だったら
>>548 で指摘した通り、
サリン事件は仏教の功罪で、集団結婚はキリスト教の功罪です。
子服堯之服、誦堯之言、行堯之行、是堯而已矣。
子服桀之服、誦桀之言、行桀之行、是桀而已矣。(告子下)
ってのは、儒家か否かを判断する基準には使えませんかね?
559 :
考える名無しさん :2001/08/06(月) 14:35
>>558 遁天児なんてカンケーないよ。
いつまで遁天児の亡霊に祟られているのかな。
それにしてもにいななくんカキコはどうも言い訳がましいな。
>ああ、だから
>>548 で訂正したでしょ。過去ログは見ましょうね。
>「信奉」ってのが内面的なことを示すタームだと誤解を誘ったんならゴメン。
誤解じゃなくて、にいななクンの「儒家」の定義が不適当だっただけです。
訂正したというならもういちど「儒家」の定義をはっきりさせておく必要
がありますね。
今度は慎重に考えてね。
560 :
ジャコバイト :2001/08/06(月) 14:36
>534 おいおい、しっかり俺のコメントを全部読んでから言え! 397を読みな。 あんたの方が考え直すきっかけを与えられるだろう。
561 :
考える名無しさん :2001/08/06(月) 14:38
続きです
>>558 >あと、「儒家」か否かの判断は、彼が儒家を自称しているか否かではありませんよ。
533さんの説も完全ではないですね。最後に複雑だといっているようにです。
だからその他の人も定義は難しいと言っているんでしょう。
>
>>533 さんは「自称」を信用して人を判断するようですが、だったら
>>548 で指摘した通り、
>サリン事件は仏教の功罪で、集団結婚はキリスト教の功罪です。
これはにいななくんの勘違いじゃないの。
本音では儒家でなくとも儒家とみられている人間がいるから、
その行動によって儒学の功罪を論じることはできないってこ
とじゃないの。
562 :
ジャコバイト :2001/08/06(月) 14:40
>529 経験的直感が真理を含む場合があることを、西洋も否定はしていない。 しかし、経験的直感で真理を説き表すのは詩人の仕事と西洋ではされてきたわけだ。 哲学は、確実な知を追求し、根拠を与えるものだったわけね。 とすりゃ、西洋からすれば、経験的直感しか儒教に無いのならば、そのようなものは詩人の領域であり、やっぱし哲学じゃないっていうわけさ。
563 :
ジャコバイト :2001/08/06(月) 14:43
>553 問答法ってのは、一問一答でずっと議論していくスタイルね。そん中で、概念の定義や論理的整合性を競い合うわけさ。プラトンを読めばすぐわかる。 儒家は、なんだか議論が続かなくて、すぐ引き下がる。問答法とは言えないね。
564 :
ジャコバイト :2001/08/06(月) 14:46
にいななさん 哲学が虚学、だとすれば、やっぱし儒教って哲学じゃないんじゃない? 真理をそれ自体価値のあるものとして追求する営み、とは孔孟は思えんのだが。 彼らは、やっぱし実践を強く意識してて、論理性や根拠付けより政治や仁に興味があったんじゃない?
565 :
ジャコバイト :2001/08/06(月) 14:48
それから、提案だが、「考える名無しさん」は、何か判別のつきやすい名前を名乗って欲しい。 どれとどれが同一人物の発言かわからんのだよ。
566 :
553 :2001/08/06(月) 15:40
>>555 電波男Ψ(´д`)Ψ
>>遁天児か私の事を指していると思うけど、どうしてFSHISOの参加者じゃ
>>ないと判断したのかな。不思議なななし君だね。
1番部屋の常連は極度に少ないが、あなたに該当しそうな人物は見当たらないからです。
2ちゃんに影響されて発言スタイルが変わったということであれば、ご愁傷様です。
>>563 ジャコバイト
>>問答法ってのは、一問一答でずっと議論していくスタイルね。そん中で、概念の定義や論理的整合性を競い合うわけさ。プラトンを読めばすぐわかる。
>>儒家は、なんだか議論が続かなくて、すぐ引き下がる。問答法とは言えないね。
プラトンを読んでも、議論はかなり希薄な印象を受けます。
あれらは凝縮すると30分の1以下の量になるのではないでしょうか。
また、一問一答でよければ、朱子語類は問答だらけです。
むしろ、編集者として何を記述するかの態度が違うように思います。
儒家では、現実の発言の中から、問答を抽出した。
一方で、プラトンは、ソクラテスを登場人物とした対話編を創作した。
プラトンのは物書きのスタイルに過ぎないのであって、創作のためエンターテインも必要だから、対話を使った論理展開の妙に主眼をおいた。
朱子語類は、朱子が実際に言った言葉を集めたものだから、創作したり、エンターテイメント部分をいれる必要はなかった。これは論語も同じです。
単にそんな違いのように思えるのですが。
567 :
にいなな :2001/08/06(月) 16:09
>>559 > それにしてもにいななくんカキコはどうも言い訳がましいな。
「考える訓練」を受けている方にも、受けていない方にも、等しく
正しく理解され得る書き方、というのを練習させてもらってるつもりです。
> 今度は慎重に考えてね。
とりあえず
「儒家を自認しており、なおかつ言動・学説が儒学・儒教の許容範疇に収まる人間・学派」
程度でよろしいか?
で、
>>558 の
子服堯之服、誦堯之言、行堯之行、是堯而已矣。
子服桀之服、誦桀之言、行桀之行、是桀而已矣。(告子下)
というスタンスについては、どう思われます?
>>564 「虚学であることが哲学である必要条件」「充分条件」とは言ってません。
「現代社会において哲学は虚学だから、国家や社会に貢献することを期待されても困る、
現代社会や国家に貢献しない哲学は無価値だと言われても反対する」という意味で
申しあげました。念のため。
568 :
考える名無しさん :2001/08/06(月) 18:47
>>567 >「考える訓練」を受けている方にも、受けていない方にも、等しく
>正しく理解され得る書き方、というのを練習させてもらってるつもりです。
コイツまだ言ってるぜ。
他人様の訓練を斟酌するよりもお前が考える訓練をヤル方が先だよ。
569 :
電波男Ψ(´д`)Ψ :2001/08/06(月) 18:57
>>553 して、チミはFSHISOアクティブなのか?
わたしはアクティブだがな。
>>568 論証無き批判たんなる中傷、煽り。
もういいから氏ねや。
570 :
553 :2001/08/06(月) 19:27
>>569 いいえ、私は最近ROMしているものです。
571 :
ジャコバイト :2001/08/06(月) 19:52
>566 だからわかりやすいように名を名乗ってよ。 朱子は、んでさぁ、ドグマじゃなくて、議論の中で詳しく概念や論理を吟味してんの? 俺は近思録ぐらいしか読んでねェから、他にそんなのがありゃ言って欲しいが、近思録や小学からはんなものはねェと言えるけどなぁ。 あと、ソクラテスの議論がうすいってのはどういうことよ。 俺は、そういう思考過程そのものが大切だとおもうんだけどね。 思考過程を軽視して、結論だけ重視する中国的思惟のあり方が、俺は実にくだらんと言ってるんだが(くりかえし言うけど、仏教は例外)。
572 :
考える名無しさん :2001/08/06(月) 20:41
荒れてきたな 負け惜しみあり逆煽りあり・・・。 みんなもっと謙虚になりましょう。
573 :
にいなな :2001/08/07(火) 09:55
>>571 朱子がドグマだけで終わってて、議論の中で詳しく概念や
論理を吟味していなかったのならば、「理」と「気」との
先後関係について、あれほど苦悩はしなかったと思いますが。
ま、最終的な解決というか結論は「逃げ」だと思いますけどね。
それから、『小学』にそのような議論を求めるのは不当だと思います。
書物の性格上。
> 思考過程を軽視して、結論だけ重視する中国的思惟
仏教のことははよく知りませんが、公孫龍とか墨経とかは
例外ではないのですか?
あと、とくに旧疏なんかは「思考過程」(というか「論証過程」)を
偏執狂的に重視しますが、「正統な儒学」のこのような思惟は、
やはり「結論」を重視するという点で、くだらないものですかね?
論証の素材・前提が「ドグマ」だと言われればそれまでですが。
スコラ学のように。
574 :
にいなな :2001/08/07(火) 10:05
>>568 私への批判なら、まっとうなものなら、いくらでも受けます。
私が間違ったことを言っているのなら、論拠を示され批判されて、
みんなで共通の議論ができる立場・定義を、一緒に組み立てて
いきたいと思います。
前スレから引き続き、まだ共通の土俵を作っている段階ですから。
私が間違ったことを言ったのなら、指摘されて立場を改めるのは
恥ずかしいことでも何でもないと思う。これは学問をする者として
当たり前です。(宗教家や預言者は違うのかもしれませんが)
むしろ、以前の自分の間違いを糊塗しようとして、ありもしない
「諸橋先生の著書」をでっちあげたり、「おまえの勉強不足だ」と
開き直るほうが、よほど恥ずかしい。
繰り返しますが、私の見解や「個人的な定義」や態度が誤ったものなら、
ぜひ指摘して下さい。根拠を挙げて。私のためではなく、このスレで
建設的な議論を行う土台を築くために。
ただし、「論証無き批判たんなる中傷、煽り。」に対しては、
「もういいから氏ねや。」(
>>569 )という電波男さんの意見に
私も同意します。
575 :
>>545にいなな :2001/08/07(火) 11:51
W大生クンは貝みたいに黙ってしまったぜ。 W大チアガールよ、助け船を出してやったらどうだ?、ん?
576 :
W大生 :2001/08/07(火) 13:43
遊びにいって丸一日アクセスしなかったら随分議論が進んだ
ようですね。あとからオレも考えるところを書くつもりだっ
たが、オレの言いたかったことも大体尽くされてるよ。
>>574 >>575 本当に負け惜しみが強いヤツだね。
これがオレの「儒家」の定義だ!なんて大見得切ってアホアホ
な定義をひけらかしてもんだから、ちくりと指摘されたんだろ。
オマエの定義がいい加減だったってこと素直に認めろよ。
でも定義=土台がいい加減となると、その上に建てた議論=お家
はガタガタだな。
>繰り返しますが、私の見解や「個人的な定義」や態度が誤ったものなら、
>ぜひ指摘して下さい。根拠を挙げて。私のためではなく、このスレで
>建設的な議論を行う土台を築くために。
バカだね、間違っているのはオメエなんだから自分でオマエの定義と議
論を見直せよ。まあしばらくはガラクタ整理でもしてろ。新しい議論
はその後だよ。
>むしろ、以前の自分の間違いを糊塗しようとして、ありもしない
>「諸橋先生の著書」をでっちあげたり、「おまえの勉強不足だ」と
>開き直るほうが、よほど恥ずかしい。
ところでこれって何の話だ。
577 :
電波男Ψ(´д`)Ψ :2001/08/07(火) 14:15
>>576 御託はいいから早くお前の考えを書け。
「哲学では微分積分は使わない」と言い切ったお前の「トンデモ」
はまだ訂正しないんだな。
このスレッドでもお前は何の立論も無い。出来ないんだろうよ。
578 :
にいなな :2001/08/07(火) 14:35
>>576 > 本当に負け惜しみが強いヤツだね。
別に「負け惜しみ」で言ってるつもりはないんですがね。
遁天児さんなら「自覚がないところがオマエのバカなところだ」とでも
言うんでしょうが。
> これがオレの「儒家」の定義だ!なんて大見得切ってアホアホ
> な定義をひけらかしてもんだから、ちくりと指摘されたんだろ。
こーゆー場で「自分なりの定義」を「ひけらかす」ことの意味を
理解してもらえなかったことは残念というか意外でしたが、別に
「ちくりと」痛かったとは思いません。むしろ「ちくり」の後に
定義が発展していかない(誰も修正意見を出さない)ことのほうが
痛いですね。
> 間違っているのはオメエなんだから自分でオマエの定義と議
> 論を見直せよ。まあしばらくはガラクタ整理でもしてろ。新しい議論
> はその後だよ。
失礼ですが、「議論」とか「論争」とかいう言葉の意味は御存知ですか?
御存知でなければ、どうぞあなたの心の中だけで定義と議論を進めて下さい。
579 :
にいなな :2001/08/07(火) 14:35
あと、
> >むしろ、以前の自分の間違いを糊塗しようとして、ありもしない
> >「諸橋先生の著書」をでっちあげたり、「おまえの勉強不足だ」と
> >開き直るほうが、よほど恥ずかしい。
> ところでこれって何の話だ。
との事ですが、偉そうに発言するなら、前スレの議論を見てからにしてください。
個人攻撃みたくなって見苦しくなってもいいのなら、詳しく説明しましょうか?
それから、
>>537 で仰られた「あとでオレの考えも書くよ。」ってのは
どこに消えたんですか?
さらに、
>>495 の質問に答えていただいておりませんので、質問を
わざわざ
>>547 で再掲までしているのですが、やはりW大生さんには
答えていただけないのでしょうか?
