1 :
考える名無しさん:
血をもって書け。 (『ツァラトゥストラ』)
【神は死んだ】ニーチェ25【俺は超人になる】があるうちはまだなくてもよかったと思うん
だけど…。いくつも同じようなスレッド要らないよ。
3 :
考える名無しさん:2011/05/14(土) 23:40:09.33 0
タイトルをよく見てみると、
【神は死んだ】ニーチェ25【俺は超人になる】じゃなくて、
【神はタヒんだ】ニーチェ25【俺は超人になる】になっている。
4 :
考える名無しさん:2011/05/15(日) 12:00:49.83 0
新スレ乙age
5 :
蝙蝠ちゃん出没中 ◆MinorKeyQs :2011/05/15(日) 12:18:45.54 0
>>2 そのスレは茶化しが入ってるから
あまり好ましくないと思う
ハゲのことか。
ヒトラーは本当にただの悪だろうか? ニーチェ思想を利用しただけだろうか?
私にはそうは思えない。
ユダヤ人を見よ。迫害と虐殺の歴史を語る彼らは、中東にて平然と虐殺を行っている。
それはあまりにも…歪んでいる。彼らこそルサンチマンの体現では無いだろうか。
8 :
バッカス:2011/05/15(日) 17:38:52.27 0
>>7 ユダヤ人による中東での戦争行為はイスラエルを建国した後で、1948年の第一次中東戦争が最初。
ヒトラーの死後だから、ヒトラーの正当性は成り立たない。ヒトラー以前はユダヤ人は流浪の民であり、
1882年以降のロシアでもユダヤ人の虐殺の嵐が吹き荒れていた。
ただ仰るように、現代の、ヨーロッパと対立するイスラエルの単独行動主義は、流浪・弱者時代の
ルサンチマンがその原動力となっていると観ることができるでしょうね。
9 :
蝙蝠ちゃん出没中 ◆MinorKeyQs :2011/05/15(日) 22:12:42.43 0
>>7 ナチスは「論理の限界」を利用しただけだよ
ニーチェの言う「力」や「闘い」は
あくまでも思想的論争のことだと思うけどね
10 :
考える名無しさん:2011/05/15(日) 23:02:56.10 0
11 :
佃煮マニア:2011/05/17(火) 18:53:13.32 0
>>7 ニーチェの思想を利用したのは妹であって、ヒトラー自身はニーチェに対して
親友に対して感じる様な親近感を抱いていたらしいですよ。
ニーチェはルサンチマンで満足せず永劫回帰を肯定して人生の経験の体験の現実世界の現象の不幸と苦難と災害と障害と問題を試練と受け入れて超人を目指すのは素晴らしいですよねー!?♪。
13 :
考える名無しさん:2011/05/18(水) 18:30:50.19 0
>>7 もし(歴史にもしは禁じ手だけど)、もし、ヒトラーとナチズムが先の大戦に勝利し
今日の世界でも、「反ユダヤ思想」が一つの大きな潮流となっていたら
思想界のニーチェ評価も変わっていたと思う
ニーチェやハイデガーのナチスとの関係は、もっと肯定的に受け止められていたに違いない
ニーチェ自身は、全くヒトラーのことを知らなかったとしても
>>8 ユダヤ人の性質の事を問うているのです。
彼らは平然と虐殺をします。虐殺を糾弾しながら、素知らぬ顔で民家を襲う。
>>9 ニーチェの考えは、思想論争限定では無いと思います。
それならば、精神のみ高みを目指すキリスト教を批判する必要がありません。
15 :
バッカス:2011/05/19(木) 22:34:16.73 0
>>14 >>ユダヤ人の性質の事を問うているのです。
確かにユダヤ人の性質には問題がありますね。ヒトラーの正当性が問題ではないようです。虐殺をする性質を
持つユダヤ人の一般市民を大量に殺戮することにいくらかの正当性を認める、虐殺には虐殺で応えることに
いくらかの正当性を認めるという主張のように受けとれますが。
それはヒトラーというよりも、現在のイランの独裁的大統領アフマディネジャドの論理に近い。彼はその論理で
イラン国民の一定の支持を集め、それを支持する一定数の大衆がいるわけです。アフマディネジャド大統領は
「中東のヒトラー」と欧米のマスコミから言われており、「ユダヤ人を一人残らず皆殺しにする」と言っています。
そのような論理に近い主張に対しては、倫理学的に見ていかがなものか。
>>ニーチェの考えは、思想論争限定では無いと思います。
確かに、政治思想家のマキアヴェリの影響を受けて『善悪の彼岸』以降の思想を発展させたニーチェですから、
同感です。それはニーチェの著作でも認められます。しかし、「精神のみの高みを目指すキリスト教」は実は迷妄
であり、弱者の道徳、生を衰退させる道徳であるとして否定していることはニーチェの主要テーマですよ。
16 :
蝙蝠ちゃん出没中 ◆MinorKeyQs :2011/05/20(金) 01:50:23.65 0
ニーチェは自然享楽思想なんだけどね
ドイツ的思想を嫌っていたから、
合理性を突き詰めたナチズムは合わないでしょ
人種問題には無関心だったと思われる
>>15 私が言いたいのは、妥当であると言う事です。ユダヤ人は、誰かに否定されるだけの妥当性がある。
倫理は人の数だけあるのだから、より大きな力を持つ倫理か、より小さな力を持つ倫理でしかありません。
そして、より大きな力を持つ事は、正当性とは何ら関係ありません。
ヒトラーは積極的にユダヤ人を否定した。それは彼の持つ倫理感であり、それを徹底しただけの事です。
18 :
考える名無しさん:2011/05/20(金) 21:53:39.69 0
ニーチェはゴッドイーターファンですよねー!?♪。
ねー♪←血で書かないヤシは失格
20 :
考える名無しさん:2011/05/21(土) 04:19:51.22 0
ニーチェと一緒に叫びたくなったので最近あったことを書いとく
正月、俺は物書きを目指して上京した
大学は三流、二年の後期だったが単位はまったく取れず半ニート(バイトはしてた)
学費は自分で払っていたがまったく行く気がせずに不毛なのでやめようと決心
母親はキャンキャン五月蝿いが今時三流大の学歴など何の意味もないと確信
普段からわずらわしいと感じていた母親と弟を放り出し
一旗あげてやろうと東京の編集者の友人宅に転がり込んだ
そして俺は弱者のルサンチマン、いや、同情を買おうと必死な「群れ」の恐ろしさを知った
東京に行って2ヶ月、短編小説を4・5作書き、
それを、編集者の友人、周囲のクリエイター仲間に発表し上々の評価を得、
長編にも手を出し始めていた、制作活動は順調、うぬぼれながら成功する日が来ると勝手に確信していた
大学も母親のことも忘れて楽しい日々だった。
三月下旬、同居友人の実家に母親が乗り込み、
「やくざな商売に巻き込まないでくださいと」友人を悪人に仕立て上げた上で見当違いな罵倒をする
このことで俺は友人宅に居辛くなり、千葉の友人に間借りさせてもらうこととなった
同四月上旬、千葉の友人の実家にまたもや母親が乗り込む
まったく同じことを言う
21 :
考える名無しさん:2011/05/21(土) 04:21:38.95 0
たまらずに母親に連絡を取ることにする
いわく、「実家に帰り、まじめに大学に通うならやめる」とのこと
俺自身が大学に行く気が無いのに話にならんと思いシカトする。
するとどうだろう、今度は千葉に弟が派遣されてきた
一つ下の大学生の弟はつまらない保守的な善人の代表のような奴でどうせ自分の意見など持たずに母親に言われるがままにやってきたのであろうから
少し強く言えば帰るだろうと思い「二度と帰る気は無い」と告げ一発殴って追い返した
しかし弟は次の日もその次の日も俺の前に現れては母親の書いた大学に行かなければどれだけ人生損をするのかが箇条書きされた手紙を置いていき
「兄ちゃんって人生損する人間だよね」と捨て台詞を言って帰っていった
22 :
考える名無しさん:2011/05/21(土) 04:24:04.84 0
俺は二人のあまりの器の小ささと弱さに反吐が出た
父親と離婚してルサンチマンのままに名誉挽回の手段として俺を利用しようとする母親
昔からいざとなると様子見しかできないくせに
安心安全を心の底から願い人の尻馬に乗ることでしか勝つことのできない弟
下衆、雑魚、カス、世間の与えてくれた損得の物差しや、安定した収入さえあれば何も要らない豚共
家のために自分の安心安全のために俺を必死で最前線に押し出そうとするそのエゴ
自分たちは何一つ変わらずに自らの人生に強がりさえせずに俺を扱おうとする小心さ
いまだに祖父の脛を齧って生きているニート母親、自分が怠惰に生きてきたつけを払っているだけなのに
俺に自分の面倒を見てもらおうとするその惰弱
母親が心配とか抜かしておきながら自分で現状を変える努力をしない無能な善人の弟
23 :
考える名無しさん:2011/05/21(土) 04:29:32.05 0
ふざけんな、俺はお前らなんていらねーんだよ、反吐が出るわ
気持ち悪い声だして近寄ってくんな見え見えのスケスケなんだよてめーらの弱さなんざ
弱いんだったら弱いなりに、かしずいてりゃ可愛く見えんのに見栄だけは立派だな無能雑魚は!
いかにも俺の人生の心配してますよって言葉を吐きやがって
いいか!真実を教えてやる、真実だ!
俺はお前らがいなくても生きてけるけど、お前らは自分で人生を切り開く気が無いただの臆病者だってことだ!!
後半の部分を手紙に書いて送って以来、母親と弟からの連絡は無くなった。
20~23
拝見したぞ 心の咆哮
25 :
蝙蝠ちゃん出没中 ◆MinorKeyQs :2011/05/21(土) 19:46:01.50 0
そんな心の叫びはブログでやれよと
僕は神様を信仰するよねー!?♪。
27 :
考える名無しさん:2011/05/21(土) 21:25:34.10 0
誰かを憎むまたは怨むってのは、
その対象の奴隷になったって事なっだぞ。
28 :
考える名無しさん:2011/05/21(土) 21:45:42.97 0
どゆこと?
>>25おまいつめたいヤシだな
表面だけとりつくろったレスなんかよりずっといいとおもうがね
30 :
蝙蝠ちゃん出没中 ◆MinorKeyQs :2011/05/22(日) 00:39:40.00 0
普通の人間すら人はみな独りで生きていくんだよ
いわんや超人をや
っていうかこれってルサンチマンに対するルサンチマンじゃないの?
32 :
考える名無しさん:2011/05/22(日) 01:11:50.68 O
読んだカンジ怨念入り混じってるけど
超人になろうとするパワーは感じるわ、我力って奴。
ニーチェ研究している人は鬱にならないのか。
ざっと読んでいるだけで俺は鬱になってきた。
永劫回帰か・・・・・・
いつかきっと救われる
必ず救われる
35 :
蝙蝠ちゃん出没中 ◆MinorKeyQs :2011/05/23(月) 18:04:08.69 0
>>33 幸せになるよ
ただ、
「ツァラトゥストラは他のツァラトゥストラに気づかない」
ということさえ念頭に置いておけばね
36 :
蝙蝠ちゃん出没中 ◆MinorKeyQs :2011/05/23(月) 18:08:54.93 0
>>34 「永劫回帰」ってそういうことじゃ無いから
救いもしないし救われもしないよ
生態サイクルみたいなもの
永遠回帰が生態サイクルみたいなのってのは、同意見です
水が蒸発して空に上がり、やがて凍結して雨となる。その一連の流れに、
救いもクソも無いんですな。ただ、水は空に上がる事に脅え、大地に還りたいと願っているかもしれない。
その水からしたら、その終わる事の無い一連は、悲劇となりえるでしょう。
39 :
蝙蝠ちゃん出没中 ◆MinorKeyQs :2011/05/24(火) 13:53:00.80 0
だからこそ「地に敬意を」なんだよね
しったか乙
41 :
蝙蝠ちゃん出没中 ◆MinorKeyQs :2011/05/25(水) 04:17:04.63 0
42 :
蝙蝠ちゃん出没中 ◆MinorKeyQs :2011/05/25(水) 04:19:38.24 0
>>40 これはわたしの解釈だから
別の解釈があってもいいとは思うよ
でも、それを書かずに罵倒だけされてもねえ
>>42はっきり言ってやろう おまいは軽い
思考や論理ふりかざす哀れな学者 荒削りで破天荒でも血で書くやつ
のほうがよっぽどええわい
44 :
蝙蝠ちゃん出没中 ◆MinorKeyQs :2011/05/26(木) 18:28:29.24 0
>>43 わたしはむしろ後者なんだけどねえ
そこがわからないのは軽いからだよ
45 :
考える名無しさん:2011/05/27(金) 01:21:35.50 O
うっ〜わ〜痛〜い
コイツ中身スッカラカンの癖に変なプライドだけはあるな
わかったからその中二臭い超人とか永劫回帰とかのフレーズの意味とかを勉強してろよ
トリビアが増えて自慢出来るから
46 :
蝙蝠ちゃん出没中 ◆MinorKeyQs :2011/05/27(金) 15:07:21.43 0
そう思われちゃうってことは
わたしもまだまだ修行が足りないのかもね
もう一回ツァラさんを読んでみようっと
48 :
考える名無しさん:2011/05/31(火) 22:24:21.34 0
真実は死なない!?♪。
49 :
考える名無しさん:2011/06/01(水) 04:59:44.98 0
3.11以降の日本にニーチェがいたら、
どういう言葉を発し、どういう行動をとっていただろうね。
神は不死身ですよねー!?♪。
>>49 先月終りに日銀の白川総裁が「日本国債は突然、長期金利が高騰する可能性が
ある」と発言した。つまり国債暴落の可能性に初めて言及した。大震災の3.11以降
のあとに日本に襲いかかるのは国債の暴落で、その後は全体の数パーセントの人
以外は極貧となる「没落した」社会が待っている。
「わたしはわたしの踵だけが、不死身なのだ。この上なく忍耐強いわたしの意志よ、
いまもなおおまえは生きつづけていて、不変である。いつもおまえは、あらゆる墓をも
破って出てきたのだ。・・・・そうだ、わたしの意志よ、いまもおまえは、わたしにとって
あらゆる墓の破壊者なのだ。健やかなれ、墓のあるところにだけ、復活はあるのだ。」
(「墓の歌」)
「あらゆる墓の破壊者」ってのがいい。
53 :
蝙蝠ちゃん出没中 ◆MinorKeyQs :2011/06/05(日) 00:10:12.97 0
おちんちんですよねー!?♪。
56 :
55:2011/06/12(日) 11:38:21.97 0
基督教という宗教や、基督教徒を蔑みながら、子供がミッションスクールに
合格するように願ったり、礼拝の様子に酔いしれたりすることに、多少の
矛盾は感じないのだろうか・・・?
過去の教徒の祈りとエネルギーの産物だけを認めて、利用もして、その
宗教そのものや人々の在り方そのものは蔑視してはばからないというのは…。
宗教の産物やセレモニーの厳かさだけを評価するということにも正当な
部分はあるとしても、教会建築やミサ曲の美しさだけを称え、
それだけの産物を結実させた人間達のエネルギーはただ蔑んでかかれる
ミッションスクール好きの母親には、やりきれないものを感じる…。
宗教って発生原理はどれもこれも似たり寄ったりだよね
どうすれば広く普及できるかという
方法論の違いだけで
>>23 正直、あなたには共感できた。
そして、敢えて言う。
あなたは母、弟という外部的な魔物から打ち勝ったかに見えるが、まだ油断をしてはならない。
言わずもがな内なる魔物はあなたに葛藤や不安という苦渋をその後においても尚強いり、あなた自身を蝕むことになるだろう。
だがあなたは怖れてはならない、いや、怖れなくともいいだろう。
深淵を覗き込んだとき、あちらもあなたを覗き込んでいるのだから。
私は少年犯罪板から来たキラーキャットと名乗る、一介の凡愚ではありますが、あなたとはまたお話をしたいと感じます。よろしくお願いします。
では失敬。
61 :
考える名無しさん:2011/07/18(月) 17:32:43.53 0
ニーチェのキリスト教批判について疑問だったんだが、仮にニーチェがキリスト教を国教に定めていない、例えば日本などに生を受け、同じような人生を歩んでいたならば仏教や神道に対しての批判をしていたのだろうか
さすればニーチェは純粋な宗教批判者なのか。
それともこれは極端過ぎますかね?
62 :
考える名無しさん:2011/07/18(月) 17:46:33.56 0
>>61 宗教ぎらいというわけではないと思う。
ニーチェは仏教に対してはかなり好意的で、
「私はヨーロッパの仏陀になれるかも知れない」とまで書いている。
神に関しても、キリスト教の神以外の神々に対しては、
好意的な場合がある(ディオニュソス神など)。
63 :
考える名無しさん:2011/07/18(月) 17:59:29.45 0
>>62 なるほど、ありがとうございます。
そうなのか、イエスの説いたとされる捏造だらけのキリスト教の根本原理をニーチェなりにしっかりと理解したうえでの批判だったんですね。
ますますこのオッサンが好きになりました。
64 :
考える名無しさん:2011/07/18(月) 19:37:34.11 0
戦前の日本人だったら国家神道を批判して美濃部達吉みたいに天皇機関説みたいなことを言っていたかもしれない。
─天皇は死んだ。天皇は死んだままだ。そして我々が天皇を殺したのだ。世界がこれまで持った、最も神聖な、最も強力な存在、
それが我々のナイフによって血を流したのだ。この所業は、我々には偉大過ぎはしないか?こんなことが出来るためには、
我々自身が天皇にならなければならないのではないか?」
つーか明治の元勲とか実際、孝明天皇殺した疑いももたれてるし・・。
65 :
考える名無しさん:2011/07/18(月) 19:46:29.90 0
ヤハウェの一神教と神道の汎神論の区別つかないやつはただのおバカ。
68 :
考える名無しさん:2011/07/20(水) 09:39:25.72 0
戦前の国家神道は伝統的汎神論とは違う。むしろ一神教の方に近い。
というかドイツを真似して明治政府がつくった制度。
69 :
考える名無しさん:2011/07/20(水) 12:56:44.63 O
確かに国家神道は一神教でしょう。西欧に対するキリスト教の影響が凄まじいためにニーチェはキリスト教批判をせさるを得なかったのでは?仏教(日本的ではない,むしろ原始仏教)に好意的なのは,超人に通じるものを感じたからでは?
僕の霊魂は超人を超越して超特大超究極超巨大人に為るよねー!?♪。
>>68 国家神道が一神教なら、反高天原系の神社は全部潰されていただろう。
しかし、まさしく天皇に叛逆蜂起した平将門や菅原道真の神社が今でも存続してるのは
どういう理屈なんでしょうか?
ヨーロッパにも祟り神として悪魔を祀る慣習は残ってないですよ。
廃仏毀釈にしても、ヨーロッパのようの宗教改革における魔女狩りのような
虐殺はなかったわけだし。
72 :
考える名無しさん:2011/07/20(水) 17:25:58.18 O
平将門や菅原道真を祀っているのは,やはり単純に祟りが怖かったからではないだろうか。国家神道の一神教性はむしろ,対臣民との関係において精神に作用したのでは?日本の宗教は神仏習合にあるように曖昧であり,政府も国家神道は祭祀であり宗教ではないと言っている。
そんだけ曖昧だったら一神教じゃねーじゃん。
セム系一神教の勉強しなおしてこい。
74 :
考える名無しさん:2011/07/20(水) 20:32:48.91 0
それいったらキリスト教社会だってそんなに厳格とも言えない。ユダヤ教徒だって抹殺できた訳じゃない。
ドイツ国内もルター派で統一できた訳じゃない。北欧神話も壊滅した訳ではない。
竜への信仰、巨樹の信仰、妖精の信仰、熊への信仰はいろいろな形で残っている。
ニーベルンゲンもサガもエッダもムーミントロールも残っている。
サンタクロースだってどう見ても聖人とは関係ない妖精妖怪の類だろう。
75 :
考える名無しさん:2011/07/20(水) 20:37:03.33 0
ドイツの古い伝承では、サンタは双子で、一人は紅白の衣装を着て良い子にプレゼントを配り、
もう一人は黒と茶色の衣装を着て悪い子にお仕置きをし、容姿・役割共に日本のなまはげに似ており、
民俗学的にも年の瀬に来訪する年神としての役割の類似が指摘される。
現在、ドイツでは聖ニコラウスは「シャープ」と「クランプス」と呼ばれる二人の怪人を連れて街を練り歩き、
良い子にはプレゼントをくれるが、悪い子にはクランプス共に命じてお仕置きをさせる。
これとかどっちかっつーと祟り神に近いと思う。
76 :
考える名無しさん:2011/07/20(水) 21:07:49.63 O
>>73 だから,国家神道は一神教的であって一神教そのものではない。政府も「国家の祭祀であって宗教ではない」と言っている。国家対臣民との関係で精神的に一神教的に作用したのである。神学者の加藤隆の「一神教の誕生」を読んだが,この考えは矛盾してないと思うが。
>>74 ヤハウェもゴットもアッラーも、同じ存在の「神」なんですけど。
もちろん日本の自然神道、国家神道の神々とは異なる存在規定だけど。
そりゃ、カトリックだって天使がいたり神学に古代ギリシアの概念が導入されたりと
汎神論的ではあるし、西欧中欧も中世まではドルイド信仰などがあったわけで。
でも神道に限らず東アジアの宗教にセム系一神教的な存在はない。終末論も存在しない。
>>76 近代国家と国民の関係自体が本質的には宗教的ではないと思うんだが。
78 :
考える名無しさん:2011/07/21(木) 01:06:25.35 O
つまり,宗教をどう定義するかだと思うが。キリスト教もイエスが興した訳ではないし,学者によっては「究極的な価値に向かう傾向のことである」とするものまであるから,このように広く定義すると,いま流行りのものに夢中になるのも,ある意味宗教であると言えることになる。
ニーチェの予見は確かに当たっているが・・・
おれはこの人の思想を好きになれない。
80 :
考える名無しさん:2011/07/21(木) 02:02:15.34 O
ユダヤ教,キリスト教,イスラム教は,同じ神を信仰しているという意味では東アジアにはないでしょう。支那が強大なため他国は,その影響下にあり文化的に,進んでいなかったので。近代の国家神道は天皇を現人神として一神教的に臣民に影響を与えたというだけです。
81 :
考える名無しさん:2011/07/21(木) 02:19:34.25 O
道教、古代儒教、朱子学、陽明学などでも「天」を信仰してるんじゃないか
82 :
考える名無しさん:2011/07/21(木) 13:20:47.88 O
支那では儒教を宗教として扱っていましたっけ?
お隣の朝鮮半島は儒教の影響が大きいんですが。支那では,小さいですよね。確か宗教としてさえ扱われていなかったのでは?
83 :
考える名無しさん:2011/07/21(木) 14:22:21.08 0
逆に日本の神(かみ)の規定を欧米にあてはめれば、聖母マリアや聖人、聖女はみんな神になると思う。
聖遺物信仰みたいなフェチな信仰もむしろ日本的。
84 :
考える名無しさん:2011/07/21(木) 15:54:04.46 0
敵には二種類ある。己の脳の本能と、他者だ。
『ツァラトゥストラはこう言った』(岩波文庫、上巻)p77、7行目。
「あなたがたは、憎むべき敵をのみ、持つべきである。
「軽蔑すべき敵を持ってはならない。」
憎むべき敵が己の脳の本能であり、軽蔑すべき敵は他者だ。
己の脳が敵になる、という意味が分かりにくいと思うので解説を試みる。
我々の太陽は活動が激しくなっており、暗黒物質の共鳴現象で、
地球のマグマの活動が活発化し、地震や火山が頻発してる。
典型的なのが、大地震による福島原発の津波被害であった。
太陽活動がこのまま右肩上がりに活発化を続けると、
我々は第二の地球に移住しなければならなくなる。大事業だ。
そしてめでたく、第二の地球に入植できた場合、次の課題がある。
我々の子孫を増やすために、それに適した生物を創造することだ。
そして我々はその生物に、
生殖行為に促すセックス指向本能を植え付けなければならない。
セックス指向本能は、副作用として悪なる動機や衝動も持つだろう。
ニーチェが言う敵とは、この生殖本能の副作用のもたらす
様々の、有害な動機や、衝動的行動のことなのだ。
85 :
考える名無しさん:2011/07/21(木) 16:20:00.91 0
ニーチェの言う、憎むべき敵とは、己の脳の本能のことであり、
軽蔑すべき敵、とは、他人のことだ。
『ツァラトゥストラはこう言った』(岩波文庫、上巻)
p139、4行目と10行目の敵も、やはり己の脳の本能のこと。
「敵にむかって投げつけるこの私の槍!
「ついにこの槍を投げることができるということのために、
「何とわたしはわたしの敵どもに感謝することだろう!」
「まことに、わたしの幸福と自由はあらしのように襲いかかる。
「敵どもは悪魔がかれらの頭上に荒れ狂うかと思うだろう。」
自由という言葉が出てきたので、聖書との関連で解説を試みる。
ヨハネ福音書8-32
”あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。”
ここでの真理とは、脳が人間を脳に都合のいいように操っている、
ということを意味している。
その理由は>84で述べたように、種の存続が最優先されるからだ。
人間には、人を操作している脳と、自我の二者が共存しているのだ。
革命とは脳に対する反逆であり、脳の操作からの独立を意味する。
人を操作している脳の部位を仮に神と仮定しよう。
私は無神論者なので、神の存在は否定するが、
神の存在を信じている人達が多いので、神という名を引用する。
我々は神に(つまりは脳に)都合に言いように操作されている。
であるから、我々は神を法廷の場に引きずり出して、
神を裁判にかけ、有罪判決を下さなければならない。
これが真の意味における革命思想であり、自由への闘いなのだ。
86 :
考える名無しさん:2011/07/21(木) 16:27:59.22 0
>85 ヨハネ福音書8-32
”あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。”
に関して、おもしろいエピソードがある。
よく映画に出てくるので、知っている人も多いだろう。
この文句は、
ポトマック川西岸に建設中の
CIA本部の中央ロビーに掲げられた。
アレン・ダレスがCIA長官を退職した頃だ。
後にCIAは、
カストロ暗殺計画で世界中からブーイングを浴びることになる。
神は死んだ悪魔が復活する!?♪。
ニーチェの憎む敵とは、竜でしょう。汝為すべきと言う強大な力。
それは他者も含みますし、自分自身も敵となります。本能とも思える意思の事ですね。
汝為すべき、に抗う獅子こそがニーチェの目指す姿の一つであり、あるいは最初であるかもしれません。
>>80 天皇に王権神授説は適用されないけどな。
>>82 儒教は祖先崇拝の祭祀はあるから。
>>91 天皇にも王権神授説は当てはまるだろ。
そもそも天皇の胡散臭げな系譜を辿っていくと、天照オオミノカミやヤマトタケルに至る。
こいつらはもう既に神格化されている訳で、王権神授説はそもそも王権は神によって与えられたという王権の絶対性を公言され保証されたのだ。
天皇にはただ公言的保証ではなく、案目的な保証が成されたに過ぎない。
再三強調するが、神道の神々とセム系一神教の神は存在的にも概念的にも異なる。
戦時中の天皇の統帥権も権力の一極集中という点では類似しているが、
天皇と神々との関係は王権神授説とは全く異なる。
独学のニーチェ読みはニーチェ以外まともに読んでなくて思想的な位置付けも
理解してないから説明しても理解できないんだろう。
徹底したアテイストの竹田青嗣あたりでニーチェを知った人間は尚更宗教や思想史を理解できないんだろうし。
94 :
考える名無しさん:2011/07/23(土) 23:11:53.89 0
本来の神道は一神教とは全く異なるだろうが、明治憲法下の天皇制はプロイセンの王権神授説国家制度を参考にしたもので、
明治憲法による天皇の規定は伝統的な神道の神の概念とはあまり関連がない。
そもそも統帥権と言う概念自体、プロイセンからの直輸入。類似と言うより模倣と言っていい。
神は死んだ宇宙は瞬時に消滅する!?♪。
96 :
考える名無しさん:2011/07/23(土) 23:37:12.15 0
>>94 そうは言うが、国内でそれを解釈するのは日本人だから、
自ずと違いが生じてきそうなものだが?
97 :
考える名無しさん:2011/07/23(土) 23:39:14.77 0
日本の神はイザナミみたいに普通に死ぬこともあるから、
「神は死んだ」とか言われてもインパクトねえなあ。
98 :
考える名無しさん:2011/07/23(土) 23:42:51.79 0
99 :
考える名無しさん:2011/07/24(日) 10:47:10.91 0
つまりそういう日本的なヌルイ解釈をさせないために、小学校から教育勅語の暗誦とか皇居遥拝とかさせたのが戦前の日本。
小学校で教育勅語、軍事教練や徴兵で軍人勅諭。国民は臣民皇民であり天皇陛下の赤子。
アホだった日本人が現世で生きていけるのは皇恩のおかげ。明治維新は明治大帝のおかげ。
八紘一宇、大東亜共栄圏。怠惰で迷信深く白人の奴隷に成り下がっていたアホな東洋人はみな天皇のおかげで自立した人生を送れる。
そういう図式はあきらかにセム系一神教の模倣。
天皇が死んだら日本人はみな白人の奴隷になる。だから一億総玉砕しても天皇(国体)を守らなければならない。
玉砕しても靖国神社に神として祀られる。捕虜になるのは恥である。これが戦前の日本の常識だった。
100 :
考える名無しさん:2011/07/24(日) 11:00:02.71 0
プロイセンの王権神授説の場合は、
宗教改革以来の教皇権への異議申し立てが背景にあるんだろ。
大日本帝国憲法下での天皇の地位の俗流解釈は、
やはり日本の伝統に根ざしたものだったと思う。
戦前の日本は今の日本とは別の国みたいなもんだから、
どうでもいいけど。
そもそも、神への概念自体が時代によって変わるんだから、
王権神授説とやらもどこまで通用するか怪しいもんじゃん。説にすれば万能ってわけじゃねー
何の疑問もなく、過去から未来へと時間が流れていると言う考え自体、ニーチェスレでは噴飯ものでしょう。
王権神授説が過去において成立したとして、現在も成立するとは限らない。
時代は積み重ならない。ただ繰り返すだけ。
>>99 あいまいな理屈振り回して、まるで社会思想史の学者みたいだな。
104 :
考える名無しさん:2011/07/24(日) 14:15:23.19 0
そうは言っても今でも日本に皇室はあるし皇居もあるし靖国神社もあるわけだよ。
大臣を認証するのも勲章くれるのも天皇陛下で、天皇杯もあるんだよ。
ついこないだまで靖国神社で揉めて国際問題になっていた訳だし。
105 :
考える名無しさん:2011/07/24(日) 14:23:18.18 0
天皇は自ら人間宣言し、政治的には単なる象徴として儀式を行うだけ、
大臣の認証等に選定権も拒否権もなく、勲章は廃止が検討されている。
明治憲法下の「天皇」はもはや存在しないと言っていいと思う。
106 :
考える名無しさん:2011/07/24(日) 16:56:12.78 0
神は死んだ俺達は自由だ!?♪。
108 :
考える名無しさん:2011/07/24(日) 21:11:07.95 0
ニーチェはポーランド人で、ポーランドは一時期ユダヤ人国家だった。
ゆえに、ニーチェはユダヤ主義者だったのでは?
聖書はキリスト教徒が編纂しているので、ユダヤ教は一神教と
いうことになっているが、果たしてそうなのかな〜?
神を法廷の場に引きずり出す、というのがユダヤ的発想だから、
ユダヤが一神教というのは、何か奇異な気がする。
神などこの世に存在しない、死んだ、これがユダヤ的なのでは?
109 :
考える名無しさん:2011/07/27(水) 14:01:06.91 0
アナログ放送は死んだ
神は死んだ永遠の終わり無き闇の暗黒の絶望が始まる!?♪。
111 :
考える名無しさん:2011/07/30(土) 23:49:40.75 0
白水社版の全集持ってる人に聞きたいんだけど、あれ索引全巻ないの?
だとしたら編者の怠慢としかいいようがないんだが・・・
早もナックルもいなくなったスレなど用はないわ
>>108 第二次世界大戦の際にニーチェが生きていて、独ソによるポーランド侵攻を経験していれば、ニーチェにとってはナチスやイタリアファシスト党、ソ連の社会主義すべてが敵に見えただろうね。
個人思想は全人類の狂気にして悪である。 みたいな
100分de名著でやるね
115 :
考える名無しさん:2011/07/31(日) 23:48:39.71 0
神とは、我々の外側にあるはずの、真に正しい何者かである
我々が正しい何かを探すとき、同時に神に縋る弱さへと陥っているのだ
神は死んだ不幸を受け入れよ!?♪。
119 :
考える名無しさん:2011/08/02(火) 12:58:52.28 O
東アジアにセム系一神教はないと主張されていた方はいなくなってしまったのですか?
120 :
考える名無しさん:2011/08/02(火) 13:53:07.18 0
ドルは死んだ。我々がドルを殺したのだ。アメリカの国債を買いすぎた中国と日本が!
国債ならこの間銀行で3000万円分購入しました。
他にもいろんな資産運用を勧められたけど、国債でいいですってはっきり言いました。
122 :
考える名無しさん:2011/08/09(火) 17:19:05.23 O
ニーチェの思想には,多分に仏教思想が垣間見えると思うのですが。その事を指摘する学者もいるそうです。「神は死んだ」も「ニヒリズム」にしても「これが人生か。ならば,もう一度」もみんな仏教思想から来ているのではないでしょうか。
123 :
考える名無しさん:2011/08/09(火) 18:22:23.59 O
仏教って期待しないから裏切られることはない
的なもんだよね。
それって道なんかとも共通している。
エピクロスの小欲な生きざまとも似てる。
ニーチェはどうなんだろう?
辛い現実に立ち向かうアンチキリスト
だから仏教みたいな観念さは
あるのかしら
>>112 早さんは元気にしてるよ。今学生。
短パンはネットやめてヨーロッパに旅にでたという噂です。
にーせは仕事でいそがしいとのことです。
ナックルは相変わらずニートしてなんとか生きてるが、
ニーチェ板にはビビってこない。
以上ですねえ
早さんには精神病院の女性から受け取ったノートから曲を作ってほしいし
短パンには欧州だけじゃなくアフリカの現状も観に行ってほしいし
にーせは真面目に働いてるみたいだから何も言わない
ナックルはボンボンだけど、ここにビビって来ない理由は何となく分かる
以上ですね
具体的に「貴族」はどんな生活をするものなのか?
働かないで欲望の指図にひたすら従い、物質的に豊かな、端からみる限り安楽な、生活をおくるのは、
アメリカや日本を見ればわかるように、退廃的だしな。
神は死なない事を知っている!?♪。
誰がビビッてるって?このスットコドッコイが。
バーカ!
あとね、こちとらあんたらみたく楽〜な人生送ってないんだわ。
残念無念。
131 :
考える名無しさん:2011/08/10(水) 05:03:17.37 0
韓国基督教団
こっちが面白けりゃどうでもいいんだから教団団長か
オッヒョwwwグ○フィ○wwwwwwww
『汝なすべし』
136 :
蝙蝠ちゃん出没中 ◆MinorKeyQs :2011/08/17(水) 23:06:17.62 P
けれどもニーチェはその人生を楽しんだ
明らかに他の貴族たちとは違った方法で、人生の快楽を享受した
貴族とは見返りを求めず、いわば送り与えるのみ
喜びを感ずる。
一方、大衆愚衆とは、他人にもモラルをもとめ
見返りを期待する。世の中は益々ルサンチマン化、
怨み妬みに覆われる。
善人という悪人よ身に覚えがあろう。
貴族とは、例えば光をただ与えるだけの太陽のことか。
139 :
蝙蝠ちゃん出没中 ◆MinorKeyQs :2011/08/18(木) 13:47:13.05 P
貴族とは、見返りが何かさえわからない見返り餓鬼
ツァラさんは言った、わたしは施しを与えるほど貧しくない
何も与えることができず、何も享受できない貴族の足枷
140 :
蝙蝠ちゃん出没中 ◆MinorKeyQs :2011/08/18(木) 13:55:21.90 P
二ーチェが好んだのは、当時の貴族的状態であって、
当時の貴族そのもや、貴族であることを称賛したわけでは無い
141 :
考える名無しさん:2011/08/19(金) 09:00:59.04 0
ドン フライ
公共機関にくると障害者の権利騒ぎ出すニーチェ
まあ、他人にモラルを求めない奴なんか存在しないからね。
144 :
なごやん ◆DDDDDDDDhA :2011/08/21(日) 13:16:51.80 0
ニーチェって思想を徹底的に論理に誠実に「科学」的に追求した結果、
答えの「宗教」を導き出した人なんだよね。超人とは個々の自己神を
見出せということであって、神になるのは無理だからそこまでの過程の
超人であれといっているのであって、思想的にはこれ以上は無いと思う。
俺は奥崎謙三こそ理想と思っていたのだが、ニーチェにであって確信に
変わったんだ。あの人は超人になれた。お前たちはどうだ?
創れゴッドワールド、住めゴッドタウン!
145 :
[―{}@{}@{}-] 蝙蝠ちゃん出没中 ◆MinorKeyQs :2011/08/21(日) 23:27:15.47 P
わたしは人に施しを与えるほど貧しく無い
しょっぱなで考えこまされたツァラさんの言
正しく与えることは今日では最も高度な技
与えられた弱者は強者に妬みを感じてしまうものだから
147 :
なごやん ◆DDDDDDDDhA :2011/08/22(月) 04:17:19.65 0
>>145 これは人に施しを与えるのは神の権威をまとうものだとか共同体の権威を
まとうものであり、真の強者は人を救わないという意味だと思う。権威と
いう意味をまとうのは弱いからであり、彼が超人であればその様な権威は
必要ではないはずなんだ。
私が心の貧しい者なら施しをする程度で満足できようが私はもっと大きく強烈な徳を与えたい
149 :
[―{}@{}@{}-] 蝙蝠ちゃん出没中 ◆MinorKeyQs :2011/08/22(月) 05:20:29.24 P
ニーチェの解りにくい(というか誤解されやすい)ところは、
精神論なのか物質(社会的権力を含む)論なのか記述が曖昧ところだね
後半の「貧しく無い」というのは精神論だと思うし、
ニーチェが送った享楽人生も、金の力の賛美では無く、
自然の賜物を楽しむ生きる豊かさを示したものだと思うけど
150 :
蝙蝠ちゃん出没中 ◆MinorKeyQs :2011/08/22(月) 05:29:13.24 P
>144‐147は何か根本からニーチェを勘違いしていると思う
そもそもニーチェは強者弱者という概念を否定している
さらに理屈や理論より感性を磨く知性を賛美していることは、
ツァラさんの冒頭からも明らだし
ニーチェの言う通りに隣人を捨て本当の友(超人)としか付き合わないとなるとトラブルばかりでまともに生活してけないよな…
そんな奴現実に見たことないしな
知識人で超人な人も、ふだんは原理主義に反発して感情論批判したりしてるけどプライベートでは適当に折れて社会になじんでうまくやってるし
モギケンさんとか堀江もんとか
あんだけ信念貫いて交友関係も広いとか羨ましすぎるわ
普通の芸能人とか発言矛盾しまくって感情論ばっかでイライラしたりしねえのかな
ツアラがなぜ山から降りたのか?
なぜ没落するのか?はリンクしている。
山から降りるのは、頂上にいるものは後は
降りるしかないからである。
つまり高みにいるものは後は降りることしかない。そして
降りることができるとも言う。
つまり没落できることは高みにいる証明である。
さあ没落しようではないか?できるかな?
つまらない凡人でも没落は出切る
自分の弱さや失敗を真摯に受け止めれば小さいことでも墜ちていける
地上は窒息するくらい息苦しいだけなので、没落はしません。
地上に降りてそこで交わり愚鈍愚者になれば、芸術的感性が死んでしまいます。
だったら誰もいない海の底まで落ちればいい
私は深海魚じゃないので、溺れてしまいます。
, -,____
/レ/;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;`'-,__
i!、i;;;;;;; ;;; ;; ;;; ;; ;; ;;;;; ;; ;; ;;; ;;;;;;、
>;; ;; ;;; ;;; ;; ;; ;;;;; ;;; ;;; ;;;;;;;;;
/〉,、;;/ / !  ̄ ̄ ̄ ̄`ヽ !;;;;;;;;;;i
/( !;;| ノ=- -==\|;;;;;;;;;;;l
`! ,.--、 ,---、 },;;;__;;;!
,i.i ●_i !_● _! リ', i| じゃあ死ねよ
.l|  ̄ ノ  ̄ i l!
! l,_ ,__/!
i ====== /〉;;/
ヽ / ルi!、
//`ー───' .//lllll\
_/llllll!、 / /|||||||||
'||||||||||||||l \_ /ニ ̄ ./|||||||||||
||||||||||||||||i, く;;;;;;;;;;|\ ./|||||||||||||
人間は皆、いづれ死にます。
160 :
蝙蝠ちゃん出没中 ◆MinorKeyQs :2011/08/22(月) 21:55:41.87 P
>152
ツァラがなぜ山から降りたのか
山の上に神なぞ居ないから。
より正確に言えば、神など死んでいるから。
自然を享受するために山に引きこもる必要は無いから。
地上にあって大いなる自然を享受することこそ「高み」だから
この辺がブッダに似ているの
悪のカリスマ
人は死ぬ。
必ず死ぬ。
絶対死ぬ。
163 :
考える名無しさん:2011/08/22(月) 23:28:52.52 O
でもニーチェ自身は没落しきれなくてぼっちになって死んだよな。。
適当に嘘つきながら生きるのってストレスだよな…
なんか自分の人生じゃない感じするし
自分の中に矛盾した感情がいっぱいあると結構ストレスになる
しかもはじめは建前(嘘)のつもりでも段々慣れてきたらそれが染みついて建前じゃなくなってくるんだよね…
そうなるのが怖いから没落したくない
164 :
蝙蝠ちゃん出没中 ◆MinorKeyQs :2011/08/22(月) 23:32:23.24 P
何故か続くネガティブ思考の連鎖
なんでニーチェって悪
い方向にとらえられがちなんだろう
『この人を見よ!』を読んだ時は、これほどスッキリする本も珍しいと思ったけどね
俺はこれをやりたい
↓
やった
↓
気持ちいい
これを余人の雑音を一切無視して、
いや無視したという事実すら認識せず
成し遂げるのが超人?
彼が著作を残したこと自体が没落である。
167 :
考える名無しさん:2011/08/23(火) 05:36:55.23 0
ドンフライ
神は死んだけど僕の神のカードは死なない超究極特大極上神インフィニティエターナルエンドレスアンリミテッドフォーエバーゴッドの効果発動ゴッドフレアブレイズストームブラスト!?♪。
地上にあっては動物的な茶番や軽薄さが繰り広げられてるし、話すに値しない人間たちがうようよしてるって
誰かが言ってました。
>>168 えそうなの?
畜群になりたくないって思うのって没落なの?
僕は超人を超越して永劫回帰を凌駕して虚無主義を克服するよねー!?♪。
次スレ的な、あまりに次スレ的な
174 :
考える名無しさん:2011/08/25(木) 20:25:53.38 0
!ninja
僕は無を超える可能性と確率が有るよねー!?♪。
177 :
考える名無しさん:2011/08/27(土) 20:15:23.25 0
金に執着してる奴は100億儲けた所でただの凡人だろ。
178 :
考える名無しさん:2011/08/27(土) 22:26:29.73 0
それで俗世の煩わしさから解放されるんなら本望さ
金に執着してる訳ではないのでは。金があってこそ何にも誰にも支配されない自立した自由な生活が営める訳だし。
超人ってのはただの言葉であって、状態のことではなく概念のことだよね。死に至るまで、あらゆる種類の事象や物事や苦悩を超えて行く人のことだと思う。
そしてあらゆる感覚を知って体験して、そこから導き出した知恵で何らかの創作活動をする人かな。
創作は自己分析と癒しによる成長の過程だよ
成長余地のない超人のすることではない
人間にとっての「成長」をちょっと分析してみてほしい。自分は「変化」と言う言い方が妥当だとは思う。
人は力への意志によって成長を志向するのです
客観的には単なる変化でも主観的な成長を感じればよい
考えれば考えるほどわかんねぇ・・・
超人ってなにさ?
それが分からない俺は永遠に地区軍なんだろうな・・・
>>181 それはニーチェの超人ていうよりコジェーヴの賢者では。
超人は新たに歴史を開始する存在であって、歴史の終焉としての究極状態じゃないでしょ。
矛盾や二律背反は心的にも身体的にも克服出来るものなのか。
私達は確実に生きていると同時に、確実に死に向かっている。すべてを肯定して、変えられないことは耐えるしかないのだろう。
よくわからないものについては沈黙せねばならない
私達が語れないことは静寂に委ねよう
現実世界にニーチェのいう「超人」を見出すとすれば・・・、
独裁者の類しか思いつかない。
創価学会はフランス、オーストリア、チリ、ベルギーでカルト指定。
さらにアメリカ下院議会では、危険な組織として指定。
ドイツでは、なんとアルカイダ並みのテロカルト組織に指定されている。
集団ストーカー犯罪組織の創価信者達 を日本から追い出そう!
フジデモの次は信濃町デモだ!
超人(Übermenschen)はスーパーマン。
>>191 超人と呼べるような独裁者なんか今の「現実世界」にいるか?
