【考古学】卑弥呼宮殿の一角か 特異な張り出し柵や建物跡出土 奈良・纒向遺跡★2

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1( ´`ω´)φ ★
□卑弥呼宮殿の一角か 特異な張り出し柵や建物跡出土 奈良・纒向遺跡★2

 邪馬台国の最有力候補地とされる奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡で、
3世紀前半の建物跡(柱穴)や凸字形の柵(さく)が見つかり、市教育委員会が
20日発表した。

過去に見つかった建物跡とあわせ、3棟が東西に整然と並ぶことも確認。
当時、方位に合わせて計画的に建てられた例は極めて珍しい。
女王・卑弥呼が活躍した時期とほぼ一致しており、卑弥呼がまつりごとを行った
宮殿の一角との見方が浮上、邪馬台国畿内説に弾みをつけそうだ。
調査は、約100メートル四方の高台のうち、西端約400平方メートルで実施。
新たな建物跡は一辺が6メートル以上あり、昭和53年に見つかった建物跡
(一辺5メートル)の東側で見つかった。その西側で以前、見つかっていた柱穴は
同様の建物跡と分かった。

3棟が高台の西端に位置することから、さらに東へ発掘を進めれば、神殿のような
中心的な建物が見つかる可能性がある。柵は、全体の長さが約40メートル。
53年発見の建物跡を凸字で囲むように南北へ伸び、東に折れ曲がっている。
3棟は、西端の一棟がある「外郭(がいかく)」と、凸字形の柵に囲まれた2棟がある
「内郭(ないかく)」に分かれた宮殿構造だった可能性もある。
市教委は「建物群が特別な施設であることは間違いない」としている。
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1237797666/51-52依頼
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/090320/acd0903201931003-n1.htm (引用元配信記事)
http://sankei.jp.msn.com/photos/culture/academic/090320/acd0903201931003-p1.jpg
http://sankei.jp.msn.com/photos/culture/academic/090320/acd0903201931003-p2.jpg
http://sankei.jp.msn.com/photos/culture/academic/090320/acd0903201931003-p3.jpg
http://sankei.jp.msn.com/photos/culture/academic/090320/acd0903201931003-p4.jpg
http://sankei.jp.msn.com/top.htm MSN産経ニュース [09/03/23] 配信

※前スレ:http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1237759585/
★1が立った日時:2009/03/23(月) 07:06:25
2名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 01:15:01 ID:h3IsMgzC0
忍法2ゲット
3名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 01:15:11 ID:Xd71QyvF0
4名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 01:16:14 ID:3Trk5ksQ0
発掘捏造
5名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 01:18:17 ID:+NTO/UDlO
卑弥呼て居ない
6名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 01:18:44 ID:nVyLOamB0
触るな
それは九州の奴らが仕込んだ罠だから
7名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 01:19:15 ID:m5kfpBgh0
纒向は大和朝廷のはじまりがいつかが考察できるだけの話なのに
卑弥呼と書かないとニュースにならんのか?
8名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 01:19:34 ID:QRAU22OW0
以下、卑弥呼さま〜!禁止
9名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 01:19:44 ID:7WgP78ZJ0
邪馬台国がヤマト国になったと考えていいの?
どう考えても音が似すぎている。別の国だったら逆にこんな名前にしないだろう。
10名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 01:19:49 ID:BZk52l6i0
以下鋼鉄ジーグ禁止
11名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 01:20:33 ID:BpRB7Vrt0
ゴッドハンドではないんですよね
12名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 01:21:35 ID:P0zHMsbQO
ハニワ幻人が襲ってくるぞ!!
13名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 01:22:11 ID:6DIJIEJvP
皆さん九州年号はご存知ですか?
14名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 01:23:47 ID:OscMcE8M0
>>9
ちょっと違う。
誕生直後の大和王権が邪馬台国。
大和王権の成立時期が2世紀終わりから3世紀初頭で
これを中国人が「邪馬台国」の名で史書に記録した

と言ったほうが正確か
15名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 01:23:58 ID:l1uEGYJk0
>>1
記者さん、継続スレ立てありがとね。

写真見ると、遺跡は箸墓のそばだね。
十年前にいったけど、のんびりしたところだった。
16名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 01:24:02 ID:dSK57KZ30
ナイスですね〜
17名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 01:25:08 ID:8bBFHcnbO
テスト
18名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 01:25:45 ID:a+DLkvIu0
教育委員会同士の覇権争いw
19名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 01:29:27 ID:SctLh7BYO
卑弥呼は結局、初恋の人と結婚したって、日比野の自伝本に書いてた…

orz
20名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 01:29:48 ID:ES61nRvW0
なんか研究してる人の小講演きいたことある
凄い打ち込んでる感じだった
良かったですね
21名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 01:31:49 ID:7WgP78ZJ0
各代の天皇の古墳をちゃんと調査してさあ。DNA鑑定やって欲しいんだよ。
そうすりゃ、万世一系かどうかわかるだろ?もうはっきりさせようぜ。卑弥呼が今の天皇家の祖先かどうかも
分かるぜ。
22名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 01:32:51 ID:HV/6tZBg0
>>14
せんせい質問∩(´・ω・`)

当時の支那の漢字の読み方は「やまたい=邪馬台」だったのでしょうか?
昔から、その辺が疑問で。「やまと」と聞いて、「邪馬台」を当てたのか
それとも、邪馬台国の人が「うちは、漢字でこう書きます」と提出したの
でしょうか?
23名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 01:34:39 ID:1biJGW/t0
おまいらいい加減落ち着いて
狗奴国=久努国の話をしようぜ

神武の代に畿内や宇佐や津嶋縣と並んで
素賀国造が選定された理由とか、
尾張の朝日遺跡の逆茂木の話でも可
24名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 01:35:04 ID:CLbCCDpK0
饒速日の都じゃないの?
25名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 01:38:15 ID:V9zzohb10
京都に遷都したので奈良の遺跡が残っていたんだね。良かった。

同じように明治政府も、別の所で明治の首都を作っていたら良かったのに、江戸悲惨。
26名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 01:40:46 ID:US8Ck9UT0
【社会】男性の腕が乳房に挟まり脱出不可能に (09/03/23)
http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/occult/1237784198/
27名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 01:41:03 ID:TdgG6amc0

在日の方々の立派な志、確かに拝見致しました。日本で生まれ育ちながらも、朝鮮民族としての埃(ホコリ)を失わないその姿勢に、驚愕しますた。
日本国民の皆さま、長文となりますが、ぜひ下記をご覧下さい。

‐以下コピペ‐
年金支給や参政権は自民党政権では無理でしたが民主党政権なら実現できます。
日本の政治を我々が動かすことができる時代がこれから来ます。
目の前の気になることは少し目をつむって将来の我々の大きな勝利のために進みましょう。

とにかくこれから2年は忙しくなります。
次の衆議院選挙は2009年の9月。
ここでも民主党に過半数を獲得してもらう必要があります。
そのためには良識ある日本人をもっとたくさん増やす必要があります。
この記念すべき2009年のために戦後我々の同胞たちは日本のマスコミ各社に同胞を送り込み、日本人の良心の改革を進めてきました。
その結果が今回の選挙でようやく出てきましたね。
〜中略〜
日本の一般国民も今は年金や不祥事なんかの目の前のことだけしか見てませんしね。
マスコミもそういうところをどんどんやりますから都合がいいですよ。
笑いが出るくらいです。
とにかく日本の左派はまだまだ利用できます。
とくに日本が嫌いな日本人がいるというのはおもしろいですね。
十分使えます。日本憲法改悪反対派の議員たちをもう一度洗い出しましょう。
護憲派の人たちは我々と考えが似ていますから、まだ利用できます。
同じような人たちは自民党にもいます。落選議員に活動資金を献金するといった方法で良心を目覚めさせることも簡単でしょう。

民主党にはかつて北韓の辛先生の擁護をしてくれた人たちもいますし。
28名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 01:43:33 ID:V9zzohb10
>>22
当時日本には漢字が無かった。よって自主提出はありえない。
お決まりごとのように中国が周辺蛮人への当て字で野蛮な漢字を使った。


中学の世界史で「中国人は中華思想があり、周辺民族に野蛮な漢字の名前をつけまくった」と教わらなかった?
その中学の世界史の先生、「第二次世界大戦でアジア人の日本が戦ったのに励まされて世界中の植民地が独立運動を始めた」と言っていたなぁ。

29名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 01:47:18 ID:jY2Tkdb+0
卑弥呼って言うと手塚治虫の火の鳥でおっぱいもげちゃった卑弥呼を思い出す
30名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 01:48:45 ID:hx80evaK0
しかし邪馬台国論争華やかりし頃、九州説に人生かけた市井の研究家っているわけじゃん?

