>>881さん
>それだから、カオルよ。死んでいようと生きていようと、絶対的には存在していない
>ハズの無我の「私」が、懐疑したり、肯定したり、欲を絶ったりするのは何故、どうし
>て可能なのか、君ならどのような答えを出すかね?
「死んでいようと生きていようと、絶対的には存在していない」= 実在、までしかわかりません。
「無我のわたし」がもうわかりません。
人が懐疑したり、肯定したり、欲を絶ったりできるのは、人がホモ・ロクエンスだからだと思います。
少なくとも「わたし」という意識には、言語と言語によるカテゴリー記憶が不可欠だと思うのです。
瞑想の体験からいうと、無我ってたんなる思考停止みたいな感じです。
ただいえるのは、というか思うのは、「無我のわたし」はありえないと思います。
だって「無我」なのにそこに「わたし」がいるのはおかしいでしょ?
>私はいつも、君やハルカに大きな欠落をいつも感じられてならない事を、
>ここに正直に告白しなければこの問いの意味は伝わらないだろう。
>そして、私自身の回答は次のレスに書いていこう。
正直に告白してください。お待ちしています。
>>890 25さん
>で、不安は解消できたかな?
不安にだっていいところあります。
ぜんぶ解消するつもりはないです。
来週のプレゼンとか不安でいっぱい。
だから頑張れます。
>>891 25さん
>君がレスを返している相手はなにやら押し付けがましい嫌な奴だが、
そんなにくりかえし自己卑下するほどひどくないですよ。(^.^)
>君の行為自体は君の気持ちをここで表現しているという見方も可能だね。
誰が見たってそう見えると思うしそうなんだけど・・・ダメなの?
>結局相手は誰であれ、君の行為は君自身に向けられたものでもある。
>君のおれに対する反発(としかみえないが)は自分に向けたものではないのかな。
じゆんさんも同じこといってました。
わたしあまり良くわかってないと思います。
あなたにたいしては悪意はないと思います。
>>892 25さん
>君は今を楽しむ喜びを知りつつも、そうでない瞬間があるから、
>もしくは大いなる不安のようなものを感じつつも
>誤魔化して喜んだふりをしているという認識があるから嫌なのだろうか。
パターンがたくさんあるからなんとも。
>「いい わるい」「快 不快」などの分類を絶対視して物事の判断を誤っていないだろうか。
分類しだしたのは哲学するようになってからです。
絶対視はしませんけど、そこに価値を見出そうと努力しています。
道徳を大切にしようとかそういうことです。
合理は非合理に拠ってしか成立しないと気づいたからです。
>君にしろハルカのしろ、
もうハルカをもちだすのはやめてください。
わたしも注意するから。
>>892 25さん
>つまり、苦や不安は嫌だけど、考えたりみんなと意見を交わすのは楽しいということになる。
何がいいたいのかさっぱりわかりません。
わたしは"楽しい"といっているのに・・・
なんで「楽しいということになる。」ってなるの?
>>893 25さん
>苦や不安を抱えているのが人間というものだ。そうなりたくなければ、苦や不安の捉え方を
>変える他ない。
うん。そうだと思います。生きていく知恵として。
というか、当り前のことですよね?
苦や不安そのものはなくならないのだから。
>苦は新鮮な気分を味わうためのきっかけ、不安は束縛からの解放でもあると思うけど。
ええ、わたしもそう思います。生きていく知恵として。
>>893 25さん
>いずれにしろ、うじうじしたいなら悩む他ないかな。
わたしは"うじうじ"悩むのが悪いことだなんてぜんぜん思わないです。
だってあなたがわたしを心配してくれるのもあなたに"うじうじ"悩んだ経験があるからでしょ?
だったらとっても貴重な意味ある体験なんだとわたしは思います。
>体を利用するのも一つの手だけど、すすめている訳ではないよ。
わたしはもともとスポーツ大好きだし今でもそうだよ。
見るのもするのも大好きです。
ヨガはやめちゃったけど瞑想はつづけてるし。
>何を書いても反発するのかな?
わたしには反発してるつもりがないです。
口が悪いのはあやまりますけどなかなか直らなくて。
というか素直な方がいいと思っているから。
Sophia氏へ
>>914 えーとカオルさんの態度がはっきりしたとは、
何がどのようにはっきりしたんでしょうか?
それを言っていただけると、他のものにもわかりやすくて助かります。
それをするために、言葉を相互に吐きだした(議論した)のではないですか?
