【マルクス その可能性の中心in2ch P3】

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1ふにゃぽん
誰も立てる気配がないので、とりあえずいつもOFW氏に
お世話になっている私が立てさせていただくことにします。

前スレは>>2に。

日本も世界も混迷を極めているように思える「現代」にあって、
「近代」の渦中に生きながら、初めて「ポスト・モダン」の
体系的な見通しを提示した思想家「カール・マルクス」および、
彼の学説の可能性を問うスレなり。
2ふにゃぽん:02/08/28 19:57
前スレ
【マルクス その可能性の中心in2ch P2】
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/philo/1013920075/
3考える名無しさん:02/08/29 00:17
高ぞう〜、こんなとこに書き込んでるとまた(以下略
>>3
なんやねん。二浪するってか?
5吉本隆明:02/08/29 01:59
資本の運動の果てに共産主義の見通しが
現れるという認識は依然正しい。
ただ誤りがあるとすれば、共産主義の早産と
いうことのみである。
共産主義のための条件が揃わずして、共産主義を
無から創造しようとする革命家の過剰な意識こそ問題なのだ。
OFWとはその過剰な意識の別名である。
6考える名無しさん:02/08/29 02:11
一度ここにカキコして見たかったんですよねー。
記念カキコ!うふ。
キャー高ぞうさーん昨晩はどーもー。
7OFW:02/08/29 21:58
>(前スレ)982-983(高ぞう→将軍さん)
>よく、わかりゃ〜せん
 実体なるものが静的で過去的な存在であり、資本主義とは資本(過去の
 死んだ労働)が現在の生きた労働を支配する逆立ちしたシステムだとい
 うことです。「予め閉ざされた未来」(無に帰る運動)とも言える。
>労働価値説とは資本主義世界の本質をあらわしたもの
 そのとおり。それは資本の世界支配の秘密を解明するための要諦です。
>「欲求を欠いている状態」
 というよりむしろ<欠如における(否定性としての)欲求>です。価値
 は欲求の対象的側面であり、欲求の否定性を対象的に表現したものです。
 「対象Aに価値がある」とは希少性、つまり有用物Aに対する欲求が十
 分には満たされないこと、をAに即して表現しているわけです。
 それは余剰において初めて直接的価値の否定、つまり「欲求を欠いてい
 る状態」に転化し、交換価値(量としての、他者にとっての価値)とし
 て社会性を獲得する。
>物的欲求と社会的欲求を分離して考えるのはとても難しい。
 近代になって、私的所有に基づく排他的・抽象的個人が析出されてきて、
 ようやく社会的なものが外的に(対象的に)なったと言えるが、個人間
 の人格的関係はむしろ物的欲求(所有欲)によって覆い隠されている。
>賛成できない自分があるので、これが自分の存在証明になる。
 それは<観念としての自己>に過ぎず、その表象は証明不可能。
>何の疎外でしょうか。
 「私は人間であり、モノではない」との言明に含まれているものです。
8OFW:02/08/29 21:59
>(前スレ)984
>仮に国家と呼んでいるだけ
 それを「国家」と呼ぶ以上、論理的に言って、すべての国家に無くては
 ならない本質(階級対立)を共有する筈ですが、それは矛盾ですね。
>自己決定のみで、・・・できるのかな?
 自己とは個人ではなく、共同的な意志をもつ諸主体の統一を言います。
>わざわざゲームをやめてまでシビル・ミニマムの生産に関わろうとはし
>ないでしょう。
 <ゲーム好き>な人は、それが創造的であるなら、積極的に生産に関わ
 ろうとするでしょう。最も創造的なゲームは現実自体の創造でしょう。
>本の名前じゃないよね。
 学習態度ですね。真理の探求は粘り強さが肝要とて。
>> いちいちちゃんと覚えてるの?
 記憶力ではなく、如何に本質(エッセンス)を押えるかがポイント。
>> それともノートか何かあるの?
 昔はあったが。タネ本はそれなりに。
>> それとも全文検索とかできるようになってんの?
 キー検索でも必要な知識はかなりの程度拾える。便利な時代になった。
9考える名無しさん:02/08/29 22:01
ここはおらものっとくべ。
なるほど、労働価値説は資本が形成されるまでの道程の中の論理だったわけですか。
ということは、欠如における欲求が生じ、それが「需要」を生むことで、
需要を操作しようとする値段の変化が二次的におこるということですね。
(OFWさんの論理では)

>近代になって、私的所有に基づく排他的・抽象的個人が析出されてきて、
>ようやく社会的なものが外的に(対象的に)なったと言えるが
近代からのことではないだろう。そもそも「私」という漢字自体が元来
「排他的・抽象的個人」をあらわす。それについて深く考えれば、
「私」という漢字を使う者は知的レベルの高い人々であり、
官僚などであったから、そういった者の私的所有が
やはりそれに関連していると言えるだろう。
これは中国だけでなく、世界的に「個人」という言葉の生まれ自体が
私的所有を根拠にしているに違いない。(とOFWさんの論理では)

ということで、個人が存在する以前に私的所有が存在し、それが所有欲、つまり
「OFWさんの言う物的欲求」をもとにしているのだから、
つまり、最初に欲求の欠如が存在するのだろう。
それが存在するまでを
>それは余剰において初めて直接的価値の否定、つまり「欲求を欠いてい
>る状態」に転化し、
で表現しているのかもしれないが、正直また「余剰において」というのがわからんし、
すまんが今テキストの中にそれを調べるのも億劫なので、説明して欲しい。
「労働価値説とは『」(資本主義の中で?)「価値の実体は労働である』
ということです」(>P2>981)
「価値の必然性(価値法則)が支配する世界は静的であり、」(>P2>981)
「実体なるものが静的で過去的な存在であり、資本主義とは資本(過去の
 死んだ労働)が現在の生きた労働を支配する逆立ちしたシステムだ」(>>7
「それ」(労働価値説)「は資本の世界支配の秘密を解明するための要諦です」(>>7
価値とは「『欲求を欠いている状態』というよりむしろ
 <欠如における(否定性としての)欲求>です。
価値は欲求の対象的側面であり、欲求の否定性を対象的に表現したものです。」(>>7
(※以上は、OFWの主張とする部分のみであります)

以上を解読します。
「価値は、欲求のネガティブな面を対象化して、表現したものであり、
その価値の示す必然性は静的な世界をつくる。
労働価値説によって、資本主義における
『価値の静的で過去的である姿は労働である』、と示さるのに対し、
資本主義とは資本(過去の死んだ労働)が
現在の生きた労働を支配する逆立ちしたシステムであると言えるわけだが、
ゆえに労働価値説は資本の世界支配の秘密を解明するためにカンジンである。」
え〜、とりあえずまとまりました(?)。これを検証しましょう。
文脈を無視している、と言う指摘がありそうですが、
無論、文脈がわからないがゆえに解読しているわけですし、
無論、たった二つのレスで片方は片方の説明をしてるわけですから、
無論、語意の違いはないと考えてまとめました。

文脈を働かせるのはここから。解釈します・・・
価値はそもそも欲求のネガティブな面を対象化して生まれるのですが、
それによって、静的な世界はつくられます。
労働価値説により明確になった資本主義像においては、その欲求のネガティブな面は
対象化されるとすなわち「労働」になり、それにより静的な世界
(資本(過去の死んだ労働)が現在の生きた労働を支配する逆立ちしたシステム)
が作られるのです。

よし、なんだかわかってきたぞぅ。(文の意味内容が)
しかし、こうなると全くもって何がいいたいのか(確信が)理解不可能。

物の量的な面を抽象したとき、物に固有なものには労働(時間)だけが残る。
(たぶん)という労働価値説におけるマルクスの証明法が全く意味を無くし、
勝手なレトリックになっている気がしてなりませんね。

ここから、僕の気持ちを書きますが、
とりあえずいっておきたいのは、
価値をなきものにしたら、あんたしゃべってる意味(←価値?)ないやろ。ってこと。
それは別に論理的な「意味」でもあります。
というのは、もし価値をないものにするという、その主張を
理念(現実を導く観念)にするべきだ、とあなたが言うならば、
あなたは「べき」ということで、その主張にもつ価値の存在を否定できません。
すなわち、矛盾します。もし、「べき」が価値を認めるわけではないというのだと
しても、「べき」という事で、結局、必然性を生んでいる点では変わりありません。
必然性を否定すべきだというあなたの主張は矛盾します。
そこらへんどうなんですか?(弁証法的説明を期待)
それとOFWさん、あなたは私たち(OFWを指摘するもの)と
対話する気がないのでしょうか。
あなたの「質問の一面性を指摘する」ような姿勢には賛成ですが、
あなたの回答はいつも、自分の中で構築した概念をただ羅列させていくように
しか見えません。しかも、そのせいでかなりぬけてることがあります。
もしかしたら、共通理解を求め、人を選んでるのかもしれませんが、
マルクス主義的なあなたにとって、それはあってはならない姿勢ではないですか。
教育が重要という傍ら、社会主義の本質を知るのは、官僚身分でよい、なんて
のたまう気でしょうか。
私はあなたの意見に真っ向から対立するつもりは、毛頭ないですが、
あなたのその、上から渋柿でもぶつけてくるような応答姿勢には
非常に反対します。

>>6 ここはいいから、バックトゥーザフューチャー考の意見でも聞かせてよ。
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/philo/1025493989/
15考える名無しさん:02/08/30 21:12
>OFWさん
> それを「国家」と呼ぶ以上、論理的に言って、すべての国家に無くては
> ならない本質(階級対立)を共有する筈ですが、それは矛盾ですね。
いきなり口出してすみませんが、そうなんですか?
OFWさんの言葉から本質などという言葉が出るとは思いもしませんでしたが
国家は階級対立を持ってはじめて国家と呼べるのですか?
16吉本隆明:02/08/30 23:34
OFWってのは田舎の農家によくいる
高圧的な頑固ジジイみたいなものなんだよ。
こういうヤツがよく農本主義的ファシズムを
共産主義だと勘違いするんだね。
迷惑な話だが。
17OFW:02/08/31 21:17
>>10-14(高ぞう→将軍さん)
>労働価値説は資本が形成されるまでの道程の中の論理だったわけですか。
 道程自体の論理は『資本論』第1巻第1章第3節「価値形態または交換価値」
 において展開されており、通常「価値形態論」と呼ばれています。
 価値形態論と労働価値説との関係は価値の現象形態とその実体的本質と
 の関係であり、価値形態の矛盾と発展は、経済(Economy、労働の節約)
 において、現在の資本主義システムが歴史的に特殊な一段階に過ぎない
 ことを示すものです。

>「私」という漢字を使う者は知的レベルの高い人々であり、官僚など
 公と私の対立から言えば、官僚とは「公儀の僕」であり、国家に寄生す
 る身分ですから、「無私、不偏不党、無責任(没主体)」が原則。
 (マルクス『ヘーゲル法哲学序説ーヘーゲル国法論批判』参照)

>世界的に「個人」という言葉の生まれ自体が私的所有を根拠にしている
 所有とは本来生産手段(土地、道具、原材料)について言われ、付随的
 に生活手段について言われる権利関係です。私的所有(市民的所有)が
 国家所有と対になって出現しているのは西欧的(ローマ的)な特徴であ
 り、アジア的には個人の無所有が普遍的でしたから、「自立した個人」
 は今だに脆弱。特に日本では近代化が国家(官僚、軍閥)・財閥によっ
 て主導され、中産階級が極端に未成熟ですね。
18OFW:02/08/31 21:19
>>10-14(高ぞう→将軍さん)(つづき)
>説明して欲しい。
 上でのべたことは、経済的価値の概念とその矛盾について縮約して書い
 たから、確かに分かりにくかったな。図式的に整理すれば
 1.価値の実在
   a.有用性(使用価値)
   b.希少性(限界効用)      
   c.価値標準
 2.価値の本質
   a.価値の根拠(社会的分業と生産手段の所有)
   b.価値の現象形態(交換価値)
   c.価値の実体(社会的必要労働と価値形成)
 3.価値の概念
   a.社会的生産と価値(資源と労働力の適正配分)
   b.社会的分配と価値(富の再分配)     
   c.価値の消滅(生産力と生産関係、脱物象化)
 くらいのテーマを展開する必要があります。
19OFW:02/08/31 21:20
>>10-14(高ぞう→将軍さん)(つづき2)
>その欲求のネガティブな面は対象化されるとすなわち「労働」になり、
 正:労働生産物がもつ価値として対象化された過去の労働は、他者の所
   有物とされるとすなわち「疎外された労働」になり、

>労働価値説におけるマルクスの証明法
 前スレでも触れたが、科学的説明と論理的証明との混同がありますね。
 「労働は価値の実体である」とは本質の洞察(発見)であり、演繹的な
 証明で導かれるものではない。科学的に言えば、それはさし当り仮説と
 いう性格をもち、マルクスは『資本論』全体においてその検証を行った。

>勝手なレトリック
 説明の仕方が悪かったかな。ただ『資本論』の訓詁学的議論に終始して
 本質を見失っている「マルクス読みのマルクス知らず」とは異なり、資
 本形態にまで発展した<価値>の概念的認識が必要だということです。
 概念規定(カテゴリー)に関して言えば、質→量→限度という実在論か
 ら、本質→現象→現実性(運動的自己相関)という本質論に高まること
 により、対象は概念的に把握される。
 『資本論』(特に第1巻第1章)は価値の本質論ですから、<財の効用>
 という価値の実在規定ではなく、<商品>というその反照(本質)規定
 から始まるわけです。
20OFW:02/08/31 21:22
>>10-14(高ぞう→将軍さん)(つづき3)
>価値をなきものにしたら、あんたしゃべってる意味(←価値?)ない
 1.テーマは“経済的”価値であり価値一般にあらず
   他の諸価値(例:<真>(学問的価値)、<善>(倫理的価値)、
   <美>(芸術的価値))とは区別される経済的価値の質的な種差は
   <効用、使用価値(Utility)>です。

 2.意味と価値はまったく異なる概念
   「意味とは記号による指示の象徴である」(オグデン&リチャーズ)
    価値一般の形式的定義は
   「価値(Value)とは何らかの十全性(無限性)に対する有限的な
    現存在の位置を表示する指標(index)である」かな。

>「べき」ということで、その主張にもつ価値の存在を否定できません。 
>「べき」という事で、結局、必然性を生んでいる
 倫理的価値に向かう主体の当為(為すべし)について言えば、それが何
 らかの必要(必然)に基いた要請という性格がありますね。

 「Aを存在させるべし。」という要請は

 「もしAが存在すれば、殆ど必然的にBが生起するだろう。」つまり
 「Bが存在するためには、Aの存在が必要(必要条件)である。」

 という理念的存在Bの被媒介性(BにとってのAの価値)の認識からく
 るわけで、単なる「Bが望ましい」という可能的欲求以上のものです。

 そうなると、理念と現実との関係はより実在的になり、現実諸関係の必
 然性(因果関連)も互いに相互作用する諸活動の全体として、(単なる
 主観的当為ではなく)社会的諸実践の客観性(理性)が見えてくると。
 「人間は歴史を作るが、それを知らない。」(マルクス)
21OFW:02/08/31 21:24
>>10-14(高ぞう→将軍さん)(つづき4)
>自分の中で構築した概念をただ羅列させていくようにしか見えません。
 概念は体系をなし、羅列には向かないから、説明方式の工夫要かな。 
>上から渋柿でもぶつけてくるような応答姿勢
 渋柿とはシブイ表現。
 限られた掲示板スペース上の議論ではとかく縮約(節約)したモノ言い
 になる。経済的価値(労力と資源の節約)と認識的価値(真理の共有に
 よる減価・冗長化)とのトレードオフ関係とて。

>バックトゥーザフューチャー考
 タイムマシンの夢より還帰する資本(永遠の繰り返し)の現実が問題。

>>15
>国家は階級対立を持ってはじめて国家と呼べるのですか?
 日本古代の大和朝廷、西欧古代国家(エジプト、ギリシャ、特にローマ
 帝国)、中国古代国家(殷、周)、南米インカ帝国等々、<国家>とい
 う構築物はそれまでの血縁共同体の解体(他種族の侵略、併合)と共に、
 地縁的な結合体として、成員の共同性を僭称してきた。
 唯物論的な観点からは、社会の生産関係(階級関係でもある)が国家を
 必要としてきたということです。

 長文失礼。
OFWさんが、「経済的価値(労力と資源の節約)」なんて面白いこといわないで
くださいよ。この方がずっといいです。真理は共有してこそ更なる価値をもつと
思いますからね。(共有でき得るかぎりならば)
それに、今更長文に煽ることもないでしょうし。
(ここで気になるのは資源の節約と言う言葉、社会主義体制では
いわゆる「環境問題」はどうされるべきなんでしょうかね。)

では最初に、どうでもいいつっこみを先にかいときます。
>公と私の対立から言えば、
公と私の対立と言うのは、今日的(近代以降?)な問題でしょう。
中国にかぎれば、官僚身分にかぎり「公も私もかねる存在」であったといって
いいのではないでしょうか。ここであらわれる「私に対する公」とは
近代になって外的になったと言う社会という対象の登場に似てるかもしれません。
しかし、OFWさんの言うように、「所有」が本来生産手段を示すべきであるならば、
このような意味の「公と私」と「社会と個人」を同一に見ることはできないかも
しれません。反省するところ確かに、中国における官僚は私的所有をもつことは
なかったと言うことができるかもしれませんし。
(しかし、それは「所有」という言葉の一義に過ぎないのでは、という疑いは
あります。それが生活手段について示すことを「付属的」とはとても思えません。
問題の焦点を明らかにする点では、その定義に則るのがよいでしょうが)
それに、確か「個人」と言う日本語ができたのも明治だったと覚えています。
そういう意味では(個人を生む)「私的所有(市民的所有)が国家所有と
対になって出現しているのは西欧的(ローマ的)な特徴であり、
アジア的には個人の無所有が普遍的でした」というのは的を得ているかもしれません。

>意味と価値はまったく異なる概念
んな、ことはわかってますよ。さすがに。
ありゃぶっちゃけ文句だったんで、つっこまれてもねぇ。

>概念は体系をなし、羅列には向かない
概念自体は体系をなしてかもしれませんが、(OFW氏中で)
その概念が羅列されています。といっていいでしょうか。
>テーマは“経済的”価値であり価値一般にあらず
そこら辺を先に言っといてください。
OFWさんが「価値の必然性」などというので、
価値一般を連想するのは、「必然」じゃないでしょうか。
確かに、提議内容は労働価値説における価値だったんですが、
それでも、OFWさんの見解が私の理解とかけ離れてる感があるので、
こういう下地をしっかりふんどかないと、議論にならないのでお願いします。
(「所有」においてもそうでした。ところで、反省すれば、そもそもの間違いは
私の中でつくられていた「使用価値」に対する見解かもしれない。)

それでは「べき」についてですが、
最後の部分はわかりにくかったものの、だいたいの納得できる答えはもらえました。
「べき」と言う要請は、理念的存在の被媒介性の認識が必要ということですが、
問題は、これら理念や現実の、認識上の問題になりそうです。
24OFWに無視されない:02/09/01 09:38
> それを「国家」と呼ぶ以上、論理的に言って、すべての国家に無くては
> ならない本質(階級対立)を共有する筈ですが、それは矛盾ですね。
「国家」とういう言葉の問題なので、その本質を考えるとすれば、
それは個人個人の認識する「国家」の共通項のようなものでしょう。
この言葉を使うときは常にマルクス的国家間を持て、というのは
いささか傲慢。
もちろん呼び方は何でもイイので、より適切なものがあれば示して欲しいな。
前衛?共産党?

> >自己決定のみで、・・・できるのかな?
>  自己とは個人ではなく、共同的な意志をもつ諸主体の統一を言います。
それで、決定するのは誰なのかな?

> <ゲーム好き>な人は、それが創造的であるなら、積極的に生産に関わ
>  ろうとするでしょう。
ゲームが飽きれば、アニメを見るかもしれないし、ほかの事をするかも
しれない。なぜゲーム作りに”積極的に関わる”といえるのかな?
とりあえず初歩的に、
>概念規定(カテゴリー)に関して言えば、質→量→限度という実在論か
>ら、本質→現象→現実性(運動的自己相関)という本質論に高まること
>により、対象は概念的に把握される。
という部分をもう少し明確にして、OFW氏にとっての概念としての
(むしろOFW氏により体系化された概念としての)
「実在」「本質」「概念」の関係性をわかりやすく、示してください。
お願いしま〜す

>>22
>その概念が羅列されています。
単に、「明確に体系がしめされていない。」と言った方が良いかもしれません。
26ふにゃぽん:02/09/02 19:38
新スレが出来た事で、とりあえずOFW氏にご挨拶を。

またよろぴく。

さて、またお伺いしたいのですが、マルクス主義は「三権分立」を
どう捉えているのか?

あらゆる権力(=Macht)が、人民の人民による人民のための
一元的共同体に還元されているならば、当然、「三権」も、その中に
止揚されているんでしょうか?
27OFW:02/09/06 05:26
>>24
>常にマルクス的国家間を持て、というのはいささか傲慢。
 「現在世界には約191の国家がある。」と言われますが、
 1.国家と世界はどこが異なるのか?
 2.191という数自体に意味はない→何故複数なのか?
 3.「約」といういい加減さはどこからくるのだろう?
 4.「世界は一つである」と言われる根拠は何だろう?
 といった疑問が浮かべば、「国家とは何か」と考える端緒になる。
 唯物論的な国家観は唯物論的な世界観・歴史観・社会観に基いており、
 社会の物質的な土台(経済的な下部構造)vs政治制度的な上部構造と
 いう区別をもとに国家を考えます。(学校では教えないが。)
>決定するのは誰なのかな?
 当事者である諸個人でしょう。
>なぜゲーム作りに”積極的に関わる”といえるのかな?
 「一人ゲームの不可能性」があるから。つまりすべての主体的活動は社
 会的であり、社会への参加だから。
28OFW:02/09/06 05:28
>>25(高ぞう→将軍さん)
>「環境問題」
 環境問題に関しては「人間は自然の一部である。」という唯物論的視点
 こそが重要であり、資本の価値増殖欲による自然と人間の浪費は、エン
 ゲルスーマルクスが早くから見出していた。資本主義経済において、経
 済の意味が本来とは正反対になっており、ブルジョア経済学では環境問
 題を「経済外的」要因などと言うが、その言説こそ経済の外にあるもの。

>「実在」「本質」「概念」の関係性をわかりやすく、示してください。
 ヘーゲル『小論理学』(岩波文庫)の内容を“わかりやすく”説明する
 のはなかなか大変(この板でも何回か試みたが、うまくいかなかった)。
 しかし、要点を理解すればとてもわかりやすいものですから、高校あた
 りで弁証法的思考を教えれば、どれほど役に立つかと思うが。
 
 実在(Real being)・・・個別的、直接的な対象の存在形式。
             (その運動様式は<移行>)
             主カテゴリーとして、質、量、限度(質量)

 本質(Essence)・・・・実在を媒介する全体的存在の存在形式。
             (その運動様式は<反照>)
             主カテゴリーとして、本質、現象、現実性

 概念(Concept)・・・・実在の本質(媒介された直接性としての事柄)
            を捉える認識の存在形式。
             (その運動様式は<発展>)
             主カテゴリーとして、概念、判断、推理
29OFW:02/09/06 05:29
>>26(ふにゃぽんさん)
>マルクス主義は「三権分立」をどう捉えているのか?
 統一したマルクス主義もその見解も存在しないでしょうから、個人的見
 解ですが・・・。 
 「何故、三権分立が必要なのか?」
 という質問に対して、通常は
 「権力が一つの機関、主体に集中することは、権力の絶対化を招きがち
  であり、それを防ぐため。」
 という教科書的な答が用意されています。しかし
 「権力(主権)はもともと絶対的(独裁的)なものである。」
 という事情がある以上、三権分立という法制度的な相対化は形式的なも
 のに過ぎない。
 「すべての権力をソヴィエトに集中せよ」(レーニン)とはブルジョア
 に対するプロレタリア独裁を立てよという<三権統一>の主張でしたが、
 それは二重権力(ブルジョアvsプロレタリア)を立てよという主張で
 もあった。
 主体は複数であり、主権は単数です。専制的(独裁的)な権力(一者の
 他者に対する無条件的な強制)が生じる場合、既に社会の中に分裂が存
 在しているわけで、その解決の方が先決問題だということです。
30ふにゃぽん:02/09/06 06:34
OFWさん。ありがとう。

それにしても、新スレになって、やや文体が変わりましたな。

ずいぶん表現が易しくなりました。

私としては、以前のものでも、現在のものでもかまいませんが、
OFWさんご自身に、難解な概念を平易に表現して、マルクスや
哲学をいままで本格的に勉強してこなかった人たちに解らせる訓練という
意味合いがあるのなら、それでお願いします。

このスレでもよろしく。
31フィロゾファッカー:02/09/06 09:08
>OFWさん
>ヘーゲル『小論理学』(岩波文庫)の内容を“わかりやすく”説明する
>のはなかなか大変(この板でも何回か試みたが、うまくいかなかった)。

その際は途中で放り出してすみませんでした
32ねこ:02/09/07 22:14
おひさです(って誰も知らないね)
行きがかり上 ageます
33OFWに無視されない:02/09/08 15:57
> 唯物論的な国家観は唯物論的な世界観・歴史観・社会観に基いており、

唯物論的=マルクス主義的ということですよね。
それはともかく前衛と呼ぶことにします。

共産主義社会では前衛がシビルミニマムを計画する。
そして計画したのにもかかわらず、それは強制力をもって
実行されることはなく、個人の決定に任せる、といいます。

個人の決定に任せてシビルミニマムの生産を保証できるのか?

それから、OFWさんは「人間は社会的である」と強調しますが、
その根拠はなんですか?
今までの社会は、社会的でなければ生きて逝けなかったから、
社会的であった、ということはできませんか?

>「一人ゲームの不可能性」があるから
最後に、この回答もそうですが、
共産主義社会のコトになるといつも解答が非唯物論的(=観念的、
空想的)である気がします。唯物論的な解答を期待したいです。

以上
34考える名無しさん:02/09/08 16:07
>28
「直接」とは?
「媒介」とは?
35くろしろ ◆0a.9Ms2A :02/09/08 20:02
で結局の所、共産主義になった所で、労働社会が消えない以上、
自らの手に生産手段を取り戻すことは出来ないのではないか?
会社の変わりに「共有」という怪しげな言葉で理論武装した
労働社会が個人を疎外し、「正しいルール」のもと砂をかむ
ような近代国家のいけてない日常が繰り返されるだけではな
いのだろうか?真の解放、生産手段の完全私有化がなされ、
自給自足が達成しない限り、我々はこの苦しみのもとに
意味無き生を生きるだけだ。横レススマソ。
36OFW:02/09/08 21:57
>>30(ふにゃぽんさん)
>ずいぶん表現が易しくなりました。
 そですか。まぁマターリとマルクス宣伝と言うことで・・・。
>>31(フィロゾファッカーさん)
 お久しぶりです。
>>32(ねこさん)
 どもです。他スレでもお見かけ。

>>33
>個人の決定に任せてシビルミニマムの生産を保証できるのか?
 近代資本主義社会において奨励されているような<利己的な個人>とし
 ては無理でしょうね。たとえば児童の教育は「シビルミニマム」の一つ
 ですが、それは「人間にとって教育は必要不可欠」という理由からであ
 り、教育労働は<社会的個人>に任せて、連帯保証するもの。
>社会的でなければ生きて逝けなかったから、社会的であった
 もちろんそうです。自然の中では人間個体(個人)ほど弱い存在はない。
 それは人類誕生以来の外的な必然性ですが、同時に人類存続の条件(条
 件とは実在的な可能性のこと)でもあった。人間はその共同性において
 自然に対する働きかけを行い、その自然的な条件(被規定性)自身を変
 えることによって、歴史を切り開いてきた存在です。
 近代になり個人主義が登場して、個人が絶対的主体であると喧伝された
 が、そこには高度な社会的生産力が物質的基礎としてあり、個人の社会
 性(相互依存性)は遥かに強まっていることが忘れられている。
 社会とは、個人の内部にあるその類的な本質を指しており、個人の能力、
 知識教養、人格等、すべて社会の産物であり、社会を離れては、人間は
 たちまち「狼少年」になってしまうほどの無規定(無内容)な存在です。
>解答が非唯物論的(=観念的、空想的)である気がします。
 確かに未来社会の表象についてあれこれとお喋りすることは、現実の止
 揚にとっては無用のものですが、理念は必要ということかな。
37OFW:02/09/08 21:59
>>28
>「直接」とは?「媒介」とは?
 存在(being)の直接性とは感性的な対象のあり方(実在性)を指し、
 主体が対象に触れている、ということ。<対象自体>が与えられている、
 とも言えます。
 それに対して、その媒介性とは他の存在との関係のうちにある対象のあ
 り方を指し、何らかの知的な働き(記憶、表象、概念)によって捉えら
 れ得るものです。
 媒介とは<他になること>です。すべて実在するものは生成変化し、存
 在するものは<成ったもの>(生成の結果)である、という認識が弁証
 法の始まりです。
 「すべて具体的なものはそれ自身とその否定との統一である。」という
 ヘーゲルの逆説的な言明も、ある存在が生成(運動)の結果としてその
 ものに成ったという<歴史性>をその規定性のうちに含んでいることを、
 直接的に表現したものです。

>>35(くろしろさん)
>労働社会が消えない以上
 繰り返しになるが、労働とその疎外形態(賃労働)とを混同しないよう。
 「近代国家のいけてない日常」はまさに労働(人間の社会的活動力の発
 現)が否定され、他者の私有にされることからくる、人間関係の物象化
 (例:強制労働の永遠化、生の無意味化)ということでしょう。
 自然の中で現実的な活動(働き)を行うことは、人間が真に自立すると
 いうことですから、労働=働き自体は否定できない。
38くろしろ ◆0a.9Ms2A :02/09/08 22:20
>>37
私が危惧するのはその賃労働が現代社会を継承する以上
共産主義の中でも継続され、生産手段も「他人のもの」から
「共有」に変わって自分自身の生産手段を完全にはもてず、
よって自己疎外もまた継続されると言うことなのです。
もしも共産主義が自分自身の生産手段を完全に持たせてくれ
他人と生きずに済む。社会を破壊する運動だとしたら、
私は共産主義者に今すぐ成りましょう。
実際の所共産主義の生産形態というのはどう言ったものなのでしょう?
>OFWさま
なんだか、ヘーゲルの「小論理学」辺りでも読まないと、
にっちもさっちもいかないように思えてきましたので、
といいますより、夏終わり、時間がほんとないので、
悪いですが途中辞退させてもらいます。
できましたら、そこら辺の参考書を紹介してくださるとうれしいです。
またいつかやってくると思いますので、
そのときはまた、ご啓蒙のほどをよろしくお願いします。
40考える名無しさん:02/09/09 04:39
マルクスはマルクスとして読むべきだよ。
>>19のように、資本論の商品論(とくに価値形態論)を
ヘーゲル本質論に解消するのは間違い。
反照関係という形式より、その中身を資本論に則して読み取るほうが大事。
41考える名無しさん:02/09/09 07:48
       ∧_∧
      (・∀・ )
      ⊂   つ
       ヽ   つ
        し' ̄
42OFW:02/09/09 23:54
>>38(くろしろさん)
>生産手段も「他人のもの」から「共有」に変わって自分自身の生産手段
>を完全にはもてず、よって自己疎外もまた継続される
 それは誤解ですが、この辺については、マルクス派の中でも議論がある
 ようです(前スレ>941参照)。問題の箇所を引用すると、
 「資本主義生産様式から生まれる資本主義的取得様式は、したがってま
  た資本主義的私有も、自分の労働にもとづく個人的な私有の第一の否
  定である。しかし、資本主義的生産は、一つの自然過程の必然性をも
  って、それ自身の否定を生みだす。それは否定の否定である。この否
  定は、私有を再建しないが、しかし、資本主義の成果を基礎とする個
  人的所有をつくりだす。すなわち、協業と土地の共同占有と労働その
  ものによって生産される生産手段の共同占有とを基礎とする個人的所
  有をつくりだすのである。」
  (『資本論』第1巻第24章いわゆる本源的蓄積)
 上記のように、マルクスは、共有(共同所有)ではなく、<共同占有に
 基づく個人的所有>が作り出されると(予想的に)述べています。
 ポイントは占有(possession)と所有(property)との区別、そして私有
 (private property)と個人的所有(individual property)との区別です。
 協働的な使用しかできない機械等を除き、個人が自分自身の耕作地、道
 具機械および生活手段等を完全に所有し、意のままに扱い得ることは、
 自由な生産(それは計画的生産でもある)のための前提条件です。ただ
 し、現在の自営業や自営農民のように、それらを排他的な私有物とする
 こと、そしてその生産物を私的に売買することはできない、ということ
 が「共同的な占有」という言葉の内容です。(以上OFWの見解)
43OFW:02/09/09 23:54
>>39(高ぞう→将軍さん)
>そこら辺の参考書を紹介してくださるとうれしいです。
 マルクス(に限らないが)を理解するためには、本人の書いたものを読
 むのが基本です。ヘーゲルとの関連では良い参考書も知りませんし。

>>40
(横レスながら)
>資本論の商品論(とくに価値形態論)をヘーゲル本質論に解消するのは
>間違い。
 解消ではなく、価値カテゴリー(形式内容)展開上での参照枠としての
 利用ですね。マルクス自身が
 「資本論を書くにあたってヘーゲルを読み直し、とても役にたった。」
 と言っているように、それを読む上でも役にたつ、ということを示唆し
 たまで。
 特に、価値形態論は価値の反照規定(交換価値、商品と貨幣)の展開で
 あり、ヘーゲル論理学からの寄与大と思える部分です。無論その発展を
 跡付けることは、固有な内実(形式と内容の統一)に即して、具体的に
 行う必要があり、『資本論』がそれを示しているわけですが。
44くろしろ ◆0a.9Ms2A :02/09/10 20:25
>>42
自分の土地を持つことは出来るのですね?
では共同占有する協働的道具とは具体的に何を指すのでしょうか?
45ふにゃぽん:02/09/10 21:53
横レス失礼。
>>43
>ヘーゲルとの関連では良い参考書も知りませんし。

OFWさん。
エンゲルスの一連の啓蒙書や、マルクスの「法哲学批判序論」などは
いかがでしょう?

それと、前から伺いたかったのですが、OFWさんのエンゲルス評、
および、そのエンゲルスが、「唯物弁証法の三人の発見者のうちのひとり」
と位置づけ、マルクスも認めた「ヨーゼフ・ディーツゲン」について
出来たら評価をしていただきたいのですが・・・。


46Kurihara:02/09/10 22:24
労働力を資本家に売ること自体には僕はたいして
抵抗ないですね、これはほとんど慣れの問題です。
真に問題なのは労働力を売りたくても売れないという
問題のほうです。ひきこもりの人だって本当は
労働力を売りたいのですが、それを買う人がいないのですね。
誰も使いものにならないヒッキーの労働力なんて
買いたくないですからね。LETS経済においても
なにも提供出来ない人はそこには参加できません。
誰もが独立生産者にならないと、LETSに参加しても意味が
ないのですが、独立生産者になれるだけのスキルがあるのなら、
資本主義経済でも十分やっていけるんですよね。
だから、LETSはうまくいきません。
過酷な資本主義社会で生きて行くためのスキルというものを
今の教育システムが提供できていないのが問題であり、
その不備が人を粗い革命思想へと走らせているのです。
ヒッキーを救うことは安易な共産主義社会を作ってやること
ではなく彼らに生存のための確たるスキルを学ばせることなんです。
47考える名無しさん:02/09/10 22:31
kuriharaくんはヒッキー?
48Kurihara:02/09/10 22:36
『資本論』なんて読む暇があるのなら、
2級ボイラー技師の資格でも取るべきですね。
マルクスとエンゲルスが慧眼にも言っているように
職業教育というものが大変大事なんです。
偏差値教育というものがこの職業教育を駄目に
してしまいましたがね。なので、マルクス主義者
の当面の実践課題はこの偏差値教育の粉砕にある
と思いますよ。
49考える名無しさん:02/09/10 22:38
Kurihara君は銭湯の湯沸かし担当希望?俺は番台だなあ。
50Kurihara:02/09/10 22:40
>>47
僕は警備員として働いていますよ。
だから資本に労働力を売ることには
もう慣れましたね。そこには
絶対的剰余価値の搾取なんて別にありませんよ。
51考える名無しさん:02/09/10 22:44
> ひきこもりの人だって本当は
> 労働力を売りたいのですが、それを買う人がいないのですね。

これって本当にそうだろうか?
52Kurihara:02/09/10 22:48
>>49
僕は2級ボイラー技師の資格は既に
取得済みです。今度は危険物取扱主任者の
資格を取ろうと思っています。
53考える名無しさん:02/09/10 22:48
そうじゃないねえ。クリハラ君はヒッキーがわかってないねえ。
彼らはおびえてるんだよ。朝日から出てた「ひきこもる若者たち」
読んだら?
54Kurihara:02/09/10 22:56
>>51
本当ですよ。ひきこもりに詳しいラカン派精神分析医の
斎藤環さんによれば、ひきこもりの人も社会参加したい
という欲求があり、その欲求が満たされないことに
フラストレーションを感じて、彼らは自傷行為などを
行うということです。アンガージュマンできない自分への
いらだちを自傷という罰を与えることでそれを想像的に止揚
しているんですね。
55考える名無しさん:02/09/10 23:02
>>54
社会参加したいという欲求を持たないひきこもりってのもあるんですか?
56考える名無しさん:02/09/10 23:05
自己尊厳を保てる形での社会参加と謙虚な自己労働力アピールは違うんとちゃう。
57Kurihara:02/09/10 23:06
ひきこもりという例が適切でないなら、
文字通り「失業者=産業予備軍」という
べきでしたかね。
失業者の多くは再就職したいと思っているけど、
彼らの労働力はなかなか売れなくて、それで
彼らは日々悩んでいるのです。
これが現実なんですよ。深遠な形而上の問題など
ここにはありません。全ては「売り」と「買い」の
ギャップの問題です。
58考える名無しさん:02/09/10 23:11
ようするに抵抗するだけ無駄だから、
いかにうまく体制にすりよって下僕として生きるか、ってことを
言いたいわけね。
59考える名無しさん:02/09/10 23:12
そうかなあ。どうもKurihara君は物事を悪い意味でドライに前向きに
捕らえすぎるような。おれは嫌いじゃないんだけど。
60考える名無しさん:02/09/10 23:17
>>57
うん。そっちならまあ分かりますよ。(あたりまえか?)

で、>>46 は大筋ではいいと思いますが、じゃあ教育システムを
現実的にどうしたら良いか? とか、せっかくだから語ってくれては
いかがですか?
61考える名無しさん:02/09/10 23:17
>過酷な資本主義社会で生きて行くためのスキルというものを
>今の教育システムが提供できていないのが問題であり、
>その不備が人を粗い革命思想へと走らせているのです。

基本的に自分の過去を語っているみたいなんで、
コメントするまでもないんだろうけど、
革命思想に走るひきこもりなんて、そんなに多くないぞ。
NAMに入るひきこもりも。
62Kurihara:02/09/10 23:18
>>55
ありませんね、原理的には。
自己完結的で自己充足的な主体というものが
もしあるとするなら、アンガージュマンしたいと
全く思わないヒッキーもいるでしょうが、そういう
主体がそもそも在りえないことはラカンの精神分析
が明らかにしてしまいました。
曰く「主体は内的欠如を抱えていて分裂している」と。
プライベート(私的)ということばには「欠如した」という意味も
あることが語源的にそのことをインディケートしているのですね。
63考える名無しさん:02/09/10 23:24
> プライベート(私的)ということばには「欠如した」という意味も
> あることが語源的にそのことをインディケートしているのですね。

ふーん。面白いですね。ついでなんで、語源の説明お願いできます?
64Kurihara:02/09/10 23:32
>>60
そのオルタナティヴな教育システムについては
ビートたけしさんがいいこといっています。
つまりソニーとかトヨタが企業直属の学校をつくれば
いい、と。そこで現場のエンジニアが教鞭をとり
本格的な職業訓練を施せばいいだけのことだ、と。
就職はもちろんそこの企業で確実に採用してもらえる。
そうなら訓練生もやる気満満で勉強するだろう、と。
つまり教育システムさえ取り込んだ「完全なコンツェルン」
を作るべきで、教育が国家とか知識階級とか家庭に独占
されていることが、資本の側のニーズとのひどいギャップ
を生み、結果として就職できない無能を大量生産してしま
っているということなんですよね。
65考える名無しさん:02/09/10 23:41
人は歯車かい
66考える名無しさん:02/09/10 23:47
>>64
じゃあさ、技能労働者じゃなくて、法律家とか科学者とかの教育は?

>>65
食えないよりはいいカモ、と言ってみる。
67Kurihara:02/09/10 23:49
ウィットゲンショタインは遊んでいる歯車は
存在しないに等しいといっています。
だから、存在しないのなら、動いている歯車
になるほかないといっています。
ウィットゲンシュタインはプライベートな=私的な
言語は存在しないといっているように、社会性という
ものを必然だと考えた人で、この人は一種の
「社会」主義者ですね。実際ソ連への移住を一時考えた
ともいわれています。
68考える名無しさん:02/09/10 23:54
哲学者自体が遊んでる歯車ちゃう?
69考える名無しさん:02/09/10 23:55
Kuriharaを相手にするとそのスレは寂れるといいますので、
まじめにお相手しない方がよろしいかと思われます。
70Kurihara:02/09/11 00:01
>>66
法律家は弁護士協会直属の学校を作ればいいし、
ソニーやトヨタにも科学者は沢山います。
研究所とかいろいろと持っていますからね。
企業の学校で育成できないようなスキルは社会的価値の薄い
スキルなので、そんなものはそもそもいりません。
淘汰されていいと思います。要らないものが
多すぎなんです、今の教育システムには。
71考える名無しさん:02/09/11 00:06
>>70
大学とかに居る「哲学者」とか「文学者」とかは?
72Kurihara:02/09/11 00:06
>>68
そうですね。
だからウィットゲンシュタインは
「反哲学」者だといっていいでしょう。
彼はもともと航空力学の人ですしね。
エンジニアなんです、彼は。
73Kurihara:02/09/11 00:11
>>71
そういう人たちはもういりません。
再生産される価値はないです、彼らには。
しかし芸能界のプロダクションが作った学校
からそういう人たちが再生産される可能性は
あります。浅田彰さんはほとんど「タレント」
ですからね。
74考える名無しさん:02/09/11 00:16
こうしてまた、ひとつのスレッドが
Kuriharaによって侵食されていくのであった・・・
75考える名無しさん:02/09/11 00:21
>>73
そうすると、大学、特に教養部とかは要らないってこと?
ソニーとかトヨタとか弁護士協会とか芸能界に振り分けられる
前の段階のおべんきょうのことだけど。
76Kurihara:02/09/11 00:21
サイトの宣伝をしておきます
http://ww3.enjoy.ne.jp/~kurihara.k/
77考える名無しさん:02/09/11 22:41
宇宙論@哲学板で「活躍」していた Kurihara さんとは別人?
78Kurihara:02/09/11 23:52
>>75
企業の学校で教えられないような知識は
公的には不必要ということです。
私的に研究すべきは勝手ですが。
実学とは無縁の教養なんかは独自に身につける
べきです。
>>77
別人ですね。宇宙論のKuriharaの正体は
多分あちょーさんでしょう。
79考える名無しさん:02/09/11 23:56
大学に行きそびれた人間が何を言っても説得力がないが・・・
80D出:02/09/12 00:39
>>79
そういうこというなよ。
81Kurihara:02/09/12 02:37
教育システムの変革とともに必要なのは、
「精神医学の発達」ですね。資本のもとでの労働は
人を様々な精神疾患に追い込みます。
だからメンタルヘルスの恒常的な維持に精神医学が
貢献すべきということですね。
(1)労働力商品を売る困難→職業教育によるスキルアップ
 で解消。
(2)資本のもとでの労働から来る精神疾患→精神医学的治療で
 解消。
纏めるとこうなります。
この二つの解消法が機能不全を起こす時、粗い革命思想が
人民のみなさんの心を惑わすというだけです。
職業教育者と精神科医が本当の意味でプロレタリアートの
味方だということですね。
つまりプロレタリアートに必要なのは学校と病院です。
哲学者や経済学者や文芸批評家がプロレタリアートの味方
であったことは有史以来一度もないのです、実質的には。

82考える名無しさん:02/09/12 02:57
ようするに大衆は歯車として死ねと、そういうことですね。
83考える名無しさん:02/09/12 03:02
自分の仕事以外のことは何も考えるな、
与えられたことを適切にこなせて、
精神工学のおかげで労働力を問題なく再生産さえできれば
それでいいと、そういうわけだ。
84Kurihara:02/09/12 03:10
しかし現在の教育システムや医療システム
は大変腐敗していますね。その原因は、
国家がそれらを独占的に運営しているからです。
だから教育と医療の改善のためにも「国家の止揚」
というマルクス的プログラムは大切ですし、
国家機能の市民社会への溶解を説いた初期マルクスの
対抗プログラムは依然正しいということです。
85くろしろ ◆0a.9Ms2A :02/09/12 20:24
>>84
僕は北の国からの様に自給自足で生きたいのですがそういうのってどうですか?
86Kurihara:02/09/12 21:08
>>85
自給自足生活は商品交換を全面的に拒絶している
という意味で、これ以上の資本主義的交換経済への
アンチテーゼは他にはないでしょうね。
だけど自給自足生活には土地や生産手段や建物の
個体的所有が必要ですから、そのための初期費用が
大変かかりますし、生活必需品の自己生産には
そうとうなスキルも必要ですので、その道のりは
決して容易ではないでしょうが。
87Kurihara:02/09/12 21:23
だけど南国の海辺での生活なら、
普通に自給自足できるかもしれません。
南国ということで建物も適当なあばら屋
で風雨を凌げばいいし、魚介類を捕るスキル
を身につければ、食うには困りませんからね。
母なる海は「食物の自動生産装置」ですから。
その意味で漁師というものが一番共産主義的人間に近い
のかもしれませんね。
柄谷さんも海を大変好んでいますが、僕は別の意味
で海に共産主義の原イメージをもってますね。
農夫が共産主義的人間だというのは誤りです。
『北の国から』は東大美学科卒の倉本さんの文字通りの
美学的夢想にすぎないと僕は思います。
88くろしろ ◆0a.9Ms2A :02/09/12 21:30
海かー農業の方がいいけど、海にしとくか。
89Kurihara:02/09/12 21:45
海がいいなら、タヒチあたりがおすすめですね。
金融業者で画家のゴーギャンが全てをすてて
南国タヒチに渡ったことは、ゴーギャンなりの
個人的な革命だったといっていいでしょう。
G−G'という金融資本の運動は生産物の媒介を
必要としない究極の価値増殖運動ですが、そこに
使用価値の介在がないという意味で、そこは全き
「空虚」のあらわれる場でもあるわけです。
その虚しさに耐えることは、ほとんど宗教的な受難に
似ていますよね。だけどゴーギャンはその虚しさにたえられず
南国タヒチという充溢の場へと革命的に飛躍したのです。
それが彼のなした個人的革命でした。
90くろしろ ◆0a.9Ms2A :02/09/12 21:49
>>89
うんありがとう。でも観光ビザだと6ヶ月しかいられないよな。
91Kurihara:02/09/12 21:54
ヘミングウェイの『老人と海』も
一種の共産主義文学ですね。
92考える名無しさん:02/09/12 22:13
>>90
就労ビザで逝くんじゃイミないしな、この場合(藁
93ふにゃぽん:02/09/14 08:27
Kuriharaさん、その他がいろいろ好き勝手なコメント
してくれるから、几帳面なOFWさんは、いちいちそれに
答える準備をしているのか、>>45の私の質問になかなか答えを
くれないよ・・・。
94OFW:02/09/14 10:26
>>44(くろしろさん)
>自分の土地を持つことは出来るのですね?
 「土地は誰のものか?」という質問について言えば、
 「土地自体は誰のものでもないが、一定の土地を耕作する場合は耕作者
  のものである。」
 ということです。
>では共同占有する協働的道具とは具体的に何を指すのでしょうか?
 マルクスは>>42の引用の直前の段落でこう書いています。
 「・・・この集中、すなわち少数の資本家による多数の資本家の収奪と
  手を携えて、ますます大きくなる規模での労働過程の協業的形態、科
  学の意識的な技術的応用、土地の計画的利用、共同的にしか使えない
  労働手段への労働手段の転化、結合的社会的労働の生産労働の生産手
  段としての使用によるすべての生産手段の節約、世界市場の網のなか
  への世界各国民の組入れが発展し、したがってまた資本主義体制の国
  際的性格が発展する。」(『資本論』第1巻第24章)
 たとえば、農業規模の拡大は土地利用の協業化と農業機械の共同利用を
 推し進めるでしょう。また工場の施設設備は共同占有・利用するしかな
 いものですね。
95OFW:02/09/14 10:27
>>45(ふにゃぽんさん)
>エンゲルスの一連の啓蒙書や、マルクスの「法哲学批判序論」など
 マルクス(主義)とヘーゲルとの一般的関連としてならそうですね。
>「ヨーゼフ・ディーツゲン」
 なつかしい名前が出てきたので、断片的記憶ではマズイと思い、だいぶ
 に読んだ『人間の頭脳活動の本質』(岩波文庫)を読み直してみました。
 記憶していた以上に根本的な内容かつ格調高い文章で、再発見です。
 確かに、幾分回りくどい表現やミスリーディングな表現もあって、よく
 咀嚼する必要があるが、扱われているテーマからも、弁証法的唯物論の
 哲学的内容を学ぶ上で最良の概説書(レーニン『哲学ノート』は断片的
 覚書き)と言えます。・・・いくつか引用をば。

 「我々は思惟によって能力に応じて世界を二重に捉える。一は現実にお
  いて外的に、他は思想、表象において内的に捉える。」
 「我々は事物を実践的並に理論的に、感覚及び頭脳をもって、肉体及び
  精神をもって捉えなければならない。・・・それ故事物もまた精神を
  持っている。精神は物質的であり、事物は精神的である。精神と事物
  とは相互に関連してのみ現実的である。」
 「科学は労働であり、後天的にたたかいとられた認識である。信仰を放
  棄することは、怠け者を放棄することである。科学を後天的認識に制
  限することは、近代の特徴を示す記念物すなわち労働をもって科学を
  飾ることを意味する。」
  
 実際、カントを読んで、カントをフォイエルバッハ&マルクス的に止揚
 (悪い面の除去と良い面の保存)している!
96OFW:02/09/14 10:32
>>95
 誤:だいぶに読んだ  正:だいぶ前に読んだ
97ふにゃぽん:02/09/14 18:40
OFWさん。ありがとう。

(唯物論的弁証法は)われわれとは独立に、またヘーゲルとさえ独立に、
一人のドイツの労働者、ヨーゼフ・ディーツゲンもまた発見したのである。
(「フォエルバッハ論」 エンゲルス 著)

と、ありますから、OFWさんのおっしゃる通り、ディーツゲンは、ヘーゲルではなく、
カントから、その認識論を唯物論的に止揚したんでしょうな・・・。

たいしたもんです。

ところで、前スレで、OFWさんは、エンゲルスが弁証法を3大法則に還元したことに
ついては、異を唱えられましたが、よろしければOFWさんのエンゲルス評
(学者としてのみならず、運動家、活動家としての面も含めて、マルクスとの関連において)
をお聞かせ願えないでしょうか?
98OFW:02/09/15 11:31
>>97(ふにゃぽんさん)
>エンゲルス評
 専門的研究者でも評論家でもないので、勝手な印象ですが・・・。
 一言で言えば、エンゲルスは高潔・無私・広大な思想家であり、透徹し
 た理論家であったが、その科学主義的な偏りが革命運動にはマイナスに
 働いてきた、ということかな。

 「マルクス主義」の哲学的・理論的内容に対する一般の理解は、エンゲ
 ルスの一連の普及書(『フォイエルバッハ論』『空想から科学へ』等)
 に基づくのでしょうが、その<科学的社会主義>という客観主義的な立
 場は、一方で労働者運動の社会民主主義的な怠慢を招き、他方で旧ソ連
 等において党官僚支配の隠れ蓑として利用されたのもまた事実。

 「歴史は客観的法則にしたがって発展する。」とは、歴史認識に関する
 自然史的な立場の表明であり、科学的言明ではない。具体的な法則も条
 件づきの仮説であり、人間が“自己を知らない”自然物のように運動す
 る限りでしか成立しないもの(人間の前史)。

 「社会の物質的基礎が成員の行動および思想を究極的に規定する。」と
 いうテーゼについても同様。社会の本質認識とその主体との関連は極め
 て弁証法的なものであり、科学を超えた実践論および組織論が必要です。

 「弁証法は最高の科学である。」とはまったくミスリーディングな言明
 であり、概念的認識と科学研究、論理と法則との混同がある。未だに、
 「弁証法」と聞けばエンゲルスの3大法則を持ち出す無思考が大勢なの
 には、「科学法則」という言葉を使ったエンゲルスの責が大きい。

 とは言い条、『反デューリング論』『自然の弁証法』には独自のひらめ
 きも散見されますが・・
99ふにゃぽん:02/09/15 12:24
OFWさん。
>>98を拝読した限りでは、OFWさんの見解では、エンゲルスは基本的に
「認識論」の把握にやや問題があり、それが彼の「学」を真の「科学」たらしめること
に失敗し、その著作を、必要以上に通俗的なものにしてしまったということでしょうか・・・。

ありがとうございました。

またよろしくお願いします。
100くろしろ ◆0a.9Ms2A :02/09/15 21:02
>>94
そうですか・・やっぱおれ共産主義より自給自足の方がいいです。
101OFW:02/09/15 21:59
>>99(ふにゃぽんさん)
>真の「科学」たらしめることに失敗
 真の科学(客観的真理の体系?)などはないでしょう。「弁証法は科学
 であり、その内容は科学法則である。」という言明は、弁証法と科学の
 両者を誤解している、ということです。

 科学とは出来上がった知識の体系ではなく、世界の諸現象を本質的な存
 在から説明しようとする実践を指しています。諸現象を観察(観測)し、
 法則性を見出し、本質的要素から仮説を形成し、それを実験的に検証す
 ること、これらが経験科学の研究が踏むべき諸ステップです。

 一方、弁証法とはむしろ認識批判(限界設定)であり、上記の科学的実
 践の限界をも明らかにするものです。それは認識と認識対象との一致
 (真理)をめぐって、客観的世界と認識主体との関連を跡付けようとす
 る。世界のそとにある超主体の認識(科学)を、世界のうちにある主体
 の認識に解消して行く実践的なものです。

 実際、たとえば「1足す1は2ではある。」を科学法則とは呼ばない様
 に、「質は量に転化する。」を(最高の)自然法則とは呼ばない。それ
 らは<質><量><法則>といった存在範疇(カテゴリー)に関わる判
 断(概念の分割)であり、自然科学ではなく論理学で扱うべき対象です。

 「弁証法、認識論、論理学とは余分な名前であり、それらは一つのもの
  である。」(レーニン『哲学ノート』)

>>100(くろしろさん)
 何か誤解があるような。孤島に漂着したロビンソンクルーソーは自給自
 足するために、既に文明的な道具を持っており、奴隷(フライデー)ま
 でいた。すべての衣食住を一人でまかなうのは不可能でしょうね。
102考える名無しさん:02/09/17 02:34
>>98,101
マルクスとマルクス主義の差異は、エンゲルスのうちに存すると思う点で、
禿胴。マルクス主義の根源はほとんどがエンゲルスにあると思う。
103ふにゃぽん:02/09/17 07:57
OFWさん。
お寄せ下さった私へのレスは、失礼ながら、決して同意
できない意見が多く見られます。

私の能力で、OFWさんを論破、あるいは説得することが
せきるとは、あまり思いませんが、とにかく、>>101
への反論は、近いうちにさせていただきたいと思います。

おっと、仕事の時間だ。もう逝かねば。
104OFW:02/09/21 05:13
(承前)第2節は前スレ>299で少し触れたので、スキップして・・・。
さていよいよ、「『資本論』を読み出すと、最初の数ページで前歯を折る」
(降旗節雄『貨幣の謎を解く』)と言われる価値形態論の登場です。
確かに<価値形態>は「価値の弁証法」とでも名付けられる錯綜した展開
を示すため、十全的な理解のためにはヘーゲルの助けが必要でしょう。
(ついでながら、上記の本ではマルクスを批判し、相対的に宇野弘蔵を持
ち上げながら、結局<貨幣の謎>は解かれずじまい。看板に偽りあり!)

