>>949 あらゆる批判を受けるならば、全ての批判は哲学と呼びうるものであり、
それは議論によって決される。だから、内容を問題にすればよいのであって、
その内容が「哲学と呼ぶに値するか」「哲学と呼べるか」
「哲学であるか」を問う意味はない
の意味だと思いますが・・
それ=哲学の内容 は議論によって決される。
>>946 そらしてるのは私怨。もっと具体的には473。
>>952 「全ての批判=哲学」なのに「その内容は哲学足りうるか」は矛盾してる。
というか、それだと「議論=哲学」になってる。
955 :
大阪市民( ゚ペ)ノ ◆RAGE5ze. :02/08/06 00:48
(´Д`)・・・
956 :
大阪市民( ゚ペ)ノ ◆RAGE5ze. :02/08/06 00:53
よし、結論は出たと考える!
俺は一旦ニュー速+に帰る!
大脱線してるではないか!
何故本来の議論に戻れない!?
勝手にしたまえ!(#゚Д゚)
>
>>946 >そらしてるのは私怨。もっと具体的には473。
意味がわからないんですが・・・。
>>954 すべての批判に開かれているもののうち、哲学と呼ばれるに値するものは、
議論によって決まってくるので、内容を問うことが「哲学を決めること」だから
「哲学であるか」をそれ自体として問題にする必要などない
で、いいような。もちろん全ての批判に開かれているべき点を認めた場合の
話ですけど・・
>>956 ちょっと待ってください・・なんでそんな大げさなんですか・・
君達、自分の言葉に自己陶酔しはじめていないか?
960 :
「哲学的」者:02/08/06 01:03
>>957 「フーコー」を初めて読んだとき、カミュ「異邦人」でもいいし、サルトル「嘔吐」でもいいですが、
これが哲学?と思いますよ。「チャラツストラ」だって、キルケゴールも「これが哲学だ」とは誰も(当時は)
思わなかった。
「門前払い」はよくないと想います。「カミュ」は「実存主義哲学の一つの星」としての
位置づけがありますが、それは「non」なのでしょうか?ボーヴォワール女史は?
>>960 門前払いしないから「哲学とは何か」問う価値ないよ、と言ったんじゃ・・・。
ある議論を「哲学」と呼ぶかどうかは好みの問題で、哲学的価値は、
その議論の内容によって認め合っていくべきだよ、みたいな。
あと端的に「自分の議論を哲学と呼ばせようとする議論って意味あるのか?」とか・・
話がそれる・・すみません
>>942 >人と人との間柄の問題としてでなくしては善悪、義務、責任、徳も真に説くことはできない。
同意します。ただ、捉えている意味が違うと思います。私は主張と影響力(主張をうけること、物理的力)の問題を、
時間を配慮に入れて構成しなおして捉えてます。その条件で「真に」説くことができ、大阪市民さんが「普遍性」を
意図して「真に」と言っているのであれば、そのように説くことは、不可能だと考えています。
むしろ、そのように説くと「真に」説くことの不可能性の主張を助けてしまう面がある、
程度に考えてます。
963 :
「哲学的」者:02/08/06 01:17
>>961 [個々人の好みの問題]を[普遍的問題]に対峙させ、[相対化する]のが、
この2500年の「哲学者の仕事」だったことをお忘れではないでしょうか?
