◆◇現象学・再入門◆◇

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1チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2
久々にやって来たのだが、なんだ、この有様は・・・

英語で言えば、What the hell is going on ? と言います。

そんなことはどうでもいいが、ひどいね。これじゃあ、俺が過去に立てた糞スレの方が
よっぽどマシじゃねえか! つまり、今の君達は「糞以下」です。

哲板は今、浄化を必要としています。どうやったら、浄化が可能でしょうか?

答えは一つだけです。みんなで一緒に、「チンポ太郎・学派」を構成するのです!
2チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2005/04/14(木) 13:40:14
この学派は何をするのか、と言いますと、まずは、皆さんの下半身具合を調節して、皆さんの
貧弱な オティンポ を、難解かつ深遠な哲学に耐え得るような、強靱な オティンポ に改変致します。
皆さんもよく御存知のように、強靱な思索には、強靱な下半身が必要です。

ところで、今回は、久々に現象学、それも、フッサールの観点から見た『存在と時間』の評価に
注目したいと思います。おすすめの論文は、フェレスダールの "Husserl and Heidegger on the
Role of Actions in the Constitution of the World" です。Essays in Honour of Jaakko
Hintikka の中に入っています。この本の冒頭にヒンティッカの写真が二枚ほどありますが、
なんかその辺のサラリーマンみたいです。あと、ドレイファスが『世界内存在』の中で、
フェレスダールの見解を批判していますが、これがどの程度妥当であるかも調べて見ましょう。
(フェレスダールはこの論文を草稿の段階でドレイファスに見せています。)

あと、Biemel の、"Husserls Encyclopaedia Britannica Artikel und Heideggers Anmerkungen
dazu" (Tijdschrift voor Philosophie, 12, 1950: 246-80) は基本文献なので読んでおいた方がいいです。
邦訳はあるのかどうか知りません。有名なものだから多分あるはず。

あと、俺の手元に今、何冊か最新の研究書があるが(例えば、Hopkins の Intentionality in
Husserl and Heidegger, 1993 とか)、これはこの板の住人にはちょっと荷が重いと思いますので
(この発言に対して「ふざけるな!」という猛者がいることをちょっと期待する)、上の
基本文献でやろうかな、と。

あと、『イデーン』の英訳への「あとがき」は読んでおくべきです。渡辺訳に入っているので
読んで下さい。暗にフッサールがハイデガーを批判しております。
3ローカルルール審議中:2005/04/14(木) 13:42:00
>>1
削除依頼しとけよ
4チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2005/04/14(木) 13:42:53
さて、付き合う奴はどのくらいいますか? 三人以上いたらやります。いなかったら、
浄化は失敗ですな。あと、「はやくやれ!」とか、そういうのは無しですよ。
基礎知識のない人に解説するのは俺の仕事じゃないです。今回はただ、議論と情報交換をしたいだけ
ですから。あと、今は休暇中ですが、仕事の日はレスできないので、あしからず。

あと、俺への個人的質問とか、雑談とかは、今回は一切なし。純学問的なスレに徹します。
というか、俺のことなんか興味ないでしょ? だから、最初に言っておきますが、
その手のレスはすべて無視します。

あと、二三行で質問をする人がたまにいますが、ああいう好い加減な質問にはもう答えません。
ああいうのに答えていると、疲れますから。

廃れたらそこで終わり。荒らしや煽りが来て、我々のやる気を殺いでしまったら、そこで終わり。
つまり、とっても「繊細な」スレなので注意。AA で屁をこくというのも無し。俺も今回は
自粛して マコリン は貼りません。

あと、sage 進行です。これが守れない奴は、書き込まなくていいです。

それでは、どうぞ。
5ローカルルール審議中:2005/04/14(木) 13:52:48
ドイツ語読めなきゃだめなの?渡辺訳がんばって読めばついてける
ならいいけど ドイツ語の論文よめんとあかんならむりだ('A`)
6ローカルルール審議中:2005/04/14(木) 13:56:30
>>2を読んでなかったよ。むりだ。スレ汚しすまんw ノシ
7ローカルルール審議中:2005/04/14(木) 13:57:35
>>2
>久々に現象学、それも、フッサールの観点から見た『存在と時間』の評価に
>注目

ちんぽさんどうも。おひさです。
面白そうですね。でももう少しハードル下げてくれないですか?
哲学を齧り始めた学部生にとっては、いきなり外国語の論文をガンガン上げられても
引いてしまいます。

橋渡しとか導入になるような日本語の文献はないのでしょうか。
門脇俊介さんの本とかがこういう問題扱っていたんでしたっけ?
『理由の空間の現象学──表象的志向性批判』(創文社、2002) 
よくは知らないのですけど。

8チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2005/04/14(木) 13:58:47
まずは、当事者達(フッサールとハイデガー)の言い分を検証する前に、フェレスダールの
見解を論じたいと思うのですが、どうでしょう? それと、その見解に対するドレイファスの
批判です。ドレイファスの本は邦訳があるので、読んだことのある人も多いと思います。

だから、フェレスダールの論文が、今、手に入らない人は、ドレイファスの反論を読むだけでも
いいと思います。フェレスダールの基本的主張は、『存在と時間』の主要諸概念は、
フッサール現象学の諸概念の「翻訳」であり(例えば「意識」=「現存在」等)、
それに依存しているということ、それから、それにも拘らず、ハイデガーは
フッサールと違って、人間の行為のすべてを、世界の構成に寄与するものとして
規定した、ということ、この二点に尽きるかと思われます。

つまり、タイトルにあるように、「行為」の現象学的規定がメイン・テーマとなっております。
周知のように、フッサールは、晩年、従来のように「知覚」を偏重するのではなく、
主観の「行為」全般を問題にしますが、ハイデガーほど徹底していなかったというのが
フェレスダールの考えのようです。

それに対するドレイファスの反論は、このような対比そのものを否定するものです。
つまり、ハイデガーとフッサール(ドレイファスはこれにいつもサールを加えるのですが)の
間には、海よりも深い溝がある、という立場です。

それについて、どなたか意見はありますか? まずはそれから始めましょう。
9チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2005/04/14(木) 14:05:04
>>5

邦訳を探して見て下さい。ドイツ語が読めなくても、一応、議論にはついていけるはずです。
参加するのは少し難しいかも知れませんが・・・

>>7

今回は心を鬼にしています。>>4 を参照して下さい。
10ローカルルール審議中:2005/04/14(木) 14:06:20
馬鹿晒しage
11ローカルルール審議中:2005/04/14(木) 14:17:40
>>1
>ところで、今回は、久々に現象学、それも、フッサールの観点から見た『存在と時間』の評価に
>注目したいと思います。

煽りではありませぬが、まずこの主題を立てる意義について少し語ってください。
なぜ現象学に注目するか、なぜ、わけてもフッサールと『存在と時間』の関係に注目するのか。
12ローカルルール審議中:2005/04/14(木) 14:43:14
久々本格的なスレが出てきそうですね。
煽りに負けずにがんばってちょ。
13ローカルルール審議中:2005/04/14(木) 21:34:09

自演
14ローカルルール審議中:2005/04/15(金) 00:18:08
まあまずこれを読むこった。
ttp://www.ethics.bun.kyoto-u.ac.jp/kato/phaenomenologie.html
15チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2005/04/15(金) 04:21:03
はじめに、「構成」の問題から少しやりましょうかね。

まず、フェレスダールの論じているように、フッサールのいう「構成」とは「意識の志向性」を
意味しております。ブレンターノの志向性概念と異なるのは、御存知のように、フッサールが
志向的対象を「ノエマ」として規定した点にあると思います。

ノエマとは、ある行為の対象を規定するものです。
行為の対象は、しかし、たとえそれが同一であっても、様々なノエマを持ち得ます。
フッサールが実際に出している例で言えば、「木を見る」という行為に
おいて、この対象としての木は様々なノエマータに対応している、という具合に。

換言すれば、この木は、様々な角度から見られたり、想像されたり、思い出されたり、
するわけです。「構成」とは、このような対象の様々なアスペクトを統一することであり、
これが志向性の根源的な働きであるわけです。つまり、「構成」とは、このような
仕方で意識が志向性において対象に向かっていることを意味しているわけです。
換言すれば、対象が、意識の連綿とした流れの中で、己自身を構成することを言うわけです。

注意して欲しいのは、ノエマは抽象的なものだということです。ブレンターノの志向的対象とは
違って、対応する対象が現実に存在しないノエマも充分にあり得ます(ペガサスとか)。
フッサールが『イデーンT』の中で言っておりますが、現実は木は燃えるが、そのノエマは
燃えねえ、というわけです。ノエマは端的に言えば、対象の「意味」です。

まあ、以上がフッサール現象学の「構成」概念の簡単な説明であります。
(こんな説明は不要でしょうが、議論の前提として。)
16チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2005/04/15(金) 04:24:04
それで、問題なのは、フェレスダールがハイデガーにもこれに対応する「構成」概念があると
論じている点でしょう。つまり、「世界内存在」がハイデガーにとっての「構成」である、
というわけです。このような議論には何か釈然としないものを感じますが、ハイデガー自身、
『現象学の根本問題』の中で、「現象学的構成」を語り、存在へ向けての「自由な企投」がそれであると
言っております(原書 S. 29-30)。

ただ、問題なのは、ハイデガー自身は、再三、「意識=現存在」という等式を否定していると
いうことでしょう。世界という現象は、意識が構成するようないわば「客観」ではなく、
それは現存在と一体をなしており、世界というのは、現存在がある限りでのみ、存在する、と。
しかしこの言明を「主観主義」と受け取ってしまうと、上記のような等式が出てくるように思います。
ハイデガー自身は、「主観」と括弧に入れて、暗にフッサールを批判しているのですがね。

そこでまず最初に論ずるべきことは、ハイデガーのいう「自由な企投」としての現象学的構成が、
フッサールのいう構成とどの程度の類似性を有しており、またどんな風に異なっているか、でしょう。

注意して欲しいのは、晩年のフッサールは、「地平志向性」の概念を導入して、志向性の
背景的役割を説いているということです。勿論、これは、あくまで、意識のある活動に還元されると
考えられています。(ドレイファスはここがハイデガーと決定的に異なると言ってます。)

(ハイデガーの志向性に関する議論も参照する必要があるでしょうね。ドレイファスのものと、
あと、『根本問題』の中のカントの知覚概念の議論、『論理学の形而上学的始元根拠』の
後半を参照するのがいい。誰か簡略にまとめてくれるとありがたいっす。)

それでは、皆さんの意見をどうぞ。
17リウ☆マチ:2005/04/15(金) 09:17:19
全然哲学書をちゃんと読んでない素人の甘えた期待なんでスルーして欲しいんですが、
フッサールが歴史や伝統というものをどのように捉えていたのか知りたいなと思ってます。

また、ハイデガーもフッサールもなんですが、
意識化での知覚の働きや無意識といったものについて何か言っていたのかも知りたいと思ってます。
18リウ☆マチ:2005/04/15(金) 09:21:09
○意識化
×意識下
19リウ☆マチ:2005/04/15(金) 09:21:38
すいません。逆です。
20ローカルルール審議中:2005/04/15(金) 13:13:31
>>15-16
まず、ひとつめに言っておかなければならないのは、「学派」というものは
基本的に1つのオリジナル概念を創った人に周りの弟子が集まってできるもので
他人の意見をコピーばかりして、それをさも自分が考えたように論ずる場合は
「学派」というより、「同好会」レベルだということを自覚してもらわなくてはなりません。
それから、>>15-16もひどいものですが、分からない人にとっては基礎概念から
説明していないので、余計分からなくように仕組まれ、分かる人には読んでも価値のない文です。
2111:2005/04/15(金) 13:16:51
sage忘れたのが悪いのかもしれないが、
およそ「学問」を自称する人間が、>>11に答えられないのは問題だと思う。
まさか彼の言う「純学問」とやらが、知識を無方向にひけらかすことでは無いことを祈る。
俺としては学問をやるのに、とつぜん>>2-8のごときひとりよがりの導入をやらかす、
ということは信じがたい。
とはいえ、先に言ったよう、煽ることが目的ではないので、以降このスレはスルーします。
2211:2005/04/15(金) 13:20:42
たまたま、同じような時間に書き込んだけれど、
>>20さんは別人ね。
多分、俺と同じような危うさ・ヤバさをこのスレに感じた人だと勝手に予想。
ではでは。
23ローカルルール審議中:2005/04/15(金) 14:10:04
あはは
すげーなw
24ローカルルール審議中:2005/04/15(金) 19:42:48
このスレの目的が

再入門なのか
学派形成なのか
議論と情報交換なのか

全然はっきりしない
要するに発作的に立てたスレ
毎回発作的にスレ立てしては
ボコボコに煽られて逃げていく
こうなると哲学板の問題ではなく
チンポ太郎自身の問題だと思えてくる
(初期に比べれば大分ましになったが)
25ローカルルール審議中:2005/04/15(金) 20:05:23
竹田のエロス論は専門的にどう評価されてるの?
26ローカルルール審議中:2005/04/15(金) 20:41:09
経験における未規定の部分が現象とはどういうことだ?
27ローカルルール審議中:2005/04/15(金) 20:41:23
>>25
ダメダメなんでしょ、多分。誤読とか語学どうのとかいう理由で。
28ローカルルール審議中:2005/04/16(土) 01:00:43
>>15-16
現象学が苦手な奴の質問なんですがいいですか?
フッサールの構成は大ざっぱには「対象の構成」と「世界の構成」との二段階があると
理解していたので、>>15では前者の「対象の構成」のみの説明なのではないかという疑問
がまず一つと、
ハイデガーが、フッサールの主張「存在をも構成してしまう意識の根源性」に異議を
唱え、逆に存在のほうが根源的なものなのだと主張するのは、後者の「世界の構成」の
段階に関してのことなのではないか、というのが二つ目の疑問です。
現象学については「意識の自然」谷徹 をざっと読んだだけなので、もしよかったら
現象学について他のことも教えてくださいませ。海綿体の膨張力がイマイチなので。
29ローカルルール審議中:2005/04/16(土) 01:19:31
谷なんか駄目だよ、新田のほうを読まなきゃ。
30チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2005/04/16(土) 02:07:19
>>28

「構成」は確かにある種の段階を持ちますが、基本構造は同じだと思います。
個々の対象の構成が、世界構成・世界妥当を可能にするのではないでしょうか?
(まあ、このように段階的に捉えること自体を、ハイデガーは批判しますが。)

問題なのは、すべての意味付与が、常に意識のある一定の働きに結び付けられ得る、という考えだと
思います。ハイデガーは、このように、すべての行為を「意識」という観点から説明することに
異議を唱えていますから。

>フッサールの主張「存在をも構成してしまう意識の根源性」

「存在」というよりも、フッサール自身は「実在」という言葉を使いますよね。
ハイデガー流に言うならば、ものの「直前性」Vorhandenheit です。
フッサールは、ここから様々な実在の様態が基礎づけられると考えていて、これはまさに
ハイデガーとは正反対です。
31チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2005/04/16(土) 02:09:07
>逆に存在のほうが根源的なものなのだと主張するのは、後者の「世界の構成」の
>段階に関してのことなのではないか

ハイデガーは、実在の構成が根源的であると言ったのではなくて、そういう実在を措定する意識そのものの
存在(あり方)が問題にされるべきだと言ったのだと思います。世界内部的にあるものが「出会われ得る」のは、
現存在が、世界内存在として、常に存在を理解しているから、という理由で。

つまり、フッサールのいう「実在」と、ハイデガーのいう「存在」とは別物と思うのですが、
どうでしょうか?

私が感じたのは、ハイデガーは、ある意味で、フッサールの「実在の構成」を「存在の了解」と言い換えて、
しかも、その「存在の了解」を意識の働きなどとしては捉えずに、世界内存在の構造として、
捉えたということです。現存在を、そこで存在が開かれる Da として把握したということです。

ですから、「実在の構成」と「存在の理解」をこのように等置するのは、実は、間違いなんですね。
というのは、ハイデガーにとっては、意識の志向性よりも根源的なものが考えられていますから。
実際、ハイデガーは、現存在の「存在の超越」が、存在者への志向的関係を可能にすると言っています。
「存在の超越」とは、「存在の理解」のことです。

ですから、志向性によっては、つまり、意識の構成という機能によっては、この「存在の超越」は
説明し得ないものなんです。フッサールのいう「超越」、つまり、主観が客観へと「超越する」と
いう議論では、この根源的超越は説明できない。逆にそういう意識の超越は、「存在の超越」から
説明されるべきだ、というわけです。(ここから、ハイデガーの「構成」はフッサールの「構成」よりも
根源的なものであることが示唆されると思います。)

これが今、漠然と感じたことですが、「世界の構成」に関する議論をもっと敷衍して下さると
ありがたいです。谷徹氏の本は残念ながら読んだことがありません。
32チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2005/04/16(土) 02:13:36
議論と関係のない書き込みをする人がいるので、二三注意をしておきます。

まず、冒頭の「学派」形成を云々を真面目に受け取っている人がいるので驚きました。
自分のスレを昔から読んでいる人は知っていると思いますが、俺はいつも、こういう
冗談からスタートして、徐々に学問的な話題に入っていくのです。
なので、学派云々というのは冗談以外の何物でもないです。
これは >>1 >>2 から明らかに読み取れると思います。なにせ、そこでは、以下のような
ことが言われているからです。

>この学派は何をするのか、と言いますと、まずは、皆さんの下半身具合を調節して、皆さんの
>貧弱な オティンポ を、難解かつ深遠な哲学に耐え得るような、強靱な オティンポ に改変致します。

これを真面目に受け取る人は、頭がどうかしているんじゃないか、と思います。
33チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2005/04/16(土) 02:18:02
このスレの目的は、>>3 で述べましたように、「フッサールの観点から見た『存在と時間』の評価」
を明らかにすることです。それによって、現象学に「再入門」しようと試みています。
ここで「入門」というのは、初心者が初めて現象学を学ぶという意味ではなく、既に現象学に
ある程度親しんだ人が、もう一度、自分が理解してきたことを、根底から考え直すという意味です。
ですから、「再入門」と言いました。

よって、このスレは、いわゆる「初心者」対象ではありません。(初心者の人には初心者用のスレがあるはずです。)
それから、ルールに関しては、既に >>4 で述べていますので、ここでは繰り返しません。

それから、>>11 の人に言っておきますが、フッサールとハイデガーとの関係は、現象学の歴史の
中では、繰り返し問題にされるトピックですよ。というのも、この二人の哲学者の関係は、
ある本質的な問題を孕んでいるからであり、その後の現象学の動向を決定付けたからです。

要約して言えば、「超越論的現象学」から「解釈学的現象学」への移行が問題になっています。
まあ、こういう短絡的なフレーズをもってしては、問題の何たるかは示せないのですが。
『存在と時間』ははっきりと「現象学」を方法論とすると言いながらも、フッサール現象学とは
根本から異なっている、これがここで扱われている問題なんです。

それから、二三行の質問には答えないと言っておいたはずです。もし質問があるのなら、それに
対して、あなたがどういう態度を取っているかを少しは示すべきではないですか?
つまり、その質問に対するあなたの意見も書くべきだと思うのです。そうでないと、こちらも
明確な答えはできません。ですから、「二三行の質問には答えない」と言いました。

議論に関係のない書き込みは、「雑談スレ」かどこかでやって下さい。上のような書き込みをする
ことで、嫌気が差して来ますから。
34ローカルルール審議中:2005/04/16(土) 02:37:39
卒論のネタレベルで引っ張ったってしょうがねーだろ
どうせ高卒の厨国人しかいねーんだから
35チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2005/04/16(土) 02:41:44
>>17

レスするのを忘れていました。申し訳ない。

今、ここで論じている問題(特に「志向性」や「構成」)は、「無意識」の問題と暗に関係して
います。

フッサールの「歴史や伝統」に関する見解は、『危機』を読むのがいいと思います。

無意識というものは、意識的なものからしか、あるいは、意識的なものの欠如的様態としてしか、
捉えることが出来ません。それは常に「遡及的な」ものであり、反省的意識によって、
構成されるものです。ですから、無意識は、フッサールにおいては、意識の一様態に過ぎないと
言えるでしょう。勿論、我々が日常的に無意識的に行動したりすることはありますが、
そのような無意識的行動は、それに注意が向けられさえすれば、ありありと現前化され、
意識に立ち現れてくる、と考えられています。

ハイデガーは、意識という言い方は避けますが、無意識がいわゆる根源的なものであるという
発想はしないと思います。「意識化での知覚の働き」という言い方も避けるでしょう。
というのは、それはあくまで「意識」を根源的なものとして捉えているからです。
ハイデガーはむしろ、無意識も意識も、現存在の世界にうちにあることの、一つの
様態である、というでしょうね。
36ローカルルール審議中:2005/04/16(土) 02:53:40
>>30-33
やれやれ、ここ数日君と同じような堅物と話してたけど、
やっぱり生き生きとした発想を両者共失わせてくれる自称研究者だね。
君がやりたいのは、
>「超越論的現象学」から「解釈学的現象学」への移行
なんだろうが、君の説明ではまず君自身がきちんと理解しているのかどうか
さえも怪しいので、
>このスレの目的が全然はっきりしない
と言われるのです。それから、
>俺はいつも、こういう冗談からスタートして、徐々に学問的な話題に入っていくのです。
というのも、君自身が冗談の塊なので全然真実味が感じられないのです。
それから、
>自分のスレを昔から読んでいる人
の1人として、経験から言わせてもらえば、君がやりそうなことといえば>>28は確実に君の
自演キャラの1人であろうということぐらいでしょう。



37ローカルルール審議中:2005/04/16(土) 02:58:49
>>35
あとですね、一応我々は君に住人の教育なんて頼んだ覚えはないのであって、
そういうことが高圧的にやりたいのなら、それこそ別の場所でやってくださいって
ことですよ。
38ローカルルール審議中:2005/04/16(土) 03:04:17
>>36

議論に参加できない馬鹿のねたみはいつ聞いてもむごいな。
39ローカルルール審議中:2005/04/16(土) 03:11:57
>>38
君なら、そういう反応が返ってくると思ってましたよ。
まあ、しかし昔の研究者1〜5(もっと居ました?)の大自演を見てる
我々がそう何回も同じパターンでひっかかると思われてること自体、
君自身の精神が人間的に全く成長していないことを裏付けていますね。
とりあえず、例のスレで別ハン使わずに、我々と世間話でもしたら
どうですか?我々は別に君が高圧的に出なくても、人生相談に乗りますがね。
40チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2005/04/16(土) 03:35:54
>>39

俺は >>38 ではないですが、一体、あなたは、俺から何を期待しているのですか?
それを言ってもらわないと、俺もどう対応していいのか分かりません。

あなたの書き込み >>36 から察するに、俺にこのスレを運営するのをやめてほしいと
言うことですか? それはあまりに安直なので違うと思いますが。

是非、あなたの希望をお聞かせ願えませんか? そうすれば、あなた好みのスレに
改変することも可能でしょうから。

それから、高圧的な態度をとった覚えはないですが、初心者に対して教えるときは、
少しはそんな風になるかも知れません。それは申し訳ない。こちらに非があります。
改善したいと思います。

いずれにしても、俺に対する中傷はよく分かりました。そしてその大部分は正当だと思います。
俺も自分の性格の欠点に嫌気が差しますから。まあ、俺の成長物語として読んで下さいよ(笑)。

>例のスレで別ハン使わずに、我々と世間話でもしたらどうですか?

どこのスレですか? 時間があれば行きますよ。まあ、タコ殴りにされるんだろうけどさ(笑)。


あと、>>28 も俺ではないです。さすがにこれは分かると思いますよ。自演をするのなら、
もっと周到にやりますとも。それに、日本人の注釈者なんか、俺が出すのは滅多にないこと
くらい、御存知でしょう?
41チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2005/04/16(土) 03:39:44
あと、一応、議論が進行中ですので、俺に関するネタは、その「例のスレ」(?)というところで
やるのはどうでしょうか? あるいは、ネタ系の話題は「電波板」でやりませんか?
一応、俺は哲板よりあそこの方に多く書き込んでいるので。
その場合は、スレ立てお願いします。すぐに分かるスレタイで。
42チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2005/04/16(土) 04:01:29
あと、

>>36

>>「超越論的現象学」から「解釈学的現象学」への移行
>なんだろうが、君の説明ではまず君自身がきちんと理解しているのかどうか
>さえも怪しいので、
>>このスレの目的が全然はっきりしない
>と言われるのです。

超越論的現象学から解釈学的現象学への移行というトピックは自分なりに理解している
つもりですが、>>36 さんの意見を伺えませんか? 俺の方は「解釈学」という言葉を、
単純に、現存在をその日常性において解釈することと受け取っているのですが・・・。

どうでしょうか、例えば、ローティーのいうような、「不可共約的な言説同士を共約的にする」とか
いう定義は、ハイデガーとはちょっと違いますよね。ギアーズやクーンの「解釈」の定義は
ほぼローティーと同じだと思うのですが、これもやはり違う。というのも、ハイデガーの場合は、
人間そのものが自己解釈的であることを示そうとしているからです。
つまり、現存在は、常におのれの存在を通じて、理解する存在である、という具合に。
それについてはどう思いますか? あなたの「解釈学」の考えを教えて下さい。
43チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2005/04/16(土) 04:05:17

× ギアーズ
○ ギアーツ

>>36

あと、フッサールに関しては、超越論的現象学は、世界妥当を括弧に入れて、意識の明証性に
帰還する、つまり、「超越論的還元」がその方法論になっているものだと思います。
その意味で、デカルトの懐疑と同質のものであり、常に既に、「われ思う」としての主観が
自明なものとして措定されている、これが問題だと思います。

というのは、解釈学的現象学は、このような自明の前提に疑義を呈し、そのような構成する
主観のあり方を、問題にするからだと思います。

ところで、あなたはフッサールの「超越論的」という概念をどう解釈しておられますか?
また、それがどうハイデガーのいう「超越論的」と違うと思いますか?

それをまずは伺わせてください。
44ローカルルール審議中:2005/04/16(土) 17:37:15
チンポ君はちっとも変わらないなぁ。
煽りを放置できず、相手を論破することに疲れてしまって結局スレは放棄。
今回もそのパターンかい?
君はいつもいいところでサジを投げる。
哲学書をかなり読んでんだから忍耐力はあるはずなのに、
スレ運営に関しては別なのかな?
45ローカルルール審議中:2005/04/16(土) 17:40:19
煽りじゃないよ。
今回は長く続けてくださいよ。
陰ながら応援している人は多いと思うよ。
46ローカルルール審議中:2005/04/16(土) 17:41:35
>>42
>俺の方は「解釈学」という言葉を、
>単純に、現存在をその日常性において解釈することと

おいおい。釣りじゃなかったらアホかと思われるぞ。
いい加減にしなさい。
47チンポ太郎:2005/04/16(土) 18:43:58
>>46 >>45

あのう、俺は前回の「死尿スレ」で一応、1000までやったんですが・・・。
グルの反論に対して再反論を書こうとしたら、一気に1000までいってしまって書けなかった。
悪いのは、関係のない書き込みをして、俺が書き込むことを阻止する連中じゃないでしょうか?
要するに、あなたたちのことを言っているんですがね。>>45 さんのような応援は有難いが、
しかしこういう書き込みが俺に対する「逆恨み」や「妬み」を産む原因になっています。

俺としては、もし俺個人を攻撃したり、ネタにするのなら、別スレを電波板なんかに
立てて、そっちでやって欲しいんですよね。ここは一応「哲板」だし、コテ叩きも一応、
禁止されていると思うんですよ。

確かに、俺は煽りをすぐに相手にして(今もそうですが)、蝿叩きに精を出すという、
性格的な欠点がありますが、放置すると連中はわんさか集まってきて、俺をタコ殴りにしないと
気が済まないというわけじゃないですか。>>11 がいい例ですが、たまたま無視してレスを
しなかったら、俺に逆恨みして個人攻撃を浴びせて来るわけです。それも名無しで。
こんな根性のない奴を相手にするのは、自分でも愚かな事と分かっていますよ。
でも、悪いのは俺ですか、それとも、俺にたかってくる蝿でしょうかね?

まあ、俺が腐っているから、蝿がたかるんでしょうけど(笑)。
48チンポ太郎:2005/04/16(土) 18:48:17
あと、不思議なのは、なんで煽るだけが目的の人は、哲板なんかにいるんでしょうか?
というのも、そういう連中は、絶対に哲学の話題は一言も口にしませんよね?
口にするとしても、おまえは分かってないとか、そういう、間接的で短絡的な断定だけで、
具体的反論はいつも欠けているんですよ。

>>46 が好例じゃないですか。ハイデガーのいう「解釈学」は事実性の解釈学のことですが、
それを簡単に「現存在をその日常性において解釈すること」と言っただけで、
俺のそのあとの説明は一切無視して、ブーたれているんですからねえ。
しかも、自分の意見もないし。名無しだし。どう扱えばいいんですか、こういう人は(笑)。

俺は「死尿スレ」で、グルと論争をやりましたが、グル君はこういう連中に比して、
格段にマシでありましたよ。
49THE グル :2005/04/16(土) 18:48:50
いいですか、
厳密なる科学として理想を掲げ、
自然科学と違う道を探し、
純粋現象学の途を進む哲学は、
その実、
自然科学ほどの厳密な体系を、
築けなかったのは残念ですね。
どうかしましたか?
50チンポ太郎:2005/04/16(土) 18:50:44
あと、俺ははっきりと >>4 の中で、余計な書き込みは議論の流れを中断するからやらないで下さい、
とお願いしたはずです。なのに、呼ばれてもないのに、俺をスレを見たら、いいカモがきた、
ってな具合で、蝿がぶんぶん寄ってきて、やれ、チンポはまた今回も駄目だ、とか、
やれ、チンポはまったく分かってない、とか、やれ、卒論レベルだ、とか・・・

一体、俺にどうしてほしいの?(笑) と問い掛けてみたくなるじゃないですか?
要するに、俺にいなくなって欲しいだけでしょ? と俺は思うんですがね。
或いは、こういう俺の書き込み自体を楽しんでいるのでしょう?
51チンポ太郎:2005/04/16(土) 18:52:09
まあ、ここではっきり言わせて下さい。このスレは、>>2 で既に言いましたように、
フッサールとハイデガーの関係を議論するスレです。チンポ太郎で遊ぶスレではないです。
よって、俺に対する中傷、非難、罵倒、応援、ファンレター、生尺、前立腺マッサージは、
他スレでお願いします。

このスレは、実験的な意味も込めて、純粋に議論だけのものにしたいのです。
もし、議論をできる人が三人以上集まれば、こちらも続ける予定です。
しかし、このまま、議論が成立しない状態が続けば、このスレの存在意義はないでしょう。

じゃあ、煽りの皆さん、言っても無駄だと思うけど(笑)、これからはこのスレにおける
議論以外の書き込みは禁止! いいですか! 禁止ですよ!

俺にそんなにラブレターを書きたいのなら、

◆◇チンポ太郎は死ね! 高卒の分際で!◆◇
http://etc3.2ch.net/test/read.cgi/denpa/1113644521/

の方にお願いしますね! アッハッハッハ! 

それから、>>36 さん、>>42-43 の回答待ってますよ! 明日までによろしく!
以下、議論以外の書き込みは禁止! 全部、無視しますよ! ギャハハハハハ チンポコ ポコポコ
52チンポ太郎:2005/04/16(土) 18:59:30
>>49

グル君、あなたは恐ろしいタイミングで登場しましたね。俺はその直前のレスであなたに
言及したところでしたよ。「死尿スレ」では最後まで議論が出来なくて残念でした。

じゃあ、グル君、あなたは参加して下さいね。

まず、>>2 >>4 >>8 >>15-16 >>33 あたりを読んで下さい。議論の輪郭が分かるはずです。

それから、グル君、これは俺からのお願いだが、sage 進行でやって下さい。
安心したまえ、sage でもあなたの書き込みは多くの人が見てるんだから。

それじゃあ、>>15-16 に関するあなたの意見を待っております。
ところで、フェレスダール、ドレイファスはグル君は読みましたか?
読んでいると議論が円滑になるし、良質な研究だから読んで損はないと思うよ。

では。
53ローカルルール審議中:2005/04/16(土) 18:59:33
こんな下品ですけどボク博識なんですってとこ見せたいだけのつまらんキャラクター。

ホントその通り受けてくれるバカもいるから止められないよな。
54ローカルルール審議中:2005/04/16(土) 19:02:00
ぴかぁ〜ウザイ
55ローカルルール審議中:2005/04/16(土) 19:03:07
なら「チンポ太郎」なんてコテハンでやらずに名無しで立てればいいのに。
56ローカルルール審議中:2005/04/16(土) 19:10:50

               _,,,,,,,,,,,,_
           , :'"´ _... --、 `゙丶、
          / _.. - ''    ..:  .:.::ヽ
         /:, '       ` 、  .:.:::::',  2004年度 ちんぽ代表
        i:'       __   .. ` 、.. .:.:::',  チンポ太郎 板前(院生崩れ)
        !    ,,:='''´    : .  : .:.:::::,!_
         !,,:=、    _,,,,,_,   :  ` 、r',r ヽ
          ! _.. ;   ´ ̄    : .   ! iヽ :|
        l'´- /   -、       :   ! ー 'ノ  
        !  r_  r=ノ    . :    :r-ィ'   
        ヽ  `__............  :      ! l <僕の博識に対して
          ', , '___,,.--‐'´  .    :,' | <妬みの声があるのでしょう
          ヽ 、 ̄,,.. ''´   :   .:/  !、
           ',  ̄    . :  , :'": :  ト、\
           ヽ.. .. : : :_,,. '" : : : :   l、!  \
57ローカルルール審議中:2005/04/16(土) 19:18:32
>このスレは、実験的な意味も込めて、純粋に議論だけのものにしたいのです。
>もし、議論をできる人が三人以上集まれば、こちらも続ける予定です。

とても斬新な実験だな。恐らく2ch史上思いついた奴もいない程
誰も考えなかったアイディアだ。
58ローカルルール審議中:2005/04/16(土) 19:25:56
>>1さんは自信がないから煽って逃げ道を作っているんですよ。
59THE グル :2005/04/16(土) 19:31:22
>>48
いいですか、
久しくお見受けしてませんでしたね。
哲板に、
賢い方が一人でも多く参加されるのは、
有益なことなんです。
どうかしましたか?
60ローカルルール審議中:2005/04/16(土) 19:36:42
煽られるのは、皆>>1に飽きたからじゃないの?
ワンパターンだから。
61THE グル :2005/04/16(土) 19:37:18
>>52
いいですか、
sage進行でしたか、
残念ながら、
グルのこれは、
良い議論は、
恥ずることなく挙げてやるべきであるというスタイルでありまして、
仕方のないことなんです。
まあ、
時々参加するぶんには平気ですかね。
また、
>フェレスダール、ドレイファスはグル君は読みましたか?
とありますが、
グルは、
「ぐりとぐら」があれば十分なんです。
ちなみに、
参照されているレスは読んでおくんです。
これが今では定説です。
どうかしましたか?
62ローカルルール審議中:2005/04/16(土) 19:40:32
つまんねーよ
アホどうしで暇つぶしやってれ
63ローカルルール審議中:2005/04/16(土) 19:43:52
ひとり、必死であおってるのがいるな
64ローカルルール審議中:2005/04/16(土) 19:47:06
>ひとり、必死であおってるのがいるな

それは正にチンポ太郎のことではないだろうか。
65ローカルルール審議中:2005/04/16(土) 19:51:00
つまんねーよデブ
66ローカルルール審議中:2005/04/16(土) 19:52:34
現象学って、表象の外には出られないという立場ですよね。
要するに実在というのは無意味だということですよね。
実在しようがしまいが表象には変わりないというわけです。
しかしそういうまとめかたは一方的であり、意義があるとは思えない
のですが。
つまり、まとめるのとは逆方向に、すべては表象ではあるが、これは
実在する、あれは実在しないという認識の運動だって重要だと思うの
ですが。
67ローカルルール審議中:2005/04/16(土) 19:55:44
勝手にまとめんなよ小学生
68ローカルルール審議中:2005/04/16(土) 20:02:31
チンポの成長物語
69ローカルルール審議中:2005/04/16(土) 20:07:35
成長してないじゃん。
アイツだんだん馬鹿になってんぞ。
70ローカルルール審議中:2005/04/16(土) 20:15:53
>>69
それは錯覚。
奴は別に変わっていない。
ただある程度長い間見ている人間にとっては
進歩が感じられない分、
馬鹿になっているような気がするだけ。
71ローカルルール審議中:2005/04/16(土) 20:17:29
>>68-70
自演乙
72ローカルルール審議中:2005/04/16(土) 20:22:30
明らかに退化してんじゃんか。
はっきりいって今じゃ単なる学部生レベルだぞ。
73ローカルルール審議中:2005/04/16(土) 20:25:40
>>72
流石にわざとレベルを落としてるんだと思うが・・・・・・
確かにこのスレの書き込みは卒論レベル。
チンポ太郎どうした?ちゃんと勉強は続けてるか?
74ローカルルール審議中:2005/04/16(土) 20:27:34
>>72-73
自演乙
こいつの煽りはほんとワンパターンでつまらんなあ
ほら、ここでやってろよ
http://etc3.2ch.net/test/read.cgi/denpa/1113644521/
75ローカルルール審議中:2005/04/16(土) 20:31:04
>>74
妄想乙。つかホントに書いてる内容のレベルは落ちてるぞ。
76ローカルルール審議中:2005/04/16(土) 20:34:53
>>75
どのスレと比較していってんの?俺は現象学を専門にしてるわけじゃないけど、
初期のちんぽのスレよりは数段レベルは高いとおもわれ。
つーか、きみがわかってないだけかも知れないよwww
さっきから「レベル低い」の一点張りでがんばってあおってるみたいだけど。
問題なのはきみのレベルじゃないの???
77ローカルルール審議中:2005/04/16(土) 20:41:04
>>76
俺も現象学が専門じゃないからgeneralなことしか分からないが、
初期の研究者スレは今よりレベルが高かったと思うぞ。
ただあの頃俺は修士課程だったからそう見えるだけかもな。
このスレは記述がユルユルな気がする。別人みたいだ。
最初に言い出したのは俺じゃないが学部生の卒論のよう。
実際別人の可能性もあるんじゃないか?
78ローカルルール審議中:2005/04/16(土) 20:44:03
>>77

だからーwww どこがどうレベルが低いのか、いってごらんよ。
generalなことしかわからんやつがどうしてレベルをはかれるの?www
それに記述がゆるゆるなのとレベルがどう関係してんだよwww
79ローカルルール審議中:2005/04/16(土) 20:45:46
>>77

それからさ、学部生レベルとか修士レベルとかいってるけどさ、
それはどんなレベルなの?
80ローカルルール審議中:2005/04/16(土) 20:46:24
>>78
generalなことしかわからんやつがどうしてレベルをはかれるの?www
それに記述がゆるゆるなのとレベルがどう関係してんだよwww


お前研究者じゃないだろう。
81ローカルルール審議中:2005/04/16(土) 20:49:58
昔のちんぽのコピペだろ
82ローカルルール審議中:2005/04/16(土) 20:50:20
>>79
学位を持っている奴は全員知っている。
何がどのくらい違うのか。
それが分からないのは度素人。ワナビー。
83ローカルルール審議中:2005/04/16(土) 20:53:44
>学位を持っている奴は全員知っている

おいおい、じゃあ、どんな馬鹿でも知ってるというのかい?
それじゃあ、レベルなんてものはありえないよ。

具体的におまえのフッサールの知識はどの程度なの?
俺は専門じゃないといったが、フッサールの著作は翻訳で読んでるが。
84ローカルルール審議中:2005/04/16(土) 20:59:28
>>83
傷口が広がらぬ内にもう止めておけ。
お前が度素人で単にチンポ太郎のキャラに
憧れている愚者ということは
今の会話だけで分かる奴には明白。
自分で論文を書けば分かるよ。
85ローカルルール審議中:2005/04/16(土) 21:00:04
>>84
じゃあ、「受動的綜合」を五分以内に説明してみな。学部生レベルな。
86ローカルルール審議中:2005/04/16(土) 21:05:27
>>84
おいおい、解答はどうした?自分で論文書いてるんだろう?早くしてくれよ。
あと、五分待ってやるよ。
87ローカルルール審議中:2005/04/16(土) 21:13:17
>>85
お断り。俺は現象学専攻じゃないと言った筈だ。
だが他分野でも書いた奴のレベル乃至真面目さは分かる。
この事の意味が分からないのが、
お前の決定的なレベルの低さなんだよ。
どちらにしろ俺はこのスレのチンポは偽者と見たね。

ついでに言うと連投規制でそう素早く書き込めねえよ。
学部生というのは図星だったらしいなw落ち着けド素人。
88ローカルルール審議中:2005/04/16(土) 21:15:17
>>87
専門は何?
89ローカルルール審議中:2005/04/16(土) 21:28:21
「五分以内に説明しろ」ってw
そんなのフッサール先生にも不可能だってw
90ローカルルール審議中:2005/04/16(土) 21:29:34
そーゆーこと言ってるからバカにされるんだろw
91ローカルルール審議中:2005/04/16(土) 21:35:39
チンポ♪チンポ♪ワンツーチンポ♪
92ローカルルール審議中:2005/04/16(土) 21:53:10
これほど展開があらかじめ予想されたスレは無い。
ちんぽの目的が一番達せられる方法。。。
──それはちんぽが自分の知識を総動員して
自身の哲学を展開することだろう。
それが魅力的であれば盛り上がるし真面目なレスもつくだろう。
93ローカルルール審議中:2005/04/16(土) 21:55:00
うるせーよハゲ
94ローカルルール審議中:2005/04/16(土) 21:55:22
>>87
で、専門は何?
95ローカルルール審議中:2005/04/16(土) 21:56:14
87て誰だよハゲ
96ローカルルール審議中:2005/04/16(土) 21:59:37
こいつ、大先生スレでちんぽに粘着してた奴だよ。相手にする必要なし。
97ローカルルール審議中:2005/04/16(土) 22:02:37
「こいつ」って誰なんだよハゲw
テケトーにidentificationしてんじゃねーよw
98ローカルルール審議中:2005/04/16(土) 22:05:09
そういえば、昔々のどこかの国で、
自らのチンポをチョン切ってまでも、
皇室に使えようとする者が後を絶たなかったようだ。
性欲なんて自らの意志で切り捨てられる。
99ローカルルール審議中:2005/04/16(土) 23:29:41
性欲だけで、この世の現象をすべて語れねーってこった。

ティムポ太郎君よ。ガハハハ〜
100:2005/04/16(土) 23:45:26
性欲だけで語れる香具師
10128:2005/04/17(日) 02:59:35
>>30 >>31チンポ太郎さんお答えどうもありがとうございます。
>ハイデガー流に言うならば、ものの「直前性」Vorhandenheit です。
>フッサールは、ここから様々な実在の様態が基礎づけられると考えていて、
>これはまさにハイデガーとは正反対です。
フッサール現象学では「手前存在者」Vorhandenesからの世界の基礎づけのみが問題に
なっているだけで、対しハイデガーではあくまで「手元存在者」Zuhandenesからの世界の
基礎づけが根源的であって(すいません、こういう言い方は曖昧ですね、>>31で書かれてい
るように、「意識の構成という機能から演繹的?に世界を基礎付ける方法論」に対する「存在
の問いにおける循環の中に正しく入っていく方法論」の徹底性と言ったほうがよいでしょ
うか)、この差異が、フッサールの「超越論的現象学」からハイデガーの「解釈学的現象学」
への移行の大きな理由の一つである、ととりあえずは大まかに捉えてよいでしょうか?
>「世界の構成」に関する議論をもっと敷衍して下さるとありがたいです。
現象学初心者なので無理です。自分は現象学にとても興味はあるのですが、ぶっちゃけて
言うとその理由が「カント、ヘーゲルの思想にピンときたように現象学にピンと来ないの
はなぜか」「哲学の大潮流の一つである現象学に全く興味が沸かないことに興味がある」と
いうものだからです。ですが、フッサール現象学を主観的観念論の一系譜、ハイデガー存
在論を言語主義と切って捨てるのにも飽き飽きしてきたので、とりあえずフッサール、ハ
イデガーの主張していることをなるべくリテラルに取ってみようか、と考えているのです。
つまり基本的に質問厨以上のことは書けないので質問レスは今回でもうやめますが、願わ
くばチンポ太郎さんには大量の独走的レスを書いて欲しいと思ってます。
102ローカルルール審議中:2005/04/17(日) 21:38:35
103チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2005/04/21(木) 17:31:33
>>61 >>グル

まあ、sage るかどうかは、君の判断に任せるよ。俺も強制する立場じゃねえし。
ただ、蝿がウザイんだよね。

>「ぐりとぐら」があれば十分なんです。

なんすか、「ぐりとぐら」って? 聞いたことないっす。

>自然科学ほどの厳密な体系を、
>築けなかったのは残念ですね。

用語は精確に使おうぜ、グル君。フッサールは「精密な学」としての自然科学に対して、
「厳密な学」としての哲学を提唱した。この exakt と streng の区別はどうなのよ?
104チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2005/04/21(木) 17:33:33
>>66

>現象学って、表象の外には出られないという立場ですよね。
>要するに実在というのは無意味だということですよね。
>実在しようがしまいが表象には変わりないというわけです。

いや、それはちょっと違うと思いますよ。確かに、現象学は意識の根源性を前提にしていますが、
いわゆるバークリー流の観念論とは異なります。それはフッサールがノエシス・ノエマの
構造を論ずる際に、あくまで「ヒューレー」を説くことから明らかだと思います。
「ヒューレー」自体は、自我とは疎遠なものですからね。

つまり、現象学は、実在を意識に還元する立場とは異なるということです。

あと、

>要するに実在というのは無意味だということですよね

これもちょっとおかしいと思います。フッサールは、実在措定が意識の働きであると
言っているだけで、実在は無意味であるとは言っていません。
実在が無意味というのは、そもそも、どういう意味でしょうか?
もしそれが、「実在を意識に還元する」ということなら、それは既に述べたように、
フッサールの立場ではありません。

>すべては表象ではあるが、これは
>実在する、あれは実在しないという認識の運動だって重要だと思うの
>ですが。

それをフッサールは意識の実在措定の働きだと言っているのだと思うのですが。

詳しくは『イデーンT』の後半の、ノエシス・ノエマ構造の分析を見られたらどうでしょう?
105ローカルルール審議中:2005/04/21(木) 17:43:47
ハエは無視するのがいいんじゃないかな。
興味が無い人は来なければいいだけですし、大切なのは内容です。
106チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2005/04/21(木) 17:48:41
>>101

>「意識の構成という機能から演繹的?に世界を基礎付ける方法論」に対する「存在
>の問いにおける循環の中に正しく入っていく方法論」の徹底性と言ったほうがよいでしょ
>うか)、この差異が、フッサールの「超越論的現象学」からハイデガーの「解釈学的現象学」
>への移行の大きな理由の一つである、ととりあえずは大まかに捉えてよいでしょうか?

超越論的現象学というのは、自然的態度の中で、自明的に世界を前提している経験的自我から、
あらゆる世界妥当を究極的にもたらす超越論的自我に至ることを目標にしています。
そうして、その超越論的な意識生活を、ノエシス・ノエマの相関関係として把握するわけです。
問題なのは、構成的主観は、そこでものの実在さえ構成されるところのものだから、
それ自身の存在様式が問い得ないというわけです。そこからすべてが生ずるのですから、
それを問うことはもはや出来ない。それはフッサール現象学の終着点なんですよ。
ハイデガー風に言えば、構成的主観の存在様式はフッサール流の仕方では問い得ないという
わけです。

一方、ハイデガーは、「構成するものとしての自我」と、「構成される世界」との違いを
強調する。構成する自我は、世界を構成するものである以上、世界とはまったく異なる、特別な
存在者、つまり「実存する」存在者でなくてはならない。

こうしてハイデガーは、超越論的自我を、「現存在」に置き換えた・・・これがフェレスダール流の
解釈なんですね。もちろん、ハイデガー自身は、こういう「現存在」=「意識」を、
『形而上学とは何か』への序文ではっきり拒絶しておりますがね。

まあ、ともかく、フッサール現象学では問い得ない、超越論的自我の存在様式、それをハイデガーは、
現存在の分析論として展開した、とそんな風に考えられているわけです。それが、いわゆる、
解釈学的現象学なんですね。

それをこれから批判するんですが・・・誰もいない。
107チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2005/04/21(木) 18:01:19
補足

>一方、ハイデガーは、「構成するものとしての自我」と、「構成される世界」との違いを
>強調する。

つまり、両者の「存在様式」の違いを強調するわけです。フッサールのように、自我と世界とを、
つまり主観と客観の違いを強調するという意味ではありません。

自我の存在様式は、世界の中のいかなる存在者とも異なる。それは「実存している」。
実存するということは、ハイデガーにとっては、「世界内存在」しているということです。
世界内存在というのは、フッサールの「構成」を実存論風に言い換えたといっていいでしょう。
というのは、現存在は、世界内存在としてのみ、存在者と出会うことが、つまり、存在者と
志向的関係をもつことが可能であるのですからね。

ただ、フッサール風の主観客観関係をハイデガーは拒絶します。世界内存在として、現存在は
既に世界と融合している、世界と現存在は相互依存的なんです。これはもはやフッサール現象学では
あつかえない。彼がたとえ、地平志向性を説くとしても、それは意識のある働きであって、
分析を進めれば、最後には客観を構成する主観という場面に戻ることができるからです。
それがまあ、いわゆる「現前の形而上学」なんですな。余計なことを書き過ぎました。
108ローカルルール審議中:2005/04/22(金) 21:45:40
ちんぽダセー嗣キターー!
109ローカルルール審議中:2005/04/22(金) 22:55:33
ふさーるってどうとでも取れることをそれとらしくいってるだけだろ?
110ローカルルール審議中:2005/04/22(金) 23:38:35
どうとでも取れることをそれらしくいってるだけの香具師キターー!
111ローカルルール審議中:2005/04/23(土) 00:00:05
「原印象から原印象への移行とは、真には、新たな原印象が、
直前の原印象の直接的で過去把持的変化と同時的に統一化することであり、
この同時的な統一化がそれ自体、更に過去把持的に変化してゆくのである。
内容的な原融合は、印象と直接的な原過去把持との間に同時性おいて
生じている。」フッサール『C草稿(未公開草稿)』(『媒体性の現象学』p369)

主観と客観、それは即時間論でもあるが、
それについて彼がどう考えているのかが示されている。
112ローカルルール審議中:2005/04/23(土) 00:29:56
urって便利だな
113ローカルルール審議中:2005/04/23(土) 14:21:59
クソスレですね
114ローカルルール審議中:2005/04/24(日) 03:32:16
下ネタスレだろ
115チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2005/04/24(日) 14:36:12
>>111

>主観と客観、それは即時間論でもあるが

詳細キボン 何故「即時間論」になるのか教えて下さい。

引用文は単に時間が「入れ子」の構造になっているということを示しているだけの
ような気がします。過去把持が連綿と続いて、それがいわゆる志向性の構造をなしている、と。
いまだに時間が「今」の連続として、点の集まりとして解釈されている。
「今」は「原印象」の源泉であり、常に「現前」にあるものが優位をもつ。
そしてその今というスタンプを押しているのが、「生ける現在」としての超越論的主観性・・・

ああ、本当にフッサールは常識の鑑のような人だ。
116ローカルルール審議中:2005/04/27(水) 01:47:27
くだらね
117THE グル :2005/04/30(土) 02:19:04
>>103
いいですか、
では暇が出来たので少し書き込んでみるんです。
>なんすか、「ぐりとぐら」って?
とおっしゃっておられますが、
森で大きな卵を拾ってカステラを作ると言う壮大なストーリなんです。
>用語は精確に使おうぜ、グル君。
とおっしゃっておられますが、
あなたのおっしゃる通り、
これは打ち損じましたね。
正しくは精密な体系とするべきなんです。
ここで訂正しておくんです。
さて、
>exakt (精密性)と streng(厳密性) の区別はどうなのよ?
とおっしゃっておられますが、
辞書を引けば載っているようなことを、
敢えて此処に書いても仕方ありませんので、
これは割愛いたします。
どうかしましたか?
118考える名無しさん:2005/04/30(土) 02:28:12
ハイデガーも「世界像の時代」の中で、科学が目指すのは精密性であって、
哲学の目指すべき厳密性と峻別することを熱弁してますが、このもとは
フッサールだったのですか?
119THE グル :2005/04/30(土) 03:08:42
>>15
いいですか、
>ノエマは抽象的なものだということです。
とおっしゃっておられますが、
確か、
『ideen』の中で、
フッセルは、
ノエマは具体的体験の中に在って「核」としての「意味」及び、
「核」の周囲に種々なる性格の「層」を持つとしておりませんでしたかね?
まあ確かに、、
ノエマは意識に内在的なる要素であって、
「実的」ではなく、イデエールですがね。
どうかしましたか?
120考える名無しさん:2005/04/30(土) 03:27:50
あいかわらず頭悪いな
121考える名無しさん:2005/04/30(土) 03:33:50
ああ、まったくだ。
太郎はクソだな。
122THE グル :2005/04/30(土) 04:13:41
いいですか、
あまり言いたくは無いのですが、
本当はこの様な哲学を哲学で議論するということは、
堂々巡りでしかありませんし、
結論など出るはずないので不毛でしかないんです。
また、
もし結論らしきものが出たとしたら、
それは欺瞞でしかないんです。
そもそも哲学とは主観の体系でありまして、
その実、
「としたら」という言葉の上に成り立つ非常にナイーブな学問なんです。
といいますのも、
ある方がこう考えたという全く主観的な概念(あるいは仮説)に対し、
実際的裏づけが無い「主観」を永遠と議論し続けて行っても、
明らかな形で決着はつきませんし、
一つの「としたら」を別の異なる「としたら」で積み重ねるだけの無意味な議論になってしまうからなんです。
これと同じように、
現象学の弱いところは、
それ自身を明確に普遍化(あるいは一般化)させるだけの実際的な根拠や論拠が無いことが挙げられるんです。
さらに言ってしまえば、
「〜がこう言ってたから」というのはなんの論理的証明にもならないんです。
自然科学が哲学と一線を画しているのは、
なによりも「実験」というものがあったからでありまして、
そうした視点で見るならば、
哲学の多くの記述はお粗末な卒論程度にしか見えないんです。
どうかしましたか?
123チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2005/04/30(土) 04:23:22
おい、グル、なんか、きみのレス、今回は冴えないなあ(笑)。
あの嫌味たらしいネチネチした粘液質なレスはどうした??

>>exakt (精密性)と streng (厳密性) の区別はどうなのよ?
>とおっしゃっておられますが、
>辞書を引けば載っているようなことを、
>敢えて此処に書いても仕方ありませんので、
>これは割愛いたします。

フッサールはこの区別を大事にしているし、ハイデガーもそれを受け継いでいるよ。
君は何かと「科学的論証」を持ち出すのが好きだけど、フッサールはそれは「精密さ」を
確保できても、「厳密さ」というものは出せないと考えていたと見ていいと思うよ。
「厳密さ」は、哲学上に「論証」であって、科学的論証とは別物だから。
例えば、デカルト的懐疑(現象学的エポケー)で得られる明証性は科学で得られる明証性とは
全然違うでしょ。

>>118 そうです! フッサール先生の『厳密学としての哲学』です!

ほら、そういうと反論の火蓋が切って落とされるぞう!
かかってこいや、グル!
124チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2005/04/30(土) 04:25:07

× 哲学上に「論証」であって
○ 哲学上の「論証」であって

>>119

ノエマは抽象的なものですよ。これは具体的なもの(例えば現実に存在する木)に対して
「抽象的」と言っているのです。現に私は、現実の木は燃えるけど、木のノエマは燃えないと
言ったフッサールの言葉を引用しているじゃないですか。

>ノエマは具体的体験の中に在って「核」としての「意味」及び、
>「核」の周囲に種々なる性格の「層」を持つとしておりませんでしたかね?

おっしゃる通りです。「意味」だから抽象的と言ったんです。

グルよ、なんかこのスレはやっぱ駄目だ(笑)。現象学は最近は流行らないらしい。
みんなフランス思想にかぶれちまって、フッサールやハイデガーのような重苦しいのは
嫌だそうだ。まあ、分かる気がする。現象学関連の本は値段も張るしなあ。

グル君、だから、なんか他の話でもするか?
125チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2005/04/30(土) 04:30:21
>>122

うわあ、来たあー! グルらしい、嫌な書き込みだ!(笑)

>もし結論らしきものが出たとしたら、
>それは欺瞞でしかないんです。

君は「欺瞞」をどんな風に解釈しているの?
まさか、真理なんかねえ!みたいな子供みたいなことをまだ言ってるんじゃないよね?

>そもそも哲学とは主観の体系でありまして

おいおい、それが欺瞞でしょうが。

>ある方がこう考えたという全く主観的な概念(あるいは仮説)に対し、
>実際的裏づけが無い「主観」を永遠と議論し続けて行っても、
>明らかな形で決着はつきませんし

出ました! 出ましたよ、皆さん! これがグルです。THE グルです!
「実際的裏づけ」なんか言ってますが、いやいや、なかなかどうして、これは
「科学的検証」のことであります! 科学万歳!

>現象学の弱いところは、
>それ自身を明確に普遍化(あるいは一般化)させるだけの実際的な根拠や論拠が
>無いことが挙げられるんです

じゃあ、今回のお題は「原理研究は可能か否か」でやろうか、グル君よ。
126THE グル :2005/04/30(土) 05:15:18
>>123
いいですか、
>フッサールはこの区別を大事にしているし云々。
とおっしゃっておられますが、
これはおっしゃっておられる通りですが、
exakt (精密性)と streng (厳密性)をブレンターノとの関わりから、
1910年に研究誌に掲載されたPhilosophie als strenge Wissenschaftまで説明していくならば、
面倒なので割愛させてもらったまでなんです。
>フッサールはそれは「精密さ」を
>確保できても、「厳密さ」というものは出せないと考えていたと見ていいと思うよ。
とおっしゃっておられますが、
フッセルそのことで、
『ヨーロッパ諸学の危機と〜(略)』でやたらと精密学に対して噛み付いておりますね。
まあ、
先入観に浸っているのはその実、彼自身のような気がしますがね。
それに、
論証ってのは確実性や蓋然性を定めるための根拠が無いと無理ですから、
「現象学」にそれを求めるのは難しいような気がするんです。
まあ、
フッセルは息巻いて直証は真理の体験である('Logische Unters')なんて言ってるけどね。
どうかしましたか?
127THE グル :2005/04/30(土) 05:30:49
>>124
いいですか、
ノエマにあって特性を持つ中核的部分は常に同一でありまして、
例えば、
知覚された'花咲ける樹'も想像されたそれも夫々の具体的ノエマにあって性格を持ち、
中核的部分である'花咲ける樹'は同一だとされていますよね。
>現象学は最近は流行らないらしい。〜なんか他の話でもするか?
まあ、フランス哲学は想像力豊かですからね。
最近また流行しているような気がするんです。
話題はゆるゆると適当で。
どうかしましたか?
128THE グル :2005/04/30(土) 05:43:50
>>125
いいですか、
>君は「欺瞞」をどんな風に解釈しているの?
>まさか、真理なんかねえ!みたいな子供みたいなことをまだ言ってるんじゃないよね?
とおっしゃっておりますが、
いえいえ、そんなことは言ってないんです。
例えば、
デカルトの見出した第一原理としてのコギトは一つの真理ですよね。
しかしながら、
古来よりテーマとされてきた「神」、「動物磁気」などの概念は、
それがあるという主観で話される以上、
科学的な退け方をしない限りにおいて、
一見正統な議論が成り立ってしまいます。
ここで出される結論と言うものがあるならば、
それは欺瞞でしかないと言うことなんです。
また、
>おいおい、それが欺瞞でしょうが。
と言われておりますが、
では哲学が客観の体系である実例を出していただきたいものですね。
もしかして、天体とかを持ち出すんでしょうかね?
>じゃあ、今回のお題は「原理研究は可能か否か」でやろうか
とおっしゃられておられますが、
そのテーマで構わないんです。
どうかしましたか?
129考える名無しさん:2005/04/30(土) 06:35:14
なんだ、また死刑囚にボコられに来たのか w
130考える名無しさん:2005/04/30(土) 12:28:44
>>129
チンポとグルどっちにいってるの??
131考える名無しさん:2005/04/30(土) 13:43:09
なんだよ「動物磁気」ってw
メスメルとデカルトごっちゃにすんなw
これだから低学歴はこまるよ
132考える名無しさん:2005/04/30(土) 22:11:11
まさに鉄学
133チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2005/05/01(日) 04:39:45
>>129

死刑囚って、俺に四年前にボコられた竹田現象学の伝道者でしょ?(笑)
名言があるよね、彼の。

>アホかと。
>こういうのをハッタリというんだよ。
>現象学は難解だと、伝統的に思われているが、これはまったくの不当。
>誰かの陰謀としか考えられない。
>現象学は誰にでも容易に理解できる考え方だし、誰でもそれを使うことが
>出来るすぐれた道具だよ。

今、読んでも面白い。彼は文才あるよ。特に「誰かの陰謀としか考えられない」(笑)。
134チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2005/05/01(日) 04:41:02
それから、

>「現象学の理念」「イデーン」「デカルト的省察」「危機」
>現象学の思考のエッセンスを掴むなら、これで十分。
>それを通俗的と言いたければ言えばいいが、それなら、いったい哲学とは
>何なんだ? 一部の頭脳明晰なものだけが、何年もかけてやっと読解でき
>るもの? 「基本的理解さえ覚束ない」だと? 冗談も休み休み言え。
>なんのための言葉だ。

竹田現象学徒はこれだからな・・・トホホ。逆切れされて恐かったよ。(笑)
135チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2005/05/01(日) 04:42:44
更に、

>そもそも現象学的思考を実践すれば、意見の対立など生まないんだよ。
>それは常に解消へと向かう。実践という言葉を反芻しな。

それは嘘でしょう!「現象学的思考を実践すれば、意見の対立など生まない」?
136チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2005/05/01(日) 04:44:07
あと、

>頼むからオレが142で言ったことを聞けって。
>汝が導師であり先達である者の声に耳を傾けよ。

あなたは僕の「導師」でもないし、「先達」でもないです。本当に困ったオッサンでした。

>冗談にしてもタチが悪い。だが、お前の腐れ根性だけは認めてやるよ。

有難うございます!