(第3節 価値形態または交換価値)
「商品は、使用価値または商品体の形態で、鉄、リンネル、小麦などとし
 て、この世に生まれてくる。これが商品のありふれた現物形態である。
 けれども、商品が商品であるのは、それが二重のものであり、使用対象
 であると同時に価値の担い手であるからにほかならない。だから、商品
 は、現物形態と価値形態という二重形態をもつ限りでのみ、商品として
 現れ、言いかえれば、商品という形態をとるのである。」

 <商品>と<商品体>つまりその現物形態(現存在)とが区別されてお
 り、商品の形相的本質が<価値>であり、商品体(個別の商品)はその
 素材であると言われている。商品とは(モノではなく)価値の現象形態
 つまり関係的存在(*3)であり、<価値形態>とはマルクスが初めて対
 象化したものである。まさに価値の本質論の開始と言える。 

 (*3)「本質は現象しなければならない。・・・本質が現存在すること
     によって、現存在は現象なのである。」(ヘーゲル『小論理学』
     第2部本質論B現象第131節)
105OFW:02/09/21 05:15
「商品体の感性的にがさがさした対象性とは正反対に、諸商品の価値対象
 性には、一原子の自然素材も入りこまない。だから、一つ一つの商品を
 好きなだけひねくりまわしても、それは、価値物としては、依然として
 つかまえようがないものである。」
 
 つい読み過ごしてしまいがちだが、上記の指摘は重要な認識である。通
 常の人が個々の商品を指して「この商品には価値がある」という場合、
 それは使用価値(効用)を指しており、商品価値はそこにはない。経済
 学者が「この商品には価格がついている」という場合、確かに一歩前進
 だが、価格が何を表示しているのかは、つかまえようがない。それに対
 して、「いや、それは簡単な事柄であり、価格分の貨幣と引き換えに商
 品を引き渡す用意があるという、売り手の意思表示(慣習的な記号)に
 過ぎない」といった“名目論的”解答や、「それは、商品に含まれてい
 る<貨幣と同等のもの>である」といった“実在論的”解答は共に一面
 的である。何故なら、前者に対しては「問題になっているのは量であり、
 大きさは記号ではない。その値(Value、価値)は何を表示しているの
 か?」という質問が続き、後者に対しては「問題になっているのは質で
 あり、同等のもの(価値)とは何なのか?」という質問が続くから。 
106OFW:02/09/21 05:16
「けれども、諸商品が価値対象性をもつのは、ただ、価値対象性が人間労
 働という同じ社会的単位の表現である限りにほかならないこと、したが
 って、商品の価値対象性は純粋に社会的なものであること、を思い出せ
 ば、それがただ商品と商品との社会的関係においてのみ現れうるという
 ことも、おのずから明らかである。」

 諸商品の価値が(近代経済学の言うように)「ある主観的なもの」であ
 るなら、客観的な対象性をもたない幻でしかないことになる。しかし、
 商品と商品との関係において現れている価値関係が一つの社会的な客観
 性を示すということは、経済学自体の成立要件である。それ故、その関
 係がしめす自己同一的なもの(価値そのもの)は主観的なものではあり
 得ない。

「実際、われわれは、諸商品の交換価値または交換関係から出発して、そ
 こに隠されている諸商品の価値の足跡を探りあてた。今や、われわれは、
 価値のこの現象形態に立ちかえらなければならない。」

 前に書いた「マルクスの蒸留法批判」論者は、マルクスが商品価値の現
 存在の根拠(本質)として抽象的人間労働を捏造し、翻ってそれを現象
 の説明において実体的根拠として恣意的に使用したと言って、労働価値
 説がドグマだと批判したわけだが、抽象的人間労働とは<人類>と同じ
 く一つの発見とみなすべきであり、それが経済諸現象を貫く赤い糸(実
 体的なもの)であるかどうかは、現象を跡付けることで再確認(検証)
 しなければならないということを、マルクス自らが語っている。
107OFW:02/09/21 05:18
「今ここでなしとげなければならないことは、ブルジョア経済学によって
 決して試みられることもなかったこと、すなわち貨幣形態の発生を立証
 すること、すなわち、諸商品の価値関係に含まれている価値表現の発展
 を、そのもっとも単純なもっとも目立たない姿態から目をくらませる貨
 幣形態にいたるまで追跡することである。それによって、同時に、貨幣
 の謎も消えうせる。」

 誰にとってもありふれた存在である貨幣に対して<貨幣の謎>を指摘す
 ること自体、尋常な反省ではない。しかし、貨幣を<(特殊な)価値形
 態>として捉えることが、それを謎めいた存在として問題化し、その謎
 に迫る端緒となる。つまり「貨幣は一つの現象(表現)形態である」と
 は、貨幣に対するプロブレマティック(蓋然的、問題論的)な認識であ
 り、価値の何たるか(内容)はその<形>(*4)に現れているというこ
 とである。まさに<形を読む>ことが求められているのである。

 (*4)「現象の世界を作っている個々別々の現象は、全体として一つの
     統体をなしていて、現象の世界の自己関係のうちに全く包含さ
     れている。かくして現象の自己関係は完全に規定されており、
     それは自己のうちに形式をもっている。・・・かくして形式は
     内容であり、その発展した規定性は現象の法則である。」
     (ヘーゲル『小論理学』第2部Bb133節)
108考える名無しさん:02/09/21 17:17
がんばるなぁ
109OFW:02/09/22 12:42
「(A 単純な、個別的な、または偶然的な価値形態) 
  x量の商品A=y量の商品B または、
  x量の商品はy量の商品Bに値する。
   (20エレのリンネル=1着の上着 または、
    二〇エレのリンネルは一着の上着に値する)」
「すべての価値形態の秘密は、この単純な価値形態のうちに潜んでいる。
 だから、この価値形態の分析には真の困難がある。」

 この文章は極めて重い。カネが人間を支配し、カネがカネを生むという
 転倒した資本主義世界の発祥の地はここであり、後の完成し閉じたシス
 テムに対して風穴をあける場所もここにしかないと、マルクスは言って
 いるのだ。
110OFW:02/09/22 12:43
「ここでは、種類を異にする二つの商品AとB、われわれの例ではリンネ
 ルと上着とは、明らかに、二つの異なった役割を演じている。リンネル
 はその価値を上着で表現し、上着はこの価値表現の材料として役だって
 いる。第一の商品は能動的役割を演じ、第二の商品は受動的役割を演じ
 ている。第一の商品の価値は相対的価値として表されている。すなわち、
 この商品は相対的価値形態にある。第二の商品は等価として機能する。
 すなわち、等価形態にある。」

 注意すべきは、「第一の商品の価値」と「第二の商品」(その価値では
 ない)とが対照されていることである。つまり<等価形態>とは、その
 現物形態がそのまま他の商品の価値表現の材料として機能する商品の形
 態をいう。その事情をよりはっきり表現するとしたら、上記は
  二〇エレのリンネルに含まれる価値は一着の上着という値をもつ
 となり、通常考えられているような両辺間の等価関係の表現(そこでは
 価値質料は第3のものとして前提されている)ではないことが分かるだ
 ろう。上着はリンネルの価値を計る尺度として機能しており、その値
 (価値)が<上着一着>なのである。そのことは、リンネルー上着関係
 の中で、上着が実在する<価値物>として立てられている(後のマルク
 スの言葉で言えば、価値が上着という姿態で現れている)ということで
 ある。そこには、価値の関係的・社会的本質が個別的・自然的な物の属
 性として現れるという、<物象化>の転倒が存在している。(*5)
 そのことはまた、カントが「我々に与えられるものは現象であって、物
 自体は不可知である」と言ったように、価値物としての上着の現存在
 (現われ)の背後にあるもの(価値自体)は不可知的になっているとい
 うことでもある。
 (*5)「したがって、現存在するものは、相関性、すなわち諸他の現存在
    と自分とのさまざまな連関を、自分のうちに含み、根拠として自
    己のうちに反省している。かくして、現存在するものは、物
    (Ding)である。」(ヘーゲル『小論理学』第2部Ab第124節)
111OFW:02/09/22 12:45
上記に関して、日本の「マルクス経済学」業界ではいまだに見当違いをし
続けているようだ。たとえば、>>104でも引用した宇野経済学派に属する
降旗節雄は、こう述べている。

「これ(=定式に表現された事態:引用者)は、二十エレのリンネルをも
 っている人間の観念の中にしかない。・・・だから、この等式に出てき
 ている両辺の意味はまったく違う。二十エレのリンネルのほうは現実に
 ここにあるが、上衣のほうはリンネル所有者の観念の中にしかない。こ
 ういう関係を、この式は表しているのです。このことがはっきりしてい
 ないと、これから以後の論理が混乱してくる。事実、マルクス自身が混
 乱してしまったのです。」(『貨幣の謎を解く』p63,64)

「論理の混乱」はむしろ批判者にある。何故なら、この“不”等式に出て
きている両辺の意味は、二十エレのリンネルの“価値”のほうはリンネル
所有者の観念の中にしかない(即自的なもの)であるが、上衣(上着)の
ほうは<現存在する根拠>(価値物)として彼(女)の目の前に現前して
いる(対自的なもの)ということであり、まさにマルクスが正しく洞察し
た通りであるから。

「科学」の名の下に、マルクスを換骨奪胎する試みは尽きない、かな。
(例:「マルクスの定理」と呼ばれる“置塩の定理”)
112OFW:02/09/22 12:48
 商品においては、質的な使用価値(有用性)の直接性は否定されて、<
 他者にとっての有用性>になっていると同時に、有用性の限界としての
 必要(稀少性)を超えて余剰な有用性(これは共同体内の余剰生産物が
 商品としてその外へ超出することの根拠であり、資本主義世界において
 剰余価値として現実化されている)となっている。つまりそれ自体は有
 用性の止揚として、有用ー無用という質的区別に無関心(indifference、
 無差別)なものとなっている。その結果、価値は質(使用価値)一般の
 止揚、つまり量(単一的価値)に移行した使用価値として現れている
 (質から量への転化)。
 量とは外的な規定性(質)であり、商品価値の限定としての定量(量の
 計測およびその結果)は商品間の量的関係(尺度と尺度されるもの)と
 して表現される。量の向自有つまり数は集合数と単位の統一であるから、
 たとえば<三着の上着>とは一着の上着を要素とした上着の集合であり、
 <上着存在>を単位とした<三>(つまり三着)がその値である。定量
 の尺度としての上着は質的・特殊な使用価値ではなく、相手(リンネル)
 と同等の普遍的な価値を表現するための実在的な尺度として使用されて
 いるのである。
 質的諸存在(使用価値)が直接に比較不可能であることは「交換の不可
 能性」と呼ばれ、フーコーやポストモダニズム論者の間でその<無根拠
 性>が喧伝された(例:価値などは幻想で、すべては差異あるいは記号
 の戯れに過ぎない。)が、量とは諸存在の普遍性を対象化する場合、最
 初に登場する概念であり、尺度によって測られるものは質的な量、つま
 り限度(ここでは社会全体の総価値量)であることが見逃されている。
 結局、質および量とは共に実在の規定であるから、「Bに値する(Bの
 値打ちがある)」とは、実在物Bを使った(つまり実在するものとして
 直接的に表された)価値表現の形式であり、社会的・普遍的な価値関係
 が実在的・個別的に(モノがもつ性質として)現れている、という矛盾
 を表現した形式である。
113Kurihara:02/09/24 00:49
>>93
Kuriharaその他という言い方は頂けませんね、
ふにゃぽんさん。この時点でマルキスト失格です。
114考える名無しさん:02/10/01 14:54
ホシ
115考える名無しさん:02/10/02 23:56
資源は無限にあり、生産が需要を超えている条件で現れるかもしれない状態の説明であり、白昼夢のせかいであり無意味な資源の浪費は慎むべきだ。
116OFW:02/10/04 05:08
「相対的価値形態と等価形態とは、たがいに依存しあい、たがいに制約し
 あう、不可分の契機であるが、同時に、たがいに排除しあう、あるいは
 対立しあう、両極端、すなわち同一価値表現の両極である。この両極は、
 つねに、この価値表現によってたがいに関係させられる別々の商品に配
 分される。」

 両者は一つの内的関係(区別されたものの同一性と自己同一なものの区
 別)の両契機が外化し、定有(Dasein(独))に反射したものだという
 こと。(*6)
(*6)「相等性とは、同じでないもの、互いに同一でないものの同一性で
    あり、不等性とは、等しくないものの関係である。したがってこ
    の二つのものは、無関係で別々の側面あるいは見地ではなく、互
    いに反照しあうものである。」
   (ヘーゲル『小論理学』第2部Aaロ第118節)
 
 実在の領域で<量>として立てられた諸効用の無差別性は、効用の限度
 (限界効用、希少性と余剰)において、価値自体(価値標準、総価値)
 に還元された。それは価値の存在からの本質への還帰である。
 一般に本質とはまず<現存在の根拠>であり、根拠への問いは存在の始
 原への遡及である。今の場合それは「諸商品はどこから来たのか?」
 という歴史性への問いであるが、それに対しては「それは生産されたの
 だ」という簡単な答が用意されている。つまり、生産労働こそがモノと
 しての商品をこの世に誕生させた生成因であることは誰にでもわかる。
 しかし<価値の現象>としては、生成の結果(現在性)としての商品の
 現前において、つまり<諸商品間の出会い>における価値の現れから分
 析は始まる。原因である労働が消えた地点において、その成果としての
 生産物が価値の社会的運動を始める。それ故、労働が価値の実体(隠れ
 た主体)となるのである。過去が現在を決定するのか、未来(需要)が
 現存(供給)を呼び出すのか。それが問題だ。
117OFW:02/10/04 05:11
「私は、たとえば、リンネルの価値をリンネルで表現することはできない。
 20エレのリンネル=20エレのリンネル というのは、決して価値表
 現ではない。」

 何故、商品はその価値を自己の現物形態で表現できないのか?
(より発展した形態においては、何故商品に値札がついているのか?
 あるいは言語論風に言えば、何故<私的言語>は不可能なのか?
 いやむしろ、何故私的(人間)言語が不可能な時に私的(商品)言語が
 可能なのか?)
 それは確かに不思議なことだが、価値が商品の個別的・私的な使用価値
 とは異なる社会的な存在を指していることからくるのは明らかである。
 何故なら、およそ<社会的>とは複数主体間の関係性を指し、社会から
 孤立した個体(個人)が自己の社会性を単独で表現することは不可能で
 あるから。

 マルクスの価値形態論に関する叙述を批判して、「商品交換における人
 間の欲求(Demand)が度外視されている」といった議論がある。そこには
  1.表現する主体は人間であってモノではない。
  2.人間の主観的欲求が価値を規定するので、客観的価値などはない。
  3.価値はモノに内在してはいない。
 という3種類の含意が見られる。しかしまず、<物象化>された資本主
 義社会においては、むしろ商品(そしてその発展形態である貨幣)こそ
 が主体であり、人間的欲望はブルジョア的な「モノ、カネに憑かれた欲
 望」に疎外されている。また、人間の欲求(需要)は単に主観的なもの
 ではなく、対象的(客観的)本質をもち、交換価値とは<自己の所有物
 に対する他者の欲求>が現れた姿であり、欲求の社会性を表現している。
 それ故、単に主観的(内在的)ではない客観的(公開的)な価値を追う
 マルクスが、対象的な叙述を行うのは妥当である。
118OFW:02/10/04 05:13
「したがって、リンネルの価値は、ただ相対的に、すなわち他の商品でし
 か、表現されえない。それゆえ、リンネルの相対的価値形態は、何かあ
 る他の商品がリンネルに相対して等価形態にあることを前提する。他面、
 等価の役をつとめるこの他の商品は、同時に相対的価値形態にあること
 はできない。この商品は自分の価値を表現するのではない。この商品は、
 他の商品の価値表現に材料を提供するだけである。」

 「貨幣は価値の鏡である」とはよく耳にする言葉だが、それは商品固有
 の価値を絶対的に映し出さず、貨幣と相対的にのみ映すという事情(い
 わゆる名目価格と実質価格)の起源がここにある。実際、「実質GNP」
 「実体経済」などと言う経済学者は、それらの言葉が何を指しているの
 か自分でも分からないのだ。財(使用価値物)の豊かさつまり<富>は
 その不在つまり<価値>(それは貨幣量で測られる)とは正反対のもの
 であるのだから。
119OFW:02/10/04 05:16
「たしかに、20エレのリンネル=1着の上着 または、二〇エレのリン
 ネルは一着の上着に値する、という表現は、1着の上着=20エレのリ
 ンネル または、一着の上着は二〇エレのリンネルに値する、という逆
 の関係を含んでいる。」

 何故なら、ここで選ばれた商品種は任意のものであるから。任意性とは
 対象の無差別性であって、区別されたものが互いに等価(平等)である
 ことを含んでいる。

「しかし、そうは言っても、上着の価値を相対的に表現するためには、私
 はやはりこの等式を逆にしなければならず、そしてそうするやいなや、
 上着ではなくリンネルが等価物となる。したがって、同じ商品は同じ価
 値表現においては同時に両方の形態で現れることはできない。この両形
 態は、むしろ対極的に排除しあうのである。」

 リンネルと上着は共に相対的価値形態および等価形態の両者になり得る
 が、同時にはなり得ない、という事情は両者の運動(交換過程)を予想
 させる。交換の結果は価値の実現だが、(貨幣を除き)同時にその消滅
 である。

「そこで、ある一つの商品が相対的価値形態にあるか、それと対立する等
 価形態にあるかは、もっぱら、価値表現におけるその商品のそのつどの
 位置・・すなわち、その商品は、自分の価値を表現される商品なのか、
 それとも、それで価値が表現される商品なのか・・にかかっている。」

 その位置の違いは、表現する者がその商品の所有主体か否かという点に
 あるわけだが、交換価値の表現形式は商品の内在的関係(W−G)が現
 れたもの、つまり価値の現象形式であるということ。
120OFW:02/10/05 21:02
「ある一つの商品の単純な価値表現が二つの商品の価値関係のうちにどの
 ように潜んでいるかを見つけだすためには、この価値関係を、さしあた
 りその量的関係からまったく独立に、考察しなければならない。人は、
 たいてい、これと正反対のことを行っており、価値関係のうちに、二種
 類の商品の一定量同士が等しいとされる割合だけを見ている。その場合、
 見落とされているのは、異種の物の大きさは、それらが同じ単位に還元
 されてはじめて、量的に比較されうるものとなるということである。そ
 れらは、同じ単位の諸表現としてのみ、同名の、したがって通約可能な
 大きさなのである(17)。」

 まさにその通り。近代の量的思考は世界および人間の普遍性を打ち立て
 たが、量自体に対する反省はむしろ失われた。「単位は何か?」とは、
 代数的定式化をもって事足れりとしている経済学全体(形式論理学の計
 算的・外面的思考も同様だが)に対して、常に問われるべき設問である。
 実際、たとえば「円」という単位だけでは、商品の単価(単位数量あた
 りの価格)すら定義できないにも拘わらず、<価格の理論>(実際には
 単価の理論)においては、他の単位は現れない。そして<物価>は常に
 <物価指数>として相対的にしか表示されず、それが絶対的には何を表
 示しているのか(その単位は何か)は教科書にも書かれていない。せい
 ぜい<効用の総量>という定量不可能なMass(質量)が得られるのみ。
 それでは、生徒はインフレとデフレの区別もできないだろう。

 「単位は集合数であり、集合数は単位である。」、
 「量の真理は限度(質量)である。」(ヘーゲル)
121OFW:02/10/05 21:03
「(17) S・ペイリーのように、価値形態の分析にたずさわった少数の経
 済学者たちが何の成果もあげることができなかったのは、一つには、彼
 らが価値形態と価値とを混同しているからであり、第二には、実際的な
 ブルジョアからの生(ナマ)の影響のもとに、はじめからもっぱら量的規
 定性だけに注目しているからである。「量の支配が・・・・価値をなす」
 (『貨幣とその価値の転変』、ロンドン、一八三七年、一一ページ)。
 著者はS・ペイリー。」

 この無理解は、現代における「マルクス経済学」における“数理経済学
 的”取扱いにも現れている。たとえば森嶋ー置塩モデルでは、彼らの労
 働価値説に基づいて、個別商品の価値量(価値の量的限定)が“交換以
 前に”限定可能であると想定されている。それはちょうど、生物学(発
 生学)における<前成説>と同様の、可能態を現実態と混同する誤りと
 言える。労働生産物が商品という形態規定を与えられ、交換価値として
 量的に限定されるのは特殊な時代・社会においてのみであり、資本主義
 以前には労働生産物が価値をもつことはなかった。価値は生産手段の私
 有に基づき、労働が私的な(内密の)活動となり、ヒトの社会性(類的
 統一性)は隠蔽されモノに託された社会性(量的単一性)としてしか現
 象しない転倒・疎外を示している。
122OFW:02/10/05 21:06
「20エレのリンネル=1着の上着 であろうと、=20着の上着 であ
 ろうと、=x着の上着 であろうと、すなわち、一定量のリンネルが多
 くの上着に値しようと少ない上着に値しようと、このような割合はどれ
 も、リンネルと上着とは、価値の大きさとしては、同じ単位の諸表現で
 あり、同じ性質の物であるということを、つねに含んでいる。リンネル
 =上着 が等式の基礎である。」

 リンネルと上着の両者に共通に含まれる同質のものを価値と呼び、それ
 が等式の基礎となるのだが、それが一体何なのかが示されない限り、価
 値形態は理解できない。それはリンネルでも上着でもない、第三のもの
 として価値量の単位を成すものである。
123OFW:02/10/05 21:09
「しかし、質的に等置された二つの商品は同じ役割を演じるのではない。
 リンネルの価値だけが表現される。では、どのようにしてか? リンネ
 ルが、その「等価」としての上着、またはリンネルと「交換されうるも
 の」としての上着に対して関係させられることによって、である。この
 関係の中では、上着は、価値の存在形態として、価値物として、通用す
 る。なぜなら、ただそのようなものとしてのみ、上着はリンネルと同じ
 ものだからである。他方では、リンネルそれ自身の価値存在が現れてく
 る。すなわち、一つの自立した表現を受け取る。なぜなら、ただ価値と
 してのみ、リンネルは、等価物としての上着、またはそれと交換されう
 るものとしての上着に関係するからである。」

 前に<交換の不可能性>について触れたが、そう見える理由として、交
 換とは「等しくないものが同等のものとして(所有を)交替する」とい
 う逆説だからであろう。それに対して「<等しくないもの>とは相手
 (上記の例ではリンネルにとっての上着)との関係を指し、自己(リン
 ネル)自身との関係はあくまで<等しいもの>であるから、そこに逆説
 はない。」と言うわけにはいかない。むしろ逆に<等しくないもの>と
 は自己(リンネル)であり(何故ならその価値は特殊な使用価値でしか
 ないから。)、<等しいもの>とは相手(上着)を指しているのである
 (何故ならその価値はそれ自体であるから。)。「自己と同等のもの」
 とはあくまで他のものを指してその内容を言うのであり、それが価値と
 呼ばれる(同等ではなく)同一の存在である。リンネルはそれを即自的
 (潜在的)につまり自らにおいてもち、上着はそれを対自的(顕在的、
 対象的)に現している。それ故リンネルは上着を求めるわけである。つ
 まり、価値の実体的同一性が両者の通訳可能性(交換の可能性)なので
 ある。それは実在しない観念的な存在であるが、一つの社会的な客観性
 をもつものである。そして上記の例では、上着が交換可能性を直接にも
 っているのであり、逆の関係が存在しない場合、リンネルに交換可能性
 はないため、それは偶然的な価値形態と呼ばれるのである。
124OFW:02/10/05 21:12
「たとえば、上着が、価値物として、リンネルに等置されることによって、
 上着に潜んでいる労働がリンネルに潜んでいる労働に等置される。・・・
 織布労働との等置は、裁縫労働を、両方の労働のうちの現実に等しいも
 のに、人間労働という両方に共通な性格に、実際に還元する。このまわ
 り道を通った上で、織布労働も、それが価値を織りだす限りにおいては、
 裁縫労働から区別される特徴をもっていないこと、すなわち抽象的人間
 労働であること、が語られるのである。」

 先に分析的に見出された<抽象的人間労働>は抽象概念に過ぎないが、
 諸商品を<等しい価値をもつもの>とすることにより、具体的有用労働
 が<価値形成労働>という特殊な性格を与えられ、その結果として、現
 実にも具体的有用労働を抽象的人間労働一般に還元している、というこ
 と。「労働」という言葉がでてくる度にアレルギー反応を示す経済学者
 は、価値形成労働こそが価値形態と価値実体をつなぐキーであることに
 反対する。しかし商品販売において常態である「安く仕入れて高く売る」
 事実に対して、その理由を問われ、「理由など無く、高くても買い手が
 つく以上、ビジネスチャンス(偶然)だ。」という実際家とは異なり、
 また、お得意の<需要と供給の均衡>だけでは利潤の発生を説明できな
 い彼(女)らは、<付加価値>といった偽概念を持ち出して平然として
 いる。一瞬前には<等価交換の原則>という、まったく矛盾する正反対
 の無概念を持ち出したばかりなのに。
125OFW:02/10/06 21:00
「もっとも、リンネルの価値を構成している労働の特有な性格を表現する
 だけでは十分ではない。流動状態にある人間労働力、すなわち人間労働
 は、価値を形成するけれども、価値ではない。それは、凝固状態におい
 て、対象的形態において、価値になる。リンネル価値を人間労働の凝固
 体として表現するためには、リンネル価値は、リンネルそのものとは物
 的に異なっていると同時に、リンネルと他の商品とに共通なある「対象
 性」として表現されなければならない。」

 いわゆる「ケインズ革命」のキーワード<流動性>(Liquidity)とは、
 価値存在がもつ交換可能性あるいは変様可能性を指した用語であるが、
 それは、価値とは商品に凝固して対象性を獲得した普遍的な労働力の
 支出であることを、暗に示している。実際、
 「すべての商品は流動性の異なる貨幣である。」(ケインズ)
 とは、マルクスが既に述べている内容を表面的(没概念的)に繰り返し
 ているに過ぎない。

 通常は、商品所有者の立場から見て、個々の商品は「カネになる」が故
 に価値をもつと言われる。しかし、一般に何らかの有用物を手に入れる
 ためには、まずそれを「生産する労をとる」必要がある以上、需要者の
 立場から見て「自分でそれを生産する労を省いてくれる」が故に、商品
 所有者にとって有用物が交換価値をもつことは、見易い道理だろう。
 カネの交換力が絶対的な現状を離れて、その原初状態に戻れば、価値と
 は必然的であっても単純な事柄なのである。確かに、もし、
 「リンネル所有者よ。私の上着が欲しいなら、同じものを自分で作れ。」
 と言えば、社会は成り立たないが、価値は発生しないだろう。
126OFW:02/10/06 21:02
「上着の生産においては、裁縫労働という形態のもとに、人間労働力が実
 際に支出された。したがって、上着の中には人間労働が堆積されている。
 この側面からすれば、上着は「価値の担い手」である。もっとも、上着
 のこの属性そのものは、上着がどんなにすり切れてもその糸目からすけ
 て見えるわけではないが。」
「ボタンをかけた〔よそよそしい〕上着の外観にもかかわらず、リンネル
 は、上着のうちに同族のうるわしい価値魂を見てとったのである。」

 上記は、マルクス一流の語り口である。それは、物象化した人間関係の
 中に置かれた<モノに憑いた精神(Geist(独)、霊魂)>を顕わに
 示すために、商品が直接見たり、言葉(商品語)を話したりする、とい
 う表現である。人間精神がモノに憑けば、逆にモノは人間精神(のよう)
 になり、人間の代わりに普遍的本質を示すというわけである。後に出て
 くる<物神崇拝>(フェティシズム)も同様である。無論<科学的精神>
 の持ち主である経済学者はその表現をバカバカしいと言うだろうが、彼
 らが普段使う「価格」「利潤」「資本」といった用語は商品語そのもの
 であり、人間の言葉ではないということには一向に頓着しないのもおか
 しなことである。
 余談ながら、マルクスの表現を文字通りに受け取り、<物質の自覚>を
 説いた「唯物論」哲学者(実は客観的観念論者)梯明秀の弟子やすいゆ
 たか氏は、マルクスこそ“正しく”物神崇拝に陥っていると主張したが、
 確かに「意識は存在に憑かれている」(マルクス)と言う表現は独特な
 ものであり、主観的観念論が座礁せざるを得ない所以を端的に言い表し
 ている。
127OFW:02/10/06 21:04
「しかし、上着がリンネルに対して価値を表すことは、同時にリンネルに
 とって価値が上着という形態をとることなしには、できないことである。
 ちょうど、個人Aが個人Bにたいして王位に対する態度をとることは、
 同時にAにとって王位がBという肉体的姿態をとること、したがって、
 顔つき、髪の毛、その他なお多くのものが国王の交替のたびに替わると
 いうことなしには、できないように。」

 「価値が上着という形態をとる」 「王位がBという肉体的姿態をとる」
 という表現はシャレではなく、人と人との社会的関係性が物象化(ある
 いは人格化)され転倒された姿を正しく記述したものである。社会的な
 価値存在が特定の個物において体現されていることは、経済の君主制
 (価値の専制支配)を予想させるわけである。

「こうして、上着がリンネルの等価となる価値関係の中では、上着形態が
 価値形態として通用する。したがって、商品リンネルの価値が商品上着
 の身体で表現される。一商品の価値が他の商品の使用価値で表現される
 のである。使用価値としては、リンネルは、上着とは感性的に異なるも
 のであるが、価値としては、リンネルは「上着に等しいもの」であり、
 したがって、上着のように見える。このようにして、リンネルは、その
 現物形態とは異なる価値形態を受け取る。リンネルの価値存在が上着と
 の同一性に現れるのは、キリスト教徒の羊的性質が神の仔羊との同一性
 に現れるのと同じである。」

 価値の宗教的隠喩はその政治的隠喩の天上版である。地上において無価
 値な奴隷的羊は、天上において価値ある神の僕としてその真価を顕わす
 だろう、と。無論、現実の無神論的世界では「貨幣こそが神」である。
128Kurihara:02/10/06 22:34
現実の世界へようこそ、OFWさん。
129考える名無しさん:02/10/06 22:57
よくまあ、つまらないことを長々と書いてますね。
130言葉の魔術師:02/10/06 23:08
>>129 これはきついな(ワラ
131言葉の魔術師:02/10/06 23:10
たしかに読んでもわからんな。
たぶん100人中99人くらいは。

分かるように書くことが目的なのではなく
彼(彼女?)がおのれの考えをまとめるために
カキコんでるのなら、、、

まあそうなんだろうな。
132Kurihara:02/10/06 23:20
『資本論』の価値形態論をただなぞっているだけ
ですよ、OFWさんは。そしてその理解は実に
スタンダードなものです。ほとんど教科書的です。
なのでこのOFWさんのカキコを読めば、
『資本論』初頭部とサブテキストを直接あたる手間が
省けるというだけですね。実に便利なものです。
133Kurihara:02/10/06 23:29
OFWさんとしてはレーニンに習って、所謂
「革命意識の外部注入」を企図しているのでしょう。
このスレをノート代わりにしているというより。
OFWさんは哲学板において僕と並ぶ数少ない
共産主義「前衛」の一人なのですからね。
134他スレの91:02/10/07 02:21
「類的存在」って何か教えてクレクレ
135みと:02/10/07 02:26
オレは、日本の共産主義は、ダメさが良いと思う。
ダメでも無いし、激しくもない。
136あちょー:02/10/07 02:54
>>126
所有を約束する商品(奴隷)化はその対象の精神を否定していることになります。
137OFW:02/10/08 05:32
>>131(言葉の魔術師さん)
>たしかに読んでもわからんな。
 どのあたりが、どの程度に?
 確かに『資本論』の中でも最も難解な部分であり、学者(経済学者、
 哲学者等)でも理解している者が殆ど見当たらないから無理もない
 が、歴史上最高度に重要な認識の一つなのは確か。心して・・・。

>>134(他スレの91さん)
>「類的存在」って何
 類(普遍)ー種(特殊)ー個の3項関係はもともと生物学(分類学)
 から来ている。
 個人は生物としては、動物界・霊長類・哺乳目・ヒト科に属する一個体
 ですが、それは<種>としての固有性(固定的な自己同一性)です。
 生命とはすべての種を貫く<類的な統一>であり、無限の変様可能性
 (多様性)を示しながら、自己を創造的に再生産する活動であり、
 その点ですべての生命体は類的存在です。

 ヒトは社会的動物として、道具を使って自然に働きかけ、言葉を使って
 他人に伝達し、世代を通して文明を作り、つまり<人間>になってきた
 が、種の固有性(被制約性)を超えて、類的な創造性を自己の精神的な
 (コミュニケーション的な)本質にしてきた種属と言えます。

>>136(あちょーさん)
>対象の精神を否定している
 まあそういうことですが、商品は自分の所有者を探して世界を旅するか
 ら、普遍的でもある。
138OFW:02/10/08 06:04
>>137
 誤:霊長類・哺乳目
 正:哺乳類・霊長目
139あちょー:02/10/08 08:49
>>137
> 商品は自分の所有者を探して世界を旅するから、普遍的でもある。

その普遍性のもとは、経済活動の広さでは。
哺乳類すべてが参加しているわけではないので類的でもない。
値段のついていない空気とか時間とかの方が商品より普遍的価値を
持つことがあるのではないでしょうか。
140あちょー:02/10/08 08:52
労働時間が価値をもつシステムでは労働の質をどうやって評価するのでしょうか。
141あちょー:02/10/08 09:22
前スレにもありましたが、ゴータ綱領批判もサパーリわかりません。
142OFW:02/10/08 23:01
>>139-141(あちょーさん)
>その普遍性のもとは、経済活動の広さでは。
 まさにその通りで、市場の広さが狭い共同体を超えて人々を世界市民に
 普遍化した。世界貨幣とは金(キン)のことです。貨幣が普遍性を独占
 して、現在の“グローバリゼーション”という人間疎外の世界になった。
>哺乳類すべてが参加しているわけではないので類的でもない。
 「猫に小判」という諺は、猫は小判(貨幣)が下らないもの(無価値)
 であることを知っていて、商売に参加しないから、商人よりも賢いとい
 う意味ですね。人間が真に類的になるには、猫に学ぶ必要があると。
 人間は哺乳類どころか、ゾウリムシやミジンコの精神も学べる類的存在。
>値段のついていない空気とか時間とかの方が商品より普遍的価値を持つ
>ことがあるのではないでしょうか。
 1.空気の価値
   値段で計られる経済的価値とは希少性のことですから、有り余る程
   存在するものは、どんなに役に立つものでも、価値がないわけ。
   「豚に真珠」とは真珠の美しさはその値段(経済的価値)には関係
   がない、と豚が教えている、という言い伝えでしょう。
 2.時間の価値
   「時は金なり」という諺は、時間を空費しないで稼ぎに精を出せ、
   という意味で、労働時間は貨幣価値の源泉だということです。
>労働時間が価値をもつシステムでは労働の質をどうやって評価するので
>しょうか。
 労働時間は価値をもちません。それは使用価値のあるモノやサービスを
 生み出すのです。また、労働の質はたとえばISO9001(品質マネ
 ジメントシステムの国際規格)によって評価できます。そこでは「顧客
 満足」が評価基準とされ、貨幣基準はまったく出てこない。
>ゴータ綱領批判もサパーリわかりません。
 どの辺でしょう?ごく当たり前のことを主張しているのだが。
143Kurihara:02/10/09 00:51
資本主義が危機に陥ると、共産主義への期待が
高まるかにみえますが、実際はそうはなってません
よね。資本主義の危機が露呈する時支持されるのは、
「共産主義」ではなく、「戦争と恋愛」なんです。
そして「戦争と恋愛」期を通り抜けると、資本主義は
再び蘇生してしまいます。また元の通りになるんです。
144考える名無しさん:02/10/09 01:37
>>131
そうかなぁ・・・

マルクスの、嫌な汗臭ささが比較的抑えられてて、悪くないと思うのだが。
当時の、阿世だったのかもね。

それにしても、日本の銀行屋の、矜持の無さときたら・・・
「お金は社会現象です〜」
って、聞こえてきそうな、今日この頃。
145他スレの91:02/10/09 05:14
サソクs(*^-^) ノ ♪
あんたいい人だなー。何となく理解したよ。>OFW
146考える名無しさん:02/10/09 11:56
無茶苦茶スレ違いで恐縮ですが、以下のコピペをハイデガースレにカキコしたんですが、
誰も答えてくれないので、このスレは識者が多いので詳しくなくてもいいのでヒント
でも示唆してくれれば大変助かります。西洋と仏教の無の違いでもいいです。
横レスすみません。

>ハイデガーの無と仏教の無ってどう違うんでしょうか?
>広松と吉田(仏教の人)の対談読んでて気になりました。
>なにか比較的入手容易な文献ありましたらお教えいただきたい。
>ちくま学芸文庫「デリダと道元」とかはそれに近いんでしょうか?

147Kurihara:02/10/09 20:21
>>146
西田幾多郎さんの著作を読むことを薦めます。
岩波文庫に西田さんの著作がありますので、
本屋ですぐに手に入りますよ。
西洋の無とは有と比較した上での無(相対無)であるが、
東洋の無は有との比較とは無関係の、それ自体
としての無であり、それは絶対無と西田さんが
呼ぶところのものなのです。
148Kurihara:02/10/10 00:58
あちょーさんが飛んで火に入る夏の虫のように
このスレにやってきたということで、約束通り
テストでもやりますか。ではまず一問目。

「剰余価値=偶然的真理−必然的真理」

この等式を説明してください。つまりマルクスのいう
剰余価値をライプニッツのいう真理の偶然性/必然性
の区別を用いて説明してくださいということです。
もしわからなかったら、ドゥルーズの著作を参考に
してください。僕からのヒントはあげませんからね。
149考える名無しさん:02/10/10 01:59
柄谷の剰余価値の説明の元ネタは岩田弘の新左翼理論だが、
おフランスな装いを凝らそうと陳腐なことに変わりはないな。
世間的にも、ハッタリ用語で売買差益を生めなくなって久しい。
流行思想の時代は終わった(といってもそのうちまたあるが)。
哲学する者はむしろ退屈を前提しなければならない。
150考える名無しさん:02/10/10 02:06
小谷野の退屈論はどうよ

退屈に耐えられないとスグ享楽とかに(略)
151考える名無しさん:02/10/10 05:41
152考える名無しさん:02/10/10 05:43
>>149
お前もしかして「流行」さえ振り払えば「哲学」できると思ってねえか?
それも裏返しの流行思考
153あちょー:02/10/10 06:18
>>142
どうもです。
給料が同じならば、給料がもらえる程度に働くことになるのでは。
それとも仕事をしない人も同じ給料でしょうか。
作ったものが売れない場合はどうなるのでしょうか。
154あちょー:02/10/10 06:21
>>148
約束したかな?

剰余価値とは、会社の利益。
偶然とは、原因が無い事象。
必然とは、原因がある事象。

剰余価値と偶然や必然との関連性は無いと思われます。
155ぺん(ぺん):02/10/10 09:45
>>148
カキコは控えるつもりだったのですが
別スレで、漏れのカキコにレスしてくれたので
個人的に思いついた考えで答えてみます。

偶然的真理(事実の真理)は、資本の過程における
W−G'
の交換が行われる際の真理性と考えてよろしいでしょうか。
生産物は市場で交換されることによって、
事後的に価値をもつ商品となるわけですから
交換という「事実」に、その真理性の根拠をもつと考えることができると思います。
(Kuriharaさんは、たしか柄谷氏に心酔なさってるんですよね。
柄谷理論(?)では、「売る立場における跳躍」とでもなるでしょうか)

必然的真理(論理的真理)は、同じく資本の過程における
G−W
の交換が行われる際の真理性と考えられると思います。
貨幣とは、論理的に
一般的交換可能性を内在させているものであると規定されているとして
論理的に規定された貨幣の機能を行使するだけですから
必然的真理(論理的真理)となるのでは。

以上から剰余価値(凾f)は、
「G−W」と「W−G'(G+凾f)」の
差異から生じるというのが、漏れの考えた答えです。
マルクスに関しては、厨房どころか消防程度の知識しかないので、
とんでもない間違いかもしれませんが
添削よろしくお願いします。
156Kurihara:02/10/11 02:47
>>154
はい、その解答では0点ですね。
出直して来て下さい。
>>155
すばらしいですね。まったくその通りですよ。
資本の運動とは、「安く買って高く売る」という
商人資本の基礎としております。
その際、買うという行為は、おっしゃる通り、貨幣の
もつ一般的交換可能性を発動させればよいだけですから、
G−Wという運動はまさに「必然的」に行われます。
対して、売るという行為は、なんら一般的交換可能性を
もたないただのみすぼらしい商品が、貨幣という光輝くもの
へと飛躍しなければならない、全くの「偶然的」運動だと
いうことですね。つまりW−G’という売りの過程は、
偶然的なのです。数学的比喩でいうと、買いは演繹的だが、
売りは帰納的ということですね。貨幣という普遍が商品という
特殊へと「下向」することが、買いなのであり、商品という
特殊が貨幣という普遍へと「上向」することが、売りなの
ですから。
(このことを一般的にいうと普遍から特殊への移行は速やかに
必然的に行われるが、対して特殊から普遍への移行は困難と
ともに偶然的にしか行われないとなります。柄谷さんは、
特殊が普遍へと移行することの偶然性を所謂「売りの立場」
として大変重視しておられるわけですね。)
そして資本はその買いと売りとの差額から、剰余価値を
得るわけですから、
『剰余価値=偶然的(帰納的=総合的)真理−必然的(演繹的=分析      的)真理』
となるわけですね。
よってぺんぺんさんの解答は、100点ということになります。
あちょーさんとは対照的です。感動しました。

157Kurihara:02/10/11 03:11
僕の>>156の解説では不十分かもいれませんので、
不足は柄谷さんの『トランスクリティーク』で
補足してください。
なぜ柄谷さんがマルクスを読解するのに、わざわざカントの
分析/総合の区別(ライプニッツでいう必然/偶然の区別)に
準拠したかを考えもらうために、>>148のような問いを
立てたんですね。
158Kurihara:02/10/11 03:15
誤字脱字があるけど、気にしないで下さい。
159Kurihara:02/10/11 05:37
もっとも、「買いの必然性」さえ失われるという
フェーズが実は存在するんですね。
それが所謂「ハイパーインフレ」という現象です。
その現象下では、貨幣の一般的交換可能性がほとんど失われ、
パン一つを買うのにも札束が必要となってしまいます。
つまり貨幣の威力をもってしても「買えない」状況が、
そこに生まれてしまうんですね。
柄谷さんは所謂「不買運動」を提唱しておられますが、
ハイパーインフレ下では、「買わない」のではなく、
「買えない」のですね。その時、人は誰であれ「不買」を
"強いられる"ことになるんです。だからハイパーインフレ下
では必ず不買運動は「成功」するんですよね。
その意味では、柄谷さんの最近の動向(NAMの運動)は
岩井克人さんの『貨幣論』とはそう隔たりはないんですね。
レーニンは「貨幣を堕落させることが重要だ」といって
いますが、貨幣の堕落の結果、ハイパーインフレが起こる
のなら、レーニンもまた不買運動を無自覚的に提唱して
いたといっていいでしょう。
160ぺん(ぺん):02/10/11 05:43
>>Kuriharaさん
よく分かりました。
ありがとうございます。

ところで、共産主義圏の国々が独自の経済圏を構築したのは
いわば、国家規模における不買運動と見なすことができるのでしょうか?
161c:02/10/11 05:43
162Kurihara:02/10/11 05:57
ヘーゲルの「即自/対自」の論理を用いていうならば、
ハイパーインフレの結果としての不買(つまり「買えない」)
を即自的な不買だとすると、それを対自化したものが、
柄谷さん的な不買(つまり「買わない」)、対抗運動としての
不買(対自的な不買)といってもいいのかもしれません。
僕は80年代のインフレ経済が、柄谷さんに不買の着想を
植え込んだと考えています。今のデフレ経済下では、
貨幣の価値はかえって高まるのですから、買えないという状況
はそこには生まれませんし、買える以上は人はものを買って
しまうんですね。しかし貨幣の価値が高まると、貨幣蓄積
への欲動、所謂「守銭奴の欲」がうまれますから、貨幣蓄積
の結果としてのものの不買という可能性もまたありますがね。
にもかかわらず、資本は蘇生しつづけるのですから、
資本とはまさに怪物的です。これを倒すことは大変困難です。

163ぺん(ぺん):02/10/11 06:14
>>162
すみません、ちょっと疑問に思ったのですが
「対抗運動としての不買」は「対自的な不買」ではなく
「即且対自的な不買」ではないでしょうか。

つまり、個人の倫理性のみに支えられた不買は
「対自的な不買」と考えられ
それとは別の次元の不買、あらかじめ選択可能な別のシステムを用意したうえでの不買
すなわち「対抗運動としての不買」は
「即且対自的な不買」と考えるべきではないでしょうか。

差し出がましいことを言って、すみません。
164あちょー:02/10/11 12:18
>>156
ライプニッツは偶然的事象、必然的事象ではなく、偶然的真理、必然的真理
としたのです。ある事象が偶然的真理か必然的真理かのどちらかであるわけ
ではないです。
交換可能性を発動させれば必然とか、光輝くものへと飛躍するから偶然だと
いうのはライプニッツの用法ではないですね。

> (このことを一般的にいうと普遍から特殊への移行は速やかに
> 必然的に行われるが、対して特殊から普遍への移行は困難と
> ともに偶然的にしか行われないとなります。柄谷さんは、
> 特殊が普遍へと移行することの偶然性を所謂「売りの立場」
> として大変重視しておられるわけですね。)

逆に、資本を最大限に有効利用して必ず伸びる会社を作るという場合は、
投資に困難を伴います。

>>159
結局、貨幣よりモノのほうが価値があるというオチですね。
165Kurihara:02/10/11 16:23
>>164
投資とは株を買うということですが、株を買うこと
自体はなんの困難はありません。それはネットでも
容易に手にはいります。
困難があるとすれば、安く買った株を高く売ることです。
だから投資の困難は、株を(高く)売る困難にすぎません。
マルクスは『資本論』冒頭において、資本制的生産様式は
巨大な商品の集積として現れる、と言っていますが、
その商品群のなかには、資本そのものの商品化である、
株式という商品もすでに含まれているのです。
投資とはなにより、そういう金融商品の売買のことであって、
それが商品である以上、それもまた売る困難から自由では
ないのですよ。投資が特別だということはありません。
「安く買って高く売る」が全ての基礎であって、投資も
金融商品の売買としてその例に漏れることはありません。
166Kurihara:02/10/11 16:56
>>160
たしかにそう言っていい側面がありますが、
国家単位の不買運動はしばしば、ナショナリズム
的パッションを基礎にしていますよね。
「外国製品を買わずに自国の製品を買え」という愛国的
運動にそれはしばしば傾きがちですから。
ぺんぺんさんがおっしゃる「即且対自的な不買」があると
したら、伝統的共同体への愛国的回帰をてことするのではなく、
それとさえも異なる「別のシステム」を立てた上での
不買でなくては不十分ですね、たしかに。柄谷さんは
その別のシステムを「LETSと消費生産協同組合の連合」という
形で構想しています。
まとめてみますと、こうなりますかね。

(1)即自的な不買:買えないから買わない。
(2)対自的な不買:買うわけにはいかないから買わない。
(3)即且対自的な不買:別のところで買えるから買わない。

別に買える場所(=LETS+協同組合連合)を用意したうえでの
不買を柄谷さんは提唱しておられるわけですから、
柄谷さん的な対抗的不買運動は、(3)の不買を基礎にして
いるということになりますね。
167くろしろ ◆Mi0a.9Ms2A :02/10/11 19:30
>>166
可能なる共産主義って奴ですか?本屋でずっと前に見かけました。
168あちょー:02/10/11 23:02
>>165
株を売ることまで考えて株を買うのなら、それなりに困難です。

Kuriharaさんには是非ライプニッツを読まれることをおすすめ
します。売ったことも買ったことも事実なら偶然的真理であるし、
売買の論理は必然的事象だともいえます。
169Kurihara:02/10/12 02:28
>>167
正確には『可能なるコミュニズム』(太田出版)ですね。
『NAM原理』(太田出版)『NAM生成』(太田出版)という
のもあります。『トランスクリティーク』(批評空間社)や
『日本精神分析』(文芸春秋社)や『倫理21』(平凡社)
と併せて読むと、面白さ倍増です。

>>168
あちょーさんは木村剛さんや竹中平蔵さんの本でも
読んでて下さい。あなたにはそれらがお似合いです。
170ぺん(ぺん):02/10/12 06:54
>>あちょーさん
Kuriharaさんの見解は、まんざらデタラメだとは言えないように思えます。
例えば、様相論理や直接指示の理論の考え方を導入すれば
貨幣と商品(生産物)の交換におけるパラドキシカルな構造が
よく見えてくると思います。
貨幣、商品を、価値を指す固有名と考えると
ライプニッツが示した同一者不可識別の原理によれば
(貨幣=商品)→□(貨幣=商品)・・・(1)
が論理的に真であることになります。
これは、クリプキが指摘するように、アポステリオリな必然性の例示になります。
ある意味、いわゆる近代経済学においては(1)が論理的に真であることを
前提にして成り立っていると言えるかもしれません。

(1)自体、パラドキシカルなものでしょうが、
クリプキ流の可能世界意味論を前提すると、デタラメだとも言えません。
しかし、そこからチャーチの提唱したパラドクスも生じてしまいます。
同じく同一者不可識別の原理によれば
(貨幣≠商品とXは信じている)→(貨幣≠商品)・・・(2)
も論理的に真であることになってしまうのです。
さすがに、このパラドックスを受け入れるのは難しいでしょう。
これは、(1)を論理的真とする近代経済学の破綻、
すなわちKuriharaさんの指摘するような「ハイパーインフレーション(信用恐慌)」
を意味すると考えられるのではないでしょうか。

このように、ライプニッツの論理をそのまま適用することは出来ないにしても
様相論理や直接指示の理論を導入すれば
Kuriharaさんの見解は、まんざらデタラメというわけでもないのではと思うわけです。
171ぺん(ぺん):02/10/12 07:07
[補足]
貨幣・商品はそれぞれ、貨幣の額面・商品の価格
とした方がよさそうですね。
172OFW:02/10/12 12:33
>>153(あちょーさん)
>給料が同じならば、給料がもらえる程度に働くことになるのでは。
>それとも仕事をしない人も同じ給料でしょうか。
 共産主義の低い段階(形式的平等=実質的不平等が残存するが、搾取は
 ない状態)では、労働力商品の廃止により給料(賃金)は撤廃され、労
 働者に<労働証明書>(労働貨幣ではない)を発行することで、各人は
 (他人との能力差に無関係の)自分の労働実績時間の範囲内で必要な生
 活財を選択できる、という分配形式をとることになるでしょう。
  → 働きに応じて受け取る財・サービスも多くなる。
    (自然的能力の不平等は残存する。)
  → ただ、自らは働かずに他人を雇おうとしても、貨幣も商品もない
    から、その手段が無くなる。
 公共的サービス(医療、教育等)は完全に無償であり、働けない子供や
 病人等は社会的扶養となる(現在の先進国でも不十分ながら社会保障が
 あるが)。

 生産力がより高度化した段階では、さらに「能力に応じて働き、必要に
 応じて受取る」、つまり自然的能力差を反映した働きに関わりなく、
 各人は必要なだけの生活財を受取ることが可能になるでしょう。
  → 労働は疎外から回復して、外界における主体の対象化という概念
    内容に相応しいものになり、労働が第一の生命欲求になる。
 (世界の生産性レベルは客観的には既にその段階にあり、主体の組織化
  と意識変革のみが課題かと思われ。)
 
>作ったものが売れない場合はどうなるのでしょうか。
 小生産を除き、原則として売買は貨幣、商品と共に廃止されるでしょう。
 計画的生産とは、必要な分だけを生産すれば無駄がないという、当たり
 前のやり方を社会全体に広げるだけのことで、今でも企業内(工場内)
 では厳格な計画生産が実施されている(トヨタの在庫ゼロ方式等)。
173OFW:02/10/12 20:21
社会主義的原則を分かりやすく示すために、経済学でいう<2財モデル>
もどきの単純な社会を考えてみましょう。
その社会の成員は2人であり、2種類の消費財(たとえば上着およびパン)
の生産に従事していると想定します。(生産財が出てくると、相関的かつ
時間的な考察が必要になり、より複雑になります。)また、技術が社会的
に普及しており、各労働者は部門間を自由に移動可能で労働力供給に弾力
性があり、消費も社会的に均質性を保っているとします。
消費財(第1財である上着および第2財であるパン)の各1単位(1着および
1個)は、可変的分業と経験・教育の結果として、社会的に平均的な労働
投入量(労働投入係数)l1(人日/着)およびl2(人日/個)に従って
生産され、各財に対する1人あたりの需要は社会的に平均的な1人あたりの
消費量(消費係数)c1(着/人日)およびc2(個/人日)により規定され
ている、と仮定します。生産される財の物的数量をQ1(着/日)およびQ2
(個/日)で表し、また総人口、総労働人口そして総消費人口はすべて一
致するとして、それをL(いまの場合2人)で表します。
174OFW:02/10/12 20:23
(つづき)
すると、この社会の経済は、3本の方程式からなる下記の2つの線形1次
方程式体系(1)および(2)によって表されることになります。最初の方程式
体系(1)はすべて物量単位を使用しており、総労働人口(L(人))が
労働投入係数(l1(人日/着)およびl2(人日/個))に従って各生産部門
に配分され、生産された生産物(Q1(着/日)およびQ2(個/日))が消費
係数(c1(着/人日)およびc2(個/人日))に従って消費されていること
を示しています。

         Q1 − c1 L = 0(着/日)
  (1)      Q2 − c2 L = 0(個/日)
         L  − l1 Q1 − l2 Q2 = 0(人)

たとえば、
 c1 = 0.5(着/人日)
 c2 = 1(個/人日)
 L = 2(人)
の場合、
 Q1 = 1(着/日)
 Q2 = 2(個/日)
となり、たとえば労働生産性(投入係数)が
 l1 = 1(人日/着)
 l2 = 0.5(人日/個)
の組み合わせ(他も可能)であれば、上記(1)はすべて満たされます。
175OFW:02/10/12 20:25
(つづき2)
第2 の方程式体系(2)は、生産された財が<労働証明書>に記載された
労働実績時間に従って、各労働者に分配されることを示しています。

           p1 − l1w = 0
(2)       p2 − l2w = 0
         w − c1p1 − c2p2 = 0

ここで、
 w:1労働日つまり1日あたりの平均的労働時間(時間/日)
 p1:上着1着の生産に振り向けられた労働量(人時間/着)
 p2:パン1個の生産に振り向けられた労働量(人時間/個)
です。いま、
 w = 4(時間/日)
とすれば、上記のケースでは、
 p1 = 4(人時間/着),
 p2 = 2(人時間/個)
となり、1日に4時間ずつ働いた各人は1日あたりパン1個、および2日
あたり上着1着の分配を受けられることになります。
176OFW:02/10/12 20:27
(つづき3)
いま何らかの外的要因で、上着生産の生産性が低くなり、
 p1 = 5(人時間/着)
となった場合、
 l1 = 1.2(人日/着)
となり、社会全体での定常的な生産を維持するための条件は
 l2 = 0.4(人日/個)
となり、パン生産の労働投入係数を下げなくてならなくなります。
パンの生産量を維持するためには、パン生産の技術水準を上げるか、労働
日の延長をする必要が出てきます。前者が可能な場合、
 p2 = 1.5(人時間/個)
とすれば、上着およびパンの生産量も、1労働日の長さも変えずに、パン
生産から上着生産への1人時間/日だけの労働力の移動を行うことで、
定常状態が維持可能になります。
そのことは、価値ターム(商品語)で言えば、上着は以前より相対的に
“高価な”もの、パンは“お得な”ものになったわけですが、無論、上着
の代わりにパンを“着る”ことや、パンの代わりに上着を“食べる”こと
はできませんから、それらの必要量そして生産量は変えられないでしょう。
ブルジョア経済学とは異なり、社会経済においては、質的な物量を無視で
きないのです。(単位としては「円」しか知らず、投資と消費、利潤と利
子といった用語だけで、経済現象を説明すべくもないわけです。)

