1 :
考える名無しさん:
もう少し続けてみるか。
だれか立てていたら、ごめん。
2 :
考える名無しさん:2008/08/22(金) 17:28:59 0
前スレの議論を引き続きお願いします。
3 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/08/22(金) 17:41:02 0
1さん、乙です。
>>993 そうですか、浮気に関する現実についての問いを試金石にして、哲学自体の意味にまで
せまろうとしていたのですね。実験的ですね。
4 :
考える名無しさん:2008/08/22(金) 17:56:31 0
5 :
考える名無しさん:2008/08/22(金) 18:02:40 0
6 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/08/22(金) 18:14:24 0
前スレの967は自分の心境を吐露してしまったようですね。帰属的語句がすでにあるということは
前例があるということであるし、無い場合に説明を自分の中で作ることは、迷いから立ち直って、
対応的処置をとれると言うことでもある。処置のない場合はお墓を立てる。
3
哲学の意味というよりは
合理的討論の意味を問うている
合理性を放棄した哲学もあるだろうから、、、。
ネコが言うような
「答えが確定できないような議論や、答えの基準が明確になってない議論は意味がない」というのは
かなり素朴
答えが分からない以上、問うのは無意味、
というのは、サボり魔特有の受験生根性だろう
そのようなテーゼはたいていの本では序章で斥けている
そうではなく、言葉を使用し対話を正常に行わせる前提となる、存在についての客観的理念それ自体を懐疑にかけることもできる
この理念そのものに何か致命的欠陥はないのか
うんこな発言こそ正しくて、真偽を気にする言葉の使い方が間違っているかもしれない
うんこな発言を斥けるだけのものを合理主義哲学はもっているのだろうか
これが俺なりのメインテーマ
8 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/08/22(金) 19:00:59 0
>>7 存在についての客観的理念というのはデカルトの我思う故に・・・と言うやつですか。
合理的討論が成り立つときに、客観的理念に基づいてやっているわけではないと思うのですが。
むしろ、存在については主観的な理念がありさえすれば、合理的に討論することは可能である
というか、討論の際に存在が問題になるのはどういうときでしょうか。
8
いや、「我思うゆえに我あり」じゃないな
存在についての客観的理念を分かりやすく言うと何だろう?
たいていの人間は真と偽を区別しているし、
事実についての発言は真理要求があることを踏まえて発言している
そうしたいくつかの前提を受け入れた上で会話は成り立っている
会話が成り立つには、「でも〜だぜ、その発言おかしくない?」と言われることができるように言葉が使われていなければならない
そのように言葉を統制する何かを議論では前提としている
この何かを「客観的理念」と俺は呼んでいる
ここでは事実を問題にしているので「存在についての」と修飾したが
価値についても同様だと俺は考えている
(つまり、当為についての客観的理念もあるだろうと考えている)
10 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/08/22(金) 20:20:52 0
>>うんこな発言
「思考の敗北あるいは文化のパラドクス 」
著 アラン フィンケルクロート
と言う本がおもしろそうなので、読んでみようと思っています。
>>客観的理念
話の合う人と合わない人がいることを考えると、客観的理念というよりは、間主観的理念というほうが
よりよいのではないかと思います。
11 :
天才君:2008/08/22(金) 20:38:04 0
>>客観的理念
馴れ合いのが解りやすいでしょう。
ハウスルールとか…。
もっといえば、「空気」とか。
12 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/08/22(金) 20:42:04 0
>>11 天才君は孤高だね。その精神力の強さを見習いたいです。
13 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/08/22(金) 21:59:13 0
>>9 あなたは理想家だとおもいます。個人個人の違いを認めながらも、その共通の性格から
当為に客観的理念を見いだし、存在(現象という意味でいいですよね)にも物理的、生物的
成り立ちから客観的理念を見いだしている。と思います。
人間は万物の尺度である!
>>7 君は、しばし天才君のような「事実」をハナから問題にしない修辞家と
わけのわからない対話?をかわしているうちに、曲解専科になりはてた
ようだね。だれが「答」を問題にしているのだ? ストーカー氏と同様に
私もまた君の好物の“真”の条件を問うているのである。
君は“真”こそ自分の関心だと言い募り、真とは「事実」と対応している
ことだと明言してきた。しかし、その一方で「何が事実かわからない」とも
おっしゃる。w
つまり、これは不可知論である。それなら「事実」を云々せずに、初めから
そういえばいいのである。
その君があろうことか「客観的理念」を云々している。ww
君の言う客観的理念とやらは、文法(規則)のことである。それは共同体
の伝統に帰属するとしか言いようがなく、「彼の空はネコである」との
言い方がなぜ変なのか、その根拠も起源もわかってはいない。
どの共同体にも文法があるとの言明なら、一般的に言いうるかもしれぬが…。
16 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/08/22(金) 23:11:00 0
コスプレなどのなりきる快楽、漫画やアニメ等の台詞をまねする快楽、これらは、幼児が学習
するために、まねることに快楽を覚えることが本能に植え付けられているのではないでしょうか。
つまり、本質的には非常に幼稚な行動である。この快楽を文化として集成したのが演劇
だと思います。私の本質には、無意識を意識的な物に変えるという動機が横たわっている
と思います。
>>9 たいていの人間は主観的に真偽を区別している。
たいていの人間は主観的に善悪を知っている。
たいていの人間は主観的に美醜感を持っている。
君の言う客観性とは、畢竟“力”のことではないのか。
そこを同意してくれれば、次のテーマに移れるのだが。w
>>17 ですね。
で、貴方自身の主観(的判断)はどのような“力”に圧されて
他者(達)の主観(的判断)に歩み寄ることを強いられているのか? とw
19 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/08/23(土) 00:07:44 0
キミらは
『私』という現代哲学的な観点で話を出来ていません
観点そのものが理解できていないのです
まず謙虚になって、それを自覚するところから出発してください
でないと話になりません
主観は習慣が育てるなんつってw
17
その者が真だと受容する言明は主観的なものである
だが、真と偽の区別は主観的なものではない
個人が何を受容するか、何を信条とするかは個人の自由だ
他人と意見を合わせる必要すらない
だが、語られた言葉は論理に拘束される
また、論理に拘束されるように拘束される
ネコ
語るに落ちるとはこのこと
あなたは言葉をルールとして適切に使用してませんよ
22 :
考える名無しさん:2008/08/23(土) 01:28:45 O
真と偽の区別は主観的なものだよ。
22はただのしっぺ返し論法と思われる
寂れたな
「客観」「真理」「正義」これらの言葉にアレルギーを感じる人たちはいる
「定説」のように、疑念や問いそのものを持たせないような錯覚を受けるのだろう
実際、無知な大衆は「真理」という言葉を相手を洗脳したい時に使うことが多いだろう
彼らは「真理」という言葉を「保持すべき信念」のような意味で使用する(「真理」という言葉の使い方が異なる)
しかし、
「彼の発言が矛盾していたとしても、そのことによって彼に信条の撤回を強いるようなことはすべきでない」(ラッセル)
を由とする伝統がある
これらの伝統は、「真理」を含めいくつかの理念を認めるが、
彼らは内的矛盾を含んでいるのだろうか?
「真理」という理念を認めることはアナキズムを拒否することにつながる
しかし、この理念の保持が、そのまま信条の自由と反するならば、その理念は破棄されて然るべきだろう
問題は
1、アナキズム以外では信条の自由を確保できないのか
2、「真理」「正義」などの客観的理念を認めることは、信条の自由に反する結果を招く理論的必然性があるのか
ネコや取りつくとの議論はこの二点に集約されるように思う
機嫌が悪いから強気に飛ばすぜ
このような主観主義からの「真理」や「客観」理念の批判は、
彼らが暗に次のような規範に従っていることを写し出す
「間違いを侵してはならない。正解だけを選べ。」
この規範と「信条の自由」を両立させようとするならば
「あなたの信条こそが正解である」というドグマを潜航させることで、両立可能にするのも論理的には至極もっともである
しかし、このような規範はその性質からただ一つの答えに皆を従わせようとする単元的、ユートピア的な規範である
これらの主観主義は、内部に、対話を放棄した形而上学を含んでいる
26 :
強気?君:2008/08/23(土) 09:16:03 0
>>25 「信条の自由」が全てでしょう。
「あなたの信条こそが正解である」というのは、「あなたの信条に従う」か
「従わないか」の自由もあるわけです。
「対話を放棄した形而上学を含んでいる」のではなく、むしろ、他者の信条に無条件に
影響を受ける「信条の希薄な」ながされやすい人間が、無自覚に従うだけです。
実際、この社会はそうなっているでしょう。
あなたの思想自体が弱気であると天才君は思います。
27 :
真偽君:2008/08/23(土) 09:28:08 0
「真と偽の区別は主観的なものではない」
このような発言は、その発言元である、「私」の思いではないでしょうか。
論理というものに集約されたとしても、その論理の前提条件が
「私」の思った前提ならば、論理には真偽はあるが、
前提は主観的であることにはかわりない。
何を発言しても、「私」が考えた事であることを忘れないようにしましょう。
我々は人間なんですからね。
ま、裁判官は取り決めに従いますけど…。最後は、裁判官の主観が必ず入って判断します。
裁判官の役の取り合いは馬鹿馬鹿しい事です。
28 :
お婆ちゃんの知恵:2008/08/23(土) 09:32:07 0
素朴に人間には良心というものが在り、規範という建前は、
個々の良心の前に、敗北します。
規範は、「地震雷神親父」の前では、無力です。
29 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/08/23(土) 09:49:10 0
悪人だと思った人と正反対の行動をとる人が善人だと思ってしまいがちだが、それぞれ違った
形での(自分にとっての)悪人であることがある。このように、悪はどれだけでも増大する
物で、悪の反対概念が善であると言うことも怪しいと思う。
30 :
変人君:2008/08/23(土) 10:11:53 0
天才君は、悪人も善人も居ない。あるのは「私」の判断である。
こう考えます。こう考える天才君は、善人からも悪人からも
変人扱いです。
最後の審判は、「私」がするんですからね。
ま、最初から「私」がしているのですが…。自覚があればの話しですが。
このように天才君はアナーキーに考えます。
>>21>>23 「貴方は」「あばたもえくぼ」は「真」だと思いますか(判断しますか)?「偽」だと思いますか(判断しますか)?
或いは、こう問うてもいい。
(「貴方は」)「あばたもえくぼ」(という言明)には、「「真」か「偽」か、どちらかしかない」と考えますか?
言い方を変えれば、
同時ではなく異時であっても、「真である場合」「偽である場合」「どちらかしかない」という立場ですか?
言い換えれば、
・【その言明内容・言明の周縁を問わず】
「或る言明は、真であるか偽であるか、どちらかしかない」という立場ですか?
それとも、
・【言明内容によっては】(同時ではないにしても)
「真と偽、両方の相を持ちうることもある」という立場ですか?
それとも、
・【言明を巡る周縁の条件によっては】(同時ではないにしても)
「真と偽、両方の相を持ちうることもある」という立場ですか?
それともそれとも、
・「言明(内容)が成立すること」と「言明(内容)が発言者の外で成立するかどうか」は別のこと、ということでしょうか?
おそらくは、コレであろうと推察されますが、
この場合「“真である”(或いは“偽である”)ということ」には階層が必要になりそうです・・・w)
こういうレスの仕方を、複問虚偽とか論点先取とか(他にもありそうだw)言ったりするようですが・・・w
天才君
26は明らかに形容矛盾だろ
無茶はやめろ
天才君のような人間がいてもいい(いるのは仕方がない)
ここでは合理主義が自己批判しているだけ
「信条の自由」をやたら大事にする人たちがいるから
「信条の自由」との内的矛盾を含むかどうかのチェックを検討している
主観主義は、
「何人たりとも、わたしの信条の決定を侵害してはならない」という自然権にこだわっている
客観的理念が常にこの自然権を侵害するかどうか、がここでの問題
33 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/08/23(土) 11:21:36 0
wikiで調べてみたんだけど、日本の大哲学者はことごとく、訳のわからないことを言っている。
たとえば西田幾多郎の「絶対矛盾的自己同一」。
「過去と未来とが現在において互いに否定しあいながらも結びついて、現在から現在へと働いていく」。
解釈を試みれば、現在において、人間が過去と未来について考えることで、場になって、それが現在を
規定していく、といった感じか。
あるいは鈴木大拙の「即非の理論」。「Aは非Aであり、それによってまさにAである」。
同様に解釈すれば、Aは意味の中でAであることによって非Aを形作りその意味で両者は
深く結びついている。善と悪と言うことについても、あてはまるような、気は、する。
31
ラッセルならば無意味と言うだろうね
その言葉が単一の意味をもつものとして扱われる限り、真か偽かのいずれかである
論理における真とも偽とも分類できないようなパラドクスは
たいてい、その言葉が解釈される二義牲に根差している
この手の言明はその二義性が解消されるまでスルーすることだ
(これ実はポパーの見解)
ちなみにポパーはこの手のパラドクスのような言明を有意味としている
これはラッセルの記述理論の流れをくむ考え方とはまったく正反対だ
この部分、もう少し研究を深めたいと思っている
36 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/08/23(土) 11:35:36 0
>>33 理論ではなく「即非の論理」でした。
>>34 即非の論理に従えば、「真は非真(偽)であり、それによってまさに真である」。
妥当(有意味)かどうかはよくわかりませんが。
Ab
西洋だってヘーゲルの文章はまともじゃないぜ
あの文章から最初に一貫した文意を読み取った人はすごいよ
38 :
露骨君:2008/08/23(土) 11:40:19 0
>>32 >主観主義は、 「何人たりとも、わたしの信条の決定を侵害してはならない」という
>自然権にこだわっている客観的理念が
>常にこの自然権を侵害するかどうか、がここでの問題
ようするに、馴れ合い(雰囲気・環境)が、私(あなた)の思想をズタズタに引き裂くか?でしょ。
あなたの問題ですからね。
もっと極端にいえば、天才君はあなたの思想に影響を与える事ができるか?です。
答えは出てるでしょう。あなた次第ですよ。
39 :
西田大拙君について天才君は…:2008/08/23(土) 11:46:13 0
西田さんも大拙さんも禅ですから、
今、此処の話しです。
外に妄想を膨らます西洋哲学に、今、ここ、それに関わる「私」を
なんとか苦心して説明しているだけです。
西田さんも大拙さんがやってる事は、自分不在の空論哲学批判でもあります。
38
天才君は俺の影響を受けないが
俺は天才君の影響を受けうる
なぜならば、天才君が俺の思考に内的パラドクスを含むことを指摘することはありえるからだ
それより、引用した文章の変なところに改行入れんな
俺、そんな変な表現したかとチェックしちゃったじゃないか
41 :
天才君:2008/08/23(土) 11:55:44 0
>>40 あなたは、天才君の影響を受けますか…。なるほど。
改行は作為的にいれました。
文章の主語が複雑すぎるからです。ご覧なさい、こんな長い主語です。
>主観主義は、 「何人たりとも、わたしの信条の決定を侵害してはならない」という
>自然権にこだわっている客観的理念が
42 :
禅の坊主天才君:2008/08/23(土) 11:56:39 0
話しは変わって、
「私」の今此処から、つまり禅から、はっきり言っておきましょうか。
何人も、「私」から離れた視点で思考することはできない。
過去の西洋哲学に不足してるのは、この点である。
西洋かぶれの哲学生は、この点が理解できない。
それだけです。
天才君
句点を入れなかった俺が悪い
主観主義はこだわっている。
客観的理念が、このこだわりに反するかどうか、、、
俺は「こだわっている」の後に改行を入れてないか?
41
「受ける」と言ってるんじゃなくて
「受ける可能性がある」と言っている
45 :
考える名無しさん:2008/08/23(土) 12:14:47 0
いや、西洋哲学は「汝自身を知れ」から始まっているので、
その発生時には禅と同じ一種の悟り体験から出発している。
しかし、禅などでは外部の世界を形式上否定するのであまり
発達しなかった。すべての人が悟れば世の中が平和になる、
程度の幼稚な救済観から脱することが出来なかった。
一方、西洋哲学は一神教との幸福な出会いもあり、外の世界を
悟り体験から説明する知の蓄積が可能になっていた。そこから
近代科学が発達したのであり、まったく彼我のレベルの差には
呆然とする。
46 :
天才君:2008/08/23(土) 12:17:56 0
>>43 >句点を入れなかった俺が悪い
いや、あなたは全然悪くない。
天才君が、あなたの文章を大事にしなかっただけです。
この点については、申し訳ない。
47 :
天才君:2008/08/23(土) 12:22:18 0
>>44 ご自分の発言を大事にされるわけですね。
そう、「受ける」じゃなく、「受ける可能性がある」ですね。
よって、天才君は可能性の話しをしなければなりませんでしたね。
>>40でもあなたは、
>俺は天才君の影響を「受けうる 」と言っていますね。
ところで、天才君の影響の影響を「受けた」事実は、あなたに在ったのでしょうか?
48 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/08/23(土) 12:24:10 0
>>45 日本が島国で、唯一の外国が中国だったことも関係あるでしょう。一方、ヨーロッパでは
戦争によって国の範囲が頻繁に変わり、人種も入り乱れて、様々な考えが流通
したことが関係あるでしょう。
多様性から単一性に向かったヨーロッパと、単一性から単一性のままであり続けた日本の差は
どうなんでしょうか。グローバリズムによって、ますます単一化が進む世界と、図書館などの
昔の多様性をとどめる文化と。
49 :
天才君:2008/08/23(土) 12:29:50 0
>>45 おっしゃる通りですが、
で、今、西洋哲学に習う者は、「体験」から出発しなくなったと
私は思うのです。体験を知らずとも、論理だけで哲学する。
ま、それも哲学ですけどね…。
自分に体験があれば、その体験から生まれた哲学も理解は容易いです。
このように思いますね。
>>34 > この手の言明はその二義性(解釈の多義性)が解消されるまでスルーすることだ
永遠にスルーしっぱなしということですねw
ていうか、「二義性(解釈の多義性)がない」ということはあり得るんでしょうか・・・。
それは、一個人のみで(一個人の主観の中でのみ)生じ得る事態でしかないのでは?
それこそ、ネコ氏を後押しする状況だw
問題は、数多ある解釈のうち、なぜ、或る一つが選ばれ得るのか。
選ばれる際の条件に左右されるならば、
「真であるか偽であるか」は、「その条件(≒枠組・周縁)次第」ということになる。
これは、上の流れを受けて「語義」に関してだが、「文全体」でも同様であろう。
語義解釈及び文全体への、条件の作用の仕方に強弱もあろう。
いずれにしろ、或る言明に於いて、
「含まれる語の解釈が一義的に定まり」「文全体として整合性を持」っていても、
その言明が「真であるか偽であるか」の決定打にはならないだろう。
「二義性(解釈の多義性)の解消」は、畢竟、
「条件(周縁)の精査」或いは「条件(周縁)への視線」(或いは「条件の確定」と言ってしまっても良いか?)
無しには為し得ないのではないでしょうか・・・。
赤毛のアンという物語があるが、
「赤毛は可愛い」「赤毛は可愛くない」、さて、どちらが真で、どちらが偽だろうか。
「バナナで釘が打てる」「バナナで釘は打てない」、どちらが真で、どちらが偽だろうか。
「他者の生命を奪ってはならない」「他者の生命を奪ってもよい」、どちらが真で、どちらが偽だろうか。
50
真か偽かのどちらかであるだけで
真か偽かどちらかに決定できる必要はない
この点は俺は一貫しているはずだ
では、解釈の多義性は回避できないのか
「あばたもえくぼ」じゃやりにくいんで
前に誰かが言った「今日はスコアがいいじゃないか」というセリフにする
これは「実際にいいスコアだった」と
「とても悪いが皮肉で言っている」との二義牲を表している
しかし、この例では、「ゴルフの成績が悪かった友人に」と条件をつけているから、後者の皮肉の例だとわかる
単一の言明は解釈がどうとでもとれる
最高位が「われおもうわれあり」を誤読したように、
問題状況と遊離した言明はそれだけではどう使われているのかわからない
しかし、彼が一貫した考えに沿って言葉を述べているという仮定に立ち、前後の文章や彼の問題から語の解釈を狭めることができる
(→1)
この時、スルーしなければならないレベルのパラドクス(ラッセルのパラドクスなど)が生じることは稀である
実際、天才君の一貫性もネコの一貫性も読み取れる
→1
この時、多様な解釈もまた論争という言葉のやりとりにかけられる(修正圧力を受ける)ということを追記しておく
解釈を一つに決定する必要はない
しかし、解釈もまた他の語との関連から制限を受ける
50
というか読み直して思ったこと
決定できない、、ええそうですね
わたしは一度も決定にこだわってませんよ
前スレのわたしのレスを読んでください
わたしは「ある言明を決定的に偽であると論証することはできない」とちゃんと書いてますよ
わたしが決定的に偽であると言っているのは、「言明同士の関係その全体」です
それと老人力みたいなその「何とか力」という語
調べたいんで関連用語を教えてくれませんか?
53 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/08/23(土) 13:50:23 0
>>50 条件とは、人間の価値観によって定まるのだとしたら、多数決によって真偽が決まるのか、
と言う問題になりますね。価値観をぶつけ合って、その中で合意に至ることが、間主観的
真偽決定だと思います。その答えを、また別の価値観とぶつけ合って、さらに確からしくなる。
真偽はうらはらなものでしょうね。客観的価値観と言った物は、真理としてたてられ、間主観的
真偽の向かう方向として存在して、(人間の価値観に対する真偽と自然に対する物とは一緒に
できませんが)人間を規定している自然や本能が、真理と呼べる物だと思いますが、
世界は破壊の方向に向かい、自然の人間化もますます進み、歴史の運動や富の偏りが
真偽を決める条件としてのさばってきます。天才君も言っていたように、人間を忘れず、
自然に帰る(ドグマ的な意味で)というのが、一番平和であると、素朴に思ってしまいます。
言葉のやりとりは決定的である必要はない
ここには詰め将棋と指し将棋の区別がある
指し将棋を見て、「これは詰みようがないからゲームとして成り立っていない」とは言う人は指し将棋というゲームを分かっていない
詰み将棋は玉が決定的に詰む手順を考えるという意味で決定性が重要となるゲームだが、指し将棋はそうではない
指し将棋は王手に対して何らかの回避ができる
同時に、何らかの回避をしなければならない(圧力)
王手を受けて相手の玉を詰ませるのではなく
詰みを回避するための状況変化を楽しむゲームだ
言葉を通した議論も同様である
ある言明に「偽」と烙印を押すような言葉の決定的仕分けは議論の求めるところではない
言明はその他との言明の関連から、全体に緩やかに圧力を受ける
(ちょうど、王手が盤上の駒全体に圧力をかけるように)
王手を受けて、王は他の駒との関連から動きに制約を受ける
場合によっては駒を捨てねばならない時もある
しかし、どの駒を捨てるか、どの戦局を招くかは指し手の意思が反映される
出かけるね♪
最近、携帯いじってばっかだからご機嫌ななめなんだ
フラれたら恨むぜ、てめーら
>>52 しかし、君は「真とは事実と対応していることだ」と言明しているではないか。
これは「真は決定できる」という意味だろう? 違うのか?
「浮気」「事実」「基準」「対応」「真偽」といった語句を連ねたのは君であり、
それに沿って、つまり君の得意とする戦法を受けつつ、私は疑念を表しただけである。
もう一度、聴く。「真偽は決定できない」が「真偽(の客観的な区別)はあるの?ないの?」
>>32 「客観的な真(正)は我にあり」を標榜するグループが個人の信条や価値観を
潜在的に、時には顕在的に踏みにじってきたのは事実だろう?
現に、君は雷に処する態度として「避雷針を設ける」のを最良とし、他の儀式
めいたそれを一笑に付していた。
しかし、この問題は君が考えるほど単純ではない。w
君の合理主義は物理主義のお先棒かつぎ、の印象を払拭できない。
>>269 たとえ誰かが数字を提示したとしても、確率は所詮確率だ。
オリンピック等スポーツの世界では絶対的に男の記録の方が上だ。
故に男の方が体力がある(或いは体格が大きい)と結論付けても構わない。
が、君はどうだ?君が男と仮定した場合(女性であるなら逆を考えればいい)、
君の体格は【全ての】女性より大きいか?【全ての】女性より体力的に上位にあるか?
非常に強固な信仰を持ったが故に犯罪を起こす者もいよう。
全く信仰心なくとも、倫理道徳にのっとり、聖人君子ばりに生きている者もいよう。
犯罪を犯すかどうかは、信仰の有無ではなく、彼を巡る種々の条件(と彼の心)次第でしょう?
誤爆したwww
>>51 > 真か偽かのどちらかであるだけで
> 真か偽かどちらかに決定できる必要はない
> この点は俺は一貫しているはずだ
了解しております。只、「 > 真か偽かのどちらかである 」に関しては、
例外無くそうであるかどうかは疑問です。
ネコ氏との「“主観の外”論議」
→「目の前を通過する電車に向かって(電車が来ていないが如く)歩いてゆくこと」
「スーパーの商品が、(日付の表示に関わらず)摂食可能なものとしてそこにあること」など
と違い、(“あばた”だけでなく“ゴルフのスコア”でも同様ですが)、
これらは少々事情が異なる(≒次元が異なる)であろう、と。
現に、貴方の変換した事例に於いても、スコアの「(具体的)数字」ではなく(!)「評価」が焦点となっている(!)。
例外無く、どんな場合であっても、「 > 真か偽かのどちらかである 」と考えているのかどうかという質問でした。
(主観の外と内を分けるメリットは結構多いだろうと、私は考えるのです。(チャーマーズはどこまで進めるのでしょう・・・。))
>>51 > この例では、「ゴルフの成績が悪かった友人に」と条件をつけているから、後者の皮肉の例だとわかる
> 単一の言明は解釈がどうとでもとれる
> 問題状況と遊離した言明はそれだけではどう使われているのかわからない
> しかし、彼が一貫した考えに沿って言葉を述べているという仮定に立ち、前後の文章や彼の問題から語の解釈を狭めることができる
> (→1)
同意です。
で、
> この時、スルーしなければならないレベルのパラドクス(ラッセルのパラドクスなど)が生じることは稀である
> 実際、天才君の一貫性もネコの一貫性も読み取れる
> では、解釈の多義性は回避できないのか
この回避方法は「条件への視線」であることに他なりません。
(貴方が「条件への視線」を欠いているというのではありませんよ。念のためw)
> 解釈を一つに決定する必要はない
> しかし、解釈もまた他の語との関連から制限を受ける
はい。ですから、
>>59でも記したように、
例外無く、そうした制限に関わらず、(アプリオリに)「 > 真か偽かのどちらかである 」のか?
ということです。それが可能となるのは、
「一個人の主観内に於いてのみ」(「一個人の“意見”“主張”のみ」)でしょう。
(う〜む・・・、悔しいがネコ有利だなぁ・・・w)
>>52 > 決定できない、、ええそうですね
> わたしは一度も決定にこだわってませんよ
ええ、解ってますw
(誰かが)決定「する」「しない」でなく、(アプリオリに)真「である」(或いは偽「である」)のかどうか?ということです。
> 前スレのわたしのレスを読んでください
> わたしは「ある言明を決定的に偽であると論証することはできない」とちゃんと書いてますよ
了解してます。
「論証如何にかかわらず、真である(或いは偽である)」場合と、
「論証如何によって、真となる(或いは偽となる)」場合と、両方ありそうだと言っているのです。
不可知であることが(論証できないということが)立ち止まることを強要するとしたら、
死に物狂いでそれを振りほどかねばならない。(甘んじて受け入れねばならない事柄もあるだろうことも認めるが・・・。)
認識の断絶を越えようとしている点で、(貴方の喩えを少し借りれば指し将棋をするという点で)、
私と貴方とは立場が近い。近似したスタンスでネコと対峙している。
上記幾つかのレスは、貴方と私でどこが類似し、どこが違っているのか、を炙り出す意味もありました。
(どうやら貴方の方が厳密・厳格であるようだ。むしろ私の方が緩いようだ。
以前、貴方は逆の指摘を私に対してしていたが・・・。)
> わたしが決定的に偽であると言っているのは、「言明同士の関係その全体」です
それすらも、対話の土俵(≒枠組)に影響されているかもしれません。
土俵によっては、一転して偽が真になることもあり得ましょう・・・w
> それと老人力みたいなその「何とか力」という語
> 調べたいんで関連用語を教えてくれませんか?
イミフw
素人さん、これは想像だけど、ゾル君の将棋はたいしたことなさそう。
彼は、定石をいっぱい覚えているようだが、それを外されたらアタフタするタイプ。
ここでの議論でも、それがよくみてとれるはず。
それはともかく、貴方といいゾル君といい「超越(客観)的な真」を求める点で、
また物理主義に幻想を持っている点でも、共通の性向を指摘できそうだ。
これを“高等遊民”的心性として括ることは…無理だよね。w
63 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/08/23(土) 16:33:05 0
人の間の議論で真偽をつけるのは、千個の意見が出る各スレで、スレタイについての答え
がなかなかでていないところをみると、相当難しい問題が相当数ありそうだ。
64 :
素人:2008/08/23(土) 16:47:17 0
>>62 私は唯識的立場をとらないので、
主観の外(≒他者及び外界)(=境)を認めずに仏教はあり得ないと考えているからだよw
(もっとも、唯識教学であっても、「外界の完全否定(≒抹殺w)」ではないだろうと推測しているが・・・w)
また、「“真”かどうか」も、さほど問題ではない。どれだけ「“あるがまま”に見れるか」が重要なのさw
(ああ、それを「“真”(を求めている)」と言うならばそうなのかもしれないな・・・w)
もし、「真」ということを言おうとするなら、それは
『仏教という枠組に於いて』という条件付きでだよ。
四諦が四“聖”諦と呼ばれることがあるように・・。
八正道がなぜ“正”の字付きで言われるのか、のように・・・。
もし、もし、仏教という枠を外しても言い得る「真」があるとするなら、
“三法印”ってことになるんかな?w
どう思います?w >>唯識さん
65 :
考える名無しさん:2008/08/23(土) 17:33:05 0
>>51 なぜそこで、一神教の平等主義で終わるんだ。
つまり、
>しかし、解釈もまた他の語との関連から制限を受ける
まるで均衡状態を保ちそうな言い方だが、
ふつう、制限は受ける方と、与える方に分かれる。
支配関係になる。これが解釈の解釈だ。
66 :
考える名無しさん:2008/08/23(土) 18:07:01 0
>>64 仏教は、仏教という枠を外しても言い得る「真」を研究したことはない。
何故なら、釈迦への懐疑と仏法についての懐疑を欠いているからである。
仏教者に、概念枠の外から検討する誠実さはない。
神学を懐疑した神学者は多く、このような外的視点からの思索によって
知を切り開らいてきた。
これから近代哲学と自然科学が生まれたのである。
信心という概念が知的発展を阻害し、知的廃退を余儀なくされる。
信心から離れた視点で検討しない仏教では、哲学にならない。
67 :
考える名無しさん:2008/08/23(土) 19:23:45 O
60-61
なるほど、この議論ではじめて王手を食らった気分だ
さて、アプリオリに真なる言明はない
これは俺の立場にとって核となる部分だ
続きはちょい待て
多分やばい
ゆっくり書けるぜ
俺の立場においては、決定性を放棄している以上
他の言明との関係から批判される可能性
すなわち将棋盤に言明を乗せられるかどうかが重要となる。
アプリオリに真なる言明とは、将棋盤にのせるまでもなく真なる言明であり
そのような言明を認めるならば、批判的討論からの後退を招きかねない
すべての言明は、批判的討論という論理的規範の上にのせることができる
この論理の枠組み自身もまた同様に将棋盤にのせることができる。
これがわたしにとって重要なテーゼです
真偽の基準が異なる(表現レベルでなく論理レベルで異なるのは稀だが)
そのような別の枠組みは想像しうる
これらを検討したくとも、論理を前提としている以上できないのではないかという考え方もある
しかし、論理を前提とした上で、そのような枠組み自体を自己批判することはできる
58
詰ますことが目的のゲームと言えばその通りだ
ところが、言葉を通した議論は終わりがない
討論の終わりは討論の内部からではなく外部からやってくる
将棋の封じ手が将棋の手からは生じないように
議論の終わりは、議論の内容ではなく、不機嫌な女性の顔がもってくる
(もしくは睡魔がもってくる)
59、補足
あ、当為言明についても「妥当」「非妥当」のどちらかに分類できるだろうと考えている
もちろん他の言明との関連の中で批判的検討をされる限り(アプリオリではない)、、という条件はつくが
規範的議論の終結点は他者である。これは以前も述べたことである。
56
取りつく
ある単語を定義することは、その用語の基準をつくることではない
その用語をどのように使用するかを明確にすることだ
君はあいかわらず意味と基準をごちゃ混ぜにしている
重要なことは、用語は一貫した使用法をとることだ
あ、それと将棋の比喩で言明にかかる修正圧力を説明しようとしたけど
俺の念頭にあったのはクワインのホーリズムだよ
なんかイデオロギー論争みたいなのには巻き込まれたくないんで一応言っとく
74 :
天才君:2008/08/23(土) 21:00:58 0
>>68 まず、あなたの立脚点は、 決定性を放棄している。
そして、議論の場にどのような言明を載せるかが重要だと考える。
アプリオリすなわち、ここでは「私自身」つまりあなただね。
あなたの独自の見解は、議論の余地は無いものであろうし、
ま、私(天才君)の言葉でいえば、それは信仰であるね。
信仰を表明したところで、批判的討論からの後退を招きかねないとも
考える訳だ。でも後退するとは限らないと思うよ。
あなたにとっての決定論が揺らぐだけだもの。無責任かもしれないけど、
それが成長ってもんでしょう。
でも、それがイヤという事で、決定論を放棄している訳で、
あなたは、これを重要なテーゼにしている。
自らの信仰を議論の場に上げたくはないという気持ちは理解できます。
自己批判で良しとすることも解りますが、上げちゃいなよ!と、
天才君は思いますよ。
75 :
天才君:2008/08/23(土) 21:05:35 0
>>73 >なんかイデオロギー論争みたいなのには巻き込まれたくないんで一応言っとく
ご自身の大事な物を修生圧力にさらしたくないという気持ちは解るけど、
巻き込まれましょうよ!
少なくとも、天才君は、大事あつかいますよ。
76 :
モテモテ君:2008/08/23(土) 21:08:41 0
>>55 > 最近、携帯いじってばっかだからご機嫌ななめなんだ
>フラれたら恨むぜ、てめーら
スレ違いだが、個人的に興味がある。
ご機嫌は直ったでしょうか?
77 :
考える名無しさん:2008/08/23(土) 23:07:36 O
天才君はやさしいね。
おれは卑怯な馬鹿はゆるせないけどな。
78 :
考える名無しさん:2008/08/23(土) 23:15:59 0
@@@@@@@@
@@@@@@@@@@
@@@@、,,__ _,,, j
@@@@,、 _, ' '、_ } / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
@@@ `´ `i < お盆過ぎたら働くって言ったじゃない
@@(6 ,(oo)、 } \_________
/ /-===-、 i
/ \ 、ヽ ヽ こ ノノ
/ ` ー-- ' \
79 :
考える名無しさん:2008/08/23(土) 23:38:47 0
お盆過ぎたら死んでいた
天才君
俺は「議論にかけられない言明はない」と言っている。
すべては議論にかけられる(この言明さえも)
規範に従う人ならば、アプリオリに真なる言明を挙げられたら批判的議論への参加を放棄するだろう
挙げられてない以上、彼が疑念を感じながらも議論し続けることは何ら問題ない
彼女は不機嫌でしたよ
もとからいつも不機嫌な奴なんです
わがままで、困らせたがりで、
ま、ご機嫌取りしますよ
・イデオロギー論争
単に俺が、アジとか、右左とか、内容のない保守とか内容のない変革とかにアレルギーがあるだけ
尊敬するカルテジアンの森先生が極端にイデオロギーに冷めてたから、その影響だろう
そうそう、ポパーと言えば、
マルクスを批判したので「右」扱いされ
片や「開かれた社会」を唱えたので「左」扱いされた哲学者だ
ポパーは「権威を問う問い」の放棄を唱えていたから
その手の争いには興味なかったのだろう
分かりやすく、こう提出しよう
「修正可能性のない言明は無意味である」
これが俺が保持するテーゼだ
言葉のやりとりの中で、修正される可能性のある言明群が、われわれの営みにおいて内容のあるものである
したがって、俺が修正圧力にかけてない「何か大事なもの」があるなら、
少なくとも、それは俺にとって無意味なものであらねばならない
83 :
天才君:2008/08/24(日) 00:51:48 0
>>80 みずからの哲学的成長を遂げようとするならば、
みずからのアプリオリに真なる言明をみずから進んで発言して、
みなさんにさらけだし、批判対象にしてもらうのが手っ取り早いと
天才君なんかは思いますね。
彼女は不機嫌でしたか…。じゃじゃ馬がお好きなようですね。
84 :
どうなんだろう?天才君:2008/08/24(日) 00:53:07 0
修生圧力とかたびたび出てくるけれど、なんですかそれ?
例えば、私が何か思想を語りますね。
それについて、別の誰かが、私の発言について何かいいますね。
どこにそんな圧力があるのか?
むしろ、みずからの思想の変更を余儀なくさせるならば、
それは以前の思想より、より包括的な思想になるんだから
喜ばしい事だと天才君などは思うわけです。
みなさんはどうお考えなのでしょう?
85 :
考える名無しさん:2008/08/24(日) 01:14:44 0
>>84 >どこにそんな圧力があるのか?
一、レスを返すという行為が惹起される。
一、スルーするという行為(スルーせねば・・・!という想い)が惹起される。
一、レスを返すか、スルーするか、選択を(思案)させられる。
圧力(影響)を受けている、と評するに十分でしょw
86 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/08/24(日) 01:18:07 0
>>84さん
すべては「他」との関わりを無視出来ない
ということではないでしょうか?
87 :
考える名無しさん:2008/08/24(日) 01:36:39 0
知っていれば他は空気
・このスレで出された修正圧力の例
「地球は平らである」
→「でも水平線は湾曲しているよ」
「デカルトは懐疑論者である」
→「でも、デカルトは『わたしは懐疑論者にはなりたくなかった』と書いてるよ」
彼は、次のような言明を必要とする
「水平線は地球上のものではない」
「デカルトは論旨が一貫していない」
これらじゃなくても何らかの言明を導入する必要がある
ちょうど、王手に対して、何らかの駒を置いて王手を防ぐように
これを「修正圧力」と俺は呼んでいる
クワインの言葉を使えば「否定的経験」
私の考えでは、デカルトは懐疑主義に対して一定の偏見が
あったように思う。つまり、近世においてよくあった懐疑主義
に対する偏見である。
90 :
考える名無しさん:2008/08/24(日) 02:43:29 0
「修正圧力」は政治用語かと
あ、そうなの?
じゃ「言葉の内部圧力」にしよう
矛盾の認知が、関連する言明全体に圧力を加える
この圧力によって発言者は、何らかの行動によって矛盾を解消しなければならない規範にコミットさせられる
この一連の圧力を言いたかったのと
圧力は全体にかかるということを強調したかった
92 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/08/24(日) 03:59:39 0
何の話?
五輪は野球ダメだったねって話
94 :
考える名無しさん:2008/08/24(日) 08:04:27 0
95 :
天才君:2008/08/24(日) 10:11:51 0
>>92 「私」という主体的行為を前提にして語るならば、「私」の規範についての話です。
「私」が思う真理は、規範に基づくなんらかの、作用の影響を受けるか?
また、「私」がアプリオリ(どうしようもなく確信)している真は、
「私」の決定論であるから、議論の対象にならないのでは?とか、
その議論そのものに規範があるかないか?とか、
「私」がアプリオリ(どうしようもなく確信)している真は、そもそも
真偽にかける対象ですらない?とか
規範・客観・真偽そのものが、多数決的、雰囲気的だとか…。です。
で、最終的に、「私」がアプリオリ(どうしようもなく確信)している真は、
対話によって、他者からの修生圧力(影響)を無視できない。
そして他者からの影響に否定的な「私」もいれば、そうでない「私」もいる。
なぜならば、その影響は「私」全体に圧力がかかる。いわば、影響する。
大方、「私」を主体にした話すならば、これらについて「私」達の
考え方の違いを表明しているという訳です。
96 :
天才君:2008/08/24(日) 10:19:02 0
天才君はこれらについて、「私」達は、人間である以上、
他と関連性において、何かをすれば、確実になにかが帰ってくる。
真理を私が語れば、他も真理を返してくる。その営みによって、
「私」も「他」もそれぞれの真理観に影響を及ぼす。
こう考え、まとめる訳ですが…。
そして、実際の発言の現場(端末の前に立つ「私」)は、
他からの圧力(影響)をあるていど、覚悟しなくてはならない。
じゃあどうする?ってのが個人の度量なり、このスレに関わる
なんらかの「私」の思いに影響されていると思うわけです。
97 :
もがき苦しむ天才君:2008/08/24(日) 10:41:30 0
修生圧力に関して、「言葉の内部圧力」と「内部」をつけるならば、
やはり、それは他者の発言は、「私」の内面に圧力(影響)する。
当然、「私」の発言も、他者の内面に圧力(影響)を与えている。
その圧力の大元になるのは、「私」が画面の文字を読む行為が根元であり、
「私」の主体的行為によって、「私」は他者から圧力(影響)をみずから
受けようとしていると考える事もできると思う。
この観点から天才君が考える事は、人間は、自分と違う存在に出会う事で、
常に影響を自ら欲して受けようとしている。または、欲せずともその
刺激から逃げられない。これは在る意味苦しい事だ。こう天才君は考える。
ブッダはこういうことを「苦」と言ったようだ。
こうして「私」「他」は変わってゆくのを「無常」とも言った。
さらに、人間は「死ぬ」とした。
98 :
考える名無しさん:2008/08/24(日) 10:47:23 0
古トンガッズガッズガッズガッツガッツッガガガガ・・・
99 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/08/24(日) 11:35:36 0
>>95 >「私」という主体的行為
「私」は行為なのではなく、存在ではないかね?
行為や影響という現象的な事にしか発想が思い浮かばない人が多いけど
行為や影響を受けている存在が、存在として存在する
という根本問題に気づくべきなんだよね
「私」の正体は何なのか
存在性は、いかなる行為や影響にも還元できないのです
>>67-68>>70 了解。
>>69 >>58に対しては、寧ろ以下のように返答する方が良さそうだ。
確かに、“詰将棋”と“指し将棋”とで、
『最後の場面が「詰みである」』或いは『「詰んだ状態がある」「詰んだ状態を目指す」』
点ではどちらも同じだ。 しかし、両者には大きな違いがある。
“詰将棋”は、その「詰んだ状態」は一種であり、他の状態はない。(しかも、詰む側も一種だ。)
また、「詰んだ状態の目指し方(確実に詰みへ向かう手順)」も一通りしかない。
対して“指し将棋”は、「詰んだ状態」も「詰みへ向かう手順」も一様ではない。
(どのような形であっても、)「詰みである」ということ、ただそれだけが、
数多ある手順や詰み方に共通する点だ。
これを件の議論に絡めるなら、
“詰将棋”は、「《アプリオリに真》であり《それを証する根拠も一通り》である」と言い得、
(→《ただ一つの“詰み”》があり《それをもたらす手順も一通り》である)
“指し将棋”は、「《真なることがありそうだ》と想定され《そこへ向かって様々な論証が試みられる》」と言い得る。
(→《王か玉どちらかの負けがある》と期待され《そこへ向かって様々な指し方が試みられる》)
また蛇足を加えるなら、
『“千日手”によって結末が訪れない』こともあり得るが、
指し手双方が揃って、単調な繰り返し作業の永遠継続を好んで求めるならともかく、
そのようなことは稀有であろう。どちらかが(或いは双方が)、
単調な繰り返し、袋小路の打開を欲するだろう。
なんとなれば、『結末(どちらかの勝ち)』を欲して為されている行為なのだから・・・。
そして、人はそうした結果(何がしかの結論)を求めてしまう生き物であろうから・・・。
ゾル君の、(自身のスタンスと絡めた)喩え方は外れていないと思うよ。(´∀`)b
101 :
考える名無しさん:2008/08/24(日) 12:12:43 0
「私」という名づけは行為ではないのか?
そこのところがわからない。
それ以前の存在性?それについて語ることは行為以外でありえない
「語れないものについては沈黙しなければならない」
最高位はどう語って欲しいんだろうか?
言葉と言葉のやり取りそれだけに修正圧力など生じようがありません。
それを圧力として受け取るのは、主体(私)の誠実さという性質です。
主体があり、それに誠実性が伴ってなければ、規範など成立しようがありません。
論理の帰結は圧力ではありません。
真理を尊ぶ主体の性質が、論理なり直感なりに呼応するのです。
真理の一つの表現に、主体が呼応するとも言えます。
あなたが主体ではないなら、真理を論じる必要などあるでしょうか?
103 :
考える名無しさん:2008/08/24(日) 13:00:10 0
>>100 『詰み将棋』は結果(真)からつくっているからね。詰むのは当たり前。
ただし、詰まし方は一通りではない。最短を正解(規則)としているだけである。
『指し将棋』は、いまのところ“真”があるかどうかすらわかっていない。
“千日手”による持将棋こそが“真”だとする見方もある。
決着がつくのは、ある局面でどちらかが“偽手”を指すからだとされる。
棋士は大雑把に二タイプに分けられる。
常に“最善手”を求めるタイプ。もうひとつは、徹底的に「勝つ」ことに拘るタイプだ。
だれしも両面をもっているが、どちらの傾向が強いかで“棋風”を生む。
「あるがまま(の世界)」を信じている君は、仏教徒ではないようだね。w
104 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/08/24(日) 13:01:10 0
>>101 「名づけ」は行為
「私」は存在
「私」という存在が、行為している のだ
という、あまりにも簡単な事が
なぜ理解できないのか不思議
105 :
考える名無しさん:2008/08/24(日) 13:08:11 0
>>104 「私」というのは行為ではなく存在だ
と言ったのはあなたでしょう
それだと「私」は存在でもあり行為でもある、じゃないですか
で、問題なし
107 :
考える名無しさん:2008/08/24(日) 13:13:29 0
>>106 たとえ話しかしていないつもりだが。w
というか、それしかできないだろう?
【でも ル・サンチマン™ って「たとえ話」とは何の関係もないんだよね】
109 :
考える名無しさん:2008/08/24(日) 13:26:53 0
認識される主体である私(自我)は自己の本質ではなく、
認識するがそれ自体は認識されない主体が自己の本質であるという認識が
ソクラテス以前、東洋と西洋がまだ分かれていなかった時代の、
哲学の出発点だと聞いたことがあるよ。
110 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/08/24(日) 13:38:21 0
>>104 哲学者最高位さんの問題意識には、「私」と言う見方に関して一種のゲシュタルト崩壊を
積極的に推し進めるべきだ、と言うものがあるのでしょうか。自意識と、自己を対象化
してしまったことによってしょうじる自己の亀裂を避けていらっしゃるようにも思えます。
私の同一性、唯一性にこだわるあまり、自己の分裂にたどり着けない、というか・・・。
111 :
考える名無しさん:2008/08/24(日) 13:42:54 0
哲学者最高位さんは悟っているよ。悟り切っているとはいえないが。
いわゆる縁覚(独覚)だな。だから、これが自分だという自我を核に、
様々な性質(名前や所有物など)が結びついた自我が自己の本質ではないと
否定する。そういう悟りは絶対に必要というものではないが、哲学の本を
読むのにはそういう体験があったほうが分かり言いという事はあるだろう。
いったん悟ったなら、自分の中の世界のことは置いておいて外の現実の世界に
向かったほうがいいと思うんだがな。万人が悟るべきだという馬鹿な前提は捨てて
真に世の為に生きたほうがいいにきまっているのだろうが、哲学板に集うような
内向的な人間にはそれは無理かな。
112 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/08/24(日) 14:08:58 0
>>105 私は行為ではないでしょう
私が行為しているのだからね
というか
「私の存在性」というスレで
なぜ行為についてしか語らないのかね? ということ
現代哲学的問題意識が理解できていれば、私の言っている事も
すんなり理解できるはずなんだがね
という事が言いたいわけ
キミら、わからんのだろ?
よくよく考えたまえ
>>110 キミが何故そのように思ったのか、その根拠がわからんので、それを述べていただきたい
113 :
考える名無しさん:2008/08/24(日) 14:23:05 0
現代哲学的問題意識とはなんですか?
他の方は知りませんが私は知りません。
もう少し説明していただけませんか
最高位の問題意識を。
114 :
考える名無しさん:2008/08/24(日) 14:25:14 0
最高位も人にどうのこうの言わんと自分を語れ
115 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/08/24(日) 14:27:06 0
>>111 >哲学者最高位さんは悟っているよ。悟り切っているとはいえないが。
ほぉ!
そこまで言い切る という事は、キミは悟りきっている という事かね?(爆笑
悟りって何?
何が悟り?
どんな境地なの?(爆笑
>万人が悟るべきだという馬鹿な前提は捨てて
>真に世の為に生きたほうがいいにきまっているのだろうが、哲学板に集うような
>内向的な人間にはそれは無理かな。
それはキミの価値観であり、思想であり信仰
すなわち
きわめて内向的で、非常に曖昧な独善
と言える かもね(笑
まぁ
哲学は哲学でも、人生哲学の部類だな
私が言ってるのは
現代哲学的観点に立つ事ができれば
前時代的な価値観である唯物論が、間違いである事は普通に理解できる
という事です
単に哲学史を大きく塗り替えるという事であって
悟りとか、関係ありません(笑
まぁ
現代哲学を理解するためには、発想の転換が必要だから
ある意味、悟りににている と言えるのかも知れないけどね
116 :
考える名無しさん:2008/08/24(日) 14:32:35 0
最高位、つまんねーから板からでてけ!
117 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/08/24(日) 14:38:58 0
>>112 私の発言の根拠(理由)としては、最高位さんの「私」観が普遍的かつ唯一的であると
思ったからです。私は、ナルシシズムの観点から、その最高位さんの「私」観を嫌疑に
かけることで、新しいとらえ方ができるとおもったのです。具体的には、唯一の存在である
「私」の存在論の一部を壊して、一般的に考えられる認識論的な「私」(自己意識)と混ぜ合わせる
ことで、新しい考えを作れないかと考えたのです。両者の橋渡しをしたかったのです。
くりかえしますと、ナルシシズムと最高位的私論をアウフヘーベンしようと考えたのです。
それは、私の分裂というところにつながると思ったのです。最高位さんの側でも考えて
いただければとてもうれしいです。
102
論理的な圧力はかけられている
彼が反論を受けて立ち去ったとしても、煙に巻いたとしても
複数の言明の間で両立しないのではないか?と提示された言明の関係はずっと圧力を受けたままだ
われわれは言葉を発する者として、論理にコミットする
比喩を使うならば、将棋の駒を使う者として、将棋のルールにコミットする
このルールを無視する以上、彼は「非論理的」ないし「非合理的」と呼ばれざるをえない
彼がゲームに参加しない自由はある
わたしは彼に「ゲームをしろ」と言っているのではない
わたしはこれらのことで、
「真理」の枠組みは、存在について検討する際に論理が成立するための前提条件である
と述べている
この議論は、「真理」という理念から生じる規範の妥当性を検討していたのだから。
ある行為をしていたであろう存在を「私」と名付ける行為をしているであろう
存在を「私」と名付ける行為をするであろう存在を「私」と名付ける行為を・・・
てか全部「私」だしわかるっしょ?とでも言いたいんだろうか最高位は。
まあ現代哲学的問題意識とやらを詳しく説明してもらわんと分からんな。
というわけで説明ヨロ。
100
ありがとう
その言葉だけで、彼女の機嫌を損ねてまで議論に参加した甲斐があったというものだ
最高位も復帰したし
そろそろ退散の時期かな
121 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/08/24(日) 14:52:07 0
>>117 人を批判するなら
論理的に結論を出して
それを根拠にやってもらえませんか
思いつきで「なんとなく、そう思ったからです」ではダメダメです
嫌疑するなら嫌疑するで、徹底的に自分の中でやったのちに、その結論を以てして発言して下さい
なんとなく じゃ、どうしようもない
今日はこの辺で
>>115 >前時代的な価値観である唯物論が、間違いである事は普通に理解できる
揚げ足取るようになってしまうが唯物論は価値観ではないだろ。
あえて言えば世界観。
123 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/08/24(日) 15:04:03 0
>>121 責任のありかをどうこうするつもりはないのですが、最高位さんが積極的に自分の理論を
説明せずに、自分の理論に対して未熟である意見を批判する、と言うスタンスをとり続けて
らっしゃるので、多くの方から理解できないと言う意見がだされ、膠着状態に陥っていると
思われます。
最高位さんの私にたいする批判は真摯に受け止めます。
>>121 現代哲学的問題意識の説明は〜?