とりあえず、最後の二点については早急にレスいただきたいですね。
580 :
にいなな :2001/08/07(火) 14:39
あ、訂正。
>>488 で質問して、答えてもらえなかったので、
>>495 で再び質問を再掲して、またしても答えてもらえなかったので、
>>547 でまたまた答えを催促したんでしたね。
答えるのに1週間以上もかかるような難しい質問をしたつもりはないのですが。
>W大生さん
581 :
553 :2001/08/07(火) 15:03
>>571 >>俺は近思録ぐらいしか読んでねェから、他にそんなのがありゃ言って欲しいが、近思録や小学からはんなものはねェと言えるけどなぁ。
そもそも、近思録は、二程子などの著作や語類から抜粋したものであって、朱子は編者の一人ではあるけど、朱子の著作ではありません。
取捨選択の選考過程に朱子の思考は反映されているかもしれませんが、朱子の論理過程が反映されていないのはむしろ当然なのではないでしょうか。
せいぜい配列くらいしか変えようがないですし。
近思録しか読んでいないとなると、朱子の著作は読んでいないということになりますが。
>>あと、ソクラテスの議論がうすいってのはどういうことよ。
問答としては、すらすら読めはしますが、分量に見合うほど思想的に多くのものを含んでいる印象は私は受けないのです。
>>俺は、そういう思考過程そのものが大切だとおもうんだけどね。
>>思考過程を軽視して、結論だけ重視する中国的思惟のあり方が、俺は実にくだらんと言ってるんだが(くりかえし言うけど、仏教は例外)。
哲学かどうかは、思考過程の特質によって決まるのですか、それとも思考対象の性質によって決まるのですか?
582 :
W大生 :2001/08/07(火) 15:06
>577 オレはね、哲学と自然科学の学問上の性格の違いを 言っているのだ。んでこう指摘した。 >電波男よ、オマエの論文に微分方程式がでてくるか?。オマ >エの論文が書くのに実験をやってるのか?。もし方程式が出 >てきて実験をやってるなら見せてみろよ。この大バカ野郎が。 だから盆栽職人は変な思い込みをしてんだね。 >「哲学では微分積分は使わない」と言い切ったお前の「トンデモ」 >はまだ訂正しないんだな。 オレはそんなこと言ってないよ。 よくオレの発言を読めよ、バ〜カ。
583 :
電波男Ψ(´д`)Ψ :2001/08/07(火) 15:30
>>582 ごちゃごちゃ言うな。
言い訳はみっともないぞ。
はやくお前の考えを述べよ。
何一つ立論してないじゃないか。
ハクチに出来るわけねーだろーがな。
584 :
W大生 :2001/08/07(火) 15:47
>>577 >御託はいいから早くお前の考えを書け。
もうオレの言いたいことは尽くされているといっても
判らないオバカな連中の為に教えてやろうか。
にいななのアホアホな定義の問題はこれまで色々指摘され
てきたことには概ね同意だよ。
それで結論として言えることは、定義とは容易ではないとことさ。
それをお手軽にやろうとするとにいななクンみたいにアホアホを
晒すってことだ。
まあそれで、今度は工夫してみても今度はその定義のなかで用い
られる儒学って概念を定義するのがなかなか難しい。いわゆる
儒学と呼ばれているものも内容は多様だしね。
だから無理に定義付けしたり、範疇分けして思想史として系統化
するっていうの無理があるんじゃないって思うわけ。それを無理
にやろうとすると多様性や周囲の環境を切り捨てて盆栽化しなけ
ればならない。見た目には綺麗だか、それは野山に育つ松や杉=
真の姿ではないのさ。
まあこれも先輩からの言われて、おれもなるほどと納得した
こどだけどね。オレはね孟子を読んでいてもつくづく思うわ
けですよ。
だから電波男も盆栽職人を辞めて、野や山に出て真の哲学や
思想を学んだらどうだい。気分いいぞ。
585 :
考える名無しさん :2001/08/07(火) 15:49
もう、煽りはやめて、マジメに語り合ってほしいなり。横から茶々を 入れるのは誰でもできる。わたしの印象ではかなり見苦しい。電波さ んも口が悪いなあと思うことはあるけれど、スタンスは述べている。 正直、あなた自身やあなたの大学のレベルを疑う。>W大生 先生も学者の風上に置けないとか電波男さんに言っていたとかいうけ れど、別に他人に学者かどうか決めてもらうんじゃない。論文の本数 や業績です。 別に電波さんに肩入れするつもりはないが、個人的には にいななさ んの意見や電波さんのやり取りが大変おもしろいと思って眺めていま する。 ジャコバイトさんの意見には賛同しかねるが、真面目に取り組んでい るのは分かる。 千人の仙人さん・・・(一人でもせんにんはこれいかに?) 哲学の定義はおもしろうございました。 また、続きを楽しみにしています。参加したいけれど、文学なので、 少し込み入った話はできないです・・・(朱子とか陽明は分からない) ただ、現代に役に立たないから、思想であって哲学でないというのは 飛躍があるなと考える。 関係ないけど、現代西洋哲学者はいますよね・・・じゃあ、現代中国 哲学者ってやっぱり毛沢東なんでしょうか? けざわひがし・・・
586 :
考える名無しさん :2001/08/07(火) 15:52
真の哲学ってなんだい?真の思想ってなんだい?
587 :
W大生 :2001/08/07(火) 15:52
>>583 オマエが勝手な思い込みしたんだろう。
低レベルな事は判っているが、学者の端くれとしてはお粗末だな。
588 :
W大生 :2001/08/07(火) 15:59
>>579 >との事ですが、偉そうに発言するなら、前スレの議論を見てからにしてください。
>個人攻撃みたくなって見苦しくなってもいいのなら、詳しく説明しましょうか?
聴かせろよ。ただし、またいい加減なこというと指摘されるぞ。
589 :
考える名無しさん :2001/08/07(火) 16:00
・e・・e・・e・・e・・e・・e・・e・・e・・e・・e・・e・・e・・e・・e・・e・・e・・e・・e・・e・・e・・e・・e・・e・・e・・e・・e・・e・・e・・e・・e・・e・・e・・e・・e・
590 :
W大生 :2001/08/07(火) 16:04
>>585 >先生も学者の風上に置けないとか電波男さんに言っていたとかいうけ
>れど、別に他人に学者かどうか決めてもらうんじゃない。論文の本数
>や業績です。
業績はともかく本数もか?内容じゃないのか。
まあ実態として本数が重要なファクターと言うことはわかりますけど。
591 :
にいなな :2001/08/07(火) 16:09
>>584 ああ、あなたが自然を愛していて、野や山の中に「真の哲学」とやらを
見出したらしい、ということは、なんとなくわかりました。
で、相手の質問にはまるで答えずに、ただひたすら相手を「オバカ」「アホアホ」と
決めつけて押し通すのが、あなたの「真の哲学や思想」なんですかね。それで
「気分いいぞ」と言われても、「ああそうですか」としか言えませんが。
だとしたら、私は、あなたと一緒に野や山で戯れて、そんな「哲学」を体得する
なんてことは、鄭重に辞退申しあげます。
盆栽職人になるほうが、人間の品格として、まだしもマシでしょうから。
あと、「野や山の中」ならともかく、少なくともここは、定義・認識を共有した上で
議論をする場だと思います。
電波男さんや私の質問にマトモに答えることもできず、他人の意見が出るのを待って
> オレの言いたかったことも大体尽くされてるよ。
> これまで色々指摘されてきたことには概ね同意だよ。
としか言えないあなたに、他人を「オバカ」「アホアホ」呼ばわりする資格は
ないと思いますが?
592 :
にいなな :2001/08/07(火) 16:12
>>579 では簡単にご説明を。ただし私は当事者ですから、見方が一方的です。
事実誤認がありましたら指摘して下さい。(>遁天児さん)
「またいい加減なこというと指摘されるぞ。」というのが
脅し文句のつもりでしたら、無意味なことですね。間違っていたら、
訂正してもらうほうが有り難いんですから。
>>574 さて、
・前スレッドで、「遁天児」と名乗る方が、
荘周先生は、若いころは儒学を学んだと言われている。(317)
と言われました。このような説は、中国思想史の常識を覆すものです。
(後世に成立した書物としての『荘子』に儒家の影響があることは常識だが、
個人としての「荘周先生」が儒学を学んだというのは新説というか珍説です。)
・私は、そのようなことが本当に言われているのかということに疑問を呈し、
論拠の提示を求めました。
・「遁天児」さんは、なぜか論拠を提示することを嫌い、
断言した表現になっているからって、それが「事実」(実際は定説と
いう方が適切か?)だってことをボクが言い張ったことになるはず
ないだろ。(333)
という、日本語を根底から覆すような「解釈改憲」で逃げようとしたり、
593 :
にいなな(続き) :2001/08/07(火) 16:12
いちいち出典や掲載書を明記しないといけないのかな?(335) などと渋っておられましたが、 ・最終的に諸橋『荘子物語』と、同『中国古典名言事典』を典拠として示しました。(356) ・私がこれら両書を確認したところ、そのような記述はありませんでした。(376-378) つまり、遁天児さんが「〜と言われている」とする説は、そもそも存在しなかったらしいのですが、 ・そのことを指摘すると遁天児さんは あんたはそのような説があったことすら知らなかったようだが、 かなりお粗末だな。もうちっとお勉強したほうがいい。 との、ありがたいお説教を下さいました。 ・当然ながら、というか、 ええ、知りませんでした。今でも知りません。 諸橋先生も、そんな説は全く言ってませんでしたね。 と返したところ、直後に正体不明の「考えてる名無しさん」たちが 断言してるが、諸橋先生の著書や論文を全部見ていってるかよ?(391) 自分の知識不足を反省して、試しに自分で調らべろよ。(392) などと、遁天児さんのフォローをされておられまして、直後に悪質な妨害(空リンクの 連貼り)にあって、前スレは落ちてしまいました。
594 :
にいなな :2001/08/07(火) 16:14
595 :
W大生 :2001/08/07(火) 16:26
>>591 チャットしてるみたいだな。
とにかく定義にしろ範疇分けにしろ慎重にしないと物事の
本質を削ぎ落とすことになるんだよ。
>電波男さんや私の質問にマトモに答えることもできず、他人の意見が出るのを待って
まともに応えたろう。なにが不満だ?
オマエはまだ自分がアホアホである自覚が足りないよ。
596 :
W大生 :2001/08/07(火) 16:30
597 :
にいなな :2001/08/07(火) 16:37
>>584 >>595 はあ、まともに答えたんですか。
W大生さんが
>>537 で大々的に予告しておられた「俺の考え」というのは、
要するに
> 定義とは容易ではないとことさ。(
>>584 )
というだけのことだ、と理解してよろしいですか?
それから、
再三にわたる私の質問(思想を分類したり定義付けたりして研究することを
「盆栽職人」と罵倒するならば、ではあなたはどのようにして思想を考察して
いるのか)への答えは、
> 無理に定義付けしたり、範疇分けして思想史として系統化
> するっていうの無理があるんじゃないって思うわけ。(
>>584 )
という「だけ」ですね?
つまりあなたは、何らの分類も定義もせず、ただ対象を漫然と眺めて「真の姿」を
求めているだけだ、と。
598 :
電波男Ψ(´д`)Ψ :2001/08/07(火) 16:58
>>W大生 どーでもいいが、早く立論してくれ。 でないと会話が成立しないだろ? 駄々を捏ねるしか能が無いなら出て行ってくれ。
599 :
W大生 :2001/08/07(火) 17:29
600 :
包公 :2001/08/07(火) 17:49
553です。御要望にお応えしてハンドルネームをつけてみました。 今、中華書局本の朱子語類をながめていたのですが、どうみても問答に溢れているのです。 ただ、一般聴取者向けの問答ではありませんから、ソクラテスのように、問答の流れはわかりやすくはないです。 私はまだよく理解できていませんし、全部読む気力もあるかどうかわかりませんが、学べば学ぶほど問答の背景が理解でき、朱子の論理過程も理解できるようになると思っています。 結局、中国哲学は「哲学」じゃないという人がいるとすれば、理解できずに言っているのか、あるいは、ユーザーフレンドリーではない中国哲学にいらついているだけなのではないでしょうか。
601 :
電波男Ψ(´д`)Ψ :2001/08/07(火) 18:46
>>600 あなたの直感は鋭いと思いますよ。
情緒に訴える側面が強いように見えて、実はとんでもなく複雑な論理
を仕掛けてくる面もあるようです。今お読みになっているものその類
かも知れません。
中国思想、哲学は未だに晒されていないのに、西洋哲学に劣るとするの
は早合点ですね。
602 :
電波男Ψ(´д`)Ψ :2001/08/07(火) 18:47
603 :
考える名無しさん :2001/08/07(火) 19:20
興味深い議論ですね。
>>597 >つまりあなたは、何らの分類も定義もせず、ただ対象を漫然と眺めて「真の姿」を
>求めているだけだ、と。
無理に分類や範疇分けしても、それは対象の複雑な実態を無視する
ことになり、あまり意味がない場合も有るのではありませんか。
同じ教師、同じテキストから得た思想でも個人それぞれで受け取り
方やその影響は異なるものです。
604 :
電波男Ψ(´д`)Ψ :2001/08/07(火) 20:02
>>603 >無理に分類や範疇分けしても、それは対象の複雑な実態を無視する
>ことになり、
なぜ、対象の複雑な実態を無視することになるのでしょうか?