商品や貨幣そして資本が登場しなければ、経済の話はこれだけのことです
が、資本主義の実体である<価値>が示す複雑怪奇な現象も、それが労働
の化身であること(労働価値説)を忘れなければ理解可能となるでしょう。
177Kurihara:02/10/14 20:06
世界恐慌ももうすぐだというのに、
流行りませんね、マルクスは。
経済板では「100万円で楽しく生活する」スレ
というのがありまして、こっちのほうが、
革命よりリアリティをもって受け止められて
いるようです。
経済学的にはインフレターゲットとワークシェアリング
が支持されている模様です。
178OFW:02/10/15 05:27
「酒ほどに唯物論は広まらず」(薔薇亭華城)
と詠んだのは、「ローザルクセンブルク」をもじって自らの俳号に使った
日本最高(!)の唯物論哲学者戸坂潤でしたが、インターネットのおかげ
で、全集が電子テキストで読めるようになった。
 ttp://isweb35.infoseek.co.jp/school/pfeil/
小林秀雄から「無味乾燥の文体、外科手術のような批判」と揶揄されつつ
論争を繰り広げた戸坂は、確かに幾分古臭い論文調の表現で評論を書いた
が、その内容は未だ古びない本質的な認識を示しています。
恐慌からファシズムへと突き進む時代において、時流に抗して唯物論の旗
を掲げ、科学、文化およびイデオロギーの客観的内実に迫ったその弁証的
理性は、現代の主観主義一辺倒の哲学および思想に欠けている客観的精神
の一つの見本となっています。
179Kurihara:02/10/17 18:42
保田与重郎さんの時代になりそうです。
最近の柄谷さんも保田さんにすっかり転移
してしまっていますから。
180電波狸:02/10/19 01:15
>>178(OFWさん)
私も、ついに戸坂潤がインターネットで読めるようになったことを喜びたいと
思います(一応全集をもっているのですが)。
個人的には、学生時代に『科学論』(青木文庫)を読んで感銘し、全集をただ
ちに購入、以後暇を見つけてはポツポツ読んでいます。どれも語り口は一見平
易ですが内容が相当に深く濃いため、個人的にどこまで理解しえているかとい
う問題はありますが、常に何かしら示唆される点があるのは確かです。
特に1930年代のフアシズム時代の哲学から風俗に至るまでを対象とした論理的
で明快な批判(戸坂のコトバで云えばクリテイシズム)。同時にそれを通じて、
現代の時代状況との類似性も気になるところです(例えば『日本イデオロギー
論』の冒頭にある、孔子〜ハイデガーまであらゆる思想が流行しているといっ
た指摘など現代の思想状況そのままかと)。
また『イデオロギーの論理学』後半での大衆と知識人との関係性(ジャーナリ
ズムとアカデミズムとの関係性)など、現在社会を考える上でも示唆に富む指
摘で、イタリアのグラムシの有機的知識人論や知的道徳的ヘゲモニー論などと
も照応する内容かと思われます。
181電波狸:02/10/19 01:17
(180続き)
というわけで、
>科学、文化およびイデオロギーの客観的内実に迫ったその弁証的
>理性は、現代の主観主義一辺倒の哲学および思想に欠けている客観的精神
>の一つの見本となっています。
という御指摘には、全面的に賛成です。
個人的には、第一巻(科学論関係)、第二巻(イデオロギー論関係)を中心に
読んできたので、今後は第四巻(思想と文学や道徳論)あたりを重点的に読も
うかと考えています。

それにつけても、戸坂がもし獄中死せず戦後も活躍していたら、戦後のイデオ
ロギー状況(近代主義とマルクス主義との対立など)は、恐らくかなり違った
様相を呈したのではと想像されます。少なくとも、マルクス主義陣営ではスタ
ーリン理論的悪影響は防げたでしょうし、近代主義との対立でも丸山真男が主
導権を握るというようなことは、あり得なかったのではないかと。
乱暴な推論ですが、丸山真男の議論は、戸坂の唯物論的側面を捨象して、かわ
りにマンハイムなどの知識社会学を挿入したようなものではないかと(丸山自
身は戸坂の影響について何も述べていませんが、文体も含めて両者がダブッテ
見えるような気がすることが、しばしばあります)。

いずれにしても、OFWさんのこうしたレスを見ると勇気づけられます。
今後とも疑問点などが出ましたら、御相談に寄せていただくつもりです。
182OFW:02/10/20 10:56
>>180−181(電波狸さん)
どもです。世界史板での活躍ぶりはいつもROMしてます。
>現代の時代状況との類似性
 1930年代との類似性が顕著なのは、政治経済的な根拠があり、戦後
 の管理通貨体制およびケインズ政策が結局失敗したということでしょう。
 ポストモダン(近代の超克)も二番煎じでは・・・。
>イタリアのグラムシ
 確かに<イデオロギーの社会的機能>や<知識人と大衆>に着目した
 弁証法的唯物論者として、戸坂とグラムシは良く似ています。ただし、
 戸坂は歴史的事象の範疇的本質を論理的に分析し、グラムシは実践的
 課題の中から歴史的事象の種別的本質を概念的に総合した、という違い
 もある。理論家と実践家のニュアンスの違いでしょうか。
>戸坂がもし獄中死せず戦後も活躍していたら
 日本の学問・思想界はかなり違ったものになっていたでしょうね。
 戦後の「民主主義的・進歩主義的左翼」の欺瞞性は忘却の上に成立した。
>マンハイムなどの知識社会学を挿入したようなもの
 「自由主義はブルジョアイデオロギーの本質」(戸坂)ですから、現象
 論としてはそれなりの知見を示す社会学も、肝心な所(本質論)で日和
 ってしまう。「現代社会に階級など存在しない」とか言いつつ。
>勇気づけられます。
 それは嬉しい限りです。真理は人を勇気づけるもの、ちゃて。
183考える名無しさん:02/10/20 23:11
OFW氏は貴君の言う原理で運営された北朝鮮社会の現状をどう評価するか
ご教授願いたい。
彼岸の論理は単なる現実逃避だ。
「戸坂が生きていたら」などというバカ話をしている暇があったらいかに稚拙でも
自分で現実に切り込む議論をすべきだ。資源の浪費はやめよ。
184考える名無しさん:02/10/21 06:23
戸坂は尊敬するが、運動への距離の置き方がインテリ的というか
戦後のサヨ教授の原型になったって感じだな。
マルクス主義者は権力政治に首突っ込んでナンボじゃないの。
それが嫌ならアナーキストになったほうがマシ。
生きていたら代々木の御用学者になるか、古在と同じ運命をたどるかの
どっちかだろう。
185OFW:02/10/22 00:41
>>183
>貴君の言う原理で運営された北朝鮮社会の現状
 「主体思想」のことは殆ど知らないが、下記を読むだけでも、マルクス
 主義とはかなり異質な思想と思われ。政治経済体制としてはスターリン
 体制の極端化(戦時型の国家資本主義)のようですね。

「北朝鮮社会はいま、どのようになっているのか」
 (『かけはし』98.2.1、2.16、2.23号、『青年戦線』98.11.1号より)
 ttp://www.jrcl.net/web/p02I.html
「社共、社民党と「拉致問題」暴露される反労働者的“外交政策”」
 (『海つばめ』2002年10月13日/第889号)
ttp://www.bekkoame.ne.jp/~swp/japan/jpetrel/jp2002/jptrl889.html#2

>>184
>マルクス主義者は権力政治に首突っ込んでナンボじゃないの。
 必ずしもそうは思わないな。「人間の解放」は哲学的なテーマでもあり、
 いわゆる<政治>は社会的諸事象(労働、家庭、経済、文化、学問教育、
 法制度その他)の中では、最後に登場する総括的なもの。
 権力問題も「マルクス主義者(職業革命家?)が大衆を指導する」とい
 ったといった図式(前衛党主義)はもはや無効であり、大衆自身の自己
 決定への媒介あるいは疎外としてのみ、正しく提起され得るでしょう。
186考える名無しさん:02/10/22 02:46
>>185
第一に、政治を研究テーマから捨象したとしても、当然ながら
政治的状況から無縁なわけがない。
戸坂がいわば純粋な研究運動の体裁を保つことが出来たのは、
スターリン批判の公然化前で、しかも共産党が壊滅していたという
条件があったからで、戦後になれば共産党の指導が入ってくる。
だから権力政治に首を突っ込まざるをえないだろう。
御用学者として許容範囲内の発言に留まらないのであれば。
「必ずしもそうは思わない」=あえて語らないことこそ
きわめて政治的な行為だと言うこともできる。

第二に「前衛党主義」について説明をお願いしたい。
これが前衛党の否定を意味するのであれば、党を肯定すれば社民になるし、
政治一般を否定するならアナキズムになる。
さらに、政治革命とプロ独は前衛党と同じ構造をもっているから
(権力の死滅を目的とする権力)、前衛党否定はプロ独の否定に帰結するし、
プロ独を認めるなら権力問題は解消しない。
つまり(党だろうと市民運動だろうと)運動の権力性を認めねばならず、
それを正当化する知こそがまさに権力であることを認めねばならない。

以上の点をごまかさずに考えないと、
まさに大衆の自己決定としての自己疎外の結果、
左翼運動が体制内権力化し腐り果てた現状が理解できないと思われ。
187OFW:02/10/23 04:46
>>186
>戦後になれば共産党の指導が入ってくる。
 指導ではなく、介入あるいは支配では?
 「共産主義は<共産党>の専売特許である。」などと考えるから、権威
 主義に陥り、「指導」を受け入れざるを得ないことになる。
>政治的な行為
 毎日の経済生活(貨幣の支配)は即自的に政治的行為でもあり、職業政
 治家の仕事だけが政治ではない。つまり誰もが既に政治的であり、要は
 それを意識(対自化)するかどうか。<党>とは、そのための媒介とし
 ての階級的機能(および機能集団)を指して言います。党を実体化して
 捉えないことが必要でしょう。
>前衛党の否定
 「前衛」「後衛」といった用語は「集中(統一)」「分散」という用語
 に置き換えた方が良い。今は、社会の至る所が前線になり得る時代。
>権力の死滅を目的とする権力
 階級対立が権力を生む根源であり、権力とは対立する勢力、本来的には
 対立する相手の階級に対して行使されるもの。常に支配は極く少数の人
 間による圧倒的多数の人間に対する行為だったから、権力が必要だった。
 「支配者を支配せよ」という命令が、権力の死滅をもたらすでしょう。
>前衛党否定はプロ独の否定に帰結する
 それが誤りだということを理解するために、時間がかかったわけです。 
>運動の権力性
 組織が統一を維持するために、成員に対して何らかの力を使うか、理性
 的対話を使うかは、その民主的(非権力的)性格を測る尺度の一つ。
>それを正当化する知こそがまさに権力
 それ=運動の権力性ではなく(同語反復)、それ=支配でしょう。
>左翼運動が体制内権力化し腐り果てた現状
 既成の社民的ないし小ブルジョア的左翼とは、単に市民的(ブルジョア)
 民主主義を目指しているわけで、腐ったのではなく、偽っているだけ。
188考える名無しさん:02/10/23 20:27
なにも出来ないくせに、偉そうなことをいうなや、
OFWさんとやら。
189考える名無しさん:02/10/23 22:55
「主体思想」のことは殆ど知らないが、下記を読むだけでも、マルクス
 主義とはかなり異質な思想と思われ。政治経済体制としてはスターリン
 体制の極端化(戦時型の国家資本主義)のようですね。

いつまで、そういう詭弁で「本当のマルクス主義」とやらを守るつもりなの?
190OFW:02/10/24 05:42
>>189
>本当のマルクス主義
 など、どこにも存在するはずもないから、守りようもない。
 およそ思想とは現実に生きる諸個人が営む精神的活動であり、生活の中
 で対象的な真理を捉える必要に迫られて生まれるもの。その過程で他の
 個人や先人との間でのコミュニケーションが始まり、精神は客観的なも
 のに発展するが、働くものとしての諸個人が思想の主体であることは言
 うまでもない。“この現実”を捉える上で、各人がマルクスから何を学
 び、また学ばないか、それを「本当のマルクス主義」とでも言うのかな。
191ぺん(ぺん):02/10/24 06:14
>>OFWさん
「アソシエ21」など、地道に活動している動きはありますが
ある程度の共感を感じつつも、やはり一定以上の広がりを持てそうには思えません。
(NAMに関しては言わずもがなですが)
どうなんでしょうか、使えるものは、どしどし使っていって
(ジジェクがラカンとマルクスを結び付けてしまったように)
D=Gやアルチュセールやウォーラーステインなど
使える思想は、どんどん取り込んでいった方がいいようにも思うのですが
どうでしょうか。

マルクス主義的史観からすれば、1930年代と現代との決定的な差は
覇権的国家(独占・寡占資本)同士が野合することで
全面的な世界戦争を回避し、
そのかわり南北間の経済的な矛盾の結果、
小規模の局地的戦闘が起こり、それに対して
アメリカを中心とした覇権国家が圧倒的な軍事力を行使して
なんとか局地的抵抗を抑圧する、といったところでしょう。
192ぺん(ぺん):02/10/24 06:15
かなり大雑把な、ドキュソ的な見方ではありますが
マルクス主義者が、このような現状に対して
何一つ有効な手立てを打ちたて得ないということに
もっと責任を感じてほしいと思っています。

例えば、従来の反戦運動とは異なる所から出てきた
chanceのような集まりは、かなり面白そうだと思います。
特に政治運動に関心がない若者が多く集っていることで
従来とは別の運動形態を構築することが出来るかもしれません。
このような、動きも含めて、マルクス主義の理論家の人たちは
時代に適合した、新たな理論展開を構築しなけらばならないと思うのですが
いかがでしょうか。

ちょっと、書きすぎのところもあるとは思いますし
気を悪くなされたらすみません。
193考える名無しさん:02/10/24 07:55
>>187
現存の共産党は前衛(集中でもいい)党の理念に照らせば
前衛党でないというのは、もはや常識に属する。
日経新聞でさえ国民政党と言っている。
共産党は偽の労働者政党である「だけ」と言って済ますのも問題だが、
ドイツ社会民主党にしてもロシア革命にしても、
理念にもとづく運動が途中変質するという問題があるわけ。
頭のなかだけで理想を守ってもしょうがないから、世間にまみれねばならない。
しかし、そうすると世間に征服されてしまう。
これは、自由主義の実現形が資本主義に他ならないという関係と似ている。
理念と現実の激しいズレに誰もが気付いているにもかかわらず、
人々がソ連や共産党の現実を見て、あれが社会主義だというのは、
それなりに理由のあることではあるわけよ。

この問題は、専従官僚のいないネットワーク型党なら存在しない問題なのか?
党の形式にかかわらず生じると思うよ。
なぜなら現実の労働者は多かれ少なかれブルジョア的であるから。
(党は本来的には資本家にたいする権力であるにすぎないという建前だけでは、
全員一致幻想の弁護論になってしまう恐れさえある。)
というか、労働者も行使している貨幣の力や、資本や資本家を
生み出しているのは労働者自身に他ならない。
党の形態はどうであれ、なにかしら労働者階級の意思を表現するならば、
表現されたものが表現するものから分離独立化する可能性はつねに存在する。
その可能性が現実化させないための技術的ノウハウは無いことはないが、
しかし他に客体的主体的条件が揃ってなければ、労働者階級自身の意思が
揺らぐことによって、理性的な対話によって革命は反革命に転ずるであろう。
194考える名無しさん:02/10/24 13:43
哲学者になるのか、経済学者になるのか、社会学者になるのか、はっきりせい。
マルクスの時代はまだ経済学、政治学、社会学が哲学から未分離のころ。
マルクスも所詮は時代の産物。
マルクスはマルチ人間だったということもあるが(資本論の出筆に疲れると
気分転換に高等数学の問題を解いていた。)
今、日本で哲学やってる連中が哲学に加えて経済学、社会学、政治学に
造詣があるとも思えん。
マルクスの全てを扱おうとしても火傷するだけ。
実際マルクス以降、経済学は経済理論としてのマルクス。
社会学は社会学理論としてのマルクス。政治学としてのマルクスと各々分化
していった。
哲学オタクはせいぜい哲学的な部分のみに集中してしないさってこった。
195考える名無しさん:02/10/24 22:41
およそ思想とは現実に生きる諸個人が営む精神的活動であり、生活の中
 で対象的な真理を捉える必要に迫られて生まれるもの。その過程で他の
 個人や先人との間でのコミュニケーションが始まり、精神は客観的なも
 のに発展するが、働くものとしての諸個人が思想の主体であることは言
 うまでもない。“この現実”を捉える上で、各人がマルクスから何を学
 び、また学ばないか、それを「本当のマルクス主義」とでも言うのかな。


現実とは全然関係していないくせに良く言うよ。
マルクス主義を語ることで知識人は多くの抑圧に荷担した。
196考える名無しさん:02/10/25 11:10
>>195
各自テキストは好きなように解釈してよいということですか。
まぁ、歴史的に方法論として経済学や社会学の研究には役立ちました。
でも過去の産物です。
197OFW:02/10/25 23:37
>>191-192(ぺん(ぺん)さん)
>使える思想は、どんどん取り込んでいった方がいい
 特に異論なしですが、戦後日本ではむしろ<マルクス+○○思想>とい
 う形の無原則的な取り込み(流行追い?)の方が通例だったのも事実。
 たとえば1980年代以降のポストモダニズムという思潮では、記号論的に
 重要な指摘もあったが、観念論的な立場(例:<世界という意味>)の
 ために成果を生まず、結局廃れて逝った。唯物論的vs観念論という原
 則性を忘れてはいけないわけです。
>もっと責任を感じてほしい
 誰が責任を感じるべきかについては議論もあるでしょうが、そこには、
 労働者・大衆も他人(政治家、評論家等の知識的代理人)頼りでは結局
 ダメ、という苦い教訓がある。
>時代に適合した、新たな理論展開を構築しなけらばならない
 たとえばかっての高度成長期に、「クルマを欲しがる若者に向かって、
 いくら闘争を訴えても説得力がない。」と言って、多くの労働組合は
 体制内化していったわけですが、「時代に適合した」理論とは決して
 「時流に乗った」理論ではない。それは、大衆の<真の要求>にまで届
 くものであり、さらには大衆自身に<自己否定>(転回)を迫るものの
 はずです。
 これからの時代は疎外が深まるのか、それとも解消されて行くのか、そ
 の見方によって、適合的理論の性格も変わってくるでしょう。
198OFW:02/10/25 23:39
>>193
>なぜなら現実の労働者は多かれ少なかれブルジョア的であるから。
 一方で、現実の労働者は<ブルジョア的vs労働者的>という本質的対
 立に対する“本能”をもっているが、それは過酷な現実に日常的にさら
 されているから。「勝ち組になるチャンスは殆どゼロ」ということは誰
 でも知っている。
>労働者も行使している貨幣の力や、資本や資本家を生み出しているのは
>労働者自身に他ならない。
 ことを認識するのは、本能だけでは無理であり、抽象的認識を経る必要
 があります。「君たちは搾取されている。」ではミスリーディングかと。
>表現されたものが表現するものから分離独立化する可能性はつねに存在
>する
 その主なものは、労働者の意思を<代表する>という僭称者が出てくる
 場合であり、党はむしろ労働者と対向してその受動的鏡(メディア)と
 して働くべきものでしょう。

>>194
>経済学、政治学、社会学が哲学から未分離のころ。
 自然科学とは異なり、社会・人文科学は<人間の総体性>を対象にせざ
 るを得ないから、専門分化が可能なのは脱人間化(物象化)の結果であ
 り、それ自体が資本主義的近代の所産です。つまり、<経済的人間>、
 <政治的人間>などは存在せず、仮にいた場合、それはむしろ「動物」
 と呼ぶべき。(事実そうなっている。)マルクス物の切り売りもNG 。
>哲学に加えて経済学、社会学、政治学に造詣があるとも思えん。
 <知を愛する人>にはますます総合的・弁証法的知性が求められると。
>>195
>現実とは全然関係していないくせに
 いかなる現実?そう断言できる根拠は? 当方、知識人でないため不明。
199考える名無しさん:02/10/26 02:55
>現実とは全然関係していないくせに
 いかなる現実?そう断言できる根拠は? 当方、知識人でないため不明。

過去の収容所国家への左翼知識人の荷担。
200考える名無しさん:02/10/26 09:07
ブルジョアジーは徳をもってプロレタリアーノを治めれば、万事うまく行くのだ。
201OFW:02/10/26 10:20
>>199
 なるほど。少し分かったが、主語を省略しないように。
 かって旧ソ連を支持し、それを大衆に喧伝した知識人達が指弾されるべ
 きなのは言うまでもない。また<転向>ではなく、退場こそが相応しい
 身の処し方であり、小市民的に変貌して知識人稼業を続けることは、大
 衆および自己を欺き続けることに等しい。
 いずれにせよ、実際に働き“現実に関係している”諸個人自らが認識し
 実践して、社会の主人公になろうとするまでは、ありもしない幻想を現
 実と置き換える(Quidproquo)任務をもった者(イデオローグ)が排出
 され続けるでしょう。
 知識人vs大衆というイデオロギー的布置は、社会の物質的構造の反映
 だということが、唯物論の主張です。
202考える名無しさん:02/10/26 11:52
>201
お前、その最低知識人の口真似してることに気付いてないの?
見分けつかんが。
北朝鮮に対処するのも、現実政治や資本主義=民主主義であって
マルクス主義のような汚らわしいものではない。
お前のような。
203考える名無しさん:02/10/26 17:57
冗長な言葉ばかりだなぁ・・
それでマルクスの経済理論を現代の経済学者はどう評価しているわけ。
経済現象の解明に役立つと言っているわけ?
それとマルクス理論の良い入門者案内をキボンヌ。
岩波の資本論に挑んだがDQNな俺には歯が立たん。
204OFW:02/10/27 11:19
>>202
>最低知識人の口真似
 最高知識人とは如何?
>気付いてないの?見分けつかんが。
 自己矛盾。気付く=見分けがつく。
>資本主義=民主主義
 それはイデオロギー(虚偽の観念)。ブルジョア知識人の刷り込み。
>マルクス主義のような汚らわしいもの
 「汚らしい」という感覚的形容詞は何にでも貼り付く。
 汚らしい反吐、汚らしい言葉、汚らしい思想、汚らしい人間、・・・。
>お前のような。
 何を<真の>対象にしているのか?自己分析が必要。

>>203
>マルクス理論の良い入門者案内
 いきなり『資本論』を読むのは無謀でしょう。
 ネット時代とて、下記にUPされているものなどを参照すれば良いかと。
 「社会主義入門」
 ttp://www1.odn.ne.jp/swptext/index.htm
 因みにSWPは諸党派の中でも原則的立場を保っている理論派ですから、
 本来のマルクス主義に忠実と言えます。
205考える名無しさん:02/10/27 21:48
フランス社会学ではマルクスの社会理論をどう評価したんでしょう?
206ネイキッドキング:02/10/27 22:00
L記念あげ
207考える名無しさん:02/10/28 00:52
>資本主義=民主主義
 それはイデオロギー(虚偽の観念)。ブルジョア知識人の刷り込み。

ブルジョワイデオロギーの方が、マルクス主義より百倍まし。
北朝鮮をどうにかしてみてよ!
マルクス主義の害毒を真摯に受け止めてください。
問題に答えてないじゃない馬鹿!
208考える名無しさん:02/10/28 01:14
マルクス主義が世界に災禍を巻き起こした現実の尻拭いをブルジョワ民主主義
がやらされてる事を無視して、

いずれにせよ、実際に働き“現実に関係している”諸個人自らが認識し
 実践して、社会の主人公になろうとするまでは、ありもしない幻想を現
 実と置き換える(Quidproquo)任務をもった者(イデオローグ)が排出
 され続けるでしょう。

とか寝言こかれても、説得力が無い。
マルクス主義という観念が現実と遊離しながら、それ故にこそ、現実の中で
とんでもない暴力に転ずる危険についての反省をマルクス主義はするべきです。
全てはそれからです。
209ぺん(ぺん):02/10/28 01:16
>>OFWさん
前回は、変なカキコをしてしまい、すみません。
ちょうど、酔っ払っていたもので(汗

ところで、マルクス主義経済学では
どのような本がお薦めでしょうか。
一応、伊藤誠さんの『資本主義経済の理論』と
置塩、鶴田、米田共著の『経済学』を、以前に読んだことがあります。
あと、レギュラシオンや従属論系のも、ちらっと目を通したことがあります。
宇野派なるものが、世界的にも評価されてるらしいと聞いたことがありますが
現在のマルクス主義経済学は、どのような理論が主流なのでしょうか。
漏れは、そもそも経済学は消防並みのことしか知らないので
いろいろ教えて下さい。
210考える名無しさん:02/10/28 01:52
>>209
そんなに評判が気になるなら、マルクスなんか読むのやめなよ。
いうまでもなく、世間では終わったものと見なされているが、
それでもあえて勉強する価値があるのか、自分の頭で考えるべし。
211OFW:02/10/29 23:04
>>208
>マルクス主義が世界に災禍を巻き起こした現実
>マルクス主義という観念が現実と遊離しながら
 かって吉本隆明は、その思想的最高地点(と同時に観念論的踏み外し)
 を示したと言える評論『自立の思想的拠点』において述べています。
 「わたしが、これはおかしいこれはおかしいと感じながら批判的にかかわ
  ってきた世界思想は、事実と言葉との密着という詐術によってしか成立
  しないものであった。これに気づいたとき、欠陥を対象とすることは、
  たとえ批判または否定であってさえも、対象的欠陥にしかすぎないこと
  をしったのである。すくなくともわたしの言語思想が自立の相貌をおび
  て展開されたのはそれ以後である。」
 「なぜ、サルトルの言葉がつくりあげた<マルクス主義>が強固な皮膜を
  もっているのだろうか?そこにはサルトルが目撃し、体験した歴史が息
  づいている。第二次大戦で、何はともあれナチズムと対抗し、これの支
  柱となりえたものはあの奇怪な<マルクス主義>の変態であるスターリ
  ニズムであり、サルトルはすくなくとも同意しなくても加担したのであ
  る。」
 「ナチズムと天皇制に屈服し、合流した必然をもつ<マルクス主義>の日
  本的変態を目撃してきたわたしどもの言葉が、サルトルと異なり、サル
  トルの欠陥をそこにみることができるのも当然ということができる。」

 問題:吉本は<マルクス主義>に何を見出したのでしょう?
212OFW:02/10/29 23:07
>>209(ぺん(ぺん)さん)
>マルクス主義経済学ではどのような本がお薦めでしょうか。
 申し訳ないが、専門的研究者ではないので、詳しくありません。
 少し読んだ中でも、労働価値説をまともに肯定(理解)している論者は
 見当たらなかったから、あまり期待できない。
>伊藤誠さん
 廣松渉を批判して「マルクス経済学には<賃金奴隷>という概念はない」
 と発言した御仁ですね。とかく学者は理論(観念)を現実より優先すると
 いう好例。
>宇野派なるもの
 はまったくお薦めできない。
>置塩
 世界的に有名らしい「<マルクスの基本定理>という置塩の定理」の存在
 を最近知りました。(下記サイトに置塩モデルについての論争あり。)
 ttp://homepage1.nifty.com/office-ebara/ronsou3.htm
 ちょっと見ですが、<置塩の価値方程式>では、労働量(労働時間?)
 をそのまま価値の単位としているようで、もしそうなら、労働価値説を
 誤解している。労働は価値の実体(内在的、非実在的尺度)であって、
 その実在的尺度(度量)ではないのです。
213考える名無しさん:02/10/30 11:25
社会学的方面でのマルクス関連図書はありませんか?
あまり専門的な文献は歯が立たないので、ひとつ入門書についてご存知であったら
教えてください。
214考える名無しさん:02/10/30 15:57
>>213
置塩他著『経済学』を持ってるが、一般均衡理論とハロッド風蓄積論と
唯物史観らしきものと独占価格論のごたまぜで、非常に難しいぞ。
こんなのが読めるなら、マルクス『賃労働と資本』(国民文庫など)は
非常に易しく読めるはず。
これを何度か読めば、労働疎外という言葉は使ってなくても
それの中身については理解できるだろう。
社会学とか経済学とかいう科目名は、言ってしまえば
大学教授の就職口を増やすためにあるもので、対象は同じ資本主義。
資本論でも最初は難しいが、4章から読めば予備知識なしで読めるよ。
215考える名無しさん:02/10/30 21:52
マルクス主義という観念が現実と遊離しながら、それ故にこそ、現実の中で
とんでもない暴力に転ずる危険についての反省をマルクス主義はするべきです。
全てはそれからです。

・マルクス主義が無かったほうが世界にとって良かった現実無視して、
より悪いマルクス主義で資本主義=民主主義批判するのはやめて下さい。
・世界にとってマルクス主義が役にたった例を教えて下さい。
・北朝鮮とかポルポトをどうにかして下さい。
216OFW:02/10/30 22:52
>>176のつづき4)
さて、市場経済原則を社会主義的原則と対比するために、上記と類似の
<2財モデル>もどきの社会を考えてみましょう。
その社会の成員は2人であり、2種類の消費財(たとえば上着およびパン)
の生産に従事していると想定します。労働投入係数や消費性向は以前と
同じとします。ただし、この社会は商品経済社会であり、自部門で生産さ
れない財はすべて市場で売買されるとします。そして、その仲立ちをする
ために、各生産者は一定量の金貨を所有しており、社会全体の金保有量を
G(g)とします。
するとこの社会の経済は、物量的には以前と同形の2つの線形1次方程式
体系(1)(>>174)および(2)(>>175)によって表され、その解も適用可能
でしょう。ただしその場合、各生産者が自部門で生産した生産物のうち、
自家消費分を除く残りを市場に出して、他部門の生産者に販売するという
やり方で、社会全成員に必要な財が供給されているわけです。
217OFW:02/10/30 22:54
(つづき5)
この商品交換社会を現象的に規定している存在は価値(商品および貨幣)
ですから、上記(2)を価値関係として書き直すと、以下のようになります。
ただし簡単のため、自家消費分も市場で売買されるという形式的条件をつ
けます。

          P1 − l1W = 0
  (2')      P2 − l2W = 0
         W − c1P1 − c2P2 = 0

ここで、
 W : 1労働日あたりの平均的価値形成量(g/人日)
 P1 : 上着1着の生産価格(g/着)
 P2 : パン1個の生産価格(g/個)
です。いま、
 W = 4(g/人日)
とすれば、上記解のケースでは、
 P1 = 4(g/着)
 P2 = 2(g/個)
となります。つまり、各生産者が初期状態で最低2gの金を所有し、自ら
生産しない財を市場で購買することにより、社会全成員に必要な消費財
が物量的にも価値的にも単純再生産として供給されるわけです。その結
果、いわゆる国民総生産(GNP)は、
 GNP = P1Q1 + P2Q2 = WL
    = 8(g/日)
となり、(2)(>>175)と比較すれば、一人当たりのGNP(W)が平均労働時間
(w)に対応していることが分かります。つまり、(2)および(2')(特に
W)は「価値形成労働こそが価値形態と価値実体をつなぐキーである」
>>124)という事柄の数式的表現になっているわけです。
218OFW:02/10/30 22:56
(つづき6)
いま何らかの外的要因で、上着生産の生産性が低くなり、
 p1 = 5(人時間/着)
となった場合、上着の生産量および労働日の延長をせずに、社会全体の定
常的な生産を維持するためには、パン生産の労働投入係数を下げなくてな
らなくなります。以前と同様に、もしパン生産の技術水準を上げることに
より、
 p2 = 1.5(人時間/個)
とすることが可能であれば、パン製造から上着製造への1人時間/日だけの
労働力の移動を行うことで、上着およびパンの生産量そして1労働日の長さ
を維持したまま、定常状態が維持可能になります。その場合、上着の単価
は5(g/着)となり、パンの単価は1.5(g/個)となっているでしょう。

しかし、私的生産者からなる商品経済社会では、たとえパン生産の生産性
が向上しても労働力の移動は起きず、上記均衡価格に向けた上着価格の騰
貴とパン価格の下落だけが起きるでしょう。前より上着は不足し、パンは
豊富になるわけですが、すべて消費されれば、国民総生産の大きさは変わ
らないことになります。
  GNP = P1Q1 + P2Q2
     = 5×0.8 + 1.5×(4/1.5)
     = 8(g/日)
そこでは、消費者は安価なパンをより多く食べ、高価な上着のより少ない
消費で我慢するということになり、物量的な消費性向は変化しているが、
価値的には変化なし、という矛盾が発生しているわけです。しかし、その
状態も一定限度までであり、それを超えた場合、まず食べきれないパンが
生じ、売れ残りとして現象するでしょう。
219考える名無しさん:02/10/30 23:15
マルクス主義で北朝鮮とかポルポトをどうにかして下さい。
220考える名無しさん:02/10/31 01:54
マルクスの著作は所詮、純粋な経済学理論であって哲学ではないことが
よく分ったよ。
しかも市民向けた言葉ではなく、経済学者による経済学者への提言。
純粋にマルクスを解読でき、正しい部分、誤った部分を評価できるのは
経済学者のみだろう。
だが、社会主義国家では、どうやって社会主義について教育していたんだろう?
221OFW:02/10/31 19:54
>>220
>マルクスの著作は所詮、純粋な経済学理論であって哲学ではない
 それは誤解ですね。『資本論』は経済学批判(科学の限界設定)であり、
 資本主義社会の非合理性(物象化)を経済的土台から明らかにしたもの。
 <価値>とは社会的人間の生産労働がモノ化(過去化)した存在(論理
 的に言えば仮象存在)ですから、客観科学が価値を合理的対象として取
 り扱うことは、論理的に不可能なわけです。
 上に数式として比較対照的に示したように、<価値形成労働>とは価値
 の生成・起源を明らかにする限界概念であり、<実体の主体化>という
 実践的課題を呼び出す転回点に位置するものです。哲学(弁証法)こそ
 がマルクスの著作を貫いているのです。
222考える名無しさん:02/11/01 00:17
>>221
小難しいことをのたまわっているけど、マルクスの論文を同時代の経済学者や
社会学者はどう評価したわけ?
マルクスの理論で明らかになった点や、あきらかにできなかった点も当然あると
思うんですけどね。
それと弁証法は所詮、分析のための方法論として取り入れただけでしょう。
何がしかの哲学的根拠に基礎をおいたからといって、直ちにそれが哲学であると
はいいませんよ。
だったら行動主義はプラグマティスムの系譜を引くので哲学だということに
なりますけどそれは明らかに違いますよね。
経済学者や社会学者、さらにはあらゆる自然科学はみんな哲学者に
なってしまいますよ。
223考える名無しさん:02/11/01 00:54
俺はOFWさんのファンだけど、同意。
弁証法の方法論を取り入れただけで、哲学的というのは
違うと思う。
自民族を長期間国家として収容所に囲い込み1000万人レベルで虐殺できたのは
共産主義国家だけ。
資本主義による搾取を取り除けば、より高度の生活水準と平等な分配がやって
くるはずだったのに、全く駄目だった。
そもそもより豊かになれないなら共産主義にする必要全くないじゃん。
単純な発展史観は間違いで、資本主義的目的合理的行動ができなかったから、第3
世界での共産主義の実験は悲惨な結果になった。
ウェーバーの近代化論の方が役に立つ。
資本主義を歴史の必然的発展過程に取り組んだマルクスは誤り。
更にその先、資本主義から共産主義に変更してより豊かに自由になった国家は
存在しない。マルクスが正しければソ連は豊かになれたはず。
その逆に共産主義から資本主義になって発展しつつある中国のような例はあるが。
資本主義の疎外やブルジョア民主主義の腐敗をたたく暇があったら、抑圧、暴力、
貧困に満ちた国家を作った自己自身を反省して欲しい。
マルクス主義者の方が疎外も腐敗もひどい現実から目を逸らさないで欲しい。
いろいろ現実に迷惑かける加害者が頭の中だけで観念弄ぶのはやめて欲しい。
迷惑かける引きこもり、それがマルクス主義者。

フーコーとかフランクフルト学派の権力批判なり、ロールズやセンの自由と公正
の議論なり学ぶべきものはたくさんある。
そんな中で、たかだかイギリスの一時期の寡占資本主義過程をモデルにした経済
学説、社会学説に過ぎない限界わきまえて欲しい。
現実には全然あてはまらずに、悲惨な結果しか起こしていない、学説=モデル
にすぎない。

>マルクスの著作は所詮、純粋な経済学理論であって哲学ではない
 それは誤解ですね。『資本論』は経済学批判(科学の限界設定)であり、
 資本主義社会の非合理性(物象化)を経済的土台から明らかにしたもの。

こういうのは妄想という。
物象化で明らかにしたものといっても所詮は小さいスケールの中のもの。
歴史的に制限された小さなモデルでしかない。 
227OFW:02/11/01 23:30
>>222
>弁証法は所詮、分析のための方法論
 それも誤解。一般的な理解でもむしろ「弁証法は総合的認識」とされて
 いるのでは?
 「分析は総合であり、総合は分析である。」が弁証法です。
>哲学的根拠に基礎をおいたからといって、直ちにそれが哲学であるとは
>いいませんよ。
 誰もそのような自明なことを主張してはいないが。
 科学と哲学の関係については、別スレ(科学哲学・分析哲学を基礎から
 教えて)でも書いたので、繰り返さないが、<科学>や<哲学>に関す
 る表象そして思い入れが人によってかなり違うので、とかく議論がかみ
 合わない。
 その辺りについては、アルチュセール『資本論を読む』やバシュラール
 『新しい科学的精神』での論考くらいは踏まえた方が生産的でしょう。
>>223
>弁証法の方法論を取り入れただけで、哲学的というのは違うと思う。
 同上であり、誤解です。
 マルクスの著作は単なる科学的理論ではない、ということ。
 (科学的、哲学的どちらでも良いが)社会認識と社会実践の関係につい
 ては、如何に考えるかな?
 また、弁証法は単なる科学方法論ではなく、科学認識論でもある。
228考える名無しさん:02/11/01 23:59
>>227
ならばマルクスが特別すぐれているということにならんでしょう。
同様のことはマルクス以外の社会学者や経済学者もやっているわけだし。
変にマルクスに救いを求める必要はないでしょう。

それで、マルクス以外の社会学者や経済学者はマルクスをどう評価したわけ?
パラダイムの転換をもたらしたというな感じはしないけど。
それとマルクス理論は社会学者や経済学者が現代社会を分析する際に通用するの?
229考える名無しさん:02/11/02 04:16
230OFW:02/11/02 06:42
>>226
>たかだかイギリスの一時期の寡占資本主義過程をモデルにした経済学説、
>社会学説に過ぎない
前に引用・コメントしたように『資本論』は経済本質論であり、資本主
 義が資本主義と呼ばれる限り持つ本質的な性格(固有性)を対象にして
 おり、<歴史を貫く赤い糸(実体的なもの)>を追っている。
 たとえば、小学校(今は中学校?)の教科書にも出てくる<需要と供給
 の法則>について、マルクスは
 「需要と供給との均衡が成り立つのは、慢性的に供給不足であった時代
  だけであり、供給過剰が常態である産業革命以降では、本質的に成り
  立たない。」(字句どおりの引用ではない)
 と指摘しているが、20世紀のケインズ経済学が<慢性的な有効需要の
 不足>に対する政治的介入策(公共事業、金利政策)として登場し、そ
 れも結局失敗して、現在日本の<デフレギャップ>として現実化してい
 る実状からも、経済学の方こそ昔の時代(セーの法則)をモデルにした
 学説に過ぎず、もはや、政治の力でも経済を維持できない状況かと。
 前にも少し触れたが、市場経済的な需要と供給の調整方式とは、事後的
 な(後の祭り的な)フィードバック方式であり、それも資本による価値
 増殖需要という転倒の下では、過剰生産→過剰信用→信用破綻→生産破
 壊(リストラ)という<繰り返される恐慌>の必然性があるのは、モデ
 ル以上に、昨今の現実からの実感では?
 もっとも「市場メカニズムは不均衡の均衡化を実現するものであり、マ
 ルクスが言う<恐慌の必然性>は誤り。恐慌の不可能性が正しい。」と
 非弁証法的(皮相的)に主張した“マルクス経済学”者もいたが・・・。
231OFW:02/11/02 06:42
>>228
>同様のことはマルクス以外の社会学者や経済学者もやっている
 マルクスの方法を巡っては、多くの考察・議論があります。
 たとえば、かってマルクス(主義)経済学界において
 「『資本論』冒頭に出てくる商品は資本主義以前に実在した単純商品か、
  それとも資本主義社会での商品か?」
 という論争があったようですが、本質存在に対する認識とその方法に関
 する共通の誤解に基づくものと言えます。
 >>105で言及したように、<商品>とは個々の商品体ではなく、社会関係
 (価値形態)を指している以上、個別のモノが商品なのではない。
 マルクス以外に、<社会の本質論>を展開している社会学者や経済学者
 を未だ知らず。皆、現象論ばかり。つまり未だ半科学の状態。

 また、アルチュセールは『資本論を読む』において、通常の経験科学の
 方法(分析と総合)を批判しています(経験論の誤謬と本質論的切断)。
232考える名無しさん:02/11/02 08:17
資本主義なんて人間の歴史の必然じゃないし、マルクス主義はもっとそう
ではない。瑣末なことをムキになって論じてるんじゃない。
そのくせとんでもない迷惑かけるドキュソ。
233 :02/11/02 10:30
>>231
アルチュセールは構造主義者ですから、経験論を批判するのは至極当然の態度
だと思いますよ。
そもそも構造主義とマルクス主義って整合性があるんですかねぇ?
234OFW:02/11/02 19:20
>>233
>そもそも構造主義とマルクス主義って整合性があるんですかねぇ?
 どちらにもバリエーションがあり、一概には言えないでしょう。
 <構造>概念は建築学、機械学から医学(解剖学)、生物学において使
 われてきたものでしょうが、マルクス−エンゲルスが提示した、社会の
 上部構造vs下部構造という概念は明らかにその延長上にある。それに
 対して、構造主義という思潮はソシュール言語学からの記号論的な出自
 を持っていますね。
 レヴィ=ストロースの構造主義人類学において、社会慣習の底に無意識
 的な親族構造が発見されたが、“未開”部族においては親族構造は生産
 関係(下部構造)であった、というマルクス主義者モーリス=ゴドリエ
 などの主張は(日本では)あまり受けなかった。

 アルチュセール派の静的構造主義とグラムシ派の歴史主義とは確かに対
 立する面をもっているが、マルクス自身がもっている弁証法的唯物論の
 両契機を分担している感じです。自己同一的構造を再生産する主体の行
 為と、構造的矛盾を独自の形態化により止揚して行く構造変化の両側面。
235OFW:02/11/03 09:29
>>216-218のつづき7)
さて、資本主義的原則を社会主義的原則および市場経済原則と対比するた
めに、上記2者と類似の<2財モデル>もどきの社会を考えてみましょう。
その社会の成員は4人であり、2種類の消費財(たとえば上着およびパン)
をそれぞれ生産する資本家2人と各資本家に雇用されている賃労働者2人か
ら構成されていると想定します。また、技術が社会的に普及しており、各
労働者は部門間を自由に移動可能で、労働力供給に弾力性があるとします。
ここでは、総人口は総消費人口と一致しますが、総労働人口とは一致せず、
前者をH(いまの場合4人)、後者をL(いまの場合2人)で表します。
もちろん、前近代的な奴隷制あるいは“愛社精神の溢れるサラリーマン”
にでも囲まれていない限り、生産手段をもたない資本家が自らの下に賃労
働者を繋ぎとめておくことはできないでしょうが、経済原則の理論的比較
という目的にとっては許容範囲と見なせるでしょう。
236OFW:02/11/03 09:30
(つづき8)
すると、この社会の経済は、3本の方程式からなる下記の2つの線形1次
方程式体系(3)および(4)によって表されることになります。最初の方程式
体系(3)はすべて物量単位を使用しており、総労働人口(L(人))が
労働投入係数(l1(人日/着)およびl2(人日/個))に従って各生産部門
に配分され、生産された生産物(Q1(着/日)およびQ2(個/日))が消費
係数(c1(着/人日)およびc2(個/人日))に従って全消費人口(H(人))
により消費されていることを示しています。

         Q1 − c1 H = 0(着/日)
  (3)      Q2 − c2 H = 0(個/日)
         L  − l1 Q1 − l2 Q2 = 0(人)

たとえば、
 c1 = 0.5(着/人日)
 c2 = 1(個/人日)
 L = 2(人)
 H = 4(人)
の場合、
 Q1 = 2(着/日)
 Q2 = 4(個/日)
となり、たとえば労働生産性(投入係数)が
 l1 = 0.5(人日/着)
 l2 = 0.25(人日/個)
の組み合わせ(他も可能)であれば、上記(3)はすべて満たされます。
237OFW:02/11/03 09:31
(つづき9)
第2 の方程式体系(4)および(4')は、各部門で生産された財が、自
部門の資本家の消費分も含めて市場に出されるという形式的条件の下で、
市場において生産価格で売買され、全成員に分配されることを示してい
ます。ただし(4)は物量単位、(4')は貨幣単位でそれぞれ表現され
ています。

           p1 − l1w = 0
(4)       p2 − l2w = 0
         w − c1p1 − c2p2 = 0

ここで、
 w:1労働日つまり1日あたりの平均的労働時間(時間/日)
 p1:上着1着の生産に振り向けられた労働量(人時間/着)
 p2:パン1個の生産に振り向けられた労働量(人時間/個)
です。いま、
 w = 8(時間/日)
とすれば、上記のケースでは、
 p1 = 4(人時間/着),
 p2 = 2(人時間/個)
となり、各労働者が1日に8時間ずつ働けば、各消費者は1日あたりパン
1個、および2日あたり上着1着の分配を受けられることになります。

森嶋ー置塩モデルでは、(いまだ学会の常識らしい)投下労働価値説とい
う誤解からか、生産手段を含んだ最初の式に相当するものを「価値方程式」
と呼んでいるようですが、上記(4)はどのような社会でも満たすべき物量
的(技術的)関係式であり、何ら価値関係の表現ではない。
確かに上記では、労働者が資本家の消費分までを生産しており、その扶養
主であることが明らかですが、次の価値関係においては立場が逆転します。
238OFW:02/11/03 09:32
(つづき10)

         P1 − l1V − M1 = 0
 (4')     P2 − l2V − M2 = 0
         V − c1P1 − c2P2 = 0

ここで、
 V : 1労働日あたりの平均的賃金(g/人日)
 P1 : 上着1着の生産価格(g/着)
 P2 : パン1個の生産価格(g/個)
 M1 : 上着1着あたりの利潤(g/着)
 M2 : パン1個当たりの利潤(g/個)
また、
 W : 1労働日あたりの平均的価値形成量(g/人日)
に関しては、
 WL = P1Q1 + P2Q2
   = VL+Q1M1+Q2M2   
となり、各部門の利潤率r1およびr2、そして平均利潤率rは
 r1 = (P1−l1V)/l1V
 r2 = (P2−l2V)/l2V
 r = (Q1M1+Q2M2)/VL
   = (W−V)/V
で与えられます。

すなわち、価値形成労働が労働力の価値(賃金)以上の価値(剰余価値)を
形成し、それが資本家の取り分(利潤)になるということです。
利潤一般の源泉が、市場における商品売買(マージン)、生産における技術
革新等による生産性向上(相対的剰余価値)、あるいは価値体系間の差異、
などにではなく、<剰余労働>にあることは労働価値説の眼目の一つです。
239OFW:02/11/03 09:34
(つづき11)
いま、
 W = 8(g/人日)
 V = 4(g/人日)
とすれば、上記のケースでは、
 P1 = 4(g/着)
 P2 = 2(g/個)
 M1 = 2(g/着)
 M2 = 1(g/個)
 Q1 = c1H
   = 0.5(着/人日)×4人
   = 2(着/日)
 Q2 = c2H
   = 1(個/人日)×4人
   = 4(個/日)
となり、各労働者が1日に4gの賃金を貰えば、各消費者は1日あたりパン
1個、および2日あたり上着1着の商品を購買(あるいは自家消費)できる
ことになります。
つまり、この社会では、2人の資本家の各々が予め最低4gの貨幣金を所有
していれば(G>8(g))、労働者を雇い入れて商品生産する(させる?)
ことにより、社会全成員に必要な消費財が単純再生産(ただし搾取率は
100%)されます。その結果、国民総生産(GNP)は、
 GNP = P1Q1 + P2Q2 = WL
    = 16(g/日)
となります。
GNP(GDP)とは必要労働の指標であり、生産された財の価値とは、
それを再生産するために必要な労働を表すから、GNPが増すとは
「国民は、より多く働かなくてはならない」というに等しいわけです。
労働人口を増やすか、過重労働か、それが問題だ。
240OFW:02/11/03 09:34
(つづき12)
いま何らかの外的要因で、上着生産の生産性が低くなり、
 p1 = 5(人時間/着)
となった場合、前の社会と同様に、パン生産の生産性を上げて
 p2 = 1.5(人時間/個)
とすることが可能ならば、パン製造から上着製造への2人時間/日だけの
労働力の移動により、上着およびパンの生産量そして1労働日の長さを変
えずに、物質的な定常状態が維持可能になります。その場合、上着単価は
5(g/着)、パン単価は1.5(g/個)が価値通りの価格となるでしょう。

しかし、実際には事態は上記とは異なるでしょう。資本家1は金4g(過去
の労働の凝固物)を投じて生産した商品の販売代金8g(正確には金6gと
2g分の現物)から、利潤金4g(生きた剰余労働分の凝固物)を産み出して
いましたから、1日1.6着の上着商品しか生産できなくなる場合でも、
「同じ価値総量がより少ない商品量に含まれている」
と表象するでしょう。そして、単に上着の単価を5(g/着)に上げようと
するか、利潤を維持しようとして労働者1の賃金を下げようとするか、あ
るいは労働日を(無償で)延長して生産量を維持しようとするでしょう。
第1の場合、生産量は減っているが、単価が上がるために消費量が減り、
均衡が縮小的に回復する。利潤率も変わらないことになります。
241考える名無しさん:02/11/04 18:37
経済板へどうぞ!
242考える名無しさん:02/11/04 20:16
ついに(元々)狂ったか!
243Kurihara:02/11/04 22:21
僕は狂ってません。
244考える名無しさん:02/11/04 22:27
>>243
そうですか。
一時期のバカっぽい勢いが失せている気がしますが。
路線変更なんですか?

貴方の一ファンより 愛を込めて
245考える名無しさん:02/11/04 22:31
経済学を勉強しなきゃマルクスの本質は分らんってことか。
246考える名無しさん:02/11/05 22:17
keizaigakuからは相手にされていない。
247Kurihara:02/11/08 22:48
ひゃっほう、NAM、ひゃっほう。
248考える名無しさん:02/11/08 23:40
復刊ご協力おながいします。

http://www.fukkan.com/vote.php3?no=7183
249あちょー:02/11/09 17:23
OFWさんは社会主義的原則を分かりやすく示したいということなのでしょう。
前置きが長いですね。

>>239
> GNP(GDP)とは必要労働の指標であり、生産された財の価値とは、
> それを再生産するために必要な労働を表すから、GNPが増すとは
> 「国民は、より多く働かなくてはならない」というに等しいわけです。
> 労働人口を増やすか、過重労働か、それが問題だ。

なぜでしょうか。一般的なGNPの解釈とは違いますね。
250OFW:02/11/09 21:05
>>245
>経済学を勉強しなきゃマルクスの本質は分らんってことか。
 <自然と人間との間の永遠の物質代謝>である生産と消費は、<働く>
 (Working)ものとしての現実的な(Working)人間のあり方を規定する
 ものであり、人間社会の物質的土台をなすものです。
 マルクス『資本論』の本質は、資本主義が合理的な経済システムである
 とする経済学は、現実の階級対立を容認あるいは隠蔽する不経済学(政
 治学?)だということを明らかにしたことです。
251OFW:02/11/09 21:07
>>249(あちょーさん)
>なぜでしょうか。一般的なGNPの解釈とは違いますね。
 学校の教科書にも載っているGDP(国内総生産)の一般的定義は
 「ある一定期間に一国の経済において生産された、財・サービスの付加
  価値額の総額」
 というものでしょう。それは国の富(財の豊かさ)の経済学的な指標と
 されており、その値(価値)が大きいほどその国は繁栄していると解釈
 されています。
 しかし、経済的価値とは直接的には財(効用物)の希少性を言いますか
 ら、「ある財の価値が高い」とはそのものが不足していることを意味し
 ています。それは、その財の現存量を増やすための活動(生産)が必要
 であることを表わしており、モノの豊かさや生産活動が活発さとは直接
 関係がない。むしろ、生産活動が行われ、財の現存量が多くなれば、希
 少性が減りますから、その価値は下がることになりますね。

 <存在と価値の弁証法>などと大げさに言わなくても、すべての対象的
 活動はある目標(対象)の実現ですから、活動以前には対象は現存して
 いないし、活動の終わりでは目標としては消えている。
 「大きいとは、より大きいということ、大きくなるということ」
 (ドゥールーズ『意味の論理学』、逐語引用にあらず)

 また、前スレの>325でも触れたように、価値の実体は「社会的に必要な
 抽象的労働」であり、マルクス(主義)経済学での通説としての「実際
 に投下された労働量(あるいは労働時間)」とは実体概念の誤解(価値
 の実体化)です。一般に、ある対象の実体が明らかになるとは、もはや
 それが実体ではなく、仮象(見かけ)になることですから。
252あちょー:02/11/10 10:34
>>251
もちろんGNPと繁栄とは直接結びつかないと思っていました。
経済学でもそういう解釈が主流ではないでしょうか。

なぜGNP(GDP)が必要労働の指標なのでしょう。
必要労働とGNPは関係するのでしょうか。
253OFW:02/11/10 16:02
>>252(あちょーさん)
>なぜGNP(GDP)が必要労働の指標なのでしょう。
 GDPの定義(>>251)の中にも出てくる「付加価値額」という言葉が
 ポイントです。簡単な例で説明しましょう。
 ある社会の成員が10人で、生きるために各人に毎日パン1個が必要だ
 が、毎日9個しか生産できないとしましょう。<パンの価値>とは何か?
 1.効用性(実在的(質的)な価値):
  生物学的な栄養源としてのパンの性質からくる使用価値。
  効用の量とはパンの現存量で表され、財(使用価値物)が十分に存在
  していることが社会の富(豊かさ)です。
 2.希少性(非実在的(量的)な価値):
  社会全体でのパンの必要量=1日あたり10個と、供給量(現存量)
  =1日あたり9個の比率で表される、パンの希少価値。財の価値が高
  いとは、それが十分に存在していない(不足している)ことです。
 3.経済学的な価値(価値の実体的根拠。労働価値説):
  自然界にパンは存在しない以上、それを生産する必要があり、そのた
  めには原材料(小麦等)、道具(パン焼窯等)、そして人力(労働力)
  が必要ですが、前二者(生産手段)は前提条件であり、今措きます。
  もし、1日あたり9個のパン生産のために、10人が毎日8時間働く
  必要がある場合、10×8人時間の労働量(必要労働量)がパン9個
  に対応します。いま、パン生産の生産性が高まり、同じ労働量で毎日
  パン18個の生産が可能になれば、(生産手段の価値を度外視して)
  「パンの価値は半減した」と言われるでしょう。その理由は、使用価
  値の量は倍になり、希少性は半分になったためです。
  ここで注意すべき点は、そのことが過去に低生産性の条件下で生産さ
  れたパン在庫の価値をも下げるということです。つまり「付加価値額」
  という偽りの表現は、効用の量でも、実際に投下された労働量でもな
  く、財の現存量において表現された、その財の再生産に必要な労働量
  (充当“すべき”社会的総労働力の配分量)を指しているわけです。
254 :02/11/10 16:24
この人、経済学と哲学を混同してるよ(笑
若気の至りっていうヤツですかね。
経済学界で発表しろよ。
嘲笑買うぞ!
255 :02/11/10 16:25
マルクスでもってどうやって現代経済を論じるんだ?
256考える名無しさん:02/11/10 18:12
〇経を知らない世代。
ある意味不幸かもな。
それでいいとも思うのだが。
257考える名無しさん:02/11/10 21:21
OFWさんはなにがしたいんですか?啓蒙?
258考える名無しさん:02/11/10 21:46
>>257
憂さ晴らしですよ。
マルクスは知っているけど、その後の経済学のことなんてな〜んも知らない
アカかぶれのインテリ気取り野郎。
だれも相手にされないから、ここでストレスを発散しているんです。
現在の日本経済の低迷を脱却するにはどうすればいいのか
何も分らないでしょうな。
259あちょー:02/11/10 22:27
>>253
一般的なGNPの解釈ではなく、実際に投下された労働量でもない
のであれば、GNP(GDP)を必要労働の指標とする理由は何でしょう。
過去の付加価値額を調査した結果であるGNP(GDP)を、その財の
再生産に必要な労働量とするのはなぜでしょう。
260考える名無しさん:02/11/11 13:05
共産は失敗ばかりだからムリ
261OFW:02/11/12 05:51
>>257
>啓蒙?
 最近では廃れた井戸(Old-Fashioned-Well)からのメッセージかな。
 「無思想が大手を奮い、見識が追いやられる時代は問題である。」
 とは、かって大恐慌からファシズムへと進む直前にあった世界における
 一文芸理論家(I.A.リチャーズ)の言葉。

>>259(あちょーさん)
>GNP(GDP)を必要労働の指標とする理由は何でしょう。
 質問の意味が分かりにくい。上で私(OFW)が述べたことは、
 一般に経済繁栄の指標とされているGNP(GDP)は、実際には必要
 労働の指標なのである
 ということです。つまり、一般のGNP解釈(GNPとは何を表してい
 るのか、ということに関する説明)にはゴマカシがあるということ。
 ゴマカシが行われている理由は何か、という質問でしょうか?
 私(OFW)がゴマカシだと考える理由は何か、という質問でしょうか?

