【考古学】邪馬台国はどこにあったのか?★5

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1出世ウホφ ★
邪馬台国(やまたいこく)は九州か近畿か−。吉野ヶ里(よしのがり)遺跡(佐賀県吉野ヶ里町)と、
3世紀前半の国内最大規模の大型建物跡が見つかった纒向(まきむく)遺跡(奈良県桜井市)の
発掘関係者らが一堂に会して議論するフォーラムが10日、
吉野ヶ里歴史公園で開かれた。両遺跡の発掘に携わった考古学者が、公開の場で議論を交わすのは初めて。

「吉野ヶ里vs纒向」と題したパネルディスカッションには、吉野ヶ里遺跡の発掘に携わった高島忠平・旭学園理事長、
七田忠昭・佐賀県教委参事ら九州説の考古学者と、近畿説の石野博信・兵庫県立考古学博物館館長、
橋本輝彦・桜井市埋蔵文化財センター係長が参加した。

産経新聞
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/101010/acd1010101956007-n1.htm
画像 邪馬台国九州説、近畿説の考古学者らが議論を交わしたパネルディスカッション=10日、佐賀県吉野ケ里町(小路克明撮影)
http://sankei.jp.msn.com/photos/culture/academic/101010/acd1010101956007-p1.jpg
過去スレ ★1 2010/10/10(日) 20:02:30
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1286792936/l50
>>2以降に続く
2出世ウホφ ★:2010/10/12(火) 00:51:01 ID:???0
七田氏は「吉野ヶ里の構造は、土塁の上に柵(さく)を設けた環壕があるなど、
魏志倭人伝(ぎしわじんでん)の記述通りだ」と主張。
これに対し橋本氏は「纒向は4つの大型建物が方位を軸にして建つなど、
卑弥呼が女王となった倭連合国の首都であったと考えている。
倭人伝にある楼館跡も発掘が進めば出てくるだろう」と反論した。

また、近畿説の根拠のひとつとなっている三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)について
玉城一枝・奈良芸術短大講師は「魏の皇帝から卑弥呼(ひみこ)に贈られたとする人もいるが、
鏡の文様などから中国の工房で作られたとは、とても思えない」と述べた。

橋本氏は「“敵地”でやりにくかった」と苦笑しつつ
「邪馬台国という夢のある話を伝えることができてよかった」と語った。(おわり)


3名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 00:51:39 ID:bAZaC8NX0
九州
4名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 00:51:56 ID:B4eJLz5Y0
5名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 00:53:03 ID:0y4nAYK60
1オツ!
6名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 00:53:13 ID:Et0yfGyl0
邪魔大国なら近くにあるんだがな
7名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 00:54:21 ID:zT9hsE2q0
騎馬民族が、朝鮮半島渡って北九州に来て
でかいムラをあちこちに造りながらヤマトまで行って
落ち着いたんだろ?
8名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 00:54:46 ID:D5UHdKMn0
八王子
9名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 00:54:50 ID:3VqTIZT70
岡山でいいよ
10名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 00:55:32 ID:Xqu88sdl0
四国だろ
11名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 00:55:33 ID:yxfSDN1n0
                     /  ,.----―‐、ヽ. \
       /            /   ヽ      ヽヽ、_ヽ
      /         _,.-‐''"    ヽ      ヽ  `ヽ
    /        _,,.-‐'"        ヽ      ヽ   ヽ
    /      _,.-'"            ヽ      ヽ   ヽ
   /    _,.-‐'"               i!      i! .._ i
  人_,.-‐"         _,,... _;;.::='' \   i!      i!/   >'
 /           _,,..-''_,.-‐''"     入 /_____/  ,.イ'
 | ,.-ヽ、    _,.-'"_,.-     _,,.,,_:.:.:.:..  _j_ .:.:.:.  |ヾ  r i!
 |/   ヽ.. ,.-'"  r      ',ィでiンミ、:.:.、__, -,ィも=、' 1  .| |
 i     ヽ |   |;       ´ ̄`゙`ラ .:. 三 f"´ ̄`'i  | |ヽ
 i!     ヽ |   .|       `二ニノ ,、 jl ',` ―'' {  | | |            九州ですよー!
 |      i |   |          ,ィ'"     ト、   l  | | |           
 ヽ      | |   |!        / `^ヽ,_ノi    l  | | i!
  ヽ、    |  |   |       /  _,,...,_,,..,、l   /  | i/
   ヽ、   /  ヽ  ヽ、   /  ,ィiTTTTTト, ,}  /  ,! ,i!
   ヾ`ヽー'   `ヽ、  `ヽ、{  ,/くZェェ-―‐-く   / ./
     ``―、_     ` ‐、_  ` ー--/  __ `ヽ/ ./
        `゙゙‐-、    ゙`ー、.._/  i'"  `ヽ  /
12名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 00:55:43 ID:qHZyBQT50
大和の壱(倭:イ)国だから、前哨地のことだろ。
大和は大和だ。
13名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 00:55:47 ID:i9yNvzqu0
もういいよお前らの些末な議論は。おれは小林よしのりを信じるよ
14名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 00:56:08 ID:lEwVgrwu0
でもちょっと伸びすぎだよな
15名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 00:56:53 ID:KzI3rtCC0
ビルド、アーーーップ!!
16名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 00:56:59 ID:QlP82Xzm0
古代日本語のその意味と音を、次のように仮定したら、邪馬台国=ヤマトは
成り立つっちゃー成り立つ(但し俺個人は、北東九州説だが)

ヤマ=邪馬→山(のように大きい物)→大
ト=台(のように、穏やかな安定)→和
17名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 00:57:07 ID:l6TVTnph0
オーケイ、ミッチー
18名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 00:57:10 ID:6DcgqeTJ0
どこのか!?
19名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 00:57:33 ID:KawNq6tf0
材料が足りないのに、答えなんて出るはずも無い。
20名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 00:57:50 ID:E2lIaJmwO
前レス>>997

円墳だって古墳だろ・・・。
21名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 00:57:52 ID:Tios3DyQ0
邪魔タイ国
22名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 00:57:58 ID:LkJC4tfwO
>>7
当の昔に騎馬民族征服説はロンパールーム
23名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 00:58:04 ID:bAZaC8NX0
考古学者なんて単純バカが多いからね。
24名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 00:58:09 ID:XyAeDwJo0
どうせわからない。盛り上げて商売にしたいだけ。
25名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 00:58:54 ID:0y4nAYK60
半径100mの円墳でけえなあ
26名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 00:59:13 ID:fjaKogWtO
九州
27名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 00:59:15 ID:l6TVTnph0
ヤマタノオロチと同じで語源はヤマタ(大きい)で良いんじゃないの
宗像教授もきっと納得してくれるはず
28名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 00:59:20 ID:toS5ZzqTO
たかが巫女の卑弥呼の墓は存在しない、考古学者も、それはわかっている、だからあえて存在するが、一生調査出来ない場所を選び特定した

後の、想像はお任せする、これが真実なんだよ
29名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 00:59:37 ID:0F/9tG3I0
邪馬台国=大和国
卑弥呼  =日巫女=天照大神

248年 卑弥呼没
318年 崇神天皇没
389年 神功皇后没
427年 仁徳天皇没
489年 雄略天皇没
30名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:00:04 ID:JHTGnODpO
ヤマなんてどこでもあるけど
これを国の証にしてるわけか
31名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:00:41 ID:KawNq6tf0
>>7
騎馬民族は遊牧民が多いんじゃね?
遺伝子的にも中国南方系が6割を超えているんで無いと思うな。
32名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:01:37 ID:E2lIaJmwO
もうめんどいから片っ端から古墳を掘っちゃいなよ
33名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:02:00 ID:iBju/NeDO
1世紀頃
・倭国の奴国は漢の領土アル〜

西暦2010年
・尖閣諸島は中国の領土アル〜

こいつら変わらんのなw
34名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:02:37 ID:cQ+R46h40
>>32
賛成!
35名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:02:38 ID:8LZmKmmr0
御陵を発掘すべきだろうね
すでに間違った比定とされているものは少なくとも発掘すべき

宮内庁がやってることって表向きは天皇家のためと言いながら、
他人の墓を勝手に自分のものといい、自分ところの墓を他人のもの
と言ってるような状態になってるし
36名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:02:51 ID:LkJC4tfwO
>>32
それができれば論争は起きてない
結局は不比等と宮内庁のせいで特定できない
37名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:02:54 ID:vPPyGFPk0
歴史ロマン(中国人がいい加減に記述していたせい)
38名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:03:09 ID:tpeamGYX0
君らまだやっとんのかw
39名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:03:25 ID:pdQoon0Q0
モモソヒメも漢字だと

倭迹迹日百襲媛命(やまとととひももそひめのみこと)


倭をヤマトと読んでる
40名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:03:45 ID:QlP82Xzm0
>>16(の続き)
つまり、音だけで、最初、魏の外交官は漢字を当てはめるこれが
→@邪馬台国(邪馬壱国)
しかし、日本では、昔から、「日本国を指す言葉」としては
→AYAMATO(読みのみ:勿論、当時は漢字は単なる外国語)
そして、その後、日本が漢字文明と外交や交易を通す事によって、
→BYAMATOに漢字を当てる必要性が高まる
そして、五王時代に、漢字を当てはめる。
→C大和(と書いてYAMATOと読みましょう、国内は)
それが、後の時代の遣隋使遣唐使の時代に
→D邪馬台(壱)国という表記を発見して、みんな頭が「?」となる。

こう言う流れだとしても、これも自然ちゃー自然。(但し俺個人は北東九州
説だが)
41名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:03:52 ID:JHTGnODpO
最終的に奴国が勝っちゃったじゃないかな?
42名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:04:10 ID:6z8btL7i0
「ヤマタノオロチ」は
「ヤマトのオロチ」がなまったいいかただと思ってた
43名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:04:16 ID:/QAW2G+I0
>>27
ヤマタは八股(八つに別れている、川の形象、洪水の事)だよ、
千葉にも八街って町があるだろ。あれは谷地股だが。
44名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:05:17 ID:8B1zUuei0
大倭を大和と改称した頃は、
ダイワと呼んでいたことは間違いなく、
ヤマトの呼び方は存在しない。

もしその頃ヤマトの呼び方があれば
ヤマトの音に合う漢字が選択されるだろう。

つまり、後世のいずれかの時点でヤマトが当て字されるようになった。
本来ならヤマトと呼ばない場所をヤマトと呼ばせるようになった
ということである。
45名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:05:25 ID:LkJC4tfwO
>>41
セルジオみたいな口調だな
46名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:05:30 ID:8LZmKmmr0
>>33
朝貢すると漢なり魏なりのバックアップに加えて、朝貢品を遙かに上回る
莫大な見返りが得られたんだよ
中国側からは持ち出し
47名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:06:24 ID:hxOHhyJi0
>>14
質問したことに答えてくれたので返答を書こうとしたら、
前スレ終わっていたな
48名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:06:53 ID:iBju/NeDO
ヤマタノオロチって島根県の斐伊川のことなんじゃないの?
49名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:06:58 ID:l6TVTnph0
>>43
ヤマタとヤタとヤアタが同じって説が面白くてさ
50名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:07:18 ID:0F/9tG3I0
邪馬台国=大和国
卑弥呼  =日巫女=天照大神

248年 卑弥呼没
318年 崇神天皇没
389年 神功皇后没
427年 仁徳天皇没 賛(讃)
432年 履中天皇没 
437年 反正天皇没 珍
454年 允恭天皇没 済
4**年 安康天皇没 興
489年 雄略天皇没 武
51名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:07:25 ID:LUzpFHQ00
スレタイ5って・・・
52名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:07:26 ID:KzI3rtCC0
九州だとすると
その後の大和王権とは無関係なんだろうか
それとも大移動したのか
53名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:07:32 ID:KawNq6tf0
邪馬台国探しの前に、倭の五国の正しい位置を特定しないと邪馬台国までさかのぼれないと思うよな。
そしてどうやっても数が足りない。
54名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:07:49 ID:KjSDLtGHP
じゃ・・・邪馬台国
55名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:07:49 ID:8LZmKmmr0
>>4
そのまえから倭と中国側が呼んでたのでは
56名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:08:31 ID:4YeUVN9BP
俺九州人だけど邪馬台国は畿内で結論出てる。
理由は簡単、アマテラスとかそういう天孫だの国津だの
そういうしゃれた文化はこっちにはない、
おまえら本州四国人が考えてる程九州は日本とは違う。
どっちかというと沖縄に近い南方文化の土地。
生まれ育った人間じゃないとわからんぞ。
大分・小倉の方は本州と同一だけどね。

だから九州にあったとしても大分宇佐以外あり得ないと思ってる。

そもそもタイ、バイいう九州人がおまえら本州四国人と
同じなわけなかろ?w
57名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:09:20 ID:iBju/NeDO
>>53
白髪三千丈の国だもの。
魏志の数字なんて出鱈目に決まってる。
58名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:09:42 ID:KawNq6tf0
>>52
大移動なんて面倒な事はしないだろう。米の収量も南のほうが二期作できるし。
59名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:09:48 ID:kkdjZsEyO
水に止まるから港だっけ?
60名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:10:29 ID:AdYogR7p0
白髪三千丈は魏志よりずっと後だで
61名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:11:00 ID:E2lIaJmwO
>>44
隋書だと邪摩堆と書かれてて、これは即ちいわゆる魏志の邪馬台の事だ、とあるから
昔からヤマトと呼ばれてたんじゃなイカ
中国人的には、邪馬台はやっぱヤマトなんだろう
62名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:11:12 ID:QlP82Xzm0
>>30
「山」が、「台」を築くほどに、沢山寄せ集まって、こんもりした、安定した
台座を構築するという、イメージなら、近いのでは?
日本て山岳国家だし、海からニョッキリ、山々でできた台座が生えている
ようなイメージなのかもしれない。
63名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:11:14 ID:toS5ZzqTO
>>56
長髪の小太り野郎は黙ってろwww
64名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:11:58 ID:bAZaC8NX0
>>56
昔太宰府という特殊な官庁があってなあ・・・
いつ出来たのかも記録がない変わった官庁でなあ・・・
65名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:11:59 ID:0F/9tG3I0
>>61
ヤマトという地名は昔から存在したが
大倭もしくは大和という漢字に対してヤマトという読みを充てるようになったのは後世になってから
66名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:12:34 ID:3Y/cmoV80
関連ワード


鋼鉄ジーグ
宇宙戦艦ヤマト
ダイワマン
67名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:12:59 ID:zT9hsE2q0
>>22
うん。ただ日本書紀では神武東征なんつって馬に乗ってるじゃん

あれも結局後付だったのかなあ、なんても思う
68名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:13:02 ID:KawNq6tf0
>>61
五国連合国の名前が大和でイ国という国の使者がいったのを
当て字でヤマタイになったとか、ファンタジー物なら幾らでも思いつくけどな。
69名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:13:17 ID:QG56ZMRBO
失われた陸地にある。地底か海底か天空か宇宙か。
あるいは次元の歪みの中に。
70名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:13:33 ID:b4D4xSLe0
中国4000年っていうけど
3000年以下じゃないかといい説もある
71名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:14:06 ID:JHTGnODpO
きびきびしてるから、きびだんご

これがないと、きびしーいな
72名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:14:09 ID:bAZaC8NX0
ちなみに、白髪三千丈ってのは、鏡を見て驚いた李白が、自分でおどけて言った言葉で、
別に誇張して人を驚かしてやろうというような主旨じゃないから。
73名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:14:15 ID:XMQNOVLB0
>>16
例えば「卑弥呼=肥(火)の巫女、台与=豊国の巫女」と考えれば、
北部九州の小国連合体の中で首都的な“中心”が移転したと説明出来るし、
近畿説に比べると、地名その他の符合性が九州説の方が高いし…難しいね。
74名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:14:40 ID:PG1Hvybr0
>>44
第二帝政だろうとナチだろうと連邦だろうと、イギリスから見ればGermany。
ロマノフだろうとボルシェビキだろうとプーチンだろうと、イギリスから見ればRussia。
(英語の正式国名もあるけどあまり使われない)

「倭」/「和」は対外的名称で、「やまと」は内側の宗族か王朝名で、
両方が同時期に存在してたんじゃないの?
75名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:15:31 ID:R+8tgadj0
>>59
> 水に止まるから港だっけ?

みな:水
と:門

港の漢字を割り当てた。 だったと思う。
76名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:15:35 ID:aDg77TbE0
やまとにあるんでしょう。ヤマタイなんて読み方がまちがっとる。
77名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:15:40 ID:KawNq6tf0
>>70
どこからスタートするかが問題だ。
殷からスタートとかな。糸井のCMまでは3000年
78名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:15:58 ID:jpgJsaMn0
まだやってんのかこれ
79名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:16:03 ID:0KYa3MFX0
80名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:16:05 ID:qSFy0oQG0
★5ってw
まさに不毛な邪馬台国論争のごとくだらだらと伸びるな。
81名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:16:11 ID:GF3U6KTS0
メコ=お○んこ

要するに卑弥呼というのはヒメコ=女性自身の俗称なのであって決して人の名前でry
82名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:16:24 ID:toS5ZzqTO
奈良より福岡の方が田舎だと言っている、沢山の馬鹿が畿内派だからね
83名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:16:33 ID:VLekzZz80
前スレ999
ガリレオかどうかなんてそれこそどうでもいいよ。
大野先生は国語学畑、風間先生は印欧言語の比較言語畑
それぞれの見地から提出した観点と批判があるってだけでしょ。
結局問題は決着してないようだし。

しかし風間先生の甥っ子がツングース満蒙の言語学者ってちょっと面白いな
84名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:16:45 ID:bAZaC8NX0
>>80
畿内独裁主義を打破しないとな。
85名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:16:46 ID:6zvf6u/10
5とかw
86名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:16:59 ID:b62Tyn3l0
今の中国の現状をみると中国の歴史書自体にどこまで信憑性があるんだか??
87名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:17:15 ID:yxfSDN1n0
           (ヽ∧__∧
           、ヽ`∀´>.<呼ばれて無いのにチョチョチョチョーン
            )   )つ
            >⌒)ノ
            ゝノ/
   パカチョン    ノ~ノ
  /|     ///
  | |    ///
  | |ミ ///.
  |/ ̄    /
  " ̄ ̄ ̄ ̄
88名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:17:34 ID:PG1Hvybr0
>>82
どうでいいが、福岡じゃなくて、太宰府か博多と言うべきでは?

現代福岡と現代奈良を比べて言っているなら何もいわんが。
89名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:17:43 ID:8LZmKmmr0
漢委奴国王
印鑑では省略されるのでおそらく


漢の時代にすでに倭と呼ばれてた

日本人がヤマトと呼ぶものにあたったので訓読みしたと

そもそも日本もヤマトと呼ぶ方がより「日本的」だろうな
90名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:17:58 ID:BtKYDOrgP
>>77
夏は?
91名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:18:09 ID:KawNq6tf0
>>82
人口から考えるとそうなるな。
食い物は九州のほうがとりやすかったろうに。
92名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:18:38 ID:E2lIaJmwO
>>65
大和はヤマトとは確かに読めない。当て字だと思う
倭を統一した結果として「大倭」とした後
悪字である倭から佳字である和に置き換えて「大和」に、ただし読みは当時のまま「ヤマト」としたのかも
93名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:18:49 ID:0F/9tG3I0
>>74
「ヤマト」は宗族名でも王朝名でもない
奈良県大和市近辺の地名
94名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:18:51 ID:se8fkDUSO
岡田英弘東京外語大名誉教授によると、下関だよね
近畿説も九州説も間違い
95名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:18:55 ID:VLekzZz80
>>80
いやぁ、古代関係のスレが邪馬台国関係でしか立たないから
色んな人が寄って来てるだけだと思うよ。
96名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:19:11 ID:JHTGnODpO
宇宙戦艦ヤマト
ヤマトはるかかなたのイスカンダルへ東征

後年のデスラーは明らかに地球に国譲り

スターシャはヒミコ

沖田艦長は帰還出来ずに何もかも懐かしいと


日本人が夢中になるわけだ
97名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:19:22 ID:bAZaC8NX0
>>93
奈良にそんな地名は元もと無かった。
98名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:19:49 ID:toS5ZzqTO
>>88
はぁ?(笑)
99名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:19:59 ID:0F/9tG3I0
>>92
当て字だと思う?
なんだ「思う」って
100%当て字に決まってるだろ
100名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:20:09 ID:LkJC4tfwO
>>67
騎馬民族は来てないけど馬は入ってきてる
当時はかなりのレアキャラ
大々的に馬で攻めたって訳じゃないが
101名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:20:26 ID:FmOmXk2O0
佐賀に決まってるじゃん。
102名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:20:29 ID:1ASMfOPr0
>>52
無関係だろ。
だったら、日本書紀に少しは痕跡が残るはず。

卑弥呼の前後で内乱やってるgdgdな国。
朝貢したのも、狗奴国との戦争で支援してほしいから。

その後150年間、日本からの使者が来てないことでも
断絶は明らか。滅亡したんだろ
103名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:20:30 ID:0F/9tG3I0
>>97
ソースは?
104名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:20:59 ID:BtKYDOrgP
>>86
今の中国は、魏や随と関係ありません。
日本のような島国じゃないし。
105名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:21:00 ID:KawNq6tf0
>>90
俺の時代の教科書では、古代四大文明に殷が入ってて、最初とされていた気がする

教科書はどんどん変わるから、ロートルの知識と今が大きく違うな。
106名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:21:23 ID:AdYogR7p0
>>81
卑メコか 女性の総称としてありえるな
不浄な部分だもんな   
 
107名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:21:24 ID:0F/9tG3I0
邪馬台国=大和国
卑弥呼  =日巫女=天照大神

248年 卑弥呼没
318年 崇神天皇没
389年 神功皇后没
427年 仁徳天皇没
489年 雄略天皇没

邪馬台国=大和国
卑弥呼  =日巫女=天照大神
108名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:21:31 ID:bAZaC8NX0
>>103
ソース? ないだろ? 大和に読みを当てただけ。
探してみろ。
109名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:22:32 ID:4YeUVN9BP
前出の九州人です。邪馬台国は近畿です。
おまえら本州四国人のしゃれた藤原とか菅原さんとかが
太宰府とかに来てしゃれたテンマングーってもんを作ったんだけど
元々、おまえら本州四国人が知るよしもない信仰が
太宰府にはあったんだぜw

おまえらは知識が偏ってるのよ。
110名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:22:52 ID:E2lIaJmwO
>>83
決着してないっつーか大野氏の説のシンパがあまり、というか学会の大部分が批判的、て時点で
大野氏の説の現在の扱われ方が解ると思うんだが
ガリレオ云々ってのは、今のそういう状況を言ったまで
111名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:23:12 ID:yxfSDN1n0
謝銘仁の本のほうが日本の
機内派学者より冷静にかたれてるようなきがする
112名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:23:30 ID:0F/9tG3I0
>>108
何が言いたいのかサッパリわかりません
現在の奈良県大和市近辺は昔からヤマトでしょ?
ヤマトに対して大和という字を当てたのは後世になってから
113名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:23:51 ID:bAZaC8NX0
>>109
藤原とかが天満宮を造った証拠は?
彼らが来るより前から、太宰府はあったぞ。
114名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:24:14 ID:XzLli3HF0
邪馬台国なんて九州にやればいいじゃん
邪馬台国なんて中華に媚売ってた売国奴の集まりだぞ?

畿内には大和朝廷あるんだし
115名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:24:37 ID:kkdjZsEyO
あ、水の門か
長門の門
116名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:24:52 ID:VLekzZz80
>>44
大倭と表記されているものの訓は「おほやまと」だと思うよ。大和と違って。
117名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:25:21 ID:peYh5blR0
つーか、両方にあった。

九州から大和までの内湾航路を支配していたのが邪馬台国。
118名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:26:02 ID:bAZaC8NX0
>>112
こっちもあんたが何を言いたいのかさっぱりわかりません。
奈良辺りがヤマトと呼ばれていた証拠なんて全くありません。
そういう地名がありますか?

全体の総称として、大和(ヤマト)はあるけれど、元になった地名はありません。
それは、国の名前ですよ。
119名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:26:46 ID:KawNq6tf0
>>118
お前の言ってることだけはワケワカメだわ。
120名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:26:47 ID:iBju/NeDO
>>93>>97
奈良県には大和市なんてのはありませんが何か?
大和市があるのは神奈川県ですが何か?
ついでに大和町、大和村なんてのもないからねw
121名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:26:55 ID:4HHaV4Fe0
釜山にありました。
122名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:27:03 ID:toS5ZzqTO
>>91
こいつ面白い、ないない、バーカ(笑)
123名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:27:11 ID:0F/9tG3I0
>>117
じゃあ倭国の中に邪馬台国があって
邪馬台国の中に対馬国やら一大国やら末盧国やら伊都国やら奴国やら投馬国やらがあった
ってことですか?
ワケワカですなあ
124名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:27:28 ID:HYh2z3RA0
邪馬台国って日本にあった多くの国の一つだし、
大きめだったかもしれないけど、別に日本の代表だったわけでもない。
隣国から攻められて、魏に助けを求めていたくらいなのに、
邪馬台国だけ重要視しすぎじゃないかと。
125名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:27:39 ID:KzI3rtCC0
そんなことより問題は
卑弥呼が美人だったかどうかだ
126名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:27:52 ID:0F/9tG3I0
>>120
失礼したorz
127名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:27:58 ID:zT9hsE2q0
>>100
そうなのよ。馬がいなかったわけじゃないけど
一般化されるのはずっと後だったはず

ってことは神武東征が騎馬民族によるものであるってのは
かなりのフィクションなんだよねえ

なんにしても中国人朝鮮人と日本人は遺伝子レベルでえらく違うって話なんで
あの半島渡りではなかったってことにはなるよね
128名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:28:06 ID:GF3U6KTS0
ここで「除福伝説」の登場です
129名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:28:14 ID:QlP82Xzm0
天皇家が積極的に企画する事業に、なぜかかならず「大」の字がつく件

例:大和。大仏。大日如来。大日本帝国。
130名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:28:22 ID:XzLli3HF0
邪馬台国とかいう売国政権など九州にやる
邪馬台国なかったら九州なんて何もねーのと同じなんだから可哀相じゃん
畿内はいっぱい歴史の宝庫なんだから少しぐらい譲ってやれ
131名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:28:24 ID:bAZaC8NX0
>>119
まあ、少しは本でも読んでねw
地名としてはないんだよ。
九州にはあるけどね。
132名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:28:40 ID:aDg77TbE0
ヤマトとはなんであるか?山+門と解することができる。つまり盆地の出入り口のような
地形。(長門は長い谷間であろう)つまり周囲を山に囲まれていなければならない。
133名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:29:01 ID:E2lIaJmwO
>>125
長じて嫁せず
つまり史書に載ってる時は既にババ・・・あれ、誰か来たようだ
134名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:29:03 ID:GF3U6KTS0
「徐福」こっちだった
135名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:29:33 ID:KawNq6tf0
>>122
バカってなんで人にバカって言いたがるんだろうね^^
コンプレックスでもあるのかなー^^

>>129
最後のはグレートブリテンからだろう。
大〜〜帝国っていう国の名前が当時の流行
136名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:29:45 ID:iBju/NeDO
>>125
それなら前スレで結論が出たぞ。
綾瀬はるか似らしいぞ。
137名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:29:47 ID:BtKYDOrgP
>>129
仏や如来に大が付いて何が悪いんだ?
138名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:30:24 ID:1ASMfOPr0
>>125
>名付けて卑弥呼という。
>鬼道に事え、能く衆を惑わす。
>年已に長大なるも、夫婿なく、男弟あり、佐けて國を治む。

ばあさんだよ
139名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:30:34 ID:XzLli3HF0
>>125
綾瀬はるか似で少し天然系だったらしい、乳は勿論あの時代では九州一と言われていた
140名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:30:53 ID:XMQNOVLB0
>>117
卑弥呼の時代は佐賀か八女、台与の時代は豊国の宇佐、
その後、現在の奈良県の大和盆地に政権中枢が移った、
・・・と考えるのが、一番すんなり理解出来るよね?
141名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:31:07 ID:9xRy37qa0
>>128
随の使者裴世清が九州に秦王国があったと報告しているな
これはひょっとするとその残党が作った国なのかもしれない
142名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:31:33 ID:0F/9tG3I0
少なくとも、当時の中国人は

日本の国号=「倭」
日本の首都=「邪馬台」

こう認識していた、と

ただし、織田信長が日本全土を統一できてなかったように
卑弥呼も「倭全土」を統一できていたわけでは、ない
143名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:32:09 ID:tgtlcePK0
卑弥呼という名は、中国からは蔑称。
九州の小国の女王。
畿内には大和政権があり、朝貢にヤマトの名を語ったのが、
邪馬壹国(やまいちこく)となったのだろうのう。
144名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:32:17 ID:VLekzZz80
>>110
比較言語方面の人の、大野先生が批判を受けて修正したものも見ないって点を、不当な扱いであるか見るべきと?
どうでもいいんだって。結局のところ朝鮮語よりもタミル語の方が近いという点に対する批判でもないし
アルタイ語族の方が近いとするような批判でもないんだから。
145名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:32:29 ID:iBju/NeDO
>>129
大日本印刷や大日本除虫菊(金鳥)なんかも天皇家が関わってるんだなw
大韓民国だけはマジ勘弁w
146名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:32:43 ID:KzI3rtCC0
みんなサンクス
綾瀬はるか似のロリババアということにしとく
147名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:32:47 ID:6zvf6u/10
>>102
倭の五王は宋(主に)に朝貢してるぞ。そして隋になってからは
聖徳太子が使いやってちゃんと続いてるし中国の情勢もちゃんとわかってるぞ。
148名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:34:00 ID:MHzE4nEy0
>>93
奈良に大和市はない。
大和郡山市は、もともと郡山だが戦後に「郡山市」と同じになるのを避けて
「大和」をつけて大和郡山にしただけ。

地元では、大和は付けずこおりやまだけで呼んでると思う。
城跡にある高校は「郡山高校」
149名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:34:00 ID:bAZaC8NX0
>>147
とにかく、卑弥呼や邪馬台国の話は、大和政権には残っていない。
それだけは確か。痕跡もない。
150名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:34:00 ID:toS5ZzqTO
だから、邪馬台国をヤマトコクと呼ぶなら九州説になるわけ、だから畿内派の学者はそれを言わなくなったんだって

畿内派はどんなに決定的な証拠が、九州から出たとしても、絶対に認めないらしい、で団結
151名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:34:23 ID:AdYogR7p0
どうりで大便をヒルところ菊門と言うのか
152名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:34:35 ID:Y9IgqGlP0
>>147
隋書に聖徳太子の名前は出てこないな。
153名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:34:36 ID:l6TVTnph0
>>129
大神…ゴクリ
154名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:34:42 ID:0F/9tG3I0
>>129
大韓(朝鮮半島)
大越(ベトナム)
大震(渤海)


どこも似たようなものです
155名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:34:56 ID:BtKYDOrgP
姫巫女、日の巫女、火の巫女のどれか。
156名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:35:07 ID:4PctvhZ70
九州でいいじゃん
近畿は歴史観光地糞ほどあるんだから邪馬台国まで取り上げたら九州死んじゃうよ
157名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:35:22 ID:KawNq6tf0
>>152
かなり誇張が含まれている話だしな。
大岡越前みたいなもんなんだろうさ
158名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:35:33 ID:9xRy37qa0
>>150
その畿内派が認めない決定的証拠ってのは?
159名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:35:47 ID:/4uMfrYr0
答え:2つあった
160名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:36:13 ID:4YeUVN9BP
九州人です。
あと黒潮文化圏はないよ。
少し考えれば分かる、なんでわざわざ九州沖縄人が好きでもない
マグロ追って遠出せないかんわけ?
関東人の感覚で考えるなってwww
九州はブリ文化圏、確か宮崎でも鹿児島でも。

まあ、たまに流されたというのはあるかもしれんが
一万人に一人のレベルだろうなwww
161名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:36:23 ID:nacPmEGl0
>>142

「其南有狗奴國。不屬女王」
>その南に、狗奴国がある。女王に従わない国である。

「女王國東渡海千餘里、復有國、皆倭種」
>女王国の東に海を渡ること千余里、また国がある。いずれも倭人である。

邪馬台国は、女王連合30ヶ国の首都にすぎない。
他に倭にはたくさん国があることは、魏の使者もわかってる。
162名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:36:28 ID:jNkhjzKlO
>>100
たとえ少数であっても、馬が軍列に参加していれば、
歩兵のみで構成された敵にとってはすさまじい脅威だったと思うよ。

ローマでは、1000騎〜2000騎のヌミディア騎兵を活用したハンニバルが数万のローマ軍重装歩兵を打ち破ってるし。
(歩兵で騎兵を打ち破るには、同じローマのユリウス・カエサルが出現するまで待つしかなかった程、圧倒的だった)
163名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:36:36 ID:VLekzZz80
>>129
大(おほ)は美称です。宝よりも大宝の方がもっと凄い宝って感じがするでしょ。そういう感じの称える言葉。
164名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:36:39 ID:bAZaC8NX0
伊都国までは九州なのに、その数カ国後で、突然畿内に飛ぶわけないだろう。
当時の国は今の郡程度。
畿内に行くまでには、無数の国を通ったはず。
165名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:36:48 ID:QlP82Xzm0
ま、ぶっちゃけ、邪馬台国は、移住騎馬民族だから、ジンギスカンのように、
王様がいるところが、首都なのだよ。
だから、邪馬台国の首都がどこだという話は、実はあまりイミガナイ。重要
なのは、その時の王が誰か?で、どこにいるか?であって、どこが首都か?
なんてのは邪馬台国ではあまり重要ではないのだ。これが彷徨える民の掟。

大昔は、陣幕を張る場所が「幕府」だったように。。。(邪馬台国複数論)
166名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:37:00 ID:EzJUL/PE0
>>139
俺は吉瀬美智子似のスレンダー美人だったのではと信じている
167名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:37:05 ID:0F/9tG3I0
>>150
まずはその「決定的な証拠」とやらを出してみろよww
168名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:37:20 ID:XzLli3HF0
邪馬台国などという滅びた文明より記録として残って日本を繁栄させた大和朝廷の話をしろ
169名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:37:20 ID:JHTGnODpO
邪進化帝国のメギド王子は大槻ケンヂ説がある

が、昨今の研究では別人であると結論が出された


しかし、最新の研究ではさらに深まり
実は大槻ケンジがメギド王子に似せたのではないか?
という説があり有力なのだが

考古学的な物証はダイナマンの爆発的な破壊活動で不明
一説によるとダイナマンの背後にはジャスラックがあるとされてるが
これも確認されてない
170名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:37:33 ID:iBju/NeDO
>>148
だって「やまとこおりやま」って8文字もあるんだ、
何気に国内最長なんだぜ。
もともと「郡山」だったんだし、良いじゃねえかwそういや大和高田市も「高田」と言うね。
171名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:37:34 ID:toS5ZzqTO
>>135
奈良より福岡が田舎だと思っているお前は、間違いなくバカ(笑)つーか、お前は日本人なのか?