>お前にはもちっと「耳学問」を薦めるよ。

はい、頑張ります!

>オレとしては、お前みたいな「本当の意味での厨房」は啓蒙しない
>ことには腹の虫が収まらない。

お疲れ様です! でも、「啓蒙」の方は結構です!(笑)

>しかし、現象学の思考のエッセンスは簡単明瞭なもので、それを頭において
>フッサールを読めば、アラ不思議、案外サクサク読めるのである。
>経験者が言うのだから間違いない。研究者でもないオレが。

「研究者でもない」あなたが言うから信用できないんですけど・・・。
137チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2005/05/01(日) 04:45:57
それから、俺と死刑囚の論争中に、以下のような投稿がありました。
ここで「研究者」と言われているのは俺のことです。

>第三者的に見ると、死刑囚。の言っていることはかなり痛いと思う。
>というかせいぜい竹田セイジが言っていることの受け売りorそれに
>ちょこっと自分の解釈を加えただけ(しかし自分にすごーく都合のいい解釈を)
>駄弁があまりにも多いので惑わされるが、内容もたいしてない。
>一方研究者は本職だけあって、フッサールを「ジカに」読んでいる
>感じがする。ただし上のレスにもあるように、確かに瑣末な
>フッサールのテクストの解釈論に堕している観がある。
>ギャラリーとしては竹田セイジ流の現象学理解のどこが怪しくて
>マチガッているのかを研究者に是非指摘してほしい。
>こんなこと書くと、また死刑囚。がぎゃあぎゃあ騒ぎ出すと思うが。

すべてを尽くしていますね。まあ、俺は研究者じゃないし本職でもないけど、
「フッサールのテクストの解釈論に堕している」と言われて本望でしたよ。(笑)

あと、これに対する死刑囚のレスがまた最高に面白い。俺はこのオッサンは天才ではないか、とさえ
感じる。

>あと、オレだってフッサールは当然「ジカに」読んでるよ。
>竹田批判もしてる。だから「信者」とか言わないでネ。
>でも、竹田を読んだ後では、凄くフッサールが読みやすくなったYO
>竹田は未だにかなりの異端のようだけど、今に竹田現象学の正当性が広く理解
>されると思うYO。でなきゃ『現象学入門』があんなに売れ続ける筈がないズラ。

すごいだろ、みんな!(笑)天才だ!
138チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2005/05/01(日) 04:47:29
あとね、死刑囚は、こんなことも言ってた。

>昔ヤフーで、やたらニーチェに詳しいヤツと大喧嘩したことがある(笑)
>オレがあまりにも簡単にニーチェの概念をまとめちゃったから、そいつが
>オレをバカにするわけさ。
>でも、オレは何の痛痒も感じなかった。ニーチェ解釈には自信があるし、
>なによりその解釈を実践することがオレにとって凄くプラスになってるから
>惑わされることがなかったわけ。ただ、そいつの言うことはこのスレの1より
>は説得力があって、オレの方が先にチョットだけ譲歩したら、向こうもオレ
>の言ってることを認めてくれた。お互いに人格攻撃したことを謝罪して、
>相手の言わんとしていることを理解しようと努力した。まさに現象学的実践。
>あれはいい議論だった。最後にはお互い涙を流して抱き合ったよ。

キモッ!(笑)
139考える名無しさん:2005/05/01(日) 04:57:58
朝っぱらから何年も前の事を、
チマチマ掘り返してるお前のがキモイよ。
140139:2005/05/01(日) 05:04:29
起きてたら、ちょっと出て来いよ。
話でもしよう。
141考える名無しさん:2005/05/01(日) 06:14:34
チンポは死刑囚に凹まされてからずっと粘着してたからなwww
142考える名無しさん:2005/05/01(日) 06:19:17
チンポの勝利宣言は醜いwwwwwwwwwwwwwww
143考える名無しさん:2005/05/01(日) 06:43:54
144考える名無しさん:2005/05/01(日) 06:47:04
>>143
それチンポの自演劇場だろ
145考える名無しさん:2005/05/01(日) 10:17:18
・・・チンポ太郎は病気なんじゃないだろうか。
146考える名無しさん:2005/05/01(日) 10:44:12
死刑囚。、2年ぐらい前までは普通にいたと思うんだけど、さすがに今は来てないね。
147考える名無しさん:2005/05/01(日) 16:25:36
ここが、チンポさんのスレッドでしたか。
さすがに古典的に濃密なスレッドですね。
是非続けて下さい。哲学は古典・ポスト・モダンに係らず
色々な説明文から、関連性が見えてきます。参考になります。
148考える名無しさん:2005/05/01(日) 17:11:28
149考える名無しさん:2005/05/01(日) 17:25:13
なんだかなぁ。チンポも変わったね。
150考える名無しさん:2005/05/01(日) 19:13:38
>>133-138

あなたに言わせれば(?)竹田現象学はたいしたことないんだから、
もっと大上段に構えてたら?言質とってあとから陰口言うことでしか
竹田現象学(徒)を批判できないように見えるよ('ω`)
ビシッと2、3点竹田現象学の問題ある点を挙げて、横綱相撲してれば
いいジャン
151考える名無しさん:2005/05/01(日) 19:15:23
>>134
>竹田現象学徒はこれだからな・・・トホホ。逆切れされて恐かったよ。(笑)

一人相手にしただけでこれもないでしょ。まぁふざけて言ってんだろうけどね
152考える名無しさん:2005/05/02(月) 22:34:02
ハイデガーの「存在論的差異」とデリダの「差延」とドゥルーズの
「差異と反復」とどう違うのでしょうか?
また「経験的な認識をする自我」と「超越論的な自我」との差異にも
同じものがあるのでしょうか?これらの差異はポスト・構造主義に
引き継がれていると言えるのでしょうか?
153ハテナ?:2005/05/03(火) 00:32:31
ここのスレ主さんはどれぐらい竹田現象学を理解しているんですか?
ちなみに内在、超越原理を平易に説明お願いします。
154考える名無しさん:2005/05/03(火) 00:52:19
ドゥルーズは生の哲学、形而上学、つまりおとぎ話。
デリダは実存主義後継者。
微分的に捉えられた見えざる力(同一性を否定)に対し
前者は産出的、創造的な力として肯定的楽天的。
後者は自己に対する否定を含んだ力としてシビアに捉えている。

155考える名無しさん:2005/05/03(火) 08:47:43
「まあ、ともかく、フッサール現象学では問い得ない、超越論的自我の存在様式、それをハイデガーは、
現存在の分析論として展開した、とそんな風に考えられているわけです。それが、いわゆる、
解釈学的現象学なんですね。」
それで、フッサール現象学としては問えない「超越論的自我の存在様式」を問う
事によってハイデガーの存在論は成り立っている。つまり、「存在論的差異」とは
ここに、超越論的自我が幾度となく「存在」を問う事で、多様な存在様式が
生まれると言う事でしょうか。
一方チンポさんは、ハイデガーのような「存在様式」を問う事は出来ないと考えていらっしゃる。
言葉を変えて言えば「無意識の認識形式」はその正否はおろか、その存在すら
疑えないものであると考えていらっしゃるのですね。
それでは、そのフッサールの問えない「超越論的自我の存在様式」は
つまり、どのようにして、超越論的自我の定立=非多様性=色々な様式の否定
はなされるのでしょうかね。

156考える名無しさん:2005/05/03(火) 09:31:37
>>115
>詳細…
『媒体性』所収の山口氏の「存在から生成へ」を読んだ方がはやいと思います。

>いまだに…
貴方のいっているのは『内的時間意識』に基づくものでは。

>○田氏
谷徹氏が『これが』p9で「わかりやすくそれなりに面白いが
(正直言ってかなりひどい)誤解や曲解にもとづいた本」といっているのが、
竹○氏だと思う。
157考える名無しさん:2005/05/03(火) 09:57:46
以前、竹○さんは、自分で世界内存在を誤解していたと言った事が
ありました。つまり、世界内を、自分の内面にのみに存在するものと
して固定的に考えていたのでしょうか。
実際は、現存在の個々の営みにおいて、漠然と前提にされている意味関連
の世界に存在する人間存在のあり方ですね。
この場合、「内」とは、世界を表現する人間の内面の事であると同時に
物として、道具関連的に現れる「外」も含まれていると言うことですかね。
つまり、内・外の共同作業によって、開かれる意味関連の世界に、現存在は
存在する。

158考える名無しさん:2005/05/03(火) 10:02:49
つまり、柏の葉をはがして食べている状態ということですかね。
159THE グル :2005/05/03(火) 17:41:56
>>131
いいですか、
>なんだよ「動物磁気」ってw
>メスメルとデカルトごっちゃにすんなw
とおっしゃっておられますが、
それは、
あなたの勘違いなんです。
といいますのも、
>>128の例は、
真理なんか無いと考えているのか?と尋ねられましたので、
あり方の一つとして真理とする例を一つ(デカルトの第一原理)と、
逆に議論してゆくことの欺瞞である例として、
"古来よりテーマとされてきた”概念である「神」や「動物磁気」を挙げたに過ぎないからなんです。
後者の例は、
デカルトに限定したものではないことは当然でありまして、
此処に他の類似の例も挙げるならば、
「イデア」などがそれにあたるんです。
どうかしましたか?
160sage:2005/05/03(火) 18:25:16
ところで、チンポさんは、自分のスレッドを置いて、何処へ行ったのでしょうか。
ゴールデン・ウイークですので、長期旅行?
161ハテナ?:2005/05/04(水) 03:03:46
誰でもいいから答えてよ、エポケーと本質直観はどう違うの?
162考える名無しさん:2005/05/04(水) 03:15:27
なんでグルってID表示の無い板にしか出没しないの?
163考える名無しさん:2005/05/04(水) 07:05:07
フッサールは直観には二つあると考えている。
一つは経験的直観で経験における自然的な態度から直感的に対象を捉えるあり方。
第二は本質を対象として捉えるあり方で、これを本質的直観と言う。
ヘポケーとは、全ての判断を停止することで、新たに厳密な哲学を位置から構築し
ようとする姿勢の事。この辺は、デカルトの全てを疑うと言う懐疑の姿勢をも
示している。こんな感じですかね。
164ハテナ?:2005/05/04(水) 19:58:19

二つの直観って本質直観と知覚直観じゃないの?
経験的直観ってのはまた別の事柄なんじゃないの?

へポケー?
165考える名無しさん:2005/05/04(水) 21:08:25
蓮見重彦って赤ちゃんプレイが好きなんだって。
166考える名無しさん:2005/05/04(水) 21:57:03
>>164
163はパレルゴンだから勘弁してやって
167考える名無しさん:2005/05/04(水) 22:32:00
>>165
スクープだな
168考える名無しさん:2005/05/04(水) 23:23:16
エボケーはエポケーに訂正。
タイピングのミス。
経験的直観については、平凡社「哲学辞典」1320P参照のこと。
169考える名無しさん:2005/05/04(水) 23:50:14
>>168
ヘポケー → エポケー
位置 → 一

その平凡社「哲学辞典」というのは哲学史を学ぶためのものですね。
現象学を学ぶにはあまりに雑すぎます。
170THE グル :2005/05/05(木) 01:15:10
>>162
いいですか、
>ID表示の無い板にしか出没しないの?
とおっしゃっておられますが、
それは、
たまたまでして、
よく書き込む板には、
ID表示のない所が多いというだけなんです。
此れに特に他意はないんです。
まあ、
ID表示のある板でどこか面白いところがあれば、
教えていただきたいものですね。
参考にするんです。
どうかしましたか?
171考える名無しさん:2005/05/05(木) 18:55:04
え?ボケ。
減少額?
172考える名無しさん:2005/05/07(土) 13:01:53
この様に、無言を決め付ける事によって、チンポさんは
去っていくのでした。これでこのスレッドも終わりでしょうかね。
173考える名無しさん:2005/05/07(土) 14:14:03
さすがにチンポを持ちあげる厨房も減ったからな。
174考える名無しさん:2005/05/18(水) 02:11:46
ずいぶん下がったよ、チンポさん('ー`)
175考える名無しさん:2005/05/19(木) 23:41:58
ちん○さん帰ってきてくれないのかなぁ。ちと寂しい。


スレ再利用の方法でも検討してみようか・・・(´・ω・`)
176考える名無しさん:2005/05/20(金) 00:00:11
せっかちさんでちね。
きっと帰ってきてくれますよ。
根拠はないけど、そんな気がする。
長〜い目で見てさし上げましょう。

∧_∧       ∧_∧
( ´・ω・)        (・ω・` )
( つ旦O       O旦と )
と_)_)       (_(_つ
177考える名無しさん:2005/05/20(金) 00:50:44
いや、帰ってこなくてもいいよ。
178考える名無しさん :2005/05/25(水) 21:16:30
現象学は形而上学ではないの?
だったら哲学じゃないよねw(プ
179考える名無しさん:2005/05/30(月) 13:47:48
え・・・・・・
180考える名無しさん:2005/06/09(木) 22:30:39
さあてそろそろ再活性化しちみようか
181純一:2005/06/09(木) 22:32:09
なんで上げるかな。
最近、サルベージし過ぎだと思うね。
182考える名無しさん:2005/06/19(日) 17:30:32
気取ったチンポに用はない。
バカになれ、と言いたい。
183考える名無しさん:2005/07/03(日) 10:29:49
やっぱなデカルトのように学び考えまくり虚無に陥った時、無知の知に至った時に現れる新たなる自己、それが現象学的主観なのである。
184考える名無しさん:2005/07/03(日) 10:36:13
185考える名無しさん:2005/07/03(日) 10:46:31
186考える名無しさん:2005/07/03(日) 11:52:49
μεταφυσικ?
187考える名無しさん:2005/07/04(月) 10:37:07
勘だが現象学ってソクラテスの産婆術入門にすぎない希ガス。
188考える名無しさん:2005/07/04(月) 10:44:28
そうか無知の知によって産婆術獲得の道が開かれるんだな。
189考える名無しさん:2005/07/04(月) 10:49:51
現象学こそ真のプラトン入門じゃね?
190メモル:2005/07/07(木) 18:42:44
「超越論的」とは究極の根源を前提せずに問いかけ、その上に知の体系を構築しようとする動機である。
191考える名無しさん:2005/07/08(金) 15:09:47
暗黙の前提を問うこと、例えば存在とは何か? と問う前に、問いとは何か? の方が根源的ダロ。 問いを問うとは。。
ハイデガーに考えておいてもらいたかったな。
192考える名無しさん:2005/07/08(金) 16:08:39
しかし、なぜ問うのか?
未知を既知にしたいから?
知るとは何か?
知とは何か?
暗黙の前提なんてきっとたくさんあるよな。
そもそも前提なしには考えることなんて出来るのか?

知とは何か? というと世界を前提にせねば答えられないだろう。

より根源的な問いは「考えるとは何か?」。
何かを問うこと? 問うのは知らないから?
前提なしには考えられない。既知が未知を探る糸になるからだ。
というと、いかにして初めの前提は可能になるのか? 非思考的なものによって。
その正当性をとわねばならないが、如何せん、思考は非思考的なものを前提にしてるのである。
それとも前提なき思考は可能なのか? おそらく無理だろう。 前提の正当性の問題は留保し、つまり仮定し、思考を進めることはできる。
だが仮定の検証や、仮定自体の由来が問題となる。純粋な思考は不可能だろう。前提なき思考は不可能だろう。
ならば前提を問い思考することは何を意味するのか? 思考自体が前提性をもつのに。 それは前提と前提の関連性を見い出す作業ということになる。
諸前提の関連性が知である。
前提の前提の前提と根源的な前提にまで下降することは可能かもしれない。
でもそれも前提であることには変わりはないだろう。
193考える名無しさん:2005/07/08(金) 16:22:30
ヒント:理性
194考える名無しさん:2005/07/08(金) 17:59:59
知が前提間の関連性ならば、知は前提を思考(前提性を持つ)することによって演繹される。
195考える名無しさん:2005/07/28(木) 00:50:46
フッサールで最初に読むべき本は何?
196考える名無しさん:2005/07/28(木) 00:59:42
>>195
デカルト的なんたらじゃねーの?
197考える名無しさん:2005/07/28(木) 01:12:44
>>195
ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象なんたらじゃねーの?
198考える名無しさん:2005/07/28(木) 01:14:29
>>196,7
はたしてそうかな?
199チンポ太郎:2005/07/28(木) 03:34:54
今夜だけの限定復活。

最近、暑い日が続いているので、哲学もどうもやる気が起こらない。
なので、諸君と再び実りある議論をやって脳髄を刺激してもらおうじゃないの、
と思っている次第でありますが、文句はありますか?
200チンポ太郎:2005/07/28(木) 03:38:42
しかし、時間も時間なので、俺の馬鹿話に付き合うような奇特な人はいないでしょうね。
実際、最近の女子高生もようやく落ち着きを取り戻したという感じがします。
自分は実はちょっと長い間、諸般の事情で我が大日本帝国のうるわしき女子高生を
観察する暇がなかったんですよ。それで久々に神々しい制服の少女達を見るにつけて、
「ああ、日本は良い国なり」と嘆息しておる次第です。

こんな話は哲学とは無縁でしょうかね?
201チンポ太郎:2005/07/28(木) 03:44:06
じゃあ、哲学の話をしてもいい。そのかわり、哲学の話をするのなら、
諸君にも真面目に聴いて頂く必要がある。

まず、松文館刊行の『ベストコレクション』シリーズを数冊入手して
読んでみました。タイトルはここに書くのも恥ずかしいくらいの筋金入りの
ものでしたが、そこで思ったのは、カントの『純粋理性批判』はなんだかんだいって
難しいということです。

今、ケンプ・スミスの注釈書を頼りに読んでいますが、なんであんなに
難解になったのか、歴史的かつ思想的な説明があって、「ああ、なるべくして
なったんだなあ」と自分で納得しております。
202チンポ太郎:2005/07/28(木) 03:51:05
ハイデガーがいっておりましたが、カントは近代哲学の「中枢」ですな。
デカルトが始め、カントが中心に集め、ヘーゲルがそれを完成させる、というわけです。
これは実にオーソドックスな哲学史の流れですが、昔の人は嘘は言いません、
だって本当にそうなんだからさ。

ドイツ観念論者は年が長ずるにつれ、カントの偉大さを改めて悟ったのである、と
ハイデガーも言っております。でも、カント先生って、いったいなんなのでしょうか?

そこで、今夜は、わたくしチンポ太郎が、長年論じてこなかった、カント先生の実像に
迫ってみたいとか言っております。
203チンポ太郎:2005/07/28(木) 03:53:23
あと、今、自分の文章は崩壊していて読み辛いと思うが、それはわざとです。

204Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :2005/07/28(木) 03:59:30
ルネがつき カントが捏ねし 天下餅 座りしままに 食うはヘーゲル
といったところですかな。
三人とも「愛知」出身ということで、おあとがよろしいようで。
205チンポ太郎:2005/07/28(木) 04:02:13
いかん、すっかり錆びついてしまった。

実は自分は今、ブログをやっています。ハマると面白いもんです。皆さんも一つどうですか?

ブログをやる目的はただ一つ、女の子の友達を作るということです。
哲学の議論をしたり、互いの研究を発表し合ったりとか、そんな寝ぼけたことを言っている
そこの君は大丈夫ですか? 哲学は、いわば人生の「滓(かす)」みたいなもんです。

ところで、人生とは、女子の尻の追いまわすことであります。これには異論はありますまい。
女子の尻を追い回し、そして死んでいく。これが精神分析のエチカであり、
真の武士道であります。

それで、私はブログを一つのコミュニケーションの場として、特に女子の集まりそうな
装いでもって、ムフフフフと不気味な笑みを浮かべつつ、キーボードを日夜カタカタ言わせて
おったのです。
206チンポ太郎:2005/07/28(木) 04:03:35
>>204

私もやっぱり秀吉が好きだからさ。
207考える名無しさん:2005/07/28(木) 04:03:35
俺は現象学はわからんのでROMることにする。
>>200のような話なら付き合える。
とにかく楽しみにしているぞ。
208チンポ太郎:2005/07/28(木) 04:05:06
>>207

つまり、最近の女子どもの趨勢に関して詳しいお方とお見受けしてよろしいでしょうか?
209考える名無しさん:2005/07/28(木) 04:06:33
>>208
詳しいかどうかはわからんが
まあ日常的に話はする。
あと>>205には異論は無いような気がする。
210考える名無しさん:2005/07/28(木) 04:17:47
さては規制に引っ掛かってるな…。
まあ気長に待つか。
211考える名無しさん:2005/07/28(木) 07:49:41
哲板の規制値はいくらなんでもきつ過ぎると思う。
212考える名無しさん:2005/07/28(木) 20:13:27
こんな夏厨を相手にしてどうすんの?
213考える名無しさん:2005/07/29(金) 10:52:21
新田義弘の「世界と生命」読んだ人いますか?
214213:2005/07/29(金) 10:58:05
age忘れた。勢いで買ってしまったんです。
215チンポ太郎:2005/07/30(土) 00:18:42
哲板は規制が厳し過ぎるのではなかろうか?

五回ほど連続で投稿するだけでもう書けなくなってしまう。文章表現が勝負の学問で、
このような厳重過ぎる規制を設ける必要があるだろうか?

むかしは一度喧嘩が始まると、延々と書き込むことができた。それなのに今は強制的に
そういう喧嘩を封じ込めようという風潮がある。何故、字数を制限するのか?
字数の制限は思考の制限をもたらすことになりますよ、そこのボーッとして鼻糞を
いじっているお兄さん、そうそう、あなたに言っているのですよ。

何故、連続投稿を規制するのか? 荒らしが恐くて哲学をやってられるでしょうか?
サーバーに負担がかかる? そんなこたァ知りません。

私が一度電波板に完全退避して布教活動を行っていたのは、こういう規制のせいです。
哲板でこういう規制をするのは愚の骨頂であります! 知性の侮辱であります!

こういうことだから、哲板はいつまでたっても小学生レベルであります。
216ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/07/30(土) 00:21:39
さすが、デカチン、ええこといったで!
217純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/07/30(土) 00:22:30
ちなみに、>>215=ミスターXだよん。
218純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/07/30(土) 00:24:12
まず、規制アップした本人がそういうこと言わないで欲しい。
219考える名無しさん:2005/07/30(土) 00:27:12
>>215
おとといはほったらかしにされて5時ごろまで待ってたんだぞ。
だいたいリロードして数分待ってりゃ直るの知らんのか?
まあそのときのノリってのがあるからな。わからんでもない。
220考える名無しさん:2005/07/30(土) 00:27:44
>>215
連投規制は昨年末「じゅん」というコテハンによる荒らしがあり、
運営によって懲罰的に導入された。
221純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/07/30(土) 00:29:43
207 名前:考える名無しさん 投稿日:04/06/22 22:06
もうどうでもいいや

それよりさ、

  削除依頼の時のIPがさ、
ぴかぁ〜とじゆん同じなのはどういこと
eatkyo223076.adsl.ppp.infoweb.ne.jp


208 名前:考える名無しさん 投稿日:04/06/22 22:07
>>207
笑ったw

209 名前:考える名無しさん 投稿日:04/06/22 22:08
>>207
(゚Д゚)ハァ?(゚Д゚)ハァ?(゚Д゚)ハァ?(゚Д゚)ハァ?(゚Д゚)ハァ?

こいつふざけんなよ
前からあやしいと思っていたが
死ね

210 名前:考える名無しさん 投稿日:04/06/22 22:09
ぴかぁ〜氏ね

211 名前:ぴかぁ〜 投稿日:04/06/22 22:09
>>207
うちの妹が書き込んでるから
222ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/07/30(土) 00:30:50
連投規制は、めんどくさいが回線繋ぎ直せば良いだけだから
別によいが、スレ立て規制もきびしくなっとらん?
223純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/07/30(土) 00:31:03
>>220
>>221見たらわかると思うけど、
私の名前騙って荒らしてたのはぴかぁ〜です。
224チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2005/07/30(土) 00:31:33
今日はおそらく、あと三回ほど書き込めば、もう規制がかかって書き込めなくなるだろう。

どこの馬鹿がどういう理由でこういう規制を設けたのかは知らないが、良識ある哲板の諸君、
こういう愚行を平気で見過ごすようなことでは哲学の「て」の字も分かっていない証拠ではなかろうか?

大体、議論において投稿数や字数が制限されるのは非常につらい。

君達は、ライプニッツが晩年、ニュートンの代弁者であるクラークと激しい論争をしたのを御存知だろうか?
ライプニッツは論争の最後になって、まるでクラークにとどめをさすように、長大な反論を行いました。
ライプニッツはもともと論争相手をやり込めないと気が済まないタイプで、一見慇懃ですが、結構いやらしい
タイプです。そのライプニッツ先生が、ご老体に拘らず、恐ろしく長い手紙でクラークの議論を
論破しようと挑んだわけです。

こういうマクロス・ロゴス(長談義)こそ、哲学の基本であります。それを実行できない哲板は、
もはや哲板という名にはふさわしくありません。さっさと、「人生哲学万歳板」「俺の哲学を語ります板」
等の名前に変更してはいかがでしょうか?
225考える名無しさん:2005/07/30(土) 00:31:49
>>220
それ誰だ?もういないんだろ?
226純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/07/30(土) 00:32:43
>>222
>222 名前:ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/07/30(土) 00:30:50
>連投規制は、めんどくさいが回線繋ぎ直せば良いだけだから
>別によいが、スレ立て規制もきびしくなっとらん?

ぴかぁ〜は連続スレ立てできるから、問題ないでしょ。
227純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/07/30(土) 00:34:01
>>224
>224 名前:チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2005/07/30(土) 00:31:33
>今日はおそらく、あと三回ほど書き込めば、もう規制がかかって書き込めなくなるだろう。

>222 名前:ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/07/30(土) 00:30:50
>連投規制は、めんどくさいが回線繋ぎ直せば良いだけだから
228考える名無しさん:2005/07/30(土) 00:34:39
>>225
いまは「純一」とか「jun1」とか「大介」のコテハンで哲学板や文学板に書き込んでいる。
229考える名無しさん:2005/07/30(土) 00:35:56
規制派のバカ珍集団がじゅんをいじったからじゃん。
230純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/07/30(土) 00:36:10
>>224
>>227みたいにぴかぁ〜ですら、言ってんだから、
回線繋ぎなおせばいいじゃないですか。
231チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2005/07/30(土) 00:37:13
>>219

規制でうんざりして、電波板で電波を垂れ流して遊んでいた。規制のせいで、その告知さえ出来なかった。
文句を言うのなら、こういう規制を設けた奴に言うべきだよ。

>>220

一回の荒らしごときで大騒ぎして規制を重くするような馬鹿がこの板にいるとは遺憾ですな。

>>222

回線を繋ぎ直すなんて旧式なことを言ってもらっても困る。
スレ立てはめったにしないから分からない。つーか、おまえ、糞スレ立てて遊んでいるだろうが!

この真面目なチンポ太郎を見習って欲しいものだよ、ぴかぁくん。
232純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/07/30(土) 00:37:28
で、ついでだから書き込んでおきますが、

901 :純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/07/21(木) 22:50:51
連続スレ立てが可能なコテは、現在3人確認しております。

@ミスターX(前々スレ398◆B4FAb57b6)
Aビガロ(ソーカル厨・なんでも哲学スレホスト)
Bぴかぁ〜

の3人であります。

905 :純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/07/21(木) 23:13:00
で、新規スレッドの作成規制が96か128くらいだと、
>>901のコテメンバーと一般ユーザーとの差が決定的に
開くんじゃないかなぁと思った訳です。

私としては、作成規制をどうこうしようとかは
思ってないんですが、ロカルー申請にしても、板の設定にしても、
今、私が説明したような不平等な立場をつくるようなことを
極力避けて考えるは、議論する上で当然考慮すべき材料では
ないんかなと思う訳ですが、賛成派の方、どう?

この問題はどうします?
233考える名無しさん:2005/07/30(土) 00:39:45
>>228
なんだ、不可視君か。そんな奴だったのか。
234考える名無しさん:2005/07/30(土) 00:40:24
>>231
>一回の荒らしごときで大騒ぎして規制を重くするような馬鹿がこの板にいる

自治スレを荒らしてたからね。自治スレ荒らしは重罪で、運営じきじきの判断によって
連投規制が敷かれた。だから住人が申請して連投規制を厳しくしたわけではないんだよ。
235純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/07/30(土) 00:40:32
>>231
>スレ立てはめったにしないから分からない。つーか、おまえ、糞スレ立てて遊んでいるだろうが!

久々にまともな自治の意見を聞いた。
236考える名無しさん:2005/07/30(土) 00:41:49
>>231
文句は言ってないって。
別にここだけ見てるわけでもないからな。
せっかく話が始まると思ってたから残念だったんだ。
237純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/07/30(土) 00:42:20
>>235のような認識でぴかぁ〜の行動を把握している人って、
この板に数人居るかどうかも分からないですからね。
238211:2005/07/30(土) 00:43:48
規制の話はもういいです。
この前の続きをどうぞ。
239純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/07/30(土) 00:44:11
>>234
>自治スレを荒らしてたからね。自治スレ荒らしは重罪で、運営じきじきの判断によって
>連投規制が敷かれた。だから住人が申請して連投規制を厳しくしたわけではないんだよ。

だーから、それがぴかぁ〜だっての!
>>221を見てね。

240純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/07/30(土) 00:46:22
何か、>>234みたいな誤解ってたまにわざとやってるのかわかんなくなるね。
それともぴかぁ〜が自演で、他人のせいにしようとしているのか…。
241考える名無しさん:2005/07/30(土) 00:47:29
この板はどうかは知らないけど、他の板でも5回くらいで規制掛る板があるけど、
俺のやり方だと上手くいってるよ。
4回書いて別の板に書く(俺の場合初心者板のテストスレに1文字くらい書く)
そうすると別に規制掛らないけどね。
242チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2005/07/30(土) 00:48:02
>>232

そんなくだらん嘘で俺をごまかそうとしてもなあ。

>>234

いや、自治スレを荒らすことと、哲板全体を規制することに、どんな関係がありますか、と俺は問いたい。
自治スレ荒らしが重罪なら、荒らした奴をさらすなりなんなりして、二度と書き込めないようにすれば
宜しい。自治スレが荒れたことと、哲板で長談義をすることに、必然的な繋がりはありません。

そういう判断を運営がしたというのなら、それは哲学に対する冒涜であり、哲学の初歩も分かってない
奴が運営していると解して宜しいでしょうか?
243純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/07/30(土) 00:50:16
>>242
別に嘘という証拠もないでしょう。
というか、やっぱりミスターXか…。
244純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/07/30(土) 00:52:33
>>242
>いや、自治スレを荒らすことと、哲板全体を規制することに、どんな関係がありますか、と俺は問いたい。

ぴかぁ〜擁護ですか。
やめなよ、醜いから。
245チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2005/07/30(土) 00:53:17
>>236

ごもっとも。ただ、規制は嫌ですな。

>>241

やってみよう。


>>243

いや、その三人は、俺にとっては後輩だから、そういう特権を与えられることはないでしょう。
その三人にやるのなら、まずはこのチンポ太郎にあげるべきです!
246考える名無しさん:2005/07/30(土) 00:53:19
すると、自治は権威のあるものでないのだろう。
247考える名無しさん:2005/07/30(土) 00:53:22
>>242
連投規制の議論は自治スレでずっと以前から続いていたことだよ。
まず自治スレやここに貼られているリンクをチェックしてみては?

哲学板自治室 【10】
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/philo/1112543316/
248考える名無しさん:2005/07/30(土) 00:55:38
どうすれば、自治は権威であるのか。
249考える名無しさん:2005/07/30(土) 00:56:19
>デカルトが始め、カントが中心に集め、ヘーゲルがそれを完成させる、というわけです。
>これは実にオーソドックスな哲学史の流れですが、昔の人は嘘は言いません、
>だって本当にそうなんだからさ。

俺の言い方では、デカルトが近代哲学に古代中世哲学からの独立宣言をさせ、カントが
独立を達成し、ヘーゲルが近代哲学を独立国として改めて古代中世哲学と再統合させた
という感じかな。そしていちおう哲学史は終わる。
250考える名無しさん:2005/07/30(土) 00:57:26
まあいいじゃん。
狼板よりよっぽどましだよ。今は規制無いけど。
とにかく話を始めてくれ。
251純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/07/30(土) 00:57:36
>>243
>いや、その三人は、俺にとっては後輩だから、そういう特権を与えられることはないでしょう。

それは嘘じゃないかな?
ビガロを君は知らない訳だしね。

大体、金で買える特権だよ?
252純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/07/30(土) 00:58:35
>>249
何故自演?
253チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2005/07/30(土) 01:00:49
>>247

そんな面倒なことはしない。

ともかく、「運営の判断」とやらで、哲板は死んだ。哲学なんてこんなところでは
無理ですな。俺はこの書き込みで規制を受けてもう当分は書き込めないだろうから、
チンポ太郎をなぶり殺しにしたいという人は、こちらにどうぞ。

哲板避難所 in 電波板
http://etc3.2ch.net/test/read.cgi/denpa/1122652791/
254純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/07/30(土) 01:02:25
>>253
>チンポ太郎をなぶり殺しにしたいという人は、こちらにどうぞ。
>
>哲板避難所 in 電波板
>http://etc3.2ch.net/test/read.cgi/denpa/1122652791/

電波板住人もとんだ迷惑だね。
255純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/07/30(土) 01:03:32
>>253のスレの、

>2 :名無しちゃん…電波届いた?:2005/07/30(土) 01:02:01
>いわゆる夜逃げですね。でも歓迎致します。ごゆっくり・・・

これは自分で書き込んだものと思われる。
256純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/07/30(土) 01:06:13
>>247
>連投規制の議論は自治スレでずっと以前から続いていたことだよ。
>まず自治スレやここに貼られているリンクをチェックしてみては?

というか、まず、

>>222
>222 名前:ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/07/30(土) 00:30:50
>連投規制は、めんどくさいが回線繋ぎ直せば良いだけだから
>別によいが、スレ立て規制もきびしくなっとらん?

板ナンバーワンの荒らしが規制を逃れられるなら、
>>247のスレのリンクも含めて、規制議論が無意味だったって
ことだね。
257純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/07/30(土) 01:07:49
で、同様に板設定も、>>232で私が書いたみたいに、
一部の連続スレ立てできる人間が残ってしまうから、
この板設定の規制議論もまた、無意味なんだよね。
258考える名無しさん:2005/07/30(土) 01:11:57
純一くん、ちょっと落ち着きな。
今、このスレの荒らしになってるよ。
259純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/07/30(土) 01:14:57
>>258
だから、>>221を見ろって。
260考える名無しさん:2005/07/30(土) 01:19:37
>>259
悪いけど、ぴかぁ〜さんとか純一くんにはあまり興味ないってこと。
チンポ太郎が見たいの。
261純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/07/30(土) 01:23:17
>>260
それは君の事情でしょ。
他人の事情まで干渉しないようにね。
262考える名無しさん:2005/07/30(土) 01:27:46
>>261
ぴかぁ〜とか純一とかのせいでチンポ太郎が来なくなったんじゃないか!
ほんとウザイ。氏ねよ
263純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/07/30(土) 01:31:46
>>262
大体、私は関係ない。

書き込まなくなったのは、規制のせいなのだから、

→当然、規制を起こした規制派が原因

と考えるべき。
264純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/07/30(土) 01:33:52
>>262
君は何か勘違いしているのじゃないのかね?

自治スレを荒らしたのは、私の名前を騙ったぴかぁ〜だよ。
レスの削除でもぴかぁ〜のホストが出ていたじゃないか。

勘違いしてもらっては困るな。
265考える名無しさん:2005/07/31(日) 13:16:51
>>1
誘導

チンポ太郎を囲む会
http://etc3.2ch.net/test/read.cgi/denpa/1119696052/
266考える名無しさん:2005/09/03(土) 00:23:04
ageてみる
267チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2005/10/14(金) 00:47:05
さて、そろそろこのスレを再開しようと思います。

しかし、最近、職場を変え、仕事の方が忙しくなってきておりますゆえ、そう頻繁には書き込めないと
思います。

このスレは、もともと現象学の再入門を目指して、フッサールとハイデガーの関係を論じようというもの
でしたが、どうも専門的な論文などに拘泥し過ぎて、スレとしては完全に失敗したように思います。

したがって、このスレは存在意義さえないのですが、また新たにクソスレを立てるのも気がひけます。
なので、仕方なくこのスレは継続させようと思います。では、何をやるのか。

下に幾つか書名を挙げますので、もしどれか一緒に読みたいものがあったらその旨、レスして頂けないでしょうか。

スピノザ『エチカ』(第一部と第二部)
ライプニッツの著作のどれか
カント『純粋理性批判』(「超越論的原理論」のなかの第二篇「原則の分析論」あたりから)
ハイデガー『存在と時間』(第一部第一編の第六章あたりから)
ハイデガー『ニーチェ』(『ニーチェU』の第五部「ヨーロッパのニヒリズム」から)
ハイデガー『カントと形而上学の問題』(はじめから)
ハイデガー『現象学の根本諸問題』(はじめから)

このスレは最初、研究者向けとか言っていましたが、撤回して、一般の人も参加できるような形態にしたいと
思います。なので、上記の本をはじめて読む人でも構いません。

あと、荒らし、煽りはスルーでお願いします。私は、荒らし、煽りにすぐに釣られてしまうという致命的欠陥が
ありますが、今回は頑張ってスルーしたいと思います。
268チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2005/10/14(金) 00:48:05
それから、私のハンドルは下品だという意見が過去にありましたので、以後はシンプルに「ウンコくん」と
名乗ります。気軽に「ウンコくん!」と呼んで下さって結構です。
269考える名無しさん:2005/10/14(金) 00:55:36
チンポのまんまじゃねえかバーカ
270三叉 ◆dG8or3i2q2 :2005/10/14(金) 01:26:46
>>267
私はハイデガー『存在と時間』を読みたいのですが、どうでしょう?
271しんのすけ ◆MT.Pc//z9Y :2005/10/14(金) 03:34:08
>ウンコ先生

「はじめて読む人でも構いません」とのことですから、
スピノザ『エチカ』orライプニッツ『単子論』なら参加希望です。
272考える名無しさん:2005/10/14(金) 10:23:44
スレタイに「現象学・再入門」とついてるんだから、
>>267には挙がっていないけどフッサールのものがいいな・・・。

もしフッサールで選ぶとすれば、文庫で出ているものだとありがたい。
『ブリタニカ草稿』と『デカルト的省察』のスレはあるので、
『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』希望。

>私のハンドルは下品だという意見が過去にありましたので
それ、2年ぐらい前に書いた覚えがあります・・・。
273考える名無しさん:2005/10/14(金) 11:53:23
自分も、『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』希望です。
スピノザやライプニッツも面白そうだけど。
274考える名無しさん:2005/10/14(金) 13:21:20
くだらねぇ。
研究者向けでかまわんからやってみろよ。
275チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2005/10/16(日) 01:27:10
三叉さんは『存在と時間』、しんのすけさんは『エチカ』もしくは『単子論』、>>272さんと>>273さんは、
『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』という集計結果です。

まず、>>272さんのご指摘、

>スレタイに「現象学・再入門」とついてるんだから、
>>>267には挙がっていないけどフッサールのものがいいな・・・。

というのはごもっともです。(;・∀・)

しかし、フッサールの著作は過去に扱ったことがありますので(参照「後期フッサールの根本問題」スレ)、
本当に申し訳ないですが、今回は見送りたいと思います。

あと、私事で恐縮ですが、実はいま、手元にフッサールの著作が一冊もない(!)のです。
近くの大学図書館に行けば借りられると思いますが、今はそこへ行く時間がありません。
276ウンコくん ◆zh1F2ePgb2 :2005/10/16(日) 01:28:16
そこで、『存在と時間』か、『エチカ』か、『単子論』か、という選択肢になりますが、

『存在と時間』は別に読書会スレが立てられています。『単子論』も過去に読書会スレが立てられています。

そこで残るのはスピノザの『エチカ』と思いますが、『エチカ』の読書会スレはたしかに過去に存在しましたが、
残念ながら、読書会スレとしては失敗に終わっているようです(ほとんどの読書会スレがそうですが)。
そこで、今回は今までとは趣向を変えて、『エチカ』の第一部と第二部をじっくり読むというものにしたいと
思うのですが、どうでしょうか?

もし、数人の賛同が得られたら、来週あたりから始めたいと思います。

いや、どうしても他の本にしてほしいという強い要望がありましたら、それも考慮したいと思います。
277三叉 ◆dG8or3i2q2 :2005/10/16(日) 01:31:59
>>276
私はそれでもいいですよ。今は世界の名著版しかないですけど。
278考える名無しさん:2005/10/16(日) 01:39:24
「大論理学」きぼーん。
279純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/10/16(日) 01:43:43
やあ
280純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/10/16(日) 01:45:57
ミスターXの自演が始まりましたよ。
281順次 ◆lDmUwFn1OI :2005/10/16(日) 01:59:50
282純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/10/16(日) 02:16:21
283しんのすけ ◆MT.Pc//z9Y :2005/10/16(日) 02:49:54
ETHICA
Ordine Geometrico demonstrata,
ET
In quinque Parates distincta,
in quibus agitur,

I.De DEO.
II.De Natura & Origine MENTIS.
III.De Origine & Natura AFFECTUUM.
IV.De SERVITUTE Humana,feu de AFFECTUUM VIRIBUS.
V.De POTENTIA INTELLECTUS,feu de LIBERTATE Humana.

NaturaやHumanaの最後のaに小さい山印がついているのですが、何でしょうか?
御存知の方、教えてください。
語学は「習うより慣れろ」と言われたことがあるので、時々原文を写してみます。
写し間違いがある場合はどうか御指摘くださいませ。
284しんのすけ ◆MT.Pc//z9Y :2005/10/16(日) 03:03:21
VIRIBUSは力と訳してあるようです。
英独仏語のいずれかに残っている言葉でしょうか?

僕の質問はこんな風なレベルになってしまうので、どなたか気が向いたら答えてもらえるとうれしいです。
もちろん、スルーされても気にしませんし。参加者の方、気長によろしく。
285考える名無しさん:2005/10/16(日) 03:27:05
virだろ。英語のvirtueの語源だよ。
あと>>283は綴りが間違ってるよ。feuじゃなくてseuだろ。
あと、aに付いてる山印なら、格を考えるんだな。
286考える名無しさん:2005/10/16(日) 11:30:25
チンポの自演は今に始まったことじゃない。
287paso z ni ◆GwEi/2baXE :2005/10/17(月) 00:32:51
>>283

> NaturaやHumanaの最後のaに小さい山印がついているのですが、何でしょうか?

名格nominativeではなく、奪格ablativeで使われていることを示しているのでしょう。
教科書でラテン語を習うときには(長音記号を別にすれば)つけない記号です。
いつごろからこういう表記が行われるようになったのかは知りませんが...

ついでに言うと、IVとVの"feu"、正しくは"seu"ですよ。
古い字体だと細長い棒みたいになりますが、fではなくsなのです。

>>276

> そこで、今回は今までとは趣向を変えて、『エチカ』の第一部と第二部をじっくり読むというものにしたいと
> 思うのですが、どうでしょうか?

大歓迎!ぜひお願いしたいです。
288純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/10/17(月) 00:34:38
また、自演かね?
289考える名無しさん:2005/10/18(火) 00:28:44
口先ばっか
290ウンコくん ◆zh1F2ePgb2 :2005/10/18(火) 01:20:50
それでは、スピノザの『エチカ』を読みたいと思います。

テキストは、岩波文庫のものとしますが、勿論、「世界の名著」版でも構いません。


また、『エチカ』の原文は、下記のサイトで読めます。

ttp://www.ac-nice.fr/philo/textes/Spinoza-Ethica/html/Ethica.htm

あと、英訳が下記のサイトで読めますので、参考までにどうぞ。

ttp://www.mtsu.edu/~rbombard/RB/Spinoza/ethica-front.html
291ウンコくん ◆zh1F2ePgb2 :2005/10/18(火) 01:22:15

進行形式は、皆さんが各自、スピノザのテクストに対して疑問点を述べ、それを全員で議論していくという
形にしたいと思いますが、どうでしょうか?

もちろん、議論する箇所はあらかじめ制限しておきましょう(この制限は、絶対的なものではなく、あくまで
基準です)。

第一回は、第一部の定義、公理、定理一から定理八までを扱いたいと思います。


私の書き込みのペースは、一週間に一回くらいになりそうです(週末あたり)。気長にやって行きましょう。

今のところ、参加者は、しんのすけさんと、paso z ni さんの二人ですね。よろしく。
292ウンコくん ◆zh1F2ePgb2 :2005/10/18(火) 01:24:16
>>278 >「大論理学」きぼーん

『エチカ』を読み終わったあとにやってもいいですよ。
293paso z ni ◆GwEi/2baXE :2005/10/18(火) 08:57:18
>>291

> 第一回は、第一部の定義、公理、定理一から定理八までを扱いたいと思います。

了解です。よろしくお願いします。

>>290であがっていたラテン語原文ですが、
スキャンした後、ろくにチェックしないであげた感じですね。

原文は、ここにもありました:
ttp://glouise.club.fr/ETHICA.pdf

htmlヴァージョンはここ:
ttp://glouise.club.fr/index.html

ついでにラテン語の辞書:
ttp://www.perseus.tufts.edu/cgi-bin/resolveform?lang=Latin
294考える名無しさん:2005/10/19(水) 12:31:42
こうして馬鹿チンのモノローグは続く。
295三叉 ◆dG8or3i2q2 :2005/10/20(木) 04:49:39
実体は一つだと思うんですけど、属性の相違、属性の変様の相違によって複数の実体があるように
書かれてる(定理四)のが良くわからないです。実体は無限である(定理八)ということに関わるんでしょうか?
296考える名無しさん:2005/10/20(木) 05:49:06
実体とは無限な類の総体なのだ。
297考える名無しさん:2005/10/20(木) 05:58:55
>>296
自分で何言ってるのか分ってるなら、別の言葉で言い換えてみてください。
298考える名無しさん:2005/10/20(木) 06:10:16
>>297
エチカ 第一部 定義 を 熟読せよ。


299考える名無しさん:2005/10/20(木) 09:04:36
>>285>>287>>290>>293  ありがとうございます。

>教科書でラテン語を習うときには(長音記号を別にすれば)つけない記号です。

そうでしたか! どうりで教科書を見ても書いていないわけですね。

>古い字体だと細長い棒みたいになりますが、fではなくsなのです。

気を付けて読んでみます。英語から類推できる単語だとsだと僕でも気づきやすいかもしれません。




300しんのすけ ◆MT.Pc//z9Y :2005/10/20(木) 09:08:23
名前とsageを入れ忘れました。すいません。
301paso z ni ◆GwEi/2baXE :2005/10/20(木) 16:05:26
>>295
> 実体は一つだと思うんですけど、属性の相違、属性の変様の相違によって複数の実体があるように
> 書かれてる(定理四)のが良くわからないです。

唯一の実体としての神以外に、いかなる実体も存在せず、考えることもできない、
という証明は、定理14で初めて行なわれますが、そのことと関係しているのでは?

実体がいくつあるかという問題は、ここではまだオープンになっているわけです。
302ウンコくん ◆zh1F2ePgb2 :2005/10/21(金) 07:13:34

今回は時間の都合上、第一部の定義についてのみ、コメントしておきます。

定義一に関しては、今回はノーコメント。

定義二 「同じ本性の他のものによって限定されうるものは自己の類において有限であると言われる。
     例えばある物体は、我々が常により大なる他の物体を考えるがゆえに、有限であると言われる。
     同様にある思想は他の思想によって限定される。・・・」

曖昧です。ある物体が、他のより大きな物体によって限定されるというのは分かります。しかし、ある思想が、
他の思想によって限定されるとはどういうことでしょうか? ある思想は、他のより大きな思想(?)によって
限定されるのでしょうか? 一体、思想が「より小さい」とか「より大きい」とか言えるのでしょうか?

定義三 「実体とは、それ自身のうちに在りかつそれ自身によって考えられるもの、言いかえればその概念を
     形成するのに他のものの概念を必要としないもの、と解する。」

まず最初に浮かんで来る疑問は、「それ自身のうちに在る」in se esse とはどういうことか、ということです。
この問題は、のちに出て来る「他のもののうちに在る」in alio esse とともに考える必要があると思います。
303ウンコくん ◆zh1F2ePgb2 :2005/10/21(金) 07:14:36

それから、もう一つの疑問は、これら二つの実体に関する規定、つまり、「それ自身のうちに在る」ということと、
「それ自身によって考えられる」ということは、どのような関係になっているのか、ということです。
それらは、単に並立しているに過ぎないのか、それとも、相互に密接に関連しているのか。
ここでこのような問いを問うのは、例えば、ライプニッツが、以下のようなことを言っているからです。
(邦訳は出てないので、そのまま原書から引用しておきます。)

Aut necesse erit ut demonstret, qui unum habeat etiam alterum habere, cum contra videatur potius,
esse aliqua quae sint in se, etsi non per se concipiantur. Et ita vulgo homines substantias concipiunt.

最後の Et ita vulgo homines substantias concipiunt. は、マア大目に見るとして、これはスピノザに
対する強力な批判の一つだと思います。皆さんはこの批判についてどう思いますか。

これはしかし、実体概念に関する水掛け論にならないように注意せねば。
304ウンコくん ◆zh1F2ePgb2 :2005/10/21(金) 07:16:14

定義三に関しては、もう一つ疑問があります。スピノザは次のように言っております。

「言いかえればその概念を形成するのに他のものの概念を必要としないもの、と解する。」

ここで、実体は、「その概念を形成するのに他のもの(res)の概念を必要としないもの」と規定されています。
しかし、本当に「他のものの概念を必要としない」のでしょうか? というのは、定義四では次のように
言われているからです。

定義四 「属性とは、知性が実体についてその本質を構成していると知覚するもの、と解する。」

もし属性が実体の「本質」をなすものであるのなら、実体は属性という概念なしには、把握できないのでは
ないでしょうか。勿論、スピノザは次のように反論するかも知れません。「属性はもの(res)ではない」と。

そうなると、それじゃあ属性とはそもそもなんであるのか、という問題が生じてきます。

属性は、もともと実体の中に、もの的に(=実在的に)存在するのか、それとも、単なる「知性」の産物に
過ぎないのか。この問題は、岩波文庫の訳注の中でも触れられています。スピノザの Attributenlehre の
最大の難点でしょう。
305ウンコくん ◆zh1F2ePgb2 :2005/10/21(金) 07:20:25
しかし、そもそも、実体と属性はどう違うのでしょうか。

これは、まさに三叉さんが>>295で悩んでいる問題に通じるものだと思います。

『エチカ』の注釈者の一人であるジョアキムによりますと、スピノザはある手紙の中で、属性を、
「それ自身を通じて、それ自身において、把握されるすべてのもの」と定義しているとのことです。
スピノザは続けて、たとえば「延長」は、per se et in se に理解される、しかし、「運動」はそうではなく、
「運動」は in alio に、つまり「延長」において、理解されねばならない、と言っております。

しかし、「それ自身を通じて、それ自身において、把握されるもの」とは、実体ではないのでしょうか?
この一見、実体と属性との同一視のように見えるものを、どう扱うべきでしょうか。

ヒントは恐らく、「知性」にあるのでは、と思います。知性は、実体に本質を attribute するものです。
この手紙の中では、上の定義に続いて、イスラエルとかヤコブとかが登場します。

まあ、しかし、スピノザは当初、デカルト流に、 substantia extensa と substantia cogitans と
言おうとしていたそうです。そして神を ens absolute infinitum constans infinitis substantiis sive
attibutis と定義しようとしていたとか。しかし、『エチカ』では厳密を期して、実体は神だけで、
その神が無限の属性を含むという言い方にしたようです。つまり、substantia extensa は、「本当は」
実体ではなく(!)、属性に過ぎないというわけです。

とかなんとか適当なことを言っておりましたら、もう時間が来ました。続きは次回に回します。

なんか最近忙しいので勉強する時間がありません。

余談ですが、M. Gueroult の『エチカ』の注釈書がお手元にある方は居られませんか。
先日図書館で借りようと思ったのですが、外部の貸し出しは冊数が制限されておりまして、借りられませんでした。
どんなことが書いてあるか興味がありますので、要点だけでもどなたか引用して下さらないでしょうか。
もしくは、大学当局に対して、外部貸し出しを緩和するよう教育して頂けないでしょうか。

では、また来週。Valete!
306考える名無しさん:2005/10/21(金) 22:06:07
>>302 ウンコさん
>一体、思想が「より小さい」とか「より大きい」とか言えるのでしょうか?

細かい揚げ足とりになってしまいもうしわけないのですが、
私はラテン語が分らず英語を少し読める程度なので、一部定義2の英訳を見ていたのですが、

  So, also, a thought is limited by another thought

思想は他の思想によって限定されるとしか言ってません。
あるものが他のものによって限定されるというときのものの大小とは、
延長の属性に特有の言い方ではないですか?身心並行論ということで、
それでは思惟の属性における、それの別の表現があるはずでは?という
個人的な疑問のもと見てみると、第四部公理ではpowerfulやstrongという言葉で
表現してます。とりあえずこの定義2においては、限定されるということだけが
重要で、どう限定されるのがいいのかはあまり問題ではないのではないでしょうか。

ウンコさんの豊富な知識をもとにしたエチカの解説に期待してますんで今度もよろしくお願いします。
307考える名無しさん:2005/10/21(金) 22:49:20
ちょっとしつこいようですみませんが、付け足しさせてください。

本性を同じくする他のものによって限定されるものは「自己の類において有限」
これはどのように限定されるのかはともかくとりあえず意味は分ります。
有限とはいっても、本性が異なるものによって限定されるとは限りません。
属性という言葉を持ち出すまでもないですね。

・自己の類において有限(通常の個物)
・自己の類において無限
・絶対に無限(実体=神)
この三分類をひとまず頭に思い浮かべれば分りやすい気もします。

それよりも
>我々が常により大なる他の物体を考えるがゆえに有限である
我々が常により○○な他のものを考えるがゆえに有限である
我々とは一体誰でしょうか?また同様に定義4の知性とは誰の知性でしょうか?
308三叉 ◆dG8or3i2q2 :2005/10/22(土) 00:01:47
最初から難問山積ですね。自分としては今の段階で答えを出せないので、
問題の所在を確認しつつとりあえず読んで行きます。さしあたり、知性、属性、実体の関係ですか。

>ウンコさん
次はどこまでを読みますか?
309考える名無しさん:2005/10/22(土) 00:35:42
「それ」と「それ自身」の違いて何?
310考える名無しさん:2005/10/22(土) 01:27:56
定義3の
>それ自身のうちに在りかつそれ自身によって考えられるもの

これを論理的な概念としての実体からいきなりイメージしようとしても大変だから、
延長の属性によって見出される世界をまずはイメージするってのはどうかな。
その世界は物理学を始めとした自然科学における個々の観念、つまり思惟の属性の様態などなくても、
それだけで自立して存在するしまた考えることができるという。
この考えが広く浸透したおかげで、自然科学において神を扱う必要もなければ、
宇宙の外側について論じる必要性もなくなった。
あくまでイメージの参考としてどうでしょうか?という話ですが。
311paso z ni ◆GwEi/2baXE :2005/10/23(日) 00:42:12
>>302

> ある物体が、他のより大きな物体によって限定されるというのは分かります。しかし、ある思想が、
> 他の思想によって限定されるとはどういうことでしょうか? ある思想は、他のより大きな思想(?)によって
> 限定されるのでしょうか? 一体、思想が「より小さい」とか「より大きい」とか言えるのでしょうか?

おそらく、言えると考えているのでしょうね。この定義2は、「AがBによって限定される」ということの意味を、まず物体の例で説明し、この説明が「同じように」思想にも適用される、という調子で論じています。

Exempli gratia corpus dicitur finitum quia aliud semper majus concipimus.
(例えば、ある物体は、我々が常により大なる他の物体を考えるがゆえに、有限であると言われる)

この説明を見るかぎり、さしあたり「AがBによって限定される」という表現は、
Aの外部にBがある、つまり、Aは何らかの外部をもつから「限定されている」と認定されるのではなく、
Aに対して、Aの全部と重なり、かつ、Aには含まれないものを含むBが常に想定可能であるがゆえに、
つまり、B>AであるようなBが想定可能であるがゆえに、「AはBによって限定される」ことを意味するようです。
>>306さんが書かれているように、思想については「より大きい」云々という言い方をしていませんが、
結局は、ウンコさんのおっしゃるとおり、何らかの「大小」関係が前提されているのだと思います)
312paso z ni ◆GwEi/2baXE :2005/10/23(日) 00:43:20
この説明を「思想cogitatio」にあてはめて考えたらどうなるのか?
いくつかの推測は成り立ちますが、ここで前提となっているように思われるAとBの「量」関係にしても、
外延量だけでなく、いわゆる内包量のようなものを考えているのかもしれません。
(ウンコさんなら当然この辺の可能性も考えられているのでしょうが)

外延量というのは、例えば、数直線で表わされるような量、つまり、普通「量」というときに思い浮かべるもののこと。
内包量の例としてよく挙げられるのは、密度とか温度とか、「大きさ」ではあっても、空間的な広がりという形をとらないもの。

古典的論理学では、一般に内包と外延は反比例すると言われます。
「生物」という概念の内容(=内包)に当てはまる事例(=外延)は、トカゲも、スギも、ミミズも、人間も含みますが、
このうち、「哺乳類」という概念に当てはまる事例は、人間だけになります。
「哺乳類」の概念は「生物」という概念を自分の中に「含んでいる」と考えられる、
つまり、概念の内容(=内包)を比べると、「哺乳類>生物」という関係が成り立つのに対し、
それぞれに当てはまる事例(=外延)を比べると、「生物>哺乳類」という関係になる、という感じです。
313paso z ni ◆GwEi/2baXE :2005/10/23(日) 00:43:57
だから、概念の内容というようなものも、「内包量」の一つとして考えられるかもしれない。
例えば、「a+b」の概念(それが概念だとすれば)は、「1+1」や「7+5」や「3a+2b」のすべてを含んでいることになるでしょう。
(ただし、この例の場合、先ほどの「内包と外延の反比例」は成り立ちません)

同様に、「一般性が低い」命題は「一般性が高い」命題によって「限定される」と言えなくもないでしょう。
(思想cogitatioが、単一の名辞だけを指すのか、それとも、命題的性質のものを含むのかも気になりますが)

また、「神」の概念は、無限者の概念である以上、有限者の概念より多くのものを内容として含んでいると言えそうです。
(神=自然という話もこのことを考えるとイメージしやすくなるかもしれないのですが、ひとまずおいておきます)
314paso z ni ◆GwEi/2baXE :2005/10/23(日) 00:47:10
>> 303
> それから、もう一つの疑問は、これら二つの実体に関する規定、つまり、「それ自身のうちに在る」ということと、
> 「それ自身によって考えられる」ということは、どのような関係になっているのか、ということです。
> それらは、単に並立しているに過ぎないのか、それとも、相互に密接に関連しているのか。
> ここでこのような問いを問うのは、例えば、ライプニッツが、以下のようなことを言っているからです。
> (邦訳は出てないので、そのまま原書から引用しておきます。)
>
> Aut necesse erit ut demonstret, qui unum habeat etiam alterum habere, cum contra videatur potius,
> esse aliqua quae sint in se, etsi non per se concipiantur. Et ita vulgo homines substantias concipiunt.