そう言う人たちって今日の畿内説の隆盛をどうみてるんだろうな?

まあ金印でも出ない限り完全決着は無いにしろ
この勢いが逆転するようなネタって想像もできないwww

31名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 01:50:32 ID:HV/6tZBg0
>>28
するってーとですよ。
当時の支那の発音で「邪馬台=やまたい」だったんですかね?
32名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 01:56:00 ID:7WgP78ZJ0
>>31
ドキュメンタリーで見たことあるんだが、当時の中国の発音で「ヤマトゥ」みたいに
発音するらしい。
33名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 02:17:45 ID:jHM2ln4pO
前スレ990だったかな。
他の人へのレスだったけど、神話の時間軸は人の世の時間軸とは違うよ。
例えば、古代部族は大抵祖先神がいて初代の部族長と繋がっている。
この部族が他の部族と戦争すると神話、神様の世界で神様同士も戦争をする。
で勝ったら神様も勝つ。これが神話に反映される。
するとあら不思議。祖先神の逸話が増えました。初代の部族長の子孫の出来事の投影なのに。
他の神様を従えた話が神話に登場。その神様の子孫が祖先神からの配下になっちゃった。
という感じとか、百年後の話が神話の同じ話に付加されて神様増えていたり。
神話は物語の進行が人間の歴史と同じというわけじゃない。
34名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 02:18:22 ID:tW/+r3rr0
結局、箸墓古墳がヒミコの墓でFAなのか?
35名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 02:19:01 ID:vCHW6XBz0
宮内庁が天皇陵とされるものの調査に、
難色を示しているのは、
何らかの法的根拠があるのかね。


国民の多くは、古墳の主の子孫だから、
当然知る権利がある。
天皇家だけが独り占めするのはおかしいだろう。

それとも何か、都合が悪いことでもあるのかね。
36名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 02:21:48 ID:mXMX/1y20
九州から近畿まで全域支配していて両方邪馬台国だった説はないのか
37名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 02:24:02 ID:DBkJWAgI0
>>31
古代中国、魏の発音がどうだったかって話だから
誰も断言はできない。
「日曜特集新世界紀行」で、井沢元彦が中国人の研究家に
発音してもらっていたけど
38名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 02:26:36 ID:QxS+WGL10
>>36
邪馬台国は30ヶ国の連合体のひとつ。
女王がいた国。
畿内説は九州から畿内まで支配してて、邪馬台国は畿内。
九州説は九州内だけの連合国。
39名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 02:31:15 ID:cQfmt0u80
世の中に、南紀に いらないもの 二階俊博経済産業相 害毒

ことごとく はずす 東大地震研究利権 3000億

東海、東南海  富士山噴火 400年周期 1000年周期
http://www.bo-sai.co.jp/tounankai1.htm

NHKの津波の映像 スーパー林道  農林利権の1兆円

同和利権  15年で 15兆円

高速道路 8キロの新宮 勝浦ー二階俊博 バイバス 1240億円 

熊野 七里御浜ー新宮 活断層の巣 20キロ  地すべりだ !!

おいおい 見てみろ 宮城県と形が 似てるぞ

40名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 02:57:01 ID:dskePyYW0
で、結局どっちなんだ?
41名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 03:02:19 ID:giaNuFY50
>9
そうだよ。ってか同一です。
シナ人は言霊主義でネガティブな当て字「邪、卑」を使って表記した。
邪馬台国=大和国、卑弥呼=姫巫女
42名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 03:12:22 ID:HB9+Rzri0
九州にも、山門(やまと)というところがある。
大和をなぜやまとと読むかも謎
43名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 03:19:34 ID:yndhj67q0
「倭人在帶方東南大海之中、依山島爲國邑」
倭人は帯方郡の東南の海にいて、山勝ちな島に住み国を作っている。

「舊百餘國、漢時有朝見者。今使譯所通三十國」
昔は百以上の国があって、漢の時には朝見する国もあった。
現在は、使訳が通じるところは30の国がある。

「從郡至倭、循海岸水行、歴韓國、乍南乍東、到其北岸狗邪韓國、七千餘里」
(帯方)郡から倭へ行くには、海岸に沿って水行し、韓国をへて、南へ行ったり東へ行ったりして、
その北岸に当たる狗邪韓國につく。ここまで、七千余里。
●「到」を使っている。狗邪韓国は朝鮮半島南部とされる。

「始度一海、千餘里至對馬國」
始めて海を渡り、千余里で対馬国につく。

「又南渡一海千餘里、名曰瀚海。至一大國」
再び“瀚海”という名の海を渡り、千余里で一支国につく。
●壱岐とされる。

「又渡一海、千餘里至末盧國」
さらにもう一度海を渡り、千余里で末盧国につく。
●佐賀の松浦半島とされる。ただ根拠は名前が似てるというだけ。

「東南陸行五百里、到伊都國」
陸地を東南に五百里進むと伊都国につく。
●「到」を使っているのは狗邪韓國と伊都国だけ。至と違いはあるのかないのか。
福岡の糸島半島とされるがこれも名前が似てるから。

「東南至奴國百里」
東南に進むと、百里で奴国につく。
44名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 03:21:13 ID:+lWjgjXS0
>>40
ぶっちゃけ、学会の空気は73で大勢は邪馬台国畿内説。
ただネット内はなぜか九州説がすごいw
2ちゃんでも日本史板のぞいてみると邪馬台国畿内説批判の大合唱だ。
麻生支持率のネット内外での格差を彷彿とさせる
45名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 03:21:50 ID:yndhj67q0
「東行至不彌國百里」
東へ行くと、百里で不彌国につく。
●ここだけ「行」が入っている。だから使者が実際に行ったのは不弥国だけという説あり。

「南至投馬國水行二十日」
南に二十日水行すると投馬国につく。
●今まで方角と距離だったのに、ここから方角と日数に変わる。

「南至邪馬壹國、女王之所都、水行十日、陸行一月」
南に十日水上を進み一月陸を進むと邪馬台国に着く。女王が都をおくところ。

「其南有狗奴國。男子爲王。其官有狗古智卑狗。不屬女王」
その南に、狗奴国がある。王は男である。
狗奴国の官を“狗古智卑狗”という。女王に従わない国である。

「自郡至女王國萬二千餘里」
(帯方)郡から女王国までは、一万二千余里である。

「自女王國以北 其戸數道里可得略載 其餘旁國遠絶 不可得詳」
女王国から北は、その戸数、道里をわずかに記載できたが、
それ以外の隣国は絶遠しており、詳細を得られなかった
●つまり上記で道程を書いた国は女王国より北にある。

「女王國東渡海千餘里、復有國、皆倭種」
女王国の東に海を渡ること千余里、また国がある。いずれも倭人である。

「有侏儒國在其南、人長三四尺、去女王四千餘里」
その南に侏儒(こびと)国が在り、身長は三、四尺、女王国から四千余里。

「又有裸國、黒歯國復在其東南、船行一年可至參問倭地、絶在海中洲島之上、或絶或連、周旋可五千餘里」
また、その東南に裸国や黒歯国も在り、船で行くこと一年で至る。倭の地と比較して訊いてみると、絶海の中央の島の上に在り、
隔絶あるいは連結し、周囲を旋回すること五千余里ほど。
46名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 03:28:24 ID:XtAuUoF4O
>>27
ほんと自民党プロ固定は24時間不眠不休だな
2ちゃんの運営と提携でもしてるのか
47名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 03:29:18 ID:cQfmt0u80
やみ専従 やみ年金の反逆 反貧困で反逆