このまま、あなたのはっきりしたことが提出されないうちは、
あなたへのはっきりとした理解は、私には得ることができません。
あなたが議論の理想を掲げるのなら、できれば議論に迫る努力をしてください。
そして私の主観を申し上げますが、あなたの唱える言論の自由という言葉には、
誤解があるように思います。
なぜならその自由は2ちゃんねるにおいては自明だからです。
すでにあなたに与えられていると思いますし。また他者にもそれは批判と
して与えられているのです。
少なくともあなたの言うような批判されない権利はどこにもありませんよ。
ただカオルさんは“自殺”と銘打ったスレに、世間一般で通用するような
戯れ言を持ち込んできて欲しくなかったのではないでしょうか。
少なくともスレは会話と違って言葉としてしばらく残ります。それが許せないから刃を立てた。
主観の問題かもしれませんが、むしろ道徳的な常識的な批判です。
そのような批判を避けることはむしろ難しいのではないのでしょうか。
少なくとも自殺のスレに何か書き込むだけで自殺擁護者のレッテルを貼られる現状なのですよ。
であればそのようなことを自戒して、スレに望むべきではないでしょうか?
この自殺の問題に関しては、誰かの自殺を導く恐れが実際にある以上、軽々しく語って
もらって欲しくはありません。あなたのようにコテハンである人にはとくにそう思われるのです。
この理由は言わなくても分かりますよね。
それがあなたの意見と別ものであろうとなかろうと、いつ何時でも誤解される覚悟は持っている
べきだと思うのですが、違いますか。あなたの意見はスレの中で正当な真剣な言葉でしたでしょうか?
ただ批判されるべき言葉が提出された。そんな状況では誰も批判しないとは限らないのです。
私もちょっと瞑想について述べてみます。
最近私も瞑想のようなものをやっているのですよ。
最初に私が瞑想のようなものをしたのはたぶん中学時代の柔道部での
黙想と呼ばれる練習後に行われるものだったように思います。
ただ目を閉じるだけですが、あのときは非常に謙虚でしたから、純粋に
何も考えまいとすることができたかと思います。それでもほんの1分程度の
ことですし、また練習後の疲れもありましたから、簡単に無我のような状態に
なれたかなと自分では思います。例えば逆に今する瞑想では絶えず妄念のようなものに
気づくことができるのです。とてもじゃないけど何も考えないと言うのは難しい
です。もしかするとただ勘違いなのかもしれないですが、今のところそう思うのです。
で今やっている瞑想はただ、床に寝っ転がって、体をまったく動かさないことを心がけて
目を閉じることです。そしていろいろと注意らしきことをして、体の隅々を意識して
また、意識することをやめる。と言うのを繰り返しています。それを続けると、次第に
妄念、幻覚のような、または幻聴のようなものが立ち現れます。おそらく夢の一歩手前の
状況だと思われます。また無理にそれをイメージしようと試みることもします。
しかしなかなかうまくいきません。自分が幻覚の中にいるのだとすぐに気づいて
肉体の存在に気づいてしまうのです。ですから私にとって流れに身を任せながら、
意識を保つのは難しいのです。いまのところ少しずつやってみようかなと思っています。
一月や二月で達成しようとは私も思っていないですから、
広い心でそれが訪れるのを待ちたいかなと思います。
そしてただ分かることは私はその幻覚を支配していないと言うことです。
これを私はもう一人の自分(我)と呼んでいます。決して私のものにならないからです。
そしてこれはどうやら私以外のものではないかという疑念が強いのです。
おそらくこれは虚妄ですがあえて言います。少なくともこれさえも私は完全には
否定できないし、またそうあって欲しいという望みも多少ならずともあるのです。
なぜそう思うのか、
私は基本的に霊の存在を信じます。怨念や生き霊という類を信じます。もっと言えば
占いや、予知、超能力、宇宙人なども信じます。と言うか信じた方がいいとさえ思います。
なぜならそれらは決して悪影響を及ぼさないし、むしろ意志を補強するには大切な役割を
持つと考えるからです。強い意志には常識を凌駕する神秘体験のようなものが自ずと立ち
現れるのです。私にもこれは経験あります。自分が自分でないような感覚を覚えることは
よくあることです。神がいて神に見守られているような感じを得ることはさほど珍しい
ことではないし、私自身そう思ったことはよくあります。最近はそれを感じることはない