605 :
警告! :2001/08/07(火) 21:11
おい電波男 こんなところでレスせずに、創価梶山スレッドの反論に答えろよ。 答えられないってのか? やはり貴様は偽京大卒業生だな。偽京大がなんで 自分が出た四流大を棚にあげて人の事をハクチ呼ばわりするんだ。恥を知れ。 あんたの正体はとっくに関係者にばれていることを忘れるな。
606 :
電波男Ψ(´д`)Ψ :2001/08/07(火) 22:01
>>605 なにトチクルッテルんだい?(ワラワラワラワラ
関係者って誰なんだ?
あのスレッドの反論ってなんだい?
お前は脳梅毒のハクチだから早く芯でくれ。
ここでは内容でコメントするようにね。
607 :
電波男Ψ(´д`)Ψ :2001/08/07(火) 22:08
608 :
考える名無しさん :2001/08/07(火) 22:10
>>606 旧帝大卒の名で書いたのは虚偽かどうかということ。
虚偽だったとみとめるのですね。
はぐらかさずにイエスかノーかで答えよ。
609 :
包公 :2001/08/07(火) 22:15
>>608 君は学歴で思考するのかね。
楽なもんだ。
610 :
考える名無しさん :2001/08/07(火) 22:25
611 :
包公 :2001/08/07(火) 22:41
>>610 電波殿曰「日蓮正宗と創価学会の出鱈目を直視したからです。」
いい人ではないですか。
よって、無罪。
引き続き610を誣告罪で罰するかどうか審理する。
612 :
考える名無しさん :2001/08/07(火) 22:58
>>611 そっちの板での日蓮正宗と創価学会のことは関係ないし、ぼくも
興味はない。電波男(偽旧帝大卒)が、旧帝大卒の名のもとに
特定の個人の名を出して、その人の名誉を毀損したことを問題に
しているのです。その人は日蓮正宗とも創価学会とも何の関係も
ない人にも関わらず。とにかく板を全部よく読んで下さい。時間
はかかります。
613 :
包公 :2001/08/07(火) 23:18
>>612 証拠は裁判官が読みやすいように出してくれ給え。
レス番号くらい特定できんのか、君は。
614 :
電波男Ψ(´д`)Ψ :2001/08/07(火) 23:44
>>608 ここで学歴をカミングアウトせよと言うのが?思いっきり笑われているぞ。
>>610 >および、これの前身の板で、電波男という輩が実在の個人名をあげて
>如何に名誉を毀損する行為をしているか。これは明白な犯罪そのもの
>です。
「明白な犯罪そのもの」とは法廷が判断するもの。人を犯罪者呼ばわりすれば、
民法における名誉毀損、刑事における名誉毀損罪、侮辱罪の疑義がかかります。
このような表現はあなたの立場をいやしめ、社会的に評価されなくなります。
何かあれば、次は行動に移します。もうあなたは逃げられませんよ。
それと、あっちこっちの板でお前の発言は非常に迷惑を掛けている。
文句があるなら
Http://www13.freeweb.ne.jp/business/itoarc/の 掲示板を利用させて貰え。
615 :
考える名無しさん :2001/08/08(水) 04:44
>>604 >なぜ、対象の複雑な実態を無視することになるのでしょうか?
分類や範疇分けに無理があるからだろ。
616 :
電波男Ψ(´д`)Ψ :2001/08/08(水) 06:47
>>615 分類や範疇分けはたとえ無理があったり、間違っていたとしても、
叩き台としては非常に有益であること考えます。物事を比較検討
したり、立脚点の分析をするには分類作業がないと出来ません。
それが間違っていたとしても修正するのが非常に簡単、かつ適切に
行えることは経験済みです。
617 :
にいなな :2001/08/08(水) 09:59
>>616 > 分類や範疇分けはたとえ無理があったり、間違っていたとしても、
> 叩き台としては非常に有益である
まともな学会や、大多数の大学ではそのとおりかも知れません。
が、W大では、間違った定義や修正の余地のある定義を提示すると、
たたき台として修正を加え、建設的に発展させたりはしません。
まず提案者に、「間違っているのはオメエなんだから自分でオマエの定義と
議論を見直せよ。」と要求します。他人は手を貸しません。(
>>576 )
ついで、「アホアホな定義」と規定し、提案者を「オバカ」と罵倒します。(
>>584 )
これがW大で教わる「ものの考え方」「議論の方法」のようです。
どちらも、学問の方法としては有り得るスタンスで、一概にどっちが正しいとは
言えません。
もし「前者が正しい」「後者が正しい」と言うとすれば、それは自分の出身大学や
学歴によるバイアスを免れ得ず、不公正な意見に堕してしまう危険があります。
618 :
ジャコバイト :2001/08/08(水) 13:19
>包公さん 俺の意見を組んで名を名乗っていただいたのはありがたい。 朱子の、できれば具体的に俺に細かく教えていただければありがたいです。
619 :
考える名無しさん :2001/08/08(水) 15:05
>617
>まず提案者に、「間違っているのはオメエなんだから自分でオマエの定義と
>議論を見直せよ。」と要求します。他人は手を貸しません。(
>>576 )
にいななさんの場合は、多分うっかりだったのでしょうが、全く
当初とは異なった主張を展開してしまったために、口の悪いW大
生さんからあのような発言が飛びだしたのだと思います。
人間は、かなりの確信がある場合でも思いがけない見落としがあ
るものですから、やはりそろりそろりと行くべきでしょう。
620 :
にいなな :2001/08/08(水) 15:27
>>619 はいな。だいぶ上の方に埋没してますので、もう一回確認しますよ。
最初の私の定義
「儒家」というのは、「儒学」であれ「儒教」であれ、
「儒」を信奉している「人間」「学派集団」を指す呼称でしょう。(
>>524 )
ってのは、自分ではそんなに間違っているとは思えないけど、
真に「儒」を信奉してるかどうかは関係ありません。
なぜなら人間の心の中を覗くことはできず、真に「儒」
を信奉しているかどうかを知る方法がなからです。 (
>>533 )
という指摘ももっともだと思うので、引っ込めました。
「信奉している」か否かは、たしかに他人には判らないし。
で、とりあえず外面的なものに限って
儒家を自認しており、なおかつ言動・学説が儒学・儒教の
許容範疇に収まる人間・学派(
>>567 )
という定義を、改めて掲げてみました。これなら、本人の心底がどうあれ、
客観的に「儒家」か否かは判別できるはずです。
新しい定義には、今のところ誰からも修正意見は出ていないようです。
621 :
にいなな :2001/08/08(水) 15:27
あ、あと念のため、W大生さんは、
> あとでオレの考えも書くよ。(
>>537 )
と言いながら、自分ではマトモな意見を出さずに他人から意見が出るのを待ち、
> オレの言いたかったことも大体尽くされてるよ。
> これまで色々指摘されてきたことには概ね同意だよ。
と言っているだけです。
しかも、
>>533 さんや
>>549 さんなどの「色々指摘されてきたこと」を、どうやら
理解できていないらしく、
> にいななのアホアホな定義の問題はこれまで色々指摘されてきたことには
> 概ね同意だよ。それで結論として言えることは
とか言いながら、
> 結論として言えることは、定義とは容易ではないとことさ。 (<<584)
> 無理に定義付けしたり、範疇分けして思想史として系統化するっていうの
> 無理があるんじゃない(
>>584 )
などと、
>>533 や
>>549 さんが言ってもいないことをのたもうておられるようです。
622 :
ジャコバイト :2001/08/08(水) 17:01
529、534の考える名無しさん 包公さんだったんだろうか?それとも別の人? 560、562の俺のコメントへの応答がまだないんだけど・・・。
623 :
考える名無しさん :2001/08/08(水) 17:13
>新しい定義には、今のところ誰からも修正意見は出ていないようです。 やっぱりキミはトロイところがあるな 儒家を定義しようとして「儒家を自認している・・」じゃ トートロジーだろ。論理学で習わなかったかい。面倒だか ら誰も指摘のかもしれないが、正確を期すなら、「儒を信 奉していると表明している・・・」とでもするべきだろう。 W大生クンのことをとやかく言う前に、自分自身でもうす こし訓練を積んだ方がよさそうだ。
624 :
ジャコバイト :2001/08/08(水) 17:25
>623 あなたは529,534の考える名無しさんとは別人か?
625 :
包公 :2001/08/08(水) 19:02
>>622 ジャコバイトさん
>>529、534の考える名無しさん
は私ではありません。
朱子については多くの書物も出ていることですし、何も無学な私が説明するまでもないと思うのですが。
朱子語類も、中国系の書店に行けば大抵中華書局本は置いてありますし、和刻本も存在しますよ。
626 :
ジャコバイト :2001/08/08(水) 19:16
>625 あなたは無学ではないと思うが。 んで、具体的にどこら辺が、ソクラテスに匹敵する問答法かの、例を挙げていたたげれば幸いです。 いやはや、宋学は不案内なもので。
627 :
包公 :2001/08/08(水) 23:16
>>626 例など語類の中にいくらでもありますよ。
語類の8割以上は問答なんじゃないでしょうか。
そもそも、あなたは読んだことない人の本が、なぜソクラテスに匹敵する問答法ではないと思っているのですか?
朱子と言えば、中国哲学の大御所でしょうに。
知らないものを否定するのは、俗にいう食わず嫌い、はっきり言えば無知のなせるワザです。
まじで呆れました。
あなたはなぜ知らないものについて断定しているのですか?
628 :
考える名無しさん :2001/08/09(木) 02:00
語類読むのダルイってばさ
629 :
胡蝶 :2001/08/09(木) 02:40
火薬、紙、木版印刷術、羅針盤は中国で発明された。 現代の言葉でいうならば軍事、記憶装置、情報伝達、位置情報把握という 現代のテクノロジーの萌芽が中国にあったといえる。 ことに紙の発明は知識の保存、伝達という意味で、人間の思考の尊重という面で 哲学の萌芽と言っても良い。 西洋が暗い中世にあるなか、世界の科学、哲学等の先進的なものは中国にあったといって良い。 そのような状況のなかで哲学的対話がないというのはあまりにナンセンス。 中国の深い哲学、思想はほとんど千年単位のもの。現在の中国の先入観で判断するのはあまりに 稚拙であり、木を見て森を見ない態度である。 いきずまった西洋、人間中心主義、効率至上主義は、この豊穣な中国思想から多くを学べることと思う。 ことに地球環境における、循環の思想、謙虚の思想において。
630 :
にいなな :2001/08/09(木) 09:01
>>623 > 儒家を定義しようとして「儒家を自認している・・」じゃトートロジーだろ。
「儒家」と「儒家を自認している人物」とはイコールですか?
もしそうだとしたら、逆に、何も問題ないでしょう。
>>567 をよく見ていただければ、
(1)儒家を自認している
(2)言動・学説が儒学・儒教の許容範疇に収まる
という要件をともに満たしている、という条件を私が提示していることは
明らかだと思いますが。私が(1)だけで「儒家」を定義しているというなら、
そりゃ問題ありますが。
「自認している」ってのがミスリーディングな表現だと指摘されるのであれば、
「儒を信奉していると表明している」と改めるのに、何の異存もありません。
儒を信奉していると表明しており、なおかつ言動・学説が
儒学・儒教の許容範疇に収まる人間・学派
でよろしいですか?
631 :
にいなな (藁 :2001/08/09(木) 09:07
>>629 銅剣、粘土板、楔形文字、太陽による方位測定はオリエントで発明された。
現代の言葉でいうならば軍事、記憶装置、情報伝達、位置情報把握という
現代のテクノロジーの萌芽がオリエントにあったといえる。
ことに楔形文字の発明は知識の保存、伝達という意味で、人間の思考の尊重という面で
哲学の萌芽と言っても良い。
中国が暗い古代にあるなか、世界の科学、哲学等の先進的なものはオリエントにあったといって良い。
そのような状況のなかで哲学的対話がないというのはあまりにナンセンス。
オリエントの深い哲学、思想はほとんど千年単位のもの。現在のオリエントの先入観で判断するのはあまりに
稚拙であり、木を見て森を見ない態度である。
632 :
考える名無しさん :2001/08/09(木) 11:45
>>586 >真の哲学ってなんだい?真の思想ってなんだい?
W大生の発言からすると、彼の指向しているのはいわゆる
「生の哲学」のようですね。これに対して電波男やにいなな
は、論理主義・実証主義・合理主義的なんだな。これが対立
の理由だよ。しかし中国思想の特徴は、生の哲学という面か
らより高い評価ができるのではないかな。
盆栽=論理主義・実証主義・合理主義的指向
緑の野山=生の哲学的指向
633 :
電波男Ψ(´д`)Ψ :2001/08/09(木) 12:03
>>632 「生の哲学」って実存主義のことを言ってるの?