ライプニッツからの引用は、

「しかし、一方を有するものがさらに他方を有することを証明する必要があるだろう。というのも、むしろ逆に、
それ自身によっては考えられないが、それ自身のうちにあるものも存在するように思われるからである。
実際、一般には、人々はそのように実体というものを考えている」

という感じでしょうか(出典を教えていただけると助かります)。
315paso z ni ◆GwEi/2baXE :2005/10/23(日) 00:48:01
最後の文については、ロックの「唯名的本質」と「実質的本質」の区別のような話を思い浮かべればよいでしょう。
一般に、名(name)や語(word)を用いる際、その語(例えば「金」)が指示している対象の「実質的本質」、
つまり、まさにその対象を構成している物質的組成などは知られていないし、多くの場合、知ることもできません。
普通、われわれ人間は、ある対象を区別するための分類基準を手にしているにすぎない(「唯名的本質」)。
(例えば金はこれこれの感覚的性質を示し、銀や銅や鉄と区別される、云々)

ロックの言う実質的本質、あるいは、そのような本質をもつと考えられる事物は、
「それ自身によっては考えられ[=認識され]ないが、それ自身のうちにあるもの」だと言えるでしょう。
316paso z ni ◆GwEi/2baXE :2005/10/23(日) 00:50:12
> 最後の Et ita vulgo homines substantias concipiunt. は、マア大目に見るとして、これはスピノザに
> 対する強力な批判の一つだと思います。皆さんはこの批判についてどう思いますか。

文脈を見てみないと何とも言えませんが、この文だけではそれほど強い批判にはならないような気がします。
スピノザのあげている実体の2つの規定A「それ自身のうちに在る」とB「それ自身によって考えられる」について、
無条件に「AがBを含意する」(または「BをAが含意する」)わけではない、という話ならライプニッツの言うとおりでしょう。
また、AとBの相互の関係(スピノザは、AとBをetで結んでいるだけ)が不明瞭だというのもおっしゃるとおりです。

しかし、あるものxが実体であるのは、xがAを満たし、かつ、Bを満たす時、そしてその時のみである、という話なら、
ライプニッツの要求(「一方を有するものがさらに他方を有する」という証明)はさほど重要な話ではないでしょうし、
Aを満たすがBは満たさないとか、Bは満たすがAは満たさないような事例があったところで、
それがただちにスピノザの定義の問題だということにはならないように思います。

もし問題があるとすると、スピノザの論証の中で、例えば、Aを満たすことがBを満たすことの論拠とされているような場合です。
もしこれが論拠となりうるのだとすれば、AとBが等価であることが予め論証されていなければならないでしょう。

>>304で書かれていたことについては、もう少し考えたいと思います。
317考える名無しさん:2005/10/23(日) 02:17:32
>>315 pasoさん
スピノザとは関係なしに、ロックの本質に対する考えが面白そうだと感じたんですが、
ロックは実質的本質の具体例としてどのようなものを挙げているのでしょうか?
それとも実質的本質とはカントの物自体のような、概念的に設定されただけの
ものなのでしょうか?
唯名的本質によって捉えきれない本質=実質的本質
といった感じに。
318ウンコくん ◆zh1F2ePgb2 :2005/10/23(日) 06:16:45
とりあえず、レスをしておきます。

>>306
>思想は他の思想によって限定されるとしか言ってません。
>あるものが他のものによって限定されるというときのものの大小とは、
>延長の属性に特有の言い方ではないですか?

実をいいますと、私も最初は、そう思っていたんです。しかし、スピノザの文章を注意深く見てみますと、
彼は物体の例を挙げたあとに、

Sic cogitatio alia cogitatione terminatur. At corpus non terminatur cogitatione nec cogitatio corpore.

と言っているんです。問題はこの冒頭の Sic です。英訳では、So, also, と訳されていますよね。
この sic は他にも、in this way とか in such a way とかと訳すことができますが、ともかく、
「同じく」というニュアンスがあるんです。つまり、in the same way の意味です。
だから、岩波文庫の邦訳でも、「同様に」となっています。

>>311で paso z ni さんも同様の指摘をなさっています。

そして、スピノザ自身がここでは思惟が思惟によって限定されるという事態を明確に説明せず、いきなり
「同様に」という言葉を用いているものだから、「?」と思ったわけです。

>第四部公理ではpowerfulやstrongという言葉で表現してます。

第四部の公理は、思惟の限定に関する言明ではないように思いますが。
319ウンコくん ◆zh1F2ePgb2 :2005/10/23(日) 06:22:17
>とりあえずこの定義2においては、限定されるということだけが
>重要で、どう限定されるのがいいのかはあまり問題ではないのではないでしょうか。

いや、だからこそ、「限定」の概念を明確に規定する必要があったと思うんです。
スピノザは、この「定義」の箇所においてこそ、それを明らかに読者に示す義務があったのではないでしょうか。

スピノザは物体における「限定」は明確に規定しています。しかし、もし>>306さんの言う通りだとすると、
なぜここで彼が、思惟における「限定」の意味を等閑に付したのか理解できません。

しかし、>>312>>313における paso さんの説明は興味深いですね。私が考えていたこととぼんやり似通っている
気がします。

あと、ウンコさんじゃなくて、ウンコくんでいいッスよ。それから、自分は現象学の勉強をやっている一社会人に
過ぎませんから、スピノザに関する知識ははっきりいってないです。paso さんあたりに啓蒙してもらいたいところです。
320ウンコくん ◆zh1F2ePgb2 :2005/10/23(日) 06:26:10
>>314 >paso z ni さん

Aut necesse erit ut demonstret, qui unum habeat etiam alterum habere, cum contra videatur potius,
esse aliqua quae sint in se, etsi non per se concipiantur. Et ita vulgo homines substantias concipiunt.

このことをスピノザ哲学に対する「強力な批判」と私が考えた理由は、ライプニッツは、「それ自身のうちに
在る」のにも拘らず、「それ自身によって考えられる」必要はない実体が存在すると考えるからであり、
それが彼のいうモナドであるからです。

ご存知のように、ライプニッツの単子論は、スピノザ流の一元論に対して多元論を主張します。つまり、
実体の数は宇宙において無限であり、その各々が宇宙の鏡として、全宇宙の対象を包含しています。
換言すれば、一つのモナドの中には、他のすべてのモナドとの連関が含まれており、従って「それ自身によって
考えられる」ことは原理的に不可能です。しかし一方で、各々のモナドは、個々独立しており、
「それ自身のうちに在る」と言えるのです。これがライプニッツのいう「実体」であり、彼はそれをモナドと呼びました。
321ウンコくん ◆zh1F2ePgb2 :2005/10/23(日) 06:31:32
>しかし、あるものxが実体であるのは、xがAを満たし、かつ、Bを満たす時、そしてその時のみである、という話なら、
>ライプニッツの要求(「一方を有するものがさらに他方を有する」という証明)はさほど重要な話ではないでしょうし、

従いまして、これは「重要」ではないでしょうか。というのも、もし、x が A と B とを同時に満たすのなら、
スピノザ流の実体を認めてしまうことになり、ライプニッツが通常の意味での実体と規定する実体概念(モナド)が
否定されるからです。

>Aを満たすがBは満たさないとか、Bは満たすがAは満たさないような事例があったところで、
>それがただちにスピノザの定義の問題だということにはならないように思います。

上に述べましたが、これは問題になるでしょう。つまり、「それ自身のうちに在る」と「それ自身によって考えられる」
との関係をスピノザは定義の箇所において曖昧にしているために、彼の実体概念はいわば曇ってしまうのです。

スピノザははっきりと、両者の関係は、不可分に結合していると証明する必要があったのだと思います。
それをしない限り、彼の獲得したい実体概念は充分に基礎づけられてはいないからです。
それを「定義」の箇所でやっていないということ、これは大きな欠陥であり、スピノザ哲学の全体系を瓦解に
導くほどの失態ではないかと思います。

ここで次の文章の意味が明瞭になったのではないでしょうか?

Aut necesse erit ut demonstret, qui unum habeat etiam alterum habere, cum contra videatur potius,
esse aliqua quae sint in se, etsi non per se concipiantur.

これはゲルハルト版の第一巻の139ページ以下にあります。しかし、この議論はライプニッツ哲学の土俵の上での
議論でありますので、私も説明不足で paso さんに誤解を招いたように思います。申し訳ないです。
322ウンコくん ◆zh1F2ePgb2 :2005/10/23(日) 06:34:35
>>308 >三叉さん

いきなり停滞しておりますので(汗)、来週あたりにゆっくり考えてみます。今日は仕事なので、これで終わります。
急いで書いたのでミスがあると思いますが、大目に見て下さい。

それから皆さん、いろいろカキコして下さってありがたいです、参考になります。

しかし、今、仕事場が火の車です。泣きそうです。でも今度の仕事場はいい人たちが多いんですよ。特にバイトの
ウェイトレスのお姉ちゃんなどは・・・



ウンコ野郎でした。
323スピノザ厨:2005/10/23(日) 13:31:29
>>318
Sicの件、説明どうもありがとうございます。とりあえずここの一文は、
後の思惟と延長両属性の様態の関係が説明されるまで保留にしておきたいと思います。

>第四部の公理は、思惟の限定に関する言明ではないように思いますが。

4部では思惟の様態や観念といった言葉から離れて、「個物」という言葉を使っていますが、
これは2部におけるそれらの言葉とイコールだと思ってましたが、少し雑な考えすぎる
でしょうか?ウンコさんとかpasoさんの議論は学問の厳しさを教えてくれます。
自分がいかにいい加減に本を読んできたのか、思い知らされます勉強になります。

コテハンばかりの中に、1人名無しだとやりにくそうなので名前入れました。
324考える名無しさん:2005/10/23(日) 13:51:01
ウンコくんの仕事場はどういったところなのでしょうか?
325スピノザ厨:2005/10/23(日) 13:57:03
(0)それ自身のうちに在り、それ自身によって考えられる (スピノザの実体、一元論?)
(1)それ自身のうちに在り、他のものによって考えられる (ライプニッツの実体、多元論?)
(2)他のもののうちに在り、それ自身によって考えられる
(3)他のもののうちに在り、他のものによって考えられる (様態)

これら以外のものの可能性についてはひとまず考えないことにします。
スピノザは(0)を実体、(3)を様態と定義していますが、
ウンコさんが指摘されてるように(1)や(2)については説明しておらず、
確かに、少々曖昧なものになっていると厨にも思われます。
「自己の類において無限なもの」同様に、本当はないと言いたいのに、
そうできないなんらかの事情があるのかもしれないですね。

ところでライプニッツは(0)についてはどのような考えを持っていたのでしょうか?
実体とは(1)のようなものであるというのは分りました。でもスピノザを一度でも読み、
「絶対に無限」という観念を理解するならば(0)の可能性も考慮しなければ
ならなくなるはずです。
326考える名無しさん:2005/10/23(日) 17:29:38
チンポ太郎の次はウンコくんかよ(w

どうしようもねえな。
327考える名無しさん:2005/10/23(日) 17:34:23
>324

以前に調理師とかいってたような。。。
スピノザはレンズ磨きの内職で生計立ててたし
まあ、哲学好きな連中が学で食ってるとは限らないわな。

328考える名無しさん:2005/10/23(日) 17:36:30
>>327
そうなんだ。大学院生だとばっかり思ってた。
329考える名無しさん:2005/10/23(日) 17:37:35
しっかしマジレスだとほんと凡なことしか言えないのな。
ネタでバカやってるほうがお似合いなのに。

>チンポ太郎改ウンコくん

330考える名無しさん:2005/10/23(日) 20:43:24
渡邊二郎の本を読め
331paso z ni ◆GwEi/2baXE :2005/10/23(日) 22:39:13

>>317
> ロックは実質的本質の具体例としてどのようなものを挙げているのでしょうか?
> それとも実質的本質とはカントの物自体のような、概念的に設定されただけの
> ものなのでしょうか?

まずお断り:上では「実質的本質」としましたが、普通は「実在的本質」と訳されるようです(原語はreal essence)。

実在的本質と唯名的本質については、『人間知性論』III,iii,15をご参照ください。
(ちょっと読みにくいですが、原文はここ: ttp://www.rbjones.com/rbjpub/philos/classics/locke/index.htm

例としては、人間(man)や金(gold)があげられていました(cf. Essay III,vi,2-3)。

たしかに、カントのいう物自体(Dinge an sich)の議論を思わせるようなことも言ってはいます:

Indeed, as to the real essences of substances, we only suppose their being, without precisely knowing what they are;
but that which annexes them still to the species is the nominal essence, of which they are the supposed foundation and cause.
(Essay III,vi,6)

そもそも、物自体という表現がロックに由来すると考えられます(things themselvesという表現が頻繁に登場します)。
(ロックとカントではまったく議論の道具立てが違いますし、哲学的な帰結も非常に異なっていますが)
332paso z ni ◆GwEi/2baXE :2005/10/23(日) 22:39:51

>>319
> あと、ウンコさんじゃなくて、ウンコくんでいいッスよ。それから、自分は現象学の勉強をやっている一社会人に
> 過ぎませんから、スピノザに関する知識ははっきりいってないです。paso さんあたりに啓蒙してもらいたいところです。

では遠慮なく、ウンコくんと呼ばせてもらいます。こちらもスピノザについてろくに知りません。このスレで勉強させてもらいたいです。

>>320
> このことをスピノザ哲学に対する「強力な批判」と私が考えた理由は、ライプニッツは、「それ自身のうちに
> 在る」のにも拘らず、「それ自身によって考えられる」必要はない実体が存在すると考えるからであり、
> それが彼のいうモナドであるからです。

ライプニッツの出典、教えてくださってありがとうございました(ゲルハルト版は今見れないのですが、第1巻ということは書簡ですね?)。

うーん。もしこれがモナドを念頭においた発言だとしたら、ita vulgo homines substantias concipiunt なんて言うでしょうか?

もう一つの疑問は、ライプニッツがモナドを「それ自身によって考えられる」必要のない実体と考えていた、とおっしゃる点です。
(ウンコくんに対してライプニッツを説くなんておこがましいですが、もし誤解があれば教えてください)
333paso z ni ◆GwEi/2baXE :2005/10/23(日) 22:41:03

> 実体の数は宇宙において無限であり、その各々が宇宙の鏡として、全宇宙の対象を包含しています。
> 換言すれば、一つのモナドの中には、他のすべてのモナドとの連関が含まれており、従って「それ自身によって
> 考えられる」ことは原理的に不可能です。しかし一方で、各々のモナドは、個々独立しており、
> 「それ自身のうちに在る」と言えるのです。これがライプニッツのいう「実体」であり、彼はそれをモナドと呼びました。

モナドは無数にあり、その一つ一つが他のすべてのモナドとの連関を含んでいるという点はよくわかります。
しかし、(1)少なくとも『モナドロジー』の論証を見るかぎり、「単純な実体」としてのモナドの存在は、^
複合されたものの存在から、わりとあっけなく論証されています(『モナドロジー』1〜2節)。

また、(2)モナドの多様性についても、もしモナドが差異をもたなかったとしたら、それは存在とはいえないだろうし、
現実に見出される世界の多様な諸事物も生じえなかったろう、したがって、モナドは多様でなければならない、
という形で論証されているように思います(『モナドロジー』8〜9節)。

(2)はいわばアポステリオリな論証を含んでしまっているので、「それ自身によって考えられる」とは言いにくくなりますが、
(1)をみるかぎり、モナドの存在については「それ自身によって考えられる」とライプニッツも考えていたのではないでしょうか。
334paso z ni ◆GwEi/2baXE :2005/10/23(日) 22:42:22

おそらく、ウンコくんは concipere という動詞の意味を非常に重くとられているのでしょう。

岩波文庫上巻の訳注では、concipere と percipere について説明がありますね:

 「考える」(concipere)。conceptus が通常「概念」と訳されているから concipere も「概念する」とすべきであろうが[...]
 原則として「考える」の語を当てた。元来この concipere という語は percipere(知覚する)と対立するタームであるが、
 『知性改善論』時代にはこの両語は混同して用いられており、『エチカ』では一応は区別するたてまえになっているが、[...]
 この区別は、あとに見るように、『エチカ』の中でもほとんど守られず、concipere も percipere もともに広義の「認識する」
 というほどの意味に、言いかえれば、妥当な認識の意味にも非妥当な認識の意味にも用いられている。(p.258)

しかし、スピノザの場合でも、実体を「考える」際に、それが含むあらゆる連関まで認識している、とは考えなかったでしょう。

ライプニッツにしても、『弁神論』の序説のところで、われわれにとっては「それが何か(ce que c'est)」だけで十分で、
「いかに(le comment)」とか「なぜ(le pourquoi)」を知ることは、われわれの力を越えており、かつ必要でもない、
という言い方をしている箇所がありました(『弁神論』序説、56節。かなり違った文脈での話なんですが...)。
335paso z ni ◆GwEi/2baXE :2005/10/23(日) 22:43:12

>>321
> 従いまして、これは「重要」ではないでしょうか。というのも、もし、x が A と B とを同時に満たすのなら、
> スピノザ流の実体を認めてしまうことになり、ライプニッツが通常の意味での実体と規定する実体概念(モナド)が
> 否定されるからです。

たしかに、ライプニッツがスピノザ流の実体概念をそのまま受け入れることはできなかったのでしょう。
しかし、実体概念が原則的に人間知性にとっても認識可能であるということ(per se concipere をこのように解してよいとすれば)、
このことは、ライプニッツと言えども否定はしなかったのではないでしょうか?

むしろ、実体というものが延長と思惟という形で二分されてしまうものではありえない(デカルトへの批判)、
また、変化を内包しないような、スタティックなものではありえない(スピノザへの批判)、という点に
彼のモナド概念の核心があったとすれば、ライプニッツから見たスピノザの定義の問題は、
上のAとBを同時に満たすという話とはあまり関係してこないように思います。
(ただここまでの話は、ライプニッツの文脈を見ていないので、あくまで推測にすぎませんが)
336paso z ni ◆GwEi/2baXE :2005/10/23(日) 22:43:55

>>304
> 定義三に関しては、もう一つ疑問があります。スピノザは次のように言っております。
>
> 「言いかえればその概念を形成するのに他のものの概念を必要としないもの、と解する。」
>
> ここで、実体は、「その概念を形成するのに他のもの(res)の概念を必要としないもの」と規定されています。
> しかし、本当に「他のものの概念を必要としない」のでしょうか? というのは、定義四では次のように
> 言われているからです。
>
> 定義四 「属性とは、知性が実体についてその本質を構成していると知覚するもの、と解する。」
>
> もし属性が実体の「本質」をなすものであるのなら、実体は属性という概念なしには、把握できないのでは
> ないでしょうか。勿論、スピノザは次のように反論するかも知れません。「属性はもの(res)ではない」と。
>
> そうなると、それじゃあ属性とはそもそもなんであるのか、という問題が生じてきます。

>>305
> しかし、「それ自身を通じて、それ自身において、把握されるもの」とは、実体ではないのでしょうか?
> この一見、実体と属性との同一視のように見えるものを、どう扱うべきでしょうか。

私は、実体と属性は「同一」であるだろうし、そうでしかありえない、と思っていました。
属性が、実体の本質を構成しているとすれば、実体と別のものではありえないという理屈です。
(定理4の証明に、「実体、あるいは同じことだが、その属性とその様態」という箇所がありますが、
これもそういう意味で書かれていると理解してよいのではないかと思います)
337paso z ni ◆GwEi/2baXE :2005/10/23(日) 22:44:39

だとすれば、仮に、実体を把握するのに属性の概念が必要になるとしても、
それは「他のものの概念」を必要としていることにはならないのだろう、と思います。

しかしおそらくスピノザは、実体を把握するのに属性の概念が必要だとは考えていないのでしょう。
言い換えれば、実体の把握には、定義3で述べられている以外のことは必要でない、ということです。

ちょっと先回りしすぎのような気もしますが、定理10を見てみましょう:

 定理10 一つの実体の各々の属性は、それ自身によって(per se)考えられなければならない。

 証明 というのも、属性とは、知性が実体について、その本質を構成していると認識するものであり(定義4より)、
 したがって(定義3より)、それ自身によって(per se)考えられなければならない。証明終わり」

要するに、定義3で述べられていた実体についての説明(「それ自身によって考えられる」)が、
実体の本質を構成する属性にも拡張して適用されただけの定理です。

しかし、実体の本質を構成する属性について「それ自身によって」考えろと言われても、
「それ自身」とされる実体=x のままだったら、この定理はほとんど無意味でしょう。
338paso z ni ◆GwEi/2baXE :2005/10/23(日) 22:50:19
おそらく、このような形で実体と属性の関係を規定することの意味は、
互いにまったく異なる属性を単一の実体に関係づけるという点にあるのだと思います。

 注解 ここから次のことが明らかになる:もし2つの属性が実質的に異なっているものとして考えられたとしても、
 つまり、一方が他方の助けなしに考えられるとしても、それらが2つの存在者、ないし、2つの異なった実体を構成すると
 結論することはできない。[...]したがって、一つの実体に多数の属性を関係づけるのがまったく不合理でないばかりでなく、
 むしろ逆に、各々の存在者は何らかの属性のもとに考えられなければならない[...]ということほど自然において明らかなことはない」

つまり、スピノザのストラテジーを、おおよそ次のようにまとめることができるのではないでしょうか:

 1. 知性の認識の対象は、属性ないしその変様であり、したがって、すべて何らかの実体に帰着する(定義3、4)
 2. 人間知性の認識しうる属性には、思惟と延長がある。したがって、延長も実体の本質に含まれる(特に、定理15の注解)
 3. 実体は一つしかない。つまり、思惟と延長とは、同一の実体がもつ無限の属性のうちに含まれる(定理14)

書きながらだんだん自信がなくなってきました。私もしかるべき参考書などがあるといいのですが...。
339考える名無しさん:2005/10/24(月) 00:12:45
一人でコテを何人も操って自演してなんの意味があるの? このすれ。
340考える名無しさん:2005/10/24(月) 19:14:21
(´-`).。oO(鬱陶しいカキコで太郎氏にチョッカイだしてなんの意味があるんだろう・・・
341考える名無しさん:2005/10/24(月) 22:32:26
340=チンポ太郎
342純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/10/24(月) 23:59:12
やあ
343純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/10/24(月) 23:59:44
今日は書き込むところが多くて疲れるのだがね
344純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/10/25(火) 00:02:23
この頃はアリストテレスの
テキストクリティークをしているのだがね
345純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/10/25(火) 00:03:07
DTMもやっているのだがね
346考える名無しさん:2005/10/25(火) 00:03:31
佐藤くん氏んでね
347純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/10/25(火) 00:05:27
>>346
佐藤くんとは誰かね?
348純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/10/25(火) 00:09:07
>>1
しかし、自作自演ばかりしていて楽しいかね?
349 jun1:2005/10/30(日) 02:18:13
応援あげ。
350純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/10/30(日) 22:07:12
また、君かね
351純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/10/30(日) 22:07:55
まんまとミスターXに騙されたのに、
まだ服従するつもりなのかね?
352純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/10/30(日) 23:20:06
336 名前:マーボχの美意識 ◆JaGIySSf4w :2005/10/30(日) 22:41:31
このメンバーで朝生をやれば良いでしょう。

・僕
・イエス・キリスト
・ニーチェ
・アドルフ・ヒットラー
・マルクス
・アインシュタイン
・ジョン・レノン
・日蓮
・マルコムI
・サルトル
・フロイト
・ゲーテ
・孔子
353純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/10/30(日) 23:25:08
343 名前:マーボχの美意識 ◆JaGIySSf4w :2005/10/30(日) 23:03:08
理性は惨めに地を這い、
欲望は爽快に大空を飛び回る。

普通に歩けば良いものを・・・
354純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/10/30(日) 23:28:13
207 名前:マーボχの美意識 ◆JaGIySSf4w :2005/10/30(日) 22:34:23
このメンバーで朝生やれば良いでしょう。

・僕
・田久保忠衛
・柄谷行人
・池田大作
・香山リカ
・ビル・ゲイツ
・杉村太蔵
・辻元清美
・鳥肌実
・山口組新組長
355純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/10/30(日) 23:48:29
590 名前:マーボχの美意識 ◆JaGIySSf4w :2005/10/30(日) 22:51:43
なかなか読む気が湧いてこない文章ですね。
356考える名無しさん:2005/10/31(月) 13:38:15
光が見えるwww
357おじさん:2005/11/02(水) 22:11:35
いいかげんチンポ太郎も出なくなったな。
自演癖も相変わらず。
まわりもチンポ本人も寒くなる一方ですな。
358ウンコくん:2005/11/22(火) 18:27:11
長らくお待たせして申し訳ない。
やっと今日から少し暇ができそうなので、週末あたりから書き込む予定です。

ただ、自分が書き込んでいなかった期間に、誰もこのスレを進行させていない
ということは考えものですな。もっとやる気を出して、一日一回はマコリンペン!と
皇居に向かって敬礼するくらいの気概が必要です。

それから、学問の話ばっかりではつまらんので、姉妹スレとして

ウンコ哲学肛門・・・いや、入門
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/philo/1132651562/

を立てました。
359スピノザ厨:2005/11/24(木) 03:01:30
>>358
ウンコさんお久しぶりです。早く帰ってきてください。
> ただ、自分が書き込んでいなかった期間に、誰もこのスレを進行させていない
ここはウンコさんのスレじゃないですかw待ってますよ。
360ウンコくん:2005/11/25(金) 05:57:50
どこぞの馬鹿が導入した投稿規制のせいで一度に五回くらいしか書き込めないので、
出来るだけ簡潔にやります。

>>スピノザ厨 >>325

>ところでライプニッツは(0)についてはどのような考えを持っていたのでしょうか?

(0)というのでスピノザ的実体を意味するのなら、ライプニッツは別にそれを否定するわけじゃないです。
ライプニッツは神を「必然的実体」と呼んで、スピノザと同じように捉えているから。
ただ、スピノザはそれ以外の実体を認めない。それが問題。
スピノザにとっては、個別者は神の「様態」に過ぎない。
換言すれば、個別者は独立的な存在ではない。
独立でないということは、自由でないということ。つまり、決定論。
これらはすべてライプニッツの否定するところ。

>>paso z ni ◆GwEi/2baXE >>332
>ゲルハルト版は今見れないのですが、第1巻ということは書簡ですね?

書簡じゃなく、これはライプニッツの『エチカ』への覚え書きです。

>うーん。もしこれがモナドを念頭においた発言だとしたら、
>ita vulgo homines substantias concipiunt なんて言うでしょうか?

ライプニッツは言います。彼はその手の言い回しが大好きなんです。

ちなみに、ライプニッツは「実体は一つしかない」というスピノザの考えを異常とみなしていた。
通常の見解では、個別的なものはみんな実体である。もっと言えば、魂と肉体からなる存在者は
すべて実体。これは実はアリストテレス、スコラの見解で、ここでライプニッツのいう「人々」は
恐らくそういう人々を指していると思う。
スピノザは異常だけど、俺は正常。当時の人々はみんなそう言って言い逃れをした。
361ウンコくん:2005/11/25(金) 05:58:15
>>332
>もう一つの疑問は、ライプニッツがモナドを「それ自身によって考えられる」必要のない実体と
>考えていた、とおっしゃる点です。

各々のモナドは、既に創造の時から、己の完全な概念の内に、外部的なものとの関係を含んでいる。
よって、「それ自身だけで考える」ということは、原理上、あり得ない。
モナドには「窓がない」がゆえに、既に自分のうちに、すべての他を包含していなければならない。
これがライプニッツの実体概念の根幹にあるものです。

それで、まず、

>>333
>モナドは無数にあり、その一つ一つが他のすべてのモナドとの連関を含んでいるという点はよくわかります。
>しかし、(1)少なくとも『モナドロジー』の論証を見るかぎり、「単純な実体」としてのモナドの存在は、
>複合されたものの存在から、わりとあっけなく論証されています(『モナドロジー』1〜2節)。

>(1)をみるかぎり、モナドの存在については「それ自身によって考えられる」とライプニッツも考えていたのではないでしょうか。

いや、そういう議論にはならないでしょう。
ライプニッツは、一性なしには多数性はない、という議論をしているのですが、
ここで彼のいう「多」とは何でしょうか?
ライプニッツの多とは、モナドの表象作用によって、モナド自身の内に表現される外的なものを言います。
一がなければ多がないように、一と多とは、相互依存的です。
そもそも、なんの表象も持たないモナドなんていませんから。
そうなると、モナドは必然的に、多を己のうちに含む。
モナドは従って、多(=他なるもの)なしでは考えることはできない。
362ウンコくん:2005/11/25(金) 06:00:10
>(2)モナドの多様性についても、もしモナドが差異をもたなかったとしたら、それは存在とはいえないだろうし、
>現実に見出される世界の多様な諸事物も生じえなかったろう、したがって、モナドは多様でなければならない、
>という形で論証されているように思います(『モナドロジー』8〜9節)。

>(2)はいわばアポステリオリな論証を含んでしまっているので、「それ自身によって考えられる」とは言いにくくなりますが、

モナドが多様であるということは、モナドは部分を持たないので、内的な性質を通じて識別されねばならぬと
いうこと。いわゆる「不可弁別者同一の原理」。
さっきも言ったけど、モナドの内的性質とは、表象作用です。
従って、あるモナドは他のモナドと、どういう表象をもっているかで区別される。
表象は、外部の対象の表象である。
従って、あるモナドの表象は、常に外部との恒常的な関係を具えている。

モナドは外部との交渉なしには考えられない。


勿論、モナド自身は外部とは直接交渉なんてしない。モナドは外部のものを、創造時においてすべて自分の
概念のうちに含んでいる。だからこそ、予定調和のお蔭で、外部の事柄とぴったり一致することができる。
逆に言えば、モナドはそもそもその本質からして、外部を自己の概念のうちに含まざるを得ない。
外部なしには、その本質さえ思惟することはできない。

だからこそ、ライプニッツはスピノザの実体概念の定義が不明確といって非難するんです。
363ウンコくん:2005/11/25(金) 06:02:45
>>334
>おそらく、ウンコくんは concipere という動詞の意味を非常に重くとられているのでしょう。

いや、そんなことはないです。
自分が強調したいのは、他との関係を実体が本質的に含むのかどうか、という点だけです。

>ライプニッツにしても、『弁神論』の序説のところで、われわれにとっては「それが何か(ce que c'est)」だけで十分で、
>「いかに(le comment)」とか「なぜ(le pourquoi)」を知ることは、われわれの力を越えており、かつ必要でもない、
>という言い方をしている箇所がありました(『弁神論』序説、56節。かなり違った文脈での話なんですが...)。

それは最善である神が何故現実に存在する悪を許容したのか、という文脈で言われたことです。
ライプニッツは、目的因を知る必要はないと主張するデカルトには終始反対ですし、
スピノザに至っては尚のことです。

先ほど言いましたが、自分は「思惟される」という部分を特に強調した覚えはありません。

いずれにしても、concipere については追々議論しましょう。
364ウンコくん:2005/11/25(金) 06:04:42
>>335
>しかし、実体概念が原則的に人間知性にとっても認識可能であるということ(per se concipere をこのように解してよいとすれば)、
>このことは、ライプニッツと言えども否定はしなかったのではないでしょうか?

否定はしないでしょう。
ここではしかし、人間の知性と神の知性との区別はそんなに重要ではないと思います。

>むしろ、実体というものが延長と思惟という形で二分されてしまうものではありえない(デカルトへの批判)、
>また、変化を内包しないような、スタティックなものではありえない(スピノザへの批判)、という点に
>彼のモナド概念の核心があったとすれば、ライプニッツから見たスピノザの定義の問題は、
>上のAとBを同時に満たすという話とはあまり関係してこないように思います。

上の私の説明で、何故「AとBを同時に満たす」ということが、関係してくるのか充分に示されたと思います。

ちなみに、「変化を内包しないような」というのはどうでしょうか?
スピノザはコナトゥスを個体のうちに認めています。
コナトゥスは常に、変化の原理として考えれています。

ライプニッツがスピノザの決定論を否定する理由は、そこに神の知恵が働かないからです。
スピノザの場合は、すべてが神の本質から流れ出るだけで、そこに「選択」はありません。
選択をするには、理由が必要で、理由は知恵によって見出され、そして意志によって選択され、
力によって実現されます。スピノザにはこの創造のプロセスが欠けているわけです。

ちなみに、ライプニッツによれば、「充足理由の原理」はすべての偶然な出来事に適用されるのだから、
我々も日常において常に「選択」しているわけです。自由なんですな。

この意味で変化は重要なんです。もう書き込めないので、レスは次回にまたやります。
この哲板はどういう馬鹿が仕切っているのでしょうか?
365考える名無しさん:2005/11/25(金) 13:20:53
連投規制って一回接続切れば(ルータ使ってるならルータの接続を切れば)、回避できない?
366考える名無しさん:2005/11/25(金) 13:22:47
ふつうできるけどね。チンポはそういうのに弱いんだろう
367ウンコくん:2005/11/25(金) 17:11:42
>>365

自分はある組織のなかでネットを使わせてもらっているので、
ルーターの接続を勝手に切ったりできるような環境にはいない。
ちなみに家にはネット環境はない。職場に早く来ると使わせてもらえる。

そもそも、普通の人間が接続を切って回避できる事なら、規制をする必要なないはず。
368ウンコくん:2005/11/25(金) 17:16:51
レスの続き。

>>paso z ni ◆GwEi/2baXE >>336

>私は、実体と属性は「同一」であるだろうし、そうでしかありえない、と思っていました。
>属性が、実体の本質を構成しているとすれば、実体と別のものではありえないという理屈です。
>(定理4の証明に、「実体、あるいは同じことだが、その属性とその様態」という箇所がありますが、
>これもそういう意味で書かれていると理解してよいのではないかと思います)

実体と属性は「同一」ではないでしょう。
属性とは、たとえば、思惟や延長ですが、
思惟や延長は実体に(本質的に)属するものであれ、
実体そのものとは違うと思います。

それから、定理四で言われているのは、異なる二つのものは、
実体の属性の相違か、実体の変状の相違でもって区別されるということです。

その文脈の上で、
「知性の外には、実体、あるいは同じことだが(定義四により)、その属性、およびその変状のほかは、
多くの物を相互に区別しうる何ものも存在しない」とスピノザは言ってます。

ここで、「実体=属性=変状」ということが主張されているとは思えません。

たしかにスピノザは定義四を引き合いに出して、
あたかも「実体=属性」のような言い方をしていますが、
その定義四では、属性は実体の本質をなすものと言われ、
実体そのものであるとは言われていません。
スピノザはごく軽い意味で quod idem ist と言ったのだと思います。
(たとえば我々が、青色そのものと、青いものとを、一緒くたにして扱うように。)
なので、>>304で私は、「この一見、実体と属性との同一視のように見えるものを」
という表現を使ったんです。
369ウンコくん:2005/11/25(金) 17:21:50
>だとすれば、仮に、実体を把握するのに属性の概念が必要になるとしても、
>それは「他のものの概念」を必要としていることにはならないのだろう、と思います。

上に述べましたように、私は「実体=属性」という見方には反対で、
実体と属性とは互いにハッキリと区別されるものであると考えます。
従って、属性は、実体とは異なるものです。

もし実体が属性と異なり、実体を把握するのに属性が必要なのであれば、
実体はそれ自身だけでは考えれらないということになります。

定理十についてはのちに扱いますが、
属性もまた「それ自身によって考えられねばならない」というのは分かります。
しかし、それは実体を構成する無限の数の属性は、相互に独立であるということです。
そして、それらの属性は、各々、神に本質的に属する限りで、属性として把握されると思います。
従って、各々の属性は、どうしても神という、それがそこに属するところの実体を想定しなければ
なりません。よって、実体と属性とは、一方が欠けては他方が考えられ得ない関係になっています。

これが、私が、実体は属性なしでは考えられないと考えた理由の一つです。
なので、逆も成り立ちます。実体なしでは属性は考えられません。

ちなみに定理十で言っているのは、諸属性の関係であり、もしそういう関係であるのなら、
一方の属性は、他方の属性とは完全に独立でありましょう。だから、一つの属性は、他のすべての
属性に対して、「それ自身によって」考えられねばならぬでしょう。

しかし、神に対しては、神なしで考えれる属性などはありません。よって、この意味では、
属性は、「それ自身によって」考えられることは出来ないでしょう。
370ウンコくん:2005/11/25(金) 17:23:33
>>338
>おそらく、このような形で実体と属性の関係を規定することの意味は、
>互いにまったく異なる属性を単一の実体に関係づけるという点にあるのだと思います。

そうだと思います。
そしてもしそうだとすると、私が上述したような見解に達しないでしょうか。

以上で今までのレスにはすべて回答した積りです。次回からは、先に進めたいと思う。


あと、『エチカ』の読書会に関係のない書き込みはウンコスレでやれ。
自分も努めてそうするので。
371スピノザ厨:2005/11/29(火) 04:54:21
>>360
ウンコさんレスどうもありがとうございます。
何も知らないくせに、スピノザとライプニッツの実体の違いなんてものに
関心持ったのが間違いだったというか、どちらかが正しいとか間違ってるとか
そいういう私情は持ち込むべきではなかったですね。
仮にもし二人の哲学を比べるのであれば、ひとつであるとはどういうことなのか?
一と多を巡るアリストテレスやその影響の元にものを考えた人たちの議論を
踏まえた上でないと、的外れなことを繰り返してしまいかねないみたいです。
よってライプニッツはスルーさせてください。私には難しすぎた。。。

> 独立でないということは、自由でないということ。つまり、決定論。
全てが決定論ならば、それは自由でないということではなくて、自由か決定論なのか
といった区分自体が無効になることを意味するのではないでしょうか?
決定論ということで通常イメージされるのは、機械仕掛けの動作のようなものでしょうけど、
そういうのは何かを外側から眺めて分かることだと思います。世界を観察する私の独立性を
仮定した哲学における決定論と、スピノザのような全てを内在的に考える哲学の決定論とは
根本的に何かが違うと思っています。どう違うのか、それについてどう考えればいいのか、
これらについてはさっぱり分かりませんが。

ところで、哲学者は相手の言ってることの真意を知りつつも、それを批判するために
わざと矮小化して理解したふりをしませんか?なんかそういうイメージがあります。
ライプニッツのスピノザの扱い方もそういうようなところはあるのかな。

ライプニッツがスピノザの決定論、というか哲学そのものに批判的だったというのは
http://homepage1.nifty.com/kurubushi/fightlist.html#ライプニッツ
ここなどにおいて再三主張されているのですが、その動機の部分では
社会の秩序としての神を守ることだったという割とシンプルなものだけが強調されてます。
どうなんでしょ。というか「対戦」を書いてる人はスピノザの肩を持ちすぎっぽい。
372チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2005/11/30(水) 15:20:38

いや、そんなふうに自分を責める必要はないです。

最初は、歴史的文脈などは無視して、自分の感受性を頼りに読むのが一番です。
そのあと、徐々に専門知識を要するような事柄に移って行く、これが定石です。


>全てが決定論ならば、それは自由でないということではなくて、自由か決定論なのか
>といった区分自体が無効になることを意味するのではないでしょうか?

自由と決定論は、普通は対立する諸概念として考えられています。
自由が成り立つのなら、決定論は無効であり、
決定論が成り立つのなら、自由は否定されます。

勿論、自由と決定論を調停させようという試みは存在します。
たとえば、シェリングの観念論の場合は、自由と決定論の融合が目指され、
行為の本質は、ある理由(=根拠)に基づいて、絶対的かつ必然的に行為すること
として捉えられます。この意味では、自由か決定論か、という二者択一は
たしかに解消され得ます。自由=必然性という図式が成り立ってしまいますから。

しかし、スピノザとライプニッツにおいては、そのようなドイツ観念論者の目指したような
融合は目指されていません。自由と決定論は、鋭く対立する概念であり、相互に排他的です。
373チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2005/11/30(水) 15:25:16
決定論というのは、すべてのものが、必然性でもって規定されるような場合に言われます。

>決定論ということで通常イメージされるのは、機械仕掛けの動作のようなものでしょうけど、
>そういうのは何かを外側から眺めて分かることだと思います。

「機械仕掛けの動作」というのは結構ですが、「何かを外側から眺めて分かる」ということは、
決定論とは特に関係ありません。決定論は、内在的でもあり得るし、超越的でもあり得ます。
たとえば、神という最高の原因があり、すべてはこの原因から、必然性をもって機械的に
導出される場合には、決定論は「超越的」です。
それに対して、科学者のように、物事の生起をすべて科学的な諸法則でもって説明しようと
する時、これらの諸法則は物事に内在的なものでありますから、この場合は、決定論は
「内在的」です。

観察する人がいようといるまいと、決定論は成立します。決定論の本質は、
物事が、必然性をもって規定されているということであり、この必然性は、内在的でも
超越的でも構いません。

>世界を観察する私の独立性を
>仮定した哲学における決定論と、スピノザのような全てを内在的に考える哲学の決定論とは
>根本的に何かが違うと思っています。

「世界を観察する私の独立性」は、従って、決定論において仮定されているのではありません。
そういう主体は、あろうとなかろうと、決定論は、物事が必然的に生起する限り、成り立つのです。
神は一般的には、世界の超越的原因です。従って、神の絶対的権威から結果する決定論は、
普通は超越的です。しかし、スピノザにおいては、神と自然は同一視されますので、
その決定論は内在的になるのです。
374チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2005/11/30(水) 15:29:21
>ところで、哲学者は相手の言ってることの真意を知りつつも、それを批判するために
>わざと矮小化して理解したふりをしませんか?なんかそういうイメージがあります。

ありますね。しかし、ライプニッツは割に相手の言い分をきちんと検証する方ですよ。

>ここなどにおいて再三主張されているのですが、その動機の部分では
>社会の秩序としての神を守ることだったという割とシンプルなものだけが強調されてます。
>どうなんでしょ。というか「対戦」を書いてる人はスピノザの肩を持ちすぎっぽい。

それはアホが書いたのでしょう。そういうので勉強するのはまずいですよ。
ライプニッツのスピノザ流の決定論の批判は、彼の独自の偶然性に関する議論にあるのですから。
彼の弁神論も根本では、この偶然性に関する議論に基づいているのです。

ライプニッツにとっては、自由=偶然性です。いかに偶然性を確保するのか、そして
その偶然性の本質とは何か、それが問題でした。今、その説明はやる必要はないでしょう。
(簡潔に言えば、必然=その逆が矛盾を含む、偶然=その逆が可能。)
ライプニッツは、必然的なものに対しては「矛盾律」を、偶然的(現実的)なものに対しては、
「充足理由律」を適用しました。

すべての行為は理由を持つ、よって、そこには理由に基づく選択がある、
選択があるということは、その選択が別様であり得た可能性がある、
したがって、すべての行為は偶然なのです。その逆が可能ですから。
決定論においては、理由がない、よって選択もない、他の可能性もない。
それゆえ、すべては必然的です。

偶然性の確保とともに、神の知恵も確保される。選択をするには知恵が要りますから。
これが社会秩序云々の話に繋がるのです。しかし、この議論に深入りする必要はないでしょう。
375スピノザ厨:2005/12/02(金) 23:35:57
>>372-374
太郎さんありがとう。
スピノザは万人に理解されることを望んでエチカを書いたのかもしれないけど、
予備知識なしに読めるものを書いたつもりはなかったみたい。太郎さん宛に自分の思いつく
何かをぶつけてみてその反応を伺うことで分かった。少なくとも自分にはエチカより前に、
アリストテレスをある程度理解して、形而上学とはどういうものなのか知っておく必要が
あると思いました。
一部を何度読んでもさっぱり分からなかったのは形而上学がなんなのか分からなかったから。
二部なら(間違った解釈とはいえ)ある程度見当はつくんですが、一部となるとお手上げ。

思想とは他のもののうちにあり他のものによって考えられるもの。それでは太郎さんのように
思想の引き出しを何一つ持っていない初心者は哲学書をどのように読むべきか。思いつく方法として
一つには「対戦」のように、安易に理解させることを目的とした解説書で概要を知る。もう一つは
思想の本当の狙いのようなものを自分の想像力を頼りに見つけて、それを手がかりにして読む。
どっちもあんまりいいものではないんですね。やっぱりアリストテレスとの比較でしょうか?
スピノザは、アリストテレスはおろかデカルトの哲学にも納まりきらない何か他のものに
ついて考えていたことは確かでしょうけど、それでも一番肝心な部分を正統的な哲学に
則って理論を組み立ててる。初心者がまず学ぶべきは哲学ですね。

決定論とは必然性において説明される限りにおいて主張されるものであり、
また自由・決定論と超越・内在とは直交する概念ということですね。よく覚えておきます。
無関係な概念どうしを混ぜ合わせて、概念的にグレーな領域を作り上げる。そしてそれを
オリジナルな考えであると勘違いし、また自分はよくものを考えていたと錯覚する。
学問においてあるまじき態度でした。馬鹿の精神に非妥当な観念が生じることも必然的、
ということでお許しを。

先に進めてください、よろしくお願いします。
376考える名無しさん:2005/12/08(木) 16:59:55
あげ
377純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/12/08(木) 23:42:32
また暇だがね
378純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/12/08(木) 23:43:15
暇だがね                                      ,;-‐-、
            ,;-‐'゙、^:^ー、.                      i' / ;' ;゙゙ヽ、
          / 、 r、.゙:、゙i ヽ!         ┬           `'゙゙、/_r  ヽ、
         /  i゙ー'^ー'‐'‐'   ,,-−'' ̄ ̄ ̄ ̄ ̄''−,,,          `i   ゙:、
         /   ,;!        / :ィ≠ミヽ)  f ィ'下:::テz_ヽ         |   ゙:、
       . /   ,;: |       r'  iノjr1` i;;  i ヾで辷ノ  ヽ.       |    ゙i
       /   ;;'_,!     :::r'7 ::.  ヾ=' ''=-=''' ^ ̄´   ヽ..      _,!    ゙: 
      .,ノー‐‐'''''" ゙7'ー    :| ::   _―‐ 、,,_,,----..     ゙) ゙; ⌒`i::゙ヾ、___,,!
      i'::::::ヾ;;::::::::     ゙: ヽ`l  /´ _..,,     _..、丶   /,;i'    :::::::::::::;;ノ
      .゙ヾ;;:::::゙、::::;  ミ   ヾ,l  丿 / ! i` T"i  ! i ヽ  ヒ -''゙ 彡  ::::::;;;/
///    `゙゙゙''ヾ;;!_ 彡 "l,_l  丿 /‐'" ̄ ̄ ̄`'''ヘ  i  ゙レr゙,, ミ  -‐'"    \\\
      .       ,´:::::::::  ヽ":/ _../         ゙、 `−,_i ,!、":::::::;;ヽ、
\\\       /`-_::、N l :゙、 `、,-−‐-;,.,;−‐ー,,′/,フ ノ (::::::::::;;;;;-ミ、    ///
             " ,,゙   i |_i"  ゙、 ゙、        / / i l"   i´  ',  i,,
           .i  ":::: /  |   ヽ i        / /  .|'"    ヾ   ゙,,  i,
           i  :::/   .{     i 工エェェエ工 /  |      \   '; _i
          _/," :::/     '、  ゙l; : ゙ー 、,,_____,,....‐''´, ノ         '、` _ ̄,⊃
       _,,=='´ "::::,'     / \ ゙l;:      ,,_;,ノ \         ヾヽ ':;ヽ
      ,と二_  ,ノ     /   /`''-、`'ー--─'"-ヽ、  ヽ
379純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/12/08(木) 23:44:42
暇だがね
380純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/12/08(木) 23:45:12
暇だがね
381純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/12/08(木) 23:48:23
暇だがね
382純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/12/08(木) 23:48:57
そうだがね?
383純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/12/08(木) 23:52:49
哲学的問いでも出そうかね?
384考える名無しさん:2005/12/08(木) 23:55:01
哲学やっている人の目を覚ますにはどうしたらいいですか?
385考える名無しさん:2005/12/08(木) 23:55:29
自由=偶然性なのは、ライプニッツにとってだけか?
386純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/12/08(木) 23:58:00
>>384
お教えしましょうだがね?
387純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/12/08(木) 23:58:34
>>385
どうかな?
388純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/12/08(木) 23:58:59
>>384ですがね、
389純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/12/08(木) 23:59:22
考えてみるといたしましょうかね?
390純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/12/08(木) 23:59:50
どうかな?
391384:2005/12/08(木) 23:59:51
つまり、哲学やってる人に、視覚で判断させることはできないんですか?
392純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/12/09(金) 00:00:24
>>391
どういう意味ですかね?
393純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/12/09(金) 00:01:30
視覚で判断させるとは
394384:2005/12/09(金) 00:04:37
真実なんて視覚で確認できるだろって。
原理なんて、最終的には視覚で確認されるのが多いって。
395純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/12/09(金) 00:05:14
なるほどだがね
396純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/12/09(金) 00:10:04
視覚だがね
397純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/12/09(金) 00:16:26
暇だがね
398考える名無しさん:2005/12/09(金) 00:17:19
このスレ、ローカルルール違反だよね。
399純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/12/09(金) 00:17:29
哲学的問いでも出そうかね?
400純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/12/09(金) 00:18:09
>>398
そうなのかね?
401純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/12/09(金) 00:19:45
現象学スレ、重複はしてるがね
402純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/12/09(金) 00:20:27
それとカントスレも重複してるがね
403純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/12/09(金) 00:21:02
哲学的問いでも出そうかね?
404純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/12/09(金) 00:22:19
どうしようかね?
405考える名無しさん:2005/12/09(金) 00:22:45
チンポ太郎・学派のスレだから。何重にも違反してる。
削除依頼ものだとおもう。
406純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/12/09(金) 00:23:36
>>405
君はなかなか勘がいいがね
407純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/12/09(金) 00:31:05
また暇だがね
408純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/12/09(金) 00:33:54
何か哲学的問いでも出そうかね?
409純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/12/09(金) 00:34:34
どうなのかね?
410考える名無しさん:2005/12/09(金) 00:39:19
よし、出してみろ!
411純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/12/09(金) 00:40:05
何か、ガムスレで議論になりそうだがね?
412純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/12/09(金) 00:42:55
413純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/12/09(金) 00:43:32
これまでの話>>412
414純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/12/09(金) 00:44:10
163 :考える名無しさん :2005/12/08(木) 01:10:41
適当なスレがないので、ここに書いておく。

ぴかぁ〜のパフォーマンスは、後期デリダの著作が哲学であるならば、
デリダ哲学のラディカルな実践のつもりなのだろう。その質は「?」付きだが。
純一のなんでも哲学は、哲学板に書き込まれる限りは、あらゆる表現が哲学で
ありうるとする、これまたかなりラディカル&アナーキーな主張であるように思う。

目くそ鼻くそじゃねぇかよ!と思う人が多いだろうし、ワシもそう思う。
しかし、どうやら、純一は以外にも高邁な哲学観、倫理観を持っているようだ。
よって、純一はぴかぁ〜の、というよりポモもどきの半端さ加減が許し難いわけなのだろう。
ならば、純一が本来攻撃すべきなのは、ぴかぁ〜ではないはずだ。
ま、今後、ぴかぁ〜は、後期デリダもどきから転回しようとするのだろうし

それに、不毛な消耗抗争は、はた迷惑だし、本の一冊でも読んだ方が有益だろうと思うぞ。
415純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/12/09(金) 00:44:44
>>414を御覧くださいだがね?
416純三:2005/12/09(金) 00:44:58
ヘーゲルスレで何を抗議したんだい。
417考える名無しさん:2005/12/09(金) 00:45:33
稀に見る吉
418純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/12/09(金) 00:46:15
419純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/12/09(金) 00:48:08
420純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/12/09(金) 00:50:29
で、>>414には書いていませんがね、
421純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/12/09(金) 00:51:12
批判した人

@ぴかぁ〜
AミスターX
Bフルーチェ
C本物純一
422純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/12/09(金) 00:51:55
>>414には>>421の@しかないのですがね?
423純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/12/09(金) 00:52:35
まあ、やるかもとは思ってましたがね?
424純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/12/09(金) 00:53:55
174 名前:考える名無しさん :2005/12/09(金) 00:51:27
チンポ太郎の友情も通じずか
悲しいな
425純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/12/09(金) 00:54:38
      友情?
       ↓
29 名前:ミスターX :2005/12/09(金) 00:24:12
いじめて悪かった。馬鹿にも人権あるのにな。ごめんな。
426純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/12/09(金) 00:55:05
馬鹿仰い
427純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/12/09(金) 00:56:22
というわけでね?
428純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/12/09(金) 00:57:33
私の批判は全くきかなかったということでね?
429純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/12/09(金) 00:58:21
無駄でしたがね
430純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/12/09(金) 01:00:59
>ぴかぁ〜のパフォーマンスは、後期デリダの著作が哲学であるならば、
>デリダ哲学のラディカルな実践のつもりなのだろう。

どうなのかね?
431純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/12/09(金) 01:01:40
私は違うと思うがね?
432純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/12/09(金) 01:02:28
じゃ、議論に戻るがね?
433純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/12/09(金) 01:03:54
>>420-421は、批判した人を
一個でも抜いたら意味ないのですがね
434純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/12/09(金) 01:05:42
そういうわけでね?
435純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/12/09(金) 01:06:48
>>414は悪い予感が当たってしまったのですな
436純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/12/09(金) 01:08:20
だが、50%は理解されたというのでしょうがね
437純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/12/09(金) 01:08:47
まあ、半分以下ですがね、
どちらにしても
438純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/12/09(金) 01:10:18
なんでも哲学こそが最強なのだよ?
439純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/12/09(金) 01:13:37
暇だがね
440純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/12/09(金) 01:15:30
>>414はわざと>>420-421A〜Bを抜いてあるのだがね
441純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/12/09(金) 01:16:40
まあ、Cはどっこいですがね
442純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/12/09(金) 01:19:00
こうやって説明しなければならないのが、
443純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/12/09(金) 01:19:52
171 :純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/12/09(金) 00:36:15
>>170
>>163では、ミスターXに対する批判をわざと抜いたのかね?


172 :純二 ◆4MWtSDTTJA :2005/12/09(金) 00:38:48
やれやれだがね。
444純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/12/09(金) 01:20:16
174 名前:考える名無しさん :2005/12/09(金) 00:51:27
チンポ太郎の友情も通じずか
悲しいな


175 名前:163 :2005/12/09(金) 00:55:23
ワシは、コテハンは使ってないよ。おやすみ>all
445考える名無しさん:2005/12/09(金) 01:20:51
>>純一へ
君が書き込むべきスレはココだ。こっちで待ってるぞ。

★ まなざしの快楽 PART11 ★
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/philo/1132505941/
★★ リアル(現実)とはなにか? ★★
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/philo/1109358171/
★ヘタレ化するポストモダン 4★
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/philo/1131633641/
★★★マイ哲学のフロンティア★★★
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/philo/1118402426/
446純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/12/09(金) 01:21:36
>>443の171に172が、
理解していない証明になっているがね、
447純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/12/09(金) 01:24:00
まあ、皆さんにわかりやすくしますとね、
こう繋がっているのですがね?

@
171 :純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/12/09(金) 00:36:15
>>170
>>163では、ミスターXに対する批判をわざと抜いたのかね?
A           ↓
172 :純二 ◆4MWtSDTTJA :2005/12/09(金) 00:38:48
やれやれだがね。
B           ↓
174 名前:考える名無しさん :2005/12/09(金) 00:51:27
チンポ太郎の友情も通じずか
悲しいな
C           ↓
175 名前:163 :2005/12/09(金) 00:55:23
ワシは、コテハンは使ってないよ。おやすみ>all
448純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/12/09(金) 01:26:04
それと
>>424-425
これも
449考える名無しさん:2005/12/09(金) 01:26:43


他国のインターネットでまでも糞尿垂れんじゃねー 特ア↑↓



450純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/12/09(金) 01:29:23
で、>>414は、

@ぴかぁ〜批判は受けとる
AミスターX、フルーチェ、本物純一批判は受け取らない
451純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/12/09(金) 01:29:53
という訳でね?
452純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/12/09(金) 01:31:24
無駄でしたがね
453純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/12/09(金) 01:32:25
ミスターXは何も変わっていないがね
454純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/12/09(金) 01:35:22
ミスターXの頭の中では、
こういう配置なのですがね?