カダフィも『緑の書』に書いてある思想はむしろ民主主義的だし、逆に実際やってることは狭い自我への固執にしか見えん。
強いて言えばレディー・ガガの方がまだ超人的だよw
狭い価値観に反逆的だし、ディオニュソス的だからね。
ライヴの演劇的な演出で、八つ裂きにされたガガが復活する場面なんかディオニュソスだよまさに。
195 :
考える名無しさん:2011/08/29(月) 05:45:02.72 0
ドンフライ
デスノートに名前を書かれて神は死んだ!?♪。
>>191 歴史的にみれば、ディオゲネスみたいな人も超人でしょう。
樽の中に生活し、プラトンや教会の偉い人なんかを批判し続けた人です。
クローズド・ノートに名前を書かれて神は死んだ!?♪。
>>197 樽のディオゲネスは俺も好きだけど、ああいう犬儒的、シニシズム的な在り方は、
新たな価値を生もうという超人とは相容れないと思うんだけど。
『善悪の彼岸』では、ああいう毒舌家が真実を突くことも多いと肯定的に言われてはいるけどね。
>>199 ディオゲネスは、世俗的な価値を否定して彼自身の価値を追及したやん
彼は、彼自身の価値を広める事には熱心では無かった。それだけだよ
201 :
考える名無しさん:2011/08/31(水) 08:39:42.32 0
ドンフライ
ラクダとかライオンの話って何でしたっけ?
駱駝、獅子、子供。そして鷹と蛇。すべての要素を兼ねる人は超人。
まあ、一生をらくだで過ごす奴もいるしなあ。
結局ニーチェのいうところの超人というのはいわばバガボンドの天下無双みたいなもん。
僕も無を超えて最高の超人に為るよねー!?♪。
やっぱり音楽が人類史で至上最高の表現分野だと思う。面倒なルールもシガラミも無く自由過ぎる。
文化も言語も超えた意思疎通が出来る。誰もが、自分が「キモチイイ」と思う好きな音を出せばいいし聴けばいい。
やっぱり!音楽こそが人間の心身を一番揺さ振ったり感動させる芸の術だう。
声紋も音だ
209 :
考える名無しさん:2011/09/02(金) 13:55:27.29 0
別に特定の分野を祭り上げる必要はないと思うな。
興味のない退屈な音楽は眠気を誘うだけだし、言葉や文化がわからないと歌詞も題名も理解できない。
ビートルズの「ノルウェーの森」だって題名の意味わかんない人はシベリウスの「フィンランディア」みたいな曲だと思うんだろうな。
本当は彼女の部屋にあったニトリの家具程度の意味なのにね。
まず、音楽は聴かないと
言葉も映像も忘れて、つまり目を閉じて、ただ音を聴いて感じればいいんだよ。
212 :
考える名無しさん:2011/09/02(金) 20:01:31.07 O
>>122にも書いたんですが。ニーチェの思想には仏教思想が入っていると思う。救いの宗教であるキリスト教からりの仏教思想への転換を提言したのでは?それで人は超人にならなければと説いたのでは?永劫回帰などはまさに仏教思想そのものでは?
213 :
考える名無しさん:2011/09/02(金) 20:02:55.86 O
仏教思想と言っても原始(初期)仏教ですが
それはショーペンハウアーの影響
215 :
考える名無しさん:2011/09/02(金) 20:10:10.84 O
ショーペンハウワーは仏教思想の影響を受けたのですか?また,ニーチェは一切仏教思想を参照しなかったのですか?
216 :
考える名無しさん:2011/09/02(金) 20:13:41.96 O
誤字脱字が多くて済みません。「覚」りとショーペンハウ「ア」ーが間違ってました。
アンチクリストで言及があるが直接はその程度
>>212 右から左みたいな、そんなアホな話では無いと思うな
219 :
考える名無しさん:2011/09/02(金) 22:10:56.04 O
神は死んだとは,キリスト教的価値観から仏教的(キリスト教に代わる新たな価値観としての)価値観への転換ということのような気がします。超人とは仏陀のように強い個人の象徴(「犀の角のようにただ独り歩め」の譬喩)のような気がします。
220 :
考える名無しさん:2011/09/02(金) 22:59:37.41 O
ニヒリズムは仏教思想の「無」に通じる気がします。永劫回帰は輪廻転生に近いと思う。「これが人生か。ならば,もう一度」
221 :
考える名無しさん:2011/09/02(金) 23:04:45.41 O
ゾロアスターに仮託したのは,世界最古の宗教家に語らせることで,キリスト教の影響を排除できると考えたのでは?
ニーチェはあくまでも西洋近代哲学の流れが大前提
仏教は古代インドから出発している
表面的な類似点だけ取り上げられてもねえ
ニーチェはロマンチストだから
224 :
考える名無しさん:2011/09/03(土) 00:20:29.40 0
ユダヤ人が知恵とルサンチマンによって帝政ローマの価値観を引っくり返したのを
真似してニーチェも同じくユダヤ・キリスト教が築いた価値観を引っくり返そうとした
羊飼い(神官)を批判してるけど、現存する神官を根絶やした後に
新世界のカースト(神官)に君臨したいのがニーチェ
新世界の王になりたかったマルクスと同じだな
要は自分が出世したいだけ
>>224 ニーチェは瓦礫の山の王になりたかったのさ
論点は、足元にあるのが瓦礫だと受け入れるかどうか。
王の足元には、輝くような富も財産も未来も無い。無価値な空虚だけがある
更に寄り良い人生に出来る永劫回帰ならば永遠リセット願望に近いよねー。
227 :
考える名無しさん:2011/09/03(土) 09:29:53.67 0
まあカルチャーショックのせいでしょう。
新渡戸稲造がキリスト教を知ってから武士道について書いたみたいな。
228 :
考える名無しさん:2011/09/03(土) 13:23:03.61 0
>>225 >ニーチェは瓦礫の山の王になりたかったのさ
そんな公平なものじゃない
既存社会の価値を破壊した上で、ちゃんと超人にだけは
おいしいご馳走が用意してある。
キリスト教が現世を偽りの世界とした上で
自分たちだけ死後にある本当の世界における利権を確保したようにね。
共産主義も時代に原罪を暴き、既存の階級を全てを破壊するが
前衛階級(知的カースト)があらたな特権階級として約束されている。
日本社会で言えば、役人の特権を批判して潰そうとするけれど
自分が権力の座に就いた暁には自分専用の特権を新たに作る予定をもった
政治家みたいなものだ
229 :
考える名無しさん:2011/09/03(土) 13:33:17.35 0
228続き
定期的に価値の転換が起きてまた新しい特権や特権階級が創り出されるのを
文化創造や時代のダイナミクスとして重要視するならば、プルードン的である。
しかし今ある特権を攻撃して、それを無くした後に筋を通して自分も特権を
作らないとすれば、それは仏教的である。そうなったら本当に以後何もなくなる。
ニーチェはこのようなニヒリズムを望まない。
また誰かが創造することを、新しい時代を築くことを望む。
そのために必要な必要悪は、自分が支配者になり特権を創ろうと企む野心である。
>>228-229 公平、って考えがよく分からんな。人が誰しも特権を求めるものだとは、
それこそルサンチマンの考えだ。ルサンチマンがニーチェを理解する事は無いよ。
あなたのニーチェ観は、あなた自身のルサンチマンの表れに思える。
231 :
考える名無しさん:2011/09/03(土) 19:03:28.63 0
ニーチェの言ってることってようするに我慢しろってことだろwww
ニーチェって今で言う典型的な草食系だぜwww
我慢するんじゃなくて、いちばんデカイことに全エネルギーを注ぎ込めってことだよ。
233 :
考える名無しさん:2011/09/03(土) 19:47:35.27 0
ニーチェは新渡戸稲造の「武士道」が出版された年に死んじゃったんだな。
ちなみに新渡戸稲造はニーチェについて「武士道」の中で、
「ニーチェの尊大で自我中心の親方道徳はある意味で武士道と似ているところがある。
もし、私が大きな過ちを犯していないとするならば、この道徳はニーチェが病的な歪みのためにナザレ人の道徳を謙虚で自己否定的な奴隷道徳と名付けた。
それに対する過度的な現象、あるいは一時的な反動の結果である」
と記述している。
新渡戸稲造の武士道こそ親方道徳だと思うが…
江戸武士とも戦国武士とも全く違う勝手論
235 :
考える名無しさん:2011/09/03(土) 21:53:59.58 0
>>230 理解できなくても構わないが、なぜ私に憎悪の念を向ける?
まあ貴方はどうせニーチェの本なんか買って読んでいないから勘違いしてるけど、
ルサンチマンは相手を貶めたいときに使う便利な用語ではないのだよ(・∀・)
キリスト教とかマルクス主義ってのは解釈の違いで人が殺される高尚な思想らしいが、
ニーチェだか超人にはそんな大層な力はない。もっと肩の力を抜いて語れ。
236 :
考える名無しさん:2011/09/03(土) 22:04:49.30 0
>>231 >ニーチェの言ってることってようするに我慢しろってことだろwww
>ニーチェって今で言う典型的な草食系だぜwww
草食系=ニヒリズム=仏教思想。
草食系だったニーチェはそこから
もう一段階突き抜けることを模索していた
ニーチェは素晴らしい進化をした思想哲学ですよねー!?♪。
>>235 超人とは、特権階級では無いよ。
あなたの考えからは、価値=特権という考えが透けて見える。
特権を求めるのは、ルサンチマンによく見られる卑しさだ。
ニヒリズム=仏教思想は間違っている。
仏教思想の中には、ニヒリズム的側面を持つ面もある、というだけだ。
さらに言えば、仏教思想は枝分かれし過ぎている。
240 :
考える名無しさん:2011/09/04(日) 01:21:57.37 0
>>238 中二病の詩人よ、貴方は自分のレスを見直したほうがいい。
「お前は異端だ。お前は反動だ」と単調な呪いの呪文を連呼している
最も卑しいバカが見つかるだろう。
人を攻撃したいのならば相応の覚悟をもってしれ
241 :
考える名無しさん:2011/09/04(日) 01:32:38.86 0
>>239 ステレオタイプとしてはいんじゃない?
例えばベンサム的功利主義なんか
あえて間違ったほうの意味合いで使われてることが多い。
まず仏教は、大乗と小乗で大きく前提としているものが違うからね
おそらく、仏教思想とニーチェ哲学を似ている(あるいは同じ)と言っている人は、
大乗仏教の方を言ってるんだろうと思うけど、仏教思想だとどっちも含んじゃうから
まず、そこのところから間違ってる。
243 :
考える名無しさん:2011/09/04(日) 03:27:01.54 O
いえ,ニーチェの思想と似ているのは仏教思想の中でも,原始(初期)仏教と前に書きました。大乗仏教ではなく,むしろ小乗仏教の方です。大乗はキリスト教にそっくりです。一神教的でもありますから。
244 :
考える名無しさん:2011/09/04(日) 03:31:36.94 O
いや、そこは分かってるけど 逆じゃないのかって話。
小乗は、仏は釈迦だけって教えで、大乗は、みんな仏になれるって教えだったと
思ったけど 違ったかな?
246 :
考える名無しさん:2011/09/04(日) 04:04:44.42 O
その通りです。
ニーチェの思想は原始仏教に似ています。超人は覚りを追求する仏陀の姿を彷彿とさせます。「犀の角のようにただ独り歩め」
>>240 もうちょっと意味の分かる反論を求める。あなたの、特権に対する考え方とか
あと、ニーチェ的には覚り(真理)は無いんじゃないですかね。
原罪を見つけた…それは、性欲。
見つけた
何を
原罪を
それは性欲
ランボー風に、乱暴に言ってみました。
神は死んだ事なし!?♪。
250 :
考える名無しさん:2011/09/05(月) 06:58:51.25 O
おそらく,それは譬喩でしょう。キリスト教的な価値観の時代の変革を宣言したのではないですか?
アダムとイヴは禁断の果実を食べたのではなく、セックスをしたのです。故に追放されました。
出産行為も母胎からの追放、脱出、解脱、出発。しかし…罪も連鎖します。しかし罰は…死に因って贖われるのでしょうか。
彼は彼の金玉と言う名の2つの禁断の果実をもぎ取りたいと言った。そして、火葬したいと。
精子達「おいノロマ、早く卵子を探して来いよ。早く競争がしてえんだよぉ。私達を殺す気ですかい?」
って今日も生意気ゆうから、適当に射精してポイしてやりましたとさ。でめたしでめたし余の祟り後の祭り。
話をぶったぎってすまん。
新参だが、ばかな俺にわかるように教えて欲しい。
ヒトラーが超人ではない理由を。
ヒトラーはルサンチマンとは真逆であり、かつ力への意思に身を委ねているように思えるのだが…
ヒトラーは自閉症
優越願望を持つのはいいとして、
他者を見下し、復讐に執着するルサンチマン
レーニンも超人に近いが復讐者であるところに限界を感じる
俺はヒトラーは超人だと思うけどね。
超人は特権を求めない。超人が超人たれば、権利の欺瞞なんて分かるでしょう。
超人が命令するのは、権利があるからでは無い。権利が無くても命令するのが超人。
超人とは、誰かを従わせる人間では無い。自分を従える人間だ。
ヒトラーのように力強く大衆を操っても良い。隠者のように賢しい人間を批判して暮らすのも良い。
彼には彼の、あなたにはあなたの超人がある。
チョージンとは、あらゆる生命にとって最強の欲望こと我執(エゴ)ですら超えた人。故にヒトラは勿論超人とは違うと思う。
ヒトラは子供の頃に父親に虐待されていたと言う説もある。あらゆる現象には必ずバックグラウンドやメカニズムがある。
ヒトラーは天才像より
映画「アドルフの画集」にある
魅力的ルサンチマン像の方が輝いてる
虐待…何と言う地獄絵図なのだろう。
もうさ、超人のイメージで超人語るのは
ちがうくね。
歴史上の人物とか成功者とかさ。
もともと、歴史上の活躍した人物が
なにか能動的に事を起してるとは思えん。
ある能動に対する反動で事に臨んでるだろ。
例えば民衆を救うとか。こういう受動的意味じゃ
ねーだろ超人は??
まあ超人自体 抽象的すぎるからな
それは超人ではない、という方法でしか超人を語ることは出来ないのか
ぶっちゃけニーチェ自体があやふやにしか語ってないからな
矛盾してるけどそれもまた超人の一部なのだよ!
とかいって誤魔化してる
ニーチェは、劣等な人間はルサンチマンにより価値の転換を計り、力の弱い人間は正しい人間であるとし、優秀な人間を否定し、人間はみんな平等であるという民主主義的世界観を作り上げたと批判した
しかしニーチェは、劣等な人間には、これとは正反対のもう一種類いることを問題にしなかった
それは、自分が劣等な人間であることを認めず、権力者や優秀な人間に自分を投影して他の劣等な人間を見下そうとする人間である
これは戦後に、アドルノやホルクハイマーが言った「権威主義的パーソナリティー」というタイプである
ノイマンは、「ビヒモス」の中で、労働者と同じ境遇にまで没落した中産階級の若者が社会主義者になれず国家社会主義に惹かれていった理由を、社会主義の「人間はみんな平等である」という思想を受け入れることができなかったからであると述べている
このようなタイプの人間は、自分が劣等な人間であり、社会の底辺にいるにもかかわらずそれを認めず、民族や家系や男性といったカテゴリーの妄想の中に逃げ込むことであたかも優秀な人間であるかのように自己欺瞞をして、
そのカテゴリーに属さない労働者や女や少数民族などを自分より劣等な人間として差別しようとする
戦前において、通俗的に解釈したニーチェの権力思想に陶酔したのもこのような若者たちである
これは今では、まさに2ちゃんねるに巣食っている、社会から脱落したニートや童貞といった劣等な男たちに見られる典型的なタイプでもある
そしてヒトラーこそ、まさにその先駆者であった、違いは、ネットの中だけで空威張りしている連中とは違って、ヒトラーには行動力があったということである
僕は超人を超えた正体不明の存在に為るよねー!?♪。
またウンコやろうがゲームキャラに人格申立しやがった ビヒモス
>他の劣等な人間を見下そうとする
俺が特権と呼ぶのはこの見下す権利なんだな
ニーチェにはこれが染み付いている
超人のアイデアは良かったが、ニーチェはそれを扱いきれなかった
その点においてユンガーの完成度は高い
おまえら何処まで道徳に犯されてんだ。
おまえらのニーチェ好きはよく分かったがギリシャ神話についてはどのくらいの理解があるんですか?
少なくとも、「悲劇の誕生」くらいは読んでるよな?
272 :
270:2011/09/06(火) 14:31:02.14 0
>>271 よんでねーよ。
彼岸、そのひと、ツアラ、だけだ。
最近ツァラトゥストラを読み始めた。
恐ろしい、感動的な稲妻が身内を走った。
これほどに美しい書物を私は知らなかった。
全てがここから始まり、流れ行くのを感じた。
悲劇の誕生はパラパラめくってみたがギリシア悲劇の区分けとかややこしくてとりあえず他の本で知識を補ってから読もうと思った。
ヒトラーは画家や建築家として評価されなかったルサンチマンに囚われてるし、
自分にも理解できる糞リアリズムな作風以外は退廃芸術と見做して弾圧したし、
アーリア民族がどうとかいう偏狭な思想を主張しつつすべての負をユダヤ人に押しつけたし、
どっこも超人的でない。むしろ真逆でしょう。
それにニーチェは、歴史上の偉人と呼ばれる連中は、何か偉大な出来事の象徴的存在でしかない、
ともどこかで言ってたので、超人は、そういった、単に「流れに乗る」奴とは別物だと考えてたんじゃないのかな。
ヒトラーは畜群道徳ではなく君主道徳的であるし、
常識にとらわれない言動をしてないか?
それは大いなる正午を乗り越えたように見えないこともないのだが…
ヒトラ自身は何一つ手を汚してないところが…超人的。悪の超人?最後は自殺した。
ドストさんの悪霊のスタヴローギンと被る。カラックスのポーラXのヤツとも被る。
278 :
考える名無しさん:2011/09/06(火) 19:52:09.26 0
ヒトラーよりはむしろシャルル・ドゴールの方がずっと超人的に思える。
ドゴールの方がヒトラーより行動力あった。そして軍事的にも外交的にも完全勝利した。
ドイツを敗戦国にさせ、フランスを安保理常任理事国にさせた。
______
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( ヽ :::,,,_),.: }
,____/ヽ :: ー=三- ; よーくわかってるじゃないか
r'"ヽヽ tヽ、 ヽ、___ノ
/ 、、i゙゙゙ \ ヽ_,,/ ̄
/ ヽノノ <\◇j |ヽ
| `'、_[ 。 ] \ハ/r |
{  ̄''ー-、,,_,ヘ^ |
ゝ-,,,__|__(_)--、j
/ \__) /
| "'ー‐‐---''
勝った負けたの話じゃないだろう。現実を超越した理想・妄想に殉じて没落したヒトラーの方が超人的という解釈をする人も入るだろうし。
ただ、常識にとらわれないとかいうだけで超人的とは言えないだろうな。ヒトラーは独裁的だっただけで、創造性はない。
政治的に君主的だっただけではニーチェ的な超人にはならないだろう。
カラックスはどうかと思うけど、ドストの悪霊は実際ニーチェも影響受けてたらしい。
「入るだろうし」、じゃなくて、「いるだろうし」。
なんでこんな余計な変換するんだろ。
ヒトラーは意味(勝利)を必要としている時点で失格
ヘルシング少佐みたいに敗戦でも戦争を愛せたら超人かもしれんな
歴史は畜群が作るったものなのになんで超人が
そこに登場すんだよまったく。
NHKのツァラトゥストラのテキスト読んでるけど
ニーチェって幼稚くない?
それともこの著者の先生が幼稚なの?
神は死んだってもっと深いもんだと思ってた。。。
ニヒリストやペシミストのような末人(人の行き着く先?)は安全で無難であることのみを求めるからだめで
超人になれって
永遠回帰なんだから超人を目指そうが最終的に超人になろうが
「人生のありとあらゆるものが細大洩らさず、しかもそのままの順序で戻ってくる」
んだから結局末人であることと変わりないのではw
って理論破綻してるし。。。
心の持ち様?達観しろといってるの?
でも達観なら末人の思考に近いが
>>284 >「人生のありとあらゆるものが細大洩らさず、しかもそのままの順序で戻ってくる」
>んだから結局末人であることと変わりないのではw
明日何があるか分かってるならなwwwww
286 :
考える名無しさん:2011/09/06(火) 22:15:46.26 0
まあ現代的に解釈すればニーチェはたいしたこと言ってない
ギリシア哲学とキリスト教を源流として
デカルトに始まりヘーゲルに至るまでの
近代哲学をほとんど全てひっくり返して実存主義に繋げたところにニーチェの価値があるんであってね
表現力が凄いから衝撃的だったんでしょ
うん。深読みしてがくーり
>>287 表現力が凄いのは、それによって語られている思想の質そのものが違うからだろ。
単に概念的、論理的な骨組みだけで評価するのは、ニーチェが学者を批判するときによく指摘していたことでは。
>>284 永劫回帰する世界を、回帰せよと肯定するのが超人としての生き方なんであって、
超人になっても永劫回帰するんだから末人と変わらないってのは、その「変わらない」って態度自体が末人的。
達観して、諦観して、静観する。
おまえらのこれまでの人生が寸分たがわずまた回帰すると
ニーチェは言ってんだから、明日おまえらが行うこともまた
同じく回帰すんだよ。だから何すんだと聞いてるんだろ?
すげぇ論理的じゃねーか?
というような質問と超人は誰誰さんなんて議論は全く
次元がちがうんじゃ。
>>273 哲学者として私はニーチェをあまり好きではない
でも芸術家としての才能はほんと凄いと思います
「人間の理性の無力」
やはりこれは自然的物理的身体的要因にある。例えばもし今目前にLSDをポンと置かれたら、興味本位で飲んじゃうと思う。
生理的に、悪と感じるモノ(悪とは言い切れないかもだけど)は、自らから物理的に遠ざけるべし。悪夢も…
脳は物質なのに、何故意識が存在するのか。すべて神経のせいか。
>>273 よく言われるのが、芸術者は以後自らの処女作を超えられるものは作れないと。でもそれは勿論誰しも当て嵌まるとは限らない。
自分もツァラの全体や細部のビジョンは美しいと思う。どの翻訳がいいかは不明だけど、先日書店で岩波文庫を読んでみたらいい感じだった。
>>294の追記だけど、ニーチェの人生で言えば共依存関係みたいになっていた妹とは、バッサリ縁をキルべきだったのかもしれない。
ニーチェは文章でツァラ世界を書くことによって、それまで文章で哲学が個人の脳内での概念や解釈や体系に留まっていたものを、
世界や生物や他者や現象と結び付けることにより、実存性や身体性にまで達し表したことにあるのかもしれない。
ツァラはニーチェにとって原点であり頂点の著作
ゾロアスターはあんま面白くなかった
この人を見よが好き
ビートタケシの本みたい
「俺の本が売れねー自称友人たちも買ってくれねー」
「なんか最近になって外人が俺の本を講義してくれるようになった。
ドイツ人は駄目だね。俺も実は外人だったのだよ(ニヤ」
「この本って意味不明だった? 書いてあることはキリスト vs 俺(キリッ)!」
「最近一番うれしかったことは、露天のおばちゃんがなんか親切だったこと。
哲学者たるもの、ざっとこうでなくてはならない!」
「俺は……天才だー!(売れてないけどね!)」
ゾロだってそんな感じなんだけどな
自虐ネタの売れない芸人魂
チェーンソーの攻撃で一瞬でバラバラに為って神は死んだ!?♪。
302 :
考える名無しさん:2011/09/08(木) 05:55:08.14 0
ドンフライ
エビフライ
永遠回帰は知っていると思いますが、
気の遠くなるような昔に、
しかも気の遠くなるような回数
このレス見て、そして次の質問に、
いわゆる無限回同じ答えを、
答えたであろうそんなあなたに贈る、
贈らねばならん。
さぁ次は何をやりますか?
勘違いナルシスト野郎をぶちのめす
身体的に言えば、心臓も呼吸も瞬きも死ぬまで繰り返しよね。
脳が発達し過ぎた人間は、ただ苦しみが増えるだけなんじゃないだろうか。しかし、芸術的な楽しみなども増えるのかな。
苦しんでばかりの人、そんな貴方に贈る言葉。もっと動物的に生きれば楽になれますよ。と
動物的に生きると言うこと、即ち専ら身体的に生きるということ。身体の健康があってこそ、意識も健康になります。
308 :
284:2011/09/08(木) 15:25:17.86 0
>>285 自分が明日何があるか分かってるか分かってないかは関係ないのでは?
自分がどう思おうが意表をつこうが
はじめから決まってるのか結果同じになる。
それが永劫回帰ってことじゃね。
釈迦の手のひらを飛び回る孫悟空みたいなことだよ。
>>291の指摘通り「寸分違わずまた回帰」を説いてるわけで。
だから何するの?流されるのか同じとわかっても立ち向かうか
予定調和的な未来が待ち受けようと構わず自分を貫き通すか
そういう精神論に落ち着くような。
そうすると超オプティミストで貴族的自己評価のみの世界になって
それを肯定することは
他者の存在や相対価値を否定して自分のことのみに目をやり
称え鼓舞し続ける精神論になると思うんだけど。
そういう唯我独尊的達観はどうなんだろう。
海原雄山みたいな価値観かw
そういうのが超人ってことなの?
何を決意したか?
が永遠に回帰するんだよ。
>>306 その苦しみが楽しみなのでは?
人の感覚ってのはおかしなもので
一回ロフトで爆睡中になべを焦がして一酸化炭素中毒になりそうになったけど
寝てるときものすごく気持ちよかったけど
目を覚ましたら目の前が煙で真っ白
ビビって外に出て呼吸をしようとしても息ができない(けど苦しくない)
何とか息を吸い出したら痛いのなんの。
しばらくしたら元に戻ったけど
臨死体験してる人って結構気持ちいい感覚が伴ってるよね。
結局呼吸したり息吸ったりすることだって本当は痛い苦痛であるけど
継続することで慣れで苦痛もなくなりそこに楽しみを見出すようになる。
そんなとこじゃないかな。
いやな作業や仕事だって同じことが言える。
つまり極論すれば苦痛か快楽かは感じ様だし
苦痛も慣れが緩和して楽しみを見出せる。
だけどニーチェはそういう僧侶的価値感に救いを求めるのはルサンチマンだといってるでしょ。
どうなんだろう。
>>309 結局そこに行き当たると俺も思う。
何かを決意すべきだが、決意したって永遠に回帰することは目に見えてる。
でどうするのか。
永遠に回帰しようがどうでもいい。俺は俺らしくわが道を行くってのが
超人ってことなのかな。
ニーチェもないものねだりでありもしない論理破綻含みの理想像を
確固たる実像もないままといてるようにも見える。
じゃあ神と一緒じゃんかとw
>何かを決意すべきだが、決意したって永遠に回帰することは目に見えてる。
う○こを食べることとカレーを食べることは結局、永遠に回帰するから
同じことだと。
いいえ。
ニーチェは精神疾患が使うオナホと化している
奴らのお友達認定を避けるためにはニーチェから離れるしかないのか
永遠回帰はカミュのシジフォスの神話の方がわかりやすい
>何かを決意すべきだが、決意したって永遠に回帰することは目に見えてる。
つまり、何かを決意すべきだが、決意したって永遠に回帰することは目に見えてる。
ってことが永遠に回帰する。
>>308 >他者の存在や相対価値を否定して自分のことのみに目をやり
二流以下の論理学者や永井均みたいなタイプがよくそういう解釈をするんだけど、
ニーチェが「多数の超人が必要なのだ」と言ってたのは、すべてが力でありまた多様であるということに
多数の人間が気づけよ、ということだろ?もちろん、そこに達する奴は多くはないと痛感しつつ。
力ってのは、唯我独尊的に他を排除する力ではなくて、世界の可能性を展開する力なわけで。矮小な自我を捨てさせる思想。
アレントの社会の多様性を大きくしていくってのにもつながるんかな
318 :
なごやん ◆DDDDDDDDhA :2011/09/09(金) 04:25:16.44 0
永劫回帰っていうのは、継起関係と並存関係で考えると並存関係のことで、
マルクスなんかは並存関係を形而上学として非難して継起関係における
法則に拘泥していたけど、結局は色々変わっても総量は同じで並存関係
でしかない、というのを意味しているんだ。変な話ラ・メトリの人間
機械論の方が子供だけど王様を裸と言い当ててるよね。
319 :
なごやん ◆DDDDDDDDhA :2011/09/09(金) 04:35:28.06 0
昔は皆神と共に生きていけたんだけど、神と共に生きていけなくなってそこで
神を創造してしまった。でも創造された神は弱者が作り上げたもので、そこで
人は死んでいる神を蘇させなければならないわけ。でもそれは神が共に生きて
いけなくなった事情を考慮すると不可能なんだ。この事情とは2つあって、
それは訪れるということが複雑な社会では出来なくなったこと。そしてそう
いった複雑な社会であるがゆえに個々人によって神が変わってしまうことが
ある。そこで個々人が自己神を創造しなければならないといったのがニーチェ
だよ。勿論受動的必然的時間的だった前近代の神が、能動的偶然的空間的な
神となった以上、それはかつての神の様な完全さが無い。だからそれは神と
人の間の超人になるしかないんだ。
形而上学って宇宙や大気の循環を知る為にいい分野だと思う。
今この瞬間の自らの形状(己の心身共に)を知る為にも、同じ空間の中で時間的に過去があって未来がある訳だから。
さて、本当に「時間の経過」と言うものは存在するのだろうか?
そんなものはない
人工的な記号や概念って、はたして信用出来るのかしら。
人が作った神も言語も道具も、不自然極まりないものなのかもしれない。
>>316 矮小な自我とそうでない自我の違いは何w
結局は自我、自己満ってことでしょ。
他を排除するのではなくて、他を考えない所に拠り所を求めるということじゃね。
他を排除するという考え方は、他の存在を認めることが前提になる。
唯我独尊は、他があろうがなかろうが我関せず己の道を行くから唯我独尊。
内向的な唯我独尊と、世界的な視野に立った唯我独尊とそれほど違いはないと思うが。
多様性への寛容と唯我独尊も相反すると思う。
唯我独尊は多様というか他に関せずだから他者との関係性はさして問題にならないはず。
だから他者が違おうが同じだろうが関せず(どうでもいい)だから。
なんかニーチェって結局身も蓋もない事ばかりだよな
好きだけど
無視することも排除することも「無に帰す」ことだからな。
「なんでもかんでも美味い」と見出しちゃう人+唯我独尊なら
どうかなと思ったけど、好き嫌いはするべきらしいみたいだからなぁ
生理的な好悪もあるからなぁ
>>316 「多数の超人が必要である」とニーチェは言ったとしよう。
そうだな、ニーチェにとっては必要だったんだろうな。それだけ。
その言葉から、何か「大いなる使命」とか「聖なる意味」とかを汲み取ろうとするのは、
ニーチェ哲学から外れるんじゃないですかね。
宗教の世界に入ってしまうからなw
技術によって創られた高性能な宗教として哲学を求めてるとか?
331 :
なごやん ◆DDDDDDDDhA :2011/09/10(土) 02:18:03.98 0
ニーチェって徹底的に科学的に振舞って、誠実に論理的に突き詰めて、その
結果科学的に宗教を選択した人なんだよね。かつては単純な社会だから祭、
すなわちハレが受動的一般的時間的に訪れていたわけ。だから人は個々の
実存に注目する必要も無かったし、そういう意味で神は存在していた。
でも社会が複雑化することでそれが出来なかった社会構造が生まれるわけで、
そこで近代的自我が注目され、ハレが能動的個別的空間的になったことで
訪れていた神は死んでいるわけだ。ニーチェはこれからニヒリズムの時代が
来ると予言した。当然だ、社会構造上もはや人は無意味に歓喜出来た時代を
享受することは不可能になり、意味的にならなければならないわけだ。
この様な社会構造の中で歓喜を得る為にニーチェの出した答えが超人だった。
無意味を前提に意味的に歓喜を選択するこの信仰こそがニーチェが叩き出した
限界の答えだ。
一言で言うとピエロでせうか
宗教はくだらねーが宗教がもたらす狂信性がほしかったキルケゴールみたいな?
335 :
なごやん ◆DDDDDDDDhA :2011/09/10(土) 03:20:24.72 0
>>334 半分正解だね。半分というのはキルケゴールってニーチェより少し前の人なんだ
けど、ニーチェより先に近代的自我に注目してどうやっても信仰から離れて
歓喜を追及しても完全な成功はありえないから、そこで宗教を選択しろ、と
言った人なんだよ。ただ彼の場合は宗教をある個別的な宗教に規定してしまった。
そこへ行くとニーチェは進んでいて、宗教は個々人で選択すべきものだと
したわけだ。キルケゴールって凄く誠実でニーチェ同様徹底的に論理的に
突き詰めた人なんだけど、最後のある個別的な宗教を相対化できなかった
所が惜しい。理由は時代背景なのか、本人の信仰なのかは分からないけど。
336 :
なごやん ◆DDDDDDDDhA :2011/09/10(土) 03:56:17.22 0
ニーチェの概念で小児、駱駝、獅子ってあるじゃない。キルケゴールはこれを
審美、道徳、宗教Aと呼んでいるだけで結局同じこと。またニーチェは権威
主義者を最も意味的なニヒリストとして弱者の最たるものと規定してるけど、
キルケゴールも同様に悪魔的狂乱として弱者の最たるものとして規定している。
無意味な中で意味を追求し尚且つその上にふんぞり返っているわけだからね。
そしてニーチェの超人もキルケゴールの宗教Bにおける信仰もおなじこと。
しかし違うのはキルケゴールの信仰は特定の個別宗教であり、ニーチェの
信仰は多様性を持っているということなんだ。だからニーチェは天才と
いわれるし実際そうだけれども、ニーチェの前にニーチェなくニーチェの後に
ニーチェなしということはなくて、十分キルケゴールが回答していた以上は、
ニーチェがいなくても回答はなされただろうね。
キルケゴールって信仰が自分を救うと信じて、
信仰を持つために狂信的な素振り・行動を見せつつも
結局信仰を持たない側面も重要なんじゃないの?
>>325 結局は自我、というふうに「自我」って「概念」で同等に見てしまう「科学」性をニーチェは批判してたんだから。
そもそも、自我そのものを何か実体的なものとして考えるのが錯覚、幻想じゃね?てのがニーチェ。
その辺は仏教と似てるかも。ニーチェは因果とか法とか言わずに権力意志と言ったけど。
で、権力量(それが多様性をもたらす、というか、多様性としての世界そのもの)が全てである、と。
唯「我」独尊て発想自体がニーチェはあんまり関係ないと思う。
釈迦が生まれてすぐに歩いて唯我独尊っつったのもただの伝説だろうしw
>>314で言及されてるカミュの「シジュフォスの神話」では、キルケゴールは不条理に耐えきれずに神に屈したダメ人扱いだったな。
ニーチェは「壮麗な砂漠を思わせる」思想を説いたイケてる奴て感じの評価。
「永劫回帰は未来の宗教となるだろう」「だがこの思想には地獄による脅迫などはない」。
だけど、生の無意味・力の限定性には耐えなきゃならないんだよな。
まあ、あんまり生を真剣に考えてない奴の方が気楽に受容するだろうともニーチェは言ってたが。
どんな選択、どんな行動を行っても無駄だ、すでに決まり切っている。
というのが永遠回帰の不条理ではなく。
決まり切っているのに、それを知らないということが真の不条理であり、
だから自由なのだ。
決めろ、さすれば永遠に回帰するだろう。
『ツァラトゥストラはかく語りき』の喉をヘビに噛まれた男は、
やがてヘビを噛み切って、笑いながら立ち上がる。
彼は自分の存在を受け入れた。その目は太陽のように輝く。
人は、自分が自分であることを受け入れることによって、
「超人」となるのだ。
ニヒリズムを徹底することが超人への道だ。
否定し否定し否定しつくす。最後にこの否定する否定だけが残る。
最後にそれを否定するのだ。
ニヒリズム恐るべし。
>>339 >「永劫回帰は未来の宗教となるだろう」「だがこの思想には地獄による脅迫などはない」。
>だけど、生の無意味・力の限定性には耐えなきゃならないんだよな。
ニーチェ的な考え方は、「生には意味があるはずだ」という願望(弱さ)しか持ちえないまま、
イデアだの霊性だのに傾倒する事を否定しますね。
何も無い宇宙や砂漠にただ一人漂う図を想像すれば、生物が生の為のオアシスや意味(意味なんて求めるのは人間だけ)を探すのは必然なのら。
例えばここで我々が使っている言語にも意味がある。「ニーチェ」と言う一つの名で色々沢山語っておられる。
しかし意味なども個々それぞれの「解釈」でしか無い。ゆえに意味に普遍性も絶対性も無いと思う。
人間は誰しもテキトーに納得して肯定しながら生きてくだけ!ナニモノもクリアにはならずまま盲目のままに…お外を眺めるとああ、高いところの青空がクリアでキレイだわさ。
>>340はわかりやすい。
でも結局気の持ち様な気が・・・
>>342 俺みたいだなw
よく天邪鬼といわれますw
この頃は何でもそうだけど一方で否定するし肯定もする。
全部開けといてあとは自分の好みでみたいな。
これが超人ってことか?じゃあ俺超人なのwww
>>319 >個々人が自己神を創造しなければならないといったのがニーチェだよ。
ニーチェが言っているのは、「自己神の創造」というよりは、「新たな価値の創造」。
ニーチェがそれが必要だと考えたのは、新たな価値を創造することができなければ、人間は、必然的にニヒリズムに陥らざるを得ないと考えられるから。
このニーチェの考え方の前提には、存在そのものは無意味で無価値であるという考え方があると思います。
しかし、存在そのものが無意味で無価値であることを認めることができる強さをもつ人間は多くはなく、
大抵の人間は、既に世界の中にある「意味」や「価値」を求め、それを生きるための『支え』にしようとする。
今までは、そのような『支え』の典型的なものがキリスト教の「神」であったわけで、
そして、キリスト教の力が衰えるとともに、それによって隠されていた存在の無意味さが露呈してきた。
そしてそこに、ニヒリズムが生じた(神の死によるニヒリズム)。
しかし、神の死によってニヒリズムが生じたのは、もとはといえば、
世界の中に既にある「意味」や「価値」(それは実際には存在しない)を求め、それを、生きるための『支え』にしようとしたからなのであり、
根本的にいえば、人間がそのような態度を変えない限りは、これからも、神の死によるニヒリズムと同じようなニヒリズムが、繰り返し繰り返し生じることになる。
だから、そのようなニヒリズムに陥るのを回避するには、
存在そのものは無意味であること(そのこと自体が、神の死によって生じるニヒリズムとは別の意味でのニヒリズムである)を大前提として認め、
その無意味で無価値な世界の中で、新たな意味と価値を創造し続けるという態度が必要になってくる。
そして、そのような境地を示しているのが、
>>336にでていた「小児」(≒超人)。
「小児」は『第一運動』であり、従来の諸価値が「獅子」によって破壊された無意味で無価値な世界の中で、新たな価値を創造する『自力で回転する車輪』です。
「一般人間」という客体のないし抽象概念に対する存在価値なんて議論しても
薄っぺらな共通項としての意味しか発見しえないと思うなあ。
仮にそれが中心とか根底であっても本質であるとは限らないわけだし。
近代以降の人間は自分の価値を創造(資本主義的な金利、差異としての価値を無から生み出す)して
他人に必要となることで存在価値を生成するしか自己の価値を主観的に感じられないんじゃないだろうか。
続き
自我の同一性を保とうとするエネルギーである自尊心が間主観性を前提とするのは、
発達心理学でよく言われる様に、最初は母親から自我をコピーして(狼少女は人間としての自我が獲得できなかった)、
家族、共同体、社会組織、宗教などの抽象概念へと獲得源が成長に連れ拡大・変化して行くということ。
続き
すなわち近代は自主的選択の時代であって「一般人間」の共通項は多様性でしかない。
あるものへの同一化と他人との違いが価値を生み出すという矛盾した自我形成を強要しているので、
第二次反抗期に統合失調症がよく発生するのも過剰適応の結果として社会人にうつが多いのもこの結果。
現代に「超人」がありうるとすればそういう重力と電磁力の矛盾を相対論的に昇華した個別的個人ではないだろうか。
352 :
蝙蝠ちゃん出没中 ◆MinorKeyQs :2011/09/10(土) 23:35:11.49 P
超人という言葉が誤解を招くんだよねえ・・・
「誤解に耐えるものが良い映画」押井守
354 :
なごやん ◆DDDDDDDDhA :2011/09/11(日) 00:09:10.24 0
>>348 これは俺は違うと思うね。無意味であるにも関らず意味を前提にした価値に
立脚するのではなく、無意味を前提にした新たな価値を創るのは分かる。
前者は一般的な神になってしまうからだろう。後者こそ個々人に即した
ものになる。しかし後者は今の時代の社会構造上神にはなり得なくて、
個別的なものだけど所詮能動的空間的なものでしかない。つまり立ち位置が
無意味でありながらそこへ意味的にコミットメントしなければならないと
いう矛盾が常に存在している。だから神ではなく超人にならざるを得ない。
しかし本当にそうだろうか。
「この道がどこまで続いているのか語ってはならない、ひたすら歩め」
の言葉どおり、例えで話すなら道が少しずつ光沢を帯びてきてついには
黄金色に輝きだして、空間性を越えたものとなるのではないか。無意味を
意味に転ずるような運動を超人というのではないか。ニーチェの指差すもの
はそれだと思うんだよね。
355 :
考える名無しさん:2011/09/11(日) 00:45:11.84 0
そんな複雑である必要があるのだろか?
