『いけない』『いい』とは何とは何が基準になるか?
その基準ではどうなるのか?
その基準の正当性をどうやって証明するのか?
2 :
考える名無しさん:02/07/15 01:49
また始めるの?なんた『こんなスレ止めろ』って言ってたじゃない。
夏厨の季節だな。今日は新スレ立ちまくり。
つまらん。
5 :
考える名無しさん:02/07/15 01:55
殺してもいい状態から、『社会契約論で』社会に参加する人はルールを
守るべきだという結論で、『はい!終わり』だったように記憶するが。
前回1の最後の『締め』(レス999か1000)でもそうなっていたはずだが。
皆さんそれで同意して、沈黙したと言うことなら、そのレス読んで
撤退します。そんなに簡単に終わったとは思えんがなあ・・・。
7 :
考える名無しさん:02/07/15 02:00
基準に正当性は無い。
行為がある基準に適合していることをその基準において「いい」といっている。
「正誤」とは本来そういう意味だ。過剰な意味づけをするからおかしくなる。
8 :
考える名無しさん:02/07/15 02:02
「哲学的」者さん。
あなたは、死にたいのではないのかい?殺してもらいたいほど
何か悩みでもあるなら、児童相談所に行けよ。
9 :
考える名無しさん:02/07/15 02:10
>>7 正誤を云々できなければ、哲学なんて無効ではないでしょうか?
『正誤』、『正邪』でもいいけど、それを争うという『ルール』がなければ
『哲学』も「哲学的』も『思想』も「意味無し」ジャンジャンのではないですか?
カテゴリー(本来の意味で)哲学は、『正誤』のガクモンでしょ?
10 :
考える名無しさん:02/07/15 02:11
いくつ同じようなスレ立てれば気が済むんだよ?あ?死ね!
人とは?生とは?死とは?生きる意味は?殺人は?自殺は?自分って?
死ぬまでやってなさい。でも俺に迷惑はかけないでね。ヴァカが移るから。
11 :
考える名無しさん:02/07/15 02:12
>>9 >正誤を云々できなければ、哲学なんて無効ではないでしょうか?
云々できないなんて一言も言ってないが。
12 :
考える名無しさん:02/07/15 02:14
>>9 「正当性」はない。と言っている奴の言説には『正当性なんて全くない』
「不当でい」もないけど・・・単なる『エッセイ』
13 :
考える名無しさん:02/07/15 02:20
>>12 一般論として「正当性」というものが存在しないといってるわけじゃないが。
14 :
「哲学的」者:02/07/15 02:24
>>10 あんたに迷惑かけるつもりなんてないよ。
必要ない「嵐し」は早急に永遠に去ってくれるだけで、
お互いの幸福。
15 :
考える名無しさん:02/07/15 02:27
「なぜ人を殺したいと思うのか」の方が面白いな。
16 :
「哲学的」者:02/07/15 02:30
>>13 「一般論」なんて、哲学版では「不適切■■■■」単語ですよ。
一般論でないことを言うのが、「哲学板」で、一般論を扱いたいなら、
「朝日新聞」か「週刊ポスト」か「週刊現代」の方が、いいよ。
「夕刊フジ」や「夕刊ゲンダイ」もおすすめ。
17 :
「哲学的」者:02/07/15 02:36
>>15 それは、フロイトの「リビドー」と同じで、「抑圧」されてること一般に分類される
から、一種の「タブウ」論になってしまう。
近親相姦のタブウまで、手を広げると、収拾はつかないよ。
「殺人のタブウ」が、あくまでこのスレのテーマ。
18 :
考える名無しさん:02/07/15 02:36
>>16 「一般論としていっているわけじゃない」といっているんだが?
19 :
「哲学的」者:02/07/15 02:46
>>18 「一般論」というテーゼは、「哲学版」では「無効」と言っているだけ。
「哲学版」は「社会学板」(あるかどうかしらんが)ではないよと言っているだけ。
>>19 なら、問題なのは
>>12 であって、私は関係無い。
人の発言を一般論であると批判する場合に「一般論」という言葉を使うのがいけないというなら
話は別だが、だとするとあなたも思い切り使ってるね。
それで、スレの本題の話はどうなってるの?
21 :
「哲学的」者:02/07/15 03:00
>>7 題名を変えたけど、昨日1000までいったスレの継続のつもり。
1000までいったんだから、なんかあるだろう?
というのと、
も一つ、「殺す」っていうのは、いや「人を殺す」というのは、
なにか、「普通の人生と」「ホンとの人生」の架け橋の概念
のような直感が働いたから。
人を殺したとたん、別の人生を歩まなければならなくなる
という、「激しく酷く特別な行為」が「人を殺すこと」
ではないかと思ったまで。
「机上の空論」で唯一「リアリティ」を持つような想像力に
対する刺激を感じたまでのこと。
>>17 遅くなってスマソ。
収拾がつかなくなるのはわかる。
「タブウ」論というのはよく分からん。
わからんと言うより、通じ合えんというか・・・。
いいのかいけないのか、というより
「なぜいけなくなったか」を問うことになるんじゃないのか。
やっぱり、つまらん。
24 :
「哲学的」者:02/07/15 03:11
>>7 「どうしろ」ではなくて、俺ではない他者(あんた方)は、
「自分お命」が他者によって消滅させられる事態を「法治国家」
の安楽の日常で「あり得ない」という前提で暮らしている
「のほほん」としたいい人達だと、切実に思っているから。
自分の短い人生は、そんなことで「終わりです」ということに
なりたくない。という「想像力の問題」
ガンによって「殺される」のも、同じかもしれないけど。
>>24 「想像力の問題」 だからどうだっていうの?
さっぱり要領を得ないんだけど。
あなたは何かを主張したいのか、それとも、何かを質問したいのかどっちなの?
26 :
「哲学的」者:02/07/15 03:24
>>23 2ちゃんねるにだって「タブウ」が沢山あるのはご存じの通り。
社会全般を見れば「タブウ」は沢山あるけど、誰も「気にしない」
ようにしているだけ。
「本当のことを言いたい」というのが「哲学版」の存在意義だけど、
「タブウ」は厳然と存在する。
ホンとは「タブウ」について、論じることが諸学の女王である「哲学」
の「定義」だったのに、「論じることができないことには沈黙しなければならない」
なんていうヴィトゲンシュタインの言葉が、文脈から切り離されて、横行しているのが、
2ちゃんねる哲学版の「本質」だから、「自分の命」を含めた命を
論ずるこのスレは、「やはり続けてほしい」と思っただけです。 以上
27 :
考える名無しさん?:02/07/15 03:29
誰か正当防衛について意見を尾ながいします。
28 :
考える名無しさん:02/07/15 03:32
お前ら、論理的に実証的に正しいとか
正しくないと言う以前に、もうすでに
根拠のないルールにしたがって生きてるわけで
もっと違う方向に頭使ったほうが良くないか。
さもなくば、死んでくれ。
根拠がないからルールに従うのではなく
経験的に感じるからルールに従ってるんだからよ
29 :
考える名無しさん:02/07/15 03:35
>>28 誤 根拠がないからルールに従うのではなく
正 根拠がないからルールに従わないのではなく
>>28 >根拠がないからルールに従わないのではなく
>経験的に感じるからルールに従ってるんだからよ
なら、現にルールに従っているかどうかはこの問題とは関係無いということだろう。
「哲学的」著よ
ごめん、やっぱ噛み合ない。
自分は生きているから、自分が死ぬということが
想像できないんだよなあ、正直なところ。
どんなことがあっても自分だけは生き残ると
思い込んで生きているもの。
殺されないことが前提になってるから、
つまらんと思ってしまう。
27、28と本当の意味でつまらんのが出てきたから
もうたぶんレスしません。さようなら。
32 :
「哲学的」者:02/07/15 04:06
>>31 引用は嫌いだけど、ハイデガー氏はあなたの師になりうると思うよ。
晦渋難解な書き方の中で、「現存在」「ダァ・ザイン」について、
「発見」を語っている。『存在と時間』『ヘルダーリン論』。
33 :
自然主義的誤謬:02/07/15 16:50
DAT落ちして前スレ読んでないけど
まず「なぜ人を殺してはいけないのか」についてではなく
この質問に答えるにはどうすればよいのかを考えようよ
で、僕はこの質問は2種類の質問を持っていると思うわけ
「人を殺してはならない」
↓
「人を殺さないことには価値があり、価値のある行動をしなければならない」
つまり、殺人禁忌はあるルールだけど
Aそのルールが選択されている理由は何か(価値)
B選択されたルールに反せない理由は何か(行動)
この2点だと思うわけ
社会契約説はあくまで
「人を殺さないことには(あなたが殺されたくない限り)意味がありますよ」
とまでしか言えない
価値に対する言及でしかないから
契約説だけでは納得できない人がいるのだと思う
逆にもう片方で納得できなかった人もいたように
だから僕は必ずしもこの議題が殺人についてのみの問題だとは思わない
むしろ議論をスレ名から殺人に限定して行うことこそ
問題解決ではなく質問への解答の模索という意味で哲学という行為から外れた議論であると断罪する
35 :
考える名無しさん:02/07/16 00:13
age
36 :
「哲学的」者:02/07/16 00:18
>>34 「質問への回答の模索が哲学の領域では無い」という「テーゼ」は
あなたの固有の「発語」であると解釈してよろしいでしょうか?
それとも引用ですか?
37 :
考える名無しさん:02/07/16 00:26
いいが先でいけないが後
38 :
自然主義的誤謬:02/07/16 00:36
>>36 別にガダマーからの抜粋と答えてもいいですし
そんなものは韜晦術に過ぎないと言い切ってもかまいませんが何か?
39 :
考える名無しさん?:02/07/16 01:03
あいつ殺さないと俺が死んでしまう。
これは被害妄想なのかもしれんがそんな事は他の誰が決める事でもない。
何をいってもあいつは止めない。殺したら楽だよな。いなくなるんだから。
よし。後一日待って止めなかったら殺そう。止めないあいつが悪いよな。
・・・・・・・・・ん?
「いちいちいちいちうるせえんだよ!消えろ!」
ゴッ!
あれ・・・殺されちゃった・・・・うわあ、俺ばかだ・・・
何でこんな奴に遠慮してたんだよ・・・うわあ・・・・・。
40 :
目をそらす名無しさん :02/07/16 01:27
この世には
馬鹿と言われて怒る人間と
馬鹿と言われて何故馬鹿と言われたのかを考える人間がいる。
君はどっちになりたい?もう完成されてるのかな?・
42 :
目をそらす名無しさん :02/07/16 01:32
この世には
死ねといわれて怒る人間と
死ねといわれて本当に死んでしまう人間がいる。
気をつけようね!
43 :
目をそらす名無しさん:02/07/16 01:34
この世には
怒って暴力に訴え殺してしまう人間と
怒って暴言を吐き自殺させてしまう人間がいる。
鬱だ・・・。
>>43 暴力で半殺しにして、死んだ方がましだと思わせ自殺させる。
仲間同士殺し合わず、集団を形成する性質をたまたま
身につけた生物が、有利に種を残すことができた。
ヒトはこの種の生き物の子孫で、多少はこの性質も引
き継いでいるため、基本的には"仲間"同士での殺し合
いを躊躇する。
この本能的な抑制回路が組み込まれているため、つい
つい、「人(仲間)殺しはいけない」と感じてしまう。
だから
>>1は、こんな質問をしてしまうのですね。
ただ、コンマ数%の固体が、仲間を殺したところで、
周りからの排除機能も正常に働くだろうし、種とし
ての大勢には影響ないだろうから、あんまり深刻に
考える必要はないのじゃないかな?
>>1
48 :
考える名無しさん:02/07/16 02:59
えー。ちゃいます。人が悲しむ事はいけないのかってことです。
誰も悲しまない殺人は世間的には悪くないです。誰も知らない殺人も
同じ。そうなったらあとは、当事者、自分だけの問題になる。
もしそれが、事故、正当防衛、緊急避難の場合は、どうですか?
殺人は、死んだ奴にとってはなんでもないです。そいつが死んで
思う所のあるやつが問題になります。つまり、どんどん人を殺して
最後、殺した人間だけが残ったら、一番可哀想なのはそいつじゃないですか。
だから、死刑反対してる連中も、死刑囚と関わりのある者のために
発言してないなら、そりゃ全部偽善ですよ。死刑のあるコミュニティー
に生きるのが嫌とか。でも、良い事言ってると思ってなくて、素直な
表現なら別に偽善でもなんでもないですけど。
適当に書いたので、読んでも訳解らんかもしれません。
49 :
考える名無しさん:02/07/16 03:00
ホントにテキトーだな・・・
50 :
トラコンクヘフホ:02/07/16 03:12
>>50 「人を傷つけることは」いいのかいけないのか?
問い方かわってねえよ。
53 :
考える名無しさん:02/07/16 13:07
まったくだ
いいことはいけないこと
こんな問い簡単じゃん。
場合によってよくもあり悪くもある。
これ以上の答えはないでしょ。
法律でダメってなってるからダメ
法律なかったら殺してるだろ
56 :
考える名無しさん:02/07/16 14:22
>>55 ダメなんじゃなくて、処罰されるだけだろ。
法律がなかったら殺してるって言う考えがワカラン。
57 :
考える名無しさん:02/07/16 14:24
小学中学高校とイジメが存在する世の中だよ
銃なんか面白半分にイジメてる奴に試してみたくなる奴が出てくる
大人になるまでに何人か殺してるだろ?
59 :
考える名無しさん:02/07/16 14:37
60 :
考える名無しさん:02/07/16 14:56
>>58 おいおい、いじめられっこ君。
君が何かしでかしても我々は一切関知しないからね
テーか法律なくてもさ、たぶん殺人はそう多くはならないだろう。
なぜなら恐ろしいから。
62 :
考える名無しさん:02/07/16 15:03
やる奴はやる奴のコミュニティ、
やらない奴はやらない奴でコミュニティを作る。
どちらが繁栄するか一目瞭然だな
63 :
考える名無しさん:02/07/16 16:25
死にたかったら殺していいんだよ。
処罰のしようがないから。
お前らロゴスに頼りすぎなんだよ!!!!
人殺し議論なんてくだらねえぜ!!
そいつは人間がしゃべる限り、歌う限り正当化できねえはずだ!!
よーく心を澄ませてみろ!わかりきったことなはずだぜ!!
俺の歌、アフォリズムを聴けえ!!!!!!!!!!!
アブラハムを見よ。彼は息子を殺そうと悩む時、口を閉じていた。
殺人は発話、応答の可能性があるもとでは完全に欺瞞だ。
正当化するのなら言葉を使わずに行うしかない。つまり、不可能だ。
「人を殺すことはいいのかいけないのか」というならば、それはもちろん
いけないことと言う以外ないんじゃないですか? 端的に。
そういうことを言うと、よく国家間の交戦や、処罰としての死刑はいけな
いのか、と言い出す人がいますが、でもそれは普通「殺人」とは呼ばれな
いですよね。
人を殺すのはいけないこと。これは「言葉」の本来の使われ方の問題とし
てそう言い切っていいんじゃないですか。
氏ねというやつが殺せといってみる。
67 :
考える名無しさん:02/07/16 23:17
ある事実命題「人が人を殺すことは可能である」は真である
ある観察命題「人を殺した人間は存在する」は真である
68 :
「哲学的」者:02/07/16 23:43
同じ議論の繰り返し。「賽の河原の石積み」って知ってるかな?
地獄で天国に行きたい亡者が石を積み上げるが、鬼が定期的に来て
蹴り崩すというやつ。
>>65 「正当防衛」と「緊急避難」による「人殺し」や「殺人」は
『「よくもわるくもない」「人を殺すこと」であると』いう結論は、
もうとっくに出ていた(はず)です。
69 :
考える名無しさん:02/07/16 23:46
「2期生」は「1期生」に敬意を表するべし。
70 :
考える名無しさん:02/07/16 23:49
>>68 カミュの「シジュフォスの神話」と同じですね。
71 :
「哲学的」者:02/07/16 23:50
72 :
考える名無しさん:02/07/16 23:53
>>71 まだ勉強が足りないので、コテハンは勘弁してください。
73 :
考える名無しさん:02/07/16 23:55
さいのかわらのしじゅふぉすのいしづみ
74 :
考える名無しさん:02/07/17 00:03
>>72コテハンに必要なのは勉強でなく、自己顕示欲ですから。
75 :
「哲学的」者:02/07/17 00:06
76 :
考える名無しさん:02/07/17 00:08
77 :
考える名無しさん:02/07/17 00:44
>>76 そうそう、自分の立てたネタスレが生きがいになったりしちゃって。
78 :
考える名無しさん:02/07/17 01:00
79 :
考える名無しさん:02/07/17 01:03
人は人を殺してはいけない。
人=人だから。いわゆる自殺ね。
人は豚を殺していい。
人≠豚だから。
人を 私、あなた、彼・・ と考えるからいけないんだよ。
人は人なんだよ、わかる?
ただ人が概念として豚なら殺していいわけだ。
82 :
考える名無しさん:02/07/17 01:47
つか、
同胞を殺したい、と、同胞を殺してはいけない、という二つの、なんていうの、
存在構成の矛盾が人間存在だからね。
83 :
考える名無しさん:02/07/17 01:58
>>82 馬鹿?
同胞を殺したいと思う人間なんていないよ。
あいつを殺したいだ。
84 :
「哲学的」者:02/07/17 01:58
「人を殺すこと」より「近親相姦のタブゥ」のほうが、「根元的」「普遍的」
であるとレヴィ・ストロースは言っています。「集合的無意識」に埋め込まれた
「タブゥ」はそちらの方が大きいという「文化人類学」的「科学」の
成果です。
85 :
考える名無しさん:02/07/17 02:00
>>83誰にでも嫉妬するよ。嫉妬する相手が同胞だな。
87 :
考える名無しさん:02/07/17 02:01
あいつは君とよく似てるっていうか。
88 :
「哲学的」者:02/07/17 02:59
>>86 考える前に自明であることを質問しないでください。
質問の意図が小学生的すぎますよ。
89 :
考える名無しさん:02/07/17 03:35
結局、絶対的にはかまわない。
しかし現社会ではいけないってことでしょ?
90 :
考える名無しさん:02/07/17 03:39
>>89 2行で片付けられるくらい単純な脳みそを持っていると
何かと悩まずにすんで、楽でいいだろうね。
>90
そうでもないさ。人間、いろいろあるんだ。
あと、手続き的な問題かも知れませんが、「人」「人間」という概念が、
「ヒト」という生物と完全に重なるという根拠はなんなんでしょうか。
非「ヒト」でありながら、人間としか思えないとか、「ヒト」という生
物でありながら、テメエ人間じゃんねえ! ということもございますよ
ね。
92 :
考える名無しさん:02/07/17 23:49
>>84 近親相姦を犯して死刑になったりね。人間を食べる習慣というものそんなに
珍しくなかった。確かにそんな気もする。
93 :
考える名無しさん:02/07/17 23:53
同じスレがたっているというのに
欲張りな奴だ。
94 :
考える名無しさん:02/07/18 00:16
人を殺したとしても殺したと言う事実は事実として残るわけで、
たとえそれがヒトという学術的なことでもそうなわけだと思う。ヒトゲノム
95 :
「哲学的」者:02/07/18 00:27
>>92 刑罰があった歴史はあります。(あったと記憶します)
しかし、『被害者が被害を被った事実が明確でない』ということと、
『近親者にとって社会からまるごと追放されかねない』という
力関係で、告発→裁判→刑の執行まで言った事例はほとんど無い
というのが事実です。
法典で定められた「刑のレベル」は覚えていませんが、江戸時代の
『姦通罪』が「二人揃えて鋸引き」でしたから、それから考えると
相当重かったと思います。
96 :
話は逸れるが:02/07/18 00:50
97 :
考える名無しさん:02/07/18 01:03
>>96 途上国が「途上国」である理由はそういうところなんでしょうね。
「法治国家」の体裁があっても、「本当の法治国家」ではないんですね。
98 :
考える名無しさん:02/07/18 01:06
99 :
考える名無しさん:02/07/18 01:08
>>97 警察国家が先進国であるというつもりか?おまえは国家権力のスポークスマンか?
100 :
考える名無しさん:02/07/18 01:09
>>88 自明であると主張しているのはあなただけだが?
どのような習俗が存在した(している)という話なの?
103 :
考える名無しさん:02/07/18 01:21
ど う で も い い 議 論 で す ね
104 :
考える名無しさん:02/07/18 01:36
>>101 レヴィ・ストロースと私です。
他の皆さんは「読んでない」か「字面を見た」だけのヒトだと思います。
105 :
話は逸れるが:02/07/18 01:39
警察国家云々、以前に凄い話だぞ。
ある男が、身分の高い家の娘と二人で歩いてた。
そのことだけで、二人の間に性的関係があったと疑われる。
両者は否定しているにもかかわらず、村の裁判は有罪。
で、罰せられるのは、その男の姉(妹?)
村の裁判所から指名された5人の男が、姉を集団でレイプ。
ベタなエロゲーだって、こんな無茶なシナリオ、書けんだろ(ワラ
やはり「血筋(家)」と共同体における「名誉」が、個人より優先され、
刑罰は、「報復」として為される、という典型か?
一方で、
http://www.amnesty.or.jp/stoptorture/stoptorture5/A0050105.shtml >パキスタンでは、強姦の被害者は、性交に同意しなかったことを4人のムスリム男性が証言しない限り、
>彼女自身が姦通もしくは私通の罪に問われるのである
ってんだから、自己防衛のためにも「ブルカを被っとかないと」ってのも仕方なく・・・ってか?
嫌だなぁ
106 :
考える名無しさん:02/07/18 01:41
>>103 根拠を示さない「スペースの専有」は「みんなの迷惑」だけです。
アラシの一形態「プチアラシ」はプッシイの方に行ってください。
>>104 そんなコテハンはいないけど。
その人がこのスレを読んで、そのような判断を下しているとなぜわかるんだね?
そう判断してるのはあなただけなんじゃないかね?
108 :
考える名無しさん:02/07/18 01:49
>>106 欧米法系、には「ドイツ法系」と「フランス法系」があります。
まあ、どっちも似たり寄ったりですが、アングロとケルトの
「意地の張り合い」もあります。
「アラブ法系」というものがあるか知りませんが、キリスト教文化圏
の法系は「とりあえず無視」なんでしょう。
「目には目を歯には歯を」もひとつの「文化圏」の中では有効なんです。
109 :
考える名無しさん:02/07/18 02:01
何で人間だから殺してはいけないッ手言う考えが起きるんだろう。
同種が同種を殺すなんてよくあることなのに。
人間だけは違うなんていわれてもなあ。
>>109 >同種が同種を殺すなんてよくあることなのに。
そういうことが実際におきるということと、その起きたことが、
いいことかわるいことかというのは別の問題だろう。
起きることがすべていいことなら、誰もなやんだりしないだろう。
111 :
考える名無しさん:02/07/18 02:19
動物と人間は、
根本的に違う。我々が人間だからだ。馬鹿か。
112 :
考える名無しさん:02/07/18 02:21
>>110 「同種を殺すこと」を含めた「起きたこと」は正当防衛や緊急避難で
あれば「良くも悪くもない」ことは、何度も既出です。
だから「殺人罪」の「構成要件」・・・「犯罪を成立させるため要する事実」
で、「殺意」があるんです。「殺意なき殺人」は(殺人)行為では無罪。
結果、「被疑者」は「全くのぬれぎぬを着せられたむしろ被害者」
ということです。
正確には「被疑者の行為が被害者の死に相当の因果関係を持つか」
ということと、加害者に「殺意」があったか否か。2つで「殺人罪」の
有罪無罪が決まります。
>>112 >「同種を殺すこと」を含めた「起きたこと」は正当防衛や緊急避難で
>あれば「良くも悪くもない」ことは、何度も既出です
それは、「正当防衛や緊急避難」であるから、「良くも悪くもない」と「いわれている」のであって、
「起きたこと」だから「良くも悪くもない」と「いわれている」わけではないだろう。
114 :
親子の会話(ほのぼの編):02/07/18 03:31
「わたしは人を殺してもいいの?」「ダメだよ」「何でダメなの?」
「ダメだからだよ」「何でダメなの?」「ダメなものはダメなんだよ」
「どうして・・・」
「ダメだつってんだろうが!!死にたくなけりゃ今すぐ消えろ!!!」
+ アハハ・・・
アハハ・・・ + +
+ lヽ
. / ̄\ +. ∧_∧ l 」 +
コロスナヨー( ´∀`) (´∀` )‖
(つ つ (つ つ +
. + ( ヽノ ( ヽノ ナゼコロシチャダメナノ〜?
し(_) し(_)
(⌒\ / ̄\ +
\ヽ( ´∀`) ダメダッテイッテンダロ
(m ⌒\ +
+ ノ / / +
( ∧ ∧
ヘ丿 ∩Д` ) +
(ヽ_ノゝ _ノ
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
丿 ,;⌒⌒i.
/ ̄\⌒ヽ ( ;;;;;) ______
(´∀` ) ⊂) ,,:;;;) | |
/⌒ ( ) ヽ| |/ |;,ノ | 樹海 |
( ⊃ ∨∨ | / .,i |______|
( ヽノ | | ,,i; ,, . ,;⌒‖
し(_) /ヽ ,,,丶, | |,,,;. ;i, ‖ヽ
117 :
考える名無しさん:02/07/18 07:06
レヴィ・ストロースがコテハン??????
118 :
考える名無しさん:02/07/18 22:00
レヴィ・ストロースは哲学者であり文化人類学者だろ
でも俺は構造主義には何の興味も持たん
まさに語る言葉も無い
なんで語る言葉を持たない人をわざわざ
引き合いに出すんだろう・・・。
120 :
考える名無しさん:02/07/18 22:57
俺が引き合いに出したんじゃないよ
「哲学的」者が出したのさ
しかしこればかりは権威主義を出ないだろうね
何せ構造を説明するのに一苦労だろうからねぇ
121 :
考える名無しさん:02/07/18 23:39
ところで
>>84、
>>88 はどうかね
まず構造主義を科学的とか言ってる時点でアイタタタ・・・と思うのだが
122 :
考える名無しさん:02/07/18 23:43
アイタタタと思うならコテハンつけて逝っちゃって!
123 :
「哲学的」者:02/07/19 01:03
>>121 まず構造主義と文化人類学を理解してからね。
私は「それが最終的に正しい唯一の方法論だ」と言っているのでは
ありません。
経験を積み上げるという「文化人類学」的方法は、帰納的推論の
重要な根拠となりうると言っているのです。
124 :
考える名無しさん:02/07/19 04:09
>>121 あんたの感性は正しい。
なにかR=ストロースとユングとの(というか聞きかじりの)、
奇妙なアマルガムを聞かせられるのはうんざりだね。
125 :
考える名無しさん:02/07/19 04:13
126 :
考える名無しさん:02/07/19 04:25
善悪の彼岸
127 :
考える名無しさん:02/07/19 04:31
128 :
考える名無しさん:02/07/19 04:32
129 :
考える名無しさん:02/07/19 04:35
130 :
考える名無しさん:02/07/19 04:45
L=
ダタヨ
131 :
考える名無しさん:02/07/19 04:50
>>123 だから、それがこのスレの議論とどう関連するの?
>「哲学的」者
>>123 >まず構造主義と文化人類学を理解してからね。
よく理解してますよ
交叉イトコ婚には敬意を表して批判をしないけど
何なら神話の構造を探るレヴィストの方法を非科学的と批判してもよい
>私は「それが最終的に正しい唯一の方法論だ」と言っているのでは
>ありません。
んなことは分かってる
>経験を積み上げるという「文化人類学」的方法は、帰納的推論の
>重要な根拠となりうると言っているのです。
これが思い切り誤りだろ
帰納法が科学の時代はとっくに終焉を迎えているよ
仮説演繹法ぐらいは知っていてもらいたい
だいたい交叉イトコ婚も次のような批判ができる
↓
近親相姦の禁止を前提にして女性の交換の構造があるのか
はたまた女性の交換の構造のために近親相姦の禁止があるのか
しかし君の発言もクーンによれば科学的と見れるかもしれんな
君の背後に横たわる権威主義を指摘すればいいのだから
俺の発言もイタイな・・・
134 :
「哲学的」者:02/07/19 22:45
>>133 >君の背後に横たわる権威主義を指摘すればいいのだから
「権威主義」はあなたにそのままお返しします。
帰納法は数学的帰納法とともに、未だかつて一度も退場したことはありません。
少なくとも左脳のみででなく、「前頭葉を使う」知の文化圏において。
>>134 あなたの場合の「権威主義」は内容の問題じゃないんだよ。
議論の流れと無関係な知識を唐突に開陳する行為には、
「ひけらかし」以上の意図は読み取れない。
136 :
「哲学的」者:02/07/20 02:05
>>135 >>135 「意図」なんてないことは、利害関係にない私にいう権利はありますよね。
「ひけらかし」はみなさん同列な「自己顕示欲」と言ったらいいか、
『哲学版により集まる人たちの潜在意識的「聴いて欲しい」願望』
だから、それを言うのは「自己言及」=トートロジーでしょう?
そんな『手法の問題』「より」重要な『課題』があるということ」が
より重要な問題を議論する、『哲学』に値する言説です。
137 :
考える名無しさん:02/07/20 02:36
138 :
「哲学的」者:02/07/20 08:02
>>137 またあ自己言及。あるいは「哲学者」というアイデンティティの「係留」
または「思想家になりたいという・・・モラトリアム」るさんちマン?。
哲学や思想は「固定観念」に凝り固まったアフォウリズミスとや、数学で
もやればいい「パズリスト」には無理ですから、記憶力を生かして司法試験
でも受けなさい。
もしホントに受けてたとしたら、傷つけたかな。
139 :
あんたもひけらか氏?:02/07/20 08:25
>>136 >あなたの場合の「権威主義」は内容の問題じゃないんだよ。
議論の流れと無関係な知識を唐突に開陳する行為には、
「ひけらかし」以上の意図は読み取れない。
「ひけらかす」ほどのものではありませんが、このスレ『人殺しはなぜ「タブウ」なんですか?』
と名前を変えた方が判りやすいかもしれないと思ったんですよ。
みなさん『殺人』のみが『他の数千もある「犯罪」とは別の犯罪だ』という
「暗黙の了解」のもとで、なんだかんだ言ってるだけ。
法律学では「犯罪」として一括同列。医学でも同様。宗教家は「特別」というかもしれないけど、
「人集めの本能」が言わしめてる「職業的本能」。
別に「検死」が、警察官の中で特別な職種でないし、「法医学』が『医学』あるいは
『病理学系』の一分野であること(にすぎない)のに、文化系の人たちは「人殺し」が
特別スキみたいですね。私もどちらかというと『文化系』ですが、あまりに『ブンガク』
している「テツガク『者』」をみると、『アフォ』だと思うし、『不可知の構造』
を持ち出したレビ・ストロースさんを『も一回読んでみるかな』と思っただけです。
ロジェ・カイヨワも面白いかも。
141 :
考える名無しさん:02/07/20 08:36
文化人類学の持ち出さざるを得ないということは何となくわかる法学生。
「殺人」は139さんの言う通り「沢山ある犯罪の一つ」です。
「人肉嗜食罪」もありません。豚や牛や鯨と同じ。あるいは「爪をかむ」のと同じ。
食ってみたければ、自分の「もも肉」を少し切り取って食ってみるといい。
ただし、M気味の恋人の「乳首を噛み切る」と犯罪になるので気をつけろ。
143 :
ったく…w:02/07/20 09:27
>>139 お前の言ってるのはひとつの見方に過ぎないでしょ?
法律や自然科学の観点からは同列かもしれない。が、
宗教や文科系の観点からすれば「殺人」は特別かもし
れない。それだけのことじゃない。
ひとつの観点に固執して、答えはひとつと思い込むと
こが理科系人間のアフォなとこw
1+1=2で割り切れる世界を扱ってるチミたちの功
績は認めるけどさ、1+1=2では割り切れない世界
も世間にはたくさんあんですよ、ボク?
144 :
やはりアホか?:02/07/20 09:41
>>143 んなこと分かり切ってるよ。ことさら言うようなこと自体恥ずかしい。
ブンガクか詩か聴くに堪えない「自作の歌」にでも引っ込んでなさい。
ここは、泣く子も黙る「テツガク板」ですよ。
145 :
考える名無しさん:02/07/20 10:06
146 :
「哲学的」者:02/07/20 10:18
>>145 145さん。晒し者にしてすいませんでした。
147 :
考える名無しさん:02/07/20 10:26
「社会」というのが設計されたのは、近代の時代だ。
オレたちは、近代に生まれ、近代に生きているから、その枠組みの中で、
「いい」とか「悪い」とか、言う。
価値判断は、社会の枠組みを全く無前提にした場では、不可能だからだ。
「人を殺す」という問いは、その枠組みを超えている。
「いい」とか「悪い」とか問い自体が無意味だ。
その証拠に「人を殺してはいけない」という法律が出来たことは、歴史上、
どこにもなかったし、これからもないだろう。
人類のDNAの、永遠のルールだけが、原始時代から、人類が絶滅するまで、
支配し続ける。それは、
「仲間のために人を殺せ。仲間を殺しては行けない」
以上。これにて終了。
148 :
「哲学的」者:02/07/20 10:38
>>147 >その証拠に「人を殺してはいけない」という法律が出来たことは、歴史上、
どこにもなかったし、これからもないだろう。
それが『証拠』ですか。ふぅ。
あのぅ「盗んではいけない」という法律もないんですけど。
149 :
考える名無しさん:02/07/20 10:40
アホとは話にならないので終了。
150 :
「哲学的」者:02/07/20 10:49
初めて同感します。
>>136 >「意図」なんてないことは、利害関係にない私にいう権利はありますよね。
>だから、それを言うのは「自己言及」=トートロジーでしょう?
あなたが「意図」も「トートロジー」もその意味を理解せずに使っているということは
よくわかったよ。(つうか、最初の文は日本語として崩壊してるんだが。)
安易に難しい(とあなたが思う)言葉を使う前に、
ちゃんと辞書で意味を確認したら?
152 :
考える名無しさん:02/07/21 00:55
>>147 なんでそれが証拠になるんだ?
>>人類のDNAの、永遠のルールだけが、原始時代から、人類が絶滅するまで、
>>支配し続ける。それは、
>>
>>「仲間のために人を殺せ。仲間を殺しては行けない」
これに関しては同意。
○=● __________
●===○ /
○===( ゚Д゚ )< 仲間のために人を殺せゴルァ!
●====○ \
○====●  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
●====○
○===●
●=○
○●
●○ __________
○= /
( ゚Д゚ )< 仲間を殺しては行けないぞゴルァ!
○===\
●==== ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
○====●
●====○ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
○===( ゚Д゚ )< 寝る前に歯磨けやゴルァ!
●=○ \__________
○●
●○
○=●
●===○
○====●
●====○
○====●
●====○ __________
○===● /
●=( ゚Д゚ )< また来週〜♪
○● \__________
●○
○=●
●===○
>「哲学的」者
亀レスですまんが
>「権威主義」はあなたにそのままお返しします。
さて、どのように俺に返るというのだろう
俺は君の権威主義こそ構造主義を科学と主張できる要素だと言ったのだが
>帰納法は数学的帰納法とともに、未だかつて一度も退場したことはありません。
>少なくとも左脳のみででなく、「前頭葉を使う」知の文化圏において。
テーマは構造主義が科学か否か、だったな
さて帰納法→仮説演繹法についてだが
このような問題が起きたのは当時、疑似科学があふれ返っており全てが「我こそは科学」と主張していたという時代背景がある
その中で科学と疑似科学の線引きとして登場したのが反証可能性だが
反証可能性を唱えたポパーは同時にアドホッグな態度を非科学と論じている
批判に対して反証逃れをする態度を批判しているのだが
君の態度はそのまま批判逃れと言えるね
何せ、「左脳でなく」と、ポパーが苦心して考えた科学と疑似科学の境界線を
左脳の分野にしか通用しないと答えることによって批判逃れをしているわけだから
科学とは何かと思考するにあたってはポパーの回答が最も理想的であると思う
そのポパー批判を逃れてまで科学でありつづけようとする態度は権威主義以外の何者でもないだろ
とりあえず左脳以外では帰納法が有効だという説明が欲しいね
155 :
考える名無しさん:02/07/21 23:56
ここはちょっとはまし?
そうでもない?
157 :
考える名無しさん:02/07/22 00:11
>>156 あ、あのリンク、嫌味で貼ったんだけどね(笑。
>>157 そうですか。それでもありがたかったですよ。私の希望通りなんで。
どうもでした。
159 :
考える名無しさん:02/07/22 00:17
ガクガク(((((:゚д゚)))))ブルブル
161 :
考える名無しさん:02/07/22 20:03
>>121 同じく、亀レスですみませんでした。見てなかったもんで。
でも、一読して判ることは、悪いがあなたとは「哲学・思想」に関する基本
的(嫌いな表現ですが)スタンス(これも嫌い)が違うとしか言いようがない
ようです。
>「テーマは構造主義が科学か否かだったな」
ンなことをいったい誰が言ったの?。と言いたくなってしまいます。
まず、「科学でなければ学にあらず」というあなたの「先入観」こそ問われる
べき態度なのです。『疑似哲学』か否かが問題なので、『疑似科学』うんたら
の議論はあなたが持ち出した『個人的思い込みが出てしまった狸の尻尾現象』
でしょう。
『哲学⊃科学』が「自明」であるということは、私の中では「自明すぎる」
ので、正直、あなたの発想には驚いてしまいました。
『構造主義』を多少囓られように見受けられますが、ポパー一本では「哲学」
とはほど遠いとしか言いようがありません。
あなたのような考え方を「哲学」では「論理実証主義者」ということで、
とっくの昔に「相対化」が終わっているんですけど、いつの時代になっても
「雨後の竹の子」か「蘇る金狼」のように出て来るんですね。非常に素朴な
「感性に訴える」単純さをもっているからでしょうけど。
従って、
>何せ、「左脳でなく」と、ポパーが苦心して考えた科学と疑似科学の境界線
を左脳の分野にしか通用しないと答えることによって批判逃れをしているわけだから
科学とは何かと思考するにあたってはポパーの回答が最も理想的であると思う
そのポパー批判を逃れてまで科学でありつづけようとする態度は権威主義以外
の何者でもないだろ
とりあえず左脳以外では帰納法が有効だという説明が欲しいね
と言う『あなたの問い自体』が「自分で線引きした土俵の中で自分のルール
で勝ちたい」(自分が「読んで納得」したある「ある哲学者(思想家?)の領域」
だけが「哲学」であると思いこむ)と言う『権威主義者』特有の症例ではないですか?