にいななさんや私が言ってるのは論理主義とかじゃなく、学問をする
上での最低手順を彼に示しているだけですよ。九九を習得していなけ
れば、数学が出来ないじゃないですか。
実存主義を語るにしてもこの学問的な最初の手続きを避けて通ることは
出来ません。西谷らの実存主義的宗教学に毒された連中が履き違えた間
違いの実存主義を振りまいて、日本思想界の「癌」になりましたが、w
大生もその癌に冒された一人でしょう。
私の専攻はインド哲学ですので、実存主義や神秘主義は避けて通れません。
というか、サブ専攻に近いものがあります。若いうちには実存主義かぶれ
が悟顔して論戦を挑む傾向がありますが、W大生もその一人でしょう。
あるいはそのまま大人になったのかな。
中国思想は実存主義というより合理主義と神秘主義の臨界例として高く評価
できると思いますよ。全くものは違いますが、それはインド哲学も同じです。
634 :
にいなな(昼休み) :2001/08/09(木) 12:18
>632 > W大生の発言からすると、彼の指向しているのはいわゆる > 「生の哲学」のようですね。これに対して電波男やにいなな > は、論理主義・実証主義・合理主義的なんだな。これが対立 > の理由だよ。 私は、哲学や思想を対象に「学問」しているつもりですから、 「論理主義・実証主義・合理主義的」を指向するのは、当然です。 仮にも学問である以上、「非論理的」「非実証的」「非合理的」な 哲学なんてものがありえますか? それが「真の哲学」「真の思想」とか「生の哲学」だとでも?
635 :
考える名無しさん :2001/08/09(木) 12:20
>>633 >「生の哲学」って実存主義のことを言ってるの?
>にいななさんや私が言ってるのは論理主義とかじゃなく、学問をする
>上での最低手順を彼に示しているだけですよ。九九を習得していなけ
>れば、数学が出来ないじゃないですか。
へえ〜そうなんですか。しかしトートロジーをやってのけ
て平然としていられるの何とも解せないよ。電波男がどう
してにハクチ、脳梅毒よばわりしないか不思議だったよ。
636 :
にいなな :2001/08/09(木) 12:37
>>635 > トートロジーをやってのけて平然としていられるの
> 何とも解せないよ。
説明が足りなかったようですね。(
>>630 )
ここで我々が手間暇かけて定義しようとしている「儒家」と、
自称「儒家を自認している」連中とは、イコールですか?
つまり、我々が客観的・学問的に「儒家」を定義しようと
する場合の「儒家」と、「私は儒家だ」と自称している「儒家」
(それと、彼ら自称儒家がイメージしている「儒家」も)とは、
区別しなくていいんですか?
もしそうであるなら、
>>567 で掲げた私の定義は、たしかに
トートロジーかもしれません。
ただしその場合、ここで我々が「儒家」を定義する意味は
無くなりますがね。
ex.客観的な「政治家」の定義
(1)政治家を自認している
(2)実際に政治活動をしている
この場合、(1)は、トートロジーで、不要なものですか?
637 :
にいなな :2001/08/09(木) 12:39
誤解を招く可能性があるので訂正。 ex.客観的な「政治家」の定義 (1)政治家を自認しており、かつ (2)実際に政治活動をしている この場合、(1)は、トートロジーで、不要なものですか?
638 :
再訂にいなな :2001/08/09(木) 12:45
あ、「政治家を自認している」ってのは、ミスリーディングだから
「政治家だと表明している」と読み替えてもいいよ。(
>>630 )
639 :
考える名無しさん :2001/08/09(木) 14:50
>>636 にいななさん本気で言ってるのですか。
これまでのジャコバイトさんとの論議はなかなか見る
べきものがありましたが、どうしたことでしょう。
とにかく、定義しようとする概念用語がその定義の中
に登場させるようでは定義として成り立ちません。
試しにひとつお尋ねしましょう。
ex.客観的な「政治家」の定義
(1)政治家を自認している
(2)実際に政治活動をしている
において
(1)政治家を自認している の政治家とはなにかと?
どう答えますか。
これで判らないようなら相当重傷ですね。
電波男さんも専門家として説明して上げてくださいよ。
640 :
電波男Ψ(´д`)Ψ :2001/08/09(木) 15:03
「儒家」といった場合、儒学研究者一般をさす場合も知られていて、 必ずしも儒教に従う者のみに限定されるわけではない。 そのへんの混同があるんじゃないかな。「政治家」といった場合も 表立っては政治活動しない「黒子」も入ることだし。 皆さん、一般と特殊を糞味噌にした議論が続いているから(悪いことでも 無いと思う)一旦、冷やしたほうがいいかも知れませんね。今後はW大生 のような馬鹿は無視して。
641 :
偏頗男Ψ(`Δ´)Ψ :2001/08/09(木) 16:06
にいななよ、オマエの脳梅毒とハクチぶりには正直あきれた。 W大生や名無し連中に突っ込まれるようなヘマな議論はするな。 これが終わったら逝っちゃえ。面倒みきれねえよ。
642 :
考える名無しさん :2001/08/09(木) 16:23
>>641 キャハハッ・・・笑ろうた。
偏頗男Ψ(`Δ´)Ψさんへ
出来の悪い弟子は、追い出すに限りまっせ。
643 :
にいなな :2001/08/09(木) 16:48
>>639 > 試しにひとつお尋ねしましょう。
はい、答えましょう。「何でも構いません」と。
儒家または儒家候補が「私は儒家だ」と自称する場合、
彼が自認する「儒家」が厳密には何でも構いません。
その「儒家」と、我々が定義しようとしている「儒家」とは、
字面が同じだけの別物ですから。
> 定義しようとする概念用語がその定義の中
> に登場させるようでは定義として成り立ちません。
定義しようとしている概念用語がおの定義の中に登場している?
何のことですか。頭を冷やして
>>636 でも見直して下さい。
「政治家(真の政治家)」か否かを判断するのに、「政治家(一般名詞としての
政治家)を自称している」という要件を組み込むのは、トートロジーですかね?
同じ「儒家」という文字面だというだけで両者の区別が付かないようでは、
清朝考証学者の縦横無尽融通無碍な訓詁に騙されますよ。
644 :
電波男Ψ(´д`)Ψ :2001/08/09(木) 16:51
645 :
考える名無しさん :2001/08/09(木) 17:10
偏頗男Ψ(`Δ´)Ψ → 偏頗男Ψ(@x@)Ψ こっちの方がいいぞ。
646 :
W大生 :2001/08/09(木) 22:22
皆さん今晩は。 さっきからここにアクセスしてカキコを読んでるよ。 やっぱ荒れてるね。偏頗男Ψ(@x@)Ψってほんとに敵が多 いようだな。あんなカキコしてりゃ、おちょくりを含めて絶好 のターゲットだよ。 それにしても偏頗男Ψ(@x@)Ψとはケッサク。言い得て妙だ。 トートロジーの件は、先に指摘されているが、にいななくんは 解っているものと思っていたがそうでも無かったようだ。 清朝の考証学を持ち出してもね、そういう用語の曖昧さが西欧 思想や哲学からの批判のひとつであるし説得力は乏しい。 それでさ、オレはまた2,3日家を空けるからしばらくカキコ できないの。どうぞその間に存分の論議をしてちょうだい。 あまりアホアホな議論には指摘が厳しいようだから注意してね。 あと間違いを指摘されたら素直に訂正して、お礼でも言ってお くのが無事に議論を進める方法だよ。
647 :
考える名無しさん :2001/08/10(金) 00:13
伝統の名スレッドになってるな。 内容は玉石混合、レベルは高くもあり、低俗も内包している。が もっともっと高尚、品位、内容あるスレッドに発展していくことを望む。
648 :
考える名無しさん :2001/08/10(金) 00:19
>>647 伝統の名スレッドになりましたか。
半分ぐらい同意。
あぼーん
650 :
詩人 :2001/08/10(金) 00:23
さっさと来な
651 :
考える名無しさん :2001/08/10(金) 01:23
馬鹿、無教養は遠慮しろ。 自分が惨めになったのを確認するだけだぞ。
652 :
考える名無しさん :2001/08/10(金) 09:37
偏頗男Ψ(@x@)Ψ先生の下、にいななとジャコバイトの演習は 中断か。まあ、そうだろうな。偏頗男Ψ(@x@)Ψもフォローし きれないよな。
653 :
にいなな :2001/08/10(金) 09:57
> トートロジーの件は、先に指摘されているが、にいななくんは
> 解っているものと思っていたがそうでも無かったようだ。(
>>646 )
まだ言うか(笑)。
んじゃ、もう一度言いましょうかね。
「儒家」を定義するときに、
「儒家」とは、儒家である。
とか、
「儒家」とは、儒家であり、なおかつ〜〜な者である。
と定義するのは、トートロジーです。
それくらいは私でも解ります。
しかし、
「儒家」とは、「儒家」を自認しており、なおかつ〜〜な者である。
とか、
「儒家」とは、「自分は儒家だ」と表明しており、なおかつ〜〜な者である。
というのは、トートロジーではない、と私は思っています。
ここで定義しようとしている「儒家」と、彼らが「自認」している「儒家」や、
「表明」する際にイメージしている「儒家」は、別物ですから。わかりますか?
654 :
にいなな :2001/08/10(金) 09:58
もし万一「上二者と下二者との区別が解らない」というのであれば、 他人に論理学の初歩なんかを講義されたり、他人の論理を「アホアホ」と 判定される前に、まず御自分が国語の勉強をやりなおされる事をお勧めします。 > 間違いを指摘されたら素直に訂正して、お礼でも言ってお > くのが無事に議論を進める方法だよ。 どうやら自覚はあるみたいですね。 あとは、勇気を出して実行するだけですよ。>W大生さん
655 :
にいなな追記 :2001/08/10(金) 10:01
> 清朝の考証学を持ち出してもね、そういう用語の曖昧さが西欧
> 思想や哲学からの批判のひとつであるし説得力は乏しい。
他人のカキコにレスするんなら、せめて読んでからにしてください。
>>643 をどう読んだら、私が「清朝の考証学を持ち出して」説得しようと
してるように見えるんですか?
ご自慢のW大の読解力とは、その程度ですか。
656 :
考える名無しさん :2001/08/10(金) 10:15
>653 >「儒家」とは、「自分は儒家だ」と表明しており、なおかつ〜〜な者である。 >というのは、トートロジーではない、と私は思っています。 あ〜あ、こりゃダメだ。救いがたいな。
657 :
にいなな :2001/08/10(金) 10:19
ただ単に「こりゃダメだ。救いがたいな。」と言うだけではなく、 どこが救いがたいのか、どこらへんが「トートロジー」なのか、 わかりやすく示していただければ幸いです。
658 :
考える名無しさん :2001/08/10(金) 10:20
>653 偏頗男Ψ(@x@)Ψ先生よお。良く言い聞かせてやってよ。
659 :
にいなな :2001/08/10(金) 10:35
>>658 自分で「言い聞かせ」る能力がなくて、他人をアテにするしかないのなら、
わざわざ出て来なくていいですよ。
660 :
偏頗男Ψ(@x@)Ψ :2001/08/10(金) 11:47
>>658 もう匙を投げたよ。
脳タリン、ハクチの脳梅毒には付ける薬がない。
早く逝ってクレと願っている。
661 :
にいなな :2001/08/10(金) 11:57
> もう匙を投げたよ。 > 脳タリン、ハクチの脳梅毒には付ける薬がない。 あきらめるのが、えらく早いですね。 まったく何も立論せず、指摘の一つもせずに、もう匙を投げられましたか。
662 :
包公 :2001/08/10(金) 12:08
>>653 にいななさん
>> 「儒家」を定義するときに、
>> 「儒家」とは、儒家である。
>> とか、
>> 「儒家」とは、儒家であり、なおかつ〜〜な者である。 (定義A)
>> と定義するのは、トートロジーです。
>> それくらいは私でも解ります。
>> しかし、
>> 「儒家」とは、「儒家」を自認しており、なおかつ〜〜な者である。 (定義B)
>> とか、
>> 「儒家」とは、「自分は儒家だ」と表明しており、なおかつ〜〜な者である。(定義B’)
>> というのは、トートロジーではない、と私は思っています。
>> ここで定義しようとしている「儒家」と、彼らが「自認」している「儒家」や、
>> 「表明」する際にイメージしている「儒家」は、別物ですから。わかりますか?
正直言って、にいななさんの上の意見は私には理解しかねます。
儒家とは、世間に儒家と認識されており、なおかつ〜〜な者である。(定義A’)
という定義なら、トートロジーではないということになるのでしょうか。
問題はそういう話ではなく、言葉というものの性質の問題なのではないでしょうか。
言葉というもの自体意味内容が使用方法によって規定されている面があるという話。
これは、私はほとんど知りませんが、例えば構造主義とかその辺のお話でしょうか。
663 :
にいなな :2001/08/10(金) 12:30
ああ、やっとまともな意見をいただけました。根拠なき罵倒ではなく。 えっと、あまり新しいことは言えないのですが、 我々の定義する「儒家」と、「世間」が認識する「儒家」とは、 そもそも異なる概念だから、前者の定義のなかに後者が現れるのは 問題ない、ということです。 たとえば、電波男さんが「学者」であるかか否かを考えるため、 「学者」を定義すると仮定しましょう。 (単なる例です。他意はありません > 電波男さん) ここで我々が定義する「真の学者」「客観的に認められる学者」を、 仮に〈学者〉と呼ぶことにします。 世間のイメージする「学者」や、イっちゃってる自称「学者」なんかと 区別するために。 〈学者〉の定義を仮に 「学者」を自認しており、なおかつ学識ある人 とすると、これはトートロジーではないと、私は考えます。 なぜなら、〈学者〉と「学者」と「学者を自認している」とは、 異なる概念だから。
664 :
にいなな続き :2001/08/10(金) 12:30
世間には、自称「学者」がウヨウヨしていますし、連中を「学者」だと 「世間」は見ているかも知れない。 しかし、連中が考える「学者」や、彼らを「学者」と認める「世間」の イメージする「学者」と、我々の〈学者〉とは異なる概念ですよね? 上の定義をトートロジーだという方々にとっては「自称学者」が イコール〈学者〉ということになるのかも知れませんが。 〈学者〉の定義の中に「「学者」を自認する」が登場するからと いっても、これらは字面が同じだけの、異なる概念です。 だからトートロジーには該当しない。 たとえば遁天児さんが「自分は学者だ」と自称しても、彼はおそらく 我々が考える〈学者〉の定義に合致しない。要件の後半を満たさないから。 同様に、乾隆帝は「儒家」ではありません。 また、誰か学識ある会社員が「自分は「学者」ではなく会社員だ」と 自認しているなら、彼は〈学者〉ではない。 早起き会あたりのモラリストが「儒家」ではないように。 ……こんなもんでよろしいですか?
