1 :
考える名無しさん :
2009/05/28(木) 10:14:58 O 言論の対話によって真理に至る事を目的とするスレです。 --中島義道的対話の基本原理― ・1対1であること。 ・人間関係が対等であること。 ・相手に身分などでのレッテルを貼り、またそれに縛られないこと。 ・相手の語る言葉の背後ではなく、言葉そのものを問題にすること。 ・自分の人生の実感や体験を消去してではなく、むしろそれを引きずり、聞き、判断すること。 ・いかなる相手の質問も疑問も禁じてはならないこと。 ・いかなる相手の質問にも答えようと努力すること。 ・相手との対立を避けるのではなく、むしろ対立を積極的に見つけること。 ・相手との違いを大切にし、それを発展させること。 ・社会通念や常識にとどまる事を避け、つねに新しい了解にむかっていくこと。 ・自分や相手の意見が変わる可能性に対して、つねに開かれていること。 ・それぞれの対話は独立である。相手への先入観を棄てること。
2 :
考える名無しさん :2009/05/28(木) 10:20:04 0
3 :
714 :2009/05/28(木) 15:19:04 0
>428 >「人間は行きたいほうへ行くがよい。人間はしたいことをするがよい。 > しかし人間は、自然がえがいている道へ、必ずまた戻ってくるに違いない。」 ゲーテのこの言葉には、人間と自然との一体性があらわれていると思いますが、 例えばこの言葉にちょっと似ているゲーテの次の詩を見ると、彼の汎神論的な世界観も見えてきます。 「我ら知らずして ただほのかに感ずる より高きものに幸せあれ! 人間はそのより高きものに似よ 人間の実際の振る舞いが それを信じさせるようであれ!」 自然の内にある神的な存在である「より高きもの」は、自然の一部である人間の内にも宿っている。 ニーチェが親近性を感じたのは、ゲーテのそのような汎神論的世界観です。 (このまえの『全てのものは本来仏である』という仏教の思想も、汎神論に近い考え方です。) 汎神論が、神的なものと世界と人間とを連続的に考えるのに対して、キリスト教はそこに断絶をおきます。 キリスト教の神は超越神であるので、神とこの世は断絶しています。 ニーチェがスピノザやゲーテの汎神論に親近性を感じたのは、 〈あの世〉と〈この世〉とを断絶として見るキリスト教的世界観を乗り超える可能性を、汎神論に見たからだと思います。 『色彩論』の中の言葉、 「色彩は光の行為であり、受苦である」 も、とても含蓄のある言葉だと思います。
4 :
714 :2009/05/28(木) 15:20:06 0
>ある一瞬、惑星が整列するようにその座標が一本線上で結ばれる、 >彼はそんな瞬間を待ちこがれて、そこから真理をつかみ出すために生きてた訳じゃないですか。 >哲学者なんだから。真理をつかんで人に見せるって、価値観を統合させたいからでしょう? いいえ。 『善悪の彼岸』の冒頭部分でニーチェは次のように書いています。 「我々は真理を欲するというが、ところでなぜむしろ非真理を欲しないのか? なぜ不確実を欲しないのか?」 ニーチェは、真理を欲することや確実性を欲することを、弱さによる欲求であると考えます。 弱いから確実なものを求め、それを支えにしようとする欲求が生じるということです。 そのような〈真理への意志〉から脱却する試みが、ニーチェの「価値転換」の思想で、 それは、〈真〉と〈偽〉、〈真理〉と〈仮象〉という価値対立を無効にする試みです。 「認識という語がそもそも意味を持つ限りでは、世界は認識し得る。 だが世界は別な風にも解釈し得るのだ。世界は背後に一つの意味を携えているのではなく、 無数の意味を携えているのだ。----『遠近法主義』。」 一切は遠近法的なものであり、遠近法的なものが「生の根本条件」であるとニーチェはみなします。 それによって、今まで「真理」に与えられていた価値の根拠が失われ、それとともに「仮象」「虚構」「捏造」 などの語がもつネガティブな意味も失われます。だからニーチェは次のように書いています。 「我々に何らかの関わりを持つこの世界が一つの虚構であってはならない理由があるのか?」 「いやしくも何か崇拝すべきものがあるとすれば、崇拝されねばならないのは仮象なのではないのか。 そして、真理ではなく、嘘こそが神的であるのではないのか?」
5 :
714 :2009/05/28(木) 15:21:05 0
一切は遠近法的であるというニーチェの考え方には、「価値観の統合」ではなく、 逆に、価値観の〈差異〉を明らかにしようとする意図が含まれています。 ニーチェが特に重視した差異は、「強さ・弱さ」という差異です。 そして弱さにもとづく価値観を、ニーチェは「蛙の遠近法」「畜群的遠近法」などと呼びました。 ニーチェがそのような〈差異〉を明らかにしようとしたのは、キリスト教によって、 (特に『神の前の平等』の思想によって)、自然の中にある差異が隠蔽されていると考えたからです。 その意味では、価値観を統合していたのはキリスト教であり、ニーチェは、統合されていた価値観を壊し、 ありのままの差異を明るみに出そうとしたのだと言えるでしょう。 (このようなニーチェの〈差異〉の思想をとくに重視したのがドゥルーズです。) >中学生でゲーテなんて早熟ですね!すごいなぁ。体験についてもっと詳しく教えてくださいよ。 『若きウェルテルの悩み』のあとしばらくは恋愛小説ばかり読んでいました。 その中に、『ボヴァリー夫人』『チャタレイ夫人の恋人』『武蔵野夫人』とか、 ラファイエット夫人の『クレーヴの奥方』などがあったので、 「〈夫人〉のつくものばっかり読んでるw」と家族からは笑われました。 当時、ゲーテの『ウェルテル』に次いで強烈な印象を受けたのはレイモン・ラディゲでした。 『肉体の悪魔』と『ドルジェル伯の舞踏会』は何度も読みました。 (ラディゲは中学を卒業してからは一度も読んでいないなぁ…) 高校に入る頃に、ドストエフスキーを読み始めました。 高校生の時は『悪霊』と『白痴』が好きでした。(今は『罪と罰』かな)
6 :
714 :2009/05/28(木) 15:22:26 0
>429 >「いつでも流れとともにあり、いつ栄え、いつ滅ぶかを気にかける事もなく、淡々と生活できる」 >というような中心的自己が、傍観者態度を望むのでは物足りない、というのについても、 >もっと聞きたいです。 傍観者的態度は、ゲーテが人間を自然の一部として連続的に見たのとは対照的に、 〈世界〉から〈自己〉を切り離して、あたかも世界が自己とは無関係であるかのように世界を眺める態度です。 (抽象的には書きにくいので具体的に書けば、)(たぶん前にも書いたと思いますが…) みうんさんの書き方が「傍観者的」だと僕が感じた所がいくつかありました。 例えば>197。僕の「毎日2万人の子どもたちが餓死しているというのは怖るべきことだと思います」に対するレスで >自分に直接関係のある問題に接していくしかないんじゃないでしょうか。 >北半球では生命が栄え、南半球ではそうでもない、という事実もありますし。 あとは、この前の>373の >生態系が人間の存在によって変わり、いくつかの生命が絶滅しても、 >大げさに問題視する事でもないかなあと。いつだってどこかで生命は絶滅してますし。 それらの問題が、あたかも自分とは無関係であるかのような書き方であるように僕には感じられました。 でも実際は、〈世界〉から〈自己〉を切り離すことはできないのだから、僕たちが生きているということ自体が、 既にそれらの問題に関わっていることなのだと僕は思います。 だから、無関係ではあり得ないと思うので、あとは、どのように関わっていくかの問題だと思います。
7 :
714 :2009/05/28(木) 15:23:35 0
>諸事情の関係性が実在的に証明されないなら、決定論は観念論ですよね? 決定論的関係性を証明できないとしても、それが実在しないとも言い切れないので、 決定論が正しいとも、非決定論が正しいとも言えません。 そういう問題は、人間の理性の限界を超えた(あるいは限界ギリギリの)事柄です。 決定論も非決定論も実在論も観念論も、「真」であるとも「偽」であるとも言えない それぞれの立場、考え方として、これからもずっと残っていくでしょう。 そういう場合、決定論か?非決定論か? とか、実在論か?観念論か? のように、 二者択一的に問題を設定することは、哲学的には有意義ではないと僕は思います。 そうではなくて、決定論と非決定論における「必然」「偶然」「自由」、また、実在論と観念論における 「実在」「観念」とはどういう事柄なのか? ということについて、考えを深めていくことが大事だと思います。 >原因群の、結果への移行に見られるヴァリアントは、ポリフォニー的なものでしょう? ポリフォニー的だろうし、また、>228に書いたような存在の相互依存性を考えると、 全てのものが全てのものに対して相互作用し合っている世界の中では、或る一つの出来事が 成り立つためには、他の一切の存在が不可欠だと思うので、或る一つの出来事の原因は、 存在全体であると言えると思います。 >やがてやってくるだろう死について、どんな風に考えていますか? いろいろ考えます。 死を思うと、今生きていることがとても貴重なことに思われ、もっと思い切った生き方をしよう! などと思ったりします。
8 :
714 :2009/05/28(木) 15:25:08 0
>432 >健康ブームに従って生活を徹底させ、健康診断の結果 >「あなたは今50歳ですが、脳年齢、肌年齢は20代です」とお医者さんに言われて、 >自信を持つ人って多いでしょう。 >人々にも多少ゆとりができたと思いますよ。死に対するゆとりみたいなの。 僕にはそうは思えません。 健康に価値を置けば置くほど、病や死は、ネガティブなものにならざるを得ないと思います。 昔は、「神に召される」とか「仏さまになる」のように、 死にもそれなりの価値が置かれていたのだと思いますが、今はどうでしょう。 健康ブームは、死を見つめることからの逃避の結果ではないでしょうか。 >433 >「獰猛で好戦的ながら、同時にセクシャルで優美なイメージを併せ持つ女性像」 >って好きですよ。 ヒステリックとか、EGOISTみたいなブランドのネーミングは、僕はいやだなぁ… (ファッション業界全体が好きじゃないんだけど。) (僕はファッション関連の仕事を営む家に生まれ、綺麗な女性たちに囲まれて育ちましたが、 ファッション業界独特の雰囲気にはどうもなじめません。) ファッション業界が嫌いな理由については考えたことがありませんでしたが、今、分析してみました。 金儲けであるのに、中途半端にアーティスティックである点がいやなのかも知れません。 そしてその業界の人たちが、アーティスティックな面を前面に出しているところが、僕にとっては胡散臭い所ですw アーティスティックといえば、ゼキさんに「芸術家だと思っていますか?」と質問されて、 バルテュスさんが「思っていません。職人だと思っています。」と答えていたのは素晴らしいと思います。 衣服でも、洋服ではなく和服の方面なら、アーティストとしてよりも職人としての意識が強い人が多い気がします。
503 名前:ぜっとんT世 投稿日:2009/05/18(月) 21:59:15
あっ、そういや、いつだったか誰かと話してた、
メルロ=ポンティのセザンヌ論についても
そのうち語らなあかんなw
504 名前:ザ・スミス 投稿日:2009/05/18(月) 22:04:54
>>503 メルロポンティすごく難しかったよ。可逆性?何だそれ?
でも現象学って面白そうなのでいつか理解したいです
505 名前:ぜっとんT世 投稿日:2009/05/18(月) 22:23:33
>>504 言葉遣いが難しそーなだけで
そんなに難しいことはいってへんで。
セザンヌが言葉にせずに描いたもんを
M=Pが言葉にしたわけやから。
506 名前:ザ・スミス 投稿日:2009/05/18(月) 23:48:47
>>505 ホント? じゃあそろそろ本格的に現象学の本を読んでみようかな?
『見えるものと見えないもの』は値段高いな。
507 名前:ぜっとんT世 投稿日:2009/05/22(金) 00:07:21
メルロ=ポンティ・コレクション(ちくま学芸文庫)に
「芸術について(セザンヌの疑い)」が入ってるけどなー
508 名前:ザ・スミス 投稿日:2009/05/22(金) 00:49:07
>>507 今度買ってみるよ 安い本はいいなあ
509 名前:がむちょこ メェル:sage 投稿日:2009/05/23(土) 11:17:32
「見えるものと見えないもの」はおもしろいけど
未完の遺稿をまとめたものだし、みすずでは翻訳に25年?かかっている。
読みにくいよ。「眼と精神」なんかもいいね。
510 名前:ぜっとんT世 メェル:sage 投稿日:2009/05/24(日) 20:44:23
せや、「見えるものと見えないもの」は遺稿集なんやなー。
未完ノートゆえのなまなましさみたいなもんは逆にあるけど。
わてが持ってるのもみすず。法政版もあるみたいやけど。
でもまだ全部読んでねーしなー。
511 名前:吾輩は名無しである 投稿日:2009/05/27(水) 04:24:21
>>509 お前まだいたの?w
しぶといねえ、ゴキ腐リは。
また糞コテとしての意地みたいなのを守りにきたのかなw
出会い系サイトでメンヘル仲間のメル友探しでもしてればいいのにね。
ところで、誰かに謝らなきゃとか思わないかな?
身障者にそんな事期待しても無理かもしれないね?
こんなやつがなんでパソコン持つ権利を与えられてるんだろう。
信じられんわ。
512 名前:吾輩は名無しである 投稿日:2009/05/27(水) 04:31:03
>>510 また固定に欲情して、数年粘着でもするつもりなんだろ。
不快に思った人間が叩けば発狂、自演してネガティブキャンペーンでもして?
こいつの頭なんて見え透いてる。基地外が。
消えろよ。屑は2ちゃん来るな。
お前みたいなメンヘルに2ちゃんなんて無理なんだよ。
普通に考えてわかるだろ?
513 名前:吾輩は名無しである 投稿日:2009/05/27(水) 04:31:53
>>510 じゃないや
>>509 な。
514 名前:吾輩は名無しである 投稿日:2009/05/27(水) 18:49:08
>>509 でもないや
>>511 な。
515 名前:吾輩は名無しである 投稿日:2009/05/27(水) 18:50:05
それと
>>512 もな。
516 名前:吾輩は名無しである 投稿日:2009/05/27(水) 20:00:16
< ヽ
∠ハハハハハハハ_ ゝ
/ ∠_ | 1さんってさぁ・・・
/ ∠_ |
|  ̄\ / ̄ ̄ ̄ / | なんかそこら辺の連中と
. |__ ____ | |⌒l. | 匂い違いますよね・・・・・・
| ̄o /  ̄ ̄o/ | l⌒| . |
|. ̄/  ̄ ̄ | |〇| | 厨房というか
. | / |,|_ノ | ドキュソっていうか・・・
. /__, -ヽ || | もっとはっきり言うと・・・
. ヽ――――一 /\ |\
/ヽ ≡ / \_| \ バカの匂いがするっていうか・・・・・・
/ ヽ / | |ー―
/ ヽ / | | ̄ ̄
/ヽ_,/ /| |
517 名前:吾輩は名無しである 投稿日:2009/05/27(水) 21:16:03
おやはや(笑)
518 名前:がむちょこ メェル:sage 投稿日:2009/05/27(水) 22:05:34
でたなきちがいwww
519 名前:ザ・スミス 投稿日:2009/05/27(水) 22:08:55
>>509 25(?)年もかかってるんだ。
個人的にはメルロポンティってただでさえ分かりにくいから
読みにくいのは嫌だなあ。
それだったら眼と精神にしようかな?(通称 精神と時の部屋)
520 名前:ザ・スミス 投稿日:2009/05/27(水) 22:11:51
>>510 全部読んでないの?
オレも分厚い本って飽きそうだから最後まで読めるか心配だぜ!
521 名前:吾輩は名無しである 投稿日:2009/05/28(木) 04:24:51
>>518 基地外はお前だけだろ。汚い自意識見ての自己言及か?メンヘル板に帰れ。
腐女子の人格障害婆の、姫になりきり悪口日記スレに常駐して、
学問板に、スレがdat落ちししづらぐらいの理由で糞スレ立てては居座り続け、
宣伝、自作自演、コテ叩き、人格攻撃、粘着、なりすまし、スレ私物化を続けて何度もアク禁になって喜んでて、
哲板から追い出されたたのはがむちょことかいう糞コテじゃなかったかな?
エートルオートルと?菜の花?とかいう基地外といっしょになって、
(こいつらはネット恋愛ごっこしててキモかったな。
メアド交換してるのにわざわざ掲示板でプライベート晒し合って濃厚になれ合ってた露出狂の基地外な。
ネットイナゴの真似事して喜んでたんだろ?で、あっという間に論破、醜態さらして逃げたんじゃなかったっけ?)
誰も低能のお前になんか興味ないから目立ちはしなかったがなw
お前と比べれば、武陽がまともに思えるよ。武陽のほうがお前より頭いいしな。
学問板くんなよ。消えろ基地外。くっさい同人でも書いてろ。
522 名前:吾輩は名無しである 投稿日:2009/05/28(木) 04:31:40 で・・・まあがむちょこってどういうやつなのか、一応てきとうに書いといた訳だけど、 そういうメンヘル基地外とからみたいなら、まあ好きにしたらいいだろ。 普通の知能の人間なら、避けるか釣るか叩くかな屑だけどな。 こんなやつと話さなきゃならないほど、飢えてるんであれば好きにすれば。 話し相手ぐらい選んだほうがいいと思うけどな。2ちゃんは人格障害の巣だから。
529 名前:吾輩は名無しである 投稿日:2009/05/28(木) 20:22:11 だいたいさあ、お前らが「哲学の基本は対話」でやったことといえば、 スレの私物化、宣伝、閉鎖的なスレの使用、ネットストーキング、IP晒し、集団での個人攻撃、マルチコピペ、なりすまし、 他にもいくつもあるんだよ。 それに比べて私がしてることがどのルールに違反してるか書いてみれば? 比べもんになんないじゃん。馬鹿じゃないの? お前IQいくつよ?数も数えられないの? ローカルルールとか、お前が言う権利ないだろ?死ね屑が。 これだから人格障害は笑えるよなw
16 :
ナレーション(第三層) :2009/05/29(金) 00:48:25 0
なんという醜さであろうか。
17 :
考える名無しさん :2009/05/29(金) 04:47:26 P
18 :
みうん :2009/05/30(土) 04:25:35 0
>>3 714さん
>汎神論が、神的なものと世界と人間とを連続的に考えるのに対して、キリスト教はそこに断絶をおきます。
う〜ん。そうなんですかねえ。知り合いのキリスト教徒数人と話して、感じたのは、
「この人たちは、場所を持たない王国の民の、
リュニオンの為に生きているんだなあ・・」ということです。
そのきずなのために音楽があり、書物があり、芸術があると。
その王国では、キリストは師であり父であり、理想の家の住人と、
ともに暮らし、笑い、労働すると。
これは、ニーチェの思い描く断絶世界では全くないですよ。愛の世界です。
キリストのアガペーとニーチェの運命愛、どっちがいい?と聞かれれば、「どっちも」ですね。
彼は、キリスト教そのものを批判すべきじゃなくて、
ハイデガーが磊落を批判したように、俗習に埋もれる事だけを批判すれば
私とかにもわかりやすかったのかなあと思います。
ニーチェは、醜悪な畜群の根底にあるものを叩きたかったんでしょうけど、
叩くべきはキリスト教的教義じゃなくて、エゴや自己欺瞞そのものでしょう?
それさえ取り除けば、ゲーテ的な「高み」にやすやすと手が届きますよね?
何かを崇拝する事が、ニーチェは許せなかったのかなあ。
19 :
みうん :2009/05/30(土) 04:26:39 0
>>4 >いいえ。
無理に「はい」と言わせようとは思わないんですが^^
人々が、差延の中で生きる事が理想で、それが思想になっている訳だから、
ニーチェはやっぱ、その思想を普及させて人々を整列させたいわけじゃないですか。
宗教が絶対的だった時代でも、ライフスタイル自体は人それぞれだし、
曖昧さの中にうたた寝していた人もいれば、宗教画をきわめて失明した人もいますよ。
宗教は絶対的価値じゃなくて、生活の一部だっただけでしょう。
一部の狂信者は別として。
ただこれには同感です。
>弱いから確実なものを求め、それを支えにしようとする欲求が生じるということです。
物理的制約がある以上、寄る辺なく孤独に生き続けるのでは病死しますから。
弱さを排したニーチェですが、・・・どうでしょう。
弱さとは悪ですか?ニーチェはこんなことも言いました。
「善とは何か――人間において権力の感情と権力を欲する意志を高揚するすべてのもの。
悪とは何か――弱さから生ずるすべてのもの。」――ニーチェ「反キリスト」
権力そのものが彼の寄る辺とも言える、としてしまうと意地悪ですが、
権力を持つとして、彼はどの世界で何に対して権力を得たかったんでしょうね?
ニーチェの影響で、統合失調症者の欲望について熱く語ったドゥルーズですが、
三段論法で、自身の感情を針小棒大的に解釈し続ける彼らの崇拝するのは、
内在的他者です。それで行動が過激になるなら、カルトでしょう。
しかし、単なる小さなカルトだったものが成長して伝統になる場合もあるし、
進化の一端として、歴史性に垂直な流れがあってもいいでしょうね。
20 :
みうん :2009/05/30(土) 04:29:19 0
>>5 ラディゲはこないだ読んで、暴力と無関心も愛のひとつなのかなあ、と思いました。 普通に考えて、「肉体の門」の主人公は最低ですけどねw 水槽の中の閉じた世界にただようナイフがそこら中さばくのを手放しで眺める楽しみはあります。。。 >その中に、『ボヴァリー夫人』『チャタレイ夫人の恋人』『武蔵野夫人』とか、 >ラファイエット夫人の『クレーヴの奥方』などがあったので、 夫人好きw 面白い趣味ですね^^ 夫人の生活は、中学生にとっては、魔的な幻想世界とすら感じられるでしょうね。 どんな感じだったのか聞きたい所です。 見えない部分というのに、人はエロティシズムを感じます、 夫人の倦怠感と憂鬱、変わらす愛くるしい美貌を眺めながらの化粧、 非論理な情念からの誘惑に逆らえないはかなさ、みたいな私的なものは、 女性が隠し、男性がそれにたまらない感情を覚え、暴きます。 メルロ=ポンティも、「見えるものと見えないもの」を書きましたが、 男性は、なぜ、暴くんでしょうね? 「たまらなさ」「暴き足りなさ」って不思議です。その先に、知の領域があったり? カリカリに仕上がったカサブタを剥がして血を見た瞬間解剖学に目覚めるとか・・・ なんでしょうね・・・
21 :
みうん :2009/05/30(土) 04:30:16 0
>>6 傍観者的であるからと言って、関わらない訳ではありませんよ。
意図しようとしなかろうと、私は間接的に彼らと関わっています。
いま、アフリカの子供が欲しているのは、
やりがいのある仕事と、虐待のない家庭と、教材に不自由しない充実した教育でしょう?
それに対しては、
砂漠に風力発電を設置する事、落とし物の大金はユニセフに募金する事、
オイルサンドの発掘、ネットベンチャー企業のアフリカへの誘致、
をすることが先決と、と意見することを今してます。
この意見を発展させる方法はいくつかあるでしょう。
・・メディアの報道では、彼らがいかにも貧乏でかわいそうに見えますが、
資本主義社会の物質主義的な思想統制がそう見せている面もありますよね?
よりどりみどりのスーパーもない、家にはテーブルもなくわれた食器しかない・・
でも、そんな事に首を突っ込むのは、いかにも下世話な話だろうと思います。
ナバホ族の人たちが民族衣装をすててTシャツを着て車に乗るとか、変ですよ。
白人至上主義の欧米社会が恐れているのは、現状のアフリカでの人口爆発です。
地球上の全人口に対してアフリカ系黒人の割合が増え、その上教育が完備されると、
こちとらの社会が脅かされる訳です。だから資金援助をしません。
問題が多いですよね。地球上の食物を全人類で分け合えば、
一人分の食事量は一口分にも満たないんですよ。どう思いますか?
22 :
みうん :2009/05/30(土) 04:31:41 0
>>7 何かの論を主張する事は、その基底となる一切を払いのける作業でもあって、
要するに、論を主張していないのと同じなんです。
だから、私は、○○論というのがどうも好きじゃありません。
実在、観念や神秘について、、、それらは一つの事物の中で混在しています。例えば、
http://www.nicovideo.jp/watch/sm6085510 ↑これですが、ちょっと批評を加えると、、、
2ちゃんねるの歴史上、多くの偉人達が無名で自己犠牲的に功績を上げ続けてきた訳ですが、
彼らがどんなにアクロバットな内的体験を記録、拡散させ、住民の2ちゃんライフを支え、
消えていった所で、それに感謝一つせず、能天気にツンデレ愛の拘束的な快楽をむさぼる、
という一点において、この男女はいかにも素朴実在論的で、神秘主義者の呪いをまとっており、
その影響からか、彼らの対話は言ってみれば、イタさの臨界点に達しており、同時にそれは、
狂気的な内的体験の外部性への萌芽が、ある地点への方向性を指し示してもいます。
ニコニコ動画住民の、生命的な可能性へのリーチがここにあると言えるでしょう。
実在論と、神秘主義が人を挟んで牽引し合う事で、音楽が生まれる訳ですよね。
力動にあやつられる見えない弦があって、人という楽器を弾いているようです。
>或る一つの出来事の原因は、 存在全体であると言えると思います。
一つの事物が全体性を象徴している場合というのがほとんど全てでしょうね。
23 :
みうん :2009/05/30(土) 04:32:36 0
>>8 >健康ブームは、死を見つめることからの逃避の結果ではないでしょうか。
そうとも言えますね。たぶん。
人の細胞は死に続けている訳で、それを代謝と言いますが、その先には死がありますよね。
最後の瞬間まで、代謝が滞りなくおこなわれることが理想の健康でしょう?
だとしたら、健康と死がそれほど対極にあると、私は感じません。
ただ、病気はやっかいですね。なると必ず不快な思いをしますから。
体が変質するから、前の生体的な感覚が維持できなくて不快なんでしょう。
それをのりこえることも、出来なくはないかも知れませんけどね。
>金儲けであるのに、中途半端にアーティスティックである点がいやなのかも知れません。
例えば、最近バギーパンツが流行ってて、バギーはヒップホップカルチャーの象徴なんですが、
(最近のイスラム原理主義はヒップホップに教典を折り込み若者の人気を買っています。)
これにアメリカ田舎風なシースルーのカントリーなパフスリーブシャツを合わせる、
このミキシングは、過干渉と報復テロがあったアメリカとイスラムをつなぐものであって、
その着こなしをする人それぞれが平和のアイコンと化す訳ですよ。
気取っていて金儲け的な側面もありますが、政治的アプローチもあるんです。
芸術家のアンガージュマンがここにあります。
それで、、、ご家族がファッション業界の人だとすると、
家業を見て育った714さんも、布に対する審美眼は相当鍛えられてるんじゃないですか?
24 :
みうん :2009/05/30(土) 04:34:00 0
余談ですが、対話にありがちな連想ゲームには、催眠効果が潜んでいて、 人間の深層意識を引き出す場合もあるようです。 深層意識は、赤ちゃんの肌みたいに敏感で、汚れやすく傷つきやすいものですし、 催眠効果によって殺人衝動などが引き出される危険がない訳でもありません。 リスクばかりあげつらいたいというのではないのですけど、 時々自由気楽ににテーマを変えましょうね。
25 :
考える名無しさん :2009/05/30(土) 12:40:18 0
460 名前:吾輩は名無しである メェル:sage 投稿日:2009/05/13(水) 01:58:27 | 丶 _ .,! ヽ > ``‐.`ヽ、 .|、 | ゙'. ,ト `i、 `i、 .、″ | .,.:/"" ゙‐,. ` / ` .,-''ヽ"` ヽ,,,、 ! 、,、‐'゙l‐、 .丿 : ':、 、/ヽヽ‐ヽ、;,,,,,,,,,-.ッ:''` .,"-、 ,r"ツぃ丶 `````` ../ `i、 ,.イ:、ヽ/ー`-、-ヽヽヽ、−´ .l゙`-、 _,,l゙-:ヽ,;、、 、、丶 ゙i、,,、 ,<_ l_ヽ冫`'`-、;,,,、、、、.............,,,,、.-`": │ `i、 、、::|、、、ヽ,、、. ```: : : ``` 、.、'` .|丶、 .l","ヽ、,"、,"'、ぃ、、,、、、、.、、、.、、、_、.,,.ヽ´ l゙ ゙).._ ,、':゙l:、、`:ヽ、`:、 : `"```¬――'''"`゙^` : ..、丶 .l゙ `ヽ ,i´.、ヽ".、".、"'ヽヽ;,:、........、 、、...,,,、−‘` 、‐ |゙゙:‐, ,.-l,i´.、".`ヽ,,,.".` `゙゙'"`'-ー"``"``r-ー`'": _.‐′ 丿 ,! j".、'ヽ,".、".、"`''`ー、._、、、 、._,、..-‐:'''′ .、,:" 丿 ゙l,"`"`''ヽヽ"`"` ```゙'''"ヽ∠、、、、ぃ-`''''": ` 、._./` ._/` `'i`ヽヽヽ`''ーi、、、: : 、.,-‐'` 、/` ``ヽン'`"` : `~``―ヽ::,,,,,,,,,,.....................,,,,.ー'``^ ,、‐'"` `"'゙―-、,,,,..、、 : ..,、ー'"'` : `‘"`―---------‐ヽ``"''''''""
397 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2009/06/01(月) 13:03:05 ID:ZPKyo/ZL 哲学の基本は対話―エートルオートル =*・゜゚・*:.雑.:*・゜(゚∀゚)゚・*:.談.:*・゜゚・*KshbumBTZI =◆INjIt6nmxE =芸術と批評―1 *・゜゚・*:.雑.:*・゜(゚∀゚)゚・*:.談.:*・゜゚・*―wMDHqGPerU =◆Fafd1c3Cuc=◆KshbumBTZI=◆KshbumBTZI =一番星◆Fafd1c3Cuc =天文学って文学じゃね?-菜の花 =哲学の基本は対話―184 =こころはいつもラムネ色―シリウス 芸術と批評=名無し *・゜゚・*:.雑.:*・゜(゚∀゚)゚・*:.談.:*・゜゚・*―◆mMmMMMMmmM =哲学の基本は対話=前541 =天文学って文学じゃね?、芸術と批評ーがむちょこ
399 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2009/06/01(月) 13:06:06 ID:ZPKyo/ZL ↑ 2ちゃんのあちこちに日記&なれ合いスレをじゃんじゃん立て、 メアド交換していながらプライベートな話題をわざわざ2ちゃんでえんえん続け、 非常識だと指摘した相手を荒らし扱いしながら、 誹謗中傷、煽り、なりすまし、コピペ連投自演その他を何日もかけてスレを荒し、 完全に被害者面しながら逃げ、なれ合いスレに逃げ帰り悪口大会をし、 またポエム書きながらうんちく大会して、プライベートを晒し合い美化し合い。 足がつかないようにコテやトリップを頻繁に変えながら2ちゃんにしがみつく。 いや〜彼ら、バカってのはいますね〜どこまでも痛いです。 次はどこに逃げながら発作つづけるんでしょうね?
どろどろとした醜さの裏側で、彼らは性的な話をし続けていた(
>>20 )
意識を失いながら、まだ呼吸はしていたが、ソーニャとカティは一番下の フックに移された。ここでは600度でローストされる。あと30分で二人は焼 き上がり、食べられるようになる。内庭のあちこちで、他の娘や青年たち が陶酔と死の間の朦朧とした気分のまま、ラックを下げられていった。シ ェフは、ソーニャとカティが十分に燻蒸され焼きあがったと判断し、二人 を炉にかけたままで、先端の肉を少し切り取った。乳房とお尻は火に近い せいで、やや早めに出来上がるのである。シェフは切り取った肉をフォー クで突き刺し、焼き上がったことを告げた。ソーニャが目を開けた。肉切 り包丁が彼女のお尻の肉をスライスしたときに、小さな声を上げた。彼女 の最初の尻肉ステーキが、先に焼き印で予約したカップルに渡されたとき、 鉄串に貫ぬかれた口で微笑んだように見えた。ソーニャが焼き上がるのを 皿を掲げたまま何時間も待っていたカップルは、彼女のつぶやきを聞き取 れなかった。「わたしのお尻の肉を味わってね、美味しいといいけど。今 夜の食事にわたしのお尻を選んでいただいて有り難う」ソーニャはそう言 おうとしたのである。ソーニャは鋭い肉切り包丁が、両方の乳房をさくさ くと切り取るのを感じた。米とかぼちゃ、ベビー・トーモロコシなどに貴 重な野生のマッシュルームを添えた二枚の皿の上に、自分のそれぞれの乳 房が載せられるのを、煙越しに見た。それは二人のメンバーに供せられる。 もちろんこの宴会の最初に彼女に焼き印を押した二人である。ソーニャは そのときの激痛を思い出した。片方で5ポンド(2.265Kg) の乳房は、ソーニ ャの父親と母親に、食べがいのあるメインコースとして渡された。ソーニ ャの上等な赤肉と豊かな脂肪、ロシア・ソースに調味料と高級ウオッカ、 最高のまた最高である。
最後にこの絶品を賞味してもらえるのであれば、ソーニャが苦しんだり暴 れたりしたこと、また死ぬことも意味があるというものであった。大きな 尻ステーキと乳房ステーキが焼き印者たちに供された後、ソーニャは火か ら下ろされ、長いテーブルの上に置かれた。まだ串打たれたままであった。 呼吸をしている。まだ生きていた。焼き上がりながら、生きていた。多く の客たちが、ソーニャが載せられた銀の大皿の周りに腰掛けた。皿は彼女 よりわずかに大きく、周囲を珍しい果物、異国の野菜で飾られている。太 股、ふくらはぎ、腕が切り取られる。内側は、おおかたがミディアムレア であった。ソーニャは夢の中にいるようで、ボリュームたっぷりの自分の ステーキが皿に盛られるのを見ていた。太股の肉を切り取られながら、美 味しいと賞賛する声を聞いた。ソーニャは、自分が美味しかったこと、自 分をローストした人々に喜ばれていることを知り、心救われた。彼女が最 後に聞いたのは、彼女の肩に切り込んできた電気カッターの音であった。 テーブルの数人が、今夜のメインディッシュにソーニャの肩肉のステーキ を選んでいたのである。隣のテーブルでは、小柄で赤毛のカティが、まだ 生きていた。小さな蕾の胸が、予約の焼き印を押したカップルに切り取ら れるのを感じていた。彼女の柔らかな若い膣が、同じカップルによって切 り出された。だれも焼き印を押していなかったからである。カップルは、 カティの膣と乳首の白い肉を食べたが、お腹一杯になるわけもなく、いま 一番下のラックから下ろされようとしている二人のアジア娘の方へ歩いて きた。今晩の食事を、東洋料理で締めくくろうと思ったのである。東洋の 神秘、小さくて身のつまった乳房は、カシューとアーモンドの実に埋めら れていた。ほどんどの胸肉を待ちわびた人々によってすぐに切り取られた が、なぜか、(牽制し合ってであろうか)貴重な繊細な乳首が残っていた。 カティの小さな胸と膣の肉で食欲を刺激されたカップルは、アジア娘の太 股と尻の肉を気のすむまで食することができる。
648 名前:吾輩は名無しである 投稿日:2009/06/03(水) 04:50:59
所詮、氏や育ちは変えられないねえ、ねえ
>>1 さん
教養も品性もない、人格も破綻してる。ただの貧相な喪男
喪男と腐婆のやることなんて見え透いてるんだよ。パターンが決まってるんだから。
時間をかけて君らがハンバーガーにされてくのを見るにつけスッとする思いだな。
ヒィヒィうめき声あげてさあ、見てるの楽しいわ。
因果応報だよね それぐらいのことはしてきたんだから。
君らを嫌いな人は多いよ。せいぜいそういう連中に食いつぶされるといい。
人に言わせると、どうも私は町中など人の間に入ると目立つらしくて、 よく見られて、声もかけられるし、人と関わればなんだかよく求愛されます。 そこで自分の存在をことさらに意識すると、動きがとりづらくなるんですよ。 人の津波が押し寄せてきて溺れる、変な悪夢を夜見た事もあります。
果てしのない愚かさが自らの尻尾を追ってくるくると走り回るのを我々は見るだろう。
くるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくる
36 :
714 :2009/06/04(木) 13:45:31 0
>>18 >その王国では、キリストは師であり父であり、理想の家の住人と、
>ともに暮らし、笑い、労働すると。
>これは、ニーチェの思い描く断絶世界では全くないですよ。愛の世界です。
断絶しているのは、神と人間です。
キリスト教の神と汎神論の神の大きな違いは、超越神であるか内在神であるかの違いです。
汎神論の神は世界に内在します(逆に言えば、神の外には何もない。)
それに対して、キリスト教の神は創造神なので、世界は神の外にあります。
(世界を創造するためには、神は世界の外にいなければならないから。)
さらに、キリスト教の根本教義である原罪説が、神と人間とを分断します。
(神は絶対的に善だから、原罪という悪は人間が勝手に産み出したことになるから。)
キリスト教の神と汎神論の神には、このように〈超越〉と〈内在〉という大きな違いがあるので、
スピノザは当時のキリスト教界から無神論者として攻撃されました。
ニーチェは、キリスト教は「民衆化されたプラトニズム」だと言いました。 キリスト教とプラトニズムは、
現実世界の彼方に超越的なもの(プラトンの場合はイデア界)が存在すると考えるところが同じなのです。
イデア界とこの現実世界との間には、断絶があります。
プラトンのように、現実世界の彼岸に超越的な世界があるとする考え方を「二世界説(二世界論)」といいますが、
ニーチェがプラトニズム-キリスト教を批判する際の批判の焦点は、それらが二世界説であることに向けられています。
プラトンがイデア界と現実世界とを断絶的に考えたのに対して、アリストテレスは連続的に考えました。
だからプラトンとアリストテレスの考え方の違いは、超越神と内在神の違いに対応します。
プラトンのイデアが、現実の個物を超えて、個物よりも先に、個物の外にあると考えられているのに対して、
アリストテレスの考え方は、エイドス(形相)が個物の中に可能態として内在するという汎神論的な考え方です。
37 :
714 :2009/06/04(木) 13:46:20 0
>叩くべきはキリスト教的教義じゃなくて、エゴや自己欺瞞そのものでしょう? ニーチェがキリスト教を叩いた理由はいろいろ考えられますが、 ニヒリズムとの関係が一番大きいだろうと思います。 ニヒリズムから脱却するために、キリスト教を叩かなければならなかったのだと思います。 プラトンがイデア界に最高の価値を与え、現実世界をイデアの影として軽く見たのと同じように、 キリスト教も神に最高の価値を与えるから、現実世界をあの世への通路のように軽く見なさざるを得ません。 そのように最高価値を与えられた彼岸世界が信憑性を失う時、「神の死」としてのニヒリズムが生じます。 神の死によって残される現実世界は、今まで「影」や「通路」として価値の低いものと見られてきたものなので、 神の死とともに、世界そのものが無意味で無価値であるように見えてくる。それが神の死によるニヒリズムです。 そのようなニヒリズムから抜け出すには、今まで価値を与えられてきた彼岸世界(キリスト教の神やイデア界)が もともと幻想だったのであり、もともとそんなものは存在しなかったのだということを明らかにしなければならない。 だからニーチェはキリスト教の虚偽を暴こうとした。 そのように思います。 例えば失恋した時に、現実が無意味で無価値に思われてしまうのは、神の死によるニヒリズムに似ています。 ただ、失恋の場合は少し時間が経てば〈恋は幻〉だったことが自然に分かり、自然にニヒリズムから抜け出せます。 神の死によるニヒリズムは、それとは事情が異なるとニーチェは考えます。 「神は死んだ。だがおそらく、さらになお数千年にわたり、神の影を示す諸々の洞窟が存在するだろう。 そして我々はさらに、神の影をも克服しなければならないのだ。」(『悦ばしき知識』) 「なお数千年」!です。 プラトニズム-キリスト教の影響力が、それほど大きかったとニーチェは考えていたわけですね。
38 :
714 :2009/06/04(木) 13:47:35 0
>>19 >人々が、差延の中で生きる事が理想で、それが思想になっている訳だから、
>ニーチェはやっぱ、その思想を普及させて人々を整列させたいわけじゃないですか。
普及させることは、均一化、画一化につながると思うので、それはニーチェの意図ではないだろうし、
ニーチェは自分の思想が、〈普及〉するようなものではないと考えていたと思います。
(ニーチェが新聞を嫌ったのもそういうことに関連しています。)
「ツァラトゥストラの序説」で、ツァラトゥストラが民衆に向かって超人について語った時、
誰も彼の言うことを理解しないので、ツァラトゥストラはこう言います。
「彼らは私の言うことを理解しない。私はこれらの耳にふさわしい口ではないのだ。」
『ツァラトゥストラ』の副題も、『万人のための、そして何びとのためのものでもない一冊の書』となっており、
だから、ニーチェの真意を理解することのできる者はほとんどいないことが前提になっていると思います。
『この人を見よ』では、こう書かれています。
「従来の諸価値の価値転換・・・それにはもちろん、強さゆえに破壊せんとして私に手を貸すような
血縁者たちを求めてあたりを見回すことも含まれている。・・・この時以来すべての私の書物は
釣り針となった。おそらく私は誰よりもよく釣りを心得ているのではなかろうか?
・・・何も釣れなかったけれど、それは私のせいではない。魚がいなかったのだ。」
つまりニーチェは、強さをもつ同時代の血縁者たち(彼が親近性を感じたスピノザやゲーテのような)
に向けて、「釣り針」として書いていたことになります。
39 :
714 :2009/06/04(木) 13:49:37 0
>弱さとは悪ですか?ニーチェはこんなことも言いました。 >「善とは何か――人間において権力の感情と権力を欲する意志を高揚するすべてのもの。 >
悪とは何か――弱さから生ずるすべてのもの。」――ニーチェ「反キリスト」 これは、キリスト教道徳に対するアンチテーゼとして読むべき所だろうと思います。 上の引用文中の「悪」の原語は‘schlecht’になっています。 ニーチェは『道徳の系譜』で、キリスト教道徳の「善-悪(gut-böse)」に対するアンチテーゼとして、 高貴な者の道徳「優良-劣悪(gut-schlecht)」を対置しました。 前者がルサンチマンにもとづく道徳であるのに対して、後者は自己肯定にもとづくところが大きな違いです。 でも、この「優良-劣悪(gut-schlecht)」という道徳観が、そのままニーチェの立場だとは僕は思いません。 ニーチェは「私は最初のインモラリスト(非道徳家)である」と自認しているのだから、 何らかの道徳を積極的に主張しているとは思えないからです。 >権力を持つとして、彼はどの世界で何に対して権力を得たかったんでしょうね? ‘Wille zur Macht’は、「権力への意志」よりも「力への意志」と訳すほうが一般的で、 そのほうが誤解が少ないと思います。「権力」では意味が狭すぎると思います。 人間だけではなくて、存在そのものが「力への意志」であるという考え方なので。 「この世界は力への意志である。そしてそれ以外の何ものでもない。」 存在そのものが力への意志であり、それぞれの力への意志が力の増大に向かって動いており、 それらの力と力とのぶつかり合いによって、世界の力動性が生じるという考え方です。 したがって、力の増大を求めない存在は何一つないことになります。 だからニーチェは、キリスト教の〈禁欲〉的な理想は、自らの力への意志を隠すための欺瞞であると考えます。 「何らかの形で優越をひけらかそうとする病者たちの意志、健康者を暴圧するに至るべき間道を求める 彼らの本能、まさに最も虚弱な者たちのこの力への意志、それが見いだされないところがあるだろうか。」(『道徳の系譜』) 一切は力への意志であり、弱者においても、力への意志が(屈折した形で)現れている ということをニーチェは暴露しようとしています。
40 :
714 :2009/06/04(木) 13:51:13 0
>>20 >夫人好きw 面白い趣味ですね^^
>夫人の生活は、中学生にとっては、魔的な幻想世界とすら感じられるでしょうね。
>どんな感じだったのか聞きたい所です。
中学生の頃の感じは覚えていませんが…
夫人好きは、まだ治っていないかもしれませんね。
(スーパーで買い物をしている主婦が好きですw)
(手の届かないものへの憧れもあるのか…)
(まぁ僕は失恋好きでもあるので、その点で一貫性はあるでしょうw)
>男性は、なぜ、暴くんでしょうね?
>「たまらなさ」「暴き足りなさ」って不思議です。その先に、知の領域があったり?
暴きますか…?
たぶん、いろんな欲求が交錯しているでしょう。
暴くことによって幻滅することを繰り返すうちに、
また確実に幻滅することを確認したい欲求も加わったり…
暴かずに、見えないものを見えないままにしておくことを楽しんだり。
41 :
714 :2009/06/04(木) 13:52:16 0
>>22 >だから、私は、○○論というのがどうも好きじゃありません。
観念論と実在論のように分けるのは、分けることによって事柄を単純化しすぎる危険があるでしょうね。
でもそれは、いろんな分野におけるジャンル分けなど、全ての〈分ける〉ことに伴う危険だと思います。
そのような危険はあるけれども、〈分ける〉ことは、図式的に理解するためにはとても有用です。
観念論と実在論、経験論と合理論、のように分けて図式化しなければ、
哲学史はあまりに混沌としたものになってしまいます。
だから、分けることの危険性を自覚して、それをうまく利用するしかないのでしょう。
>実在、観念や神秘について、、、それらは一つの事物の中で混在しています。
一人の哲学者の中にも混在しています。
例えばカントの哲学は、哲学史では一般に、イギリス経験論と大陸合理論とを総合した哲学として
位置づけられているので、そこには経験論と合理論とが混在していることになりますが、
代表的な観念論と見なされているカントの哲学は、実際は、先験的観念論であると同時に
経験的実在論でもあり、だから、観念論と実在論とが混在しています。
カントの哲学を独我論に結び付けようとする人もいますが、
それは経験的実在論なので、独我論ではありません。
カント→観念論→独我論と連想してしまうとすれば、
それは、〈分ける〉ことによって単純化しすぎてしまっているのだと思います。
42 :
714 :2009/06/04(木) 13:55:46 0
>>23 >最後の瞬間まで、代謝が滞りなくおこなわれることが理想の健康でしょう?
>だとしたら、健康と死がそれほど対極にあると、私は感じません。
細胞の入れ替えが滞りなくおこなわれるのが〈健康〉であるとすれば、
細胞の入れ替えがおこなわれなくなる〈死〉は、健康の対極にあるんじゃないでしょうか。
「滞りなくおこなわれる」というところに価値をおけば、病や死は没価値なものになるから、そうすると、
神の死によってニヒリズムが生じるのと同じように、健康を失う時にもニヒリズムが生じるでしょう。
〈健康〉と〈病・死〉とを、対極にあるものとしてではなく、スムーズにつなぐためには、
生の根底に「無常」を見るのが良いのではないでしょうか。
細胞の入れ替えがおこなわれるのも無常であり、また、入れ替えがおこなわれなくなるのも無常です。
>ただ、病気はやっかいですね。なると必ず不快な思いをしますから。
>体が変質するから、前の生体的な感覚が維持できなくて不快なんでしょう。
>それをのりこえることも、出来なくはないかも知れませんけどね。
そうですね。 前の(健康な時の)自分の状態と比較しないことが大事だと思います。
比較しないで、現在のありのままの自分(および世界)を、そのまま受け入れることができれば、
のりこえることができると思います。
>それで、、、ご家族がファッション業界の人だとすると、
>家業を見て育った714さんも、布に対する審美眼は相当鍛えられてるんじゃないですか?
審美眼は自分ではわかりませんが、布に対する懐かしさのようなものはありますよ。
>>24 >催眠効果によって殺人衝動などが引き出される危険がない訳でもありません。
また唐突に「殺人」が出てきましたねぇ… 殺人衝動というのは、誰にでもあるものですか?
自殺したいとか、人を殺したいとか、一度ぐらいは誰でも思ったことがあるとよく聞きますが、
僕はどちらも一度も思ったことがないんです。たぶん。
163 名前:吾輩は名無しである 投稿日:2009/06/03(水) 11:44:07 自演汚腐婆の怨念スレ自演汚腐婆の怨念スレ自演汚腐婆の怨念スレ自演汚腐婆の怨念スレ自演汚腐婆の怨念スレ 自演汚腐婆の怨念スレ自演汚腐婆の怨念スレ自演汚腐婆の怨念スレ自演汚腐婆の怨念スレ自演汚腐婆の怨念スレ 自演汚腐婆の怨念スレ自演汚腐婆の怨念スレ自演汚腐婆の怨念スレ自演汚腐婆の怨念スレ自演汚腐婆の怨念スレ 自演汚腐婆の怨念スレ自演汚腐婆の怨念スレ自演汚腐婆の怨念スレ自演汚腐婆の怨念スレ自演汚腐婆の怨念スレ 自演汚腐婆の怨念スレ自演汚腐婆の怨念スレ自演汚腐婆の怨念スレ自演汚腐婆の怨念スレ自演汚腐婆の怨念スレ 自演汚腐婆の怨念スレ自演汚腐婆の怨念スレ自演汚腐婆の怨念スレ自演汚腐婆の怨念スレ自演汚腐婆の怨念スレ 自演汚腐婆の怨念スレ自演汚腐婆の怨念スレ自演汚腐婆の怨念スレ自演汚腐婆の怨念スレ自演汚腐婆の怨念スレ 自演汚腐婆の怨念スレ自演汚腐婆の怨念スレ自演汚腐婆の怨念スレ自演汚腐婆の怨念スレ自演汚腐婆の怨念スレ 自演汚腐婆の怨念スレ自演汚腐婆の怨念スレ自演汚腐婆の怨念スレ自演汚腐婆の怨念スレ自演汚腐婆の怨念スレ 自演汚腐婆の怨念スレ自演汚腐婆の怨念スレ自演汚腐婆の怨念スレ自演汚腐婆の怨念スレ自演汚腐婆の怨念スレ 汚いので関わってこないでください
44 :
ナレーション(第三層) :2009/06/04(木) 22:23:35 0
はははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは。
いつまでこの薄汚いものを見せ続けられるのかと、 やがて我々は疑問に感じ始めるだろう。
しかし醜ければ醜いほど、眼を逸らせられなくなるのもまた事実である。
47 :
774 :2009/06/05(金) 00:55:22 0
>>25 ウンコの死によってニヒリズムが生じるのと同じように、ウンコを失う時にもニヒリズムが生じるでしょう。
仏教でもニーチェでも中島でもそうですが、
ウンコの根底に「無常」を見るのが良いのです。
細胞の入れ替えがおこなわれるのも無常であり、また、入れ替えがおこなわれなくなるのも無常です。
そうですね。 自分の書いた言葉は排泄物です。つまりウンコだと思います。
現在のありのままのウンコを、そのまま飲み込むことができれば、
排泄物は摂取物になるのです。
しかし
>>25 は私の目には、とても素晴らしいみウンコに見えます。
ウンコに対する懐かしさのようなものは感じますよ。
しかし、また唐突にみウンコが出てきましたねぇ…
けっこうあちこちに垂れ流してるそうじゃないですか。
ウンコしたいとか、ウンコを食べたいとか、一度ぐらいは誰でも思ったことがあるようですが、
僕もそう思ったことがあるんです。たぶん。
48 :
考える名無しさん :2009/06/05(金) 00:59:39 0
49 :
考える名無しさん :2009/06/05(金) 01:09:08 0
このスレを見ている人はこんなスレも見ています。(ver 0.20) 新・琴桃川凛を語りましょう 其の弐 [伝説の]
50 :
第の波平 :2009/06/05(金) 01:11:28 0
機械的唯物論者・爆乳大佐・哲学者最高位・哲学者次席・ 飛べないカラス・弁証法的唯物論者・福原の雄猫・匿名係長・ デアルカ・うあああ・ハルカ・唯識・小さなヨハネ・ りくーつ・こねりー・虫に聞け・処刑ライダー・VEGAN・比ヤング・ ふま・プギャオ・絵里万・あのな〜w・阿修羅∞落とし・殊羅研・短パン・ 【純一、あのな〜wの黄金ペアで日本サルカル構造を改革せよ。】・ ぴかぁ〜=第三の波平=第五の波平=メタP=ダバダ=伏蔵・観念は具現化する・あこがれ
51 :
ハンニバルにレスしないように :2009/06/05(金) 01:15:12 0
人i ノ:;;,ヒ=-;、 (~´;;;;;;;゙'‐;;;) ,i`(;;;゙'―---‐'ヾ ヽ;;';ー--―-、'';;;;;゙) / ヽ . / "-=・=-∵-=・=} | l )○( | | ヽ "ー=〓=-.'`| ビロんこよ? | \___/ . ノ `-ァヘV / ´ ヽ` ̄ ヽニソ ー-゙:.、 i - 、 `ヽ_ l: 、.: ヽ ゙i" ! i ; n .:c.: ', _..ハ | ハ/ { _,..-ァノ 、r‐、>ー ヽ | ト./ ` ̄__,.:=彡 :.ヾ、ニ二 / . | |ノ -=< ゙=tラ'" | / ,-一'" ̄´ i |:/ / \:. ! | ' / ヽ:. :、 \ ゙、 ノ .i:. ` ヽ ── = ニ /=、。。。。。。。。。。。。。。。。r=、ヽ ─ =ニ三 (◎ ヽ-─────(◎ ) ノ◎、 |\ \ / / | /◎、 (_,rへ `ソ /> ◎) (◎く| レ' ,rへ ) ─ = ニ \◎'/ / \ ヽ、◎/ ノ / \ ヽ ─ =ニ三 ( ◎( ) ◎) ─ = ー、_ら ⊂、_,r´
52 :
考える名無しさん :2009/06/05(金) 01:19:36 0
ハンニバルと機械って仲わりーの?
53 :
考える名無しさん :2009/06/05(金) 01:20:44 0
機械って名無しも使ってんのかw
54 :
考える名無しさん :2009/06/05(金) 01:23:57 0
...-ー、,-─ .-=・=- i、-=・=- .`ニニ´ | ヽ、__炎_,ノ | ぴぁ〜のゃな? | (U) | | / ヽ |
55 :
考える名無しさん :2009/06/05(金) 01:24:51 0
ハンニバルって鋭いこと言ってるじゃん
56 :
考える名無しさん :2009/06/05(金) 01:25:35 0
苧疾呼玖差亥苧饅湖にしゃぶりつきながら〜 うう旨過ぎwwwwwwwwwwwwwwww ヘラゲラ生と死を哲学することで初めて理解できるのだよwwwwwwwwwww 凡人には理解できんだろう まあ無理するな 凡人は働け!
57 :
考える名無しさん :2009/06/05(金) 10:31:24 0
機械発狂w
58 :
考える名無しさん :2009/06/05(金) 10:37:49 0
59 :
考える名無しさん :2009/06/05(金) 19:08:01 0
ぴかぁが野糞するスレはここですか?
60 :
考える名無しさん :2009/06/05(金) 19:10:54 0
機械ってハンニバルに恨みもってんだなw 純一もか?
61 :
考える名無しさん :2009/06/05(金) 19:29:32 0
機械はハンニですよ。
機械=ハンニ=純一か?
63 :
考える名無しさん :2009/06/05(金) 21:11:20 0
ドットコムもそうじゃね?
64 :
考える名無しさん :2009/06/05(金) 21:18:00 0
ゲツガテンショウとテツガクシコウって似てね?
65 :
考える名無しさん :2009/06/05(金) 21:28:48 0
>459 名前:闇 :2009/06/05(金) 18:34:44 0 私の方向は0から2の間。うまれてから死ぬまでこの範囲で動く。 芸能人でいうと志田未来、渡部篤朗、妻夫木聡。(順位遵守) 2から4の方向は夏川純や谷原章介当たりか? まあ、前からばれてたけど、この『闇』ってコテ、東スレのラルクっていう奴と 同じなんだよね。キーワードは志田未来。 で、『闇』は『し』であり、『し』はPIKARRR。 コテがつながっているかどうかが気になる奴は レスの日時を統計とれば答えがでるだろうに。 主要コテは曜日を問わず毎日1日中でてるから、まあ・・・そういうことだ。
66 :
し :2009/06/05(金) 22:45:47 O
あ?ああ全然違う。東はHOPEだよねこちらは雑種ちらみはあとあとアトミック
佃煮まにや=みうんは単体だろ? 714は誰?
68 :
考える名無しさん :2009/06/05(金) 22:47:18 0
主要コテは曜日を問わず毎日1日中でてるから、まあ・・・そういうことだ。
佃煮まにやー菜の花ーもうひとり と まーちんー早ーもうひとりの女 の関係は同じ。 つまり、佃煮まにやもたくさん自演してるうちの一人にゃん
70 :
考える名無しさん :2009/06/06(土) 00:09:22 0
>>67 にーちぇとぶっきょうの話が中心のやっちゃなw
71 :
考える名無しさん :2009/06/06(土) 02:05:02 0
なんであちこちのすれにAAはってあんの?
72 :
考える名無しさん :2009/06/06(土) 02:06:19 0
アンチハンニが暴れてるからだよ
73 :
考える名無しさん :2009/06/06(土) 02:07:50 0
↑という白々しい自演はハンニバルさん以外にありえません。
74 :
考える名無しさん :2009/06/06(土) 03:33:38 0
大体、自演対策本部 だの 機械的〜に神の裁きを だのは本人が立ててるんだから。 さらに、自分でレスしときながら↓ 238 名前:考える名無しさん :2009/06/04(木) 22:45:35 0 なんだここ 240 名前:考える名無しさん :2009/06/05(金) 15:43:34 0 うんたんとはなにかな? 241 名前:考える名無しさん :2009/06/06(土) 02:04:58 0 自演乙www 242 名前:考える名無しさん :2009/06/06(土) 02:06:57 0 ↑という凝った自演はハンニバルさん以外にありえません。 なんていう一連のツッコミを自分で行っているのだ。 これが哲学板なのだよ。 君達はそういう事情を受け入れつつこの板に来る必要がある。
75 :
考える名無しさん :2009/06/06(土) 03:36:56 0
74 名前:考える名無しさん :2009/06/06(土) 03:33:38 0 大体、自演対策本部 だの 機械的〜に神の裁きを だのは本人が立ててるんだから。 さらに、自分でレスしときながら↓ 238 名前:考える名無しさん :2009/06/04(木) 22:45:35 0
76 :
みうん :2009/06/06(土) 04:02:08 0
>>36 714さん
>断絶しているのは、神と人間です。
そうなんですかね・・・?
三位一体にはモデルがあって、・・・ググってもなかなかでてこないんですが、絵画では、
精霊、父、子の間に、血管が走って、その周りを蔓がからんでいる、そんな図が多いです。
(キリスト教がなんで血にこだわるのかは、やたらゴチャゴチャしてるらしいです。
コーカソイドの原宗教はスケープゴートの心臓をえぐって神に捧げる儀式をしてた様で、
血は供物、命の象徴だからこれを分け合いましょうという所かな。。)
神が世界の外にあっても、やはり信徒と神は血を分けており、神は彼らを請け負うんです。
だから、あくまで信仰の上での話ですけど、断絶はしていない、という事になってますよ。
キリスト教から信仰を取り除く事は出来ないでしょう?
ボーヴォワールが「客体化」と言いましたよね。三位一体のうちの「子」は、
理想となる精霊と、父の恩恵をうけ、彼らを内面に客体化する事で救われているんでしょう?
多少の欲望を抑えても、神が行為を代行していると信じる事で救われているんですよね。
神の客体化は同時に、内面に神を宿しているという事だから、一人一人が神として存在します。
内在神と超越神という分け方は、ジャーナリズムでよく見かけるんですが、
両者はそれほど極端に対立するものでもないように思えますよ。
アリストテレスはいいですね。彼の詩学は好きです^^
77 :
みうん :2009/06/06(土) 04:03:40 0
>>37 スピノザはほとんど未読なのですが、
信仰と無信仰のはざまについて、こんなことを言っていて印象的でした。
「信仰しないという態度の陰に信仰がすべりこみ、彼をからめとる」
彼の中でそうとう、葛藤があった事が忍ばれます。
>そのようなニヒリズムから抜け出すには、・・・
これは説得力ありますね。同意ですよ。持論ですか?
・ ・・ニーチェは、キリスト本人の生き方自体には「自由な精神」と賛美していたようです。
現実世界とニヒリズムは、キリスト教の教皇達のしいた体制についての批判だと思います。
キリスト教に即して考える事を禁止して、理想主義に陥り、
魔女狩りまでしていたヨーロッパの中近代は、グロテスクそのものですよ。
ドストエフスキーが、(神のもとの)理性について、「地下室の手記」でコメントしてます。
「自意識とは、二二が四よりもずっと高尚なものだ。
二二が四ときたら、後にも先にも何も残らない。
する事がなくなるだけでなく、知る事すらなくなってしまう!」
ニーチェの代弁としては的確でユーモラスですね。皮肉たっぷりです^^
ただ彼は、ドイツロマン主義を徹底的にこき下ろした人でもあります。
78 :
みうん :2009/06/06(土) 04:04:58 0
>>38 >つまりニーチェは、強さをもつ同時代の血縁者たち(彼が親近性を感じたスピノザやゲーテのような)
>に向けて、「釣り針」として書いていたことになります。
ニーチェは、作品の完成自体が目的じゃなくて、誰か個人を誘惑するために書いてたんですよね。
誰か1人のために書いた言葉ってのは、読む人の恋愛感情を刺激します。
ちょっと視点を変えて、、、
ホーリーマウンテンという映画があって、その中の一場面に、
「晴天から一本の巨大な釣り針がおりてきて、それにのっかる」というのがあります。
芥川龍之介も、「蜘蛛の糸」がどこからともなく垂れてくる、そんな情景を描いています。
深層心理と社会構造を同時に掘り下げる人は、たびたびそういうビジョンを見ますが、
異世界的な何かからの招待を受ける・・・こういう感覚って割とあるものです。
しかし、「釣り糸=異世界への架け橋」
というのは、子供にとっては理解しやすいものだしワクワクする話ではあるものの、
やはり、子供の半径5メートルの世界がどんどん広くなり、体験的知識も増えると、
未知のものから受ける刺激と情動に、理性のブレーキがかかるように思います。
理性のブレーキも、踏み込んだり離したり、自由自在だといいですね。
79 :
みうん :2009/06/06(土) 04:05:49 0
>>39 >それらの力と力とのぶつかり合いによって、世界の力動性が生じるという考え方です。
丁寧な説明ありがとうございます。ニーチェの、「力への意志」は理解できたんですけど、
彼には水のような感情というか、例えば、ガス・ヴァン・サントとか村上春樹的な、
「何にも深入りせず、誰とも関わらず、自閉的に生きる」そういう部分が皆無ですね?