あえて、答えるとすれば「科学と擬似科学の境界線」を定めなければならな
い根拠を「あなた」はどういう言葉で表現するのか?ということと、「有効」
と言う言葉をどのような意味で使っているのかお聞きしてからではないと
「返答しようがない」ということです。
さらに付け加えると、あなたはやたらと「証明」に固執されますが、哲学は
ゲーデル的命題は相手にしない方がよいと言うことを経験的に知っております。
(時間ばっかり食う割に「実」が全くない)
現代哲学は「直感」を重要視するといったら判り安いかもしれません。
本当の数学も何故か同じ性質(学に内在する要請)を持っているのですが、
ここでは関係ないので省略します。
言い換えると、議論している大人に割り込んで「証明できない!」「証明
できない!」とはやし立てる論理実証主義者という名のガキは、もう相手に
されてはいないのです。
ただし、この「哲学板」にその様なガキが沢山居るということは、残念ながら
否定し切れませんが・・・。
左脳の側頭葉偏縁系の言語野が自分の横暴を「反省」し、謙虚に他の頭脳部
分と自己の全体性の声に耳を傾けるようにならなければ、『科学』は語りえて
も、『哲学』を自称するのは「ちょっと待ってください」と言いたくなります。
162 :
考える名無しさん:02/07/22 20:16
>>147 たぶん121と同じヒト?まいいや。
「あなた」かどうか判りませんが、
>>147「考え無し某」の言い放った
>>147『仲間のために人を殺せ、仲間を殺してはいけない』と言う言説は、
何人か賛同者が居たようですが、1940年の国家社会主義ドイツ労働者党や、
1950年代の「ソビエト社会主義連邦共和国」共産党、1960年代の
「連合赤軍」、「現代」の「オウム真理教」、朝鮮民主主義人民共和国労働党
がそれを主張しても、あなたは「同意」すると言うことですか?
(あなたでなければごめんなさい
>>121)
(
>>147あなたにも「普遍」でなければ「哲学的言説」の意味がないことはお判りですよね?)
163 :
「哲学的」者:02/07/22 20:20
↑上の2個(161,162)私です。
164 :
考える名無しさん:02/07/22 20:34
もう死ねば?
165 :
考える名無しさん:02/07/22 20:38
>偏縁系
ワラ
166 :
考える名無しさん:02/07/22 20:39
側頭葉偏縁系に言語野があるのか?
167 :
考える名無しさん:02/07/22 20:53
>>162 >>「連合赤軍」、「現代」の「オウム真理教」、朝鮮民主主義人民共和国労働党
>>がそれを主張しても、あなたは「同意」すると言うことですか?
>>147でも
>>121でもないけど、
同意するとかしないとかいう問題じゃないんじゃないの?
ただ、人間がそういう行動をとる性質をもっているって
事だけを言いたいのだと思うが。
168 :
考える名無しさん:02/07/22 20:59
連合赤軍を60年代とするのか?
169 :
考える名無しさん:02/07/22 21:01
連合赤軍が60年代だということに同意するか否か?
そこがポイントだろ。
170 :
考える名無しさん:02/07/22 21:03
そんなのはポイントじゃない。
要は「哲学的」が利巧ぶりたい馬鹿だと言うことだ。
利巧ぶるだけなら当人がただバカであるというだけの問題だけど、
自分が利巧ぶるためなら、スレの議論はどうでもいいと思ってる以上、
荒らしと変わらんのではなかろうか?
172 :
「哲学的」者:02/07/22 21:16
>>164〜
>>170 ガキどもは、「証明できない!証明できない!」って叫んでいれば
いいんだよ。
おむつがとれたら、またおいで。しかし、これではとても無理だな。
173 :
考える名無しさん:02/07/22 21:16
174 :
考える名無しさん:02/07/22 21:18
>>172 >これではとても無理だな
違う、ちがう。お前の無能さゆえに無理なのだ。
175 :
考える名無しさん:02/07/22 21:18
>>172 おいおい、俺(167)も入っているのかよ、マジレスのつもりだったのに。
176 :
上げ足取り専門:02/07/22 21:22
>>167 どういう読み方をすれば????
>>168>>169 おいおい。60年代だろうがどうだかどうでもいいんであるってことを
言いたいんだよ。「わざと間違えた」ってことがホントに分かんないのかよ??!はぁ・・・。
177 :
考える名無しさん:02/07/22 21:24
お前はね、わざと間違えて出来た子どもだったんだよ。
178 :
上げ足取り専門:02/07/22 21:27
>>177 あんたは「ホントに」間違えてできた訳だ。
179 :
考える名無しさん:02/07/22 21:28
頭の悪いレス。
181 :
考える名無しさん:02/07/22 21:31
間違いは「わざと間違えた」。
こんな奴は誰がいなくてもましなはずがない。
183 :
「哲学的」者:02/07/22 21:38
ちょっと、待ってください。
はじめは、「こんなスレは命題自体がナンセンスだから止めた方がいい」
と言いたかっただけなんです。
もう一個の
>>173で言ってるスレの「題名」を敢えて変えて、
潰そうと思っただけなんですよ。
>>173で言っているスレの
>>1を読んで、何も感じないんですかね。
気づかないかな?・・・やはり。
184 :
考える名無しさん:02/07/22 21:41
185 :
考える名無しさん:02/07/22 21:44
186 :
考える名無しさん:02/07/22 21:44
187 :
考える名無しさん:02/07/22 21:45
188 :
考える名無しさん:02/07/22 21:45
189 :
考える名無しさん:02/07/22 21:46
190 :
「哲学的」者:02/07/22 21:47
ということで・・・。終了!!
191 :
考える名無しさん:02/07/22 21:57
The end
192 :
考える名無しさん:02/07/22 21:58
>>183 これて、もう一つのスレ立てて、自作自演していた奴
と見た(笑
193 :
考える名無しさん:02/07/22 21:58
何だ止めちゃうの?「哲学的」の思う壺になるよ。
194 :
考える名無しさん:02/07/22 22:01
>>192 あんたの洞察力は「すごい」でいいけど、も一個のスレも「哲学的」
の言う通り相当バカだよ。
195 :
考える名無しさん:02/07/22 22:03
196 :
考える名無しさん:02/07/22 22:04
285 名前:「哲学的」者 投稿日:02/07/14 03:04
新参のコテハンですが、「考える名なしさん」には名乗る動機があるんですよね。
「匿名」でいることで、非難されたくない=自我を守りたい
という動機は「共通デファクトスタンダード」で、
197 :
考える名無しさん:02/07/22 22:05
198 :
考える名無しさん:02/07/22 22:06
199 :
「哲学的」者:02/07/22 22:08
>>196 それ、別のスレでやってたんじゃないんですか?
このスレ、閉じたんですけど。
「自我を守りたい」だけのが多すぎて。
200 :
考える名無しさん:02/07/22 22:09
都合悪くなれば「自我を守りたい」やつもな。
201 :
考える名無しさん:02/07/22 22:13
私は「自我を守りたい」と思って、コテハンを使わないんではありません。
「たたかれると怖い」のはあるけど、コテハン使うほど利口じゃないと自分で
思ってるからです。
202 :
考える名無しさん:02/07/22 22:15
203 :
考える名無しさん:02/07/22 22:16
なんか、あおりがはいってるなぁ。
204 :
考える名無しさん:02/07/22 22:17
>>200の都合で、閉じたんだよ。「哲学何チャラ」が。
205 :
考える名無しさん:02/07/22 23:04
_____ _____ _____
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YOU!(⌒)____/ / | | | ̄ ̄|
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(rf .| | ヽ_ 、 Y |__|__/ /
.lヽλ_八_ ,, ̄) | ̄ ̄ ̄ ̄| 〔 ̄ ̄〕
`ー┬‐-ー' ̄ | ̄
207 :
考える名無しさん:02/07/23 19:15
>「哲学的」者。このスレ「閉じた」らしいけど見てるんだろ?
さっき気がついたが、閉じた後「恋ってヤバイ」に顔出すなんぞ、タフだなあんたも。
話は変わるが、あんた、アフォだな。ほんと。
まだ新参みたいだから教えてやるが、こんなスレでまじレス立てるから、あんたの言う
「ガキ」が騒ぐんだ。
元スレは「どうして人を殺しちゃいけないの?」だぜ。(ク
(もっとひどいのも多いけど)
シューティンゲームに飽きたガキどもが、「殺す」という単語に曳かれて寄り集まって
るだけだよ。あんたに潰せるわけない。
それからな、「証明できない!証明できない!って騒ぐガキ」ツーのもちょっと、刺激
が強すぎたかもな。
科学は奴らの心の支えなんだから、文学部の片隅で変わりもん扱いされている奴らから、
科学オモチャを奪っちゃあいけない。「自然科学」「社会科学」「人文科学」に囲まれ
て、ただでせさえ肩身が狭いんだよ。その辺よく考えろ。「心の支え」はお前にもあん
だろ?「頭がいい」のが奴らの心の支えだ。ここが一番重要なんだが、「中身なんて二
の次」なんだよ。解る?教科書片手に利口ぶりたいだけなんだ。そのへん解ってやんな
きゃ。いかにかっこよく議論する(様に自分に見える)か?それだけ。よく読めば解ろ
うが。従って、お前はバカということで決定。
>>207 誰も「証明できない!」って騒いでないところで、
証明できない!証明できない!って騒ぐガキを罵り始めるんだから、
突飛を通り越してなんかまずいもんなんだろ。
治療に専念しなさいとみんな言っているわけよ。
誰かの突飛さも気になるけど(W
209 :
考える名無しさん:02/07/23 19:36
要するに、207は
教科書片手に利口ぶりたい馬鹿に迎合できるようにかっこつけることが大事、
それだけ。
と、言っただけ。こういうカッコつけ馬鹿が跋扈したおかげで、
哲学板はただの厨房板になった。
>>209 教科書片手に利口ぶりたい馬鹿=「哲学的」だったんだろ。
>>210 「哲学的」が批判している、論証してみせろ、と吠えるしか能が無い相手=
「教科書片手に利口ぶりたいだけの奴ら」のことを、「哲学的」は、
「解ってやんなきゃ」としか読めんぞ。
かっこよく の部分は、「哲学的」のとるべき態度と読んだが、
(でないと利口ぶりたい馬鹿のことを解らない哲学的は馬鹿、という
よりアフォな「感想文」になる。一応善意に解釈してやった)。
アフォどものことについて書いたようにも読める。
いずれにしても、このスレにはアフォしかいないな。アフォフォフォフォフォ・・・。
終了。
>>211 そんな感慨を宛てる相手かって言ってるのよ。
終了宣言のあと未練たらしいのも特徴であったな。
216 :
考える名無しさん:02/07/23 21:34
で、誰か次のスレ立てないの?
>206
>単に叩きたいだけの馬鹿が多くて、いかにも夏真っ盛りといった風情。
さすが2ch哲学板だ。
おまえ、どこから闖入したの?もう終了したらしいから、「おうちへお帰り」ね。
清めたマエ、祓いたマエ、バカどもをを許したマエ。おーめん。
諸行無常
219 :
考える名無しさん:02/07/23 21:45
しかし長いね、
ファイトクラブさながらだな。
バカというヒトがバカだってせんせーがいってました。
きょうかしょにはまだでてきてません。
221 :
考える名無しさん:02/07/23 21:52
222 :
考える名無しさん:02/07/23 21:56
>>221 ちょっとやばすぎなくないかい?いくら2ちゃんねるでも。
223 :
考える名無しさん:02/07/23 22:01
224 :
考える名無しさん:02/07/23 22:10
>>223 「13日の金曜日V=馬鹿どもの断末魔」
225 :
考える名無しさん:02/07/23 22:17
226 :
考える名無しさん:02/07/23 22:20
>>223 「バトルロワイヤル3=馬鹿どもの殺し合い」
(生き残るのは「あなた!!!」ひとりです)
やぁっ、みんな! 夏真っ盛りだね!
厨房のボクたちみんなで、人殺しネタで自分らの鈍感さを晒しあって楽しいかい?
222以外は、全員頭のネジが外れているようだね。
幼稚園に入る前の段階から、人生やり直してみるといいよ。
それにはまず、ロープを部屋の中に吊るすことだ。
キルケゴールでも読むといいかもね。
228 :
考える名無しさん:02/07/23 22:28
結構、創造的な人材いるじゃないか?。
229 :
考える名無しさん:02/07/23 22:29
スレを立てようとしているからねぇ。確かに創造的だなw
>>229 すごいね、君。よく227の書き込みだけからそんな判断を下せるもんだ。
さすがは、幼稚園児以下の低レベル厨房だね。楽しく読ませてもらったよ。
232 :
考える名無しさん:02/07/23 22:38
人を殺しちゃいけないですか?ああいいよ!そのかわり最初に殺されるのは、君だぜ、それでも納得する?
233 :
考える名無しさん:02/07/23 22:39
234 :
考える名無しさん:02/07/23 22:41
>>232 あんたみたいのが関係ないとこで「事故死」するんだよね。
往々にして。おーめん。
おい、おまえら。
恥ずかしくないですか?
もっと、
やれよ。
>>233 馬鹿は死ぬまで直らないそうだから、とりあえず
>>227のアドバイスに
従ってみてくれ!
>>234 事故死と
>>232の質問と関係あるのかね。救いようのないヴァカっぷりだね。
いや、さすが幼稚園以下の低レベル厨房だ。あっははははははは!
>>235 やだ。
237 :
考える名無しさん:02/07/23 22:46
ねえ、みんな。いま8ちゃんねるでおもろいドラマやってるから見ようよ。
頭蓋骨の中身はともかく「外見」は僕たちより上の連中が沢山出てるよ。
>>237 上ってどこ? どこ? あ、君の「気分の問題」ね。あははははは!
すごいな。すべてにレス。
242 :
考える名無しさん:02/07/23 22:55
243 :
考える名無しさん:02/07/23 22:57
>>237 確かに「外身」はオレより上だ。認める。
中身も分かんないのも素直に「認める」
顔には「頭蓋骨の中身」が表れるよな。
「あは」の外身は見るに見られんだろうということも想像できる。
・・・想像できる。
だって。
ぷぷっ。
246 :
考える名無しさん:02/07/23 23:02
247 :
考える名無しさん:02/07/23 23:02
スレのテーマと同じに殺伐としてますね。
248 :
考える名無しさん:02/07/23 23:04
>>245 おまえの外身をほーむぺーじに公開すべし。
>>246 君の反応(2分)のほうが、ボクの反応(3分)より、速かったみたいだよ!
やるね! 引き篭もりかどうかは、君のようなヴァカじゃないから、
わからないんだけどさ!
この書き込みはどうかなw
殺伐とさせちゃったみたいなので、去ります。ではっ!
252 :
考える名無しさん:02/07/23 23:06
>>247 意外と肉体派かもしれないぜ。ムキムキ引き籠もり。殴られると痛いよ。
253 :
考える名無しさん:02/07/23 23:09
>>252 逃げたんだからたいしたことないよ。ひよひよ引き籠もり。
「肌は白い」のが自慢。
254 :
考える名無しさん:02/07/23 23:10
殺伐!殺伐!殺伐。でも新鮮なバトルだな。最近では。
| | |
| | |_____
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| | | / /|
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| / / |文|/ // / ∧∧
|/ /. _.| ̄|/|/|/ /⌒ヽ)
/|\/ / / |/ / [ 祭 _] ∧∧
/| / / /ヽ 三____|∪ /⌒ヽ)
| | ̄| | |ヽ/l (/~ ∪ [ 祭 _]
| | |/| |__|/ 三三 三___|∪
| |/| |/ 三三 (/~∪
| | |/ 三三 三三
| |/ 三三
| / 三三
|/ 三三
/
256 :
考える名無しさん:02/07/23 23:13
「殺すこと」をテーマにするスレだからいけないんですよ。
「哲学者」の言うようにもう止めませんか?
257 :
考える名無しさん:02/07/23 23:16
「負け犬」の言うように
「負け犬」の言うように
「負け犬」の言うように
「負け犬」の言うように
「負け犬」の言うように
「負け犬」の言うように
「負け犬」の言うように
「負け犬」の言うように
258 :
考える名無しさん:02/07/23 23:17
>>256 「継続は美徳なり」・・・土光何とかという日本経済の救世主の言葉。
お前らみんな恩恵にあずかっているんだぞ!
259 :
考える名無しさん:02/07/23 23:19
>>258 私は恩恵にあずかっているとは思いません。その人は知りません。
260 :
考える名無しさん:02/07/23 23:21
サツバツ
261 :
考える名無しさん:02/07/23 23:22
このスレ、もう終了ではなかった毛?
262 :
考える名無しさん:02/07/23 23:25
お前らの頭脳がブァカウィルスに冒されているからだ。即刻退場。
263 :
考える名無しさん:02/07/23 23:26
早く新スレいこうよ。
264 :
イングランド:02/07/23 23:27
「ブァカ」新登場ですね。ソゴクヨクワカリマスネ。
捨てハンが去った後は、名無しになって潜入が経験則。
266 :
考える名無しさん:02/07/23 23:32
>>264 新スレは「人を殺すことに快感を覚える奴がいること」を
どう哲学的に解釈できるか?・・・でどう?
「快楽殺人はイエスかノウか?」体験談を含めて。てのは?
267 :
考える名無しさん:02/07/23 23:33
268 :
考える名無しさん:02/07/23 23:37
>>266 貴族は平民を自由に殺す権利があるんか?馬鹿がぁ。
てめえも平民のくせしろ。
269 :
考える名無しさん:02/07/23 23:40
あの、みなさんちょっとやりすぎであると思います。ここで、私の
顔を立てて、一時中止しましょう。してくれませんか?
271 :
考える名無しさん:02/07/23 23:48
>>270 男性の「殺伐さ」が好きではない女です。
で・・・あるか。
>>275 みんな、人殺しはいけない! いじめよくない!
仲良くしよう!
・・・じゃ、こんな感じで。
278 :
考える名無しさん:02/07/23 23:54
>>171 女は引っ込んでろ!
戦争で命を捨てるのは男だけだ!
>>278 ばかやろう。非戦闘員の苦しさを考えたことがあるのか?
夫を戦争で失った妻の悲しみを考えたことがあるのか?
お前みたいな・・・お前みたいなヴァカは、
馬に蹴られて死んではいけない!
283 :
考える名無しさん:02/07/24 00:07
>>280 非戦闘員の苦しさと戦闘員の苦しさを
比較するツーンか?
おまえ、戦闘したことあんのか?殺したことあんのか?
285 :
考える名無しさん:02/07/24 00:13
馬鹿ども。このスレ「哲学者」が終わらせたんだ。
もう寝ろ。女も。
286 :
考える名無しさん:02/07/24 00:14
あははアホでしたということでみなさん就寝。
>>285-286 お子ちゃまは、当然にクソしておねんねしててイイ時間だもんね。
風呂入って歯を磨いて、ロープを吊るのも忘れずにね!
では、おやすみ!
288 :
考える名無しさん:02/07/24 00:17
しかし、何かくだらんスレだよな。立ち上げた「哲学者的」の
責任を問いたいねぇ。
289 :
考える名無しさん:02/07/24 00:19
>>287 おいおい、ロープにこだわるあんた。ちとヤバイよぉ。
290 :
考える名無しさん:02/07/24 00:23
まて!にかく待て。考えてから寝よう。安らかに。
>>289 おっ、いいところに目をつけたね。
でも、もっと大事な「おやすみ!」に目をつけなくてはいけない。
そこに、ボクが君たちに最も言いたいメッセージがこめられているのだよ。うふふ
292 :
考える名無しさん:02/07/24 00:25
引き籠もりがお休みになったので、ともかくとりあえず終了しましょう。
異議なしですね?
293 :
考える名無しさん:02/07/24 00:28
何やってるんだぁ?まあいいけど。
>>292 そうですね、そろそろアフォもいなくなったみたいだし、終了しましょう。
異議ありません。
295 :
考える名無しさん:02/07/24 00:30
異議なし。
296 :
考える名無しさん:02/07/24 00:31
>>294 でも自分の人生終わりにしないでね。考えてね。お願いだから。
>>296 うん、よく考えるよ。
君も、よく考えたほうがいいよ。ボクより心配な点が多そうだからね!
何しろ、ボクが、ボクの人生を終わらせるかどうか、相談してもいないのに、
勝手にそんなことを問題にしたがる性格の持ち主なんて、ろくでもないに
決まっているからね!
298 :
考える名無しさん:02/07/24 00:37
300 :
考える名無しさん:02/07/24 00:42
なんか・・人生って深いんだなと思う。
死ぬこと
さよなら三角、また来て四角
302 :
考える名無しさん:02/07/24 00:50
お休みなさい。みなさん。
303 :
考える名無しさん:02/07/24 00:52
>>303 せっかくみんなマターリしてお休みーお休みー言ってんだから、
終了しとこうぜぃ〜
306 :
考える名無しさん:02/07/24 00:56
>>303 あんたのレトリックには不快感を禁じ得ないよ。
あんたは誰なんだか「コテスレ」をあきらかにしてくれよ。
ほらほら。
308 :
考える名無しさん:02/07/24 00:58
こらこら、喧嘩はやめろい。
310 :
考える名無しさん:02/07/24 01:00
>>308 ま、そうだけど、日本人はみんなそうだろう?
311 :
考える名無しさん:02/07/24 01:05
「ンホンジン」がなんだ?
312 :
考える名無しさん:02/07/24 19:47
久しぶりに見つけた。昨夜はえらく荒れたみたいですね。
313 :
私には解らない・・・:02/07/24 20:44
もうこのスレは終わったんですか?
じゃあスレ乱立を避ける為、テーマを変えて、
「自分を人に殺させる」ことはいいのかいけないのか?
ってのはどうでしょう?誰か、意見書いて見て。
314 :
「法学的」者:02/07/24 21:31
>>313 それは哲学の問題というより、法律学の問題となります。
ちなみに、現行法(刑法)では、殺した方は「殺人罪」で
有罪となります。(嘱託殺人の一種)
量刑において、普通の殺人罪よりは「軽く」なりますが・・・。
他国(ドイツ法系国家、英米法系国家)でも、同様だと思います。
315 :
私には解らない・・・:02/07/24 22:00
>>314 あなたは、
「人を殺す」ことはいいのかいけないのか?
についても、法律の問題とお考えですか?
もしそうなら、このことについて哲学として論じてこられた別の方に、
>>313のテーマについてのご意見をお伺いしたいです。
316 :
考える名無しさん:02/07/24 22:30
>>315 法律学の問題であるかは明白に「イエス」です。
哲学の問題であるかどうかは、過去レスの通りですが、
私はどちらかというと、「哲学者的」さんの「NO」説
の方が正しいと思います。
( ´,_ゝ`)プッ
318 :
「衒学的」者:02/07/24 22:52
いいかげんジサクジエーンはやめようょ・・・
また嵐が来る前兆が・・・・あぁ感じる。
「哲学的」者よ。なぜ、あなたはここまで呪われるのか?
>>316 その名を出すと、過去の怨霊が蘇る。清めたまえ祓いたまえ。
その名を出すことを慎みたまえ。
過去レス読んだなら判るだろうが、というか「哲学者的」って
別の奴がいるのか?
320 :
考える名無しさん:02/07/24 22:55
>>318 あんた、「哲学的」なんだろう?図星か?
さぁ、どーでしょ(ニヤ
322 :
私には解らない・・・:02/07/24 22:58
>>316 >私はどちらかというと、「哲学者的」さんの「NO」説
>の方が正しいと思います。
この「NO」は、何に対して言っているのですか?文脈が読めません。
>>319 私の偽物が徘徊しておる。おまえ免許もってんだろうな?
324 :
考える名無しさん:02/07/24 23:04
>>322 「文脈」は過去レス全部ですが・・・。
316に限って言えば、「(現代)哲学の対象となるか否か」
ですが、
>>322「文脈」には何か別の意味が?
325 :
考える名無しさん:02/07/24 23:05
>>324 元祖は私です。あんたは「本舗」でいい?
328 :
考える名無しさん:02/07/24 23:12
>>327 「人を殺すことはいいことかわるいことか?」
陰陽道ではどうなんですか?
329 :
考える名無しさん:02/07/24 23:14
330 :
考える名無しさん:02/07/24 23:15
何か誰が誰やら・・・
331 :
考える名無しさん:02/07/24 23:23
>>330 >>321「衒学的」の仕掛けだよ。と思うけど・・
必ずやしが入るんだこのスレは。
呪われてるとしか言いようがない。「ヒトの生き死に」
を論じてるから、「異界」からの闖入者が出てくる。
それがどれかわからんから、怖い。
たぶん、「殺された」奴。
333 :
考える名無しさん:02/07/24 23:28
>>331 「異界は哲学の対象となるか否か?」どう思う?おまえは。
335 :
考える名無しさん:02/07/24 23:30
336 :
考える名無しさん:02/07/24 23:31
>>333 おっ!それいいじゃん。新スレのテーマ。
このスレなに?
人を殺すのがいいのかいけないのかっていけないに決まってんジャンYo
哲学的議論以前の話だろコレ
とりあえず
>>1を頃すのはよさそうだけど。
あ、それを議論しようってこと?
「
>>1を殺すことは」いいのかいけないのか
正しくはこうなるわけね
338 :
考える名無しさん:02/07/24 23:37
「哲学的」。一度出てこいよ。
フクロにするけど。
339 :
考える名無しさん:02/07/24 23:37
>>334 違うだろ。今後のこの擦れのテーマは
・「哲学的」者を哲学せよ
または
・「哲学的」者を殺すことはいいのかいけないのか
これで決まり
340 :
考える名無しさん:02/07/24 23:39
>>337 新参ブアカァがまた一人。ホント呪われてる。
341 :
考える名無しさん:02/07/24 23:40
障害者の疑いのあるものを頃しちゃいけません。
ただ哲板的にはそのコテハンは氏んだも同様ってこと。
342 :
考える名無しさん:02/07/24 23:43
>>339 『「哲学的」者の殺し方』のうほうがいいんじゃない?
「火あぶり」か「さらし首」か「貼り付け」か「釜ゆで」か
他になんかあったかな?
343 :
考える名無しさん:02/07/24 23:46
>>341 他のスレでえらそーに「指導」してるの見たよ。どこかは忘れた。
こび売ってる奴もいた。
344 :
私には解らない・・・:02/07/24 23:46
>>324 >「文脈」は過去レス全部ですが・・・。
>316に限って言えば、「(現代)哲学の対象となるか否か」
>ですが、
>>322「文脈」には何か別の意味が?
私がお尋ねしたのは、どのテーマに対して「NO」と言っているのかということです。
@「自分を人に殺させる」ことはいいのかいけないのか?
A「人を殺す」ことはいいのかいけないのか?
のどちらについて言っているのか?ということ。
>>313以降のレスの展開からどちらについて言っているのか解らないので・・・
>>332 >>312-316が「哲学的」だと、暫定認定されております。
私は別人です。
346 :
考える名無しさん:02/07/24 23:49
344は某473くさい
347 :
私には解らない・・・:02/07/24 23:51
>>346 断っておきますが、私は473氏の意見は全く指示していません。
そう言う判断は、473氏には失礼でしょうが心外です。
348 :
私には解らない・・・:02/07/24 23:52
>>347 間違い>指示していません。× 支持していません。○
349 :
考える名無しさん:02/07/24 23:56
>>347 空気も読めず、
いたずらに蒸し返したり、前提を問い直したりして、
議論を骨抜きにする傾向が同じなら、
誰であろうが、カッコつきの哲学的。
350 :
考える名無しさん:02/07/24 23:57
>>344 私が言ったのは「(現代)哲学の対象となるか否か」です。
@は法律学的に「NO」です。
哲学的には、@Aは一行目の結論(NO)から、質問自体が「ナンセンス」です。
351 :
考える名無しさん:02/07/25 00:01
>>341 このスレから出られない亜流「哲学的」は私ですか?
352 :
考える名無しさん:02/07/25 00:04
>>351 廃墟はDQNの祭りにもってこいです。
今いるのはおどる阿呆に見る阿呆です。
353 :
考える名無しさん:02/07/25 00:05
>>342 「鉄の処女」あるいは「フーコーの振子」もいい。
354 :
考える名無しさん:02/07/25 00:07
>>352 ブレードランナーの世界ですね。かっこいい!
355 :
私には解らない・・・:02/07/25 00:08
>>350 あなたの「NO」は「いけない」と言う意味ですか?
つまり、どちらの問も法律学的に「いけない」だから哲学的命題ではない。
と言う主張ですか?
356 :
考える名無しさん:02/07/25 00:13
>>355 私が言ったのは「(現代)哲学の対象となるか否か」です。
@は法律学的に「いけない」です。
哲学的には、@Aは一行目の結論(NO)から、質問(命題)自体が「ナンセンス」です。
357 :
考える名無しさん:02/07/25 00:16
>>355 PS:@Aともに法律学的に「いけない」です。
358 :
私には解らない・・・:02/07/25 00:18
>>356 法律的に「いけない」ことは、哲学の対象にはならない。
と言うことですか?
359 :
考える名無しさん:02/07/25 00:21
法律学的にいけないと法律的にいけないは違うんですか?
360 :
考える名無しさん:02/07/25 00:24
>>358 356と357をよく読んでください。
(現代)哲学の対象でないことも、18世紀には哲学(そのころは「思想」)
の対象でした。「思想」から「法律学」や「政治学」「経済学」が分化した
「現代」では、ということですよ。
やぁっ! 厨房のみんな。今日も元気に逝ってるようだね。
アドヴァイス通り、部屋にロープは吊るしたかい?
>>345-346 君たちは、ほんまもんの、アフォやねぇ。
なーーーーんにも考えずに、ただ叩くのが趣味なんだね。
君らみたいな厨房君は、タンバリンでも叩いてるのがお似合いだよ。
まあ、「私には解らない・・・」とか名乗ってるボクも、相当のヴァカ者のようだけどね。だってさ、
>>313 >もうこのスレは終わったんですか?
>じゃあスレ乱立を避ける為、テーマを変えて、
>「自分を人に殺させる」ことはいいのかいけないのか?
>ってのはどうでしょう?誰か、意見書いて見て。
これだよ、これ。もうアフォかと、ヴァカかと。・・とか言うまでもなく、
DQN決定でしょう、これは!
殺すぅ とか 殺さないぃぃん とか 言いたいだけっしょ。ね!?
じゃ。今日はこのへんで。
362 :
考える名無しさん:02/07/25 00:26
>>359 「違う」と言えば違います。
前者は「立法論」の分野。後者は「法解釈学」の分野です。
363 :
考える名無しさん:02/07/25 00:29
>>361 血の臭いが好きな引き籠もりが、ロープ吊してもまだ、思い切れずにいるみたいですね。
ああ、そうそう、314の「法学的」とかいうキミ。
デタラメを教えちゃいかん。
現行法には、「同意殺人罪」という類型がちゃんとあります。
刑法202条。
ね。DQNはこういう議論しても無意味だから。クソして寝なさい。
ではっっ。
365 :
考える名無しさん:02/07/25 00:33
>>363 誰か説得して、思いきらせろよ。うざくてたまらん。
今日はまた四方八方ですごいな。
>>365 おお、知識的な面でDQNっぷりを晒されたら、
今度は個人攻撃かい?
やるね、あいかわらずだね!
さすが、幼稚園入園以前の低レベル厨房だ!!
遺憾なくその能力を見せつけてくれたね!!
・・・ではっ。
368 :
考える名無しさん:02/07/25 00:35
>>364 「衒学的」あんた、「寝た」んだろ。それともロープ吊してまだ悩んでるのか?
369 :
私には解らない・・・:02/07/25 00:35
>>360 >>315で書いた様に、
> >「人を殺す」ことはいいのかいけないのか?
> についても、法律の問題とお考えですか?
> もしそうなら、このことについて哲学として論じてこられた別の方に、
>
>>313のテーマについてのご意見をお伺いしたいです。
あなたが、哲学として
「人を殺す」ことはいいのかいけないのか?
について論じられてきた方でないのなら、私へのレスは不要です。
私としては、被害者(殺される者)の利益を損ねるから「いけない」と言う意見を主張(賛同)している人が、
どのように考えるかが知りたいので・・・・。
よし、わかった。お前らそこに一列で並べ。
全員、歯ぁ食いしばれぇぇ!
そして俺を殴れ!!
371 :
考える名無しさん:02/07/25 00:36
「あは」が「哲学的」と同一人ということは解った。
>>371 ブワハハハハッハハハッハハハッハハ・・・!! ヴァカな奴だ。
まあ、おいおい本人から否定されるでしょ。
>>370 _ _ .' , .. ∧_∧
∧ _ - ― = ̄  ̄`:, .∴ ' ( ) ←370
, -'' ̄ __――=', ・,‘ r⌒> _/ /
/ -―  ̄ ̄  ̄"'" . ’ | y'⌒ ⌒i
/ ノ | / ノ |
/ , イ ) , ー' /´ヾ_ノ
/ _, \ / , ノ
| / \ `、 / / /
j / ヽ | / / ,'
/ ノ { | / /| |
/ / | (_ !、_/ / 〉
`、_〉 ー‐‐` |_/
>ブワハハハハッハハハッハハハッハハ・・・!!
おもろい
374 :
考える名無しさん:02/07/25 00:39
>>364 202条も「殺人」の類型です。戦前は「尊属殺人罪」というのもありました。
いずれにしろ刑法で罰則が定められているということは法律的に「いけない」
ということです。
375 :
考える名無しさん:02/07/25 00:41
× まあ、おいおい本人から否定されるでしょ。
○ まあ、おいおい私本人が自作自演で否定するでしょ。
>>369 その意見を知りたいなら、本スレとやらを読めばいいんでないの?
ふんだんにそのスレの473が、論じていたようだよ。
>>373 笑うな!!
>>374 >>314 原文・・・>「殺人罪」で有罪となります
誤 「殺人罪 刑法199条」で有罪となります
正 「同意殺人罪 刑法202条」で有罪となります
往生際が悪い奴は、嫌いです。
尊属殺は、平成7年度改正まで残っていました。
平成7年は、戦前ではありません。
378 :
考える名無しさん:02/07/25 00:46
>>369 ホントに「解らない」ヒトですね。
>被害者(殺される者)の利益を損ねるから「いけない」と言う意見を主張(賛同)している人
「被害者の利益」は「保護法益」と言います。具体的事例の発現が保護法益に値するか否か、
その保護法益を実定法の制定で保護すべきかどうかは「立法論」の問題(命題でもいいけど)です。
379 :
私には解らない・・・:02/07/25 00:50
>>378 >ホントに「解らない」ヒトですね。
いいえ、法律的な意見を聞こうとは思っていないと言うことです。
380 :
考える名無しさん:02/07/25 00:50
>>377 あんたは「アホ」または「揚げ足取り生きがい」とコテスレを変えるべきです。
本題に無視されて、焦る気持ちは判りますが、「うざい」からロープか
ベッドに行ってください。
381 :
考える名無しさん:02/07/25 00:55
>>379 (現代)哲学は18世紀にそのような命題を「手放し」た歴史があるのです。
「哲学」=「思想」の時代に返したいと思っても無理です。個人的に戻るのは御勝手ですが。
>>380 あはははっあはっあはあはっ・・・
笑いすぎで、腹痛いです。
アホな文体をはなからとってる奴に、
知識面で痛い指摘されて答えられなくなったら、
アホと改めて呼ぶことで、自己満足モード突入ですか。
いやはや痛すぎてこっちの腹まで痛くなります。
もちろん、笑いすぎで。
とられて当然な下手糞な足のあげ方しておきながら、
また揚げ足とりし合う状況にありながら、そのことに
ケチをつけることの、アフォさ加減ったら、ないね。ああこりゃこりゃ。
はぁ・・・
383 :
考える名無しさん:02/07/25 01:00
「哲学的」って、勘違いと勇み足が多いところがチャームポイント。
それが無ければ、ただのむかつくやつ。
384 :
私には解らない・・・:02/07/25 01:00
>>381 >「哲学」=「思想」の時代に返したいと思っても無理です。個人的に戻るのは御勝手ですが。
私が戻したい(?)と思っているかどうかではなく、
Aについては既に戻った(?)議論が現代でなされている訳です。
ですから、それをしている方々の意見では@はどうなるのか?・・・と。
いわゆる「哲学的な答え」しか、「哲学的な」答えじゃないと思ってる
アフォたれもいるようだねぇ。「哲学的な答え」が役立たずなら、
それだけで済ませていいわけがないことくらい、わからないのかねぇ。
「哲学的に」答えてやることは、できないのかねぇ。
哲学的な答えが政治的な答えになる危険性に意を払えないアフォに
哲学を気取る資格があるのかねぇ。
あははあっははははははっはは!!!