ミスターX→ボス
フルーチェ→部下
本物純一 →ゆくゆくの仲間
ぴかぁ〜 →捨て駒
455純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/12/09(金) 01:36:26
>>450はこれが浮き彫りになったのですがね
456純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/12/09(金) 01:36:50
変わらないね、ミスターX
457純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/12/09(金) 01:38:03
がっかりですがね
458あなたのもっとも黒い影:2005/12/09(金) 01:38:26
俺の思いついた法則聞いてくれんかのぅ・・・
459純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/12/09(金) 01:38:37
ミスターXになんでも哲学は早過ぎたのですな
460純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/12/09(金) 01:39:13
>>458
はい、言ってくださいだがね
461あなたのもっとも黒い影:2005/12/09(金) 01:40:14
純一=ひかる
っていうのは、正しいのかのぅ・・
462純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/12/09(金) 01:42:30
>>461
私としては、哲学的な法則を聞きたいのですがね?
463純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/12/09(金) 01:43:12
まあ、そういうのを期待していたのですがね
464あなたのもっとも黒い影:2005/12/09(金) 01:43:49
老人の話は聞きたくないかね?
465考える名無しさん:2005/12/09(金) 01:44:12
>>純一
早くこっちに来いよ。待ってるぞ。

★ まなざしの快楽 PART11 ★
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/philo/1132505941/
★★ リアル(現実)とはなにか? ★★
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/philo/1109358171/
★ヘタレ化するポストモダン 4★
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/philo/1131633641/
★★★マイ哲学のフロンティア★★★
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/philo/1118402426/
466純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/12/09(金) 01:44:21
話してくださいだがね?
467あなたのもっとも黒い影:2005/12/09(金) 01:46:15
もうひとつ法則を思いついたんじゃが・・・
468純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/12/09(金) 01:48:13
老人の話はどうしたのかね?
469あなたのもっとも黒い影:2005/12/09(金) 01:48:25
純一=ひかる=元・審判員
っていうのは、正しいかね?
470純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/12/09(金) 01:48:59
わからないがね?
471あなたのもっとも黒い影:2005/12/09(金) 01:51:59
じゃー元・審判員はおまえさんじゃないわけかい?
472純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/12/09(金) 01:52:04
まだかね?
473純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/12/09(金) 01:52:29
>>471
どうかな?
474考える名無しさん:2005/12/09(金) 01:52:48
純一=絵里万
475純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/12/09(金) 01:52:54
小さなヨハネ
476あなたのもっとも黒い影:2005/12/09(金) 01:53:59
ひかる主義はどうしたんだい?
477純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/12/09(金) 01:54:46
>>474
違うがね?
478純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/12/09(金) 01:55:15
>>476
何のことかね?
479あなたのもっとも黒い影:2005/12/09(金) 01:56:36
新永劫回帰説は?・・・
480考える名無しさん:2005/12/09(金) 01:56:42
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45 :絵里万 ◆Fn0dptrDJw :2005/05/01(日) 14:40:48: 38を貼ったのは俺だが。
46 :考える名無しさん :2005/05/01(日) 15:54:35: >>1 礼節を欠いた人間のいう言葉に ...
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どうかな?
482純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/12/09(金) 01:58:22
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483純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/12/09(金) 01:59:22
つまらんね、ミスターX
484純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/12/09(金) 01:59:48
名無しで詮索とはね
485純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/12/09(金) 02:00:18
ミスターXらしいがね
486純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/12/09(金) 02:01:09
Supplemental Result - Cached - Similar pages
487純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/12/09(金) 02:07:27
変わってないね、ミスターX
488純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/12/09(金) 02:09:24
@名無しで質問
A純一、答える
B回答によって純一攻撃

卑怯かつ、浅はかですな
489純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/12/09(金) 02:09:52
ミスターX「らしい」がね
490純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/12/09(金) 02:10:28
それでこそ、ミスターXって意味ですがね
491本物エリマン:2005/12/09(金) 02:11:49
>>480
言っとくけど、それは「俺」が書いたもの。このトリップは公開されてるもの
ですから、この板はちょっとややこしいことになってます。僕のこの発言を疑
うか信じるかでまたややこしくなりますが。
492純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/12/09(金) 02:12:03
ミスターXにはがっかりですな
493純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/12/09(金) 02:13:44
エリマンが言ってるように、
まあ、私は無関係なのですがね?
494純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/12/09(金) 02:14:39
そうそう、本物の純一は
フルーチェとリアルで知り合いですがね
495純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/12/09(金) 02:15:24
で、ゾルレンとも
知り合いってことになりますかね?
496純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/12/09(金) 02:17:05
暇だがね
497純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/12/09(金) 02:20:28
暇だがね
498純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/12/09(金) 02:21:10
499純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/12/09(金) 02:22:36
500純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/12/09(金) 02:23:05
501純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/12/09(金) 02:23:27
502純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/12/09(金) 02:23:54
503チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2005/12/10(土) 10:54:46
◆◇現象学・再入門◆◇ スレは、こちらに移転します。

◆◇スピノザ『エチカ』読書会◆◇
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/5984/1134178523/
504考える名無しさん:2005/12/19(月) 06:15:08
ココアシガレット
505考える名無しさん:2006/01/04(水) 11:02:58
赤色の風船のなかに閉じ込められていて、
風船のそとにいる君の色を知りたい。
僕にみえる色は風船の色と混ざっているので、君の本当の色ではない。
でも、僕は君の色が白いって思うんだ。
僕の目に見える色なんて問題じゃない、だって、
白い色って素敵だろ、君の色にぴったりだと思うんだ。
506考える名無しさん:2006/01/07(土) 11:06:34
age
507考える名無しさん:2006/01/09(月) 19:22:30
おい、フッサールの精子以下ども。

発達心理学専攻のワシにもよくわかるように『還元』ちゅうもんを説明せえや。
きみたちの世界では、認識=共通した確信らしいから
ワシでもきみたちと共通した確信がもてるようにわかりやすく言えよ。

小難しいこというだけならFランク大の教授でもできるからな。
508考える名無しさん:2006/01/18(水) 21:27:42
引越し?
509考える名無しさん:2006/01/22(日) 10:00:38
シーン;
510チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2006/01/26(木) 17:31:00
今またシェリングが流行っているようだから、現象学とか時化(しけ)たことを
やっている場合じゃないのかも知れない。『エチカ』の読書会が立ち消えになった
ことは申し訳ないが、それは自分のせいじゃなくて、皆さんが私をうまく
挑発できなかったところに過失があります。そうです、責任転嫁というやつです。

さて、諸君は本当に哲学を真面目に学んでいるのですか?
趣味とか気晴らしとか、そういう態度で哲学に臨んではいませんか?

そんなのはウソです。にせものです。バカです。もっと言えば、売国奴です!
哲学は死ぬ気でやらなくちゃいけません。哲学か死か! このくらいの
気概がないと、哲学なんぞおいそれとやってはいけません。
511チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2006/01/26(木) 17:35:40
また、諸君は重大な勘違いをなさっています。
哲学とは、自分の頭でものを考えることです。読書ばかりやっていては、
自分で考える力が衰退して行きます。まあ、こんなことは誰もが言っています。
問題なのは、じゃあ、読書なんてしなくてもいいの?ってことです。

いや、やらなくちゃいけません。どんな人間でも、四六時中ものを考えるなんて
出来ません。何時間かすると飽きてくるものです。では、この飽きた時間を
どう有効に過ごすべきか、それが読書なのです。

思考に疲れた時こそ、有益な読書が可能であります。
皆さん、本を読みましょう。現実なんてまやかしです!
三次元の女なんて、さわれないじゃないですか。
おっと、話が別の方向に逸れて参りました。

ともかくも、諸君は宜しく読書すべきなのです。
512チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2006/01/26(木) 17:41:41
さて、諸君は毎日書店に行ったり、ネットを利用して書籍を購入しているのであります。
これは実に普通的の行為でありますが、諸君の求めている本は、いわゆる「哲学書」であります。

いやはや、哲学書なんて生意気な話です。一体、哲学書ってなんでしょうか?

哲学に「書」の文字が付いているから、これは必然、哲学に関する書ということに
なります。本当にそうでしょうか? 実は違うのです。

いや、もういいのです。自分でも何を言いたいのか、よく分かりません。

あと、本を買う時は注意してね。俺は無駄な本を沢山買っちまったよ。
原書は買っても損はしない。あと、有名な古典の翻訳も。
損するのは、なんとか入門とか、新書の類。あと、日本人の書いたお粗末な
研究書だ。これさえ避ければ、有益な書籍収集が可能だ。

諸君も頑張れよ。
513ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/26(木) 19:00:29
おー板前太郎、久しぶり!
514考える名無しさん:2006/01/26(木) 22:15:09
掲示板、なんで閉鎖しちゃったの?
515チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2006/01/27(金) 01:50:20
>>513

新年会以来ですな。君は全然飲んでいなかったな。顔も青かったし。
今年は何か運動をした方がいいと思うよ。

>>514

いや、別に深い理由はないですよ。なんか書き込むのが面倒になったんです。
それで、他の人も見ていないようだから、放置するのもあれなんで、
一時的にお休みしています。
516考える名無しさん:2006/01/27(金) 01:51:02
>>515

死ねちんぽ野郎。
517チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2006/01/28(土) 00:35:05

さて、最近、また時間が出来たので、諸君を相手に哲学談義にでも花を咲かそうと
考えて居るのだが、私のような変態スケベちんこ丸出しのスカトロ先生と難しい学問の
話なんてまっぴらごめんだという人が増えているというではないか。

まったく嘆かわしい話である。
哲学は猥談である、というのが私の基本的な主張だ。
猥談なくして哲学なし、と、かのプラトン先生も言っておるじゃないか。

さて、『エチカ』講読を中途半端に終わらせたことは反省しております。
なので、そのお詫びと言ってもなんですが、『エチカ』講読を復活させます。
ついでに、ドゥルーズの『スピノザと表現の問題』(邦訳、法政大学出版局)も
参考にしてみようと思っています。

哲板ではドゥルーズのスレがたくさんあって、それぞれ皆さんが有意義な議論を
なさっているわけですが、自分はあくまで、アカデミックな研究者としてのドゥルーズを
読んでみたいと思っているのです。

まあ、基本は『エチカ』です。少しずつ書き込もうと思います。

それから、下半身の具合が良くない時は書き込みはしません。
やっぱり、誰でも自分の下半身は大切ですからね。
518考える名無しさん:2006/01/28(土) 02:23:46
別にやらなくていいから。
519考える名無しさん:2006/01/28(土) 23:14:50
>>517
キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!

ドゥルーズのは平凡社の実践の哲学しか持ってないや…(´・ω・`)
別の本だったのか。
とりあえずでもエチカ読みは聴きに着ますよ!
520考える名無しさん:2006/01/28(土) 23:15:50
だからやらなくていいから。
521考える名無しさん:2006/01/28(土) 23:17:24
>>518>>520
粘着キモイ
522考える名無しさん:2006/01/28(土) 23:21:15
>>519
表現の問題は哲学研究してた頃の本。
実践の哲学は所謂ガタリ以降だと思う。
523考える名無しさん:2006/01/28(土) 23:23:12
だからやらなくていいって。
524考える名無しさん:2006/01/28(土) 23:23:12
て、分かってるか。
525考える名無しさん:2006/01/29(日) 01:38:30
>>515
新年会って、ここの人たちオフ会やってるの?
漏れも行きたい……
526考える名無しさん:2006/01/29(日) 01:41:31
やってないよ、ジョーク
527考える名無しさん:2006/01/29(日) 15:43:32
>>チンポ太郎様!
新書、文庫で現象学入門者向けの本を教えてください!
528考える名無しさん:2006/01/29(日) 15:46:15
現象学入門 竹田青嗣
529527:2006/01/29(日) 15:50:09
>>528さん、それは嫌です。
このスレッドで嫌われているので。

他にあれば教えてください。
木田とか言う人とか、新田とかいう人のやつはどうなんでしょうか?
530527:2006/01/29(日) 15:54:55
>>チンポ太郎さま!

KRITIK DER PHAENOMENOLOGIE
http://www.ethics.bun.kyoto-u.ac.jp/kato/phaenomenologie.html
現象学批判
加藤尚武(京都大学文学部)

これはどうですか? お薦め新書じゃなくて、この批判は高度というか、妥当ですか?
531考える名無しさん:2006/01/29(日) 15:55:48
>>530
ブラクラ
532考える名無しさん:2006/01/29(日) 15:57:02
>>529
なんで?入門者ならわかりすいよ。
533527:2006/01/29(日) 16:02:13
>>532
「このスレッドで嫌われているので」嫌なんです。
入門者に評判の良い本あれば教えてください。

534527:2006/01/29(日) 16:03:32
何か、初心者向けの本ありますか?
哲学は、一応、パラパラと本を読んで勉強しました。
渡邊二郎先生の、哲学入門書で。
で、現象学の部分を特に勉強したいんですよ。
535考える名無しさん:2006/01/29(日) 16:05:35
新田とか木田に入門書は無いよ。
だから、竹田がお勧め。
536527:2006/01/29(日) 16:06:39
>>535
ありますよ。
文庫、新書で出てます。
537527:2006/01/29(日) 16:09:23
チンポ太郎さま!

1.日本の現象学者の評価を教えてください。
2.入門書はどれがいいか教えてください。
3.加藤尚武の現象学批判は当たっているのか教えてください。

よろしくお願いします。
応援しています!
538考える名無しさん:2006/01/29(日) 16:09:48
どれ?
539考える名無しさん:2006/01/29(日) 17:10:10
基地外っぽい
540考える名無しさん:2006/01/29(日) 17:32:58
っぽいな。
541考える名無しさん:2006/01/29(日) 17:35:00
>>527
○田氏はやめた方が良い。
山口一郎『現象学ことはじめ』日本評論社
谷徹『これが現象学だ』講談社現代新書
貫成人『経験の構造』勁草書房
斎藤慶典『フッサール 起源への哲学』講談社選書メチエ
542考える名無しさん:2006/01/29(日) 17:38:20
谷とか斉藤は止めとけ。
新田の方がまだ良い。
543考える名無しさん:2006/01/29(日) 17:43:12
普通にフッサールの論理学研究借りて読めばいいじゃん。
フッサール自身が哲学初心者だし、そもそも内容も込み入って入るけど難しくはない。
544考える名無しさん:2006/01/29(日) 17:44:13
そもそもチンポ太郎自身が「日本人の書いた解説書とかは金の無駄ですよ」って言ってるんだから
オススメも糞もあるわけがない。苦労してでもいいから原書の訳本嫁って言うに決まってる。
545考える名無しさん:2006/01/29(日) 17:49:58
別に太郎の言うことを聞く必要はないでしょw
好きなように自分に合った本を買えば良いよ。
546チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2006/01/29(日) 21:19:08
>>527

自分が読んで参考なったものと言えば、

新田義弘『現象学とは何か』(講談社学術文庫)
木田元『現象学』(岩波新書)

の二冊くらいかな。前者は本格的な後期フッサールの解説書だけど、その解釈については、
疑問を呈している現象学者も多いと聞く。ただ、この本を読むには、ある程度、
フッサールのものを読んでおく必要があるので、入門書とは厳密には言えない。

本当の意味での入門書は、木田さんの『現象学』。解釈も当り障りのないもので、
初心者でも安心して読める。

あと、竹○の入門書は絶対にやめておいた方がいい。あれは現象学についての
本ではなく、竹○という人が妄想した限りでの「現象学」入門です。
そういうのが好きな人はいいかも知れないが。

あと、クラウス・ヘルトの『生き生きした現在』を推薦したい。

>>530

随分前にも同じ質問をされたので、過去ログをよく読むと出てくると思うよ。
547チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2006/01/29(日) 21:22:52
>>534

渡辺さんのはやめた方がいい。凡庸な解説の域を出ない。ああいうのを多量に読むと、
まさに思考力を欠いた読書型研究者に成り下がる。

>>544

まさにその通りなのであるが、高校を卒業した人がいきなりフッサールを原書で読むのは
やっぱりきついと思う。それにフッサールのドイツ語は初心者には難しいでしょう。

まずは翻訳で読んでみてはどうか。

『危機』や『デカルト的省察』から始めるのがいいでしょうな。
548チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2006/01/29(日) 21:27:17
ああ、あと、>>541 で挙げられている本は読んだことないです。

まあ、五冊の入門書よりも、フッサールの原書一冊でしょう。
翻訳でいいので、出来るだけ本人の書いたものを読んだ方がいいですよ。
その方が自信がつくし、それは原書なんだから、あなたがどう解釈しようと、
それは原著者との対話になるわけです。

むしろ、入門書の類は、原書を読んだ後に笑うべきものとして存在しています。

まあ、皆さん、頑張って。
549考える名無しさん:2006/01/29(日) 21:37:48
>>548
エチカもいいが、シェリングも忘れんでくれ。
550考える名無しさん:2006/01/29(日) 23:03:21
竹田の本は良いよ。
わかりやすいし。
551考える名無しさん:2006/01/29(日) 23:59:41
>>550
アホは死んでろ
552考える名無しさん:2006/01/30(月) 00:38:13
竹田氏も翻訳を読んで原著者と対話したと信じて、
(自信をもって、)入門を書いたのかもしれん。
553考える名無しさん:2006/01/30(月) 01:13:56
入門書を所望してんだから、竹田しかないわな。
554チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2006/01/30(月) 07:11:40
停滞を避けるために、極力早く進みたいと思います。

ところで、ドゥルーズの『スピノザと表現の問題』をちょっと読んで見たのですが、
すごく参考になります。名著と言えるでしょう。追々論ずるつもりですが、
今日は一点だけ述べておきます。

今までの我々の議論の中で、「実体と属性との相違」という問題がありました。
pazo さんが、「実体=属性」という考えを提起したので、
私はそういう図式は成り立たないと反論しました。
属性とは、知性が実体の本質を構成しているものとして把握するものです。
そこで、ドゥルーズが非常に分かり易く、この「実体」「属性」「本質」の
相違を説明しているのでそれを参照して置きましょう。

「実体は自らを表現し、属性は表現であり、本質は表現される」とドゥルーズは
言っています。これは「表現」という概念を軸にした定義ですが、非常に分かり易い。
彼がこれをベースにしてどういう議論をするかは追々見ますが、
この区別は大事だと思います。
555チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2006/01/30(月) 07:13:42
では、『エチカ』の方ですが、急いでコメントします。上滑りですが、これは皆さんの
質問や議論をお待ちしていますという意味です。

定理一 これはいいでしょう。

定理二 

これは曖昧な感じがする。ここで「共通」と言われているのはどんな意味に
おいてだろうか。たとえば、思惟と延長という属性は、互いに共通のものを
持たないと言っても、どういう意味で「共通」なのかを定義しておかないと、
意味が分からない。そこで「証明」を読むと、実体は自分自身を通じてのみ
把握される、とある。そして一方の概念は、他方の概念を含まぬ、と。
これはここで言われている「共通」の意味を解明しているのでしょうか。
まあ、これはどうでもいいけどね。

定理三 これは分かる。もし公理四が正しいならば。

定理四

互いに異なるものどもは、実体の属性あるいは変状の相違によって区別される、と。
ここでいう「異なる二つあるいは多数のもの」というのは、・・・
まず、スピノザは知性以外には実体とその諸属性しかないというのだから、
ここでいう「もの」というのは、・・・
556チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2006/01/30(月) 07:17:54
定理五 いいでしょう。

定理六 これもいいでしょう。

定理七から、いわゆる、神の実在の証明のようなものが始まります。

このあたりは哲学史的な立場からいろいろな問題提起があり得るでしょう。

神は必然的に実在する、というのが眼目ですが、この「必然性」の証明が
問題になっているようです。

ちょっと興味があるのは、定理十一の証明のところで、実在する能力が
あるというのは「力」だ、とか言い出すあたりです。逆に、実在しないことが出来る
能力は「弱さ」らしいです。神って強いんだな、と感じました(笑)。
人間のように、己の存在に執着して、逆にその消滅を恐れるような哀れな生き物では
ないということですな。

そういえば、女子中学生は必然的に実在するという教説を誰かが唱えていませんでしたか?

あと、いわゆる「充足理由」の考えが表明されています。ライプニッツとの絡みでも
興味のあるところです。

今回は定理十二まで進んだことにします。問題提起は皆さんの方からどうぞ。

あと、初心者の人でもどんどん参加して、チン説を開チンして頂きたいと思います。
逆に専門家はうざいのでお断りです! そんな奴は家で読書にチン潜してて下さい。
557捨てハン ◆uic0iLUUxw :2006/01/30(月) 15:35:54
以前スピノザスレに書いて放置されたので、相当素っ頓狂なことかもしれませんが
書かせていただきます。ちなみに僕は日本語しかだめです。ごめんなさい…。

定理2には異なった属性を有する二つの実体には共通点がないとあります。
証明を読むと、「おのおのの実体はそれ自身のうちに存在して、かつ、それ自身によって
考えられなければならない、すなわち、一の実体の概念は他の実体の概念を含まない」から
とありますよね。
この説明自体は曖昧であれ納得できなくもないのですが、だとしたらなぜわざわざ「異なった属性を有する」
と修飾されているのかわからないのです。
証明の限りは、多数の実体が想定されたのであれば、属性というものを考慮せずとも全てにおいて
共通点を持たないと言い切ることもできると思うんです。

定理五を見ると、同一属性を持った実体は自然には存在しないという定理があります。
その説明を見ると証明では「もし単に属性の相違によって区別されるならば、そのことからすでに、
同一属性を有する実体は一つしか存在しない」となっています。
どういうことなのでしょうか?

ここまで読んで考えられる事態としては、仮に同一属性を持った存在が複数存在するとしても
我々は知性に依る限り、これらの複数の実体を別々に認識できないということではないでしょうか。
(結局、実体は神だけだというスピノザの考えはひとまずおいておきますが)
558捨てハン ◆uic0iLUUxw :2006/01/30(月) 15:47:23
それと、定理四の「知性の外」という表現も意味がよくわかりません。
定義四には『属性とは、知性が実体についてその本質を構成していると知覚するもの』とあるのに、
定理四では知性の外に属性がありうるようなことを言っています。
というか知性の外ってなんなんでしょうか。
証明を読む限り、知性を持った実体の外に、ってことなんでしょうか?
559チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2006/01/31(火) 05:21:35
>>557

論点を整理すると以下のようになるでしょう。

異なる二つ(あるいはそれ以上)のものどもは、
実体の諸属性あるいは諸様態によって区別される。(定理四)

それに対して、異なる二つ(あるいはそれ以上)の実体は、
属性によってしか区別され得ない。(定理二)

具体例を挙げて上の二点を解明して見ます(ドゥルーズの議論を下敷きにして)。

まず、実体の場合、ここで考えられているのは、まだスピノザ的な唯一の普遍的実体では
なしに、もろもろの実体なのであるから、これをデカルトのいう実体の意味に取ります。
そうなると、実体は、精神と物体ということになる。

さて、実体同士の区別はどうなっているのか。つまり、精神と物体とはどう区別される
のか。デカルトによれば、精神の主属性は「思惟」、物体の主属性は「延長」であり、
実体同士の区別は、この属性によって行われます。それ故、同じ属性を有する二つの
実体が存在することは不可能となります(定理五)。
(デカルトの議論については『哲学原理』第一部第五十三節以降を参照。)
560チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2006/01/31(火) 05:28:13
しかしものどもの場合、たとえば、実体としての精神の一様態である「或る喜びの感情」
と「或る悲しみの感情」を区別する場合、我々は、それを様態において区別します。
これは、実体としての物体の一様態である「或る机」と「或る椅子」を、その様態において
区別するのと同様です。

従って、この場合、ものども(この「もの」res は言うまでもなく、
物体的な存在者だけでなく、精神的な存在者も指す)は、実体の様態によって区別されます。

一方、我々が、精神の一様態である「或る喜びの感情」と、物体の一様態である「或る机」を
区別する場合、ここでは様態としての差異ではなく、属性の差異によって互いが区別されます。
「喜び」は思惟という属性に与り、「机」は延長という属性にあずかるからです。
この場合は、ものどもは、実体の属性によって区別されます。
561チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2006/01/31(火) 05:31:46
以上が、スピノザが定理二と定理四で言っていることと思われます。
また、定理五は、以上の意味で、定理二の必然的帰結ということになるでしょう。

ドゥルーズもまた、この点でスピノザがデカルトに依存していることを指摘しています。

さて、レスですが、

>定理2には異なった属性を有する二つの実体には共通点がないとあります。
>証明を読むと、「おのおのの実体はそれ自身のうちに存在して、かつ、それ自身によって
>考えられなければならない、すなわち、一の実体の概念は他の実体の概念を含まない」から
>とありますよね。
>この説明自体は曖昧であれ納得できなくもないのですが、だとしたらなぜわざわざ「異なった属性を有する」
>と修飾されているのかわからないのです。
>証明の限りは、多数の実体が想定されたのであれば、属性というものを考慮せずとも全てにおいて
>共通点を持たないと言い切ることもできると思うんです。

「異なった属性を有する」となっているのは、上に説明したように、ここでは、実体は属性によってのみ
区別されるということが説かれているからです。多数の実体を、デカルト的な諸実体として考えると、
属性というものを考慮せずに、共通点を持たないと言い切ることはできません。
属性が、両者(精神と物体)の差異を可能にするのですから。
562チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2006/01/31(火) 05:33:12
>定理五を見ると、同一属性を持った実体は自然には存在しないという定理があります。
>その説明を見ると証明では「もし単に属性の相違によって区別されるならば、そのことからすでに、
>同一属性を有する実体は一つしか存在しない」となっています。
>どういうことなのでしょうか?

これは上に説明しました。デカルトの例で考えれば納得が行くと思います。


>ここまで読んで考えられる事態としては、仮に同一属性を持った存在が複数存在するとしても
>我々は知性に依る限り、これらの複数の実体を別々に認識できないということではないでしょうか。
>(結局、実体は神だけだというスピノザの考えはひとまずおいておきますが)

いや、ここでは知性が問題になっているのではないと思います。いわゆるデカルトのいう三種の区別が
問題になっているのです。『哲学原理』の第六十節以降を参照して下さい。これを読めば、ここで
スピノザが何を論じているのかが判然となると思います。
563チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2006/01/31(火) 05:34:58
>>558 は次の機会にしましょう。知性の問題はいずれ扱うと思いますので。

では、仕事行って来ます。



P.S. 「捨てハン」などという名前は感心しませんな。改名と猛省を促します。
564学徒 ◆uic0iLUUxw :2006/02/01(水) 16:24:32
名前問題でしたか!( ><)
すみません!すぐ変えます!

デカルトの実は読んだことがなかったのですが、根本的に思い違いしてたみたいです。
早速哲学原理の該当箇所まで読みました。
様態が同じ属性の個別の違いを表し、属性は実体の種の違いを表してるって感じですか。
実体に関するデカルトの議論はかなり曖昧だし神とかが絡んできて納得できませんが、とにかく
歴史的な事実として受け入れてみます。
565学徒 ◆uic0iLUUxw :2006/02/01(水) 19:12:49
異なった属性を有する二つの実体が…つまり「机」と「悲しみ」が属性によって区別され
共通点を持たないのはわかります。
しかし依然として「おのおのの実体がそれ自身のうちに存在し、それ自身によって考えられるから
一の実体の概念は他の概念を含まない」という説明では、同じ属性の二つの実体も共通点を
持たないということになります。

もしかして物質と精神というのは、それぞれ一つの実体のみが存在し、この世界のあらゆるもの(悲しみや
怒り、木や鉄、私とあなた)はその様態であるということなのでしょうか…?
デカルトの哲学原理に目を通していますが、そのような記述はないように思うのですが。
566チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2006/02/03(金) 05:42:34
>>565

デカルトとスピノザにとっては、この世界には、実体とその様態しか存在しません。
実体はそれ自身で存在するものであり、様態は実体に依存して存在するものです。
デカルトに関しては、『哲学原理』第一部第四十八節をご覧下さい。
デカルトはここで、この世のすべてのものを、思惟の諸様態もしくは延長の諸様態として
捉えようとしています。

そもそも、この世の中には、精神的な存在者と物体的な存在者しかいない、というのが
デカルト的な世界観なんですよ。心身二元論というやつです。
567チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2006/02/03(金) 05:47:42
>異なった属性を有する二つの実体が…つまり「机」と「悲しみ」が属性によって区別され
>共通点を持たないのはわかります。

「机」と「悲しみ」は、実体ではなくて様態です。勿論、両者は属性の差異によって区別されます。

>しかし依然として「おのおのの実体がそれ自身のうちに存在し、それ自身によって考えられるから
>一の実体の概念は他の概念を含まない」という説明では、同じ属性の二つの実体も共通点を
>持たないということになります。

仰ることがよく分かりません。
定理二は、「異なる属性を有する二つの実体は、なんら共通のものを持たない」と言っています。

例えば、デカルト的な思惟実体と延長実体は、なんら共通のものを持っていません。だからこそ、
デカルトが言うように、両者はそれぞれ判明に認識されるわけです。
換言すれば、思惟実体は思惟実体そのものにおいて考えられるのであり、
延長実体は延長実体そのものにおいて考えられるのです。
だから、「異なる属性を有する二つの実体は、なんら共通のものを持たない」のです。
両者は排除し合うような関係にあるわけです。

あなたは、しかし、「同じ属性の二つの実体も共通点を持たないということになります」と仰る。
「同じ属性の二つの実体」とは何でしょうか? それは思惟実体と思惟実体でしょう。
あるいは、延長実体と延長実体です。しかし、それらは同じものです。
換言すれば、「同じ属性の二つの実体」という言い方は、それ自身、矛盾しているのです。
同じ属性であれば、実体は一つしかありません。だからこそ、実体は、属性によってのみ
区別されるのです(私が既に上で説明したように)。
568チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2006/02/03(金) 05:52:14
>もしかして物質と精神というのは、それぞれ一つの実体のみが存在し、この世界のあらゆるもの(悲しみや
>怒り、木や鉄、私とあなた)はその様態であるということなのでしょうか…?

その通りです。

>デカルトの哲学原理に目を通していますが、そのような記述はないように思うのですが。

『哲学原理』第一部第四十八節をご覧下さい。

そしてこのデカルト流の実体の把握を、スピノザが論駁しているのです。
簡単に言えば、実体には数的な区別は適用されず、実在的な区別しかない、ということです。
更に、実体は数的には区別されないが故に、「無限」であると言われます。
それはまた追々言及します。

(あと、よかったら、ドゥルーズの本の第一章と第二章も参照して下さい。)
569チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2006/02/03(金) 06:00:11
では、先に進みます。

定理十二と定理十三では、実体は分割不可能であるという議論がなされています。
これは、先に出て来た、実体は数的には区別され得ないという主張が基礎になっていると思われます。
従って、実体は無限であり(数では測れない)、その属性も無限ということになります。
ここでいう「無限」は、積極的なものであり、デカルトの言うような「無限界」とは違います。

定理十四では、実体は神以外にはない、と言われています。これもここまでの議論で明らかでしょう。
系二では、すべては神の属性であるか、あるいは神の属性の変状である、と言われています。

定理十五はいいでしょう。ただ、ここの備考は面白そうです。延長は、デカルトが誤って想定したように、
有限な部分からなるのではなく、それ自体、測定不可能であり、勿論分割も出来ないということが
論じられています。延長はスピノザにとっては神の一属性であり、それ故、真の意味で無限でなければ
なりません。

次回は定理十六をじっくり扱いたいと思います。それでは仕事に逝って来ます。
570学徒 ◆uic0iLUUxw :2006/02/03(金) 13:37:28
実体は一つずつでしたか。それが無限に広がる中で、様態が出てくるんですね。
いろいろと勘違いしてたみたいです。すみません。
しかし48節を読み直してなんとか納得できました。

てか他の連中が来ない…(´・ω・`)
571考える名無しさん:2006/02/06(月) 00:35:16
そりゃ自演だし
572考える名無しさん:2006/02/06(月) 03:26:10
あげ
573考える名無しさん:2006/02/07(火) 20:57:00
>>47-48

> 悪いのは、関係のない書き込みをして、俺が書き込むことを阻止する連中じゃないでしょうか?

> でも、悪いのは俺ですか、それとも、俺にたかってくる蝿でしょうかね?

> あと、不思議なのは、なんで煽るだけが目的の人は、哲板なんかにいるんでしょうか?

> しかも、自分の意見もないし。名無しだし。どう扱えばいいんですか、こういう人は(笑)。


こういったことの答えを見出すために哲学があるんじゃねーの?
あんたさぁ、なんのために哲学やってんのよ?
フッサールとハイデガーの関係を議論する目的は何よ?
あんたを叩いてる連中は、あんたがオナニーしたいだけだということを
見抜いてるということ。

あんた自身、自分のやってることがオナニーであることに気づいていない。
さらに、オナニーであることを見抜かれているのに気づいていないってこと。

不毛な議論はもう終わりにしたまえ。


574考える名無しさん:2006/02/07(火) 21:16:22
>フッサールとハイデガーの関係

いい事言ってくれた!!
スピノザよりも、フッサールとハイデガーの関係について語ろうよ!
575学徒 ◆uic0iLUUxw :2006/02/08(水) 02:26:10
今更何を蒸し返してるんですかw

スピノザと表現の問題、買いました。
思ってたよりは、エチカを読もうとする人間に門戸が開かれてる感じですけど、
やっぱり一筋縄ではいかないという印象です。
エチカは二十二定理目が意味不明で戸惑っているところです(´・ω・`)
576考える名無しさん:2006/02/08(水) 02:50:05
現象学ってごみだよ。
こんなものが「学」とした語られている時点で、哲学はいんちきまがいの最低の行為。
577考える名無しさん:2006/02/08(水) 02:57:49
例えば、ごみを考えなかったら、其れは哲学の様相を呈しないのだからな。
578考える名無しさん:2006/02/08(水) 03:01:47
ここから、後期フッサールスレでの議論がループします。
579考える名無しさん:2006/02/08(水) 03:18:33
惚れっぽい俺は、あの子を意識するなんてあっという間だった。
俺は、「志向性」で彼女を貪った。彼女は常に俺の傍にいた。
事故で死んだ今もって俺の傍にいるのさ。
580考える名無しさん:2006/02/08(水) 06:56:49
1:あらゆる自然科学はその時代のテクノロジー(工学の応用)によってもたらされた
2:あらゆる思想はその時代(一つ前の時代の)テクノロジーによってもたらされてた
3:あらゆる数学、数理科学、情報科学は工学の抽象化でしかなく、いわば整合性を取るだけの残務作業。
4:人間は道具をもった猿でしかない→工学こそ人間を特徴付ける
5:あらゆる概念の背景にあるのは、その作り出された道具によってもたらされたか、それ自身の抽象化でしかない。
581考える名無しさん:2006/02/08(水) 09:46:23
>>580
> あらゆる概念の背景にあるのは、その作り出された道具によってもたらされたか、それ自身の抽象化でしかない。


こんなのあたりまえのことでしょう。
概念とは抽象化を目的としているのだから。
「抽象化」もまた、それ自体を目的とするものではなく、
「応用化」のための手段にしか過ぎない。
つまり、あらゆる数学、数理科学、情報科学も、工学と同様に
「道具」なのである。
道具というものを数学の言葉で語ったものが「工学」であるに
過ぎない。

人間もまた、「道具」である。
人間自体が、遺伝子を複製、進化させるための道具に過ぎないのだ。
その意味で、人間は最も優れた「道具」である。

人間と猿の違いは、「道具を持つか」どうかではなく、
「道具として優秀か」どうかの違いなのだ。

582チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2006/02/08(水) 11:27:45
先に進みます。

定理十六は、重要な定理です。なので、引用して置きましょう。

「神の本性の必然性から無限に多くのものが無限に多くの仕方で(言いかえれば無限の知性によって
把握されうるすべてのものが)生じなければならぬ。」

スピノザはこの定理の証明として、次の二点を挙げています。

1. 知性は、ある物の定義(この定義はその物の本質をなす)から、必然的に生ずるもろもろの特質を、
推測することができる。


2. 知性は、その物の定義が、より多くの実在性を表現するに応じて(つまり、定義される物の本質が、
より多くの実在性を含むに応じて)、より多くの数の特質をそこから推測することができる。

ところで、神の本性は、絶対的に無限な諸属性を含み、その諸属性のおのおのが、無限な本質を
表現している。よって、神の本性の必然性から、無限の多くのものが無限の多くの仕方で
(換言すれば、無限の知性によって把握されるすべてのものが)必然的に生ずる。
583チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2006/02/08(水) 11:32:26

まず、証明の1. に関してですが、これについては、チルンハウスが難点を指摘しており、スピノザは
書簡82で、それに回答しています。

チルンハウスの反論はこうです。幾何学の場合などは、ある物の定義からは、一つの特質しか演繹できない。
それ以上の特質を演繹したいのならば、その定義された物を、異なる視点から見る必要がある、換言すれば、
その定義された物を、何か他のものに関係づけなくてはならない。

(ちなみにドゥルーズはこの点を「従って、幾何学的方法は、二つの制限、つまり視点の外在性と諸特性の
配分的性格に拘束される」と述べています(p.11)。)

具体的例を挙げるならば、三角形の定義は、それが三つの直線で囲まれた図形であるということです。
しかし、その定義そのものから、我々は三角形の他の諸特質、たとえば、「内角の和は二直角である」を
導き出すことができるでしょうか。できません。というのは、この特質を導くためには、三角形の底辺を
引き延ばし、そこに平行線を引くという作業が要求されるからです。これは、三角形の定義そのものには
含まれておらず、従って、幾何学者の助力、あるいは幾何学者の新しい視点が必要です。

この平行線は、三角形とは別の存在者であり、三角形は、この平行線に関係づけられる限りで、
「内角の和は二直角である」という特質を有するに至ります。このような、外的な原因に頼るということ、
これは物の場合には構いませんが、実体の場合には頂けません。というのは、実体は「自己原因」だからです。
584チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2006/02/08(水) 11:38:10

スピノザはチルンハウスの反論に対して、既に『知性改善論』の中で、回答を用意しておりました。
第72節で、円の定義に関して面白い考察が行われている。しかし、今は上の三角形の例で説明したいと
思います。先程、三角形がある特質を有することを示すためには、幾何学者によるある種の操作が
必要であるといいました。この操作はそれ自体、「虚構的な」ものです。三角形が、ある特質を有する
原因として、幾何学者は平行線を「虚構する」のであります。

しかし、この虚構的なものは、たとえそれが単なる想像の産物に過ぎようと、現実には真実です。
しかしそれは何故かと言いますと、この虚構的な原因が、結論から推論されているからです。
まず現実があり、それを証明する手段として、人工的なものとして、虚構が導入されるわけです。

しかし、実体は違う。実体は、虚構的なものの存在など認めない。それは自己原因です。
従って、実体は、結論から推論されるものではない。換言すれば、原因は結果から推論されるのではない。
実体のほかには、視点などなく、実体はそれ故、己のうちに無限の視点を含んでいるということになる。
そして、この内在的な無限の視点から、無限の諸特質が導き出される。勿論、これらの無限の諸特質を
把握するのは、有限な知性ではない。それは無限の知性、つまり神の知性であります。
この故に、スピノザは、「無限の知性によって把握されるすべてのもの」という言い方をするのです。
585チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2006/02/08(水) 11:42:08

ここで重要なことは、もう一度、実体が何故「自己原因」であるのかを考えることだと思います。
そして、神はこのような仕方で自己原因であるがゆえに、スピノザは定理十六の系の中で、
神が原因であることを繰り返すのだと思います。

さて、この議論をベースにして、次回から、定義十七以降を見て行きたいと思います。
(出来るだけさらっと書くようにします。)

あと、『スピノザと表現の問題』は、現在、第三章まで読み終わりました。
疑問点などある人は、ここで質問して頂ければ、自分の分かる範囲内で回答させて頂きます。
(次回は恐らく第五章くらいまでは読んでいると思うので、先の方でも構いません。)

では、レス。

>>575

まあ、ゆっくりと sage 進行で、難問を一つ一つ解決して行きましょう。

>>574

次の機会ですな。今は時間がない。『エチカ』で精一杯。

あと、初心者の人にはちょっと難しく感じられるかも知れませんが、どんな初歩的な議論でも構わないので、
チン説の開チンをお待ちしております。では、仕事に戻ります。
586ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/02/08(水) 19:48:45
って板前さんはそれほどの哲学知識があるのになぜに2ちゃんに引きこもりつづけるんだ?
587考える名無しさん:2006/02/08(水) 20:31:48
>>586
誰も聞いてくれないからww
588考える名無しさん:2006/02/08(水) 20:37:55
大学に残る以外それじゃ食ってけないからだろ。

だから絲山秋子みたいに小説書けよ。
589考える名無しさん:2006/03/18(土) 03:03:44
h
590考える名無しさん:2006/03/18(土) 04:16:18
合気道が得意、現象学も構造主義も知ってるということで、チンポ太郎内田樹説
を提唱します。
591考える名無しさん:2006/04/02(日) 13:33:19
チンポのいいとこは途中で挫折しないことだな。
こういったスレは珍しい。
592?古典復古派:2006/04/13(木) 16:57:09
現象学再考。
593考える名無しさん:2006/05/01(月) 18:45:56
今イデーンTを苦労しながら読んでるんだけど
TよりUから読んだ方がTも理解しやすいってほんと?
594考える名無しさん:2006/05/01(月) 18:53:08









        ま ず は カ ン ト を 読 め
595考える名無しさん:2006/05/27(土) 19:09:06
鷲田清一とかどう思ふ?
596考える名無しさん:2006/05/30(火) 23:00:10
論理と心理の接点は見つかりましたか?
597考える名無しさん:2006/05/30(火) 23:02:32
それ以上掘り起こせない認識の地盤に辿り着きましたか?
598考える名無しさん:2006/05/30(火) 23:03:22
チンポはどこに行きましたか?
599考える名無しさん:2006/06/01(木) 23:57:51
>>505
風船でくらし易いように、地面に対してゆっくり脚をつけるようにした。
だって、風船が傷付いてしまうかもしれないだろ。だから、ぼくはこの
中にいると、ゆっくりできることが周りとの秩序になるんだ。
600虚構世界内存在 ◆vWilh8Qklc :2006/07/02(日) 19:41:32
Edmund Gustav Albrecht Husserlをあえてカタカナに置き換えるとすると、エドムント・グスタフ・アルブレヒト・フッセルでいいか?
それとも、「Husserl」はフッサール?
あと、Maurice Merleau-Pontyは、モゥリス・メルロゥ=ポンティか?
「Maurice」は、モーリスかモリスかもしれないと思っている。
「Merleau」は、メルロウかメルロかもしれないと思っている。
601考える名無しさん:2006/07/02(日) 20:01:47
チンポ太郎様、
落書き程度の気持ちでも良いので
暇な時にでもwikipediaに現象学関連の記事を書いて欲しかとです。。。
602考える名無しさん:2006/07/02(日) 20:29:59
メルロ=ポンティとかエル=グレコの
まんなかの=みたいな記号をなんと呼ぶのかわからない
それとその記号の意味もわからない
603考える名無しさん:2006/07/26(水) 23:35:48
今日、現象学の基礎(放送大学)のテストで感想文しか書けなかった。
漏れのセンターでこの科目受けたの1人だけだった・・・おバカな漏れには記述式は辛い。orz
604純─ ◆lDmUwFn1OI :2006/07/27(木) 03:04:46
605考える名無しさん:2006/07/27(木) 03:16:44
本質てのは、目的や価値意識、経済etc によって定まるわけよ。
アメリカで取れるウニの本質は昔はゴミだったが、今じゃ貴重な稼ぎをもたらす
ワケだよ。
606概念は具象化する ◆GUGENiOq0w :2006/07/27(木) 03:30:54
>>605
チンポ太郎って名前がスゴイ
607考える名無しさん:2006/07/27(木) 08:14:11
チンポさん、まだいるのかな
608考える名無しさん:2006/07/27(木) 23:27:01
いても
いいかげんネタキャラとして演じ疲れたと思う。
609考える名無しさん:2006/08/13(日) 23:39:08
渡辺二郎訳 『イデーン』 訳者あとがき

「昔からもあったことだが、真の哲学的探求を阻む退廃的諸現象も、相変わらずその根を絶っていないのは残念である。
奇矯な言辞を弄し何やら才気走った論評をものにすれば、それでもう一廉の哲学者なりと自他ともに許しうるかに錯覚する軽佻浮薄は、いぜんとして存続しているように思われるし、
また一方、おのが偏狭固陋に固執して、他説を曲解しまたこれに的外れな駁撃を加えてその裏でおのが皮相な立場については都合のいい文献引証に拠ってこれを糊塗する衒学趣味も、やはり依然として幅を利かせているようでもあり、さらに困ったことには、
現今の学問諸領域の流動化と慌ただしい変貌にも眩惑されて、基本的な研究思索や文献精査を等閑に付し、境界的学際的な場面や諸潮流間の迫間に身を置いて、
四分五裂の討議応酬に明け暮れすれば、何やら最先端の哲学に与り得たかに思い込む躁病的狂気が、真の哲学と混同されるという風潮も、時折見受けられる。」
610考える名無しさん:2006/08/14(月) 01:59:07
すごい文章だなww
611将棋御多:2006/08/14(月) 15:31:15
同銀
612考える名無しさん:2006/08/27(日) 09:50:31
ちょっとお聞きします。フッサールのデルタイ批判の要諦を言うとすればどのようになるのでしょうか。
613考える名無しさん:2006/09/02(土) 10:13:25
>>612
「お前の言ってることは世界観に過ぎない(大意)」
614考える名無しさん:2006/10/06(金) 12:42:31
チンポさんまた帰ってこないかな。
615考える名無しさん:2006/10/16(月) 05:42:39
待つより聞く耳を育てるべし
616考える名無しさん:2006/10/19(木) 20:11:58
>>615
チンポさんに憧れてスピノザ、カント、ヘーゲルの本を揃えて
少し読んでたけど、全然理解出来てないな。
チンポさんがまた来るときまでによく勉強しなくては。。。
617考える名無しさん:2006/10/19(木) 20:21:07
>>616
俺もや。
スピノザに関してはそれなりに理解できてきたかもという気はするんだが。
618考える名無しさん:2006/11/20(月) 07:11:26
記念ぱぴこ
619考える名無しさん:2006/11/20(月) 18:49:37
チンポ氏とOFW氏人気はマル板だけじゃないみたい。
ほんで、チンポ氏とOFW氏は絡んだことは無かったよね。
620考える名無しさん:2006/11/21(火) 16:48:48
大先生のスレはどこで読めるのでしょうか
621考える名無しさん:2006/11/22(水) 08:46:18
懐かしいねヘーゲリアンで強酸主義者のOFW。
620さん、過去ログをあたってみたら。
622620:2006/11/22(水) 15:16:02
datになってる>621
623考える名無しさん:2006/11/22(水) 17:27:26
同期の大物で絡んだのって、らげと修羅研ぐらいだろ。
両方とも絡んだってよりも絡まれたって感じだし。
624考える名無しさん:2006/12/22(金) 16:09:12
いつレスがつくかわからないけど。
現象学からはシュッツはどういう評価されてます?
625考える名無しさん:2007/01/03(水) 16:16:21
表象っていうのをもう少し分りやすく教えてくれませんか?
626考える名無しさん:2007/01/06(土) 23:10:34
627考える名無しさん:2007/01/06(土) 23:47:34
糞スレ上げなくていいよ。
628考える名無しさん:2007/02/26(月) 13:50:07
糞スレ上げなくていいよ。
629考える名無しさん:2007/03/28(水) 03:01:50
なんで哲学なんだろう、とたまに思う。
しかし、俺には結局、哲学しかないということは分かっている。
哲学と、かくも長い期間、付き合って来たわけだ。今更浮気というわけにもゆくまい。

諸君にとって哲学とはなんだろうか? ただの趣味とか言う奴がいるかも知れないが、
それはまずい。哲学と共に討死するくらいの覚悟は欲しいところだ。
では、哲学とはそもそもなんでありましょうか?

哲学の定義なんて言い出したら確かに切りがない。哲学者の数だけ哲学の定義が
あると言っても過言ではない。まあ、一般的には、原理的なものの探究と見なされる。
原理的なものとは、ギリシア語で言えば「アルケー」(原因)ということになる。
原因を追求するのはしかし、現代では科学の仕事だ。哲学に何が残されていようか?

哲学が追求する原因とはなんだろうか? それは、全体としての存在者の、存在根拠である。
何故、この世界はこのように存在するのか? 何故、そもそも、私は一個の存在者として「ある」のか?
この問題に、「そりゃあ、君のお父さんとお母さんがセックスしてだな」なんて答えはあり得ない。
セックスは存在の補助的な原因であり、存在そのものの原因にはなり得ない。

何故、俺はここにいるのか、そう言ってもいい。やがて死すべき者。何故生きているのか?
己の生存に対する疑義。俺はここに居ていいのか? 何のために、誰のために?
いや、哲学では、目的因が問題なのではない。目的因は、原因の一つの側面に過ぎない。
原因を全体として考察する時、浮かび上がるのは、根拠である。
私はどこに立っているのか?

そう考えつつ、今日も眠りに就く。日々の労働に終われ、疲れ果てて帰宅するも、
孤独が私の全存在を包み込み、私は悲哀と寂寞のうちに、この卑小な存在を捧げるのだ。
生きている意味なんかあるのか。空虚じゃないか、すべてが。

答えてくれ、長門。

俺はこのままでいいのだろうか。
630考える名無しさん:2007/03/29(木) 21:39:31
長門と、本を読むことになった。

なんと部屋まで行ってお茶をご馳走になった訳だが(注、何もやましいことはしてない)、
その折に、本棚を見させてもらうと、哲学系の本が数冊あった。
ほとんどは俺が読まないような電波小説(俺の独断かも知れん)だったけどな。

で、

「本、好きなのか」

と言うと、

「わりと」

と言うので、

「この本は面白いぞ」

と言って、たまたまバッグに入れていた『純粋理性批判』を手渡した。

自分では冗談のつもりだったが、長門は意外な顔をして、
俺が差し出した平凡社ライブラリー版の『純粋理性批判 上』(原佑訳)を受け取った。

で、何も言わないのでちょっと困ったが、とりあえず、

「別に返さなくてもいいから」

と言っておいた。その日は、お茶をご馳走になっただけだ。家の人はいなかった。
631考える名無しさん:2007/03/29(木) 21:43:27
それから少しして、仕事帰りに、偶然駅前の図書館の前で、長門と会った。

相変わらずリアクションが少なくて困るのだが、

「よう」

と声を掛けて見た。そうすると、

「この間借りた本」

と言うので、

「おう、どうだった?」

と言うと、

「面白かった」

と一言。この時、一瞬だけちらっと長門が俺と視線を合わせて、また顔を伏せた。

まあそれはいいとして、『純粋理性批判』を「面白い」なんて言う女はそうざらにいないと思う。
しかも長門は、大学の哲学科によくいるような、自分の容姿に対する劣等感を哲学に反映しているような、
キルケゴールマンセーの女とは違って、なにかこう神秘的なものを持っているのだ(俺の妄想かも
知れないが)。
632考える名無しさん:2007/03/29(木) 21:48:08
長門はめずらしく饒舌で、

「でも、超越論的演繹のあとが、よく分からない」

と言った。俺は「おいおい、そんな言葉を平然と言えるだけでもお前はすげえよ」と思いつつ、

「そうか。原則の分析論だな?」

と言うと、コクッとうなずいた。

「あれは俺もよく分からない。カント学者でも、その難解さに閉口していると聞いている」

と言った。そうだよな? あれ、マジで難しいよな? で、そこで会話が止まった。

丁度、図書館も閉館の時間だったので(ここの図書館は七時に閉まる)、ものは試しと
長門を近くの喫茶店に誘って見た(爆)。

勿論、俺には、特に長門に対する何かこう恋愛感情のようなものがある訳ではない。
確かに長門は容姿的に見てもかなり可愛い部類に入ると思うのだが、
何せ筋金入りの無口なので、何を考えているのかいまいち分からない。
しかし、そこに何故か惹かれる俺がいる。
633考える名無しさん:2007/03/29(木) 21:51:16
喫茶店に入店し、適当に注文を済ませ、会話を再開させる。しかし、もちろん、俺主導。

「長門」

と呼びかけると、長門は俺を見る。

「一緒に読んで見ようか」

と言うと、また意外な顔をして、

「○○君に時間があるなら」

と即答。○○とは無論、俺の実名だ。(俺の実名、教えたかな?)

俺は哲板で読書会じみたものをしたことはあるものの、現実世界でこうやって他人と二人で(!)
哲学書を読んだことなんてない。あるとしたら異常だろ、どう見積もっても。
しかし、言ってしまったのだから仕方がない。

俺は、長門と一緒に、『純粋理性批判』を読むことになった。
634考える名無しさん:2007/03/30(金) 17:00:24
つCCCC
635考える名無しさん:2007/03/30(金) 17:22:34
長門は普段、そんなに忙しくはなさそうなのだが、
俺の方は殺人的なスケジュールが入っており、しかも時間帯がめちゃくちゃだから、
勉強する時間も、長門と会う時間も、限られている。

ハイデガーは、『存在と時間』の中で、世人がよく言う「時間がない」というセリフを
「頽落」と見なしているが、それならば、俺ほど頽落している世人も、そうはいないだろうと思う。

「時間がない」と世人が嘆くのは、死への存在という自覚が欠けているからだそうだ。
己の死から目を逸らし、死を隠蔽して、毎日をのんべんだらりと過すのが、ハイデガー先生は
我慢ならんらしい。ハイデガーはある著作の中で、アリストテレスの生涯について、

彼は生まれ、考え、死んだ。

と言っていた。肝腎なのは、この「考える」の部分で、あとのことは、すべて、アリストテレスの
生涯にとっては、瑣末な問題に過ぎない、と。

そうだろうか? とデリダはある講演の中で、ハイデガーに異議を唱えていた。

ヘーゲルは『精神現象学』の序文の中で、「哲学書に序文なんて不要」なんて言いつつも、
膨大な序文を書いた。この一見「不要」と見なされたり、「瑣末な問題」と見なされているものの中に、
実は大切なものが潜んでいるかも知れない、とデリダ先生は言いたいのだろう。
636考える名無しさん:2007/03/30(金) 17:39:43
多く語れば語るほど、本当に語りたかったものは脱落して行く。

しかし、長門、お前の語りには、何か、俺の現存在に語り掛けてくるものがあるのだが、
それは俺の妄想に過ぎないのだろうか。

そう言えば、かのカントも、『純粋理性批判』の序文の中で、この本はもっと短くしようと
思えば出来たけれども、分かり易くするためにこの長さになってしまった、などと言い訳していたか。

まあ、長門の持っている本はどれも分厚いものばかりだったから、分厚い本には抵抗はないだろう。
分厚い本を読んでいる女子というのには抵抗感がある人もいるだろうが、
彼女達の頭の中は、存外、我々が思っているよりも、切なく繊細であるらしい。

そんな話はどうでもいい、『純粋理性批判』の話を聞かせろよ、という声が聞こえてくる。

まず、読書会の話だが、長門とは、毎週金曜日か土曜日の夕方に、例の喫茶店で会うことにした。
思えば、長門とこんな風に定期的に会うというのは初めてである。

喫茶店は駅の近くにあり、長門の家からそう遠くはない。
しかし、長門の自宅でやるわけには行かない。
会話が途切れると、微妙な空気が流れ出すから。

二人じゃ間がもたん。
637考える名無しさん:2007/03/30(金) 18:13:47
太郎の新ネタ?
638考える名無しさん:2007/03/31(土) 23:03:52
まず俺は、長門が実際にどの程度、カントを理解しているか、知りたかった。
そして何故、この一見どこにもいそうな一美少女が、カントなんぞを読みたいと思うのか、
知りたかった。

長門は彼氏などはいないようだが(確かめたわけではない)、友達なども恐らくいないと思う。実際、
長門が誰かと一緒に歩いていたところなんて見たこともないし、父親と思われる人物から、
一度だけ携帯に電話が掛かって来たのを見たことがあるくらいだ(そもそも携帯を持っていたことに俺は驚いた)。

そんな、俺と似たような、孤独な(?)生活を送っている、いたいけな(?)この少女に、
『純粋理性批判』が、どれほどの意味と価値を持っているのか。
639考える名無しさん:2007/03/31(土) 23:11:16
まず、長門は『純粋理性批判』が、理性の限界を確定するという主要目的を持っているということは
理解していた。

俺は言う。

「人間はつまり有限だと言うことだろう。しかし、その有限な人間が、みずからその限界を定めると
いうのだから、本当はおかしな話かも知れない。人間にはしかし、限界に向かい、その限界を
超え出ようとする衝動がある。長門、分かるか、俺が言っていることの意味が」

長門、コクッとうなずく。

「しかし、限界の中で限界を定めるのだから、容易には行くまい。
予想される困難と言えば、認識する我々自身が、その認識の原理を探究しなくてはならない
ということだ」

長門、またコクッとうなずく。

「この、いわば認識の認識を、カントは超越論的と称する。ドイツ語で言えば transzendental だ。
長門はドイツ語をやったことはあるのか」

首を横に振る。

「英語なら分かるよな」

コクッとうなずく。

実際、長門の本棚には英語の本も数冊あったし、あとで分かったのだが、かなりの英語力だった。
640考える名無しさん:2007/03/31(土) 23:21:06
俺は続ける。

「英語で言えば、transcendental。もとはスコラの用語から来ているが、まあ、カントの用法だと、
今言ったような認識に関するものは、すべて超越論的と言われる」

「スコラって何」

と長門。(笑)

「スコラというのは、スコラ哲学のことだ。中世の哲学だな。スコラという雑誌が昔あったのを
知ってるか?」

「知らない」

「そうか」

俺はまた続ける。

「だから、時間や空間を直観の形式的条件と見なす認識も、超越論的と言われる。そういう認識を
取り扱うのが、超越論的感性論」

「そして、カテゴリー(純粋諸概念)を思考の形式的条件と見なす認識も、同じく超越論的だ。
それを論ずるのが超越論的論理学ということになる」

こういうことを、喫茶店の片隅で延々と語っている我々もどうかしているが、
それを聞きつつ一々うなずいてくれる長門も、それはそれでちょっと可愛かった。
641考える名無しさん:2007/03/31(土) 23:32:20
純粋理性批判を一般の人に理解させようとするには、どうしても、こういう我々哲学徒にとっては
常識に過ぎないものを、事細かに説明する必要がある。

長門はしかしもともと頭が良いようで、かなりすんなり俺の言うことを理解していた。

問題は、長門はもともと無口だから、なかなか自分の方から口を開いてくれないということ。
なので、途中から俺の話を聞いているのか聞いていないのか不安になる時もあるが、
俺の目を見て黙って考えているようなので、多分、聞いてくれているのだろう。

『純粋理性批判』の主要目的が、理性の限界画定であるという話をしたあと、

「何故、そんなことするの」

と訊かれた。

「それは恐らく、理性の限界を画定することで、アプリオリな綜合判断の根拠を示したいのだろう。
そうすることによって、自然科学一般の必然性が確保されることになる」

「科学は必然なの」

「それは難しい問題だな。幾何学や数学が必然的であることは一般にも認められているが、
科学は基本的には経験科学であり、経験に依存する限り、ある程度の偶然性は避けられない、と
一般的には考えられている」

「そう」

「しかし、カントが示したのは、そういう方向で科学を語るのではなく、・・・実を言うとだな、
こういう風に科学を語っていくと、我々は懐疑論か独断論に陥ってしまうんだよ」

「そう」
642考える名無しさん:2007/03/31(土) 23:48:42
「カントはそれに対して、いわば、主観の方から科学の根拠づけを行おうとした。これは読み進めれば
追々分かってくると思う」

コクッとうなずく。

「しかし、この世界が、主観の現象に過ぎないというのは不思議な気がするな。実を言うと、
俺は長門自身を認識することは出来ないし、また、長門本人もまた、長門本人を認識することは
出来ないんだよ」

「なぜ」

「今、ここにいる長門は、俺に現れる限りの長門でしかないから。また、長門自身が認識する長門も、
長門自身に現れる限りの長門でしかないから。つまり、長門自身は、誰にも認識できない」

「現れるわたし以外に、わたしがいるの」

「いる、とカントなら言うだろう。物自体とも言うが。長門が現れる限り、その現れる以前の、
まだ現れていない長門がどこかに隠れているだろう?」

「・・・」

長門、無言。

「ものは、現れることによって、自分自身を隠蔽する」

と、俺は独り言のようにつぶやいた。そうすると、長門は、

「そう」

と言った。そして、困ったような悲しいような目で俺を見るので、俺はどうしようかと思った。

(そしてこの眼差しが、実は俺に対する「同情」であったことを、俺は後に知ることになる。)
643考える名無しさん:2007/03/31(土) 23:58:58
さて、もう一つ、問題が残っている。何故、長門は、この哲学史上、最も難解な部類に入ると言われている
『純粋理性批判』などに興味を持ったのだろうか? この無味乾燥な分厚い哲学書が、長門に何の意味を
持っているのだろうか?