ナイーブな人であるにも関わらず。ナイーブさが過激さに翻っています。
例えば、ニーチェの「いたわり」について調べると、
「いたわりつつ殺す事を見た事のない者は、人生を厳しく見た人ではない」
と見つけたりします。何というか、お肉の国の王子はガッツリしてます。
・・ニーチェを読んだからといって私自身、「悪い事をしてやろう」とかはあんま思わなくて、
なんとなくいつもまったりしたりのほほんとしてるんです。
714さんはどうですか?ニーチェを読んで、にぎにぎしい気分になったりします?
80 :
みうん :2009/06/06(土) 04:06:39 0
>>40 なかなか思いが遂げられない苦しみと、差し出された愛を受け取りきれない苦しみ、
どちらが重いでしょう?
苦しみを愛する事が美を生みますね。
で、なるほど。。。前にも、714さんが自身の性的な傾向について赤裸々に話すので、
私はちょっとびっくりしたんですけど。
考えてみると、、、フロイトが「全ては性に起因している」と発表してから、
その言説の奇抜さに賛否両論あったものの、それでも性がタブーから解放されて、
性が身近になり、商品化して、それがあまりに過剰、、あまりに安易になったように思います。
それで私なんかは辟易して、性について語る事を封印してしまいましたが、
714さんはその辺り、とてもおおらかですね。どうしてでしょう。
>暴くことによって幻滅することを繰り返すうちに、
>また確実に幻滅することを確認したい欲求も加わったり…
>暴かずに、見えないものを見えないままにしておくことを楽しんだり。
例えば、女性の服のしわのたっぷりした部分と、体に張り付いた部分を見比べて、
想像にふける事とかですかね。
81 :
みうん :2009/06/06(土) 04:07:56 0
>>41 >だから、分けることの危険性を自覚して、それをうまく利用するしかないのでしょう。
哲学史、思想地図を編纂するための「○○論」ですよね?
そうなると、「私は○○論者、○○主義者です」みたいな自己紹介する人ってどうなんでしょう。
意味があるのか知りませんが、無意味性のそばで論理を主張する事で、
なにか、スリルの様なものを感じているのかも知れません。
>一人の哲学者の中にも混在しています。
誰の中にも様々な観念が同居しているからものを考える事が出来るんで、
一人一人見ていけばその組み合わせは無限ですよね。
それで、先駆的な哲学者が出るたびに、その彼の立場を性格に表現するために、
新しい言葉で「○○的○○者」などと次々に概念的な呼び名が増えます。
概念って言うのはなかなか、パッとつかむのが難しかったりするんですが、
概念の無限増殖をフォローする立場の人って少なくないですか?
82 :
みうん :2009/06/06(土) 04:12:33 0
>>42 >審美眼は自分ではわかりませんが、布に対する懐かしさのようなものはありますよ。
「布に対する懐かしい感情」は、714さんのとても個性的な所ですけど、
感情について、あまり714さんは語りませんよね。品のいい人です^^
論理の記述は演繹法、感情の記述は帰納法と言いますよ。
ぜひ布への気持ちを語ってください。興味あります。
>また唐突に「殺人」が出てきましたねぇ…
↓対話の本を読んで事件を起こした人がニュースになったんですよ。
http://fantasia.livedoor.biz/archives/51374828.html 金山被告については、自由連想と内的対話のコンボは危険と思いました。
統合失調症についての精神医学書とドゥルーズの本を読み比べて、
関係妄想、操作妄想、と殺人衝動について考えていたんです。
例えば、強烈な夢なんかを見て簡単に「神と同一化した」と関係妄想で処理して、
カルトがかった人は、夢に基づいてあれこれやらかすじゃないですか。
常識を尊重する、排除するの境目が伝統宗教とカルトを分けるんですが、
常識を逸脱した言動をすると、風当たりが強くなるでしょう?
風当たりに過敏になると、被害妄想が始まり、やがて、、
反発心が発展して操作妄想とからまり、わかちがたくなって、
「神のもとに人を裁く」つもりで、殺人を犯すのかなあと。
(オウムを思い出して今書いてるんですけど。。。)
「天才とは、評価に惑わされない自信だ」とも言いますが、語弊があります。
また「船頭多ければ・・」と言いますが、やっぱ風通しは大事なんですよね。
83 :
ウンコをテツガクしろ :2009/06/06(土) 08:15:35 0
| 丶 _ .,! ヽ > ``‐.`ヽ、 .|、 | ゙'. ,ト `i、 `i、 .、″ | .,.:/"" ゙‐,. ` / ` .,-''ヽ"` ヽ,,,、 ! 、,、‐'゙l‐、 .丿 : ':、 、/ヽヽ‐ヽ、;,,,,,,,,,-.ッ:''` .,"-、 ,r"ツぃ丶 `````` ../ `i、 ,.イ:、ヽ/ー`-、-ヽヽヽ、−´ .l゙`-、 _,,l゙-:ヽ,;、、 、、丶 ゙i、,,、 ,<_ l_ヽ冫`'`-、;,,,、、、、.............,,,,、.-`": │ `i、 、、::|、、、ヽ,、、. ```: : : ``` 、.、'` .|丶、 .l","ヽ、,"、,"'、ぃ、、,、、、、.、、、.、、、_、.,,.ヽ´ l゙ ゙).._ ,、':゙l:、、`:ヽ、`:、 : `"```¬――'''"`゙^` : ..、丶 .l゙ `ヽ ,i´.、ヽ".、".、"'ヽヽ;,:、........、 、、...,,,、−‘` 、‐ |゙゙:‐, ,.-l,i´.、".`ヽ,,,.".` `゙゙'"`'-ー"``"``r-ー`'": _.‐′ 丿 ,! j".、'ヽ,".、".、"`''`ー、._、、、 、._,、..-‐:'''′ .、,:" 丿 ゙l,"`"`''ヽヽ"`"` ```゙'''"ヽ∠、、、、ぃ-`''''": ` 、._./` ._/` `'i`ヽヽヽ`''ーi、、、: : 、.,-‐'` 、/` ``ヽン'`"` : `~``―ヽ::,,,,,,,,,,.....................,,,,.ー'``^ ,、‐'"` `"'゙―-、,,,,..、、 : ..,、ー'"'` : `‘"`―---------‐ヽ``"''''''""
84 :
考える名無しさん :2009/06/06(土) 16:33:56 0
>>74 またまたハニ丸乙wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
85 :
考える名無しさん :2009/06/06(土) 18:08:28 0
ハンニ人気すげ〜
86 :
野次馬 :2009/06/06(土) 18:30:32 0
87 :
考える名無しさん :2009/06/06(土) 20:00:48 0
みうんこtのことだね。
88 :
外国人 :2009/06/06(土) 20:23:40 0
三島遺伝
89 :
考える名無しさん :2009/06/06(土) 20:48:36 0
このスレの住人が削除依頼するのはいいけど 自分でもっとひどい書き込みしてるじゃん
90 :
みうん :2009/06/06(土) 22:16:34 0
削除依頼を出そうとしてるのは私ですが、 何か、他の人や私についての情報の様なものは、ガセだらけですよね? ネットリテラシーもない人が何を騒いでるんですか?悪趣味ですね。 何の意味でくだらないコピペを貼ったりつまらないいいがかりをして挑発してるのか、 筋が通りように説明してみたらどうです?何がしたいのかさっぱりわかりませんよ。 哲板をみまわすと、このスレだけ変な荒れ方をしていて、おかしいです。
91 :
考える名無しさん :2009/06/06(土) 23:22:12 0
苧疾呼玖差亥苧饅湖にしゃぶりつきながら〜 うう旨過ぎwwwwwwwwwwwwwwww ヘラゲラ生と死を哲学することで初めて理解できるのだよwwwwwwwwwww 凡人には理解できんだろう まあ無理するな 凡人は働け!
92 :
考える名無しさん :2009/06/06(土) 23:25:38 O
島津貞子なんじゃないの?
93 :
考える名無しさん :2009/06/07(日) 00:02:22 0
>何の意味でくだらないコピペを貼ったりつまらないいいがかりをして挑発してるのか、 >筋が通りように説明してみたらどうです? ・・・筋が通りように説明してみたらどうです? ・・・筋が通りように説明してみたらどうです?? ・・・・・・!!
94 :
考える名無しさん :2009/06/07(日) 00:05:29 0
ヘヘ。sonetのぐあいはどうだい???
95 :
考える名無しさん :2009/06/07(日) 00:06:40 0
ハンニは人気あるけど、機械はないね
96 :
野次馬 :2009/06/07(日) 00:28:57 0
>>90 >>86 のほかのレスを見回してみてください
あなただけ浮いてると思いませんか?
みんなきちんとルールに従って削除依頼を行っているのに、
あなただけ自分勝手な都合だけ押し付けています。
こちらのスレが荒れてるのはわかりますが、少し冷静になられてはどうですか。
97 :
考える名無しさん :2009/06/07(日) 02:27:01 0
,r'^⌒⌒ヽ,r''⌒`ヽ、 /;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;ヽ;;;;;;;;;;;;;;;;ゝ /;;;;;;;;;;;;;;;;;;ノノ´`´`ヽ;;;;;;;;;;;;i !;;;;;;;;;;;;イ::. / \ ヽ;;;ノ ゝ;;;;;;;|:::: (。) ,(・) |シ 从从/: \ 、_! / ノ 勝は警察とか機動隊に電話を 从从 i 'ー三-' i l かけまくっているらしいな。 / ─ ─ \ 狙いは俺。 若々らしいですよね。 / | 基本ができていないんですよ。 (_ ) ・ ・ || 要するに万万美が露でつよ? l⌒ヽ _ノ | (^ω^)ポモポモすんなお | r ` (;;;U;;) )__) (_ノ  ̄ / / ( _)
98 :
考える名無しさん :2009/06/07(日) 02:31:01 O
掲示板なんてそんなものだぜ。よっぽど真面目ないた以外だいたいみんな同じ
99 :
馬場 :2009/06/07(日) 02:38:54 O
同じ甲斐源氏の流れを汲むものとして
100 :
☆☆☆ :2009/06/07(日) 10:30:03 0
削除依頼をする人は まずは管理者の手間ひまを考えて 削除ガイドラインをしっかり読みましょうね♪ それから2ちゃんねるガイドラインにも目を通してくださいね♪ まずは冷静になることです。 何でも他人のせいにする人がいますが、 もしかしたらすべて自分が発端になってる、 という場合もあるかもしれないので そのへんも一度考えてみてください♪
101 :
☆☆☆ :2009/06/07(日) 10:38:54 0
管理者サイドでは書き込まれたレスのIPアドレスがわかるので その人があちこちでどういう内容の書き込みをしているのか 面白いようにわかってしまうのですね。 だから、いくらHNを変えても名無しになっても無駄なのです。 もちろん過去の書き込み実績を参照することもできますし、 他の板でどのように書き込みをしているのかも把握できます。
102 :
☆☆☆ :2009/06/07(日) 12:09:56 0
それから、このスレッドを立てた人にもちょっと言っておきますが、
>>2にリンクが貼ってある「5の章」がまだまだ充分あまっています。
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1229308992/l50 そちらを消費する前に新しいスレッドを立てられてますが、
そうしたことを誰もがみんな同じようにやってしまうと
2ちゃんねるのサーバーにたいへんな負荷がかかってしまい、
ユーザーのみなさんにたいへん迷惑がかかってしまいます。
そうしたことも板の住民感情を損なうことにつながりかねません。
ですので、必ず古いスレッドを消費してから、
新しいスレッドを立てるようにしてください♪
103 :
☆☆☆ :2009/06/07(日) 12:14:00 0
この熟女好きも、よくこんなのと話してられるもんだ。 何やってんだ。
105 :
考える名無しさん :2009/06/08(月) 23:22:44 0
>>94 なに調子に乗ってんだばーかww
そんなことやってると通報されんだぞwww
ほんとwwばかだよなwwww
へへ。なんで???
107 :
妖精なび :2009/06/09(火) 13:17:14 0
みうんさんへ 削除依頼は 要請 と 整理 と依頼先が分かれてます 削除依頼する理由により、どちらに依頼するのか分ける必要がありますでつよ。 削除要請はガイドラインの、赤い『*』付きの理由でしか受付されません。 そして再依頼の場合もフォームを使用しないと受付には至りません。 フォームを使って、レス番も指定し、レスに対する削除理由を付けて初めて目を通してもらえます。 今の不備のままだと、何度しても見てももらえませんし、逆に削除板の妨害になります。 もう一度ガイドラインを理解出来るまで熟読される事をお勧めしますよっと。
108 :
考える名無しさん :2009/06/09(火) 21:40:57 0
>>106 おまえはほんと幼稚で、そのうえ腐ってんなwww
自分でちゃんとわかってるか?ww
そういうレス打ってる時の自分の顔いっぺん鏡で見てみww
前にも一回言ったよなw
同じこと2回言わすなやwwwww
二人は日本娘の締まった腿肉を皿にたっぷりと切り取った。他の客は、ま だ息をしている中国娘の尻肉を選んだ。もともとアジア娘の乳房は小さく て、極端な話、可愛い乳首をかじると余り残らない。脚も細いから、一本 くらいなら、飢えた男がたちまち食べ切ってしまう。しかしその味の絶妙 さは、比較するものがないのである。女性客は、いま焼き上がり切り捌か れる青年たちの尻肉ステーキに行列をつくった。彼らの筋肉はボリューム たっぷりで、腹ペコの女性二人でも、腕一本を平らげるのが精一杯であっ た。長い夜であったが、最後に一番下のラックに移されたのは、ドイツと スウェーデンの娘であった。この二人はソーニャ、カティと違って、ラッ クからテーブルに移されても、まだ十分に元気であり、反抗的であった。 二人の娘の肌は焼け、煙を上げていたが、シェフに切り捌かれながら、ま だ動いている。それも当然で、その娘らの尻、大腿の深い切痕は、まった くのレアであった。このテーブルはメンバーのためのもので、中には20年 以上の人食体験のあるものもいた。そうした人々は生に近い肉を好んだの である。
様々な記憶と文字列が女の脳裏に甦った
さまざまな
112 :
考える名無しさん :2009/06/09(火) 22:45:56 0
113 :
考える名無しさん :2009/06/09(火) 22:47:46 0
思い出したくない記憶、思い出したくない文字列が
何度も頭の中で繰り返される。
再び全能感と敗北感の間をめまぐるしく駆けずりまわり、
未明までコピペを繰り返す。
先生のせいで、わたし、夫に殺されるかもしれないな、そう思っています。 でも、別に先生に責任をとれなんては言いませんから、ご安心ください。 わたしの夫、先生のページを、毎日熱心に見ています。わたしにも見せま す。本当なのか、フィクションが混じっているのか、どこがどうか分かり ませんが、確かなのは、夫は、全部本当だと思っていることです。そして、 夫は思ったことは必ず実行する人なんです。わたしもそこが好きなのです が、ちょっと心配な時もあります。とくに今回は、心配です。わたしは、 先生の嫌いな「おばさん」です。おばさんは、物欲だけで、優秀な男と、 若者を滅ぼしたと書かれていますが、実は、おばさんも辛いのです。わた しと夫は、モデルなのです。それも変なモデルで、投稿写真誌のモデルな のです。35歳で、割合若くは見えるのですが、編集者は、以前のようには ちやほやしてくれません。夫は気のいい遊び人で、要求されるままに、な んでもやります。やります、といっても、わたしにやらせるのですが。新 宿の劇場の方と同じで、やっぱり一歩先をいかないと、みなさんに喜んで もらえないのです。わたしも剃られていますし、刺青も小さなものですが 入れています。ピアスもあそこに6つ入れています。全部、撮影をしながら でした。顔はかくして分かりませんが、わたしの身体を見た人は多いはず です。20の頃は、夫とふつうにからんで十分に商売できたのですが、だん だん難しくなりました。SM、複数の男性、刺青、どんどんエスカレート しています。次が、ピアス。最初、へそ。すぐあそこ。年をとると、大変 なのです。でも、そう悲観ばかりしているわけではなく、わたしも楽しみ なのです。雑誌には、わたしのことを、F氏(夫のこと)の奴隷女なんて 書いてあります。変だなとも思いますが、本当かなとも思います。夫は本 当にわたしの身体が好きですし、心も愛してくれています。それで夫は、 雑誌から、次の企画を頼まれているのです。しかし、もうわたしの身体で 出来て、雑誌の柱になり、お金になりそうな企画は、あんまりないのです。 それで先生のFGMがどうか、ということになっているわけです。
わたし、クリトリスを取るくらいなら、夫が喜ぶなら、いいなと思ってい たのです。夫が言うなら、ラビア(わたしたちの業界ではこう言います) も取ってもいい。何人か、そういう人がいることは、先生のページで分か りました。わたしも、M嬢やLさん、まだ他にもいらっしゃいましたね、 そういう人と同じで、自分の性器が嫌いなのです。嫌いだから、剃られた り、刺青を入れたり、ピアスの穴を開けられたりが、気持ちいいのだと思 います。痛いのですが、でも、性器が苛められていると思うと、いい気味 で、うれしいのです。わたしのラビアは、けっこう醜く、エレーナのよう ではありません。Lさんも、エレーナのものが奇麗と先生が(小説家の方 かもしれませんが)書いているのを気にしていましたが、わたしも気にな ります。わたしのは汚くて悪かったですね、って感じです。でも醜いので すから、取って欲しいのです。ラビアは切ってもらいたい、しかも夫が喜 んで、仕事になるなら本当にいいなと思います。クリトリスは残った方が いいけど、それも夫が喜ぶならいいのです。痛いのはぜんぜん平気です。 痛い方が、気持ちいいのです。夫が、わたしに先生のページを見せるのは、 その教育のためなのです。その内に、おそるおそる、やってくれと言って くるのは分かっています。わたしは、そんな夫が好きなのです。なんでも やってあげたい。でも、少し心配なのは、今日の写真です。よくは見えな いのですが、あれは切り取られた性器包丁のように見えるのですが、違い ますか。先日のXXXXの方の奥さんのものですか。そう思うと、丁度 150グラム位に見えます。あれでは、完全に中身まで切り取られて、取られ た方は、死んじゃうのではないですか。夫はあれを見た瞬間にわたしをぐ っと抱きしめて、興奮してました。多分、いつか頼まれそうです。ひどい 目に会いました。雑誌でやる前に、少しだけ実験をしてみました。爪切り では、ラビアは奇麗には切れません。ほとんどは切れるのですが、切断は できなくて、最後は引っ張って、千切るようにしないと切れません。あん まり痛くて、気が遠くなりました。夫にしがみついてしまいました。
2ミリほどの深さで、長さは5ミリほど、ほんとに少しなのですが、夫が慎 重に爪切りを当て、パチンとやりました。べちゃっという感じで、高い音 はしません。ただ電気が走ったように、のけぞってしまいました。痛い、 痛い。夫が、いくら力を入れて押しても、パチンといきません。夫はあせ って、引っ張ります。残った細い肉か繊維かが、伸びて、千切られて、 わあぁぁ、って感じです。たった2ミリで、この痛さ。現実はすごいって 感じです。でも、夫は、たった2ミリだから、音がしないのだと言います。 ここなら、とクリトリスをつまんで、音がするかもしれないと言います。 ここには芯があるからな、と言います。わたしがちょっと待って、と言 わなかったら、そのまま切られちゃったかもしれません。でも、少し、 気を取り直さないととてもダメです。だいたい、今日はカメラがいない のです。やっぱり、ロシアの人とか、新宿の人とかのように、なにかの 覚悟がないと、そう簡単ではありません。わたしも刺青とか、ピアスで 少しはなれているのですが、とても、とても。これなら、あの写真のよ うに、包丁でばっさりやってもらった方が、いいのではないかと思いま す。雑誌との話は決まっていますから、なんとか写真に写るほどの大き さのラビアを切り取って、夫は、それをいただかなくてはなりません。 わたしのビラビラは見苦しいほど大きいので、量の心配はありませんが、 ほんとに痛さを我慢できるかどうか。でも、アフリカの女性は全員が我 慢しているのでしょう。偉いな。Mちゃん、全部取るのでしょう。大丈夫 かな。心配になります。わたしの場合、ラビアを少しだけだから、これで 逃げ出すようじゃ、プロじゃないですよね。それにしても、XXXXの 方の奥さん、どういう事情ですか。 料理用のハサミがいいと夫がいいます。 カニなどを食べるときにレストランなどで出す、柄が大きく長く、刃は頑 丈ですが短いハサミです。夫が言うには、てこの原理で、すごい力が入る のだそうです。夫が買ってきたものはセラミック製です。刃と刃の間がピ ッチリしています。切れずに、刃の間にぐにゃっと肉が挟まって、にっち もさっちもいかなくなるということはなさそうです。
カニの殻用の道具というのが、なんだか失礼な感じですが、爪切りで切れ 残りを引き千切られるよりかは、いいかなと思っています。「飛び入り」 のモデル夫妻です。先生が一目置いておられるKさんから、本筋でないと 言われまして、なんとなくわたしの夫、不機嫌になっております。とくに 新宿の連中が評価されているのが面白くないようで、すごい対抗意識です。 わたしも負けてはいられないような気がしてきています。 二人して頑張る ぞ、なんて思っているのですが、やっぱり頑張るとわたしが痛い目にあう という図式は変りません、変りませんでした。先日、撮影が終りました。 本は年内には出来るそうです。紀伊国屋とかには並びませんが、ビニール カバーに入って盛り場の書店で売られます。自分で自分のことが出ている 雑誌を買いに行くのは面白いですよ。村上春樹さんなんかも同じような気 持ちかな、なんて言うと怒られますね。今度の雑誌はすごいです。最初に、 寿司屋さんのカウンターに裸で寝そべったわたしの写真。次に、お皿に乗 ったわたしの肉。1.5センチ×4センチくらいのものが二つ。丸ごと写って います。それが握り寿司になっているのが、次のページ。わたしの夫の勝 負企画です。50万で売れたと言っています。Mちゃんより高くて申し訳な いけど、企画料込みですからあしからず。夫の狙いは、ラビアの写真は、 股につながったままではもちろん掲載できませんが、切り取った後なら、 たんなる肉だから大丈夫、というところにあります。本当にそうでしょう か。先生が載せられたあの写真はダメということだったのでしょう。あれ は、あそこがまるごとだから、やっぱりいけないのでしょうね。二色刷り のページで切り取るところがでます。こちらは残念ながら、ぼかしだらけ になりますが、ご期待ください。ハサミは正解でした。それに編集部の方 にしっかり身体を固定してもらったら、チームプレーのように思えてきま す。わたしが頑張らなきゃなんて責任も出てきて、恐いとか痛いとか言っ てられなくなりました。人の力でがんじがらめにされている時は、なにを されても、あんまり痛くないよ、という新宿の劇場の方の意見は正しいで す。
二人が血相を変えて、わたしの脚を目いっぱい広げて固定します。それだ けで裂けそうでした。わたしは両ラビアに三個づつのピアスがしてありま すが、それに紐をかけて、これも千切れそうに引っ張ります。肉にテラマ イシン、ハサミにイソジンがかけられて、出血化膿防止と消毒です。これ、 全部、新宿の劇場のやりかたのマネですね。夫はわたしのために一番実績 のある方法を選んでくれたのでしょう。でも、やっぱり、Kさんに本筋で はないと言われるのも当然かな。でも、ハサミとお寿司は完全に夫のオリ ジナルですから、許してください。それで夫が、カニ用のハサミを持って 登場。引っ張られて透きとおるくらい薄くなったラビアをジョキジョキ。 エッ、エッ、ワアッ、イタイ、と硬直していると、不意にみんなが力を抜 いて、終り。みんなが、よくやった、よくやった、と褒めてくれるし、夫 は満足そうだしで、幸せでした。後は、出版社と親しい寿司屋さんの仕事 です。わたしは少し安静にということで、座敷で横になっていました。下 半身がズキンズキンと脈を打ちますが、そんなに不快ではありませんでし た。しばらくすると、寿司台に載せて、特特上の握り寿司が持ってこられ ました。トロとウニのあいだに、わたしの握りがあります。わたしがその 寿司をアンニュイに眺めているところを撮影。これ、荒木さんが撮ったら いいと思いません、先生。でも、実際は、全然有名じゃないTちゃんのカ メラ。鼻に汗かいて、ズボンをふくらませて撮ってくれているのが、可愛 らしい。みんな、いい人だな、そう、思えてきて、荒木さんなんて思って ごめん、って感じです。写真誌のXXXXに、切り取ったラビアが出てまし た。性器の美容整形がはやっているという記事で、ガーゼの上に乗っかっ たラビアの切れ端が4,5枚、写っていました。ほんとに小さな写真でしたが、 夫はさかんに、先を越されたと悔しがっています。この辺が、わたしの夫の 偉いところであり、また怖いところです。レーザーメスで、切り取ったと 書いてあります。手術の後、すぐ家には帰れますが、セックスは一月ぐら いは出来ないとあります。だったら、ハサミの方が治りが早いような気が します。
123 :
714 :2009/06/11(木) 09:58:43 0
>>76 >>断絶しているのは、神と人間です。
>そうなんですかね・・・?
そうなんです。
信者が神と信仰の上でつなりがあるのは言うまでもないけれど、
〈断絶〉か〈連続〉かというのは、それとはちょっと別のことで、
簡単に言えば、神と一体になれるかどうかの違いです。
キリスト教では、人がいくら信仰しても〈神と合一する〉ことはありません。
僕の手元にある哲学辞典で「神」の項を見ると、神はその性質によって、
汎神論・理神論・有神論の3つに分類されています。
【汎神論(pantheism)】…「一切は神であり、神と世界とは一体のものとする説」
【理神論(deism)】 …「神を世界の創造者として認めるが(汎神論に反対)、世界を支配する人格的存在
とは考えず(有神論に反対)、世界は創造された後では自然法則に従って運動し
神の干渉を必要としないと考え、啓示や奇跡などを拒む理性的な宗教観」
【有神論(theism)】 …「人格神論ともいう。汎神論に対しては神は世界の外にあるとし、
理神論に対しては人格神を想定する説。キリスト教の神観は有神論である」
「汎神論に対しては神は世界の外にあるとし…」がポイント。
〈内在〉と〈超越〉の違いです。
「世界の外」とはどういうことなのか…? そもそも、「世界」に「外」があるのか…?
と考えると、「世界の外」と言う場合の「世界」は、言い換えれば「この世」のことです。
そして「世界の外」とは、言い換えれば「あの世」のことでしょう。
だからそれは、ニーチェが批判したように、〈二世界論〉であるといえます。
124 :
714 :2009/06/11(木) 09:59:45 0
>(キリスト教がなんで血にこだわるのかは、やたらゴチャゴチャしてるらしいです。 > コーカソイドの原宗教はスケープゴートの心臓をえぐって神に捧げる儀式をしてた様で、 > 血は供物、命の象徴だからこれを分け合いましょうという所かな。。) イスラエルでは昔から契約に血が用いられていたらしく、 キリストの十字架上の死も〈新しい契約のための血〉として解釈されたようです。 新約聖書では、「血」はほとんど十字架上の死との関連で出てきます。 十字架上の血は「贖罪」としての意味をもつので、キリスト者にとってはとても重要なものなのでしょう。 この世の〈外〉にある神が、ただ一度だけ、断絶を超えて恩寵としてこの世に交わってきた。 それがイエスです。 十字架上の血による「贖罪」は、一回限りのものです。 「神はこのキリストを、信実によって、その血による贖いの場としてお立てになったのです。」(ロマ書) >神が世界の外にあっても、やはり信徒と神は血を分けており、神は彼らを請け負うんです。 「血分け」で有名なのが、キリスト教の三大異端の一つ、統一教会ですね。 統一教会の教えでは… アダムとイブは、サタンの化身である蛇の誘惑によって堕落し、サタンの血を引き継いでしまった。 それを断ち切り、神の血を受け継いだ子による地上天国を築くためには、 救世主の祝福を受けた者同士の結婚が行われなければならない。 それが有名な「合同結婚式」です。 (結婚式の後に、善の血に生まれ変わるために、お互いのお尻を三回叩き合って 怨念を追い出す「蕩減棒行事」というのがあるらしい… さすが三大異端)
125 :
714 :2009/06/11(木) 10:00:41 0
>神の客体化は同時に、内面に神を宿しているという事だから、一人一人が神として存在します。 >内在神と超越神という分け方は、ジャーナリズムでよく見かけるんですが、 >両者はそれほど極端に対立するものでもないように思えますよ。 超越神と内在神がそれほど違わないように思えるのは、 みうんさんが日本人であり、キリスト教の神への信仰が切実な問題にならないからでしょう。 遠藤周作の『深い河』の登場人物に、大津というクリスチャンがいます。 神父を志してフランスの神学校に留学した大津は、 キリスト教の神をキリスト教的に信仰することの困難さに悩みます。 大津が書いた手紙には、汎神論と有神論の対立がよくあらわれているので、引用します。 【神学校のなかでぼくが、一番、批判を受けたのは、ぼくの無意識に潜んでいる、彼らから見て 汎神論的な感覚でした。日本人としてぼくは自然の大きな命を軽視することには耐えられません。 いくら明晰で論理的でも、このヨーロッパの基督教のなかには生命のなかに序列があります。 よく見ればなずな花咲く垣根かな、は、ここの人たちには遂に理解できないでしょう。もちろん 時にはなずなの花を咲かせる命と人間の命を同一視する口ぶりをしますが、決してその二つを同じ とは思っていないのです。 「それではお前にとって神とは何なのだ」 と修道院で3人の先輩に言われて、ぼくはうっかり答えたことがあります。 「神とはあなたたちのように人間の外にあって、仰ぎみるものではないと思います。それは人間の 中にあって、しかも人間を包み、樹を包み、草花をも包む、あの大きな命です」 「それは汎神論的な考え方じゃないか」 それから三人はスコラ哲学のあまりに明晰な論理を使って、 ぼくのだらしない考え方の欠陥を追及しました。】
126 :
714 :2009/06/11(木) 10:01:34 0
上で、「ここの人たちには遂に理解できない」とされる 【よく見ればなずな花咲く垣根かな】は、芭蕉の句です。 西谷啓治は『芭蕉について』という論文で、この句に触れています。 西谷氏によれば、この句には、なずなの花との〈ほんとうの出会い〉が詠まれている。 その〈ほんとうの出会い〉は、物がその物の真実のありのままの姿として現れること、 つまり、なずなの花が、なずなの花自身のことを、ほんとうの意味で語ることによって生まれる。 そして、我々が、そのなずなの言葉を聞く立場に立つことによって生まれる。 そのような〈ほんとうの出会い〉が可能であるのは、なずなの花が、 その背後に無限な生命を含んでいるからである、と西谷氏は書いています。 「なずなが、垣根の下で小さい花を咲かせている。そこには、万物を生かし、万物を統一している 宇宙的ないわば生命というようなものが働いている。なずなの小さい花の中にもです。 なずなの花は小さいみすぼらしい非常に貧弱な花でありながら、それなりに春がきて花を咲かせている。 小さいなずなの花のところに無限な生命を同時に感じるということが、 なずなの花をほんとうに見るということになるのです。」 万物を生かし統一している無限な生命が、小さいなずなの花の『中』に働いている。 そして、その小さいなずなの花の『中』に、宇宙全体を感じる。 こういう西谷氏の説明は、 『深い河』の大津が「うっかり」口を滑らして「それは汎神論的な考え方じゃないか」と批判された言葉、 「神とは、・・・人間の中にあって、しかも人間を包み、樹を包み、草花をも包む、あの大きな命です」 と符合します。
127 :
714 :2009/06/11(木) 10:03:02 0
>77 >>そのようなニヒリズムから抜け出すには、・・・ >これは説得力ありますね。同意ですよ。持論ですか? そうです(独創的な解釈ではないと思うけど)。 僕はニーチェを読むときは、ニヒリズムを中心に読みます。 ニヒリズムを中心に読むと、ニーチェの思想全体が(比較的)つながって見えてきます(僕にとっては)。 ニーチェの思想…力への意志も、価値転換も、キリスト教批判も、永劫回帰も、運命愛も、 〈ニヒリズムの克服〉を中心にして、僕の中では一応つながっています。 何を中心にして読むかということは、非常に重要なことですね。 ニヒリズムを中心に読む、力への意志を中心に読む、永劫回帰を中心に読む、 それぞれの読み方によって、ニーチェの哲学はかなり違って見えてくるはずです。 まぁニーチェに限らず、何でもそうですが… いろんな解釈が分かれてくるのは、何を中心に読むのか、どこに焦点を合わせるか、の違いによるところが大きいでしょう。 仏教で、いろんな宗派が分かれているのも、そういうことだと思います。 どの経典のどの言葉を重視するのか… また、〈空〉を中心に見るのか、〈縁起〉を中心に見るのか… そういう視点の違いによって、全体が違って見えてきます。 >・ ・・ニーチェは、キリスト本人の生き方自体には「自由な精神」と賛美していたようです。 そうですね。 ニーチェは、イエスとキリスト教を分けて考えています。 そして、ルサンチマンの宗教であるキリスト教をつくったのは、 「憎悪の天才」パウロだと考えています。
128 :
考える名無しさん :2009/06/11(木) 10:03:19 0
おい、ナレーションの邪魔すんなよ その楽しみだけでここ見てるんだからさー
129 :
714 :2009/06/11(木) 10:04:11 0
>>78 >しかし、「釣り糸=異世界への架け橋」
>というのは、子供にとっては理解しやすいものだしワクワクする話ではあるものの、
>やはり、子供の半径5メートルの世界がどんどん広くなり、体験的知識も増えると、
>未知のものから受ける刺激と情動に、理性のブレーキがかかるように思います。
>理性のブレーキも、踏み込んだり離したり、自由自在だといいですね。
子供が異世界を空想したりするのは、自由な発想であるようにも思われるけれども、
実はそれは、童話とか漫画とかによってすり込まれたイメージなのかも知れない、とも思います。
時空を超越するような、ワクワクする夢のある物語を子供に与えることが良いと思い、
そういうものを好んで子供に与える親たちが多いでしょう。
だから、子供にとっての異世界は、自由な発想であるどころか、大人たちによって与えられた
固定観念なのかも知れません。
(「異世界」というのは、「この世」とは異なる世界ということだろうから、
「この世」と「あの世」という〈二世界論〉の発想が基本にあるような気がする)
ところで、常識にとらわれずに自由にものを見ることは、哲学者たちが昔から目指してきたことです。
とらわれから自由になれなければ真理は顕わにならない、と古代ギリシャの哲学者たちは考え、
だから彼らは〈観想〉という、自由に見る態度を重んじました。
それは現代の哲学でも同じであって、
例えば、有機物も無機物も、一切は「力への意志」であるというニーチェの考え方も、
現代の常識とはかけ離れた考え方であり、考えようによっては〈夢のある物語〉であるかも知れません。
僕は哲学を知り始めた頃、プラトンやカントの思想に「ワクワク」感を覚えました。
ハイデガーやニーチェの思想を知った時にもワクワク感がありました。
それらの思想によって、今までの自分の世界観が根底から覆されてしまうかも知れない…
そういう、未知の世界観に対する期待ですね。
130 :
714 :2009/06/11(木) 10:05:43 0
>>79 >714さんはどうですか?ニーチェを読んで、にぎにぎしい気分になったりします?
なりません。
>>80 >なかなか思いが遂げられない苦しみと、差し出された愛を受け取りきれない苦しみ、
>どちらが重いでしょう?
抽象的でよくわかりませんが…
苦しみは、客観的に存在するものではなくて、自分と世界との関わりの中で生じてくるものだから、
それが重い苦しみになるかどうかは、けっきょくは自分次第でしょう。
>それで私なんかは辟易して、性について語る事を封印してしまいましたが、
>714さんはその辺り、とてもおおらかですね。どうしてでしょう。
僕はテーマによって語る事を封印するということはしないと思います。
話の流れの中から、書きたいことを書いているだけなので、性についても、なんでもかんでも書くわけではなく、
「これを書くのは〈悪しき趣味〉だな」と思う場合は、書かないと思います。
(あと、哲学につながりにくそうな話はスルーしたりしています)
>例えば、女性の服のしわのたっぷりした部分と、体に張り付いた部分を見比べて、
>想像にふける事とかですかね。
見えないものを見えないままにしておきたいというのは、例えばこういうのがあります。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1326379148 (僕はマスクフェチではないけれど、マスクやブルカの魅力はわかります。
隠されることによる神秘性もあると思うけれど、他の部分を隠すことによって、
目の美しさが際立つという魅力もあるでしょう。)
http://news.livedoor.com/article/detail/3712336/
131 :
714 :2009/06/11(木) 10:06:48 0
>>81 >概念って言うのはなかなか、パッとつかむのが難しかったりするんですが、
>概念の無限増殖をフォローする立場の人って少なくないですか?
簡単に理解しようと思うのが無理なんですね。
例えば「先験的観念論」の内容を理解するためには、本当は『純粋理性批判』を理解しなければならない。
哲学辞典で「先験的観念論」を引くと、〈直観形式〉〈カテゴリー〉〈統覚〉〈アプリオリ/アポステリオリ〉…
と、カント用語がずらずらと出てきます。
そういう時に、その気があれば、〈統覚〉や〈アプリオリ/アポステリオリ〉の項目も哲学辞典で引けば、
少しずつ理解が深まっていくのでしょう。
ネットで検索するよりは、小さい哲学辞典が一冊あったほうがずっといいです。
この人が薦めている『岩波哲学小辞典』は、僕も気に入っています。
(290g。小さいし、内容が良い。現代思想の記述が少ないけれど。)
http://www.nets.ne.jp/~keio/methode_philo.html 【哲学の用語は難解で、言葉に出会う度につまづきます。そこでの道しるべ、いわば地図のようなものです。
しかし、この地図(哲学小辞典)もまた実に難解。 現地を知っている者だけに解る地図というところでしょう。】
132 :
考える名無しさん :2009/06/11(木) 10:18:58 0
ナレーションすげーなw >トロとウニのあいだに、わたしの握りがあります。 ここでワロタw
133 :
考える名無しさん :2009/06/11(木) 10:20:34 0
■練■習■生■若■葉■の■チ■ェ■リ■ー■ボ■ム■φ■モ■コ■ をはるかに超えてんな ほんとすげーw
いやこのナレーション哲学には サドやバタイユの思想を凌駕する真理が孕まれてる感じがする。 禁止された領域への神秘的ともいえる侵犯行為だな。
135 :
考える名無しさん :2009/06/11(木) 12:44:00 0
こ、これはポストモダンを超えた新しい哲学かもしれん!!
136 :
考える名無しさん :2009/06/11(木) 13:05:28 O
伸縮自在ないち形態なだけに全部が元に戻ろうとすると跳ね返る自己再起性だ。食べ物など取り入れるという行為自体もそれに相応する。故に
137 :
考える名無しさん :2009/06/11(木) 13:07:42 O
故に元に戻ろうとするとき全員の意志の方向を取ろうとするのである。かしこ
138 :
宮の下の位置から :2009/06/11(木) 13:26:12 O
しかるに元に戻るは時間の経過を意味する自己再帰性は物事に引っ掛かると転ぶのである。存在論的には事故に会うぶつかる。そしてもう一度意志の総和が働くのである
139 :
偉大なる大江健三郎 :2009/06/11(木) 16:14:14 0
ポストモダンを超えた新しい哲学は 日本を共産主義のほうへと動かす 資本主義にはまもなく限界がくる そしてマルクス主義が復活する 天皇制はもちろん廃止されて 日本共和国として生まれ変わる
140 :
考える名無しさん :2009/06/11(木) 17:03:05 0
>存在論的自己再帰性 もうすこしkwsk(w
141 :
考える名無しさん :2009/06/11(木) 19:09:28 0
アルチュセールがいうところの 重層的非決定パラダイム理論では 社会主義→資本主義→無政府主義→共産主義 となっていくらしいからな
142 :
考える名無しさん :2009/06/11(木) 19:15:01 0
「よく生きる」とは何か? 「善悪」とは何か? 誰かこれに答えられるかね? 別のスレでは 物事の正誤・良し悪しは、その者が持つ理性が定めるものです。 従って、理性が稀薄に育った者は物事の正誤や良し悪しを受け止めることはできません。 というあまりにも希薄な回答とも呼べない言葉しかかえってこなかったよw
143 :
考える名無しさん :2009/06/11(木) 21:09:49 0
そういうのは大江健三郎の著書を読むと書いてある。 日本で最も偉大な小説家であり思想家だから。
めまぐるしい錯乱の時期があり、
145 :
考える名無しさん :2009/06/11(木) 23:23:01 0
592 :水先案名無い人:2009/06/08(月) 10:16:16 ID:UQ6P/+Zb0
>>590 以降あまり姿を見せなくなって逃亡wwwwwwwwwwww
悔しかったんだねwwwwwwwwwww構って欲しかったのにつまらないって言われてwwwwwwwwwwww
↑杜玖椀も堵愚慧螺も読んでいない無知無学の苛立ちをお楽しみいただけましたか?
諦念が訪れるのはもう少し後のことであった。
147 :
考える名無しさん :2009/06/12(金) 00:37:34 0
ナレーション キタワァ.*・゜゚・*:.。..。.:*・゜(n'∀')η゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*!!!!!
148 :
考える名無しさん :2009/06/12(金) 01:37:24 O
今の時代三人ひとがいたら一人はセンミン、もうひとりは久家、あとひとりが世間知らずと決まっている。そういうの加味してつきあうには本当を知らないといけない。早くしろ
149 :
考える名無しさん :2009/06/12(金) 08:32:08 0
大江健三郎は 日本の 良心
150 :
考える名無しさん :2009/06/12(金) 09:54:14 0
柄谷よりも大江が上?
151 :
考える名無しさん :2009/06/12(金) 19:34:11 0
もちろん大江だよ
152 :
考える名無しさん :2009/06/12(金) 22:56:32 0
いくら大江がすごくてもナレーション哲学には勝てん!
洗濯機の上でミミズが踊ってたよチンチクリン
154 :
みうん :2009/06/13(土) 06:21:31 0
>>123 714さん
痕跡学によると、キリストは統合失調症で、聖書にも病態にちかい幻想、
自分は迫害されていて、だから新しい世界のためにモンスターと戦う、
というような本筋があって、そこに色々脚色があり体系化されています。
体系化され、一定数以上の賛同を得られた幻想を、宗教と言いますが、
個々人の、幻想に対する解釈は、それこそ幾万通りもあるんですよ。
生の思考がいく通りかの論理によって暗号化されている訳ですから。
>汎神論・理神論・有神論の3つに分類されています。
人間の下意識自体がまだ解明されていないから。
神の三つのポジションというのが仮にあるとして、水面下にはもっとあるでしょう。たぶんね。
ラカンの学説をちょっと拝借すれば、個人が神としているものは、
個人の過去の記憶がまとまりをもってキャラ化したものなんです。
クオリアは単なる電気信号にすぎませんが、
個人はそのクオリア、何となく流動的な「感じ」に、意味を与えている、
その一つの記号が神と言う事もできます。
クオリアという言葉さえ、論理に濾されたレトリックです。
レトリックと、意識の断絶はあるかもしれませんね。疎通性はありますが。
>「世界の外」とはどういうことなのか…? そもそも、「世界」に「外」があるのか…?
世界の外に付いては私もわかりません。
惑星の運動が重力を作り、ある物質を形成し、
それが光をゆがめたり、人間の意識に「感じ」を与えている・・・ようです。
NASAだとかの科学者が語ってくれた話に夢を見る、そんな事が楽しいです。
155 :
みうん :2009/06/13(土) 06:22:45 0
>>124 >キリストの十字架上の死も〈新しい契約のための血〉として解釈されたようです。
キリストがやろうとしたことは確かに立派ですけど、
方法論自体は、70年代の赤軍派だとか、キューバのゲバラと大差ない、
過激な革命家の側面も見えない訳ではなく、磔刑は国王のの報復ともとれます。
ああ・・・手のひらに釘を打ち付けたのではあまりに可哀想でした!でも、
血そのものにそこまで感傷する必要はあったのかと疑問ですよ。。。
磔刑図の、キリストの膝が右か左、どちらむいていればこうコンセプトが違うとか、
研究してる人もいますが、、、まあよく感傷を発展させたものです。
漫画の話になりますけど、
「キン肉マン」という漫画の中にラーメンマンという格闘家が登場します。
さんざめく景色の中の、ある一点だけをえんえん凝視する修行をしてました。
これをやっていると、だいたい精神がおかしくなってくるんですよ。
パラノイア的になって、衝動が引き出されやすくなります。
ラーメンマンの場合、時空を超えて戦う架空のヒーローだからおkですが、
キリストがこだわる「血」、これが社会に与える影響は深刻ですよ。
日常的に血にこだわっているから戦争が起きやすいとも言えます。
血って、人が怪我をしてはじめて体外に表出するものでしょう?
それにこだわるって物騒ですよ。血といえばまず痛覚が連想されます。
狩猟民族が血、血、とこだわって見続ければ、そりゃ〜怨念もわき出すでしょう。
西洋的なものは全て、血の呪縛から逃れていません。。。
714さんの統一教会潜入の話は興味あるんですけど、女性を救出って、
その人って、有名人かなんかだったんですか?それとも知り合い?
156 :
みうん :2009/06/13(土) 06:23:28 0
>>125 >遠藤周作の『深い河』の登場人物に、大津というクリスチャンがいます。
遠藤周作は、読みかけて頓挫したままだなあ。。。
引用ありがとうございます。とても興味深い一節です。
その、三人の修道士にもし、言葉を返す事ができるなら、こう答えます。
何か目に見えないのに動いているように感じられるものを、
人は幽霊だ、精霊だ、神だ、プラズマだ、気だ、と言います。
今上げた4つは、大体同じものでしょう。
それらの正体が一体なんであるかという問題よりも、
それに触れて、例えば、座禅を組んでこころが清らかになったとき、
自分は、清らかにしてもらった「何か」にどう感謝して、
どういうお礼をすべきか・・・
その実践の方が大事ではないですか、と。
そう、1人の登場人物が話中に現れて言ったなら、話はどうなるでしょうね〜。
157 :
みうん :2009/06/13(土) 06:25:08 0
>>126 >万物を生かし統一している無限な生命が、小さいなずなの花の『中』に働いている。
被写体がどんな背景をしょっているかによって、いかようにも引き立てられます。
どこにクローズアップするか、主軸として立てられたオブジェクト以外はどう処理するのか、
という視覚上の遠近法はあるでしょう。調整すれば、錯覚が生まれます。
ただ単に食道にものを流し込んで押し出していれば満足というのではなく、
なるべくミニマムなものの中に壮大な世界を見たい、醜いものこそ愛せる、
欲動に少々手を加えて、難易度の高い事をする、それが人間性なんですよね。
欲望から目的までの動線に、末節を加える事で、全体が複雑化し、
謎解きをする楽しみが得られるんですが、場合によりますよ。
人間の出来る事には、制約は設けたくはないけれどもやはり、
他所の人を見ていると、、なんでもかんでもは出来ないらしい・・・
向き合う対象が大きければ、迷う事も多くなるというものでしょう。
そのときに、動物的に、優先して考えたい事項以外の一切を省く、
作為を一切解除して行動をする、そういうフレキシビリティもひとつあります。
人間個人としての芯を把持する、そういう事が大事です。
158 :
みうん :2009/06/13(土) 06:26:32 0
>>127 >どの経典のどの言葉を重視するのか…
>また、〈空〉を中心に見るのか、〈縁起〉を中心に見るのか…
ああ、私が
>>126 で言った「遠近法」と同じ事言ってますね。
今読んで「ん?」と思ってしばらくして気づきました^^
たしかに本当に、何を中心に据えるかという見方は必要です。
それにしても、タイミングがずれて、同じ事を考えるというのはナカナカ・・・
個人の意識はすり鉢のようになっていて、その底に小さな穴があいている、
それがいくつもいくつも、水の上に浮かんでいる、そんな気がします。
その水に、金魚が泳いでいて、時たま、いくつかのすり鉢の穴から、
顔をのぞかせてあぶくをはきだす、そんなものなんでしょう。
ユングはシンクロニシティと言い、101匹目の猿なんて話もありますが、
なんかそれほど、摩訶不思議な驚異的大事変でもなかったりします。
>「憎悪の天才」パウロだと考えています。
ネロ帝のおさめていた国のパウロなんですけど、この国は策略大国ですね^^
ローマ人はきのこ好きで、たちかに変なきのこがいっぱいあります。
分布図はわかりませんが、世界のきのこの7割が無毒、3割が毒とか。
ネロ帝は、この少ない方を部下に探させて、特上級の毒きのこを探し出し、
気に入らない人間の酒瓶にその粉を塗り付けさせたとか。奇特な人です。
所変わって時変わってアメリカの戦略も面白いです。
情報というのにはまず間違いなく嘘、脚色、解釈の行き違いがつきまとうもので、
そういうものに関しては適当にしておけば良いのに、とにかく正確な情報情報と、
何度も失敗しながらスパイ衛星まで飛ばして世界を監視してますw
なにがなんでもやらねばならぬと。欲動以外の一切を除外と。とういう心理でしょう^^
それさえあれば、なんでもできると。
159 :
みうん :2009/06/13(土) 06:27:23 0
>>129 >だから、子供にとっての異世界は、自由な発想であるどころか、大人たちによって与えられた
>固定観念なのかも知れません。
それも一理ありますね。どうなんでしょうねえ・・・。
人間が進化の道筋で獲得しようとしているのは「知」であって、
うまれて間もない子供はそういう性質が活発ですよ。
ただ、物理的な法則というものにあまり触れていないので、
また知ろうとしても印象で探る以外の方法を知らないので、
その代わりにさまざまな想像、よく切り替わる発想力で補おうとしている、
その想像がしばしば、いくつかの法則をまぜこぜにしていて、異世界的になる、
私の目にはそんな風に映ります。
>それらの思想によって、今までの自分の世界観が根底から覆されてしまうかも知れない…
>そういう、未知の世界観に対する期待ですね。
そうなんですか。私には、哲学がいまいちどういうものなのかわかりません。
自身が埋没した日常の事象についてかいつまんでまとめ、それに見解を加える、
どの哲学者もそういうことをしているように思えます。
なるべく、いままで見えていなかった事実を拾い上げる、
そういう楽しさはあるんでしょうね。たしかに楽しい♪
160 :
みうん :2009/06/13(土) 06:28:24 0
>>130 >それが重い苦しみになるかどうかは、けっきょくは自分次第でしょう。
そうなんですか〜。なんか現代人的ですね。アパシーの様にも見えますけど、
714さんのこれだけの文字量を思うと、そうでもないらしいし、、、
一体どういうモチベーションなのか、不思議です。ニヒリズム?
エピクロスというひとがいましたけど、
彼にちかい、自然な快楽をもとめて、苦をへらす、そういう考え方なんでしょうか。
人間の求める最大公約数的な「徳」は社会を作りますが、しばしば、
その「徳」と個人のの理は必ずしもイコールではないですよね、そういう場合、
彼のように葛藤を選ばない方法をとるんですか?
>僕はマスクフェチではないけれど、マスクやブルカの魅力はわかります。
そこしか見せないようにし続けることで、目の動かし方自体も洗練され、美しくなるのかもしれません。
しかしwイスラム圏の出会い系サイトなんてあるんですね〜。この写真はw
やはり、布で隠れて見えない部分、多分笑っているのかも知れない形の良い唇が想像されます。
また、眉の整え方で、柔和さを強調しているか、それとも可愛らしさ、クールさを強調しているかとか、
それによって性格もある程度判別が付くでしょう。
イスラム圏って、もともと哲学に根ざした繊細で叡智的な布文化があって、
だからこそ布にたっぷり包まれたい、そんな人々の思いがあるようです。
161 :
みうん :2009/06/13(土) 06:30:09 0
>>131 >〈直観形式〉〈カテゴリー〉〈統覚〉〈アプリオリ/アポステリオリ〉…
哲学書では「?」と思う単語がたくさん出てきますけど、だいたい平易な言葉にするべきですね。
カタカナでアポステオリとか書いてある文章は、悪文でしょう。へんですよ。
哲学者は、なにも暗号を書く事が目的なんじゃなくて、思想を伝えようとしているんだから、
それをわざわざ難解な言葉に翻訳してふんぞりかえるのは、おかしいです。
紙面を節約するために、なるべく概念を単語にまとめようとしているのかも知れないけど、
漢字を組み合わせてたった二、三文字で概念を示し、「これには壮大な意味が含まれているのであるよ」
とされても、なんて不親切なんだ、と感じるばかりですよ。そういう本は、字面を眺めて終わりです。
読者の理解力に頼りすぎた文章というのは、悪文というんじゃないですか。配慮が欠けています。
>この人が薦めている『岩波哲学小辞典』は、僕も気に入っています。
それ、よさそうですね。私は清水幾太郎の編纂した「現代思想辞典」というのを使ってます。
古い本ですが、、、たとえば、一番最初の項、「愛」について引くとこうあります。
「西洋の考え方では、他者との組み合わせの関係が安定したときに心の平安を見いだす傾向が
強いこと、東洋の考え方では、他者とのまったく平等のむすびつきについて、なにかの
ためらいが残されていること・・・。」
「実存」と引くと、こんなかんじ。
「平素われわれは、実在を見たと思っているかも知れないが、実はそれは実在ではない。
われわれが見たり聞いたりするものは、人間の生のための功利的行為の手先としての、
もろもろの感覚がえらんでくれたものに過ぎない。そこでは、実在の本質のうち、
実際に人間の実用に役だつもの以外は、ことごとく抑圧されてしまっているのである。」
わかりやすいです。
もはや語と語の連結がバラバラと崩れだし、
すべての用語、すべての書名、すべての著者名が、
薄汚いくずと成り果てたのを我々は見るだろう。
腑分け台の上の豚の死骸のような、
熟女の自慰である。
わたしの場合、ただでさえ変な格好だったのですが、いろいろな撮影で、 いろいろな人が、好き勝手にいじりまわしていよいよ黒く醜くなっていた のです。その上、ピアスもあったりして、自分でいうのもなんですが、持 て余し気味で嫌いだったのですが、いま、飛び出た部分がなくなり、すっ きりして、中学生に戻ったようで、すっかり嬉しくなっています。わたし の握り寿司について、続報をお知らせしますと、実は、夫は噛み切れなか ったのです。噛んでも噛んでも飲み込めなくて、あせっていました。最後 はわたしに気兼ねして、つかえそうになりながら無理矢理飲み込んでまし た。生は駄目です。ひょっとして、わたしの場合だけだとショックですが、 人のラビアは結構固いようです。というわけで、片方のラビアは、アナゴ のように七輪で焼いて握りなおしてました。自分の肉が、じりじり焼けて 油が出てきたりするのを見るのは、変な気持ちです。ついでにタレもぬっ ていました。今度はおいしそうでしたが、夫は、あんまりかんばしそうな 顔はしませんでした。これはやっぱり身じゃない、と言います。危ない夫。 Kさんに会いました。夫が熱心に話を聞いていました。わたしは側にいた だけなのですが、それでもKさんが立派な方なのは分かりました。これま であんまりお目にかかったことのないタイプの人でした。ありがたいとい うか、厳かというか、ともかく夫はぺこぺこしていましたが、そうしても 仕方がないなという方でした。夫はKさんから、ビデオテープと何かの機 械を借りました。それについてのお知らせです。Kさんを紹介していただ いたお礼です。ビデオの中身をかいつまんで書きます。可愛い女性がエス テの店に入ります。胸を大きくしたいのだそうです。バストフォーミング という言葉が聞こえます。小さな胸を出して、横になります。ガラスのコ ップの底にホースのついた道具が胸にかぶせられます。シューという音が して、女性のオッパイがふくらみガラスにくっつきます。乳首がホースに 引き込まれそうになり、色素が薄くなって、生き物のように動きます。な かなか可愛いオッパイです。ここまではわたしもやってもらったことがあ ります。けっこう気持ちはいいのですが、あんまり効果はありませんでした。
もっと小さな真空カップを背中にいっぱいつけて美肌に効果があるといっ ている店もあります。係りの人が女性の耳にささやきます。女性はためら ったようですが、OKしたようです。パンティが取られます。口の小さな、 しかし奥行きはあるコップが大切なところに当てられます。またシューと いう音がします。幼そうなあそこの肉が盛り上がってきます。おい、おい、 と夫が身を乗り出します。機械はリズミカルに空気を吸い出しているよう で、あそこの肉もマッサージされて、上がったり下がったりしています。 スイッチが映り、係りの人が1から2に上げます。またシューと音がして、 あそこの肉がもっと引き出されます。少し開いたようです。女性はオッパ イ、あそこと二ヶ所を吸引されて、うっとりしているようです。2から3に 上がります。オッパイは完全にガラスに密着しました。乳首は倍も大きく なったようです。あそこはさらに吸い出され、バラのように開ききりまし た。きれいな肉がぶるぶる震えています。なんだか中身が出てきそうです。 画面が不意に変り、あまり美しくない男性のお尻が大写しになりました。 おなじ形の真空カップが肛門に当てられました。無造作にスイッチが入れ られ、シューと音がして、たちまち肛門がめくれ、大きな痔核が出てきま した。なるほどそんな便利な機械があったのかという感じです。その機械 は美容のためのものではなかったのです。れっきとした外科手術のための 機械だったのです。それが今、若い女性のあそこに当てられ、スイッチが4 にされようとしています。目盛りは10まであります。痔核が出てくるとい うことは、痔核は直腸の内側にあるのですから、腸が裏返しになって出て きたということです。今、それが女性のあそこに当てられているのですか ら、あそこが裏返しになって出てきても不思議ではないということになり ます。夫が次に何の企画を立てたか、分かってきました。借りてきた機械 も分かりました。もう撮影の日取りも決めているのでしょう。夫もわたし も、実はあまり自分自身の身体を好きではないのだな、と思います。
どちらも年の割にはきれいな身体ではあるのですが、きたないところだけ が気になって、どんどん嫌いになるのです。わたしたちよりずっときたな い身体の人たちが、自分の身体を自慢し、エステに通い、ダイエットに一 生懸命で、タバコをやめたりするのを見ると、気の毒になります。絶対、 わたし、あの機械のスイッチ、10まで上げてもらいます。わたしの子宮を 吸い出してもらうのです。夫、ビデオの女性のあそこがめくれてくるのを 見て、わたしを抱き寄せます。すっかり興奮してしまっています。実はわ たしもそうです。脱腸というのがありますが、脱膣というのもあるそうで す。夫が買ってきた本に書いてあります。それになるのかしら。しかもそ れを徹底的にやったら、完全に膣が反転して、オチンチンのように飛び出 してきて、その中に子宮が入っているという状態になるのでしょうか。子 宮はもっと大きいから出てこないんじゃないかしら、と夫に言いますと、 長さ6センチ、幅3センチ、厚さ2センチ位で、もし膣になにか詰め物をしな いといけないとするなら、子宮が一番ふさわしい大きさと硬さなのだそう です。びっくりしました。あそこが完全に裏返って、オチンチンの形にな り、ヒダヒダもGスポットも表になったところを、咥えてやる、と言われ たときは、すごい、頑張ろうと思いました。Mちゃんのマネをして、クイ ズを出します。人間の身体のなかで、年をとればとるほどシワがなくなっ てスベスベになるところが、一ヶ所だけあるのだそうですが、分かります か。答えは、あそこ、膣なのだそうです。夫が、先日買ってきた本を読み ながら作った問題です。わたしは、もう一つ答えがあると思うのですが、 よく年をとると脳のシワがなくなると言いません。あそこだけじゃないと 思います。でも、その本には、立派な学校の先生が書かれた本ですが、ツ ルツルになるのは、人間の身体のなかで膣だけだとはっきり書いてありま す。
昔からの常識は、間違いだったのですね。夫が、同じ本から出したもう一 つのクイズ。ホッテントットのエプロン、とは何でしょうか。答えは、こ れもあそこ、小陰唇なのだそうです。アフリカのホッテントットは、あそ こを引っ張って長く伸ばせば伸ばすほど、美人ということになるのだそう です。わたし、夫に美人の素を食べられちゃったということになります。 ホッテントットさんたちのエイズの具合を調べてみて、もし感染率が低か ったら、あそこを引っ張って伸ばすことが、エイズ対策になるということ になりませんか。以前、Mちゃんが、あそこを切り取る民族にエイズが少 ない、というノーベル賞クラスの発見をしたと騒いでいましたが、わたし の発見はいかがでしょう。と言っても、わたしののは立証されていないの ですが。例のビデオの話です。真空に吸い出された女性のあそこがめくれ てきて、だんだん盛り上がってきます。不気味な生物が這い出てきている ようです。ぬるぬるとガラスいっぱいに膨れてきます。男性の痔核が出て くるのと、ここまでくると、あまり差がないみたいです。ちょっと嫌だな、 という感じですが、夫は興奮の坩堝です。わたしの肩に回した手に力が入 るので、すぐ分かります。まだ、性器の全体が引っ張られている感じで、 裏返って膣の内側がめくれてきてはいません。少し口が開いたかなという 感じ。機械のスイッチをさっさと10まで上げて、早く子宮を吸い出して、 と叫びたくなります。ずっと昔、オチンチンが欲しかったことがあります。 女の子にはある時期、みんなにあるのだそうですが、わたしも憶えていま す。それが、こんなことで実現するなんて、手品みたいですね。完全に膣 が反転して、オチンチンのように飛び出してきて、子宮がその芯になるな んて、そのように本当になるなんて、だれが発見したのでしょう。それで、 シワのことが気になってきたのです。あそこのシワが表に出て、ぎざぎざ のオチンチンが出来るのでしょうか。それを触ったり、口に入れたりした ら、どんな気持ちになるのでしょう。
171 :
考える名無しさん :2009/06/16(火) 17:47:30 0
ナレーション哲学 キタ━━━(゚∀゚)━( ゚∀)━( ゚)━( )━(゚ )━(∀゚ )━(゚∀゚)━━━!!!!