やみ専従 やみ年金の反逆 反貧困で反逆

もしもし やみ専従 やみ年金は 大阪市の市役所の地下2階です。

もしもし やみ建設 やみ増築 大阪市は いっぱい

上町活断層にびびって 調査かよ

やみ建設 やみ増築 大阪市は いっぱい



反貧困



反貧困 



反貧困



48名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 03:29:46 ID:Z0NDIAYyO
〉〉35
天皇陵は、天皇家の私有財産みたいな法区分だったと思う。
お前の爺さんや婆さんの墓他人が荒らしちゃいかんだろって話。
49名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 03:34:19 ID:dskePyYW0
>>44
分かりやすい説明あり。

そかー、学会では近畿説のが濃厚なんだ。
ちょっと興味出てきた。
ちょうど休みだし、日本史板いってこようかなw
50名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 03:34:37 ID:Un8qcbO3O
原人偽造教授の時にも実は煽ったのはマスコミくせに
まだ懲りずに卑弥呼なんて書いて煽ぐのかよw
51名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 03:39:52 ID:MFuTbVP1O
かしこ、かしこまりました、かしこ〜
52名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 03:49:36 ID:giaNuFY50
九州説は邪馬台国と大和国を別物と解釈するから、異常な跳躍をせざるを得なかった。
で無理やりに大和は大陸騎馬民族の征服王朝です。関連性はありません。突如出現したのですwww 

そう!とっくに彼らは敗れ去っていた。でもまぁ〜楽しく空想する分にはいいじゃん。どうぞお続けください。
53名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 03:53:02 ID:iKhOdBkG0
ゴットハンドwwww

あれ?
54名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 03:57:22 ID:hx80evaK0
>>49
老婆心ながら付け加えておくと日本史板の九州説は大部分が
「東遷説」とか「九州王朝説」、あるいはそれらの亜流だからw

リアルの九州説の傾向ともまた違うwww
55名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 04:03:45 ID:BQg9Tzb60
デラックス東寺のすぐそばに張り出し舞台があったとは。。。




デラックス東寺、是非再現企画をおながいします。
見に行きますんで。


56名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 04:09:15 ID:MvfguxEz0
普通に考えて卑弥呼は宇佐の人間
57名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 04:10:14 ID:Z0NDIAYyO
正直九州説は、宮崎や西都原あたりか山門が最後の砦。
マキムクのモモソヒメ説には、かなり説得力があるからね。
58名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 04:12:43 ID:5KOkCoI50
そんなことより、縄文時代をちゃんと学校で教えてもらいたいよ。
16000年前から自分たちの先祖は素晴らしい技術を持っており
他の地域との交流もあったことなんか全然教えない。
これは日本という国の『根っこ』の部分だと思うんだ。
59名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 04:16:57 ID:hx80evaK0
>>57
あくまで九州説の中だけで言えば

ツクシ説が本命保守本流
大穴として日向等の南九州説

後者は考古学的研究があまり進んでいないのが逆に強みw
それだけ想像できる 余白 が大きいからねwww



60名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 04:20:15 ID:+lWjgjXS0
>>58
縄文マニアからいわせてもらうと
「縄文=日本の根っこ」とかいう言い方も
いろいろ問題がありまして
61名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 04:23:00 ID:hx80evaK0
>>60
素朴な疑問、なんで日本の土器ってあんなに古いん?

ぶっちゃけ
「少なくともアジアの土器発祥は日本だ!」
と言っても良いぐらいやん?w
(まあ奥ゆかしい日本人はそんな事は言わないがw)
62名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 04:26:51 ID:p3wk7Xws0
日本の考古学ってどこまで信用できるの?
63名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 04:27:20 ID:kcy+0aWs0
邪馬台国って魏志倭人伝にしか記録がないの?
昔は日本の古代王朝という認識だったから九州説に?だったけど、
漢人が接触した国なら九州の国の可能性は大きいんだな
64名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 04:31:31 ID:h0JQ+csE0
>>41
何となく変に感じてたが知識がないから、昔は良い意味?ぐらいに考えてた。
そういう事なのね。
可愛いけどIMEで出ないのね・・・
65名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 04:32:15 ID:UUlHzrnw0
>>59
ツクシじゃ、海路陸路何十日もかけて行く理由がわからんな
やっぱり日向かな。
66名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 04:33:04 ID:VSmZSHaI0
>>54
ようするに
シナに朝貢してたような低劣な王権が
わが神聖なる大和王権と同一のものであるはずがない

というきわめて政治的な主張を含むものなんだろう
こういう連中は古代史だろうがなんだろうがすべてに
民族主義を持ち込んでくる朝鮮人と精神構造が似通ってると思うね

日本人としてきわめて恥ずかしいことだ
67名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 04:36:33 ID:5KOkCoI50
>>60
民族の出入りが激しかったのは確かですが
そこに土着していた人々が日本の礎を築いた
というのは間違いないと思うのです。
68名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 04:37:09 ID:+lWjgjXS0
>>61
土器の発生については、考古学的資料に乏しく、むずかしいところですが、少なくとも
「日本列島内で独自に土器が生まれた」説をまともに主張する論者は少ないと思います。
69名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 04:40:56 ID:2c9PY4YL0
神武天皇が熊野から攻め上り大和の南端を支配した。
神武=熊襲(熊野から襲ってきた日向の人)。
で、卑弥呼は使者を魏に送り、軍事支援を要請した。
その時にもらった鏡を各地の豪族に贈り、魏との友好関係をPR。
動揺した邪馬台国連合の結束に利用した。
70名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 04:44:44 ID:UUlHzrnw0
>>67
USAの礎を築いたのはピルグリム・ファーザーズじゃないかなぁ
71名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 04:46:53 ID:0yj4OnON0
卑弥呼って、中国の使者が来たときたまたまそこを統治していたってだけで
特に誰であるとも特定できないんじゃないかな
72名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 04:52:06 ID:5KOkCoI50
>>70
ええ、USAに関してはそうだと思います。
原住民の神話や伝承は国家の成り立ちに、絡んでないですからね。
73名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 05:02:00 ID:+WzsXx2DP
学会が畿内説を有力視してる一番の根拠ってのは何なの?

魏志倭人伝をそのまま受け止めれば、九州にあったと考える方が
しっくり来るし、太陽の方向に大阪、奈良と遷都しながら、
東征していったと考えるのが一番しっくり来るんだけど。
74名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 05:04:16 ID:NA7g44Ta0
「卑弥呼」は「ひみこ」ではなく「ひみを」であり「ピミウォ」である。これ豆知識な。
「呼」は中国語ではコという音じゃない。
75名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 05:05:53 ID:mtySfdNjO
>>63
倭国大乱に関しては複数あります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%80%AD%E5%9B%BD%E5%A4%A7%E4%B9%B1
76名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 05:07:39 ID:ObMleEbq0
縄文人が確立した建築技術は、平安時代の寺院建築などにも受け継がれている
彼らは巨木文化といって大きな丸太を引き回し、それを建てて崇めたが、現代にもその信仰は続いている
77名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 05:09:33 ID:+lWjgjXS0
>>67
8世紀に完成した記紀神話のなかに、縄文時代の痕跡を読み取ろうとする論者は
確かに居ます。この人たちは、なぜかみな文才あふれていて、読んでて引き込まれてしまう。
ただ、多くの研究者からは黙殺されているのが実情
78名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 05:10:53 ID:iOhWjNFg0
要するに邪馬台国が大きな国で、
それに匹敵する遺跡が纒向だからってだけでしょ。

その程度の大国は、遺跡が見つかってないだけで
日本各地にあったって別に不思議じゃない。
というより当然じゃね。

畿内説は、日本で発展してたのは畿内だけで
後は未開みたいな前提があるんじゃね
79名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 05:13:15 ID:8kG5hUPm0
80名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 05:14:23 ID:ObMleEbq0
あと象を訓読みで"キサ"と読むのは縄文語の名残だという説がある
日本列島に象がいたのは1万年以上前なのに、その大和言葉があるのは継承されたからだというんだな
81名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 05:16:10 ID:+lWjgjXS0
>>76
嘘嘘w。
のちの寺院建築と、縄文巨木建築とは全く無関係。
つか、縄文巨木建築の実態すらよくわかってない
82名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 05:18:18 ID:ObMleEbq0
>>81
前段と後段は別の話をしてるんだけど?
83名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 05:19:38 ID:V9zzohb10
>>68
土器なんて簡単じゃない。