>過去の付加価値額を調査した結果であるGNP(GDP)
 上で述べたことは、GNPとはそのようなもの(付加価値額)ではない
 ということです。
 逆に質問ですが、あちょーさんが言う「付加価値額」あるいは「価値」
 とは、>>253であげた3つの価値のうちのどれを指しているのでしょう?
 効用性?希少性?必要労働?その他?
262あちょー:02/11/12 12:06
>>261
> >GNP(GDP)を必要労働の指標とする理由は何でしょう。
>  質問の意味が分かりにくい。

それではしかたがないですね。僕にはこれ以上簡単に質問出来ないです。

>  一般に経済繁栄の指標とされているGNP(GDP)は、実際には必要
>  労働の指標なのであるということです。

経済とは取引のルールであり、その繁栄とは取引の額の大きさだと思います。

>  逆に質問ですが、あちょーさんが言う「付加価値額」あるいは「価値」
>  とは、>>253であげた3つの価値のうちのどれを指しているのでしょう?
>  効用性?希少性?必要労働?その他?

付加価値額とは、生産額から減価償却分を引いたものです。
額とつく以上、それは金額であって、物の効用性、希少性、必要労働とは
直接関係ないです。
価値とは関係です。互いに影響しあう2つの対象間の関係であり、
対象の属性ではないと思います。
263OFW:02/11/13 05:25
>>262(あちょーさん)
>経済とは取引のルールであり、その繁栄とは取引の額の大きさだと思い
>ます。
 なるほど。考えが良くわかりました。
 あちょーさん(そして経済学者)が言う経済とは、商品経済(business)
 であり、経済(economy)一般ではない。
 因みに、私が>>173-176で想定した社会では、取引(商品交換)なしに、
 経済が運営されるわけですが、そこでの「経済」とは<労働(力)の
 節約>という(本来の)意味をもった言葉として使われています。
 両者を共に経済と呼ぶのは、正しくないと思いますか?
264OFW:02/11/13 05:26
>>262(あちょーさん)(つづき)
>価値とは関係です。互いに影響しあう2つの対象間の関係であり、対象
>の属性ではないと思います。
 まったく正しい。しかし、完全な虚偽(真ではないもの、平たく言えば
 嘘)です。マルクスはその考え方を<物象化>(人と人との関係がモノ
 とモノとの関係として転倒して現れている)と呼び、『資本論』全巻を
 使って、批判したわけです。
 >>127で中断した引用の後には、こう書いています。
「等価形態とは、まさに、ある商品体、たとえば上着が、このあるがまま
 の物として価値を表現し、したがって、生まれながらにして価値形態を
 もっている、ということなのである。たしかに、このことが通用するの
 は、ただ、リンネル商品が等価としての上着商品に関係させられている
 価値関係の内部でのことにすぎない(21)。」
「そこから、等価形態の謎〔Raetselhafte〕が生じるのであるが、この謎
 が経済学者のブルジョア的な粗雑な目を見はらせるのは、やっと、等価
 形態が完成されて貨幣となって彼の前に立ち現れる時である。その時、
 彼は、金銀の神秘的性格を〔den mystischen Charakter〕説明しさろう
 として、金銀の代わりに目をくらませることのさらに少ないいろいろな
 商品をこっそりもってきて、かつては商品等価の役割を演じたことのあ
 るこれらいっさいの下賎な商品の目録を棒読みしては、そのたびに満足
 の喜びを新たにする。すでに、20エレのリンネル=1着の上着 という
 ような最も単純な価値表現が等価形態の謎〔das Raetsel〕を解く鍵を
 与えていることなど、彼は感づきもしないのである。」
 (『資本論』第1巻第1部第1章第3節)

 粗雑な目をもつのは、マルクスそれとも経済学者のいずれでしょう?
265あちょー:02/11/13 11:36
>>263
>>173-176 の、労働証明書を使った社会でも、労働力と商品の取引が行われますね。
それが節約になることを説明できるでしょうか。
GNP(GDP)が指しているのは取引の方であって、節約とは関係ないです。
経済的といった場合、節約のことを指すのが普通なので、両者を共に経済と呼ぶのは
正しいというか、実際どちらの意味にも使われます。ただし、取引をすることは節約には
関係しないと思います。全く違う概念です。
>>264
価値=関係といったのは、この商品にはこれだけの価値がある、とうことではなく、
人によっても価値が違うということです。(前スレ448にも書いといた)
1着の上着が20エレのリンネルだというのは交換条件であり、等価である保証は
どこにもない。だから、等価であることを前提にいくら式を展開しても、物や人の価値を
説明できないのです。
物象化や等価形態といった概念にみられるように、マルクスは等式を提示しましたが、
それをマルクスが批判するのなら、それは等式を提示したマルクス自身への批判です。
そうやって資本論を書き上げているのです。
266 :02/11/13 17:18
どこまで経済学を勉強すれば資本論が読解できるのかなぁ
267考える名無しさん:02/11/13 22:17
資本論はマルクスにしか読解できない
268考える名無しさん:02/11/13 22:40
「虚偽=嘘」というより疎外。
269考える名無しさん:02/11/13 23:43
しかし今だ日本てマル経の総本山だよなぁ。
社会主義が滅んだのではない、スターリン主義が滅びたのだとほざいてるし・・
マルクスは滅びぬ。人類の夢だからさ。
バカかと(以下略
270あちょー:02/11/13 23:48
\もうね、アボカド/ \バナナかと/
                     ┌┐
      ヽ           / /
     γ⌒^ヽ       / / i
     /:::::::::::::ヽ      | (,,゚Д゚)
     /::::::::(,,゚Д゚)       |(ノi  |)  
    i:::::(ノDole|)     |  i  i
     ゙、:::::::::::::ノ      \_ヽ_,ゝ
      U"U         U" U
271考える名無しさん:02/11/13 23:49
とき方は兎も角、問いはよかったと思うよ。もっとも経草の理想が実現されたらかえって、ヤバイかもしれんが…
272考える名無しさん:02/11/14 01:04
>社会主義が滅んだのではない、スターリン主義が滅びたのだとほざいてるし・・

そんなafoばっかりでもないよ。
まともに物を考えてる人は○経(元○経というべきか)にもちゃんといる。
賛否両論あるだろうが、今生み出されつつある労働価値論や弁証法を捨てさった
新しい○経の展開にも注目していきたいと思う。
273考える名無しさん:02/11/14 04:08
フランス国民議会は「創価学会はカルト(フランス語ではセクト)だ」と認定している。
ちなみに、この場合のカルトとは「全体主義的拘束的反人権的団体」という意味だ。
フランスの国営放送(チャンネル2)も創価学会に手厳しい番組を放映した。

なぜ、柄谷は、創価の批判はしないのか?
274考える名無しさん:02/11/14 04:48
してんじゃない?どっかで。
275考える名無しさん:02/11/14 13:42
弁証法てどうも表現をややこしくしているだけにしか見えないんだよね
276 :02/11/14 13:52
弁証法なんて社会学でも経済学でも使われんでしょう。
まぁ、学者が頭で考えるときには使うかもしれんなぁ。
277考える名無しさん:02/11/14 15:13
法廷では弁証法は実践されていますが?
278キャロルくん:02/11/14 17:49
はじめまして! ボクの は、フッサールなどの現象学を勉強していますが、
「現象学って難しいですね!」 「還元に関することが・・・・・特に超越論的還元の意味が難しいです。」 
「生活や自然的実証性から
純粋な 超越論的主観性の意味がわかる人はいますか?」
「わかっている人がいたらぼくに教えて下さいね!」
といっています。 
だれかわかる人がいたらキャロルくんのスレに書いてあげてね!
http://book.2ch.net/test/read.cgi/books/1034769192/l50
あと、・・・・先生のHPが、新しい特集を創めました。 その名は、
ありすちゃんとウェーベルン氏の現代を撃て!
ありすちゃんとウェーベルン氏の夢の対談が実現!
ありすちゃんとウェーベルン氏が、現代社会を
政治、社会、経済、科学、文化のニュースから斬り,様々角度から議論する。
第一回は、コーヒー浣腸はガン治療の決め手になるのか?  です。
http://www12.brinkster.com/uhikaru/a&w.htm
みなさん、マタマタお楽しみがフエマシタネ!
279考える名無しさん:02/11/15 10:04
>>277
対話という意味のディアレクティケーでしょ
でもヘーゲルの小論理学だっけ?の弁証法はもう理解できない
280考える名無しさん:02/11/15 10:15
>278
管理人じゃないけど、お前は精神的アク禁だ、ボケ。
他人だ、何度も書くけどスレたてたヤツとは。
おまえが勝手に同一人物だと勘違いしたまま、大学名まで書きやがって
それならこっちも徹底的に憶測だけで、書き込むぞ。

281考える名無しさん:02/11/15 10:19
柄谷行人の文章は論理的ではありません。
かといって、詩的でもありません。
282Kurihara:02/11/15 10:37
まさに予言的なのです。
283考える名無しさん:02/11/15 10:38
>>282
うまい表現だねぇ
あんたのそういうとこ尊敬するわ
284考える名無しさん:02/11/15 10:42
柄谷行人は予言者なのか、批評家なのか、定かではありません。
自ら予言者と誤解されるための種をまき、その芽を摘み取ることによって
自慰的快感にふける善男は屑である。
285OFW:02/11/16 06:49
>>265(あちょーさん)
>労働証明書を使った社会でも、労働力と商品の取引が行われますね。
 >>172で断っているように、労働証明書は労働貨幣ではなく、また
 >>176でも触れているように、商品は存在しないため、取引なしです。
 取引(交換)ではなく、計画と再分配が基本でしょう。
>それが節約になることを説明できるでしょうか。
 >>176で労働力の節約になっていることが説明されています。
>GNP(GDP)が指しているのは取引の方であって、節約とは関係ない
 もし、付加価値額=生産額−減価償却費という産業的(工業的)定義を
 考えるなら、生産原価の内の労務費は如何なる取引から発生するか、が
 ポイントでしょう。現在でも、<賃金の節約>(労働力の乱費)は企業
 経営上の一つの柱であり、GDPと労働力商品の取引との関係や如何?
>取引をすることは節約には関係しないと思います。全く違う概念です。
 古来「入るを計って出るを制する」と言われるように、取引(商売)と
 は売上(収入)を増やして仕入・経費(支出)を節約することです。
 その差額(売上マイナス仕入&営業経費)が商業(取引)利潤(付加価
 値?)になるわけです。たとえば、重商主義とは、取引を活発にするこ
 とで、差額として<金銀が貯まる>ことから、(主に海外貿易としての)
 商業を価値の源泉として重視した、17〜18世紀のイギリス等におけ
 る経済政策・思想ですね。
 戦後日本の大量消費社会では「消費は美徳」と喧伝され、その後、現在
 のデフレ(消費不足)になり、「年寄りの貯蓄(節約)が原因」などと
 言われだしているが、両者(消費と貯蓄)はGDP内のトレードオフ。
 カネ=過去の生産労働(時間)の凝固物として、他人の労働力と取引
 (自己の労力を節約)できるもの。Time is money.
286OFW:02/11/16 06:50
>>265(あちょーさん)(つづき)
>人によっても価値が違うということです。
 交換関係において、それを所有する者にとっての商品の価値と、それを
 需要する者にとっての商品の価値とは違う価値であり、前者を相対的価
 値形態、後者を等価形態と言います。(>>110>>118
 両者は、関係性における位置(現象形式)が異なるのです。   
>等価であることを前提にいくら式を展開しても、物や人の価値を説明で
>きないのです。
 実際に前提されているのは「等価であること」ではなく、交換可能性と
 しての「等価形態」(実在的には<交換の尺度>)です。(>>117
 マルクスは、貨幣(一般的等価物)を無条件に前提している経済学を批
 判して、価値とは共同的な生産関係の物象化された転倒形態であること
 を明らかにしたわけです。 
>マルクスは等式を提示しましたが
 マルクスは、商人および経済学者が提示した等式のうちに不等な関係
 <値する>を見出し(>>110)、不等な価値のうちに(同等ならぬ)
 “同一の”労働を見出したのです(>>123-124)。

>>268
>「虚偽=嘘」というより疎外。
 物象化自体は人間関係の疎外形態ですが、上では考え(観念)に関して
 述べたため、イデオロギー(虚偽観念)という意味での嘘ということ。
 現実の疎外と一体化した社会的観念は、イデオロギーと呼ばれます。
287考える名無しさん:02/11/18 21:17
経済学からも現実からも相手にされていないのに、それは現実の方が間違ってる
イデオロギーに取り憑かれてると一方的に決め付け、現実逃避している人のいる
スレはここですか?
288考える名無しさん:02/11/19 15:21
>>287
然り!
289OFW:02/11/20 05:43
>>272
>今生み出されつつある労働価値論や弁証法を捨てさった新しい○経
 は既にマルクスとは無関係でしょうね。ローマー?レギュラシオン?

 因みに、現代経済学でも弁証法的なテーマは多い。
 たとえば、経済板でみかけた一例:
>・所有権が明確に確定していないときは、結果的にいつも非効率が
>発生する。
>例1)グランドバンクス海域では漁業資源に関する所有権が無かった。
>   漁民は自分が魚を獲らなければ他の漁民が取るだろうと合理的に
>   考え、結果的に魚が乱獲されて漁業が成り立たなくなった。
 (【基礎】『スティグリッツ入門経済学』を読もう!
  ttp://money.2ch.net/test/read.cgi/eco/1031838690/172 )

 上記例で示されているのは、土地(海洋)に対する所有権(無所有、共
 同体所有(あるいは国家所有)、私的所有)の問題ですが、利己的個人
 間の相克(自然状態)から法状態への移行という、権利の自然法的説明
 の経済学バージョンと言えます。
 すべての利己的個人が合理的に行動すれば、<理性の咬智>(ヘーゲル)
 が最後に勝利し、その非合理性を示す(合成の誤謬)、かな。
 「他の漁民」と「私の漁民」とは同一であり、両者の間の矛盾は一つの
 (コミュニケーション的)漁民共同体により止揚される。
 他者から成る(疎外された)市民社会において、幻想の共同体(国家)
 による私的所有権の保証と、インセンティブ(誘因、化学的作用)によ
 る統御は、結局の所、盲目的な暴発を結果するでしょう。
 「誘惑(誘発)するとは、誘惑(誘発)されるように誘惑(誘発)する
  こと。」(ヘーゲル)
290考える名無しさん:02/11/20 17:17
ちなみに引用はどこからですか?

あと弁証法的発想の限界点とはなんだと思いますか?
291OFW:02/11/21 05:21
>>290
>ちなみに引用はどこからですか?
 直接的には下記辺りです。
 1.『精神現象学』A意識三力と悟性、現象と超感覚的世界
  「他者として現れるもの、力を誘発して外化させまた自己に帰らせる
   ものは、すぐそのまま明らかなように、それ自身力である。・・・
   同じようにまた力は、誘発されることによって、力が帰って行くよ
   うに誘発するものであるにすぎない。」(河出書房、樫山訳)    
 2.『小論理学』第二部本質論B現象c相関136節補遺1
  「力を誘発するものは、それ自身再び或る力の発現であって、それが
   発現するには同じく誘発されなければならない。」
  (岩波文庫、松村訳)
 3.同上、第三部概念論B客観b化学的関係200節補遺
  「化学的に親和性を持っている客観は、明白にこの関係性によっての
   みそれらがあるのであり、したがって相補って一つの全体になろう
   とする絶対的な衝動である。」
 実際、飴とムチを使って働かせる(力を発現させる)ことは、政治経済
 の化学(フォーディズムの勝因?)に属するでしょうね。20世紀以降
 の経済学者は力学(風吹けば桶屋儲かる式の外面的悟性)ではなく、
 ゲーテやマルクス、レーニンのように、化学(親和力、フェティシズム、
 資本の腐敗癒着反応等)を学んだほうがよいかと。

>弁証法的発想の限界点
 思想的実践としての弁証法はむろん万能ではなく、現実の実践が始まる
 地点において、その限界をもつでしょう。
 思想内部においては、弁証は直観(直証)と相互媒介された概念の運動
 であり、不断のコミュニケーション過程ですから、ディスコミュニケー
 ション(沈黙、暴力、無関心、独断等)において、限界をもつでしょう。
292考える名無しさん:02/11/21 19:10
出典についてはありがとうございます。

ただ疑問点があります
しかしこの場合コミュニケーションをする主体とは誰なんですか?
またコミュニケーションをしたと思っていたつもりでも、
実は排除をしているというこはありえますし、現に行われました。

そこらへんを弁証法はチェック可能なのですか?
293OFW:02/11/22 05:39
>>292
>コミュニケーションをする主体とは誰なんですか?
 この質問を単独で切り出す(一般化する)と、壮大なテーマになります
 が、「誰が語るのか?」(ニーチェ)という深遠な問いに対しては、文
 法的に単純な答え「語る主体は『私』と表記される。」がありますね。
 すべての経験的個人が「私は・・・」と言うから、皆が主体です。
 デカルトおよびカントが超越論的主体としての大文字の<私>を発見し、
 ショーペンハウワーは「世界は私の表象である。」と言って、主観的観
 念論を完成させたが、<私>とは複数(この私、あの私)であることが
 抜け落ちてしまった。その弟子ニーチェが“言語論的転回”を必要とし
 た所以でしょう。
 
 また主体としての主体だけではなく、主体としての客体(作用する自然)
 および客体としての主体(身体)もあるから、広くは万物がコミュニケ
 ーションをする主体になり得ます。
 「伝達可能な存在はすべて言語として考えることができる。」
  (ウォルター・ベンヤミン)

>実は排除をしているというこはありえますし、現に行われました。
 複数の<私>が複数の単数<われわれ>に統合されるとき、集団的自己
 が発生します。論理的に言って、数は単位と集合数の統一(ヘーゲル)
 ですから、定立された場合(例:「私たち日本人」)、集団的自己とて
 常に他の集団的自己との関係下にある部分にすぎない。「われわれ」と
 いう言葉を安易に使い、共同性を僭称する人(集団)は排他的なもの。

 およそ政治的な事柄とは、人間の共同性(社会性)を巡る諸個人の意志
 の統一と相克(権力事象)でしょうが、非言語的(非精神的)な物質性
 は広く<力>と呼ばれ、伝達不可能なものとして、コミュニケーション
 の対極にあるものです。モノ、エネルギーから情報の時代に力は無用と。
294考える名無しさん:02/11/22 16:27
では共同性とは神みたいなものですね…現時点でも未来にも過去にもあり、それは語りえるものなのでしょうか?

295 :02/11/22 21:45
ただの引用馬鹿じゃん。
経済学やるなら経済学をやる。
社会学をやるなら社会学をやる。
政治学をやるなら政治学をやる。
文化人類学をやるなら文化人類学をする。
哲学をするなら哲学をする。
広く学ぶのは良いにしても、そろそろ方向を決めないといけませんよ。
経済学をしたいならマルクスだけでなくケインズもやらんとね。
296考える名無しさん:02/11/23 01:17
>経済学をしたいならマルクスだけでなくケインズもやらんとね。

てか、とりあえず教科書読みましょう。
ミクロ、マクロの基礎をしっかり身につけて、公務員試験の問題くらいは
ある程度解けるようにしておきましょう。
『資本論』や『一般理論』などの古典を読むのはその後にしたほうがいいよ。

思想オタって、経済学の基礎も知らないで『資本論』で得た知識を
ふりまわす人がたまにいて(全部ではないが)うんざりする事がある。
297経済学徒:02/11/23 07:23
OFWさん。
引用オタでも構わないが、何もわかっていないことが悲しい。
自分の情念を意味不明に垂れ流してるだけ。
298OFW:02/11/23 08:02
>>294
>共同性とは神みたいなもの
 というより、「神とは人間の類的本質の疎外である。」とはフォイエル
 バッハが洞察した、唯物論的言明です。彼は、古来<神>と呼ばれて
 きた対象の真理を初めて明確に言い表したわけです。
 >>36>>137でも触れたが、類的本質とは「全知全能にして無限なる」と
 形容される神の特性であり、その疎外とはその特性が或る特定の存在者
 が備えている属性として立てられること。人間とは集合名詞であり、
 どの個人をとっても有限な存在者(実存)ですが、区別(差別)のない
 <人間>と呼ばれる。それは人類の類的な本質を分有しているからです。

>現時点でも未来にも過去にもあり
 「ある」のではなく、「不断に働いている」のです。
 たとえば、日々の商品交換において、その底にあるのは、人間の協働的
 な営みです。それは、疎外された姿ではあるが、人間の共同性を実現し
 ており、それは“一つ”の社会を(対立的・敵対的にせよ)存立させて
 いる。

>それは語りえるものなのでしょうか?
 特定の対象的判断してではなく、「私は一個の類である。」という無限
 判断、つまり自覚の表現として語りえるでしょう。ヘーゲルは<具体的
 普遍>という概念を提示しています。
299OFW:02/11/23 08:03
煽りには余り乗る気無しだが・・・
>>295
>そろそろ方向を決めないといけませんよ。
 「職業としての学問」(マックス・ウェーバー)は社会的分業の現れで
 すが、固定化された場合、類的ではなく種的特殊性(専門白痴)となる。
 <精神なき専門人>とならないよう、十分気を付けましょう。

>>296
>公務員試験の問題
 学生さんのようだが、官僚本来の使命は、社会全体に仕えることであり、
 決して大衆統治の技術を磨くことではない。彼ら(および彼女ら)には、
 (国家的ではない)社会的普遍性が最も要求される。
 「社会とは何か?」とは試験問題には出ないのかな?
 (公務員自体の廃絶を説くマルクスよりは、試験を目指す若者が増える
  のも、<希望のない社会>(村上龍)では無理がないが・・・)

>>297(経済学徒さん)
>何もわかっていないこと
 がわかっているなら
>意味不明
 とは矛盾する。印象批評(「悲しい」「垂れ流し」)ではなく、事柄に
 即した具体的・客観的な議論が理性的コミュニケーションと。
 (実際、内容的な反論が殆ど出てこないのが、悲しい。)
300考える名無しさん:02/11/23 08:07
・経済学の誤った理解で、ポルポトや北朝鮮のような取り返しのつかないことを
しでかす思想を弁護する。
・一向に反省も経済学的に満足のいくレスへの返答もしない。
・世界は間違ってる疎外されている。自分だけは正しい認識持ってるから指導し
ないといけない。
と妄想の世界へ浸りきっている人の隔離スレ。
301考える名無しさん:02/11/23 08:10
>煽りには余り乗る気無しだが・・・

マルクス主義のアンチを育てる煽りにみえるぞ、あんたの文章は。
302ぺん(ぺん):02/11/23 08:48
漏れ自身は
必ずしもマルクス主義にシンパシーを感じているわけではないですが
反時代的精神を持つ人は好きですね。
OFWさん、煽りにめげず、これからもがんばって下さい。
(OFWさんは何となく大西巨人さんを彷彿とさせます。
最近文庫化されている『神聖喜劇』は読みましたでしょうか)
303考える名無しさん:02/11/23 08:54
マルクスは偉大だよ
22世紀の哲学史では20世紀の哲学者で最も有名な哲学者となると思う

だから北朝鮮やポルポトという煽りはよくない
弁証法という小難しい表現方法があるから俺は嫌いだけど
304考える名無しさん:02/11/23 09:14
OFWさんも、反応しなけりゃいいのに。
305296:02/11/23 10:01
>>OFW
いやいや、「公務員試験」って書いたのはね、
その程度の基本的な知識くらいは習得してないと恥ずかしいよ、って意味。
公務員の廃絶とかなんとか、そんな話とはまったく関係無い。
公務員という言葉が気に障るようだったら、教科書の練習問題に置き換えてもいいよ。

俺は決して煽ってる訳じゃないので、勘違いしないでね。
306考える名無しさん:02/11/23 12:07
>305
経済学の教科書レベルの知識をOFWに求めるのは、小学生に甲子園レベルの物を
求めるのと同じで酷というものだろう。
このスレの無惨なレスが証明している。
307考える名無しさん:02/11/23 12:30
マルクス主義という観念が現実と遊離しながら、それ故にこそ、現実の中で
とんでもない暴力に転ずる危険についての反省をマルクス主義はするべきです。
全てはそれからです。

・マルクス主義が無かったほうが世界にとって良かった現実無視して、
より悪いマルクス主義で資本主義=民主主義批判するのはやめて下さい。
・世界にとってマルクス主義が役にたった例を教えて下さい。
・北朝鮮とかポルポトをどうにかして下さい。

より良いことを証明する必要があるのは、マルクス主義であって、資本主義
=民主主義の側ではないのに、それを無視して現実に頑張ってる様々な努力
を幼稚にこきおろす(だけで何等有効な処方箋出さない、出す能力なんてこれ
っぽちもなくくだまいてるだけ)のはやめて欲しい。
308資本主義大好き:02/11/23 15:07
>>307
おまえ真性の馬鹿?
マルクスいなかったら、今頃おまえは一日250円の炭鉱労働者だよ。
結果論で全て決めるなこのアフォが!
309考える名無しさん:02/11/23 15:10
俺はマルクスには興味ないですが、
OFWさんのような専門家の方が2ちゃんにいてくれるのは
大歓迎です。
応援しています。
310309:02/11/23 15:12
訂正
>OFWさんのような専門家の方

OFWさんのような「親切な」専門家の方
311あちょー:02/11/23 20:06
>>308
なにが言いたいのかわからない
312あちょー:02/11/23 20:09
労働=価値というのはマルクスの仮定でしかないの?
労働にも様々な労働があるわけで、単純にイコールで結べないですね。
313弁証法嫌い:02/11/23 23:32
その前にマルクス主義のどこが民主主義批判?
マルクスは民主主義を批判してないでしょ
あと資本主義=民主主義てのは誰が言ったの?

労働組合とか労働三法もマルクス主義のおかげと言えるんじゃないかな?

北朝鮮やポルポトには民主主義をまず理解してもらうことが大事かと

弁証法という小難しい表現方法を使うけれども
314考える名無しさん:02/11/24 00:23
様々な社会主義運動や改良資本主義などが共同して作ったともいえるけどな。<労働3法
そのなかでマルクス主義がよくも悪しくもインパクトが大きかったわけで。

弁証法がしんどいというのもあるけど、いわゆるマルクス主義が嫌われているのは、
「困った時の真のマルクス」という風に使われてしまうことが原因ではないんじゃないかな。
これ使われると思想の責任というものがなくなってしまうよ。
もっともこれは「真の市場」という言い方でも可能だ。
本当はこれは思想史や世界史板でやる話題だと思うけどね。

マルクス嫌いな人に逆に質問だが、自分がマルクスが嫌いになるきっかけってなんだと思う?
ちなみに俺は思想はともかく、人物的にはあまりお近づきになりたくないな。
駄目人間だし、うちの○経の教授も友達にはなりたくないっていってた(w
315考える名無しさん:02/11/24 00:34
政治思想板当たりから、アフォが紛れ込んでいるんでしょ。
いい加減にスルーしれ。
まあ、俺自身は労働価値説には納得してないけど。
316考える名無しさん:02/11/25 01:28
>>314
>人物的にはあまりお近づきになりたくないな。

うん。確かにこれはあるね。
だからといって理論や思想までダメとは言えないけどさ。
317考える名無しさん:02/11/26 00:47
>>315
>まあ、俺自身は労働価値説には納得してないけど
なんで?
318OFW:02/11/26 00:54
>>302(ぺん(ぺん)さん)
>『神聖喜劇』
 昔から気になりつつ、なかなか読む機会無しです。
>>305(296さん)
>その程度の基本的な知識くらいは習得してないと恥ずかしい
 どの辺りで「基本的知識を習得していない」と判断されたのかな?
 経済学(ミクロ、マクロ)の基本から議論しても良いが・・・。
  
>>312(あちょーさん)
>労働=価値というのはマルクスの仮定でしかないの?
 繰り返しになるが、労働=価値ではなく、労働=価値の源泉(実体)
 であり、モノではない労働自体に価値はないのです。
>労働にも様々な労働がある
 労働は生産的労働(財の生産・運輸に関わる労働)と、非生産的労働
 (サービス提供等の消費的あるいはコミュニケーション的労働)とに
 大別できますが、価値を形成するのは前者に限定される、とはマルクス
 の主張です。つまり、たとえば床屋や古典的ダンサーの労働は、対象的
 形態を持たないが故に、経済的価値を形成しないわけです。
 (サービス産業隆盛の現代では異論が多いようですが、誤解ですね。)
 GDPの一部を占める「サービス生産」というおかしな用語は経済学独
 自のもの。マルクスは「ブルジョアにとって、利潤を生むものはすべて
 「生産的」と呼ばれる。」(逐語訳にあらず)と皮肉っています。
>>314
>「困った時の真のマルクス」
 前スレでの「マルクス主義は科学か、反証可能性のないドグマか?」と
 いう設問とは少し異なる問題。
 およそ思想もコミュニケーションの一契機ですから、確かに「マルクス
 の真意は何だったのか?」といった問いには、余り意味がないでしょう。
 真理とは「概念と実在の一致」であり、思想だけで真偽は問えない。
319考える名無しさん:02/11/26 01:18
>およそ思想もコミュニケーションの一契機ですから

これがいま一つわかりません。
それに思想の責任とはありえないのですか?真理という形で思想の責任で逃げてませんか?
320考える名無しさん:02/11/26 01:19
思想の責任で⇒思想の責任から
です。
321Kurihara:02/11/26 02:58
まぁ、OFWさんの説明ではわからないので、
僕が共産主義とは何かを説明しましょう。
それはずばり「社員が同時に株主であるような会社が
一般的であるような社会形態」を共産主義というのです。
つまり、社員=労働者が同時に株主=会社の所有者である
ことが共産主義の条件なのです。
これは国立銀行がすべての会社の株を所有することによって
も可能でして、いずれそうなるでしょう。その時、
すべての労働者は公務員となり、結果、公人と私人との区別は
廃棄されるのです。
それが初期マルクスの『ヘーゲル国法論批判』の
革命プログラムでもありましたよね。
まあ、実現可能な"可能なる共産主義"があるとしたら、
そんなところでしょうかね。
322○研究の最先端では、すでに弁証法は否定されていますが、何か?:02/11/26 10:16
分析的マルクス主義 Analytical Marxism(AM) とは、近代経済学や数学、論理学などの成果を
積極的に導入してマルクス主義の現代化を進めようとする学派のこと。従来のマルクス主義の
「悪しき伝統」である明晰さ(論理)の欠落、仲間うちでしか理解できない方法論などを拒否し、他の
学派との開かれた討論を尊重している。
これまでの成果として紹介されているのは次の6つ。
1.方法 → 弁証法の否定(Elster)
2.史的唯物論 → 現代形式論理学の手法による再定式化(Cohen)
3.搾取と階級 → マルクス経済学のミクロ的基礎の構築(Roemer)
            現在の複雑化した階級構造の定式化と実証分析(wright)
4.国家と革命 → 合理的選択新制度論、ゲーム論的アプローチによる階級闘争等の分析(Przeworski,Taylor)
5.社会主義システム → 自主管理型市場経済主義(Elster&Moene),経営者管理型市場社会主義(Roemer)
6.倫理 → ロールズの規範倫理学の復権の流れを受けた正義,平等に関する研究(Buchanan,Peffer,Geras,Wood)
323考える名無しさん:02/11/26 10:54
>>322
体育会的な単純さがいいですよね。 
324考える名無しさん:02/11/26 10:55
俺もアナマル経由でマルクスに興味もってます。
弁証法が嫌いな所って真理の独占し、搾取しようとするいやらしさがあるんだ。イメージ的に
数理哲学の成果を片面的であるといって切り捨て、自分の土俵でしか戦おうとしない。

ノージックが帝国主義的ユートピアの典型としてマルクシズムをあげる心情はわかるよ。
325考える名無しさん:02/11/26 12:20
>>19
結局マルクスの経済論や社会論は19世紀の西ヨーロッパ世界を考えている
んだよね。
マルクスの理論で現在の経済やら、社会を論じることって無理でしょう。
たしかに部分的に役立つ部分もあるけど、マルクス理論全体からは完全に
切り離されてるよ。
弁証法をつかえばマルクス的だというけど、弁証法はマルクスの特権では
ない。
おひさです

>>322-325の展開いいですね 

特に、>>323 ワラタ

>>324 アナマル・・でつか(w
327ねこ:02/11/26 21:29
「あなまる」 知りませんでした 詳述きぼーん(^^
(でも、上記を読むと、すでにマルクス主義では無いような気も・・)

マルクス主義が今世紀以後もその名を残していけるかどうか、
すなわち、マルクス主義の、たる所以は、

労働力の搾取を否定することによって、
資本主義社会を「止揚」できるかどうか
(その見取り図がそもそも妥当なのかどうか?)
328ねこ:02/11/26 21:35
ミクロ(?)で言うと

現在「ルサンチマン」的な実存である「プロレタリアート」に、
「本来の生(????)」を、「回復」させられるかどうか、
だと、「直感的に」思っています
(「詩的」な表現ですみません、ついでに「無限ループ」ぽくて
らすみません)

アナマルでも、これらが実現できれば
これらの実現を目指すなら、OKだと思うんですが
329ねこ:02/11/26 21:38
敷衍すると、

アナマルが、単なる知的遊戯に堕するのではなく

被抑圧者の解放のための武器という
マルクス主義の(私の考える)目的のための
「変身」であることを、切に願うものであります(^^
330弁証法嫌い:02/11/26 23:34
>>322
マジですか?!
弁証法の小難しい表現がのってないマルクス解釈本てありますか?

331考える名無しさん:02/11/26 23:41
>>324
>弁証法が嫌いな所って真理の独占し、搾取しようとするいやらしさがあるんだ。

それはヘーゲルの弁証法であって、オリジナルのマルクスの唯物論的弁証法とは関係ないと思われるが……

>>330

マルクスの解釈として読むのはいいが、マルクスの解説として読むことはできないよ。
マルクスから弁証法を取ったら、骨のない骨つき肉みたいなもの。
332弁証法嫌い:02/11/26 23:51
>>331
了解

>骨のない骨つき肉
ワロタ
333考える名無しさん:02/11/26 23:58
>マルクスの解釈として読むのはいいが、マルクスの解説として読むことはできないよ。
>マルクスから弁証法を取ったら、骨のない骨つき肉みたいなもの。

まだ、こんな寝言逝ってる香具師がいたんだ・・・
これだから○は謹啓の連中から訓詁学の垂れ流しと馬鹿にされ続けるんだよ。
334考える名無しさん:02/11/26 23:59
376 :金持ち名無しさん、貧乏名無しさん :02/11/17 01:52

個人的には、マルの未来は、地味なマルクス文献学か数理マルクスか規範理論しかないです。
マル系の実証は理論のできないテイノウです。
資本論研究は高水準ですが、停滞しています。
ポストモダンと弁証法の連中がのさばって知的退廃を招いています。
社会思想としてマルをやるなら英米規範理論を軸にやればいいのに、どうしても
知の欺瞞的なものにはしる物象化バカが多い。
よく誤解されますが、政党の犬とか朝鮮の賛美者みたいのはあんまりいません。
335考える名無しさん:02/11/27 00:02
336考える名無しさん:02/11/27 00:04
>>333
だからマルクスの解釈としてOKだって言ってるでしょ?
337考える名無しさん:02/11/27 00:15
これから○やる人は経済学専攻じゃなくても
数学できないと他の学派と伍していけないよ
○以外の誰からも相手にされない、ただの独り善がりになっちゃうよ。



338考える名無しさん:02/11/27 01:57
>>322
マルクス主義から、当時の際物的要素を濾し取るのは、ぜひやってほしいことですが、
そうするにあたって、「現代」という、これまた現代に生きるわれわれにとってこれ以上
無いぐらいの際物をもってするのは、傍から見る限り滑稽です。

「いまどき」の鋳型へ流し込むのではなく、むしろ、毒をもって毒を制するというか、その
「悪しき伝統」により継承された濁りを正しく把握し、引去る方が適切です。
339考える名無しさん:02/11/27 06:49
>>338
それは、更なるカルト化への道を突き進めということ?
340考える名無しさん:02/11/27 14:55
むしろ欠点と限界があることを承知しながらも、マルクスの使った哲学を重視するということだと、
好意的に解釈したのだがな。ミスるとカルト化しかねないのはいうまでもないが…

あとねこさんの丁寧な疑問にかんしていうならば、本来の姿という形で解消するのは無限ループになりそう。
ただやっぱりルサンチマンを抱える存在としてのプロレタリアートをどうするのかで躓いたのだと思います。
この点は後日まとめます。

ただアナルティカルマルキシズムでそれが解消できるかは…不正の証明、公正の道しるべにはなりますが
逆にいえば心躍るヴィジョンは与えづらいと思います。
341考える名無しさん:02/11/27 19:09
新しい世代のマルクス主義者によって、既存のマルクス主義の非論理性を批判し、
ゲーム理論や主流派経済学、論理学などの近代的分析ツールの導入によって、
マルクス主義を活性化、再構築しようとする学派が生み出された。
それが数理マルクス経済学とアナリティカル・マルクシズムです。

数理マルクス経済学、分析的マルクス主義の展開によって
達成された意義を簡単に述べると
『資本論』から「明らかにいえること」以外のすべてを排し、
また饒舌なるレトリックの数々をことごとく除去し、冷徹な実証理論のみを生かすということ。

労働価値概念に立脚する古典的マルクス主義の搾取理論解釈は、
まさに数理マルクス経済学、分析的マルクス主義の反証可能な手続きによる検証に依って、否定された。
342ねこ:02/11/27 20:35
>>335 紹介ありがとう 買ってみようかな >あなまる

>>340 丁寧なレスありがとう
>ルサンチマンを抱える存在としてのプロレタリアートをどうするのかで
>躓いたのだと思います。
>この点は後日まとめます。

ぜひ、お聞きしたいです
自分は、学生生活の最後の頃、資本への奉仕としての存在である
プロレタリアートとしてしか、自らの生を実現できないのだーーーーとか
考えすぎて(笑、軽いノイローゼになりました

で、今は、当然プロレタリアートなんですが(^^;
なんというか、言い訳しやすいプロレタリアートとして、
日々を生活して、あの頃の苦悩(?)は、
まぁ、誤魔化してるわけです(苦笑
343ねこ:02/11/27 20:52
ですが、日々、上記の苦悩(?)を忘れたことがないのも、
一方の事実でして、なわけで、時々○スレの末席を汚してる、
ということになりまつ(^^;

>>340さん
>不正の証明、公正の道しるべにはなりますが
>逆にいえば心躍るヴィジョンは与えづらいと思います。

厨房的心理は、一発大逆転の革命を求めるものですよね >俺
しかし、一方で、学生の頃から、(当然でしょうが)
「マルクス主義パラダイムの」限界というものも
実感として感じていたように思います

それは、現在の分哲や数学、経済学から見て
ソフィスティケイトされていない、という点とは別の点で

 ・・うまく表現できないのですが、昔(wで言う、
実存、今風だと<私>の問題圏かなーと思ってまつ
344ねこ:02/11/27 20:53


ところで、>>341さん
>労働価値概念に立脚する古典的マルクス主義の搾取理論解釈は、
>まさに数理マルクス経済学、分析的マルクス主義の反証可能な
>手続きによる検証に依って、否定された。

この辺りは本を読むとわかるのだろーか? 長々とすまそ
345横レス野郎:02/11/27 21:57
>>ねこさん

マルクス経済学の数理化と、労働価値論争の帰結については、
>>335で紹介された『アナルティカル・マルクシズム』にごく簡単な紹介があります。でも、
http://books.yahoo.co.jp/bin/detail?id=30732792
あたり読むと、そんな簡単に割り切れるもんでもないみたいですが。

また、数理マルクス経済学の成果を取り入れたマルクス経済学の教科書である、
http://books.yahoo.co.jp/bin/detail?id=18466100
の転形問題を論じた部分は参考になると思います。
この本は、弁証法をほぼ完全否定していたり、資本論とは逆の「下降法」を採用したり
と非常に斬新で、私の好きな本のひとつです。著者の高須賀氏はこの本を刊行した直
後に残念なガら急逝されたのですが、ゼミ生の方々が本書を(批判的に)継承した
http://books.yahoo.co.jp/bin/detail?id=30482825
を出しています。合わせて読まれることをお勧めします。

ねこさんの>343のカキコ、なんかすごーくよく分かります(私もリーマン)。
ただ、だからこそ逆に、今は哲学よりも経済学の方をもっと深めたい、と思っています。
この辺の心理はちょっと説明し難いんですけどね。
346横レス野郎:02/11/27 22:03
おまけ
>>329
>被抑圧者の解放のための武器という
>マルクス主義の(私の考える)目的のための
>「変身」であることを、切に願うものであります(^^

こういうマルクス主義のスピリット(笑)は、むしろアナマルの方に強く感じます。
それに比べて、私が学生の頃所属していたゼミの(r
347考える名無しさん:02/11/27 22:42
マル経って、2ちゃんで叩かれてる割には就職は良いし
女の子も多いのねん(あんまし数学使わない楽勝科目だからかもしれんが)
348考える名無しさん:02/11/27 22:59
OFWさん、質問でーす。
おいくつですか?
349考える名無しさん:02/11/27 23:00
OFW来ないね
350考える名無しさん:02/11/27 23:22
>>341
そういった、現代的な異なるフレームへのマルクス主義の肝の移植ではなくて、
もっと司書がそうするように、著者(とその後継者)の歴史的立場をふまえて、彼
らの欺瞞(確信犯も含めて)を外科手術的に抜き去るのはどうかといいたかった
のです。

マルクス主義に関しては、マルクスが煽動のために盛り込んだ欺瞞の方が、
特に補強され、継承されてきたいきさつがありますので、特に。
351考える名無しさん:02/11/27 23:32
なんか年寄りの○って、簡単な通俗書すら読まずに
頭ごなしに数理○や穴○を否定したがるひとが多いよね。
反対に若い人からは別にマルクス主義者でなくとも
好意的な反応が返ってくる場合が多い。
なんなんでしょうかね、これは?
352どれでしょう?:02/11/28 01:31
>>351
1.自分だけが真にマルクスを理解しているという知的驕慢。
2."ブルジョワ経済学"の雑誌に論文を掲載し、"ブルジョワ学者"と討論
 しているから、「あいつらは敵だ!」と思ってる。
3.いわゆる教条主義。マルクスの原典は教条主義者にとっての聖書み
 たいなものだから、一字一句変えてはならない。
4.通俗書を読んだけど良く分からない。
5.かつてスターリンが経済学で数学の使用を"禁止"したことの名残。

他にあるかな?
353考える名無しさん:02/11/28 01:38
OFWはどっかのおじいちゃん教授だろーな
354考える名無しさん:02/11/28 02:03
じゃ、質問をひとつ。
>>OFWさん

>労働は生産的労働(財の生産・運輸に関わる労働)と、非生産的労働
>(サービス提供等の消費的あるいはコミュニケーション的労働)とに
>大別できますが、価値を形成するのは前者に限定される、とはマルクス
>の主張です。つまり、たとえば床屋や古典的ダンサーの労働は、対象的
>形態を持たないが故に、経済的価値を形成しないわけです。
>(サービス産業隆盛の現代では異論が多いようですが、誤解ですね。)

サービス残業が増えているからこそ、「マルクスの価値論が現代では成立
成立しないのではないか」という疑問が生じ、そのために"異論"が増えてい
るのでしょう?それをマルクスの主張とは違うという理由で誤解と決めつける
のはいかがなものでしょうか?
"異論"を主張しているほとんどの論者は、別にマルクスを誤解しているわけ
ではなく、マルクスの主張を理解した上で、それが21世紀の現実とは合わなく
なっているという判断をした上で、”異論"を唱えているように思います。
"異論"を認めないなら認めないで構わないのですが、少なくとも"異論"が
なぜ今、どのような意図をもって主張されているのかを正面から受け止めた
上で反論すべきではないでしょうか?マルクス主義が宗教ではないのならば。
355 :02/11/28 17:39
まず資本家対労働者って図式が現代では成り立たないよね。
356考える名無しさん:02/11/29 23:52
OFWはどーしたage
357考える名無しさん:02/11/30 15:47
結局、現代のマル経って資本論で使えそうな部分を切り取ってきて、
論じてるってことね。
それって、もはやマル経とは言わんだろう。
なにもマルの名を冠さずともいいような感じです罠。
358OFW:02/11/30 16:47
>>319
>これがいま一つわかりません。
 思想は他者に伝達され、自他の行為に影響を与えて初めてその実が示さ
 れる、ということです。思想は共同的・精神的な相互行為だということ。
>思想の責任とはありえないのですか?
 およそ責任とは主体(個人、集団)に対して問われ得るもので、思想自
 体には真偽(現実との一致)しか問えないでしょう。
 マルクスが一定の思想を喧伝して他者に影響を与えた場合、その責任は
 マルクスにある。また他者がマルクスの影響を受けて、さらに他の者に
 影響を与えた場合、当人の責任はマルクスの責任とは異なる。影響を受
 けた者とて責任は逃れられない。思想主体の責任とはそういうもの。

>>325
>マルクスの経済論や社会論は19世紀の西ヨーロッパ世界を考えている
 だけではなく、世界観・歴史観としての射程は遠大です。
>マルクス理論全体からは完全に切り離されてる
 優れた理論は全体から部分を切り離すことはできない(弁証法の“教え”
 (笑))以上、実際には優れた理論でないか、全体を切り離しているか
 (換骨奪胎)、のいずれかでしょうね。

>>341
>既存のマルクス主義の非論理性を批判
 旧ソ連等の自称マルクス主義(実は国家資本主義)党官僚や多くの教条
 主義的学者については妥当的だが、批判の眼目はマルクス自身の弁証法
 =非論理性?の否定と、現行資本主義システムの肯定にあると思われ。
>反証可能な手続きによる検証に依って、否定された
 と“反証不可能”的に(=勝手に)言っているだけかと。
 (ポパー流科学論の前提のおかしさは、前スレで触れたので省略。)
359OFW:02/11/30 16:48
>>348
>おいくつですか?
 まぁそれなり。ネット上では類の一員であり、個人属性は無用かと。
>>353
>どっかのおじいちゃん教授だろーな
 ハズレ。大学、学会とは無縁。

>>354
>サービス残業
 ではなく、サービス産業(流通、サービス業等の第3次産業)です。
>マルクスの主張とは違うという理由で誤解と決めつける
 「マルクスの主張とは違う」ことは誤解そのものであり、誤解と断定し
 た理由にあらず。理由は前スレからの労働価値説の説明に示した通り。
>それが21世紀の現実とは合わなくなっているという判断をした
 「21世紀の現実」とは何を指しているのかな?
 貧困は過去のものとなった? 大衆は自由を謳歌している? 賃労働者
 は資本家と対等になった? 疎外・物象化は克服された?
 「九月十一日の同時多発テロは、世界を震撼させた。・・・だが瓦礫の
  山となった廃墟には、中南米やアジア、「中近東」からの移民労働者
  や「不法労働者」たちの屍も散乱している。・・・かってマルクスが
  スウェット・ショップ(搾取工場)と呼んだ劣悪な環境のもとでの低
  賃金の長時間労働の場は、摩天楼のようなオフィスビルのなかに存在
  していたことになる。」(姜尚中編『ポストコロニアル』序文)
 経済学者が繰り返す「搾取は存在しない」という言明は、モデル(仮構)
 上での真に過ぎないことが、現実によって反証されたことになる。さて、
 反証可能な科学はどう答えるかな?
360OFW:02/11/30 16:51
>>359
 誤:『ポストコロニアル』  正:『ポストコロニアリズム』
361考える名無しさん:02/12/01 00:01
こういうところにマルクスの宗教臭さを感じるんだよね
362354:02/12/01 01:51
>>OFWさん

ご丁寧なレスを頂きありがとうございます。

>ではなく、サービス産業(流通、サービス業等の第3次産業)です。
失礼しました。私の書き間違いでご指摘のとおりです。

> 「マルクスの主張とは違う」ことは誤解そのものであり、
う〜ん、そうでしょうか?
前スレが読めないのでOFWさんの主張が今ひとつよくわからないの
ですが、サービス産業の価値について論じているほとんどの方々は、
マルクスを理解した上で、「マルクスはこういった。でも私はマルクスは
この点では間違っていると思うので(もしくは時代の制約があるので)、
自分の説としてこういう主張をしたい」と言っているように思います。
サービス産業の価値を論じた人はすべてまともな読解能力もない人たち
なんでしょうかね?私にはそうは思えませんが…

> 「21世紀の現実」とは何を指しているのかな?
「サービス産業が増えてきた」ことを指しています。それ以上のことは言って
いません。私の前レスを普通に読めばお分かりになると思いますが。
("サービス残業"と書いてしまったのはチョンボでしたけどねw)

> 「九月十一日の同時多発テロは、世界を震撼させた。・・・
>経済学者が繰り返す「搾取は存在しない」という言明は、モデル(仮構)
>上での真に過ぎないことが、現実によって反証されたことになる。
「資本主義社会は非常に複雑であるから、どんな理論でも、その証明となる
個々の事実をみつけようと思えば、いつでもみつけだせる。」
「反証可能な科学」ではなく、レーニンさんって人のお答えです。
363考える名無しさん:02/12/01 01:57
教条主義者は個々の典型的ではない事実を盾にとって、マルクスのあらゆる命題が
不変であることを証明しようとする……
教条主義者は「正統」マルクス主義者をもって自任している。だが、本当のところは、
かつてマルクスが冗談に、自分は「マルクス主義者」ではない」と言ったことがあるが、
教条主義者はまさにその種の「マルクス主義者」なのである。

ヴァルガ『資本主義経済学の諸問題』
364考える名無しさん:02/12/01 11:22
ニューヨークの不法労働者がサービス産業に従事していたら
どうなるのかね?
サービス産業は価値を産まないから、当然搾取も無いわけだよね?
365OFW:02/12/01 21:56
>>361
>マルクスの宗教臭さを感じる
 悟性的明晰さのみを本分とする人にとっては、そう感じられるのも無理
 ないとも言えるが、資本主義世界の“合理的”不条理(“拝金教”ある
 いは物象化)に対して、マルクスの方が“脱魔術”を施しているとも言
 え、その点を理解するためにも、唯物論(無神論)が肝要かと。

>>362(354さん)
>サービス産業の価値を論じた人はすべてまともな読解能力もない人たち
>なんでしょうかね?
 と言うより、<価値>を論じた学者は、私の知る限り、現象論に留まっ
 ているということです。マルクス価値論(資本論)の眼目である<価値
 実体>および<価値形態>概念については、弁証法的な考察が必要であ
 り、ヘーゲルが初めて主題化した本質規定(反照規定)および主体の実
 体化(とその逆)を踏まえなくては、十分な理解は難しいと思う。

>個々の事実をみつけようと思えば、いつでもみつけだせる。
 上で言ったのはまさにその点であり、本質とは諸関係の総体として必然
 的に現実化する自己同一的存在を言いますから、個々の現実が必然的
 (本質的)なものなのか、偶然的(非本質的)なものなのかは、対象の
 本質認識に関わる。「搾取の存在」は社会関係全体として見えてくるも
 のであり、形式的・個別的に「搾取の有無」を論じても、意味がない。
 しかし、一定の理論に対する反証例として個別の事実を提示することは
 可能であり、その場合、説明責任は「搾取の非存在」を主張する理論の
 方にある。たとえば、<一般化された商品搾取定理>(ローマー)とい
 うアドホックな仮説(鉄の搾取!?)を持ち出して搾取概念を変改した
 り、「これは搾取と呼ばない」として、理論を固守することはNGです。
366OFW:02/12/01 21:57
>>364
>サービス産業は価値を産まないから、当然搾取も無いわけだよね?
 『資本論』で<搾取>(exploitation)という用語は下記で現れます:
 「すでに見たように、労働者は、労働過程のある期間中は彼の労働力の
  価値、すなわち彼の必要生活諸手段の価値を生産するにすぎない。労
  働者は、社会的分業に基づく状態において生産するのであるから、彼
  の生活諸手段を直接に生産するのではなく、ある特殊な商品、たとえ
  ば糸の状態で、彼の生活諸手段の価値・・または彼が生活諸手段を購
  買するのに用いる貨幣・・に等しい価値を生産するのである。」
 「それは労働者にとって必要である。なぜなら、彼の労働の社会的形態
  にはかかわりなく必要だからである。それは資本とその世界にとって
  必要である。なぜなら、労働者の永続的な定在は資本とその世界との
  基礎だからである。」
 「剰余価値の可変資本に対する比は剰余労働の必要労働に対する比と等
  しい。すなわち、剰余価値率m/v=剰余労働/必要労働 である。
  両方の比率は、同じ関係をあい異なる形態で表現するのであって、一
  方は対象化された労働の形態で、他方は流動的な労働の形態で、表現
  する。したがって、剰余価値率は、資本による労働の、または資本家
  による労働者の、搾取度の正確な表現である(30a)。」
  (『資本論』第1巻第7章第1節労働力の搾取度)
 
 搾取度とは剰余労働(時間)と必要労働(時間)の比で表される搾取の
 度合いであり、必要労働とは社会的形態そして産業分野によらない、労
 働者の生活(労働力の再生産)に必要な社会平均的な労働を指します。
 つまりたとえば、整髪労働が平均的労働者の生活のために必要な限り、
 床屋主人に雇われた賃労働者も搾取されているわけです。
 実際、ここにあるのは、貨幣と呼ばれる一般的等価物が示す絶対的な威
 力(物象化力)です。モノではないすべての存在を商品として市場に呼
 び出し、モノ的存在に変えて取引の対象にしてしまう。現代のサービス
 産業では、遊びや感情すら商品化されている通り。
367考える名無しさん:02/12/01 22:24
ニューヨークの不法労働者の労働は平均的労働者の生活のために
必要だったんでしょうか?
もしそうじゃなかったらどんなにキツイ労働でも搾取じゃない、ってこと???
368考える名無しさん:02/12/01 22:57
従来のマルクス主義の「悪しき伝統」である明晰さ(論理)の欠落、
仲間うちでしか理解できない方法論などを拒否
369考える名無しさん:02/12/02 11:24
OFWって屁理屈と薀蓄をこねるけど、
じゃ、一体どういう経済政策を実施すればよいのかまったく実像がつかめ
ないんだよね。
○経から人間関係、社会まで論じようとしているけど、それは無理だろう。
あんた経済学以外の人文科学に精通しているか?
370362:02/12/02 14:55
>>OFWさん

ご丁寧にありがとうございます。勉強になります。

私は経済学の方からマルクスに興味を持ちましたので、哲学用語を駆使
されると正直言ってよく分からない部分があります。
例えば、手もとの教科書をみると、労働価値説とは「総投下労働=
社会的純正産物の価値」となるように集計因子を設定する評価体系、
とあります。この方がすっきりしていて私のような非マルキストには分り
やすいのですが、やっぱり"現象"と"本質"の区別とか、"弁証法"とかは
必要なんでしょうかね?
まあ、ここは哲学板ですし、私ももっと勉強してみることにしますね。

>一定の理論に対する反証例として個別の事実を提示することは可能
>であり
あれを反証と見てくれますかねぇ〜?どうかなぁ…
単に「ニューヨークに不当に安い賃金で酷使されてた労働者がいた」っ
てだけですよね。
それだったら、何も労働価値説を持ち出さなくてもいくらでも説明が付く
と思うし、解決に向けた現実的な提言も出来る(そうした社会的問題に関
して(主流派)経済学者の関心が薄い、という問題はあるかも知れません
が、それとこれとは別の話)。
労働価値説を否定する論者は、過酷な労働を強いられている労働者が
いる事実まで否定してるわけじゃないですからね。そうした事実を説明す
る理論として、果して労働価値説(搾取説)は妥当なのか否かを問題視し
てるわけですから。マルキストが「これぞ搾取!」と考えるような事実を
突き出して「ほら、ここに搾取があるじゃないか!」と言ってもすれ違いの
ような気がしますけど…

あと、「一般化された商品搾取定理」は、RoemerじゃなくてBowles&Gintis
ですよね。つまらん揚げ足取りみたいですみませんが、一応確認。
371考える名無しさん:02/12/02 19:00
>私は経済学の方からマルクスに興味を持ちましたので、哲学用語を駆使
>されると正直言ってよく分からない部分があります。

左翼の生き残りはアナラティカルな方向と物象化論的方向の二つがあります。
いわゆる「知の欺瞞」論争は前者が後者を標的としたものです。

>例えば、手もとの教科書をみると、労働価値説とは「総投下労働=
>社会的純正産物の価値」となるように集計因子を設定する評価体系、
>とあります。この方がすっきりしていて私のような非マルキストには分り
>やすいのですが、やっぱり"現象"と"本質"の区別とか、"弁証法"とかは
>必要なんでしょうかね?