のですが。
そして幻覚、幻聴などにもまったく通常の状態であるのにも関わらず聞くことなど
あったかと聞かれれば私はあったと答えますし、幽霊をみたかと聞かれれば見たと答える
のです。しかしそういった回答はなおさら混乱させるだけですので、今まで避けてきたのです。
私は上位生命の論には基本的に懐疑的ですが(しかし宇宙人はいると信じますよ)
また幻覚や虚妄を超えたところにある神秘の存在も私は信じます。
しかし幻覚や虚妄ではないかと自分自身疑っているのです。
もしかしたらこれは神秘を否定する可能性があるのかもしれません。
ですから私は神秘の存在を否定しないように幻覚や虚妄、その己の精神について
柔軟な解明を試みたいのです。
あと私は幽霊は全然恐くありません。場所によっては嫌悪感を持つこともありますが
なるべくそこに近寄らないようにすることと、または健全(謙虚?)な精神を持つことで
おおよそ避けられます。私は心霊現象と思われる体験(呪いのようなもの)もないわけで
はないのです。私のうちから生まれてきた幻覚ならまだ否定できますが、私以外の知覚の外
から生まれてきた現象にはまだ私には否定する根拠を持ち合わせることはできないのですから。
科学の一つに体系化があるのであれば、まずするべきはは己の幻覚の体系化ですね。
いわゆる無我に対する接近でしょうか。
そして苦を意識することはすなわち自我を保つことであり、また自我を無我へと接近させる
ものではないかと思うのです。(正しくはカオルさんの見解から得られたものですが)
ご批判お待ちしています。私の言っていることはものすごく安易かと思われます。
そう簡単ではない、覚悟が足りないという批判は承知の上です。
しかしこれを語ることはできるのです。またそれについて知ることもできると思います。
あと言っておきますが、私は自分を心地よくするために瞑想をしているのではないつもりです。
そういった効能があるのにはやってみて感心しましたが、そうではないですね。
むしろ自分を落ち着かせるためですかね。よりよく生きるためでもあると思います。
眼を閉じて意識して考えるというのはなかなか難しいのです。ただ思うのではなく
考えるようにする訓練ですね。いまのところ私は瞑想とはそのようなものではないか
と思うのです。
誰か別の見解があればお聞かせください。
また自戒も含めまして、ご批判も心よりお待ちしています。
>>922 >>何を書いても反発するのかな?
自分勝手な解釈で人の言葉尻を「揚げ足取り」するからでしょう。
そして、その人の人格中傷として結論するからでしょう。
「悟った人」とは信じがたいですね。
自分の思想とは違う人に対しては何でも否定してしまう思想だと思います。
人それぞれ違った意見、視点をもっている事を理解すればそういう反発は起きない
と思います。
個人的に私は「揚げ足」+「人格中傷」などの反発には、反発しますけど。。。
>じゆん
君のレスは長い。
おれは思い込んだり決め付けている表現に対して「そうかな?」と問い掛けた。
苦しんだ人がこの中には多いようだけど、それには理由があると思うよ。
君はおれにとっとと出て行けといったから、今さら言われてもレスは終わっちゃうよ という意味だね。
「今さら」でしょ?もっとはやく言ってくれたら出て行ったよ。
君は悟りたいとか苦から逃れたいとかはないといってたね。気が変わったなら話すよ。
人は共通認識をもっている幻想を抱いている。この幻想は一時的な共感によって思い込みとなる場合が多い。
そしてこの上ない喜びでもある。同時に勘違いする危険性も含む。
その認識のもとで人との関係を結ぼうとすることで、たがいにとってのよい関係が得られる可能性が出てくる。
思い込みや決め付けばかりでは不毛だ。
お互いを知るにはまず自分を知らなければ無理だ。どのような思い込みを支えに自分が生きているかを知る必要がある。
その上で技術としてそれを使うことで目標は達成できる。
そういったようなことをおれはいっている。ききたいのか?
>カオル
君はとても頭がいいね。
「いい 悪い」は主観なのでおれに聞く意味はあまりないと思うよ。
苦というのは辛いけど、それについて考えを交わすのは楽しいね、ということ。
説明不足ですまなかった。
>>927 具体的におれが君の言う、あげあしとりをしている箇所を教えて欲しいな。
おれは、決め付けた表現や思い込んだ表現に対して、そうかな?と書いている。
よくよんでね。
>>何を書いても反発するのかな?
