>>461 > んで、その社会秩序の設計に儒教はどれだけ寄与できたの?
は?荀子は儒家ですよ?
荀子が構想した「社会秩序の設計」に、儒家が寄与していないとでも?
> 情念が発生するメカニズムを把握しとかなきゃ、現実の人間への理解も、
> 社会秩序の設計も、どだい精緻ならざるものになるでしょうが。
そうは思いません。現存する人間の情念(荀子のいう「欲」)がどのようなもので
どう作用するかを把握すれば、充分「緻密」な対処は考えられると思います。
「発生するメカニズム」は問題ではありません。
>>462 > 社会科学じゃ厳密には因果関係は言えないんだってば。
> ただし、大体そう言えれば、そう言えるってことなわけよ。
> つまり、反対例がなければとりあえず真ってこと。
「大体そう言えれば」ってのは、二つの事柄をただ並列することですか?
そのような例証で因果関係を立証しようとする立場は、二千年ほど前に
王充によって否定されました。たとえば下記のような議論は成立しない、と。
(1)「彼は善人であった」
(2)「彼は福・禄・寿に恵まれた」
(3)「だから、天が善人に幸福を授けることは明らかである」
「大体そう言えれば」というのは、「中国も朝鮮も負けて滅びた」
「中国も朝鮮も儒教を採用していた」「だから儒教が悪い」という
ことですか。
だったら、私の「日本はキリスト教じゃなかったからアメリカに負けた」戯説も
成立するはずです。
> アメリカは日本には勝ったかもしれんが、中国と引き分け、ベトナムには負けてる。
そうですね。不注意でした(前者は「朝鮮戦争」のことですよね?)。
では、欧米の自由や民主主義の思想は、共産主義の思想に劣る、という論も成立しますね。
> 俺が聞いてるのは、全面的に思想が国の興廃を決定するかではなく
> (それは俺も否定してる)、一要素ではある、ってことでしょ。
違います。少なくとも
>>218-219あたりでは。
>>279で立場を改めていただいたようにも見えますが、
> んで、あんたはそれを否定するなら、思想が現実に影響を及ぼさないって
> 言ってるのと同じなんだよ。
私が否定しているのは、王充の「偶然」を短絡的に因果関係で結ぶ立場です。
>>463 > 思想が現実に影響を及ぼすと認めているなら、なぜ「プロ倫」や俺の所説を
> 否定するのか、その論理的整合性を説明されたし。
> あんたは矛盾してると思う。
もう一度
>>439を見ていただければ幸いです。ついでに、私の
>>288を再掲します。
> 一国の興廃は、様々な要因が関係すると思いますし、その中には「政治思想」という要因も
> 含まれるかも知れない。しかし、何の論証もなく、他の要因を無視して、「中国は滅びた。
> その理由は、政治思想が劣っていたことに100%帰す」とは言えません。
これと、私が「プロ倫」やあなたの所説を認めないこととは、矛盾してますか?