172 :
考える名無しさん :2009/06/17(水) 16:14:36 0
グロテスクなエロスとの対話、だっ!!!
173 :
714 :2009/06/18(木) 13:26:49 0
>>154 >体系化され、一定数以上の賛同を得られた幻想を、宗教と言いますが、
「幻想」と言っていいのかどうか…?
また、もし「幻想」と言うならば、その場合、何が「幻想でないもの(現実)」なのか…?
〈幻想と現実〉という話題になると、僕はプラトンの〈洞窟の比喩〉を思い出します。
http://www1.ttcn.ne.jp/~NIGIHAYAMI/doukutunohiyu.htm (の、『上記の話は、…「洞窟の比喩」です。』までですが、このあと、
真実の世界を知った〈彼〉は、洞窟の他の住人たちに、洞窟の外の世界の話をして、
彼らを束縛から解放して外へ連れ出そうとします。
しかし彼らは彼を信用せず、彼を捕らえて殺してしまいます。)
洞窟の比喩によると、ほとんどの人間は洞窟の住人のようなもので、彼らが〈現実〉と思っているものは、
(洞窟の外の世界を知った者から見れば)真実の世界の単なる〈影〉にすぎません。
なので、イデアを真の実在と考えるプラトンと、そう考えない人とでは、〈現実〉と〈幻想〉とが逆転してしまいます。
神を信じる者と信じない者との関係も、それに近いものになるでしょう。
そのように、〈現実〉と〈幻想〉は、簡単に逆転しかねない危うい概念だと思います。
だから哲学者は〈現実〉とか〈事実〉などの曖昧な概念に対してはとても警戒します。
もしそれらの曖昧な語を使う場合は、意図的に意味を限定して使うと思います。
(ところで、誰にとっても疑い得ない確実な〈事実〉はないのか? と考えて
デカルトが到達した根本原理が〈われ思うゆえにわれあり〉でしたが、
これにも多くの異論があるでしょう。)
174 :
714 :2009/06/18(木) 13:27:49 0
>>「世界の外」とはどういうことなのか…? そもそも、「世界」に「外」があるのか…? >世界の外に付いては私もわかりません。 「世界」に「外」があるということを時間的に考えれば、時間は有限であり、時間にも「外」があることになります。 じっさいキリスト教はそう考えます。「世界」には始めと終わりがある、と。 「元始に神天地をつくりたまえり。」 そして始めあるものは終わりがある。キリスト教は、最後の審判、世の終わりを説きます。 有限な時間と世界の「外」に、神がある。 〈永劫回帰〉は、絶対にその「外」がない時間であり、 世界の「外」に神があるという思想へのアンチテーゼです。
175 :
714 :2009/06/18(木) 13:29:14 0
>>155 >ああ・・・手のひらに釘を打ち付けたのではあまりに可哀想でした!でも、
>血そのものにそこまで感傷する必要はあったのかと疑問ですよ。。。
感傷がそれほど強調されているとは僕は思いません。
〈キリストの血〉は〈十字架〉とほとんど同じ意味をもっているようで、
つまり〈贖罪〉〈救済〉の象徴であるわけなので、そこでは、悲しみと喜びが表裏一体になっていると思います。
「血しおしたたる」という賛美歌があって、それをバッハはマタイ受難曲にそのまま取り入れています。
これも、悲しみと喜びが混ざり合ったような音楽だと思います。
(喜びといっても、この曲の場合はとても静かな喜びですが)
http://www.youtube.com/watch?v=IHEDR4WuWTg&feature=related 【血しおしたたる 主のみかしら とげに刺されし 主のみかしら。
悩みと恥に やつれし主の 痛ましきさま だれのためぞ。
主の苦しみは わがためなり。われこそ罪に 死すべきなり。
かかるわが身に 代わりましし 主のあわれみは いととうとし。
慕わしき主よ、 わが牧者よ、はかり知られぬ 愛の泉。
迷うこの身を たずねもとめ 導きましし 日ぞなつかし】
バッハの教会カンタータでも、悲しみと喜びは表裏一体です。
(前半が悲しみ後半が喜びというパターンが多いです。)
176 :
714 :2009/06/18(木) 13:30:56 0
そういえば、この前みうんさんが書いていたタルコフスキー(僕は見たことないんです)
の遺作『サクリファイス』は、「犠牲」という意味ですね。
そして、その映画の冒頭と終わりで二度、マタイ受難曲の中のアリア『憐れみ給え』が使われているらしい。
僕の最も好きなアリアの一つです。
http://www.youtube.com/watch?v=UWIBbO9Co2Y このアリアは、ペテロがイエスを裏切って、そのあと号泣する場面で
「神よ、憐れみ給え、私の涙にかけて…」と歌われるアリアです。
だからこれは喜びではなく悲しみのアリアですが、
でもこれも、感傷に浸っているわけではなく、〈祈り〉のアリアなのです。
「神よ、罪びとなる我を憐れみ給え」
これは、キリスト教の祈りの中でも、たぶん中心的な祈りだろうと思います。
どれほど高い悟りをひらいても、生身の人間として生きている限りは、
全く罪を免れることはできない(たとえば他の生き物を殺して食べなければならないから戒律を破らざるを得ない)。
それと同じで、どれほど深く信仰していても、全く罪を免れることはできないから、
「神よ、罪びとなる我を憐れみ給え」と祈らざるを得ないのだと思います。
>その人って、有名人かなんかだったんですか?それとも知り合い?
以前僕が結婚していた人です(統一教会をやめてから結婚したという意味)。
177 :
714 :2009/06/18(木) 13:31:50 0
>>156 >それに触れて、例えば、座禅を組んでこころが清らかになったとき、
>自分は、清らかにしてもらった「何か」にどう感謝して、
>どういうお礼をすべきか・・・
>その実践の方が大事ではないですか、と。
>そう、1人の登場人物が話中に現れて言ったなら、話はどうなるでしょうね〜。
座禅に相当するキリスト教徒の実践は〈祈り〉である、と、彼らはたぶん答えるでしょうね。
>>157 西谷啓治が「小さいなずなの花のところに無限な生命を同時に感じるということが、
なずなの花をほんとうに見るということになる」と言う時、彼は、一つのなずなの花の中にも
宇宙全体が含まれている、という仏教の考え方を踏まえていると思います。
たとえば前スレで書いた鏡の比喩で、ろうそくの周りに置かれた多くの鏡は、それぞれが火を映し、
さらに一つ一つの鏡に映った火が、他の全ての鏡に映り…と無限に映し合っていく時、一つの鏡には他の全てが映っている。
そのような意味で、一つの小さななずなの花の中にも、無限な生命(宇宙全体)が含まれているのだと思います。
そのような無限な生命に出会うためには、私心を捨て、私意を離れなければならない、と芭蕉は言います。
今読んでいる『十牛図』(短い本なのにまだ読み終わらない)の、この前読んだところで、
上田閑照がちょうど同じようなこと(他者に本当に出会うためには私意を離れなければならない)を書いていました。
「自己は通常は自己に閉じられていて真に場に開かれているとは言えない。…自己性に閉じたままで自己は
自己を場に押し込み、しかも自己をその場の中心にするという仕方で場のうちにある。これがいわゆる
〈自己のペース〉の基本的な意味と言っていい。 …〈自己のペース〉での交わりや関わりにおいてはしかし、
真に他者に出会い物に触れることはできず、したがって真に自己であることはできない。それだけではない。
自己の置かれている場は、元来〈自己のペース〉ではない。場から見れば、場を〈自己のペース〉にするのは
場違いである。 …自己が置かれている場に真に開かれるためには、自己閉鎖が切り開かれなければならない。
…自己である自己性には、現実的に自己否定が課せられているわけである。」
178 :
714 :2009/06/18(木) 13:34:25 0
>>158 >個人の意識はすり鉢のようになっていて、その底に小さな穴があいている、
>それがいくつもいくつも、水の上に浮かんでいる、そんな気がします。
そう思います。一つ一つの個体は、ばらばらに切り離されているように見えても、
根底においては、つながっていると思います。
なずなの花と、それを見る者とが、〈無限な生命〉という場でつながっているように。
(お寺の畑のかぼちゃたちの頭が一本のつるでつながっていたように。)
おそらく自然科学でも、遺伝子の研究など、そういう〈つながり〉の研究がこれから進んでいくでしょうね。
179 :
714 :2009/06/18(木) 13:35:09 0
>>160 >>それが重い苦しみになるかどうかは、けっきょくは自分次第でしょう。
>そうなんですか〜。
苦しみは自分次第。これは僕の基本的な信念の一つなので、前にも書きましたよ。
僕がそう思っている理由はいくつかあるのですが、
一つは、道元が言った事〈返すあてのない莫大な借金を抱えている者は、悟りの近くにいる〉に関連して。
借金が返せなくても命を取られるわけではないのに、場合によっては自殺してしまう人もいます。
そういう人は、先ほどの上田閑照の言葉でいえば、「自己に閉じられて」しまっているのだと思います。
自己に閉じられ、〈無限の生命〉とのつながりから切り離されれば、自己は小さく縮こまってしまいます。
〈小さく〉閉じられた自己にとっては、悩みや苦しみは相対的に〈大きく〉感じられるでしょう。
そういう小さな自分を守ろうとするのではなく、「自己閉鎖から切り開かれ」れば、同じ苦しい状況も違った風に見えてくるはずです。
だから「けっきょくは自分次第」と思うのです。
もう一つはニーチェの言葉〈産婦の陣痛が苦痛一般を神聖化する〉に関連して。
もし、新しい命が誕生する、という意味がないとすれば、陣痛は恐るべき苦しみになるでしょう。
苦痛に〈意味〉があるかどうか、またどのような意味があるのか(意味を与えるか)によって、苦しみそのものが違ってきます。
先ほどの〈キリストの血〉も「救済」という意味をもつことによって、喜びと一体となった悲しみになったのでした。
「救済」という意味付与は、ニーチェから見れば欺瞞なのですが、いずれにせよ、苦しみは意味を与えられることで軽減します。
180 :
714 :2009/06/18(木) 13:36:07 0
>>161 >カタカナでアポステオリとか書いてある文章は、悪文でしょう。へんですよ。
>哲学者は、なにも暗号を書く事が目的なんじゃなくて、思想を伝えようとしているんだから、
>それをわざわざ難解な言葉に翻訳してふんぞりかえるのは、おかしいです。
わざと難解にしているんではないと思います。
例えばプラトンの「イデア」は、みうんさんには馴染みのある語だから難解ではないだろうけれど、
「イデア」を知らない人は、『なんで「観念」と書かないでカタカナで書くのか?』と思うかも知れません。
でも、「イデア」を「観念」という語に置き換えてしまったら、かえって分かりにくくなります。
「観念」という語は、いろんな人によっていろんな使い方をされてきた語であり、したがっていろんな意味を含んでいます。
だからプラトンのイデア論を言い表すためには、「観念」よりも「イデア」の方がずっとぴったりはまるのです。
アリストテレスの思想で「イデア」に相当するのは「エイドス」です。
アリストテレスの「エイドス」は、プラトンのイデア論とは全然違うから、
もし「エイドス」ではなく、プラトンと同じ「イデア」という語を使ったら、かえって混乱するでしょう。
日常使われている語は、手垢がついて、曖昧になってしまっている語が多いです。
さっきの「幻想」「現実」「事実」などもそうだし、「人間」という語だってそうです。
ギリシャ人なら「人間」を〈理性的動物〉と考えるだろうし、キリスト教徒なら「人間」を〈神の似姿〉と考えるでしょう。
だから哲学者は、そういういろんな意味を含んだ曖昧な「人間」という語を避けて、「対自存在」とか「現存在」などの語を使うわけです。
それらの語は、自分自身の思想の視点から使われている語なので、「対自存在」はサルトルの思想に、
「現存在」はハイデガーの思想に、それぞれぴったりはまります。
181 :
 ̄ ̄\| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ :2009/06/18(木) 13:57:22 0
とか言いつつ、
>>170 を読んで下はたいへんな事になってまつww
↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
182 :
↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ :2009/06/18(木) 14:17:03 0
↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
183 :
↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ :2009/06/18(木) 14:22:16 0
↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
184 :
↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ :2009/06/18(木) 15:34:57 0
↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
185 :
↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ :2009/06/18(木) 15:36:43 0
↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
186 :
↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ :2009/06/18(木) 16:59:14 0
↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
187 :
↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ :2009/06/18(木) 17:00:19 0
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188 :
↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ :2009/06/18(木) 17:01:12 0
↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
189 :
↓ ↓ ↓ ↓ ↓ :2009/06/18(木) 17:35:51 0
↓ ↓ ↓ ↓
190 :
↓ ↓ ↓ ↓ ↓ :2009/06/18(木) 17:36:45 0
↓ ↓ ↓
191 :
↓ ↓ ↓ ↓ :2009/06/18(木) 17:38:15 0
↓ ↓ ↓
192 :
考える名無しさん :2009/06/18(木) 18:21:39 0
/. ノ、i.|i 、、 ヽ i | ミ.\ヾヽ、___ヾヽヾ | | i 、ヽ_ヽ、_i , / `__,;―'彡-i | エズットコち^゚)^゚)゚。プ。フぢプププシュプシュシュプシュシュプシュっぷぷらプシュプシュだお! i ,'i/ `,ニ=ミ`-、ヾ三''―-―' / .| ホアーッ!! ーっ、ホアアプシュプシューッ!! ホプシュプシュアーッ!! っ、ホアほほっ iイ | |' ;'(( ,;/ '~ ゛  ̄`;)" c ミ i. ぷぷらだほーっほほーっぷープゲラレンチョピピーッ!! .i i.| ' ,|| i| ._ _-i ||:i | r-、 エズットコち^゚)^゚)゚。フアープシュプシュッ!! ホほホホッ!! 丿 `| (( _゛_i__`' (( ; ノ// i |ヽi.ほほほ、ほーっほ、ほホプシュプシュアーッ!! / i || i` - -、` i ノノ 'i /ヽ | ヽ ほほほ、ほーっほ、ほーっぷープゲラレンチョほほほ、ほっほッ!! ホッ!! 'ノ .. i )) '--、_`7 (( , 'i ノノ ヽ っぷープゲラレンチョっぷープゲラレンチョピピーッ!! ピピーッ!! ノ Y `-- " )) ノ ""i ヽ ノヽ、 ノノ _/ i \ /ヽ ヽヽ、___,;//--'";;" ,/ヽ、 ヾヽ
193 :
考える名無しさん :2009/06/18(木) 20:31:39 0
プゲラレンチョ キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!
194 :
考える名無しさん :2009/06/18(木) 20:34:24 0
貝合わせスレに負けてはいけにゃーい
195 :
考える名無しさん :2009/06/18(木) 21:02:14 0
AAだけで対話できたらスゲーなw
196 :
考える名無しさん :2009/06/18(木) 22:15:05 0
やってみて♪
197 :
考える名無しさん :2009/06/18(木) 22:36:10 0
核家族 __ / \ _ / ▲ ▲ ヽ /´ ヽ、 | ● | _ | ▲ | | ▲ | / ヽ | ● | | /▲ | | ▲ | | ● | | | | | ▲ | | | ‐=ニニ二二二二ニニ=‐. | | | | | | | | l l | | | | | | `ー― '´ ∪ !_! `'ー---‐ '´ !_!.∪ 'ー--‐'
198 :
考える名無しさん :2009/06/19(金) 00:03:43 0
! ! i -<_______,`ゝ ! .l/ 〈. ● ● }-、 l !{ } ,ハ !f/ l !ヽ._ ノ ,‘,,-,,', .!ノ ! .! i.ヽ. ,'"-===-'; | 僕は持ってますね .l. ! /\ \;; `''';;;'''´;/ .| |,/ヽ、`ヽ、`ー''ー'i´ │:/__:. `ー---─ ''"´ ̄ ̄`` ー- 、 /´ `ヽ、. .: `ヽ、 / `ヽ、 ゙i i :; ,! ! ‐-、 :. 。 .:' / ヽ ヽ ; j:! " __..:-‐'"´ ̄ ̄` __ノ \ ! .:' 〃 ,..:---─‐'"´ __.. -──── ''"´ `ヽ、 ヽ、 ノー;'"、二:.:'ー--ァ'"´ `ヽ、 >:).......ヽ、_∨:/` ̄i ....:::::::::::にニニイ::::::::::::::::ヾK.._.ノ、 ....::::::::::::::::::,! _ i!:::::::::::::::::..ヾ:、__/ ミ、::::::::::::::::......... ..::::::::::::::::::::::::!`´_` .! `===='' :::::::::::::....... ::::::::::::::::::::::::::k'´! i ,``;| ..:::::::::::::::::::::ヾ三三ノ ',',
199 :
考える名無しさん :2009/06/19(金) 11:16:01 0
すげーな! AAでここまで高度な哲学的対話が可能なのか。。。
200 :
考える名無しさん :2009/06/19(金) 21:41:26 0
しかしまだまだAA哲学の可能性は汲みつくされていないはずだ! たとえば、 ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
くたばれくたばれくたばれくたばれ。
精神的に死んでしまえ。
言葉をつむぐ資格もない人間が、
何を調子に乗っているのか。
腐った自分の脳髄をべたべたと塗りつけたような、
汚らわしい、文字列。
あそこのシワが余裕になって、上手に反転出来るということもあるかもしれない。 年をとったら、肉が硬かったり、弾力がなかったりして、裏返せないかも しれない。無理して作っても、つるつるの生ッ白い出来損ないのソーセー ジになってしまうかもしれない。ビデオの可愛い女性がバストフォーミン グに入ったエステの店は、Kさんの店だそうです。完全個室で豪華な店で す。豪華な店なのですが、テレビコマーシャルを流すようなチェーン店で はありませんから、けばけばしくはなく、落ち着いた、静かな雰囲気です。 このお店の密かなサービスが、オチンチン・プランティングというサービ スなのです。レーザー脱毛、肉割れ、妊娠線の解消、O脚矯正、バストサ イズアップ、ヒップアップ、美肌、もちろんダイエット、いろいろなサー ビスがありますが、これはめずらしいと思います。お店の人の話によりま すと、このサービスには、ものすごい癒しの効果があるのだそうです。女 性のオチンチンコンプレックスは深くて、肉体的、精神的な不調の原因は、 結構このコンプレックスからきているのだそうです。馬鹿みたいな話なの ですが、失恋した人にこの治療をすると、いっぺんに元気になるそうです。 自信が出てくるのだそうです。馬鹿みたいなのですが、そうかもと思いま す。失恋した男性のおっぱいを大きくしてあげると、同じような効果があ るかもしれません。だって、きれいな乳房が自分にできると、失恋の根拠 みたいなものがなくなるではないですか。これはわたしだけの考えですか ら、本当かどうかしりません。わたし、Mちゃんに似てきたみたい。彼女 みたいな自由な気持ちも、自信も、才能もないけど、いいなと思っている 内に、変なことを思い付くようになってしまいました。うれしいな。ビデ オの女性の性器は、5センチほど引っ張り出されました。先の3センチほど は裏返った膣のように見えます。色がそのように見えます。オチンチンを めくったときの色です。
係りの女性が、スイッチを切り、カップを抜きます。ポコンとはずれて少 し張り出します。わたし、この業界の人で、同じようなオチンチンの人を しっています。芯がなくて、ちょっとぶよぶよしたアメリカの中学生のも のみたい(本当かどうか、知りませんけど)。係りの女性が、おしぼりみ たいなもので、可愛い女性のオチンチンを、そっと包みます。女性は、ア アッと声を出したみたい。おしぼりの上から、ギュッと掴まれました。声 が高くなりました。わたし、見ていて、息がつまりそうになりました。ど んな気持ちかしら。お前のはあんなもんじゃなく、根こそぎ引っくり替え してやるよ、夫が、耳元で囁きます。お前に俺のより大きなオチンチンを 生やして、俺が噛み切ってやる、と言います。わたし、卒倒しそうになり ました。カメラのT君も来ました。ビデオも来ました。編集長ももちろん います。夫は大変意気込んで、機械のセットとか、あれこれ指図していま す。力が入っている感じです。わたしもついつい興奮してきます。どんな 本や、ビデオになるのか知りませんが、テーマは分かっています。女性の 性器をひっくり返す、です。完全な裏物になるのでしょう。わたしもぼか しが入るものより、はっきり写っているものの方が好きです。何だか、お 寿司になったり、ひっくり返されたりと、わたしたち、このところ調子が いいようです。五年ほど前の全盛期に戻った感じです。これも先生のおか げです。夫からもお礼を言っておくように言われました。夫がお風呂でわ たしのあそこの毛を剃ります。前日にやっておけるといいのですが、伸び てしまうので、撮影の直前じゃないと駄目なのです。長島さんの顔のよう に、青みがかって映るのはいやでしょう。いつもは安全カミソリで剃るの ですが、夫、気持ちを入れて、ふつうの床屋さんのカミソリを当てました。 なんだかそのまま FGM になだれ込みそうで、ちょっと緊張します。
209 :
考える名無しさん :2009/06/19(金) 23:39:00 0
かラしょーだペフーダわにわプーだろろろwペー フーダロー インコログわにわプーだろろw かログろホーペーフーダロンスコーだろw かーだーペー フーダープーだろろw かローだろwペーフーダロー インスコログラマーだよ。 アブラーのってる団塊がうざいだけ。 ラマーだよ。 マーだよ。
大丈夫、大丈夫と、夫、わたしの心配に気づいたのか、弁解します。湯船 の縁に腰掛けて、脚を広げているのですが、丹念にカミソリを当てられて いると、いつも変な気持ちになります。剃りづらい部分、とくにクリトリ スの根元の数本の毛とかを、あっちこっちの肉を押したり引いたりして剃 られると、お尻がもじもじしてきます。髭剃りクリームを塗り込んだりさ れると、のけぞります。Mちゃんの木の実があるといいのだけれど、こち らのレベルでは、この方法が一番かしら。後でひりひりするのが困ります が。剃毛シーンは、カメラのT君が狙っていますので、そちらにいいアン グルをあげるために、変な角度に脚を曲げられたりして大変なのです。こ の手の写真をすごく好きな人がいるのだそうです。奇麗になったね、と編 集長に言われました。はみ出ていた小陰唇を切っちゃったからです。一週 間もしないうちに傷もすっかり治り、すっきりした中学生のようなあそこ になっています。レーザーメスで切ると、一月は使用禁止になるそうです が、原始的なハサミの方が早く治るみたいです。ラビア切除は、全員の女 性にお薦めです。耳のピアス穴に毛のはえたような手術ですから、これか ら流行るのではないかと思います。もう相当流行っているそうですが。ア メリカのジェイムスさんたちも日本に食材を求めれば、ずいぶん簡単なの にと思います。ベッドに横たわりますと、ビデオの女性のように、ガラス のカップがオッパイと性器に当てられました。シュウと音がして、たちま ちオッパイがガラスのコップ一杯に膨れてきます。大きくなった分、色素 が薄れて、色白になります。首を上げて、下を見ますと、肉が盛り上がっ てきています。手前に見える二つのオッパイの先にもう一つオッパイがで きそうです。ただ頂上が割れているのが違いです。ポンプが息をして吸い 出しているので、三つの肉の山は上下に震えながら高くなります。頑張れ、 頑張れという気持ち。クリトリスは骨に取り付けられているので、震える だけで、上がってきません。
会陰部をカップの下の縁が押さえているので、その間の肉が盛り上がって きているのです。高くなるにつれて、口が開いてきます。ほかほかの中華 マンの真ん中に包丁で切れ目をいれたようです。美味しそうです。夫が目 盛りを上げたようです。シュウという音が高くなったようです。さらに肉 が吸い出されます。ちょっと痛みがきましたが、たいしたものではありま せん。下の山の割れ目がさらに開き、中華まんの具が少し出てきたようで す。みんなが興奮してくるのが分かります。照明がギンギンに当てられて いるので、シワ、血管の一本一本まではっきり見えます。頂上付近の色が 変わってきています。内臓の部分が表に出てきているのでしょうか。カッ プの縁が当たっている所が痛くなってきましたが、我慢できないほどでは ありません。ワアッ、という感じで、中華まんが真ん中からぱかっと割れ ました。オオッ、とみんながどよめきます。シャッターの音が続きます。 中から別の生物のように、あんこが出てきました。紫色。この前Kさんの 事務所から借りてきたビデオで見た、男の人の汚い肛門みたいです。肛門 全体引っ張り出されて、穴の縁が三センチ幅の紫のたらこになり、その真 ん中から大きな痔核がメリッとひっくり返って出てきた、それにそっくり。 わたし思わずカップを両手で隠そうとしたくらい、醜いのです。ヤダッ、 て感じ。みんな幻滅してるんじゃないかと思って見回すと、逆で、目を丸 くして、興奮してるみたい。安心しました。でも、Mちゃんが女性のあそ こは汚いから、昔から絵や彫刻に描いてもらえなかったといっていたのを 思い出して、本当だと思いました。色が本当に汚いのです。形もぶよぶよ ですから、最悪の大きな毒芋虫みたい。どうしてみんな興奮しているのか わたしには分からないのですが、カメラのTちゃんのズボンの前がパンパ ンになっているのを見つけて、ホッと安心します。わたしもFGM を受けた くなりました。
女性の性器の中身は痔核か癌細胞です。これはみんな切り取った方がいい と思います。わたしのオチンチン、五センチほどに成長しました。上半分 が内臓です。自分のものだと思うと哀しいので、関係ない生物として見る ことにしました。そこで一旦ストップ、編集長が言います。夫がスイッチ を止め、半裏返りの性器ちょっと戻ったのですが、カップを抜きます。色 は違いますが、形はやっぱり中華まんの具を詰め込み過ぎてはじけた形で す。しわしわが気持ち悪いのです。まあ、まだわたしが若いという証拠で すから、いいのですが。二三センチ裏返っただけですが、意外に膣の肉、 厚みを感じます。小陰唇よりずっと肉厚です。これだと輪切りでも、食べ でがありそうです。固くはないと思います。ちょっとNさん、舐めて、夫 に編集長の声、夫が山の根元を押さえながら、口を寄せてきます。山がた かくなったみたい。わたしも頭を上げて覗き込みながら、唾が出てきます。 どんな感じかしら。チラと舐めてきます。涼しいような、奥に手が届いた 感じ、もう覗いてはいられません。オッパイを突き上げて悶えてあげます。 わたしはこれでもプロですから。夫、ガバと咥えました。本当に悶えたく なってきました。ワアッ、あそこを咥えられてるのだ、と思うと変な気持 ちです。わたし夫のを何回もカメラの前で咥えてきましたが、咥えられる のは初めて。こんなにいい気持ちなんだ。夫、咥えて引っ張って放してを 繰り返します。そのたんびにわたしヒーヒー言っていたのですが、夫の狙 いは別にあったのです。あそこがどんどん伸びてくるのです。咥えて引っ 張ると、その分わたしのオチンチンが伸びます。放すと、外側の肉だけが 根元の方に戻りますが、その分、内側の肉がまためくれてくる。文留さん の事件で、なんだかわたしたち追い詰められた感じになっています。わ た したちのやっていることが、中途半端で情けないような気持ちにみんなが なっ ているのです。特に夫の気落ちが激しく、わたしも責任を感じて少し 暗くなっています。
213 :
考える名無しさん :2009/06/19(金) 23:50:50 0
エズットコち^゚)^゚)゚。フアーッ!! ホアーッ!! 、ほーっ、ホアアーッ!! ホアーッ!! ーっ、ホアアーッ!! ホアーッ!! ーっ、ホアアーッ!! ホアーッ!! っ、ホアほほ、ほーっ エズットコち^゚)^゚)゚。プ。フぢっぷぷらだほーっほほーっぷープゲラレンチョピピーッ!! ぢっぷぷらだお! ほほほ、ほーっほ、ほーっぷープゲラレンチョほほほ、ほーっほアーッ!! ホアーッ!! 、ほーっ、ホアアーッ!! ホアーッ!! ーっ、ホアアーッ!! ホアーッ!! ーっ、ホアアーッ!! ホアーッ!! っ、ホアほほ、ほーっ エズットコち^゚)^゚)゚。フアーッ!! ホアーッ!! 、ほーっ、ホアアーッ!! ホアーッ!! ーっ、ホアアーッ!! ホアーッ!! ーっ、ホアアーッ!! ホアーッ!! っ、ホアほほ、ほーっ エズットコち^゚)^゚)゚。プ。フぢっぷぷらだお! ほほほ、ほーっほ、ほホアーッ!! ーっ、ホアアーッ!! ホアーッ!! っ、ホアほほ、ほーっ エズットコち^゚)^゚)゚。フアーッ!! ホアーッ!! 、ほーっ、ホアアーッ!! ホアーッ!! ーっ、ホアアーッ!! ホアーッ!! ーっ、ホアアーッ!! ホアーッ!! っ、ホアほほ、ほーっ エズットコち^゚)^゚)゚。プ。フぢっぷぷらだほーっほほーっぷープゲラレンチョピピーッ!! ぢっぷぷらだお! ほほほ、ほーっほ、ほーっぷープゲラレンチョほほほ、ほーっほアーッ!! ホアーッ!! 、ほーっ ホアアーッ!! ホアーッ!! ーっ、ホアアーッ!!
214 :
みうん :2009/06/20(土) 05:21:44 0
>>173 714さん
>〈幻想と現実〉という話題になると、僕はプラトンの〈洞窟の比喩〉を思い出します。
へえ〜。洞窟ですか。プラトンって面白いですね?
私は「響宴」はちょこちょこ拾い読みしたぐらいで、軽薄な限りなんですが、
もうちょっとじっくり、プラトンを読んでみようかな。
「いままでは洞窟でぬくぬくしていて、そこから飛び出さないといけない」という事になると、
これは、きっと産道をとおる胎児の心象のメタファーでもあるんでしょう。
もう生まれてしまったのだし、また別の産道をとおることはないんじゃないかとも思いますよ。
一回生まれればいいんじゃないかと思います。そうじゃないでしょうか。
(たしかに、狭い通路をとおりぬけるのは、ワクワクするものですけど・・・)
現実の世界がこの世だから、今度は幻想の、真実のみの世界に到達するのだ、といって、
本当に身を投げ出して、真実のみの世界に没入してしまうのではなくて、
思いを回収して、ひとつの書物にし、芸術にし、世界のなかに循環させると。。。
生まれて、世界という何かの体内に投げ出されて、一個の生き物として息づきはじめたのなら、
産道に戻らずに世界と一緒に成長していけばいいんじゃないでしょうか。
215 :
みうん :2009/06/20(土) 05:23:58 0
>>174 >有限な時間と世界の「外」に、神がある。
外の世界って必要なんでしょうか・・・?
外の世界なんてない、この点ではニーチェに賛成です。
この世界の外の、無限の世界、なんて発想をしていると、人間に締まりがなくなりはしませんか。
なにもかにも、責任の一切をどこかの外任せにするんじゃなくて、やっぱ自分で受け持ちたいものです。
どうなんでしょうね、たとえは悪いんですが、
人間がいらなくなったものをロケットで運んで、宇宙にポイポイ棄ててしまう人が居ます。
http://wiredvision.jp/news/200903/2009031723.html 宇宙がなにもかも引き受けてくれるとでも思っているんでしょうか。余りにも酷い話です。
また、土の中に放射能を埋めておけば、しばらくすれば何とかなるだろうなんて思ってる人もいます。
こういうのはいけませんよね。
自分の生活圏外だって、有限なんです。だから大切にしないと。
それにしても、リンク先にも載ってるグーグルアースって、
ゲーム感覚で地球や火星を操作できて気持ちいいですね。なんかズルい気はしますが。
216 :
みうん :2009/06/20(土) 05:24:48 0
>>175 >感傷がそれほど強調されているとは僕は思いません。
感傷と言ったのは言い過ぎだったかもしれません。私は、ただ起こった事態を公平に見たいんです。
なんで、こんなに当時のローマとキリストが対立していたのかなあと思って見てみると、
ローマは興国のために制度を作り、軍隊も用意し、奴隷にむち打ってがんばっていたんですね。
とにかく国を大きくするんだ、そのために多くの犠牲が払われている、それに報いろ、そんな感じです。
そこにキリストが現れて、「みんなで愛し合おうよ!」と言ったのでは、モチが下がるというものです。
敵陣を崩すのに、できかけの建築物に石を積み上げるのに忙しいのに、慈愛だなんて言ってられるかと。
それでキリストは王にコテンパンにされてしまったんですね。
それでもめげずに喜び、悲しみ、人間は感情の生き物だよと言い続けたキリスト教は偉いです。
人間性の向上には、職人の、軍人の目や指先が持つ精度を上げる事もひとつありますが、
いたわり、許しの感情も必要ですよね。
たしかに、現代でも、感情の平板化という事が言われていて、今こそキリスト教の出番かと思ってます。
217 :
みうん :2009/06/20(土) 05:26:36 0
>>176 タルコフスキーの映画は、ちょっと重たいですけど。。。芸術性は高いし、ロックテイストです。
>僕の最も好きなアリアの一つです。
紹介してもらった動画のステンドグラスはずいぶん構成的ですね。どこのものでしょう?
しかしアリアはきれいですね。714さんはソプラノを生で聞いた事あります?
身近にボーイズソプラノの声を維持してる大人の人がいるんですけど、すごいですよ。
近くで歌声を聴いていると、お腹や頭蓋の中がブルブルブルっと振動してるのが体感できますw
あんまり聞いていると、気分がおかしくなるんですよ。筋肉が硬直して息苦しくなります。
http://www.youtube.com/watch?v=NWMOmBohlTE&feature=related ↑ここでも、カストラートの超絶美麗な歌声を聞いてクラクラしてるおじさんがいますが、
特に思い入れがなくても、鍛えられた高音に貫かれると、締め付けられて卒倒しそうになります。
動画の中でカストラートは去勢してしまっているけど、実際は去勢しなくても声を育てられるようです。
議論に戻りますが、
祈りのような感情というのは、私自身も持っているので理解に苦しくはないんですが、例えば、
あらゆる人間の行いを全て把握している神に、今とった行動の裁定をして欲しいとペテロは思いました。
それで、「徳の高い人にも間違いはある」という結論が出ましたけど、この結論は神が出したんですか?
祈りが、どこを通過してどのように「声」が伝えられたのか、という事を言いたいんですけど。
>以前僕が結婚していた人です(統一教会をやめてから結婚したという意味)。
なんかそうとう大恋愛っぽい感じですね?
そういえば、遠藤周作も、恋愛論を語った人ですよね^^
218 :
みうん :2009/06/20(土) 05:27:56 0
>>177 >一つの小さななずなの花の中にも、無限な生命(宇宙全体)が含まれているのだと思います。
たしかに、心がどうもくさくさしている時は、雑踏の中、自然の密集している中に入って、
ぱっと心の窓をあけ、今の個人的な思いよりも、外からの刺激に身を委ねるということをしたりします。
元来日本の風景というのはどこに行っても和やかなものだから、急に気分がほぐれたりします。
ナズナの中に宇宙が宿っているとすると、土の一粒や、電線、おばちゃんの財布の中にも
均等に宇宙が宿って、それらは閉じられ、網目状に配置されているということになりますね。
編み目と言っても一体どんな状態で配置されているのか、ということを突き詰めたのが、
フラクタル理論でしたっけ。
>…自己である自己性には、現実的に自己否定が課せられているわけである。
私意を離れる事、すなわち自己否定をする事・・・
自己を否定、批判し続けると、心の拠り所がなくなり何かに依存しなければならない状況を作ります。
相互依存という事を、前に714さんは言いましたけど、これと「自分の中に安らえる」というのは、
どういう封に両立するんでしょう?
219 :
みうん :2009/06/20(土) 05:29:05 0
>>178 >なずなの花と、それを見る者とが、〈無限な生命〉という場でつながっているように。
>(お寺の畑のかぼちゃたちの頭が一本のつるでつながっていたように。)
トランスパーソナルという心理学をちょっと今かじっていて、
例えば、714さんのかぼちゃの話、それから私のすり鉢の話、これらが意識を表すものとして、
ひとによってさまざまなビジョンで現れる、その現れ方によって気の流れがわかり、それをもとに、
いかに、体を流れる気を整えていくかをやる・・・というのがトランスパーソナルなんですけど、
仏教で言うと、こういう、何かの現象をそのままに見ずにかぼちゃなどビジョンに置き換えるのを、
「魔境に入る」と言うんですか?
魔境にしては、かぼちゃの話はいかにも牧歌的な感じがするんですけど^^
魔境と呼ばれるものをおさえてものを考える事は、人間にとってものすごい苦痛になります。
記憶の書き換えができないってことは、トラウマなんかの処理が出来なくなりますから。
それでも、それを乗り越えて、先の境地を見いだす、仏教の修行の深遠な事と言ったらありません!
220 :
みうん :2009/06/20(土) 05:30:00 0
>>179 >もし、新しい命が誕生する、という意味がないとすれば、陣痛は恐るべき苦しみになるでしょう。
陣痛ですか。。。子供を作る事はとても尊い事ですけど、
私は体感的な痛みがすごく苦手で、陣痛の苦しみは多分キャパの外です。
そのうち子供を産むとして、選ぶのは無痛分娩でしょう。
もしかして、妊娠してお腹をふくらませることさえ選ばないかもしれません。
体外受精なんかについても調べています。
苦痛に意味さえあればというけれど、体が裂けている間、意味を考えられます?
ロゴス的なものはきっと全部吹っ飛んでしまいますよ。
男性は、痛みを感じるとともに戦闘的な興奮を覚える人も居るようですけど、
多分、ニーチェもそういう人の一人でしょう。
分娩の痛みを想像して創作に置き換えるワザはちょっと・・・不気味っぽいです。
フィクションのホラーとかの人為的な痛覚の演出は好きです。痛覚の演出は難易度高いですし。
自分は怪我をしたり災難にあったり痛い経験をせずに、怖いものの情報だけ見て、
きゃあきゃあ騒いだりその気になってじっとりしたりしたいんです。。。
でも、産んだ人の「痛かった話」を延々聴かされるのはたまんないです。
完全に自分の立場からモノを言ってますが、こういう感情の表れは、「閉じた自己」と言うんでしょうか。
分娩の際にも意識を開くというのはどうなんだろう。比喩としてなら理解できますが。
体が裂けている間、宇宙について考えるのは、マゾヒズム的な傾向じゃないですか?
マゾヒズムを、文学的情緒と解釈してもいいかもしれません・・・
221 :
みうん :2009/06/20(土) 05:30:49 0
>>180 >ギリシャ人なら「人間」を〈理性的動物〉と考えるだろうし、キリスト教徒なら「人間」を〈神の似姿〉と考えるでしょう。
たしかに、人間一つ見てみても、ニュアンスの付け方によって存在性自体が変わってきます。
哲学者は、よりよい生のために、人間のある部分をぬきだして仔細に調べ、
とくとくと議論をしたんでしょう。そして結果を出して・・・
たとえば、サルトルは、今ある現実なんて現実じゃない、自由だ、だが自由ですら縛られている、
という甘い言葉を、哲学に置き換えて、シラノさながらの壮大な呼び文句を書きまくり、
世の人々を扇動し、地位を獲得して、女性に対してはドンファンの様な立場をとりました。
衆目の中、おおいにラディカルに振る舞って、彼は満足だったかもしれませんね。
世の人々も、戦争で溜め込んだ辛気くさい思いを発散できて善かったかもしれません。
だけど、彼が巻き起こした運動は、悲劇を数々起こし、日本では学生運動による悲劇がありますよね、
そして、その動きは収束していきましたよね?なんで収束したんだと思います?
あの時代、サルトルやマルクスのまぜこぜな影響を受けて、政治運動に参加してた人たちって、
いい生き方をしてたと思いますか?
哲学者というものが、どうもうさんくさく思える、その筆頭がサルトルです。
カタカナの単語を使いまくる本が多いのもナンカうさんくさくないですか?
222 :
じじい :2009/06/20(土) 09:57:04 0
私は無学な凡人ですが、存在理由を明確に認識しました。 1} 自分とは何か。 2} 生きる意味。 などを、宗教{信じる}、思想{こう考える}に依らず。 認識論{一目瞭然、観る}にて自分の言葉で説明できます。 いずれ皆さん判ることなので、余分なお節介と思いますが、 よろしければ、質問して下さい:すぐに返信できませんが、 まじめな質問には、丁寧にお答えします。 まず自分とは何かですが、 死んで終わる自分と、死んでも終わらない自分で、自分をやってます。 確認、検証は、徹底した自己分析と、認識のレベルアップ{理解力} により悟る事が出来ます。 真理と言われている事を悟るのは良いことばかりでは有りません。 むしろ困難、苦難の連続が待っています。 良い点は、絶対不安がなくなる。それまでの人生を、完全肯定できる。 苦の意味が理解出来る。ネコに小判的、価値観の問題になるとおもいます。 よろしければ質問して下さい。
223 :
考える名無しさん :2009/06/20(土) 11:53:04 0
このスレへんたいばっかwww
224 :
考える名無しさん :2009/06/20(土) 11:56:21 0
しかしまだまだAA哲学の可能性は汲みつくされていないはずだ! たとえば、 ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
408 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 メェル:sage 投稿日:2009/06/18(木) 08:44:37 ID:jBot+ssN 警告を粘着ってことにしたがる意図は何なの? こんなのと同列にされるような事何もしてないけど? 掲示板で自分語りしながら出会い系サイトみたいなことして、キモいなれ合いして、 固定を見つければ粘着ストーカーしてたのはここの◆KshbumBTZI ←こいつ。こいつだけ。 どうせレス抽出ソフトとかの糞ソフト使ってるんでしょ。それしかやることないゴミ。 会社ではすぐキレるから嫌われてるとか。リア友いないとこうなっちゃうのかね。 夢独り言板だとか自己紹介板にでもヒキコしてればいいものを、 スレがdat落ちしづらい、IDが出ないだとかの理由で、 学問板に出張してきて狂ったように自演しまくってる。 低学歴っぽいから、学問板が高尚だとでも思ったんじゃないの? そんで、本の感想書いて作家気取りしたり、 どうでもいいプライベート晒して喜んでる基地外婆。 ほかにも同人の宣伝はするわ腐女子丸出しの荒らしはするわで何度もアク禁になってる。 浅ましい真似しか出来ないくせになんでコテの時だけキャラ作ってんの? 馬鹿みたい。頭腐ってる奴の考えつくことって本当に陳腐。
226 :
訂正 :2009/06/20(土) 13:20:19 0
408 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 メェル:sage 投稿日:2009/06/18(木) 08:44:37 ID:jBot+ssN 警告を粘着ってことにしたがる意図は何なの? こんなのと同列にされるような事何もしてないけど? 掲示板で自分語りしながら出会い系サイトみたいなことして、キモいなれ合いして、 固定を見つければ粘着ストーカーしてたのはここの◆KshbumBTZI ←こいつ。こいつだけ。 どうせレス抽出ソフトとかの糞ソフト使ってるんでしょ。それしかやることないゴミ。 会社ではすぐキレるから嫌われてるとか。リア友いないとこうなっちゃうのかね。 夢独り言板だとか自己紹介板にでもヒキコしてればいいものを、 スレがdat落ちしづらい、IDが出ないだとかの理由で、 学問板に出張してきて狂ったように自演しまくってる。 低学歴っぽいから、学問板が高尚だとでも思ったんじゃないの? そんで、本の感想書いて作家気取りしたり、 どうでもいいプライベート晒して喜んでる基地外婆。 ほかにも同人の宣伝はするわ腐女子丸出しの荒らしはするわで何度もアク禁になってる。 浅ましい真似しか出来ないくせになんでコテの時だけキャラ作ってんの? 馬鹿みたい。頭腐ってる奴の考えつくことって本当に陳腐。 明らかに精神病だから理屈なんて通じないかも知れないけど、 学問板に出入りして粘着荒らしするのやめてほしい。 夢独り言板でハッスルしてればいいんじゃないの?馬鹿なの?
227 :
続き :2009/06/20(土) 13:21:16 0
409 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 メェル:sage 投稿日:2009/06/18(木) 19:51:56 ID:iW5gvKXO
周りから見て粘着なら、それは粘着だろう。
おまえはどう見ても正当化が無理なものを正当化しようとしているようだが、
そう書けばそうなるというものでもない。
下品な行動は少し慎んだらどうだ。
おまえが見つめるべきはおまえ自身の今の状況だ。
410 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 メェル:sage 投稿日:2009/06/19(金) 09:05:13 ID:i6FYR3/Q
だめだこいつ頭おかしいわ。キモオタ臭がする。
たった数レスでバレバレな情報操作しといて個人的な主観のべるだけ。
そんなことやってる自分が下品なのにそれを相手に丸投げ。
低学歴ってこればっか。ほかに言葉の使い方なんて知らないんだろ。
ほかで話してる連中みたいなまともな論理展開は皆無。頭悪すぎ。
やっぱ下衆には理屈は通用しない。
糞コテ擁護してんのって頭悪い屑だけだよね。それともお得意の自演?
バカらしくて関わってらんねーわ。
411 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 メェル:sage 投稿日:2009/06/19(金) 22:20:33 ID:YZJdFFZn
>>410 素晴らしい自己分析だ! 完全に同意しよう!w
228 :
続き :2009/06/20(土) 13:22:59 0
412 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 メェル:sage 投稿日:2009/06/19(金) 22:41:06 ID:qYb5glmO
>>410 おまえの感じている「情報操作」や「自演」はそのほとんどが
おまえの気のせいだと思う。おまえがそうとしか考えられない、と言うのなら、
それは立派な「妄想」だ。医療関係に相談しろ。何回かかかったことあるんだろ?
おまえの最近のこの手の罵倒文は、まんねりで内容が無い。
何がやりたいのかよくわからんぞ。もはやおまえ自身にさえ、わかるまい。
そろそろ限界じゃないのか?どうすればやめられるか、自分でわかるか?
229 :
続き :2009/06/20(土) 13:24:48 0
413 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2009/06/20(土) 06:59:52 ID:m9y0gkEV >自己分析だ! >それは立派な「妄想」だ。 ハイハイゴキ腐リの「投影」ね。ネガティブな投影で精神的優位に立とうとすると。 キモオタ発想のデフォ。それが醜いという自覚はないと。無様無様。これしかできない。 人格障害だから病院いこうね。どうせ行く勇気も金もないネット弁慶なんだろうけど。 ゴミ屑以外、キモオタ以外の人間に相手にしてもらえて嬉しそうだよな。最低のゴミ。 腐女子系の非モテって、 大体ネット中毒→ネットストーカー妄想→裏で悪口 やるな。 二年前、高校の同じ部活のデブ女子がそれで発狂してたな。 ↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑ これにつきる。ここの糞コテみたいなゴキ腐リはどこ行っても嫌われ者。 現実でいじめられ、ネットで発狂するのがセオリー。 スレは自分の家。 自分語り、自演、粘着、ストーカー、悪口大会、宣伝、キモいなれ合い。 でネット依存。 現実で出来ない事の全てをネットで、妄想の中でやろうとする。 ネットの中だけでも勝った気になりたい。これしかやりたい事がない。 馬鹿で不細工で恨みの固まりみたいなゴミ屑は発想が貧困。 思考停止のゴミ屑腐婆。ブサキモって臭すぎ。いらない人間。 アニオタ、文学オタなんてのはキモいだけの底辺。 それにしてもオタ文化での金稼ぎももう終了してるけど、 お前らどうすんの?死ぬの?
230 :
続き みうんさん詩文学板を荒らさないでください :2009/06/20(土) 13:25:32 0
414 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 メェル:sage 投稿日:2009/06/20(土) 13:17:53 ID:yXsahMw7 わかったわかったww おまえはえらい!勝ち組だ!もてもてだ!ww わかったからここはやめろww 哲学板にもどれ、みうん。 ハウス!
__,,,,_ /´  ̄`ヽ, / 〃 _,ァ---‐一ヘヽ i /´ リ} | | ‐-=・=-ー | | 〉. -‐''~ ~'''ー {! ゝ i、 ` `二´' 丿 大きな物語は終焉したんじゃよ? r|、` '' ー--‐f´ _/ | \ /|\_ , -''" ̄⌒ヽ, , `又´``ー;;7''~´`丶、  ̄ ̄ ̄ ( ,--一''" ~`〜〜''"~ ー--、 ) ___ | 〈 〉 |  ̄ ̄ ̄ | } { | ___ | | | |  ̄ ̄ ̄ . | | | | _/ { } \_ (__,-、__} {__,-、__) `┻━┻ ┻━┻"
232 :
考える名無しさん :2009/06/21(日) 09:14:19 0
まだみうんこはあちこちで糞レス垂れ流してんの? ほんと粘着気質だな〜。
233 :
考える名無しさん :2009/06/21(日) 09:19:03 0
>浅ましい真似しか出来ないくせになんでコテの時だけキャラ作ってんの? >馬鹿みたい。頭腐ってる奴の考えつくことって本当に陳腐。 ↑この自己分析はとても素晴らしいですね。>みうん
>>96 のレスをもういっかい読んでみるといいですよ。
>
>>86 のほかのレスを見回してみてください
>あなただけ浮いてると思いませんか?
>みんなきちんとルールに従って削除依頼を行っているのに、
>あなただけ自分勝手な都合だけ押し付けています。
あなただけ浮いてるんですよ
あなただけ自分勝手な都合を押し付けてるんですよ
多くの人がそう思っています。
他の板で書き込んだことはここにも跳ね返ってきます。
自分で吐いたツバは自分の顔にかかってきます。
235 :
考える名無しさん :2009/06/21(日) 11:44:07 0
そー言ってもわかんないだろうなー
236 :
考える名無しさん :2009/06/21(日) 18:39:30 0
だね
237 :
考える名無しさん :2009/06/21(日) 22:09:04 0
230 名前:続き みうんさん詩文学板を荒らさないでください :2009/06/20(土) 13:25:32 0 414 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 メェル:sage 投稿日:2009/06/20(土) 13:17:53 ID:yXsahMw7 わかったわかったww おまえはえらい!勝ち組だ!もてもてだ!ww わかったからここはやめろww 哲学板にもどれ、みうん。 ハウス! ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー いやいや、 バック!
238 :
考える名無しさん :2009/06/21(日) 22:20:10 0
削除依頼マダー(・∀・ )っ/凵⌒☆チンチンwww
179 名前:吾輩は名無しである メェル:sage 投稿日:2009/06/17(水) 10:20:08 しかし、ここの糞コテ共のものほしげな様子と焦燥感と言ったらないな。 こいつらの欲しがってるものをすでに手に入れているおいらは幸せ。 ゆったりとしながらも充実した生活、作家や学者との交流、倫理、美貌、友情、才能、恋、金。全部持ってる。 この不幸な人間共は、カスしかいないネットの隅で出会い系の真似事してないと アイデンティティが維持できないんだなあ。哀れ。まあ、いい反面教師。 今あるものがなくなるとこうなってしまう、という見本。2ちゃんは勉強になる。 こんなんが身近に居なくて本当に善かった。恩恵にあずかってる。
240 :
バトー :2009/06/22(月) 23:47:43 0
241 :
少佐 :2009/06/22(月) 23:48:36 0
(石川!)
242 :
トグサ :2009/06/22(月) 23:50:51 0
(そんな人だっているかも知れないじゃないですかっ!)
243 :
荒巻 :2009/06/22(月) 23:59:05 0
(おちつけ、トグサ。 みうんさんとやら、確かに少々キャラクターの設定に無理があるようだ。 修正してみてはどうだろうか?)
だいぶまえに混乱したことがある この罵倒文が佃煮=みうん氏本人のレスって言ってるってわからなくて 普通の感性から見れば佃煮氏が腐女子だからな エートル氏との会話の中で佃煮氏が 「腐女子というおぞましい生き物について」説明してるのを見て、 この人は自分を腐女子と思っていないのだなと気づいて漸くわかった
どこまで狂えば気が済むのだろうかと、 われわれは少しうんざりしはじめる。
しかしすぐに気を取り直して、われわれは叫ぶであろう。
もっと腐ったものを見せてくれ、
おまえの限界と、その向こう側で唾をとばしながら悪態をまき散らすおまえの姿を、
グロテスクで、痛々しく、悲惨な、
ほんものの見せ物小屋を、見せてくれ。
251 :
考える名無しさん :2009/06/23(火) 23:49:05 0
! ! i -<_______,`ゝ ! .l/ 〈. ● ● }-、 l !{ } ,ハ !f/ l !ヽ._ ノ ,‘,,-,,', .!ノ ! .! i.ヽ. ,'"-===-'; | 僕は持ってますね .l. ! /\ \;; `''';;;'''´;/ .| |,/ヽ、`ヽ、`ー''ー'i´ │:/__:. `ー---─ ''"´ ̄ ̄`` ー- 、 /´ `ヽ、. .: `ヽ、 / `ヽ、 ゙i i :; ,! ! ‐-、 :. 。 .:' / ヽ ヽ ; j:! " __..:-‐'"´ ̄ ̄` __ノ \ ! .:' 〃 ,..:---─‐'"´ __.. -──── ''"´ `ヽ、 ヽ、 ノー;'"、二:.:'ー--ァ'"´ `ヽ、 >:).......ヽ、_∨:/` ̄i ....:::::::::::にニニイ::::::::::::::::ヾK.._.ノ、 ....::::::::::::::::::,! _ i!:::::::::::::::::..ヾ:、__/ ミ、::::::::::::::::......... ..::::::::::::::::::::::::!`´_` .! `===='' :::::::::::::....... ::::::::::::::::::::::::::k'´! i ,``;| ..:::::::::::::::::::::ヾ三三ノ ',',
わたし たちみたいに、少しずつ二人で楽しみながら工夫し、実験をしてい って、読者の 方にもそれなりに楽しみにしていただいて、生きていくって 時代遅れなのでしょ うか。文留さんみたいに、なんの途中経過もなく、い きなり究極の生体解剖の焼肉なん て、すごすぎて反則だと思います。わた しのあそこをしこしこ噛みながら、徐々に中身を引っ張り出して、これは す ごいと喜んでいた夫が、むなしくなってがっくりくるのも分かります。 高卒で頑 張っていたのに(本当のこと)、東大卒の新入社員が来たみたい で す。でも頑張って、女性として最初のわたしのオチンチンは大切に育て ています。ドテッとしていて、夫のものみたいにキリリとはしていません が、それがまた可愛 くて、なでてやりたくなります。夫も、ひどいオチン チンだな、やっぱり内臓だなこれはと悪口を言いつつ、すご く気に入って います。わたしの考えでは、これでわたしが引き締まった固いオチ ンチン を持ったりしたら、夫はひがんで、こんなにいい状態にはならないと思い ます。だからわたしのひどいオチンチンに感謝しているのです。文留さん の真似をしてみました。わたしのオチンチンにはしばらく引っ込んでいた だいて(夫が指で上手に押し込むとおとなしく元の位置にかえります。で も少しづつですが、戻りきれなくなっているような気はします)、胡座を かいて座り、夫が足首を縛りました。そのまま前に倒されて、文留さんと 多分同じ格好になりました。踵とか膝とかが床や脛に当たって痛いのです が、堪えられないほどではありません。お前の場合、「最初から丸出しだな」 ----夫が言います。思ったほど、お尻の谷間が深くないのでしょう。わた しのお尻は割合小さいのです。これっていいことなのかしら、それとも欠 点なのでしょうか。それでも夫が、お尻の肉を両手でさらに開きます。本 当に丸裸にされた感じです。その上、ピクリとも動けないのです。「お尻が 小さい上、下付きだから、お前の場合、まるっきりの丸出しになる。昔な ら、顰蹙物だったろうな」----と言います。
昔というのは、人がまだ四つんばいで歩いていたころのことだそうです。 街中で後ろから歩いてくる人に迷惑だという意味です。そんなことまで責 任は持てません。夫が、こう切り出したのかなと、指であそこの周辺をな ぞりました。なんだか冷やりとします。不意に本当に冷たいものが当たり ました。エッと思って、声を出すと、大丈夫だ、これだから、とホットケ ーキ用のナイフを見せました。夫は、わたしたちは、いつもそうです。こ うして冗談のように始まって、いつも本当になります。今回は違うとは思 いますが。わたしは目をつむりました。文留さんの気持ちを考えました。 何のために日本に来たのかしら。何が一番楽しかったのかしら。Kさんと はどんな関係だったのかしら。今から死ぬって、どんな気持ちなのかしら。 最初に包丁が肉に入ってきたとき、どう対処すればいいのかしら。柔らか い肉が、夫が上下させているナイフの動きでよじられます。わたしが文留 さんにいくらかでも勝つチャンスがあるのは(勝つって変ですが)、肉の 柔らかさです。肉は腐りかけが美味しいって言うではないですか。文留さ んの唯一の欠点は、彼女の新鮮さです。若さです。わたしの方が美味しい かもしれない、そう思うのは楽しいことです。アッ、いけないと思います。 これはいつものパターンで、劣等生のほんとにささやかな競争心がいろん なことを始めてしまうのです。編集の方が、最近○○さんの方が人気があ ると言うと、夫はすぐ○○さんと同じことを少し程度を上げて実行するの です。○○さんが公園でヌードなら、わたしは商店街で。○○さんがラビ アのピアスなら、わたしはクリトリスのピアス。その○○さんが、いつも 同じ人ならいいのですが、そのときの一番人気のある人がつぎつぎに出て くるのです。きりがないと思うのですが、みんなそうして生きていくのだ、 と言われると、そうかなとも思います。文留さんが、今度の○○さんかな、 そう思っていると、不意に下半身が変になりました。
持主のわたしから見ても、レモンをかけられて、すっかり食物です。フワ ァッとした柔らかい刺激が下半身を上昇させ、脳がまたどこかの記憶を消 したみたい。いろんなメモリーを貯えて、脳が成長し、成人し、そのメモ リーをを少しずつ失いながら、ゼロになったとき人は死ぬ、のかな。夫は、 わたしの芋虫を食べたいのです。雑誌やビデオの人たちも期待しているの です。わたしもレモンをかけて、食べてもらいたい、のかな。 「あいつは結局はなんでもやらせてくれるよ。」----夫 「でも、文留さんのようにはいかないでしょう。」----編集者 「同じような格好はさせてみたよ。」----夫 「エッ、そういうときは、カメラを呼んでくださいよ。」----編集者 「前倒しにして尻タブを広げたら、すごい勢いで、子宮が飛び出してきた。」 ---夫 「完全に飛び出したのですか。」----編集者 「完全に裏返ったと思う。なまこみたいだ。スライスすると最高のつま だ。」----夫 「奥さん、美人だし、美味そうですね。」----ちょっとかわいい編集者 「お前さんにも、いつかご馳走してやるよ。」----夫、勝手に約束 「本当ですか、約束ですよ。」----なに言ってんだろあの二人、という感 じなんとなく、お布団の中で、あそこに手がいく感じです。夫とかわいい 編集者が、わたしのあそこのスライスをつまみにしてお酒を飲んでいるシ ーンが見えてきて、興奮してきます。
鶴の恩返しみたいな気持ち、と言っても分かりませんね。喜んでもらえる なら、なんでもしてあげたい気持ちがあるのです。それで夕鶴の気持ち。 「奥さんの身体はいつも見せていただいていますが、僕、触ったことはな いっすよ。」----編集者 「オッ、そうか。いつも見てるだけか。あいつの肉は格別に柔らかい、び っくりするくらいだ。」----夫 「色気がありますよね、奥さん。僕はほんとにファンですよ。」----編集者 「じゃ、肛門を食わせてやろう。」----夫の声 頭がくらくらと白くなって、またどこかが切れたみたいです。フッと意識 がなくなりそうです。わたしはやっぱり変なのでしょうか、先生。わたし は文留さんになりたがっているみたいです。 「あの事件は本当ですか。」----編集者 「Sの件だろう。もちろん、本当だ。」----夫の押し殺した声。 Sとはわたしたちのライバルのモデルのこと。本当に憎たらしい若い美人。 でも、なにがあったのだろう。 「まだ入院中だ。もう再起不能だろう。」----夫の弾んだ声。 エッ、わたしも思わず布団から飛び起きそうになりました。雑誌の撮影中 だった。最初、おしっこをさせる形に彼女を後ろから抱きかかえて、ゆっ くり肛門から長いバイブの上に降ろすという算段だった。別に何というこ ともない仕掛けだ。大開きの性器と肛門が同時に鑑賞できるというので、 誰でもが考える。それで編集から、もうちょっと何とかならないかとなっ た。
○○○○としても、タダのインターネットの画像にかなわないんじゃ立場 がない。もうちょっとMの趣向をだそうということになって、Sの彼氏が じゃあ刀でいこうというアイディアをだした。昔切腹ものが流行ったこと があったが、その流れだ。これは今も隠れた人気がある。和服のSを彼氏 が後ろから抱きかかえる。刃を丸めた刀を床に固定し、その上に、ゆっく り彼女を下ろす。そこをコマ撮りする。肛門に少しづつ刀が消える。なか なかの趣向だった。 「Sさんのあそこは奇麗ですからね。いいですね。」---可愛くない編集者 の興奮した声 「それで、Sの肛門と刀に、ワセリンを目立たないようにたっぷり塗った。 忍者の格好をしたSの彼氏が、彼女を抱え上げ、撮影にはいった。床に立 てた刀の先を彼女の肛門にあてがって、ゆっくり降ろし始めた。一、二セ ンチ入ったところで、汗とワセリンで手が滑った。後ろからSの大腿部を 開いて抱え上げていた手が滑った。直立した刀の上にSが肛門から落ちた のだ。」 「すごいっすね、それ。」----若者のかすれ声がします。 「すごい。」----と夫 彼女、やや後ろ向きに倒れたので、剣先が臍の上あたりから飛び出したら しい。運が良かったのだ。まっすぐ落ちたら、即死だったろう。それでも 直腸、膣、膀胱などがずたずたにされた。なんとか命は大丈夫らしいが、 大事故だった。病院で怪しまれ、そりゃ、怪しまれるわな。警察沙汰にな ってしまった。変態夫婦の遊戯中の事故として片付いたらしいが、大変だ ったらしい。隣の部屋で聞いていたわたしも、また頭の中が白くなって大 変でした。文留さんも、Sさんも、なんだか女は大変だなという感じです。
257 :
考える名無しさん :2009/06/24(水) 20:26:53 0
すごいっすね、これ。
258 :
714 :2009/06/25(木) 15:58:28 0
>>214 >もう生まれてしまったのだし、また別の産道をとおることはないんじゃないかとも思いますよ。
>一回生まれればいいんじゃないかと思います。そうじゃないでしょうか。
産道の中に戻るのではなくて、
普通の人間は、自分では気づいていないけれど、現に今も洞窟の中にいるようなものだ
というのが、プラトンの考えです。
洞窟の比喩は、イデア論についての比喩ですが、もう一つの重要なテーマは〈自由〉だと思います。
洞窟の中で手足を縛られていることは、〈不自由〉を意味します。
洞窟の外へ出ることが、〈自由〉になることです。
ギリシャの哲学者たちが、自由に物を見る「観想」的態度を重んじたことを前に書きました。
プラトンも、洞窟の外へ出て自由になることによって初めて真理(イデア)が見えてくると考えたわけですね。
しかし、束縛から解放されて自由にものを見ることは難しい。
洞窟から外へ出ても、まぶしくて何も見えない、という記述がその困難さをあらわしています。
その〈彼〉が、捕らえられて殺されてしまうというところも意味深長です。
それは、真に自由であることが命がけのことであることを示していて、ソクラテスの死も連想させます。
また、洞窟の他の住人たちが〈彼〉を捕らえて殺したのは、
自分たちが縛られているということ、つまり〈不自由〉であることに気づいていないからでしょう。
とらわれている当人は、それに慣れてしまうと、自分が何かにとらわれてことには気づきにくくなります。
たとえば、人が考えるのは、言葉によって考えるわけだから、人間の思考は言葉によって制約(束縛)されているとも言えます。
言語による束縛は、最も根源的な束縛の一つだと思います。
でも、それが根源的であるからこそ、言語による制約にはなかなか気づきにくい。
仏教の〈不立文字〉は、言葉による束縛を強く感じた結果として出てきた考え方でしょう。
禅問答も、言語による束縛から自由になる一つの試みなのでしょう。
259 :
714 :2009/06/25(木) 15:59:09 0
>>217 >↑ここでも、カストラートの超絶美麗な歌声を聞いてクラクラしてるおじさんがいますが、
>特に思い入れがなくても、鍛えられた高音に貫かれると、締め付けられて卒倒しそうになります。
>動画の中でカストラートは去勢してしまっているけど、実際は去勢しなくても声を育てられるようです。
この動画を見て、これはくちパクだろうと思って調べてみると、やはり合成のようですね。
女性の声には、男性の声とはどこか違うものがあります。
古楽ブームの影響もあって、今はバッハの演奏ではアルトは男が歌うことが多いんですよ。
この前のアリア『憐れみ給え』を男が歌うと、こんな感じになります。
(アルトは女性のほうが僕は好きです。)
http://www.youtube.com/watch?v=dHbOOe8n2gY http://www.youtube.com/watch?v=_wdF4wyIyeU&feature=related >祈りが、どこを通過してどのように「声」が伝えられたのか、という事を言いたいんですけど。
意味がよくわかりませんが…
祈りがどのように神に届いたのか、ということは、信仰の領域の事でしょう。
それは主体的な信仰の事だと思うので、僕にはなんとも言えません。
キリスト教信仰の外側から〈傍観者的に〉(例えば科学的にとか、心理学的にとか、哲学的にとか)
そういう事柄について分析するのはあんまり意味がないかも知れません。
「あなたが祈るときは、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。」
(マタイによる福音書)
隠れた神に、人知れずただ一人祈る。そういう主体的な祈りの内実は、外側からは伺い知れないでしょうね。
260 :
714 :2009/06/25(木) 16:00:32 0
>>219 >仏教で言うと、こういう、何かの現象をそのままに見ずにかぼちゃなどビジョンに置き換えるのを、
>「魔境に入る」と言うんですか?