これは25さんへのレスでは無いです。
貴方に同意した私の感想です。
なんとなく25さんがだれなのかは分かる
誰なの?マジで。
ほー、誰かや
狐かや
>>916 カオルさん
失敬、とんでもない勘違いだった。
今、気が付いた。【私】は思考じゃなかった。思考の前にある。
過去の記憶と思考で【私】を確認するが、それだとうっかり勘違いしていた。
良く観察すると、その前に【私】という感覚がある。
なんと言えばいいのか、そうか、もうすでに言っていた「足掛かり」とかいうやつ。
ちょっとニュアンスが異なるが「執着」みたいなもの。
訂正。【私】は思考によってあると思う概念ではなく、思考を見守る【芯】の囚われ。
と感じられる。
だから、「恐らく、そうなるでしょう。」と言うのは、撤回します。
>>931 よく読んでないのはおれの方だったね。失礼。
>>932 なんとなくわかるの?おれは 悟ったよおれ悟ったよ の22、人生最大の発見2の76
と書いたね。
コテハンでいろいろなスレを渡り歩いたことはないよ。でも想像は君の自由。楽しんでね。
>>902 じゆんさん
>「否定されることの苦痛」とは、はっきりさせればこういうことです。
>これと同じことがある人に対して行われていたのです。
>でこれ以上私はハルカさんを的にさせることはできない。
でもハルカさんの言っていることは(大雑把に考えて)正しく、ハルカさん自身も正しいと思っているのだから、否定になっていないのでは?
苦笑しかできないと思います。
なんでこいつはこんなこともわからんのかいな、という苦笑です。
>>873 カオルさん
>わたしは意識の正体が知りたいのです。
私はハルカさんの「知覚→記憶→思考→感情」で納得しますが。
ここらへんをこねくりまわせば、ポロっと意識が出てくるような気がします。
それ以上考えるのは面倒くさいです。
>>929 25さん
>君はとても頭がいいね。
素直に答えただけです。
>説明不足ですまなかった。
あやまらないでください。
あなたを暗いとかいったのごめんなさい。m(__)m
ありがとうございましいた。(^.^)
>>935 Nさん
過去の生とか引きずらないならかまわないです。
また匿名の誰かで生まれてカオルと名付けられても
もうそれはわたしじゃないから。無責任ですか?
>>937 175さんへ
>なんでこいつはこんなこともわからんのかいな、という苦笑です。
まさにそういうことでしょうね。ていうか私はハルカさんの論には大きく支持する立場です。
私はハルカさんの論が大好きなのです。なんでだろう彼女が断定口調だからかな?
よくわかんないけど、まあ好きですね。最初はたぶん反発するかもしれないけど
時間が経つと一層、よく理解できて正しいと納得するから。彼女の論が正しいと分かるから。
で私が今わかったのは人の言葉を理解するには結構時間がかかるってこと。
議論して対立して、で議論が終わって、一人で考えて、はじめてその人の言っていることが
わかるんじゃないかってことだ。
私は確かに無礼だったかもしれなかったけど、あえてハルカさんと議論して反発してた。
なぜならこうやっていくことでたぶん私はハルカさんの論を私は理解しようとしているつもりで
いたからだ。「なんとなくわかる」ではなくより正確に理解したかったから。
だから私は今などは否定したものの、【芯】そのものの定義などは一旦保留の状態だ。
で【芯】てなんですかね。どうせいつか分からないとばれるんだから【芯】が分からないと
正直に告白したつもりだった。で今でも【芯】がなんたるかよく分かっていない。
やはりこの存在には私は未だ懐疑中でもある。
彼女は分からない人にはいくら言っても分からない、と言っていたけどたぶんそのとおりなんだろうな。
まいいけどね、私は私のやり方で解明したいと考えているからさ。
>私はハルカさんの「知覚→記憶→思考→感情」で納得しますが。 〜
カオルさんあてだけど、ちょっと横レスさせてもらうよ。
で私もそのように納得する。その続き。
でたしかハルカさんはその意識の中の【私】はただの幻と言っていたと思う。
であれば【私】とは何かというと私が想像するには「知覚→記憶→思考→感情」の中の
“知覚”“記憶”“思考”“感情”そのものにあたるのだと思う。
これが今考えたり思ったり、表現したりする私の主体なんじゃないか。
で意識とはたぶん「知覚→(記憶)→思考→感情」を私が何度も何度も繰り返した“線”の集積そのものに
なるのではないかなと想像している。
うん、ここでポロッと意識が出てくるみたいだ。
で記憶に括弧をつけた理由をまず言っておくよ。
で記憶について言うと記憶とはやはりこの集積され、ルーチン化した回路そのものにあたるんだと思う。
よく言われているけど、何度も繰り返すことによって記憶は強くなるみたいだし、
