2 :
考える名無しさん:04/03/22 01:12
何だこんな簡単なこと・・・・
前スレ
>>529 カオルさん
苦は、どこかにあやまちがあるから、起こるお知らせのようなものだと、思います。
あやまちとは、自然な状態から外れている事を言います。
自然な状態とは、例えば、陽があれば、熱があり、土があれば、草木がある、貴方
や私の意識や、思惟や、気や、身体の状態といった流れが、風が吹き、水が流れるよ
うに、すんなりと流れて豊かである状態を言います。
こうした自然な状態に逆らおうとする事を、一応の矛盾としておきます。そして、
この矛盾は解かれ結ばれる事により、解消されます。ここに苦の介在する場がありま
す。もし、ここに苦が存在しなければ、矛盾が矛盾として認識されません。苦のない
世界とは、生きているのであれ、死んでいるのであれ、同じ状態がいつまでも続けて
しまいやすい世界です。それは、今現世のこの世界で言う肉体が、無くなった世界に
似ているのではないでしょうか?あ、でも死んだら苦がなくなるとか、肉体の役割を
果たすものが全く無いとか言っているのではありませんよ。
では、矛盾が矛盾として認識され、解消され、それだから当然に苦が無くなって行
く体験は存在するのか。と言う事ですが、あります。しかもそれは、非常に簡単な事
です。これは、いかに苦行をしたり、瞑想をしたりしても上の事を無視していれば、
いつまでも、同じ状態にいることにも気付かず、苦も相変わらず去りません。それは
一応の矛盾でさえ、解消できていない証左に他なりません。多くの人は価値付けをし
たがりますから、それなりの行の末、仏教の言う苦という言葉に自己の体験を当ては
め、適用し、理屈上矛盾が無いか確かめる事が主な自己の仕事であるかのようなし方
で、何ら変化の無い自己に止まろうとします。仏の言う苦とは決してその様な苦では
ありません。今は、その事については、言及しません。
続き
ところで、一応の矛盾とは、人のする価値判断です。従って、苦とは価値判断が生
むものです。価値とは、相対的なるものに絶対性を求め、何がしかを定めた気になる
と言う事です。従って、私のこの言説も実は相対であって流動的なるあるものである
ということになります。そして、一応の矛盾とは、貴方や私の深層意識(があるとし
て)が顕在意識と意志と言葉と行いとが、相矛盾していると言う事です。これは、唯
の一つでも違えば、すぐに必ず苦がやってきます。何となれば、矛盾を矛盾として認
識し、自然な状態から外れてしまっているという事を認識することによって、自然な
状態から、自然と合一するためです。それが、一応悟るということではないかと思っ
ています。
ですから、貴方が、社会的な何かの事情で自らを何らかの仕方で無理に曲げて行き
続けていると、それが矛盾となって何らかの内容を持った苦が訪れる事は、自然な事
なのです。だって、それは自然な状態ではないからです。別に、仏教にこだわる必要
など全くありませんが、釈尊が仰った八正道を実践しようと思ったら(苦悩を抱えた
人が自ら救いを求めたなら)、心と言葉と行いが一つになっていなければなりません。
この三つそろったまことをわが国ではみことというんですよ。これは、戒律じゃない
んですよ。だって、これが本来の自然な状態だからです。
>>カオルさん
つまり、私が言いたいことは、貴方の求めておられる答えを、私が持っているのでは、
ということです(笑)。苦が去る方法とその結果と、目的と意義について。一応のもの
ですが。当然、これは、私の体験によるものです。だって、絶望とはどんなものか。い
やと言うほど、思い知らされましたから。苦とは、救いに他なりませんよ。本当です。
よろしいでしょうか?わたしの言っている事は、本当はあらゆる事に当てはまる
こととして、申し上げています。あらゆることと言えば、それはあらゆる事なので
す。学の進むべき道にも、人の道にも、仕事のあるべき仕方にも、国のあらゆる方