「比喩」と言うと思います。プラトンの洞窟の比喩と同じように。
仏教では比喩をよく使いますね。
かぼちゃの比喩は、〈つながり〉の比喩でした。
つながりをあらわす比喩にもいろいろあって、
たとえば前スレで書いた海と波の比喩。
(前スレから)
>生と死のイメージとして僕が好きなのは、仏教の、海と波による比喩です。
>生命全体が海であるとすれば、一つ一つの波は、個々の生き物の命であり、
>生じては消える一つ一つの波は、生命の海によって支えられて生じ、
>そして、最後に生命の海へと帰って行く。そんなイメージです。
これは「生死」という文脈で書いたものですが、含蓄のある比喩だと思います。
この比喩からは、〈一つの小さななずなの花の中に無限な生命が宿っている〉
という事を感じ取ることもできます。
261 :
714 :2009/06/25(木) 16:01:42 0
>>218 >ナズナの中に宇宙が宿っているとすると、土の一粒や、電線、おばちゃんの財布の中にも
>均等に宇宙が宿って、それらは閉じられ、網目状に配置されているということになりますね。
閉じられてはいないと思います。
海と波の比喩でいえば、一粒の土や電線や財布は、ひとつひとつの波であって、流動的(無常)なものです。
液体である波と違って、それらは固体だから、独立して存在しているように見えるけれども、
実際は、人間の細胞が時々刻々入れ替わっているのと同じように、流動的なものなのだと思います。
海と波との関係を、華厳思想では「理事無碍」といいます。(波と波との関係は「事事無碍」)。
「無碍」は、さまたげがないこと、障害がないこと。
つまり、海と波との間にも、波と波との間にも、さまたげはないと考えられています。
それらが、本来は閉じられていないと考えられているからです。
流動的な海の中から、一つ一つの波を取り出して、固定し、閉ざしてしまうのは、人間です。
流動的でカオス的なものを固定化する働きとしては、とくに、言葉の作用が大きいと思います。
たとえば、なずなは「なずな」と名付けられる事によって、流動的でカオス的な生命全体から切り取られ、
さらに、「なずなの花」「なずなの葉」「なずなの根」…と名付けられる事によって、
あたかもそれらは、それぞれ独立した存在であるかのように思われてきてしまいます。
だから、「自己閉鎖が切り開かれる」ためには、そのようにしてカオス的なものを固定化する
言葉の作用も乗り越えなければならないことになるでしょう。
(これも〈不立文字〉〈禅問答〉につながります。)
(仏教が比喩を多用することにもつながるでしょう。また、十牛図にも。)
262 :
714 :2009/06/25(木) 16:02:36 0
>相互依存という事を、前に714さんは言いましたけど、これと「自分の中に安らえる」というのは、 >どういう封に両立するんでしょう? (みうんさんには珍しくw 鋭いつっこみ) (こういう鋭いつっこみをされると、こちらは書きやすいw) これは、相互依存をあらわす「縁起」と、自分の中に安らう「自灯明」のことですね。 たしかに、自灯明のところでは「他者を拠り所としてはならない」と書かれていて、 全ての存在は相互依存しているとする縁起の思想と、一見矛盾するような感じがします。 自分と他者との関係において見れば、縁起思想があらわす相互依存性は、 自分は自分だけで存在しているのではなく、他者によって支えられて存在している、ということです。 だからそれは、「他者を拠り所」とする、つまり〈他者を求める〉ような態度とは結びつかないでしょう。 むしろ、他者によって支えられていることの自覚は、「おかげさまで」という感謝に結びつくものでしょう。 また、「自分」ということを中心に見ると、「自灯明」の〈自分の中に安らう〉は、 〈自分だけで存在しているのではない〉という縁起思想と一見矛盾するように思われます。 でも、「自分の中に安らう」ということが、〈自分だけで存在する〉ということではないのは明らかだと思います。 「自灯明」は他者に依存せずに本来の自己になりなさいということです。 では本来の自己とはどういうものかというと、 それは海の中のひとつの波、つまり、〈無限な生命〉とのつながりにおいてある自己です。 だから「自灯明」は、そのような、〈自己閉鎖が切り開かれた自分〉の中に安らう、ということだと思います。 それに対して、〈無限な生命〉とのつながりを自覚せずに、 〈自分だけで存在する〉と思うとすれば、それは閉ざされた自己でしょう。 「他者を拠り所」にしようとして他者を求める自己は、そのような閉ざされた自己なのではないかと思います。 ポイントは自己の在り方だと思います。 閉ざされた自己であれば、〈相互依存〉と〈自灯明〉は、矛盾するでしょう。 開かれた自己であれば、矛盾しないでしょう。
263 :
714 :2009/06/25(木) 16:03:21 0
>>220 >苦痛に意味さえあればというけれど、体が裂けている間、意味を考えられます?
>ロゴス的なものはきっと全部吹っ飛んでしまいますよ。
肉体的な苦痛と精神的な苦痛は、一応分けて考えられるけれども、
肉体と精神(物と心)が明確に区別できるわけではないことを考えると、
純粋に肉体的な苦痛と普通は思われている痛みの中にも、心の痛みが含まれていると思います。
だから肉体的苦痛にも、心の在り方(意味づけする働きを含めて)が関わっているはずです。
たとえば、高速を走行中に、逆走してくるトラックと正面衝突したとします。
その時肉体が感じる痛みは、心の痛み(恐怖心)と渾然一体となっていて、明確には区別し難いと思います。
また、その時助手席で本を読んでいた人は、痛みを感じないで死んだかもしれません。
極端に言えば、肉体的な苦痛と思われている苦痛の一部(あるいは大部分)は、〈気のせい〉なのかも知れない。
264 :
714 :2009/06/25(木) 16:04:17 0
>>221 >あの時代、サルトルやマルクスのまぜこぜな影響を受けて、政治運動に参加してた人たちって、
>いい生き方をしてたと思いますか?
それはなんとも言えません。
サルトルやマルクスを自分で実際に読んでいた人もいるだろうし、そうでない人もいただろうし、
運動への関わり方は、一人一人違うから。
それに、その人たちの人生のほとんどは、学生運動で終わったのではなく、
それぞれのその後の人生があるのだから、その後の人生がどのようなものかによって、
学生運動の意味も変わってきます。
過去は、未来によって意味づけられるという側面があります。
>哲学者というものが、どうもうさんくさく思える、その筆頭がサルトルです。
>カタカナの単語を使いまくる本が多いのもナンカうさんくさくないですか?
僕がサルトルに胡散臭さを感じるとすれば、それは「ブーム」に対して感じる胡散臭さですね。
サルトル自身、雑誌を創刊しましたが、その頃から急激にマスメディアが発達して、
「ブーム」が起こりやすくなったと思います。
サルトルブームの後、同じような状況が、今もずっと続いていると思います。
こんなことを書いている人がいました。
http://homepage2.nifty.com/jomako/industrialism/kigyou/39.html 『日本人は呑気で「世俗知」ということでとかく怠惰になりがちでろくなことを考えないくせに、
欧米人が何かいったりすると忽ちワッとばかりそれに飛びつく悪い癖がある。とくに戦後の今日でも
日本のインテリや文化人となるとどういうわけかドイツかぶれやフランスかぶれが多く、ドイツ人や
フランス人が「哲学」や「文化」の面で何かいうと随喜の涙を流してそれに群がり集まる傾向が強い。
一頃のサルトルブームがそれである。今日では構造主義、ポスト・モダニズムから記号論までいろいろ
なフランスネタが出たり引っ込んだりしている。デリダやフーコーの何たるやもわからないくせに、
あたかもそれが女性のルイ・ヴィトンのバッグの如く日本の文化人のブランド品と化しているのが
実情なのである。』
422 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 メェル:sage 投稿日:2009/06/25(木) 06:39:41 ID:Znw3pODE ゴキ腐リの発狂が止まらないらしいw ゴキいらね。馬鹿じゃねw 哲学板からも文学板からも追い出されて詩文学板に必死に張り付いてるゴキ腐リw 2ちゃんで出会い系とか頭悪すぎてw 廃人しか集まってねーだろw 板違いだし浮いてる。廃人の自己紹介なんて誰が読みたがるんだw 明らかに基地外スレ。 板住民の迷惑とか考えらんない廃人がなれ合ってきんも〜。 2ちゃんって人格障害多いよな。馬鹿の猿知恵で自己弁護してるブサイクくっせ〜。 つか病人のなれ合いだったらミクシって決まってるけど紹介もしてもらえないw キモい自己主張するにしてもブログの書き方すら知らないw
「それで、その企画をいただこうと思う。」----夫の声 「エッ----と、」純情な編集者の声 「チャンスだろう。」----夫 「奥さん大丈夫ですか。事故の後だし。」----編集者 「その事故を再現するんだよ。だから企画だろう。」----夫 「大体、Sの件だって事故かどうか、実際のところは分からない。 彼氏がわざと手を滑らせたかも知れないのだ。まっすぐ落ちれば、確実に 即死だった。後ろに倒れたのは偶然だ。警察がSの彼氏をもっと調べなか ったのは、手落ちだと思うよ。夫が恐ろしいことを話し始めました。だか ら、おたくの雑誌で、事情を読者にも知らせて、俺たちでカメラの前で実 験をするのだ。まったく同じ条件で、俺があいつを、刀の上に肛門から下 ろす。ワックスも同じように塗ってだ。俺はSの彼氏より、明らかに体力 が劣る。俺が平気であいつを支えられたら、手が実際滑るということがな かったら、Sはわざと手を滑らし、自分の恋人を串刺しにしたことになる。」 「もし、本当に滑ったら。」----純情編集者の真剣な声 「今度は、あいつが串刺しになる。迫力だろう。」 隣の部屋で横になっていて、急にお尻の穴が涼しくなりました。迫力だろ う、じゃすまないでしょう。串刺しになるのはわたしなのですから。 「滑るかもしれないと分かっているから、俺も真剣だ。滑るかもしれない と分かっているから、あいつも真剣になるだろう。いい写真がとれるはずだ。」
「いい写真がとれるはずだ。Sたちのような、やらせのSM写真じゃない。 今度は、前もって滑るかもしれないことが分かっているから、本物なのだ。 今度滑ったら、事故じゃなくて故意になる。警察も黙っちゃいない。」 「短刀でやりましょう。」----かすれた編集者の声 「同じ刀じゃないと意味がない。」----夫 「一メートル以上ありますよ。」----編集者 「だから迫力があるんじゃないか。」----夫 「喉まで刺さりますよ。」----編集者 「結構じゃないか。」----と夫 喉まで刺さるのはわたしなのに、結構じゃないか、はないと思うのですが、 いつもの夫の口癖です。得意になると、すぐ、結構じゃないかが出ます。 「もし手が滑らなかったら、雑誌を警察に送る。」----夫 「うちの雑誌を警察に送るのですか。」----裏返った若者の声 「そうだ、このままじゃ、Sが可哀想だ。恋人に騙されたんじゃ、浮かばれ ない。」----夫 「滑ったら。」----編集者 「Sの恋人は無罪だ。」----夫 「でもそのときは、奥さん、串刺しですよ。」----編集者 「そのときは、約束どうり、肛門を食わせてやるよ。」----夫 「約束ですよ。」----しばらくして、本当に小さな声で若い編集者が応え ました。
また、頭の中が白くなりました。仕事熱心な方々のようですので、多分、 S氏たちより深く入れられると思います(入れ方も医学生向けの解剖学の 本を参考にされて、無理のない角度でお願いしたいものです)。しかし本 当に注意すべきは、わずかでも、数センチ深く入れただけで、そこで手が 滑った場合、致命傷を受ける恐れがあることをお伝えしたいのです。くれ ぐれも慎重に、実験されるようにお願いいたします。 ----なお、いつも奥様が危険で痛い目に会っておられるようにお見うけい たしますが、たまにはご主人の方も、なにか思い切ったことをなされたら いかがかと思わぬでもありません。---- 実は、先日のお医者さんのメールのこの辺を読んで、夫が怒っておりま した。わたしもそうではないと思います。夫は何にもしていないのでは なく、いろいろ企画を考えて、雑誌社と交渉したりしてくれているのです。 夫の立場と自分の立場を比べると、わたしの方が楽をしていると思います。 何にも考えないで、ただ言われた通りにしているのが、わたしは好きなの です。 ----余計なことを申し上げました。夫婦のことは、側からはまったく分か りません。一ファンの戯れ言としてお許しください。---- 別にあやまられる必要はありません。わたしのことを心配してくださるの は感謝しています。ただ、ちょっと困ったことになってしまったのです。 昨夜、純情な編集者と夫が、仕事の話とか雑談とかをしながら飲んでいま した。飲みながら、先生のホームページを見ていました。それで、上のお 医者さんのメールに怒っていたのです。 「そう思われるなら、思われるで結構じゃないか」なんて夫が叫んでおりました。 「でも僕はこのお医者さんの気持ちも分かりますよ」なんて編集者が言って、怒られていました。
昨日の一番新しいページがまた、タイミングが悪かったのです。「男性性 器切除の方法と画像があります」というのです。すぐ見にいったのですが、 その時の数字は1968でした。皆さん早いのですね。もう290番目でした。 あの写真は驚きました。普通の方ならそれで終りなのですが、わたしたち はお仕事ですので、それで終りにならないのです。ましてや、「たまには ご主人の方も、なにか思い切ったことをなされたらいかがか」なんてのを 見た直後なものですから、それに可愛い編集者がちょっとわたしの味方を するつもりになって、その気持ち分かります、なんて言ったものでから、 「結構じゃないか」となってしまった訳です。「結構って、まさか?」わ たしが言うと、「そのまさかよ。ばっさりやってもらおうじゃないか」と グイッと飲みます。「お前にチンチンが生えて、俺のが消える。上等じゃ ないか」それで酒の勢いもあったのでしょうが、着ているものを脱ぎ、裸 になってしまいました。お酒を口に含み、フウッとオチンチンに吹き掛け ます。「こいつにも世話になったが、潮時ってもんだろう」そして、わた しに「お前も脱げ」夫はわたしと二人並んで、編集者に「記念撮影をしろ」 と言います。彼はカメラをいつももっていますから、すぐ撮影を始めまし た。なかなかの腕なのだそうです。「ここのアップも撮っといてくれ。こ いつのもな。あのページの欠点はキンタマが付いている時の写真がないっ てことだ。だから、しっかり撮っといてくれ」
270 :
考える名無しさん :2009/06/26(金) 00:27:48 0
,.ィ ""; : ; : ; ゙゙゙゙ ‐ ,, ,.''' ‐- ; : ; : ; : ; : ; : ;.ヽ, /; `´ '''' ‐-; : ;.ヽ, i:;i `i ; : .i !.;〉 ,,,,, ,,,,, i.;.;.;.} 彡' """"''' '''"""゙゙ ヽ;.;.j . (ヽi -= ニ= =ニ =- !ィ) {. ト--=--イ } ヽ. ヽ. ⌒⌒ ノ / 3流哲学教師の発狂かね〜? ヽ. ヽ、`==´ / / / ″ ν. \ (( (( (( /_ ヽ、__炎_,ノ._ \ ウィンウィン  ̄\ _\(U)/ _/ ̄ ウィンウィン
271 :
考える名無しさん :2009/06/26(金) 09:52:53 0
そんなAA哲学じゃダメだYO!!
272 :
↓ ↓ ↓ ↓ ↓ :2009/06/26(金) 14:04:36 0
ほんもののAA哲学はこれだ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
273 :
考える名無しさん :2009/06/26(金) 19:00:08 0
このスレを見ている人はこんなスレも見ています。(ver 0.20) 新・琴桃川凛を語りましょう 其の弐 [伝説の] だってさwww
274 :
考える名無しさん :2009/06/26(金) 19:01:24 0
このスレを見ている人はこんなスレも見ています。(ver 0.20) 【2:615】◆決定論:脳は物質だから意識は必然に過ぎない158◆ だってよwww
275 :
考える名無しさん :2009/06/26(金) 21:06:04 0
このスレを見ている人はこんなスレも見ています。(ver 0.20) 【夏服JCで】アリ穴384【自慰しますた】 [創作文芸] www
276 :
考える名無しさん :2009/06/26(金) 21:07:44 0
277 :
考える名無しさん :2009/06/26(金) 21:36:11 O
宮川大輔のこともあるのですよ。縁のこと。無くなると怖いのです。いつまでも離れない。そういった意味で人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、敵は仇なり。やはり届くのです。縁が強固であれば全てはさほどでもない
278 :
考える名無しさん :2009/06/26(金) 22:24:45 0
つーかイモトだろ
279 :
みうん :2009/06/27(土) 06:10:54 0
>>258 714さん
>洞窟の比喩は、イデア論についての比喩ですが、もう一つの重要なテーマは〈自由〉だと思います。
自由不自由の話ですか。
そうすると、プラトンの洞窟とは、物理的制約一般を指してるんでしょうね。
こうやって意味を限定してしまうのには多少、難がありますけど、前提を付けてみましょう。
制約なしの自由とは、すなわち破滅の事です。
制約の一切から、全ての人が完全に解放されたらどうなると思いますか?
全てが均質化された、それは「無」の世界になるでしょう。
無がまぶしい光か、ぼんやりとした闇か、というのは表現によって違うでしょうけど、
そこでは、自由を感じ取る自分自身すら存在できません。
ここに自分がある、というのが制約の始まりです。
この世にあって自由を満喫するなら、今ある制約を肯定して、愛する事が必要でしょう。
280 :
みうん :2009/06/27(土) 06:11:45 0
>>259 映画のカストラートは二人の声をミックスして、神々しさを実現したんですよ。
歌声の一方を担当した、フィリップ・ジェロウスキの歌、一枚買ったんですけど、
美形な上に声の抑揚バランスも華があるし細部まで配慮が行き届いていて、豊かな表現力です。
http://www.youtube.com/watch?v=SN2mFo_CIOE&feature=related 714さんはアリアに詳しそうです。何かおすすめのCDかなんかを教えてくれませんか?
>意味がよくわかりませんが…
よく伝わらなかったかもしれません。言葉足らずで・・・。
自己暗示や自己催眠っていうのは、祈りという行為の変形で、基本的に同じものです。
人間個体の中の神って何なの?神って言うけど誰と対話してるの?という部分を実在的にたどってみると、
厳しい体験で「辛いなあ!」とまず、感じると、人間の防衛本能は自我を分裂、外在化させるんですよ。
今この辛い体験のあれこれを感じ取っているのは自我の抜け殻で、本当の私はこれ、と別物を用意します。
その、外在化された自我を対象として理想化したものが「神」です。
理想化するまでには、ある集団にいる個々人の、それぞれ対象化した自我をよりあわせて、
一個のものとしてシャープに整えます。
それでこしらえたものがこんなに完璧に美しいから私は信じる、と依存、期待するのが「信仰」です。
信仰者は、みんなでよりあわせた美しい自我、つまり美徳的な集団意識と、対話してるんです。
それが「祈り」です。
自己暗示や自己催眠では、外在化、対象化まではしますが、固定した理想イメージまでは作りません。
そのつど、「こうしたいこと」なんかが達成するようにと、対象化された自己に吹き込んでいきます。
祈りも自己催眠も、ごく一般的なものです。
281 :
みうん :2009/06/27(土) 06:12:31 0
>>260 >「比喩」と言うと思います。
宗教的体験というのは、なかなかとらえ所が難しいので、体験から得られた教義を比喩でイメージ化して、
そこにあるもののように表現しようという意図ですよね。これを偶像化と非難する向きもありますが、
・・個人の体験の記憶は、感覚に映り込んだ幻影でしかないかも知れないのだけれど、
それでも、確かなものとして手を差し伸べたいという思いを、私は大切にしたいんです。
ニーチェも、幻覚と現実の入り交じった感覚を持っていて、その判別は容易ではなく、
たびたび狂気の淵に立たされながら、それでも比喩に富んだ詩を書き残しました。
悪戦苦闘したあげく、晩年、彼の神経系統は焼けきってしまったけれど、
例え、つかもうとする手が崩れ落ちても、この美を離さないんだという思い、
そういった叙情は、尊いものです。
282 :
みうん :2009/06/27(土) 06:13:14 0
>>261 多分、714さんが、海、カオスと言いながら見つめているのは、流体の事ですよね?
ニュートンがずいぶん研究しましたよね。共振する磁気の世界・・・興味深いものです。
>海と波との関係を、華厳思想では「理事無碍」といいます。(波と波との関係は「事事無碍」)。
不思議な言葉ですね。気になるのでちょっと調べてみました。
↓ここが充実した内容でした。
http://www.nichibun.ac.jp/~aurora/aida/aida153.pdf 理事無碍=草間弥生の統合失調症的世界観というと、私にはわかりやすいです。
つつぬけの世界で、自我を保持するための儀式が、彼女にとっては自己消去、
そうやって、流動的な世界と相互依存する関係に持っていってるんですが、
自己消去・・・具体的には消印をおす行為を無限に増殖させていく、という芸術、
それがあの、全作品をうめつくすポルカドットだなんて、初めて知りました。
何となく眺めていたあの作品が。。。どっきんこカーニバルな感じ。。。
なんか、耳なし法一みたい?哲学的です。
理事無碍が、恐怖体験として現れる場合もあるんですねえ。
714さんにとっては、海の例えのように、ゆったりとたおやかなものなんですね。
283 :
みうん :2009/06/27(土) 06:14:03 0
>>262 >(みうんさんには珍しくw 鋭いつっこみ)
ええ・・・714さんを笑わせようと私は手を変え品を変えてるんですが、不発弾の連続です。
人をかついだような話、鋭いツッコミに反応するようです!ダイレクトなとこでこれはどうですか?
http://www.youtube.com/watch?v=p32OC97aNqc&feature=related まああんまり、「笑わせてやろうかい」みたいな感じも、やらしいので適当にしておきますがw
>だから「自灯明」は、そのような、〈自己閉鎖が切り開かれた自分〉の中に安らう、ということだと思います。
逆に言うと、個として自立していながら、自分が欲しているものを人に分け与える、
それでいて、互いに干渉はせず楽な関係、ということですよね。
自分が安らっているからこそ、人に与えられる、与え合える。両立してますよね。
これを主体的にやろうとしているのが、チベットです。
(714さんは、マーティン・スコセッシは好きなんですか?
彼はチベット問題、貧困問題、それから遠藤周作の作品を映画にしてます。)
「クンドゥン」という、ダライラマ誕生の過程の映画を見たんですけど、
やっぱチベットって、国としての機能に問題アリっぽいですよ。「宗教は麻薬」とはよく言ったものです。
価値観の複合化と統率、つまり大衆的な人間の欲望の実現を産業とむすびつけるのを怠ってます。
・・・あのままで素敵な国だとは思います。ダライラマ個人のの精神性は素晴らしいんですけどね。
284 :
みうん :2009/06/27(土) 06:14:58 0
>>263 >肉体的な苦痛と精神的な苦痛は、一応分けて考えられるけれども、
>肉体と精神(物と心)が明確に区別できるわけではないことを考えると、
>純粋に肉体的な苦痛と普通は思われている痛みの中にも、心の痛みが含まれていると思います。
そうなんですよね。
心の痛みを包む肉体の痛み、それを包む大地の痛み、宇宙もなにか感じている、
その裏には微笑む仏がいるんですよ、と、
それらの入れ子構造を描いたのが曼荼羅ですよね。↓こういうの。
http://www.kure-bi.jp/syozow/collection/images/4-2.jpg >極端に言えば、肉体的な苦痛と思われている苦痛の一部(あるいは大部分)は、〈気のせい〉なのかも知れない。
ああ、今
>>260 で書いた「つかみたい幻影」の話とリンクしてますね。
前回も同じ事が起こりました。会話の先が読めるんでしょうか?
たぶん714さんの予知的な勘のよさが働いてるんでしょう。すごいです!
人類は、有史のはじめには、王族に密室で夢を見させるなどして、その予知能力を活用してたのに、
近代現代になってそれを封印しては、にわかにそれを病気扱いし始めたんです。
でも、象、ネズミ、犬がそうするように、人間も予知をしてます。
という研究をしてるのが、・・・吉井、誰だったかな。まあいいですけど・・・
714さんの、活発で端正な頭脳も、ある部分が起動していて、予知予測をするんでしょう。
そういう能力は、自然な気持ちで大切にしてください^^
285 :
みうん :2009/06/27(土) 06:16:10 0
>>264 >それはなんとも言えません。
そうですか。優しいんですね。あいまい性のままにとどめておくんですか。
今現在の視点から、こと学生運動のみに焦点をしぼってみると、
あの時の学生の言い分は、「平和」、それだけだったんですよ。
でも、彼らは大学を出たての世間知らずだから、裏で印象操作する右翼に振り回されて、
バカみたいに暴力的な妙な運動をして、エネルギーを浪費して評価を下げてしまったんです。
日本の安全基準の立て方を、筋道立てて、国会議員にさらっと提示しさえすれば、
その案は外交の場にも持ち込まれるはずだったでしょう?
話す相手の論理形式を受け入れないからアホな事になるんですよ。
誉れ高い早大明大の学生があれではちょっとダメでしょう。
>こんなことを書いている人がいました。
見ました。どうでしょうねえ。。。何とも。
日本人は、ドイツやフランスの栄達な人たちと、お話がしたいんでしょう?
そのために、相手と同じ仕草をまねることで、相手を受け入れるサインを出しているんですよ。
そして、完全に受け入れてから、自分の特色を小出しにしてるんです。
これは、日本人の作法ですよ。そう思いませんか?
286 :
心の石組みドットコム :2009/06/28(日) 14:08:22 0
本来、哲学とは誰もが持つ石と石を配置する感性の働きを活用し、良い日本庭園を創ろうではないかと言う志の基で行われるものです。 感性を備え持つ哲学者達は、大衆が惰性の支配から抜けだし感性を育てれば庭園の全てが良い方向に向かうことを知っていたのです。 所が人類社会は欲望を支配する惰性の働きが強く、名を残した哲学者達も感性を育てる方法を見つけだせないまま現在に至ってしまったのです。 十七世紀から十八世紀に架けて啓蒙と言う形で、一時感性が開花しょうとした時代は有りましたが、それも不発に終わり現代に至ったわけです。 宗教や、人類社会の陰湿な支配主義的構造の原因は個が持つ惰性が原因で、社会が定めた悪人を退治してもイタチごっこ過ぎないのです。 ですから、意図的に感性を育て、心の支配を悟性から惰性に変換すれば、その比率で世の中の庭園も変わるのです。 石と石をどう配置するかを考える感性こそが庭師にとって哲学なのです。
287 :
考える名無しさん :2009/06/28(日) 14:18:40 0
>>286 ドットコム?
貴方の文章に涙ぐんでいる次第です。
288 :
考える名無しさん :2009/06/28(日) 14:21:46 0
ワロタw
「石と石をどう配置するかを考える感性こそが庭師にとっての表現法であり芸術哲学なのです。」 でも、よかですか?石組みさま〜><
290 :
考える名無しさん :2009/06/28(日) 17:24:42 0
心の石組みドットコムの哲学は深いね 心の仕組みドットコムの数十倍は面白い
291 :
考える名無しさん :2009/06/28(日) 17:44:29 0
哲板コテ知性ランキング 1 心の石組みドットコム 2 じいさん ◆6rgGIYz09M 3 ネオマトリクス 4 ラビ ◆TpMvFQlvVk 5 純一 ◆QzuB1xeuck 6 第三の波平 ◆JXLBbnYqTY 7 Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ 8 「機械的唯物論」者 ◆axUBm4RpXM 9 musubi324 10 藤田直哉2世 ◆T/7S6fVZfoaK 11 心の仕組みドットコム
292 :
考える名無しさん :2009/06/28(日) 21:28:45 0
妥当だな
293 :
考える名無しさん :2009/06/28(日) 21:34:25 0
あいまい性って何ですか?
294 :
考える名無しさん :2009/06/28(日) 22:17:57 0
あいまい性ってのはですな、 すてきな男あるいは女とすれちがって あ、いま、異性、と出会った! というシチュエーションで ん? いまの男? それとも女? あるいはオカマ? ネカマ? どっちだろ? わかんねえや! となったときの感覚的認識のことを言います。
295 :
考える名無しさん :2009/06/28(日) 22:19:15 0
ワロタw
296 :
考える名無しさん :2009/06/28(日) 22:27:14 0
297 :
考える名無しさん :2009/06/28(日) 22:28:36 0
一般人とキティのあいまい性はどこで境界線を引けますか?
ラビはないわ
299 :
考える名無しさん :2009/06/29(月) 10:08:14 0
ぴかぁは?
ぴかぁはまだいんの?
もう二度と会う事はないでしょう。 というか、二度と会いたくありませんw
無精髭を生やしたデブのネカマがブラジャーとブリーフ姿で、 こおどりしているのを、我々は見せられているのであろうか。
薄汚れた畳の部屋の臭いまでもが伝わってくる気が、し始める。
ある者は、キレるだろう。
「きさまの持っているものなど、悪臭紛々たるがらくたに過ぎん」
「そこに拡げて、きれいに並べてみろ」
「棒で突いて、まだ動くようなら、安値で買い叩いてやる」
---XXXXさん、および他の研究家から、モデル夫妻へのアドバイスをも らった。まず、全体の切除は、複雑で微妙な手術であるから、アマチュア では無理である。もしどうしてもやるというなら、睾丸と陰嚢だけを切り 取りなさいということである。睾丸だけの除去の場合、縫い目にそって切 り開き指を入れて取り出せばいいので、しごく簡単であるという。陰嚢は 単なる袋だからどうしてもかまわない。しかしペニスは複雑な器官であり、 アマチュアが相手にするには難物過ぎるという。彼のホームページにもあ るように、出血と尿管の処理が大変なのである。自分で自分のペニスを切 り取った例は数多くあるが、いずれの場合も、救急車で病院に運ばれるこ とになっている。あまり格好のいいものではない、ということだ。食べる 場合についてのアドバイスもある。睾丸は外側の厚い皮を取り除くことと ある。これはフランス料理の本にもでているから、食材としての睾丸は牛 も羊も人も変わらないということであろうか。味はポークのようであると いう。ペニスについては、味の記録が見当たらないらしい。知っている方 がいたら教えてほしいとのことである。保存して記念品にする場合の注意 についても伝えてきた。睾丸はホルマリン液につけて保存する。この場合 に注意しなくてはならないことは、睾丸そのものにもホルマリンを注射す ることである。そうしないと縮んでしまうとのことである。記念品として 価値のあるのは、意外にも陰嚢で、なめして中に睾丸の代わりのものを入 れ(何でもいい)、立派な台に載せると、最高の装飾品になるとのことで ある。アメリカにはそうした記念品を持っている人々がたくさんいるらし い。ペニスは悲惨で、ホルマリンに浸けても色は悪くなるし、縮んで情け なくなるしで、みんなが困っているらしい。逆に、いい方法を教えてくれ と頼まれた。以前に記したプラスチネーションがいいと思うが、いささか 設備が必要なのが問題であろう。なお、性器切除の、とくに男性の場合の メリットとして、禿が治ること、前立腺癌にいいことを上げてきた。思わ ず笑ってしまったが、そうでないという証拠を私が持っている訳ではな い。----
309 :
考える名無しさん :2009/06/30(火) 09:23:43 0
ナレーションテツガク キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!
----上記のような内容と数枚の写真を、モデルのXXX夫妻に送った。下は 夫妻の返事である。---- メールをありがとうございます。わざわざアメリカまで問い合わせていた だいて感謝しています。あれから夫がすっかり可愛くなりました。なんだ かオチンチンを切る前から、女っぽくなったみたいです。わたしも女っぽ い夫がこんなに可愛いとは初めて知りました。指で夫のあそこをなぞりな がら、「この辺から切っちゃうのかな」なんて言うと、夫はわたしにしが みついてくるのです。わたしは背中を撫ぜてやりながら、「大丈夫、大丈 夫」と言ってあげるのです。編集者さんが、先生の最初の写真も新しい写 真もプリントしてくれました。夫はその何にもない股を指で指しながら、 ため息をもらし、「これでどこが気持ちいいのか?」と聞きます。「おし っこの穴とかお尻の穴とかが気持ちよくなるのではないですか」と答えま すと、また、ため息ををつきます。若い編集者さんが編集長や社長に連絡 して、みんながすっかりその気になっています。夫はみんなからちやほや されて、初めてスターになった気持ちだ、と言っています。でも、スター はスターで大変なのです。それはわたしがよく分かっています。夫の場合 は、わたしよりずっと大変だと思います。わたしの場合、お尻に刀を入れ たときも、そのときは危なくて大変かもしれませんが、終わったら何でも ないのです。わたしのびらびらをお寿司にしたときも、切り取ったのはい らないような切れ端だったのです。終わったら何にも変わらずに、元に戻 っています。でも、夫の場合、全部を切り取ったら、もう生えてきません から、企画が終わっても、そこはないままなのです。これはすごい迫力だ と思います。そのことを考えるだけで、わたしの頭も真っ白になりますか ら、夫の頭もきっと真っ白だと思います。だから夫が怖がっているのが、 とても可愛いのです。先生のメールもみんなで検討しています。玉を取る だけなら簡単だということで、それも考えたらしいです。
「玉を一個取り出すだけでも話題になるんじゃないですか、」と若い編集 者が言ったのですが、「そんなのは病院で毎日やっている、」との編集長 の言葉で終りになりました。確かに近くのそば屋の高校生が、何かの病気 で玉を取られたと町内で話題になりました。その程度のことだと言われれ ばその通りです。夫はうなだれて、聞いています。使用前、使用後の写真 のように、手術前、手術後がはっきり分かるようにするという方針が決ま りました。これは夫自身の提案です。先生が後で送ってくださった写真も 一応そうなっていました。まあ当然と言えば当然だそうです。しかも経過 を分けて撮影することになりました。玉と袋をまず取り、そこで撮影。そ れから棒を切り取って、また撮影することになりました。せっかくだから、 という理由です。一緒にまとめて縛って切り取れば簡単そうですが、それ では画的な面白さに欠けるのだそうです。確かに玉がなくて棒だけの夫の ものも見たい気もします、と言ったら、夫が又、ため息をつきました。せ っかくだから、という理由は、わたしの場合にも何度も聞きました。長い 間縛られて釣り下げられて、もう死にそうと思ったときに、せっかくだか らと言われて、別の雑誌用の撮影をそのままでつづけられたこともありま した。せっかくだから、というのは、結局、営業的、コスト的な商売上の 要求なのだから、われわれプロはかならず引き受けなければならない、と 夫はいつも言っていました。それで夫は、せっかくだからということで、 玉と棒を別々に切り取って撮影されることになったのです。 「結構じゃないか」夫は言いますが、言ってうなだれています。
夫と社長さんと編集長さんが話し合って、いきなり全部取るのは止めて、 最初に玉と袋を取って撮影し、しばらくした後で、棒も取って撮影するこ とになったことはお伝えしました。そのときは、わたしもつい、玉と袋が なくて棒だけの夫を見てみたくて、喜んでしまいました。すごく逞しいよ うな気がしたのです。すごい勢いで突撃しそうじゃありません。ちょっと はしたないですが、鍔のない刀みたいで、どんどん深く入って、とどめを 差してもらえそうというか。社長さんと編集長さんは、そんなことではな くて、二号に分けて経費をかけてくださって、いつもの倍のモデル代と企 画代をくださるということだったのです。なんだか、玉だけがない夫を想 像して大ハシャギしてしまって、ちょっと立場がなくなりました。他人の 二人がいろいろ気を使ってくださるのに、夫はわたしを嫌いになったかも しれないと心配したのですが、そうでもなくて安心しました。先生がアメ リカに問い合わせてくださって、玉と袋は素人でも自由に取っていいけれ ども、棒はすごく複雑だから医者がいないと危ない、と教えてくださった のも影響していると思います。いろいろな理由で、最初に玉と袋を取って、 様子を見ようという感じだったのだと思います。わたしもそれがいいかな と思いました。やっぱり全部なくなるのは可哀想です。こだわるようです が、玉と袋はないほうが、棒がりっぱに見えませんか、どうしてみんなそ うしないのかしら、と思うくらいです。袋は取った後もすごくりっぱな記 念品になるけれども、棒は使い道がないという先生の 話に、夫も、そう に違いないとすごく感心していました。威勢のいいことを言っていました が、夫も、やっぱり棒まで取るのは勘弁して欲しいと 思っていたはずです。
それとも我々は、薬が効いていい気持ちになっているメンヘル女の ちょっと知的なトークに耳を傾けているのだろうか?
いずれにしても我々はこの地獄に、 もう少し付き合わなくてはならないのだ。
書かれた文章の一貫性から、 或るグロテスクな意識のかたちに辿り着き、
それが異様な姿でのたうち回るのを、 固唾を呑んで見守り続けるのである。
425 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 メェル:sage 投稿日:2009/06/27(土) 21:00:24 ID:evI4JyLr 下ネタのダジャレと、妄想個人特定 下衆の勘ぐりでコテ叩きしてスレ流すぐらいしか能のない精神障害者は 首釣って死ねよw うんこくさいぞw キモオタ死ねw 基地外腐婆が作家気取りで読書感想文と自分語りする糞スレw 人格障害のキモオタが病気移し合うなれ合いスレw ばかじゃねw くっせーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
428 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 メェル:sage 投稿日:2009/06/29(月) 06:05:02 ID:3EpWyHHt 嫌がらせしてるつもりかもしれんが、後は何をしようが食い尽くされるだけ。 そういう痛い奴はほっとけばいいのに。そのうち自滅するから。 この廃人はなんでこのスレにはりついてるの? 他に居場所ないから?
そういう痛い奴はほっとけばいいのに。そのうち自滅するから。
けだし、真実である。
321 :
714 :2009/07/02(木) 14:28:33 0
>>279 >制約なしの自由とは、すなわち破滅の事です。
それは、「完全な自由」のように、〈完全性〉を想定した場合のことでしょう。
悟りなども同じですが、「完全な悟り」「完全な自由」を想定すれば、それは既に人間的なものを超えてしまいます。
人間は本質的に有限であり、したがって不完全です。
プラトンの場合も、完全性は〈イデア界〉にだけあります。
現実の個物は、そのイデアを分有するだけです。
だからイデアは現実の個物にとっては、理想型のようなものであって、
現実の個物は、その理想型をめざして努力していると考えることもできます。
(たとえば三角形は、理想型としては三つの線で囲まれた図形のことですが、
現実に描かれた三角形の線は、実は線ではなく、太さのある面であるだろうし、顕微鏡で見ればぎざぎざでしょう。
だから、それらの現実の三角形は、理想型の三角形に近づこうと努力しているといえるけれども、
どうしても理想型そのものにはなれません。)
>この世にあって自由を満喫するなら、今ある制約を肯定して、愛する事が必要でしょう。
受け入れなければならない制約と、そうでない制約があると思います。
たとえば人間の有限性を決定づける〈死〉は、受け入れなければなりません。
では〈欲〉は?
食欲、睡眠欲、性欲、これらは、或る程度は受け入れないと生きられないけれども、
それらの欲を際限なく貪るのはダメでしょう。どこまで欲を満たして良いのかは微妙な問題です。
そう考えると、「今ある制約を肯定して」といっても、肯定すべき制約と、
そうでない制約とを線引きして区別することは、簡単なことではないと思います。
322 :
714 :2009/07/02(木) 14:29:21 0
>>280 >714さんはアリアに詳しそうです。何かおすすめのCDかなんかを教えてくれませんか?
とくにアリアが好きなわけではなく、アリア集のようなCDはもっていません。
アリアだけが続いたらたぶん僕は飽きてしまうと思います。
バッハの受難曲やカンタータは、アリアと合唱とコラール(賛美歌)とレチタティーヴォ(叙唱、朗唱)
が組み合わされてできていて、たとえばマタイ受難曲は、このように
http://sound.jp/bach-ken/cantatas/244data.html 合唱 - レチタティーヴォ - コラール - レチタティーヴォ - 合唱 …という感じで
それらが重層的につながって全体が構成されていて、それによって全体がポリフォニックになっていると思います。
逆に言えば、その中の一つの曲だけを取り出してしまうと、それが全体の中で持っていた意味が失なわれてしまいます。
だから本当はこの前の『憐れみ給え』のアリアも、マタイ受難曲からこのアリアだけ取り出してしまうと、魅力は半減してしまいます。
バッハを聴き始めたころは、「語り」のようなレチタティーヴォの良さが分からず、
レチタティーヴォは飛ばして聴きたいぐらいでしたが、レチタティーヴォは、
全体をポリフォニックにする重要な要素になっていると思います。
でもレチタティーヴォだけを取り出してしまうと、やはり「なんじゃこりゃ…」という感じです。
http://www.youtube.com/watch?v=IHSysujyhes バッハは、何と何をどのように組み合わせればポリフォニックな効果が得られるのかを、良く見通せる人だったのだろうと思います。
ロックでも、名盤と言われるようなアルバムは、曲と曲とが有機的に結びついていて、
アルバム全体がポリフォニックになっているものが多いと思います。
たとえば…は思いつきませんが、
とくにプログレ系はそういうことを意識したアルバム作りをしますね。
323 :
714 :2009/07/02(木) 14:34:00 0
>今この辛い体験のあれこれを感じ取っているのは自我の抜け殻で、本当の私はこれ、と別物を用意します。 >その、外在化された自我を対象として理想化したものが「神」です。 それはフォイエルバッハの考え方ですか? 神は人間が自己を外在化したものであり、つまり神は人間である、というのがフォイエルバッハの「神」観ですね。 「神の意識は人間の自己意識であり、神の認識は人間の自己認識である。人間と人間の神とは一つである。」(フォイエルバッハ『キリスト教の本質』) フォイエルバッハのような宗教批判は、宗教の外側からの宗教批判なので、 宗教者からしてみれば、「それは見当違いですよ!」の一言で終わってしまいそうな感じがします。 フォイエルバッハと比べると、ニーチェの宗教批判は、もっと内側からの批判だと思います。 『ツァラトゥストラ』の主人公としてゾロアスター教の教祖を選んだことにも、それが現れています。 ニーチェはゾロアスターを選んだ理由について次のように書いています。 「なるほどツァラトゥストラは道徳というこの最も宿命的な誤謬を創造した。しかしまた、だからこそ彼は この誤謬を看破した最初の人であるに違いない。・・・誠実さゆえの道徳の自己超克、・・これが私の口において ツァラトゥストラなる名前の意味するところなのである。」(『この人を見よ』) 「誠実さゆえの道徳の自己超克」…これは、キリスト教が育てた誠実性(学問的精神)が、自分自身を育てたキリスト教に潜む虚偽を暴くという論理です。 ニーチェのキリスト教批判の根底には、この〈自己超克〉の論理があります。 「あらゆる偉大な事物は自己自身によって、自己止揚の働きによって没落する。生の法則が、生の本質に潜む 必然的な『自己超克』の法則が、それを欲するのだ。」(道徳の系譜) 牧師の子として生まれたニーチェは、自分がキリスト教によって育てられたことを自覚しています。 「我々はキリスト教から一人立ちした。それは我々がキリスト教からあまりに離れて住んでいたからではなく、 あまりに近くに住んでいたからである。いやそれどころか、我々がキリスト教の中から育ってきたからである。」 だからニーチェは、自分のキリスト教批判も〈キリスト教の自己超克〉の一環であると考えていると思います。
324 :
714 :2009/07/02(木) 14:35:57 0
>>282 >理事無碍が、恐怖体験として現れる場合もあるんですねえ。
僕はそうは思いませんが、たしかに、そのサイトの人は次のように書いていますね。
「だがこの境地は,場合によっては,認識主体の個を実存的な危機に直面させる「逢魔」の刻とも
踵を接しているだろう。「事事無碍」の境地が眼前にありありと見えたとき,それは地獄の釜を
眼前に据えられたにも等しい恐怖と戦慄とを齎しうる。」
その世界が自分にとって恐るべきものとして迫ってくるということは、その世界と自分が乖離しているということです。
つまり世界と自己が一体となっていない。 自己は世界に対して切り開かれておらず、閉じられている。
そのような世界と自己との関係においては、理事無碍的世界は、恐怖体験として現れるということかも知れませんね。
つまり、世界に対して切り開かれた自己にとっては〈悟りの境地〉となり得る理事無碍的世界は
世界に対して閉じられた自己にとっては〈恐怖体験〉となり得る、ということなのでしょう。
ここでも、ポイントは自己の在り方にあります。
自己が閉じられているか、開かれているか。 自己が世界と乖離しているか、一体化しているか。
ところでこのことは、前に話題になった「無常」の話とよく似ています。
(前スレの>313から)
>田里亦無さんは次のように書いています。
>「無常観は、日本人一般が〈あわれ〉とか〈はかなし〉とかいう語感から受け取っている
>無常感とは異なるものがある。そこには、いささかもウェットなものはなく、ただ諸法は
>たえまなく〈流れる〉とか〈変化する〉とかいうドライなものであるにすぎない。」
>道元の場合には無常観は、(亦無さんによれば)万法の外に自己があって傍観的に〈はかなし〉
>と嘆ずるものではなくて、「万法すすみて自己を修証する」時に、万法と一体・一如となっている
>はずである自己が、積極的に流れの中に入り込む。
>だから、〈はかなし〉と嘆く理由はなにもない、ということです。
無常な世界を〈はかなし〉と嘆くのは、世界と自己とが乖離していて、一体となっていないから(自己が閉じられているから)。
世界に対して切り開かれ、流れと共に流れる自己にとっては、〈はかなし〉と嘆く理由はなくなります。
325 :
714 :2009/07/02(木) 14:37:16 0
>>283 >逆に言うと、個として自立していながら、自分が欲しているものを人に分け与える、
>それでいて、互いに干渉はせず楽な関係、ということですよね。
一つ一つの波は、有るようで無い、無いようで有る、そういうものであって、個として自立はしていないでしょうね。
あくまでも周りの海水に支えられ、どうにか存在できているものであり、そして次の瞬間には消えてしまうものです。
だからそれは「個」として固定したものではなくて、無常な流れであるので、
自己に安らうということは、世界に対して切り開かれ、流れと共に流れることだと思います。
前に書きましたが、ひろさちやさんによれば〈自灯明〉は「他人のことはほっとけ!」だそうです。
これはたぶん、「干渉しない」ということではなくて、「他人の目を気にするな」ということだと思います。
自己が閉じられれば閉じられるほど、〈他〉が気になってくると思います。
そして自分に対する他人の評価が気になり、また、他人との関係において劣等感や優越感をもつようになります。
世界に対して切り開かれた自己に安らうことができれば、他人の評価を気にする必要もなくなるのだと思います。
亡くなったマイケル・ジャクソンは、自己に安らうことができなかった典型的な例でしょうね。
どうしても自分に自信がもてずに(幼児体験が大きかったようですが)整形を繰り返さなければならなかった。
僕は彼の音楽があまり好きでなかったのですが、追悼に、古い曲を聴いていました。
この曲は知りませんでした。モータウン時代の17才か18才のマイケル。すばらしいです。
http://www.youtube.com/watch?v=NO1v8t1FLOI
326 :
714 :2009/07/02(木) 14:39:14 0
>>285 >今現在の視点から、こと学生運動のみに焦点をしぼってみると、
>あの時の学生の言い分は、「平和」、それだけだったんですよ。
>誉れ高い早大明大の学生があれではちょっとダメでしょう。
そうなんですか。
僕は学生運動にはあまり関心をもってこなかったので、
当時の世の中の流れや雰囲気がどんなものであったのかよく分かりません。
だから何とも言えませんねぇ。
ああいう形の運動になったのには、それなりの必然性はあったと思うんですよね。
その必然性が、僕には分かりません。 だから何とも言えません。
「今現在の視点から」見るということは、さっきの〈外側からの宗教批判〉と同じように、
内側から見る者(体験者)にとっては見当違いな事を言ってしまう側面があると思います。
(それとも、もしかして、みうんさんは、安保闘争の時に、ヘルメットかぶってました…??)
>日本人は、ドイツやフランスの栄達な人たちと、お話がしたいんでしょう?
フランス人の場合は、かっこよくてオシャレなところに惹かれるのはあると思いますよ。
自分のことを振り返ってみても、中学生の時にラディゲに惹かれたのは、まず名前のかっこよさがあったと思います。
レイモン・ラディゲ、ジャン・コクトー、・・・オシャレですw
そういうフランス名のオシャレなところは、いろんなところで商業的にも利用されていると思います。
327 :
考える名無しさん :2009/07/02(木) 17:57:35 0
2ちゃんやってないで働けよw
328 :
考える名無しさん :2009/07/02(木) 20:41:22 0
ググったりピロったりした俄か知識はりつけてないでさw
何をもって末期とすべきかは、各人の意見の分かれるところであろう。
そこに重力でもあるかのように、引きずり込まれていくその様は、
深淵に果てしが無いような感覚を我々にあたえる。
ある者は叫ぶだろう、
「やめてくれ、もうたくさんだ!」
「さっさといなくなってしまえ!」
>>321 714さん
>人間は本質的に有限であり、したがって不完全です。
色気というものは、黄金比的な完全さからちょっと崩れた、その崩れの中にあると言います。
人間が官能的に惹き付けられるのは、不完全さなんですよ。
それをそのまま愛するか、排してどこまでも不完全さの埋め合わせをするかにせよ、
不完全さに執着してるのには変わりません。
プラトンは完璧主義者で努力家なんでしょう。
そういうプラトンの愛ってどういうものなのかと「響宴」を読むと、
やはり、「欠陥を完全化することがエロスなのだ」と書いてますね。その中に永遠性を見いだすと。
補い合う割り符同士が愛を決定づけるのだ、とすれば、個人は関係性の中に安らうことになります。
自灯明と相反する考えかも知れません。整理したいとこですね。
>それらの欲を際限なく貪るのはダメでしょう。どこまで欲を満たして良いのかは微妙な問題です。
人間というのは知恵が働きますから、
欲望を直接満たさなくても、間接的に満たしてあとはイメージで補う事で満足できたりします。
高い所から街を見下ろして、その上に君臨する、王たる自分を思い浮かべてニヤニヤしたりね。
意外と単純なものですよ。
336 :
みうん :2009/07/04(土) 06:45:34 0
337 :
みうん :2009/07/04(土) 06:46:30 0
>>323 >それはフォイエルバッハの考え方ですか?
フォイエルバッハという人はまだ知りません。調べてみようかな。。。
でも、その人は別に見当違いの事を言っていないと思いますよ?
そもそも、世界の外を想定した上で、そこに向かう事を超越として、
語る人はその前提をこなす、それがなければ宗教について語る権利はないっていうのは、
上からの物言いで「あなたも信仰しなさい」ってことでしょう?なんかおかしいですね。
ずいぶん狭量な話じゃないですか。だからキリスト教徒は戦争を起こすんですよ。
それに、714さんの話を総合しても、なんかちゃんぽんみたいに見える時があります。
今ここにあって目の前の事に手を尽くしながら、一方ではイデア界へ羽ばたこうってのは、
姿勢としては成立するんでしょうか?無理があるような。あんまり無理すると体壊しますよ。
338 :
みうん :2009/07/04(土) 06:48:22 0
>>324 >世界に対して閉じられた自己にとっては〈恐怖体験〉となり得る、ということなのでしょう。
恐怖体験としての事事無碍って、感情として理解できるんですよ。
山とかビルの下に立って、そのてっぺんを仰ぎ見ると、だんだんそれが迫ってくるように見えます。
空の流れを感じているから迫ってくるように見えるんですが、
それでも、人間の無垢な恐怖心は、想像をたくましくして、
山やビルがちっぽけな自分を飲み込んでしまうとか、追いかけてくるとか、
やがてやってくるかも知れない、漠然とした未知の重圧と重ね合わせて、イメージにおびえるんです。
そういう体験があるからこそ、警戒心がうまれて、危険回避をできるようになるんじゃないでしょうか。
それは、自然な人間の生理でしょう?
仏教は恐怖心を戒め、感情の露出を危険なものとしてますが、
もともと仏教や儒教は、支配階級が平民を大人しくさせるために練り上げた教義なんですよ。
目の前の事に大騒ぎしないで黙々と働き続け、今の恵みで十分満足するようにとね。
だから本当は、王族じゃない人間が仏教と言うのは、いささか矛盾があるんですけど、
714さんは、自身にとっての仏教の位置づけについて、どう考えてます?
339 :
みうん :2009/07/04(土) 06:50:17 0
>>325 >一つ一つの波は、有るようで無い、無いようで有る、そういうものであって、個として自立はしていないでしょうね。
面白いたとえですね。
人間の姿形なんてものははかないもので、それぞれは大小さまざまな、連綿とした波かもしれません。
その中では、相互依存も大いにあり得るでしょうね。自他の区別すらないんですから。
私は、国際関係や、恋愛関係についての相互依存について考えていて、
身近な恋愛にさいして、共依存と相互依存ってどう違うのかなあ、
どうすれば理想的な関係って築けるものなのかな、と考えていたんです。
恋愛では、やっぱり互いが精神的に自立している事は大切で、互いの自立が「いい距離感」をうみます。
それが相互依存ですが、ドロドロとお互いがなれ合いすぎると共依存になるんでしょう。
>この曲は知りませんでした。モータウン時代の17才か18才のマイケル。すばらしいです。
音楽性高いですね。ちりめんの均一なビブラートが澄んだ声にのっていて、清潔感あります。
この人も高音のメロウでラグジュアリーな甘甘ソウルを歌います。
http://www.youtube.com/watch?v=C5AS_l71-Wc&feature=related
340 :
みうん :2009/07/04(土) 06:51:30 0
>>326 >「今現在の視点から」見るということは、さっきの〈外側からの宗教批判〉と同じように、
>内側から見る者(体験者)にとっては見当違いな事を言ってしまう側面があると思います。
それを言ったら歴史についてなにも言及してはいけない事になりますよ。
だからその意見は・・・あんまり頂けないですね。
それに、
>>264 では
「過去は、未来によって意味づけられるという側面があります。」と言ってから今度は
「今現在の視点から見ると見当違いだ」と言うのでは、子供がだだをこねてるみたいですよ。
仏教というのは、他者の生き方を肯定するものなんですけど、
相手の意見をおさえて主張するばかりでは、本末転倒です。これは、エゴの発露ですか?
・・と批判はしてみましたが、エゴイスト的な感情ってのは、自然なものなんですよね。
気まぐれな子供のだだこねみたいなものも、ほどほどならキュートなんです^^
仏教は人間の自然を支配します。だから、適当なつきあいに止めるのがいい、と思いますよ。。。
山ごもりで千日修行をする阿闍梨という位の人がいますけど、どう思います?
433 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/04(土) 08:31:07 ID:N7EsgEVl 嫌われ者の廃人のお前が詩文学板を荒らすのをやめればいいだけw 場違いだって気づけクズ 警察にでもいけば? お前ら3人とも会社クビになったうえ警察にマークされるけどw
コテ入れ忘れました。上を書いたのも私です。
コテ入れ忘れました。
>>317 を書いたのも私です。
コテ入れ忘れました。
>>318 を書いたのも私です。
343 :
考える名無しさん :2009/07/07(火) 00:25:20 0
344 :
考える名無しさん :2009/07/07(火) 01:58:03 0
>>90 >哲板をみまわすと、このスレだけ変な荒れ方をしていて、おかしいです。
これ、具体的に何処のスレッドが変な荒れ方してないスレッドなのかを教えてくれないかな?
少なくとも、俺の視点からは「変な荒れ方してないスレッド」など、何処にも無いのだけどな?
346 :
考える名無しさん :2009/07/07(火) 09:50:28 0
>>344 だよねー、
逆に
>>345 みたいなレスが入るのって不自然で変な感じ。
なんでかなー
コテハンが名無しになって書いてるんだろーけどw
347 :
考える名無しさん :2009/07/07(火) 10:04:37 0
>>346 ぜったい自演だよw
コテハンが名無しになるとかありえないもん。
キャラとか使い分けるのって滑稽だよねw
見る人が見たらそんなのすぐに特定できるけどw
つか七夕にやることって言ったら哲板に来てコテハンの個人特定しかないしw
348 :
考える名無しさん :2009/07/07(火) 10:15:08 0
>>15 に貼ってある文章読むとさー
>だいたいさあ、お前らが「哲学の基本は対話」でやったことといえば、
>スレの私物化、宣伝、閉鎖的なスレの使用、ネットストーキング、IP晒し、
>集団での個人攻撃、マルチコピペ、なりすまし、
>他にもいくつもあるんだよ。
って書いてあるけど、
これが書いてあるスレのほうがよっぽど「変な荒れ方」してるよねー
それに「哲学の基本は対話」過去スレで、
「ネットストーキング」とか「集団での個人攻撃」とか
そんなのあったっけ? なかったよね?
個人的な怨念を感じる被害妄想っぽい書き込みだよねー
349 :
考える名無しさん :2009/07/07(火) 10:18:32 0
>>347 >ぜったい自演だよw
やっぱそーなんだー、
コテハンの個人特定するのって
変な反応が返ってくるからおもしろいよねーw
350 :
考える名無しさん :2009/07/07(火) 10:26:10 0
もう授業も終わって夏休みに入ってヒマになるから これからこのスレに貼ってあるコピペぜんぶチェックしてみっかなー
351 :
考える名無しさん :2009/07/07(火) 10:27:08 0
>>349 だよね〜。うちら意見いっしょで和む〜。
掲示板でコテハンの特定なんて全然実証性ないから無駄なのが面白いよねw
そんなことやってる奴の存在自体がギャグだって高尚さが理解できないのって馬鹿?
ここのコテってそういうの全然相手にしないみたいな態度とってるけど、
生意気だよね〜!!!
352 :
考える名無しさん :2009/07/07(火) 11:33:08 0
>>351 ん? 意見けっこうちゃうと思うんやけどなーw
>コテハンの特定なんて全然実証性ないから無駄なのが面白いよねw
って書いてあるけど、特定されたら困ることでもあるんかなーw
>そんなことやってる奴の存在自体がギャグだって高尚さが理解できないのって馬鹿?
って書いてあるけど、意味ぜんぜんわかんなーいw
高尚さ? ギャグ? ・・・・・・???