「相対主義に対する超越的批判」は、21世紀の哲学が手に入れた
「レゾンデートル」ではないかと思いますが。
>人と人との間柄の問題としてでなくしては善悪、義務、責任、徳も真に説くことはできない。
同意します。ただ、捉えている意味が違うと思います。私は主張と影響力(主張をうけること、物理的力)の問題を、
時間を配慮に入れて構成しなおして捉えてます。その条件で「真に」説くことができ、大阪市民さんが言うような
徹底した「真に」説くことは、不可能だと考えています。多分・・・
>人間は相互否定において個人性と全体性を成立させる存在。
>人間が個人性と全体性という2重構造を有しており、しかも両者が否定しあってるというのは人間存在そのもの、すなわち
>「絶対否定性」を持っているということだと思う。
1行目は、相互否定、がどのような対象にかかっていくのかが、読み取れませんでした。
2行目については、私は
・・・(人と呼ぶ予定の対象)を並立させておき、それらが動くことを認め、動きに従って行為を構成することを認め、
行為を構成する流れに時間を与え、並立した動き、時間の流れの中で、・・・に具体的な名前が振られだし、
ふられた名前が、習慣によって多くの・・・に振られており、例えば花に花という名をつけ、その点から
違うものに同じ名をふることが発見され、その振られ方が二種できてきて、
それが「個人性」に関わる語(人(個人の意味での)・個人)であり、
・・・が観察されなくても・・・がおかれると把握する作用があるために、
・・・を単一のものとして扱う「全体性」に関わる語
(人(単一の、個人として数えられるが、それが数え切れないものとしての、人類、社会)ができ、
それは具体的な名前として、並立して使われている・・・・といったように捉えています。
絶対否定性に関しては、個人性と全体性の理解によっていかようにも理解される内容であると
感じました。
964 最後から4行目 具体的な名前として、の、「具体的な」はカットです。失礼しました。
967 :
「哲学的」者:02/08/06 01:35
17世紀、18世紀「ロック」[ヒューム][ルソー」の時代に
「追いついてきた」ことは喜ばしい限りだ思います。
みなさんの「読む手間」が省けますから
唐突に、眠いので、寝ます。
970 :
「哲学的」者:02/08/06 22:54
>>473 >ある議論を「哲学」と呼ぶかどうかは好みの問題で、
ならば、ここでの多くのレスが「好みの問題」ということになりますね。
「哲学板」の看板を降ろした方がいい。
こんばんは。ちょうどよかったようですね。
>>970 >>940-941 の問いについて、どう思いますか?
現実的に成立している前提を攻撃する結果が、哲学的考察以外の意図により、
哲学的考察から引き出される、の方がいいかもしれません。
で、その「哲学的考察以外の考察」と「哲学的考察」は、兼ねられる恐れが
ないのか。分けられるのか。
「哲学的考察」が手段化して、「哲学的考察以外の意図」に利用されるとき、
そうした「哲学」はそれ自体「哲学」として、恣意的でないと主張し切れるのか。
それと、ある議論を哲学と「呼ぶかどうか」が、好みの問題です。
哲学に「値するかどうか」が、好みの問題なのではないです。
あるレスを「哲学」と呼ぶかどうかが、好みの問題、であって
あるレスが「哲学」に値するかどうかが、好みの問題、なのではないです。
>「哲学的」者
まず僕とあなたでは相対主義に対する解釈が異なる模様です
そして先に述べるならば僕は本質主義は哲学の汚点であると思います
>「個人」とはなんでしょう?何か、この言明は「相対主義」を嫌っていた121さんとはなじまないように思います。「個人」として、
>「同一の個人」ですか?
「個人の認識」と言い換えれば理解しやすいでしょうか?
「あなたの独断だから誤りである」という言葉は誤りであるという主張です
その言葉は言い換えれば「誰の独断でもないものであれば正しい」という主張のように聞こえます
しかし僕から言わせれば「誰の独断でもない正しさ」など存在を認識できないと思います
>言わんとする意味は理解できますが、「言葉が足りない」と思います。
そうですね、ただ自己言及はできるだけ避けたいために言葉が少なめになると思います
>949
>哲学において「議論に値しない」と言い切るには「それなりの論拠」が必要だと思いますが。
>ましてや「あらゆる批判に開かれていなければ哲学でない」と言い切った121さんにとって、
>「門前払い」はないと思いますが。
「あらゆる批判に開かれていなければ哲学でない」ではなく
正確には「哲学はあらゆる批判に開かれた中に存在しなければならない」です
哲学の本質が「あらゆる批判に開かれている」のではなく
哲学の規範が「あらゆる批判に開かれている」です
例えばある男Aが「哲学は批判に閉じているものでもかまわないものであり、これは哲学である」と主張したとしましょう
本質主義にとっては彼の主張は誤りであり議論の対象となりません
しかし規範として捉えるならば
その彼の主張が批判の中に投げ込まれる限り哲学であります
そして彼が批判から逃れ一人で言う限りは哲学ではありません
哲学を「あらゆる批判に開かれている」と主張するものが
そのドグマに関してだけは批判を避けるのです
僕はこのような態度は硬直的であり発展性を生まないと思います
いかなるドグマであろうともそれを批判の中に投げ込む態度が哲学であると思います
さて議論に値しない根拠ですが
分かりやすい説明をすれば「それが哲学であるかないか」は権力の争いに過ぎないからです
ただ相手の意見を排除するために「哲学」という権力を奪い合う構造でしかないという
フーコーのような表現が適切ではないでしょうか?