火はあった。
火を焚いている時に近くにあった粘土が固くなることぐらいちょっとした観察眼があればすぐわかる。
その硬くなる土を器の形にして利用しようと考える知恵はすぐ浮かぶと思うよ。
84名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 05:20:45 ID:EZHZnigX0
>>80
象は来てなくても、象牙が輸入されてるだろ
85名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 05:21:59 ID:hx80evaK0
>>78
畿内説の批判をしているつもりなら全くのピンとはずれだなw

各地域の発展があればこそ畿内説の言う「首長連合」は成り立つ。

纏向はその連合体の中心と言う位置づけ。
86名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 05:23:46 ID:+lWjgjXS0
>>82
前段ってこれ?
>縄文人が確立した建築技術は、平安時代の寺院建築などにも受け継がれている

まずこれが駄目なんじゃないの?
87名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 05:24:32 ID:ObMleEbq0
>>84
象牙が"輸入"されたものならば音読みを当てるんじゃねえの
そして実物の象をしらないのだから、加工された象牙を見たって
それがなんの生き物の牙だなんてわかるのか?
88名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 05:25:31 ID:YcTnP/GZO
>>9
他に邪馬国というのも近隣にあったので、国名にヤマを付けるのはポピュラーなこと。
山口県と山形県は似て非なるものと同じ。山梨県は論外。
89名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 05:26:41 ID:ObMleEbq0
>>86
ほぞ穴もワタリアゴも縄文で確立し、そのご延々と使われてるじゃん
そんなの常識だろうよ、大丈夫お前
90名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 05:28:06 ID:+lWjgjXS0
>>83
そういう議論は当然
なんどもなんどもかわされたことで
91名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 05:29:11 ID:wwCSxDtw0
>>78
>畿内説は、日本で発展してたのは畿内だけで
>後は未開みたいな前提があるんじゃね

違います。

昔はともかく、現在は多くの考古学者が、1世紀後半から3世紀初頭までぐらいの
通常「弥生時代後期」と呼ばれる時期には、北部九州はもとより、
出雲・丹後・越前・吉備、それから東海地方も四国も、相当な発展を遂げており、
各地首長の墓の中には「王墓」と考えざるを得ない卓越した内容を持つものも
出てきている、と考えています。
92名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 05:30:52 ID:6tnIi073O
歴史学ってのは、理系分野での実験→フィードバックと同様に進めないと、ただの妄想になる。
調査報告の提示をして、考察を発表し、否定出来ない論を積み重ねるのが学問だ。

現時点で、どちらにも反論の余地があるのに断言してる奴は学問の徒ではない。
93名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 05:31:28 ID:hx80evaK0
そういえば纏向の大溝の護岸に使われた技術で

杭の側面に四角い穴をあけ、そこに板を通す「ヌキ」と言われる技術は
纏向で見られるまで鎌倉時代からと考えられていた。

・・・なんて恐ろしい話を聞いたことがあるがアレは本当なのか?www
94名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 05:34:04 ID:+lWjgjXS0
えーっと。
ほぞ穴て、「縄文以来の連続した技術」なの?
技術の連続の可否だな。
誰がそういう論文書いてるなら教えてくれませんか?
95名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 05:34:10 ID:V9zzohb10

縄文土器はすごいよ。 
良くここまで凝って遊びにふけったデザインにしたものだと感心する。それが大量に出ている。

http://www.earlywomenmasters.net/masters/jomon/index.html
http://www.dirtbrothers.org/college/introarchaeology.html
http://www.artsconnected.org/art_collector/viewer/print.cfm?cid=32594
http://www.jayneshatzpottery.com/JAPANESEFOLKPOTTERY.html
96名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 05:36:02 ID:ObMleEbq0
そもそも縄文人の大部分は竪穴式住居に住んでいた
これは鎌倉時代直前まで日本の一般庶民が途切れずに使った様式
97名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 05:36:26 ID:YcTnP/GZO
>>69
奈良盆地で攻め込まれて大変な時に中国に「助けてー援軍寄越してー!」は無いと思う。
半島に対してすら無いと思う。
一国に攻められてそれじゃ他の女王国連合ってどこまで弱体の極みなんだよ。
東海から九州まで女王国連合なんだよね?畿内説は。
98名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 05:38:54 ID:ZCl94m+qO
水行十日陸行一月ならいくら古代でも青森じゃないか?
99名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 05:41:09 ID:ObMleEbq0
>>94
法隆寺で使われた技術は元々大陸から渡ってきたものだと思われていた
しかし縄文遺跡からホゾ穴、ワタリアゴを使った部材が発掘されたわけ

論文を読んだことはございません
たしかこの話は、今じゃ中学生の教科書にも載ってるはず
100名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 05:42:23 ID:+lWjgjXS0
>>96
あなたの主張はわかったから
「縄文遺跡のほぞ穴と古代建築の連続性」について
なんか論文を教えてください。
101名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 05:44:01 ID:EZHZnigX0
>>87
>音読みを当てるんじゃねえの
そんなことはない。飛鳥時代に渡来したロバにも「うさぎうま」の訓がある。

>実物の象をしらないのだから
象は麒麟・獅子・バクなんかと同じで霊獣の類と考えられていたんだよ。
102名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 05:44:39 ID:5KOkCoI50
>>95
どれもかっこいいです!
103名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 05:46:42 ID:9tI0Hc/R0
特集番組みたいけど、どの民放がやっても反日捏造しそう。
力をもったまとなマスコミがないことは悲劇だ。
104名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 05:47:23 ID:FNhs84iFO
箸墓の百襲姫が卑弥呼だとすると、大物主との関係はどうなる?
単に神と巫女という関係なのか、それとも婚姻関係があったのか?
出雲族を大和に完全に吸収する為の政略結婚の一つなのか?
そういえば、神武妃の五十鈴姫も大物主の出雲族なわけで・・。

その後、大物主の子孫の大神(おおみわ)氏は天皇家の側近を務めたが、
三輪高市麻呂の失脚以降は藤原氏の勢力に圧され影が薄くなる。

その大神氏の一族が大神(おおが)氏として九州にかなり広がっている。
宇佐八幡を創ったのが大神比義。緒方三郎惟栄は本姓は大神惟栄 。
と考えると、大和と出雲そして九州勢力にも絡む大神氏が気になる。

余談だが、諏訪氏も元は神(みわ)氏だという。
大物主の子孫の一つが加茂氏だが、徳川家康には加茂氏説があるね。
105名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 05:48:09 ID:iTkyF04HO
元石原軍団の苅谷俊介が見つけたんだから
苅谷遺跡にしろお( ^ω^)
106名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 05:48:24 ID:ObMleEbq0
>>100
論文は知らないと言ってるんだよ、読んでねえもん
逆に言えばなんで論文を読まなければ2ちゃんで発言できないんだよ
同じ列島で高層建築を建てる際の技術が違う時代に使われているんだよ
なぜそれをいちいち分断されていたと仮定しなけりゃならんのだ
107名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 05:51:22 ID:ObMleEbq0
>>101
ロバが渡来してそれを実際に見て訓を当てたのと
室町時代まで日本人が知らない筈だった象に訓読みがある事実を同列で論じる理由が分らん
108名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 05:51:45 ID:+lWjgjXS0
>>106
俺のかきこみが愚図で
なんかへんなやりとりになった。すまない。
109名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 05:52:48 ID:+WzsXx2DP
>>79
ありがとん。
そこ読む限り、北九州弥生文化と畿内弥生文化は
同時並行的に発達していたってことかぁ。
年輪年代法の開発により畿内弥生文化の古さが科学的に証明されたと。
大阪全域で遺跡発掘調査できれば、古代史は大きな進展があるのかもね。
110名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 05:53:05 ID:9b9//eKm0
先ほどヤフオクで買ったタイムマシンに乗って邪馬台国を見に行ったのですが、いつの時代にも存在しませんでした。
いたのは猿ばっか!
111名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 05:53:33 ID:CYUQQPBJ0
邪馬台国なら大麻を栽培していたはずです。
どんな立派な遺跡も、大麻の栽培跡がなければ邪馬台国とは言えません。
大麻なくして鬼道なし。鬼道なくして卑弥呼なし。
112名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 05:53:46 ID:YcTnP/GZO
>>98
陸なら10日水上なら一ヶ月という説も有り。
一ヶ月って青森まで行ける?酷い獣道しか無かったってさ、日本には。
113名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 05:54:48 ID:UUlHzrnw0
>>98
紀貫之が高知から京都まで何十日かかったと思ってるんだ