実は、俺はこの答えを知っている。長門自身の口から聞いたのだから。しかし、今はそれを
諸君には言わないようにしておこうと思う。というのは、もし言ってしまうと、諸君は長門に対して、
ある先入観を持つようになると思うからだ。

俺自身について言えば、俺は長門の言ったことに対して、曖昧な立場をとっている。
一方では、長門は完全に気違○の類ではないか、という疑念であり、他方では、・・・
疑念を持ちつつも、ちょっと信じている、といった感じだ。

まあ、長門が何を言ったにせよ、俺の目の前にいるのはただの小柄な一美少女であり、
それ以上の何者でもなかったのだから、俺はとりあえず、長門の言ったことに対して、判断を
保留することに決めた。

「エポケー」という現象学の用語が、俺の脳裡に懐かしく浮かんだ。


長門とは、「原則の分析論」から読んで行くことになった。奇しくも、この箇所は、俺がこのスレで
読書会をやってもいいよ、と言っていた箇所であった。
644おじさん:2007/04/08(日) 20:40:27
長門って誰?
長門裕之?
645おじさん:2007/04/08(日) 20:55:38
今、ここにいる肛門は、俺に現れる限りの肛門でしかないから。また、肛門自身が認識する肛門も、
肛門自身に現れる限りの肛門でしかないから。つまり、肛門自身は、誰にも認識できない」


646おじさん:2007/04/08(日) 20:57:40
答えてくれ、肛門。

俺はこのままでいいのだろうか
647肛門:2007/04/08(日) 21:03:59
いんじゃね
丁寧に拭いてくれさえすりゃ何でもいいよ俺は
あと野菜も食って欲しい
わがままかな?
648おじさん:2007/04/08(日) 21:07:58
実は私は長年、痔を患っていてねえ。
申し訳ないことをしたと思ってる。
649おじさん:2007/04/08(日) 21:10:39
拭きすぎが仇になった。
今はウォシュレットを設置した。
許してほしい。
650おじさん:2007/04/08(日) 21:13:29
居酒屋でツマミを頼むときもサラダは忘れないようにしている。
それでいいかな?
651考える名無しさん:2007/04/08(日) 21:36:29
サラダにニンジン入ってる?
俺、ニンジンが好きなんだ
あとらっきょう
652肛門:2007/04/08(日) 21:55:45
今おじさんに聞いたの俺なんだ

ニンジン好きとか らっきょう好きとか
恥ずかしくってさ
言えないよね肛門の分際で・・・さ
653おじさん:2007/04/08(日) 21:57:33
もちろん緑黄野菜でβカロチンも
バッチしだよ。
654おじさん:2007/04/08(日) 22:02:42
ただ、らっきょうが便通にいいかどうかは定かじゃないねえ。
消化にいいなら食べてもいいけど。

655無職:2007/04/09(月) 04:35:37
存在は受動的差異を基盤に成り立つと考えてるのだが、この受動的差異を生み出す衝動志向性や原連合、触発などのタームが遡及の限界なのでしょうか。
思えば現象学は、事象そのものから様々な階層を掘り下げては行きましたが、そのエポケー、脱構築と言う方法論の限界について語っていたでしょうか。恐らくこれが根本だとは言えない。無論その妥当性は方法論の中で閉じているのですが。
656おじさん:2007/04/09(月) 20:10:40
しっかし2chも規制が厳しくなったねえ。
スレッド立てられないよ。
立てたきゃ金払えってか?
そろそろ撒餌の段階も終わったってか?
まあ、金なんか払う気さらさら30だよ。
ほんと。
657肛門:2007/04/09(月) 20:21:46
おじさん、
ニンジンは天ぷらか湯葉巻きに、らっきょうは味噌漬けにすると
お酒も進むし吸収もいいし繊維が豊富でうんちがやわらくなるよ!
658おじさん:2007/04/09(月) 20:54:22
あまりウンチが柔らかくなるのも考えものじゃあない?
何度、拭いても拭いても
なかなか肛門がきれいにならないじゃないの。

659考える名無しさん:2007/04/09(月) 21:03:51
ほんとさあ!
何度スレッド立てるの試させるんだよ!(怒)

「何故マイケルジャクソンは整形を繰り返すのか?哲学的考察」

彼のなかの美のイデアがそうさせるのか?
いっしょに考えてみよう。

というスレッドを立てたいのに規制かかるじゃねえかよ!
660考える名無しさん:2007/04/09(月) 22:19:50
俺の話聞いてくれよおおおお!

http://life8.2ch.net/test/read.cgi/yume/1176107255/l50

こりゃ、あんまりじゃないですか?
661考える名無しさん:2007/04/09(月) 22:39:42
>>660
ワロタ
662おじさん:2007/04/09(月) 22:53:12
まあ、私も派遣の工場勤めの経験あるよ。
接続部分をゴムでコーティングした配管にラッカー塗りしたり
する仕事とか
下水道を流れをよくするビニールコーディングする仕事とかね。
まあ、ブチ切れてすぐバックれたけど。
なんせウンコがドンブラコ、ドンブラコって流れてくるのよ。
それがワイヤーにからんでくるの。
吐き気がしたね。
私も泥臭い社会の底辺の仕事は一通り経験してるから
君の情感もよくわかるよ。


663おじさん:2007/04/09(月) 22:59:41
河川の水門の鉄柵荒いを一人でやらされたときは
つらかったねえ。
ムラサキ貝とヘドロが巻きついた鉄柵を炎天下のなかで
引っかき棒でゴシゴシと取るんだ。
つらかったねえ、、、。
664おじさん:2007/04/09(月) 23:17:17
産廃の仕分けで働いていたときもつらかったねえ。
コンベアで流れてくるゴミを仕分けするんだけど
いろいろなものが流れてくるわけだ。
病院の廃棄物の薬品とか注射が流れてくるときは怖かったね。
軍手をしてるのに後で手がかぶれてるんだ。
美容整形の元写真とかも流れてくるんだ。
人の美しさを求めることの置き去りにされたものがそこにはあった。

それは叡知といえるようなものではないが
まさに私が知りたいと思ったことでもあって、
そんなときでも哲学は忘れない。
常に考えることは忘れない。



665考える名無しさん:2007/04/09(月) 23:21:35
>>660
ウヒョー!
666おじさん:2007/04/09(月) 23:26:28
美のイデアに置き去りにされしもの。
それを知ることが私の哲学だ。
667おじさん:2007/04/10(火) 05:30:51
しかし
>>629-643
がチンポ太郎の書き込みだったとすると
素はずいぶんとつまらないやつなんだなあと思っちゃったよ。
なんかつまらん話聞いてくれる美少女が彼の哲学のアイテムなのかな(w
668おじさん:2007/04/10(火) 05:44:12
私が感じる限り、はっきりと申し上げると
チンポ太郎さんにはマジ哲学の才はありません。
哲学をネタにもっと弾けてくださいよ〜。




669考える名無しさん:2007/04/10(火) 13:08:39
チンポさんは哲学の才はないかもしれないけど、
文才はあると思うよ。「反社会学講座」の人みたいに
本だせば、そこそこ売れるものは書けるんじゃないかと
思うたよ。
670おじさん:2007/04/10(火) 18:13:55
なんつうかねえ。
もっと昔の馬鹿っぽい明るいノリが好きだったね。
まあ、こういう風潮だし、陰湿、陰険な2ちゃんねるだからしょうがいないと思うけど
おじさんが今度作るサイトは出会い系なんだけど
明るいノリでいきたいね。
哲学が好きな人の憩いの場も作りたいと思っているから
よろしくぅ!
671考える名無しさん:2007/04/10(火) 19:06:30
。゚(゚^ω^゚)゚。 まらだおーッ!
672おじさん:2007/04/28(土) 16:12:32
なんつうかさあ。
確かに文才はあるやつとは前々から思ってたけど。
>>629-643
こういうのはないんじゃねえの。
>「反社会学講座」?
なんでチンポが反社会的なのよ。
そこそこ売れるとか、、、
君は結局擁護しておいて
腹の底ではチンポを面白がってるだけでバカにしてるんじゃないの?
なにもわかってないじゃないの。
俺はチンポ太郎の長年のウオッチャーだけど
やつは天才だよ。
ただそのアプローチを変えたほうがいいということですね。
要するに哲学者という型はもう捨てたほうがいいということで
人が読んで面白いと思うものを書いたほうがいいと思う。
673純一:2007/04/29(日) 00:30:41
その時、私は母親の後手を眺めながら、神社の境内を横切っていた。

私の母の手に握られているは、私の大学の退学届、
空を見上げると、並木の木々の間から木漏れ日がキラキラと揺れながら歩いていた。

「ねえ、母さん」

「何?純一」

「ごめん」

「…いいのよ」

母親の古惚けた軽自動車は、丸八スーパーで止まった。
夏の暑い日、中古車のハンドルは溶けそうなくらいに、熱せられている。
674純一:2007/04/29(日) 00:44:42
丸八スーパーは、幼少期からの私の記憶の一部である。
不安定な旦那を持つ彼女にとって、私もまた子供の一人である。

サイドブレーキをかけると、埃だらけの熱い中古車から彼女が身を起こす。
彼女は買い物をするつもりなのだ。

彼女にとっては、買い物は丸八であって他の空間に依存したりはしない。
きっと、死ぬまで彼女はこの世界で生き続けるつもりなのだ。

それが不幸だと思っているのも、きっと私だけだ。
675純一:2007/04/29(日) 00:57:15
母はふざけたつもりなのか、特売品の菓子の
詰め合わせみたいなもの(三歳〜四歳児向けくらい)を買ってきた。

「ほら」

「うん」

こういった菓子類を、母はふざけて買う質ではないのは分かっていた、
ただ単に、安価だから買ってくるのだった。
ビニール袋に入っている菓子類は、今となっては対象となる子供すら見向きもしないものだろう。
節分にでも食べるような炒り豆、まだ製造が終わっていなかったのかわからないほどに古い昔の忘れ去られたお菓子、
そして、作ったであろう製造機器の匂いのする綿菓子等々、この歳に食べさせる代物ではない。
676純一:2007/04/29(日) 01:09:54
私は哲学者のつもりなので、手には哲学書が握られていた。
でも、本当は握っていなかったのかもしれない。

熱く熱せられたアスファルトからは地が歪んで見える。
子供の頃は良く、それが蜃気楼のような様相をていする事に友達と興奮したものだった。
今の自分はどうか、たぶん違う場所に立っているのだ。

中古車の中の、乞食が握る哲学書と、車の外に広がる陽炎のあるアスファルトは、
外では普通に過ぎていく、彼女がいる時間とは全然流れの違うものだった。
677純一:2007/04/29(日) 01:31:49
行く先々で出会う人々は、まず、私を一人の人間として扱う。
概念的な人間ではなくて、通常の意味での人間として、だ。

つまり、私だけが人間ではないのだ。
なり切れていないどころか、別のものに成り下がっている。

何を偉そうにしていたのか、と、ふと思う思惟。
その途端に、前に居た世界の癖で、それを抽象概念に差し替えようとする自分が居る。
そしてまた嫌悪感を抱く自分を見なければならなくなる。
678純一:2007/04/29(日) 01:59:01
畳敷きの空き部屋で、1人で余っていたワンカップを空ける。
外からは虫の鳴き声が聴こえる。

あぐらの下は十年前と少しも変わらず、あちこちが剥がれている。
ここは、十年位では全く何も変わらないところだと思った。
かつて、私が居た場所は3カ月もすれば景色は変わっていた。
それが健康の証でもあった。

綺麗な店に、綺麗な…
679純一:2007/04/29(日) 02:04:52
かつて、私がそこに居た頃、コンビニの看板は飴のように見えた。
それは、海岸から直ぐ近くにあったのだ。
剥きだしのコンクリートが並ぶ、高速道路の下には、
いつ消えるかもわからない小さな砂浜が広がっている。

そこは、私がカミュを渡された場所でもあった(別項参照)。
あの子のことを思い出すも、それはただ私が挨拶を交わしたというだけのことに過ぎなかったのだが。
それよりも話は夜に遡る。
680純一:2007/04/29(日) 02:18:18
いつものように私は、海岸を歩いていた。
それは、何てことのない、唯の現実逃避の為の海岸歩きだ。

海岸や砂浜を歩いたとしても、誰かが救ってくれるのは勘違いだと、
この時になってようやく気付き、小説や映画の観念から解放された。

では、何故、海岸を歩いたのか?
それはよくわからないものの、海岸を歩くことで救われた面があったからだと言う他ない。
たとえば、タールのような海だとか、別世界のような海岸のライトだとか、
そういうものが私を救ったというより、それしか私を救ってくれなかったのだろう。
681純一:2007/04/29(日) 02:26:01
要するに私は1人だったのだが、何故、
海岸歩きがそれほどまでに私を救ったのかはわからなかった。

しかし、ここで思い出したことがある。
ある日の夜、夜明け前に私はいつもの海岸へと向かったのだった。
その日は月が空に昇っていて、例の詩のごとく、太陽が海と溶けるのではなく、
驚くべきことに、月が海と溶け合っていた風景を、私は絶壁から見る機会に見舞われた。

海は常に揺れているから、月が海上に写る際には、月は円形をとどめていない。
月は海の底から光を放っているように見えたのだった。
682純一:2007/04/29(日) 02:37:52
私が砂浜に降りた頃は、夜明け前になっていたが、
月は依然として輝いていたから、まだ夜が半分くらいだったのだろう。

普段はそこまで起きないのでわからなかったが、
それは生きてきて一度も見ていない景色であったのは確かだった。
その時の空は薄暗い青であって、だがしかし、月明かりのおかげで真っ暗でもなかった。

その海は冷たい温度であり、波が起こす音も聴こえた。
しかし、何よりも珍しかったのは、月が海と融合しているという点にあった。
たしかに、空には月が浮かんでいるのだが、月の光自体は海水と完全に融合している。
683純一:2007/04/29(日) 02:49:38
煎じ詰めれば、それは金ということだった。
帰ってからもずっとその余韻は続いていた。

それが綺麗なのは、その金が流れるように揺れ動いていたからだ。
海水と月光が融合する場所でしか、その金は発生しないのであるから、
そこにある金は、その場所と時にしかあらわれないという意味で本物の金になる。
684純一:2007/04/29(日) 03:02:41
そうであるならば、物質的な金はこの本物の金の比喩みたいなものであり、
物質的な金の本質は、その物体ではなく、その金の光にあることになる。

物質的な金は、あの時の金のおそらくは比喩としてだけの模造品なのだ。
では、この本物の金は一体何だったのか、
1つは、これは独りで見なければ、意味の無いものであるという点、
もう1つは、これは何らかの宗教的な意味合いを持っているという点である。
685純一:2007/04/29(日) 03:22:19
そんな風に思いを巡らせながら、ワンカップと共に夜は更けていった。
私は今でも時々思い出す、故郷の子供の頃の遊び場を思いながら眠りについた。

隣にいる名も忘れた友達と、釣りに出掛ける。
少々山の中のため池、塞き止める為の西洋レンガに蔦が這う深緑色の池である。
そこまでくると、もはや何も無い、レンガの上に座って、時々見える魚を追うか、
それとも、何もない緑の景色を見るかである。
686純一:2007/04/29(日) 03:41:40
山道を登ると、今は使われていない広場が山頂に残っている。
兎の置物だけが、当時からそこに子供の影を偲ばせるのである。

だが、そこで気付いた。
私が哀愁を抱くこの全てに、おそらく同世代の人間は誰も興味がないだろうということだ。
金儲けと色欲しか頭に無い波平やポールを思い出し、彼等が金儲けや色欲の観念から解放されるのは、
後、何十年先なんだろうか、などと考えていると、私はいつの間にか深い眠りについていた。
687純一:2007/04/29(日) 20:51:59
黄色い傘と黄色い帽子は、かつてそのものであった存在のシグナルでもある。
紫陽花が咲く通学路の下校時間には、勿論、蝸牛が存在している。
地面に打たれる雨と、淡い光に微細に照らされる砂利の白い光は、
泥水が空を写し出すのと同様、憂鬱なものなのだ。

坂を上がると、どこかでこの街が見える。
そんな幻想は、民家の冷たいコンクリート壁によって遮断される。
番犬の鳴き声、それが今の1人雨によって何か異次元の音に、
日常の音が抵抗しているといった次第だった。
688純一:2007/04/29(日) 20:56:23
冷たい滴に濡らされた小さい手は、やがて同じく冷たくなり、
霜焼のような痛みと共に、内部にほんの少し温度を残し、その痛みだけを残していく。
濡れた体は、砂嵐の音と共に誰かにこのことを話すという仕草を拒絶されるのだ。

不意に、雨が作る音の壁が、人の声によって再び遮断される。
小さな子供の孤独が終わり、生暖かい日常の、人の空気に触れて、
また、下校時間まで、雨音に遮断されることは無い。
689純一:2007/04/29(日) 20:59:50
鋏で真っ赤な紙を切る時は、窓の外に目をやりましょう。
孤独な雨が、今ここにいる人間の空気から遮断された状態で、
再び人を1人にしようと、孤独に待ち構えています。

私は、糊をとって、いつもの通りキャンバスに貼り付けるのだった。
690純一:2007/04/29(日) 21:09:14
ところで、そろそろ彼女の話に戻らなければならない。
彼女との出会いはいつも待ち構えた様に現れるのだ。
私の人生の局所局所で、突然光を放つ雷鳴の如くである。

まず、彼女は師として現れた。
その怠惰な師は、低俗さの権下でもあったが、一種の開き直りを感じさせた。
私は彼女に掴みかかったのだが、彼女はさも当然かのようにそれを拒絶した。
691純一:2007/04/29(日) 21:12:31
次には、彼女は同世代の仲間として現れた。
はたまた低俗な観念を振り回して、よく人を屈服させていた。

私は彼女に皮肉を吐いた。
彼女は理屈の虚構を暴かれると、お馴染の低俗な理論を振りかざした。
そして、それ以来、つい最近まで会うことも無かった。
692純一:2007/04/29(日) 21:14:09
意外なことに、彼女からの電話だった。
ありえないことだと思いつつも、電話をとり、会いに行く。

変わっていなかった。
彼女には彼女なりの方程式で、私を理解しているらしいことがわかった。
693純一:2007/04/29(日) 21:22:37
もうその時点で、私が求めているのが、
理論的整合性ではなくて、その奥にあるものだということがわかった。

波平やポール等同世代の仲間と話していると、彼女とはまた違った感覚を持った。
彼等はやはり所詮理論と生き方を一致させることはできないのだ。
彼女は買い被りもあれど、理論的営為に一切加わらないことによって、
彼等とはまた違う意味で、私にとっては一致した意識のように思えたのだ。
694純一:2007/04/29(日) 21:33:56
最終的に、おそらくは彼女は母であって、
その弾痕だけが、私の哲学の主要テーマの奥義なのはわかりきったことだ。

そして、おそらく、両方とも妙な決意によって不幸だということだ。
695純一:2007/04/29(日) 21:50:06
なにかつまみでも買いに行こうと、夜中のコンビニに急いだ。
時々、遠くの方から電車の明かりが見えるのだ。

感覚的に冷たい体は、私が今、一切の人の営みから外れた生き方をしている、
という点を認めなければならない程だった。

暗い夜道の脇にひっそりと生える雑草には、きっと私しか気付いていない。
そんなことを直感的に思いながら、街の向こう側で走る電車の明かりを見ていた。
明かり、もしかすると、私よりも同世代の仲間達は、もっと明かりがある空間にいるのかもしれない、
いや、きっとそうだ、と初めてそんなことに気付いたのも、その年のそんな買出しの最中だった。
696純一:2007/04/29(日) 22:13:46
同世代の仲間の言葉に一喜一憂する、そんな生活な馬鹿馬鹿しく思えたが、
今の自分がその言葉の中で生きられないからこそ、そんなことを考える。

そんな中、>>664が目にとまるが、同世代の太郎が私と感覚が同じだとは思えなかった。
おそらく、何か決定的に違うのだろうと思った。

次はそんなことを思い出してみる。
697純一:2007/04/29(日) 22:18:50
太郎は自作自演の名手という印象が一般的だった。
この自作自演は、理論を扱う者にとっては禁じ手であるが、
立場を明らかにしない、という手法はそこら辺の誰でもやってる事なのであり、
それが理論的純度を著しく落とすことになるからである。

即ち、それをやってしまえば、理論的な整合性等、最初から必要ないのである。
それ故、彼への第一印象は似非哲学者という印象だった。
698純一:2007/04/29(日) 22:29:22
私は他の場面でも、太郎やポール、それに波平のような友達が多かった。
学生時代に理論的純度を追求していた時代は、彼等が社会と関りを持ちながら、
次第にその純度を落としていく。

ある時、波平と私は休憩所で話していた。
波平は哲学や思想で食っていけない場合には、宗教で稼ぐと言った。
それは、もはやあの時のような理論的な追及が、純粋なものではなくなってしまったことの証明でもあった。

またある時、ポールと話していた時のことだった。
ポールは解けない哲学的問いを前にしても、決して己の無知さを疑うことはなかった。
それは、もはや彼等二人が大人になってしまったことの証明である。

つまり、普通の、理屈を振りかざす、
そこら辺のよくいる世代特有の大人になってしまったということである。
699純一:2007/04/29(日) 22:41:25
では、太郎はどうか。
私は実は太郎のような人物も友達に多いのである。

この友達もやはり、色々な仕事を経験しているが、
一般的な人間としてならば、それも構わないと思うのだが、
やはり、根本的には理論的営為とはまた違ったものである、という具合に見えるのだった。

一言にまとめると、彼等計3人は、私からすると、
団塊Jr世代特有の思考形式に嵌った思考回路の中で永遠にループを繰り返してるように見えるのだった。
700純一:2007/04/29(日) 22:47:13
例えば、仲間で彼等3人が集まると、
団塊Jr世代特有の話題に固執するようになってしまう。
彼等3人にとって、それは理論的営為とは全く無関係に行われる世間話に過ぎない。

だが、私からすると、それはやはり世代的思考回路を少々甘く見過ぎているように見えるのだ。
確かに、同じ世代同士なら共通の話題を持つことは、普通のことであるが、
同時にそれは、理論的な純度が世代的共同体のドグマに負けた、ということでもあるのを、
もはや、彼等3人は気付ける程にナイーブではないのである。

何故、彼等3人はナイーブになるのか、というと、
社会に出て、それなりに認められたという知らず知らずの自負が、
精神のナイーブさの根元である、アンバランスの感覚を奪ってしまうからなのだ。

それ故、もはやこの同世代の友達は哲学を真に行うことはできないのである。
701考える名無しさん:2007/05/03(木) 19:24:21
なんか一気に書き込みが増えたな。

まあ、大した内容でもないのでスルー。というか、そういう評論じみたことはよそでやるといいよ。
俺はそういうのは好きじゃないし。大体な、評論なんて奴は、傲慢な奴がするものなんだよ。

自分だけは他人の思考回路から独立であると思い込み、しかも一人だけ高みに立ったつもりになって、
澄ました顔で偉そうなことをのたまう訳です。まったくおめでたい連中ですな。

こういう連中に共通して見られるのが、「ルサンチマン」という現象です。これは厄介な奴ですよ!

あなたの周りにもいませんか? 偉そうなことを言っているようで、その実、他人の文句を言っているだけに
過ぎないような奴が。そうです、そこで後ろを振り返っているあなた、あなたのことですよ!
そろそろ観念して、その薄汚いプライドとやらを捨ててしまってはいかかですか?
どうしてそんなものにしがみついていらっしゃるのですか?

もしかしたら、あなた、馬鹿じゃないですか?
702考える名無しさん:2007/05/03(木) 19:27:40
とまあ、俺に意見するとこういうことを言われ兼ねないので、過去自分と対決した奴は、
みんなチンポ太郎は嫌な奴、と思ったのです。いや、人によっては「やれやれ」と溜息をついて
帰って行くわけです。しかし、それがなんでしょう。そういうあなた方の態度を、この私が
予想しなかったとでもお思いですか?

私は知っているのですよ、あなた方のことをすべて。しかもね、それは傲慢な意味じゃなくて、
もっと深い意味であなた方の正体が完璧に分かる。これは直観で分かるのだからしょうがない。

そうです、あなた方の義務は、私を無視して素通りするか(私はこれをすすめますがね)、それとも、
私を殺すかのどちらかです。

しかし、私は、私を殺そうとする者に対して、全力で応戦するでしょう!
だから、私とコミュニケーションするということは、「殺し合い」なんですよ。
これは戦争なんです。なめちゃいけません。死を恐れる者は帰りなさいと言いたい。

あなた方は、こういうギリギリのコミュニケーションをしたことがありますか?
ただ机にかじりついて、哲学書を読んでりゃいいってもんじゃないんですよ。

まあ、哲学書を読んだことも読む力量もないあなた方に何を言っても同じなんですが。
703考える名無しさん:2007/05/03(木) 19:31:47
さて、そんなことはどうでもいいのだが、私を長く観察している人が、こういうことを
微塵も理解していないというのは困り者です。成長がないというか、愚鈍なんでしょうな、本質的に。



じゃあ、本題に移る。

実は、自分は今、休暇中。しかもこの休暇を、ある特別な身分において享受している。
詳しい事は追々話そう。なにせ去年から自分の人生は久し振りに激動だったので、
一言では語り尽くせないのだ。

長門の話を前にしたが、あの話は実は去年の秋頃くらいのもの。
そして今は春だ。

何から話したら良かろうか・・・恐らく、私をずっと前から知っている人は(初期の現象学スレあたりから)、
私の去年からの生活の変化に驚くに違いない。いや、実際自分が驚いているのだから。

しかし、そういう個人的な話はあまり聞きたくないと思う。むしろ、みんなが聞きたいのは、
『純粋理性批判』の読書会が、その後どうなったかであり、また、どういう内容が議論されたか、ということで
あるに違いない。
704考える名無しさん:2007/05/03(木) 19:35:52
前にも言ったように、我々が特に綿密に検討したのは、原則論の個所であった。
『純粋理性批判』という本は確かにとても難しいが、特にこの原則論は正念場といえる。
この個所を適切に理解すれば、「超越論的演繹」でカントが意図したことも、おのずから見えてくる筈だ。
というのは、原則論が扱うのは、それなくしては経験が経験として成立し得ないところのものであり、
つまり「経験の可能性」が問題になっているわけで、これは、「演繹」でカントが主眼としたところである。

諸君も御存知の通り、カントは四つのカテゴリーに対応して、四つの原則を立てている。

1. 直観の公理
2. 知覚の先取
3. 経験の類推
4. 経験的思考一般の要請

である。長門と議論したのは、主に三番目の原則、経験の類推である。長門がここに注目したのは実に鋭い。
実際、経験の類推こそ、カントが大真面目で「経験の可能性」を論じた個所であるのだから。


「長門の言うように、俺も類推が一番重要だと思う。そもそも、直観の公理と知覚の先取は、現実世界への
数学の適用可能性を問題にしたに過ぎないと思うし」

「だからカントは、それらを『数学的』と形容している。これは私にも分かり易い」

と長門。

「直観の公理は、要するに現実の対象が、空間的な量と時間的な量として捉えられると言っているんだろう。
長門はこの空間的な量と時間的な量が、具体的にどういうものか分かるか?」

「拡がりと持続」

「長門、おまえ、頭いいな。哲学の素質あるよ、マジで」

長門、無言。ちょっとははにかむかなあと思ったが、表情に一切変化なし。
705考える名無しさん:2007/05/03(木) 19:39:35
「空間的な量は拡がり、時間的な量は持続、これに数学を応用しただけだ。長門は数学好きか?」

「わりと」

「そうか。俺もなかなか好きなんだよ」

「そう」

って、セリフが原稿用紙一枚分を超えない奴だ。ちなみに後で知ったのだが、長門の数学の成績は
驚くべきものだった。全国模試で一桁だったんだから、まじで。

俺は続ける。

「知覚の先取というのは、要するに、物理的対象から惹起される感覚は、一定の度、つまり内包量の
変化によって計量されるということだろう。こういう性質を対象がもっているということ、この性質に
対する数学の応用と見ることができる」

直観の公理と知覚の先取に関しては、意外にあっさりと済んだ。
俺は初めて『純粋理性批判』を読んだ時、ほとんど理解できなかったのだが、この長門の理解力には
驚嘆した。高校生でここまで哲学書を解する者が、果してほかにいるだろうか。


勿論、議論は毎回一時間以上していたし、いろいろな雑談もしたから(というか、喋ってるのは俺だけだったが)、
こんなにスムーズに行くことは稀だった。

しかし、誰も俺と長門の会話を逐一聞きたいとは思わないだろうし、俺だってそれを全部記憶しているわけじゃ
ない。ただ、自分は毎回、長門との会話の内容をメモしていたので、それを頼りに、概略だけは
思い出すことができる。
706考える名無しさん:2007/05/03(木) 19:44:57
「長門、本当にカントが言うように、経験の根底には、こういう原則が潜んでいるんだろうか」

「・・・カントは、その時代の物理法則を語っているに過ぎない。そしてそれは、現在の地球の科学では
否定されている」

「なんだって?」

「質量保存の法則。連続性の法則。状態変化は原因を有するという法則。物質のすべての部分は、如何なる
時点においても相互作用を営むという法則。これら四つの法則を反映したに過ぎない」

「なんだ、長門、おまえ、哲学史家みたいなことを言うなあ」

「・・・」

「俺はそういう妄言は信ぜぬぞ。カントはあくまで、経験の可能性を考慮してるんじゃないのか。
長門がさっき挙げた法則は、どれも経験を介さないと発見できないものじゃないか」

「カントは外部的なものから、内部的なものを証明したに過ぎない」

「つまり、物理法則を、悟性概念に強引に持って来たというわけか。時代的制約ってやつだな。
しかしな、長門・・・」

と、我々の議論は白熱を極めた。いや、案外ゆったりした調子で、半ばどうでもいいという感じで、
このショートカットの眼鏡女を見つめつつ、俺はセンチメンタル通りを練り歩き・・・

なんの話だ。
707考える名無しさん:2007/05/04(金) 03:09:42
あ、肝腎な「類推」の議論を忘れていた。手短に話そう。

類推は、「関係」のカテゴリーに対応しているのだが、キーワードになるのは「時間」という概念である。

これは哲板の諸君には説明の必要もあるまい。が、肝腎なことだけ一つ。カントは、感性と悟性を媒介する
ものとして「図式」というものを考えるのだが、これは如何なる形象 Bild でもない。形象は感性の対象で
あるが、図式は一方で感性に属しつつ、他方では概念(悟性)に属する。だから、そういうものは、
感性と悟性を媒介することが出来る。この図式を論ずるのが原則論なのであるが、図式とは結局なんであるか
というと、それは「時間」なのだ。

時間は一方で直観の形式であるが、他方で悟性の法則でもある。このことは、「経験の類推」で明らかにされる。
「類推」という言葉の哲学的意味については、カント自身が数学における類推の意味と対照して語っているから、
ここでは述べない(議論したい人は質問してくれ)。

関係のカテゴリーには、「実体」「原因性」「相互性」があるのだが、これに応じて類推も三つあり、
そのおのおのが、時間の諸様態に対応している。

1. 持続性
2. 継続
3. 同時存在

そこで、実体と持続性、原因性と継続、同時存在と相互性の、アプリオリな関係が証明されて行くという構造だ。

考えただけでも随分スリリングな試みじゃないか。ちなみにハイデガー先生は、カントはこの図式論において、
存在と時間との根源的関係にまで迫ったと言っております。じゃあ、自分はどうなんだよ、と俺は言いたい。
708考える名無しさん:2007/05/04(金) 03:22:08
「長門・・・」

と会話を思い出そうとしたが、どういうことを話したのか、どこにメモしたのか、覚えていない。

ただ、読書会をした日の日記には、変なことが書いてある。長門が変なことを言ったのだ。いや、
変なことと言うよりも、電波発言と言った方がいいかも知れない。
少なくとも、諸君にはそのように聞えると思う。

しかし、これは長門の名誉のために言っておくが、長門は精神錯乱者でも変態でも馬鹿でも純一でもない。
彼女はものすごく頭がいい。多分、俺なんかは足元にも及ばないだろうと思う。

しかし、そう思う根拠は、彼女が、我々人間とは、ある重大な意味で異なっているという事実からである。
709考える名無しさん:2007/05/04(金) 03:28:43
例えば、長門は、自律進化の可能性などについて話す。俺はこの「自律進化」なんてものが何なのか知らないが、
何でも、ある特別な人間がなしうる、偉大なわざであるらしい。

そして、ほかの情報筋によると(俺はこの情報をほんの最近、ほとんど偶然的に知ったのであるが)、
この偉大な(?)わざをなす人間は、時間という概念を覆すような、ある蛮行(俺はあえて蛮行という)を
なすことができる、いや、なしたのだというのだ。

さあ、諸君はさぞ混乱していると思う。俺も実はそうなのだ。(しかし、この連休前のいろいろな出来事によって、
その混乱が多少は解消された。だが、その話はまだしないでおこう。)

長門が『純粋理性批判』に興味を持つようになったのは、実は、カントの、経験の可能性の根底には、時間というものが
潜んでいる、という考えに惹かれたからであるらしい。
710考える名無しさん:2007/05/04(金) 03:31:15
「時間の移動はそう難しくはない」

ある日、長門はそんなことを言った。長門、俺はおまえが、絶対的時間を仮定しているように見える。
そんなものは存在しない。絶対的空間が存在しないように。タイムトラベルなんてあり得ない話なんだよ。
と、彼女に力説した。

「概念は言葉で言い表すことができない。だから情報の伝達に齟齬をきたすかも知れない」

こういうことも言った。俺はすかさず反応した。しかし長いので省略。

長門を説得できたかどうかは分からない。
711考える名無しさん:2007/05/04(金) 03:35:08
>>696

>>664は俺じゃない。それと、俺が自作自演の名手というのは完全におまえの妄想だよ。

おまえが自分の人生にある種の「空しさ」を感じているのは分かるさ。要するに、自暴自棄なんだよ。
努力できない自分に腹が立っているわけだ。努力しようと思っても、目の前の誘惑に負けてしまうんですな。
そして、日常生活という泥沼にはまって行く。

俺もある意味で同じ境遇にあると言っていい。しかし、もう努力するしかないんだよ。
俺達はな、もう後戻りできない。人生の退屈を知ったあとでは、生きる努力をするしかないんだよ。
おまえにもいずれ彼女なんかできて、結婚もして、家庭を持つかも知れない。
しかし、人生はそれでも面白くはならん。たぶんね。

学ぶこと、教えること、愛すること。この三つしかないよ、人生は。

人生は楽しむためにあるのではない。けりをつけるためにある。


まったく、くだらん人生論を書き込ませるなよ・・・
712おじさん:2007/05/04(金) 21:03:21
なんなんでしょうか?
チンポ太郎のくせに感傷的に人生論ですか?
何様?
もっと弾けろってるだろうが!
ええっ、
おい。
713おじさん:2007/05/04(金) 21:18:15
つうか意識して
努力、努力言ってる時点でダメだと思うんだわな。
哲学なんかどうだっていいと本気で思っちゃえよってな話ですよ。
見えてこないよ。自分ってやつが。

by おじさん
714処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2007/05/04(金) 21:42:46
何やってんだか。

フッサールは「主観」、ハイデガーは「主体」。
715考える名無しさん:2007/05/05(土) 11:40:54
>>714
ハイデガーは現存在だ馬鹿
716考える名無しさん:2007/05/05(土) 18:01:10
なんでフッサールのすれないんだ?
717処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2007/05/05(土) 18:19:17
"da-sein"(現存在)の"da"は"Was ist da"(それはここにある)の"da"だろ。
718考える名無しさん:2007/05/05(土) 18:55:19
で?
719処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2007/05/05(土) 19:01:37
何でもねえよ。

フッサールの現象学が無ければハイデガーも存在しなかったわけだから、
フッサールを全く素通りしてハイデガー読むのはどうかと思うんだが、
ハイデガーのインパクトが強すぎるせいで影が薄いんだよな。
720考える名無しさん:2007/05/05(土) 19:06:49
フットサル好きな人みんな集まれ! その24
http://ex20.2ch.net/test/read.cgi/soccer/1173760998/
721考える名無しさん:2007/05/05(土) 19:33:43
>もっと弾けろってるだろうが!

なんの話だ。


>フッサールは「主観」、ハイデガーは「主体」。

>"da-sein"(現存在)の"da"は"Was ist da"(それはここにある)の"da"だろ。

馬鹿ですか?


>フッサールを全く素通りしてハイデガー読むのはどうかと思うんだが、
>ハイデガーのインパクトが強すぎるせいで影が薄いんだよな。

逆にフッサールを読まない方がいいということもある。

実際、ハイデガーとの兼ね合いでフッサールを読むとしたら、『論理学研究』と『イデーン』に
なるわけだが、どちらもそう簡単に読めるものじゃない。むしろ、ハイデガーの著作に取り掛かる前に
リアイヤだろう。フッサールからハイデガーに進むのなら話は分かるけど(俺はそのクチ)。

これを読むためにはこの本を、というやり方は、だからあまり頂けない。

ヘーゲルを読むにはシェリングを、シェリングを読むにはフィヒテを、フィヒテを読むにはカントを、
カントを読むにはヒュームとライプニッツを、この二人を読むにはロック、スピノザ、デカルトを、
デカルトを読むにはスコラを、スコラを読むにはアリストテレスとプラトンを、かくして無限に至る。
722考える名無しさん:2007/05/05(土) 19:35:02

×リアイヤ
○リタイヤ

ね。突っ込むんじゃねえぞ。
723考える名無しさん:2007/05/05(土) 21:59:57
> これを読むためにはこの本を、というやり方は、だからあまり頂けない。
こういうことを書くとは意外だな
724おじさん:2007/05/05(土) 22:28:05
そんなあ。
弾けろ!っていったらお約束じゃあないですか。
ネタですよ。ネタ。
哲学なんかどうでもいいじゃないですか。
もっと昔みたいにバカやってくだいよ〜。
725処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2007/05/06(日) 11:51:56
>>721
現象学自体はそんな難しいもんじゃない。認識における確実さの
根拠について哲学に関心を持つ者が考えたことがない方がおかしい
だろ。
726考える名無しさん:2007/05/06(日) 19:23:13
>もっと昔みたいにバカやってくだいよ〜。

あのな、何時までも糞尿とか死尿とかチン国際病院とかウンコでドン!とか言ってられんのだ。


哲板の現状について。

俺はもうかなり前から哲板に出入りしているので、ちょっとは哲板の現状について意見する権利が
あると思う。いや、言わしてもらおう。

最近の哲板は、レベルが低い。上位にあるスレタイを一瞥するだけでそれが分かる。

要するに、学問としての哲学を扱っているスレがない。全部、ただの雑談であり、しかも、
哲学は殆どの場合、無関係。

どうしてこう哲学とは無縁なスレが哲板に立つのでしょうか? 誰かの嫌がらせでしょうか?

まあ、諸君に学問的に哲学を語れとは言わん。そんなのは諸君にはア・プリオリに無理だから、
というのもあるが、そこまで真面目にやれとは俺も言わない。しかし、少なくとも情報の収集くらいは
できるレベルにしてくれ。

それから、諸君の卑小な頭脳で考案された、こざかしい議論の数々、あれは見るだけで嫌気がする。
自分では自分哲学をしているつもりだろうが(自分の頭でものを考えているつもりだろうが)、
かなしいかな、そういうレベルにさえ達していない。だって、君達は自分の頭脳を鍛えることを
怠って来たのだから。当然の報いだ。

馬鹿ほど多弁を弄するものだ。俺がいい例だよ。だから、口を噤んで、少しは黙って本でも読め。
そして沈思黙考してみろ。そうすれば、デカルトの気持ちが少しは分かるかもよ。

というのは嘘だ。なんで俺がそういう説教を垂れなきゃならんのだ。あのな、好きにしろ。
727考える名無しさん:2007/05/06(日) 19:23:54
>現象学自体はそんな難しいもんじゃない。認識における確実さの
>根拠について哲学に関心を持つ者が考えたことがない方がおかしい
>だろ。

現象学は普通に難しいですよ。まあ、あなたが「現象学」という言葉でフッサール現象学を意味しているのか、
それとも竹田現象学を意味しているのかで話は変わって来ますけど(おそらく後者でしょうけど)。

それから、「認識における確実さの根拠」について考えることと、現象学の難しさそのものとは
直接関係ありません。

だって、そういう問題意識を持っていたとしても、やっぱりフッサールは簡単に理解できるものじゃないから。

私が指摘しているのは、ハイデガーを読むためにフッサールの知識は必ずしも必要ない、ということですよ。
現象学は難しいから読まなくていい、ということではないです。

ただ、「おい、おまえ、ハイデガーを読むのはいいが、そのまえにフッサールを読まないと駄目だよ」なんて
言い草が信じられないだけ。じゃあ、おまえはフッセリアーナ全巻読んでそう言ってるの?とこちらが
問いたくなりますな。

フッセリアーナ全巻でなくとも、ちゃんと『論理学研究』や『イデーン』を原書で読んだ奴って哲板には
自分以外殆どいないと思うけど。

暇なのでいろいろ書いてあげました。感謝しろよ、処刑なんとか。おまえなんか俺にとっては雑魚に過ぎんのだから。
728考える名無しさん:2007/05/06(日) 19:33:02
ああ、あと、処刑なんとかがそれでも強硬にフッサール現象学の必要性を主張するのなら、
『存在と時間』のどこで、フッサール現象学の知識が必要不可欠になるのか指摘してくれ。

俺は実際、このスレの前半でフッサールとハイデガーの比較研究をやろうとしたのだから、
そういう問題には多少興味がある。しかし、俺と同じことを繰り返してはいけないよ、処刑君。

つーか、おまえ荒らしだろ。
729考える名無しさん:2007/05/06(日) 21:36:04
チンポさんんですか?
730純一:2007/05/06(日) 21:52:26
哲学板のレベルは上がっていますから、心配はいりません。

>クニ:2006/12/17(日) 17:20:28
>「機能」と「機能」の関係は認識で結ばれている。
>「事実行為」には閉鎖的なものと、開放的なものがある。
>閉鎖的なるものが、時が経つにつれそれが機能しなくなる。
>そのとき開放的になる。
>明治維新が顕著な例である。
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1166257740/22

>マスメディアは、オートポイエティックなシステムであるというのも納得しよう。
>オートポイエティックとは生物学の世界で確立された考え方で、
>開放性と閉鎖性を兼ね備えた自律的なメカニズムを表すことばである。
>マスメディア・システムは、内と外に分けられ(というか、分けられなければシステムは成立しないのだが)、
>環境から刺激を与えられるとともに環境に刺激を与えもする(開放性)。
>そして、マスメディア・システムのコミュニケーションは、コミュニケーションを内部で再生産し続ける(閉鎖性)。
>このあたりは、クニールとナセヒの『ルーマン 社会システム理論』(新泉社、1995、舘野受男ほか訳)
>を読めば、おぼろげながらも、云わんとするところはつかめる。
http://hatanaka.txt-nifty.com/ronda/2006/01/post_fc20.html

太郎にとってのレベルが高いというのは、上のぴかぁ〜のような書き込みが増える事なのですが、
上下を見比べてみると、上が用語ばかりで意味が理解されてない事がわかると思います。

太郎がフッサールやハイデガーと書き込むと、ぴかぁ〜がポールが意味もわからずに、
ジャーゴンだけパクって、適当に上みたいな理論を書くのですが、
その理論が用語だけで、意味が理解されないまま使われているのを見抜けるのは、私しかいないでしょう。

ぴかぁ〜やポールは残念ながら、ジャーゴンを使う行為に酔って、用語を咀嚼しないので、
適当にフッサールとかハイデガーとか散りばめておけば、自分が高レベルの次元にいると思い込む傾向があるのです。
731純一:2007/05/06(日) 22:14:24
太郎は、用語をまあまあ咀嚼していると言えますが、
太郎本人は、それをジャーゴンを使ってしか語らないのです。

その帰結として、用語だけぴかぁ〜やポールにパクられ、
意味を理解してない取り巻きに巻かれ、太郎は浮かれるのです。
そして、太郎は言います。
「ぴかぁ〜やポールは上級者の俺に付いて勉強しようとする、やる気のある奴だ」

その結果、>>730のような、用語だらけで意味を咀嚼していない、大量の紛い物の哲学が流行するのです。
では、その紛い物の哲学を太郎から受け継いだ、ぴかぁ〜はポールは哲学板でどう振舞うのでしょうか?
まず、用語の意味を咀嚼してない癖に、>>730のようにやたらと用語を使いまくります。
また、太郎からパクった用語を使う行為によって、ぴかぁ〜やポールは自分が高レベルだと思い込むのです。

即ち、太郎が元々用語を使わずに咀嚼できるのに、
日常用語の用法に還元して哲学を語らないという行為が、
ぴかぁ〜やポールのような、用語だけ使っていれば高レベルという勘違いの風潮を生み出す温床になっているのです。

ですから、太郎の言う高レベルというのは、
基本的に、用語を咀嚼できていない論者が増え、太郎の取り巻きだらけの状態を指します。
732純一:2007/05/06(日) 22:38:47
ぴかぁ〜はその傾向が顕著ですが、例を出して検討してみましょう。

@ 「情報化が進んだ現代社会では、形而上学的な転倒は困難になっています。
   常に「脱構築」が作動する、街であの娘が可愛いなと思っても直ぐに他の娘に目が行く。」

A 「情報化が進んだ現代社会では、絶対的な安定は困難になっています。
   常に「不安」が作動する、街であの娘が可愛いなと思っても直ぐに他の娘に目が行く。」

@はぴかぁ〜の文章であり、Aはそれを純一が翻訳したものです。
即ち、言っている内容は私が翻訳したA以上の意味はないのですが、
Aの意味を@の言い方にする事によって、何か哲学を語った風に見えてしまうという点が問題なのです。

そして、これはポールや他の高レベルと称する馬鹿達にも言える事です。
咀嚼して意味を理解すれば、単なる個人的感想である場合が殆どです。
733純一:2007/05/06(日) 22:58:00
太郎の論をここ数年閲覧してきましたが、思想的な進化は認められません。

私が思うに、>>732のぴかぁ〜のように、Aで言える事をわざわざ@に還元している為に、
Aに還元したら思想が深まる事象まで、@に還元して思考しているので、結果、思考能力が後退するのです。

では、ここでAのように語る論者が登場すると、どうなるのでしょうか?
ぴかぁ〜やポール、それに太郎はAで語る論者を、「低レベル」だと罵るのです。
しかし、>>732を見てください、一体、馬鹿なのはどっちですか?

よくよく考えてみてください。
734考える名無しさん:2007/05/06(日) 23:11:58
>チンポさんですか?

なんの話ですか?


>純一

なかなか鋭い意見だが、純一、お前、腕をあげたなあ。分かり易い文章で結構だ。

では、まず、君の誤解を解くことから始めよう。

俺の言うレベルの高い書き込みというのは、ぴかぁ〜の意味不明な書き込みなどでは断じてない。
そもそも俺はそういう書き込みを真面目に読んだことはないし、また読む価値もないと思っている。

俺があえてレベルが高いと言うのは、例えば、このスレの中の、>>276以下の議論なんかがそうだ。
上級者だけでなく、初心者も一生懸命に下調べして質問して来てくれる。
そして議論を通じて、いろいろな見解が吟味・検討されて、互いにとても有益なものを得られる。

君はポール氏のことを悪く言うが、彼はシェリング・スレできちんと勉強して俺の議論に
付き合ってくれた。彼はぴかぁ〜みたいにジャーゴンを弄することはないし、真面目で健全な
文章を書く人だ。

レベルが高いというのは、だから決して現代思想にかぶれた連中が書くような意味不明な文章ではなく、
真面目に哲学の勉強をしている人が、少しでも他人と意見交換をしたいと思って書く文章のことだ。

純一はこれを完全に誤解して、己の頭の中で「高レベル」の定義を与え、その妄想に従って勝手に
私の見解と称するものを演繹し、それで私を非難する。

それは誤解というよりも、逆恨みというやつです。
735考える名無しさん:2007/05/06(日) 23:14:53
従って、

>ですから、太郎の言う高レベルというのは、
>基本的に、用語を咀嚼できていない論者が増え、太郎の取り巻きだらけの状態を指します。

これは完全な誤解です。私のいう「高レベル」とは、哲学を真面目に学ぶ人達が、意見交換と議論の
ために、自分の哲学的見解を、他人に読んで欲しいという前提のもとに、書き込むということです。

>咀嚼して意味を理解すれば、単なる個人的感想である場合が殆どです。

ぴかぁ〜のような下種の文章を咀嚼しただけで、どうしてそんなに偉そうなことが言えるの?

咀嚼というのは「解釈」のことだよ。そして我々は、哲学を学ぶ上で、過去の偉大な哲学者たちの
言葉を「解釈」しているわけです。君がそんなに「咀嚼」にこだわるのなら、ハイデガーや
フッサール、あるいはスピノザやライプニッツの意味不明な言葉を咀嚼なさってはどうでしょうか?

それがこのスレの>>276以下でやったようなことなんですよ?
736考える名無しさん:2007/05/06(日) 23:17:49
>太郎の論をここ数年閲覧してきましたが、思想的な進化は認められません。

ほら、そうやって評論家ぶって他人の上に立ってものを言うでしょ。
そういう態度が俺は嫌いなんだよ。「思想的な進化」ってそもそもなんだよ?
思想は「進化」するのか? (もしかしたら「深化」の変換ミスか?)

それに、「太郎の論」って具体的には何よ?

俺がここで Meine Philosophie を開陳したとでも言うのか?

まあいい、その「太郎の論」っていうのがなんなのか、具体的にはっきりさせてくれ。

そしてそれが俺の過去の「論」とどういう関係にあるのか教えてくれ。

逃げんなよ。
737純一:2007/05/06(日) 23:55:07
いいですか、

@ 「俺の言うレベルの高い書き込みというのは、ぴかぁ〜の意味不明な書き込みなどでは断じてない。
   そもそも俺はそういう書き込みを真面目に読んだことはないし、また読む価値もないと思っている。」

という言葉は、何も太郎だけが使う言葉ではない、という点に君は無頓着なのです。
例えば、ぴかぁ〜が、

A  「俺の言うレベルの高い書き込みというのは、太郎の意味不明な書き込みなどでは断じてない。
   そもそも俺はそういう書き込みを真面目に読んだことはないし、また読む価値もないと思っている。」

と言う事は可能です。
しかし、問題なのは、誰がその評論家じみた立場を認めるのか?という点です。
つまり、太郎は一体何によって、上記の評論家のような発言を許されているのか?という点です。

結論から言いましょう、太郎がその評論家じみた発言を許されているのは、「己の目分量」でしかないのです。
つまり、太郎がぴかぁ〜の書き込みAを非難する権利上の根拠は「己の目分量」でしかなく、
逆に、ぴかぁ〜が太郎の書き込み@を非難する権利上の根拠もまた、「己の目分量」でしかありません。

では、問題は別のところがあるのがわかるでしょう。
何故二人とも、無頓着に「己の目分量」が無批判に通るという勘違いをしているのか?という点です。
738処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2007/05/07(月) 00:05:18
>>728
晩年はハイデガーに引っ張られてるんでないか?
739純一:2007/05/07(月) 00:06:21
>>737を踏まえ、太郎のレスをぴかぁ〜が言ったと仮定して検討してみましょう。

「わしがあえてレベルが高いと言うのは、例えば、このスレの中の、>>〇〇〇以下の議論なんかがそうだ。
 上級者だけでなく、初心者も一生懸命に下調べして質問して来てくれる。
 そして議論を通じて、いろいろな見解が吟味・検討されて、互いにとても有益なものを得られる。」

「君はしろうと氏のことを悪く言うが、彼は東浩紀スレできちんと勉強して俺の議論に
 付き合ってくれた。彼は太郎みたいにジャーゴンを弄することはないし、真面目で健全な
 文章を書く人だ。」

「レベルが高いというのは、だから決して現代思想にかぶれた連中が書くような意味不明な文章ではなく、
 真面目に哲学の勉強をしている人が、少しでも他人と意見交換をしたいと思って書く文章のことだ。」

上記3つのレスを、ぴかぁ〜が太郎に発言したと仮定します。
しかし、この3つの発言自体、その正当性を太郎が非難することはできません。

何故なら、この3つのレスは例え誰が言ったとしても、
その正当性を証明する根拠が所詮「己の目分量」、即ち、
「無頓着に「己の目分量」が無批判に通るという勘違い」 を根拠にしているからなのです。
740純一:2007/05/07(月) 00:23:21
即ち、>>739的な意味で、太郎とぴかぁ〜は、
「無頓着に「己の目分量」が無批判に通るという勘違い」を、
発言の正当性の根拠にしている、という点で私には同じに思えるのです。

無論、こういう事を言うと、いいや、太郎は学問的組織の根拠(権威)をバックに持っている、とか、
ぴかぁ〜は、東浩紀や斉藤環の市場的に認められた根拠(権威)をバックに持ってる、とか言い出すでしょう。
しかし、その根拠(権威)というのは、結局、「俺の陣地にはこれだけ人数が居る」という話じゃないですか?

私が思うに、それは全然哲学ではなく、

「俺のバックにはこれだけの権威がある、従って俺の主体は正しい、
 だから、「己の目分量」を正当化しても良い」

という話になるだけです。
741純一:2007/05/07(月) 00:31:33
では、実際に証明してみましょう。

仮にぴかぁ〜が太郎にこんな発言をしたとします。

「わしがあえてレベルが高いと言うのは、例えば、このスレの中の、>>〇〇〇以下の議論なんかがそうだ。
 上級者だけでなく、初心者も一生懸命に下調べして質問して来てくれる。
 そして議論を通じて、いろいろな見解が吟味・検討されて、互いにとても有益なものを得られる。」

純一か、はたまた太郎は、こういうでしょう。

「ぴかぁ〜、それは自画自賛だよ。」と

では、次の発言です。

「君はしろうと氏のことを悪く言うが、彼は東浩紀スレできちんと勉強して俺の議論に
 付き合ってくれた。彼は太郎みたいにジャーゴンを弄することはないし、真面目で健全な
 文章を書く人だ。」

またまた、私達はこういうでしょう。

「ぴかぁ〜、それは君の個人的な感想だよ。」と

では、次。

「レベルが高いというのは、だから決して現代思想にかぶれた連中が書くような意味不明な文章ではなく、
 真面目に哲学の勉強をしている人が、少しでも他人と意見交換をしたいと思って書く文章のことだ。」

またまたまた、私達はこういうでしょう。

「ぴかぁ〜、君はそう思い込んでるだけだよ。」と
742純一:2007/05/07(月) 00:51:38
もうおわかりだと思いますが、私は太郎がぴかぁ〜と基本的な方法論が全く同じなのではないかと思っているのです。
その証拠に、>>741での反論を、逆に太郎の書き込み全てにあてはめることができます。

太郎もぴかぁ〜も、敵対した相手への批判がそのまま己にあてはまる、という展開が非常に多いのです。
無論、本人達は違うと思ってますが、私には全く同一の思考法を持っているように思われます。
それでは、>>741で抽出した答えを、太郎にあてはめてみましょう。

「俺があえてレベルが高いと言うのは、例えば、このスレの中の、>>276以下の議論なんかがそうだ。
 上級者だけでなく、初心者も一生懸命に下調べして質問して来てくれる。
 そして議論を通じて、いろいろな見解が吟味・検討されて、互いにとても有益なものを得られる。 」

「太郎、それは自画自賛だよ。」

「君はポール氏のことを悪く言うが、彼はシェリング・スレできちんと勉強して俺の議論に
 付き合ってくれた。彼はぴかぁ〜みたいにジャーゴンを弄することはないし、真面目で健全な
 文章を書く人だ。」

「太郎、それは君の個人的な感想だよ。」

「レベルが高いというのは、だから決して現代思想にかぶれた連中が書くような意味不明な文章ではなく、
 真面目に哲学の勉強をしている人が、少しでも他人と意見交換をしたいと思って書く文章のことだ。」

「太郎、君はそう思い込んでるだけだよ。」

言ってしまえば、これが私が太郎にしたい反論でもあります。
743純一:2007/05/07(月) 01:07:30
以上、>>742を踏まえて、私の感想を述べます。

@ 「太郎、それは自画自賛だよ。」
A 「太郎、それは君の個人的な感想だよ。」
B 「太郎、君はそう思い込んでるだけだよ。」

@〜Bが示しているのは、太郎が全く客観性がなく、
その理論形式が、基本的にはぴかぁ〜と変わらないという点です。

ですから、私としては、>>736の太郎が言った、

「ほら、そうやって評論家ぶって他人の上に立ってものを言うでしょ。
 そういう態度が俺は嫌いなんだよ。」

というのが、考察した結果、何より太郎自身に当てはまっているという点に、
太郎は一生気付かないのだろうな、と思ってしまうのです。
744純一:2007/05/07(月) 01:21:15
では、最初の>>737に戻ります。

@ 「俺の言うレベルの高い書き込みというのは、ぴかぁ〜の意味不明な書き込みなどでは断じてない。
   そもそも俺はそういう書き込みを真面目に読んだことはないし、また読む価値もないと思っている。」

A  「わしの言うレベルの高い書き込みというのは、太郎の意味不明な書き込みなどでは断じてない。
   そもそも俺はそういう書き込みを真面目に読んだことはないし、また読む価値もないと思っている。」

太郎はおそらくは、@の己のレスは許すが、Aの他人の発言は許さないでしょう?
そして、ぴかぁ〜もAの己のレスは許すが、@の他人の発言は許さないでしょう?
そして、私からすると、この2つは同じ文章ですから、全く同じ理論形式を持っています。

何故、同じ理論形式であるのに、状況によって@とAが逆転したりするのか、という点です。
それは簡単で、@とAを語ってる主体が状況によって、立場を変えるという卑怯な主体だからです。
何故なら理論形式自体は同じなんですから。
745純一:2007/05/07(月) 01:42:35
では、>>744のような矛盾に気付かない要因は何でしょうか?
それこそ、「無頓着に「己の目分量」が無批判に通るという勘違い」をしている太郎やぴかぁ〜の主体の在り方です。

それで、ぶっちゃけますと、これは正直、団塊Jr世代特有の主体の在り方です。
無論、太郎やぴかぁ〜、ポールも「そんなものに俺が踊らされる訳が無い」と思っている訳ですが。

しかし、検討した結果、>>744のように矛盾しています。
こんな事を言っても、太郎やぴかぁ〜、ポールは気付かないでしょうが、
ここはあえて、忠告しましょう。

その主体こそが、君等が乗り越えるべき哲学の対象なのです。
しかし、君等は何故かいつも、その先入観を「疑う」のではなく、
まず、「前提」にして立論するので、全体的に矛盾が出るのです。
746純一:2007/05/07(月) 02:04:53
>>735では太郎が、

「ぴかぁ〜のような下種の文章を咀嚼しただけで、どうしてそんなに偉そうなことが言えるの?」

と言っていますが、私にはこれが、>>736の、

「ほら、そうやって評論家ぶって他人の上に立ってものを言うでしょ。
 そういう態度が俺は嫌いなんだよ。」

という発言と矛盾している気がします。
何故、太郎がぴかぁ〜の上に立つ前提でものを言っているのかという点と、
何故、己の発言と全く逆の行為をするのか、という点です。

答えは、>>745で申しました。
747考える名無しさん:2007/05/07(月) 02:14:09
別に太郎に肩入れするわけではないが素朴な疑問。
@太郎がぴか〜のような「ジャーゴンばかり使うが咀嚼はしていない人」を作る
 温床になった。
A太郎はそのような人は下衆だという。
@が事実だとしたところで「ジャーゴンばかり使うが咀嚼はしていない人」が下衆だと
太郎が思っている。
Bぴか〜のような「ジャーゴンばかり使うが咀嚼はしていない人」を純一は732や733で非難している。

ということはぴか〜は「ジャーゴンばかり使うが咀嚼はしていない人」であっても
太郎は「ジャーゴンばかり使うが咀嚼はしていない人」ではないしその逆
は有り得ないということを純一自身が
認めていることになるんでは?

寝る。
748純一:2007/05/07(月) 02:21:23
>>735の問題に移ります。

「咀嚼というのは「解釈」のことだよ。そして我々は、哲学を学ぶ上で、過去の偉大な哲学者たちの
 言葉を「解釈」しているわけです。君がそんなに「咀嚼」にこだわるのなら、ハイデガーや
 フッサール、あるいはスピノザやライプニッツの意味不明な言葉を咀嚼なさってはどうでしょうか?」

例えば、古典の言葉を解釈、咀嚼したというのはどのような状態なのでしょうか?
太郎の言う通りに、咀嚼が解釈だと仮定すると、勿論、古典の読書会が咀嚼となります。
しかし、解釈が咀嚼できるとすると、その咀嚼をぴかぁ〜やポールが内容も無くパクれるというのは何とも不思議な話です。

何故なら、咀嚼したというのに、理解できていないというのは矛盾だからです。
ですから、古典の解釈は咀嚼ではないという結論が出ます。
では、咀嚼とは何かというと、咀嚼とは理解であり、パクリが成立しない状態を言うのです。
749純一:2007/05/07(月) 02:37:25
>>747

「ということはぴか〜は「ジャーゴンばかり使うが咀嚼はしていない人」であっても
 太郎は「ジャーゴンばかり使うが咀嚼はしていない人」ではないしその逆
 は有り得ないということを純一自身が
 認めていることになるんでは?」

太郎はまあまあ咀嚼している、とは言いました。
ただ、太郎が完全に咀嚼していたとしても、ジャーゴンでしか表現できないのならば、
ぴかぁ〜やポールのように、@「ジャーゴンばかり使うが咀嚼はしていない人」を作る温床にしかなりません。

また、A太郎はそのような人は下衆だと思っていたとしても、
結果的にはジャーゴンでしか表現できないからこそ、そういう人を作ってます。

つまり、太郎が意図してそういう人達を作ったとは言ってません。
750純一:2007/05/07(月) 02:48:53
>>736

「それに、「太郎の論」って具体的には何よ?
 俺がここで Meine Philosophie を開陳したとでも言うのか?
 まあいい、その「太郎の論」っていうのがなんなのか、具体的にはっきりさせてくれ。
 そしてそれが俺の過去の「論」とどういう関係にあるのか教えてくれ。」

言っても無駄だと思いますが、わかりやすいのでぴかぁ〜を例にとりましょう。
例えば、ぴかぁ〜が適当に理論を並べて、これがデリダ哲学や、と言ったら、
太郎は、即座にぴかぁ〜がMeine Philosophieを開陳しておらず、
純粋に学問的哲学をしている、と判断するでしょうか?