665 :
電波男Ψ(´д`)Ψ :2001/08/10(金) 12:35
>>660 同語反復とトートロジーとは厳密に言うと意味が異なってくる。
また同語を含む形容詞句が名詞化された場合、それをトートロジー
と呼ぶのは論理的な虚偽を犯していることになる。論理学入門
を少しは読んだほうがいいよ。
666 :
電波男Ψ(´д`)Ψ :2001/08/10(金) 12:36
私の亜流は出てくるな。 こそばすぞ。
667 :
電波男Ψ(´д`)Ψ :2001/08/10(金) 12:37
あ、、、、、。 また"666"踏んじゃった。
668 :
包公 :2001/08/10(金) 12:48
>>にいななさん ややこしい表現はしたくないので、端的に言いますが、 結果としては、 「〜〜である」集合体から、儒家と自称しなかった人を除去 したいわけですね。 これは一般的な定義方法とは思えませんが、中国において思想家は儒学の影響を受けているのがむしろ普通なわけですから、いわば応募者だけに限定するのもやむを得ないのかもしれませんね。 ただ、儒家と自称あるいは自認したかどうかの判断は容易なのかどうか。 儒家とされる系統に属していないとか、一般的に儒家と評価されていないとか、そういうことでなく自称したか自認したかという話になると、自著などの中から証拠を見つけてこないといけません。 四書五経の注釈書いているから儒家だとも必ずしも言えないし。 なかなか難しいところです。 >> たとえば遁天児さんが「自分は学者だ」と自称しても、彼はおそらく >> 我々が考える〈学者〉の定義に合致しない。要件の後半を満たさないから。 >> 同様に、乾隆帝は「儒家」ではありません。 すでにいないと思われる人の名前を例に出すのはやめた方がいいのではないでしょうか。
669 :
にいなな :2001/08/10(金) 13:00
>>668 > 「〜〜である」集合体から、儒家と自称しなかった人を除去
> したいわけですね。
はい。
> 儒家と自称あるいは自認したかどうかの判断は容易なのかどうか。
中国思想史上問題になる、いわゆる旧中国の士大夫連中については、
そんなに困難ではないと思いますが。辛亥以降の人物なら、自著も
たいてい残ってますし。
> すでにいないと思われる人の名前を例に出すのは
> やめた方がいいのではないでしょうか。
「すでにいない」かどうかは判りませんが、たしかに問題ありますね。
過去ログや前スレの「事実」を指摘するものでもないし。
以後気を付けるようにはします。
670 :
考える名無しさん :2001/08/10(金) 14:16
>>665 >同語反復とトートロジーとは厳密に言うと意味が異なってくる。
>また同語を含む形容詞句が名詞化された場合、それをトートロジー
>と呼ぶのは論理的な虚偽を犯していることになる。論理学入門
>を少しは読んだほうがいいよ。
それでもあんた学者か?
にいななの儒家の定義は明らかなトートロジーだろ。
違うか?
671 :
考える名無しさん :2001/08/10(金) 14:24
>>664 >〈学者〉の定義の中に「「学者」を自認する」が登場するからと
>いっても、これらは字面が同じだけの、異なる概念です。
>だからトートロジーには該当しない。
だったら、「学者を自認する」のなかの「学者」の定義をいってみろよ。
672 :
ジャコバイト :2001/08/10(金) 14:36
>627 おっと、あなたらしからぬひどい発言だ。 もうちょっとマシな人かと思って教えを請うたのだが。 俺が聞いてるのは、形式が問答かどうか、っていうことではなくて(それだったら論語だってそうだよね)、ソクラテス風な問答があるのを見つけられないから聞いてるのです。 もしあなたがそのような態度をとるのであれば、こちろも出方を変えますが、よろしいですか? 大体、あなたに呆れられる筋合いはないと思うのだが。
673 :
ジャコバイト :2001/08/10(金) 14:39
>629 んじゃ、どうして中国は停滞したの? それと、今も学ぶべき点って具体的にどういうとこさ? そんなら、何で本場の中国が、辛亥革命のときも、共産革命の時も、欧米や日本に学ばなきゃならなかったわけ? しかも、環境破壊の本場は、いまや中国じゃんか。
674 :
ジャコバイト :2001/08/10(金) 14:46
>652 うんにゃ、別に中断したっていうか、にいななさんが続けてくれるんならやりたいんだけど、他の人との対決で忙しそうだしなぁ。 ところで、にいななさんは、今日的な観点から、社会科学・政治思想としての儒教が破産してる、ってことはコンセンサスを得た、って考えて良いんだよね!? むろん、そのことと哲学かどうかってことはひとまず切り離すとしてさ。 その点では、胡蝶さんとは立場が違うと考えてよろしいか?
675 :
にいなな :2001/08/10(金) 15:00
>>670 > 明らかなトートロジーだろ。
論拠なき「決めつけ」は聞き飽きました。
トートロジーであることを、きちんと示して下さい。
>>671 同じような事を何度も言わせないでね。
過去ログを見れば解るでしょ。
676 :
ジャコバイト :2001/08/10(金) 15:08
にいななさん もし良かったら、674についてコメントいただければありがたいです。
677 :
にいなな :2001/08/10(金) 15:09
あ、数分のことでスレ違い。
>>674 > 社会科学・政治思想としての儒教が破産してる、ってことはコンセンサスを得た、
> って考えて良いんだよね!?
「政治思想として破産してる」というと、また日本語の読めない方々が
「思想としてダメだ」とか誤解する可能性があるので、念のためというか
正確を期すために、
>>430 での私の発言を再掲しておきましょう。
> 儒教が理想とする一君万民制は、現在の西欧や日本では
> 実現困難ですし、実現する意味はありません。
> それは認めます。
>
> そのことと、「朝鮮が日本に征服されたのは儒教が劣っていたせいだ、
> だから儒教には価値がない」という議論とは混同しないで下さい。
これの前半の意味でしたら、私とあなたとの間にコンセンサスは存在すると
考えてよろしいかと存じます。
678 :
キンカン :2001/08/10(金) 15:11
>>670 また暑さが戻ってきましたね。みなさんお元気ですか。
さて、
>>670 に関して私も電波男Ψ(´д`)Ψ さんのはっきりした
ご見解をお聞きしたいと思います。
どうぞ宜しくお願いします。
679 :
包公 :2001/08/10(金) 15:55
>>669 にいななさん
>> > 儒家と自称あるいは自認したかどうかの判断は容易なのかどうか。
>>
>> 中国思想史上問題になる、いわゆる旧中国の士大夫連中については、
>> そんなに困難ではないと思いますが。辛亥以降の人物なら、自著も
>> たいてい残ってますし。
彼らは自著の中で、私は儒家であるってはっきり書いているのでしょうか。
私はまだまだ無学なのでわかりませんが、そういうのを見たことがあったかなぁ。
多分いくつかはあるだろうとは思うのですが、むしろ一般的には、儒家であるのは前提としていて、私は誰々に習ったとか、このような注釈を作ったとか、そういった事績を書くだけなんじゃないのでしょうか。
というのは、自認ではなく他人の評価の場合でも、例えば宋元学案補遺は今手元にありませんが、あれにいちいちこの人は儒家であるって書いてあったかなぁ。誰々の弟子で、○○先生と呼ばれたとか、○○を講じたとか、著作くらいじゃなかったかと思うのです。
この辺は私の記憶違いかもしれません。
しかし、自分は儒家だと考えて行動している場合でも、はっきり儒家であると書かない場合が多いとすると、何らかの見なし基準が必要なのではないでしょうか。
680 :
包公 :2001/08/10(金) 15:56
>>675 にいななさん
>> > 明らかなトートロジーだろ。
>> 論拠なき「決めつけ」は聞き飽きました。
>> トートロジーであることを、きちんと示して下さい。
トートロジーの定義は詳しく知りませんが、私も一種の循環だとは思いますよ。
循環と言って悪ければ、二つの鏡を立てて覗いたときに、自分の顔は小さくなりながら無限に映りますね。
あの現象と同じかと思います。
「儒家」と自称するかどうか決める際には、「儒家」という概念が影響しているはずですから。
儒家かどうか
↑ (影響)
儒家と自称したかどうか
↑ (影響)
儒家という概念に照らして自己を儒家と考えたかどうか
↑ (影響)
儒家の概念
このようになっているのではないでしょうか。
ただ、言葉とはもともとそんな風に発展していくのだという見解であれば、それはありうると思うわけです。
681 :
包公 :2001/08/10(金) 15:56
>>ジャコバイトさん
>>672 >> もうちょっとマシな人かと思って教えを請うたのだが。
私は残念ながら無学ですので、あなたに教えを請われる程マシな人間ではありません。
>> 俺が聞いてるのは、形式が問答かどうか、っていうことではなくて(それだったら論語だってそうだよね)、ソクラテス風な問答があるのを見つけられないから聞いてるのです。
ソクラテス風な問答ってどういうものですか?
素人にもわかりやすい問答ってことですか?
それともなんらかの概念があるのですか?
まずはそれを教えて頂けますか?
>> もしあなたがそのような態度をとるのであれば、こちろも出方を変えますが、よろしいですか?
私はあなたに特に出方なるものを要求したことはありませんので、どうぞご自由に。
>> 大体、あなたに呆れられる筋合いはないと思うのだが。
私は一般に、知らないことについて断定する人を呆れる傾向にあります。
これがいけないことなのであれば、謝るしかありませんが。
それから、
>>581 >>>>俺は、そういう思考過程そのものが大切だとおもうんだけどね。
>>>>思考過程を軽視して、結論だけ重視する中国的思惟のあり方が、俺は実にくだらんと言ってるんだが(くりかえし言うけど、仏教は例外)。
>>哲学かどうかは、思考過程の特質によって決まるのですか、それとも思考対象の性質によって決まるのですか?
この質問にお答えいただけますか?
もう一点。
自問自答によって結論に達した者は哲学者とは呼べない。
あなたは上の意見に賛成ですか? 反対ですか?
682 :
ジャコバイト :2001/08/10(金) 16:17
>681 質問にのみ答える。 思考過程と思考対象、両方で哲学かどうかが決定されると考える。 自問自答でもかまわんが、他者に伝えるためには論理的であることが要件である。 それから、俺は断定を避けるために人に教えを尋ね、また自分の意見を開陳して広く批判を求めてるわけである。 そんなこともわからないやつに、呆れられる筋合いはない。 何様のつもりだ? 朱子を読んでるなら、もっと礼儀や人徳を磨くべきじゃないかね? 俺は、そういう「腐儒」が一番頭にくるんだよな。
683 :
にいなな :2001/08/10(金) 17:11
>>679 > 何らかの見なし基準が必要なのではないでしょうか。
もちろん「吾は儒家なり」と明言している奴のほうが少ないと思いますので、
同意します。
>>680 > 「儒家」と自称するかどうか決める際には、
> 「儒家」という概念が影響しているはずですから。
彼らが自称する際にイメージしている「儒家」と、ここで定義しようとしている
〈儒家〉とが別の概念ですから、循環ではないと思います。
ここで議論しようとする〈儒家〉は厳密に定義されようとしていますが、
彼らが自称する「儒家」は、そんなに厳密に定義された概念でなくても
構わないのではないか。
684 :
腐儒にいなな :2001/08/10(金) 17:11
>>682 > 朱子を読んでるなら、もっと礼儀や人徳を磨くべきじゃないかね?
相変わらずですね。(
>>487 )
> 俺は断定を避けるために人に教えを尋ね、
横レス失礼します。
横から見ていただけですが、ジャコバイトさんは、『朱子語類』を読まずに、まず
「儒家は、なんだか議論が続かなくて、すぐ引き下がる。問答法とは言えないね。」(
>>563 )
と断定して、それから「いやはや、宋学は不案内なもので。」(
>>626 )と
「人に教えを尋ね」ているように見えます。
だとしたら、順番が逆ではないのでしょうか?