策来し方行くべき道にも、軍事政治経済、武術、恋愛、教育福祉、つまりあらゆる
道にも医学、育児、セックス、夫婦あらゆる道に当てはまるつもりで申し上げてお
ります。
なぜなら、それが、悟ると言う事だと思っているからです。
7 :
カオル ◆BBBRv/ousU :04/03/22 21:22
コンガラさん、新スレおめでとうございます。
っていうか、ボケッとしていてごめなさい。(^_^;)
ちゃんとレスできるか不安ですけどよろしくお願いします。
3〜6のレスはちょっと考えてからにします。
とても良いお話だと思いますんでageちゃいます。(^.^)
8 :
カオル ◆BBBRv/ousU :04/03/22 21:23
>コンガラさん
新スレ設立ありがとうございます。
いちおうなにか言っておこうかと思います。
その方があなたも安心するでしょう。
私はこのスレの継続には反対というか、放棄していました。
私自身、一通りやることはやったからです。そんなつもりでした。
もちろん妥協案も多くあったのです。カオルさんの意にまかせるというのも、
その一つ。そしたら意外や意外、あなたが立ててしまうからびっくりしてしま
ったのです。私自身、このことに不快感はないです。これも一つの神の思し召し
かなと思うことにします。カオルさんもこのスレを祝福したことですしね。
しかし一つだけ言っておこうかと思います。
「自由」についてです。あなたがこのスレを立てたのは「自由意志」によるものです。
しかし私がこのスレの継続を放棄したのも、やはり自由意志によるものなのです。
哲学的な自由の意味とは言えないかもしれません。私の立場はある意味
自己の否定だからです。そのように受けとる人はきっと多いと思います。
(後で辞書で自由の意味をコピペします)
(つづき)
私はスレを殺すつもりでいました。息の根を止めるつもりでいました。
しかしなぜだかまた生まれ変わってこの哲学板に登場しています。
私はこのスレを祝福します。そしてあなたに感謝します。
儀礼的すぎると思われるかもしれません。
このような言説は2ちゃんねるという領内ではふさわしくないので。
そう感じたら、私の言葉を打ち壊してください。この子(スレ)を大事にする
ことだけをかんがえましょう。そういう、ちょっと宗教的な意味をこのスレに込
めました。あと最後に、間違いがあったので訂正させて頂きます。
前スレの名称の誤記です。
×悟りとは、苦とは何か、その二つの接点A
○悟りとは、苦とはなにか、その二つの接点A
となります。まあどうでもいいっちゃどうでもいいですし、また私に指摘されるのも
どうかなと思うのですが、この漢字とひらがなの違いが、私にはけっこう重要だっ
たのでいちおう指摘させて頂きます。いちおう私のこだわりだったのです。
でもBも私は好きですよ。
意味を与えるのは私たち自身です。個人ではありません。また価値は私たちが
与えるものではありません。価値はそこにあるものです。命がそれですね。自分
の命です。このラインが賢明でなければ議論に意味は生まれません。私は命と
対話します。そのようにすべきだと私は思っています。命を否定する人間に議論
など不要です。彼らには瞑想や黙考で充分です。私の価値観ですけどね。そして
私自身への問いかけでもあります。
じゆう ―いう 2 【自由】 『goo辞典より』
(名・形動)[文]ナリ
(1) 〔freedom; liberty〕他からの強制・拘束・支配などを受けないで、
自らの意志や本性に従っている・こと(さま)。自らを統御する自律性、
内なる必然から行為する自発性などがその内容で、これに関して当の
主体の能力・権利・責任などが問題となる。
(ア) 哲学的な意味では、自らを自律的に統御し、内なる必然から自発的
に行為すること。外的自然からの自由、内的自然(理性や意志以外の要因)
からの自由、他人による強制からの自由に分かれる。意志の自由とほぼ同義。
(イ) 社会学的な意味では、社会集団が個人の自律的な判断・決定能力を発展