また感情を強くすることでその集積するルーチンが固定されやすくなるんじゃないかとか。
つまり記憶は知覚だけでなく個別の私そのもの(知覚、思考、感情)に掛かるんじゃないかってこと。
記憶にも何通りあると思うから思考自体や感情自体を記憶する箇所はあると思う。
何も記憶するのにすべて知覚に置き換えているわけじゃないだろうから。
けどこれはちょっと簡単に図式化したものだから断言はできないかな。
うーんつかなんだろうねたぶんあなたの言っていることで正しいんだと思うんだけど。
「知覚の次に記憶がくる」正しい。けどそうなるとたぶん「知覚→記憶→思考→感情」のように矢印で
図式化するといろいろ誤解が生じるんではないかと思う。
それだったら無理に図式化するよりもただ
>>351のままである方が私はいいなあと思う。
記憶は自分としては別として考えていた。この私の「知覚→思考→感情」の図式化はただ単に
知覚の次には感情はこないという意味に過ぎないものだったんだ。
でも難しい。つか
>>351をそのまま考えた方がいいみたいだ。
あと前に私は線(知覚)面(感情)体(思考)の集積についての議論をハルカさんと交わしたことを
ご覧になったかと思うけど私はこの集積という活動は【私自身】が行うものではないかと思っていた。
だからあそこで私は彼女の論を否定したつもりだった。
そして集積は意識(「知覚→(記憶)→思考→感情」)全体に掛かるものと思っている
あと最後に【私】とは確かに幻以外ないだろうが、逆に私をあると設定するのなら、
“私”は一つだけという解釈はおかしいと自分は思う。私はおそらく多重に、または同時的に
並列的に設定されるべきではないかと思う。
つか私の数とはおそらく真理の数だけあるんじゃないかな。妄想ですが。
>それ以上考えるのは面倒くさいです。
ご覧の通り、このように私はそれ以上考えるのが好きなんです。
横レスはそれだけの意味でした。すいません。
>わたしは意識の正体が知りたいのです。
あとこれはちょっと誤解あると思うよ。
たぶんこれわたし(カオルさん)は(カオルさんの)意識の正体が知りたいのです。
とただ単に解釈すべきじゃないかな?
いやほんとに横レス悪いです。言わずにおれなかった。
あと最後におそらく私自身の集積の語法は安易かと思う。これについては
>>351の
「個体化原理の強制事項」で分類されたものが集積の回路の基準となるんではないだろうかと思う。
つまり個体化原理とはこういうことと私は理解している、つもりです。
>>928 25さんへ
>君のレスは長い。
言われなくても分かっているよ。
>おれは思い込んだり決め付けている表現に対して「そうかな?」と問い掛けた。
>苦しんだ人がこの中には多いようだけど、それには理由があると思うよ。
思い込んだり、決め付けていると感じるのはあなたの主観だよ。
あなたは言葉自体をよく理解していない。
苦しんだ人がこの中には多いというが、あなたのいわゆる発生論、
>>837-841 で
苦しんだ人を定義すると多いとかの問題じゃなく、全ての人に当てはまると思えるよね。
“理由”とはなんだ? それは苦そのものへの理由なの? 普遍的なものを言っているの?
それとも、あなたはここに書き込む人間を精神の病んだ者の集まりだとでも思っているのか?
もしそうならそのままの解釈で語られて結構だが、そうでないのなら言葉の使い方にはもっと
慎重になるべきじゃないのか?
だからレスが長いのはそのことに慎重に考えているからだ。
またあなたの誤解釈は、まず最初に語られない限り、後付けの論法になるから。
>君はおれにとっとと出て行けといったから、今さら言われてもレスは終わっちゃうよ という意味だね。
これは後付けの論法そのものだ。「〜あまりにもいまさらだ」は悲観そのものを
表していたように思われるが?他にどういった解釈があっただろう?
あなたの言った意味だとしたら、もうすこし言い方を正確にしたほうがいい。
あなたは何度もそんなことを繰り返している。ここまで来るとあなた自身に問題があるように思える。
あなたは自身の吐いた言葉がどのような作用を持っているか一度見直したほうがいいだろう。
またスレが終わるかどうかはあなたが決定することじゃない。
もちろん私でもない。誰にも未来は予測できない。そんなあなたの思い込みには付き合えない。
>君は悟りたいとか苦から逃れたいとかはないといってたね。気が変わったなら話すよ。
結構。あなたが語りたければ好きなだけ語ればいい。
ここは診療所じゃない。あなたはいつからドクターになったんだ。
>人は共通認識をもっている幻想を抱いている。この幻想は一時的な共感によって思い込みとなる場合が多い。
>そしてこの上ない喜びでもある。同時に勘違いする危険性も含む。
“勘違い”“危険性”。この言葉が示唆するのは人生相談と思われるのだけど。
あなたは相談されたいのか? そして治療したいのか?