>>386 どちらの意味かな。いずれにしても、忠告ありがとう。
388 :
考える名無しさん:02/07/25 01:04
>>383 言ってもしょうがないけど、「哲学的」者さんは、今他のスレに居るか、
「飲み会」か「合コン流れ」かなんかだと思いますよ。
389 :
考える名無しさん:02/07/25 01:14
>>384 >私が戻したい(?)と思っているかどうかではなく、
>Aについては既に戻った(?)議論が現代でなされている訳です。
>ですから、それをしている方々の意見では@はどうなるのか?・・・と
なるほど、あなたの思考経路はよく解りました。
『「2チャンネル哲学版」は現代哲学のお勉強が足りない(と言うより皆無の)「あは」みたいな
疑似「哲学的」者の「おしゃべり」の場にすぎない。・・と言ったらお解りいただけますか?。
391 :
私には解らない・・・:02/07/25 01:20
>>389 >なるほど、あなたの思考経路はよく解りました。
どのように理解されたかわかりませんが・・・
>『「2チャンネル哲学版」は現代哲学のお勉強が足りない(と言うより皆無の)「あは」みたいな
>疑似「哲学的」者の「おしゃべり」の場にすぎない。・・と言ったらお解りいただけますか?。
はい、哲学風の会話の場だと思っています。
>>389司法試験をあきらめて、司法書士を目指してたりして。
393 :
考える名無しさん:02/07/25 01:26
>>391 「哲学風」ですか?それは広範な合意を期待できる謙虚な姿勢ですね。
挫折の原因もなんとなく推定。
388 名前:考える名無しさん 投稿日:02/07/25 01:04
>>383 言ってもしょうがないけど、「哲学的」者さんは、今他のスレに居るか、
「飲み会」か「合コン流れ」かなんかだと思いますよ。
396 :
私には解らない・・・:02/07/25 01:34
>>393 >「哲学風」ですか?それは広範な合意を期待できる謙虚な姿勢ですね。
ある種の方々(ご想像にお任せします)は合意を示されないかもしれません。
ただ、主張の反論をすることはあっても、そういった方々の存在自体を否定はしませんよ。
必ずしも、相手をするかどうかは別として・・・・・。
>>389 お解かりいただけますよ。
・・・389が、「現代哲学」というカテゴリの中で得た知識を先入見としてしまい、
その観点からしか物を考えられない、正真正銘の、ヴァカだということが。
現代哲学、として読んだ本にのっていた内容だから、「現代」哲学であると考え、
「現代」哲学なだけに、過去の議論を当然に乗り越えたものであるとみなしてよい、と考えているとか、
「哲学を論ずる者たちが扱う範囲に収められない事柄」について、
「哲学的見解」の正当性を強調してしまうことが、政治的にどういう意味を持つか、
それが哲学の格卒に反する場合はないのか、という点について考えられないとか、
真の意味で非常識な、考えることへの責任感に欠けた、救いようの無いヴァカだということが。
目の前にある文章の意味を取れないヴァカだということが。・・・ボクが385に含意させた内容ことと、
「哲学的」が書いてた内容が、全く相反する内容だと、わからなかったわけだからね。
389のような人間の考え方に対して、
「世界にあるあらゆることがらのありようを語る上での方法論」としてのお墨付きを与えるような
哲学があるとしたら、その哲学は、哲学ではなくて、「政治」だね。ある種の無責任な政治的主張に他ならない。
希望通り寝ますよ。では。
399 :
考える名無しさん:02/07/25 01:42
>>385 彼は今、寝る前の「アッラーへの祈り」の最中です。
酔っぱらったイスラム教徒が、彼の正体です。
(ルームシェアしてる同居人)
400 :
考える名無しさん:02/07/25 01:45
>>398 「永遠」の方でなく、「ベッド」の方にお願いします。
哲学をモチーフにしてあるテクスチュアの織物を織ってるとしようか。
∧ ∧
/ ・ / ';,
/ '; / ';
/ ;______/ ;
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/´ ( ) |____| ( ) |
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| ( ) :| | ( ( |
| ) ( | | ) ) |
| ( ) '; / ( ( /
\ ) ( \/ ) ) ../
ヽ ........:::::::<
404 :
考える名無しさん:02/07/25 21:56
夜中のバトルすごい
>「哲学的」者
あいかわらず亀レスですまんね
ここ数日は忙しいもので
確かに俺と君では哲学に対するスタンスは大きく異なるだろう
俺は構造主義が嫌いで、昔、教授とも論争をしたことがある
それは認めたいと思う
しかし俺を証明、証明と叫ぶ論理実証主義者と言うのはこの対話から出る言葉として明らかにおかしいと思うので
批判したいと思う
>>「テーマは構造主義が科学か否かだったな」
>ンなことをいったい誰が言ったの?。と言いたくなってしまいます。
このような流れだったね
>「文化人類学」的「科学」の成果です。
>>84「哲学的」者
>まず構造主義を科学的とか言ってる時点でアイタタタ・・・と思うのだが
>>121 俺
>まず構造主義と文化人類学を理解してからね。
>経験を積み上げるという「文化人類学」的方法は、帰納的推論の重要な根拠となりうると言っているのです。
>>123 「哲学的」者
>帰納法が科学の時代はとっくに終焉を迎えているよ
>>133 俺
>帰納法は数学的帰納法とともに、未だかつて一度も退場したことはありません。
>少なくとも左脳のみででなく、「前頭葉を使う」知の文化圏において。
>>134 と、流れを見れば理解できると思うが
>まず、「科学でなければ学にあらず」というあなたの「先入観」こそ問われる
>べき態度なのです。
ンなことをいったい誰が言ったの?。と言いたくなってしまいます。
俺は
>>133で>んなことは分かってる、と答えている
科学でなければ学問でないと言ってるのではない
レヴィストの言葉を持ってきて、科学の成果だ、唱えることに意義を唱えるだけだ
>『構造主義』を多少囓られように見受けられますが、ポパー一本では「哲学」
>とはほど遠いとしか言いようがありません。
あの・・・
>>133ではクーンを出しているのですが?
それともカルナップやクワインも引用すればよいですか?
フランシス=ベーコンの言葉を出せば満足しますか?
俺は「君の言葉はクーンの言葉を借りれば科学だと言えるね」、と肯定したが
君はそれすら否定した
ポパーもクーンもダメだがレヴィストならばOKである理由をお聞かせ願おう
続く
続き
ポパーの科学観は科学を経験に根付く合理的なものと見なしたところにある
しかし、君が科学と言う言葉に求めているものは合理性でも経験の集大成でも、当然ながら道具としての有用性でもない
君が「科学の成果」という言葉の裏にあるものは紛れも無く権威主義でしかない
そのような「科学」という語の使用に対する憤りからの批判だ
> と言う『あなたの問い自体』が「自分で線引きした土俵の中で自分のルール
>で勝ちたい」(自分が「読んで納得」したある「ある哲学者(思想家?)の領域」
>だけが「哲学」であると思いこむ)と言う『権威主義者』特有の症例ではないですか?
ポパー以外の例も出しているところに注目されたし
名前は出さずとも「科学とは何か」という問いへの幾つかの回答を例示してある
君はそのどの答えをも否定したのだったね
>あなたはやたらと「証明」に固執されますが
どこですか?引用してください
>あなたのような考え方を「哲学」では「論理実証主義者」ということで、
>とっくの昔に「相対化」が終わっているんですけど、
「相対化されたものは絶対に間違っている」と主張されるおつもりですか?
また、俺を論理実証主義と評して論理実証主義を批判するが
その君の態度を俺は批判したい
君は当人の言葉もよく理解せずに相手がどのような思考か分かるのか?
論理実証主義という名の哲学者など(哲学者でなくても)一人もいない
目の前の人間でなく脳内に想像する者をいくら批判されても俺には全く届かない
・結局のところ、君は科学とはどのようなものであるか、との名言は避けながらも
しかしながら自らの言葉は「科学」と科学の裏づけを欲するのだね
帰納法の問題点は多く挙がっている、当然ながら知っていることだろう
しかし、そのような問題に何の答えも出さず
前時代的に「科学の成果です」と答えることが哲学なのか?
ただ直感に従って批判を聞かない態度は、到底、哲学とは呼べないものだ
哲学とは批判に開かれてならねばならない
それが唯一の哲学のルールだ
407 :
考える名無しさん:02/07/25 23:50
>>1 人を殺すのは、「いい」「わるい」に偏っています。
あまりないことですが、殺す必要がある状況というのは可能性は十分ありえます。
いかなる状況でも殺せないのは、状況によってはその人を一生苦しめるのと同じになります。
もう少し難易度が低いことで例えます。
あなたの友達が大変な大けがをしました。物凄い事故でした。
わるいことに、やたらと痛いだけのケガだったため、友達は落ちることが出来ませんでした。
救急車を呼びたくてもここは電話が近くにない片田舎。珍しいことに携帯すらも持っていない。
しかたないので、首を絞めて落ちさせるのが友達を苦しめない方法だと判断しました。あなたはそれが出来るとします。
すぐにやれますか?
薄情だと思いますが、僕の場合は出来るとおもいません。
僕は非常事態でも冷静でいるタイプなので、「首なんか閉めたら後で怒られそうだ」と変なことを考えると思います。
「痛くないように落としてくれたんだな」と感謝されるかも知れないのに。
このケースがクリアできなかったら、殺す必要があるときに殺すことは出来ないと思います。
ドラマで友達を殺さないといけないシーンがあったりしますが、それは「殺すことがいけないから」殺せないんじゃない。
「友達を」殺さないといけないこと自体が辛いんです。
あまりにも直視できないから「無条件に悪い」と思わないといけない。そうしないと、やがてそれをみるときが来るかも知れないからです。
それがこうじて、医者は家族の意見が聞けず、「あまりにも辛いことはできるだけ話さない」
などという規則を作る。
408 :
「哲学的」者:02/07/25 23:50
>>406 >哲学とは批判に開かれてならねばならない
>それが唯一の哲学のルールだ
それについては、「同意」以上の共感を覚えます。
時間が足りないので、後日続きを書き込むつもりですが、
一言で言えば「小説家」「詩人」や「音楽家」や「画家」の世界も
「学問の女王」として「哲学」は「除外」し「責任放棄」できない
ということが言いたいのです。
「科学」は言うなれば「世界の線画」を描くには「正確な道具」でしょうが、
「線画は線画にすぎない」「設計図は設計図にすぎない」ということを
解っている「自称哲学徒」が少なすぎると思っているということです。
今日は、すいませんがここで。
409 :
考える名無しさん:02/07/26 22:42
人を殺していいのかいけないのか。哲学で結論出せるんのかよ。
結論が出たところでどうするんだよ?
410 :
考える名無しさん:02/07/26 22:43
殺さなければいいじゃん。
411 :
考える名無しさん:02/07/26 22:54
俺達動物→人殺しOK→人殺しがバンバン起こる環境→俺の命あぶねーよ!→
勘弁してくれ→俺の命があぶない社会→お前の命もあぶない社会→勘弁してほしいだろ?
→じゃぁ人殺しは良く無いって事にしよう。俺もお前も安全。→むかついたら我慢な。
412 :
考える名無しさん:02/07/26 22:58
ちゃうちゃう。むかついて殺すのは仕方がないとして、しらふで淡々と殺すのはやめようという話。
413 :
考える名無しさん:02/07/26 23:00
>>411 >俺達動物→人殺しOK→人殺しがバンバン起こる環境
→俺どうでもいい→俺の命なんてどうでもいい社会→お前の命なんてどうでもいい社会
→みんなどうでもいいんだな→別に人殺ししたってどうでもいいんじゃん
→むかついたら死なせちゃえ
414 :
考える名無しさん:02/07/26 23:03
>>412 同じ事。
>>413 >人殺しがバンバン起こる社会→俺どうでもいい
この展開はないでしょw。
415 :
考える名無しさん:02/07/26 23:15
>>413 まぁこういうごく一部の「どうでもいい」連中のことを考えてはいかんよ。
416 :
考える名無しさん:02/07/27 00:26
>>413 近代法が整備されるまで、こういう輩は「殺したい放題」「犯したい放題」で
「何が悪い?」と開き直っていたのです。
「近代法が整備」されたのは、欧米で17世紀、日本では19世紀ですよね。
それまでは基本的に「時の権力者の恣意」が「正義とは何か」を決めていたのだと思います。
418 :
考える名無しさん:02/07/27 00:35
動物は見境無く同類を殺したりしないよ。
基本的に不必要な体力の消耗を嫌うのが野生の生き方だ。
421 :
考える名無しさん:02/07/27 13:20
>>420 それは「自然の生態系の平衡状態」が維持されている状態の話。
人類はこの地球上で、ことごとくその「平衡状態」を破壊してきたし、現在も破壊しつつある。
「地球に優しい素材がどうのこうの」以前の問題として、「発展途上国の人口爆発」をどうにかしないと、
21世紀中に哺乳類は絶滅する羽目になる。人類の「ヒューマニズム」という誤った思想により。
422 :
考える名無しさん:02/07/27 13:24
423 :
考える名無しさん:02/07/27 13:44
>>422 地球大気の酸素濃度が2%減少すると、少なくとも人類は「ドーム」に入らなければ
生きていけません。「ドーム」外の哺乳類の何%が生き残れると思いますか?
酸素濃度は、化石燃料の燃焼による二酸化炭素濃度の急激な増加によって、もたらされます。
発展途上国の膨大な人口に対して「食うな」「燃やすな」と言えるかどうか?
今、北京は「亜硫酸ガスの雲」に包まれています。「工業化をちょっと待ってくれ」
と言っても、中国10億人の人口は「いやだ」と言います。
424 :
考える名無しさん:02/07/27 13:45
>>421 だから発展途上国の増えすぎた人間はポアしろというんだろ(藁
ノストラダムスやオウムが駄目だったとなると、性懲りもなくあらたに
代わりのものを捜し求めてフラフラうろつく奴がいるんだよね。
425 :
考える名無しさん:02/07/27 13:59
>423
>酸素濃度が2%減少すると・・
あなたの妄想が或いは他の専門家がおしゃったのかは別として
一夜にして2パーセント減少するわけじゃないでしょ?
ドリフネタじゃん
426 :
考える名無しさん:02/07/27 13:59
>>424 いや、あなたみたいな人材を選別して処分すべきだと思います。
国際レベルのプロジェクトとして、選別基準と選別方法、
処分方法が検討されておりますので、もうしばらくお待ちください。
427 :
考える名無しさん:02/07/27 14:01
>>425 「21世紀中に」という言葉が理解できないのか?高木ブー未満だな。
428 :
kuribara:02/07/27 14:03
更正プログラムがしっかり機能していないということですね。
429 :
考える名無しさん:02/07/27 14:06
>>428 「更正可能か不可能か」も、選別基準の一つになり得ますが、
そんな悠長なことを言っている時ではないという意見も有力です。
430 :
考える名無しさん:02/07/27 14:08
おまえら予言とかを信じるタイプみたいだな(プ
431 :
考える名無しさん:02/07/27 14:09
まっさきに「哲学的」が死ぬことを提案する。
432 :
考える名無しさん:02/07/27 14:11
>>430 予言と予測の違いもわからない、「予見可能性」なんて全く理解できない
数学Tで「降りた」文化系バカは、海にでも行って甲羅干しでもしてなさい。
433 :
考える名無しさん:02/07/27 14:13
線形の予測は予言と変わるところ無し。
それを鵜呑みのする馬鹿は「哲学的」と変わることろなし。
434 :
考える名無しさん:02/07/27 14:13
だいたい環境問題なんか単なるビジネスだよ
真に受けてもっともらしい事考えるな!
(失礼!考えるというよりもコピペだな)
きっと信仰深いからだな
やはり宗教は無くならん
435 :
考える名無しさん:02/07/27 14:16
436 :
考える名無しさん:02/07/27 14:17
怨念じゃなくて正当な嫌悪だろ。
人口過密により感染症の爆発的増加も考えにいれなきゃいかんだろうな。
ファクターが一つだけの計算は数T未満。
437 :
kuribara :02/07/27 14:19
>>429 私はあなたのための更正プログラムが機能していないのではということ
をいったんですね。
混乱させてご迷惑おかけしました。
438 :
考える名無しさん:02/07/27 14:21
まぁ簡単にいうと自然治癒するわけよ
おまえら修行でゴミでも拾ってるのが一番あってるよ
439 :
考える名無しさん:02/07/27 14:24
>>436 あんたが滅亡肯定派だったとは解らなかった。レスの一貫性として
なんかかなり違うような気もするが・・・。
440 :
考える名無しさん:02/07/27 14:25
441 :
考える名無しさん:02/07/27 14:28
>>438 あんたは自然治癒は望めそうもないから、即刻びょーいんへ逝くように。
親切な忠告。「日光消毒」ではとても無理です。
442 :
考える名無しさん:02/07/27 14:28
そりゃ逆だよ。
443 :
考える名無しさん:02/07/27 14:31
>>440 あんたのご立派な「痴性」のほうが、タフであることは認めるよ。
444 :
考える名無しさん:02/07/27 14:32
>>443頭の悪いレス。
成長しないなあ。
学習障害児だろ、お前。
445 :
考える名無しさん:02/07/27 14:34
>>444 とうとう本性を現しやがった。「タフな痴性」だよな。ホントに
446 :
考える名無しさん:02/07/27 14:36
447 :
考える名無しさん:02/07/27 14:36
もうやめ。やめ。
448 :
考える名無しさん:02/07/27 14:36
二度も繰り返すし。
バカはスレ立てるな。レスもするな。
449 :
考える名無しさん:02/07/27 14:36
病的な粘着はキモッ!!!!!
450 :
考える名無しさん:02/07/27 14:38
コテハンの潜入モード撲滅。
451 :
考える名無しさん:02/07/27 14:39
452 :
考える名無しさん:02/07/27 14:41
他人だというワナ。
453 :
考える名無しさん:02/07/27 14:42
もう「哲学者的」さんへのオマージュは止めませんか?
最近全然レスがありませんよ。
455 :
考える名無しさん:02/07/27 17:19
>>453>>454 一昨日(25日)に121に答えてるけど、121の答えは見あたらない。
121の方はどっかで「教授に聴いた」とか言ってるから、たぶんアカデミック
なヒト、哲学的は、たぶん「飯食う」こととは関係ないところで「テツガク」
しているヒト。その辺で根本的に噛み合わないみたいに見えるが・・・。
456 :
考える名無しさん:02/07/27 17:28
>>454はたぶん121なんじゃないか?
何となくそう言ってみる・・・
とかネ。
457 :
考える名無しさん:02/07/27 17:31
>>456 おまえ121の長いレス読んでないだろ。別人だよ別人。間違いない。
458 :
考える名無しさん:02/07/27 17:34
test
459 :
考える名無しさん:02/07/27 17:35
>>457 おれもそう思う。454は1行以上書けないヴァカと見た。
121に便乗しようとしてるだけだよ。
460 :
考える名無しさん:02/07/27 17:53
>>455 >哲学的よ
って頭に書くと出てくるぜ。今までの例では。
461 :
考える名無しさん:02/07/27 17:57
ここのところはみんな是々非々で頼むよ。
462 :
考える名無しさん:02/07/27 18:01
哲学的潜伏中
エイリアンみたいでキモイ
463 :
考える名無しさん:02/07/27 18:04
>>462 あんたがそうだろ?いいから出てこいよ。まず。
464 :
考える名無しさん:02/07/27 18:04
465 :
考える名無しさん:02/07/27 18:06
466 :
考える名無しさん:02/07/27 18:07
467 :
考える名無しさん:02/07/27 18:07
みんな怪しい。
468 :
考える名無しさん:02/07/27 18:08
自分のレスが「哲学的」とみられたときの脱力はもう。
469 :
考える名無しさん:02/07/27 18:10
なに。スレのテーマとずれまくってるね?人を殺すことがいけないと思う人もいるしいいと思う人もいる。
それでいいんじゃないんですか?
470 :
考える名無しさん:02/07/27 18:16
>>469 あんた事情が判ってないようだから、バイバイね。
>>468もたいしたスレ立ててる訳でもないのに、「脱力」ってのはかなりオーバーだねえ。
471 :
考える名無しさん:02/07/27 18:18
怪しい。
472 :
考える名無しさん:02/07/27 18:18
>>470 スレ立てたのは「哲学的」。そいつを憎んでレスしてるのが468。
473 :
考える名無しさん:02/07/27 18:20
夏の世のミステリーみたいに怪しいモノだらけ
474 :
考える名無しさん:02/07/27 18:21
かまいたちの夜
475 :
考える名無しさん:02/07/27 18:23
476 :
考える名無しさん:02/07/27 18:24
477 :
考える名無しさん:02/07/27 18:25
478 :
考える名無しさん:02/07/27 18:26
479 :
考える名無しさん:02/07/27 18:26
それにしても、反応早いよこのスレ。
480 :
考える名無しさん:02/07/27 18:26
481 :
考える名無しさん:02/07/27 18:28
482 :
考える名無しさん:02/07/27 18:28
そうね。
483 :
考える名無しさん:02/07/27 18:29
で、「哲学的」は誰なんですか?
>>478ってこと?
484 :
考える名無しさん:02/07/27 18:31
485 :
考える名無しさん:02/07/27 18:32
486 :
考える名無しさん:02/07/27 18:32
487 :
考える名無しさん:02/07/27 18:33
>>486 「哲学的」にしては謙虚すぎる。怪しい。
488 :
考える名無しさん:02/07/27 18:35
489 :
考える名無しさん:02/07/27 18:37
どいつも怪しげな夜。ドイツのカーン・・・ト言ってみたりして。
490 :
考える名無しさん:02/07/27 18:39
>「哲学的」者
>>408 >それについては、「同意」以上の共感を覚えます。
ありがとうございます
読み返すと誤字や変な表現の多い文章で、やや口調も汚かったと反省しています
>一言で言えば「小説家」「詩人」や「音楽家」や「画家」の世界も
>「学問の女王」として「哲学」は「除外」し「責任放棄」できない
>ということが言いたいのです。
>「科学」は言うなれば「世界の線画」を描くには「正確な道具」でしょうが、
>「線画は線画にすぎない」「設計図は設計図にすぎない」ということを
それについては同意します
科学は哲学の方法の一つに過ぎません
科学を重んじるのもまた科学信仰でしかない、その批判は至極もっともであると思います
しかし、それでも私は科学を信仰します
別に科学的であれとは思いませんが
経験から情報(知識)を得るということそして合理性の持つ進化と言う力を信じたいのです
論理実証主義はクワインによって息の根を止められました
ゲーデルの不完全性定理、それの正しさはそれ自身によって証明することができない、
は証明の持つ不完全さを証明してしまいました
ウィトゲンシュタインのように「この部屋にロバがいる」という命題を論理的に否定できない、
ラッセルがどこを探しても見つけられなかったにも関わらず「この部屋にロバはいない」と言えない、というのは馬鹿らしいことこの上ありません
それでも私は合理性を、まさしく直感のように、信じるのです
レヴィストの成果は認めます
彼の功績は当時のオリエンタリズムを牽制するのにじゅうぶん役に立ったと思います
レヴイストがフランスとインドで野蛮に差はない(むしろ野蛮が存在すると考えることが野蛮である)
と述べたことには大いに共感します
しかしレヴィストは「我々も同じ野蛮な構造をもつ」で終了します
僕から言わせれば野蛮であるかないかに関係なく、よりよき方法を模索するべきだと思いますし
人間の行為に左右されない構造主義にはさほど批判を向けません
(分野が別なので批判の対象にはならない)
リオタールになると憤りしか感じません
合理性、同意、そのようなものを切り捨ててますので
特に同意を切り捨てているのは見るに耐えません
(おかげでポストモダンという言葉が嫌いになりました)
私が構造主義者を嫌いな理由は
構造主義者には相対主義者が多いと感じるからです
そして相対主義者は実は何も語ってないのと同じだと思うのです
現実の問題を解決しない、それが批判の一番の理由です
もちろん合理主義が解決できるとは思わないのですが・・
少なくとも線画が如何に正確に書くことが不可能であると分かっていても
それをより正確に描こうと進歩できる点で僕は合理主義を信仰するのです
>解っている「自称哲学徒」が少なすぎると思っているということです。
そうですね、このような方法でなければならない、というのは哲学として誤りですね
哲学はまさしく自由であると思います
しかし同時に自由に批判に開かれてなければならないとも思います
その哲学の中で「証明」などを持ち出すのは確かに証明と言う名の権威主義の現れでしかないでしょう
それでも「君が現象学を学べばこのカップについて語れるんだよ」ぐらいの言葉をかけれるのが同時に哲学の良さでもあると思います
そしてそのような相手を青ざめさせる方法として僕は合理主義を選ぶ、それだけです
ただ青ざめない人もいる、それを忘れてはならないのかもしれませんね
最後に、くだらない揚げ足取りをしてすみませんでした
構造主義は科学〜の下りにだけチャチャを入れるの礼に恥ず行為だったと思います
>>455 あと僕が教授と論争したのはかなり昔ですし
論争と言うよりは口喧嘩みたいなものです
当然ながら僕は一般人です
ついでにスレの話題にも触れておきますね
僕は問題があっちゃこっちゃ行ってると思います
各個人がそれぞれに異なる問題意識を持ちながら
共通の問題を語ろうとするために論点がしぼられないのだと思います
各個人がそれぞれの問題意識を、
「それぞれの問題意識」と認識しているのであれば、
それはそれで話のしようがあるんだが、
「自分の問題意識」を「当然誰でもが持つべき問題意識」と
勘違いしてる人はどうしようもないね。
問題意識であるのかさえ疑わしい。
496 :
「哲学的」者:02/07/28 00:07
>>494>>495 あなたの「問題」は、『あなたの「問題意識」という言葉の解釈』が、
『あなたの「レベル」であるべきだ。それ以上深い「レベル」があるはずがない』
と思い込んでいることです。
以上です。
498 :
「哲学的」者:02/07/28 00:10
>>121 ご丁寧なご回答有り難うございます。後日、408の続きをレスするつもりでおります。
今日は失礼します。
>>496 違います。
あなたは、「それぞれ」という言葉の意味が理解できていないか、
故意に無視しているようですね。
以上です。
500 :
「哲学的」者:02/07/28 00:33
>>499 究極的「それぞれ」間に同じ言語が成立しないということは
よく理解してますよ。
501 :
考える名無しさん:02/07/28 00:44
故意に曲解するやつが、どうして批判に開かれた哲学に共感を抱いているか不思議。
究極的「それぞれ」はきっと「それぞれ」とは似ても似つかないものでしょう。
502 :
「哲学的」者:02/07/28 00:47
>>501 どういう「曲解」の余地があるのか?あなたは言葉が足りなすぎますよ。
503 :
考える名無しさん:02/07/28 00:49
二行目を読みましょう。
>>500 あなたの「問題」は、「それぞれ」という言葉の解釈』が、
「『それぞれ』間には同じ言語が成立しないべきだ、そうでない『それぞれ』があるはずがない」
と思い込んでいることです。
以上です。
505 :
「哲学的」者:02/07/28 00:57
>>504 「レベル」の問題はやはりあなたには理解できないようですね。
2次元空間の生物が3次元空間を「理解できない」のと同じことです。
悲しいことではありますが。
4次元に接している3次元の私としては「寝る時間」次元に移動します。
失礼します。
506 :
考える名無しさん:02/07/28 00:58
ちょいまち。
それじゃ滅茶苦茶だよ。
失礼じゃないか。
507 :
考える名無しさん:02/07/28 00:59
いやはや、多スレに顔を出すあなたには頭があがりませんね。
508 :
考える名無しさん:02/07/28 01:01
510 :
考える名無しさん:02/07/28 01:05
>>505 レベルが違うから話にならない。
それが批判に開かれた態度だろうか?
>>505 相変わらずですね。
あなたの主観によってあなたが設定した、
あなただけが認識している「レベル」のことは私にはわかりません。
>>506 まあ、この人はいつものことなんで。
512 :
考える名無しさん:02/07/28 01:10
つい力が入ってしまいますた。
いつもこれじゃ、なかなか。
力の入ったレスなんてここんとこ見かけないけどナ
失礼、僕の言葉から変な争いが発生してしまいましたね
それほど深い意味は無かったのですが
前の発言は撤回します
では僕はこの様々な問題意識をできる限り統合してみようと思います
・「人を殺すことは」いいのかいけないのか
この問題は「よい」について我々が無知であることを教えてくれます
倫理学のテーマですね
それで、まずはこの漠然としたテーマを具体的な事例にしてみましょう
「(Aが)(Bという)人を殺すことは」(Cにとって)いいのかいけないのか
そしてA、B、Cに入る語句として
このようなものを挙げてみました
私(一人称)、あなた(二人称)、彼(三人称)
日本人、アメリカ人、アルカイダの者、
人を殺すのを良しとする者、人を殺すのを禁忌とする者
人を殺すのを良しとする集団に属する者、人を殺すのを禁忌とする集団に属する者、
A、B、Cにはこれら挙げた様々なケースに如何様にも入ります
そして、それによって「いい」「いけない」の結論が変化すると思われます
このような多種多様なケースを想定することによって「よい」という言葉の持つ特性が浮き彫りになるのではないでしょうか
ちなみに僕の回答として、
僕は「人を殺すことはいけない」と言い切ります
例え相手が殺人犯であったとしても
515 :
考える名無しさん:02/07/29 21:48
>>514 私は、
「(裁判長が)(自らの欲望に任せ年端もいかない子供を暴行し殺した)人を
(法に照らして死刑を宣告し)殺すこと(の判決を下す)は」(その子の親にとって)
―反社会的な行為をしていながら、被害者の親も含む社会の恩恵(税金)によって生かされており、
本人の自主性に任せて積極的な再犯防止のプログラムの無い刑務所に拘置するより―
「いい」と思います。
>>515 ただ、ある事例において、いい、いけない、を問うのではなく
様々なケースを問うことで「よい」という語の持つ意味について理解を深めましょうよ
そう提案しているのです
>>515 失礼、515の意を理解してませんでした
僕は殺す相手が殺人犯であるか否かではなく
言葉をかける相手が例え殺人犯やビンラディンであったとしても
「(君)が他人を殺すことはよくない」と言い切るのです
518 :
考える名無しさん:02/07/29 22:08
ちなみに、「いい」のか「いけない」のかは第三者が判断する事。
それを聞いてあなたはどんな行動をするつもりなのでしょう。
それによって答えさせていただきたいです。
あなたの頭の中ではもうとっくの昔に行動は、きまっているのではないですか?
それとも、ただの向学心ですか?
隣にいても分からんことを、こんな書き込みだけではなんも分からんのですが
答えを聞きたいのであれば、あなた自身をもう少し開示してはいただけませんでしょうか、、、。
520 :
考える名無しさん:02/07/29 22:14
>>519 518はスレの1に「聞いてどうする?」て感じだったんだろ
1の人格を信じてないということだな
>>517 121さんは、言葉をかける相手が裁判長でも「いけない」といいますか?
>>515 ええ、言いますよ
「人を殺すことはいけない」という言葉が何を意味するかを理解してますから
>>515 ここで僕が答えを言ったら面白くないでしょう?
>>524 それでは、「いい」「いけない」は何かと比べて述べられる言葉なのでしょうか?
それとも比較の対象無く語られることなのでしょうか?
用法によって変化するのでしょうか?もし変化するとするなら、
スレタイで使われた用法の場合、どう捉えればよいのでしょうか?
>>525 >それでは、「いい」「いけない」は何かと比べて述べられる言葉なのでしょうか?
>それとも比較の対象無く語られることなのでしょうか?
もちろん程度論として用いることもあるでしょう
殺すより殺さないほうがよりいい、という表現として
しかし、今回は比較の対象を必要としないでしょう
すなわち、禁忌か禁忌でないかの二択であると思われます
これはスレタイが「いい」か「いけない」の二択であるためです
>用法によって変化するのでしょうか?もし変化するとするなら、
変化します
同じ「いい」「いけない」という語句を使用しても意味としてまったく異なるということは多々あります
>スレタイで使われた用法の場合、どう捉えればよいのでしょうか?
特定しようが無いでしょうね
1の言動を観察して読み取るか、または自分なりの解釈で出すか
しかし僕が思うのは「いい」「いけない」という語句は
ある個人一人の存在に対して発する語句ではないであろう、ということです
>ある個人一人の存在に対して発する語句ではないであろう、ということです
分かりやすく言うと「倫理」ということです
ちなみに語りうる範囲であると思います
「いい」「いけない」が必ず倫理を示す言葉であるとは限らないだろう。
倫理というのは、「いい・いけない」を語る場合に前提となる目的を
「人として」ということに置いているというだけだ。
つまり、「倫理の問題である」ということは、「殺人」の問題を
「(倫理のいうところの)人として」という目的について考えるということだ。
目的をそのように明確にするなら、正しい答えを見つけられるかどうかは、
発言者の如何にかかわらず、論理的思考力の問題のはずだ。
(もちろん、「人」の定義の幅の問題はあるわけだが)
>>528 では、「いけない」という言葉を使用した倫理と無関係な語句を作ってみて下さい
>>529 はじめちょろちょろ中ぱっぱ、赤子泣いても蓋取っては「いけない」。
>>530 つまり、このようになります
・釜の蓋をとっていいのか、いけないのか
この語句は倫理と無関係なのかどうか
実は、関係あると言えます
彼らは「おいしいごはんを炊く」という利益に対して一つの規範を構成しているからです
「おいしいごはんを炊く」ことに関して、一つの集団ができている訳ですね
人を殺すのは(・Å・)イクナイ!!
と思う!
人を殺すというのは、殺せば自分の抱える問題が早いとこ解決する!と思ってのことだと漏れは思ってます!
例えば
気に食わない(ストレスの原因を取り除きたい)、
とか、
金が要る、
とか、
殺す理由は殺人者のこれまでの人生回想を除くと、結構単純だと漏れは思う。
で、実際人を殺して問題が早期解決するかってーとしない!こじれる!
結局色んなモノを失うばかりだと思います!
だからイクナイ!ていうかイミナイ!
…だけど歴史のダイナミズムってか、こう革命とかさ、主義理想の旗の元にとか、
意見の対立する奴はもちろん自分の命も惜しまんっ!て時の殺人とかってなると…こぅ…断言出来ないのよ。
これはもう感覚で。
馬鹿でごめん・゚・(ノД`)・゚・
>>531 規範=倫理ではないよ。
倫理⊂規範だ。
倫理はあまたある規範の内の「人として守るべき規範」であって、
規範であるから倫理であるとはいえない。
---
■[規範]の大辞林第二版からの検索結果
きはん 【規範・軌範】
(1)行動や判断の基準・手本。「社会―」「―に従う」
(2)〔哲〕〔norm〕単なる事実ではなく、判断・評価などの基準としてのっとるべきもの。準拠。標準。規格。
---
■[倫理]の大辞林第二版からの検索結果
りんり 【倫理】
(1)人として守るべき道。道徳。モラル。
(2)「倫理学」の略。
---
>>536 当為命題と事実命題の二つのうち、
「いい」「いけない」という語句は当為命題を指します
これは事実です
なぜならば「いけない」という語句が禁忌を示すからです
ちなみに「倫理」という言葉を直訳してみましょう
倫→集団
理→ことわり
ちなみに一種の皮肉です
>>537 >ちなみに一種の皮肉です
つまり、議論の内容とは無関係な発言ということだね。
それで、
>>531 の主張はどうなったんだね?
>>538 倫理学というのは規範やルールを研究する学問なのです
「いけない」とは集団や規範と無関係に存在しないのです
皮肉の意味が理解できないものには僕は真面目にレスを返す気はありません
バカに最後にかけてやれる言葉は皮肉しかない
しかし正真正銘のバカはそれが皮肉であることにも気づかないのだ
540 :
いくらちゃん:02/07/29 23:44
社会秩序という概念は、時とともに変わっていくものだと思います。
例えば昔動物(人以外)の無差別な殺しを取り締まった人間は
当時変人とされたが、今では動物愛護と言い正当化されます。
そしてその変っていく流れを定めているのも人間大半の意思です
ならば人は、現段階の秩序に従うべきものだと思います。
よって今現段階の秩序(法)は、人殺しはいけないと言うものならば
やはり人殺しはいけないと思います。
ちなみに歴史の流れは、宇宙の拡大と共に統合という形に動いている
と思われるので、今後人殺しの肯定されることも起こり得ないし
ありえないとおもいます。
統合の中での戦争や宗教的な騒乱の中での人殺しの肯定はもう少し
時間が流れるまであるとおもいますが・・・
俺個人の心の中では、どうしても殺してやりたいと思う人の気持ち(遊びで
半身不随にされた友人の代わりに復讐して殺したい)
もわかるので人殺しは若干肯定的ですが。
>>534 >規範=倫理ではないよ。
>倫理⊂規範だ。
>倫理はあまたある規範の内の「人として守るべき規範」であって、
>規範であるから倫理であるとはいえない
ここから批判しましょう
「人として守るべき規範」なんてどこに存在するのですか?
あなたはその言葉をどこから吐いているのですか?
ヒュームを読んで客観的倫理認識の可能性について思考したことがあるなら答えてください
僕は主観的な倫理観しか存在しないという主張はしませんが
それでもあなたより多くの批判を受けてなおそう思っている
>>539 >倫理学というのは規範やルールを研究する学問なのです
「人として守るべき」という前提なしに、
おいしいご飯の炊き方も含めたありとあらゆる規範やルールを研究するのが倫理学なの?