思いつきで「なんとなく、そう思ったからです」ではダメダメですぜ。
125 :
考える名無しさん:2008/08/24(日) 15:22:00 0
3 :哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/07/22(火) 10:25:55 0
>残念ながら
>それは単に、キミが単一的な考え方しかできないから、そう思っているだけですよ
>キミは「人間」という言葉を、一般論から出発させて「自分は、それに当てはまるのか?」という思考経路で考えているわけだが
>私はまず「私は人間である」と決めて、「他人も同類なのか?」という問題意識を持っている わけだよ
↑
馬鹿最高位www
126 :
考える名無しさん:2008/08/24(日) 15:36:36 0
>馬鹿最高位
>私はまず「私は人間である」と決めて、「他人も同類なのか?」という問題意識を持っている
生意気に哲学者を自称する前に、
何を根拠に私は人間であると決める事が出来たのかをよく考えな。
まず最初に「私は人間である」と決めて、それから他の人間も同種類なのか考えるって・・・
浅田美代子の上を行く天然ボケかよw
127 :
考える名無しさん:2008/08/24(日) 15:58:40 0
天然ボケなんですよ。むしろ、こういう普通の人以下の思考力しかない人が
哲学に興味を持った方が不思議なので、そこになんというか、悟り体験の介在を見るのですが。
128 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/08/24(日) 16:11:14 0
最高位さんの思想の解釈を続けます。(批判するには力不足なので)
最高位さんは私という語を持って、人間個々を指す物であると気づいた。そして、
世間一般では、皆が私という語を使うので、皆が人間であると思いこんでいる。
それは、人間について帰納的に皆が定義している状況であった。
ここで私という語の使われ方に疑問を抱いて、確実に存在するのは思うところの
私一人であると気づいた。そして、人間と言う概念を、変更するような必要に迫られた。
そして、私の属性から人間という概念を構成し直し、それが他者についても
演繹的に当てはめ、正しいといえるかどうかと言う検証を行っているところである。
129 :
考える名無しさん:2008/08/24(日) 16:53:52 0
>>111 「悟り」の境地というのは、本当は独善と自己欺瞞に過ぎないのだ。
「覚者」などと、自分が他人より優れた特別な存在となったと思い上り、
他人を指導する特別な存在となったと尊大に構え、
不遜にも「他人を悟らせる」などと、絶対的な人格者の姿が想定されているのだが、
この仏教者心理こそが神様きどり、というのだ。
>>118 論理による修正圧力というのは、結局、その種の真理探究ゲーム参加者にのみ加えられる限定的な圧力ではないでしょうか。
真理探究ゲームは様々あって、論理的、合理的、批判的な真理探究ゲームもそれらの一つに過ぎないと思います。
共通に言えることは、主体が「真理」を希求することではないかと。
131 :
考える名無しさん:2008/08/24(日) 19:20:05 0
>>112 >なぜ行為についてしか語らないのかね? ということ
行為について語るのではなく語ることがすなわち行為だろ。
語ることでしか自己の存在は示せないということだろ。
存在性もまた言葉でしかない。
132 :
天才君:2008/08/24(日) 22:35:06 0
哲学者最高位さんは【「私」は存在】と決定づける。
天才君は、【「私」は行為】であると決定づける。
つまり、天才君は、「存在」とは行為であると断定している。
人間は行為以外の事はできない。存在自体が行為である。
なぜならば、存在しているとした認識した行為の結果、存在していると気付いたのであるからだ。
その主体がなんなのか?は天才君には解らない。
「私」の存在性について天才君が「私」を定義するならば、
【「私」は「無(存在しない)」】と決定づける事になる。
しかし便宜上、「私」が(は)存在すると信じている人達にいうならば、
「私」を主体として語る必要がでてくる。
すると「他」は存在する。そして「他」の行為として「私」が在る。こう決定づける事は可能である。
しかし、「他と私」はまったく分断されているわけでもない。
よって、【「私」は存在でもあり行為でもある。】訳です。
ま、簡単に言えば、「みんな居るよね」で、「居ると信じているね(知っているね)」
こんな事を素朴に考えている私は、「考えているね」。ということで行為だ、って事です。
何故、行為か?時間が経過するからです。時間が止まっているならば、「存在」だと言います。
人間は生きている(時間の中にいる)事を忘れない天才君ならではの論ですね。
うごく城は語らない
134 :
天才君:2008/08/24(日) 22:45:30 0
そこで、神がでてくるわけです。
人間(私と他)は神によって生きている。
万人に通用する(私と他)を生かしている存在(神)は、とりあえず「太陽」としてもよい。
つまり、こうも言うことができる。「私」は太陽の「行為」の一部である限定条件に
合意つつ、自他と戯れ、創造活動を行っている。そしてその瞬間の一部を切り取って、
話すならば…。創造活動を営む「存在」だとも言える。
135 :
考える名無しさん:2008/08/24(日) 22:57:03 0
最高位から天然ぼけの魅力をとったら何が残るというのかね?
およそ根拠も無く「決めておいて」、それから「何であるか」を検証する という
このような天然ぼけには、記念物的ありがたさを感じる
136 :
天才君:2008/08/24(日) 23:06:18 0
哲学者最高位さんの考える「現代における哲学」を公開し、批判対象に
もってこないであろうと考え、天才君はが考える「現代における哲学」を
批判対象に上げる。これにより、他者の批判対象にさらすことにより、
結果的に、議論の対象化させうることになることを期待する。
現代における哲学は、人間が認識できる(であろう)範囲に限定される。
その中での真善美を言論にて創造するのであると、天才君は考える。
善と美も哲学の範囲に入れるから、倫理・道徳も含まれる。
また仮定や推論も哲学に含めば、形而上も範疇に含まれるが、
形而上を扱うには、個人差がでてくる。
そんな背景から天才君が考える現代哲学の観点を一言でいえば、
太陽系の地球にすむ人間として、の大前提でありかつ限界・ルール内で、
「私」を「私自身」から対象化させ考え、「私自身」がどんな在り方をしようか?と
創造する事で、様々な「私」の在り方を「私」達自身が取り込めばよいわけだ。
ようするに、この地という限定条件の中で、「生き方の規範」を考える事が「私」の存在性を考える事でもある。
これが、「現代における哲学」の意味であると天才君は考えます。
137 :
考える名無しさん:2008/08/24(日) 23:12:14 0
「現代における哲学」じやなく、現代最先端哲学だよw
138 :
考える名無しさん:2008/08/24(日) 23:17:29 0
現代最先端哲学とは 理解することもなく
「そうだとしたらなんでそうなるん?」と
次々と 問題提起することによって 「どうだ こたえられまい」と
「自分が最先端に居るような気になるガキのような哲学」のことです
139 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/08/24(日) 23:39:43 0
僕の信念を述べさせていただきますと、人間は核の部分では皆一緒、ということです。
その核のうえに、生まれてから死ぬまでの経験があって、各個性が形作られるのです。
もちろん、持って生まれた性格などを否定する気はありませんが、共通部分として、
「人間」という最低限の共通項が存在すると思うのです。
140 :
考える名無しさん:2008/08/24(日) 23:50:29 0
「その核」の説明 よろ
141 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/08/24(日) 23:56:21 0
また最高位さんが相も変わらずといったところでしょうか。
天才君さんと似てるようですが
天才君さんの方が一歩でも前に進まれているようにも思えます。
142 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/08/25(月) 00:04:11 0
>>140 「核」とは、人間は皆生まれて歳を数えて死んでいくということです。母親から生まれ、
寿命を持ち、生きて、話して、死んでいく。人生と言うことですね。自分にはどうしようも
無いことがある、とあきらめることでもあります。
人間は生きている内に理性に目覚め、生命の永遠を信ずるようになる。孔子も老子も釈迦も
バラモン教徒もキリストも皆おなじことを言っています。
130
そのような圧力を感じるかどうかは人による
置いてある将棋が王手を受けている。
「王は逃げなければならない」
この時、そう感じるかどうかはその人の文化圏による
日本人以外は何も感じないだろう
では、そう感じる人がいるかどうかによって王手が成立しているかどうかは変わるのだろうか?
将棋のルールは、将棋の参加者の心理的状況によって左右されるのか?
わたしは、将棋のルールは参加者の規範意識、行動に関係なく成立すると考える
言葉もまた同様である
例えば、天才君が何ら発言行為に制約をもたなかったとしても
天才君の発言は非個人的に検討され、論理の圧力に従う
144 :
140:2008/08/25(月) 00:13:42 0
>>142 共通項は、両親が存在し、生まれ、死んでいく、というくらいかな。
「寿命」の概念があいまい。
歳も数えることなく、
生きている内に理性に目覚めないまま、
なんら話さないまま死んでいく人間もあるのでは。
145 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/08/25(月) 00:27:31 0
146 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/08/25(月) 00:30:53 0
>>144 「寿命」という概念は、ここでは自然に生きていたら生きられるだけの年、といったような
事を言いたかった。若年で死んだ人は、賽の河原で石を積むしかないわけですが・・・。
モデル化しているので、当然人類全てに当てはまる意見を持っているわけではありません。
147 :
140:2008/08/25(月) 00:40:46 0
>>146 若年で死んだ人は、賽の河原で石を積むしかないわけですが・・・とか
仏教的観念をもった謙虚な方なんですね
いちおう納得しました
148 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/08/25(月) 00:59:27 0
>>122 世界観は、価値観の一種だろ
>>123 >最高位さんが積極的に自分の理論を 説明せずに、
何年もアホほど説明してきたのだが、またイチから説明ですか???
>>124 自分が存在するに至った原因性を考えた事はあるかね?
>>126 >何を根拠に私は人間であると決める事が出来たのかをよく考えな。
私は簡単に、すんなり決める事ができたが、キミには決める事が出来ないのかね??(苦笑
>>127 >天然ボケなんですよ。むしろ、こういう普通の人以下の思考力しかない人が
>哲学に興味を持った方が不思議なので
では、「私」が存在した原因性は、いかなる法則性に基づいた現象なのか
キミには言えるのかね?(爆笑
ボケずに、明確にお答えいただきたい
>>128 >そして、私の属性から人間という概念を構成し直し、それが他者についても
>演繹的に当てはめ、正しいといえるかどうかと言う検証を行っているところである。
現代哲学の基礎が理解できていれば
とりあえず、これは検証できない という結論に至るはず
いかなる現象的な事柄も、「私」の原因性にはなりえず
すなわち現象的な事を検証しても、主観性の有無すら確認できはしないのだから
149 :
考える名無しさん:2008/08/25(月) 01:11:40 0
60億人の人類には全部それぞれの主観性があるのだから
最高の主観性だけが特別だという最高位の主張は
自分は自分だから特別だって言ってる我が儘でもの分かりの悪い知恵遅れの
幼稚園児のわめき声にしか聞こえない
150 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/08/25(月) 01:13:21 0
>>131 もちろん語る行為は行為だが、語り語られる「私」は、存在だろ
存在しないものが語っているのかね??
>>132 「行為」とは、「行為する」という事
たとえばココに
行為するものがあったとして
「行為するもの」が、必ずしも「私」であるとは限らない
むしろ、たいていは「私以外」であろう
すなわち
行為=私
なのではなく
単に
「私」が存在し、それが行為しているのだ
と言える
私が主語
行為は動詞
主客を逆転させてはならない
コレ、アホみたいな基本
151 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/08/25(月) 01:15:59 0
>>148 >何年もアホほど説明してきたのだが、またイチから説明ですか???
いや、前はちゃんと理解できたんですよ?ただ、私ちょっとアホなので・・・。
いいわけさせていただくと、最高位さんの「私」は、普遍性の極度に高い理論で、
そのため内包がきわめて小さいので、説明するのが容易でないということがあります。
そう言う理論の性質上、ああいうやりとりが繰り返されてきたのもうなずけるかな
とは思います。
>自分は自分だから特別だって言ってる我が儘でもの分かりの悪い知恵遅れの
>幼稚園児のわめき声
がこのスレの全てでしょう?wそれ以外何がある?w
153 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/08/25(月) 01:32:19 O
ビー玉で野球するようなものですよ、最高位さんは
ビシバシストライクとれるし、ヒットするのは容易でない。
154 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/08/25(月) 01:33:53 0
>>134 神に飛躍するのは、やめましょうよ
>>138 もうちょっと具体的に批判してもらえるかな?
>>141 何かを発言するなら根拠を述べなさい と、いつも教えてあげてるだろ
いつになったら理解できるんだバカ
>>149 それは前時代的な、おじいさんみたいな思考
キミの考え方には、簡単に言えば2点ほど間違いがある
まず
>60億人の人類には全部それぞれの主観性があるのだから
哲学的に考えれば、こんな事は確認できないというのが常識
>最高の主観性だけが特別だという最高位の主張は
キミの貧困な発想からだと
他人と比べて特別だと言っている と感じているようだね
私自身は唯一なんだから、特別なんじゃないかね?(笑
「私自身」が、普遍的に存在しているワケじゃないんだからね
>>152 そう思うんだったら、キミは何しにここに来てるわけ?
155 :
考える名無しさん:2008/08/25(月) 01:38:38 0
,. - ─── - 、
/ , `ヽ.
/〃//,. ,ィl/|l ト、 !、 、 ヽ
ー'´| | l |1 | !l. l| ! | l.|ヽ ! !、 ', おじちゃんたち
YレV!ヒエ「! |l.「_ト!Ll」| l l l どうしてはたらかないの?
! lハイJ | ´|_jヽ. リ,! ! l. l |
|l |l.} ー , L _,ハl.lトl l. | l
|l ilト、 n '' ,1l|ィ| |l l |
_ 二,ニ^tュ--ェ_t1」l.|l !リ|_lノ
r7´ f r┐| 〔/ミヽ>,-、 ̄´
Y ー个‐'t ハ-、_'ゝ、
ヽ ._・ rく ̄ヽト-'丿 ヽ l
/ (・__,)ゝi┬'´ハ` '`|
|ヽ, イ ノ┴くヽヽ、 /
`´ ゝ┬ヘ`ヽ | `ー‐1
156 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/08/25(月) 01:39:16 0
>>154最高位さん
自分が特別などという思い上がりの人には
NHKの北京オリンピックのテーマ曲がお勧めです。
157 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/08/25(月) 01:41:22 0
158 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/08/25(月) 01:52:31 0
あえて言うなら
私は私
キミはキミ
お互い特別なんじゃないの?
というのが、私の言う特別
一人ひとりが特別じゃないんだったら
隣の家に行って、「今日はボクが旦那さんの代わりになります」
と言ってみてごらんよ(爆笑
(もちろん実行は厳禁!キミらは常識が理解できんから本当にやりそうで怖い・・・)
159 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/08/25(月) 01:56:19 0
>>157最高位さん
それはこちらがお聞きしたいですね。
現に
>>154で唯一だから、と言われていますが。
比べるこころがあるから「特別」という考えが生じるわけです。
個々に唯一な何か。それが個々に違うものなら(ややこしいですが)
それは「自我」であり
等しいものならばそれは「仏性」といえるでしょう。
160 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/08/25(月) 02:11:19 0
>>159 >現に
>>154で唯一だから、と言われていますが。
>比べるこころがあるから「特別」という考えが生じるわけです。
ん?
私自身が唯一ではないと?
私自身が、アッチにもコッチにも、いるんですか??(爆笑
あと
「比べるこころ」が、あってはならないと??
誰にでもあるでしょう そんなもの
生じるのが普通だと思いますけど?
ようするに
誰でも個々に特別である というのは、普通の常識
キミは、それを否定するというワケかね?
>等しいものならばそれは「仏性」といえるでしょう。
何度も言うけど
こっちが聞きもしないのに仏教用語を使ってくるな基地外
161 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/08/25(月) 02:26:10 0
>>131 >存在性もまた言葉でしかない。
日本語を解さない人からすれば、キミは存在せず、見えないのかね??(苦笑
「自動車」という言葉は言葉だが
「言葉でしかない」などと言って車道に飛び出したら
たぶん轢かれるよ?(苦笑
162 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/08/25(月) 02:32:22 0
>>160最高位さん
個々に特別
それがお分かりならば他の人の考えもくみ取るべきでは?
自我は壁を作り、平等は壁を取り払う、です。
>>161 では何を以って「存在」と成すのですかな?
車道もまた言葉では?轢かれるは動詞では?
こういう考えはどことなくマトリクスですね。
163 :
140:2008/08/25(月) 02:38:54 0
>私自身は唯一なんだから、特別なんじゃないかね?(笑 ・・・
「なんだから、なんじゃないかね」とか非論理的なこといわれてもねぇ。
笑いがこみ上げてくるwww のみ
164 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/08/25(月) 02:51:23 0
>>162 >それがお分かりならば他の人の考えもくみ取るべきでは?
ん?
十分にくみ取っていますよ
だからこそ、これほどまでに親切に間違いを指摘してあげているわけです
壁の有る無しと、間違いの指摘は、丸っきり違う話です
>車道もまた言葉では?轢かれるは動詞では?
>こういう考えはどことなくマトリクスですね。
いやいや
キミの頭がマトリクスなんじゃないの?
私が言っているのは
存在性は存在性なのであって、「言葉でしかない」
というのは、おかしな発想だ
という事です
>>163 じゃぁ論理的に、特別ではない事を証明して下さいますか?(爆笑
そもそも「特別」という言葉は、キミらが言い出した事なんだが
どういう意味で使い始めたの?
まず、それを明確にしてください
165 :
140:2008/08/25(月) 03:11:22 0
>じゃぁ論理的に、特別ではない事を証明して下さいますか?(爆笑
おいらも、2丁目のK.Aさんも、知り合いのT.Iも、
あなたも、ただ一人しか存在しないわけだが、
それによって、特別である理由がないからなんです。
166 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/08/25(月) 03:16:34 0
>>164最高位さん
なにが間違いなのでしょうか。
最高位さん自身の考えが全く正しく、というわけですか?
何を以って私と成すか
私に限らず車道でも、存在でも構いませんが
どうなのでしょう。
言い方を変えれば存在性を如何に表現出来ますか?
ということです。
167 :
140:2008/08/25(月) 03:19:17 0
>>164 >そもそも「特別」という言葉は、キミらが言い出した事なんだが
「特別」という言葉は、おいらが言い出した事ではないんだが
「キミら」って、誰と誰のこと?
168 :
天才君:2008/08/25(月) 03:31:10 0
哲学者最高位に質問させてください。
哲学者最高位さんの論理的立脚点は、を一度確認しておく必要があります。
哲学者最高位さんは、【「私」は存在】と決定づけている。
つまり哲学者最高位さん自身は、天才君から見れば「他」であるが、
哲学者最高位さん自身は、ご自身を何だと思っているのか?という事です。
自分自身を「私(存在)」自身であると自覚されているのか?
もし自覚されているならば、自分自身は、つまり、
存在は固定しているのか?
存在は動いているのか?
どうお考えなのでしょう。
169 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/08/25(月) 03:42:31 0
>>165 一人しかいないんだから、特別だと言えなくもない と思ったんだけど
特別でない と断定するのならば、その特別って、どんな意味なの?
>>166 >なにが間違いなのでしょうか。
キミが
>他の人の考えもくみ取るべきでは?
と思った部分じゃないかね?
>存在性を如何に表現出来ますか? ということです。
厳密に言えば、言葉という不完全な道具で表現する事は、たぶん不可能だろうね
言葉は表現の道具
表現される対象そのものが「言葉にすぎない」のではない
言葉は言葉であり、あくまでも表現しようとするための道具
>>167 めんどくさいなぁ・・・
話の流れもわかってないくせに、偉そうに喋りかけてくんなよマッタク・・・
149 :考える名無しさん:2008/08/25(月) 01:11:40 0
60億人の人類には全部それぞれの主観性があるのだから
最高の主観性だけが特別だという最高位の主張は
自分は自分だから特別だって言ってる我が儘でもの分かりの悪い知恵遅れの
幼稚園児のわめき声にしか聞こえない
156 :唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/08/25(月) 01:39:16 0
>>154最高位さん
自分が特別などという思い上がりの人には
NHKの北京オリンピックのテーマ曲がお勧めです。
170 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/08/25(月) 03:56:43 0
>>169最高位さん
他人の考えをくみ取るべき、は間違いですか?
また言葉は不完全という理由は
自ら存在性の説明を放棄されてしまうということでは?
車道は説明出来て存在性は出来ないとでも?
出来る限り説明すべきですね。
そうでなければここで何を書き込むのでしょうか。
171 :
140:2008/08/25(月) 03:59:21 0
>>169 149と156 を指して「キミら」になんだろw
おいら140でっせw
区別もつかないくせに「キミら」扱いすると、
あんたのこと気違い扱いにするよ、マジで
172 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/08/25(月) 04:03:36 0
>>168 『私』は『存在性』です
>哲学者最高位さんは、【「私」は存在】と決定づけている。
存在性 というと混乱する人がいるから、存在としましたが
その表現だと、今度は物質的な実存と勘違いする割合が、かなり増えます
>つまり哲学者最高位さん自身は、天才君から見れば「他」であるが、
>哲学者最高位さん自身は、ご自身を何だと思っているのか?という事です。
私は、私という主観性そのものな存在性 です
>自分自身は、つまり、
>存在は固定しているのか? 存在は動いているのか?
>どうお考えなのでしょう。
どちらでしょうか(笑
あらゆるものは動いていますよね
変化しています
そして、変化というのは時間を伴います
しかし時間というものは、本当に流れているのでしょうか
常に現在しかないのだ と考える事もできます
過去など存在するのだろうか という問題もあります
まぁこのような問題は、今のところ答えがないので、置いておくとしましょう
その問題を置いておいても、ただ一つだけ言える事があります
私は今この瞬間、現在において、存在している という事です
自己同一性を、いちばん大きな問題だと思っている人がいますが、同一であろうとなかろうと
今、この瞬間に存在している『私』を、否定する事はできません
私は、存在しているのです
存在性なのです
【「私」は存在】という表現は、つまり「本来の面目」とほとんど同じだよw
174 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/08/25(月) 04:15:36 0
>>170 くみ取って間違いを指摘してると言ってるだろ
いつもの事だが
会話ぐらい、もう少しマトモにできるようになってくれよ・・・
>>171 キミも、私に対して『特別』の説明責任を求めてるのかと思ったのでね
求めてないなら問題なしだが
しかし、いったい何に対する論理性を求めていたのかね?
175 :
どろりんこ:2008/08/25(月) 04:16:48 0
>今、この瞬間に存在している『私』を、否定する事はできません
ん、ま。
「存在するから存在する」って言っているだけなんだがね、それじゃ。
中学生にもわかるよね。
176 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/08/25(月) 04:18:36 0
177 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/08/25(月) 04:22:18 0
>>175 ん?
このスレには
「我思う故に我あり」すら理解できない人が多く存在し
いまだに「私は存在しない」とか
「私は言葉にすぎない」と主張しているのだが?(爆笑
では一応、基本的な事を聞きますが
なぜ「私が存在する」と言えるのですか?(笑
178 :
140:2008/08/25(月) 04:25:58 0
>>174 >しかし、いったい何に対する論理性を求めていたのかね?
誰しもが1人しか居ないということであれば、それを根拠として
「私は、特に別格である」とはいえない
ということをいったつもりなのだが
類的普遍と個別的な個性は別に矛盾しないが、普遍性への意識は
生命・生き物全般にも拡がりうるものだろ。
個別をいえば、孤立、独我論にも至りうる。
180 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/08/25(月) 04:50:23 0
>>176 何の説明だよバカ
>>170 >また言葉は不完全という理由は
>自ら存在性の説明を放棄されてしまうということでは?
放棄してないだろ
キミのようなアホにでも、理解できるように頑張ってるだろ
頑張ってるけど
しかし、おそらく誰にでも理解できるようにはならんだろね てこと
>車道は説明出来て存在性は出来ないとでも?
それは、車道ぐらいはアホにも理解できるけど、存在性になると難しい て事だろ
>出来る限り説明すべきですね。
説明してるっつーの
何年も、何を読んできたんだろねマッテク
>>178 べつに別格とか関係ないんだけどな
そもそも私は、「別格だ」なんて言った覚えないしね
181 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/08/25(月) 04:57:42 0
>>180最高位さん
愚痴を言っておられるだけで
中身は全くありませんが?
存在性を可能な限り言葉で表現してください。
説明する気が無いのであればこのスレに最高位さんは不要です。
説明してると豪語されていますが
ただの自分の妄想、空想の押し付けだけすね。
「何を以って私と成すか」
この質問には相当の間お答えになっていませんが。
とりあえず車道からお願いします。
182 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/08/25(月) 05:10:13 0
>>181 >愚痴を言っておられるだけで
おいおいムチャ言うなよ
お前みたいな頭の悪いヤツに説明するのに、愚痴が出ても当たり前だろ
>説明する気が無いのであればこのスレに最高位さんは不要です。
ふむ
さすがに仏教徒というのは、なかなか人格的に優れているね(爆笑
藁かしてくれるわ
何の為に宗教してるのかねぇ・・・
都合の悪い人はムキになって排除する という教えとはね
>説明してると豪語されていますが
>ただの自分の妄想、空想の押し付けだけすね。
まぁアホには、そう映るだろね
>「何を以って私と成すか」
自分自身だよバカ
キミには自我意識というものがないのか?
と、以前も答えたと思うが?
>とりあえず車道からお願いします。
ん?
車道を説明しなきゃならんのか???
何のために?
マジで、大丈夫?
183 :
考える名無しさん:2008/08/25(月) 05:23:42 0
「私」というのは脳が作った妄想だね。
最高位が、たとえ妄想であっても存在であることに相違ないと言うならば、
幽霊や河童や目玉親父だって存在する事になるよ。
最高位がそれでいいなら、いいけど。
184 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/08/25(月) 05:35:52 0
>>183 残念ながら
幽霊や河童や目玉親父は、方法的懐疑に引っかかってくるんだよね
キミは、基礎中の基礎ができてないから、お話しにならない
あと
脳というのは物質であって、その他いくらでもある
脳A、脳B、脳C、脳D・・・・・
なぜ脳Xが、私だったのか
という問題があるのだよ
本来なら脳A、脳B、脳C・・・・・と同じように
脳Xは、Xという他人になるのが自然な流れだよね
脳Xは、なぜ私だったのか
それは、その脳をいくら調べても、答えは解明されません
これぐらいは基礎だから、理解できないんだったら議論に参加するのは、まだ早いです
185 :
考える名無しさん:2008/08/25(月) 05:38:19 0
186 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/08/25(月) 05:52:57 0
>>182最高位さん
ご都合が悪いのは最高位さんでしょう。
釈尊の御言葉を引用しつつも
三法印の諸行無常、諸法無我、涅槃寂静を理解せず
我有りと結論付ける意味不明さ。他の格言の己への転用。
自分自身は何を指しているのですか?
>>184 その手の議論は以前言いました
先天的、後天的な私で説明出来ますね。
もっとも「先天的な私」を哲学での説明は無理でしょう。
宗教的な力を必要とします。
それを宗教ではなく哲学と言われるなら
宗教的世界を哲学的に表現した内容に過ぎないでしょう。
「私であったか」というように過去形ならば
その脳を(身体でも同じです)を獲得する以前を考える必要があります。
後天的ならばそれは全て「他に因って与えられたもの」で説明できます。
また同時に物質による「制約」を受けます。
さて、先天的な私を議論する必要が在るのでしょうか?
基礎でもなんでもなく議論する場が違うということです。
そして最高位さんの空想は最高位さん自身に留めるべきですね。
187 :
考える名無しさん:2008/08/25(月) 05:56:42 0
「脳」の存在は五感(直覚)に与えられたものであって、
デカルト的懐疑にひっかかるものである。
一般に自然科学は五感及びその拡張に観測的基礎を置いているもので
あって、デカルト的懐疑にあってはその一切が疑わしいものとなる。
188 :
考える名無しさん:2008/08/25(月) 05:59:40 0
>「脳」の存在は五感(直覚)に与えられたものであって
まず最初に「五感」が存在するという理論だね。
何で「五感が存在する」と言えるのw
189 :
考える名無しさん:2008/08/25(月) 06:02:30 0
無論、光速の観測もデカルト的論理では、悪魔による幻覚の可能性を
排除できず信用できないものである。
190 :
考える名無しさん:2008/08/25(月) 06:03:48 0
>>187 「五感」に「与えられたもの」と言っている時点で懐疑の対象になるはずなのに、
言ってることが矛盾してるじゃんw
191 :
考える名無しさん:2008/08/25(月) 06:05:11 0
>>188 当然、デカルト的には五感の存在も疑わしいものとなる。
192 :
考える名無しさん:2008/08/25(月) 06:10:26 0
勿論、デカルト自身の論理的思考力も悪魔に邪魔されて
間違う可能性が否定できず、デカルトの論証も疑わしいわけである。
193 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/08/25(月) 06:17:34 0
>>185 うむ、脳も方法的懐疑に引っかかりますから、妄想である可能性を否定できませんね
基礎ですね
そして、たとえ全てが妄想であったとしても、ひとつだけ確かな事がありますね
第一原理である「我思う故に我あり」ですね
全てが妄想であっても、妄想している自分の存在だけは否定できませんね
もし自分が存在しないのであれば、妄想もできませんからね
たとえ妄想していようが、その妄想を感じている時点で、「自分は妄想している」という事実が確定し
妄想している自分の存在が確定しますからね
これは、どんなに頑張っても否定できませんね
>>186 キミ、ホントに超KYだよ
なんで求められてもいない仏教用語を連発してんの??
「天上天下唯我独尊」によって、我の存在性を理解しても
諸行無常とかが否定されるわけでもないんだよ
しかも、法華経以前は方便だと釈尊自身が言ってるらしいじゃんか
その辺はどうなん?
というか、まぁ「天上天下唯我独尊」について説明してくれないかな
あと
>もっとも「先天的な私」を哲学での説明は無理でしょう。
>宗教的な力を必要とします。
だったら、そのまんま唯物論崩壊じゃんか(爆笑
>その脳を(身体でも同じです)を獲得する以前を考える必要があります。
>後天的ならばそれは全て「他に因って与えられたもの」で説明できます。
いやキミは、本当に理解できてない
自我意識を獲得したのが『私』なのであってね
脳の分子構造によって『私』が作られる事はありえないわけです
私は一人なのですから、一定のパターンによって発生するような性質のものではありません
194 :
考える名無しさん:2008/08/25(月) 06:24:43 0
現代最先端哲学と謳われる最高位哲学。
彼は「まず最初に『私』が存在する」と説く。
「『私』の存在以外は根拠が無く、根拠がないから私の存在以外は
『分からない』とするのが正しい」と説く。
そこまでは独我論的に筋が通っていると言えるだろう。
ところが、彼は、いつの間に主語を『私』から「人間」へとすり替えて議論を始める。
最高位は何故、主語をこっそりと『私』から「人間」にしてるのか、
という議論になった。
そこで最高位の発言
>キミは「人間」という言葉を、一般論から出発させて
>「自分は、それに当てはまるのか?」という思考経路で
>考えているわけだが
>私はまず「私は人間である」と決めて、「他人も同類なのか?」
>という問題意識を持っている わけだよ
全く答えになっていない・・・・・・
195 :
考える名無しさん:2008/08/25(月) 06:27:37 0
つまり、デカルトは
「自分には信ずべき五感も備わっておらず、論理的思考能力も無いかも知れない」
から出発すべきであった。
196 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/08/25(月) 06:36:02 0
>>193最高位さん
天上天下唯我独尊の「我」と諸法無我の「我」を
どう考えられているのですか?
また法華経以前の方便だとか
まったく意味不明なので典拠(その元になっている経典なり論書)が
有りましたら呈示願えますか。
自我意識を獲得云々とありますが
脳の話からなぜ自我意識へと観念的世界になるのですか?
このあたりもすり替えですね。
197 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/08/25(月) 06:51:46 0
>>194 >最高位は何故、主語をこっそりと『私』から「人間」にしてるのか、
>という議論になった。
なんで、『こっそり』なんだよ(大爆笑
どんな風に、私が『私』から『人間』に、こっそり変えたのかね?(笑
>全く答えになっていない・・・・・・
なぜ答えになってないのかね?
わけわからんが
なぜかしつこく、その部分に拘ってくるねぇ
意味がわからんわけだが
もしかして感嘆詞くんの自演かね?
>>196 仏教については知り合いがいるので、また聞いておきます
その人は「人は死んでも永遠に存在するというのが仏教の教えです」と言っていたよ
色即是空について聞いてみたら、その人の解釈では
たとえ、この肉体が朽ちても、無ではなく、空というカタチで存在するのだと言っていた
>自我意識を獲得云々とありますが
>脳の話からなぜ自我意識へと観念的世界になるのですか?
>このあたりもすり替えですね。
何をどうすり替えていますか?
仏教の受け売りばかりしてないで、もう少し自分で考えてみたらどうですか?
まあ、どうあがいたって私は脳が作り出した結果だよ。
赤ん坊・乳児・学童と時間軸に沿って人の成長を観察すれば分かる。
結果である私を逆転させて、私が原因であるとして世界観を組み立ててるから、
時間軸が滅茶苦茶な妄想話になっているんだな。
199 :
考える名無しさん:2008/08/25(月) 06:55:43 0
簡単に言えば「バカな俺が居る」がデカルトの出発点であったはずだ。
200 :
考える名無しさん:2008/08/25(月) 06:58:09 0
最高位の言う「自分で考える」ってのは、
頭の中で妄想を膨らませて、詭弁で正当化して、間違いを必死に誤魔化して、
間違いに気づかないふりをして、正しいことを言っている他人を詭弁で叩くって事でしょ。
最高位が考えても、それじゃ意味無いよーw
201 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/08/25(月) 07:00:19 0
>>197最高位さん
残念ながらそれは本来の仏教思想ではありません。
中国の祖霊崇拝思想と仏教の空という言葉が融合したものです。
永遠に存在するなどということ自体
「諸行無常」ではありません。
但し、言われていることのニュアンスはわかりますよ。
すり替えですが
脳(身体)ですと物質であり、自我意識だと物質でない
物質であるものに私が取り付くのが都合が悪いから自我意識なのでは?
では、自我意識は誰のものでもないということになりますね。
昔、ピーター・フランクルがつくった問題
嘘しかつけない嘘つき村の住人と
正直にしか答えない正直村の住人がいる
正直村に向かおうと道を歩いたら二股にさしあたった
どうやら、片方は正直村への道、片方は嘘つき村への道らしい
どちらが正直村への道か迷っていると
二人の人間がいた
「正直村への道はどっちですか?」
質問すると二人とも別々の道、まったく違う答えを指した
どういう質問をすれば、正直村への道を知ることができるだろう?
203 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/08/25(月) 07:25:20 0
>>198 ↓
>>184 >>201 >残念ながらそれは本来の仏教思想ではありません。
本来の仏教思想とは、どの宗派ですか?
>永遠に存在するなどということ自体
>「諸行無常」ではありません。
そうですか??
私は学校で、一般常識として「諸行無常」というのは
諸々の事柄は常なるものはなく、全ては変化しているのだ
というように習いましたが、それは昔の事であって
誰も現代哲学を知らない時でしたからね
確かに自然や精神活動に至るまで、現象的な事は全て常に変化している と思います
しかし無から有が生まれたり、有が無になったりするのも、法則から外れていると思いますね
>すり替えですが
>脳(身体)ですと物質であり、自我意識だと物質でない
>物質であるものに私が取り付くのが都合が悪いから自我意識なのでは?
>では、自我意識は誰のものでもないということになりますね。
何を言っているのか、サッパリわかりませんね・・・
唯物論でいくと、自我意識は物理現象なんですよ
キミは仏教だけで、思想的な畑を知らないんじゃないですか?
話してて、観点が全然ちぐはぐなんですよ
わからんのなら、黙ってるのがいいですよ
仏教を語りたいなら、仏教スレがあるじゃないですか
この問題に、ある人は言うだろう
どの質問に対する答えも疑えてしまうのだから
答えを知る方法はない
果たして、正直村への道を知る方法はまったくないのだろうか?
それともあるのだろうか?
ちょっとだけこのクイズの返答を待つか
ピーター・フランクルは元数学チャンピオン
デカルトと相性がいい
このクイズを出したのも
デカルトの「われおもうゆえにわれあり」の説明に使えそうだと思ったから
(これって大ヒントだよ)
206 :
天才君:2008/08/25(月) 08:29:27 0
>>172 ご返答ありがとう。確認させてください。
哲学者最高位さんは、『私』は『存在性』という論で展開していますね。
そして物質的な実存ではない。
で、哲学者最高位さん自身は、「私という主観性そのものな存在性」であり、
ご自身の事を、「私は今この瞬間、現在において、存在している」とおっしゃる。
私が問題にしたいのは、このような議論の場では時間が生ずる。つまり
時間の流れの真偽は置いて置いて、我々は時間の中で生きる人間である事を
一応合意事項として了解しています。
確認したいので、もう一つ質問させてください。
あなたは時間の存在を便宜上、認めた上での言論活動に合意できますか?
207 :
考える名無しさん:2008/08/25(月) 10:07:30 0
>>202 ピーターさんには悪いけど、この問題のつまらなさは“嘘”“正直”の意味が
等閑に付された(カッコにいれられた)まま提起されていること。
“浮気”のときと一緒だ。結局、君の口から何を指して“浮気”と呼ぶかは、
ついぞ聞かされなかった。
“嘘つき”とはどんな人? “本当のこと(事実)”を言わない人?ww
ラビ女史の「モデル上の論」をもじって言えば、君がワケ知り顔で語っている
のは、ほとんどの場合、「ゲーム上の論」。
「現実(これも君の言葉)」と触れあうことがないんだね。
君のタイプには、指し将棋よりも詰め将棋のほうが向いている。w
>>202 正直村は存在するよね?って聞けばいいのかな。
208
片方は「うん、存在するよ」と言うし
もう片方は「いいや、存在しないよ」と言う
で、実際に正直村が存在しない可能性がある以上
嘘つき村の住人と正直村の住人の区別はいまだつかない
(質問者が正直村に行こうとしているからといって、正直村が存在するとは限らない)
(そういや、このクイズ、二人とも言葉がしゃべれないって設定があったんだ)
ここでの質問は
「あなたはどちらの村の住人ですか?
あなたの村への道を教えてください」
そう質問すると
二人とも、同じ道を指した
旅行者は二人が指した道を歩いて正直村に向かった
ここでは「正直村はどっち?」という言葉を使うと二人とも違う道を指すのに
「あなたの村はどっち?」という言葉を使うと二人とも同じ道を指す
じゃあ「正直村」という言葉と「あなた」という言葉では何が違うんだろう?
「わたしは存在する」という言葉で使われる「わたし」も
「正直村」と同レベルで使われるならば、疑わしいものとなりそうだ
ネコ
悪いが、最高位と同レベルの議論しかできない奴は相手にしない
君が本を読むようになればそのうち分かるさ
>>209 そこまで疑うなら二人が住人であることすら疑わないとならんのでは。
たまたまそこにいた阿呆二人組かもしれんし。
まあ、しゃべれないって設定があるならぐだぐだいってもしゃあないけどね。
212
まぁ、アホ二人組かもしれんが
それはこのクイズの要だから勘弁してくれ
ある種の言明について、
正直村の住人か嘘つき村の住人かを区別することなく
その言明が正しいか否かを判断することができる
(正直村への道を知ることができる)
最初の質問が、二人のどちらが正直村住人か嘘つき村住人かを判断しようとする質問で、
この質問は必ず失敗している
どちらの人物が正直村の住人かは確かめようがなかった
だけど、どちらの道が正直村への道かは分かった
>>210 なるほど。 そういえば昔TVで本人が出題してるのを見たことがあるような・・・w
さて、それはともかく、
ここで、ネコチックに条件設定(≒或る任意の喩え話(或いはモデルケース)に於けるルール)に茶々を入れてみようw
(勿論、
>>207のようなツッコミ方もありだが、(あまりに根本的過ぎるので)それとは別の形にする。)
>>209 >実際に正直村が存在しない可能性がある以上
もし、これを条件に含むなら、『この問が可能にするもの』(この問がもたらすもの)は、
【嘘つき村へは行かずに済む】、ただそれだけだ。二人が指さした方角の村が嘘つき村でないことはわかった。
だが、【何村であるかはわからない!】。
もし、旅行者が、【(ありもしない!)正直村へ行こうとしている】のだとしたら、全てが徒労となる・・・。
更に条件に茶々入れをしてみよう。
設問自体の中に、既に、かなり限定的な条件が入っている。
「二股の道であり」「どちらかがどちらかである」、ということだ。(これは、真偽を問う際の行為と似ているw)
もし、「二股の道でなく」「嘘つき村、正直村以外にも村がある」としたら・・・。
彼はどう問えば良いだろう。もし、 「時々嘘をつく」 なんて村もあったりしたら、彼はどう問えばよいだろう・・・。
3種も4種も5種も村があるとしたら、彼はどう問えばいいだろうか・・・。
もはや「貴方の村はどちらですか?」という質問は有効性を失う。
「嘘つき村へのみ行かずに済む方法」ですらなくなってしまう。
(個人的には、幾つか質問を重ねることで、目的達成の可能性を上げることはできると思うが、
めんどくさいので考えないw)
更には、もし、各村の人間が複数ずつ入り混じっていたとしたら・・・。(もはやワケワカメw)
そして、(おそらくこれが条件設定の最大の肝であり外せない部分であろうが)、
旅行者は【『正直村』へ行こうとしている】という(狭く限定された)目的を持っているということだ。
【目的を持って(それを実現すべく)質問をしている】ということだ。
おや? 少し前の『真偽』の話に近くなってきたぞ?w
215 :
考える名無しさん:2008/08/25(月) 12:55:15 0
>>172 >『私』は『存在性』です
「私の存在性」が問題になっても「私は存在性です」は日本語として
意味不明の言葉遣いです。
「存在性」とは「存在するということはどういうこと?」に対する
答えの言葉です。
「存在」と「存在性」の関係は「私」と「私性」の関係と同じでしょう。
「存在とは何か?」が「私とは何か?」と同じ問いとなるでしょう。
>>211 ネコたんになんてこと言うのだ。
ゾルたんがみんなからソッポを向かれたり嘲笑されたりして、ひとり泣いていたのを
いつも慰め励ましてきたのはネコたん。
ネコたん以外、まともに相手してくれる奇特な人はいないことに気づきなさい。
217 :
考える名無しさん:2008/08/25(月) 14:04:04 0
>>214 君がしらふで冷静なときは、薀蓄初段の衒学君よりも鋭く柔軟だね。
さほど嬉しくもなかろうが。w
218 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/08/25(月) 14:07:02 0
>>206 >哲学者最高位さんは、『私』は『存在性』という論で展開していますね。
>そして物質的な実存ではない。
これは半分は正しく、半分は正しくないですね
私の体は物質的な実存である と言えるでしょう
だから私は、物質的な実存である側面を持っている
しかし、この体の側に私の原因性は見いだせない
すなわち、この体だから私なのだ という因果関係は見いだせない
という事です
>確認したいので、もう一つ質問させてください。
>あなたは時間の存在を便宜上、認めた上での言論活動に合意できますか?
時間が流れている とか、そういうのは文学的表現ですね
どんな風にながれているのか
どんな風に存在しているのか
実際には、どのような構造になっているのかサッパリわからないわけです
私たちは日常的に、便宜上で時間の存在を認めて論じていますが
厳密には、何もわからないわけです
便宜上で認めていても、それはあくまでも仮定なのであって
「時間は流れているのだから、結論は・・・」というような論理展開には問題があると言えるでしょう
あまりにも当たり前の事ですが
あくまでも、仮定は仮定である という認識を忘れてはなりません
>>215 >「私の存在性」が問題になっても「私は存在性です」は日本語として
>意味不明の言葉遣いです。
どう問題になっているのかを示さなければ、話が前に進みませんね
まず「我思う故に我あり」が、どう問題だと言うのですか?
216
馴れ合いは好かん
つまらん議論には参加したくない
悪いか?
ネコが自分の立場を保持しながら、あのチャルマーズ好きっぽい人ぐらいのつっこみをすれば面白い議論にはなろう
それでも、「真偽」の区分けの意味で共通理解が得られているという前提は必要不可欠だろうが、、
俺は他人を悪く言うのは嫌いだが
理論的に検討する緻密さが欠片もない奴と議論したくはない
ネコの言葉、あれはなんだ?!
まるで国会議員の議会での答弁レベルの穴だらけじゃないか
形だけの争いをして議論に参加してる気がしているだけ
単に自分に酔っているだけ
最高位と同レベルだよ
ネコ
俺と議論したかったら、俺と共有できる形で問題をはっきり提起してみろ
それができない以上、俺とお前では問いを共有できていない
つまり、ゲームにもならない
終わり
220 :
天才君:2008/08/25(月) 15:22:57 0
>>218 哲学者最高位さんは、『私』は『存在性』である。
そして、物質的な実存である側面を持っている 。
ということですね。
原因性については一つの側面から、全体が発生するはずがないですね。
全体から一つの側面が観察されるわけですから。当たり前ですよね。
体が「私」ではないという事であり、体から「私」が発生したわけでも
ないとお考えだ。
しかし、原因性や因果関係は時間の存在を前提にした仮定の話ですね。
体に対して原因性を見いだす事を考えると同じように、『私』にも原因性が
あるのでは?と仮定しているのですか?
221 :
考える名無しさん:2008/08/25(月) 15:26:46 0
「時間」っていうのは強固な観念だな。
カントの言う通りだ。
222 :
140:2008/08/25(月) 16:42:33 0
正直村
北海道富良野市北の峰町21番7号
>>219 激しいなw 機嫌悪いのか?www
さて、ネコは過去1・2度、
「自分は道化を演じることにする」「それで議論の方向性に多様性が出れば嬉しい」
という意味の発言をしていたように記憶する。そう邪険にせんでもよかろう。
時々はアゴの裏でも撫でてやるが宜しw
ま、過去何度か最高位に(ネコにも数度w)プッツンしているワシが言うのも何だが・・・wwwww
>>217 >さほど嬉しくもなかろうが。w
確かに・・・
てか、ほっとけ!wwwww ヽ(`Д´)ノ
(ワシから酒をとったら何が残ると言うんじゃいw)
>>148 『自分が存在するに至った原因性を考えた事はあるかね?』
と尋ねることが現代哲学的問題意識の説明なのか?超古くさい問い掛けだな。
というか原因なんて無限に創造可能ですぜ。
>>219 ネコタンの穴よりもゾルちゃんの穴のほうが大きいですよ。
専門語を羅列してもゾルちゃんの大穴は埋めることができません。
そろそろ失笑、苦笑、憫笑されていることに気づいてくださいね。
携帯つかって哲学ごっこにふけるよりも、
ちゃんと女性とおつきあいするほうが
これからのゾルちゃんにとってはいいことではないでしょうか。老婆心ながら…。
ネコタンは確信犯、愉快犯ですので、あなたの手に負えるひとではありません。
正直村の話。
本筋とはたぶん全く関係ないんだけど、だれか以下の疑問について解説ギボン。
「正直村はどっち?」と聞いて、
正直村民は正直村への道を指差し、嘘付き村民は嘘付き村でない=正直村への道を指さす。
そうすると
もし、2人とも、どっちかの村民であれば、2人とも正直村への道を指さす筈
ところが
上記の質問でバラバラの道を差したということは、2人のうち少なくとも一方は
常に正直でも常に嘘つきでもない別の村(普通村)の村民が混じっている・・
そうすると
2人とも普通村の村民かもしれない。
そうすると
2人とも気まぐれに嘘を付くかもしれない(正直人と嘘付き人の混血)。
そうすると
何を質問しても確実なことは分からない
これじゃぁ答えにならないよ、ピーターw
どこが間違っている?
やばい、わかった。
4行目が間違ってるww
俺が穴だらけだということは認めるし
嘲笑されてもおかしくないことを発言している
一般人から見ればありえないことを問題提起のために疑っている
それは嘲笑されてもおかしくない
でも専門用語については使ってないはず
ストーカー君が言っていた
当たり前すぎることを言っている、と
その当たり前で本当にいいの?
こんな疑問と格闘しているだけ
それが哲学者じゃないならそれでいい
でも俺が挙げた問題は哲学問題なんだ
俺は哲学者ではない
いくらでも笑っていいし、バカにしてもいいよ
229 :
考える名無しさん:2008/08/25(月) 21:00:30 0
>>228 またそうやって言い繕う。
>一般人から見ればありえないことを問題提起のために疑っている
>それは嘲笑されてもおかしくない
そんなのは哲学なんだからみんなやってること。
そんなところを嘲笑しているんじゃないってことが
わかっていないからいつまでも笑われるんだよ。
>でも専門用語については使ってないはず
自分たちのサークルでしか使用していない概念だということもわかっていない。
だから笑われる。そういった概念をよりひろく伝えることができないために話が通じないし、
相手にもされない。
>その当たり前で本当にいいの?
>こんな疑問と格闘しているだけ
>それが哲学者じゃないならそれでいい
それは哲学者だよ。
自分もそうだと思っているところが滑稽なんだよ。
まぁ、みんな分かってるみたいだからいいけどね。
230 :
考える名無しさん:2008/08/25(月) 21:33:05 0
論理好きはロンリーw
>>230 当たってるかもしれんwww
てか、ロンリーだから論理好きになるのか?w
>>227 可愛い奴w
>>204 クイズのルールを守るんなら、正直村への道を知る方法はある。
あとからルールを書き換えて「どの質問に対する答えも疑えてしまう」とか
「正直村が存在するとは限らない」とか言っていいんなら何でもありになる。
何が言いたいのかよく分らない。
>>143 >将棋のルールは参加者の規範意識、行動に関係なく成立すると考える
将棋のルールは、参加者によって承認される、が正しいでしょう。
ルールには、成立も不成立もないと思います。
成立したりしなかったりするのは、ルール自体ではなく、ルールに沿って行われるべき将棋ゲームです。
ルールに沿って行われるべきゲームが成立するか否かは、参加者によってルールが守られるか否かにかかっています。
一見でたらめそうなルールでも、参加者がそれを承認すれば、ゲームは成立するでしょう。
しかし、参加者がルールを承認しなければ、そのゲームは成立しません。
ゲームが成立するのは、ルールのおかげでなく、参加者(主体)のおかげだと思います。
それに、明示的なルールもない(ルールをでっち上げながら進む)、ゲームもあるでしょう。
明示的ルールもないゲームを「ゲーム一般」に含めるならば、ルールなんかなくてもゲームは成立すると言えます。
ところが、参加者がいなければゲームは成立しません。
参加者が「参加する」おかげて、ゲームは成立するのです。
本スレのでたらめな「私記述ゲーム」だって、参加者がいるので成り立っているのです。
ただし、どのゲームであっても、その面白さ深さは、プレーヤの誠実さにかかっていると私は個人的に思います。
>天才君の発言は非個人的に検討され、論理の圧力に従う
「天才君の発言」を俎上に乗せるのは、なにか非個人的な「神」ではなく、
ある特定分野の真理探究ゲームに参加しているプレーヤです。
そのゲームで、ルールに沿ったペナルティ(圧力)をかけているのです。
別のゲームに参加している天才クンには、もちろん関係のないことでしょう。
234 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/08/25(月) 22:39:54 0
>>220 時間という概念は、あくまでも概念であり
時間なんて本当に流れているのかどうなのか など、わかるはずもない のではありませんか?
過去も未来もなく、ただ現在しかなく
単に今、物質が動き変化しているだけなのだ と、考える事もできる
我々は子供の頃から、タイムマシンとか、過去の世界、未来の自分 などといった
SFチックな物語に洗脳されて、時間という概念を持ってしまっているだけなのかも知れない んじゃない?(笑
この思い込みを解き、違う概念を考えてみるのも、けっこう骨が折れる作業ではあるが
天才なら、できるんじゃない?
>>224 >というか原因なんて無限に創造可能ですぜ。
キミが存在するに至った因果的法則について、具体的によろしく
>>232 その通りです。
あのクイズ(≒モデルケース)では、
「正直村がある」「嘘つき村がある」、
「双方の村からの一人ずつが目の前にいる」、
「道はどちらかへ続く二本しかない」(道は、必ずどちらかの村へ続いている)、
「正直村の住人は嘘をつかない。例外は無い」「嘘つき村の人間は嘘をつく。例外は無い」、
これらが大大大大大前提となります。
これらを変える場合は、クイズ(≒モデルケース)の目的(→そのことで何を譬喩しているのか)
を変更する場合に限られます。
或いは、目的が(譬喩として示したい構図が)適切に表せていない、と批判する場合です。
(この時は設問者と回答者が、同じ或いは近似した目的を持っている場合に限りますが・・・。)
それ以外の理由で大前提を変更或いは批判するのは、
本来的には(文字通りw)ルール違反です。
>>234 >単に今、物質が動き変化しているだけなのだ と、考える事もできる
動き、変化、これはある意味で時間そのものでは?
237 :
140:2008/08/25(月) 23:00:28 0
>>235 正直村の住人であれ、嘘つき村の住民であれ、
精神的錯誤に陥らないとも限らないのでは?