スゴロクにゴールがあるとして、
ゴールに意味があるの前近代。
スゴロクからゴールをなくして、
ひたすらサイコロ振って止まるマスを
エンジョイするのが超人の永遠回帰。
刹那主義に利用されてもしかたがない。
火のないところに煙はたたぬ。
356 :
なごやん ◆DDDDDDDDhA :2011/09/11(日) 01:14:34.88 0
>>355 明日早いので少しだけ書きます。
>ゴールに意味があるの前近代。
これは間違っています。スゴロク自体なかったのが前近代です。近代化して
人類史上初めてスゴロクが登場したんです。そのことを予見したのがニーチェ
でしょう。
>スゴロクからゴールをなくして、ひたすらサイコロ振って止まるマスを
>エンジョイするのが超人の永遠回帰。
その通りですよ。でもそれは歓喜への空間的相対的能動的アクセスですよね。
前近代の様な神ではない。だからこそ超人というわけですけど、超人も
幅の広い概念です。無意味を前提にしている以上は明日生きることよりも
死を選ぶことのほうが合理的かもしれない。その様な立ち位置を完全に
肯定すること、否定的感性を完全に除き去る時に人は超人となりきれる。
事実神のいる人たちがいるわけです。
龍:汝為すべし。
獅:否我欲す。
※龍とは想像上の架空の意。
超人:さあ、もう一度。
359 :
なごやん ◆DDDDDDDDhA :2011/09/11(日) 02:28:07.05 0
ニーチェの超人や運命愛の概念を日常の中でなんとか騙し騙し楽しみを
見つけて生きていくというような解釈は縮小解釈で、確かに入り口は
そこかもしれませんがニーチェの真髄ではないと考えます。
神が死んでいる中で自らの神を持つ者がいます。それは例えばアブラハム
です。アブラハムは神を信じて愛すべき子供を誰にも語らずに神に差し出し
ました。これをキルケゴールは神の前における道徳的なものの目的論的停止
と名付けましたが、信仰者にとっては世間的価値は意味がないし、また
感性的なものなので人に語ることが出来ないわけです。狂人に思える
アブラハムの心理こそ正に超人の最たるものです。キルケゴールも同様で、
死の間際にも死後天使に囲まれて雲の上へ行くと信じていました。カミュ
が何をいったか知りませんが、カミュよりは超人であるといえるのでは
ないでしょうか。
360 :
なごやん ◆DDDDDDDDhA :2011/09/11(日) 02:29:06.16 0
ニーチェはキリスト教を非難しましたが、それは思想家としての恣意的な
人工神の一般性非難であって、個別的信仰者によっては超人を生み出します。
現代の神を持つ者とは誰でしょうか?極右であり酒鬼薔薇であり奥崎謙三では
ありませんか?極右は天皇の偉大さを語ったりはしません。何故なら天皇が何か
をなしたから偉大なのではなく、天皇はそれ自体が偉大だからです。信仰です
から語る言葉などある訳がない。さらに進化するのは特定の客観的存在でない
自己神を持つ酒鬼薔薇です。バモイドオキ神は彼のセルフゴッドであり、
彼の成功は勿論のこと、失敗も意味有ることだと認めてくれます。
同様にセルフゴッドをもつ奥崎を見てください。時の天皇や総理大臣を公共の
電波で殺害予告をしたり、ゴッドワールドを作るとかゴットタウンに住むとか
言い出します。天皇に対してポルノビラを配ったりパチンコ玉を発射したり、
最後には「神様に教えてもらった」と称して金玉をもみながら死んでいき
ました。彼にとって無意味な日常はありません。彼は神様の愛い奴として
選ばれ、常に意味が与えられているのであり、成功すれば讃えられ失敗しても
意味有るものと認められる。やったことはまるで「天然バカ」のようですが、
天然バカこそ小児でしょう。
小児は人生の意味なんて考えないし歓喜しようとばかりします。奥崎こそ
無意味を意味に転換し、日常を超えて非日常に没入した超人ではないで
しょうか。超人や運命愛概念を大人の騙し騙しの生き方に縮小解釈しては
いけません。
熱いスレだ
尊敬する人はいっけども、
彼の腹が満腹になっても、
オラの腹は膨れねーのよ。
そんだけオラは偉大なんだな。
奥崎何某や酒鬼薔薇や極右は、神という超越的な存在を措定して、それによって生に意味が与えられるかのように振舞うのがダメ。
それなら、神に逆らった罰として無意味な石運びを繰り返すシジュフォスの営為を讃えたカミュの方がまだニーチェ的。
天然バカが超人とかいうのはそれこそ天然バカな発想なので、自己弁護に聞こえる。
ニーチェは芸術的な創造性が新しい価値を生むと言ったが、その前提として、
科学によって世界を一度解体することをも説いていた。
つまり世界の実相を捉えて想像の素材としろというわけで、バカを奨励しちゃいませんよ。
スゴロクについての解釈は同意だけどね。ニーチェの永劫回帰も援用としているドゥルーズの『意味の論理学』では、
『不思議の国のアリス』の、勝敗がないゲームを例にとり、偶然そのものを肯定し(勝ちのために利用するのではなく)、
結果としては芸術作品のみを生むゲームについて解説しているけど、超人的なあり方のひとつのイメージと言っていいかも。
子供とさいころ遊びをしていたヘラクレイトスのことも連想させられる。
あ゛ー、「想像の素材」じゃなくて「創造の素材」。この違いは大きい。
「援用としている」じゃなくて「援用している」。
芸術的な創造性が新しい価値を生むっていうよりは、
全ての価値が低落した後、我々が高揚するのは芸術的美意識だけじゃないですかね
ナルシズムに近い感情だと思います。自分の中の高揚を信じて進む。哲学的討論もそれの一種ですね。
366 :
なごやん ◆DDDDDDDDhA :2011/09/11(日) 08:32:49.71 0
>>363 奥崎とか酒鬼薔薇とか又吉イエスは天然バカじゃないよ。酒鬼薔薇は中学生
でニーチェ読んでたし、文章力も絶賛されていた。大切なのは無意味から始まって
あそこまで達したということだ。痛みが世界創造したんだよ、何も無しに
創造なんてできるもんか。
それに神によって意味を与えられるのは駄目というが、神を一般化するところが
自己弁護に聞こえる。バモイドオキ神は人工神などではなく防衛本能として
現われた人格関係を持った真の神だからね。一般性批判は当てはまらない。
そもそも無意味で懊悩する横で「円盤投げてたら楽しい知的身障者」に対して
羨ましいと思うのは自然なものだよ。ただ彼らは立ち位置が生得的なもの
だけど、先に挙げた人たちはそうじゃあない。神は無意識下に創造され
うるんだ。死んでいる神が蘇る。
老人奥崎を「老いた幼児」と評した人がいたけど、まさに小児だよ。貴方は
今の社会的な価値観で奥崎や酒鬼薔薇を差別しているんじゃないか。そういう
ことこそ俗物根性に思えてならない。ニーチェを浅く解釈している。
サカキバラの矛先が傲慢な教師だったら多少は同情したかもしれん。実際は弱い子供を殺してしまったので鬼畜。
そうだな。『悪魔くん』みたいに、バカで凡庸な教師のビンタに対抗して耳を引きちぎるとかなら共感できる。
>>366 天然バカと言ったのはあなた自身でしょw
>>360を読み返してよ。
あんたは天然バカに相応しく、「今の社会的な価値観」の外にありさえすれば肯定してしまえるみたいだが、
そういう選別性を欠いた発想こそ非ニーチェ的。「今の」に限定されない「社会的な価値観」全般に囚われず、
なおかつ「悦ばしき知識」としての知を大地の主としてふるうのが超人。ニーチェを浅く解釈してる俗物はそちら。
「円盤投げてたら楽しい知的身障者」という小児性に対して「羨ましいと思う」のはまさにルサンチマンだろw
中学でニーチェ読んでたってだけで立派と思うのが何とも中二病的だな。あなたの文章自体、中学生が頑張って書いてるような印象だよ。
「神を一般化するところが自己弁護」って、一体何を「弁護」しているというのか、言いたいことがイマイチ伝わらないな。
「防衛本能として」神を要請することも、超人のために没落しようというニーチェとは逆。
>>365 そもそも仮象として(しかありえない)の世界そのものが「我々の創作物」と言われてるんだから、
今さらナルシシズムもくそもないのでは。
>>329 「そうだな、ニーチェにとっては必要だったんだろうな。それだけ」と「それだけ」でいながら、
「ニーチェ哲学から外れるんじゃないですかね」と疑問を呈するのは、論理の繋がりが分からない。
ニーチェにとって必要なのは、ニーチェ哲学にとって必要だからでしょ。
だいたい、「大いなる使命」みたいな言葉も、他ならぬニーチェ自身が書いているわけで・・・。
ニーチェは「大いなる使命」を「多数の超人」と関係なく言ってたと言いたいのか?
370 :
なごやん ◆DDDDDDDDhA :2011/09/11(日) 16:43:22.41 0
>>368 >天然バカと言ったのはあなた自身でしょw
>>360を読み返してよ。
「天然バカ」と「天然バカのよう」は違うよ。
>>360を読み返してよ。
天然バカのよう、とは特別だから駄目だけどあの輝かしき天然バカに
普通の人がなっているということで「ようだ」としたんだ。文脈を読み
取らないと。
>なおかつ「悦ばしき知識」としての知を大地の主としてふるうのが
>超人。
全然自分の言葉で説明できていない。ニーチェの言葉を繰り返してどうする。
試しに大地の主ってそこらへんでしゃべってみろ。
>中学でニーチェ読んでたってだけで立派と思うのが何とも中二病的だな。
酒鬼薔薇の主張を読んだ上で語っているのか?まるで14歳の主張とは思われ
なかった。中学生でニーチェに共感し理解するということはバカのできること
じゃない。あんただってニーチェは読めなかったろう。
>あなたの文章自体、中学生が頑張って書いてるような印象だよ。
中学生が頑張って書いちゃいけないのか?
ちょっと出かけるので夜また書くよ。
「自分の言葉で」愚にもつかないことを喋るよりは、ニーチェの言葉を繰り返した方がマシだと思うんだが。
「そこらへんでしゃべてみ」ることで、何かが証明できるのかね。
あなたがここで延々と書き込んでるような意見を、そこら辺で喋ってるの?
大地の主ってのは、形而上的・超越的・天上的なところに意味や救いや目的を求めず、身体で知ることのできる世界に踏みとどまるってこと・・・
なんていう説明をしても所詮はニーチェの「繰り返し」なんだが、そんな説明をいちいちしてほしいのかね?
まー、押井守の『攻殻機動隊』や『イノセンス』なんかは、科学が人間の身体の編成を変えてその制約から脱する話なんで、「悦ばしき知識」のひとつのイメージかもな。
物質的な科学のみならず、社会科学的に、「社会的な価値観」がどう作られてるのかを分析し、その価値観を解体するというのもある。
ニーチェ主義者を名乗るフーコーがやったことがその一例だろう。
「天然バカのよう」になってることを賞賛してるんなら、「天然バカ」そのものはともかく、「天然バカ性」wみたいなのは肯定してるんでしょ。
そういう主張自体が、知を無視してるんじゃないの?
酒鬼薔薇の主張にはあんま興味ないけど、そんなに立派なもんなら、お手数だが、その感心したとこをここに引用してくれないか?ググるのも面倒なんで。
俺の印象では、「深淵に見入るものは」云々も『FBI心理分析官』の引用を孫引きしてるようなイメージなんだが、あなたの話では違うみたいだし。
だいたいさー、「まるで14歳の主張とは思われなかった」とか、年齢に感心するのも「社会的な価値観」にとらわれてんじゃないの?
「中学生が頑張って書いちゃいけない」とは言わんが、「中学生が頑張って書い」てるから偉い、とも思わんし。
あと、
>>360の「やったことはまるで「天然バカ」のようですが、天然バカこそ小児でしょう」て、
「天然バカのよう」であることと「天然バカ」の両方を肯定してるように読めるんだが。
「文脈を読み取」ってほしいんなら、もっと分かりやすく書いてもらえるとありがたい。
「天然バカのよう、とは特別だから駄目だけど」という文章も俺には意味がよく分からん。
おかしな人だと思ったら、関わらないことだ。
当時の人がニーチェに対してしたように。
おかしな人とニーチェを一緒くたにしないでくださいw
いや、ニーチェは、おかしな人だろ
偉大なる狂人と、ヘンな自己流解釈にこだわってる人は違いますよ。
彼も自分のニーチェ理解が否定されて必死なのかも知れんが、そういう「防衛本能として」のつまらん思想を捨てることができれば、
少しは超人に近づけるだろうに。
それは、視点が狭いよ 今の目線でしか見えてない。
373でも書いたように、当時の人にとってニーチェは、
まさに君が言った通り「ヘンな自己流解釈にこだわってる人」の典型だった。
その証拠に、ニーチェの初期の著作「悲劇の誕生」が当時どういう評価を受けたか
晩年のツァラトゥストラの第四巻が何冊売れたかを考えれば、わかる。
現に、最晩年には気が違ってしまったしね
そして、それが、何処でいつ評価されるかが、君のような人間にしって貰えるかの分かれ目。
偉大なる狂人と、ヘンな自己流解釈にこだわってる人の違いは、評価され知られて
初めて偉大になるのであって本質はそれほど違いはなく。評価される事によって初めて
「違い」を言える。
話は分かるんですが、それだと天然バカ論を展開してる人も将来的にニーチェのように「偉大なる狂人」になり得るかのようで。
天然バカ論者を「ヘンな自己流解釈にこだわってる人」と見るのは「今の目線でしか見えてない」かのような話にされてしまうと困惑する。
「評価される事によって初めて「違い」を言える」というのは何だかウィトゲンシュタイン的な本質否定論とも思えるけど、
俺は単に自分の「評価」によってニーチェと天然バカ論者の「違い」を言ってるだけであって、それ以上ではないですよ。
実際自らの生活に直接的に不快や害が無い限り、自ら他者を矯正(強制)する労力は…無駄かもしれん。
アンポンタンはスルーして、もっと有用なものに注ぐべき労力かもしれない。
…それはカネだろうがカイカンだろうが報酬があるものに。
「解釈」は個々自由であっていいとは思うが、恣意的な「悪用」は許されるべからず。たとえ包丁を悪用しても、悪用したそいつの意志に責任がある。少なくても包丁のせいにすんなっ!
言語は対象を恣意的に表したり分割したり解釈したり…包丁も対象を恣意的にザックザクやで!!
一般的なニーチェ理解ってすごくハイコンテクストっていうか。
ニーチェ自身の思想を評価してるんじゃなくて、
専門家のニーチェ評価の評価を評価してるってかんじだよな。
個人的には、前知識がない状態で、神は死んだとか超人とか永遠回帰とか
言われて、それに対して説明されても「は?」としかならなかっただろうし。
それに、「は?」となってあたりまえだと思う。書いた本人が、理解出来ないって
言ってるんだから当たり前かもしれないけど。
名言「神は死んだ」も、「神は居ない」の方がシックリくるとは思う。
それじゃ語感がつまらない
最初に訳したのだれだよ
デカルトでさえ「神は存在しない」とは断言しなかったらしいな。慎重だったのか臆病だったのか…ヘタすりゃ火炙りの刑の時代だもんな。
386 :
考える名無しさん:2011/09/11(日) 19:55:43.25 O
>ニーチェ自身の思想を評価してるんじゃなくて、
>専門家のニーチェ評価の評価を評価してるってかんじだよな。
読まないとわからないだろうけど、・・読んでもわからなかったりしてって感じ。
ニーチェは詩人だ
醒めた比喩表現で盲目的な世界を嘆いている
そしてその真髄は実践の過程にこそある
彼の捉え方は岡本太郎のような肯定的な捉え方が健全だと思う
388 :
なごやん ◆DDDDDDDDhA :2011/09/11(日) 21:04:49.62 0
>>371 >「自分の言葉で」愚にもつかないことを喋るよりは、ニーチェの言葉を繰り
>返した方がマシだと思うんだが。
じゃあニーチェ用語だけで話したらいいよ。その解釈をしているのに意味分か
らん。あんたは便器を見たら「茶色の龍を飲み込む無の深遠が広がっている」
というのか?
>あなたがここで延々と書き込んでるような意見を、そこら辺で喋ってるの?
現実から迂遠な話しをしたいのかアクチュアルな話しをしたいのか。
>そういう主張自体が、知を無視してるんじゃないの?
知によって進化するんだよ。奥崎謙三はセルフゴッドを持っているんだけど、
あるとき神戸の事件が起きてそれから酒鬼薔薇もセルフゴッドを持っている
ことが判明した。そのことをどう思うか聞かれ「人間が進化したんですよ」
と答えたんだ。行ける所まで行ってみなければならない。そうしたとき
新たな地平が開ける。
389 :
なごやん ◆DDDDDDDDhA :2011/09/11(日) 21:19:32.45 0
>>372 >「中学生が頑張って書いちゃいけない」とは言わんが、「中学生が頑張って
>書い」てるから偉い、とも思わんし。
この文に何か意味があるのか?自称ニーチェさまの考えることはよく分からん。
>「天然バカのよう、とは特別だから駄目だけど」という文章も俺には意味が
>よく分からん。
立脚点が一般性でないと思想として成立しないだろ。特別な人間は特別である
からよく生きられる、では思想とはかかわりがなくなってしまう。
>>382 かつて神がいたから神は死んだ、神は死んでいる、なんじゃないか。
>>380 包丁という力に人が隷属したかもしれないじゃないか。
我々は道具を使うのと同時に、道具にも使われている。なんてな。
我々に課せられた責があると言うなら、与えたのは誰だ?
そこには誰も居ないのではないか?
チェーンソーの使用で神様がバラバラに為って神は死んだ!?♪。
奥崎謙三や酒鬼薔薇もいいんですが、無茶しないでね。
ニーチェ曰く、軽い方が良いんですよ。
重いものを持つべきではない。
舞うにはより軽い方がいいんですから。
「神は死んだ。」と同時に
「神は生きていた。」と言っているのでしょう。
393 :
なごやん ◆DDDDDDDDhA :2011/09/12(月) 02:57:16.69 0
神は死んでいるわけだけど、神は蘇らさなければならないんだ。その為には
無意味な世界をそのままの形で歓喜に繋がるようにしなければならない。それ
を可能ならしめるのが科学であり、人は科学に基づいて神をその中に捉える
ものでなければならない。それは最早我々の神ではない。個々人に内在する神
でなければならない。神は死んでいるのではなく神はその人の中にある。
科学が神を捉え打ち立てられた自己神はその人に意味を与えるようにみえる。
しかしそれはニヒリズムだろうか?否、最早意味など存在しないのではないか。
成功失敗に関らず自己神は無差別的にその個人を承認する。その様な人格関係に
おいて意味などどこに介在するというのだろう。
神とは人工神ではない。それは人間の人知から離れて存在するものでなければ
ならない。神は科学を経て直接創られたのではない。神は科学を経て間接に
復活したのだ。日常の道が徐々に黄金色を帯びていき、ついにはあの輝きを
取り戻した。そこに見える風景は大地に腰を落とした日常の風景か?否、
大地に腰を落とした黄金色を帯びた非日常である。
神によって課せられたかのように思われる意味それ自体が黄金色を持つ。
無垢な小児が自力で回る車輪であるかのように、意味という体裁の中で
運動それ自体が歓喜への目的である。
「夜また書く」と宣言してたから何を書くのか多少は期待してたが、
自分へのレス中の疑問には何も答えず延々とポエムを綴ってたので吹いたw
「神」と「科学」の関連性も、例によっていっさい説明してないし。
無垢な小児というよりただの小児症的精神て感じだな。
なんというかさ、日本語で書いてても、天然バカ氏の中で言葉に独自の意味が与えられてるようで、
天然バカ語で書いてるから、意味が殆ど通じないんだな。なるべく一般人に分かるように書いてくれないとね。
ウィトゲンシュタインの喩え話にある、チェスの駒に勝手に印をつけて「これには特別な意味があるんだ」とか言い出す人を連想する。
相対してる他者にとっては、言葉でその意味を説明され、ゲームに対してどう作用するのか判明しないと、無意味な行為にしか見えないんだよね。
396 :
なごやん ◆DDDDDDDDhA :2011/09/12(月) 06:16:17.87 0
>>394 >「夜また書く」と宣言してたから何を書くのか多少は期待してた
中学生に何を期待するんだい?
>自分へのレス中の疑問には何も答えず延々とポエムを綴ってたので吹いたw
ポエムならそれでいいじゃないか。
>「神」と「科学」の関連性も、例によっていっさい説明してないし。
なんでポエムに説明を求めるんだよ(笑)。
>無垢な小児というよりただの小児症的精神て感じだな。
お前は恥垢な小人で普通的精神て感じだな。
>378
詩としてなら読めそうです。
「真理は女である、と仮定すれば、どういうことになるか?すべての哲学者は、彼らがドグマティカーであったかぎり、この女をうまく理解できなかったのではないかという疑いも、もっともなことではなかろうか?」
Wow・・
↑378ではなく>387だった。
401 :
なごやん ◆DDDDDDDDhA :2011/09/12(月) 16:09:08.18 0
何で急に素直になってんだ。説明しようとしてもお前が茶化すからできなかった
んだろ。いい加減な奴にまじめに語ってもしかたがない。そこで俺は皆に向けて
概論的なものを語るしかなかったんだ。そこから新たな議論を通じて詳細を語る
しかないだろ。
すると皆は概論を理解しているんであって、分かってないのは俺だけなのか。
なら、概論に対してもうちょっと「新たな議論」が展開していてもよさそうなもんだが・・・
むしろ、詳細を語れるようなレスを初めて投げたんだから、答える気が(というか、他人に語れる回答そのものが)あるなら答えてくれ給え。
403 :
なごやん ◆DDDDDDDDhA :2011/09/12(月) 16:23:30.60 0
テメーが邪魔しといて落ち着けっておかしいだろ。お前との議論を通じて
詳細を展開したいのに茶化すから別の形で新たに書くしかなかったんだ。
それに誰が概論が理解されたなんていってるんだよ。理解されるように
語るのはこれからだろ。新たな展開を邪魔しておいて展開してもよさそう
ってあんた話し分かってんのか?まず自分自身の責任を問え。
まあまじめにやるんならちゃんとやるよ。ただ今から出かけるから数時間後
になる。
俺としては質問をしていただけで、別に邪魔したり茶化してるつもりはなかったんだけどなw
まあ理解されるように語るつもりでいたのなら(俺としてはそちらの「つもり」が文面から読み取り難かったわけだが)、
期待するんでよろしくどうぞ。
単芝使うやつは、無条件で厨房認定する。
まあ、意味も必要性も無いけどな、単芝一つで
文が幼く稚拙になる。
406 :
なごやん ◆DDDDDDDDhA :2011/09/12(月) 20:07:26.62 0
>>404 お前は茶化したことすら認めていないようだからもう相手はしない。カスと
しゃべっても茶化されるだけだ。
>中学でニーチェ読んでたってだけで立派と思うのが何とも中二病的だな。
>あなたの文章自体、中学生が頑張って書いてるような印象だよ。
でも結局非凡さは少しは認めたよな。何で俺は厨房扱いされなければなら
ないのか分からない。
>延々とポエムを綴ってたので吹いたw
ポエムだったんじゃないのか?それなのに何故今回期待するんだ?
>天然バカ氏
俺は天然バカなんだろ?それなのに何故今回期待するんだ?
他と違う事に価値を見出すというなら、その価値は既に低落している
ニーチェにヴィトゲンシュタインみたいなこと
やっちゃ駄目なんだからねっ
>>397 言葉から想像するのです
そして感じるのです
素直に感じたことを反芻しながら考えるのです
ニーチェを読むのに余分な知識は必要ないです
ただキリスト教の時代背景、
旧約新薬の違いは理解しておいたほうがよいです
ここを理解できているとあの当時のバイアスから離れて
今現在にその感覚を活かすことができます
410 :
なごやん ◆DDDDDDDDhA :2011/09/13(火) 00:21:34.76 0
神とは人に良き生を与えるものである。そして神は人類史において何万年もの
間常に良き生を与えてきた。それは円環的な時間軸においてであって、社会
工学的に設計されたものであった。この神の特徴は来訪するものであるという
ことであり、ある時に訪れるということであり、その光は万人に降り注ぐと
いうことである。これが祭である。酩酊物質であり、生贄などの祭祀であり、
公開処刑であり、こうしてハレとケの反復が人類を何万年も支えてきたのだ。
しかしこの歴史が変わろうとしている。円環的な時間軸が直線的になる!
こうしてニヒリズムの時代が到来したのだ。これを先に予言したものこそ
ニーチェだ。ニーチェは時代に先駆けてそれを看破し、そしてそこから
人々があの神を取り戻すべき処方箋を産み出そうとしたのだ。ではその神を
捉える処方箋とは?
w←これ、単芝って呼ばれてるんだな。初めて知った。
俺は、単体では(笑)と同じに見えるけどね。
wwwwwwみたいにたくさん茂ってるほうがやだな。
単芝の顔筋はやばいよ。
かなりハングルの発音が上手い。
413 :
なごやん ◆DDDDDDDDhA :2011/09/13(火) 00:44:44.97 0
神はそもそも社会超越者であり社会外部を越えて存在する以上、神への信仰は
社会的価値との共存を保証しない。この様に宗教religionはその存在自体が
反社会性を孕んでいる。現存する宗教は人類の歴史上たまたま反社会性を見せな
かっただけであって、宗教の論理構造がこの様なものであるかぎりは、個別的な
神はその個々人に常に危険性を佇ませる。
そもそも神を殺したのは誰だろうか?それは人類である。人類の進化が必然に
神を殺すのだ。古代、中世、近世、近代と人類はその歴史において生産様式を
変遷させていき生産性を高めていった。こうして社会は複雑化してその流動性は
増していく。もし今神が訪れたら流れが止まり生活は破綻するであろう。こうして
あのある時に万人に光を降り注いだ神は来訪しなくなってしまったのだ。神の来訪
を社会システムが許容しない。最早人類にとって神は死んでいる。
414 :
なごやん ◆DDDDDDDDhA :2011/09/13(火) 01:26:56.77 0
科学によって間接的に担保された神は社会的価値を超越する。ここで神の前に
おける倫理的なものの目的論的停止が起きる。信仰者アブラハムが愛する我が子
を誰にも語ることなく生贄として神に差し出したように、酒鬼薔薇もまた聖なる
儀式アングリを通して神に差し出す。奥崎謙三が、又吉イエスが、各々の信仰に
基づいて社会的価値を超越している。
ここに神を捉える超人であれかしと叫ぶニーチェの可能性と危うさがあるのだ。
しかしここで足を止めてはならない。行ける所までいかなければならない。フーコー
のいうとおり人類は終焉した。その歴史は終わりを告げたのだ。あるのは自然に
頼らない叡智に基づいた創造しかないのではないか。そしてその結果を受けて、
再び人類は選択するしか無いのだ。科学は神を創造するのではない、あの神を呼び
覚ます。人類は次のステージを目指さなければならない。猿が人となったように、
人が今超人となる試みが始まった。では神は如何にして捉えられるのか?
神はあっさりとした言説を好む
416 :
なごやん ◆DDDDDDDDhA :2011/09/13(火) 01:54:04.90 0
神とは円環の時間軸の中で蘇るものであり、直線の時間軸の中で佇む神は全て
ニヒリズムにすぎない。何故ならそれは意味を経由するからだ。神はいたはずなのだ。
神は円環に存在しているのだ。それなのに如何なる理由で神を求めるというのだろう。
意味を経由すること自体がルサンチマンである。何故神を求めるのかという問いは、
何故死なないのかという問いの仄めかしに過ぎない。
神は永遠に存在しなければならない。神は訪れるものでなければならない。神は
信仰者自身を選ぶもので無ければならない。これが昔からの神の理念である。賽を
転がして楽しむというものは、現実逃避であり神の取り違えである。それは入り口では
あっても到底ニヒルの枠内でしかない。何故物を見るのか、何故体を動かすのか、
何故今そこにいて何故息をするのか。ニヒルの中で回答されることはないのだ。では
永遠性であり受動性であり個別性であるこの様な神を、ニーチェは現代においていかに
捉えようというのか。
417 :
考える名無しさん:2011/09/13(火) 02:21:34.17 0
>>355で十分だろ。
スゴロクに俺ルール(レアアイテムを集める目標とか)を
追加して賽を転がして楽しむ。
418 :
考える名無しさん:2011/09/13(火) 02:25:54.59 0
今日を必死に生きても、無意味にやり過ごしても、明日はまたやってくる。
それが繰り返しだろう。過去が戻ってくるわけではない。
419 :
なごやん ◆DDDDDDDDhA :2011/09/13(火) 03:17:34.83 0
>>417 それで楽しめるかどうか分からないし、楽しめたとしてもその後の空虚感は
回避できない。だから超人だろ。誤解を恐れずに言えば全てに意味を齎すことが
出来たらどうだ?
>>418 そんなこと昔の人は考えていなかったよ。近代になってからだよ、無意味な
人生をどう生きるかなんて考えるのは。
420 :
なごやん ◆DDDDDDDDhA :2011/09/13(火) 03:25:52.16 0
無意味の中でたまに楽しいことやって騙し騙し生きていくことがニーチェ思想の
真髄じゃあないよ。ニーチェはそれ以上のことを言っている。それでいいん
だったら皆そうじゃないか。創造性が足りない。
ニーチェが何を言おうと神は永遠に生きないでしょ。
時間と共に水で薄まるように力を失い死んでいく。
そしたら新しい神に乗り換える。
>>420 >ニーチェはそれ以上のことを言っている。
が、
できる奴とできない奴がいることは言っている。
自分の足で自立することが、まずまずまず肝要。
それには自分にはどんな重さまでかが重要。
423 :
なごやん ◆DDDDDDDDhA :2011/09/13(火) 13:57:43.66 0
ニーチェが捉えよとするその神は、けしてルサンチマンの神でもなければ現実から
遊離した神でもない。人間の防衛本能が生み出した、嘘偽りのない真の神である。
その神は永遠に存在している。それは意志に基づいて直接打ち立てられた人工神など
ではなく、神とは人間の意志とは無関係に永遠に存在しているのだ。その神は訪れる
ものである。それは自らが訪ねるというような意味的なものなどではなく、神とは
受動的に享受するものなのだ。その神は信仰者を選択している。それは誰もが機縁に
なれる相対的な神ではなく、神自身がその信仰者だけを個別的に神の代表者として
選ぶものなのだ。
かつて存在した真の神の3つの理念を、そっくりそのまま捉えるのが超人である。
歓喜のみで捉えたと思うのは物象化の錯忍であり、それは神の取り違えに過ぎない。
こうして煤けて見えた日常も、信仰者の目というフィルターを通せば黄金色の輝き
を放つ。
424 :
なごやん ◆DDDDDDDDhA :2011/09/13(火) 14:03:45.02 0
意味的にみえてもこれはニヒリズムではない。神の課せた使命は複雑な社会であるが
ゆえに意味的な形式を取るがそれは体裁であって、事の成功失敗に関らず神の承認を
得る。成功は意味を持つが失敗も何らかの意味を持つのだ。この様な神の全面的な
無条件な愛に意味など果たして存在しうるのだろうか。意味とは達成するものではなく、
その運動自体が目的なのだ。
自己神を捉えたものには永遠で受動的で人格的な世界が約束される。最早その神との
関係自体が一つの超越であり、円環的な時間軸のただ中で小児は自力で動く車輪の
ように回り続ける。彼ら超人の円環的な時間軸と凡人の直線的な時間軸はけして
交じり合うことはない。彼らは何も語ることなく、ただ自らの世界を行き続ける。
425 :
なごやん ◆DDDDDDDDhA :2011/09/13(火) 14:07:21.72 0
神は死んだのではなく、神は死んでいる。死んでいる神は復活の可能性を持つ。
自然的には終焉してその歴史を閉じた人類が分子生物学においてアダムとイブを
創造しようとするように、我々は神を復活させなければならない。それはどの様に
して?科学を持ってである。自然的な歴史を終焉した人類は自己準拠して自らを
創造しなければならない。知に基づいた創造こそが超人である。
直接に作り出すのではなく間接に復活させることにより神は捉えられる。自然に
準拠することが出来ない以上、人類はその科学によって進化しなければならない。
猿から人になった人類が、人から超人へと進化する。科学と宗教の統一!これぞ
ニーチェ思想の真髄である。
426 :
なごやん ◆DDDDDDDDhA :2011/09/13(火) 14:24:31.24 0
では翻って、現実の超人を解体してみよう。例えば酒鬼薔薇聖斗だ。彼は犯罪を
おかした。それは社会的価値観からしたら最悪であり、見習うものなど何もない
と唾棄するのは分かる。しかしヒトラーが国民の人心を掌握し、そして広大な
土地を占領したのは事実であり、特定民族を虐殺したからといってその類稀な
成果がなかったことになるのではない。では酒鬼薔薇はどのようにして神の
復活に立ち会ったのだろうか。
酒鬼薔薇聖斗は学校で、顔は向けるものの相手との視線を外して表情を変えない
態度をとっていた。これはコミュニケーションをすることで傷つきたくないので、
物質的世界観で物事を捉え、相手を単なる風景として捉えたに過ぎない。彼が
後に平気で残虐なことが出来るのも、相手をキャベツとして捉えるのも同じ
論理構造なのだ。相手が話しても脳から電子パルスが送られて声帯という
外部の空気を振動する装置が特定の音声記号と明識できる形で音を発すると
物のように捉えれば、傷つかなくても済む。母やそれ以外からのコミュニ
ケーションから自らを守るにはその選択しかなかったのだろう。
427 :
なごやん ◆DDDDDDDDhA :2011/09/13(火) 14:40:48.93 0
彼の住んでいたあの場所は一般的な土地ではなかった。そこの住民は「昔は
当たり前だった近隣での挨拶が、今ではされなくなっている。しかしここでは
昔のように挨拶ができる」と自慢していたが、これは逆にいうと村社会が今尚
機能し挨拶をしなければ村八分にされるということを意味する。
彼の住む場所の近くには、ニュータウンであることを差し引いても自意識を
出せる場所はほとんどなかった。また彼の通っていた学校は地域の村社会を
反映するように当時生徒は髪型は同じようにさせられていた。この様に
自意識を出すことは封じられて、こうして住民は透明にされていったのだ。
428 :
なごやん ◆DDDDDDDDhA :2011/09/13(火) 14:55:18.24 0
類稀な感性を持ち、感覚に鋭敏な彼にとって地域学校家庭で透明にさせられる
ことは苦痛以外の何ものでもなかったのだろう。近代的自我から離れて物質的
世界観を採用した所でそれは超えられるものではなかった。例えていうなら
日常によって真綿で首を絞められているのが人類であるなら、酒鬼薔薇にとって
は日常が刃となって襲い掛かったのだといえよう。
そこで彼は新たなステージへと進化する。それが超人だ。神とは永遠受動人格
性であったはずだ。永遠とは彼の意志ではなく防衛本能が生み出したという
ところに担保される。自らが偶像を作り拝むのは滑稽だが、永遠に太古から
存在する神を偶像にして拝むのは合理的である。受動とは訪れるということ
で担保される。自らがアクセスしないとあえないのはニヒリズムでしか無いのだ。
人格とは信仰者それ自身を選んでいることで担保される。これこそ完全なる
承認の証である。父は自ら自身を神の代表者として選択してくれるからこそ、
はじめて彼は現実にいることを肯定的に捉えられたのだ。
精神鑑定の結果では酒鬼薔薇はただの自閉症(遺伝性が大きい)傾向です。
共感力や感情処理力が弱く性衝動を他の快楽に転換してしまっただけ。
社会のサポート不足は批判されて然るべきですがニーチェの思想とは何の関係もない。
科学だってヒュームの懐疑主義以降哲学的には何も進歩していない。
むしろM理論が観測で実証できないことでベーコンの実証主義以前の理論先行に戻ってしまった。
私はむしろ神の創造がどうのいう貴方のほうが心配だ。
430 :
考える名無しさん:2011/09/13(火) 18:30:47.52 O
その地域に住んでた俺から言わせてもらうと、
全くの屁理屈。
論理回路を超えた認知機能を突然変異や遺伝子組み替えで備えることができれば人間は「超人」になりうるかもね。
哲学を超えて技術こそが人間の現存在を超越させる時代が来るのかもしれない。
でもいずれそうなるとするなら全てはかつて人間であった生物と世界の相互作用でしかなくなる。
永遠にその生物は自己を超越し続けるとすれば哲学(かつて人間にとって哲学であったもの)は永遠に完了しない。
すなわち「超人」は永遠に暫定的存在ということになるな。
チラシの裏でした
>>363 >神に逆らった罰として無意味な石運びを繰り返すシジュフォスの営為を讃えたカミュの方がまだニーチェ的。
はじめは苦しみでしかなかった無益な労働が、「悦び(「すべてよし」という判断)」に変わっていくところが、
ニーチェの運命愛(一切肯定)の思想によく似ています。
それが悦びに変わり得るポイントは、カミュの言葉でいえば、次の部分にあると思う。
「彼(シジフォス)の運命は、彼の手に属しているのだ。」
ニーチェの言葉では、
「もしすべての事物が一つの運命なら、私もまたすべての事物にとっての運命である」(遺稿29[13])。
また、ニーチェには‘ego fatum’という言葉があり、これは「自己即運命」と訳されている。
無益な労働が、“厭うべき運命”と思われてしまうのは、「自己」と「運命(世界)」との間に隙間があるからであり、
ある意味で、自己の“外”に、動かしがたいものとして、「運命」を見ているからだ。
そして通常の宿命論は、自己と運命とのこのような“乖離”を前提としている。
ニーチェはそのような宿命論を「トルコ人の運命論」と呼びます。
しかし実は、「自己」と「運命(世界)」とは一体なのであり、
「自己」は常に「運命」とともに、「運命」そのものとして動いている。
上のカミュやニーチェの言葉は、そのことを示していると思います。
「三昧」という仏教の言葉も、それに似た事態を示していると思う。
例えば、「不落因果」と「不昧因果」の話。
ttp://www.rinnou.net/mobile/words/zengo/200711.html 以下は、「不昧因果」についての鈴木大拙の解説です。
「野狐の老人は、因果を外において、その中に自分が入るか入らぬかということを気にしているのです。
自分と因果とが離れ離れになっているので、その間に落不落の問題が出てきます。
落ちて落ちぬということになるには、廻る因果の小車そのものになることです。これが不昧因果です。
因果そのものになれば因果はありません、落不落も昧不昧も問題にならぬのです。」
(『佛教の大意』)
「廻る因果の小車そのものになる」というのは、
『ツァラトゥストラ』の「小児」が「自力で回転する車輪」であることを想起させます。
結果だけ見て同じとかいう人は、ニーチェがその思想に到るまでの苦悩を考えないのだろうか?
考えてるんじゃない?
失恋が、永遠回帰を考えだすきっかけだったとかも?
仏教の輪廻とかも、失恋がきっかけだったというなら、
まあ、そうかも知れないのだけれど。
サカキバラは病人だよ。ニーチェが最も嫌う類の
輪廻は人間=エーテルという発想に近いから
ギリシア哲学の流れを汲むニーチェも同様の発想だったのかも
輪廻と言うより、円環でしょう。ニーチェにとって重要なのは円環であり、
輪廻とは円環の例に過ぎない。霊魂という意味での輪廻なら、それは否定されるでしょう
>>437 >>434は、「輪廻」とは直接関係ありませんが…
輪廻については、
ニーチェは永劫回帰について、「仏教のヨーロッパ的形態」と書いているので、
ニーチェが輪廻の思想を意識していたことは確かです。
フーコーの「人間の死」は、それまで「人間」と思われていたものは砂浜に描かれた像のように消滅するだろうってことで、
「人類の終焉」て言葉とはイメージが違うんじゃないの?後者はコジェーヴ的な「歴史の終わり」の意味に聞こえるんだけど。
ヒトラーが人心を掌握したのは、彼自身が、クソ写実主義や古典的美しか理解できないような偏狭かつ単純な人間で、
『我が闘争』で商品広告を例に挙げて言っていたように、知能の程度の低い連中に合わせて口当たりのいい宣伝をするのに長けていたからだろ。
だからバタイユは、ニーチェに比べたらヒトラーはただのビジネススマンみたいな人物でしかないと批判してたわけだ。
ニーチェは、大衆に関しては、彼らのレベルに合った道徳を与えてやって、奴隷化するのがよろしいとは言ったけど、
反ユダヤ主義だとかドイツ主義だとかいう矮小な思想を掲げて一緒に踊れとは言ってない。
ニーチェ自身、『ニーチェの言葉』みたいなおかゆ状態にされたものは別として、その思想は「人心を掌握」なんかしてないしね。
酒鬼薔薇や奥崎みたいのが当時のドイツにいたら、ヒトラーは強制労働に駆りだすか、安楽死させてただろうな。
あとね、俺が思うにニーチェなら、個々人が独自の「神」に出逢うなんてのは、反動的で愚かな偶像崇拝と考えるんじゃないの?
ニーチェが「死んだ」と言った神は、単に道徳的な神でしかない。「彼は十字架にかかって死んだのだ」。
善悪の彼岸にある、最大限の力が神と呼ばれている。
「犯罪者は、現状のような社会に対して何らかの反抗を企てたという意味では、尊敬されて然るべき場合もある」ともニーチェは言ったけど、
酒鬼薔薇の暴力は、社会が守るべき子供を殺害するということで、象徴的に社会への破壊行為を為したと言うべきなんだろうか?
だけど、「警察の諸君、捕まえてみたまえ」とか上から目線の手紙を送った当人があっさり捕まっちゃったアホらしさもさることながら、
「相手を単なる風景として捉えた」ことで平然と暴力を振るえるってのは、ニーチェ的超人とは全然関係なくて、「他人の苦痛は私の苦痛とは一片の関わりもない」
というサド的犯罪者に過ぎないんだよ。
一方、同情を超越せよと説いたニーチェは、「私は諸君が同情深いことを前提とする。同情を持たないというのは、心身が病んでいる証しだ」と。
で、病的な犯罪者はどうすべきかというと、「去勢してしまうべきだ」とまでニーチェは言ってるんだな。
なごやん氏、よくやってるね。非常に面白い。昨今巷に流通する思想論が世界思想のなかでも最
も現代という時代にに対峙しえている部分を落としてしまう。。その背景にはメディアの自主規
制というのが強固に機能している気がする。そこで酒鬼薔薇事件にたいしても、当然思想研究者に
よって提起されて然るべき論議が外されてしまう。そういうことが、事件への真にvividな言及を
生めずにいる。その閉塞がある今日、2ch.というメディアの真価はこういうところにあると思いま
す。こういう論に発言の機会を提供できる。それが2ch.の意義の一つだと。私の場合、誰かが通報
したようで、アクセス規制に遭ったりもしたけど、レス代行も使えるので、構わず酒鬼薔薇事件と
思想の関連性を書いていました。なごやん氏へもそういう〈善意の人〉が邪魔するかもしれない
が、どうか変わらず思想研究を掲載してほしいと思う。
病人にはせいぜい同情がお似合いだってところなのか
短レスで無駄に長文書く奴にろくなのいない
意外とニーチェは、信心深かった頃の一神教的感性は最後まで保ってたんじゃないのかな。
「力」について論じながら、ルターが神の「御国」を讃えた言葉を引用したりね。
おそらくショーペンハウアー経由で知ったのであろう、マイスター・エックハルトは(バタイユも彼に言及している)、
「神」のことを意識で捉えている間は神との一体化はなされない、すべてから離脱し、
離脱しているという意識からさえ離脱せよ、と説いていた。ニーチェ的小児の無垢も、それと似ていなくはない。
酒鬼薔薇みたいに神の偶像を崇めたりするのは、純然たる力の戯れとして世界を捉えることに背を向けている。
世間一般から見れば酒鬼薔薇はカオスそのものだろうけど、より深い見地からみれば、むしろ彼はカオスを恐れ、遠ざけていた。
怯懦から、自己防衛として要請された偶像など、ニーチェどころかイエスでも踏み潰そうとするだろう。
なんで酒鬼薔薇なんかが、気になるのか・・・
それ自体が意味不明ww
449 :
なごやん ◆DDDDDDDDhA :2011/09/13(火) 23:13:27.36 0
>>429 >精神鑑定の結果では酒鬼薔薇はただの自閉症(遺伝性が大きい)傾向です。
精神鑑定で遺伝性云々が分かるわけがないし、裁判の判決が社会の自意識に
配慮することがよくあるように鑑定結果も子供幻想に配慮したかもしれないし、
そもそも精神鑑定自体の信頼性が担保されているのかよ。重度の行為障害とか
性的サディズムというのでは無内容で意味がない。
>共感力や感情処理力が弱く性衝動を他の快楽に転換してしまっただけ。
性的志向が安定するのは少年期ではありえないことで、共感力や感情処理能力
の無さを根拠に特定の性衝動が生まれるというロジックは主張者の都合いい
妄想だ。
なごやんもキンタマもみもみしてるはず
酒鬼薔薇スレ立ててやってくれ。
452 :
なごやん ◆DDDDDDDDhA :2011/09/13(火) 23:48:13.48 0
>>429 民放の調査によると彼へ共感するのは高偏差値の学生が多く、「透明の存在で
ある僕を貴方方の創造の中だけでも実在させたい」という言い回しに必ずしも
大きな理解ができるわけではない。また彼の文章力は絶賛されており、世界を
言語化できているのは自分と世界との関係をよく理解しているからだ。都合
悪い人間を馬鹿扱いするのは優秀であれば困るという市民社会の妄想だ。
453 :
なごやん ◆DDDDDDDDhA :2011/09/13(火) 23:57:11.01 0
>>433 >ニーチェはそのような宿命論を「トルコ人の運命論」と呼びます。
だからその自己と日常を隔てている距離を失わせることが科学によって起こる
超人現象なんだよ。日常が非日常になり、全てが自己の中で調達されるんだ。
この様な自己準拠は外部社会の影響を一切受けない。なぜなら通常は成功は
歓喜であっても失敗は苦痛でしかないが、神にとっては成功失敗に対しての
区別などなく、こうしてあらゆるフィードバックが無害化されるからだ。
自己と日常の狭間を埋めるには騙し騙しでは先送りであり延命措置であり
神を死なせてしまうことだろう。
454 :
なごやん ◆DDDDDDDDhA :2011/09/14(水) 00:11:46.11 0
>>438 >サカキバラは病人だよ。ニーチェが最も嫌う類の
じゃあニーチェも病人だろ。ニーチェを今の社会的価値観に基づいたなんらかの
聖人にしたいのだろうけど、酒鬼薔薇は病人じゃない。彼は不健康を呪って
ルサンチマンを持ったんじゃない。彼は一方的に防衛を強いられてたんだ。
>>442 なんだよ、肝心なことは回答しないのかといいながらあんたこそスルーして
書き出している。茶化した云々はどこへ行った?茶色の龍を飲み込む無の深遠
にでもおっこちたのかね?中学生扱いしたのは誰だ?厨房相手に熱くなるなよ。
個々の思想を哲学試験のように覚えていくのが無意味とは言わないが、そういう勉強とはまた
別に、個々の思想家の名に於て、その可能性が考えられる場合もあるだろう。その場合、その思想
は、反復されながら思想の可能性に於て、論者の根源的=将来的歴史に共鳴し流れ込んでくる。思
想を読むことの中には、反復されながら己れに流れ込んでくる、ということが含まれる。その思想
家の名で指されているものが分かれば良いのだと思う。ある思想家の道程を残されたものに忠実
に論じることが思想家論の全てではないし、全てを論じることなども重要ではない。
456 :
なごやん ◆DDDDDDDDhA :2011/09/14(水) 00:43:50.43 0
>>442 >フーコーの「人間の死」は、それまで「人間」と思われていたものは
人間の相対性を語ることこそ人類を終焉させることだろう。
>ヒトラーが人心を掌握したのは、彼自身が、クソ写実主義
そんなこと要素に還元して後付けで貶めているだけじゃないか。天才とは
創始者のことであり社会の要求に広範に答えたものだ。あれだけ国民が
カリスマに歓喜したにも拘らず「ビジネスマン」であるなら、ヒトラーは
そこらじゅうにいるよ。それにヒトラーを挙げたのはそもそも社会的な
価値観に基づく良し悪しを否定する為の一つの例であって、俺がヒトラー
信奉者であるとか酒鬼薔薇支持者だとかいうレッテルは勘弁して戴きたい。
ヒトラーを防ぐ為にはヒトラーを正しく知った上で制御するべきで、過小
評価することは第2にヒトラーや酒鬼薔薇を生み出すことだ。
457 :
なごやん ◆DDDDDDDDhA :2011/09/14(水) 01:00:46.92 0
>>443 >あとね、俺が思うにニーチェなら、個々人が独自の「神」に出逢うなんてのは
>反動的で愚かな偶像崇拝と考えるんじゃないの?
あんたは教養はあるけど俺の主張を理解できていないな。いいか、じゃあ
奥崎に「あんたの神は数ある偶像の一つに過ぎない」といったらどうなる?