>皮肉の意味が理解できないものには僕は真面目にレスを返す気はありません
>バカに最後にかけてやれる言葉は皮肉しかない
なるほど、
>>534 の指摘については、あなたは「皮肉」しか返せないってことだね。
よくわかったよ。
>>526 私は、「いい」「いけない」の使い方として、
1・ある一定の条件を整えているか、いないかの時。
2・複数の対象に対して、比較をした場合。
があると思います。
>>1の発言を読む限り、おそらく1であろうと思います。
しかし、実際に「人を殺してはいけない」という場合、
必ずしも1による判断として使われる状況に限られるわけではないと思います。
本スレ473(=「哲学的」者?)では、2による「いい」「いけない」は
無いものとして語られているように感じました。
〜の場合「人を殺してもいい」ではなく、常に「いけない」です。
と言うような発言です。私は、複数の用法として「いい」「いけない」があるのに、
ある一つの用法による「いけない」という結論を出して、
それを「人を殺すこと」に対する哲学的な解とする姿勢に疑問を感じます。
2の用法を無視して、
○○○より「人を殺すこと」は「マシ」なだけで決して「いい」ではない。
と言われても、単なる詭弁ではないかと思います。
この時の「マシ」は、言葉の意味としては「いい」と同じではないでしょうか?
121さんはどう思われますか?
>>541 >>539 を読む限り、これも「皮肉」なんだよね。
真面目に議論するつもりになったら、はっきり言ってくれ。
皮肉にいちいち付き合ってると、スレを荒らすだけの結果になってしまうからね。
>>542 >「人として守るべき」という前提なしに、
>おいしいご飯の炊き方も含めたありとあらゆる規範やルールを研究するのが倫理学なの?
その通りです
倫理学では「人を殺すのがいいか悪いか」については一切言及しません
「よい」について研究するのです
「ルールとは何か」「ルールを守るとはどのようなことか」を研究するのです
「生物学的な洞察から現在の倫理に何かものが言えるか言えないか」
「事実から価値を導き出すことはできるのか、できないのか」
そういったものです
>あなたは「皮肉」しか返せないってことだね。
そうです。僕がかけてやれる言葉の中であなたの耳に届くものは皮肉しかなかったのです
僕はただ言えば満足する人間ではありませんから
それは客観に対する態度からその差が出ていますね
>よくわかったよ。
ご理解いただけてありがたいです
僕はマッキーを読み、多くの影響を受けてますが
その前にヒュームなくして語れるものではありません
あなたがヒュームを読んだならまた批判してください
>>543 では僕の意見を書きます
まず僕は真に客観的な認識には到達し得ないと思います
しかし間主観的に客観性を持った言葉として「いけない」が言えると思います
それは「いい」「いけない」という語が
その者が規範に対し内外どちらにいるかということを表現する言葉であると思うからです
時間がないので飛躍しますが
僕は人間は規範的生き物であり、全ての生物は何らかのルールの内側にいること以外を選択できないと思います
もちろんそれは「人を殺してもよい」ルールの内側である可能性もあるのですが、しかし
しかし、その集団内においては「人を殺してはならない」というルールが存在すると思われます
(つまり「人を殺してもよい」は集団の外に対してしか成立しない)
このような現状を統合した上で「人を殺してはいけない」という言葉が発することができると思います
時間が無いので落ちます
詳細はまた後日に追って書き込みます
質問も受け付けます
>>545 「皮肉」は、本論の邪魔だから、このぐらいでやめてくれないか。
>>534 についての真面目な批判をあなたが無し得ないなら、
倫理について軽率な発言をするのはやめるべきだろう。
>>546 ある集団内において、ある存在が集団のルールの維持にとって「いけない」場合、
その存在を排除する行為は「いけない」のでしょうか?
それとも、ルールの維持に「いけない」存在は、その時点で集団の外側となるのでしょうか?
その時、その存在は(集団の)ルールの外側(内側以外)を選択した事になるのでしょうか?
或いは、個人であっても別の集団を選択した事になるのでしょうか?
「ルール」と「集団」がよくわかりません。
550 :
考える名無しさん:02/07/30 20:54
>その存在を排除する行為は「いけない」のでしょうか?
これは「いい」。(集団にとってのみ。他ではそうとは限らない、というより、「いけない」と言う人のほうが圧倒的に多い)
>ルールの維持に「いけない」存在は、その時点で集団の外側となるのでしょうか?
外側。その存在だけがルールに反するんですから。
>その時、その存在は(集団の)ルールの外側(内側以外)を選択した事になるのでしょうか?
>或いは、個人であっても別の集団を選択した事になるのでしょうか?
1人のばあいは「外側を選択」、複数の場合は「別の集団」ではないでしょうか?
というか、「集団にとってのみいい」というか、
「集団にとって」というのは問題の一部だろう。
「いいかわるいか」だけでは問題として成立してない。
「集団にとって」という前提を導入することによって初めて
回答可能な問題になる。
では、その基準で言おう。
「いい」
いや、その問題の「いい」「いけない」が本当の問題ではないんじゃないの?
「いい」「いけない」について考えるための題材として引き合いに出されただけの
問題だと理解してるんだが・・・。
私は、このスレの「「人を殺すこと」はいいのかいけないのか」という問いについて、
「いい」「いけない」は前提(基準)を除外して言うことはできない、
その質問は未完成だ。
という結論を示してるんであって、
そこから例題に戻って答えを示されても困るんだが。
554 :
「哲学的」者:02/07/30 23:22
>>553 「いい」「いけない」という「デジタル発想」の問題では(たぶん何事も)
ないことは、以前にも指摘させてもらいました。
『「アナログ的(基準)」もある、可能性』について、どういう「テーゼ」があるのか
興味のあることです。
>>548 僕はそれに対するきちんとした批判を提示してますが
あなたにはその問題点が理解できないでしょう
僕はあなたにあなたが理解できる言葉をかけることはできません
あなたが理解するのに必要なものはあなた自身の力でしかないのですから
「倫理とは何か」まずは考えてみることですね
>>549 具体例を出すと分かりやすいと思います
僕は具体例としてチェスをあげます
>ある集団内において、ある存在が集団のルールの維持にとって「いけない」場合、
>その存在を排除する行為は「いけない」のでしょうか?
チェスをする人たちの中である人たちが取った駒を使用するという行為をルール内とした場合
その者を排除する行為は「いけない」のか?
答えは「いい」です。とった駒を使用するのはもはやチェスではありません
排除する以前に、すでに異なる集団に属しているわけです
>それとも、ルールの維持に「いけない」存在は、その時点で集団の外側となるのでしょうか?
そのような解釈でも問題ありません
>その時、その存在は(集団の)ルールの外側(内側以外)を選択した事になるのでしょうか?
その存在は(既存の)チェスのルールの外側を選択したことになります
正確に言うならば、その者がチェスのルールに反する行動を取ったその瞬間に彼がチェスとは異なるルールを選択していた(もしくは選択した)ことが判明するのです
ここが少しだけ微妙な点であり、まだ論争の余地の残る所だと思います
これはルールが「守る」ものではなく「守られている」ものである、という性質を持つためと思われます
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/philo/1018893609 僕はこの問題点を解くにあたってこのスレが参考になりました
>或いは、個人であっても別の集団を選択した事になるのでしょうか?
選択した(結果)ことになります
彼が選択したものは別の集団であり「チェス'」と表記してもよいわけです
当然ながら異なるごとに「チェス''」「チェス'''」と表記できるものをつくれるわけです
>「ルール」と「集団」がよくわかりません。
「集団」とは理解しにくい表現かもしれませんがその規範に属する者と理解していただけると分かりやすいと思います
物理世界とは別に仮定の世界を想定しその世界に特定の規範を仮定しその規範に属する集団が存在するといった感じです
また「規範」と言いますが、私は我々の身の回りのありふれた規範として言語を挙げます
「イヌ」という発音は物理世界で見ればただの音波の連続であり「犬」を意味しません
しかし我々が「イヌ」と聞いて「犬」を想定できるのは仮定世界において「イヌ」と「犬」を結びつけるあるルール(規範)が存在するからです
また「イ」という文字と「イ」という音を結びつけるのもまた仮定世界におけるルール以外にありません
あるルールの外側にいることは可能ですが
全てのルールの外側にいることは不可能であると僕は論じます
それはすなわち、全ての集団に属さないことは不可能であると僕は唱えている訳です
>>551 そうですね
「いい」「いけない」という言葉が単独者を相手に言う言葉ではない、という僕の意見は
まさしく「いい」「いけない」という語はその者とその規範との関係によって決定されるのであり
一人の人間の周辺を全く見ずに語る言葉ではない、ということです
556 :
「哲学的」者:02/07/30 23:33
>>555 唯一の「ルール」は・・・
『この「世界」に気づいた時「存在していた」現存在としての、現存在が
「このゲームはつまらない。」「このゲームは無効だ」と言い立てることに
時間を費やすのは「バカ」だ。ということでは?
PS2でロールプレインゲームをやった後、「実世界」のリアリティと
バーチャルなそれを比べて安心する私が「バカ」なんでしょうか?
>>555 >その存在は(既存の)チェスのルールの外側を選択したことになります
それでは、
>>546 >全ての生物は何らかのルールの内側にいること以外を選択できないと思います
では無く、ある行動を起こすことで、外側を選択することは可能なわけですね。
それとも、別のルールの内側になると言う”言い回し”でしょうか?
いずれにしても、そのようにあるルールの内側と外側を自由に行き来できるなら、
ルールと言う視点からこの問題を語ることは出来ないと思いますが?
>>556 全ての人を含むような普遍的なルールが存在するかまたはそれが何なのかということに対し
僕はさして興味を持ちません
しかしそれが論理的にトートロジーであるようなルールでない限り
全ての人に通じるルールとは言えないと僕は思います
少なくとも仮定の世界においては逆を形成できるということです
しかし意味として重要な価値を求めていくことは大切であると思いますし
仮に異なるルールでも共訳不可能な関係にありはしないと思います
僕もあなたの言いたいことはよく分かりますしそのような者は「バカ」だと思います。
559 :
考える名無しさん:02/07/30 23:44
人一人の命が非常に重い価値があるから。
>>557 >では無く、ある行動を起こすことで、外側を選択することは可能なわけですね。
はい、そのルールの外に行くことは可能です
>それとも、別のルールの内側になると言う”言い回し”でしょうか?
はい、しかしそれも何らかのルールの内側に移動することでしかありません
>いずれにしても、そのようにあるルールの内側と外側を自由に行き来できるなら、
>ルールと言う視点からこの問題を語ることは出来ないと思いますが?
いえ、逆にルールという視点からでしか「いい」「いけない」という語は語れないのです
なぜならば現実的に行動不可能なものを我々は「いけない」と表現しないからです
「あなたは結婚しながら独身でいることはできない」、は言えても
「あなたは結婚しながら独身でいてはいけない」とは言いませんね
「いけない」という語は現実にそれができる(可能)状態でなければ使用しないのです
>>556 余計なお世話かもしれませんが、
あなたは先ず、121さんにお答えするのが先ではないでしょうか?
562 :
考える名無しさん:02/07/30 23:50
>121氏
レスがたくさんついてわずらわしいかもしれないけど教えて欲しい。
>>514僕は「人を殺すことはいけない」と言い切ります
とあるけど、「言い切ります」というのは、主張する相手に対しての断定であるとともに、
断定する自分を確かにしたいパフォーマティブな響きを感じたんだけど。
つまり、あなたはそれを全的個人として主張するものなのだろうか?
563 :
「哲学的」者:02/07/30 23:54
>>562 「デジタル」==『「いい」「悪い」の二つの選択肢から選んでください』
はい、ボタンを押してください』という、発想「のみ」ではないということは、
「考慮の対象外」ですか?
>>562 ただ、のらりくらりとかわして何も言わないような態度ではなく
それでも発言してやる、という哲学的姿勢です
「語れない」、で終了するのではなく
言い切ることで、よりよき理解へと前進できると思ったわけです
より批判を受けることができると
565 :
「哲学的」者:02/07/30 23:57
566 :
考える名無しさん:02/07/30 23:57
>>564 ありがとう。
訊きたいのは、自分の中にはそれに反するものはなかったのかということだけど。
567 :
「哲学的」者:02/07/31 00:00
>>565 514=121であったとは、少し意外です。
「言い切る」んで、ホントにいいんですか?
>>560 そうなると、「いけない」と言うのは、
そう判断した基準であるルールの内側に居る者の視点であり、
外側にいるものに説得力を持つ事は出来ないと感じるのですが?
つまり、あるルールの内側と外側を自由に選択できない何らかの理由が無ければ、
そのあるルールに従うべき理由もないと考えることが出来ると思いますが?
>>566 ないです
あるとしたら「語れない」だけであり
しかし決して「いい」ではありません
我々に人を殺す身体的自由が存在するからと言って
僕は決して「人を殺してもよい」という発言はしません
570 :
考える名無しさん:02/07/31 00:04
>>569 言い切る場合には、抑え付けられている反面もあったと思ったのだけど。
なんらかの、そう、弁証法的な精製を経た結論ではないのですか?
571 :
「哲学的」者:02/07/31 00:06
だから「いい」『悪い』という粗雑な立論「テーゼ」が無効なのに、
こんなに人材が集まるのは「何なんだぁ」と思いますね。
>>567 別に間違えてたら撤回すればいいだけの話です
言い切ります
「語れない」という態度を僕は一番嫌います
>>568 >そう判断した基準であるルールの内側に居る者の視点であり、
>外側にいるものに説得力を持つ事は出来ないと感じるのですが?
いえ、私(語る者)の場所ではなく、かける相手(対象となる者)の場所が問われます
>つまり、あるルールの内側と外側を自由に選択できない何らかの理由が無ければ、
自由に選択できます
>そのあるルールに従うべき理由もないと考えることが出来ると思いますが?
理由はあります
「ルールに従うべき」がすでにルールの内側にいることを示しているからです
「べき」という言葉はルールの内側にいることを指す言葉だからです
彼はルールに従うべき理由はあるが、しかしルールに(身体が)従う理由はない
573 :
「哲学的」者:02/07/31 00:10
>>121 ちょと待ってください。「好き嫌い」を全てに優先するんですか?
それも一つの「相対主義の罠」ですよ。
>>570 弁証法は具体的な方法を全く述べない点で僕は批判します
もちろん否定する要素はありました
価値と事実は全く無関係であるという主張です
>>573 そうですね
格好よく言えば
言い切ることで議論が発展すると思ったからです
「僕は語れないと思う」と主張したところでこのような討論にはならなかったでしょうし
そのおかげで僕自身、未だ理解に不足していた点を明らかにすることができました
576 :
考える名無しさん:02/07/31 00:13
>>574 ちょっと煽りに似るけど、
あなたが「よい」を議論すると持ち上げた倫理学は具体を述べていますか?
577 :
「哲学的」者:02/07/31 00:14
578 :
考える名無しさん:02/07/31 00:15
>121氏
連投すまない。
つまりあなたの動機は「内側にいたい」ということだろうか?
>>576 事実から価値を導き出せないという自然主義的誤謬の批判に対して
「約束したことは守らねばならない」と一筋の道筋をつくることができます
しかし何も言ってないに等しいですが
なぜ何も言ってないに等しいかと言うと
「約束かどうか」という事実を確認不可能であるということですね
581 :
考える名無しさん:02/07/31 00:18
>>579 うん、むしろおれはあなたに色のついた何かをいってもらいたい。
おれの意見は、
一度は殺したい衝動と戦って倫理観は実際的な意義を持つんじゃないかということだけど。
>>572 >彼はルールに従うべき理由はあるが、しかしルールに(身体が)従う理由はない
まるで言葉遊び(表現が悪くてすみません)のように感じてしまいますが、
ルールに従うべき理由とは、”べき”と言っているからと言うことですか?
では、彼がルールに従う理由はありますか?
>>581 それはちょっと主義が異なる立場なんですよ
レヴィナスやメルポンを研究したならばそのようなことも言えると思うんですが
僕はウィトとヒューム、サール、マッキーなんですね
>>582 ありません
彼は様々な価値にとらわれず自由に身体を動かすことが可能であるからです
585 :
「哲学的」者:02/07/31 00:23
>>579 すいません、割り込むつもりはありませんが、「約束」って
なんか「神との契約」という「キリスト教的発想」の延長を
感じてしまいますが・・・。そんなに大事な概念なんですか?
586 :
考える名無しさん:02/07/31 00:23
>>583 教養がなくて恥ずかしいけど、
なぜそのルールが採用されたか、というのは愚問なんだろうか?
>>585 「約束する」という行為は
未来においてそのような行為を事実とすることに価値を置くという点で
事実と価値をつなぐ掛け橋となりえると思います
デリダが「『来なさい』であり『ウィ』である」と表現したものであり
「約束は守らねばならない」のはまさに信以外の何物でもないのではないかと僕は解釈しています
(あくまで僕自身の私的な解釈です)
>>586 ルールに従うのも我々であれば
ルールを創るのもまた我々であると思います
なぜ「そのルールが採用されたのか」という質問は
まさに「我々はなぜそのルールを採用したのか」という質問に他なりません
社会契約説などは理由になりませんかな?
>>584 結局、「人を殺すことは」「いけない」というルールの内側にいようとする者にしか、
その「いけない」という言葉に意味は無いと言うことですか?
590 :
考える名無しさん:02/07/31 00:31
>>588 社会契約は「内側」を成立させるものですか?
どうも「内側」とルールがトートロジーに思えるのですが、
あなたはなぜ内側を選んだんですか?
ほかならぬ「内側」だからですか?
なぜ「内側」はそんなに我々を魅せる(縛る)のでしょうか?
つまり僕は
「人を殺す」という行為よりも
「約束を守る」という行為のほうが大切であると主張しているわけです
カントの定言命法という訳ではありませんが
そして「人を殺してはならない理由」はまさにそれが約束であるからであると・・・
592 :
「哲学的」者:02/07/31 00:33
デリダもキリスト教的発想の「外」に出ることが出来なかった
という「観測」も可能です。
「外」に出ることを熱望した彼には皮肉なことですが・・・。
『君子豹変す』というのは「東洋的発想」の一部として歴史の一部
にすぎないということでしょうか?・・・・感慨ですが。
>>592 おめーは、他人にはとばした質問の回答をねちっこく迫るくせに、
自分は無視して知らん顔かよ。おめでてーな
>>590 社会契約はあるルールを作り出した理由です
>社会契約は「内側」を成立させるものですか?
この質問は解答が難しいです
なぜならば社会契約説を主張する立場、批判する立場によって、変化するでしょうから
僕は成立させないと思います
>どうも「内側」とルールがトートロジーに思えるのですが、
はい、「内側にいる」ことは「規範に従うべき」ということです
「規範に従うべき」ということは「内側にいる」ことを指摘する訳です
>あなたはなぜ内側を選んだんですか?
理由もなく選びました
将棋をしている人にあなたはなぜ(チェスではなく)将棋を選んだのですか?
という質問と同じだと思います
>ほかならぬ「内側」だからですか?
いいえ、しかし僕の決断は僕の環境と切り離して考えることはできないでしょう
思考するだけ無駄だと思います
>なぜ「内側」はそんなに我々を魅せる(縛る)のでしょうか?
内側にいるから縛るのです
595 :
「哲学的」者:02/07/31 00:40
>>593>自分は無視して知らん顔かよ。
何について「知らん顔」ですか?
>589
>結局、「人を殺すことは」「いけない」というルールの内側にいようとする者にしか、
>その「いけない」という言葉に意味は無いと言うことですか
「意味」というものは難しいものです
意味があるか意味がないかに関しては僕自身が簡単に答えていいものではないと思います
しかし僕自身は意味があると思います
「いけない」という言葉ではなく
まさしくルールの外側にいる者に声をかけるその行動自体に
597 :
考える名無しさん:02/07/31 00:43
>>594 古臭い言い方でなんですが、
決定論に傾いているんだと思います。
絶えず進入する「外側」が自由を保障するとしたらどうでしょうか?
内側と外側は弁証法的ではありませんか?
オウムは嫌いだがポアの思想はほぼ正しいと思う
というか実行して欲しい
日本で1パ− 世界で5パ−くらい選んで実行すれば
世の中劇的によくなると思う
いまから自殺するやつ だれか道連れしていかないのかい
599 :
「哲学的」者:02/07/31 00:46
>>569 ちょっとまって、
「いけないでのいいでもない」殺人=人殺しがあることは、
「正当防衛」「緊急避難」については「既に異議なし」
の事例であるという、前提がまた蒸し返されているんですか?
>>596 意味を語れないのなら、「いけない」という言葉を発するとしても、
相手には「いけない」という音を聞かせるだけと言うことでしょうか?
>>597 決定論ではないと思います
あくまでこれらは仮定の世界(ぼくは規範の世界と呼んでます)においてであり
我々の身体は自由であるのです
むしろ完全な自由は規範世界においてはアナーキズム以外の何者でもないのではないかと思います
相対主義者に敗れ去った合理主義者の最後の足掻きが
規範世界における合理性なのです
実は僕は決定論を著しく批判します
それは規範世界においては「約束は守らねばならない」が
しかし物理世界においては「約束を破ることになるがしかしよりより良い状況を探求できる」
これが自由の価値であると思います
>>599 それ以外でなく
許されない殺人もまた可能であるからと言って、ということです
身体的自由と「いい」とを決別してるわけです
603 :
考える名無しさん:02/07/31 00:55
>>601 規範世界がイデオロギッシュなものならおれにも分かりやすいけど、
そうじゃないんですね。
革命の際には規範世界と物理世界が混乱するんですか、
内と外とじゃなくて。
>>600 >意味を語れないのなら、「いけない」という言葉を発するとしても、
>相手には「いけない」という音を聞かせるだけと言うことでしょうか?
いいえ、そうではありません
「いけない」と言う語が相手に通用しない、ということです
比喩としての表現ならばそれでもいいと思いますが
605 :
「哲学的」者:02/07/31 00:59
>>601 >それは規範世界においては「約束は守らねばならない」が
>しかし物理世界においては「約束を破ることになるがしかしよりより良い状況を探求できる」
>これが自由の価値であると思います
それでは、「より良い状況」とは何であるか?
というあなたが嫌う「相対主義」の土俵に乗ってしまった状況ではないですか?
別に「揚げ足取り」ではなく、真意です。
>>603 そうですね
最近、イデア論に近いかなと少し思いましたが
しかしプラトンとの決定的な違いはそれがあくまで「仮定に過ぎない」としていることですね
>革命の際には規範世界と物理世界が混乱するんですか、
>内と外とじゃなくて。
難しいです
でも革命時は混乱するでしょうが、しかしノールールでもないでしょうからねぇ
革命を考えたことはありませんでしたね
>>605 それはその個人であり集団が決定することだと思います
608 :
「哲学的」者:02/07/31 01:04
>>607 これも揚げ足取りではありませんが「集団が決定する」ことそのものが
「相対主義」の正体だとは思いませんか?
609 :
考える名無しさん:02/07/31 01:05
>>606 遅くまでつきあっていただいてありがとうございました。
おれが言ったわけじゃないけど、
上で「人として」があまり尊重されなかったことについても、
訊いてみたかったのですが、
もっと勉強してからにしたいと思います。
>>604 つまりあなたも、「人を殺すことは」「いけない」と発言できる。
と、「いい」「いけない」の理由(意味)に言及することなく、質問者ではなく、
発言する側の「言い得る」と言う行為に肯定を示すに止まると言うことですね?
それが「人を殺すことは」いいのかいけないのか?という問に対する答えであると?
「よりよい状況」という言葉全てではなく
先の引用に用いた際の表現ですね
>>610 そうですね
例えどれほどえらい人がすごい理由を持って「人を殺してはいけない理由」を語ったところで
僕が誰かを殺す身体的自由は確実に存在しているのですから
相手の自由を制限するほどの答えは僕には言えそうもないですね
>>610 また、相手に「人を殺してはいけない」規範の内側を選ばせるような理由を僕が言ってないという批判もまた然りでしょう
しかしそれは僕が分野が別なので・・
614 :
「哲学的」者:02/07/31 01:14
>>613 哲学に「分野」があるんですかぁ?
まあ、「橋本派」もみたいなモンですね。
>>614 ありますよ
批判する相手は分野が同じだからです
分野が別なものに対しては批判の対象になりません
問題意識が異なるということですね
僕がデリダの言葉を引用してもデリダを批判することはまず無いですし
デリダもまた僕を目の前にしても批判に耳を傾けないでしょう
問題とするものが全く別(全き他者?)であると思います
616 :
「哲学的」者:02/07/31 01:20
>>615 『「諸学の女王」である地位にもう耐えきれない』ということですか?
「経済学」にその地位を奪われたとうことですか?
617 :
考える名無しさん:02/07/31 01:20
>>614哲学を知らないだけじゃなくて恩も知らないな、お前は。
619 :
「哲学的」者:02/07/31 01:26
>>619お前はいろんな意味で「外」だってことに早く気づけ。
621 :
「哲学的」者:02/07/31 01:29
『「外」であること。』が
目標です。
>>621お、はじめてそれらしいことを言ったな。感心だ。
>>616 そうですね
例えば構造主義対実存主義の対立と言っても
構造主義は構造主義の中で
実存主義は実存主義の中で批判を紡いできた
しかし「語らない」というのも哲学の一つの方法ではないでしょうか?
世に言う実証主義論争もフランクフルト学派における一部の人たちの間でのことですし
無意味な論争だと関心を寄せなかった者も多々います
アインシュタインが「エーテルが存在するかどうか」という論争に全く興味を持たなかったように
哲学者が全く興味を持たないというのもあって然りだと思います
僕がそのような別の分野に介入する際には僕個人の意見は相当影が薄くなってしまうでしょうね
仮に言葉を発するとしたら、それが無意味である(または意味がほとんどない)という主張でしかないでしょうね
このスレでそのようなお決まりの合理主義者のような言葉を僕の口から聞きたかったですか?
624 :
「哲学的」者:02/07/31 01:32
625 :
「哲学的」者:02/07/31 01:38
>>623 >>623 すいません。
そんななことはありません。
ちと、『個人的な体験』で動揺しているもんで・・・。
「哲学的者」の名前にも恥じると思ってます・・。
「ですあg・・・ぁ」は『経済学』の分野も入り交じり。です。
>>621 つまり二項対立から常にはずれること、ですね?
627 :
「哲学的」者:02/07/31 01:42
>>626 二項対立は「雑駁な」議論です。断言できます。
マルクスとヘーゲルの「怨念」みたいなモンだと思います。
>>625 しかしいい批判であったと思いますよ
現代では哲学は「諸学の女王」の立場は維持しにくいでしょうね
むしろ「諸学の女王」を誇れる哲学が存在しないと言ってもいいかもしれません
それほどに問題は多種多様複雑に絡まりあい
様々な思想が出てきました
もはや哲学は哲学という全体を通してしか(ホーリスティック?)「諸学の女王」を誇れないのかもしれませんね
哲学史を整理するのが難しくなったと言われる時代ですが
むしろそれはそれなりに面白い時代でもあると思います
僕個人は「諸学の女王」を学んでませんが
しかし哲学全体は依然として「諸学の女王」を保っているのではないでしょうか?
家族的類似みたいな関係をもって
>>627 二項対立は弁証法の遺産ですか
面白い意見です
しかし、二項対立も捨てたものではないと僕は思いますよ
何よりも問題をもっとも分かりやすくするという意味において
630 :
「哲学的」者:02/07/31 01:55
>>628 まず、『実学』として権威を振るっている「経済学」の足下を払うこと
が重要であると思いますが、確かに「官僚の優秀さ」は確実に担保されている
という『現実』はあります。奴らに「抵抗」出来る言葉をこの国の「哲学者」
達が、持ちうることが出来るか疑問です。
631 :
考える名無しさん:02/07/31 02:03
>>630 「バカ」という言葉に反応しない奴には何も言えないよ。
>>630 僕はこの国の経済学は『実学』としての効果を持ってないと思いますよ
どうも官僚の質の差をアメリカとの間に感じずにはいられません
とりあえず経済学の修士、博士がもっと採用された方がいいと思います
この国は学士で終了という風潮が強すぎると思います
哲学は・・
「ミネルヴァの梟は夕暮れに飛び立つ」を実感する機会を与えればそれでじゅうぶんかなと思います
>>1 順番が逆だ。
「なぜいけないのか?」と問うている以上、問う側自身は「人を殺すことは
いけない」という対立意見の存在を前提にしているわけだ。
その前提意見が、「どういう状況での殺し」を想定しているのか、また「なぜ
それを有罪だと判断しているのか」、これを示す責任はまず質問者側にある。
その上で、「なぜ、それが間違っていると貴方は考えるのか」を明確にしなけ
ればならない。
でないと、議論がスベるだけだ。
現状だと論理面での禁止を扱っているのか、法律面での禁止を扱っているのか、
無意識にそうした判断があると仮定してそれを語っているのか、そういう部分の
定義さえいい加減だ。
哲学史や哲学論なら他で語れ!
635 :
「哲学的」者:02/08/01 00:13
>>121 >しかし、二項対立も捨てたものではないと僕は思いますよ
>何よりも問題をもっとも分かりやすくするという意味において
あなたが「大衆迎合主義」を無視することが出来ないということは
この国も「かなりヤバイ」と思います。
636 :
「哲学的」者:02/08/01 00:27
>>121 ps.「法律」例えば「住民基本台帳法改正案」「個人情報保護法案」を
「書いて」いるのは彼ら「官僚」=20代後半の東大卒「エリート達」
です。
>408 :「哲学的」者 :02/07/25 23:50
>
>>406 >>哲学とは批判に開かれてならねばならない
>>それが唯一の哲学のルールだ
>
>それについては、「同意」以上の共感を覚えます。
>時間が足りないので、後日続きを書き込むつもりですが、
>一言で言えば「小説家」「詩人」や「音楽家」や「画家」の世界も
>「学問の女王」として「哲学」は「除外」し「責任放棄」できない
>ということが言いたいのです。
>「科学」は言うなれば「世界の線画」を描くには「正確な道具」でしょうが、
>「線画は線画にすぎない」「設計図は設計図にすぎない」ということを
>解っている「自称哲学徒」が少なすぎると思っているということです。
>今日は、すいませんがここで。
>498 :「哲学的」者 :02/07/28 00:10
>
>>121 >ご丁寧なご回答有り難うございます。後日、408の続きをレスするつもりでおります。
>今日は失礼します。
>>635-636 そんなことより、きちんとレスしとけ。121に失礼だろ。
お前が他人に浴びせる罵声のほとんどが、お前自身に当てはまっているYo!
それとも
>514 :121 :02/07/29 19:30
>失礼、僕の言葉から変な争いが発生してしまいましたね
>それほど深い意味は無かったのですが
>前の発言は撤回します
が免罪符でレス復活か?いい加減な奴だな・・・・
638 :
「哲学的」者:02/08/01 01:09
>>637 「一覧者」がいらっしとは梅雨もしりませんでした。
>お前が他人に浴びせる罵声のほとんどが、お前自身に当てはまっているYo
その通りでもあり、そうでもないとるちういこと「は「美微妙」だと思いましす。
目的は「針術真実=神(雑多異的真理)により近いところにたい。ということ。
>「哲学的」者
やはり僕とあなたの間には確固たる境界線が存在するようですね
>あなたが「大衆迎合主義」を無視することが出来ないということは
>この国も「かなりヤバイ」と思います。
いいえ、これこそ僕が合理主義を選ぶ一番の理由です
自由の解釈もそう
進化は自由によってもたらされるのです
後はそれをどう解釈するかという問題でしかありません
探求と見るか、血と見るか
>「法律」例えば「住民基本台帳法改正案」「個人情報保護法案」を
>「書いて」いるのは彼ら「官僚」=20代後半の東大卒「エリート達」です。
エリートか大衆か、そのような二項対立に目を向ける必要もないと思います
「誰が・・」は問題解決の糸口にならないでしょう
「誰であろうとも・・」これが大事だと僕は思います
「エリート」の代わりに「大衆」という答えを用意してもそれはエリート意識に過ぎません
もちろん、「修士、博士ならば」という回答も問題解決とならないでしょう
>>639 彼の中では反論として成立しています
彼らの反論は簡単なのです
ただ外部を示せばよいだけですから
僕はただこう述べるのみです
「哲学者よ、人間であれ、そして自由であれ」と
さて「哲学的」者さんと対話をしていると
話が異なる方向にどんどんズレていく感じがします
これは「哲学的」者さんが常に外部を指そうとするからだと思いますが
スレ違いという批判を避けるためにも
ここでスレに関することを述べたいと思います
主題は「客観的価値は存在するのか」です
642 :
考える名無しさん:02/08/01 03:22
では、あなた達は殺されたいですか?
その答えに、真実あり。
一応、客観的価値は存在せず客観性を求めて相互主観的な価値を模索することはできる
という結論を導きたかったが
どうも僕には荷が重い感じです
テクストをただ写すだけならできるのですがそれを分かりやすく書き直すのは無理ですね
それでは「客観的価値」とはどのようなものか、少し整理してみます
有名な道徳における客観主義者を挙げてみよう
プラトン、アリストテレス、トマス・アクィナス、ライプニッツ、カント、ムア、マックス・シェーラー
彼らは若干の差異はあるが
「道徳的規範はあらかじめ客観的に決まっているか」
「道徳的な、べきである、の判断は真理値を持つか」などの質問に肯定的に答える
それに対し否定的な者にはエピクロス、ホッブズ、ヒューム、ショーペンハウアー、マックス・ウェーバーなどがいる
彼らの主張は次のような形で表現される
「人間にとって客観的な最高善は存在しない」
「客観的に真な人間の存在目的は存在しない」
「人間の生活の客観的な最終目的や意味は存在しない」
またカントの視点で取り上げてみる
定言的命令と仮言的命令
「君がAを求めるならばXをせよ」仮言的命令
「常にXをせよ」定言的命令
仮言的命令は君がAを求める場合にしか通用しない
客観的な道徳規範は常に定言命令の形をとる
もちろん形式としてこの形になればよいという訳ではない
意味としてこの形式をとるかどうか
つまり定言的命令は「行為者が現に抱いている願望に決して依存しないような行為の根拠に基づかなければならない」
言い換えれ否定的な意見は
「いかなる定言的命令も、客観的正しさ、何らかの関心に依存しないような正しさをもたない」
という主張と表現できる
もし、論証の形式として論理の規則だけが使用されるとすれば
一連の根拠付けに少なくとも一つの前提が現れなければならないが(ヒュームの自然主義的誤謬)
その前提は真であるかどうかではなく、何らかの決定を含まねばならない
(無限後退をまねくだけである)
最終的に、行為を導く命題、当為命題は、意味として願望、目的、目標に依存する
つまり客観的道徳規範の存在を主張することは
客観的、普遍的な願望、目的、目標が存在することを主張するものであると言え
またそれらを否定するものは
客観的な願望、目的、目標が存在しないこと(それらが主観に留まるものであること)
を主張するものであると言える
こんなところでしょうか
つまりですね
客観的な道徳規範(「〜してはいけない」という形をとる命題)が存在するという主張は、
客観的に真と言えるような
「人間の目的」「人間の目標」「全人類の願望」が存在するという主張であるわけです
そして僕はそれを否定的に見、
相互主観的な立場から道徳規範(「〜してはいけない」)を語ろうとしているのです
その論証は僕の実力不足でできそうもないのでここまでです
あぁ!、読み返すと全然ダメですね
まだまだ文章力不足ですね
最初の否定的な意見の主張に「目的」という語を使用しています
これでは長文を書いた意味がありません
それに客観性について全く語ってませんね
これでは文章をいじりながら、本題については何も語ってないも同然ですね
まだまだ力不足です
例えば、ですね
>>642さんの答えを拝借しますね
>では、あなた達は殺されたいですか?
>その答えに、真実あり。
これは仮言命法をとっている訳です
「もし君が殺されたくなければ人を殺してはならない」
この時に我々は「殺されてもかまわない」という願望があれば「人を殺してもいい」と言えるわけです
しかし逆に
「全ての人は殺されたくない願望を持っている」ならば
定言命法として表現可能な訳です
行為者が(この場合は「全ての者が」)「殺されたくない」という願望をいついかなる時でも持っているならば
ということです
>>648 何であげあし取るの?
一般論の問題でしょーが。
そんなの極論だ
>>649 あげあしを取ってるのではなくて
客観的に「いい」「いけない」を語る、という行為を述べている訳です
そして、君があげあし取りと感じた行動に僕は否定的なのです
僕は君の意見に賛成ですよ
ふぅーん。ならいいや。
>>651 君の意見には前提として
「相手と自分を同じ存在として見る」という行為が成立しています
それはとても素晴らしいことだと思います
こういう類のスレッドは哲学版の観光地みたいなもの?
>>648 揚げ足取りと言う訳ではないのですが、
>「もし君が殺されたくなければ人を殺してはならない」
>この時に我々は「殺されてもかまわない」という願望があれば「人を殺してもいい」と言えるわけです
この部分は「もし君が殺されたくなければ」〜「ならない」と言っているからと言って、
「殺されてもかまわない」なら「人を殺してもいい」には必ずしもならないと思います。
敢えて言うなら「もし君が殺されてもかまわないなら、人を殺してもいいかもしれない」程度でしょう。
これは決して「いい」と同じ意味では無いと思うのです。
655 :
「哲学的」者:02/08/01 23:41
>>641 >さて「哲学的」者さんと対話をしていると
>話が異なる方向にどんどんズレていく感じがします
>これは「哲学的」者さんが常に外部を指そうとするからだと思いますが
>スレ違いという批判を避けるためにも
>ここでスレに関することを述べたいと思います
>主題は「客観的価値は存在するのか」です
人殺しが「いい」「悪い」よりは、少しは発展したということですね。
(そんな議論は「弟子」である「政治学」や「法律学」に任せておけばいいと思いますが)
「意味論」「存在論」は、まだ延々と続くし、哲学が「諸学の女王」を
自認できるのも、その二つに正面から向き合っているからだと思います。
「意味論」の地平でいえば、例えばニーチェなら『「いい」に決まっている』
と断言すると思います。ここで気づくのは『全肯定』が「一部否定」を意味(論)的に包摂しているということです。
「悪い」という定律は「証明義務」を背負うことになり、「限定的世界」についてしか、その定律は「無意味」となる
ことに気づかされます。
『存在論』的には、「客観」とフッサールが目指したような「純粋客観」を区別するという前提で、
「(純粋)客観的真理」は「存在する」という仮定を置かねば、「言葉による議論そのものが成り立たない」
ということになるのではないかと思います。
「言葉」は「世界」を分別する道具です。
「Aは・・・」という定律は「非Aではない全ては・・・」と同義であることを前提とし、さらに
その前提はA+非A=世界(客観的「存在」の総計)となるのではないでしょうか?