そのような議論こそマルクス経済学から排除せねばならないものだと考えています。
372Kurihara:02/12/02 20:41
全ての人が公務員になれる社会が社会主義です。
こうすれば、失業問題は直ぐに解決ですね。
みなさんが社会主義を嫌う理由が、僕には解りません。
373考える名無しさん:02/12/02 20:44
きみは今なに読んでんの?

哲学やめたの?
そんなことゃってて就職できなくなっちゃうよ
374Kurihara:02/12/02 20:54
>>373
ぺんぺんさんと初心者さの1さんと第4期批評空間を創刊して、
それで生計を立てる予定です。
375考える名無しさん:02/12/02 20:57
共同討議は大森哲学のアクチュアリーってか(藁

君は論文カケンノカイ
376Kurihara:02/12/02 20:59
情報曼荼羅で毎日書いていますが、何か?
377考える名無しさん:02/12/02 21:08
なに情報曼陀羅て
378Kurihara:02/12/02 21:19
379考える名無しさん:02/12/02 21:27
それ君のサイトじゃん
しらんかった でも論文じゃなくて日記だね 弁護士になるんだ
逆転サヨナラ満塁ホームラン狙ってせいぜいがんばってくれい 
今気づいたけど sageでレスしたことってある?
380Kurihara:02/12/02 21:29
ありません。
僕は常にあげの精神ですから。
381考える名無しさん:02/12/02 21:37
確かに論文ではないけど結構きちんとしたこと言ってるのね
でもこの文章を読むとOFWさんが固執する唯物弁証法とは沿わない気がするけど?
382考える名無しさん:02/12/02 21:42
そうだね 自分のことちゃんとわかってるって感じ
383Kurihara:02/12/02 21:44
OFWさんは僕がいずれ粛清します。
384考える名無しさん:02/12/02 22:23
法学の勉強大変なの

おれも弁護士になろっかな
385考える名無しさん:02/12/03 10:51
社会学ではすでに20世紀に初頭にマルクスを葬り去っていました。
マルクスの言うような資本家と労働者の対立やら疎外は存在しないことが
分ったからです。
社会学史ではマルクスについて触れることがありますが、その理論は発展の余地
がないことが分っています。
まぁ、マルクス主義○○なんてありますけど、あくまでもマルクス理論で役立つ
部分を抜き出して調査法に取り入れていますが、それは理論というより、
答えを出すための公式というか、社会現象を整理するためのツール程度の役割
しか担っていません。
まぁ、趣味学でマルクスをやるならいいですけどね。
386考える名無しさん:02/12/04 02:07
私は完全に趣味です。
そうじゃなきゃ、まともな人生歩めないっすよ。
387考える名無しさん:02/12/04 02:56
【マルクスその可能性の中心in2ちゃんねる】
http://mentai.2ch.net/philo/kako/991/991174571.html

【マルクスその可能性の中心in2ch P2】
http://academy.2ch.net/philo/kako/1013/10139/1013920075.html
388考える名無しさん:02/12/04 16:42
で、社会思想の方面からマルクスを語ったり、
経済学の立場からマルクスを語ることに、
哲板的にはどういった価値があるんすか。
OFWさんが労働価値説にこれだけ拘る理由も、
よく判らないんですが。
389考える名無しさん:02/12/05 14:37
Kuriharaセンセイ、東京に来なよ。
せっかくの青春を広島で新聞配達で過ごすのは勿体ない。
まだ20代なら未経験でもいろんな業界に顔突っ込めるし、
在野の研究会とかしょぼい社会運動もいろいろあるし。
高等遊民系だめ人間も俺みたいなのが一杯いるし。w
末期資本主義の中心都市でスキゾ人生を満喫しよう。
以上、堕落のお誘いでした。
390OFW:02/12/06 22:16
>>367
>ニューヨークの不法労働者の労働は平均的労働者の生活のために必要だ
>ったんでしょうか?
 >>359で引用した文章の省略した部分にはこうあります:
 「彼らの3K労働なしには、世界金融センターは片時たりとも維持でき
  ないのである。世界貿易センタービルは、まさしく世界システムの縮
  図そのものだったのである。」
 姜尚中氏が述べているように、世界貿易センターの維持は世界経済シス
 テム中心の維持であり、それ(不法労働)はその中(世界経済システム)
 で生存している、われわれを含めた“すべての”労働者の生活のために
 必要だった、と言えるのでは? 労働者は単一の階級を形成している。
>もしそうじゃなかったらどんなにキツイ労働でも搾取じゃない、ってこ
>と???
 たとえばどのようなサービス産業を指しているのかな?
 某知事が提唱しているようなカジノ産業(賭博産業)?
 すでに現代の資本主義経済は「カジノ経済」(あり余る貨幣幻想(信用)
 が実体経済を手玉にとる)段階とも言われており、資本にとってカジノ
 は不可欠と言えるでしょうが。

>>369
>どういう経済政策を実施すればよいのかまったく実像がつかめない
 どういう社会経済体制を構想するのか、という点なら、モデルは十分に
 可能であり、シンプルでしょう。たとえば、>>173-176を具体的にする
 だけでも良い。
391OFW:02/12/06 22:17
>>370(362さん)
>労働価値説とは「総投下労働=社会的純正産物の価値」となるように集
>計因子を設定する評価体系とあります。
 少なくとも、マルクスのもの(実体としての必要労働)ではないですね。
 上の等式でいう価値とは価格(価値の貨幣表現)であり、その大きさは
 貨幣量で計るしかない。それは労働(通常は人日等で計られる)と単位
 が異なり、相互の換算には<賃金>ならぬ<価値形成労働>が必要。
>"現象"と"本質"の区別とか、"弁証法"とかは必要なんでしょうか
 弁証法はともかく、およそ科学とは本質から現象を説明する営為と定義
 できるでしょう。たとえば物理学では、感性的な<色>を非感性的な
 <電磁波>から説明します。両者は似ても似つかぬ代物ですね。
 「現象が本質と同一なら、およそ科学(学問)など存在しなかったろう。」
 (マルクス)
>何も労働価値説を持ち出さなくてもいくらでも説明が付くと思う
 上記の補足引用にある通り、少なくとも、姜氏らはそれを現代世界経済
 の本質の現れ(現象)とみて、その政治経済的な本質を『ポストコロニ
 アリズム』と呼んでいます。単に一例ではなく、多くの現象から偏在的
 な法則性を抽出して、その現実性(必然性)を総体的なシステムの中に
 位置づけることは、本質から現象を説明すべきすべての学問の使命です。
 19世紀末からの(経済学を含めた)諸科学で優勢となったように、
 対象を量化して、計算することが科学的説明ではない、ということ。
 アドホック(こじつけ的)な仮説(モデル)ならいくらでも作れるが、
 優秀な(科)学者とは、例外的事象の中にも本質的な現われ(実体)を
 洞察し、より具体的で必然的な対象に向かうものです。
>解決に向けた現実的な提言も出来る
 資本主義的現実の解決は資本主義の本質に関わるから、その枠内では解
 決は難しい。現実性とは現実の必然性(他であることの不可能性)です。
>「一般化された商品搾取定理」は、RoemerじゃなくてBowles&Gintis
 直接的にはそうでしたね。スマソ。
392OFW:02/12/06 22:17
>>371
横レス失礼
>いわゆる「知の欺瞞」論争は前者が後者を標的としたものです。
 物象化論というより、ポストモダニズムを標的にしたのでは?

>>385
>資本家と労働者の対立やら疎外は存在しないことが分ったからです。
 それはすばらしい!
 しかし、現実に対立やら疎外が存在する以上、社会学理論(モデル)の
 方が見直されるべきではないかな?
 前にも書いたが、「マルクス経済学に「賃金奴隷」という用語は存在し
 ない。」と言った経済学者のように、「我々の理論から言えば、これ
 (対立)は例外的事象に過ぎず、本質的なものではない。」として事象
 の必然性を見なければ、理論は“反証可能性のないドグマ”になる。

>>388
>哲板的にはどういった価値があるんすか。
 哲学とは<存在の根拠を反省する精神的営為>と定義できるでしょう。
 そして「汝自身を知れ」ということは哲学最大の課題であり、アリスト
 テレスが「人間とは社会(ポリス)的動物である」と洞察して以来、
 人間存在の社会的本質への問いは哲学的反省の始めにくるべきものかと。
>労働価値説にこれだけ拘る理由
 「存在の真理は運動(働き)」(弁証法)であり、自然的人間の本質と
 労働とは不可分(唯物論)。特に近代社会の人間疎外(物象化)の根源
 には労働の疎外がある。人間の奴隷化、即物(俗物)主義、無精神・・
393考える名無しさん:02/12/07 01:17
資本主義社会に矛盾を感じたからといって、
単純にマルクスに走ることはお勧めできません。
というのも、市場経済に対する批判なのか、政治制度に対する批判なのか、
あるいはその両方の批判かで学ぶべきものは様々に変化するからです。
マルクスは思想家としては興味深い人物なのですが、
政治体制や景気循環を語る上では根拠のない楽観でもって共産主義を主張しています。
また、市場経済や政治体制を批判するには、
何よりもマルクスではない経済学に精通している必要があります。
従って、バランス良く経済学を学んで、
その中から特に自分にとって興味関心のあることを頑張ってください。

私自身の考えとしては、マルクスに古典的価値はあるものの、
イデオロギーとして信奉するにはあまりにも致命的難点があると言わざるを得ない、
というのが素直なところです。
394考える名無しさん:02/12/07 07:18
保障や福祉は『大きな政府』に因って約束されるが大きな政府ということは政府の権限が強いということ、専制や封建国家のような中間体のない人民が政府の完全な支配下にある国家、それを共産主義国家という。
395考える名無しさん:02/12/07 07:24
要するにへーゲルに走る奴は直線的で素朴な頭の持ち主、マルクスに走る奴は美しいものや強いものに反感を抱いてつまらない自分、というか同族の醜い馴れあえるものたちに他を平準化しようとするルサンチマンでしょうね。
396OFW:02/12/07 08:08
>>393
>資本主義社会に矛盾を感じたからといって、単純にマルクスに走ること
>はお勧めできません。
 その通りです。矛盾を感じる→矛盾の原因あるいは根拠を探る が必要。 
>根拠のない楽観でもって共産主義を主張しています。
 はて、その根拠は? そのようなことはないはずだが・・・。
>何よりもマルクスではない経済学に精通している必要があります。
 むしろ、それらが自明の前提にしている基礎に精通する必要があります。
 さらに、資本主義経済の現実に精通している必要があり、それが何なの
 か、という対象の本質を理解することが何よりも必要です。
 経済と経済学を同一視することは、経済学をイデオロギーにしてしまう。
>イデオロギーとして信奉する
 というより、およそイデオロギー(誤謬の世界観。ありもしないことを
 現実だと偽る観念体系)を信奉することは不可でしょう。
 マルクスの思想は「マルクス主義」(実体不明だが)なるイデオロギー
 とは無縁であり、およそ信奉すべき教義といった性格のものではない。
>致命的難点
 よく引き合いに出される項目として
 哲学的:唯物論、弁証法、疎外論(物象化論)、唯物史観
 経済学的:労働価値説、恐慌の必然性、平均利潤率の傾向的低下、
      絶対的窮乏化の法則、転形問題、・・・
 などがありますが、どの辺りを指しているのかな?
 余談ながら、マルクス批判を行う多くの論者が
 「マルクスは優れた思想家だったが、その理論の根幹は誤りだ。」
 と評価するのがおかしくもあり。優れている=基本的に正しい では?
397考える名無しさん:02/12/07 08:22
優れていると正しいは=では結べないのではないでしょうか?
(基本的にとついていますが)

この世にまったく正しくない理論は存在するのでしょうか?
同じようにまったく正しい理論も存在しないと思います
正しさとは追い求める対象であって理論にあるものではないのでは?

理論間の比較はやはり反証可能性の有無と検証が最も適切であると思いますが
OFWさんは異なる理論、例えばマルクス主義とそれを否定する経済学とでの比較には
いかなる基準が適応されるとお思いですか?
398考える名無しさん:02/12/07 11:01
OFW氏が近経の学者やエコノミストに完全に論破されたスレを発見しました。

再びマルクスの可能性の中心を問う 
http://matari.ichigobbs.com/cgi/readres.cgi?bo=economy&vi=0009
ちなみに OFW氏=30です。
399考える名無しさん:02/12/07 11:04
参考

マルクス経済学の惨状 
http://matari.ichigobbs.com/cgi/readres.cgi?bo=economy&vi=0196
マルクス経済学を廃止しよう! 
http://matari.ichigobbs.com/cgi/readres.cgi?bo=economy&vi=0505
まるくす経済学の疑問 
http://matari.ichigobbs.com/cgi/readres.cgi?bo=economy&vi=0510
どうして左派の経済学がないのか? 
http://matari.ichigobbs.com/cgi/readres.cgi?bo=economy&vi=0626
共産主義はなぜ滅んだのか 
http://matari.ichigobbs.com/cgi/readres.cgi?bo=economy&vi=0537
マルクスの経済学 
http://matari.ichigobbs.com/cgi/readres.cgi?bo=economy&vi=0532
窮乏化法則は何故はずれたか 
http://matari.ichigobbs.com/cgi/readres.cgi?bo=economy&vi=0572
新しい帝国主義を許していいのか 
http://matari.ichigobbs.com/cgi/readres.cgi?bo=economy&vi=0618
クルーグマン教授と野口旭教授の好きな人へ 
http://matari.ichigobbs.com/cgi/readres.cgi?bo=economy&vi=0631
保守派に批判される筋合いなどない 
http://matari.ichigobbs.com/cgi/readres.cgi?bo=economy&vi=0623
北欧型福祉国家を目指そう 
http://matari.ichigobbs.com/cgi/readres.cgi?bo=economy&vi=0674
400考える名無しさん:02/12/07 18:54
>>398
マジですか?

たしかに、文体や論調は、マンマOFW氏のものですけど・・・。

でも、そのスレ見た限りでは、30氏が完全論破されたという風には
見えないけど・・・。

(つーか、論争自体がポシャったカンジ・・・。)
401考える名無しさん:02/12/07 23:30
共産主義になった翌日、私は妻とともに散歩に出かけた。
もう冬だというのに木は青々としている。
人々の表情は希望と活気に満ち、額から流れる労働者の汗が太陽光を反射していた。

「人間が憎しみあう時代は終わったのだな」
昨日までとある一流企業に勤めていた斎藤さんが、ほっとしたように私たち夫婦に言った。
「ええ、これからは人が人を支え合う時代なんですよ」
普段は滅多に話に加わらない妻の靖子が、斎藤さんの肩に手を置いて優しく言った。
「人という字を御覧なさい。日本の線がお互いを支え合っているじゃないですか」
通りがかりの髪の長い中年男がそう言って微笑んだ。

ロックンローラーは長年使ってきたギターを質に入れ、黒光りする鍬を購入した。
「ロックはもう不要だ。これからは日本中に鍬の音を響かせよう」
一仕事終えた農夫の表情で男は言った。

青空のなかををツバメが横切っていった。
402362:02/12/08 00:10
>>OFWさん

相変わらず精力的にカキコされてますねw

>優秀な(科)学者とは、例外的事象の中にも本質的な現われ(実体)を
>洞察し、より具体的で必然的な対象に向かうものです。
そうかも知れませんが、私のような凡人はそれが正しいかどうかどうやった
ら確認できるんでしょう?
マルキストが考える資本主義の「本質」って、ホントに正しいのかな?って
疑問を感じたら、どうやって説明されます?

非マルクス経済学では、理論はあくまでも"モデル"にすぎませんよね。
「これが真実だ〜」って主張してるわけじゃ、ないっすよね。
マル経でも、宇野派や数理マルクス経済学は"マルクス・モデル"を構築
しているように思えます。
OFWさん的には、こういうのはどうなんっすかね?
403考える名無しさん:02/12/08 10:10
>>OFW

苺経済板の銅鑼を論破できたらアンタの主張に100%同意してやるよ。
404考える名無しさん:02/12/08 10:53
マルクス主義が経済学批判だとして
代わりの何かを打ち出せないならば
近経相手にあしらわれるのも仕方がないんじゃないかな

マルクスはまだ完成していない?
405考える名無しさん:02/12/08 12:07

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406考える名無しさん:02/12/08 12:10
鷲田小弥太と浅田彰が朝日新聞で別々の立場から、資本主義を解明したのは
マルクスだけだといってたのが印象深かったなあ。
407考える名無しさん:02/12/08 12:25
>>404
いや、経済学自体の方法論に根本的な欠陥、というか不安定性を持っている
からだと思うぞ。
自然科学が樹立した、観察者/被観察体という図式をそのまま応用してきた
つけとでもいいましょうか?
これは一般に人文科学全般にいえることね。
じゃ、原点に返って問い直せばいいじゃないかと思うけど、それも今の
経済学のレベルでは無理でしょう。
自然科学自体も、その華々しい成果に目を奪われてしまい、分らないことは
ないように思ってしまうけど、実際は自然科学でさえ、分ったことと
分らないことを比べれば、解けない謎だらけ、仮説すら立てられない現象
も少なくない。

OFWが非難されるのは○クス経済こそが真の経済学であり、他派は誤りで
あるかのような態度を取ること。一般に旧理論で説明できない現象が
ある新理論で解明された場合、旧理論はその席を譲らねばならない。
これをパラダイムの転換というが、OFWは○クスを研究発展させれば、
すべて現象を演繹的に解明できるような態度を取っている。
そのうえ説明不能な現象を無理算段してまで結び付けようと
している。
第二に、経済学と実践である経済政策とは別物であることを忘れていること。
もちろん経済学の分析とそこから予測される結果があって、政策に
使えるわけだが、政策の上では、○経であろうとケインズであろうと、
思い付きであろうと、使えるならモノだったら何だって構わないのである。
ところがOFWはすべて○経でなくてはならないといわんばかりである。
バカかと(以下略
408考える名無しさん:02/12/08 14:17
>>407
>じゃ、原点に返って問い直せばいいじゃないかと思うけど、それも今の
>経済学のレベルでは無理でしょう。

「今の経済学のレベル」って、具体的にはどういうものを想定してるのかな?
409考える名無しさん:02/12/08 14:18
NAMにしても、共産党にしても、性善説に立脚した単純な理論だな。
自律的人間ばかりか?世の中。
インテリって、自分が真面目だから、人も真面目だと思っちゃうんでしょうね。
インテリ=世間知らずの優等生。これを定理にしよう。
410考える名無しさん:02/12/08 14:56
>>398
苺のマル系コテハン、ぺリクルス氏はいまやみんなのアイドル&おもちゃです。
批判精神は旺盛だけど、性格が素直で勉強熱心だからカワイイんでしょうね。

http://matari.ichigobbs.com/cgi/readres.cgi?bo=economy&vi=0676

411考える名無しさん:02/12/08 15:34
>>398
苺のマル経批判のなんとかという人、過去の自慢話をしたあげく30に干渉しないで
くれとマルクススレでしゃべっていたのにはがっかりだよ。
412考える名無しさん:02/12/08 17:43
>>411
それはOFWがあまりにも逝かれてるから
普通の人間なら、あんな奴をまともに相手してらんないでしょ?
413考える名無しさん:02/12/08 18:50
それにてしてもOFWってやたらと労働価値ばかり持ち出してくるが、
その他の諸概念についてはどうなっているんだろう?
資本論が扱う経済問題はかなり広範なのだがねぇ。
OFWに○経の基礎を知りたいといったらいきなり『日本労働党』のHPを紹介され罠。
414考える名無しさん:02/12/08 20:03
>>413
そっち方面のヤシなんだろ。
415考える名無しさん:02/12/09 00:16
>>413
俺が読んだ○経の教科書では、置塩・鶴田・米田『経済学』が一番分りやすかった。
資本論の記述スタイルとは全然違うけど、エッセンスは良く伝えてあると思う。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/427211056X/qid=1039360565/sr=1-1/ref=sr_1_0_1/249-8819487-4269907
416考える名無しさん:02/12/10 15:00
うちの大学は○計教科書に柄谷浅田の『マルクスの現在』だったよ。
エッセンスといえばこれじゃないの?
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4925095013/qid=1039499868/sr=1-4/ref=sr_1_2_4/249-8605864-5772304
417考える名無しさん:02/12/10 16:57
>>416
マジかYO!?
狂ってるな、その大学。
418OFW:02/12/10 22:38
>>397
>優れていると正しいは=では結べないのではないでしょうか?
 もちろん等価ではない。レスの趣旨は、「致命的欠陥」とか「根本的誤
 り」と言いつつ、一方でマルクスを評価する態度が奇妙だ、という点。
>正しさとは追い求める対象であって理論にあるものではないのでは?
 ラフに言って、認識論的な<正しさ>は理論の属性であり、<真実さ>
 は対象の属性だと言えるでしょう。つまり、表象や基準に一致している
 言説(理論)が「正しい」と呼ばれ、概念に一致している対象が「真実
 の」と呼ばれます。例:正しい答。真の友。
>マルクス主義とそれを否定する経済学とでの比較にはいかなる基準が適
>応されるとお思いですか?
 マルクスは、単に当時の哲学や経済学の理論を批判しただけではなく、
 ブルジョア社会自体を批判したわけですが、その場合、正しい理論とは
 ブルジョア経済学の方を指すことになります。何故なら、それは誤った
 社会に整合的な理論であり、まさにその正当性(正統性)を擁護するも
 のですから。
 マルクスの「ブルジョア社会は正しい(合法的、妥当的)社会だが、虚
 偽の社会(物象化された社会)だ。」という批判を理解するためには、
 認識論的に言って<真の対象><虚偽の対象>という概念が必要になり
 ます。つまり一般に<理念>と呼ばれる存在を基準にして、むしろ現実
 の方が判定されることになるわけです。
 理念とは直接的な現実に対して、その歴史性を明らかにして、<現実の
 完全性(十全性)>を未在的(未来的)に示すもの。それは優れて弁証
 法的な基準です。

>>398
>近経の学者やエコノミストに完全に論破された
 どこでそうなるのかな?
 セクト的な反応がバカバカしくなって、議論を中断しただけ。
419OFW:02/12/10 22:39
>>402(362さん)
>マルキストが考える資本主義の「本質」って、ホントに正しいのかな?
 というより、まず<本質>概念についての理解が必要でしょう。
 19世紀末以降の哲学や諸科学では、現象主義・主観主義が主流になり、
 「ものごとには客観的本質というものがある。」との主張すら理解不能
 になってしまったようですから。
>理論はあくまでも"モデル"にすぎませんよね。
 モデル(模型)とは、実在的対象を本質的要素から再構成したもの、で
 あり、本質的連関を記述した理論とは一応区別されます。理論は仮説で
 あり、現実との突合せによりその正否を検証することが必要な点はその
 通り。 
>「これが真実だ〜」って主張してるわけじゃ、ないっすよね。
 発言するか否かに依らず、すべての理論家は実質的にそう主張している。
 社会科学において、モデルとは実在社会の抽象化から得られた近似とさ
 れていますが、抽象化とは本質的要素(Essence)の抽出ですから、実
 際には、モデルとは近似性ではなく、本質的同一性の定立なのです。
 それは、閉じた自己言及的体系の形成であり、論理的に言って、自己導
 出的な構造をもちますから、もしその前提を認めれば、帰結は演繹的に
 導き出されることになる。
 つまり、たとえば近代社会のモデルを構成する<絶対的主体である合理
 的個人>とは近似的な実在ではなく、規範として立てられた非実在的な
 要素ですが、それが実在するかのように主張された場合(つまり「これ
 が真実だ〜」と主張された場合)、その理論は仮説ではなく誤謬(イデ
 オロギー)になるわけです。
 「現代社会には部分的な欠陥もあるが、本質的には自由および民主主義
 が実現されています。」等の言明も同様ですね。
>宇野派や数理マルクス経済学
 どちらもNGでしょう。理論内容もそうだが、実践的には階級性として。
420OFW:02/12/10 22:40
>>404
>代わりの何か
 「批判の武器は武器の批判に代わることはできない。」(マルクス)。
 社会変革が必要かと。

>>407
>○クス経済こそが真の経済学であり、他派は誤りであるかのような態度
 それは誤解。現存の「マルクス経済学」なるものも批判の対象範囲。
 「資本主義に関する真の経済学」など存在し得ない。
>すべて現象を演繹的に解明できるような態度
 それも誤解。どこからそう判断したのかな?
>経済学と実践である経済政策とは別物であることを忘れている
 社会科学における専門化(特に経済学と政治学)、そして、理論と実践
 は切り離し困難。例:通貨発行権、ケインズ経済学における政治的国家
 の要請、帝国主義戦争の主要因としての植民地経営等々。
 そもそも「観察者/被観察体という図式」云々(理論と実践の不可分)
 の主張と矛盾しているが。

>>413
>資本論が扱う経済問題はかなり広範
 『資本論』は単なる経済学書ではなく、資本主義社会の唯物論であり、
 その下部構造を解明したもの。何より、歴史(社会の自然史)として読
 むべきでしょう。 
>『日本労働党』のHP
 社会主義労働者党(SWP)の間違いでは?
 (もうすぐサークルに解党するようだが・・・。)
421考える名無しさん:02/12/10 23:50
>>416
>うちの大学は○計教科書に柄谷浅田の『マルクスの現在』だったよ。
どこの大学ですか?
「マルクス経済学」でこの本はおかしいと思うけど。
422462:02/12/10 23:58
>>OFWさん
どうも話がよく分らないのは難しい言葉をたくさんつかってるせいだと思って
いたけれど、そうじゃなかったみたいです。
もう疲れちゃったんで経済板に帰ります。ごめんね。
423考える名無しさん:02/12/11 00:25
>>422
経済板にも○の居場所は無いよ。
強酸板逝けば?
424考える名無しさん:02/12/11 01:51
>>421
「経済学基礎講議」という授業で教科書が柄谷浅田の『マルクスの現在』だった。
425考える名無しさん:02/12/11 02:17
>>423
経済板てせいぜいテレビの経済評論家の受け売りじゃん。
よくよく考えてみれば経済学そのものの板がなかったりしてw
426考える名無しさん:02/12/11 02:33
確かに学問としての経済学の居場所は無いね。
427考える名無しさん:02/12/11 02:34
あるよ(w
馬鹿じゃないの
丸出し?
428考える名無しさん:02/12/11 02:35
もしかして丸出し?
429考える名無しさん:02/12/11 02:54
>>427
ああ、あれが経済学かw
430考える名無しさん:02/12/11 03:13
Nステは経済学である。
431 :02/12/11 18:25
テンニエスの『ゲマインシャフトとゲゼルシャフト』(岩波文庫から翻訳が出ている)
は副題が『純粋社会学の根本概念』となっているが、この副題はもともと
『共産社会と社会主義社会』となっていた。
いちぶマルクスの概念を拡張した側面も見逃せない。
しかしOFWはテンニエスを無視しているようだね。
テンニエスは社会主義VS資本主義という構図は成立しないとう。
ところで、ウェーバーのプロ倫をどのように考察するのかな?
ウェーバーの説では上部構造が下部構造を動かすことになっているがね。
432考える名無しさん:02/12/12 12:23
>>420
> 「批判の武器は武器の批判に代わることはできない。」(マルクス)。
> 社会変革が必要かと。
??
かわりとなる経済学のモデルが必要じゃないか?ということだったんだけど
もしかして経済学そのものへの批判となってくるの?
433考える名無しさん:02/12/13 00:53
いえ、丸投げです
434OFW:02/12/15 02:42
>431
>OFWはテンニエスを無視しているようだね。
 いえ、単に不勉強なだけです。
>テンニエスは社会主義VS資本主義という構図は成立しないという
 下記サイトの解説では、確かに、ゲマインシャフトvsゲゼルシャフト
 の区別(対立)を共同体(community)vs社会(society)の区別(対立)
 として捉えており、通常の解釈(人格的全体社会vs機能的部分社会)
 とは趣きが異なるようですね。
 テンニエスのゲゼルシャフト主義
 ttp://tyamati.hp.infoseek.co.jp/tenniesu.htm
 確かに、一般の社会主義(社会民主主義や最近のアソシエーション主義
 を含む)を資本主義イデオロギーとして考えるのは、ある意味正しい。
>ウェーバーのプロ倫をどのように考察するのかな?
 明らかにマルクス(『ユダヤ人問題に寄せて』他)の影響と、それへの
 対抗意識が見られるが、上部構造(法的、政治的制度)が下部構造(生
 産関係であり政治経済活動ではない)を動かすという主張ではなく、精
 神的諸形態と経済制度との照応関係の指摘くらいではないかと。
 近代社会において、脱呪術化が物象化(職業社会、業績主義、官僚主義
 等)に変容した点を捉えているのは卓見だが、職業的学者として両義的
 な態度が見られるから、「唯物論が足りない」と言えるでしょう。
 物象化や貨幣物神という“近代の呪術”は下部構造(生産関係であり経
 済活動一般にあらず)から説明されるべきであり、疎外された主体の抱
 く観念や精神自体が物象化の反映です。

>>432
>経済学そのものへの批判となってくるの?
 「資本主義は合理的な政治経済制度であり、経済学はその経済的諸事象
 を合理的なものとして、妥当なモデルから演繹的に説明すべきである。」
 と考えているとしたら、そうなりますね。それは嘘(虚偽)ですから。
435ふにゃぽん:02/12/17 13:41
OFWさん。おひさしぶりです。

私は、過去ログで、OFWさんへの反論があると言いましたが、
とりあえず、その問題は、時期尚早ということで、勝手ながら、後回し
としてください。

で、今日もお伺いしたい事があるのですが。

「国家消滅後」の社会において、とりあえず、「国家」は解消されたとして、
その他の共同体、たとえば、「家族」などは、どうなるのでしょうか?

「世界政府」的共同体以外は、すべて相対的かつ、暫時的なものとして扱われ、
恒久的なものは存在しなくなるのでしょうか?
436OFW:02/12/18 00:10
>>435(ふにゃぽんさん)
お久しぶりデス。
>「家族」などは、どうなるのでしょうか?
 エンゲルスも家族を社会の最小単位とみなしていたと記憶しているが、
 特定の伴侶間の性愛的・人格的結合としての結婚と、そこに子供を加え
 た単位としての家族は残るでしょうね。
 人間個体(自我)と性愛(エロス)との関係は、フロイト以来の哲学的
 テーマですが、“かけがえのない”個体的実存と“かけがえのある”
 類的生命とを媒介するものとして、性愛は共同体の感情的絆でしょう。
 無論、前近代的な家族制度(性の奴隷制度)や性の商品化あるいは制度
 化(ジェンダー)とは異なる、多様で流動的な形態が展開され得るでし
 ょうが、「人類は皆家族」とは浪漫派右翼の超国家主義的理想国家では
 なく、<人倫>としての自然的共同性を指す言葉かと。

>「世界政府」的共同体以外は、すべて相対的かつ、暫時的なものとして
>扱われ、恒久的なものは存在しなくなるのでしょうか?
 <具体的普遍>とは、個別的なもの(個人、集団)がその特殊性のまま
 で普遍的であるあり方を指しますね。世界政府的な代表権力は不要とな
 るでしょう。多様な形成(労働)の開花、無限のコミュニケーションの
 分散と集中から形成される、精神的な連帯と統一のみが恒久的なものに
 なる。
 ・・・漠たるイメージとしてはそんなとこかな。
437考える名無しさん:02/12/18 11:46
OFW
ゲマインシャフトとゲゼルシャフトの受け売りじゃん。
しかし行政組織が存在せずしてどうやって社会が運営できるのかなぁ?
438ふにゃぽん:02/12/18 18:23
OFWさん。ありがとうございました。

またよろぴくお願いします。
439OFW:02/12/18 23:58
>>437
>行政組織が存在せずしてどうやって社会が運営できるのかなぁ?
 行政とは政治の執行(現実態)を言い、行政組織とは社会の政治的射影
 (縮図)と言えますが、全体的な統治(公事)に係わることが行政です。
 つまり、社会自体とは区別される行政組織が存在する理由は、公と私が
 分裂している(法状態にある)からです。
 社会成員全員が公的事項に実質的に関与すれば、というより、公と私の
 区別がなくなれば、特段の行政組織(国家および地方公共団体等)は不
 要となるでしょう。
 「すべての権力をソヴィエト(労働者評議会)に結集せよ」(レーニン)
 とは、(その後、党官僚の独裁、そして書記長の独裁に変質したが、)
 生産組織がそのまま行政組織であるべきだ、との趣旨の呼びかけです。
440考える名無しさん:02/12/20 10:12
全ての生産する人が行政する人となれ?
そんなの理想論だよ
ただの無政府主義、キリスト教の救われた後の世界にしか存在しないよ
441考える名無しさん:02/12/20 15:33
いまだにこんな不毛な議論をしているとは。呆れた。
マルキストは動物行動学でも勉強しつつ、
社会的動物である人間の群れの中で、マルキシズムを中心に国が動き始めた時に、
人間が個として、グループとしてどういう行動をとって、
国を亡国に導くのか実証的な資料をできるだけ参照しながら勉強しなさい。
442考える名無しさん:02/12/20 16:32
>>436 >>439
まるで奥浩平の「青春の墓標」の中の論文ですな。
あなたは数十年間、竜宮城にでも行っていたのですか?
443考える名無しさん:02/12/20 18:40
「資本主義国で歴史的に窮乏化法則が外れた理由」


http://matari.ichigobbs.com/cgi/readres.cgi?bo=economy&vi=0532
窮乏化法則は何故はずれたか 

01: 俺の名無しさん  2002/07/21(Sun) 14:03
マルクスの窮乏化法則は、なぜ的中しなかったのでしょうか。
理屈だけ見ると、正しそうに見えるんですけど。

 資本家はより低廉な商品を供給するために、技術革新によって
生産性は高めるが、労働者が機械に置き換わるので、同時に雇用量は減る。
よって、供給過剰になり、デフレ、恐慌、そして資本主義崩壊。たしか、
こういうのが窮乏化法則だったと思う。

444考える名無しさん:02/12/20 18:41
443の続き
14: 俺の名無しさん  2002/07/21(Sun) 19:43
>資本家はより低廉な商品を供給するために、技術革新によって生産性は高めるが、
労働者が機械に置き換わるので、同時に雇用量は減る。
よって、供給過剰になり、デフレ、恐慌、そして資本主義崩壊。

農業に従事する人口の割合は、古くは60%程度あった。しかし、
その後の技術革新により、人口の10%程度で国民の需要を満たすことが可能
となった。農業に従事していた人々は「失業し、購買力を失った」のではなく、
工業へと移動を果たし、そこで購買力を獲得した。特定の工業分野で技術革新が
進み、生産性が向上、需要が飽和したとき、人々は、新たな工業分野へと移動、
そこで購買力を維持した。新たな工業分野で技術革新が進み、
そこでの需要が飽和したとき、人々はサービス業へと移動し、
そこで購買力を維持した。(以下略

さて、この時、働いている総人口に変化がないとしても
、同じ人口で生産している財・サービスの量は圧倒的に増加しています。
そして、それぞれが購買力を持つため、結果として一人当たりの取り分も、
それに合わせて増加しています。
445考える名無しさん:02/12/20 18:42
444の続き
41: 1  2002/07/28(Sun) 12:46
>>14
 大変に納得しました。実は私もスレッドを立て後、似たようなことを考えついたんですよ。
 私の考えをまとめてみます。

 技術革新は、生産性向上、商品の高級化、新産業展開、の三つの効果があると思うのです。
 (生産性向上について)
 生産性向上は、商品の価格を低下させます。すると、購買層が増えるので、
その商品の需要が増え、その産業の雇用量や賃金も増えるでしょう。
 でも、その商品が皆が買えるほど安くなると、それ以後の生産性向上は、その商品の需要を
増やさないので、雇用量や賃金を低下させるだけになるのではないでしょうか。
 グラフで示すのなら、縦軸に雇用量、横軸に生産性をとると、
上に凸の二次関数(山型)の曲線を描くと思います。
 これが、マルクスの窮乏化法則だったと解釈しております。
次レスへ続く
446考える名無しさん:02/12/20 18:43
445の続き
42: 1  2002/07/28(Sun) 12:47
前スレからの続き
(商品の高級化について)
 ところで、その商品が皆が買えるほど安くなって需要が飽和すると、
商品の高級化が起こるのでないかと思います。
 例えば、もし1970年代のテレビを今でも主流として生産していたなら、テレビの価格は
今よりもっと安くなっていたのではないでしょうか。
 でも、そうはならなっかたのは、テレビは皆が買えるほど安くなっていたので
消費者の質のニーズに応じて、メーカーは高画質・高音質のテレビを生産したからだと思います。
 そのような商品の高級化は、ある意味で生産費の無駄使いだと思います。
そして、生産性向上の幅を低下させます。したがって、生産性向上による雇用量減を緩和させるの
ではないでしょうか。
 前述のグラフで考えるならば、二次関数の頂点(山型のてっぺん)よりも右側の傾きを緩やかに
させると思います。商品の高級化は、窮乏化を和らげる効果があるでしょう。
(新産業展開について)
 そして、14さんと同じ考えですが、技術革新は新たな産業を展開させ、
生産性向上による雇用減を吸収し、その新たな産業も「生産性向上―>商品の高級化」のサイクル
を歩むように思えるのです。

以上が、私の考えですが、遠い将来(数百年後)には新産業展開ができないほど
技術が革新され尽くすように思えます。そのときは窮乏化法則も的中しうると思うのですが、
いかがですか。
447443から446はIt’s me.:02/12/20 18:56
OFWさん、反論求む。
448考える名無しさん:02/12/20 19:37
>コピペ
マルクスは、資本家が労働者に消費へと駆り立てることを文明の本質的な
一契機としている。
つまり消費、欲求が経済関係の内部という側面からも考えられている。
これは、消費過程が労働力の再生産過程であり、その実質的包摂を一層進
めたのが今の先進国の資本主義ということだと思う。
それは、第三国の窮乏化とともにもたらされたのでは?
449 :02/12/20 22:30
>>439
そのようにして全体主義が進行したのですね。
450考える名無しさん:02/12/21 01:19
>>443-446
氏ね。現代日本-世界から排除さるべき鬼畜よ。
451OFW:02/12/21 05:41
>>440
>ただの無政府主義
 資本主義は社会的には無政府主義で、非社会的(企業内的)には独裁主
 義。「コーポレイトガバナンス」(企業統治)が喧伝され、資本主義=
 民主主義とは程遠い。“社長公選制”でも実現すれば、まだしも。
>>441
>マルキシズムを中心に国が動き始めた時に、・・・亡国に導くのか
 マルクス、エンゲルス、レーニンは国家の廃絶を主張した。にも拘らず、
 実際には逆の過程(全体主義的国家の強化)となったわけだが、何か?
 マルキシズムとは何かな?
>>442
>「青春の墓標」の中の論文
 確かに随分と古いが、どんな内容だったかな?
452OFW:02/12/21 05:42
>>443-447
>技術革新によって生産性は高めるが、労働者が機械に置き換わるので、
>同時に雇用量は減る。
 雇用量の推移は、一方での資本の蓄積による可変資本(労働力需要)の
 絶対的増大と、他方での資本の集中および有機的構成の高度化によるそ
 の相対的減少との間での、進行速度の差で決まる。マルクスの時代には
 後者が前者を凌駕して、急速な寡占化、機械制大工業化が進んだかと。
>よって、供給過剰になり、デフレ、恐慌、
 (潜在的および顕在的)供給過剰自体は近代以降での生産力増大の現れ
 ですから、労働組織の高度化の成果でもある。
 恐慌も、商業恐慌から産業恐慌、信用恐慌へと進化(必然化)します。
>そして資本主義崩壊。
 マルクスは決して資本主義が自動的に崩壊するなどとは考えなかった。
 他方での労働者階級の団結という主体的条件も決定的なものですから。
 また「一定の生産関係はその可能性をすべて使い切るまでは、滅びる
 ことはない。」とも言われ、2度の世界戦争を経て到達した現在のグロ
 ーバル化は資本主義的な可能性(延命)の追求でしょう。
>たしか、こういうのが窮乏化法則だったと思う。
 一般に法則とは事柄の本質の現象形式であり、環境条件が変わればその
 直接的な働き方も変わる。しかしその場合でも、より一般的なレベルで
 妥当するでしょう。フォーディズムは労働者を消費者として取り込むこ
 とで<大衆的市場>を実現し、一方で社会民主主義的な国家介入が独占
 ・寡占段階の資本の富の再分配を担当しているが、南北格差、国内格差
 等々、富の偏在は進む一方かと。
「ヘッジファンドの破綻などは大して心配していない。心配しているのは、
 もっと貧しい人たちのこと。〔経済成長がストップした〕インドネシア
 やタイの貧しい人、米国の〔医療〕保険未加入者や西欧の失業者の方だ。
 資本主義に修正が必要なら、こういった点だ」(アマルティア・セン)
453OFW:02/12/21 05:44
>>443-447(つづき)
>そこでの需要が飽和したとき、人々はサービス業へと移動し、そこで
>購買力を維持した。
 農業や工業から流通・サービス・金融業へと先進諸国の労働力が移動し
 た後には、もはや“雇用の受け皿”となる他の産業大分野はない。IT
 バブル(情報通信の革新)はさして新規雇用に結びつかないために、簡
 単にはじけた。むしろ、アウトソーシング(市場外私的あるいは公共的
 労働の市場サービス化)が現代の流れであり、資本は医療・教育・娯楽
 ・食事も商品化・企業化し(ようとし)ており、それは同時に主婦や若
 年層の動員(パートやお受験等)でもある。
>テレビは皆が買えるほど安くなっていたので消費者の質のニーズに応じ
>て、メーカーは高画質・高音質のテレビを生産したからだと
 <効用>という概念は「顧客の満足度」(ISO9000)として品質
 の良し悪しに結びつくから、経済学的には、高級な商品(ぜいたく品)
 は限界効用が高い(高付加価値)とされる。しかし必ずしも高級品は高
 生産費ではなく、家電製品の技術革新(高い生産性での高級品の登場)
 はぜいたく品を便宜品そして必需品に変え、従来の製品を陳腐化(希少
 化)させ、その再生産費を上げることになる。価値とは何か? 
>商品の高級化は、窮乏化を和らげる効果があるでしょう。
 確かに、一人のリッチマンが、何万人もの労働者を雇って、最高級のぜ
 いたく品(たとえばピラミッド)を作らせるという無駄ができるなら、
 (公共事業ならぬ)慈善事業としての失業対策と言えるでしょうね。
 無駄のない(パレート効率的)労働力使用のためには無駄なカネが必要?
>技術革新は新たな産業を展開させ、生産性向上による雇用減を吸収し
 新たな産業が雇用減の吸収に結びつくかどうかは一概に言えないのでは?
 たとえば低公害車の普及が新たなインフラ整備(エコスタンド等)を促
 すとして、それが旧来の石油産業(ガソリンスタンド等)の没落による
 雇用減の吸収にどれほど寄与するかは不明。むしろセルフ化(自動化)
 が進むと、少なくとも末端の雇用は減るでしょう。
454OFW:02/12/21 05:45
>>448
横レスながら
>マルクスは、資本家が労働者に消費へと駆り立てることを文明の本質的
>な一契機としている。
 それは事実ではないでしょう。20世紀フォーディズム以降の段階では
 消費者=労働者と言えますが、当時はまだ生産の時代かと。
>それは、第三国の窮乏化とともにもたらされたのでは?
 同時に、内国の貧困層の温存(そして>>359のような移民労働)もある。

>>449
>そのようにして全体主義が進行したのですね。
 >>440の意見と合わせると、共産主義=無政府主義=全体主義??
455考える名無しさん:02/12/21 13:54
経済板でやったほうがいい。
456443から446はIt’s me:02/12/21 14:34
>>452-453

反論ありがとうOFW さん。こっちも反論。
OFW さん、窮乏化法則が的中するのは、ずっと先、数百年後だと思いますよ。
なぜなら、第一に、需要の飽和に至るまでに大変時間がかかります。
また、技術革新だけでなく文化的変動によって新たな財が登場することもありえます。
(例えば、ビデオ・ゲームなど)
いずれにしても窮乏化法則が的中するのは、発展途上国が少数派になったときではないでしょうか。
しかも、そうなったとしても、各国で生産性の上限を決める協定を結べばいいので、
社会主義化する必要はありません。

>>448
>
マルクスは、資本家が労働者に消費へと駆り立てることを文明の本質的な
一契機としている。
つまり消費、欲求が経済関係の内部という側面からも考えられている。
これは、消費過程が労働力の再生産過程であり、その実質的包摂を一層進
めたのが今の先進国の資本主義ということだと思う。
それは、第三国の窮乏化とともにもたらされたのでは?

>>443-446で展開したことは、閉鎖経済体系です。
「第三国の窮乏化とともにもたらされたのでは?」
というのは、どのようなメカニズムですか。



457考える名無しさん:02/12/21 19:45
べたな質問で恐縮なんですが、
『資本論』の翻訳は、
岩波文庫
国民文庫
新日本出版
世界の名著シリーズ
世界の大思想シリーズ
のどれがベターなんでしょうか?
激しく外出な質問だと思うのですがOFW氏のご意見を伺わせていただいきたです。
458考える名無しさん:02/12/21 22:34

出 資 法 違 反 出 資 法 違 反 出 資 法 違 反 出 資 法 違 反

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459さあ、みなさーん。さーいこーでーすかーーー:02/12/21 22:46
70 :考える名無しさん :02/12/21 12:46
NAM解散を宣言するなら、代表からNAM会費の返却方法について説明があってしかるべきだ。
会費はNAMという組織に期待するものがあって会員が預託したものなんだから、
執行部の判断で勝手に組織を解体するなら、会費は返却するのが当然だ!
80 :考える名無しさん :02/12/21 18:29
そんなことよりQやめるから金返して欲しい。
86 :考える名無しさん :02/12/21 18:59
Qの会費返してもらえない人
ちゃんと主張しなきゃ駄目だよ絶対
89 :考える名無しさん :02/12/21 19:11
出資法違反
90 :考える名無しさん :02/12/21 19:17
>>89
http://list.room.ne.jp/~lawtext/1954L195.html
に違反?
そう言われればそうだな。
460いつまでも経済革命をやっていけるシステム:02/12/21 23:27
読賣新聞 3月27日
八葉グループ名誉会長、予期した破たん会員に隠す
健康食品販売会社「全国八葉(はちよう)物流」(本社・沖縄県北谷(ちゃたん)町、今年1月に破産宣告)など八葉グループの
出資 法違反事件で、実質的経営者だった田所収・グループ名誉会長(68)が昨年7月ごろ、「近くシステムの維持が難しくなる」
などと幹部会議で語っていたことが27日、明らかになった。田所名誉会長は同年9月には「(グループは)永遠に盤石」と会員らに
説明しており、警視庁生活経済課では、田所名誉会長が昨年夏にすでに破たんを予期しながら、会員には実態を隠していたとみて調べている。
関係者によると、田所名誉会長は昨年7月ごろの幹部会議などで「近いうちに必ずマスコミ攻勢にさらされ、システムの維持が困難に
なる。会員を獲得できなくてもシステムを維持できるよう、資金を集めておくべきだ」などと発言したという。
この方針に沿った形で、社内では新たな資金獲得作戦が検討され、同11月の幹部研修会で、新商品開発を名目にした「協賛金」構想
のもと、「1口500万円、配当なし」のうたい文句で2か月間に600億円集める目標が設定された。従来、グループが集めていた
出資金だと、会員に配当を回さなければならなかったが、「協賛金」はそのまま会社資金に充当できるとされた。
しかし、配当がないことで、会員からは理解が得られず、集まった協賛金は約6億円だけ。資金繰りが一層厳しくなったグループは、
その後、なりふり構わぬ新規会員獲得キャンペーンを展開したが、新規会員への配当が負担となり、破たんを早めたとみられる。
破たんを予期して資金集めに躍起になっていた一方で、田所名誉会長は同年9月、横浜アリーナで開かれた同グループ2周年記念式典
では、全国の会員約8000人を前に「いつまでも経済革命をやっていけるシステム。しっかりしているので、八葉は永遠に盤石です」
などと、経営の堅調さを誇っていたという。 (3月27日14:56)
461ぼったクリティーク:02/12/21 23:38
朝日新聞 3月26日
「ぼったくり作戦」 破たん直前指示 八葉物流名誉会長
出資法違反容疑で警視庁などの合同捜査本部の捜索を受けた「全国八葉物流」(本社・沖縄県北谷町)の実質的経営者の田所収・
八葉グループ名誉会長(68)が昨年秋、同社幹部らに「ぼったくり作戦を実行する」と指示し、会員に従来よりも有利な条件を
示して、新規出資会員を集めさせていたことが関係者の話でわかった。合同捜査本部は、破たんを見越して、より多くの出資金を
集めてだまし取ろうとした疑いもあるとみて調べる。
関係者によると、田所名誉会長は昨年9月、体調を崩して都内の病院に入院した際、見舞いに来た幹部らに対して、
「今後『ぼったくり作戦』を実行する」と話したという。関係者は「出資金をだまし取ろうとしているのではないのかと、不審に思った」と話す。
全国八葉物流は同年11月、会員らの新規会員集めの意欲を高めるために、「ラッキー5ビッグキャンペーン」と称して、
会員が下位 組織と比べて高額な紹介料を得られる上位組織の「販社」になる条件を代理店10店の勧誘から5店に引き下げた。
翌12月には「新春お年玉キャンペーン」の名目で、「代理店」と呼ばれる会員が新たに代理店を紹介した場合に支払う紹介料を
41万円から最大で50万円に増額するなど、会員にとって条件を有利にして会員集めをあおった。同社資料によると同月だけで
約1万人から約196億円を集めた。
このほかにも同月、今年1月に予定していたパーティーのチケット代として数万円分、会員向けの新聞の年間購読料として
6000円を各会員に振り込ませた。
同社社長は11月の時点で、「12月を乗り切れないかもしれない」と関係者に話したという。同社は12月28日夜、会員に
対して「破たん」を表明する文書をファクスで流したため、年明けになってから会員らが東京本部ビルに詰めかける騒ぎになった。(06:37)
462OFW:02/12/22 03:02
>>456(It’s meさん)
>窮乏化法則が的中するのは、ずっと先、数百年後だと思いますよ。
>なぜなら、第一に、需要の飽和に至るまでに大変時間がかかります。
 「法則が“的中する”」「需要が“飽和する”」とは如何なる事態を指
 しているのか判然としないが、現在でも窮乏化(および豊饒化)は進み、
 需要が飽和(そして欠乏)している、と言えます。
>新たな財が登場することもありえます。(例えば、ビデオ・ゲームなど)
 文化娯楽産業は生産しない消費的産業であり、欠乏(精神的飢餓)を
 不断に作りだすから、その需要が飽和することはないでしょうね。
>発展途上国が少数派になったときではないでしょうか。
 戦後すぐに殆んどの旧植民地は独立したが、未だに発展途上国(以前は
 後進国、次には低開発国と呼ばれた)が残存したままであり、「これは
 構造的な固定化では?」と考えた結果、タリバンなどが出てきたかと。
>各国で生産性の上限を決める協定を結べばいいので、社会主義化する必
>要はありません。
 どんなことでも協定(話し合い)で決められれば楽ですが、事柄の本性
 上、不可能なことがあることを知るのが、哲学です。
 「単なる可能性とは、他であることも可能なことであり、その点から言
  えば矛盾すら可能である。」(ヘーゲル)
 他者(疎外、対立)の可能性の否定が自己存在の必然性(必要性)です
 から、社会主義は必然ということになります。また<飽和>については
 「エンテレケイア(完全現実態)はデュナミス(可能態)とは異なり、
  活動(エネルゲイア)の結果としての事物の本性の成就を言う。」
  (アリストテレス、ただしパラフレーズ)。
>>457
>どれがベターなんでしょうか?
 比較したことがないので分からないが、私は国民文庫(マルエン全集版、
 岡崎次郎訳)を利用しています。ていねいな記述からは、岡崎氏の情熱
 を感じますね。
463考える名無しさん:02/12/22 19:26
>OFWさん
マルクスから見た民主主義てどういうものなの?
464OFW:02/12/23 17:33
463 :考える名無しさん :02/12/22 19:26
>マルクスから見た民主主義
 そうですね。いろいろな側面があるでしょうが、国家政体としての民主
 制について言えば、何といっても<階級国家観>(国家は一階級が他の
 階級を支配するための機関である)の観点から、民主制国家をも批判し
 ています。たとえば、代議制民主主義を「選挙とは、大衆が一定の期間
 ごとに自分のご主人様を選ぶ儀式に過ぎない。」と言って、形式的には
 民主的でも実質的には階級支配だという点を明確に指摘しています。
 政治的な民主主義を真に実現するためには、政治経済的に社会主義が必
 要だということは、マルクス、エンゲルス、レーニン、トロツキー等の
 共通の認識でした。
 実際、国家あるところに民主主義は存在しない以上、学校で教えている
 ことは、嘘ということになります。
 「先生、学級委員長のように、社長は社員から選挙されないの?」
 「社員とは株主であり、株主総会で民主的に(持株数に応じて)選ばれ
  ています。」
 「じゃあ、<金権選挙>ですね。」
 「その通りです。」
 「従業員(リーマン)は社員ではないのですか?」
 「そうです。<市民>あるいは<人間>ですらないでしょう。」
 「じゃあ、<社畜>ですね。」
 「その通りです。」
 ・・・とは言い過ぎ?
465ふにゃぽん:02/12/23 22:17
お忙しそうですね、OFWさん。(w

申し訳ありませんが、また難しい質問をさせていただきたいのですが・・・。

国家消滅後の社会において、司法のありかたの、いわゆる民事訴訟のケースは
どうなるのか、ということなんですが・・・。

刑事事件の場合は、当然、現代と同じように個人に責任(=懲罰)が課せられるのでしょうが、
今の社会では、民事問題においては、多くは「金銭」による解決が採択される判例が多く出されています。

私有財産が止揚されてしまっている社会においては、それにどういう解決が与えられるのでしょうか?

466考える名無しさん:02/12/25 01:05
467考える名無しさん:02/12/25 15:21
468考える名無しさん:02/12/25 19:05
http://www.q-project.org/index2.html
こちらもどうぞ!
469OFW:02/12/26 18:10
>>465(ふにゃぽんさん)
>民事問題においては、多くは「金銭」による解決が採択される
 というより、現行民法を見ても分かるように、民事のほとんどは財産権
 ないし所有権に係わるものですね(親族事項があるが、それとて相続問
 題が主目的でしょうし、行政訴訟は公権力を呼び出す)。
>私有財産が止揚されてしまっている社会
 においては、財産問題(物は誰に帰属するか?)は発生しないかと。
 『民法』
  第1条 私権ハ公共ノ福祉ニ遵フ
      → 公共と区別される私権は存立し得ズ。
  第1条ノ3 私権ノ享有ハ出生ニ始マル
      → 権利は法により定立され、自然権にアラズ。個人の類的
        な承認が現実のものとなっている所では法は不要デアル。
  第85条 本法ニ於テ物トハ有体物ヲ謂フ
      → 物とは現存在する根拠であり、所有という関係を謂フ。
  第180条 占有権ハ自己ノ為メニスル意思ヲ以テ物ヲ所持スルニ因リ
      テ之ヲ取得ス
      → 占有とは一義的に生産手段の共同占有を指す。それは権
        利ではなく、現実の社会的行為デアル。
  第206条 所有者ハ法令ノ制限内ニ於テ自由ニ其所有物ノ使用、収益
      及ヒ処分ヲ為ス権利ヲ有ス
      → 排他的所有(私有)は存立し得ず、生産手段の共同占有
        に基づき、諸個人はその使用および処分を為ス。
  第399条 債権ハ金銭ニ見積ルコトヲ得サルモノト雖モ之ヲ以テ其目
      的ト為スコトヲ得
      → 私有財産の譲渡に係わる債権・債務は存立し得ズ。
  第733条 女は、前婚の解消又は取消の日から6箇月を経過した後で
      なければ、再婚をすることができない。
      → <女>(ジェンダー)制度は、これを廃止する。
470考える名無しさん:02/12/26 18:20
 
471ふにゃぽん:02/12/27 19:17
>>469
OFWさん。
ありがとうごさいました。

え〜と、「物件の私有」という意味においての原則論では、
おっしゃるように、>>496での懇切レスの通りでしょうが、
いわゆる、「精神的苦痛」にたいする賠償の請求、卑近な例でいえば、
TV番組「行列のできる法律相談所」で取り扱われているような、
「慰謝料」の個人間における譲渡のような問題は、どうなるのでしょうか?