「私は事実を言いましょう。私の神は創造者、貴方は被創造者」で終わり
だよ。笑われるだけさ。神は昔から絶対的だ。
>善悪の彼岸にある、最大限の力が神と呼ばれている。
そうだよ、善悪なんて捏造されたものだろ。それを超えたところに力がある。
何度も言っていることだ。
458 :
なごやん ◆DDDDDDDDhA :2011/09/14(水) 01:12:17.26 0
>>443 >「警察の諸君、捕まえてみたまえ」とか上から目線の手紙を送った当人が
>あっさり捕まっちゃったアホらしさもさることながら
俺も酒鬼薔薇なんて糞便小僧だ、と済ませられたらスッキリするところ
なんだけど、それはやはり彼を鋳型にはめ込んで透明の存在として苦しめ
たことへ言及しないのは筋が通らないと思う。少年に振り回されて40歳
中年の犯行と報道したり、酒鬼薔薇の由来を大人たちが探ったり、そうして
劇場型犯罪に面白いように巻き込まれたアホらしさも言及するのが筋だ。
>ニーチェ的超人とは全然関係なくて、「他人の苦痛は私の苦痛とは一片の
>関わりもない」というサド的犯罪者に過ぎないんだよ。
他人を風景と捉えるのは今の社会の自意識だろ。それにあんたの中では
ニーチェは社会的な聖人なのかな。
459 :
なごやん ◆DDDDDDDDhA :2011/09/14(水) 01:20:34.02 0
>>443 >病的な犯罪者はどうすべきかというと、「去勢してしまうべきだ」とまで
>ニーチェは言ってるんだな。
何でこの言葉を俺に対して挙げるんだ?俺は何だ、犯罪者を支持している
とでもいいたいのか?又吉イエスさんは犯罪者じゃねえだろ。俺はセルフ
ゴッドを捉えることが超人だとしているが、これは犯罪肯定では断じて
ないぞ。
>>444 狂った犯罪者支持者と同じようにされては困ってしまいますね。
ニーチェに惹かれる人間は、心のそこに少なからず狂気を帯びている
>>455 文献学者や歴史家は三文記事と衒学が三度の飯より好きなのです
>>457 >そうだよ、善悪なんて捏造されたものだろ。それを超えたところに力がある。
すべては力意志であるから
ニヒリズムも力意志の範疇にはいる。
もちろん超人とニヒリズムでは圧倒的に後者が勝る。
数の上では。
よって歴史上超人が君臨することは論理的にありえない。
故に超人は貴重なのだ。
463 :
なごやん ◆DDDDDDDDhA :2011/09/14(水) 04:10:56.37 0
>>447 >「神」のことを意識で捉えている間は神との一体化はなされない、すべてから
>離脱し、離脱しているという意識からさえ離脱せよ、と説いていた。
これこそ俺の言っている超人そのものだよ。酒鬼薔薇は信仰と不信仰の狭間で
揺らいでいたのか?
>神の偶像を崇めたりするのは、純然たる力の戯れとして世界を捉えることに
>背を向けている。
神が当たり前になることで純然たる力の戯れとして世界を捉えられるんだよ。
>自己防衛として要請された偶像など
自己防衛としての要請は我々ニヒリストの物言いだろ。奥崎に「お前の神は
要請された偶像だ」なんていっても笑われるだけだ。自己神という物言いを
そのまま受け止められてもそれは物象化の錯認だ。自己神とは側面であって、
それが本質じゃないだろ。繰り返し言ってるのにこれぐらい分からないのかね。
神は昔から存在しているし自己神でもなければ個々人の偶像でもない。
俺はエックハルトやキルケゴールの主張は半分当たっていると思う。当り
なのは距離をなくそうとすること、でももう半分はその神が捏造されている
という点だ。ニーチェは彼らの地平を相対化した所に偉大さがある。
464 :
なごやん ◆DDDDDDDDhA :2011/09/14(水) 04:17:25.52 0
>>462 >もちろん超人とニヒリズムでは圧倒的に後者が勝る。数の上では。
言いたい事はよく分かるがそれは直接的な時間軸を持つ社会での話だよ。
社会を超越する円環的な時間軸では全てが自己準拠・自己調達されるから
全く関係が無い。死刑判決が与えられえも神が無害化してしまう。だから
なんら問題はないんだ。
「バモイドオキ神」さま、なんて名を唱えたり、イラストで表現してみたり、
これが偶像崇拝でなくて何なのか?アラーの文字だけを掲げるイスラームの方が純粋性が高いといえるし、
エックハルトの教えからすれば、文字を置くことだけでも既に純粋性が損なわれている。神という呼び名さえ忘れても、
帰依しようという意識の残滓でも残っていれば、まだ不充分なのだから。
ヒトラーや酒鬼薔薇を実は支持していないというのは、これまで読んだ限りでのレス(それだけでもいい加減、膨大に過ぎるが)
からは分からないよ。誰か分かった人、いる?
自分の中では自明なのかも知れないが、他人からは論理の前提が見え辛い。
>>456 「社会的な価値観に基づく良し悪しを否定する」のはいいが、ヒトラーも「社会の要求に広範に答えた」のなら、
社会に衝撃を与える思想を創造するような天才ではなく、当時の「社会的な価値観に基づく良し悪し」に答えたビジネスマンでは?
偏差値も「社会的な価値観に基づく良し悪し」の一例だと思うしな。
>>458 「今の社会の自意識」という面はあるだろうが(酒鬼は極端なケースにしても)、それとは別に、
サドが『閨房哲学』とかで書いている論理と同一という話。
>>454 殺人でアピールっていう防衛手段が病的だから病人。あんたも犯罪者を支持してるわけじゃないんでしょ?
あと、又吉も酒鬼も奥崎も、「科学」とどう関わりがあるのかまだ聞いてない気がするんだが。
伊藤ガビンは「オウム真理教は人を殺した。そして面白かった、と。もっと正確に言えば、人を殺したからこそ面白かったということだ。人殺し(笑)。ですかね」
と言ったが、結局殺人てのは、宴会芸でキンタマを出すようなもので、そりゃ面白いけど、誰でも出来るでしょ、みたいなことを言っていて、酒鬼が幼稚に思えるのもそこだな。
誰でも出来るでしょ、についてはたぶん、「じゃあ、やってみろよ」とかいう脊髄反射的なレスが来そうなので言っとくけど、
実行するのに思い切りが必要だとか、そういう話じゃないからね。創造性の有無の話。
酒鬼も、絵や文に心血注げば今よりも「カリスマ」視する人も増えたかもしれないわな。『怪談人間時計』みたいに作品も残ったろうに。
あと、そもそもageる必要あるのか、これ。
永劫回帰って現代人のリセット願望と酷似しているのだけどねー!?♪。
リセットはうまくいかないから初めからやり直す意。
だと思うが、永遠回帰はとは真逆。
例えば、来世に期待して自殺したところで、
結局、永遠と今世で自殺することになる。
神の偶像化をめぐる論議はなごやん氏の言う“エックハルトやキルケゴールは半分は当たってい
る”というのが妥当な読みだろう。勿論論争相手には伝わってないから、(笑)相手はまだ言ってい
るんだが。こんな分かりやすい語り口を彼がしてるのにね。《絵や文に心血注げば》確かに合社会的
にはなったろうが、そうならなかったところにむしろあの人のもたらした意味合いを見るべきで
。ただ、本人も自分の行為にたいし、〈自己表現〉という言葉を確か使っていたし、犯罪ということ
のみに捕らわれる必要も実はない。捕らわれることは議論を自分から狭めることになる。こうい
う人というのは既存の思想や著作を絶対値にし、ズレが少しでもあると、無関係にしたがる。或は
《比較にならない俗物》ということにしたがる。全く同一ではないことに捕らわれて、変容されて
はいるが出どころは同じではないか、という見方はない。熱心な愛読者に多いんだろうが、あまり
意味はない。過激な割りに学校教師的、「そのエネルギーを別に向けたら?」とか言いたがる(笑)
「囚われる」な
>>460 ニーチェが羨ましいのは、彼は年金を受給しながら自由に意識を活動させて著作活動出来てたこと。
経済的な心配が皆無だったのがいいよね。でも自分は生活保護は受給したくは無いけど。
たぶん自分が金玉を切除したいってのも、男でも女でも両性具有でも何でもない性別の無い人間になりたかったから。
これも身体的にチョージンとやらになりたかったからかもw「子供」にはまだ性欲が無いから羨ましい。
472 :
なごやん ◆DDDDDDDDhA :2011/09/14(水) 13:46:28.18 0
>>465 >「バモイドオキ神」さま、なんて名を唱えたり、イラストで表現してみたり
>これが偶像崇拝でなくて何なのか?
距離を縮めようとして偶像崇拝をしているんじゃなくて、意味の体裁をとる
んだよ。ニーチェは強者は言葉を話さないって言ったしその通りだと思う
けど、日常にある以上は形式として言葉を使う。でもそれはニーチェ的な
意味で言葉を使っているわけではないんだ。
>エックハルトの教えからすれば、文字を置くことだけでも既に純粋性が
>損なわれている。
偶像対象があれば純粋で無いのはそれはそうだろう。
>神という呼び名さえ忘れても、帰依しようという意識の残滓でも残って
>いれば、まだ不充分なのだから。
そんな残パンありませんから。神の出自は語ったろう。残ってたら死んでるよ。
>ヒトラーや酒鬼薔薇を実は支持していないというのは、これまで読んだ限り
>でのレス(それだけでもいい加減、膨大に過ぎるが)からは分からないよ。
>誰か分かった人、いる?
おいおい、自らの読解力の無さを他人を引き合いに出して誤魔化すなよ。俺は
自己神を捕らえることこそ超人だとしかいっていないし、またその様な存在は
社会からの逸脱可能性という危うさを持っているともいっている。これは
犯罪称揚か?俺が犯罪を支持している箇所を指摘してくれ。
473 :
なごやん ◆DDDDDDDDhA :2011/09/14(水) 13:52:40.96 0
>>465 >社会に衝撃を与える思想を創造するような天才ではなく、当時の「社会的な
>価値観に基づく良し悪し」に答えたビジネスマンでは?
社会に感情浄化を与える方法論の話しだったか?ビジネスマンという言葉を
どうしても使いたいなら「ビッグビジネスマン」だな。なぜヒトラーを通俗化
したいのかわからないよ。第2のヒトラーを望んでいるのか?
>「今の社会の自意識」という面はあるだろうが(酒鬼は極端なケースに
>しても)、それとは別に、サドが『閨房哲学』とかで書いている論理と
>同一という話。
ふむふむ。
>殺人でアピールっていう防衛手段が病的だから病人。あんたも犯罪者を
>支持してるわけじゃないんでしょ?
何故ニーチェを社会の枠に留まらせようとするのか分からない。それが
ニーチェをどれだけ貧しくしてしまっているか。俺は犯罪は支持しないし
称揚もしないが、ニーチェ思想を語るんだからきちっと語らないと。
どうもあんたにはいかがわしさを感じる。
474 :
なごやん ◆DDDDDDDDhA :2011/09/14(水) 14:01:56.66 0
>>465 >又吉も酒鬼も奥崎も、「科学」とどう関わりがあるのかまだ聞いてない気が
>するんだが。
先天的な超人は個別性だが後天的な超人は一般性だ。人間から超人へと橋渡し
するのが科学なんだ。
>結局殺人てのは、宴会芸でキンタマを出すようなもので、そりゃ面白いけど
殺人に何故そんなに拘泥し過剰反応を示すのか。ガビンもあんたも「良い人」
なのはわかったけど、やってることは殺人を野放しにするだけだぜ。
>酒鬼も、絵や文に心血注げば今よりも「カリスマ」視する人も増えたかも
>しれないわな。
また自分に都合いいことばっかり。あんたが年寄りなのはよく分かったよ。
475 :
なごやん ◆DDDDDDDDhA :2011/09/14(水) 14:14:49.58 0
>>469 >こんな分かりやすい語り口を彼がしてるのにね。
俺は馬鹿だから子供っぽくしか言えないんだよ。
>そうならなかったところにむしろあの人のもたらした意味合いを見るべきで。
その通りだと思うよ。「社会的だったら良かったのに」とか民度低すぎ。都合
いい上澄みだけ取りたいらしい。だったら瀬戸内寂聴のありがたい話でも
聞いてたらいいのに。
476 :
なごやん ◆DDDDDDDDhA :2011/09/14(水) 15:14:57.37 0
畜群は人間の英知によって超人となる。この英知とは科学のことだ。人類が
終焉することによって自然から解き放たれた人類は、自己準拠して創発する。
こうして人間は超人へと進化するのだ。
しかしこの超人は危うい存在である。なぜなら超人が言葉を発しないのは
非社会性であるということであり、誰とも交わる事の無い孤独な存在だから
だ。ニーチェは「善人たちは超人を悪魔と呼ぶ」といっているが、ニヒリズム
の克服は悪魔によってしかなされえない。
ニヒリストの目から見れば(と説明しなければならないのは甚だ残念では
有るが)、何を神とするのか、何を自己神にするのかは、自明ではない。
しかし言いうることは、それは信仰の対象と成るものではなく信仰者それ
自身と同時的である。
畜群に英知を与えても消化できないから超人にはなれないだろうよ。どれほどの真理に耐えうるかがそいつの価値を決定づけるとニーチェが言うように。
『攻殻S.A.C.2』のクゼみたいなアノマリーな存在が、半ば物理的に強引に群集を引き上げるとかなら理論上の可能性はあるけどね。
>>414でアブラハムが引用されているのが疑問。酒鬼薔薇が何を「神に差し出」したのか?
犠牲者となった子らを捧げたというのなら、「愛する我が子」を差し出すのとは違うし(キャベツと同じに捉えてるんだから)、
アブラハムは「僕は人が殺したくてたまらない」とか言ってたわけでもない。
単に、犯罪や殺人を犯したことでその価値を否定する、というのなら、確かに社会に囚われていることになるだろうけど、
ニーチェが「どのような弁護人も、罪びとの行為の美しさを敢えて論拠にする者はいなかった」といった意味での「美しさ」が感じられない。
そこは個人の感受性や趣味の違いだといえば実際そうで、論理で説得する類いの話ではないだろうな。
ニーチェの思索や詩の音調の高みに比べても、多様な世界を力づくで呑み込むような強者というより、狭い自己世界への自閉という弱者性が感じられる。
作品として残るような表現にすればというのは、なにも「表現の自由」の活用といった形で社会に沿えという話ではない。
「贈り与える徳」として新たな世界観を開陳するような表現を構築するには至っていないという印象のこと。
その表現がどれほどの高みに達しているかで、例えば殺人といった行為も評価されるべき。
あと、やはりageる必要もないと思う。他人に話を聴いてもらいたくて堪らないのは伝わるけどね。
ニーチェは神への信仰を一度も失ってはいない。
「一人の神が、唯一の神を名乗ったことに、神々は笑い死んだ」
「神々はいるが、唯一の神はいない、これこそが神的なのだ」
これはただ道徳的な神のことで、世界の多様性もまた、力への意志に一元化され、
世界の多様な展開も、それ自体が永遠回帰するものとして統一される。
この永遠回帰を知によって把握していないような思想は絶滅するだろうとまで言っている。
「何を神とするのか、何を自己神にするのか」という選択(というよりは自己と神の受動的かつ同時的到来ですかね)、
それ自体がニーチェの一元論で排除される筈。
479 :
考える名無しさん:2011/09/14(水) 19:58:32.61 0
金玉もみもみage
そう、もみあげだったのだよ
480 :
なごやん ◆DDDDDDDDhA :2011/09/14(水) 20:17:22.21 0
>>477 >畜群に英知を与えても消化できないから超人にはなれないだろうよ。
じゃあ畜群のお前も無理だな(笑)。
>半ば物理的に強引に群集を引き上げるとかなら理論上の可能性はあるけどね。
攻殻機動隊は知らないがそういうことをいっているんだよ。
>アブラハムが引用されているのが疑問。
また命の尊さとか恣意的な価値観をもってくるのかね。内容は鼻をほじるでも
いいんだよ。実際奥崎は血栓溶解法を神のメッセージに従ってやったろうが。
>やはりageる必要もないと思う。他人に話を聴いてもらいたくて堪らないの
>は伝わるけどね。
俺は今まで一度も下げたことが無い。下げる事の意味も分からないし興味も
無い。下げるとなにかいいことでもあるのか?止めて欲しいなら理由を書いて
いえばいいのに。なんでそんなに上から目線なんだろ。どうみてもお前は畜群
なのに(笑)。
481 :
なごやん ◆DDDDDDDDhA :2011/09/14(水) 20:38:28.34 0
>>478 >ニーチェは神への信仰を一度も失ってはいない。
そうそう、無神論とか言われるけど彼は宗教こそ答えだとしている。
>「神々はいるが、唯一の神はいない、これこそが神的なのだ」
ほら、俺と一緒のこと言ってるでしょ。
>世界の多様な展開も、それ自体が永遠回帰するものとして統一される。
これには誰も異論は無いよね。
>「何を神とするのか、何を自己神にするのか」という選択(というよりは
>自己と神の受動的かつ同時的到来ですかね)、それ自体がニーチェの一元論
>で排除される筈。
勘違いしないで欲しい、何を神にするのか、何を自己神にするのかという選択
は最初から無いんだよ。また客観的に見たら神々といわれるかもしれないけど、
問題は当人にとってだから神々なんてありえないよ。
482 :
なごやん ◆DDDDDDDDhA :2011/09/14(水) 21:34:16.63 0
神は来訪するのでなければ神ではない。これは神の理念であり、もし来訪
しないのであればそれは神ですらないのだ。自ら選択して偶像を崇拝しても
それは神の取り違えだ。
そして自己神という神々もまた、来訪するものだ。ただこの自己神とか神々
というのは客観的な言い回しであって、これは実際の信仰とは無関係な物言い
にすぎない。これをそのままに捉えるのは物象化の錯忍であり、それがなんで
あるかを決定するのはその人間の主観によるということが忘却されている。
信仰者にとって神々は神であり、自己神もまたあの神でしかない。例えば
特定の信仰者から離れて世界を見やれば、確かに多くの神々が信仰されて
いる。しかし翻って信仰者個人を見れば神はやはり神々ではないだろう。
また例えば特定の信仰者から離れて独自の神を戴く信仰者一般を見やれば、
確かに自己神が信仰されている。しかし翻って信仰者個人を見れば神は
良き生を与える神性一般を携えて訪れたあの神なのだ。
483 :
考える名無しさん:2011/09/14(水) 21:46:56.98 0
畜群に人文科学を混ぜて搾り出すと少数の超人が生成されるというのか?
ならば超人を愛するものは、まず畜群を愛さなければならない。
おまえら「超人」を拡大解釈しすぎだろ。
ニーチェの超人は、「君主道徳」と「権力意志」
この2つを押さえとけば、取り敢えず問題ないよ。
なご、キッチキチやなー
>神は来訪するのでなければ神ではない。これは神の理念であり、もし来訪しないのであればそ
れは神ですらないのだ。自ら選択して偶像を崇拝してもそれは神の取り違えだ。
そこなんだな。なごやん氏の立論が良いのはそこが押さえられてるところが一つある。そこが押
さえられていることは他ではまず見当たらない。しかし1990年代以降の日本社会の深層を解く鍵
はそこだと思うし、酒鬼薔薇事件を初めとして、〈到来する神〉という概念を考えない限り、掴まえ
られない事象が多い。まさになごやん氏の提起してるそこが、思想的な概念として提起されるか
が、概念として提起されるかがポイントで、思想的かつ社会学的な問いかけとして、現在を考える
場合の頂にくる思想だと思う。
まずニーチェが超人であるかという質問が有るとすれば、
No。
ニーチェは予言者にすぎない。
まして、超人になることを勧めているというより、産むことを
勧めている。
ちなみに俺は、超人を見究めることを勧める。
ニーチェは新しい哲学者を待ち望んでいる。
つまりニーチェはニーチェ以外の到来を望んでいる。
さあ、貴様が没落できるほど高みにいるならば、没落しようではないか。
というかその一択しかないではないか?
ニーチェの思想の湾曲化、かつてナチスヒトラーがやったような哀しい出来事がこのスレでも行われようとしている
そこでの唯一の救いは、ホロコーストを正当化するような危険な湾曲では無いということだけだ。
しかし、それすら受け入れよう、すべてはわたし達の一部なのだから
なんやねn湾曲化て
まあ歪曲化だよね。
>>480 アブラハムは、人間的な善悪や愛や利益を超えたものに、全てを差し出す姿勢を見せた。つまり同情が超克されている。
ニーチェは、新約聖書とは異なり旧約は偉大な書と評価しているが、その理由の一端はこういう面にある筈。
所謂「命の尊さ」とは関係なく、むしろ命の破壊が描かれているわけだ。
反対に、殺人を行なっていようとも、キャベツの破壊という認識で行なっているのなら、命の破壊という意味合いは希薄。
「コミュニケーションをすることで傷つきたくない」(
>>426)という、弱者の防衛本能の域を出ていない。
ニーチェを聖人と思っているのかとか、命の尊さを言っているのかとか、そういちいち既存の道徳に引き寄せて解釈したがるのは、
最初から相手を論破の対象としてしか見ない先入観で歪曲化してるんだよ。酒鬼は何を差し出したのか、という肝心の質問には答えないしな。
それと、酒鬼らにはどのように「科学」があったのかという質問にも、充分な回答が為されていない。自分の中では答えたつもりなんだろうけど。
所産としての社会や自然を概念的に解体する科学は、ニーチェの思想に欠かせない道具の筈。
だが、概念は概括であり、認識の「形式」であって、同等視、同一視という錯覚、虚構を敢えて為す行為でもある。
先の、同情の超克という話とも関係するけど、ニーチェは夥しい箴言で、人間の心理を解剖している上に、
力=意志としての無機物の世界の表象にも思考をめぐらす。電気や重力といった現象にも力=意志を認めるショーペンハウアーの思想の継承だが、
これは擬人化というより、人間的な喜怒哀楽も物理現象と程度の差異しか持たないということ。
そして意志は時空間の区別を持たないとされている。つまり永劫回帰思想は、宇宙の森羅万象への「同情」でもある。だから「吐き気」を覚えるわけだ。
アブラハムは神という超越者の命令に従ったのであり、ニーチェの視点から言えば奴隷道徳。神に代わる立法者、命令者として自ら世界を肯定するには、
ドストエフスキーの『悪霊』で言われているように、「肉体的な変化が必要」。「人間は神になって、肉体的に変化する。世界も変わるし、事物も、思想も、
感情のすべても変る」(江川卓・訳)。
>>487の指摘の通り、これからいかに超人を産出するかが課題なのであり、永劫回帰の信仰を除いて、神(=力)の来訪はない。
それ以外の「神」が「当人にとって」どうなのか、は無意味。
492 :
なごやん ◆DDDDDDDDhA :2011/09/15(木) 06:22:58.55 0
>>490 >アブラハムは、人間的な善悪や愛や利益を超えたものに、全てを差し出す姿勢を見せた。
そんな話しはしていないよ。道徳的なものを超えて神のメッセージ通りに動いているという
ことが争点だ。論点のすり替えはやめてくれ。
>弱者の防衛本能の域を出ていない。
起源は弱者性にあっても弱者性は克服されたのに弱者であることが温存されているような
口ぶりは事実に反する。
>ニーチェを聖人と思っているのかとか、命の尊さを言っているのかとか、そういちいち
あんたが「犯罪を称揚しているのか」などと道徳を引き合いに出した物言いを繰り返して
いるからだろう。とりあえずそんなことは問題じゃないはずなのに。でももしあんたが
とりあえずでも社会的な価値なんて捨象しているというのならそれでいいよ。
>酒鬼は何を差し出したのか、という肝心の質問には答えないしな。
酒鬼という言い方すら彼を侮蔑しているような書き振りに見えるが、そうではないんだよな。
長いから略しただけだよな?
>それと、酒鬼らにはどのように「科学」があったのかという質問にも、充分な回答が
>為されていない。自分の中では答えたつもりなんだろうけど。
順番が違うだろ。それは2階の話だ、1階すら納得していないものが口にするには早すぎる。
アイドル志望者が税金対策をどうするのか思い悩んでいるようなもんだ。それにそもそも
俺は酒鬼薔薇に科学があったなんて言っていない。
493 :
なごやん ◆DDDDDDDDhA :2011/09/15(木) 06:23:45.59 0
>>491 >アブラハムは神という超越者の命令に従ったのであり、ニーチェの視点から言えば奴隷道徳。
神に従っているのは体裁であって、実際は主人と奴隷の関係なんて無いよ。社会運動の目的は
問題解決によって社会運動を辞めることだけど、運動自体が目的とは問題解決によって運動を
辞めることを目的にするのではなくて、運動それ自体が歓喜で有るということなんだ。
>これからいかに超人を産出するかが課題なのであり、永劫回帰の信仰を除いて、神(=力)
>の来訪はない。
日常が黄金色を帯びるとは日常の拒絶ではなく受容だよ。永劫回帰と一致することこそ神の
来訪を示している。
>それ以外の「神」が「当人にとって」どうなのか、は無意味。
それ以外ではないと何度もいっているんだけどね。何故分析者の立場で物象化し続けるのか
意味が分からない。それこそ無意味。あともうちょっと位を下げられないのかね?せめて
あんたが茶化しから入っていなければもう少し話し易かったと思うんだが。まあ茶化して
いることも認められない高い位の人だからどうしようもないけど。
494 :
なごやん ◆DDDDDDDDhA :2011/09/15(木) 06:35:20.72 0
例えばマルクス主義者を自称する者がいるとして、運動それ自体が目的だと
する。そこでは一応マルクスを神として世界を平和にすることを目標に
掲げているとしよう。しかしそれは体裁であって、運動それ自体が彼に
とっての生きてる実感を与えてくれるものなのだから、実はマルクスなんて
どうでもいいわけ。
超人産出の物言いは個人の意志を度外視している所が合理的だね。だから
俺も超人になれなんて一度も言っていない。科学が超人を産出するんだよ。
永劫回帰とリセット願望良く似てるよねー!?♪。
科学が酒鬼を産んだのか?
>>486 >そこなんだな。なごやん氏の立論が良いのはそこが押さえられてるところが一つある。そこが押
>さえられていることは他ではまず見当たらない。
見え見えの自演だなw
そもそもニーチェスレで酒鬼薔薇の話題で盛り上がるのが不自然なことに気づけw
改行の仕方も似てるし。
>・・・・押
>さえられて
>・・・・・掴まえ
>られない
みたいな改行は
なごやんの改行の特徴。
そういう中途半端なところで改行する奴は少ないんだよ。
頭悪い奴だ・・・・・
498 :
なごやん ◆DDDDDDDDhA :2011/09/15(木) 15:28:31.09 0
永劫回帰は世界解釈の一つではあるが、永劫回帰に生きるものにとっては世界
解釈ではなく意識されえないものである。意識した途端にそれは永劫回帰では
なくなるのだ。超人と永劫回帰は同時に置かれている。
永劫回帰は進入した無に対して発明された新兵器ではない。なぜなら人類は
何万年もの間、永劫回帰に生きてきたからである。いうなればこれは人の生
の同一性の確保である。確保されてきたものが手から零れ落ちたのではないか。
人の生の同一性が誤り別のものを拾ってしまったのではないか。そこで人類は
失われた同一性を再び正しく確保しなければならない。
これは新しいことではなく何万年の人類の歴史に則ったものである。しかし
それは自然的に確保されるものではない。
499 :
なごやん ◆DDDDDDDDhA :2011/09/15(木) 15:42:30.84 0
人類史上無が進入したのはいわゆる近代社会に入ってからではなかったか。
我々は人類が今まで体験してこなかったことを体験しているのだ。自由とは
地獄のことだといったサルトルの分析は正しい。なぜならそれは人がその生
の同一性を離れたことを意味しているのであり、無の深遠へと飲み込まれる
ことを意味しているからだ。
そして「人は意味が無いから良く生きられないのではない、良く生きられ
ないから意味にすがるのだ」というニーチェの主張は、自然と零れ落ちた
人の生の同一性を誤って別のものを拾い上げたことを意味している。今日
跋扈するのはニヒリスティックないかがわしいものばかりである。
人類は再び生の同一性を確保しなければならない。自然と零れ落ちたものを
正しく取り戻さなければならない。しかしそれは人類の意志によってでは
ない。不自然な神の使いによって、自然と零れ落ちたものが自然に受け取る
もので無ければならないのだ。
500 :
なごやん ◆DDDDDDDDhA :2011/09/15(木) 19:27:56.77 0
ニヒリズムの時代の到来は自然的なものである。マズローのいう欲求の位階に
従って人類は生産様式を変遷させていき、そして高度な生産性を獲得していく。
しかしそれは同時に神を許容しない社会システムを生み出した。そう、人類の
進化が神を殺したのだ。
死刑執行が壁の向こうで行われるように、被災者の夥しい数の死体の映像が
隠蔽されたように、もし今日の社会システムで神が訪れれば流れは止まり
生活は破綻するだろう。
この様に今日的に永劫回帰に生きることは最早自然的ではありえない。では
これもニヒリズムでしかありえないのか。
なごやんのそういう有り難い長広舌を聞きたがってる奴はあんまりいないと思うけどね。
>>406で「もう相手はしない」と宣言した後も全く変わらず相手になっているのはどうしてか知らないが、
まあカスの相手をしてくれて有り難うよ。俺の他には、議論をしてくれる奴がいないからしょうがないよな。
>>492 >起源は弱者性にあっても弱者性は克服された
どう「克服された」の?当方は、酒鬼の「神」自体が弱者の防衛心理の要請によるものに過ぎないと既に言った筈。
>あんたが「犯罪を称揚しているのか」などと道徳を引き合いに出した物言いを繰り返して
「犯罪を称揚しているのか」と俺、言ったっけ?俺が失念してるだけ?当該箇所を教えてくれ。
あと、俺が「道徳を引き合いに出した物言い」をしているってのは、どの箇所?
俺にはそういうつもりは端からないので、そちらが具体的な箇所を挙げてくれないと分からないね。
>酒鬼という言い方すら彼を侮蔑しているような書き振り
長いから略したんだが、略して構わぬ程度の存在だと思ってるから略しているわけで、それくらい分かりなよ。
ヘンに善意の解釈しなくていいよ。
それより、あからさまに話題をすり替えたりしないで、早く「肝心の質問」に答えてくれないかね。答えはあるんだろ?
>俺は酒鬼薔薇に科学があったなんて言っていない。
これは確かにそうだな、まぁ。ただ俺からすると、例えばニーチェについて
>>331に「結果科学的に宗教を選択した人」とあるので、
酒鬼らがいかなる「科学」に基づいて己の宗教に至ったのかが訊きたいわけよ。
酒鬼らに科学があったというより、ニーチェが「科学的に宗教を選択した」のと同じような意味で選択した、という話なのなら、
単にそう言ってくれたら良いだけの話だろ?
>>493 >実際は主人と奴隷の関係なんて無いよ
ならニーチェがユダヤ教を批判したのは間違いだっていうことなのか?そこのニーチェ観はハッキリしてほしい。
アブラハムの儀式にあっては命令者も従う者も区別はないんだと言いたいのかも知れんが、
「創世記」の当該箇所の冒頭にあるように、アブラハムは神に試みられているわけで、アブラハム自身はニーチェ的立法者とは異なる。
>それ以外ではないと何度もいっているんだけどね。
これは何度言っても同じだよ。ウィトゲンシュタインの云う「私的言語」と同じ理屈。
503 :
なごやん ◆DDDDDDDDhA :2011/09/15(木) 20:41:07.96 0
>>501 >なごやんのそういう有り難い長広舌を聞きたがってる奴はあんまりいないと
>思うけどね。
聞きたい人間に聞かせるというのは世界が最後的に分割されたんならそれも
わかる。だが現実には既得権益を当てにするということだよ。
>まあカスの相手をしてくれて有り難うよ。
お前を人格的に扱う気は無いからそういう意味で相手をしていない。上手く
利用さしてもらう。
>酒鬼の「神」自体が弱者の防衛心理の要請によるものに過ぎないと既に
>言った筈。
だからそれは起源だろうが。シュワルツェネッガーの「筋肉」自体が健康的
弱者の防衛心理の要請によるものだよ。それでシュワルツは今でもガリガリ
なのかね?
>それくらい分かりなよ。
酒鬼としただけで分かるわけねーですから。それに理解力が皆無のお前に
言われたくないよ。
>あからさまに話題をすり替えたりしないで
鼻をほじるでも金玉もみもみでもいいといっているのに、アブラハムの
例に拘って摩り替えてるのはお前ですから。それに俺は摩り替えてるん
じゃなくて順番どおりにやってるだけで、一つの問題が消化されたら
次を語りますから。何度説明すればいいんだ?だからお前はカスの中でも
チンカスなんだよ。
俺は中傷なんてしたくないけど、お前が始めたことだからな。
金玉もみもみage
そう、もみあげだったのだよ
なごやんも揉んでやろうか?
結局、人間は思想思考よりもどの様に生きてどの様に死ぬかが大切ね。
ここで肯定的な方向性を定める遣り取りをしないで、喧嘩や殴り合いをするくらいなら、一人静かに思索したり瞑想したりする方が価値があると思う。
今日もフッと思ったけど、白い雲が混じったりしてる綺麗な青空観たり外の心地良い風に触れるだけで、意外と気持ち良くなれる。
精神的にも身体的にも、緊張から弛緩への移行ってイイモンだね。解放とクリアの感覚って自由で最高。例えば、砂漠のオアシスか。
てか死ぬ瞬間ってめちゃキモチイイんじゃないかな。とにかく生も死も「然り」と肯定してる。
瞑想したければひたすら単純作業に没頭することです
(没頭とは単純作業の一連の動作の無駄を排すること)
在るべき場所に在るべきモノが在るという状態になれ
不必要なモノは廃棄され必要なもの、適切なモノが見つかります
心身一如
連動する流れを感じましょう
>>506 死ぬ時に射精しちゃうケースあるから事前処理した方がいい、
って完全自殺マニュアルで読んだ
何が快かと言えばやっぱりカタルシス(排泄・浄化)にあると思う。身体や思考からモノでもオモイでも「ヌク」と軽く楽になれますね。
>>507 例えばランナーズハイとかもそうですよね。脳内麻薬が出るからか。
>>508 オムツ履けばおk
>>498 自己同一性と永遠回帰は相いれないはずだが?
ヘーゲルとかニーチェはイスラム評価してるとおもったが
殺し合いばかりで文明的に遅れてるのは信仰の力が大きいからじゃないか?
永劫回帰=何回でもしたいリセットする願望の要求!?♪。
>>507 >単純作業に没頭することです
そんな難しいことはいらないよ、
例えば方法として、お風呂に入っていい気分になるとか
散歩してあっちこっちを眺めるとか、
自然さが重要です。何かの能力にとらわれ硬く信じちゃった人には
そういう単純作業を極めるみたいなことをさせないと力の緩めかたを
実効できないのですよ。
考えないことが重要、それは何かを考えた結果を自然に生み出す場合に
必要になってくるのね、まとめて出ない何かを求めている場合に
何も努力しなくても結果はでてきます。強請っても無駄なんです、
勝ち取るなら自然に任せることです、積み上げたものは力を込めて
いるからつみあがるわけで、それが自然に秩序立てするには力は逆に
抜くことです。簡単すぎるが簡単なものこそ思いが邪魔をしてできないのね。
貴方みたいに。
514 :
なごやん ◆DDDDDDDDhA :2011/09/16(金) 02:28:02.57 0
>>502 >アブラハム自身はニーチェ的立法者とは異なる。
それはその通りだよ。ただ彼が子供のイサクに手を掛ける瞬間は、信仰の飛躍
があるからこそ神は認めたんだ。何故エックハルトやキルケゴールが取り上げ
られるかというと、そこに合理的核心があり、批判的継承という形でニーチェ
賛同者に受け取り直しがされるからじゃないか。
>これは何度言っても同じだよ。ウィトゲンシュタインの云う「私的言語」と
>同じ理屈。
自分の理解力の無い可能性は捨象して、つまりプライドが邪魔をして質問が
出来ないということだね。よくわかりました。そりゃあ中学生に聞くのは匿名
メディアとはいえ貴方には耐えられない屈辱だ。
俺はある時にキルケゴールかニーチェを学ぶかで選択を迫られたことがある。
そこで俺はほとんど迷わずにキルケゴールを選んだ。ニーチェはほとんど
知らなかったけど多少用語とかは聞いてたから「多分ニーチェはハンバーグで
キルケゴールは横の漬物だ、ハンバーグ食べたら漬物は食べずに捨てるかも
しれない」と思いキルケゴールから始めたわけだ。でもキルケゴールもハン
バーグだった(笑)。というかキルケゴールでニーチェのほとんどを学んで
しまい、ニーチェも勿論学ぶべきことはあったが復習みたいなもんで分かり
やすかったよ。
515 :
J.モーリアティ:2011/09/16(金) 02:46:21.94 0
いやいや、永劫回帰は再び,創りだされねばならない、というなごやんの
主張はもっともですぞ。近代的時間という巨大な慣性を伴って、すべてを
飲み込んでいく一大大河の潮流に逆らって、あるいは逆らわずに泳ぐ術を
今すぐ、学びはじめねばならないのでしょう。流されるのではなく、主体
的に泳ぎまわるのです。たとえそれが「遊びにすぎない」と言われようと
ね。
516 :
J.モーリアティ:2011/09/16(金) 03:09:32.79 0
・・つまり、自己神に近づこうと絶えず努力するひとに、「自己神」は
来訪してくれる。。という訳ですよね。
なごやんさ、執拗に反論されて怒るのはいいんだけど、あんまり下品な言葉遣いはしない方がいいんじゃないの?
「テメーの下劣さに合わせてるんだ」とか言いたいんだろうけど、他人からは、冷静さに欠けて見えるだけだぞ。
まあ、「俺の他には、議論をしてくれる奴がいない」とか「善意の解釈」とか言われて、こいつへの敵愾心を示さねば、とか思ったんだろうけど。
もっかい訊くけど、
「犯罪を称揚しているのか」と俺、言ったっけ?俺が失念してるだけ?当該箇所を教えてくれ。
あと、俺が「道徳を引き合いに出した物言い」をしているってのは、どの箇所?
それと、
酒鬼らに科学があったというより、ニーチェが「科学的に宗教を選択した」のと同じような意味で選択した、という話 なのかどうなのか。
言っとくけど、あなたの中で、何らかの意味でニーチェと「同じ意味」で結論したと思ってるんなら、
科学を「実践」するという進行形で捉えているニーチェとは全然違う話になるよ。科学がないんなら、ニーチェ的な神とは縁もゆかりもない。
いくら酒鬼やら奥崎やらが神神言ってようと、私的な感動は何物も証明しないとニーチェと共に言うしかない。
「鼻をほじるでも金玉もみもみでもいい」なんてニーチェは認めないと思うけどね。
別にニーチェ信者でいろと言うつもりは微塵もないが、ニーチェ・スレで喋ってるんだからその辺ハッキリしないとな。
ニーチェのユダヤ教批判についてもどう考えてるんだ?アブラハムにこだわられて迷惑かも知れんが、例に出したのはそっちだぞ。
回答できなくて焦ってるんだろうけどさ。
>>503 >世界が最後的に分割されたんならそれもわかる。だが現実には既得権益を当てにするということだよ。
意味が分からんな。世界の最後的分割って何?既得権益って何のこと?他人に分かるように説明してみな。
説明がなきゃ、書いてる自分もよく分かってないんだな、としか思えんよ。
>上手く利用さしてもらう
実際これまでのところうまく利用してるな。俺のレスなしで、例の調子で思想史を展開していたら、
「失せろカス」とか「ここはお前のブログじゃない」とか言われて終わりだったかもね。
だけど俺の質問に答えない限り、利用どころか玉砕したことになるだろうから、ちゃんと答えてくれよ。
>だからそれは起源だろうが
シュワの筋肉の喩えは的外れ。筋肉はそれ自体が発達・強化してるわけだろ。
酒鬼の場合、「傷つきたくない」(
>>426)という弱さは、「相手をキャベツとして捉える」ことで回避されている。
つまり他人と接することへの弱さは、強化されたのではなく、覆い隠されている。
シュワの喩えで言えば、バーベルを持ち上げられる筋肉を得たのではなく、バーベルの持ち上げなんてキャベツの持ち上げと一緒だと思い込んだ。
>順番どおりにやってるだけで、一つの問題が消化されたら 次を語りますから。何度説明すればいいんだ?
そんな説明受けたっけ?順番とか言って、ホントはどう反論したらいいか、いま必死で焦って考えてるんでしょ?
「順番」と言っておいて答えを探し、あわよくば他人がそれを忘れてくれるかもと期待する・・・
>>514 >自分の理解力の無い可能性は捨象して
まぁそう思うならそれでいいけど、一応「私的言語」の概念は知ってて言ってるんだよね?
知らないんなら訊いてくれていいよ。
>キルケゴールでニーチェのほとんどを学んでしまい
ドゥルーズは、差異の反復としての永劫回帰と、同一性の反復としてのキルケゴールは全く異なるものとして論じていたが、
俺自身はキルケゴールにはとんと詳しくないのでなんとも言えんなそこは。
「私的言語」については頑張ってググってくれよ。
つか、酒鬼は何を差し出した?という質問には、俺はてっきり、
「彼は犯罪者として捕まり裁かれる危険に自らの身を差し出した」、「ニーチェ的没落だよ」とか言うのかと思ったよ。
俺はそれに対して、先述した「科学」の話とかで反論したり、
「酒鬼は本気で、自分は特別な人間だから捕まらないと思ってたかも知れないだろ。お前の希望的観測」とか書こうと思ってたんだが。
興奮しすぎて、簡単な言い逃れさえ思いつかなくなってるのか、元々この程度のアタマなのか。いや、後者だからいちいち激昂するんだろうな。
520 :
J.モーリアティ:2011/09/16(金) 03:54:53.37 0
永遠回帰って、再現や、単なる模倣とは異なる「個人的な時間」を
創りだすこととしてのACTIONのことですよね?
521 :
J.モーリアティ:2011/09/16(金) 03:58:25.17 0
もっと端的にいうと、永遠回帰って、個人のことですよね。
522 :
なごやん ◆DDDDDDDDhA :2011/09/16(金) 04:05:38.94 0
>>517 >こいつへの敵愾心を示さねば、とか思ったんだろうけど。
結論でてるじゃないの。お前が茶化したとか中学生扱いしたとかスルーせず
きちっと片付けないと俺としても中傷されれば中傷せざるを得ないよ。俺は
望んで下劣さを出しているわけじゃあない。問題はお前に有るんであって、
俺のは相対的態度だ。後はお前の選択次第だと何度も言ってきているんだがな。
>もっかい訊くけど、「犯罪を称揚しているのか」と俺、言ったっけ?
そんなめんどくせえことしねえよ。それにそうじゃないんならそれでいいと
俺も言ってるだろ。なんか重大なことなんかね。
>同じような意味で選択した、という話 なのかどうなのか。
それは誤解だと思う。そんなことは言っていないよ。すくなくとも繰り返すと
酒鬼と科学は直接関係が無いよ。
>科学がないんなら、ニーチェ的な神とは縁もゆかりもない。
科学こそ畜群から超人への橋渡しだといっている。科学なしどころか科学こそ
主役だ。まあ誤読とは別に誤解が生まれるのは仕方の無いことだ。そこは
少しづつ直していけばいい。
ニーチェは強者や超人の条件として、彼らの奴隷として仕える畜群を前提にしてるんだけど。
「畜群から超人へ」という発想自体が非ニーチェ的。
科学こそ主役なのなら、科学がない酒鬼とかはダメだってことになるんじゃないの?
なごやんはまず、畜群への同情を超克する必要があるんじゃないの?
525 :
なごやん ◆DDDDDDDDhA :2011/09/16(金) 04:38:50.15 0
>>517 >ニーチェのユダヤ教批判についてもどう考えてるんだ?
>まぁそう思うならそれでいいけど、一応「私的言語」の概念は知ってて言って
>るんだよね?
なんでユダヤ教や私的言語が出てくるんだろうね。それを語る文脈があるの
か?明らかに無いよな。キルケゴールについてあんたはそれほど詳しくない
ようだが(勿論俺はキルケゴールを知っているというつもりはないけど)、
俺は争点をずらす気は無いから無関係なことは話さ無いよ。知らないと中傷
すればよい。それだけじゃなく攻殻とか昨日見たAVも聞いて中傷すると
いいと思う。それで自尊心が充たされるんだからあんたらしくていい(笑)。
>意味が分からんな。世界の最後的分割って何?既得権益って何のこと?
>他人に分かるように説明してみな。
聞きたいという読者に迎合するというのは、マニアに媚びるということで
マニアは既得権益として目減りするだけだから、その結果その分野は滅びる。
ようは聞きたい奴がいないから辞めるんじゃなくて、聞きたい奴を増やす為に
書き方を更新していくことで新規読者獲得を目指すということだ。世界が最後
的に分割されて読者がアトムとして固定しているならそれにのみ答えるという
選択も強い合理性を帯びるけど、そうじゃないんだから「読む奴がいない」と
いうことであんたのいう「有り難い長広舌」をやめるべき、というのは自明な
ことではない。新規読者獲得のために更新するという選択肢もあるということ
さ。
526 :
なごやん ◆DDDDDDDDhA :2011/09/16(金) 04:51:45.63 0
>>523 >「ニーチェ的没落だよ」とか言うのかと思ったよ。
そんな発想は全然ねえよ(笑)。ていうかお前の中では一人で盛り上がって
いるんだろうな。まあほほえましいといえばほほえましいが、現実にお前
みたいなプライドの高い人間と付き合うのは大変だろうな。屈折しすぎ。
>畜群への同情を超克する必要があるんじゃないの?