656 :
稲妻っていいな:02/08/02 00:04
おひおひ、
話が長げーんだよコラ。
社会が平和や安定の中で最大効率を発揮するように創られている以上
社会的に悪いに決まっている。
個人にとっては対象の消滅が利益をもたらすならば其れは良いに決まっている。
お前らが悪いというのは社会的な話に尽きてるんだよ。
それは奇麗事に過ぎないね。
657 :
「哲学的」者:02/08/02 00:12
>>656 >お前らが悪いというのは社会的な話に尽きてるんだよ。
>それは奇麗事に過ぎないね。
『それは「「悪い」という定律は「証明義務」を背負うことになり、
「限定的世界」についてしか、その定律は「無意味」となる』ことに気づかされます。
「限定的世界」=「社会学」ということです。
>>655 >人殺しが「いい」「悪い」よりは、少しは発展したということですね。
発展したとはどういうことでしょうか?
人殺しが「いい」「悪い」の問題が、どういう方向に「発展」するのでしょうか?
>(そんな議論は「弟子」である「政治学」や「法律学」に任せておけばいいと思いますが)
人殺しが「いい」「悪い」の議論は結局「哲学」の問題ではなく、
「経済学」や「法律学」で語るべき問題であると?
なんで過去ログ読まないんですかね。みなさんアホで見込み無いですから
こういう議論は止めたほうがいいですよ。
この問いは「いけない」と 言 い う る ことを示せれば、
その時点で回答を与えたことになります。
「いけない」とする主張に反対する立場があろうがなかろうが、
いけない、と言えること、またその発言を支える理由を示せるなら、
(それがすべての人間に対して通用する理由でなくとも)
「いけない」と言える「理由はある」ことにはなります。当たり前です。
▼
「いけないとする主張」は、「社会的な話
>>656」であるという指摘ですが、
何度も書いたとおり、これは社会を実体として扱うことからくる勘違いです。
主張はどこまでいっても、「個人的な話」です。
主張は個人が行いあい、そこで完結している事実だからです。
仮に殺人をいけないとする主張に対して、その主張を耳にした人間が
「その主張は社会を前提する」「だから社会を前提しなければその主張は無効である」
などと「殺人をいけないとする主張」の無効性を主張したとしても、
反論された相手は、人を殺すのと同じように、すでに個人的に「いけない」と発言し、
理由を述べ終わっていますから、概念構成がどうとかいう点は問題になりません。
というか、656みたいな、社会が合目的に動く単一の対象であるかのように扱う
バカ発言がまかり通っているのはなぜですか?
▼
「いけない」を万人に通用させる理由が無い点からも進めてみます。
「認めない行為・表現」が常に可能である事実から、「いけない」という主張が
万人に通用しないという主張?は、正しい事実認識と認められます。
しかし、上のような(暴力的な)主張?と並立させて、「認める行為・表現」も
(暴力的に)主張することが可能です。これは自明です。
※被害者側の不利益の指摘をすれば、主張は 通 り や す く なります
(不利益の指摘は、主張の成立要件ではありません)
で、今回の問題ですが、殺すことを肯定する「殺されてない人間」が、
どんなに力いっぱい殺すことの素晴らしさ・楽しさ・正当さが
殺す側にある点や、殺される側のことなど知ったことでない、と絶叫したとしても、
それは殺す側の話であって、殺される側の不当性を原理的に正当化できませんので、
今回の「いけない云々」の議論とは、全く関係がありません。
もちろん関係が無い議論を関係があると強弁して語り合うことは
可能ですが、それは暴力が可能かどうかの話ですから、議論としてはカタがついている
わけです。
おまけ 「ある主張が万人に通用しないという主張?」は、
主張のあて先を自分以外の者にすりかえることで、自分で反論しないで
相手の主張を封じ込めようとするやり方です。
殺人以外の議題についても同じ抗弁が成立する点考えてみてはいかがでしょうか。
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/philo/1018893609/
殺される側のことなど知ったことでない、と絶叫したとしても、
↓
殺される側のことなど知ったことでない点、を絶叫したとしても、
今回の問題ですが、 ←これはカット
>>659-660 473の言うことは、被質問者が「いけない」と主張する事と、
その正当性?を述べているに過ぎないのではないでしょうか?
質問者への回答ではなく、単に被質問者の主張でしょう。
あなたの主張が、質問者に届くかどうか関知しない(目的ではない)のなら、
誰に受け入れられなくても、相手を侮辱(=みなさんアホ)する必要は無いでしょう?
>>663 やっぱりそういう返答ですか。
受け入れられない(なかった)点を暗に強調したいようですが、
受け入れてくれた人はいます。受け入れた人は去ったはずです。
馬鹿を相手にするのは時間の無駄だからです。
私が罵倒する理由は、残っている人間は、何らかの形で殺人を肯定するか、
殺人を否定する理由を説得的でなくするように論じて「見せる」動機から
そうしているようにしか見えないからです。
非質問者が「いけない」と主張する事とその正当性を述べているに
「すぎない」と言ってますが、現にそこで起きた・起きることについて
認めていながら、それを「すぎない」と理由無く決め付けるのはなぜですか。
単に被質問者の主張とか間の抜けた解釈をされてますが、
どう解釈するから659-がそういう風に読めるんですか?
私が言っているのは、「〜だから」「いけない」というのは、
原理的に常に可能であるということです。
もちろん「いけないわけではない」ということも可能です。
しかし、殺人に関して「いけない」と主張する点につき
被害者・殺人者を含む部外者の立場から考えるなら、
殺人者を含む部外者の「殺される不利益がないか、殺しが起きることに
よって得られる利益に関する」主張は、被害者(殺された人)の利益とは
関係がありませんから、殺人者を含む部外者の利益主張によって
「殺人」を正当化することは不可能です。
ですから、「議論としては」、殺人は一般的に「いけない」と
言うことができます。
部外者の立場から考えて、「殺人によって利益があるか、不利益が無いから」
殺人が許容される、という主張は、単に殺されない側の利益主張をしているだけです。
殺人がいいか悪いかについて論じたことにはなっていません。
上の主張は、
「殺人がひきあいに出されても、利益があるか不利益が無いから
殺人はおこなわれた、結果利益があるか不利益が無かったから
問題ない」と言っているだけです。
これは殺人という事実に当然に含まれる被害者側の不利益を無視しただけです。
無視することが可能であるという主張としては、上の主張は正しいですが
殺しが許容される主張としては、上の主張は意味をもちません。
>>664 >単に被質問者の主張とか間の抜けた解釈をされてますが、
>どう解釈するから659-がそういう風に読めるんですか?
>>659 >この問いは「いけない」と 言 い う る ことを示せれば、
>その時点で回答を与えたことになります。
>
>「いけない」とする主張に反対する立場があろうがなかろうが、
>いけない、と言えること、またその発言を支える理由を示せるなら、
>(それがすべての人間に対して通用する理由でなくとも)
>「いけない」と言える「理由はある」ことにはなります。当たり前です。
この部分で、質問者の理解(納得)を無視している様に感じるからです。
私には「言いうること」を示しても、質問者への回答になるとは思えません。
>私が罵倒する理由は、残っている人間は、何らかの形で殺人を肯定するか、
>殺人を否定する理由を説得的でなくするように論じて「見せる」動機から
>そうしているようにしか見えないからです。
あなたにそのように見えれば罵倒しても「いい」のですか?
ちなみに私は、殺人を肯定してはいません。質問者への回答を考えているのです。
>>667 質問者への回答は、日常的に普通に言われている「ありがちな回答」を
言えばいいだけです。かわいそうだとか痛いだろうとか
君が殺されたらどう思うとか、社会契約論がうんたらとか、
なんでも構いません。
「言いうる」ことを示せば回答を与えたことになる とは、
「ありがちな質問者への回答」がどれも「いけない」とする点に関する
答えになっているということを指しています。
あなたにそのように見えれば罵倒してもいいのですか、と
簡単に言ってますが、そのように「見える」までにどれくらい
私が丁寧に対応してきたか、見てきてから言ってください。
私は呆れているのです。
殺人を肯定していないというなら、質問者への回答は
決まっているはずですが(何か理由があるから肯定しないんでしょう?)
なんで「考えている」ことにしてウダウダ話し合ってるんですか?
「考えなければならないほど、わかりにくいことであるように見せたいですか」?
>>668 >「ありがちな質問者への回答」がどれも「いけない」とする点に関する
>答えになっているということを指しています。
すみません。意味がわかりません。
>あなたにそのように見えれば罵倒してもいいのですか、と
>簡単に言ってますが、そのように「見える」までにどれくらい
>私が丁寧に対応してきたか、見てきてから言ってください。
>私は呆れているのです。
あなたが、誰かにいかに丁寧に対応していようと、それを受けていない者も含めた多くの人を、
罵倒する理由にはならないと思います。しかもあなたの示した理由は、
>私が罵倒する理由は、残っている人間は、何らかの形で殺人を肯定するか、
>殺人を否定する理由を説得的でなくするように論じて「見せる」動機から
>そうしているようにしか見えないからです。
ここで発言している全ての人に当てはまる理由でないことは、
少なくとも私のここで語る動機があなたの「見える」理由と違うことで明らかです。
おそらく、他にも違う考え方の人もいるでしょう。私はそれらを十羽一絡げには考えません。
>殺人を肯定していないというなら、質問者への回答は
>決まっているはずですが(何か理由があるから肯定しないんでしょう?)
>なんで「考えている」ことにしてウダウダ話し合ってるんですか?
>「考えなければならないほど、わかりにくいことであるように見せたいですか」?
私個人が殺人をいくら否定していても、現実にそのような事件は多発しています。
単に被質問者の「いけない」という主張の正しさを述べるより、
いかにしてそれを行おうとするもの(質問者)に、
殺人が「いけない」と理解(納得)させるかを考えることの方が大切だと考えるからです。
>>670 意味がわかりませんとしている部分の引用以外の部分も読まれたんでしょうか。
他にもレスを沢山書きましたし、以前のスレッドへのリンクも貼りました。
そこでも意見をまとめてあります。そちらのほうも読んでみてください。
罵倒した点についてですが、515さんはどうも真面目に論じたいようですね・・。
以前、515さんのように真面目に論じてるんだと言っているが
書かれてある内容を見ると、ふざけているとしか思えないような人間が
いたので、その事情を念頭におきすぎました。罵倒した点は、お詫びします。
ごめんなさい。
殺人をいくら否定していても、現実にそのような事件は多発・・・とのことですが、
多発とはどのような基準で述べているのでしょうか。
多発してるかどうかは、それこそ恣意的な形で結論を出せてしまう問題ですよ。
そもそも過失殺を含めて考えているんでしょうか・・。
あと、被質問者の「いけない」という主張の正しさを述べるより・・・と
わきに置こうとするのはなぜですか?
そこでその主張がなされる理由が認められることを理解することが
まさに「殺人がいけないと理解(納得)させる」のに必要なこと
そのものではありませんか?
>>671 意見はざっと読ませて頂いています。
それでも「ありがちな質問者への回答」が何を指し、ここでの「いけない」が、
その回答が〜なのか、殺人が〜なのか、それ以外なのかわかりません。
>以前、515さんのように真面目に論じてるんだと言っているが
(中略)
>ごめんなさい。
書かれている内容で判断するのは難しいと思います。
ここには、色んな環境で育った人がいると思います。価値観にしてもそうです。
自分が「感じる」、「真面目」と違うからといって、いきなり否定することは出来ません。
もしかしたら自分が先に意に反して誰かを傷つけていたという事もあるかもしれませんし。
>殺人をいくら否定していても、現実にそのような事件は多発・・・とのことですが、
(中略)
>そもそも過失殺を含めて考えているんでしょうか・・。
過失殺は含んでいません。ただし、通常払うべき注意を怠る事は含むべきであると思います。
例えば、スピード違反をして事故を起こし、誰かを死なせるというような事態です。
「人を」とした場合、自分(自殺)も他者(他殺)も含むと思いますが、
「殺す」とした場合、不測の事態で「人が死んでしまった」状態を読み取れないからです。
(受動的ではなく能動的な殺しと言ったらいいでしょうか)
このような意味で、「人を殺すこと」は日常のニュースで敢えて取り上げきれないほど、
多発していると聞きます。
>あと、被質問者の「いけない」という主張の正しさを述べるより・・・と
(中略)
>そのものではありませんか?
あなたの方法で質問者に理解(納得)させるには、「いけない」と主張しその理由を示したのなら、
それが質問者にどのように関係するかを説明できなければ、回答ではありません。
「主張しうる」で終わるのではなく、その先こそが肝心なところでしょう。
被質問者の「いけない」という主張の正しさを脇に置いているのではなく、
そこまででは、結論(回答)とはなり得ないと言うことです。
このような理由で、「いけない」と言う主張に終始するなら、
あなたの方法では質問者に対する回答をしていることにはならないと考えています。
こんにちは。これで、ひとまずは終わりにします。
>>672 >意見はざっと読ませて頂いています。
こういうとこで「ざっと」というようなあいまいな表現をとるべきではないです。
向 こ う の ス レ ッ ド の 引 用 部 分 は 、 読まれましたか?
これに対して明確に答えることに、不都合はないはずですよね。
▼
>それでも「ありがちな質問者への回答」が何を指し、ここでの「いけない」が、
>その回答が〜なのか、殺人が〜なのか、それ以外なのかわかりません。
「質問者への回答」が何をさしているかについては、
もともと あなたのレス
>>667「質問者への回答を考えている」を受けて
>>668で明示的に触れています。
>質問者への回答は、日常的に普通に言われている「ありがちな回答」を言えばいいだけです。
>かわいそうだとか痛いだろうとか、君が殺されたらどう思うとか、社会契約論がうんたらとか、
>なんでも構いません。
いけない、は当然「人を殺しては」いけない、です。上の部分を見ても明らかにその点に
かかっていることが分かるはずです。真面目に論じているというわりには、随分おそまつですね。
>書かれている内容で判断するのは難しいと思います。
>ここには、色んな環境で育った人がいると思います。価値観にしてもそうです。
>自分が「感じる」、「真面目」と違うからといって、いきなり否定することは出来ません。
>もしかしたら自分が先に意に反して誰かを傷つけていたという事もあるかもしれませんし。
罵倒した件に関しては、繰り返しお詫びします。
ですが、「感じる」「真面目」と違うという判断は前述の通り「いきなり」行ったのではありません。
根拠になる記述の大部分は、前スレにありますから、そちらのほうを読んで判断してください。
時間的な都合などで読むことができないのでしたら、この件について判断を決する書き込みを
しないでください。
▼
>>殺人をいくら否定していても、現実にそのような事件は多発・・・とのことですが、
>(中略)
>>そもそも過失殺を含めて考えているんでしょうか・・。
>過失殺は含んでいません。ただし、通常払うべき注意を怠る事は含むべきであると思います。
>例えば、スピード違反をして事故を起こし、誰かを死なせるというような事態です。
>「人を」とした場合、自分(自殺)も他者(他殺)も含むと思いますが、
>「殺す」とした場合、不測の事態で「人が死んでしまった」状態を読み取れないからです。
・そもそも殺人という事実には「殺す」立場だけではなくて「殺される」立場もあります。
「殺される」立場から考えた場合には、当然に「不測の事態で人が死んでしまった」
状態を含められます。自分が死ぬことについて何者かがかかわっていた場合
その関わった相手が「自分を殺した」と表現するのは、ごく自然であるからです。
ですから過失殺も今回の議論に含めるべきです。
「殺す」という表現を質問者がとっているし、慣用的に「殺す」という語には、
473が言う意味は含まれていない、と応じられるかもしれませんが、今回の議論において
質問者が「殺人」の是非を扱っているのは自明ですから、「殺される」側から語ることは、
当然に認められます。「殺人」という事実には、当然に「殺される側」が含まれるからです。
殺人という事実を検討する上で、「殺す」という慣用によって議題を設定してしまうと、
当然に殺される側の立場を無視してしまうことになる点は、以前から強調している点です。
言い換えますと、「殺す」側の主観的な事情を考察することは、
「殺人を行ったときの心理(に関する推定)」を扱うことにはなっても、
「殺人」という事実に類型的に含まれる全ての事実を、きちんと扱ったことにはなりません。
あなたを含め、このスレッドの多くの人は、あくまで責任を追及できるかどうかを
決する要素であって、起した結果を左右できる要素ではない、加害者側の故意過失ばかり論じています。
しかし、殺人をいけないとする上で、考察できる点は、加害者側の内心の問題以外にも
実際に殺されてしまったことで失われた利益という問題もありますし、こちらのほうが
むしろ主たる問題ですから、その観点を考察から外す立場(過失殺を「殺人」に含めない立場)を
認めることはできません。
>(受動的ではなく能動的な殺しと言ったらいいでしょうか)
>このような意味で、「人を殺すこと」は日常のニュースで敢えて取り上げきれないほど、
>多発していると聞きます。
あなたは
>>670で
>いかにしてそれを行おうとするもの(質問者)に、殺人が「いけない」と理解(納得)させるかを
>考えることの方が大切だ
と書いています。
これは多発している「通常払うべき注意を怠る事は含むべきである」にも関わらず、
「払わなかった」事件を考える上で大切なことではないです。
なぜなら、通常払うべき注意を払わない人は、殺人がいけないと理解してない人ではなくて、
殺人の可能性があるのに注意を払わなかった人だからです。
注意を払わなかった人が納得すべき点は、殺人がいけない点ではなくて、結果的な殺人の危険性を
認識してその危険性を回避するような行動を習慣化すべきである、という点なはずです。
あなたは自分が説得すべき事例について、
>>670では故意殺を念頭においていたと思われます。
そうであれば、多発という表現は間違っています。殺人罪の認知件数は、年に10万人に1件
程度だからです。暗数を考慮しても、多発とは言い難いことは明らかです。
そして、認識ある過失殺を含めるなら、
>>670で述べたあなたの観点は、多発しているケースに
対する回答にはなりえない観点であることになります。
あなたの論旨は、一貫していません。
>あなたの方法で質問者に理解(納得)させるには、「いけない」と主張しその理由を示したのなら、
>それが質問者にどのように関係するかを説明できなければ、回答ではありません。
>「主張しうる」で終わるのではなく、その先こそが肝心なところでしょう。
ですから、現実的な主張は私が示した枠組みの提示で行われるのではなくて、
>>665-666に示したような
形で行っているわけです。あなたは自分の反論にとって都合のいい部分しか読まないようですね。
>>673-676 >これに対して明確に答えることに、不都合はないはずですよね。
読みましたよ。ただ、私が充分把握できていない点があるだろうことを含めた意味で、
「ざっと」と言う表現を使わせていただきました。それとも「一応」の方が良かったでしょうか?
>いけない、は当然「人を殺しては」いけない、です。上の部分を見ても明らかにその点に
> かかっていることが分かるはずです。真面目に論じているというわりには、随分おそまつですね。
あなたがお粗末と感じたことを拒否できませんが、私にはあなたが先走りすぎだと感じます。
(例えば>私が罵倒する理由は、残っている人間は〜<と勝手に勘違いされた様に)
あなたが行間を取られた意味が解らなかったので敢えて質問させていただきました。
私は常に慎重であるべきだと思っています。あなたには単にくどいだけだったのでしょうか?
あなたは、473対2ch(473以外)で語っているのですか、レスしたものと1対1で語っているのですか?
以前に聞き分けのない誰かと手間のかかる議論を繰り返したとしても、
新たにレスするものにその手間を省く理由にはならないと思いますよ。
以前の経過を根拠にするあなたのレスを読むと、そのような方々と私を同一視している様に感じます。
>>673-676 私の認識では、日本での殺人罪の認知件数が年間10万人に1件でも、
充分多発と感じます。ちなみに1件とは事件の数ですから、必ずしも1件=一人ではないですね。
例えば、地下鉄サリン事件では12名の尊い命が奪われましたが、
約5500人が被害に遭い治療を受けたそうです。
目的の面から見れば未遂ではあったものの大量殺人を想定した事件でしょう。
そして、自殺者は年間約3万人で、10万人に25人程度だそうです。(1日80名以上)
また過失殺の内、払うべき注意を怠った為の殺人を含めば更に多いことも明らかですね。
>注意を払わなかった人が納得すべき点は、殺人がいけない点ではなくて、結果的な殺人の危険性を
>認識してその危険性を回避するような行動を習慣化すべきである、という点なはずです。
私の考えでは、「人を殺すこと」が「いけない」であるからこそ、
注意を払うべきであり、その注意の大切さが理解(納得)させられるのだと思います。
その点で故意殺のみでなく、注意不足による殺人も多発するケースに含んで考えています。
個人的な心情としては、未遂事件もこの議論に関係すると考えています。
その行為の目的に「人を殺すこと」があるからです。
だからこそ、このスレの議論が結果に対する議論ではなく、殺人抑止の議論になると思います。
「人を殺したけど」いいの?いけないの?と聞いている訳ではありませんから、
質問者に対して、予め「いけない」と認識させることに意味があると思います。
更に言うなら、質問者は「人が(私)が殺されること」は「いいのか」「いけないのか」
と聞いている訳でもありません。
私はあなたの殺人には「被害者の不利益が常にある」ので「いけない」を否定しませんが、
質問者に対する回答であるとするなら、被質問者の「いけない」の主張を述べるに留まる事は、
やはり目的を達成したことにはならないと言わざるを得ません。
結論を空論に終わらせない為には、あなたの「いけない」の根拠が、
質問者にとって重要であることを説明しなければならないと思います。
>>676 まさに
>>676での参照先の主張にある事、
> つまり、ある人間が周囲の人間を大切にし、その周囲の人間もある人間を大切にすること、
> 大切にすること自体も楽しんでいる、そういう心理的な条件が整っていることによって
> 結果的に「人を殺したくないし、殺してはいけないと理解されている」ものです。
>
> 理解させなくてはならないのではなくて、お互いに、理解している状態にあれるように、
> 優しく接しあい、最低限の知性を持っておくことが大事です。
あなたにはとても具体的なのでしょうが、私にはこの内容はぼんやりしています。
しかし、もしこれ(互いを大切にすること)が整っているものであるなら、
なぜそうなるのかや、最低限の知性がどういうものかなど、それぞれの言葉の意味を明らかにし、
そしてそれが質問者にとっても重要であることが説明できるなら、
それこそが質問者に対する回答になるのだと思います。
これを中心に主張・議論をするべきで、それ以外の主張は不要なことです。
680 :
考える名無しさん:02/08/02 21:45
>>515 >人殺しが「いい」「悪い」よりは、少しは発展したということですね。
発展したとはどういうことでしょうか?
人殺しが「いい」「悪い」の問題が、どういう方向に「発展」するのでしょうか?
>(そんな議論は「弟子」である「政治学」や「法律学」に任せておけばいいと思いますが)
人殺しが「いい」「悪い」の議論は結局「哲学」の問題ではなく、
「経済学」や「法律学」で語るべき問題であると?
結局「哲学的」に思考すると、「いい」「わるい」の『「意味」の問題』=「意味論」
と、それを発語する主体の問題=「存在論」に行き着くてしまうということです。
「思想=哲学」から派生した「政治学」、さらにそれから派生した「法律学」は、「事実」=社会で起こっている現象
に、「より即した」説明をしてくれます。
「法律学」によると『いいとも悪いとも言えない「人を殺す行為」=緊急避難&正当防衛はあるよ』とはっきり
答えてくれます。
「理論物理学」と「物性物理学」が分業した方が能率的であることは、言うまでもありません。
脳の手術を受けるとき「一般の外科医」と「脳外科医」のどちらかを選択できるとしたら、あなたはどちらを選びますか?
「理論物理学」と「哲学」は「政治学」「法律学」、「化学」や「生物学」等の諸学が発展的に「のれん分け」されていった
残りの「核」だと思います。だからそれら諸学を「弟子」だと言った訳です。
681 :
考える名無しさん:02/08/02 22:12
結局「魔法使いの弟子」か。ガクモンは。
>>680 > 結局「哲学的」に思考すると、「いい」「わるい」の『「意味」の問題』=「意味論」
(中略)
>答えてくれます。
いかなる問題もその点に返るのなら、私には発展したのではなく、
発展できなかったととってしまいます。
その主張によると、哲学では机上の空論のみで何事の現実にある問題にも、
答えを出すことはできない(又は出された答えに何の効果もない)と考えている訳ですね。
と言うことは、哲学は思考すること自体、それのみが哲学であると?
であれば、何事にも答えを出せない「哲学」よりも、明確な答えを出せる「法律学」の方が、
余程存在意義がありますね。
そうなると「哲学」は、「政治学」「法律学」が分化した後の「核」というより、
役立たずの「残りカス」ですね。
683 :
「哲学的」者:02/08/02 23:23
>>982 >であれば、何事にも答えを出せない「哲学」よりも、明確な答えを出せる「法律学」の方が、
>余程存在意義がありますね。
>そうなると「哲学」は、「政治学」「法律学」が分化した後の「核」というより、
>役立たずの「残りカス」ですね。
ある意味で、色々な「権力」の影響を受けない「外部」にあるべきだと思います。
「諸学の女王」なんですから、「実学」のしがらみからは超越的であるべきです。
ちなみに「実学にしがらみ」に巻き込まれ混迷を極めているのが「経済学」です。
付け加えると「理論物理学」は今のところ「ウィンザー候」程度だと思います。
>>677-679 答えておく必要性を強く感じたので、レスをつけます。
▼
>あなたがお粗末と感じたことを拒否できませんが、私にはあなたが先走りすぎだと感じます。
>〜行間を取られた意味が解らなかったので敢えて質問〜私は常に慎重であるべきだと思っています。
>あなたには単にくどいだけだったのでしょうか?
先走りがあったことは認めます(罵倒したこと)。
しかし、あなたが「慎重である」とは言えないです。あなたがレスを返している部分の主たる内容は、
>「質問者への回答」が何をさしているかについては、
>もともと あなたのレス
>>667「質問者への回答を考えている」を受けて
>>668で明示的に触れています。
>>質問者への回答は、日常的に普通に言われている「ありがちな回答」を言えばいいだけです。
>>かわいそうだとか痛いだろうとか、君が殺されたらどう思うとか、社会契約論がうんたらとか、
>>なんでも構いません。
>いけない、は当然「人を殺しては」いけない、です。上の部分を見ても明らかにその点に
>かかっていることが分かるはずです。
以上の部分(A)であって、
>真面目に論じているというわりには、随分おそまつですね。
この最後の一文ではありません。あなたは正しく引用を行ってませんし、
お粗末と言われた部分に着目して、感じられた内容について一切検討せずに
>あなたは、473対2ch(473以外)で語っているのですか、レスしたものと1対1で語っているのですか?
>以前に聞き分けのない誰かと手間のかかる議論を繰り返したとしても、
>新たにレスするものにその手間を省く理由にはならないと思いますよ。
>以前の経過を根拠にするあなたのレスを読むと、そのような方々と私を同一視している様に感じます。
このようなな一般論(B)を展開してます。(B)が、(A)への反論になりますか?
これでは「慎重である」とは言えません。
以前の部分に関しても、「行間を取られた意味が解らなかったので」「敢えて質問をした」だけでは
(A)を読んだときに慎重であったことにはなりません。(A)の3行に行間はなく、
その部分で十分に「質問者への回答」の意味は読み取れるように書かれていたわけですから。
>私の認識では、日本での殺人罪の認知件数が年間10万人に1件でも、充分多発と感じます。
>ちなみに1件とは事件の数ですから、必ずしも1件=一人ではないですね。
>例えば、地下鉄サリン事件では12名の尊い命が奪われましたが、
>約5500人が被害に遭い治療を受けたそうです。
>目的の面から見れば未遂ではあったものの大量殺人を想定した事件でしょう。
>そして、自殺者は年間約3万人で、10万人に25人程度だそうです。(1日80名以上)
>また過失殺の内、払うべき注意を怠った為の殺人を含めば更に多いことも明らかですね。
上の部分、サリン事件の部分は、心情的に納得のいく記述です。しかし、これまでの文脈において、
あなたが「多発している」と論じられていた点の論証にはなっていません。
あなたは、地下鉄サリン事件における結果の重大性や、多くの人の命が *失われた* 点を強調されました。
(殺された・殺されそうになった当人たちにとっては「多発」というより、その事件は「全て」ですから、
私は、
>>677中の意味での多発性を言う感性は、正しいと思います)
しかし、*行った* 人間は、ごく少数です。
**で強調したところに注意してください。あなたがこれまでに強調してきた観点は;
>>670 >私個人が殺人をいくら否定していても、現実にそのような事件は多発しています。
>単に被質問者の「いけない」という主張の正しさを述べるより、
>いかにしてそれを行おうとするもの(質問者)に、
>殺人が「いけない」と理解(納得)させるかを考えることの方が大切だと考えるからです。
この部分であったはずです。地下鉄サリン事件で殺された方たちや、被害にあって傷ついている方たちは、
あなたが上の部分で強調したような大切さを、改めて納得する必要がある方たちなんでしょうか?
あなたは「多発している」という観点を、*加害者側の観点の一般性を強調する必要から*問題に
していたはずです。サリン事件における被害者の数の多さは、あなたが言う問題にしていた「多発」を
裏付けるデータなんでしょうか?
自殺者についてもです。自殺者は、「殺人が「いけない」と理解していないから」自分を殺したのでは
ないでしょう。自殺者は、
・生きているうえでのつらさ を、死によるつらさ
(肉体的、精神的苦痛・将来の可能性がなくなること・人付き合いが失われてしまうことなど)より、
・ある時に大きく見積もってしまったから
・結果として死を選んだ
のでしょう。「殺人がいけないこと」がわかってない人間であるとは、到底考えられません。
なぜなら、そんなことは、自身が死に際して負う苦痛でわかりすぎるほどわかっているはずだからです。
自殺者が多発している点に関する指摘も、あなたの「加害者側の観点の一般性、その一般性の克服の必要性」を
論証しません。
過失殺については、次の項で論じます。
▼
>>注意を払わなかった人が納得すべき点は、殺人がいけない点ではなくて、結果的な殺人の危険性を
>>認識してその危険性を回避するような行動を習慣化すべきである、という点なはずです。
>私の考えでは、「人を殺すこと」が「いけない」であるからこそ、
>注意を払うべきであり、その注意の大切さが理解(納得)させられるのだと思います。
>その点で故意殺のみでなく、注意不足による殺人も多発するケースに含んで考えています。
注意を払わなかった人が「殺人がいけない」点を何らかの形で納得していないとは、認められません。
だいたい殺す必要性を感じていないのに「いけない」と言われても、殺そうとは思ってない(なかった)よ
と言われるだけでしょう。
注意の大切さを納得させる観点は、「人を殺すことがいけない」点ではありません。
注意不足な人 は、人を殺すことがいけない点を強調されれば、こう応じてきます。
・いや、実際には人はねたりなんかしないから、大丈夫だって」
・いや、実際はねたんだけど、注意していたんだ。殺すことがいけないことは分かっているんだ
こういう人たちは、そもそも人が死ぬ可能性が1あるときに、例えば30ないから大丈夫だと考える点から
不注意に至っているのです。彼らに必要なのは いけないことをわかることではなくて、
いけないことが起きる可能性が1あるなら、その可能性を行動の基準として肯定しなければいけない点を
習 慣 化 することです。
いつも人を殺してはいけない点についてイメージしていることが必要なのではなくて、
あるときにイメージして、そのイメージにしたがってある行動を繰り返すことにし、
「その行動基準に従っていること」が必要であり、納得すべきことです。
687 :
考える名無しさん:02/08/03 00:49
何でもいいから「コテスレ」を名乗ってもらえませんか?
誰がだれだか判らなくなっております。
「暫定コテスレ」でもいいですから「NOコテスレ」は止めてください。
読む方も、暇ではないので・・・できれば、お願いします。
▼
>個人的な心情としては、未遂事件もこの議論に関係すると考えています。
>その行為の目的に「人を殺すこと」があるからです。
先ほどの認知件数ですが、これは未遂罪を含む点確認しておきます。
あなたが想定しているケースは、それくらい少ないということです。
>だからこそ、このスレの議論が結果に対する議論ではなく、殺人抑止の議論になると思います。
>「人を殺したけど」いいの?いけないの?と聞いている訳ではありませんから、
>質問者に対して、予め「いけない」と認識させることに意味があると思います。
殺人抑止の必要性を叫ばなければならないほど、殺人実行を考えている人間・時間自体が少ない点を
無視しないでください。
「殺された」サリン事件の被害を強調しつつ、議論の上では、「殺された・る」恐れを抱いている人が
普段意識もしない「殺す」観点から語る時間を増やし、その議論を続ける中で「加害者の観点」を聞き手に
定着させていくような議論を展開しないでください。
あなたの議論の構成では、論じることで「加害者の観点という意識を強く定着させる」ことになるだけで、
実際に殺人抑止につながることはありません。一番いいのは殺人という手段が視野からそれていることに
満足できる条件が社会的・精神的に整っていること、被害を受ける立場を想起することであって、
「殺す」観点を持ってないのに、わざわざ持たせた上で「殺す」観点を否定する議論を続けることでは
ありません。
>更に言うなら、質問者は「人が(私)が殺されること」は「いいのか」「いけないのか」と
>聞いている訳でもありません。
>私はあなたの殺人には「被害者の不利益が常にある」ので「いけない」を否定しませんが、
>質問者に対する回答であるとするなら、被質問者の「いけない」の主張を述べるに留まる事は、
>やはり目的を達成したことにはならないと言わざるを得ません。
>結論を空論に終わらせない為には、あなたの「いけない」の根拠が、質問者にとって重要であることを
>説明しなければならないと思います。
おかしいですね。「人を殺すことは」「なぜ」いけないのか です。私は問いに答えました。
その答えを確認した段階で納得できるなら、抑止の話は必要無いです。
あなたは勝手に「殺す」観点を質問者に前提し、また「殺される」観点からの多発性を「殺す」観点からの
「多発性」にすりかえ、その一般性を前提していますが、そうした議論自体がむしろ「殺される」観点を
見失わせ、殺す観点を強調してしまうことにつながるのです。
質問者は質問を書き込んだあと、普通に家族や友人や恋人と話し、音楽を聴いたり、エロい画像を見たり
しているはずです。それらが保たれることの大切さ、またその大切さを感じる人の
多さ、近さを感じていれば、おのずから「殺す」観点を検討する必要が生じません。
>>680 >「法律学」によると『いいとも悪いとも言えない「人を殺す行為」=緊急避難&正当防衛はあるよ』と
>はっきり答えてくれます。
ここでいう法律学(=刑法学)によれば、刑法の目的は、法益保護にあり、その観点から刑事法制による
処罰を肯定し、その処罰の範囲を画する目的で「人を殺す行為」の可罰性を論じるとするのが一般的です。
一般人が「いいか悪いか」の基準を「実践的な」「法律」に求めることがありがちな話であることは
否定しませんが、その観点が刑法学によっても踏襲されているかのようなデタラメを書かないでください。
刑法学は、いいか悪いかを処罰の観点から扱うのです。刑法上正当化されるからといって
それが「いい」ことになるとは限りません。
だいたい「法律学」が答えるって何でしょう? 法律学にもいろいろあります。
例えば商法学はこの件について何も答えません。
690 :
考える名無しさん:02/08/03 01:00
また、473が自作自演しているのか?
こういう人たちは、そもそも人が死ぬ可能性が1あるときに、例えば30ないから大丈夫だと考える点から
不注意に至っているのです
↓
こういう人たちは、そもそも人が死ぬ可能性が1あるときに、99のほうに
あたるだろうから大丈夫だと考える点から不注意に至っているのです
下のたとえのほうが良かったですね。すみません。
>>690 誰を自作自演してるんですかね。アホですね、ホント。
コテスレとか言ってる人。名無しでも誰が書いたか特定できちゃいますよ。
いっつも同じ指摘ばかりで能が無いですね。
普通「コテスレ」は、「コテハン」と言います。
でもよく考えると、690のおかげで、473がコテハンの役を果たしていることが
示されましたね。ありがとう、690さん。
それでは。
694 :
「哲学的」者:02/08/03 01:10
「デタラメ」ではありません。法律学は、ロック、ヒューム、ルソー
の時代には、「喫緊に整備されるべき思想」だったのです。
今で言う「哲学」と同義です。
「正義」を何とするか?「犯罪」を何とするか?「時の権力者の恣意」
の恣意を免れようとする動きは、13世紀「マグナカルタ」ににまで、
さかのぼります。
「死刑」はそのころは「反宗罪」に最優先に適用され、「単純殺人」は
その次の刑罰になっていたことを思い起こすべきです。
現在の日本国の「刑法」でも「外患罪」の刑罰が「殺人罪」の刑罰より
重いことに「なぜ」という疑問があり、それに答えるのは「法律学」です。
>>694 私は「法律学」の、沿革からの定義づけの射程の話をしたのではないです。
ああ、これで「哲学的」者が473でないことも示されましたね。
自作自演ウオッチャーのみなさん、ご機嫌いかがですか?