>ここのコテってそういうの全然相手にしないみたいな態度とってるけど
って書いてあるけど、不自然すぎる書き方だよねーw
ぜんぜん相手にしてくれてるんじゃないのかなーwww
ね、コテハンさーんw
353 :
考える名無しさん :2009/07/07(火) 11:35:21 0
ますます特定したくなってきますたーw
それに
>>348 の話題をそらそうとなんか必死な感じーw
プッ、コテハンのボロが出ちゃってるwwwwwwwww
355 :
考える名無しさん :2009/07/07(火) 12:30:00 0
>>347 >コテハンが名無しになるとかありえない
論理学的にいってそんなことこそあり得ない。
IDが出る板やIPアドレスが表示される板でなら
その可能性は低くなるが、それでもゼロではない。
IDもIPアドレスも表示されない板であれば
コテハンが名無しになる可能性はきわめて高いだろう。
ましてや、
>コテハンが名無しになるとかありえない
というレスを書くこと自体が
その可能性の高さの非常に滑稽な証言となりうるのであり
コテハンが名無しを使い分ける事実の蓋然性を高めている。
356 :
考える名無しさん :2009/07/07(火) 14:02:28 0
お前らの無惨な頭悪い下衆話を1から10まで聞いてやる介護スタッフなんているわけないだろ?w
357 :
考える名無しさん :2009/07/07(火) 14:08:29 0
>>347 の名無しコテハンが沈黙してしまうほうに5万ドル!
5万ドルの賭場と聞いてwww
っつか。
んーー
俺からいわせて貰えば、
>>344 の説明要求を、誰かが必死でうやむやにしようとしている。
としか思えないんだが・・・?
例えば、
>>353 とか。
っつか、こいつが何を言っているのかがそもそも理解不能。
>>15 のアンカー辿ったら、でどころ不明なコピペなんだが、
これを対象に一体何を誰に言おうとしているのだろう・・・・
というか。これを対象に一体何を誰に言おうとしているんだ?
荒し
邪魔なんだが、こういう輩は
359 :
考える名無しさん :2009/07/07(火) 18:41:11 0
邪魔が入るのはどのスレも似たようなもんじゃね?
360 :
考える名無しさん :2009/07/07(火) 18:57:35 0
361 :
考える名無しさん :2009/07/07(火) 19:06:36 0
ガスライティング犯罪って何やねん?w
机の下のゴミ箱の位置を、毎日1cmずつずらしていくとか。 状況の認知に意識上では気付かない差異を加えて、心の安定を崩すなど。 茂●のアハ体験映像など、その辺りの知覚を刺激している。
364 :
考える名無しさん :2009/07/07(火) 21:20:53 0
ふむふむ
366 :
考える名無しさん :2009/07/08(水) 00:20:23 0
で?
368 :
考える名無しさん :2009/07/08(水) 09:32:29 0
哲学の基本は対話 5の章 って酷いスレだなw
369 :
考える名無しさん :2009/07/08(水) 09:54:07 0
菜の花、エートルオートル、前541が書いたスレ、立てたスレはどこも糞スレになる法則がある。 こいつらって発情して欲求不満まるだしの自己紹介するか、発狂して自演するかしかないからな。 精神障害なんだろ。機械、早と同じ。 汚物は掲示板に来ない方がいいんだけど、痛い奴ほど匿名で人の前に出しゃばりたがる。
370 :
考える名無しさん :2009/07/08(水) 13:31:34 0
なんでそんなに怨念もってんの? 対話スレも途中までは結構いいスレだったじゃん
371 :
考える名無しさん :2009/07/08(水) 14:02:07 0
菜の花さんですか?
372 :
考える名無しさん :2009/07/08(水) 14:04:09 0
菜の花さん荒らさないで下さい
373 :
考える名無しさん :2009/07/08(水) 14:10:54 0
菜の花さん働いてください
374 :
考える名無しさん :2009/07/08(水) 14:12:58 0
菜の花さんは友達や恋人ぐらいリアルでみつけてください
375 :
考える名無しさん :2009/07/08(水) 15:21:29 0
どうして勘ぐりをするのですか?
376 :
考える名無しさん :2009/07/08(水) 16:00:57 0
>>375 怨念乙と言われたのが菜の花さんで、本人は根に持っているんでしょう。
そして、自分が言われた事を何でも人のせいにするのは菜の花さんの常套です。
また、対話スレを全部通して見ている、そんな人間はこの過疎板でも少数ですが、
「途中までは」つまり自分が書いてた頃まではいいスレだったと、立場を明らかにした上で、
>>369 を書いた人間を特定の人物と、特定したつもりになって勘ぐった上でレスをしていますね?
そんな風に、勝手に想定した利害関係をもとに、
このスレッドにそうとう執着をもっているような書き込みをする人間なんて限られています。
菜の花さんが書き込むと、必ずスレッドは荒れます。本人はマナー意識がまるでないようです。
377 :
考える名無しさん :2009/07/08(水) 17:12:42 0
よくわかんないんだけど、みうんさんの主張の根拠は?
378 :
考える名無しさん :2009/07/08(水) 17:18:04 0
>菜の花さんが書き込むと、必ずスレッドは荒れます。 特に↑の主張の根拠ってことね。
誰と何を話してるつもりなのか、日本語も不自由だし空気読めないんだろうなw やっぱ基地外はスルーかw
380 :
考える名無しさん :2009/07/08(水) 18:29:32 0
ちょっと反応をテストしてみますたw
381 :
考える名無しさん :2009/07/08(水) 19:25:07 0
379みたいな反応が来るとやっぱりw(ry
きんも〜。頭おかしいんじゃね
383 :
考える名無しさん :2009/07/08(水) 20:41:58 0
今日も興味深い書き込みが見られるな。
>>369 と
>>376 の書き込みを比較検討してみよう。
文体は異なるが、書き込まれている内容はよく似ている。
たとえば、下のようにだ。
>>369 >菜の花、エートルオートル、前541が書いたスレ、立てたスレはどこも糞スレになる法則がある。
>>376 >菜の花さんが書き込むと、必ずスレッドは荒れます。
ここで名前が挙がっている人物をA・B・Cとしておく。
そしてA・B・Cを告発している人物をXとしておこう。
さて、上の2つの命題を言明するためには、
A・B・C(もしくはA)が書き込んでいるスレをすべてチェックする必要がある。
もちろんA・B・Cが該当スレを立てたということを知っていなければならない。
また、「糞スレになる法則がある」「必ずスレッドは荒れます」という表現に注目すると、
こう主張するためには一度チェックするだけでは不十分で、常にチェックする必要がある。
そうしなければ、上の2つの命題を言明することはできない。
上の2つの命題が正しいと仮定するならば、
Xは継続的に深くA・B・Cの行動や言動をチェックしている人間か、もしくは、
A・B・Cのスレを糞スレになるように自ら荒らしている人間か、ということになる。
もしそれ以外の可能性がある場合は
>>369 >>376 は呈示してくれ。
384 :
考える名無しさん :2009/07/08(水) 20:56:38 O
なかなかの暇つぶし力だな。 プププ
このようにして妄想は形成されていったのである。
注意深い眼には一見自らに反対するような饒舌な自演が、 不気味に映るであろう。
明らかな「病い」の臭い、である。
ある者は叫ぶだろう、
「もっとだ!そいつを棒かなんかでつついてみろ! もっと狂わせるんだ!」
390 :
考える名無しさん :2009/07/08(水) 22:12:59 0
>>367 364、383だが、
そこに貼ってあるリンク先を参照してほしい、ということだな。
まあ少し待ってくれ、いろんなリサーチしなきゃいけないからな。
ここはいろんなスレとリンクしているようだから、結構骨が折れるんだよ。
それから
個人特定したい人間も、
>>344 の説明を要求したい人間も
中島義道的対話を続けたい人間も、ナレーション人間も
それを楽しみにしてる人間も、いろいろいることはわかるが、
俺としては「ガスライティング犯罪」を中心に検証したい。
そこで、「ガスライティング犯罪」を訴える人間を]と呼び、
その]が告発している人間3人をA・B・Cとしているわけだが、
この問題を検証していけば、きっと事実の蓋然性が高められるはずだ。
そして、ここのスレも、あるいは他にいろいろリンクしているスレも
不必要に無駄に荒れずに済むだけでなく、
ネット犯罪の問題にもメスを入れられるだろう。
391 :
考える名無しさん :2009/07/08(水) 22:16:45 0
392 :
考える名無しさん :2009/07/08(水) 22:24:05 0
エロサイトのリンク(10個ぐらい)張っただけで逮捕、起訴とかだからもうリンク張るの止めたほうがいいよ。
393 :
北宋 :2009/07/08(水) 22:36:38 O
北宋 中国 北宋 北宋 北海道
394 :
ヒュン :2009/07/08(水) 22:41:53 O
北宋 アウフヘーベンわかってんならおまえアフガニスタンのことやれや。明日以降ビシバシ行くから覚悟しとけや
内心では社長さんも、編集長さんも、棒までは行き過ぎだと思ってらした ようです。その後でもし、夫がどうしても棒も取れというのなら、そのと き考えればいいという感じで、落ちつきました。 それが、加堂先生のお話 をお聞きしている内に、手を上げてしまったのです。すごくいい話でした 。--加堂氏の話が書いてあるが、それは後日、掲載する--- それで、負けずに、隣にいたわたしも手を上げました。夫はびっくりした ようですが、喜んでいました。夫が一番大切なものを捧げるのですから、 わたしもそうするのが当然です。加堂先生の教団に正式に加入することに なったのです。もう半年もいろいろなお話をおうかがいして、やっぱりす ごい先生だと思います。それに、夫とわたしが、天からお預かりしている 性器を売り物にして生きてきたのも、なにかのお導きです。その商売道具 をおささげするのは意味あることです。玉とか棒とか、いろいろ考えてい たのですが、結局、無駄になりました。 「こういうことは、ジタバタしちゃいけない。えっ、ばっさり、結構じゃ ないか」夫は、清々しくそう言うのです。 それで、わたしも、ばっさりしてもらいます。社長さんには、こちらで写 真を撮りますから、その写真をお渡しなさい、と加堂先生がおっしゃいま す。社長も加堂先生の半分信者ですから、問題はありませんでした。こん なに、いろいろなことがスムースに進むなんて珍しいくらいです。それで 夫は、アメリカからのお客さんもいらしている大事な席で、火のバプテス マを受けることになったのです。わたしもとお願いしたのですが、女性は すでに決まっているということで、残念でした。でも、すぐにという約束 はいただいています。加堂先生のお心遣いで、その大切なお客様だけの席 にわたしも出席させていただけるそうです。感激です。夫もわたしも、ア メリカからの大事なお客様ということで、すごい責任感も感じるし、日本 代表になったみたいに張り切るしで、早くその日が来ないかなと待ってい るところです。
追伸 こんなに夫のおちんちんが可愛く思えるなんて、わたしって純情で す。いつも指で触らしてもらいながら、これ、切っちゃうんだというと、 ピクンと立ち上がります。本当に可愛いです。夫のおちんちんじゃなくて、 夫の心が可愛いのかな。いい人と結婚してよかったと思っています。すご く緊張しました。夫が緊張しているのが分かるものですから、わたしもも っと緊張してしまうのです。写真を撮られたりするのにはなれているので すが、本当にあのときは特別でした。夫があんまり張り切るものですから、 それが裏目にでたのです。廊下から入場するときに、手と足のバランスが 合わないのです。前を歩いている夫もそうでした。やくざ映画の殴り込み のようになってしまって、ついつい変なリズムがついてしまうのです。夫 が主役になるのは初めてでした。いつもわたしが何かをして、夫は裏方さ んでした。それが逆なものですから、調子が狂っていたのかもしれません。 でも、とにかく終わって、ほっとしています。最後に拍手もいただいたし、 加堂先生からもほめられましたから、そんなに大きな失敗はしなかったの でしょう。の後すぐ、教団の病院に連れて行かれました。夫はすぐ仕上げ の手術を受けました。料理人さんが上手でよかったと、お医者さんがいっ ていました。まだ夫は入院中で、包帯もとれていません。あそこが今どう なっているのか分かりませ ん。ちょっとドキドキといえば、そうです。お しっこの穴をどの辺につけるかが大きな問題だということでした。社長さ ん編集長さん担当さん、夫、わたし、いろいろ話し合いました。先生にも 調べていただきました。その節は、ありがとうございました。でも結局は、 お医者さんにおまかせになりました。男子トイレが使えることに夫はこだ わっていたのですが、いざお医者さんを前にすると、いいようにお願いし ます、としか言わないのです。
すごいわがままなようで、いざとなると気が弱い人なのです。後でわたし が、してもらいたいことを言えばいいじゃないと言いますと、男はそんな ことをコマゴマ言うもんじゃない、男は、おまかせするときはキッパリお まかせする、なんて気取っています。あんまり気取るときは、おちんちん もないくせに、と言うと、がくっときます。すごく可愛いのです。この人 とずっと暮らしたいなという気持ちになります。しかし最後は立派だった、 と夫は言います。わたしもそう思います。料理人さんに包丁を構えられた ときに、見る見る立ち上がった夫のおちんちんは、これまでで一番立派で した。見慣れているわたしが感動したのですから、本当です。でも、どう してあんなに急に立ち上がったのか、不思議です。お前のかけ声で元気が でたのだ、と言いますが、ちょっとあやしいと思います。あのとき、若い きれいなお嬢さんのあそこが石の上にあって、それを見て興奮したのです。 それともう一つは、包丁を構えられて夫のマゾっ気が爆発したのです。あ んまりいじめるのも可哀想なので、お嬢さんの件は許してあげます。夫の セリフではありませんが、彼女は立派だったと思います。あんなに若いの に、あんなに才能があるのに、あんなにきれいなのに、すべてを捧げるの ですから。彼女のことを考えると、やっぱりわたしたちは中途半端です。 わたしもこれから火のバプテスマを受けますが、彼女のようになる決心は できません。わたしたちはいつも一流の人生とは関係がないのですが、こ こでも一流にはなれないみたいです。
わたしのきたない性器も早く削ぎ落としてもらって、それで夫と生きてい きます。そうしないと夫に悪いですから。やっぱり死ぬのは怖いし、どう しても中途半端なのです。もともと一流の人は、平気で死ねるみたいで、 ものすごいコンプレックスを感じます。そういえば、自殺する人も、割合 からいえば一流の人が多くないですか。病室に来られた加堂先生に、正直 にこの気持ちを話しました。先生は笑われて、みんな同じですよ、人に一 流も二流もありません、心配なんかすることはありません。竹田さんの方 が、あなたやあなたのご主人より立派だということは、絶対ありません。 そんなことをいわれたら、彼女だって悲しみますよ、なんておっしゃるの です。加堂先生にそういわれると、慰めてくださっているのだと思っても、 嬉しくなります。そのまま口に出して、お伝えしました。慰めでいってい るのではありません、と本当に怒られそうになりました。竹田さんとわた したちをいっしょだと本気で思われているみたいです。涙が流れてきまし た。どんどん流れてきて、止まらなくなり、恥ずかしくなって後ろを向く と、夫も泣いていました。どうしてだか分かりませんが、涙が止まらない のです。わたしたちは好きだけど最低の仕事をして、その最低の業界でも 一流というわけではなく、ボランティアーもしないし、食べるだけしか稼 げないし、学校もでていないし、尊敬されたことはないし、それで、「み んないっしょ」の、その「みんな」の中に入っているのだと思うと、不意 に力が抜けて、涙が止まらなくなったのです。
400 :
考える名無しさん :2009/07/09(木) 06:27:44 0
みうんさんは朝早いね
401 :
714 :2009/07/09(木) 14:24:33 0
>>335 >そういうプラトンの愛ってどういうものなのかと「響宴」を読むと、
>やはり、「欠陥を完全化することがエロスなのだ」と書いてますね。その中に永遠性を見いだすと。
プラトンはエロスにもいろんな段階があると考えていて、肉体的なエロスから、いくつかの段階を経て、
〈美のイデアへの欲求〉という最高のエロスに至ると考えていたようです。
この〈美のイデアへの欲求〉という最高のエロスは、真の実在を直観しようとする哲学的な欲求だそうです。
プラトンにとってはイデアが真の実在で、この世の物質的な存在はイデアの影にすぎないので、
プラトンがそのように考えるのは当然だと思います。
>補い合う割り符同士が愛を決定づけるのだ、とすれば、個人は関係性の中に安らうことになります。
>自灯明と相反する考えかも知れません。整理したいとこですね。
仏教では愛は「渇愛」として否定的に見られることが多いです。
渇愛は自己中心の愛、自己愛の延長であって、自分がこれだけ愛したのだから自分も愛されたいと思う愛。
だから、プラトンの肉体的なエロスの段階は(普通の男女の恋愛の多くも)、渇愛に入ると思います。
でもその愛が深められれば、「慈悲」としての無償の愛になり得ると考えられています。
簡単にいえば、渇愛は求める愛、慈悲は与える愛、だと思うので、
渇愛は、その愛によって(他者との関係によって)安らおうとする(安らぎを求める)愛であるのに対して、
慈悲はその反対に、自分が自己に安らっていること(自灯明)によって、はじめて与えることのできる愛だと思います。
(自己が閉ざされているか、開かれているか、ということに関していえば、
渇愛は閉じた自己において、慈悲は開かれた自己において生じる愛だと思います。)
402 :
714 :2009/07/09(木) 14:25:27 0
>>336 >714さんをそんなにバッハに惹き付けたきっかけって何だったんでしょう。
血でしょう。母と姉もバッハ好きです。(ちなみに父はニーチェ好きw)
バッハ好きですが、今までに聴いた音楽は幅広いですよ。
比率でいうと、ロック・ソウル…50%、バッハ…30%、バッハ以外のクラシック…20%、ジャズ…10%(100%超えてますが…)
そういうわけで、みうんさんご紹介の曲は、ソフトマシーン以外は知っている曲でした。
ポリフォニーとなると、どうなのかな。
自分でプログレを挙げたものの、聴いてみるとそうでもないかな。
重層的ではあるけれども、主旋律以外の部分は「伴奏」の域を出ていない感じがします(バッハと比べるとかなり)。
(つまり「対旋律」「オブリガート」にはなっていない感じ。)
(“Discipline”で、2本のギター旋律がずれるところは、ポリフォニックです。)
ドストエフスキーのポリフォニーについての、ミハイル・バフチンの言葉をもう一度見てみます。
「それぞれに独立して互いに融け合うことのないあまたの声と意識、それぞれがれっきとした
価値を持つ声たちによる真のポリフォニーこそが、ドストエフスキーの小説の本質的な特徴なのである。」
「それぞれの世界を持った複数の対等な意識が、各自の独立性を保ったまま、何らかの事件というまとまりの中に織り込まれてゆく。」
「伴奏」ではなく、「対等」な意識。
そういう意味では、たとえばキングクリムゾンなら、ロバート・フリップの意識によって統一されている
『ディシプリン』よりも、ロバート・フリップ、イアン・マクドナルド、ピート・シンフィールド、グレッグ・レイク
などの個性が拮抗していた『クリムゾン・キングの宮殿』が、精神的には一番ポリフォニックなのかな…?
マウンテンというバンドがバッハの対位法を取り入れていると言われるけれども、聴いてみたら、やっぱりそうでもないなぁ。
18世紀以降の音楽は、主旋律+伴奏の“ホモフォニー”が主流です。ロックもそうですね。
初学者用に作られた「インヴェンションとシンフォニア」でさえも、バッハの対位法は冴えていて、
音の世界に立体的な広がりを与えます。
http://www.youtube.com/watch?v=60H3ZDHLhZc&feature=related
403 :
714 :2009/07/09(木) 14:26:15 0
>>337 >そもそも、世界の外を想定した上で、そこに向かう事を超越として、
>語る人はその前提をこなす、それがなければ宗教について語る権利はないっていうのは、
>上からの物言いで「あなたも信仰しなさい」ってことでしょう?なんかおかしいですね。
語ってもいいんだけれども、外側からの批判は見当違いになってしまう側面があるということです。
神を信じる者と信じない者とは、大人と子供のようなものだ、と、何度か聞いたことがありますが、
それはなんとなくわかる気がします。
(僕は神を信じていないので「子供」のほうに入りますけどねw 誤解のないように…)
>それに、714さんの話を総合しても、なんかちゃんぽんみたいに見える時があります。
>今ここにあって目の前の事に手を尽くしながら、一方ではイデア界へ羽ばたこうってのは、
>姿勢としては成立するんでしょうか?無理があるような。 あんまり無理すると体壊しますよ。
僕はイデア界へ羽ばたこうとはしていません。
イデアの話になったのは、「幻想」と「現実」という概念が簡単に反転してしまう一例として「洞窟の比喩」を引用したからです。
イデア界という理想世界は、この現実世界の彼方(彼岸)にあります。
僕はその反対に、現実世界のただなかで、現実世界の深層にもぐる思想に惹かれます。
今此処に本当に集中するということは、今此処における流れそのものになることだと思います。
一つの波が海の中に飲み込まれていくように、流れそのものとなることです。
だから今此処に集中することは、「目の前の事に手を尽くす」という表層的事態を意味するだけでなく、
深層においては、存在の流れと共に流れる、ということを意味します。
404 :
714 :2009/07/09(木) 14:30:24 0
>>338 >そういう体験があるからこそ、警戒心がうまれて、危険回避をできるようになるんじゃないでしょうか。
>それは、自然な人間の生理でしょう?
警戒心の強さには個人差があり、自己が閉ざされているかどうかも個人差があります。
自己が固く閉ざされているほど、警戒心は強くなると思います。
そのように自己保存欲が強まって、自分を守ろうとする意識が強まると、
自分が小さくなり、不自由になってしまうと僕は思っているので、
僕はできるだけ自己を守ろうとする意識を少なくするように心掛けています。
それに、気持ちが守りに入ってしまうと、体も心も動きが悪くなってしまって、かえって危険かも知れません。
>>339 >身近な恋愛にさいして、共依存と相互依存ってどう違うのかなあ、
>どうすれば理想的な関係って築けるものなのかな、と考えていたんです。
>恋愛では、やっぱり互いが精神的に自立している事は大切で、互いの自立が「いい距離感」をうみます。
>それが相互依存ですが、ドロドロとお互いがなれ合いすぎると共依存になるんでしょう。
お互いが自分自身に安らっていることが理想だと思います。
相手との関係の中に安らぎを求めてしまえば、関係のバランスが崩れる時に、安らぎも崩壊してしまいます。
相手との関係は常に変化していくから、関係のバランスも常に変化しています。
バランスが変化しても動じないようにするためには、自己に安らっている事(自灯明)が大事だと思います。
相互依存性は、自灯明の前提となっているものであり、自灯明と矛盾しないことは262で書きました。
(ところでみうんさんは〈例の3人〉とまだ関わっているんですか?w
ここにずっといるナレーション君の書き込みも僕は読んでいないし、その他の名無しさんもよく見ていませんが、
ここの書き込みは僕たち以外はほとんど彼らなんでしょうかねぇ…)
(ああいう人たちと関わっても、なんにもならないと僕は思います。)
405 :
714 :2009/07/09(木) 14:31:51 0
>>340 >それを言ったら歴史についてなにも言及してはいけない事になりますよ。
>だからその意見は・・・あんまり頂けないですね。
歴史について言及する場合でも、それはあくまでも自分の視点からの見方にすぎない
ということを自覚することは大事だと思います。
英語のhistoryも、ドイツ語のGeschichteも、「歴史」を意味する語にはどちらも「物語」「お話」という意味があります。
歴史はもともとは、現在の自分の視点から見た「お話」なんです。
歴史教科書などを作成する場合だってそうです。
過去の無数の歴史的事実の中から、取捨選択しなければ「歴史」は出てきませんが、
その取捨選択の基準は、現在の自分(先進国としての西洋的価値観)にとっての重要度です。
だから、エスキモーとかアイヌなどの記述は少なくなります。
そしてごく普通の生活をしている農夫や猟師については、もちろん何も書かれません。
日本史なら、現在の日本にとっての重要度によって、卑弥呼、聖徳太子、ペリー…などが選択されて記述されます。
そういう〈現在の自分〉という特定の視点から見た「物語」「お話」だということを
自覚した上で歴史に言及するのは良いと思います。
406 :
714 :2009/07/09(木) 14:32:49 0
>相手の意見をおさえて主張するばかりでは、本末転倒です。これは、エゴの発露ですか?
違うと思うことは「違う」w と言ったほうが良いと思います。
「違う」が多いのは、実際に違いが多いのだから、仕方ありませんw
>>1 さんが、--中島義道的対話の基本原理― を書いています。
その基本原理の中で僕が一番共感するのは、
>・相手との対立を避けるのではなく、むしろ対立を積極的に見つけること。
>・相手との違いを大切にし、それを発展させること。
の部分です。(僕は中島義道氏をほとんど知らないので中島氏の真意はわかりませんが)
「同床異夢」… 僕は基本的には、人と人とは理解し合えないと思っています。
(外側からの批判は見当違いになる、という僕の考え方にもそれが現れていますが)
ある程度までは理解できる部分もありますが、どうしても理解できない部分があります。
生まれ育ちも違うし、世界を見る視点が違うのだから、考える事が違うのは当然です。
対立を積極的に見つけてその違いを大切にすることは、考え方の違いを確認する作業でもあります。
そこに違いがあるということ、そしてどのように違うのかを確認しないと、
なんとなく理解し合っているような幻想の中で、曖昧な状態で会話が流れていってしまいます。
現実生活では、場合によっては、それも良いのかも知れないけれど、
哲学的対話では、それは良くないでしょう。
意見の違いを大切にして、意見がくい違ってくる理由を考えることによって、哲学的思索は深まっていくと思います。
>山ごもりで千日修行をする阿闍梨という位の人がいますけど、どう思います?
よく知らないのですが、難行苦行をするとすれば、〈中道〉の精神に反するのではないかと思います。
山に篭もらなくても、日常的な生活を修行の場と考えることができると僕は思っています。
157 名前:考える名無しさん メェル:sage 投稿日:2009/07/09(木) 04:29:45 0 〇菜の花、エートルオートル、前541の犯罪手口 @「風評被害」 近所・職場・ネット上に、事実無根の情報を含んだ悪評を流したりします。 誹謗中傷・人格攻撃等によりターゲットを社会的孤立と社会的評価の失墜へと追い込みます。 A「つきまとい・監視行為」 ターゲットへ、恐怖に支配された精神的プレッシャーを与えるため、 四六時中つきまとったり、監視行為によりプライバシーを侵害しつづけ、心理的混乱へ陥れます。 B「人間関係の操作」 友人や会社の同僚に、ターゲットのプライバシーや業務内容の情報を探らせたりします。 「風評被害」の手口とも連動して、被害者の人間関係を操作し、社会的信用の低下や、 社会生活の破壊を企てます。社会的抹殺行為の「核」となる手法です。 C「プライバシーの侵害」 内偵・盗聴・盗撮等によって収集した情報をもとに、ターゲットの人間関係を破壊します。 さらにはそうして集めた情報を被害者に仄めかしたりすることで心理的パニックに追い込み、 ひどい時には心の病を発症させます。
ひどい時には
もはやすべての書き込みが、すべての文字が、すべての句読点が、
邪悪な関連性を持って迫ってくるのである。
それはおそらく現実の生活まで影響を及ぼし
世界を暗色に塗り上げていくことであろう。
413 :
考える名無しさん :2009/07/10(金) 04:04:23 0
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●● / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ● ● ● ∩_∩ | ● ● ● (´ー`) < 純一統一理論の ● ● ● ( ) | 成果は ● ● ● | | | | まだかね? ● ● ● (___)__) \_____/ ● ● ● _( "''''''::::. ● ● ● ●__ ____,,,... --‐'''^~ ヽ ゛゛:ヽ ● ● ● ●:::::::::....:"""" ・ ・ . \::. 丿 ● ● ● ●::::::::::::::::::: ・ ....:::::::彡''ヘ::::/ ● ●:::::::::::::::::::::::::::::;;;;;,, ---‐'' "^~ ●●●●●-‐‐ ''^~
414 :
考える名無しさん :2009/07/10(金) 11:28:11 0
もうすぐだよw
415 :
考える名無しさん :2009/07/10(金) 11:56:16 O
もうすぐにしろって
最近仕事おそくね?
417 :
考える名無しさん :2009/07/10(金) 13:55:36 0
自演もっとうまくやろうよw
418 :
考える名無しさん :2009/07/10(金) 20:34:31 0
純一は人気ものだからなー
131 :(@t@):2009/07/02(木) 06:29:18 ID:MMLHgyXM 菜の花はブスな上に頭まで腐ってるんだね〜。2ちゃんねるの汚物は。 腐女子あがりのうんこくさいババア。 また雑談荒らししてんの?どこにも居場所がない廃人ってこういう事が楽しいんだ。へえ。 菜の花は自分が醜くて汚いっていう自覚すらないから頭悪いよね。 頭悪い性格も歪みきったブスの、そのばしのぎの感情論ばっか。 馬鹿でブスだから最低な書き込みであちこちのスレ荒らしまくって、、 嫌われて軽蔑されるような事わざわざやって、自分は優位に立ったとか勘違いして、 それが間違ってるってわかってるのに、やってる間は楽しくてしょうがないんだろうね。 ブスが興奮してるとこなんて誰も見たくないのに。変態の露出狂。 典型的に、あつかましい油臭いブサイクババアの発想。汚物丸出し。最低。 せいぜい断末魔のたわごと吐きながらここに隔離されてるといよ。 ブスが発狂して馬鹿みたい。死んだらいいのに。電車に轢かれて欲しい。 キモッサンもどうでもいい他人の一言一言に振り回されて態度豹変させて揚げ足取りとか、 どんだけ腐ってんのw 安っぽい低能ゴミ屑オヤジ。哀れ。 痛い嫌われ者。
141 :(@t@):2009/07/07(火) 06:15:26 ID:??? 671 :菜の花 ◆qS5Y1mPhJ2 :2008/10/22(水) 17:44:27 O 今までありがとうございました 2ちゃんねるを去ります さようなら… 142 :(@t@):2009/07/08(水) 05:31:53 ID:??? おい汚物、はやく2ちゃんやめろよw 671 :菜の花 ◆qS5Y1mPhJ2 :2008/10/22(水) 17:44:27 O 今までありがとうございました 2ちゃんねるを去ります さようなら… 143 :(@t@):2009/07/09(木) 07:13:22 ID:??? おい汚物、はやく2ちゃんやめろよw 671 :菜の花 ◆qS5Y1mPhJ2 :2008/10/22(水) 17:44:27 O 今までありがとうございました 2ちゃんねるを去ります さようなら…
したらばまで追っかけるてwwwwwwww wwwwwwそんなwwwwww いったいどんだけwwwww
こんなやつwwwwwほんといるんだなwwwwwwwww wwwwwwなんてばかwwwwwww
423 :
みうん :2009/07/11(土) 06:01:38 0
>>401 714さん
>プラトンにとってはイデアが真の実在で、この世の物質的な存在はイデアの影にすぎないので、
>プラトンがそのように考えるのは当然だと思います。
プラトンにとっては、人はそのまま愛するものじゃなくて、人を抱えるイデア世界の一端を愛する、
何かそんな感じなのかな。
プラトンは少年愛者だったそうじゃないですか。彼自身は少年を社会的に立派にするため、
あれこれと知識を与え、その姿こそが美しい愛の形態だとしていたようです。
少年愛では、愛の果ての生物的な成就はありませんから、かわりにイデアをもってきたのかも。
(40才差の哲人ソクラテスに恋慕していたので、同性間で知を継承する愛を絶対化していたのかな。)
それで、少年の知を鍛え、狂おしく愛しても結局はその少年を手放し、悲恋の中で少年の独り立ちを祝う・・
そんな感じだとたしかにきれいです^^
>仏教では愛は「渇愛」として否定的に見られることが多いです。
愛する相手の印象が感情を左右する訳じゃないですか。それで相手に刺激を委ねるものです。
その刺激に驚いて、一旦逃げるものの、方々逃げても、やはり逃げ先は恋人の心の中だったとか、
そんな場面は往々にして起こりえます。
逃げようとしていて与える気なんてないのに、気がつくと心を開いて何でも分け与えていると。
「悔しいのにやっぱり好き」そのゆらぎが、恋愛を加速させるんですよ。ブルージーな恋愛ですがw
意志が先にあって行動、というのはまあ、理屈上はそうなるんでしょうが、
恋愛においてはお互い迷うんですから、迷って明確ないしもないまま突飛な行動をとるものでしょう?
そうでなくても、人間の行動は、意図せず表出して、あとで意味付けする場合が多いです。
仏教はなにかと理屈っぽいんですよ。落ち着けるから好きだけど。
424 :
みうん :2009/07/11(土) 06:02:29 0
>>402 714さんは音楽相当詳しそうですよねえ。家族でバッハなんですか!それは詳しくなるでしょう。
私の方は、知り合いに音楽通がいて、その人はロックの膨大なコレクターなんですよ。
それで色々教えてもらって、演歌もアニソンも何でも聞けよと言われて素直に従ってたんです。
「学術的に分析せずに全部聞き流せ、音楽は感情だ」と言われ、その通りにしてましたから、
こう・・・音楽について言葉で表現するのにちょっと、難を感じるんですが・・・
>「それぞれの世界を持った複数の対等な意識が、各自の独立性を保ったまま、
>何らかの事件というまとまりの中に織り込まれてゆく。」
「クリムゾンキングの宮殿」の、忍び寄った悪魔が打ち鳴らすようにドアを開けるようなイントロと、
「猫のあゆみ 鉄の一閃 神経外科医が煽る 金切り声
妄想狂の毒のドアが開き 21世紀の精神分裂者」
この強烈な歌詞に完全に心をうばわれてしまい、
「精神分裂病にならなきゃいけないんだ」と強迫的な思いにとらわれて焦っていた時期もあります。
自身の体験を歌や文学の中に投影してしまえるのは、
いくつもの重なり合った旋律をそれぞれ追っているうちに迷子になり、完全に作られた迷宮の住人になり、
寄る辺を歌の中に見いだそうとするからかも知れません。そして迷宮の「事件」に巻き込まれて。
ポリフォニーの性質は人を捉えますね。そこから一歩出てみても、、、
歌の中で息づく自分と、それい以外の、それぞれの生活の場に没個性化している自分の競奏もあったり。
個は均一じゃないから安定してるんですが、そこに対等、均一なものを対置する事で、
その地点を中心に「事件」が拡大化していく訳ですよね。それが音楽の爆発力なんでしょう。。。
425 :
みうん :2009/07/11(土) 06:04:12 0
>>403 >語ってもいいんだけれども、外側からの批判は見当違いになってしまう側面があるということです。
信仰がなくても、キリストという人物について理解を深める事は可能じゃないですか?
イスラムの古文書を読み解き、遺物を分析して、占星学と科学を照らし合わせて・・・と。
研究者がやっている事ですよ。彼らの多くは信仰心から研究してるんでしょうか?
信仰があると、対象について想像をくわえ美化しやすい訳ですよ。そして現実感が薄らぎます。
ニーチェは、キリスト教信仰者の人たちを、極端に歪曲化して「畜群」と呼んだでしょう?
(実際キリスト教信者の知人は、ユーモアも知性も理想もあって、去勢された家畜って感じじゃないです)
あれも、それまで美化していた対象イメージを反転させたので、ほとほとリアリティに欠けています。
>今此処に本当に集中するということは、今此処における流れそのものになることだと思います。
表層と深層、という二つのレベルの意識があって、それぞれが今ここにある時、
表層は制約の中に固定化されているものの、深層は流れの中に解放されている、
ということですか?
426 :
みうん :2009/07/11(土) 06:05:13 0
>>404 >お互いが自分自身に安らっていることが理想だと思います。
今回、宗教と愛の話がからんですが、例えば恋愛に相手への崇拝心は必要だと思いますか?
ドストエフスキーの「白痴」では、ムイシュキンがナスターシャに、信仰に近い愛を告白しますが、
エゴイストで、ナスターシャを守る神にまで嫉妬し、荒々しく大枚をはたいて彼女を奪い取るロゴージン、
ロゴージンに、ナスターシャは命まで捧げるんですよね。
嫉妬する対象が大きい男性に、女性は夢を見るものです。それは崇高なエネルギーの証明だから。
亀山郁男さんもソフトな声で語ってますが、
http://www.youtube.com/watch?v=xGvDeEp8dYQ&NR=1 「嫉妬が巨大化して殺人衝動になり飽和状態になった時、ある刺激でバンとはじけ、
きらきらと降り注ぐ涙の雨の中で大いなる許し、自己犠牲の精神が生まれる」これは理解できます。
・・・714さんは自己犠牲という事を言ったけど、(生物学的に“利他行動”という説明もあります)
それは実は、相手の好ましい反応を期待したあげくの、依存心めいた嫉妬、
ここを通過して得られるものなんじゃないかとも思うんです。どうなんでしょう?
>(ああいう人たちと関わっても、なんにもならないと僕は思います。)
関わってないですよ。あの連中の様なネットによくいる狂信者って必ずうらぶれた下衆ですから。
こないだ何となく、714さんと初めて話した(?)このスレの3を眺めていたら、
714さんがニーチェについて意見を出した途端、今回と似たような感じになってました。
固定はあなたを荒らし扱いで議論放棄、続くように400レス近く消費して病的な自演と煽り、最低です。
それで、ニーチェのハンマー、力への意志、ハイデガーの四散について、
その解釈をめぐる話が流れてしまったようでした。また再開しますか?
427 :
みうん :2009/07/11(土) 06:06:32 0
>>405 >その取捨選択の基準は、現在の自分(先進国としての西洋的価値観)にとっての重要度です。
あんまりピンと来ないんですが、グーグルのロシアに関する情報の少なさでは実感します。
農耕文化やアイヌ文化は、文献より口承の伝承が根強いんじゃないですか?
耳で聞く歴史、文化ってあるでしょう。それは、マイナーではありませんよ。
>そういう〈現在の自分〉という特定の視点から見た「物語」「お話」だということを
>自覚した上で歴史に言及するのは良いと思います。
掲示板では見地があいまいになりやすいですけど、映画製作は明確な立場の集団の思いの産物ですよね。
信憑性は高まるんじゃないでしょうか?
こないだ若松孝二の「実録・連合赤軍あさま山荘への道程」という映画を見たんですよ。
(若松孝二を含めたATG出身の監督って好きで。)
この事件と、ドストエフスキーの「悪霊」のモデルになったネチャーエフ事件が関連ある、
というので興味が出たんです。社会主義の理想のために同胞を殺したんですね。
ある正義の貫徹のために、モラルハザードが起きるというのは、ニーチェ的な色合いもあるでしょう。
理念の尊重と、個の生命の尊重は、どこかよじれがちな所があります。
428 :
みうん :2009/07/11(土) 06:07:27 0
>>406 >対立を積極的に見つけてその違いを大切にすることは、考え方の違いを確認する作業でもあります。
714さんは、意見がしっかりしてて文脈も読め説明力もあり、親切なので話しやすいです^^
でも、反論の仕方にちょっとだけ難があるかなあ・・・という印象を持ちました。
対立を明確にする、というのは「いやいやそれはちがくてこうだ」と押し切るのではなくて、
「あなたはこうだけど私はこう思った、こんな違いがあった」という意見の出し方をすれば、
何が対立しているのか確認しやすいですし、両者の意見も尊重されて発展性があると思います。
何か本の語彙の解釈について、「あなたはいく通りもある、これ一個しかないなんてことはない」
と一旦断ってましたけど、毎回意見を出し合う度「その解釈ではなく本当はこうなんです」
的な感じできりかえしますよね?対立の理由の話にもなった事なく、実行が伴ってないですよ。
議論は、意見の違いを明確にしてそれぞれをうまく接合し発展させるのが目的なんです。
その目的がなければ、ただお話をして話題を流しているだけじゃないでしょうか?
中島義道さんは対立って言うんですけど、あの人はどうも人と衝突し過ぎな所があるでしょう?
不測の事態に一喜一憂して無理がでて理想はおざなり、中島イズムは言行不一致になりやすいんですよ。
私は個別性の些末な差なら大枠でくくってしまいたいんです。そして自分の中で葛藤したいし。
対立という部分をはしょって、相手の意見を模倣することが発展への一番の近道です。
>山に篭もらなくても、日常的な生活を修行の場と考えることができると僕は思っています。
阿闍梨は、山の決められた道を毎日往復して、その間断食もするそうですよ。
石になりきった気持ちで悟りを得ます。深閑とした無念無想を続けるんでしょう。
そして修行の後、爆発的にお地蔵さんを彫りまくったり。中道ではないでしょうねえ。
ちゃんとマキビシを蒔く人も作ったし 自ら分泌する液体で、首のタガをたまに濡らして きりきり締まっていく。 マキビシの効力も数十年も持続できるまでになった。 あとは、自己組織化されたこのシステムからの逃走ラインを ひとつずつ、切っていく楽な仕事だけだ。
↓この連投ワロタwww
>>371 :考える名無しさん:2009/07/08(水) 14:02:07 0
菜の花さんですか?
>>372 :考える名無しさん:2009/07/08(水) 14:04:09 0
菜の花さん荒らさないで下さい
>>373 :考える名無しさん:2009/07/08(水) 14:10:54 0
菜の花さん働いてください
>>374 :考える名無しさん:2009/07/08(水) 14:12:58 0
菜の花さんは友達や恋人ぐらいリアルでみつけてください
なんか誰でも菜の花とかいう人に見えてしまう病気らしいなw なんかコンプレックスでもあるのかw
(おやはや)ニーチェのいうルサウンチマンでしょうかねえ(笑)
433 :
383 :2009/07/12(日) 18:02:12 0
なんかいろいろ書き込みがあるには
>>383 に対して異論は出てないようだな。
それでは一応この命題は「偽ではない」とすることができた。
すなわち、
【命題1】
Xは継続的に深くA・B・Cの行動や言動をチェックしている人間で、
A・B・Cのスレを糞スレになるように自ら荒らしている人間である。
という命題である。
しかし、これはまだ仮の命題である。
これからこの命題が「真である」ということの
蓋然性の高さを検証していかなければならない。
434 :
383 :2009/07/12(日) 18:04:18 0
435 :
383 :2009/07/12(日) 18:06:07 0
>21 :佃煮マニア:2009/01/07(水) 06:41:43 0 >前541 > >えらいくやしそうだね。何を勘違いしてるのか知らないけど、、、 >まず、私は、世間的に見ても、婆と言える年代ではないしピカピカ。 >美術モデルもカットモデルも結構やってる。それはいいとして・・・ >それを婆扱い、あと、使う語彙からして、前541は中年ロリコンでしょ。 > >中年ロリコンが、ネットアイドル志望(?)の、のんちゃんになりきれない自己愛のサクラやってる。 >もう一人のサクラもロリコンで文体オタ、でキモい馴れ合いしてる。その輪から外れようとすればしつこくバッシング。 >これは714さんも指摘する通り、宗教的でもある。敬虔な信仰とかじゃなくて、劣悪な新興宗教のほうね。 > >そういう構図に吐き気を催しながら、でも、多少の義理は感じていたから、 >のんちゃんになりきれない自己愛に心理療法(フラッディング)をしたんだよ。逆恨みは×。 > >何でこの人がこういう事態になっちゃってるのかと言うと、 >自分のチラ裏にコメントをくれる読者を離したくないから。その人が自分の存在証明だから。 >だから、コメントをくれる読者の好みには何でも言いなりになるし、品は作るし、それ以外は悪者として排除しようとする。 >ある意味可哀想な人。でも、それも病気のなせるワザ。 > >自演しまくって分離してしまったアイデンティティを統合して、うまく周りに表出できる様になればいいんじゃない? >前541も、そのへん考えてあげれば? > >ことわっておくけど、三人とも、それぞれで見れば私は好きだよ。存在感あるし。
436 :
383 :2009/07/12(日) 18:14:36 0
これはXがABCのうちの一人にあてて書かれたものとみなせるが、 XはABCのうちの一人を「中年ロリコン」と呼び、 もう一人も「ロリコンで文体オタ」と呼び、 「ネットアイドル志望(?)の、のんちゃんになりきれない自己愛のサクラ」 をやっているとし、「キモい馴れ合いしてる」と書いている。 これらは非常に主観的で感情的なバッシングに見えるが、 実はそうではないのだとXは主張している。 Xは悪意からバッシングしているのではなく、 「多少の義理は感じていたから」 「のんちゃんになりきれない自己愛に心理療法(フラッディング)をしたんだよ」 と言明しているのである。
437 :
383 :2009/07/12(日) 18:20:31 0
ここで以下の命題を仮設として立ててみよう。 【命題2】 XはA・B・Cを叩いている人間であるが、 これらの行為は悪意から行っているのではなく、心理療法を施したものである。 もしこの仮設が正しいとすれば、 【命題1】 Xは継続的に深くA・B・Cの行動や言動をチェックしている人間で、 A・B・Cのスレを糞スレになるように自ら荒らしている人間である。 における荒らし行為も心理療法ということになるかどうかである。 これを今後検証していくことにしよう。
438 :
383 :2009/07/15(水) 18:45:44 0
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
【命題1】
Xは継続的に深くA・B・Cの行動や言動をチェックしている人間で、
A・B・Cのスレを糞スレになるように自ら荒らしている人間である。
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
さて、上の命題1における行為が、荒らし行為か心理療法かという点について
具体的に見ていくことにしよう。
>>399 の提案にしたがい、まずは「哲学の基本は対話 5の章」スレから
さらにいくつかの]の特徴を拾っていかなければならない。
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1229354135/42-94 ↑の約50レスにわたる間に【命題1】を実証する]の書き込みが見られる。
次でその中からエッセンスを抽出してみよう。
439 :
383 :2009/07/15(水) 18:47:02 0
以下
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1229354135/42-94からの抜粋 >しかしキモい三人組だったな。菜の花、エートルオートル、前541
>昔哲板にいたエートルオートルというコテは。きんも〜
>会社じゃ嫌われ者のメンヘル腐女子ブスOL
>人格障害腐女子のキモいおばさんOLと?
>キモオタのロリコン地味リーマン?
>自称漫画家のてんかん持ちの廃人?
>キモオタ。これだからキモオタは。これがキモオタの世界観。
>またやってくんないかなあ。頭悪いキモオタの猿芝居。
>菜の花とかエートルオートルとか前541を擁護する奴って、
>ネットDQNの低能基地外ばっかw
>どっちみち馬鹿だしメンヘルだろうし、程度が知れてる。
>人と違うフリをしながら低俗豚丸出し。
>という基地外。いたなあ。基地外いた。汚い基地外だった。基地外の腐った脳。
>病識のない自己愛性人格障害だった。
>菜の花他多重コテと名無しで悲惨なネットライフを送る不細工なキモオタだった。
>この勘違いぶり、病気っぷりはどうだ。
>それがこのスレのスレ立て人、菜の花、エートルオートル、前541だった。
>こんな糞スレは落書き用で十分だ。
440 :
383 :2009/07/15(水) 18:59:23 0
439はエッセンスであるが、かなり長い文章のものが実際には多い。 たとえば、中略してもこれだけの長さである。 >47 :考える名無しさん:2009/05/12(火) 15:59:32 0 >本を最後まで読む事も出来ないくせに、 >マイナー本ばかり読んだふりして掲示板でその名前を並べて自慢したかったんだってさ。 >本の名前並べるだけで評論家きどりで、ろくに読んでもない本のあたりさわりない読書感想文書きながら、 >哲板の全員に天才扱いしてほしかったんだって。昔哲板にいたエートルオートルというコテは。 >きんも〜。 >反論が出るたびに何日もかけてスレ荒らしてねえ。盛り上がってるつもりだったんだね。 >>リアルで話し相手もいないくせにね。匿名になったとたん大仰になっちゃって。 >中小企業のくたびれた貧乏変態地味リーマンがネットの神様になりたかったんだってさ。 >笑えるわ。 > >(中略) > >人格障害腐女子のキモいおばさんOLと? >キモオタのロリコン地味リーマン? >自称漫画家のてんかん持ちの廃人? >の、美しい勝ち組コミュニティに、誰もが入りたがるのに、 >うちらがちゃんと選んだ美しい人じゃないと、入れてあげない的なw サブカルは厳禁とかw >なんか勘違いしちゃってる人らがいたよなあ〜。どういう底辺? >最初から色々知ってて、いつも半分おちょくってたのに、突然裏切られてプライド傷ついた〜とか大騒ぎしておもろいわ。 >キモオタ。これだからキモオタは。これがキモオタの世界観。 > >リアルで醜い人間模様を見るのはけっこう好きなんだよ。 >またやってくんないかなあ。頭悪いキモオタの猿芝居。
441 :
383 :2009/07/15(水) 19:08:51 0
こうした非常に粘着的な]の書き込みが続く流れのなかで それに対するいくつかの]以外の反応があった。 これらは比較的短いものである。 上の47に対して >49 :考える名無しさん:2009/05/12(火) 16:17:43 0 >>47 >>またやってくんないかなあ。頭悪いキモオタの猿芝居。 >おまえがキモイんだよ そのほかにも >53 :考える名無しさん:2009/05/12(火) 16:30:06 0 >粘着というか、ここまでくると怨念だ >何ヶ月も前に消えてる人たちへの怨念w また >72 :考える名無しさん:2009/05/13(水) 21:59:51 0 >なんかかわいそうな奴 > >煽ったらまた出てきてくれると思ってんだろうな。 >いままでその技が有効だったから。 > >負の成功体験だな > >かわいそう
442 :
383 :2009/07/15(水) 19:14:03 0
441に挙げたような書き込みがあった場合は、 即座に下のような]の書き込みが入っている。 >菜の花とかエートルオートルとか前541を擁護する奴って、 >ネットDQNの低能基地外ばっかw そして、 >この勘違いぶり、病気っぷりはどうだ。 >それがこのスレのスレ立て人、菜の花、エートルオートル、前541だった。 >こんな糞スレは落書き用で十分だ。 ]はABCの立てたスレは糞スレだから「落書き用で十分」という論理を出している。 これはすなわち、下記の命題を実証するような言葉である。 ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●● 【命題1】 Xは継続的に深くA・B・Cの行動や言動をチェックしている人間で、 A・B・Cのスレを糞スレになるように自ら荒らしている人間である。 ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
443 :
383 :2009/07/15(水) 19:16:44 0
次回引き続き「哲学の基本は対話 5の章」スレをさらに検証していき 【命題1】 と【命題2】の関係を探っていきたい。
444 :
383 :2009/07/16(木) 00:45:54 0
]はABCの立てたスレだからということで
「哲学の基本は対話 5の章」スレを荒らしていることが見えてきているが、
]が思い違いをしていたことをここで補足しておく必要があるだろう。
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1229354135/1-2 を見ればあきらかなように
「哲学の基本は対話 5の章」スレは714という人が立てたことがわかる。
この「対話スレ6」を立てたのもおそらく同じ人物であるだろう。
この人物をYとしておこう。
Yが立てたことに気づかずに]はABCの誰かが立てたと思い
該当スレを荒らしていることがわかる。
445 :
383 :2009/07/16(木) 00:53:22 0
446 :
383 :2009/07/16(木) 01:03:02 0
ちょっとは学問版にふさわしい論理哲学的な流れになってきたなw
448 :
714 :2009/07/16(木) 15:29:41 0
>>423 >恋愛においてはお互い迷うんですから、迷って明確ないしもないまま突飛な行動をとるものでしょう?
そうですが、渇愛は、意図的かどうかとはたぶんあまり関係ないでしょう。
どっちにしても、男女の恋愛は、独占しようとする愛だと思います(たいていの場合は)。
相手が浮気すれば憎しみに変わりかねないような、憎しみと背中合わせの愛だと思います。
だから渇愛は、愛する対象に向かって執着を起こし、それが苦しみの原因になる、と仏教では考えられていると思います。
「愛より憂いが生じ、愛より怖れが生ず。愛を離れたる人に憂いなし、なんぞ怖れあらんや。」(ダンマパダ)
もちろん、渇愛は、苦しみの原因になるだけでなく、喜びの原因にもなりますが、
苦しみの原因を見極めてそれを断つという態度が仏教の基本姿勢になっているから、
仏教は渇愛を否定的に見る場合が多いのだと思います。
(上は仏教の見方についての僕の見解、つまり僕の仏教解釈です。僕自身の考え方そのものではありません。
最近のみうんさんの書き込みを見ると、僕の書き方は、そういう所の区別が分かりにくい書き方になってしまっているのかも知れませんね。
ある程度客観的な視点でキリスト教、ニーチェ、プラトンなどについて書いている所と、自分自身の考えを書いている所の区別ですね。)
僕自身の考え方は、(前にどこかで書いたと思いますが、)
〈欲〉は生命力そのものでもあるので、できるだけ肯定的に考えたい(肉体的エロスについても)と思っています。
ただ、その欲がどんどん増幅してしまって、〈欲望〉とか〈貪欲〉になるのはまずい。
けれども、生命力としての〈欲〉と、〈貪欲〉とを区別するのは難しくて、どこからが〈貪欲〉と線引きすることはできない。
どう考えれば良いのか…ということになりますが、
そういう場合にポイントになるのは、〈自己の在り方〉であると僕は考えています。
〈欲〉がエゴイズムと結びついていないかどうか、最近使った言葉でいえば、自己が閉じられていないかどうか、
自己が世界に対して切り開かれているかどうか。
そういうところをポイントとして、生命力としての〈欲〉と、〈貪欲〉との違いを見極められるのではないか、と僕は思っています。
449 :
714 :2009/07/16(木) 15:30:32 0
>>424 >714さんは音楽相当詳しそうですよねえ。家族でバッハなんですか!それは詳しくなるでしょう。
詳しくありませんが、ものによっては(特にバッハの教会カンタータのような音楽は)
ある程度の予備知識があったほうが楽しめると思うので、そう思う場合には少し勉強します。
>「猫のあゆみ 鉄の一閃 神経外科医が煽る 金切り声
>妄想狂の毒のドアが開き 21世紀の精神分裂者」
>この強烈な歌詞に完全に心をうばわれてしまい、
「21世紀の精神異常者」ですね。
(邦題が「21世紀のスキッツォイド・マン」に変わったみたいですが、変えなくてもいいのにね。)
『クリムゾン・キングの宮殿』のピート・シンフィールドの詩はどれも良いですね。
「エピタフ」の“Confusion will be my epitaph 〜 But I fear tomorrow I'll be crying”も印象的だし、
「クリムゾン・キングの宮殿」も、“The rusted chains of prison moons Are shattered by the sun.”
と出だしから意味不明な文学的表現なのですが…、とても印象的な詩です。
セカンドアルバム『ポセイドンのめざめ』の表題曲の詞がプラトンで始まるの知ってますか?
http://www.songsouponsea.com/Promenade/lyrics/Wake.html (ピート・シンフィールドの公式サイト)
「プラトンの信奉者たちは 蔦に覆われた冷めた目で 肉体や天体の真実を捕らえようとする…」
イデア論者のことでしょうねw
http://www.youtube.com/watch?v=ounYNrWqDR0 (英語の発音はプレイトウ。それにしても、曲がいきなり「プラトン」で始まるとは…)
450 :
714 :2009/07/16(木) 15:31:19 0
>>425 >信仰がなくても、キリストという人物について理解を深める事は可能じゃないですか?
>イスラムの古文書を読み解き、遺物を分析して、占星学と科学を照らし合わせて・・・と。
>研究者がやっている事ですよ。彼らの多くは信仰心から研究してるんでしょうか?
宗教についての学問的、科学的な研究には、もちろんそれなりの価値があります。
でも、それとこれとは話が別です。
>信仰があると、対象について想像をくわえ美化しやすい訳ですよ。そして現実感が薄らぎます。
現実感が薄らぐといっても、その現実感の「現実」は、宗教の外側に立つ人にとっての「現実」です。
信仰に生きる人にとっての現実とは、おそらく違うでしょう。
信仰に生きる人にとって「現実感が薄らぐ」ことは、ひょっとしたら、彼岸へ近づくこととして肯定的な意味を持つかも知れません。
もう一つの「美化」も、外側からの批判ですね。
順番が前後しますが、下の方の若松孝二のところに「美化しすぎている」という批判があります。
若松孝二自身は「美化」とは思っていないかも知れません。彼から見れば見当違いな批判であるかも知れません。
(なお、一つ確認しておきたいんですが、僕は「外側からの批判は見当違いになってしまう側面がある」
と書きましたが、それは、全てが見当違いになるという意味ではなくて、そういう一面もあるということですよ。)
451 :
714 :2009/07/16(木) 15:32:20 0
>表層と深層、という二つのレベルの意識があって、それぞれが今ここにある時、 >表層は制約の中に固定化されているものの、深層は流れの中に解放されている、 >ということですか? そうですね。 空即是色、理事無碍の「色」や「事」は、物と物との境界線がくっきりと引かれた世界、 「空」や「理」は境界線がぼやけたカオス的流れの世界ですが、両者は同じ世界であって、 表層的には「色」や「事」に見えるけれども、深層的に見れば「空」や「理」であり、 だから、表層的には「色」や「事」の世界に生きていながら、同時に、 深層的には「空」や「理」の世界に生きていると思います。
452 :
714 :2009/07/16(木) 15:33:04 0
>>426 > ・・・714さんは自己犠牲という事を言ったけど、(生物学的に“利他行動”という説明もあります)
>それは実は、相手の好ましい反応を期待したあげくの、依存心めいた嫉妬、
>ここを通過して得られるものなんじゃないかとも思うんです。どうなんでしょう?
自己犠牲は、ドミートリーの「童に対して罪がある」という考え方のところで出てきた話でしょうか…
アガペーや慈悲のような愛は、宗教的(神的)な愛だから、僕は、それを恋愛と結びつけては考えにくいです。
恋愛は肉体的エロスの愛が基本になっていると思っています。
そして、〈恋愛〉としての男女の愛は、それで良いと僕は思っています。
だから僕はナスターシャへのムイシュキンの愛には、あまりリアリティを感じられませんでした。
ムイシュキンの愛は、肉体的エロスがとても希薄ですよね。
かといってアガペーにもなりきれず、どっちつかずな感じがします。
嫉妬については…、僕も長い間嫉妬と付き合った経験がありますが、
今日は考えがまとまらないので、いつかまた書きます。
453 :
714 :2009/07/16(木) 15:34:08 0
>>427 >>その取捨選択の基準は、現在の自分(先進国としての西洋的価値観)にとっての重要度です。
> あんまりピンと来ないんですが、グーグルのロシアに関する情報の少なさでは実感します。
あと、時代区分を見ても、日本史の教科書は、聖徳太子の飛鳥時代から江戸時代まで1300年ぐらいあるのに、
その10分の1しかない明治〜平成の記述に、たぶん、教科書の頁の半分近くを使っていると思います。
それも、現在の日本にとっての重要度によると思います。
(今から○○○年後には、明治も平成も、「古代」として一括りにされることでしょうw)
>掲示板では見地があいまいになりやすいですけど、映画製作は明確な立場の集団の思いの産物ですよね。
>信憑性は高まるんじゃないでしょうか?