>>107
虎にも訓があるし、竜にすら訓があるな
114名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 05:59:02 ID:TL/x6B4MO
>>107
もともと「きさ=象牙」。象が視覚的にイメージされる
ようになってから、「きさ=象」に転じたんだろ。
115名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 05:59:07 ID:5KOkCoI50
>>111
楽しい人だなあ
116名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 06:15:31 ID:Fj/knL4I0
稲やカラムシを植え、蚕を飼い糸を紡ぎ、カラムシの布や絹木綿を作っている。
牛、馬、虎、豹、羊、カササギ等はいない。

倭は真珠、青玉、丹を産出する。
木は、ユズリハ、ナラ、クス、ボケ、クヌギ、スギ、カシ、ヤマグワ、カエデがある。
竹は、シノ、ヤダケ、カズラダケがある。
ショウガ、タチバナ、サンショ、ミョウガがあるが食べられる事を知らない。
動物は、オオザル、サル、キジなどがいる。

兵には矛、盾、木弓を用いる。木弓は下が短く上が長い。
竹の矢のやじりは鉄か骨である。

有無するところ、タンジ、シュガイ(海南島の地名)と同じである。

倭地温暖。冬でも夏でも生野菜を食べ、はだしである。
家はあり父母と兄弟は寝るところが違う。

朱丹を体に塗っているが中国人がおしろいを塗っているようなものだ。
食事は高盃に盛って手で食べている。
117名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 06:20:54 ID:MfFRmNdp0
日本語と同系列の言語が大陸に見あたらない以上、
縄文人も現代の日本人も同じ言語を喋っていたのは間違いないけどね。
むろん、時代時代で大きく変化はしてきたが。
118名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 06:34:26 ID:6DCypvoY0
年輪年代法はまだまだ資料不足。
法隆寺の創建が百年はやまるなんていってるし・・。
またアメリカにある年輪の資料と比較せねばならないという欠陥がある。
年代が確実な北部九州の木材を調べれば解決するが、
119名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 06:36:32 ID:f2ORfR/Q0
ヒミコってかわいかったの?
120名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 06:41:19 ID:XUve/73y0
>>119
おまいは無双OROCHIでもやってろ

魏志倭人伝には
かなりの年齢になっても夫はなく独身だったと書いてある
121名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 06:43:55 ID:UUlHzrnw0
>>117
マダガスカルの言語もアフリカ大陸と同系の言語は見あたらないようだが
インドネシアやフィリピンの言語と同系
122名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 06:46:41 ID:9tiZqMqo0
>>91
おそらく以下のような墳墓が、纏向遺跡に先立つ列島各地の王墓として挙げられるだろう。


・西谷3号墓 島根県出雲市
http://www.izumo.ed.jp/orochinet/study/naruhodo/nishidani/s1/oubo/htm/ob_f2.htm

・楯築墳丘墓 岡山県倉敷市
http://home.s01.itscom.net/sahara/stone/s_chugoku/022_tatetuki/022.htm

・大風呂南1号墓 京都府与謝郡与謝野町
http://inoues.net/tango/ohburo_minami.html

・小羽山30号墓 福井県福井市
http://www.city.fukui.lg.jp/d620/s-kyoiku/siseki/jyomon/oba1.html


不思議なのは、こうした王墓的な規模の大きい墓が、大和では纏向遺跡よりも前には見つかっていないこと。
大和では纏向遺跡が突如として表れ、数十年で急速に成長し、ついには箸墓古墳のような大王墓を築き上げるのだ。


123名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 06:47:49 ID:MfFRmNdp0
>>121
ふ〜ん。
じゃあ日本とは違うね、日本語は孤立言語だからな。

つか、なんの話?
124名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 06:48:08 ID:FUM3oLrfO
実際卑弥呼なんていなかったんじゃあないかの。 三国志演技も架空の人物いるみたいやん。倭人伝に、適当に書いた可能性もありなわけやろ??
125名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 06:51:37 ID:ZCl94m+qO
>>112
船で十日なら新潟は楽勝だろ。そこから一月あれば青森は堅いな。
瀬戸内海いくなら船で大阪湾まで楽勝というか十日もかからない。そこから一月なら関東行けるね。
獣道ってことは無いよ。
126名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 06:54:23 ID:XUve/73y0
>>116
魏志倭人伝にははっきりと
邪馬台国は旅程からいって会稽、東冶の東方にあるはずだという推測が書いてある
東冶は会稽郡の一部で、会稽郡は浙江省から福建省にかけての華中長江下流域に広がる大きな郡だ

この地域は春秋戦国は越の故地で
前漢時代には東越、?越という異民族の独立王国があったところだ
その風俗は魏志倭人伝に描かれている倭国の風俗と良く似ている

つまり当時の中国からみると
越と風俗が似ていて湿潤温暖なモンスーン気候に属する日本列島の地理的位置は
実際よりも南方にあるはずだという認識があったと考えられる
福建省の東方だと今の台湾になるからね
127名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 07:03:00 ID:XUve/73y0
>>124
三国志演義は明の時代に完成した小説だから架空の人物がいても当然

三国志の著者は陳寿で
卑弥呼が死んだと思われる250年ごろにはすでに生まれてたから
魏志倭人伝はほぼ同時代の人間の記録と考えていい

つまり他に例のない同時代の記録だから一目置かれてるだけで
書かれている内容の一字一句まで正しいとは誰も考えていない

批判はけっこうだが、もうすこし理知的な内容で頼むな
128名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 07:06:32 ID:p+Z9LLk+O
>>63
魏史倭人伝なんて史書は存在しないけどな

それはともかく、晋の官僚が「最近朝鮮半島方面から帰ってきた人から聞いた東方
の国々のお話」を記録したに過ぎないモノだから
その東から帰ってきた人自体、日本に来たワケじゃないし

明帝に日本から朝貢があったのはおそらく事実だろうが、
呉も別の日本の有力国と接触してるハズ

東夷伝やら方技伝の類は与太話くらいに思っていい
129名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 07:15:09 ID:6DCypvoY0
>995
銅に含まれている鉛の同位体から計測している。
三角縁は国産鏡
あれは鏡を作る金属には主に3種類いる。
銅、錫、鉛
このうち、鉛だけは中国からの輸入品の可能性。
倭人伝にも「賜鉛丹各五十斤」とある。

日本はそもそも古代から銅産出国だった。
江戸時代の生産量は世界一。
だから銅矛、銅剣、銅鐸などたくさん製造できた。
だから神社も銅瓦なわけで。

「銅の成分から生産地を決めるのはおかしい」
とは石野博信(大和説)の考え。
その鏡の出土地の中心が生産拠点と考えるべきなのが定説。
そもそも中国の学者でさえ三角縁は日本製と言ってる。
三角縁魏晋鏡説はカルト的な大和説の学者の特殊な説なのです。
日本製の車を分析しても成分は海外産ばかりなのといっしよ
130名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 07:24:43 ID:xRVrXiqVO
しかし、畿内説、九州説結論が出るのはタイムマシンが開発されるまで待つしかなかった。
131名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 07:26:39 ID:jHM2ln4pO
>>113
行程日数は距離とイコールにはならないよ。
土佐なんて今だって日本の中では便の悪い地域だし。
難儀な陸路があるルートより水路の方が距離があっても早かったりする。
東北は太平洋側の陸路よりもずっと古くから日本海の水路が拓けていて、秋田へ
の陸路が整備されたのは奈良時代、藤原仲麻呂の時。
132名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 07:28:30 ID:S73LZ/fF0
日巫女or日神子or日皇女⇒卑弥呼ってな具合に自らを宗主国と考えた
当時の中国がわざわざ卑称を使ってたわけだから、邪馬台国だってヤマト国の
当て字だろ普通に。
133名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 07:28:57 ID:XUve/73y0
>>129
これによると鉛じゃないな
この研究では微量の銀とアンチモンの割合から銅の生産地を割り出している