させる構造的条件を備えていること。基本的人権のほか価値・規範体系の整備
なども含む。「―な社会の実現」
(ウ) 政治的・歴史的には、時代によって異なる内容をもつ。古代ギリシャでは奴隷
などと区別されたポリス市民固有の属性、すなわちすぐれたものへの洞察力を意
味したが、中世ヨーロッパでは身分的特権の別名であった。近代のリベラルな自
由概念は一七世紀の宗教戦争以来成立し、市民革命を経て強化・確立され、宗
教的自由から思想・信条の自由が、さらにそこから言論・出版の自由が要請された。
この過程で、権力と対立しこれを制約する自由という視点も出てくる。マルクス主義
的には、社会全体が解放され、人格の自律が真に達成されることが重要視される。
(2) 物事が自分の思うままになるさま。
「三か国語を―にあやつる」「―がきく」「―になる時間」
「船の進退―ならねば/近世紀聞(延房)」
(3) わがまま。気まま。
「よろづ―にして、大方、人に従ふといふ事なし/徒然 60」[派生] ――さ(名)
あと言うまでもないでしょうが、他のみなさんもこのスレを祝福してあげてください。
よろしくお願いします。
「自由」について [ハイデカー入門 竹田青嗣著 講談社メチエ p182]より
では人間の自由が、存在を正しく「真理」の姿において露わにしうる
その根拠はどこにあるのか。ここが特に重要な点だが、ハイデカーの
答えはこうである。
現存在が単に脱自的に実存するのみならず、同時に執自的に実存する
−換言すれば、恰もそれ自身において開いている如き存在するものが
呈示するものを執拗に固持する−という事態である。
脱自的に実存する現存在は執自的に実存する。執自的な実存においても
秘密は支配するが、しかしそれは真理の忘却された本質、従って「非本質的」
になった本質として支配する。(選集11巻 木場深定訳p.31)
手っとり早く言うと、ハイデカーは"ほんとう"の自由と"うそ"の自由がある、と言って
いる。「執自的な実存」、自己中心性にこだわる実存はうその「自由」だが、この
「自由」はさまざまな存在者に向き合って、その存在の本質を「ほんとう」の形で露
わにすることができない。そして脱自的な自由こそが存在の「ほんとう」を露わにする、
というわけである。
と以上のように竹田氏はハイデカーを引用して「自由」について書いています。
そもそも脱自的と執自的とはなんでしょうね。またここでは脱自と執自は同根である
と言っているような気がします。そして脱自こそ本質なのだと言っています。
馬鹿なことを聞くようですみませんが、「脱自」とはなんですか?
また「本質」とはなんですか?
べつに私が、知らないからではなく、ただ単にみなさんと共通認識を得たいが
ために聞いてみます。初歩的な質問ですいません。
でもなんだか「悟り」と関係ありそうです。
【自然(ピュシス)】について、もしくは【存在】について
[ハイデカー入門 竹田青嗣著 講談社選書メチエ p.188より]
われわれがふつうに使う「自然(ナトゥーア)」という概念は、じつはギリシャ人
がもともと使っていた「自然」とは全然違っていたものになっている。この「ナトゥーア」
としての「自然」は、すでにアリストテレスによる、形成する原理としての形相(エイドス)
とその質料(ヒュレー)という区分をへて現れた、マテリア(素材)としての自然という意
味を持っている。しかしもともとはギリシャ人にとって「自然」は「ピュシス」と呼ばれ、
その本来の意味はそういうものではなかった――。
さてピュシスという語は何をいっているのだろうか? それは、おのずから発現
するもの(たとえばバラの開花)、自己を開示しつつ展開すること、このように展
開することに おいて現象へと踏み入ること、そして現象の中で自己を引き止め
て、そこで長くとどまること、簡単にいえば、発現し−滞在する支配を言う。(略)
ピュシスは発現する支配と、その支配によってあまねく支配された永続とを意味
する。この発現する支配の中に、「生成」も、動かないでじっとしていることという