俺の今までの主張を納得した上で書き込んでいるのか?そうじゃないのに
何で階段飛ばしをしようとするんだ?アイドル志望者がまだアイドルに
なっていないし、なれたとしても人気が出るかどうかもわからないのに
税金対策を心配するのは滑稽じゃないかと俺は前にも言ったつもりなん
だが。
>それを語る文脈があるのか?
私的言語についてはまぁいいよ。
ユダヤ教に関しては、酒鬼の話の中でアブラハムが例として出てきたから、その文脈でだよ。
アブラハム的な宗教性は、ニーチェのそれとは違う筈で、となると、アブラハムと一緒に言及された酒鬼のそれも違う筈。
>そんな発想は全然ねえよ
じゃあ、酒鬼は別に何も差し出してないんじゃないの?意味無く何となく書いちゃったの?
>新規読者獲得のために更新
ここはお前のブログじゃないんだから、あんまり一方的にダラダラ書くのもどうかという、
これはまぁ、公共マナーという「社会的な価値観」での話だけどね。
>何で階段飛ばし
つまり「アイドル志望者」は超人志望者で、「税金対策」は科学って話?
今までもうひとつ分かり難かったんだが、酒鬼や奥崎の何をどの程度評価してるんだ?
528 :
なごやん ◆DDDDDDDDhA :2011/09/16(金) 05:24:42.91 0
>>518 >シュワの筋肉の喩えは的外れ。筋肉はそれ自体が発達・強化してるわけだろ。
それ自体とか出した時点でニヒリズムなんだよ。覆い隠すともあんたは言って
いるんだけど、超人のステージに行っているのにニヒリスティックになって
興奮しても通用しないよ。
>「順番」と言っておいて答えを探し、あわよくば他人がそれを忘れてくれる
>かもと期待する・・・
よく根拠も無くそこまで中傷できるね。でもここまでくると本当にほほえま
しい。そんなので怒ると思っているとしたらさらにほほえましいし。ほのぼの
スレになってきた^^。超人産出は忘却できるような相対的なことじゃないだろ?
>ドゥルーズは、差異の反復としての永劫回帰と、同一性の反復としてのキルケ
>ゴールは全く異なるものとして論じていた
いやいや、一緒なんていっていないだろ。キルケゴールを手がかりにする
とニーチェは分かりやすいといっているんだ。
ニーチェが「物自体」の概念を否定したのにかこつけてのレスか?
酒鬼がキャベツ視で問題を回避したことに変わりはないと思うが。
同情を超克した境地を得る前に、同情といったナマな感情を恐れて自閉化したと。
530 :
なごやん ◆DDDDDDDDhA :2011/09/16(金) 05:53:42.51 0
>>527 >じゃあ、酒鬼は別に何も差し出してないんじゃないの?意味無く何となく
>書いちゃったの?
なわけないだろ。いいか、俺が言いたかったのはアブラハムが社会的価値を
越えて神の命令にしたがったように、酒鬼薔薇もまた社会的価値を越えて
神の命令に従った、奥崎は金玉を揉んだ、といっているんだ。差し出すという
のは価値があろうがなかろうが重要じゃない。金玉を揉むことだって自ら
の時間や労力を差し出す立派な殉教者の振る舞いだよ。
>あんまり一方的にダラダラ書くのもどうかという
オメーもスゲー数の返レスダラダラ書いているように見えるがな。まあ俺は
取り留めの無いこのスレに一本筋を通した気でいるが。
>今までもうひとつ分かり難かったんだが、酒鬼や奥崎の何をどの程度評価
>してるんだ?
科学とは無関係に偶然超人になった人たちだよ。
531 :
なごやん ◆DDDDDDDDhA :2011/09/16(金) 06:01:44.55 0
>>521 >もっと端的にいうと、永遠回帰って、個人のことですよね。
どこで物を見るかで変わってくるけど、個々人で見れば個人だろうね。でも
その個人自らの手で永遠回帰で生きるのはニヒリズムだと思う。
532 :
J.モーリアティ:2011/09/16(金) 07:19:43.50 0
はあ。ニーチェって、よく肯定的ニヒリズムとか呼ばれますよねえ。
なごやんは、ニヒリズムに不賛成なので? それでいて、ニーチェ?
不思議な意見ですね。
ツァラトゥストラを読んでみようと思うんだが、
どの訳がいいのかな・・?
光文社にしようと思ってたんだが、
「軽快」とか「カジュアル」とか言われてて、
これでいいものなのかと思い始めている。
私がMとすれば、
ABCDEFGHIJKLMNOPQRSTUVWXYZとなり
Aに戻るのが永遠回帰であるとすると、Mだけでは私など存在
しえない。よって私はMでありAでありBでありCなのだ。
私は一つの全体であり運命愛であり一つの個ではない。個は誤謬なのだ。
だからこそ、誤謬である個のこの私を肯定せねばならん。
私とは、身体的にも意識的にも遺伝も含めて周囲の環境の色々様々な事象や物事や他者達の影響を受けた「集合体」でしょうね。
この空間の中で形成されて、何時かは解体される存在。身体も一体の物質でしかない存在。死は、熟睡の様な完全な無意識の状態だと思う。
自己存在の確認の為に「我思う、故に我在り」などと気取ったことを言うよりも、鏡の前に立ったり己の頬をツネったり他者と接する方が、自分の存在についてよく解る。
思考や言論や理屈を延々とコネコネするよりも「我見る、故に我在り」などと言う方が肉感的で、寧ろ「生の実感」に近付けるかも。
金玉もんでドヤ顔してるのが超人らしい
んなもんなりたくねーw
変な妄想で自分だけが幸せになればいいような余裕ある世の中じゃない
ひどいことになってるね。
なごやんという人の自作自演は、ギャグなの? 病気なの?
この人と話してる人(527)も、なごやんの分身っぽいね。話の流れが不自然。
ああなんだか気持ち悪くなってきた
【阿呆よ、別れに際して、おまえにこの教えを授けよう。
人は愛することができない場合には、そこを――通り過ぎるべきなのだ。
ツァラトゥストラはこう語った。
そして阿呆と大都市を通り過ぎた。】
>>533 吉沢伝三郎訳の訳注がすごい。非常に参考になった。
先入観なしに読みたい人には、こういう訳注は必要ないけど。
死(不在)は既に経験している。それは生(存在)する以前と同じことなのだから…
>人類は再び生の同一性を確保しなければならない。自然と零れ落ちたものを正しく取り戻さな
ければならない。しかしそれは人類の意志によってではない。不自然な神の使いによって、自然と
零れ落ちたものが自然に受け取るもので無ければならないのだ。
>いいか、俺が言いたかったのはアブラハムが社会的価値を越えて神の命令にしたがったように
、酒鬼薔薇もまた社会的価値を越えて神の命令に従った、奥崎は金玉を揉んだ、といっているんだ
。差し出すというのは価値があろうがなかろうが重要じゃない。金玉を揉むことだって自らの時
間や労力を差し出す立派な殉教者の振る舞いだよ。
面白いね。それに私には全面的に同意できる話ばかりだ。不思議なほど、感じ方というか、問題
意識が共感できるものばかりだ。何の異論もないな。言っとくが私はなごやん氏と別人だし、彼の
ことはこのスレで初めて知った。とても貴重で、重要な人だね。ここで延々、解りの低い人間を相手
に弁舌振るわ続けるのが惜しいというか、もっと広い場所に出ていくべき人に見える。ここは彼が
労力振るうには勿体ない。その労力はおそらく研究者の学会とか、で出されていいものだと思う。
ここで書いてる論を、学会で聞かせたら面白いだろうなという気がする。因みに私は主にバタイユ
スレ、ハイデガースレで書いており、ニーチェスレにはあまり来ません。ニーチェへは批判する
箇所も多々感じています。同時に共感もあります。なので、かな書かないのは。。哲学板ハイデガ
ースレ「マルテイン・ハイデガー、今」は私が立てたスレッドで、扉の文章も私が書いてます。でき
れば扉の文をなごやん氏にも読んで欲しいと思っています。私は貴方の力と可能性を評価します
。また、より広い場所に進むべき人だと思っています。また書きます。
「個人主義は力への意志の兆候的な現象でしかない」といった意味のことをニーチェは言っていたし、
「アトム的な個人はさらに解体される」とも言っていたので、その意味では
>>534や
>>535に概ね賛成します。
ドゥルーズやクロソウスキーが永劫回帰を「同一性の喪失」「差異の反復」と言っていたのも、これに近い意味かと。
>>538 「この人と話してる人(527)」=俺ですが、分身てのが同一人物という意味なら、違いますよ。
違うって言っても、何の証明にもならないかもしれないけど。
不自然な話の流れというので何か気になるんなら訊いてもらってもいいですが。
>>530 >時間や労力を差し出す立派な殉教者
そんなことを言ってたら「殉教」って言葉がインフレするよ。自分の存在を犠牲にする行為が殉教なのであって、
時間や労力を削る程度で殉教とは言えないな。答えられないならそう言えばいいし、それ以上追及する気も特にないから。
人を煙に巻くようななごやん語でレスしても何の発展性もないよ。
>取り留めの無いこのスレに一本筋を通した気でいるが。
そう評してる人もいるようだけど(
>>540)、筋を通しているというより、無理に意地だけ通しているようにしか見えないね。
>科学とは無関係に偶然超人になった人たちだよ。
科学(というか、広義の「知」でもいい)と無関係に超人にはなれないよ。
ニーチェにとって知は、世界を己の血肉化すること。単に学者臭く概念的形式を世界に押しつけるだけでは足りないが、
科学的知を手段として世界を把握することなしに、「認識する者、創造する者、愛する者は同一である」という境地には達しない。
「英雄の周りでは全ては悲劇になる。では、神の周りでは?おそらく世界となるのであろうか…」
認識者でないものが「偶然超人に」なることなんかあり得ないし、ニーチェはそんなもの認めないだろう。
>>459 >俺はセルフゴッドを捉えることが超人だとしているが、これは犯罪肯定では断じてないぞ。
酒鬼の犯罪は彼のセルフゴッドと密接に結びついて見えるんだが、彼の犯罪を肯定しないんなら、
彼のセルフゴッドもやはり誤謬ということにならないのかね。
私が思想を選んだのではない。
思想が私を選んだのだ。
-永遠回帰思想-
>>513 人それぞれでよいかと思いますが
自分の場合は脳の脱力に肉体の動きを利用するという方法です
何も意識せず、考えず単純な一連の動作を繰り返すことによって
雑念の入る余地を無くします
自分ならば風呂に入って心地よいという雑念に捕らわれ
散歩すれば景色の美しさという雑念に捕らわれますので
それらの方法は合いません
単純な肉体のみの緊張が脳の弛緩を促すと自分は考えています
544 :
533:2011/09/16(金) 20:19:03.59 0
皆さんレスさんくす。どっちも見てみる。
アマゾン見たら岩波が一番レビュー数多いけど、ここじゃ人気ないのかな・・?
中公クラシックスにしなはれ
金玉もみもみ――さあ、もう一度!(ドヤッ
中公クラシックスに一票。
クトゥルフ神話作品のアザトースは永劫回帰をも終わらせる事が出来る。
549 :
なごやん:2011/09/17(土) 02:19:30.29 0
>>540 評価していただいて有難うございます。またハイデガースレにも伺いたいと
思います。
>>541 ポスト構造主義哲学の対概念として意味と強度があって、差異と反復はこの
強度だ。それで強度というのがぶっちゃけ神と比喩されるものであって、
そして近代以降の苦しみとはこの強度が意味を経由しないと獲得できなく
なった所にある。この能動性の無限指定を如何に超越するかがここでの科学の
意義で、なんか幻想を持っているみたいに見える。
科学哲学ってのがあってだな。突き詰めると、科学も似非宗教も、
その違いを指摘する事は出来んのだ。
つまり、科学の知の価値も低落している。ニーチェは恐らく気付いていただろうし、
そして早すぎたとも言っただろう。現に、このスレにも科学信じるくせに、神を否定する人がいる。
それは二律背反だ。神も科学も、その違いを指摘する事は出来ない。
551 :
なごやん:2011/09/17(土) 03:19:25.13 0
>>541 >自分の存在を犠牲にする行為が殉教なのであって、時間や労力を削る
>程度で殉教とは言えないな。
神の追従者として現実に行為し迫害を受けるのが殉教者だよ。社会の
価値観に準拠しなければ立派な殉教だ。死ねば殉教とか価値観じゃないか。
>答えられないならそう言えばいいし、それ以上追及する気も特にないから。
なんか俺がはぐらかしてることにしたいらしいけど、今まで回答しないことが
あったのかな。
552 :
考える名無しさん:2011/09/17(土) 06:02:33.26 0
ハ _
___ ‖ヾ ハ
/ ヽ ‖::::|l ‖:||.
/ 聞 え | ||:::::::|| ||:::||
| こ ? | |{:::::‖. . .||:::||
| え | _」ゝ/'--―- 、|{::ノ!
| な 何 | / __ `'〈
| い ? ! /´ /´ ● __ ヽ
ヽ / / ゝ....ノ /´● i
` ー―< { ゝ- ′ |
厶-― r l> |
∠ヽ ゝ-― `r-ト、_,) |
レ^ヾ ヽ>' ̄ LL/ 、 /
.l ヾ:ヽ ` 、_ \\ '
l ヾ:ヽ ト`ー-r-;;y‐T^
| ヾ `ニニ「〈〉フ /‖. j
幸せに生きるのが善いのか。それがまず最初の思い違いだ
苦しみはある。何度でも押し寄せるし、それは無かった事に出来ない。
ニーチェ哲学は、恐らく幸せになるためにあるのでは無い。
苦しみを誠実に受け止め、それを超克しようという意思。
たとえ苦しみ乗り越えられなかったとしても、それは別に良いのです。
道理で
人間の幸福は安心安全な生活と健康にある。それを達成する為にも、モチロン紙幣が必要。
>>549 「能動性の無限指定」って何?
ドゥルーズの『差異と反復』では神は、「火山の上で踊っているに過ぎない」と言われているように、
強度=差異の後(時間的な後というより観念的な後だろうけど)に到来する。
神が強度の比喩というのとは理屈が違うわけだが、そういう強度観、神観には異論があるわけだね。
>>551 >神の追従者として現実に行為し迫害を受けるのが殉教者だよ。
俺が
>>519で書いた≪「彼は犯罪者として捕まり裁かれる危険に自らの身を差し出した」、「ニーチェ的没落だよ」とか言うのかと思ったよ。≫
に対し、≪そんな発想は全然ねえよ(笑)≫(
>>526)というレスを貰っているんだが、「ニーチェ的没落」という箇所だけを否定していたの?
>今まで回答しないこと
「殉教」という言葉の遣い方が通常の意味とかけ離れてるからね。
酒鬼がアブラハムのように何かを差し出したのか、という問いへの回答としては納得がいってない。
上述の疑問もあるし。
他、
>>517≪ニーチェのユダヤ教批判についてもどう考えてるんだ?≫。
>>527に書いたように、≪酒鬼の話の中でアブラハムが例として出てきたから、その文脈でだよ≫。
>>541 ≪認識者でないものが「偶然超人に」なることなんかあり得ないし、ニーチェはそんなもの認めないだろう≫と思うんだが?
≪酒鬼の犯罪は彼のセルフゴッドと密接に結びついて見えるんだが、彼の犯罪を肯定しないんなら、
彼のセルフゴッドもやはり誤謬ということにならないのかね。≫
などですかね。
アブラハムについてはキルケゴールが『おそれとおののき』で論じているらしいから、
もっと深い話が聞けるかとも思ってたんだけどね。
『差異と反復』でもニーチェ=ツァラトゥストラ的な反復と比較する形で引用されているけど、
ドゥルーズは、神の死と自我の崩潰としてのニーチェ的反復を選んでいるように見える。
前にも言ったがキルケゴールについては無知に等しいので、ニーチェとキルケゴールの違いは気にならないのかと訊きたい。
558 :
なごやん ◆DDDDDDDDhA :2011/09/17(土) 20:11:09.63 0
連続投稿と出て中々書き込めずすまない。
>>541 >無理に意地だけ通しているようにしか見えないね。
あんたの脳内の話をされても反論できないからね。安全圏で主張するなんざ
さすが天才さまだ。
>ニーチェにとって知は、世界を己の血肉化すること。
それこそニーチェの主張だしそれがここでの主題なのは俺も分かる。でもそれ
は一般論であって、超人現象は個別的にはすでに出現している。
559 :
なごやん ◆DDDDDDDDhA :2011/09/17(土) 20:12:48.74 0
>>541 >ニーチェはそんなもの認めないだろう。
独居老人が狭い部屋で横になり顔が自らの吐しゃ物まみれで金玉をもみながら
「頼んでもいないのに知人が私のノーベル賞の推薦文を英文で書いて送るんで
すよ」と自慢しているのをみたら、ニーチェなら躊躇せずに「私は超人をみた、
人類は奥崎であれかし!」と絶賛するんじゃないかな。さすがニーチェだ。
>酒鬼の犯罪は彼のセルフゴッドと密接に結びついて見えるんだが、彼の犯罪を
>肯定しないんなら、彼のセルフゴッドもやはり誤謬ということにならないのかね。
そんなこといったらキリスト教だって犯罪と密接に繋がることだってあるだろ。
アブラハムは何をしようとしたんだい?
560 :
なごやん ◆DDDDDDDDhA :2011/09/17(土) 21:28:20.38 0
>>556 つまんねえのは無視させてもらう。なんでも回答するというのはそういう意味
ではない。調子に乗るな。
>「能動性の無限指定」って何?
意味的に振舞わざるを得ないという近代社会の構制だよ。神を殺したとは
そういうことさ。
>「殉教」という言葉の遣い方が通常の意味とかけ離れてるからね。
もう答えただろ。俺的言語でも何でもねえよ。なんでもかんでも物象化して
なんでそう杓子定規に画一的に捉えるのかねえ。納得していないってしら
ねえよ。理解にいつまで時間が掛かるんだ。「ある銅片」があったとして、
それは日本では「10円硬貨」であり、未開の部族の間では「矢じりの原料」
だとしよう。それが何であるかを決定するのはその物に属することではなく
捉える側にあるのはあんただってお勉強してるんだから分かるだろ?10円
10円うるさいんだよ。ミスターオクレか。
ポエムか?
562 :
なごやん ◆DDDDDDDDhA :2011/09/17(土) 21:36:58.36 0
>>556 >酒鬼の話の中でアブラハムが例として出てきたから、その文脈でだよ
派生・波及は文脈じゃねえだろ。
>認識者でないものが「偶然超人に」なることなんかあり得ない
火が人工的に起こせない頃に、偶然嵐の日に雷が落ちたり風で枝葉がこすれ
合って火が着いたとしよう。偶然着いた火が奥崎であり酒鬼薔薇だ。これを
人工的に起こそうとしているわけ。
>>561 あいつが言ってるポエムはこれじゃないぜ?
超訳クソやん なんであんな本が売れてんの?
お手軽なニーチェというパラドクス
565 :
考える名無しさん:2011/09/17(土) 21:42:58.23 0
10円と言ったらは10円であり
銅片と言ったら銅片なんでしょ?
でも殉教は既に「意味」であって「もの」じゃないよ?
なーんか雑。
566 :
なごやん ◆DDDDDDDDhA :2011/09/17(土) 21:48:50.57 0
飛ばしていた。
>>556 >神が強度の比喩というのとは理屈が違うわけだが
踊りとは正に強度の喩えだからね。ただ火山とかは程度の違いなんかね。
強度=差異=神だけど、強度の最高の理念として神としているのだろうか。
まあ不協和が先鋭化しない程度で概ね合意した上で議論すればいいと思うが。
あんたが特別問題視する理由が有るんなら別だが。
ニーチェのカント理解ってどの程度のものだったのでしょうか?
569 :
考える名無しさん:2011/09/18(日) 00:17:09.95 0
神は死んだ訳が無い!?♪。
571 :
考える名無しさん:2011/09/18(日) 03:28:40.08 0
神は、神を理解できるか
>>558 >でもそれは一般論であって、超人現象は個別的にはすでに出現している
ニーチェは、己の内に多様な他者を育みつつそれを利用する自我を得ることで、普遍的な目を得ることができるし、
そうした多様性を抱えることで精神を危うくしつつもそれに耐えるのが哲学者だと言っている。
レヴィナスが、ニーチェへの好意的な言及を含む「ヒューマニズムとアナーキー」の最後の方で、「私とは宇宙を支え、『万物で充満した』、そのような人間である」
と書いているのもそういうことだろう。
傷つくのが嫌で他者をキャベツ視して安全圏に入る矮小で脆弱な自我や、吐瀉物まみれでキン玉揉んで妄言吐くような緩んだ自我とは無縁。
>>559 >そんなこといったらキリスト教だって犯罪と密接に繋がることだってあるだろ。
キリスト教みたいに広まっている宗教の場合は、酒鬼らのオリジナルな(故に彼ら自身の内的なものと密接な関係にある)神とは話が違うんじゃないの?
酒鬼の神は既存の教義や概念として与えられた神ではなくて、彼ら自身の言動と密接な関係にあるのかと解釈してたんだが。
まぁ、キリスト教でも、神との関係は個々人が単独者として向かうものだから、結局話は同じだというのならそれでもいい。
だが、そもそも俺は、犯罪を起こしたというだけでそれを否定すべきだとも言っていない。そちらの論理的一貫性を問うているんだよ。
酒鬼の神は、酒鬼による殺人という行為とは無関係に、彼の中で神であり得たと考えているのか?
アブラハムが我が子を殺すのと、酒鬼の殺人とは一緒に出来ないということは既に書いた通り。
>>560 >つまんねえのは無視させてもらう。
都合の悪い質問は無視ね。
≪全然ねえよ(笑)≫(
>>526)のとこは、君の言ってることの矛盾を指摘してるんだが。これは答えないと、論理の破綻だよ?
>>562 >派生・波及は文脈じゃねえだろ
派生・波及という文脈になるだろう?
あとさ、
>>517で質問した≪酒鬼らに科学があったというより、ニーチェが「科学的に宗教を選択した」のと同じような意味で選択した、という話 なのかどうなのか≫
に対しての
>>522での回答は≪それは誤解だと思う。そんなことは言っていないよ。すくなくとも繰り返すと酒鬼と科学は直接関係が無いよ≫だったが、
おたくのこの書き込み↓
>>144 >ニーチェって思想を徹底的に論理に誠実に「科学」的に追求した結果、
>答えの「宗教」を導き出した人なんだよね。超人とは個々の自己神を
>見出せということであって、
これと「同じような意味」ではないんなら、一体、酒鬼らの見出した宗教なり自己神とやらなりは、ニーチェと何の関係があるのか?
>>530の「酒鬼薔薇もまた社会的価値を越えて神の命令に従った」ってのも、たかが社会的な価値程度のものを越えたくらいのことを評価しすぎじゃないの?
逆説的に、社会的な価値を過大評価して見えるね。「神の命令」なるものも、冒頭で言ったように、世界を認識を通じて自ら抱え込む者でない限り、
神神言ったところで、そう言ってる奴の存在自体が超人とは無縁。超人とは、単に超人気分になってる奴のことじゃないし、そんな解釈は甘すぎる。
社会的な価値観を超越していて、なおかつ自己神なるものを見出していれば、超人。
そんな超人概念はニーチェと関係がない。
浅田彰がヴィリリオと対談した際、ドゥルーズのニーチェ解釈が話題になったが、
ハイデガーのニーチェ講義で超人は「鋼鉄の戦争機械とマン・マシン・システムを成した金髪の野獣をとる」(浅田)のに対し、
ドゥルーズの解釈での超人は「限界(リミット)に面と向かう者」「過剰露出された者」(ヴィリリオ)、
「自己を防衛し他者を攻撃する強者とはほど遠い。むしろ、あらゆるウイルスの攻撃に曝されたAIDS患者のようなもの――
というのは極端としても、開かれたインタフェースの集積」「弱いからこそ、しかし、それは『超人』なのです」(浅田)。
つまり多様な他者性に開かれているのが超人であって、より開かれているからこそ、世界の可能性と超人は一つになれる。
永劫回帰する世界を超人が肯定できるのは、世界は彼自身と一体だからだ。超人が人類の新たな目標となるのもその為だ。
酒鬼や奥崎は彼ら自身の脆弱さを持ってはいただろうけど、それは、他者性に開かれてあるという意味での弱さとは違うんじゃないのか?
一応言っとくけど、ニーチェは科学も選択してないよ。
宗教も法則も真理も、まとめて神なんだよ。そして、神は居ないのだと言っている。
ニーチェが言いたいのは、誠意の話。
神が人を造ったという話と、科学的な進化論のどちらを取るのかという話では無い。
問題は、自分の望んだ結果と、自分が望まないが「正しい」と思える結果の選択。
人は、自分の望んだ結果が出ない事に絶望する。例えば、知の価値の不在。
それを紳士に受け止める事。正しさは常に揺らいでいる。波のように繰り返し問答する。
577 :
なごやん ◆DDDDDDDDhA :2011/09/18(日) 13:20:49.33 0
>>572 >傷つくのが嫌で他者をキャベツ視して安全圏に入る矮小で脆弱な自我や、
>吐瀉物まみれでキン玉揉んで妄言吐くような緩んだ自我とは無縁。
安全圏に入っているのはお前だろ(笑)。キャベツ視するのは自己神に繋がる
一つのエピソードであって、大切なのは自己神だよ。お前は物質的要素に還元
してやりすごしたことは無いのか?それに大切なのはプロセスじゃないといって
いるのに。次の宗教の話といい何でそうお前は感覚が庶民なんだろ。何のために
教養を積んだのかわからん。強さを物象化している。じゃあお前が奥崎の心を
折ってみて弱さを実証してみろ。
>キリスト教みたいに広まっている宗教の場合は、酒鬼らのオリジナルな
>(故に彼ら自身の内的なものと密接な関係にある)神とは話が違うんじゃ
>ないの?
論理構造は同じだよ。キリスト教やユダヤ教やイスラム教は宗教共同体に
基づいた異なる神々の闘いだけど、酒鬼の場合は共同体ではなく個人に
基づいているだけ。
>酒鬼の神は、酒鬼による殺人という行為とは無関係に、彼の中で神であり
>得たと考えているのか?
如何なる神であれ宗教外部に存在しているから社会的価値を逸脱しうる、もう
話は終わりだ。
>都合の悪い質問は無視ね。
オメーが納得できねえ、の根拠で何度も何度も同じ質問を書き込まれる。
納得できる能力が無いんだろ。都合が悪い質問を無視してるんじゃない、
お前の頭が悪い質問を無視しているんだ。
578 :
なごやん ◆DDDDDDDDhA :2011/09/18(日) 13:40:15.81 0
>>573 >これと「同じような意味」ではないんなら、一体、酒鬼らの見出した宗教なり
>自己神とやらなりは、ニーチェと何の関係があるのか?
偶然っていったじゃん。
>たかが社会的な価値程度のものを越えたくらいのことを評価しすぎじゃ
>ないの?
俺は最初奥崎謙三や酒鬼薔薇を知った時、それほど評価はしていなかった。
しかし詳細を知るにつけ「これだ!」と直感したんだ。つまりニーチェ思想を
本当の意味で理解した瞬間だった。それから又吉イエスとか合衆国皇帝とか
調べたり、また自分の中での過去知的障害者の人たちへの評価が繋がって
いった。生きにくい現代においてよく生きている人たちがいる。それも能動性
の無限指定の中で意味にすがることも無く、時代の中を逍遥することなく、
誰でも機縁になるものじゃなくて神が来訪する。永遠性で受動性で人格性で
ある生き方は神を捉えたということなんだ。人類の何万年も歩いてきた生き方
がその歴史上初めて零れ落ちたがそれは再び収斂されるのだ。
579 :
なごやん ◆DDDDDDDDhA :2011/09/18(日) 13:58:56.00 0
>>574 >浅田彰
おいおい、「パツキンのねーちゃんに鋼鉄の棒を差し込むマン・システム」
とかいうのは私的言語批判の対象にはならないのか?お前は浅田彰と付き
合って誇らしげになっていた小林よしのりかっつーの。でも
>自己を防衛し他者を攻撃する強者とはほど遠い。
これは納得するよ。
>永劫回帰する世界を超人が肯定できるのは、世界は彼自身と一体だからだ。
その通りです。俺も日常が黄金色となる、っていったはずだ。けしてそれは
夢の中への退行を意味しない。奥崎は天皇や総理大臣、酒鬼薔薇は警察や学校、
又吉イエスは政治と現実社会に即して戦っている。
なごやん
超人ならニーチェが奥崎がとかごちゃごちゃいわんと
はよ戦え
582 :
なごやん ◆DDDDDDDDhA :2011/09/18(日) 14:21:47.60 0
>>575 >一応言っとくけど、ニーチェは科学も選択してないよ。
科学と宗教に二元論に陥っていないという意味で科学と宗教の統合と俺は
いったんだが。
>人は、自分の望んだ結果が出ない事に絶望する。例えば、知の価値の不在。
>それを紳士に受け止める事。正しさは常に揺らいでいる。波のように繰り
>返し問答する。
だから人は成功して喜び失敗すると悲しむ。しかし神の前であっては両方とも
意味の有ることなのさ。
科学のことは科学に訊け
ニーチェに訊いてどうする禿げ
ニーチェは仏教に関する研究書を読んだけど理解できなかった
それは当時のドイツの解説書等のせいだけど
ニーチェがキリスト教思想から離れられなかったからでもある
585 :
考える名無しさん:2011/09/18(日) 15:31:46.97 0
一応言っとくけど 仏教とブッダと一緒にしちゃだめよ
それに、仏教も大乗と小乗は、わけで考えないとだめよ
最低限、このくらいの区別が必要よ
586 :
なごやん ◆DDDDDDDDhA :2011/09/18(日) 15:47:19.58 0
神となろうとすることはニヒリズムであり、また万物を受容し神であったか
のように振舞うこともまたニヒリズムである。獅子が小児になるとは、仏教徒
が崇高な存在であったかのように振舞うことは、弱者であるばかりではなく
論理的不可能性である。
真の強者にとっては肯定性こそが前提でありそれゆえに万物それ自身が光源
となり黄金色を帯びる。前提は時間性の中では確保されないものであり、
それ自体は何かしらの権力への運動である。
先天的に神を持つものと後天的に神を持つもの。ここで語るべきは後者では
なかったか。時間のただ中で万物を肯定する前提を確保することは、時間の
裂け目に永遠性が侵入するという背理である。宗教はこの確保を彼岸で
目指す。しかし超人はこの大地で確保する。
波平か
>>586 アポステリオリな神について語るって、神がアポステリオリってそんな事は、ありえるの?
589 :
なごやん:2011/09/18(日) 16:33:17.60 0
一部の知的障害者とか葦原天皇のことだよ
>>578 >永遠性で受動性で人格性である生き方は神を捉えたということ
アブラハムやヨブも、社会的な価値や道徳からすれば受け入れ難いような神の要請を、
超越的な跳躍によって甘受することで神を捉えたのかもしれないが、
キルケゴールが稲妻と呼ぶそうした飛躍(俺は『反復』に基づいて書いている)こそがカミュやドゥルーズが批判した点。
ニーチェが語る、人間という暗雲の中から閃く狂気としての超人は、受動性によってではなく能動性によるもの。
>>579 いちいちそういう下品な冗談を書かないと気が済まないのかよ・・・
「金髪の野獣」てのは『道徳の系譜』にある表現。ナチスが引用していたらしいがそこはよく知らん。
浅田のは分かり易い(些か冗談めかした)比喩でしかないよ。
第一、私的言語てのは、例えば「私」という語が他ならぬ「この私」を指す言葉だと本人が主張しても、
その行為自体も言語ゲームの一部として受け取られざるを得ず、独我論の主張は困難だといった、
言語哲学上の概念であって、何か奇怪な表現を用いるといった意味ではないんだけど。
ウィトゲンシュタインが倫理や神を言語表現の限界と界面を接するようなものとして論じたのもそういうこと。
>>579 >>自己を防衛し他者を攻撃する強者とはほど遠い。
>これは納得するよ。
「崇高な人間は、たとえまったくかよわく脆くあっても、最高の価値を持っている。というのは、
まったく重厚で稀有な事物が、豊富に、多くの世代をつうじて育成され、いっしょに保存されているからである」(『権力への意志』996)。
酒鬼や奥崎に、いったい何が保存されているというのか。彼ら個人で盛り上がってるだけだろ。
「哲学者たるの諸条件には、ふつう人間を徹底的没落に向かわせるような諸固有性が属している。すなわち、
1)固有性の物すごい多様さ。哲学者は、人間の要約、高級低級を問わず人間のすべて欲望の要約でなければならない。
すなわち、対立の危険、またおのれにもよおす嘔吐の危険」(同976)
君が「超人」の例に挙げる連中や、知的障害者にはこうした性質は乏しいというか、ほぼ皆無だろう。
はっきり言っとくが、知的障害者などが超人にはなれないし、それへと向かう傾向すらない。なごやん的神の来訪とニーチェ的超人とは何の関係もない。
ニーチェが最後に発狂したことから、妙な先入観を抱いているのでは?
「日常が黄金色となる」だけでいいわけがない。その黄金の日常を享受している主体自身の価値が問われているんだよ。
自己神とやらに覚醒したら超人なわけでもない。
「奥崎は天皇や総理大臣、酒鬼薔薇は警察や学校、又吉イエスは政治と現実社会に即して戦っている」としても、
その闘いの内実に、ニーチェのように知によって歴史を引き受ける姿勢がなければ、
蚊が全身を火に包まれるような、それ自身にとっては天地がひっくり返るような現象であろうと、世界にとっては芥子粒以下の出来事。
思うに、先に読んだキルケゴールの線でニーチェを理解したことで、彼の謂う「信仰の騎士」なんかと超人を同一視してしまったんじゃないか?
ああ、
>>574の「金髪の野獣をとる」は、「金髪の野獣という姿をとる」を普通に打ち間違えただけだよ。
過去にも資本主義社会とニーチェを同列に論じてるバカがいたが、
あいつはまだニーチェ自身の言葉と共に語ろうという姿勢があった(ような気がする)。
なごやんの何が気色悪いかというと、自己神だの科学だの又吉だのと調子にのって喋っているわりに、
それがどのようにニーチェの言葉と歩調を合わせていて、ゆえに俺らがこのスレで読むべき意味があるのか、
そこがなごやん本人の霧のうちに隠れて見え辛いとこなんだよな。
そして
>>586みたいな散文詩もどきを平気で投げ続ける。
じっさいのところ、ニーチェをどのくらい読んだんだ?超人といった言葉だけを漠然とつかまえて語ってるだけにしか見えない。
ニーチェを多少なりとも読んだやつなら、知的障害者だの奥崎だのが、ニーチェのいう高等な人間と近いだなんて考えられないはずだよ。
彼から、ニーチェがこう言っているからこうだ、といった論拠をほとんど聞いていないように思う。
資本主義とニーチェを同列に論じた者ですが、
バカなのでどこがどうバカなのかわからん
教えてくれ
ニーチェは、知的障害者ではないが晩年は、統失なのは明らか
また、なぜニーチェを高等な人間などと言ってしまうのか皆無。
矛盾した思考運動を続けてるうちに自我が崩壊してしまった
超人の出てきたツァラまでは正常でしょう
なごやん氏の論点の中に出ていたもので、『創世記』のアブラハムの挿話、神の命令のままに実の
子イサクを犠牲 sacrifice に捧げようとするくだりがある。これをキルケゴールは『おそれと
おののき』で取り上げ、〈無限の断念により逆説的に到達する信仰〉として評価している。
《諦めによってわたしは一切のものを断念する。》
《信仰によってわたしはなにものかを断念するのではない。反対に、信仰によってわたしは一切を
うるのである。》
《永遠なるものを得るためにすべての時間的なものを断念するには、純粋に人間的な勇気が必要で
ある。》
かようなキルケゴールの論理はそれ自体興味深いが、私にとっての興味は、このような逆説が、
ハイデガーの問題作とされる『哲学への寄与』へ流れ込んでいるのではないかということだ。ハイ
デガーが同書で言っていることで、やはり〈断念〉は重要語であり、〈断念、拒絶の無限により贈ら
れる神の合図、傍過〉というのは、〈神が必需とする有〉という主題に密接な繋がりを持っている。
何故なごやん氏のアブラハム論が私には自然に読めるのか謎だったが、その理由は、どうも『哲学
への寄与』に、キルケゴールは濃い色合いを加えている。そのためだったのではにか、ということ
だ。
599 :
なごやん ◆DDDDDDDDhA :2011/09/18(日) 22:43:33.00 0
>>590 >超越的な跳躍によって甘受することで神を捉えたのかもしれない
でもそれは瞬間であって、常に躓きの石が横たわっている。極右である野村
秋介が新聞社の社長室で自殺したように、時間の中で生成するような人間は
背理を信仰のパトスによる飛躍で受け取る瞬間があっても、常にスケプシス
に晒されることになるんだ。
>超人は、受動性によってではなく能動性によるもの。
不自然な神の使いによってはそうだろう。しかし何万年と続いて継続してきた
人類を支える神の理念は受動性で無ければならない。もしそうでなければ現代
が新たに人工神をこしらえねばならなくなる。
>「崇高な人間は、たとえまったくかよわく脆くあっても、最高の価値を
>持っている。というのは、まったく重厚で稀有な事物が、豊富に、多くの
>世代をつうじて育成され、いっしょに保存されているからである」
何万年の人類の智彗が世代を通じて確保されているのだ。
600 :
考える名無しさん:2011/09/18(日) 22:47:21.60 0
ひゅんだいかね?
ひゅんだいかね?
ひゅんだいかね?
ひゅんだいかね?
ひゅんだいかね?
ひゅんだいかね?
601 :
なごやん ◆DDDDDDDDhA :2011/09/18(日) 22:55:56.42 0
>>590 >黄金の日常を享受している主体自身の価値が問われているんだよ。
それはあんたの幻想だよ。永劫回帰に自己同一性なんて関係が無い。全ては
体裁であり仮象であり仮初めなんだ。あんたは物象化の錯認であったり、
幻想から不自由で、真のニーチェ理解から離れている。浅田彰を読む時間
があったら自らの哲学を作りなさい。あらゆる分野に存在するマニアと
同じ空気がするよ。ひどいことをいうようだがもう少し自身を振り返ること
をお薦めする。
>「信仰の騎士」なんかと超人を同一視してしまったんじゃないか?
俺の主張をよく読んでくれてなかったんだね。エックハルトもキルケゴール
も半分しか当たっていないといっているし、その中で例えば信仰の理想を
言語を絶するかのような両者の言い回しに超人との共通点を見出すんだよ。
でも結局は人工神だ。
602 :
なごやん ◆DDDDDDDDhA :2011/09/18(日) 23:03:07.55 0
>>590 >黄金の日常を享受している主体自身の価値が問われているんだよ。
それはあんたの幻想だよ。永劫回帰に自己同一性なんて関係が無い。全ては
体裁であり仮象であり仮初めなんだ。あんたは物象化の錯認であったり、
幻想から不自由で、真のニーチェ理解から離れている。浅田彰を読む時間
があったら自らの哲学を作りなさい。あらゆる分野に存在するマニアと
同じ空気がするよ。ひどいことをいうようだがもう少し自身を振り返ること
をお薦めする。
>「信仰の騎士」なんかと超人を同一視してしまったんじゃないか?
俺の主張をよく読んでくれてなかったんだね。エックハルトもキルケゴール
も半分しか当たっていないといっているし、その中で例えば信仰の理想を
言語を絶するかのような両者の言い回しに超人との共通点を見出すんだよ。
でも結局は人工神だ。
超人の例
ルイズ!ルイズ!ルイズ!ルイズぅぅうううわぁああああああああああああああああああああああん!!!
あぁああああ…ああ…あっあっー!あぁああああああ!!!ルイズルイズルイズぅううぁわぁああああ!!!
あぁクンカクンカ!クンカクンカ!スーハースーハー!スーハースーハー!いい匂いだなぁ…くんくん
んはぁっ!ルイズ・フランソワーズたんの桃色ブロンドの髪をクンカクンカしたいお!クンカクンカ!あぁあ!!
間違えた!モフモフしたいお!モフモフ!モフモフ!髪髪モフモフ!カリカリモフモフ…きゅんきゅんきゅい!!
小説11巻のルイズたんかわいかったよぅ!!あぁぁああ…あああ…あっあぁああああ!!ふぁぁあああんんっ!!
アニメ2期決まって良かったねルイズたん!あぁあああああ!かわいい!ルイズたん!かわいい!あっああぁああ!
コミック2巻も発売されて嬉し…いやぁああああああ!!!にゃああああああああん!!ぎゃああああああああ!!
ぐあああああああああああ!!!コミックなんて現実じゃない!!!!あ…小説もアニメもよく考えたら…
ル イ ズ ち ゃ ん は 現実 じ ゃ な い?にゃあああああああああああああん!!うぁああああああああああ!!
そんなぁああああああ!!いやぁぁぁあああああああああ!!はぁああああああん!!ハルケギニアぁああああ!!
この!ちきしょー!やめてやる!!現実なんかやめ…て…え!?見…てる?表紙絵のルイズちゃんが僕を見てる?
表紙絵のルイズちゃんが僕を見てるぞ!ルイズちゃんが僕を見てるぞ!挿絵のルイズちゃんが僕を見てるぞ!!
アニメのルイズちゃんが僕に話しかけてるぞ!!!よかった…世の中まだまだ捨てたモンじゃないんだねっ!
いやっほぉおおおおおおお!!!僕にはルイズちゃんがいる!!やったよケティ!!ひとりでできるもん!!!
あ、コミックのルイズちゃああああああああああああああん!!いやぁあああああああああああああああ!!!!
あっあんああっああんあアン様ぁあ!!セ、セイバー!!シャナぁああああああ!!!ヴィルヘルミナぁあああ!!
ううっうぅうう!!俺の想いよルイズへ届け!!ハルケギニアのルイズへ届け!
>独居老人が狭い部屋で横になり顔が自らの吐しゃ物まみれで金玉をもみながら「頼んでもいな
いのに知人が私のノーベル賞の推薦文を英文で書いて送るんですよ」と自慢しているのをみたら
、ニーチェなら躊躇せずに「私は超人をみた、人類は奥崎であれかし!」と絶賛するんじゃないかな
。さすがニーチェだ。
ここでのなごやん氏の表現を読んでて、思わず刑務所の中の麻原彰晃を想像してしまった。数知
れないオウムの犯罪事件の検証の謎として、ほとんど宗教団体として自滅としか思えない殺人を
何故やらなきゃならなかったか、というのがあるわけですが、私にはこの問題を考えると、やっぱ
りそこで、このスレでなごやん氏の挙げている問題の中心、〈神の到来〉というのが、これを解くな
らば、考えざるをえない…。マスコミや警察が差し出す動機というのが、私には不十分なものにし
か見えず、その根底にはもっと思想的な背景があるのでは、と思えました。それがちょうどなごや
ん氏の挙げている問題ではないか…。今刑務所に居る麻原は、面会者の面前で自慰をし、射精まで
してると森達也は書いてますが、上の表現はその麻原を連想させる。ここにも同じ主題が実は隠
されている。そう思えます。
605 :
なごやん ◆DDDDDDDDhA :2011/09/19(月) 02:21:11.46 0
人類史を紐解けば何万年もの間透明性ある社会において円環的な時間軸を
生きてきた。春が来れば夏になり、秋冬、そして再び春が訪れる。この様な
自明性の枠内では言語に依存するのは一部であって、意味ではなく強度に
生きてきた。しかしその日常を支えたのは言語で説明不能な外部の存在であり、
馴れに対抗して外部から感受性を調達するという祭が、時代に即した形で
行われたからだ。だから強度は新しいものでもなんでもなく最も古い物の
一つだ。
しかし近代社会以降、ニーチェに倣って強度を獲得しようとするならそれ自体
が反ニーチェだ。何故なら人類は強度を目的合理的に主体的決断で選択して
きたのではなく、定期的な決め事として来訪してきたからだ。この受動性こそ
が重要で、受動的で良かった人類が受動的であれないところにニーチェの
警鐘があり、哲学が存在している。意味と強度は対概念なのに意味的に強度
を追求するのは踏み外しどころか漫画だろう。
606 :
なごやん ◆DDDDDDDDhA :2011/09/19(月) 02:41:18.06 0
人類史上初めて直面する、意味の無限指定から逃れられなくなった所に近代以降
の困難さが存在する。意味をなくせば社会の流動性は止まり生活は破綻するし、
かといって永劫回帰を生きよ、というのは既に意味の枠内でニーチェから逸れて
いる。まるで実現不可能性を表して合気道共同体を措定する塩田剛三のように、
達成不可能な意味として永劫回帰が神棚に奉られてしまってはそれは永劫回帰
とは全く関係がなくなる。
人類の何万年もの生を支えた来訪する強度を意味に代えて復活させなければ
ならない。しかしこれは不自然な神の使い、すなわちいつの時代もいた制度を
セットアップしていた人たちから個人の責任で行われるようにしなければ
ならない。しかしそれは意味を経由する強度という矛盾である。そこで近代を
超克するセットアップは一部の人間が行うのだ。それがニーチェだったのでは
ないか。科学が神を甦させる。
607 :
なごやん ◆DDDDDDDDhA :2011/09/19(月) 02:45:22.10 0
>>604 なんだか本当にこちらとしましても親近感を感じる内容です。書き方も
同一視されるぐらい似ているようですし(笑)。
もう寝ます。
マジで 聞きたいんだけど ほんとに別人なの?自演じゃないの?
