ニーチェ25

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952蝙蝠ちゃん出没中 ◆MinorKeyQs :2011/05/09(月) 21:51:53.09 0
自分の人生の価値を真理にするか、
2の「全ての価値は真理では無い」を
「全ての価値は、等しく真理か否かで測ることはできない」

にすればいいのに
・・・というより、
そこまで行ったんだと思ったのにね
953考える名無しさん:2011/05/09(月) 21:58:11.42 0
>>945
本人やお前らが真髄と思ってるだけで、超人なんか実現不可能なんだから
蛇足も蛇足。
954考える名無しさん:2011/05/09(月) 22:10:06.50 0
 遺稿『力への意志』を読むと、論理学をこう言っている。

《論理学を生長せしめた欲望の領域は、畜群本能を背後にもっている。いくつかの場合が
たがいに等しいと想定される前提は「平等の魂」である。了解させて支配することを目的
としている。》(『権力への意志』no.509)

 《論理学は、いくつかの同一の場合があったならばという条件に結び付いている。事実、
論理的な思考や推理がなされるためには、この条件がみたされていると虚構されなければ
ならない。言い換えれば、論理的真理への意志は、すべての生起の根本的偽造が想定され
おえたのちにはじめて、成就されることができる。》(同no.512)

 ニーチェにとって、論理的であること、無矛盾であることは真理であることの理由には
ならない。言い換えれば矛盾もまた、真理を損なうことはない。真理とは生長に必要な誤
謬である。己に真だとされればそれが真理の証になる。己の生長に必需か否かだけが基準
になる。遠近法的仮象の意味もそこだ。
955蝙蝠ちゃん出没中 ◆MinorKeyQs :2011/05/09(月) 22:30:24.92 0
>>954
ほらね
956蝙蝠ちゃん出没中 ◆MinorKeyQs :2011/05/09(月) 22:32:29.69 0
>>952に書いた「等しく」は「全て」にでは無く
「できない」にかかってるんだよ、念のため

957考える名無しさん:2011/05/10(火) 02:17:12.03 0
結局、人類は破局的な現象が起きないと目を覚まさないのか?
958考える名無しさん:2011/05/10(火) 02:24:55.07 0
>>953
「超人」は、実現すべき何らかの存在形態というわけではなく、
自らを超克しようという絶えざる登攀の力強さこそが、
永劫回帰する世界を支え肯定する態度として求められてるんじゃないの。
『ウォッチメン』のドクター・マンハッタンみたいな文字通りの「超人」にだって、
なおも自己超克する余地は無限にあるだろうしね。

その反面、永遠にどこまでも自分自身でしかいられないのが永劫回帰だが、
そんな敗北、没落をも、力の極限に挑む行為として肯定するのが超人でもある。
押井守の『スカイ・クロラ』は、そういう気分によく合っているかも。
959考える名無しさん:2011/05/10(火) 02:50:24.52 0
ニーチェとブッダは違うよ
一神教と多神教くらい違う
ニーチェは人間にやさしくて
ブッダは人間に冷たい
ニーチェは自然に厳しくて
ブッダは自然にやさしい
960蝙蝠ちゃん出没中 ◆MinorKeyQs :2011/05/10(火) 14:35:14.78 0
>>959
そうかなあ
961考える名無しさん:2011/05/10(火) 15:37:26.02 0
ニーチェの考えって結局は完全な社会民主主義に帰結する
行政が政治のあり方を議会制民主主義に問う形ではなくて
行政自体を自己を確立した超人の手によって運用される感じで
アメリカの政治をさらに発展させた形に近い