何が人口はだ、アホ(笑)奈良なんて、福岡に比べたら田舎だろう、バーカ (笑)
172名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:37:58 ID:KawNq6tf0
>>161
そこだけ読むと半島説みたいに思えるが。
海を500km渡るんだろ?
173名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:39:00 ID:E2lIaJmwO
>>144
確かにそう。恐らく他の学者が言ってるのは
大野氏の日本語との比較の仕方がまずい、と言っているんだろうし
タミル語が日本語に近いか、近くないのかは又別の話だろな
まあタミル語と近いと証明された訳でも無いので
日本語は今のところ孤立した言語、て事になると思う
174名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:39:00 ID:bAZaC8NX0
>>172
朝鮮−対馬間が千里だからね。
175名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:39:12 ID:Y9IgqGlP0
>>167
金印と玉璧だな。いずれも九州で発見されている。畿内にはその手のものはない。
176名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:39:36 ID:0F/9tG3I0
>>161
それでも「倭」の3割程度を支配してたわけだし
国の数ではなく規模で言うなら
邪馬台国を筆頭に投馬国、奴国などの大都市(大国)を支配下に入れてるから
戸数で言うなら半分以上かもしれない
177名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:40:09 ID:KawNq6tf0
なんか、かわいそうな九州人がいるけど以降スルーで^^
178名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:40:14 ID:4Et2oVYCO
>>22日本人は、いつから、この顔なの?
漢族はいつから、あの顔なの?
179名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:41:10 ID:/4uMfrYr0
卑弥呼です。私が九州で、双子の妹が関西でそれぞれ自分のお店やってました。
180名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:41:29 ID:6zvf6u/10
親魏倭王の金印はまだ天皇家が持ってんじゃねーかな。滅んだことがないし
持ち続けてる可能性が高い。
181名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:41:52 ID:VLekzZz80
>>168
日本を繁栄させた大和朝廷の史書を見て行くと
やっぱり圧政を敷かないって点が見えてくるんだな。
そして罪に厳しい。厳しいけど赦すときは赦す。あんまり残酷な事をしない。していたら注意されたりする。
そんな感じのたおやかさが見えてきます。そうでありながら、戦うときは断固戦うのな。
こういう風土の国だから栄えてんだろうな。
182名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:41:56 ID:0F/9tG3I0
>>175
金印なんて証拠にならない
ちゃんと陵墓に収められてたならともかく
そのへんの田舎の百姓の畑に捨てられてたんだろ
そんなものは、誰かが何処かから持ち出して捨てたに決まってる
183名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:42:03 ID:bAZaC8NX0
>>177
古代史にかんする知識が全くないみたいですね。
倭人伝も読んでないのが丸わかりのくせに、なんでこんなスレに来るのかな?
どこかに引っ込んでてね。
184名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:42:29 ID:RWUo6K+D0
おおむかし関東の中心は今の行田市にあった
という霊能者の話を又聞きしたことがる
そういう人の意見はどうなんだろうか
185名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:42:32 ID:XzLli3HF0
九州なんて埼玉みたいになんもないんだから邪馬台国ぐらいあげなよ可哀相だよ
186名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:42:56 ID:wQmxdUDN0
「残念ながら」現日本人の半数以上は中国人と同じ遺伝子持ってるらしいから
日本人と中国人は同じ祖先だと思わざるを得ない。
残りは朝鮮半と軽油とか樺太経由とか東南アジア軽油とかミクロネシアなど太平洋経由らしいが。

まあ邪馬台国も西か南だろうなあ。
187名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:43:08 ID:Y9IgqGlP0
>>182
もってきたにしろ、九州の外からもってきたとは思えんな。
188名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:43:20 ID:KawNq6tf0
>>178
中国は混血の歴史なんで、いつからとか難しいと思うぞ。

>>183
正しい日本語を勉強してから出直してください^^
九州を叩くと面白いな
189名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:43:27 ID:toS5ZzqTO
>>167
まずは、そうじゃない証拠をお前から出せよ
190名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:43:44 ID:9xRy37qa0
>>175
金印は卑弥呼のもらったのと違うし、玉壁は朝鮮から渡ってきたもんだろ
191名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:43:50 ID:0F/9tG3I0
>>187
根拠がない
思う思わないの次元でしか話ができない時点で「証拠能力がない」
192名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:44:02 ID:4YeUVN9BP
九州人です。
九州は山門の地名は多い、知ってるだけでも
福岡市西区から筑後地方、熊本、かなりの数あるな、
山人か海人かって話しだな。
関西の方には山門って地名は無いんですか?

あと地名で多いのは隈●
クマ襲の名残だな。
193名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:44:04 ID:VLekzZz80
>>173
>日本語は今のところ孤立した言語、て事になると思う
うん。
語族不明言語なんだよね。日本語。
194名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:44:15 ID:0F/9tG3I0
>>189
悪魔の証明乙
195名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:44:28 ID:bAZaC8NX0
>>188
>>>161
そこだけ読むと半島説みたいに思えるが。
海を500km渡るんだろ?

こんな事書くバカが、何をいってるのやら。
196名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:44:49 ID:xy8KXrbm0
皆の心の中にあるんだよ
197名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:45:09 ID:iBju/NeDO
>>186
下戸遺伝子だけでも相当数だからなあ。
198名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:45:30 ID:KawNq6tf0
>>190
玉壁の形にするのは中国の文化らしいぞ。
半島経由の可能性も無いわけじゃないが、翡翠は半島では取れない。
199名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:45:31 ID:BtKYDOrgP
>>178
日本は島国だから徐々にミックスしていった。
しかも顔のタイプは多数だから、この顔という決定打はない。
200名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:45:39 ID:jNkhjzKlO
>>129
こらこらw
大日如来は、サンスクリット語のマハー・ヴァイローチャナ・タターガタをそのまま訳しただけだろうが(マハーが“大いなる”の意)
それに、厳密に言うと、奈良の大仏は華厳経のビルシャナ(ヴァイローチャナ)如来であって、
密教(大日経、金剛頂経)の大日如来じゃないぞい。
201名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:47:22 ID:9xRy37qa0
>>198
衛満朝鮮王が所持していたものがなんらかの事情で日本にもたらされた
という説を支持するね
202名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:47:36 ID:XMQNOVLB0
記紀の神武東征の話を考えても、最初は九州に“首都”があり、
後の時代に畿内に移った・・・と考えるのが自然だから、
九州説も近畿説も両方とも正解、ってことで。取り敢えず。
203名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:48:05 ID:Y9IgqGlP0
>>190
璧は朝鮮では作らないよ。朝鮮渡来というならその証拠を出してね。
204名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:48:17 ID:toS5ZzqTO
奈良は福岡より都会ですから。マジでそう思っている奴が畿内派(笑)
205名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:48:18 ID:bAZaC8NX0
>>201
エイマン朝鮮王が何を持ってたって?
206名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:48:44 ID:8B1zUuei0
九州と畿内で大戦争が起こった形跡がない。
出雲は多少記紀に痕跡が残っている。

九州は事実上、別の独立国で
比較的友好的だったといえよう。

まあ、あれだけ距離があると
1000人やそこら派兵しても、フルボッコにされるのが落ち。
10000人派兵すると、途中の村々が干上がりかねないし
補給輸送はもっと困難。

手を出したくても手を出せない。
207名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:49:13 ID:HJyixEtC0
>>40
実は台湾でしたとかのオチはないよね
208名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:49:28 ID:XzLli3HF0
>>202
じゃあそれでいい邪馬台国などという滅びた文明など畿内にはいらぬ
209名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:49:51 ID:4YeUVN9BP
九州人です。邪魔台国は近畿です。
馬鹿たれ、すらごつゆうな。
黒潮文化圏げなナカくさw

なんでマグロとか追っていかなんとやw
黒潮文化w?で言葉とか全然違うとに、
高知と鹿児島とか言葉、地名、DNA全然同一性がないとぜ。
210名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:50:40 ID:bAZaC8NX0
>>206
問題はそう、補給線なんだよね。
近畿から、朝鮮に軍を出せるのかって事もある。
指揮系統はどうなんだとか。
遠すぎる、しかも馬が渡来する前だし。
211名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:51:33 ID:KawNq6tf0
>>201
燕人の衛満という人の国か。
古朝鮮の話は日本の考古学と違って専攻する人も、出土品も少ないから良く分からないね。
212名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:51:34 ID:ULWEdAhZ0
こんな未明の時間帯に、緊急でもない話題に2ch速報+のスレがここまで伸びるのも珍しい
213名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:51:55 ID:vPPyGFPk0
>>16
倭という字は嫌だから発音が似ている和にしてくれってことだよ。
大和の大は、今でも国名の前に大やGreatをつける国があるのと同じ。
やまとが自称で、中国人が使う字にあてただけ。
仮に英語だとしたら、Japanと書いてやまとと読んでたようなもの。
214名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:52:14 ID:E2lIaJmwO
>>193
ですね。絡んでスミマセンです
215名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:52:18 ID:4Et2oVYCO
>>43それだ!その状態の場所がヤマトじゃないの!?
216名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:52:23 ID:XzLli3HF0
邪馬台国などという滅びた中華に媚を売っていた文明など畿内にはいらぬ
邪馬台国などなくても畿内は歴史の宝庫であり日本を繁栄させた日本の礎である神の民が作った大和朝廷があるからな
217名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:52:38 ID:toS5ZzqTO
人口は奈良より福岡の方が多いだけで、奈良より福岡は田舎だから(笑)

そう思っている奴が畿内派(笑)現代の知識もチンプンカンプンが畿内派
218名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:52:53 ID:9xRy37qa0
>>203
朝鮮製と言ってるわけじゃない
漢の下賜品だろうけど日本ではなく朝鮮の権力者に下賜されたものだということ
俺もNHK特集で見ただけでうろ覚えだが朝鮮北部から同様の物が出土している
219名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:53:55 ID:KawNq6tf0
足りないパズルで組み立てて、完成予想って面白いもんだ。
絶対こうじゃないとか言い出す奴は見苦しくて見てて面白いが、夜風に当たるべきだと思う。
こうやって中学二年の頃に黒歴史ノートというものが作られるであろう過程が、リアルタイムで見れるとはむねあつ
220名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:53:57 ID:zT9hsE2q0
>>202
おれも。

やっぱり米の渡来から考えるべきなんじゃねえかなと思う

タイから四川省に渡って、長江下って海に出ると
辿りつくのは九州

そんなかんじでね。大豆の発酵食品の共通性もあるし
なんにしても米は暖かくなけりゃあ採れないしね
221名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:54:24 ID:bAZaC8NX0
>>218
朝鮮には銅製のものぐらいしか無いはずだけど。

金印は非常に珍しく、漢が与えたのは、2国だけだったかな。
222名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:54:26 ID:gNJSwvnAP
とりあえず簡単なことからやれよ
鏡の年代測定やれ
223名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:55:13 ID:E2lIaJmwO
古墳掘っちゃいなよ。特に円墳
224名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:55:49 ID:Y9IgqGlP0
>>218
璧は王の印しだ。他人に渡す物ではない。
225名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:55:59 ID:qeGCW9EV0
>>192

「山田」姓が多いのは近畿。
クマの地名は全国にある。

わかったか九州人。
226名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:56:23 ID:LkJC4tfwO
邪馬台=ヤマト
卑弥呼=日の巫女=百襲媛

大和朝廷=倭国大乱の後、
出雲、越、吉備などの緩やかな連合、連立国家

日向から神武を迎え出雲出身の大物の娘と婚姻
初代の大王に
反対者に対して四道将軍を派遣
前方後円墳の伝播

三種の神器は連立国の大王の証

越も連立国の大きな勢力の一つであり
継体天皇は越で大物の血を引く?

227名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:56:34 ID:R+8tgadj0
現在のメジャー所wikiでは
■倭
倭および倭人の指し示す範囲は時代と研究によって変遷する。史書に現れる中国南東部にいたと思われる倭人や百越の人々を含んだり[1]、
朝鮮半島南部に接していたと考えらえる「倭」[2]やその住人をさす時代もあったが、ヤマト政権(倭国)による日本列島統合が確立していった
5世紀-7世紀ごろ以降、「倭」の呼称は、日本列島における倭国の支配範囲およびその住民に限定されていった。
倭国は「大倭国」「大和国」とも呼称され、7世紀後半には国号を日本に改めた。

■大和
元々は大和王朝(ヤマト王権)の本拠地である奈良盆地の東南地域が、大和(やまと)と呼称されていた。その後、大和王朝が奈良盆地一帯や
河内方面までを支配するようになると、その地域(後の近畿・畿内)もまた大和と呼ばれるようになった。さらに支配・制圧が日本列島の大半
(東北地方南部から九州南部まで)にまで及ぶに至り、それらを総称して大和と呼ばれるようになった。

■奴国
奴国(なこく、なのくに)とは、1世紀 - 3世紀前半にかけて、『後漢書』「東夷伝」や「魏志倭人伝」にあらわれる倭人の国である。
大和時代の儺県(なのあがた)、現在の福岡市付近に存在したと推定される[1]。
倭国が後漢と外交交渉をもったのは、以下の史料が示すように倭奴国王が後漢の光武帝に朝貢したのが始まりである。
その後になって、邪馬台国が魏の皇帝に使者を派遣している。
<金印の印面>
『後漢書』東夷伝によれば、建武中元二年(57年)後漢の光武帝に倭奴国が使して、光武帝により、倭奴国が冊封され金印を綬与されたという。
江戸時代に農民が志賀島から金印を発見し、倭奴国が実在したことが証明された[2]。
その金印には「漢委奴國王」と刻まれていた。(刻まれている字は、委であり倭ではないが、委は倭の人偏を省略したもので、この場合は委=倭である。
このように偏や旁を省略することを減筆という。)[3]
建武中元二年(57年)、倭奴国は貢物を奉じて朝賀した。使人は自ら大夫と称した。倭国の極南界なり。光武は印綬を賜った。安帝の永初元年(107年)、
倭国王は帥升らに奴隷百六十人を献上させ、朝見を請い願った。

説1:漢(の王)が倭(の国)の国王に与えた金印(意訳)
説2:「漢が奴国に委任した国王」(漢字のまま)
228名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:56:49 ID:gNJSwvnAP
見つけるのは大変だから
証拠の真贋を先に確かめるべき
中国は年代しっかりしてる時代だしね
229名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:57:13 ID:bAZaC8NX0
>>225
狂ったのか?
なんだ山田って。いつの時代の話だ?
名字なら、平安後期〜鎌倉以降だぞ。
奈良時代以前には、名字なんてないからなw

氏姓ならあるが。
230名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:57:27 ID:toS5ZzqTO
前々から思ってたんだよな、「奈良より田舎の福岡に邪馬台国が存在したなんてありえん」だって(笑)

現代の知識もない畿内派は、終わってんだろう(笑)
231名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:58:30 ID:qTbNfEtP0
(
232名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:58:53 ID:lEwVgrwu0
>>186
ちと違う
渡来人より縄文人の方が多かったはずだし、
それに中原は何度も侵略されてるから現在の中国では長江文明を築いた人達の血はかなり薄くなってるはず
233名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:59:01 ID:E2lIaJmwO
隈、てのは山の端というか裾野というか
そういう場所を表す言葉だったんだと海音寺氏が書いてた。本当かは知らん
ただ、熊本は元々隈本と書いてて、隈から熊にしたのは加藤清正なのは確か
234名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:59:23 ID:4YeUVN9BP
九州人です。
本州四国のクマの地名は熊が多いと思う。
九州西北部から南部のクマの地名は隈だ。
これが何を意味するかわかるか?
235名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 01:59:42 ID:QIuSApkFO
昔の奈良は冬に裸足でいたり生野菜がとれたりって事は難しいね。
236名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 02:00:29 ID:l4KyKdCUP
237名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 02:00:35 ID:sfj9LxNX0
九州はねーだろ
あっても別に良いけど
238名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 02:01:12 ID:Y9IgqGlP0
畿内が中国と通交があったというなら、金印か璧をもらっているはずだ。
畿内から出たことあるのかな?
239名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 02:01:42 ID:XzLli3HF0
九州は何もないんだから邪馬台国みたいな劣った文明などあげるべき
240名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 02:02:13 ID:zT9hsE2q0
>>238
志賀島から出た金印は本物なのか?
241名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 02:02:42 ID:4YeUVN9BP
隈を熊に変えた加藤清正は名前をみても分かるよう
九州人ではない。
242名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 02:03:49 ID:UtZZvb4n0
吉野ヶ里以外の九州のどこか
243名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 02:04:18 ID:sfj9LxNX0
この過程が一番楽しいからあと40〜50年は解明されなくて良いよ
244名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 02:05:33 ID:4YeUVN9BP
九州人です。
大衆文化ってもんは悲しいもんで、九州人が
崇める、加藤清正、細川さん、如水は全く持って
九州人ではない。
245名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 02:05:45 ID:JmNa4jmm0
>>243
まぁ永遠に解明できないかもな。
「女王卑弥呼の墓」と書いた石碑が見つからない限りw
246名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 02:06:16 ID:KawNq6tf0
>>240
偽造説もあるが、偽造をしてまさに誰得。
247名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 02:07:12 ID:qeGCW9EV0
>243
しかし、レベルが低すぎる。

九州説の幼稚なレベルで話を進めるのは飽き飽きだ。

まず、出雲から九州製の銅剣300本が出た時点で、九州説は終わったというのに。
248名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 02:07:39 ID:R+8tgadj0
■金印の測定結果 wikiより

1931年(昭和6年)に金印が当時の国宝保存法に基づく国宝(文化財保護法の「重要文化財」に相当)に指定されたため、帝室博物館員入田整三が金印を測定し、
「総高七分四厘、鈕高四分二厘、印台方七分六厘、重量二八.九八六六匁」の結果を得ている[2]。

1953年(昭和38年)5月20日、戦後初めて金印の測定が岡部長章によって試みられた。「質量108.7グラム、体積6cc[3]、比重約8.1」、貴金属合金の割合を銀三分、
銅七分を常とする伝統的事実からして22.4K[4]と算定した[5]。

1966年(昭和41年)に通商産業省工業技術院計量研究所(現独立行政法人産業技術総合研究所)で精密測定された。印面一辺の平均2.347cm、鈕(ちゅう、
「つまみ」)を除く印台の高さ平均0.887cm、総高2.236cm、重さ108.729g、体積6.0625cm3。鈕は蛇鈕である。辺の長さは漢代の1寸(約2.309cm)に相当する。
1994年(平成6年)の蛍光X線分析によると、金95.1%、銀4.5%、銅0.5%、その他不純物として水銀などが含まれ、中国産の金と推定される。

封泥用の印のため、現在使用されている印鑑とは違い中央が少し窪んだ形状になっている。
「封泥印」とは、木簡などを紐で封じ束にしたものの中央を紐で結び、その紐の結び目の上に粘土を置き、そこに印を押しつけるための印鑑の事で、ヨーロッパにある
「封ロウ印」と役目は同じで、「差出人から受取人までの間に何者も関わることのないようにするための封」である。

249名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 02:07:42 ID:E2lIaJmwO
まあ尾張人だし、清正
250名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 02:08:13 ID:VLekzZz80
山田というと「山田のそほど」を思い出す
田圃を見守る案山子は、上古の人々にとって物知りさんだったんだなと思うと
なんだか和む
251名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 02:08:43 ID:KKyOROx7O
もうどこでもいいよ
252名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 02:09:10 ID:zT9hsE2q0
>>246
江戸時代の好事家に高値で売った骨董屋は大儲けだな
253名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 02:09:18 ID:4YeUVN9BP
九州人です。
神武の方がむしろ九州にきて九州人との混血の末に生まれた
人間なのだから例え出自が天孫とかいうしゃれた
本州の奴でも少なからず九州出身と名乗れるだけはある。

だが、加藤とか黒田とかの連中って一切九州とは無関係な奴なんだよな。
人間無知って奴が一番怖いよ。
254名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 02:09:26 ID:Y9IgqGlP0
出雲は九州から銅剣を買っていたんだろ。それこそ、九州説の裏づけだ。
255名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 02:09:45 ID:bAZaC8NX0
>>247
なぜそれが九州説の否定になるのか、詳しく。
256名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 02:10:09 ID:UtZZvb4n0
>>246
広開土王碑を日本軍の捏造と提唱した在日いたよね
捏造説を唱える人にとって得
257名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 02:10:27 ID:MHzE4nEy0
とっくに終わった騎馬民族国家説が、庶民の中ではまだ生きているっていうのが
なんともなあ。一回広まったら、なかなか忘れてくれん。いうたもん勝ち
いうことだね。
手塚治の火の鳥の影響も大きいか。今生きていたら、もうちょっと違うのを
書いたと思うけど。
258名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 02:10:57 ID:R+8tgadj0
■中国出土品との比較(金印) wikiより

?王之印との対応

1955年(昭和30年)より発掘調査が始まった中華人民共和国雲南省晋寧県の石寨(せきさい)山遺跡(石寨山古墓群遺跡)からは50基の土坑墓や、
青銅器を主とする副葬品4000点あまりが出土した。このうち1956年(昭和31年)の第2次発掘で6号墓より「?王之印」と書かれた金印などが発掘されており、
古代の国家?王の印とされている。またこの金印出土により、この古墳群が古代?国の国王および王族の墓地(石寨山?国王族墓)であることが判明した。
?王之印の外形は印面一辺2.4cmの方形。上面の鈕は蛇鈕である。印文は陰刻「?王之印」の四字二行。

その寸法の形式から明らかに漢印であり、『史記』西南夷列伝の、武帝が元封2年(紀元前109年)に?王へ王印を下賜したという記事に対応する[17]。
西嶋定生はこの?王之印と日本の福岡で出土した漢委奴国王印が形式的に同一であることを指摘しており[18]、両印ともに蛇鈕であり、その年代は
紀元前109年と57年というおよそ166年の隔たりがあるが、ともに外民族の王が漢王朝に冊封を受けたしるしであったとしている。
259名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 02:10:59 ID:MURE1HSn0
逮捕されてる検事の前田にゴッドハンド2世として、
色んなことをしてもらえばいい。
日本史の謎は全て解き明かされる。
法隆寺の柱に甚五郎って彫ってあるのを見つけてくるでしょう。
260名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 02:13:13 ID:LkJC4tfwO
大和王権=連立国家
北九州は別の国家

南九州は大和連立

邪馬台国は大和連立でも北九州でもどっでも良くなってきたわw

それより大和王権の成り立ちが
歴史にとって重要
墓堀とこれで必然的に邪馬台国がどちらかわかるだろうな
261名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 02:13:14 ID:QlP82Xzm0
>>206
対立の証拠はあったような。。。
過去瀬戸内海山陽で大量の武器が出土したような。。。あれ?時代が違ったかな?
262名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 02:14:00 ID:qMLPzwYL0
昔から調べ続けてるのになんでわかんねんだよww
263名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 02:14:09 ID:KjSDLtGHP
>>254
逆に鉄剣を輸出していたわけだが・・・
鉄器で有名が出雲が青銅剣を買う目的があるとすれば儀礼用だと思うよ。
264名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 02:14:19 ID:NUqBxTc+0
昭島あたりだろ
ちがう?
265名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 02:14:28 ID:bAZaC8NX0
>>261
山城はあったね、瀬戸内海中心に。
266名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 02:15:19 ID:XzLli3HF0
>>253
やっぱ九州は立花のが人気あるの?それとも島津?
267名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 02:16:06 ID:JHTGnODpO
あ〜、だいたいわかった

まずは九州説の人間は騎馬民族征服説のトンデモだと演出しといて

海流の黒潮ルートが出ないように
バカな九州人を演じつつ否定か
268名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 02:16:11 ID:KawNq6tf0
>>262
パーツが数個足りないガンプラを、完成図を知らない状態で組んで完成するか?
ミニ四駆のワンウェーホイールを説明書なしで組んで、前に進まない方向で組みつけたのはいい思い出。
269名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 02:16:18 ID:CBNHhqViO
>>262
本当はなかったから
270名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 02:16:42 ID:Y9IgqGlP0
>>263
弥生時代の出雲に製鉄の址はないよ。
271名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 02:17:11 ID:rtTQ0QHw0
問題は三世紀より四世紀だと思う
もう古墳調べて掘ろうよ三国志からの情報だけでは無理があるだろもう

日本史なんてどうせ宮内庁が都合よく書き直すのに
掘って調べてもいいと思うんだが、あと神社の敷地も掘っちゃえ
272名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 02:17:16 ID:VLekzZz80
>>260
>それより大和王権の成り立ちが歴史にとって重要
>墓堀とこれで必然的に邪馬台国がどちらかわかるだろうな

垂仁紀 
(元年冬十月条ののち、任那人ソナカシチが帰る記述ののち、一に曰く、で始まる任那の起源譚の記述)
より抜粋。 ※漢字表記等は読みやすいように変えてあります

「大加羅国の主の子、名はツヌガアラシト、亦の名はウシキアリシチカンキという。
日本国に聖皇有(ま)すと承りて帰化(おもぶ)く。
穴門(長門のこと)に到る時に其の国に人有り。名はイツツヒコ。やつがれに語りて曰く、
『我はこの国の君なり。吾を除きてまた二人の君あらず。かれ、他処にな往きそ。』という。
然れどもやつがれ、つらつら其の人となりを見るに、必ず君に非じということを知りぬ。
即ちまた還りぬ。道を知らずして、島々浦々につたよいつつ、北海より廻りて、出雲国を経て此処に至れり。」

こういうのがあるから無理じゃね。
273名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 02:18:12 ID:E2lIaJmwO
陳寿があの世で大量に釣れたのを喜んでるかもw
274名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 02:18:36 ID:XzLli3HF0
よし間とって出雲辺りに邪馬台国があったでいいスサノオもいたわけだし
275名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 02:18:46 ID:KawNq6tf0
>>270
日本に鋳鉄技術が入ってきたのはかなり後だしな。
タタラ法が一般的だったらしい。
276名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 02:19:40 ID:4YeUVN9BP
>>260
九州人です。
違うのよ、そもそも北九州とか言ってる時点で
土地勘が無いのが分かる。

普通は北九州といえば北九州市周辺を指すわけよ、
このエリアは九州の中の本州で文化、言葉も近畿に近い。
「しとんです」とか「しとん?」とか関西の言葉も多い。

何より縄文・弥生時代から石棺の地域ですよ。

九州は北と南で別けるより東北部と東南部、西北部と西南部
で別けるのが正解、特に東北部は本州四国と同質過ぎて
他のエリアとかなり異質。
っていうかおまえら本州四国人と一緒の類。
277名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 02:20:30 ID:VLekzZz80
>>274
どっかのチンピラなオッサンが王を名乗って
宝物の献上をもらおうとしたに90ペリカ
278名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 02:20:53 ID:LkJC4tfwO
>>271
禿堂
宇佐の下も掘っちゃえ
279名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 02:21:24 ID:jNkhjzKlO
>>263
その通りだね。
青銅器は錆びにくいから儀礼用に適する(武器として鉄器に劣るわけではないが、高価)。
逆に鉄器は安価に青銅器に匹敵する武器を作れるが、長期的には錆びてしまう。
そのあたりを、2つの文明圏で調整して交易してたんでしょう。
280名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 02:22:27 ID:8B1zUuei0
さすがに製鉄先進地域の出雲でも製鉄は5世紀以降だ。
鉄に関係するとすれば、スサノオ、ヤマタノオロチネタは
その頃の成立だろう。
281名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 02:23:48 ID:KawNq6tf0
儀礼用で思い出したが、スレでは、なぜか銅鐸の話がでないね
ttp://homepage1.nifty.com/moritaya/syutudo.html
282名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 02:23:56 ID:toS5ZzqTO
天照大神=卑弥呼(日の巫女)これで解決、めでたし、めでたし
283名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 02:24:11 ID:E2lIaJmwO
石上神社からは有名な七枝刀や、霊刀フツセノミタマと言われる刀が出てきたしなあ

古来から残ってる神社の禁足地には、かなり色んな遺物が埋まってる予感が・・・。
284名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 02:24:25 ID:KjSDLtGHP
>>275
日本は僻地にある関係で青銅文化と鉄文化が同時進行していて、どちらが先かすら分からない状況なのよ。
『7世紀以前の日本』には朝鮮半島南部も含まれることを思い出して貰いたい。

今の地理、国境に捉われ過ぎては現実を見誤るよ。
285名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 02:26:06 ID:0C4jLLbB0
魏志倭人伝の水行陸行そのまま行くと何処に行き着くんだっけ?