嘘をつくつもりがなくても、また、嘘をつくつもりでも、
精神的錯誤(錯覚等)に陥っていた場合、
結果的にまちがった方向を教えたり、
ただしい方向を教えてしまうといった事態はありうるでしょう。
238 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/08/25(月) 23:06:34 0
>>236 動き、変化、これはやはり 動き、変化、であるだけかも知れませんよ?
時間なんて、べつに流れていないのかも知れません
>>238 思考、行為、これはやはり思考、行為、であるだけかも知れませんよ?
『私』なんて、べつにいないのかも知れません
なんつってなwww
>>237 だから、それは反則ですw
240 :
ラプラスの悪魔 ◆daemontaDA :2008/08/25(月) 23:10:50 0
241 :
ラプラスの悪魔 ◆daemontaDA :2008/08/25(月) 23:11:50 0
>>238 前は、そんな事言ってましたっけか?w。
242 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/08/25(月) 23:18:07 0
>>237 あのね
なぞなぞクイズなんだから、ルールに則って解いたらいいんだよ(苦笑
何を真剣になってるんかね・・・
このスレの住人・・・ホントに怖いわ・・・・
>>241 いや
例えばの話(笑
243 :
140:2008/08/25(月) 23:18:25 0
>>239 あ、ども。そうでしたかw
正直村の住民は、いかなる事情があっても、
間違った情報を教えてしまうというミスをおかさないのね そか
244 :
140:2008/08/25(月) 23:23:45 0
>>242 あなたは、そうとうな臆病さん?
たかが掲示板でのやりとりなのに、ホントに怖いわ・・・・ とかね。
レス見たとたん、ちょっと、噴いてしまったぞい。
>>234 原因が無限に創造可能っていってんのになんで因果的法則(ってなに?)の話になってんだろ。
まあとりあえず反論しておきたいってだけなんだろうけど意味ワカメですぜ。
246 :
考える名無しさん:2008/08/25(月) 23:29:47 0
変化や動きだけならその都度で忘れてしまえば
過去から未来に流れる時間なんてないんだよ。
アインシュタインも言ってるように好きな二人の時間はあっという間
なんだよ。
「時間が生まれるのは人間に欲望がありそれを抑圧するからだ」
と言う人がいたね。
247 :
けい:2008/08/25(月) 23:33:05 0
私の存在性って、集団と個人
公と私の横縦軸に在る自分じゃなくて?
248 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/08/25(月) 23:36:32 0
>>203最高位さん
宗派云々の違いはありません。
そもそも宗派の成立をご存知ですか?
一応唯識教学は「法相宗」ですが。
諸行無常の解釈は最高位さんが学校で?習った通りの解釈が正解かと。
有無がどうのこうのとあり、法則から外れているとありますが
どういった法則でしょうか?
「私」が獲得するのは脳(身体)でも自我意識でもどちらでもよいのでは?
自我意識とする理由は何でしょうか?
>>247さん
少し前のスレでも書きましたが
刹那に生滅する座標交点と。
249 :
140:2008/08/25(月) 23:39:37 0
>>245 創造可能って意味解さないままヒステリックに反応 そういう人なの
>>248 >刹那に生滅する座標交点
なんか宮沢賢治的香りがするなw
よく知らんけどw
251 :
考える名無しさん:2008/08/25(月) 23:44:39 0
>一応唯識教学は「法相宗」ですが。
なら、宗教板へ。
252 :
ラプラスの悪魔 ◆daemontaDA :2008/08/25(月) 23:44:48 0
>例えばの話(笑
例えばってw
253 :
素人:2008/08/25(月) 23:46:14 0
>>240 最高位氏の“『私』論”は、
本来そういった分野に役立てるべきものなのです。
だから、私は粘着し続けるのですw
254 :
天才君:2008/08/25(月) 23:53:10 0
>>234 なるほど、哲学者最高位さんの時間に対する発言を拝見するに、
時間という概念に関しては、少なくとも直線的、あるいは、
一方向的な流動的現象以外も認める度量は持ち合わせていらっしゃる訳ですね。
一方で、 「過去も未来もなく、ただ現在しかなく
単に今、物質が動き変化しているだけなのだと、考える事もできる」
と仮説の一例を示してらっしゃる。
そして、 哲学者最高位さんは、『私』は『存在性』という前提がある。
これらを統合すると、「私」という「存在性」の在りようは、
「単に今、物質が動き変化しているだけ」という仮説を提示しているに等しい。
つまり物質レベルで例える「私」は、【動き、変化しているだけ】という事に
なります。このように、存在性自体が行為にすり替わりますが、
この仮説をどう思われますか?
255 :
天才君、宇宙を語る:2008/08/26(火) 00:13:48 0
さて、久々に、天才君はおかしな事を言ってみようと思う。
我々は、変化しかみることも感じる事もできないですね。
前、と今との差で認識する。この生体メカニズムで時間があると知る。
これは医学的には正しいのですが、その感覚は…。さておき…。
上記のような理由から、時間と自意識はセットで認知されます。
そのリアリティーを医学では説明しないですけどね…。
オカルトになっちゃうから…。
つまり何もしなければ時間も私も存在していると認知することもできない。
しかし、(例えば)ある階層の次元の世界では、平行して無時間が存在している。
変な言い方ですが、時間の中に時間があるようなものです。
時間を共有するから、その時間に属する私達はこうしてみることも触ることもできますが、
別の時間では、同じ空間内(仮に背景として)が、重なり合って存在できうる。
このように天才君は考える事もありますが、これを伝えるのは面倒です。
いわば、ここは、折り重なった同時多次元的に存在する宇宙ですね。
この仮説であそぶには、物質の在りようは、感触があるとは限らないという前提を
受け入れる必要がありますね。
256 :
考える名無しさん:2008/08/26(火) 00:31:09 0
そんな立派な生体メカニズムがあれば時計はいらないのでは?
変化と動きと時間は違うような気がするけど。
そこが前々から天才君のむつかしいところでした。
257 :
考える名無しさん:2008/08/26(火) 00:35:01 0
無時間を抱えているというのは賛成ですが。
無意識は時間を持たないとフロイトは言ったらしいけど。
258 :
考える名無しさん:2008/08/26(火) 00:39:04 0
「あいつに『正直村へ行く道はどっち?』って聞いたらどっちって答えると思う?」
と尋ね、答えた方と反対の方へ行けば正直村です。
259 :
ラプラスの悪魔 ◆daemontaDA :2008/08/26(火) 00:39:14 0
話を広げすぎだ。w
260 :
ネオマトリクス:2008/08/26(火) 00:58:51 0
ではここで登場
『記憶は万人の行ってる集団催眠のような盲信』
『俺に意識は無く、君らもそうで、万人は哲学的ゾンビである』
これで長きにわたる(ような記憶がある)
議論は終止符が打てる。終わり。
唯識とか延々と語っちゃってますが
『そういう記憶は正しいという前提』があって、それで語ってるだけ。
この世はマトリクスかもしれないし
世界五分前創造仮説かもしれない。
なのに、フロイトやデカルトやビックバンや仏教とか
『記憶の盲信ゆえの論理』を述べるのは、盲信すぎ。
あと最高位とかへ。私はないんよ。実際、俺に意識は無いし。
万人は哲学的ゾンビ。意識なんて観測も証明もできないだろ?
要は、記憶はデタラメ。言ったモン勝ち。科学も宗教も。
意識は存在しない。私と物質と自他の謎は無い。これ。
Can you undarstand?
261 :
考える名無しさん:2008/08/26(火) 01:14:18 0
はい。ご苦労さん
262 :
考える名無しさん:2008/08/26(火) 01:44:41 0
酔っ払いの親父も必要だよな?
263 :
考える名無しさん:2008/08/26(火) 01:53:04 0
264 :
で:2008/08/26(火) 02:18:16 0
記憶も前提としないで
ではここで登場 もないだろ
265 :
考える名無しさん:2008/08/26(火) 02:19:02 0
ありがとう
undarstandってw
267 :
考える名無しさん:2008/08/26(火) 02:26:15 O
中学生レベルなんだよ。
268 :
考える名無しさん:2008/08/26(火) 02:32:37 0
そもそも哲学は中学生用の学問なんだよ?
もう少しカランでみるならw、
>>219 >ネコが自分の立場を保持しながら
別に自分の立場を保持しなくても、
(言い方を変えれば、自分の立場からの言明でなくとも)議論に参加できるし、議論を成立させることもできる。
感嘆子氏が最高位氏にツッコんでいる場合などが典型例だろう。
(自身でもそのような注釈(断わり・言い訳)をしているw)
よく知らないが、ディベートとかの場合、
自説と反対の立場から論述し勝つことを要請される訓練とかありそうだし・・・w
ああ、でも、その場合、≪自説と反対の説を【自説として】論述する≫ということになるので
貴方の指摘は成立してしまうのか・・・w
けど、とりあえず【自説を棚上げしたまま】参加することは不可能ではないし、
議論をリードすることも可能かもしれない・・・。
ああ、けど、
いずれにしろ、(自説でなくとも)【足場となる基軸】は必要なわけか・・・。
それが無いと、のらりくらりのウナギ論法、サンジャヤ・ヴェーラッティプッタみたいになるわけかw
いや、これも或る意味基軸といえば基軸か・・・www
おやすに ノシ
ネコが腰を据えている基軸は、
「相手の不備を指摘する」「相手の盲点を突く」「弱点を攻める」「曖昧な、不確定な点を攻める」
とかかもしれん。 これも立派な足場の一つと見做せるかもしれない・・・。
ゾル君は肯わないかもしれんが・・・w
∧∧
(-ω-) 今度はホントに おやすみなさい・・・
_| ⊃/(___
/ └-(____/
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
<⌒/ヽ-、___
/<_/____/
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
232
元の質問が、正直村の住人と嘘つき村の住人を区別するための質問方法だったから
それは判別できない、としただけ
正直村の住人と嘘つき村の住人が混ざっていて
どっちがどっちの村の住人か確定することはできない
233
わたしは、その考えには賛同できません
ウィトゲンシュタインの『哲学探求』にもありましたが
それでは「ルールに従っている」と思っているかどうかが
ゲームを成立させているかどうかになってしまいます
しかし、彼がルールを承認するか否かに関わらず
彼がルールに従った行動をとっている以上、ゲームは成立しています
以下は個人的見解ですが
論理学は客観的な規則性を対象とする学問でしょう?研究者が論理の規則性を承認するか否かに関わらず、論理学は成立します
矛盾許容論理も、従うことを承認する者が誰1人もいないにも関わらず発見されたのは
それらの規範が客観的(個人の見解や承認に左右されない)ものだからではないですか?
258
ポイントは、質問に使う言葉が、単なる対象言明(って言うのかな?)では
両者の回答はバラバラな方を指すってことだと思う
「あなた」「あいつ」「わたし」などの表現形式を使う必要がある
この「あなた」を「正直村住人」にすると二人の返事は一致しない
274 :
考える名無しさん:2008/08/26(火) 06:53:26 0
@あいつが正直の場合、こいつは嘘つきだから、あいつは右と答えるので
こいつは嘘つき故に左と答える。よって反対の右へ行く。
Aあいつが嘘つきの場合、こいつは正直だから、あいつは左と答えるので
こいつは正直故に左と答える。よって反対の右へ行く。
こんな事じゃない?
トランジスタだね
276 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/08/26(火) 10:02:34 0
>>239 思考、行為、これはその辺にいっぱいあるとされており、それは私ではありません
それは、いわゆる他人と呼ばれているものです
しかし私もまた、思考、行為を行っているのです
>>245 ん?
>『自分が存在するに至った原因性』を、無限に創造できるんじゃなかったのかね?
>>248 >「私」が獲得するのは脳(身体)でも自我意識でもどちらでもよいのでは?
>自我意識とする理由は何でしょうか?
なぜ、そんな事を質問してくるのか理解できませんが
キミは、脳はあるけど自我意識はない のですか?
>これらを統合すると、「私」という「存在性」の在りようは、
>「単に今、物質が動き変化しているだけ」という仮説を提示しているに等しい。
なんで、そうなるのか意味がわかりませんね
>つまり物質レベルで例える「私」は、【動き、変化しているだけ】という事に
>なります。このように、存在性自体が行為にすり替わりますが、
>この仮説をどう思われますか?
物質レベルの話をしているのではありませんけど?
>>260 >あと最高位とかへ。私はないんよ。実際、俺に意識は無いし。
「私」と「俺」は、同じ意味なんだが?
意識のない「俺」がいれば、それは「俺」だわな
277 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/08/26(火) 10:07:39 0
>>274 まだやってんの?
「キミの村は、どっちですか?」でイイじゃんか
正直は、正直に 正直村を教える し
嘘つきは、嘘をついて 正直村を教える
だろ?
うそつき村と正直村の話ってピーター・フランクルが考えた問題なのかよw
俺は小学生の時に読んだクイズパズルの本で解いた事あるぞ。
これって昔からある有名な問題だろ。
>>277は馬鹿なくせに自分で考えたような振りをしてるのがバレバレw
279 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/08/26(火) 11:55:32 0
>>260 >万人は哲学的ゾンビ。
哲学的ゾンビは、キミだけかも知れないよ?
>意識なんて観測も証明もできないだろ?
と、思ってるのがキミじゃないか?
>要は、記憶はデタラメ。
記憶がデタラメでも関係ないな
記憶がデタラメでも、そのデタラメな記憶を持っているのが、私だもんな
>言ったモン勝ち。科学も宗教も。
と、思っているのが私
>意識は存在しない。
それはキミだけかも
少なくとも、私にはあるしね
>私と物質と自他の謎は無い。これ。
この物質が、なぜ他人ではなく私だったのか
私にとって、とっても謎だけどな
280 :
天才君:2008/08/26(火) 12:17:48 0
>>276 哲学者最高位さんは、『私』は『存在性』とおっしゃる。
そして、ご自身は、「私もまた、思考、行為を行っているのです」とおっしゃる。
そこで、哲学者最高位さんは物質をどのようにお考えかお聞きしたい。
物質は、「単に今、動き変化しているだけ」という考えを一例として示されましたね。
存在性の一つの形態に物質があります。また思考や行為もあります。
「存在」とは在るという事ですね。「存在性」とは在りようですね。
物事の在りようの一つとして物質や精神や様々なものがありますが、
物質は、「単に今、動き変化しているだけ」のみならず、
「私もまた、思考、行為を行っているのです」とおっしゃるわけです。
では、全ては、「単に今、動き変化しているだけ」という仮説をどうお考えでしょう?
281 :
天才君:2008/08/26(火) 12:24:19 0
>>279 全ては、「単に今、動き変化しているだけ」という仮説は、
哲学者最高位さんの(謎)問題意識である、
「この物質が、なぜ他人ではなく私だったのか?」を説明はできていますよね。
「この物質が、他人だったり私だったり単に、動き変化しているだけ」
という仮説もなりたつね。
あくまで、仮説の話しですよ。
282 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/08/26(火) 12:41:02 0
>>280 >では、全ては、「単に今、動き変化しているだけ」という仮説をどうお考えでしょう?
客観的にみるならば、そう観測されるが
そこに「私という主観性」、その全てに対する「観測者である『私』」が『存在する』以上、
「単に今、動き変化しているだけ」という世界観では、全てを言い当てているとは言えず
その仮説は、成り立たない と言えますね
>>281 いやいや
それではそもそも問題意識が理解できていません
単に「変化する世界」では
私が存在している理由を導き出すことはできません
283 :
天才君:2008/08/26(火) 13:03:47 0
>>282 ちょっと待って下さい。
「私という主観性」、その全てに対する
「観測者である『私』」が『存在する』以上…。
とおっしゃいますが、その存在自体も動いているのです。
よって仮説が成り立つ成り立たないのではなく、
知りようがないという事ではないでしょうか。
>それではそもそも問題意識が理解できていません
哲学者最高位さんのお持ちの問題意識の事という事で、
話しを展開させていただきますが…。
単に「変化する世界」では、私が存在している理由を
導き出す事はできない。とおっしゃるが、
自分自身が、変化する世界の住人であると認めるならば、
私が存在している理由自体も変化するのではないでしょうか?
あくまで仮説の話しですからね。
284 :
考える名無しさん:2008/08/26(火) 13:09:44 0
「存在する」を区別すればいいんじゃない?
「(物理的に)存在する」ものは変化するけど
「(超越論的に)存在する」観測者である『私』は動いている必要はない。
というように。
そうすれば「存在するから動くはず」ということもなくなる。
285 :
239:2008/08/26(火) 13:10:57 0
>>276 >
>>239 > 思考、行為、これはその辺にいっぱいあるとされており、それは私ではありません
> それは、いわゆる他人と呼ばれているものです
> しかし私もまた、思考、行為を行っているのです
≪『私』は思考・行為を行っている≫。 では、他人はどうなのか?
上の文からすると、
≪『他人』は思考・行為(そのもの)である≫となる。
なぜ、 ≪『他人』は思考・行為を行っている≫ ではないのか?
正確に述べるならば、
【「思考、行為」をするもの(者)、これはその辺にいっぱいあるとされており、それは『私』ではありません】
であるべきではないか?
【『他人』は「思考・行為」であり】【『私』は「思考・行為」をする「もの(者)」】という文意か?
286 :
考える名無しさん:2008/08/26(火) 13:15:42 0
まあ、最高位の一番駄目な所は、「私とは何か」を全く分かっていないまま議論をしている所だな。
彼は中学時代に先生からデカルトの「我思う故に我在り」の説明を聞いただけなのに、
「俺はコギトを知ってるぞ、お前らデカルトのコギトを知らないだろう」と
痛い自慢をこのスレでずっとやってるんだから、
最高位はもう勘違い野郎の馬鹿としか言えないねw
何でこんな中学生レベルの馬鹿が哲板に来るんだろうか。
287 :
考える名無しさん:2008/08/26(火) 13:21:14 0
>>284 最高位先生はそれを、人間の勝手でテキトーな価値観とおっしゃっています。
>>284 動いたり変化したりせずに「観測する」ことはできないのでは。
289 :
考える名無しさん:2008/08/26(火) 13:51:00 0
>>288 それは、あなたがイメージする「観測主体」が
物理的なものだからではないですか?
なにか観測する主体があったとして
それが変化しているかどうかを判断するためには
その主体の物理的側面をみるわけだから
どうしたって変化していると言わざるを得なくなる。
でも超越論的主体を想定した場合、この判断基準が使えない。
だからといって「超越論的存在は変化しない」が帰結するわけではないが
「存在しているのだから変化する」ということもない。
つまり
「超越論的存在がその前提に変化を含まないということは
なんら超越論的存在という概念と矛盾しない」ということです。
290 :
239:2008/08/26(火) 13:53:40 0
ちなみに、
最高位氏の“『私』論”を解り易く図示すると
他人:
┌ ┐
│ (自我意識) 肉体 .│
│ (精神) │ (→ 存在 ?)
│ (意識) │
│ (心) │
└ . .┘
私:
┌ ┐
│ 『私』 (自我意識) 肉体. │
│ (存在性) (精神) │ (→ 存在 ?)
│(純粋な存在) .(意識) │
│(自我意識)? (心) │
└ .┘
こんな感じ。
291 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/08/26(火) 14:05:53 0
>>283 順番があります
「動いている」というのは「動き」について述べているのであってね
まず私が存在し、その存在する私が、動いている のです
動いている『私』が、『存在』する理由は、私の動きとは関係がありません
『私』に関して、動きというのは二次的なものです
そして客観世界の動きにも、私を存在せしめている因果法則は、ありえません
>自分自身が、変化する世界の住人であると認めるならば、
>私が存在している理由自体も変化するのではないでしょうか?
う〜ん・・・
問題が理解できていませんねぇ・・・
何が、どう変化しようとも
どう変化させようとも
私を発生させる事はできないんです
原因的な関係性が、ないんですよ
ためしに、具体的に原因性を追求してみて下さい
頭が良ければ理解できるはずです
278
俺が厨房の時、「平成教育委員会」ってテレビ番組でピーター・フランクルがつくって出題していた
つまり、今から15年近く前ってことになる
元ネタはゲーデルにあることは明白
クイズの本なんてそういうのが多いよ
俺が読んだクイズ本にもラッセルのパラドクスが出題されていて
「髭剃り師は女だった」って答え方をしていた
俺が当時の同窓(同じ哲学科)に「これはひどい」と言ったら
「そういう問題に真剣に取り組まないで、もっと違うことに目を向けるのが大人ってことなんだよ」と返された
本の名は「大人のためのクイズ」だった
293 :
天才君:2008/08/26(火) 15:12:10 0
>>276 哲学者最高位さんは、『私』は『存在性』とおっしゃる。
そして、ご自身は、「私もまた、思考、行為を行っているのです」とおっしゃる。
さらに、その全てに対する「観測者である『私』」が『存在する』
こうおっしゃるわけです。最後には主客が同一化していますよね。
ただ、哲学者最高位さんはどのように【全てに対する「観測者である『私』」が『存在する』】
と観察したのですか?というより、出来たのですか?
294 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/08/26(火) 15:30:41 0
>>293 >最後には主客が同一化していますよね。
それは普通に「自我意識」といいます
自分が自分を、自分だと意識する作業ですね
>ただ、哲学者最高位さんはどのように【全てに対する「観測者である『私』」が『存在する』】
>と観察したのですか?というより、出来たのですか?
自我意識によってですよ
キミは、自分が存在している事を、観察できないのですか?
お前は、顕微鏡で「その顕微鏡のレンズ」を観察できるのか?
鏡を使用せずに「自分の目」を見れるのか?
296 :
考える名無しさん:2008/08/26(火) 16:00:30 0
>>292 わざわざ嘘つきクレタ人の古臭いネタを出して、詰め将棋に興じても
仕方あるまいと言っているのである。w イシアタマだね。
それよりも「私は浮気をした」の真偽はどうやって決まるの?
「彼女は浮気をした」でもいい。これが指し将棋なんだね。
これを問われて君は逆上したわけだ。もう一回、やってみる?w
297 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/08/26(火) 16:05:03 0
>>295 それと、どんな関係が?
基本がわかってないなぁ・・・
そんなもん
たとえ見えたとしても、本当にあるのかどうかわからんのだよ
妄想かも知れんからね
しかし見ようとしている時点で、見ようと思っている自分が存在している事は、否定しようがないだろ
もし自分が妄想していても、妄想しているのが自分であり
たとえ否定できたとしても、じゃぁ否定できたのが誰か?といえば、やっぱり自分なんだからね(爆笑
というか
もしかして
それ以前に、キミには自我意識そのものが無いのかね??
296
道案内である正直村の住人を特定できなければ、正直村への道などないも同然なのだろうか?
基準は不要
「浮気」も基準は不要
言葉を使う際に基準なんて端からいらん
299 :
考える名無しさん:2008/08/26(火) 16:41:17 0
ここは以前から見方が分かれるところだ。
「私(自我)」なのか「意識」なのか。
最高位は「私」があり、その「私」が対象を意識している、という立場かと思われる。
それに対して「意識」派は、“私”もまた「意識」の対象であり、「ある」と言える
のは意識だけだと主張する。
ここから「では、意識とは?」というふうに話が進む。この先も幾つかの見方があるが…。
最高位
お前も少しは表現の緻密さを大事にしろ
だからネコと二人で同類扱いされてんだよ
「観察できたのですか?」と天才君は質問したのであって
「存在するのですか?」と質問したわけじゃないんだよ
お前らは勝敗が見えるような議論にこだわりすぎているんだよ
「議論の内容」よりも「議論の勝敗」にこだわりすぎている
分かりやすく言うと「答えを得ること」「決着がつくこと」に目が行きすぎていて
すぐに答えを出して問いを解消することを急ぎすぎている
だから「国会議員の答弁レベル」だとか「アジ演説」とか揶揄されるんだよ
そして、そのような問い方自体が権威主義的なんだよ
ネコ
お前が権威主義を(少なくとも表現の上では)拒否するならば「権威なき論証」の世界に足を踏み入れてはどうですか?
見ようとする行為と見ようと思っている自分に何らかの関係があるなら
両者は厳密には不一致ってことなのかもな。
その後の文も同様で、赤い鳥、青い鳥、黄色い鳥、みんな鳥だから
同一の個体だろうと言ってるようなものなのかも。
でも鳥って気付いたら飛び去ってるんだよね。
「でも鳥って気づいたら飛び去っているんだよね」
この表現いいな
303 :
考える名無しさん:2008/08/26(火) 17:04:11 0
>>298 だれが「道がない」と言った?
基準? その言葉も君は好きだね。
結局、浮気の事実は不可知ということだね?
304 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/08/26(火) 17:04:50 0
>>299 見方が分かれるんじゃなくて、理解できてないだけでしょ
誰の意識でもない意識なんてあるの?
「私」の意識でしょ?
少なくとも私のは、そうなっている
>>300 >「観察できたのですか?」と天才君は質問したのであって
はぁ?
できますよ?
あんた出来んの?
>「議論の内容」よりも「議論の勝敗」にこだわりすぎている
それはキミ
勝敗なんて関係ない
私から言える事は、キミらは理解できていないから説明してるだけ て事
キミらは単に、必死で私に勝とうと頑張ってるみたいだけどね
理解しようとしなければ、実はお話にもならないってだけ
>分かりやすく言うと「答えを得ること」「決着がつくこと」に目が行きすぎていて
>すぐに答えを出して問いを解消することを急ぎすぎている
>だから「国会議員の答弁レベル」だとか「アジ演説」とか揶揄されるんだよ
逆だろバカ
のらりくらりとハッキリ言わないのが国会だ
まぁ演説調で書いてるけどな
キミはあれだろ
内容うんぬんではなく、単に反権力主義で、権威的なものが頭から嫌いなだけだろ(苦笑
実にくだらん
内容のない、どうでもいい書き込みだ
305 :
天才君:2008/08/26(火) 17:05:10 0
>>294 哲学者最高位さんは、『私』は『存在性』であり、
ご自身は、「私もまた、思考、行為を行っているのです」とおっしゃる。
さらに、その全てに対する「観測者である『私』」が『存在する』
それは「自我意識」であり、「自分が自分を、自分だと意識する作業ですね。」
と結論づけているのですね。
では、自我意識の発生原因は、人間特有のものつまり肉体は必要であると
お考えでしょうか?
303、ネコ
チャルマーズ好きがとっくに指摘しているだろ
俺は不可知論者なの
彼は、俺がとっている不可知論の態度をさらに深い段階から批判したの
お前、欠片も理解してないだろ
誰かが「ネコは確信犯」と言ってたけど、お前は素だろ?
307 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/08/26(火) 17:28:22 0
>>303 浮気っていうのは
人間のテキトーな価値観 だね(爆笑
>>305 精神活動も含め、あらゆる活動に肉体は必要でしょうね多分
イライラ来るなー
「正直村への道がある」と考えることに致命的欠点があるかどうか、がここでの問題なんだぜ
お前は今、「真理がない」なんて誰が言った?
と返したも同然なんだぜ?
君は「『真理がない』わけではない」ことを認めるのか?
ならば、(そのまま君が「真理がある」わけでもないという立場をとったところで)
俺と君の意見が必ずぶつかるとは限らないんだぜ
お互いの論理が違う、それだけ
309 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/08/26(火) 17:38:44 0
>>306 チャーマーズ好き って、私の事かい?(笑
昔、素人くんが、私にチャーマーズを読め読めうるさかったけど
チャーマーズが唯物論を批判していて、私の主張を裏付ける発言をしている事がわかったとたんに
一切、勧めてこなくなったんだよな・・・
>>308 誰に対してイライラしてんの??
310 :
考える名無しさん:2008/08/26(火) 17:41:48 0
>>300 君こそ言葉を大切にしたほうがいい。
事実、現実、実体、真理といった言葉をつかいながら、その意味を問われると逆上して
はぐらかすだけの君には哲学であれ何であれ、言葉による世過ぎは難しそうだね。
君は政治家と話したことはあるまい。この国の政治は三流との烙印を押されているけれども、
それでも彼らは“言葉”で身過ぎしており、君の一円にもならない言葉と同列にはできない。
なお国会の答弁の原案は官僚が作成しており、彼らもまた言葉のプロ。
君も早く“奨励会”を卒業してからw能書きを垂れるががよかろう。
なお最高位は経営者であり、いわゆる“言葉屋”さんではないけれども、
言葉によって従業員を動かさねばならず、言葉のプロであることに変わりはない。
君のようなタダの言葉をもてあそんで悦にいっている“人種”とは違うということだね。w
最高位
俺はお前を欠片も認めてない
犬みたいなもんだ
しっしっ!
310
俺は「真理」の言葉の意味については何度も説明した
何度も、何度も、何度も、何度も
その度に「真理の基準は何ですか?」という質問が来たから
「知るか!」と返していた
俺についての誤解を吹聴するのはやめていただこう
その他、政治家、経営者についての意見は素直に受け取っておく
313 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/08/26(火) 17:55:19 0
>>311 ほぉ
やっぱり、類は友を呼ぶってヤツなのかな?
大学時代に哲学科でありながら、デカルトの基礎すら誤読しちゃってる人というのは
やっぱり、それなりの友達どうしで気が合う という事だね(苦笑
ところで大学は卒業できたの??
>>312 何をそんなにイライラしてんの?
>俺は「真理」の言葉の意味については何度も説明した
>何度も、何度も、何度も、何度も
>「知るか!」と返していた
なるほど斬新だね(爆笑
314 :
考える名無しさん:2008/08/26(火) 18:01:45 0
>>306 全然、深いところからの批判になっていないのだよ。
安っぽい詰め将棋を持ち出して「こういう詰め将棋があるのを知っているか」と
自慢しているだけ。しかも“余詰め”がある、ときている。w
君は自分の言葉を一度、市場に持ち込んだらどうだい?
自分の夜郎自大ぶりが恥ずかしくなると思うよ。
君のようなタイプに突っ込むときは、たしかに愉快犯なのかもしれない。ww
最高位
俺は、自分が認める人間は立場の共有を問わない
多分、チャルマーズ好きと俺は、大筋は同じだが細かいところが違うはず
天才君に至っては、大筋で違うにも関わらず、俺は彼を認めている
(それは、彼が最近は論理レベルではなく表現レベルでの違いを言っていることが多いからかもしれない)
意見が一致しているかどうかは俺にはどうでもいい
(俺は馴れ合いは嫌いだ)
むしろ相手を認めるからこそ「議論しよう」「反論しよう」という気が起きるというもの
316 :
考える名無しさん:2008/08/26(火) 18:09:25 0
>>312 事実との対応説だろう?
それに対しても、前スレで少し気取ってw質問してみた。
あのときは丁寧語で答えてくれたものの、帰ってきたのは
君の得意のはぐらかしだけ。
317 :
考える名無しさん:2008/08/26(火) 18:15:34 0
>
318 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/08/26(火) 18:21:40 0
>>315 あれぇ?
しっしっ! じゃなかったの?(爆笑
まぁ
キミはアレだな
哲学的な内容ではなく
自分が気に入る人を求めている という事だね
寂しいんだね
がんばれ!
>>315 あれほど最高位さんを罵り、相手せずなどとおっしゃっていたのに、
旗色が悪いとなると、スリ寄ろうというわけですか。
そういえば、天才さんに対する態度も二転三転していましたね。
320 :
考える名無しさん:2008/08/26(火) 18:35:38 0
チャーマーズ好きの素人先生、そろそろ顔をだして、意気投合していた
ゾルちゃんを助けてやらんかい。
こういえば、ゾルちゃんのことだからヘラズ口を叩くんだろうな。
321 :
ちょっと拍子抜け天才君:2008/08/26(火) 19:30:40 0
>>307 なるほど、哲学者最高位さんは、一般に言われる、
自意識・自我等を「私」と言っているのですね。
で、あえていうならば、自意識・自我等は脳には還元されない。
しかし無意識など、自意識・自我をもってして知りえないものには興味がない。
こんな所のようですね。
322 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/08/26(火) 19:48:01 0
>>321 いや、哲学者最高位の言っていることは、なぜこの私が「私」という意識性をもつのか、
ほかのあり方もあったはずなのに、そしてそのことを裏付ける物は何もない、従って
唯物論は崩壊だ、ということだと私は解釈してます。
323 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/08/26(火) 20:02:56 0
>>321 >ちょっと拍子抜け天才君
はぁ?(爆笑
豚に真珠だったかな?(苦笑
「自我が脳に還元されない」という事の意味、価値が
あんまり理解できないようですもんね
324 :
天才君:2008/08/26(火) 20:09:28 0
>>322 はい、同感です。それを確かめたく、質問申し上げたわけです。
>なぜこの私が「私」という意識性をもつのか
「精神活動も含め、あらゆる活動に肉体は必要でしょうね多分」
と発言しています。肉体は物質ですね。肉体ありきの精神活動という考えのようです。
そして物質に関しては、「単に今、動き変化しているだけ」という考えに対し、
客観的にみるならば、そう観測されるとおっしゃる。
>なぜこの私が「私」という意識性をもつのか、
>ほかのあり方もあったはずなのに、そしてそのことを裏付ける物は何もない
これに対しては、生まれる以前、生まれる後の話しになりますよね。
しかも、形而上には興味ないようです。というか知りたくもないでしょう。
つまり理解する土台をもってらっしゃらないです。
325 :
拍子抜け天才君:2008/08/26(火) 20:12:16 0
>>323 なるほど、態度が急変ですね。やはり、面白い反応です。
326 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/08/26(火) 20:20:25 0
>>324 >>これに対しては、生まれる以前、生まれる後の話しになりますよね。
ここがよくわかりません、別の言い方はありませんか。詳しい説明でもいいです。
というのは、「私」という意識性は、生きている間のみ獲得されると考えるからです。
「私」という意識性は脳のみにあらず、概念として使用され、言葉と結びつき、生まれてから
時間がたった後で初めて獲得されると考えます。「私」という概念の特殊性は、他に類する
概念がない、ということで、わたしなどは意義深いと思うわけです。
327 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/08/26(火) 20:31:31 0
>>322 >なぜこの私が「私」という意識性をもつのか、
というより
そもそも、なぜ『この私』が「存在」しているのか、
その原因性となる物は、どこにもありえない、従って
「人間の精神も含め、すべては物理現象なのだ」と主張する唯物論は
当然のことならが崩壊する という事ですね
>>325 態度に関心を持つより、もっと内容を理解できるように努力した方がいいんじゃないのかな?
キミは、自分の希望する方向へ、意図的に、微妙にズラせて理解しようとするところがある
やれやれ、
ウィトゲンシュタインが教師時代に屁理屈を言う子供にキレて体罰をふるった気持ちが身に染みてわかった
やっぱ体験は重要だね
俺が最近読んだ本ではこう書いてあった
青臭い厭世観にとらわれたマセガキの悩みは
単に愚痴とさぼる口実にすぎぬのは明らかであるので、
小遣い削減、携帯電話没収や各種体罰など威厳ある手段をもって高圧的に矯正すればよろしい
329 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/08/26(火) 20:50:14 0
>>324 >しかも、形而上には興味ないようです。というか知りたくもないでしょう。
形而上の事は、知りえないから形而上なんです
それは語りえないのです
それを語るには、必ず論理的飛躍があるのであって、論理哲学ではなくなります
>>328 >やれやれ、
>ウィトゲンシュタインが教師時代に屁理屈を言う子供にキレて体罰をふるった気持ちが身に染みてわかった
>やっぱ体験は重要だね
30過ぎて、やっとわかったんかよ!!(笑
330 :
考える名無しさん:2008/08/26(火) 21:01:58 0
>>327 おまえが人間なら、すくなくとも物質なしにお前のからだは存在せんよ。
で、からだ以外におまえがいるのかな
最高位
とても大事なことだが、俺はまだ20代だ
それと、分かったのは「体罰をふるう気持ち」であって
「体験の重要性」ではないぞ
そして「体験は重要だね」の言葉は皮肉として言ったんだぞ
俺は、論理を体験よりも重視しているんだよ
332 :
考える名無しさん:2008/08/26(火) 21:10:04 0
知りえないから形而上なんです って認識しているのなら形而上の問題を提起すんな
333 :
天才君:2008/08/26(火) 21:20:16 0
>>326 「私」という意識性は、生きている間のみ獲得されると考えるのですね。
今の私と、寝ている私などというようなありきたりの話は止めて、
そのものズバリの話のほうが面白いでしょう。
生きている間は「私」という意識性は連続して感じられるであろうという
仮説を信じていおり、肉体がなくなれば「私」という意識性は連続して
感じられないという事でもありますね。
これは信仰ではないでしょうか?これを信仰であるとまずは認められるのなら、
まずは、理解の土台はありますよね。どうでしょう?
334 :
天才君:2008/08/26(火) 21:29:34 0
>>325 そう思うならば、ご自身がそうすればいいでしょう。
私と哲学者最高位さんは違いますからね。
335 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/08/26(火) 21:36:11 0
>>333 確かに信仰ではありますが、話の焦点は別のところにあります。つまり、この意識性の
ユニークさ(歴史的にみて)であり、新しさです。哲学者最高位さんから派生して、
僕はこういうところに興味を持つようになったわけです。
336 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/08/26(火) 21:40:37 0
>>330 お前、何読んでんの??
いつまで、そんな前時代的な観点にとどまってるんだろね
現代哲学は、もうちょっと進んでるんだよ
それじゃ頭の中は、団塊の世代の時代だな
40数年ぐらい前のレベル
化石だ化石
>>331 >とても大事なことだが、俺はまだ20代だ
うむ
少しは、お笑いのセンスがあるようだね
しかし、その後は自意識が過剰でズレまくりだな
まだまだ理解されたいオコチャマだ
>>332 唯物論の主張によると
人間の精神は物理現象なんだから、形而上にあったらいかんのよ
人間の精神が形而上にあったら、唯物論崩壊なんよ
>>333 キミらは
○〇という考え方を採用する
というのが好きだね
そして論理的に飛躍している事にも論を進めちゃう
わからん事は、わからん として
可能性の否定できない事は、全て宙ぶらりんにしておく必要があるんじゃないか?
キミらみたいに、好き嫌いで採用するのは、論理哲学なんじゃなくて、宗教なんだよ
337 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2008/08/26(火) 21:44:47 0
true or false
そんだけですよ
いわば嘘八百です←最もtrue
みなさん自己循環・自己言及に陥っているようですね。
私はあなたがたのおかげで私に成れているのですがね。
339 :
めちゃくちゃ君:2008/08/26(火) 21:47:05 0
>>336 哲学者最高位さん、論理的飛躍のオンパレードではないですか?
**************************************************
キミらは
○〇という考え方を採用する
というのが好きだね
そして論理的に飛躍している事にも論を進めちゃう
わからん事は、わからん として
可能性の否定できない事は、全て宙ぶらりんにしておく必要があるんじゃないか?
キミらみたいに、好き嫌いで採用するのは、論理哲学なんじゃなくて、宗教なんだよ**************************************************
これ、ご自身の事ですよ。自他の区別をしましょう。
340 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/08/26(火) 21:59:16 0
>>339 手が込んでる割に、具体性がないなぁ
どこがどう論理的に飛躍してるのかね?
>>271 「あなたは彼と同じ村の住人ですか?」と聞いて
うなずいたら嘘つき村の住人、首を横に振ったら正直村の住人
というのはどうですか?
342 :
ラプラスの悪魔 ◆daemontaDA :2008/08/26(火) 22:01:44 0
>○〇という考え方を採用する
>というのが好きだね
>そして論理的に飛躍している事にも論を進めちゃう
だよなぁ。
個人的心情や盲目的宗教心を語るなら、
哲板の範疇外だよね。
どうでもいいけど、おまえ等ぁ、理由を述べんか理由を。
343 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2008/08/26(火) 22:07:23 0
ここまで生きてきて記憶を振り返ると
嘘っぱちという答えが出てきます
あなたがたが力説している説は
嘘と言う事が分かりませんか?
344 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/08/26(火) 22:11:48 0
「私」というのはばけもんだね。どんな思考をしても、どんな体験をしても、「私」の中に
回収されてしまう。というのは、「私」というあり方が、何によっても裏打ちされてないから、
いっそう不思議に感じる。そして、体験は記憶と無意識になり、「私」という存在性は、
どう変わったかをどこにも示さず、元の顔で「私」ですよ、と言っている。思考と体験
のフィルターとして働くうちは顔を現さず、徹底的に見つめて自己認識に至ったときに
初めてその存在の様態を見せる。
345 :
ラプラスの悪魔 ◆daemontaDA :2008/08/26(火) 22:12:06 0
(学)説と理屈・理論を間違う奴は、
確かに居るいるね。ここにさw。
独我論の壁を説とかっていうのは、
かなり恥ずかしいと思うw。
346 :
考える名無しさん:2008/08/26(火) 22:14:10 0
347 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/08/26(火) 22:14:54 0
>>343 全て嘘っぱちだというのですか?初恋の女の子と初めて二人だけになり、うつむいて遊んでいて
何も言い出せなかった、という記憶も嘘っぱちだと言いますか。
348 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/08/26(火) 22:19:57 0
>>345 学者が、全ての(学)説に通じているわけでは無いでしょう。恥ずかしいというのは、
どういう理由からかね。知っていなければ間違いとは言えるのでしょうか、万民に
とって。
349 :
ラプラスの悪魔 ◆daemontaDA :2008/08/26(火) 22:23:06 0
>>348 >知っていなければ間違いとは言えるのでしょうか、万民に
>とって。
どうでもいいよ、万人が住まう2chだからさw。
350 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/08/26(火) 22:23:14 0
351 :
天才君:2008/08/26(火) 22:23:37 0
他者をけ落とすという行為がまかり通っていますが、
こういう態度も哲学でしょうかね。
こういう事は、理屈じゃないと思う。
352 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/08/26(火) 22:25:54 0
>>349 どうでもいいなら持ち出さないでください。
353 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2008/08/26(火) 22:26:23 0
>>347 舌が偽りを申しているんです
内心と言葉が裏腹な事はありませんか?
特に何らかの利益を得ようとする時に嘘をつきます
この意味が分かりませんか?
>>276 だから、なんで因果的法則(ってなに?)の話になるのって聞いたんでしょ。
勝手にワカメなもの引っぱり出して首を傾げられてもこっちは余計にワカメですぜ。
355 :
雑な談君:2008/08/26(火) 22:29:05 0
356 :
ラプラスの悪魔 ◆daemontaDA :2008/08/26(火) 22:31:13 0
>>351 哲学的とは言いがたいが、
他人を蹴落とすって結構楽しいじゃんw。
仲良く共感しあって、ここは納得、でもここは違うよね、
っていうのが普通の哲学だろうが、そんな哲学は詰まらんねw。
人のあらを見つけたら、相手の体の反対側に抜けるまで
突っ込んでやるのが楽しい哲学だろうwwwwwwww。
楽しぇーーーーーーっwwwww。
357 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/08/26(火) 22:34:47 0
>>356 他人をけ落とすのはいいけど、一人でやれよ。他者の同意を求めないように。
いじめと一緒だよ。
358 :
け落としの天才君:2008/08/26(火) 22:35:25 0
>>356 あなたは、他人をけ落とすのが楽しいのですね。
それ、相応のけ落とされも覚悟しているという事ですね。
359 :
ラプラスの悪魔 ◆daemontaDA :2008/08/26(火) 22:35:39 0
誰かの傷口が見つかったら、
俺はそこに指を突っ込んで掻き混ぜたいねw。
今日は、何処に傷口があるかなぁwww。
↓ では本論に戻りましょう。 w
360 :
ラプラスの悪魔 ◆daemontaDA :2008/08/26(火) 22:36:49 0
>>358 俺は、馬鹿なのを自覚してるんで、残念ながらこれ以上蹴落とされません。
w
↓ では本論に戻りましょうか。 w
361 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2008/08/26(火) 22:37:29 0
本当は誰も居ませんでした
ということを必死こいて
隠蔽しているだけです
362 :
け落としの天才君:2008/08/26(火) 22:38:09 0
>>360 つまりけ落とされても大丈夫だといいたいわけですね。
363 :
考える名無しさん:2008/08/26(火) 22:48:41 0
>>336 >いつまで、そんな前時代的な観点にとどまってるんだろね
現代哲学は、もうちょっと進んでるんだよ
ほう、具体的にはどのくらい進んでる?
昔からある問題意識しか提示されていないようだし、言葉を変えているだけのようだが?
誰か私をファックして下さい。自分でしても気持ち良くないのです。
私は何時、何処で発生しますか?
今、其処には発生できません。
私という現象は、今という時刻、此処という位置、
その二つの物理要素の交差が原因となって発生する一つの物理現象なのです。
365 :
けい:2008/08/26(火) 22:55:30 0
ふぁっ苦はしないけど
だから自己を形成するには集団と個人の他者がひつようなんだよね。
366 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2008/08/26(火) 22:57:00 0
平和とは勝利を譲る事です
勝利を譲れば平和が訪れるんだから
楽勝でしょ
>>272 あるゲームではルールに沿ってプレイすることがゲーム成立要件であり、
あるゲームでは単に参加することがゲーム成立要件であるということです。
何れにしても、ゲームの成立要件はプレイヤー(主体)の側にあり、ルールの側にはないと思います。
また、真理探究分野のゲームにおいて、
プレイヤーの誠実性や責任を見ずに、ルールの「客観性」のみから
ルールに従うべきこと(規範)を説くのは無理があると思います。
ルールの「客観性」といっても、その実質的内容は、
・各プレイヤーがルールを把握すること、
・各プレイヤーがその把握に基づいて正否を判断すること、
・プレイヤー同士で互い判断の一致を承認し合うこと、
などでしょう。
理解・判断・承認の各プロセスは、プレイヤーの誠実性に支えられていますから、
「客観性」はプレイヤーの誠実性の賜物とも言えます。
実際の「論理学ゲーム」も、このようなプロセスを含んでいる筈です。
研究者が一人で発見した新しい論理は、他の誠実な研究者によって理解され承認されるまで、
「論理学ゲーム」上の客観的発見ではないでしょう。
誰が認めなくても真理は真理として(ゲームと無関係に)実在する、という見方は一般的です。
しかし一方で、真理とは「真理探究ゲーム」が要請する‘方便’と言えなくもありません。
つまり、終わりのない真理探究ゲームが掲げたゴールです。
どのような真理探究ゲームも、主体の「誠実性」なくしては成立しないと思うのです。
368 :
けい:2008/08/26(火) 23:00:52 0
平和ピースはの語源は平定パクスということかな?
平定とは平定された側に不満がわだかまるという、ね
まちがってたらごめん
369 :
ラプラスの悪魔 ◆daemontaDA :2008/08/26(火) 23:11:50 0
何でおまえ等は、そうやって話を勝手に広げるんだ。
どこにもレスできないジャマイカw。
370 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2008/08/26(火) 23:13:28 0
>平定とは平定された側に不満がわだかまるという、ね
そそ、だからこそ勝ちを譲るんですよ
故に平和でしょ
371 :
考える名無しさん:2008/08/26(火) 23:14:47 0
>>336 >唯物論の主張によると
>人間の精神は物理現象なんだから、形而上にあったらいかんのよ
>人間の精神が形而上にあったら、唯物論崩壊なんよ
人間の精神が物理現象だなんて主張する唯物論は聞いたことがない。
唯物論では端的に「存在するのは「物」だけ」という主張だから、
精神なって存在しないで済ませられる。精神はせいぜい脳の活動に
伴う随伴現象だと唯物論では主張するだろ。
精神がなくても物さえ存在すれば唯物論は崩壊しない。
そもそも最高位の主張って具体的にどんなのか分からんのう。
私ってなにからできているかわからんから唯物論終了なんだよねって話なんだろか。
その割には私の確立には肉体(物体)が必要とか言ってるし、ワカメ御飯ですぜ。
自分の哲学理論は現代の最先端哲学であると自負する最高位だが、
言っていることは
「中学時代に先生からコギト,エルゴ スムの話を聞いた」
「我の存在は確かだが、我の存在以外は根拠がないので分からない」
「私の哲学理論はデカルトの限界を越えた。ただしデカルトは一回も通読した事はない」
これしか言っていない。この馬鹿は人を笑わせたいのだろうか。
374 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2008/08/26(火) 23:34:48 0
何ものにも依存しないウロボロスが完全ということです
蛇に騙される馬鹿な人たちですねwww
375 :
ラプラスの悪魔 ◆daemontaDA :2008/08/27(水) 00:19:46 0
寝る前の出来上がりでつw。
>>336 物理現象と精神現象を混同するなボケ。
>>371 だよねぇ。
>>372 教科書主義者を煽ってみても面白くないだろうねえw。
>>373 彼が最先端だってwww。古典の間違いだろw。
>>374 それは心理学なんじゃないのw。
376 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/08/27(水) 00:21:32 0
どうしたことでしょうか
私は身体を必要とすると言われるのでしょうか。
今までの内容と大きく変わりましたね。
>>203について
>>193で自我意識を獲得したのが私と言われてますし、はてまた
>>184では脳Xはなぜ私であったのか?と言われています。
>>276について
では脳の働きと自我意識の違いは何でしょうか?
何を混乱されているのですか?
落ち着いてよく考えてから書き込みをされては。
377 :
ラプラスの悪魔 ◆daemontaDA :2008/08/27(水) 00:27:01 0
僕たちは、己の尻尾を食らいながら生を生み出す、
自給自足の無限界なウロボロスでした。
w
自給自足のオナヌーかよw。 ま、基本かw。
くるくる回るイメージってのは、地球の横道(?)を境に低気圧の
回転から、地球の回転から、太陽系の回転から、銀河の回転から、・・・
階層構造なんですよね。
ごめん、神秘学だねw。
哲学者最高位は個と普遍について問題意識を持っているのであろう。
繰り返されない一回性の物事は科学の対象にならない。
そこから思考を進めてデカルトや唯物論批判を語っているのだ
と思うが、彼の主張は的外れだと思う。
379 :
ネオマトリクス:2008/08/27(水) 00:45:52 0
だからさ、最高位先生および唯識および非哲学的ゾンビの皆様。
『決定論:脳は物質だから意識は存在しない』
んですよ。実際、ネオマトに意識はないしね^^
で、意識は証明も観測もできないだろ?
唯識とか最高位とか皆もあるような事言ってますが、その根拠って
『感じてるから』だけだろ?
これって極めて非化学的で非理論的でないwww?
これがアリなら神も悪魔も天使も妖精も宇宙人も
そこら中にいることになるっしょ。
つまり、初めから脳と意識・生死の謎とかは無いんだよ。
あるのは、非哲学的ゾンビを自称する物理現象の運動とかの
物理現象だけ。宇宙には意識や精神なんて一切ない。
OK?
380 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/08/27(水) 00:51:09 0
>>371 >人間の精神が物理現象だなんて主張する唯物論は聞いたことがない。
どんだけ世間知らずなんだよ(爆笑
ず〜〜っと唯物論者と、その事で議論してきたのに
論破されたとたんに
>人間の精神が物理現象だなんて主張する唯物論は聞いたことがない。
なんて言い出すんだもんな(爆笑
>>372 読解力が無いというのは悲しいねぇ
可哀想だけど、仕方ないね
>>373 キミの指摘している観点は、あんまり関係ないと思うぞ?
内容に対して、具体的に反論すればいいんだよ
できないから卑屈になってんのか?
こんなヤツに負けちまった自分に絶望してんのか?
>>376 >今までの内容と大きく変わりましたね。
全然変わってませんよ
ようするにキミは今まで
全然理解できていないにもかかわらず、理解できていると勘違いし
その勘違いした内容に対して反論していた
という事になるわけなんだなこれが
381 :
考える名無しさん:2008/08/27(水) 00:51:46 0
>>379 意識というものは存在しない。
存在するのは物だけという唯物論の論理ではそうなる。
だから唯物論では意識は脳の機能だという。
機能は物ではないから脳の機能として意識があるとしても
唯物論として矛盾はない。
382 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/08/27(水) 00:56:20 0
>>379さん
それは観測対象にない、或いは観測不可能のどちらかでは?
>>380最高位さん
肝心のそれ以下の内容のお答えまだですが。
383 :
考える名無しさん:2008/08/27(水) 01:00:09 0
>>382 意識は内部観測の対象ではある。内観とか言うじゃないか。
384 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/08/27(水) 01:04:07 0
>>378 >と思うが、彼の主張は的外れだと思う。
これの根拠を書かなきゃ意味ないんだよ
なんでキミらは、そう的外れな事ばかりするんだ???(苦笑
>>379 >『感じてるから』だけだろ?
感じを、誰が意識してるのかね?(爆笑
>>382 肝心て?
肝心なのは
キミは理解ができてない という事なんだよ
主張が変わった なんて思ってるわけでしょう?
全然ダメダメです
まずそれが自覚できなきゃ、何も前に進みませんよ
385 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/08/27(水) 01:07:05 0
>>384最高位さん
どこを読まれているのでしょうか
>>203について
>>193で自我意識を獲得したのが私と言われてますし、はてまた
>>184では脳Xはなぜ私であったのか?と言われています。
>>276について
では脳の働きと自我意識の違いは何でしょうか?