■ SPring8による泉屋博古館所有の鏡の分析結果(発表資料による)

鏡の材料に含まれる微量の銀とアンチモンの割合を分析した結果、
調査対象とした泉屋博古館収蔵の青銅鏡95面は下記の4グループに分けられたという。

1 戦国時代〜秦時代グループ(中国:紀元前3世紀)
2 前漢前期グループ(中国:紀元前2世紀)
3 前漢後期〜三国西晋時代グループ(中国:紀元前1世紀〜紀元3世紀)
4 古墳時代グループ(日本:紀元3世紀〜5世紀)

3のグループの三国西晋時代の神獣鏡は、同時期の他の鏡に比べ数値が集中しているが、
三角縁神獣鏡については、舶載(中国製)と考えられる6面は
すべて中国の三国西晋時代神獣鏡の狭い分布範囲に入り、
日本製と考えられる2面はいずれも古墳時代の日本製鏡の分布範囲に入った。

で、日本が銅の産出国であって銅鏡を製造するのに銅を輸入するまでもないのであるなら
なおさら中国産の銅を使った銅鏡は中国製である可能性が高くなるわけだ。
もっとも鏡を作ったのがどこなのかについての個人的な意見は保留しとくけどな
134名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 07:39:26 ID:ZCl94m+qO
邪馬台国はエジプト
135名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 07:40:15 ID:aBxqm7HU0
大和大国の姫巫女だろ

"邪"馬台国だの"卑"弥呼だの
中華あて字から脱却したいよ
136名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 07:43:09 ID:o7XNLRgBO
「箸墓古墳が卑弥呼の墓」って話は、
トンデモ史観?
137名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 07:47:35 ID:XUve/73y0
>>136
箸墓の築造年代は
現在では3世紀半ばすぎと推定されているから
250年頃に死んでそのあとにツカが作られたと記されている
卑弥呼の墓とみても何もおかしくはない

箸墓=卑弥呼の墓説はけっこう古い時代(江戸時代ごろ)からあって
最近まで箸墓はもっと後の時代に作られたものだと考えられていたから
トンデモ説扱いされてた時代もあった
138名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 08:07:10 ID:E0YVnyhU0
>>30
もともと九州説は、学会権力に対するアンチテーゼとして発生してるからな。
権威である大学の先生に市中の研究家が反論できたのが爽快だったというだけで、
強い論拠があったわけじゃないから、遺跡による証拠固めが始まったら対抗できないだろ。
妄想のなかでは対抗してるんだろうけど・・・
139名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 08:11:32 ID:tZRih4r10
>>25
古墳時代の遺跡に関して言えば、
当時関東の中心だった埼玉の方がずっと重要なので、
首都を東京に作って良かったと言える。
140名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 08:14:04 ID:XUve/73y0
>>138
最近は
九州説に有利な考古学的発見が皆無に近いから
いまの九州説論者のできることは
自説の補強じゃなくて畿内説にケチつけることだけだ

このスレみてもまともな批判さえできないのが多いし
141名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 08:14:44 ID:tZRih4r10
> 結局、箸墓古墳がヒミコの墓でFAなのか?

畿内説を取るとしても、
箸墓がヒミコの墓だとするのは、
考古学的には全く根拠がない。
142名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 08:19:29 ID:tZRih4r10
>>78
> 要するに邪馬台国が大きな国で、
> それに匹敵する遺跡が纒向だからってだけでしょ。

全然違うよ。
纒向が巨大古墳を有する最初の大和の遺跡だからだよ。
今のところ「大きな国」であった根拠は全くない。
生活遺構がまるでなくて、祭祀遺構ばかり。
墓域とか聖域という学者がいるくらい。
143名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 08:22:28 ID:tZRih4r10
>>91
大体、纒向で発見されたどの建物跡よりも、
東北の縄文時代の大型建物の方が大きいくらいだからね。
纒向が発達したクニとか都市と考えている人は一人もいない。
散々掘っても何も出てこないのだから。
ただし最古の古墳があって、祭祀跡の発掘が異常に多い。
144名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 08:25:51 ID:y5N7Apsu0
>>141
可能性はある、しかし箸墓古墳=ヒミコの墓と断定するのは現在の状況じゃ無理、ということだろうな。
もっと発掘しないとな。陵墓もな。
145名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 08:26:02 ID:mHx4Z2V00
姫巫女
146名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 08:28:39 ID:YcTnP/GZO
>>141
マキムクを掘ったら一緒に埋葬された奴卑達がザクザク出てくるわけですね、わかります。
147名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 08:29:07 ID:tZRih4r10
>>118
> またアメリカにある年輪の資料と比較せねばならないという欠陥がある。

いろいろ批判があるけど日本でも資料を作ってるよ。
奈良の人たちは完成したと言っている。

148名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 08:31:14 ID:VX+JehZg0
上のレスを読ませていただいたが
九州説論者は見苦しい。
何度も論破されたことを必死になって主張している。
やはり九州説論者って、在野で九州説を商売として扱ってきたから
いまさら、後には引けない感じなんだろうけど。
149名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 08:31:27 ID:tZRih4r10
>>137
箸墓=百襲姫の墓もまだまだ仮説に過ぎないよね。
150名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 08:33:38 ID:tT0Qtp5/0
生活の跡が見つからないのは妙だね
普段は別の所に皆で住んでて特別な時にだけ出てきたの?
151名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 08:34:20 ID:+iSMUexbO
>>9
「邪馬台」は昔の中国音で「ヤマト」と発音すると昔聞いたことがある。
152名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 08:36:50 ID:tZRih4r10
>>44
> 2ちゃんでも日本史板のぞいてみると邪馬台国畿内説批判の大合唱だ。

2ちゃんねるはともかく、
学会でも邪馬台国畿内説の各論に対する批判は多いよ。
それは考古学系の学者が、邪馬台国に狂わされてることが多いから。
1/10くらいまっとうな批判で、9/10が地域贔屓の電波。
邪馬台国って言えば予算も投入されるしね。
もともとは小林行雄が伝世説とか言い出したのが電波合戦の始まり。

153名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 08:36:52 ID:VX+JehZg0
生活の跡が見えないんではなくて
庶民が暮らすような竪穴式住居の跡が出てこないってこと。
高床式住居の跡ばかり出てくる。
高床式ってのは、身分の高い人とかが暮らすわけで。
そんな人が集結していたのが、纏向遺跡。
ちなみに、現段階で、纏向遺跡は全体の5%ぐらいしか発掘できていない。
154名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 08:39:26 ID:tZRih4r10
>>153
> ちなみに、現段階で、纏向遺跡は全体の5%ぐらいしか発掘できていない。

これは全国的に見てもかなり発掘されている方。
三内丸山とか吉野ヶ里とかより狭く特殊なものを除いて。
155名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 08:40:22 ID:NVsSKjdt0
>>151
台湾の人に聞いたことがある。(英語+筆談でw
結果、音が「ヤマト」のようで「ヤマト」でなかった…w

|-`).。oO( 方言もあるからねぇ…
156名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 08:43:57 ID:Awys78iFO
いい加減に卑弥呼って当て字を何とかしろよ
姫巫女か妃巫女だろ本来は

チャンコロのつけた蔑称なんぞをありがたがったりするから、ヤツらが勘違いすんだろが
157名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 08:45:12 ID:tZRih4r10
>>150
オオヤマト一帯を支配した支配者の王域で、
宗教的な権威を持った聖域でもあると考えれば納得が行く。
この辺りは邪馬台国を思わせるものがある。