286名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 02:26:20 ID:0Iij1n2K0
長野だよ
だから早くリニアBルート通せよ
287名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 02:27:01 ID:QlP82Xzm0
>>264
うーん、調べてみたが、岡山の昭島?が、言おうとしたものかどうかは確認
できんかった、レスありがと。
>>265
確か、昔に、瀬戸内海の山陽あたりで、弥生時代の最後くらいに、東西対立の
証拠となるような出土が20〜30年前に大量に出て来ていたような記憶が
うっすらあったのだ。
288名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 02:27:51 ID:CBNHhqViO
>>282
天照大神が支那に朝貢するわけないだろ国賊
289名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 02:28:02 ID:KawNq6tf0
>>284
いや、そういう意味じゃなくて、鋳造法とタタラ法があって
タタラ法が先で主流になってて、あとから鋳造がきた話なんだ。
290名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 02:28:31 ID:Y9IgqGlP0
出雲とまちがえたんだろ。
291名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 02:28:40 ID:SpHf8MgUO
>>285
八女
292名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 02:29:56 ID:6z8btL7i0
>>256
捏造ではなかった動かぬ証拠が最近中国で発見されたんで
捏造説唱えてた人は涙目になったよね
293名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 02:29:59 ID:VLekzZz80
>>285
九州よりずっと南の海上。
294名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 02:31:04 ID:jNkhjzKlO
>>281
しーっ!!!
それは言わないお約束でしょ☆
(シナの史書にも記紀にもな〜んにも書いてないんだから)
295名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 02:31:10 ID:rtTQ0QHw0
>>285
太平洋のかなた
296名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 02:31:53 ID:KawNq6tf0
>>285
水行20日と水行10日・陸行1月」と「女王国まで12,000余里」
両方併せ持てる場所がない。
297名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 02:32:33 ID:QlP82Xzm0
>>276
北九州と言うと、北九州市のイメージが強くなりますね確かに。
それをさけるために、俺個人は、北東九州、ないし、東九州という言い方で
わけて呼ぶようにしています。ここでは。
298名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 02:32:50 ID:Y9IgqGlP0
「女王国まで12,000余里」の女王国ってどこのこと?
299名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 02:33:37 ID:CBNHhqViO
>>293
じゃあそこに邪馬台国のあった島が沈んでるんじゃないか
300名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 02:34:20 ID:6z8btL7i0
>>299
竜宮城のことかあ
301名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 02:34:50 ID:z0XQeZ1o0
>>271
その問題の4世紀の情報が日本はもちろん中国の書物にも殆ど情報がないんだよね
古墳も5世紀ぐらいからのしかなく、謎の4世紀と言われてるぐらい資料がない
302名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 02:35:16 ID:VLekzZz80
>>299
帯方郡の役人の秘密基地があるのかもね
303名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 02:35:46 ID:KjSDLtGHP
>>290
俺もそう思う。
基本的なところで申し訳ないのだけど、なぜ出雲説は廃れたのだろう?

古代はとにかくまともな地図が存在しないから、陸路を行くにしても海伝いに移動したはず。
『南方の勢力と争っていた。』という記述からも、日本海側が自然に感じるし、
少なくとも内陸部の奈良ということは考えにくいように思う。
とくに奈良は太平洋側から入るのは容易だけど、日本海側から入るのは難しいだろ?
304名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 02:36:33 ID:Y9IgqGlP0
昔、畿内説を裏づけるため古墳を掘ったが、裏づけが取れないので知らん顔をしたと
聞いたことがある。
305名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 02:36:48 ID:LkJC4tfwO
>>276
わかりやすく書いただけだ禿
俺の親父は大牟田
母は小郡
爺ちゃんは島原の生まれだ
俺は名古屋人だがな
306名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 02:37:49 ID:f/XhAj3q0
韓国
307名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 02:39:43 ID:VLekzZz80
>>271>>301
七支刀と好太王碑文が四世紀だと思うけど
308名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 02:40:34 ID:sdqpe8pp0
清水義範の説には感心した
ありえると思った
でも本人は信じてないだろうなw
309名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 02:40:55 ID:U8BvZBeC0
保志5きちがいどもwwwww
310名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 02:40:57 ID:xNn50DRc0
きっと日本中にあったんだよ
311名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 02:41:22 ID:rtTQ0QHw0
>>301
時代が終わって中国が荒れたからな
一応日本にも、日本書紀、古事記とか300年以上経ってからの資料は在るけど
神話に近いレベルだしな・・・
312名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 02:41:35 ID:D6WUeg/+0
何らかの文書の発掘が無いと、どれだけ考古学の研究が進んでも、
邪馬台国の場所を特定する事は出来無いな。
313名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 02:41:39 ID:KawNq6tf0
>>299
水行10日陸行1月というからずいぶんビックな島だな。
30日も歩ける。
314名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 02:42:32 ID:0F/9tG3I0
>>301
西晋が鮮卑族に負けて洛陽を失ってしまったからな
しかし記紀と朝鮮側の三国史記を読めばある程度はわかる
315名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 02:43:29 ID:Y9IgqGlP0
使者はのんびりした移動だからな。
316名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 02:43:46 ID:4YeUVN9BP
九州人です。
そうなんですよ。
長崎佐賀と、大分の宇佐近辺では言葉が通じないんですから、
よっぽど大分と関西、関東の方が通じますよ。
北九州と南九州という風に別ける時点が大きな誤り。

大凡筑前筑後、長崎、佐賀、熊本が一つ、鹿児島、宮崎も近い。
大分、北九州市は本州四国に近い。
隈の地名が熊に変わるのもこのエリアから、山口以北だったら
クマは殆ど熊だからね。
何故九州西南部のクマが隈なのかは良くわからん、誰か教えて。
317名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 02:44:02 ID:D6WUeg/+0
>>271
古墳調べるのは、墓荒らしになるだけだから止めた方が良い。
研究の為なら何しても良いという事は無いよ。
318名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 02:44:05 ID:0F/9tG3I0
邪馬台国=大和国
卑弥呼  =日巫女=天照大神

248年 卑弥呼没
318年 崇神天皇没
389年 神功皇后没
427年 仁徳天皇没 賛(讃)
432年 履中天皇没 
437年 反正天皇没 珍
454年 允恭天皇没 済
4**年 安康天皇没 興
489年 雄略天皇没 武

古事記の干支とぴったり符合する
319名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 02:44:32 ID:KjSDLtGHP
僕が考えている『陸路は海伝いに歩いた。』とする想像は結構重要なんだよ。
そのように移動したからこそ、あっちへフラフラ、こっちへフラフラしている。

古代の日本列島で、ある程度の規模の集団が安全に移動できるとすれば、海岸線しか有り得ないのよ。
熊や狼といった野生動物が人間の天敵だった時代なんだしさ。
320名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 02:46:04 ID:6b3QswEaO
邪馬台国スレは毎度、本当に伸びるなぁw

2ちゃんで話し合ったって絶対、結論でないのわかってる癖にw
321名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 02:46:38 ID:IBSWlSQ90
佐賀でいいよもう(´・ω・`)
322名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 02:46:43 ID:VLekzZz80
>>315
さて。本当に移動したかどうか。
なべて真相は帯方郡の役人・劉夏の頭の中。
323名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 02:46:51 ID:rtTQ0QHw0
>>307
疑問や矛盾だらけだろあれ
324名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 02:46:54 ID:hhtyOofE0
>>318
モモソヒメは卑弥呼じゃないと?
じゃあいわゆる畿内説は否定だな
325名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 02:47:28 ID:ESjtEsGC0
まだやってたのか。もう寝るぽ。
326名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 02:47:32 ID:KawNq6tf0
>>319
俺もそう考えて出雲あたりかと考えてもみたんだが、
それなら船でいいじゃんという結論に至った
327名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 02:48:34 ID:jNkhjzKlO
>>299
魏史倭人伝には「海中洲中の上に絶在し」とあるから
そういう可能性もゼロではないねw
328名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 02:48:43 ID:qeGCW9EV0
銅剣の発見で、出雲と九州が交易していた時点で、九州説は無い。

倭国の範囲は、少なくとも九州〜出雲にまたがることになるからな。
そうすると、なしくずしてきに、邪馬台国が九州に収まるような地方の話ではなくなる。
実際、九州説に都合の悪いのは出雲の話で、出雲と九州の関係なんて、全く話題に出そうとしない。

329名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 02:48:53 ID:KjSDLtGHP
それに海岸線を歩いていたとすれば、なだらかにカーブする海岸線を歩いている間に
方向感が曖昧になる現象にも合点が行くし、1つの目的地に向かっているのに
あちこちへジグザグしていることも説明できる。

そのような工程で辿り着いたのだとすれば、出雲以外に有り得ないと僕は思うな。
330名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 02:49:06 ID:VLekzZz80
>>323
好太王碑文について朝鮮の学者さんから偽造説が出された事があり、
しかし結局偽造されたものではなかったというイワクならありますが
疑問や矛盾を感じた事はありません。
331名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 02:49:22 ID:AaZ5/z4S0
>>272
その長門(下関)のイツツヒコ、
漢字で書くと 「伊都都比古」

伊都国と関係ないのだろうか
332名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 02:50:11 ID:OaeGXTkfO
邪馬台国?
絶対に太宰府(福岡)だよ
吉野ヶ里なんて太宰府から派生した集落だろ
太宰府の歴史や文化、風土、地形など大国が存在しうるだけの条件を完璧に充たしてる
太宰府の土地を掘りまくれば必ず何か出てくるぞ
333名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 02:50:47 ID:0F/9tG3I0
>>324
畿内説=モモソ姫と安易に結びつけるな
天照大神説という強力な説を無視するな
334名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 02:51:33 ID:QlP82Xzm0
>>316
( ・(エ)・) クマッタナー。熊と隈と球磨の違いは俺にもワカラン。
いつか、わかるといいですねぇ。。。でも、ここらへんがわかったら、クマソ
とかの研究も少しは変わるかもね。
335名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 02:52:09 ID:XzLli3HF0
そもそも何で畿内にしたいんだ?
邪馬台国と大和は明らかに違う
滅亡した邪馬台国と神の民が作った大和朝廷を同じにするな無礼者
336名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 02:52:22 ID:4YeUVN9BP
おまえら、もう寝るぞ、どうせ毎日が日曜日なんだろうが。
337名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 02:52:54 ID:GTxBcEsA0
338名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 02:52:58 ID:KjSDLtGHP
>>326
それは現代の感覚。
当時、海を越えるのは命懸けだったわけで、
いつ時化が来て難破するかも分からない海路を行くくらいなら、
陸路で行けるところは陸路で行くはずだと僕は考える。
339名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 02:53:35 ID:VQizX4no0
>>328

「女王國東渡海千餘里、復有國、皆倭種」
>女王国の東に海を渡ること千余里、また国がある。いずれも倭人である。

これが出雲じゃね
340名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 02:54:25 ID:KawNq6tf0
>>338
海岸沿いを船で移動するなら、天候を見て陸にいけばいいんだろ?
あの頃の船のサイズとか、海流でどれだけ流されるかとか、疑問は尽きない
341名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 02:55:05 ID:LkJC4tfwO
>>336
毎日がエブリデーのコピペを思い出した
342名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 02:55:09 ID:0F/9tG3I0
>>335
ところで対馬国やら壱岐国やらは滅亡したのか?
343名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 02:55:21 ID:5HS/1y5U0
みんなの心の中にあった
でいいじゃん
344名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 02:57:01 ID:SF2SjJeT0
学者は邪馬台国の位置とかあんまり興味ないと思ってたが。
345名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 02:57:02 ID:KawNq6tf0
>>339
釜山から九州ぐらいが千里だっていうから
そう考えるなら、中国から船でリャオトン半島に出て、
半島くだって東に船で千里って考えたほうが自然じゃないか?

400km〜600kmも海で東ってどこにいっちゃうんだろう・・・。
346名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 02:57:11 ID:KjSDLtGHP
>>326
加えて想像するなら、陸路一ヶ月の工程の内、天気の悪い日が何度かあったのだと思う。

当時は太陽が昇る位置、特定の星の位置からしか方角を知る術が無く、
雲が出てしまうと想像で書く以外に方法が無かった。

邪馬台国は九州でも畿内でも無いと思う。どう想像しても不自然。
347名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 02:58:01 ID:kWpQHBX/0
総集編「卑弥呼のルーツ」
http://www.geocities.jp/oden1947/
この説も面白い
348名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 02:58:28 ID:Z7pNtd3mP
京都の太秦だよ。
349名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 02:59:14 ID:BYdDiq66P
もう少し地政学的観点から見るべきで。
そうすれば、九州説がありえ得ないことぐらい直ぐにわかる。
というか随書に答えが書かれてるのにw
大陸に近く、熊襲との対立の残る九州に安定的な首都を構えるのは
軍事的に有り得ない。海運路がありながら内陸である場所に日本の首都が
ずっと置かれていた歴史を踏まえないとw

当然、大陸に近い九州北部には、倭国の出先機関としての国を置くのは
当然で。瀬戸内海+九州北部=倭

倭国動乱=倭国である吉備が首都である大和に刃向かった。
桃太郎伝説がまさにそれでしょ。

350名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 02:59:28 ID:i4BkFujD0
>>345
違う、

朝鮮→1000余里→対馬→1000余里→壱岐→1000余里→九州

朝鮮から九州まで3000里以上
351名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 03:00:48 ID:iHaV7YOb0
おっぱいぱぶ 邪馬台国
352名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 03:01:13 ID:ZxuTyJL20
地名の類似で鬼の首でも獲ったようなウンコ九州説信者にアドバイス
大己貴神社でググレ
353名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 03:01:26 ID:VLekzZz80
>>331
さぁ。伊都津比古だったらよく分かったろうにね。

そして欽明紀三十一年五月条にも、
なんと今度は天皇が遣わした使者が高麗の使いに会いに行った時に、
自らを天皇と名乗る偽物の人と鉢合わせする記事があるんだ。
354名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 03:01:34 ID:VFeUvGHtO
邪馬台国の東にあった国は尾張や三河だろ
伊勢あたりから舟で行けば朝鮮から対馬くらいの距離だろ
355名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 03:02:01 ID:rtTQ0QHw0
>>330
一構成の朱蒙による高句麗の開国伝承・建碑の由来
(年代が少し・・・間違えてるのか朝鮮は日本と時間軸が違うのか)
二構成に好太王の業績
(都合の悪いことは書かないから矛盾が生じてる)
三構成に好太王の墓を守る「守墓人烟戸」の規定
(もう業績を称えるためだけの碑文で話しにならない)
356名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 03:03:24 ID:z0XQeZ1o0
>>307
七支刀4世紀のものとされてるが分かってるのは日本書紀に書かれていた内容の
裏付け程度だと思うよ
好太王碑文の日本の情報も399年の情報でしょ?ま〜ギリ4世紀だけど
そこから4世紀の日本を見るのは難しくないか?
357名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 03:04:25 ID:Y9IgqGlP0
>>316 >>334
九州のクマは、隅っこのことだよ。動物の熊ではない。
358名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 03:04:32 ID:+eR/CBRj0
タイ国
359名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 03:04:50 ID:FmOmXk2O0
佐賀じゃないと生産できないんだから。
360名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 03:05:34 ID:KjSDLtGHP
>>340
さらに下世話な想像するなら『陳寿は益州の人で海に馴染みが無い。』ことが挙げられると思う。
このような人が船を嫌うであろう、船酔いする体質の人であろうことは容易に想像できる。

みんな文献を読むことばかりに熱心で、当時の風景や登場人物を想像していないと思う。
361名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 03:05:55 ID:LkJC4tfwO
>>345
己が使命を果たすなら
単騎千里の道を行こう

一騎当千 関羽雲長
362名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 03:07:26 ID:KawNq6tf0
>>361
中国が当時から大げさだった説か。
363名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 03:09:33 ID:RWUo6K+D0
一時話題になった
与那国島の海底遺跡は関係ない?
364名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 03:12:22 ID:ESjtEsGC0
そういや卑弥呼が出る映画って、何度か製作されてたような。
一応真面目に撮られた作品もあったように思うのだが、その場合はどこ設定になってたのだろう。
365名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 03:12:28 ID:jNkhjzKlO
>>360
ええっと…すみません、あなたまさか陳寿が自ら海を渡って倭国に赴いたと、思ってらっしゃる?
366名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 03:14:12 ID:KjSDLtGHP
>>340
更に僕が唱える『陸路が使えるなら陸路を使うはずだ。』との想像の裏づけとして、
この使節団の出発地点に注目できるんじゃないかな?

対馬を経由するなら遼東半島から出航しても良さそうなものだけど、
グルリの迂回して当時の国境線と思われる帯方郡まで出張ってから出航している。
その点からも、やはりこの使節団は極力海路を避けていると想像される。
367名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 03:14:15 ID:VLekzZz80
>>355
年代は七支刀とほぼ同じ
内容は高句麗が、おれは百済と新羅を従えてたんだ!なのに倭が奪ったんだ!だから奪い返したんだ!と主張してる碑文でしょ。
一方、七支刀が百済から献上された頃というのは神功の三韓討伐の頃なので、その頃
倭と半島の間で戦闘があったんだね、って感じで矛盾が無いです。

368名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 03:15:44 ID:jjgvAzJy0
ヤマタイカは面白かった。
369名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 03:16:02 ID:cGwhvDcmO
近年の吉野ヶ里の必死さを見ると、吉野ヶ里は絶対にないなとは思う。
370名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 03:16:33 ID:VLekzZz80
>>356
日本書紀の内容の裏付けが取れるならそれで十分だと思いますが?
371名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 03:16:45 ID:Voajiyzp0
対海が対馬、一大が壱岐、末盧が松浦、伊都が糸島、奴国が那津(博多湾)、不弥国が宇美であることはだいたい一致する。
そこから「南に投馬(つま)国、水行二十日」というなら、有明海・不知火海を船で南下すれば薩摩(さつま)がある。
「南に邪馬台(やまと)国、水行十日陸行一月」というのが問題だが、水行では十日で陸を行けば一月、ということか。
薩摩から南に陸続きで一月もかかる場所はないが、海路を南進して「薩摩・大隈半島をぐるっと回れば」日向へ行ける。
日向はイザナギが禊をしたり、天孫が降臨したり、神武東征の出発地になったりした由緒ある土地だ。
邪馬台国は日向を含む南九州にあり、その「北」では伊都に一大率を置いて監督させたのだろう。
もとは北九州にあったのが南に移り、その後北や東に再び拡大・移動したのかもしれない。

そこから「以北」、日向・豊後・豊前にかけて二十ほどの小さな国々(漁村程度のものだろう)が点々とつらなり、
九州を反時計回りにぐるっと回って、最後に「奴国」つまり博多湾に戻ってくる。
その「南」に、男王と狗古智卑狗(菊池彦)のいる狗奴国=球磨・熊本がある。
「倭地は絶海の中にある島国で、周囲を旋れば五千余里」とあるから、九州をぐるっと回ったのだろう。
帯方郡あたりから「南にまっすぐ五千余里」進めば、確かに「会稽の東」に位置するが、これは陳寿の勘違いというもの。

女王国から「東に海を渡って千余里」のところに国があり、みな倭種であるという。九州から東には、当然倭人の住む国々があろう。
千余里と書いてはあるが、先に出た壱岐から松浦に渡る距離と同じ程度でしかない。
また女王国から四千余里も南下すると「身長三〜四尺の侏儒国」があるというが、土蜘蛛でもあろうか。
東南に船で一年ばかり行くと裸国・黒歯国があるというが、ミクロネシアかなにかか。
372名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 03:16:58 ID:W5ZDuJAS0
>>368
戦艦大和が浮上してきて、
沖縄の米軍基地を砲撃する話だっけ
373名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 03:17:37 ID:qeGCW9EV0
>>368

ヤマタイカ?
高千穂に巨大銅鐸って、噴飯物の古代史を何も考証してないマンガだったろ。
374名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 03:18:22 ID:KawNq6tf0
>>363
あれは調査が進んでないからな、太陽神の話だけ言えばラーとかそういうファンタジーを考える
エジプトから船で渡ってきた人がーとか。

もしも次スレが建ったり、このまま膠着状態になるなら
倭の五王の場所とか考えて遊ぼうぜ。
375名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 03:20:04 ID:0OqPpixk0

日向の古い読みは、ヒムカ = 卑弥呼

大分は豊 = 台与
376名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 03:21:23 ID:UtZZvb4n0
>>329
海岸沿い歩きはいいけど出雲が邪馬壹国としてその後に出てくる東へ1000里海を渡るってどこ行くんだよ
377名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 03:23:00 ID:ESjtEsGC0
>>363 あの遺跡は一応見取り図が書ける程度には全貌はもう分かってるのかな。
378名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 03:24:31 ID:Mvn9zkeK0
邪馬台は結局当て字で普通にヤマトだろ
379名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 03:24:59 ID:jqikoAPe0
邪馬台国が九州にあって、戦乱がきっかけで大和に遷都したんじゃないの。
だから似た地名とか、文化があったりする。
九州が前期倭文明で、近畿が後期大和文明。
380名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 03:26:53 ID:fMAssXvg0
大和をヤマトと読ませるのもひどい当て字なんですがw
381名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 03:28:07 ID:rtTQ0QHw0
>>367
だから好太王の偉業を称える為のものでどーしろと
都合の悪いことは書かないだろ
竹島でも同じだろ話しにならんだろ

382名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 03:28:39 ID:ESjtEsGC0
>>379 そんなに大規模な長距離移動したのかな。
なんとなく気候の良さそうな瀬戸内のどこかで、もうここらに一旦しときましょう
みたいになったのではないかなどと思わない?
 
383名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 03:30:17 ID:lajRrEP/0
有名な出雲の神話は、出雲風土記には、
まったく出てこない。

スサノオは、出雲西部の飯石郡須佐郷の郷土神に過ぎず、
ヤマタノオロチの話など一切書いてない。

大国主も、因幡のウサギなどの話は出てこない。

逆に新羅の土地に縄をつけて引っ張ってきたなど、
古事記にはない神話が書かれている。


古事記にある出雲神話は、どこか他の地方の神話を
適当にもってきたものではないか
384名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 03:31:29 ID:0F/9tG3I0
    干支  A説  B説  C説  御陵        御陵建設時期
崇神 戊寅 198年 258年 318年 行燈山古墳    4世紀前半
景行 □□ ***年 ***年 ***年 渋谷向山古墳   4世紀後半
神功 □□ ***年 ***年 ***年 五社神古墳    4世紀後半?5世紀初頭
応神 甲午 274年 334年 394年 誉田御廟山古墳 5世紀初頭
仁徳 丁卯 307年 367年 427年 大仙陵古墳    5世紀前期〜中期
履中 壬申 312年 372年 432年 石津ヶ丘古墳   5世紀前半
反正 丁丑 317年 377年 437年 田出井山古墳   5世紀後半
允恭 甲午 334年 394年 454年 市ノ山古墳     5世紀後半
雄略 己巳 369年 429年 489年 島泉丸山古墳   5世紀後半

古事記の没年干支をそのまま信用するなら
C説を採れば、御陵のできた時期とほぼ一致する
しかし、神功=卑弥呼説を採るならA説でなければ辻褄が合わない
つまり、神功は卑弥呼ではない
385名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 03:31:39 ID:I//UQfqYP
陳寿が俺らのようなリーマンだった可能性もまじめに検討すべきだ。

上司が東の朝貢国・倭人の国について報告書を書けと命じてきた。
なぜいきなり?
何やら政治的理由があるに違いないが、俺に全貌が知らされることはないだろう。
だが、書き方を間違うと地雷原になりそうなことぐらい俺にもよくわかる。
どうしたらいい?
事実関係の調査より、上司のそのまた上の意向を汲み取る方を優先すべきだろう。
さて、邪馬台国がいかなる位置にあって、いかなる国柄ならば、上は納得するのだろう。



386名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 03:32:26 ID:jqikoAPe0
>>382
やっぱり熊襲と出雲との争いがあったから京都寄りなんじゃないかなー。
太古のことだから想像の域を出ないけど。
387名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 03:32:39 ID:QlP82Xzm0
>>371
つまり!当時の九州は、たてながだったのだ!(たての長さ2500里!幅細っ!)
そして、その南端に、邪馬台国が。。。
388名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 03:35:43 ID:VLekzZz80
>>381
目的なんか関係ないでしょ。倭と半島の間で戦闘がありました。大和は百済新羅を従えました。
日本側の記録でも半島側の記録でも一致します。終わり。そんだけ。
389名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 03:35:45 ID:QlP82Xzm0
>>380
いや、当て字したのは、あくまでも中国人センスですから。あながちあながち。
390名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 03:37:31 ID:UtZZvb4n0
九州説に立つとしても吉野ヶ里は無いわな
道も舗装されていない当時で荷物持ってても一月以上もひっこらひっこら歩いても佐賀県止まりっていくら何でもチンタラしすぎ
391名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 03:37:53 ID:VLekzZz80
>>384
古事記に干支なんて書いてないけど
392名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 03:38:02 ID:S5oqH0aY0
記紀の神話伝承から推測するんだったら、基本的なこととして、
「卑弥呼は邪馬台国の始祖ではない」ということは、しっかり押さえるべきじゃないかなあ?
(其國本亦以男子爲王住七八十年倭國相攻伐暦年及共立一女子爲王名曰彌呼)

卑弥呼は邪馬台国においては、せいぜい中興の王程度だろう
393名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 03:38:52 ID:QlP82Xzm0
>>385
出雲風土記だけ、他の風土記に較べて、だいぶ大和政権から編集NGを
くらって、作りなおさせられ、完成が相当遅れたって言うだよ。
どんだけ検閲厳しかったんだろうねぇ。。。
394名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 03:39:28 ID:jqikoAPe0
「卑弥呼」は個人名じゃなくて、称号なんじゃないかと思う。
395名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 03:40:13 ID:lEwVgrwu0
>>363
それはムー大陸の石切り場じゃね
396名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 03:41:38 ID:fMAssXvg0
なんで大和をヤマトを読ませなければならなかったんだろうねw
歴史秘話ヒストリアかなw
397名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 03:42:39 ID:l04QTd6Q0
しかしメソポタミアやエジプトなど、3千年以上も前の物証がいくつもあるのに
なんで日本は少ないのかな
398名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 03:43:15 ID:Gx1a0+t00
>>394
台与は
399名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 03:43:25 ID:ESjtEsGC0
邪馬台国って、そこの民は刺青とかしまくってて
全然別の文化だったんじゃないの。
400名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 03:43:58 ID:crwkqjUM0
>>397
乾燥地はものが残りやすい
401名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 03:44:22 ID:Mvn9zkeK0
>>397
放棄や放置されず上書きされてったからじゃない?土地も限りあるし
402名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 03:44:27 ID:z0XQeZ1o0
>>370
日本書紀の裏付けで十分?
ここは邪馬台国スレですぜ旦那、日本書紀に邪馬台国の場所が載っているとでも?
403名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 03:44:46 ID:WwsGd1q90
畿内、九州の醜い争いなんだろうな。 まぁオレはどっちでもなく、とんでもないところではないかと思っている。 真実とは往々にしてそんなもんだ。
404名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 03:45:27 ID:UtZZvb4n0
>>397
邪馬壹国時代日本は文字持ってなかったから記録がほぼ無い
405名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 03:47:20 ID:i1kWvXEh0
>>56
天皇の万世一系の王権と
卑弥呼・壱与は全く接点がないわけだが
406名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 03:48:10 ID:ESjtEsGC0
>>397 そういう文明には既に文字使用があったはず。
その頃の日本列島はまだ無文字文化圏だったからでは。
神代文字なんてのは嘘だろうけど、でも何か独自に原始的な文字のようなものは
やっぱり持ってなかったのかな。
南米のインカ帝国だかの紐の結び目を使った記述法などは
世界各地に見られる方法でもないんだろうね。
そういう代用文字的なものは文字文化以前に普遍的に存在したりはしなかったのだろうか。
407名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 03:48:11 ID:jqikoAPe0
>>398
台与も卑弥呼の補佐的な役職か何かじゃないかと。
いや、何の根拠もないんだけどねw
色んな可能性考えるのが楽しいものだから^ω^
408名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 03:48:18 ID:yQ2ZrmJs0
>>394
称号の可能性は高い

なんたって、邪馬台国の敵、狗奴国の男王の名前が
卑弥弓呼

そっくりすぎ。兄弟かよ
409名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 03:49:20 ID:XzLli3HF0
鹿児島人は昔から強かったんだな
410名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 03:50:08 ID:VLekzZz80
>>402
あんた自分で四世紀は謎だって言ってたろ。だから書いてたのに。
邪馬台国関係ないわな。四世紀。
411名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 03:51:03 ID:jqikoAPe0
>>408
姉妹の可能性もあるぞなw
何かの理由で姉妹が分かれることになって・・・とか
って、姉妹いたっけ・・?
412名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 03:51:10 ID:LPLquIsT0
魏志倭人伝を解読していく限り、
邪馬台国は沖縄にあったとみるのが妥当である。
413名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 03:53:14 ID:jqikoAPe0
>>412
海底の遺跡気になるね。。
414名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 03:53:37 ID:UtZZvb4n0
>>408
ンなもんわかんねー
たかし と たかこ の違いでしか無いわ
その漢字はシナ人が書いた当て字だし
415名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 03:54:10 ID:I//UQfqYP
>>393
編集過程がわかれば、当時の政治が見えるだろうな。
木っ端役人的には、無駄に冗長になった箇所は、何かを隠す努力の痕跡。
全体の構成と乖離した突飛感ありありの箇所は、エロイ人の最終チェックの痕跡だ。



416名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 03:56:43 ID:4UW24GdD0
>>399
倭そのもの持つ意味が南なのよ。北方人種には使えない代物。
陳寿が北方人国を倭に仕立て上げる事は政治戦略上在り得る事。
417名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 03:59:12 ID:jNkhjzKlO
>>412
「会稽・東冶の東」という記述に最も合致するのは沖縄だものね
問題は「周旋五千里」かな・・・
418名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 03:59:49 ID:i1kWvXEh0
畿内派の意見を聞いていると、魏と交渉した国は
のちの天皇家に列なる氏族と全く無関係で、
卑弥呼や邪馬台国はただの九州近辺の1勢力である
と暗黙の認識として持ってる節があるんだけど、
そこまで理解している癖に、畿内説を抗弁できる神経が理解できない。
もし、九州説や魏志を不完全な記載であるから、放棄するという理由で
九州説が採用されないならば、畿内説が中核となる根拠はどこへ行ってしまうんだ?
畿内派のやっている事は、全ての議論を無に返す行為じゃないか。
それは、畿内説は、イエスキリストの三位一体説みたいなもので、
「あえて人間に不可能なことを、神(天皇)が行った。故に、彼は人ではなく現人神である」
という宗教上のギミックなのか?
419名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 03:59:52 ID:rtTQ0QHw0
>>410
歴史を証拠もなく決め付けるなよチョンかお舞?

倭王と百済王はあくまでも大義名分上対等の立場でしか書いてないんだが
大和が百済を従えてたのかがもう怪しいだろ
天皇家が百済からの可能性も0じゃないのに
420名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 04:01:28 ID:z0XQeZ1o0
>>410
は?スレ読み直せよ、3世紀後半に消滅したと言われている邪馬台国
4世紀の古墳を調べたら?のスレがあったから
その足取りを掴む4世紀の資料がないと私がスレしたら
七支刀や碑文を持ち出して来たのは旦那ですぜ。
それに対して日本書紀の裏付け程度しかないとスレしたら
日本書紀の裏付けで十分とスレしてきたから
ここは邪馬台国スレですぜといっただけだよ。
421名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 04:04:27 ID:i1kWvXEh0
>>397
人類発祥アフリカ説が正しいんじゃないかな。
極東にまで人類が達した絶対数が少なく、遅い。
422名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 04:04:38 ID:VLekzZz80
>>416
倭。委(ゆだねる・すてる・くわしい)に人を加えて「ゆだねしたがう」の意に用う。従順なさま。

なんだ、「持つ意味が南で北方人種には使えない」だの
「陳寿が北方人国を倭に仕立て上げる事は政治戦略上あり得る事」だの
423名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 04:08:12 ID:VLekzZz80
>>419
日本書紀に記述があり、物的証拠がある。それを「証拠も無く決めつけるなよ」とは?

あ、ごめん
天皇と百済王は全然対等の立場でなんか書かれてないんで。
424名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 04:08:42 ID:rtTQ0QHw0
>>420
スマソ俺が悪かった、俺も最初はそのつもりで古墳掘れって書いたんだが
関係ない話も面白かったから話しが長引いてしまった・・・
425名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 04:12:07 ID:VLekzZz80
>>420
ああ、ごめん。
でも邪馬台国が存在したかどうかさえ確認できないのに足取りもくそも無いと思う。
426名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 04:15:01 ID:LPLquIsT0
卑弥呼なら俺の隣で寝てるよ
427名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 04:20:06 ID:6F6BS7sf0
間を取って高知あたりで手を打とうよw
428名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 04:20:09 ID:qeGCW9EV0
>>418
なんじゃこの意味不明な文は?