あと、書き逃げみたになってしまうのですが、
私もW大生さんに倣って、何日間か本板を離れます。
気が向いたら別プロバから書き込むかもしれませんが。
685 :
包公 :2001/08/10(金) 17:32
>>682 ジャコバイトさん
申し訳ありませんが、一応哲学を論じる以上、もう少し思考することはできないのでしょうか。
>>自問自答でもかまわんが、他者に伝えるためには論理的であることが要件である。
ここから、
他者に伝えることは哲学者であることの必要条件か?
何をどの程度他者に伝えれば哲学者と言えるのか?
という問題が生じますし、また、
プラトンの創作として描かれているソクラテスの問答と、実際に行われ記録された朱子の問答
という性質の差が問題になると思うのですが、後者はすでに私は明確に指摘したつもりです。
前者については、他者に伝えていない者など認識できないから哲学者ではないという立場は当然ありうるでしょうし、結論だけではなく論理まで伝えていないのであれば、いかにその結論が高度なものであったとしても、哲学者とは言えないという立場もありうると思いますよ。ただ、あなたはそれらを選択した上で話をすすめているのですか? 悩みがまったく見受けられないので疑問に思ってしまうのですが。
後者に拘るのは、相手によって問答は当然異なってきますし、共通の基盤を有している者の間では、極端に言えばあうんの問答で高度な論理が伝わってしまうという場合すら想像できるからです。その辺も伝わるようにあえて「素人にもわかりやすい」と書かせて頂きました。
私は、そもそもあなたに物を考える能力があるのかという疑問を抱いています。
なぜなら、あなたは勝手な命題を立てて他人に立証を求めるだけで、自ら自分の立てた命題が正しいかどうか自問しているように見えない。
まるで聞き分けのない赤子のようにしか私には思えません。
しかも朱子を読んでいたり、読んでいなかったりする。
以上、私は正直に申し上げました。
それが礼に反するのであれば、それもまたやむなしです。
686 :
ジャコバイト :2001/08/10(金) 18:51
>685 何が勝手な命題なのかな? それと、人に向かって考える能力があるかとは、あまりに無礼ではないかな? あのね、悩みがないとは何でわかるわけ? 俺は相手の意見に分があれば、ちゃんとそのつど自分の立場を修正してるつもりだし、よく知りもしないくせに言って欲しくないね。 それと、俺が言いたいのは、あんたの論法だと、学際間の話し合いは何もできなくなるよ。 俺は、宋学はよく知らないって正直に言ってるじゃない。 大体、全てを知ることは不可能でしょうが。 俺の専門は、中国じゃなくて、ヨーロッパの社会科学畑なんだし。 んで、なるべく、両方の良いところを明確にし、欠点を明確にして、以って日本の民度の向上を俺は目指したいと思ってるわけさ。 んで、いろんな人の智恵を拝借したいと思うのが何がいけないわけ? ソクラテスだって、自分が何も知らないことを前提に、いろんな自分が持ってない技術を持ってる人に対して「問い」を発してるわけでしょ。 まぁ、あんたがどこまで話甲斐がある人間か、俺には疑問だからどうでもいいけどね。 そのような、専門知識をかさにきた横柄なもの言いはやめたほうが言い、とだけ忠告しとく。
687 :
ジャコバイト :2001/08/10(金) 18:55
>677 前半は、それじゃコンセンサス、ってことで。 んで、後半は、儒教が、とは言いません。 あなたはエートスが現実に反映するとは言えないって立場だから。 んでも、儒教のせいかどうかは別にして、近代史において、専制政治ではだめだった、ってことは認めるんですね? 儒教のせいで専制政治だったかどうかは別にして、清の政治制度では近代化は不能だった、ということはコンセンサス、でいい?
688 :
ジャコバイト :2001/08/10(金) 18:58
>684 宋学が、俺の抱く儒教像とあまりにも違い、西洋と拮抗できるということを示されれば、俺はいつでも立場を変えて構わんよ。 ただし、そういうあらゆることを専門家以外にも課して、問いにも答えないのに人を侮辱する態度に腹を立ててるんだよ。 俺や、あなたはそういうことはしてない、と思うんだけど。 2ちゃんねる、って学際間の交流の場じゃないの? それとも、専門バカの横柄なものいいの場所なんだろうか?
689 :
ジャコバイト :2001/08/10(金) 19:00
それと、俺も10日間ぐらい回線離れるから。 他のみんなで、また俺がいなくて終了になるようなザマにならないように、しっかりこの板を盛り上げといてね。
690 :
にいなな最後っ屁 :2001/08/10(金) 19:09
>>687 > 清の政治制度では近代化は不能だった、ということはコンセンサス、でいい?
ちょい待ち。私の立場では、それは「論証できない」。コンセンサスではない。
そのことは、ずっと前に述べたとおり。
> あなたはエートスが現実に反映するとは言えないって立場だから。
あなたは、現実は必ずエートスの反映である、という立場でしたね。
あ、喧嘩を売っているわけではありませんよ。
どっちが正しいとかではなく、立場の相違として、ね。
691 :
考える名無しさん :2001/08/11(土) 04:18
age
692 :
:2001/08/11(土) 05:45
中国哲学を極めたかったら、実践してみるしかないかも 中共はマルクス・毛沢東主義で他の思想弾圧したから、 台湾にいけばなんとかなるかも というわけで、紅卍会など入ってみてはいかが? その要点は、道と慈だそうです
693 :
電波男Ψ(´д`)Ψ :2001/08/11(土) 09:57
>>ジャコバイトさん あなたが社会科学畑だというのは最初から解っていたよ。東洋思想に対する見解は 教条的だったからね。でもここではそれに対して疑問に思い、ぶつけ合うことで自 分なりの見解を構築しようとしてるんだろ? でも「マックス・ウエーバー、プロ倫」に思考がせき止められていることに早く気 づいた方がいいよ。これはね、私に説明を求める前に取合えずその「堰」を乗り越 えてから考えて欲しい。 第一歩はヘーゲルのものを読んで欲しい。何でもいいからヘーゲルの弁証法の輪郭 を解説書じゃなく、原書(訳でいいよ)で読んで欲しい。それからカントの入門書。 君の問題意識があれば、それでもっと視野が広がると思う。思想については私も社 会科学から出発したから経験として語ってると思って欲しい。
694 :
電波男Ψ(´д`)Ψ :2001/08/11(土) 10:00
>>692 紅卍会は思想の実践という広い概念で捉えるべきではなく、政治と深い関わり
のある神秘主義宗教です。故笹川会長も入信していて金銭的なバックアップを
背景に、危険な右翼の巣窟でもあります。安易に薦めないようにして下さい。
それともあなたが会員なのですか?
695 :
電波男Ψ(´д`)Ψ :2001/08/11(土) 10:02
入口だけは害のなさそうな風体を装って、無難なパンフレットを配布 していますが、それに騙されないようにして下さい。
696 :
偏頗男Ψ(@x@)Ψ :2001/08/11(土) 12:30
このスレをお読み下さった皆様へ 夏休み討論演習 「にいなな vs ジャコバイト」 は中止いたしました。 その理由は、にいなな がアホ〜にもW大生や名無しどもに突っ込 まれて二進も三進も行かなくなくなったからです。 今は、脳タリンのハクチで脳梅毒のにいななが早く逝ってクレるこ とを願っております。 なお、にいななの成績評価は当然「不可」です。
あぼーん
698 :
電波男Ψ(´д`)Ψ :2001/08/11(土) 13:57
>>696 もうそれぐらいにしとけ。
洒落にならんぞ。遁走天国児童=W大生=偏頗男Ψ(@x@)Ψ
699 :
考える名無しさん :2001/08/11(土) 16:29
割り込み失礼します。 電波男Ψ(´д`)Ψ さんへ質問なのですが 学会の中では下っ端の方と自らおっしゃっておられますが 学会のお偉方の中に 「この人は本当に悟っている」 と思われる方はお見えでしょうか? もし差し障りがなければお教えいただきたくお願いいたします。 その方の著書をぜひとも読んでみたいと思いますので。
701 :
電波男Ψ(´д`)Ψ :2001/08/11(土) 18:38
>>700 学問的には神の領域だと思える人がいても人間的には???だったり、
人間的にはすばらしい人だと思えても、学問的には悦に入っておられ
たりで、「悟っている」と感じたことはありません。
そもそも「悟っている」と云う状態が私には解らないもので判断がつき
ません。(笑)
703 :
考える名無しさん :2001/08/11(土) 20:53
>>699 ほんとに討論演習だったのかよ。
そう言えば、議論しないなら出て行けとかいうカキコ
が多かったよな。そう断ってやるならそれもわかるが、
黙ってやったなら全く人をバカにした話だ。
704 :
考える名無しさん :2001/08/11(土) 20:55
つづき
>>698 もうそれぐらいにしとけ。洒落にならんぞ。
どういう意味だ。>電波男
705 :
にいななfrom別プロバ :2001/08/11(土) 21:36
ヤラセでも演習でもないよ。念のため。
脳タリンのハクチで脳梅毒の偏頗男Ψ(@x@)Ψに
だまされないでね。
>>696 「二進も三進も行かなくなくなった」ってのは、
馬鹿の一つ覚えみたく「トートロジーだ」と
繰り返すしか能のない連中のことですか?
706 :
キンカン :2001/08/11(土) 22:24
電波男さんへ
>>705 にいななさんは、このように言ってられますが、ある概念を定義
しようとして、その概念が定義の内容に現れるというのは、やは
りトートロジーではないか思います。もし厳密にトートロジーに
該当しなくても、込み入った議論のなかでは著しく不適当である
と思われます。
是非、電波男さんの学者としても見解をお聞きしたいのですが。
707 :
偏頗男Ψ(@x@)Ψ :2001/08/12(日) 01:43
>>705 >「二進も三進も行かなくなくなった」ってのは、
>馬鹿の一つ覚えみたく「トートロジーだ」と
>繰り返すしか能のない連中のことですか?
バカ、バカ、バカの大馬鹿タレ。
もう逝ってくれたかと思っていたらまた出てきたな。
オマエのせいで、こっちも赤っ恥かいたじゃないか。
大迷惑だ。もう面倒見きれんよ。
こんどこそほんとに芯んでクレ。
708 :
考える名無しさん :2001/08/12(日) 12:07
これがほんとの最後、この後の遺恨試合は ニフのFSHISOでやってくれ。 〈 ̄ヽ ,、____| |____,、 〈 _________ ヽ, | | | | ヽ' 〈^ー―――^ 〉 |/ ,、二二二二二_、 〈__ _ __〉 | | | | / / | | |\ ___/ / | |___| ヽ \__/ ヽ_____)
709 :
にいなな :2001/08/12(日) 13:28
>>707 > オマエのせいで、こっちも赤っ恥かいたじゃないか。
> 大迷惑だ。
はぁ?何のこと?
それとも例によって「根拠なき誣告」ですか?
「オマエのせいで」と言われると、安易に看過できないのですが。
> もう面倒見きれんよ。
てゆうか、あんた誰?
別に私は、あんたに面倒みてもらう必要は無いと思うけど?
私があんたに、何か迷惑かけた?
私が「脳タリンのハクチで脳梅毒」だとしたら、
あんたは誇大妄想狂ですか?
私の指導教官にでもなったつもり?(藁
あぼーん
あぼーん
712 :
てゆうか :2001/08/12(日) 20:44
お前もダレだよ。 >088-切れ切れSHOTS
WIZと思われ
−−−−− 主要メンバーは盆休み中です −−−−−
あぼーん
716 :
ジャコバイト :2001/08/17(金) 13:46
>693 アドヴァイスありがとうございます! 勉強します。 ただ、すると、電波男さんは、ヴェーバーにはどこか致命的な部分があると思ってらっしゃるんですか?
717 :
考える名無しさん :2001/08/20(月) 02:16
<帰ってきたスレッド。> 靖国、教科書、田中外相、米国大演習いろいろありました。 さて、どうなのでしょうか。今後の論争のゆくへは?
な・・・なるほど。。 確かに、哲学やってる立場からするとこの「教化別伝」はかなりキツイ言葉ですね。^^; 何しろ、議論するなって言ってるようなものだしw 私も最初は禅宗を毛嫌いする原因だった言葉です。 だけど、矛盾するようだけど、この教化別伝を言う禅宗が一番理屈っぽいのも確かのような・・^_^; 禅家の教えは言葉では伝わらないが故に語ろうとすると数多くの言葉が必要と言うことでしょう。 今では、結構好きな言葉なんですが・・w
720 :
電波男Ψ(´д`)Ψ :2001/08/20(月) 10:16
>>716 矛盾点は沢山あるんだけど、致命的欠陥として第一に挙げられるのは彼の著述ではなく
それを読み取る側にある。つまり、時空を越えてそれを適用させてしまうところにある。
そんな単純なものではないと思うよ。
以前、テキヤのバイトなどしていたとき、ヤの付く人に気に入られて、 若い頃の写真など見せてもらったことがある。ハワイ旅行がまだヴァカ高かったころに 何人もの女など連れて、暇さえあればハワイに通ってたって話の途中で、 「おいおまえ、日付変更線って見たことあるか?」って聞かれて、 飛行機の窓から見渡す限りの海を撮った一枚の写真を突きつけられた。 それはまさしく、 --------広い海の上を一本の光の筋が渡ってる写真-------------- 実際、あの筋は何だったんだろう?ナゾだ。 日付変更線って本当にあるの?