「加害者」は、「被害者」に金銭以外のどのような手段で、「相手に与えた精神的負荷」
および、「謝罪の意」を表明できるのでしょうか?
472OFW:02/12/28 17:25
>>471(ふにゃぽんさん)
>「精神的苦痛」にたいする賠償の請求
 個人の固有性(人格、身体、精神)は本来譲渡不可能なものであり、
 その侵害あるいは毀損は同じ固有性(本質性)をもって補償する外はな
 く、貨幣という非本質性で代理する現在のやり方自体、おかしなもので
 しょう。
 たとえば、<誠実さの義務>とは人倫の最たるものでしょうが、何らか
 の約束違反により、相手方との信頼関係を毀損した個人は、個人的では
 なく社会的な制裁を受けるべきでしょう。
 ただし、それは報復的というより(より厳しい)教育的な処置であり、
 誠実の義務について、当人がその根拠にまで遡って認識を得るまで、徹
 底的に教育・訓練を施すといったやり方が適当でしょう。
 また、被害を受けた相手方に対しては、社会として、事象に応じた補償
 (人生の損失を補う措置)が必要でしょう。それは、1人間不信に対す
 る治療、2無知に対する啓蒙、3主体性強化のための支援、4経済的補
 てん 等からなるでしょう。
 「個人の苦痛は全員の苦痛」ということが人倫の原則であり、賠償の責
 も畢竟社会(つまり我々全員)が引き受けるべきものと言えます。
473考える名無しさん:02/12/28 17:29
社員はむしろ政治で言う「官僚」なんじゃないかな
権力を握っているように見えるのは見せ掛けだけ?
474ふにゃぽん:02/12/28 17:39
OFWさん。
ありがとうございました。よく解りました。

また、よろぴくお願いします。
475ふにゃぽん:02/12/30 14:33
OFWさん。
またレスキボンです。

>>472
>「個人の苦痛は全員の苦痛」ということが人倫の原則であり、賠償の責
> も畢竟社会(つまり我々全員)が引き受けるべきものと言えます。

マルクスもエンゲルスもレーニンも、「『体系としての倫理学一般』の構築」はもちろん、
「理念としての人倫の掟のありかた」さえ、ほとんど述べていませんが、
「マルクス主義倫理学」というものがあるとすると、それはどういったものになるのでしょうか?

やはり、カント「実践理性批判」やヘーゲル「法哲学」等を、唯物論的に改作(=止揚)
したものとなるのでしょうか?



476OFW:02/12/31 17:44
>>473
>社員はむしろ政治で言う「官僚」なんじゃないかな
 会社法では社員とは株主のことだ、ということです。
 確かに現代では、個人事業主あるいは個人株主に代わり、法人企業自体
 が現実の経営主体としてせり出してきており、経済学者が指摘している
 通りですね(「テクノストラクチャ」「法人資本主義」等)。

 ただし、「資本家とは資本の人格化に過ぎない」(マルクス)から、最
 終的には(国家資本主義)旧ソ連におけるノメンクラトゥーラのように、
 事務官僚あるいは技術官僚といった<組織の司祭達>が経営実権を握っ
 て、組織の存続(ゴーイングコンサーン?)を計ることは、資本主義に
 おけるシステム物神の必然として捉え得るでしょう。

 しかしそうなると、企業は創造性を失い、また、モラルハザード的ある
 いはプリンシパルエージェント問題的な<コーポレイトガバナンスの危
 機>が生じるのも、昨今の国内外での企業(あるいは官庁)での不祥事
 を見れば明らかかと。
477OFW:02/12/31 17:45
>>475(ふにゃぽんさん)
>「マルクス主義倫理学」というものがあるとすると、それはどういった
>ものになるのでしょうか?
 学問プロパーとしての倫理学には関心も薄いので、的確な答えはできま
 せんが・・・

 単純に言って、倫理とは<人間関係のあり方>でしょうが、諸個人に備
 わる主体的自由という性格(つまり個人の完全性)を前提に始める場合、
 どうしても倫理学は外的な規範学になるのも当然ですね。

 一方、「人間とは社会関係の総体である。」とするマルクス主義では、
 「人間関係のあり方」は物質的な基盤の上に成立していることを忘れな
 い。つまり諸個人間の関係とは<自由な関係>ではなく、<必然的な関
 係>であるという側面です。そこから倫理学も後付け的な仮説や単なる
 行為規範の提示ではなく、自由な関係(社会の解放)の具体的条件につ
 いての考察に向かうべきでしょう。

 既に、倫理学は限りなく政治経済学あるいは社会的コミュニケーション
 理論と密接化してきており、正義や人間性という理念的テーマも、具体
 的な社会のあり様に焦点が移っているようですね。

 たとえば、「リストラされるのは、当人が無能だから。」との言明は、
 この板でも良く目にするが、「力(=交換力)こそ正義」という政治原
 理(倫理の限界としての無法状態)が市場のモラルだという真理に対す
 る、正確な矛盾表現ですね。倫理学者は「交換本能」(アダムスミス)
 などを捏造せずに、社会の弁証法を学ぶ必要ありかと。
478OFW:02/12/31 17:46
>>475(ふにゃぽんさん)(つづき)
>唯物論的に改作(=止揚)
 倫理思想について言えば、カントは新興の自由主義的ブルジョアジーの
 哲学的代弁者であり、<私>の主観的意志を自由と呼び、倫理の根拠を
 形式的な普遍妥当性に置いたわけですが、それはフィヒテによって国民
 主義的な道徳的世界へと変容された。ヘーゲルは市民社会(ブルジョア
 社会)の矛盾(人倫の喪失と欲望の体系)を捉え、政治的国家(ナポレ
 オン帝政あるいは立憲君主制国家)によるその止揚を是とした。つまり、
 ルソー流の共和主義(自由、平等、友愛)に対しては結局否定的だった。

 ヘーゲルの強みは、歴史の弁証法(理性の客観化)に対する感覚にあり、
 最後は「全知全能にして一者なる存在」に頼ったが、実際には未だ到来
 せぬ協働的人類の現成こそが、<神の義>の止揚(=実現、否定の否定)
 と言えるでしょう。

 現世では、貨幣が「全知全能にして一者」(何故なら、すべての存在は
 市場に引き出され、それによって情報化(価格づけ)され、それとの交
 換を強制されざるを得ないから)なわけですが、貨幣に倫理を求めるこ
 とは、ブルジョアおよび経済学者からすれば、「問いの形式的要件を欠
 く」ことになる。何故なら、たとえば銀行の貸し剥がしが心情倫理的に
 は非人道的であろうと、ブルジョア経済の正当性(合法性)は<私権の
 絶対性>(不可侵性)に基づき、<公序良俗>(人倫)以上の正義(=
 超法規的な無限性)であるとされているからです。つまり、倫理は形式
 主義的な法状態の設定により、既に無力化されていたわけです。

 ブルジョア自由主義、民主主義、ヒューマニズム等の倫理を唯物論的に
 止揚(=その真実の実現)することは、階級連帯的な実践(共産主義的
 人間の形成)によってしかなし得ず、そのイデオロギー(倫理学)のみ
 を哲学的に止揚することはできないでしょう。
479考える名無しさん:02/12/31 18:09
OFWはやはり社会主義革命を起こしたいらしい。
資本主義社会というかシステムが発展し尽くして、その不安定性を増大した
のち到来する新たな社会システムが社会主義システム。
↑は私風の言いかえね。
それならば資本主義の遺産を十分に生かしつつ、社会主義社会を作ることも
できるかもしれない。
もっともその場合の社会主義はソヴィエトのそれとはだいぶ様相を
ことにするだろうけどね。
もちろん制度としての議会制民主主義は必須の存在だろうし、官僚機構も
存続するだろう。というよりはしなくてはならない。
しかし、まだ、資本主義システム内部のエントロピーの蓄積度が不足
しているだろう。

OFWの博学ぶりは経緯を評する。
ただし、やや分野が偏っているように見えなくもないが。
なにか著作でも編んでみたらどうかと思う。
オーギュスト・コントのようにね。
480ふにゃぽん:02/12/31 18:24
>>478
>階級連帯的な実践(共産主義的
>人間の形成)によってしかなし得ず、そのイデオロギー(倫理学)のみ
>を哲学的に止揚することはできないでしょう。

しかし、マルクス主義者ならば、少なくとも実践を行う前に、
理論は完全に構築しているはずでは?
その理論を、とりあえず「仮説」(=未だ実践されざる「仮象」としての理論)
として提示することは不可能なのでしょうか?

とりあえず、OFWさん。今年はお世話になりました。

来年もよろぴくお願いします。

どうか、良いお年を。


481OFW:03/01/02 21:25
明けましておめでとうデス。世界はますます方向性を見失ってきているが、
そのこと自体、新しい時代が近いことの徴候でしょう。

「現代が誕生の時代であり、新しい時期に至る移行の時代であることを見
 ることは、別にむずかしくはない。精神は、これまでの自分の生存と考
 えの世界に別れをつげて、それを過去のなかに沈め去ろうとしており、
 自己を作り直そうと努めている。」
「現存するものの中にはびこっている軽率と退屈、未知のものに対する定
 かならぬ予感などは、何か別のものが近づいているという前ぶれである。」
「全体の相(すがた)を変えなかったこのゆるやかな瓦解は、電光のよう
 に一挙に新しい世界像をそこに据える日の出によって、断ち切られる。」
 (ヘーゲル『精神現象学』序論)

>>479
>議会制民主主義は必須の存在だろうし、官僚機構も存続するだろう。
 その根拠は何でしょう?
 現在のような、職業政治家への全権委任方式による代議制議会政治や、
 固定した専従官僚による行政実務は、大衆を排除する政治制度であり、
 社会の発展に従って、直接民主制に移行すべき代物と考えるが。
482OFW:03/01/02 21:26
>>480(ふにゃぽんさん)
>少なくとも実践を行う前に、理論は完全に構築しているはずでは?
 理論と実践の関係から言って、完全な理論を事前に構築するのは無理で
 しょう。理論は構想、企画と具体化され、実践に接続されて完全です。
>「仮説」・・・として提示することは不可能なのでしょうか?
 あり得べき倫理学の性格としては、<個人の内なる社会>(具体的普遍)
 を明確に取り出すことでしょう。通常、倫理学とは、
 「社会の中で、個人にとって<善い生き方>とは何か?」を探求する
 哲学の一分科、とされていますが、多くの学問的議論も、社会的人間の
 本質論がないために、一向にラチが開かないように見えます。
 つまり、「人間は如何に生きるべきか?」という実践的・規範的設問が
 「人間とは何か?」という理論的・存在論的設問とリンクしていない、
 ということです。
 個人は社会の中でのみ生存可能であり、社会は個人にとって必然的な実
 体をなすものですが、同時に個人は社会の単なる素材あるいは担体では
 なく、関係の必然性を認識することで、そこから抜け出て自ら行為し、
 社会を変革する可能性を有する主体的存在でもあるわけです。そして、
 「必然的なもの(実体、運命、正義等)に従うことが自由である。」と
 いう古来の教えにも、「何が実体なのか?」(アリストテレス)を知ら
 なければ、主観的な意見や恣意(偶然的自由)が大手を振るうのみ。
 たとえば、
 仮説1(経済倫理):経済的価値の実体は社会的必要労働である。
      → 労働の社会化により、人間の共同性を地上に齎すこと。
 仮説2(政治倫理):テロの根拠は抑圧的な社会構造にある。
      → 階級構造の変革により、国家=暴力装置を根絶すること。
 仮説3(生命倫理):クローン人間は生命をモノ化する技術物神が作る。
      → 功利主義を廃して、類的生命の多様性を保存すること。
 仮説4(環境倫理):環境破壊は資本による自然の搾取が引き起こす。
      → 自然のモノ化を廃して、自然の本源性を回復すること。
483ふにゃぽん:03/01/02 22:21
OFWさん、他のみなさん。
あけましておめでとう、です。

OFWさん、毎回の懇切レスありがとう。

今日のOFWさんのレスを読んで、OFWさんの関心外とおっしゃる倫理学
について、疑問がいくつか浮かんだけど、そのことはまた後日よろぴく。

今年もみなさんにとって、良い年でありますように。

484しかし。。:03/01/04 00:48
 今「賃金・価格及び利潤」を読んでいるんだけどすごい暴論だなこりゃ。
 
 誰か読んだことある?

 誰かマルクスは価格の低下は結局何に由来すると彼は考えていたのか
 教えて頂戴。俺資本論読んだけど忘れちゃったよ。

 価格の低下とは俺が思うに資本主義内部での私企業間の競争の結果
 であると思う。しかしマルクスはこの「賃金・価格及び利潤」で
 それを正当化しているように思えるが競争はOKなの?あり?
485panta:03/01/04 00:53
帰ります。そしてまたいつの日にかお会いしましょう。
486OFW:03/01/04 18:16
>>484
>すごい暴論だなこりゃ。
 どの辺りが?
 (下記に電子テキストあり。)
 ttp://redmole.m78.com/bunko/kisobunken/chinkari01.html
>マルクスは価格の低下は結局何に由来すると彼は考えていたのか
 上記テキストを読めば、こうあります。
 「市場価格は、平均的な生産条件のもとで一定分量の一定の品物を市場
  に供給するのに必要な社会的労働の平均量をあらわすだけである。
  ・・・市場価格は、ときには価値つまり自然価格以上に上がり、とき
  にはそれ以下に下がったりするが、この動揺は需要と供給の変動によ
  るのである。」
 「アダム・スミスが言っているように、「自然価格は・・・・〔あらゆる〕
  商品の価格がたえずそれにひきつけられている中心価格である。・・
  これらの価格がこの静止と持続との中心におちつくのをさまたげる障
  害がおよそどんなものであろうとも、それらはいつもこの中心にむか
  っていくのである〔38〕。」」
  (上記『賃金・価格・利潤』第6章価値と労働)

 つまり、価格低下の<原因>は「市場価格がその価値より大きい」とい
 うこと。その内容が需要と供給の不均衡として現れ、その均衡化に向か
 って、競争が<結果>として引き起こされ、その結果として市場価格は
 価値(自然価格)に向かって下落するということです。

 競争とは弁証法的な運動(<神(つまり一般的他者)の見えざる手>)
 であり、誰も“意図して”(主観的には)市場価格を均衡化させようと
 競争するわけではないが、“結果として”(客観的には)均衡に向かっ
 ている。すなわち、それ自体が他者(他者化された自己)の結果です。
487Tar ◆SQIDAUQYpc :03/01/04 18:30
マルクスって何なの?
488考える名無しさん:03/01/05 04:11
> OFWさん

廣松渉についてどう思うか教えておくんなまし。
特に、「疎外論超克」とか言ってることについて。
489OFW:03/01/05 17:55
>>487(Tarさん)
>マルクスって何なの?
 「人間の解放は社会の解放なしにはあり得ない。」という共産主義思想
 を唱え、(良くも悪くも)20世紀の思想哲学そして現実政治に甚大な
 影響を与えた思想家、ですね。
 「どんなにひどい世の中でも、共産主義でないだけマシだよ。」
 (不況期のアメリカの一農夫)と話題にされるほどの有名人(笑)。

>>488
>廣松渉についてどう思うか
 以前の下記スレを参照下さい。
 (思想的には批判的ですが、翻訳者・解説者としては優れていると。)
 廣松渉について
 ttp://academy.2ch.net/philo/kako/992/992060905.html
>「疎外論超克」とか言ってることについて。
 廣松氏は1960年代後半に「疎外論から物象化論へ」を説いて、当時
 の新左翼の中に支持を広げました。それまでの実存主義的な疎外論
 (“マル存主義”)や主体性論を、未だフォイエルバッハの影響下にあ
 った若き(未熟な)マルクスに依拠するものとして否定して、
 「マルクスが後期において開いた地平、つまり、物象化的錯視に捉われ
  た近代の主客二元論的な認識図式をトータルに超克することが肝心だ。」
 と主張しました。素朴唯物論(“タダモノ主義”)を関係論的に捉え直
 す発想は良いが、疎外論がもっていた社会本質論的な問題設定を、認識
 論の問題に変容(矮小化)したと言えます。彼の<物象化>概念も、マ
 ッハ流の現象主義(物自体の廃棄)と<共同主観的意味>への溶解であ
 り、マルクスのそれとは似て非なるものでしたが、何故か唯物論(マル
 クス主義)の理論家として位置づけられているのも不思議です。
 因みに、戦後主体性論争の“影の主役”梯明秀氏も、「疎外と物象化が
 対立するかのような言い方はおかしい。」とコメントしていましたね。
490考える名無しさん:03/01/05 19:50
23 :金持ち名無しさん、貧乏名無しさん :03/01/05 18:53
>>16
銅鑼さん、ちなみにこういうのもあります(藁

http://academy.2ch.net/test/read.cgi/philo/1030531327/

398 :考える名無しさん :02/12/07 11:01
OFW氏が近経の学者やエコノミストに完全に論破されたスレを発見しました。

再びマルクスの可能性の中心を問う 
http://matari.ichigobbs.com/cgi/readres.cgi?bo=economy&vi=0009
ちなみに OFW氏=30です。

419 :OFW :02/12/10 22:39
>>398
>近経の学者やエコノミストに完全に論破された
 どこでそうなるのかな?
 セクト的な反応がバカバカしくなって、議論を中断しただけ。



26 :銅鑼衣紋 :03/01/05 18:56

俺、非マル経のなかでは、社会理論としてのマルクス理論に同情的というか
共感を覚える方だけどねぇ。普通は100%否定だけでしょう。その意味で
セクト的反応とか言われれると驚くね。
491考える名無しさん:03/01/09 16:25
マルクスの入門って何が良いですか?
492Kurihara:03/01/09 17:06
広松渉さんの「今こそマルクスを読み返す」(講談社現代新書)
がいいです。
493考える名無しさん:03/01/09 22:20
ありがとうございます。Kuriharaさん。
廣松歩の文章難しいですね。
494切り絵:03/01/09 22:25
私は読んでません。哲学史の中で拝見したのみです。
495切り絵:03/01/09 22:29
イベントあるとかいってたよね。
忙しくないの?睡眠時間十分とってるの?因みに私は寝るのは大好きで
8時間睡眠です。2,3時間でオーケーな方法ってあるのかな?
496Kurihara:03/01/09 22:51
>>493
広松さんの文は確かに難解ですが、
その難解さは精密に物事を語る上で
当然支払われなければならなかった
対価のようなものでしょうね。
それだけに、広松さんの書いたものは
信頼に値すると思います。
497493:03/01/10 11:48
父が偶々廣松歩の教え子なので彼の書籍はすべて実家にあるのですが
僕の専攻は如何せん別のものなので今まで読んでみようという気に成りませんでした。
これからは読んでみます。
498考える名無しさん:03/01/10 19:58
アンタッチャブルなスレが出来てるぞ!
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/sociology/1042133829/l50
理性と感情を使ってマジ難しいから、バカは来ないように。
ここ数か月、本なんか読んだこと在りませんなんてアホは、来るなよ!
499考える名無しさん:03/01/10 21:30
「経済学批判序言」を改めて読むと「ブルジョア的生産関係は、社会的生産関係の敵対的は、といっても個人的な意味ではなく、諸個人の社会的生産諸条件か生じる敵対という意味での敵対的な、形態の最後のものである。」
とあった。この「個人間の敵対」を、労働者間の競争と読めば共産主義でも何らかの市場機能が残せそうな気がする。
500ねこ:03/01/11 02:47
こんばんは 皆様、OFW様 今年も(たまに)よろしくお願いします

上に紹介されていた経済板でのOFWさんとドラさん等とのやり取り
興味深く拝見しました やはり哲板の方がこの手の話はよいかと(^^;

「本質」を語ろうとしないことは、近代経済学のみならず、
(ウィーン楽団以降の)「科学」全般に見られる態度なのだとの
上記スレでのドラさんの指摘はなるほどと思いました

また、このスレのすぐ上の方↑でも、OFWさんの「本質」という言葉の
使用に対して、曖昧な概念だという批判がありましたし、私もそのように
思います

「本質」という言葉は、曖昧に用いれば、自分に対する批判者一般を
便利に否定できたかのように見せかけることもできますし、
また、何某かの「信者」を温存し、社会の不幸を増幅する原因にも
なります マルクス主義者を語る多くの圧政者たちは、過去もそして現在も、
判で押したように、その批判者たちを、同様の言説で「抹殺」してきた
歴史がありますので、「マルクスの可能性を追求する」ならば、
先のドラさんなどの指摘も念頭に置いて、「この類の言説」を
どのように捉えていくかは、それなりに意味を持つものと思います
501ねこ:03/01/11 02:50
あ、切れちった・・・
(続き)なります マルクス主義者を語る多くの圧政者たちは、
過去もそして現在も、判で押したように、その批判者たちを、
(「本質」という言葉の使用方法と)同様の言説で「抹殺」してきた
歴史がありますので、もしも「マルクスの可能性を追求する」ならば、
先のドラさんなどの指摘も念頭に置いて、「この類の言説」を
どのように捉えていくか(を検討すること)は、
それなりに意味を持つものと思います
502ねこ:03/01/11 02:55
で、OFWさんとしては、現在OFWさんが語っている、
「経済学の本質である「経済的価値」」(?)とか、
「物理学の本質である「エネルギー」」とか、いう概念は
それこそ、本質的には、あくまでも、仮象のものに過ぎない、
というふうには認めてもらえるのでしょうか?

また、OFWさんに限らず、便宜的かつ操作的概念には止まらない
「本質」というものの存在を、積極的に主張される方は
いらっしゃいますか?
503ねこ:03/01/11 03:22
例えプロレタリアートの幸福を追求するという目的であっても、
さらには、銀河の中心にブラックホールを発見したり、量子コンピュータを
作ろうとする、いわゆる科学の営み
さらに話を広げて、価値一般についてさえも、「人間」や「私」にとってのみ
意味を持つもの、すなわち「本質的には」無意味なのではないかという、
ニヒリスティックな思いがあります

「本質」であると自称することは、本来、そのような形而上的な思弁(?)とも
関わりを持たざるを得ないことだと思いますが、果たしてマルキシズムの
唯物弁証法?が、これらをどう解決できるのか/できないのか?
504OFW:03/01/11 08:25
 仕事が忙しくなって、レスが遅れる・・・
>>490
 転載くんにレスしてもしょうがないが・・・
 「セクト的反応」「転向」云々は特定の個人を指していたのではない
 のだが、いくぶん売り言葉に買い言葉になったかも。
 銅鑼氏はむしろ例外的な方(ホウ)。

>>499
>「個人間の敵対」を、労働者間の競争と読めば共産主義でも何らかの
>市場機能が残せそうな気がする。
 貨幣(一つの社会関係)が無い場合、競争とは“敵対的矛盾”か“非
 敵対的矛盾”(毛沢東)か、が問題ですね(笑)。
505OFW:03/01/11 08:25
>>502−503(ねこさん)
>本質的には、あくまでも、仮象のものに過ぎない
 私の使う論理的用語(概念)はヘーゲル由来ですが、
  仮象(Schein(独)、shine(英)):
   輝き、見かけ、自体をもたない存在(被措定有)
  現象(Phaenomenon(独)、phenomenon(英)):
   仮象の全体、他在における本質
  本質(Wesen(独)、essence(英)):
   現存在(Existenz(独))の根拠、諸実在の自己同一性
  実体(Substanz(独)、substance(英)):
   諸現実間の偶有的関係の総体をなす自己相関性
 という用法で使い、日常語とは少しずれています。

 「経済的価値は仮象である。」と言う場合、
  <価値>について、その実在(価値現象)と概念(価値本質)を区別
  する必要があります。「価値」とは何を指示しているかということ。

 「エネルギーは仮象である。」と言う場合、
  たとえば<光>は直接的には輝き(shine)であり、上の用法から
  すれば、単なる同義反復(仮象は仮象である)に過ぎません。
  科学的(本質的、客観的)には
 「直接的な光は存在せず、その本質はエネルギーである。」
  という言い方が、文法的(論理的)にも、正しいかと。 
506OFW:03/01/11 08:26
>>502−503(ねこさん)(つづき)
>「本質」というものの存在を、積極的に主張される方はいらっしゃい
>ますか?
 労働価値説を唱える「マルクス主義」者の中にも、「本質」「実体」
 という概念(存在ではない)を自覚的に(ヘーゲルーマルクス流に)
 使っている者は見当たらないようです。
 悪しきスターリン主義(教条的観念論)の影響でしょうか。

>価値一般についてさえも、「人間」や「私」にとってのみ
>意味を持つもの、「本質的には」無意味なのではないかという、
>ニヒリスティックな思いがあります
 <価値>とは、理論的(客観的)であると同時に、すぐれて実践的
 (主体的)な存在です。
 「最も重要なのは、主体と実体の弁証法である。」(エンゲルス)
 また、「意味」とは、記号的存在について言われる用語ですから、記号
 でないもの(例:本質は実在の自体存在ですから記号ではない)に意味
 が無いとは、自明の理ですね。(言葉の意味と事物の意味) 

>形而上的な思弁(?)とも関わりを持たざるを得ない
 およそ形而上学的思弁とは、現実とのかかわりを持たない観念について
 あれやこれやとオシャベリをすることですから、むしろ現代の形式主義
 的な経済学(例:ウォルラス的均衡世界)および論理学(例:可能的意
 味の世界)を指すと言えるでしょう。
 すべての科学者が“実際に”実践していることは、経験的世界において
 その<客観的本質>を解明するための理論および実験的作業であり、決
 して、当人がその自己解釈において誤解しているような、単なる<現象
 の記述>(例:近似的像の作成)ではない。
 <客観性の公準>とはすべての科学にとって、第一の格律でしょう。
507ねこ:03/01/12 02:19
 私は、哲学の専門的な用語方法に習熟していませんので、その点からは、不適当な用語
法があるかと思います しかし、普通の人が読んで誤解が生じず、その後の議論に支障を
きたさない程度であれば、目をつむって、話を進めていただければ助かります

 できるだけ誤解を生じないように、先の私の主張を敷衍します
 a1 「本質」という類の言葉を曖昧な定義のまま使用すると、誤解を生じやすく、か
   つ、それに伴い数々の問題を生じやすい
 a2 マルクス主義者を標榜する者のうち、某かは、過去及び現在にいたるまで、その
   類の言葉の持つ曖昧さを利用して、政敵、論敵達を文字どおり抹殺してきた歴史が
   ある
 b  「本質」、「真の」、「イデオロギー」etc. このような観念的かつ、曖昧な言
   葉を、無批判に使用してきた点に、上記のような「マルクス(主義)の可能性」を
   阻害する大きな問題が存在する(と私も、マルクス主義にシンパシーを持つ他の人
   たちも、(たぶん)思っている)
 c  OFWさんも「本質」といった類の言葉を曖昧に使用しているおり・・(ry
508ねこ:03/01/12 02:19
 さて当然、検討すべきは「問題」はb及びcです

 さきに紹介された別スレで、OFWさんは「本質」について次のように言っています
 ・ 「仮説が検証され現実と整合的なら、それは「真の本質」を捉えている」
 ・ 「仮定された本質が真の本質かどうかは、検証によって吟味される」

 これらの主張から、OFWさんが言うところの「真の本質(又はその一部)」は、少な
くともOFWさんには認識可能ということになりますね
 その際、OFWさんが、本質という言葉の意味を、「ある一連の概念操作にとって極め
て便利、かつ中心的であり、かつ現実と整合的な概念」という程度の意味で使われている
とすれば、私も同感です
 しかし、もし仮に、それ「以上」の、(マルクス主義で言うところのイデオロギーの意
味ではなく、一般的な言葉の使い方で言うところの)「形而上的」な、まさしく普通の言
葉遣いでの「真の本質」という意味で使おうとするなら、それは不適当だと思います
509ねこ:03/01/12 02:23
 なぜなら、検証可能かつ現実と整合的、以外の「真の本質」の意味が不明だからです
 そして、そのため当然に、

 1 他の科学理論(例えば近代経済学、相対性理論)を否定して、マルクス主義の真理
  性を主張する根拠が不明

 2 それらの言葉に(現実と整合的、以外の)「形而上的」(でも超越論的でも何でも
  可)な意味を与えることには、ほとんど実質的な意味が見いだせない、すなわち、
  「真の」とか「本質」とかいう言葉から、「現実と整合的」(かつ、便利な概念)
  という意味をマイナスすると、後には何も残らない
  (=「物自体」と同様のナンセンス、のみならず、最初に書いたような弊害を生ずる
  危険さえ、極めて大きい)

 何だか同工異曲を繰り返しているようで恐縮ですが、逆に言えば、まだ自分は「折伏」
されていない、ということにもなります(^^
 返していただいたレスの中にも多々異論を挟みたい部分がありますが、あまり議論が拡
散すると、ますます「曖昧かつ誤解を生じやすくなる」と考えますので、今日はここまで
510ねこ:03/01/12 02:28
あ、1点だけ付け足し(^^;

>>502
> OFWさんに限らず、便宜的かつ操作的概念には止まらない
> 「本質」というものの存在を、積極的に主張される方は
> いらっしゃいますか?

これは、マルクス主義の学者等を指して言ったのではなく、
このスレを読んでくれている方々の中に、いますか?、という
呼びかけを行ったものです 誤解があったようで・・
511OFW:03/01/12 17:44
>>507-510(ねこさん)
>a1
 まったく同感です。
>a2
 確かに。ただし「言葉の持つ曖昧さを利用して」抹殺したと言うより、
 権威主義(批判的精神を封じ込めること)さらに権力を利用したかと。
>b
 確かに。マルクス本人は批判的精神の見本のような人だったが、その追
 随者の多くが「観念的かつ、曖昧な言葉を、無批判に使用してきた」の
 も事実。それは思想をドグマに変える怠慢あるいは欺瞞と言えます。 
>「真の」とか「本質」とかいう言葉から、「現実と整合的」(かつ、便
>利な概念)という意味をマイナスすると、後には何も残らない
 この辺りは弁証法的な認識論についての説明が必要であり、
  a:ブルジョア経済(現実)
  A:ブルジョア経済学(概念あるいは理論)
 を例にとって説明しましょう。

 1.対象aについて
  (1)aの実在
   18世紀以降の世界における商品、貨幣、資本等の偏在。
   それら(複数)は「ブルジョア経済」と呼べる対象が確かに存在す
   ることを示しているが、個々の商品等は<aそのもの>ではない。
  (2)aの本質
   上記(1)の総体としての<aそのもの(自体)>。
   それ(単数)は個々の商品、資本等が現存在(exist)する根拠と
   なる全体的・関係的・過去的存在(現代流に言えばシステム存在)
   であり、実在ではなく観念的・運動的存在だが、ブルジョア経済学
   本来の研究対象として客観的なもの。
512OFW:03/01/12 17:45
>>507-510(ねこさん)(つづき)
 2.概念Aについて
  (1)Aの正当性(正しさ)
   対象a(ブルジョア経済)を合理的なシステム(自己完結的体系)
   であると想定して、「効用最大化」「利潤極大化」等の“経済合理
   性”をもつ諸個人をその<本質的要素>(ミクロ的基礎)として設
   定し、特に数量化により、マクロ現象を自己導出的に説明する。
    →方法的個人主義、数量化の妥当性等の前提は不問に付される。
   システムの不安定さ(例:デフレーション)は全体の厚生を見ない
   利己的主体の“合理的”行動が原因(合成の誤謬)だが、その誤謬
   はシステム外部からの“合理的”介入(金融あるいは財政政策)に
   より正規化(最適化)され得る偶然的なものと主張される。
    →合理性、最適性、厚生に関する二重基準と対象への外的圧力。
  (2)Aおよびaの真理性
   一般に、概念(理論)Aと対象aが不整合な場合、科学者は対象a
   を基準にして理論を変更(A→A’)するか、理論Aを基準にして
   対象の本質的定義を変更(a→a’)する。
   前者の場合、あるがまま(自然的自体)の対象aを基準にして<真
   の理論>を求め、後者の場合、無矛盾的(自己妥当的)な体系Aを
   基準にして<真の対象>を求めると言える。
   特に後者に関しては、対象の現われにおける非本質的、偶然的な要
   素の除去(例:黒いスワンはスワンではない)で済む場合と、より
   本質的な要素への下向により<真の対象的本質(必然的実体)>を
   求める場合、つまり「今まで対象の本質だと思っていたものは非本
   質的な仮象だったのであり、真の対象は○○だ。」という転回が起
   きる場合(例:天動説から地動説への転回)とが区別され得る。
   マルクスの転回は、対象a(ブルジョア経済)とは特殊歴史的な生
   産様式(生産手段の私有に基づき価値法則が貫徹する交換システム)
   であり、真の普遍的(歴史貫通的)な対象の本質は<交換価値の増
   殖>ではなく<社会的必要労働の節約>にある、ということです。
513Kurihara:03/01/12 18:02
中学生レベルの議論ですね。福本和夫以前ですよ。
514考える名無しさん:03/01/12 21:01
議論もできないから参加もしないんでしょ、天才さん。
515Kurihara:03/01/12 21:44
同じことの繰り返しに、もう飽きました。
反復強迫とはこのことです。
516OFW:03/01/13 04:52
>>513,515(Kuriharaさん)
>福本和夫以前ですよ。
 なつかしい名前が出てきた。
 その評価は論者により分かれるが、柄谷氏由来の評価かな?
>反復強迫とはこのことです。
 フロイトの言う外傷性神経症も死への欲動も持ち合わせなし。
 反復学習とは、内容的な理解が得られるまで、繰り返すこと。
517考える名無しさん:03/01/17 03:37
age
518山崎渉:03/01/18 09:35
(^^)
519Kurihara:03/01/18 21:56
反復学習とは、要するに、洗脳すること
ですね。通報しました。
520考える名無しさん:03/01/18 21:58
うざい理論だねぇ〜(^^)
521Kurihara:03/01/18 22:00
OFWさんとは、要するに、北朝鮮のスパイ
ですね。というより、OFWさんは在日朝鮮人です。
522Kurihara:03/01/18 22:02
それと山崎渉という人は邪魔だから、
消えてください。板汚しです。
523考える名無しさん:03/01/18 22:02
頭良すぎるせいか、難解?????
524考える名無しさん:03/01/18 22:08
○○もおだてりゃ、木に登ります(^^)
525Kurihara:03/01/20 03:33
福本和夫は柄谷さんたちには割と
評判いいですよ。それ以上に評判いいのは、
戸坂潤です。柄谷さん、浅田さん、蓮実さん
の知の三馬鹿トリオの皆さんが一致して
戸坂さんのことを誉めています。

柄谷さんは戸坂さんの反映論を誉めていて、
それは事実と言語を写像関係でとらえて
いると評価しています。初期ウィットゲンシュタイン
と同じ視点だと。
526Kurihara:03/01/20 03:48
僕は戸坂さんの「日本イデオロギー論」を
読みましたが、別に感心はしませんでしたがね。
それより、花田清輝さんの「復興期の精神」
のほうがいいと思います。
まあ、なんにしても今の左翼運動も壊滅しましたよね、
戦前同様に。アメリカのよるイラク攻撃は各国でデモ
をやろうと阻止は出来ません。アメリカ製品のボイコット
が一番効果的なのですが、僕もついさっきコカ・コーラ
を飲んだばかりなのです。それでどうしてアメリカの暴走を阻止
出来ましょう?アメリカとは僕らの無意識の別名に
ほかならないのですから。誰か、答えがあるなら出して
欲しいものです。
527考える名無しさん:03/02/04 00:46
>>526
あなたのカキコを見ていても、何の知性も感じられないのだが。
不毛な饒舌の典型というべきか。
528Tar ◆SQIDAUQYpc :03/02/04 01:01
>>489
遅くなりましたが今読みました。
答えていただけて感謝しています。
529考える名無しさん:03/02/04 01:07
>それと山崎渉という人は邪魔だから、
>消えてください。板汚しです。

自宅に引きこもってるヤツがネット上でも哲学板に引きこもってる哀れな姿。
530考える名無しさん:03/02/04 01:45
デレク・パーフィットって読んだことある?
なかったら、ここへGO!!!!
http://search.auctions.yahoo.co.jp/search?sb=desc&desc=%A5%C7%A5%EC%A5%AF%A1%A6%A5%D1%A1%BC%A5%D5%A5%A3%A5%C3%A5%C8&alocale=0jp&acc=jp
531考える名無しさん:03/02/05 11:19
>>529
いや、彼奴は2chの至る所にいるよ。

甥がギャルゲ板で立てて、役割を終えたから沈めて、dat落ち目前までいってた
スレにまで現われたのには、感心した。
532考える名無しさん :03/02/09 19:11
このスレも糞スレになったな。
533世直し一揆:03/02/10 18:55
<血液型A型の一般的な特徴>(見せかけの優しさ・もっともらしさ(偽善)に騙され
るな!)
●とにかく気が小さい(神経質、臆病、二言目には「世間」、了見が狭い)
●他人に異常に干渉し、しかも好戦的・ファイト満々(キモイ、自己中心)
●自尊心が異常に強く、自分が馬鹿にされると怒るくせに平気で他人を馬鹿にしようと
する(ただし、相手を表面的・形式的にしか判断できず(早合点・誤解の名人)、実際に
はたいてい、内面的・実質的に負けている)
●本音は、ものすごく幼稚で倫理意識が異常に低い(人にばれさえしなければOK!)
●「常識、常識」と口うるさいが、実はA型の常識はピントがズレまくっている(日本
の常識は世界の非常識)
●権力、強者(警察、暴走族…etc)に弱く、弱者には威張り散らす(強い者にはへつらい、弱い者に対してはいじめる)
●あら探しだけは名人級でウザイ(例え10の長所があってもほめることをせず、たった1つの短所を見つけてはけなす)
●基本的に悲観主義でマイナス思考に支配されているため性格がうっとうしい(根暗)
●単独では何もできない(群れでしか行動できないヘタレ)
●少数派の異質、異文化を排斥する(差別主義者、狭量)
●集団によるいじめのパイオニア&天才(陰湿&陰険)
●悪口、陰口が大好き(A型が3人寄れば他人の悪口、裏表が激しい)
●他人からどう見られているか、人の目を異常に気にする(「〜みたい」とよく言う、
世間体命)
●自分の感情をうまく表現できず、コミュニケーション能力に乏しい(同じことを何度
も言ってキモイ) 
●表面上意気投合しているようでも、腹は各自バラバラで融通が利かず、頑固(本当は
個性・アク強い)
●人を信じられず、疑い深い(自分自身裏表が激しいため、他人に対してもそう思う)
●自ら好んでストイックな生活をしストレスを溜めておきながら、他人に猛烈に嫉妬
する(不合理な馬鹿)
●執念深く、粘着でしつこい(「一生恨みます」タイプ)
●自分に甘く他人に厳しい(自分のことは棚に上げてまず他人を責める。しかも冷酷)
●男は、女々しいあるいは女の腐ったみたいな考えのやつが多い(例:「俺のほうが男
前やのに、なんでや!(あの野郎の足を引っ張ってやる!!)」)
534Kurihara:03/02/10 19:31
>>527
はいはい、自己言及ですね、これも。
535考える名無しさん :03/02/10 19:34
>>534
オマエの場合は、「自己言及」というより「自家中毒」だろう。
536Kurihara:03/02/10 19:46
>>535
これも自己言及。
537考える名無しさん:03/02/11 00:16
>>536
「自己言及」とやらを、明解に定義してみな
538Kurihara:03/02/11 00:30
>>537
人にものを頼む態度がなっていませんね。
539考える名無しさん:03/02/11 00:39
>>538
あなたの文章、何度か見かけたけどおよそ非理論的だな。出来の悪い評論家的文章。
大学浪人レベルなら褒めてやるけど、現役大学生だとまあまあ、大卒(もしくは大学院生だと)
絶句だが。
2chで管まいているにしてもレベルが低すぎるよ。
540Kurihara:03/02/11 00:54
>>539
自己言及は本当に止めた方がいい。
541考える名無しさん:03/02/11 00:56
>>539
Kuriは高卒の肉体労働者だって。
あと、柄谷シンパ。
542Kurihara:03/02/11 01:01
>>541
僕は弁護士ですが、何か?
543Kurihara:03/02/11 01:02
僕は哲学のみならず法学にも詳しいのです。
544考える名無しさん:03/02/11 01:09
あれ、弁護士になったんだっけ。
最近曼荼羅行ってねーから、
気づかなかった。
545考える名無しさん:03/02/11 01:11
道化師kuriたんの粗悪なコピーにすらなってないよ。
氏ねよ。
546考える名無しさん:03/02/11 01:11
547考える名無しさん:03/02/11 01:20
>>545
それは禁句
548考える名無しさん:03/02/11 10:20
>>542・543
>僕は弁護士ですが、何か?
>僕は哲学のみならず法学にも詳しいのです。

匿名性掲示板で自己規定してみても何の意味もないと思うのだが。
549考える名無しさん:03/02/11 15:22
>>517ー548は、全てスレ違い・・・。

やはり、OFWさんがいないと、このスレは成立しないね・・・。

良くも悪くもだけどさ・・・。
550Kurihara:03/02/11 16:51
>>549
要するに、これはマルクスの不人気の現われなのですね。
OFWがどうのではなく。
551Kurihara:03/02/11 16:58
だいたい「資本論」読んでないでしょう、皆さん?
この板の中で「資本論」全三巻を読破しているのは
僕とOFWさんくらいでしょうからね。
552Kurihara:03/02/11 17:07
僕ら以外に「資本論」全三巻を読破している人
がいるなら、ここでどうぞ名乗り出てください。僕と
OFWさんとで、あなたの理解度を無料で査定してあげますから。
553考える名無しさん:03/02/11 17:07
最近Kuriharaさんに恋してる自分に気ずきました。
受け止めて欲しいんです、この気持ち。
このままじゃどうにかなっちゃいそうです。
どうにかして下さい!

554Kurihara:03/02/11 17:12
>>553
では今すぐに全身裸になり、あなたのcuntに
きゅうりをいれなさい。そうすれば、あなたは
幸せになれます。
555考える名無しさん:03/02/11 17:15
私はboyです!cuntはありません!
556Kurihara:03/02/11 17:16
>>555
なら、アナルでもいいですよ。
557Kurihara:03/02/11 17:18
さあ、けつの穴にきゅうりを突っ込んで、
そのまま外へ飛び出しましょう!
558考える名無しさん:03/02/11 17:18
嫌です!Kuriharaさんの存在それ自体が欲しいんです!
559Kurihara:03/02/11 17:19
この一連の動作を10分以内に行わないと、
あなたは確実に不幸になります。
560考える名無しさん:03/02/11 17:21
だ・か・ら!kuriharaさんが居ないことが私の最大の不幸なんです!
561Kurihara:03/02/11 17:21
>>558
僕の命令が聞けないのなら、今すぐ哲学板から
出て行って下さい。さもないと、地獄の粛清があなたを
待っています。
562Kurihara:03/02/11 17:23
>>560
けつの穴にきゅうりはちゃんと入れましたか?
563考える名無しさん:03/02/11 17:24
あ〜素敵、もっと私にアナタを下さい!
564Kurihara:03/02/11 17:24
ほらほら、時間は待ってはくれないですよ。
565考える名無しさん:03/02/11 17:29
僕が男だからダメなんですか!
でも安心して下さい、ソコらへんの女の子よりずっと体はキレイです!
加藤あい似です。
566イワン:03/02/11 18:01
>551
読もうとしたら、最初っからわからなかった。

ヘーゲルとか分かってないとだめですか?
567Kurihara:03/02/11 18:24
>>566
ヘーゲルは知らなくてもいいですよ。
「資本論」で難しいのは、むしろ最初であって、
あの価値形態論は専門の経済学者も悩むのですね。
挙句の果てにはあれを単なる形而上学だとして
切り捨てる人もいますが、価値形態論こそマルクスの独創
なのです。従って、難しくてもこれを理解しないと、
「資本論」を読んだことにはならないのです。
568Kurihara:03/02/11 18:32
むしろ「資本論」を読んだあとのほうが、
かえって、へーゲルを理解し易くなるのです。
569Kurihara:03/02/13 12:43
私は本質的なバカでした。

逝ってきます。みなさん、さようなら。
570Sophia ◆8ADoZCl6.k :03/02/13 12:45
いってらっしゃい(^v^)
571考える名無しさん:03/02/14 00:25
どうした、Kurihara?
何があったんだ?
オッチャンに言ってみろ!
572Kurihara:03/02/14 00:38
>>571
>>569>>570との間の時間的スパンを考えてください。
わずか二分後に肉便器が登場しているでしょう?
だから、これは肉便器の低次元な、なんの工夫もない
間抜けな単細胞的煽りです。
573571:03/02/14 01:41
何だ、オッチャンはてっきり554以降の馬鹿なやり取りを後悔してんのかと
おもたよ・・・
574考える名無しさん :03/02/14 05:12
>>572
569の
>私は本質的なバカでした。
>逝ってきます。
までは、少なくとも正しい自己言及的言説だったと思ったのだが。
575Sophia ◆8ADoZCl6.k :03/02/14 05:41
>572
うるさい!!
私は「私は本質的なバカでした。
 逝ってきます。みなさん、さようなら。」って言うから
ただ「いってらっしゃい(^v^)」って見送っただけでしょ?
いちいちうざいよ。


576考える名無しさん:03/02/14 05:43
ソフィアさん、オハヨウございます!
577Sophia ◆8ADoZCl6.k :03/02/14 05:50
ただkuriharaが「私は本質的なバカでした。
逝ってきます。みなさん、さようなら。」って自己言及して
出て行くっていったから素直に「いってらっしゃい(^v^) 」
って見送っただけじゃん!!
12時間もたたないうちに帰ってくるなんて自分の発言に責任がもてないんじゃ
ないの? もしかしてアルツハイマー?
早く病院いきな!!




578考える名無しさん:03/02/14 05:55
そんな事言ってソフィアちゃんほんとはkuriチャンにホの字なんでしょ?
今日はバレンタインだよ?
素直になりなよ。
579考える名無しさん:03/02/14 06:12
正直Sophiaがウザくなってきた・・・



580Kurihara:03/02/14 06:19
ところで、肉便器さんは「資本論」は読んだのですか。
読んでないなら、このスレにはあなたは不要です。
581Kurihara:03/02/14 06:30
だいたい>>569のカキコは僕のニセモノですがね。
そのくらいのことは、カキコの内容から判断可能でしょう?
だから自分の発言に責任も何もありません。
そもそも>>569は僕が書いたのではないのですから。
582考える名無しさん:03/02/14 06:49
>Sophia
君が2ちゃんに常駐するのは自由なんだが、
書き込むなら、ネタスレか議論スレか判断して
からにしてくれないか?
君が来てスレが荒れたら、OFWさんだけでなく、
このスレを楽しみにしている俺たちも迷惑なんだよ。
そのくらいわかるでしょ?
583考える名無しさん:03/02/14 06:55
>>582
こんなデタラメで幼稚なところでまじめなこと書くなって
584考える名無しさん:03/02/14 07:03
>>582
ここの範疇からして、これは偽善だな
585Kurihara:03/02/14 07:15
でも、このスレには「資本論」を知らない人は
要らないでしょう。というよりも、肉便器さんが
このスレにいると、それを目当てにくるもてない男
どもがわいてくれので、それも邪魔なのです。
無論、「資本論」を知っているなら別ですがね。
586考える名無しさん:03/02/14 07:22
>>585
肉便器などという言葉を使ってる人が、真面目なことを書いてると思う?
587Kurihara:03/02/14 07:26
>>586
僕はだから真面目ではないですよ。しかし「資本論」全三巻
は読破済みであり、あなたよりマルクスについて詳しいですね。
だから、僕はこのスレにいてもいいのです。
588Kurihara:03/02/14 07:27
じゃあ、「資本の有機的構成の高度化」について
別スレで論じたことの続きでもやりますか、ここで。
589考える名無しさん:03/02/14 07:35
>>586
いくらあなたが知的に素晴らしい人間だとしても、自分で自分をほめたんじゃ
だれもついてこないわな。
590Kurihara:03/02/14 07:36
平均利潤率の話しでもいいし、単純生産のユートピア論でも
いいですよ?
591Kurihara:03/02/14 07:39
あと、僕に絡む必要もないですよ。「資本論」に
絡めばいいのですから。ここはマルクススレなのです。
592Kurihara:03/02/14 07:41
誰かマルクスに絡んであげて下さいよ。
マルクスがあの世で悲しんでますよ。
593Tar ◆SQIDAUQYpc :03/02/14 07:50
商品って何?
物神って何?
呪物って何?
594504:03/02/14 08:36
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595Sophia ◆8ADoZCl6.k :03/02/14 14:37
しったかぶりのkuriharaは帰っていいと思います。
「マルクス読んだんだぞー」なんて自慢するのと
マルクスについて議論するのを同義にしてるくらい
頭わるいじゃん。
596考える名無しさん:03/02/14 16:47
>>595
おまえが一番に帰っていいぞー





597Kurihara:03/02/14 17:50
>>595
過去ログ見ました?僕は何度もマルクスを議論している
でしょう?あなたは目も悪いようですね、頭のみならず。
以下、あなたは放置でいきます。あなたはこのスレに
なんの必要もない単なる肉便器ですからね。
598考える名無しさん:03/02/14 19:01
>>597
Kuriももう放っとけよ。
以前カントの話が出た時もそうだったけど、Sophiaは自分が知らない
議論になったら、「知ったか」「哲学学に興味ない」とかいう
2ちゃん特有のDQNだろ。

今では、かまってもらいたくてここにいる電波に過ぎないんだから、
こういったスレで相手にするのは止めて欲しいなぁ。
599Kurihara:03/02/17 01:50
>>598
ええ、完全放置でいきますが、あの人は英語を使って
如何にも自分を知的にみせようとしていたが、僕の批判で
たいしたことないことがばれましたよね。

要するに、いかに英語がしゃべれても、馬鹿は馬鹿であって、
それはケント・デリカットを見ればわかることですね。

日本人は英語がしゃべれる=知的と思いがちですが、実際はそうではなく、
英語がしゃべれる馬鹿もいることを知ることが重要です、特に日本人は。
日本人はこれに随分騙されて来ましたからね。
600ぴかぁ〜:03/02/17 01:56
>Kurihara

またかよ。素直に好きっていえば、いいだけのことを。。。
はぁ〜頭でっかちは欲求を処理できないから。
601考える名無しさん:03/02/17 02:00


602Kurihara :03/02/17 02:03
ぴかぁ〜、好きだよ、愛してるよ
603ぴかぁ〜:03/02/17 02:03
雲をつかむような話ですな。。。
604Kurihara:03/02/17 02:03
>>600
自己言及につき、以下放置します。
605考える名無しさん:03/02/17 02:13
Sophiaは英語全然だめだよ。
カキコしていた英文はどっかのサイトからもってきたものでしょ。
ヤシ、この前基本的な構文が読めてなかったもんね。
中学生がやらかしそうな間違いしてたよ。
それにどっかで英語特有の会話の言いまわしの意味が分からなくて、直訳しちゃって
DQNでとんちんかんな答えしていた。もちろん日本語で(藁
606ぴかぁ〜:03/02/17 02:14
>Kurihara

精神的籠城にはいりました。
ソフィアの解放性に引かれるんだな。きみは。
607Kurihara:03/02/17 02:17
ぴかぁ〜様、僕に欲求を処理させてください。
608Kurihara:03/02/17 03:15
>>605
そういえば「a priori」という単語が辞書に載っていない
と騒いでいましたね、あの人は。こんなの、高校生が使う辞書
にも普通に載っていますがね。
609Kurihara:03/02/17 04:21
『マルクスその可能性の中心』はヽ( ・∀・)ノ ウンコー
610考えるカンガルー:03/02/17 12:14

 おち 
611考える名無しさん:03/02/17 12:16

 空想の過程,はすべて実証されたことによって廃棄され,
事実だけが,自然の世界を人間において規定する。
612考える名無しさん:03/02/17 12:19

 柄谷,ドンドンドン!
 柄谷,ドンドンドン!
 柄谷,(ワールドカップの応援の仕方で。)   
613マルクス,マルクス。:03/02/17 12:33

 地域差過程を無視出来ない。
 また単純に人は社会を変える暇がない。
 それだけの要職,ここではいわば,社会活動たりえる方々たちは,
 主要だと思われている都市型の発送より地方へ,そして,
 物語の不在と思われているところに,計画的かつ奔放な生産過程を
 東南アジアの地域共同体的なものを混交させ,地軸を変えるが如く,
 この星の二酸化炭素の削減から,(つまりは温暖化)ゴミの回収の
 本当の合理化まで,幅広く議論する。
 
 資本制の方が他外国ににらまれない,(アメリカ占領下の
 日本で,共産化は実質,難しいに違いない。)しかし,
 自主独立の点からすれば,日本は,まだ,観点をかえられる
 位置にはいる。
 実生活する上で重要なのは,異性だ。異性と関係を維持すること
が,魂の欲求を満たしつつ生きることになる。
 生産過程を満たし,そのラインを保ち,いいように暮らしたら,
暮らせたら。しかし,そんなに甘くない。
 日本は泡の如く消えても,その泡の如く消えるにしても,そのはかな
さが良い,とするところから,しあわせの1980年代を過ごした。
 日本はこのまま流れ流れてゆけばいいのだ。
 流れ,流れてゆけばいいのだ。
 革命を志向しながら。ややゆるやかになって。   
614考える名無しさん:03/02/17 20:07

 そろそろバトルを開始してください。
615Kurihara:03/02/17 20:26
つまり、私に理論的に対抗できる論客というのは、
もうこのスレには存在しないわけです。
マルクスについても、私ほど読みかつ理解している人間という人も
もう存在していません。
ですから、これ以上このスレをアゲておく必然的理由もないわけです。



以上のことをカキコしてきた私は、ヤッパシ度し難いバカです。
みなさん、今度はホントニ逝ってきます。さようなら〜〜〜
616考える名無しさん:03/02/17 20:27
>>615
もう来るなYO
617ぴかぁ〜:03/02/17 21:26
>>615
自己言及。よって以後は放置。
618Tar ◆SQIDAUQYpc :03/02/17 21:52
>マルクスについても、私ほど読みかつ理解している人間という人も
>もう存在していません。

笑わすなよ。
619考える名無しさん:03/02/17 22:08
>Kurihara

http://academy.2ch.net/test/read.cgi/philo/1043748158/l50

このスレッドから逃亡しといてよく言うよ(w
はやく答えなよ(w
620ぴかぁ〜:03/02/17 22:22
Kuriharaさんは、自分の詳しいことしか語らない
最近流行りの偏知識のひきこもりです。
621考える名無しさん:03/02/17 22:31
>以上のことをカキコしてきた私は、ヤッパシ度し難いバカです。

素晴らしい。これ以上素晴らしい言葉はない。
622考える名無しさん:03/02/17 22:32
615はKuriharaの偽者だろ?
623考える名無しさん:03/02/17 22:42
>>615
こんなこと書いてはずかしくないのだろうか、わからん!?
624Tar ◆SQIDAUQYpc :03/02/17 22:52
マルクス死ね。
625考える名無しさん:03/02/17 23:07
マルクスはすでに死んでいる。
しかしその著作は永遠に残る。
626考える名無しさん:03/02/17 23:08
627Kurihara:03/02/18 00:17
僕は一人称に「私」は使わないですがね。そういうところから
ニセモノだと見抜いて頂きたいものですね。
628Kurihara:03/02/18 00:54
>>627
そういうあなたこそ、僕のニセモノではないですか。
これ以上、紛らわしいカキコするのはやめて下さい。
スレと時間の無駄遣いですから。
629Kurihara:03/02/18 00:58
本物はPCの調子が悪くてHPも更新できない状態ですから
すべて偽者というわけです。
630Kurihara:03/02/18 01:07
>>629
やはりニセモノは非論理的な弁解しかできないのですね。
上記のレスでは、HP更新の不可能性とこのスレでのニセモノ性との間の
関連性が説明されておらず、主張そのものが支離滅裂です。
僕はこれほど低能ではありません。
ROMしている方々は、先刻御承知のことと思いますが。
631考える名無しさん :03/02/18 01:09
Kuriharaよ。