アメリカの場合は、連邦や州の直轄地域で、
市民達が設立を宣言して自治体を作る
その基本骨格に機能別の市民団体を承認して組み合わせることによって自治体機能を維持している
つまり市民の中の超人達が運営していくスタイル
もっともアメリカの場合は超人ではなくてキリスト教や拝金主義者や人権イデオロギーで自己を確立している人達の集団だが
それをさらに前進させたのがニーチェの超人社会くさい
962考える名無しさん:2011/05/10(火) 16:03:50.27 0
963考える名無しさん:2011/05/11(水) 00:50:50.80 0
ニーチェはともかく、ウィトゲンシュタインやハイデガーは
道元の『正法眼蔵』に興味を持っていたようだね。
だけど日本人だって近代になってやっと解釈者が現れたぐらい
難解な哲学でしょう。
ニーチェは年代的に間に合わなかっただろうね。
おお、これこそ超人と同じだ、とか言った可能性もある。
親鸞の他力と違い道元は自力で悟りを得るのだから。
964考える名無しさん:2011/05/11(水) 15:00:17.35 0
日本だと自己を会社組織や階級に見出すからな
アメリカだと自己をまずキリスト教に見出すことによって
社会から自由になってる
この時点で国家とかが嫌いなニーチェの思想と合致している
さらにそういう人達が自己にのみに見出すことによって
本当の意味での超人社会が築かれる
日本の場合はまだまだ遠いし
完全自由化社会にしたときに保険になる一神教のような神がいないから
ニーチェの言う超人社会になるのは難しい
965蝙蝠ちゃん出没中 ◆MinorKeyQs :2011/05/11(水) 18:41:17.30 0
>>959
人間も自然のひとつ

とブッダもニーチェも気づいたんじゃなかったの
966考える名無しさん:2011/05/11(水) 18:49:01.77 0
日本人の多くの価値観や倫理は大体がいわゆる世間が認めるものに見い出しますよね。古き慣習に従うのもそう。
他人の目を気にして行動する傾向が強いし、これは日本だけでは無いですがマスコミの情報に簡単に影響されて
政治の投票や消費活動に自らの意志もないまま流されていく。

たぶん超人社会と言うのは高度な理性や能力を持った個人たちの集合体のことだと思いますが、
まず人間の頭と身体が共に成長や進化することとはどういうことなのかを考える必要がありますね。
967考える名無しさん:2011/05/11(水) 19:13:44.77 0
やはり超人とは個人主義のことでもある。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%80%8B%E4%BA%BA%E4%B8%BB%E7%BE%A9
968考える名無しさん:2011/05/11(水) 20:38:54.94 0
超人も変人も凡人も自然現象にゃ勝てまへーん
969考える名無しさん:2011/05/11(水) 20:48:28.08 0
その通りだね。生物も物質も環境に必然的に支配され影響された結果に今がある。

森羅万象の中の孤独!
970考える名無しさん:2011/05/11(水) 20:53:57.53 0
謙虚さこそが超人への第一歩!
971考える名無しさん:2011/05/11(水) 23:13:34.78 0
「新世界の神になる」
ってことだろ
972考える名無しさん:2011/05/12(木) 03:01:25.83 0
超人も寒さと飢餓と津波には勝てない。
973考える名無しさん:2011/05/12(木) 05:07:15.22 0
「個人主義」についてはニーチェ自身が、超人へ向かう権力への意志の前段階と見做しているわけで。
既存の道徳から、より個性の重視へ向かう傾向自体は歓迎しつつも、それでは充分ではないということ。
集団が個人に還元された後、個人もまた、それを構成するものに還元されると言っている。
身体が、諸力の集合体として捉えられているわけだから、個人の人格という形態に自己充足する態度はニーチェ的でないわけだよ。
永井均流の独我論でニーチェを解釈する不充分さは、そこにあるわけで。
974蝙蝠ちゃん出没中 ◆MinorKeyQs :2011/05/12(木) 17:24:18.41 0
>>972
「超人」という言葉にとらわれすぎだよ
ビックリ人間じゃ無いんだから

自然に勝てなんて
ニーチェは一言も言って無いでしょ
975考える名無しさん:2011/05/12(木) 19:43:55.57 0
自然と一体化せよって感じよね。「子供」の境地って自然体だからね。
976考える名無しさん:2011/05/12(木) 19:57:22.29 0
芸術でもスポーツでも最高のパフォーマンスする時って無意識の集中領域の時。
977考える名無しさん:2011/05/12(木) 19:59:48.17 0
そんな時ってなんだかめちゃ微笑みたくなるんだぜー
978考える名無しさん:2011/05/12(木) 20:59:20.95 0
>>976