少なくとも私が病人であるとしてあなたに治療されたいとは思わない。
またこれが私の“危険性”と“勘違い”であるならはどうあなたにかかわってくるんだ。
ていうかこの文は強い妄想をあなたに対して感じるのだが、これも語解釈で、
ただの問いかけの文に過ぎないのかな? なんとも適応範囲の広い語使用なんだろうと思うよ。
それじゃ誤解も当然じゃないかな。
>その認識のもとで人との関係を結ぼうとすることで、たがいにとってのよい関係が得られる可能性が出てくる。
>思い込みや決め付けばかりでは不毛だ。
そもそも、そのためにスレを立てた。あなたのような“思い込み”や“決め付け”また“固定観念”
などの言葉自体をまっさきに駆逐するために。
私はそんな言葉は聞きたくない。何より不快だからだ。
“言うな”とは言うよ。“思うな”とまでは言わない。口を慎んで欲しいよ。
>お互いを知るにはまず自分を知らなければ無理だ。
>どのような思い込みを支えに自分が生きているかを知る必要がある。
>その上で技術としてそれを使うことで目標は達成できる。
このためにもスレを立てた。
そして誰かに俯瞰されないように言葉を選んできただけだ。
決して全てを語っているわけじゃない。つまりにあなたが私を知るようには語っていない。
それだけのことだろう。
つまりそんな簡単に私のことが分かってたまるかという思いだけだ。
>そういったようなことをおれはいっている。ききたいのか?
結構。あなたは語りたいから語る。そういうことで十分だろう。
そしてあなたの言葉はあなた以外の人間が評価する。
次は私の私見を書くよ。
まず、感想を文面のみで思い込みと判断するのはおろかであること。
文体なんていくらでも変えられる。言葉の使用基準すらすら、注意すれば変えられる。
この私の文を見てあなたが思い込みが強いという感想を抱くのは勝手だが、
むしろこれはいくらでも文体を操作出来るという証明として提出したつもりだ。
見てのとおりいままでと文体を変えたつもりだ。君はどういう反応をするんだろう。
こういっても私を思いこみの強い男と認識するつもりだろうか?
それ以前にあなた自身が問い直した方がいいと思うよ。
例えば
>>928の私に対する言葉とまた他の者に対する言葉遣いは違うはずだ。なぜだろうか。
またあなたは“思い込み”とは何かと考えてみたほうがいい。
思い込みとは何か? 思い込みという感情の発現形式自体、あなたにとって虚妄なんじゃないか。
思い込みとははただの反射、反応の機能じゃないか?
なおかつあなたは傍目からうかがっただけの傍観者の視点から得られたものじゃないのか?
と私が言ったときこのときなにに反射、反応、反発するんだろうか?
相手にだ。正確には相手(私じゆん)の言葉そのものにだ。
しかしそもそもその言葉とは正確に相手となるんだろうか?
では文面だけで判断するのは愚かだとしたらなにを基準に判断すべきなのだろうか?
行為か? これはこの議論においては“文面(言葉)そのものに相当する。
言い方を変えただけに過ぎない。
ではなにか?
考えてみて欲しい。今私と議論してどう私を判断している。そもそも事実、私のことを判断できているのか?
不安じゃないか? どういった文が私が吐くか予想できているのか?
そしてそのときあなたはどのように私を見ているのだろう? できれば教えて欲しいな。
自分を見つめろとあなたは毎度公言しているが、この議論の最中にはじめてあなたは
自分自身を見つめているのではないか? これで正しいのかと、私という虚像を認識しながらも。
で今あなたはまさに不愉快なんだろうね。むしろ不快なのかな。
そうだと思うよ。なぜなら今まさにあなたは自分を見つめているのだからだよ。
これが語ることの、いわゆる議論していることの意味だ。
つまり議論(対話)してこそ相手を(ついでに自分も)判断できるんだよ。
あなたは、相手が批判してくれる立場に立って初めて、傍観者(俯瞰者)とはまた違った見方が
出来たんじゃないだろうか? あなたは一方的な自己解釈、固定観念を初めて問い直したんじゃないかな?
でね、おうむ返しの鏡像の言葉は、直接過ぎて痛いんだよ。
“考えてみたら”とかの言葉はね。言っていることは何度も言ったからわかるよね。
無神経すぎるんじゃないかな。
これではその言っている本人は痛みを知らないのかと思ってしまうよ。
傍観者はとくにそう思うんだよ。言い方があるんじゃないかな?