についてです。
386 :
考える名無しさん:2008/08/27(水) 01:08:23 0
>>379 >これがアリなら神も悪魔も天使も妖精も宇宙人も
>そこら中にいることになるっしょ。
これらがいるとしても何の問題もないだろ。
それらの存在の仕方を間違いなく理解していればね。
387 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/08/27(水) 01:11:38 0
>>385 >最高位さん
>どこを読まれているのでしょうか
ここです
↓
>
>>376 :唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/08/27(水) 00:21:32 0
>どうしたことでしょうか
>私は身体を必要とすると言われるのでしょうか。
>今までの内容と大きく変わりましたね。
変わってません
キミは今まで、理解できてなかったという事です
まず、それを自覚しましょう
自覚できないなら
同じ事の繰り返しであって、何を説明しても理解できませんよ
当たり前ですよね?
388 :
考える名無しさん:2008/08/27(水) 01:13:42 0
ドラえもんもゴルゴ13も存在するって事になるが。
389 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/08/27(水) 01:16:16 0
>>388 ↑
しかしアホばっかりだな・・・
感じてるオマエは、ドラえもんなのかよ
>>379 >物理現象だけ。宇宙には意識や精神なんて一切ない。
物=宇宙
理=意識
現象=精神
だったりしてw
391 :
天才君:2008/08/27(水) 01:19:27 0
>>380 あなたは、他者の発言を尊重せず、全部見下げる為の論理を都合良くこしらえて、
自分を確認しているだけのマシンじゃないですか。
まったく想像力というものが無いね。
392 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/08/27(水) 01:19:28 0
>>387最高位さん
コピーになりますが
>>203について
>>193で自我意識を獲得したのが私と言われてますし、はてまた
>>184では脳Xはなぜ私であったのか?と言われています。
>>276について
では脳の働きと自我意識の違いは何でしょうか?
についてです。最高位さん自身の書き込みです。
393 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/08/27(水) 01:21:16 0
>>385 >
>>203について
>
>>193で自我意識を獲得したのが私と言われてますし、はてまた
>
>>184では脳Xはなぜ私であったのか?と言われています。
>
>
>>276について
>では脳の働きと自我意識の違いは何でしょうか?
↑ ↑
これもおかしなこと言ってるよな
どんな風に勘違いしてんのかねぇ?
394 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/08/27(水) 01:25:12 0
>>391 どこが?
そんなに私を見下げたいなら
私の理屈を論破すりゃいいだけじゃないか?
内容に対して、具体的な内容で来いよ
抽象的な誹謗中傷じゃ話にならん
395 :
天才君:2008/08/27(水) 01:30:57 0
>>394 勘違いなさなぬよう。あなたは人を見下すマシンと言っているのです。
396 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/08/27(水) 01:31:51 0
>>393>>394最高位さん
自分の書き込みにすら反論出来ないようでは
このスレで書き込む意味はもう無いのでは?
既に論破はされています。
買ってもらえない玩具をダダをこねてねだる子どものように
泣いているだけです。
最高位君の理屈の全根拠は、(感じてない筈のw)ゾンビ君がいうように、「感じている」ただそれだけなんですよ。
でも、その理屈によれば「感じている」と分かっているのは最高位君だけだから、論破のしようがないです。
誰も分かりもしないことを、論破なんかできる筈ないでしょうw
398 :
天才君:2008/08/27(水) 01:34:35 0
>>397 だから、哲学者最高位さんは、マシンだと言っているのです。
マシンはマシンとして扱えばいいのです。
399 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/08/27(水) 01:35:47 0
>>397さん
なりほど。
何が欲しいのかわからない
ただ泣きわめいている子どもに何を買ったら良いか分からない
とも言えるでしょうか。
最高位君のやっていることは、実に奇妙な自己確認と言える。
「お前ら分からないのか?俺は「感じている」だろ?そんなことも分からないのか?」
401 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/08/27(水) 01:42:52 0
>>392 >
>>193で自我意識を獲得したのが私と言われてますし、はてまた
>
>>184では脳Xはなぜ私であったのか?と言われています。
上の文章で、おかしな所は
「はてまた」だけだな
>では脳の働きと自我意識の違いは何でしょうか?
違いって何?
知らんけど多分
自我意識というのは、脳の働きだろ
結局、何がしたいんかねぇ
私がそう答えたら、何か上げ足でも取れると思ってるんかな??(笑
>>396 >自分の書き込みにすら反論出来ないようでは
自分の書き込みに反論してどうすんだよ(爆笑
一人乗り突っ込みか??
>>397 私のやってるのは、自我のある人間の哲学だからね
自我の無いゾンビに、自我のある人間の哲学が理解できなくて当然だからね
自我の無いゾンビの反論は無効
参考にならない
意味がない
>>380 読解するほどのことを最高位はまだ発してないのではないかのう。
そもそも論をまとめてもいないだろうし。
はっきりいって、きちんと主張すらしていないと言えますぜ。
違うと言うなら主張をまとめるしかないですなあ。
どうせできないと思いますがねえ。
質問をしてはぐらかしたり、煽るのが精一杯でしょうなあ。
403 :
マシンの取扱書:2008/08/27(水) 01:46:31 0
みなさんマシンに対して、わかりやすく、諭しているにも関わらず、
マシンは愛情など感じません。それどころか、そのような感受性すらありません。
そのくせ、他者を蹴落とし、気持ちを揺さぶるというマシンらしからぬ
小生意気な人まねをします。
そこで、人は、マシンも人の心があると思い、議論を展開するが、
そこを人の弱みとみなし、突くのがマシンの下劣なやり方です。
マシンに騙されてはなりません。
観念なくして物質はない→観念論
物質なくして観念はない→唯物論
ただこれだけのこと。
観念論は物質の存在を否定しないが、物質の根源性を否定する。
唯物論は物質の観念を否定しないが、観念の根源性を否定する。
全ては観念or物質であるという哲学は存在したことがないし、存在しえない。
405 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/08/27(水) 01:47:40 0
>>399 お前、学校の授業が理解できないからって
先生に向って、そう言ってるのと同じだぞ(爆笑
>私のやってるのは、自我のある人間の哲学だからね
>自我の無いゾンビに、自我のある人間の哲学が理解できなくて当然だからね
>自我の無いゾンビの反論は無効
>参考にならない
>意味がない
私は「自我がない」なんて一言もいってませんよ。
私が言っているのは、あなたの理屈の全根拠は、
「‘あなた’が感じている」
ただそれだけですよ、と指摘申し上げているです。それだけ。
そんなことは、‘あなた’しか分かりません。
‘あなた’しか分からない理屈は、論破などできません。
論破できないのに、論破してみろって、それは単なる煽りでしょうw天然系のw
407 :
考える名無しさん:2008/08/27(水) 01:51:30 0
>先生に向って、そう言ってるのと同じだぞ(爆笑
ぜんぜん違うだろ
408 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/08/27(水) 01:53:43 0
>>401最高位さん
自我意識イコール脳の働き
>>193では
脳の分子構造で私が作られているのではない
?
脳の分子構造によって(たんぱく質の合成等々)脳の働きがあるのでしょう。
脳の働き=自我意識(あまり数式は使いたくありませんが)だと
分子構造が直接的にないにしろ脳の働き、自我意識にも関わる図式です。
あれ?って感じですね。
409 :
マシン君:2008/08/27(水) 01:57:24 0
哲学者最高位さん、あなたは、あなたしか知らない事を
他人に言わせたいだけです。
もうそろそろ、気づきましたか?
410 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/08/27(水) 02:03:38 0
>>400 いや
俺は俺を俺だと自覚できるんだけど、キミらはできんの? だな
>>402 ではキミに問題を与えよう
設問1
我の原因性を物理現象に還元し、唯物論の正当性を述べなさい
>>403 妄想乙
そこまで妄想できるってスゴイね(苦笑
本当にお疲れさん
面白くも何ともないけどな
>>404 いろいろと逃げ道を考えるのに大変だねキミも(爆笑
>>406 >私は「自我がない」なんて一言もいってませんよ。
じゃぁ、どっちなんだよ(爆笑
答えずに逃げるのが、精一杯だな キミの反論は
>>407 理解できないクセに、無根拠に偉そうなんだから、全く同じ
>>408 >あれ?って感じですね。
だろ? やっぱり理解できないんだろが(爆笑
こんな簡単な事がさ
「俺は俺を感じている」という最高位君の言っていることが、間違っているとは誰も言わないです。
というか、間違っているとか正しいとか分からないとか論破するとか、そういう図式はそぐわないんです。
実によく分かる。しかし、それを分かるのは「私」だけなんですよ。これは共有できない。しかし、良く分かっているw
412 :
裸の大将:2008/08/27(水) 02:06:07 0
>>410 もうばれていますよ。あなたの常套手段は。
何をそんなに、忙しそうにしているのですか?
哲学者最高位さん、あなたは、あなたしか知らない事
を他人がしるはずがないでしょう。
いいかげんに知りなさい。
たぶん反共的な理由で唯物論批判してたネットウヨが哲学板に
いついちゃったというのが哲学者最高位の正体だろう。
「最高位君は最高位君を最高位君だと自覚できるんだな、
でも、そんな最高位君でも、俺が俺を俺と自覚できることは分からないだろう?」
415 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/08/27(水) 02:10:42 0
>>410最高位さん
>>193+
>>401より
私=自我意識=脳の働きになりますが
それでよろしいのですか?
そして直接、間接的であれ私=脳の働き=脳の分子構造となりますが。
416 :
考える名無しさん:2008/08/27(水) 02:11:44 0
>いろいろと逃げ道を考えるのに大変だねキミも(爆笑
>>404 じゃないけど、
この人は当たり前のこといってると思うぞ。
どこが「逃げ道」なのさw
417 :
無様君:2008/08/27(水) 02:14:23 0
>>410 哲学者最高位さん、
見苦しいと思いませんか?哲学者最高位さん。
そうやって、自己欺瞞を続け、それを相手してくれる人もいるでしょうが、
人間ならば、心を通わせるという基本があるでしょう。
マシンをお続けになるなら、それもいいですが。
そういう存在に対しては、マシンはマシンとして扱われますよ。
>>410 おお、言った通りになりましたな!
やはりまとめることができないようですな。主張そのものができていない。
質問をし、がんばってはぐらかしたいのでしょうが、主張や論は自分で
組み立てて提示するものですぜ。それができないのなら大きなことを
言わない方がいいですぞ。
それにしても最高位は煽りが上手いというか、人をいらっとさせるイライラ棒ですな。
大したものですぜ。あまり羨ましくない才能ですがね。
419 :
考える名無しさん:2008/08/27(水) 02:18:44 0
最高位のこういう見苦しさが人気なのに水ささないでよ
420 :
煽りやの煽り屋天才君:2008/08/27(水) 02:25:42 0
天才君は、 マシンを煽っているだけです。
マシンなどは反応するだけです。
人間に無視されないだけ、マシンにも救いはあります。
心ある、哲学者最高位さん自身の人格は尊重します。
>>419 そうだよね。哲学者最高位は症例として貴重だよ。
422 :
考える名無しさん:2008/08/27(水) 02:34:53 0
最高位は反抗期の子供みたいだな。
父親母親の愛情が欲しいのかな。
思春期が終わっていない大人に見える。
423 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/08/27(水) 02:37:36 0
>>409 いやいや
アホには理解できん事ぐらい、最初からわかっているよ
理解できたら、もちろんそれは賢い人だから褒めてあげるけどな
>>412 「昨日、怪我しちゃってさぁ・・・怪我したら痛いんだよな」
「それはキミだけだろ」 てか?
そうなん?(苦笑
>>413 あー私は昔、リアルに右翼だったけどね
>>414 ん? 俺が俺を俺だと自覚できたら、それでいいんじゃないか?
>>415 >私=自我意識=脳の働きになりますが
>それでよろしいのですか?
何で、私=自我意識なんだよバカ
自我意識というのは、自我を意識する働きだろ
>>418 はぐらかしてもいないし、煽ってもいないが?
というか、その前に
キミは、自分で答えたり反論できない という事を自覚すべきだろ
>>419 反論できない立場のクセに
私の事が、見苦しいと思えるなら
よっぽど幸せな人だな
>あー私は昔、リアルに右翼だったけどね
やっぱりなw
425 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/08/27(水) 02:42:38 0
426 :
おつかれさま君:2008/08/27(水) 02:44:05 0
>>423 マシンの言い分は認めません。
マシン自身が知っているでしょう。
ただ、無視はしません。色々な経歴、感想があるものですね。
427 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/08/27(水) 02:45:29 0
>>423最高位さん
言ったそばから忘れる最高位さんですか?
>>401で脳の働きと言っておられますが。
428 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/08/27(水) 02:56:42 0
>>426 >マシン自身
マシン自身(爆笑
マシンて何か知ってるか?
マシンというのは、人間が何かの目的を成すために
単なる物理現象組み合わせて作ったものだぞ?
だから、マシン自身なんてないんだよ(苦笑
文学的表現か?(爆笑
>>427 どうでもいいけど、どんだけアホなんだよキミは
せめて普通に会話できるようになってから話しかけてくれ
いやマジで
マジでホント
頼みます
429 :
考える名無しさん:2008/08/27(水) 02:58:20 0
ますますおもろ
反論できずマジ切れ とうとう拝みたおし
430 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/08/27(水) 03:00:42 0
>>429 お前も彼の言ってる事のおかしさがわからんの???
今日のメンバーも、全員アホかよ
ダミダコリャ・・・・
431 :
考える名無しさん:2008/08/27(水) 03:03:28 0
自我意識というのは、脳の働きだろ って
物質による意識の発生の可能性を認めてるな おわたw
>>423 まず論をまとめ、きちんと主張をしたほうがいいですぜ。
それもできないのに反論だなんだと喚いても仕方ありませんからな。
最高位の論が論理的なものなら皆も納得してくれるでしょう。
逆にいえば、納得してもらうには論理的な論が必要なのですぞ。
それに一度論を組み立てれば、説明を繰り返す必要も省けると言うもの。
むしろいいことづくめですな。まあ、できないんでしょうけれども。
いやいや、大きなことを言うべきではありませんなあ。
おまけですがね、最高位はものすごく煽ってますぞ。色んな人をね。
天才的な手腕ですなあ。見上げた、というより見下げたものですのう。
433 :
ルール君:2008/08/27(水) 03:13:46 0
>>428 マシンはプログラムどおり動けば十分です。
なぜならば、人間の道具だからです。
>>430 人間の道具がマシンですから、きっとマシンの受信装置の故障でしょう。
434 :
考える名無しさん:2008/08/27(水) 03:16:29 0
彼に自らの論をきっちりまとめる能力があったなら、スレはこんなにも面白くはならんでしょ
語れば語るほど墓穴をほる・・・ということです
435 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/08/27(水) 03:20:19 0
>>427最高位さん
反論できないようではこのスレの恥ですね。
錯乱ですか?
436 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/08/27(水) 03:24:11 0
>>431 だからキミらは浅はかだ というんだよ
よくそんな知能で、私に反論なんてしてこれるよなぁ
>>432 それぞれのアホに、何から説明したらいいか
それは、けっこう難しい課題だね
まず基本的な問題意識を理解していただくために
この問題に挑戦してもらいたい
設問1
我の原因性を物理現象に還元し、唯物論の正当性を述べなさい
>>433 何のマシンなん?(笑
>>434 ようするにキミらは、きっちりまとまってないから理解できてないんだろ?
で、理解できてないにもかかわらず
なんとなく、いっちょまえに反論している気持になっていると
そういう事かね?
>>435 いや
もう一回、自分の言ってる事を検証してごらんよ
一目瞭然、アホすぎるからさ
437 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/08/27(水) 03:24:50 0
失礼。
>>428錯乱状態の最高位さん宛てです。
最高位さんのそれはもう哲学では無く
わがままな子どもですね。
ここには最高位さんの特注理屈はお受けできません
どうぞご自分で作ってご自分でご鑑賞ください。
以前も言いましたね。無い品物を売れというクレーム客と。
438 :
考える名無しさん:2008/08/27(水) 03:26:49 0
>>436 >だからキミらは浅はかだ というんだよ
>よくそんな知能で、私に反論なんてしてこれるよなぁ
まるで反論になってないな 愚痴ですかww
439 :
考える名無しさん:2008/08/27(水) 03:29:59 0
脳の働きで自我意識がある
これはもう立派な唯物論ですぜ
440 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/08/27(水) 03:37:01 0
>>437 私がいったい、どんなわがままを言いましたかな?
キミの言ってる事が、一目瞭然おかしいから、もう一度検証してみてごらんよ
と言ってるだけだが
まだ、わからんの???
>>438 呆れてしまってね
こんなアホに説明しても意味ないんじゃないかと思ってしまって面倒になっちゃってるんだよ
>>439 う〜ん
団塊の世代ぐらいの時代ならそうだね
しかし我自身、そのものの存在を、脳の分子構造や働きで作る事は、できんのだよ
↑
この説明で、少しも理解できんヤツはアホ
441 :
けい:2008/08/27(水) 03:39:18 0
これパート21ってこと?
身体がなかったら我は存在しないは真だが、
我がなかったら身体は存在しないは偽。
これだけでいいんだよ。唯物論の条件は。
我の存在を物質から説明できるか否かはまた別の問題。
443 :
考える名無しさん:2008/08/27(水) 03:42:44 0
我自身、そのものの存在を、脳の分子構造や働きで作る事は、できんのだよ といっても
我の身体が物質であり、自我意識が脳の働きによるのなら、「作られている」といえるじゃん
「そのものの存在」ってなんやねんw
444 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/08/27(水) 03:43:44 0
>>440最高位さん
ご自分の書き込みをもう一度検証してください。
今の錯乱状態では無理ですので日を空けて落ち着いてからで。
レスに余裕が見られませんね。
それは今どう答えて良いか分からず
答えが出せるまでの時間稼ぎ。
適当に言葉をぶつけているだけ
愚かな醜態を自ら披瀝しているだけです。
それも最高位さんのこころの成せる業。
>>442さん
全く同意です。
先天的な私にそれを当てはめること自体間違いです。
無い品物をねだるクレーム客です。
445 :
暇潰君:2008/08/27(水) 03:43:46 0
>>440 マシンが人間に向かってなにか言っています。
446 :
考える名無しさん:2008/08/27(水) 03:44:49 0
>>442 そうだよね
唯物論なんて、概説みたいなものだから
最高位は自意識が発生した時点から説明を始めようとしているが、
そんな個人的な説明なんかで宇宙全体を説明できるわけがないのだよ。
最高位の意見は個人的な感想に過ぎない。哲学でも何でもない。
448 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/08/27(水) 04:01:18 0
>>441 そうみたいだね
知らん間に
>>442 >身体がなかったら我は存在しないは真だが、
>我がなかったら身体は存在しないは偽。
>これだけでいいんだよ。唯物論の条件は。
またもや、団塊の世代の落ちこぼれ的唯物論だな
>我の存在を物質から説明できるか否かはまた別の問題。
じゃぁそれは、何の問題?(爆笑
>>443 >我の身体が物質であり、自我意識が脳の働きによるのなら、「作られている」といえるじゃん
キミを作れると言うのかい?
キミは、そこにいるのに、どっかに作れるわけかい?
我自身そのものをさ
>>448 では唯物論の定義をそちらでしてみて。その唯物論が妥当かどうかで
議論しようじゃないか。公平でしょ。
450 :
考える名無しさん:2008/08/27(水) 04:05:43 0
>>448 >キミを作れると言うのかい?
「作られている」といえるじゃん と書いたのであって 「もう一人作れる」とは言ってないぞい
ほんまのアホなんですか?
451 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/08/27(水) 04:07:56 0
>>450さん
今の最高位さんに何を言っても無駄ですよ。
またくだらない妄想世界の思考実験ですから。
452 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/08/27(水) 04:08:53 0
>>444 結局わからんのかよ・・・面倒くさいなぁ・・・
キミは
>>415で
>私=自我意識=脳の働きになりますが
>それでよろしいのですか?
それに対して私が
>>423で
「何で、私=自我意識なんだよバカ 」
ようするに
私=自我意識じゃない という事を説明したわけだ
なのにキミの反論は
>
>>401で脳の働きと言っておられますが。
だな?
何が脳の働きなのかと言えば
>>401の
「自我意識というのは、脳の働きだろ」
だろ
わからんか?
『私』は自我意識ではないんだよ
だったら自我意識が脳の働きであったとしても
>私=自我意識=脳の働き
にはならんだろ
なんでこんなアホみたいに簡単な事を、いちいち説明しなきゃならんのだよマッタク・・・・
>>447 キミは多分
トンデモ科学を夢見る事を哲学だと勘違いしているんじゃないかな
結構よくいるタイプだよね
453 :
考える名無しさん:2008/08/27(水) 04:14:31 0
>>451 今の最高位ではなく、たぶん「いつも」なのではないかと
454 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/08/27(水) 04:17:16 0
>>452最高位さん
錯乱状態で昨日の書き込みをお忘れのようなので
前文をコピーします。
脳というのは物質であって、その他いくらでもある
脳A、脳B、脳C、脳D・・・・・
なぜ脳Xが、私だったのか
という問題があるのだよ
「なぜ脳が私だったのか」と脳を前提に言われてますね。
ご自分の言に責任を持ちましょう。
455 :
考える名無しさん:2008/08/27(水) 04:23:33 0
最高位の言いたいことは「厨房の時に先生から聞いたデカルトのお話が
今やっと理解できたから嬉しいよ。お前らデカルトって知らないだろ。
俺は最先端だ」ってだけだな。最高位おめでとう、本当に良かったな。
先生も喜んでるよ。
456 :
考える名無しさん:2008/08/27(水) 04:25:11 0
私=物質である体および自我意識、感覚、感情、思惟(物質である脳の働き )である可能性は?
457 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/08/27(水) 04:34:57 0
>>449 あのね
唯物論者の手口を教えましょう
主張をコロコロ変えるんだよね
黙って見てると
「世界には物質しかないんだから、人間の精神も全て物理現象にすぎない」
「人間は機械だ」「複雑なコンピュータだ」「計算機だ」という論を展開する
で、私が出て行って論破しはじめると
主張していた本人は消えて、今度は穏健派?が出現する
「人間の精神は、物質に規定されている というのが唯物論です」という抽象的な主張に切り替わる
で私が、「完全に規定されてるのならば・・・・」と言い出すと
また別の人が現れて、のらりくらりと必死で基準をゆるめようと頑張って
最後は時間切れ
そして、またホトボリが冷めると、最初の主張に逆戻り
その繰り返し
卑怯な事ばかりしてないでさ
そろそろ定義を決めてくれんかな
>>450 落ち着け
では、いかなる物理的要素にも還元できない という事だね?
>>451 キミは思考実験の、主旨が理解できてないんだよね
キミ自身を、いかなる物理的構造、いかなる物理的要素に還元できると言うのかね?
妄想じゃなくて、それが答えられれば問題ないんだよ
458 :
けい:2008/08/27(水) 04:35:20 0
世界という書物、「方法叙説」
凡庸だあるものの良い言葉
459 :
考える名無しさん:2008/08/27(水) 04:41:09 0
>>457 >落ち着け
あなたが落ち着かないとねw
自分の体が物質で、脳という物質の物理的活動が自我意識である可能性があるなら、
立派な唯物論擁護でしょう
460 :
けい:2008/08/27(水) 04:47:09 0
デカルトは「我思う、ゆえに我あり」といった。
まず懐疑する理性の姿勢を打ち出した。
しかしデカルトにあってこの懐疑する立場は必ずしも単純でなかった。
なぜなら、懐疑する自己が存在することについては懐疑しない、
ということでなければ懐疑の営みそのものが円滑に進行しないからである。
デカルトは自己の背後に完全なる者としての神が自分を見守っていると仮設した。
>>457 それは、両極に決定論的唯物論と唯物論があって、その間に、どこまで
が決定されるかの度合いが違う主張がある。それだけのことだろ。
何が言いたいんだ。
462 :
考える名無しさん:2008/08/27(水) 04:53:41 0
463 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/08/27(水) 04:54:44 0
>>454 うむ
非常にわかりやすい表現だねぇ
私って、ホントにイイこと言ってるよねぇ(爆笑
しかしキミはアホだな・・・
私という存在は、脳Xと関係し対応しているが
「脳Xの働きが、私」なのではない と言ってるんだよ
物質が、どう働いたら、唯一絶対の「私自身」が発生すると言うのかね??
もうちょっと、頭使ってから意見なり反論なりしてくれないか?
アホに合わせて説明するのって、疲れるんだよ
>>455 もしそうだったら、なんでキミらは私を論破したり
せめて、もっと気の利いた事が言えないんだい?
>>456 そういう要素をいくら並べてみても、私を特定する事ができないんだよね
数から考えて、大抵は私でない他人になるのが通常でしょう
私は、たった一人なんですからね
なぜこの物体(体)、なぜこの精神が、私自身だったのか
それが問題
>>459 人間の体は物質です
よって唯物論は正しいのです ってか?(爆笑
464 :
けい:2008/08/27(水) 04:58:42 0
神を信じなければ懐疑する自己そのものが動揺する。
デカルトにおいて陰伏されていた「神への信仰」は何をいみするのか。
それは懐疑の手段としての言葉を信じるということであった。
懐疑の手段である言葉を疑ってしまえば懐疑の作業が一貫しえなくなるから
である。
465 :
考える名無しさん:2008/08/27(水) 05:02:05 0
>>463 人間の自我意識が脳の活動によるのなら、唯物論正解ですな
466 :
けい:2008/08/27(水) 05:05:28 0
言葉をめぐる疑念と信念の葛藤を断ち切るべく、デカルトは
いわゆる主客分離の認識論的切断を行った。つまり、自己という
主体の語る言葉はたしかである。
そして、自己以外の対象という客体もまた確かである、というかたちで
分離化独立化することによってデカルト的理性が回転し始めた。
そしてその確実な言葉を保証してくれるものとして数学的な論理
が尊重されることになったわけである。
もちろんこれはデカルトの蛮勇であり、反発は当初からあった。
467 :
考える名無しさん:2008/08/27(水) 05:06:47 0
なぜこの物体(体)、なぜこの精神が、私自身だったのか って
この物体(体)が私自身の体であり、私自身の精神が脳の活動によるものなら、
完全な唯物論ですぜ
哲学者最高位の意見は決定論的唯物論批判としては正当だし、
俺も賛成なんだよね。
でも決定論的唯物論を除く唯物論を<私>の単独性、唯一性、実存性でも
なんでもいいが、それらで批判しても意味ないんだよ。
決定的唯物論以外の唯物論ははなからそれらを認めてるんだから。
469 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/08/27(水) 05:08:29 0
>>463最高位さん
脳の働き(身体も含め)=自我意識です
(最高位さんの言)
さてここで、もう少し最高位さんのレスを遡りますと
>>182で私の存在は、自分自身、自我意識であると明言されていますが?
470 :
けい:2008/08/27(水) 05:12:12 0
デカルトへの反発
ヴィーコは歴史を重視し、人間の感覚や思考が歴史的経験を通じ育つと
いわんとした。
ヒュームは認識の主体である自己と、認識の客体である対象とが
人間のもつ慣習によって橋渡しされていることに注目した。
要するに主体も客体も歴史や社会の中に根を持つものであると
主張されたのである。このようにデカルト的懐疑あるいはデカルト的理性
というのはさほど、確かな出発点に立っていたわけではなかった。
しかし、その明晰さゆえに、多くの人々を惹きつけ、近代知性の主流となった
のである。
471 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/08/27(水) 05:18:32 0
>>465 自我意識というのは自我を意識するという働き
ようするに、動詞なんだよ
この働きを脳という物体を使って成すとするならば
脳は道具だと考える事もできる
すなわち
自動車で走ったら、キミは自動車なのか? という事
短絡的に先走っちゃいかんよ
>>469 懸命に荒探しをしているようだけど無駄だよ(苦笑
私は一定した事しか言ってないんだよ
>>182は、こうだろバカ
>>「何を以って私と成すか」
>
>自分自身だよバカ
>キミには自我意識というものがないのか?
自我意識で、自分自身を自分だと(私だと)自覚できんのか?と言っているのだよ
荒探しをしてもムダだよ?
私は、そんな間抜けな事はしないからね
なぜなら私の言説は一定しているから
単にキミの誤読が明らかになるだけだよ
472 :
考える名無しさん:2008/08/27(水) 05:23:49 0
>>471 >脳は道具だと考える事もできる
こりゃーーーなんと
その脳の使い方は? 「自我意識」を発生させる脳の使い方でもあんの?
473 :
考える名無しさん:2008/08/27(水) 05:30:54 0
>>471 キミは脳という自動車のあやつりかた知っとるの?
おいらは自分の脳さえ見たとことないし、
頭使って なんていうのは言葉だけの事かと。
474 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/08/27(水) 05:38:50 0
>>472 すぐ先走って低能ぶりをアピールせんでいいよ
手は道具と言えるかね?
目は道具と言えるかね?
メガネは道具と言えるかね?
涙は道具と言えるかね?
胃は道具と言えるかね?
腸は道具と言えるかね?
言えませんか?
使い方は知らんけどね
>>473 操り方を知ってるかどうかは、ある意味関係ないんじゃないの?
内臓だって、無意識に働いてるんだし
メガネだって、かけたら勝手に良く見えるしね
475 :
考える名無しさん:2008/08/27(水) 05:46:19 0
>操り方を知ってるかどうかは、ある意味関係ないんじゃないの?
関係大ありでしょう。
キミは「使う」って意味分からんの?
使う意志がなく、使い方もわからずにどうやって使うといえるのさww
脳が勝手に働いて「自我意識」が発生しているのなら、
脳を使っていることにはならんでしょ
あまりバカいわないでね
476 :
けい:2008/08/27(水) 05:47:48 0
デカルト理性を過ちと切り捨てれば、人間は時間的には歴史的存在として、
空間的には社会的存在として生活しているのです。
近代にあって、人間が「自己意識」を先鋭にしてきたことは否定しない。
その自己意識つまり「自我」のなかに、自分が歴史から超絶し
社会から孤絶しているという感覚が含まれていることも確かである。
そのことを認めつつも、それらの超絶や孤絶から論を起こすようなことは
私はしない。
つまり自分における歴史からの超絶を歴史へのかかわりでとらえ、
そして社会からの孤絶を社会への帰属とのかかわりでとらえる、
そうでなければ議題が特殊かつ個人的狭義のもので終始してしまうのでしょうね。
デカルトはなんて罪つくりなのでしょうか。
477 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/08/27(水) 05:57:09 0
>>475 何を意図してんのか知らんけどね
そんなことを一生懸命言っても、あんまり関係ないと思うぞ?
>脳が勝手に働いて「自我意識」が発生しているのなら、
>脳を使っていることにはならんでしょ
べつに使ってる事にならなくてもいいんじゃないか?(爆笑
まぁいいや
自分を意識しよう
とか
今度は彼女を意識しよう
とか
今は仕事に集中しよう
とか
キミは使い分けられんわけか?
478 :
考える名無しさん:2008/08/27(水) 06:02:50 0
>メガネだって、かけたら勝手に良く見えるしね
どどどど低能ですなw あんた
「メガネ」は足の裏にかけるのではなく、耳にひっかけて鼻の上にのせてかける
って方法あんた知ってるじゃんw
479 :
475:2008/08/27(水) 06:08:04 0
>>477 「この働きを脳という物体を使って成すとするならば 脳は道具だと考える事もできる 」
なんて馬鹿なこと言わなければ、なにも指摘はせんよ
べつに使ってる事にならなくてもいいんじゃないか なら
脳は道具だと考える事もできる は 撤回だな
480 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/08/27(水) 06:08:15 0
>>478 じゃぁ脳だって
頭から取り出して足の裏で踏みつけるんじゃなく
頭蓋骨の中に、そっと置いておくもんだと知ってるんじゃないか?(爆笑
481 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/08/27(水) 06:13:30 0
>>471最高位さん
あら探しではなく最高位さんの言ですから
逃げようがありませんね。
自我意識で、自分自身を自分だと?
私よりも自我意識が先にくるのですね。
482 :
475:2008/08/27(水) 06:20:25 0
>>480 なんだそれ そんなこと知らんがなw
そのように考える事ができるのなら、それこそ脳の意志で
「おいらが思っている」という「自我意識」を発生させているのかも知れんわw
唯物論OKだろ
483 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/08/27(水) 06:32:43 0
>>479 ↑
いつまでやってるんだろね
この人達はさ(苦笑
世の中には、使い方なんて知らなくても
知らないうちに使ってるものなんて、けっこうあるだろ
クルマのタイヤのABSだって、装備されてる事すら知らなくても、勝手に作動するぞ?(笑
本人に、使ってるという意識がなくても、十分に道具として機能している
>>481 >私よりも自我意識が先にくるのですね。
しかし、どこまでアホなんだよキミは
私の自我意識だろ
誰の自我意識の話なんだよマッタク
>>482 >脳の意志で
>「おいらが思っている」という「自我意識」を発生させているのかも知れんわw
ちょっと意味が理解できんので、詳しく説明して下さい
脳の意思 って、それはキミなの?それとも別人なの?
484 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/08/27(水) 06:37:59 0
>>483最高位さん
文面通り
自我意識が自分自身(私)
と自我意識が先ですが?
また「私の」とありますので自我意識は所有物ですね。
誰の?とありますが
面倒ですし分かりにくいので
私を「最高位の私」に変えてください。
485 :
475:2008/08/27(水) 06:39:44 0
>脳の意思 って、それはキミなの?それとも別人なの?
へんな質問だね 脳は誰かの脳でしょ 脳は人ではなく、人の脳です
おいらの脳が、つまり「精神」とかじゃなく
おいらの脳が「おいらが思っている」という「自我意識」を発生させているのなら
唯物論肯定ですよ って話。
486 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/08/27(水) 06:47:45 0
>>484 マジメな質問なんだけどさ
唯識くんて、精神の病院とか通ってる?
>>485 >おいらの脳が「おいらが思っている」という「自我意識」を発生させているのなら
その「おいら」は、その脳の、何の要素で「他の人」ではなく「おいら」だったの?
487 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/08/27(水) 06:51:11 0
>>486最高位さん
時間稼ぎはよろしいので
質問にお答えください。
488 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/08/27(水) 06:52:49 0
>>487 ごめん
何言ってんのか全然理解できません
489 :
475:2008/08/27(水) 06:54:12 0
>その「おいら」は、その脳の、何の要素で「他の人」ではなく「おいら」だったの?
なんじゃその質問w
脳が勝手に活動して「自我意識」を発生させているのなら (仮定)
といっているのに なんて先走りする人なんだろうww
490 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/08/27(水) 06:59:16 0
>>489 その脳がオイラであったのは
オイラが、その脳の何らかの物質的な要素だからなんじゃないの?
それとも、それは関係ないの?
491 :
考える名無しさん:2008/08/27(水) 08:08:34 0
>>490 関係ないだろ。
お前がキムタクの肉体に生まれてれば、お前はキムタクなんだし。
お前がキムタクに生まれていれば「僕、キムタク」と言ってたし、
2ちゃんねるのこんな場所に常駐してねえよ。
>>490 お前は、それぞれの人間に私がある事を知らないのか?
どの人間も私は私なんだよ。
最高位だけが私じゃねえんだ。
お前が、中居君に生まれてれば中居君の脳の私だし、
キムタクに生まれてればキムタクの脳の私だ。
どの脳に生まれたって私に変わりはない。
「その脳がオイラ」じゃねえんだよ「どの脳でもオイラ」なんだボケ
493 :
考える名無しさん:2008/08/27(水) 08:19:48 0
>>385 >では脳の働きと自我意識の違いは何でしょうか?
そんななのは常識だろ。
脳の働きと自我意識は、心臓の働きと血液循環、胃の働きと食物消化のような
機能と機能内容の違いだろ。
494 :
考える名無しさん:2008/08/27(水) 08:30:27 0
>>404 >全ては観念or物質であるという哲学は存在したことがないし、存在しえない。
デカルトの精神と物体を別の実体だとする二元論がある。
495 :
考える名無しさん:2008/08/27(水) 08:38:20 0
>>790 お前は根本が出来てないよ。
私というのは、脳と脳の外との関係から出来てるんだ。
お前の脳がそっくりそのまま0歳からフランスで育って
きちんとした教育を受けて生活してれば、こんなしょーもない掲示板で
日本語で馬鹿な話を垂れ流す最高位というキチガイなんかやる脳になってない。
「この脳が私」なんて言ってるお前は何も理解していないボケだ。
496 :
475:2008/08/27(水) 08:42:56 0
>>490 >その脳がオイラであったのは
ちょっとキミキミ
「脳は人ではなく、人の脳です」と
>>485で 言ってるでしょ 何度言わせる?
で、この体(物質的な要素)がおいらで、
おいら(この体)の脳が勝手に活動して、自分のイメージを発生させたり
気持ちや「自我意識」を発生させているのなら (仮定)
「精神は副次的」という唯物論が成立してしまう と言っている
その可能性がないなら、おいら的には唯物論崩壊
>>488 自我意識で自分を自覚するのなら、私の自我意識って変じゃねって話じゃね。
なにかよくわからんものが自我意識を使って私を獲得するって話なら多分いいんだろうけど。
なにかよくわからんものを肯定するなら唯識と仲良くできるかもよ。
498 :
考える名無しさん:2008/08/27(水) 08:47:34 0
>>448 >我自身そのものをさ
我自身とは読んで字のごとく我の身体ということだね。
我の身体が物質で作られてることには誰も異論はないだろ。
我は心身複合体だから我などという実体や本質はない
(諸法無我)という仏教の概念は理解しやすいのではないか?
499 :
475:2008/08/27(水) 08:50:50 0
ついでに「自ら」というのも、
すくなくとも辞書的には「身」のことだよ。
367
「真理」が終わりがないゲームの形式上のゴールの方便というのは認めます
そういう性質があることは、前スレから説明してきたつもりです
ゲームに参加しない不誠実な人から見れば、「真理」は主観的に見なせるということでしょうか?
しかし、これは「客観性を何も認めない不誠実な人から見れば、いかなる客観性もない」と言うに等しく感じますし
なぜ、わたしが、そのような不誠実な人たちに気をつかいながら言葉の使い方を気にしなければならないのかが分かりません
文化的な違いがあったとしても、
相手の文化の真理基準を受け入れなければ、相手を批判(自分たちの文化の真理基準からの)してはならない理由はないでしょう
もちろん、このような批判は相手には通用しないかもしれません
しかし、それが批判的討論のゲームを放棄させる理由にはならないはずです
不誠実な人と将棋をしていて、彼がどんな屁理屈をこねたとしても
(そしてまた、その際に彼が将棋のルールを主観的なものと見なしたとしても)
それらによって、わたしが将棋のルールを主観的なものと見なす必要は何一つないと思います
続く
501 :
天才君:2008/08/27(水) 10:22:45 0
まだ、哲学者最高位さんははぐらかしているんだね。
唯識さんが、
>>484において、
哲学者最高位さんの認めたくない部分に関して
斬新な質問をしていますね。
-----------------------------------------
自我意識が自分自身(私)
と自我意識が先ですが?
また「私の」とありますので自我意識は所有物ですね。
誰の?とありますが
面倒ですし分かりにくいので
私を「最高位の私」に変えてください。
-----------------------------------------
哲学者最高位さんはこれに対し、
●唯識くんて、精神の病院とか通ってる?
と斬り捨てている。
論理の研究に関してですが
発見された論理の是非を検討するということが、
論理の客観性を承認せずにはできないはずです
(このことは認めてくれるでしょう)
彼が発見した論理が受容されなかったとしても、理解されなかったとしても
「理解しよう」とする時、その論理は客観的な創造物としての扱いを受けるでしょう
実際に、どういう社会的な扱いを受けたか、から
対象の客観性を批判することは、
できないように思います
(それは、わたしが真理ゲームの内部にいるからだとあなたは批判されるでしょうが)
503 :
239:2008/08/27(水) 10:45:42 0
〔改訂版+補足〕
ちなみに、最高位氏の“『私』論”を解り易く図示すると
他人:
┌ ┐
│ (自我意識) 肉体 .│
│ (精神) │
│ (意識) │
│ (心) │
└ . .┘
私:
┌ ┐
│ 『私』 (自我意識) 肉体. │
│ (存在性) (精神) │
│(純粋な存在) .(意識) │
│(自我意識)? (心) │
└ .┘
こんな感じ。
補:
言明の種類
a:「他人は、いる(ある)」「私は、いる(ある)」
b:「自我意識は、ある」「精神は、ある」「意識は、ある」「心は、ある」
c:「肉体は、ある」
d:「『私』は、いる(ある)」 → ( 『他人』(=他人の『私』)は、いる?いない?)w
最高位氏が、
「キミは、いるだろ?いないの?」「それ(○○という行為)をしているのは誰だい?」
と問う時、それは a 〜 d のどの次元の話なんでしょうね・・・?w
頭いてー
飲みすぎた
しかも飲みの席でとった注文の報告と指示を出すのを忘れてた
サイアク
505 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/08/27(水) 11:03:44 0
言葉を使うときは、その言葉の意味に自分が規定される。無限(に近い)想像力の方向と
範囲を決めるのが、言葉である。私と言う言葉も同様である。私と言う言葉に集約される
自己が文言的自己であり、そこからはみ出る私があるなら、別の言葉をあてたり、説明
したりする。私という言葉の意味を決定するのは、実際の使用者の使用のしかたであり、
哲学者最高位氏はその意味を拡充している。だが、これは諸刃の刃であり、削っている
ところもある。
506 :
考える名無しさん:2008/08/27(水) 11:11:32 0
@@@@@@@@
@@@@@@@@@@
@@@@、,,__ _,,, j
@@@@,、 _, ' '、_ } / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
@@@ `´ `i < 2ちゃんは一日12時間までよ!
@@(6 ,(oo)、 } \_________
/ /-===-、 i
/ \ 、ヽ ヽ こ ノノ
/ ` ー-- ' \
母ちゃん
>>505 だから、古の禅者は
「(赤肉団上)一無位の真人」「(父母未生以前)本来の面目」とか
「柏樹子」「乾屎蕨」とか
「麻三斤」「喫茶去」とか言ったり、
「馬祖が百丈の鼻先を捻りあげ」たりとかしている。
これらも当然、両刃の剣であるが・・・w
508 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/08/27(水) 11:22:00 0
>>491 >>492 私が中居くんに生まれていた可能性や
キムタクに生まれていた可能性が、ある というのですか?
私が中居君の体で生まれて来ても、私は私ですね?
私は、肉体の物理的要素に関係なく、私であった という事ですかね?
霊魂があるというような説ですか??(笑
>>495 >私というのは、脳と脳の外との関係から出来てるんだ。
ん?
フランスで育てば、私は私なの? 私じゃないの? どっち?
>>496 >で、この体(物質的な要素)がおいらで、
だから、どんな要素がおいらなのかと聞いているのです
その物質的な要素を充たせば、おいらが発生するんでしょ?
509 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/08/27(水) 11:23:03 0
>>497 >自我意識で自分を自覚するのなら、私の自我意識って変じゃねって話じゃね。
「自分の自我意識で自分を自覚する」
何が変なのかね??
そもそも自我意識というのは、自分を意識する という事でしょう
キミたちが何を考えてるのか、サッパリわかりません ホントに
キミたちどうしでは、お互いに会話が成り立ってるようですが
なんだか病院の待合室で、患者さんどうしの不思議な会話を聞いているようです
>>501←これも同様です
何が斬新なのか、サッパリわかりません
それ以前に、私からすれば、国語的に理解不能ですから
>自我意識が自分自身(私)
>と自我意識が先ですが?
↑
何回読んでも意味がわかりません
それ以前の会話の流れも、丸っきり正常とは思えません
よろしければ、通訳してもらえますか?
510 :
勘違い君:2008/08/27(水) 11:40:26 0
>>509 哲学者最高位さん、勘違いされないでください。
そもそも私はあなたが理解できるとは思っていないのです。
正しくいうなら、あなたには理解できません。
もし、理解したいならば、教えを私に乞うてください。
511 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/08/27(水) 11:45:14 0
>>510 「よろしければ、通訳してもらえますか? 」とお願いしましたが
この頼み方では、ダメだとおっしゃるわけですか?
512 :
裸の王様君:2008/08/27(水) 11:48:44 0
>>511 まだ解らないのですね。
あなたには理解できないです。
513 :
考える名無しさん:2008/08/27(水) 11:55:36 0
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/ ` ー-- ' \
母ちゃん
514 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/08/27(水) 12:00:21 0
>>507 しかし、言葉は意味内容が豊かであればそれでいいのかという疑問がわいてくる。
その辺は禅者はさんざん検討しているだろうと思う。
515 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/08/27(水) 12:03:38 0
>>512 ↑
「わかりませんので教えて下さい」と言ってるのに
>まだ解らないのですね。
まだ って・・・・
だから・・・その通り、最初から「わからない」 と言ってるんですよ
>あなたには理解できないです。
だから最初から「理解できない」と言ってるでしょう
あなたが言わなくても、最初から自分で、理解できない と言ってるんですよ
またまた会話になっていない変な返答が返ってきましたね
会話の流れそのものが、理解不能です
516 :
天才君:2008/08/27(水) 12:11:32 0
>>515 つまりあなたには、理解不能であることを教えているのです。
それでも、理解しようとする人もいますが、あなたは、
そういう努力もしません。よって完璧に理解不能なのです。
517 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/08/27(水) 12:16:31 0
>>516 だったら
>まだ解らないのですね。
というのは、おかしいだろ
何を意図して言ったの?
518 :
考える名無しさん:2008/08/27(水) 12:16:46 0
ヒール役の哲学者最高位が再び・・・
カリスマあるよなあw
520 :
天才君:2008/08/27(水) 12:21:07 0
>>517 その前に、何を意図して私に尋ねているのか?
ご自身に問うべきでは?
521 :
天才君:2008/08/27(水) 12:29:59 0
哲学者最高位さんを裸にして差し上げます。
人間の本性というものを露わにする事で、「私」は否応なく、
立ち現れるでしょう。
私、天才君、および、みなさんは完全に「私」であり、
「私」をわすれる事はありません。
モルモットとして哲学者最高位さんを使っても、なんの問題も
ないでしょう。本人自身、「キミは、いるだろ?いないの?」と
他人に、連発する人ですから…。
522 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/08/27(水) 12:30:07 0
>>520 またまた会話になっていない返答が・・・
キミってもしかして、唯識くん本人じゃない??
日常会話すらマトモにできないところがソックリだ
今日はこの辺で
523 :
天才君:2008/08/27(水) 12:39:07 0
>>522 あなたは会話をしているのですか?
自分の感想をただ述べているだけでしょ。
「身体がなければ我は存在しない」と、どなたかが仰っていましたが、
転倒した見方ではないでしょうか。
ここから「ゆえに唯物論正しい」と結論づけるのも同じです。
唯物論という視点に立ったとき、そうみえるということでしょう?
また胃や肺は「物質」であり、機能、働きはそれらに付随するとの言い方もありました。
>>404 さんの「根源性」という言葉をお借りするなら、物質と機能とでは、
どちらが人間という存在にとって根源的なのでしょうか。
後者のように私には思えるのですが。
525 :
239:2008/08/27(水) 14:26:27 0
>>508 >私が中居君の体で生まれて来ても、私は私ですね?
そうだよw
>私は、肉体の物理的要素に関係なく、私であった という事ですかね?
無関係ではないだろうなw
(肉体(≒(現存する)肉体の役割を果たすもの)無しに存在・存続しうるなら別だが・・・)
が、≪私は、自覚されている時点で(≒自覚されているが故に)、私である≫とは言えるかもしれんw
或いは、感嘆子風に
≪自覚されるという、その意識(≒想い・思考等)が私であり、且つ、それは【私として】しかありえない≫と。
≪「私」とは、そのようなものとして見出され、定義されているものなのだから≫と。
以下参考資料。
526 :
1/3:2008/08/27(水) 14:27:35 0
【私】を記述してください。【私の存在性】 3
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1181580411/ 196 考える名無しさん 2007/06/23(土) 09:44:54 0 (素人)
>> 195
863 考える名無しさん 2007/06/19(火) 10:37:34 0
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1180813863/ 59 考える名無しさん sage New! 2007/06/18(月) 17:41:07 0
自分として実感・認識・自覚されるなら、それは「自分としてしか」ありえない。
他人であった場合などありえない。それは、(そこに於ける自己認識は)常に「自分」でしかない。
「なぜ自分は自分として・・・」など、問い自体がナンセンス。
それが、「これこれこういう肉体的特徴、環境・境遇に生まれたのはなぜか?」ならば、
問う意味も生じよう。
しかし、意識としての「自分」であるなら、自分以外を実感し、自覚することはない。
思惟自体は、常に「自分でしかない」。
思惟が他人であることはない。自己フィードバック的に実感・自覚・思惟された時点で、それは「自分」となる。
204 196 2007/06/23(土) 11:49:02 0
>> 195
◆決定論:脳は物質だから意識は必然に過ぎない92◆
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1177677748/ 933 考える名無しさん sage 2007/05/11(金) 17:34:21 0 (名無し)
他人である事を経験した事のない私が他人の知にとやかく言うのは何故でしょうね
939 903 sage 2007/05/11(金) 18:10:51 0 (素人)
他人であることを経験するのはありえないでしょ。
「他人であることを経験している時」、それは(その時は)もはや「『他人』ではない」。
経験は、「私」のみにされる(知覚される)ものだろ?違う?
経験できてしまった時点で、すでに「その経験は『他人であること』ではなくなってしまう」。
527 :
2/3:2008/08/27(水) 14:30:04 0
【私】を記述してください【私の存在性】17
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1214006280/ 448 考える名無しさん sage 2008/06/25(水) 10:43:49 0 (素人)
そろそろ、
≪なぜ、思考は「私の思考」(当人の思考)としてしか現われないのか≫
その理由を考察してもいい頃じゃないでしょうか。
そしてそれは、特に最高位氏に義務付けられてきます。
なんとなれば、そここそが、最高位氏の最大にして最初の、そして最終の砦となっているからです。
(「俺はここにいる。今まさにこのように思考している(≒実感されている)」感が、全ての根拠となっているのですから)
ここに於いて戯れに試みてみるならば、一つの解は
≪「思考」が、(唯物的に言えば「顕われている精神活動」が)、『私』である≫
と、セットにしてしまうことです。
≪「思考」が『私』であるならば、【「思考」が、『私』として現われている】ということは、
他の可能性の入る余地のない、それしかありえない、自明すぎるほど自明な、論理以前の必然となる≫
のではないでしょうか。
≪「『私』として現われている思考」が「私の思考」となることもまた、それ以外に可能性を含まない自明なこと≫
にならないでしょうか。
そして、ここから先の「なぜ?」は、(なぜ、「思考」を『私』と見做せるのか?は)、
それを問うならば、神学的問いに等しい迷宮に入らざるを得ないのかもしれません。
宇宙の始原を問うことと同種のものになるのかもしれません。
(「ブラックボックスとして捨象する」という卑怯な態度かもしれませんが・・・w)
或いは、≪「思考」を『私』と見做せるのは、そのように実感されるから≫ という逃げを打つ手もありますwww
455 考える名無しさん 2008/06/25(水) 11:08:04 0 (ネコ)
>> 448
『私』と“思考”を切断するのが最高位です。
あくまでも『私』の“思考”であり、『私』の“心”なのです。
それらを=で結ぶことに終始、彼は反対してきました。
528 :
3/3:2008/08/27(水) 14:30:57 0
【私】を記述してください【私の存在性】17
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1214006280/ 461 考える名無しさん sage 2008/06/25(水) 11:22:46 0 (感嘆子)
〜 前段略 〜
>> 448
>≪なぜ、思考は「私の思考」(当人の思考)としてしか現われないのか≫
それは逆であって、それが「私」の定義なのです。
ちなみに、純粋に思考だけがあるのなら、それは人間ではなく、「ここにある」
とも言えません。従って「これでない他の思考」が存在する余地もありません。
思考が五感による経験を通じ「思考の外の世界」を認めることによって、
初めて自分が「他ではない私の思考」なのだという発想も「私ではない、
私には直接現れない思考=他の私」という発想も、可能になると思われます。
508 考える名無しさん sage 2008/06/25(水) 16:32:57 0 (感嘆子)
〜 前段略 〜
「私」の本質、「私性」は、主観的意識であること・思考することですから、
それでなくなる、ということは「私性をなくして私でないものに変化した何か」
が存在したとしても、それを認識することができません。ですから
あたかも「私には私以外のものである可能性がない」かのような観を
呈するわけです。
〜 後段略 〜
>>524 >どちらが人間という存在にとって根源的なのでしょうか。
>後者のように私には思えるのですが。
「こころ」とか「いのち」とか
「真に“生きている”とはどういうことか」とか
「泣き、笑い、悲しみ、喜びとともにある生」「他と関わり合ってゆく生」とか
そういったものを重視し、それこそが「人としての在り様(の理想形)だ」というスタンスを採るならば、
貴方の感じる通りでしょう。
けれども大切なのは、(勘違いしている人も多いようですがw)、
「根源でない」ということは、
「ないがしろにしている」「軽んじている」
「不要なものと切り捨てている」「邪魔なもの・害あるものとしている」
「大切にしなくてもよい」「尊重しなくてもよい」
わけではないということです。
この構図は、(唯物論批判だけでなく)様々な場面で見られます。
ここにこだわってしまうと、(「何でも一番でなきゃイヤだ!」的な駄々をこねると)、
たいへん狭量な、狭窄的な、排他的な思想へと傾き易くなります。
2chはそうした事例の宝庫かもしれませんw
530 :
天才君:2008/08/27(水) 17:05:02 0
意識の発達段階という線引きを用いて議論をするめるならば、
哲学者最高位さんの属する発達段階の階層においては、
まったく正しい。言うことも間違いではない。
しかし、人それぞれ、発達段階の階層が違う。
違う者、つまり上位は下位に解りやすく説明する義務は
あるのかもしれない。
意識の発達段階の線引きがあると助かるね。
>>509 自我意識で自分を自覚するんだよ?