なんだか本当にこの人が何時間もパソコンの前でキーをカタカタ叩いている
姿を想像すると吐き気がしますね(笑)。この人にはいつになったら自身の
ニーチェ論を20〜23のように自分のために実践する日が来るのだろうか…
それとも研究自体が目的の学者なのか?あるいは他にすることのない詩人
なのか…
いずれにせよニーチェを研究することは素晴らしいことだと思うけど
他人より理解が深いことを誇示するために2chに書き込むよりは、その
個人的解釈を論文にして出版したほうが自他共のために有益では?
ニーチェその人だったら申し訳ない。
610 :
蝙蝠ちゃん出没中 ◆MinorKeyQs :2011/09/19(月) 04:01:46.00 P
ニーチェをニヒリズムとすることが何かもう間違った方向に走っている気がする
超人概念についてはもう正直、全然ニーチェを読み込んでいなさそうななごやん本人に訊くのは徒労というか、
>>598の人の方が何か語ってくれそうな期待感があるな(『おそれとおおのき』への言及は興味がひかれる)。
なごやんも折角キルケゴールを読んでるのに、なぜもっと突っ込んだ話を聞かせてくれないのか。
俺が邪魔してるとか言いたいんだろうけど、俺の執拗な疑問への回答としてそれが出てこないのがむしろ不可解。
>>599 >何万年と続いて継続してきた人類を支える神の理念は受動性で無ければならない
その「ならない」はどこから来てるんだよ。ニーチェ的には、その「何万年」の「神の理念」は誤謬の歴史であって、
その枷から解き放たれた人類が「我欲す」という能動的意志によって超人へ向かうことが説かれているわけで。
「これまでは千の目標が存在した。千の民族が存在したからである。ただその千の首を一体となすくびきが未だ欠けているのだ」(『ツァラトゥストラ』)
奥崎や又吉が、人類を人類として束ねる「一つの目標」を(本人の「つもり」はともかく)掲げられるような歴史的存在だなんて、微塵も感じられないね。
それに
>>319のニーチェ解釈での「勿論受動的必然的時間的だった前近代の神が、能動的偶然的空間的な神となった以上」と言われている「能動性」と矛盾してないか?
あと、いい加減、「不自然な神の使い」みたいな、こっちがどういう意味かと訊ねないといけないような言葉遣いは控えてもらいたいな。却って時間がかかる。
>何万年の人類の智彗が世代を通じて確保されているのだ。
そんな解説要らないから。ニーチェの言葉を別の言い方で繰り返してるだけじゃないか。
酒鬼や奥崎に、いったい何が「確保」されているというのかを訊いてるんだが。
あと、「崇高な人間は、たとえまったくかよわく脆くあっても」の引用は
>>591ですよ。番号違い。
>>601 >永劫回帰に自己同一性なんて関係が無い。
>>498と
>>499で「確保しなければならない」と言われている「人の生の同一性」との違いは?
あと、超人へと向かう者は「人間の要約、高級低級を問わず人間のすべて欲望の要約」としての自己というものは持っていないとならないだろう。
俺は別になごやんがどういう思想を持とうと興味もないしどうでもいい、このスレで散文詩まがいのものを連投するのも、俺一人がどうこう言う話でもないからもういいんだが、
ニーチェ・スレで超人概念と結びつけて語るのだけは違和感あるんだな。
ニーチェへの言及がいつも漠然としたイメージでしかなく、具体的にニーチェの言説を取り上げていないのが、どうにも怪しい。本当に読んだんだろうか、と。
読んでないに一票w
専用スレ立ててやってほしい
615 :
[―{}@{}@{}-] 蝙蝠ちゃん出没中 ◆MinorKeyQs :2011/09/19(月) 04:25:09.05 P
>>614 同感です
ニーチェについて語っているフリをしつつ自己哲学を披露されても困るもの
『おそれとおおのき』て何だろうな・・・書いた俺自身が吹いた。
もうめんどくさくなってんだろうな。
なごやんは「マルテイン・ハイデガー、今。」に行ったほうが幸せかも知れん・・・なんか、合いそうだし。
ニーチェとハイデガー 不幸にもナチで繋がるな いろんな意味で
618 :
[―{}@{}@{}-] 蝙蝠ちゃん出没中 ◆MinorKeyQs :2011/09/19(月) 06:39:07.16 P
何も無理矢理つなげなくてもいいと思う
619 :
なごやん ◆DDDDDDDDhA :2011/09/19(月) 07:43:14.19 0
>>609 じゃあ吐いてればいいじゃん。ニーチェ思想とは何かを討究することの何が
いけないのか分からない。敷居が高すぎて書き込みにくいのなら一時我慢
するんだな。たまにはこういう筋の通った書き込みも良いだろう。
>>610 ハイデガーはニーチェを最後のニヒリストといっていたような。
620 :
なごやん ◆DDDDDDDDhA :2011/09/19(月) 07:51:45.66 0
>>611 >俺の執拗な疑問への回答としてそれが出てこないのがむしろ不可解。
己の無知さは棚に上げて執拗に書き込む姿勢を非難しているんだよ。
>その「ならない」はどこから来てるんだよ。
文化人類学・社会学的な教養はスレ的にどうかと思って控えていたけど、
今回示したように来訪しなければ神じゃないんだ。
>「我欲す」という能動的意志によって超人へ向かうことが説かれているわけで。
獅子の次は小児じゃないのか?あとセットアッパーの立場も有るから混同
しないように。
>掲げられるような歴史的存在だなんて、微塵も感じられないね。
お前の主観じゃないか。もういいかげん差別はよせよ。
621 :
なごやん ◆DDDDDDDDhA :2011/09/19(月) 08:02:38.48 0
>>611 >「能動性」と矛盾してないか?
その後にその神は不完全な神とあるだろ。説明がその後に直ぐしてあるのに。
それは本来の神でもなんでもない。
>いい加減、「不自然な神の使い」みたいな
>>606で制度のセットアッパーだって直接説明して有るじゃないか。誰かが
祭が来訪する為の制度をこしらえるんだよ。本当に何を読んでいるんだろう。
お前は資本主義に絡んでニーチェを語る人を論破した、云々言っていたし、
また俺に対して引用が少ないと非難していたよな。でも哲学とはしっている
ことが大切なのではなくやれることが重要なんだ。あんたは引用だけの哲学
ヲタ・マニアなんだよ。論破したんじゃなくて引用合戦で勝ったんだろ。
それは「アニメヲタ同士の声優古今東西」で勝っただけでマニアそのもの。
既成哲学者の言葉を自らの言葉に置き換えなければならない。主観が違う
んだからかわるはずなんだ。そうして自らの力で新たな展開を作れる。
お前は哲学が出来ないマニアだから、なんと全部引用(笑)。自分の考え
まるでなしのヲタそのもの。だから解釈が浅はかなんだよ。
622 :
なごやん ◆DDDDDDDDhA :2011/09/19(月) 08:19:06.47 0
>>611 >酒鬼や奥崎に、いったい何が「確保」されているというのかを訊いてるんだが。
セットアッパーが人類の過去を振り返り、永遠かつ受動かつ人格的に正しく神を
捉えようとしているんだ。 彼らが偶然ではなく必然に出来たら人類の叡智の結晶
だよ。
>引用は
>>591ですよ。番号違い。
それは知ってたけど小さいことだからスルーだよ。それは重要なのか?性格
なんかね。お前も間違えたけど俺は指摘する気なんて無いし。
>「確保しなければならない」と言われている「人の生の同一性」との違いは?
同一性とは人の自己同一性のことだとおもっているのか?それがそれである
根拠のことだから人間のこととは限らないぞ。 ある存在の同一性には一般
類種的同一性と個体的自己同一性がある。
僕は神様の力を手に入れて超人を超えるよねー!?♪。
金玉もみもみの力のことか?
私が揉んでやろう
アヘアへと妄想に入り浸り、幻想の快感を神として一体化する
堕落的な思想が人類の叡智だってよ
シンナーでも吸ってれば手軽に誰でも超人になれまーす♪
626 :
蝙蝠ちゃん出没中 ◆MinorKeyQs :2011/09/19(月) 12:07:04.31 P
生きたいならニーチェ
死にたいならキルケゴール
不思議なことに宗教離脱した方が人生を楽しんだ
神から離れられなかったキルケゴールの方が自殺しちゃった
>>619 それはハイデガーによる解釈でしょ
神の否定が即ニヒリズムだとは思わないよ
>>582 科学が法則という真理を、宗教が神という保証を求める点では、二つは同じものでしょうね。
そして、二つとも価値が無い。このことに気付けないとしたら、人々には早すぎたという事ですかね。
神の否定はニヒリズムじゃないですかね。自分の望んだ答えの否定。
望まない生の繰り返し。その繰り返しは悲劇ですが、悲劇の中でも陶酔を見つける事ができます。
>>627 おまいさんが価値をそのように設定したというだけだ禿げ
・・・なごやん、ニーチェと無関係に独自の思想を語りたいんならよそでやれよ。
ニーチェのスレでこんだけ偉そうに語りまくってるんなら、「読んでないんだろ?」って疑問に反論しなきゃおかしいだろ。
お前は引用すらできないのに、何でここで講釈を垂れてるんだ?
「セットアッパー」がどうとかいうのも、お前の中では説明した気になってるらしいが、独り善がりも大概にしろ。
お前のご立派な「超人」たちは結局、お前の「神」を持っているという以外、何も持ってないんじゃないか。
そんなんでニーチェと勝手に結びつけるなよ。ニーチェの包括的な思索とは完全に無縁だよ。
なごやん的超人への批難を「差別だ」とか言うんならさ、
>>578の
「詳細を知るにつけ「これだ!」と直感したんだ。つまりニーチェ思想を本当の意味で理解した瞬間だった」
↑この「詳細」が何なのか、きちんと説明しないと他人からすればワケ分からん妄言でしかないよどこまでも。
「やれることが重要」(
>>621)つって、当人がやってることと言ったら、誰にどう言われようとバカの一つ覚えみたいに
「自己神」がどうとかいう繰り言ばかりだろうが。「これだ!」という直感の正しさを「詳細」の引用で語れないんなら、
これ以上ここで喋る資格はない。
「彼らが偶然ではなく必然に出来たら人類の叡智の結晶」(
>>622)・・・ニーチェも、「子を産むのは特権と見做されるべきだ」と言い、
人類の一種の栽培法を用いて天才を産むことを夢見てはいたが、金玉揉んでいい気になってるジジイなんか真っ先に断種しただろうよ。
奴隷としての価値も無いんだから。
ニーチェの言う超人って
なごやんみたいな各スレにいるコテ付きの痛い回答者のようなものじゃないのw
永遠回帰でまた回ってくるがそこを達観して他者関係なくポジティブに発信する。
2chでいくら叩かれてもコテ付きで常駐する勘違いの(達観した?w)住人。
「多数の超人が必要である」
って
懲りない痛いコテがわんさかいる2chを見て
ニーチェはどう判断するんだろうwww
632 :
[―{}@{}@{}-] 蝙蝠ちゃん出没中 ◆MinorKeyQs :2011/09/19(月) 20:31:53.31 P
神の否定はニヒリズムでは無いよ
そしてニーチェがどう思うか気にしろなんてニーチェは言っていない
633 :
考える名無しさん:2011/09/19(月) 21:05:32.33 0
>>616 >なごやんは「マルテイン・ハイデガー、今。」に行ったほうが幸せかも知れん・・・なんか、合いそうだし。
同感。
ハイデガースレの人も、ハイデガーを麻原彰晃に近づけて読んでいるトンデモなお方ww
(彼も酒鬼薔薇に興味があるようだし、別人なら、とても奇遇なめぐり会いだw)
634 :
なごやん ◆DDDDDDDDhA :2011/09/19(月) 21:05:32.85 0
>>629 ニーチェの真の意義を考える時、それはまず何かしらの立場に立脚しなければ
ならない。ニーチェがそうしたように、俺の立ち場は人類愛に立脚している。
しかしお前はニーチェマニアなだけでその誠実さが一かけらもない。お前の
やったことはニーチェを読んだだけだ。まず人類史を勉強し、社会の変遷を
しり、そして今日の位置と課題を知らなければならない。マルクスを読まな
ければならない。デュルケームを読まなければならない。ボードリヤールを
読まなければならない。でもお前はマンハイムも広松渉も全く分からない。
だから近代以降の社会の困難さすら分からない。
ニーチェを知るとはニーチェの立場に立脚してニーチェ以外に目を向けること
だ。その上でニーチェも相対的に採用されうる。お前は哲学的にしかニーチェ
を読まないから抽象言語で馬鹿遊びに留まるんだよ。強度なんてお前には無理
だよ。何が神の踊りだ、幻想丸出しじゃないか。哲学の美酒に酔えなんて
ニーチェは絶対に言わない。キルケゴールも言わない。マルクスも広松も
言わない。お前はニーチェから何も学んでいない。
635 :
考える名無しさん:2011/09/19(月) 21:10:44.79 0
>>634 >ニーチェがそうしたように、俺の立ち場は人類愛に立脚している。
ニーチェが立脚したのは人類愛じゃなくて「遠人愛」ね。
何も分かってないな。
>>632 神の否定はニヒリズムじゃないですかね。信じたもの、信じたいものを否定するわけですから。
>>634 何かしらの立場に立脚ってのが解せませんね。
自分という立ち位置以外、無いでしょう。
>哲学の美酒に酔ええなんて ニーチェは絶対に言わない
ニーチェはディオニュソス的な生の陶酔、肯定を指摘してますよ
また、自分の人生が一つの哲学的実験になり得るとも言っていたと思います
自分の生き方が一つの哲学的実験であるなら、
生の陶酔とは哲学の陶酔とも理解できるのです
639 :
なごやん ◆DDDDDDDDhA :2011/09/19(月) 21:48:19.97 0
大切なのはニーチェに続くということであり、その上でニーチェの主張の今日的
な意義を見出し利用することに有る。でもお前はその動機付けが無い。現実に
根ざそうとせずに哲学に耽溺している。ニーチェを読んでも相対的な知の中で
しかニーチェは分からないのに。
そこでこれからはお前は最初どおり無視して最初からやろうとしていた相対的
知の中でのニーチェ論を書き込もうと思う。「意味が無いからよく生きられ
ないのではない、よく生きられないから意味にすがるのだ」ニーチェは時代を
ズバリ言い当てている。永劫回帰を目指すなど永劫回帰が一つの信仰になって
しまっている。同じ地平で地平を変えるのは無理だ。地平自体を覆すことで
地平は変わりうる。
640 :
蝙蝠ちゃん出没中 ◆MinorKeyQs :2011/09/19(月) 21:49:35.90 P
信じる対象を変えることは別にニヒリズムでは無いよ
本当に信じていたのかすら定かでは無いけど
641 :
考える名無しさん:2011/09/19(月) 21:53:15.70 0
なごやん
日本語が微妙に変だね
日本人じゃないでしょ
642 :
考える名無しさん:2011/09/19(月) 22:15:15.01 0
>>639 >大切なのはニーチェに続くということであり、その上でニーチェの主張の今日的
>な意義を見出し利用することに有る。
「ニーチェに続く」にしても、まず、その元となるニーチェ像をちゃんと示さなければならないよね。
つまり自分のニーチェ解釈をちゃんと示さなければならないよ。
でないと、「なんでもあり」になってしまう。
今までのなごやん君の書き込みを見る限り、
「ニーチェの思想」を利用しているとは言えない。
「ニーチェという名前」や、「超人」などの「言葉」を利用しているだけだよね。
643 :
考える名無しさん:2011/09/19(月) 22:24:39.11 0
(ちゃんと読んでいないから、それができないんだろうと思うけどね・・・)
644 :
なごやん ◆DDDDDDDDhA :2011/09/19(月) 22:37:19.75 0
>>642 まず今日的な課題を明らかにしないといけないだろう。何故自殺者が増えた
のか、だとか何故人々は結びつきを失ったのだろう、だとか何故人を殺し
たらいけないのかという質問がなされるのか、だとかそういう所から
出発すべきなんだ。まずニーチェ像をって時代を知らないから「小児」の
意味も薄っぺらになる。「神の死」の大きさが分からない。畜群が鬼の
首を取ったかのように「神とは火山で踊ること」と真顔でいう気色悪さ。
奥崎は気持ち悪いけどそれは差別だ。畜群の気色悪さは現実問題を誠実に
解決する人にとって感じられる気色悪さ。ニーチェ像は他を知ってから
相対的に浮かび上がる島みたいなものなんだ。
645 :
考える名無しさん:2011/09/19(月) 22:49:36.76 0
646 :
考える名無しさん:2011/09/19(月) 22:52:14.55 0
(能書きしか書けないんだろうと思うけどね・・・)
(たぶん「ニヒリズム」も一義的にしか知らないんだろうな・・)
648 :
なごやん ◆DDDDDDDDhA :2011/09/20(火) 03:56:38.26 0
人類は何万年もの間、強度によって継続して来た。人類史を紐解くと、前近代
までは意味的に生きるということ、すなわち何かしらの目標を達成する中で
外部から感受性を調達するということは無かった。
例えば未開の部族が酩酊薬物に手を出しているのは趣味ではなくて、感受性を
更新することで生きる実感を獲得するためだ。部族では言語に依存するのは
ほんの一部に過ぎず大半が感覚的に生きている。その様な状態で言語化
できない外部の存在を忘れると、生きているのかどうか分からない状態で死ぬ
しかなくなるだろう。つまり現代でも「つまんねー」と日常で生きている実感
が獲得できず暴力に走る場合が有るが、それもまた感受性の更新を行っている
のだ。
時代は移り変わっても結局やっていることは同じで、薬物使用や生贄儀式や
公開処刑などで、感受性の更新すなわち強度によって人類は継続してきた。
ここで大切なのはつまり受動性であるということである。
649 :
なごやん ◆DDDDDDDDhA :2011/09/20(火) 04:13:19.33 0
祭とは強度を得る機会であるが、それは主体的な決断に基づいて選択された
ものではない。何故なら前近代までは社会が単純であったので社会全体に
訪れるものだったのだ。もし自ら選択すればそれは意味に転じてしまう。
だからこそそれは一部の制度をセットアップする人たちが時間を置いて定期的
に祭を決定事項として遂行するのである。
単純な社会が保証する円環的な時間軸はこの様に担保された。かつての人類は
意味などを知りはしない。永遠に続く日常のただ中で、定期的に強度が訪れる
という時間観の中で「それはただそうある」と受容してきたのだ。
この様な強度が一般的受動的時間的に得られるという構制によって人類は継続
してきたのだ。しかし近代に入るとこれが変わってしまう。時間の中に無が
進入してきた。そして無が深淵となって人々を飲み込み始めた。人は意味の
無限指定から逃れられずに、個々人が孤独となって、何かしらにすがらないと
生きて生けなくなったのだ。
なごやん、ひょっとしてホントに中学生ががんばって書いてるのかなと思いかけたくらいだが、
読まなければならないっつって繰り出す名が、意外と俺の親の世代かと思えるラインナップ。
実はおっさんが気張って書いてるんだろうか・・・そうだとしたら深刻だな。
彼の妙な日本語は、分裂症(統合失調症なんていう偽善的な名称は使いません)の言語新作って症状に近い。
病人とかキチガイとか言ったら却って喜びかねないが、ニーチェ的には、時代の病的なものを抱え込みながらも知と意志で超克するのが肝なわけで。
かのドゥルーズも、欲望のあり方としてのスキゾを称揚する一方、
病人はひとつの失敗例と見做し、ガタリに見せられた病人のことも気色悪がってたらしいからな…。
人類愛に立脚したり(超人愛なら分かるけど)、社会の困難とやらに立ち向かおうとしてたり、なんだか意外とご立派な社会人的意識ですな。
ニーチェは、心身ともに創造的な力を有した高等な人間が超人という目標へと向かうことだけを願っていたのであって、
>>644的「今日的な課題」なんか、人生を思い悩む畜群の領分だよ。
ツァラトゥストラで、最後の試練が「高人たちへの同情」の克服だったことを思えば、
奥崎だの又吉だのに同情的ななごやんの同類相憐れむ根性がいかにニーチェの超人像と無関係かを痛感する。
ニーチェが「善/悪」の価値観を蹴ったのと同時に、「優良/劣悪」の区別をより強調したことを理解していない奴は、
社会から逸脱して恍惚となってる程度の連中を、味噌も糞も一緒にして超人と考えたりする。
あるいは「優良」さを弱肉強食の社会ダーウィニズムで解釈する奴もいるが、共に曲解でしかない。
言語新作っていうより概念移動の方が顕著か?まぁ詳しくないから分からんが。
狂人を例に出すにしても、脳ミソが沸騰しつつユルユルになってるような奥崎ていどの奴じゃなくて、
シュレーバーとかならまだ話も面白くなっただろうに。そういや、『シュレーバー回想録』の解題でニーチェとの比較もされてたな。
俺の信者になれとはニーチェも言ってない、どころか、「俺の屍を越えていけ」的なことを言ってたし、またニーチェがどう言ってようと、
他と相対化して見るのは当然ではある。が、ニーチェをろくに読んでないことを否定しない奴がニーチェ・スレで長々と講釈垂れるのはまさにキチガイ沙汰。
652 :
なごやん ◆DDDDDDDDhA :2011/09/20(火) 04:34:07.67 0
近代人の課題に気付きそのことにいち早く警鐘する人間が現われた。それが
パスカル・キルケゴール・ニーチェ・サルトルらである。何故彼らが警鐘を
せざるを得なかったのか。それは社会が円環的な時間軸を担保できるような
社会構制でなくなったからである。
生産性の向上のために生産様式が変遷して高度化していく中で、今日の複雑な
社会システムがそれを許容しないのだ。感覚的に生きることは単純な社会では
許容できたが、今日の複雑な社会では納期は遅れてしまうし会社に決まった
時間へ行くことも出来なくなる。この様な感覚から離れて言語に依拠すること
が求められる今日の社会では、一般性受動性時間性は担保されえない。
もし例えば公開処刑をやり感覚を開放すれば生活は破綻するであろう。同時
では無く個々人の責任に基づいてセットアップされなければならない。そして
それは個々人の都合で時間ではなく空間的にアクセスをしなければならない。
そしてそれは来訪を待つのではなく主体的決断で選ばざるを得なくなった。
一般性受動性時間性から個別性能動性空間性へ。
653 :
なごやん ◆DDDDDDDDhA :2011/09/20(火) 04:47:59.15 0
この様な近代社会以降の社会構制における問題において、ニーチェ思想は測ら
なければならない。こういった最低限のことも理解せずに「金髪の女に鋼鉄の
棒を入れるマン・システム」といって自己満足したり、「神は火山で踊って
いる」などと真顔で言ってみたり、「中学生」と言って舌の根も乾かないうち
に「おっさん」と本質規定する。我々の社会におけるニーチェ思想の今日的
意義を欠いた主張は、全て抽象的で貧相か、もしくは一部の人間の遊びで
ある。
ニーチェを今こそ正しく解釈しなければならない。ニーチェを空間的に強度
を獲得する場にのみしてはならない。永劫回帰を神棚に挙げ同地平上での
別地平の導入という背理を信ずる宗教から奪還せねばならない。思想に全身
全霊をささげ死んでいったニーチェに続こうではないか。
654 :
なごやん ◆DDDDDDDDhA :2011/09/20(火) 05:07:52.20 0
神とはなんであろうか。これは正に何万年も人類を支えてきたあの強度の事に
他ならない。人は生きていると馴れてしまいその実感を失い死にいたる。それ
ゆえに馴れの抵抗として強度が到来する。人類は神によって生かされてきた
のだ。だから強度はなんら新しい概念ではない、最も古い物の一つである。
しかし神を甘受出来なくなったところに近代以降の社会の困難さが有る。こう
してキルケゴールは個人による神の獲得は不可能であることを知り、彼岸での
獲得を決定付けた。最早直線的な時間軸の中で永遠的な神を獲得するというの
は論理的確実性の無いパラドックスを信ずるという宗教でしかありえないの
だ。
しかしそれを超えてしまったのがニーチェである。しかしこの超越は二義的で
ある。それは一方で地平の超克である。しかしそれは他方で社会的価値の超越
でもある。ニーチェ思想のこの様な性質を理解しつつ、議論は進められるべきだ。
その仰々しい文体のさなかに「金髪の女に鋼鉄の棒を入れるマン・システム」(わざと間違えてんだよね?)とか
「おっさん」とか書かれるとなんとも滑稽ですな。ホントにおっさんが厳めしい顔でキーを打ってる光景が目に浮かんだ。
もはや斜め読みすらする気が失せたけど、これからも頑張ってくださいよ。
なごやん先生の連載が読めるのは2ちゃんだけ!
なんか最後に馬に抱きついて号泣して狂ったニーチェを彷彿とさせはするが
ぜんぜんニーチェ論になってないところがつまらん。
本屋でニーチェ本が目立つところに置かれるようになったのは、
世界一平均年齢が高い自分たちの絵にならない姿に、萎えてきたからだろう。
せっかく凸凹した土地に住んでるんだから、車を使うのを控えれば少しはマシになるんだろうがね。
控えるべき醜い奴ほど控えることができないけどな。
「日々苦労して生き続ける価値がこの忌々しい廃れた生き物たちにあるんだろうか?
否。三度否。
何故にこいつらは嫌々ウジ虫のように醜く生き続けてるのか。
吐き気がする。私もこの気持ち悪い奴らの同類なんだろうか…
自殺しない方が不思議なこんな奴らと私が同類であるわけがない!
」
こんな感じだろうな。
ニーチェが注目されだしのはさらに日本が醜悪化する前触れに違いない。
生き物ときたら、無駄だからこそ、無意味だからこそ、無価値だからこそ、死にかけだからこそ、無性に生きたがるものであるに違いないね。
ニーチェは断末魔なのだ。最後の抵抗であり、追い詰められたネズミなのだ。
果たしてその綱渡りは成功するかな?
>>659 否、三度否はツァラトゥストラからだね。
他は最近の日本人が感じてそうなことをねつ造した。
僕は超人をも超えた超人を超越した超人を凌駕した超人をも越えた超人に為るよねー!?♪。
しかし、なごやん氏は、最終的には何をもとめているのかな?
日本人は、すくなくとも、イエスのことを「もうひとり新しい神さま
増えた」くらいにしか、感じておらず、ニーチェの現に生きたガチの
キリスト教社会とは、大違いなのだが?
むしろ、日本は「ニーチェのめざすユートピア」にもっとも近いので
あり、昨今のニーチェ・ブームは、遅ればせながらその事実に日本人
が、気がついたという事だろ? いまさら、なごやんが「ニーチェ、
万歳!!」と叫ぶまでもあるまいよ。
躁うつ病の躁状態じゃないの
・・むしろ、なごやんは、高山右近や細川ガラシャのような「例外的
日本人」をクローズアップすべきだと思うな。
666、ゲト。
667 :
考える名無しさん:2011/09/20(火) 09:34:30.26 0
まあアレだ、日本は今、バブル経済と原発神話で浮かれていた自己を真剣に超克したいんだよ。
668 :
考える名無しさん:2011/09/20(火) 09:37:02.69 0
>>654 :なごやん
ニーチェにおける「神」について考える場合は、注意が必要だね。
ニーチェの言葉は多くの場合多義的であって、「神」も多義的だよ。
彼が批判する「神」は、主としてキリスト教の神。
「神は死んだ」という場合の「神」も、もちろん、キリスト教の神だよ。
ニーチェの文章の多くはキリスト教批判の文脈で書かれているので、
そこに出てくる「神」は、当然ながら、キリスト教の神を指している場合が多い。
その一方で、ニーチェはディオニュソス神に共感を示し、
また、スピノザやゲーテの汎神論にも共感を示している。
だから、まず考えなければならないのは、
ニーチェがキリスト教の神を批判するのは何故なのか?
そしてディオニュソス神や汎神論の神に共感するのは何故なのか?
そこを抑えておかないと、駄目ね。
669 :
考える名無しさん:2011/09/20(火) 09:40:57.31 0
ん・・・マジレスは場違いだったか・・・・?
670 :
考える名無しさん:2011/09/20(火) 10:05:09.59 0
ついでに場違いなマジレスをもう一つ。
「超人」の話題が多く出ているようだけれど、
ニーチェは「超人」についてはあまりはっきりしたことを書いていないから、
的外れな解釈が多く出てくる。
あまり的外れにならないためには、
ニーチェが『ツァラトゥストラ』で超人の反対概念として書いたと思われる
「末人(おしまいの人間)」について考えると良いよ。
「末人」の生き方を一言で表せば、「自己保存」だろうね。
それに対して「超人」の生き方を一言で表せば、「自己超克」だよ。
「超人(Übermensch)」の‘Über’は、
「自己超克(Selbst-Überwindung)」の‘Über’だろうよ。
過去ログを見てみると、そのへんも全然抑えられていないね。
>>68 ニーチェは入門みたいのでほんの少しかじっただけの超初心者なので
見当外れの質問だと申しわけないのだが、少し質問。
ニーチェはキリスト教の神を批判し、他の神に共感を示しているとすると、
ニーチェは人間と神(人知を超えた存在)の関係性について問題にしたということ?
ニーチェは「人知を超えた存在」全てを否定しているのかと思ったが。
674 :
673:2011/09/20(火) 12:34:49.67 0
675 :
668:2011/09/20(火) 12:42:48.88 0
>>673 >ニーチェは「人知を超えた存在」全てを否定しているのかと思ったが。
簡単に言うと、
ニーチェが否定したのは「人知を超えた存在」ではなくて、「あの世」です。
ニーチェは(キリスト教などにおいて)世界が「この世」と「あの世」に分裂していることを批判したんですね。
キリスト教などにおいては、「あの世」に重心がおかれるために、「この世」から重みが失われてしまう、と。
だから、「この世」から重みを奪わない神(汎神論の神など)をニーチェはあまり批判しないです。
676 :
673:2011/09/20(火) 13:10:28.47 0
>>675 それは意外でした。
ありがとうございます。
「あの世」の批判にはとても共感します。
宮台で食えるのは宮台だけなんじゃね。
678 :
なごやん ◆DDDDDDDDhA :2011/09/20(火) 13:59:52.02 0
>>668 >「神は死んだ」という場合の「神」も、もちろん、キリスト教の神だよ。
キリストの神が死んだのは確かに驚くべきことだけど、そもそもモンテーニュ
ですらキリスト教を相対化していたわけであって、実はそれほどでかいこと
ではない。神が多義的なことは分かるけど、死んで一番大事になっている神
とは強度としての神だ。デュオニソス神は強度の神の象徴なのであって、
自己同一性から開放されることによって根底から湧き上がる歓喜を意味する。
アポロンとは違う感性的な神なんだ。
679 :
なごやん ◆DDDDDDDDhA :2011/09/20(火) 14:45:44.46 0
>>670 もう既に言及済みなんだけどね。意味という体裁の中で自己超克をしつつも、
その本質は神と共にあるのが自己神を持つ奥崎や酒鬼薔薇の場合だ。
680 :
なごやん ◆DDDDDDDDhA :2011/09/20(火) 14:57:43.30 0
中傷と引用のみでしか文を構成できない、争点が引用先との整合性のみで引用の
語句の正確性もまた別の研究者の引用(!)という薀蓄合戦での勝利で自尊心
獲得を目指す「最も意味的なニヒリスト」がいないとすがすがしいね。
このまままじめに論議しよう。
ところで奥崎って何しでかした人なの?
GoogleとYouTubeで検索したら大体の雰囲気は分かるんじゃないの。
なごやん ◆DDDDDDDDhA が解説してくれて然るべきではあるけどな。
超人について、ニーチェがフリードリヒ二世やナポレオンに肯定的に言及していたような文脈で読めておらず、
強度というバカの一つ覚えで単純解釈してるから、アタマのおかしい、テンションの高い、誇大妄想家が超人だとか言ってしまう。
結局、ニーチェが言うように、概念はまさに物事の「概括」であって、「言葉による説明は音楽に比べて凡庸である。
それは凡俗ならざるものを凡俗ならしめる」(だったっけ?)。
そういう身体感覚で読めないと、言葉づらだけで、自分の人間的等級に合った解釈に行き着かざるを得ないんだな。
2chなんかで必死で自己顕示欲を充たそうとしている矮小な存在でしかないのに、他人を嘲弄することで自分が何者かだと示した気になっている。
自分は色々勉強し考えたんだから、縁もゆかりもない連中にありがたい教えを説いてやる特権があるとでも思ってるんだろうね。
ブログなり専用スレなりを作って誘導するとかならどうぞご自由に、だがな。本性は下劣なくせに自尊心だけ膨らんだ頭でっかちだから、
現実世界で誰にも相手にされていないであろうことは容易に想像がつくけど、
あくまでもここで書き込んで、スレを覗いたやつに対して無条件で視界に入ろうとする必死さがアホらしく、傍迷惑。
多元宇宙的に考えれば永劫回帰は事実ですよねー。
永久インフレーションの世界ではすべての可能性が0ではないことは無限に繰り返されてきている
685 :
考える名無しさん:2011/09/20(火) 19:39:33.88 0
自己保身のことしか考えないおしまいの人っつーと東電の斑目とか与謝野みたいな連中を思い浮かべるとわかりやすい。
自己保身より日本の将来を考えて提言を続ける経済産業省の古賀茂明氏のような人間は、
官僚としての限界を超えて努力しようとする超官僚(Überamtsträger)とイっていいだろう。
687 :
なごやん ◆DDDDDDDDhA :2011/09/20(火) 20:48:55.43 0
直線的な時間軸の地平で円環的な時間軸に生きることは論理的に不可能だ。
キルケゴールでも現実の自己の実存を措定するのは現実の目標でしかありえ
ないことをしって、それで現実の世界に出現したイエスを信じることを背理
とした。だから強度を享受することもまた永劫回帰の地平で無ければならない。
その地平を如何にして打ち立てるかなのに永劫回帰や強度に幻想を広げて
語っても、無駄な思弁でしかない。大切なのは現実に即した理解なのに。
688 :
なごやん ◆DDDDDDDDhA :2011/09/20(火) 21:06:28.28 0
直線的な時間軸の中で円環的な時間軸を生きようとすることは、時間の中に
永遠を生み出そうということだ。翻ってキリスト教を見ると、時間の中で
永遠が進入してきたというあのイエスを神と信じるところに信仰者としての
証がある。論理的不確実だからこそ信じるというあの構制だ。直線的な時間軸
の中で円環的な時間軸を生きようとすることは、あのパラドスキカルな逆説を
敢えて採用する宗教と同じことではあるまいか。さらにいえばキリスト教批判
をしたニーチェがそれを反復すると思っているのだろうか。
>我々の社会におけるニーチェ思想の今日的意義を欠いた主張は、全て抽象的で貧相か、もしく
は一部の人間の遊びである。
全く同感で、これが為されないで、延々ひけらかし合いか、マニアの情報交換か、になり、自分が
日々生きている過程で実感し目にする風景の真ん中で思想的に問い掛けること、また、大思想と
呼ばれている諸々を、その目の前の風景に向かって投げつけてみる、果たしてその風景はそれで
どう見えてくか、が問われる。確かキルケゴールも言ってたと思うけども、ある説教師がアブラハ
ムによるイサクの供儀の話をしてて、聞いた男の一人が実践しようとした、そこで初めて説教師
は自分が語っている説教の本当の重味が解った、と。
《「こん畜生、人間の屑め、なんという悪魔にとっつかれやがったんだ、わが子を殺そうなんて」そ
して、アブラハムについて説教したときには熱も汗もおぼえなかったこの説教者は、自分自身に
驚くことであろう。》
この説教師は実はアブラハムの話を説教しながらリアルな思想としては語ってはいなかった。
だからそれを現実化するという聴衆が現れたとき、一般市民的反応しか出なかった。実は説教師
は自己のものとして読んでいたのではなかった。で、キルケゴールはこの問題について述べてい
る。
《アブラハムのなしたことは、倫理的に表現すれば、彼はイサクを殺そうとした、のであり、宗教的
に表現すれば、彼はイサクを捧げようとした、のである。ところが、ほかならぬこの矛盾のなかに
、人を眠れなくすることのできる不安があるのである。しかもこの不安なくしては、アブラハムは
あのアブラハムではないであろう。》
690 :
[―{}@{}@{}-] 蝙蝠ちゃん出没中 ◆MinorKeyQs :2011/09/21(水) 00:28:57.57 P
なんで突然ニーチェプームになったんだろうね
691 :
[―{}@{}@{}-] 蝙蝠ちゃん出没中 ◆MinorKeyQs :2011/09/21(水) 00:45:50.30 P
で、これはキルケゴールによれば
《アブラハムのなしたことは、倫理的に表現すれば、彼はイサクを殺そうとした、のであり、宗教的
に表現すれば、彼はイサクを捧げようとした、のである。ところが、ほかならぬこの矛盾の中に、
人を眠れなくすることのできる不安があるのである。》と言われる。
ハイデガーの場合には、矛盾というよりも、覆蔵する歴史の開けとして、なごやん氏の言葉だと
円環になるのかと思いますが、既有的に将来すること、それへの見守りとして、人間を捉えていく
。アブラハムよるイサクの捧げは、そこでは根源の存在の開け、それに聴き従い帰属することとし
て掴まれる。根源の歴史の到来に聴き従うこととして掴んでいく。ハイデガーは言う。
《探究者には、理性的ないきものという人間の投企から現存在(存在の開けの場)としての人間
存在への移行という、まさにこの最も困難なことが要求される。》
存在という概念によって、人間に覆蔵される、隠された深度というのが表現されていると思える
。その辺の思索により、理性的動物としての人間を相対化せむとしていると思うんです。あと、な
ごやん氏の語るニーチェというのは、最も現在に於て切実なところで読まれるニーチェ、だと思う
わけです。決して文献学的に読むのではなく、〈根源的=将来的〉存在を希求する中で、という読み
だと。むしろニーチェをそのために読み直す試みだと思う。そこが面白い。
ニーチェの思想をヘーゲル流の<承認をめぐる闘争>で解釈するパターンもあるけど、
その解釈から言えば、自己神とかいうのに目覚めた連中は、ニーチェ思想からすでに超出してるのかね。
それとも、こうした連中もやっぱり承認を求めている?
695 :
なごやん ◆DDDDDDDDhA :2011/09/21(水) 02:27:32.34 0
現在の生産性を高度化させた社会システムを廃棄するという選択肢もありうるが、
莫大な恩恵を得ている以上それを選択するとは考えがたい。そうなると能動性
の無限指定の中で人工的に作り上げた神/無への信仰で騙し騙し生きるしかなくなる。
物質的欲求の充足によって国家規模の共同体が衰退し中間集団が散在している今、
一神教的文化を持たない日本において神とは精々共同体神であり、課題設定は
その様な間共同体的コミュニケーションになる。公共の福祉は外在説ではなく
内在説なのであり、共同体同士の権利を相互調整することが課題になる。
この様に人類は何万年の人類の歴史からはなれて意味の陥穽に落ち込んだまま、
時代の病を永遠に罹患し続けるのであろうか?そこにキルケゴールは無への信仰
を審美的実存と退け、彼岸の神への信仰を説く。ニーチェも同じく無への信仰を
ニヒルと退けたが、しかし彼は現実世界で神を捉えようとする。
696 :
なごやん ◆DDDDDDDDhA :2011/09/21(水) 02:54:59.56 0
ゲマインシャフト関係における成員の価値観は一元的であるが、共同体を措定
する合意が解消されれば価値観が多様化するのは必然である。この様な多元的
な価値観に基づいて法律は社会法益から個人法益を採用するようになった。
この様な現代社会で強度を得ることは、三点において問題を孕んでいる。第一に
それは主体的判断に基づいて判断しなければならないこと、第二に対象が人それ
ぞれであること、第三が主体者と切り離されていることにある。
現実世界で神を捉えようとするニーチェの試みは、ニヒリズムの否定や歓喜の
ルーツや永劫回帰の思想などに良く表れているが、彼はこの問題を超越する
一つの答えをたたき出した。しかしこの答えは口にする種類のことではなかった。
しかし我々はここから今日的な社会における意義を探し、あるなら利用する。
神が死んだ訳じゃない!?♪。
ちなみに「強度」って宮台専門用語ですか? w
699 :
考える名無しさん:2011/09/21(水) 05:07:57.65 O
ドストエフスキーやらニーチェの流行は不味いことだ。
一般的に体が劣化し自我が肥大して地下室の住人になって空回りしだしたということだろうからな。
地下室には縁がなさそうな日本人がネズミになってきているとはねえ…
西洋化はネズミ化だったな。
肉体的に西洋人みたいな生活してたら、西洋人みたいなネズミになっちゃうんだよ。
ニーチェは宇宙の本当の真実の正体に気付いた!?♪。
ロシア革命前夜とドストエフスキーやニーチェの流行、
不健康の蓄積に対する過剰な拒絶反応と見れるのでは
704 :
考える名無しさん:2011/09/21(水) 06:32:32.33 0
ドンフライ
拒絶反応じゃなくて、むしろ肯定じゃね。
歯痛の肯定w
恋愛を避け、金も名誉も要らぬ草食系男子たちによる
この世の肯定、そうかもしれませんね
価値観の多様化・平行化の上で、
それをまた交差・同期させるくびきが
一体ナンなのか私にはまだわかりませんが
>神が多義的なことは分かるけど、死んで一番大事になっている神とは強度としての神だ。デュ
オニソス神は強度の神の象徴なのであって、自己同一性から開放されることによって根底から湧
き上がる歓喜を意味する。
>この様な現代社会で強度を得ることは、三点において問題を孕んでいる。第一にそれは主体的
判断に基づいて判断しなければならないこと、第二に対象が人それぞれであること、第三が主体
者と切り離されていることにある。
つまり、強度という主題が、現代に於ては、主体性の確立に組み込まれてしまっている、という事
態。これは例えばロックの聴き方、捉え方にも言えることで、おそらく60-70年代までのロックに
は、その主題として、〈自己同一性の解体〉というのが、演奏者にも、また聴衆にも潜在していたと
思える。それは当時のフィルムを見直すと感じることで、それがロックの強度をも裏付けることに
もなっていた。ジミヘンのコンサートで横たえたギターに口づけし、そこにガソリンを垂らし、火
を点ける供儀 sacrifice が行われていたのは有名で、あれも今思えば強度を証すパフォーマ
ンスだった。最も大切なものをコンサートの最高潮で、大切な故に放火、破壊する。その嘆きと驚
愕が、当時の表現の主題をも表していた。元々ロック評論家に強度などという意識はないし、強度
の喪失は主題として言及されないまま現在に到る。それで今の段階というのは、ロックコンサート
自体、熱狂自体がマニュアル化され、言い換えれば主体性に組み込まれて秩序の一環と化した、と
言えるのではないかと思う。単に「かつてのパワーをなくした」というよりもこのことの方が事態
に即している。ロックは一例で、重要なのは、強度の主題が一見何事もなく維持されているように
見えながら、実体は喪失されてしまっていることにある。そこに強度をめぐる窮乏と、窮乏への
正当防衛としての狂気の現在の出現形態、ということも言えるのではないか。
708 :
なごやん ◆DDDDDDDDhA :2011/09/21(水) 10:59:49.26 0
人類を何万年も支えたいわゆる「神」の論理構造は一般性受動性時間性で
しかない。こうであって初めて神の同一性・同時性・円環的時間軸は担保
されうるのであって、この条件を充たさない場合はそれは無の偽神でしか
ないだろう。では直線的時間軸で神はどの様に捉えられるのであろうか?
神が例えば小さなものであって誰が実感を得られるというのであろうか。
神が探さなければならないものであって誰が神を信じられるというのか。
神が来訪するものでなくて誰が感覚を開放することが出来るというのか。
神を捉えた者を超人として規定するなら、偶然的超人として私は奥崎謙三
の名を上げる。極貧の生活の中で育った彼は、戦争に駆り出されて兵役に
就くも、上官の理不尽な態度が目に余れば強固な縦社会にあっても上司を
殴るし、皆の物資を横領する船長には鋏で腹を突き刺す、正義感の強い
人間だった。
709 :
なごやん ◆DDDDDDDDhA :2011/09/21(水) 11:02:25.07 0
しかし彼の内部に潜む正義感は彼自身の神が元だったのだろう。戦争から
帰った彼も全く変わることなく自らの正義を貫いていった。戦時中空腹の
余り奥崎の同僚を食人した上司に迫ったり、無謀な戦争を起こしたとして
天皇にパチンコを打ったり、時の総理大臣の殺害を計画した。殺人、殺人
未遂、猥褻図画頒布などで約20年を獄中で暮らす。
そんな中でも彼は自らは神の使いと称して、ゴッドワールド建設を意図し、
人々はその中でゴッド人として生きるべしと神の啓示を一貫して主張して
来た。支持者は彼の反戦の態度を賛美するものの、ゴッドワールドの話に
なると目をそむけた。
彼は結局生涯にわたって貧乏な生活をおくって来たが、しかし彼にとって
彼の人生は正に歓喜にあった。何故なら窮乏もまた自らの神にとっては
価値あるものと認められるからであり、あらゆる成功も挫折も彼にとって
は歓喜でしかなかったのである。
>しかし近代社会以降、ニーチェに倣って強度を獲得しようとするならそれ自体が反ニーチェだ
。何故なら人類は強度を目的合理的に主体的決断で選択してきたのではなく、定期的な決め事と
して来訪してきたからだ。この受動性こそが重要で、受動的で良かった人類が受動的であれない
ところにニーチェの警鐘があり、哲学が存在している。意味と強度は対概念なのに意味的に強度
を追求するのは踏み外しどころか漫画だろう。
そこがいわゆる、難所=アポリアなんですね。ニーチェ研究など、思想的になる人は頭も良い。で、ニ
ーチェならニーチェ思想を目的意識として追求するとしたら、と考えるけども、それではニーチェ
の根幹にある〈離脱の歓喜〉と、操作対象となることでずれて行ってしまう。ということは、これま
たキルケゴールの言う、〈無限を予感する有限性〉に留まること、に帰着するんじゃないでしょうか
。現代に於ける〈至高者〉の場所とはそこではないか。つまり、ニーチェ研究所にはニーチェ的なる
者は実はない‥。その逆説というのはあるかもしれない。麻原というのが現代文明や知性にとって
、完全なる〈外部〉に位置する理由もまた、その問題かな、と思えます。つまり何らかの目的論や因果
論によってでなければ、それで措定しうるのでなければ〈有る〉とされない。その問題が入ってる。
私のことをなごやん氏と同一人物と思っているかもしれませんが、なごやん氏のいう通り別人
です。でも私も稀にみる近さは感じます。書いてて楽しいですね。
711 :
蝙蝠ちゃん出没中 ◆MinorKeyQs :2011/09/21(水) 15:52:14.58 P
強度って?