とにかく、3世紀に、九州だけで隔絶したクニがあったなんて話は無いわけ。
つまり、倭国は、九州〜西日本全域のことなの。
その首都は、大和しかないわけ。

429名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 04:20:38 ID:0F/9tG3I0
>>418
>卑弥呼や邪馬台国はただの九州近辺の1勢力である

逆!
後の天皇家こそが卑弥呼の時代には九州の1勢力
その九州の1勢力が、卑弥呼亡き後の邪馬台国(=大和国)に攻め入り
政権を簒奪したんだよ
430名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 04:21:27 ID:XzLli3HF0
>>426
それ綾瀬はるかじゃね?
431名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 04:22:11 ID:gmHT1zsqO
古代の薩摩に西郷隆盛みたいな男王がいても違和感ないわ
魏王のいう倭国は九州近辺の勢力の集合体程度の規模なのかもね
432名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 04:23:40 ID:i9yNvzqu0
大和政権が畿内にあり、卑弥呼は外務大臣として太宰府にあった。
そう考えると中国側から卑弥呼が日本の王だと受け取られてもおかしくはない。

こういう意見はお前らとしてどうなの
433名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 04:23:51 ID:XzLli3HF0
なんかワンピースの空白の100年みてーな話だよな
本来治めてたはずのDの一族を滅ぼしてできたのが世界政府そしてずっと支配する
434名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 04:25:02 ID:qeGCW9EV0
>>429

まだ、こんなマンガみたいな空想を信じてるアホがいるのか。

考古学を少しは勉強しろよ。
文献学にしても、神武東征は、卑弥呼より前の話だから。
つまり、大和は邪馬台国。

435名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 04:25:44 ID:qBzirVJY0
素人でも子供でも、普通に素直に考えたら畿内以外にあり得ないのに
いったいどうして九州なんてトンデモ説が飛び出したんだろ?
歴史学の素人だけど、これだけは前から疑問に思ってた
436名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 04:29:37 ID:jNkhjzKlO
>>427
高知は「対蘇(トサorトス)国」じゃね?
魏史倭人伝的には
437名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 04:31:29 ID:QlP82Xzm0
>>432
役割分担的な物は考えられる。俺は外交と内政でなく、権威と権力という役割
分担だと思うが。卑弥呼は権威(外交含む)。大王は権力、この分担だと思う。
438名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 04:33:38 ID:RWUo6K+D0
九州国立博物館近くの有名な遺跡が卑弥呼の墓だ
とか、だといいなーとか聞いたことがあるけど
くわしいことはしらない
439名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 04:33:45 ID:fb1qlAz2O
邪馬台国が何処にあったかって、邪馬台国に決まってるだろ…
読みはヤマト
まんまだよ
440名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 04:34:25 ID:asZF/M/00
>>432

>その国、もとは男子の王であった。
>住まるところ7,80年、倭国乱れ、互いに責め合って年が経った。
>それで一人の女子を共立して王とした。
>その名は卑弥呼。

>卑弥呼、以て死す。
>男王を立てたが、国中服せず。更更相誅殺し、当時千余人を殺す。
>卑弥呼の宗女、台与、年十三なるを立てて王とし
>国中、遂に定まる。


これが外務大臣か
代替わりごとに内乱。13歳の外務大臣でおさまったって
441名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 04:35:38 ID:VLekzZz80
三世紀の大規模な遺跡が桜井市にあるということは
三世紀ごろに即位していたと推測される
桜井市近辺に宮を置いた天皇の住居跡が大きかったってことだろ

そもそもが場所さえ特定できない(というか九州のはるか南の海上になる)「邪馬台国」の絡む話じゃないんだよ
巻向を絡めてフォーラムを開催した連中がちょっとヘンテコウなんだ
442名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 04:35:56 ID:tyOLW44j0
実はアメリカにあったとかいう可能性はないの?
443名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 04:38:48 ID:LPLquIsT0
邪馬台国とは今の奈良大学のことである。
444名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 04:40:02 ID:VUBcEIf/O
出雲だろうな
445名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 04:40:03 ID:jNkhjzKlO
>>437
卑弥呼(巫女王)が権威と外交を管掌するというのは
現代日本の皇室外交とイメージがだぶるな
446名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 04:40:26 ID:cOuqHrqz0
>>435
それはお前が倭人伝を読んだことがないから。
短いから読んでみろ。
素人でも子供でも、普通に素直に読んだら
畿内はないなと思う
447名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 04:43:14 ID:ESjtEsGC0
>>444 そこらだと、
平野少なくて、農業生産力などが低くない?
ある程度大規模な勢力の国だったのでは。
もしかしたらそれでも特に整合性に支障は来たさないのかもしれないが。
 
448名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 04:47:20 ID:VvLSkV610
>>432
むしろ、邪馬台国は女王がいるところだけど
実質的な支配権を握っているのは伊都国

倭人伝を読むと、そう見えるんだが
449名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 04:48:35 ID:7dDTjTwS0
魏史倭人伝的を素直に読めば答えが出る。
既成の概念にとらわれず、ベッド・ディテクティブすればよい。
宇佐神宮の下にあるんだよ。
450名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 04:51:22 ID:ESjtEsGC0
>>449 >宇佐神宮の下にあるんだよ。
そこを掘り返せば遺跡の痕跡くらい出てきそうだという意味?
451名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 04:51:44 ID:fb1qlAz2O
自演バカの寝言など誰一人相手にせず(笑)
452名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 04:56:51 ID:oaC4S6NB0
>>450
昭和十五年の、亀山の宇佐八幡社殿の改修の際に、
三之御殿の下に石棺があることが確認されている。
亀山は直径が八十メートルほどあるから「径百歩」という卑弥呼の墓にふさわしい
453名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 04:57:36 ID:hoQ/gMBX0
まやかし台国の話、まだやってたのか。
454名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 04:59:10 ID:KHtb6or/0
捏造先生が出て来ることに100ペリカ
455名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 05:00:12 ID:hoQ/gMBX0
ポチに頼んで場所を教えてもらえばいいのに
456名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 05:01:06 ID:fb1qlAz2O
しつこい自演バカ(笑)
457名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 05:03:22 ID:jNkhjzKlO
>>452
称徳女帝の「宇佐八幡神託事件」なんてのもあるしね。
宇佐神宮に皇室のルーツ≒卑弥呼?に関わるなんらかの秘事はありそうだよね。
458名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 05:03:50 ID:7rxXgtsA0
定期的に立つよなこの論争スレww
459名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 05:04:31 ID:Nx2dLOQo0
ちょw
★5って祭りじゃんか。
460名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 05:05:08 ID:7dDTjTwS0
神津恭介教授に訊けばいいんだよ。
461名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 05:06:33 ID:4Et2oVYCO
>>155向こうの発音で、当てはめて、書いたんだろうから、全然違うと思う

邪馬台国に漢字が無かったんだから
卑弥呼←ヒミコ←日本語読み
卑弥呼←当時の向こう読み
そうしないと、本当の発音がわからないよね?

卑弥呼←この人の発音
邪馬台国←これもだ
462名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 05:10:55 ID:crwWum1J0
>>459
今回次スレがすぐたつんだよ

いつもは1000行っても次スレが立たないから
終了してただけで、立てたら延々と続く
463名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 05:11:07 ID:RXXcuBvl0
何で毎回邪馬台国スレって伸びるの?
散々スレ伸ばしたんだから+板的にはもうどこかに決定してたりするのかい?
464名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 05:15:24 ID:rtTQ0QHw0
>>463
あいだをとって土佐に決まったらしいよ
465名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 05:16:04 ID:jNkhjzKlO
>>461
一応、井沢元彦氏が古代言語の研究者に依頼して発音してもらったところでは、
卑弥呼は「ピメハ」ないし「ピメコ」
邪馬台は「ヤマダィ」ないし「ヤマド」
のように聞こえた…らしい
(井沢元彦「逆説の日本史・古代黎明編」より)
466名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 05:18:11 ID:Tmb3n8PF0
>>463
決まってないから伸びる
467名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 05:18:34 ID:RXXcuBvl0
>>464
邪馬台国の夜明けぜよwww
468名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 05:20:11 ID:XzLli3HF0
>>463
可哀相だから邪馬台国は九州にあげるで解決した畿内は邪馬台国なくても天皇の始まりである大和朝廷あるしね
469名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 05:25:24 ID:XXJGhvwHO
>>468
神武東征というのがあってだな
470名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 05:27:30 ID:XXJGhvwHO
>>442
>実はアメリカにあったとかいう可能性はないの?

アメリカ=USA=ウサ=宇佐
471名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 05:29:38 ID:rtTQ0QHw0
>>468
それが問題になるんだよな・・・
でも、天皇家の偉業を称える為の神話かも知れない可能性もあるし
472名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 05:31:25 ID:Nx2dLOQo0
>>462
読むのはおもしろいからずっと続いて欲しいけどねw
専門板だとなぜか過疎るし。
やっぱり人がいっぱいいるとこはいいねー
473名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 05:36:13 ID:HARnoiYR0
卑弥呼=日御子or日巫女=アマテラス

邪馬台国=大和国

474名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 05:39:26 ID:qBzirVJY0
>>473
当たり前に素直に考えたらそうだよな
九州だって言い張る人の頭って、どんなふうになってるんだろ?
475名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 05:40:16 ID:YGXxPoFa0
やましい国 = 邪馬台国
476名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 05:42:44 ID:rtTQ0QHw0
>>474
卑弥呼=日御子or日巫女=アマテラス=天照大御神
って考えたら近畿説も消えるよ
477名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 05:42:49 ID:GfTfLG0y0
だから八幡平市だっちゅ〜のw
478名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 05:48:16 ID:0VTeYjs3O
>>474
でもなんとか天皇は九州からつれて来られたからな
後継ぎがいないけどどうしようって事になって
あの血筋ならみんな納得するだろうってことで
つれて来られたのが九州からだったんだから
昔は九州に大和があったのかもしれないよ
479名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 05:49:40 ID:Taa75y5Y0
「邪馬壱(台ではない)国」が九州などにあっては神武東征の障害になる。
元はといえば百済系王朝、渡来豪族が自らの系統を正当化するため、
史実も多少はふまえながら創作したにすぎぬ「日本書紀」を神聖視、
拠り所とする皇国派にとって、九州説はまことに都合が悪い。


480名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 05:50:04 ID:QlP82Xzm0
マクロで見ると邪馬台国が九州にあり当時畿内には前大和政権(ニギハヤヒ)
それを邪馬台国の派遣将軍ニニギが、西国倭人連合軍を率いて乗っ取ったと
考えるのがごく自然ではある。

時系列で行くと
@九州に魏の外交官が開国(恭順)要求→句奴国脅威もあるので、女王政体
としてはそれを已む無く応諾。
A国内世論が割れ、カリスマ女王の死をキッカケに内乱発生。
B男王ではなく、女王を立てた事で内乱鎮火(女王崇拝→女神崇拝)
C西に先進強国があることが明白になったので、取り敢えずの安定と恭順同盟
のうちに、国の東方をさらに探索し、東方に影響力を強めなければならない。
D将軍ニニギを東方派遣。奈良の大国前大和(ニギハヤヒ)政権を乗っ取る。
E近畿政権(大和政権)として土着化。元々戦闘集団だったので本国(九州)
からの独立性が高かった。力上は本国との主従関係が逆転して行く。
F上記の「九州権威と大和権力」の関係を維持したまま、西国統一を固めた
(出雲攻略)(熊襲撃破)(蝦夷撃退)
G西国確保されると、九州権威は大和権力に吸収されていった。→以降、大和
が前九州権威に代わって対朝鮮・対中国外交(対峙)を請け負うようになる。
481名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 05:50:24 ID:GDVQ/6HU0
もう何百年も調べてるんだ。
調べて、調べて、ちっともわからない。
そんな実態はなかったと考えるほうが自然だろ。
中国の小役人の作文 (いい加減な伝聞のまとめ) なんだろ。

朝鮮半島に関しては、けっこう正確。それなのに日本になると
急に荒唐無稽。要は行ったことなんて無くて、いい加減な伝聞を
まとめただけなんだろう。
482名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 05:53:01 ID:knJVCWny0
三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)

「マイ鹿です」の鹿男あおによしで出てきたがな
483名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 05:54:49 ID:AQ0LpKyD0
もう畿内で決まりだろ
484名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 05:55:03 ID:P9Jr9LnBO
じゃ…邪馬台国…
485名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 05:55:46 ID:0F/9tG3I0
>>434
>文献学にしても、神武東征は、卑弥呼より前の話だから。

何を馬鹿なことを言ってるんだ
卑弥呼=天照大神は歴然なのだから、神武東征は卑弥呼よりも後だ
大和が邪馬台国であるということは俺が前から何度も繰り返し言ってることだ
486名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 05:58:53 ID:0F/9tG3I0
>>432
邪馬台国は倭の首都だと書いてある
首都を大宰府みたいな敵に襲われやすいところに置く馬鹿はいない
487名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 05:59:06 ID:hxOHhyJi0
>>457
全くの思いつきだけど、邪馬台=八幡って説はないの?
488名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 05:59:33 ID:jNkhjzKlO
>>484
出たな!ハニワ原人!!
(歳がバレルな…)
489名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 06:01:19 ID:0F/9tG3I0
素直に読んだら、畿内でも九州でもなく
フィリピンがグアムのあたりだろうな
490名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 06:03:14 ID:VLekzZz80
>>479
あー。日本書紀を絶対視するなら、卑弥呼は神功皇后のことなんだけど
当時神功皇后は、その夫である仲哀天皇も、九州に居たりしてたから全然関係ない。>九州説は都合が悪い

あと神功皇后は百済系じゃなくて新羅系帰化人の子孫が母方。
491名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 06:03:51 ID:KjSDLtGHP
しかし、そう考えると聖徳太子は邪馬台国の歴史を知っていたんじゃないか?
推古天皇と聖徳太子の関係は随と国交を結ぶためにあえて邪馬台国の体制を踏襲しているように思える。

体制の連続性をアピールしたい思惑が見え隠れしているし、
この考察が正しければ、つまり聖徳太子の時代にはすでに邪馬台国は滅びていたことになる。

自分達の地域情勢が不安定だと知られると攻め込まれる可能性があるから、
邪馬台国と同様の女帝+男宰相体制を見せることで安定しているように見せたのではないだろうか?
やはり、空白とされる4世紀は相当な混乱期にあったのだと想像するな。
492名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 06:04:23 ID:0F/9tG3I0
>>476
消えねえよ
大和の天照大神が卑弥呼で
天照大神が死んだ後、神武東征が起こって天皇家が大和に定住しただけの話
なんの矛盾もない
493名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 06:04:54 ID:XXJGhvwHO
台湾
494名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 06:05:06 ID:AQ0LpKyD0
>>479
日本書紀が怪しいってんなら魏志倭人伝だって怪しいだろw
495名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 06:06:32 ID:Taa75y5Y0
>>490
神功皇后は創作人物。
少しは本読め。

496名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 06:08:31 ID:0F/9tG3I0
>>479
九州説こそ皇国派が作ったものだろアホww
大和王朝が支那畜に朝貢してたってんでは都合が悪いし
そもそも卑弥呼なんて認めたら万世一系が崩れる(と、思った)からな

卑弥呼は九州の一部のローカル政権です、天皇家とは関係ありませんよって
それが九州説を生んだ動機だろ
497名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 06:08:44 ID:jNkhjzKlO
>>487
八幡、ていうと普通は八幡神=応神天皇のことなんですが…
「邪馬台=八幡」の八幡は具体的にはどういう意味ですか?
できればもそっとkwsk
498名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 06:09:45 ID:VLekzZz80
>>495
神功皇后は武内宿禰と一緒に三韓討伐をやっちまった人。

なにが創作人物だ。
499名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 06:10:55 ID:KjSDLtGHP
>>487
そして、"ヤマタ"ノオロチとして大和尊に退治されたってか?
昔からヤマタノオロチは山脈を比喩したものだろうと想像されているけど、
それは『八ヶ岳』とするのが一般的だからなぁ・・・

その説だと邪馬台国は=ヤマタノオロチで長野県〜山梨県ということになる。
ただし、古代の八ヶ岳は富士山より巨大だったという説もあるから、
日本の山信仰との一致から妥当性を持つ部分もないわけではない。
500名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 06:12:17 ID:VLekzZz80
>>496
へぇ。新井白石って儒学者だと思ってたけど、皇国派の国粋主義者だったの。ふうん。
501名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 06:12:20 ID:0F/9tG3I0
>>490
>あー。日本書紀を絶対視するなら、卑弥呼は神功皇后のことなんだけど

日本書紀ですら、「魏書の卑弥呼は神功のことっぽいけど、やっぱ違うんじゃね?」的なスタンスだ
ちなみに三韓征伐が行われたのは4世紀後半のことだし
広開土王の碑文が書かれたのも4世紀後半のことだし
神功の御陵とされてる前方後円墳ができたのも4世紀末から5世紀初頭と類推されてるから
神功=卑弥呼は、ありえない
502名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 06:13:23 ID:0F/9tG3I0
>>491
邪馬台国は単なる地名だから滅んでない
卑弥呼の一族が滅んで、天皇家がその後釜に座っただけの話だ
どっちも邪馬台国=大和国だ
503名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 06:17:09 ID:QlP82Xzm0
>>480(続き)
この筋を前提とした場合、記紀に登場する神代天皇(大王)欠史天皇(大王)
が、次の三つのストーリーの加算物と考える事も可能になる。
@邪馬台国(九州説)のリーダー達の伝記的逸話
Aニニギの氏族の実際の大王の伝記
B西国諸国に偏在する、他氏のリーダー達の伝記的逸話(出雲・前大和
・吉備・伊勢等々)
これらは、当時は勿論「それぞれ別物」として、権力者も知識人も庶民も
認識していて、それらは口承伝説として後世に伝えられたが、記紀編纂時、
あるものは既に変転融合し、あるものは編纂者の恣意により取捨変形融合
させられる。
この結果、記紀においては、ニニギ〜五王の間の大王と年数が「水増し」
された。(五王は当時既に中国でも認知度が高い日本人キャラだったので
そこは編集で変えれなかったと考えられる)これにより、推定ニニギ3世紀
後半の活躍が、一気に何百年も昔に「祭り上げられた」のである。
記紀は、8世紀の大和王権による、「古代瀬戸内海文化圏」の諸伝説の集大成
でもあったのだ。
504名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 06:17:24 ID:hxOHhyJi0
>>497
単に音が似ているんじゃないかなと

邪馬台(ヤマタィ)と八幡(ヤハタ、ヤワタ)

505名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 06:18:33 ID:jNkhjzKlO
>>497です。

>>499さんのレス見て了解しました。
>>487さんが言いたかったのは八幡(はちまん)ではなくて、「八幡(やわた)=邪馬台」だったのですね。
失礼しました。
506名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 06:19:37 ID:Gv0zuuaaO
=====ヤマダ電機は邪魔大国まで読んだ。=====
507名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 06:19:56 ID:VLekzZz80
>>501
神功皇后のことだとしてるから、神功紀に入れちゃってるわけだけど
一応「魏志に曰く」と断りを入れた上で小さく表記だかんね。
四世紀後半となるのは考古学の証拠物で分かる事であって、だから「(卑弥呼に関して)書紀を絶対視すると」と。
508名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 06:20:21 ID:0F/9tG3I0
「ヤハタ」なら、古代は「ヤパタ」あるいは「ヤバタ」と半音してたはずなので
現代よりもヤマトと音に近くなるのは確かだが
YAHATA 現代発音
YAPATA 古代発音A
YABATA 古代発音B
509名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 06:22:01 ID:0F/9tG3I0
>>507
いや、普通に読めば、卑弥呼=天照大神

だけど、それだけは認めたくなかった当時の日本政府が
そこを意図的にごまかすためのスケープゴートとして
神功が利用されただけ
510名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 06:22:29 ID:kw2oJvyiP
まだやってんのかおまえらw
511名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 06:23:23 ID:VLekzZz80
>>509
天照大神はその名が示す通り、今東の空から顔を出してるお日さんのことなんだけど。
512名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 06:23:47 ID:roYphNMm0
観光的には九州に分散させて置いておいたほうが
経済的に潤うから九州でいいよ
513名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 06:24:05 ID:0dTjIUeS0
別物だろ? なぜ邪馬台国と大和朝廷とを
くっつけたがるかのほうが疑問だ。
創成期から天皇家が日本を支配してたことにしたいのはわかるが
514名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 06:27:00 ID:zyQSApFIO
八幡に関しては「ヤハタ」と読んで秦氏との関連を読み取ろうとする説もあるな。

隋書だかに見える「秦王国」の所在地を宇佐近辺に求めるらしい。
515名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 06:27:23 ID:0F/9tG3I0
3世紀半ばに天照大神=卑弥呼が死ぬ

3世紀末〜4世紀初頭の頃に神武が東征をし、旧邪馬台国を滅ぼし新邪馬台国を作る
(おまえらでも理解できるように、あえて「旧」「新」としたが、対外的には連続した政権である)

もしかしたら神武=崇神って可能性もある
が、それはここでは触れない

4世紀後半には神功が三韓征伐に遠征する
神功は実在しなかったかもしれないが、三韓征伐は実際にこの時期にあった

5世紀は倭の五王の時代
朝廷による朝貢外交がもっとも活発だった時期
仁徳〜雄略までの時代に相当する
516名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 06:31:18 ID:QlP82Xzm0
>>501
>神功=卑弥呼は、ありえない
相乗りして申し訳無いが、俺もその考え。だが、無関係とも考えにくい。
上記の俺の筋では、
→卑弥呼の年代<トヨの年代<(近い)<神功皇后の年代
と言う順番になる。少なくとも、卑弥呼が神功皇后であるには、皇后の出産
年齢などから考えても、少々お年をとりすぎていると考える。
卑弥呼やトヨかの血縁もしくは権威の継承を受けた氏族の数代子孫が神功
皇后くらいの年齢になるかと想定しています。
517名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 06:33:07 ID:nMfoA4LBO
ヤマタイ国が東征して大和王朝になったんだが、卑弥呼=アマテラスが魏に朝貢してたのはまずいので、その部分は記紀では神功皇后がしたことにして、天皇の権威を守ったんだろう。
518名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 06:33:34 ID:KjSDLtGHP
>>514
日本語のHの発音は室町時代以降じゃなかったっけ?
かなり新しい音のはず。

それ以前はpかphで発音しているはずだから、
パッと聞いた感じハングルに近いニュアンスではないかと。
519名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 06:33:34 ID:VLekzZz80
>>513
くっつけないと、纏向遺跡の巨大建造物跡が
巻向に宮を置いた天皇の宮の跡だということになるので
むしろ大和朝廷を否定したい側の人がくっつけたがってんじゃないの。
520名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 06:34:37 ID:NLqfuBfE0
山たい
521名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 06:35:31 ID:0F/9tG3I0
>>517
ヤマタイ国が東征した、なんていうヘンテコリンな考え方ができるのは現代日本人だけ

正しく理解するなら
東征した勢力が邪馬台国の王権を簒奪した
つまり、神武の前も邪馬台国、神武以降も邪馬台国

民主党政権でも自民党政権でも日本は日本だろ、それと同じことだ
522名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 06:35:54 ID:VLekzZz80
>>518
ああ、それさ
ポルトガルの言葉の方にH音が無いんじゃないのと。
つまり当時の南蛮人にはひふへほを聞き取れる耳が無い。
523名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 06:35:58 ID:0F/9tG3I0
>>518
それは>>508に書いた
524名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 06:39:33 ID:rtTQ0QHw0
アマテラス=卑弥呼
神話から考えたら天岩戸がある宮崎が高天原だとして
大和朝廷と敵対してたとして近畿が黄泉の国だとすると

間にあるとされる、あしはらのなかつくに=邪馬台国は四国だな
あれ?四国ってマジでありなのか?淡路か四国かもww
525名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 06:41:10 ID:jNkhjzKlO
>>504
八幡神=応神天皇は九州北部から畿内大和政権の中枢へと攻め上った人ですからね〜。

一応、神功皇后と仲哀天皇の皇子という建前になっていますが、前王朝との血縁は無く、応神・仁徳王朝の開祖だという説もありますから、
もし八幡=邪馬台だとすると、非常に面白いことを暗示しているような気がします。

大変興味深いご意見を教えていただいて、ありがとうございます。
526名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 06:42:17 ID:R7in97oUO
正直どこでもいい。たんなる地方起こしの材料になるだけ
527名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 06:43:43 ID:KjSDLtGHP
>>514
その説は無理があるんじゃないか?
ご存知かと思うけど秦氏の氏神は京都の大酒神社で他にも伏見稲荷大社(稲荷神社の総本山)などを創建しているように、
平安京造営以前の京都は秦氏が統治している。

随の時代の秦王国が北九州だとすると僅かな間に一気に東征したことになってしまう。
528名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 06:43:46 ID:0F/9tG3I0
>>526
その考え方は特アと同じ
特アは国民の愛国心を煽るために歴史を捏造してるだろ
町興しのために歴史を捏造するのも
国興しのために歴史を捏造するのも
メンタル的にはほとんど同じだ
529名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 06:44:19 ID:QlP82Xzm0
>>517
卑弥呼(魏志倭人伝による)と、トヨと、神功皇后の、「実績と宗教権威」を
一度、全て「融合させ」た上で、それから、
要素Aを→アマテラスに集結(神話性重視・権威正統性重視)
要素Bを→神功皇后に集結(実績性重視・人間性重視)
と言うワリフリをしたとも考えられますね。ちなみに、記紀においては、「魏
に朝貢」と言う事は触れる必要すらありません。が、「昔朝貢していた事実
と外交習慣」は当然、残像していたはずですから、そこで、神功皇后に、
「実際以上に大活躍し、朝鮮にて実際以上に大勝利した」と言う事になって
もらわないと、編纂時の人たちが困ったのでしょうね。神功皇后をスーパー
ガールにしなければならない、編集時の思惑が大きく働いたかもしれません。
530名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 06:46:45 ID:VLekzZz80
>>525
>八幡神=応神天皇は九州北部から畿内大和政権の中枢へと攻め上った人ですからね〜。
そんな記事は無い。
531名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 06:48:16 ID:mROpybB9O
中国様の資料がなければ存在さえ知られることの無かった国だ
邪馬台国論争で盛り上がってる人達は中国様に感謝せんとね
532名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 06:48:37 ID:lSMeHtQfO
>>524
淡路島っておのころ島って言われてて日本列島の最初に作られた島って言われてるな

邪馬台国=大和なら邪馬台国が四国〜淡路島にあって大和発祥の地としておのころ島として伝わったとかw
533名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 06:50:14 ID:peYh5blR0
>>123
ああ、馬鹿なんだね。

複数の王権や諸国が共存できていた時代を想像しようね。
534名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 06:52:17 ID:0F/9tG3I0
>>533
馬鹿はおめーだろ
邪馬台国も、複数の王権や諸国の中の1つに過ぎない
535名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 06:52:45 ID:uHdv2Yg50
王賜銘(鉄剣)→ヤマト→邪馬台国で奈良
九州に関東までの勢力があったとはおもえない
536名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 06:54:16 ID:CuexhdZyO
>>488
スパロボにも出てるから、年齢云々は一概には言い切れない。
あと、邪魔大王国じゃなかったっけ?
537名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 06:54:26 ID:peYh5blR0
>>531
あほか。

古代中国と現代中国は全く別の民族によって作られた国。

そもそも、大陸に産まれた王朝は、多くが北方遊牧民によるもの。
中国は彼らの植民地にすぎなかった。
538名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 06:55:07 ID:VLekzZz80
>>534
どっちかというと、>>272>>353←こういうのの可能性の方が高いと思うけどね。
つまり帯方郡の役人が騙された

もしくは帯方郡の役人が貢物について
実際とは違う事を報告していた。

539名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 06:56:11 ID:rtTQ0QHw0
>>532
淡路は住んでるのがアマテラスじゃなくお母さんだからナイナイwww
古墳を調べてなんか出たら面白いとは思うがww
540名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 06:56:35 ID:CJ65J3cYO
イザナギのチンポでイザナミのマンコを塞いだら日本列島が産まれたんだぜ
だから日本人のセックル好きは神話の時代からなんだぜ(´・ω・`)
541名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 06:56:45 ID:peYh5blR0
>>534
はあ?
そう言っているんだけどね。

君、日本語が不自由なんだね(w
歴史を語る前に日本語を勉強し治せ.アホ。

大事なことだからもう一度言うぞ。

あほ。
542名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 06:56:47 ID:KjSDLtGHP
>>514
まあでも、東征=朝鮮半島を駆逐されたことによる逃亡という説も提示されているから、
北九州から一気に京都まで逃げて来たという可能性も無きにしも非ずか。

随書成立(656年)
白村江の戦い(663年)
伏見稲荷大社創建(708〜715年)

まったく無理なスケジュールではない。
543名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 06:57:57 ID:0F/9tG3I0
>>538
おまえが何を言ってるのかわからない
544名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 06:59:03 ID:QlP82Xzm0
>>521
だが、その筋に立つと、邪馬台国の「継承性」は、東征によって、一回
「分断」された事になってしまう。記紀の編纂者は、それは困ったはずだ。
なぜなら、「アマテラス」から「天智天武」まで、万世一系で、つながって
もらわないと困るからだ。
記紀の中心思想として、「正しい行いと継承を行なっている天皇の治世にて
は反乱が起こるはずは無い」と言う一貫性もある。ところが、畿内説だと、
反乱軍が勝ってしまったと言う事になるので、「反乱された大王」がよっぽど
「ダメな大王」もしくは「悪い大王」もしくは「間違ってしまった落ち度が
ある大王」でなければ、記紀の中心思想が保てなくなる。
だから、そう(畿内説)だとしても、万世一系と権威の一貫性をつなぎとめる
ためのカラクリが、記紀上は必要になる筈。そう言うカラクリや記述は、
少なくとも俺は記紀には見出せない。俺が見出せないだけかもしれないが。
545名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 06:59:36 ID:0F/9tG3I0
>>541
アホはおまえだろ
>>117の主張と、今おまえが言ってることは矛盾している
546名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 07:01:11 ID:Lmw+PtERO
邪馬台国は九州か近畿にあった
近畿の勢力を中心にヤマト朝廷ができた

九州から近畿への遷都はないだろうね
戦いに敗れた末の大移動以外では多人数が長距離移住した例は歴史上ない
547名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 07:02:24 ID:0F/9tG3I0
>>544
アマテラスから天武天皇までは繋がらないが
神武から天武までなら余裕で繋がる
万世一系てのは初代天皇である神武からでいいはずだ
548名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 07:02:41 ID:ScGVAYAC0
仮にどこかで発見されたとして

何が発見されたら邪馬台国跡だとわかるんだ?
遺跡?古文書?装飾品?どれも決め手にかけるよな
549名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 07:03:12 ID:0F/9tG3I0
>>546
いつ九州と近畿が戦ったの?
いつ九州が敗れたの?
550名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 07:04:00 ID:vnFsYgmu0
>>532
>>淡路島っておのころ島って言われてて日本列島の最初に作られた島って言われてるな

釣りか? それともまじで「おのころ」の意味を知らないのか?
おのころ島は自凝島「自然に凝縮してできた島」であって
最初にできた島ではあるが
「神々によって最初に作られた島」ではない

ちゃんと記紀を読めよ
551名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 07:04:44 ID:XxSwbwoW0
面倒だからもう関東でいいよ
552名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 07:07:01 ID:jNkhjzKlO
>>530
すいません(^^;
じゃあ正確に

>>525の初段は、

応神天皇は北九州にて出生後(その前に神功皇后が石を巻いて出産を遅らせるエピソードがあるが)、
母親・神功皇后が三韓征伐後に都に凱旋するにさいし、母に連れられて大和に上るも、
仲哀天皇のニ皇子が反乱を起こしたため皇后がこれを討ち滅ぼし、畿内を制圧した、というエピソードがありますからね〜。

に差し替えてください。
553名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 07:08:01 ID:kw2oJvyiP
岩手の八幡平だお
554名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 07:11:10 ID:rtTQ0QHw0
>>550
神話だってなにマジになってだ?
555名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 07:13:27 ID:VLekzZz80
>>543
祟神天皇の御代に、大加羅国、つまり任那の国の人が初めて大和に来て
長門で天皇を詐称する人に遭ってたという記事があって
また欽明天皇の御代にも、天皇を詐称して貢物を受け取ってる人の記事があるの。これは越の国でのことだけど。

つまりね、海外から来た人に、「我こそは天皇じゃ」と言って騙してた人があるんだわ。
そして窓口は帯方郡という地方のお役所でしょ。担当は劉夏というお役人。「倭」(大和朝廷とは限らず)との外交の報告はこの人が
大体やってたみたいなんだよね。つうか、報告されてるものが全部帯方郡経由みたいなの。
そして陳寿が編纂した魏志に書かれている邪馬台国の位置は、見事にはるか南の海上。
権威を詐称した「貢物」のやりとりを行うと、普通に交易を行うよりも
さぞ利益があるんじゃないかなーっとね。
556名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 07:14:15 ID:bxMcOzc8O
邪馬台国と大和政権は別々に存在した
でいいじゃん。
557名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 07:19:26 ID:C18q4Upg0
馬、青銅器、鉄器の伝播ルートはひとつではないが、日本海側が玄関口なのは間違いない
出雲を玄関に吉備→瀬戸内→難波のルートもあれば、丹後若狭から山城大和、
あるいは対馬壱岐福岡から吉野ヶ里にでて有明海沿いに鹿児島や、
関門海峡から別府湾→日田→日向灘沿いというルートもあっただろうな

出雲吉備の勢力が強くなれば丹後若狭の海岸線だって抑えられるし、だったら海運陸運で大和はめちゃくちゃ遠いというわけでもない

558名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 07:21:36 ID:EXtqVFcK0
来るべきクナ国との戦争に備えて魏に使いを送ったんだから、魏志の女王国は九州だろう
魏→畿内は援軍を送るに遠すぎると思う。
559名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 07:35:13 ID:C18q4Upg0
>>558
対馬海峡に魏軍の船が現れれば狗那国は瀬戸内しか通れなくなるので戦いやすかったんじゃないのかな?
560名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 07:35:45 ID:QlP82Xzm0
>>547
「国譲り」そのものの「正統性」が担保されなくなるのだが。。。うーん、
ご理解いただけなかったか。。。
ニギハヤヒも、アマテラスの命を受けて前大和を統べているワケだから、
後大和(ニニギ側ね)と「どっちがより正統?」ってのが、担保できない
でしょ。。。

つまりね、東征の時、アマテラスはどこにいた?後から発したアマテラス
からの命令(ニニギ)の方が前に発したアマテラスからの命令(ニギハヤヒ)
に勝る理窟が、どこにあるんだ?そうなると?
だって、前大和政権(これも邪馬台国)、後大和政権(これも邪馬台国)なん
だろう?畿内説だと。

出雲王朝の平定に関しては、「祭り方を間違えた」と言う平定されてしまう
理由が用意されているのに、なぜ、東征の場合は、その理由が用意されて
いないのか? これは、前大和政権(ニギハヤヒ)は、アマテラスをそもそも
「祀っていない」という筋になる。これまた大矛盾だ。

ニギハヤヒは、ニニギの同祖の上の世代になる。だから、スサノウの国つまり
出雲の国の制圧の場合は、制圧されるに足る相応な理由があるのに対し、
ニギハヤヒの国つまり前大和の制圧(東制)の場合は、どちらもアマテラス
から命を受け、どちらもアマテラスを祀り、むしろ、目上格上で、先に命を
受けたニギハヤヒが、なぜ、ニニギに従わなければならないか?