「批判を聞かずに相手を切り捨てる権力の奪い合い」は「あらゆる批判に開かれねばならない」哲学にとって議論に値しないと思うのです
正当性の存在もまた然りです
正当性を問うことは議論において必要であるとは思いますが
それが客観的な正当性などというものである限り、同じように批判に閉じたものだと思います
客観性は主観によって支えられると思いますし
主観と切り離した客観は存在を認識し得ないと思います
「あなたは客観的でないから誤りである」という言葉ほど誤りであると思います
もちろん主観的であればそれでよいとも思いませんが
ついでに述べさせていただきますと非論理的である
つまり自己言及のパラドクスを指摘する方もいるでしょう
なぜ合理主義の僕がこのような非合理的な意見を述べるのか
これに関しては合理主義は非合理主義の上に成立していると僕は考えるからです
>473
フォローありがとうございます
かなり理解していただきありがたく思います
しかしここは僕自身の言葉で説明させていただきました
これは僕自身のポリシーでしかありませんが
問題をただ自分の言葉として解決するだけでなく
相手にも理解してもらうような解決法を辿ることが重要であると僕は思います
1000人いたら1000通りの言葉を語るのが僕のポリシーです
もっともその1000人の中には言葉を語るのを中止した者も多々含まれますが
974 :
「哲学的」者:02/08/07 00:15
>>972 >>「哲学的」者
>まず僕とあなたでは相対主義に対する解釈が異なる模様です
>そして先に述べるならば僕は本質主義は哲学の汚点であると思います
揚げ足をとるつもりはありませんが「本質主義」を批判するのは同じです。
「汚点」とまでは思いませんが・・「形相」と「本質」はプラトン以降の「未解決の課題」ですから。
>>「個人」とはなんでしょう?何か、この言明は「相対主義」を嫌っていた121さんとはなじまないように思います。「個人」として、
>>「同一の個人」ですか?
>「個人の認識」と言い換えれば理解しやすいでしょうか?
>「あなたの独断だから誤りである」という言葉は誤りであるという主張です
>その言葉は言い換えれば「誰の独断でもないものであれば正しい」という主張のように聞こえます
>しかし僕から言わせれば「誰の独断でもない正しさ」など存在を認識できないと思います
「存在」と「認識」は(現代)哲学の焦点です。そんなに雑駁に論じないで頂きたいと思います。
「独断」と「啓示」あるいは「発見」とを区別するものはなんでしょうか?ニイチェの「山上の悟り」
あなたが、「サルトルの現象学の発見」を述べたくだりは、どう解釈するのでしょうか?
>>言わんとする意味は理解できますが、「言葉が足りない」と思います。
>>そうですね、ただ自己言及はできるだけ避けたいために言葉が少なめになると思います
>949
>哲学において「議論に値しない」と言い切るには「それなりの論拠」が必要だと思いますが。
>ましてや「あらゆる批判に開かれていなければ哲学でない」と言い切った121さんにとって、
>「門前払い」はないと思いますが。
>「あらゆる批判に開かれていなければ哲学でない」ではなく
>正確には「哲学はあらゆる批判に開かれた中に存在しなければならない」です
>哲学の本質が「あらゆる批判に開かれている」のではなく
>哲学の規範が「あらゆる批判に開かれている」です
「本質」というかつての「オールマイティ」よりは「規範」の方が
「優れた日本語表現」だとも思いません。すみませんが。むしろ「後退した造語」だと思います。
>例えばある男Aが「哲学は批判に閉じているものでもかまわないものであり、これは哲学である」
>と主張したとしましょう
>本質主義にとっては彼の主張は誤りであり議論の対象となりません
>しかし規範として捉えるならば
>その彼の主張が批判の中に投げ込まれる限り哲学であります
>そして彼が批判から逃れ一人で言う限りは哲学ではありません
「批判から逃れ一人で言う」行為が、哲学の進展(進展がアリとすれば)に寄与するというか、
「それ以外無い」と思います。「方法論」として「科学」と似て来ますが。「定律無くして哲学無し」
「批判のみで意味のはデフレスパイラルが起こるだけ」だと思います。
本質と規範の差異について補足します
僕が哲学の規範であると述べたことは
哲学の内部ではなく外部に関して述べたということです
>「哲学的」者