>こないだ若松孝二の「実録・連合赤軍あさま山荘への道程」という映画を見たんですよ。
明確な立場から製作されていればいるほど、それは或る特定の視点から見られた歴史であることになると思います。
(それが悪いということではなくて、現在の自分という視点からの一つの見方にすぎないということ。)
(そしてあらゆる視点を離れた、絶対中立の立場から歴史を見るということはできないということ。)
僕はその映画を見ていませんが、Wikipediaにはこう書いてありました。
『本作は一部から連合赤軍を美化しすぎているとの批判もある。若松と面識のある池田信夫は、ブログの中で
「それはこの映画で美化されているような崇高な理想ではなく、ただのカルトだったのだ」と指摘している』
(もちろん池田信夫の見方も、彼の視点からの見方にすぎないでしょう。)
(「美化」も「カルト」も批判するのに便利でお手軽な言葉だと思います。
あとは「幻想」、「洗脳」などなど、批判するのに便利な言葉がいろいろありますが、批判する場合は、
そういう言葉はあまり使わない方が良いと僕は思います。そういう便利でお手軽な言葉を使ってしまうと、
そこで思考停止してしまいます。そこから更に内容に深く突っ込んだ批判にはなりにくくなってしまいます。)
454 :
714 :2009/07/16(木) 15:35:48 0
>ある正義の貫徹のために、モラルハザードが起きるというのは、ニーチェ的な色合いもあるでしょう。
>理念の尊重と、個の生命の尊重は、どこかよじれがちな所があります。
ラスコーリニコフのように、理想のためには全てが許されるという変な信念を持っている場合は別として、
自分の理想のために同胞を殺してしまうような人は、エゴイズムによって正気を失っている場合が多いと思います。
>>428 >私は個別性の些末な差なら大枠でくくってしまいたいんです。そして自分の中で葛藤したいし。
たとえばどういうことなんでしょうか…
455 :
383 :2009/07/16(木) 15:51:45 0
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
【命題1】
]は継続的に深くA・B・Cの行動や言動をチェックしている人間で、
A・B・Cのスレを糞スレになるように自ら荒らしている人間である。
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
今のところ上の命題に対する私の検証について
異論も反論も出てないようなので次に進むが
もし何か別の意見がある人がいれば提示していただきたい。
さて、命題の更なる検証のため、
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1229354135/153 のレスを中心に取り上げていこう。
456 :
383 :2009/07/16(木) 15:53:29 0
457 :
383 :2009/07/16(木) 16:15:14 0
458 :
383 :2009/07/16(木) 16:35:50 0
ここで特記すべきなのは貼られているリンクである。 1)〜4)までは2ちゃんねる内のスレッドであるが、 すべてが同じ板にあるスレッドではない。 詩文学板という非常にマイナーな板のスレもある。 5)は他のサイトの掲示板である。 ]はさまざまな板をあちこち探し回り、あるいは検索し、 それぞれの場所でA・B・Cに対するバッシングを少なからず行っている。 掲示板のガイドラインに照らせば、「荒らし」行為である。 ここのスレに貼られているコピペも大部分がその「荒らし」行為のコピペのようだ。
459 :
383 :2009/07/16(木) 16:55:30 0
>>457 におけるリンク先については改めて取り上げるとして、
再び「哲学の基本は対話 5の章」スレに戻ろう。
上記スレにおける]の書き込みを見てみると
2009/07/08(水) 早朝の05:13:25〜06:36:05にかけて
コピペとリンクが中心であるが、
延々全10レスを費やして書き込んでいる。
145 :糞コテ菜の花の行動観察:2009/07/08(水) 05:13:25 0
146 :糞コテ菜の花の行動観察:2009/07/08(水) 05:14:54 0
147 :糞コテ菜の花の行動観察:2009/07/08(水) 05:16:38 0
148 :糞コテ菜の花の行動観察:2009/07/08(水) 05:17:43 0
149 :糞コテ菜の花の行動観察:2009/07/08(水) 05:18:59 0
150 :糞コテ菜の花の行動観察:2009/07/08(水) 05:24:09 0
151 :糞コテ菜の花の行動観察:2009/07/08(水) 05:26:38 0
152 :考える名無しさん:2009/07/08(水) 05:38:55 0
153 :糞コテ菜の花の行動観察:2009/07/08(水) 06:13:32 0
154 :糞コテ菜の花の行動観察:2009/07/08(水) 06:34:58 0
155 :糞コテ菜の花の行動観察:2009/07/08(水) 06:36:05 0
翌日もまた早朝の書き込みである。
157 :考える名無しさん:2009/07/09(木) 04:29:45 0
460 :
383 :2009/07/16(木) 17:07:49 0
さて、ここでこのスレにおける 最近の]の書き込みの時間帯を見てみよう。 336 :みうん:2009/07/04(土) 06:45:34 0 337 :みうん:2009/07/04(土) 06:46:30 0 338 :みうん:2009/07/04(土) 06:48:22 0 339 :みうん:2009/07/04(土) 06:50:17 0 340 :みうん:2009/07/04(土) 06:51:30 0 423 :みうん:2009/07/11(土) 06:01:38 0 424 :みうん:2009/07/11(土) 06:02:29 0 425 :みうん:2009/07/11(土) 06:04:12 0 426 :みうん:2009/07/11(土) 06:05:13 0 427 :みうん:2009/07/11(土) 06:06:32 0 428 :みうん:2009/07/11(土) 06:07:27 0
461 :
383 :2009/07/16(木) 17:17:47 0
459と460により、これで 「哲学の基本は対話 5の章」スレの](名無し荒らし)と 「対話スレ6」の](みうん)とが同一人物であることの蓋然性が 疑う余地がほとんどないまでに高まったわけである。 さて、]はガスライティング犯罪の被害者だという自己主張があったが、 これについても検討していく段階にきた。 これまでの]の書き込みをみる限りは被害者かどうかはわからない。 むしろ加害者である可能性も出てきたようである。 犯罪的言動の可能性がある以上は、必要に応じて 書き込みのIPアドレスを運営者側に求める対応も考慮したい。 実は運営者にはツテがあるのでおそらく可能だろう。 これまでの論述に異論がなければ、次のステップに入ることにする。
「悪しき風潮の砦」は決して敗北を認めないであろう、 というのが大方の推測であった。
しかしその敗北は、すでに約束されていた。
そしてそのプログラムが進行する過程にこそ、
イストワール(歴史・物語)は出現するのである。
いつの頃からか、九龍城砦東端の一室に母と二人の娘が住むようになった。 ここには、多くの人々が様々な理由で流れ込んでくる。中国共産党に追わ れた政治犯もいる。香港政府に追われる殺人者もいる。一旗揚げようとし て故郷を捨ててきた若者もいる。ここに住むのに、何の理由もいらない。 安い部屋代が払えればいい。三人は恵まれた家族構成であった。娘が二人 いて、しかも美形であってみれば、母親が病弱であったとしても、どうに でもなろうというものであった。案の定というか、気の毒にというか、二 人の娘がこの頃大繁盛していたストリップ劇場に出るようになるのに時間 はかからなかった。どの時代も香港においては、ストリップは禁止されて いた。城内の知恵者がその禁止に目を付け、儲け口を発見したのである。 知恵者の期待通りに、劇場は大成功し、市内から団体バスがくるようにな った。他にないのだから、当然といえば当然である。香港政庁が劇場の繁 栄を保証しているようなものであった。当局はもちろん弾圧しようとした が、城内は中国政府の影響下にある。香港政庁の支配は城壁から10メート ル以上は入れなかった。外で追われた者は城内に10メートル逃げ込めば安 全である。逆に、訪問者が中で悪さを仕掛けられても外壁から10メートル にたどり着けば、もう追われない。史上最悪の巨大違法建築。上に上にと 建増し接続された無数のビル群。迷路のような湿った通路。上下に複雑怪 奇に組み合わされた不揃いの階段。暗い中に、裸電線がショートして火花 を散らしている。無数のパイプが汚水を漏らしている。遥か先の光明はさ らなる迷路地獄への入口である。10メートルが世界を変えた。中国政府の 影響といっても、忌々しい英国に、外交的に面当て嫌がらせをしているだ けであったから、実質は無政府状態である。
英国、中国、どちらの警察もいない。劇場はもちろん10メートルの先にあ った。城内には、以前から肉の処理工場が多かった。税金を取るものがい ないので儲けが保証されていた。城内の膨大な人口は確かな顧客であった し、もちろん香港市内にも出荷された。普通なら臭いが問題になる。しか し城内にその程度のことに抗議する人間はいなかった。劇場を作れるよう な実力者に抗議する馬鹿は、ここには住めない。水は恒常的に不足してい たが、わずかな投資でなんとかなった。水道屋が次の儲け仕事になったこ とは、想像の通りである。そうした解体場の間に、次々とストリップ劇場 ができていった。市内からの客が増えると、興奮した客をそのまま帰すの はもったいないということで、相手をする女性があらわれた。場所を提供 するものがあらわれた。ポルノ映画館ができた。ポルノ映画を撮影するも のがあらわれた。城内の真ん中は、女の肉で商売するもの、豚の肉で商売 するもので占められた。まことに人の身体と同じで、城の内臓の中で、香 港全体の食欲と性欲が処理されるようになったのである。二人の姉妹、小 蘭と蘭芬は、とりわけ奇麗であったこと、姉妹が珍しがられたこともあっ て、すぐに劇場の人気者になった。団体バスでくる客は、最初、二人が胸 をちらりと見せるだけで喜んだ。微笑むだけで興奮した。しかしこちらの 人間は実質的である。二度目はそれでは満足しない。太股を見せる。三度 目は乳首を見せる。そして、半年の後には、すべてを晒すようになった。 すべてを晒した後は、本来見えないところを開くしかない。劇場は色付き の裸電球である。隣の豚の解体場も裸電球である。人間の女の裸を見た直 後、十頭からの豚が内臓を抜かれて横倒しにされているのを見ると、白い 肉の感じが今見てきた肉にそっくりでギョッとする。
とくに乳房と太股は、色も形もそっくりである。火腿用に太股だけが切り 取られて並んでいると、中に人のものが混じっていても分からない。豚の 乳房が切り取られ、放り投げてあると、さっきの踊り子のオッパイが落ち ているように見えた。小蘭と蘭芬と母親の三人の生活は、城内にしては安 定したものになった。人気ストリッパーとなった二人の稼ぎが結構なもの になったからである。ところが、病弱が「ひがみ」に転じた典型的な例な のか、二人の母親は、生活が良くなるにつれて、猜疑心が強くなり、近隣 の嫌われものになってきた。ベランダで飼っていたニワトリの数が足りな い、通路の水道管に縛り付けていた自転車が盗られた、隣のだれだれに違 いない。連日そうしたことを言い立てた。ニワトリも自転車も、明らかに 母親の言いがかりであった。ニワトリは先日潰したし、自転車も壊れて処 分したのである。最初、娘たちは隣人に謝り、喚き立てる母親をなだめ、 なんとか平和に暮らそうとしていた。しかし、その内に、面倒にもなった のであろうし、自分たちの人気と収入を鼻にかけるようにもなったのであ ろう、母親といっしょに罵声を浴びせるようになった。そうして、三人と もが、城内の嫌われものになったのである。城砦は終始、英国香港政庁と 中国政府の掛け引き、取り引きの場であった。その年、いかなる思惑であ ろうか、城内のストリップ劇場に営業停止命令が出た。一週間を目処に軍 隊を派遣するという。もちろん劇場は先鞭であり、城砦全体の解体が狙い であることは明白である。城内を支配していた黒社会は、対策会議を持っ た。先の事件が検討された。先の事件とは、城砦占拠のために政庁が軍隊 を派遣してきたときのことだ。このとき住民は徹底的に抵抗し、六人が射 殺された。そのために中国国内が大騒ぎになり、中国政府が動き、英国は 城砦をあきらめた。そうしないと中国国内の英国の大使館、領事館が危な かったからである。
昔も今も、城砦を守るためには、中国を動かすしかない。「動く人体芸術」 がいかん、ということであった。動かなければいい、ということになった。 もちろん、踊り子がじっとしている、などというお目出度いジョークのこ とではない。これは遊びではなく、政治ショーであり、国際的な博打なの だ。先の事件のときの六人のような英雄が必要であった。英雄がいれば、 中国の民衆が騒ぎ、民衆が騒げば政府も無視できない。黒社会は二人の英 雄を選んだ。二人は英雄の条件を備えていた。有名であった。同情をひく 若さであった。新聞の疎い写真でも十分に分かるほど美人であった。決定 的だったのは、城外での大人気と城内での不人気の両方を持っていたこと である。願ったり叶ったりの、理想的な犠牲者であった。その日の最後シ ョーが終って、小蘭と蘭芬が何事か話しながら、服を着けていると、劇場 主と隣の豚の解体屋の主人、黒社会の親分が入ってきた。「そのまま、そ のまま」と声をかけられ、二人は、もう一仕事するのかなと思った。最近 は市内の金持ちの客からの食事の誘いも多かった。もちろん食事だけでは ないことが多い。そのまま、そのまま、で着ていたものまで剥がされ、数 人に取り囲まれたまま、隣の解体屋まで連れ出された。「そこに二人とも 座れ」と指されたのが、内臓を抜かれて横たわっている数頭の白豚であっ た。素人の住人に怒鳴ることはできても、玄人の黒社会には逆らえない。 二人の抗議は恐怖で声にならない。二人は並んで豚の白い肉の上にちょこ んと腰掛けた。裸の尻に豚の肌が冷たくて気持ちはいい。しかし、二人は 寄り添って震えていた。小蘭と蘭芬は横倒しにされ内臓を抜かれた豚の上 に、素っ裸でちょこんと座って震えていた。横にはチェーンに吊るされた 豚が、鈍く裸電灯に照らされて揺れている。
黒っぽい服の男たちが十数人、周りを取り囲んで立っている。劇場主が経 過を話していた。香港政庁の命令のこと、人身御供が必要なこと、二人が 最高である理由などを伝えた。何も隠さず、二人がこれから、ここで解体 されることも伝えた。「自分が豚に生まれたと思えばいい」「豚は普通に 生まれて、普通に殺されて、普通に食べられる。不幸だとも思わないし、 不満もない」「お前たちは城砦の英雄になる。母親はここの全員が責任を もつ」そうしたことを語った。「お前たちの商売道具は、明日劇場に飾ら れる。政庁の役人が見るだろう」「『動く人体芸術』がいかんということ だった。だから抗議のために、お前たち人気絶頂の踊り子が、自ら『動か ない人体芸術』になったということになる。新聞に写真付きで出ることに なっている。可愛いお前たちの姿とケースに入った『動かない人体芸術』 の写真は、衝撃的なものになる。それもこれもすべて、強引な政庁の責任 というわけだ」「お前たちの残りの肉は火腿になる。しかるべき筋への贈 り物だ」「それで、我々が最後まで迷ったのは、お前たちのどちらを『動 かない人体芸術』と火腿にするかだった」不意に二人の顔に表情が戻った ようだった。「しかし、いっしょの方がいいだろうとなった」二人の顔を、 劇場主が覗き込む。「仲のいいお前たちだ、どちらといっても、可哀想だ。 まして火腿となると同じ缶に一年も二年も詰め込まれる。劇場に肉を並べ られるにしても、いっしょがいいだろう。そうじゃないか」二人は顔を見 合わせ、おずおず頷いた。「お前たちは志願して肉を捧げる。だからこう して全部を話した。志願しなくても同じことだ。志願したら母親の面倒は 見る、しなかったら、母親は野垂死だ。志願するだろう」二人はまた顔を 合わせ、頷いた。
「自分を豚だと思うといい」「豚だと思って、仲間の中で横になるといい」 劇場主が横倒しの十数頭の豚を示した。「そうすると、切られても全然痛 くなくなる。そうしないと地獄の苦痛だ。どっちを選ぶ」二人はおずおず と豚と豚の間に身を滑り込ませた。妹の小蘭は間近で見ると奇怪な豚の顔 に最初びっくりした。劇場主に言われたとおり、仲間だと思った。すると 豚が本当の母親に見えた。思い切って抱きしめた。自分の皮膚と同じ色で あった。匂いも同じであった。脚を豚の腰にかけた。なつかしい大切なも のに出会っている気がした。解体屋の主人が切り取った豚の乳房を小蘭の 上に投げた。小蘭はすぐそれと気がつき、自分の乳房で抱きしめた。乳首 が小蘭のものより大きくて白かったが、自分のもののようにいとおしかっ た。小蘭と豚は性交をしているようであった。脂肪と血のぬめりが彼女の 肌と豚の肌を繋いだ。解体屋が小蘭の腰を横にずらし、彼女に抱かれた豚 の両脚を握り、持ち上げ、開き、巨大な肉切り包丁を股間に入れた。小蘭 は豚の首にしがみついて、その様を見ている。包丁はさくさくと豚の性器 を切り出した。小蘭にそれを渡す。彼女は仲間である豚の性器を大切そう に胸に押し当て、その後、自分の股間に挟んだ。解体屋はそのまま豚の片 方の大腿を外した。それをまた、小蘭が胸に抱く。右手で切り口をいとお しむように撫でまわした。残った大腿が外された。豚の下半身がなくなっ た。すんなり伸びた小蘭の脚が、急に目立ち始めた。「じゃあ、小蘭から 始めよう」解体屋が声を掛けると、上半身裸の助手が四人現れ、小蘭の腕、 脚をそれぞれ掴み、広げた。豚の乳房が小蘭の口に押し込まれた。豚の性 器が小蘭の押し広げられた性器の上に乗ったままであった。そのまま豚の 性器の外側から、小蘭の大腿に包丁が入り、強引に引かれた。小蘭の身体 が電流に打たれたように反り返り、解体屋の作業はもっと楽になったよう だった。
472 :
みうん :2009/07/18(土) 04:15:08 0
>>448 714さん
>ただ、その欲がどんどん増幅してしまって、〈欲望〉とか〈貪欲〉になるのはまずい。
>けれども、生命力としての〈欲〉と、〈貪欲〉とを区別するのは難しくて、
>どこからが〈貪欲〉と線引きすることはできない。
欲というのは切り取ろうとしても切り離せないもので、例えば愛の場でもそれは出やすいものです。
つい相手に執着して、与えた分の見返りを求めようとしがちになりますが、
流れというものがあって、そこで人も流れているのだから、自分の好意も、それに見合う見返りも、
こっちでいいことをすれば、どこかから、こっちではなくてもあちらからごほうびがもらえる、
そんな展開も多い訳ですから、
一人の相手に固執して与え求めるのではなくて、どんどん色んな人に流してしまえば良いと思います。
その方が、恋愛関係も豊かになるでしょう。
ここからが貪欲というラインも見極めにくいですけど、明細に描いたイメージほど叶いやすい
というのはあるかも知れませんね。
473 :
みうん :2009/07/18(土) 04:16:59 0
>>449 >『クリムゾン・キングの宮殿』のピート・シンフィールドの詩はどれも良いですね。
そうですね〜^^
歌詞にプラトンが引用されてるとかは知りませんでした。
プラトンのアミニズムは、キリスト教と相性が良くて、ルネサンス辺りでしきりに接合されましたね。
(こないだ714さんが洞窟の比喩について教えてくれましたよね?思い出したんですけど、)
HTTP://IMEPITA.JP/20090716/348390 プラトンの流れを汲んでる画家の表現ですが、この丸いトンネル、(洞窟でも良いですが)は、月ですよね?
月の光を見て、プラトンをはじめとする学者は、この世界は穴のあいたガラス玉だ、と看做したようです。
人々はその狭い世界に閉じ込められていて、空をあおぎ、ガラス玉を持った神が時々それを覗くと。
「私たちはは洞窟に閉じ込められていて、光を求めている」というのは、天体観測から来たようです。
月、キングクリムゾンと言えば「ムーンチャイルド」という歌もありますね。
この歌は、古代からの文学の系譜を踏襲した重厚なものです。
あの娘はムーンチャイルド
川の浅瀬で踊っている
寂しいムーンチャイルド
柳の木陰で夢見ている
奇妙な蜘蛛の巣が掛かった樹々に語りかけ
噴水の石段の上に眠っている
小夜鳴鳥の歌に銀のタクトを振って
山頂で日の出を待っている・・・
「ムーンチャイルド」に出てくる「川」は、ヨハネの黙示録の、また15世紀あたりにも大分詩にされた、
「神の玉座から溢れ、水晶のように輝く命の泉の放流」らしいです。
「あの娘」は女神、「蜘蛛の巣」は知の内的宇宙、「噴水」は創世記の無邪気な性的喜びの戯れ的な場です。
魔除けの効果がある聖性の銀のタクトで、闇を切り開く鳥の大合唱を呼んでるんですね。
女神が命のせせらぎのそばで、知性と霊性の語り部とともに、(キリストの)復活を祈る歌です。
なんでしょうね、キングクリムゾンがプラトンにこだわる理由は・・・
474 :
みうん :2009/07/18(土) 04:18:31 0
>>450 >信仰に生きる人にとって「現実感が薄らぐ」ことは、ひょっとしたら、
>彼岸へ近づくこととして肯定的な意味を持つかも知れません。
じゃあ、その科学的現実がうすれて彼岸に立った人じゃないと、賞賛も批判もできないんですか?
う〜ん、何を言いたいのかよくわかりません。。。そんな話初めて聞きましたよ。
ある事実をかこむ三点以上の事実で明証性のある論理をしけば、的外れにはならないと思いますよ?
ラカンも「クッションの綴じ目」と言いましたけど、
対象(詰め物)を包もうとする論理(袋)があり、
それを綴じていく事実(綴じ目)が点々とつらなっていく時、
その綴じ目は布の両端と真ん中、で3点あれば十分なんです。
事実の証明についても、立場の確立した数人以上の第三者がそれを事実と認めれば証明になります。
それ以外は捏造になるでしょう。それに至っては的外れと言えますが、
その三点に、論者が宗教的見地に立った事があるかどうかは、必ずしも含まれなくていいでしょう。
(若松孝二は耽美な作家なんですよ。実録に挑戦しても、やっぱり様式美を付加するんでしょう。
あれは完全ドキュメンタリーでもないですしね。様式美+リアリティは難易度高いですよ。
それに、フィクションと断り書きをいれた作品のミメーシス性をあげつらっても意味がないです。
演劇を見て「あれはつくりものの嘘だ」と言う小学生と同じでしょう。これは的外れです。)
475 :
みうん :2009/07/18(土) 04:19:51 0
>>451 >だから、表層的には「色」や「事」の世界に生きていながら、同時に、
>深層的には「空」や「理」の世界に生きていると思います。
深層・・仏教で言う所の末那識、阿頼耶識の存在って、無意識とは同じものなのでしょうか???
無意識の事は無意識の動作に任せて、今ここにありつづければいいのと違うんですか?
一般に無意識と呼ばれている分野は、その存在がオカルトだという話もありますが、
そこには膨大なデータが潜んでいると言います。
自身の同一性と合致しないまま眠った、いらないデータの形成物もあるでしょう。
そういうものをひっくるめた部分を意識しつづけるのはふつう、ちょっと危険かなとも思うんですが、
それはやっぱり行の一部なんでしょうね?私にはできないなあ。
476 :
みうん :2009/07/18(土) 04:21:40 0
>>452 >自己犠牲は、ドミートリーの「童に対して罪がある」という考え方のところで出てきた話でしょうか…
ドミートリイの話に絡めて、714さんはアフリカの子供に自分は傍観者的にならず負い目を感じたい、
と書いてたのを見て、すいぶん真面目な人なんだなあと思ったんです。
恋愛は人間の基本なので、やっぱり真面目な恋愛もするんだろうなあ、と思ったんですが、、、
まあそう恋愛体験をネットに書き込む事もないかも知れません。恋愛論だけでいいかも。
>アガペーや慈悲のような愛は、宗教的(神的)な愛だから、僕は、それを恋愛と結びつけては考えにくいです。
やっぱりそうですよね。男性が信仰心での恋愛・・・はちょっとリアリティに問題ありますよ。
ドストエフスキーはたびたび、去勢されたような信者を美しく描きます。
そういう彼らが大地にキスします。人とではなく、大地と結ばれる事が信仰の証だと言うように。
ロシア人気質なんでしょう。
ムイシュキンがナスターシャと結ばれなかったのは、彼が大地に帰るためかも知れません。
477 :
みうん :2009/07/18(土) 04:24:13 0
>>453 >(今から○○○年後には、明治も平成も、「古代」として一括りにされることでしょうw)
どうなんでしょうね?
たとえば「100年後の歴史の教科書は厚さ30センチになるだろう」とか冗談もありますけど、
そう、たぶん省略されて薄いままの状態かも知れません。
現状、テスト用の「歴史」はただの単語の暗記力テストになってるから、
それが古代だろうと近代だろうと、生徒にとってはどうでもいい事かも知れません。
授業では資料の映像を見せてデスカッション、テストでは、レポートを書かせれば良いでしょうね。
必要なのは、今の時点から歴史を眺めた時の問題意識を育てる事だから。
>明確な立場から製作されていればいるほど、それは或る特定の視点から見られた歴史であることになると思います。
それにしても、美化にカルトねえ。。。(カルト自体が往々にしてそういう側面ありますからね。)
映画の中では、赤軍派はしきりに、幹部が部下に、あるいは同格同士でも
「お前の今の行動を(考えを)総括しろ」「はい、自己批判します」
の会話がものすごく目立っていて、それは解答によってはリンチ死をされなければならない緊張の中で、
行われていたようです。だから、解答はある方向性に縛られています。
こないだも言いましたけど、継続的な自己批判をしいることは、依存心をあおり洗脳につながります。
それでいて公にできるような理想は何もなかったのだから、内情は酷いものです。破綻するでしょう。
一体何がしたかったのかと思うんですよ。
478 :
みうん :2009/07/18(土) 04:25:07 0
>>454 >たとえばどういうことなんでしょうか…
インドに行った事あるんですが、現地の人とは誰とも話通じないだろうと思っていて、
そしたら意外と、気の良い日本好きがいてプロレスだとかアイドルの話で盛り上がりました。
作っている野菜も見せてくれて、私も野菜を作っているので、話ははずみました。
こんな遠くの知らない人と一つの話が出来るなんてちょっと面白い体験でした。
いろんな人がいて、それぞれ生活があり、常識だってまるで違う事もあるでしょう。
全く別次元にいてお互いすれ違う事さえできない場合もあれば、縁ある場合もあります。
コミュニケーションがが成立する相手というのは、だいぶ共通項があるからそうできるんで、
それだけでありがたいことなんですよ。
714さんも、ドストエフスキー、ニーチェ、と読んでいて国際問題もプログレも興味があって、
おだやかで面白いし、文化的で、2ちゃんねるでこういう人を見かけるなんてあんまりないなあ。
スレごとに色んな人と少しずつ話はしても、これだけ話題を共有できる人って少ないですよ。
だから私は、この共通項を楽しむ事の方が面白くて、あんまり反論ぽいことには気が向かないんです。
714さんが議論好きのようなので、ディベートの経験を思い出して一応形式的に合わせてますが。
こうやって真似、模倣をして、人の知識とか方法論なんかを吸収もできます。
吸収する際に、ちょっとした葛藤があったりして、自分に合うものを吟味できます。
479 :
考える名無しさん :2009/07/18(土) 17:29:33 0
プッ
>>479 笑っちゃかわいそうだよ
この間もmixiでここが話題になって
典型的ちゃんねらーとして笑われてたんだからw
少し愚痴らせて貰います。貴方達を否定する気はありません。 僕の知り合いに哲学を囓ってる程度の人が居るんですが、何かにつけて哲学を持ち出します。 例えば口論。その友人は過去の哲学者の名言(ネットで検索すればすぐに出てくるような)を引き合いに出し、 自分の正当性を主張するんです。もちろん過去の先人の残した言葉は素晴らしいと思います。でもそれは友人の言葉では無い…言葉に熱が無い。 もちろん共感する事もあるでしょう。しかし共感する前にその言葉に100%自分が共感してるのか?と 考える必要はあると思います。誰かの答えでは無く、自分の答えを見つける為の自己への問い掛けこそ哲学だと僕は思います。 (哲学に詳しくは無いので、ハッキリ言えませんが…) 哲学者の言葉だからと、安易に信じた時点で思考は停止してますよね。 安易に先人達の名言を信じる程度の思考による理屈探し…自分でそれが正しいのか考えるのを放棄する事は哲学なんですか? 安易に信じて、自分なりの言葉を持たない哲学好きの友人が多いもので…なんか納得いかない。
つーかコテの自演下手すぎ
ここもそうだが、今回のラビ=機械の自演はお粗末だったな
あきらめないで!!!頑張れ!!負けるな! そこには何も無いけど[´・ω・`] 男はあきらめが肝心だぜ!!! 女は容姿が大事です[´・ω・`] 夢にときめけ!明日に煌めけ! いや…わしゃもう90なんだがのう[´・ω・`]
しかし問題はすでにそこにあるのではなく、
ひとつの奇形した意識のかたち、
徹底的に間違ってしまったひとりの人間を、
「より」間違わせていき続けること、にあると 我々の誰もが考えていることであろう。
「くたばりぞこない」とは、くたばっていないことが必要条件であり、
見下げ果てた人間を見下げることは、心地よいものである。
491 :
714 :2009/07/23(木) 15:08:29 0
>>472 >欲というのは切り取ろうとしても切り離せないもので、例えば愛の場でもそれは出やすいものです。
>つい相手に執着して、与えた分の見返りを求めようとしがちになりますが、
そうですね。
僕の場合は、欲望が巨大化する前に自分で抑制してしまうと思います。
この前、「嫉妬が巨大化して殺人衝動になり飽和状態になった時、ある刺激でバンとはじけ…」
という話がありましたが、殺人衝動になるずっと前に、僕は自己抑制してしまうと思います。
欲望が悪い方向に、というか、自分の心の状態が悪い方向に向かうことに対する抑制力が強く働くのだと思います。
嫉妬に長く苦しんだ件については、うまく書けそうにないので書きませんが、
ずっとまえ、相手の気持ちを確かめたいという衝動に苦しんだことがあります。
相手の気持ちを確かめたいというのも、一つの欲望ですね。
それは、それまで僕があまり感じたことのない衝動でした。
その相手は中国の人で、その時に、前に書いた中国系掲示板を見始めました。同じような悩みを抱えている人が多いことに驚きました。
文化の違いと愛情表現の違いもありますが、生活レベルの差が、必然的にそういう悩みを生み出してしまうのでしょう。
お金目当てではないのか?という疑念を捨てきれないのです。
相手が日本人でもそういう疑念を持ってしまうケースはあるだろうけれど…
以下は、(おそらく大部分は無意識の)抑制力が働いて冷静になれた時に、その中国系掲示板に書いたものです。
(恋愛相談のようなスレで書いたものの一部です)
492 :
714 :2009/07/23(木) 15:09:42 0
>初めの頃はいつも買い物とかしてあげていたから、
>彼女は僕と会いたくて会っているのか?という疑問が僕にはあり、
>だから彼女の気持ちを確かめたくて僕は焦っていた。
>でも途中で、そんなことを思っている自分の小ささ、愚かさに気づきました。
>彼女を愛しているのなら、僕はただ彼女をシンプルに愛せばいい。
>それでうまくいかなければ二人の関係はそれだけの関係だったと諦めればいい。
>そういうあたりまえのことに気づきました。
>恋愛は人間関係であり、関係であるからには、一方が変われば他方も変わる。
>もし相手が変わらないとしても、自分が変われば相手が違って見えてくる。
>大事なのは、自己の在り方だということに僕は気づいた。
>気づいてよかった。
この時以来、「他に依止するものは動揺す」「自己の依り所は自己のみなり」という
〈自灯明〉が僕の一番大事なモットーになったんですよ。
>>1 の --中島義道的対話の基本原理― の中の
>・自分の人生の実感や体験を消去してではなく、むしろそれを引きずり、聞き、判断すること。
の所を意識して、人生の実感・体験を消去せずに書きました。(これは、体験を書けという意味ではないだろうけれどw)
493 :
714 :2009/07/23(木) 15:10:32 0
494 :
714 :2009/07/23(木) 15:11:28 0
>>474 >事実の証明についても、立場の確立した数人以上の第三者がそれを事実と認めれば証明になります。
>それ以外は捏造になるでしょう。それに至っては的外れと言えますが、
>その三点に、論者が宗教的見地に立った事があるかどうかは、必ずしも含まれなくていいでしょう。
「事実」か「捏造」かも、それを見る人によって違ってくるはずです。
(普通の社会生活上は一致しますが、それは人間が社会的約束事の上に生活しているから一致するだけであって、
哲学や宗教などは、そういう社会的な約束事を超えてしてしまう側面があるから、必ずしも一致しないと思います。)
例えば哲学でいえば、その三点を見る三人が唯物論者である場合と、観念論者である場合では、「事実」が違ってくるでしょう。
目の前のテーブルの上にあるりんごは、人間の主観から独立に存在する(もし今自分がポックリ死んだとしても
そのりんごはそのまま存在する)と考えるのが唯物論者にとっての「事実」でしょう。
観念論者から見れば、そのような「事実」は「幻想」であって、りんごの存在は、人間の主観に依存しているから、
もし自分がポックリ死んだら、りんごもそのまま存在しはしない、と観念論者は考えるでしょう。
>演劇を見て「あれはつくりものの嘘だ」と言う小学生と同じでしょう。これは的外れです。
そうです。その小学生の言葉は、一面では当たっているのですが、
演劇や小説は、そういう意味での「嘘」か「本当」かという視点で見るべきものでないから、的外れなんです。
信仰について、「それは幻想だ」と言うのも、それと同じように的外れかも知れません。
信仰者は、「現実」か「幻想」かという視点で「信じる」ということを見ることを、的外れだと思うのではないでしょうか。
495 :
714 :2009/07/23(木) 15:12:25 0
>>475 >深層・・仏教で言う所の末那識、阿頼耶識の存在って、無意識とは同じものなのでしょうか???
心理学で言われる無意識とは微妙に違うだろうけど、大雑把に似たようなものと考えていいと思います。
心理学の無意識という概念自体が曖昧なものだと思うし。
ニーチェは「意識」と「本能」という分け方をして「本能」の方を重視します。この場合の「本能」も無意識的なものであって、
大雑把にいえば、これも似たようなものです。
1844年生まれのニーチェと、1856年生まれのフロイトが、ほとんど同じ頃に、同じように無意識的なものに着目したのはおもしろいです。
たぶん歴史的の中にはこういう事例がたくさんあるんだろうと思います。
(前に出てきた話の中でも、西田幾多郎とハイデガーの例がありました)
ニーチェとフロイトの場合は、それまでの、デカルト〜カントに代表されるような「意識」を中心に見る思想の流れへの反動なのかも知れません。
1821年生まれのドストエフスキーも、「あまりに意識しすぎるのは、病気である。」と書いています。(地下室の手記)
>無意識の事は無意識の動作に任せて、今ここにありつづければいいのと違うんですか?
>そういうものをひっくるめた部分を意識しつづけるのはふつう、ちょっと危険かなとも思うんですが、
無意識の領域を意識するということではないのですが…
意識の領域と無意識の領域は、はっきり分けることはできなくて、つながっています。
だから無意識の領域が意識の領域に影響を与えるし、またその反対に、意識の領域が無意識の領域に影響を与えます。
意識の過剰は病である、ということをドストエフスキーやニーチェは言いました。
その「意識の過剰」の反対が、仏教でいわれる「無心」という状態だと思います。
例えば何かの作業に没頭している時には、そのような状態になることがあります。
そのような場合には、無意識の領域を中心として生きていることになると思いますが、
そのためには、没頭できる作業を始めたり、座禅をしようとしたりする意識的な意志も重要になります。
496 :
714 :2009/07/23(木) 15:14:50 0
>>476 >ドミートリイの話に絡めて、714さんはアフリカの子供に自分は傍観者的にならず負い目を感じたい、
>と書いてたのを見て、すいぶん真面目な人なんだなあと思ったんです。
「負い目を感じたい」とはたぶん書いていないでしょう。
それだと僕が言いたかった事とは、ちょっとニュアンスが違います。
たぶんその時僕が言いたかった事は、自分がこの世界に生きていることは、
自分が既に世界の諸問題に関わっていることであり、だから世界の諸問題と自分は無関係ではない、ということだと思います。
>恋愛は人間の基本なので、やっぱり真面目な恋愛もするんだろうなあ、と思ったんですが、、、
自分の基準では、ある程度は真面目だと思っていますが、人から見てどうなのかは分かりません。
「真面目な恋愛」ってどういう恋愛ですか?
>>477 >現状、テスト用の「歴史」はただの単語の暗記力テストになってるから、
>それが古代だろうと近代だろうと、生徒にとってはどうでもいい事かも知れません。
>授業では資料の映像を見せてデスカッション、テストでは、レポートを書かせれば良いでしょうね。
レポートだと採点者の主観が入ってしまい、採点される側に不公平感が出て、
親からもクレームがつきそうだから、中学、高校では難しいかもしれませんね。
客観テストでも、問題の作り方次第で、単語の暗記だけでは解けないような問題も作れると思います。
先生にそういう問題を作成する能力と意欲があるかどうかが問題ですが。
497 :
714 :2009/07/23(木) 15:15:50 0
>>478 >コミュニケーションがが成立する相手というのは、だいぶ共通項があるからそうできるんで、
>それだけでありがたいことなんですよ。
>だから私は、この共通項を楽しむ事の方が面白くて、あんまり反論ぽいことには気が向かないんです。
現実生活なら、僕もそういう場合のほうが多いと思います。
ここが哲学の掲示板だという〈場〉の意識がまずあります。
だから自分の考えをある程度論理的に、明確に書こうとするので、こういう形になるんだと思います。
自分の立場を明確にしようとすれば、それだけ、考え方の違いもはっきりしてくるはずだと思います。
だから、哲学の他の掲示板を見ていて、「おっしゃるとおりです」「同意です」のような流れが中心になっている対話は、
どうなのかなぁと思います。僕の好みには合いません。
論争になる場合、後味が悪い論争になってしまう場合もありますが、そうでない場合もたくさんあります。
お互いに後味の悪さが残らない議論が理想的だと思います。
498 :
考える名無しさん :2009/07/23(木) 17:39:46 0
他スレで粘着荒らしやってるような奴らが 何素知らぬ顔で話ししてんだ。
499 :
99999999^^999999999 :2009/07/23(木) 18:01:19 O
999999999999999999999999^^
500 :
500 :2009/07/23(木) 18:38:05 0
>>498 まあしょうがないではないか。そっとしといてやろう。
中年すぎの友達のいないおっさんとおばさんが
唯一コミュニケーションを図れる隔離スレなんだから。
おばちゃん!おじちゃん!! なんだい。おじいさん[´・ω・`] 我思う故に我あり! 僕思う故に僕あり[´・ω・`] はぁ…暑いな。温暖化だな。 温暖化じゃなくても夏は暑いよ[´・ω・`]
502 :
考える名無しさん :2009/07/24(金) 17:51:59 0
みうんにしても714にしても、くそだよね。
呪われし者らは、裁かれるまでの猶予を貪っていた。
小蘭が豚の乳首を噛み切ったとき、小蘭の性器も深々と大きく切り出され ていた。豚と人の脂と血にまみれて切り出されたものが、大事に劇場主に 渡された。いつのまにか、姉の蘭芬が小蘭の横にいて、妹の頭を抱いてい る。小蘭は蘭芬の胡座の上に顔を載せて喘いでいた。姉が妹の口から乳首 を噛み切られた豚の乳房を取ってやった。激痛を我慢するのには何かを噛 むのがいい。乳房が一番いい。「小蘭はまだ子どもで、もっとオッパイが 欲しいか」解体屋の弟子が、肉切り包丁で手近な豚の新しい乳房を切り取 り、蘭芬に投げた。胸元でそれを受けた姉は、何かを妹の耳元にささやき、 新しい豚の乳首を哺乳瓶のように差し入れた。「じゃ、早くしてくれ」劇 場主が低く命令した。黒社会が後ろで頷いている。「蘭芬も捌かなきゃな らないのだ」豚の白い肉の中で妹の頭をさすっていた姉の手が、一瞬止ま ったようだった。「裏返しにしてくれ」解体屋が命令し、助手が小蘭の裸 身を回した。剥き出しのコンクリートの泥、豚と人の脂と血、小蘭の背中 は汚かった。小蘭に豚の乳房をくれた助手が促され、バケツの水を持って きた。姉と妹の裸身に城砦特有の塩っぽい水がかけられた。たちまち二人 の奇麗な肌が現れた。性器をえぐられた小蘭だが、姉の胡座の上に顔を埋 めた後ろ姿はまだ完璧である。解体屋も感嘆したか、これは最高の火腿が できる、と呟いた。解体屋は包丁を置き、小蘭の横に腰を下ろし、お尻を ぱんぱんと叩いた。「肉の締まり具合も最高だ」と感に堪えない風である。 隣の豚の尻も叩く。また小蘭の尻を叩く。「小蘭より以上の肉は、あると すれば、お前だけだ、蘭芬」解体屋は、右手を小蘭の股間から性器をえぐ った穴に入れた。肘までぐっと入れると、反動で小蘭のお尻が持ち上がっ た。小蘭のくぐもったうめき声が洩れた。小蘭の体内で右手を盛んに動か している。
小蘭のお尻の割れ目の奥、脂肪のない部分の肉が、解体屋の右手が動く度 にもぞもぞと動く。若い娘の肛門のあたりが、ひとりでに動くのは卑猥で ある。もちろん解体屋の右手が体内で動いているからだが、それは見えな い。まるで肛門が生き物のように蠢いている。やがて解体屋は目的の位置 を探り当て、小蘭の腸を直腸の奥で、尖って頑丈な爪を使って切り取った。 引き出された真っ赤な手に、小蘭の腸が握られていた。引き出した先を捻 り固結びに結んだ。結んだ腸をそのまま体内に戻し、小蘭の内臓を奥に寄 せた。ぐつぐつと音がした。「内臓を傷つけると、火腿が台無しになりま すから。まあ希には内臓の苦みが移ったものがいいという人もいますがね」 額に汗をかきながら、劇場主たちに説明をしている。早くしろと言われた ことに対する弁明のつもりかもしれない。持ち上がったままの小蘭の腰の 下に、助手たちが豚の胴体を横にして入れた。小蘭の柔らかい身体が豚の 胴体のカーブにビタリと添い、安定した。人気抜群だった見事な尻である。 解体屋は目の前の見事な材料に興奮して、小蘭の尻と豚の尻を交互にパン パンと叩いた。「こんな見事な尻はない。いやぁ、見事だ」城砦の風水師 の頭が、前に出て、姉の蘭芬の頭を撫でた。見上げて大きな目を見開く蘭 芬の右手に黒水晶の玉を渡し、握らせた。「この玉を握って裂かれなさい。 裂いた後は、火腿の缶に入れなさい」最初を二人に、後を解体屋に言った。 蘭芬は城砦の大人たちが尊敬する風水師の声を聞いて、なぜか不意に心が 和んだ。姉は右手の玉を下げ、妹の左手を載せた。一つの黒水晶を二人の 手で包んだ。「先生、有り難うございます。それだけの黒水晶だったら、 真っ白い、この娘たちの肌色そのままの最高の火腿ができます」解体屋が 大声を出した。
風水師の黒水晶は霊力があり、肉の味を守り、柔らかさを保ち、変色を防 ぐ。「おい缶を持ってこい」解体屋が叫び、直径80センチほど、高さも80 センチほどの小さなドラム缶が運ばれてきた。「塩を振れ」の命令で、助 手たちが大量の食塩をドラム缶の底に敷いた。「肉を敷け」の声で、先ほ どから解体屋がしきりに叩いていた、ひときわ立派な豚の片方の大腿が切 り取られた。二人は水晶玉を抱えたまま、小蘭はうつぶせのまま顔を捻り、 蘭芬は無理な姿勢の妹を支えながら、その様子を眺めていた。切り取られ た豚の大腿が元の胴体の上に載せられた。助手が肉切り包丁を振り上げ、 ドスンと鈍い音をさせて、振り下ろした。鈍く光る刃は脚を膝の辺りで叩 き斬り、下の胴体にまで食い込んだ。小蘭が思わず目を閉じた。小蘭の腰 も、今叩き斬られた太股と同じように、すでに豚の胴体の上にセットされ ている。二人して水晶玉をぎゅっと握り締めた。豚の大腿は膝から下を切 り捨てられてから、ドラム缶の底に敷かれた。底の半分が一杯になる。残 りの脚が同じように処理されて、ドラム缶の底が肉できっちり一杯になっ た。敷き詰められた豚の太股の上に、また塩が振られた。小蘭の目線が、 数メートル先に吹っ飛んだ豚の足先に釘付けになった。解体屋がそれに気 付き、「心配しなくて大丈夫。お前たちの場合は、足先を捨てたりしない。 火腿には使わないから、切り離しはするが、後で全部缶の中に入れる。若 い娘のふくらはぎが一番という偉いさんも多いのだ。内臓も捨てない。二 人分をいっしょにして別の小缶に入れる。こっちには豚の内臓を入れたり はしないから、安心しろ。内臓じゃ混ざってしまうからな。もちろん奇麗 に洗ってからだ。いくら外見が奇麗なお前たちでも、内臓は洗わなくちゃ、 汚い」「お前たちの火腿の缶の底に豚の太股を敷くのは、その方がお前た ちの火腿の味が良くなるからだ。
北の方じゃ、犬の太股を入れるところもある。魚を敷くところもあるそう だ。ぞっとするがね。そうだろ・・」犬や魚よりは豚がいいと、小蘭も蘭 芬も思った。豚は可愛いし、同じ匂いがする。肉も同じ色だ。犬や魚でな くてよかった、小蘭も蘭芬も思った。「いい肉だ。最高だよ」もう一度、 解体屋は小蘭のお尻を叩いた。褒めてもらえてよかった、と小蘭は素直に 思った。「いちおう説明しておくと、この辺で胴体を切り離す」解体屋は 小蘭の腰骨の上端を押した。「それで、膝から下の足を外して腰だけにす る。ここまでは大体豚といっしょだ。豚と違うのは、左右の太股を切り離 さないというところだ。一人から一つの火腿だ。その方が豪華で、お偉い さんが喜ぶらしい」「おかげでこちらは、骨盤をすっぽり抜き出さなくて はならない。大変な手間だ。その分、片足だけで作る豚の片火腿の方が、 人の双火腿より楽なのだ。人の肉は豚の肉より貴重だから、無駄がないよ うにということもあるだろう。まあ、どっちにしろ、お前たちのせいでは ない」左手で小蘭の腰を手でさすっていた解体屋が、巨大な肉切り包丁を 右手に構えた。蘭芬が上半身を妹の上に倒し、二人はひしと抱き合った。 小蘭と蘭芬の肉がいっしょに解け合ったようだった。小蘭の豊かな尻はウ エストで半分にくびれている。一番細くなった辺りは簡単に切断できそう であるしかし解体屋は、もっと尻よりの、まだ豊かさが残っている部分に 左手を当てて、刃を入れる場所を探していた。刃はいつ肉に入ってくるか、 小蘭の呼吸が荒くなり、柔らかそうな肉が大きく上下している。彼女を抱 いている蘭芬も、周りの男たちも息を殺した。「もう少し、腸を押し込ん だ方がいいかな」不意に解体屋が声を出すと、包丁を置いた。
「なるべく骨盤ぎりぎりに、それも斜めに切り込まないと、内臓を傷つけ てしまう」解体屋は切り取った性器の穴から、小蘭の体内に右手を差し込 んだ。小蘭が声を上げた。解体屋の腕力で、彼女の尻が高く持ち上がった。 解体屋は右手をゆっくり動かし、小蘭の内臓を上半身の方に押し込んでい る。子宮、膣、膀胱はすでに性器といっしょに切り取られていた。肛門の 10センチほど先で腸も切り離してある。わずかな抵抗で小蘭の下腹部の内 臓が移動した。解体屋は小蘭の体内を撫でるように掃除した。小蘭がうめ いた。姉の蘭芬が、なにごとか耳元に声をかけ、抱きしめた。「よし、こ れで大丈夫」解体屋が声を出した。蘭芬が妹の耳元に「大丈夫だって」と ささやいた。妹は「大丈夫なの」と微笑んだ。「あの缶に入れられるんだ」 と妹。「そうみたいね」と姉。「蘭芬も後で入るんだ」と妹。「そうみた いね」と姉。「蘭芬はまだあそこも子宮もあるし、腸も繋がってるし、缶 に入らなくてもいいよ」と妹。姉が妹をぐっと抱きしめた。「心配しない で。かならず小蘭といっしょに火腿になる。約束だから」「劇場がまた開 けるようになったら、誰が踊るの」と妹。「知らない。他の人もいるし」 と姉。「誰も他の人を見たくないよ。蘭芬か小蘭を見たかったのだから」 「だから蘭芬は缶に入らない方がいい。私はもう大切なところがないから、 誰も見たくない。残りは蘭芬だけ。お母さんのこともあるし」「小蘭はそ んなこと心配しなくていいの。同じ缶に入れられて、誰かにプレゼントさ れるの。もう決まっていることだから、余計なことを考えないで。私も小 蘭のすぐ後で、同じように切られるの。同じように痛いの。同じように死 ぬの。だから心配しないで」「本当」小蘭の顔が輝いた。「じゃあ、蘭芬 のおっぱいをちょうだい」姉は絶句した。
「豚のおっぱいもいいけど、やっぱり蘭芬のおっぱいがいい」「同じよう に切ってほしいの」と姉。「そう、切った蘭芬のおっぱいを咥えて死にた いの」劇場主が慌てた。お前がもたもたしているから面倒なことになるの だ、とばかりに解体屋に不快な顔を向け、「どうせ後で、同じ缶に詰める のだ。心配するな」と小蘭に伝えた。小蘭は姉の股間に顔を埋め、泣き始 めた。「やっぱり蘭芬は残されるのだ。いい踊り子が必要だもの。蘭芬の 方が人気があったから、私より大切なんだ」 小蘭は姉にしがみついて泣き 始めた。「蘭芬のおっぱいを取ったら、もう踊れないから、それで劇場が 困るから、取らないのだ。私のあそこは切り取ったのに、腸も切ったのに、 蘭芬のおっぱいは切れないのだ」小蘭は肩を揺すって訴えた。姉といって も一つだけ年上の蘭芬である。その目にも、たちまち太粒の涙が溢れ、二 人して泣き始めた。「小蘭が心配しているから、わたしのおっぱいを切り 取ってください」蘭芬の訴えに、劇場主がうろたえたようだった。あるい は蘭芬だけは残そうと本当に思っていたのかも知れない。小蘭の言うよう に、劇場が残っても人気踊り子が二人ともいなくなっては商売上がったり のはずだ。小蘭が真剣に劇場主の顔を見つめている。解体屋が蘭芬の右の 乳房を乱暴に掴んだ。予定変更を怒っているような様子であった。してみ ると、最初から自分だけを解体して、蘭芬は残すつもりだったという小蘭 の詮索は当を得たものであったかもしれない。
510 :
みうん :2009/07/25(土) 06:14:51 0
>>491 714さん
>ずっとまえ、相手の気持ちを確かめたいという衝動に苦しんだことがあります。
嫉妬したりする時って、相手が自分を愛してくれているか不安なんですよね。
そうして、愛されようとする団塊から成長すると、愛したい欲求が芽生えてきて、
さらに進むと、愚かさや醜さをいかに愛せるかという段階に進むようです。
相手をコントロールしようとせず、ただ見守ることで安らぎが得られるようになったら、
次々と段階を踏むにつれて叡智的な愛を実現できるようになって、愛は個人的な感情から離れ、
最終的には世界そのものをまるごと受け入れるようになっていきます。一例ですけど。
714さんの場合だと、まず、
もし仮に恋人が金銭目当てだったとして、そういう貪欲さをいかに愛せるか、
という試練(?)があったりした事になるのかな。と言っても・・・
ちょっと話しただけでも精神的に豊かとわかる714さんに物質面だけ求める女性はいないでしょうけど。
経済的に自立して、あれこれ手を尽くしてくれるのも、男性的な魅力ですし。
511 :
みうん :2009/07/25(土) 06:15:47 0
>>492 >恋愛は人間関係であり、関係であるからには、一方が変われば他方も変わる。
>もし相手が変わらないとしても、自分が変われば相手が違って見えてくる。
>大事なのは、自己の在り方だということに僕は気づいた。
相手との力関係が不安定になっているとき、意地になって力を誇示しようとするのではなくて、
「ちょっと損してるかな」という気分を抑えつついたわりの態度を取り続けるのが円満の秘訣と、
ある人に教えられた事があります。人生哲学ですよね。
実は私は、こういう事をするのが以前すごく苦手でした。
仲のいい人がペースを崩してとんちんかんな事をすると、びっくりして騒いで怒られてw
「いつもこのクオリティを保ってる人がこんなへまをするはずない」とか、
他人の行動パターンをマニュアル化してしまってたんでしょう。例外は度外視して。
誰でもバカな事をやってみたい時ってあるんですよね。そうでなくても失敗するものだし。
前は、そのハズしっぷりがイケてないと絶対ダメとかふざけ半分で思ってたんですけど、
完璧主義だと何度も言われて、この癖とか変なこだわりもだんだん直りました。
・・ドゥルーズも「卵」の例えをしたけれど、
世界が集約されている人間個体(卵)というものがあるとすると、
それらは脆い殻に守られつつ外的な要素の中でたえず揺らぎ、そして分化を繰り返していく、
きわめて流動的なものなんでしょう。
卵はていねいに扱わないとね。
512 :
みうん :2009/07/25(土) 06:16:27 0
>>493 >でもこれは駄目ですw
>(50才でこれ。なんという変わりようだろう。美しく老いたいものだ…)
若い時はきれいだったのにね。問題はぜい肉とファッション?目は鋭くていいですけど。
714さんは、美しい大人って、何を基準にして考えます?
>その神秘主義のもとを辿っていくと、新プラトン主義にいきつきます。
へえ〜、勉強になります。四元素説はまだ良く知りません。
ある絵画で、それらの間隙を縫うように舞うプシケの化身として、蝶が描かれているのは見た事あって、
それについて解説を少し読んだかな。
プラトンと神秘主義って折り合いがいいようですね。
神秘主義は錬金術を構築しましたけど、
あらゆる物質を作り出すプロセスの中に「あいまいさ」が必要不可欠で、
あいまいさこそが錬金術の手法の神髄なんですよ。
キングクリムゾンの詩も、隠喩の中にかくれつついかに荘厳な世界を作るか、
という所に力点をおいていて、錬金術的です。
かくれているうちに忘れ去られ、そこだけ時間が止まったまま日常性から遊離していく辺りに、
不思議ななつかしさと、酩酊感があります。
513 :
みうん :2009/07/25(土) 06:17:57 0
>>494 >例えば哲学でいえば、その三点を見る三人が唯物論者である場合と、観念論者である場合では、「事実」が違ってくるでしょう。
観念論にとってコミュニケーションや生活さえ幻想なら、もはや問う意味さえなくなる可能性があります。
ある事実の証明のさいに、観念論は役に立たないでしょう。
どんなに単純がさつに思えても、やっぱり「約束事」って必要なんですよ。
「DNA鑑定する際には二人の学者が立ちあって了承すれば、結果を事実とする」とかね。
各自共通の、主観から独立した事実を前提にした議論が実際的でしょう。
>信仰について、「それは幻想だ」と言うのも、それと同じように的外れかも知れません。
信仰については私は肯定的ですよ。「例え対象が幻想であっても、信じる」これが宗教でしょう。
なんですけど、、、
「彼岸に立った人じゃないと宗教を語れない」というのはちょっとなあ・・・
情緒としては理解できるんですが、理屈が合わないような。
宗教が経験主義に立つことって無理があるんじゃないですか?
宗教的な記憶の内容全部を経験知とする訳にはいかないでしょう。
514 :
みうん :2009/07/25(土) 06:19:17 0
>>495 >意識の過剰は病である、ということをドストエフスキーやニーチェは言いました。
>その「意識の過剰」の反対が、仏教でいわれる「無心」という状態だと思います。
無心で、一心不乱に、ということならできますけど、
無念無想って難しいんですよ。座禅は、おこった思念を打ち消して棄てていく作業でしょうね。
そうしていくと、真っ白な丸が浮かび上がると^^ 座禅は面白いです。
・ ・意識をしすぎることも危険ではありますね。
ドストエフスキーもニーチェも、生命的な哲学で、私は好きなんですけど、
自分の深層を眺めた時、暗黙知の澱がなぜ悪に感じられるのか、不思議です。
彼らはその悪を美しく描こうとし、戒める神を批判しましたけど、それが危険だから戒める訳でしょ。
(あいまいな記憶を前頭葉で消化して一気に吹き出させるのは人間にとって危険なんですよ。)
自身の深層をおどろおどろしいものと捉えようとしながら、強力な想像力で眺めれば、
醜悪な化け物を心の奥に住まわせる事になるから、精神病になっていくんですよ。
哲学者という人たちだって、他者の病気はフォローしても自分が精神病になる事を何とも思っていないわけじゃないでしょう?
彼らがいかに苦しんだかは記録に残っているし。それでも苦しみを求めるんでしょうか。
515 :
みうん :2009/07/25(土) 06:20:15 0
>>496 >たぶんその時僕が言いたかった事は、自分がこの世界に生きていることは、
>自分が既に世界の諸問題に関わっていることであり、だから世界の諸問題と自分は無関係ではない、ということだと思います。
そうなんですか。読み間違えちゃったかな?
全ての人に多大な負い目を感じるとなると、
彼ら全員が苦しむ度すぐさまかけつけなくてはならないとか、
アフリカで餓死者が出るのは自分の責任だから、今から断食をするべきだとか、
妙な道理が通ってしまうかも知れません。
負い目があるとしたら、多くの犠牲の上に立てている事に感謝する方向に行けば良いと思います。
・・関連づけして飛躍するのは、いわゆる天才秀才の頭脳なんですが、
飛躍した部分は、論理で埋めていくものなんですよ。そうしないと狂気と看做されます。
>「真面目な恋愛」ってどういう恋愛ですか?
苦楽を共にできて、お互いの未来を祝福できる関係でしょうか^^
516 :
みうん :2009/07/25(土) 06:21:04 0
>>497 >自分の立場を明確にしようとすれば、それだけ、考え方の違いもはっきりしてくるはずだと思います。
>だから、哲学の他の掲示板を見ていて、「おっしゃるとおりです」「同意です」のような流れが中心になっている対話は、
>どうなのかなぁと思います。僕の好みには合いません。
私もそう思いたいんですが、一方で、良識から考えてみると、
例えば、ここで議論らしいものの形を整えられたとして、
お互いの立場を明確にできるかどうかは疑問ですね。
ネットの情報は玉石混合ですが、それに類して、私が立場を偽っていたら?
私が嘘を書いていないという確証を、どうやってとれます?
相手の言動をビデオに収めでもすれば、確認は出来るかも知れませんが、
そういうことをするのは制限されている訳でしょう。
そうなると、虚構の議論が成立する可能性が出てくるんですよ。
ある人から出た言葉は、たとえ嘘であろうとその人自身の体験を引きずっているとも言えますが、
嘘を織り交ぜては、話はできても議論にはなるでしょうか。
中島義道的な、「体験をひきずる対話」は、
両者があらかじめ経験を照らし合わせていないと難しいかもと思ってます。
意見の確認をとる方法を試した方が良いかも知れません。。。
>お互いに後味の悪さが残らない議論が理想的だと思います。
後味の良い議論、そうでない議論ってなんでしょう?
517 :
383 :2009/07/25(土) 10:41:56 0
「哲学の基本は対話 5の章」スレでの荒らしについて その行動時間帯を再確認しておこう。 2009/07/08(水) 早朝の05:13:25〜06:36:05にかけて コピペとリンクが中心であるが、 延々全10レスを費やして書き込んでいた。 145 :糞コテ菜の花の行動観察:2009/07/08(水) 05:13:25 0 146 :糞コテ菜の花の行動観察:2009/07/08(水) 05:14:54 0 147 :糞コテ菜の花の行動観察:2009/07/08(水) 05:16:38 0 148 :糞コテ菜の花の行動観察:2009/07/08(水) 05:17:43 0 149 :糞コテ菜の花の行動観察:2009/07/08(水) 05:18:59 0 150 :糞コテ菜の花の行動観察:2009/07/08(水) 05:24:09 0 151 :糞コテ菜の花の行動観察:2009/07/08(水) 05:26:38 0 152 :考える名無しさん:2009/07/08(水) 05:38:55 0 153 :糞コテ菜の花の行動観察:2009/07/08(水) 06:13:32 0 154 :糞コテ菜の花の行動観察:2009/07/08(水) 06:34:58 0 155 :糞コテ菜の花の行動観察:2009/07/08(水) 06:36:05 0
518 :
383 :2009/07/25(土) 10:43:32 0
我々はまた、このスレにおける]の書き込みの時間帯を確認した。 336 :みうん:2009/07/04(土) 06:45:34 0 337 :みうん:2009/07/04(土) 06:46:30 0 338 :みうん:2009/07/04(土) 06:48:22 0 339 :みうん:2009/07/04(土) 06:50:17 0 340 :みうん:2009/07/04(土) 06:51:30 0 423 :みうん:2009/07/11(土) 06:01:38 0 424 :みうん:2009/07/11(土) 06:02:29 0 425 :みうん:2009/07/11(土) 06:04:12 0 426 :みうん:2009/07/11(土) 06:05:13 0 427 :みうん:2009/07/11(土) 06:06:32 0 428 :みうん:2009/07/11(土) 06:07:27 0
519 :
383 :2009/07/25(土) 10:53:43 0
これらのことから、
>>461 を踏まえ
「哲学の基本は対話 5の章」スレの](名無し荒らし)と
「対話スレ6」の](みうん)とが同一人物がほぼ証明された。
早朝4時台から6時台の時間帯をみうん時間と呼んでおく。
この時間帯における書き込みは最近のレスでも検証され、
「哲学の基本は対話 5の章」スレだけでなく、
ほかにリンクしているスレの荒らしにもよく当てはまっている。
我々は
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
【命題1−1】
Xは継続的に深くA・B・Cの行動や言動をチェックしている人間で、
A・B・Cのスレを糞スレになるように自ら荒らしている人間である。
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
という命題に
次の命題を付加することができた。
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
【命題1−2】
X=みうんである。
X=みうんは荒らすときは名無しや別HNを用いている。
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
520 :
考える名無しさん :2009/07/25(土) 10:56:39 0
ナレーション哲学 キタ━━━(゚∀゚)━( ゚∀)━( ゚)━( )━(゚ )━(∀゚ )━(゚∀゚)━━━!!!!
521 :
383 :2009/07/25(土) 10:58:05 0
すなわち、上記命題をまとめると ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●● 【命題1a】 X=みうんは継続的に深くA・B・Cの言動をチェックしている人間で、 A・B・Cのスレを糞スレになるように自ら荒らしている人間であり、 荒らすときは名無しや別HNを用いている。 ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●● となる。
522 :
383 :2009/07/25(土) 11:03:37 0
ここまでまったく異論が出ていないことからも 本人もそれを認めているとみなせるだろう。 よって、]=みうんはガスライティング犯罪の被害者ではなく れっきとした加害者であり、その人間性は最下層レベルだといえるだろう。
523 :
考える名無しさん :2009/07/25(土) 11:05:26 0
つまらん。
524 :
383 :2009/07/25(土) 11:11:40 0
最下層レベルの人間]=みうんにとって 導き出された命題は面白くないものであろうw
525 :
考える名無しさん :2009/07/25(土) 11:13:16 0
お花畑でやれ
526 :
383 :2009/07/25(土) 11:16:50 0
ここは1によると「真理に至る事を目的とするスレ」である。 ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●● 【命題1a】 X=みうんは継続的に深くA・B・Cの言動をチェックしている人間で、 A・B・Cのスレを糞スレになるように自ら荒らしている人間であり、 荒らすときは名無しや別HNを用いている。 ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●● という真理を追究することはスレ趣旨にかなっているw
527 :
383 :2009/07/25(土) 11:26:56 0
ここはまた1によると
・いかなる相手の質問も疑問も禁じてはならないこと。
・いかなる相手の質問にも答えようと努力すること。
である。
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
【命題1a】
X=みうんは継続的に深くA・B・Cの言動をチェックしている人間で、
A・B・Cのスレを糞スレになるように自ら荒らしている人間であり、
荒らすときは名無しや別HNを用いている。
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
ここまでで上記命題が導き出せたわけであるが、
X=みうんがなぜ人間として最下層レベルの言動に陥っているのか、
これをともに考えていきたい。
>>523 >>525 どう思うかね?
528 :
ゴーダ・カズンド :2009/07/28(火) 23:02:24 0
我々が薄い対話に飽き果てていたことは確かである。
むしろその恥知らずな傲慢さこそが特筆に値するのである。
とても我々にはできない所業であろう。
彼らの対話の内容などどうでもいいのだ。
その浅ましい面を想像する方が、よほど興をそそる。
534 :
714 :2009/07/30(木) 13:28:20 0
>>510 >さらに進むと、愚かさや醜さをいかに愛せるかという段階に進むようです。
それは、「恋」が、穏やかな「愛」や「友情」に変化していく段階でしょう。
「恋」を辞書を引いてみると、
「異性に強く惹かれ、会いたい、ひとりじめにしたい、一緒になりたいと思う気持ち」(大辞林)
と、わりとうまく書いてある。
恋には、そういう満たされない思いが強く含まれていると思います。
肉体的エロス的な男女の愛として僕が考えていたのは、穏やかな「愛」や「友情」よりも、そのような「恋」についてです。
>もし仮に恋人が金銭目当てだったとして、そういう貪欲さをいかに愛せるか、
>という試練(?)があったりした事になるのかな。
なので、この前書いたのは、そういう愚かさや醜さを受け入れるという(愛や友情の)段階へ進もうとしている状態ではなくて、
自分の心の中にある「恋」を貫こうとしている状態です。
第一、みうんさんも書いていたように、相手の経済力を期待する側面は大なり小なりあるだろうから、
どの程度金銭目当てかなんて、相手自身にもおそらく分からない事でしょう。
だからあの場合は、
金銭目当てかどうかなんて疑心暗鬼になってもしょうがないから、それは〈莫妄想!〉です。
そして、自分の心の中にある「恋」を貫くことが、この場合の〈自灯明〉です。
〈自灯明〉なら、相手の言動に振り回されることも少なくなります。
535 :
714 :2009/07/30(木) 13:29:08 0
>>511 >相手との力関係が不安定になっているとき、意地になって力を誇示しようとするのではなくて、
>「ちょっと損してるかな」という気分を抑えつついたわりの態度を取り続けるのが円満の秘訣と、
>ある人に教えられた事があります。人生哲学ですよね。
生活の知恵のようなものでしょうね。
円満な人間関係を保つには、相手との距離のとり方が大事だと思います。
(「円満第一」とは僕は思いませんが)
>>512 >若い時はきれいだったのにね。問題はぜい肉とファッション?目は鋭くていいですけど。
>714さんは、美しい大人って、何を基準にして考えます?