くだらないジサクジエンはもうヤメレ
632Kurihara:03/02/18 01:10
>>629
>>630
最近は更新できていますよ、偽者さん。
633Kurihara:03/02/18 01:22
じゃ、マルクスの話でもしましょうか、皆さん。
634OFW:03/02/18 01:25
だから何!
635Kurichan:03/02/18 01:26
ぷぷっ!
636Kuritorisu:03/02/18 07:51
いいだももいはるこ!いいだもも萌え萌え〜 ♪
637ニャロメ:03/02/19 03:37
川西杏&塩見ックス! ☆ ♪ 「ピョンヤン珍道中」
638実存主義者:03/02/20 00:54

 革命,してますか? マルキスト達よ。
639労働者よ:03/02/20 01:20
睡眠→家→朝飯→YBP→昼飯→YBP→夕飯→YBP→家→睡眠(エンドレス)

人生を大幅に削られわずかな賃金に変えられる。

ほんとうにそれでいいの?
640あちょー:03/02/20 08:50
>>638
といって保守しています。
641Kurihara:03/02/21 11:57
【サルにも解る資本主義原論】

セイ法則・・・「作れば必ず売れる」という販路法則。

資本家はこれに絶対的信頼を置いて生産する。彼は必ず売れるという信憑
だけに頼り、生産をする。しかし、作れば必ず売れるのなら、企業の倒産
は原理的にあり得ないが、倒産は現にある。だから、セイ法則は誤りだ。
そこで、資本家はセイ法則を修正する。修正されたセイ法則は以下である。

修正されたセイ法則・・・「作れば必ず売らなければならない」

これは売れない可能性を含意しているがゆえに、進歩があるが、しかしこれは
もはや法則ではなく、「命令」である。「〜せねばならない」とは命令の文
だからだ。そこで、資本家はこの命令に従い、必死で商品を売ろうとするが、
必ず売れる保証などはない。それは確率の問題だ。売れる場合もあれば、売れない場合
もある。従って、企業倒産の危機は依然付きまとう。
畢竟、資本主義とはこういうものだ。それは、生産が即消費に結びつくという
セイ法則から出発しているのであり、従って、それは本質的に見込み生産体制
である。そこに欠けているのは、いつでも需要なのだ。資本家は気まぐれな消費者
を求めて常に彷徨い歩いている。
資本主義とは、需要の有無を無視した生産様式である。そのことを端的に
証明するのが、「恐慌」の存在である。恐慌とは、需要がなかったことの
判明だからであり、その結果、商品は膨大に売れ残るのだ。セイ法則は
ここで完全に破綻する。
従って、あるべき経済の様式とは、需要を予め計算し、それに応じて
生産する体制である。そこでは、生産と消費の不均衡はもう生じない。
だから、そこには恐慌もなければ、倒産もないし、畢竟、失業もない。
これが、即ち、共産主義である。
資本主義の誤謬は、セイ法則の内になにより表されているのであり、
その誤謬は世界恐慌の発生で完全に証明されるのだ。
642考える名無しさん:03/02/21 12:24
クリ坊って共産主義者?
643Kurihara:03/02/21 12:27
マルクスの「資本論」というのは、作られた商品が
必ず売れるというセイ法則を否定するのみならず、
生産が「労働生産性の上昇」の名の下に、消費から
著しく乖離して行く、生産と消費の不均衡累積過程を
描き出す。その不均衡累積過程の極点で現れるのが
世界恐慌である。

日本の赤字国債600兆とは、その不均衡を恐慌へ発展させない
ためにとった必死の策の無残な跡にほかならない。
644    :03/02/21 18:29
まああるべき需要を予測するというのは不可能に思えるけどな。
人間は自然の変化に直面することで自分も変える。粗野な共産主義
の考えでは人々の欲望を全てコントロールする事ができると考え
勝ちだが(=知るということはコントロールする事。すなわち人々
の需要を知る事は全てをコントロールする事)これは自然状態が
そもそも変わるという事を前提にすると全ては変わるのである
(エンゲルスがくしくも”空想から社会へ”で述べたように)
真の共産主義とはその変化に応じて自己を変えるという行為だ。
それは真の資本主義の姿でもある。それは使用価値を作ると同時
に効用価値も生み出さなければならないという同時的な行為である。
そもそも使用価値を作るという行為と効用価値を生み出すという行為
には自然的な矛盾が存在しているように思う。分業は効用価値を
最大限に生み出すが同時に社会的な亀裂を生み出すという2面性を持つ。
まずはこの矛盾を解決する事からしないとどうしようもないのだろう。
それが解決することが出来るかどうかは知らないが。ひょっとして
この矛盾、恐ろしいまでの2面性を常に心に認識した時はじめて資本主義は
廃止になり共産主義がくるのかもしれない。
645ピエールリビエール無私子:03/02/21 21:29
・・あのさあクリたんよ〜ひとり演説するなよ・・長いよ!ここでレジュメしてどーすんの?!簡潔に論じろよな!それと自明の事長々たれ流しレスするな!!時代錯誤のエセマル共マルスタ存めが!!!
646考える名無しさん:03/02/21 21:41
クリたん=30代無職
クリたん=重度のひきこもり
クリたん=母親泣かせ
クリたん=年中オナニー伯爵
クリたん=イモ
647Kurihara:03/02/22 08:47
>>644
>まああるべき需要を予測するというのは不可能に思えるけどな。

インターネットを各家庭に配備し、電子投票で需要を集計すれば
いいのでは?そして、集計された需要量に応じて、供給量を計画
すればよい。
648Kurihara:03/02/22 08:56
例えば、マクドナルドというのは生産の無計画性の象徴
みたいなものでしょう。あれは客の需要が有るかどうかの
判断を還元し、安く作れば必ず売れるとして、販路を無際限
に拡張したが、思ったよりは需要がなく、いまでは29年ぶりの
赤字転落でしょう。「勝ち組」マクドナルドもこの程度なのです。
典型的な「信用売り」をした結果ですね。

それにこの会社ほど食い物を粗末にしている会社もないでしょう。
どんどん、売れ残りのバーガーやポテトを廃棄していますからね。
コカ・コーラの味を薄めているのも自明ですしね。
649 :03/02/22 10:47
>>648
狂牛病騒ぎが大きいんでねの。
650Kurihara:03/02/22 11:03
>>649
マクドナルドのみならず、コンビニも店舗拡張
の見直しを強いられていますが。
651Kurihara:03/02/22 11:23
デフレというのは物価が下落し、相対的に貨幣価値が
あがる現象ですが、貨幣も一商品だとすれば、いま価値が
高騰している貨幣商品こそ人が一番欲しがっている商品だと
いうことですね。要は、今一番の人気商品が貨幣だという
ことです。それは貨幣退蔵を引き起こし、もって、消費を
一段と冷え込ませるものです。そして、消費の冷え込みは
さらなるデフレを引き起こし、また貨幣価値があがり、また
消費が冷え込むというスパイラルを描くのです。

それが高じれば、当然、生産と消費の不均衡を累積し、
恐慌をもたらすということです。だから、柄谷さんは
貨幣フェティシズムのない、資本に転化しない市民貨幣
の創出を提唱するのです。
652644  :03/02/22 11:27
>>インターネットを各家庭に配備し、電子投票で需要を集計すれば
いいのでは?そして、集計された需要量に応じて、供給量を計画
すればよい。

旧ソ連みたいなことをいいますな。そういうレベルではないんだけど。
653Kurihara:03/02/22 11:32
なぜモノが売れないか?簡単です。
貨幣を欲しがっているからです。貨幣とは
蓄蔵機能があるので、すぐに使う必要は
なく、すぐに使わないことが、消費を停滞
させるのです。だから、貨幣そのものを欲しがる
ことが、モノを売れなくさせるのです。そこで
ゲゼルなどは、そこに目を付けて、時限措置のある
貨幣を作って、貨幣退蔵を防止し、景気後退を防止
しようとしたわけです。
654Kurihara:03/02/22 11:33
>>652
旧ソ連にインターネットがあったとは初耳ですね。
655Kurihara:03/02/22 11:39
だいたい、需要に応じて供給するなどは、
消費者からの直接受注生産や御用聞きなどと
いう形で、部分的には昔からあったことです。
だから、それを不可能とはいえず、まして、
直接民主主義さえ可能にするといわれる
インターネットを活用すれば、一国レベルでの
直接受注生産も不可能ではない。
656Kurihara:03/02/22 11:42
情報技術が未発達な場合にのみ、計画生産は
不可能というだけで、資本主義下で発達した情報技術
を逆用することで、それはかえって可能になるのです。
657Kurihara:03/02/22 11:50
だから、共産主義が可能になるためには、
今以上の情報技術の発達が不可欠です。

中央情報処理機関に随時アクセス可能な携帯端末が
もっと発展を遂げれば、生産計画に随時アクセス可能な
本当の計画経済が完成するのであって、ソ連の失敗は
それが未発達だったからに過ぎない。だいたいソ連のは
行政権力の一方的な計画であって、双方向性が著しく
欠如していたが、その欠は、高度情報処理端末が可能に
するのです。真に民主的な計画経済がこれで可能になる。
658Kurihara:03/02/22 11:56
因みにマルクスが情報概念を無視していたとは
言えない。かれの「交通」概念は情報概念に
ほかならないからだ。
659考える名無しさん:03/02/22 12:01
そこでは人々は
注文して受け取った生産物に代金払うの?
660Kurihara:03/02/22 12:10
「中央情報処理機関⇔個人情報端末」というフィードバック・ループ
が重要であって、このループがソ連では著しく欠如していた
ということですね。このループの欠如は専制政治を意味するだけで、
それは必然的にテクノクラシーを強化するものですが、
そのフィードバック・ループはかえって、資本主義が用意すると
いうことです。資本主義がなかったロシアでそのループが発展を
遂げなかったのは当たり前です。だから、アメリカが一番
共産主義の技術的前提の整った国だということであるが、その
技術的前提の資本主義的使用は、過剰生産を膨らますだけにしか利用
されていないのが現実ですがね。信用取引の汎通化にそれは主に
利用されています。翻ってそれを共産主義的に逆用することが肝要だという
ことですね。
661644  :03/02/22 12:13
 マルクスはそもそも”資本主義が極限にまで達した時”に共産主義
が来るといっておられる。この時点で共産主義は来ないのだ。無限の後
に来るものは永久にやってこないというわけだ。彼が共産主義
の具体的な姿を提示しない(出来ない)ものそもそも無限を語っている
から。
662Kurihara:03/02/22 12:16
>>659
自分で作った生産物を自分で受け取るのになんで代金を
払う必要がありますか?貨幣の媒介なしにそのまま受け取る
のが共産主義的交換関係です。なぜなら生産物はもともと
生産者が作ったものであって、それはもともと生産者の所有物
であり、もともと所有物であったものに貨幣を支払うのは
馬鹿げているでしょうに。
663tantei:03/02/22 12:24
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664Kurihara:03/02/22 12:28
>>662の補足
その際に「労働証明書」の提示は不可欠ですがね。
665Kurihara:03/02/22 12:49
例えば、ロックは「自己生産・自己所有」のことを
私的所有権といったが、これは労働生産物はその生産者に
帰属するということです。だから、これはむしろ労働者による
生産物の所有の正当性を基礎付けるものであって、
ブルジョワ的所有(非生産者による生産物の所有)の否定なのです。
マルクスはだから、ロックの所有概念を継承しているのであって、
かれはそれを「個体的所有」と呼んでいる。というより、ロック
からしてブルジョワ的所有概念を否定しているのです。
これは重要で、プロレタリア革命は、社会契約論の徹底だと言われる
所以なのです。
666考える名無しさん:03/02/22 12:55
マルクスのイギリスの工場法についての考えとその意義はどのように整理
されるんですか?
667Kurihara:03/02/22 13:12
>>666
工場法とは労働時間を制限するものですが、それは
労働者の権利を守るものとして評価する一方、それは
多面では「労働の強化」につながると警告しています。
つまり、工場法は絶対的剰余価値の生産を抑圧するもの
だが、それは相対的剰余価値の生産を何ら抑圧するものではなく
かえって、それへの志向を強めるというわけです。
いずれにせよ、剰余価値の搾取は続けられるということです。
668考える名無しさん:03/02/22 13:21
無駄なことだ。
669考える名無しさん:03/02/22 14:16
>>660
言ってることは正しいんだろうけどさ、
イソターネットって、結局の所大企業が
コントールしてるわけでしょ。
国家は過剰生産を支えるものとして
存在してるんだろうし。
特定のサーバーやらプロバイダーやらに頼っている現状じゃ、
難しいんじゃないの。都合の悪い動きが有れば、潰しにかかるでしょ。
吉田司がNAMに突っ込んでたけど。

全ての端末を無線で直接繋げてP2Pのネットワークを作る、
みたいなことが現実化すれば良いんだろうけど。
670666:03/02/22 14:58
>>667
レスありがとうございます。
労働時間を増やせない以上、限られた時間でいかに剰余価値を生産するか、
という問題に移った、という理解でいいでしょうか。
そうするとこれは時短が言われる現代でも有効な問題ですかね?
修正が必要だとすればどのあたりになるんでしょうか?
671Kurihara:03/02/22 15:52
>>669
今の現状では確かに何も無理ですね。だから今可能なことは
大企業を利用して情報技術を極限まで進化させることです。
そして、その後で、その高度化した情報技術を逆用して、
大企業を乗っ取ればいいのです。共産主義的ハッキングを
発動させるのです。ハッカーというのは基本的に反権力の人
たちですが、やがて彼らの力を借りることになるでしょう。
映画「マトリックス」の主人公はレジスタント・ハッカーだった
ことを想起して頂きたい。あれが未来の革命のイメージですね。
だから「マトリックス」は大変重要な映画である。

>>670
必要なことは工場法を修正することではなく、工場自体を
生産者自身の支配下に置くことです。そのためには、
会社の株(株とは会社の所有権を意味するものです)を
労働者自身の所有に置く事も一つの手でしょう。
所謂「社員持ち株制」というもので、広松渉はこれを
共産主義への第一ステップだと考えていましたね。
672考える名無しさん:03/02/22 16:35
無駄なことだ。
673Kurihara:03/02/22 16:37
マルクスの「資本論」は第三巻において「資本の商品化(株式化)」
を論じ、もって、第一巻の「巨大な商品の集積」に再帰し
「資本論」の弁証法的叙述を完成させている
のですね。つまり、商品化のベクトルは資本にさえ向けられるという
ことで、「資本の商品化(購買可能化)」をもって資本主義は完成
するのですね。だから、資本主義の完成態では、生産手段(資本)さえ
購買可能なのだから、それを生産者集団で貨幣で買うことで、
生産者自身による会社の自主管理も論理的には可能なのです。
しかし、論理的可能性は実現可能性を安易には意味しませんがね。
尤も、銀行などの機関投資家の株の購入資金はそもそも労働者の
預金を担保にして行われているのだから、間接的にであれ、
労働者自身による株の買占めは事実上行われていることです。
ただ、その直接性を機関投資家が歪めているだけです。

ともあれ、生産者自主管理体制を商品経済の論理から導出すること
がまさに可能なのです。
674Walkure ◆8x8z91r9YM :03/02/22 17:49
マルクスとカントの関係はどういうものなんでしょうか。
self-determinismにおける認識の構造や生活とマルクスの
社会観はどういう関係に立つのですか?
675Kurihara:03/02/22 18:55
>>674
星野くるみさんがあなたと話しがしたいといっていた
ので、どうぞそちらに行ってください。
676666:03/02/22 19:00
>>671
いえ、私が聞きたかったのは、19世紀の工場立法の時代と、現代では剰余価値生産の体
制あるいは搾取の体制に質的変化はあるのか?ということです。
剰余価値を作るオートメーション、ITとか,剰余価値をつくるマクドナルドの店員の
笑顔の無料サービスとか、調査・管理・分析される消費者の消費行動とか、どこで価値
の生産が行われているのかは、昔と比べてわかりくいのは、単にわかりにくくなっただ
けの話で済むのかどうか、ということです。

それとば別にKuriharaのレスは参考になりました。
677Kurihara:03/02/22 19:27
>>676
確かに、以前のような露骨な長時間奴隷労働はなくなったから、
剰余価値搾取の現実は消えたかに見えますが、そうではないですね。
剰余価値の生産とはまず商品の生産から始まり、それが売れることで
それに含まれていた剰余価値が実現され、増殖する貨幣形態(G+凾f)
になって資本家の手に還流するわけだが、そうなるためにはまず
何より商品が売れなければなりません。そこで、「笑顔のサービス」
であったり、「消費者の行動管理」などが要請されるわけで、それらは
剰余価値の実現(商品が売れる事)が首尾よく行われるための契機
なわけですね。オートメーションもITも労働生産性の上昇(労働の強化)
による相対的剰余価値の取得に捧げられる契機です。

従って、以前と比べてわかりにくくなってはいるが、剰余価値搾取の
実態は何も変わってはいないでしょう。現代資本主義の剰余価値生産は
主に労働生産性の上昇から得られる相対的剰余価値(特に特別剰余価値・
超過利潤)の生産に向けられていると言えます。
678星野くるみ☆:03/02/23 02:41
・・・えっ?!私話したいなんて云ってないですよ・・・Kuriharaさんとお話したいです・・・。 (;_;) ぐすん・・。
679Sophia ◆M6R0eWkIpk :03/02/23 03:35
うるさい!!このメスブタ!!S
680Sophia ◆M6R0eWkIpk :03/02/23 04:54
679はにせものです。
でも、話したいなんて一方的に言われても確かに困ります。
681Sophia ◆S3QmflxuJg :03/02/23 06:11
・・・ごめんなさい。679も私です、、、
最近イライラして情緒不安定です。夜も眠れません。
正直、なんでこんな女が、、、って思ってしまいました。
どう考えても私の方が、、。ごめんなさい。また愚痴ですね。
こちらで友達ができず、それで友人に教わった日本の掲示板
で気分転換しようと思っていたら、反対にストレスが溜まり、、、
もしかしたら私鬱かもしれません。病院に行くつもりです。
日本に帰りたい。こんなところに来るんじゃなかった、、、
682Sophia ◆S3QmflxuJg :03/02/23 06:15
にせものが出てますのでトリップ変えました、、、
683Kurihara:03/02/23 06:47
「A古典派(新古典派)経済学」と「Bマルクス経済学批判」の根本的
相違というのは、簡単に言うと次のようになります。

A「全ての販売は購買になる」(全称肯定文)
B「全ての販売は購買になるとは限らない」(特称否定文)

Aの場合は全ての販売が購買になるのだから、商品の売れ残りは
原理的にはあり得ず、従ってそこには恐慌の可能性もない。だから
恐慌のない完全な経済である市場経済で行けばいいとなる。

対してBの場合、全ての販売は購買になるとは限らないと考えるので、
当然そこには商品の売れ残りの可能性があり、それは販売(供給)と
購買(需要)の不均衡をもたらすので、そこには必然的に恐慌の可能性
があり、従って、恐慌の可能性を持つ市場経済ではまずいとなる。

このように、古典派(新古典派)経済学とマルクスの経済学批判では
そもそも需給関係に対する根本認識が違うのですね。前者は「作れば
必ず売れる」というセイ法則に従っているが、後者はそれを完全否定
しているのです。因みにマルクスの宿敵とされたケインズ経済学も
セイ法則を否定していて、この点では実はマルクスと同じなのです。
形式論理学的に言えばその差異は「全称肯定文」か「特称否定文」かの
差異になります。
684Kurihara:03/02/23 07:18
>>682
邪魔ですので関係ない内容は別のスレッドへの書き込みを
お願いします。
685Kurihara:03/02/23 08:31
オートメーションが出てきたのでこれについて面白い話しを
しましょう。オートメションには大きく分けてメカニカルオートメション、
プロセスオートメション、ビジネスオートメションの三つがあると
言われていますが、もし、この三つのオートメションが技術的に
極限まで進化し、社会の全生産における完全オートメションが実現
したという極端な仮定をたてて見ます。
では、その完全無人オートメション体制で商品を生産した場合、
利潤率はどうなるか?

答えは、利潤率0%です。つまり利潤=儲け無しなんですね。理由は
簡単で、そこでは誰も労働者として雇われていないので、誰も労賃(給料)
を得ることがなく、誰も給料が得られないのならば、畢竟、だれもその
商品を買うことが出来ず、従って、全ての商品が売れ残り、利潤がゼロ
になるのです。利潤がゼロならば、当然、利潤率は0%ですね。

これは全ての生産が完全オートメションになっているという極端な仮定
のもとでの議論なので、その帰結の現実性は薄いですが、しかし、実際に
資本主義とは、生産性の向上を使命としているので生産過程を不断に
オートメション化しようとする傾向をもつものです。だから、利潤率0%
にならないにしても、0%へと利潤率を漸近させる傾向はあるのです。
マルクスはそれを「利潤率傾向的低下の法則」と呼びましたが、それは
資本主義がやがて死滅へ向かう一つの暗示ですね。なぜなら、利潤こそが
資本が回転するための唯一の動機だからです。しかもそれは生産性の向上という
資本の使命の結果として起こるのであって、ここにおいて、資本はまさに
自縄自縛に陥るわけです。
686Kurihara:03/02/23 08:51
因みに>>685の話しは僕の独断的な作り話では決してなく
マーク・ポスターの「情報様式論」に同様の話しが
出てくるのです。興味のある方は一読をオススメします。
687Kurihara:03/02/24 14:54
東大名誉教授で経済学者の伊藤誠さんの試算によれば、
1990年における年収440万円の賃金労働者の
剰余価値率(搾取率)は80%にものぼるそうですね。
自給900円のパート労働者の剰余価値率にいたっては
330%にまで達するそうで、とてつもない搾取率なわけです。

これでマルクスが資本主義体制を「賃金奴隷制」と呼んだ
理由が解っていただけたかと思います。つまり皆さんは
完全な資本の奴隷なのですよ。それは伊藤さんが試算した
この搾取率に如実に現れているのです。だからさっさと目を
覚ました方がいい。
688Kurihara:03/02/24 15:08
>>678
いいでしょう。どんどん質問しなさい。
689考える名無しさん:03/02/24 15:13
商品って何?
690考える名無しさん :03/02/24 19:19
久しぶりに哲板きてこのスレあがっるんで見たら
何だ、Kuriharaの床屋談義かヨ。
OFWさんどうしたのかなー、最近見かけないけど。
OFWさんとKuriharaとじゃ文章の理論的な密度が違うよ。

つまらないから、よその板に逝くよ。
691Kurihara:03/02/24 19:53
>>690
OFWさんなら他のスレでドイツ語が読めていないことが
晒されていましたがね。まあ、この程度なわけです。

そんなことより、マルクスには「数学に関する遺稿」という
本もあるそうですね。読んでみたいですが、古本で5000円
から1万円くらいするのです。マルクスの時代にはすでにワルラス
の一般均衡理論があったから、その数理的体系に対抗して、マルクス
自身も微分積分の研究に着手していたとどこかで聞いたことがあるが、
その成果がこの「数学に関する遺稿」にあるのかもね。
692Kurihara:03/02/24 20:05
OFWさんの読みというのは、ヘーゲルからマルクス
を読むということであって、この読み方は一番最悪なんですね。
こんなことをする位なら、いっそうのことヘーゲルの体系のみに
閉じこもっていたほうが無害ですね。マルクスにヘーゲルを混ぜる
ことほど有害なものはないのです。
マルクスはマルクスに沿って読めばいいのであって、ヘーゲルから
読む必要など皆無ですね。「資本論」は読めば解るように、明晰に
書かれているので、ヘーゲルへの参照など不要です。ましてや
西田幾多郎の線で読むことなど言語道断です。終わっていますね。

OFWさんのマルクス理解に一番欠けているのは、当のマルクス
なのです。彼にあるのはヘーゲル化されたマルクスであって、マルクス
そのものではないのです。ここが致命的にまずいですね。
693Kurihara:03/02/24 20:17
あと、哲学的なマルクス理解というのは全部疑った方がいい。
エンゲルスやルカーチから始まりアルチュセールやネグリに
到るその読み方はほとんどペテンですね。あと「カール・マルクス」
で有名なE・H・カーも大ペテン師であって、彼自身この書を
「資本論」第一巻しか読まず、しかもほとんど理解出来なかった
のに無理矢理書いたと後年告白しているのですね。いい加減なものです。

だから、この手のペテンの書を読む必要はなく、マルクスのテクスト
に直に当たることが重要であって、マルクスをまず経済学批判者として
読むことが肝要なのです。
694考える名無しさん:03/02/24 20:25
>>691
> そんなことより、マルクスには「数学に関する遺稿」という
> 本もあるそうですね。読んでみたいですが、古本で5000円
> から1万円くらいするのです。マルクスの時代にはすでにワルラス
> の一般均衡理論があったから、その数理的体系に対抗して、マルクス
> 自身も微分積分の研究に着手していたとどこかで聞いたことがあるが、
> その成果がこの「数学に関する遺稿」にあるのかもね。

「内容はラグランジュまでの微分積分学の基礎づけとそれの歴史についてで,
19世紀のコーシー以降の歴史には及びえていない。マルクスならではの洞察力
が見られないではないが,数学者の協力者がいたヘーゲルよりも部分的に後退
している。そもそもマルクスは学生時代から数学を苦手としており,そういっ
た苦手意識を克服するための学習のつもりで綴られたのであろう。ヤノフスカ
ヤによるロシア語訳の初版が刊行されたのは1933年であり,スターリン主義イ
デオロギー宣伝の中心的媒体であった雑誌によってであったことが,数学につ
いても著作をものしうる『天才』マルクスという像を創るのに寄与したことも
否定できない。」(『新マルクス学事典』「数学草稿」の項、佐々木力執筆)
695Kurihara:03/02/24 21:21
例えばマルクスは「資本論」第三巻でこういう。

「資本主義的生産様式は私的所有と私的労働とを廃棄する」

これは、エンゲルスが資本主義的生産様式を私的所有と私的生産に
よって特徴付けているだけに、奇異にみえるだろう。なぜなら、マルクス
によれば資本主義こそ私的所有と私的生産を廃棄するものなのだから。
だから、エンゲルスのように私的生産や私的所有を攻撃することは
かえって資本主義的生産様式を擁護することであり、それは全くの
資本主義的言説なのだ。そして、これはヘーゲル的言説でもある。
なぜなら、ヘーゲルは「私的なもの」を批判してやまないからだ。

しかし、マルクスはエンゲルスやヘーゲルとは正反対に、私的なものは
資本主義によって廃棄されるというのであり、私的なものを否定する言説
が資本主義的言説なのである。だから、共産主義で回復されるべきものは
かえって私的なものであり、マルクスはそれを「個体的所有の再建」と
呼ぶのである。マルクスはここでは全くロック的なのだ。

ここにおいて、ヘーゲル=エンゲルスからマルクスを読むことの
有害性は自明だろう。だから、OFW氏の読みは最悪なのである。
彼の読みは必然的に独占資本主義的言説に回収させるものでしかない。
彼は一度も「個体的所有の再建」としての共産主義をマルクスから
読んだことがないのである。彼は単なるヘーゲリアンでしかない。

696考える名無しさん:03/02/24 21:27

 >>673 Kuriharaさん
    山根信二(東 浩紀との対談もある人)のハッカーはクラッカーじゃない,
   を読んで。ここ http://www.vacia.is.tohoku.ac.jp/~s-yamane/hackersML/papers/hackers.html  

697696:03/02/24 21:46
698Kurihara:03/02/24 22:00
例えば、俗流マルキストは「労働の組織化(共同化)」を誇らしげに
語るが、労働の組織化とは、しかし独立小生産者から生産手段を
収奪する資本の原始的蓄積の単なる結果であって、それは
かえって、資本主義が強力に押し進めるものなのである。
労働の組織化は労働生産性を強化し、もって相対的剰余価値
の搾取を容易ならしめるのだ。だから、労働の共同化を賞賛する
ことは、全くの資本主義的言説でしかない。
699Kurihara:03/02/24 22:10
英のヨーマンのような独立小生産者は農地や農機具の私的所有
をし、それを用いて私的労働をし、その生産物を自己所有していた。
だが、資本家と英国大室は「原始的蓄積」の名の下に、彼らから生産手段
を収奪し、彼らが生産手段を私的所有することを否定するのだ。
だから、マルクスは資本主義的生産様式は私的所有と私的労働とを
廃棄すると言うのである。
700考える名無しさん:03/02/24 22:16
NAMは労働の組織化と違うの?
最近のKuriはNAMと距離を置いてるのかも知らんけど。
701考える名無しさん:03/02/24 22:47
>>695
> しかし、マルクスはエンゲルスやヘーゲルとは正反対に、私的なものは
> 資本主義によって廃棄されるというのであり、私的なものを否定する言説
> が資本主義的言説なのである。だから、共産主義で回復されるべきものは
> かえって私的なものであり、マルクスはそれを「個体的所有の再建」と
> 呼ぶのである。マルクスはここでは全くロック的なのだ。

その「個体的所有の再建」についてもっと詳しくお願いします。
702Kurihara:03/02/24 22:48
>>700
距離を置く以前に解散してしまいましたからね。というより、
南無は独立生産者のアソシエーションを目指して
いましたから、それは労働の組織化とは反対に、それの
再個別化を目指し、そこからその個別性(単独性)を損なわない
ような緩い連合を模索していたのです。
703701:03/02/24 22:55
>>700への自注と補足

素直に読むと、>>695さんは「私的」と「個体的」を等値されているように
見えるんですが、そういう理解でいいですか? (もしよかったら、そのよ
うな解釈を支持するような箇所を教えてください。また、「個体的所有の
再建」という語がマルクス自身の言葉だとしたら、その出典も教えていた
だけるとありがたいです。お願いばかりで恐縮ですが)

もし「私的」=「個体的」所有であって、これを回復することが共産主義
なのだ、というのがマルクスの主張だとしたら、共産主義は、資本主義以
前の生産様式に逆戻りすることととどう違うのですか?
704Kurihara:03/02/24 23:12
>>701
「個体的所有の再建」とは資本の原始的蓄積で否定された
ヨーマン的所有を回復することです。マルクスはヨーマン的所有を
「分散的私有」と呼んでいますが、それを資本が原始的蓄積
(独立生産者からの生産手段の収奪)で「集権的私有(独占的所有)」
に変えたということです。この集権的私有をブルジョワ的私有と
いうのであって、それは生産手段の徹底した一極集中を要求するものです。
したがって、
再建されるべきヨーマン的所有とは、かつてあった「分散的私有」ということになり、
それはヨーマンにおいてそうであったように、生産者自身による生産手段の
自己所有であるが、ただ単に分散的ではなく協同組合をセンターに置く
分散的私有ということになるでしょう。畢竟、それは「独立生産者のアソシ
エーション」ということになります。
705Kurihara:03/02/24 23:18
>>703
「個体的所有の再建」とは「資本論」第一巻の
第24章「いわるゆ本源的蓄積」の結論部分に
出てくる用語です。
706tantei:03/02/24 23:20
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707Kurihara:03/02/24 23:23
因みにこの「分散-集権」とはドゥルーズ=ガタリの用語
で言う「スキゾ-パラノ」「分子的-モル的」に対応することは
見易いところだと思います。
708701:03/02/24 23:27
>>704

詳しいお答えありがとうございました。大体の感じはわかりました。
とすると、『NAMの原理』あたりのマルクス理解は大筋妥当だったと
いうお考えなのではないかと思います。

その上で、お尋ねしたいのは、では、どうやってその「独立生産者の
アソシエーション」を実現するか、という点です。というより、仮に
それが何らかの形で実現したとしても、資本主義的生産様式が支配的
になっている社会においてはそのようなものが生き残れるチャンスは
少ないのではないでしょうか。ましてやそれが資本主義に対して優位
に立つなどということは無理なのではないでしょうか。それとも、別
に資本主義は資本主義としてやらしておけばいいという話になるので
しょうか。

また、こういう問題点はマルクス自身も承知していた点ではないので
しょうか。
709考える名無しさん:03/02/24 23:35
>>707
かつてドゥルーズのスレでは、
「馬鹿であることは疑いがない」
みたいな事言ってなかったっけ。
710Kurihara:03/02/24 23:45
>>708
>その上で、お尋ねしたいのは、では、どうやってその「独立生産者の
アソシエーション」を実現するか、という点です。というより、仮に
それが何らかの形で実現したとしても、資本主義的生産様式が支配的
になっている社会においてはそのようなものが生き残れるチャンスは
少ないのではないでしょうか。

マルクスの考えでは資本主義的生産様式こそが逆に生き残れるチャンスが
ないのです。それは昨今の世界経済大不況に鑑みれば、あながち出鱈目ではない
でしょう。
だから、アソシエーションは資本主義の死んだ残骸から利用
可能なものを悠々と共産主義的に使用すればいいのです。資本主義がまだピンピン
元気に生きている内からそれに歯向かう必要はないですね。
だから南無の結成は時期尚早でしたね。
711701:03/02/25 00:14
>>705

> 「個体的所有の再建」とは「資本論」第一巻の
> 第24章「いわるゆ本源的蓄積」の結論部分に
> 出てくる用語です。

ありがとうございました。次のあたりですね:
http://www.mlwerke.de/me/me23/me23_741.htm#Z251

[このサイトは、エンゲルス編による第4版を底本にしています。というよりは、この第4版
を底本にした Dietz 版 Marx Engels Werke を使用しています。もしマルクス自身による
第2版とは違っているということがありましたらご教示ください。]

Die aus der kapitalistischen Produktionsweise hervorgehende kapitalistische
Aneignungsweise, daher das kapitalistische Privateigentum, ist die erste Negation
des individuellen, auf eigne Arbeit gegründeten Privateigentums. Aber die kapitalistische
Produktion erzeugt mit der Notwendigkeit eines Naturprozesses ihre eigne Negation.
Es ist Negation der Negation. Diese stellt nicht das Privateigentum wieder her, wohl
aber das individuelle Eigentum auf Grundlage der Errungenschaft der kapitalistischen
Ära: der Kooperation und des Gemeinbesitzes der Erde und der durch die Arbeit selbst
produzierten Produktionsmittel.

Die Verwandlung des auf eigner Arbeit der Individuen beruhenden, zersplitterten Privat-
eigentums in kapitalistisches ist natürlich ein Prozeß, ungleich mehr langwierig, hart und
schwierig als die Verwandlung des tatsächlich bereits auf gesellschaftlichem Produktions-
betrieb beruhenden kapitalistischen Eigentums in gesellschaftliches. Dort handelte es sich
um die Expropriation der Volksmasse durch wenige Usurpatoren, hier handelt es sich um
die Expropriation weniger Usurpatoren durch die Volksmasse.
712701:03/02/25 00:15
[以下試訳です。翻訳を参照できなかったんで間違ってたらごめんなさい]

「資本主義的生産様式から生まれた資本主義的領有様式、したがって資本主義的私的財産は、
自己の労働に依拠した個体的私的財産の、第一の否定である。しかし、資本主義的生産は自然
過程の必然性をもってそれ自身の否定を創出する。それは否定の否定である。これ[否定の否定]
は私的所有を再建するものではないにせよ、資本主義時代の成果にもとづいて、すなわち、協働、
土地の共同所有、労働自身によって生産された労働手段の共同所有にもとづいて、個体的所有を
再建するものである。

諸個人の自己の労働にもとづく分散的私的所有を資本主義的私的所有に変えることは、もちろん、
現実にすでに社会的生産活動にもとづいている資本主義的所有を社会的所有に変えることに比べ
れば、比較にならないほど時間がかかる、過酷で、困難な過程である。前者の場合、少数の簒奪
者による人民の多数の収奪であったが、後者の場合、人民の多数による少数の簒奪者の収奪で
ある。」

少なくともこの箇所を見るかぎり、マルクスは、私的所有(Privateigentum)を個体的所有(individuelles
Eigentum)と等値しているわけではない、ということが言えるかと思います。「これは私的所有を再建
するものではないにせよ、...個体的所有を再建するものである」という一文は、むしろこの両者に
何らかの(相対的な?)差異があることを示唆しているのではないでしょうか?

もう一つの疑問点は、どうやらこの「個体的所有」が、次の段落で述べられている「社会的所有(gesell-
schaftliches Eigentum)」と内容的に等しいものであるか、少なくとも何らかの対応関係にあるものだ
と考えられているらしい点です。さらにそれは「人民の多数(Volksmasse)による少数の簒奪者の収奪」
と言い換えられているように見えます。

あまりドイツ語には自信ないので、根本的な勘違いをしてたら、ご指摘をお願いします。
713701:03/02/25 00:24
>>710

レスありがとうございました。

> マルクスの考えでは資本主義的生産様式こそが逆に生き残れるチャンスが
> ないのです。それは昨今の世界経済大不況に鑑みれば、あながち出鱈目ではない
> でしょう。
> だから、アソシエーションは資本主義の死んだ残骸から利用
> 可能なものを悠々と共産主義的に使用すればいいのです。資本主義がまだピンピン
> 元気に生きている内からそれに歯向かう必要はないですね。
> だから南無の結成は時期尚早でしたね。

なるほど。しかし、そうすると、「アソシエーショニストは資本主義の自滅
を気長に待っていればよい」ということになってしまいそうな気がするので
すが、そういう理解でいいのでしょうか?

現実問題として、仮に資本主義の自滅のような現象がかなり近い将来に起こ
るとしても、それまで地球環境がその負荷に耐え切れるかというタイムリミッ
トの話がけっこう切実な問題としてあるように思うのです。
714考える名無しさん:03/02/25 00:28
20世紀が我々に残した貴重な教訓の一つ
それは
「資本主義の自然死はない」ということだ
715考える名無しさん:03/02/25 00:55
資本主義の自然死はない。
絶えずチューブ増やして延命図っているからね。
チューブが増えるごとに資本主義は死なない気がするようになっている。
しかしそうしている間にも、資本主義はチューブのせいで生きながらに
して水脹れの土左衛門状態だ。
周辺国はさながら干からびたミイラというところか。
716考える名無しさん:03/02/25 01:03
>715

チューブって何ですか?

ITバブルのときに言われたような「フロンティア」のこと?
717考える名無しさん:03/02/25 01:14
ドゥルーズ=ガタリのいう、資本主義は調子を狂わすことによって
作動するみたいなもんでしょ。
718考える名無しさん:03/02/25 06:09
いちいち固有名詞を出すな!
何の覚悟もないなら死ね!
719考える名無しさん:03/02/25 06:24
覚悟なんてあるわけないじゃん
720考える名無しさん:03/02/25 06:25
立派なのは理想だけだな。
721考える名無しさん:03/02/25 06:44
実現への過程を選ばないのは怠慢に他ならない。
意味のある書き込みが横着となり役割を果たす。
722Kurihara:03/02/25 12:53
>>713
>なるほど。しかし、そうすると、「アソシエーショニストは資本主義の自滅
を気長に待っていればよい」ということになってしまいそうな気がするので
すが、そういう理解でいいのでしょうか?

何故自滅の臨界付近まで待機しなければならないかというと、資本主義の自滅
の臨界でこそ、生産力が最大化されているからであり、その最大化された生産力
を用いずして、共産主義は不可能だからです。

尤も、現時点においても剰余価値率(搾取率)は80%にまで達している
のだから、革命やりたい人はやればいいのだが、実際には誰も立ち上がらない
わけで、南無の参加者も400人程度だったわけです。これでは資本主義には
勝てない。

勝てないとなると、戦術を変更して、自滅の可能条件をさぐるべきであり、
その試論として、>>685の「オートメション化に関するマーク・ポスター=
kurihara理論」を提示したわけです。
723Kurihara:03/02/25 13:03
>>712
「個体的所有の再建」の概念内容については、柄谷さん以外にも
田畑稔さんや平田清明さんなども縦横に論じているので、彼らの
著作を参照することも一つの手でしょう。
724Kurihara:03/02/25 13:16
資本主義の未来についてはマルクスのみならず
ケインズやシュムペータも大変悲観的だったわけで、
資本主義の未来が明るいと考えている奴というのは
無邪気にセイ法則を信じている新古典派経済学の亜流
でしょう。柄谷さんは言うように、彼らは貨幣を
即時に使用される交換媒体にすぎないとしたが、マルクス
はそれを不均衡をもたらす自己増殖する怪物と見ていたし、
ケインズも流動性選好の概念によって、貨幣が消費を遅延させる
側面があることを十分に理解し、だからこそ有効需要政策
の必要性を強調したのです。彼らはともにセイ法則を否定
し、市場経済を根本的な不均衡の視点から捉えたわけです。
725Kurihara:03/02/25 13:25
あと、マルクスは共産主義社会について何も
語らなかったという人もいますが、それは間違いで
「ゴータ綱領批判」で、共産主義社会についてかなり
詳しく論述しています。ただ、それを理解するためには
「資本論」の精読を必要条件としていますがね。
「資本論」を精読しなければ、「ゴータ綱領批判」の理解は
不可能です。
726星野くるみ☆:03/02/25 14:47
・・えっと・・すごい基本的な質問してもいいですか・・?(;_;)
えっと「資本」って何ですか??(・・?)
「資本」って「価値」かなあ??「資本」は物象(価値)じゃなくて、物象によって媒介された人格と人格との社会的な関係をさすのかなあ・・?(・・?)
727無職の方募集:03/02/25 14:50
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728Kurihara:03/02/25 15:08
>>726
資本=G→W→G’
剰余価値=G’−G=凾f
G=貨幣、W=商品

従って、資本とは増殖する貨幣のことです。
729考える名無しさん:03/02/25 15:13
縮小均衡は資本主義社会において資本主義にあらずということか
730星野くるみ☆:03/02/25 15:19
・・あのぅ「資本」って財産?私的所有かなあ?(・・?)「労働者」って商品を生産すると同時に商品としての人間って役割かなぁ?
・・クリ先生わかりません・・・ぐすん。(;_;)
731Kurihara:03/02/25 15:22
今度日銀総裁になった”デフレ魔王”福井俊彦氏は
「ノーパンしゃぶしゃぶ」が大好きだそうですね。
かなりの風俗好きなようですから、現役風俗嬢のくるみさん
も彼のちんぽでもしゃぶってやって下さいね。
732考える名無しさん:03/02/25 15:27
>クリ
マックス=ウェーバーとの対比でのマルクスというのはどうよ
共産主義以外でのマルクス主義の可能性というのは
733星野くるみ☆:03/02/25 15:28
・・あ、図式化すると分かり易い!増殖する貨幣かぁ分かりました。
734Kurihara:03/02/25 15:46
>>732
>マックス=ウェーバーとの対比でのマルクスというのはどうよ

ウェーバーとマルクスを比較することはマルクス理論を社会学化
する危惧があるので、よくないですね。マルクスに比肩し得るのは
ケインズかシュムペーター位でしょう。

>共産主義以外でのマルクス主義の可能性というのは

マルクス主義を「発展」させると称して、「文化的マルクス主義」
を作ろうとする似非左翼も確かにいますが、こんなものは
「文化住宅」や「文化鍋」なみの代物にすぎません。
735星野くるみ☆:03/02/25 15:51
「商品として労働力を販ぐ者」→賃金奴隷

「商品として性的活動力を販ぐ者」→売春婦
「堕ちる道を堕ちきる事によって、自分自身を発見し救わなければならない。政治による救いなぞは上皮だけの愚にもつかない物である」(安吾『堕落論』
736考える名無しさん:03/02/25 15:54
>星野くるみ☆
こいつうざい
自意識過剰な奴はそれだけの知性を持っててほしいもんだな
737星野くるみ☆:03/02/25 15:57
・・・ごめんなさい。 (;_;)
738カール・マルコス:03/02/25 16:05
さなぎ資本論
資本すでに、かつ、いまださなぎである
ゆえに付加する前に次世代として揺籃期にはいる
739Kurihara:03/02/25 16:16
「資本論」全巻を読むのが面倒だという人は
宇野弘蔵さんの「経済原論」か伊藤誠さんの
「資本主義経済の理論」でもいいでしょう。

ただ、この本のなかで「資本論」が一番易しい
という逆説もありますがね。解説書のほうがかえって
難しいのは、それが「資本論」の膨大な内容を圧縮して
書いてあるからです。「資本論」のほうがこれでもか
という位周到に細かく書いていて、こっちのほうが
初心者向けだったりします。「資本論」読めばようやく
宇野さんの解説本も読めるという有様なのです。
740考える名無しさん:03/02/25 16:20
でも資本論は2巻以降が読みにくい
弁証法がやっぱ邪魔なのだと思う
741考える名無しさん:03/02/25 17:08
現在の問題は
貨幣の増殖的あり方が、個人の心理構造まで変化させてきている
ということである

もはやマルクスなしにはこの問題を真摯に考えることはできない!

「私」の経済化は単純な問題ではない!
742考える名無しさん:03/02/25 17:20
>>741

イワンとするところは共感できるが、
あなたの意気込みは妙に熱っ苦しい。
その原因は、あまりにも理念的だからだ。
理念的なものは他人に伝わりにくい。
もちっとリラックスしたらどうでしょ?
743741:03/02/25 17:39
俺っちの人生が給料手にすることだけじゃなくてよ
買い物とか、どっかいくのにもよ
なんでもかんでも金じゃないけ
すんとよ、俺っちが俺っちらしいために
お金がたんまりいるんだよ
お金は増えるといいしよ、そうすると俺の気持ちもふくれるよ
744考える名無しさん:03/02/25 17:41
あらやだ!この板は“〆(^∇゜*)カキコ♪出来るのね。
745考える名無しさん:03/02/25 19:23
おおここか噂のスレは!おっいたいた栗原よ!
◎栗原の行動パターン 家⇒あかね⇒ロフトプラスワン⇒あかね⇒家⇒あかね⇒家⇒模索舎⇒ロフトプラスワン⇒あかね⇒家⇒あかね⇒模索舎⇒あかね・・・・
※上記の全ての場に於いて嫌われ者の栗原氏。自称著述業38歳完全無職。重度の言語障害者。母親泣かせ。
746考える名無しさん:03/02/25 19:29
747考える名無しさん:03/02/25 19:33
>>745
ここのKuriharaは、その栗原とは別人。
748考える名無しさん:03/02/25 19:53
知っとるぞ。そんな事。両方有名。つらわれとるからなー。
749Kurihara:03/02/25 20:13
「ピエールさん死亡説」というのがあるのですが、
これは本当なのですかね。なんか志村けん死亡説
に似ていますがね。
750考える名無しさん:03/02/25 20:57
・・ピエールリビエール栗原氏は只今重度のひきこもり(冬眠)中。
751考える名無しさん:03/02/25 22:33
うーん、偽資本主義のスタンスは、
ある程度みな持ってると思うけどな。おれもそのひとり。

政治的な闘争には関心ないけどなぁ。
752考える名無しさん:03/02/25 22:37
>>747
情報曼陀羅の人?なんかそれとも違う気が・・・カキコしてるほうが頭いい
753考える名無しさん:03/02/25 23:16

 実際にやってみると,窮屈なのが共産主義なのでは?
 それを知ってて,僕も共産主義者なんですけどね。基本的には。
 でも,実際にやってみると,窮屈そう。そんなことするより,
 やはり,自由主義の方が,いいや,となる。しかし,自由主義下では,
 共産主義社会が,いい,となる。マルクスから出て来ることを実際に
 やってみると,(ここでは,マルクスを読んで影響を受けた書き込み
 のこと。)窮屈であったりするんではないかな?
754Kurihara:03/02/25 23:59
通常、普通選挙制が確立されると、民衆の政治意識が
高まると考えられていたが、実際そうはならないのは、
議会が行政権力に優位していないからですね。普通選挙で大衆から
選ばれた代表者からなる議会は国権の最高機関たる立法府ですが、
その立法府で決議される法案の大多数が行政権力(官僚)が提出したもの
なのですね。だから、実質的には議会とは官僚の行政権に
形式的な承認を与えるだけの機関に堕しているのです。
これをマルクスは「ブルジョワ独裁」と呼びましたが、それは議会制
の仮面を被った官僚制のことですね。
そして、議会制の仮面を被った最も巧妙な官僚制=ブルジョワ独裁が
実にうまく成功した国が日本だということです。

だから、こういうブルジョワ独裁に対抗して作られた「パリ・コミューン」
は官僚も選挙で選び、立法権と行政権の区別を廃棄し、立法府の
一元化を企てたわけです。これがマルクスのいう「プロレタリア独裁」
の実質的な内容です。それは行政権や或いは司法権に民主主義を貫徹
する試みだったと言えます。
755考える名無しさん:03/02/25 23:59
理想的な共産主義世界は実現するのですか?
756Kurihara:03/02/26 00:45
あと、イギリスの格言に「民主主義は工場の門まで」
というのがありますね。それは市民社会においては
政治的民主主義はあるが、経済領域の民主主義はない
ということです。工場長や社長を選挙で選べる仕組みは
資本主義経済にはないですから。生産手段の独占的所有が
それを阻んでいるのです。これもブルジョワ独裁の典型例
ですね。

従って、共産主義社会では工場長も社長も選挙で選ぶという
ことになり、ここでも「パリ・コミューン」にみられた
民主主義の貫徹があるのですね。チャーチルは民主主義は最悪
だかこれよりましなものはないと言いましたが、その割りに
彼は民主主義を経済領域に貫徹させようとは考えないのです。
ここにブルジョワの限界と欺瞞がありますね。
757考える名無しさん:03/02/26 11:01
選挙の民主制ってなんだ

選挙ってそんなに良いのか
758考える名無しさん:03/02/26 11:24
>>752
ノーコメント。
NAMスレの過去スレを見れ。
759Kurihara:03/02/26 12:20
経済板のスレの内容が数年前と今とではがらり
変わっていますよね。「預金封鎖」だの「国家破綻」
だのと平気で言われています。
760Kurihara:03/02/26 12:31
薬害エイズの安部英がジャーナリストの桜井よし子氏に名誉毀損裁判で
勝訴してしまったようですね。けだし司法の民主化が
必要な理由です。
761考える名無しさん:03/02/26 19:37
>>756
>従って、共産主義社会では工場長も社長も選挙で選ぶという
>ことになり、ここでも「パリ・コミューン」にみられた
>民主主義の貫徹があるのですね

無理だよ。空理空論。真面目に話してないでしょ?

人は平等じゃない。三歳児に工場の管理ができる?
おれは、差別論者じゃないけど、どうにもならない人って
世の中の大多数を占めると思う。

あなたのようなエリートだけで世の中が構成されてるなら、
あなたの論は実現可能だが、現実はそうじゃない。
762 :03/02/26 19:54
 まあ選挙で自分達の監督者を選ぶ事自体賛成だけどな。
ただどこの世界でもそうだが必ず裏工作やおとしめで勝とう
とする奴らが出てくるのは理論,知性とかそういう問題ではなく
そもそも生まれ出た人間の何かではないのだろうか。
763考える名無しさん:03/02/26 20:17
共産主義的なコミューンを提唱する人たちが
限りなく善人で性善説論者なんだというのはわかった。

人は善に生まれるけどいつしか悪になる弱い存在だと思う。
自分の体験からもそうだ。

764考える名無しさん:03/02/26 20:45
固定的な分業体制がなくなるというのはいいよね。
そうなれば地位(固定的で生涯かけて求めるべき地位)はなくなる。
単に職能があるだけでしょ。
権力の温床になるような決裁権が集中した役職に関しては、選挙で選ばれた
複数人による輪番交替にすればいい。
765Kurihara:03/02/26 20:46
>>761
3歳児がそもそも工場長選挙に立候補するとは
思えませんね。これこそ非現実的な想定による
反論です。空理空論はやめたほうがいい。

>>762
選挙で候補者を数人に絞り、後はくじ引きで決めれば
根回し、裏工作の無力化が可能ですがね。

>>763
システムが変われば、人間性も変わる。
これが構造主義の基礎認識ですがね。
大学で習いませんでした?
もう21世紀なので性善説だの性悪説だのといった
儒教思想に振り回されるのは止めましょう。
766Kurihara:03/02/26 20:56
>>764
まさにそうすればいいのです。固定化された分業を
廃止し、選挙+くじ引きをいたるところに導入すれば
風通しのよい組織が作れますね。
767考える名無しさん:03/02/26 20:59
>766

うーん。まぁ、でもなんか実現は難しそう。
だって、年とって新しい職種に変わるのは苦痛でしょ。
768考える名無しさん:03/02/26 20:59
 う〜〜ん,くじ引きですか。うまいところで逃げられたという感じ
ですね。
769Kurihara:03/02/26 21:00
だいたい、3歳児に工場長をやらせるなどというのは
労働基準法違反でしょうに。
現行法では児童労働は禁止されているのですよ。
770考える名無しさん:03/02/26 21:02
共産主義社会では1日何時間週何日労働が目安になるの?
771考える名無しさん:03/02/26 21:04
現場を主体的に運営していこうとすると、とにかく忍耐じゃないですか。
少なくとも今はね。金の問題も抜き差しならなくなってくる。

本気でやろうとすると、よほど欲望が強くない限り
自分のためには継続できないよ。理想なんかどこかへふっとぶ。

しょってるものが大事なものでない限り、
現実のあまりのくだらなさに嫌気が差して
中途で止める人、止めたくなる人がほとんどだと思うよ。
772Kurihara:03/02/26 21:06
>>768
古代アテネではくじ引きで行政官などを選ぶというのは
むしろポピュラーだったのですがね。
773Kurihara:03/02/26 21:09
>>770
資本主義下で剰余価値率100%で8時間労働が普通なら、
剰余価値率0%の共産主義社会では4時間労働が普通に
なると試算されています。
774Kurihara:03/02/26 21:21
まあ、レスを見ていると、柄谷さんの「トラクリ」さえ
いかに読まれていないかということが解りますね。
これはもはや「資本論」以前の問題ですね。

不勉強も甚だしい。
775Kurihara:03/02/26 21:25
これが「現実」ですよ、柄谷さん。残念でしたね。
「トラクリ」普及版の「日本精神分析」も読まれていない
のでしょう。これは10万部売れたそうだが、全然理解
されていませんよ。南無が失敗するのも無理はないですね。
こんな体たらくなんだから。
776考える名無しさん:03/02/26 21:33
金のため地位のためのガツガツ働く奴はいなくなるけど、好きで、あるいは
名誉のためにガツガツ働く奴はいるだろうね。
職人とか研究者とか町内会長みたいなのになりたがる人とか。

工事みたいに短い期間で仕上げないとはた迷惑な業種であれば、半年働いて
半年ブラブラ遊ぶみたにな感じになるのかな。
777Kurihara:03/02/26 21:34
>>771のレスなどは日本の政治風土そのままですよね。
こういう土人的思考が根強いのです。
778考える名無しさん:03/02/26 21:36
>777

あなた生産の現場へ降り立ったことがないんでしょ?たぶん。
779考える名無しさん:03/02/26 21:37
Kuriharaって個人で可能な知的労働以外したことなんでしょ?