>「汚点」とまでは思いませんが・・「形相」と「本質」はプラトン以降の「未解決の課題」ですから。
なぜアリストテレスが関係するかは分かりませんが
本質主義などは近代まで、近代以降もなお続いた汚点であると僕は思いますよ
それに本質主義は「質料があるかないか」ではないでしょう
「本質が存在する」とはまさに「客観的真理が(内部に)存在する」という発想でしかありません
本質について語る議論ほど批判の効果を持たない議論は無いと思います
>「本質」というかつての「オールマイティ」よりは「規範」の方が
>「優れた日本語表現」だとも思いません。すみませんが。むしろ「後退した造語」だと思います。
表現を変えた、変えないというものではありません
オールマイティさを求めるのもまた僕は否定的です
批判に開かれた態度とは「間違えない態度」ではないと思います
いかなる解釈でも誤らない文章は意味を持たないと思いますし
哲学がもっとも敬遠すべきものであるとも思います
>「批判のみで意味のはデフレスパイラルが起こるだけ」だと思います。
言いたいことがよく伝わりませんが
おそらくは外部を示したものと思われます
僕は相対主義を否定することでそれに答えたいと思います
相対主義とは「真理か無か」という態度でしかないと思います
真理は批判にさらされる必要もありません
批判に開かれる良さは吟味すなわち「より真理に接近する」という態度です
「哲学」の名を制限する行為はエリート思想にしか感じません
そしてそれは権威付けに過ぎないものにしか見えません
ウィトゲンシュタインが「哲学は活動である」と言ったように
哲学という本質が先行するのではなく我々の哲学的活動が先行するのだと思います
977 :
「哲学的」者:02/08/07 01:07
>>976 あなたとはかなり近い世界観を持っているかもしれない(違ったら失礼)
と言う前提で、
>相対主義とは「真理か無か」という態度でしかないと思います
はまず、「主語」が欠落しております。
「121としては」と言う主語ならば「は」という助詞に、「相対主義」を
批判する根拠が希薄になる言明になるということになってしまいます。
「あんたはそう思うけど逆のことを思う人がいるんだけど?」という批判に、
耐えられないと言うことです。
「啓示」、「創発」、「絶対定言」、「価値の定律」のほうが、「価値がある」し、
いまさら「批判」に拘泥することは「この国を滅ぼす」と思います。
「このくにの存続」が至上価値であるとは言いませんが、「事前の価値」ぐらいではあり、
貴族の「哲学」の「存在条件」の方が大事だと思います。・・・貴族のガクモン=ガクモンの女王。
>「哲学的」者
> はまず、「主語」が欠落しております。
「相対主義は」という主語では問題なのでしょうか?
> 「121としては」と言う主語ならば
「〜としては」は主語となりえないと思います
それが主語となる文章を想像できません
>「あんたはそう思うけど逆のことを思う人がいるんだけど?」という批判に、
>耐えられないと言うことです。
僕はそう思いません
議論はまさに実践の中においてそれを淘汰する役割を果たすと思います
「逆のことを思う」のは可能性までです
我々は逆の可能性を持った発言をするべきだと思います
否定できる可能性の全く無い発言をすることは意味がないことだと思います
それは僕が真理が整合説ではなく、対応説つまり現実との対応こそが真理であると思うからです
>「啓示」、「創発」、「絶対定言」、「価値の定律」のほうが、「価値がある」し、
しかしそれが誤りである可能性もあります
また、誤りの可能性を持たないものであれば意味を持ちません
批判とは、誤りの可能性の中から、現実に誤りでないことをふるい落としていく作業であると思います
>いまさら「批判」に拘泥することは「この国を滅ぼす」と思います。
僕はそう思いません
このような表現は不適切かもしれませんが
「定律」は独裁であり、「批判」は民主主義であると思います
独裁であるからといって必ず滅ぶとは限りませんが
しかし滅ぶ可能性を低くするには、「そのままでは滅ぶのではないか?」の質問を常に投げかけることが必要であると思います
>貴族の「哲学」の「存在条件」の方が大事だと思います。・・・貴族のガクモン=ガクモンの女王。
僕は哲学はただ枯れないために温室で育たれるよりは
外の厳しい環境に耐えて育った方がいいと思います
温室だからといって必ず枯れるとは限りませんが