トマソンが好い例だな、野球選手としても名人の域だった
979考える名無しさん:2011/05/12(木) 21:45:35.93 0
自然と一体化して死ねばいいってわけだ。
それは賛成。
980考える名無しさん:2011/05/12(木) 22:11:58.83 0
自然と一体化せよって東洋思想と親和性あるのかね?
981蝙蝠ちゃん出没中 ◆MinorKeyQs :2011/05/12(木) 23:14:48.68 0
>>975
「一体化せよ」というか
「その享受に気づけ」と言っているように思う
982考える名無しさん:2011/05/12(木) 23:22:26.88 0
でも、そこがニーチェのつまらんところなんだよな。
983考える名無しさん:2011/05/12(木) 23:27:10.76 0
>>973
>身体が、諸力の集合体として捉えられているわけだから、個人の人格という形態に自己充足する態度はニーチェ的でない

のであれば、「永井均流の独我論でニーチェを解釈する」のが正しいことになるのでは?

「個人の人格」という形態に自己充足するのを否定して、むしろ世界と一致させている点で同じになるから。


984ヘヴィメタル ダニエル・カール:2011/05/12(木) 23:49:46.79 0
うそくせー なんかうそくせー

何もやらないで見分けないといけねえよ

こいつ、うさんくせー
985考える名無しさん:2011/05/13(金) 00:22:55.32 0
子供のように感受性が強かったから
放射性物質のようなのも簡単に受け入れちゃうんだよね
それがいいのかわるいのかわかんないけど
986考える名無しさん:2011/05/13(金) 00:33:02.99 0
手塚富雄の『ツァラトゥストラ』の訳注すごいね。かなり膨大にあるよ。これだけでも持ってる価値あると思う。
987考える名無しさん:2011/05/13(金) 00:34:49.21 0
あれがなきゃ完全にちんぷんかんぷんやったで
988考える名無しさん:2011/05/13(金) 03:03:10.08 0
確かに手塚さんの訳注も多いけど、これで驚いていたら、ちくま学芸文庫の『ツァラトゥストラ』は・・・。
訳自体は手塚さんの方がはるかにいい。

ニーチェは「自然と一体化」しようとしているわけではなく、自然の諸々の力を征服しつつ大地に意義を打ち立てる超人を称揚してるんだよ。
「我々が自然の中で解放感を味わうのは、自然が我々に対して何の意見も持っていないからである」(ニーチェ)。
所産としての自然というより、能産的な自然、つまり目に見える自然の内なる力を抽出し吸収しようというのがニーチェ。

>>983
『道徳は復讐である』とか『これがニーチェだ』とか、テーマ的に通底している『なぜ人を殺してはいけないのか?』を読んだ限りでは、
倫理に対する独我論的アプローチをとっているので(またそれがニーチェの哲学と一致しているという解釈をとってもいる)、
「我」という意識をも力の構成に還元するニーチェとは、根本が違うと思うけど。
永井さんのアプローチでは、世界を全部<私>に取り込むことと、
それを語る哲学自体が他者と共有される論理でもあることとが絶えず行ったり来たりしつつ、
ニーチェ的な力の高低とか貴賎という価値観と関わりなく、独我論的<私>だけが論じられている。
989考える名無しさん:2011/05/13(金) 03:21:23.69 0
簡単に言っちゃうと、永井さんの「我」は、どんな「我」かということと関わりなく、
純然たる「我」だけを論じている。換言すれば、身体性を欠いている。
論証の際、永井均という自身を構成する外的要素(「千葉大学教員である」とか)を捨象して、
<私>だけを残して論じるアプローチ。