この「国譲りの方法論」の一貫性が保てないとそもそも大和王権の「国譲り」
の連続にて成し遂げた「日本統一」も、致命的な程、無くなってしまう。
わざわざそんな話を、記紀にするだろうか?「国譲り」で大矛盾をひけらかす
くらいなら、ニギハヤヒそのものを「表記しない」と言う事がいくらでも可能
なのに。(神代の事ゆえ)
561名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 07:37:34 ID:VLekzZz80
>>552
神功摂政紀の記事だね。主語がごろごろしてて分かりにくいけど
神功皇后と武内宿禰が忍熊王らを討ったでいいんじゃないの。

忍熊王らの母も皇族なんだな。景行天皇の子が父親の。
562名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 07:39:33 ID:lSMeHtQfO
>>554
そうだっけ?

イザナギイザナミ以外の3神が杖を立てたか何かでできた島じゃなかった?

まぁ違うなら違うでいいし
563名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 07:40:26 ID:ZH0lTrE2O
ってか鉄の生産が盛んだった場所が邪馬台国だろ。 よって九州じゃね
564名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 07:42:15 ID:C18q4Upg0
>>563
じゃあ吉備だろ
565名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 07:42:45 ID:VLekzZz80
塩だよおのころ島は
566名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 07:43:08 ID:lEam1a2R0
>>29
日本は紀元前9世紀ころから鉄器を使ってた、って知ってる?卑弥呼が天照大御神な訳がない。

皇紀2670年は本当かもね。
567名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 07:45:11 ID:jNkhjzKlO
>>561
そうですね。

ただ個人的には神功皇后の実在性に疑問を抱いているもので、
最初の>>525のような書き方になったわけです。
(もちろん異論は認めますよ)
568名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 07:45:27 ID:lSMeHtQfO
>>565
調べてきた

矛を海に突き刺して抜いた時に落ちた最後の滴が固まったのがおのころ島

でもこれも神様が作ったって言えると思うんだけど……
569名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 07:46:51 ID:QlP82Xzm0
>>547>>560の続き)
長文失礼した。自分でも少し混乱したので、かいつまみます。
畿内説に立って前大和王権=後大和王権=(どっちも)邪馬台国とした場合、
記紀における「ニニギの国譲り」の方法論が、対ニギハヤヒの場合だけ担保
されないのでは?という疑問が生じます。って事。かいつまむと。
570名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 07:49:15 ID:krkfgZ/J0
奈良県に大和市なんてねえよw
571名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 07:49:18 ID:sg9B2PEi0
関西にあるのはハニワ原人のいる邪魔台国だろw
572キツネのレックス:2010/10/12(火) 07:49:53 ID:ZH0lTrE2O
どう考えても北九州に邪馬台国だろ。んでクナの国が大和。
573名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 07:51:38 ID:7fkhIUV80
そもそも古事記や日本書紀の神は実在の人物とは関係無いと思うぞ。
574名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 07:51:58 ID:VLekzZz80
つきさしたっていうか、矛で鹽をこおろこおろと掻き回して
引き上げたときに、矛からしたたる鹽が重なって積って、おのころ島
淡路島は「淡道の穂の狭別島」で、イザナギイザナミが・・・・えーと、結婚してw産んだ島。
おのころ島とは別。
575名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 07:52:48 ID:lSMeHtQfO
そもそも邪馬台国が日本にあったの?

中国の文献と照らしあわせて位置が合うのかとか
見つかった金印が本物かどうかとか……

田んぼから金印見つかったの本物か疑わしいんだけどw
576名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 07:54:38 ID:KqOwBIcB0
むか〜し、四国の剣山に行ったとき「邪馬台国は阿波だった」ってポスターを
見たことあるんだけど、あれなんか根拠あるの
577名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 07:55:34 ID:Cw7zqnF70
九州厨の追い込まれ方は異常
578名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 07:56:40 ID:VLekzZz80
>>567
実在性に疑問を抱いたり、別王朝だと唱えてみたり、忙しい人だね。
だったらいっそ記紀から全く離れればいいんじゃないの。
記紀にある人、物事、全部なしにして、記紀風土記その他、大和朝廷が残した文物以外の物から
歴史を辿れば?
579名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 08:01:02 ID:jNkhjzKlO
>>576
邪馬台国四国山上説は、岡山県出身の郷土史家・大杉博氏が主張したのが最初だと思います。

大杉氏の本を読んだことがありますが、電波ゆんゆんでしたw
でも、話としては面白いし、部分的には成る程と思う所もなくはなかったです。
580名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 08:05:18 ID:ZH0lTrE2O
そんな事より,やまとたけるって誰よ。
歴史上で一番の謎だよね。山川にもでてこないし
581名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 08:06:12 ID:lSMeHtQfO
邪馬台国って連合国なんだよな?
なら連合を指す言葉が邪馬台国なだけだったりしてなw

卑弥呼没後内乱状態で鎮めた国が大和朝廷の前身の国とか

九州説と近畿説とか色々あるけど連合国=邪馬台国で全部正しいんじゃない?w
582名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 08:06:43 ID:R8iPqxT20
奈良だと思ってたけど、最近、九州と思うようになってきました。

中国の文献的に、奈良だと流石に遠いわ。
583名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 08:07:17 ID:VLekzZz80
やまとたけるは第十二代景行天皇の皇子。倭健命。もとの名を小碓命。
584名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 08:07:36 ID:QlP82Xzm0
うーん、回答が無いところを見ると、畿内説でかつ前大和政権=大和政権=(
どちらも)邪馬台国である論者は、記紀編纂者は「国譲り」には別に一貫法則
が無くてもいいと考えて記紀編纂をしたと考えているって事ですね?
この結論でOK?
585名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 08:07:52 ID:mCg9034E0
近畿は大和朝廷であって、邪馬台国ではないと思うよ
586名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 08:08:36 ID:68kf2m7p0
津軽らしい
587名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 08:10:11 ID:VLekzZz80
>>584
そのナントカ論者じゃないけど
徳治政治は儒教方面の思想であって、記紀には普通に反乱の話は出てくるよ。
もうあけっぴろげに。
588名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 08:12:39 ID:sg9B2PEi0
邪馬台国って阿蘇山があるところじゃないの?
589名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 08:13:51 ID:BFNTx96a0
>>571
のスルーされっぷりが悲しい鋼鉄ジーグファンのオッサン。
590名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 08:15:26 ID:lSMeHtQfO
中国まで行く技術あるなら日本列島の九州〜近畿間ぐらい余裕で行けるよな

邪馬台国は連合国なんだから九州〜近畿間の大小様々な集落で作られた国なんだろ
591名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 08:16:25 ID:8OjFHwvB0
そんな村みたいな物、どこにあってもいい。
大人が夢中になるのが不思議でならない。
592名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 08:16:39 ID:rtTQ0QHw0
>>576
四国の剣山はソロモン王の秘宝だろ
ってググたらマジで阿波説あるんだな
これ面白いかも、やはり邪馬台国は淡路か四国だなww
593名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 08:17:57 ID:FjdmfOu90
畿内
594名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 08:19:11 ID:lSMeHtQfO
>>592
四国の剣山はソロモン王の秘宝

何それ?気になるんですけどwww
595名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 08:20:26 ID:QlP82Xzm0
>>587
お、いい所ポイントあててくれた。
記紀に普通に出て来る反乱ですが、ある程度、反乱に関する(記紀としての)
是非判断や、反乱が起きた場合の「どっちが善悪」と言うのは、かなりご丁寧
なほど「理由付け」してますよ。検証してみると良い。
「これは反乱を起したとしても流石にしょうがない」と言うような人が、反乱
しなかった場合などは、ほとんど神なほどベタ誉めしたりしてますw
ヤマトタケルなんかは、編者が「良くぞふみとどまった!」と号泣している
かのような表記ですし。。。;^^A逆に、理由が無いのに反乱した人間とか
は偉い悪人呼ばわりされたり、恥ずかしい間抜け呼ばわりです。
深読みすると、結構、思想統制や、国体教本の役目も多い書物です。反乱
その物に是非をつけていないですが、あるいっていの法則で、是非を判じて
いる法則があります。
596名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 08:21:21 ID:mCg9034E0
近畿はさすがに遠い
597名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 08:21:38 ID:e9C0rwopP
それが解ったら日本にとって良いことでもあるのか?
景気が上向いて日本人がハッピーになるならまだしも
歴史教科書の記述が少しだけ変わるだけだろ
そんなことはどうでもいいだろ、暇人な奴らめ
598名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 08:22:27 ID:xuxwbEh40
>>597
モヤモヤが解消される
599名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 08:23:01 ID:miaZ3GfjO
朝鮮だよ
600名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 08:27:09 ID:+2+V8t8s0
>>590
たとえば国内なら近畿関東ルートは黒潮で解決する。
海流ルートもあるだろうから中国のどこから出ると
日本のどういう所についてそこから九州へいったのか畿内へいったのかというルートでもめてるんじゃないの
601名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 08:29:53 ID:5LsVDWDT0
韓国の歴史書では九州にあったみたいだな
ドラマの設定も九州説に拠ってるなw
http://www.hancinema.net/korean_drama_Dong_Yi.php
602名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 08:31:14 ID:whyZEcCbO
邪馬台からヤマトと読ませたいから、邪馬壹国が邪馬台国ってことになってんのか
天皇家もなかなかきな臭いな
603名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 08:31:43 ID:XlfrG6pNO
>>576
邪馬台国は神々が集う国、出雲
っていう幟を昔し見たことがある。
604名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 08:32:23 ID:QlP82Xzm0
>>587>>595続き)
あ、勿論記紀は、「儒教の方法論」で判断してませんよ。 徳治だから反乱が
起こらないとか、そんな記述じゃありません。むしろ、手続き論(祀り方)の
間違いとか、言霊重視とか、和を乱すとか。現代日本人にも無意識のうちに
前提としている価値判断をこの記紀が形成している側面もあるのでしょうね。
確かに徳治でも、容赦なく反乱起こるしねw記紀では。でも、理由付けが
全て説明されているし、一貫法則(儒教とは違った日本的な)があります。
605キツネのレックス:2010/10/12(火) 08:35:21 ID:ZH0lTrE2O
>>597
万が一邪馬台国が九州だと天皇の正当性がなくなる。そしたら東京に首都をおく理由がなくなる。
606名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 08:35:44 ID:rtTQ0QHw0
>>594
四国の剣山にソロモン王の秘宝が埋まっていると
固く信じている爺さんが、せっせと穴掘りして
エメラルドを見つけたという話がありまして

そこに忌部氏が絡んできたり
徳のある島という意味で松平が徳島という地名に変えて
本人も徳川を名乗ったりしたなんて物語がもありましてww
607名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 08:38:45 ID:lSMeHtQfO
>>606
なんかMMRとかでありそうw
608名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 08:40:17 ID:CQ2eCyzeO
雲の上にあるんだよ
609名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 08:40:39 ID:VLekzZz80
>>595
妙だねぇ。あなたの言い分だと、理由があるなら反乱していいんだよ!と書紀が煽ってることになるよ。
反乱そのものに是非をつけていない、とあなたも書いてる通り、善悪なんかついてないから
結局ね、細かい経緯が並べてあるだけなんだよ。
日本書紀の場合だとところどころ、大陸風味の味付けがしてあるけどね。「なんで兄のおれが弟に従わんにゃならんのじゃ!」
みたいなのとか。

くにをかたぶけんとす、ってのが基本として「駄目」なことなんだけど
それは天皇のせいで起こるってんじゃなくて、かたむけようとする人間の悪しき業と即断じられるよ。
だから「記紀の中心思想として、『正しい行いと継承を行なっている天皇の治世にて
は反乱が起こるはずは無い』と言う一貫性もある。」なんてのはおかしい。そんなの流れてませんから。
610名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 08:42:16 ID:CJ65J3cYO
邪馬台国論争は、卑弥呼は「夫とセックルしまくった揚げ句、夫がヘビだと分かった後、マンコに箸(棒)が刺さって死んだ馬鹿な巫女」か否かという、日本史上最大の問題だよな(´・ω・`)
611名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 08:42:25 ID:nMfoA4LBO
徳治論になると天災や反乱が起きた時に、天皇の権威が激しく落ちるからそうしない為に日本では怨霊、祟り神という仮想敵を作ったのかもね。
シナの様に、君主の徳が無くなったから良くない事が起こるのではなく、日本では怨霊や祟り神が災いをもたらすと。
612名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 08:43:42 ID:BYdDiq66P
>>584
狗奴国との争いで前大和政権が崩壊した。
狗奴国王朝=河内王朝
613名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 08:45:16 ID:QlP82Xzm0
方法論として面白く(感慨深くと言った意味で)、ネタとして裏読みもしたく
なる逸話の例として、仲哀天皇と神功皇后が占いを立てて、神託に「海を越え
て(朝鮮に)出兵しなさい」と出たのを、それを拒否しようとした仲哀天皇が
コロッと病気でお亡くなりになる件とか。。。
まあ、半分有事ですから、この場合は天皇が病気で(天寿をまっとうせず)
崩御なされるのですから、それ相応の理由が無ければならないのは当然です
が、天皇の病死・戦死による天寿のまっとうが不可能だった場合は、記紀上
は、ごていねいな理由付けがつく事が多いようです。本人のせいだったり、
本人以外の要因だったり。理由その物は様々ですが、「理由がある」という
点が記紀では重要なようです。
614名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 08:46:48 ID:VLekzZz80
>>611
天皇の権威が落ちると戦国時代に成ります。
615名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 08:47:46 ID:0F/9tG3I0
>>560
そんなことを言い出したら
世界のどこに「正当性が担保された政権」なんてものが存在するんだ
って言えばこの話は終わりになる
616名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 08:48:57 ID:rtTQ0QHw0
>>607
(; ・`д・´) ナ、ナンダッテー !! (`・д´・ (`・д´・ ;)
MMRも調査で剣山山頂の地下にピラミッドがあって
多数のミイラが発見されたそうですwww
617名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 08:48:58 ID:t5sP3T2+0
さきたま古墳の辺りにあった可能性ってゼロなんすか?
618名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 08:49:02 ID:CJ65J3cYO
オマエラの異常なマンコ好き属性は神話の時代から続く日本人の正常なDNAだから安心しる(´・ω・`)
619名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 08:50:06 ID:0F/9tG3I0
>>581
違いますよ
邪馬台国は連合国の中の1つの国に過ぎません
連合国の盟主ではあっても連合国の名称ではありません
620名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 08:50:57 ID:H1dSRnb9O
>>601
つまり九州に無いことは確定だよな。
621名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 08:51:21 ID:9xRy37qa0
>>617
とりあえずどんな突拍子もない場所でもそれなりに妄想できることころが
邪馬台国論争が長く人気を保っている秘密だから、可能性はある
622名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 08:52:13 ID:VLekzZz80
徳治論ってのは易姓革命とセットで機能するんじゃないのかと思うよ。
むこうは天帝が選ぶんだっけ。そして戦乱のたびに人口が半減すると。
623名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 08:52:50 ID:0F/9tG3I0
>>602
>>605
逆だろ
卑弥呼が大和王朝に繋がる人だとすると
天皇家が中国に朝貢してたことになるので
「天皇」を名乗る資格がなくなる
624名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 08:55:04 ID:QlP82Xzm0
また、基本徳治を行なっていて、祀り事も正しく行なっている天皇は基本天寿
を全うし、もし謀反反乱を企てる物がいた場合は、比較的(程度に応じて)
そっちの方が必ず「悪い」という表記になるのも、記紀の特徴です。
(但し、天皇が全く未遂被害者でも加害者でも無い場合の、例えば皇子同士の
諍いなどは、理由はほとんど表記必要は無いようです。但し、「結果後に天皇になった皇子」に関しては、比較的「こっちに理多し」と言った感じ。ここら
へんの表記差も面白いですね)
それに、日本書紀上は「天に背いての簒奪」は無い事になっています。ここら
へんは眉唾で100%信じられませんが。
625名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 08:55:35 ID:H1dSRnb9O
>>623
天皇という名前自体影響バリバリじゃないか。
626名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 08:57:17 ID:0F/9tG3I0
>>625
影響云々という問題ではないんだが
627名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 08:57:46 ID:Y0Alt/DsO
こんな神学論争は不毛。
わかったからって何の得になる。
魏の書物にあるんだから、それでいいじゃないか。
耶馬台国は魏の本の中にあります。
628名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 08:58:10 ID:W8uBX8jLO
劇団ぽく、
『邪馬台国』それはあなたがた一人一人の心の中にあるのです。
で、キレイに終わらねえ?
629名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 09:00:31 ID:DnyJdoCMO
>>623
天皇を名乗ったのは天智帝からだろうが。
630名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 09:02:16 ID:gJeKKXyU0
>>627
大和政権のルーツ、空白の150年etc
古事記、日本書紀、天皇家の謎
631名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 09:04:37 ID:0F/9tG3I0
>>629
支那畜に朝貢してた人の子孫が天皇じゃまずいってことだよ
632名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 09:04:52 ID:VLekzZz80
>>624
矛盾を押して自説を説く事を選ぶんだね。

善悪を書かないってのは、反乱をおこす人間をして
「性格の悪い悪の権化みたく書かれたりしない」ってことだよ。
くにをかたぶけんとす、ってのは権をほしいままにしている奸臣の事だったりもするから
必ず反乱を指すわけでもないしね。
633名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 09:14:29 ID:QlP82Xzm0
また、ヤマトタケルの父親である、景行天皇も、比較的善政を行なうので、
一見全く問題も無く反乱謀反が起される理由がこれっぽっちも無さそうですが、
その子供の、大礁・小礁(ヤマトタケル)に関する命令ですが、これに私情
から、格式には背いた「えこひいき」をします。当時は兄弟相続性ですので、
兄から先に出兵すべきで、小礁が抗弁するように、景行天皇は、先に大礁を
出兵させるべきで、ましてや二度目の出兵こそ、これも小礁の抗弁したように
大礁を出兵させるべきだったのに、一度目の西征出兵も二度目の東征出兵も
どちらも小礁が行くハメになりました。景行天皇にも、軍事司令官としての
計算も打算も大礁可愛さの私情もあったのでしょうが、それまでの慣習に
背いたのも確かです。
これに対し、小礁は、立派に拝命を成し遂げたのですから「天皇になる資格」
はかなり充実した事になりますが、小礁が京都に戻ったら、間違いなく大礁
と衝突すると危惧した景行天皇は、京都入場を禁じます。これで、小礁が反乱
を起こしてもやむを得ない理由が全て揃います。功績に対して仕打ちが過酷
すぎるからです。しかし、ヤマトタケルは、天皇の拝命をまもり、京に入らず
伊勢に逗留し、長寿の景行天皇より先に寿命が尽きてしまいます。
これにより、日本書紀は、「最大限の悲劇のヒーロー」という描き方をし、
また同時に天皇の位が、大礁(成務天皇)から、小礁の子(仲哀天皇)へと
継がれた、日本書紀上初めての「飛び越しイレギュラー」を正当化させる
ワケだ。物語上は、この皇位継承に誰も文句がつけれない形にしたワケだ。
こういう、「理由付けという法則」が随所に満ちていて、「正しく成されて
来ましたよ」を担保し「正しく成されなかったからこの方はダメだったん
だよ」を逆担保しているのです。
634名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 09:17:47 ID:l6cGbHV50
 邪馬台国は、大和朝廷とつながりがあるのか、孝謙天皇が道鏡に皇位を譲ろうとしたとき
なぜ、和気清麻呂を大分の宇佐八幡に遣わし、御神託を確かめに行ったのか。
邪馬台国の東には海があり刺青をし、魚介類を獲っていた、その海の向こうにも倭人の住む地域がある
ということなんだが。
635名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 09:20:10 ID:/Dk9cjVN0
邪馬台国は我が国固有の領土である 中国より
636名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 09:20:30 ID:xhyuifke0
女王国は名古屋あたりだろ。
伊勢の赤福など女好みのお菓子だ。
女王の住まいには台風避けの囲いがあったらしいじゃないか。
昭和の時代にも伊勢湾台風という大きいやつが来てる。

マキムクは外人が幅をきかせていた植民地だよ。
637名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 09:22:13 ID:H09g0pQr0
お話的にはやっぱり宇佐説が一番納得できるんだよね。
本当に宇佐神宮掘り返したりできんもんかな。
638名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 09:23:41 ID:9xRy37qa0
>>634
つながりがあるかどうかは別にして、道鏡事件の場合は確か最初に道鏡を
天皇にせよという宇佐八幡の神託があって、それを確かめるために
清麻呂が派遣されたという流れだったはず
宇佐八幡は結構PR上手な神社で再々朝廷に色んな託宣をもたらしていたらしい
639名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 09:26:44 ID:iBju/NeDO
ヤマトは4世紀頃一度滅んだ。
チュンに貢いだのはそいつらで、
天皇家はヤマトが滅んだ後に日本を作った。
これなら良いだろ?
640名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 09:28:05 ID:QlP82Xzm0
託宣が言霊信仰時代では、可否判断の重要素材だったからね。日本書紀では、
(物語上とは言え)託宣に背いて朝鮮出兵を拒んだけで、仲哀天皇は、コロッと
ご崩御なされてしまうし。。。(ま、裏はありそうだけど;^^A)
古代〜中世にかけては、託宣はかなり畏れられていたんでしょうねぇ。。。
641名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 09:33:19 ID:kUrRlriR0
そもそも邪馬台国があったという証明を九州派と近畿派は協力して示す必要がある
642名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 09:36:48 ID:+65GhPe40
このネタってとんでもなく盛り上がるなww
643名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 09:37:57 ID:QlP82Xzm0
>>615
あ、長文モードでレス拾いきれず、すまん。権力が正統性を必ずしも担保する
とは限らないというのは理解できますが、少なくとも、その国の権力として
後世の国書としようとした記紀において積極的にその「権力の存在理由」でも
ある「国譲り」の方法論に、一箇所だけ大きい矛盾があると言うのはどう考え
ても疑問だと言ってるだけです。
対ニギハヤヒの場合の国譲りだけ「理由が無い」と言うのは、ニニギ以前を
「ニニギ以降の国体権力と同じ」とした場合、記紀上では、この矛盾が生じる
と言ってるだけなんですよ。
644名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 09:40:44 ID:roYphNMm0
てんてるだいじんが
ひみこ
どこもかぶってない
645名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 09:47:26 ID:QlP82Xzm0
>>615>>643続き)
この矛盾、わかっていただけるだろうか?例えば、このニニギの国譲りをOK
とした場合、明らかにニニギより格下の血脈地位の天孫が「おらもアマテラス
から命令されて来ただ!」と、東の熊野から、暴力的に「新たな国譲り」を
要求してきた場合、ニニギの子孫は、例え正しくアマテラスを祀り、そこそこ
正しい執政で正しい国を作っていて、天孫の血脈を守っていたとしても、
「譲らなくてはならない」と言う理窟になります。
国書が自分の権力を宙に浮かせてしまうような、そんな大矛盾を犯すで
しょうか?
646名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 09:53:09 ID:wXZZW1h5P
やまたい=やまと

語感的には大和王朝としか思えないんだけど、だったら近畿だよな
647名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 09:55:46 ID:0F/9tG3I0
>>643
いまいち理解できんのだが
ニニギからニギハヤヒまでの政権と
イワレヒコ以降の政権は
記紀においては別物だろ?
だってイワレヒコが初めて国を作ったんだから
つまり、それ以前のは国じゃないって言ってるわけ
それが記紀の立場でしょ
648名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 09:56:36 ID:er8EYVfC0
まず、文献で場所の特定が無理なんだよな。
かといって、巻向とかあの辺に大和朝廷の前身となるような集団があったのは間違いないにしても
だからって邪馬台国=大和ってするのは根拠が無い。
畿内派は距離や方位は疑うクセに、「記述の人口を許容できるような遺構が他にあるのか・・・」など人口は疑わない。
東に海を渡った先にも倭種が住んでる記述も信じるなら、畿内より九州・四国・淡路島ぐらいな方が考えやすい。
香具山はじめ畿内にも降臨神話があるにもかかわらず、高千穂→神武の東征東遷神話が建国神話になってるぐらいに
記紀成立時の日本では、九州から来た集団と畿内のニギハヤヒ集団が合流して大和朝廷が誕生がデフォだったんじゃね?

邪馬台国がどこにあったかなんてわかりっこないのに、邪馬台国=大和朝廷って結論ありきでしか考えず
それ以外を基地外呼ばわりする畿内派の論調って日本人の感性としては違和感を感じるね。
649名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 09:59:17 ID:0F/9tG3I0
>>648
その理屈は九州説を擁護できてない
畿内説への批判が全部九州説に対してもブーメランとなって返ってくるだけだ
650名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 10:07:52 ID:HJiv2v1DO
まだやってたのか!



俺はお前らが好きだぞ。
651名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 10:13:35 ID:ylfKUK8G0
まだやってたのか・・・

まえに岡山に住んでたけど、近所に卑弥呼の墓があったよ?
652名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 10:13:51 ID:b4D4xSLe0
まず
モモソヒメ=卑弥呼
というのは説得力がある
霊力は魏志倭人伝を彷彿とさせ
墓まである

モモソヒメの記述と古事記のアマテラスの記述には似通った部分がたくさんある

卑弥呼の世に皆既日食が2回もあり
その直後に没した

つまりモモソヒメ=卑弥呼=アマテラス

纒向の造営の年代と卑弥呼の年代とは一致する

ただし纒向が首長連合の宗教的都として選定されるには
それなりの理由があったはずで
そこの部分と神武東征神話とは関連があると考えられる
653名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 10:15:45 ID:KawNq6tf0
>>419
桓武のかーちゃんが百済八世とかわざわざ書いてるから
別物じゃないかという可能性のほうが極めて高い
654名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 10:21:00 ID:QlP82Xzm0
>>647
「記紀の立場では別物だよ」って、俺は最初から言っているのだが。。。orz

君が「一緒では?」と言い始めたのだよ? ↓ 以下参照

>521 :名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 06:35:31 ID:0F/9tG3I0
>>517
>ヤマタイ国が東征した、なんていうヘンテコリンな考え方ができるのは
>現代日本人だけ

>正しく理解するなら
>東征した勢力が邪馬台国の王権を簒奪した
>つまり、神武の前も邪馬台国、神武以降も邪馬台国

>民主党政権でも自民党政権でも日本は日本だろ、それと同じことだ

@簒奪で完全分断なら別物でしょ?→なら邪馬台国と大和王権も別物
A簒奪でなく「前体制」と共有する権威体系(アマテラス体系)を共有した
「後体制=ニニギ大和王権」が「国譲り」という方法論で「受け継いだ」と
するなら(実際はどうであれ)奇麗事が言える後の代の国書では「その国譲り
の方法論に従って譲り受けた」と表記されている筈。

でも、記紀ではニギハヤヒ→ニニギの時に「国譲りの法則」とは違ったやり
かたで受け継いでるよ?つまり、神武の前も邪馬台国、神武の後も邪馬台国
は、成り立たないと言う理屈になる。
つまり、@でもAでも、別物になるって言ってるのだが?

出雲の場合の国譲り:理由がある
熊襲や蝦夷の撃退 :理由不要
ニギハヤヒの国譲り:理由が無い
(理由不要なの?同じ神を持ち同祖で格上の血脈なのに)
になって、これは矛盾するって言ってるの。
655名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 10:23:34 ID:b4D4xSLe0
つまり神武東征は倭国大乱の頃のできごとで
これは中国との交易圏や鉄の利権を争ったと考えられる
(倭国大乱は九州北部や瀬戸内海を中心とした戦争)
それが神武東征神話に表れていると考えるとすっきりわかりやすい

倭国大乱(この時期にニギハヤヒの領地であった纒向は神武に相当する人物が制圧)
→纒向に都の造営+卑弥呼の時代
656名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 10:25:23 ID:er8EYVfC0
>>649
畿内の連中と違って「場所の特定なんて出来ない」が基本の俺は別に九州に固執しないぞw
単純にかんがえて、東(日の出の方向)に海(湖でも淡海でもない)を渡って倭種の住むクニがある。
も説明できないのに執着してエラそうなのは嫌いだけど、整合性のある話が見たいとは思う。

>>652
でも、マムコに箸が刺さって氏ぬなんてのは神話的に見ても好意的に見てもアマテラスの侍女レベルじゃね?
657名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 10:26:41 ID:szxLlv2G0
何で金印みたいな大事な物が志賀島みたいな辺鄙なとこから出土したの
658名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 10:32:39 ID:KawNq6tf0
>>656
一応、湖とかも可にしてやれよ、どちらにしても400km以上も東に船でいける場所なんて限られる。
九州説で考えたら、陸路重視じゃないと距離が九州では短すぎる割に
東にいく国には船を多様する疑問があるんだよな、陸路で十分だろ
659名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 10:35:37 ID:Qs+zEEL+0
国譲り神話のベースには、

友好的に併合。
対立して武力衝突。
友好的では無かったが圧力に負けて屈服

このぐらいのパターンが有るんじゃない?

出雲の神様は国を譲った後信濃に移り住んでいるみたいだが、
これは江戸幕府の国替えみたいなものか?

ちょっと不思議なのは阿波(アワ)で、阿波の神様は東に行って房総半島にもう一つ
安房(アワ)の国を作っている。同じ国名を2箇所につけられるなんて、
よほどの特権があったんだろうか?
660名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 10:43:15 ID:BCvtPHneO
>>656
> でも、マムコに箸が刺さって氏ぬなんてのは神話的に見ても好意的に見てもアマテラスの侍女レベルじゃね?

火の神を産んだせいでマンコ焼けただれて死んだイザナギさんディスってんの?
661名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 10:44:54 ID:BCvtPHneO
>>660
> 火の神を産んだせいでマンコ焼けただれて死んだイザナギさんディスってんの?