つまり、私も同じ理由です。
太郎の理論が、学問的な哲学の訳がないという話です。
とはいえ、太郎やぴかぁ〜、ポールは自分だけは違う、と思い込む自我の強い人間でした。
そういう人間が一体何人いると思っているのでしょうか、と私は思うのです。

即ち、己の哲学だけがMeine Philosophieではないなんて主張は、
>>736の、

「ほら、そうやって評論家ぶって他人の上に立ってものを言うでしょ。
 そういう態度が俺は嫌いなんだよ。」

と言われるような人間しか言わない、という事です。
751747:2007/05/07(月) 02:50:08
いや、疑問に思うのは、その点が己の目分量ではないんではないかとうことです。んじゃ。
752純一:2007/05/07(月) 02:55:15
よくわかりませんが、それならその見解も747の目分量になるんじゃないかと思いますが。
753純一:2007/05/07(月) 02:57:03
目分量ではないんではないか、ですか、ちょっと、修正します。
754純一:2007/05/07(月) 03:02:53
説明しようかと思いましたが、理解が得られそうにないので、
目分量については、太郎の回答に任せるとしましょう。

仮に太郎が私の言う事を理解しないとすると、
他の人も理解する可能性は殆ど無いでしょうから。
755考える名無しさん:2007/05/07(月) 03:16:43
>純一

意味が分からん。何が言いたい?

分かる奴がいたら連絡してくれ。コイツの相手、代わってやるから。


じゃあ、長門の話や、自分の近況の話に戻ろうと思う。

実は今現在、自分の身の回りに奇妙なことが生じている。

この奇妙なことは、ある人物によって引き起こされつつあるのだが、長門が実はそれに一枚噛んでいた。

俺は連休前にそれにショックを受け、日課であるオナニーを危うく忘れるところであった。

そして、明日からまた、その奇妙な出来事に巻き込まれなければならない。
いや、俺は断じて巻き込まれたくはないのであるが、あいつが俺を見逃すとは思えない。

まあ、長門もいることだし、身の危険はないと思うが、衆目にさらされるのは嫌だ。

哲学を初めて学的に満喫できると思った矢先、これだ。俺は運が悪いのか。

長門、これもお前がいうように、あいつが望んだことなのか?

まあ、しかし、諸君には順を追って説明しないと、俺がなんのことを語っているのか分からないと思う。
しかし、今日は純一との無意味な議論で時間が潰れたので、それは次回にやろうと思う。
756純一:2007/05/07(月) 03:23:14
太郎が理解できないようなので、他の人が理解するも無理でしょう。
757純一:2007/05/07(月) 03:32:11
思い切りわかりやすくしましょうか。
太郎のOSはXPだとしましょう、俺は最近だとXPは思ってます。
純一はVistaです、Vistaのソフトは古いXPには読み込めません。

太郎はVista用ソフトを、こんなのはソフトウェアではない、と言います。
哲学板では最新のOSを持っているであろと予想した、純一Vistaは、
太郎のXPが読み込めないなら、哲学板の全部のOSが古いバージョンだろう、と考えました。

純一はとりあえず、Vista用の便利な最新ソフトウェアを彼等にインストールするには、
彼等のOSのアップデートを待たねばならない、と思って帰っていきました。
758チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2007/05/07(月) 03:36:22
>純一

つーか、OS の話はいいから、哲学の話をしろw

あのな、俺はこれからこのスレに長門の話とか俺の近況とかを書き込むのだから、邪魔するのはやめてくれ。
お前が俺になにか言いたいのであれば、ほら、

http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1125763391/

ここでやれ。
759純一:2007/05/07(月) 03:43:58
太郎に入ってるOSは、団塊Jr世代に流行ったXPです。
太郎のXPには、幾つかの致命的なエラーが含まれています。

純一Vistaは言います。
「その致命的なエラーは、Vistaにアップデートすれば解消しますよ」

しかし、太郎XPは聞く耳を持ちません。
「一般エラーぐらい、どうってことはないよ」

しょうがないな、と純一Vistaは思いましたが、
時代の流れでもうすぐサポートも終わるだろう、
その時になればアップデートするしかないだろう、と考えて帰って行きました。
760おじさん:2007/05/07(月) 21:49:02
>>726

いつまでもバカやってくださいよ〜。
永遠にね。
変にこざかしくやってたってしょうがいないでしょ。
そもそもまともな人間なら最初からチンポ太郎なんてHNで下ネタ連発したり
しないし。
だいいち此処は2chですよ。
2chで哲学ったら、ネタからませてナンボじゃないですかあ〜。
よろしく頼みますよ〜。
おじさんはチンポ太郎さんにリアルで会ったら
おもむろに股間を鷲掴みしたくなるぐらい
好きなんですから〜。
761おじさん:2007/05/07(月) 21:58:01
古代ギリシアの哲人師弟愛のように
左手に岩波新書のプラトンの「饗宴」
右手でチンポ太郎さんのチンポをしごきながら
「プラトニックな愛とはなんぞや?」と
耳元で囁いて、そのまま背後に回り込みスープレックスで脳天を
カチわりたいぐらいチンポ太郎さんが好きなんですよ〜。
762考える名無しさん:2007/05/09(水) 03:01:11
フッサールが先でもハイデガーが先でもいいと思うのだが、とりあえず絡めないと
逆によくわからないと思うんだけど。少なくとも前期ハイデガーにおいては。
763チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2007/05/10(木) 00:16:19

>おじさんはチンポ太郎さんにリアルで会ったら
>おもむろに股間を鷲掴みしたくなるぐらい
>好きなんですから〜。

悪いが、男に興味ない。ましてや、おっさんだからな。


>そもそもまともな人間なら最初からチンポ太郎なんてHNで下ネタ連発したり
>しないし。

いや、俺も最初はまともだったんだって。しかし、ここの住人が俺を狂気に駆り立てた。

考えてみろよ、高校を卒業して独学で現象学を学び、哲学を共に語る友もいないので、
たまたまこの板に書き込みをした。ただ純粋に哲学談義をしたいという思いで。
そうすると、罵詈雑言の数々、俺は実に閉口したよ(今は慣れたけど)。

二十歳前の男が、周囲からこういう理不尽な扱いを受けるとどうなると思う?
開き直るか、気が触れるかのどちらかだ。俺は後者だった。

で、馬鹿になることに決めた。

そもそも、チンポ太郎なんてハンドルは思いつきだし。
764チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2007/05/10(木) 00:26:19

そうか、みんなはそんなに長門のことが気になるのか。まあ、安心しろ、俺は彼女の恋人でもなんでもない。
しかし、俺がどのようにしてこの無口な美少女に出会ったのか、諸君も興味あるところであろう。

長門と初めて会ったのは、去年の夏だ。

夏といえば、頭の悪そうな高校生が、図書館の席を占領して、受験勉強に勤しむ時期である。

そして、俺も図書館にいた。別に本を借りるためにではない。市民図書館に借りる価値のあるような本はない。
かなり前の話になるが、心理学のコーナーに、何故かラカンの解説書があった。日本の専門家によって
書かれたかなり本格的な解説書だったから、「ああ、こんな本も置いてあるのか。借りてみようか」
と思い、その本を手にとって開いてみた。

・・・そして、驚いた。なんと、ほとんど全ページにわたって、鉛筆で、実に乱雑に下線が引いてあるのだ。
しかも、ほとんど全文に引いてあった。(下線を引く意味が分からねえ)

俺はそれを見たとたん、パタッと本を閉じた。嫌な気持ちになった。多分、ぴかぁの奴が嫌がらせでしたのだと思う。
(前にも言ったが、ぴかぁと俺は結構近所に住んでいる。)

で、それから、図書館で本を借りることはなくなった。

諸君はバルトが図書館の抑圧について語っていることを知っているだろうと思う。

俺は本を読むために図書館に行っていたのではなく、半分暇潰しで行っていた。
765チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2007/05/10(木) 00:31:14

しかし、図書館は喫茶店よりは落ち着けるものだから、自分も時々、本を持参して通っていた。

俺の読む本は、諸君の読む本と同様、それ一冊だけで読めるような代物ではない。それ一冊だけで
読めるような本は、ほとんど価値がないと言ってもいいくらいだ。
俺の読む本は、無駄にでかくて重たい辞書が必要だし、高度な文法書だって必要だ。
用語辞典もいるし、息抜きのためのくだらん小説もいる。

だから、俺が図書館に行くときは、大量の、しかも馬鹿でかい本を持ち運ぶことになる。
で、必然、図書館の中では目立ってしまうわけだ。

実際、学校帰りの高校生などから奇異の目で見られることなどは多々あった。
しかし、それで普通を装うなんていうのは我が哲学精神に反するので、
この際だから徹底的に奇人ぶりを見せてやろうと思い、
特に女子高生がグループでいる時などは、白目を剥いてブルブル震えて見せて、

「見える! 見えるぞぉ!」

などと叫んでいた。

そして女子高生の反応を見て楽しんでいた。変態と言われてもいい。実際、変態だからさ。
766チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2007/05/10(木) 00:41:20

というのは冗談で、図書館に行くときは、小説を一冊を持って行くだけで、あとは寝ていた。

長門の姿を時々見かけた。最初は、小柄な可愛い女子高生がいるとしか思わなかった。
いや、それ以上の何を思えと言うのだろう。

ある日、俺は、無性に衆人環視のなかで奇行を演じたくなった。それも、よく知的障害者が
電車やバスのなかでやるような、単に雄叫びを上げるといったものではなく、もっと洗練されたやつを。

俺は、図書館に着くや否や、室内の一角に魔方陣を描き、ロウソクに火をつけ、香を焚き、ラテン語の
呪文を唱え始めた。いつぞや、錬金術関連の本のなかで見つけた、飛びっきり怪しい呪文である。

しかも、俺の恰好は、黒魔術師そのものであり、何故だかは分からないが、
昔、大好きだった名刀「備前長船(おさふね)」を帯刀していた。

で、すぐに図書館の警備員が来て、続いて警察が来て、署まで連行された。俺は仕方ないので、
この気違いじみた行為にどういう意味があるのかを延々と警察諸君に説いて聞かせた。

俺はまず、悪魔召還の偉大性を語り、俺は悪魔召還によって、日本の財政界にはびこる「巨悪」を
倒すのだと主張した。警察諸君は私の言うことにまったく耳を貸さず、私はついに前科者となった。
767チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2007/05/10(木) 00:45:50

勿論、以上のことはすべてフィクションであり、実在の人物・団体とはあんまり関係がない。

本当の話をすると、長門との出会いは実に奇怪極まるものだったから、この位の冗談くらい言っても
いいと思ったのだ。

話を去年の夏に戻そう。そして、今の自分の本当の状況を語ろう。

自分は今、非常に忙しい。しかし、実は、板前の仕事はやめてしまった。やめちまったんだよ。マジで。

前々からもう嫌気が差していたし、先輩にキレたのをきっかけに職場で孤立し、なんかすべてが
馬鹿馬鹿しくなってやめてしまった。

で、職がないので困るわけだが、今までまあそれなりに資金も溜めていたので、なんかここで
自分の人生をパッと派手に変えることをやりたいなあ、と思っていた。これが去年の夏の話。

で、なんと、大学に行くことにした。自分にこういう計画があったということは、この板の
古き住人なら知っていると思う。自分は高校卒業後、すぐに板前の世界に入ったので、
専門的に哲学を学ぶということは出来ず、それがある種の劣等感になっていた。

その劣等感が、この2ちゃんねるという匿名掲示板で、哲学の講釈を垂れるようになった原因で
あると思う。
768考える名無しさん:2007/05/10(木) 01:10:27
どうしてウソ話にウソを重ねるのですか?
よしんばそれが本当であったとしても、そんなことはどうでもいいんです。
シェリングをやりましょうよ。
769考える名無しさん:2007/05/10(木) 01:12:50
チンポ太郎の哲学知識は玄人裸足。
高卒で独学しただけでは絶対このレベルには達しない。
俺はいろいろ人見てきているから分かる。
770おじさん:2007/05/10(木) 09:16:31
>大学に行くことにした。

それはよいねえ。
私は興味もない法学部を中退しちゃったんだけど
世間に出ていろいろ苦労したら哲学にはまったんだよ。
苦しみに何故って?理由探ししちゃったんだな。
それから大学に戻って一般教養だけど哲学だけ単位取ったりして、、、。
まあ、頑張ってください。


771考える名無しさん:2007/05/10(木) 10:00:46
新哲学の巫女きた!!
ってオマイラ、真理の女神とかいって偶像崇拝するのもいい加減にしろよ。
772チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2007/05/10(木) 12:12:52 0
>どうしてウソ話にウソを重ねるのですか?

嘘じゃないよ。


>シェリングをやりましょうよ。

著作集の刊行、遅れに遅れてるねえ。まあ、出ても俺は買わないけど。

シェリングの読書会、復活させてもいいが、どうして諸君は自分達で読書会を運営しようとしないの?
いつも俺主導じゃ面白くないでしょうよ。

読書会、やるなら参加するよ。どの時期でもオッケー。


>高卒で独学しただけでは絶対このレベルには達しない。
>俺はいろいろ人見てきているから分かる。


大学で勉強をされている方でしょうか。あのね、大学なんてところにいたら、一生、俺みたいな奴に出会う機会は
ないと思うよ。俺は一応、哲板の「奇蹟」ですから。

俺が哲学を独学で学んだのは事実です。ここでオフ会を一度やりましたが、その時に証明されています。
嘘だと思うなら、ぴかぁ〜辺りに訊いて下さい。

まあ、高卒なんて話は、もう自分には関係ないんですけどね。
それはこれからの自分の話を読めば分かります。

え? 次、野球?

父ちゃん、俺はやるのか?
773チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2007/05/10(木) 12:14:29 0
>私は興味もない法学部を中退しちゃったんだけど

法学は頭の良い人がやるものらしいよ。哲学は悪い人だけど。
774おじさん:2007/05/10(木) 21:40:21 0
>法学は頭の良い人がやるものらしいよ。哲学は悪い人だけど。

そうかねえ。そんなことないと思うけど。
でも哲学というものは狂気一歩手前のギリギリのところでやるものだよ。
まさにニーチェが綱渡りと言ったようにね。
あなたが大学で学びたいと言ったことが本心なら
私はとても応援したいねえ。
物事は真理がわかったとしたって
それを自分にとって現実に生かすことができなければ
悲劇だと思う。
好きで哲学をやっているのだろう?
悲劇を望まないよ。
同じように哲学を興味を持った者としてはね。
頑張りなさいな。

そんじゃな。


775考える名無しさん:2007/05/12(土) 00:23:08 0
775
776チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2007/05/13(日) 03:33:23 0

ちょっと話を急ぎ過ぎたようだ。これじゃあ、諸君が驚くのも無理はない。

俺はどうも順を追って話をするのが苦手のようだ。

哲板の諸君は、ところで、この板に何を期待しているのだろうか?

哲学の議論でないことは確かだ。ただ雑談に耽りたいだけだろう。ああ、つまらん連中だ、と
ハイデガー先生なら言うだろう。しかし雑談は人生の重要なる一断片と言える。

どうしてつまらないことがあろうか?


まあ、そんなことはどうでもいいが、俺はそういうことで、去年の夏から、猛勉強を開始した。
さっき図書館に受験生が沢山いたという話をしたが、実は、その中の一人が俺だった。

俺は理系の科目は得意だったが、文系の科目に意外にも手間取った。特に歴史関係が駄目だった。
元来、記憶というものが苦手な俺は、暗記科目と呼ばれるものが大の苦手だった。

予備校にも通った。英語の授業に出たが、簡単過ぎて驚いた。ドイツ語をやっても良かったが、
今回は変人と思われるのを避け、正攻法でやってみた。

一番楽だったのは数学だった。数学は昔から得意だった。なんか予備校の先生が関西弁の人で、
授業中にいちいち生徒のノートを見に来るので嫌だった。

まあ、そんなこんなで、短い期間ではあったが、それなりに受験勉強をし、センター試験を迎えた。

勿論、周囲の期待に応えて、センターでは大失態を演じた。前日に風邪を引いてしまい、
自分がどこにマークをしたのかさえ、覚えていない。

で、行けそうなところは、私大のみになり、哲学科のあるところをいろいろと調べた。
777チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2007/05/13(日) 03:37:58 0

あ、長門のことを語るのを忘れていた。去年の夏に話を戻そう。

俺は、仕事をやめ、大学に入る決意をして、毎日、炎天下、図書館に向かい、受験勉強をしていた。
その図書館は寛大なところで、受験生のために勉強するスペースをわざわざ作ってくれていた。
(一般の利用者が迷惑をしないようにであろう。)

ただ問題なのは、そのスペースを占めているのは学生服姿の連中で、私服の俺はどう見ても
浮いていた。いや、浮いているどころか、「俺は浪人生ですよ」みたいな雰囲気を醸し出していた。
俺はそれが嫌で、通販でコスプレ用の男子高校生の制服を買い、それを着て、図書館に行っていた。

というのは勿論嘘で、我慢して図書館に通い詰めた。部屋でチャート式などをやっていると発狂しそうになるから。

長門と出会ったのは、そんなふうにして図書館に通っていたある日のことである。
778チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2007/05/13(日) 03:41:58 0

しかしその話をする前に、ちょっとここで哲板の諸君に注意をうながしておきたい。

俺がこれからする話は、嘘でも何でもない。すべて事実あった通りのことである。
俺は心霊的なものとか信じていないし、超自然的なものなど一切興味はない。オカルトなど論外だ。

しかし、それに近いものが、実際、俺の身近で起こった。俺はそれがどのような意味を持っていたのかということを
のちに知ることになるのだが、その時は馬鹿らしくてドッキリか何かだと思った。


俺は、ある日、高校のときの制服を着て、図書館に行った。
冗談みたいな話だが、自分ではギャグのつもりだった。勿論、誰も笑う者はいないが、
自分一人で爆笑していた。俺の通っていた高校は、群○というキチガイ高校で、
今住んでいるところからは遥か離れたところにある。

俺はこの高校のときの制服が何故か好きで、卒業後も取っておいたのだ。で、久々に高校の勉強をすることになった
ものだから、なんだか懐かしくなって、冗談で制服を着てみたのである。


そんな俺を誰が責められよう。
779チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2007/05/16(水) 03:35:23 0
で、図書館に行ったのだが、勿論、群○の制服なんてこの辺の学生は知る由もない。

それで俺は、学生服姿の高校生に混じり、一人ニヤけながら勉強をしていた。
長門が、前の方の席に座っているのが見えた。

俺は一時間ほど勉強した後(集中力ねえ)、図書館を出たところにある自動販売機に行って、コーヒーを飲んでいた。
そうすると、ちょうど長門も休憩中のようで、向こうから歩いてくるのが見えた。言うのを忘れていたが、長門は、
ここから電車で何駅か行ったところにある高校の制服を着ていた。

長門が俺の方に近づいて来て、なんと口を開きやがった!

「その制服・・・」

長門、無言で俺の方を少し驚いたように見ている。

俺も驚いた。しかしなんで制服なんだ?

「ああ、これは、・・・」

「群○の制服」

と一言。

「え?」

「わたしもそこにいた」

「え? まじで?」

コクッとうなずく長門。表情はまったく変わらない。
780チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2007/05/16(水) 03:41:29 0

「ああ、そうか。へえ、群○の生徒がこの辺にいるなんて知らなかった。引越ししたの?」

「そう」

「そ、そうか。あの学校はいろいろと問題があるからなあ、世間で言えないようなさ」

「どんな?」

「ど、どんなって、知ってると思うが・・・そうか、そうか、いや、」

なんで俺がこんなにあせったのか、ちょっと説明しておこう。群○という高校は、実は、普通の高校ではなかった。
そこは、主に登校拒否や社会的に問題のある生徒が集まるところで、自分の知っている範囲では、わざわざ
九州なんかからも来ていた奴がいた。言葉は悪いが、一種の矯正施設のようなところだった。
(世間的には普通の高校ということになってはいたが。)

しかし、学則はかなり自由で、制服は一応あったが、私服を着ても構わなかった。単位制だったので、
自分の好きな科目をある程度自由に選択することも出来たし、集まった生徒は案外普通だった。
(それに、高校自体のレベルは結構高いものだったらしい。そういう生徒が意外に多いから、
選抜式になってしまうのであろうか?)

勿論、それは普通に見えるだけで、いろんな事件はあった。手すりから落ちて死んだ奴がいたし、
授業中に発狂する奴もいれば、休み時間にリスカする女子がいたり、精神を病んでいなくなる奴もいた。
781考える名無しさん:2007/05/16(水) 20:14:39 O
作家にでもなりたいのか?
782考える名無しさん:2007/05/16(水) 21:31:29 0
>しかし、それに近いものが、実際、俺の身近で起こった。
気になる・・・その調子で続けていってちょんまげ。
783考える名無しさん:2007/05/18(金) 03:45:52 0
>作家にでもなりたいのか?

こういう疑問を呈する輩が後を絶たないので、この際だからはっきり言っておこう。
俺は別に作家になんてなりたくないし、自分にそれだけの文才があるとも思わない。
俺が哲板に小説じみたものを書く理由は、単に暇潰しのためではない。

前にも言ったが、俺の現状は、哲学的に考慮に値する、ある問題を抱えている。

しかもこの問題は、俺の現状に精通してからでないと、理解できないものなのだ。だから、俺はあえて
自分のプライベートなことを曝しつつも、問題提起のためにはやむを得ないと思っている。

作家は大抵の場合、虚構について語るものだ。いや、そもそも「作家」という名称自体、虚構的なものを
指示している。というのは、「作家」とは要するに「製作する者」であり、「製作」というのは、すべて、
プラトンの言うように、真理の真似事であって、真理を追究する者にとっては、重大な障害なのである。

プラトンはだからこそ、『国家』において詩人追放を訴えたのであり、また、アリストテレスは『形而上学』の中で、
「うたうたいたちが、嘘八百を言っている」という言葉を引用したのである。

作家とは、従って、哲学者の対極にある。哲学は、作家に対する宣戦布告であり、作家は真理を追究する
哲学者の大敵である。

そんな作家に、どうして俺がなりたいわけがあろうか?


作家なんてものは、斬鉄剣あたりに斬られていれば良いのである。
784考える名無しさん:2007/05/18(金) 04:25:26 0

群○の話が出たから、そこから話を再開したいと思う。

群○での俺の感想を言わせてもらうと、俺のクラスメートは、ほとんどの奴が他人と口をきかなかった。
個々人が独立していて、互いに迷惑をかけないように、自分の世界に引きこもっている感じだった。

俺は、ある女子に興味を持ち、いろいろとちょっかいを出したのであるが、それがある悲劇を引き起こした。
まあ、それは今の話とは関係ないのでしないが、そういう高校だった。

で、そういう学校に来る奴なら、自分がどういう類の人間で、どうしてそこに来たのかも知っている。

だから俺は、長門が群○にいたと聞いて驚いたのだ。驚くと同時に興味も湧いたが、俺はそこで
一度嫌な経験をしているので、群○の人間とは、正直、付き合いたくはなかった。

俺はわざとらしく携帯を取り出し、時間を確認するふりをしながら、

「あ、そうだ、俺、バイトがあるからそろそろ行かないと。じゃあ、また」

と言って、その場を退散した。


長門はなんで群○なんかにいたのだろう、あいつもリスカなんて物騒なことをやってるんじゃないだろうな、
という不安がよぎった。なんかその日は一日嫌な気分だった。
785考える名無しさん:2007/05/18(金) 04:41:50 0
で、図書館に行くのはやめた。長門と会うのが恐かったから。

しかし、やっぱり気になる。俺はどうしても高校時代の出来事について割り切れないものを持っていた。
それはさっきも言ったように、ある女子に関してなのだが、やはりそれについて少しだけ触れておこう。

その女子は、(今ならもう名前を挙げてもいいだろう)桐原という名前だった。
裕福な家庭に生まれ、本来なら、どこぞのお嬢様学校で学んでいるべき人材であった。
しかし桐原は、心の中に空洞があった。何か中学時代にやらかしたらしいが(噂では殺傷事件を起こしたらしい)、
そのせいで、ここに来ることになったらしい。終始不機嫌で、絶対に他人と口をきこうとしなかった。
プライドが異常に高く、いつも私服で通していた。

俺はそんなことも知らずに(というか、かわいい女子がほかにいなかった)、彼女に接近し、仲良くなろうと
努めた。で、数々のセクハラ行為を敢行し、素手で殴られたり、真剣で斬られそうになった。

というのは冗談で、あることをきっかけにして、かなり仲良くなれた。友達というレベルには達していたと
思う。勿論、彼女は最後まで、俺を恋人として受け入れることはなかった。まあ、正直な話、俺も他人の
恋人になんかなるつもりはなかった。俺も結局は、精神的に空洞を抱えた人間だったのかも知れない。

しかし、俺は桐原とは友達になれたし、結構話もするようになった。これは驚異的なことだった。
担任の教師でさえも、桐原に何か連絡する時、俺を通じてするくらいであった。
桐原の性格も徐々に変化して来て、クラスのほかの連中とも喋るようになった。

それで、高校二年の夏のことだが、数人でキャンプに行くことになった。俺の部活仲間と、あと、桐原。
そこで、起こってはならぬことが起こってしまった。桐原は、俺の知らぬ間に、俺の部活仲間の女子と、
いざこざを起こしたらしい。そのいざこざのせいかどうか知らないが、彼女は三日目の朝に、
死体で発見された。(いざこざが起こった翌朝のことだった。)

朝起きたら桐原がいなかったので、みんなで探した。そして、俺の仲間の一人が、桐原が死んでいる、と
言った。俺は現場に行く気もしなかった。あとで警察を呼んだが、俺はあれこれ質問されるのが
嫌でならなかった。
786考える名無しさん:2007/05/18(金) 04:46:23 0
もういいよ。やめてくれ!
一番読むべきだったのはプラトンのくだりくらいだ。
評価を得ている人が評価されている分野と違うことを延々とやることほど、みっともないことはないんだよ。
787考える名無しさん:2007/05/18(金) 05:10:36 0

俺はその日以来、おかしくなってしまったようだ。学校にはほとんど行かず、部屋に閉じこもっていた。


桐原は、どうして死んだのだろうか? 俺はカミュか誰かの小説の中に、自殺者の心情を描いたものが
あったのを思い出した。自殺するのに理由は要らない。自殺する前に嫌なことがあったとしても、
それは自殺のきっかけに過ぎず、理由ではない。人は、ある日突然、何の前触れもなく、
まるでそうするのが当然であったかのように、自殺する。

俺は、つまり、桐原を救うことは出来なかった。いや、救済なんて概念はこの際、意味をなさない。
人は生きている方がいいのか、死んでしまった方がいいのか、俺には分からないからだ。


ともかく、俺は、桐原の死を境にして、まったく別の人間になってしまった。高校はなんとか卒業したが、
高校の連中とは、今でも付き合いは一切ない。俺の記憶から消してしまいたいことがあまりに多いから。
788考える名無しさん:2007/05/18(金) 06:00:15 0

桐原の死から数年が経つ。そして、俺の彼女に関する記憶も、薄れつつあった。

しかし、長門と出会った瞬間、あの高校での異様な思いが浮び上がってきた。

長門は、桐原とはまったく違ったタイプである。しかし、俺には、長門の表情が、一瞬、桐原のそれと
重なった。俺はそれで恐怖を感じたのである。


しかし、俺の中には、いつかあの謎を解きたいという気持ちもあった。

俺はいろいろ考えた末、図書館にもう一度、行って見ることにした。

長門に会うためだ。



>評価を得ている人が評価されている分野と違うことを延々とやることほど、みっともないことはないんだよ。

哲学の話をしたら「哲学的才能はない」と言われ、自分の身の上話をしたら「みっともない」だ。

何度も言うが、君達は俺に何を期待しているの?

死んで欲しいのか?
789考える名無しさん:2007/05/18(金) 06:02:11 0
僕はチンポさんに哲学の話をしてほしいんだ!
790考える名無しさん:2007/05/18(金) 06:13:23 0
スピノザでも現象学でもシェリングでもいいからやってください!
デカルト的省察も人間的自由の本質もエチカもありますから!
791考える名無しさん:2007/05/18(金) 10:43:01 0
> 俺は別に作家になんてなりたくないし、自分にそれだけの文才があるとも思わない。
それは残念だ
792考える名無しさん:2007/05/18(金) 17:31:00 O
チンポという名だけあって女が惹かれるらしい。
けしからんことだ。哲学徒ともあろう者が。実にけしからん。
ふむ、なるほど私にもポコチンと改名すべき時がきたのかもわからない。
793ポコチン:2007/05/18(金) 17:37:52 O
どうだろう。女性諸君。 ポコチンをつけた私は?
いかがだろうか?
恐れるには及ばない。たかがポコチンじゃないか?
されどポコチンなどと思うのは、日本語にとらわれているだけなのであるから、
問題はない。
794ポコチン:2007/05/18(金) 17:42:15 O
さあどうした? さあ、さあ!!
795考える名無しさん:2007/05/19(土) 23:34:50 0
>スピノザでも現象学でもシェリングでもいいからやってください!
>デカルト的省察も人間的自由の本質もエチカもありますから!

「ありますから」って言われてもなあw まず、俺の疑問としては、どうしていつも俺主導なの? ということ。

読書会スレをそんなに運営したいのなら、君達で好きにやればいいじゃん。俺はそもそも二回もこのスレで
読書会を主催したんだよ。でも、最後には君達の方からいなくなったじゃないか。


>さあどうした? さあ、さあ!!

誰だよ、おまえwww



あと、ひとつ訂正させてくれ。上に桐原のことを書いたが、「殺傷事件」じゃなくて、「傷害事件」の間違いだ。

なんでこんな恐ろしいミスをしたのだろう。
796考える名無しさん:2007/05/20(日) 00:01:31 0

そう言えば、俺の周りには、頭がおかしくなったり、自ら命を絶ったりする奴が多い。

なんでなんだろう? ということを、昨日、一日考えていた。

授業のあと、サークルの部室に行き、漫然と時間を潰していたのだが、そのサークルの中に、小泉という、
心理学を勉強している奴がいる。他に話相手もいなかったので、俺はこのちょっといけ好かない、やさ男小泉に
話を振って見た。

「なあ、小泉、俺の周りで発狂する奴や自殺する奴が多いのはなんでなんだ?」

「唐突ですね」

「心理学的に何か問題があるんじゃないかと思ってな」

「ははは、心理学というのは、そういうものではありません。まあ、それはいいのですが、○○さんの周りで
そのような事件が多発するということ、これには興味があります」

「いや、俺は興味なんてないんだ。むしろ迷惑している。俺は何か害悪を撒き散らしているのだろうか」

「それは僕には分かりませんが、○○さん、ミステリー小説などはお好きですか」

「たまには読むが、それがどうした」

「ミステリー的創作物の名探偵達は、何故か次々に、不可解な事件に巻き込まれることになっています。
何故だと思いますか?」

「‥‥‥そうしないと、話にならないからだろ」
797考える名無しさん:2007/05/20(日) 00:16:34 0

「大正解です。そのような事件はフィクション。非現実的な物語の世界にしかありません。ですが、ここで
そのようなメタ・フィクショナルなことを言っていても、仕方ありませんね。あの方は、まさにそのような世界に
身を投じようと考えているわけですから。」

注。小泉の言う「あの方」とは、俺達の所属するサークルのボスだ。あとで詳しく話すだろうが、今は聞き流してくれ。

「そう言えば、このサークル自体、そのためにあいつが作ったんだったな」

「そのような非現実的で、ミステリーな事件に遭遇するためには、それにふさわしい場所に行かなくてはならない。
何故なら、創作上の名探偵達は、そのようにして、事件に遭遇するからです」

「ちょっと待て。その話は俺の話とどう関係があるんだ?」

「名探偵の現れるところに、奇怪な事件は発生するんですよ。名探偵と呼ばれる人間には、事件を呼ぶ超自然的な
能力がある。○○さんが不可解な事件に巻き込まれるのは、○○さんにそのような能力が具わっているということです」

「なんだそれは、ラカンか?」

「ははは、ラカンではありません。僕の戯言(ざれごと)に過ぎませんよ。聞き流して下さい」


言われなくてもそうするがな。
798考える名無しさん:2007/05/20(日) 00:32:45 0

「しかし、俺の周りで変なことが起こるのは、俺があいつに会う以前の話だぞ。それはどうなる?」

小泉は少し驚いたような顔をして、

「本当に覚えてないんですか?」

などと訊きやがった。

「なにを、だ?」

俺は多少、イラついて来た。同じ事を、俺はこのサークルの別の部員に訊かれたのだから。
799考える名無しさん:2007/05/20(日) 04:43:42 0
なぜチンポさんがどうして主導するのかといえば、少なくとも対話を通して哲学をしようという意志が
あるからです。そして能力もあるからです。

僕は今のちんぽさんのカキコミよりは、少なくともデタラメであってもぴかぁ氏のが
マシにすら思えます。
800考える名無しさん:2007/05/20(日) 19:25:44 0
>なぜチンポさんがどうして主導するのかといえば、少なくとも対話を通して哲学をしようという意志が
>あるからです。そして能力もあるからです。

そういう嘘を平気でつくのはやめて貰えませんか? はっきり言ってムカつきますよ。

俺が主導しなくちゃならないのは、あなたにそういう能力がないからです。自分の力では何一つ哲学的著作を
消化することの出来ない無能だからです。そういう無能から「能力がある」なんて言われても、まったく嬉しくないです。


>僕は今のちんぽさんのカキコミよりは、少なくともデタラメであってもぴかぁ氏のが
>マシにすら思えます。

そういうくだらない挑発には乗りませんよ。ぴかぁ〜にはぴかぁ〜のやり方があり、自分には自分のやり方がある。
ただそれだけです。それに優劣をつける意味が分かりません。


私は自分で学ぼうとしない怠け者とは交渉しない。
801考える名無しさん:2007/05/20(日) 19:37:42 0

本当に読書会をやりたいのであれば、どの著作のどの部分が分からず困っているとか、そういう具体的な質問を
するべきでしょうよ。

いきなりエチカも自由論もあります、なんて言われても、あなたが真に哲学を理解したい情熱を持っているのか否か、
伝わって来ない。


以上。
802考える名無しさん:2007/05/20(日) 23:19:37 O
早くいい女の話してくんない?
803考える名無しさん:2007/05/21(月) 17:54:26 0
すっかり話が横道に逸れてしまった。これはチンポコなんて下品なハンドルの奴が紛れ込んだせいだと思う。

そういう下品なものは俺は大嫌いだ。ティンコとかマンニョとか、そういう言葉を口に出すだけで俺は罪悪感に苛まれる。

勿論、ウソだけど。


俺の近況を長々と語るのはどうも良くないようだ。そんな暇人の独り言は日記にでも書いていやがれ、と言われそうだ。
なので、過程を一気に省くことにする。これで多少、話が分かり辛くなると思うが、それは諸君の責任だ。

俺は長門に会おうと思い、あの時以来、毎日図書館に通っていたのだが、まあ、そういう細かい話はいいだろう。
俺が何月何日の昼にコンビニの弁当を食ったとか、そういう不必要な情報は極力省くようにしたい。
なんでも迅速さが求められる現代社会だ。マルクスなんて言っている奴はダセえんだよ、まったく。

勿論、すぐには長門に会えなかった。しかも、見ず知らずの女子高生に話し掛けるなんてストーカー的行為は、
なおさら嫌だった。しかし、俺は長門のあの様子を見て、彼女が普通の人間でないということはすぐに分かった。
彼女とは言葉を交わす義務があるように俺には思えた。

これはストーカーの論理と紙一重であるが、俺の場合は「群○」という事情が絡んでいたから、許されると思う。
804考える名無しさん:2007/05/21(月) 21:08:38 0
で、図書館に通っていたのだが、果して一週間後くらいに、長門と再会することが出来た。

図書館の入口のドア付近ですれ違ったのだ。勿論、すぐに馴れ馴れしくするわけにはいかない。

軽く会釈して見た。

長門は立ち止まったが、何も言わない。もしかしたら、俺のこと、忘れてしまったのか。

長門は無言なので、俺は仕方なくそのまま中に入り、本を読み出した。勿論、本なんかより、俺は
長門のことが気になっていた。

30分くらいして、長門が、図書館の中に戻って来た。俺はまた、自販機のある休憩室で長門を
捕まえるしかないと思った。で、長門がそこに行くのをずっと待っていた。

諸君、この待っている時の俺の心持ちを察して欲しい。俺は心臓がバクバクだった。恐怖と緊張で。
805考える名無しさん:2007/05/21(月) 21:35:14 0
長門はついに席を立ち、休憩場の方へ歩き出した! チャンスと思い、俺も席を立った。
果して長門は、自販機で何かを買っている。俺は、長門のうしろに立った。長門は俺に気づき、「あっ」と
いう感じで俺の方を見た。

俺は、

「休憩?」

と笑顔で訊ねた。

コクッとうなずく長門。

「今、三年生?」

またもや無言でコクッとうなずく。

「そうか。じゃあ、受験勉強大変だな」

「そうでもない」

と初めて口を開いた。

「でも、周りのみんなは必死みたいだぞ。えーと、名前は・・・」

「長門○○」

とフルネームで間髪入れずに教えてくれたw
806考える名無しさん:2007/05/21(月) 21:52:42 0
「ああ、長門さんか。長門さんは、○○の生徒?」

コクッとうなずく。

「でも、その前に群○にいたんだな」

コクッとうなずく。

「なんで転向したんだ?」

「父親の転勤」

「なるほど、転勤か」

俺はあまり深入りしていけないと思った。で、話題を変えた。

「生活指導の岡○とか知ってる?」

と訊いてみた。

「知らない」

と言われた。

「そうか、俺はあいつに随分やられたんだよ。あの高校は、体罰容認、いや、むしろ推奨だったからなあ」

などと言ってみた。それから、話題がほかにないので、群○の話をいろいろとやってみた。
807考える名無しさん:2007/05/21(月) 22:17:22 0
しかしあまり反応が芳しくないので、また話題を変えた。

「実は俺も受験生なんだよ。あ、俺の名前は○○っていうんだが」(そう言えば、ここで名前を教えたのか。)

俺は続ける。

「俺はとうの昔に高校を卒業して働いていたんだが、急に大学に行きたくなって仕事をやめたんだよ。
それで今は受験勉強。久し振りに高校の時の教科書なんか出して悪戦苦闘してるよ」

長門は俺の話をじっと聞いている。よく見ると整った顔をしていて、なかなかかわいいということに気づいた。

「長門さんは、塾とか行ってるの?」

「今年の春から○台に」

「え? 本当か? 俺も少し前から○台に通ってるいるんだが、コースは?」

「コース?」

「ああ、そうか。長門さんは現役生だから、俺達みたいにコースはないのか」

「たぶん」

「俺は説明会の時に綺麗なお姉さんがいて、その人が担当しているコースを選んだから」

「‥‥‥」

無言かよw

ちなみにこの綺麗なお姉さんとは生徒ではなく、予備校の事務員さんだ。
808考える名無しさん:2007/05/21(月) 22:53:24 0
しかしまあ、こうして俺達の会話を逐一再現していても仕方ないので、概要だけ話そう。

長門とはこの会話が縁になっていろいろ話すようになった。予備校でも何度か会ったことがあるが、
俺は結構真面目に勉強していたので、予備校で会ったとしても、挨拶と立ち話をする程度だった。

むしろ俺達が親しく喋ったりするようになったのは、図書館の近くの喫茶店だった。
『純粋理性批判』の話が出たのは去年の秋口だったと思う。長門の家で初めてお茶をご馳走になった日である。

俺は特に秋から冬にかけて受験勉強に専心した。長門とはよく志望校の話などもしたが、長門は既に入る大学を
決めていた。そしてその大学は、長門の学力では120%合格間違いなしだった。
なにせ東大でも首席で合格しそうな頭をしているのだ。

俺は初めは国立を受験する予定だったが、既に述べたように、センター試験であり得ないミスを犯してしまい、
私立の哲学科に入ることにした。まあ、それはそれでよかった。長門と同じ大学だったからだ。
俺は長門がこの大学にこだわるのは、何か訳があるのだろう、と思った。しかしまあ、聞いても曖昧な答えしか
返って来なかったので、深くは追求しなかった。

諸君は俺が今、どこの大学に通っているか、物凄く興味があるのではなかろうか?

勿論、個人を特定されるのは嫌なので、教えない。しかし、まあ、一応、なかなか頭のいい大学と世間では
見なされている。 もしかしたら、この哲板に俺の大学のスレが立っているかも知れないよw

これから、俺の現在の状況をリアルタイムで書くことになるが、大学や個人を特定されるのは嫌なので、
人物名などは注意深く変更するつもりだ。バレたら俺が殺されるからね。

もし、同じ大学で俺達のことだと気づいた人がいたら、ここではそのことに言及せず、直接俺に言ってくれないか?

仲間に入れてやるからw
809ポコチン:2007/05/22(火) 00:26:38 O
チンコよ、君ね人の名前を間違ってくれるとは失礼な話じゃないか。
私は断じてチンポコなどというやらしい名前ではない。
断じてポコチンだ。
ちなみに愛称はポコちゃんだ。
810考える名無しさん:2007/05/22(火) 00:46:56 O
なかなか可愛いか。
まあ反応振りは美女的ではあるがな。
チンポのくせしやがって。
私はポコチンだぞ。ポコチンの方が上のはずじゃないのか?
同じアソコならポコチンの私の方が数段上をいくはずなんだ。
いつもだ、いつも奴は私の先を行きやがる。
ポコチンになり追いついたと思ったら、
すぐにまた引き離しやがる。
気に入らねえ野郎だ、まったく・・
811考える名無しさん:2007/05/22(火) 02:04:55 0
>チンコよ、君ね人の名前を間違ってくれるとは失礼な話じゃないか。
>私は断じてチンポコなどというやらしい名前ではない。
>断じてポコチンだ。

悪かったよ。まあ、チンポコもポコチンも同じなんだけどw

>ちなみに愛称はポコちゃんだ。

しらねーよwww


>私はポコチンだぞ。ポコチンの方が上のはずじゃないのか?
>同じアソコならポコチンの私の方が数段上をいくはずなんだ。

なんの話だw

たしかにチンポコとポコチンとでは響きが違う。前者は、男性器の様子がやや控え目に表現されているように
感ずる。実際、チンという鋭い音が最初に来て、その後にポコという鈍い音が来て、落ち着くように出来ている。

しかし、後者のポコチンは、ポコでもって先ず、我々に「あれ?」という感覚を呼び起こす。というのも、
ポコなんかで始まる日本語は他にはないからだ。そしてこの一種異様なポコに続き、チンという禅のわびさびを
連想させるような、鋭く、そして厳粛な音が後続する。

俺はポコチンという言葉の響きに、芭蕉の「かわず飛び込む水の音」と同じくらいの迫力を感ずる。

ポコチンありがとう! 俺は今日、なんか詩的な気分で眠れそうだ。
812ポコチン:2007/05/22(火) 02:25:43 O
眠りに就く前に諸君に一つ進言しておこう。
チンポの話の出鼻を挫くような真似は間違っていると。
こんなお節介なことをいうのもチンポと私ことポコチンは同種族に属している故だ。

諸君も知っての通り、我々は同輩を息子と認識している次第なのである。

考えてもみて欲しい、
チンポがチンポの話をする、女の話をする、
これ以上に自明なことなどあるだろうか?
ありはしないだろう。
問題はその話に哲学性があるか否かだが、
チンポに哲学があり、その能力があることは諸君も認めるところである。
ならばチンポが口を開き語るところには哲学性が認められるはずではないか?
しかしチンポの奇蹟と褒め称えたらしいから、
やはりチンポ故に認め難いことではあるようだ。
そこで理解の助けになるように、
少々我が種族の哲学を紐解いておこう。
その神聖なる大前提は、真理は女であるというものだ。
これは我々には自明すぎるものであり、
疑うものは追放されることになっている。
つまり我々の哲学は前提からして完結しているようである。
驚くなかれ、しかしそうではないのだ。
真理が女ならば、女とは何かという大問題が諸君にも自然と思い浮かばざるをえないだろう。
どうだろうか? ここまで話せば、もはやチンポの話はチンポの哲学そのものであることがわかっていただけたかと思うので、ここで話を閉じさせていただくことにしたい。
813ポコチン:2007/05/22(火) 02:41:29 O
>>811
ふむ、わかってくれたか。
814考える名無しさん:2007/05/22(火) 12:52:09 0
ポスト減少額
815考える名無しさん:2007/05/22(火) 19:01:29 0
俺は恋愛なんて幻想だと思う。
だって射精すると虚しくなるもん。
射精すると欲が無くなる。
従って射精後は欲の無い心で世界をありのままの状態で見る事が出来る。
射精後の世界がこの世の本質であり真理だ。

女は射精しない。
つまりいつまで経っても欲が無くならない。
男よりも女の方が欲深い。
女は強欲で醜い生き物だ。

男は射精によって悟りを開く事が出来る。
男はピュア(純粋)な生き物である。

虚しいが恋愛は幻想なんだ。
いや何も恋愛だけに限った事では無い。
そもそもこの世の全てが幻想なのだから。
全ては無である。
816考える名無しさん:2007/05/22(火) 21:36:48 0
コピペなんだろうけど、一応レスしておくと、

>女は射精しない。
>つまりいつまで経っても欲が無くならない。
>男よりも女の方が欲深い。
>女は強欲で醜い生き物だ。

ラカンはだから、女性はリアルなもの(現実界)に触れることが出来ると言っている。
男は現実界から基本的に永久に追放されていて、一生、女の尻を追いかけるという苦役を強いられている。

>俺は恋愛なんて幻想だと思う。
>だって射精すると虚しくなるもん。

恋愛はたしかにイマジナリーなもの(想像界)だから、本質的にはナルシスティックなものでもある。
恋愛というのが幻想であるのは、それが実は自己に対する愛への反映に過ぎないという側面があるからだ。
まあ、セックスよりもオナニーの方が根源的だということだ。

しかし、恋愛というもので自分が遭遇したものは、むしろシンボリックなもの(象徴界)の裂け目、
ブラックホールの如き穴である。あの穴に遭遇すると、もう発狂するしか道がない。

恋愛は幻想どころか、この現実の中で、最も現実的なものとして立ち現れてくる。

これは本当に恋愛で懊悩したことのある者だけが理解できることだ。恋愛は幻想などではない。射精如きで
自分の恋愛感情を払拭させることが出来るのなら、それは恋愛ではなく、ただの肉体的欲望である。

恋愛は、肉体的欲望とは異なり、女性のうちに存する、あるいは我々が女性の女陰のうちに見る、あの
象徴界の裂け目へと召還されることにほかならないのだ。

真の恋愛とは、従って、発狂することである。そう言えば、あいつも言っていたなあ。

「恋愛なんて、一時の気の迷いよ! 精神病の一種だわ!」
817考える名無しさん:2007/05/22(火) 22:01:48 0
チンポ哲学については過去に散々に語り尽くした。諸君はその偉大性を知っていることと思う。
まだ知らない人は、宜しく過去スレを熟読し、チンポ哲学の深遠に触れるべきである。

>その神聖なる大前提は、真理は女であるというものだ。

真理は女であり、女とは他者である。真理は他者と共にある。

つまり、これは自分のオティムポは相手のオマンマンとセットになってのみ、その効果を最大限に発揮し得るということだ。
オナニーばっかしてんじゃねえぞ、自分!


>ここまで話せば、もはやチンポの話はチンポの哲学そのものであることがわかっていただけたかと思う

恐らくこの言葉ほど私の哲学の真の理解を表現したものは他にないと思う。
818考える名無しさん:2007/05/23(水) 00:30:10 O
真理ちゃんまだぁ!?
    ∧_∧
   ( ・∀・)
  ∫Φ_⊂)_
`/旦/三/ /|
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| |
|愛媛みかん|/
` ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
819考える名無しさん:2007/05/23(水) 11:07:08 0
>>816
恋愛は一時の迷いなんだから結局は幻想だろ
820考える名無しさん:2007/05/23(水) 19:11:29 0
まったくもってその通り。恋愛は一時の迷いだから結局は幻想です。

チンポさん、続きをお願いします。
821考える名無しさん:2007/05/23(水) 19:58:47 0
>恋愛は一時の迷いなんだから結局は幻想だろ

いや、現実(と我々が普段思い込んでいるもの)こそ、幻想である、というのがラカンの根本的見解なんだよ。

我々の現実は、象徴的なものなんだが、この象徴界というものは、「物の殺害」によって成り立っている。

物というのは象徴化される以前の不気味な物であるが、我々は大文字の法によって、これに接近する事が原則的に
禁じられている。丁度、カントの哲学において、我々は物自体を認識する事はできないが、しかし物自体なくしては
現象を認識できないと言うのと同じ理屈だ。

我々は、リアルなものに直接触れることは出来ず、それを象徴化(言語化)して語ることしか出来ない。
しかし、このリアルなものは、象徴界の裂け目として、飽くまで象徴界を支え続ける。

我々の生きる世界は、このリアルなものが骨抜きされた幻想の世界に過ぎない。しかし、リアルなものは、
時々、我々の方に回帰することがある。それが精神病患者の世界であり、精神病とは、この禁じられたリアルな
ものとの直接交渉である。

面白いことに、女性の場合は、象徴化が完璧に為されず(象徴化はファルスと深い関係がある)、従って
女性は普段の生活においても、現実界に直接触れることが出来るのだ。(しかし結局は、ファルスにすべてが
収束されて、元の世界に戻る。)

有体に言えば、女性はもう存在そのもののうちに、精神病を宿しているのである。

しかし男は違う。男にはロゴスがある。しかし、恋愛において、すなわち一時の気の迷いにおいて、我々は
物の世界(現実界)へと瞬間的に回帰する。だから、恋愛こそが現実であり、恋愛以外のすべての生活の方が
幻想なのだ。

悟りなんて幻想だよ、君。恋愛の中にしか真実はない。
822考える名無しさん:2007/05/23(水) 23:41:15 O
で、肝心な長門の真理ちゃんは?
823ポコチン:2007/05/24(木) 00:05:29 O
象徴界がなくなったらどうなる?
つまり私と長門の必然的な恋愛は、一体何をもたらすのかと。
824考える名無しさん:2007/05/24(木) 00:30:15 O
いい女というのは恐るべきもので、
奇蹟のチンポはいうに及ばず、
このポコチンでさも萎えさせるものがあると思う。
それでこそ、恋愛が可能になる。
そして恋愛において、我々は猛烈に縮みあがることだろう。
我々が本領を発揮するのは、
象徴界においてのみなのである。
いや、恐らく我々は象徴界でしか存在できないのだ。
恋愛は死を招く。
それにもかかわらず我々は必然的に女へ、真理へと奔走せざるをえない悲しい性を備えている。
この罪な性が我々の本質だ。
我々は目的を果たすことで死ぬ。
目標を捉えたとき、我々はどうしようもなく戦慄する。
825ポコチン:2007/05/24(木) 02:13:17 O
彼処の種族は哲学者の種族である。
我々が今日まで、また未来永劫に渡って、
過程しか示せないのは、我々が仕事を成し遂げたとき、
我々は死ぬからである。
人生最大の仕事を成し遂げると同時に我々は孤独にも他界してしまう。
我々の間では、女の尻を追い回すという一見卑しい親の背中を見て育つために、
我が運命を呪う者も少なくない。
しかし、運命の仕事を理解し、同胞の死を経験するにつれ、
我が運命の悲しむべき高貴さを了解し、受け止めるようになる。
そして高尚な眼差しで女を追い求める人生を送り、
やがて神聖なる畏怖と共に運命の女と出会い、彼処へ逝ってしまうという。
チンポは逝ってしまうのかもわからない。
彼が話すのを躊躇し始めてるのは、語っているうちにそれと気付いたからだろう。
私も予感は多少あるにはあるが、私の女ではない可能性は高いだろう。
我々は動物のように一匹のメスをめぐって争ったりはしないからである。
彼女は必然的に一人に決まっているのだ。
そして彼がその彼女に出会ったということならば、彼も長くはないはずなのである・・。
826考える名無しさん:2007/05/24(木) 02:24:22 O
オマイは蝉か。
827考える名無しさん:2007/05/26(土) 12:33:17 O
チンポは竦んだ。
828考える名無しさん:2007/05/29(火) 21:36:43 O
お前ら全員去勢だ
829考える名無しさん:2007/05/30(水) 08:39:15 0

竹田青嗣先生は「現象学の祖」と言われているそうですが、
これはちょっと言い過ぎなのでは。
やっぱし、「祖」というならフッサールでしょう。
830考える名無しさん:2007/05/30(水) 17:03:58 0
自分で言ってるだけだろう。
831考える名無しさん:2007/05/30(水) 19:01:53 O
チンポは去勢されたのかな?
832ポコチン:2007/05/31(木) 23:40:57 O
チンポ萎えた?
833ポコチン:2007/06/03(日) 23:14:45 O
我々が萌えるいい女の感触は想像上のものである。
その感触はプニュと表現されるものであるが、
だが現実たる女はなんてことだろう、
ぐにゃ、ぐにょという感触なのである。
オマイは蛙かと思わせしめるものがあるのである。
真理はなんと気色悪いものに違いないことであろうか?
我々は真理には耐えられないに違いない。
真理にはやはり死が宿っているのだ。

もはや私の息子はかなり萎えてしまったようだ。
私はもはやポコチンという名を冠して生きる資格がないのかもわからない。
息子の夢は叶わぬ夢なのだろう。
絶望の暗雲が輝ける青空を覆い隠そうとしている。
834ポコチン:2007/06/07(木) 02:20:18 O
しかしだ、女が一面爬虫類的であるのも、仕方ないことではあろう。
というのも真理というのは美しいものから気色悪いものまで全てを内包しているからである。
あたかも自然が人間の排泄物を平然と受け入れ汚れるが如く、女もまたそうなのである。
一体表面的な女の姿は我々の気分に反応してがらりと変わるものではなかろうか。
実に戦慄を覚えるほどに。
いかに我々の感覚がボケていることか悟らされてしまうのだ。
実際的には女は単に無色透明なるものとして存在するのである。
我々が色を付けて見ているのだ。
いかにも暗々たる女でもチンコ次第では煌めく海面の如く美しくなるだろう。
偉大なるチンコよ、万歳!
ああ!! チンポよチンポ、君のは世にも小さいのか? あまりにも小さかったのか?
あぁ、チンポよチンポ…
835考える名無しさん:2007/06/07(木) 08:46:03 0
質問です。
物理とか医学とか経済学とか法学はないと困ります。
しかし、

現象学なんかなくても困らないのでは。
どうなんでしょか?
要するに、不要なもので単なる「遊び」なのでは。

釣りではなくマジです。
836考える名無しさん:2007/06/15(金) 13:03:39 0
自分の頭の良さを持て余してる人が困るんじゃね?知らんけど。
837考える名無しさん:2007/06/15(金) 21:22:52 0
>>835
竹田とか谷とかは困るんじゃないのか。
838考える名無しさん:2007/06/18(月) 00:59:14 O
なんだよこれ。美女はまだか?
もしかしてチンポ死んだんじゃないのか?
まったくどいつもこいつも萎えさえやがる。
最近アイドルの質も良くないしな。
どうなってんだ。
スカウトマンちゃんと働けよ。
いないか?
人間の質が下がってるという罠なのか。
839考える名無しさん:2007/06/30(土) 21:17:23 0
チンポはついに>>755のある人物によって葬り去られましたとさ
840考える名無しさん:2007/07/18(水) 03:51:31 O
貴重なチンポが一本…
841考える名無しさん:2007/07/18(水) 03:54:24 0
このスレ内でもチンポはぴかぁにオフ会であったとか、東スレでは純一が
チンポとリアル知り合いだみたいな事を書いてるけど、本当なの?
チンポが毎度おなじみのホラを吹いて、純一はいつもどおりに妄想
しているとかではないの?
842考える名無しさん:2007/08/12(日) 18:01:40 0
朝醤油
843考える名無しさん:2007/08/15(水) 00:59:16 0
ここがチンポさん(ってこれじゃ言えないですよね)のスレですか!
さすが内容が濃いですね。まあ、実物からは想像もつきませんけど(笑)

あ、自己紹介が遅れましたけど僕はこの方と同じ大学に通ってます。
なんか2ちゃんねるは飽きたそうです。それに現実の方で実に多忙にされてるので。

団長さんには秘密にしておきますね、一応。
844考える名無しさん:2007/08/15(水) 14:59:28 0
ああ、おまえか。

携帯出なくて悪かったな。あれは一応、参加するよ。団長さまに言っといてくれ。

あと、この間の花火大会だが、何故か記憶が残っていない。あいつは怒ってるし、
朝○奈さんは俺を避けているみたいだし、長門は相変らず無口なんだが、俺なんかやったか?

いいか、女性陣にはこのスレのことは言わないように。言ったら俺の首と共におまえの首も
飛ぶからなwww

まあ、その前に沈没しそうだな、このスレ。
845考える名無しさん:2007/08/15(水) 18:46:11 0
843が古泉で太郎がキョンってわけか・・・楽しい?
846考える名無しさん:2007/08/16(木) 01:21:10 0
違いますね。それは根本的な勘違いであり、他人の空似と言う奴ですwww

まず、ジャンさんの考えるのは、哲学による世界変革であり、哲学によって世界を大いに盛り上げる
ということです。そして、このジャンさんの考えと、われらが団長の思惑が、一致したというだけです。

あなたは、恐らく小説の世界の出来事を言っているのかも知れませんが、我々はもう数年前から、
この計画を構想し、温めて来たのです。それは現実世界での出来事であり、その現実世界の出来事を
的確に描写するために、あえてジャンさんはそういう表現を選んだ、と言えなくもありません。

我々の組織は、しかし、そのような絵空事とは異なり、それなりの現実味を帯びています。
詳しい事はここでは言えませんが、現実に小説で起るしかないような出来事が、私達に今、降りかかって
いるのです。

勿論、ジャンさん自身は、小説の存在なんて知らないでしょう。あの方はそもそも、、哲学書以外の
書物を読むことはしません。私は小説のことを知っています。そこでジャンさんは私を「古泉」と
呼んだ。

しかし、ここで注意して頂きたい。この「古泉」という名称ですが、既に過去スレにおいて、
あの小説が大々的に世間に知られる前に、使用されていたのです。(これは事実として
受け取ってもらわねばなりません。)

それから長門さんのことですが、これは本当にリアルで存在します。本名も実際にそう言います。

我々の部長は、勿論、小説で描写されるような存在とはかなり異なっています。
しかし、本質においては、同じと言っても過言ではありません。
実際、ジャンさんを我々の組織に引き込んだのは、あの方だったんですから。私はジャンさんがここで
こういうことをやっていると知っていましたので、幾つかの隠語をお伝えしました。
847考える名無しさん:2007/08/16(木) 09:45:50 0
( ´_ゝ`)フーン
848チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2007/08/17(金) 01:02:56 0
小説? おまえは女性陣のあだ名を小説から取っていたのか? アホか?

まあ、俺のハンドルも小説から取ったわけだが。

そういう話はリアルでやってくれ。

>物理とか医学とか経済学とか法学はないと困ります。
>しかし、
>現象学なんかなくても困らないのでは。

いや、それが困るんですよ。なんで困るかと言うと、現象学がないと、物理学も医学も経済学も法学も
ないからです。何故だか分りますか?