狭い意味での「存在」もともに含みこまれている。ピュシスは発'−生’、すなわち
隠蔽されたものから自己をつれだし、そのことによって初めて隠蔽されたものを
存立へとつれこむことである。 「(選集)9巻 川原榮峰訳p.24」
(続き)
引用文だけ読むとひどく謎めいているが、ハイデカーの「ピュシス」の概念の内実は
それほどやっかいなものではない。たとえば彼は、ギリシャ人は「ピュシス」の本質が
なんであるかをいわゆる「自然」事象から受け取ったのではなくて、存在についての
詩作的−思考の経験から受け取った、と言う(ソクラテス以前の哲学では、詩作に
よって世界の本質を啓示的に示すという表現形式が一般的だった)。そこで、彼らは、
もともと、天や地、石や植物、動物や人間、人間と神が作り出したものとしての歴史、
そして神々自身といった「世界」すべてを「ピュシス」と呼んでいた、と。
つまり「ピュシス」とは、ギリシャ人にとって、世界の森羅万象の「本来あるべき姿」
を意味していたということである。こうして彼はピュシスの本質をつぎのように定式化
する。「ピュシスという語についてのさきほどの説明に従えばピュシスは存在者の存
在を意味している」(同前 p.28)
『存在と時間』以来、あれほど問題にされた存在者の「存在」のいわば、"本体"、そ
れが「ピュシス」であると言われるのである。
(引用終わり)
>>じゆん
…言いたかないが。
もう語らないと言っていたのは誰だ?
厚顔無恥にも、私達に対して『語るな』と命令したのは誰だ?
舌の根も乾かないうちから、前言の撤回も釈明もせずに書き込んでいる訳か?
貴方が『自分の態度にのみ言及した』だけなら何も言わんよ。
矛盾した態度を取ったり、詭弁としか見えない釈明をしたりは最早いつもの事だ。
『またか』…それで終わりさね(苦笑)
しかし、だ。
私にも『書くな』とまで命令したからには話は別だ。
そうまで言っておきながら、この有様かい。
悟りなぞ求めてもおらず知りたいだけと明言しているだけの『傍観者』が『実践者』たる私を排除しておいて…これかい。
>>17 >ハルカさん
おそらく私はここで、自分の意見を述べていませんよ。
またあとのレスは引用で終えています。いちおう、コンガラさんへ
最低のフォローだけはしておきました。
>矛盾した態度を取ったり、詭弁としか見えない釈明をしたりは最早いつもの事だ。
ははは、私の矛盾や詭弁を指摘せずにそう私を呼びまわるのですか、どうぞご自由に
(こういう論法があなたを激怒させるのかな)。あなたは論理矛盾を達観できるのですか?
それは思いこみです。
>悟りなぞ求めてもおらず知りたいだけと明言しているだけの『傍観者』が『実践者』たる
>私を排除しておいて…これかい。
私にも最低のラインがあってここに参加しています。しかし倫理観に問題があると感じているので
それを明言していないだけです。いちおう私もまた実践者のつもりなんですけどね。
実践者の定義区分がはっきりしないので明言していないだけです。
(続き)
あなたを排除してあなたの心を傷つけたのなら、あやまります。(まあ謝ったて無意味でしょうね)
しかし出入りするかを決めるのはあなたの自由でしょう。あなたを排除できると考えているわけ
でもなし、そうしたいと考えているわけでもない。もし私が排除の論理を申し上げるのであれば、
それは人ではなく発言の質によってです。質の価値判断は論理性はもちろんですが、また信念の
レベルによってです。まあ私の考えです。私の考えとあなたの考えを比べ合わせる方が無意味だと
思いませんか? 私とあなたの信念体系を競合させる意味などありますか? いっちゃなんだが
無意味です。私は私の信念体系にはそれなりに誇りと自信を持ちますが、あなたの信念体系にも
尊敬をもちます。おそらく倫理観の差異です。語るだけ無駄です。そもそもナンセンスな話なのです。
倫理観は信念と直結しますのでね。
(続き)
あと聞いておきますが、あなたは解脱を通じて自殺するんですよね?