しかし枯れる可能性を低くするには、外に出て抵抗力を持つべきであると思います
温室の中でしか生きられない哲学などもはや女王足りえないのではないでしょうか
「永久に来ないメシアを待ちつづける」
そのような女王ならば世の中に必要ないでしょう
もちろん僕も必要としません
>>916 細部の表現には異論があるが、
(私は「唯一の誇り」ではなく「その本質」だと理解している。)
大筋では同意だ。
そもそも、自己の思考プロセスにおける、「検討」と他者との議論における「批判」に、
本質的な違いは存在しない。
議論とは、思考の場を自己の頭の中から他者との会話に広げただけのことで、
自分で考えて間違っていると思ったから放棄するという作業と、
議論の結果間違っているとわかったから放棄するという作業には何の違いも無い。
従って、哲学の目的においては、これらのプロセスについて「誇り」という要素は
特に関係が無い。
980 :
考える名無しさん:02/08/08 01:16
883 :515 :02/08/05 09:57
>>873 >
>>847引用部分に、(以下略)とあり、
>>751の下の部分・・・まで、
> 略されていますが、その部分は略していい内容でないことは明らかですよね。
そうやって、こちらの質問に回答せずに論点を変えていくのがあなたの常套手段のようですね。
このレスの下4行を読んで下さい。
> >
>>778 > >私は第三者に語りかけるとき、いつも参照リンクを判断材料として示してます。
>>684-688 >>749-750 > >ですから、「暗に」受け入れさせようとしていることには、ならないです。
>
> >むしろ、引用部分の「罵倒は、
>>684-688の時点で、515氏に向けられていません。」という、
> >実質的に検討すべき点を無視して、私の行動を断片的に書きたて、聞き手の事実認識を
> >誤らせようとする方が怪しいです。
>
> なぜここだけ省略したのですか?
怪しいですと言われて、論点をそらしてまで敢えて何を答えろと言うのでしょうか?
参照リンクを貼ろうが、あなたが回答に答えず第三者に語りかける行為を行う時点で、
私には、「暗」に受け入れさせようという意思があると「推理」することが出来ます。
そんなに第三者(聞き手?)にばかり気を使わないで相手と向き合ってはどうですか?
それとも、あなた自身は第三者(聞き手?)を代表しているつもりですか?まさかですよね。
だったら、第三者に語りかける形で回答を避けるのではなく、あなたが回答をする事によって、
第三者(聞き手?)が判断出来るようにして欲しいですね。
>また、10万人に1件に関してですが、あなたが「加害者側の観点を強調する話をしていたときに」
>「多発」を持ち出し、そのデータとして「サリン事件被害者5500人」という数値を
>あげたので、このデータが「あなたの論旨における「多発」にあたらない」と
>私は批判したのです。
>>684-688 加害者の観点を強調??。別に強調しているのではないですよ。
私には、あなたがあなたの主張に於いて、10万人に1件が議論の必要が無い無視できるほど少ない数であると、
根拠無く決定していることの方が不思議です。
よく読んでいただければ解る筈なのですが、「サリン事件」を出しているのは、
「多発」にかかっているのではなく「1件=一人」の部分です。
つまり、「1件」と言ってもただ一人(狭い範囲)に影響しているだけではなく、
それ以上の人に影響を与えていると言っているのです。
あなたは、どれほどの確立なら無視できないと考える訳ですか?その根拠はどこにあるのでしょうか?
以前から言っているように、先走りは議論の進行に悪影響です。
勝手な推論から成された反論は、推論の検証を無視して反論することは出来ません。
あなたの議論は、問題点を拡げてしまい論点がボケたり、ずれたりしてしまいます。
それがあなたの狙いで無いなら、先走らない様にお願いします。
981 :
考える名無しさん:02/08/11 13:27
なあなあ、ヒステリックなおばちゃん(=473)は、もう出て来ないのか?
982 :
考える名無しさん:02/08/12 15:29
性別や年齢がなぜわかるんだろう・・・。
984 :
考える名無しさん:02/08/14 01:06
がんばれよ、もうちょいで1000だろがぁ。
985 :
「哲学的」者:02/08/14 01:11
ちと待って。なんで今頃この「廃墟スレ」が?