それに先んじて自分の自我意識って変でしょ。
532 :
239:2008/08/27(水) 17:18:15 0
>>531 だから、
>>503なんですよw
最高位氏御自身やネコ氏による見解・感想・添削等を聞いてみたいところですw
きっと、無視し続けるか、「ダメだよ」「まったく理解できていませんね」程度の反応だろうが・・・。
534 :
天才君:2008/08/27(水) 17:45:53 0
私はみなさんの様々な発言を拝見し、
独創的な発想や、分別ある他者批判、あるいは、全体的視点をお持ちで、
かつ論理的説明の上手な方などに感動するのです。
我々は常に、多数は階層に合わせた発言をすることで、
より多くの人に理解されやすいであろという事で、発言を試みる。
意識の発達段階の線引がない社会では、子供が小生意気に、
大人に食ってかかったり、大人が子供に上手く説明できなかったりする。
物事は、各自、自分の理解の及ばない事もある。
こういう点を認めつつ議論する必要がある。
身の程知らずも存在するのは確かだ。
535 :
考える名無しさん:2008/08/27(水) 17:51:29 0
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母ちゃん
536 :
満豚:2008/08/27(水) 18:21:42 O
ねぇねぇ、
最高位くんに「私」という
言葉の意味とは何か?
と尋ねたら何て答えるの?
できれば最高位くん
本人が答えてよ。
537 :
考える名無しさん:2008/08/27(水) 18:26:51 0
>>532 『私』(存在性)(純粋な存在)とあり、次に(自我意識)とある。ここが違うのでは?
自我意識ではなく“自我”ではなかろうか。
自我(私)と、(その対象が何であれ)意識とを切り離すのが最高位の『私』論のカナメ。
彼が「キミにもあるだろう?」と皮肉まじりに問いかけるとき『自我(私)』を指すことが
多いが、「自我=意識ではない」のを前提に“自我意識”のニュアンスで語りかけることも
あったのではなかろうか?
538 :
239:2008/08/27(水) 18:39:19 0
539 :
考える名無しさん:2008/08/27(水) 18:56:01 0
>>538 最高位の「私」論を解説しているのではないのか。
だったら「?」つきであろうと、そこへ「自我意識」をもってくるのは
おかしかろう、と言っているのである。
将棋で言う「勝手読み」から泥仕合に発展するのである。w
泥仕合は、どちらかと言えば「嫌いではない」が。w
540 :
239:2008/08/27(水) 19:10:47 0
>>539 彼の様々な言説から、「自我意識」的な匂いがしてしまうからだよw
≪「自我意識」でなく「自我」ではなかろうか≫というのも、
君の「勝手読み」でない保証はできるかい?
(勿論、「自我意識」でもない、もっと根源的な、
「一切の起点となる“何ものか”(“この実感を支える基盤”)」
を表現しようとしているのだろうことは感じられるのだが・・・。)
ま、その部分を「(自我)」と書き換えてもいい。
再度改訂しようか?
あの図のポイントは「個々の用語」ではなく、「全体の構図」なのだから・・・。
541 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/08/27(水) 20:41:18 0
言葉と私の問題に関して。話し言葉と書き言葉は違う。前者は相手のスピードについていかねば
ならず、後者はじっくりと読むことも可能だ。発言するときも同様で、前者はある程度のプレッシャー
がかかり、後者は推敲、つまり考え直しも可能だ。それだけでなく、面と向かったときは、ある程度の
嘘はばれてしまうし、対面の相手にのみ意識が集中される。
こういった違いが、私の有り様をどのように規定するか考えると、前者では相手と自分の境界が
曖昧になると言うことが挙げられるのではないか。心を開かなければ、そういうことはあり得ないが、
それは一つの体験であり、話した内容以上の物をうけとることになる。つまり新しい相手を知る、という
ことである。後者の場合、メールや掲示板、手紙など、一方的にメッセージを送る、ということも
可能であり、現代になって急速に発達してきている。無名でのやりとりもあり、流れなどが重視
される。こういうところの「私」は、心を開いているかどうかが判断が難しいので、体験の濃さが
ちがう。しかし、メッセージは凝縮されており、学問などには向いていると思う。
長文すみません。
542 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/08/27(水) 20:54:44 0
哲学者最高位氏に批判的なことを書かせてもらえば、氏の「私」は、書き言葉的コミュニティ(2ch)
でのみ有効な意味を持つ物であり、あまりにも現実を無視しすぎている。現実に面と向かって
話し合えば、気のあった場合には私と他の区別は曖昧になってしまう。そのちがいは、どこまでを
自分と見るか、と言う点にあって、氏の考える私は定義にこだわるあまり、他者への共感的
視点を欠いているのではないだろうか。
穴があるのは自覚してますが、この批判によって、哲学者最高位氏に何かが伝われば(あるいは
状況を変化させられれば)いいと思っています。
543 :
考える名無しさん:2008/08/27(水) 21:00:20 0
他者があるか(いるか)どうかって事が、問題なのでしょうか?
私から認識すれば、他者はX(エックス)で、
いるかどうか、と言うより、
分からない(いるか分からないでは無く)何者か分からない。
だから他者と呼ばれるわけで。。。。(え、病院ですか?)
私も私自身を十全に分かっているのか?
と言われると俺も他者?みたいな言い回しになるのかな?
544 :
考える名無しさん:2008/08/27(水) 21:04:03 0
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@@@ `´ `i < 無職がたくさん起きてきたわね
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母ちゃん
こんな母ちゃんなら外出て働いたがマシw
>>436 きちんと筋の通った論を発して、ついてこれない者は放置のスタンスでいいと思いますぜ。
まあ、そもそもそんな論をもっているとは思いませんがのう。
もっていたら初っぱなから設問などする必要がない。
つまりそうしている時点でまとめられないことを証明してしまっているんですな。
というか、唯物論の是非に大げさな根拠が必要とも思えませんがね。
あれは単なる立場ですし、否定したいならただそう言えばいいんですな。
>>546 > というか、唯物論の是非に大げさな根拠が必要とも思えませんがね。
> あれは単なる立場ですし、否定したいならただそう言えばいいんですな。
最高位がやってるのは唯物論を受け入れることの拒否ではなくて、
唯物論が成立することを否定する議論ね(少なくとも彼はそのつもり)。
そこんとこ勘違いしないでね、よろしく。
548 :
考える名無しさん:2008/08/27(水) 22:09:42 0
>>436 我の原因性を物理現象に還元し、唯物論と正当性?
お願いします
>>500 >「客観性を何も認めない不誠実な人から見れば、いかなる客観性もない」
これは逆に「客観性がある(実在する)と考える人から見れば、客観の実在を認めない人は不誠実だ。」と言っているようにも感じます。
客観性の意味するところを明確にする必要があるでしょう。
私は、プレーヤー同士が理解の一致を承認し合うことが、客観性の最小限だと思います。
ゲームと無関係に成立する客観的実在性は、とりあえず除外します。
その意味で客観性をとらえるならば、門外漢に「いかなる客観性もない(実在しない)」と主張されたところで、
批判的討論のゲームの枠組みが揺らぐことはないし、「客観性の実在を認めない人は不誠実だ」とまで過剰反応する必要はありません。
将棋のルールには上記の意味で客観性があると言えますが、
それは、プレーヤー同士がルールの理解の一致を承認し合っている、という意味であって
ゲームと無関係な客観的ルールが実在しているという意味ではありません。
だから、もし懐疑論者が現われて突飛なルールを主張しても、
‘誠実な’プレイヤー達が退けることによって、
上記の意味での客観性が否定されることは(恐らく)ないでしょう。
さて、私は、上記の意味での客観性を満たすもののみが真理ではないと思います。
真理は様々であり、その探究(あえて‘ゲーム’は外します)は一本道ではありません。
しかし、どんな探究であれ、真理を希求する主体の性質「誠実性」があるのだろうと私は思います。
客観的真理探究ゲームの誠実なプレイヤーは客観的真理を真面目に探究するでしょうし、
主観的真理探究ゲームの誠実なプレイヤーは主観的真理を真面目に探究するでしょう。
>>502 >彼が発見した論理が受容されなかったとしても、理解されなかったとしても
>「理解しよう」とする時、その論理は客観的な創造物としての扱いを受けるでしょう
客観性の意味を上記の如くに定めるならば、一プレイヤーが何を承認しても、そのことで客観性が満たされることにはならないでしょう。
550 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/08/27(水) 23:07:05 0
また、反省的行為によって氏の「私」は明らかになる。つまり、日常的に暮らしていて自明に
分かる概念ではないのであり、それ以外の概念との優劣性はカンタンには決まらないであろう。
また、概念を規定しないでおいて、自由に概念を使用するといった可能性も排除は出来ないであろう。
この辺りは、自明であるが、氏の「私」の有用性は、特に、唯物論の否定などに限定して使われる
べき物であるような気がする。繰り返すが、「私」という概念の様々なゲシュタルトを否定することは
氏にも出来ないことであると思う。
そもそも将棋のルールは一個ではないということからも、
将棋を指すにあたって当事者の承認が必要であることは
明らかであるように思われる。
552 :
考える名無しさん:2008/08/27(水) 23:15:14 0
>>549 客観性と無謬性を比較すればいいだろう。
前者は相互の同意や伝統に基礎がある。
後者はカリスマ信仰に基礎がある。
そして何れも正当性を証明はできない。
553 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/08/27(水) 23:18:36 0
>>549 ルール(規範)というのは、観念でしょうか。客観性があればそれは概念と呼ばれます。
例えば言葉というのは概念です。ルールの著しい特徴として、その抽象性が挙げられます。
ルールを実用的観点から見ず、博物的に、意味を取り出そうとすれば、それに関わってくる
物も同時に取り出さざるを得ません。ルールという物は人間が発明した物で、ルールとして
以外の使い道はないか、興味深いところだと思います。
554 :
考える名無しさん:2008/08/27(水) 23:18:45 0
僕は、君をあきらめようとした。でも出来なかった。。。
どちらが、私?
あきらめようとした私?できなかった私?
555 :
考える名無しさん:2008/08/27(水) 23:24:46 0
相撲が国技であるとは俗説であって
国家がそれを保証したものは何もないが
一定の客観性はあって、かなり多くの人がそう
思いこんでいるところに根拠がある。
これは迷信と大差ないのだが。
客観性は真理性や絶対性とは違うのだ。
556 :
239:2008/08/27(水) 23:30:32 0
>>549 言わんとすることは解ります。
ただ、上記等の例(将棋等ゲーム)では、
―いみじくも貴方自身が >あえて‘ゲーム’は外します と言うように―、当て嵌まっても、
「我々が巻き込まれている事象(世界、我々の生きる現実全体、五感が知覚するもの等、うまい言い方を思いつきませんが・・・w)」
に於いてはどうだろうか?ということです。
ルール(この場合“共同主観”“共同幻想”と言ってよいのかどうかわかりませんが)を無視する、
或いは知らない者がいたとして、その者は、その“巻き込まれている事象”を渡り切ってゆけるのか?ということです。
また電車の例を出しますが、鉄の塊が疾走してくる踏切を、
「鉄?柔らかいじゃんw スピード?出てないじゃんw 俺の身体の方が丈夫さw」というルールに基づき飛び込んで行って、
「ほらねw 言った通りだろw 俺には俺のルールがある!」と言い得るのかどうか?ということです。
>>547 唯物論の成立の否定なんかそれこそ無意味ですぜ。
成立する前ならともかくもう成立してますしのう。
最高位氏が「私は存在している」といっても、
それは互いに理解の一致を承認しあえるようなものではないから、
当然に客観性はない。客観性はないが、しかし、探究すべき真理ではある。
559 :
考える名無しさん:2008/08/27(水) 23:49:20 0
最高位が存在しているのは「自己定立」してるからだろ。
ゲームのルールに客観根拠はないかもしらんが、
脳みそをミンチにしたら死んじゃうよ。
いくらゲームのルールに根拠ないと言っても厳然とした客観はあるだろ。
561 :
考える名無しさん:2008/08/28(木) 00:19:52 0
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@@@@,、 _, ' '、_ } / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
@@@ `´ `i < あんたの就職信じてるよ
@@(6 ,(oo)、 } \_________
/ /-===-、 i
/ \ 、ヽ ヽ こ ノノ
/ ` ー-- ' \
母ちゃん
562 :
考える名無しさん:2008/08/28(木) 00:27:53 0
母ちゃんあの世からご苦労さん 南無阿弥陀仏
最高位の人生リハビリも天才くんというお医者さんが来たせいか
そろそろクライマックスに来てる感があるな
564 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/08/28(木) 01:03:26 0
やはり逃げの一手でしたか。
私、自我意識、脳の働き
すべてこのスレで最高位さん自身が言われたこと。
それについての質問の反論?は何も無く。
時間稼ぎだけに終始。
ご自分の(最高位さん自身)の「私」を他に説明を求めても
それは誰にも分からないわけですし。
分かるとしたらそれこそ何かしらの通力が必要でしょう。
「今」が関所なら「私」は手形
最高位の「私」は権利的な印象を受けます
549
なるほど、あなたの指摘は分かりました
わたしは、その大半を承認することができます
ただ、わたしは「不誠実」「非合理」という言葉でそれだけで「ただちに斥けられるべきである」という意味をもたせてはいないということは了承ください
さて、あなたは異なるルールであろうと、何らかのルールに一貫的に従うことを「誠実さ」と表現しているように思いますが
「客観」理念なくしてその「誠実さ」が成立するのか、という疑念が生じます
あるルールに従う人にとってそのルールが客観的と見なされるならば
「ルールは行為と関係なくそれ自体で客観的であるかどうか」(これがわたしたちの間でのメインの議題だと思います)
という問いは
「いかなるルールにも従わない」という立場がありえるのか
と変換できそうです
論理に関してですが、論理もまたルールの一種です
われわれは承認するか否かに関わらず、ルールを検討し研究できる伝統をもってます
われわれの伝統では、ルールを承認や行為と関係なく客観的なものと見なすことができる
そうでない伝統についてはあるかどうかは分かりませんが、わたしには想像もつきません
今日は在庫確保のために奔走して疲れた
明日はもっと大変だ
少し憂鬱
568 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/08/28(木) 03:41:42 0
>>564 >すべてこのスレで最高位さん自身が言われたこと。
どれの事を言ってんの?
569 :
暴露の天才君:2008/08/28(木) 07:13:56 0
>>568 あなたは、他者に向かって、「キミは、いるだろ?いないの?」
と尋ねるであろうくらい、他者の存在を認めない人だ。
まずもって、キミは、誰にむかって話しているのか?
570 :
暴露の天才君:2008/08/28(木) 07:36:27 0
私天才君は、誰にでも「私」というものがあり、
その「私」の認識度合いは、それぞれの「私」にとって違いがある。
違いがあるが、「私」である事には変わりない。
そして他者自身の「私観」は私自身は知りようがない。
だから知るために議論なり対話なりをするのだろう。
その「私」に優劣も正誤も高低も無い。そもそも比較対照でもない。
「私」をどう我々が言語をもちいて、賢明に他者に伝えるか?
という点で、苦労を分かち合っているのだろう。
社会的な「私」に話が及んだり、極めて純粋な「私」に話が及んだり、
生死を超える「私」に話が及んだり、未知の「私」を仮想したりする。
全て「私」についての考えである。またそれを考えているのも
「私」であるのは当然ではないか。その当然の合意事項の存在そのものを
懐疑対象にするのは、はなから他者の存在を認めていないという事に
他ならないのである。
哲学者最高位には、つにね尋ねよう。誰に向かって話しているのか?を。
そして他は存在しているのか?さらに、仮想であっても他を認めるのか?
これなくして哲学者最高位との会話は成立しない。
571 :
考える名無しさん:2008/08/28(木) 09:24:53 0
>>569>>570 それは誤解。唯識氏にも同じたぐいの誤解がある。
最高位がそのように尋ねるのは『私』「私の意識」を否定する相手に対して。
「私には『自我』も“自我意識”もあるけれども、君にはそれがないのか?」
と、彼らに語りかけているのである。
『私(の存在)』だけを肯定しているのではなく、他者のそれは確言できない、
ということだろう。とはいえ、その存在を推測(仮想)しているにはちがいない。
だから「キミにもあるだろう」と問いかけ、また、こういう場で自説を開陳しているのだろう。
間違っているかもしれぬが、当初、彼が疑義を投じたのは「私も私の意識も物質に還元できる」
とする機械的唯物論者に対してだった。
だれに話しかけているのかわかりにくいのは、むしろ天才君のほう。神に対してかな?
572 :
天才君:2008/08/28(木) 10:06:56 0
>>571 哲学者最高位についての考えは、あなたの思う所と私の思う所の違いはあるでしょう。
私の考えは先に述べた通りです。
私 天才君がが誰に話しているのか?という問いが私に向けられましたね。
それについては私はお答えします。
「私」が別の「私」に話している訳です。私から見れば、「他」になります。
「他」が「私」を実感しているならば、「他」は私に向かってなんらかの反応がある。
この思想を一貫して私は語っている。この思想が解りにくいのでしょう。
現に、あなたは、私に向かって、
>だれに話しかけているのかわかりにくいのは、むしろ天才君のほう。神に対してかな?
と疑問を投げかけてくれているでしょう。
私の思想は自他分断無しです。同時に自我および身体は分断されているという
この世界の一応の合意事項を使って話しているが、その発言自体は、自我の形態をとっている。
私の本質は自我を通じてなされるが、自我が私ではないという思想です。
573 :
天才君:2008/08/28(木) 10:20:02 0
もう一つ、思想を扱う事に関しての注意事項を言っておきますが、
これは上に思想は私の思想です。他のだれでもない。私、天才君の思想です。
どこかの誰の思想でも、他人が考えている思想でもありません。
私 天才君自身が考えている事です。この点を十分承知しておかないと、
思想だけが一人歩きします。これは他者の思想を扱う時でも同様です。
他者の思想は他者のもの、自分の思想は自分のものです。
574 :
満豚:2008/08/28(木) 10:21:29 O
>>568 ねぇねぇ最高位くん
結局君は「私」という言葉を
どんな意味でつかってるの?
教えてよ。
天才君達も理解のしかたに
違いがでてるみたいだよ。
575 :
天才君:2008/08/28(木) 10:52:31 0
>>574 はい、天才君も天才君なりに、哲学者最高位の「私」観を問うた。
他、だれしもそれを行った。問題は、哲学者最高位自身がそれを
語らない。「私」は「存在性」などと言う。
それを追求してゆくと、最後は、自我意識なんちゃらという。
そして、自我意識を哲学者最高位自身はどう取り扱っているのか?
その追求に対して、唯識氏も、
>>484において、確認している。
それに対して、哲学者最高位は、沈黙する。
沈黙するならまだしも、大抵は、「キミは理解できない」とか、
他者を「●●くんて、精神の病院とか通ってる?」等と言う。
つまり、自分自身を知らない。
私に言わせれば、それは思想の一つに過ぎない。
それを確かめる為に、様々な形で哲学者最高位に問うてきた。
こんな所が、天才君の哲学者最高位に関する考察だ。
みんなはどう思うかは知らない。
576 :
天才君:2008/08/28(木) 11:05:15 0
哲学者最高位の言う、「現代哲学的な観点」って何か?
簡単な事ですよ。哲学者最高位的な観点です。
「現代哲学的な観点」って何と尋ねても、同じ事です。
試しに、「現代哲学的な観点」って何?
「私」という言葉を どんな意味でつかってるの?
というように追求し・追求し・追求してご覧ください。
最後には、自我を守る為に、攻撃してきますよ。
あらゆる手をつかって。
これは考察であって、善悪でも賛否も倫理的問題でもない。
単なる天才君の観察記録です。
577 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/08/28(木) 11:13:25 0
>>575 私というのは、自分の事です
普通、誰でも
自分の事を指す場合に、私と言いませんか?
私は言います
そして自分は、主観性であり、存在している
と言っているわけです
>問題は、哲学者最高位自身がそれを
>語らない。「私」は「存在性」などと言う。
>それを追求してゆくと、最後は、自我意識なんちゃらという。
ちょっと確認したいのですが
いつ私が、「私とは自我意識なんちゃら」と言いましたか?
578 :
天才君:2008/08/28(木) 11:19:38 0
>>577 >いつ私が、「私とは自我意識なんちゃら」と言いましたか?
私は、もはやあなたの手口を把握しています。
そういう事は、人にふらず、ご自身で、訂正すればいいのです。
でないと、誤解されたままですよ。
579 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/08/28(木) 11:21:57 0
>>578 言った覚えがないから聞いているのに
何を訂正すればいいのかな?
580 :
天才君:2008/08/28(木) 11:24:41 0
581 :
考える名無しさん:2008/08/28(木) 11:26:27 0
くだらねえなあ。
ロボットに対して「君の中に私は存在するの?」と聞いて
「ハイ ロボット ノ ワタシニモ ワタシ ハ ソンザイシマス」と答えたら
私が存在することになるのかよ。
誘導尋問とその答えだけじゃ、そんなのあるある詐欺であって、
何の論証にもなってないね。
582 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/08/28(木) 11:34:16 0
>>580 おいおい
自分の発言に責任を持てよ
キミが
>それを追求してゆくと、最後は、自我意識なんちゃらという。
と言ったんだろ
私は言った覚えがないから
「そんなこと、私がいつ言いましたか?」
と聞いているんだよ
言ってないのに「言った」と言うのはデマであり、名誉棄損に当たるぞ
自分の言った事にぐらい、ちゃんと責任を持てよ
勘違いしてたのなら、謝罪しろとまでは言わないから
せめて、「勘違いしてました」と認めるぐらいしたらどうかね
583 :
天才君:2008/08/28(木) 11:37:57 0
>>582 あなたは、ご自身の過去の発言に責任を取ってきたのですか?
584 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/08/28(木) 11:45:06 0
>>583 そのつもりだが?
今回も、キミの指摘が正しければ、もちろん訂正すべきか検討するつもりだよ
キミ達に誤解させた原因を私が作ったのならね
585 :
天才君:2008/08/28(木) 11:47:31 0
口だけ、口だけ
最高位の言葉なんて信用できないんだよ
詐欺師みたいなもの
それも、言葉に絶望して詐欺師になった後天的な奴じゃない
根っからの詐欺師だぜ
こいつからはゲスの匂いがプンプンするぜー
「ワタシ」の成立過程を考えてみる。
まず子供の頃に、肉体が飢えを感じる。
赤ん坊の頃は「マンママンマ」と声を出せば肉体の不快感が解消される。
その頃は目的語、オブジェクトだけで主語が無いのだ。(仏教的?)
1歳半くらいに成長して、兄姉だけご飯を与えられているのを見れば、
「ワタシもマンママンマ、ワタシも」と言うようになる。
「ワタシ」という記号は、脳が、肉体の不快を何とかしたいという、
肉体の不足へ注目させるために使う記号だ。
「ワタシ」という音声を発生すると、親や兄姉が注目してくれる。
それが脳に刻み込まれる。だから、危険や不満な状況になると、
「ワタシ」という音声を発すればいいのだなと脳が学習する。
乳幼児の脳は、親に注目されるのが快感だ。
赤ん坊は、親の目が向いているとニコリと笑う。
「ワタシ」という記号は、仲間の目と耳をこちらに向けるための信号だった。
そこから、「ワタシ」という信号にいろいろと意味を付加して、
近代的自我という近代思想としての意味をくっつけて膨らませていったのだと思う。
588 :
満豚:2008/08/28(木) 12:24:09 O
>>577 私というのは、自分の事です
普通、誰でも
自分の事を指す場合に、私と言いませんか?
私は言います
そして自分は、主観性であり、存在している
と言っているわけです
オッケー。最高位くん
、じゃあ君の言う「主観性」
って言葉の意味を具体例などを
つかって簡単に教えてよ。
これで君が「私」って言葉を
どんな意味でつかってるの
かが理解できそうだ。
589 :
満豚:2008/08/28(木) 12:49:46 O
>>581 誘導尋問とその答えだけじゃ、そんなのあるある詐欺であって、
何の論証にもなってないね
僕は君のこの意見に同意する。 じゃあ、尋問とその答え以外になりが欠けていると君は考えるの?
>>589 或る“A”という語(或いは言明)が用いられている時、
鈴木さんは、“a”(或いは“a´”)も含めて、「○○はAだろ?」と尋問する。
田中さんは、“A”は(厳密に見ると)“a”(或いは“a´”)を含めてはいけないという基準の持ち主であり、
○○もまた“a”(或いは“a´”)を含んでいないものであると考える。
その時、田中さんは鈴木さんの問いに「そうだ」とは答えないだろう。
また、
爆破事件があった時、刑事が容疑者に「お前がやったんだろ?」と尋問する。
が、容疑者は、爆弾製作のスキルもあり、実際に作ったが、事件を起こしてはいない。
幾つか作ったものを、(事件性のある理由を告げられなかったので)何人かに売っていた。
彼は、「やりました」とは言わないだろう。
買った誰かが起こしたのだから、きっかけには違いないだろうが(広く見れば「彼もまた爆破した一人」と言い得るか?)、
これこれこういう経緯があり、「作って売ったことは悪いだろうが、俺はやっていない」と力説するだろう。
もし、こうした経緯の立証が困難であった場合、功を焦り期限に追われる刑事は
「やったんだろ?やったんだな?そうだな?」と強引に詰め寄るかもしれない。
また、余談になるが、こうした質問は、
『既に或る答えが想定され』ていて、
『相手がそのように答えねばならない(或いは回答の種類・幅に最初から)制限が加えられている』。
選択形式のアンケートや世論調査には、こうしたからくりが組み込まれている。
勿論、選択形式のアンケートや世論調査は、最初からそうした形式を持つものではあるが、
それを巧妙に利用することで、出てくる結果を設問者が望む方向へ操作することが可能だ。
591 :
考える名無しさん:2008/08/28(木) 13:44:51 0
>>556 だれからもレスがなさそうなので私が…。w
疾走する鉄の塊にぶつかったら「死ぬ」というのは規則でも、ましてや客観的事実でもなかろう?
ここで私にわかるのは、そのたぐいのものにぶつかったら「死ぬ」と、君が信じているらしいことだ。
むろん私もそう思っているので、ふだんはぶつからないようにしている。w
電車を例に君が述べたことは一般的な感慨にすぎない。
では、これはどう? 伊藤氏という人物が銃で頭を撃ち抜かれて死んだ。
これは客観的な事実のように思える。
しかし、もし事実なる表現を用いるなら、これはその欠片wとでもいうべきだろう。
上記の一行をもって出来事の総体(事実)を表したとは到底、いえまい。
したがってマスコミはその“事実”に迫るべく数万語を費やすだろうが、結局、
各社(各記者)ごとの見解が示されるだけだろう。
そのうちのどれかに君が同感すれば、君たちは相互主観という擬似客観に達したことになる。
592 :
考える名無しさん:2008/08/28(木) 13:51:11 0
最高位が、キターーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!
593 :
239:2008/08/28(木) 13:57:54 0
>>591 前スレ読んでから、もう一度書き込んで来い。
594 :
考える名無しさん:2008/08/28(木) 14:02:53 0
ここ一連のレスを振り返ると、
>>549 のそれが一等もっともらしく思える。
が、これは私の主観的判断にすぎない。もし「私もそう思う」というかたが
他にいらっしゃれば、その人と私は同じ価値観を共有することになる。
しかし
>>549 のレスが「客観的にみて」優れているという“観点”は存在しないのではないか。
595 :
考える名無しさん:2008/08/28(木) 14:24:36 0
>>593 で、その爆弾事件の何が客観的事実なの?
事象、(いやこの場合は世界のほうがよさそうだ) その爆破事件という世界内・出来事を
総体として描くすべを私(たち)は持っていない、と言っているのである。
たとえば動機と背景は、その爆破行為と切り離すことができない。が、この三つを描く視点を
当事者(原告、被告)はもちろん、第三者と称される人たちも持ち得ないということである。
法律がそうだとは、まさか君も言わないだろう?
596 :
満豚:2008/08/28(木) 15:08:49 O
>>590 えっ!?
もしかして僕に言ってんのか!!!???
597 :
239:2008/08/28(木) 16:44:23 0
>>595 前スレ読んでから、もう一度書き込んで来い。
てか、
>>556と>>と
>>590は直接の関係はないぞ?
590は、あくまでも
>>589へのレスだ。556の話に爆弾事件を持ち込むなw
(名前欄のレス番抜いてあるだろ?)
百歩譲って一言添えるなら、
590と客観的事実に絡ませるなら、新たに述べ直すことになる。
また、556に関して半歩譲って一言二言添えるならば、
・556に於いて、『客観的事実(そのもの)があり』何人たりとも『それから逃れることはできない』、
という絶対的断定をするものではない。『事実と見做せる(見做さざるを得ない)』というニュアンスだ。
また、
・君のスタンスと私のスタンスを同じ俎上に載せようとするなら、
もしかしたら、『客観【的】事実』と『客観事実』として分けるべきかもしれない。
そして、上で記した『事実と見做せる(見做さざるを得ない)』というニュアンスの部分を
『客観【的】事実』の【的】の部分に担わせてもよいかもしれない。
≪真に客観ではないが(客観足り得ないが)、客観としてのものと見做し得る≫という意味で・・・。
いずれにしろ、再度通告する。
前スレ読んでから、もう一度書き込んで来い。
>>596 >>589の >尋問とその答え以外に何が欠けていると・・・
の部分に茶々を入れただけ。
こういう部分が欠けているんじゃないのかな?と、横入りしただけ。
邪魔してすまなかった。忘れてくれてもいいよw
599 :
素人:2008/08/28(木) 17:09:47 0
苛立ちついでに書き込んでおくかw
>>309 >昔、素人くんが、私にチャーマーズを読め読めうるさかったけど
>チャーマーズが唯物論を批判していて、私の主張を裏付ける発言をしている事がわかったとたんに
>一切、勧めてこなくなったんだよな・・・
┐(´ー`)┌
妄想もたいがいにしとけwwwww
君の妄想である証として、私が君に薦めた時のレスを全てコピペしてやってもいいぞw
こっちが名誉毀損で訴えたいくらいだw
600 :
考える名無しさん:2008/08/28(木) 18:03:19 0
素人君は偉そうに言うんじゃない。
2chでは述べたことに対して、どこから矢が飛んできてもしかたがないのだ。
君がルールめいたこと言うなよ。私以外には、だれも相手にしてくれないのだから。w
「疾走する電車にぶつかれば死ぬ」は単なる感慨。とはいえ私も信じている。w
が、鈴木さんが電車にはねられて死んだ、というのは一つの出来事。これを客観的に、
換言すると、この出来事の事実を総体的に述べる視点は持ちえない、と私は言っているのである。
おかしななところがあれば指摘しなさい。くどいようだが「彼女が浮気した」wでもいいよ。
ちなみに「法」に基づく言述はRa君と同様、事実との対応説を標榜している。当然だろう。
が、これは建て前だ。“事実”は藪の中にあることを彼らは知り尽くしている。
「的」は“のような”の他に“としての”の意味もある。どうだってよかろう。
それよりも君にとって「客観」とはどういう意味? 的云々よりも、そちらを語ってくれ。
601 :
素人:2008/08/28(木) 18:17:01 0
>>600 前スレ読んでから、もう一度書き込んで来い。
ごちゃごちゃ書いてるが、しかし、認識主観とは独立した何らかの実在は認めてるわけだな。
603 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/08/28(木) 21:34:34 0
最高位氏批判を続けると、氏は私の中の他人、他人の中の私(それは他人という者が存在する
と考える人にとっては、必ず存在する)を、認めていないように思われる。私の視界の中には
必ず他人が入り込み、他人の瞳の内には必ず私が映し出されている。自他の区別のつくものなら、
このことに少なからず影響を受けるはずである。他者性の存在。
>>566 私が今まで述べてきたところの「誠実さ」とは、主体が真理を切実に希求する性質、その切実性です。
ですから、
>「客観」理念なくしてその「誠実さ」が成立するのか、という疑念が生じます
この場合の「客観」理念が‘真理の直観’のことを指すのならば、
それは「誠実性」と深く関わるだろうと思います。
ですから、ここでは「客観」の意味が問題になります。
私は、「客観」の実質的内容を「相互に理解の一致を承認しあうこと」だと述べました。
真理を直観することは、承認し合うこなどとは水準が異なります。
よって、この意味での「客観理念」であるなら、「誠実性」にとって必須ではないと思います。
>「ルールは行為と関係なくそれ自体で客観的であるかどうか」
ここでも「客観」の意味が問題になります。
「それ自体で客観的であること」=「実在すること」と解釈するならば、
「ルールは、現実のゲームのプレイと関係なく実在するかどうか」
と言い換えることができるでしょう。
実在すると考えるか否かは趣味の問題だと思います。
実質的に言えることは、
「各プレイヤーがルールの理解の一致を承認し合ってゲームを進行している」
ということでしょう。
上記の意味での「ルールの客観性」と「ルールの実在性」とは区別されるべきだと思います。
>>556 >>597 この指摘も、やはり「客観」の意味が問題になると思います。
「客観」の実質的内容を「相互に理解の一致を承認しあうこと」だと述べましたが、
この意味での「客観」を超越した観点、
すなわち、「誰かの理解や承認と無関係に法則が実在する」という観点を承認するか否かは、
伝統・文化・趣味の問題だと思います。
<「電車」の話を「客観」から切り離したバージョン>
「メンチ切ってくる自縛霊と目を合わせたら憑依されてとんでもない目にあう」
という知識を得ている霊能者・江原さん。
彼は最近ゴールデンタイムにレギュラーを持って慢心しています。
「自縛霊?怖くないじゃんw メンチ切り?透けてるじゃんw 俺のオーラは無敵さw」
という無謀なマイ・ルールを最近打ち立てました。
さてある日、新宿の雑踏で、パンチパーマの自縛霊がメンチ切ってきました。
霊能者・江原は、早速メンチを返しました。
ところが、さあ大変、パンチ自縛霊は地獄から組の仲間をつれて来て・・・
霊能者・江原は、“巻き込まれている事象”を渡り切ってゆけるのか?
606 :
素人:2008/08/29(金) 00:32:13 0
>>605 (最近変化球を多用する)ネコかもしれないが(w)、
関連性( >この指摘も、やはり「客観」の意味が問題になると・・・ )から、
もしもの為に一応作文しておいたものを投下しておきますw
(ネコならば、そのいじらしさにほだされて(?)ということでw)
違っていたら失礼しました。先に謝罪しておきます。
>>600 > 「的」は“のような”の他に“としての”の意味もある。どうだってよかろう。
どうでもよくはないw
君が、私の文末や言い回しにこだわり、『客観的事実が(必ず)ある』というような口ぶりが許せないと言うなら、
何とかしなければならない。(いいかげん、弁明するのにも疲れてきたが・・・w)
≪君の主張を受け入れつつ、且つ、私のスタンスも活かしていく方法≫として、
a ・〔主観に関係なく確実に存在する事実〕
b ・〔主観によって想定(仮設)される事実〕
(→主観に映じるその先は、事実などではなく想定(≒妄想)されるだけ。
( → b1:事実かどうかわからない / b2:事実ではない )
b´・〔主観によって想定され、それが、かなりの尤もらしさで確実であると見做し得る事実〕
(→主観に映じるその先は、
自身への様々な入力と、そのようにして触れ得る様々な事例(他者の言明含む)とによって、
その確実性が高められている事実。)
( → b1:事実かどうかわからない )
というように、a、b、b´、と分けたらどうだろうか?という提案だよ。
勿論、“a”を『客観事実』、“b”を『客観的事実』とね。
ちなみに私は“b´”のスタンスだし
(通常・日常はそれを(算数的に言えばw)切り上げて“a”、哲学的考察や厳密性が求められる場面では“b´”としているがw)、
君は“b”或いは“b1”なのだろう。
勿論、君が一々咬みついてこなければ、こんな区別は不要であるが・・・w
>>600 > それよりも君にとって「客観」とはどういう意味?
私は哲学畑の人間でないので、哲学的に適切に述べられるかどうか判らないし、
自身の中に於いても確定しきっていないので、満足して頂けるかどうかも判らないが、
たっての要望とあれば、少し試みてみよう。
[1] 1:二人(二つ?)以上の意識がそれぞれ知覚認識した事象の一致。
或いは、非常に高い精度での近似。
2:二人(二つ?)以上の意識がそれぞれ知覚認識した事象が一致している場合、またそのような状況。
或いは、非常に高い精度でもって近似している場合、またそのような状況。
[2] ([1]より転じて)
1:一人(一つ?)の意識の外部に(当人によって)仮設される事象。
例)「客観世界」
2:一人(一つ?)の意識の外部に(当人によって)仮設され、主観の出張先(単身赴任先)?(w)として用いられる立場・足場。
例)「客観的視点」「もっと客観的に見なきゃ駄目だよ」
という感じではどうだ?
[2]は、なるべく一般的用法に近づけたつもりだが、上手くいっているかは判らないw
609 :
素人:2008/08/29(金) 00:35:05 0
>>600 > おかしななところがあれば指摘しなさい。
おかしくはない。君のスタンスに対しては何度も理解を示しているだろう?(時には代弁したりしてwww)
相手には細かくツッコむくせに、自分のスタンスの輪郭(或いは表装)については曖昧にぼかし続けるから、
ついつい声を荒げてしまうだけさw
> 「疾走する電車にぶつかれば死ぬ」は単なる感慨。とはいえ私も信じている。w
そう、この ≪(とはいえ)私も「信じている」≫ 、これが重要なんだよ。(だから何度も、「前スレ読め」と言った。)
なぜ信じているのか?
共同主観?
みんながそう思っていて、それに合わせて信じている?
みんながそう思っているから、(その圧力に押されて)信じている?
これら“共同主観”も“みんな”も、他者の存在・他者の言明の真偽自体が(主観外の)不可知であるが故に、
「信じる根拠としてはどうよ?」ということになる。
それとも、もっと他に理由があるかい?
(或いは・・・・・ゴニョゴニョゴニョ・・・)
> 出来事の事実を総体的に述べる視点は持ちえない、と私は言っているのである。
重々承知の介w
> 「彼女が浮気した」wでもいいよ。
私は“浮気”談義には関係ないよ?w
610 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/08/29(金) 01:10:38 0
>>588 >じゃあ君の言う「主観性」
>って言葉の意味を具体例などを
>つかって簡単に教えてよ。
主観性の具体例 というのが
何を求めているのか、よくわからんな
主観性の具体例 といえば
もちろん、私という事になるね
主観性の意味はと言えば、おおかた「主観的な性質」でいいんじゃないかな
>>599 >妄想もたいがいにしとけwwwww
>
>君の妄想である証として、私が君に薦めた時のレスを全てコピペしてやってもいいぞw
>こっちが名誉毀損で訴えたいくらいだw
そうなの??
私は、ずっとそう認識していたのだが
よければ私が、チャーマーズの唯物論批判を抜粋した前後ぐらいを
コピペしてもらえますか?
もちろん工作なしで、お願いします
あれってSINくんのサイトに残ってたっけかな?
もし、そっちにもあるならURLも貼り付けてくれると有り難い^^
611 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/08/29(金) 01:11:39 0
>>603 >最高位氏批判を続けると、氏は私の中の他人、他人の中の私を、認めていないように思われる。
どの部分で、そう思ったのかな?
もちろん日常レベルでは、当り前のように認めて生活しているが
論理哲学的に手順を踏んで考えると
厳密には、それは確認できない という事になる
だから「当たり前にように信じて認めてはいるけれども、『ある』とは言い切れない」という立場
とでも言いましょうかね
612 :
考える名無しさん:2008/08/29(金) 01:20:40 0
最高位は哲学の素養が全くないから、主観に関する持論を哲学的に説明する事が全く出来ないな。
無知も甚だしい。
613 :
天才君:2008/08/29(金) 01:21:40 0
論理哲学的に手順を踏んで考えると「私」はあるのでしょうか?
論理学的に手順を踏む以前から、「私」はあると天才君は思うが…。
614 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/08/29(金) 01:29:35 0
>>612 じゃぁ、とりあえずキミがやってみてよ(笑
>>613 私の主観性を、他人が認識できるのか?
また逆に
他人の主観性を、私が認識できるのか?という話だよ?
これは「わからん」というのが理屈じゃないかな?
ところで
昨日の話は、結局どうなったのかね?
615 :
天才君:2008/08/29(金) 01:31:39 0
在るとか無いとかは、シンプルに言えば、無いものは無いですから、
在るものしかありません。このように天才君は考えるわけです。
昨日の話は、「そうですか。」で終わったままですね。
最高位ってニワトリだな
天才君の過去レス読んでから出直してこい、アホw
617 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/08/29(金) 01:34:06 0
>>614最高位さん
いいかげん「私」を「最高位の私」にされてはどうですか?
分かりにくいと申し上げたはずですが。
ご自身で言われいるように
「わからない」以上、ここでいくら講釈をついても伝わらない。
その術を持ち合わせていないのですから。
618 :
475:2008/08/29(金) 01:35:15 0
>>613 そうですね。
「私」の存在も論理的に導かれるものではない。
「私が思っている」という文法からも導かれるものでもない。
619 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/08/29(金) 01:35:39 0
>>615 >昨日の話は、「そうですか。」で終わったままですね。
だから
その続きは、どうなりましたか? と聞いているんですよ(苦笑
大丈夫かよホント
620 :
天才君:2008/08/29(金) 01:37:54 0
>>619 なんか、「つもり」とか言っていましたね。
ところで、あなたは、誰が誰に向かってものを言っているのですか?
621 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/08/29(金) 01:41:42 0
>>619最高位さん
人の質問にまともに答えず逃げの一手の人が
他人にものを尋ねるのは百年早いです。
622 :
考える名無しさん:2008/08/29(金) 01:43:50 0
当たり前にように信じて認めてはいるけれども、『ある』とは言い切れない
意味不明やね
623 :
考える名無しさん:2008/08/29(金) 01:49:36 0
『ある』とは言い切れない他人に「キミは存在しないのか」と最高位は尋ね、爆笑しているわけで
それでいいのではないかと
624 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/08/29(金) 02:21:20 0
>>617 では例えば
「痛み」というものも、主観的な事柄であり
言葉で説明しても、痛みそのものは他人にはわかりません
しかし「痛み」というものを知っている人には「意味」は伝わります
それと同じに、主観性についても、主観性のある人には「意味」は伝わるはずです
もちろん主観性の無い人には伝わるわけありませんが、そういう人は対象外です
とりあえず私には主観性がありますから
たとえ私にしか主観性がなくとも、それは独我論が正しい という事になるだけで
唯物論が間違いである結論に変わりはありません
また、知能の低い人には伝わらないのは致し方ありませんが
キミにはないのですか?主観性
>>620 簡単な話なんだから
話をすり替えなくていいんだよ
>「私」は「存在性」などと言う。
>それを追求してゆくと、最後は、自我意識なんちゃらという。
これは勘違いだったのか、どうなのかダケです
625 :
考える名無しさん:2008/08/29(金) 02:27:09 0
「痛み」というものを知っている人には「意味」は伝わります
「痛み」というものを知っている人がいるということを
当たり前にように信じて認めてはいるけれども、『ある』とは言い切れない
と『ある』とは言い切れない 掲示板を通じて『ある』とは言い切れない 他者に訴えつつ爆笑
626 :
考える名無しさん:2008/08/29(金) 02:32:53 O
このスレのタイトルを見るたびに不思議に思っていたので、どなたか回答できる方の意見を聞かせていただきたいのですが…
認識した事象は、「私」と「私以外」のどちらかの集団に必ず入りますよね。
その2つの集団は独立している訳ではなく、参照循環のような関係です。「私以外」は「私」が存在するから成立し、「私」は「私以外」が存在するから成立しますよね。
「私」の記述を「私以外」に対して説明した時点で、説明した「私」の記述は「説明する以前の私と私以外の認識によって記述したもの」になります。
「私」と「私以外」が単独では成立しない以上、「私」がした私の記述は「私以外」に影響を与え、「私以外」が影響を受けるとそれは「私」に対して反射されます。そうしますと、また新たな「私」の記述が必要になるのでは?
その繰り返しが延々と続くだけなので、「私」の記述がたどり着ける答えがない気がするのですが…
長文ですみません。この推論が間違っていましたら、ご指摘いただけると幸いです。
627 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/08/29(金) 02:39:30 0
>>624最高位さん
>>621をよく読んでから人にもの言うように。
とりあえず
「痛み」は五感(唯識でいう身識)が無ければ
つまりは身体が無ければ有りえない「感覚」です。
主観云々はまた別の世界(唯識的に別の階層)です。
そういう身体に関する(もっといえば生理現象)を持ち出す例えは
最高位さんにはその資格は皆無ですので
止められるように。
ついでに、主観性ではなく、主観でよろしい。正しく遣いましょう。
>>626さん
五感、意識間のフィードバックと同様の構図ですね。
間違いではないと思います。
628 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/08/29(金) 02:41:36 0
>>625 ん?
いなきゃ独我論
いずれにせよ唯物論崩壊
>>626 「我思う故に我あり」ですよ
キミが悩んでいる事は、「我なし」である可能性が見出せた場合の話です
どうすれば見出せますか?
629 :
考える名無しさん:2008/08/29(金) 02:49:03 0
いなきゃ独我論
いずれにせよ唯物論崩壊
意味不明
630 :
626:2008/08/29(金) 02:50:01 O
>>627さん
ご回答ありがとうございます。この考え方が自分の中では妥当と判断していたのですが、他の観点からに気がつけていないだけなのかも…と思って質問させていただきました。
627さんの回答を拝見しまして、妥当と言えるほど自分が学んでいるかどうか自信がありませんので、とりあえず「明白に間違っている訳ではない」と感じられました。ありがとうございました。
631 :
626:2008/08/29(金) 02:56:19 O
>>628さん
ご回答ありがとうございます。
おっしゃる通り、「私」というものが存在しない可能性は、見出だせません。「私」は存在するのですが、「私の記述」をした時点で、「私の記述」は「過去の私の記述」でしかなくなり、「現在の私の記述」はできないのでは…?と考えています。
627さん・628さん、お二人ともありがとうございました。夜が更けてきましたので、質問するだけしておいて申し訳ありませんが、休むことにします。
ありがとうございました。おやすみなさい。
632 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/08/29(金) 02:57:15 0
>>627 私は出来うる限り質問には答えているよ
意味のわからない質問にも、出来うる限り、正直に「意味がわかりません」と答えている
相手が明らかに私の言っている事を理解できずに質問してきている場合は
親切に「キミは理解できていませんよ」と教えている
私の書き込み量を考えれば、一目瞭然
キミらより、はるかに多く答え、説明している
人に対して、自己中心的に求めるばかりじゃなく
まずキミは、自分のスタンスを自覚しなきゃいかんよ
キミは自分が答える前に、必ず相手が先に答えるべきだと考えているだろ?
自分は100%質問する側であり、相手は100%答える立場である
と思い込んでいるよな?
私はキミより100倍は、答えている
633 :
考える名無しさん:2008/08/29(金) 02:57:37 0
唯物論というものを唱える他人がいるということを
当たり前にように信じて認めてはいるけれども、その他人が『ある』とは言い切れない
説明することと説明できていることは違うんだなこれが。
できてないと意味がないので無駄な労力なんだな。
独我論から唯物論崩壊とか意味不明な説明をしても無駄無駄。
635 :
考える名無しさん:2008/08/29(金) 03:02:14 0
「キミは理解できていませんよ」と教えている 私は「いないはずがない」。
「いないはずがない」と思っているであろうその人はいると
当たり前にように信じて認めてはいるけれども、その他人が『ある』とは言い切れない
636 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/08/29(金) 03:04:01 0
>>632最高位さん
中身の無い書き込みは
何千何万費やそうとも無駄なだけです。
それが
>>627に対するご返事ですか?
やはり中身が無いですね。
637 :
考える名無しさん:2008/08/29(金) 03:08:37 0
それきびしすぎるからw
638 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/08/29(金) 03:38:08 0
>>631 過去の私について記述しているのが、現在の私でしょう
記述するという行為は、常に現在において行っております
過去にさかのぼって記述という行為を行う事はできませんよね
記述という行為を行っているのは、常に今です
現在から現在へ、常に私は、現在を認識しているのではありませんか?
過去の記述 というのは、現在の私の「私の過去」という観念でしょう
>>634 主観性の無い人に、説明できる必要はない
石ころと同じ、ただの物体だから、最初から対象外だからね
主観性がある場合
ある と理解できる人と、あるけど理解できない人がいるよね
自分に主観性があるかどうかもわからん人というのは
これはもうどうしようもないね
アホすぎるから、今のところ対象外
赤ちゃんに大学の講義を受けさせるようなもんで、理解させろという方が間違っている
あると理解できた人は、理解できたんだから、説明が通じた事になるね
>>636 ん? なぜ内容がないと思われたのか理解できませんが
痛みは、主観によって認識される感覚であって
それは他人に認識できないが、「痛いよ〜」と言えば、たいてい意味は通じる という話ですよ
>主観云々はまた別の世界(唯識的に別の階層)です。
痛みが、主観とは別の世界 とは、どういう事ですか?
痛みというのは「痛い感じ」の事ですが、主観以外での痛みとは何ですか?
あと
キミは、なぜ彼が答えない事に対しては、突っ込まないのですか?
639 :
考える名無しさん:2008/08/29(金) 03:45:35 0
感覚と「痛い感じがする」という主観(思い)は違うだろ
640 :
考える名無しさん:2008/08/29(金) 03:55:34 0
「痛いよ〜」と言えば、たいてい意味は通じる他人がいると
当たり前にように信じて認めてはいるんだけどさ、その他人が『ある』とは言い切れないんだよね
641 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/08/29(金) 04:15:20 0
>>639 痛いという感覚と
「痛い感じがする」
というのは、どちらも主観だと思うが、何が違うって?
>>640 そうだね
642 :
考える名無しさん:2008/08/29(金) 04:24:35 0
>>641 痛いという感覚(痛覚)を認めるのは科学的認識。
「痛い感じがする」は意識。
「この世から痛みなんかなければいいのにね」というのは主観。
643 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/08/29(金) 04:25:15 0
>>639さんの仰る通りでありまして
感ずるのは五感、思惟するのは意識ですね。
644 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/08/29(金) 04:51:21 0
>>642 >痛いという感覚(痛覚)を認めるのは科学的認識。
いや〜
認めるも何も、痛いもんは痛いだろ(笑
話を戻すけど
指を挟んで「イテテテテ」と感じるのは
痛いという感覚であり、「痛い感じがする」という事だと思うが
キミは違うと主張するのだね?
「イテテテテ」という感じは、痛いという感覚ではあるが、「痛い感じがする」とは違う
または逆に
「痛い感じがする」が、痛いという感覚ではない
という事になると思うのだが、これが違う事だと主張するのですか?
>>643 キミは「感じ」を、意識できんの?
645 :
642:2008/08/29(金) 04:52:54 0
訂正
人間一般に痛みの感覚(痛覚)を認めるのは科学的認識。
「痛い感じがする」は認知意識。
「この世から痛みなんか、なくなればいいのにね」というのは主観。
646 :
考える名無しさん:2008/08/29(金) 04:55:29 0
認めるも何も、痛いもんは痛いだろ(笑 とか
痛い感じがする」という事だと思うが とか
キミは違うと主張するのだね? とか
って、誰にいってんの(笑
647 :
考える名無しさん:2008/08/29(金) 05:07:06 0
どこまでいっても他人は私の幻想かもしれんのだ
私の幻想かもしれない他人に「教えようとしても」無駄だよ
私の幻想かもしれんのだからww
>>644 バカだなw
犬や馬など動物にも痛覚はある。
犬がイテテテという感じがしたなんて言うかよwww
ばーかw
649 :
考える名無しさん:2008/08/29(金) 07:33:02 0
>指を挟んで「イテテテテ」と感じるのは
って変だな
「イテテテテ」は痛みにともなう発声(あるいは内的な)ですぜ
「イテテテテ」と痛みの質感は別のものですぜ
650 :
考える名無しさん:2008/08/29(金) 07:51:05 0
痛みの質感とは、言葉で言い表せば
ぴりぴりした痛みとか、突き刺されるような痛みとか、起伏のあるじりじりとした痛みとかですぜ
「イテテテテ」といわれても、痛みの質感はわからんですぜww
651 :
考える名無しさん:2008/08/29(金) 08:00:00 0
最高位「イテテテテって感じるんだよ、かーちゃん」
最高位の母「ああ、痛いのね。イテテテテじゃなく、どんな風に痛いの? 」
最高位「だから、イテテテテって痛いんだよ、かーちゃん」
652 :
考える名無しさん:2008/08/29(金) 08:25:01 0
最高位は本当に哲学者なのだろうか・・・
653 :
考える名無しさん:2008/08/29(金) 08:55:02 0
今時、哲学者なんていないだろ。
哲学専攻した者はいても。
654 :
考える名無しさん:2008/08/29(金) 08:57:22 0
現代最先端哲学を開陳している最高の哲学者がここにいるよ
655 :
天才君:2008/08/29(金) 09:27:57 0
>>632 哲学者最高位、そういうことは、他人が評価する事であり、
自分で自分を評価してどうなるのでしょう。
>自分は100%質問する側であり、相手は100%答える立場である
>と思い込んでいるよな?