ではでは。
697 :
「哲学的」者:02/08/03 01:15
では。
結局、スレタイの答えが出てないように思うのですが。
感じるのは、「何が」「人を殺す」ことが「いけない」のかということです。
文法が変なので、簡単に言い直すと、
「人を殺す」ものが「何」なのか、そして、「それ」が「人を殺すこと」が「いけない」ことなのか。
ということです。
つか、既に議論の前提として、「人が人を殺すことはいけないのかどうなのか」
ということが在るのでしょうか。
ついでに、人でなく人間という言葉を用いた場合、
もしそうなら、「人間とは社会的動物である」という前提が在るように思うのですが……。
ついでに稚拙で申し訳ないのですが、私の考えも。
「人間は人を殺してはいけないが、病理の排除に置いてその限りではない」
個人の命は優先されるものだけれど、種(この表現が適切とは思いませんが、他に思いつきませんでした)
の存続が最優先されるものである、と。
699 :
考える名無しさん:02/08/03 02:21
>>698 もはや、そういうまともな話が通用する状態じゃないのよ(笑。
700 :
「哲学的」者:02/08/03 02:40
>ついでに、人でなく人間という言葉を用いた場合、
>もしそうなら、「人間とは社会的動物である」という前提が在るように思うのですが……。
「社会的動物」=無効と言っても121とはじめとして、「社会的動物」ではあまりに雑駁ですよ。
通りすがりさんの粗暴な疑問はよおぉく判り」かりますが。「フムむ。そうですか」しかいえませんね。
>「人を殺す」ものが「何」なのか、
人ですよ。さも意味深そうに意味のないことを書くのはよしましょう。
>そして、「それ」が「人を殺すこと」が「いけない」ことなのか。
>ということです。
なんで「人を殺す」という見方にそんなに執着するんですか?
本当に馬鹿ばかりですね。
殺人には「殺される」という側面があると何十回も強調し、
・その観点が、殺すという観点より現実的に支えられやすい点、
・その観点から考えるほうが実践的に良い点
・評価の下し方として正しい点
以上のような点を何回も述べているんですが、なんでことあるごとに
「殺す」という概念構成に戻して、当然論理的に認められる帰結を
無視することで「答えが出てない」とか言い立てるんですかね?
私が馬鹿って言ってるのは、そういう意味ですよ?
社会的動物は確かに大雑把でした。
アリストテレスも持ち出すのは古すぎましたかね。(正確には政治的動物でしたか)
今更「自然」とは「必然」であるみたいなことはアレなんでしょう。
私的には「殺す」という源衝動に近しい現象は、その辺まで遡った方がかえって解きやすいのではないかと思った次第で。
(実に私的ですが)
>フムむ。そうですか
それで十分です。別に啓蒙する気はさらさらないので。
704 :
考える名無しさん:02/08/03 03:20
>>702 それは、この議論が殺す側から見た「殺す」と
いう行為についてだからではないでしょうか?
この場合、あなたの「殺される側」からの視点
はさほど意味があるようには思えませんが。
705 :
考える名無しさん:02/08/03 03:22
別に、「殺されることは何故いけないのか?」
というスレを立てて、そこで議論してはいかが
でしょうか?
706 :
考える名無しさん:02/08/03 03:29
汎用性のある基準を導きだすことは不可能ではなかろうか
>「殺す」という源衝動に近しい現象
要するに「本能(通俗的な意味での)」的な現象、と言ってるだけですよね。
衝動的である状態と、殺すという結果を、混同して考えてしまってるだけでしょう。
言い換えれば、おかしさがよくわかりますよ;
「死の結果が生じるくらい衝動的に行動するような現象は、その辺まで遡った方が
かえって解きやすい」
あなたは、殺すという言葉を使いながら、殺すことがどうとかいう点を
問題にしない暴力的な立場を中心的に論じようとしているのであって、
殺されることを嫌う側から導かれる帰結にしたがって
行動をどのようにとっていくのが好ましいか、論じようとしている
のではないようです。
たしかに「私的」ですね。「私的」というわりには、問いに答えられてないと
発言することによって、暗に殺される側に関する議論をも没却する「公的な」試みも
怠っていないようですが。
>>704-705 殺すという規定に固執するな、という主張に対して
「議論が殺すという行為についてだから」は答えになりmせん。
殺すことは殺されることを 絶 対 に 伴うからです。
殺されることが絶対に伴うのに、それを無視した議論をする、と言ったところで
私の「殺人」に関する「殺される側からの議論」の意義を
「殺す」議論において失わせることは、できません。
無視することは可能ですけどね。
>>707 >>殺すという規定に固執するな、という主張に対して
君こそ、殺されるとう側面にばっかり固執するのはやめたら?
>>706 基準というのは、万人がその正当性を理論的に肯定するという条件を満たさなくても
設定できることは自明なんですが。
710 :
考える名無しさん:02/08/03 03:40
で。
「いけない」と「いい」の基準とその正当性の証明はしないのか?
>>708 はは、論理的に反論できなくなったらオウム返しですか。
それがあなたにはお似合いですよ。
>>711 やれやれ、まともに議論する姿勢がないな。
反論できなくなると、罵倒ですか?
アホが書き込みを増やすばかりで意味が無いようなので去ります。
>>710 >>665-666とか
>>684-688とか参照お願いします。
語弊を恐れずに言えば、正当性の「証明」は不要です。
必要なのは主張と習慣です。特に習慣です。
>>712 ヘタレの名無しオウムがかっこつけても何も出ませんよ。
715 :
考える名無しさん:02/08/03 03:46
>>709 それじゃ法律と大して変わらんじゃない
哲学的にやる必要無いな(w
716 :
考える名無しさん:02/08/03 03:48
>>713 >>アホが書き込みを増やすばかりで意味が無いようなので去ります。
去ったまま、戻ってこなければこのスレもちょっとはマシなのに(笑。
あなたの言いたいことは分かったから、これ以上、無意味なリンクを
貼ったりすることは是非とも自粛してほしい。
718 :
考える名無しさん:02/08/03 03:49
>>716 マシというのは、誰にとってマシなんでしょうねえ。
加害者側の心理を普及徹底させたい人にとってですか?
おやすみなさい。
>>714 結局君は、「殺される側にデメリットがある」という
当たり前の、単なる一つの要素にすぎないことを、あ
たかも決定的な要素であるかのごとく扱って、無理や
り議論を終わらせているだけなんですが。
まあ、反論できなくなったら逃げて、いなくなった頃
に戻ってくるいつものパターンでしょうけど。
>>719 >>加害者側の心理を普及徹底させたい人にとってですか?
少なくとも、この場は、「殺人を奨励する場」でもなければ、
「殺人はいけないと道徳的な啓蒙をする場」でもないことは
覚えておいたほうがいいでしょう。
>>713 いや、単純に、
>>1に書いてあることだったからさ。
だから正確に言うと、正当性の証明の手段ってことか。そんな感じ。
473は頭良さそうなので汲み取ってくれ。
習慣か……。つまり、人が「人を殺しちゃいけない」って決めた事がすでに習慣になってるから、
(無論主張もされてるし)いけないことだと言えるってこと?
そろそろ
>>1の問いに簡潔な言葉で答えられるくらいになってるんじゃないの?
岡目八目。そう思えるよ。
余計な意図を差し挟んで、議論に臨むから、
破綻した論理展開になるのですよ。
>>554 >「いい」「いけない」という「デジタル発想」の問題では(たぶん何事も)
>ないことは、以前にも指摘させてもらいました。
私と550 の話では、その点には話が及んで無いし、
>>553 は、あなたに対してした発言でもないよ。
>>555 >僕はそれに対するきちんとした批判を提示してますが
あなたは、「皮肉しかいえない」と断言した後で、一度もそれを撤回していない。
従って、私としては、「皮肉しかいえない」以降のあなたの発言は全て
「皮肉」だと判断するしかない。
あなたに、私の意見を批判する能力が無いということはよくわかったから、
これ以上くだらない「皮肉」でスレを荒らすのはやめたらどうだね?
>>725 君の意見と僕の意見のどちらがスレにとって無意味であるか
それは第三者に判断してもらえばいいでしょう
僕は偏屈な自尊心に付き合うほど暇ではないので
無駄な討論に参加する気はございません
>>726 「参加する気が無い」のなら、それこそ発言はやめたらどうだね?
「皮肉しかいえない」といったり「参加する気が無い」といったり、
いろいろ言い方を変えているけれど、
要するに
「批判することができない」
ということに変わりは無いだろう。
第三者云々以前にあなたが、あなた自身で、
頼みもしないのに、繰り返し認めてるってことだ。
>「哲学的」者
>>654 >〜中略、これは決して「いい」と同じ意味では無いと思うのです。
僕は言語もまた規範に縛られたゲームであると思いますし
その規範も一対一のガチガチなものではないと思います
「いい」は必ずしも[good]だけを示すとは限りません
[may 〜]という意味もあります
前者は「価値が存在する」という意であり
後者は(僕の主張では)「規範の外側に存在する」という意味となります
ちなみにスレ名からは後者と伺えます
「悪い」でも「よくない」でもなく「いけない」だからです
もっとも「哲学的」者さんは常に「良い」「悪い」の二項対立を想像してきた節がありますが
>人殺しが「いい」「悪い」よりは、少しは発展したということですね。
>(そんな議論は「弟子」である「政治学」や「法律学」に任せておけばいいと思いますが)
そうですね、「いい」か「悪い」かは哲学が決定することではないでしょう
(むしろ決定されてる事実がすでに存在している)
しかしそのような性質「良いについて」「価値について」思索することは哲学の領域であると思います
もちろん「いけない」という「規範について」もそうです
>『存在論』的には、「客観」とフッサールが目指したような「純粋客観」を区別するという前提で、
>「(純粋)客観的真理」は「存在する」という仮定を置かねば、「言葉による議論そのものが成り立たない」
>ということになるのではないかと思います。
もちろん存在するか否かだけでなく、到達できるかどうか、という問題提起でもあります
存在論は認識論へ、認識論は存在論へと回帰されるだけですが
>「言葉」は「世界」を分別する道具です。
僕はそうは思いません
言葉ですら「殺人禁忌」と同じようにただの規範の一つに過ぎないと僕は考えます
また、そう主張してます
大事なのは言葉の形式ではなく、文章の意味です、相手の語ったものです
言語ゲームを解体してその意味を汲み取ることが重要であると思います
>「社会的動物」=無効と言っても121とはじめとして、「社会的動物」ではあまりに雑駁ですよ。
僕の規範的生物という表現はただの性質表現だけではありません
存在論として唯物世界、観念世界以外の第三の規範世界を設定しているのです
むしろ漠然という批判よりは「そんな世界などない」という批判のほうが多いと思います
もっとも、もとは数学的実在、道徳的実在を解決するために創り出した案ですが
>>727 僕は「無駄」な討論には参加する気はございません
>>729 あなた自身に批判する能力が無いことがはっりわかっている事を、
無理に批判しようとするのは確かに「無駄」だね。
>473
あなたが別スレの某コテだとしたら僕はあなたの意見の大半には賛成ですし
あなたも僕の意見をおおまかには肯定すると思います
しかし些細な批判をすれば
>この問いは「いけない」と 言 い う る ことを示せれば、
>その時点で回答を与えたことになります
僕はそうは思いません
なぜならば「人を生かしといてはいけない」が言いうることを
>>659の方法で示したところで
それが回答であるとは思えないからです
少なくともまず「言いうる」(可能)ことを示した上で次に
それが「存在する」(「決定された」)ことを指摘せねばならないと思います
しかしその存在はいかなる物理的なものでも無いでしょう
それには社会と個人をつなぐ掛け橋が必要であると思います
社会を先に置くのでもなく、個人を先に置くのでもなく、
もちろん正当性を持った回答は全く存在しないでしょうが
しかし僕も「人を殺してはいけない」と言うことが可能であり、また回答となるとは思います
>>730 はい、僕はあなたの耳に届く批判をする能力がございません
これ以上のあなたとの討論は無駄ですので
これ以上つきまとわないで頂きたいと思います
有意義な討論ができるようになればまた参加してください
>>731 訂正
「決定された」→「決定されている」
こう表現したほうが473さんにはいいですね
>>732 >はい、僕はあなたの耳に届く批判をする能力がございません
届くも届かないも、いかなる「批判」もあなたは行っていないだろう。
あなたは「皮肉」を言い続けているだけだ。
いったいいつ、「批判」なんてものを、書くなり、
あなたの頭のなかで思い浮かべるなりだけでもしたというんだね?
あなたの、
>>531 の発言について、私は、
>>534 で批判した、
少なくともこの
>>534 について、これ以降、あなたは「皮肉」に終始して批判は行っていないんじゃないかね?
なにせ、
>>539 では、
>真面目にレスを返す気はありません
>かけてやれる言葉は皮肉しかない
と断言している。
これをどこで撤回したというのだね?
>>734 僕は合理主義を自認しますが非常に門戸の狭い合理主義です
ハーバーマスの理想的対話状況を語る訳ではありませんが
しかし僕個人の力であなたの心を変えれるほど能力がある訳ではありません
少なくとも僕個人はあなたと対話することに何の意味も見出せません
あなたも僕と対話したところで何も得ないでしょう
自尊心を回復したいのならばどうぞ
僕はあなたに対し無力ですと公言しています
これ以上何を欲するのですか?
>>735 心の問題じゃないよ。純粋に論理的な問題だ。
そして論理を先に放棄したのはあなただ。
>>736 では論理に拘ることについて論理的に語ってください
僕は論理的に語る気はさらさらありません
theoryに拘ることはありますが
つまり、あなたと僕は共訳不可能
これでもう結論が出ましたね
>>737 >では論理に拘ることについて論理的に語ってください
その話題には私は興味が無いね。
あなたが興味があるなら、スレを立てればいいだろう。
>僕は論理的に語る気はさらさらありません
>theoryに拘ることはありますが
つまりあなたの発言には筋道だった論拠は必ずしも存在しないってことだね。
>つまり、あなたと僕は共訳不可能
>これでもう結論が出ましたね
論理的に語る気は無いんじゃないの?
>>738 まだ続くんですね
あなたホントに粘着ですね
>その話題には私は興味が無いね。
>あなたが興味があるなら、スレを立てればいいだろう。
ではそのことを論理的に語ってください
>つまりあなたの発言には筋道だった論拠は必ずしも存在しないってことだね
そうです、必ずしも存在しません
僕には分かりませんがあなたの発言には必ず筋道だった論拠が存在するようですね
>論理的に語る気は無いんじゃないの?
僕には自分の言葉が全然論理的に見えません
どこが論理的なのですか?
(それ以上に僕の言う結論が何かを理解してますか?)
何より僕は仮定をおかない論理というものを知りません
僕に分かる論理を使用してください
740 :
考える名無しさん:02/08/03 12:00
スレ違いの長文は勘弁
つまり、答え出せないんだろ?
ここまで無駄遣いしすぎ。
哲学することをしてないし。
ここはさも頭がいいように振る舞って他人をバカにするスレですか?
どんな言い訳を言おうとも、傍目にはそう見えます。
742 :
考える名無しさん:02/08/03 12:58
三大長文コテは三人とも答えを出してるようだが
法律に反することは社会的にいけないことと捉えられています
この手のスレの参加者ってさ、大きく2つにタイプに分かれるよね。
(1) 「人殺しはいけない」以外の答えは絶対に受け入れない、
はじめに結論ありきの人。
(2) 中立な立場で、もう一度、ゼロからまじめに考え直す人。
>>739 >まだ続くんですね
私の真面目なレスに粘着して「皮肉」を言い続けているのはあなたの方だが?
私はスレ違いの「皮肉」をくどくどと続けるのはやめてくれと言っているだけだ。
746 :
考える名無しさん:02/08/03 15:51
747 :
考える名無しさん:02/08/03 16:01
悲しみも苦しみも何もかも分け合えばいいんじゃないなんてカンタンに言うけどねそんなこと出来るならやってる
748 :
考える名無しさん:02/08/03 16:06
>>742 その人たちは、勝手に思考停止しているだけで、
ほとんど誰からも認められていないけどね(w
>>684 >先走りがあったことは認めます(罵倒したこと)。
「あった」ではなく「している」ですよ。
あなたは、余計な推理を働かせて、発言から発言者以上の意味を感じておられます。
私に対するレスから、私の思惑にない推論を導き出していることでそれが解ります。
しかもその推論の上で、議論を展開したり罵倒したりしているので、
議論の内容や罵倒に対して反論することは無意味であり不可能です。
そんなに先走りせずに、推論を立てられたら、勝手に議論を展開するのではなく、
先ず相手に確認をされてはいかがですか?
未確認の推論と、それに基づいた議論や罵倒を同時に示さないでもらいたいものです。
それよりも、以下の発言について説明や実践をしていただけませんか。
> つまり、ある人間が周囲の人間を大切にし、その周囲の人間もある人間を大切にすること、
> 大切にすること自体も楽しんでいる、そういう心理的な条件が整っていることによって
> 結果的に「人を殺したくないし、殺してはいけないと理解されている」ものです。
>
> 理解させなくてはならないのではなくて、お互いに、理解している状態にあれるように、
> 優しく接しあい、最低限の知性を持っておくことが大事です。
あなたの言う「優しく接しあい」とは、
先走った推論と同時に、相手を罵倒することで実現が可能なのでしょうか?
あなたの言う最低限の知性とはどういうものを言っているのでしょうか?
>>685 それから、あなたが10万分の1を少ないと考えていることを、
私がどう言った所で、覆せるものではないと思います。
議論の場が2chで良かったです。これが記録が無い日常会話だったら、どうにもなりませんからね。
>>684-688 左のリンク先と、
>>749-750を見比べてみてください、515氏が卑怯な議論をしていることが、
はっきり分かります。罵倒は、
>>684-688の時点で、515氏に向けられていません。
罵倒されている側は、人殺しを容認するような主張・概念設定・言説の普及への寄与を、
意図的かそうでないかに関わらず行っており、その点に関して私はかなり丁寧に指摘してきました。
そうした議論を無視している人間を、私は罵倒しているのです。
優しく接しあう相手については、私以外に優しく接し合える相手がいれば、
あなたが引用した部分の論旨は通ります。
(2chで優しさを感じないことで一般的に優しさを感じられなくなる人間は、あまりいないでしょう)
私が上述のような悪質なカキコミに対して罵倒を加えることは、なんら問題ではありません。
10万人に一件に関しては、
>>685できちんと反論してあります。彼は
>>750で
非論理的に無視しているだけですので、気になる方は、そちらを参照してください。
また、彼は
>>686、
>>688を完全に無視しました。そちらの方も読んでみてください。
>>722 分かりやすくするために図を使って書いてました。短くという希望には添えませんでしたが、
以前よりは分かりやすくなったと思います。読んでみてください。
おそらく「正当性の証明の手段」は、121さんが
>>731で書かれた「決定」の部分を念頭におかれた
発言だと思います。私は、その部分は「正当性の証明」ではなくて、現実的な行為と行為の
ぶつかりあい、といったふうに把握しています。以下の文章を読んでみて、分からない点が
あったら、また突っ込みをください。
121さんは、倫理学スレの、粗拳さんですよね? 強い賛成意見ありがとうございます。
>>731の「些細な批判」は、本当に微妙な批判ですね。検討させてもらいます。
>>742 >>743 鋭い指摘のように見えます。
>>740 スレ違いでない長文をどうぞ。
▼人を殺してはなぜいけないのか(結果ありきでない点を冒頭の記号からきちんと読み取ってください
>>744さん)
0.まず、事実として、殺すこと=殺人 は、殺されることを必ず伴います。殺人が話題となる事実は、
部外者を伴います。「殺人」は、殺される側と殺す側と部外者が常に並立してある事実です。
部外者(議論している) ※そもそも議論してない(思考がない)人は
瞬間ごとにもっとたくさんいます。
□ ←―――― ■ ○○○… 殺される側に立って思考している側
殺される・た人 殺す・した人 ●●●… 殺す側に立って思考している側
1.○ は、□←―■のうち、□← を、何らかの不利益に基づいて
・肉体的・身体的苦痛 □x←
・将来や、人間関係が失われる
×
t↑ …△―♪―□―▽ ▽… ○殺される側に立って思考している人
□x
「悪い」と、評価します(これは一個の行為です)。
・ですから、殺される側 □← から、殺人 □←―■ を考える ○ は、
「殺すこと ←■ は、殺される不利益を必ず伴う □x← ので、いけない」
「殺人 □x←―■ はいけない」、と主張します。
2.ところで、殺す側 ●(■ではない) が、殺す ←■ を、殺す側の目的とする利益か
不利益がない点を理由として「よい」「問題ない」と、評価したとします。
◎ ○
↑利益あり・不利益なし ↑主張
←■ ●
しかし、これは殺した側 ■ (■が、●の立場にたって考えるとは限らない点注意してください)の
(因果的に帰結される)利益を正当化しただけです。この正当化は、殺された側の不利益とは
無関係な評価です;
× ◎ ○
↑ ↑利益あり・不利益なし ↑主張
□x ←―― ■ ●
↑ここは問題にされてない
ですから、殺される側の不利益に基づく主張1.に対する、論理的な反論になりえません。
さらに、上の ■ についての評価は、殺す ←■ についての評価ではなくて、
殺す側の事後的な利益 ◎ の評価ですから、殺す ←■ という評価からずれた話をしています
(論点はずれ)。
・●は、殺す側 ■ の評価・思考だけを扱うことにしている(扱っているのは■ではない。)から、
○の、1.のような観点こそが、論点はずれだ、と主張したとしても、
殺す事実 ←■ には、殺される事実 □← が、必ず関わってきますから、上の主張は、
●が、□x← を、事実に反していようがいまいが、事実上議論の前提は勝手に取れるから、
無視して議論する、だから □x← を問題にするのは論点はずれだ、と主張したにすぎません。
こうした無視に対しては、「●は、正しい事実認識 □x←― ■ に従って議論していない」と、
簡単に反論できます。●の議論は、哲学に関する議論ではなくて、悪質で私的な文学にすぎないわけです。
例えば、515氏は、1.の観点を「否定しない」と言ってましたが、実際に書いている内容は
・●の観点(■ではない)を自身が前提し、○を無視することを暗黙の前提として、
・●にとってxである理由を探すという名目で、
・□x←は、脇に置くことを、立場がはっきりしない人間に勧める、
といった内容なわけです。3番目の点を考察しないで2番目の点を考察することが大事だと
主張しているわけです。
○のように考え、その帰結が「いけない」という評価を前提して習慣・関係を形成していけば、
抑止の議論になるし、●の立場を考えたとしても、2.で行ったように「論点はずれ」と
簡単に反論できるのに、どういうわけか ○のように考える点を脇に置き(ここ重要)、
●のように考えさせたがっているわけです。
とりあえず、ここまでの段階で「人を殺してはなぜいけない(と主張される)のか」に対しては、
答えました。以下は、
「殺してはいけない主張は正しいわけだが、どうすれば、殺人がおきないようにできるか」に
関してです。
▼人を殺してはなぜいけないのか、実践的に理解する・させるには、どんな条件が整えばよいか
1.殺す側 ←■ に立った言説に対して、反論がなされない場では、殺す側 ←■ の
評価・思考に関する言説がまかりとおります。
日常的に使う言葉やイメージも、殺す側 ←■ にたった発想に支配されてきます。ですから;
いろいろな状況において □← の立場があることを表現の上で強調し、
□x←など の帰結が必然的であることを、必要な機会に主張し、そうした主張に賛成して「見せ」
続けること、必要に応じて自然にイメージできるようになること、仕向けることが、まず大切です。
これは、規範としての「人を殺してはいけない」主張を強める条件です。
2.次に、□x←■ のうち、
・■になる点にばかり着目させ、
・それが、当たり前(ありがち+許容されているを、混同させています)であるかのように語る言説
に対して注意を払うことが、大事です。
例えば、戦争においては、■になることは、*戦場において**ありがち*ですが、
しかし、戦争においても、□x←が、「当たり前=許容されている」ことなどありえません。
許容しているのは、□でも■でも○でもなく、●だけなのです。
さらに、戦争において、■は、□でもあるのです。ここが完全に思考の範囲から抜けているケースが
あまりにも多すぎます。普段、戦争反対を叫ぶような人間ですらです。
一般社会について論じている中で、●のような観点になることは「ありがち」だとする主張は、
「周囲の人間たちの内心」や、「殆どの周囲の人間」を、そもそも原理的・機会的に見られない点 を
利用して(意図的かどうかは論者によります)、○になる観点が、統計的に見ても、周囲の人間の
生活習慣を見ても、(殺人罪の認知件数は、年に10万人に1件)「ありがち」なのにも関わらず、
自己の言説によって、そうした観点を普及させる態度である、ということができます。
歴史記述においても言えることです。←■ に立った記述が現段階では極めて多いです。
記述する側は、■を見、それについて書く時間が長く、□は殺された段階で記述することがなくなる
ことが、そうなってしまう主だった理由でしょう。
人を殺してはなぜいけないのかを実践的に理解させる観点からは、できるだけ←■ に立った記述を
なくす方向で、検討をすすめていくべきです。
これは、実践的に「人を殺してはいけない」主張を支えていく上で注意しなければならない実例です。
756 :
考える名無しさん:02/08/03 17:44
473さん
2chで論議するにはもったいないと思います。
757 :
考える名無しさん:02/08/03 17:51
かえって分かり難いよ。
どうでもいいけど、自分の議論をしつこく押し付けるのはいい加減に
やめたらどう? それだけの内容を伴っている発言ではないのだし。
あなたの発言に納得した人間は、それを答えとして、そこで議論を離
れればいいだけだし、それでは答えとして不十分と考えるひとは、さ
らに踏み込んで議論していけばいいだけのこと。
758 :
考える名無しさん:02/08/03 17:57
>>754 >>ですから、殺される側の不利益に基づく主張1.に対する、論理的な反論になりえません。
だから、その主張1.が、殺す側の利益に基づく主張の、論理的な反論になって
ないという、簡単な構造になんで気付かないんだろう?
759 :
考える名無しさん:02/08/03 18:03
>>(因果的に帰結される)利益を正当化しただけです。この正当化は、殺された側の不利益とは
>> 無関係な評価です;
利益があるのであれば、有る事実をしっかりと認識するべきだろう。
ここで、無関係なものと、無視しているところが問題。
>>まず、事実として、殺すこと=殺人 は、殺されることを必ず伴います。
殺すことが殺されること伴うのと同じように、殺すことが、時として、殺す
側の利益を伴うことをしっかり認識しなければならない。
>>758 私は*主張1.が*「殺す側の利益に基づく主張」に対する論理的な
反論である、とは、一言も言ってません。
主張1.は「殺す側の利益に基づく主張とは無関係に成立し」、
主張2.によって「殺す側の利益に基づく主張」は、
「人を殺すことがなぜいけないのか」に対する回答としては
無意味な内容であると論じたのです。。
もう少し丁寧に読んでください。お願いします。
>>756 どうもありがとうございます。
>>759 殺す側にとっての因果的に帰結される利益を無視したのではなくて、
殺人がいけないかどうかの議論に対する答えになっていないと
反駁したのです。
762 :
考える名無しさん:02/08/03 18:09
>>751 >>罵倒されている側は、人殺しを容認するような主張・概念設定・言説の普及への寄与を、
>>意図的かそうでないかに関わらず行っており、
論理的な議論をする場面で、そういう予断を持ちこむことが、最大の問題。
どんな概念の普及に関わっているかどうかでは無く、論理的に正しいかど
うかにだけ判定基準を置くべきだろう。
そういうところが、結論先にありき、と指摘されているのだよ。
すでに何十回と答え、また上の文中で答えられている質問ばかりきそうで
キリがないので、121氏や722氏の回答を待ちます。
>>762 あなたは589さんですか。
それは、以前の書き込み内容をよく検討してから言うべき台詞です。
また、意図的かそうでないか、とあるとおり、私はその部分で効果に着目して
いるにすぎません。
121さんではありませんが、
>どんな概念の普及に関わっているかどうかでは無く、論理的に正しいかどうかに
>だけ判定基準を置くべきだろう。
この点を論理的に「証明」してください。
>>752-755 伸びたのでリンクを貼っておきます。
>>主張2.によって「殺す側の利益に基づく主張」は、
>>「人を殺すことがなぜいけないのか」に対する回答としては
>>無意味な内容であると論じたのです。。
論じているだけで、根拠が全く示されていないのだけど。
最初にある結論に向けて議論を持っていくためだけに、
>>人を殺してはなぜいけないのかを実践的に理解させる観点からは、できるだけ←■ に立った記述を
>>なくす方向で、検討をすすめていくべきです。
という自分勝手な議論の進め方をしているだけで、相手にとって何の説得力
も持ちません。
それに、議論の過程(あるいは結果)で、「殺人を容認する」流れになったとし
ても、それは論理的な積み上げの結果そうなっているだけで、論者が「殺人を容
認する」方向に社会を持っていきたくてやっているわけではないことを、しっか
りと認識すべきでしょう。
記述に即さない反論は反論ではありません。
>>763 いいえ、私は589ではありませんが、以前の書き込み内容は
既に検討させていただいています。
その中で、すでに何回か同様の質問を行っているのですが、
いまだにまともな回答は示されていないません。いつ頃の
質問かも過去ログに埋もれて見出せませんが。
>>また、意図的かそうでないか、とあるとおり、私はその部分で効果に着目して
>>いるにすぎません。
これはどう言う意味でしょう?
>>人を殺してはなぜいけないのかを実践的に理解させる観点からは、できるだけ←■ に立った記述を
>>なくす方向で、検討をすすめていくべきです。
あなたは何故、この方向で検討を進めていくべきと考えているのですか?
これに対して論理的な回答は示されていません
770 :
考える名無しさん:02/08/03 18:24
589だな
と、いつも都合が悪くなると、
「反論になってませんか」「答える義務がありません」
になってしまうのです。
まともに議論する気がないのであれば、あなたの言いたいことは
分かったから、これ以上、自分の議論を押し付けるのをやめていただきたい。
>>772 そういう風に言うだけで、まっとうな反論や*答えられてない*質問が
きたためしは、殆どないんですよ。答えられてないとする質問がスレの
後ろについてためしは、腐るほどあるんですけどね。
>>752-755 >>763 動機の問題として反論している方たちの心理を考察すれば面白いスレに
なるでしょうね。面白いだけで意味は無いでしょうが。
そして、自作自演で荒らして手仕舞い。
いつものパターン
答えられてないとする質問→答えられてないとする記述
まああなた方がつけているレスの断片性を見れば、773は言うまでもないこと
なんですけど、はじめてみた方が勘違いされると困るので、断らせてもらいました。
今度こそ、一旦去ります。
>>773 >>そういう風に言うだけで、まっとうな反論や*答えられてない*質問が
>>きたためしは、殆どないんですよ。答えられてないとする質問がスレの
>>後ろについてためしは、腐るほどあるんですけどね。
>>752-755 >>763 はいはい、またこのパターンですね。
>>今度こそ、一旦去ります。
どうぞ、もとより、まともな回答が戻ってくることは期待していませんし、
引き止める気はありません。それでは。
>>751 >議論の場が2chで良かったです。これが記録が無い日常会話だったら、どうにもなりませんからね。
>
>>684-688 左のリンク先と、
>>749-750を見比べてみてください、515氏が卑怯な議論をしていることが、
>はっきり分かります。罵倒は、
>>684-688の時点で、515氏に向けられていません。
その意見は誰に対して行っているのですか?以前のあなたの発言を見ると、
よくそのように第三者に語りかけるような発言がありますが、それは何を目的としているのですか?
私には、暗に自説を正しいものとして受け入れさせようとする意図があると「推理」しますが?
>罵倒されている側は、人殺しを容認するような主張・概念設定・言説の普及への寄与を、
>意図的かそうでないかに関わらず行っており、その点に関して私はかなり丁寧に指摘してきました。
>そうした議論を無視している人間を、私は罵倒しているのです。
意図的でなくても罵倒に値すると言うことですか?
それとも過去に丁寧に指摘していた事があるから、
相手が変わってももう丁寧ではいられないと言っているのですか?
あなたが丁寧に指摘しても、相手に理解が得られないのならそれはそれで仕方ないことでしょう。
>優しく接しあう相手については、私以外に優しく接し合える相手がいれば、
>あなたが引用した部分の論旨は通ります。
>(2chで優しさを感じないことで一般的に優しさを感じられなくなる人間は、あまりいないでしょう)
>私が上述のような悪質なカキコミに対して罵倒を加えることは、なんら問題ではありません。
それは、罵倒しあうほどの対立を容認している訳ですか?
2chとそれ以外を分離して考えていると言うことですか?
(あまりいないでしょう。)は、あなたの完全な推理ですね。
それほど、ここでの議論が2ch意外と係わりがないと考えるなら、
あなたが、それほど必死に持論を展開するのはなぜでしょうか?
あなたの説を結論と考えない者が、いつまでもここで語ることに何の問題があると言うですか?
779 :
「哲学的」者:02/08/03 23:12
あの、何か混迷して居るみたいですけど、まず「1」に立ち返って、
「いい」「わるい」の言葉の検証をしてみるのも、一方法かと・・・。
@『である論』の「いい」「わるい」と『あるべき論』の「いい」「わるい」のどちらか?。
A『いい』=「倫理的に許されること」か「することは倫理的に問題とならないこと」か
『倫理的考察を経ても「悪」と言い切れない』のどれか?
B「殺す」主体が一般『論』か、特殊『論』か?《一般人(死刑執行者や緊急避難・正当防衛を除く)のみか、
全ての『人を殺す行為』についてか?》
という整理をしないと、この論議は混迷を極めることになると思います。『命題』に対する理解が異なれば、
論が成立する訳はなく、『ちょっとした侮辱的な』レスに、「相手をやりこめるためのスキル」が総動員される
ことになり、一口で言うと「無益な論争」となってしまうような気がしますが・・・。
>>779 なってしまうというか、なってるし。ここ770レスくらい。
○つき2の悪はフロムに一任して心理学板でやってもらうとして、
上の方で無差別な独り言を展開してる人たちは3については考えたくないようだし、
消去法で1について「討論」してみれば良いんじゃない?
激しく既出だろうけど、いい(善)、いけない(悪)は以下の基準で分けられる。
集団(群れ)の維持に役立つ行為 = いい(善)
集団(群れ)の秩序を乱す行為 = わるい(悪)
このため、それぞれの集団によって、あるいは時代によっても、基準は変わってくる。
所属する集団を脅かす人間を殺すことは、いいと判定されることが多いかもしれない。
また、昔の日本の武士が支配するような世界では、武士の権威を保つことにもなる、
下の身分のものを切り捨てるような行為も「いい」とされることもあるかもしれない。
782 :
「哲学的」者:02/08/03 23:42
>>781 あなたの解釈によると、赤穂浪士の「討ち入り」は元禄時代において
「いい」「わるい」のどちらになるんですか?
783 :
「哲学的」者:02/08/04 00:02
>>780 確かに「である論」と「あるべき論」のスレ違いは、この板
上でもかなり頻繁に見られますね。
特に「マジレス」について、多いように思います。
日本語で「哲学」することの難しさの多くの部分が、「そこにある」
と思います。
784 :
考える名無しさん:02/08/04 00:07
>>783 日本語は元々曖昧だから「日本語」なんだ。「死語」か「詩語」の
境界線だね。通訳は苦労するだろうよ。ホントの「通訳」は。
785 :
考える名無しさん:02/08/04 00:13
結論から述べれば、「人を殺す」という行為自体は、全く悪では無いと思う。
「人を殺すこと」を悪とたらしめているのは、「法律」のほかの何者でもない。
「法律」という「もの」が「人を殺すことは罪だ」と言うから、人は人を殺さない。
だって、「法律」が無かったら、私、今までに幾度となく人殺してるって。
「道徳」だとかなんだとかじゃなくて、
「殺人を犯したあとに歩むべき罪人の道」が怖いから、人は罪を犯さない。
「法律が悪いと言っている」=「殺人はダメ」に繋がる。
人を殺すって言うのは、そのリミッターが外れるほど、
なにか大きな奔流が心に押し寄せるから起きるものだと私は認識している。
その奔流は、「金銭欲」「愛への執着」「憎悪」など様々だけど。
786 :
考える名無しさん:02/08/04 00:16
>>785 あまりにトホホでレスする気力もわきません。
787 :
考える名無しさん:02/08/04 00:18
>>784 通訳志望ですが、確かにその分野の符丁みたいなものがあり、
通訳しきれない日本語は多いと思います。専門語を理解しても
イエスかノウかの合意で、次に進める欧米の考え方に日本人は
まだ付いていけないように思います。
中国に経済的に負けるのが、悔しいけれど目前のような気がします。
主題と関係ない割り込み、申し訳ありませんでした。
788 :
考える名無しさん:02/08/04 00:21
789 :
(゚Д゚):02/08/04 00:21
人間的には悪いこと。
宇宙的にはどうでもいいこと。
790 :
考える名無しさん:02/08/04 00:24
>>789 あんたも一応「コテスレ」なんだからこれ以上恥をさらすなよ。
791 :
考える名無しさん:02/08/04 00:33
792 :
(゚Д゚):02/08/04 00:34
実はコテハンじゃない恥
793 :
考える名無しさん:02/08/04 00:35
>>791 確かに。「名無し生活」が長いとついでした。すいませんでした。
794 :
考える名無しさん:02/08/04 09:03
>>762-763 121さんではありませんが、
>どんな概念の普及に関わっているかどうかでは無く、論理的に正しいかどうかに
>だけ判定基準を置くべきだろう。
この点を論理的に「証明」してください。
762はなんでこの質問に答えないの?
>>782 >>あなたの解釈によると、赤穂浪士の「討ち入り」は元禄時代において
>>「いい」「わるい」のどちらになるんですか?
さあ? 赤穂浪士について詳しく知らないから。
いずれにせよ、当然、評価の分かれる行動という
ものもあるだろうね。
798 :
考える名無しさん:02/08/04 12:56
799 :
798=473:02/08/04 12:57
です。
ああ、そうそう、殺してはいけないとは言えないとかいう人は、
今から殺されそうになるとして、そのことについて「いけない」とか
「いや」とか「だめ」とか「やめろ」とか言わないんでしょうか?