であなたに痛みや苦についての興味があってこのスレにいることがようやくわかったよ。
であなたの好きにしたらいいよ。
あなたが去ろうが去るまいが知ったことではない、つか私自身について言えば
むしろ去りたいとさえ思っているよ、とくに今なんてね。
そもそも議論して見えてくることの方がたくさんあるんじゃないだろうか。
そしてその見えてくるものをただそのまま書き表したいと私は思っている。
それを形にしたいと思うから私は文が長くなる。別によく読めとは言わない。
流してもらって結構。別に私は英語で書いているわけじゃない。
一度でも読んでいただければそれでいい。またなるべく読みやすくしたいとは思うから、
そう心がけるているつもりだし。(そうかどうかはあくまで人にゆだねるがね)
そもそも私は長文を読むのは嫌いじゃない。
なぜならその人がどう考えているかありありとわかるから。つか私は好きだよ。
まあ節度も必要だろうね。言われなくても頭に入ってるよ。
あなたへの回答は前述で記したと思うが、正直な気持ちではないよ。
ただあなたの言葉を前にすると反発したくなるの。悪いね。
悟りを知りたいのかという問いかけは私は自分自身何度も問い掛けている。
これを問い掛けることが出来るのは私だけだろう。
少なくともあなたに聞かれることではないはずだよ。
あなたの言うとおりに私はじぶんでよく考えているつもりだからね。
で最後に、あとあなたと議論するのは正直楽しい。面白がっているわけではなく。
たぶん実際に自分を見つめているからだろうね。
あなたは私と議論して楽しいのかな。
以上。
>>939 カオルさん
囚われた【芯】は、思考を見守れなくなった後は、どうなるか知りません。
囚われた【芯】は大河に消えてゆくのか
囚われた【芯】はやはり囚われているのか
いずれかでしょう
>>938 素直か。君は自分と対峙する恐怖(?)を知っているようだね。
共通認識がないことを理解しているということだから、対話を純粋に楽しめるのかもしれない。
人の言動は基本的には作為的だということが理解可能だろうか。
人と対するとき、本質的に相手の気持ちを動かしたいという欲求から行動することを理解するだろうか。
人はそれぞれ自分の気持ちを大切にしていることに気づいているだろうか。
どうやら気づいていそうだね。
>じゆん
わかっているようだが、長い。
もう少し端的に語れないのかな。君が独り言を書くなら掲示板である必要はないね。
掲示板に書くなら、配慮も必要ではないかな。
むろん君の個性だから否定はしないよ。
相手が読みづらいという意味を考えたらどうかな、という提案だ。
>じゆん
悟るというのは君が思っているほど特別なことではないかもしれないよ。
君は自分を「いい人」と思われたいかな。自分が好きかな。相手に嫌われたくないかな。
自分のしたいことがわかっているかな。自分がいつも気持ちが揺らぐことをどうとらえているかな。
おれは治療しにここに来ているわけではないよ。気づいて欲しいから話している。
気づくのは自分でしか出来ないことだからね。おれにはどうしようもない。
でも、辛くて苦しかったから、そこから開放される喜びを知ると、似たようなことで苦しんでいる
人を見るとおせっかいを焼きたくなる。すまないと思う。でもやりたいんだね。
無理強いはしていないよ。
人は生まれついてから多くの思い込みを身につけることで社会生活が運営可能となる。
新たな価値観に触れるとき、拒絶反応を示すもの、新たな喜びを見出すもの、共感を覚えるものさまざまだ。
そうして今生きている。思考の柔軟性は自分の固定観念を知る勇気をもたねば得られないだろう。
思考の柔軟性がないと発展の前段階で共感か争いに終始する。そこに発展を見出すには目的の本質に気づく必要がある。
人は共感しあう喜びを期待する。だが、競争の概念を幼少から植え付けられているものたちは
他人の評価、相手に勝った確信、相手の屈服した状態などに喜びを感じる。これはそのように育てられた
結果だ。いいわるいではない。事実であり、身についた固定観念だ。それを知らないから自己矛盾に悩む
ものも出てくる。
難しい理屈を構築するより、自分の本質を知るほうが苦しく辛いだろう。
でも、嫌なものは全て固定観念だ。逆にそれをうまく使ってやるという発想を持つことで
固定観念は自由なものとなる。
>じゆん
>>952の内容を理解するかな。
君は他のスレでも精緻な理論を展開させているようだ。理論には基盤が必要だね。
おれは、その基盤を形成した過程を見つめたらどうかなと語り続けている。
それがおれの主張だ。ここで君が「悟り」という語を含んだスレを立てたから気になって書き込んだ。
悟りは理屈ではないと思う。
自分を知ることはまず含まれると思うよ。
なぜそう提案するおれを君が非難しているのか、君はわかるのかな。
>>937 175さん
>ここらへんをこねくりまわせば、ポロっと意識が出てくるような気がします。
こねくりまわしたらポロッと手のひらから落ちました。(笑)
「知覚→記憶→思考→感情」の先→に意識がこないことだけはわかっています。
今はまだそこまで。時間がなくてこれ以上のレスができません。あしからず。
>じゆんさん
とても興味津々のレスでいっぱいなのだけど
帰宅してお風呂からあがるとこの時間なのです。
しばらくはROMが精一杯。
そのあいだにスレが終わりそうです。
そのときは次スレよろしくお願いします。
あなたのレスのせいなのです。(^.^)
>>25さん
ああ、うっとおしい。
まだ飽きずに『自分の固執価値観を他者へ押し付ける作業』を繰り返してるね。
本気で呆れるわ。
いいかい?