722 :
偏頗男Ψ(@x@)Ψ :2001/08/20(月) 15:16
やあやあ、みんな元気か。
723 :
ジャコバイト :2001/08/21(火) 12:13
>718 教外別伝、じゃないっけ?
724 :
下っ端にいなな :2001/08/22(水) 11:35
>>714 「盆休み」に本当に休めるくらいには偉くなりたい。
725 :
千人の仙人 :2001/08/22(水) 18:58
>>にいななさん、他皆さん 定義は言葉足らずだっただけだと思います。 私はしばらく修行をして実力をつけたいと思います。 このスレは自分の今の浅はかさがわかっただけでも収穫でしたし、 もっともっと東洋哲学を知りたくなりました。プロの方とここで議論をして 頂けたのも嬉しかったです。これからも他学部の素人なりにいろいろ読んでみたい と思います。 またいつかひょっこり来るかもしれません。少し荒れたのは残念だったけどいい スレッドでした。そのときは宜しくお願いします。
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
>>722 やあやあ、お帰りなさい。妄想狂の偏頗男Ψ(@x@)Ψさん。
帰ってきたついでに、
>>709 の質問に答えてくれませんか?
734 :
ジャコバイト :2001/08/23(木) 13:15
おや、千人の仙人さんはマジで撤退してしまうのか? 寂しくなるなぁ。 あなたの誠実な態度には、この板の他の連中のためにとかくすさみがちなわが心が、どれだけほっとして慰められたかわからなかったよ。 しっかし、この板の連中は、ほんとうに、なんとういうか、「郷紳」が多いよな。
735 :
電波男Ψ(´д`)Ψ :2001/08/23(木) 13:38
偏頗男Ψ(@x@)Ψ よ。 15chにまで荒らしに来るな。
736 :
考える名無しさん :2001/08/24(金) 00:07
電波男Ψ(´д`)Ψ と偏頗男Ψ(@x@)Ψ は多重人格ではないのか。
737 :
考える名無しさん :2001/08/24(金) 00:18
>>735 脳タリン、ハクチ、脳梅毒、早く逝ってクレの文句は共通だがな。
738 :
考える名無しさん :2001/08/24(金) 00:40
公開処刑や犯罪者の臓器売って正義ぶってる連中だから 哲学は死んでるっぽい
739 :
考える名無しさん :2001/08/24(金) 03:14
>738 冷静さがなく、近視眼的だろ。 738は最も哲学から遠いスタンスにいる。
740 :
考える名無しさん :2001/08/24(金) 14:27
A級戦犯に詣でて正義ぶってる連中だから 日本人の哲学も死んでるっぽい。
741 :
考える名無しさん :2001/08/24(金) 14:57
>>736 多重人格とは合理的な推理ですね。
さらに推理を働かせると、真の人格は偏頗男Ψ(@x@)Ψ
でしょう。「脳タリン、ハクチ、脳梅毒、早く逝ってクレ」
という発言は、研究者、あるいは人にものを教える教員の
ものとは思えません。学者であり教員というのは、誇大妄
想的人格の一つに間違いないでしょう。また、他の板にも
も別の人格で出没していると思われるので気がついた方は
ご報告をお願いします。
742 :
考える名無しさん :2001/08/24(金) 15:03
>741 「合理的」(プ
743 :
半端男Ψ(◎x◎)Ψ :2001/08/24(金) 17:17
>>741 妙な煽りはやめとけ。脳タリン、ハクチ、脳梅毒は、オマエの
ことだ。
744 :
考える名無しさん :2001/08/25(土) 16:46
現在、容易に確認できるのは高麗版だけです。その他は文脈文意から妥当性 を推測して信用する以外ありません。 私の言う神秘学的傾向とは道教などが根付いてしまう中国の土壌そのものです。 仏教が伝来され、学問的傾向とは別な秘儀参入的な神秘主義的な密教は大いに 受け入れられ、道教の形成にも大きな影響を与え、そして相互に関連しあって います。(この密教というのは真言宗と同義語ではありません)頓悟もその文 脈で現れたのでしょう。インド仏教の本質(偶有的属性を排除して構成要件の 性質を抽象するという意味での本質)からは頓悟は導き出せません。これには カマラシーラ(インド、チベット)と大乘和尚(中国の禅僧)との大論争が残っ ています。 玄奘は純粋な学問仏教でインド仏教からの逸脱を阻止しようと言うのが自身に課 せた大使命でしたが、時の流れと中国の土壌には勝てませんでした。 「我的中文是太幼稚」と言ってるぐらいだから是があっても、的がぬけていても 許してあげましょうや。 >原点当たったそうだが、解説なしで漢文の仏典がよめる >のかい?そんな人間は日本でも何人もいやしないぜ。 こんな馬鹿なこと言ってるやつよりよっぽどマシだと思いますよ。 われわれの水準では、返り点付き高校生読みでは学問的精度が出せない ばかりか時間の無駄です。こいつはそれさえ出来ないみたいですけど。 漢訳仏典は非常に読みやすいですね。サンスクリットの助辞(正確には 格変化)からの影響があり、純漢文での読み取りにくい格関係で悩む必 要がないから、どんどん読めます。
745 :
半端男Ψ(◎x◎)Ψ :2001/08/25(土) 18:05
>>743 仏典が読めるだと。字の意味がわかっただけで読めるとは片腹いたい。
脳タリン、ハクチ、脳梅毒めが、早く逝っちゃえ。
>>744 -745
他人の古いカキコ(
>>32 )をわざわざコピペして、自分でツッコミ入れて、
楽しい?
仏教漢文どころか、普通の漢文も日本語すらマトモに読解できない人は、
中国哲学を語ろうとする前に、なすべきことがあるはずでしょう? >ななし=半端男さん
747 :
電波男Ψ(´д`)Ψ :01/08/26 13:30
>>746 馬鹿は無視しましょう。
中国思想プロパーでは仏典漢文を難しいと感じている人が多いように見受けられますが、
ちょっとしたコツがありまして、それを覚えれば、非常に簡単になりますよ。現代北京
標準を学習しておられるのなら、話はもっと早い。
748 :
考える名無しさん :01/08/26 18:49 ID:/nutAD12
>>745 >>747 自分では解ったことにしているんだよ。興味があるヤツなんていないし
どうせローカルでマイナーな分野だから適当にデタラメ言っても誰も解
らないんだ。
749 :
考える名無しさん :01/08/26 19:32 ID:RigELJPg
>>736 生命に神秘性を持ちたい、持たせたいとというのは
人間の本性のような気がします。
ですが、これは「天動説」と同列で、より客観的に
ものごとをとららえられるようになれば、おそらく
誤りであることがわかってくるでしょうね。
大学の研究室でもよくこういうことを議論したことがあった
んですが、やはり意識している、していないは別として、生命もまた
物理・化学反応の結果であるということは、ほとんどの
「科学(を学ぶ)者」が感じていることだと思います。
それをはっきり言うと、まだ抵抗がある人も多いようですが
「物理」や「化学」を学んでいくと「生命」に特別な役割を
意図的に与えようとするほうが違和感を感じるようになります。
倫理感はあります。が、それは環境によって植え付けられて
きたものですので絶対的な基準にはならない、ということも
知っています。ですから、クローン人間が倫理的に悪いこと
なのか、多分育つ環境によっていいことだという人もいるで
しょう。事実はクローン人間を作れるということだけですね。
それに対して畏れるというのは、人間の、自らの生存に対する
危機感が芽生えるからだと思います。
人間を中心に考えるのをやめると、競馬をして勝てない馬を殺す
こと自体、「生命」をもてあそんでいるような気がします。
そこに畏れは感じないのでしょうかね?
750 :
懐かしのニフティサーブ :01/08/27 00:24 ID:EJZgw8qk
>>748 なるほど。FSHISOの読書会の成り行きを注視することにします。
751 :
懐かしのニフティサーブ :01/08/27 00:29 ID:EJZgw8qk
>>750 そうそう早速突っ込みが入っているようですね。
752 :
にいなな :01/08/27 11:52 ID:KJivflmM
スレ違いあり、馬鹿あり、名無しあり。
ちょっと気分を変えてみましょう。
>>434 ヴェーバーは、「社会科学」の根本に位置する「ドグマ」なんですか?
それとも、批判可能な対象、仮説の一つに過ぎないのですか?
>>59 あたり
以前の仮定義
「思想」……〈人生観〉〈世界観〉の全般にわたる諸思想の意
「哲学」……厳格な論理性において追究される、統一的全体的な
人生観・世界観・の〈理論的基礎〉の知的探求(
>>104 )
は、ここまでの議論と罵倒と中傷を経て、結局どのように修正されたのか、
誰か知っている方はおられますか?
753 :
考える名無しさん :01/08/27 13:29 ID:T1lAMorY
>734
ひとつ聞いていい?
君はどっち派?神はいる派?いない派?
なんか、どちらともいえない派のような気が…。
ハッキリしてもらえないと俺は混乱する。
ハッキリしようぜ!な?
取りあえず、俺はいる派!けど、神は逝ってよし!
>物理
なんか、揚げ足を取るようで悪いんだけど、
>物理法則の根本的な理論は当然、終着駅があると考えています。
>応用を含めればそれは無限にあるでしょう。終わりはありません。
法則の終着駅が、神がいないことを証明できるの?
俺、物理は良く知らないから偉そうなこといえないけど、なんかおかしくない?
だってさ、
>「その認識できない部分にも人間には認識できない法則が存在し…」
>近いです。法則は「理解」できるはずなんですが、その「領域」の
>存在の証明とかそういうのができない…机上の空論となってしまう
>領域というのか…のこと。
こういう意見でしょ?いくら式で導いても机上の空論は出てきちゃうんでしょ?
だったら、神がいない事は証明できないんじゃない?
飛躍し過ぎかも知れないけど、宇宙の事を幾ら語っても宇宙は宇宙でしょ?
赤方偏移だとか、難しいことをいっても、「ムー的な宇宙の存在」の可能性は否定できないでしょ?
じゃあなんで宇宙は存在したの?ってことにならない?
物理法則でこれも分かるの?(可能性を否定する事は出来るの?)
でね、いくら突き詰めても原始(原子でもいい)の存在は証明できないでしょ?
それと同じで、俺達が人間である限り、神の存在の証明はできないんじゃないの?
つまり、俺はそういう意味で
>>205 をいったのかどうかは知らないけど…取りあえずそういう意見!
754 :
なんか :01/08/27 14:09 ID:KJivflmM
スレ違いが頻発してるね。
755 :
考える名無しさん :01/08/27 16:26 ID:AMt3lszQ
>>752 >スレ違いあり、馬鹿あり、名無しあり。
オマエモナー ちゅうか このスレではオマエが元祖馬鹿ダナ
自覚シロ− 中華 早く逝っちゃえヨナー。
756 :
考える名無しさん :01/08/27 22:36 ID:4/ngLA2.
757 :
にいなな :01/08/28 08:57 ID:5M07xO1U
>>756 ああ、そうだよ。なんか最近IDが出てるから、いいかと思って。
758 :
にいなな :01/08/28 09:04 ID:5M07xO1U
>>755 「馬鹿」ってのは、議論に参加する意思も、参加できるだけの
能力も無くて、ただ単に他人を「馬鹿」と罵ることしかできず、
そのくせ、
自分が他人の意見を理解することができないのが悔しくて、
「どうせデタラメだろう」とか誹謗することによってしか
自尊心を満足できない、あなたのような人を指す言葉です。
議論に参加する意思がないのでしたら、とりあえず「ガイド」の
「決まり」「削除ガイドライン」なんかに目を通して、
悔い改めてから消えて下さい。
http://www.2ch.net/guide/adv.html
760 :
考える名無しさん :01/08/28 12:28 ID:3GOe/GjQ
>>758 にいななさんへ
まだトートロジーの件は片づいてなかったと思うのだが。
定義の上で、トートロジーあるいは同語反復を犯して問題ないと
言い張るっているようでは、議論をする資格がないと言わざるを
得ません。これまでにいななさん側に立っていた電波男氏もこれ
ばかりは歯切れのよい応援書き込みもできませんでした。にいな
なさんの知識には、もういちど見直すべき部分が多いようです。
また電波男さんについては、公正な議論を心がけるべきだと申
し上げたい。身びいきかどうなのか、明らかな同語反復の誤りに
対してそれをはぐらかすような書き込みをしているようでは、あ
なたご自身のの研究についても疑いのも目でみられることとなる
でしょう。
761 :
にいなな :01/08/28 14:46 ID:5M07xO1U
>>760 > 定義の上で、トートロジーあるいは同語反復を犯して問題ないと
> 言い張るっている
私は、「トートロジーを犯して問題ないと言い張」った覚えはありません。
むしろ「あの定義はトートロジーではない」と言い張っております。
>>630 とかの定義については、「トートロジーではないか」との
疑義が提出されましたので、
>>653 -654や
>>663 -664なんかで
「トートロジーではないと考える理由」を述べておきました。
つまり、ここまでで
「定義の提示」→「定義に対する疑義の表明」
→「定義提示者による疑義への反論」→
という経過が存在します。
「反論」を読まずに(or理解できずに)ヒトツオボエで
「にいななはトートロジーだ」という「疑義の提示」を
繰り返すことしかできない「馬鹿」(
>>758 )は多数いるようです。
が、
762 :
にいなな続き :01/08/28 14:46 ID:5M07xO1U
「反論」への「再反論」に類するものは、包公さんの
>>680 くらいしか
出ていないと思います。
とりあえず、提示者は「疑義」に対して「反論」は示している
わけですから、さらに「疑義」を繰り返すなら、「反論」を
踏まえた上で、「明らかな同語反復の誤り」であることを、
まず示してからにして下さい。
W大のような独特の学会(
>>617 )でなければ、これは通常の
議論の進め方だと思うのですが、いかがでしょうか。
763 :
偏頗男Ψ(@x@)Ψ :01/08/29 01:13 ID:KrSGWT3c
SOS、SOS、SOS、・・・・ 我が弟子、にいななよ、救援頼む。 ニフティのFSHISOで『唯識二十論』読書会を始めたがtty に突っ込まれて身動き出来なくなっている。ニフティで もオマエの馬鹿を思いっきり炸裂させてttyを吹き飛ばし てくれ。 ところでttyは本物の旧帝大卒だ。にいななよ、返り討ち にあわないように特大の馬鹿を炸裂させてクレ。 SOS、SOS、SOS、・・・・
764 :
にいなな :01/08/29 09:14 ID:QSm2yXts
>>763 あと
>>707 、
>>709 とか
へぇ〜。
偏頗男の弟子にも「にいなな」ってのがいるんですか。
馬鹿な師匠を持って苦労しますね。
他人事ながら、同情を申しあげます。
765 :
ニフ会員 :01/08/29 09:50 ID:BQKglH2E
>>763 どこが身動きできないのだ?