また、そういう用法が「許されない」と思っているんでしょうか。
以上2点、回答ください。
「いえる」「いえない」について、
「論理的に妥当かどうか」(論理的妥当性)と、
「そのような発言が一般にみられるかどうか」(統計的観察事実)
の二つの意味が混同されてるように思うが。
>>802 質問に、答えてください。答えられない質問ではないはずです。;
ああ、そうそう、殺してはいけないとは言えないとかいう人は、
今から殺されそうになるとして、そのことについて「いけない」とか
「いや」とか「だめ」とか「やめろ」とか言わないんでしょうか?
また、そういう用法が「許されない」と思っているんでしょうか。
以上2点、回答ください。
>>473 回答に詰まると逃げて、
名無しで戻ってくる。
相手が居なくなっている
ようだと、強気になって
活動を再開する。
これがいつものパターン
ああ、そうそう、殺してはいけないとは言えないとかいう人は、
今から殺されそうになるとして、そのことについて「いけない」とか
「いや」とか「だめ」とか「やめろ」とか言わないんでしょうか?
まああ、そうそう、殺してはいけないとは言えないとかいう人は、
今から殺されそうになるとして、そのことについて「いけない」とか
「いや」とか「だめ」とか「やめろ」とか言わないんでしょうか?
また、そういう用法が「許されない」と思っているんでしょうか。
>>804 ちょうど良かったです。質問に答えてください。
全く回答になっていないレスを引用して、形だけ
あたかも回答したことにしてしまう。
それと、殺されそうになった場合は、殺される側
は「やめろ」というに決まっているだろ(笑
>>808 私は、「殺される側は」ではなくて、あなたが何と言うか聞いたのです。;
>ああ、そうそう、殺してはいけないとは言えないとかいう人は、
>今から殺されそうになるとして、そのことについて「いけない」とか
>「いや」とか「だめ」とか「やめろ」とか言わないんでしょうか?
>また、そういう用法が「許されない」と思っているんでしょうか。
質問に正確に答えてください。
>>804はどこいったんですか?
>>私は、「殺される側は」ではなくて、あなたが何と言うか聞いたのです。;
俺でもだよ。
「殺される側」に立てば、当然そういうだろ。
無駄だとわかっていてもな。
>>全く回答になっていないレスを引用して、形だけ
>>あたかも回答したことにしてしまう。
これは無視かい(笑。
強引に話題を変えてやり過ごしてしまう。
これもいつものパターン(笑
>>810 私は自分としては回答したつもりで
>>806を引用しました。
読んだ人が判断を下すべきです。話題を変えたのが、誰かもです。
>>801-810 さっきの質問の2つめに答えられていません。
>ああ、そうそう、殺してはいけないとは言えないとかいう人は、
>今から殺されそうになるとして、そのことについて「いけない」とか
>「いや」とか「だめ」とか「やめろ」とか言わないんでしょうか?
>また、そういう用法が「許されない」と思っているんでしょうか。←コレ
回答ください。
あと、自分は殺されそうな場合、殺されそうなことにつき「やめろ」というということは、
自分が殺されることで、何か困ることがあるということですか?
>>803 >質問に、答えてください。答えられない質問ではないはずです。;
質問は質問スレでしたらどうかね?
スレと無関係な質問、さらには私宛で無い質問にここで答えなければない必然は無い。
815 :
考える名無しさん:02/08/04 20:53
人間はもともと天上界で暮らしていた。
ある日、アダムとイブという方々が食べてはいけないというりんごを食べてしまった。
それは神の怒りに触れ、彼らは地上界に追放された。
不死の存在から死というものを背負った存在として。
そして動植物を次々と殺害して、その血肉をむさぼらなければ生きていけない存在として。
人間は生まれながらにして罪を持っている。
生まれてからも膨大な数の動植物の命を奪って罪を重ねてきた。
816 :
考える名無しさん:02/08/04 21:01
最近になって、人間はなぜ自然を守ろうとするのか。
考えるまでもない。自然のためではなく、人間のためだ。
オゾン層を破壊して紫外線の量が増えれば、人間にとって不都合だ。
緑が減って、酸素濃度が低くなれば、人間にとって不都合だ。
自然を救うにはどうすればよいか。
これも考えるまでもない。人間が今すぐ自殺すればいいだけの話だ。
そうすれば明日からフロンの発生は一気に減る。
木々が切り倒される事はもうない。
自殺するのがいやなら、今から子孫を作らなくすれば良い。
そうすれば100年後には動植物にとって理想の環境が蘇っていくだろう。
818 :
考える名無しさん:02/08/04 21:07
人間を殺す事が罪であるとするのは地球上で人間だけだ。
他の動植物にとってはとても喜ばしい事だろう。
罪深い存在を絶やした行為を、神々に賞賛されるべきではなかろうか。
589氏については、このスレッドの、121氏との議論も参考になります。
820 :
考える名無しさん:02/08/04 21:15
>>473 私がスレ違いならば、あなた方は板違いでしょう。
哲学とは時代的文化的制約を受けず、どの時代にも、誰がやっても
成り立つ普遍的な「もの」です。
あなた方の考えている内容は普遍的でもなんでもない。
哲学とはとても言えません。
>>820 同意です。
結局、473の発言って、哲学ではないんだよね。
道徳的な意見としては、彼の意見はもっともなんだけど。
>>確かに「である論」と「あるべき論」のスレ違いは、この板
>>上でもかなり頻繁に見られますね。
これもそうですね。はじめ473さんの意見に少し賛同したのですが、
冷静に読んでみると、結局「あるべき論」なんですね。
823 :
「哲学的」者:02/08/04 22:19
@「である論」=「社会現象の解釈」と、「あるべき論」=「理念としての当為」のどちらを採るのか?
A「第三者の客観的立場」で「論じるのか」、「殺される側」または「殺す側」の
どちらか(または双方を交互)の「立場」で「論じるのか」?
ぐらいは、せめて決まりませんかね。
それから、「赤穂浪士の討ち入り」を知らない人がいるとは思いませんでした。驚いた。
「メンゲレ」は知らないとしても、「ナチス」ぐらいは知っていますよね。
「いい、わるい」を「語るに落ちる」レスもあるので、若干心配ではありますが・・・。
ご飯を食べていました。
まず、これらの点について答えずに放置しないでください。
>>804 >>810 589さんは、どうしたんでしょうね。
>>815-816は、スレ違いですね。
>ああ、そうそう、殺してはいけないとは言えないとかいう人は、
>今から殺されそうになるとして、そのことについて「いけない」とか
>「いや」とか「だめ」とか「やめろ」とか言わないんでしょうか?→810さんが、やめろと言う、と回答されました。
>また、そういう用法が「許されない」と思っているんでしょうか。→未回答です。
>あと、自分は殺されそうな場合、殺されそうなことにつき「やめろ」というということは、
>自分が殺されることで、何か困ることがあるということですか?→未回答です。
これらの「質問に答える」ことが、そんなに難しいんでしょうか?
――――――――――
答えられない理由として、
>>820-822さんは、
「哲学板は哲学の話題をするところであり、473の意見は哲学ではないから、答える義務がない」と
答えると思います。そうであれば、前提として、
@そもそも、*820さんが主張する*
「時代的文化的制約を受けず、どの時代にも、誰がやっても成り立つ普遍的な「もの」」としての「哲学」が、
存在する点を、証明しなければなりません。
A次に、そうした「哲学」*のみ*が、哲学でなければならない点を、証明しなければなりません。
これらを論じた上で、その「哲学」に、私の意見が該当しない点を、証明し、最後に
「2ch哲学板」においては「哲学的意見」のみしか「論じてはいけない」点を証明し、
最後に、「道徳的意見」によって答えられる点を、哲学を論ずる上で克服されるべき前提として
示されることも許されない点も、証明しなければなりません。
哲学はレスをつけませんので、「哲学」が私の意見を拒むわけではないことは自明です。
哲学に該当しないと主張しているのは、>>820-
>>822さんである点を、確認しておきます。
>>821 私は自分の意見にどんな名称が振られるかには、興味がありません。
ただ、あなたは、私の意見をカテゴリーわけしましたが、おそらく人間に必要なものとして
認めてくださったと思っています。そうであれば、ありがたいことだと思っています。
あなたが定義する「哲学」とは、どのようなものなのでしょうか?
ぜひ、お聞かせください。
私の意見については、
>>752-755 を参照してください。
589氏については、
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/philo/1018893609/n343-407 を、
参照お願いします。
最後に が繰り返されている部分は、適当にカットして読んでください。
失礼しました。
825は、「最後に」をカットしてください、の意味です。念を押しておきます。
824中の「哲学でなければならない」は、断るまでもないと思いますが、正確には
「哲学と呼ばれなければならない」です。証明の際には、注意なさってください。
内容を、よく読んでください。完全にスレの展開を踏まえています。
>>829 おまえの哲学ってなによ? 自分の質問を答えないやつがいるかぎり前にも進めない程度なのか。
このスレ汚しが。
あ、
>>828さんは、私の意見が哲学板で*論じられてもよい*ことを、
認めてくださったわけですね。どうもありがとうございます。
>>752-755
>>831 勘違いすんな、あんたのこれまでの意見が哲学的だと言ったわけじゃないよ。
「哲学」がどんなものか語りたい様だからそういったまでのことだ。
>>473 まず、あなたが私の書き込みがスレ違いであった事の根本を語ってください。
それを私が知る事が先です。
それによって次の意見が変わるのは分かるかと思います。
私は私の研究した哲学の範囲内で的確な答えを出したつもりです。
おや、戻ってきたのですね。
>>>どんな概念の普及に関わっているかどうかでは無く、論理的に正しいかどうかに
>>>だけ判定基準を置くべきだろう。
>>この点を論理的に「証明」してください。
ん? 証明するような話ではないと思いますが(笑。
私は、単に、議論を論理的に進めてくれませんか、と提案しているだけです。
この提案に賛同してくれるのであれば、あなたの主張を論理的に展開してくれ
ればいいだけです。
逆に、たとえば、論理的に整合性が取れているかどうかは重要ではなく、自分
の価値観にそっているかどうかが重要なのだと考えるのであれば、それはそれ
で結構です。
ただ、その場合、自分の結論は論理的に導き出したものではない、断りを入れ
るべきでしょう。そうすれば、周りのあなたを批判している多くの人たちも、
「ああ、そういう考え方もあるね。」と認めてくれるでしょう。ただ、「板違
いだから、別板でやってね。」ともいわれるかもしれませんが。
>>832 文章を読む力を鍛えてください。
>>833 820に対して、スレ違いであると主張していません。
>>834 置く*べき*、というためには、論証が必要です。ごまかさないでください。
また、私の意見に「論理的」というラベルが貼れるかどうかは、
読み手が判断することであって、あなたが決定できることではありません。
>>752-755 >>824-827 今問題になっているのは、右のリンクのほうです。
>>823 >>それから、「赤穂浪士の討ち入り」を知らない人がいるとは思いませんでした。驚いた。
驚かせて悪かったね(w。もちろんそういう史実を基ネタにした物語があること、
年末だかによテレビで放送されていることや、大雑把なストーリくらいは知って
るけど、詳しくは知らないということ。まあ、詳しいストーリを知っていたとし
ても、脚色された話を知っていることにしかならないとは思うけどね。
838 :
考える名無しさん:02/08/04 23:10
>>473 ちと待ってください。私ではありません。いつも「哲学的」者で出てます。
このスレに限ってですが。
>>806 >
>>778については、
>>751 参照お願いします。
>>751に対して
>>778の質問をレスしたのに、それがあなたの回答ですか?
それとも答えられない質問ですか?
第三者に判断を仰いだとしても、あなたが回答したことにはならないでしょう。
841 :
「哲学的」者:02/08/04 23:13
>>837 「ニーチェ」のバカスレをからかっていたもんで、838が「名無し」ですいませんでした。
838は私です。
>>781-782には、ホントに覚えがありません。誰か名乗ってくださいよ。
>>835 >>置く*べき*、というためには、論証が必要です。ごまかさないでください。
全く、見苦しいですね(笑。
「論理的に正しいかどうかに判定基準を置く」というのは、議論する上での
一つの姿勢でしょう。それを証明しろというのも難しいでしょうし、それを
あえて、本題から話をそらす形で要求してくると言うことは、要は
「無茶苦茶を言って、議論を壊して、この場から逃げたい」
のですか?
残念ながら、あなたの要求にこたえて、これをこの場で簡単に
証明することは私にはできませんが、一つ確認したいのは、
論理的に正しいかどうかに判定基準を置いて議論をすすめるこ
とにあなたは賛同しないのですか?
844 :
「哲学的」者:02/08/04 23:15
>>843 >>832 文章を読む力を鍛えてください。
私も、この言葉を473に送りたいと思います。
846 :
「哲学的」者:02/08/04 23:28
>>836 要するに当時「美徳」とされていた「主君の仇討ち」を実行した(要するに「殺した」)
大内内蔵助以下47名の「元浅野家(江戸城でいじめにあった主君が刀を抜いたのでお取り潰し)家臣」が
「いじめた」吉良上野介の屋敷を襲って、首を取って、幕府に「抗議した」事件です。
元禄15年だから、160年くらい前かな。庶民はみんな「武士の鑑」として喝采したけど、
幕府はさんざん迷った上、「切腹」(武士としては「打ち首」より名誉)という判決を出した。
その後も、160年に渡り、語り継がれて日本では数少ない「英雄伝説」となった。
「堀部安兵衛」くらいは聴いたことあるでしょう?
>>839 私が「
>>778に」直接回答したことに「ならない」としても、
回答しなかった点について、第三者が
>>751を読んでうなづけるだろうから、
問題はないと判断したのです。しかし、回答は
>>778 私は第三者に語りかけるとき、いつも参照リンクを判断材料として示してます。
>>684-688 >>749-750 ですから、「暗に」受け入れさせようとしていることには、ならないです。
むしろ、引用部分の「罵倒は、
>>684-688の時点で、515氏に向けられていません。」という、
実質的に検討すべき点を無視して、私の行動を断片的に書きたて、聞き手の事実認識を
誤らせようとする方が怪しいです。
ついでに、あなたは、
>>751の下の部分も、無視されてます。
>10万人に一件に関しては、
>>685できちんと反論してあります。彼は
>>750で
>非論理的に無視しているだけですので、気になる方は、そちらを参照してください。
>また、彼は
>>686、
>>688を完全に無視しました。そちらの方も読んでみてください。
参照リンク
>>752-755 http://academy.2ch.net/test/read.cgi/philo/1018893609/ のように用意してありました。展開を見て貼ってなかったです。
>>842 まず、正確な引用。
>>842では、下2行が抜けており、
>>842でも触れられていません。
>置く*べき*、というためには、論証が必要です。ごまかさないでください。
>また、私の意見に「論理的」というラベルが貼れるかどうかは、
>読み手が判断することであって、あなたが決定できることではありません。
次に、
>>752-777と実際に展開していました。その中であなたの発言を見て、
読み手が判断する根拠をきちんと与えるべきです。
最後の2行の質問ですが、私が書いた文章が論理的でなく、762にとって
論理的でない文章を、762にとって論理的なものとして受け入れろ、と
私が主張したことを前提にしている点に注意してください。
>>815>>816>>818の一連の書き込みは私のものです。
>>815と
>>816だけしか読んでいなかったようですので、
そこだけ読めばスレ違いでしょうね。申し訳ありません。
しかし、やはりあなたの論じている内容は哲学ではないと思うので
質問に答えようと思います。
まず、@は私の書き込みで既に論じています。
Aは「その哲学のみ」ではなく、それが哲学なのです。
>「2ch哲学板」においては「哲学的意見」のみしか「論じてはいけない」点を証明し、
これについては管理者に問い合わせてください。
あなたが使った「スレ違い」もそうであるのかも併せて聞いてみると良いでしょう。
>最後に、「道徳的意見」によって答えられる点を、哲学を論ずる上で克服されるべき前提として
>示されることも許されない点も、証明しなければなりません。
道徳的意見という観点から論じている時点で既に哲学とは言えません。
あなたが今している事は「哲学」ではなく「思想」です。
この2つの違いが分からないなら、徹底的に調べて考えてください。
そうすれば、なぜ当てはまらないのかが理解できるでしょう。
当てはまるどころか、この2つは全く違うものですから。
>>843 828-832 :02/08/04 23:14
>>文章を読む力を鍛えてください。
>そのセリフそっくりそのままあんたに返すよ
>>824-827 >>828 「そんな話題(
>>824-827)は、他の*スレ*に誘導してからやれよ。」
>>831 あ、
>>828さんは、私の意見が哲学板で*論じられてもよい*ことを、
認めてくださったわけですね。どうもありがとうございます。
>>752-755 >>831 勘違いすんな、あんたのこれまでの意見が哲学的だと言ったわけじゃないよ。
「哲学」がどんなものか語りたい様だからそういったまでのことだ。
まあ、証明とまでは言えないにせよ、あえて言えば、
「論理的に正しいかどうかに判定基準を置いていない議論」は、
「論理的には正しくない結論」を導く可能性が高い。
だから、「論理的に正しい結論」を得るためには「論理的に
正しいかどうかを判定基準において議論すべきである」ってく
らいかな。
もちろん、論理的に正しい結論であることは重要ではなく、
世の中に道徳的に好ましい影響を与えるか否かが重要であると
言うのであれば、それも一つのポジションだろうし、認めるけ
どこの板でする議論では確かにないと思う。
しかし、これが今学校とかで問題になってる「いじめ」の構図なのだろうか?
473は、自分の頭の中で考えた倫理観(道徳観)を哲学と称して押し通し、
周りからの意見に耳を傾けようとしないようだ。賛同しない者には、敵対心剥き出しだな。
自分を他人の価値観から見るとどうだろうと考えることもない様だし。
まあ、実生活ではこうではないんだろうけど・・・。
>>852 まさにそうですね。彼は「論理学」「倫理学」「哲学」の
区別が付いていないのでしょう。
>>8488(820さん)
まず、答えているリンク先を、きちんと示してください。
>>824-827 >>818 ですが、
人間を殺す事が罪であるとするのは地球上で人間だけだ。
他の動植物にとってはとても喜ばしい事だろう。
罪深い存在を絶やした行為を、神々に賞賛されるべきではなかろうか。
これでは
>>824 @「時代的文化的制約を受けず、どの時代にも、誰がやっても成り立つ普遍的な「もの」」
としての「哲学」が、存在する点を、論証してください。
への答えになっていません。
>>824の
Aそうした「哲学」*のみ*が、哲学でなければならない点を、証明しなければなりません
についてですが、@について示してから、
>>827で断ったとおり、その哲学だけが「哲学と呼ばれなければならない」点も示してください。
820氏が考える哲学のみが、哲学と呼ばれなければならない点について、示してください。
855 :
「哲学的」者:02/08/04 23:45
>848
>道徳的意見という観点から論じている時点で既に哲学とは言えません。
>あなたが今している事は「哲学」ではなく「思想」です。
>この2つの違いが分からないなら、徹底的に調べて考えてください。
>そうすれば、なぜ当てはまらないのかが理解できるでしょう。
>当てはまるどころか、この2つは全く違うものですから。
「まあまあ」落ち着いてくださいよ。相手の方も。
「哲学」の定義について、今まで読んだ「テクスト」によって、色々なものがあり得ると思いますよ。
『121さんの言っていた「あらゆる批判に開かれている」ガクモンは「哲学」以外に無い』
という説には賛成ですが・・・。
856 :
考える名無しさん:02/08/04 23:45
>>852 >>849、どうなりましたか?
>>850 まず、正確な引用。
>>842では、下2行が抜けており、
>>842でも触れられていません。
>置く*べき*、というためには、論証が必要です。ごまかさないでください。
>また、私の意見に「論理的」というラベルが貼れるかどうかは、
>読み手が判断することであって、あなたが決定できることではありません。
次に、
>>752-777と実際に展開していました。その中であなたの発言を見て、
読み手が判断する根拠をきちんと与えるべきです。
最後の2行の質問ですが、私が書いた文章が論理的でなく、762にとって
論理的でない文章を、762にとって論理的なものとして受け入れろ、と
私が主張したことを前提にしている点に注意してください。
これらの点を762が完全に無視して
>>850を書いている点に注意してください。
>>752-755 >>824-827 が、私の意見です。
858 :
考える名無しさん:02/08/04 23:52
>>856 どうみても、怪しげな新興宗教系だな。「君子危うしに近寄らず」孔子。
>>473 >>854についてですが、
>これでは
>>824 >@「時代的文化的制約を受けず、どの時代にも、誰がやっても成り立つ普遍的な「もの」」
> としての「哲学」が、存在する点を、論証してください。
>への答えになっていません。
十分答えになっています。いや、答えが含まれています。
あなたが「普遍的」という言葉の意味を理解していないだけです。
>
>>827で断ったとおり、その哲学だけが「哲学と呼ばれなければならない」点も示してください。
>820氏が考える哲学のみが、哲学と呼ばれなければならない点について、示してください。
その哲学だけが「哲学と呼ばれなければならない」ではなく、
それ自体が哲学であるのです。
>>847 >>まず、正確な引用。
>>842では、下2行が抜けており、
>>842でも触れられていません。
>>>置く*べき*、というためには、論証が必要です。ごまかさないでください。
>>>また、私の意見に「論理的」というラベルが貼れるかどうかは、
>>>読み手が判断することであって、あなたが決定できることではありません。
上の1行と、下の2行は、また別な話題です。下2行に触れられていない
からといって回答を断る理由にはならないでしょう。
ちなみに下2行についてはほぼ同意します。読み手の一人として私以外に
も、多くの人があなたに対するレスの中で同じような感想を持っているよ
うですね。
それはそうと、
>>842にも答えてもらえませんか?
間違えました。
>>847が元レスである点はいいのですが、
冒頭部分は、515氏へのものでした。それに515氏がまだ答えていなかった、ですね。
大変失礼いたしました。
>>847 >
>>839 >私が「
>>778に」直接回答したことに「ならない」としても、
>回答しなかった点について、第三者が
>>751を読んでうなづけるだろうから、
>問題はないと判断したのです。(以下略)
うなずけるかどうかは、まさに読み手によるでしょう。
そんなことを言っても、回答を「しなかった」ことの言い訳にはなりませんよ。
>ついでに、あなたは、
>>751の下の部分も、無視されてます。
>
> >10万人に一件に関しては、
>>685できちんと反論してあります。彼は
>>750で
> >非論理的に無視しているだけですので、気になる方は、そちらを参照してください。
非論理的であっても無視ではないですね。回答しているわけですから。
10万人に1件を多いとするか少ないとするか、論理的に説明なんて出来ません。
あなたは、10万人に1件を論理的に多いと説明できますか?出来るのならやってみてください。
>>685でもあなたは、10万人に1件が少ないと言うことを論証している訳ではありませんね。
>>473さん、もうちょっとまともな議論はできないのでしょうか?
はっきり言ってスレッドの無駄使いになってるだけです。
865 :
考える名無しさん:02/08/04 23:59
>>848 孔子は「哲学者」ですか?「思想家にすぎない」のですか?
プラトンは?パウロは?アウグスティヌスは?ダンテは?ゲーテは?
カントは?キルケゴールは?ニイチェは?ドストエフスキイは?
カントは?ヘーゼルは?ハイデガーは?レヴィストロースは?ヘッセは?
カミュは?サルトルは?アルチュセールは?セールは?フーコーは?浅田なにがしは?
866 :
考える名無しさん:02/08/05 00:02
>>865 わざと間違えるのはあんたの「アホさ」。「ヘーゼル」?ナッツかよ?
867 :
考える名無しさん:02/08/05 00:03
>>866 おれが「nats」だからどうしたというんだね?
868 :
考える名無しさん:02/08/05 00:06
>>865 カントは「哲学板」の最初に肖像が出ているから、「哲学者」決定。
(最初見たとき「シーラカンス」みたいな魚か?と思ったけど〜)
>>865 では、あなたは「大学生」ですか?「会社員」ですか?
「フリーター」ですか?「人間」ですか?
哲学をするものが音楽を作ってたら、
「哲学者」ですか?「音楽家」ですか?
>>860 ▼前段
>>818は、
>人間を殺す事が罪であるとするのは地球上で人間だけだ。
>他の動植物にとってはとても喜ばしい事だろう。
>罪深い存在を絶やした行為を、神々に賞賛されるべきではなかろうか。
という文章です。十分答えになっているという感想はいりません。
「あなたが」答えを明示的に述べてください。
▼後段
>>
>>827で断ったとおり、その哲学だけが「哲学と呼ばれなければならない」点も示してください。
>>820氏が考える哲学のみが、哲学と呼ばれなければならない点について、示してください。
>その哲学だけが「哲学と呼ばれなければならない」ではなく、
>それ自体が哲学であるのです。
私はあなたが考える「哲学」という対象以外の対象に
「哲学」というラベリングを行えてしまいます。
それが「できない」というのなら、「できない理由」は何か、
「できる」なら、それが「許されない理由」は何か、そしてその
許されない理由は、「哲学」なのか、お答えください。
>>861 私は
>>752-755を論理的な見解だと考えています。
観察される事実から前提をおき、それを元に論を展開させているからです。
私はこうした議論を「論理的」と呼んでよいと考えていますし、
「論理的」は、そうした意味で使われています。
前提をおかない論理はないと考えています。
参考リンク
>>752-755 >>824-827
872 :
考える名無しさん:02/08/05 00:13
>>869 産まれ落ちたときは「何者も何者でもない。人間でさえない。」というのが、
「哲学的」答えでしょうね。
「社会」が「何者か」を決定するので、「自認する職業(ジョブではなくコーリング)」
に何か意味があると思わないのが「哲学的」だと思います。
>>863 >>847引用部分に、(以下略)とあり、
>>751の下の部分・・・まで、
略されていますが、その部分は略していい内容でないことは明らかですよね。
>
>>778 >私は第三者に語りかけるとき、いつも参照リンクを判断材料として示してます。
>>684-688 >>749-750 >ですから、「暗に」受け入れさせようとしていることには、ならないです。
>
>むしろ、引用部分の「罵倒は、
>>684-688の時点で、515氏に向けられていません。」という、
>実質的に検討すべき点を無視して、私の行動を断片的に書きたて、聞き手の事実認識を
>誤らせようとする方が怪しいです。
なぜここだけ省略したのですか?
また、10万人に1件に関してですが、あなたが「加害者側の観点を強調する話をしていたときに」
「多発」を持ち出し、そのデータとして「サリン事件被害者5500人」という数値を
あげたので、このデータが「あなたの論旨における「多発」にあたらない」と
私は批判したのです。
>>684-688 >>864 私は質問に答えているだけです。
875 :
考える名無しさん:02/08/05 00:21
並行論議継続中。この板では珍しい現象である。よく見ておくように。
うー、はっきりいって、肉体的にも精神的にも疲れたので、一旦去ります。降参。
みなさん、ごめんなさい。875さん、多分議論とは別に楽しんでるんでしょうね。
それもいいと思います。でも、期待に添えないです。ごめんなさい。
>>870 あなたは他人に明示されなければ答えを探せないのですね。
あなたが考えて探した上で反論してください。よく見ることが大切です。
「哲学」と「思想」の違い、「普遍的」の意味。
あなたはこの問題を理解していません。ぱっと出されて理解できるはずがないんです。
また、これを理解しないまま答えを聞いても理解できないでしょう。
あなたは「哲学」にたいして「論理的」な思想で反論してくるはずです。
理解できればあなたが私に答えを求めている問題はすべて分かるでしょう。
あなたはまず「哲学」を学んでください。
878 :
考える名無しさん:02/08/05 00:36
>>877 それ以前に、あなたはまず「思想」から学んでください。
「哲学的」者さんも暗にそう言っているのだと思いますが。
・・違ったら失礼でした。
>>876 お疲れ様でした。まずゆっくり休んでください。
そして、しばらく時間を置いた(1ヶ月くらい)
後に、もう一度自分の書きこみを、冷静に、客
観的に読み返してみたらどうでしょうか?
なぜ、みんなから非難され、どう言う点がお
かしかったのか?改めて見えてくる部分があう
だろうと思います。まあ、まずはゆっくり休ん
でください。お疲れ様でした。
880 :
考える名無しさん:02/08/05 00:41
>>877 「哲学と思想の違い」についてのあなたの「ドグマ」で、
翻弄しただけではないか。おらも寝る。
>>私は
>>752-755を論理的な見解だと考えています。
>>観察される事実から前提をおき、それを元に論を展開させているからです。
あなたは、それを論理的だと考えているのかも知れませんが、
私を含め、その他の多くの人は論理的ではないと考えている。
そこが議論が噛み合わない最大の原因なんでしょうね。
882 :
考える名無しさん:02/08/05 00:58
「論理的であることが価値の全て」=形而上学に激しく反発したのが
「ニイチェ」です。隣の「ニイチェファン=バカ」スレの方が面白いよ。
>>873 >
>>847引用部分に、(以下略)とあり、
>>751の下の部分・・・まで、
> 略されていますが、その部分は略していい内容でないことは明らかですよね。
そうやって、こちらの質問に回答せずに論点を変えていくのがあなたの常套手段のようですね。
このレスの下4行を読んで下さい。
> >
>>778 > >私は第三者に語りかけるとき、いつも参照リンクを判断材料として示してます。
>>684-688 >>749-750 > >ですから、「暗に」受け入れさせようとしていることには、ならないです。
>
> >むしろ、引用部分の「罵倒は、
>>684-688の時点で、515氏に向けられていません。」という、
> >実質的に検討すべき点を無視して、私の行動を断片的に書きたて、聞き手の事実認識を
> >誤らせようとする方が怪しいです。
>
> なぜここだけ省略したのですか?
怪しいですと言われて、論点をそらしてまで敢えて何を答えろと言うのでしょうか?
参照リンクを貼ろうが、あなたが回答に答えず第三者に語りかける行為を行う時点で、
私には、「暗」に受け入れさせようという意思があると「推理」することが出来ます。
そんなに第三者(聞き手?)にばかり気を使わないで相手と向き合ってはどうですか?
それとも、あなた自身は第三者(聞き手?)を代表しているつもりですか?まさかですよね。
だったら、第三者に語りかける形で回答を避けるのではなく、あなたが回答をする事によって、
第三者(聞き手?)が判断出来るようにして欲しいですね。
>また、10万人に1件に関してですが、あなたが「加害者側の観点を強調する話をしていたときに」
>「多発」を持ち出し、そのデータとして「サリン事件被害者5500人」という数値を
>あげたので、このデータが「あなたの論旨における「多発」にあたらない」と
>私は批判したのです。
>>684-688 加害者の観点を強調??。別に強調しているのではないですよ。
私には、あなたがあなたの主張に於いて、10万人に1件が議論の必要が無い無視できるほど少ない数であると、
根拠無く決定していることの方が不思議です。
よく読んでいただければ解る筈なのですが、「サリン事件」を出しているのは、
「多発」にかかっているのではなく「1件=一人」の部分です。
つまり、「1件」と言ってもただ一人(狭い範囲)に影響しているだけではなく、
それ以上の人に影響を与えていると言っているのです。
あなたは、どれほどの確立なら無視できないと考える訳ですか?その根拠はどこにあるのでしょうか?
以前から言っているように、先走りは議論の進行に悪影響です。
勝手な推論から成された反論は、推論の検証を無視して反論することは出来ません。
あなたの議論は、問題点を拡げてしまい論点がボケたり、ずれたりしてしまいます。
それがあなたの狙いで無いなら、先走らない様にお願いします。
884 :
考える名無しさん:02/08/05 20:04
ここで哲学するべき議題はスレタイと1の発言どっちなんだヨ。
こんな事ばかりしてたら、脳が腐ってヨーグルトになっちまうぜw
>>885 何も書かないで、気づかね〜お前は…(略 とか言われても、
どうしようもないです。
「他の スレ に誘導してからやれ」と828-832に、いわれたので、
「哲学板 で論じてもいいと認めたんですね」と473が、いったのに対して、
828-832「お前の意見を哲学と認めたわけじゃない」は、的外れです。
私は「473の意見を哲学と認めたんですね」とは言ってないからです。
>>824で、哲学以外の議論も哲学板で論じられてもよいか、という点を
問題にしたばかりでもありました。
888 :
大阪市民( ゚ペ)ノ ◆RAGE5ze. :02/08/05 21:05
イイとか悪いとかじゃなくて
「殺すな」では?
あ、既出?
>>888-889 「殺すな」っていう発言内容を「悪い」「いけない」と表現する用法は、
「哲学」的に「許されない」んでしょうか?
うん。許す許す。
荒れるからどっか行って。
892 :
大阪市民( ゚ペ)ノ ◆RAGE5ze. :02/08/05 21:47
命令文の方式=命法=道徳法則・道徳律
2つの命法に分けられる
1、仮言命法→条件付の命令「もし〜ならば・・・せよ」
2、定言命法→無条件の命令・端的な命法
定言命法は世の中で道徳を説いたり教育したりする場面で最も多く使われる
説得法である。この方式で説かれる道徳の進めの代表的なものとして、「他人
に親切にしてもらいたかったら、他人に親切にしなさい」がある。
しかし仮言命法は真の道徳律として認められない。理由を挙げるなら
1、前件の条件句がなくなれば、後件の命法の内容が無意味になる
2、前件の条件の方が主眼であり、またそれが行為の動機、下心になってる
である。しかし仮言命法が頻繁に用いられている。その理由を言うならば
道徳行為は意思を前提とするが、その意思は自らを動かす「動機」を求める
その際、身体を有し、感性的存在者である人間は、行為の動機を往々にして
自己の実利や、打算に求め、それを目的としがちであるからだ。
しかし、このようにして選ばれた目的とされるあれこれのものが良いか悪いか
は、人や場合によって決まり、実に様々である。もし各人がそれぞれの動機を
振りかざして自己の行為の善悪を争ったらいかなる事態になるか?
そうなると、普遍妥当性をもたない仮言命法はやはり真の道徳律とはいえない。
人間にとって、道徳的な「善さ」は上記の理由から普遍的なものでなければならない。
893 :
大阪市民( ゚ペ)ノ ◆RAGE5ze. :02/08/05 21:47
そこで道徳法則が普遍妥当性を具えていなければならなくなる。
一体そのような厳格な法則が人間にどこまで有効性を持つのか?
人間とは「2重の存在」である。それは、理性的存在(精神)と感性的存在(身体)
である。そこから導くとする
ある行為(犯罪)を犯した後の呵責、自責の念「あんなことするんじゃなかった」は、
理性が感性に働きかけ、その結果感性に刻まれた影響の痕跡とみなすことができる。
振り払おうとしても振り払うことができないものに対する特有の感情が感性の中で働い
ているのである。これこそ人間の感性が道徳法則をないがしろにできない証拠、これに
対する尊敬の念の証拠である。
つまり、真の道徳律は定言命法「〜せよ」にある
つまり「殺すな」としか言えない
894 :
大阪市民( ゚ペ)ノ ◆RAGE5ze. :02/08/05 21:54
疲れた 頭使いすぎた・・・
命法って「説得法」なの?
896 :
考える名無しさん:02/08/05 22:13
よくわかんないけど道徳の定義なんててきとうでいいんだろ
昔の人間の作った言葉だし。
真の道徳とか善とかあほらしい
今より人間理解の拙い時代の言葉に振り回されてどうするよ
897 :
考える名無しさん:02/08/05 22:21
はじめてちゃんとした答えを貰ったね。
ありがとう大阪市民!
というわけで、473は別でオナニースレでも立ててください。
亀レスですみません
>745
>私の真面目なレスに粘着して「皮肉」を言い続けているのはあなたの方だが?
>私はスレ違いの「皮肉」をくどくどと続けるのはやめてくれと言っているだけだ。
では僕があなたに返答するレスは全て皮肉であり、
これもまたそうである、ということですね
では僕があなたにレスを返さないことをあなたはお望みだということでしょう
分かりました
これからはあなたのレスは無視して返答しないことにします
悪しからず
>473
>121さんは、倫理学スレの、粗拳さんですよね? 強い賛成意見ありがとうございます。
はい、そうです
473さんが落ちた後で申し訳ないですが
罵り合いから逃れるために直接的な返答は避けさせていただきます
>「哲学的」者
「である」論と「あるべき」論と評されますが
それは事実問題と当為問題と理解します
そして多くの議論の停滞は事実と当為を混同しているところにあると僕は思います
しかし事実と当為は完全に並行しているわけではなく
あるいくつかの行為によって結びつけることが可能であると僕は主張します
それが「約束」であり
規範としての実在を設定することにより、
「あなたは人を殺してはいけない」が発言可能であると思います
>>898 >では僕があなたに返答するレスは全て皮肉であり、
>これもまたそうである、ということですね
なんで私に聞くんだね?
あなたが自分で「皮肉しかいえない」と断言しただろう?