他人の事は解らないはずですよね。
>私はキミより100倍は、答えている
つもりでしょう。
こういう所から妄想が爆走するのです。これは説教です。
656 :
天才君:2008/08/29(金) 09:55:45 0
哲学者最高位自身が、他人を信頼する能力が無いことが、
哲学者最高位の思想の起点であり、人格的には、基本的問題でしょう。
そのことによって、ま、雑談が増えるのですがね…。
657 :
満豚:2008/08/29(金) 10:17:11 O
最高位くん、おはよう。
>>610 「主観性の意味はと言えば、おおかた「主観的な性質」でいいんじゃないかな」
ダメだよ最高位くん!
こんなの全然説明になってないよ。
君は皆が言う通り説明する気がないのかい?
そうではないんだろ?
>>642 その分類は貴方によるものではないでしょう。
誰かのそれを「正しい」と貴方は受けいれたのでしょう?
その分類も呼称も貴方が主観的に「正しい」と考えているということです。
そのように「意識」されているわけです。
>>648 犬や馬にも痛さ感じる「意識」があるということです。
>>650 「ピリピリした、突き刺すような、じりじりした」というのはクオリアではありません。
それを意味によって形容しているもので、形容のしかたは共同体ごとに異なります。
痛みのクオリアは一般的かもしれませんが、痛みの意味は共同主観性を帯びてしまいます。
659 :
満豚:2008/08/29(金) 10:24:13 O
と思いきや僕ではない人には良いこと言ってるじゃないかぁ。
僕はこういうのを待ってたんだよ
614>>
「私の主観性を、他人が認識できるのか?
また逆に
他人の主観性を、私が認識できるのか?という話だよ?
これは「わからん」というのが理屈じゃないかな? 」
つまりだね、例えば最高位くんが「痛み」やそれに関する言葉を使うとき、それは最高位だけが感じているある感覚を意味している
ということだね?違うかい?
間違ってたら教えて
660 :
考える名無しさん:2008/08/29(金) 10:26:24 0
>>657 主観性というのは対象に意味を付与することだが、君はそれ以上のどんな説明を求めているのですか。
661 :
考える名無しさん:2008/08/29(金) 10:29:33 0
>>657 物理現象って何?ってきいても
物理的な現象じゃないの(爆笑 とかだし
説明する気がないのではなく、能力の問題かとw
>>661 じゃあ、貴方が物理現象を説明してください。
物理的とはどういう意味ですか。
現象とは?
お願いします。
>>610 >そうなの??
ホント、煽りの天才だなw プロ2chねらーってのは真実だろwww
>もちろん工作なしで、お願いします
工作???????
笑わせんなw
てか、失礼にも程があるな。私は工作などしたことは一度もない。
もし、私が工作をしたというならば、その個所を提示してくれ。
(君がいつも相手に要求していることだw 当然、応えてくれるよな?w)
※・(名無しさん)という表記以外が私のレス。(多分w)
・尚、関連性から若干他のレスも含む。
・★★★印は主要レス。
※※>よければ私が、チャーマーズの唯物論批判を抜粋した前後ぐらいを
>コピペしてもらえますか?
自分でやれw
◆決定論:脳は物質だから意識は必然にすぎない66◆
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/philo/1152674138/ 388 383 しか が抜けた。申し訳ありませぬ m(_ _)m 2006/07/16(日) 17:05:51
(P180くらいまでしか進んでいなくて、読むのが遅くて、大変申し訳ありませんがw)
たしかに、チャーマーズは「私」などという言い方はしていないなwww
全て「意識」で統一しているようだ。
勿論それは「内面的世界」「心・精神」を含意するものではあるが、
『「私」にしかないもの』とも言っていない。
むしろ、「私」(チャーマーズにとっては「意識」だがw)は、誰にでもあるものと見ている。
つまり、彼には彼の「私」(「意識」)、彼女には彼女の「私」(「意識」)、と。
また、「意識」の存在が「(主に還元的説明を主軸にする)現行唯物論」の限界を示す、とも言う。
が、他の外的事実に対しては有効どころか、最終兵器であるともしている。
彼がやろうとしているのは、
『唯物論と平行利用できる「意識(内の法則性)についての理論構築」』かな?
少なくとも、最高位のように、破壊や否定とは言わないw
謙虚な人物である(爆
★★★
586 考える名無しさん sage 2006/07/18(火) 09:10:49
なんか広告塔のようになってきているがw
>> 582
あなたも、チャーマーズ「意識する心」を読んでみなさい。
この著が、絶対的に正しいとか、もっとも妥当であるとか、極端なことは言わない。
が、あなたの主張の後押しになるだろうことは確かだ。
もっとも、あなたの説明の仕方がうまくないことも同時に判明してしまうだろうが・・・w
さらには、あなたの主張も、唯物論と共に偽とされるであろうが・・・w
彼は、ゾンビの喩えも用いていますよ。
どのような用い方かは、御自身で確認なさい (´ー`)y━~~
★★★
(他参考)
788 考える名無しさん sage 2006/07/19(水) 13:40:47 (名無しさん)
というより、還元主義は還元されるものと還元されたものとを
同一視しない(あくまでも還元というのは言語活動だから)。
モナリザを表現する数式を眺めるのとモナリザの絵を直接眺めるのが
違うように。
790 考える名無しさん sage 2006/07/19(水) 13:50:34
>> 788
チャーマーズは、それを(>> 725とも絡んで)
還元主義の(唯物論の)限界としている。
我々は、「意識について語るならば、その先をも説明しなければならない」と。
◆決定論:脳は物質だから意識は必然にすぎない67◆
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/philo/1153408207/ 77 考える名無しさん sage 2006/07/28(金) 00:44:01
ほんと
最高位にはチャーマーズを読んで欲しいなぁ・・・w
すごく役立つだろうに・・・
◆決定論:脳は物質だから意識は必然にすぎない77◆
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/philo/1159717256/ 963 2/2 素人 ◆YLdWB0/d2s sage 2006/10/10(火) 07:59:23
>> 955
> もう一回書いておくから、やり直しな
>
> 「どのようにあるのか?」を記述しようとするのは、いわゆる『科学』だ
> 唯物論は「世界には物質しかなく、人間の精神もまた、物理現象にすぎない」という思想だぞ
> 「どのようにあるのか」を記述するのに、なんでそんな思想が必要なのかを、述べたまえ
>
> さぁ、どーぞ
了解。
ある事柄に対して、その解明を目指すときの手段としてだよ。
仮定をして、どこまで整合性を保持しうるか?
そして、これ以上は進めない、となった時に、最初に設けた仮定に都度修正を加えてゆく。
或いは、仮定の大きな転換を図る。 まっとうな手法かと思われるが?
現に諸科学はそのようにして発展してきたのではないか?
単純に即物的にデータを重ねるだけでなく、その統合を図る際には、
その括り方、まとめ方、分類の仕方、等々のために、仮説は有効ではないのか?
そして現時点に於いて、集められた情報を俯瞰した時に、
最も整合性の高かったものが「唯物論」或いは「唯物論的視点」であったのではないか?
唯一、心的現象・内面世界との相関を除いては・・・。
とりあえず「人間の精神は、物理現象・及びそうした関係性の上に生じている」
という仮定を設け、集まった情報を整理分類しているのが現代ではないのか?
(ちなみにチャーマーズは、その仮定に修正を加えている一人ではないのか?)
◆決定論:脳は物質だから意識は必然に過ぎない83◆
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/philo/1165674692/ 613 素人 2006/12/14(木) 23:59:14
>> 607
お前は馬鹿だ。
君にとってこそ、「哲学的ゾンビ」という思考実験は意味があるというのに・・・。
はぁ・・・
酔いどれ君にも催促されたが、
門外漢の私がチャーマーズを要約しなきゃならんのか・・?
誰か、「哲学的ゾンビ」という思考実験の
(【最高位にとっての】)有意義な点を解説してくれんかな・・・ ;´ー`)y━~~
★★★
◆決定論:脳は物質だから意識は必然に過ぎない99◆
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1186622024/ 191 素人 sage 2007/08/11(土) 22:08:26 0
>> 189
密度の濃い、膨大な情報量の本だから説明は無理だが、
最高位、
一度でいいから「意識する心/チャーマーズ」(白揚社)を読んでみてくれ。
君の主張を後押ししてくれる筈だ。
君に咀嚼力があれば、彼の緻密な論述は君の武器になる筈だ。
(君とチャーマーズが同意見だと言っているのではない。)
頼むから、読んでみてほしい・・・。
192 考える名無しさん sage 2007/08/11(土) 22:09:20 0
リロしてなかったw
>> 191は>> 187へ。
★★★
(他参考)
◆決定論:脳は物質だから意識は必然にすぎない64◆
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/philo/1151493381/ 917 考える名無しさん sage 2006/07/05(水) 10:18:27 (名無しさん)
最高位氏が永井の著作を読んだであろうことは容易に見てとれる。
しかしチャーマーズの「意識する心」は読んだだろうか?
内的経験の物質への還元不可能性(最高位氏の主張そのものね)
これに関して最も精緻に議論されてるのがこの本。
400P以上にわたる内容の殆んどが、
内的経験の物質への還元不可能性、
という結論に向けて構成されてる。
機械派はチャーマーズをいかに論破するか考えるべきだし、
最高位派はチャーマーズの本で言葉を整理して
主張をもっと明確なものとして洗練させていくべき。
【私】を記述してください。【私の存在性】 14
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1207894872/ 100 考える名無しさん 2008/04/12(土) 15:45:18 0 (名無しさん)
>> 31
君は本当にチャーマーズ読んでいるのか?
チャーマーズによって定義された「哲学的ゾンビ」のゾンビ論法は
「唯物論の立場を攻撃する」、という意味で定義されているんだよ。
(他参考)
◆決定論:脳は物質だから意識は必然に過ぎない100◆
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1188006601/ 136 考える名無しさん 2007/08/26(日) 19:36:46 0
>> 129
>反唯物論なんて無視して唯物論を構築しなさい。
構築されてるじゃんw
詳細なデータや数字の羅列ではなく、骨格が提示されているということではないの?
「〜論」ってそういうものじゃないの?
よくコピペされる
>「物質や物理現象以外の存在は、物質や物理現象によって規定され、従属する」という
枠組み、でいいじゃん。それ以上なにが要るの?
あとは各論に入っていけばいいだけじゃない?
せめてチャーマーズくらいの説得力をもって否定作業すればいいのにw
◆決定論:脳は物質だから意識は必然にすぎない66◆
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/philo/1152674138/ 888 読み途中の人w sage 2006/07/19(水) 23:24:49
・・・・・・・・・・
う〜む・・・
チャーマーズって、かなり異端な人?それか、トンデモな人?
彼の位置付けって、業界ではどの辺になる人なんだろう・・・?
904 考える名無しさん sage 2006/07/20(木) 00:42:11 (名無しさん)
>> 888
まっとうな意味で有名だよ。
心についての立場を次のように分けたとき
何も語るべき問題はない vs 多くの問題が残されてる
前者の立場の筆頭がデネット(このスレでいえば機械)
後者の立場の筆頭がチャーマーズ(このスレなら最高位。論点もレベルもけた違いだが)
>>610 以上、チャーマーズが唯物論批判(限界の指摘)をしていることが前提のレスだと思うが?w
(勿論、彼は「唯物論“破壊”」などと大言壮語はしていないが・・・w)
私は、貴方の主張の武器になるだろうと思ったから薦めたのだ。
誤解も甚だしいw
>>660 >主観性というのは対象に意味を付与することだが
その場合の「対象」とは何ですか。
672 :
考える名無しさん:2008/08/29(金) 11:37:51 0
意識に現われた事物です。
「事物」とは何のことですか。
事物と事物に付与された意味とはどう区別されますか。
意識と主観性は同じですか違いますか。
674 :
満豚:2008/08/29(金) 12:14:29 O
(最高位くん修正したんでこっちに返答して)
と思いきや僕ではない人には良いこと言ってるじゃないかぁ。
僕はこういうのを待ってたんだよ
>>614 「私の主観性を、他人が認識できるのか?
また逆に
他人の主観性を、私が認識できるのか?という話だよ?
これは「わからん」というのが理屈じゃないかな? 」
つまりだね、例えば最高位くんが「痛み」やそれに関する言葉を使うとき、それは最高位くん自身が感じているある感覚を意味している
ということだね?違うかい?
間違ってたら教えて
675 :
天才君の意識に関する論理の前提(視点):2008/08/29(金) 12:20:45 0
天才君が意識について語るならば、
意識自体がこの宇宙ですからね。
天才君の宇宙論自体が、意識しか無い。
意識が先にあって、自意識は後です。
自意識が意識を知る術もありません。
さらに、私の自意識という主体を人間にもってきても、
私が先にあって、自意識は後です。
で、誰の意識かといえば、意識に主体は無いが、
意識が分裂すれば、双方、意識同士で、意識を見る。
これが自他の誕生でしょう。というか相対性の誕生でしょう。
このように天才君は万物を一元で考えます。
また一時が万事として考えます。これは天才君ならではの
天才君の意識論であります。みなさんは、みなさんの意識に
ついての考えをお持ちでしょう。
676 :
考える名無しさん:2008/08/29(金) 12:30:15 0
主観性とは、主観の働き、その主体、その内容を指す表現かと。
意識と主観は同じ意味あいで使われることが多いようです。
事物とは知覚された表徴、あるいは概念のことかと。
677 :
満豚:2008/08/29(金) 12:50:11 O
>>675 天才君、僕は君の文章を読んでもちっとも理解できないや。
しかも宇宙だとか話のスケールもでかいし。
だからあまり関わりたくないって思ってたんだけど一つだけ質問させて
「意識が先にあって、自意識は後です。
自意識が意識を知る術もありません。」
「意識」や「自意識」って言葉をどういう意味でつかってるのかがイマイチわからないんだけど
君のいう「自意識」は君にもあるの?
もしも、そうならさぁ君のいう「自意識」は君のいう「意識」を知る術がないんだろ?
なのにどうして君は「意識」が「自意識」より先にあることを知っているの?
678 :
天才君の思想:2008/08/29(金) 12:54:33 0
事物と主観は、双方同時に存在を表す。いや表している。
このように天才君は考えます。
このような思想です。で、天才君自身はそのまっただ中に居ます。
居るのに何故解るのか?
それが思想というものです。実証は私自身が証明している。
または、客観的に証明しえない。だからといって、思いつきとも言えない。
こういう思想を真理というのではないでしょうか。
むちゃくちゃだとお思いでしょうが…。ま、みなさんスルーするなり、
なんなりしてください。
679 :
考える名無しさん:2008/08/29(金) 12:57:58 0
>実証は私自身が証明している。
>または、客観的に証明しえない。だからといって、思いつきとも言えない。
>こういう思想を真理というのではないでしょうか。
いやあ全くその通りだと思うよ。
「コギト・エルゴ・スム」も同じだね。
680 :
説明下手な天才君:2008/08/29(金) 13:08:16 0
>>677 理解できないでしょ。私は説明が下手なのです。
だから質問してくれるととても嬉しい。
私自身の自意識の有無を語る前に、私が、「意識」や「自意識」をどういう意味で
使っているのか?を言わねばなりませんね。
こう考えてください。「海水である私」が主人公です。
ポイントは海水である私に成りきるって読む事です。
私は海の中に居ると知っているが、もし私が海の外に出た事がなければ、
私は、自分は海の中にいることは解らない。知る術も無い。
そんな私は、私も海であり、ここも海であることを知っている。
全体が海であるからだ。つまり天才君は、たかが自意識であることを知っているのです。
肉体の制限の無いあるいは放棄した意識体験があるという事で、
そういう思考もできるというだけの事です。
そこから見た話しです。別に体験が無くても、先の海の例で考えれば、
これが仮説であっても納得がいくと思いますがどうでしょう。
思想としては理解できると思いますが、想像はしがたいかもしれません。
だから、こういう事はあまり語らないようにはしています。
681 :
説明下手な天才君:2008/08/29(金) 13:16:08 0
疑問がでそうですね。放棄した後、私は在ったのか?
在りました。つまり無くす事はできませんでした。
だからまだ生きています。
604-605
あなたとの批判から
わたしは「客観」という言葉を議論において批判しやすくするために(修正可能性をもたせるために)
その語の批判可能性を明確にすることを課題にすることします
「客観」という言葉を使用するとき、わたしはプラトンのイデア論を想定してます
が、これに触れるのは面倒なので飛ばしましょう
以下は、わたしがさらなる批判を継続するつもりですが、
もともとの本線とはズレるのでスルーなさっても結構です
あなたは、「誠実さ」を「真理を希求する切実さ」と定義しました
このことは、「真理を希求する」が成立しないところには「誠実さ」はありえないという語の関係を示します
(わたしは、これを「言葉の内部圧力」と表現しました)
そこで、「真理」という用語は文化的に異なる使い方をされるので置いといて
「希求する」という語に着目したいと思います
この語はどういう使い方をされるでしょうか?
一般に「持ってない人」から「持っている人」になる変化を表現する時に使われます
このことは、「真理」が所有されてない状態、「真理」が所有されている状態、に明確な区別がつくことを前提にしていませんか?
この区別は、「主観」「客観」の区別で表現されるものと同じではないでしょうか?
あなたの「誠実さ」の定義は客観的な理念の存在を前提にしていませんか?
何らかの答えを求めようとするならば、少なくともその答えを自分とは独立した世界の産物と見ざるをえない
それが「求める」という言葉の使われ方です
「嫁さんが欲しい」と言えば「彼は独身なのだろう」と我々は推測します
もし、彼が「いや、既婚者だよ」と答えるならば
少なくとも彼は「嫁さんが欲しい」という言葉を真剣に言ったわけではないことを認めなければならない
このことは「誠実さ」が客観的な理念にその成立を負うている証拠(それもかなり決定的な)になりませんか?
・客観と同意
わたしは「客観」と「同意」を無関係と見ます
「相互主観」と「客観」を明確に区別します
これは哲学の伝統的な語法とも合致するはずです
「客観」理念はむしろ「反対」にこそ重要な役割を示す
「〜に同意します」
「〜に反対します」の言葉から始まる議論があるならば、
前者はチープな議論、後者は豊かな議論になる
こうわたしは考えます
語の豊かさは他の語との関わりの多さにある、とわたしは考えるからです
・ゲーム、ルール
ゲームにおいてプレイヤーのルールの承認など必要ありません
また、わたしは、そのようなゲームには興味ありません
実際、わたしは将棋を指さないのです
将棋の例は、ルールについて論じる際にチェスを例にとることが多いので
日本人なら将棋だろと将棋で例えただけです(余談)
ルールの承認がなくとも、また、両者のルールが異なるものであろうと
彼がゲームをする時、彼は圧力を受けます
それがゲームを成立させるものだからです
子供が駒でガチャガチャ遊ぶのを見て、それを「ゲーム」とは呼びません
(天才君なら「でも生き生きとしている」と言いそうですね)
・伝統、文化、趣味的な問題
わたしは、「伝統、文化と無関係な問題はない」と考えます
そんなものを想定するのはアプリオリ主義です(この表現はアガシが侮蔑の感情をこめてそう言ったところから拝借しました)
問題状況は常に伝統や文化に根差しているのです
ですから「脱文化」「脱伝統」を価値基準にするのは
地に足をつけない虚無的な価値基準だとわたしは考えます
わたしは、そのような価値基準には反対です
686 :
天才君:2008/08/29(金) 14:52:37 0
>>684 >子供が駒でガチャガチャ遊ぶのを見て、それを「ゲーム」とは呼びません
>(天才君なら「でも生き生きとしている」と言いそうですね)
はい、察しの通り、天才君なら「でも生き生きとしている」と言います。
しかし、子供が駒でガチャガチャ遊ぶのを見て、それを「ゲーム」とは呼びませんが、
人には私のルールは押しつけません。あくまで、私は私のルールに従う。
他者は他者のルールに従っている。他者が土俵に上がれといっても決めるのは、
私である。こういう立場です。
だだ、外せない客観的ルールは天才君も持っている。
我々は、人間であるという事です。それと個の尊厳・尊重でしょうか。
だから他者のルールも尊重したいと思っています。
687 :
天才君:2008/08/29(金) 15:20:20 0
>>685 スレタイとは関係ないですが、私はあなたのような
言論活動の立場をちゃんと告白できる精神を尊敬しますよ。
私から観ると、テイストがいい。お洒落である。真摯である。
私の場合は、神への敬虔さという事ですましちゃいますけど。
688 :
満豚:2008/08/29(金) 15:26:03 O
>>680 天才君、本当に申し訳ないのだが全く理解できない。理解は出来るが同意は出来ないという意味ではありません。
「私は海の中に居ると知っているが、もし私が海の外に出た事がなければ、
私は、自分は海の中にいることは解らない。知る術も無い。
そんな私は、私も海であり、ここも海であることを知っている。」
海であるあなたが、どうやって海から出ることが出来るのですか?
あくまでも解釈を重ねて言わせてもらえば、人間であるあなたがどうやって人間としての視点から離れることが出来るのでしょうか?
・われわれは人間である
「〜〜は・・・である」
こういう表現はなかなか、その真意が伝わりにくい表現です
ちょっと強気な批判発言をしたので自己批判を試みます
わたしの一連の発言は言葉の内容に着目したやりとりの擁護です
数学の分野で「有理数」や「無理数」の概念定義の試みや、それに付随する理念の理解に代表されるような理論的営み
それには言葉の内容に着目した伝統への信頼があります
しかし、この伝統が端から間違った道であると考える余地はあります
獣は言葉をただ「音を出す」という目的で出しますし
赤子は「自分に注目して」「自分の欲求に気づいて」という信号で言葉を発する
「言葉とは本来、このような使われ方をするもので
叙述をしたり議論をしたりするのはそもそも間違った使用法なのではないか?」
こういう疑念が生じてもおかしくはない
(この疑念をもったり答えたりする能力は当の言葉の叙述性に負う)
「われわれは獣ではなく言葉を使用する人間である」
こう発言する時
「なぜ、獣のように生きてはならないのか?」という疑念が生じます
(この問いは、言葉を発する人間にしか問えない問いですが)
もし、人間文化と獣文化という文化の壁があるならば
わたしの一連の言葉は人間文化からの一方的なものではないだろうか?
>>688 天才さんは言葉に一意的に意味をもたせていません。
語ったことを説明するつもりは毛頭ないでしょうし、というかご自分でも何を語られているのか
関心がないでしょう。
満豚さんが理解できないのも無理ありません。
どなたかが指摘されていたように、この方は歌をうたっていらっしゃるのです。
しかも外国語で、あるいは鼻歌のように。
意味は特定の人にしかわかりませんが、上手い下手はわかるでしょう。
もし感動されたなら、拍手してあげてください。
お喜びになると思います。
横レス失礼。
>>658 > その分類は貴方によるものではないでしょう。
> 誰かのそれを「正しい」と貴方は受けいれたのでしょう?
> その分類も呼称も貴方が主観的に「正しい」と考えているということです。
> そのように「意識」されているわけです。
『誰かのそれを』(主観的に)『受けいれ』『それを』(主観的に)『「正しい」と考えている』
という、この構図が重要なのです。
全てが主観によって為されていてもいい。(いや、寧ろその通りなのだろう。)
問題は、
「或る事象が受け入れられ」る時(或いは「或る意味内容が受け入れられ」る時)、
なぜ、主観は『それ』を受け入れるのか?
もし、主観が『それ』を「妥当である」と判断するのならば、
(「妥当である」と判断するから受け入れ可能となるならば)、
なぜ、妥当であるという判断に辿り着くのか?
また、
≪受け入れられた『それ』が、(主観的に)「正しいと判断される」≫とはどういうことか?
《(主観的に)「正しいと判断される」》ということ、《「妥当である」と判断される》ということ、が
《既得の価値観と合致する》ことであるなら、
≪「受け入れる」ということは、「既得の価値観と合致する」こと≫と簡便に言ってもいいのかもしれない。
>>658 ≪(入力のあった)或る事象(或る意味内容)が、既得の価値観と合致する≫ということは、
まさに「帰納と類推」そのものではなかろうか。
既得の情報と照合され、不整合が無い(少ない)と判断されるから、受け入れ可能なのではないか?
また、続々と入力される情報と照合することにより既得情報の修正もあり得よう。
(それが、学習、経験、成長、(或いは“分別がついてくる”)というものではなかろうか。)
“電車に飛び込むことが死に直結する”というのも、そのような経緯を経て、得られていることかもしれない。
勿論、同時に(或いはその先には)、
「既得の価値観(或いは情報)は、いつどのように生じたのか(生成・培養は如何にして為されたのか)」
が問われなければならない。
なぜ、既得の価値観・情報は、≪『斥けられることなく(!)』主観のうちに保存・蓄積されたのか?≫ と・・・。
693 :
素人:2008/08/29(金) 16:51:48 0
>>684>>686 子供は、いつから≪自分独自のルールでもって≫遊び始めるのだろう・・・。
乳幼児は、684・686が言うように「ガチャガチャいじり回すだけ」だろう。
そこに、≪これこれこのようにいじる≫≪このようにはしない≫などとルールを設けるのはいつからだろう。
遊んであげようと思い、積木に手を出し、一緒にガチャガチャしようと思ったら、
「違う!そうじゃない!」「そんな風にしちゃ駄目!」とでも言わんばかりに
すごい剣幕で制止されることはよくある。(“言葉で”という意味ではない)。
積木だけでなく、あらゆる遊びに於いて、彼らは独自のルールを創出する。
時には、大人には理解しがたく、まるで整合性のない、
まさに独自の、彼だけの、唯一の、代替の効かないルールを創り、援用し、満足してたりする。
彼らの中に、どこからそのようなルールが生じるのだろう。
或いはまた、
それらは本当に『創出』されたものだろうか・・。ゼロから生じたのだろうか・・・。
発達心理学の分野では、こうしたことも研究されてるのかな・・・。
694 :
満豚:2008/08/29(金) 18:01:01 O
>>最高位さん
満豚「最高位さん『痛み』という意味の意味を教えてください!!」
最高位「なんだ豚野郎!お前はそんなことも知らないのか!?
お前のオチロンを蹴飛ばしてやる!
どうだ!?お前が今オチロンに感じいる痛みがまさに「痛み」という言葉の意味だ!
だが残念ながら私はちっとも痛くない。お前の痛みはお前の痛みであって私の痛みではないからな。
仮にお前のポコチンに私が痛みを感じても、それは俺の痛みであってお前の痛みではないのだ。
「悲しい」や「嬉しい」も同じだ!
悲しい思い出や嬉しい思い出を思い出してみよ!
そのときお前によみがえる感情や感覚、それが「悲しい」や「嬉しい」という言葉の意味だ!!
それらの感覚や感情を感じているのはお前にとっての「私」だろ?どうだ!? 「主観性」という言葉の意味もちょっとはわかっただろう!?」
最高位さん、こんな感じでしょうか?間違ってたら教えてください。
695 :
満豚:2008/08/29(金) 18:04:39 O
>>最高位さん(修正しました。ごめんなさい)
満豚「最高位さん『痛み』という言葉の意味を教えてください!!」
最高位「なんだ豚野郎!お前はそんなことも知らないのか!?
お前のオチロンを蹴飛ばしてやる!
どうだ!?お前が今オチロンに感じている痛みがまさに「痛み」という言葉の意味だ!
だが残念ながら私はちっとも痛くない。お前の痛みはお前の痛みであって私の痛みではないからな。
仮にお前のポコチンに私が痛みを感じても、それは俺の痛みであってお前の痛みではないのだ。
「悲しい」や「嬉しい」も同じだ!
悲しい思い出や嬉しい思い出を思い出してみよ!
そのときお前によみがえる感情や感覚、それが「悲しい」や「嬉しい」という言葉の意味だ!!
それらの感覚や感情を感じているのはお前にとっての「私」だろ?どうだ!? 「主観性」という言葉の意味もちょっとはわかっただろう!?」
最高位さん、こんな感じでしょうか?間違ってたら教えてください。
>>695 たぶん痛がっているさなかに、「痛み」という意味づけはできないのではないでしょうか。
急所を蹴られた経験がないのでなんともいえませんが。
>>696 それを、禅の世界では「痛みと一枚になっている」と言うw
698 :
天才君:2008/08/29(金) 20:26:39 0
>>688 すみまさんでした。スルーしてください。
ただ、言える事は、我々は、人間の視点に合わせて人間と交流している。
と、こう仮定する事もできます。
690さんのように自由に天才君を解釈なされておくのがよろしいかと
思うわけです。
699 :
考える名無しさん:2008/08/29(金) 20:44:21 0
焼きそばにカレールーをちょこっと入れると
香ばしいな。
700 :
天才君:2008/08/29(金) 21:01:11 0
ときおり、ちょっと根元的な「私」を考えるとき、
背景に関するお話をされる方もみえますね。
自分の創造した仮想点からかんがえてみるのも在りですね。
つまりこういう事です。「私」達が存在している事を考える前に、
ここは何処か?という事です。どこに「私」が存在しているのか?
という観点です。
人間は時空に存在していることに合意して成り立つ世界でもって
生きているし、自他、認識・認知しあうことができる。
この「合意して成り立っている」事を証明することも否定することもできません。
論理的に説明できる事象は、すべて既成概念で、現パラダイムの肯定に終始します。
「私」は、その外に無いとは、言えないしあるとも言えない。
また既知外が外とも言えない。つまり盲点も存在している。
なぜならば、現パラダイムで言う、進化は、未知の領域であるからです。
未知にも当然「私」は存在するであろうし、しないかもしれない。
しかし未来があることは人間の合意事項であるのです。
簡単に言えば、「私」の最先端は、創造の領域であるという事です。
それが現実になっているだけの話です。個人に置き換えても同じです。
夢が現実を創っている。今で言えば、思った事が同時に現実だ。
>>577 >私というのは、自分の事です
>普通、誰でも
>自分の事を指す場合に、私と言いませんか?
誰でも私なんですねw
702 :
考える名無しさん:2008/08/29(金) 21:19:31 0
指す方と、指される方の違いを突っ込め!
703 :
天才君:2008/08/29(金) 21:20:39 0
一般的に、考える行為自体も既成概念化されている。
通常の意識で自他を認識する事でしょう。
人間は時間感覚を極めて希薄にする技術ももっていますし、
自意識とて、身体の外にまで及ぶ、つまり身体感覚を希薄にする事も可能。
薬物摂取による、変性意識を誘発し、そこで思考する事も可能。
また、人間の活動時間は、起きている時だけである前提で組み立てられた
社会構造。
様々な意識生活を体験しているのですが、多数の人が考えている
合意事項が正常な人間の認識であるというだけの事です。
では、多数の人が認識している意識でなければ生活できないか?といえば
そうではない。意識を多数の人に合わせるだけの事です。
小さな社会においても誰でもやっている事です。
その場の雰囲気にそう私に成る。やっていますね。
天才君が、抜け出た場所など、どこにでもありますね。
むしろ順応性の高い人ほど、既成概念から抜けられない。
こういう人は怒りの世界に入ったら抜けられない。
悲しみの世界に入ったら抜けられない。
つまり馴れ合い上手は、抜けられない。
704 :
天才君:2008/08/29(金) 21:32:24 0
何を言っているのか解らないと思う「私」がいるとしたら、
それは、天才君が、今は、既成概念外の意識状態に焦点を合わせており、
かつ、既成概念内の思考習慣をもちいて、記述しているからです。
では支離滅裂かといえば、そうではない。
意味がないのでしょう?意味が見つけられないのでしょう?
何が言いたいのかさっぱり解らないのでしょう?
哲学の最後は、「私」超えです。
汝自身を知れとはそういう事です。
最初はそれが哲学だったですが、今は哲学は死んでいます。
>>703 >では、多数の人が認識している意識でなければ生活できないか?といえば
>そうではない。意識を多数の人に合わせるだけの事です。
>小さな社会においても誰でもやっている事です。
>その場の雰囲気にそう私に成る。やっていますね。
赤子は?
706 :
天才君:2008/08/29(金) 21:41:51 0
>>705 私が話している内容は全てに当てはまります。
文字通り全てです。赤子も同様です。
>>706 (これまでの経験上)赤子がそうであるとは見えないのだが、
何か具体事例がありますか?
708 :
@:2008/08/29(金) 22:23:46 0
天才君、このスレッドはめったに読まないので、俺が質問するのもお門違いだが、
>>675 >意識に主体は無いが、意識が分裂すれば、双方、意識同士で、意識を見る。
これが自他の誕生でしょう。というか相対性の誕生でしょう。
これ、主体の無い意識が分裂して相互作用し合う、そのどのポイント(地点)に自他の誕生点があるのかしら。
俺が唯物主義者だからかもしれんが、よく分からん。心理学的なイメージなのかね?
スルーして下さい。気にせず続けてちょ。
709 :
天才君:2008/08/29(金) 22:42:00 0
>>708 質問好きですから構わないですよ。普通はスルーですから。
背景は無です。主体の無い意識が分裂して相互作用し合うわけですよね。
唯物主義者なら、さしずめビックバンをご想像されると同じ事ではないでしょうか。
ビックバンの背景も一応無という事で考える前提ですが…。
私の思想は、単純で、無いところから在るが生まれる説明を意識という
言葉を使っておこなったという事だけなのです。
710 :
天才君:2008/08/29(金) 22:47:48 0
>>707 赤子の意識はどうであれ、私は誰という認識も、ここは何処という認識も
ないでしょう。既成概念の一つである認識自体がないのですから。
で、例えば、泣く。泣くと、反応が在る。そこに意識を合わせる。
つまりこの世界に出てきた以上、「まず」、逃れられない状態が在るという事です。
このように天才君は思想します。
711 :
@:2008/08/29(金) 22:50:48 0
>>709 脳内ビッグバンですか。
こういう事か、通常ビッグバンは客観化された宇宙の外側から見たイメージで想起されるが、
ビッグバンをビッグバン自身、あるいはビッグバンの一部からの観測可能性が発生すれば(仮定)、
それが意識だってイメージか?
712 :
天才君:2008/08/29(金) 23:00:50 0
>>711 まあ、そんな所です。しかし意識をそうであると限定しているのでは
ありません。
ポイントは何も無い。
文字通り、時間も何も無い。言い表せませんが、
還元先すら無い。
そういう所からの考え方のモデル自体を言葉を使って、
有無と分裂を表しているだけという事です。
私がこのスレに居るのも、人間のビックバンが「私」であるからです。
713 :
@:2008/08/29(金) 23:04:58 0
んーありがとさん。さらばだ。
714 :
ラプラスの悪魔 ◆daemontaDA :2008/08/29(金) 23:06:45 0
まったり進行形か。
論点が明確なら突っ込みやすいが、毎度のことかw。
715 :
天才君:2008/08/29(金) 23:10:44 0
>>713 さようなら。
単なる観測手法の話です。
716 :
@:2008/08/29(金) 23:11:21 0
ラプラスよ、あんた本当のビッグバンについての説明をしろ。
→決定論スレでだぞ。ここでじゃないぞ。
717 :
天才君:2008/08/29(金) 23:11:45 0
>>714 論点は明確ですよ。神についてですから。
718 :
ラプラスの悪魔 ◆daemontaDA :2008/08/29(金) 23:19:04 0
>>716 その話なら、紐だのMだの十二だのリサランドールとかその手の本を数冊
読めば完了だよ。決定論スレで書き込みするまでもない。
が、しかし、その前に、俺にその手の書き込みをするだけの体系的知識が
ありませんよw。
ま、時折思い出して、知ってるらしい突込みをするが、僕の知識は
大抵が体系立てられてないのでねwww。 僕の知識は、それが常だw。
何かを思い出したらレスするから期待していてくれwww。
>>717 神か。神自体があやふやな存在だろう。神学は知らんね。
719 :
天才君:2008/08/29(金) 23:22:31 0
>>718 >神か。神自体があやふやな存在だろう。神学は知らんね。
上手く言い表してると思う。
>>682〜
>>685 それでは、以降は「客観」を「イデア」的観点で使用することにしましょう。
また、私がこれまで客観について「理解の一致の承認」と述べていた内容は、
単に「相互承認」とでも呼ぶことにしましょう。
さて、遡ると、貴兄が「言葉の内部圧力」「修正圧力」と表現するその圧力とは、
主体の「誠実さ」という直観的性質によるのではないか、という指摘が議論の発端だったと思います。
私の指摘は、「言葉」や「ルール」や「論理」やらが、一体どうやって圧力をかけたりするのか?
という疑問を含んでいます。
私は、そういう圧力はある種の真理探究ゲーム(例えば「論理学ゲーム」)内での限定された圧力ではないかと指摘しました。
また、このゲームが成立するのはプレイヤーがルールを「相互承認」するおかげだとも述べました。
ルールの「相互承認」性が実質的にプレイヤーへの圧力になっているという指摘です。
しかし、プレイヤーは「相互承認」のみを目的にしているのではなく、
これとは異なる水準の性質、すなち「誠実性」に突き動かされているのではないでしょうか。
このような意味合いから、「相互承認」とは違うやり方の真理探究ゲームもあるだろう、と述べました。
では、「言葉」や「ルール」が「客観」理念であるなら、それは圧力になるでしょうか?
私は、
>「客観」理念が‘真理の直観’のことを指すのならば、 それは「誠実性」と深く関わるだろう(
>>604)
と述べました。これについては、貴兄が(
>>683)で指摘される通りです。
そのことについて、もう少し別角度で考えてみたいと思います。
(なお、「ルールが「客観」理念であるか「相互承認」に過ぎないのか」
も派生的論点として浮上しつつありますが、本筋から逸れそうなので、
ここではスルーします。)
続く
>>720 続き
まず唐突に、一般的理解とはズレた角度から<真理>について考えてみます。
「真理」は主体とどのように関わるでしょうか?
私が思うに、主体は「‘分かっている’というフィーリング」として「真理」を受け取るのではないでしょうか。
例えば、証明問題の答えを単に暗記していることと、証明問題を‘分かっている’こととは違います。
その違いは、端的に「‘分かっている’というフィーリング」があることです。
そして、もっと大胆に言うと、「‘分かっている’というフィーリング」の向こう側(実在、客観、「真理」)ではなく、
その「‘分かっている’というフィーリング」こそが<真理>ではないでしょうか。
私がこれまで述べてきた「真理」を希求する誠実性とは、
「‘分かっている’というフィーリング」から隔たっている感覚、すなわち、
「‘分かっていない’というフィーリング」にあるように思われます。
ここで、
「客観的なものが、それ自体で圧力になるか?」
という問いにも、別の角度から光を当てることができると思います。
すなわち、「客観」「実在」「真理」、何でもいいですが、
「この主体を超えたものと」は、主体にやってくる「‘分かっている’というフィーリング」であり、
それが、「‘分かっていない’というフィーリング」とともに主体を動かす力になると。
・・まぁ、ちょっと強引な感じがしますねw こんな感じで「私」の存在性へと繋がればいいんですけどw
722 :
考える名無しさん:2008/08/30(土) 03:06:16 0
>私が思うに、主体は「‘分かっている’というフィーリング」として「真理」を受け取るのではないでしょうか。
へぇ、おれも同じこと考えていたんだ。
世の中せまいね。
723 :
考える名無しさん:2008/08/30(土) 05:36:18 O
真理なんてどーでもよくてさー 目にみえねーもん議論してんなよ 思考が抽象化してんだよ と釣られてみるてすと
724 :
天才君:2008/08/30(土) 08:42:37 0
>>721 実は、天才君も、あなたと同じような意味あいで、主体と真理との関係を
フィーリングとして漠然と思っているのですが、そういった部分を表現
できる能力が私に乏しい。
だから、神・インスピレーション・直覚と一言で終了。としてしまうのです。
これはいけませんね。しかも天才君などは、強引で、どうせフィーリングで
真理は受け取るんだから、言葉に意味を持たせず、言葉を読んだ場合の
フィーリングを伝えるような文章でしか真理は伝えられないとすら考えます。
何故だか、あなたの言う、一般的理解とはズレた角度から<真理>に
ついて考えてみた、あなたの文章のほうが、天才君にはよく理解できます。
う〜ん。ただ、ただ、関心しました。
抽象世界(漠然)から客観世界(具体化)へもってくる際の具体化表現が、
天才君の課題だと気付かされました。勉強になりました。
725 :
天才君:2008/08/30(土) 09:46:39 0
主体の感ずる真理めいたフィーリング自体は一体なにか?
それは主体の可能性の指針や規範に影響を及ぼすという考えもありますが、
逆に運命という決定づけられている方向性への反発として受け取る場合もあります。
しかしこの考え方は時間が在るという既成概念に縛られた考え方です。
時間を無くせば、フィーリングしか無い。
つまり真理(各自の真理観を表すいかなる概念をも含む。一例として客観)
しかない。しかも、主体にとっては、今、フィーリングしつつ体験している
どころか、そのまっただ中に居るだけ。主体に自由は無い。
主体に自由が無いが、創造活動自体も主体であるから、フィーリングそのものに
影響を及ぼす。
つまり主体が、自由意思を駆使できる範囲は、「望む・求む」等だけです。
これを私は創造といい。また私は、「私とは、創造」である。と主張するわけです。
物質である体はそれに適応して変化します。
そして、背景は時空というのは既成概念です。よってそれに付随する、
私という認識すらありませんから無限あるいは、無の背景からいうならば、
全体は、「創造」のみです。「私」も創造によって顕れているのですからね。
よって人間は、主体にとっても全体にとっても、
希望する方向に変化しています。今も。
変えたければ、今と違う希望をもたねばならない。最初はイヤでも。
こう天才君は思想します。
726 :
天才君:2008/08/30(土) 09:54:11 0
最初の創造に主体を持ち込む考えは、最初から時間が存在したという
前提に基づく考えです。念のため。全ては同時に起こっているのです。
727 :
考える名無しさん:2008/08/30(土) 10:08:31 0
主体もなければ客体もない。
ただ自由があるだけだね。
728 :
天才君:2008/08/30(土) 12:08:08 0
そうです。ただ自由があるだけというのが天才君の思想です。と、
いうこともできます。しかし「自由」というのも、文字通り自由であって、
それ自体を言い表す事もできません。それがなんであるかなど解らない。
解らないならば創ればいい。なぜならば、すでに解らないと問う事
自体も創造なのですから。
ただ、我々はここでゲームを繰り広げている。
だから天才君のような思想はスルーすべきです。
>>723 さんの言うことももっともなのです。
ということで、みなさん続けてください。
729 :
考える名無しさん:2008/08/30(土) 12:23:55 0
自由があるなら自己は創発する、なんちゃって。
730 :
考える名無しさん:2008/08/30(土) 12:28:32 0
>>723 ♪散ってすがれたタンポポの・・・・・
・・・
♪見えないものでもあるんだよ>みすず
ああ! 書こうと思っていたことを天才君に先に書かれてしまった
・ゲームについての補足
わたしは「ゲーム」と「ゲームでないもの」を区別しました
その区別の基準は「ルールの有無」です
子供が「違う」と言うだけでは「ルールに従っている」とは言わない(素人への反論)
「ルールに従う」とは、「その者の(個別的)意思を禁止する」という性質をもちます
白線の上を歩く
「白いところ以外を踏んではいけない」(子供がよくやる遊びです)
このルールは、線が途切れていることからジャンプすること
線が細くなっていることからつま先立ちで歩くこと
これらの修正圧力を産み出します
彼は自分の好き勝手に歩けるわけではない
ジャンプやつま先立ちは子供の承認や個人的好みからなされるわけではない
「次の白い線まで距離がある、困ったなー、よし大ジャンプだー」
「ゾルちゃん、肩車してー」(実は、わたしは子供と触れあう機会が多いです)
これがルールが圧力を産み出し、そこから何らかの新しい行動が生じる一例です
(マッキーから「創造」という言葉を拝借してましたが、天才君と語義がズレたので「創造」という言葉は使いません)
ですから、ある種の行動について、それを「ゲーム」とは呼ばないと発言しました
733 :
満豚:2008/08/30(土) 15:42:25 O
>>696 僕もそんな経験はないが、今はそんなことを問題にしていません。
720-721
・「真理」と「主体」との関わり
わたしとあなたの真理の定義の違いは明確になりました
以降、われわれ(あなたも含めて)は、「真理」という言葉を異なる使用法で使うでしょう(すでにあなたは違う意味で使用しましたし)
誤解を避けるためにも、「真理」という言葉を二種類に分類したいと思います
「直観的真理」と「規範的真理」
そして、規範的真理観の立場から直観的真理観への批判を試みたいと思います
「規範的真理」との主体との関わりは、まさにゲームを成立させるという一点にあります
彼は、規範を受け入れることで、
言語表現において矛盾を禁止し、言葉をゲームの上にのせ、他の言葉との関係を見ながら、
他者との「わたしは反対です」という語による会話的連帯を成立させるものです
「規範的真理」は言葉におけるやりとりのエンジンの効果をもつ
それは、「直観的真理」が鼻先の人参を追いかけさせるものとは異なります
この規範的真理観からすれば
「真理を得る」とは、他者との対話的緊張関係から退却するゲームからの後退でしかありません
そして、実際にそう考える人たちは哲学の世界にはいます
ですが、これは、あなたが指摘するような
「内部圧力は論理ゲームへの承認がもたらす」ということではありません
そう考える人がいる、というただそれだけです
しかし、彼らは規範の圧力の非個人性を認めない以上
(わたしが認めなければ、わたしはルール違反をしていない)
彼らはそもそもゲームをしていないのです
(ルールがゲームを構成する要素であることは上で説明しました)
・追記、今後の展開もかねて
少なくとも、ゲームに参加していない彼はこう言える
「はい、確かに『わたしはそのルールを承認します』と言いました。しかし、それがなぜルールの承認となるのでしょうか?」
「ヤクソクする」という発語によって「約束」というルールを橋渡しすることはできません
事実と規範の伝統的二元論の裂け目を越えることはできません
これは、「承認」というあなたが重視する行為に、
ルールとしての性質をあなたは陰で与えてしまっているということです
737 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2008/08/30(土) 21:53:50 0
かったいのかさ恨み
と言って
傷が傷を恨んで
膨れ上がっているだけですよ
人間を含む動物って、仲間同士で、世界の危険情報を共有しよう
とするものなんだよね。
危険情報の中には、嘘や騙しや引っかけも混ざっている。
それでも懲りずに情報を共有しようとするのは、
たった一人で生きていくのが嫌だからなんだよね。
好きな仲間と協力して生きたいという欲望が根底にあるんだよ。
739 :
天才君:2008/08/31(日) 02:36:17 0
「真理」という言葉を「直観的真理」と「規範的真理」 と二種類に分類する場合、
それを分類した主体の存在は非個人性であろうはずもない。
個人が「直観的真理」に基づき、二種類に分類する選択を行った。
つまり、真理を二分するには、二分する主体が存在し、真理自体を
「直観的真理」と「規範的真理」に分類し、その片方に主体を分離し、
そちら側に主体を置いて論理を構築する手法は、個人的である。
結果的に「直観的真理」に基づく選択個人によってなされた結果が
「直観的真理」と「規範的真理」との分類である。
そして批判行為は、「直観的真理」自体が「直観的真理」を批判しているという、
論理的矛盾が発生している。
740 :
天才君:2008/08/31(日) 02:56:01 0
規範の圧力の非個人性を認めないという事は、
非個人性によって規範の圧力が存在している事を認めないという事です。
規範は人工的なものであると天才君は思う。
規範の作り手も、規範の所有者も人間であると、天才君は素朴に思う。
天才君
739
うざい、つまらん、却下
誤解と偏見に満ちてる
740上
同語反復意味なし
君が認めないからなんだ?
ライオンにとって数学を理解できないことが、数学の客観性を崩しはしないだろ
740下
認めよう
規範は人間の言語文化の象徴的なものだ
「われわれは人間である」という天才君の発言の本意に見当がついていながら
わざと誤解して、言葉に焦点を当てたのは謝っとく
ところで天才君は、言葉を話す長靴を履いた猫が出てきたらどうする?
人間じゃないから共感しないですか?
逆に、言葉を理解できない幼ヘレンには同類(皮肉じゃなくて、「同じ人間」という意味ですよ)としての共感を感じますか?
もう一点、「規範的真理観」と名付けたのは失敗
「形式的真理観」と名付けた上で
なぜ形式的真理観が規範を成立させ、直観的真理観が規範を成立させないのかについて論じるべきだった
俺の説明は、俺の真理の定義が規範へのコミットメントを招くのに対して
相手の真理の定義がそうでないことの説明が不足
理論の検討が甘いということだ
説明はあいかわらずの「普遍化可能性」に頼るが
昼に書く予定
と思ってたけど暇だし、他に面白げなスレもないから今いく
てっとりばやく行くね
1、規範は規則、法則の形をとる(Low、Rule)
2、規則、法則は個別性を有する言葉を内部に含めない
(含めると当の規則としての性質が崩れる)
これは「規則は普遍化可能性を有する必要がある」と言い換えることができる
3、直観は、そのフィーリングを受ける個人の個別性(固有性)を無視しては成り立たない
4、したがって、直観的真理観に立つならば、規範のもつ性質は破壊される
5、これは必然的に規範へのコミットメントそのものを破壊する
こんな感じ
744 :
天才君:2008/08/31(日) 09:00:39 0
>>741 実に個人的なご意見、ご感想を拝見しました。
>ライオンにとって数学を理解できないことが、数学の客観性を崩しはしないだろ
ライオンからみれば、人間の客観性など崩す以前に有害でしょう。
人間ほど他の生命にとって脅威・支配的な動物はいないですから。
>規範は人間の言語文化の象徴的
規範は建前であって、個人的理念や動機が根底にあります。
規範的発言形態に化けた、支配的理念・攻撃的動機・欺瞞などは、
規範以前の問題になります。
ややもすると、規範さえまもればなにをしてもよいという風土ができあがります。
というかそれが現在の地球環境でしょう。私はそれを認めているというだけです。
あなたは、人間のしている事を認めているのでしょうか?
> ところで天才君は、言葉を話す長靴を履いた猫が出てきたらどうする?
その論理的前提は、擬人化ですね。私は言葉を話すネコがでてきたら、
言葉を話すネコと話しますし、言葉を理解できない幼ヘレンには、
言葉を理解できない幼ヘレンとして言葉では無い手段をもちいて
関わるでしょう。それが人間です。こちらの都合を強要はしません。
全ての存在はそれ自体で完璧であるというのが私の思想および論理の大前提です。
745 :
天才君:2008/08/31(日) 09:07:33 0
>>742 真理の表現が二転三転と変わる真理の一つとして、「規範的真理観」から、
「形式的真理観」と姿を変えて、論理の再構築を個人的な作為によって
行われようとしています。
>>743 この1〜5が、あなたにとっての言論活動の規範であり、ルールという
告白ですね。
以上が私、天才君の直観的真理観に基づく、形式的真理観です。
天才君
まぁ、俺は自分の発言内容の実り豊かさに自信を持っているから
天才君の無理解な攻撃はスルーするよ
しかし、君の発言は誤解と偏見に満ちているね
さて、天才君は言葉をどう考えますか?
「カレー」と名付けられたウンコと
「ウンコ」と名付けられたカレー
天才君はどちらを食しますか?