何をどう読んだらそんな観察が出来るのか不思議だぞ。
766 :
電波男Ψ(´д`)Ψ :01/08/29 09:51 ID:BQKglH2E
別板の名前がクッキーされてたので訂正 ニフ会員→電波男Ψ(´д`)Ψ おまえ遁走天国児童だろ?そんな読解力だから馬鹿にされるんだよ。
767 :
怖いもの見たさ :01/08/29 12:23 ID:LRiSzObE
笑ったぜえ。
>>763 超特大の馬鹿炸裂で突っ込みを吹き飛ばすってか。
ネットでも自爆テロって有りかよ。
あとで知り合いにニフティを見せてもらおっと。
ttyさんどうぞ馬鹿炸裂に巻き込まれないように
注意してください。
でもさ、
>>763 は茶化しの入った煽りだろ。
電波男さん、マジに取り合ってはいけない。
768 :
にいなな :01/08/29 14:23 ID:7WuYwzyA
>>767 そういえば前スレで、遁天児さんの馬鹿炸裂で議論が吹っ飛んで、
ついでにスレごと落ちたことがありましたね。
あれは自爆テロだったのか。迷惑な馬鹿もいたもんだ。
769 :
偏頗男Ψ(@x@)Ψ :01/08/29 15:11 ID:LfLBdO/2
>>768 にいななよ。何を勘違いしているのだ。やっぱりオマエはバカだ
ったか。トホホ。
オレが炸裂を期待している超特大の馬鹿とは、同語反復をなんと
か正当化しようとするそのおバカさだ。解ったらこんなところに
タムロってないで早くニフティでもオマエの超弩級ヤツを炸裂さ
せてクレ。頼むゾ。
770 :
にいなな :01/08/29 15:52 ID:7WuYwzyA
>>769 日本語が読めないなら、無理に日本人のフリして
こんな板に出入りしなくてもいいでしょうに。
日本語がうまく読解できないあなたのために、
>>761 -762を整理してみましょうか?
現在まで、下記のような経過を経ています。
(1) にいななによる「定義」(案)の提示
(2) その定義はトートロジーではないか?という「疑義」の提出
(3) トートロジーではない、という、にいななによる「説明」の提示
で、
(3)の「説明」、つまり「疑義」に対する反論・抗弁が提出されている以上、
再び(2)の「トートロジーだ」という「疑義の提示」を繰り返すためには、
(3)の「説明」が誤っていること、つまり、私の「反論」が間違っていると
いうことを示すことが必要です。その上ではじめて、
(4) やはり(3)は誤りで、やはりトートロジーと考えられる
という事は言えません。
言い換えれば、
771 :
にいなな :01/08/29 15:54 ID:7WuYwzyA
私が「同語反復をなんとか正当化しようと」している、という事を
合理的に示すことが、(2)の正しさを示すためには前提として必要です。
でないと話は前に進みません。
そのような前提を行わず、ただ単に「トートロジーだ」「馬鹿だ」と
繰り返すしか能のないあなたは、「馬鹿」です。(
>>758 )
>>769 > 何を勘違いしているのだ。
あ、私の勘違いでしたか?
遁天児さんがどういうつもりで炸裂したのか、あなたは御存知なんですね?
ご本人さんとは知らず、失礼しました。
そんなに「炸裂バカ」とやらで誰かを吹き飛ばしたいなら、遠慮せずに
ご自分でおやりなさい。
心配しなくても、あなたは十分な馬鹿ですから。
772 :
にいなな :01/08/29 15:57 ID:7WuYwzyA
>>770 誤 その上ではじめて、
(4) やはり(3)は誤りで、やはりトートロジーと考えられる
という事は言えません。
正 その上ではじめて、
(4) やはり(3)は誤りで、やはりトートロジーと考えられる
といえます。
欝山車能。
773 :
電波男Ψ(´д`)Ψ :01/08/29 21:28 ID:xCiTgVPU
>>769 同語反復とはその内包が遍充関係にある場合だ。論理学入門をよめ。
774 :
考える名無しさん :01/08/30 23:05 ID:UNXxFY06
にいななさんへ 師を誤るは一生の不作と申しますよ。 よくよくお考えあるべし。
775 :
にいなな(うんざり) :01/08/31 09:46 ID:ENmGcL4g
>>774 ああ、偏頗男の弟子の「にいなな」には、よく言って聴かせてやって下さい。
たぶん、偏頗男の弟子の「にいなな」という人物と、私とは、別人ですから。
残念ながら私は、偏頗男にも、彼の弟子の「にいなな」とやらにも、面識は
無いもので。
あ、もしかしたら、偏頗男が単なる電波受信体質で、悪い電波を受信して
「にいななの師匠になれ」とか電波に命じられたのかもしれませんがね。(
>>707 -709)
立論する能力も 他人の意見を理解する能力も無い方には、往々にして
電波を受信する能力や、妄想を事実にする能力が備わっているようですから。
776 :
W大生 :01/08/31 13:19 ID:nCzmkOks
久しぶり、暫く旅行に行っていたんで留守をしていた。 またボチボチ始めるかと思ってスレを読んだぜ。 何だと?。 このスレは、偏頗男=電波男Ψ(´д`)Ψ の指導のもと にいななとジャコバイトの公開討論演習だったって訳 かよ。 わざとらしい議論をやったのは確かだったがな。自 分の学問をひけらかそうというような意図を感じたよ。 旧帝大がどうの大学院に逝っていないからバカだのな どと言い出すしな。 まあその真偽はどうでもいい。しかしさ、結局自分た ちの学問の浅薄さとデタラメさが暴露されて、恥をかい ただけだだろ。バカじゃなかろか、いいや真性のバカだ ぜこりゃ。
777 :
電波男Ψ(´д`)Ψ :01/08/31 13:35 ID:45cvP9N2
>>776 >このスレは、偏頗男=電波男Ψ(´д`)Ψ の指導のもと
そんな読解力だからお前はハクチだというのだ。
お前に課した宿題はどうなった?何一つ立論できてないじゃないか。
愚かな論点先取の出鱈目イメージ操作を恥だと思わないのか?
778 :
電波男Ψ(´д`)Ψ :01/08/31 13:36 ID:45cvP9N2
ラッキーセブン獲得だぜ!!
>>776 は世界一不幸な男だぜぃ!!
779 :
>136 :01/08/31 13:58 ID:ENmGcL4g
>>776 > このスレは、偏頗男=電波男Ψ(´д`)Ψ の指導のもと
> にいななとジャコバイトの公開討論演習だったって訳かよ。
ふむ。
同じスレッドでも、読者によってこれほどまでも解釈に幅が
あり得るんですね。
W大の読解力には
>>643 -
>>646 でも驚かされましたが、あれは何かの
間違いではなく、本当にW大生の読解力というのは、世間の平均水準から
隔絶しているのですね。感心しました。
ところで、帰ってこられたのなら、とりあえず以前の宿題というか質問に
答えてくれませんかね。
>>342 とか
>>495 とか
>>597 とかね。
もしも「何を質問されても答えないのがW大流だ」というのなら、その旨を
明言して下さい。答えを待っている我々を可哀想だと思って。
あ、そうそう、
780 :
>136じゃなくて にいなな :01/08/31 13:59 ID:ENmGcL4g
誰かがカキコするのを待って
> そうそうオレが言いたいのこれだよ。(
>>378 )
とか
> これまで色々指摘されてきたことには概ね同意だよ。(
>>584 )
とか言うのはナシ、ということで御願いしますよ。
781 :
にいなな :01/08/31 15:01 ID:ENmGcL4g
さて、W大生さんからの回答待ち(
>>777 、
>>779 )の間に、
以前の仮定義
「思想」……〈人生観〉〈世界観〉の全般にわたる諸思想の意
「哲学」……厳格な論理性において追究される、統一的全体的な
人生観・世界観・の〈理論的基礎〉の知的探求(
>>104 )
に対して、ここまでの議論を踏まえて見直しを加えたく思いますが、
まずは、
ジャコバイトさんの「ドグマを含むものは哲学ではない」という意見について
異論のある方はおられますでしょうか?
(「哲学はドグマではない、ということを提起したいと思います。」
>>147 )
個人的には「ドグマ」の範囲が不明瞭なのが気になります。
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
786 :
電波男Ψ(´д`)Ψ :01/08/31 18:09 ID:2InzGsgs
>>782 -785
窮したW大生の本性。
醜いね。
787 :
電波男Ψ(´д`)Ψ :01/08/31 18:14 ID:2InzGsgs
788 :
ジャコバイト :01/08/31 18:16 ID:.gQGrOqA
>752 にいななさん ヴェーバーはドグマではないよ。 ただね、あなたの論法だと何も政治的・社会的実践は生まれまい。 哲学のその定義に基づき、俺が再三儒教は哲学の名に値しないと説く論点が、なかなか深められず今日まで来たのは遺憾です。 その原因は、俺が社会学的問題提起に走りすぎたことと、ろくでもない人間がこの板に多かったことによるのでしょう。 俺が、この板で一つ確認してたことは、儒教が今日的意義を全く失った、なんの生命力ももはや持たないといことだった。 孟子を読んでるとか朱子も読んでないのかと言う人間が、いかに品性に欠け包容力が欠如してるかを如実に目の当たりにしたからである。 もっとも、五常の価値は見直した。 俺にとっては五常などは言うまでもなく当たり前のことだったので、儒教は何を当たり前のことを言ってるのだぐらいにしか思ってなかった。 しかし、この板であまりに欠けてる人々を目撃し、そして儒者を自称するそういう人々に五常のことを言えば、さすがに恥の感覚に訴えることができるらしいことを見て、 儒教もあまりに殺伐とした人心をそれなりに穏健化してきた精神的資産としては、まぁ評価すべきだなぁって思った。 ところで、にいななさん、儒教の徳目がドグマではないかという我輩の質問へのお答えは? 大体、儒教の徳目は、先験的なものか、経験的なものか、俺にはよくわからん。 そこを煮詰めてないようなものは、土台哲学の名に値しないと思うのだが。
789 :
ジャコバイト :01/08/31 18:19 ID:.gQGrOqA
ドグマの範囲、は理性的推論によって根拠付けられていないにもかかわらず、それが正しいと主張するもの、ってことじゃないの?
790 :
ジャコバイト :01/08/31 18:21 ID:.gQGrOqA
>776 俺はむしろ学歴をあなたがひけらかすのを見苦しいからおやめなさいと言ってたわけで、全然旧帝大がどうのとか言ってないよ。
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
798 :
にいなな :01/08/31 18:37 ID:ENmGcL4g
> あなたの論法だと何も政治的・社会的実践は生まれまい。
「実践」ってのが、具体的に何を指すのか、いまいち解りませんので、
お答えいたしかねます。もすこし具体的に示されたし。(←議題1)
> ろくでもない人間がこの板に多かった
同意。
> 俺が、この板で一つ確認してたことは、儒教が今日的意義を全く失った、
> なんの生命力ももはや持たないといことだった。
> 孟子を読んでるとか朱子も読んでないのかと言う人間が、いかに品性に
> 欠け包容力が欠如してるかを如実に目の当たりにしたからである。
あなたは、朱子を読まずに「儒教には問答法はない」と断言してました。(
>>563 )
包公さんでなくとも、「朱子を読んでないのか」と言うのは正当だと思います。
あと、
これは重要な問題ですので、改めてあなたの立場を確認させていただきたい。
「解脱した」と言う人間が、サリンを撒きました。
で、仏教は、今日的意義を全く失った、何の生命力も持たないものでしょうか?(←議題2)
799 :
にいなな :
01/08/31 18:42 ID:ENmGcL4g