私も自殺するので聞いておきたいと思ってます。自殺は比喩でもあり、また私の信念そのもの
でもありますがね。これを語ることが重要ですか? 私は害悪の方が多いと考えます。私の場合、
静かに死にます。倫理観のラインを行き来せずとも、死を語らずとも、生を語ることでも議論は可能
です。そもそもそれが哲学なんです。生の立場から死(無)と向き合うことが哲学なんです。
私が今述べているのは安直な死生観ですが、死だけに実存を否定してしまいます。
死生観そのものが絶対化しています。死を語ることは全ての存在と向き合うことなんです。
もしくは全ての存在から無視されるだけです。私は、死を達観するのではなく、死生観を達観する
から、私はこのように回りくどい説明をする羽目になるのです。
私はね、あなたの言説の狂気さよりも赤子の叫びの方がよっぽど怖いのです。
(続き)
あなたは死ぬことのできぬ無限の恐怖をご存じですか?痛みの無意味さをご存じですか?
苦は無意味です。もちろん普遍的なことを私はあなたに語っているのかもしれない。しかし
普遍的だからこそ絶対的な価値観となるわけです。生きたいと一度でも望んだ人間は、それからの
一生を、死ねぬという苦しみと見つめることになる。そこに、人間の弱さが生まれる。
私の言葉は戯れ言でしょうか。死を語るなと言う言葉は、そもそも死のラインを見誤るなという意味
なんですよ。死のラインを超えれば、かならず、どこかで死人がでます。当然警察沙汰になります。
遊戯として語り続けるのなら結構。そこを超えても語り続けたいのなら、発言の質は上げろ。
それをあなたには言いたかったわけです。あなたは、このスレで死人を出すつもりですか?
カルト宗教にするつもりですか? 少なくともハルカさんあなたはその全責任を取れるということ
なんでしょうね? 不誠実なのはあなたです。今までの発言を見れば不誠実極まりないのはあなた
です。批判なき哲学論議はそれだけ邪悪です。まああなたには誹謗、中傷としかうつらないのでしょう
けども。もし責任ある態度を要求するなら、まず私の質問に答えてください。
1、死人が出たときあなたはどのような対処をするのか?
2、また精神異常者が現れたとき、それに対してどのような対処をあなたはするのか?
3、解脱したあなたを見守るのは誰なのか?
4、この日本で、どのように死を扱うつもりなのか?
あなたの言説が遊戯かどうか、これで判断したいかと思います。
私はこのスレで死人が出れば当然警察に通報します。
あのSさんの呼びかけのレスとその応答で善意が無意味だと知りましたので。
>コンガラ童子さん
見ての通り、ここではわたしも排除されています。
やはりこのスレはわたしが立てるべきでした。
というか、わたしは「悟りたいとか自律したいとか(4)」に
スレを統一したかったんです。
わたしがSさんとケンカしてしまって
それが原因で分割されてしまったのです。
ですからもう分割される必要はないのです。
コンガラさんのレスを「悟りたいとか自律したいとか(4)」に
コピペしたいのですがよろしいでしょうか?
そちらでお話したいのです。
せっかく立てていただいたのに失礼とは思うのですが
いかがでしょうか?