川上未映子との対談でも、ドストエフスキーとテレビドラマも自分にとっては大して変わらないと言い放っていたように、
具体的な細部に関心が無い人なんだよ。だが、「我」を構成するものの組成が変われば別の「我」であり、
そうした構成物としてしか「我」はありえないっていう、一種の唯物論はニーチェの根本的な前提のはずなんだよな。
990考える名無しさん:2011/05/13(金) 07:37:11.75 0
>>981
「その享受に気づけ」ってことだからその「一体化」の状態ですら何らかの客観視してることだよね。
芸術なら作品として残るし、スポーツなら映像として残るから、鏡を観る様に何度も「自分の最高」を見ることができる。

そしてその記録(作品や映像や)を他者が享受したりする。
991考える名無しさん:2011/05/13(金) 12:23:56.12 0
超人はパンツ一丁で原野を走っている。
野営地点で水分や食料を補給するが、携帯ラジオを受け取り
世事も知ることができる。
姿が見えないときは林で用を足しているとき。
寝る際は岩場の蔭で自慰行為も可能。
992考える名無しさん:2011/05/13(金) 20:54:45.45 0
もっと血を濃くしてかけよ おまえら。
993考える名無しさん:2011/05/13(金) 21:03:56.66 0
ニーチェなんかもただの人
994考える名無しさん:2011/05/13(金) 21:56:14.24 0
終末に近づいてます。
995考える名無しさん:2011/05/13(金) 21:58:03.21 0
ニーチェは脳梅毒の影響で一時的に脳が活性化して著作を残しただけです。
996考える名無しさん:2011/05/13(金) 22:08:44.35 0
急に昏倒したというのは脳梅のせいだな。
997考える名無しさん:2011/05/13(金) 22:09:06.31 0
>具体的な細部に関心が無い人なんだよ。だが、「我」を構成するものの組成が変われば別
の「我」であり、そうした構成物としてしか「我」はありえないっていう、一種の唯物論はニ
ーチェの根本的な前提のはずなんだよな。

 ニーチェに於ける〈私〉自体、そんなものは自分がそうだと思ってるだけで、実際には異
なる力のせめぎ合いに過ぎない。というのがニーチェだろう。

《主観という「アトム」はない。主観の領域はたえず増大しつつあるか減少しつつあるかで
あり、体系の中心点はたえず変動しつつある。》(『権力への意志』no.488)

《「統一」として意識されるにいたるすべてのものは、すでにおそろしく複合化している。
私たちはつねに統一の見せかけをもつにすぎない。》(同no.489)

《私たちの主観という統一がいかなる種類のものであるか。つまり、それは一つの共同体
の頂点をしめる統治者である》(同no.492)

 このように、主観などは虚構だとし、プラス、次のような論理によって無意識も否定する


《「内的世界」の現象論においては私たちは原因と結果の年代を逆転している。結果がおこ
ってしまったあとで、原因が空想されるというのが「内的経験」の根本事実である。》(同
no.479)

 よく「私とは?とか考えても答えなんかない」という答え方をするが、その手の答え方の
元祖みたいなもんだろう。無意識など、虚構なんだから。だが、この理論は晩年の病気によ
って自らにより裏切られたと言える。プラス、ニーチェ理論では〈物自体=他からの関係的
意味付け〉として、〈自体〉という意味を否定してしまう。徹底的に「自己」をそのものして
考える仕方を否定した。現代思想から歓迎され継承されたニーチェ理論だが、もてはやさ
れた割りに、何のリアリティーもない理論だと思う。
998考える名無しさん:2011/05/13(金) 22:40:05.33 0
20世紀でみれば
前半はニーチェの言うとおりだったけど
後半はむしろニーチェ拒否の流れだったな
999考える名無しさん:2011/05/13(金) 22:48:09.73 O
ハゲても少年のように生き生きと堂々と軽快に歩め。
テカりは大地の意義である。
1000考える名無しさん:2011/05/13(金) 22:48:30.36 0
【神はタヒんだ】ニーチェ 25【俺は超人になる】
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/philo/1297135684/
10011001
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