説明しましょう。あなたはアリストテレスというオッサンを御存知のはずです。このオッサンは、
一人で諸学問を体系化したという精力絶倫の天才であり、物理学のみならず、医学・経済学・法学に
関しても、その意義と諸学問における位置とを確定したのです。

医学に関しては、彼の自然科学関係の書物があり、経済学に関しては、「家政学」という本を書いています。
この家政学とは、当時の経済学のことです。また、法学に関しては、政治学というものが控えています。
その他にも、倫理学や論理学の基礎を築いたのが、このアリストテレスというオッサンでした。

では、このオッサンはどうしてこういう諸学問の体系化と分化とを同時に成し遂げることが出来たのでしょうか?
849チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2007/08/17(金) 01:06:03 0
それは、このオッサンが、「形而上学」を構想したからであります。形而上学とは、自然学(自然学とは、
フュシス全体を扱うものであり、狭義の自然学のみならず、存在者を扱うすべての学問を指す。従って、
医学も経済学も法学も、広義には自然学になる)・・・えーと、形而上学とは、このように自然学全般を
超えて、それらを統べる「棟梁的な」学問であるわけです。

そして、フッサールという人は、自分の現象学をそのように諸学問の基礎付けをなすものと考えていました。
これは彼の『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』を読めば分ります。現象学は、デカルト風に言えば
「第一哲学」であり、この第一哲学というのは、実はアリストテレスの言葉なんですよ。

そして、第一のものがなければ第二のものがないように、形而上学(=哲学)がなかったら、物理学もないし、
医学も経済学も法学もありません。

勿論、時間的には、物理学や医学や経済学や法学が、形而上学よりも先行すると言えなくはありません。
しかし、肝腎なことは、この時間的な前後関係ではなく、物事の本質同士の関係なのです。

例えば、我々は既に存在者が存在することを知っていますが、その存在についてはよく分っていません。
しかし、この先行的なまなざし(これは時間的な先行ではない)がない限り、存在者は存在者として
我々に現前することはありません。こういう先行を、哲学では「ア・プリオリ」と言います。
また、もっと言えば、「超越論的」であり、従って「超越論的現象学」は、なくては困るのです。


つまり、現象学がないと、現象学者が食っていけないから困るのです。
850考える名無しさん:2007/08/17(金) 01:41:06 0
> つまり、現象学がないと、現象学者が食っていけないから困るのです。
このオチに吹いた
851考える名無しさん:2007/08/18(土) 22:00:33 0
ジャンさん、そろそろ読書会とやらを再開されては。
852チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2007/08/19(日) 17:00:36 0
>読書会とやらを再開されては。

いやね、おまえは知らないかも知れないが、俺は哲板の古参であり、長く読書会スレを運営して来た経歴がある。
で、俺の経験から言わせてもらうと、ネット上の読書会なんて殆ど意味がない。

むしろ、あいつのキチ○イ活動の方が、まだしも多少の価値があると言えるかも知れないくらいだ。
まあ、俺も多少の恩恵にはあずかっているし、部室に行けば美少女タンがお茶を入れてくれるし、
哲学なんて所詮なあ、人生の「おまけ」なんだよ、古泉くん。

しかし、食玩と同じく、おまけの方が大切になってくる、そこに哲学の始まりがあると言えるのさ。

おまえのいう「人間原理」とかいう考えだが、元来は物理学や宇宙論の用語らしいな。

哲学の分野でいえば、経験主義的な主観主義がそれに近いかも知れない。しかし、おまえが実際に言っていることは
人間原理という考えとは程遠いぞ。俺はむしろ、似たような表現をシェリングや一部の神秘主義者の中に見つけるわけだが。

おまえは要するに、この現実は、あいつの見ている夢のようなものだと言っていたはずだ。
これは一見、幼稚な言説だが、実はシェリングなんかは、この世界は神の思念の実現であり、神の見ている
夢想(厳密に言えば「想像力」或いは「構想力」)に過ぎないかも知れないと言っている。

しかしな、一言いっておくが、これは「神」の場合の話だ。これを勝手に「人間」に置き換えちゃまずいだろ。
実際、あいつは俺達と同じ人間だからな。

それで、このスレでは読書会を再開します。今回のブツは、ヘーゲルです。ヘーゲル・マニア必見です。

糞スレの乱立が止まらない中、哲板の最後の希望の星であった私のスレは、その歴史の終焉にふさわしく、
ヘーゲルと共に終わるのです。そしてこのスレが1000に達する時、歴史は終焉し、あとに来るのは、純一哲学という闇です。
853バジル:2007/08/20(月) 09:51:39 0
はじめまして!ヘーゲルの読書会、すごく楽しみにしております。
まず、ヘーゲルの何を買ってくればよろしいでしょうか?
854考える名無しさん:2007/08/20(月) 10:39:31 0
どうせ1、2回適当なことやって終わるよ。
855チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2007/08/20(月) 20:56:37 0
>>854

うるせぇよ、馬鹿。おまえみたいな奴が、折角のハルヒネタを台無しにするんだよ。

これから面白い展開が待っていたのに。大体な、野暮な突っ込みは要らねぇんだよ。
ハルヒを知っている奴だったら俺がネタをやっていることくらい、すぐに分かるだろうが。
それを静観しつつ、「ああ、こいつ、また馬鹿なことをやってるな」とニヤつくところにチンポ太郎スレの
醍醐味があるというのに、ああ、こんな間抜けな奴しかいないようじゃあ、哲板も終わりですな。

君はスピノザが無神論者だと罵られた時の返答を知っているのか? あれは名言だから調べておけよ。
スピノザ流の、「いまさら、そんな突っ込み、いらねえよ」ってやつだから。

俺が女子中学生同盟の盟主である事も知らないで、よくそんな野暮な突っ込みが出来ると思うよ。

あと、ヘーゲルの読書会の件ですが、そんなものはどうせ一回か二回、適当なことを言うだけなのでしませんよ。

それよりも、僕は最近の女子中学生の動向について語りたいと思います。

誰か、『女子中学生のための哲学入門』とかいう本でも書きませんかね? 誰も書かないんだったら、僕が書いても
いいですよ。

え? 死ねばいいのに、ですって? まあ、そんなことは昔から何度も言われてますから、別にいいんですけど。

それよりも、スピノザの『エチカ』の読書会が途中で終わっているので、それの続きをしたらいいんじゃね?
856チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2007/08/20(月) 21:05:44 0
あと、チンポ太郎って結局、何者なの?という質問をよく受けます。

はっきり言いますが、僕は大学生です。しかも、STC団というサークルに属しており、その活動に余念がない。

どういう活動かと申しますと、簡単に言えば、ロリコンであることを自負するという活動です。街頭演説とかは
しないですが、大抵のロリコンは幼い女子も好きだが同時に大人の女性も好きだということを喧伝しています。

それから読書会では、もっとも難解な部類に入る哲学書を大声で朗読し(原書のみです)、周りに威圧感を
与えています。僕達の部室は幾つかのサークルの共有になっているんですが、その一つがなんかロック音楽の
研究(?)をされている方たちで、いつも僕達を冷たい視線で眺めています。その理由は恐らく、僕が
先日購入したメイド服のコスプレをしているせいもあるかと思いますが、本当は、僕らの高度な頭脳に対して
劣等感を抱いていると思います。

その証拠に、先日、「おまえら、踊りの練習は外でやれ!」と怒鳴られました。なんでもってけセーラー服を
部室で踊ってはいけないのでしょうか?

まあ、そんなことはどうでもいいのですが、僕は今日もSTC団で世界を哲学的に盛り上げて行きたいと思います。

あ、そういえば、先日、ある出版社関係の人からメールをもらいました。

出るかも知れませんよ。


白濁色の液体が。
857チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2007/08/20(月) 21:14:04 0
僕のサークルにはかなりかわいい女性陣がおられます。ロリコンの権利奪回を訴えるサークルになんで
美少女がいるんだと諸君は疑問に思うでしょう。

しかし、本当にいるんだからしょうがない。まあ、本当の話をしますと、ロリコン云々というのは嘘です。
本当は実に真面目なサークルであり、主な活動はポルノ映画の撮影と上映であります。あ、これは僕の個人的趣味の
話でした。すみません。

僕は要するに、シェリングの復権を訴えている訳ではなく、また、ハイデガーのナチス礼賛を擁護している訳でも
なく、ただ、うほっ

僕は時々、自分で自分が何を自分の



さて、関係ない話はもうここいらでやめておきましょう。

次回は、『エチカ』第一部、定理十五から始めます。
858チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2007/08/21(火) 00:41:40 0
今日は時間があるので言わせてもらうが、おまえらは「哲学」とか言いながら、
一体哲学がなんなのか分かっているのかね?

大学の哲学科に行っても哲学のことは何一つ分かりません。
これは今現在、自分が体験しているから堂々と言える。
そもそも、大学の授業の退屈なことよ。自分で教科書を読んだ方が早い。
教授が自分よりも馬鹿である。レポートを書けというので書いてあげたが、
どうもビビッてしまったようです。

学生にビビるなんて、なんて情けない教師共でしょう。
あいつら、全然勉強してないじゃないですか。
俺の方がよっぽど勉強してますよ。社会勉強も。

なんていうのはウソです。僕はむしろ、大学じゃあ、馬鹿にされていますよ。
まあ、本当に馬鹿なんで仕方がないのですが、人に馬鹿にされるのもなかなか楽しいですよ。

しかし、彼らは、僕はむしろ馬鹿というよりも、変態であるということに気づき始めたようです。

変態万歳! と僕は毎朝、皇居に向かって叫んでおりますよ。
859チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2007/08/21(火) 00:51:38 0
そういえば、皆さんは哲板のオフ会って出たことありますか?

僕は秋葉原で驚異的人数で踊っていたくらいですからネットのオフ会にはよく出没します。

哲板のオフ会は、初期に一度だけやったことがあります。
知っている人は知っていると思いますが、「放尿祭り」と銘打って、渋谷の飲み屋でやりました。
印象に残っているのは、阿修羅くらいかな。あと、ぴかぁが実は近所の知り合いであることを
知り、二人で驚愕した覚えがありますwww

哲板の連中はつまらん奴が多いので、それ以降は哲板のオフ会には出ていません。
だって、半分が童貞で、半分がオッサンで、飲み屋でどうでもいい雑談をしてるだけですから。
女子はいなかったです。そんなオフ会になんの意味があるのでしょうか。

あ、でも哲板のオフ会のときは、帰りに池袋の某イメクラ店に行きました。ついてきたのは四人だけ
でしたけど。

哲板ってまだオフ会とかやってるんですかね? 僕は行かないですけど。だって女が来ないじゃないですか。
ほかの板なら来ますよ。いくらでも。

でも、哲学のことは一切喋りません。それはルール違反なんです、僕の中では。

僕は基本的にアニメとゲームとマンガの話しかしないです。

まあ、それはいいのですが、これからヘーゲルを読むので失礼しますね。
860考える名無しさん:2007/08/21(火) 01:17:46 0
既婚だけど、女コテでは二酉がしょっちゅうオフにくるみたいよ。
861チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2007/08/21(火) 20:39:37 0
自分にとっては、既婚か未婚なんてどうでもいいです。
実際、既婚の女性の方が話し易いかも知れないです。

前のオフ会の時の会話がこんな感じでした。

「休日の日はどう過しますか?」

「もっぱらギャルゲーですね。」

「彼女に怒られませんか?」

「二次元のですか?」

「読書とかはされないのですか?」

「しますよ。」

「どんな本を読むんですか?」

「マンガですね。マンガオンリー。」

「どんなマンガですか?」

「それはちょっと女性の前では・・・」

でも、これでもちゃんとお友達になれるのだから僕は不思議でたまらない。
862チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2007/08/21(火) 20:43:40 0
「アスカとレイではどちらが好きですか?」

「両方ですね。」

「どっちか一人にして下さい。」

「それは無理です。そんなアポリアを僕に問い掛けないで下さい。」

「先生が嫌いな某先生はアスカ萌えらしいじゃないですか。」

「○さん? あー、そんなこと書いてたね。」

「やっぱり、哲学をやる人でも、ああいうアニメとか観るんですか?」

「観ますね。つーか、生活の一部ですよ。」

「彼女に怒られませんか?」

「二次元のですか?」

こんな感じだよ、いつも。
863チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2007/08/21(火) 20:56:19 0
今日はちょっと趣向の変わった話をしよう。先日、哲学とは無関係の授業で、いわゆるディベートに参加した。
議題は倫理や道徳に関するもので、要するに「人を殺してもいいか」みたいな俗なテーマだった。

俺はこういう馬鹿らしい議論に参加する気は毛頭なかったが、何故か女の先生に議論に参加しろと言われ、
みんなの前で自説を開陳する羽目に陥った。実に情けないと言わざるを得ない。そこで、
俺は一応、適当にいろいろ喋ったが、案の定、血の気の多そうな連中が反論して来た。

で、勿論、チンポ太郎にこういう議論で勝てる奴は世間一般には存在しないので、ことごとく論破してやった。

その日から、その授業では何故か俺にいろいろと意見が求められるようになり、普通ではクラスメートの
ことなんて無関心だったが、何人かが話し掛けてくるようになり、また、授業後にも話をする機会が増えた。

で、そのうちに弟子と言っていいような奴が二、三人でき、また、そういう思想とかに興味のある
女子諸君とも友達になった。

私の所属するサークルに女子部員がいるのはそのためだと言っていい。実際、そこから来た人が殆どだ。

俺はこのいきさつをもっと面白く語ろうと思ったが、馬鹿の横槍が入ったのでしなくなった。

まあ、諸君、大学はそんなに悪いところじゃない。諸君も一度行って見るといいさ。
864考える名無しさん:2007/08/21(火) 22:53:51 0
これぞチラ裏だな。
純一と同じじゃないか。
865考える名無しさん:2007/08/21(火) 22:57:12 0
チンポ太郎ほどの実力があっても、やっぱり大学で馬鹿学生から認められれば
素直にうれしく感じるものなんだな。
866バジル:2007/08/22(水) 19:20:33 0
エチカを読んで、神のことについて考えてみたのですが
いまひとつ実感が湧きません。
いろんな宗教の神は様々な形と性質を持っていますが、
スピノザの言うところのすべてを統べる「神」は
いったいどんな感じなんでしょうか。

それは人によって感じ方が違うものなのでしょうか?
それは手に触れることも見ることもできませんが、
“唯一”であるというなら、共通の感覚があってもおかしくない気がします。

それとも神を感覚で捉えようとすること自体が誤りなのでしょうか。
867チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2007/08/22(水) 20:30:46 0
>>866

こういう真面目な書き込みがあると、思わず嬉しくなってしまう。

俺の書き込みに文句をつける奴は多いが、結局、哲学を語れる奴なんて極(ごく)少数なんだよね。

哲学関連の書き込みには突っ込みを入れることが出来ず、日常のどうでもいいことを書き込むと即座に反応する。

君達は本当にバカですなwww

>>866

哲学者の考える「神」というのは、非常に抽象的な存在です。それは例えば聖書なんかで描かれているような
神とは違います。神は、人間やその他の存在者のように肉体を具えていませんから、感覚では捉えられません。
感覚の対象ではないということです。それは知性によってしか把握され得ない。その知性で把握されたものが、
神の概念です。スピノザは『エチカ』の冒頭で、この神の概念を問題にしています。

>“唯一”であるというなら、共通の感覚があってもおかしくない気がします。

神が唯一であるというのは、概念的に把握される事柄です。万物の充足理由は、究極的に唯一の存在に
行き着くのですが、それが神です。この唯一性は従って、知性的に把握されたものです。

>それとも神を感覚で捉えようとすること自体が誤りなのでしょうか。

その通りです。感覚の対象は、物体的な存在者です。「感覚的対象」と「知性的対象」の区分は、
太古の哲学より存在しておりました。神は勿論、知性の対象です。

聖書の話で思い出しましたが、スピノザの『神学政治論』を読んで見て下さい。すごい本ですよ。
868チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2007/08/22(水) 20:49:04 0
補足。

上に「神は肉体を持たない」ということを書きましたが、これについてはいろいろな見解があります。

スピノザは『エチカ』の中で、神は無限の延長を具えていると言っています。それは「延長」という属性が、
神の属性の一つであり、また神の属性はすべて無限でありますから、神は無限に延長しているのです。

しかしこのことは、神が感覚の対象であるということを意味してはいません。

そもそも、無限の延長なんて、我々の感覚では把握できませんから。それはやはり抽象的なものであり、
概念的にしか理解できません。しかし、ともかくも、スピノザは神が延長していると考えました。

この点、デカルトやライプニッツとは根本的に対立します。彼らにとっては、神は純粋な知性的存在ですから。

神は物体的であると考える一部の哲学者もいます。しかし、そう考えると、無数の矛盾が出て来ます。

シェリングなどは、神の存在の根底に、神とは別なもの、もともとは神であったが、神が実存に至るや否や
神の背景となる暗闇、そうしたものを想定し、これを物体的なものの起源とみなしています。

いずれにしても、これは難しい問題であり、議論に値する事柄だと思います。
869チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2007/08/25(土) 05:13:40 0
ここの住人の殆どが、今現在哲学科で学んでいるか、もしくは哲学科を卒業している人だと思う。
稀(まれ)にだが、他の学科を学んでいて、哲学に興味を持つようになったという人もいる。

私はこの板で、まあいろいろな種類の人間と論争をしたり罵倒し合ったり馴れ合ったりして来た。

そこで、哲学に向いているのはどういう人間なのか、それを一つ考察して見たい。

まず、哲学を学び、また自らも思索しようとする人間は、多弁でなければならない。
これは実生活において多弁であることは意味せず、哲学の場においてのみ、どうしても自分の見解を披瀝したり、
他人の誤った見解を是正せずにはおられないという態度である。この態度のない人間は、要するに情熱に
かける奴であり、哲学をやっても、無味乾燥なことしか出来ない。つまり、文献学に毛の生えたような
仕事しか出来ない。所謂「哲学研究者」はこのタイプでないと勤まらない。

しかし、実際に自分の頭で考えようとする人間は、多弁が多い。

だが、多弁がそのまま哲学者のあかしではない。駄弁を弄する奴もいるからだ(自分みたいに)。

これはハイデガーが批判しているような、物事の真理性から遠ざかって行くような、そういう駄弁である。
哲学のために哲学をしているのではなく、彼等にとって、哲学は手段である。それは己を知的に装飾するものに
過ぎず、真理のための思索ではない。

ただ、こういう連中はちょっとでもおどかしてやると弱気になって、そもそも死ぬ気で自分の思想を固守しようと
する気は毛頭ないから、すぐに化けの皮が剥れる。そしてこういう奴が大学の教師に多いということを、
最近知るようになった。
870チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2007/08/25(土) 05:24:27 0
分析哲学というスタイル自体、日本人の肌に合うものではない。日本人は、伝統的に、重苦しいドイツ系の
哲学をコツコツとやるのが性に合う。日本にもし哲学と呼べるようなものがあるとすれば、それは京都学派の
哲学(といってもいろいろあるが)になるのだろうが、あのような屈折した思考法が、やはり日本の風土に
ふさわしい。

だから、そういうのを本格的に研究している教師は、能力はないが、真面目で好感が持てる。

真面目じゃないのに能力もない、分析哲学屋とは格段に違う。連中は、英米圏の思考法を模倣しているが、
それは日本語では不可能な思考法である。文法が違えば、思考が変わる。思想は文法が生むと言ってもいい。
勿論、ここでいう「文法」とは、英文法などという時の意味ではなく、おのおのの言語がもつ特殊性、独自性を
言っている。文体と言い換えてもいいが、それでは個人に特定されるのでそうは言わない。

ともかく、分析哲学のスタイルは、日本で実践されるべきではない。それは畸形を生むだけだ。
どうしてもやりたいのなら、英米圏に赴き、そこで連中と一緒にやればいいのである。ああいうものを
日本で喧伝するのは、日本にキリスト教を広めようとする行為と同じで、虫唾が走る。
はた迷惑であって、要らぬお世話である。
871チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2007/08/25(土) 05:35:02 0
現代思想と言われる分野もそうである。そもそも、現代思想なんて日本にはない。

それは外国人のために物を考えているのであり、自分達のために思索しているのではない。

よかろう、最近、現代思想のアイデアを借用して、現代日本の大衆文化(おたく文化等)を分析するというような
ものや、精神分析を応用して現代の若者を分析したり、そういったものがある。

くだらん、の一言以外、言いようがない。書店でこの手の新刊を見るたびに、破って溝に捨てたい衝動に駆られる。

そこには、真剣さのかけらもない。それは安易な方法で生み出された、ただの雑談の種である。
そんなものが、哲学や思想のコーナーを占拠し、もっとも進んだものと見なされる。

まことに、知識とは後退的なものだ。人間は歴史を経るにつれ、ますます愚かになっているのではあるまいか。

それから、書く奴も増えた。誰でもが物を書く時代。一億総作家の時代である。要するに、バカと出来る奴の
区別がなくなって来たのだ。バカが書いたものがバカに受ける。そしてバカ同士が馴れ合って、互いに褒め合い、
バカが権威としてまかり通るようになる。そして本当にいいものはすみにやられ、朽ち果てて忘れ去られる。

哲学者諸君よ、我々はこうした暴挙に対抗しなければならない。次の世代に本当に受け継がれるべきものを、
失わないよう、その番人として、己の存在を捧げなければならない。

現代は、陳腐なものが横行し、高貴なものが失われていく時代である。高貴の光を失ってはならない。
我々はこの光を、次世代へと伝える義務がある。なぜなら、我々は歴史的な存在者であり、歴史を受け継ぐことが、
我々の生の意味をなすからである。我々も受け継いだのだ。我々は、我々の祖先を侮辱すべきではない。
我々の祖先は、我々が思っている以上に偉大である。そして、我々もまた、彼等のように、偉大であらねば
ならない。
872チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2007/08/25(土) 05:38:02 0
これが、哲学の Ethics である。

諸君よ、よく覚えておきたまえ。

哲学は終わらぬ。哲学に終焉はない。我々が哲学のエチカを保ち続ける限りは。
873考える名無しさん:2007/08/25(土) 08:09:31 0
まともな論証もなしに「これが、哲学の Ethics である」とかよく言えたもんだよ恥知らずが。
874考える名無しさん:2007/08/25(土) 10:12:36 0
>>860-872
ヨーロッパの哲学をこつこつやってきた者の端くれとしては
賛同したい気持ちもないではないが、あまりに保守的すぎる。
そのような前世紀的な哲学観に固執することは完全に時代
遅れだし、かえって哲学的思考の可能性を狭めることにしか
ならないと思う。少なくともそんなようなことを何万回
繰り返したところで、哲学研究者の共同体の内輪以外では、
誰も哲学を尊重しようとは思わないだろう。

目を覚ませ!

875考える名無しさん:2007/08/25(土) 13:12:09 0
チンポはほんとにハイデガー信者だなあ。
876チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2007/08/25(土) 17:22:03 0
>まともな論証もなしに「これが、哲学の Ethics である」とかよく言えたもんだよ恥知らずが。

Ethics は実践理性の法則であり、通常の意味での「論証」を要する理論理性とは話が異なる。

実践的な知識に論証を求め出すと、人は勢い「慣習」やら「道徳的直観」やらを持ち出すだけで、何の解決も
与えることが出来ない。実践理性に論証を求めることは、謂わばカテゴリー・ミステイクと言える。

そもそも、ここで「論証」とは何を意味するのか? 論証とは、まず、定義や公理が前提され、そこから
定理を証明して行く過程ではないか。しかし、倫理の領域では、そうした定義や公理さえもが、
任意に選択され得る。よって、ここでは、カント流の超越論的演繹しかあり得ない。
そうでないと、論証の論証が無限に進行する。

自分は、哲学の本質からしか、哲学の Ethics は規定し得ないと考える。哲学の Ethics は、哲学内部の
問題であり、哲学の規定であり、哲学の自己規定であり、哲学の超越論的規定である。

そうした問題意識を持った上で、俺はあえてドグマ的な発言を為している。

ああ、君は俺が哲学の本質を歴史から規定しようとしていることさえ、分かってないと思うけど。
877チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2007/08/25(土) 17:26:28 0
>あまりに保守的すぎる。

意図的にそうあろうとしてるんですよ。

>そのような前世紀的な哲学観に固執することは完全に時代
>遅れだし、かえって哲学的思考の可能性を狭めることにしか
>ならないと思う。

前世紀と言うよりも、「中世的」と言った方が正しいと思う。過去の思索の遺産を「秘儀」として次世代に伝える。
いや、そもそもね、哲学は古代より「密義」だったんですよ。それはプラトンの著作からも分かるし、
シェリングの『ブルーノ』の冒頭を御覧なさい。

それから、哲学的思考の可能性だって? あのねえ、哲学的思考の可能な形式なんて、もう近代哲学の完成の
途上で出揃ってます。今更、新しいも何もない。哲学は、あるいはすべての人間的活動は、反復なんですよ。
勿論、それは単に同じ事を繰り返すのではなく、起源を反復し、その反復を通じて起源を乗り越えるという
運動です。ハイデガーがギリシア哲学の解釈の際に金科玉条としてたものです。

そして実際に、哲学は、そうした過去の遺産を受け継ぎ、それを乗り越える運動じゃないですか。
分析哲学だって、中世のスコラ哲学の現代版ですよ。それを意識せずにやっているから嫌味な感じがするだけで。
分析哲学は、そもそも、新しいようで実はギリシア哲学に余りに多くのものを背負っていますよ。

そうした事柄に気づかない、あるいは意図的に無視する、そういう態度こそ、哲学の可能な思考法を狭めて
しまうんですよ。過去の遺産に対し自由となること、これが肝腎ですが、それは、過去の遺産を受け継ぎ、
それを乗り越える過程でしか得られないものです。ここにハイデガーのいう自由な企投があると思う。
878チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2007/08/25(土) 17:32:38 0
>チンポはほんとにハイデガー信者だなあ。

というよりも、ハイデガー自身でさえが、ドイツ観念論の伝統の上で思考しているのだから、これは
ハイデガーに限ったことではない。まあ、ドイツ主義と言われたらそれでおわりだがwww

しかし、イギリスの経験論にせよ、現代の分析哲学にせよ、ドイツ主義へのアンチテーゼとしてみるのなら、
そこに面白い交流が生まれる。むしろ自分は、そういう交流を、もっと真面目な角度から、つまり、
野家なんとかがやっているような不真面目な形ではなしに、やっていくべきだと思いますよ。

ああ、やりますよ、俺もいずれ。
879考える名無しさん:2007/08/26(日) 18:36:44 0
チンコとうとう壊れたか
880考える名無しさん:2007/08/28(火) 04:43:36 O
「人間的自由の本質」
「神と人間の幸福に関する短論文」
古書店でゲット
シェリングスレの過去ログと(チンポ&ポール先生有難う)
個人的に基督教とカタリ派かじってたお陰でギリギリわかるような…
881考える名無しさん:2007/08/28(火) 04:45:05 O
カラマーゾフの兄弟が馬鹿売れしてるみたいだ。ヤポンビトも捨てたもんじゃねーなあ。しかしなんでカラマーゾフ?
882考える名無しさん:2007/08/28(火) 10:26:50 0

>だから、そういうのを本格的に研究している教師は、能力はないが、真面目で好感が持てる。

>真面目じゃないのに能力もない、分析哲学屋とは格段に違う。

この二行、賛成です。 賛成というより、実感です!
883考える名無しさん:2007/08/29(水) 01:12:27 O
てかチンポってインポだからエロいんだよね。
まるで爺さんのようだ。
一般的にこのように現実的な虚しさが想像力を羽ばたかせるのである。
これがsadismの原理である。
884考える名無しさん:2007/08/29(水) 02:15:28 O
sadismというのはニヒリズムの一変種である。
ちなみにリアリズムがニヒリズムの母体となる。
そしてニヒリズムはsadismを始めとして、各種のイズムの母体となるのだろう。

ところでリアリズムを実践するのは困難であるが、
しかしインポになりさえすれば、
それは確たるニヒリズムへの一歩となる。
いかなる逆境にも、そう戦上においてさえも怯むことなき崇高なる平常心をもつ英雄チンポは、
男子諸君を鼓舞すること偉大であり、
彼らの勇気と希望の源泉たるものである。
その死の別名とされるインポによってもたらせれる挫折感と虚無感は計り知れないほど大きい。

この真の逆境を糧にして男子諸君はかつてなき飛躍を遂げる。
無二の友でありながら指導者であり英雄でもあったチンポの死が生み出した空隙を埋めようとでもするかの如くにして…。
このニヒリズムが起爆剤となって生み出される現実は、いかにも力強くケバいが、
やはりインポという無限の損失を背負っているだけに味気ないものである。
そう、現実はニヒリストの産物なのである。
885考える名無しさん:2007/08/29(水) 02:19:44 O
チンポとインポとニヒリズム
886考える名無しさん:2007/08/29(水) 02:51:34 O
ニヒリストが嫌でも恥ずかしながら産み出してしまうもの、
排泄してしまうものが現実なんだよね。
では現実を定義しよう。

現実:ニヒリストのウンコ

とするとこうか。

世界:神のウンコ

神が世界を創ったとすると、世界以前の存在なんだから神は絶対ニヒリストだよな。
887考える名無しさん:2007/08/29(水) 05:20:25 O
不快な、神が絶対ニヒリストとは
正に神妙なる顔をして認めざるをえないことだろうに。
888考える名無しさん:2007/08/30(木) 12:46:43 O
ニヒリスト自身は現実にはならない。
現実になるのは彼の物語である。
そして歴史として過去の現実として後世に語られるのも物語であれば、
現実を動かすのも物語であって、
現実というのは正夢でしかないのである。
このようなニヒリスティックな認識が歴史を展開する人間の共通の認識であるはずである。

人間自身のように現実として表れない真実によって現実が作りだされるにしても、
真実はどうあがいても現実化しない。
現実を媒体にして互いに結ばれるが如くの真実であるが、
現実によってその不可能性が物語られるのである。
真実に世界はないのである。
語るということは関係つげることであるから、世界を前提にしている。
したがって真実は語れない。
889チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2007/08/30(木) 15:45:38 0
>>880

『人間的自由の本質』の読書会スレは多忙のせいで勝手に放棄してしまい、
ポール氏・その他には悪いことをしたなあ、と思っています。

スピノザとの関連で言えば、自由論の根本目的はスピノザ主義の精神化であり、
実在論と観念論との相互浸透でありました。>>880氏には、シェリングの
同一哲学期の著作を読むことをおすすめします。

あのスレでは主にハイデガーの自由論解釈を論じていましたが、ハイデガーの
自由論解釈はかなり偏ったものです(彼の場合は何時でもそうなんですが)。
特にハイデガーは自由論の全射程が、序論に、つまり、「実存」と「実存の根底」
の区別の議論に、凝縮されていると考え、自余の議論を補足と見なしています。

しかし実際は、序論のあとに悪の問題が検討され、最終的には神の世界創造の
終極目的(つまり「啓示」の終極目的)が扱われます。これはもう、ハイデガー
哲学で取り扱えるものではありません。

ハイデガーは自由論の第二回目の講義(単行本で出されたやつではない)で、
自由論をドイツ観念論の Gipfeln であると言っています。まさに Gipfeln で
あるがゆえに、それは無限の解釈を包蔵していると言えるでしょう。

やってもいいよ、自由論の読書会。
890チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2007/08/30(木) 15:52:30 0
>>884

Nihi est sine ratione.

何物も、理由なしには存在しない。こう訳すると、ニヒリズムに対するアンチテーゼになる。

しかし、この文章は、「無は理由なしに存在する」と訳すと、「無」Nihil が異常な力を
帯びてくる。

ニーチェは哲学者を「夢見る者」として規定し、イデア論などを虚無主義として嘲っている
けれども、ニーチェも実はイデア論の系譜にあると喝破したのがハイデガーの解釈なんだが、
それもハイデガーにとっては、「無」は哲学の唯一の研究対象であるからです。

存在者は存在する。しかし、存在者の存在は、存在しない。もし存在するのなら、それは
存在者になってしまう。このような存在(=無)は、己を示しつつ、遠ざかるものとして
規定されるわけです。

それがなんでチンポやらインポやらと関係あるのか、俺にはさっぱり分からんのだがwww
891考える名無しさん:2007/08/30(木) 16:46:25 O
>>890
チンポという名を授けられし者ともあろうものがわからないと?
どうもそんなことではティンポとでも改名すべきかもしれないが。
何故に君がチンポという英雄の名を授けられたのかわからんよ。
ラテン語を持ちだして巨大化しようと虚勢を張っているようでは、ちょっとね。

まあね、無がインポに、チンポが存在者に対応するとみていいだろう。
そうすれば>>890の君のレスも俄然元気になるのがはっきりわかる。
男子諸君はチンポを失うまではチンポのような万物の王の足下にも及ばないというのが私の考えである。
インポでないならばチンポの大切さ偉大さも戦場にいかないことにはよく理解できないだろうがね。
戦争体験もインポに匹敵するだろうが、
なによりインポは神聖なるチンポもどきを生み出す能力を開花させるきっかけとなるのだ。

とはいえチンポのガールフレンド達が見ているかもしれないので、
最後に私の英雄はまだまだ元気であることはお知らせしておきたい。

ところで官能小説の続きはまだでしょうか?
892考える名無しさん:2007/08/30(木) 17:33:55 O
インポの奴のほうがとりあえずモテるだろう。
そいつは有能であるし、見かけも綺麗だし精力的でいいということで。
男子諸君がチンポに力をとられているというのは確かなのだ。
チンポは克服されねばならないあるものである。
恐らくインポ気味であるというのがチンポ氏の秘密なのである。
その秘密を隠さんとしてチンポと敢えて名付けられたというのが事の真相なのだよ。
893チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2007/08/30(木) 20:09:47 0
>まあね、無がインポに、チンポが存在者に対応するとみていいだろう。

いや、むしろインポが「存在者」に、チンポが「存在(=無)」に該当すると自分は思う。

>男子諸君はチンポを失うまではチンポのような万物の王の足下にも及ばないというのが私の考えである。
>インポでないならばチンポの大切さ偉大さも戦場にいかないことにはよく理解できないだろうがね。

そう、だからこそ、チンポは「存在」に対応するのだと思う。インポをという「存在者」、
あるいはインポという存在者の現前が、その根源性を失う時に、初めてチンポというものの偉大性、
ハイデガーの言う「存在の支配」というものが、分って来るのだと思う。

実際、チンポにしてもインポにしても、語幹は同じで、それはウーシアが存在と存在者を同時に
意味する多義的な言葉であったということからも理解できる。チンポはいわゆる事実存在で、
インポはいわゆる本質存在にあたる。

>戦争体験もインポに匹敵するだろうが、
>なによりインポは神聖なるチンポもどきを生み出す能力を開花させるきっかけとなるのだ。

それには賛成だ。戦争体験とは、すなわち、性体験のことであり、これが生態系の破壊を引き起こし、
結局は元来「存在」と同義であった「フシュス(自然)」が、インポへと衰退して行くのだろう。
894チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2007/08/30(木) 20:15:44 0
>とはいえチンポのガールフレンド達が見ているかもしれないので、
>最後に私の英雄はまだまだ元気であることはお知らせしておきたい。

自分のガールフレンドはいずれもチンポ概念に対して卓越した見解を具えている。
問題なのは、彼女達は普段、二次元の世界に住んでおり、時に応じて、
自分のチンポのインポ化(存在が存在者のうちに後退し、消えゆくこと)を抑制して
くれているのだと思う。

すなわち、長門は情報思念統合体であり、地球上のチンポの中のチンポ、チンポ太郎を
観察し、そのチンポの成長記録をありのままに情報思念統合体に伝えていると思う。

>ところで官能小説の続きはまだでしょうか?

リクエストがあればいつでも再開します。まあ、事実なんですけど、端的に。

>インポの奴のほうがとりあえずモテるだろう。
>そいつは有能であるし、見かけも綺麗だし精力的でいいということで。
>男子諸君がチンポに力をとられているというのは確かなのだ。

そうと分かりつつ、それに呑まれてしまう、情けない自分を叱咤激励したいです。

>恐らくインポ気味であるというのがチンポ氏の秘密なのである。
>その秘密を隠さんとしてチンポと敢えて名付けられたというのが事の真相なのだよ。

インポ化は、楽な生活を選ぶということ。俺はむしろ、インポ気味の自分を脱し、
真のチンポ道(存在の真理)を極めたいと思う。


一体、なんの話ですか?
895考える名無しさん:2007/08/30(木) 21:43:38 O
>リクエストがあればいつでも再開します。まあ、事実なんですけど、端的に。

では、是非ともお願いします。
不意に途中でやめるようなことしてるとガールフレンドも困ると思いますよ。

>一体、何の話ですか?
脳内の話ですね。

チンポ氏がチンポ道をお極めになるという目標は高貴なものです。
しかし人間の人間らしさはインポにあるんですね。
インポが歴史を作るんです。
歴史は歴代のインポ達の脳内にまず描かれるんですという話ですね、要は。
896考える名無しさん:2007/08/31(金) 00:23:56 0
ちょっと亀レスですが、いくつか質問してよいですか。

>>870
>そして実際に、哲学は、そうした過去の遺産を受け継ぎ、それを乗り越える運動じゃないですか。
>分析哲学だって、中世のスコラ哲学の現代版ですよ。それを意識せずにやっているから嫌味な感じがするだけで。
>分析哲学は、そもそも、新しいようで実はギリシア哲学に余りに多くのものを背負っていますよ。

分析哲学をスコラ哲学の現代ヴァージョンだと言いきってよいかは、疑問の余地がありま
すが、さっこんの分析哲学のメタフィジカルな傾向をみていると、ギリシア哲学との親近
性を強調するあなたの哲学観には、ひとまず賛成します。ただし分析哲学を自称するよう
な研究者ならば、まちがっても自分の研究対象がなにやら特別な「新しさ」をもっている
とは思っていないでしょうね。おそらく彼らや科学哲学者が特権性をふりかざすとすれば
、その方法論や概念の枠組みが従来の形而上学に比較して、いくらか蒙昧を排していると
いうほどのことでしょう。

しかし、だとすれば何も分析哲学を「畸形」として日本の伝統的風土から排除したり、
京都学派や「重苦しいドイツ系の哲学」の正当性を叫ぶよりは、保守なら保守ならでは
の視点から双方をともに「過去の遺産」とわりきったうえで、形式上の区分を超えて
「遺産」を料理していくほうがよほど生産的なのではないでしょうか。もっとも、私自身
初期フッサールに分析系のアプローチをしかけるという流行りの(?)方法論をよしとする
わけではありませんが、あなたもフェレスダールのような研究者に興味をおもちのようで
すし。



897考える名無しさん:2007/08/31(金) 00:25:11 0
>>876
>実践的な知識に論証を求め出すと、人は勢い「慣習」やら「道徳的直観」やらを持ち出すだけで、何の解決も
>与えることが出来ない。実践理性に論証を求めることは、謂わばカテゴリー・ミステイクと言える。
>そもそも、ここで「論証」とは何を意味するのか? 論証とは、まず、定義や公理が前提され、そこから
>定理を証明して行く過程ではないか。しかし、倫理の領域では、そうした定義や公理さえもが、
>任意に選択され得る。よって、ここでは、カント流の超越論的演繹しかあり得ない。
>そうでないと、論証の論証が無限に進行する。

一理ありますが、ちょっとあなた自身の「論証」が乱暴すぎやしませんか。
「倫理の領域では、そうした定義や公理さえもが、 任意に選択され得る」とおっしゃって
いますが、直観主義でなくとも、たとえば功利主義のような自然主義的なアプローチをと
れば、少なくともあなたの指摘するような任意性はまぬがれます。また、ここであなたが
論じている「カント流の超越論的演繹」とは具体的に何を意味しているのですか?「道徳
形而上学の基礎づけ」と「実践理性批判」ではカントですらアプローチを異としておりま
すし、もっとも典型的な「理性の事実」論や「基礎付け第三章」をめぐっても、構成主義
的な解釈から道徳実在論に依拠するまで、さまざまな研究が飛び交っている現状です。
あなたが古めかしい「自然主義的誤謬」以上のことを主張しているのであれば、これらの
点についてもうちょっと詳しい説明をくわえる必要がありそうです。








898考える名無しさん:2007/08/31(金) 00:29:03 0
チンポも「最後の神」を求めてるのかい?

俺もハイデガーに強く魅かれてるし、循環論法や同語反復的な言い方に
それなりの根拠や効果があると認めるのにやぶさかじゃないんだけど、結局
求めてるのは「神」なんだと思うとどうもね。(過程や思考方法は凄いと思う。)

たぶん最後の神はキリスト教の神とは異なるんだろうけど、どう違うのかまだ
得心できてないし、同じじゃないのかと思ったりもする。それにそもそも「神」とか
「絶対者」っていう言葉に抵抗があるんだよね。

つまり、俺は最近、文化的、宗教的、言語的断絶を感じるんだよね、西洋哲学を
やってると。そういう感覚を無視できなくなってきたんだよ。チンポはそういうの
ない?
899チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2007/08/31(金) 12:17:12 0
>ただし分析哲学を自称するような研究者ならば、まちがっても自分の研究対象がなにやら
>特別な「新しさ」をもっているとは思っていないでしょうね。

自分の知っている範囲で分析哲学を教えている先生方の九割は、「新しさ」を標榜して
おりますね。そもそも、分析哲学自体、ラッセル・フレーゲが基礎を据え、前世紀に
興隆した哲学と一般的に見なされていますから。フランスの現代思想ほど嫌らしくはない
が、「新しさ」をもって、また現在進行形の哲学として、分析哲学者はやっていると
思いますよ?

>その方法論や概念の枠組みが従来の形而上学に比較して、いくらか蒙昧を排していると
>いうほどのことでしょう。

だから、そういう見解がやばいのでは? 例えばエイヤーやカルナップが「従来の
形而上学」に加えた批判の、どこが「蒙昧を排している」のでしょうか?
まあ、エイヤーやカルナップは古いですけど、従来の形而上学に対して、あの程度の
批判をなすようでは、分析哲学に未来などないでしょう。
むしろ、最近の分析哲学の形而上学化(?)こそ、興味深いところであり、
当然の帰結と言えるのでは?

しかし、それを意識的にやらないところに、分析哲学の盲目性があると自分は指摘した
のです。
900チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2007/08/31(金) 12:33:38 0

>しかし、だとすれば何も分析哲学を「畸形」として日本の伝統的風土から排除したり、
>京都学派や「重苦しいドイツ系の哲学」の正当性を叫ぶよりは、保守なら保守ならでは
>の視点から双方をともに「過去の遺産」とわりきったうえで、形式上の区分を超えて
>「遺産」を料理していくほうがよほど生産的なのではないでしょうか。

そうですよwww それは「正論」なんです。で、自分はこういう優等生的正論が
大嫌いなんですよ。分析哲学は、日本の思考スタイルに合わない、って言ったじゃないですか。
分析哲学は、日本の土壌では育たないというわけです。やるなら英米圏に行って
やれ、と。なのに、日本で偉そうなツラをしてブンセキ、ブンセキ、なんて言っている
奴がいるから、嫌なんですよ。子供みたいな言い分ですけどwww

でも、我々が西洋の哲学を学ぶ限り、分析哲学を無視することはできません。
分析哲学は、あくまで哲学のフィールドで現れたものであり、やはり哲学なんです
(日本の風土には馴染みませんが)。

あなたも気づいているようですが、このスレ自体、現象学と分析哲学の接点を図る
試みでもありました。あとね、初期フッサールに分析系のアプローチなんて
やってないですよ。あくまで、晩年のフッサールと『存在と時間』の対比ですから。

最近の分析哲学者は、プラトンやアリストテレスの解釈のみならず、中世の哲学においても、
いろいろな仕事をしております。しかし、それはテキストの中の論理的整合性を指摘したり
するだけで、肝腎なところが抜けているように感じますよ。
901チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2007/08/31(金) 12:38:07 0
>また、ここであなたが論じている「カント流の超越論的演繹」とは具体的に何を
>意味しているのですか?

超越論的演繹とは、経験的に論証不可能なものを、それにも関わらず、経験の可能性から
演繹しようという試みです。大事なのは、経験そのものからではなく、経験の可能性から、
という点です。それが自分の理解する「カント流の超越論的演繹」。

経験から倫理の諸原則を導き出すことは原理的に不可能です。倫理は経験に織り込まれており、
経験の可能性ですら、ありますから。このような経験の可能性を論ずる際には、
我々は常に超越論的視点に立たねばならず、経験の可能性の条件を取り扱う必要があります。

私は、哲学の倫理は、哲学という行為の中において、既にその行為の成立の条件として
機能していると考えます。それは後付けのものではなく、我々が哲学をすると同時に、
既に経験してしまっているものです。ハイデガー風に言えば、「常に既にある」といった
状況です。こういう状況は、解釈学的状況とも呼べると思いますが、このような
状況の中では、自然主義的アプローチはもちろん、除外されます。

哲学をすることを通じて、哲学そのものを規定するという立場であり、哲学の起源に
立ちつつ、その起源を乗り越えるという運動、ここに哲学の根源的経験の可能性があると
自分は考えております。哲学はその本質からして、超越論的であり、自分を乗り越える
性質をもっております。

哲学の倫理とは、そのような、哲学内部でのみ、それの行為と行為の自覚を通じて、
己を乗り越えつつ規定されるようなものです。ここに論証はあり得ない。論証なんて
しようとすると、それは同語反復にしかならないし、またそうとしか見えないから。
あり得るのは、演繹以外にはない。しかもそれは、任意に措定された原理からの
演繹ではなく、自己規定としての演繹であり、自己を自己内部から規定しようとする
運動です。
902チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2007/08/31(金) 12:50:15 0

>つまり、俺は最近、文化的、宗教的、言語的断絶を感じるんだよね、西洋哲学を
>やってると。そういう感覚を無視できなくなってきたんだよ。チンポはそういうの
>ない?

自分は意図的に目をつぶるよう、努力してるよ。だってそういう断絶を言い出したら、
もう西洋哲学なんて自分とは関係ないものになるし。東洋思想には親近感を持ち得ない
からなあ。

>たぶん最後の神はキリスト教の神とは異なるんだろうけど、どう違うのかまだ
>得心できてないし、同じじゃないのかと思ったりもする。それにそもそも「神」とか
>「絶対者」っていう言葉に抵抗があるんだよね。

それは自分もものすごく分かる。そう、キリスト教の神とは違うが、「神」という言葉には
抵抗がある。しかし、結局は同じものを思惟していると信じて、「神」という言葉に
甘んじています。

それから、たしかに、私も「神」を求めているのかも知れません。


女子中学生という名の「女神」ですけど。
903チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2007/08/31(金) 20:23:48 0
まあ、本当の話をしますと、僕の頭には脳内フォトショップが完備しており、
道ですれ違う美人のお姉さんたちの画像を脳内に取り込み、いろいろな部分を
修正して、拡大してみたり縮小してみたり、クリックしてみたり‥‥‥

というのは冗談ですけど、僕が分析哲学に対してあまりいい印象を持っていないのは、
それを教えている先生たちがむかつくからです。数学の教師が嫌いな生徒は、やがて
数学そのものが嫌いになって行くのと同じです。

独学をしていた頃は、ラッセル・フレーゲ・ウィトゲンシュタインも読んだし、
論理実証主義者のもの、クワインの論文、あと、ダメットのフレーゲ本や、
クリプキの様相論理学に関する本も読みました。

ちょうど、現象学にはまる前の話ですね。

いいですよ、分析やりましょうよ。

今回の読書会は、クワインの論文など読んでみるのはどうでしょう?
ラッセルとかフレーゲでも構わんが。

俺は分析はもう真面目に読んでないから、>>896あたりにホスト役をやってもらって。
もし、>>896にその気があるのなら、俺も真面目に読んで俺自身の解釈を書き込みたいと
思います。

その代り、分析哲学のなかで「古典」あるいはそれに近い扱いを受けているものだけで
お願いします。ゴミ論文を読んでいる暇なんてないんですよ。ただ、邦訳はないものの
方がいい。英語もドイツ語も読めないような奴が分析哲学気取るのはおかしいしさ。

なので、分析哲学の領域で比較的高い評価を受けており、なおかつ、邦訳がまだないもの。
そういうものを>>896にセレクトしてもらい、実りあるドイツ哲学主義者との対話を
楽しみましょう!
904チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2007/08/31(金) 20:41:08 0
ちょうどカントの超越論的演繹が問題になっていたので、ストローソンのカント本でどうだ?
残念ながら(?)既に勁草書房から邦訳が出ているが、原書は、

P. F. Strawson, The Bounds of Sense: An Essay on Kant's Critique of Pure Reason

カント解釈としては一定の評価を受けており、また実際に啓発される点が多い。
自分もこういうものだったら喜んで分析屋と対話したい。

もしくは、クリプキの様相論理学関係のもの。

"Semantical Analysis of Intuitionistic Logic I", In Formal Systems and Recursive Functions, edited by M. Dummett and J. N. Crossley. Amsterdam: North-Holland Publishing Co.

"Semantical Analysis of Modal Logic II: Non-Normal Modal Propositional Calculi", In The Theory of Models, edited by J. W. Addison, L. Henkin and A. Tarski. Amsterdam: North-Holland Publishing Co.

この二つなんてどうだろう?

デイヴィッド・ルイスのものも面白そう。

>>896の回答待つ。
905考える名無しさん:2007/08/31(金) 21:08:14 0
つDavid Lewis "General Semantics"
906チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2007/08/31(金) 22:30:17 0
>>905

おまえ、>>896と同じ奴?

もし同じ奴で、読書会やるのなら、コテハン+トリップでやらないと、相手にしないよ。

やる気のない奴の気紛れに付き合ってる暇はないからさ。

それから、自分がどうしてこの論文を読みたいのか、その論文の具体的な内容、
その論文が及ぼした影響、これくらいは紹介して始めるのが礼儀だよ。
今回のホスト役は俺じゃないんだし。

この程度のことも出来ない奴は当然、却下です。

よろしく。
907考える名無しさん:2007/09/01(土) 03:05:02 O
さて、一体インポ道の達人とは何者なのか? これが問題だろう。
彼は美しく、精力的であり、才能豊かである。
これは素質もあろうが、彼が殆どチンポの生け贄にされないで済んでいるがためである。
彼は現実的な富をあらかた手にする。
あるいは手にすることができる。
だが彼はその絶頂期にこそ即ちインポマスターとなったときにこそ、
現実を蹴って死を向かい入れる。
インポな彼にとっては無を除いた全てが影だからだ。
彼はその人生でインポの力を実証した。確信した。
そして無を求めて死ぬのである。
908考える名無しさん:2007/09/01(土) 07:04:01 0
萌書房はシェリング入門を出す余裕があるなら

『美少女せんせいが現代形而上学をおしえてあげる』

とかも出せばいいんじゃね。名前が名前だし。
909考える名無しさん:2007/09/01(土) 10:05:39 0
分析哲学を自称する研究者がはたして蒙昧を排した議論をおこなっているか、そして日本
の分析系の先生が「優等生的正論」に耐えうるかどうかは門外漢のわたしには分かりかね
るので、これ以上議論するのはやめておきましょう。

>>901
>経験から倫理の諸原則を導き出すことは原理的に不可能です。倫理は経験に織り込まれており、
>経験の可能性ですら、ありますから。このような経験の可能性を論ずる際には、
>我々は常に超越論的視点に立たねばならず、経験の可能性の条件を取り扱う必要があります。

という見解は倫理に対する一つの見解たりえるとは思いますが、しかしすべてではありませんよね。倫理の根本原則が世界を構成している基礎的にして超越論的制約ではなく、む
しろ世界の構成員によって文字通り「構成された」とはどうして考えられないのでしょう?
これは倫理を社会学者のいう「社会的構築物」にやみくもに還元しようとするものではな
く、広義の手続き主義によって倫理を基礎づけようとする見解です。>>1さんは倫理原則
を数学的論証とのアナロジーによって捉えていますが、上の構成主義は倫理というよりむ
しろ数学基礎論において重大な論争を巻き起こしてきた主張なのです。

また、「超越論的視点」に立ったたとしても倫理の原則が必ずしも基礎づけられるわけでは
ないことは、『実践理性批判』におけるカントの演繹の失敗、あるいはそれに続くカント主
義らの挫折の歴史が物語っているのではないでしょうか。歴史や権威でもってある哲学的
立場を検討することは不当ですが、カント的立場を擁護するには少なくともカントの「理
性の事実」以上の議論を展開しなければならないと考えます。「哲学の倫理」というのは独
特の議論でまだ全貌がつかめていないので、ここでは倫理一般の議論にとどめておきます。
910896:2007/09/01(土) 10:08:04 0

改行の不備、失礼しました。

>>903
>その代り、分析哲学のなかで「古典」あるいはそれに近い扱いを受けているものだけで
>お願いします。ゴミ論文を読んでいる暇なんてないんですよ。ただ、邦訳はないものの
>方がいい。英語もドイツ語も読めないような奴が分析哲学気取るのはおかしいしさ。

わたしはネットに常時接続できる環境にないので、ウェブ上で読書会のホストを務めるこ
とは残念ながら難しいです。しかしいくつか魅力的な文献を挙げるならば、ストローソン、
クリプキのほかにフッサールの『論理学研究』第三研究のメレオロジーを推し進めたグッ
ドマン、レシニェフスキーなどはどうでしょうか。あるいは、もっと一般受けのよいもの
としてジョン・マクダウェルの『心と世界』など。いずれにせよ、現在の分析哲学は自然
化を考慮する一方で、このスレでも再三強調されているような「超越論的議論」の検討が
アツくなってきています。メタフィジックス、分析系の雑誌を問わず最新の論文をピック・
アップしてRecent Reinterpretation of “transcendental” を勉強するのは楽しいでしょうね。


911考える名無しさん:2007/09/01(土) 16:15:59 O
チンポ先生
880です
さっそく探してみます。
私哲学は全くの素人の歴史学士です。
9.11以降のネオリベ&コンの台頭、カルト化する資本主義経済(儲け=信者)
また、今後の歴史学のValueJudgeや研究対象のカタリ派の二元論に、鬱々としておりました。
シェリング過去スレでの遠近法やビッグバンの例えでハッとするものを感じたのです。
教授にデカダンを喝破され3年悶々と過ごしましたが、淡い光明が射した思いです。
議論に参加出来るほどの力はありませんが、ちょくちょく覗かせて下さい。
912考える名無しさん:2007/09/01(土) 16:37:23 O
因みに女子中学生ぐらいまでの〇〇ちゃんが夢によく出て来ます、ローティーンの頃は毎日死にたかった。
あまりに幸せなので…あの原油のような瞳!
以降、女性に心引かれる事は無いです。
913チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2007/09/01(土) 18:59:24 0
ちょっと誤解されているようですが、私がここで議論しているのは哲学の倫理であり、
倫理一般ではありませんよ。

>倫理の根本原則が世界を構成している基礎的にして超越論的制約ではなく、むしろ
>世界の構成員によって文字通り「構成された」とはどうして考えられないのでしょう?

考えられますよ。というか、常識的に考えて、それが倫理の基本的な意味ですから。

倫理 ethics はギリシアの語の ethos に由来しますが、それは普通には「慣習」を意味しています。
なので、それは常識的に考えれば、習慣により構成されたもの、現代風に言えば「社会的構築物」なんですよ。

しかし問題なのは、果してギリシア人が、我々が「慣習」という言葉で理解しているようなものを、
ethos という言葉で意味していたのか、ということなんです。

ギリシア哲学の諸概念がラテン語訳、スコラ哲学、近代哲学を介して大きく歪められたというのが
ハイデガーの見解ですが、私も彼に同意する点が多い。特に ethos という言葉は、我々が社会的な慣習と
一般的に見なすものとは異なっています。

この点は、ギリシア的現存在をどう規定するかという問題と密接に関わっていますが、
ギリシア人は基本的に、人間を歴史的存在として捉えることにおいては一致しておりました。
人間は歴史的存在であるからこそ、「慣習」を持ち、やがてそれが「倫理」として現れてきます。

ここで問題なのは、では歴史とは何か、という問題です。
歴史とは、「史学」Historie としての歴史ではなく、「歴運」Geschichte としての歴史であり、
生起としての歴史です。

これは、我々人間という存在者が、そこで存在が開かれる場所であり、
我々の存在は、従って、存在の方から、存在の生起から規定されるということです。
914チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2007/09/01(土) 19:11:28 0
人間は、この存在の方へと超越する性質を持っており、人間においてのみ、存在が開示されるのだから、
人間においてのみ真理が存在し、また、人間においてのみ、歴史が存在します。
それゆえ、人間においてのみ、倫理が存在するというわけです。

倫理とは、このような、人間の歴史的現存在に根ざした概念であり、存在論的概念であるということです。

そして、哲学がアリストテレスの言うように、根源的には存在の学を意味しているのなら、倫理の本質には、
哲学の本質が、根ざしているということです。これが私が哲学の倫理の特権化する理由なんですが。

構成主義とか、自然主義とか、そういううわっつらな議論なんてしてないんですよ。

そういう議論は何時までやっても終わりはないですよ。

私が掲げるのは、倫理をそういう方向で考えるのとはまったく異なっているということです。

倫理とは、まず、存在論的概念であり、存在論の枠内で論ぜられるべきだと私は主張しているんですよ。

私はそれに、「数学的アナロジー」で倫理を理解なんてしてませんよ。
私は「論証にもなってねえ」という非難に応じて、倫理には「論証」という手続きは不可能だし、また不要である、
と言ってるんですよ。

もし論証なるものが存在するとすれば、それは精確には論証とは言えないが(というのも、論証とは一般には
数学的な意味にしか解されませんから)、カント流の超越論的演繹しかあり得ない、と言ったのです。

私が念頭においている「演繹」はしかし、『純粋理性批判』における「超越論的演繹」ですからね。

カントの学説を葬るのは簡単なことですよ。演繹はそもそも論証ですらないのだから。
だから、カントの演繹が失敗したとか、そういう言い草は本当に腹が立つだけで、
自分では何も考えていない証拠でしょう。カントが演繹の問題で何を示そうとしたのか、あなたは
これが分かっているのでしょうか? カントの Problematik にあなたは入り込んだ上でそういう
発言をしているのですか?
915チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2007/09/01(土) 19:22:33 0
>カント的立場を擁護するには少なくともカントの「理性の事実」以上の
>議論を展開しなければならないと考えます。

だから、こういう発言が一番ムカつきます。

「以上の議論」ってそもそも何よ?w

理性の事実よりも以上の議論が必要なのではなく、何故、カントが理性の事実なんてことを持ち出したのか
(これはまあ、一種の奇蹟的な事実なんだが)、あるいは持ち出さざるを得なかったのか、
その「必然性」が問題なんですよ。

一体、「事実」とは何でありましょうか? あなたは、この事実 Faktum という言葉が何を
意味しているのか、分かっているのでしょうか? 事実とは、歴史的な概念であり、
人間においてのみ成立する、存在論的な概念です。

こういう、カントの揚げ足取りではなく、カントの問題圏に、その問題圏の必然性の方から、
飛び込んでいく覚悟が必要なんですよ。

そうでないと、過去の哲学者なんてみんな、その言質を取られる(検証される)だけの存在
になってしまいますよ?

まあ、それが分析哲学の昔の基本的立場であり、実に愚かな立場なんですが。
916チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2007/09/01(土) 19:44:32 0
まあ、私としては、僭越ながら、いくらでも議論の相手をしましょう。

あと、議論するのなら、トリップをつけて下さい。

しかし、カントの定言命法に対する態度(実践理性の根本原則は理性にあらかじめ与えられているものから
推論されるのではなく、アプリオリな綜合的命題として我々に迫ってくる等々)を批判しても駄目だよ。

こんな言い草が問題なんじゃなくて(というか、それを問題にする奴はよっぽどの馬鹿と思う)、
どうしてこんな言い草をカントほどの哲学者が為さざるを得なかったのか、その必然性と問うという方向が
大事でしょう。

さあ、>>909、一般論に身を隠すのでなく、独自の議論をお願いしますね。

>>910

いや、あなたはホスト役をする義務があります。そして、我々に対して、分析哲学の偉大性を
見せてくれないといけませんよ。

でないと、分析野郎がチンポ太郎と対決して負けた、ってことになり、あなたのせいで分析哲学の価値を
おとしめることになりますよ。

大体、常時接続じゃなくてもいいじゃん。今書いているくらいのペースで充分だよ。俺もそんなに
早くは読めないし。しかも分析関係はいろいろ調べながら読まなくちゃいけないし。

なので、>>910には、是非とも、分析哲学で我々の盲を啓いて欲しいと思います。
917考える名無しさん:2007/09/01(土) 20:00:03 0
分析哲学についてやるんですか。分析哲学には興味が無いので残念です。
次はハイデガーの『ニーチェ』希望。
918チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2007/09/01(土) 20:08:16 0
で、>>910に挙げられいる本ですが、フッサールの『論理学研究』第三研究で行きましょうか?
これなら今、自分の手元に原書がありますので、すぐに出来ます。
可能ならば、どこから始めるか、指定して下さい。みっちり読みますよ!