>カオルさん
ようやく私のことを理解してくれましたね。
>コンガラさん
できればカオルさんの言うとおりにしてあげてください。
あと、このスレの削除もお願いします。
>>22-23 カオルさん。じゅんさん。どうぞ、お好きなようになさって下さい。ち
っとも、かまいませんよ。お気遣いも無用です。なあんにも、お気になさること
はありませんよ。私の方の話は、まだ終わっていません。ほんの入り口にさしか
かったくらいなのです。まだまだ、とても多くのことがらがあります。たくさん
ありすぎて、一つの言葉を一つの意味で語ることを、私はとても難しいと感じて
います。内心では、いつも多義的に語られてしまっているからです。それを、そ
のまま文章にしてしまうと、へたな文章なので、よけいにわからないと言われて
しまいます。ですので、皆さんのように早いレスをしていません。ですので、コ
ピペしていただくととっても嬉しいです。削除もいつでもなさってくださいね。
ご遠慮なさらないでくださいね。いっさい躊躇はいりませんよ。
>コンガラさん カオルさん
今、削除依頼をお願いしてきました。
よろしければ、悟りたいとか自律したいとか(4)のスレへどうぞ。きっとSさんは
受け入れてくれるはずです。コピペはあなた方にお任せします。
あとその他の17さんやイナゴさんや鉄冠子さんのこともよろしくお願いします。
まあこれは彼らの自由意志ですから今までとくに明言してきませんでしたけど、
やはり、彼らもまだ語り足りないような気がします。私は「思考の痕跡〜」スレで
しばらく黙考します。
>コンガラさん
あなたの文章は非常に面白いですよ。きっとあなたの言葉の続きを待っている人は
私以外にも大勢います。それだけあなたの言葉には価値があると私は思います。
いちおうそれだけしか言えませんが、私はあなたに救われた一人として、ただ
お礼を申し上げます。ありがとうございました。
移動しました。
>じゆんさん
わたしはあなたを排除していませんからね。
わたしを人だと思ってくれたならいつでも話しかけてください。(^.^)
おやすみなさい。
依頼を受けましたので、ボクの思いを書いておきます。
以前向こうのスレで申した通り、このスレは既に多くの方がそれぞれの論点をもって
議論を進めていましたから、向こうと関連しながらもすでに一人歩きしているのが実態。
ですからたとえじゆんさんが放棄しても自然にdat落ちしても、関わった方の意志で
継続されるのは当然のことと思います。ただ、このスレが現在廃止の方向にあるよう
ですので、書きこみを継続される皆様は、独立した新スレを立ち上げるか、既存の悟り
スレにそれぞれ住み分けることになるのだろうと思います。
>>じゆんさん
コンガラさんによってスレは立ちあがったのですから、問いを受けたカオルさんは
別として、今更のようにじゆんさんが
>>9以来どうこうと仕切るのは僭越と思いました。
もう一度だけお願いしますが、「他者」はじゆんさんの思いこみや押し付けで動いている
のではないということ、「わたし」の暴力に気付いて欲しいということです。カオル
さんやハルカさんのメッセージが何を伝えんとしているかも、よく考えてください。
一度はスレを継続しようと応えたカオルさんがどうしてコンガラさんに移転をお願い
したのかも。
>>コンガラさん
コンガラさんの広い度量のお陰でスレに引越しが決まりました。有難う御座いました。
かなり特殊なスレですけど、自己責任による任意参加ということで、宜しくお願いします。
というか、こういうお節介はコンガラさんには無用みたいですね。失礼しました。。。
このスレはもうすぐ消えるんだな。
生活上、しばらくレスに力をいれることはできないけれど、見ていることは見ている。
掲示板を開いて、レス番()のなかの数字が増えていると、やっぱりワクワクするものがある。
それじゃ。
ヘイ。
恥ずかしいです。みなさんに感謝します。
存在してくれて、ありがとう。
私の勝手な判断で、このようなことになって申し訳ありません。
いちおう、そゆことなんでよろしくお願いします。
ここは削除待ち、もしくは放置でみなさまお願いします。
34 :
考える名無しさん:04/04/18 12:17
晒し禿げ
??????????
なんだか上がっちゃってますね。
迷ったんですが書き込みます。(ハルカさんごめんね)
>セイタカさん
もしかしてコンガラさんですか?
だったら嬉しいな。あちらのスレであなたの書き込みをずっと待って
いたんだけど、最近ないものだから不安でした。もしよろしければこ
の機会にご返答下さい。あなたの議論が見たいです。
あとイナゴさんも最近見ないなあ。
幾多郎の読書スレ立ち上げたんであちらの方も一緒にやりませんか?
あと最近カオルさんも見てないね。
一応みなさんに言っておきますが、私は立ち止まるつもりは毛頭ないと言うこと。
また、誰かの遊戯に付き合うつもりもない。それだけは確かなことだということです。
哲学板にいる限りは真実のみを追い求めるだけです。とりあえずそれだけ。
真・スレッドストッパー。。。( ̄ー ̄)ニヤリッ