子供クイズの改良版俺バージョンだ
暇だから、ルールについて軽く説明
天才君などは、「ルール」という語にアレルギーをもっていそうだ
俺の対話相手も誤解をもっているかもしれん
だが、リアルで子供と触れあうことが多い俺は天才君に挑戦的な発言をしようと思う
それは、「子供はルールの中でこそ生き生きと行動する」というテーゼだ
俺が以前に天才君の返答の予測がついたのは、
天才君の言語感覚、天才君の隠された真理観に見当がついていたからだし、
「生き生き」という言葉は実は天才君の直観に頼られることなく語られた発言だ(だからこそ見当がつくというもの)
俺はリアルでは一歳から五歳ぐらいの子供と触れ合うことが多いが
言葉を操る子供の創造力には感心させられる
驚嘆するのはその言い訳のとめどなさだ
われわれの会話行為がすでにルールを前提としたゲームの性質をもつが
言葉の意味内容の無限性を担保するものとして
「ルールはエクスキューズ(言い訳)を許容する」という点にある
もちろん、エクスキューズにも内容豊かなもの、くだらないもの、多々あるし
子供のそれはたいていくだらないものだが
個々の言い訳に注意を払うと、ここの2ちゃんねらーより豊かな言葉の使い方をしていて、思わず微笑んでしまう
続き
それは一歳(今月で二歳だ)の子供の「パーパ」「マーマ」「んぐんぐ」よりずっと豊かだ
そういや、若い男には見境なく「パーパ」と呼んでいるから、語の区別がついてないか
もしくは、すでにして男殺しの魔性の女か、だ
これは、言葉の叙述機能、議論機能が、
それより劣位とされる表出、信号機能より
豊かで無限の創造性を秘めた能力をもっている現れではないか
ま、こんなのは暇潰しの駄弁だが
天才君が言う「生き生き」という言葉には天才君が感じたリアリティーさが含まれていない
掃き溜めにて鶴を探す
750 :
天才君:2008/08/31(日) 11:19:29 0
>>746-748 私の発言を攻撃などと受け取る事自体が偏見です。
ただ、発言しているだけです。そこに人格を認める事は、
他者の非個人性である論理を認めないという事です。
> 「カレー」と名付けられたウンコと
>「ウンコ」と名付けられたカレー
> 天才君はどちらを食しますか?
現物を見て判断します。だから今は食べられません。
双方言語だものね。
> 天才君などは、「ルール」という語にアレルギーをもっていそうだ
ルールにアレルギーをもっているのではなく、ルールの作り手の
作為性を認めているだけです。
> 天才君が言う「生き生き」という言葉には天才君が感じたリアリティーさが含まれていない
あなたの感受性の問題ではないでしょうか?私は私自体で完璧だもの。
もちろんあなたはあなた自体で完璧だもの。みんな生き生きしてる。
751 :
天才君:2008/08/31(日) 11:22:13 0
752 :
天才君:2008/08/31(日) 11:31:58 0
私も子供論を語るならば、
子供と接する時は、自分も子供になっています。
子供を評価する立場に立つ、あるいは解釈する立場に立つのは自由ですが、
私は子供でもあります。
子供も子供自体で完璧です。まさに生き生きしてます。
生き生きのリアリティーなどと難しい事など考えない。
私は今でも生き生きとこれを書いている。
天才君
「規範を実行する」とは奇異な表現ですね
わたしは今までルールを実行したことは一度もありませんよ
天才君の表現は奇特すぎてその言いたいところが伝わらないもの
場合によっては誤解を生じさせるもの
しかし、中には哲学問題に触れている発言をしているものもあるから
いずれ、わたしが分かりやすく問題提起して批判してあげますよ
天才君のような人間がいなければ、俺が提出したいくつかの懐疑はあまりにも馬鹿馬鹿しくて検討する必要すらなくなる
それだけでも天才君の発言には価値はある
よかったね
さて、「ゲームをしない赤子」は生き生きとしているのか、していないのか
それは「名付けられたカレー」の如く、言葉だけのものだ
天才君は「生き生き」という言葉を形容詞として使うルールに反しているように思える
754 :
考える名無しさん:2008/08/31(日) 12:03:40 0
>>720>>721 は
>>549 だろう? 前述のように、一等もっともらしく読める。
あの天才君も歌うのをやめて、耳を傾け、聞きほれ感心したほどだ。w
捨てコテ使用を希望。
携帯君は色々な人たちと議論をかさねてきたが、結局、ケンカ別れに終わる
という愚を繰り返している。この人の言う「客観的規範」が幻想にすぎず、
相手とのあいだで「規則」が成立しなかったのだろう。
そろそろ「言語」について語りあえばどうか。スレの流れは、この問題に突き
当たっているようにみえる。
754
肝心なことを分かっていない
俺は哲学界の非常識野郎だぜ
1、議論はケンカ別れに終わる議論が理想的だと俺は考えている
2、規則の共有も議論には不必要だと俺は考えている
(ただし「規則がない」という考えにはその限りではない)
2補足、そもそも規則が共有されては豊かな議論にはならない
(俺と素人で面白い議論ができないのはそのせい)
3、議論において「同意」や「承認」はむしろ害悪
4、議論において、決定的論破を求めない
5、ついでに、できるだけ非常識なことを言おうとしている
6、ただし合理主義的態度にのっとったままで
ここらへんが俺のスタンス
無茶苦茶だろw
このスタンスで丁寧語で議論をふっかけるのよ
でも、これで形而下の話しになるとまともな議論人になってしまうのよ
756 :
考える名無しさん:2008/08/31(日) 12:59:43 0
狭義の(言語)ゲームでは、ルールのもとで勝敗が決するか引き分けに終わる。
君の議論は、どこにも落ち着かない。
しかしもしかすれば、それこそが世界(という言語ゲーム)の“実相”に近い終わり方かもしれぬ。w
君と素人君で共有する規則は、ごく僅かだ。彼は、君の問題意識に感心がないか、
理解していないかのどちらか。彼が粘着してきたのか最高位、そして私w。
どう転ぶかは別として、二人となら議論らしきことができるという幻想を、彼は
持っているのではないか。私見だが。
756
素人君は俺と違って常識人だからねぇ
ただ、ある大きい伝統が俺と同じなんだよ
そして、それに懐疑の目をむけている以上、関心は共有されている
文章を見ればどんな本を読んできたかはうっすら分かるだろ
で、彼が行った批判は俺もとっくに承知なのよ
で、それが分かる以上、だいたいの共有される考えは想像がつく
お互いになあなあの議論にしかならん
ちょっと会話したら同意ばかりで発展しなかっただろう
あんな感じさ
追加
756
詰め将棋と指し将棋の違いさ
そしてこれは、パズルとゲームの違いと理解すればいい
実際のゲームはゲーム外のことで勝敗を決させる
そりゃいつまでもやってられないし
人間には生活があるからな
でも名人クラスは負けた後も将棋を考えて再戦を挑むだろ
彼らの中では将棋に終わりはない
死ぬまで将棋
議論だってそう、死ぬまで議論
将棋も議論も終わりはないし
ある意味では勝者は誰もいないんだよ
せいぜい時の運で一時の名声を得るだけ
議論の為の議論か
まさに2chを象徴してるな
答えを出すための議論だとか
同意に至るための議論だとか考えるから
議論の内部に何らかの権威付けが発生する
俺を誤解していた連中が一様に権威を気にしてたのには苦笑せざるをえなかった
じゃあ議論の目的って何よ?ってことだな
将棋の目的が詰みであるように
議論の目的は真理の獲得だ
でも、これはゲームのルールに組み込まれた擬似的な目的だ
じゃあ、われわれは、なぜ議論というゲームへの参加を求めるのか
それは、自らの考えを、他人の考えや現実と照らし合わせながら、より発展させ
自らの考えの欠陥や課題を明確にすると共に
対象についての理解や他者についての理解を深めるためである
そこにあるのは他者(人外を含む)と対話しようとする精神だ
ちなみに2ちゃんの議論は
この対話精神はほとんどない
FAという表現が2ちゃんではよく使われるけど
答えをFA化してしまうことは、異なる意見の排除や対話の断絶を招く
このFAが形而上学的な権威理念なのさ
だから権威付けのない議論をするには、
最初からFAを求めない議論をすればいいんだよ
ああ、そうそう
俺はFAを放棄しているから
同意や承認などの本人の意思を最終根拠とするのにも反対だし(最終根拠自体に反対だから)
ルールに「承認」をもちこんだりするのにも反対なんだよね
だから俺は全会一致にも反対になる
「俺も含めて皆が賛同した
でも、ちょっと待て
本当にそれでいいのか?
賛成はしたけれど、反論させろ」
こんな感じ
うざい?
763 :
素人:2008/08/31(日) 16:21:52 0
今、所属業界(www)にとっての裁判員制度についての勉強会のために、
自分用のメモ&レジュメを作成してるので、ROM専になりつつあるw
気になったレスはメモパッドにコピペしてあるので、いずれ横槍、返答等するつもりではある。
(最高位氏のような無視や逃亡ではないので・・・w とりあえず言い訳までw)
さて、もし、ゾル君が裁判員に選ばれたらどんな議論になるだろうね・・w
他の参加者は辟易するかもしれんw
ネコが選ばれたら? 議長的役割を担う裁判官は苦労するだろうな・・・www
検察側も弁護側も、証拠の信頼性をどう納得させるか苦労するだろうなwww
無作為選出だが、偶然にも、もし、もし、ねらーばかり集まったとしたら・・・
もし、このスレの住人ばかりが集まったとしたら・・・
考えただけでも、空恐ろしいwwwwwwwwww
あー、大丈夫
リアルでは議長をやらせば綺麗にまとめて進行させれる自信はある
哲学の世界だからちょっと無茶をやってるだけで
実際は口論があればすぐに仲裁に出かける森先生同様、
無駄な口論を省いて議論を円滑に進めるよう努力するだろう
むしろ、「世界平和」や「最高善」「客観」のような理念なくして、この態度はありえないんだ
ポイントはだ
議論と投票には断絶があるという一点だよ
765 :
考える名無しさん:2008/08/31(日) 16:43:28 0
なめた口きいていい?
俺はこの立場も相まって
議論をする能力がとても高いんだ
しょうもない奴は簡単に考えが流されちゃう
だからリアルでは簡単には自分の意見を言わないようにしている
このスレでも当初そうしてたけど、問題整理に勤しんだり、違う見解を出したり、進行役に徹する
俺の意見に流されない我が強い人にははっきり批判的意見を言うけどね
で、そうするのは投票の結果がどっちでも大差ないだろうと思っているから。
「有罪にしなくちゃならない」
「救わなければならない」「民主党でなければならない」
「共和党でなければならない」
そんなチンケな使命感はいらない
自分が意見を言うことで、自分と同じ意見の者が増えるのは嫌なんだ
ああ、でも自信ないかもなー
世の中にはしょーもないバカがいるからなー
レッテル貼られるのもよくあること
それ以前に、一般人は人格批判と結びつけやすいし
逆恨みは多いし
視野は狭いし
そういうのと関わりたくないって気持ちもあるな
理想的な議論人格ってなかなかいないんだよね
同じ学科の同窓ぐらいだよ
768 :
考える名無しさん:2008/08/31(日) 17:16:50 0
裁判長!
犯罪と刑期の関係についてご説明下さい。
769 :
考える名無しさん:2008/08/31(日) 17:26:03 0
DNA証拠の有効性は、文系の私が裁判員になった場合、理解できるまで
説明してもらえるのだろうか?
いや、検察官や弁護士は説明しないかな?
知らん
でもDNAの信頼性と、それがどれぐらいの確率なのかは必ず説明する義務はある
検事が説明するから耳を傾けとけ
というか、裁判での検事と弁護士のやりとりこそ議論の理想モデルだろ
検事と弁護士が相互了解に達したら恐ろしくね?
773 :
768:2008/08/31(日) 17:40:06 0
ん〜なにが大丈夫なのかはわからないが、
結局判決は多数決に成るのは、斬新だな。
裁判長!
被告は死刑でFAです!
弁護士制度は助かりたいための自己欺瞞です
映画BTTF2で弁護士制度が廃止になった司法があったな
パズル解きになった司法ほど怖いものはないよね
775 :
768:2008/08/31(日) 17:45:53 0
なぜその確率になるのかの説明まではしないのかな?
776 :
768:2008/08/31(日) 17:50:07 0
「俺にわかるように説明してくれなければ、DNAの証拠は
認められない」。
って俺が犯人なら言う。
そんなこといいから宿題やれよw
明日から新学期だろ?
778 :
768:2008/08/31(日) 17:52:44 0
そうならいいいね。
779 :
天才君:2008/08/31(日) 17:54:50 0
>>753 >天才君のような人間がいなければ、俺が提出したいくつかの懐疑は
>あまりにも馬鹿馬鹿しくて検討する必要すらなくなる
つまり天才君の存在によって、あなたは懐疑というゲームをプレイすることが
できた。素晴らしい事でしょう。
> 天才君は「生き生き」という言葉を形容詞として使うルールに反しているように思える
つまり天才君ルール違反者と言いたいわけですね。
しかし、裁判官達は反対しなかったのかね・・・?
明らかに心労が増すだろうに・・・w
>>772 明らかに有罪を免れない場合、弁護側は量刑の軽減を目指すことになる。(それが弁護士の仕事だろう。)
現に「事実関係を争う必要が無い場合(有罪が確実な場合)、その量刑について(のみ)評議することになります」とQ&Aは答えている。
(一応、事実かどうかの議論はするらしいけどw)
さて、ここで、刑を重くするか軽くするか、
(更生可能性とか情状の吟味とか色々あるだろうが)その基準は、何に拠るべきだろう?
庶民感覚?一般的感覚?判例?被害者サイドへの同情?被告サイドへの同情?正義感?
ぶっちゃけ、今の日本人に、こうしたことを考える頭があるかどうかがそもそも疑問なわけで・・・w
781 :
力学の天才君:2008/08/31(日) 18:05:12 0
ルールとは簡単な事ですよ。
提示者にとっては、「支配」の道具のようなものです。
またルールの追従者は、支配構造自体を受け入れてるだけです。
ルール自体を支配するものは、力です。人間社会での競争原理内では、
弱肉強食が支配します。
この点において天才君は常に勝者です。なぜならば完璧だからです。
最初から勝っている。被害者側ではなく、支配側でもない。
天下無敵という事です。この思想はなかなか理解しにくいと思います。
782 :
768:2008/08/31(日) 18:06:04 0
各犯人に裁判員制度がいいか、従来方式がいいか選ばせる。
783 :
21:2008/08/31(日) 23:07:51 0
>>754 >捨てコテ使用を希望。
名無し同士で誰が何を話しているのか分かり難くなりつつあるようなので
とりあえずコテ付けて書き込みます。‘21’=タイトルの番号
784 :
21:2008/08/31(日) 23:10:08 0
>>734等
私の疑問は
「客観」理念としての「言葉」や「ルール」が、一体どういう圧力になるのか?
ということにありました。この疑問について、幾分クリヤーになってきたように思います。
「直観的真理」と「形式的真理」という区分によって、貴兄は次のテーゼを立てました。
(1)形式的真理観は規範を成立させる
(2)直感的真理観は規範を成立させない
まずは(1)を検討した方がよさそうです。これは私の疑問とも重なりますし、正直よく意味が分かりません。
「規範の成立」とはどういう意味でしょう。
「規範は規則、法則の形をとる(Low、Rule)」(
>>743)ということですから、
「規範の成立」とは、「規則の成立」を意味するのでしょう。
この点について以前私は、
成立したりしなかったりするのはゲームであって規則(ルール)ではない、
と述べました(
>>233)。規則が成立する、の意味合いをよく掴めません。
そこで、私は、「規則の不成立」を、
「規則の不備(或いは規則がないこと)により‘ある種のゲーム’が成立しないこと」
と‘とりあえず’解釈します。
さて貴兄は、ゲームとそうでないものとの違いを「ルールの有無」だとしております(
>>732)。
ですから、上記‘ある種のゲーム’とは、当然、規則のあるゲーム、特に明示的規則のあるゲームのことだと思われます。
また、規則の不備として、貴兄は、「個別性を有する言葉」を内部に含むこと、を挙げています。
それを含むことで「普遍化可能性」が損なわれる、というのが不備の理由です。
つまり、規則は普遍化可能性を持っていなくてはならない、と貴兄は主張しているように思われます。
以上をまとめると、「規範の成立」は、
普遍化可能性のある(明示的)規則に則ったゲームの成立
と言い換えられるでしょう。
続く
785 :
21:2008/08/31(日) 23:11:53 0
>>783 続き
では、この場合、なにを根拠に「規則に則ったゲームの成立・不成立」を判定するのでしょう。
私は
>>367で「客観性」の実質的内容が「相互承認」であると指摘しました。
規則に則っているかどうかの判定は、この「相互承認」、あるいは「相互チェック」を経ずにはありえないように思います。
規則に則ったゲームでは、少なくとも、
・各プレイヤーが(普遍化可能な)規則をそれなりに把握する、
・各プレイヤーがその把握に基づいて(普遍化可能な)規則に従っているか否かをそれなりに判断する、
・プレイヤー同士で互い判断の一致を承認(チェック)し合う、
というプロセスが存在していると思います。
実際、ゲームに参加している各プレイヤーは、
・それなりに把握した規則に則ってそれなりにプレイをし、
・プレイが規則に則っているかどうかをそれなりに判断し、
・その判断が他のプレイヤーと一致することをそれなりに信頼している
はずです。
上記のどれかが欠けても‘規則に則っている’ゲームは成立しないように思います。
もっと云えば、規則がどうであれ(たとえ不備のある規則でも)、規則に則っているかどうかは、
「相互承認・相互チェック」にかかっていると思います。
しかし、そうすると、私が何度か指摘してきたことが繰り返されることになります。
すなわち、上記の各プロセスの遂行は、プレイヤーの「誠実性」にかかっているという指摘です。
直観に基づく「誠実性」が、貴兄の表現する‘圧力’として作用するからこそ、
上記の各プロセスがそれなりに遂行され、「規則に則ったゲーム」がそれなりに成立するのではないでしょうか。
天才くんは仏陀みたいだなw
カッコイイ
21
修正一点
・ルールが非明示的であれゲームは成立する
実際、われわれの会話のルールは非明示的である
・規範の成立
規範について説明するにはあなたは「承認」という規範を認めているので幾分かやりやすいです
以下はサールの定式
1、ジョーンズは「スミス、私はこれをもって君に5ドル払うことを約束する」という言葉を口にした
2、ジョーンズはスミスに5ドル支払うと約束した
3、ジョーンズは自らをスミスに5ドル払うという義務の拘束下においた
4、ジョーンズはスミスに5ドル支払う義務の下にある
5、ジョーンズはスミスに5ドル払うべきである
ただし、この定式は哲学ではすでにミスを指摘されている
承認や相互承認を認めるあなたの一連の発言は
上の定式の流れを認めるものです
しかし、1から2への移行、もしくは2から3への移行には大きな隔たりがあると思いませんか?(実際、あるのです)
あなたは「承認」や「相互承認」によって、1〜5の一連の流れとその最終結論の圧力を認めることでしょう
しかし、ナマナマしい野性的事実(brute)だけを見るならば、この一連の導出は間違っているのです
以上の圧力を認めるには、われわれが何らかの規範の内部におり、ルールを外在的(超越的?)と見なす見方が成立している必要があります
これは言葉による会話においてもそうです
まとめると、こういう関係です
・「ルールを守る(これは自由な行為です)」という一連の規範的営みは
ルールを外在的(超越的?)なものと見なすことによって成立する
したがって、何らかの外在的なもの(超越的なもの?)を認めることは、
規範的営為を成立させる必須条件である
われわれの言葉を通した一連の営為も規範的性質をもつ以上
何らかの外在的(超越的?)なものを認めることは、言葉による対話を成立させるための必須条件でもある
・規則に則っている
わたしは、パズルではなくゲームと言いました
ここに焦点をあてて「規則に則る」という表現に焦点をあてます
パズルの代表、詰め将棋は「規則に則る」が重要です
では、ゲームの代表、指し将棋ではどうでしょうか?
ここでは、「規則を守る」「規則を破る」という表現が重要です
これでわたしは何を言いたいのでしょうか
それは、ルールとは「守る」か「破る」かのものであると言うことで、
「ルール」という語に何人か(天才君を含め)が感じる抑圧感を消してしまうことです
・ここでわたしが焦点をあてているのは「ルール」概念であって、
既存の、もしくは何らかのルールではない
わたしは、ここで「何らかのルールを認めること」と「ルール無用」を対比させることで
モラルからノンモラルへの批判を試みているわけです
ごめん、アンモラルだ
・普遍化可能性について
子供が白線の上を歩くゲーム
しかし、白線がなくて子供は白くないところを歩く
「あれ?白くないところを踏んじゃダメなんでしょ?」
「3回だけ許されるの、これは1回目」
このエクスキューズは子供の言い分で、実際にはくだらないものです
しかし、このエクスキューズは言明に普遍化可能性をもたせている以上、
言い訳自体もルールとして十分通用するものです
ここで、子供(俊樹君)が「俊樹が認めた時は踏んでもいいの」とか答えるならば
これはその内容がルールの形式を破壊する発言であるため、認められないエクスキューズです
これは法の運用にも転用できます
「一般人は復讐法、奴隷は3倍」というハムラビ法典
弁護士が言う
「彼は奴隷と一般人のハーフだから量刑は2倍にすべきだ」
この発言も普遍化可能性を含みます
なぜなら弁護士は、「そこにいる被告だけでなく、同じ条件をもつ者は皆そうすべきである」と発言しているからです
では、これが
「彼は、世界のナベアツというたった一人の人間であり、その替わりはない固有な人物です
ですから、量刑は3倍ではなく2倍にすべきだ」
この発言は認められません
「固有性の理由付け」をエクスキューズとすることは、当初のルールの概念を破壊することにつながるからです
792 :
考える名無しさん:2008/09/01(月) 09:58:22 0
>>790 イン(ム)モラル。どちらでもいいのかな。
生活世界の規則である「法」は、たしかに超越的である。
では「法(規則)」を超越的たらしめているのは何だと考えているの?
それを言わないと、またそのことをこのスレと絡めて述べないと、
単なる薀蓄自慢に終わる。まぁ、自慢したらだめだという規則はないが。w
793 :
神と友達天才君:2008/09/01(月) 10:17:26 0
天才君は規範や規則という一定基準の制定は、人間の弱点を
補う人間の発明品であり、道具である。このように考えます。
天才君の規範というものがあるとするならば、
「殺さない。生かす」です。これは全ては存在する事を骨の髄まで
認めているという事です。といより知っています。
ところが、殺し屋は沢山いる。一番最初に殺すのが自分である。
私はダメだと思う。これは殺しである。
将来への不安。これも将来の殺しである。
あいつはダメなヤツだ。もう殺している。
そして、殺し屋でない者を殺し屋に仕立てるのが武士道のような
人間の弱点を名誉によって釣る、規範賛美を発明したりする。
宗教や天皇制も同じである。金持ちや、有名人、権力も同じである。
個人から観れば何かの象徴である。
まあ、「神」なんですがね。
私は道具の使い方を教える事や使う工夫はするが、道具に使われるような
事はしない。自分を見失うし危険であるし、道具によって自分が大きくなった
ような同一かする気分に興味がない。
794 :
神と友達天才君:2008/09/01(月) 10:25:38 0
天才君が「神」を、持ち出すのは理由がある。
この言葉から、様々な創造・想像が生まれるからである。
別に、「道」でも「私」「0」「∞」「xでもなんでもいいんだが…。
792
アンサー
「法」を非超越的と見なす視点がないこと
実際、わたしの対話相手ですら「承認」という規範がもたらす圧力を認めていた
あなたの問いはまるで「最終権威はどこにあるの?」と質問しているかのようだ
この問いは、「一切の規範的圧力を認めないということはありえるのか」
「規範の外部にいるかのように立ち振る舞うことはできるのか」
「そもそも、そんな地点、そんな外部は存在するのか」と変換できる
いわゆる「思考のアルキメデス点はあるのか」という問いです
796 :
神と友達天才君(おじゃまして…):2008/09/01(月) 10:43:56 0
みなさんの根本的な「神」は大抵、「現実」である。
私も「現実」を神の顕れとして、その中で生きている。
太陽は、その現れとしてもっとも象徴的である。
しかし、「現実」つまり惑星宇宙は神の一部である。
これは時空が神の一部であるというようなものである。
時空が全てであるというのが「現実」という既成概念である。
この範囲で分析検証するのが科学である。
アインシュタインの語録に面白い言葉がある。
「思考が身体(物質)に影響を及ぼす事を認める。」や、
「信じてもらえないかもしれないが、私の数式上では現在・過去・未来は同時に存在しているのです。」
彼は、はなから「現実」を認めつつ絶対を知っているわけです。
絶対とは、創造主です。つまり彼にとっては、「私」というものの正体です。
どうにでもなる。という事を。
797 :
考える名無しさん:2008/09/01(月) 11:56:15 0
>>792 最終的な答えなど聞いていない。いや、聞いているのかな?w
君が例にあげた子供の遊びにもあるルールを客観的(超越的)たらしめているのは
何か?という質問だ。私は、具体的に尋ねているのである。
「ルールを守るという規範的営みは、それを外在的(超越的)とみなすことによって
成立する」と君は述べている。
だから、私は「成員をして規則に超越性を認めさせるのは何か」を聴いているのである。
君が先にあげた1から5のなかで、たしかに2から3には跳躍を指摘できる。
ここに私的な約束から“公的なもの”への飛躍をみてもよい。
(変な言い方だが)その動因?は何だと考えているの?
天才君は一応、答えている。
798 :
天才君:2008/09/01(月) 12:23:48 0
議論の勝敗の本質とは何か?
とても馬鹿馬鹿しい問いですが…。
簡単な事である。
全てを生かす思想と、特定個人を殺し、自分が生きながらえる思想。
特定個人が生きながらえるには、全体を生かさなければならない。
この本質で勝敗は最初から決まっているのです。
個が全体に勝利できるはずがないのです。
全体の一部として個も存在しているからです。
よって共食い(対立)は、人減らしって事です。その勝敗の結果は、
上の通りです。
現在、全体から観れば、旧パラダイムの因子(個においても全体においても)
はその役を終えようとしています。
今後、新たなルールを創る事すらできない世界に突入していると思います。
2チャンネルが良い例です。外圧によって閉鎖する事ができない。
外圧によって敗北する思想は、そもそも全体自体(自分自身)と対立している。
わたしは、私的な約束も公的な約束もないと考える
その2つの区別は無意味です
そして、わたしは事実と規範の二元論の立場に立つ以上、
2から3への跳躍はできない、と考えます
(正確には、1から2が無理というのがわたしの立場)
いかなる原理を用いても1から5を導き出すことはできません
それがわたしの立場です
800 :
天才君:2008/09/01(月) 14:20:37 0
立場を明確に示してもらうと気持ちがいいね。
天才君の場合は、私的な約束も公的な約束も有ると考えるが故に、
自ら苦しみます。そうやって苦しむのが好きです。
801 :
考える名無しさん:2008/09/01(月) 16:05:44 0
>>798 <2チャンネルが良い例です。外圧によって閉鎖する事ができない。>
そういう「機密」情報を、どこから入手されているのですか?
802 :
天才君:2008/09/01(月) 17:05:20 0
>>801 私は、「外圧によって閉鎖する事ができない」といいました。
そこから連想される思いはあなたの思いです。
私が答えるべきものではないです。
あったまきて無意味とか言っちゃった
俺は「無意味」って言葉を禁じているのに
ちょっとその区別を説明してみて
>>799 さんは議論下手ですね。
相手の質問をずらす癖があります。
何を言いたいのかもよくわかりません。
あなたのところで議論がとまってしまいます。
あなたがここで語りたいことを簡潔にまとめていただけませんか。
とりあえず「事実」について。もう一つの「規範」についてもお願いします。
たくさん喋っていただいたわりには、主旨が不鮮明です。
21さんが代わりに語って下さってもかまいません。よろしくお願いします。
>>796 それは暑いとき寒いとき詰まり不快な時すなわち現実から逃げているということである。
憎しみが産まれる。
ネガティブの宇宙意識、それを無間地獄という意味で有る。
808 :
天才君:2008/09/02(火) 03:07:35 0
>>807 説明できたら「無の世界」ではないではなく、「<無の世界>という存在する世界」だよ。
809 :
21:2008/09/02(火) 09:52:15 0
>>787〜
>>791 遅レスご容赦をm__m
話が絞られてきたような気がする反面、私としては、ますます不明になってきておりますw
まず私の疑問は、話の当初からのものでありますが、
(非明示的でもあり得る)「客観」的な「規範(規則)」がどうして「圧力」になるのか?
という点です。
私は、主体の「分かっている/分かっていない」というフィーリングをベースに「圧力」をイメージしています。
すなわち「分かっている/分かっていない」というフィーリングが、
例えば、生徒が授業を受けたり、科学者が研究を行う際の姿勢に誠実さをもたらすような場面です。
貴兄の「圧力」は、おそらくこれとは全く異なることなのでしょう。
とても大事な観点を述べておられるようなのですが、今一つよく分かりません(と私は直観しています)。
貴兄が例として挙げた「約束という発言→約束を守るべき」までの5段階プロセスでは、
心的(内的)な2と3を飛ばしても、1によってジョーンズとスミスとの契約関係が成り立つので、
関係的(外的)には4と5が成り立つように思います。
この例で貴兄が問題にしているのは、「約束」という言葉が示すところの形式が実際に行われる(プレイされる)ときに
発言者が2と3のような心的意図を持っているならば、
発言者はその心的意図を持つことが「約束」という言葉の形式によって強いられている、
ということでしょうか。
それとも事実(である)から規範(であるべき)を合理的に導出できない、ということでしょうか。
合理的に導出できなくても、実際そうしているという事実によって、私は外在的(超越的?)なルールに拘束されていると。
しかし、何れにしても、私のイメージしている「圧力」とは違い、なんというか「準自然的な力に促されて運動している準自然現象」という感じを受けます。
自然現象において主体の責任は説明できないと思います。
810 :
21:2008/09/02(火) 09:57:47 0
また、話が少しそれるような気がしますが、「普遍化可能性」もよく分かりません。
固有的個別的な事柄を基準とする規則など幾らでもあるような気がするからです。
例えば法律では、施行日の前と後で適用されたりされなかったりしますが、
この施行日は固有的個別的ではないでしょうか。
また会社では「2万円以上の経費を使う場合には佐藤さんの了承を得てください」
などといったルールでも円滑に動いています。
むしろ「普遍化可能性」のある?次のような言い訳のほうが破壊的な場合があります。
「‘白線’においてその‘白さ’の基準が明示されていない以上、この一見灰色な部分を
‘白線’と判断することにつき如何なる理由で不当と言えるか根拠を提示すべきである」とか。
「普遍化可能性」ってどういう意味でそんなに大事なのでしょうか?
811 :
考える名無しさん:2008/09/02(火) 12:51:26 0
だからコミュニケーション能力のないやつ相手に
対話しようとしても時間の無駄だって。
相手の発言におかまいなしに自分の知ってることを垂れ流してるだけなんだから。
812 :
考える名無しさん:2008/09/02(火) 13:03:23 0
ゾルちゃんの広げたテーマはゾルちゃんの言語能力を超えています。
ラッセルの『入門』の再読から出直しです。
813 :
天才君:2008/09/02(火) 14:34:05 0
ある者が記述する発言には、記号しかない。
読み手が記述された記号をよむ事により、記号が意味を持ち、
その意味を読み手の想像で心像風景を作り出す。
それに対し、受け手の感情が反応するだけなのです。
自分の想像に自分が圧力を受けているわけです。
一方、我々は言語を通じて、他に対し、心の像を伝達している。
これをフィーリングと読んでもいい。
私天才君の作り出す、フィーリングは天才君独特のものだ。
人は聞き慣れない音や、物、味、その他なんでもいいが、
なんの反応もできないのである。
できないが故に、テキトウな解釈で見慣れないものを
自己規定するが、その規定内に聞き慣れない物の実体は
収まっているものでもない。
我々にとって、超越者とは、自分自身の想像外の他である。
当然みずからの内にも超越者はいる。制限無き自分である。
ま、野生の自分。自由な自分。本当の自分。などなど。
814 :
満豚:2008/09/02(火) 15:25:07 O
>>813 意味の心像説を今どき無批判に支持する人は少ないと思いますので気を付けたほうが良いと思いますよ。
815 :
考える名無しさん:2008/09/02(火) 15:38:40 0
そうかなぁ、ウィトゲンシュタインの批判は全く説得力がないけどね。
816 :
天才君:2008/09/02(火) 16:02:22 0
言葉は実体は何もなく、
あるのは響きだと天才君は考えます。
その響きをイメージして我々は、自分の記憶の引き出しから
類似品とてらして、これだ!あれだというのだと考えます。
よって響き自体に注目することが言葉のリアリティーだと
天才君は考えています。
ドカーンとか、オヤ、ドドドドというのは、あまり
意味の取り違いはない。なぜならば響きだからです。
しかし解釈が入ると違ってくる。
817 :
満豚:2008/09/02(火) 17:45:46 O
>>815 どのように説得力がないのかを是非聞かせて。
もしかしたら勉強になるかも。
ところが、ラッセルを使ってはいないんだよね
それぞれ対話を指定していないから、誰に対するレスか分からないだろうが
一貫性があるように読め
それと俺は、問題解決主義者だよ
俺はFAを出すつもりは最初からないんだよw
819 :
満豚:2008/09/02(火) 18:18:52 O
820 :
満豚:2008/09/02(火) 18:41:47 O
>>816 天才君、僕は君の文章から何のイメージもわかないや。
僕はいつも君の文章から、あれかなぁ?これかなぁ?
と解釈を重ねているがどこまでいってもやっぱり僕の解釈なんだよね。
結局何が言いたいの?
語の意味とは心に浮かぶイメージだと言いたいの?
もしも違うんならさぁ(どうも違うっぽいのだけれど)「意味」についての君の立場を説明してみて。
答えによっては君のつくる文章がホントに無意味になっちゃうよ。
821 :
考える名無しさん:2008/09/02(火) 18:56:18 0
>>817 その前提に、意味は主体から独立に存在するとしているから。
論証の前件がそうだから心像説が論理的に矛盾するのはあたりまえ。
822 :
満豚:2008/09/02(火) 19:01:09 O
>>813 いや君の「意味」に対する立場は間違いなく心像説だな。
ここのスレッドの問題上、
心像説という土台の上にはいかなる議論も価値を持たない
というのが僕の意見です。
823 :
考える名無しさん:2008/09/02(火) 19:45:52 0
言語による表現の意味が主体の恣意だけによるものでなんらの客観性もない
ならそんな言語は情報伝達手段として使えないことは確実だろう。
言語の意味がそれを受容した主体の心像であるからといってその心像の
個性による違いなんてたいした違いではないだろ。
心像説では言語ゲームが成り立たないなんて事はない。
824 :
満豚:2008/09/02(火) 19:54:03 O
明日きます。おやすみなさい。
825 :
天才君:2008/09/02(火) 21:05:47 0
>>820 私が何を言いたいのか?ですが。
他者の文章がここに書いてあるでしょう。まさに今読んでいるでしょう。
おそらく、黙読しているでしょう。しかし耳にも目にもなにも実体は無い。
しかし、他者の文章を読んでいる自分は言葉が響いているね、と、
こう読者に響かしているだけす。
解釈を介してしか理解というものに接した事のない人もいるし、
文章に内封された響きを感じ取れる人もいる。
要は、他者を知ることはできないのに、知ろうとする愚かしさを
延々と唱えているのです。他者を知ることができるというのは、
幻想です。とこう言っているようなものです。
826 :
考える名無しさん:2008/09/02(火) 21:10:46 0
まぁそうなんだが、その幻想をたどって、
思わぬ拾いモノもあるんじゃ。。。
立ちしょんの的あると、やりやすい。
827 :
天才君:2008/09/02(火) 22:05:40 0
他者を知ることはできないのですから、
このスレは有益なのですが、
依然として、私を記述する人の数よりも、他者を記述したい人が
圧倒的多数である。しかも、知りようもない他者に向かって、
否定したり反論したりしている。
自分自身を知らないと言わざるを得ない。
この社会はそれがまかり通っている。
それを現実といい。またそうでない行為を現実逃避という。
本末転倒である。
そういう人達は、見たえるものしか信じない。
ならば、「私」自身を信じられない訳なのです。
よってそのような人がもっとも欲しがるものは単なる同意である。
天才君は、欲しがるものを与える事はできない。
なぜならば、既に持っているんだからね。「私」というものは全ての人が。
天才君
世の中には、同意ではなく反論を求めて議論をする人もいる
そういう人たちこそ本来ある哲学に携わる人たちだと思わないか?
819
FAはファイナルアンサーの2ちゃん用語
俺は回答を一つに固定するような論述はしたくないんだ
回答を一つにしなくとも、批判や論述は可能か
「可能である」が俺の答え
830 :
天才君:2008/09/03(水) 09:05:55 0
一方、物質を考える事により、「私」自身を知るという手法もある。
原点は、「私」を知ろうとしているのだが、物質の成り立ちを
観察すれば、物質は観点によって様々に変化する事が理解できる。
これは、「私」自身の観点を知ろうとするのに役に立つ。
つまり物質に関わる事は全て、「私」自身の観点に関わる事で、
要するに、物質が気になる人は、「私」の位置を知りたい訳だ。
位置と言ったのは訳がある。実際「私」は無形でかつ有形であるのだが、
そんな事を言っても物質しか見えない人には解らない。「私」とて、
体しか見えないのであるから…。
よって「位置」ならば、目に見える空間として想像しやすい。
物質は想定として何処かに在るという前提で想像されるからである。
ま、その想像自体も「私」の想像であるのだが、仮想点を作る理由は、
自分の観点で物質を見る物質しか目に入らない「私」の特徴であるし、
それしか手段が無い。
「私」を考える手法の一つとして、他者は物質と思えばよい。こう考えると、
他者への否定反論はこの意味において無意味である、物質がしゃべるわけがない。
物質の成り立ち、何故、そのような発言に至ったのかを知らねばならぬ。
21
・普遍化可能性がどういう意味で大事か
いかなる規範も形式的禁止を含む以上、
規則という形式をとる必要がある
しかし、規則という形式が何らかの禁止を含んでいる
これは(想像も含めた)いかなるルールも、それが「ルール」という形式をとる以上、ある価値を含むということである
もし、価値相対主義者がいたら次のように言うだろう
いかなる規範も相対的であるのだから、
「何らかのルールを認める」規範も、
「いかなるルールを認めない」ことも、等しく相対的である
この問いへの反論がわたしの意図するところです
下のルールの圧力を認めない人を、エゴイズム(ego-ism )と呼ぶらしいので
わたしの目的とするところはエゴイズム批判です
ルールが価値を含むのはわかるが、ルールが普遍化可能なもので
なくてはならない(固有名詞を含んではならない)理由がわからない。
ルールが一定不変のものでなくてはならない(コロコロ変わってはならない)
理由もわからない。
・普遍化可能性
実は固有名詞以外でもこれに抵触することはあります
マンガの「幽遊白書」で、タブーとなる言葉が一秒ごとに増えていくというルールがありましたが、
これもルールの成立を満たしています
「一秒」が普遍化可能性を満たすからです
これが敵の恣意(ego)によりタブーとなる言葉が増えたり減ったりするならば、それは最初からルールではないのです
では会計課の佐藤さんは?
これは佐藤さんが恣意的に判断しない、という前提のもとに発言されています
佐藤さんは何らかの基準に従い、好き勝手に経費を認めたり認めなかったりする人ではないのでしょう
経費で落とすことを断られた人が食って掛かります
「なんで認めてくれないんですか?」
佐藤さんは何と答えるのでしょう
「わたしの判断で経費を判断するのがルールなのだから、わたしがNOと言えばNOだ」
832
ちょうど上で説明した
ルールは変わってもいい
ただ、ルールはその形式上、ルール無用を禁止している
このルールが含む禁止は固有的(個別的)説明の禁止とまとめることができる
追加、
ルールが価値を含むのではなく、
「ルール」という形式が価値を含む
規範的相対主義から価値相対主義への批判だ
>>334はすごいな。
福田元首相の言葉を予知している。
21
・圧力
これに関しては、わたしから質問させてください
なぜ、あなたは「了承」によって圧力を認めることができるのですか?
「了承」によって圧力を認めることができる理由がわかりません
アネモネ
ちなみに799はネコに向けての言葉だ
ネコの言葉でぶちぎれて、怒りに身を任せて書いただけ
「私的な約束」とか「公的な約束」とか言われたから
「私的な約束なんて、最初から矛盾しているだろ。
例え、自分専用のルールだろうと、自分に課している以上、それは本人にとっては公的なものだろ」と思ったんだが
それを口に出さずに、「その表現で何を問題にしたいのか説明してくれ」と言っただけ
てす
840 :
考える名無しさん:2008/09/03(水) 11:12:13 0
おれたちはコインロッカーベイビーズだ。
書き込み規制くらった
21
・施行日、佐藤さんの例は普遍化可能性の例に反するのか
「あなたは、9月1日以降、このルールに従わなければならない」
このことで発言者は何を言おうとしているのでしょうか
「なぜですか?」
この質問に「法案が9月1日から試行されるから」
これは「試行された法案には従わなければならない」という普遍化可能な規範言明です
(試行された日であれば、9月1日だろうが、9月2日だろうがかまわない)
そうではなく「試行されたのがいつかとは関係ない
9月1日という日は9月2日とは違うから」
この答えは普遍化可能性を満たしません
「会計課の佐藤さんの判断に従ってください」
これも、佐藤さんが異動したり会社をやめたら効果を失うものという暗黙の前提の上に語られています
ここでのルールは「会計課のハンコがない経費は認めるべきではない」という規範であって普遍化可能です(ハンコを押すのは佐藤さんでも鈴木さんでもかまわない)
「会社をやめた佐藤さんだろうと、佐藤さんのハンコが必要だ」と言うならば
それは佐藤さんというたった一人しかいない固有性を理由付けにしているので
普遍化不可能なのです
わたしは、この普遍化可能性をもって何を言おうとしているのか
「わたし(ego)にとって『真理』と感じるフィーリングこそが真理である」という説明は、
この普遍化可能性をもたない以上
規範へのコミットメントそのものを破壊するということです
直観主義的真理観は、その定義上、自らの可謬性を破壊し、規範を形成せず
結果として、他者との会話的連帯を破壊する
これが、わたしが言おうとしている直観主義批判です
独我論は初めから普遍化可能性を持たないように思うが、
違うか。
843
もたないのではなく、気にかけないんでしょう
「気にかけろ」と言っているわけでもない
むしろ、そのように言葉を使う方が間違っているんじゃないか
独我論こそ正しい言葉の使い方なんじゃないかとすら思っている
845 :
考える名無しさん:2008/09/03(水) 12:08:54 0
>>842 そういうものが一つくらいあってもじゃまにはならないんじゃない
846 :
天才君:2008/09/03(水) 12:12:27 0
他者との会話的連帯という言葉がでてきたけれど、
連帯する為に会話するのではないからね。
天才君は本当は、天才君の思っている事そのまま
他に伝わるといいのにな?と思うのですが、
それができないから、仕方なく言葉を使ってる。
会話というセッションが目的ではなく、
共感こそ天才君の目的だから、会話的連帯など、
別に破壊してもいいと思ってる。
というか、会話的連帯は目的ではない。
このように天才君は考えますよ。
847 :
天才君:2008/09/03(水) 12:16:31 0
天才君は、あんまり文字では雑談をしないからね。
雑談ならば、雑談そのものが目的だから、
会話的連帯の為のルールはあるだろうね。
馴れ合う楽しさってのもあるしね。
天才君は音による雑談(おしゃべり)はするが、
文字による雑談はあまりしないから。文字雑談する人と
価値を異にするかもしれないです。
848 :
考える名無しさん:2008/09/03(水) 12:27:15 0
天才君、初めのころは神がどうのこうのって言ってたり、
名前をころころ変えるのがうっとおしかったからまったく読んでなかったけど、なかなかわかってるね。
でも「天才君」ていうのはやめたほうがいいんじゃないかな。
849 :
◆TANPanX3xc :2008/09/03(水) 13:29:43 0
旗から見れば、「臭そうなヲタク」
君。マジで大丈夫なのか?
天才君とかいう虚けwwwwww
850 :
◆TANPanX3xc :2008/09/03(水) 13:32:07 0
二度は噛み付かない。
っつか、認識出来るほどの事と書いてから出直して?
あはははは。
頼んだよ?
ちなみに俺と天才君では「馴れ合い」という言葉の使い方が違う
天才君の目的は「共感」だが
会話的連帯は「共感の不在における相互理解に向けての営み」ということで
天才君のような「共感」のみを目的とする者にはできない営為だ
だが、共感こそが人間にとっての真実の目的であって
共感の不在において他者と寛容の精神をもって会話によってつながりを持つことは悪なのではないか?という疑念が生じる
このような疑念を生じさせるためにも
天才君の書き込みは重要な意味がある
852 :
天才君:2008/09/03(水) 13:49:25 0
>>848 今は話し流しているだけです。
天才君の話は神も無限も、あらゆる事がでてきます。
天才君故にでしょう。
>>850 >二度は噛み付かない。
嘘だと思います。
853 :
チキン:2008/09/03(水) 13:54:55 0
その髪を切れ か
チキンはきちんと好き
目的合理性追求
は自己正当化へ
そして破滅
どこかで断ち切るもしくは
いっとき忘れる必要性
忘れられないというのは辛いこと
もはや 進むしかない
原因は常に私的
855 :
考える名無しさん:2008/09/03(水) 16:02:46 0
>>携帯君
君は、骨子を先に述べる癖をつける必要がある。とくに、こういう場では。
君の問題提起を(割と)きちんと受けとっているのは21氏くらいではないか。
わかっている範囲で(自信はないがw)質問してみる。
君は恋人の話をしたりもする、ここでは奇特な人だが、たとえば閨(古いなぁw)で
交わされる約束に類する言葉に、どんな拘束力があるの? これは、どこまでも
“私的”といえるのではないの?
経理の事例は、ある程度の規模の組織についてなら言える。しかし、中小企業では
だれが決済するかは固有名と切り離せない。
家族のなかの様々な決め事は、もっと固有名に依存する。ここにもルールはあるが、
普遍化(一般化のほうがいいのでは)の可能性は薄いように思える。
翻って、先にみた大組織における一般化(標準化)を可能にしているのは何だと
君は考えているの?
要するに、君はここで何を問い、何を語ろうとしているの?w 端的にお願いしたい。
というか、他の人たちはわかっているの? もしそうなら、教えていただきたい。
ネコ
思うに、俺の問題提起を受け取ってくれているのは天才君です
21は、自分のスタンスから議論を続けているだけで、
問題の共有(これは俺の立場にとって重要な概念)はなされていないるのか微妙だなぁという感じ
俺の抱える問題は「真理理念の擁護」「理性の擁護」
ひいては、知を愛する行為、哲学(合理主義哲学)の擁護にあります
実存主義哲学の登場
レヴィ・ストロースの文化相対主義的などから
哲学では相対主義が知的に解明な見地であるかのように見られ、
哲学に関わる一般人(なんて変な表現だろう)には、相対主義的態度が蔓延した
この相対主義の流行により、
言葉の内容に注目し、その正否を問題にするような熱い議論を「カッコワルイ」と捨てるような態度が蔓延した
発言の内容を検討する以前に、「ナニアツクナッチャッテンノ」と議論に真摯に向き合っている態度をもって切り捨てる
そもそも熱く議論することなどあるはずがないのだから
熱く論じている者はそれだけで間違っている(笑いの的になる)
このような現代の状況と、それに付随するウンコな言葉の氾濫に、個人的にイライラきていた
そして、言葉の内容に着目する熱い議論の復古には、伝統的真理理念の復古なくしてないと考え
「真理」について批判する数多くの言説と向き合い
その批判を受けきることで
言葉の内容の正否を問う一つの規範に属する伝統的な批判的議論の行方を検討する
それが俺のメインテーマです
857 :
満豚:2008/09/03(水) 18:27:59 O
>>823 心像説について説明してみて。
もしも君の言っていることが正しいのなら勉強になる。
858 :
満豚:2008/09/03(水) 18:32:51 O
>>825 天才君、全然会話が成立していないような気がするんだけど。
僕は「意味」に対する君の立場を説明してと言ったんだよ。
そのことを踏まえてもう一度お願い。
21との議論などもあるが
すべてはそのメインテーマの付属物です
というか、哲学者の議論だってメインテーマは実際の生活、われわれの世界に接したものです
ただ細かい議論を続けていく内に形而上学的理念を駆使した細かい争いになる
そこで細かい専門的な議論になる
ひとつひとつの批判や反論にもそれぞれ細かい立場の違いがある以上、検討はより細かいものになる
ただそれだけです
そして一見近い立場であろうと熱い議論が生じ
一見、程遠い立場だろうとお互いを尊重した態度が生じる
天才君がわたしに向けた言葉には誤解があって厳しい言葉もありましたが
彼がわたしに何か反論したいことはないはずです
わたしは、天才君からの可能的反論のほとんどに答えられるよう自らの考えを検討している
というのも、わたしの想像における対話相手は天才君だからです(または、それに比類する者)
だから、わたしは天才君に積極的に絡むわけです
854
「合理性」を「最終的答えを出すこと」とは切り離せないと考えてないか?
わたしは「切り離せる」と答えたい
つまり、「自己正当化」ではなく「自己批判」を目的とした合理性
これが残っている
(もともと哲学の伝統にはすでにあった)
この自己批判による合理性は破滅を導くのか?
答えはまだ出ていないはずだ
861 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/09/03(水) 19:33:57 0
>>858 真理とは、(自然)科学である。それ以外は相対的。
862 :
考える名無しさん:2008/09/03(水) 19:35:25 0
>>856 その言い分には納得しかねる。君は内容(意味)に質問が及べば、必ず
はぐらかしてきたからだ。そして、問題意識や“哲学”学的知見を披瀝
して、その場をとり繕う。
今回もそう。
>>855 の疑問には答えていない。
“私的約束”は成立するの?しないの? 普遍化(一般化)を拒絶すること
によって成り立つルールにはマイナス点がつけられるの?
君は、その公言していることとは裏腹に典型的な形式主義者にしかみえない。
863 :
考える名無しさん:2008/09/03(水) 19:38:28 0
自然科学も観測者の感覚に依存し、言葉で記述される以上、相対的。
・私的約束は成立するのか?
→しない
(ただし「私的約束」という言葉でネコが何を言おうとしていたかは知らない)
・普遍化を拒絶したルールのマイナス点は?
→そもそもそんなものはルールではない
悪いけど、こういうのに答えるのは今回だけのサービスだぜ
俺は携帯から、「恣意」や「形而上学」や他、諸々の哲学用語が変換できないのに書き込んでるんだぜ
つまらん質問に答えさせるな
とりあえずな、「普遍化不可能なルールのマイナス点は?」なんて質問されたら
俺が大学講師なら「お前は何を聞いてたんだ」と落第させるぜ
866 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/09/03(水) 19:58:57 0
>>865 観測者の感覚を科学的反証性によって真と偽を確かめるのに使い、ある一定のモデルに
自然観を収束させる。最先端のところでは見方は相対的というか、多様であるが、
その意見をぶつけ合って、正しい物を見つけ合うという行為は科学のみ。いっぽう、
哲学等の人間科学は、各人間の歴史、国語とうによっているので、相対的。
これからの趨勢は一般的人間を採択するかもしれない(ユネスコ憲章)。
この勉強をした時のテストがあるぜ
「天皇は現人神であるがゆえ、主権は天皇にある」
この言明は普遍化可能性をもつかどうか?ってテスト
普遍化可能性が何を禁止しているのか理解すれば答えは簡単
(用語の理解は、その語が何を禁止しているのかを理解すれば簡単)
「万有引力の法則」は
「互いに引っ張り合わない存在の禁止」に変換できる
Ab
俺は、自然科学と社会科学を区別することには反対
多様な意見をぶつけ合うというのは(哲学を含めて)すべて一緒
(人文を入れたいんだけど入れられないのが悲しいところ)
また、自然科学だって理論は多様だ
見解が一致するなんてのはつまらん
科学者は科学理論のうちのどの理論に反論してもいい
つーか、いかなるルール(規則)もそれがルールの形式をとる以上禁止しているものがあるんだぜ
数学も、プラス関数やクァス関数以外に、記号の意味が一秒ごとに変化する幽遊関数をつくったとしてもだ
どの関数もが、規則という性質をもっている以上、禁止しているものがあるんだぜ
それが固有的区別なんだよ
870 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/09/03(水) 20:21:14 0
>>870 人文社会科学には、歴史と出自という重要な要素がある。つまり、過去については自分固有の物であり、
それを否定すると、殺し合い(戦争)になる。つまり、必然的に文化は多様なのである。それが本来的
でもある。自然科学はそれとは違って、自然の裁判に理論はかけられ、その運動が進むにつれて
真偽が判断される(同じこと書いてすみません)。人文社会科学は、時の判断に任せると、ヒットラー
とかが現れてめちゃくちゃにしてしまう、などに代表されるように、常に移りゆく。
871 :
考える名無しさん:2008/09/03(水) 20:43:14 0
私ってなによ
難しいことはよくわかりませんが、
“ルール”と言おうが“規範”と言おうが“規則”と言おうが、
それらを貫いている、一つ大きな共通点があるんじゃないでしょうか・・・。
「制限が生じている」 という・・・。
別の言い方をすると、「アレとコレとが区別されている」 ということです。
「そこに線引きがされている」 ということです。
この線よりこちらは適っている、この線よりあちらは適っていない、と・・・。
普遍化云々や個別性・固有性等が、その成立不成立のカギではなく、
『(そこに)線引きができるかどうか』が問題のような気がします。
意味内容や構成要素がどのようなものであれ、
(たとえ他者と共有されていなくとも、たった一人の内のものでも)、
そこに線引きができるなら(できているなら・されているなら)、ルール成立じゃないですかね?