ちなみに、私の過去スレ(現象学関連のもの)では、既に『イデーン』『危機』『デカルト的省察』
「相互主観性の哲学」(フッセリアーナを使って)等の、後期フッサールを既に扱っていますから
(デリダやヘルトの解釈なども検討した)、今回は初期フッサールをもう一度読み直すというのも面白いかも。

いや、どうしても分析哲学からがいいというのなら、やっぱり、マイナーな奴よりも、有名どころをいこうよ。

それで分析がいかにすごいかを我々に見せてください。候補としては、

P. F. Strawson, The Bounds of Sense: An Essay on Kant's Critique of Pure Reason

あと、俺自身、可能世界意味論・様相論理学に興味があるので、クリプキもしくはルイスの論文を通じて
>>909にいろいろ質問したい。クリプキだと『名指しと必然性』が有名だが、もっと初期の論文がいい(>>904)。
飯田さんの本は一応読んでいい本と思ったけど、日本語なので逆に分かり難かった。啓蒙して下さい。

>>911

それはどうも。僕の親しい友人にも歴史学者(?)がいますよ。シェリングの読書会、いつか復活させたいですね。
歴史が今、このスレで問題になっているので、ハイデガーの『存在と時間』における歴史論を読んでもいいかも。
919880:2007/09/01(土) 21:47:37 O
どうも歴史の叙述に関して国家→マルクスを頼り過ぎた時代があり、ごたごたしております。
実証主義を掲げるにしろ心性を探るにしろ似たような物で、根を時勢というか世間に依存して記述する自称歴史家がいまだにいて(日本古代史など正に聖域でしょう)迷惑至極です。
旧石器捏造のような幼稚なレベルでさえ、しっかり他山の石とせずに「あれは考古学だから…」は恥ずかしいでしょう。
何らかのイデオロギーからまわしを借りるのでなく。
観念論を通過するのは前提として有り得べきではないでしょうか。
ヴェーバーがその役割を果たしているようですが…
920880:2007/09/01(土) 22:19:29 O
近年「M・ヴェーバーの犯罪」なんていう本が出て感情的な喧嘩になりましたが、正に始めから知的誠実性云々よりも「根拠」の問題のはずでした。
現実に採用されている国家システムや法律や経済を考えれば馬鹿げた因縁ですが、マルクスかヴェーバーを宗派的に崇め奉るような機運がかつてあったのも事実でしょう。
実際人文系は理系と比較して徒弟制のような縦割り的閉鎖性があります。(日本の組織全体に言える事ですかね)
喧嘩を吹っ掛けた側のバックも違う意味でカルトじみていたので直ぐに収束しましたが…
あと、何かと話題の歴史問題など存在しません。角川ごり押しのハルヒブームみたいな物です。ただの9.11の反動です。
歴史家なら少なくともテロで殺される事に不条理は感じないでしょう。そりゃ死ぬのも怪我するのも嫌ですが。
921896 ◆H6pgiSwbfk :2007/09/01(土) 22:48:33 0
>>1さんの「倫理」なるものにかんする考え方はよく分かりました。ただしわたしが申し
あげていることは、そのような超越論的問題設定を>>1さん以外の者が受け入れる必要は
ないということなんです。あなたの議論は、(1) ギリシア哲学の諸概念である「エシックス」
がラテン語訳、スコラ哲学、近代哲学を介して大きく歪められたこと、(2) 人間はこの存在
の方へと超越する性質を持っており、人間においてのみ存在が開示されること、という前
提を受け入れてはじめて可能になるものです。しかし、ハイデガーの見解に同意されるだ
けでは「エシックス」の概念史研究を裏付けたことにはなりませんし、たとえハイデガー
の指摘が理にかなったものであったとしても、倫理をギリシア流の枠組みに限定して論じ
る必要はありません。また、(2)の前提はハイデゲリアン以外の者にはほぼ意味不明です。
わたしはハイデガーを読みますし、ギリシアにさかのぼろうとする>>1さんの見解に共感
を覚えはしますが、議論の前提をハイデガーからそのまま借りてくるような論証が「構成
主義」を援用してそれ以外の方法論を示す議論に比較して「うわっつら」でないとは思え
ません。
922896 ◆H6pgiSwbfk :2007/09/01(土) 22:49:30 0
また、「そういう議論は何時までやっても終わりはない」と断言されるのもよくわかりませ
ん。たとえば上に述べた構成主義によってカントの超越論的演繹を論じるのも可能でしょ
う。具体的には、ジョン・ロールズのように「理性の事実」を構成主義的手続きの所産と
して解釈するもの一手です。「終わりがない」かどうかは分かりませんが、テキストにもと
づいて「理性の事実」をたんなるモラル・リアリズムではなく、社会構成員のあいだでか
わされる「合意」という文脈に引きつけて再構成するのは哲学的に有意義です。わたし自
身はこのようなロールズ流の解釈を無条件に受け入れるわけではありませんが、肝要なこ
とはカント倫理学が>>1さんのおっしゃるような「一種の奇蹟的な事実」に基づかなくと
も可能であるのを示すことです。私見を申すならば、わたしはカントの超越論的演繹は「理
性の事実」という逃げの一手において解釈されるよりは、『道徳形而上学の基礎づけ』第三
章におけるオートノミー論を中心として論じられるべきと考えています。つまり私にとっ
て「理性の事実」は『実践理性批判』の演繹失敗を裏付ける逃げ口上以外の何物でもない
わけで、そこに「一種の奇跡的な事実」や「問題圏の必然性」があるならばぜひ示してほ
しい。もちろん、その際にはハイデゲリアン以外も共有できる論証をお願いしたいです。
923896 ◆H6pgiSwbfk :2007/09/01(土) 23:01:04 0
>いや、あなたはホスト役をする義務があります。そして、我々に対して、分析哲学の偉大
>性を見せてくれないといけませんよ。
>でないと、分析野郎がチンポ太郎と対決して負けた、ってことになり、あなたのせいで分
>析哲学の価値をおとしめることになりますよ。
>大体、常時接続じゃなくてもいいじゃん。今書いているくらいのペースで充分だよ。俺も
>そんなに 早くは読めないし。しかも分析関係はいろいろ調べながら読まなくちゃいけな
>いし。

わたしは分析哲学の研究者ではないし、もとより哲学の研究者でもありません。さらに、
たとえわたしがウェブ上の議論で論駁されたとしても、それくらいでは分析哲学の価値は
(そんなものがどれほど信じられているか疑問ですが)貶められないでしょう(笑)。
この週末は偶然ネットに接続できる環境にあったので、こうして書き込むことができまし
た。しかし週が明ければ日常の瑣事に追われてウェブに書き込むことは難しくなるでしょ
う。ただしもしストローソンを読まれるのであれば、何か月に一回かはまとまったコメン
トを付せられるかもしれません。そのような勉強会のペースは>>1さんにとっては「気紛
れに付き合ってる暇はない」、ということになるでしょうが…
924チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2007/09/02(日) 18:04:42 0
>>921

あなたは、私の議論が、ハイデガー哲学の許容を前提するように理解されていますが、
それは違いますよ。私の議論は、ハイデガー哲学とは直接関係なく、倫理を語るすべての者が、
一度は考慮すべき事柄ばかりです。

倫理という言葉の語源がギリシア語の ethos に由来している限り、ギリシア人がこの言葉を
如何なる意味で用いていたのか、それを考えるのは至極当然と言えます。

ギリシア哲学の諸概念が、そのラテン語訳の過程で歪められてしまったということは、
ハイデガーのみならず、ルネッサンス期の人文主義者も、ヘーゲル以降のギリシア哲学史家も、
現代のギリシア哲学研究者の間でも、承認されていることなんですよ?

例えば、substantia という訳語を考えて下さい。ギリシアの hypokeimenon あるいは ousia が語源ですが、
substantia はまったく異なる仕方で近代哲学では把握されていますよ。
この程度のことは岩波文庫の邦訳の注の中でも触れられているレベルです。

従って、ethos という語の意味が、ギリシア哲学においてそもそも根源的にはどのような事態を
指示するものであったのか、そして、そのラテン語訳、スコラ哲学、近代哲学の途上で、
いかなる変遷を遂げ、いかに歪められて来たのか、そしてまた、何故そのように歪められたのか、
これらを考えることは、倫理を考究する者としては当然の態度で、これをないがしろにするのは、
まさに過去の遺産を完全に無視することでしょう。このことを私は再三批判してるんですけどね。

よって、

>ギリシア哲学の諸概念である「エシックス」 がラテン語訳、スコラ哲学、近代哲学を
>介して大きく歪められたこと

は、あなたも承認すべきですよ。いや、「歪められた」という表現が嫌なら、「変遷した」なんて
健全なwww言葉を使っても構いませんよ。そして問題は、この変遷がどうして起ったのか、
その内的理由に迫ることなんですよ。それが過去の遺産との対決であり、過去の遺産に対して
自由になるための条件だと思いますよ。
925チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2007/09/02(日) 18:18:15 0
>人間はこの存在の方へと超越する性質を持っており、人間においてのみ存在が開示されること

人間においてのみ、存在概念が理解されるということ、これはギリシア哲学でも
近代哲学でも当然に受け入れられた来た前提と思いますが、
別にこれを承認してもらう必要はないです。

これ以後の議論は、私が自分の意見を述べたに過ぎませんから。
それから、ハイデガーの見解を私が鵜呑みにして、それを反芻しているだけのように
考えているようですが、あなたはハイデガーをお読みになったことはあるんでしょうか?

ないのなら、ハイデガーを連呼するのはよした方がいいですよ。

私の意見は、必ずしもハイデガーと一致するものではないし、ハイデガーはこういう方向で
倫理を詳しく論じたことはありませんから(示唆をすることは勿論ありますけど)。

また、存在の彼方へと超越するという表現は、ハイデガーではなく、プラトンなんですが。


私が言っているのは、「倫理」という言葉のそもそもの最初の使用は、ギリシア人にあり、
それゆえ、ギリシア人がその言葉をどういう意味で使用していたのかを知る必要がある。
そのためには、ギリシア人の哲学の理解が必須になる。これだけです。

いいですよ。そういう見解が嫌なら、「ギリシア人なんて俺は知らん」って言ってりゃあ、いいわけです。

>倫理をギリシア流の枠組みに限定して論じる必要はありません。

とまあ、こういうわけです。「ギリシア流の枠組み」ってそもそもなんですか?

「倫理」という言葉を我々が使用する限り、我々は常に既にギリシア人の思惟に縛られているんですよ?

それを自覚しないということ、それが過去からの呪縛なんですよ。つまり、過去から自由になってない。
926チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2007/09/02(日) 18:27:15 0
>議論の前提をハイデガーからそのまま借りてくるような論証が「構成主義」を援用して
>それ以外の方法論を示す議論に比較して「うわっつら」でないとは思えません。

「主義」なんて言っている限り、それはうわっつらですよ。うわっつら以外、なんと言うのでしょうか?

それ以外の方法論なんて言いますけど、あなたが提示していることは、倫理の教科書に書いている以前の、
中学生的な見解ばかりじゃないですか?

私の議論の揚げ足取りはいいから、あなたの議論の一つでも開示してはどうですか?

私の議論がハイデガー哲学の焼き回しみたいに言いますけど、あなたはハイデガーの著作の
どの部分を私が拝借したと言っているのですか? ちゃんとテキストを明示して言って下さい。
というのも、そういう言いがかりは一番ムカつきますから。

どのテキストか明示できないのなら、どの部分がハイデガーなのか、はっきり引用して言って下さいね。
927考える名無しさん:2007/09/02(日) 18:35:29 0
がっかりです。
928チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2007/09/02(日) 18:36:48 0
>また、「そういう議論は何時までやっても終わりはない」と断言されるのもよくわかりませ
>ん。

ここで「そういう議論」というのは、ロールズの労作を言っているのではなく、あなたの書き込みのことを
言っているんですよ? さすがに私もロールズほどの大家が馬鹿みたいなことをやっているとは思えませんし。

あなたの述べたような見解、

>倫理の根本原則が世界を構成している基礎的にして超越論的制約ではなく、む
>しろ世界の構成員によって文字通り「構成された」とはどうして考えられないのでしょう?

だから、考えることはできる、って言ったじゃないですか。しかし、問題なのは、その「構成」の
意味なんですよ。この「構成」の概念を根源的に理解しない限り、うわっつらの議論になるのは
決まりきったことじゃないですか。私はそこからギリシア人の理解する「慣習」(現代風に
言えば「社会的に構成されたもの」)の議論に移ったわけで、つまり、この「構成される」という
事態が、如何なる哲学的概念に基づいて規定されているのか、そこに問題の深みがあるというのに!
929チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2007/09/02(日) 18:43:46 0
>具体的には、ジョン・ロールズのように「理性の事実」を構成主義的手続きの所産と
>して解釈するもの一手です。「終わりがない」かどうかは分かりませんが、テキストにもと
づいて「理性の事実」をたんなるモラル・リアリズムではなく、社会構成員のあいだでか
>わされる「合意」という文脈に引きつけて再構成するのは哲学的に有意義です。

だから、それについては無意義なんて言ってませんよ。

>わたし自
>身はこのようなロールズ流の解釈を無条件に受け入れるわけではありませんが、肝要なこ
>とはカント倫理学が>>1さんのおっしゃるような「一種の奇蹟的な事実」に基づかなくと
>も可能であるのを示すことです。

じゃあ、示して下さい。それを待っていたんですよ。その議論を詳しくお聞かせ願いたい。
ロールズがこう言ってる、とかじゃなくて、あなた自身の言葉でお願いしますね。

>私見を申すならば、わたしはカントの超越論的演繹は「理
>性の事実」という逃げの一手において解釈されるよりは、『道徳形而上学の基礎づけ』第三
>章におけるオートノミー論を中心として論じられるべきと考えています。つまり私にとっ
>て「理性の事実」は『実践理性批判』の演繹失敗を裏付ける逃げ口上以外の何物でもない
>わけで、そこに「一種の奇跡的な事実」や「問題圏の必然性」があるならばぜひ示してほ
>しい。もちろん、その際にはハイデゲリアン以外も共有できる論証をお願いしたいです。

それじゃあ、カントの自律概念の解釈をお願いしますよ。

それから、「奇蹟的な事実」と私が呼んでいるのは、「理性の事実」のことですよ。
通常はそんな風に解されていますから。
930チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2007/09/02(日) 18:49:35 0
それから、私が述べたことは、別にハイデガー哲学を知らなくても、当然、倫理を語る者が
通るべき道だと思います。あなたは、私のことをハイデガーの信奉者と思っているようですが、
私は影響を受けただけです。そしてそれは別に普通のことと思います。上に私をハイデガー信者と
いうような書き込みがありましたが、もしかしてそれを鵜呑みにされましたか?

>わたしは分析哲学の研究者ではないし、もとより哲学の研究者でもありません。さらに、
>たとえわたしがウェブ上の議論で論駁されたとしても、それくらいでは分析哲学の価値は
>(そんなものがどれほど信じられているか疑問ですが)貶められないでしょう(笑)。

いや、あなたは2ちゃんねるの哲板のチンポ太郎のスレに足を踏み入れた時点で、もう
引き返すことは出来ないんですよ。このスレでは、自分の無知を指摘されて泣き寝入りするか、
相手をボコボコにするか、その二つに一つしかないんです。

つまり、ここは戦場なんですよ。そうと知らないで書き込んだあなたの無知を咎める気は
ありませんが、このスレに限っては、あなたは自分の発言に全生命を懸ける必要があります。

>この週末は偶然ネットに接続できる環境にあったので、こうして書き込むことができまし
>た。しかし週が明ければ日常の瑣事に追われてウェブに書き込むことは難しくなるでしょう。

いや、そういう言い訳は無用です。

では、>>896には、カントの Autonomie の解釈、あるいは、>>896のいう「構成主義」を大いに
語って頂きましょう。

そして、>>896の言い分が、果して理に適っているのかどうか、みんなで徹底的に検証したいと思います。

カントの自律概念についてやるのなら、必須文献リスト、あなたの解釈の概要とそれを基礎づける議論、
他の解釈者たちとの相違、予想される反論、これくらいは書き込んで下さいね。こっちもこれを機会に
カントの倫理学をみっちり勉強し直します! >>896先生よろしく!
931考える名無しさん:2007/09/02(日) 19:43:51 O
チンポは存在しない。
932チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2007/09/02(日) 20:20:43 0
>>880

>角川ごり押しのハルヒブームみたいな物です。

ハルヒは素で面白いんですがwww やばいですかね、俺?

エヴァブームよりは健全だと思いますよ。

歴史学や社会学については情勢をまったく知らないのでどうコメントしたものか。

マルクスを読めと栗原君(哲板の昔のコテハンですが)に何度も言われましたが、
僕の頭には入りません。マルクスの歴史観はヘーゲルを反映しているそうですが、
歴史家の人々は「歴史性」という概念をどう理解されているのでしょうかね。
933チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2007/09/03(月) 00:37:01 0
補足。

相手に向かって「おまえは○○主義者だ」と言うことほど失礼なことはありません。

デリダはハイデガー主義者である、ハイデガーはナチに加担した、よってデリダの思想はやばいものである。
こういう小学生みたいな言い分がまかり通っていい筈がありません。

>>896は、おそらくハイデガーの著作などロクに読んではいないと思いますが、
どうしてそれでもって、私をハイデガー主義者と決めつけることが出来るのでしょうか?

私が述べている見解に、ハイデガーの用語は出てきます(「現存在」とか)。
しかし、その用語の使用から、私がハイデガー主義者であることが帰結するでしょうか?

たとえば、私が「無意識」という表現を用いたら、それでフロイト主義者になるんでしょうか?

一体、「主義」なんていうものは、思想の内的な複雑性を単一化し、相手を侮辱するのに
もっぱら用いられているような気がしてなりませんよ、私には。

このスレの読者はご存知と思うが、私は元来、近代哲学を専門に研究してきたのであり、
実際にハイデガーに関するスレを立てたこともありません。

ハイデガーの見解には首肯するところが多いとしても、彼の哲学だけでは、他の哲学の
全射程を測ることなんて不可能です。
934チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2007/09/03(月) 00:50:10 0
私が「倫理」の問題において考えていることは、倫理の諸原則は、「必然性」を持たねばならないが
(必然性を持たないのなら、それは原則ではあり得ませんから)、この「必然性」は、如何に得られるのか、
という問題です。これは非常に単純な問題であり、小学生でも問うことが出来る問いです。

この問いに対して、「それはみんなで決めたからですよ」というのは簡単ですが、このみんなの
取り決めは、やはり、必然性を持ってはいない。というのも、ここでいう「みんな」というのは
漠然とし過ぎており、とても全人類を普遍的に含むとは言えないからです。

従って実際の倫理の諸原則とは、誰かによって決められたものであり、その誰かの思惑を
反映しているということになります。たとえば、

各人は基本的自由に対する平等の権利をもつべきである。

これは西洋世界で発明された考えであり、昔の中国人はこんなことを聞いたら笑ってしまうに違いない。
これは、各人は平等の権利を持つという前提が普遍的に受け入れられる限りでのみ、正しいと言わざるを
得ません。

このような、「構成主義的」手続きをもってしては、原理的に倫理の諸原則の「必然性」を説明する
ことは不可能だと思います。

ロールズの言う「原初状態」なんて概念も、所詮は仮説の域を出ません。

倫理の諸原則は、仮説によって説明されるものではない。さもなくば、それはただの取り決めになり、
原則としての拘束性を有することが出来ませんから。
935チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2007/09/03(月) 01:10:28 0
倫理の必然性への問いに対して、「そうする方が得だからだよ」と言うことも出来ます。
最大多数の最大幸福なんてことを言い出すのです。

しかし、こんなことで倫理の諸原則の正当性を裏付けるなら、それこそ、愚の骨頂だと私は言いたい。
そもそも、「幸福」なんて曖昧な概念で倫理の正当性を裏付けることは出来ません。
幸福の定義なんて言い出したら、それこそ各人各様です。

万人の利益といっても、「利益」という概念は、やはり各人の立場によって異なります。

ムーアの直観の考えは、この問題に対する一つの真摯な回答だと思います。しかし、いかんせん、
その「直観」なるものが更なる解明を必要とする。この解明を怠る「直観主義」は、あまり価値の
ないものと思います。

ヘアーのいわゆる universal prescriptivism も面白い試みです。
道徳的な用語は、universalizability と prescriptivity という二つの性質を持っていると言うのですが、
しかし、問題なのは、この普遍化可能性と指令的性質が、如何に得られるか、ということです。

道徳判断を、普遍化可能であり、指令的である、というのは簡単ですが、問題なのは、
どうしてそうなの? ということです。実際、そうでないかも知れないのだから、とヘアーは批判されてます。

あと、倫理学の方面には、いろんな「主義」があります。しかしどれを取っても、倫理の
諸原則の必然性を完全に証明するまでには至っていない。そもそもそのような証明は可能なんでしょうか?
936チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2007/09/03(月) 01:34:10 0
まず、倫理の諸原則の必然性ですが、これは自然の諸法則の必然性とは異なるものと考えられています。
しかし、そこにある種のアナロジーがあるとも。

カントは、自然の諸法則の諸原則が、根源的には純粋悟性概念に由来することを示し、
それでもって、自然の諸法則の必然性を説明できたと信じておりました。ただ、この説明は、
純粋悟性概念自体の証明、つまり超越論的演繹という手続きが適切に実行された時にのみ、
受け入れ可能なものになります。

しかし、実践理性の場合は、どうしても「物自体」の領域に入り込むので、カント哲学の致命的な
弱点を前提せざるを得なくなる。実践理性の場合は、純粋理性に加えたような批判を展開できない。
どうしても、善自体などというものが出てきて、倫理の諸原則が規定されてしまう。

実際、カント自身、道徳の最高原則の議論は超越論的哲学に属さない旨を、
『純粋理性批判』の冒頭で書いております。>>896はこの点を理解しているのでしょうか?

私があえて倫理の諸原則に「超越論的演繹」を要求するということは、カント哲学の枠内を既に
外れているということですよ。

(今、気づいたが、>>896はカントが実践理性批判で倫理の諸原則に「超越論的」演繹は不要と言っていることさえ
知らないのでは? 道理で話が噛み合わないわけだ。)

私がそこで示そうとしたのは、倫理の諸原則を、何か絶対的なものから一方的に規定するのでも
なく、倫理の諸原則が適応され、またそれを行為する者の側から、その諸原則の必然性を
引き出そうと言うものです。これは一見、カントが自然の合法則性を人間の悟性から引き出す
手続きと類似しています。なので、私は「超越論的演繹」という言葉を使いました。

ただ異なる点は、人間の悟性から引き出す必然性ではなく、人間の行為から引き出す必然性です。
これは、結局、人間というこの存在者の規定に懸かって来ます。だから、
私は再三、この人間存在の独自性を表すために、「現存在」というハイデガーの用語を使ってきたのです。
なのに、>>896は、そういう私の議論をよく見ず、ただハイデガー主義だと言って斥ける。

しかし、ここまで説明したら、私の言っていることがよく分かったと思います。
937考える名無しさん:2007/09/03(月) 04:08:56 0
倫理の原則は「ある」ということだよ
938考える名無しさん:2007/09/03(月) 23:26:05 O
なんかチンポってピカァっぽいな。
939考える名無しさん:2007/09/06(木) 00:00:31 0
文体が似てるよね。
940考える名無しさん:2007/09/06(木) 11:11:09 0
そうですかね?
けっこう哲板には長く張り付いていてお二人のカキコも昔から拝見してますけど、
私には対極的というか似ているところが微塵も無いように思えます。
どこら辺が似てると思ったんですか?

でも考えてみるとお二人とも2ちゃんで日ごろの鬱憤をはらしてるような雰囲気はあるかな。
太郎氏は、頭もよくて知識も文才もあって、何より笑いのセンスに長けてるようだけど、
日ごろはそれを発揮する機会が無くて、周囲からはただ生真面目とか堅物と見られてるのかも。
ぴかは、社会学とか心理学とか自分の関心のある分野の成果をマスターしようという
意志の強さと勉強熱心さには感服させられるけど、それは、
日ごろ社会との接し方や人とのコミュニケーションに関して問題を抱えているからなのかも。
あくまで雰囲気というか、私が受ける印象ですから、そう思われることを見越して、
わざとそういうキャラを作って遊んでるだけなのかもしれませんけどね。
941考える名無しさん:2007/09/08(土) 16:58:28 O
こんなこというとキモイようだけど心が似てる。
その分、本人同士、とりあえず対立的にならざるをえない。
942チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2007/09/09(日) 23:42:41 0
人は自分の理解できないものに出会うと、なんとかしてそれを理解しようと努力する。
しかしその努力が限界に達すると、未だ理解していないものを、既に理解しているものから、
暴力的に、かつ一切の差異を無視して、理解しようとするようになる。

俺とぴかぁが似ているとか言う連中はその類です。
つまり、「○○と○○は似てる」と言うと、妙に安心できるんですな。

問題は、「差異」を見分けることなのに、なんでも一緒くたにして、
「同じ、同じ」と言い張るんです。

まあ、自己防御でもあります。「○○と○○は似ている」と言うことで、自分の立場を
両者よりも高次のところに置こうとするわけです。下衆な考えであり、
諸君は真似すべきでない。

ヘーゲルの歴史哲学にはこの傾向が見られます。だから、ヘーゲルは嫌な奴なんです。

まあ、それはいいとして、>>896は戦闘放棄なんでしょうか?
せっかく議論する相手ができて嬉しい気持ちでいたのに、残念です。
だって、ほかの連中は学問について書き込む度胸なんてまったくないですから。

ほんと、頭の悪い連中ですよね。間違ってでもいいから、幼稚でもいいから、
自分の意見を開陳して、叩かれながら自分を鍛えて行けばいいのに。

実生活ではなんの支障もないですよ? つーか、そういうのを指摘する人の方が、
大変に問題ありと思います。

あーあ、バカばっかりで面白くないです。そうそう、明後日の例会で、我がサークルの
文化祭の出し物が決まるそうです。ライブだけはやりたくないです。
943考える名無しさん:2007/09/10(月) 00:33:53 O
無論、似てるということと、同じということの間には、差異があるわけだが。
944チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2007/09/10(月) 02:24:04 0
いやいや、彼等に「同一性」と「類似性」の区別など存在しませんよ。

彼等の言う「同じ」は、「似ている」と同義です。

この「類似」ということですが、これは異なる二つのものを、同一物に還元する暴力的な行為です。
異なる二つのものは、その差異を完全に無視されて、同じものではないのに、同じであると
宣告されるからです。

この「似ていること」と「同じであること」を混同すること、これが彼等の発言の根底にあると
言っていい。

同一性というものは、厳密に言えば、そもそも自己同一性以外にはあり得ません。
A = A という命題でさえ、左の A と右の A とは厳密には異なるものであり、同じではありません。
同一性を認識するというのは、自己同一性という非常に抽象的な概念を理解することであり、
彼等にそんな芸当は出来そうにありません。

換言すれば、同一性とは、自己省察を通じてのみ、達し得る見地なんですよ。

外的な対象の変化を捉えて、あれとこれは同じ、というのは、やはり類似性に基づいて同一性を
持ち出しているんです。

これについては文句は言いませんよ。万人がやってることですから。

問題なのは、類似性に基づいて差異を抹消し、類似するもの同士を自己の下位に置こうとする
下衆な精神であります。

「似てる!」というのは、彼等の合言葉であり、防御の言葉です。

さあ、あなたも一緒にどうですか? 「あ、似てる!」
945考える名無しさん:2007/09/10(月) 03:31:28 O
時にチンポが痛くなることもある。
無論、女にはわかるまいが。
チンポだもの。
946考える名無しさん:2007/09/10(月) 12:37:47 0
たぶんキチガイになると文体が似るんだろ。
947考える名無しさん:2007/09/11(火) 14:31:00 O
かれらチンポ連中の自己紹介を見てると、
学者に関するショーペンハウアーの考えの妥当性が思い出される。
遺物と戯れる学者の保守的な作用は重大な役割を演じるわけだが、
結局、何も遺らないに違いない。
948チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2007/09/11(火) 17:10:33 0
諸君らの書く文章は意味不明なものが多過ぎます。

ちゃんと小学校の作文の授業を受けられたのでしょうか?

良い文章を書くことは、哲学においては必須だとショーペンハウアー先生が
仰っていましたよ?w

まあ、君たちにショーペンハウアーは勿体ないですが。

その辺の新刊小説でも読んでいればいいんじゃないでしょうか?

大体ね、哲板って普段の哲学研究の剰余なんだよ。その辺を君たちは分かってない。
誰もここで独自の哲学を構築しようなんて考えていない。そんなことを考える奴は
精神異常者ですよ。もっぱら、暇潰しで来ているんです。哲学の研究に疲れて、
ちょっとぶらっとゲーセンに立ち寄って脱衣マージャンをするようなもんです。

どうでしょうか? 俺みたいに哲板に貢献をしてる人は少ないと思いますよ。
読書会だって少しはやったし、文献の情報なども提供している。
これ以上、皆さんは何を求めているのでしょうか?

それ以上を求めるのなら、もうリアルで直接対決しかないと思いますw
949考える名無しさん:2007/09/11(火) 19:34:07 O
たしかに名乗り出ずに矢を射かけるのは卑怯ですな。
やっぱし、一度でもマジで研究したなら真面目に消化しないと腹毒になるよ。

しかしフッセルは南海だなあ、数式がガバガバ出るのよかマシだけど。
僕なんて恥ずかしながら、小五までしか算数ついていけませんでしたけどね。
式を立ててスラスラ解けるなんて凄いなあと思います。
現実もスラスラ解けると良いんですけど。
950考える名無しさん:2007/09/12(水) 05:58:49 0
まけないで最後までやってね。
パート2も期待しているから。
稚拙だけど俺の意見も書いておくね。間違ってるポイントをちょろっと指摘してくれれば
なにかの足しにさせてもらいます。
倫理は語源からいって、慣習(社会的につくりだされたもの)といったレスが上のほうにあったね。
でもおれは哲学の倫理っちゅーものはもうちょっと趣を異にしていると思うんだがどうですか?
ハイデガーの存在と時間をなにかのスレに触発されて(たしかあのスレも1さんだったよね?)
読んだ覚えがあるが、たしか「良心の呼び声」って用語があったよね?
あれってものすごーく倫理的な啓蒙の匂いがするんだが。
非本来とか本来とかいう用語もそう。何が本来的かって人間にきめられるんかいって。
よしんばハイデガーが「これが本来的である」と決めたとしても、他人が従った時点で
非本来的になっちまうんでしょーが。これってパラドックスだよね?
本来とか非本来とかいう用語がどっからでてくるのかって過去の哲学者を辿れば、
わりと近い時代にスピノザがそういう言葉使ってた。スピノザは「神に酔えるひと」
といわれるぐらい神様を哲学の中心に据えたわけだけど・・・ハイデガーはちゃうの?
んー、たしかハイデガーは「神は信用してない」みたいなことを言ってたとおもうんだけど、
「良心の呼び声」という用語だけからみるとなんか宗教チックなんだよなぁ。
キリスト教のパロディーとして、つまり教条主義に拠らないかたちで提示された、
非キリスト教的キリスト倫理だっていう疑いをもってしまうんだな。
スピノザ風にいいかえれば、受動的命令に従うのではなく、能動的名倫理的実存あらしめようとする
哲学。でも神は信じていないんだよなぁ、このへんの矛盾をどう理解すればいいのか。
951考える名無しさん:2007/09/12(水) 06:19:29 0
「存在と時間」は機関銃、戦車、航空機、毒ガスによる大量殺戮の第一次大戦の惨禍から生まれた
といってよい。とてつもない無常観が全編にみなぎっている。
952考える名無しさん:2007/09/12(水) 06:22:44 0
もしかしたらこうした矛盾がハイデガー哲学を読み解くヒントなのかな。
ヘーゲルってひとがいたね。矛盾を基底に据えて、体系づけた哲学者だって
理解しているんだけど、ハイデガーにおいても、こうした矛盾こそが核心部分になっているのかなぁ。
天国とか神を否定しつつ、なおかつ良心の根拠となるあるなにものかを暗に想定する
という矛盾のうえに成り立つ哲学。
倫理に話をもどすと、呼び声はむろん既定倫理の外部から聞こえてきますよね?
それがゆえに既定倫理を否定しつつも、なおかつ未だ無い外部からの呼び声を根拠とした
本来的実存のあり方が説明上は可能に成るというような。
しかしどうもこれがあやしい。あきらかに、超越した存在(=無)=善という
発想が滑り込んでません?
ヘーゲルならば理解できる。絶対的な精神を肯定していたのだから。
絶対的精神と結びついている限り、否定は肯定であり、両者は同一のものであり、
単に社会慣習に従うような
「単純な肯定の倫理」は、否定されるべきものとして肯定されている。いいかえれば、
単純な肯定倫理は、べつの肯定倫理との対立によって否定され、乗り越えられていくものとして肯定される。
(単純な肯定の倫理っていうのは、カントがやったような絶対的な命令規範をもちだして、
規範に従うことが即ち倫理的実践である、なんていうタイプの倫理ね)
単純な肯定倫理っていうのは俺の造語だから気にしないでもいいんだけど、
こういう倫理は不確かなものだから、ハイデガーにいわせれば、
打ち立てられた次の瞬間に乗り越えられるべき課題となる、
唯一、倫理として提示できるものがあるとすれば、非本来的な意識に伴うあらゆる固執を脱していく力、
たとえば「呼ぶ声」といったような抽象用語で暗示するしかないような無既定性を規定するものでけである、と
考えていたのではないか。仮に非倫理の倫理と呼んでももいいんだとおもうけど、
(これも俺の造語^^;)あえて「良心」と言ったのは、どういうわけだろう?
やっぱ倫理に限っては宗教のパロディーなのだろうか。ご教授願います。
953952:2007/09/12(水) 07:08:23 0
>>951
存在と時間が書かれたのは戦争中だったのね。
死の不安とか、それまでにあんまり見られなかった言葉がでてきたのは
そういう理由があったのね。無常観というと仏教用語ですね。
たしかに抹香臭いにおいもする。(いい意味で)

補足  >>952 超越した存在(=無)=善という →存在(=無)=善という
突っ込まれる前に訂正しときます。でわ。
954チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2007/09/15(土) 16:12:16 0
もう哲板で自分を知っている人はいなくなってしまったのか?

私のことを「1さん」なんて呼んでいる人達は皆、新進の方々であろうが、
もうここでは古参は私だけになってしまったのか。

申し訳ないが、新しく来た人達とは話が噛み合いそうにない。
少なくとも二年前の分割案申請の時からここにいないと、私とは話が通じないだろう。

そもそも、最初の「フッサール」スレから私のことをリアルタイムで知っている人は
今の哲板にいるのだろうか?

いるとしても、せいぜい「大先生」スレか「死尿」スレからではないのか?

時々そういう不安を感ずるので、古参の方々にはたまに何か書き込んで欲しいものです。

いや、新人を排除するという意味ではないです。

そう言えば、わがサークルの文化祭の出し物ですが、とんでもないものに決定しました。
その件は後日伝えましょう。
955考える名無しさん:2007/09/15(土) 16:30:58 0
リアルタイムでは見てないけど、フッサールスレはDAT落ち前に見てるよ。
でも、こういう長年2chに入り浸ってるやつのほうが見込みは無いと思うよ。
ボール氏も真面目に勉強しようと思って2chはやめたみたいだし。
956チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2007/09/15(土) 20:43:56 0
まあ、見込みはないかも知れないが、君よりも頭はいいぞ。

あと、ボールじゃなくて、ポールだよ。

しかし、君も含めて、ここには馬鹿しかいなくなったよね?
957考える名無しさん:2007/09/15(土) 21:51:22 0
別に見込みがないというのはチンポ太郎のことじゃないよ。
> 哲学関連の書き込みには突っ込みを入れることが出来ず、日常のどうでもいいことを書き込むと即座に反応する。
7-8年も2chに常駐するようなのは、そういうレベルのしかいないでしょって話。

ああ、そういう書き込みを引き出して、叩き潰したいから古参と話をしたいなんて書き込んだのか。
958考える名無しさん:2007/09/15(土) 22:02:23 0
コテではOFWが去る直前に現れたぴかぁとかしろうとさんが、今の最古参じゃないの。
それがだいたい4-5年ぐらい前。
二酉もいるけど哲学の話はほとんどないし。
959952:2007/09/15(土) 23:09:17 0
どうも。何故だかわかりませんが苛立っておられるようで、
日頃の学問研究のご苦労が伝わってきます。
こちらこそ、土足でテリトリーにずかずか入るようなご無礼を致しまして、
たいへん申し訳なく思っております。おそらく、私の主張の端々に読みの浅さを
感じ取られたことだろうと思います。
レスの内容から察するに、他スレの繰り返しのようなことを
わざわざする元気も失せたというところでしょうか。
無謀を承知で疑問に思うことを素朴に聞いてみたのですが、
どうも場違いなようです。今回はあきらめます。
静観しますので、釣りは不要です。
もし、わたしにレスしなかったという
非難を避けるために、わざわざ自作自演までして防衛線を張っておられるなら、
それも不要です。(ちがうならごめんなさい)
本格的な議論が展開されることを期待します。
960考える名無しさん:2007/09/16(日) 18:26:43 0
ハイデガー哲学には明らかに「存在=無=死=神」の原則があって、
その死神の良心にこそ従えと言わんばかり。
現存在って設定も、一応は人間全般を表わしてる風だけど、結局ハイデガー自身じゃねーか、みたいな。
宗教的(俺様教祖的)な域を越えてない(思いきりニーチェって感じ。どっちも好きだけど。フロイトもそうかな)。
ローティがそこら辺を嫌がってたと記憶してるが、詳しくは忘れた。
馬鹿でゴメンネ。
961チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :2007/09/19(水) 19:21:01 0
いや、七八年もこの板に来ているということは、どういう形にせよ、
七八年は哲学に携わっているということだから、そういう人々は、
新米の大学生諸君よりも多少は賢いだろうと期待しただけです。

ですが、実態はあなたの仰るように、レベルの低い連中ばかりです。

当初は専門で哲学をやっているような人達がごろごろいた。で、哲学の場合、
専門的な研究をやっている人は少ないから、研究分野から人物を案外簡単に推測できる。

しかし、もう何年も前の話だが、丁度、自分が現象学スレをやっている辺りから、
こういう専門家の連中が去って行くようになった。

理由は簡単で、単に厨房が増えて、板のレベルが落ちた。いや、昔はそれでも
ある一定の水準を保っていたのだが、ともかくレベルが落ちた。

その没落しつつある哲板に救世主として現れたのがチンポ太郎であった訳だが、
チンポ太郎という名に反感を持つ人は多く、また意図的に学を衒(てら)ったせいもあり、
当初は随分叩かれた。しかし、自分はもともと、叩かれるためのピエロであったから、
叩かれるのは本望であり、そのうちに自分よりも優れた人物が現れるだろうと期待していた。

それが丁度、渋川スレや糞尿スレをやっている時だったと思う。

余談だが、ぴかぁは最初、俺の真似をしてデヴューしたんだよ。初めのうちは自分に対して
えらくビビっていて、敬語口調であったが、徐々に増長して最後はタメ口になった。

まあ、そんな話は要らないか。
962考える名無しさん:2007/09/22(土) 20:04:39 O
で?
963考える名無しさん:2007/09/26(水) 22:02:31 O
チンポカットすればいいだけだよ。
964第三の波平 ◆q5y3ccmqnw :2007/09/26(水) 22:57:51 0
>>961
>余談だが、ぴかぁは最初、俺の真似をしてデヴューしたんだよ。初めのうちは自分に対して
>えらくビビっていて、敬語口調であったが、徐々に増長して最後はタメ口になった。

チンコちゃん、ワシはいまもリスペクトしてるよ。
ワシがきた頃は確かに専門性の高いコテがたくさんいたね。
ワシはそういう人たちにはいつも敬語だったよ。

でもチンコちゃんは、少し前、勝負勝負と騒いで壊れてたからな。
さすがにこれはいかんと思って、説教もさせたもらったわけだ。
噂では最近、大学に行ってるとか、精神的にも落ち着いたようだね。

2ちゃんねるのレベルが下がったのは、ダイアルアップから繋ぎっぱなしになった頃から
ひどくなったという説が有力だな。
そういう下部構造の事情だからいたしかない。
だから前から言っているように、ブログでもやって、能動的に質の高いネットワークを
作る努力が必要なんだよ。
まあ、大学言ってるんなら、哲学好きがたくさんいるだろうけど。
965考える名無しさん:2007/10/13(土) 01:33:06 O
一般的に言って、勉強がよくできるということは、
自発的思考の邪魔が入りにくいということを示唆するものである。
勉強がよくでき、しかも自発的思考も豊かという矛盾が両立している人間にはめったにお目にかかれない。
チンポはこの貴重な天才的人間ではないのだと思う。
学者上がりの大臣のような秀才ではあるのかもしれないが。
966考える名無しさん:2007/10/13(土) 03:40:28 0
それ、昔Kuriharaさんにもいわれていたな。
チンポさんは浅田タイプの秀才で、ボクは柄谷タイプの天才型ですからだとか。
967考える名無しさん:2007/10/13(土) 12:29:20 O
受動性が高ければ能動性は低いし、
能動性が高ければ受動性は低いという関係があるのは否めないと思う。

例外として天才は受動性の高さと能動性の高さという矛盾を両立しているように見える。
だが矛盾はありえないとするならば、実際には変化しているだけだということになるのだ。
すなわち受動性と能動性のバランスが天気のように変化すると。
968考える名無しさん:2007/10/13(土) 12:47:27 O
まあ砂漠の気温のような大きな変化をするんだろうな。
969考える名無しさん:2007/10/13(土) 13:06:31 O
そのバランスを制御できれば超天才だよね。
天才になろうと思えばなれるんだし、なったらなったで、
「まじしんどい、やってらんね、もう天才やめよ」
などと言って天才を止めることもできる。
970考える名無しさん:2007/10/14(日) 12:17:29 O
知性の高い本質的に非現実的な人間が現実的であるためには、
定期的に白痴になって糞行為、糞努力、糞勉強に我を忘れなければならない。
そうしていわば燃料としての現実性を蓄えねばならない。
その燃料を燃やすことが知的活動である。
これはいわば老化であり死ぬことであるから、
燃やし尽くしてしまわぬよう注意すべきである。
純正なる苦しみしか残らない。
それが人間の存在である。
971考える名無しさん:2007/10/14(日) 13:21:07 O
要するに現実は白痴であり糞だということだ。
それでも、現実的になるよう異常な圧力をかけ醜態を曝させるのが人間存在の果てしない苦しみである。
だが誰もが現実性を失わねばならない。
すなわち死なねばならぬ。
972考える名無しさん:2007/10/14(日) 14:32:37 O
現実的完全性は精神的不完全性を意味する。
人間は最も現実的に未熟で不完全な弱い動物である。
近代以降、弱体化に拍車がかかり、今や生きる意味がないほどに現実性を失い弱体化してきている。
生きる意味というのはすなわち苦痛回避である。
この意味からして生物としてはいわゆる下等な生物ほど完全なんであり、救われた存在なのである。
白痴化する者は現実的健全性完全性が増し、救われる。
知性自体罪といえる。
973考える名無しさん:2007/10/14(日) 14:51:46 O
現実的貧弱さが精神活動を抑制する方向に働く。
現実あっての精神活動である。
現実的健全性あっての悲劇なんであり理想である。
現代人はまずもって現実を取り戻さねばならない。
それは白痴化であり肉体化女性化でもある。
豊かな精神活動には国家規模での溢れんばかりの健全性、現実性または継続的な白痴化すなわち現実化を要する。
974考える名無しさん:2007/10/15(月) 16:53:06 O
     *      *
  *     +
     n ∧_∧ n 嘘です
 + (ヨ< ;^∀^>E)
      Y     Y    *
975考える名無しさん:2007/10/17(水) 16:15:50 0
現象学関連書を2冊くらい読みましたが何が何だかちっとも
分かりません。「対象」というものがあって、「意識の志向性」
というものがあって…くらいしか分かりませんでした。
976考える名無しさん:2007/10/22(月) 08:09:51 0
>>975
貴君の読み方が正しいと思う。
現象学というものがなかったとしても、
困ったことなど起きないのだから、あまり重要な学問でないと思う。
977おじさん:2007/11/09(金) 23:25:15 0
最近はめっきりチンパ太郎を見ないねえ。
978考える名無しさん:2007/11/11(日) 09:13:05 0
ハイデガー好きのチンポさんにアリストテレスの解説して欲しかった
979おじさん:2007/11/13(火) 00:20:44 0
http://ryzo.hp.infoseek.co.jp/

チンポ太郎よ。
私の作った掲示板だ。
暇ならスレッドでも立てて書き込みしてくれや。
980純一 ◆QzuB1xeuck :2007/11/13(火) 17:25:22 0
やあ、
981純一 ◆QzuB1xeuck :2007/11/13(火) 17:28:26 0
>>964
>チンコちゃん、ワシはいまもリスペクトしてるよ。
>ワシがきた頃は確かに専門性の高いコテがたくさんいたね。
>ワシはそういう人たちにはいつも敬語だったよ。
>
>でもチンコちゃんは、少し前、勝負勝負と騒いで壊れてたからな。
>さすがにこれはいかんと思って、説教もさせたもらったわけだ。
>噂では最近、大学に行ってるとか、精神的にも落ち着いたようだね。

ぴかぁ〜の言っている事の大半は間違いですね。

ぴかぁ〜は己よりも強大であると判断すると媚を売るが、
が、しかし、相手がぴかぁ〜を見下していると知ると手の平を返すという存在なのです。
982純一 ◆QzuB1xeuck :2007/11/13(火) 17:30:59 0
>91 名前: 第三の波平 ◆v97jOX.oqY 投稿日: 2007/11/08(木) 11:23:13 O
>人間は10時間毎にエネルギーを与えなけれは正常に動作することがむずかしいという特徴をもつ。
>だからたえず急き立てられている。

このレスからしても、ぴかぁ〜に知能が無いのは分かり切った事です。
しかし、はてなのブログではこれは成立している。

言ってみれば、ぴかぁ〜は知能が低いがそれでも流通するという事です。
即ち、思想の質とそれで流通するかどうかはあまり関係が無いという事ですね。
983純一 ◆QzuB1xeuck :2007/11/13(火) 17:32:49 0
では、ぴかぁ〜の思想は何故流通するのか?
という疑問が湧く事でしょう。

これは次の様に解答が出せます。

@ ぴかぁ〜の使っている力がそもそも思想ではない
A ハッキリ言って、媚を売る技術の結果である

と言えます。
984純一 ◆QzuB1xeuck :2007/11/13(火) 17:35:53 0
>964 名前: 第三の波平 ◆q5y3ccmqnw 投稿日: 2007/09/26(水) 22:57:51 0
>2ちゃんねるのレベルが下がったのは、ダイアルアップから繋ぎっぱなしになった頃から
>ひどくなったという説が有力だな。
>そういう下部構造の事情だからいたしかない。

これはぴかぁ〜の単純な俗っぽい思考から来た結論ですけれども、
これは太郎よりは的を得ている答えだと言えます。

というのも、実際にぴかぁ〜も思想云々ではなく、
媚を売る技術の結果として、ブログ界隈で流通したというのが真実であるからなのです。
985純一 ◆QzuB1xeuck :2007/11/13(火) 17:37:54 0
そもそも、思想というものは人間関係を円滑に進めるものではないのです。
ですから、ぴかぁ〜の媚を売るという姿勢での、「思想っぽい商品を売りつける」
という方法は、言わば商人の立場であると言えますね。

コミュニケーションの円滑さと哲学的な思考の質とは両立しないものです。
むしろ、哲学は円滑な人間関係には罅割れを齎すものです。
986純一 ◆QzuB1xeuck :2007/11/13(火) 17:42:43 0
>961 名前: チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 投稿日: 2007/09/19(水) 19:21:01 0
>当初は専門で哲学をやっているような人達がごろごろいた。で、哲学の場合、
>専門的な研究をやっている人は少ないから、研究分野から人物を案外簡単に推測できる。
>
>しかし、もう何年も前の話だが、丁度、自分が現象学スレをやっている辺りから、
>こういう専門家の連中が去って行くようになった。
>
>理由は簡単で、単に厨房が増えて、板のレベルが落ちた。いや、昔はそれでも
>ある一定の水準を保っていたのだが、ともかくレベルが落ちた。
>
>その没落しつつある哲板に救世主として現れたのがチンポ太郎であった訳だが、
>チンポ太郎という名に反感を持つ人は多く、また意図的に学を衒(てら)ったせいもあり、
>当初は随分叩かれた。しかし、自分はもともと、叩かれるためのピエロであったから、
>叩かれるのは本望であり、そのうちに自分よりも優れた人物が現れるだろうと期待していた。

この太郎も認識もまた間違っていると言えます。
私の記憶では、太郎の登場はこういう事の象徴です。

即ち、「他人が考えた事をさも自分が考えたかの様に語る連中」の登場時期が
この時期だったという事です。

例えば、太郎は木田元からよくそのまま盗用したりしていますが、
ところどころ自分勝手な歪曲があります。その辺は列挙しませんが、
私から言わせると、「性格的に問題があるのに、そこを外して思想の問題に摩り替えてしまう世代」の登場
という感じがしましたね。これは時代の流れの様な気がします。
987純一 ◆QzuB1xeuck :2007/11/13(火) 17:46:21 0
>その没落しつつある哲板に救世主として現れたのがチンポ太郎であった訳だが、
>チンポ太郎という名に反感を持つ人は多く、また意図的に学を衒(てら)ったせいもあり、
>当初は随分叩かれた。しかし、自分はもともと、叩かれるためのピエロであったから、
>叩かれるのは本望であり、そのうちに自分よりも優れた人物が現れるだろうと期待していた。
>
>それが丁度、渋川スレや糞尿スレをやっている時だったと思う。

私の記憶では、太郎やぴかぁ〜とその前の世代では明らかに断絶があります。
この太郎の行為自体はその世代にとっては立派な荒しであったと思いますが、
太郎には荒した認識は無いというだけですね。

さて、この断絶でありますが、要するにこういう事であります。
太郎やぴかぁ〜の登場時期というのは、言わば「団塊ジュニア世代」の登場であり、
その種の精神構造を持つ時代的な世代が現れたという事です。
988純一 ◆QzuB1xeuck :2007/11/13(火) 17:51:04 0
>964 名前: 第三の波平 ◆q5y3ccmqnw 投稿日: 2007/09/26(水) 22:57:51 0
>チンコちゃん、ワシはいまもリスペクトしてるよ。
>ワシがきた頃は確かに専門性の高いコテがたくさんいたね。
>ワシはそういう人たちにはいつも敬語だったよ。
>でもチンコちゃんは、少し前、勝負勝負と騒いで壊れてたからな。
>さすがにこれはいかんと思って、説教もさせたもらったわけだ。
>噂では最近、大学に行ってるとか、精神的にも落ち着いたようだね。

>955 名前: 考える名無しさん 投稿日: 2007/09/15(土) 16:30:58 0
>リアルタイムでは見てないけど、フッサールスレはDAT落ち前に見てるよ。
>でも、こういう長年2chに入り浸ってるやつのほうが見込みは無いと思うよ。
>ボール氏も真面目に勉強しようと思って2chはやめたみたいだし。

>956 名前: チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 投稿日: 2007/09/15(土) 20:43:56 0
>まあ、見込みはないかも知れないが、君よりも頭はいいぞ。
>あと、ボールじゃなくて、ポールだよ。
>しかし、君も含めて、ここには馬鹿しかいなくなったよね?

困ったのはこの流れですね。
989純一 ◆QzuB1xeuck :2007/11/13(火) 17:56:30 0
>964 名前: 第三の波平 ◆q5y3ccmqnw 投稿日: 2007/09/26(水) 22:57:51 0
>チンコちゃん、ワシはいまもリスペクトしてるよ。
>ワシがきた頃は確かに専門性の高いコテがたくさんいたね。
>ワシはそういう人たちにはいつも敬語だったよ。
>でもチンコちゃんは、少し前、勝負勝負と騒いで壊れてたからな。
>さすがにこれはいかんと思って、説教もさせたもらったわけだ。
>噂では最近、大学に行ってるとか、精神的にも落ち着いたようだね。

このレスの真の意味は皆さんもお分かりだと思います。
要するに、

 @ ぴかぁ〜は知識を持っていそうなコテである太郎に媚を売るが、
 A 太郎に馬鹿にされると、相手を病人扱いしてしまう

という事です。
これは言ってみれば、こういう事でもあります。

 @ 太郎から知識を分けてもらたいたいが
 A ぴかぁ〜自身が下に見られるのは絶対に嫌である

この帰結として、

 B 太郎に媚を売りつつも、見下されない様にする

   >964 名前: 第三の波平 ◆q5y3ccmqnw 投稿日: 2007/09/26(水) 22:57:51 0
   >チンコちゃん、ワシはいまもリスペクトしてるよ。
   >ワシがきた頃は確かに専門性の高いコテがたくさんいたね。
   >ワシはそういう人たちにはいつも敬語だったよ。
   >でもチンコちゃんは、少し前、勝負勝負と騒いで壊れてたからな。
   >さすがにこれはいかんと思って、説教もさせたもらったわけだ。
990純一 ◆QzuB1xeuck :2007/11/13(火) 17:58:52 0
では、太郎の場合はどうでしょうか?

>955 名前: 考える名無しさん 投稿日: 2007/09/15(土) 16:30:58 0
>リアルタイムでは見てないけど、フッサールスレはDAT落ち前に見てるよ。
>でも、こういう長年2chに入り浸ってるやつのほうが見込みは無いと思うよ。
>ボール氏も真面目に勉強しようと思って2chはやめたみたいだし。

>956 名前: チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 投稿日: 2007/09/15(土) 20:43:56 0
>まあ、見込みはないかも知れないが、君よりも頭はいいぞ。
>あと、ボールじゃなくて、ポールだよ。
>しかし、君も含めて、ここには馬鹿しかいなくなったよね?

>>955はポールの自演です。

これはこういう事です。

 @ 太郎はポールに媚を売られているが、
 A その関係で媚を売ってる相手であるポールを批判しない

という事です。
991純一 ◆QzuB1xeuck :2007/11/13(火) 18:01:39 0
さて、皆さんはぴかぁ〜が太郎の「団塊ジュニア世代」がどういった効用を
この板にもたらしたのかが分かるでしょうか?

即ち、私純一から言わせるとこういう事です。

ぴかぁ〜の場合

 @ 太郎から知識を分けてもらたいたいが
 A ぴかぁ〜自身が下に見られるのは絶対に嫌である
 B 太郎に媚を売りつつも、見下されない様にする

太郎の場合

 @ 太郎はポールに媚を売られているが、
 A その関係で媚を売ってる相手であるポールを批判しない

ここで何の力が働いているか分かるでしょうか?
992純一 ◆QzuB1xeuck :2007/11/13(火) 18:05:08 0
ぴかぁ〜の場合

 @ 太郎から知識を分けてもらたいたいが
 A ぴかぁ〜自身が下に見られるのは絶対に嫌である
 B 太郎に媚を売りつつも、見下されない様にする

答えを教えましょう。
ぴかぁ〜はつまりこういう事です。

「ぴかぁ〜は太郎に反論しようとするものの、
 それはあくまで媚を売り、相手が教えてくれるのを妨げない程度である」

という事ですね。
次に太郎はこう言えます。

「太郎は批判はするものの、結局は自分に媚を売ってくるポールには
 論理的な批判を加えない」

という事です。
つまり、両方ともこう言えます。

「人間関係の力に左右されており、純粋に論理的ではない」

という事です。
993純一 ◆QzuB1xeuck :2007/11/13(火) 18:06:43 0
さて、こういう具合に、

「媚を売る/売られる関係を論理的思考の中に織り交ぜてしまう世代」

というのは、実はぴかぁ〜や太郎やポール等の団塊ジュニア世代から
特有の現象なのです。
994純一 ◆QzuB1xeuck :2007/11/13(火) 18:10:09 0
まず、太郎やぴかぁ〜、ポール以前には、
こんなに詭弁的な論者は居ませんでした。

例えば、批判があったとしても、

 >964 名前: 第三の波平 ◆q5y3ccmqnw 投稿日: 2007/09/26(水) 22:57:51 0
 >チンコちゃん、ワシはいまもリスペクトしてるよ。
 >ワシがきた頃は確かに専門性の高いコテがたくさんいたね。
 >ワシはそういう人たちにはいつも敬語だったよ。
 >でもチンコちゃんは、少し前、勝負勝負と騒いで壊れてたからな。
 >さすがにこれはいかんと思って、説教もさせたもらったわけだ。

こんな具合に、自分よりも強大なものに対して媚を売りつつ、
知識を分けてもらえないまでには批判しないという様な論者はいなかったのです。
995純一 ◆QzuB1xeuck :2007/11/13(火) 18:11:53 0
>955 名前: 考える名無しさん 投稿日: 2007/09/15(土) 16:30:58 0
>リアルタイムでは見てないけど、フッサールスレはDAT落ち前に見てるよ。
>でも、こういう長年2chに入り浸ってるやつのほうが見込みは無いと思うよ。
>ボール氏も真面目に勉強しようと思って2chはやめたみたいだし。

>956 名前: チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 投稿日: 2007/09/15(土) 20:43:56 0
>まあ、見込みはないかも知れないが、君よりも頭はいいぞ。
>あと、ボールじゃなくて、ポールだよ。
>しかし、君も含めて、ここには馬鹿しかいなくなったよね?

ですが、太郎やポールも己の根本的な思考に
媚を売る/売られる関係がロジックよりも先に来ている事に気が付いていないのです。
これは一種の時代的思考による制約と言えます。
つまりは、「団塊ジュニア世代独特の思考法」だと言えます。
これが板を雰囲気を少しばかり変えたものですね。
996純一 ◆QzuB1xeuck :2007/11/13(火) 18:13:51 0
さて、太郎やポールやぴかぁ〜等の団塊ジュニア世代に特徴的な思考は
色々ありますが、私が見てきた中では、

太郎、ポール、ぴかぁ〜は「ダントツで自演が多い」という事なのです。
これより前の世代はそれほど自演は激しくなかったのですが、
太郎の研究者1、2、3、4、5、等の五人を操った自演等、
子供っぽい自演が多くなったのがこの時期だと言えます。
997純一 ◆QzuB1xeuck :2007/11/13(火) 18:15:25 0
また、ポールは自治議論の時などの誠実さが必要な議論に於いても、
複数のコテを使って、賛成派に有利に進めようとするなどして、
自演する事に対する抵抗がないことが伺えます。

これも太郎等の団塊ジュニア世代登場以前には無かった思考です。
998純一 ◆QzuB1xeuck :2007/11/13(火) 18:17:18 0
更に、太郎やポールと同じ団塊ジュニア世代であるぴかぁ〜は、
削除人に媚を売り、自分のスレが削除されない様にする一方、
自分のブログ宣伝スレはスレ立て制限を技術的に無視して無限に立てる等の事を行います。

つまり、ここまで「汚い」手法を使ったのは、太郎、ポール、ぴかぁ〜が初めてであったのです。
999純一 ◆QzuB1xeuck :2007/11/13(火) 18:19:12 0
そこで登場したのが、私、「純一」であります。
私は、太郎以前の旧世代に対して、自演をしている事や
ぴかぁ〜が削除人に媚を売り、ぴかぁ〜のスレのみが優先されている事を暴露します。

また、ポールも自治議論で複数コテを使って議論を優位に運ぼうとしていた事を暴露します。
言わば、そのイザコザで板がこうなったと言えます。
1000純一 ◆QzuB1xeuck :2007/11/13(火) 18:21:22 0
つまり、結論としては、
太郎、ポール、ぴかぁ〜の様な人種は、技術的に許される事なら
道徳に反する事でも何でもやるという特徴がある為に、
それまで存在していた、「議論のマナー」というものを根本的にぶち壊してしまったのです。

そして、それはもはや後戻り出来ずに、次の世代である純一が
彼等を始末するのを待たなければならなくなった。
そして、今、純一は太郎、ポール、ぴかぁ〜を全員処刑し、そして誰もいなくなったというだけなのです。
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