力への意志の強さってことかな
712 :
なごやん ◆DDDDDDDDhA :2011/09/21(水) 16:52:00.10 0
>>707 ジミヘンのサクリファイスはなるほどと納得しますね。音楽で強度を獲得と
いうのは昔から有ることで、今でもレイブで薬物を使用し日本でも毎年逮捕者
が出ています。
>>710 麻原なり奥崎なり単に変人と捉えてしまうのか、可能性があると感じるのか
で大きく違ってくると思います。やはり知っているだけでは駄目で、特に
麻原なんかは「何か有る」と感じさせると思うんですよね。麻原なんかは
社会の要求に答えた上で様々な戦略を用いていました。
>>711 言語を滅殺する圧倒的な体験のことです。
「強度」は、フランスの哲学者、ジル・ドゥルーズ(「リゾーム」や「ノマド」や、アルトーから援用した「器官なき身体」の概念が有名)や、
小説家で評論家のピエール・クロソウスキー(サドの研究家でもある)や、
哲学者のフランソワ・リオタール(「ポストモダン」の概念で有名)らが使っていた概念ですよ。
「意味」や「意図」に対して、欲望や衝動の強さ、意味に先立つ内なる蠢き、といったようなもの。
或いは、「長さ」や「体積」といった、同じものを加えたり分割したりして考えることができる外延量に対し、
「熱さ」や「速度」のように、或る量そのものが、分割されない一塊のものとして考えられている内包量が強度と呼ばれたりもする。
ベルクソンが『時間と自由』で論じているような、「意識に直接与えられたもの」、「感情の強さ」などが想定されている筈。
シンポジウムの記録『ニーチェは、今日?』や、ドゥルーズの様々な本、クロソウスキーの『ニーチェと悪循環』なんかで多用されている。
ドゥルーズの『差異と反復』では、「差異」の概念に等しいものとして論じられているが、ベルクソン的な質的差異(「感情の強さ」のようなもの)は、
既に感覚され経験されたものとして外延化された差異であり、差異そのものは感覚される以前の、それ自身としての差異として思考されるべきと説かれている。
例えば、体験されたもの(が有する差異)は、記憶として反復されるときには、その都度様々な意味、感覚として経験されうるわけで、強度=出来事は感覚そのものとは区別される。
「力」も「意志」も、ニーチェが影響を受けたショーペンハウアーのおいては同一のもので、つまり「力への意志」は「意志への意志」、「力への力」、
ドゥルーズ風に言えば「それ自身における差異」、永遠回帰は「差異の反復」、「それ自身へ向かう反復」。
邦訳で「力=累乗」と訳されているのもその為だろう(英語の「power」も両方の意味がある)。
だけどドゥルーズらの「強度」一辺倒の解釈は片手落ちなんだよ。
「自己超克と一切の徳とは、支配する力を形成するための手段たる以外には、いかなる意味をも全然もっていない」(『生成の無垢』1235番)。
畜群を自らの手足、手段として使役しつつ、それによって可能となる創造行為を行なう「大いなる政治」が求められているのであって、
例えばロックがいかにディオニュソス的な熱狂に達していようとも、そうしたバタイユ的祝祭性だけで超人に達するわけではない(ジム・モリソンやマリリン・マンソンがニーチェを愛読していようとも)。
先の「内包量」にしても、哲学者は「高級低級を問わず人間のすべて欲望の要約」というニーチェ自身の言葉に沿って考えられるべきだろうな(ドゥルーズはその辺は全く分かっていないわけではない)。
「あせることはない!超人は私たちの次の段階なのだ!(中略)目標。単に脳だけではなくて、全身体を、より高く形成すること!」(『生成の無垢』1217番)。
既に自分たちはニーチェの「次の段階」だと思いたがりそうな人らがこのスレにいるが、個々人の熱狂で全てを測る、早漏気味の短絡思考でしかない。
「彼はおのれ向きのおのれ自身の神をもっている。しかし、私がその神を見てとって以来、私は彼をば彼の神をまねた猿としか認めなかった」(『生成の無垢』959番)。
715 :
なごやん ◆DDDDDDDDhA :2011/09/21(水) 17:13:38.87 0
自分の言葉で語れよ。薀蓄合戦じゃなくてきちっと回答してみろ。お前は何一つ
答えてはいない。あの人が、この人が、じゃないんだ。それも大切だけどそれを
参考の上で答えを出すべきだろ?参考書の振り回されるからお前は今までの話に
全く絡むことが出来なかったんだよ。蝙蝠もお前じゃないのか?(笑)
716 :
なごやん ◆DDDDDDDDhA :2011/09/21(水) 17:16:47.19 0
でも今回は中傷が随分減ってよかったよ。マンコシステム的な下ネタは
あったけど。
717 :
なごやん ◆DDDDDDDDhA :2011/09/21(水) 17:20:00.73 0
何故奥崎は超人だったのか。それは神の3つの条件を充たしているからで
ある。彼にいつ神が到来したかは分からないが、彼自身は自らに神がいて
自らがその存在のお陰で救済されていることを自覚していた。まず一般性
であるが、恐らく彼が生活の困窮の中で防衛本能が働いて自己神が出現
したのは想像に難くない。
防衛本能で生まれた神は個人が意志に基づいて作り上げた無とは異なり、
自らを守るべくどこかで本人も無意識の内に望んでいたであろうが、
突然出現したことに意味がある。その神は手垢のついた偽神なのでは
なく、いわゆる皆が思い浮かべるようなあの全知全能の神なのだ。
そしてその神が来訪するということに意味がある。つまりこれは意味を
経由せずに強度が獲得できるということであり、これは意味の陥穽から
の脱出を意味する。そして神は空間的な人から離れた誰でも機縁になる
ような相対的にアクセスするものなどではなく、神の腕の中で常に神と
同時的に存在し現実構成の自明さが担保されるのだ。
718 :
なごやん ◆DDDDDDDDhA :2011/09/21(水) 17:26:46.97 0
あの永遠性の神が直線的な時間軸の中に進入してきた。これはキルケゴール
からしたら驚くべきことではないか。背理を前にして殉教し彼岸で結実する
はずが、しかし神は出現するし、メッセージを伝達するし、現実で永遠の
福祉の恩恵を受けている。直線的な時間軸での懊悩が取り払われ、直線的な
時間軸の体裁をとるだけで円環的な時間軸が永遠に約束されている。
貧困の中病に倒れ顔を吐しゃ物まみれにしながらも、血栓溶解法を実践し
ノーベル賞受賞に意欲を持っていた彼は、不安の中生きたキルケゴールに
比べて遥かに幸せであったのではないか。いや、彼以上に幸せなものなど
存在できないだろう。何故なら彼こそ超人だからである。
人は見た目で判断するがゆえに偏見のまなざし、社会的価値観で物を見がち
だ。ニーチェであれカフカであれ、人は成功者による推薦によって、その
権威によって目を向ける。奥崎もまた片隅の狂人として黙殺された。しかし
哲学を知っているだけでなくやれるものであるなら、真の価値を見た目で
差別することなく合理的核心を掴めるのでなければならない。
過去スレを見れば、下品な下ネタを書き込んでいたのは当の御当人だというのは明確なのだが、
被害妄想にとりつかれているから、自分が言われたことと自分が言ったことの区別もつかなくなってるんだろうね。
「金髪の」云々も、浅田彰が否定的な喩えとして口にし、その結論には御当人も賛同していたくせに、
「おっさん」と言われたことと一緒くたにして批難してきたりして(
>>653)、怒り出すと支離滅裂になるんだな。
今どき浅田彰なんかに過剰反応するところからして、定年退職して暇を持て余したご老体なのかもね。もはや歪んだ固定観念の修正がきく時期は過ぎてるな。
まあこういうふやけた脳みそが奥崎みたいなのを超人視するのも理の当然ではあるし、
支持者との同一人物疑惑をかけられた腹いせみたいに「蝙蝠もお前じゃないのか?」などと言って笑う下劣さも、
そういう人間に生まれついたんだから仕方がない話だな。
「自分の言葉」でニーチェの思想とかけ離れた妄言を吐き続けているのを幾ら指摘してやっても埒があかないしね。
過去スレじゃなくて過去レスでした。別スレを作ってほしいという無意識のなせるわざですかね。
721 :
なごやん ◆DDDDDDDDhA :2011/09/21(水) 18:00:52.75 0
>>719 だからお前は怒るところが違うんだよ。下ネタ云々も蝙蝠云々もジョーク
だよ。下ネタは難しい話ばかりもあれだから俺が積極的に使っている。蝙蝠も
散々他の人と混同されたからその文脈で使った嫌味だ。蝙蝠が誰であろうが
そもそも自演でも何でも俺は構わないし俺にとってはどうでもいいんだ。
そもそもお前が俺を中学生扱いしたり茶化したりして路傍の石のように
扱ったのが中傷合戦の始まりだ。薀蓄を知っていることだけに自尊心を置いて
不自由なお前が残念でならない。少なくとも最初の誹謗中傷にたいして筋を
通さないからこうなってるんだ。それについて永遠にスルーする気なのか?
あとお前は世間にもまれていないから感覚的にヲタ臭がする。変な所で
フォローしたり変な所で憤激したり、これは助言だけどもっと人間的に
成熟した方がいい。まあ実際いいように利用させてもらったよ。途中からは
内容すら読まなくなったけど(笑)。
722 :
なごやん ◆DDDDDDDDhA :2011/09/21(水) 18:04:28.21 0
>>720 だからそこだよ。どうでもいいミスを大きく捉えるお前のプライドの大きさが
不自由なんだよ。そんなの誰も気にしてない(笑)。しかも毎回そうやって
言い訳する。畜群よりも脆弱な実存しか持たない卑小なお前が何が超人だよ。
奥崎に倣って金玉でも揉んでいろ。そうすれば超人キンタマンぐらいには
なれるかもしれない。
世間にもまれて人間的に成熟した、吐寫物まみれの爺さんに温かい眼差しを向ける素敵なおじさん、
ちょっと下品なジョークやダジャレも、溢れる教養を披露する合い間に、堅い話で片が凝った皆への優しい気遣い。
そんななごやん先生のお話が、毎日ニーチェ・スレを覗くだけでタダで読めちゃう。
ほんとにいい時代になったんだなぁ。
>>714 ディオニュソスにはアリアドネという妻がいた。
酒神になぜ妻が必要なのか、最初は腑に落ちなかったが
DGを読んであわわわわわわわ。
哲学者たろうとしていきなり自己流で哲学をすると、誰にも通じない(哲学者の言葉以上に!)言葉を書き連ねることしかできず、ときには電波のレッテルを貼られて無視されかねないので注意。
726 :
蝙蝠ちゃん出没中 ◆MinorKeyQs :2011/09/21(水) 19:35:58.68 P
カントは物理学の論文もあるんだよな
哲学者が哲学だけやってればいい時代じゃなかった
>>640 信じる対象を変えることに留まらないんじゃないですかね。
信じるに足るものが無い事に気付く事、それがニヒリズムだと思います。
>>728 それ多分逆、カント以前の哲学者は、大抵なにかの専門家かその手の分野にそれなりに詳しい人だった。
でもカント以降は、哲学者になるには、哲学について詳しくなきゃいけない時代になったってこと。
(ここの「哲学」って、「哲学史」のことね)
そう言われると今の時代って純然とした哲学の領域って哲学史しかないよね。
倫理学や美学すら脳科学や行動経済学に侵食されつつあるし。
神がいないのであれば、どんな神聖な儀式をすればよいのか。
例えば物理の法則を信じる場合、法則性は普遍性を持つ…つまりは『絶対』という神聖性を有しているわけです。
もしもその神聖さが無くなってしまえば…法則が明日にでも変わってしまうとしたら、我々はどんな風に法則を信じれば良いのか。
別に、法則を信じてるんじゃなくて、現象を法則を使って理解してるだけだから
理性の不安を解消すると言う意味で、神を信じる事も物理法則を信じることも
本質的には、同じだよ
神も科学も一般人を救済こそすれ哲学者は救済しない
哲学者を救済するのは自我の分裂による循環的相互的な自己定義だけ
哲学者は、人を救済しない。それは、神父や牧師、坊主や科学者が人を救済しない事と同じである。
人を救済する事ができるのは、神であり哲学であり科学である。救われるのはまず、何かを信じなくてはならない。
736 :
[―{}@{}@{}-] 蝙蝠ちゃん出没中 ◆MinorKeyQs :2011/09/21(水) 22:09:59.26 P
>>729 代わりに信じるものをみつけているならニヒリズムでは無いでしょ
それが大地だろうが自然だろうが自分自身だろうがさ
>>736 自分自身の何を信じるのか、というのが問題ですね。
それが出来ないから、人は神を必要としたわけです。
人は、自分自身が信用出来ないと直感します。それで他者の意見
つまり客観性を必要とするのです。その客観性が、信用できなくなった時。それが問題です
自分自身が信じられないから、信じられる何かを外界に求めるのです。
それは法則だったり、知識だったり、神であったりします。
客観に価値を持たせ、主観から価値を奪います。その根本を崩された時、人は虚無と直面します。
虚無すら懐疑するなら虚無は懐疑で満たされるため虚無ではなくなる。
そして懐疑すら懐疑するなら、そこには懐疑すら成立しえないもの、すなわち虚無が現れる。
そしてここに立ち戻る。
「我思う故に我在り」
思っていることは懐疑できないのだ。だから主観が出発点なのだと。
ニーチェってアマチュア臭さがうけるのかな。
742 :
なごやん ◆DDDDDDDDhA :2011/09/21(水) 22:52:12.31 0
>>737 信じようとすること自体が無への信仰なんじゃないのか。それはただ示される。
それはただある。それが本来の神だよ。
743 :
なごやん ◆DDDDDDDDhA :2011/09/21(水) 22:55:01.89 0
ニーチェは神は死んでいるといったが、しかし神はよみがえった。神は近代
社会に殺されたが、前近代の神がそのまま戻ってきたのである。その神は
ニヒリズムが一切取り払われた真の神であり、自力で回る車輪であり、
日常の風景それ自体が光源であり、円環的な時間軸を持った永劫回帰である。
しかしこの様な神の復活は口にしてはいけないことなのではないか。少なく
とも今日的な社会における意義においてニーチェを捉えることを考えれば、
逆にその意義を越えることになるだろう。しかし言わなければならない。
何故ならニーチェ思想それ自体は危うさを持っているが、その中の合理的な
部分を利用すればよいのだから。
ではニーチェ思想とはなんなのであろうか?ゲゼルシャフト関係にある
現代人にとっての超人とは?永劫回帰とは?そしてその危うさとは?
746 :
蝙蝠ちゃん出没中 ◆MinorKeyQs :2011/09/22(木) 02:39:20.80 P
わたしは自分を信じていますけどね
あまり外では言いませんが
747 :
蝙蝠ちゃん出没中 ◆MinorKeyQs :2011/09/22(木) 02:40:47.59 P
法則も知識も
所詮道具でしかありませんよ
catt ◆.catt24qAw
お前コテつける必要性ないだろ
神様は再生して復活するよねー!?♪。
750 :
なごやん ◆DDDDDDDDhA :2011/09/22(木) 04:50:39.34 0
宗教共同体とは異なる神を冠して存在するものであり、己の神を信じて
時には争う。この様な宗教の神と自己神は同様の論理構造をしている。
一方で共同体に掲げられ、他方では個人に掲げられているだけである。
この様な異なる神を冠する者同士は、必ずしも争うわけではないが社会の
価値を逸脱する可能性を常に孕んでいる。既存の宗教が社会的になんら
非難されること無く存在しているのは、歴史的に折り合いを付けて社会に
適応するような変化をしてきたからにほかならない。
それゆえに新興宗教は二つの意味で危険である。一方で歴史が無いこと、
他方で教祖が生存しているからだ。一方では歴史的に折り合いを付けて
いないので社会との両立する為の適応力に欠いていること。他方では
聖典より教祖が優先されるので適応の枠組みを教祖の一存で逸脱しうる
からである。
「諸君はそれを神の自己解体と呼ぶ。だがそれは神の脱皮に過ぎない――神が自らの道徳的な皮膚を脱ぐ!
そして諸君はやがて再び神と出逢うだろう、善悪の彼岸において」(ニーチェ)。
「強度」が、単に個々人の感情の強度として理解されている印象があるのが気に懸かる。
強度は、より小さな強度を巻き込み、内包していることが重要なのでは?
白光は自らの下の明るさの強度、多彩な色を内包しているが、超人とはこの白光のようなもの。
「この新たな言説の主体は――といっても主体はもはや存在しないが――人間或いは神ではなく、
ましてや神に代わる人間でもない。それは個体化の素材や、個性の形式と無関係に、人間・植物・動物を経巡る、
自由で無名で遊牧的な特異性である。超人とは、存在する全てのものの高度のタイプに他ならない」(『意味の論理学』)
「己以外の全ての差異を横断して自らを欲すること、或いは己自身に再会すること、これこそ其々の差異の仕事である」(『差異と反復』)
単なる熱狂や信心で社会的な規範から逸脱しているだけなら、超人というより、
「覚せい剤やめますか?それとも人間やめますか?」という意味で人間をやめている程度の話。
三島憲一という、まぁ多分大した人じゃないんだけど、彼によればニーチェは「ポスト・モダン思想」に悪用されていて、
「支離滅裂な言説を八つ当たり的に繰り返し、その支離滅裂さを意味の解体の題目のもとに
それなりに筋を通して擁護するというグロテスクなことになっている」わけだが、「ポスト・モダン思想」そのものより、
それにヘンな形で触発されてその観点からニーチェを解釈する言説にそういう傾向があるとは言える。
>「己以外の全ての差異を横断して自らを欲すること、或いは己自身に再会すること、これこそ其々の差異の仕事である」
>(『差異と反復』)
脱構築っぽいなー
能動的ニヒリズム にひにひっ!
確かにナハナハにはニヒリズムを感じる
755 :
なごやん ◆DDDDDDDDhA :2011/09/22(木) 14:22:29.15 0
では以上を踏まえてニーチェ思想とは何か。これは宗教共同体を島宇宙
的に散在させることではないか。個々人は全てが永劫回帰にあり、全てが
個別的に捏造された神ではなくあの人類を何万年も存続させてきた全知
全能の神であり、神は来訪しまた同時的でそして円環的時間軸であり
永遠の福祉が約束されている。
確かに異なる神を戴く者同士の戦いが始まる可能性を常に孕むが、
それは果たしてその個人において重要であろうか。殺し合いという
のは客観的な物言いであって、宗教を既に持つ個々人にとっては戦い
はけして回避する理由にはならない。それどころか全ては殉教に繋がる
態度でしかないのだ。
全ては神のメッセージを元に彼らは無限の歓喜の中、外部からの
ダメージは全て神が吸収するがゆえに本人はなんら傷つくことはない。
不安も恐怖も絶望も解消された中で永遠に生きる。夢ではなく現実に
足をつけ日常はそのまま光源となって受け取り直す。これが超人だ。
756 :
なごやん ◆DDDDDDDDhA :2011/09/22(木) 14:23:58.89 0
万人向けの道など存在しない、だから自らの道を行くのだ。その様な
超人を生み出すのに必要なのは徹底的な没落である。科学に基づいた
没落の中で人は防衛本能によってあの神を捉える。
共生条件を考慮して何が超人だろう。そもそも言語を使わない超人に
社会的価値はニヒリズムという無でしかない。強者は言葉を使わない。
あるのは神がただそこにあるだけである。そして一般的なものの見方
には意味が無い。あるのは全て個人の観点である。その観点が全てで
ありそれ以外の何があるというのか。
超人は無垢である。ここに生老病死の苦悩などどこに存在すると
いうのか。子供は例えば笑顔で虫を殺すだろう。しかしこのような
思想は語るべき種類のことなのだろうか。それは皆さん自身で考えて
いただきたい。では私は去ろう、友人に会いにあのバイロイトへ!
>外部からのダメージは全て神が吸収するがゆえに
罪(都合の悪い事)は全部
「神が自分を他の人間より上位におかれた、
つまり愛されたからこそ神に与えられた試練」
ってことだろ。単なるキリストて教的ルサンチマンじゃないか。
教会に集結するかわりに、個人が自宅で自作の名も無き宗教によって
実世界に復讐するのが貴方の宗教か?
なごやんは悪魔の思想じゃ! あ、くまーんの思想じゃ!
たまにこのスレでニーチェと仏教の関係についての話が出てたけど、
輪廻転生の、無数の種類の生を経て悟りへ向かう(
>>751「人間・植物・動物を経巡る」)というのは、
様々な下位の強度=差異を自らの高みの内に巻き込んでいく運動だと解釈もできる。
「それぞれの生は、過ぎ去る現在であり、他の生を他の水準で繰り返す生である。まるで、哲学者と豚が、
また犯罪者と聖者が、ひとつの巨大な[記憶の]円錐の互いに異なる諸水準において、同じ過去を営むかのように。
それこそまさに、輪廻と呼ばれているものである」(『差異と反復』p.138)
すると仏陀(覚醒者)はニーチェの超人と同じかというと、やはり永劫回帰と輪廻は異なる。
永劫回帰は、肉体としての生の反復であって、そこから離れて魂が生を繰り返し営む輪廻思想とは相容れない。
故に畜群は、より高等な人間にとっての手段、奴隷として位置づけられる。一切衆生の仏教思想とは異質。
そもそもニーチェにとって仏教は、欲望や感情の(つまりは力への意志の)沈静化によって安らぎを得る、
一種の健康法、穏やかなデカダンだった。煩悩即菩提といった思想を知っていれば、少しは解釈や評価が違ったのかも。
神は死んだ何て有り得ない!?♪。
より低い力を自らの内に巻き込む力(生の多様性の内包・縮約)、という概念を抜きにニーチェを解釈してしまうと、
単に熱に浮かされただけの個人を超人視したり、
或いは社会的な支配被支配の思想として捉えてしまう。この後者の解釈では以下のような話になってしまうわけだけど、
この人が今頃なごやん先生に啓蒙されてニーチェ観を更新し、素直に金玉揉んでないか心配だよ。
212: 考える名無しさん 2011/05/24(火) 20:44:54.84 0 [sage]
また言わせてもらうと、ニーチェは資本主義的搾取を完全に肯定するね。以下にこうあ
る。で、資本主義的搾取に反対する者は世人で、下らぬ存在と断じている。まあ、何でそう
いうことになったかも想像はつく。しかし、にしても、これこそ現代文明に無意識に同化
してしまった好例ではないかね。
《今日いたるところで世人は、科学的な仮説をこらしてまで、〈搾取的性格〉が廃絶されるは
ずの来るべき社会状態について夢中で論じあっている。ーそれは私の耳には、あらゆる
有機的機能を営まなくなってしまった一個の生命の発明を約束するもののように聞こえ
る。〈搾取〉というものは、頽廃した社会とか不完全な原始的社会とかに属する現象なので
はない。それは有機的根本機能として、生あるものの本質に属するものなのだ。》(『善悪の
彼岸』259番)
芸術としての力への意志はいいけど、明らかに抑圧や搾取を称え、その必要性と、捩じ伏
せること、圧伏させることの必要性を説いているだろう。単なる生命力の発露ではない。
(引用続き)
こう書いている。
《生そのものは本質において他者や弱者を我が物にすること、侵害すること、圧服するこ
とであり、抑圧すること、厳酷なることであり、己の形式を他に押し付けること、摂取同
化することであり、少なくともーごく穏やかに言っても搾取することである。》(同259番
)
この場合、〈生命力の高揚=他者の抑圧、搾取〉という考えで書いてる。それはまあ面白い
が、こういう考え方はまさに現代的な権力指向と変わらないだろう。変わらない、で何が
悪い?なら分かるが、いいや、ニーチェの意図は別にある。というのかね。
まあ、かつての三島由紀夫が、「強さが貶められている」と時代批判をしたことを思えば
判らんこともないが。それにしても、現代的な権力指向と瓜二つで、どうみても、現代的
な文明を予告したと見えるね。上のは芸術は関係ないだろ。
彼はこう言った。
「ここに司祭たちがいる。かれらは我が敵である。しかわあれど、なんじらは
かれらの傍らを行くには、静かに、また眠る剣をもて過りゆけよ!」
私はこう言った。
「何を食っても不味そうな吾人がいる。かれらに何を問うても無駄だ。
傍らをやはり同じく過りゆけよ!」
もう完全な言葉遊びスレだな
フ、無論分かる人しか分かるまい。
「ツァラトゥストラ」の副題は、「だれでも読めるが、だれにも読めない書物」
宗教も哲学もまともに知らない連中の繰り言で埋め尽くされてるのは最初からだろ。
まともに知ってる連中だけがいれば、書き込みは
ない。
なごやん‥
「島宇宙」うんぬんて、なんか発想が宇野常寛の決断主義論のパクリ臭い。
やっぱ宮台系の発想だという見方は妥当だったのかもね。
結局ニーチェはルサンチマンの復讐に利用されるばかりだ。
○×を知らない一般人は下、知ってる俺は上と言いたい下心が丸見え。
新種の知の階級序列を捏造するニーチェ・マルクスは危険思想の極み。
神は死んだのかなー!?♪。
フランシス・フクヤマ:
ニーチェは完全敗北した
復活・再評価のチャンスもない
ニーチェのニヒリズムをちゃんと解説しているページない?
774 :
考える名無しさん:2011/09/23(金) 12:22:12.98 0
>>772 フクヤマがそんなこといったの? 出典を明記してもらえると
助かるなあ。
仮にそんなことフクヤマがいってたとしても、あとで取り消す可能性が
あるなあ。 フクヤマは最初はイラク戦争支持の立場だったが、戦争の
後、立場を変えて反対の立場にうつったそうだし。
>>742 正直、あなたが何を考えているのかは理解できません。その上で言いますが、違うと思います。
生とは搾取です。闘争です。それを喜ぶのが当然であるなら、それを嫌うのも当然です。
生を否定したくないから美化するのも違うし、生を肯定したいから搾取を是認するのも違います。
答えは常に変化するし、心はいつも試されているのです
777 :
考える名無しさん:2011/09/23(金) 15:12:05.57 0
新・現代思想講義 ナショナリズムは悪なのか
(NHK出版新書 361) [新書]
萱野 稔人
内容紹介
危機の時代を現代思想で読み解く、
俊英が満を持して放つ挑発的論考!
今、なぜナショナリズムを考察するべきなのか? 格差・貧困問題から
経済復興までの喫緊の課題は、「国家」「民族」などのナショナルな意
識に訴えかけることなくしては、もはや解決しえない。ナショナリズム
を否定するだけの従来の議論を徹底的に批判し、ドゥルーズ=ガタリや
フーコーなど現代思想のキーテキストを読み解きながら、ナショナリズ
ムの社会的・政治的な可能性を考える。
新書: 224ページ
出版社: NHK出版 (2011/10/6)
彼の中では精神病院のことをバイロイトと呼んでいるのかね。
延々と言論をコネコネしても脳内革命が起きるだけなのら
神は死んだんじゃない上位領域に行ったんだ!?♪。
かある・まあくす:
哲学者は妄想しているだけだ
重要なのは現実を変えることだ
まるちん・はいでが:
お前の発言には何の根拠もない
たぷーり妄想することが現実を変えることもなるのだ
>>776 その闘争とか搾取ってのがニーチェのいう大いなる政治において重要になるんだが、
彼は権力意志の政治的な含意(世間的ないわゆる政治性とは別とはいえ)なんか完全無視して、
バカとキチガイの奨励をしていただけなんだから、その疑問には一言も答えられないと思うよ。
783 :
考える名無しさん:2011/09/24(土) 19:47:57.55 0
とバカな基地外が力説しています。
公務員に貢ぐコースでもなく教育に貢ぐコースでもないとすると
キャバクラに貢ぐコースになるわけだが…?
785 :
[―{}@{}@{}-] 蝙蝠ちゃん出没中 ◆MinorKeyQs :2011/09/24(土) 20:31:45.55 P
「搾取」という言葉をどう解釈するかの問題だと思うな
786 :
蝙蝠ちゃん出没中 ◆MinorKeyQs :2011/09/24(土) 20:56:26.25 P
>>769 『数式を使わない物理学入門』を読んでたら島宇宙って出て来たよ
銀河系みたいな星雲を差してそう呼ぶらしい
それを哲学でどう比喩的に使っているのかは知らないけど
787 :
考える名無しさん:2011/09/24(土) 23:08:16.05 O
いい加減、超訳ニーチェとかいうの片付けてくれ。
100万部売ったならもういいだろ。
788 :
蝙蝠ちゃん出没中 ◆MinorKeyQs :2011/09/24(土) 23:23:51.31 P
>>787 最近、「超訳」とは何なのかと考えるようになりました
売れるように改竄することかもな。
γ ⌒ ⌒ `ヘ
r―-ー-、 イ "" ⌒ ヾ ヾ
| / (-=い=- i、 -=い=-ヽ)ヽー一 ー- 、
| \( / ー-' ヽ. ヾ ) / ニーチュ?
. ! ヽゞ (. ::.| ト‐=‐ァ' |.:.ノ.ノ-、_/ /
',. `、ゝ、、ゝ .\`二´'/ ノソ / /
'、 ヽ 个:.ゝ、、ゝノ ,, ノ ノ_/ / /
`、 フ `T - イノ ´′ ′ /
`、 ヽ ′/ / /
ヽ \ ` ー ′ ' /
. \ , {
i  ̄` ′ !
', , i
ヽ } ハ
\ ′` \
\ 、 ′ `ー- 、
ヽ、 ! ヽ
\ ヽ ',
>、 / |
ノ 、 r、 三 η |
/ 〃ヽヽ //ヾヽ |
/ ⊂ニ;ミシミッニ⊃ !
/ ヾヽ// ヽヽ〃 l
./ ι' 三 ヽ) |
791 :
考える名無しさん:2011/09/25(日) 02:18:46.00 0
ニーチェを学び始めた大学一年生の者です。
今、「ツァラトゥストラ」を読んでいるのですが、誰かご教授いただけたら助かります。
私の理解を示しますので、それについてツッコミなりなんなりいれて欲しいです。
「大地」について
大地とは現実的なものであり、我々が本来的に立っているものである。
しかし形而上学などの「背後世界論者」は神をつくりだし、個人の体験・妄想を全体化することにより
自分自身が本来感じる苦悩から、目をそむけ現実逃避を行っている。
神は実は人間がつくりだしたものである。大地の上にある不健康な身体が、神をつくり、
苦悩をごまかす。
神と自分の関係において、人は自分の失わせることを良しとする。らくだの精神のように、
神に畏敬を持つ。
しかしツァラトゥストラは違う。彼もニーチェもかつて背後世界におちいったが、
大地に足がついていることを自覚する。
ってこんな感じの理解なんですが。
つっこみがあったらいれてくだしあ。
超人ってのは「大地」上に立って、はじめて目指せるものなんですよね?
>>761 さあ?
ところで二チェー関係ないかもしれんが
宗教学で天空(空想)の神は男性を、大地(現実)の神は女性を表すけど
ならば現代は無神論が天空神潰して女神崇拝の時代になったんじゃないか?
だとすればディオニュソスよりアルテミス(蜂の思想)が成功しそうだ。
>>791 フフ、ツッコミ所があるかどうか分からん。所詮俺はにわかだからな
>ニーチェが否定したのは「人知を超えた存在」ではなくて、「あの世」です。
このレスは参考になりますね。独我論的に考えると、あの世とは
自分の外の世界では無いかと思います。全てが解釈であるなら、客観もまた解釈なのでしょう
神は死んだ訳がないですよねー!?♪。
>>793 >「人知を超えた存在」
あの世も人知を超えた存在ですよ、主観的な形而上でしか存在できないってこと。
人知では計れない領域が何かすら考えたことがないのでしょうか?
それとも人知では計れないものを計れるとでも思ったんでしょうか。
ニーチェには人知を超えたそれを知りえたってことか?
東映撮影所じゃないんだよ?
目は、耳は、鼻などは、などなりの解釈をしております。
他人と比べるなってw ネット一ページ目からおまえを見下すブログが載ってるじゃんwwwwww
>>791 キンタマもみもみしてごらん
理屈ではなく感じるのだよ
800 :
蝙蝠ちゃん出没中 ◆MinorKeyQs :2011/09/25(日) 19:23:37.25 P
>>787 そうこうするうちに、
『超訳 君主論』なんつものまでが・・・
永劫回帰なんてあの世とか言うファンタジー持ち出してまで
現実に言い訳するなよって意味合いでの例え話でしかない
ニーチェは言葉の不自由さをよく理解していたから
ツァラツストラのような表現にしたわけだ
哲学に厳密さを求めるような時代はとうに終わっているぞ
曖昧な人間の心象を想像力でもって捉えようとする過程にこそ意味がある
哲学書なんぞ捨てて岡本太郎とかドラッカーでも読めよ
たどり着けはしない完全に向かう過程、今を謳歌しろとニーチェは願う
「人生、楽しめ」
ってことね…
ドラッカーとマルクスって似てると思った。
一応ウヨサヨで立場は逆だけど
硬直化するな、立場の切り分け、
組織論と状況の飛躍(イノベーション)、
身もふたもない言い方でバッサリ切るところとか。
後者は衒学というか失敗作だから暗号解読になるとこが嫌だが
キン玉もみもみはなんかに似てるとずっと思ってたんだが、川上未映子の小説『ヘヴン』に出てくるコジマだな。
汚いからといじめられている彼女は、いじめる側こそ弱い存在なのであり、自分の受けるいじめは神からの試練か何かだと解釈する。
つまり僧侶だな。最後は宗教的な感じでアッチの世界に行っちゃうし。彼女と仲よくなる主人公もオナニーしてるし。
対して、いじめ側の百瀬ってのは、他人の痛みは自分とは関係ないっていう独我論で。ニーチェ解釈って、大抵このどっちかに分かれるな。
>>801 ところで「永劫回帰」というのはニーチェの発明ではないよ。
>>806 ニーチェの前にロシア文学筋で既出だったらしい。
>>807 ・・・・なんだかはっきりしない話ですね
>>808 ものの本によるとロシアの哲学者ストラコフが思いついてドストエフスキーと
永劫回帰で盛り上がって、その著作をニーチェがむさぼり読んだよあるな。w
「神は死んだ」って初出は具体的にどの本ですか?
>>809 記憶が定かじゃないんで確言はできないが、
カラマーゾフの兄弟で、わぉこれって永劫回帰のことじゃないか
っていう箇所やセリフがあった気がする。
813 :
考える名無しさん:2011/09/26(月) 08:43:04.29 0
ドンフライ
フレディ・マーキュリー
815 :
[―{}@{}@{}-] 蝙蝠ちゃん出没中 ◆MinorKeyQs :2011/09/26(月) 16:06:14.16 P
まだ永劫回帰まで読んでないというのに、
はやくもカラマーゾフ読み直しの予感・・・
ドストエフスキーなら、『悪霊』に、永劫回帰的な恍惚的肯定感を語る台詞がある。
新潮文庫の下巻395ページ。この感覚に耐えるには肉体的に変化するか死ぬしかない、と。
永劫回帰説は、デューリングが『厳密な科学的世界観と生命形成論としての哲学教程』で否定的に言及したのを、
むしろそれこそが世界の実相だとして取り入れた形っぽい。この本の邦訳がないのが辛いが、
『反デューリング論』を書いたエンゲルスの『自然弁証法』序論末尾にも永劫回帰ふうな説が出てくる。
永劫回帰説はトンデモ説じゃないかなぁ。今この瞬間と全く同じ時空は二度と繰り返されることは無いと思う。
>>816 >ドストエフスキー『悪霊』新潮文庫の下巻395ページ
文字がでかくなる前の文庫ですか?今文字デカ後のをチラッと読みましたが、どこかわからんかった…
―――
創造主こと神さんは存在しない。だけど、宇宙空間のどっかの☆に人間より知能も身体も発達した生命体は居るかもしれないね。
ある牧師さんは「蟻が象を認知できない様に、人間も神を認識して知ることができない」
と自分が蟻になったことがあるかの様なことを言ってたけど、象が蟻を操作しない様に、神も人間を操作してないんだろうなw
時空の起原はナゾナゾだけど、時空でのあらゆる現象は素粒子から始まった物体が原因か。人類史も性交から死までの歴史か。
彼は知能が発達し過ぎた為に、こんなにも…。下界では理知的な人間達でありながら動物的な茶番の数々…だと。
ほんとは言語や概念や認識よりも、最近は専ら「神経」とやらに興味がある。
人間の存在も五感も健康もすべて「神経アリキ」なんじゃまいか。今我輩の心身が超不快なのも自律神経失調症が原因なう。
>>817 あー、文字が大きくなってたんだなそういえば。なる前の本ですよ。
第三部第五章「旅の女」の第5節。
永劫回帰説についてはボルヘスが『永遠の歴史』で、数学的にツッコミ入れてたような。
ネットワークの空間って4次元?宇宙?
超訳性書 ―創2ch記―
初めに人類はネットワークを創造された。
意識は混沌であって、通信が空間の中にあり、言論が人々の間で動いていた。
ひろゆき「2chあれ」
こうして、2ちゃんねるがあった。
ひろゆきは2chを見て、良しとされた。ひろゆきは板とスレを分け、……
822 :
[―{}@{}@{}-] 蝙蝠ちゃん出没中 ◆MinorKeyQs :2011/09/27(火) 02:06:34.24 P
>>819 病気になったステパン先生の台詞ですか?
『悪霊』はラストの人死にラッシュが半端じゃないからなあ
823 :
[―{}@{}@{}-] 蝙蝠ちゃん出没中 ◆MinorKeyQs :2011/09/27(火) 02:43:02.85 P
う〜ん
当時の感想を読むと、
『白痴』『悪霊』が永劫回帰への欲望増幅で、
『カラマーゾフ』でドストなりの永劫回帰を完成させた
と解していたようだ
まだニーチェの永劫回帰がどんなものがわからないから断定はできないけど
>>751 >「強度」が、単に個々人の感情の強度として理解されている印象があるのが気に懸かる。
ニーチェが重視する「強さ」とは、どのような強さなのだろうか・・・
それについてニーチェがわりとはっきり書いている断片が、次の断片だと思う。
「どこまで事物のうちに意味なしでいられるか、どこまで無意味な世界のうちで
生き耐えられるかが、意志力の測定器である」(『力への意志』585)。
「弱者」は、「この世」における苦しみの無意味さに耐える力がなかったから、
「あの世」を考え出し、そしてそれによって「この世」の苦しみに意味を与えた。
(「罰」としての苦しみ、そして「贖罪」による苦からの解放、などという意味。)
そのように、キリスト教的な二世界説が生まれた根本理由として、
《無意味さ(ニヒリズム)に耐える力》の欠乏がある、
と、ニーチェは見ているのだと思う。
>>759 >仏陀(覚醒者)はニーチェの超人と同じかというと、やはり永劫回帰と輪廻は異なる。
ここで書かれている「仏教」は、ニーチェ(またはドゥルーズ)が見た「仏教」なのか、
それとも、ニーチェやドゥルーズを離れた「仏教そのもの(と考えられるもの)」なのか・・・
そこを曖昧にしてしまうと、話が混乱します。
ニーチェの思想と仏教思想の類似性を指摘する意見の場合は、たいてい後者であり(特に大乗仏教)、
そして一般に、大乗仏教の根本思想とされているのは、「縁起」と「空」です。
(「輪廻」が仏教思想の根本になっているかどうかは、疑問・・・)
>>805 >ところで「永劫回帰」というのはニーチェの発明ではないよ。
西洋でも、古代ギリシャから輪廻のような思想はあったし、時間を円環として見ること自体は珍しくはないです。
ニーチェの永劫回帰思想は、キリスト教批判としての意味が大きいと思う。
キリスト教の「直線」としての時間には「終わり」がある。
「この世」に終わりがあるということ(そしてその先には「別の世界」があり得るということ)、
そのような終末論への批判としての意味が大きいと思います。
ニーチェにとっては、あるのは「この世」だけなのであって、「別の世界」は存在しない。
そのように、キリスト教的な有限一直線の時間に対抗するものとして永劫回帰を見ると、分かりやすいと思う。
「一切は生成し、永遠に回帰する。逃れることは不可能である」(遺稿24[7])。
そのような考え方においては、「永劫回帰を欲すること」=「一切肯定(運命愛)」であり、
それを欲することができるのが、「超人」であることになります。
827 :
考える名無しさん:2011/09/27(火) 14:31:27.75 O
ドゥルーズは永劫回帰を古代からあったものと混合するのは駄目だと言ってるよね
ニーチェが昔からあるものをかつてない思想と言うはずはないと
>>824 単にニヒリズムに耐える気力を「強さ」と解釈するだけじゃ、個人的な意志や感情の強さの粋を出ないな。
ニーチェ自身も、「どれだけの真理に耐えうるか」「矛盾しさえするような多様な人間の特性を有しうるか」に強者の条件を求めていた。
ただ生きる気力だけではなくて、それぞれの存在・事物そのものが一個の視点である世界の実相そのものを抱え込む「強さ」でなければ、
既存の神に代わって世界を肯定する超人とは呼べないだろう。
永劫回帰を受け入れて生活を肯定して超人に為るよねー。
>>826 ただ、ニーチェの言う「死んだ神」はキリストではないよね。
ツァラではギリシャ神話の神々とかも死んでしまったと言っていたな
笑い死に
そうそう。いわば「主」亡き後をどうすんの、というニヒリズム。
>>830 いや、「神は人々への同情から十字架にかけられて死んだのだ」って、
道徳的な神は世界を肯定できないから死ぬということを言ってたんじゃないか。
>>833 それは道徳に反する罪で殺されたキリストの事じゃなかったろう。
ツァラではキリストは端役。
>>828 個人的な意志や感情以外無いでしょう。
それ以上の偉大なものを求める心が、ニーチェの批判する所じゃないでしょうか
>>834 誰も道徳がどうとか言ってないと思うんだが。別にツァラだけを参照する必要もないし。
道徳に反する罪って、あくまでも当時の道徳でしょ。法に従わないイエスの姿勢はニーチェも評価していた。
同情を克服できないなら、こんな善悪美醜とかかわりなく展開し回帰する世界に耐えられずに死んでしまう。
>>835 高い知性も感受性の幅も持たない愚鈍な人間でも、個人的な強い感情に駆られることはある。
様々なものを感じ思考し、多様な人間の欲望の要約であるような人間が、或る創造的な意志に目覚めるのがニーチェの望みだろう。
その個人の感情が、世界そのものをより包括的に内包するという点に意義がある。
>>828 私への反論のような形になっていますが、反論になっているんだろうか・・・
私が書いたのは、「強さ」にもいろんな「強さ」があるということ、
そしてニーチェが最も重視した「強さ」は、《無意味さ(ニヒリズム)に耐える力》であろう、ということでした。
しかし貴方はこれを「生きる気力」と言い換えてしまっている・・・
そもそもそこに誤解があると思われます。
《無意味さ(ニヒリズム)に耐える力》ということを、貴方はどのように理解していますか?