なにいってんだ俺

×イザナギさん
○イザナミさん

だよな orz
662名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 10:51:29 ID:JHTGnODpO
長い歴史で二回くらい同じことが起きても驚かない

クレオパトラが同じ手口でローマの男を垂らしこんだり
663名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 10:53:04 ID:er8EYVfC0
八幡ってのは面白いね〜
ヤワタ・ヤハタどっちの音で読んでも邪馬台の字が当てれそうだし
ハツマって音で読むならヅマ国も出雲で無く九州に納まる気がしてしまうw
664名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 10:56:04 ID:0F/9tG3I0
>>654
は?
俺は、記紀の立場に対しては、どちらかというと否定的な立場だが?
記紀は皇室に都合がいいように歴史を若干いじってるよね?って立場


@簒奪で完全分断とまでは断定してない
神武は天照の傍系なのかもしれないし
あるいは天照の系譜の連なる者を妻としたのかもしれない

Aたとえば後漢→魏は「国譲り(禅譲)」というスタイルを採っているが
現実は簒奪だったと考えられている
魏→西晋も同様だな?
実際問題、「簒奪」と「禅譲」なんてものは、境界線があいまいなんだよ

ならば、イワレヒコが暗に武力で脅して禅譲を迫った
ということだって普通にありえる

ちなみに、禅譲を受けた魏の曹丕も西晋の司馬炎も
国を譲り受けてるくせに、国を作ったと言ってるわけだが
665名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 10:58:11 ID:er8EYVfC0
>>659
出雲国風土記には国譲り神話が出てこない不思議。

>>660
そうか、マンコ焼けて死んだ国母がいたか〜
連想で引き篭もったアマテラスのせいで、裸踊りさせられたウズメは天孫の降臨時に道案内したサルタンの嫁になったの思い出した。
俺だったらみんなに裸見られてる女を嫁にするとか無理だなw
666名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 11:04:20 ID:0F/9tG3I0
>>665
>俺だったらみんなに裸見られてる女を嫁にするとか無理だなw

もしも及川奈央が俺に結婚してくれと土下座してきたら
俺は喜んで結婚する
667名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 11:07:37 ID:KawNq6tf0
>>666
裸を見られているぐらいどうでもないな。
お子様用ビニールプールで10年前までは子供は素っ裸だったろ
668名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 11:23:28 ID:vkQAVtoX0
今の天皇は福井出身の豪族が先祖
応神天皇の子孫とか書かれてるけど全く関係ないのは確実
669名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 11:47:10 ID:nM69l3Kn0
>>668
高野新笠がチョンじゃないっつーのよりは少し関係あるな。
670名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 11:57:40 ID:6aVXUAX5O
ここだけの話、卑弥呼はヤマタノオロチだったんだよ。
671名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 12:01:05 ID:1qUc6Koh0
>>670
ここだけの話にするのはもったいないので、親兄弟、親戚、職場の人、友人みんなに教えてあげなさい
672名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 12:04:04 ID:toR9cyeE0
>>646
大和でヤマトと読むのは当て字くさい
それより山門(ヤマト)が本来の場所くさい
673名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 12:08:26 ID:sE74nxt50
たかだか1700年ほど前のことなのに、他国の史書からしか存在すら分からないって言うのも
なんだか情けない事な気がする。
2600年は明らかに眉唾にしても、日本は歴史の長さが取り柄なのになぁ。
674名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 12:09:37 ID:0F/9tG3I0
>>672
大和と書いてヤマトと読むようになったのは後世の話

当たり前だが、卑弥呼の時代には地名や国名に漢字は当てられておらず
単に「ヤマト」とか「イズモ」とかいう音のみの名前が存在しただけです

だから、大和が当て字とかって議論は何の意味もない
675名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 12:11:03 ID:PYwr0p3O0
何故かは知らないが昔から出雲付近ってイメージがある>邪馬台国
676名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 12:13:55 ID:EXtqVFcK0
>>670
ドラクエ3かよ
677名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 12:14:19 ID:lDsVT+oLO
国内で邪馬台国という文字が出てこない限り真面目に検討する価値がない。
巍志倭人伝だけ追いかけても永久に答えは出ないよ。
678名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 12:14:40 ID:nHHkcowlO
>>659>>665
体制の中心にすえる神の交代の反映かもすれない。
記紀に国譲りがあって出雲風土記にはないのも中央の神の交代なら説明できる。
679名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 12:15:44 ID:+m2WQb+h0
>>673
紀元前から中国とも交流があり、漢字もかなり早くに入っていたと思われるけど、
日本の墓には墓誌が存在しないので、大王墓ですら比定するしかない

言霊信仰があって、口伝による伝承を重視したんだろうけど、残念
680名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 12:16:54 ID:vsv2JPPMO
>>1

ゴッドハンドの中じゃね?
681名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 12:17:42 ID:SpHf8MgUO
大和とかいてヤマトと読むのは正直違和感を覚える。
いつ定着したんだろう。
682名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 12:17:50 ID:BCvtPHneO
>>667
てか裸がタブーなのはセックスヘイトなカルトぐらいだもんな。
683名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 12:18:18 ID:nfjxc+O20
「北部九州〜近畿一帯に存在した」でいいじゃん
684名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 12:18:43 ID:LWYHNunWO
韓国にあったニダ
685名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 12:19:06 ID:nHHkcowlO
>>672
やまとは飛鳥時代以降、養徳国→大養徳国→大倭国→大和国
686名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 12:23:25 ID:KawNq6tf0
>>671
ドラクエ3の話を親戚友人にする奴ってマジゲーマー
687名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 12:24:58 ID:SKLcduDIP
>>673
>たかだか1700年ほど前のことなのに、他国の史書からしか存在すら分からないって言うのも
>なんだか情けない事な気がする。
1700年前のことが、自国の書物から解る国なんて世界でも片手におさまるくらいの数しか
存在しないだろ。
688名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 12:25:04 ID:D9PKacDj0
この論争って学者同士が解決などする気さらさら無いのでは。
畿内派、九州派のお互いがこれで盛り上がってライフワークにしてるし。
解決なんてしたらこれで飯食ってた学者が何もやること無くなる。
発見をというネタを出しては論争の繰り返しで注目されるし。
689名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 12:25:37 ID:SpHf8MgUO
隋や唐の時代に島だと認識されていたのは九州と四国で、
本島は半島か島かがわかっていなかったので島と呼ぶことは
なかったそうですけど。邪馬台国が島にある。という表記が
その時代の記録になされているならば、本島では有り得ない
ということです。
690名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 12:25:44 ID:F6u0OJjJ0
架空の出張報告に騙されている、に一票
691名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 12:26:02 ID:/QAW2G+I0
>>652
まるで説得力無いぞ、お前倭人伝読んだこと無いだろ。
692名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 12:26:14 ID:vbAZwC7m0
卑弥呼ならいま俺の横で寝てる。
693名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 12:26:24 ID:aqkSBiNT0
ぶっちゃけどこでもいい

と、思ってるやつは多いはず
694名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 12:26:37 ID:kAZ6rEHg0
ヤマタイ国って読み方が正しいかどうかもわからないよな
695名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 12:26:59 ID:nHHkcowlO
因みに、九州のヤマトで畿内のヤマトとの地名一致で有名な山門郡朝倉は、白村江の戦いの時に天皇が行幸し滞在した場所。
696名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 12:30:08 ID:XxxUjQyG0
>>560

君は、神話が8世紀の創作だったという観点が欠けている。

なんのために記紀が書かれたと思ってるのだ?

697名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 12:31:10 ID:ryC9XkAkO
>>681
記紀を見ると、倭や日本の字をヤマトに当てている。
ヤマトの邦名が先にあったのは間違いなく、
記紀編纂時点でもヤマトに大和の字を当てる約束にはなってなかった訳だ。
大和は大倭=オオヤマトから来てそうだが、倭をヤマトと読むのは古事記…
698名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 12:36:03 ID:kAZ6rEHg0
邪とか卑とかもっとマシな字なかったのか
699名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 12:37:21 ID:XxxUjQyG0
まず、アマテラスが7〜8世紀の創作。
だから、ニニギが、神武がというのは、全部創作。
ここをきちんと理解したまえ。

「出雲国造神賀詞」を読んでみたまえ。
ttp://www.remus.dti.ne.jp/~n-makoto/izushinto/shingashi1.html

これは、記紀が書かれる前から、出雲国造が朝廷に奉じてたものだ。
天皇が国を統治して、出雲の神が守護してることを語ってるが、
どこにもアマテラスは出てこない。

おかしいと思えるアタマがあるなら、
アマテラスは後世の創作だと理解できるはずだが。
700名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 12:38:11 ID:toR9cyeE0
魏志倭人伝に出てくる地名自体が、
対馬とか壱岐とか松浦とか北九州に集中してるんだから、
ヤマタイ(ヤマト)も九州の山門か山戸じゃないの
701名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 12:40:02 ID:SpHf8MgUO
>>700
勿論そうです。八女です。
702名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 12:40:48 ID:0F/9tG3I0
>>677
国内で邪馬台国という文字が出てくるはずがない

たとえば1000年後にアメリカで「アメリカ」と
カタカナで書いてある書籍が発掘されるようなものだ
703名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 12:41:13 ID:sE74nxt50
>>698
未知のバルバロイにはそういう字を当てたくなるもんじゃないの?
704名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 12:41:23 ID:0F/9tG3I0
>>681
平安時代以降じゃないの?
705名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 12:42:16 ID:kAZ6rEHg0
九州だな。半島からの近さから言っても。
706名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 12:45:00 ID:ph9WWqekO
九州説が学術会で少数派なのも納得だな。九州説は無学なアホしかいない…
707名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 12:45:31 ID:XxxUjQyG0
「出雲国造神賀詞」を読んでみたまえ。
ttp://www.remus.dti.ne.jp/~n-makoto/izushinto/shingashi1.html

高天原の最高神は、高御魂命であり、これはタカミムスビのこと。
もちろん、記紀にも出てくる。

記紀が捏造したことは、アマテラスを創出したこと。
みな、アマテラスを注目してるから、作戦は成功したわけだ。

なぜ、アマテラスを創出したかと言えば、記紀がかかれた頃には女性天皇が登場しているから、
女性が統治することの正当性を謳うために、女神アマテラスを皇祖神に設定したわけだよ。

こんなことは、文献学の常識中の常識。
誰か異論があるか?
708名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 12:46:59 ID:toR9cyeE0
九州説は地名っていう言葉の化石が根拠でシンプルだから、
幾内説みたいに小難しい理屈をこねくり回す必要がないだけじゃないの
709名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 12:47:26 ID:gmHT1zsqO
>>965
当時の天皇家は山門郡が邪馬台国の故地と知っていたんだろうな
710名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 12:47:47 ID:kAZ6rEHg0
機内説は屁理屈じゃないの
711名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 12:48:55 ID:SKLcduDIP
>>700
しかし、対馬とか末廬とか伊都とかの国々の地理的位置関係は「○里」と
表されていて、1日で到達可能な行程だと思えるが、投馬国と邪馬台国の2ヶ国だけは、
水行二十日とか、水行十日陸行一月とか、他の国々との位置関係とは明らかに異なる
記述を行っているんだから、北九州域内ではないと考えるのも不自然じゃない。
712名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 12:49:03 ID:WnOGjddWP
目玉焼きに醤油をかけるかソースをかけるかっていう
こだわりはあるんだけど実はどうでもいい答えの出ない話に似てると思うの私
713名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 12:49:04 ID:0F/9tG3I0
てか畿内って漢字を間違えてるやつ多すぎ
714名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 12:49:20 ID:IT9u9zfz0
田舎の方とか行くとたまに平地に丸い小さな山みたいのあるけどあれも古墳なのかな
715名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 12:49:49 ID:0F/9tG3I0
>>711
投馬国=出雲
邪馬台国=大和

だな
716名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 12:50:15 ID:IehLynjl0
>>688
もういまさら解決しました!っても「そうなんだ、へぇー」で終わるのわかってるからな。ネタ引っ張りすぎて徳川埋蔵金みたいになってしまった
717名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 12:50:21 ID:C18q4Upg0
>>699
つまり持統天皇と関係ありと
718名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 12:51:14 ID:gmHT1zsqO
>>709
安価ミス>>695
719名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 12:51:51 ID:SpHf8MgUO
ギの出張所が北九州にあるならその近所に倭の都があるのが
当然のように思う。
720名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 12:51:56 ID:kAZ6rEHg0
ヤマトって地名はあってもヤマタイって地名はどこにもないな
721名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 12:52:00 ID:ryC9XkAkO
>>699
銅鐸文化圏をほじくり返したって、日の神が出てくる訳がない。
あれは巨大鏡のことに決まってる。

…祝詞がどうしたって?
722名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 12:52:08 ID:OKm7FeaZ0
>>711
1300里はどうなった
723名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 12:52:52 ID:93pv/8GvO
実は凄い移動手段と統治能力があって
両方とも邪馬台国だったことにしちゃえよ
724名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 12:53:32 ID:QAeAHN+g0
もう、どこでもいいだろ。
なんで、こんなどうでもいいことに血道をあげるんだ?
725名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 12:54:56 ID:5K6Kukoz0
>>720
耶馬溪はあるな
近くには宇佐神宮がある
九州で天皇家と深い関わりがあるのはここ位じゃないか
726名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 12:55:03 ID:XxxUjQyG0
出雲について、素人の知らない、文献学の常識を教えてやろう。

まず、出雲の一番偉い神は、オオナムチでも大国主でも、スサノオでもない。
「出雲国造神賀詞」にもあるとおり、
ttp://www.remus.dti.ne.jp/~n-makoto/izushinto/shingashi1.html

「伊射那伎の日真名子加夫呂伎熊野大神櫛御気野命」
イサナギの子、「熊野大神」だと言っている。
もちろん、出雲国造も、最初は「熊野大神」を祀っていて、
7世紀頃から現・出雲大社の大国主を祀るようになった。
これは、出雲の文献学からわかる常識。

しかし、「熊野大神」は記紀では出てこない。なぜか?
すでに忘れられて、大和朝廷側では、どうでもいい神だった。だから省略した。
いや、もっと重要な神だったかもしれない。だから隠蔽したのかもしれない。

どちらにせよ、記紀は創作されたものということだ。

727名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 12:55:54 ID:kZWHWfwE0
邪馬壱国の読み方を考えてみたらいいんんだ
ヤマタイ、ヤマイ、シャマタイ、シャマイ…

そうだ、邪馬台国はジャマイカの事だったんだよ
728名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 12:56:31 ID:D9PKacDj0
歴史、全然詳しくないんだが文字も言葉も違う魏とどうやって外交したんだろうね。
729名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 12:56:41 ID:kAZ6rEHg0
>>725
やばけい?苦しいな
730名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 12:58:20 ID:ZYlH9TZp0
>>725
耶馬溪は、江戸時代に頼山陽がつけたと言われている。

だが、もともとも山国(やまくに)と呼ばれていた場所で、頼山陽がそれに耶馬とあてたものだ。
耶馬溪を流れる山国川は、英彦山(ひこさん)から中津(なかつ)市へと注ぐ川で
英彦山はもとは、「日子山」と書いた。

英彦山の近くには日田(ひた)市があるが、ここにおもしろい話がある。
神武天皇が東征へ出発したとされる日向だが、
今の宮崎を日向と名付けたのは、景行天皇が九州へ行った時と
古事記に書いてある。

では本当の日向はどこか。
九州で、「日向」とつく地名の一覧
http://www.hisatuhime.com/1-himuka.html
宮崎県には、延岡と日向市の2ヶ所しかなく、
九州北部に集中している。

「日向」とはその名の通り、日に向かった所。
これらの中心に日がある
と考えると、それらを線で結ぶと大分県の日田が浮かび上がる。

日向は古くは「ヒムカ」と読んでいたが、卑弥呼を「ヒミカ」と読んで
これと結びつける説もある。

さらに日田は、宇佐・中津と隣接している。
http://travel.rakuten.co.jp/group/hojintiku/prefecture/images/Oita_x.gif

宇佐神宮は神道のルーツとも言われ、卑弥呼の墓説まであるところ。
そして中津だが、天孫が降臨した豊葦原(とよあしはら)の中国(なかつくに)こそ、
この豊前の中津ではないかという説もある。
大分の旧国名、豊を、卑弥呼の後継女王・トヨと関連させる人もいる。
731名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 12:59:24 ID:rGUAoaAQi
卑弥呼は倭の女王な。
晋書にあるように、公孫淵の支配下にあった。西暦238年時点での倭の本拠地は、朝鮮半島。
732名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 13:00:47 ID:CfvL+qf00

【言語】“罵る言葉”が非常に少ない日本語は物足りない(笑) 「我孫子」や「操」の中国語の意味は…宋文洲
http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1219410036/
733名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 13:01:00 ID:kAZ6rEHg0
日本は山が多いもんね。海に囲まれてるけど。山の人でヤマトなんじゃ。
734名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 13:01:27 ID:rGUAoaAQi
つまり邪馬台国は朝鮮半島にあったということになる。
735名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 13:02:03 ID:D9PKacDj0
素人的には邪馬台国っていうこの当て字は
ヤマト大国かヤマト大連国なんてのが一番自然だ。
736名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 13:03:49 ID:EXtqVFcK0
豊前地域にも京都と書いて、みやこって地名があるな。
737名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 13:06:55 ID:XxxUjQyG0
出雲について、素人の知らない、文献学の常識を教えてやろう。

出雲は、もともと、東西で2つの別のカミを祀っていた。
西の杵築のオオナムチと、東の意宇の熊野大神だ。
杵築、意宇は地名。
ここまで知ってるやつがこのスレにいるか?

出雲国造の祖は、もともと、東の意宇の熊野大神を祀っていて、
6世紀頃に東の杵築を掌握して出雲国造となった。
そして、大国主を祀るようになった。
今の出雲大社当主「千家」はその子孫。
「千家」の祖神は、アメノホヒといい、記紀ではアマテラスの子孫なはずだが、
「出雲国造神賀詞」には、アマテラスは出てこない。
天皇と同じくアマテラスの子孫なら、誇らしく喧伝するはずだが、そうしないのは、
アマテラスが創作されたものだからだ。

しかし、出雲国造は、大和朝廷側の支配者として、出雲西側を征服した。
こう書けば、アタマの良いやつなら、
「出雲の国譲り」が出雲国造が出雲を完全支配した理由付けの創作だと理解できるだろう。

738名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 13:08:33 ID:kAZ6rEHg0
そういやナムチって語感は朝鮮っぽい
739名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 13:10:02 ID:0F/9tG3I0
>>737
>天皇と同じくアマテラスの子孫なら

そもそも天皇が天照の子孫ではない
740名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 13:10:58 ID:N9po5dZC0
ナムルとキムチ、合わせてナムチか・・・。
741名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 13:11:52 ID:KawNq6tf0
>>738
〜ムチ、〜イとかそこら辺の言葉はモンゴル発。
742名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 13:12:31 ID:RNfiSl9U0
徳島じゃねえの?
卑弥呼の墓があるんだよね。
743名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 13:12:49 ID:afFKhSbF0
邪馬台国自体はどうでもよくても、大和王朝と関わってくるとなると
話は違ってくるって事でしょ?
要するに、魏志倭人伝をいくら読もうが無駄。大和王朝の遺跡から
邪馬台国の証拠になりそうなものが出てこない限り、どこにあろうが
どうでもいい話。
744名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 13:12:55 ID:XxxUjQyG0
神武東征がウソだということは、記紀からバレている。

神武はアマテラスの子孫だとか言って、大和の初代天皇になったが、
そもそも、天孫降臨したのは九州のニニギ。

なぜ、ニニギが初代天皇ではないのだ?
九州から大和に東征したからといって、血統が続いているなら、
初代天皇はニニギとすべきだろう。
首都が変わったからといって、初代が変更になるような王朝は聞いたことが無い。

つまり、ニニギや神武が実在の人物だとしても、
九州と大和の王朝(血統)のつながりはなく、
神武東征は創作なのだとハッキリわかるわけだ。
これも、文献史学の常識。
745名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 13:13:58 ID:XMQNOVLB0
>>737
>ここまで知ってるやつがこのスレにいるか?

大量に居ると思うんだけど・・・?特に島根県出身者なら常識レベル。
746名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 13:16:04 ID:sE74nxt50
天皇家的にはどうなの?
ご先祖様だと困るの?
747名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 13:19:07 ID:XxxUjQyG0
アマテラスがウソなら、スサノオもウソ。

ttp://www.remus.dti.ne.jp/~n-makoto/izushinto/shingashi1.html
出雲国造神賀詞には、スサノオは出てこない。

出雲風土記にさえ、「オオナムチはスサノオの子」という言及は無い。
これは、まったくの別神だったのを、後から関係あるようにくっつけたもの。

アマテラスを皇祖神と創作したように、
出雲の最高神をスサノオと創作したわけだ。

もともと、アマテラスは天皇の祖神ではないし、
出雲の最高神もスサノオではない。
出雲国造も、スサノオとは無関係。

これだけの事実があるのだから、アマテラスとスサノオのウケイも創作。
邪馬台国とは何の関係も無い。
もちろん、アマテラスが卑弥呼なんてことはありえない。

748名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 13:22:22 ID:N9po5dZC0
>>744
神武東征は間違いなく創作だろうね。
あの時代にそんな遠征できるわけない。
749名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 13:24:47 ID:teUy1snE0
>>747
出雲国造神賀詞では、高天原の最高神はタカミムスビで
大八島を治めるように指示したのが「皇御孫命」になってるから
いわばアマテラスもスサノオも含んだ総称で表現してある。
750名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 13:26:39 ID:C18q4Upg0
>>748
九州支配の根拠付けって考え方はある
事実かどうかは不明として、日韓同祖論をもちいて半島を併合したこともあっただろ?あれと同じ
751名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 13:27:26 ID:xZcNRKXU0
記紀の話だと、高天原からやってきた天孫系の行動って、なんか変だよね。
出雲にやってきて、「この場所は天孫が治めるのにふさわしい場所だから、
お前ら死の国へ行け」といって、出雲を奪い取っておきながら、「住むのに
ふさわしい場所を探す」とか言い出して九州の日向まで行ってしまう。
ところが、ほんの数代後の神武が「ここは国を治めるには西すぎる」とか言い出して
東に行きだす。

お前ら、奪い取ったはずの出雲はどうしたんだよ。
752名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 13:27:28 ID:0F/9tG3I0
>>744
血のつながりがないのは客観的に読めば分かるが
血のつながりがないから創作だと決め付けるのは暴論
753名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 13:27:59 ID:SKLcduDIP
>>744
ににぎのみことが初代の天皇ではないなんてのは、別に不思議なことじゃないと思うが?
東征を開始したのがににぎのみことで、東征を完成させたのが神武だとすると、
最初に帝位についたのは神武だろうから、ににぎのみことは帝じゃないだろ。
中国の清朝でも、最初に帝を称したのは二代目のホンタイジからで、初代のヌルハチは
生前にに帝位についたことはなかった。それと同じ。
そんな例は古今東西の歴史に数知れず存在することだ。
754名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 13:29:52 ID:0F/9tG3I0
>>748
ほぼ同じ時代に曹操はもっともっと広い世界を遠征してるんだが
755名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 13:32:04 ID:CfvL+qf00
756名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 13:32:17 ID:ZxuTyJL20
九州の古代史ヲタだが、熊襲(クマ≒領域外の意)は中南九州であって
大分、豊前、北九・宗像なんかは瀬戸内文化圏だろう、この瀬戸内を大動脈として海運を牛耳ったのが
海人族であり当時の最大勢力、瀬戸内の高地性集落の出現期に出張った?東征?それは知らん
ちなみに出雲で発掘された人骨は上腕骨が異様に発達した海人特有の者だったらしい
それから九州北部は卑弥呼の版図で間違いない、が福岡・佐賀・長崎・大分・熊本北部に邪馬台国は無いと断言する
卑弥呼は機内にいた、これはこれはほぼ確定している
大体、2万余の大国奴国でさえ王すらいない(金印隠してどっか逃げた?)悲惨な状況だったんだぜw
のに北部九州にナコクの他に5万と7万の有する国を比定するのは常識的に不可能、宇佐なんか後世の新参渡来と土着の融合で
栄えた場所だろう、よって九州外に求めるなら何処でもイイ、今のところ機内が有力だから俺も乗っかるw
757名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 13:33:43 ID:i1kWvXEh0
>>649
ブーメランにはならない。
魏志や古事記をそのままに読んだら天皇家の成立は
皇紀2670年か、大化の改新のどちらかしか有り得ない。
「3世紀に天皇家の前身である邪馬台国が成立していた」
この、畿内派の主張は、完全な創作で、天皇家の公文書に
邪馬台国の記載は無い。
天皇家自身が関係ないものと明言しているものを、
畿内派の学者は無理やり結び付けるという捏造をやっている。

758名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 13:33:54 ID:1DRd4O/C0
魏の書物の通り今は海上にあたる場所にあったんだよ
759名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 13:33:58 ID:vAMkxFJ/0
>医学的には、韓国人、タイワン人、日本人の中で日本人が最も単一民族に近い。
>単一民族であることを誇る朝鮮民族は2番目、タイワン人は3番目に‘純粋な血統’である。

>日本民族は、北海道から沖縄にいたるまで、ことゲノム遺伝子に関するかぎり、驚くほど等質(遺伝的に同じ)である。
>アイヌの人々も、その遺伝子構成において、一般日本人とほとんど変わりがない。
>他の日本人集団といくぶん相違を示すアイヌと、沖縄・宮古の人々とがまったく等質である。
>この日本の両端に位置する二つの集団は、日本の一般的な集団に比べて、より強く、北方型蒙古系民族の特徴を示す。
>日本民族は、北方型蒙古系民族に属し、そのおおもとの起源はシベリアのバイカル湖畔と推定できる。

>D2系統はアイヌ人88%、沖縄人56%、本土日本42〜56%(参考までチベット33%)で、
>韓国ほぼ0%である。アイヌにはアジア主流のO系統は無く、完全なD系統であり、
>本土日本人と沖縄人にはO系統が混ざっている。それでも本土日本人のD系統は半数以上である。

>つまり事実上アイヌと本土日本人は大差がなく、アイヌにアジア主流のO系統を足したのが本土日本人となる。

結論として日本人は基本的に共通して、アイヌ人〜本土日本人〜沖縄人までD系統(北方古モンゴロイド)がベースになっており、
>日本人3集団が持つD系統を持たない韓国人は赤の他人と結論できる。
*中国人にもDD系統は無いので赤の他人


Y遺伝子の分布

http://maokapostamt.jugem.jp/?eid=3760
http://maokapostamt.img.jugem.jp/20071222_71597.gif
http://www.familytreedna.com/pdf/Karafet_et_al.1997.pdf
760名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 13:34:01 ID:SKLcduDIP
>>748
>あの時代にそんな遠征できるわけない。
「できるわけがない」という根拠を示してくれよ。
761名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 13:35:57 ID:JHTGnODpO
神武は連れて来られた
と前から思ってた
が、東征はあったんじゃね?


瀬戸内海ルートは敗北
代わりにハンニバルよろしく紀州ルート

だから負けたほうは傀儡を作る必要性が出る

神武が死んだ後に最初のお家騒動があったはず
762名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 13:36:32 ID:AIcmGz0W0
奈良ってのが常識だけど、東大でディベートのために、北九州説vs奈良説で議論させたら、馬鹿が勘違いして
北九州説に飛びついただけって、それが発端って聞いたんだが
763名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 13:36:38 ID:0F/9tG3I0
>>757
馬鹿すぎる
何も基盤がないところに突如政権ができるのか
764名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 13:36:48 ID:xZcNRKXU0
>>746
九州説の発端が、本居宣長の「偉大な天皇家が、中国に朝貢みたいな屈辱外交
するはずがない。だから、邪馬台国が天皇家と繋がりがあるはずがない。よって、
邪馬台国は九州の片田舎にあった小国に過ぎん」という国粋的な発想なんで、
多少は天皇家的に「中国の下」という立場になる関係で困ることはあるかもしれん。
765名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 13:37:02 ID:BCvtPHneO
>>757
> 皇紀2670年

ずいぶん新しいなおい。
766名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 13:37:40 ID:teUy1snE0
>>757
>邪馬台国の記載はない

邪馬台国=ヤマト国だわな。
767名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 13:38:51 ID:SKLcduDIP
>>757
>完全な創作で、天皇家の公文書に邪馬台国の記載は無い。
公文書に記載がないことをもって畿内説を否定するなら、
九州説はどんな公文書の記載を根拠にしてるんだ?
768名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 13:40:31 ID:FC52nVgj0
>>765
コーヒー吹いたw

皇紀2670年って今年だなwww
769名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 13:42:26 ID:vAMkxFJ/0
>アイヌの人々も、その遺伝子構成において、一般日本人とほとんど変わりがない。
>他の日本人集団といくぶん相違を示すアイヌと、沖縄・宮古の人々とがまったく等質である。
>この日本の両端に位置する二つの集団は、日本の一般的な集団に比べて、より強く、北方型蒙古系民族の特徴を示す。
>日本民族は、北方型蒙古系民族に属し、そのおおもとの起源はシベリアのバイカル湖畔と推定できる。

ゲノム的に北ほど古代日本人の遺伝子に近く
本州では畿内地域が一番混血していて古代に滅んだ中国の湖南省の民族と同じゲノムを少数だが受けついでいる
という遺伝子科学の結果から見ると九州よりも畿内地域の方が早くから中国と関わりがあったと思う

では卑弥呼はというと彼女は巫女だから出雲の国に居たとしても不思議ではないが
一つの疑問は何故彼女の居た邪馬台国がたかが数十年で奈良の朝廷に都を移してしまったかだよな
そして何故畿内人のほうが混血度が高いのかだよ
770名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 13:43:46 ID:ph9WWqekO
やっぱり九州説のウリナラファンタジーはアホ専用の夢だな。なにも出てこないわ。なにも
771名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 13:44:11 ID:Lyn2dPQA0
>>767
畿内に大和朝廷とは無関係の邪馬台国があった
という畿内説ならOKってことじゃね
772名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 13:44:24 ID:XxxUjQyG0
神武東征が事実とか言ってる人は、
神武が「九州で一番繁栄していた博多に宮を置かなかった」ことをどう解釈するのかな?