君の発言は全部一々尤もだよ。
何一つ間違っちゃいない。
『日常の世間では』との限定条件では、ね。
『生存』を至極当然の事と大前提にした基準では、だ。
そもそも私やカオルさんやSさんなどは、その『大前提』『基準』が成り立っていない。
根本的なスタンスが決定的に異なる。
それを理解しない状況では君の発言は単なる『戯れ言』でしかない。
…いいだろう。
君はその価値観で生きれば良い。
但し、それが無条件で適用されるのは『君だけ』だ。
分かったかい?
自己陶酔に浸った似非カウンセラーさん?(嘲笑)
>>948 Nさん
>囚われた【芯】は〜
【芯】が囚われるというのはおかしくないですか?
と、質問だけして寝るわたしでした。
>>956 ハルカへ
>ああ、うっとおしい。
元気そうでなによりです。
というか、かなりハイだよね。(^.^)
どうして?
なんでそんなに機嫌がいいのかな?
と、ご機嫌伺いしてみるわたしでした。
お仕事ごくろうさまです。
ハルカさん、しつこくごめんね。
【芯】が全然分かりません。
俺は悟りを目指してないからしょうがないかもしれないけど
永遠に生をやっちゃってください。ッて言われたら悲しい。
考えたらやっぱ図々しい質問だった。
自分でホントに気にならないと意味ないね。
俺の悩みはまだ別だった。
俺はカオルさんとは逆にハルカさんに嫉妬してるよ。
>>さとしさん
【芯】というのは造語だから分からないのも当然ですね(笑)
何の意志も方向性も有していない【存在】そのもの…
単なる【在る】
【虚存】(混沌)を内包した【実存】(秩序)…
正確に言えば、全ての【存在】の基盤となるものです。
ありがとう、おやすみなさい。
誰か頭いい奴ここまでの流れをまとめてくれ
25氏の言いたいことがさっぱりわからなかったのだが、
つまり、
「自分が思い描く基準を変えてやれば、基準を満たしていないと苦しむことはない。」
ということを言いたいのかな。
これは、人生論としては、なるほどと思えるけど・・・
これが、すばらしさや尊厳や全てを理解したことになるのだろうか
これが無常や無我を教えてくれるのだろうか
>>956 >ああ、うっとおしい。
すまない。しかし、君はおれをスルーしなかったのかな。25のレスを抜かせば出来るね。
>まだ飽きずに『自分の固執価値観を他者へ押し付ける作業』を繰り返してるね。本気で呆れるわ。
おれは「考えたらどう?」という提案以外何かを押し付けていたかな。具体的に指摘してほしい。
ちなみに、ここでは君の価値観に共感したがっている人はいるようだね。
>君の発言は全部一々尤もだよ。何一つ間違っちゃいない。『日常の世間では』との限定条件では、ね。
>『生存』を至極当然の事と大前提にした基準では、だ。
ということは、おれの発言は君の言う限定された世間では真理ということになるかな。
>そもそも私やカオルさんやSさんなどは、その『大前提』『基準』が成り立っていない。
>根本的なスタンスが決定的に異なる。
君ら特別な存在なんだね。思い込みだろうけど。
>それを理解しない状況では君の発言は単なる『戯れ言』でしかない。…いいだろう。君はその価値観で生きれば良い。
良い悪いは主観だね。君がそういうのは自由だし、おれがどうしようが自由だ。まだ理解しないようだ。
>但し、それが無条件で適用されるのは『君だけ』だ。分かったかい?
おれに無条件で適用されると決め付けていないかな?わからないよ。
>自己陶酔に浸った似非カウンセラーさん?(嘲笑)
君は「だーかーらー」とか上のような表現を時折使用するね。おれを懲らしめたいなら不適切だよ。
君の表現が君の品位を下げかねない事には気づいているんだろうから、そういう表現が好みなんだろうね。
自分のレスを読み返したとき、そうした表現は素通りしてるのかな。相手より自分が嫌な気がしないかい?