ただ箸墓が卑弥呼の墓だというのは
考古学的には何の根拠もない。
紀記に女の墓だって書いてあるからってだけ。
それが今の箸墓古墳じゃないかというのも古伝に過ぎない。
158名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 08:45:49 ID:YcTnP/GZO
>>151
なら伊都国の都を当ててもいい。
159名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 08:48:36 ID:ZCl94m+qO
ムーにエジプトって書いてした。
160名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 08:51:54 ID:xP7sYK1bO
全員の体力特大回復
161名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 08:53:57 ID:YcTnP/GZO
1=ひ=日
2=ふ=吹く=風=空気
3=み=水
4=よ=世
5=い=聖
6=む=産
7=な=野
8=や=屋
9=こ=木
10=と=人
数字には全て自然の意味を持たせ古代の官名や名前は数字を元に付けられている。
162名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 08:59:45 ID:xzO6M0Vc0
>>161
ほほぅ、道理で>>2は空気みたいなのばっかしなわけだ
163名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 09:00:44 ID:VX+JehZg0
ここには、トンデモ説が多いが
最低、魏志倭人伝に登場する固有名詞は
当時の漢字音でなんと読んだか
調べてからにせい。
164名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 09:07:17 ID:9XlXQ+kk0
>>163
そんなにいばらないで、あんたがそれを書けばいいじゃん
165名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 09:11:36 ID:JPz9htk/0
まったくだ。
166名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 09:12:39 ID:jHM2ln4pO
ただね、歴史学者も戦後の反皇国史観や階級闘争史観などに狂わされている。
記紀がまともな検証をされ始めたのは比較的最近なんだ。
167名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 09:16:13 ID:VX+JehZg0
邪馬台国=ヤマト国
投馬国=ヅマ国
狗奴国=コノ国

おそらく、
邪馬台国・・・卑弥呼=媛命=ヤマトトトヒモモソ媛命
狗奴国・・・卑弥弓呼=彦命=武埴安彦命
168名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 09:24:07 ID:G4aEnIuU0
邪馬台国が絡むといつもながらニューススレじゃなくなるなぁ。
ν速ならいつものことだが、プラスでは珍しいような。
169名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 09:26:29 ID:Wywc9jzR0
卑弥呼とセックルしたい
当時は30そこらが寿命だろうから
卑弥呼は20代のピチピチギャル
だったんだぜ
170名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 09:38:32 ID:nfqRcqKW0
>>169
「倭人は長寿で、100歳から8、90歳まで生きる。
そして身分の高い人は妻を4,5人持ち、庶民でも二,三人は居る。」
(魏志倭人伝)
171名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 09:43:10 ID:/1ZWc97x0
172名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 09:53:51 ID:iP5GZbld0
『平城京遷都まつり』と『卑弥呼』をからめれば、

奈良観光がブレークするかもしれんな。
観光客がゆったり泊まれる宿が不足しているのがネックだが。
現状、観光客は大阪市に流れているもんな。
173名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 10:05:36 ID:+drFfqTu0
奈良で泊まるならラブホテル最強。
174名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 10:11:23 ID:0yj4OnON0
そもそも倭人伝自体がものすごくいい加減なことを書いているのに
それをまじめに議論するのが意味がないと思うんだが
175名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 10:14:48 ID:/pxtFSqm0
>>174
日本書紀を真に受けてるバカもいるけどねw
176名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 10:20:04 ID:lE6eG3h40
何故か魏志倭人伝には、当時大きな勢力だったはずの
吉備や出雲の記載が無い。

その癖、どこかもわからない投馬国なんてのを書いてある。
投馬国が出雲か吉備ならちゃんとそれに近い音の文字使って書いとけよな。
177名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 10:23:38 ID:E3f/H4730
>>176
投馬は邪馬台と違って陸行が無く水行二十日とのみ記載されているところから
島であった可能性が高いと思われます
178名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 10:28:59 ID:oMI2j4bJ0
>>176

>邪馬台国の東は海、そのむこうにも倭人の国がある

これが吉備や出雲のことじゃないの
179名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 10:35:25 ID:uvpWzD4G0
当て字そのままで
邪馬台国・・・大和王権@畿内(神武東征後)
狗奴国・・・クマソ

と考えたらすっきりするだろうに素人的には思うんだけど
いろいろ難しいんだな
180名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 10:38:17 ID:0TOG+/oG0
>>177
陸行できない四国とか?
181名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 10:44:45 ID:/1ZWc97x0
起点 対馬国
南   一支国
    末盧国
東南 伊都国
東南   奴国
東   不弥国
南   投馬国
182名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 10:46:36 ID:jHM2ln4pO
史料批判はあくまでも史料検証。批判という言葉があるので否定的な見方をすればいいと勘違いする人は後を絶たない。
183名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 10:48:01 ID:/1ZWc97x0
南  邪馬台国

女王國より以北はその戸数・道里は得て略載すべきも、その余の某國は遠絶にして得て詳らかにすべからず。

次に斯馬國有り。次に己百支國有り。次に伊邪國有り。次に郡支國有り。次に彌奴國有り。次に好古都國有り。
次に不呼國有り。次に姐奴國有り。次に対蘇國あり。次に蘇奴國有り。次に呼邑國有り。次に華奴蘇奴國有り。
次に鬼國有り。次に為吾國有り。次に鬼奴國有り。次に邪馬國有り。 次に躬臣國有り。次に巴利國有り。
次に支惟國有り。次に烏奴國有り。次に奴國有り。

此れ女王の境界の尽くる所なり。その南に狗奴國有り。男子を王となす。その官に狗古智卑狗有り。女王に属せず。
郡より女王國に至ること萬二千余里。
184名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 10:48:02 ID:xzO6M0Vc0
半島にホイホイ進出してるところからして奈良から西征というのは
ちょっと厳しいかな
185名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 10:49:29 ID:jHM2ln4pO
水行は上陸による停泊の説明を省いている可能性はある。
186名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 10:50:39 ID:E3f/H4730
>>180
他の傍国たちと違い、なぜ投馬や奴や不弥といった国々の位置が明記されたのか
それはこれらの国々が邪馬台と敵対するほかの連合国家との接点に在ったからではないでしょうか
軍事拠点、あるいは交通の要衝であった国々は方角や里程を記されたのではないかという気がしきりにします
投馬はその方角から見て狗奴国連合との境界近くにあった国ではなかったでしょうか

前スレに伊都や好古都などには華僑コロニーがあったのではという意見がありましたが
あるいはそうなのかもしれません、好古都などはそれこそ大陸からの移民を古くから受け入れてきた地域にあったのではないでしょうか
むしろ大陸からの移民そのものが建国した国が好古都であったのかもしれません
187名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 10:51:48 ID:bEXXjpjG0
>>184
>半島にホイホイ進出してるところからして

そりゃ神功皇后で卑弥呼じゃないのでは?
188南米院 ◆qZn4PpFR5Y :2009/03/24(火) 10:56:33 ID:dyfm34OD0
卑弥呼の張角に見えたqqqq
189名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 10:59:23 ID:zjpfvtZn0
奈良=ナラは、朝鮮語で国の意味だよ。
奈良が日本の中心ってことは、すなわち、日本は朝鮮が作った国ってこと。
190名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 11:00:11 ID:0TOG+/oG0
奴国は博多周辺だろ。これに異説はないよな。
次の不弥国に比定されてるのは内陸部だろ?ここから水行できるのか?
次の水行20日の投馬国だけど、南に船を向けて出港すると言う意味に取れば
南が海に開けてる不弥国を探さないといけないんじゃないか。
投馬国は素直に読んでトゥマかトゥバ、トマまたはトバだろ。他の地名が読み
通り現在の地名と比定できるんだからここも素直に読むべきだろ。
明石に鳥羽と言うところがある。明石からは天皇も出てるし、意外と正解じゃ
ないかな。
191名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 11:01:47 ID:rHMRp1R40
>>177
この時代の陸路は、ほぼ獣道だからなぁ。
文字通り、陸の孤島はいくらでもある。
192名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 11:04:24 ID:hx80evaK0
>>152

>邪馬台国って言えば予算も投入されるしね。
いつもの陰謀論かな?
具体的に予算獲得に有利に働いた事例を教えてくれ。
ああ、そう言えば吉野ヶ里は工業団地として潰される予定だったのに
「邪馬台国」のおかげで全面保存されたなw