>では僕があなたにレスを返さないことをあなたはお望みだということでしょう
違うよ、スレの議論と無関係な「皮肉」は、
荒らしと変わらないからやめてくれといっているだけだよ。
最後に、
僕は議論において正当性を求めることはナンセンスだと思います
というのは何事からも切り離してその正当性を所有することはありえないと思うからです
例えば過去の意見を挙げるならば
「法律で定まっているから」
「辞書に載っているから」
「論理的に」
このような言葉ですらその正当性は保証されないと僕は思います
法律も辞書も人が作成したものですし、それらの辞書や法律が正当であることを語らねばなりません
論理もまた、何の前提もなく論理のみによって導かれるものはありません
論理的に正しいものの正当性はその前提が握っているわけです
これは繰り返せば無限後退に陥るだけであると思います
しかし、かといって独断で決定してよいとも思えません
正当性という言葉は個人と離れて存在するものではないと思います
我々とは別個に「正当なるもの」が存在しそれによって正当性があるかないかが決定されるというのは馬鹿らしいと僕は思います
むしろ、正当性は相反する意見の中間に、「私」と「あなた」とそれらを含めて存在すると思います
はじめに正当性ありきなのではなく
はじめに議論ありきなのだと思います
同じように「それが哲学であるか否か」もまた議論に値しないと私は考えます
>>900 先の言明にそって無視します
言葉は私とあなたの間に紡がれるものです
>>902 ポエムも板違いだからできればほどほどにして欲しいものだが。
904 :
大阪市民( ゚ペ)ノ ◆RAGE5ze. :02/08/05 23:07
なんか凄く頭の固い人がいる・・・
さすが哲学板・・・
>121さん
それと、レスありがとうございました。いろいろな意味で、失望しなくてすみました。
907 :
大阪市民( ゚ペ)ノ ◆RAGE5ze. :02/08/05 23:20
>>901 哲学とは「知を愛すること、真理を求め続けること」です
よって他人の意見、考えを「批判」するというのは如何なものか
真理を導いていくのが哲学のはず
相手の考えを真っ向から批判し、認めることをしないのも哲学に
おける停滞の原因だと思います
「批判=(全)否定」じゃないと思うけど。
すぐ書こうと思ったのですが、伸びてしまってました・・
>>896さんにもです。
よくわかんないけど
道徳の <定義なんててきとうでいい> んだろ
昔の <人間の作った言葉> だし。
<真の>・・・<あほらしい>
今より人間理解の拙い時代の <言葉に振り回されて> どうするよ
<>内の理解にとても共感します。
910 :
大阪市民( ゚ペ)ノ ◆RAGE5ze. :02/08/05 23:24
>>892-893 丁寧なレスをありがとうございます。
>命令文の方式=命法=道徳法則・道徳律 2つの命法に分けられる
> 1、仮言命法→条件付の命令「もし〜ならば・・・せよ」
> 2、定言命法→無条件の命令・端的な命法
>定言命法は世の中で道徳を説いたり教育したりする場面で最も多く使われる説得法である。
>この方式で説かれる道徳の進めの代表的なものとして、「他人に親切にしてもらいたかったら、他人に親切にしなさい」がある。
私は、この分類の通りに考えていないです。私はまず、「道徳律」の前に、人間の配置を考えます。
道徳律というラベリングを行える「もの」があるとしても、それは人間が主張し存在させる「もの」だから、
単純に知らない・言語が違う・無視する人間にとっては、「道徳律」は「ない」と考えるからです。
大阪市民さんがおっしゃるとおり、「目的とされるあれこれのものが良いか悪いかは、人や場合によって決まり、実に様々」なので、
さまざまな主張がされるだろう、という点をまず私は前提としておいてしまいます(主張するのが「人」かどうかはおきます。)。
そして、命令はどんな形であれ、「無条件の命令」と考えています。
なぜなら、命令は正当性に関係なく現実的に主張可能だからです。
ただ、命令が、受けて側から任用されやすい要素として、「条件」の説得性が、問題になる
このように考えます。
ここらへんで出したほうがいいと思うので、一度出します。
911中・・任用=認容 です。失礼しました。
>>906 いえいえ、
何も答えてませんが・・・
機会があればまた別スレででも討論をしましょう
>>907 そうですね
でも僕は批判とは吟味であると思います
よりよく理解するための方法が批判であり、
互いに批判しあうことでより良い理解へと達成できることが哲学の良さであると思います
「哲学は批判に開かれねばならない」
僕と「哲学的」者さんは互いの立場は大きく異なりますが
その一点で思いを共有しています
もっとも、現実に怒りのために議論を中止するのは
実在の哲学者にもよく見受けられることです
古くは『ゴルギアス』のソクラテス然り
火かき棒事件のウィトゲンシュタイン然り
かくいう僕もその例に漏れることはないでしょう
しかし規範として発言可能であると思います
>>910 なるほど了解。
しかし、否定を封じることが哲学の進展の条件だろうか。
「真理を求め続ける」ということは、
思索を弛みなく続けていって、
「昨日まで肯定していたものも、間違っているとわかれば否定し、
否定していたものも正しいとわかれば肯定する。」
ということなのではなかろうか。
916 :
「哲学的」者:02/08/05 23:44
>>915 それが、「批判に開かれていけない」という哲学の「唯一の誇り」みたいなもので、
「変節」という非難も「敢えて受け入れる」という「誠実さ」を「矜持」とすることが、
少なくとも「哲学的」であろうとすることの最低限の条件だと思います。
917 :
「哲学的」者:02/08/05 23:46
↑915「批判に開かれてなければいけない」の間違いです。まいど、すみません。
918 :
「哲学的」者:02/08/05 23:50
↑917の「915」は「916」の間違いです。重ねてすみません。
919 :
考える名無しさん:02/08/05 23:53
三つの契機があると思う。
個人と、個の成立を可能にする条件と、それらの諸条件が働きかけるマトリックスと。
その成立条件から切り離された個人は問いに答を出せないし(出せても恣意的)、
マトリックスの段階では問いそのものが意味をなさない。
それで、問いの前提は「個を成立させる条件」だ。そこでこそ問いなさい。
ほれぼれするだろ。
920 :
大阪市民( ゚ペ)ノ ◆RAGE5ze. :02/08/05 23:56
>>911 行為の善し悪しを論じるに当たって、人間はまず意志を有し、その意思は「善」も「悪」も
等しく選択できる自由な存在であることが前提されることになる。
そして、その自由な意思が選び取った行為については、当然「自らの責任」においてこれを
引き受けなければならない。そこに行為の主体としての人格が存在すると思います
例をあげれば、人間が「イエス」としか言えず、「ノー」を言えないような存在であるならば、
テープレコーダと同じで、機械にすぎず、人格的存在ではない。
人間は理性と非理性の狭間で「生きる」のであり、そこに魂の非理性的な部分の「徳」が成立
していると思う。動物としての人間のもつ様々な活動、怒り、恐れ、憎しみ、飢え、乾き、など
を「健全な理性が指示する」方向に向けることに、「人柄(人格)」としての「徳」があると考えます
注:アリストテレスの影響をもろに受けてます スイマセン
「徳とは何か?」・・・一人一人考えが違う
自分自身の理性で探求し、考えるもの(むしろ迷うこと)
「徳」は算数の答えのように一つではない
決められた正解を発見し、それを目指すようなものではない
>>913 承知いたしました
その成立条件から切り離された個人は問いに答えを出せないし
「その成立条件から切り離された個人」という解釈が恣意的である可能性は
ないのですか。現実的に「個が成立している状況にある人間にとって」
922 :
考える名無しさん:02/08/05 23:58
>>921 屁理屈。
思考自動シュミレーション。
却下だ。
923 :
「哲学的」者:02/08/06 00:01
>>921 >現実的に「個が成立している状況にある人間にとって」
まさか「デカルトに戻る」ということではありませんよね。
その定律の根拠は? 「超越的自我」ですか?
924 :
大阪市民( ゚ペ)ノ ◆RAGE5ze. :02/08/06 00:05
>>921 その個人には「人格」が存在するのでしょうか
アホなんで例を挙げてくれませんせしょうか(恥
>>920 >>911 >行為の善し悪しを論じるに当たって、人間はまず意志を有し、その意思は「善」も「悪」も
>等しく選択できる自由な存在であることが前提されることになる。
すりあわせて書いてみます。
まず意志を有すると自認する状態が成立しており、自認する「意志を有する状態」が、ある類型的な対象(生物・とりあえず人)に
認められると認め、その「意志を有する状態」にある、「類型的な対象」が「持っている機能」は、「行為」と呼ばれる。
「行為」は、「どのような方向にであれ、作用する余地がある」点が確認され、それは、議論と言う行為において、前提される。
「行為のうち、善と呼ばれる意味、悪と呼ばれる意味(これらは恣意的)づけ行為 について考えるならば、
それらの意味付けのされる方も、自由である」
926 :
大阪市民( ゚ペ)ノ ◆RAGE5ze. :02/08/06 00:07
927 :
考える名無しさん:02/08/06 00:07
人格は存在する。
しかし流通する貨幣価値以上のものではない。
だから「本当の私はどの私?」なんてほざきおる。
悩むな。
928 :
大阪市民( ゚ペ)ノ ◆RAGE5ze. :02/08/06 00:09
話が深まってきた?
>>926 いや、どうもではなくて、最後のところを、見てください・・
930 :
考える名無しさん:02/08/06 00:10
君たち俺の意見にほれぼれしないな。
そうか、わかった。
俺が悪かった。
続けてくれ。
932 :
大阪市民( ゚ペ)ノ ◆RAGE5ze. :02/08/06 00:11
????
何が悪で何が善か
悪とは何か
善とは何か
>>925 それらの意味付けのされる方も、自由である
それらの意味付けのされ方も、自由である です
934 :
「哲学的」者:02/08/06 00:14
>>925 わるいけど、あなた「社会学」とか「政治学」とか「法律学」「社会心理学」の
レベルの話をしていませんか?
キルケゴールもニイチェもハイデガーもサルトルやフーコーも、ドストエフスキイさえ、
「歴史上に存在しなかった」ような議論はこの板では「どうか?」と思いますが。
921は、
現に哲学的考察で前提されない前提が現実的に成立している社会があった場合、
哲学的考察によって提出された内容
(例えば、哲学的考察によって、現実的に成立している前提を攻撃する)を、
その社会の中で主張することが、恣意的だ、という扱いを受ける場合は
ありえないのか、という問いです。
>>934 どの部分にそういうニュアンスを読み取ったのですか?
937 :
リンク魔王(のまね):02/08/06 00:20
938 :
「哲学的」者:02/08/06 00:21
>>935 誰が考えても「あり得る」に決まってます。
前述の通り、「実学」に対して「超越」を保つことが、
「あらゆる批判に開かれている」哲学の矜持です。
939 :
考える名無しさん:02/08/06 00:23
>>935 それは前者が哲学でないか、後者が社会でないかだ。
>>935補足です。現実的に成立している前提を攻撃する結果が、
哲学的考察以外の意図により、哲学的考察から引き出される、の方が
いいかもしれません。
で、その「哲学的考察以外の考察」と「哲学的考察」は、兼ねられる恐れが
ないのか。分けられるのか。
「哲学的考察」が手段化して、「哲学的考察以外の意図」に利用されるとき、
そうした「哲学」はそれ自体「哲学」として、恣意的でないと主張し切れるのか。
942 :
大阪市民( ゚ペ)ノ ◆RAGE5ze. :02/08/06 00:26
>>929 人と人との間柄の問題としてでなくしては善悪、義務、責任、徳も真に説くことはできない。
人間は相互否定において個人性と全体性を成立させる存在。人間が個人性と全体性という2重
構造を有しており、しかも両者が否定しあってるというのは人間存在そのもの、すなわち
「絶対否定性」を持っているということだと思う。
そこから人間存在の根本理法とは、「<全体性=社会>の否定としての<個人>を通して
全体性が実現される(否定の否定)運動」といえるだろう。
つまり、共同体(その最高実現態は国家)の信頼にこたえる個人の行為は必然的に善、裏切る行為は
悪と規定することはできないだろうか
943 :
考える名無しさん:02/08/06 00:28
945 :
「哲学的」者:02/08/06 00:31
>>901>>121 >正当性という言葉は個人と離れて存在するものではないと思います
>我々とは別個に「正当なるもの」が存在しそれによって正当性があるかないかが決定されるというのは馬鹿らしいと僕は思います
>むしろ、正当性は相反する意見の中間に、「私」と「あなた」とそれらを含めて存在すると思います
「個人」とはなんでしょう?何か、この言明は「相対主義」を嫌っていた121さんとはなじまないように思います。「個人」として、
「同一の個人」ですか?
>はじめに正当性ありきなのではなく
はじめに議論ありきなのだと思います
言わんとする意味は理解できますが、「言葉が足りない」と思います。
「正当性」を主張し合うのが「議論」の前提で、「ギャグの受け」を
狙っていれば、全く別の展開(「ぼけ」の必要性)が生じます。
同じように「それが哲学であるか否か」もまた議論に値しないと私は考えます
946 :
大阪市民( ゚ペ)ノ ◆RAGE5ze. :02/08/06 00:32
レス書いてるうちに話が反れてる・・・
というか、940の「分けられるのか」は、かなり根本的な問いだと思うんですが、
違うんでしょうか。
私がずーーっと感じてきた疑問がようやく要約できたような気が・・・
>>946 942にレス書きます。すみません、ちょっと待ってくださいです
949 :
「哲学的」者:02/08/06 00:35
945の続きです。
>>901 >同じように「それが哲学であるか否か」もまた議論に値しないと私は考えます
哲学において「議論に値しない」と言い切るには「それなりの論拠」が必要だと思いますが。
ましてや「あらゆる批判に開かれていなければ哲学でない」と言い切った121さんにとって、
「門前払い」はないと思いますが。
950 :
考える名無しさん:02/08/06 00:35
君たち、問うってのはもう少し手触りのある行為なんだよ。
951 :
大阪市民( ゚ペ)ノ ◆RAGE5ze. :02/08/06 00:38
そうか
>>949 あらゆる批判を受けるならば、全ての批判は哲学と呼びうるものであり、
それは議論によって決される。だから、内容を問題にすればよいのであって、
その内容が「哲学と呼ぶに値するか」「哲学と呼べるか」
「哲学であるか」を問う意味はない
の意味だと思いますが・・
それ=哲学の内容 は議論によって決される。
>>946 そらしてるのは私怨。もっと具体的には473。
>>952 「全ての批判=哲学」なのに「その内容は哲学足りうるか」は矛盾してる。
というか、それだと「議論=哲学」になってる。
955 :
大阪市民( ゚ペ)ノ ◆RAGE5ze. :02/08/06 00:48
(´Д`)・・・
956 :
大阪市民( ゚ペ)ノ ◆RAGE5ze. :02/08/06 00:53
よし、結論は出たと考える!
俺は一旦ニュー速+に帰る!
大脱線してるではないか!
何故本来の議論に戻れない!?
勝手にしたまえ!(#゚Д゚)
>
>>946 >そらしてるのは私怨。もっと具体的には473。
意味がわからないんですが・・・。
>>954 すべての批判に開かれているもののうち、哲学と呼ばれるに値するものは、
議論によって決まってくるので、内容を問うことが「哲学を決めること」だから
「哲学であるか」をそれ自体として問題にする必要などない
で、いいような。もちろん全ての批判に開かれているべき点を認めた場合の
話ですけど・・
>>956 ちょっと待ってください・・なんでそんな大げさなんですか・・
君達、自分の言葉に自己陶酔しはじめていないか?
960 :
「哲学的」者:02/08/06 01:03
>>957 「フーコー」を初めて読んだとき、カミュ「異邦人」でもいいし、サルトル「嘔吐」でもいいですが、
これが哲学?と思いますよ。「チャラツストラ」だって、キルケゴールも「これが哲学だ」とは誰も(当時は)
思わなかった。
「門前払い」はよくないと想います。「カミュ」は「実存主義哲学の一つの星」としての
位置づけがありますが、それは「non」なのでしょうか?ボーヴォワール女史は?
>>960 門前払いしないから「哲学とは何か」問う価値ないよ、と言ったんじゃ・・・。
ある議論を「哲学」と呼ぶかどうかは好みの問題で、哲学的価値は、
その議論の内容によって認め合っていくべきだよ、みたいな。
あと端的に「自分の議論を哲学と呼ばせようとする議論って意味あるのか?」とか・・
話がそれる・・すみません
>>942 >人と人との間柄の問題としてでなくしては善悪、義務、責任、徳も真に説くことはできない。
同意します。ただ、捉えている意味が違うと思います。私は主張と影響力(主張をうけること、物理的力)の問題を、
時間を配慮に入れて構成しなおして捉えてます。その条件で「真に」説くことができ、大阪市民さんが「普遍性」を
意図して「真に」と言っているのであれば、そのように説くことは、不可能だと考えています。
むしろ、そのように説くと「真に」説くことの不可能性の主張を助けてしまう面がある、
程度に考えてます。
963 :
「哲学的」者:02/08/06 01:17
>>961 [個々人の好みの問題]を[普遍的問題]に対峙させ、[相対化する]のが、
この2500年の「哲学者の仕事」だったことをお忘れではないでしょうか?
「相対主義に対する超越的批判」は、21世紀の哲学が手に入れた
「レゾンデートル」ではないかと思いますが。
>人と人との間柄の問題としてでなくしては善悪、義務、責任、徳も真に説くことはできない。
同意します。ただ、捉えている意味が違うと思います。私は主張と影響力(主張をうけること、物理的力)の問題を、
時間を配慮に入れて構成しなおして捉えてます。その条件で「真に」説くことができ、大阪市民さんが言うような
徹底した「真に」説くことは、不可能だと考えています。多分・・・
>人間は相互否定において個人性と全体性を成立させる存在。
>人間が個人性と全体性という2重構造を有しており、しかも両者が否定しあってるというのは人間存在そのもの、すなわち
>「絶対否定性」を持っているということだと思う。
1行目は、相互否定、がどのような対象にかかっていくのかが、読み取れませんでした。
2行目については、私は
・・・(人と呼ぶ予定の対象)を並立させておき、それらが動くことを認め、動きに従って行為を構成することを認め、
行為を構成する流れに時間を与え、並立した動き、時間の流れの中で、・・・に具体的な名前が振られだし、
ふられた名前が、習慣によって多くの・・・に振られており、例えば花に花という名をつけ、その点から
違うものに同じ名をふることが発見され、その振られ方が二種できてきて、
それが「個人性」に関わる語(人(個人の意味での)・個人)であり、
・・・が観察されなくても・・・がおかれると把握する作用があるために、
・・・を単一のものとして扱う「全体性」に関わる語
(人(単一の、個人として数えられるが、それが数え切れないものとしての、人類、社会)ができ、
それは具体的な名前として、並立して使われている・・・・といったように捉えています。
絶対否定性に関しては、個人性と全体性の理解によっていかようにも理解される内容であると
感じました。
964 最後から4行目 具体的な名前として、の、「具体的な」はカットです。失礼しました。
967 :
「哲学的」者:02/08/06 01:35
17世紀、18世紀「ロック」[ヒューム][ルソー」の時代に
「追いついてきた」ことは喜ばしい限りだ思います。
みなさんの「読む手間」が省けますから
唐突に、眠いので、寝ます。
970 :
「哲学的」者:02/08/06 22:54
>>473 >ある議論を「哲学」と呼ぶかどうかは好みの問題で、
ならば、ここでの多くのレスが「好みの問題」ということになりますね。
「哲学板」の看板を降ろした方がいい。
こんばんは。ちょうどよかったようですね。
>>970 >>940-941 の問いについて、どう思いますか?
現実的に成立している前提を攻撃する結果が、哲学的考察以外の意図により、
哲学的考察から引き出される、の方がいいかもしれません。
で、その「哲学的考察以外の考察」と「哲学的考察」は、兼ねられる恐れが
ないのか。分けられるのか。
「哲学的考察」が手段化して、「哲学的考察以外の意図」に利用されるとき、
そうした「哲学」はそれ自体「哲学」として、恣意的でないと主張し切れるのか。
それと、ある議論を哲学と「呼ぶかどうか」が、好みの問題です。
哲学に「値するかどうか」が、好みの問題なのではないです。
あるレスを「哲学」と呼ぶかどうかが、好みの問題、であって
あるレスが「哲学」に値するかどうかが、好みの問題、なのではないです。
>「哲学的」者
まず僕とあなたでは相対主義に対する解釈が異なる模様です
そして先に述べるならば僕は本質主義は哲学の汚点であると思います
>「個人」とはなんでしょう?何か、この言明は「相対主義」を嫌っていた121さんとはなじまないように思います。「個人」として、
>「同一の個人」ですか?
「個人の認識」と言い換えれば理解しやすいでしょうか?
「あなたの独断だから誤りである」という言葉は誤りであるという主張です
その言葉は言い換えれば「誰の独断でもないものであれば正しい」という主張のように聞こえます
しかし僕から言わせれば「誰の独断でもない正しさ」など存在を認識できないと思います
>言わんとする意味は理解できますが、「言葉が足りない」と思います。
そうですね、ただ自己言及はできるだけ避けたいために言葉が少なめになると思います
>949
>哲学において「議論に値しない」と言い切るには「それなりの論拠」が必要だと思いますが。
>ましてや「あらゆる批判に開かれていなければ哲学でない」と言い切った121さんにとって、
>「門前払い」はないと思いますが。
「あらゆる批判に開かれていなければ哲学でない」ではなく
正確には「哲学はあらゆる批判に開かれた中に存在しなければならない」です
哲学の本質が「あらゆる批判に開かれている」のではなく
哲学の規範が「あらゆる批判に開かれている」です
例えばある男Aが「哲学は批判に閉じているものでもかまわないものであり、これは哲学である」と主張したとしましょう
本質主義にとっては彼の主張は誤りであり議論の対象となりません
しかし規範として捉えるならば
その彼の主張が批判の中に投げ込まれる限り哲学であります
そして彼が批判から逃れ一人で言う限りは哲学ではありません
哲学を「あらゆる批判に開かれている」と主張するものが
そのドグマに関してだけは批判を避けるのです
僕はこのような態度は硬直的であり発展性を生まないと思います
いかなるドグマであろうともそれを批判の中に投げ込む態度が哲学であると思います
さて議論に値しない根拠ですが
分かりやすい説明をすれば「それが哲学であるかないか」は権力の争いに過ぎないからです
ただ相手の意見を排除するために「哲学」という権力を奪い合う構造でしかないという
フーコーのような表現が適切ではないでしょうか?
「批判を聞かずに相手を切り捨てる権力の奪い合い」は「あらゆる批判に開かれねばならない」哲学にとって議論に値しないと思うのです
正当性の存在もまた然りです
正当性を問うことは議論において必要であるとは思いますが
それが客観的な正当性などというものである限り、同じように批判に閉じたものだと思います
客観性は主観によって支えられると思いますし
主観と切り離した客観は存在を認識し得ないと思います
「あなたは客観的でないから誤りである」という言葉ほど誤りであると思います
もちろん主観的であればそれでよいとも思いませんが
ついでに述べさせていただきますと非論理的である
つまり自己言及のパラドクスを指摘する方もいるでしょう
なぜ合理主義の僕がこのような非合理的な意見を述べるのか
これに関しては合理主義は非合理主義の上に成立していると僕は考えるからです
>473
フォローありがとうございます
かなり理解していただきありがたく思います
しかしここは僕自身の言葉で説明させていただきました
これは僕自身のポリシーでしかありませんが
問題をただ自分の言葉として解決するだけでなく
相手にも理解してもらうような解決法を辿ることが重要であると僕は思います
1000人いたら1000通りの言葉を語るのが僕のポリシーです
もっともその1000人の中には言葉を語るのを中止した者も多々含まれますが
974 :
「哲学的」者:02/08/07 00:15
>>972 >>「哲学的」者
>まず僕とあなたでは相対主義に対する解釈が異なる模様です
>そして先に述べるならば僕は本質主義は哲学の汚点であると思います
揚げ足をとるつもりはありませんが「本質主義」を批判するのは同じです。
「汚点」とまでは思いませんが・・「形相」と「本質」はプラトン以降の「未解決の課題」ですから。
>>「個人」とはなんでしょう?何か、この言明は「相対主義」を嫌っていた121さんとはなじまないように思います。「個人」として、
>>「同一の個人」ですか?
>「個人の認識」と言い換えれば理解しやすいでしょうか?
>「あなたの独断だから誤りである」という言葉は誤りであるという主張です
>その言葉は言い換えれば「誰の独断でもないものであれば正しい」という主張のように聞こえます
>しかし僕から言わせれば「誰の独断でもない正しさ」など存在を認識できないと思います
「存在」と「認識」は(現代)哲学の焦点です。そんなに雑駁に論じないで頂きたいと思います。
「独断」と「啓示」あるいは「発見」とを区別するものはなんでしょうか?ニイチェの「山上の悟り」
あなたが、「サルトルの現象学の発見」を述べたくだりは、どう解釈するのでしょうか?
>>言わんとする意味は理解できますが、「言葉が足りない」と思います。
>>そうですね、ただ自己言及はできるだけ避けたいために言葉が少なめになると思います
>949
>哲学において「議論に値しない」と言い切るには「それなりの論拠」が必要だと思いますが。
>ましてや「あらゆる批判に開かれていなければ哲学でない」と言い切った121さんにとって、
>「門前払い」はないと思いますが。
>「あらゆる批判に開かれていなければ哲学でない」ではなく
>正確には「哲学はあらゆる批判に開かれた中に存在しなければならない」です
>哲学の本質が「あらゆる批判に開かれている」のではなく
>哲学の規範が「あらゆる批判に開かれている」です
「本質」というかつての「オールマイティ」よりは「規範」の方が
「優れた日本語表現」だとも思いません。すみませんが。むしろ「後退した造語」だと思います。
>例えばある男Aが「哲学は批判に閉じているものでもかまわないものであり、これは哲学である」
>と主張したとしましょう
>本質主義にとっては彼の主張は誤りであり議論の対象となりません
>しかし規範として捉えるならば
>その彼の主張が批判の中に投げ込まれる限り哲学であります
>そして彼が批判から逃れ一人で言う限りは哲学ではありません
「批判から逃れ一人で言う」行為が、哲学の進展(進展がアリとすれば)に寄与するというか、
「それ以外無い」と思います。「方法論」として「科学」と似て来ますが。「定律無くして哲学無し」
「批判のみで意味のはデフレスパイラルが起こるだけ」だと思います。
本質と規範の差異について補足します
僕が哲学の規範であると述べたことは
哲学の内部ではなく外部に関して述べたということです
>「哲学的」者
>「汚点」とまでは思いませんが・・「形相」と「本質」はプラトン以降の「未解決の課題」ですから。
なぜアリストテレスが関係するかは分かりませんが
本質主義などは近代まで、近代以降もなお続いた汚点であると僕は思いますよ
それに本質主義は「質料があるかないか」ではないでしょう
「本質が存在する」とはまさに「客観的真理が(内部に)存在する」という発想でしかありません
本質について語る議論ほど批判の効果を持たない議論は無いと思います
>「本質」というかつての「オールマイティ」よりは「規範」の方が
>「優れた日本語表現」だとも思いません。すみませんが。むしろ「後退した造語」だと思います。
表現を変えた、変えないというものではありません
オールマイティさを求めるのもまた僕は否定的です
批判に開かれた態度とは「間違えない態度」ではないと思います
いかなる解釈でも誤らない文章は意味を持たないと思いますし
哲学がもっとも敬遠すべきものであるとも思います
>「批判のみで意味のはデフレスパイラルが起こるだけ」だと思います。
言いたいことがよく伝わりませんが
おそらくは外部を示したものと思われます
僕は相対主義を否定することでそれに答えたいと思います
相対主義とは「真理か無か」という態度でしかないと思います
真理は批判にさらされる必要もありません
批判に開かれる良さは吟味すなわち「より真理に接近する」という態度です
「哲学」の名を制限する行為はエリート思想にしか感じません
そしてそれは権威付けに過ぎないものにしか見えません
ウィトゲンシュタインが「哲学は活動である」と言ったように
哲学という本質が先行するのではなく我々の哲学的活動が先行するのだと思います
977 :
「哲学的」者:02/08/07 01:07
>>976 あなたとはかなり近い世界観を持っているかもしれない(違ったら失礼)
と言う前提で、
>相対主義とは「真理か無か」という態度でしかないと思います
はまず、「主語」が欠落しております。
「121としては」と言う主語ならば「は」という助詞に、「相対主義」を
批判する根拠が希薄になる言明になるということになってしまいます。
「あんたはそう思うけど逆のことを思う人がいるんだけど?」という批判に、
耐えられないと言うことです。
「啓示」、「創発」、「絶対定言」、「価値の定律」のほうが、「価値がある」し、
いまさら「批判」に拘泥することは「この国を滅ぼす」と思います。
「このくにの存続」が至上価値であるとは言いませんが、「事前の価値」ぐらいではあり、
貴族の「哲学」の「存在条件」の方が大事だと思います。・・・貴族のガクモン=ガクモンの女王。
>「哲学的」者
> はまず、「主語」が欠落しております。
「相対主義は」という主語では問題なのでしょうか?
> 「121としては」と言う主語ならば
「〜としては」は主語となりえないと思います
それが主語となる文章を想像できません
>「あんたはそう思うけど逆のことを思う人がいるんだけど?」という批判に、
>耐えられないと言うことです。
僕はそう思いません
議論はまさに実践の中においてそれを淘汰する役割を果たすと思います
「逆のことを思う」のは可能性までです
我々は逆の可能性を持った発言をするべきだと思います
否定できる可能性の全く無い発言をすることは意味がないことだと思います
それは僕が真理が整合説ではなく、対応説つまり現実との対応こそが真理であると思うからです
>「啓示」、「創発」、「絶対定言」、「価値の定律」のほうが、「価値がある」し、
しかしそれが誤りである可能性もあります
また、誤りの可能性を持たないものであれば意味を持ちません
批判とは、誤りの可能性の中から、現実に誤りでないことをふるい落としていく作業であると思います
>いまさら「批判」に拘泥することは「この国を滅ぼす」と思います。
僕はそう思いません
このような表現は不適切かもしれませんが
「定律」は独裁であり、「批判」は民主主義であると思います
独裁であるからといって必ず滅ぶとは限りませんが
しかし滅ぶ可能性を低くするには、「そのままでは滅ぶのではないか?」の質問を常に投げかけることが必要であると思います
>貴族の「哲学」の「存在条件」の方が大事だと思います。・・・貴族のガクモン=ガクモンの女王。
僕は哲学はただ枯れないために温室で育たれるよりは
外の厳しい環境に耐えて育った方がいいと思います
温室だからといって必ず枯れるとは限りませんが
しかし枯れる可能性を低くするには、外に出て抵抗力を持つべきであると思います
温室の中でしか生きられない哲学などもはや女王足りえないのではないでしょうか
「永久に来ないメシアを待ちつづける」
そのような女王ならば世の中に必要ないでしょう
もちろん僕も必要としません
>>916 細部の表現には異論があるが、
(私は「唯一の誇り」ではなく「その本質」だと理解している。)
大筋では同意だ。
そもそも、自己の思考プロセスにおける、「検討」と他者との議論における「批判」に、
本質的な違いは存在しない。
議論とは、思考の場を自己の頭の中から他者との会話に広げただけのことで、
自分で考えて間違っていると思ったから放棄するという作業と、
議論の結果間違っているとわかったから放棄するという作業には何の違いも無い。
従って、哲学の目的においては、これらのプロセスについて「誇り」という要素は
特に関係が無い。
980 :
考える名無しさん:02/08/08 01:16
883 :515 :02/08/05 09:57
>>873 >
>>847引用部分に、(以下略)とあり、
>>751の下の部分・・・まで、
> 略されていますが、その部分は略していい内容でないことは明らかですよね。
そうやって、こちらの質問に回答せずに論点を変えていくのがあなたの常套手段のようですね。
このレスの下4行を読んで下さい。
> >
>>778 > >私は第三者に語りかけるとき、いつも参照リンクを判断材料として示してます。
>>684-688 >>749-750 > >ですから、「暗に」受け入れさせようとしていることには、ならないです。
>
> >むしろ、引用部分の「罵倒は、
>>684-688の時点で、515氏に向けられていません。」という、
> >実質的に検討すべき点を無視して、私の行動を断片的に書きたて、聞き手の事実認識を
> >誤らせようとする方が怪しいです。
>
> なぜここだけ省略したのですか?
怪しいですと言われて、論点をそらしてまで敢えて何を答えろと言うのでしょうか?
参照リンクを貼ろうが、あなたが回答に答えず第三者に語りかける行為を行う時点で、
私には、「暗」に受け入れさせようという意思があると「推理」することが出来ます。
そんなに第三者(聞き手?)にばかり気を使わないで相手と向き合ってはどうですか?
それとも、あなた自身は第三者(聞き手?)を代表しているつもりですか?まさかですよね。
だったら、第三者に語りかける形で回答を避けるのではなく、あなたが回答をする事によって、
第三者(聞き手?)が判断出来るようにして欲しいですね。
>また、10万人に1件に関してですが、あなたが「加害者側の観点を強調する話をしていたときに」
>「多発」を持ち出し、そのデータとして「サリン事件被害者5500人」という数値を
>あげたので、このデータが「あなたの論旨における「多発」にあたらない」と
>私は批判したのです。
>>684-688 加害者の観点を強調??。別に強調しているのではないですよ。
私には、あなたがあなたの主張に於いて、10万人に1件が議論の必要が無い無視できるほど少ない数であると、
根拠無く決定していることの方が不思議です。
よく読んでいただければ解る筈なのですが、「サリン事件」を出しているのは、
「多発」にかかっているのではなく「1件=一人」の部分です。
つまり、「1件」と言ってもただ一人(狭い範囲)に影響しているだけではなく、
それ以上の人に影響を与えていると言っているのです。
あなたは、どれほどの確立なら無視できないと考える訳ですか?その根拠はどこにあるのでしょうか?
以前から言っているように、先走りは議論の進行に悪影響です。
勝手な推論から成された反論は、推論の検証を無視して反論することは出来ません。
あなたの議論は、問題点を拡げてしまい論点がボケたり、ずれたりしてしまいます。
それがあなたの狙いで無いなら、先走らない様にお願いします。
981 :
考える名無しさん:02/08/11 13:27
なあなあ、ヒステリックなおばちゃん(=473)は、もう出て来ないのか?
982 :
考える名無しさん:02/08/12 15:29
性別や年齢がなぜわかるんだろう・・・。
984 :
考える名無しさん:02/08/14 01:06
がんばれよ、もうちょいで1000だろがぁ。
985 :
「哲学的」者:02/08/14 01:11
ちと待って。なんで今頃この「廃墟スレ」が?
今「宇宙」の方の世話に忙しいので、少し休憩させてください。
たぶん、「宇宙ヤバイ」はすぐ終わりますので、すぐ戻ります。
近所のオタガキ(20歳の無職)が「何故人を殺しちゃいけないの?」とアニメだかゲームだか映画だか
小説だかなんだかしらねーけどそこらへんのクソヲタが好きそうなアホ作品の影響されて、純粋な目で
問いただすんだよ。マジレスしてやったら色々と屁理屈こねるもんで、俺はそいつの首を思いっきり絞めてやった(笑)。
んで、締めながら膝で腹を8回くらい蹴りを入れてやった。そいつ、涙目にななっってマンガみたいに白い液を
口からボロボロと垂らしているの。きたねー。「これでわかったか?」と手に力いっぱいに問いただすと、
オタガキはしつこく首を横に振りやがるので、ヘッドロックかまして、足を思いっきり踏みつぶしてやった。
さらに力に手を入れて「いいのか? 死ぬぞ? お前が好きな月姫の続編とかできないぞ? ガンパレのエロ同人で
オナニーできないぞ? アリスソフトの会員費未払いでうち切られるぞ? エロゲープレイできなくなるぞ?
ラグナロクオンラインもできなくなるよ?」と脅してやったら、「し、しにたくないよ〜。ご、ごめんなさいー」だってさ。
ギャハハハハハハハ!こんなもんよ? くだらねーことをいう生意気なジャリオタどもをいいきかせるのはよ。
首を解いてやって、「なぁ、これでわかっただろう?」と聞いたら「うん。ごめんなさい」だってさ。ウヒヒヒ。
俺も立派な大人になったもんだな。説教をするなんて。
>>986 力に手を入れ・・・・る立派な大人だね。
+ アハハ・・・
アハハ・・・ + +
+ lヽ
. / ̄\ +. ∧_∧ l 」 +
コロスナヨー( ´∀`) (´∀` )‖
(つ つ (つ つ +
. + ( ヽノ ( ヽノ ナゼコロシチャダメナノ〜?
し(_) し(_)
(⌒\ / ̄\ +
\ヽ( ´∀`) ダメダッテイッテンダロ
(m ⌒\ +
+ ノ / / +
( ∧ ∧
ヘ丿 ∩Д` ) +
(ヽ_ノゝ _ノ
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
丿 ,;⌒⌒i.
/ ̄\⌒ヽ ( ;;;;;) ______
(´∀` ) ⊂) ,,:;;;) | |
/⌒ ( ) ヽ| |/ |;,ノ | 樹海 |
( ⊃ ∨∨ | / .,i |______|
( ヽノ | | ,,i; ,, . ,;⌒‖
し(_) /ヽ ,,,丶, | |,,,;. ;i, ‖ヽ
989 :
考える名無しさん:02/08/15 20:38
>>最近書き込んでいる人達
斎場にいって死ぬ瞬間を目撃すれば分かる
990 :
考える名無しさん:02/08/15 20:59
説教はむずかしい
991 :
考える名無しさん:02/08/15 21:07
熱気デリダ
”人を殺すこと”はいいのかいけないのか、その問いの意味がよく分からないけれど、
何の意味も無く殺すことは無いよね。
その意味によると思うけれど。でも違うか、いいかいけないかだもんな。
いけないんじゃないかな。食べる以外は。
人に限らず、なんでもそうだよ。
生き物の命を奪ってもいいのは、その生き物を食べるときだけ。
そのときだけ、奪うことを許されるんじゃないかな。
そう思うよ。
993 :
考える名無しさん:02/08/16 00:04
>>992 「誰かが手入れしないと、スレはすぐに枯れ始める」法則を証明する現象。
994 :
考える名無しさん:02/08/16 00:13
>>993 え?書いちゃいけなかったってことですか・・・?
995 :
考える名無しさん:02/08/16 00:15
>>994 過去レスのかけらくらい読んでから書いてよ。(993ではないけど)
996 :
考える名無しさん:02/08/16 00:19
ん?スレ違いってこと?
997 :
考える名無しさん:02/08/16 00:35
1000
998 :
考える名無しさん:02/08/16 00:35
1000
999 :
考える名無しさん:02/08/16 00:35
あ
1000 :
考える名無しさん:02/08/16 00:35
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。