今「宇宙」の方の世話に忙しいので、少し休憩させてください。
たぶん、「宇宙ヤバイ」はすぐ終わりますので、すぐ戻ります。
近所のオタガキ(20歳の無職)が「何故人を殺しちゃいけないの?」とアニメだかゲームだか映画だか
小説だかなんだかしらねーけどそこらへんのクソヲタが好きそうなアホ作品の影響されて、純粋な目で
問いただすんだよ。マジレスしてやったら色々と屁理屈こねるもんで、俺はそいつの首を思いっきり絞めてやった(笑)。
んで、締めながら膝で腹を8回くらい蹴りを入れてやった。そいつ、涙目にななっってマンガみたいに白い液を
口からボロボロと垂らしているの。きたねー。「これでわかったか?」と手に力いっぱいに問いただすと、
オタガキはしつこく首を横に振りやがるので、ヘッドロックかまして、足を思いっきり踏みつぶしてやった。
さらに力に手を入れて「いいのか? 死ぬぞ? お前が好きな月姫の続編とかできないぞ? ガンパレのエロ同人で
オナニーできないぞ? アリスソフトの会員費未払いでうち切られるぞ? エロゲープレイできなくなるぞ?
ラグナロクオンラインもできなくなるよ?」と脅してやったら、「し、しにたくないよ〜。ご、ごめんなさいー」だってさ。
ギャハハハハハハハ!こんなもんよ? くだらねーことをいう生意気なジャリオタどもをいいきかせるのはよ。
首を解いてやって、「なぁ、これでわかっただろう?」と聞いたら「うん。ごめんなさい」だってさ。ウヒヒヒ。
俺も立派な大人になったもんだな。説教をするなんて。
>>986 力に手を入れ・・・・る立派な大人だね。
+ アハハ・・・
アハハ・・・ + +
+ lヽ
. / ̄\ +. ∧_∧ l 」 +
コロスナヨー( ´∀`) (´∀` )‖
(つ つ (つ つ +
. + ( ヽノ ( ヽノ ナゼコロシチャダメナノ〜?
し(_) し(_)
(⌒\ / ̄\ +
\ヽ( ´∀`) ダメダッテイッテンダロ
(m ⌒\ +
+ ノ / / +
( ∧ ∧
ヘ丿 ∩Д` ) +
(ヽ_ノゝ _ノ
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
丿 ,;⌒⌒i.
/ ̄\⌒ヽ ( ;;;;;) ______
(´∀` ) ⊂) ,,:;;;) | |
/⌒ ( ) ヽ| |/ |;,ノ | 樹海 |
( ⊃ ∨∨ | / .,i |______|
( ヽノ | | ,,i; ,, . ,;⌒‖
し(_) /ヽ ,,,丶, | |,,,;. ;i, ‖ヽ
989 :
考える名無しさん:02/08/15 20:38
>>最近書き込んでいる人達
斎場にいって死ぬ瞬間を目撃すれば分かる
990 :
考える名無しさん:02/08/15 20:59
説教はむずかしい
991 :
考える名無しさん:02/08/15 21:07
熱気デリダ
”人を殺すこと”はいいのかいけないのか、その問いの意味がよく分からないけれど、
何の意味も無く殺すことは無いよね。
その意味によると思うけれど。でも違うか、いいかいけないかだもんな。
いけないんじゃないかな。食べる以外は。
人に限らず、なんでもそうだよ。
生き物の命を奪ってもいいのは、その生き物を食べるときだけ。
そのときだけ、奪うことを許されるんじゃないかな。
そう思うよ。
993 :
考える名無しさん:02/08/16 00:04
>>992 「誰かが手入れしないと、スレはすぐに枯れ始める」法則を証明する現象。
994 :
考える名無しさん:02/08/16 00:13
>>993 え?書いちゃいけなかったってことですか・・・?
995 :
考える名無しさん:02/08/16 00:15
>>994 過去レスのかけらくらい読んでから書いてよ。(993ではないけど)
996 :
考える名無しさん:02/08/16 00:19
ん?スレ違いってこと?
997 :
考える名無しさん:02/08/16 00:35
1000
998 :
考える名無しさん:02/08/16 00:35
1000
999 :
考える名無しさん:02/08/16 00:35
あ
1000 :
考える名無しさん:02/08/16 00:35
1001 :
1001:
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