んだから、>>777のようなことを簡単にいえんだよ。
780Kurihara:03/02/26 21:44
>>778-779
だから、あなた方のやっている「人間労働」などは
資本の生産性を上げるために、生産のオートメーション化
でそのうちほとんど駆逐されるのですよ。今はまだそうなって
いないだけです。実際に「無人農場」なんてものがあるのだから、
そこでは既に農民の「人間労働」などは駆逐されているのです。
これをマルクスは「人間の労働からの解放」と言っているのです。
781考える名無しさん:03/02/26 21:45
んだからさ、それはあなたが無人農場を経営してから言えば?>780

空論だってのは、そういうところでしょ。
あなた、ここまで見た限り、やったことだけを話す人じゃないんだよ。
782考える名無しさん:03/02/26 21:46
Kuriharaは、哲学板らしいといえば、それまでだが、
読んだことを主体として話す人だってのがよーくわかった。

そういう人も必要だから否定しないけど。
783Kurihara:03/02/26 21:52
車の生産だったかなりオートメーション化されている
でしょうに。こういう傾向はますます強くなります。
なぜなら、そうしたほうが安く作れるから。
784Kurihara:03/02/26 21:55
>>781
僕は生産のオートメーション化を強く押し進めようと
している会社には積極的にそこの株を買って、投資し
たいと考えていますよ。なぜなら、生産力の向上は
共産主義の前提ですからね。
785Kurihara:03/02/26 21:59
資本主義はやがて土人の肉体労働をすべて駆逐しますよ。
生産を機械化することでね。
786Kurihara:03/02/26 22:05
だいたい、昔は自動車も熟練労働者の地道な手作業で
作っていたわけでしょう。だから、生産量も少なく
ものすごい高級品だったわけです。しかし、自動車の
生産過程が大幅に機械化され、大量生産されることで、
安価で作れるようになり、これだけ普及するように
なったのです。この過程では、熟練労働者の人間労働が
駆逐されたことは言うまでもありません。
787考える名無しさん:03/02/26 22:09
だれかいい加減にこのスレのあらすじとハイライト説明してくんない?
788考える名無しさん:03/02/26 22:10
イソターネットが国家と大企業のものということも含めて、
革命に当たって今現在では実現不可能な問題がある場合、
今現在するべき事って、投資の他に何があるかな。
やっぱり地に足のついたアソシエーションの組織かな。
だからFAなのかな。
アソシエーションにはLよりもQの方が向いてると思うんだけど、
どうして柄谷はQを捨てたの?
789考える名無しさん:03/02/26 22:12
Kuriharaが株では勝てないということがわかりました
790Kurihara:03/02/26 22:13
あと、パソコンだって、基幹となるCPUなどは
精密機械であるがゆえ、工作機械が自動で効率的に作るの
ですね。だからこそ、パソコンも安く買えるのです。これを
全て人間労働でやったら、とてつもない時間と労力が必要なため
とてもでないが、貧乏人は買えないでしょう。

そこでは、人間労働者の役割といえば、パーツの簡単な組み立て
であったり、製品の箱詰めといった単純労働だけです。
これは単純労働であるがゆえ、いずれはそれも機械化されてしまう
ものですね。
791考える名無しさん:03/02/26 22:16
確かに、オートメーション化で労働が駆逐されていく動きは
確かなものだと思います。
が、人は労働によって生活しているとおもうのです。
ですからその労働がなくなってしまうと、その人は生きていけないかも
しれないとおもうのです。
ここでの「労働」は肉体労働ですからそれ以外の労働に移るのでしょうか?
完全に全ての人が肉体労働から解放される状況は歴史的には考えられません。
実際はどうなるのでしょうか?
792Kurihara:03/02/26 22:30
>>788
柄谷さんがQを捨てた理由は簡単で、取引がほとんどなかった
からです。つまり、取引すべき製品がなかった。
だから、Qは通貨にならなかったということです。
Qが通貨として流通するためには、自前の生産手段を
持たねばならないが、それが南無にはなかったのです。
そこで、既存の商店を前提にしたLへの切り替えが不可欠
だと柄谷さんが判断したのでしょう。

あと、投資以外で可能な促進策は、自由主義(自由貿易)を推進する
ことです。これはマルクスの持論でもあって、自由貿易の世界市場が形成され
なければ、生産力は高くならないし、封建遺制を全面駆逐することも
できません。つまり、資本の生産力を向上することならなんでも
すべきということです。まず、「資本の文明化作用」を全面開化
させねばならないということです。
793考える名無しさん:03/02/26 22:39
>>792
「僕はボランティアなんか認めない」
の柄谷によれば、個人が自由に発行できるQ
っていうのは、週末の老人や障害者介護で
パンを得るってのに有効だって話を
してたと思うんだけど、こういうのが
アソシエーションの組織と、巨大資本の外の
生産体系にはいるのに有効だって話だと思うんだけど、
Lだと難しいんじゃないの。サービス受けた人が
自分で発行できないんじゃ。

俺は両方重要だと思うんだけどなあ。
Lももちろん良いんだけどさ。
794Kurihara:03/02/26 22:50
>>791
だから、オートメーション化が進めば進むほど、
失業率は向上すますよ。今、中年サラリーマンがリストラ
されているのも、ビジネスオートメーションの結果でも
ありますからね。ではどうすればいいか?自殺か革命かの
二者択一でしょう。簡単なことです。

生産オートメーション化が高度化してもオペレーションなどの
知的労働は確かに残ります。それが共産主義でも残るのは当然です。
しかし、そこにはそんなに人もいらないから労働輪番制を導入して
自由時間を大幅に拡大できるでしょう。マルクスは「グルントリセ」
で自由時間の拡大を共産主義の最大の特徴に挙げているくらいですから。
795   :03/02/26 22:54
 肉体労働は絶対に駆逐されない。そもそも頭脳労働と肉体労働
の違いは何か?

 あるプログラマーが絶えずあるプログラムを入力する作業
をしていてもそれは一種の肉体労働とも考えられる。なぜなら
それは頭脳に付随する手足の作業を伴うから。ビル建設者で
あろうとも頭脳と手足の分離はありえない。彼も頭と手を足を
使う。変わるのは生産様式だけ。機械化は仕事を駆逐しないし
むしろそのメンテ,その機械を作る仕事にさらに仕事が増えていくと
思う。変わるのは様式だけであり発展性などあるのか疑問である。
796Kurihara:03/02/26 23:03
>>793
僕は個人的にはQもLもダメだと思いますね。
共産主義のビジョンはあくまで「ゴータ綱領批判」
に求めるべきだと思うからです。

そのためには、メカニカルオートメーション、プロセスオートメーション
、ビジネスオートメーションの絶対的高度化が必要であって、
それを強力に押し進める資本企業が実は一番革命的だと思いますね。
したがって、ユダヤ資本には期待しているし、微力ながら支援も
したいところです。
797考える名無しさん:03/02/26 23:09
>>796
そっちの方が
Kuriharaらしいっつーか、それを言わせたかったw
やっぱりNAM的なものとは距離を置いている訳ね。
かつてウヨ化してない頃の小林よしりんの
自由暴走党に近いのかな。
でもそれだと環境がヤヴァくない?
たしかカラヤンが行動を起こしたのも、それが動機だし。
798Sophia ◆8ADoZCl6.k :03/02/26 23:13
794
なるほど。このスレでのkuriharaさんの意見を聞くとマルクスに興味が
出てきます。
自殺か革命だとすると自殺は革命の付随的なものになると思います。
その革命は階級の入れ替わりというか階級の構造の質が変わるという事で
しょうか?その後はどういったビジョンがあるのでしょうか?
795その肉体労働の中で知的な部分と機械化された部分に分かれる
  のは可能だと思います。ビル建設者なら、設計者とオペレーター
  になるんじゃないかな?「変わるのは生産様式だけ」この部分が
  行き着く所にマルクスは分業を見ているのですね。
799795 :03/02/26 23:16
 設計者とオペレーターというが私はソフトウエア開発会社に
勤めているがはたして純粋な知的労働など存在するのであろうか?
それは労働ではなく”評論”であろう。労働ならば己の説を確かめる
為に手足を動かして確認する作業が必要となる。
800Kurihara:03/02/26 23:25
どうでもいいが、ビル建設さえも機械でオートメーション
にやらせようという計画が既にゼネコンにはあるのですね。
自動工程で、ビルを下から順々に組み立てていくというもので、
工作機械がビルの周りを取り囲んで、自動に作るそうです。

だから、実際に資本に雇われている科学技術者が考えるとこは
凄まじいわけです。
801Kurihara:03/02/26 23:43
あと、今人工知能の研究が進んでいますよね。
これが完成すれば、知的労働さえ人工知能に
奪われかねませんよ。現に、チェスのチャンピオンが
チェスの勝負でスーパーコンピューターに負けている
のだから。
802考える名無しさん:03/02/27 00:01
ディープブルーと言う人が、カスパロフというスーパーコンピューターに
負けたんだっけ?
803考える名無しさん:03/02/27 00:11

 >>802 逆DESUYO。
    カスパロフ,というチェスの世界チャンピョンが,
    IBM社の作ったスパコン,ディープブルーに負けた,
    と,いうきおとだよ。1997年。 
804803:03/02/27 00:12

SUMASO と,いうことだよ。
805803:03/02/27 00:13

 × と,いうきおとだよ。
 ○ と,いうことだよ。
806考える名無しさん:03/02/27 00:51
でもあれって、知能じゃないよね。
たしか、定石を記憶してるだけ。
それで持久戦に持ち込んで、人間のミスを待つとか、
そんな感じ。
人間に取って代わる、人工知能というのは
最初から目指していないんじゃないの。
807考える名無しさん:03/02/27 14:51
コンピューターが新しい科学理論や宇宙理論を発見するとはとうてい思えない
コンピューターの人工知能がどんなに発展しても人間にはかなわないように思う
808考える名無しさん:03/02/27 15:02
問題は我々にとって「生きることの価値は何か?」という
問題そのものがもう意義がないということである
809806:03/02/27 15:03
あ、でも多くの人間の知的労働みたいなものは、
それが発展すれば代用できるのかも知れない、と思う。
810Kurihara:03/02/27 17:22
【ファクトリー・オートメーション(FA化)】
工場全体の自動化のこと。コンピューターで制御された工作機械(NC工作機械)
や各種センサーと結合したコンピューター、産業用ロボットなどが多数用いられて、
生産過程が自動化されつつあること。

【無人工場化】
わずかな人間しか働いておらず、ほとんどコンピューターで制御されて生産活動
をしている工場のこと。産業用ロボットが商品を作って(生産活動をして)おり、
自動・無人運行する台車(移動ロボット)で必要な原材料や完成品を目的地に
運んでいる。

【オフィス・オートメーション化(OA化)】
企業などの事務処理が、コンピューター、ファクシミリ、コピー機などの導入に
よって作業の効率化や合理化がなされ、生産性の向上がはかられること。
大企業の場合、組織内の情報やノウハウを共有するため、企業内ネットワーク
(イントラネット)を構築している。

この三つの用語は必ず覚えておき給え、諸君。
811考える名無しさん:03/02/27 18:08
>808

前に進むためには、その言葉を受け入れることはできない。
自分がその問いを発したときに同じ結論に達したとしても。

812Kurihara:03/02/27 18:32
因みに、>>810の用語は高校の政治経済の参考書である
「政治経済用語集」からの引用です。つまり、このていどの
認識は高校生の段階で知っていて当然という事です。
813考える名無しさん:03/02/27 18:41
人間も動物なので、動物が生きてるように
人間もいきてるんだよ
意味とか価値なんてないよ
生きてることが先
814Kurihara:03/02/27 19:16
今日山陽新幹線で運転士が居眠りしたそうですね。
にもかかわらず、大事故に繋がらなかったのは、運転装置に
「自動制御装置(オートマチィック・コントロール・ディヴァイス)」
が付いていたからなんです。これがなければ大事故になっていた
わけですね。運転士の人間労働に全てを委託せず、部分的に機械に
制御させていたから、助かったようなものです。

これでもまだ、土人の皆さんはオートメーション化の意義を
否定するのでしょうかね。
815考える名無しさん:03/02/27 19:20
否定してませんが。栗原さんのネタはワンパターンであきた。
816土人君:03/02/27 19:22
>814

否定してないよ。興味深くうかがわせてもらってます。

ただ、ロジック過剰なところに妙な違和感があるだけです。
817Kurihara:03/02/27 19:23
>>815
これくらい繰り返さないとサルの皆さんには
理解してくれないと思ったまでです。
818Kurihara:03/02/27 19:28
>>816
なるほど。あなたはロジックが苦手のようですね。
だから、あなたのような人のために山陽新幹線の例などの
具体例を挙げたのです。
819Kurihara:03/02/27 19:33
具体例から一般的な傾向性を抽象することを帰納法と
いいますが、例えば山陽新幹線例でいえば、山陽新幹線には
自動制御装置が付いていた。そのお陰で、事故を未然に防げた。
だから、自動制御装置の普及は今後ますます一般に広がるだろう。
こう推理するのが、帰納法的ロジックであって、
まあ、こういう風に思考して欲しいわけです。
820考える名無しさん:03/02/27 19:36
だから何?
821Kurihara:03/02/27 19:38
>>820
サルの方ですね?
822考える名無しさん:03/02/27 19:40
で?
823考える名無しさん:03/02/27 19:41
>>820
同じこと書き込みそうになった。
824Kurihara:03/02/27 19:43
>>822
あなたはなんでマルクススレにいるのですか?
マルクスに感心ないなら、邪魔だから出て行きなさい。
825考える名無しさん:03/02/27 19:45
>>824
マルクスを大事にしてあげてください。
826Kurihara:03/02/27 19:48
「資本論」を読んだことがない人はこのスレに
書き込まないでくれませんか?単に邪魔ですから。
827825:03/02/27 19:50
さっきのは冗談です。
マルクスを大切にしてあげてください。
(ちょっと高次元すぎたかな)
828Kurihara:03/02/27 19:51
>>825
喋るな。
829Kurihara:03/02/27 19:54
サルと土人はロムだけしていればいいから。
書き込む必要はない。
830考える名無しさん:03/02/27 19:56
すべては笑いのセンスを磨くためなんですね。
むかし、栗原さんはそう書いてました。
831考える名無しさん:03/02/27 19:57
低次元な書き込みは冒涜ですよ。
832Kurihara:03/02/27 19:59
>>830
頼むから別のスレか板に行ってくれ。
このスレだけが2chじゃないのだから。
「資本論」を知らないサルの居場所はここにはない。
833考える名無しさん:03/02/27 20:07
NAMが失敗したのは理念が間違いだったからですか?
834土人君:03/02/27 20:43
>819

ロジック過剰だと書いたのは、あなたの生活とロジックが
おそらく一対一で対応してないのだろうな、という感想を抱いたからだけの話。

ERPを見てると、説明されるまでもなく自動化は限りなく進むって予想は自明。
でもさ、これは又聞きだけどたとえばある会社にあるERPパッケージを入れると、
業務形態そのものをそのパッケージにあわせて変更しなきゃならないんだよ?

働く人の利便と利潤を考えてERPパッケージを導入したはずなのに、
そのもとで最大利潤を得ようとすれば、結果として人の思考や感性を
特定の思考の元に作られたシステムに強制的に追従させなければならない。
過剰なオートメーション化はある意味では人間疎外であり、
極論すれば特定の国の文化破壊の趣すらある。でもこれが「現実」。

それを超えたところに、何か新しい世界があって、新たな個性が発現するなら、
そりゃ願ったりかなったりだが、そこへたどり着くまでにあらゆるものが
それまでの個性を失って平板化しそうな嫌いがあるとしか思えんのだよな。
作られたシステムは人の思考と感情をどこまでもどこまでも束縛しようとするだろうさ。

この手の地べたの情報がでてこないから、話が妙に遊離してるように感じ取れるんですよ。
Kuriharaは話の組み立て方はうまいと思うが、自分には理想的なものには聞こえないよ。
もっと別の道がないのかあるのか知りたい、探りたいという欲求を簡単には捨てがたい。

もっとも哲学的議論は現実と対応することなく、限りなく状況を俯瞰することを
目的としてるというならそれでいいんでしょうけどね。スレ違い失礼。
835考える名無しさん:03/02/27 20:56
でも、自動化によって就職者よりも失業者の方が
圧倒的に多くなったらどうなるんだろね
836Kurihara:03/02/27 21:09
>>835
失業手当が給付されているうちはいいが、そうでなくなり、
まして、縮小均衡が打開されなければ、就職先は依然ないから、
食えなくなった失業者の暴徒化がおこる蓋然性が高い。
837考える名無しさん:03/02/27 21:14
暴徒って、少数の就職者に対して?
むしろ失業者同士だったりして
838考える名無しさん:03/02/27 21:17
今のオートメーション技術の水準で1日4時間労働が可能なら、これ以上の
オートメーション化はそれほど本質的ではないと思われる。
しかも固定された分業から開放されたら、例えば単純作業しかできない人も
一生自動車の組立工場にいなくても、来年から農業の下働きをやり3年後から
運転手をやり、と生活を変えられる。
1日4時間の固定的でない労働で十分と思われ。
これ以上のオートメーション化よりはエコロジー技術の方が重要でしょ。
エコロジー的にいえばアメリカは悪の枢軸だから、エコロジー技術の進歩はア
メリカの原動力の骨抜きにも繋がるし。
839Kurihara:03/02/27 21:32
オートメーション化を現時点で停止させてもいいのだが、
オートメーション化を進めれば進めるほど、利潤を高める
ことが出来るから、資本はそこに投資をし続けるわけです。
そこで、これ以上の無意味な資本の蓄積運動を主体的に
停止させるために、柄谷さんは南無を結成し、不買-不売運動や
地域貨幣運動や協同組合運動をやろうとしたのだが、
>>833のような質問が出てくることからも明らかなように、
それは「失敗」したわけです。なぜ失敗したかは既に上のほうで
書いたので繰り返さないが、この「失敗」を受けて現時点で可能
なことは何かを「資本論」に即して再考する必要があるのです。

僕はその点では、現時点では資本の蓄積運動をアイロニカルに
肯定するほかはなく、それゆえに、オートメーション化をアイロニカル
に肯定してみせたわけです。だから僕は単なる肯定をしたわけではない。
840Kurihara:03/02/27 21:44
資本の蓄積運動をアイロニカルに肯定するとは、
柄谷さんがソ連崩壊後の90年代にやっていたことで、
「世界資本主義が即コミュニズムだ」と言っていたわけです。
しかし、「探究V」におけるマルクス論で、労働者が資本に対して
主体的になりうる契機を発見し、もって、南無を作った。
そこに90年代的なものからの「切断」があったわけだが、
その切断は南無の崩壊で切断にはなりえなかった。

そこで、必然的に90年代的なものに遡行して思考する
必要性が生じたと僕は思うわけです。つまり、柄谷さんで言えば
「内省と遡行」のレベルに戻って考える必要がある。
柄谷さんがそこで取った戦術というのは「自壊」の戦術ですね。
それは資本論的に言えば、世界資本主義をアイロニカルに肯定し、
そこからの反転的自壊を狙うという戦術になる。
841Kurihara:03/02/27 22:03
でも、柄谷さんは「トラクリ」で極めて正しいことを
言っている。それは「剰余価値がなくなれば、資本が
いかに粘ろうと、その運動を停止するほかなくなる」
ということです。そこで柄谷さんは「不買ー不売運動」
をやればいいと考えたが、だがそれは彼の関心が市民通貨に
傾斜するにつれて、トーンを落として言ったのですね。
それは事実上、不買ー不売運動が起こりえないと悟ったからで、
そして、最後の望みを市民通貨Qに託したが、あの柄谷さんの乱心が示す
ように、それはあえなく空中分解したわけです。

しかし、にもかかわらず、「剰余価値が無化されれば、資本の蓄積
運動は終わる」という定式は依然正しいのであって、従って今重要なのは、
それを地域通貨や不買運動によらずに可能にする条件の探究です。
その一例として、僕はオートメーション化を挙げたわけです。
無論、それはひとりオートメーション化に限ったことではないので、
他の条件を探究することは大いにすべきである。

繰り返すが、「剰余価値が無化されれば、資本の蓄積運動は終わる」
という柄谷さんの定式は正しいのであって、これは形式的真理性を
もつものである。従って、この定式だけは断じて捨てるべきではない。
842考える名無しさん :03/02/27 22:05
自壊するんですかね?
843考える名無しさん:03/02/27 22:09
>剰余価値が無化されれば、資本の蓄積運動は終わる
実証されていない。興味深いけど。。

>オートメーション化を進めれば進めるほど、利潤を高める
これも限りなくそうだ、とは言えないと思う。閾値があるように「思える」
844Kurihara:03/02/27 22:16
>>843
実証されていないのは当たり前。なぜなら、それが実証
されてるときが資本が死滅するときだからだ。だから、
形式真理性しかもたないといったのだよ。
845Kurihara:03/02/27 22:21
オートメーションが出てきたのでこれについて面白い話しを
しましょう。オートメションには大きく分けてメカニカルオートメション、
プロセスオートメション、ビジネスオートメションの三つがあると
言われていますが、もし、この三つのオートメションが技術的に
極限まで進化し、社会の全生産における完全オートメションが実現
したという極端な仮定をたてて見ます。
では、その完全無人オートメション体制で商品を生産した場合、
利潤率はどうなるか?

答えは、利潤率0%です。つまり利潤=儲け無しなんですね。理由は
簡単で、そこでは誰も労働者として雇われていないので、誰も労賃(給料)
を得ることがなく、誰も給料が得られないのならば、畢竟、だれもその
商品を買うことが出来ず、従って、全ての商品が売れ残り、利潤がゼロ
になるのです。利潤がゼロならば、当然、利潤率は0%ですね。

これは全ての生産が完全オートメションになっているという極端な仮定
のもとでの議論なので、その帰結の現実性は薄いですが、しかし、実際に
資本主義とは、生産性の向上を使命としているので生産過程を不断に
オートメション化しようとする傾向をもつものです。だから、利潤率0%
にならないにしても、0%へと利潤率を漸近させる傾向はあるのです。
マルクスはそれを「利潤率傾向的低下の法則」と呼びましたが、それは
資本主義がやがて死滅へ向かう一つの暗示ですね。なぜなら、利潤こそが
資本が回転するための唯一の動機だからです。しかもそれは生産性の向上という
資本の使命の結果として起こるのであって、ここにおいて、資本はまさに
自縄自縛に陥るわけです。
846Kurihara:03/02/27 22:24
論理的真理(形式的真理)と経験的的真理の区別って
知らないのですかね、皆さん?
847考える名無しさん:03/02/27 22:29
ここでは真理と言うより真実の方が大切なんじゃないのか?
剰余価値がなくなるっていうもっと具体的なイメージが欲しい
真理の区別なんかどうでもよい。
848考える名無しさん:03/02/27 22:34
マルクスが全ての根拠なんですか?
849Kurihara:03/02/27 22:35
必読書を提示しておく。
「資本論」「ゴータ綱領批判」「ブリュメール18日」(マルクス)
「経済原論」(宇野弘蔵)「トラクリ」「可能なるコミュニズム」(柄谷)

僕に意見したいなら、最低これだけは読んでからにしたまえ。
850Kurichan:03/02/27 22:36
NAMが失敗に終わったと言われていますが、柄谷さん曰く、
あれは原理が間違っていたのではなく組織作りがうまくいかなかっただけだそうです。
で、本来の運動に戻るために邪魔であった事務局やROM会員を切り離すための解散だとか。
Qには柄谷さんは直接関わっていなかったそうですが、世間は柄谷さんが責任者だと思っているので
その責任を感じて「Qは終わった」発言をしたそうです。
市民通貨Lは実はQにすがりついている人を引き離すために慌てて用意したダミーのようなものみたいですね。
おそらく今後出てくるとしても、実践的なものではなくて理論になるでしょう。

851Kurihara:03/02/27 22:38
>>848
ここはマルクススレだろうに。
852考える名無しさん:03/02/28 01:30
完全オートメーション体制の社会ができるはるか手前でオートメーション化
は挫折すると思うよ。
というのも、オートメーション化の過程で失業者が増える。
そうすれば企業全体の売り上げは落ちるでしょ。
で、ある時点でオートメーションの設備投資ができなくなる。
オートメーション化がどんどん進むとしたら、結構早い段階で、これ以上の
設備投資では採算分岐点を超えられないというのが見えてしまう。
というか、現実は、その都度採算ベースを考えながら設備投資するわけだから、
劇的なオートメーション化は起らないと思うよ。
売り上げが落ちている時にはちょっとした設備投資もできない。
それより、そんな時は一般的に業務縮小が急務でしょ。
汎用性の高い機械なりソフトで済むのなら、一気に低価格化が進み、劇的な
オートメーション化が起るかもしれないけど、それはちょっと想像できないな。

今一度「共産主義とは、われわれにとって成就されるべきなんらかの状態、現実
がそれへ向けて形成さるべきなんらかの理想ではない。われわれは、現状を止揚
する現実の運動を、共産主義と名づけている」というマルクスの言葉を履き違え
ずに理解するべきだと思う。
その上でだけど、僕自身は、このマルクスの言葉の完全な意味はマルクスの理論
だけでは引き出せないと考えているけど。
853考える名無しさん:03/02/28 02:22
すでに生産の拠点が海外に移っている企業なら完全オートメーション化も有り得ると思うが。
中国人に作らせるより、機械に作らせるほうが能率もいいだろう。
失業者が出たところで、国内では何も困らない。
むしろ雇用の機会が出来るかもしれない。
いくら完全オートメーションと言えども、搬入・搬出〜輸送まですべてを自動化は出来ない。
854考える名無しさん:03/02/28 05:45
>>852
どこかの授業で聞いたことあるような・・・
855考える名無しさん:03/02/28 08:50
ま、自動化では資本主義は自滅せんわけね
856Kurihara:03/02/28 10:55
科学技術オンチが偉そうに喋っていますね。
出来ない出来ないとうるさいが、それは諸君の凡庸な頭脳を
もってしては出来ないというだけで、資本に雇われている
科学技術者は不可能を可能にするように日夜強いられているのだ。

文系の諸君らには確かに何も出来ない。しかし、ユダヤ資本と科学技術者
のタッグは不可能を可能にする。甘く見てはならない。
857Kurihara:03/02/28 11:20
輸送の自動化は無理などといったら笑われますよ。
そんなのは道路にセンサーを埋めまくって、その
センサーに従って、車が自動で動くという研究が
まさに産官学の協同でなされているのですから。

要は車にCPUを搭載して、それが周囲から送られる電子信号
(衛星からの情報や道路のセンサーからの情報や前車の後尾
からの情報など)から車間距離だの適性移動距離だの目的地把握だのを計算し、
あとは自動制御で車を走行させるわけだ。
搬入・搬出などもベルトコンベアーと移動ロボットの組み合わせ
どうにでも自動化できる。

文系の諸君らも、少しは先端科学技術に興味をもったらどうだ?

858Kurihara:03/02/28 11:32
あと、たとえ先端テクノロジーを組み入れた生産体制が
技術的に可能だとしても、それがすぐに資本に採用されるとは
限らないのであって、今でもお蔵入りしている案が沢山あるのですね。
それは採算ベースが整ったらそこで採用されるわけ。
不況を脱出し、好況局面に入ったら、採用されるわけだ。

それと、最新軍事技術の民生への転用も鍵ですね。無人で動く戦車
なんてものが実際のあるのだから。ミサイルにもCPUが搭載されて
いて、衛星からの情報で遠隔操作が可能。これらを民間技術に転用
出来れば、自動化はさらに進展する。そもそもインターネットから
して、出自は軍事技術であるのは有名な話でしょう。
859Kurihara:03/02/28 11:44
チョムスキーが暴露しているように、民間と軍事業界
との密接なリンクというのは自明なんですね。
軍事技術開発と称して膨大な税金を投入し、そこで先端テクノロジー
を大いに研究し、或る程度古くなった技術を今度は民間企業に転売している
のですね。そうすることで、民間企業の技術水準が爆発的に上がる
わけです。その顕著な例が、まさにインターネットなわけです。
860考える名無しさん:03/02/28 11:57
電子マネー方面はどうなんのでしょか?
2005年から稼動する予定の、坂村健と
docomo絡みの電子マネープロジェクトがあるでしょ?

あれが一般化すると0.3ミリICチップタグの普及と絡まりながら、
大企業の商業活動が劇的に変わるんじゃないか?と予想してる。
個人データから購買過程まで、これまでの比じゃないくらい
正確なデータを一元管理できるスタイルで取れるんだもんな。
861考える名無しさん:03/02/28 12:04
>>857
>文系の諸君らも、少しは先端科学技術に興味をもったらどうだ?

わし、キッズニュース見てるからいろいろ知ってるよ。
862Kurihara:03/02/28 12:04
軍事方面でなにゆえこれほど科学テクノロジーが進化する
かといえば、それはそこに膨大な税金が投入されている
からで、科学者も資金面で憂慮せずに研究できる体制が
整っているから。だから、一流の科学者は軍事部門に
行きたがるし、アメリカではそれが名誉だと信じられている。

そして、最新のテクノロジーが軍事から民間に移植され、生産の
さらなるオート化が進展するわけである。だから、生産のオート化
を民間内部で自己完結に見てはならない。それは軍事技術と密接に
リンクしているからだ。

そもそも、なぜ、ヒトラーは自動車の大量生産をあれだけなしえたか?
それは戦車の大量生産方式を民間の自動車の生産方式に転用したから
にほかならない。アウトバーンを整備したのも、戦車の移動を円滑
にするという目的もあったわけだ。
863Kurihara:03/02/28 12:14
>>860
電子マネーは貨幣の流通速度を高めるのに
役立つでしょう。
864考える名無しさん:03/02/28 12:54
車の自動運転なんて馬鹿げているよ。
道路にセンサー埋め込む?アホか!
そんなことするくらいなら、高速道路にレール引いて車ごと積める貨物車走らすほうが
よっぽどいいだろ。
865考える名無しさん:03/02/28 12:56
なんとなく2ちゃんねるを開いてみると、うーん・・、なんか当たり前の
ように「kurihara」の文字がでてきている。ネットで一度根に持
たれるととんでもないことになってしまう。気をつけなければならない。
なんとなく2ちゃんねるを開いてみると、うーん・・、なんか当たり前の
ように「kurihara」の文字がでてきている。ネットで一度根に持
たれるととんでもないことになってしまう。気をつけなければならない。
なんとなく2ちゃんねるを開いてみると、うーん・・、なんか当たり前の
ように「kurihara」の文字がでてきている。ネットで一度根に持
たれるととんでもないことになってしまう。気をつけなければならない。
866考える名無しさん:03/02/28 14:11
Kuriharaは言い訳をしている。Kuriharaは言い訳をしている。Kuriharaは言い訳をしている。Kuriharaは言い訳をしている。
Kuriharaは言い訳をしている。Kuriharaは言い訳をしている。Kuriharaは言い訳をしている。Kuriharaは言い訳をしている。
Kuriharaは言い訳をしている。Kuriharaは言い訳をしている。Kuriharaは言い訳をしている。Kuriharaは言い訳をしている。
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867考える名無しさん:03/02/28 14:15
Marxは出汁にされている。Marxは出汁にされている。Marxは出汁にされている。Marxは出汁にされている。
Marxは出汁にされている。Marxは出汁にされている。Marxは出汁にされている。Marxは出汁にされている。
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868Kurihara:03/02/28 14:26
>>864
なんでこういう研究があるかといえば、まず運転を自動制御
にすれば交通事故をへらせるから。だから、国家がそれを
積極的に推進しようとしている。年間10万人が交通事故で
死んでいるが、完全自動制御システムが完成すれば、事故は
ゼロに出来るという試算だ。

昨日の山陽新幹線の居眠り事件が事故にならなかったのは、
それに自動制御装置があったから。

あと、列車に自動車を積んだら、小回りがきかないので、
実用向きではない。衛星から情報を受信し、カーナビが
それに基づいて、自動制御したほうが効率的だ。
869Kurihara:03/02/28 14:33
どうでもいいが、本当にここの奴らはケント・デリカットなみの
頭しかないようだ。
870Kurihara:03/02/28 14:36
僕が言い訳しているとはお笑いだ。
実際起こっている事実を単に指摘しているだけだろうに。
871考える名無しさん:03/02/28 14:36
(@@)ハ―イ!
872考える名無しさん:03/02/28 14:57
重い荷物を抱えてるとスムーズに移動できないんだよ。
873Kurihara:03/02/28 15:02
>>872
>>871とはまさに君のことだよ。
874考える名無しさん:03/02/28 15:07
自動食堂っていうのもありか
昔万世ラーメンが水道橋にそうしたベルトコンベアを導入した
自動化を図ってたけど、つぶれたな、あれは試験的な物だったんだろうな
なにがNG、まあ万世ラーメンは水道橋としては値段が高めだったが
875Kurihara:03/02/28 15:10
だいたい、アマゾンで本を注文すると即座に確認メールが
返信されてくるが、あれはコンピューターの自動処理で返信
されてくるわけだろ。
もし、あれを人の手動でやったら、すぐには返信されない。
待たされてイライラする。
だから、自動のほうが便利で早くしかも正確だ。
876考える名無しさん:03/02/28 15:14
Kuriharaさんはレベルが高いですね。
でも次元が低いのでテロの標的です。
877考える名無しさん:03/02/28 15:14
なんとなく2ちゃんねるを開いてみると、うーん・・、なんか当たり前の
ように「kurihara」の文字がでてきている。ネットで一度根に持
たれるととんでもないことになってしまう。気をつけなければならない。
なんとなく2ちゃんねるを開いてみると、うーん・・、なんか当たり前の
ように「kurihara」の文字がでてきている。ネットで一度根に持
たれるととんでもないことになってしまう。気をつけなければならない。
なんとなく2ちゃんねるを開いてみると、うーん・・、なんか当たり前の
ように「kurihara」の文字がでてきている。ネットで一度根に持
たれるととんでもないことになってしまう。気をつけなければならない。
878Kurihara:03/02/28 15:17
>>874
自動食堂という発想が貧しいな。
コンビニ弁当だったら、あれは工場で生産されている
から、自動化は可能だ。自動化すればもっと安く
大量に販売できるので、より買いやすくなる。

自動食堂ではないが、回転寿司は半ば自動だよな。
裏で握りの工作機械が寿司を握って、それが回転盤の上を
ベルトコンベアー式に動くわけだから。これは成功している。
879考える名無しさん:03/02/28 15:19
>>875
しかしそれはまさに通信販売、ネット売買という技術の発展で発生した手続きじゃないか
確かにそれを人間がやるのは無理だし、無駄だと思うが
しかしそれが「自動化」促進の例だってのは。。。
880考える名無しさん:03/02/28 15:26
自動化食堂。
厨房の中は誰もいない
表は人間味あふれるかんじ
881考える名無しさん:03/02/28 15:28
売買がネットでされるようになって、小売店、販売店がなくなる
しかし輸送は自動化しにくいから
町中宅急便、バイク便だらけになる
882Kurihara:03/02/28 15:32
>>881
小売店や販売店による取次ぎを排除することで、
流通費を削減し、運送費だけのコスト負担に縮減したわけだ。
これは資本構成の高度化の模範例だな。
883Kurihara:03/02/28 15:34
そして、運送部門を自動化すれば、資本構成は
さらに高度化することになるから、資本はそういう
方向で技術革新や投資活動をするわけだ。
884Kurihara:03/02/28 15:37
なんとなく2ちゃんねるを開いてみると、うーん・・、なんか当たり前の
ように「kurihara」の文字がでてきている。ネットで一度根に持
たれるととんでもないことになってしまう。気をつけなければならない。
なんとなく2ちゃんねるを開いてみると、うーん・・、なんか当たり前の
ように「kurihara」の文字がでてきている。ネットで一度根に持
たれるととんでもないことになってしまう。気をつけなければならない。
なんとなく2ちゃんねるを開いてみると、うーん・・、なんか当たり前の
ように「kurihara」の文字がでてきている。ネットで一度根に持
たれるととんでもないことになってしまう。気をつけなければならない。
885考える名無しさん:03/02/28 15:39
>>883
そうすると特殊な物資輸送ラインが世界中に張り巡らされるわけだ
電送はSFだと思うが。。。ハエ男はいやだな
886考える名無しさん:03/02/28 15:40
>自動化すればもっと安く
>大量に販売できるので、より買いやすくなる。

作れば作るほど儲かる時代ならともかくw
887考える名無しさん:03/02/28 15:40
自動化の方が人間より利便性があるとはいえ
チェック機能だけは人間にゆだねざるをえないよな
その点を克服できないとオートメーションも机上の空論ぽい

山陽新幹線の運転手の役目は機械の異常を監視することだろ
888考える名無しさん:03/02/28 15:43
メンテとか管理の方で人間は必要とされるんだな
「管理者」独裁制か?
メンテナンス・エンジニア専制?
889考える名無しさん:03/02/28 15:45
しかも技術者は「バージョンアップ」攻勢で
次から次へとソフトもハード買い換えさせる!
890考える名無しさん:03/02/28 15:52
物凄い生産能力をもった機械導入しても、市場価格を下げ過ぎないように
生産を押さえるというのはなんかマヌケだな。
891簡単WEBアルバイト募集:03/02/28 15:56
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892考える名無しさん:03/02/28 15:57
景気変動がある中で、普通なら景気が悪くなったら人員削減すればいいが、
機械抱えると一発で倒産するぞ。
893Kurihara:03/02/28 16:04
>>887
その監視者が居眠りをしていたのだから、お終いだ。
894考える名無しさん:03/02/28 16:09
>893
だからといって人間が駆逐されることはありえない
そこに弱点があるのではないでしょうか?
895Kurihara:03/02/28 16:12
>>893
居眠りのほうが人間の弱点だ。機械は少なくとも
居眠りはしない。機械は故障はするが、人間の病気とは違い
医療保険も手当てもいらないから、資本にとっては好都合なわけ。
896Kurihara:03/02/28 16:14
僕が若すぎることに気づきました。
怖くて怖くて仕方なかったのです。
だからもう終わりにします。
永遠にさようなら・・・
897Machine:03/02/28 16:14
人間は用済みだ
898考える名無しさん:03/02/28 16:16
機械のメンテナンス料だけでも膨大になりそうだな。
コピー機ひとつでも馬鹿にできないし。
899Kurihara:03/02/28 16:18
>>898
だから、メンテするより買い換えるわけね。
そっちのほうが安い場合は。
900考える名無しさん:03/02/28 16:23
>クリ
人間ではなく機械の方が資本にとって好都合なのはそうでしょう
だけど「責任を取る」という社会の性質のあり方が
管理者としての人間を置かざるをえないという性質があるのではないでしょうか?
この社会は企業の不祥事やミスに対してそれが誰に何の責任がなくても誰かが責任を取らねばならない社会です
そこには責任を取る生贄としての人間が未だ求められるということでしょう

そう考えればクレーム処理もまた機械では代用できそうもありませんね
オートメーション化でクレームの発生件数を抑えることは可能でも
クレーム件数は減らないだろうと思います

このような点についてはどのように思われますか?
901考える名無しさん:03/02/28 16:24
確かに通信、PCをふくめて「機械」というのは
今や新しい次元にきているのかもしれない
もしくは
全然きてない
902考える名無しさん:03/02/28 16:28
電話代行業が
最先端の人工音声、会話機能の開発の担い手になる日は近い?

相手が人間かどうかわからんなら人間だ

「責任者でてこい」用にだけ人間がいろ
903Kurihara:03/02/28 16:28
>>900
会社の不祥事の責任は当然「最後の人間労働者」たる社長が
取ればいいだけのはなしだ。いかに生産を機械化しようとも、
社長やその取り巻きは搾取者として、会社に寄生し続ける
わけだろ?そいつに責任をとらせればいい。責任をとるから、
責任者=社長だろうに。
904考える名無しさん:03/02/28 16:31
>903
搾取者は自らの責任を回避するためにその身代わりをほしがるということです
ならば人間もまた資本が欲しがるものの一つではないでしょうか?
905Kurihara:03/02/28 16:31
なんか、ピエールさんいませんか?
ピエール臭気がするんですが。
906考える名無しさん:03/02/28 16:34
俺はピエールちゃうよ、ただの素人
このマルクススレは質問は受け付けないの?
907Kurihara:03/02/28 16:34
>>904
身代わりは必要だとしても、数人いればいいだろう。
身代わりを沢山雇えば、それだけコストも高くなるから。
908Kurihara:03/02/28 16:37
僕のお気に入りです。
http://pink.bbspink.com/ascii2d/
909考える名無しさん:03/02/28 16:41
>907
そうですね
それで工場などの単純労働力としては機械化が進んでも
管理職は職が安定する
それが現状であるように思えます
このままさらなる失業者が増えるということの説得が欲しいですね
910考える名無しさん:03/02/28 16:51
では工事現場の自動化を考えよう
ビル、道路、ガス、水道管の工事って
どれくらい自動化されているか?
単純労働のところは外国人だれけか?
911考える名無しさん:03/02/28 17:03
それから営業も機械では難しそうだ
人間以外では難しい仕事ぽい

でもマルクス主義からすれば営業自体が資本主義的行為なんだろうなぁ
912考える名無しさん:03/02/28 17:20
漏れも仕事のやりとりをメールや電話でするが
やはり一番大事なのは実際あって話さないとうまくいかん
913考える名無しさん:03/02/28 17:28
Kuriharaの自動化信仰はよくわかった。誰かまとめてくれ。
914考える名無しさん:03/02/28 17:36
>だから、メンテするより買い換えるわけね。

Kurihara馬鹿だ。
定期メンテナンスも知らんのか?
915考える名無しさん:03/02/28 17:43
まずKuriharaを自動化しよう。(山崎渉のように)
916考える名無しさん:03/02/28 17:46
情報の非対称性をテクノロジーで巧妙に解決できれば、
資本主義はなし崩し的に崩壊するんじゃないのか。

ナノデバイスを通じて脳内記憶領域に
0.03秒で『資本論』がまるごとうpされるサービスなんていいね。
917考える名無しさん:03/02/28 17:49
>>916
すぐにエロ動画で記憶領域がいっぱいになると思うが。
918考える名無しさん:03/02/28 17:51
>>916
JOE 90かおまえは
ってわかんねぇか
919Kurihara:03/02/28 18:51
僕は根っからの臆病者です。
辱めを受けるぐらいならば隠れているべきでした。
だからもう終わりにします。
永遠にさようなら・・・
920考える名無しさん:03/02/28 18:56
>>919
いいから自動化してくれ
921Kurihara:03/02/28 19:00
922考える名無しさん:03/02/28 19:02
馬鹿は治らない
923考える名無しさん:03/02/28 19:09
『サンデー毎日』に日本が階級化しており、
上流階級は日本の下の階級をもう見捨てつつある、
という趣旨のかなりきつい記事が載ってた。
生まれながらにして、階級が露骨にわかる社会になる、ともね。

ここに上流階級の人います? 
それっぽい動きは確かに感じるんだよね。世の中見てると。
924考える名無しさん:03/02/28 19:15
上流階級というと年収何億くらい、あるいは総資産何億くらいからでしょう?
家柄も関係あるのかな?
925考える名無しさん:03/02/28 19:16
中産階級というのはどう?
マルクスは上位構造、下位構造とかあったけど
少なくともマルクスの時代と比べて階級が複層化している感じがする
926考える名無しさん:03/02/28 19:19
サラリーマンは基本的に資本制の奴隷だから下層階級だね。
自営業でも、人を雇えないくらいの小企業であればやはり下層。
927考える名無しさん:03/02/28 19:21
>>923
そこでいう階級というのは財産に関係あるのだろうか?
今や学歴と職業は分化が進んで、
下位の学歴、職業の家庭から上位に上る可能性は低いような気がするが。
928考える名無しさん:03/02/28 19:23
>924-925

うろ覚えだが、

1)資本家
2)自営業・自作農
3)管理職などのホワイトカラー
4)労働者

の四つに分けてたはず。

あとね、階層と階級を区別してた。
階層は、収入や地位だけで成り立つけど、
階級は、階級特有の文化を取得してなければ
階級の人員として認められないから成立しないとのこと。
929考える名無しさん:03/02/28 19:26
>927

そう。学歴がキーワードになるっぽい。
親の学歴を引き継ぐかたちで、
子供の学歴が形成されるってことらしい。

すると、ゆとり教育は、階級化社会形成教育ってことか。

立ち読みのうろ覚えだから、間違ってるかもしれんが。。。
930929:03/02/28 19:27
鬱になったよ。マジで。
931928:03/02/28 19:32
×階級の人員として認められないから成立しないとのこと。
○階級の人員として認められないから、収入や地位だけでは成立しないとのこと。
932Kurihara:03/02/28 19:57
今更焦ったところで、手遅れだよ、サルどもが。
933Kurihara:03/02/28 19:59
僕は徹底して階級社会化を推進すべきだと思う。
階級両極分解なんて大賛成だね。本当に素晴らしいことだ。
934考える名無しさん:03/02/28 20:01
ん? なんかすげー悪意を発散してるね。>Kurihara

自分は反対。社会にエネルギーがなくなるから。>933

935Kurihara:03/02/28 20:02
僕はどんな形でも階級制があるのには反対だ。
流動的な差異はあるが、それ自体が固定されるような
階級社会は望ましくない
936考える名無しさん:03/02/28 20:04
????
937Kurihara:03/02/28 20:05
>>934
反対なんだ?じゃあ、階級社会化を阻止する手はなにか
あるのかね?僕はあるとは思えないな。
938Kurihara:03/02/28 20:08
>>934
君の意見に賛成だ。
現在において階級を維持するなんて無理だよホントは。
939Kurihara:03/02/28 20:10
デリダとともに、「不可能性の可能性」「抵抗できないものへの
抵抗」などの夢想をまた語るのかね?
940Kurihara:03/02/28 20:12
デリダは読んでないぞ。夢想なんかくそくらえだよ
941Kurihara:03/02/28 20:12
>>938
擬似的無階級性を維持するコストにほうが膨大であって、
そっちのほうが資本的には無理なのだよ。
942考える名無しさん:03/02/28 20:14
ゆとり教育は国家(地域)への奉仕活動が前提になっているんだよ。
これからの左翼は私立中学出身のブルジョワ・インテリ階級で占められることだろうよ。
943Kurihara:03/02/28 20:15
>>941
もちろん、一時的な階級制は「みため」としてあるかもしれない
もしコストというなら、そのみための維持の方が無駄が多い
土地も含めて様々な要素が流動的なのだよ
944考える名無しさん:03/02/28 20:17
Kuriharaって沢山いて誰だかわからない。
どのKuriharaだかわからないと言ったほうが正確か。
945Kurihara:03/02/28 20:17
左翼はユダヤ主義の政治形態であって、もとから
それはブルジョワ・イデオロギーだろ。だから、
元の鞘に戻っただけだ。
946Kurihara:03/02/28 20:20
>>945
おまえがもどっただけだろーが。
うぜぇんだよ。
ま、おまえも俺自身なんだが
947Kurihara:03/02/28 20:20
要は階級社会化というのは、ケインズ主義によって
擬似的に隠蔽された資本主義の本来の姿が回帰する
ことだ。従って、それはケインズ主義に抑圧されたものの
回帰現象だということだ。
948Kurihara:03/02/28 20:24
さて、シュムペーターでも読もうかな。
949考える名無しさん:03/02/28 20:26
ジャンプ。
950Kurihara:03/02/28 20:28
マガジン。
951Kurihara:03/02/28 20:29
にゃんぎ
952考える名無しさん:03/02/28 20:29
やはり。
953考える名無しさん:03/02/28 20:36
>>948
勉強するフリはやめろよ
2ちゃんねる三昧なんだろ
954Kurihara:03/02/28 20:39
>>953
俺はたまにしかはいらないから、勉強はたっぷりできる
他の俺が、おまえらサルどもの相手をする
氏ね
955考える名無しさん:03/02/28 20:47
ヒキコの慣用表現解説
「さて、シュムペーターでも読もうかな」=飯でも食おうかな
「さて、仕事にでも行くかな」=もう寝る
956あちょー:03/02/28 20:49
>>845
僕の考え方と少し似ているような気がします。でも、
完全オートメションが実現したと仮定しても、それを
所持する者が資本主義を望めば資本主義を維持
することは可能です。通貨を与えるか、貸せばいいの
です。だから資本主義が自滅するまで待つのは
資本主義への抵抗とは言えないかもしれないです。

>>862
同意です。民間より軍事の方が技術水準がはるかに
高いですね。それに民間に売るのがもったいないほどの
高い技術が軍事にはたくさんあるのです。
957あちょー:03/02/28 20:50
資本主義では剰余価値は資本家のものですが、
反資本主義はこれを労働者のものだとする
考え方もあるようですね。これはどのような
根拠があるのでしょうか。
958考える名無しさん:03/02/28 20:51
>937

ないだろうね。でもこの競争に、最終的な勝者はいないだろう。

ライオンが草を食えるはずないでしょ。
シマウマがいなくなれば、ライオン同士が食い合うんだろうさ。
959Kurihara:03/03/01 12:12
新日銀総裁・福井俊彦氏とはこういう人です。

・東京大学法学部首席卒業
・司法試験首席合格
・国家公務員上級試験首席合格
・外交官上級試験首席合格
現在までの歴代の大蔵(財務)事務次官さえなしえなかった四冠を達成し四冠王とよばれる。
大蔵省と日銀がそれぞれ次官、総裁を約して奪いあったが福井は結局日銀を選んだ。
「日銀のプリンス」「金融政策のプロ中のプロ」と呼ばれる男。

そして、ノーパンしゃぶしゃぶが大好きなわけです。
960Sophia ◆8ADoZCl6.k :03/03/01 12:17
>959
すごい人ですね、期待できそうです。
961Kurihara:03/03/01 12:25
>>957
根拠ですか?それは「自己生産・自己所有」、つまり
生産物はそれを作った人の所有だというロック的所有概念
がその根拠であって、剰余価値を含む余剰生産物も労働者
の労働の所産だから、それも労働者の所有だということです。
それを、生産手段の独占的所有者たる資本家が、商品の生産手段
は自分にあるとして、そのブルジョワ的所有権を楯にとり、
余剰生産物のみならず、生産物すべてを一端自分の所有下に
収めるのが資本主義的所有関係だということです。
これは非生産者による生産物の所有であって、それを生産者による
生産物の所有に置きかえることが肝要だとマルクスは考え、
生産手段の生産者自身による所有を唱えたわけです。
962新スレ:03/03/01 12:26
963考える名無しさん:03/03/01 15:11
日本の知的な人たちは、何故に共産主義を信じて
それにまい進しちゃったのだろう? いまだにわからないよ。

隙のない論理で説得されたからといって、
その通りに行動するなんて、自分には考えられない。

議論なんて目標を実現するためのプロセスのシミュレーション
くらいにしか思ってないよ。
目標そのものは議論では定まらないはずなのに、共産主義って
それを議論を通して定めようとしたとしか見えないんだよなぁ。。。
964通りすがりの門外漢:03/03/01 16:07
あのー、素朴きわまりない質問ですんませんけど、マルクス主義を
標榜した国のほとんど(旧ソ、中国、カンボジア・・・)が、多か
れ少なかれ北チョン的になり、人口抑制に貢献しているのは、何故
ですか?
965ラッキーアイテム:03/03/01 19:47
966あちょー:03/03/01 22:06
>>961
>剰余価値を含む余剰生産物も労働者の労働の所産だから、

これがよくわかりませんです。
労働者は自分の評価を高め、給料を増やすのが会社内での
目標ではないでしょうか。
対して、資本家は投資した資本が増えるようにしなければ
莫大な損失をする。リスクを背負っているので、成功したら
それなりの報酬を得るのです。資本家は、どのような会社
組織が成功するのかを見極め、示すという重要な労働を
していると思います。
967考える名無しさん:03/03/01 23:45
エネミー・オブ・アメリカ見ると、ネットを介したサヨク運動って、
みんな失敗するような気がするんだけど。
FreeNetが上手く行ったら、大丈夫なんかいな。
それでも、プロバイダを通してる限り、駄目なような気もするし。
うーん…
968Kurihara:03/03/02 00:44
>>966
だから、例えば、自動車の生産では、その材料や生産設備を
資本家が用意しようとも、実際作るのは労働者でしょう。
作られた自動車を売るのは資本家の役目だが、売る前には
そもそも自動車が労働者の手で作られていなければならない。
従って、プライオリティーは実際には労働者が握っているのであり、
だからこそ、労働者によるストライキを資本家は恐れるのでしょう。
労働者が自動車を作ることをストで放棄すれば、資本家はもはや
なす術を知らない。もし、剰余価値を資本家だけ生産できるのなら、
労働者がストをしようとも、それが生産出来るだろうし、だから
剰余価値は資本家の正当な取り分だとなるが、しかし、実際は労働者が
製品を生産しなければ、資本家は剰余価値を取得できない。だから、
剰余価値生産のプライオリティーは労働者が実質的に握っているのであり、
資本家はそれに寄生しているの過ぎない。

資本家がリスク計算をしようが何をしようが、生産物の生産がなければ
何も始まらないのであり、そして生産物は労働者の労働によって生産される。
そもそも売れないリスクが発生するのは需要を勘案しない無計画な生産を
資本家が労働者に指示するからであって、無計画な生産指示をした資本家が
その責任を取るのは当たり前のことだろう。

幼稚で甘えたことをぬかすんじゃないって。
969Kurihara :03/03/02 01:23
僕って甘えん坊なんですよ。
970Kurihara:03/03/02 01:57
馬鹿が多くて困るね、全く。
971ぴかぁ〜:03/03/02 02:21
自己言及
972考える名無しさん:03/03/02 03:45
だからマルススって誰よ
973あちょー:03/03/02 20:31
>>968
労働者がいないと生産できないですが、資本家は何も
していないのでしょうか。資本家は投資をしているので
すから、よい投資にはそれに見合った利益を得なければ
何故投資をするのかわかりません。
剰余価値が労働者のものであるという根拠は何で
しょうか。
974Kurihara:03/03/02 21:35
>>973
「資本論」第三巻に答えが書いたあるから、
後は自分で調べるように。
975Kurihara:03/03/02 21:36
>>974
「書いてあるから」ですね。
976Kurihara:03/03/02 21:42
>>973
「資本論」第三巻に答えを書いたあるから、
後は自分で調べるあるね。
977Kurihara:03/03/02 21:44
常駐の粘着ストーカーがいるな。
キモイね。しばらく来ないことにする。
978Kurihara:03/03/02 21:47
あとKuriharaというハンドルは自由に使っていいぞ。
979Kurihara:03/03/02 21:48
あばよ、サルども。
980考える名無しさん:03/03/02 21:51
うきっ
981考える名無しさん:03/03/02 21:54
>974

答えじゃなくて、マルクスの持論だと思うが。
ま、どうでもいいが。

面白かったのでまたいつかカキコしてください。んじゃ。
982考える名無しさん:03/03/02 21:55
他人の名を騙るマルクスバカ=Kuriharaはもうじき死にます
983Kurihara:03/03/02 21:58
今度は僕がKuriharaになります。
皆さん、宜しくお願いします。
984Kurihara:03/03/02 22:02
>>981
そうですね。資本論がマルクスの持論なら、
サムエルソンの新古典派経済学もサムエルソンの
持論ですよね。資格は同じだと思いますよ。
985Kurihara:03/03/02 22:03
さあ、頑張って行きましょう、皆さん!!
986考える名無しさん:03/03/02 22:07
頑張って1000まで
987考える名無しさん:03/03/02 22:15
>>986
1000てすぐじゃねえか(笑
988あちょー:03/03/02 22:31
>>974
どうもです。Kuriharaでも答えを説明できないほど難解ですか。
じゃあ僕には到底読みこなせないかも。
989考える名無しさん:03/03/02 22:39
資本主義では剰余価値は資本家のものですが、
これを労働者のものだとする根拠は何でしょうか。

確かに、労働者がいないと生産できないですが、
資本家は何も していないのでしょうか。資本家は
投資をしているのですから、よい投資にはそれに
見合った利益を得なければ何故投資をするのか
わかりません。
労働者は自分の評価を高め、給料を増やすのが
会社内での目標ではないでしょうか。
対して、資本家は投資した資本が増えるようにしな
ければ莫大な損失をする。リスクを背負っている
ので、成功したらそれなりの報酬を得るのが普通
ではないでしょうか。
資本家は、どのような会社組織が成功するのかを
見極め、示すという重要な労働を していると思い
ます。
990あちょー:03/03/02 22:53
次スレ
【マルクス その可能性の中心in2ch P4】
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/philo/1046489087/

僕も資本主義には反対なのだけれど。
通貨はいらない Part2
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/philo/1046432778/
991考える名無しさん:03/03/03 00:57
マルクスの性格を、丸くす る。
992考える名無しさん:03/03/03 01:01
丸楠
993考える名無しさん:03/03/03 01:03
>>991
ま、ルックスはいいね
994考える名無しさん:03/03/03 01:14
マルクスは、世界でもっとも偉大なアマチュア学者であった。
995実存主義者:03/03/03 01:23

 革命,してますか?
996考える名無しさん:03/03/03 01:25
田中 革命   ま〜 その〜
997考える名無しさん:03/03/03 01:26
ドッカーーン!!!!
998考える名無しさん:03/03/03 01:27
END
999実存主義者:03/03/03 01:28

 だいたい,暇,ということがある現在の労働状況と,
工業で,休む暇なく働いていたマルクスの頃の労働状況
は違うのではないか?しかし,マルクスの理論,という
支柱というものがあって,現在の労働状況が生まれた,
という『運動性』というのはあるが。マルクスは不可能性
の運動を提起している。それは試みるとともに,挫折であ
るが,その挫折の後,(これを失敗と呼ばない。)結束を
強くする。
 
1000考える名無しさん:03/03/03 01:28
FIN
10011001
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もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。