東征のために軍を整えるなら、博多に向かうはずだか、
北九州市止まりで、すぐにキビに向かっている。

よく解釈して、神武は貧乏な田舎武士だったから、都会にいっても武器を整える資金もなかった、
博多にあったはずの先進国の奴国の援助も得ることが出来なかった、
つまり、神武東征は大軍による大規模遠征ではなかったということだな。

その程度の少数部族の移動なら普通にどこでもあったことだ。

773名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 13:45:18 ID:YJAOhHgi0
じゃまだからどこにあったかたらいまわしなの?
774名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 13:46:15 ID:0F/9tG3I0
>>771
血統的なつながりがないことを無関係だと言うのなら無関係ってことになるんじゃね?
ただし、卑弥呼の王朝も大和の国の王朝であり
神武の王朝も大和の国の王朝だ
775名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 13:47:12 ID:SpHf8MgUO
卑弥呼の亡き後内乱が起こるが卑弥呼の親族の13歳の娘
台与=壱与が内乱を鎮め君臨した。
邪馬台国は与馬台国、または与馬壱国。
この台与の末裔が筑紫君磐井である。
776名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 13:47:19 ID:vAMkxFJ/0
>>771
逆じゃね?畿内にあったほうが朝廷とは関係の無い巫女や古代信仰の宗教国家なんじゃ?
だから奈良の朝廷は九州を大宰府として宗教的なお伺いをたてたりしてたとかなら説明が付く
要するに中国人の記述が曖昧って話でもあるけど
777名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 13:49:31 ID:er8EYVfC0
>>689
倭人伝とかの地理を大枠で信じるなら「南と東に海がある場所」が最低条件だよな
778名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 13:50:11 ID:BCvtPHneO
>>728
そりゃ「通訳」ぐらいいる。
「じゃあ一番最初はどうすんだよ」って話なら、

1.友好的な態度で接しに行く
2.すると現地人は「お前は誰だ」と言う
3.訪問者は「お前は誰だ」と言う言葉を知る
4.その言葉で質問責め

または

1.土などに、意味不明の得体の知れない模様を描く2.現地人は「これはなんだ?」と聞く
3.以下同じ

みたいに取っ掛かる。
779名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 13:50:37 ID:0F/9tG3I0
>>777
南に太平洋、東に伊勢湾がある
780名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 13:50:47 ID:XxxUjQyG0
7世紀の事情で言えば、
壬申の乱のときに、大友皇子が筑紫に挙兵の要請をしたが、
筑紫は、九州の防衛のために兵は出せないとつっぱねた。

九州から兵を出すのが補給も含めてどんなに大変か?
歴史上も、九州から大軍の兵が西に動いたことはありません。
国家が一体となって、朝鮮出兵したときくらいだろ。

神武東征は、そうした軍の常識を知らない役人が机上で創作したものにすぎない。
781名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 13:50:56 ID:CfvL+qf00
【研究】日本のイネ・ジャポニカ米 中国ではなく「南に源流」 遺伝子研究で解明
http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1215402716/
【歴史】淡路島で発掘。弥生時代の鉄製品加工拠点みつかる。国内最大級
http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1232689257/
【遺跡】新潟に国内最大級の製鉄遺跡、奈良時代から長期存続か
http://news19.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1093466498/
歴史・文化遺産】柏崎市“隠ぺい”図る?国内最大級の製鉄遺跡【新潟
http://news19.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1095557837/
【柏崎市】国内最大級の製鉄遺跡 「なかった事として産業団地造成構わない」
http://news16.2ch.net/test/read.cgi/dqnplus/1095574202/
【歴史】「蝦夷の地」に争乱の世紀 鉄やじり、縛られた人骨出土
http://news13.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1083765350/
【考古学/ぬこ】古墳時代にネコ渡来? 須恵器に足跡 奈良時代渡来の通説を覆す可能性も 兵庫・姫路市見野古墳群
http://news22.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1188880441/
【海外/研究】日本猫は欧州に近い? 世界1万1000匹のDNA解析
http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1201940914/
【サイエンス】オホーツク人DNA解読 北大研究グループ アイヌ民族と共通性
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1245293425/
【沖縄】石垣島で国内最古 旧石器時代、2万年前のヒトの骨
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1265304347/
【日韓】 百済の木製品の材料が日本産、なぜ?★3[02/16]
http://yutori7.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1266361368/
782名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 13:51:46 ID:8uVzkrfY0
魏志倭人伝をちゃんと翻訳できる奴はいないのか。今時の中国にしたって、外来のものはとんでもない当て字だし
コンパスもないのに、うっそうとした列島を旅するって、西も東も正確にわかるわけないだろ。
邪馬台国にしても卑弥呼にしてもとんでもない当て字だろう。
783名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 13:52:23 ID:xZcNRKXU0
>>772
ただ、天皇家の祖先が日向出身ではあるんじゃないの?
記紀の記述もそうだし、海幸・山幸伝説やイワナガヒメとコノハナサクヤヒメの伝説は、
東南アジアやミクロネシアなどに広く分布する伝承の一形態といえるし。
海幸・山幸伝説は、天皇家の祖先による九州地域の征服を示すものだろうけど、
伝承では東征より前に山幸による海幸征服があるんだし。
784名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 13:52:42 ID:SKLcduDIP
>>772
>九州で一番繁栄していた博多に宮を置かなかった
俺は「東征が事実だった」なんて主張するつもりはないが、
博多には宮が置かれていたんじゃないか?
後の大宰府を「遠朝廷(とおのみかど)」と呼んでいることから、
首都に相当する場所だったことはうかがえるんじゃないか?
785名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 13:53:57 ID:UmWDLlOs0
〜 〜 〜 〜 ,ヘ、〜/              ┃           /ヘ   /
〜 〜 {ヽ_ /  {_/              ┃    「対馬国」 ▲/ /
〜 ヘ/      ★末盧国         ┃          ∠ノ / ニイガタ
/ヘ~                        ┃             /
                           ┃ 「一大国」      /
          _ |ヽ■伊都国       ┃      /▲フ   /
       /ヽ/ |/ |       伊吹山  ┃      | 「 /
      |      ヽ ★奴国       ┃      | |__/
       ヽ,  水行 ヽヘ  ★不弥国  ┃     /   トヤマ
       |      ↓ /           ┃ ↓  / カナザワ
     ┌ '        ノ          ┃ ↓ /
    /        ノ           ┃ ↓|フクイ
   丿      ノ ^’            ┗━━━━━━━━━━━
  |_ 水行↓,/
  /  _/ヘ/▲投馬国
  | |    \                   末盧国・・・敦賀市
 /  >   天 \                伊都国・・・旧伊香郡高月町
/  /     安 \               奴国  ・・・長浜市
\ |        川               不弥国・・・米原市
  ∨             ☆呼邑国    
                           投馬国・・・野洲市・守山市
       邪馬国 ☆  天        
               岩 ☆為吾国    邪馬国・・・旧信楽町
             戸             呼邑国・・・甲賀市
                           為吾国・・・伊賀市
            ☆巴利国        巴利国・・・名張市
      ☆烏奴国               烏奴国・・・宇陀市
  ☆奴国                    奴国 ・・・奈良盆地
786名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 13:54:45 ID:SpHf8MgUO
日向とは博多と糸島の間に位置した日向峠。
787名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 13:55:14 ID:QWiYQEmj0
大和国の姫皇女が統治する国を中華思想で表現すると
邪馬台国の卑弥呼になる。
788名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 13:55:24 ID:toR9cyeE0
もう面倒くさいから、
安彦良和のナムジと神武が正史ってことでいいよ
789名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 13:55:52 ID:0F/9tG3I0
>>780
九州から大軍が西に動いたら済州島だな
790名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 13:56:54 ID:teUy1snE0
>>772
神武の時代、それが紀元前とは思わないが、2〜3世紀のこととして、
当時九州で博多がもっとも発展していたなんてことないと思う。
おそらく古代の九州でもっとも発展してたのは南九州では?
791名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 13:57:21 ID:4AnubVKVO
唯一発掘の手が及んでいないドナウ川流域に邪馬台国があったと私は考えています。
792名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 13:58:39 ID:vAMkxFJ/0
>>774
自分も実は二つの朝廷があって
九州のものは巫女や古代宗教の支配する宗教国家で
奈良に在ったのは文化や農作中心の集権国家なんじゃないかと思うね

稲作にしても吸収の米の起源の元になっていたのは中国雲南省といわれてきたが
肝心の雲南省では米の起源を4400年以上起源が遡れない上に
岡山県で6000年前の陸稲(熱帯ジャポニカ種)のプラント・オパールが次々に発見されたから九州伝来説は曖昧なんだよね
中国で一番古い湖南省で1万年以上前に遡る稲籾が続々と発見されていて
そしてここが肝心なんだが、人間のゲノム遺伝子の中で湖南省の中国人の遺伝子がちらほら混ざっているのは関西人なんだよ
今の漢民族とは別なのに、古代中国人の遺伝子が関西に多く残っていて
稲作の中国の歴史が古いのもその湖南省だって言う不思議な合致がある
だから今は九州が日本の稲作発祥の地というのも怪しい気がする
793名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 13:59:40 ID:L2ScNlWK0
白村江の戦いを日本がなんでやったか考えたらわかってくるよ
耶馬『壱』国は九州か出雲の王朝
大和政権は都合の悪い歴史は全部消してるのが史料からも明白
794名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 14:01:06 ID:UmWDLlOs0
795名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 14:01:11 ID:18GGPJ+A0
九州って、軍事力で中央へ出ることがけっこう起きてるね。
神武や、明治維新だけじゃなく、
平家も、木曽義仲に追い出されて、いったんは落ち延びるけど、
九州山口の兵力を集めて、もう一度京都まで迫ってる。
足利尊氏も、地元の関東に帰らず、
九州で兵をあげて、再興した。
796名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 14:01:32 ID:r1TUp6xEO
もう岡山あたりを中心に九州から近畿まで広がっていたという事でいいよ。
797名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 14:01:45 ID:SKLcduDIP
>>780
>歴史上も、九州から大軍の兵が西に動いたことはありません。
足利尊氏は?
湊川合戦の時には九州から攻め上っているけど?

>国家が一体となって、朝鮮出兵したときくらいだろ。
東征も国家が一体となって攻め上ったんだろ。
798名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 14:02:38 ID:er8EYVfC0
>>682
とはいえ、岩戸の話の筋としては「お立ち台の上で裸踊りとかありえね〜www」だよな

>>666
ストリッパーを嫁にするのが嫌な俺からすると、まぐわう姿までもを晒しまくっててもOKとか男前すぎるわ
野村のよっちゃんと呼んでやるw
799名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 14:02:58 ID:CfvL+qf00

【考古学】卑弥呼宮殿の一角か 特異な張り出し柵や建物跡出土 奈良・纒向遺跡★2
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1237824846/
【神奈川】 古墳時代のおにぎり弁当!? 港北ニュータウンで発掘 エックス線解析で判明
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1260492491/
【出土】デタワァ*・゚゚・*:.。゚(n‘∀‘)η゚・*:.。゚゚・*
http://news2.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1062538127/
【社会】縄文晩期にクリ栽培か…奈良・橿原の遺跡に切り株25本
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1267200747/
【遺跡】縄文時代のドングリ貯蔵庫を発見 奈良…数百個保存 冬の保存食用 [08/07/12]
http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1215870000/
【文化】縄文晩期に『戦争』?〜高知県で出土の人骨に矢や刃物のキズ 
http://news.2ch.net/newsplus/kako/1016/10165/1016543081.html
800名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 14:03:38 ID:sE74nxt50
>>793
日本書紀に少しだけ書かれているのではなかったっけ。
801名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 14:04:15 ID:UmWDLlOs0
対馬経由で朝鮮半島にわたるルートは、距離こそ短いけれど、
潮流が速く、また天気が急変しやすいので小型の船舶では非常に危険なのです。
現在は、気象レーダーや気象衛星の情報により台風や低気圧の接近をいち早く知ることができるけれど、
卑弥呼の時代よりずっと下った遣唐使も遣隋使でさえ、よく遭難しました。

そこへ行くと日本海ルートは、風向きが安定しているので、春から夏場にかけて東風に乗って大陸に渡り、
冬になって西高東低の気圧配置が強まる前に西風に乗って帰国するという風まかせの航海が可能だったのです。
渤海との交流は、この風を使って行っていたし、このルートで魏に使いを送ることも可能だったはずです。
802名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 14:07:04 ID:vAMkxFJ/0
>>793
都合がいいとか悪いの問題じゃなく
その頃の日本の国家の間では滅ぼしてしまえば自国なんだから当たり前じゃね
どうも最期の一行は中国人が日本人に尖閣返せって言うのと似てる気がするがなあ…うーん

まあ自分は稲作九州発祥説はもはや無いと思ってるからゲノム的に見て
耶馬『壱』国は九州か出雲の古代宗教の巫女国家
奈良の朝廷は湖南省から入ってきた文化を力にした中央集権国家で
自然と文化の発展の濃い奈良の方へ中心が移って行ったと考えている
でもって当時の中国の文献はブラックボックスに手を入れて考えた範囲の情報でしか無いと思う
遺伝子的に見て日本は北から入ってきた民族に本州の何処かで中国からの別の遺伝子が混ざり込んで出来たものだから
2次的には混ざった度合いの濃いところの歴史が原型の遺伝子の次に古いと考えるのが妥当
803名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 14:07:07 ID:sE74nxt50
>>764
なるほど、なんかそれはそれでおかしな理由だけれど、天皇原理主義者的な人は
やっぱり困るんですね。
804名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 14:09:28 ID:toS5ZzqTO
>>763
お前バカすぎ、創作なら出来るぞ
805名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 14:09:28 ID:teUy1snE0
邪馬台国=ヤマト国で、
卑弥呼=ヒノミコ=斎王のことでしょう。

わざわざヤマト王朝から切り離す意味がわからん。
806名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 14:11:03 ID:toR9cyeE0
昔読んだ短編集(偽史日本伝とかそういうタイトル)で、
日本人ってのは昔から流行に敏感で流され易いから、
奴国が中国から金印貰った時はアチコチに奴が付く国が出来たし、
邪馬台国がトレンドになったら新邪馬台国とか帰って来た邪馬台国とか出来て、
どれも正解なんですってのがあったのをうろ覚えだけど覚えてる

それでいいじゃん
807名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 14:11:29 ID:KawNq6tf0
口が裂けるほどいってるが、パズルのピースが揃ってないんで
相手の説を全否定はやめろよ?w

どうがんばっても両方の説で結論でないんだから。
〜が有力ぐらいでとめとけ
808名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 14:11:52 ID:Q5eYXOPj0
ダイヤモンド映像は倒産したよ
809名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 14:12:24 ID:5nOyHxtr0
>>801
遣唐使のときは、朝鮮と険悪で通れなかったから
直接、中国へ向かった。
だから遭難が多かった。

>>785
魏の使者は、九州じゃなく、敦賀に上陸した説か。

そこから南へ水行10日陸行1ヶ月、
邪馬台国は九州だな
810名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 14:12:56 ID:rw74Fpl+0

宇佐八幡の比売大神(ひめおおかみ)が卑弥呼なのでは
811名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 14:13:09 ID:C18q4Upg0
>>802
出雲吉備は無視か?
帰化人が多く流入してきたルートで、
海路をとれば大和地方にも近い
昔の大阪は太子の時代でも今の天王寺あたりが港、それ以前なら生駒の麓近い八尾あたりか
812名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 14:15:14 ID:w83HkKGbO
>>756
とても詳しそうなので聞きたいんだが、
相島の積石遺跡群はなんなんだろう。
813名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 14:15:18 ID:UmWDLlOs0
>>809
>水行10日陸行1ヶ月
もちろん数字は法螺ですね

その法螺を信用して南へ周って上陸したのが
「天孫ニニギ」=帯方郡を治めていた公孫氏。

だとしたら?
814名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 14:15:50 ID:SpHf8MgUO
倭の王はある時期に福岡から大分中津、宇佐へ移った。
815名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 14:15:53 ID:toS5ZzqTO
邪馬台国=山大国
ヒムカ=ヒミコ
邪馬台国=大和=山門=山都
畿内派は、学者の銭確定に釣られている馬鹿ぐらいしかいない
816名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 14:16:01 ID:2qd256OZ0
間をとって函館でいいだろ
817名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 14:18:25 ID:teUy1snE0
>>815
それを唱えてる学者を紹介してほしいくらいw
佐賀短大のあの先生でもそんな主張しないだろうw
818名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 14:18:37 ID:0F/9tG3I0
>>798
ちなみに萩本欽一の嫁はガチでストリッパーだったんよ
819名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 14:19:49 ID:0F/9tG3I0
>>802
当時の日本に国家という概念はないのだから豪族とか勢力という言葉で言い直せ
820名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 14:20:17 ID:XxxUjQyG0
>>784

神武がどこに宮を置いたかは、ググればすぐにわかる。

君の言ってるのは、ずっと後にできた大宰府のことだよ。

よく言われる地名の類似も、大和の役人が九州に行ってつけたもの。
その証拠に、三輪がある。
三輪は、あきらかに大和の地名である。
これを九州発祥というのは、さすがに朝鮮ミンジュクと同じ思考としか思えない。

821名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 14:20:35 ID:0F/9tG3I0
>>804
は?大和朝廷は創作なのか
822名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 14:20:51 ID:vAMkxFJ/0
弥生人は酒に弱く縄文人は酒に強い傾向があるのは
渡来した中国南部の古代人が酒に弱かったせいだといわれていて今研究中だろ
だとしたら酒に強い九州人が弥生文化としては薄い民族だと言えるから
弥生の文化の発生は古代米が発見されていて尚且つ酒に弱い岡山だと言うのが理論上も当っているかも知れん
だとしたら米の渡来と文化の中心は関係がなく
縄文人の資質が多い九州人のゲノム的にみて、古代宗教国家が九州にあったというのはありえるし
その後最も弥生文化の花咲いた奈良方面に渡来人の文化中心の仏教国家が出来たというのも自然な流れかも知れん

>>809
敦賀に行けばわかるけど非常に大型で顎の骨格の長い中国の古代人の特徴を受け継いでる人が多い
明らかに本州の他の地域とは違う特徴でここにも酒に弱い人の遺伝子集団が存在する
ここが奈良にいたる弥生文化の伝来の地じゃないかと思ったりもする
823名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 14:24:33 ID:toS5ZzqTO
>>817
畿内説は、なんでもアリと言いたいんだよ
824名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 14:24:49 ID:gpZRIwV10
男王→卑弥呼→男王→台与

卑弥呼は巫女ではなく、王としての立場。
男王と卑弥呼が、同時に並立していたわけではない。
弟が仕えてるとあるが、それは王ではない。
だったら卑弥呼が死んで、男王が立つ必要はない。
次の巫女を選べばいいだけ。
しかも、この代替わりごとに内乱になってる。
卑弥呼以上の権力が存在しなかった証拠。

天皇と巫女という関係とはまったく違う。

卑弥呼をどうしても大和朝廷に組み入れたければ、
天皇として比定しないと、倭人伝とは合わなくなる。
ま、神功皇后でもいいけど
825名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 14:24:52 ID:S9hZr6JvO
フッと休憩中に覗き見したが、5までいくのか?
826名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 14:26:18 ID:SpHf8MgUO
初めて「日本」と名乗ったのは平安時代とかだったっけ。
隋か唐の書には倭と日本は別の勢力のような書かれ方が
されてるということらしいが…どうなん?
827名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 14:27:45 ID:XxxUjQyG0
>>824

卑弥呼が女王と書いたのは中国人の目線だから、
実際に卑弥呼が女王的立場かはわからない。
男王が、巫女の神託にしたがっていれば、中国人には男王とは見られず、女王がいたように見えるだろ。

もちろん、卑弥呼=巫女=ヤマトトトヒモモソヒメが有力。
828名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 14:28:25 ID:UmWDLlOs0
>>822
>非常に大型で顎の骨格の長い中国の古代人の特徴を受け継いでる人が多い
そして中国の古代人とは、おそらく「匈奴」です
http://www.k2.dion.ne.jp/~yohane/00000dna02.jpg
http://www.allempires.com/Uploads/HaplogroupW.jpg
829名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 14:28:43 ID:YUWAKEZ50
邪馬台国はどこにあったのか?

答えは、沖縄の伊平屋島。間違いない。

天の岩戸伝説のクマヤ洞窟がそうだ。
ユダヤ人の学者の方々が伊平屋島に行き調査した。
その島は、古代ヘブライ語に似た言葉が島の言葉(方言)にあった。

島の名前<イヘイヤ>もそうだろ。


間違いない。

830名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 14:29:21 ID:toS5ZzqTO
今で例えれば、九州国、本州国、別々の国が存在したんだろう
831名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 14:30:07 ID:zHrZ+VjX0
邪馬台国がどこかは知らんが、吉備が大和政権を作ったんだろ。
http://www.town.tawaramoto.nara.jp/05_others/public-relations/2007_12/071210_11.pdf
832名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 14:31:25 ID:teUy1snE0
>>826
「日本」というのはヤマトの美称で、日本と書いて最初はヤマトと読んでた。
日本書紀も「ニホンショキ」ではなくて「ヤマトブミ」が正式名称。
この日本書紀が書かれたときから国号として「日本」が使われ始めて
これを決めたの天武天皇だと考えられてる。
新唐書には「倭国伝」と「日本伝」があるわけだけど、これは国号を変えたことが
唐に伝わる過程で生じた記述だと思う。
833名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 14:31:35 ID:h7WkL+OC0
>>827
違う。
邪馬台国から来た使者がそう言ってる。

だから、最初の使者にもたせたお土産にも
卑弥呼個人への贈り物を入れてる。
834名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 14:31:59 ID:UmWDLlOs0
顔が長いというよりも、むしろ顔が細いんですね
いわゆる「細面」とはそのことではないでしょうか

http://www.youtube.com/watch?v=iFBnDgxBsfM
これはフン族=匈奴の血を引くと言われるフィンランドの人達
835名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 14:32:00 ID:xZcNRKXU0
>>831
吉備は、雄略天皇時代に征伐されて大和朝廷に屈服する形になったんじゃなかったっけ?
836名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 14:32:47 ID:toS5ZzqTO
畿内の奈良が邪馬台国なら、佐賀で上陸するなよ
837名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 14:36:09 ID:SKLcduDIP
>>820
>君の言ってるのは、ずっと後にできた大宰府のことだよ。
「遠朝廷」と呼ばれた都市が置かれた年代は定かではないので、ずっと後もヘチマもないよ。

>神武がどこに宮を置いたかは、ググればすぐにわかる。
神武帝自体の実在が定かでないのに、神武帝がどこに宮を置いたかなんて
ググって出てきたドキュメントで何がわかるのか、ものすごく疑問なんだが。
838名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 14:36:40 ID:tqRSHj6o0
>>827
>卑弥呼、以て死す。
>男王を立てたが、国中服せず。更更相誅殺し、当時千余人を殺す。
>卑弥呼の宗女、台与、年十三なるを立てて王とし
>国中、遂に定まる。

卑弥呼が巫女で、別に天皇がいたなら、
卑弥呼の後釜の男王というのは、何。
男が巫女の後を継いだってことか。
それに服せず殺し合いって、天皇はどこ行った
839名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 14:38:48 ID:XxxUjQyG0
>>837


だったら神武東征も否定しなよ。
840名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 14:40:03 ID:XzLli3HF0
征服して乗っ取るなんてよくあることじゃん
アメリカなんてモロそうだぞ
841名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 14:41:46 ID:UmWDLlOs0
帯方郡とは、中国東北部=朝鮮半島北部、
つまりそこに住んでいたのは満洲人に近い人達だったでしょう

映画「西太后」で皇帝役を演じた香港俳優
http://www.china7.jp/bbs/board.php?bo_table=1_10&wr_id=11

ある大阪人
http://www.blog459.com/45733_2.jpg
842名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 14:42:25 ID:x75UMRWq0
筑後川流域
843名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 14:42:47 ID:teUy1snE0
>>838
斎王が亡くなったら国内が荒れて、新たに斎王を立てたら治まったというシンプルな話だろう。
当時は神権国家だから魏国人から見たらシャーマンである斎王が王として見られて
お告げを具現化する天皇が行政官と見られていてもおかしくはない。
844名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 14:43:21 ID:zHrZ+VjX0
>>835
本家と分家の主導権争いだろう。
845名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 14:43:24 ID:XzLli3HF0
近畿は遠いって言ってるやつ・・・九州から中国の魏にいくまでのほうがよっぽど遠いってことに気づかないのか
846名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 14:43:32 ID:SKLcduDIP
>>839
「定かではない」というのは、否定も肯定もできないということ。
否定するに足る決定的な根拠も、肯定するに足る決定的な根拠もない。
847名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 14:44:13 ID:S+eJZQ490
>>843
卑弥呼のあとの男王を無視して
説明したつもりか
848名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 14:44:17 ID:XxxUjQyG0
>>838

記紀にも、ヤマトトトヒモモソヒメの頃に、
タケハニヤスヒコの叛乱があったことが書いてあるから。

タケハニヤスヒコが中国に自分が男王だと名乗ったとすれば記事は一致する。
849名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 14:45:59 ID:0F/9tG3I0
>>845
もちろん魏までは行ってないが
帯方郡まで行くだけでも圧倒的に遠いし、しかも海を渡るので危険だな
850名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 14:47:26 ID:DM/9jo0Z0
>>838
別に不思議はないよ
天皇というか大王の役目というのは本来祭司も兼ねている
ただ祭祀の場と政治の中枢が離れたため代行として斎王を別に置くようになった
卑弥呼の役割をこの斎王とすれば死後一旦廃止しその後復活させたとしてもおかしくはない
851名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 14:47:26 ID:VLekzZz80
>>633
景行天皇は小碓命をして「形は我が子、実は神なり」という。
大碓命は景行天皇より密かに恨みを買ってその子も位につく事なし。
成務は若帯日子命。大碓ではない。
ID:QlP82Xzm0、変な解釈も含め、なべてでたらめ。
お前は国学者を名乗るくせに漢籍やら異国の教典やらを入れ込んだ創作神話の講談をやっちまった平田篤胤かと。

852名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 14:48:41 ID:x75UMRWq0
筑後川と矢部川の間に大規模な古墳群がある地域がある

そこが邪馬台国の中心
853名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 14:48:47 ID:akBG19gxO
九州だろ 普通に考えて
854名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 14:49:57 ID:ZRSZdg6k0
>>843
中国人が勝手に勘違いした
というのが、ごまかしなんだよな

そんなんだったら、風俗だってなんだって
中国人にはそう見えたで何でも言える。

>その国、もとは男子の王であった。
>住まるところ7,80年、倭国乱れ、互いに責め合って年が経った。
>それで一人の女子を共立して王とした。
>その名は卑弥呼。

これは中国人が見て、勝手に思ったことなのか
855名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 14:50:12 ID:fC7mDUr70
何万もの人間が暮らすには大量の流水がいる。
おのずと候補地は限られるはず。
856名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 14:50:41 ID:KawNq6tf0
 発 者 同         . 。_   ____           争
 生 同 .じ     .    /´ |  (ゝ___)          い
 .し 士 .レ      .__/'r-┴<ゝi,,ノ   ro、      は、
 .な で .ベ      ∠ゝ (ゝ.//`   ./`|  }⌒j     
 .い し .ル        } ⌒ /`ヽ、_∠l,ノ ・ヽ´
 .! ! か の       /  ´..:.} >、、___,  .r、 ソ、`\
             /   ..:.:.}   /   |∨ ` ̄
            /   ..:.:./    |   丶
           / _、 ..:.:.:.{    .{.:.:.   \
          {   ..:Y  .ゝ、   {.:.:.:.:.    ヽ
          |、  ..:/ 丿 .:〉   >.- ⌒  .  ヽ
          / {. ..:./ ソ ..:./  .(    ..:.:.:`  ..:}
         ./..:.:}.:.:./ ヘ、 ..:./   .\ ..:.:r_,ノ、.:.:}
        ./..:.:/|.:/   {.:./     X.:.:}.}   X X
        /..:.:/ .}.:|    }:/       .Y丶ヽ  Y.:Y
  . __/.:/ { }  《.〈、     _,,__>.:》丶   Y.:\
  /.:.:.:.:.::/   !.:.:ゝ  ゝ.:. ̄ヾ ´:.:.:.:.:.:.:.:.:ヾゝ   \.: ̄>
    ↑畿内派               ↑九州派
857名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 14:51:19 ID:CfvL+qf00
陸路:徒歩〜馬。障害は山や谷などの悪路。
海路:船。障害は天候。
858名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 14:52:40 ID:Id1cZJWw0
学閥がある限り論争はなくならないよ
東大→九州説
京大→機内説
859名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 14:53:23 ID:x75UMRWq0
邪馬台国候補地には徐福伝説が不可欠
860名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 14:53:56 ID:SKLcduDIP
>>838
可能性はいろいろ考えられるわな。
巫女は、本来は王の政治顧問的な地位だけど、名目上の王(男王)を凌駕する実権を
掌握してしまうことは考えられる。
後の日本史でも名目上の権力者を凌駕する政治力を有した顧問や補佐官的な立場の
政治権力者は山ほどいる。(というか、日本の政治のほとんどは名目上は補佐官である
人々によって運営されている)
実質の政治権力者である卑弥呼が死んだ後は、名目上の権力者である男王が名実ともに
最高権力者になったが、人心を掌握しきれなかったのかもしれない。
861名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 14:54:01 ID:toS5ZzqTO
畿内説なら研究費たんまり貰えるんだろうな〜
862名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 14:55:52 ID:teUy1snE0
>>854
ゴマカシもなにも、真実なんて魏書を書いた陳寿に聞かないとわからないだろw
陳寿だって、人づてに取材して書いてる話だから、これが真実かどうかもわからない。
だから、記載された内容と史実を照合させていくことで解釈するのが重要なの。

畿内説だと、邪馬台国=ヤマト国、卑弥呼=日巫女=斎王という仮説が成り立つけど
九州説だと、邪馬台国はどこにあったか?、遺跡は?、卑弥呼とは誰か?など仮説が全く成り立ってないのが現状。
863名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 14:56:08 ID:SpHf8MgUO
白村江が663年、これで九州倭王が弱体化。
壬申の乱が672年。天武天皇が佐賀の吉野で天皇の地位を
九州倭王から奪い京を近畿に移す。
864名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 14:59:11 ID:cfnPtZIJ0
なんで5スレも行ってんの?
水行十日、陸行一月なんてカビの生えた話題をまだやってんのか?
よく飽きないな。
865名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 14:59:18 ID:nMfoA4LBO
魏から畿内まで援軍送る間に戦争終わるよな。
軍事的にありえない外交になっちまう。
866名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 14:59:19 ID:CfvL+qf00
 1982年,江蘇省において徐福が住んでいたと伝わる徐阜村(徐福村)が存在することがわかり,実在した人物だとされています。
そして,徐阜村には石碑が建てられました。
驚くことに,その村には現在も徐福の子孫が住んでいます。
代々,先祖の徐福について語り継がれてきたそうです。
大切に保存されていた系図には徐福が不老不死の薬を求めて東方に行って帰ってこなかったことが書かれていました。
 徐福は始皇帝に,はるか東の海に蓬莱(ほうらい)・方丈(ほうじょう)・瀛洲(えいしゅう)という三神山があって仙人が住んでいるので不老不死の薬を求めに行きたいと申し出ました(司馬遷の『史記』がもとになっている)。
この願いが叶い,莫大な資金を費やして一度旅立ちますが,得るものがなくて帰国しました。何もなかったとは報告が出来ず,この時は「鯨に阻まれてたどり着けませんでした(台風を大鯨にたとえたのかもしれない)と始皇帝に報告しました。
そこで始皇帝は大勢の技術者や若者を伴って再度船出することを許可しました。
 若い男女ら3000人を伴って大船団で再び旅立つことになりました。
そして,何日もの航海の末にどこかの島に到達しました。
実際,徐福がどこにたどり着いたかは不明ですが,「平原広沢の王となって中国には戻らなかった」と中国の歴史書に書かれています。
この「平原広沢」は日本であるともいわれています。
実は中国を船で出た徐福が日本にたどり着いて永住し,その子孫は「秦」(はた)と称したとする「徐福伝説」が日本各地に存在するのです。
もともと徐福は不老不死の薬を持って帰国する気持ちなどなかったかもしれません。
万里の長城の建設で多くの民を苦しめる始皇帝の政治に不満をいだき,東方の島,新たな地への脱出を考えていたかもしれません。
徐福らの大船団での旅立ちは一種の民族大移動かもしれないのです。
 中国には,徐福=神武天皇とする説もあって興味深いものです。
徐福は中国を出るとき,稲など五穀の種子と金銀・農耕機具・技術(五穀百工)も持って出たと言われます。
一般的に稲作は弥生時代初期に大陸や朝鮮半島から日本に伝わったとされますが,実は徐福が伝えたのではないかとも思え,徐福が日本の国つくりに深く関わる人物にも見えてくるのです。
867名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 15:00:06 ID:XxxUjQyG0
>>863

こういうデタラメを言い出すやつがいるからやっかいなんだよな。

文献や考古学をきちんと見ていけば、

>>862のようになり、九州説の目はない。
>畿内説だと、邪馬台国=ヤマト国、卑弥呼=日巫女=斎王という仮説が成り立つけど
>九州説だと、邪馬台国はどこにあったか?、遺跡は?、卑弥呼とは誰か?など仮説が全く成り立ってないのが現状。
868名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 15:00:23 ID:lEwVgrwu0
まとめるとこんな感じか?