873 :
天才君:2008/09/03(水) 20:55:04 0
>>858 あなたはの発言(
>>820)にある、「 語の意味とは」であると
想定してお答えします。言葉に実体は無いと私は考えます。
つまり、言葉すなわち語であり、「 語の意味とは」?…。無いです。
「 語の意味」に対する天才君の立場はなんであるか?という事であれば、
道具に対する「私」という立場になります。
言葉には意味がありません。ただの文字でしょ?違いますか?
こう言えば分かるかな?「記号」でしょ。
言葉は「実体の無い道具という意味」です。
もし、「意味」に対する天才君の立場を説明するならば、
意味は私側にはなく、あなた側が想像・創造するものです。
私側が行う事は、私の想念を言葉という記号に変換するだけです。
どれだけ説明を求めて下さっても結構です。私はそういう事を苦にしませんから。
なにせ、説明が下手なものですから。
874 :
考える名無しさん:2008/09/03(水) 20:56:25 0
ここは自意識過剰の頂点のスレ
きもい
875 :
考える名無しさん:2008/09/03(水) 20:56:46 0
876 :
考える名無しさん:2008/09/03(水) 20:56:48 0
そうだよ。
自然科学でも人文科学でも日常生活でも同じ。
『線引きができるかどうか』
そしてその線引きは世界の側ではなく精神の側にある。
そしてそれはだれとも共有できない自分だけのもの。
877 :
考える名無しさん:2008/09/03(水) 20:58:42 0
>>873 同感だな。分析哲学はこれがわからないから困る。
878 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/09/03(水) 20:58:59 0
真理については科学のみだと言ったが、それは言い過ぎであった。よりよいルール、よりよい規範
等を求め、答えを出すことは、真理の名に値すると思う。文化を裏で支える物、それが各人の
円滑なコミュニケーションを保証するルールであると思う。多様なルールの構築は、科学であると
言ってよいと思う。
880 :
天才君:2008/09/03(水) 21:02:49 0
>>859 >天才君からの可能的反論のほとんどに答えられるよう自らの考えを検討している
この哲学的態度は尊敬に値しますね。
大いに絡まれるのは私にとっては喜ばしい事です。
何故ならば、私も、
>学者の議論だってメインテーマは実際の生活、われわれの世界に接したものです
↑この理念は私と同じくしていますね。
これなくしては実生活に活用できないですからね。
天才君は生活密着実用主義者です。
俺が3年前に夢君(救求者)と対話した時に使用したのは「もしもボックス理論」だ
普遍化可能性はもしもボックスで願いを言える
普遍化不可能なものはもしもボックスで願いを言えない
「もしも、のび太が女だったら」
「もしも、のび太が黒人だったら」
「もしも、のび太が一家の主(父)だったら」
「もしも、のび太がガキ大将だったら」
「もしも、のび太がしずかちゃんだったら」
「もしも、のび太がビヨンセだったら」
「もしも、のび太がのび助だったら」
「もしも、のび太がジャイアンだったら」
上と下の区別はつくよな
「のび太のくせに生意気だ」というセリフはすさまじいギャグだ
882 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/09/03(水) 21:25:43 0
>>883 しつもんですが、普遍化可能なものと普遍化不可能なものを区別することで、何を言おうと
しているのですか。ルールとの関係は?普遍的ルールという物を考えている?(普遍的な
語で構築されたルールが普遍的とは限らないと思う。つまり、一期一会のルールは、優れた
ルールの構築に資すると思う)。どんなルールが一般的によいルールなのでしょうか。
883 :
在る・殺すな・だけの天才君:2008/09/03(水) 21:29:38 0
真理・規範・規則・科学・神これらは全て言葉であり、記号であります。
実体はといえば、絶対という言葉に集約されます。
つまり絶対に正しいのは?簡単な事ですよ。「在る」という事ですから。
「無い」を在るように見せかける事自体が、「在る」からみれば全て、
間違いです。また、「在る」を「無い」とする事は、「在る」事です。
この世界は在る。私も在る。他もある。真理も在る。規範も…。全部在る。
在るものを「無い」と考える事自体が矛盾するわけです。
議論においては、否定ですね。批判・批評・解釈・誤解・対立はいいんです。
在るの取り合いや、在るの無知からくるものですから。いずれは融合する。
人間の規範は簡単です。「殺すな」ですから。つまり議論においては否定するな。
です。否定自体が矛盾です。攻撃自体が矛盾する。
「違い」は在るのです。
「否定」は在りません。なぜならば、人間の規範「殺すな」に
守られているわけです。殺し目的の場合の対処は、「殺すな」を
信じているか?の確認だけでいいのです。それでも殺すならば、
もはやそれは人間ではなく物質です。取扱も物質でいいのです。
この割り切りは人間にとって重要な規範ではないでしょうか。
Ab
その質問にわたしは答えたいし、熱い議論をしたい
だが、上で述べたことは、そんなこととは無関係なのです
わたしは、普遍化可能性をもって、「価値相対主義」と呼ばれる態度への批判を意図しているのです
客観的理念を設定して規範へのコミットメントを果たすことの正当性を検討し
実際に具体的ルールについて議論することその行為を擁護するのが目的です
アンサー
せっかくだから答えます
わたしは、ルールは、
エゴイストが自らの利益の追求に忠実になることが
結果として全体の利益を等しく分配するようなルールをつくるべきだと考えます
つまり、権力の集中の防止とそれを抑制するためのチェック機関の設立が
われわれの世界(特に政治や企業)におけるルールづくりの基本になると考えます
885 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/09/03(水) 21:43:06 0
>>885 否定するなと殺すなとが同じ意味であることは、「飼い殺し」と言う言葉をみたりしてもわかりますね。
矛盾が、よくないこととされるのも、自家撞着で自分を殺すことになるからですよね。
真理って常にみんなで追い求めるものであって、
絶対に到達しない事になっている。
ようするに馬の目の前にぶらさがったニンジンでしょ。
取れそうで取れない距離にあるニンジンを追うように
人間の脳みそにセットされてるんだよ。
>>885 アンカーがずれてます。
マカーですか?
888 :
天才君:2008/09/03(水) 21:54:08 0
チェック機関というエゴイストが権力を握るだけでしょう。
エゴイストグループ全体がウインウインで、貧乏人を作るだけです。
この現象が、貧困をつくると天才君は思います。
天才君の考えは、支配者を作る構造自体を問題にします。
逆に言えば、支配されたがる「私」が沢山いるうちは、
支配構造は崩れない。崩れないなら、統括管理者が必要だと
考えるのも分かりますが、その統括者もエゴイストであるから
権力構造の中枢に居られるのです。
ようは、「私」は自由で在る人の数が増える事で、変化は起こる。
新しい 客観的理念はその人達が作る。このように天才君は考えるが故に、
客観的理念自体も創造である。と現場肯定派の客観的理念保持者にむけて、
絶叫するわけです。
886
その「馬の鼻先人参」の例は俺がとっくに出した
(過去ログを見よ)
そんなものとは違う真理観を提出している
だいたい、馬の鼻先人参なんて馬でも走らんよ
ましてや、哲学者が走ってたまるか!
890 :
考える名無しさん:2008/09/03(水) 21:55:45 0
>客観的理念自体も創造である。と現場肯定派の客観的理念保持者にむけて、
>絶叫するわけです。
やんややんや
891 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/09/03(水) 21:58:54 0
>>886 回答ありがとうございます。理想を持ってらっしゃるようですね。ついでに、「価値相対主義」については、
人々の無意識がポップカルチャーでできている時代に、もはや念を押すまでもないということだと
思います。しかし、日本の外ではまだまだ必要なのでは。
天才君
ケーキを切るが、切る人が選ぶのは一番最後である
さて、ケーキを切る者がエゴイストであるならば、どのように切るだろうか
目の前の水差しに水が入っており、2つの異なる形のコップがある
水を分配しなかった方が、先にどっちの水を飲むかを選べるとする
エゴイストはどのように水を分配するか
君がアナキズムや革命を望むのは結構だが
このような方法では不満かね?
893 :
天才君:2008/09/03(水) 22:03:33 0
時代は、価値相対主義から、価値創造主義にさしかかっています。
その走りは、ヲタクです。
一方旧態依然のエゴイスト自身は、自ら利益の追求に忠実になっていない
という事です。ようは利益とはなんぞやという事です。
つまり「価値」とは?これが全エゴイストである「私」達に向けられた、
時代からの問いであり、未来の、客観的理念となるでしょう。
このように天才君は考えます。
894 :
天才君:2008/09/03(水) 22:07:24 0
>>892 エゴイストにも段階がありますよ。
今、一番沢山食べたいというエゴイストもいますし、
ケーキは要らないというエゴイストもいます。
私はアナキズムと言われようとなんと言われようと結構ですが、
「足を知る」エゴイストの存在や、博愛主義的エゴイストや、
利他主義的なエゴイストの存在を忘れていませんか?
こう言いたいだけです。
あなたの言う、エゴイストは単なる欲張りというものでしょう。
ちがいますか?
Ab
理想のないところに、現状の改善はない
理想は現実には絶対にならない
だから天才君のような夢想的なアナキズム(失礼!)も現状の改革にはならない
理想をもつことで、現状の問題点に目を向け、
今ある不幸を少しでも減らすべく努力できる
そして、人間の営みはそのようなことを実現してきた
この限りで理想はけっして空疎なものではない
カント『永遠平和に向けて』の一節を我流で改良
天才君
「利他的エゴイズム」は形容矛盾でしょ
利他を利己的に選択するという意味でしょうけど、、
「合理主義の非合理性」みたいな表現だ
ところで、実用主義者の天才君は、俺が挙げたルールは実用的にも絶えないと考えますか?
897 :
天才君:2008/09/03(水) 22:26:52 0
>>895 私は理想は持ちません。理想のままにしておかないという事でもあります。
理想は時間差がある。ただし理念は持ちます。理念に時間差は無い。
私の発言は、すべて、今、そのように成っているということを言っているだけです。
つまり規範から世界が変わるのは、ある一定段階までです。
最後に規範すら放棄しなくてはならないときが必ずきます。
どんな時か?規範が効力を無くす時です。
これは社会の至る所にありますが、分かりやすい例としては、
災害の時でしょう。身近では、個人のいざこざでしょうか。
>>896 エゴイズムというのは、エゴイズムでない生命はどこにも存在しない。
エゴが在るから個となりうる。このように考えます。
実用主義者の天才君の立場から、あなたの上げたルールは実用的に
絶えないと考えるか?という問いについては、なにも変わらない。
しかし、何時も同じスピードで全体が変わっている。こう考えます。
だだ、理想ではないけれども、原因は、支配構造に在ると天才君は考えます。
898 :
天才君:2008/09/03(水) 22:29:34 0
支配構造の原因は、神が金になっているだけです。
>>889 ワタシはあなたと違うんです。
あなたは自分が客観的に見えていませんね。
脳がぶらさげているニンジンを何とか言葉で表現しようと
向かって走っているではありませんか。
金がすべてではないが
最低限の生活ができる経済的余裕をすべての人に確保することは政治的課題のひとつだろ
逆に言えば、最低限の生活ができる経済的余裕がない人を少しでも減らすこと
これが政治の課題のひとつだ
そして、利他にその変革のチャンスはある
利益追求には利他を少しは考える必要があるからだ
ある途上国で金持ちの搾取としか呼べないことが起きている
そこで、労働者に金を有利子で貸し、彼が労働で身を立てることができるように援助したら
彼は財産をもて、教育を受ける余裕ができ、周囲の貧困層への援助もでき
しかも銀行も儲かった
ただ担保がない人に金を有利子で貸した
それだけでみんながうまくいった
(今まで金を貸してた金持ちだけは泣いてるでしょうが、まだ裕福なはずだ)
これらは良くなった事例の一つではないでしょうか?
899
俺は人参(真理)を言葉で表現しようとしていない
それどころか、俺はいつも間違ったことを言おうとしているし
間違ったものを探しているし
間違ったものばかり気にかけてる
俺のことを人参を追っているしか見えないところが君ら(君とは言わない)の発想の貧困なところなのさ
俺は、自分の発言の間違いを指摘されたい
その意味で、俺は間違いパラノイアだ
世間は俺をMと言う
哲学なんてマゾじゃなきゃできないよ
で、これって馬の鼻先人参とは違うぜ
鼻先人参は絶対に得られないから虚しさを感じるけれど
マゾは日常からすべてが快楽だ
903 :
21:2008/09/03(水) 23:43:47 0
>>837 私が最初にレスした貴兄の発言はこれです。
>>91 >矛盾の認知が、関連する言明全体に圧力を加える
>この圧力によって発言者は、何らかの行動によって矛盾を解消しなければならない規範にコミットさせられる
貴兄は、上記の発言において、「圧力」を加えるのは「矛盾の認知」であると表現されています。
これに対して私は「真理を尊ぶ主体の性質が、論理なり直感なりに呼応(
>>102)」することを述べています。
主体が真理の探究に向かう性質(誠実性)を持っているからこそ、
発言に対して責任を持とうという姿勢が生まれ、発言の矛盾を解消しようとする行動が生まれるのではないか、
という説でありまして、これについては何度も述べております。
上記の発言に関連付ければ、矛盾を認知したときにそれを放っておくことができない主体の性質が「誠実性」と言えるでしょう。
従って、
>なぜ、あなたは「了承」によって圧力を認めることができるのですか?
(「了承」…私は「相互承認」と表現しております)
この問いに対する私の考えは、例えば、他者の論文発表を正当に評価する学者の誠実な姿勢を想像すれば分かりやすいでしょう。
嫉妬などで論文の評価を歪曲しようとする彼の心理に対して、誠実性が圧力になるのです。
しかるに、貴兄は、私が述べるような主体の性質という観点をお認めになりません。
ですから、私は、なにかしら準自然法則的(論理的必然的)なメカニズムによって、
主体達の意思とは無関係に発言が修正されていくことを貴兄が主張しているように解釈したのです。
無論この解釈は‘曲解’ですが、この辺りが貴兄の主張の理解し難い所なのです。
904 :
21:2008/09/03(水) 23:49:04 0
>>788 >われわれの言葉を通した一連の営為も規範的性質をもつ以上
>何らかの外在的(超越的?)なものを認めることは、言葉による対話を成立させるための必須条件でもある
貴兄の上記の発言は、サールの説に触れた後で、外在的(超越的?)なるものについて述べた部分です。
もし、「圧力」=「自然法則的(論理的必然的)メカニズム」説を採るとすると、
上記の‘認める’は、主体の意志的選択と無関係な事実の指摘をしているように読めます。
つまり、言葉による対話が成立しているという事実によって、全ての発言者は既に何らかの外在的(超越的?)なものを(意図せず)認めている筈だ、という具合に。
この場合、外在的(超越的?)なものを既に認めている以上、(…この部分の理由付けが不明…)、
全ての発言者は自らの発言の矛盾を解消する方向へ自然的に行動せざるを得ない、
という論理になるのでしょうか?
しかし一方で、上記の発言は、
「皆さん、自らの意志的選択により外在的(超越的?)なものを是非認めなければいけませんよ、そうしなければ言葉による対話が成立しませんよ」
とも読めます。
一体どちらなのでしょう。
905 :
21:2008/09/04(木) 00:02:35 0
さて、上述したように、私にとってに貴兄が表現するところの「圧力」の意味が??なので、
これと、ルールの概念の話、特に普遍化可能性の話とがうまく結びついていません。
したがって現段階において、普遍化可能性の話は(貴兄の直観主義批判の要点ですが)、私の中では派生的議論です。
貴兄が表現するところの普遍化可能性、これもよく分かりません。
特に、ルール概念を破壊する云々との関係です。
例えば、貴兄は、
「あなたは、9月1日以降、このルールに従わなければならない」
という質問に対して、「法案」や「施行」などといった、質問に含まれない概念を使って回答をしていますが(
>>841)、
これではどんな答えでも作れてしまうように思います。
それとも、貴兄は、例えば上記のような言明を、
「甲は、X日以降、ルールRに従わなければならない」
というように変形させることができる、と述べておられるのでしょうか?
こういう性質が「普遍化可能性」であると。
であるなら、例えば、
「X円以上の経費を申請する場合は甲の承認を得なければならない」
「Aは、言明Pを正しいと直観したなら、言明Pが正しいと直観したことを表明しなければならない」
「もしも人間Aが人間Bだったら」
(例:もしも源義経がチンギスハーンだったら)
などなど、どんな言明も色々なやり方で「普遍化」できてしまう気がするのですが。
907 :
21:2008/09/04(木) 02:03:51 0
批判主義とでも言うのでしょうか、真理の探究ではなく批判それ自体を
目的化しているイデオロギーがあるようですね。
批判的思考法は、真理を誠実に探究する主体が採用し得る有用なツールの1つではあろうと思います。
しかし、批判それ自体を目的化し始めると、なんとも倒錯的な感じがしますね。
本末転倒と申しますか、私が述べる意味での誠実性が損なわれている気がします。
21
わたしの立場は、「真理」理念の分析からはじまり
そこに派生する一般的イメージを捨てています
ですから、わたしの言う「真理」は「定義上の真理」とでも呼びうるものです
本末転倒のように感じられるかもしれませんが、
この立場は有用性は高いのです(真理の実用主義解釈には真っ向から反対するにも関わらず)
21
「誠実性」についてのあなたの言葉の使い方がブレている感じがします
あなたは「誠実性」という語をどのように定義しますか?
わたしはモラルを肯定しているので
単に「道徳的」という意味で使用するならば、
あなたの「誠実性」なくして圧力はないという言葉には特に反対しません
(むしろわたしは客観的理念と道徳の関係を説明してます)
ただ哲学において「誠実性」という言葉はもっと狭い意味で使用されているように思うのですが?
それぞれへの反論
(わたしはコピペできませんので、抜けたところはすみません)
・論文での嫉妬による歪曲
相手の論旨を歪曲したりしても
彼は矛盾の認知とそれによる修正圧力を受けているのです
逆に言えばですね
矛盾の認知があるからこそ、それらの行為が生じるのです
「地球が平らだというのは間違っている、なぜなら水平線は湾曲しているからだ」
この発表に対して、どんな嫉妬やその他の感情で
「水平線が湾曲しているなんて、あのバカの吹いたデタラメだ」としたところで
それは矛盾の解消になっているからです
矛盾の認知がないなら、「あいつはむかつくけど、発言は正しくも間違ってもいない」というスタンスになります
わたしは、できるだけ一見無茶苦茶に見える発言をしようと心がけてますが
わたしの発言を見て「無茶だ」「おかしい」と感じたその瞬間
何らかの論理的齟齬と、それを解消とする圧力は発生するのです
「なぜ人間が発生した矛盾を解消しようとするのか?」という質問に対しては
「そのような規範に関わる(ゲームを実行する)ことを言葉の習得とともに学んだから」としかわたしには答えようがない
この規範にコミットすることをもって、あなたが「誠実性」と呼ぶならば
わたしはあなたへの反論をとりさげます
改行が多くて長文が消えた
萎える
912 :
天才君:2008/09/04(木) 07:37:05 0
お話中ではありますが、天才君はの考える「誠実性」とは、
一般的に言われる善人か?悪人か?、この線引きでの性分の個体差のをまず考えます。
客観的な誠実などというものはどこにもなく、嘘などはだれでもつきます。
ようは、主体の本性に対する、発言内容との比較によって、
他が、その真偽を判断するわけで、こいつは正直か嘘つきかと線引きする。
よって、誠実性は、「主体の本性に対する正直性の自覚(保持)の有無」と言い換えたいです。
言っている事とやっている事がちぐはぐな主体は誠実でも正直でもない。
言っている事をやっているならば、潔白性が保持されつづけるから、
いかなる他からの誠実性の追求にさらされても、不誠実性は見つけられない。
ま、素直で正直が一番いいという事です。善悪と誠実は一致しないです。
誠実な悪もありますし、誠実な善もあります。
って事で、誠実性とは、いいたいことをいい。したいことをする。
その結果、他は誠実性の保持がなされているか?そうでないかを見定める。
その時、他者は、核である本性の部分、つまり善悪の基準に焦点を定めているという事だね。
ちなみに、天才君の基準は、こいつは殺し屋かそうでないか?あるいは、
信仰が金か神か?の見定めです。それに対する自覚の有無と言えます。
相変わらず、説明が下手ですが…。
・「圧力」=「自然法則的」(論理必然的)
とあなたの説明にありますが
論理のどこが自然なのでしょうか?
自然を見渡せば、動物には論理はないように見えます
天才君もまた、自然に生きる生き生きとしたキャラなので、彼にも論理はないでしょう
カントによれば
自然法則は認識が悟性を対象に押し付けるものです
悟性そのものは自然の中にはない
論理はわれわれのもつヤクソクですよ
だから、論理的であることは、
自然的であることよりもむしろヤクソク的であることを意味します
いや、天才君の説明であってる
哲学における「誠実性」という語は「自分に正直に」という意味だ
・ルールと普遍化可能性
「どんなルールも普遍化可能性をもつように変換できてしまう」とありますが
当然ながら、そうに決まっています
そのようなものとして普遍化可能性を出したのですから
わたしは、「何らかのルール」をルールとして不適だと言っているのではありません
「ルール無用」の無法と、
何らかのルールを認める道徳性とを比較し
後者は前者と同程度ではない、とルールを認める精神を擁護しようとしているのです
そして、誠実性や直観主義は無法を招くと批判しているわけです
普遍化可能性の議論は捨ておいて結構です
この議論は、派生議論の桁数が違うので全部は扱いきれないと感じてました
わかりやすく言うと
「君は君、僕は僕」という言い回しを認めると、道徳は崩れるということです
てす
21
・批判主義とでも呼ぶのか
その呼び方は危ういです
「批判理論」と混同されやすいですし
「批判理論」とは根本的に異なります
天才君がわたしに対する批判に「感想ですね」というのがありますが
「個人の感想レベルのものはそれだけで間違っている」という基準があります
これに対して「その基準がすでに間違っているんじゃないのか?」という反論を認めるのがこの立場です
この立場は、ある言明をファイナルアンサーとして認めることを拒否するだけでなく
「君の発言はファイナルアンサーではない」という批判の効果も同時に拒否します
(ファイナルアンサーに依拠した答弁をすべて拒否する)
批判する者は、常に批判される者にとって逆に批判されている
それが、この立場の特徴です
この立場をわたしは「非ファイナルアンサー主義」などと呼んで遊んでいますが
正式名称は「Comprehensively Critical Rationalism」です
(和名は誤解を招きそうな気がして、、、
破棄されるのは「正当性」ではなく「決定性」なので)
919 :
考える名無しさん:2008/09/04(木) 09:17:45 0
「君(主)は君(主)、僕(奴)は僕(奴)」を肯定することが道徳の原点。
それぞれの役割の「定め」がルールの起源。
「あれはあれ、これはこれ」の禁止が規則の性質を保つ
「僕は僕、彼は彼」とかは、この性質に反する
「黒人のくせに生意気だ」「女のくせに生意気だ」
は差別発言だが、ルールの形式をとっている以上、そのような文化、規則はありうる
「のび太のくせに生意気だ」は、その固有性を根拠にしている
この答弁は差別発言ですらない
(もっと根が深い)
道徳規則は、規則の形式をとる以上、個体の固有的同一性による区別(「僕は僕、彼は彼」)を無視しなければならない
921 :
天才君:2008/09/04(木) 11:04:38 0
誠実性や直観主義は無法を招くのは、実際の社会生活をみれば
堕落するものは堕落し、成長するものは成長する。
適材適所、適者生存に収まっている。そして、皮肉な事に、
ルールが出来ても、適材適所、適者生存は同じように起こると天才君は考える。
但しルールに則った適材適所、適者生存の社会では、誠実性は間違いなく廃る。
廃れば、誠実性が試される結婚などする人の数は少なくなる。
そして最終的に生き残るのは、誠実性や直観主義の人類の形であり、
これはどの生命でも同じ。このように天才君は考えます。
「君は君、僕は僕」という言い回しを認めると、道徳は崩れますが、
その道徳の正体は、個の多様性を認めていない道徳であり、
「みんな同じ」「右にならえ」「天才が居てはならない」こんな
道徳です。個の尊厳、非平等の道徳であるならば、強者生存の
発想になります。
よって、天才君は何も批判できないというわけです。
選択により未来はどうにでもなるわけです。
922 :
天才君:2008/09/04(木) 11:10:43 0
>>918 >「個人の感想レベルのものはそれだけで間違っている」という基準があります
天才君はそのような基準をもっていません。
私が他者にむけ、「感想ですね」と確認するとき、それは、
独自の信仰・信念に根拠をもつ、想いですね。という意味の確認であり、
同時に普遍性を保った発言ではないのであるから、普遍性に化けて
活用されても、こちらとしては困惑しますよという意味もあるね。
ま、一言でいえば、「感想ですね」って事で、深い意味はなく、
文字通り「感想ですね」と確認を取っているだけです。
私の言葉は常に両側面を一つにして語っています。
「個の多様性を認める」とは
個人個人の、思想の違い、文化の違い、立場の違い、価値観の違い、
それらを認めるということだ
個体的同一性の違いを見て、それ以外を見ないのは
逆に、多様性を認めない社会になるんだよ
そこには、思考の異なる他者を尊重する精神は廃れて
「相手は理解できないけど、同じ人間として共感する(だろう)から尊重する」という態度しかない
しかし、理解なき尊重など、共感が崩れ去った後に残るのは
人を人とも思わない醜い行為の歴史ではないのか?
天才君
君と俺では焦点をあてるところがちがう
俺は言葉の内容にあてる
君は、その言葉が、感想か普遍的な言葉(なんだよ、それ)かの違いに目を向ける
I think that he says 〜
という文章があれば
俺は「he says 〜」に
君は「I think 」に焦点をあてる
その違いだ
そういう人たちがいてもいいよ
でも道徳や様々な思想に対する悪評、誤解を撒き散らすのは勘弁してくれ
非合理主義者がいてもいい
だが、合理性への間違ったイメージを垂れ流し、
健全な議論、健全な道徳論を損なう言葉を流して良心が痛まないのか?
道徳や論理そのものへの批判をしたいなら、俺が答えてやる
(それができるよう勉強したから)
926 :
天才君:2008/09/04(木) 11:37:03 0
天才君の道徳・倫理に関する主張の根底にあるのは、
道徳・倫理は、「在る」「生きる」これを知らない人向けの教えです。
知ってしまえば、知っている人自体が規範となるわけです。
それを真似て、道徳・倫理ができあがっているのですから。
無いものから、いきなり道徳、倫理は生み出されないでしょ。
立派な人が過去に居たのです。その行いを見習い、言葉にしたものが
道徳・倫理だと天才君は考えます。つまりマネです。マネすれば、
立派な人になれるのだという形から入る手法でしょう。
これは一つの手法であり、全てではありません。
新しい道徳・倫理は今も作られ続けています。
このように天才君は考えます。
927 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/09/04(木) 11:51:50 0
漫画とか読んでると、新しい世代の漫画家などは、非現実的なシチュエーションを平気で持ち出してきて
(漫画であることに自覚的である)、しかし、その細部の整合性はたいした物がある。会話が成り立っているかどうか
、そういうところに神経が配られているし、その整合性を身につけるところに、楽しみを持たせる。
非現実は非現実、漫画のキャラクター性はキャラクター性、といった感じで、現実と仮想現実
からみにつけた、材料を巧みに再配置して、まるで職人のようである。
928 :
天才君:2008/09/04(木) 12:02:00 0
これからの時代を考える時、人工的社会、つまり社会制度という一つの枠の中だけで、
通用する倫理・規範・道徳は、通用しないということです。地球規模、全生命規模で
考えねばならないとう点を天才君は忘れません。
地球という生命からみれば、人間のみに通用する規範は、時に、仇となり、時に有益になる。
つまり揺れ動くシーソーのようなあやういものであるという事です。
現在の環境問題や経済の不安定な動向は、人間規範の危うさを暴露しています。
過去の天才諸君は、人から学んだわけではないという事です。
人から学べるものは、モノのみかたと考え方だけです。この段階以上は、
別の手法を取らねばならないという事です。
929 :
天才君がおかしな事をいいはじめたよ。:2008/09/04(木) 12:16:19 0
ポイントはある段階を越えれば、普遍性に到達するという事です。
ある段階をこえれば、同じ事を他人が別の言葉で言おうが、
どんな形態で表現しようが同じ事だと直ぐに解るという事です。
ま、神(創造主)からの同種のインスピレーションなんですがね。
それが人によって違う形で受け取っているだけです。
表現をみられば、どこからきたものは、一目瞭然です。
神すなわち、一者からきているインスピレーションですから、
断片化していない素直な受信装置があるならば、その受信内容も
同じであるという理屈です。
これは同じ報告を聞いて、伝え形が違うという現象を目撃する心境です。
ニュースでよくあるでしょ。事件があった。伝え形は各局違う。
でも事実は一つ。
930 :
考える名無しさん:2008/09/04(木) 12:16:43 0
■ニートの年間コスト
食費・光熱費ほか 3000円 × 365日 = 1,095,000円
ほか市民税・健康保険・年金として
年間140〜150万円
150万円 × 10年 =15,000,000円!!!(笑)
>>929 >でも事実は一つ。
一つだってなぜ判るの?
伝えた主観の数と受け取った主観の数だけ事実があってもよくね?
主観の外は不可知なんだからwww
932 :
天才君:2008/09/04(木) 12:22:50 0
>>927 現実の拡張現象が始まっているという一つの象徴的現象ではないでしょうか。
分離した現実と非現実が融合してゆく様を、今、私たちは
目撃している時代にあるという事で、またそういう時代に
生まれてきた意味は、選択によるものであると天才君は思います。
933 :
天才君:2008/09/04(木) 12:25:44 0
>>931 主観の外は、不可知どころか外にでることはできないでしょう。
主観は限りなく全体に拡張してゆくだけです。
手段として縮小して凝り固まる事も自由意思において可能ではありますが…。
こんなふうに天才君は考えますよ。
>>933 主観が拡張すれば事実が一つだってわかるの?
935 :
満豚:2008/09/04(木) 12:45:55 O
>>873 おはよう天才君。
君のこの無茶苦茶な文章は本当に理解しにくいのでまた解釈を重ねて言わせてもらうが言っていることも無茶苦茶だ。
あまりにも多くの問題点を無批判に前提してしまっているのはもちろんなんだが、君の言っている会話成立のメカニズムなるものでは人はコミュニケーション出来ないはずだ。
何故君の言っていることが間違っているのかを、ここで一つ一つ取りあげるのに、あまり価値を見いだせないし正直面倒臭いので
今は取り上げません。
しかし一つだけ取り上げるのに、価値がありそうなものがありました。ここのスレッド問題提起とも関わるはずです。それは君の
「私側が行う事は、私の想念を言葉という記号に変換するだけです。」
という主張です。
続く。
936 :
天才君:2008/09/04(木) 12:54:54 0
>>934 水は海にながれますでしょ。事実ですね。
主観であっても全体にとけ込む場所があるという事です。
主観はどこにとけ込むのか?主客一体観ってものもあるでしょ。
937 :
考える名無しさん:2008/09/04(木) 12:57:47 0
■ ニートの年間コスト
食費・光熱費ほか 3000円 × 365日 = 1,095,000円
ほか市民税・健康保険・年金を加算して
年間140〜150万円
150万円 × 10年 =15,000,000円!!!(笑)
1謙虚で素直
2謙虚で素直でない
3謙虚でなく素直
4謙虚でなく素直でない
1と2が誠実性だと思います
事実真実原因具体固有に対して謙虚という意味で
そのスタンスは希望にも近いかもしれません
939 :
考える名無しさん:2008/09/04(木) 14:05:01 O
>>937 そんだけ市場に金落としてくれるわけね。
940 :
天才君:2008/09/04(木) 15:22:09 0
>>935 天才君が無茶苦茶なのか?それとも無茶苦茶にしかとらえる事ができないあなたが無茶苦茶なのか?
私には解りませんが…。
>あまりにも多くの問題点を無批判に前提してしまっている
シンプルな前提ですよ。私の主張は、「殺すな」「在る」だけですから。
私が上げる問題点の批判の前提は常にこの二つです。簡単でしょ?
>君の言っている会話成立のメカニズムなるものでは人はコミュニケーション出来ないはずだ。
天才君のコミュニケーションのスタイルについての話でしょうか?
それとも、あなたの理解力の問題の話しでしょうか?
それとも、なにかの想定でしょうか?
「私側が行う事は、私の想念を言葉という記号に変換するだけです。」
この問題は、あなたにとって切実であるかもしれないね。
私に問うべき事じゃないんですが…。続けてください。
941 :
満豚:2008/09/04(木) 16:30:23 O
>>940 では続けるね。
その前に一つ確認しておきたいことがあるんだ。
それはね君がつかう「想念」という言葉の意味なんだ。
どういう意味でつかってるのか教えて。
もしも君が辞書的な意味でつかってるのなら、価値が少しさがってしまい、その分遠回りになってしまう。
君が「想念」という言葉に特別な意味をこめて使用している場合、(まさに、言語に媒介される以前の心的状況とでも呼べるような対象を意味してい場合)
私はこの問題を誰かと取り組めることを嬉しく思うのです。
というこで、君が「想念」という言葉をどんな意味でつかってるのかを教えてください。
942 :
天才君:2008/09/04(木) 16:48:47 0
>> 941
天才君の言う、想念という言葉の意味ですか?
意味はありませんが、想念とは?という問いならば答えられます。
「私が思い考える事」です。
943 :
満豚:2008/09/04(木) 17:07:43 O
>>942 君が文章をつくる度にたくさんの問題をあっちこっちに撒き散らしていくのですが、今は取り上げません。
君がここで言う
「私が思い考える事」
とは
「この私、天才君だけが思い考える事」
と置き換え可能なのでしょうか?
もしくはこちらのほうが適切に表現出来ているのでしょうか?
もしくは
「各人が思い考える事」
と置き換え可能なのでしょうか?こちらのほうが適切に表現出来ているのでしょうか?
教えてください。
944 :
天才君:2008/09/04(木) 17:23:36 0
>>943(
>>858←ここからの話しですね。)
>「この私、天才君だけが思い考える事」
>と置き換え可能なのでしょうか?
可能ではなく、
「私側が行う事は、私の想念を言葉という記号に変換するだけです。」
という事ですから、私の部分を天才君(私自身)とお考え下さい。
言語化のメカニズムは、
「主体が行う事は、主体の想念を言葉という記号に変換するだけです。」
と、このように表して、普遍性への批判の対象とするのも面白いでしょう。
天才君にとっては、どちらでも良いことですが、
普遍性アリの立場に立ちましょうか。というかもともとそうですから。
945 :
満豚:2008/09/04(木) 17:29:04 O
>>942 やっぱり一つだけ突っ込ませて。
君はいろんな領域に突っ込みすぎだよ。
「〜とはなにか?」
と問いたいなら、もう一度プラトンなどを読みたまえ。
ソクラテスの「〜とはなにか?」という問いに対し
対話者は個々の事例でもって答えようとする。
しかしソクラテスの求めるものは、そういった個々の事例などではなく、
そもそもその個々の事例をたらしめているそのものなのだ。
君のたてた問いは
「何が想念なのか?」
ではなく
「想念とは何なのか?」
だったのだから。
だからこの場合
「私が思い考える事が想念だ」
という解答は適当とはいえないな。
しかし、この指摘は目前の問題ではないのでスルーしてください。
ただの愚痴です。
946 :
天才君:2008/09/04(木) 17:38:13 0
>>945 >君はいろんな領域に突っ込みすぎだよ。
すべて、人間の領域ですからシンプルなものだと思います。
しかも、私自身の事ですからさらにシンプルです。
ところで、愚痴だったんですね。
愚痴がでるということは、何か別の問題があるのでは?
947 :
満豚:2008/09/04(木) 17:42:13 O
「私側が行う事は、私の想念を言葉という記号に変換するだけです。」
という事ですから、私の部分を天才君(私自身)とお考え下さい。
つまり、天才君が「想念」 という言葉をつかうとき、その意味をこの私満豚は
「天才君が思い考える事」
と理解したらよいということないのでしょうか?
間違ってたら教えてください。
948 :
考える名無しさん:2008/09/04(木) 17:45:12 0
そういうアプローチは退屈だよ。
最高位がちょっと顔を出しただけで、このスレももう終わりだね
もとは最高位用の隔離スレで
決定論スレが哲板の顔の議論スレだったのに
こっちの方が盛況になっちゃった
いや、いいんだけどね、、
なんかマスコットがいないと寂しいかななんてね
知的謙虚さが圧力の発生や規範へのコミットメントへの動力になるというのに異論はないけど
それを「誠実性」と呼ぶのはどうかと
「誠実性」はハバーマスが挙げた
「あんた本気で言ってるの?」という質問の使い方が一般的な気がしたから
950 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/09/04(木) 18:09:33 0
満豚さん
まず主題か問題を示してから細かいことを聞いていくべきじゃないかな
951 :
満豚:2008/09/04(木) 19:43:58 O
明日またきます。
おやすみなさい。
952 :
天才君:2008/09/04(木) 21:05:51 0
>>947 >「天才君が思い考える事」
>と理解したらよいということないのでしょうか?
はい、私の過去の発言、未来の発言は全て、私が考えるた結果が
文字としてあなたの目に入っているだけです。
ただ、あなたがどう理解したらよいか?などと私に尋ねるのではなく、
あなたはどう思われますか?が他人に対する正しい質問の仕方です。
なぜならば、あなたにはあなたの理解の仕方があるんですから。
それから理解の仕方に正誤はありません。あなたが納得すれば
それでいいのではないでしょうか。
953 :
天才君:2008/09/04(木) 21:22:50 0
意味とはなんでしょう?
無意味とはなんでしょう?
意味は見出す事も、無くすことも、違う意味に変化させることも、
関連としての意味とする事も、なんでもできる。
つまり、出来事には意味がないが、出来事と「私」(主体)との関わりに
おいていくらでも変化させることができる。
では無意味は?そこにも「私」(主体)の選択が絡んでいます。
無意味にしているのは、出来事の体験者自身です。
極論でもなんでもなく、「人生自体には客観的意味は無い」これは断言する。
人生という言葉は、単なる生死や辞書に書いて在るとおりです。
意味ですら、「創造」という考えが天才君の思想です。
954 :
考える名無しさん:2008/09/04(木) 21:24:48 0
そのとおりだよ。うん。
まったくだ。茶化してるんじゃなくてほんとにそう思う。
955 :
天才君:2008/09/04(木) 21:56:23 0
意味が解らない?と天才君に尋ねられてもね…。
また理解できない?と天才君に尋ねられても…。
お好きにどうぞ!が本音であるが…。
やはりテストの模範解答というものは必要なのでしょうか?
ということで、「規範」という模範解答に繋がるわけです。
こう生きたらよいのだという、だれかのマネから入るのも
いいのかも…。というより、そういう人も居るという事でしょう。
でもね。哲学板だからね。自分で考えるという所が哲学の醍醐味だと
思うんですがね。こんな風に天才君は思うんだ。
956 :
考える名無しさん:2008/09/04(木) 21:57:52 0
意味とは心の味わいということだね。
心があるなら意味は感じる。
957 :
天才君:2008/09/04(木) 22:00:29 0
という事で、「私」とは、DIYである。ようするに自作である。
自作して自分で演じる。一言でいえば、「私」とは自作自演。
知ってる事をやる。知らない事はできない。とてもシンプル。
そういう意味から考えると、最初はよい手本の工作から始めると
いいかもしれない。よってこの意味において規範は必要である。
958 :
天才君:2008/09/04(木) 22:01:10 0
959 :
考える名無しさん:2008/09/04(木) 22:02:19 0
960 :
◆yRFhSPjIMg :2008/09/05(金) 03:48:23 0
>>天才くん
おれだよ。
がんばってるな
961 :
960 ◆unh/PgDNnM :2008/09/05(金) 03:50:17 0
962 :
◆unh/PgDNnM :2008/09/05(金) 03:51:34 0
>>958 おれはもうなんか
、じぶんから解放されたい。
すべては俺が名付けた、せかいだった
今、気づいた
天才君は俺が道徳、論理と書いたのを
道徳、倫理と書いたのだと勘違いしてないか?
天才君が他人の文章をまともに読んでいると認めるかどうかは知らんが
天才君のキャラの向こうの理性ある人格には届いていると信じたい
言葉によって意味を一対一対応するように固定することはできん
けど、その表現をしたことで発言者が意図したことがあるはずであり
発言者が言いたくなかったことはある
ウィトとパスカル(ウィトの弟子)のやりとりに
「まるで車にひかれた犬みたいな気分だ」
「君は、車にひかれた犬の気分が分かるのか?!」というやりとりがある
「車にひかれた犬のような」という説明が、特に何かを説明しようとしたわけではなく
その心情の嫌ーな感じを誇張して伝えるだけの表現にウィトが怒ったという事例
俺は厳格主義じゃないが
言葉で何かを伝える場合
同時に、伝わってはならない内容が発生する
「サクラサク」で「試験に落ちた」という情報が伝わってはそれこそ本末転倒
まるで逆の意味に伝わることを防ぐように、言葉の使用には注意を払うべきではないのか?
「A」と発言して「非A」と解釈されても問題ないのは詩ぐらいだろ
965 :
満豚:2008/09/05(金) 07:26:32 O
>>950 主題はここのスレッド 「私」というやつについてです。
僕が取り上げる問題点は天才君を含め(最高位くんは確実に。
そして唯識くんにも一見そのように見えるのだが)
我々がつかう言語に対する分析なしに、それが抱える問題点をあまりにも無批判に前提してしまっているということです。 前にも書いたがそれらの問題点を無視した土台の上に積み上げる議論などに価値はない。
言語の分析を通してのみここのスレッド『私』
という問題に何らかの解決がなされるのではないかというのが私の意見であり、
私が「私」という問題に取り組むために通るルートです。
そんなにレベルの高い議論がかわされているわけではないでしょう。
というのが率直な感想です。
天才さんは随所に面白い節をきかせてはくれますが、
この方が言いたい結論はだいぶん前にだされていて、
あとはこの方の喉を楽しめるかどうかです。
携帯から発信されている方は、おなじみの理想と当為を語っています。
この方の個人的な思いに同意される方は別として、
むしろ私などは規範の怪しさ、根拠のなさを教えてもらいました。
脳の錯覚だよ
嫌でも錯覚と付き合っていくのが人生
968 :
天才君:2008/09/05(金) 09:34:12 0
>>962 解放されつつあるのでしょう。でなければ、
私の発言を理解できないもの。おたがいすべきことをするだけですね。
死に向かって。何が死ぬのかは知らないけれどね…。
「ゲームの進化とは何か?」スレですか?
面白いですねこれは…。確かに、深い、実にアレ(言葉にならない)ですね。
969 :
天才君:2008/09/05(金) 09:48:11 0
>>964 >「A」と発言して「非A」と解釈されても問題ないのは詩ぐらいだろ
論理から見ればそのような発言は成り立ちますが、
論理自体が日本文化とは相反している。それどころか、
論理が通用するのは、予測がつく世界の範囲である。
我々は今、予測不能な事を議題にしているのではないか?
YesかNoか?というのが論理を用いた文化ですが、
我々日本語や漢字をつかう文化では、言葉の二面性がある。
よって論理は成立しにくい。文化自体が洒落でありワビサビの世界だ。
我々の文化は話しのスジを通す事をもっとうとしている。論理はスジに敗北する。
これは論理主義との戦争の場合の絶対的な勝利へと導く。
それを恐れ、敗戦国日本はGHQに骨抜き対策をされている。
よって天才君への脅威があるとするならば、強者生存、適材適所、弱肉強食
という非平等主義批判が本質であると思っている。
我々はフェアではないし、平等ではない、しかし生命においては平等だと
天才君は考える。
970 :
天才君:2008/09/05(金) 10:04:31 0
>>965 私が「私」という問題に取り組むために通るルートは無限にあるのです。
その手法も無限にあります。天才君はあなたの都合には合わせません。
>言語の分析を通してのみここのスレッド『私』
>という問題に何らかの解決がなされるのではないかというのが私の意見であり、
と、あるように、理解に至る手法があまりにも狭すぎる。
天才君の言葉は、そのような狭い世界には収まりきらない。
なんせ、天才君の考える私は、「無限」ですからね。
971 :
考える名無しさん:2008/09/05(金) 10:25:26 0
>>964 それは発信者と受信者のあいだで、あらかじめ「咲く(合格)」と「散る(不合格)」
しか用いないと取り決めていたから。いわば、信号のように言葉を用いる場合に
限られる。
しかし、ある人間が誰かに「桜が咲いた」と述懐したときはどうか。詩でなくても、
この意味はどうとでもとれる。しかし、なんらかの“意味”に落着する(ことが多い)。
が、それ(意味の了解)は便宜上の仮構とみたほうがよい。
アネモネ
根拠付けというあなたの規範が見えますねw
「いかなる規範にも属さない」と言う者がいるだけです
規範に根拠なんて最初からない
ゲームの外部にいるかのように立ち振る舞う人もいる
実際に、いかなる規範にも属さないということがあるのかどうかは、
また別の話でしょ
「すべてを説明しつくす理論がある」と言う人がいても
それは、すべてを説明しようとする人がいるだけなのですから
すべてを説明しつくす理論があるかどうかは、別の話でしょ?
971
そこで、発言者の意図とまったく正反対のことを引き出せるかどうか
わたしにはできないように思う
パスカルとの会話だって
そこから、「そうか、そんなにすっきりしたのか」とか答えたら
睨まれるでしょう
補足
少なくとも、車にひかれてない犬のスカッと爽快感でないことは分かる
975 :
考える名無しさん:2008/09/05(金) 11:05:46 0
>>973 正反対かどうかはともかく、会話上、齟齬が生じるのは日常茶飯事だろう。
誤解、曲解… ここでもいたるところにある。
書かれたものは、それを評価する際、作者(の意図)は初めから問題にされない。
975
「誤解」は逆に言えば「解釈の多義性」でしょ
ある解釈をただひとつの間違ってない解釈だなんて称揚できないし
いかなる誤解も排そうとするのは
そのような、ファイナルアンサー解釈の存在を認める思考が根にあるように思える
でも、まったく正反対の意図を解釈できない以上、
一応、(定義上の)「誤解」はあるんだよね
978 :
考える名無しさん:2008/09/05(金) 11:28:24 0
>>976 「どうとでもとれる」と解釈の多義性を主張しているのは私のほう。w
例の得意のやりくち? そのやり口で、いつも相手を失ってきたのです。
ちなみに、私は「(客観的)真はわからない」ではなく「ない」という立場。
FA? 冗談でしょう?
相手の意図を正反対に受け取る実例を、君が見事にみせてくれている。w
しかし、かなりびっくりしたな
まさか「根拠がない」と言われるとは思ってなかった
俺が反基礎づけ主義だということがこんなに伝わってなかったんだって驚いたよ
まるで、「彼は日本人だ」と言われるぐらいの衝撃だ
そんなことも伝わらないとは、掲示板は奥が深い
で、わたしは文化の多様性を認めますから
日本人だから胡散臭いと感じるあなたの文化を尊重しますよ
978
わたしは、「どうとでもとることはできない」と主張する
ほら、あなたは反論したじゃないですか
「それは君の誤解だ」と
つまり、意図があり、
それは、まったく正反対の解釈を否定する一連のやりとりの中で伝わりうるのです
だいたいですね
「客観的真理はない」という人が
言葉のやりとりで、何かを否定できるわけがないんですよ
なんでも認める天才君の態度にならない限り、一貫性はないんです
なぜならば、「客観的真理」がないならば
「間違い」が定義できないからです
ということは「あなたは間違っている」とすら発言できないんです
言葉も同じです
正反対の意図でとられて
「それは誤解だ」と言うには
「真なる解釈」があることは認めるしかないんです
この一連の関係に気づけない人は
思考の深部にFAが入っているんです(きっぱり)
982 :
考える名無しさん:2008/09/05(金) 11:39:50 0
問題に対する答えはひとつだ、という思想は学校教育の
試験問題を通じて徹底的に学習させられているんだろうね。
それを否定できたときが本当の問題研究・探求の始まりだね。
ひとつの答えなんてない。
てすと
982
その言葉のすべてに賛成
・解釈
だいたいね
「解釈は多義的である」から
「解釈はどうとでもとれる」
を導き出すのはものすごい論理的飛躍だろ
この飛躍を埋めているのは何か自分で気づいているの?
「たったひとつの最終的解釈が存在し、それ以外は全部同程度である」
というFA主義的思考なんだよ
だから、俺は「解釈は多義的だが、どうとでも解釈していいわけではない」と言っているの
この部分が分からなくて俺への反論をしてきた奴はバカだ
哲学なんてやめちまえ
解釈以外でもそう
「ファイナルアンサー以外はどれも同じ」という発想があると
「確定できない」という答えからすぐに「どうとでもとれる」という答え方をする
真理についても、皆が好きなものを信条、受容からといって
そこから「どうとでもとれる」という結論を出すのはFA思考に侵された発想だ
これを否定するのは
「どうとでもとれない事例」をただひとつ挙げればいい
そして、それが「偽」や「誤解(正反対の見解の曲解)」となる
(ちなみに、この基準は矛盾にある)
誰かが言う
「君はわたしの言葉を誤解している」
彼は答える
「誤解なんてない、だから、君のその発言は正しいが、それゆえにわたしの解釈も正しい」
上のやりとりを否定するものが
「客観的真理」なり「真なる解釈」なりだ
解釈の多義性や、回答の多元性から
「どうとでもとれる」や「真理の不在」を説くのは、論理的飛躍である
そこには、FA主義的思考の正否という問題がある
非FA主義的見地から、
「なぜ、矛盾してはならないのか」(論理の正当性)
「なぜ、独善的な回答をしてはならないのか」(道徳の正当性)を問い直す時
そこには、豊かな哲学問題が現れる
朝のアネモネのレスを見てから今日は機嫌が悪いんだ
強気で批判した
女と会ってストレス解消することにするよ
あー、それと俺は人格的にはクズな自覚はあるから人格批判はいかようにもオケ
B型だしな
988 :
考える名無しさん:2008/09/05(金) 13:54:07 0
とうとうとFAを語っていることに気付かない馬鹿
FA語ってないんですけど?
目ついてますか?
ちなみに論理は批判的議論が成立する必須条件
990 :
考える名無しさん:2008/09/05(金) 14:20:00 0
> FA語ってないんですけど?
言われてもまだ気がつかない馬鹿
この思想の検討にどれだけの時間が費やされてると思ってるんだ、バカ
語ってない
非FA主義は完全性が保持されている
992 :
考える名無しさん:2008/09/05(金) 14:27:03 0
>この思想の検討にどれだけの時間が費やされてると思ってるんだ、バカ
スコラ哲学者の方ですか?
たしか千年は費やしてますねw
>非FA主義は完全性が保持されている
w
993 :
考える名無しさん:2008/09/05(金) 14:28:24 0
>>984 >「解釈は多義的である」から
>「解釈はどうとでもとれる」
>を導き出すのはものすごい論理的飛躍だろ
飛躍ではないにしろ、その結び付きもまた恣意的な一種類でしかないのは確かだなw
「解釈は多義的である」故に「どう受けとるかは選択可能」というだけ。
この時、
「解釈が多義的である」時、
・制限を受けず選択可能
・制限を受けつつ選択可能
・制限を受けることにより、選択幅もまた制限される
という三つの形式がありえるなw
「どうとでもとれる」という言い方は、上二つに対応する。
さて、三つ目の立場はありやなしや?www
996 :
考える名無しさん:2008/09/05(金) 14:42:34 0
検討に費やされた時間で、特定の思想のなにを判断しようというのでしょうね?
「みんなでいっぱい考えたんだから間違っていないに決まってるじゃん!」
とでも言いたいのでしょうか?だとしたらあまりにも幼稚です。
それから「非FA主義は完全性が保持されている」の「完全性」とはどういう意味でしょうかね。
この人の立場からするとまさか「間違っていない」とか「真だ」を意味するものだとは思えませんが。
「何の」完全性についてなのか言及がないばかりに、なにがいいたいのかさっぱりわかりませんね。
>>978さんは
>>994の「どうとでもとれる」の3分割をどう思われますか?
文字通り、「それも「どうとでもとれる」」という感じ?w
998 :
考える名無しさん:2008/09/05(金) 16:27:55 0
制限も選択も可能もどうとでも解釈できる。
それを組み合わせればもっとどうとでも解釈出来る。
1000
┼─┨ | カナカナカ・・・
┼─┨ Ω
┼─┨ |
┼─┨ [] チリーン
┼─┨ グビッ
┼─┨ ,_
┷━┫ 匚(` )
┃ ==============⊂ \
━━┛ || || ( ノ,_)
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