いろいろあると思います。 例えば、何かに打ち込んでいる姿は美しいと思います。
一番大事なのはそれかな…?
あのグレッグ・レイクの姿を美しくないと思ったのは、過去の栄光を引きずって惰性でやっているように感じられたから。
なぜだかロックミュージシャンにはそういう例が非常に多いと思います。
釈迦の言葉「ただ、今日為すべき事を熱心に為せ」は僕の好きな言葉です。
その「今日」は、常に移り変わっています。
だから過去の幻影にしがみついていてはだめですね。
僕の好きな演奏家の一人に、マルタ・アルゲリッチというピアニストがいます。
41才の時のアルゲリッチの熱演。美しいです。(ラフマニノフ)
http://www.youtube.com/watch?v=wLuv7s64y9s 最近のアルゲリッチ。67才。これもそれなりに美しいと思います。(グリーグ)
http://www.youtube.com/watch?v=npI_DfwXBuY&feature=related 20代→40代→60代となれば、肉体的には当然衰えていくから、若い時の価値観のまま生きていったら、下り坂になる一方です。
どこかでうまく価値転換・方向転換できるかどうか。それも大事なポイントになると思います。
536 :
714 :2009/07/30(木) 13:30:59 0
>>513 >観念論にとってコミュニケーションや生活さえ幻想なら、もはや問う意味さえなくなる可能性があります。
そういうことにはならないでしょう。
観念論ではすべてが幻想になる、みたいに誤解している人が2ちゃんねるには多いようですが…
観念論は、唯物論と比べれば哲学的にずっと洗練された考え方です。
カント以前の人々は(そして現在でも普通の人は)、認識というのは対象を模写することだと考える(模写説・反映論)のに対して、
カントは、認識という働きが初めて対象を構成するのだと考えた(構成説)。
カントによってなされた考え方のこの転回は、哲学的に非常に大きな意味を持っていて、「コペルニクス的転回」と呼ばれます。
模写説は、外界が我々の意識とは独立に存在することを無意識的に前提としているので、「素朴実在論」と呼ばれます。
でも、仮に対象が我々の意識から独立に存在するとしても、それは人間には知り得ないはずです。
人間が知り得るのは、あくまでも〈私にとっての〉対象であり、その対象の、自分向けの顔にすぎないから。
各人が各人の視点から対象を見ているのであって、視点を離れて見るということはできません。
そして各人は各人の視点から、それぞれ、違った〈読み込み〉をしている。
例えば対象を科学的に見たり、宗教的に見たり、日本人的に見たり、男性的に見たり。
そのように各人は違った〈読み込み〉をしながら対象を見ているので、各人にとって、対象は違った風に見えています。
カントの〈構成説〉の「構成」というのは、そのような〈読み込み〉のことです。
模写説が、人間の認識を、対象を写し取るだけの受動的な働きと考えるのに対して、
構成説は、人間の認識には、能動的な働きがあると考えるのです。
537 :
714 :2009/07/30(木) 13:32:09 0
>>514 >・ ・意識をしすぎることも危険ではありますね。
>ドストエフスキーもニーチェも、生命的な哲学で、私は好きなんですけど、
>自分の深層を眺めた時、暗黙知の澱がなぜ悪に感じられるのか、不思議です。
>自身の深層をおどろおどろしいものと捉えようとしながら、強力な想像力で眺めれば、
ん…、よく分かりませんが、その「強力な想像力で眺める」というのが、
ドストエフスキーやニーチェが批判している〈過剰な意識〉なのだと思います。
仏教やニーチェやドストエフスキーが、意識の表層よりも深層を重視するといっても、
それは、深層を「眺める」ということではなくて、表層から深層に重心を移して「生きる」ということだと思います。
仏教の〈無心〉がそうだし、ニーチェの、〈身体となる〉という言葉もそれを表しています。
ドストエフスキーも、アリョーシャやラスコーリニコフが大地に身を投げ出したのは、
表層的なものを捨て、深層に重心を移して生きることを表していると思います。
仏教やニーチェやドストエフスキーがそのように深層を重視するのは、意識の表層よりも深層の方に
本来的な自分があると考えているからだと思います。
だから、表層から深層に重心を移して生きることが、本来的に生きることになります。
(深層に焦点をあてることが〈危険〉だということをみうんさんは前にも書いていました。
それが僕にはぴんとこないのですが…、おそらくそれは体験的なものの違いによるものでしょう。
仏教、ニーチェ、ドストエフスキーも、そういう考え方はしていないと思うんですけど…)
538 :
714 :2009/07/30(木) 13:33:06 0
>>515 >アフリカで餓死者が出るのは自分の責任だから、今から断食をするべきだとか、
>妙な道理が通ってしまうかも知れません。
したければ断食してもいいのですが、何をしなければならないということはないと思います。
何をするにしても、根本的な解決は難しいから。
一つの問題がある場合、人はそれを解決しようとしますが、それが解決し難い問題である場合には、どうするのか…。
解決できないならば考えてもしょうがない、と思う人もたくさんいるでしょう。
ドミートリーやヤスパースの態度はそれとは違っていて、解決し難くても、その問題をずっと見つめていこうとする態度です。
(死の問題もそれと似ています。考えてもしょうがないと思う人もたくさんいるだろうけれども、
ヤスパースも、ハイデガーも、本来的に生きるためには、自分の死を見つめなければならないと考えています。)
>負い目があるとしたら、多くの犠牲の上に立てている事に感謝する方向に行けば良いと思います。
そうです。負い目を感じることと、感謝して生きることは、もちろん両立します。人間は多面的に生きているから。
責任を感じて病気になったり自殺してしまうのは、視野が狭くなってしまって、一面的にしか見れなくなってしまうからでしょう。
>>516 >ある人から出た言葉は、たとえ嘘であろうとその人自身の体験を引きずっているとも言えますが、
>嘘を織り交ぜては、話はできても議論にはなるでしょうか。
「嘘」というのがどういうことなのかよく分かりませんが、
例えば、本当は観念論者なのに、自分は唯物論者だと言って唯物論を展開するとしても、議論は成り立つと思います。
議論が成り立つために一番大事なのは、それが「嘘」かどうかということではなくて、それが「論」として筋が通っているかどうかです。
入試などで小論文を書く場合でも同じですね。
主張する結論が何であるかということよりも、その結論に至る思考過程が説得力をもつかどうかが大事だと思います。
539 :
714 :2009/07/30(木) 13:34:13 0
>中島義道的な、「体験をひきずる対話」は、 >両者があらかじめ経験を照らし合わせていないと難しいかもと思ってます。 相手の体験を知る必要はないと思います。 --中島義道的対話の基本原理― の 【自分の人生の実感や体験を消去してではなく、むしろそれを引きずり、聞き、判断すること。】 これはおそらく、相手の体験のことはあまり関係なくて、自分自身の体験と実感を消去するなということでしょう。 自分の〈思考〉と〈体験〉が乖離して、「机上の」哲学になってしまわないようにしましょう、ということだと思います。 >後味の良い議論、そうでない議論ってなんでしょう? 論争も争い事の一つなので、勝ち負けに拘りすぎると、良くない方向に進んでしまいがちになります。 これは〈争い・競争〉全般に共通して言えることです。 例えばスポーツで、相手に怪我をさせてでも勝とうとしたり、 試験で、不正をしてでも合格しようとしたりします。 議論の場合は、相手の考えの本筋について論争しようとせずに、 瑣末なことで揚げ足を取ってしまうのがよくあるケースだと思います。
540 :
383 :2009/07/30(木) 13:41:52 0
さて、我々のここまでの論証をおさらいしておこう。 「哲学の基本は対話 5の章」スレでのXの荒らしについて その行動時間帯を再確認しておいた。 2009/07/08(水) 早朝の05:13:25〜06:36:05にかけて コピペとリンクが中心であるが、 延々全10レスを費やして書き込んでいたのであった。 145 :糞コテ菜の花の行動観察:2009/07/08(水) 05:13:25 0 146 :糞コテ菜の花の行動観察:2009/07/08(水) 05:14:54 0 147 :糞コテ菜の花の行動観察:2009/07/08(水) 05:16:38 0 148 :糞コテ菜の花の行動観察:2009/07/08(水) 05:17:43 0 149 :糞コテ菜の花の行動観察:2009/07/08(水) 05:18:59 0 150 :糞コテ菜の花の行動観察:2009/07/08(水) 05:24:09 0 151 :糞コテ菜の花の行動観察:2009/07/08(水) 05:26:38 0 152 :考える名無しさん:2009/07/08(水) 05:38:55 0 153 :糞コテ菜の花の行動観察:2009/07/08(水) 06:13:32 0 154 :糞コテ菜の花の行動観察:2009/07/08(水) 06:34:58 0 155 :糞コテ菜の花の行動観察:2009/07/08(水) 06:36:05 0
541 :
383 :2009/07/30(木) 13:42:49 0
我々はまた、このスレにおける ]の書き込みの時間帯も確認したのだった。 336 :みうん:2009/07/04(土) 06:45:34 0 337 :みうん:2009/07/04(土) 06:46:30 0 338 :みうん:2009/07/04(土) 06:48:22 0 339 :みうん:2009/07/04(土) 06:50:17 0 340 :みうん:2009/07/04(土) 06:51:30 0 423 :みうん:2009/07/11(土) 06:01:38 0 424 :みうん:2009/07/11(土) 06:02:29 0 425 :みうん:2009/07/11(土) 06:04:12 0 426 :みうん:2009/07/11(土) 06:05:13 0 427 :みうん:2009/07/11(土) 06:06:32 0 428 :みうん:2009/07/11(土) 06:07:27 0
542 :
383 :2009/07/30(木) 13:48:26 0
そして
>>521 で下記の命題を導き出すことができた。
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
【命題1a】
X=みうんは継続的に深くA・B・Cの言動をチェックしている人間で、
A・B・Cのスレを糞スレになるように自ら荒らしている人間であり、
荒らすときは名無しや別HNを用いている。
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
そしてまた、
ここまでまったく異論が出ていないことからも
本人もそれを認めているとみなすことができた。
>>523 >>525 みうんとやらだね? これでよろしいな?
よって、]=みうんはガスライティング犯罪の被害者ではなく
れっきとした加害者であり、その人間性は最下層レベルだと確認できた。
我々はこの考察をさらに裏付ける論証を
いくらでも続けることができる。
たとえば「哲学の基本は対話5の章」スレを
もう少し仔細に検討することにしよう。
543 :
383 :2009/07/30(木) 14:05:17 0
さて下記の「哲学の基本は対話 5の章」スレの検証に入ろう。
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1229354135/l50 まず「哲学の基本は対話 5の章」が
714によって立てられたことを前に確認したが
ここで再度確認しておきたい。
>714
それで間違いないな?
さてネーム欄に「糞コテ菜の花の行動観察」と入れ、
荒らし活動を展開した]=みうんは、
なぜ「対話スレ6」ではなく「5の章」で行ったか?
実際は714=Yによって立てられたにもかかわらず、
みうん=]はABCの立てたスレだと思い込み
「哲学の基本は対話 5の章」スレを荒らしており、
現在も続行しているようであるが、
「対話スレ6」のほうはそういう書き込みがない。
もちろん、
自分がみうんというHNを付けて書いているこのスレ、
すなわち「対話スレ6」のほうでは
やはり名無しや別HNでは荒らせないのであろう。
544 :
考える名無しさん :2009/07/30(木) 14:06:58 0
なんの話しててもくずさがにじみ出てるよな>みうん・714
545 :
383 :2009/07/30(木) 14:14:11 0
546 :
383 :2009/07/30(木) 14:21:33 0
>みうん
>714
ここまでの論証で異論はないかね?
>>1 には
--中島義道的対話の基本原理―
として
・いかなる相手の質問も疑問も禁じてはならないこと。
・いかなる相手の質問にも答えようと努力すること。
が書いてあるが、
これはただの名目上掲げられたものかね?
また
>言論の対話によって真理に至る事を目的とするスレです。
とあるが、
これもただの意味のないお題目で、
自分にとって不都合な真理は
やはり目をつぶって
迂回してしまうのかね?
547 :
383 :2009/07/30(木) 14:27:40 0
>>544 名前:考える名無しさん :2009/07/30(木) 14:06:58 0
>なんの話しててもくずさがにじみ出てるよな>みうん・714
たしかにそういう反応はよく理解できる。
たとえば、このスレの雰囲気は確かに「気持ち悪い」ものである。
この「気持ち悪さ」がどこから生まれているのか、
といえば、
やはり病的なものだといわざるを得ないだろう。
多くのまともな人間ならば
この病的なものを避けて通りたいと思うのは
いたって普通のことである。
しかし、この病的なものもまた
この世に存在する真理の一部ではある。
我々はこの真理の一部を追求せねばならない。
548 :
383 :2009/07/30(木) 14:40:28 0
>>502 :考える名無しさん:2009/07/24(金) 17:51:59 0
>みうんにしても714にしても、くそだよね。
そう言いたい気持ちも理解できないことはない。
だが、そこからの哲学的考察に進まねばならない。
我々は気持ちの悪いものに、「くそだよね」という言葉を
吐きたくなってしまうものである。
くそ=うんこ、という言葉は
我々が「気持ち悪い」と思うもの、
無気味だと思うもの、に投げかける
言葉であり、
実際にみうん=]は
自分が「みうんこ」と呼ばれたことに
頭に血が上っていたようである。
549 :
383 :2009/07/30(木) 17:44:36 0
550 :
383 :2009/07/30(木) 17:46:05 0
>佃煮マニア=えびね=みうんこと名無しさん 確かにここでは 「みうんこと名無しさん」と 呼ばれている。 しかしながらこれは A:「みうんこ」と「名無しさん」なのか、 B:「みうん」こと「名無しさん」なのかは 判然としない。というよりもむしろ、 文脈からするとBのように読むほうが普通だと思われるが、 みうん=]は「みうんこ」と読んだようである。 なぜみうん=]は、自分が「みうんこ」と呼ばれていると、 思ったのであろうか? それもまた次回追求すべきテーマとなるであろう。
551 :
信濃川 :2009/07/30(木) 18:55:02 O
富永もう許してくれ。おまえがいいっていったんだからな。つまり全部リセットしようって言ったのあいつだからな自然のなかでそれで携帯なくしてやったんだ。それでその後進めねーじゃん?
552 :
考える名無しさん :2009/07/30(木) 18:59:10 O
おまえさあ好きだったと思う?普通だっただろ吉野さんが入ったんだぞ前にあの人のまえに入ろうとするだろ。信玄公の好色趣味で信勝さまには嫌われるわ散々だな
553 :
くなぎさ :2009/07/30(木) 21:07:44 O
か
554 :
考える名無しさん :2009/07/30(木) 21:52:50 O
信長がこねて秀吉がつくって家康が食べる餅のように謙信が後ろで閉じて景勝が前に出て恋をして武田が中に入った連関がうざい。そりゃ誰か前にでるわ
555 :
考える名無しさん :2009/07/31(金) 17:28:50 0
714とかみうんが「美しさ」を云々するって、笑える
556 :
383 :2009/07/31(金) 18:46:05 0
>>555 まあそのこと自体はいいではないか。
他人に害さえ与えなければ
たとえどんなに滑稽なことをやっても構わないのだ。
たとえば、
「みうん」こと「名無しさん」を
「みうんこ」と「名無しさん」と読んでしまった
みうん=]自身の滑稽さを
我々は笑うべきであろうか?
それとも同情すべきであろうか?
あたかも、みうん=]は、自らを「みうんこ」と呼んだような
この滑稽さをどう眺めればよいであろうか?
557 :
考える名無しさん :2009/07/31(金) 19:15:42 0
ケンタッキーのCMとおなじだな
558 :
383 :2009/07/31(金) 19:18:53 0
「みうん」こと「名無しさん」を 「みうんこ」と「名無しさん」と読んでしまうこと みうん=]が、自らを「みうんこ」と読んでしまうこと、 そのこと自体は取るに足らないことである。 問題なのは、その誤読・勘違い・妄想によって、 他人のいる場所を荒らすことである。 これはほんの一例である。 いろいろ調査した結果、 そうした誤読・勘違い・妄想によって、 みうん=]の荒らし行為はそもそも始まっている、 とみなせるだろう。 被害妄想をきっかけとして、 犯罪的なガスライティング行為に及んでいるのである。 我々はこれをどう扱えばよいであろうか。 これも今後追求すべきテーマに含まれてくるだろう。
559 :
みうん :2009/08/01(土) 05:01:01 0
>>534 714さん
>自分の心の中にある「恋」を貫こうとしている状態です。
恋を貫こうとする気持ちですか。
たしかに、見守るだけで幸せでは恋とは言いがたいかな?
ついさっきドストエフスキーの「悪霊」を読み終わったとこなんですけど、
神の存在を求め続けたスタブーロギンのそばにはいつも女性の影がありました。
スタブーロギンが放蕩の果てに女性に抱いた気持ち・・・
「浅はかな獣欲しか抱かないのを了承してもらって罪悪感にうちひしがれる」
なんか、そんなような気分だと“満たされない感”満点ですよね?
スタブーロギンは、そうやって人知れず苦悩したあげく幻覚に見舞われ、
その後妄想に辟易し無関心の病になり、冗談のつもりなのか自ら命を絶ってしまいます。
彼の場合、満たされない苦悩の部分が恋と言えるのかも知れません。
だからスタブーロギンは「浅はか」と自分で言うものの、強い恋を手にしていた事になります。
・・・「女性は、男性にとって成長の場だ」と言いますけど、
714さんも金銭に絡んだ欲目から脱してしっかりした恋をつかんで、
徳を積んだから、とてもいい経験をしたんじゃないですか。
相手を知って、受け止めようとする気持ちは、人間の幅を広げますよね。
560 :
みうん :2009/08/01(土) 05:02:30 0
561 :
みうん :2009/08/01(土) 05:03:14 0
>>536 観念論のわかりやすい説明ありがとうございます。714さんは表現力があります。
それで・・・やっぱり、
構成説を議論の場に持ち込むとなると、主観の品評会をすることで終わりそうな気がしますよ。
そうなると、事実をよりドラマチックに美化した人が常に優勢になるじゃないですか。
見かけ立派なんだから。
「ある事実が、倫理と照らし合わせていかに素晴らしかったか、愚かだったか」
という議論の場合、骨子となる倫理規定がそれぞれの主観でその場で決められるのではなくて、
あらかじめ明文化されている必要があるでしょう?
(こないだも、国際条約を見ながら虐待について議論したじゃないですか。)
それで、問いが煮詰まったなら、そこで初めて倫理について見直しをして。
その繰り返しをすることが、充実した議論と呼ばれるものなんじゃないですか?
562 :
みうん :2009/08/01(土) 05:04:05 0
>>537 >ドストエフスキーやニーチェが批判している〈過剰な意識〉なのだと思います。
過剰な意識を批判してはいても、それは自己批判だったんじゃないですか?
>それが僕にはぴんとこないのですが…、
そうですね、、、仏教はいいんですけど。ドストエフスキーもニーチェも、「悪の哲学」でしょう?
それに、病気の自分の心理を分析し尽くして、それを作品に込めたでしょう。
病人の、外にあるものじゃなくて内面的な自己分析って、養生にはマイナスの効果があるんですよ。
本来なら、日常的な感覚のまま体験を重ねて、病巣の意識を覆い隠していくべき所を・・・
ニーチェから引用します。
「部屋の中は少し暗い。僕は明かりをつける。
「陽の残照が、カーテンで半分覆われた窓から物珍しそうに差し込んでくる。
まるで僕の心の奥底までずっと覗き込むように。そして僕は心に嵐を呼ぶ。
金を打ち鳴らせば、自ずと稲妻が近寄ってくるのではないか。
心の真ん中を貫いて、暴雨と雨!稲妻と雷鳴!真ん中を貫いて!
そして、どこからともなく声がした。『新しくなれ!』と。」
どんどん内観のひずみに落ち込んで、文章によって幻想を実体化し、それで現実感が鈍っていきます。
読んでみると美文ではあるんですけど、これは筆者の病的な心理状態です。
(それに、二人ともかなり激しい生き方をしたでしょう?
心の、普通なら蓋をされてる部分が開いたまま、それで開き直ってるんですよ。)
執筆しているとき以外にも深層心理を開け放したままで外部にさらされているはずですから、
表層でシャットアフトすべきゴミ情報を、引き出した深層に詰め込んでしまう可能性があるんですよ。
563 :
みうん :2009/08/01(土) 05:05:07 0
>>538 ドミートリーやヤスパースの態度はそれとは違っていて、解決し難くても、その問題をずっと見つめていこうとする態度です。
態度だけではどうにもならない、祈るだけではどうにもならない場合が多いものですけど、
解決しがたい問題を考え続ける人の案はよく練られているから、議論の対象になるでしょう?
議論は、目の前にひかえた発展ある行動のためのものだから、
審議された問題は具体的になれば、よりよい解決策になりえますよね。
>議論が成り立つために一番大事なのは、それが「嘘」かどうかということではなくて、それが「論」として筋が通っているかどうかです。
なるほど。そういう見方もあるかも知れませんね。
例えば、ある体験についてここで話しているとき、もしテーマが「自分の生活上の信条」だったとして、
私がもし自分の体験と称してマイナー映画のストーリーを適当につらつら書いた場合、たぶん、
表面的にはお互い筋の通った意見を出し合ったように見えても、それは一面的なもので、
714さんにとっても私にとっても、嘘の体験から議論される「信条」そのものが宙に浮くかも・・・
と思ったんです。
564 :
みうん :2009/08/01(土) 05:06:58 0
>>539 >自分の〈思考〉と〈体験〉が乖離して、「机上の」哲学になってしまわないようにしましょう、ということだと思います。
「ネットで議論してるんだよ」と人に言うと、「顔も知らない相手と議論になる?」と言われます。
要するに、意見に責任が伴っているかどうか確認できないから真摯な議論になりにくい、
という事らしいんです。
その責任とは、その人が背負っている経験が物語る性格と、意見の整合性です。
一致していて初めて筋の通った意見だと言える訳ですよ。
ネットで「さあ議論を始めよう」と言う時は、お互いを信じることが肝心でしょうね。
ここで話している事は実際、実になっているんですよ。714さんの意見は刺激になります。
>議論の場合は、相手の考えの本筋について論争しようとせずに、
>瑣末なことで揚げ足を取ってしまうのがよくあるケースだと思います。
私はくだらない揚げ足取りをして喜ぶタイプじゃないですよ。
ここって週1ペースで進んでるから、焦る事なくゆっくり議論の流れをつかめますよね。
勉強が楽しいですが、ところで714さん、そろそろ夏休みしましょうよ。
8月の2週目の一週間ちょっとぐらいお休みしましょう。
566 :
383 :2009/08/01(土) 10:45:33 0
>みうん
>714
ここまでの論証で異論はないようだね?
>>1 には
--中島義道的対話の基本原理―
として
・いかなる相手の質問も疑問も禁じてはならないこと。
・いかなる相手の質問にも答えようと努力すること。
が書いてあるが、
これはただの名目上掲げられたものなのだろう。
また
>言論の対話によって真理に至る事を目的とするスレです。
とあるが、
これもただの意味のないお題目で、
自分にとって不都合な真理は
やはり目をつぶって
迂回してしまうしかないのだろう。
567 :
383 :2009/08/01(土) 11:05:04 0
「みうん」こと「名無しさん」を 「みうんこ」と「名無しさん」と読んでしまうこと みうんが、自らを「みうんこ」と読んでしまうこと、 そのこと自体は取るに足らないことである。 問題なのは、その誤読・勘違い・妄想によって、 他人のいる場所を荒らすことである。 これはほんの一例である。 いろいろ調査した結果、 そうした誤読・勘違い・妄想によって、 みうん=]の荒らし行為はそもそも始まっている、 とみなせることができた。 被害妄想をきっかけとして、 犯罪的なガスライティング行為に及んでいたのである。 我々はこれをどう扱えばよいであろうか。 これを今後追求すべきテーマとして含んできた。
568 :
2 :2009/08/01(土) 15:11:05 0
下記命題をまとめることができたが ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●● ●【命題1a】 ● ●X=みうんは継続的に深くA・B・Cの言動をチェックしている人間で、● ●A・B・Cのスレを糞スレになるように自ら荒らしている人間であり、 ● ●荒らすときは名無しや別HNを用いている。 ● ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●● 今後さらにこの命題に連なる他の命題を導き出していくことにする。
569 :
2 :2009/08/01(土) 15:17:04 0
以降は、X=みうんが立てた「対話スレ7」で続行されるが、 これまで帰納法によって導きだされた命題をもとに 今度は演繹法によって確認していくことになるだろう。 ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●● ●【命題1a】 ● ●X=みうんは継続的に深くA・B・Cの言動をチェックしている人間で、● ●A・B・Cのスレを糞スレになるように自ら荒らしている人間であり、 ● ●荒らすときは名無しや別HNを用いている。 ● ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●● さらにまたなぜ上記命題のような行動を X=みうんがとるようになったか、 その理由、動機についても言及していくことになるであろう。
570 :
2 :2009/08/01(土) 19:31:30 0
>>520 :考える名無しさん:2009/07/25(土) 10:56:39 0
>ナレーション哲学
>キタ━━━(゚∀゚)━( ゚∀)━( ゚)━( )━(゚ )━(∀゚ )━(゚∀゚)━━━!!!!
ナレーション哲学を楽しみにしてる人、
しばし邪魔をしてすまなかった(笑
またナレーション哲学を展開してる人にも
ご容赦願いたい。
カント哲学が幻想なのだから、やっぱり「唯物論」しかないと思うが。
それは、「現時点で自分の思想は完成していなくてはならない」という 童貞によくある妄想でしかない。
573 :
2 :2009/08/06(木) 01:20:41 0
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●● ●【命題1a】 ● ●X=みうんは継続的に深くA・B・Cの言動をチェックしている人間で、● ●A・B・Cのスレを糞スレになるように自ら荒らしている人間であり、 ● ●荒らすときは名無しや別HNを用いている。 ● ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●● ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●● ●【命題1b】 ● ●](みうん=佃煮マニア=えびね)のHNをつけた書き込みがあるときは荒れず、● ●](みうん=佃煮マニア=えびね)のHNをつけた書き込みがなくなると荒れる。● ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●● なぜ上記命題のような行動を X=みうんがとるようになったか、 その理由、動機について言及していくことになるであろうが ](みうん=佃煮マニア=えびね)が用いたAAを分析していくことも検討したい。
574 :
714 :2009/08/06(木) 13:20:43 0
>>559 >ついさっきドストエフスキーの「悪霊」を読み終わったとこなんですけど、
『悪霊』は、曖昧なところが多くて、解釈がむずかしい小説ですね。
謎めいたところが人を惹きつけるのかも知れません。
僕はある時期に、ドストエフスキーの主著は『罪と罰』と『カラマーゾフ』であると決めてw
それ以外はあまり読まなくなってしまいました。(『賭博者』は時々読みます。)
『悪霊』を、もう一度読んでみようかな。
>なんか、そんなような気分だと“満たされない感”満点ですよね?
「恋の味を痛烈に味わいたいならば、片思いか失恋する以外にないだろう」と、亀井勝一郎が書いています。
僕もそう思います。彼が言うように、片思いや失恋が恋の基本形だと思います。
恋という思いは、自分の側の勝手な思いとして生じている感じがします。
そういう恋も良いけれど、
それはエゴイズムに基づく〈渇愛〉であり、〈慈悲〉のような愛とは質が違う。
>>401 のあたりで僕が言いたかったのはそういうことです。
〈物足りようの思い〉が強いから、“満たされない感”も強くなります。
エゴイズムといっても程度の差がありますが、
エゴイズムに基づく愛と、そうでない愛があることを認識しておくことは大事だと思います。
例えば、無償の愛の例としてよく引き合いに出される〈子供への愛〉だって、
実際は、自分の思い通りにしたいというエゴイスティックな思いが多分に含まれています。
限りなくエゴイスティックになってしまうような親たちは、おそらくそういう認識が足りないでしょう。
575 :
714 :2009/08/06(木) 13:22:05 0
>>560 >こうして見比べると、ピアニストの手さばきからけっこう性格が見えそうです^―^
ビル・エバンスの『ワルツ・フォー・デビイ』は、僕も好きなアルバムです。
ビル・エバンスのピアノについては、よく‘リリシズム’と言われます。
抒情的と言われるのはグレッグ・レイクの歌も同じですが、ビル・エバンスとは‘リリシズム’の質が違いますね。
ビル・エバンスは「クール」で「知的」なリリシズムと言われるのに対して、
グレッグ・レイクは、しっとりした演歌的リリシズム、かな。
(50才になったグレッグ・レイクを見て、この人が演歌的な人であることに気づきましたw)
コルトレーンの『バラード』も、よく‘リリシズム’と表現されますが、
ビル・エバンスもコルトレーンも参加しているマイルスの『カインド・オブ・ブルー』が、彼らのリリシズムの源泉なのかな。
http://www.youtube.com/watch?v=PoPL7BExSQU&feature=related グールドのバッハ演奏は一般的にとても高く評価されていますが、僕はあまり好きじゃないんです(CDは持っていてたまに聴きますが)。
グールドの個性が前面に出ていて、バッハのポリフォニーの良さが現れていない感じがします。
一つ一つの旋律が独立性(個性)を保つことによって、ポリフォニーは成り立つから、
演奏者の個性が前面に出てしまうと、だめなんじゃないかなぁ…と僕は思っています。
そういう僕の考え方から見て理想的な鍵盤楽器奏者は、ヘルムート・ヴァルヒャというオルガン(とチェンバロ)奏者です。
一つ一つの旋律をくっきりと際立たせてポリフォニーを構築するヴァルヒャの演奏は、彼が盲目であったことと関係があると思います。
(Wikipediaから引用)
「ヴァルヒャは幼い頃に天然痘に罹った結果(または種痘の副作用の結果)、視力を奪われ、16歳までに完全に失明した。
そのため、少年時代は母親によって、結婚してからは夫人によって、左右の手(と、オルガンの場合は足鍵盤)のパートを
それぞれ別個に演奏してもらい、それぞれを絶対音感によってしっかり記憶に焼き付けてから一つの楽曲へとまとめ上げたという。
バッハの鍵盤作品は40歳頃までに異稿まで暗記したらしい。」
http://www.youtube.com/watch?v=fE8SRkEa4_k&feature=related
576 :
714 :2009/08/06(木) 13:23:00 0
>>561 >構成説を議論の場に持ち込むとなると、主観の品評会をすることで終わりそうな気がしますよ。
構成説によれば、それぞれの主観の読み込みによって対象が構成されることになるわけですが、
それぞれが、それぞれ勝手な読み込みをしているというわけではなく(もしそうなら人と人とは全然話が通じなくなってしまう)、
ある程度同じような読み込み方をしているから、世界はある程度は同じように見えていて、そこに「客観性」が成立し、話が通じます。
「客観性」は、そのようにして対象が〈主観によって必然的に構成されること〉によって成立します。
カントの『純粋理性批判』は、認識にそのような客観性(普遍妥当性)が成立し得る理由を示そうとした本です。
人間は、物をそれがあるとおりにそのまま認識するのではなくて、ある程度自発的、能動的に認識する。
しかしその認識は、あらゆる主観にそなわった共通の形式(時間・空間、カテゴリー)に沿ってなされるから、
客観性(普遍妥当性)を持ち得る、ということです。
そのようにカントの観念論は、認識の客観性(普遍妥当性)に重点を置いて考えられているので、「主観の品評会」の方向へは行きません。
「主観の品評会」の方向に向かうのは、ニーチェの認識論です。
「一切は解釈である。」 「多種多様の『真理』があり、したがっていかなる真理もない。」
このようなニーチェの〈遠近法主義〉は、〈普遍〉重視のプラトニズムへのアンチテーゼです。
〈普遍〉重視という点では、ニーチェのような考え方から見れば、カントも〈普遍〉重視です。
〈普遍〉(共通性)を重視するか、〈個別〉(個性)を重視するか、という問題は、哲学だけでなくいろんな場面で現れる問題です。
例えば、文化人類学でも、共通性を重視する普遍主義と、個別を重視する文化相対主義が対立します。
http://web.thu.edu.tw/mike/www/class/Ekkyo/data/chunks/bunka-relativism.html 教育でも、個性を重視する立場からは、日本の「協調性」教育は「均一性」の教育でしかないという批判がなされます。
577 :
714 :2009/08/06(木) 13:23:49 0
>「ある事実が、倫理と照らし合わせていかに素晴らしかったか、愚かだったか」 >という議論の場合、骨子となる倫理規定がそれぞれの主観でその場で決められるのではなくて、 >あらかじめ明文化されている必要があるでしょう? >(こないだも、国際条約を見ながら虐待について議論したじゃないですか。) 国際条約はあるのですが、その国際条約が、みうんさんや僕の主観を離れて、つまり〈主観から独立に〉存在するのかどうか? そこがポイントです。 (主観から独立に存在すると考えるのが「素朴実在論」=「模写説」) (我々が認識している限りは、それは我々の認識作用との関係において存在しているのだから、〈主観から独立に〉は存在しないはずです。) (またもし、我々が認識していない何かが、我々の〈主観から独立に〉存在するとしても、それが何であるかを言うことはできないはずです。 認識しないで認識することはできないから。) それで、 カント的に、〈普遍〉(共通性)重視の側面から見れば、みうんさんも僕も同じ主観形式(時間・空間、カテゴリー) に沿ってその国際条約を認識しているから、ある程度共通の認識が生まれ、話が通じる、ということになります。 ニーチェ的に、〈個別〉(個性)重視の側面から見れば、みうんさんと僕は、もともと違う視点から違う読み込みをして 見ているのだから、考え方が食い違う、ということになります。 このどちらが正しいということではなくて、両面あると思います。 >それで、問いが煮詰まったなら、そこで初めて倫理について見直しをして。 >その繰り返しをすることが、充実した議論と呼ばれるものなんじゃないですか? 倫理についても、「善のイデア」があるとするプラトンの〈普遍〉重視の考え方と、 「万人にとっての善」は存在しないと考えるニーチェの考え方は対照的です。 これも、カントはプラトンに近い考え方です。
578 :
714 :2009/08/06(木) 13:25:57 0
>>562 >過剰な意識を批判してはいても、それは自己批判だったんじゃないですか?
ニーチェは「身体は大いなる理性である」として、表層的な意識の背後に「身体」という本物の自己があると考えていて、
実際にそのように生きようとしていた人だと思います。
例えばニーチェは『善悪の彼岸』で次のように書いています。
「思想というものは、〈それ〉が欲する時にやって来るものであって、〈私〉が欲する時に来るのではない。」
ニーチェのこの言葉は、前に書いたヘリゲル氏の師範の教え、「弓射は、『我』が射るのではなく、『それ』が射るのだ」
という禅の無心・身心一如の境地を表す言葉に酷似しています。
『ツァラトゥストラ』という著作は、そのような状態(インスピレーション)によって短期間で書かれたとされています。
『この人を見よ』で、それについてニーチェはこう書いています。
「突然、口には言えないほどの確実さと精妙さで、なにか人を奥底から揺り動かし、覆すあるものが目に見えるようになり、
耳に聞こえるようになるという意味での啓示という概念は、ただ事実を述べているだけである。
聞くのであって、探し求めるのではない。受け取るのであって、誰が与えるのか、問いはしない。
稲妻のように、必然性をもって、躊躇のない形で、一つの思想がひらめく。私は一度も選択をしなかった。」
579 :
714 :2009/08/06(木) 13:27:52 0
>それに、病気の自分の心理を分析し尽くして、それを作品に込めたでしょう。 ドストエフスキーもニーチェも、精神的には健康な人だったと思います(晩年のニーチェは別として)。 >本来なら、日常的な感覚のまま体験を重ねて、病巣の意識を覆い隠していくべき所を・・・ 覆い隠しても、根本的な解決にはならないのではないでしょうか。 自分の心の状態が悪くなる時のことを考えてみると(僕は病気ではありませんが)、僕のイメージとしては、 表層的な意識が、表層の中に閉じ込められてしまって、表層の中でぐるぐる回りしてしまう。 そんなイメージです。 そういう時には、表層的な意識で事態を打開しようとしてもだめです。 表層と深層とが乖離してしまっているから、仏教的に、身心一如の方向に向かうのが良いと僕は思っています。 「『我』が射るのではなく、『それ』が射るのだ」という言葉のように、 表層的な〈我〉で問題を解決しようとせず、〈それ〉にまかせるのが良いと思います。
580 :
714 :2009/08/06(木) 13:29:24 0
>>564 >その責任とは、その人が背負っている経験が物語る性格と、意見の整合性です。
>一致していて初めて筋の通った意見だと言える訳ですよ。
よくわかりません…
相手の人物を知っている場合でも、一致しているかどうかを、誰がどうやって確認するのでしょう…
--中島義道的対話の基本原理― の、
【・相手の語る言葉の背後ではなく、言葉そのものを問題にすること。】
で、良いのではないかと思います。
自分の体験と思考が一致していれば(バラバラになっていなければ)、それで良いと思います。
人の体験のことは、わかりません。
>8月の2週目の一週間ちょっとぐらいお休みしましょう。
どうぞ。お休みしてください。
581 :
考える名無しさん :2009/08/06(木) 23:12:33 0
582 :
考える名無しさん :2009/08/06(木) 23:14:27 0
くずでも盆休みか、先祖の霊にのろわれるぞww それとも先祖もくずか?wwwwwwww
583 :
このスレのことを書いてるようなカキコあったんで貼っとくw :2009/08/07(金) 02:00:02 0
83 :ザ・スミス:2009/08/05(水) 08:24:59 ID:flPnWRR4
しかし救われないキモッサンと腐婆だな。
メンヘルの自己紹介なんて迷惑なだけなのに
84 :この名無しがすごい!:2009/08/05(水) 08:32:58 ID:flPnWRR4
最低だね。
85 :この名無しがすごい!:2009/08/05(水) 08:43:20 ID:flPnWRR4
嫌われてるな〜こいつら。ま、そらそうだよな。
空気も読めないネットマナーも守れないで痛い自己主張ばっかだもん。
指摘すりゃ発狂だし。糞メンヘル
86 :オレガノ ◆FMllJkCuTg :2009/08/06(木) 00:48:08 ID:NmPeAfm1
>>83-85 哲学板「対話スレ」のみうん(=佃煮マニア=えびね)さん
お大事に。
584 :
このスレのことを書いてるようなカキコあったんで貼っとくw :2009/08/07(金) 02:00:54 0
87 :この名無しがすごい!:2009/08/06(木) 08:56:37 ID:dBk7p5fe
誰でも特定人物に見える病気があるそうだよねw 妄想性人格障害だったっけ?w
しかも他所のスレでは馬鹿がベタなストローマンとパペット、こういう事してる時点で
「私は程度が低くて、言ってる事は詭弁です」て自爆したことの証明になる。
そうとう頭が悪いんだな。本気っぽいし笑いこらえるの大変だわw
おまえらメアド交換してるんだからキモい自己主張とか汚物同士の閉鎖的ななれ合いはメールでやれ
みんなの迷惑だから2ちゃんに来んなって
88 :オレガノ ◆FMllJkCuTg :2009/08/06(木) 20:54:52 ID:NmPeAfm1
>>87 哲学板「対話スレ」のみうん(=佃煮マニア=えびね)さん
「妄想性人格障害」なんですか? お大事に。
585 :
考える名無しさん :2009/08/07(金) 02:04:00 0
たぶんここのみうんと714のことだろうけど、 >しかし救われないキモッサンと腐婆だな だってw >キモい自己主張とか汚物同士の閉鎖的ななれ合いはメールでやれ >みんなの迷惑だから2ちゃんに来んなって だってさw
つのがらいクリかねってどういう意味なの
587 :
プッ :2009/08/09(日) 09:43:48 0
551 :信濃川:2009/07/30(木) 18:55:02 O 富永もう許してくれ。おまえがいいっていったんだからな。つまり全部リセットしようって言ったのあいつだからな自然のなかでそれで携帯なくしてやったんだ。それでその後進めねーじゃん? 552 :考える名無しさん:2009/07/30(木) 18:59:10 O おまえさあ好きだったと思う?普通だっただろ吉野さんが入ったんだぞ前にあの人のまえに入ろうとするだろ。信玄公の好色趣味で信勝さまには嫌われるわ散々だな 553 :くなぎさ:2009/07/30(木) 21:07:44 O か 554 :考える名無しさん:2009/07/30(木) 21:52:50 O 信長がこねて秀吉がつくって家康が食べる餅のように謙信が後ろで閉じて景勝が前に出て恋をして武田が中に入った連関がうざい。そりゃ誰か前にでるわ
588 :
考える名無しさん :2009/08/10(月) 20:32:46 0
65 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2009/08/05(水) 13:04:50 ID:FD/erRgd レスを関係ないスレにコピペして反論したつもり。 いかにもメンヘル臭い事して反応をうかがうネット廃人一番星 ◆xHH/q7QD.E ↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓ 25 名前: 考える名無しさん Mail: 投稿日: 2009/08/05(水) 11:47:13 [ 0 ] 63 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2009/08/05(水) 08:22:28 ID:FD/erRgd 一番星 ◆xHH/q7QD.Eという婆がおってな。 毎晩、毎晩ザ・掲示板という村で「糞スレ」というものを、 たてつづけてな、村人を困らせておったそうな。 その「糞スレ」は村人には嫌われていたんじゃが、 一番星 ◆xHH/q7QD.Eはたいそう気にいっててな、村人に好かれたいと思って、 「age」というよこしまな技をつかって村人をさらに困らせたんじゃ。 そんな1についにあぼんの神様の天罰がくだってな、 1は十三日の金曜日の日に殺人鬼にナイフで全身の皮を剥がれ、 斧で四肢を切断されてダルマ、挙句竿と上下のタマ四つ引っこ抜かれ、 鼓膜を破られ直腸引き出され鼻を削がれ歯を全て折られ、 焼き鏝で舌と声帯を潰されて尚、死なせて貰えなかったんじゃ。 昔、昔のお話だよ・・・。 || :::::::::::::::::::::::::::::: || ::::::::::::::::::: ∧_∧ || ∧ ∧ ::::::::::: ( `∀´) i (・д・)∧ ∧:::::::::: /::: Y i ,-C- 、( y (゚Д゚ ) :::::::: /:::: > | /____ヽ (___、|_y∩∩ :::: |::::: " ゝ ヽ__ノ (__(Д` ) :: \:::::__ )// // っ⊂L∧ ∧ ∧ ∧ ( ;;;;;;)
自らが陥った状況に対する認識の貧困さは、 ほとんどの場合、想像力の欠如が原因である。
様々な書き込みの集積を眼前にして 自演、共有等を考えるのは愚の骨頂であろう。
そこに見える存在の醜さが単体であろうと複数であろうと、 いわゆる「中の人」が書かれたものからいかに自分自身を切り離そうともがいたとしても、
我々はただ貴様の醜さを鑑賞しているだけなのだ。
なんと愚かで痛々しく、哀れないきもの。
594 :
考える名無しさん :2009/08/11(火) 23:07:10 0
468 名前:吾輩は名無しである メェル:sage 投稿日:2009/07/12(日) 17:09:38 さっさと糞スレ削除してこいよ基地外 この板は痴呆腐婆のリハビリ施設じゃねえぞ
595 :
考える名無しさん :2009/08/13(木) 03:52:39 O
('A`) (| |) | ●| ∪ ∪
まだ更年期障害のみうんこはあちこち荒らしてるのか? 痴呆腐婆って自分のこと言ってるんだろうな、こりゃ。
そういや、みうんこは熟女スレに喜んで書いてたよな。 ふつう、40以下だったらそういうスレに書かないよな。 熟女といわれて喜んで書き込んでたことから判定するに 年齢は50前後の更年期障害をむかえた水商売の独身オバンだな。 「ガロ」って雑誌もガチで知ってるみたいだったしなw
更年期障害をむかえた水商売の独身オバハンだったのか どーりで「腐女子」なんて言葉使うわけだw
599 :
考える名無しさん :2009/08/14(金) 15:07:25 0
更年期障害の水商売婆じゃしょうがないよな
600 :
更年期障害婆の書き込み :2009/08/14(金) 20:55:42 0
446 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/14(金) 16:14:56 ID:s/NykLEx
おやおや、
>>444 は精神障害者のキモオタがよく使う「必殺うんこ投げ」ですか菜の花さん?
この人は本物の汚キチガイですねw
自分語りするか暴言吐くか人を騙すくらいしかできる事がないらしい。
自分が板を荒らしているなんて自覚は毛頭ないのがこの障害者の特徴ですw
89 :この名無しがすごい!:2009/08/14(金) 16:45:35 ID:VbzD+zgl
見た人全員に嫌われてるからってそんなに顔真っ赤にならなくてもw
小心者だから何にでもすぐ反応するしw
自分が言われた事受け止める余裕もないしw
それでなんでこいつコテばっかに執着すんの?きんも〜。
キチガイだなこれは
601 :
考える名無しさん :2009/08/14(金) 20:59:58 0
ここの住人の方だと思いますが 更年期障害じゃ仕方ないですけれども そろそろ他板を荒らすのをやめてくださいな(笑 もう半年以上にわたってますよ(怖 どうか病気を早く治してくださいね。
602 :
考える名無しさん :2009/08/14(金) 22:26:06 0
キモオタとニートは夏に用事もなく2ちゃんで毎日一日中中傷するのが関の山
603 :
考える名無しさん :2009/08/15(土) 00:49:03 0
キモオタとニートって言葉みうんこ好きだよなw
604 :
考える名無しさん :2009/08/15(土) 00:50:01 0
せっせと ここでは キャラづくり どう見てもムリがある〜 名ぁ無しで 他板を 荒ーらして 素顔ーを さらしてるよ〜 自分ーのこと みうんこと呼ぶ たしかーに 変な臭いー いまは もう ばれている 更年期 障〜害〜 ※「大きなのっぽの古時計」のメロディでお楽しみください。 ※著作権フリーです。ご自由にお使いください。
605 :
考える名無しさん :2009/08/15(土) 12:47:14 0
>>602 まさにそうなんですよ。
「キモオタとニート」かどうかわかりませんが
ここの住人の方で
「夏に用事もなく2ちゃんで毎日一日中中傷するのが関の山」
のようでして、
他板で恥ずかしい書き込みをなさってるようです(笑
どうか病気を早く治してくださるように
あなたからもお祈りしてくださいな。
606 :
考える名無しさん :2009/08/15(土) 14:07:23 0
>>602 >>600 に引用されてる書き込みの主のことを言ってるんですね。
確かにその通りですね(w
>>574 714さんおひさしぶりです (´∀` )♪
>僕はある時期に、ドストエフスキーの主著は『罪と罰』と『カラマーゾフ』であると決めてw
>それ以外はあまり読まなくなってしまいました。(『賭博者』は時々読みます。)
たしかにその二冊が代表作みたいですね。
このところずっとドストエフスキー読んでるんです。ハマってますw一人の作家を続けて全部読むのが好きで。
次にドゥルーズ読むので精神医学勉強したり、カフカ、プルースト読んだり準備もしたいんですけど。
ところで714さんの読書法でこつとかあります?教えてくださいよ。
>恋という思いは、自分の側の勝手な思いとして生じている感じがします。
>そういう恋も良いけれど、
>それはエゴイズムに基づく〈渇愛〉であり、〈慈悲〉のような愛とは質が違う。
スタンダールの恋愛論を見てみると、
こないだの714さんの「疑惑」については、第二の結晶化作用の前触れだという事になってます。
結晶作用とは、「それでも僕は彼女を愛している」という思いで成就されます。だから、成就したんですね。
「彼女はもしかしたら〜なのかも」という恋の疑惑は、恋愛の苦悩の中で最も甘いもので、
疑惑がしばらく続いた後での恋人との接触は快楽の極みでもあります。
しかし、肉体的関係は虚栄心による錯覚の誇張と裏切りを呼ぶので、あとあと辛く、
それからすると、恋人の手に初めて触れる時が、恋する者にとって一番幸せな時なんです。
この時が、恋の第一の結晶化、「〜したらどんなにいいだろう」の実現です^^
と、恋愛論に体験をあてはめてみましたが、
こんな風に恋とは、行為に挟まれた狂気じみた幻惑なので、片思いはその最たるものでしょうね。
そうではない、慈悲による愛が満たされない状況って、たとえばどんな?
608 :
みうん :2009/08/16(日) 05:15:02 0
>>575 >ビル・エバンスもコルトレーンも参加しているマイルスの『カインド・オブ・ブルー』が、彼らのリリシズムの源泉なのかな。
紹介ありがとうございます、しかしよく勉強してますね。私は音楽は楽しみ、哲学はのんびり教養程度ですよ。
ビル・エバンスいいですよね〜。叙情は仏教好きから来てるようですよ。日本好きなんですね。
エバンスの師匠のマイルス・・・私バップ系はちょっと苦手なんですけど、セロニアス・モンクのノイズは大好き。
マイルスとの喧嘩セッション見たいなあ。YOUtUBEで出てこないですよ。誰か映像持ってるとは思うんですが。
モンクも音が構造的です。前にここで「柱のない館の主」とモンクを形容した事があったかな・・・。
拍の取り方も独特で、粋な遊び心があるし。
>一つ一つの旋律をくっきりと際立たせてポリフォニーを構築するヴァルヒャの演奏は、彼が盲目であったことと関係があると思います。
鋭いですね!
耳の聞こえない音楽家ってけっこういるようですが、
彼らは皮膚に伝わる空気の波動、楽器に触れる指の触感で音を感じてるそうです、
耳が聞こえなくなると、皮膚から右脳への神経回路のジョイントが変形したあと、皮膚が耳の機能を担います。
そして、モノを触って構造を把握するのに倣って、皮膚で音を構造的なビジョンにして把握するようになるとか。
あらかじめ、機能が失われる事を見越して下準備でもしてあるみたい。人間の体って凄いです!
609 :
みうん :2009/08/16(日) 05:15:55 0
>>576 >ある程度同じような読み込み方をしているから、世界はある程度は同じように見えていて、そこに「客観性」が成立し、話が通じます。
ある主観ともう一つの主観が観念論の中で議論する時、共通認識はその場で初めてすりあわせするんでしょう?
対象を見た時点でそれぞれの事物が構成される訳だから、一つの対象の倫理観について話そうという時、
外部にある対象のひとつひとつが、お互いの中で同一の構成物だという所の証明から始める訳ですよ。
観念論だと必ず個人間で誤差が出るから、決着がつかないでしょう。それぞれが自己完結するしかなくなります。
自己完結のための議論ではない訳だから、モノはあらかじめそこにあるという設定で話す唯物論が適してますよね?
>〈普遍〉(共通性)を重視するか、〈個別〉(個性)を重視するか、という問題は、哲学だけでなくいろんな場面で現れる問題です。
主体をシステムにおくか、個人に置くかという問題ってあるようですね。不変で頑強なシステムというのは存在しないでしょう。
個人が、流れに飛び込んでもまれることで、個々人の思考の集合体であるシステムを変形させていくのが常です。
・・・リンクを見て思ったんですけど、与えられた平等は時間だけじゃないですか?
流れというものがあるのは、文化や個人を含めた万物が均質均等じゃないからです。
リンクの学校問題に関して言えば、学校教育が社会主義基盤なのに実社会が資本主義って何の必要からでしょうね?
個人が区分されて、求めなくても平等に分け与えられる環境から、評価主義、能力主義の社会でよーいドンさせられる訳でしょ。
家庭と学校と社会のシステムが違うと、人格障害が増えるんじゃないですかね。そういう人が増えると不景気にもなるし。
モンスターペアレント、ひきこもりに多いし、714さんの嫌いなヒステリー、「例の三人」、知り合いの話にも。人格障害が増えてます。
先天的なものもあるでしょうが、脳の機能障害を社会システムの落差が刺激してるんじゃないかな。
そういう時代こそ、ありのままの自分を認めて背負い、環境を担う事が必要なんですよね。ニーチェが人気出る訳です。
714さんもありのままって良く言いますけど、ありのままがいいと気づいたのは何がきっかけなんですか?
610 :
みうん :2009/08/16(日) 05:16:37 0
>>577 >国際条約はあるのですが、その国際条約が、みうんさんや僕の主観を離れて、つまり〈主観から独立に〉存在するのかどうか?
>そこがポイントです。 (主観から独立に存在すると考えるのが「素朴実在論」=「模写説」)
国際条約を認識するのもリンゴを認識するのも同じレベルに視点を置くのは議論の流れ的にどうかな〜?
一応日常的な基盤から。
・・・国際条約というものは、国会で批准されて初めて承認されるんですよ。
その事を確認すれば、国際条約の事実上の存在は、証明されます。
デジカメにでも収めてデスクトップに飾っておいたらちょくちょく確認できるでしょう。
カメラに写ったもの、確認した事というのは事実であるという前提があるんです。
写真データなんて、ある視点から見ればにはたんなる電子の集合でしょうけど、
でも、それに写し取ったものは事実である、というお約束があるから共通認識が生まれ、議論ができます。
事実に照らし合わせて得られた真摯な、論理だった議論の結果も、事実になります。
前提を覆す場合、その目的に重要な理念があるかが問われますよ。その問いにまず答えないと。
それから、カメラの写真の事実性は観念論ではどういう位置づけになるのかも知りたいです。
http://www.pref.tottori.lg.jp/secure/316971/1point-3.pdf 国際人権条約の理念は、「人権を全ての人が享受すべき普遍価値とし、その実体化をすること」です。
それにまさる重要な理念が必要なんですよ、この話をするには。人権にまさるものとはなんでしょうね。
611 :
みうん :2009/08/16(日) 05:17:29 0
>>578 >ニーチェは「身体は大いなる理性である」として、表層的な意識の背後に「身体」という本物の自己があると考えていて、
>実際にそのように生きようとしていた人だと思います。
714さんはたぶん、無意識に主体性を置いて意識全体を能動的に循環させたいわけですか・・・?
スピリチュアル系でも、「指導霊を呼ぶと」かで無意識の能動性を高めるものがあります。
無意識は自動的で、コントールしづらく、これが動いて表出するのを確認すると、、
あたかも外部(霊とか)の意志に動か「されて」いるように感じられますが、自分の意識が動いてます。
これを精神医学では「させられ妄想」という、統合失調症型の誇大妄想と解釈します。
(私はこの病気じゃないですが、精神病質の人が指導霊を呼ぶと症状の悪化に苦しむとか。)
無意識は前頭葉が作っていて、そこは情動を司る分野でもあるんですよ。
西洋医学では野蛮、悪魔的としてる部分です。
でも仏教とニーチェはこの意識を尊いものとしているんですね。進歩的です。
病気なんてないほうがいいなら、このさせられ妄想がおこる境地を無我の境地と見ればよい訳です。
ただ、この境地に至ると、
ほ乳類としての記憶から物事を判断しがちになるので、論理性とか規範意識が薄れることがあります。
だから難しいんですが、それらを高次の意識が全て肯定して請け負えればバランスがとれるでしょうね。
深層というものは強大な力を持っているので、まえもって表層を鍛えておく事が必要なんですよ。
善意に基づいた分析力を鍛えつつ客観性をたもつのが大事でしょう。
612 :
みうん :2009/08/16(日) 05:19:05 0
>>579 >ドストエフスキーもニーチェも、精神的には健康な人だったと思います(晩年のニーチェは別として)。
精神・・・持病をかかえつつも健全で高貴な魂を持ってはいるかな?パワフルな人たちだし。
ドストエフスキーはてんかんで苦しんでいたようですよ。ニーチェは躁鬱と脳梅毒でしょう。
>そういう時には、表層的な意識で事態を打開しようとしてもだめです。
考えが微妙に違いますね。まあそういうものでしょう。こういう事もありますよ。
内在は基本的には大幅に変えられないものでも、表層に積もっていく日常的な意識が、
堆積して深層に浸透していくことで、平穏な意識への変化を期待できます。これも表層と深層の循環です。
内在が変わる場合と言うのもあるんです。
衝撃的な体験をして、心の揺れ幅が一定以上になれば変わります。
衝撃で意識がシャッフルされて、どんな症状が飛び出すかわからなくなるのがPTSDですが、
厳密に宗教的な内的体験による知的な恍惚の衝撃なら、悟りによって意識改革をできます。
これを生半可に体験しようと麻薬に手を出すと、急激なアドレナリン放出過剰で脳機能が損傷します。
でも自然に、禁欲の持続による深閑とした心理状態から知的な恍惚を得られる場合もあります。
そういう体験というのは、のちのち貴重なものになるでしょう。
613 :
みうん :2009/08/16(日) 05:20:39 0
>>580 >相手の人物を知っている場合でも、一致しているかどうかを、誰がどうやって確認するのでしょう…
対話者が、相手の経験と意見を照らし合わせて、それに整合性があるか判断するんです。
意見の背景になる体験が、意見を口にする者のふとした沈黙に深み、重みを与えるんですよ。
経験もその人を物語りますが、人間のコミュニケーションは6割がボディランゲージによるものなんです。
相手の表情や気配が、言葉以上に多くを語る場合って多いでしょう。
コミュニケーションの4割の側である言葉そのものは、多くをはぎ取られた味気ないものかも知れません。
だから、
【・相手の語る言葉の背後ではなく、言葉そのものを問題にすること。】
だいたいの文意としては「穿った見方をせず善意に解釈する」ですか、それだけならいいですが、
言葉そのものと言っても、、、ネットでだって、例えばこうして対話をしてますが、
一応話がかみ合ってるのは、互いの文章の感想を見たまま好き勝手書き合ってるからじゃなくて、
行間を読んでニュアンスを汲み、文脈をつないでるからでしょう。言葉の背後、行間って大事ですよ。
他者との対話とは、単なる言葉の応酬じゃなくて、それぞれの知識体験がはらむ空気感を共有する事じゃないですか。
そうやって、共有した中からさまざまな座標の視点を獲得するのが対話だと思います。有意義な事です。
446 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/14(金) 16:14:56 ID:s/NykLEx
おやおや、
>>444 は精神障害者のキモオタがよく使う「必殺うんこ投げ」ですか菜の花さん?
この人は本物の汚キチガイですねw
自分語りするか暴言吐くか人を騙すくらいしかできる事がないらしい。
自分が板を荒らしているなんて自覚は毛頭ないのがこの障害者の特徴ですw
447 :444:2009/08/14(金) 20:42:20 ID:PfuPfRIR
夏の宵は少し風が吹くとさわやかな心地がしますね。
心が澄んだ状態にあると自然の美しさがより多く感じられる気がします。
山紫水明の境地にいつも心をおきたいものです。
448 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/14(金) 21:26:19 ID:vBpvu27Z
>>447 スレを占有して自分語りしてすでに何人もに苦情出されてるんだから、
諦めて去るのが常識でしょ?頭おかしいの?この人
何を「私は善人」アピールしてごまかしてるの?馬鹿じゃないの?
勘違いも甚だしい。他所ではコテに粘着荒らししてるくせに。
図々しく居座ろうとしてないで消えたら?