大和(ヤマト) 大を付けてヤマトにする。魏では当て字で邪馬台

日本(ヤマト) 日出ずる国の意味で「日本」に漢字を変える

日本(ニホン)
869名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 15:00:23 ID:DM/9jo0Z0
>>863
九州に別政権が有ったとした場合
3世紀の終わりあたりから吉野ヶ里のような城塞都市が急激に廃れて消えてしまったことの説明がつかないんだわ
870名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 15:00:39 ID:xZcNRKXU0
>>862
ただ、中国からの使者は対馬・壱岐を経由して九州に上陸したところまでは、
畿内説も争ってないわけで。

畿内説だろうが九州説だろうが、九州は邪馬台国の勢力範囲にあったこと自体は
認めざるを得ないんだから(邪馬台国の勢力範囲か少なくとも友好国でないと、
中国の使者が安全に上陸して邪馬台国まで行けない)、畿内説の立場でも、九州に
遺跡がないと困るんじゃ?
871名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 15:02:30 ID:kAZ6rEHg0
>>868
ニッポン→ジッポン→ジャパン?
872名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 15:02:39 ID:ylfKUK8G0
この論争に結論出ちゃったらすごく寂しくなるだろうな
873名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 15:03:42 ID:UmWDLlOs0
魏志倭人伝によれば、
邪馬台国は帯方郡に対して「狗奴国」との争いへの援軍を要請した、とあります

そして中国史では、その直前に帯方郡を治めていた「公孫氏」は滅亡したと。

また、日本神話では「天孫」一族が「葦原中国」を治めるべく
宮崎・日向の地に降り立ち、数世代かけて
安芸の国、吉備の国を経て、大和へ到着した、とある。

5世紀、権力の中心は大阪・河内に移り、巨大古墳が築かれました。

大阪は、和歌に見られるように「葦」と結びつきが強い地です。



解は、簡単に導き出せるように思います。
874名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 15:03:58 ID:BtKYDOrgP
>>871
ニッポン→ジパング→ジャパンじゃないの?
875名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 15:04:18 ID:yU985dNw0
まだ結論出てなかったのかよ。
一体、いつ結論でるんだ?
876名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 15:05:40 ID:SKLcduDIP
>>854
後世の支那や朝鮮の外交官や、日本を訪れた南蛮人や西洋人だって
自分の国の政治機構に基づいて日本の統治者の地位を説明するのに苦労してるじゃないか。
征夷大将軍を便宜上国王と称したりね。
征夷大将軍は、名目上は帝の家臣に過ぎないのに、実際の政治権力は征夷大将軍が、
あるいはそのまた家臣である執権が、さらにその家臣である内管領が握っていたりする。
実際に日本の国書を遣わしているのが、帝だったり、将軍であったり、執権であったりする
わけで、弥生時代の日本でも同じことがあっても不思議じゃない。
877名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 15:06:00 ID:SpHf8MgUO
>>869
戦争で衰退。筑紫君磐井が君臨。八女で律令制を行う。
878名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 15:07:13 ID:kAZ6rEHg0
>>874
ああジパング忘れてた
879名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 15:07:31 ID:teUy1snE0
>>870
畿内説の立場で九州にあるべきなのは一大卒だわな。
大宰府だろうな。
880名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 15:08:04 ID:0F/9tG3I0
>>878
Zipanguは「日本国」の3文字を中国読みしただけだよ
881名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 15:11:43 ID:UmWDLlOs0
>>872
ゴメンね。
882名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 15:12:07 ID:kAZ6rEHg0
>>880
ならジッポンでいいのか。日本なまりで。
まあ日はジツだし本はポンだからな
883名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 15:12:32 ID:bAZaC8NX0
>>869
九州内部でも争いがあたかもしれないし、別にいいのでは?
ギリシャの各都市の興亡のようなものだってあるでしょ。
884名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 15:13:00 ID:/QAW2G+I0
>>862
馬鹿馬鹿しい、お前は史書がどの様にして出来るのかを勉強して書き込め。
885名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 15:13:57 ID:SKLcduDIP
>>880
>Zipanguは「日本国」の3文字を中国読みしただけだよ
それも定かじゃないよね。
日本国(Zipengogu)→ジパング
日本(Zipeng)→ジパング
どっちも不自然じゃないからな。
886名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 15:14:42 ID:bAZaC8NX0
>>862
仮説が成り立ってないって、単に見つかってないだけとかあるだろ。
人類誕生のミッシングリンクみたいなもん。
無理矢理当てはめるのは、むしろ非科学的だぞ。
887名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 15:16:05 ID:SpHf8MgUO
天智天皇の皇后が倭姫王(やまとひめのおおきみ)。
この皇后は九州倭国の王朝の末裔だろう。
天智天皇が崩御して壬申の乱が勃発し、天武が天皇の座を奪う。
888名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 15:16:34 ID:uhpCIdNG0
>>832
その説は疑わしいな
ヤマトという言葉をどうやって日本という字に中国が変換出来るんだ?
漢語は中国から来た文字ですぜ、ヒノモトを中国人が日本と変換しるんじゃないの?

旧唐書に初めて日本という言葉が出てくるが倭国とは別種と書いてるね
そして併合したとも書いてある

古書とは基本的に勝利者が創ったものだから古事記にも記紀に記述がないということは、、、、
889名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 15:16:46 ID:UmWDLlOs0
890名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 15:17:45 ID:CfvL+qf00
891名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 15:18:21 ID:bAZaC8NX0
>>889
下らない物うを上げるな。
892名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 15:19:48 ID:teUy1snE0
>>886
見つかってないのに無理矢理当てはめるのは
ミッシングリンクどころか単なる想像だわな。
何にも証拠がないのに史実のように扱えば
これは偽造・ねつ造だわな。
大阪地検よりたちが悪いw
893名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 15:20:19 ID:XzLli3HF0
畿内は遠いとかいうやつ、九州から船で移動して中国大陸にいって洛陽まで行くほうがよっぽど遠い


畿内に邪馬台国

邪馬台国をぶっつぶした東(尾張か三河あたり)の大国奴国

三河人は昔から屈強の強さがあったに違いない
894名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 15:21:11 ID:OtuANLgL0
昔はしらんが現代中国語では国はguoだったな。日はziかriで本はbenだっけ?

しかし、大和(ヤマト)は残り、日本(ヤマト)が消えたのはなんでだ。
895名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 15:21:43 ID:MhEZrn5gO
漢字なんて後世に入って来てんだし、口伝でヤマタイって地名がヤマトって地名になったってもっともらしいけどな
896名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 15:23:10 ID:bAZaC8NX0
>>892
お前のその「仮説」は何なんだ? 想像じゃないのか?w

卑弥呼=日巫女=斎王 と言う根拠は?
分かっても居ないのに、無理矢理当てはめるな。
897名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 15:23:43 ID:SpHf8MgUO
ウィキには天武天皇初代天皇説を記述してある。
壬申の乱で決定的な何か、例えば倭からヤマトへの
王朝の移行が起こったのだろう。
898名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 15:24:21 ID:teUy1snE0
>>888
流入期は固有名詞と発音記号として漢字を使ってるから
「日本と書いてヤマトと読む」でもおかしくはないよ。
ってか日本書紀に「日本と書いてヤマトと云う。以下みなこれにならえ」と注釈してあるわけだが。
899名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 15:24:29 ID:XzLli3HF0
三河人は奴国は中部地方にあった!と論ずるべき!
邪馬台国を潰した奴国最強!男王でラムセス2世ばりにカリスマ性にあふれた大王だったに違いない
900名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 15:25:53 ID:MhEZrn5gO
九州なら方言か
A『お前ドコの生まれ?』
B「ヤマトたい」
A『ふーん、ヤマタイね』
901名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 15:25:54 ID:toR9cyeE0
当時の日本に◯◯◯って国家があって、
それを中国人がヤマドゥと聞き邪馬台の字を充てた
それを後世の日本人がヤマタイと読んで、
ヤマタイって地名を探してるんだから面白いよね
902名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 15:26:11 ID:toS5ZzqTO
畿内の奈良が邪馬台国なら、ワザワザ佐賀で上陸するなよ
903名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 15:26:14 ID:m8pDk14d0
904名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 15:26:32 ID:bAZaC8NX0
>>893
九州から洛陽まで軍を移動させる訳じゃないから。
戦いの指示を出すわけでもない。

使者は、1年とか2年後にでも帰ればよいが、軍隊は指揮はそうはいかない。

>>898
そもそもヤマトと呼ぶ理由とかね。
漢字流入期は原音で呼ぼうとするだろう。朝鮮語じゃずっとそうだったぞ。
905名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 15:27:12 ID:teUy1snE0
>>896
比較の問題だよ。
畿内説:邪馬台国=ヤマト国、卑弥呼=日巫女=斎王、遺跡=マキムク
九州説:邪馬台国=「    」、卑弥呼=「   」、遺跡=「    」

九州説を主張するならこの「 」を埋めていくところから始めないといけない。
つまり現在のところ九州には何の仮説もたってない。
906名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 15:27:31 ID:UmWDLlOs0
>>902
そう、佐賀で上陸していないと考えるのが妥当ですよね
907名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 15:28:41 ID:XzLli3HF0
九州はろくな遺跡もないのに学者が九州に邪馬台国はあったんだよーってホルホルしたのが始まりだもんな
908名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 15:28:42 ID:bAZaC8NX0
>>905
何が比較の問題だ。
世界中どこにだって、宗教的な王はいただろうし、国もあっただろう。
近畿のものを、勝手に邪馬台国という特定のもに同定してるのが問題なんだよ、アホ。
909名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 15:31:10 ID:teUy1snE0
>>908
だからそういうなら、畿内説より有力な九州説の「 」を埋めろってw
九州説:邪馬台国=「    」、卑弥呼=「   」、遺跡=「    」

これを埋めて納得できたら九州説を信じてやるよw
910名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 15:31:40 ID:lSMeHtQfO
邪馬台国は連合国で内乱状態になったのを治めたのが大和朝廷の前身の国なんだろ
911名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 15:33:17 ID:qo6UuSY/P
畿内にあって大和朝廷にそのままつながったなら歴史から抹殺されずに
残ってるはず。途切れてるのは政治的か地理的かの断絶があったからだな。
912名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 15:34:03 ID:SKLcduDIP
>>908
>近畿のものを、勝手に邪馬台国という特定のもに同定してるのが問題なんだよ、アホ。
近畿に同定するとアホ。
九州に同定するのはバカでOKか?
913名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 15:34:10 ID:teUy1snE0
>>908
それともう一つ、九州説をとるなら、あれだけ国名が列挙してある魏志倭人伝で
九州より大規模な畿内の勢力が全く記載されてないということになるが、その理由もいる。
914名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 15:35:22 ID:UmWDLlOs0
古代中央アジアの「スキタイ」も「スキトー」と呼んだりしますね
また、「サカ」族、とも。以下wikiから引用

サカ(Saka)は、紀元前6世紀頃から中央アジアに現れるイラン系遊牧民族。
サカとはペルシア側の呼び名で、古代ギリシアではサカイ(Sakai)と呼んだ。
また、中国の史書では塞(さい)と呼ばれる種族がサカにあたるとされる。

ちなみに堺市出身の芸人
http://news.walkerplus.com/2008/1215/20/20081215203249_00_400.jpg
915名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 15:35:31 ID:Nuv4weq/0
>>898
「ヤマト」と言う言葉は
古代からずっと日本人が拘り続けて来たんだなあ
「宇宙戦艦ヤマト」とか「ヤマト魂」とか「ヤマトンチュー(沖縄限定)」とか
今でも生きて使われてる言葉だし
916名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 15:35:40 ID:OtuANLgL0
もともとヤマトという国があったわけだが
それを日本と表記するようになると、文字につられて国名までニホンになった。
こんなことあり得んのか。
917名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 15:35:40 ID:VLekzZz80
>>910
はるか南の海上の連合国か。胸が熱くなるな

え、大和朝廷?そんな海の南にまで領土を持ってたのか。さらに胸あつ
918名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 15:36:17 ID:lSMeHtQfO
>>913
邪馬台国の事だってちょろっとしか書いてないのに無茶言うなよ
919名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 15:36:43 ID:MhEZrn5gO
九州に白子みたいなひみことかいう食い物があって、ソレが好きなおばちゃんのニックネーム(隠語)としてヒミコだったかもよ
920名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 15:37:24 ID:toS5ZzqTO
畿内派は特定していると言いながら、今だに邪馬台国に繋がる物が出て来ていない現状、プッ

特定じゃなくて適当なんだろう、銭勘定考えたら嘘でも、特定って言わなければ、銭いただけません
921名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 15:37:29 ID:0eyHlEoF0
まだやってるのかwwww
昨日の約10時間の討論の末に出た統一見解は
ヤマトトトヒモモソヒメは綾瀬はるか似だってことだけだったなw
922名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 15:37:51 ID:SpHf8MgUO
朝鮮、北九州、中国沿岸部を行き来する海洋国の倭人共同体があった。
250年前後にそれをまとめてたのが卑弥呼。戦を
やってるので巨大な遺跡は建設できていない。
そのあとを継ぐのが台与=壱与。
923名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 15:37:54 ID:VLekzZz80
>>918
帯方郡の役人の行動範囲が狭かった。
924名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 15:38:19 ID:toR9cyeE0
>>913
当時の畿内王国は国内引き蘢り派が多数を占めてて、
大陸はおろか九州まで出張る気がなかったから無名だったんだろ
925名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 15:38:46 ID:/pHjW8fl0
九州(笑)

はい?邪馬台国は韓国が支配してたんですけど・・・w
なんか日本の学者って勝手に妄想ばっかりであきれるわw
妄想でノーベル賞だもんなーwひでえw
926名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 15:40:15 ID:lSMeHtQfO
>>917
九州〜近畿の集落で作られた連合国が邪馬台国で近畿の大きい集落が大和朝廷の前身の国とかどう?
民主国家的なので卑弥呼は代表の名称

中心位置がわからないのは数年毎にそれぞれの中心集落を回っていたからとか


無いなw
927名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 15:40:38 ID:/QAW2G+I0
>>913
ちゃんと書いてあるぞ、

女王國東渡海千餘里復有國皆倭種又有侏儒國在其南人長三四尺去女王四千餘里
又有裸國黒齒國復在其東南船行一年可至
参問倭地絶在海中洲島之上或絶或連周旋可五千餘里
東に多数の倭種の国有り、小人(種子島だろうね)の国や南には裸族の国やお歯黒を塗った国が有る。
928名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 15:41:27 ID:XzLli3HF0
>>924
中華に媚を売るような売国奴がいなかっただけ
929名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 15:42:13 ID:gmHT1zsqO
ここみてると機内説より九州説のほうが歴史的背景がわかりやすい
なんか機内説は現代的視点が入りすぎてるな
930名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 15:42:17 ID:VLekzZz80
あ、レス番間違えた。まいっか。

>>926
いやいや、九州よりはるか南の海上だから
きっと巨大船団を持ってたんだよ!!
931名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 15:43:10 ID:SKLcduDIP
>>916
>文字につられて国名までニホンになった。
>こんなことあり得んのか。
ありえるんじゃないか?
東照宮で有名な「日光」。
昔は「フタラ」と呼ばれていて「二荒」の文字を当ててたんだが、
二荒がニコウと音読みされはじめて、ニコウがニッコウに訛って、
「日光」の字が当てられるようになった。
932名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 15:44:00 ID:UmWDLlOs0
中国は、日本神話には黄泉の国(黄色い水の国)として登場します。
すでにゾンビがバッコする残念な国となっていたようですね。
933名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 15:44:24 ID:uhpCIdNG0
>>898
たしかに日本と書いてヤマトと読んでもおかしくないのは同意するが
それは和名であって中国人がヤマトを日本という字に変換出来る物なのか?
ヤマトという言葉の音を聞いた中国人が日本という字に変換するのは無理じゃね?
934名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 15:45:11 ID:Nuv4weq/0
>>916
ヤマト国と呼ばれる地域があって
次第に勢力拡大し、権威権力を確立して
元々はヤマト国ではなかった地域まで支配下にしていけば
ヤマトよりもっと広い概念の地名が必要になるわけで
それで「日出ずる国」という意味の「日本」にしたんでは?
935名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 15:45:12 ID:Mi+ZPmrl0
ヒミコは日巫女だろうな。
そして固有名詞じゃないかもな。
卑弥呼は何代目かの日巫女かも。
936名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 15:45:35 ID:teUy1snE0
>>916
あり得るだろう。
今の日本でもそうだ。
「ニホン」と「ニッポン」どっちでもいいw
これは日本政府がどう決めたというより、文字使用の慣習から来てる。
937名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 15:46:26 ID:x75UMRWq0
八女の岩戸山古墳を中心とする古墳群は邪馬台国にふさわしい地域
徐福の墓と言われる場所もある
938名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 15:46:52 ID:Voajiyzp0
>>371
旅程の表示から推測して、仮に短里説(1里100m弱)をとれば、「五千余里」は500kmほど。
「狗邪韓国(金海)から真っ直ぐ南に五千余里」だと、会稽の東どころか上海・奄美大島あたりまでがせいぜいだが、
「帯方郡(ソウル)から真っ直ぐ南に一万二千余里(1200km)」なら、確かに会稽の東、沖縄だ。
帯方郡から狗邪韓国まで、馬韓・弁辰を通ってすでに七千里は消費しているから、女王国まで残り五千余里。
女王国が「会稽の東」というのは陳寿の勘違い、または孫呉を脅かすための方便か。なんにせよ南国とは考えられていたようだ。
実際そんなに呉に近ければ、夷洲や壇洲を捜しに出た船団に邪馬台国が見つかりそうだが、案外交流はあったかも。

>>387
「狗邪韓国から女王国まで」は残り五千里だが、松浦までですでに三千里を消費し、残りは二千里。
そこから宇美までで700里、あと1300里(130km)しかない。水行二十日では1日7km弱しか進めないが、大集団で行けばそんなもんか。
あるいは「女王のいる邪馬台国まで」ではなく、「邪馬台国にいる女王の治める(南九州の)領域まで」が五千里なのか。
女王に従う沿岸部倭人諸国の同盟が、楕円形に五千里にわたり狗奴国(熊本など九州内陸部)を取り巻いていたとすると、
吉野ヶ里のある佐賀平野付近をスルーしたのは、狗奴国がそこらを抑えてて危険だったのか。
939名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 15:47:15 ID:toS5ZzqTO
畿内派って学者が、そう言っているから畿内だ、ぐらいの頭しかないのは事実

だから背景が今と昔も同じ
940名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 15:47:42 ID:0F/9tG3I0
>>910
邪馬台国は、連合国を形成している中のもっとも強大な1国
941名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 15:47:47 ID:CBNHhqViO
邪馬台国なら俺の隣で腹筋してるよ
お前らにもう捜さないでと伝えてくれって
942名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 15:48:45 ID:SpHf8MgUO
卑弥呼が死んで台与が出てくるから個人名だろう。
一般名詞ではないと思う。
943名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 15:49:08 ID:toR9cyeE0
中国はその内ジャパンを邪幇とか表記するかもね
944名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 15:49:12 ID:lSMeHtQfO
沖縄の沈んだ海底遺跡とかどう?
九州南部〜沖縄〜台湾辺りとか

沈んだ所に巫女さんの集まる所あるんだよな?
945名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 15:49:13 ID:teUy1snE0
>>933
ヤマトに「日本」の漢字を当てたのは日本人だよ。
ヤマト→大養徳→大和→日本
この変遷をやったのは全部日本人。
946名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 15:49:31 ID:SKLcduDIP
>>933
中国って、今も昔も外国の固有名詞に対して、音を当てて音訳する場合と、
意味を考えて意訳する場合があって、それが同時期に混在して流通することは
珍しくないよ。
お経の訳なんかでも、サンスクリットやパーリ語では同じ単語が、
中国語のお経では意訳語と音訳語の二種類が出来上がってしまうことが結構多いよ。
947名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 15:50:37 ID:0F/9tG3I0
>>916
ありえる
日本に英語が入ってきたら、喜んでナントカジャパンって自ら言う国柄ですから
なぜ、長島ニッポンじゃなくて長島ジャパンなの?

と考えれば、当時の日本人が
漢字をカッコイイと思って、率先してジッポンだのニッポンだのと名乗った
としても不思議はない
948名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 15:50:47 ID:VLekzZz80
>>934
てか、「やまとの国(地域名)の朝廷」という意味でやまとやまとって言ってたら
数百年経った時にそれが国号になったって感じかなと。
日本の列島って大八洲国とか秋津島とか豊葦原瑞穂国とか中津国とか
いろいろ呼称があるからさ
949名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 15:52:08 ID:6uXYBLsi0
卑弥呼の祖先は大韓民国だって京都の太っちょ先生が言ってたよ
950名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 15:52:17 ID:/QAW2G+I0
>>920
畿内派は「かすったら邪馬台国」だからな。
例えば巻向の大型建物、
魏志にはそんな記載何処にも無いのに無理矢理邪馬台国に関連させる。
時代がまるで違うのにね。
951名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 15:52:40 ID:JHTGnODpO
ヤマト 完結編
952名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 15:52:54 ID:toS5ZzqTO
>>947
ちょ、バカ、国際的大会だからあたり前だろう
953名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 15:52:56 ID:Nuv4weq/0
>>945
その「日本」を見て、中国人が「ジッポン」と発音したのが
「ジパング」「ジャパン」「ジャポン」の語源になったらしいね
954名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 15:53:27 ID:7/K0dH0e0
無知な質問かも知れないけど、邪馬台国が近畿にあったら中国に使者送るのが大変じゃない?
955名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 15:53:28 ID:GXveL13N0
>>913
>>九州より大規模な畿内
むかしはどちらが大きいかなんてわかってなかったんだろ。
九州より、本州の方が大きいってわかったから国譲りが起きて、引越しした。
そんだけのはなし。

引っ掻き回す事じゃないんだけどな。
956名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 15:53:45 ID:i1kWvXEh0
>>862
>畿内説だと、邪馬台国=ヤマト国、卑弥呼=日巫女=斎王という仮説が成り立つけど

仮説も何も、天皇家の公文書に『邪馬台国』や『卑弥呼』や『壱与』は存在せず、
男系による万世一系を名目にしてるわけで、
畿内派こそ天皇家の記録を捻じ曲げて勝手な論理展開をしているに過ぎない。
天皇を慕うなら、皇紀説だけを唱えていれば宜しい。

邪馬台国と天皇家の同一視こそ、畿内派学者の身勝手な暴走と言える。
不敬罪だな。
957名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 15:54:19 ID:VLekzZz80
>>947
ニホンというのが正式名称になったのって明治んときじゃないのかとおもうよ

帝国って付けたくてニホンにしちゃったんじゃないの。
だって「だいやまとていこく」だと、中途半端に大和言葉が入ってるかんじで語感悪いから
958名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 15:54:51 ID:SKLcduDIP
>>942
>卑弥呼が死んで台与が出てくるから個人名だろう。
それにも色々な説明はつけられるよ。
初代の卑弥呼の時代は、卑弥呼は1人しかいないから一般名称で呼ばれていたが、
二代目の時代にには、前代の卑弥呼と区別するために固有名称で呼ぶ必要が出てきた。

例えば、ローマの「カエサル」という言葉は、ユリウス・カエサル個人の固有名称でもあるが、
後にはローマ皇帝を表す一般名称にもなった。
959名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 15:55:01 ID:0F/9tG3I0
>>952
だったら、国際大会では「ニッポンチャチャチャ」じゃなくて
「ジャパンチャチャチャ」と応援しなければいけないことになる
だが、いかに国際大会であろうともナントカジャパンなんて国内向けの愛称にすぎないんだから
べつにナントカジャパンである必然性はない
960名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 15:55:25 ID:x75UMRWq0
>>949
大韓民国の建国は1948年だよw
961名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 15:55:31 ID:Mi+ZPmrl0
>>953
日本人も昔は日本をジッポンって読んでたと聞いたことがあるような気がする
962名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 15:56:01 ID:toR9cyeE0
もうチュシンを追われたカジンが建国したのが邪馬台国でいいよ


キハが卑弥呼でいいじゃん
963名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 15:56:14 ID:0F/9tG3I0
>>956
>仮説も何も、天皇家の公文書に『邪馬台国』や『卑弥呼』や『壱与』は存在せず、

中国人がいい加減な文字を充てた表記が存在しないだけで
それに比定される人物の事跡は、ちゃんと書いてあるんだよ
964名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 15:56:33 ID:qo6UuSY/P
卑弥呼の読みは当時はピミホだったらしいよ。
965名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 15:57:22 ID:UmWDLlOs0
>>954
そう、邪馬台国と使者のやり取りをしていたのは、中国ではなく満洲です
966名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 15:57:28 ID:nmW7SGG00
邪馬台国なら区役所通りの裏にあったぞ。
967名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 15:58:06 ID:x75UMRWq0
>>964
卑弥呼は人の名前じゃねえしw
968名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 15:58:27 ID:lSMeHtQfO
邪馬台国の人って入れ墨とかしてた?
沖縄も100年ぐらい前まで手の甲とかに入れ墨いれたりする風習あったんだよな?
名残じゃね?
969名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 15:58:39 ID:teUy1snE0
もう畿内を否定するのはいいけどさ九州のどこなのよ?
3世紀の日本で、魏志倭人伝に畿内の存在を忘れさせるくらいの大規模な国は
九州のどこにあったのよ?w
970名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 15:58:49 ID:toS5ZzqTO
>>959
ちょ、誰にむかって応援すんだよ。我が国の選手がわかればいいんだよ、バカ
971名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 15:59:58 ID:OtuANLgL0
国の名を変えた、なら理解できるが、いつの間にか変わっていた、なんてポルナレフもびっくりだろ。
変えたんであれば、そんな大事なこと記録に残らんのかい。
奈良のヤマトは残ってるんだから、なんだか腑に落ちんわ。
972名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 16:00:17 ID:0F/9tG3I0
>>970
それと同じ理屈で長島ジャパンなんて我が国の読者だけ分かればいいんだから
長島ニッポンでいいはずだろ
国際大会だから、なんて話は理由にならない、って言ってるんだよ
973名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 16:00:48 ID:VLekzZz80
>>969
だから九州よりはるか南の海上だってば。
974名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 16:01:11 ID:0F/9tG3I0
>>971
埼玉の浦和がさいたまに変わっても南浦和とか武蔵浦和とか残ってるのと同じだ
975名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 16:01:22 ID:ZxuTyJL20
卑弥呼の治世は間違いなく終焉した、で他所もんの西郷ドンいや祟神が橿原で即位し
祟りにビビッて卑弥呼を丁重に葬り古墳作って大田田根子に祀らせた、これが真実
976名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 16:01:47 ID:lSMeHtQfO
>>973
なら沖縄の海底遺跡?
977名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 16:02:52 ID:toS5ZzqTO
>>972
ちょ、バカ、国際大会の時にしか使わん
978名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 16:03:10 ID:Nuv4weq/0
>>959
国内だけでその国民同士で使ってる国名と
国際的な場で使ってる国名とが違う国はあるよ
フィンランド=スオミ
979名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 16:03:23 ID:VLekzZz80
>>976
沖縄の地底遺跡とするくらいなら、そのまま沖縄にしておけばよくね?

いや沖縄で止まるのかどうかも知らんけどさw
980名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 16:03:25 ID:fb1qlAz2O
邪馬台
これは当時の読み方でヤマト
既に結論は出ている
981名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 16:05:36 ID:qo6UuSY/P

卑弥呼という文字は当時の魏ではピミホだったそうだ。ということは逆に言えば、
魏は日本の王の名の音をピミホと聞いて近い音の文字である卑弥呼に当てたということらしい。
日本でのホは、王のことだという説あり。
982名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 16:05:47 ID:lSMeHtQfO
>>979
邪馬台国が伝わってないのは沈んだからとかw

海底遺跡が卑弥呼の墓とかどうだろ
983名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 16:06:03 ID:toR9cyeE0
中国人「ここは何と言うところかね?」
倭人「(このクソ忙しい時にそげんとこに立っとったら)邪魔たい!」
中国人「そうか邪馬台か」
984名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 16:06:58 ID:toS5ZzqTO
>>980
なるほど、じゃ、やはり邪馬台は九州で確定だな、ヤマトの地名があちこちにありありだ
985名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 16:08:04 ID:SKLcduDIP
>>971
自国名の呼び方ってのは、多くの国で結構曖昧だったりするぞ。
エジプトとかインドとかギリシャとか。
歴史の古い国ほど何種類もの呼び方があったりする。
986名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 16:10:17 ID:teUy1snE0
>>981
ピミポじゃないかな。
江戸時代以前にはH音は日本になかったから。
987名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 16:10:21 ID:x75UMRWq0
>>984
筑紫平野はヤマトの地名が多すぎるな
988名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 16:11:19 ID:qo6UuSY/P
邪馬台はヤバタイもしくは、ヤマダイであって、ヤマタイではありえないというのが
音韻から歴史を解明してる森教授の説。さらに同教授は、三角縁神獣鏡はの
詩がインを踏んでないことから日本製だとしてる。
989名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 16:14:05 ID:rw74Fpl+0
宇佐の亀山が卑弥呼の墓
990名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 16:14:21 ID:BtKYDOrgP
>>986
>江戸時代以前にはH音は日本になかったから。

はあ?
じゃあ姫様とか呼べないじゃん。
いめさまか?w
文はうみか?w
991名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 16:16:21 ID:toR9cyeE0
羽柴秀吉とか明智光秀とかも困るな
992名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 16:16:58 ID:OtuANLgL0
>>978>>985
納得した。今だってnihonではなくjapanだもんな。
993名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 16:18:17 ID:SpHf8MgUO
倭の五王の記述が古事記や日本書紀には出てこないらしい。
倭国王は九州。ヤマトは畿内の一豪族。
邪馬台国は九州筑後。八女である。
994名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 16:18:57 ID:qo6UuSY/P
>>986
まちがった。ピミホじゃなくて、「ヒミヲ」だそうだ。
995名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 16:22:48 ID:0F/9tG3I0
>>993
倭の五王は記紀にちゃんと書いてある
ただし、隋・唐に朝貢したことを書いてないだけ
逆に中国の史書は、五王が朝貢したことしか書いてない
996名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 16:23:01 ID:teUy1snE0
>>990
P音→F音→H音と変化していったと言われてる。
「日本」も、ニポン→二フォン→(F音の欠落)→ニッポン・ニホン
997おさらい:2010/10/12(火) 16:23:50 ID:UmWDLlOs0
〜 〜 〜 〜 ,ヘ、〜/              ┃           /ヘ   /
〜 〜 {ヽ_ /  {_/              ┃    「対馬国」 ▲/ /
〜 ヘ/      ★末盧国         ┃          ∠ノ / ニイガタ
/ヘ~                        ┃             /
                           ┃ 「一大国」      /
          _ |ヽ■伊都国       ┃      /▲フ   /
       /ヽ/ |/ |       伊吹山  ┃      | 「 /
      |      ヽ ★奴国       ┃      | |__/
       ヽ,  水行 ヽヘ  ★不弥国  ┃     /   トヤマ
       |      ↓ /           ┃ ↓  / カナザワ
     ┌ '        ノ          ┃ ↓ /
    /        ノ           ┃ ↓|フクイ
   丿      ノ ^’            ┗━━━━━━━━━━━
  |_ 水行↓,/
  /  _/ヘ/▲投馬国
  | |    \                   末盧国・・・敦賀市
 /  >   天 \                伊都国・・・旧伊香郡高月町
/  /     安 \               奴国  ・・・長浜市
\ |        川               不弥国・・・米原市
  ∨             ☆呼邑国    
                           投馬国・・・野洲市・守山市
      邪馬台国 ☆  天        
               岩 ☆為吾国    邪馬台国・・・旧信楽町
             戸             呼邑国・・・甲賀市
                           為吾国・・・伊賀市
            ☆巴利国        巴利国・・・名張市
      ☆烏奴国               烏奴国・・・宇陀市
  ☆奴国                    奴国 ・・・奈良盆地
998名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 16:25:08 ID:0F/9tG3I0
邪馬台国=大和国
卑弥呼  =日巫女=天照大神

248年 卑弥呼没
318年 崇神天皇没
389年 神功皇后没
427年 仁徳天皇没 賛(讃)
432年 履中天皇没 
437年 反正天皇没 珍
454年 允恭天皇没 済
4**年 安康天皇没 興
489年 雄略天皇没 武
999名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 16:25:16 ID:CfvL+qf00

【歴史】 「もう『邪馬台国は九州にあった』説は無理…」 邪馬台国論争、決着近し…奈良・纒向遺跡の大型建物跡発見で
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1257906283/
【奈良】3世紀前半の大型建物跡、邪馬台国の中枢施設か
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1257844817/
【歴史】卑弥呼の死亡時期と合致「奈良の箸墓古墳」 邪馬台国畿内説と九州説に一石を投じる結果に…国立歴史民俗博物館★3
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1243609608/
【社会】邪馬台国の地、皆既日食で決着か…「岩屋戸神話」から推論
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1269903673/
【社会】九州?近畿?論戦熱く…邪馬台国めぐりシンポ - 九州国博
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1257800670/
【歴史】 邪馬台国論争 福岡県が参戦 3年がかりで「九州説」を検証へ 畿内説と対決?
http://news24.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1197594544/
【邪馬台国九州説】「卑弥呼、九州でしか成立しえない」 佐賀女子短大・高島学長が講演
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1259507974/
【滋賀】邪馬台国近江説 
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1267808325/
1000名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 16:25:24 ID:SpHf8MgUO
>>995
あら書いてあるんだ。
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