838 :
考える名無しさん:2011/09/28(水) 13:37:27.05 0
ただ人生の無意味さの意味するところ自体、ヤソ教の人とそれ以外の宗教・無宗教の人とは違う。
ヤソ教の人にとっての人生の意味=昇天、来世・死後の幸福だから、
超人とは狭義には死後昇天するとかしないとか関係ねーみたいな人のことでは。
「天」は存在しないんだから「昇天」もないに決まってるんだが。
神なき時代のニヒリズム、無意味さに如何に耐えるか、について、
ニーチェ自身は「創造を行ないながら」耐えるのだと言っている。
神といった超越者も、社会の規範も価値の根拠となり得ないのだから、
おのれ自身がこの生を自らの作品として肯定するしかないわけだ。
つまり「反形而上学的世界考察――然り。だが、芸術的世界考察」。
この創造、それに伴う自己超克が無ければ、自らの生に満足している末人ということになる。
カミュみたいに、不条理な一度限りの生を慈しみ、支える、といった姿勢はニーチェとは少しずれている。
「爆弾を仕掛けたバスに母が乗っていたら?」という話を持ち出して革命思想やテロを否定するカミュは、
力への意志よりも生そのものを尊重しているといった印象。
別にニーチェが革命思想だとかいうわけじゃないが、それ以前の価値観として、ね。
ニーチェは革命も醒めた目で見ていたな
倒されたほうがかえって価値が上がるって
>>836 人間を「愚鈍」と「価値あるもの」に分けるものは、あなたの中にしかありません。
当然、他の人は賛同しません。何故なら、それはあなただけの物だからです。
その判断の無意味さに気付いた上で、愚鈍と価値について叫ぶことに意義があるのでしょう。
843 :
考える名無しさん:2011/09/29(木) 11:57:18.44 0
>>842 まぁ別に、2ちゃんのレス程度で俺のことをどう思おうとそちらの自由なんだけど、
「他の人の賛同」なんてものを求める姿勢そのものが非ニーチェ的なんじゃないの、とは言っておくわ。
ニーチェがいう貴族は、他人に肯定されるまでもなく自らを肯定するし、
むしろ他人からは容易に理解されない境地に達していることの自覚、「距離のパトス」が当然のこととして伴うともされている。
なにも、俺はニーチェ的貴族です、とか言うつもりじゃないけど。
あと、ニーチェは単に独我論的な「世界は俺の自我・意識としてしか存在しない」風の論理じゃなくて、
却って、世界の無数の自我・意識をもって俺という存在となす、という、包括的な存在たらんとする論理。
そういう意識も含めてやっぱ独我論の範疇だろ、というのは、確かに概念的にはそうだが、
論理で同等化できない具体的な質の差異の方を重視するニーチェの哲学にあっては、概念的な十把一絡げは拒絶されているわけで。
>>842 もうちょっと簡単に言うと、「人間を「愚鈍」と「価値あるもの」に分けるもの」は、
俺の中のものと同じではなかったろうけど、ニーチェの中にもあったんだよ。
そもそも、そうでなきゃ人間を高級・低級に分けるって思想自体が湧いてくるわけがない。
>>845 その通りですね。そして、そのニーチェの考え方も、傍から見れば狂気じみた行動だったわけです。
包括的という所が、間違っていると思います。
>世界の無数の自我・意識をもって俺という存在となす
というよりは、世界の無数の自我・意識はさほど特別な物では無く、つまり神聖性が無く、
どこにでもある石のようなものだと言う事ではないでしょうかね。我々がそこらの石なら、違いなど考える必要も無いわけで
世界に特別なものは無いのだとすれば、逆に、
そこらの石ころだって世界を構成しているという意味では神聖だとも言える。
ニーチェの言動を、狂気じみているとか間違っているとかいうのも、
それはそれで各々の力の量に応じた価値判断なわけで、
その意味ではどこまでいってもニーチェの構図から出ていないとも言える。
本当に人間が神のように包括的になりえるわけもないが、存在しない神を崇めるわけにもいかないんなら、
ちょっとでも超人間的な境地を目指して克己に励むのもいいんじゃないの。
「かつて自らを神々の領域へ高めようと試みなかった人間は――人間以下の存在である」(ポール・ヴァレリー)
848 :
考える名無しさん:2011/09/30(金) 01:51:45.07 0
創造とは物語創出であり近代的自我をベースに行われる。
そうした無に立脚した主体的選択は非選択も選択肢であらざるをえない。
そこで空間接続は身体性をベースにせざるを得ない。
すなわち《自らの意志を意志する。世界を消失していた者は自らの世界を獲得する》
だが接続過程においた自立接続が無に立脚する以上は、
近代的自我は峻拒されるものではなく、
まさに自立的接続過程において過渡的に運用されるものである。
すなわち《ニヒリズムからによってのみ到来することのできる運動である》
コミットメント対象の相対的空間の絶対化は、
依存度の漸増的に重篤化する致命的到達点に達成することによってでしかない。
すなわち《生は自らを犠牲にする・・・力の為に!》
849 :
考える名無しさん:2011/09/30(金) 01:53:19.31 0
近代的自我によって新たに解釈されたという形式によって、
すなわち《自らは何も産み出さないとしても、既存のものの解釈者としては不断に創造している》
身体性のベースの絶対的に切実性のある物語空間に収斂される。
すなわち《人間の持つ偉大さを表す私の定式は、運命愛である。即ち、人間は何事も別様に持つことを意志せぬこと》
個別化した絶対空間に完結して形式的な近代的自我が昂揚感と共に生きる。
すなわち《ひとつの自力で回転する車輪。ひとつの第一運動。ひとつの聖なる肯定である》
こうして完全に書き換えられて嘔吐することから解放される。
すなわち《父を失ったものは自ら父となる。神を失ったものは自ら神となる》
2chで唐突に論文調の文章を綴って悦に入ってる人たちってホント、何なの?
漢字を繋いで概念的思考っぽい字面な割には大したことを書いていない、演出過多な文章・・・
>>845 >もうちょっと簡単に言うと、「人間を「愚鈍」と「価値あるもの」に分けるもの」は、
>俺の中のものと同じではなかったろうけど、ニーチェの中にもあったんだよ。
>そもそも、そうでなきゃ人間を高級・低級に分けるって思想自体が湧いてくるわけがない。
ニーチェがあれほど「強者」と「弱者」の差異を強調している点については、違和感を覚える人が多いと思います。
特に「位階秩序」などは、ニーチェ研究書でも、全く触れていないものが結構多いですね。
ニーチェの「強者」「弱者」の思想は、キリスト教の平等思想へのアンチテーゼとして読むと、わかりやすいと思います。
キリスト教の「禁欲」主義は、生命における強さが、強さとして現れることを抑え込み(ニーチェはこれを比喩的に
「去勢」と言うが…)、それによって、生命の強さと弱さの差異を隠蔽しようとしてきた、とニーチェは見ています。
そしてその隠蔽は、「神の前での平等」という思想によって完成されます。
ニーチェはこの「神の前での平等」という思想が、キリスト教の中でも「最も有害なもの」であるとしています。
そのような隠蔽工作への批判として読むと、ニーチェが「強さ」と「弱さ」の差異を強調していることが分かりやすくなる。
つまりニーチェはキリスト教によって隠蔽されていたものを、ただ明るみに出そうとしているだけなのだ、と…
ニーチェは「位階秩序」について、それは「あるがままの自然の秩序であるにすぎない」と書いています。
>>844 >あと、ニーチェは単に独我論的な「世界は俺の自我・意識としてしか存在しない」風の論理じゃなくて、
>却って、世界の無数の自我・意識をもって俺という存在となす、という、包括的な存在たらんとする論理。
なぜ、「自我・意識」なのか・・・?
ニーチェにとって根源的なのは、もちろん、「身体(大いなる理性)」という次元ですね。
「意識」が自らを「自我」であると見なせば、その「自我」は分裂的なものにならざるを得ないとニーチェは見ています。
(「身体を軽蔑する者」のように、それによって、意識と身体は分裂する。そして、それがまさにデカダン・・・)
>>840 >・・・カミュは、力への意志よりも生そのものを尊重しているといった印象。
力への意志よりも生そのものを・・・?
「力への意志」と「生そのもの」は別のものではないですね。同じものです。
「生そのもの」ではなく、「個体としての人間」というようなことを言いたかったのだろうか・・・
「生そのものよりも、個体としての人間を尊重する」、とすれば・・・
さっきの言葉で言い換えれば、「身体(大いなる理性)よりも、自我(小さな理性)を尊重する」とも言えるでしょう。
「身体(大いなる理性)」「生そのもの」「力への意志」という次元は、存在そのものの次元であり、
そこにおいて、生は、生全体の《つながり》の中にあります。
だからその次元に生きている者にとっては、「己の没落を欲する」ということも可能なわけですが、
「自我・意識(小さな理性)」に重心が置かれるようになってしまうと、根源的な生のつながりが見失われていくので、
「己の没落」は単にネガティブなものに感じられてしまうことになり、だから必然的に、
「没落」ではなく、「自己保存(保身)」に価値が置かれるようになってしまいます。
>>840 >神なき時代のニヒリズム、無意味さに如何に耐えるか、について、・・・
824で引用した断片は、「無意味さに如何に耐えるか」ということではなくて、
《無意味さ(ニヒリズム)に耐える力》が「ある」のか「ない」のか、を問題にしています。
そこが重要なところです。だから、それが「意志力の測定器である」とニーチェは書いているのです。
つまりその「測定器」によって、強者と弱者とを見分け、篩いにかけることができるということです。
(無意味さに耐えられないから彼岸的な意味付けを必要とする…これは弱者の「生存条件」です。)
「永劫回帰」は、まさにそのような「測定器」としての意味を持ちます。
「永劫回帰」は、《無意味さ(ニヒリズム)》の最も極端な形であるからです。
「レンツァーハイデ」と題する有名な断片でニーチェは次のように書いています。
「この思想(ニヒリズム)をその最も恐るべき形で考えてみよう。
あるがままの生存、意味も目的もない、だが必然的に回帰する、無への終末もない、すなわち『永劫回帰』。
これがニヒリズムの最も極端な形である。無(『無意味なもの』)が永遠に!」
君達の此処での言論も何の意味も無い只のドヤ顔の自己満足なのら。でも楽しかったり気持ち良かったりするなら、べつにいいのら。
宇宙空間にたった一人地球にたった一人砂漠にたった一人無人島にたった一人2ちゃんにたった一人、もしそんな図だったら割と意外な程とても寂しいですね。
あと何が一番寂しいかと言えば、かつてあったプラス(モチロン苦悩や苦痛の類ではなく、喜びや健康のこと)を今は失ったという状態。
失望、失恋、喪失、失職、親しい人との死別、そして自らの死などなど期待や想像や造形や幸福がやがて否応無くマイナスによって0地点に戻されるということ。
さびしさ寂しさ淋しさ、それはただひたすら静かだから、自分は好きですけど…。無、それは「静けさ」のことでもあります。
誰にも会わず何も言わず、殆ど感情が死んでしまって殆ど無表情で過ごす最近、ほんとうにラクチン。今はね…
負け犬が自分を慰める痛々しいポエムを歌うとき、
一人では怖いので後ろ盾としてママンの代わりにニーチェの名を添える。
ほこりまみれのツァラトゥストラ、投げ出されて飾り物になったのか。
負け犬や勝ち犬や…いい加減に稚拙な白黒二元論シコシコウはやめなちゃいな。全か無か、然りか否か、強者か弱者かw、あうん、こ。
ツァラトゥストラ…脱俗隠遁した年金生活のおっちゃんが書いた比喩ポエジーの世界。ニーチェは負け犬か勝ち犬か、さあどっち?
>>856は誰かを何かを否定して、自分は勝った気にでもなれてますか?それも然り。だが、人生も哲学も勝ち負けゲームとちゃうよん。
ニーチェの人生も悲惨な末期、ランボーの人生も悲惨な末期、いい文章を残した数々その他の人達の人生も同じく…要するにそう言うこったな。
ゴッホもピカソもフロイトもドゥルーズももトルストイも太宰も
皆最期は悲惨
才能は末期を幸福にしない
まあ哲学、思考と知は人間にとって救いであるが。しかし人類史を観ればイズレ解るが、思考と知はイヅレ無力のシロモノであった。
君達はニーチェのスレで価値の有無を論じるか
>>861 ニーチェは死ぬまで価値にしがみついたからね。
水の価値を認識するのは?
ノドがカラカラの時、ウンコを流したい時、風呂に入りたい時、その他モロモロ。
要するに需要と供給ってやつ?
そうだね。ただ欲してる時や失った時にだけ価値を感じるのさ。
ショーペンハウアーの「生への意志」を批判したニーチェの「力への意志」は、
個体的・種族的な「生」の維持ではなくて、宇宙的な生命力を称揚していた。
そこで大正生命主義ですよ
君達は永劫回帰を受け入れろ!?♪。
人類の遺伝子や生を動物的にではなく、ニーチェは人間(と言わず彼曰く超人)としてメンタル的にこの時空とそこの存在を肯定賛美していたんだろう。しかしそれは夜空を見ながら恋したり酒でも呑んで酔って書いたんだろうなw
ただ廻り巡り幾つの発生と誕生と融合と別離と解体と犠牲と消滅とを繰り返す、宇宙的な生命力か。この時空に無力は存在せず、ただ動力や流力や引力があるのみ。
>>857 ツァラトゥストラの「戦争と戦士」をみろよ。
「あなたは言う。高尚な目的があらゆる戦いに意味をもたらす。
だが私は言う。優れた戦いの姿がその目的に意味をもたらす。」
人生と戦うことから逃げ出した厭世的な間抜けが
無意識にある復讐心から世界を無意味にしようとしている。
そんなニーチェと反対側にいるやつが自作ポエムの後ろ盾に
ニーチェの名を使ってるなんて滑稽だろ?
>>868 ではあなたの人生の高尚な目的と優れた戦いとはナニゾヤ?ここでの遣り取りナウか?
君のニーチェ先生も内面的に思考と文章化の格闘していただけで、家から一歩出れば戦争もしてないし戦士でもなかった訳だが。
(でもこのスレでニーチェは兵役経験であったと言う話もあったよな、真偽は知らんが)
しかしワシはマヌケではないとは思うぞよ。まだ痴呆でもないしこうして考えながらカタカタキィボォド叩いてる訳だし。
まあ上の演劇風自己陶酔のナガレレスに酔狂エンセーの我輩が登場してすまんかったなぅ…(^ω^)
しかし二度言うがツァラ物語も文章で構築された虚構の比喩ポエム世界なんだがな。解釈ハ強要センガナ。
いつも零点から白紙から出発しようとする新鮮な気持ちは、大切よ。
871 :
考える名無しさん:2011/09/30(金) 20:42:13.08 0
マロニエの根部に嘔吐感が促進されるのは、
主体者とマロニエの距離の解消による所産である。
同空間内で世界と隔絶しつつ同時に志向する、
課題達成不可能な永久コミュニケーションに立脚可能な、
身体性の位相設定こそが希求される。
共同主観的に措定された快の供給先の更新は、
同空間における快の断念と、
新規供給先としての別空間の確保が同時に行われる。
形式的主体者/他者を擬能動的に担保しつつ、
世界との距離/志向が存置される。
872 :
考える名無しさん:2011/09/30(金) 20:47:26.25 0
昼飯のスパゲティナポリタンを眺めながら、積年の疑問を考えていた。
それは「なぜナポリタンは赤いのだろうか」という問いである。
簡単に見えて、奥の深い問題だ。
「赤いから赤いのだ」などとトートロジーを並べて悦に入る浅薄な人間もいるが、
それは思考停止に他ならず、知性の敗北以外なにものでもない。
「赤方偏移」という現象がある。
宇宙空間において、地球から高速に遠ざかる天体ほどドップラー効果により、
そのスペクトル線が赤色の方に遷移するという現象である。
つまり、本来のナポリタンが何色であろうとも、
ナポリタンが我々から 高速で遠ざかっているとすれば、
毒々しく赤く見えるはずなのだ。
目の前のナポリタンは高速で動いているか否か?
それはナポリタンの反対側に回ってみることでわかる。
運動の逆方向から観察することで、スペクトルは青方遷移し、
青く見えるはずなのだ。
逆に回ってみたところ、ナポリタンは赤かった。
よってこのナポリタンは高速移動をしていないと言える。
トマトの赤でええやないか
>>869 世の中を怨み「全ては所詮無意味なんだよ」と連呼すること自体は構わんが
それを自分の意見としてではなくニーチェの意見と捏造する姿が誰と限らず
たまに散見されるのでね。嘘を指摘したまでのこと。
875 :
蝙蝠ちゃん出没中 ◆MinorKeyQs :2011/09/30(金) 23:04:35.08 P
>>845 人間は誰しも超人に向かって進めるのに、
猿や豚や家畜に甘んじているからでしょう
ニーチェは衛生兵で戦争に参加してます。
そろそろ戦争になってもいいころだな。
2010年3月26日午後9時45分頃、天安は朝鮮半島西方黄海上の北方限界線 (NLL) 付近(白翎島西南方)で、
船体後方が爆発し、船体が2つに切断され沈没、乗組員104名のうち46名が行方不明になった。
2010年11月23日14時34分ごろ(日本時間同)、朝鮮人民軍が北方限界線(NLL)を越えた大延坪島に向けて
突然、砲弾約170発を発射、90発が海上に落下し、80発が同島に着弾した。
すでにお隣さんは実質的には戦争に突入していると考えております。
あそこはまだ停戦中だからねえ
かまってちゃんなだけだと思うが
880 :
878 :2011/10/01(土) 10:51:52.40 0
ふつに考えれば、交戦中です。
この人なにか似ていると思ったらキミマロだった
台風の風で吹き飛ばされ、飛んでくる看板や倒れてくる街路樹とかでお腹いっぱいの人は、
戦争には反対した方がいいよね。
日本は災害が革命の代わり
ナマズが世直しの神様にされたり
でも自衛隊だったら戦争に反対しないだろうな。
戦争を知らぬトーシロ軍人で終わりたくないじゃん。
自衛隊の人はスポーツでいえば、ずっと補欠であり続けてきたようなものだ。
>>875 誰しもが超人に向かいうるなんてことはニーチェは言ってないだろう。
むしろ身心の素質に恵まれ、過去の遺産を継承する少数者のみが歩みうる道。
ベルクソンが『道徳と宗教の二源泉』で言ったような、高等な者と低級な者を峻別することへの批判は、
ニーチェが精神に先立つ生の条件として肉体を重視したことを無視してる。
金属片が目にも止まらぬ音速以上のスピードで飛んでくるなんて台風どころの騒ぎじゃないよねw
台風の感じからすると、爆風だけでも、グロいことになる。
民間人にとっては戦争なんて集団登校してる小学生の間にいる蟻のような境遇に陥ることだろ
887 :
[―{}@{}@{}-] 蝙蝠ちゃん出没中 ◆MinorKeyQs :2011/10/01(土) 18:50:10.15 P
すまんが、爆弾や大地震どころか、台風の暴風雨に一時間曝されただけで十分に戦った気がしてるし、お腹いっぱいなんですけどw
下っ端の兵隊は勝ち戦でも死ぬからなぁ
下手すりゃゲリラに拉致されて拷問惨殺のうえ晒し者になる
数倍の敵を殺したとしても兵を失えないのが先進国の戦争
ゲリラどころか体育の先生やチンピラでお腹いっぱいなんだけどw
買ったばかりのロードバイクを盗まれただけで大損害だと思ってる。
身近な所に十分過ぎるほど敵がいるんだがw
僕の精神世界潜在意識習得能力は永劫回帰を超越するよねー!?♪。
ニーチェは救いがない人間に救いがないとはっきり言う故に
冷酷に人を見下したような解釈をもたれやすいのでしょうな
下種も何かのきっかけで救われる可能性があってもいいじゃないと
未練を持つのが人の優しさとして一般的ですから
戦争とは単純、人体に鉄をブチ込むこと。
>>893 人は必ず死ぬけど、救われる可能性があるとか言うようなものですね。
つまり、天国。ニーチェはそんなものは無いと言った。それは冷酷だと憤る人がいる。そういう話ですね。
人の救いを求める。これだけ聞くと、美談のように感じます。
しかしながら、それは「人に救いがあるべきだ」という理想を守りたいだけなんですよ。
自分の理想に固執することを美談にしたててはいけない。
>>896-897 そういう意味ではありません。
救われるとは悟るとか改心するという意味です。
生きるのは苦しいだけと無気力になった「死の説教者」は
生まれつき心身ができそこないなので救われる可能性がないと
切り捨てて良いのでしょうか?
私は良い人と出会うことなどによって価値観が一気に覆されることは
ありえると思います。最後の最後まで、一発逆転のチャンスがあるのです。
「救い」とは?
それは砂漠でノドカラカラで死にそうな時の水だったり、死ぬ程孤独な時に差しのべられる他者の手だったり。
我を忘れて何かに没頭集中して夢中になっている状態や、物作りの時やその作品や、「いいな」って自然に思う他者の笑顔や書き込みや。
たとえただの概念や幻想や虚構や理想でも、死後の天国や大いなる神さんの存在に救われている人もおる訳。
足りないところに補われる欲求の良結果、それが救いになるのだろう。
また、病が治癒したり重圧や苦痛苦悩から解放された状態、それも救いになるのだろう。
自分が今思ったちょっとした救いは、0地点からの1歩目の時や白紙に書かれる一本目の線みたいな、初めのちょっとワクワクした感じかな。
反対に、過激な救いは超危険。例えば断食後に急にイッパイ食べ過ぎて死ぬケースとか、気分的に言えば躁鬱みたいな状態。急降下や急激な喪失または急上昇や急激な獲得、激ショック刺激はリスク大やね。
あと上で戦争の話も出たけど、ライフイズビューティフル(映画)で感動して涙する人たちは、本当の現実を知らない幸せ者なのか。「人生は美しい」か。
寓話。悪魔、かつては天使だった。死の説教者も悪人もかつては
自分もいい人やいい表現など(イイと言うのは単にそれぞれ「タイミング」や「相性」がいいと言うこと)との出会いの連続こそが、人生や自分を楽しむことの出来るいい切っ掛けになると思う。
例えばいい音楽を初めて聴く時や久し振り聴く時、気分が高揚したり清涼されたり、音楽に限らないけど晴れ渡ってクリアになる時って時々ありますよね。気持ちいい天気と風みたいな。もう秋か…
ここで一つ一つ拾いながら自分の意見を上乗せしていく作業っていったい何なんだろ疲れた
ろーまん、やや沈んだ状態こそがいいのかも?
引力はアレとコレで、磁石は+と−で、経済は需要と供給の、建設は凸と凹が、性交はチンがマンに、人体は吸収と排泄の、そんな成り立ちでそれまで弾き合ったりもあったモノが延々と廻り巡りでマルクなって…もうオワレおれアワレそのイワレ
なんだ結局俺も白黒二元論シコシコウばっかりだな…どーどーめぐりの痴呆阿呆だな。
音楽、何か楽器の演奏とセッションの出会いがあれば少しはイイ方向があったかもな。論文も雄弁も詭弁も演説も全部糞!糞!糞!
ライフイズビューティフルのおっさんは超人だと思うよ。
一見は刹那的だけど長期的な展望もあるし、見事綱を渡りきった勝者。
次スレ
>>898 >生まれつき心身ができそこないなので救われる可能性がないと
そういう事もありえます。生まれつき心臓が動かなければ、そのまま死ぬでしょう。
心も同じです。あるがままの世界とは、そんなものでしょう。死んでいく新生児はゼロにはなりません。
誰かを切り捨てて困るのはあなたであり、チャンスが無くて困るのもあなたです。それは動きません。
幸せになりたいとか悟りを開きたい人はニーチェなんか無視すればいいだけだな
むしろ違う方法で幸せになってやるって発奮すればいい
ツァラも弟子に自分の存在を打ち倒すことを期待したわけだし
>>906 でもツァラはどう読んでも宗教書だから悟りを開きたい人には必読でもあるよね。w
ニーチェ哲学は、苦しみがある事を認め、抗い続ける哲学でしょうかね。
救いという点では、永遠に救われない(永遠回帰)だと思います。
困っている人を助けたいという気持ちがあるのは、単に自分が気持ちよくなりたいからです。
ある意味で救いの無い話です。そこからどうするかが、ニーチェ哲学であると思います。
「幸福であるためには如何にすればよいのか?――私はそれを知らないのだが、
幸福であれ。そのうえで、君自身が為したいと思うことを為せ」(ニーチェ)
とはいえ、晩年に向かうにつれてニーチェはいわゆる幸福というやつを大して重視しなくなったと思う。
自らの生に悩んでいるような連中は、むしろ冷酷に突き落とすべきだとツァラトゥストラで説いているくらいで。
あと、比較的低級な連中には、慰安としての幸福を認めてやってもいいが、自身は幸福などというものを求めるな、とも。
快不快も肉体が意識に送る信号であって、快不快が何を表現しているかが大事。
ニーチェのように、森羅万象について哲学者として思索し、芸術家として感受する人でなければ、
世界の無意味さについて苦痛を覚えたりもしないからな。力の一表現としての快不快。
虚栄だな。
医者にも高級な自分にも、馬鹿げた苦しみを避ける能力が足りないということから目を逸らしてる。
私にとって、悟るとか改心が意味することは「力を得る」ということです。
従って救済されるとは「苦難に耐える」→「苦難のないところへの解放」
の変化ではなく、「苦難を余裕でさばくほどの絶大な力を得る」ということになります。
強く生きているならばあとは些細なことだと思います。
苦しみを経過して強くなる人間も、楽して強くなれた人間も、
最後に一発逆転した人間もみな等しい。
まあ上手くいきやすいコツはありますけどね。
私は低級な人にも、最後に一発逆転していただきたい。
ゴータマ(後のシャカ)が王族の贅沢生活を捨てて、孤独な苦行生活に移行したのは何故だらう。
ニーチェぐらいの卓越した頭脳の持ち主でも、
あまりにもくだらない苛烈な苦しみの泥沼にはまって抜け出しえないことがよくあるほどに、人間は力不足なのだ。
現代でもね。
運命を愛するとは、大概、あるクソゲーしかプレイできない人間が、
馬鹿共が運よく面白そうなゲームに興じているのや、ネズミやネコが軽やかに駆け回っているのや、
野鳥が歌っているのを横目に、そのクソゲーを愛することだ。
頭ばかり過剰に元気なものだなw
どうも体がダメになる程、頭に血が登る仕組みになってるらしいね。
頭部を守れと人はいうが、体は頭部を犠牲にする気満々なんだよね。
頭部から劣化するもんな。
結局、人間の幸福とは不幸が少ないことではないじゃろうかのぉ。病気や怪我の少ない健康な身体あってこその幸福じゃと、わしは思う。
あと、にゃむにゃむ、経済的な充足と不足もなかなか重要な問題なのじゃよ。関係ないがの、入れ歯のメンテナスンも大変なんじゃ。
力のある人はより多くのコスト(不幸)が許容できる。
女・家・車なんかは維持するためのコスト(金・時間)が大きい。
幸福とは力とコストのバランスがちょうど良い状態というのはどうだ?
麻痺は幸福に至るための一番簡単な手段だ
だが他の方法もある
麻痺というか酔というか
記憶や意識や思考など脳内活動をストップした専ら身体を活動させる無意識の状態は楽です
しかし記憶をして考えながら行動しないと自分がどんな言動をするのかもしているのかも分からなくなりそうで怖いですね
麻痺や酔のボケた(ボカシた)状態は幸福なのか
麻酔をすればイタミは皆無に
「光あれ」ではなく、「光あり」だった。
923 :
考える名無しさん:2011/10/03(月) 18:19:46.73 0
みらぁは所詮ノーマル長s人
受けるだけの鏡さんは光をただ反射する、形を変えて。
幸福だと感じている瞬間の、次の瞬間には、想像を絶する生き地獄にはまっているかもしれない。
生き続けることは、あまりにも無謀なことだ。
あまりにも巨大な危険に曝され続けているのだ。
今の内にマシな死に方しとかないとヤバいぜw 超ヤバいw
キチガイ芸術家が作ったような世界だw しかもリアルキチガイワールド作ってんじゃねえよw
まったく、俺としたことが、とんでもない世界に迷い込んぢまったものだ。
人世の旅路の中場、ふと気がつくと私は、真っ直ぐな道を見失い、暗い森の中に迷い込んでいた。
ツァラ物語はダンテ神曲よりはマシかも
神曲の影響は、哲学だけでなく宗教学、文学、科学と幅白い
神曲は天動説だし、科学的には参考にならんかも。
ふと気がつくと、私の全身は、炎に包まれ、大地の上を狂ったようにのた打ち回っていた。
ってことになりませんように!
燃やしてください、どうか燃やしてください… 燃えている、彼は燃えている… 萌えている、ボクは萌えている…
ふと気がつくと、巨大な波に飲み込まれ窒息しつつ体をズタズタにされているところだった人って何人ぐらいいたかな…
も、もう一度?
それがどれだけ苦しいのだかわかりたくもないが、
それまではリア充だったやつでも、もう一度繰り返す気にはなれないぐらいのトンデモな苦しみだったろう。
自分が津波で今もホームレスのごとき生活してる人だったら
人生をもう一度繰り返す気にはなれないな。
同様にアフリカ内戦地の飢餓で死ぬ子供だったとしたら
人生をもう一度繰り返す気にはなれないな。
黒歴史に再生は不要。消えてしまえ。
人生は厳すいw
リア充め! 最後までわからんぞ!!
生きるのが怖い。
ニーチェ曰くその怖い人生と、全く同じものを永遠に回帰しなきゃいけないらしいからな。
なにかいいことを見つけないと生地獄だよ、比喩じゃなくて。
生きているというだけで、勇者だと自負していいくらいの世の中だと思うね。
たとえ何十秒か火だるまになっても、我々のかけがえのない大切な命は、
人工皮膚やら何やらで救われる可能性があるんだから。
そうなれば、気がついてみると、一週間以上も続く激痛を授かっていたりするだろうし、鏡の中に化け物がいることに気がつくんだ。
そんな可能性があるのに生きている我々は勇者である。
>>936 ふざけんなよニーチェ。
まず目をえぐり出してやって、人の痛みというものをわからせてやるべきなのではないかな。
えぐり出されてからも、尚、もう一度!とぬかすようならば、まあお望み通りにしてやればよいのだ。
それでも、もう一度という気力があるなら認めてやるがね。
自分が恵まれていたり、特別であることが大前提だわな
特別って空飛べるとかこの空間のすべての歴史を知ってるとかか?
恵まれているってのは基本経済的にな
地上よサラバ
>>939 運がいい限り、運命を愛するという話なら、くだらない話だな。
たとえどこかの小児のように地雷を踏んで後天的に乙武風味になっても、尚、
永劫回帰を肯定する気力で満ち溢れてるぐらいでないなら、死の説教者を軽蔑する資格がないだろう。
苦しみを知らないだけなのだからね。
DQNに今にも撲殺されようとしてる哀れな馬をニーチェは晩年まで見たことがなかったのかもしれないが、
そういう悲惨な目に遭う運命であるのが普通の生き物なのだ。
特別な人間だって大差ない運命である。
家畜を殺したこともないのに肉を食っていたような奴が、同情を馬鹿にしておいて、
殺される動物の苦悶を見ていられないなんて実に馬鹿げてるな。
この世のむごたらしさから隔離されてるような坊ちゃまが、
盲目的に冷酷な事を平然とやってきておいて、
パンがないならケーキ食べればとかいうんだよね。
しかし、そんな恐ろしく迷惑な奴は、痛くも痒くもないことに、大騒ぎする軟弱な奴なんだ。
無知はいかんな。
同情心がないのも問題だな
自分が感じてる同情をどう処理するかだな
肉を食ったことはないが家畜を殺したことがあるやつが、
同情心に溢れつつも、殺されてゆく動物の苦悶はへっちゃら。
この世は極楽、ということにどっぷり漬っておいて
悟りの上に愛に溢れたことを苦々しく行わない。
パンがあるのにケーキは食べないのはいかんぞなんて言わない。
そして、そんな親しみと貢献のあるお方は、痛いし痒いことに、うんともすんともいわない屈強なお方ではないんだ。
悟るべし。
↑
これならいいのかね
>この世のむごたらしさから隔離されてるような坊ちゃまが、
>盲目的に冷酷な事を平然とやってきておいて、
そんなドヤ顔のDQNで人生を完走するのが超人。
同情を知らず、恥を知らず、無垢に生きるべし。
俺は嫌だけどね。
「罪と罰」に描写されているようなDQNによる弱い馬のなぶり殺しがアリエナイならば、牛丼もまたアリエナイのではなかろうか。
しかし牛丼はある。そしてあり続けるだろう。
牛丼を食べるという経験をいくらでも繰り返したがるということ、
罪もない牛殺し、牛のとてつもない苦しみの永劫回帰を望むということは当たり前すぎて意識になかなか登ってこないことだといえる。
しかし、そんな人々も遊びに夢中の小児のようには、牛殺しを楽しめないだろう。
どうも、非DQNは頭がおかしいと思う。
DQNの方がまともだろw
正気なんか無くてみんな狂ってる
1000の顔の狂気があるだけ
抵抗もしない健気なか弱い馬をなぶり殺すDQNは何か異常なことをしたわけではない。
そうした鬼畜行為は先進国の大部分の人間には隠蔽されていることだが、
そいつらも社会的動物として当然のように日々行っているものだ。
非DQNはニーチェのように自分がやっていることがDQNにもましてわかってないようであるし、受け入れられないようだ。
今のところ人間もまた、人間のために生み出され人間のために無慈悲にズタズタにされる牛とさして変わらない運命だといわざるをえない。
残念ながら、我々もまた牛丼の具になる運命だといえないこともないぞw
それでも「牛丼の並、つゆだくで」といい続けたいというのか!
永劫回帰を欲するほどにそんな恐るべき運命を狂おしいほどに愛すると!?
否、三度否!
しかし、とりあえず牛丼でも食べることにするかな。
実に胃というものは飽き足りない奴だ。
これは救い難いぞ。
倫理的秩序なんてものがあったら、
生きたまま巨大な鍋に投げこまれ、茹で人間にされてもおかしくない。
牛殺しに参加してきた。
牛たちときたら昨日も今日も明日も、次々に半永久的に千切りのお肉になって僕らの訪れを待ち続けてくれるんだと思うと、感無量だわ。
反省してみればこれは途方もなく恐ろしいシステムだw
アウシュビッツどころじゃなさそうだw
俺は今ネギ玉牛丼を食うという必要悪ですらないとんでもない悪さを堂々とやってると思ったら、気分はなかなか上々だったがなw
いつもより大分美味かったw
次は豚殺しに参加するかw
どうも現に殺してるのに、私の手も唇も臭い家畜の血なんかで赤黒く汚れてなどいないという上品な盲目的な意識を持っていることは、
頭がおかしいし、もったいないことでさえあるかもしれんな。
せっかくその苦しみを我々に伝え想像させうる表現力をもった高等な生き物を、
己の快楽のために好き勝手にぶっ殺して食ってやってるのに、
つまり地獄行きでも文句をいえないような過激な行為を繰り返しておきながら、
それを意識しないなんて、 損だろう。
というのも、そんな生き物に地獄というものを教えてやることで快楽をえるという恐るべきことを軽々と朝飯前で習慣的にやってのけるのをやめて、
俺は己の快楽のためには虐殺も辞さない鬼畜であり、
今まさに極悪非道な行為を堂々とやってのけてやってるんだと、
牛丼を食う度に意識すれば
悪性新生物に食い殺されつつあるのも仕方ないと思えるかもしれないし、
飯が旨くなるようだからな。
こめかみをズドンとやられる直前の牛が、全く動かなかったり脅えながら慌てて退いたり涙を溢す映像を観るのが一番いい。
目に入る映像がすべて。そして、生理的にどう感じるか。その牛の肉を食べた人間が、ムシャムシャと喰らいそれを糧とし、悪臭放つ糞を放つ。
その糞尿を放つ牛の肉を人間が だった
死ぬまで見ない方が知らない方がいいままのこの空間で起きた現実もある。
環境や習慣や自らの言動に何の違和感も無いまま無意識のまま、何の罪悪感も無い後悔も感傷も無い客観視も恥も無い思考も記憶も無い、冷鉄な動物。
間接的に、残酷なことも出来てしまうのが人間。
間接的、ってのがわかる生物自体少ないだろう
戦争なら自爆テロと空爆の違い…
大統領と兵隊の対比か…
アイヒマンがヒトラーとは違ってどこにでもいそうなオッサンだったのが意外だったようだが、
生き物を次から次へと淡々と効率的に殺していくことなんてのは我々の日常なんであるから、不思議なことじゃない。
ごく当たり前のこととして、人間はナチスも驚くようなむごいことを家畜やマウスに対して行い続けているのだ。
人間を殺すことと、牛や馬や鶏やマウスを殺すことは、似たようなことだろうから、
どこにでもいる平凡な人間だって、
哺乳類の半永久的な大量虐殺に日々平然と参加している以上は、
状況次第では、アイヒマンがしたようなことを、日常茶飯事として淡々とやってのけるだろう。
日本は鯨殺しを非難されてたが、牛や羊を殺しまくってるオーストラリア人に殺しを非難する資格はないな。
人は何にでも慣れてしまうとはいうがね。
我々が何気なくデート中にさえ半永久的大量虐殺に参加しているところをみると、さもありなんと思う。
人の命をなんだと思ってるんだ!といったことがある奴が、大量殺人を犯したとしても別に不思議なことではないと思う。
ケンタッキーフライドチキンやらファミチキやらハンバーガーやら肉団子やらを喜んで食ってきたし、
これからも食い続けていくどこにでもいる普通の殺害鬼が殺人を犯すこと、
そんなの想定内じゃね。
大体、牛殺しより人殺しの方が容易だろう。
物理的にも精神的にもね。
人間に比べりゃ悪意を抱き難い牛を殺すような奴が人を殺すことなんて、
牛殺しのように好きにやっていいことであれば、それこそ朝飯前というものだろ。
異常者じゃなくたって、ごく普通に牛丼を食ってる普通の人間でも、
見てるだけで寒気がするほど恐ろしい生き物なのだと感じるようになってきたぞ。
マックにいる奴らなんて牛丼屋にいる奴らより怖い。
マックやケンタッキーの明るさがおぞましい。イメージの悪いアメリカンだしよ。
男は寡黙に牛丼であり、女は笑顔でハンバーガーであることからして、
女の方が無慈悲な生き物だということがわかる。
特に肉を「お肉」という奴らはヤバそうだ。
肉食獣を観ても分かるが、肉食が過剰になった人間は心的に穏やかではなく不安定になりやすい。攻撃性も性衝動も高まるから。
欲と紙幣と無意識の為に、働けるか。
人間は退廃したとは思うが、それは文明の発達により自分に優しく出来すぎるようになったからで、
他者に対して優しすぎるからだとは思えないな。
先進国の人間は重力から逃れた宇宙飛行士みたいなものなんじゃねえの。
体も他者に対しては同情するしないどころか無関心であり、我々に構わず勝手に退化しやがってるんだ。
どんどん変化しているだけ
でも身体が退化して頭が進化してるって、いいことなんじゃないか
それは動物の要素から離れていってるということで、むしろニーチェの目指した超人に近づいてるのかも
先月、猿山に猿の見学に行ったけど、人間様のご先祖様はひでー有様(アリサマ)だったぞ。
>>967 猿は古代ギリシャ人中のソクラテスに相当する不細工な動物なんだよね。
猫、鳩、鴨、白鷺と身近にいる野生動物の体だってみんなよく出来てるぜ。
絵になる。
白鷺なんて芸術品だ。
不細工な先祖をもったものだ。
971 :
考える名無しさん:2011/10/08(土) 04:17:46.21 O
白人様はもっともっと同情できるようになったり共感できるようになった方が地球のためだと思うよ。
白人のごく一部が、か弱い羊やら牛はおいといて、アリエナイほどの量の肉を日々平らげつつも、
鯨に同情するようになったのは、
小さな一歩ではあるが、
白人様にとっては、偉大なる進歩だと思うね。
972 :
考える名無しさん:2011/10/08(土) 04:32:36.19 O
鯨殺しを非難する白人様に対して日本人は「よくいった」と誉めてやるべきだなw
彼らの心に偶然せっかく生じてきた優しさの芽の成長を、暖かく見守ってやるべきだとは思わないか?
俺はそう思うね。
なるほど殺しを非難する言葉を投げつける資格は彼らにはないが、
それでも日本人はそれを微笑みで受け流してやるべきだろう。
絵にならない光景の垂れ流しの中にふと白鷺が現れるとアリエナイという気がするわな。
普通の白鷺ほど高級感のある高貴な人間は存在しないんじゃないかな。
戦後の天皇家に嫁いだ人達は普通の白鷺程ではないにしろ、人間としては異常に高級感があるがね。
まじセンスいいよw よく見つけてきたものだ。
高貴さと、強弱は、あまり関係ない気がするな。
高貴さと関連してるのはむしろ美しさだろ。
まあ強いものが美しい傾向はあるが。
強いブサが、貧弱だったとしたら、もっと不細工に見えるはずだしな。
ニーチェの価値観も歪んでる気がするが、
まあユダヤ・キリスト教の影響なのか人間が万物の霊長だという見方をするのは、
諸価値が転倒していることの証拠ではあるな。
そんなの極端にいえば、ソクラテスが万物の霊長だというようなものだよw
万物は美しい、だから最も醜い者が一番素晴らしい存在なのだと主張するようなものだ。
比較的美しいのは、ユダヤ人でも西欧の人々でもなく東欧の人達だしなあw
神の姿が人間の姿に似ているというのは、ソクラテス風味の人達の惨めな自己欺瞞に過ぎないのだろう。
まったく考える葦というやつは、そうせざるを得ないほど惨めなのかもしれんな。
でもユダヤ人がソクラテス風味の人達であり、自然という本を読むのが上手な人々で、
陰謀論者の知的好奇心の矛先が向かう的であり、
実際に世界を牛耳ってるとすれば、
この世界の神は本当に聖書のいう神なのかもしれない。
それにしては、万物は美しいがねw(ただし万物の霊長でないものに限る)
神が極めて魔力の強い醜い魔導師みたいな奴でありながら、
この美しい世界を創ったなんてことがあり得るだろうか?
白鷺を創れるにしても創るだろうか?
神がユダヤ人のようならば、白鷺はアリエナイだろう。
まあでもソクラテスは美少年好きだったらしいがね。
ふむ。そんなものか。
醜いからこそ美しいものを創りたかったし創ったというわけかな。
ウンコ作ったり芸術品作ったり…そんな生者(いきもの)
自然を解読するほどに、神が禁じた知恵の実を食べ、神に近づく程に、人間は醜くなってきているといえるかもしれんなあ。
うん、神はブサかな。
人間が神に一番近い生き物なら神は不細工だと推測せざるをえないねw
>>969 そういや現代アートで、車椅子姿のホーキング博士の人形に「超人」てタイトルを付けた悪趣味な作品があったっけ。
>>966 「ギリシア人たちのように、人間を己以上のものにまで高める事――
肉体を持たぬ幻影をではなく。何らかの弱々しい、神経質な性格と結合している高次の精神は――
除去されるべきだ。目標。単に脳だけではなく、全身体を、より高く形成する事!」(『生成の無垢』1217番)
どうみても西欧人より東欧人の方が高く形成されてるわな。
ドイツ人が東に向かわずに南西に向かいたがるのも劣等感に悩まされたくないからではないかな。
やはり世界という本を読むのはブサ化の元なのだろう。
というのもきっと神がブサだからさ。
神に知恵の木に近づくなといってるのに、
地中海辺りの連中ときたらユダヤ人ふくめ昔からフィロソファーになりがちだったよね。
ドイツ人はソクラテスに対してより美男子に対して劣等感を感じるものだから、
東側に背を向けて歩みたがるんだろ。
まあ負け組の逃避行だろうな。
ドイツ人に言わせればおしゃれなフランス人などおしゃれが必要ない比較的高く形成されてる東側の連中に比べりゃ楽しい連中なのだろう。
美男子に対する劣等感が同性愛に変化する危険もあるわな
俺の家に住んでいるネズミがめちゃくちゃキュートで美しいのは何故か?
小猫さえ超越しているぐらいだ。
まったく人間ばかりぶっ壊れてやがる。
「地下鉄の住人」が自分をネズミよわばりしていたが、
ネズミとは雲泥の差で低く形成されてると思われる。
可愛いさと美しさを兼ね備えた天使のようなネズミ様と自分を同列視するとは、
ウルトラマン気取りのガキみたいなものだな。
まうまう(ハムスター)のこと?
ハムスターじゃない。
半年ぐらい前から俺んちに勝手に住み込んでるグレーの奴だけど。
988 :
蝙蝠ちゃん出没中 ◆MinorKeyQs :2011/10/09(日) 16:11:37.62 P
>>930 燃え尽きれば火は消えるよ
そしてまた別の何かが燃えるけど
989 :
蝙蝠ちゃん出没中 ◆MinorKeyQs :2011/10/09(日) 18:15:07.06 P
わたしのツァラさんは弟子を捜しに出かけた
人間は醜悪な化け物になったね。
それは鏡を観ての感想か
人ごみと人以外の生き物を比べて見ての感想だ。
ネズミにルックスで勝てる人間はまず存在しないといっていいほどだからな。
人間はどうみても倒されるべき化け物、モンスター側だ。
人間の妄想中では、例えば、RPGやファンタジーやSFの中では、人間が綺麗な正義の味方側であるが、
現実においては、残念ながら人間こそが醜い化け物である。
現実に勇者や英雄が現れれば、やっつけられるのは人間という化け物だね。
「自殺島」という漫画があるが、
その中で主人公は鹿殺しをやって、命をもらってると勘違いしている。
無論、本当は、壮絶な苦しみを美しい生き物に与えた上でその命を奪い、その死体を八つ裂きにして食ってるのだ。
しかもできる限り長い間、醜い生き物の筆頭の分際で、ぶっ殺しつつ命を貰っていると感謝するというおぞましい基地外ぶりを発揮しつつ、殺し続ける気らしいね。
馬鹿いっちゃいかん。
気付かれないように風向きを読みつつ鹿にこっそりと接近していき息を殺して矢を放ち、
死に物狂いで逃げる鹿に犬をけしかけてまで殺しておきながら、
鹿はボクのために甚だしく苦しんでくれ、その命とお肉をボクにくれたんだ…有難うとかw
心身共にぶっ壊れてるw
君の思考も書き込みも、無償で2ちゃんに吸収される。サラ金の提供、カリは高くツク。
最も頭がおかしい登場人物が「自殺島」の主人公なのはどういうわけだろう?
999 :
考える名無しさん:2011/10/10(月) 02:16:38.28 O
>>997 よく意味わからんが、人間は化け物で鬼畜だといいたいのかな?
人間は人間から救われねばならない
1001 :
1001:
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もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。