あんたみたいな汚い人間のくる場所じゃないよ
449 :444:2009/08/15(土) 10:59:20 ID:HAFXK5HM
今日は入道雲が出ていますね。
夏の日差しがまぶしくきらめき
かげろうが舗道の上でゆらめき
そよ風にゆれる葉に心ときめき
詩の端緒となる言葉がひらめき。。。
450 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/16(日) 07:04:25 ID:BKLwLdkx
↑ みたいな日本語の不自由な典型的自己愛性人格障害はどのみち社会に抹殺されて破滅するのがオチなんだよな
せっせと ここでは キャラづくり どう見てもムリがある〜 名ぁ無しで 他板を 荒ーらして 素顔ーを さらしてるよ〜 自分ーのこと みうんこと呼ぶ たしかーに 変な臭いー いまは もう ばれている 更年期 障〜害〜 ※「大きなのっぽの古時計」のメロディでお楽しみください。 ※著作権フリーです。ご自由にお使いください。
おひさしぶりです (´∀` )♪ しばらく他板を荒らしてました(´∀` )♪ 他者との対話についてもうちょっと具体的に書きましょうか。 たとえばこういう言葉だったりします。 「精神障害者のキモオタがよく使う「必殺うんこ投げ」ですか菜の花さん?」とか、 それから「あんたみたいな汚い人間のくる場所じゃないよ」とか。 単なる言葉の応酬じゃなくて、汚い言葉を投げかけるわけです。 「必殺うんこ投げ」とかですね。 「キモオタ」とか「キチガイ」とか「うんこ」という言葉を 嫉妬を感じる相手に投げつけるわけです。 これが「必殺うんこ投げ」の意味です。 それぞれの知識体験がはらむうんこ感を共有する事じゃないですか。 そうやって、共有した中からさまざまなうんこの視点を獲得するのが 対話だと思います。有意義な事です。
↑コテ入れ忘れました (´∀` )♪
>>607 も入れ忘れてますね。
これを書いたのは私です。
618 :
考える名無しさん :2009/08/16(日) 12:25:33 0
みうんこはうんこがよほど好きなんだなあwww
ついでに海外の一般的な大学の哲学科の入試問題 (訳に違和感があるかも) 解けそう? ■哲学は諸科学についての考察をせずに済ますことができるか? ■ある芸術作品が美しいということを他人に根拠を示して説得することができるか? ■「選択」と「願望」の違いについてアリストテレスの文章を読んで、コメントせよ。 ■人は自分自身に嘘をつくことができるか? ■どのような条件の下で一つの活動は労働となるのか? ■「独立」と「自由意思」が相対的な概念ではないかと疑ったニーチェの文章を読んで、コメントせよ。 ■人は何によってある出来事が歴史的であると認識するのか? ■人間の自由は労働の必要性によって制限されるか? ■「実験」と「観察」が単に素材としてのデータを抽出するだけだという見方に対して疑問を投げかけたベルクソンの文章を読んで、コメントせよ。 ■人は知識なしに技能的習熟を持ちうるか? ■正義の支配を実現するとは、単に法律を適用することか? ■人間の自由についてルソーの文章を読んで答えよ。 ■人は美を判断するのか、それとも感知するのか? ■法律は我々に何をするのが正しいかを示しているか? ■「真実」は「現実」の複製ではないというベルクソンの文章を読んで、質問に答えよ。
アウトノミア運動で、メンヘルの女の子とかを 思いっ切り騙しにかかる藤田やポールタイプ。 アウトノミア運動でだめ連や高田馬場のあかね、 ロフトプラスワンに出入りする様になってから、 藤田とかぴかぁ〜とかポールタイプの駄目人間に会う、 神や世界へ反抗するポーズをとりながら、 結局、私腹を肥やす事しか考えられない人間、 結局、一発逆転的なものを狙って、隙あらば 他人を蹴落とそうと考えている人間、 それは要するに、子供って事なのさ、 神に、あるいは世界によって殺される子供の精神、 俺は体系哲学を作ろうとしていた、それは 広松が体系哲学を模索していたり、俺の好きなバタイユが 死ぬまで1個の巨大な体系を計画していたりとか 知ってからの影響もあったかもしんない。 メンヘルのあの子もやがてはポールや藤田タイプという どうでも良い偽者とできあがっていく。
哲学系は当然、構造主義として思想史の中に位置づけます。このためにラカンの言語主体 論はどこからきたのか、というメタラカン学のように理解します。だからそれぞれのラカン理 解では、他の思想との関係の中でラカン理解が作られます。ここ数年、ラカンを引っ張って きたジジェクはもともとハイデガーの研究者であり、また左派思想家であるために、ヘーゲ ル−マルクスからの理解も大きいでしょ。実際は、これらのようにわかりやすい分類でな く、複雑に絡み合い、独自のラカンが作られています。 今の大学は、全入レベルだよ。受験期にちょうど鬱を発症したからね。 世界史が壊滅的にだめで、ナポレオンの時代までは頑張って勉強したが、 現代史を絡めた早稲田の世界史の答案は白紙で出した。 哲学の実践とは言え、人間は結局、 こんな風に堕落してしまうのか?とアウトノミア運動全般に絶望。 なるほど、そこまでして私腹を肥やしたいのか? と当時の俺はホールで見ながら思った。 それぞれのラカン理解は、問題なのか。これはラカンが求めたものであったとも言えます。 精神分析はそもそも学問ではなく、技です。自ら学び、考え、作り出していく。ラカン自身 が、ラカン学というものはないと考えました。そのために読んでも理解できないものしか残さ なかったといっています。他の知識とは違って、ラカン理解とは、自らから自分なりのラカン を作り出す過程といえます。 俺はこれを神を、世界を殺す事によって 子供の精神を守るのだ、そういうモチベーションで 純一統一理論を作った訳だ。 俺は芸術学科だから、哲学科を目指すんなら本当に努力しなきゃ、と思ってる。 中央や首都大は現実的で、今の大学よりも確実に上だから、つよい動機こそないが 妥当だと思ったの。 メンヘルのあの子もやがてはポールや藤田タイプという どうでも良い偽者とできあがっていく、
人間の脳が「物質」であることには、誰も異論がありません。 しかし、脳内には物質以外の「何か」がある(筈)と考える人が居ます。 ・・それは願望思考・自己欺瞞という「観念論的誤謬」です。 人間の脳を構成する千億個の神経細胞は軸索を伸ばし、突端から 分泌する神経伝達物質で、他の神経細胞に情報を伝えるだけです。 勿論、脳内には核分裂のような原子核反応もありません。 分子生物学と生理学の対象分野「分子レベルの現象」が全てです。 「この宇宙」で人間の脳だけが「特殊な物質」であるとする科学的根拠は 全くありません。人間の脳も地球上における「物質の進化」の一過程に すぎず、人間の脳が造り出す『意識』も何ら「特別」ではありません。 『意識』は『クオリア』を持つ動物全部に生成する現象です。 「何を思うか何を意志するか」は、あらかじめ物理・化学法則により 決定されております。自由(意志)感は文字通り『感じ』にすぎません。 量子論の「不確定性」は意識には何の関係もない「単なる観測問題」です。 以上が「超・大統一理論」=量子論と相対性理論の統一後に残存し得る 『唯一の最終真理(思想)』の輪郭です。全宗教全観念論は徒労です。
どうでもいい。 くだらない。 orz...orz...orz.............. しばらん てやん どやん ちやん orz
敗戦の日から終戦の日 そして終戦記念日へと 昭和20年8月15日から遠くなるごとに 呼び名は変わる。 自分や相手の意見が変わる可能性に対して、つねに開かれていること。 一面終戦ではない敗戦だと 咎める人はいます。 それも百も承知で美しい言葉に 創り返す。 いかなる相手の質問にも答えようと努力すること。 魂を鎮める目的もあると思う。 昔から祟り信仰がある日本ですから。 いつまでもとげとげしい言葉を使うのはたくさんだ。 相手の語る言葉の背後ではなく、言葉そのものを問題にすること。 たとえ敗戦が当を得た言葉の使い方であっても。 終戦は事実なのだから 結果を示す言葉を使わなくてもいいじゃないか。 いかなる相手の質問も疑問も禁じてはならないこと
人間の脳が「物質」であることには、誰も異論がありませんよね しかし、脳内には物質以外の「何か」がある(筈)と考える人が居ます。 ・・それは願望思考・自己欺瞞という「観念論的誤謬」ですな。 哲学系は当然、構造主義として思想史の中に位置づけます。 このためにラカンの言語主体論はどこからきたのか、という メタラカン学のように理解します。 メンヘルのあの子もやがてはポールや藤田タイプという どうでも良い偽者とできあがっていく、アウトノミア運動で、 メンヘルの女の子とかを思いっ切り騙しにかかる藤田やポールタイプ。 『意識』は『クオリア』を持つ動物全部に生成する現象です。 「何を思うか何を意志するか」は、あらかじめ物理・化学法則により 決定されております。自由(意志)感は文字通り『感じ』にすぎません。 今の大学は、全入レベルだよ。受験期にちょうど鬱を発症したからね。 世界史が壊滅的にだめで、ナポレオンの時代までは頑張って勉強したが、 現代史を絡めた早稲田の世界史の答案は白紙で出した。 だからそれぞれのラカン理解では、他の思想との関係の中で ラカン理解が作られます。ここ数年、ラカンを引っ張ってきたジジェクは もともとハイデガーの研究者であり、また左派思想家であるために、 ヘーゲル−マルクスからの理解も大きいでしょ。 人間の脳を構成する千億個の神経細胞は軸索を伸ばし、突端から 分泌する神経伝達物質で、他の神経細胞に情報を伝えるだけです。 勿論、脳内には核分裂のような原子核反応もありません。 実際は、これらのようにわかりやすい分類でなく、複雑に絡み合い、 独自のラカンが作られています。
俺は芸術学科だから、哲学科を目指すんなら本当に努力しなきゃ、と思ってる。 中央や首都大は現実的で、今の大学よりも確実に上だから、 つよい動機こそないが妥当だと思ったの。 人間の脳を構成する千億個の神経細胞は軸索を伸ばし、突端から 分泌する神経伝達物質で、他の神経細胞に情報を伝えるだけです。 勿論、脳内には核分裂のような原子核反応もありません。 藤田とかぴかぁ〜とかポールタイプの駄目人間に会う、 神や世界へ反抗するポーズをとりながら、 結局、私腹を肥やす事しか考えられない人間、 結局、一発逆転的なものを狙って、隙あらば 他人を蹴落とそうと考えている人間。 哲学系は当然、構造主義として思想史の中に位置づけます。 このためにラカンの言語主体論はどこからきたのか、というメタラカン学の ように理解します。だからそれぞれのラカン理解では、 他の思想との関係の中でラカン理解が作られます。 今の大学は、全入レベルだよ。受験期にちょうど鬱を発症したからね。 世界史が壊滅的にだめで、ナポレオンの時代までは頑張って勉強したが、 現代史を絡めた早稲田の世界史の答案は白紙で出した。
分子生物学と生理学の対象分野「分子レベルの現象」が全てです。 「この宇宙」で人間の脳だけが「特殊な物質」であるとする科学的根拠は 全くありません。人間の脳も地球上における「物質の進化」の一過程に すぎず、人間の脳が造り出す『意識』も何ら「特別」ではありません。 カント的に、〈普遍〉(共通性)重視の側面から見れば、 同じ主観形式(時間・空間、カテゴリー)に沿って その国際条約を認識しているから、ある程度共通の認識が生まれ、 話が通じる、ということになります。 個人が区分されて、求めなくても平等に分け与えられる環境から、 評価主義、能力主義の社会でよーいドンさせられる訳でしょ。 家庭と学校と社会のシステムが違うと、人格障害が増えるんじゃないですかね。 『意識』は『クオリア』を持つ動物全部に生成する現象です。 「何を思うか何を意志するか」は、あらかじめ物理・化学法則により 決定されております。自由(意志)感は文字通り『感じ』にすぎません。 自分の心の状態が悪くなる時のことを考えてみると(僕は病気ではありませんが)、 僕のイメージとしては、表層的な意識が、表層の中に閉じ込められてしまって、 表層の中でぐるぐる回りしてしまう。そんなイメージです。 『意識』は『クオリア』を持つ動物全部に生成する現象です。 「何を思うか何を意志するか」は、あらかじめ物理・化学法則により 決定されております。自由(意志)感は文字通り『感じ』にすぎません。 だからそれぞれのラカン理解では、他の思想との関係の中でラカン理解が 作られます。ここ数年、ラカンを引っ張ってきたジジェクはもともと ハイデガーの研究者であり、ヘーゲル−マルクスからの理解も大きいでしょ。 実際は、これらのようにわかりやすい分類でなく、独自のラカンが作られています。 量子論の「不確定性」は意識には何の関係もない「単なる観測問題」です。 以上が「超・大統一理論」=量子論と相対性理論の統一後に残存し得る 『唯一の最終真理(思想)』の輪郭です。全宗教全観念論は徒労です。
628 :
考える名無しさん :2009/08/17(月) 16:15:48 0
83 :ザ・スミス:2009/08/05(水) 08:24:59 ID:flPnWRR4
しかし救われないキモッサンと腐婆だな。
メンヘルの自己紹介なんて迷惑なだけなのに
84 :この名無しがすごい!:2009/08/05(水) 08:32:58 ID:flPnWRR4
最低だね。
85 :この名無しがすごい!:2009/08/05(水) 08:43:20 ID:flPnWRR4
嫌われてるな〜こいつら。ま、そらそうだよな。
空気も読めないネットマナーも守れないで痛い自己主張ばっかだもん。
指摘すりゃ発狂だし。糞メンヘル
86 :オレガノ ◆FMllJkCuTg :2009/08/06(木) 00:48:08 ID:NmPeAfm1
>>83-85 哲学板「対話スレ」のみうん(=佃煮マニア=えびね)さん
お大事に。
629 :
考える名無しさん :2009/08/17(月) 16:27:55 0
628で思わず笑ってしまったのは 83、84、85が同一人物なのに あたかも別人格にみせかけようと 低脳丸出しの小細工をしてる点だなw いかにも「みうんこ的知能」といえるだろうw まず83でザ・スミスのHNで書いているのに 17分後の84でわざわざHNを消している。 別人が書いたと思わせたいのだろうか?w まるで小学生レベルの馬鹿であるw そして85で再び書き込んでいるが ごたいそうにわざわざちょっと時間を置いた 11分後に書き込むという見え見えの小細工ww どうもみうんこは複数の書き込みに見せかけたいらしいが 残念ながら IDが同一wwwwwwwwwwwww しかもザ・スミスという文学板のコテの名前騙りまでしている。 低脳であるだけでなく卑劣なクズである。
630 :
ザ・スミス :2009/08/17(月) 20:05:40 0
えっ、なんで俺の名前をここのコテが騙ってんの? へんな書き込みで巻き添えにすんなよ!>みうん
631 :
ザ・スミス :2009/08/17(月) 22:12:24 0
>>630 まあ、なにやってもイイんじゃね?
神がいなければ全ては赦されるぜ!(イワン風
632 :
考える名無しさん :2009/08/17(月) 22:30:07 0
うるさい
633 :
ザ・スミス :2009/08/17(月) 23:28:26 0
>>631 ドストエフスキーは考えが足りないよ。
神がいなかったら赦すとか赦さないという概念は
人間の倫理によってしか定義されないんだから。
634 :
ザ・スミス :2009/08/17(月) 23:31:26 0
ザ・スミスの名前を使うこと自体はいいとしても それで誰かを誹謗中傷するなんてやっちゃ駄目だよ。 しかも名無しも並行して使ってたり なんかジメジメしてんじゃん。
635 :
ザ・スミス :2009/08/17(月) 23:48:49 0
ニーチェもださいよね。神は死んだ、なんてさ。 神は生きてたことなんてないのにね。 そもそも神は存在するとかしないとかの範疇じゃないよね。 どこにでも偏在する時空を超えた天国のような場所と一体化してるから もともと死んでるもととして生きてる、ってことになるし。 まあ今どきドストやニーチェを語っても古臭いってことかな。
636 :
ザ・スミス :2009/08/17(月) 23:56:06 0
やっぱ言葉を問題にしなきゃ駄目だと思う。 ドストエフスキーやニーチェじゃそれがなかったじゃん。 せいぜい意味とか価値なんかを問題にしただけでさ。 言葉そのもののアポリアにメスを入れてないでしょ。 やっぱデリダなんかが強いのはそれをやったことだよね。
ばかものどもは黙っておれ。
自らが吐き散らした汚物の累積の中で、 いまだに女はどうでもいい話を続けようとしていた。
誰が見ても地獄でしかない、此処、この場所で、である。
それは最早、人間の精神とは言い難い「もの」であった。
さっさと次の地獄へ行くがいい。
彼女の肝はすぐに取り出すことができる。とすると、それを母親にわたし なさいという風水師の指示は、たいへんな好意である。それに、その言葉 に劇場主も黒社会も反対しないということは、二人の犠牲が間違いなく城 砦全体のためであり、みんなも自分たちに感謝しているのだ、ということ の端的な証 拠であった。健康な娘の肝は、全員がほしがる貴重品である。 母親にというのはうれしかった。小蘭も微笑んだような気がした。自分の 肝は大陸の偉いさんに贈られるのかな、蘭芬はそう思った。妹の肝が母親 に返されるが、それでいいと思った。自分より少しわがままだった小蘭の 肝の方が薬効が高いかなと思って、喜んだ。仰向けになった小蘭の横に蘭 芬が添い寝をしている恰好になった。解体屋が小蘭の綺麗な乳房の間に包 丁を入れた。白い肌が裂けて、やや黄色味をおびた脂肪、その先に蘭芬に は何とも分からない内臓が見えた。解体屋が乳房の下あたりをぐいと押し た。小蘭の顎が上がり、小さな声がした。蘭芬は思わず小蘭の顔を覗き込 んだ。直後に目線を下げると、もう、切り開かれた胸の谷間から、小蘭の 肝臓が半分出てきていた。内臓だから美しくはないが、小蘭の命が飛び出 てきたみたいで、蘭芬はそっと撫でた。解体屋は何度も押しつづける。そ の度に少しづつ小蘭の肝臓が出てきた。しばらくすると、解体屋が切り裂 いた胸に手を突っ込み、小蘭の肝臓を抱え上げた。蘭芬の手もそれを助け る感じに自然に動いた。二人して母親にお返しする、そんな気持ちだった。
小蘭は蘭分の肩に頭をあずけて静かになった。十数年の短い生涯だったが、 それなりに 激しい生涯であった。小学校の教師をしていた母親に連れら れ、共産党に追われて逃れてきた。後で来るはずだった父親は殺されたら しいとの噂だけが届いた。母親は来ない父親を待ち続けて病気になった。 生活のために、その頃流行りだしたストリップの踊り子になった。思わぬ ことに人気者になった。人気が徒になったか、城砦の解体を狙う香港政庁 への反撃のための生け贄に選ばれた。性器はえぐられて、マスコミ、常連 客に悲劇のダンサーの証として展示される。腰と大 腿の大部分は伝統の火 腿にされる。すでに妹の肉の下処理は終わった。二人の火腿はしかるべき 本土の高官に贈られる。腸などの臓器も塩漬けにする準備が整っている。 もっと下の幹部に贈られるのであろう。城砦の風水師の指示で、小蘭の肝 臓だけは病気の母親の薬になることになった。それはうれしいことであっ た。そんな貴重品を分けてくれるということは、生涯母親の面倒をみ てや るという約束も信じていいということであろう。それなら肉でもかまわな い、正直な気持ちだった。城砦のなかは、もともと女の肉で商売するもの、 豚の肉で商売するもので占められていた。女の肉も豚の肉も同じ商売道具 である。同じ色である。同じ匂いである。女の肉の方 が少ない分だけ、少 し高い。それは資本主義の香港では当然である。本土ではそうでない こと もあった。観賞用、使役用、食用、いろいろあるだろうが、大したちがい ではない。二人の周りを取り巻いていた頭衆の後ろが騒がしくなった。蘭 芬の目に痩せた母親の顔が見えた。もともと悪い母親の顔色が、一層青ざ めて見え た。劇場主が何事かを語りかけている。母親は、「小蘭は分かっ た、もう手遅れだ、城砦のためになるのなら仕方がない、しかし蘭芬だけ は助けてほしい」と嘆願していた。「あの娘の躍りがないと生活ができな い」と叫んでいた。
劇場主が解体屋に合図を送り、解体屋が蘭芬の上体を起こし、母親に見せ た。蘭芬の胸の赤い無惨な切り口が見えた。残った乳房が見事につんと立 っているために、いっそう片方の不在が目立った。「見たろう、蘭芬が小 蘭が欲しがるのでやったのだ、彼女はもう劇場では踊れない」劇場主の声 だ。母親が首を垂れた。蘭芬も申し訳がなくて、うなだれた。劇場主たち は、本心では、蘭芬だけは残すつもりだったのだ。確かに彼のいうとおり、 蘭芬が自ら望んで小蘭にあげたのである。自分もかならず火腿になるとい う証であった。「蘭芬が小蘭一人では可愛そうだという。いい姉妹だ」劇 場主の声。助手が促されて、切り出されたばかりの小蘭の熱い肝臓を抱い てきた。「小蘭の願いだ、母親のお前さんにやることになった、これでお 前さんの肺病も大丈夫 だ」と劇場主。年老いた顔色の悪い母親が自分の娘 の肝臓をわたされ、蘭芬の目の前で、よろよろと座 り込んだ。肝臓を落と しそうになって、あわてて抱き直した。「分かってくれたな、城砦のため だ」劇場主の声に、母親がゆっくりうなずいた。「蘭芬の分は何をもらえ る」突然、母親の声が響いた。一瞬沈黙があり、「調子に乗るな」という 黒社会の男のドスの利いた声がつづいた。「小蘭の肝だって、風水の先生 がいうから仕方なくやるのだ、調子に乗るな」「じゃ、あれならいいだろ う」母親は小蘭の口元に落ちていた蘭芬の乳房を指差した。乳首は噛み切 られて小蘭の口の中にある。「あれなら、小蘭がもらったものだ、小蘭の ものは内のものだ」隣人にはすぐ大声をあげる母親だったが、こわもての お偉方に口応えをするのを蘭芬は初めて聞いた。黒社会はムッときたよう だったが、これ以上老人に強く言うのも何だと思ったのか、黙 った。
解体屋がそれを黒社会の了承ととり、蘭芬の乳房を拾い上げ、水で洗って 母親にわたした。母親は受け取り、小蘭の肝臓とともに胸に抱いた。その まま動かなくなった。十数年ぶりに抱いたわが子である。「じゃ、始めて くれ」劇場主にうながされて、解体屋と助手たちが動き始めた。蘭芬の両 足首に別々に革のベルトが掛けられ、そのベルトが天井から下げられた滑 車付きの鎖に繋がれた。解体場の天井には数本のレールが敷かれ、そこか ら数十本の鎖がぶら下がっている。そ れぞれの鎖はレールに沿って自由に 動かせるようになっている。城砦のすべての解体場が 同じような作りであ る。そのうちの二本に蘭芬の足が繋がれたのである。解体場の奥の方には、 頭と四肢の先を失った豚の胴体が、十数体、直接鋭いフックに引っかけら れてぶら下がっていた。 それに比べれば、蘭芬の扱いは丁寧であったと いえるであろう。助手が鎖の滑車を引き、蘭芬の身体を引き上げ始め、解 体屋の合図ですぐ止めた。蘭芬の身体は、腰から上だけを宙に吊るされた。 背中の半分、肩、頭は床についたままである。さらに解体屋が腕を横に振 ると、助手が勢いよく、二本のフックをレールに沿って左右 に走らせた。 蘭芬の脚が、たちまち開き始め、ほとんど水平の限界まで開いて、蘭芬の 悲鳴とともに止まった。左右に開かれて、蘭芬の身体の位置もいくらか高 くなったが、それでも肩と頭は床についたままである。肉をしっかり固定 するには一番簡単な方法だった。脚がほとんど一直線に開いた。立った解 体屋の胸の高さに蘭芬の腰がきた。解体屋が例 の巨大な中華包丁を持ち、 開ききった蘭芬の脚の付け根の前に立った。解体屋の足の間から、蘭芬は 母親の顔を見ることができた。そのとき助手がバケツの水 を蘭芬の股間に 掛けた。包丁を入れる前に、解体屋はかならず水を掛けさせる。蘭芬は、 腰、胸をつたって落ちてきた塩分のしょっぱさに我に返った。母親のしっ かりした目線と会った。
母親は、小蘭の肝臓と蘭芬の乳房を宝物のように抱きしめながら、娘の最 後をしっかりと見据えようとしている。蘭芬は、よかったと思った。お母 さんが見ているなら、どんなに痛くても大丈夫、もちろん激痛で大暴れす るかもしれないけれど、でも大丈夫なような気がした。中華包丁は、真ん 中の硬い鋼を粘りのある鉄で挟んでつくる。切れ味も鋭いが、何でも 叩き 切れる強さももっている。中華文明の粋という者もいる。豚や牛のどんな 骨でも一撃で両断できる。同時に、柔らかい野菜を彫刻よりも細かく細工 することができる。巨大な包丁で一ミリ単位の芸術を創り出す。もっとも それは北京の 方の得意で、こちらではそんなに暇なことはしない。が、し ようと思えば、できる。そん な、最高性能の包丁である。小蘭でふつうの 火腿を作った。展示用の切り出しも工夫がなかった。蘭芬は小蘭以上の 素 材である。滑車にしっかり繋ぐこともできた。解体屋は、北京のどんな宮 廷料理にも負 けない火腿と、最高の『動かない人体芸術』を作る気になっ た。解体屋の足の間からのぞいている蘭芬の眉がわずかにしかめられた。 備えていた激痛で はなく、ピリピリするような刺激が臍のあたりに走っ た。スーッと蘭芬の腹を一筋の血が流れ、残った乳房の膨らみに押されて 赤い肉色を見せる切られた乳房の切断面に消え、さらに太い流れになって 喉元からコンクリートに落ちた。中華包丁の刃の手元の直角を巧みに使い、 解体屋は蘭芬の臍のすぐ上から、逆さに吊さ れているので実際は臍のすぐ 下なのであるが、蘭芬の皮膚を削がし始めた。それは北京の宮廷料理人が 前菜の大皿盛りのために、鳳凰の爪先をにんじんで削りだしているときの ような繊細さであった。大柄な体格、大振りな包丁からは想像もできない ような仕事ぶりである。解体屋もどこかからか流れてきた人間である。そ の前身が何だったのか、誰も知らない。ただ蘭芬をさほど苦しがらせもせ ず、美しい肌を美しいままでたちまち十センチも削がしてしまう技はただ ごとではない。
厚さ五ミリほど、表皮と皮下組織だけを正確に削ぎ落としていく。蘭芬の 性器の縁から十センチほどの外周を剥いでいく。外周から性器のすぐ近く までを剥がし、性器部分は残したままぐるりと一周するつもりらしい。剥 がした皮膚の下に左手を入れ、右手の包丁でどんどん剥いでいく。濡れて 貼り付いた絹のハンカチを剥いでいるようである。蘭芬の口は叫ぼうか叫 ぶまいかと開いたり閉じたりしたが、苦痛はその境を正確に維持している らしく、結局声は出ない。喉元を流れている血の量も正確に一定で、蘭芬 を驚かすこともない。ほとんど水平に開ききった蘭芬の股間の上を、解体 人の中華包丁と左手がシャッシャッとリズミカルに移動し、外周を削ぎ終 わった。解体屋が蘭芬の身体から一度離れた。剥がれた皮膚は元の位置に はらりとおさまり、わずかに見える丸い線を除くと、以前のままにもどっ た。丸い線は臍の上、五センチほど入った太股、肛門と会陰の間をとおっ て一周している。わずかに血が滲んできれいな楕円形であることがしれる。 解体場にホウという空気が流れた。蘭芬の母親も目を丸くして眺めている。 奇術を見ているようであった。先ほどまでの小蘭の解体は、これに比べれ ば乱暴きわまりないものであった。解体屋が以前は北京のしかるべき料理 人であったことがはっきりした。もちろん、だか らといって何ということ もない。今は城砦の豚の解体屋である。城砦には彼のような者がいくらで もいた。解体屋は端に吊るされた豚の胴体から、直径三十センチはあろう かというもも肉を切り出して蘭芬の横に置いた。助手が小蘭の解体の土台 になった豚を胴の真ん中で二つに切断し、それぞれを床に広げている蘭芬 の腕の上に置いた。蘭芬の右腕の上に豚の頭、左腕の上に豚の尻が乗った。 蘭芬は顔を左右に動かして、自分の倍も大きい奇怪な顔と、巨大な白い尻 から伸びている細いシッポを見比べた。なぜそんなものが置かれたのか、 蘭芬には最初分からなかったが、すぐ身動きができなくなったことに気づ き、これから本格的な解体が始まることを知った。激痛に自分が暴れない ための重しにちがいない。ただ、すぐ横に置かれたまん丸い豚のもも肉が 分からない。
解体屋が劇場主たちに説明をした。「明日展示する蘭芬の最高の『動かな い人体芸術』を作ります。小蘭のを切り出して分かったのですが、女のあ そこは、そのままでは貧弱です。切り出して飾っただけでは、豚のものも 変わりません。汚らしい肉にしか見えません。北京の大皿盛り、それも格 別のものを作らないとこの娘たちの気の毒です。蘭芬のあそこを薄く剥ぎ ます。穴の底まで薄く剥 ぎます」疑わしそうな頭たちに、「できます、で きます。まあ見ててください。もちろん初めてですが、私も少しは名の売 れた料理人だったのです。薄く削いだ蘭芬のあそこの肉を、この豚のもも 肉に張り付けます。もも肉が大きすぎる?蘭芬の肉は柔らかいですから倍 くらいには伸びます。ちょうどいい大きさです。綺麗な最高の人体芸術が できます。本物より倍は大きくなりますが、それでやっと見栄えがする大 きさになります。もちろん穴の底まで本物ですから、見た者全 員がショッ クを受けますよ。効果絶大です」「それに火腿の方も、最高になります。 薄くしか股間の肉を取りませんから、たっぷり肉の詰まった最高の火腿が できます。どなたに贈られるか知りませんが、こちらも効果絶大、間違い なしです。先にすました小蘭が気の毒になりますが、しょうがありません。 ま あ、できるだけ調整はしますがね」蘭芬は人ごとのように聞いていた。 性器周りの肉を半分は削がれていたし、妹の小蘭の 解体を見たばかりでも あったが、現実感が薄かった。蘭芬の心が執着を完全に放棄したのであろ うか。蘭芬は、母親も同じだったかも知れないが、自分の性器ができるだ け美しく飾られて、 城砦を守るためにできるだけ有効に使われることはう れしかった。自分の火腿が充実する のもうれしい。これまでは存外に楽に 切ってもらえた。ただ、これから先の蘭芬の臓器は格段に複雑に なる。ク リトリスの根も抜かなくてはならない。穴の底まで薄く削ぐとは膣の円筒 形の肉を子宮まで半分の厚さで削ぐということであろうか。
解体屋が劇場主から先ほど切り出した小蘭の性器を受け取り、水ですすい でもう一度頭たちに見せた。たしかに女性の性器であることも分かりずら い。豚の性器との区別もつかない。小蘭の薄い陰毛と奇麗な皮膚の色がわ ずかに若い娘のものであると知らせるが、そ れも定かではない。小蘭を切 り出しながら、解体屋はそのことに気付き、対策を立てていたわけで、や はり ただ者ではない。解体屋は豚のもも肉の中央に、縦にうすく溝を作っ た。その溝の真ん中に深い穴を掘った。巨大な中華包丁では不可能に思え る作業だが、簡単にやってのける。掘った穴に太い指を入れ、穴をスムー スに仕上げる。直径三十センチほどの丸い肉である。これいっぱいに蘭芬 の薄く切り取った性器を張り付け、膣の部分を今掘った穴にはめ込もうと いう策である。小蘭の本物と比べると、完全に倍以上の大きさである。北 京の宮廷料理の誇張であり、九龍城砦の戦いの決意であった。解体屋は、 切り出した小蘭の性器を手の上にのせたまま、蘭芬に振り返り、話しかけ た。「今説明したとおりだ。これからお前の大皿盛りを作る。お前のもの は形も色もいい。み んなが驚くような最高のものができるはずだ。火腿 の方も、どんな北京のお偉方でも見た ことがないような、身の詰まった 極上品ができるだろう。妹の小蘭には気の毒だが、仕方がない。小蘭もお 前に負けるのなら、別に口惜しくもないだろう」床の蘭芬の顔を覗き込ん で、解体屋は静かに話しつづける。蘭芬の顔は豚の頭と尻尾に挟まれて、 いっそう可憐であった。蠅が一匹飛び回っているのを、大きな黒い目が追 っている。「俺は全力を尽くす。自信もある。それでこれから俺がやるこ とをお前に知らせて、お前自身に選択をしてもらいたいのだ。どちらにし ろ、これからの作業は俺とお前の共同作業 だ。お前にもそれくらいの権利 はある。
最初にお前の股の皮を剥ぐ。もう大方は剥いだが、肝心なところは残って いる。これか らが大変なところだ。お前の子袋の奥まで薄く剥がす。だか ら、小蘭のときのように乱暴にばっさりやるわけにはいかない。少しづつ 少しづつ切り出していく」「俺も大変だが、お前も大変だ。時間がかかる し、痛いはずだ。もちろんいくら叫んでもかまわない。暴れられると困る が、それはできないからまあいい。剥ぎ取ったお前の皮をこの豚のもも肉 に張りつける。ただでさえ綺麗なお前の肉は引っ張られてもっと綺麗に見 えるはずだ。お前の肉のひだひだも伸ばされて少しすっきりする。今がよ くないといっているのではない。今もいいが、もっと良くなる」「出来上 がりの大きさは、引き伸ばされて、この小蘭のものの倍くらいになる。大 きくなるが、ずっと奇麗になるのだから、気にしなくていい。おれが、さ っきから気にしているのは、その素晴らしいお前自身の大皿盛りを、お前 が見たいと思うかどうかということだ」蘭芬はよく意味が分からなかった らしい。きょとんとしている。「つまり、俺はお前に見てもらいたいし、 お前が最後まで生きていた方が、仕上がりも奇麗になる。だが、お前みた いに若くて健康な娘が、少しづつ切り捌かれるとなると、元気なだけに痛 みも大変だ」「小蘭のように乱暴に処理するなら、時間もかからない。我 慢する時間も少なくなる。でも今回は、俺も時間をかけて最高の大皿を作 りたい。当然お前の苦しみも長くなる。それで、俺の質問は、もしお前が 自分の展示品を見なくていいなら、お前の細い首を最 初にさっと切ってや ってもいいのだ。それだとお前は簡単に死ぬ。苦しくもなんともない。 ただ、それだと、お前は、最高のお前自身の展示品を見られない。どちら を選ぶかって質問なのだ」
解体場の全員が固唾を呑んで、蘭芬の答を待った。「できるだけ叫ばない ようにしますから、殺さないでください。もし泣いたりしたらご免なさい。 でもその時も、そのまま続けてください。妹の小蘭が我慢したのですから、 わたしも我慢します。小蘭より、丁寧に切ってもらうのですから、もっと 我慢します」少し時間を置いて、「わたしにも、先生の作品を見せてくだ さい。わたしも最高に奇麗なわたしを見たい。劇 場でも、今日まで、みん なが奇麗と褒めてくれたのですが、わたし、自分のそこを見たことがない のです。わたし、わたしの火腿も見たい」「分かった。大変だろうが我慢 しろ。自分を豚だと思うと痛くない。豚は一匹残らず解体されるのだ。お 前も同じことだ。人だと思うな。お前は奇麗な豚だ。奇麗な豚の性器を剥 がして汚い豚に張り付ける。ただ、火腿は見られない。気の毒だが仕方が ない。臍の下で真っ二つになって、それで生き続けることはできない。そ れでもお前は小蘭の火腿を見られたのだ。小蘭の火腿もお前の次に立派な 火腿だった。それで満足しろ」蘭芬は、こくりとうなづいた。「じゃ、始 めよう」解体屋の声。蘭芬の母親が歩み出て、解体屋に小声で話し、蘭芬 の横に座った。蘭芬の腕全体を押さえていた豚の上半身と下半身が、肘の 先の方に移された。母親は、先ほど蘭芬が小蘭にしてやっていたように、 蘭芬の頭を自分の太股の上に置き、頬を撫でて、抱いた。蘭芬のいましめ にいくらか余裕ができた。鎖がゆるみ、蘭芬の身体が斜めにかしいだ。解 体屋は助手をうながし、鎖をその分巻き上げさせた。「じゃ、始めよう」 もう一度、解体屋の声。臍の上の切れ目(逆さ吊りになっているので実際 は臍と性器の間の切れ目)から、左手を入れ、皮膚の剥がれた部分を持ち 上げ、裏返した。蘭芬の臍の下からクリトリスの手前までの赤い身が見え た。
蘭芬が唇をなめた。自分の臍越しに解体屋の動きはよく見える。母親が彼 女の額にかかった髪の毛を払ってやった。中華包丁の角の刃の切れ味は鋭 い。皮膚と肉の境に軽く触れただけで数センチも切り進 む。中央のやや白 っぽく見える筋を残して、臍のすぐ上の一帯が剥がれた。解体屋が左手の 指でその筋を撫でると、蘭芬の全身がピクリと震えた。口をとがらしてい る。蘭芬のクリトリスの根である。解体屋がしばらくそこを揉みほぐすと 蘭芬のお腹が微妙にねじれ始め、目が閉じられ た。母親が次の事態にそ なえて、蘭芬の上にかがみ込み、強く抱いた。蘭芬の視界から解体屋が消 えた。解体屋は白っぽい根に刃を当て、押し切った。蘭芬の身体が跳ねた。 くぐもった声が漏れた。母親が抱きしめていなかったら、城砦中に響いた 叫びであったろう。蘭芬のクリトリスの根が切断された。解体屋はそのま ま刃を進め、膣の周辺を綺麗に削ぎ剥がした。そして、削ぎ取った皮膚を まとめて握った。解体屋の手に握られた白い皮膚は、切り残してある膣の 入り口だけで、蘭芬の本体の肉とつながっている。解体屋は左手に握った 皮膚の束を引っ張り上げた。膣との結合部分が引き上げられ、赤い身がそ こで山型になった。引っ張りながら、肉と皮膚の結合部分に刃を入れた。 さっと一センチほどが剥がされ た。そのまま膣の周りを丸く進ませる。円 周を周り終わると、さらに左でまとめた皮膚の束を引っ張り上げ、また一 センチ分の刃を入れる。左手の皮膚の束がどんどん長くなってい った。母 親が上半身を立てたので、蘭芬にもその作業が見え始めた。下から見ると、 何かの手 品で、自分の膣の中からたたんだハンカチが取り出されているよ うに見える。それがどんどん長くなっていく。もちろん奇術ではなく、最 初、蘭芬の皮膚が剥がされ、今は膣壁の粘膜が薄く剥がされている過程で あった。皮膚はともかく膣壁の薄い粘膜を剥がす技量は驚異的であった。
653 :
ナレーション(第三.〇一層) :2009/08/19(水) 23:30:55 0
貴様らぬるくて反吐が出るよ。
654 :
ナレーション(第三.〇一層) :2009/08/19(水) 23:32:12 0
みうん・714、貴様らだよ。
655 :
ナレーション(第三.〇一層) :2009/08/19(水) 23:38:13 0
714てのは「2の章」の78-79とか、何回か話しに来てたやつだろ。 うまくからめねえからってちんけな逆恨みか?www こんな糞みたいな女とつるみやがってwww
656 :
ナレーション(第三.〇一層) :2009/08/19(水) 23:39:32 0
ちいせえんだよw黙ってろってww
657 :
ナレーション(第三.〇一層) :2009/08/19(水) 23:43:25 0
あと誰だ、「藤田とかぴかぁ〜とかポールタイプの駄目人間」か?
タイプって何だよw糞みたいな書き方すんな
>>625 ,626
ばかかおまえ?wwwww
658 :
658 :2009/08/20(木) 01:03:29 0
さて、これまで我々は多くの考察をしてきたが、
まったく何の異論も提示されていないことから
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1249081984/2-31あたりで 行った論証はもはや自明のものとなった、
とみなすことができるであろう。
我々は下記の命題を導き出してきた。
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
●【命題1a】 ●
●X=みうんは継続的に深くA・B・Cの言動をチェックしている人間で、●
●A・B・Cのスレを糞スレになるように自ら荒らしている人間であり、 ●
●荒らすときは名無しや別HNを用いている。 ●
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
●【命題1b】 ●
●](みうん=佃煮マニア=えびね)のHNをつけた書き込みがあるときは荒れず、●
●](みうん=佃煮マニア=えびね)のHNをつけた書き込みがなくなると荒れる。 ●
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
659 :
658 :2009/08/20(木) 01:08:50 0
>>655 >714てのは「2の章」の78-79とか、何回か話しに来てたやつだろ。
なるほど。ふむふむ。
さて、今度はこれまでの考察を続けるなかで、寄り道として、
714=Yについても考察していくことになるだろう。
714がどうしてこのスレに固執=粘着するのか、
ABCのうちの一人がスレ主だったスレを
なぜ714=Yは維持しているのか、
それはABCの立てたスレに対するリスペクトなのか、
それともルサンチマンが動機になっているのか、
そういった714=Yの心理を抉っていくことになるだろう。
660 :
658 :2009/08/20(木) 01:14:37 0
そこからさらに我々は 714=YとABCとの関係性とともに 714=Yとみうん=Xとの共通点についても 見ていくことになるだろう。 他板荒らしが確定した「みうん=X」と 「714=Y」のモチーフとの間の 意外な接点の多さに我々は気づくだろう。 名無し時代の「714=Y」が どういうレスを入れていたかも 今や我々は充分に把握できるはずである。
661 :
714 :2009/08/20(木) 12:34:49 0
>>607 >714さんおひさしぶりです (´∀` )♪
おひさしぶりですが
僕はお盆休み中なので
〜〜 一回休み 〜〜
662 :
658 :2009/08/20(木) 23:03:31 0
>>661 まあそんな逃げ腰になるなよw
取って喰うわけじゃないんだぜ。
口汚く罵られると自分がいい人に思えるのは小人の常である。
664 :
ナレーション(第三.〇一層) :2009/08/20(木) 23:09:59 0
>>661 貴様に言ってんだよ、なんとか言えやう゛ぉけ
665 :
ナレーション(第三.〇一層) :2009/08/20(木) 23:11:37 0
その一回休みの横についてる「〜〜」なんだよwww ふざけてんのかおまえww
666 :
ナレーション(第三.〇一層) :2009/08/20(木) 23:14:39 0
おれらにはお前のいじけた心が丸見えなんだよww わかってんのかこらwwww
まぁ、自分宛のしかもたかが挨拶如きに必死でしがみついてるくらいだからなw
668 :
ナレーション(第三.〇一層) :2009/08/21(金) 22:07:42 0
なんとか言えや714 おい誰かこいつの別コテとか個人情報とか教えてくれやwww
669 :
ナレーション(893層) :2009/08/21(金) 23:49:50 0
わてはよー知らんけどやな 714ってナイヨくんじゃね? 「ぼく知らナイヨ」「ぼく関係ナイヨ」 っていうタイプの 男の腐ったような弱弱しいやっちゃねーかな。 中島義道ファンやから知れとるな
犯罪者をかくまうのも犯罪である
671 :
ナレーション(第三.〇一層) :2009/08/24(月) 23:34:09 0
あいつは東洋思想を逃げ道に使ってるだけだよ
672 :
ナレーション(第三.〇一層) :2009/08/24(月) 23:34:50 0
それじゃ宗教じゃねえか、笑わせるなwww
ちょうどその頃、女はクリトリスの包皮をめくり、先端を爪で刺激していた。
城砦の美術品の偽造屋が、神業的作業で薄い紙を削ぎ分け、一枚の本物の リトグラフから二枚の本物を作り出してしまうのに似ていた。膣壁を削く 作業になってから、蘭芬の苦痛は消えた。先ほどクリトリスを裂かれたと きの衝撃が、まだ頭の真ん中を真っ白にしていたが、不 快ではなかった。 今。蘭芬は、解体屋の見事な技の一番熱心な観察者であった。下から見上 げると、自分の股間の赤身が異様であった。でもそこは火腿になる部分で ある。解体屋があれほどの自信をしめした以上、それは最 高の火腿になる のであろう。剥ぎ取られ、今は解体屋の左手の中に握られている部分が性 の道具であり、赤身の部分 は食肉である。そういう目で見ると、奇麗な肉 である。自分の肉ながら美味しそうに見えた。無数の神経が集まるクリト リスをまず切断し、蘭芬の全身を苦痛で満たし、その激しい苦痛が引いて いく過程の中に、他の苦痛をすべて紛れ込ませる。それは解体屋のさすが の技量であった。そのかいあって、蘭芬は静かに、穏やかな表情で解体屋 の作業を見ていた。いくら若くて弾力があったとしても、数ミリの厚みし かない膣壁を、破らずに二枚に切り分けることは至難の業である。解体屋 は細心の注意を払いつつ、刃を進めた。 蘭芬が暴れないのはありがたか った。巨大な中華包丁で微細な作業をすることはできる。しかしさすがに 突発的な動きに対処するのは不可能である。ここで蘭芬を驚かせ、ピクリ と跳ねさせたら終わりである。蘭芬 のこれ以上ない美しい皮膚と膣壁を傷 つけてしまうであろう。そうだ、蘭芬、いい娘だ、そのまま、そのまま。 解体屋は心の内で声を出した。子どもたちが花を摘み花弁を引きちぎって 遊ぶように、蘭芬の花びらがちぎられ、中心の雌しべが引き抜かれようと していた。解体屋の作業はすばやく、サクサクと蘭芬の粘膜を削いでいっ た。クリトリスの位置から肛門の近くまで左回りに切り進み、また元の位 置に戻って、今度は右回りに肛門に向かう。
一周するたびに、皮膚の束を掴んだ左手を上げ、膣を引き出しながら作業 をつづける。皮膚と本体のつなぎ目は、終始山型に引っ張られ、蘭芬の股 間のすべての肉、脂肪に一定の張りを保っていた。その張力のために、蘭 芬の肉はきれいに割けていく。膣は少しづつ引き出されていたので、解体 人は同じ位置を切り込むだけで、最深部まで切り出すことができる。北京 の宮廷料理人の手練の技である。蘭芬は下から見上げながら、自分の内臓 が引き出されていく心許ないような不思議な感覚を味わっていた。下腹部 が微妙にへこんでいくように見える。クリトリスを切断されたときの強烈 な痛みの半分が去っていた。少しづつ、膣の粘膜が割かれている今の感覚 が戻ってきた。身体を伝わって直にサクサクという音が聞こえる。リズミ カルな音がどんどん大きくなり、頭の中いっぱいになってきた。苦痛はな かった。母親の手が、ときどき蘭芬の額を撫でる。幼い頃、眠る前にそう されていたのを思い出す。今も眠る前なのである。クリトリスの根も白っ ぽかったが、膣の底、子宮口も他の部分より白く見える。筋肉、繊維が多 いからであろうか。切り進んできた解体屋が、左手の性器の薄切りの束を 強く引き上げた。蘭芬の股間が高く盛り上がった。白い子宮口が覗いた。 蘭芬の膣は最深部まで粘膜を完全に切り離され、子宮が顔を出したのであ る。解体屋は誇らしげに見物の頭衆を見回し、中華包丁を横に構えた。 「蘭芬、よく我慢した。ここを切り離すと大皿盛りの準備は終わりだ」下 の蘭芬に声をか けた。蘭芬は、ともかく一段落はしたのを知り、微笑んだ。 母親は、なぜか「どうも有り難うございます」と礼を言った。
解体屋は、左手の剥がされた性器の皮の束、逆さに吊られ山型に引っ張ら れている股間、その間を繋いでいる白身肉に包丁をあてた。スッと押した。 蘭芬の若い肉はゴムのように弾けて、上下に走った。上に跳ね上がった性 器の皮が、解体屋の手を叩いた。膣口の肉が下に落ち、入口まで引き出さ れていた子宮が勢いよく体内に戻った。蘭芬のへこんでいたお腹がふくら み、少年の体型から娘の体型に戻った。助手が股間の傷口に丁寧に油紙を 当て、ガラガラと滑車を下げた。蘭芬は母親の膝を枕にしてコンクリート に横たえられた。母親がしきりに「お前、大丈夫か」と繰り返している。 もちろん大丈夫ではないのだが、蘭芬は「大丈夫」と応えた。母親は安心 した顔をした。劇場主が合図を送ると、奥から五十センチほどの併盤用の 大皿が出てきた。併盤の併の字は、本来、手偏でなくてはならない。しか し、こちらのワープロではその字を見つけられない。仕方なく、人偏の併 を使っている。併盤の意味は、何種類かの肉を使って作る豪華な装飾的な 料理のことである。この場合の何種類かの肉とは、蘭芬と小蘭の肉のこと になる。大皿の上に、小蘭の性器がちょこんと載せられた。その横に、解 体屋が先ほど切り取っ た豚の丸いもも肉を載せた。こちらは大きい。こん もり盛り上がって、小蘭の肉の数倍に見える。解体屋は切り取ったばかり の蘭芬の性器の薄切りをバケツに入れ、丁寧に洗った。バケツの水がピン ク色に変わる。しばらくして取り出された肉は、皮膚の面を見せ、奇麗な 肉色であった。蘭芬の皮膚を豚のもも肉に被せ始めた。中央の溝に蘭芬の 割れ目を合わせ、膣をあらかじめ開けておいたもも肉の穴に押し込んだ。 解体屋は、蘭芬の性器に太い指を差し込み、粘膜と穴をぴったり合わせよ うと盛んに出し入れしている。蘭芬が下からじっと見ているのに気づき、 妙な笑い顔を作った。解体屋は、人気絶頂の踊り子の性器に指を入れる特 権を感謝していたのであるが、それが妙な顔になったのは、切り離す前に 入れたかったものだ、と不意に思ったからだ。
蘭芬の新しい膣ができあがった。彼女の皮と豚の肉の合体である。続けて 解体屋は、四方に蘭芬の皮膚を引っ張り、もも肉の底にまわして、ピンで とめていく。たちまち豚の赤身は蘭芬の白い肌で被われ、盛り上がった白 い肉塊ができあがった。蘭芬の肌は、剥ぎ落とされる前より、引っ張られ て透明感が増した。大陰唇は伸びきり、わずかな不透明感と脹らみが残っ ている。小陰唇も色が薄くなり、形がすっきりした。蘭芬の股間について いたときより、十歳は若返ったようだ。幼児のもののように見える。裏腹 にクリトリスは、根を切られて飛び出してきた。二、三倍に膨れたように 見える。包皮が完全に剥けている。蘭芬の股間にあるときは目立たなかっ たが、今は、はっきりと白く見える。膣は大きく開いている。数センチの 奥まで覗ける。もちろん四方から引っ張られているせいで当然なのだが、 卑猥である。蘭芬の性器はある部分は幼くなり、ある部分は成熟して、全 体としては倍ほどの大きさになった。幼い大陰唇と小陰唇の性器が、巨大 なクリトリスを剥き出し、大きく膣口を開けて、大皿の上に載っている。 それは若い青年たちの空想の女性性器そのままであった。本物の性器より はるかに本物であった。そのことが、横の小蘭の性器と比べるとすぐ分か った。小蘭の性器はたしかに本物で、ほんのちょっと前まで、動いていた 性器である。それがすっかり真実感を失い、作りものに見える。切り取ら れなかったら、あるいはしばらくは存在を主張できたかもしれない。しか し、一度切り取られると、性器はもう性器ではなくなる。あれほど劇場を 沸かした小蘭の性器でさえ(妹の方が、見せっぷりという点では、姉より 気前がよかったのである)、今は、みすぼらしい塊り肉であった。それは たとえば、どんな美人の愛らしい目であっても、抉り抜かれて目だけにさ れたら、気味悪いだけで、だれも愛らしい目だとは言わないのと同じであ る。
もちろん性器は目よりも、切り出された後の価値は普遍的に高い。それは ここ城砦内で あっても、香港市街であっても同じである。目を抉り抜く犯 罪者と性器を抉り抜く犯罪者とどちらが多いかを考えれば、すぐ分かるこ とではある。蘭芬の性器は切り出されて価値を高めた。さすが北京の宮廷 料理人である。現実の窮屈な制約から開放されて、空想、妄想、理想の性 器になったように見える。透きとおるような肌の色。微妙な大陰唇の脹ら み。遠慮がちに襞を重ねる小陰唇。剥き出された巨大なクリトリス。開き きり、奥まで見えている膣。すべての青年たちが納得する形の性器であっ た。お祝いのときの特別な饅頭のように、大きくてふくよかな性器であっ た。蘭芬もそう思ったし、母親もそう思った。誰もが知らず知らず触って しまうような若々しい色合いと弾力。生まれたてのように汚れていないシ ンプルな構造。それでいて真珠の大玉のようなクリトリスの下に、腕ごと 差し込めそうな大きさで膣がぱっくり開いている。天使と悪魔が同居した ような性器であった。すさまじい存在感であった。蘭芬の性器は、差し渡 し五十センチの併盤のやや右寄りに置かれ、その横に妹の小蘭の性器が置 かれた。妹の性器の方が中身まで一緒に切り取ったという意味では本物で あった。しかし、そちらは、つい二十分前まで生きていたものとは思えな いほどに変色し、弾力を失っている。「小蘭のは汚いな」若い助手の一人 が思わず声に出し、あわてて口を押さえた。母親が顔を上げた。すさまじ い形相であった。城砦の隣人に、やれニワトリを盗んだろう、自転車を壊 したろう、と何かと言いがかりをつけ嫌われていた母親であったが、それ でもこれほどの顔はめったに見ない。「お前のものはそんなに奇麗なのか」 地獄の底からの声のようであった。「お前らのために切り出させてやった のだ。城砦のために痛い目にあってやったんだ。それを、お前は汚いと言 うのか」「汚いと言われてまで、お前らにわたす義理はない。返してもら う」母親はいよいよ猛り狂いだした。いつものヒステリーであった。
若い助手は青ざめ立ちつくしている。「お前のものはそんなに奇麗なのか」 もう一度繰り返した。蘭芬がいつものように「いいよ、もういいよ、お母 さん」となだめた。ただ小蘭の性器を汚いと言われたことは、蘭芬も悲し かった。生きながら抉り抜かれる苦しみはどれほどのものか、正確には、 まだ彼女にも分からない。クリトリスの根を切られたときの衝撃で、いく らか想像はできる。しかし、それは、いくら敏感でも小さな部分にすぎな い。蘭芬の肌と粘膜は剥がれただけである。性器をまともに切り込まれ、 腰を切断された小蘭の苦痛はそんなものではなかったであろう。そうまで して城砦に提供した性器を「汚い」と言われたら、それは小蘭は悲しいだ ろう。これから自分も同じような処置をされるのであり、その後でどこか の肉を「汚い」と言われたら、やっぱり悲しいだろう。ただ、蘭芬はその 若い助手を責める気にはならなかった。切り取られた小蘭の性器は、たし かにみすぼらしかった。それはみんなが思ったことであり、青年だけの責 任ではない。また、みすぼらしくなったのは解体屋が何もしなかったから である。小蘭の責任ではない。小蘭の性器はまったくふつうの性器だった のだ。蘭芬の性器と比べてみすぼらしいといっても、それは解体屋が宮廷 料理人の技を使って、蘭芬の性器を特別に処理したからであり、彼女の性 器が最初から優れていたからではない。大体、あんな直径三十センチもの 山のように盛り上がった性器が実際に股間に付いていたら、歩くことさえ できないであろう。膣だって、馬に入れてもらわなくちゃ。皿の上の蘭芬 の性器は、見せ物であり、ショーのための性器である。北京の宮廷用の性 器である。小蘭の、本物のままの実用品の性器が見劣りするのは当然なの だ。それを青年が口にしたとしても、罪はないはずである。ただ「汚い」 と言ったことは、無神経に過ぎた。「お前のものはそんなに奇麗なのか」 母親はなおも言いつのっている。若い助手はいよいよ青ざめて震えていた。 劇場主と黒社会が小声で話し合っている。
青年は事態がただならぬのを悟り、振り返って逃げ出そうとした。「分か ったよ、ばあさん。お前さんの気持ちは分かった。確かに、お前さんとこ の娘だけに城砦の犠牲になってもらうのは気の毒だ。お前さんの気の済む ように、その青年の奇麗なものを切り取ることにする。だれもそんなもの をもらいたくはないが、それでばあさんの気持ちがすむなら仕方あるまい」 蘭芬は何かを言おうとしたが、母親に止められた。まあ、いいか、どちら でもいいことだし、蘭芬は青年に助け船を出そうとしたのだが、止めた。 逃げ出そうとした助手は、左右から黒社会の人間に抱えられた。青年は盛 んに手足をばたつかせたが、専門家にはまったく通用せず、たちまち両足 を滑車に吊り下げられた。促された解体屋が、裾から包丁を入れ汚い青年 のズボンを切り開いた。さらに汚い下着が出てきた。「そんな汚い下着の くせに、よく人のことを汚いと言えたな」母親はまだ毒づいている。蘭芬 がたしなめた。下着も切り裂かれた。陰毛が見えた。性器は縮んでほとん ど見えない。「お前の自慢の奇麗なものが見えないじゃないか」青年は、 助けてくれ、助けてくれ、と必死に叫び続けている。吊るされているのは、 解体屋の助手である。知人の息子を預かったのである。解体屋も 穏やかな 気持ちではない。このばか息子のことを、その知人にどう弁解しようか、 と思いめぐらした。しかし、ともかく今は、目の前のお偉いさんの言うと おりに動くしかない。それが城砦で長生きする方法である。解体屋の包丁 が偶然、青年の太股に触れた。軽く切れ、血が滲んだ。ギャッという絶叫 が上がった。全員が何事が起きたのかと、驚いた。それが、わずかな傷の せいであると知って、全員の心が冷えた。小蘭は中華包丁が見えなくなる ほど股間に切り込まれた。右から切り込まれ、左から切り込まれ、性器を 子宮まで抉り出された。骨盤から上半身と下半身を切り離された。肝臓は 母親のために抜かれた。
蘭芬もすでに片方の乳房を取られた。股間の皮膚と膣の粘膜を長時間かけ て削ぎ剥がされた。それで、二人とも、青年のようには叫ばなかった。運 命を受け入れ、苦痛にたえようと闘った。この青年はわずかに包丁が触れ ただけで、ほんの少し切れただけで、無条件に怯え切り、絶叫を上げる。 それで、小蘭の肉を汚いなんて・・・、解体場で一番温かかったはずの蘭 芬の心も冷えた。解体屋も、青年の父親の顔を振り払った。こんな青年で は、どっちみちまともには生きられない。おちんちんはあってもなくても 同じだ。そう思った。気が楽になった。解体屋は、汚いものを触るように 青年の陰毛の中をまさぐり、陰茎と陰嚢を引き出した。小さな性器であっ た。恐怖で醜く縮んでいる。子猿のもののようである。ぶよぶよして切り にくい。青年の叫び声にうんざりしながら、解体屋は包丁を前後に動かし た。他の助手が青年の胴体を左右から押さえていた。蘭芬が性器を剥がさ れながら、ほとんど暴れず、小さな呻き声を出しただけだったのが、奇跡 のように思えた。クリトリスの神経を切断したときも、一瞬硬直しただけ であった。それなのに、この青年ときたら、外に飛び出た邪魔者を切り取 るだけで、この騒ぎだ。男とはこの程度のものかと、しみじみ思う。青年 の絶叫とともに、陰茎と陰嚢を切り取った。包茎の先を摘んで床に投げた。 汚れた肉片が豚と人の血と脂肪で汚れた床に立った。肉片の下の方からは、 陰毛が生えている。まばらで貧しい感じだ。人の性器とは、貧相なものな のだ。それだけを切り取るとよく分かる。とくに男性器は丸いゴミにしか 見えない。どんなに自慢の逸物でも、切り取ると驚くほど小さい。腰につ いているときは、屹立して立派そうに見えたものでも、ミミズほどの存在 感もない。
「お前のものは、小蘭のものよりずっと汚い」母親が、その小さいゴミを 指差しながら、毒づいた。確かにその通りであった。青年は、抱えられて 出ていった。城砦には歯医者ほどではないが、医者もいる。黒社会の命令 であれば、なんでもする。適当に処理するであろう。尿道だけを確保すれ ば、問題はない。青年の将来もそう暗いものではない。それなりの商売は ある。母親と蘭芬の気持ちは、救われたようでもあり、いっそう救われな くなったようでもあった。蘭芬には、ここまできた以上、火腿になる以外 の道はない。だらしのない青年に人生の選択がまだ残っているのに比べる と、切ない。小蘭が待っている。そう思って、蘭芬は切ない気持ちを支え た。母親のことは、城砦全体が守ってくれるだろう。青年の去勢も、その 決意を見せるためである。もう一刻も早く、全身を処理して欲しい、そう 思った。蘭芬の両脚が今度は纏めて鎖に繋がれた。そのまま先ほどより遥 かに高く吊り上げられた。母親は同じように蘭芬の頭を抱えていたが、そ の抱えた頭も、床、太股の上、腰の高さへと見る見る引き上げられ、座っ た母親の顔と同じほどの高さにきて、やっと止まった。男女であれば、顔 と顔が向き合い、逆さであることを除けば、抱擁するに適当な位置であっ たが、母娘であればちょっと躊躇う。が、これは娘の最後である。母親は 頬と頬を逆さに合わせて、ひしと抱きしめた。助手たちが、蘭芬の身体に バケツの水を何度も掛けた。白い身が鮮やかに浮き出てきた。股間と乳房 の削ぎ痕からわずかに赤い血が流れてくる。血の塩味か、城砦の水の塩味 か、母娘の涙の塩味か、二人は抱き合いながら、その時を待っていた。解 体屋は中華包丁を横に構え、蘭芬の正面に立った。「もういいだろう」と 声をかけ、母親を一メートルほど離させた。
蘭芬の臍の上に包丁を当てた。先ほど剥ぎ取った股肉のすぐ下であるが、 脚が閉じられているので、開いたときのように赤身は目立たない。蘭芬の 全身は真っ白に見えた。数ミリ、刃が蘭芬の肉に入った。真っ白な肉にわ ずかに赤い血が流れ、息を呑むほどに美しい。そのまま解体屋は蘭芬の周 りを回り始めた。細い赤い糸が幾筋も落ち始めた。蘭芬は声を上げない。 またも解体屋は苦痛の限界点のすぐ下で作業をしているらしい。蘭芬は胸 を大きく上下させ、可愛い口を開いているが、それはむしろ逆さ吊りの苦 痛のためのようであった。解体屋は二周目を始めた。助手が水を掛けつづ ける。蘭芬の美しい身体が赤く染まったり、白く戻ったりを繰り返した。 二周目は、さらに数ミリ深い。しかし包丁は正確に同じ位置をたどってい る。手練の技である。三周目に入る。さらに数ミリ深い。傷口が目に見え て開き始めた。蘭芬の口が悲鳴の形に開きかけて止まる。四周目で、蘭芬 の肉がめくれ始めた。アアッという蘭芬か母親の声が洩れ始めた。五周目 で、蘭芬の外郭が完全に開き始めた。その開いた口が外側にめくれ、内臓 が見え始める。すぐにゆっくりと各方向に流れ始めた。解体屋が蘭芬を離 れた。母親が蘭芬の頭を抱えに走り寄る。抱き取ると同時に、蘭芬の身体 が突然の満開を迎えた。内側から押し出されるように、真っ赤な花弁が次 から次に現れた。大輪の花であった。まちがいなく蘭の花である。上半身 が白いガクである。赤い花弁は臍の上で咲いた。その花の中央にすんなり と伸びた脚が、めしべのように細かく震えていた。可憐な白い蕾から豪華 絢爛たる花が開いた。赤、紫、茶、黄、あらゆる色が同時に現れた。その 花の下で、母と娘が最後の抱擁を繰り返していた。解体屋は冷静に股間部 と繋がるパイプ類を捌き始めた。蘭芬はほとんど声も上げずに、その若い 身体を捌かれていった。すべてが終わり、母親は分けてもらった小蘭の肝、 蘭芬の乳房を抱きかかえながら、よろよろと立ち上がった。