>もともとは小林行雄が伝世説とか言い出したのが電波合戦の始まり。
で現在に至ってもその年代観だけはちゃっかり頂いちゃっているのが九州説w
193名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 11:04:33 ID:fDFF7npk0
現在の地名と比べてどうするんだよ。
確実な記録のある古い地名と比べてくれ。

194名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 11:11:33 ID:oMI2j4bJ0
>>193
不呼国は福岡だな。黒田長政はそれを復活させた。
195名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 11:20:49 ID:erT9uGaT0
>>187
半島ホイホイは400年前後か
九州まで従えたからホイホイしに行ったのかな
南九州の制圧具合はどうだったんだろ
196名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 11:22:10 ID:XUve/73y0
>>194
江戸初期に
城下町に福やら松やらおめでたい文字をつけて命名した例はいくらでもほかにあるから

「福」なら福井、福江、福山など
福岡だけが古地名を復活させたものだという確証でもあるのか
出身地の備前福岡の地名をつけたという説があるようだが
197名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 11:25:35 ID:XOg+QHPS0
少なくとも古地名福岡は聞いたことない。
福岡県の命名で議会が真っ二つに割れた話は有名。
博多と福岡で割れた。

福岡県民
198名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 11:27:39 ID:jHM2ln4pO
日本書紀では熊襲は景行天皇自ら兵を率いて討ちにいっている。
景行天皇はあちこちによく行った天皇で、倭王の上奏文にある自ら兵を率いた先祖とも時代も合う。
199名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 11:29:04 ID:9+NnCss20
好古都国をその発音だけで、博多ではないかという説が
けっこう言われてる。

でも女王国より北にあるのは、
末盧国、伊都国、奴国、不弥国、投馬国だけで、
好古都国は女王国より南、遠くて方角や距離はわからないと書いてる。

もし好古都が博多で、伊都が糸島なら隣同士になってしまう。
そもそも上陸地の末盧国が、松浦という説も名前が似てるってだけ。
当時、船で半島から渡ってくると一番上陸しやすいのは現在の宗像という話もある。

こんな昔の、それも中国人が記した国名をどこまで信用できるのか
200名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 11:32:33 ID:XOg+QHPS0
熊本にいくつか天子宮という神社がある。
景行天皇が滞在したという説のようだが
景行天皇自体がこのあたりの出身という説もある。
久留米高良山を本拠地としていたという天皇もこの人だったかな。
201名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 11:34:14 ID:bEXXjpjG0
>>194-197
「福岡」の地名って黒田如水の故郷、播磨の国の地名からだと司馬遼太郎の本で読んだことあるけど…
202名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 11:35:18 ID:XUve/73y0
>>199
前スレにも書いたが
「博多」の初見は8世紀の続日本紀
それ以前の文献に「博多」の地名は出てこない
203名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 11:35:30 ID:xzO6M0Vc0
>>199
松浦じゃなくて唐津でそ
あのあたりもなんとか松浦半島で島も多いから壱岐から渡るなら妥当
204名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 11:37:07 ID:XOg+QHPS0
>もし好古都が博多で、伊都が糸島なら隣同士になってしまう。
非常に近距離だけど、地形的には福岡市西区の室見川沿いは
別国の可能性あり。

伊都 -> 室見川沿いの国 -> 博多 かもしれない。

西区付近は結構埋め立てられているので、当時海沿いは道が狭いとおもわれる。
205名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 11:40:14 ID:XOg+QHPS0
松浦で秀吉が朝鮮半島渡海のために設置したのが
名護屋城、あのあたりは渡海に都合がいいんだろう。
だいたい唐津という名前も、唐へ行くための津(港)から来ているらしい。
206名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 11:47:29 ID:/1ZWc97x0
207名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 11:49:52 ID:lE6eG3h40
畿内説だと狗奴国の説明がつかないよな。
マキムクから東海地方の土器が多く出土してる以上、東の勢力を
それに位置づけるのは難しいだろうし。

熊野なんか紀伊山地の険しい山々を越えて行かなければならない。
そんな国と敵対したところで脅威となるはずが無い。

どう考えても狗奴国は熊本しかあり得ない。
208名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 11:51:17 ID:xzO6M0Vc0
今Googleで九州の地図見てみた
対馬→壱岐→唐津→糸島→福岡までは方角がちょっと変だが磐石だよな
209名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 11:55:47 ID:l+vtE+vf0
>>208
唐津→糸島→福岡

現在は海沿いに道路ができてるけど、当時は断崖絶壁だったという話も。
いずれにせよ唐津から糸島へ行くのはものすごい難路で、せっかく船で来てるんだから
糸島へ行くならそのまま船で行くのが普通じゃないのかと。
あと、古代の糸島は半島じゃなくて、島だったという。

210名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 11:59:55 ID:XOg+QHPS0
方角が変なのが引っかかって、方向を合わせて山の中に入ると、
松浦川をさかのぼって小城に出てくるルートもある。
松浦に行かないで伊万里湾に入って、山中を越えて
有明海側に出てくるルートも無いこともない。

そのほうがしっくり来るんだが、地名が合わない。
魏志の移動ルートと地名が別ソースだったのかも、と考えることもある。
211名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 12:00:33 ID:xzO6M0Vc0
そういわれてもシロウトだし、勝手に言ってるだけなんだが
唐津福岡間はきれいな砂浜があったよな?それ伝って行ったんじゃないの
212名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 12:04:44 ID:XJg5JXoK0
卑弥呼をヒミコと読んで、日巫女や姫命だという説を良く見るが
「呼」はコだろうか。

他の国の長官の名前が「卑狗」となってる。これはヒコ(彦)だというのも有力。
だとすると、もし姫命でヒミコと言いたければ「卑弥狗」としたのではないか。

卑弥呼は「ヒミカ」と読むのではないか。
ヒミカ=ヒムカ=日向のことだ。
213名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 12:12:22 ID:/1ZWc97x0
>邪馬台国総論
>当時の中国語でどう発音していたのか推定してみる。
http://yamatonokuni.seesaa.net/article/32405249.html
214名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 12:17:12 ID:bEXXjpjG0
>>207
狗奴国は邪馬台国の南にあったされているだけで、女王国の南にあったとは書かれていない。
狗奴国が熊襲=南九州だとしても、北九州から畿内までの邪馬台国の南に存在したのであり、女王国=畿内の南にあったのではないと考えれば畿内説と矛盾はしない。
215名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 12:27:01 ID:fFn8lSTl0
>>214
>狗奴国は邪馬台国の南にあったされているだけで、女王国の南にあったとは書かれていない。

へー、一語一句細かく区別するんですね。

邪馬台国が連合全体の名前なら、
南至邪馬壹國、女王之所都、水行十日、陸行一月」
(南に十日水上を進み一月陸を進むと邪馬台国に着く。女王が都をおくところ)
はどうなるの?
それまであった末魯国だの、伊都国だの、投馬国だのは
邪馬台国に入ってないんだ。へー
216名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 12:36:39 ID:2gT5Oy2d0
>>214-215
wikiの狗奴国には、
>3世紀の倭国で邪馬台国の尽きるところである奴国の南に位置する。
って書かれてるんだけど?

狗奴国って邪馬台国じゃなくて奴国の南にあるんじゃね?
217名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 13:03:29 ID:YcTnP/GZO
別の奴国。
218名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 13:22:27 ID:b1WAHrz50

      狗奴=毛野
219 ◆65537KeAAA :2009/03/24(火) 13:23:45 ID:RP5AA/dh0 BE:32616825-2BP(2787)
でもさ、畿内だったとしたら、なんであんなところで金印が見つかったの?
帰りに落としたとか?
220名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 13:28:47 ID:jAOFVtZG0
>>219
奴国王が後漢からもらった金印と
卑弥呼が魏からもらった金印の区別もつかない人?
221 ◆65537KeAAA :2009/03/24(火) 13:31:57 ID:RP5AA/dh0 BE:176127269-2BP(2787)
>>220
「漢委奴国王印」ってヤツしか知らん
222名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 13:33:27 ID:D6xQG+m5O
しかもあの金印、
全く同じものがベトナムで出土されてるんだよね
223名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 13:34:43 ID:uvpWzD4G0
>次に奴國有り。此れ女王の境界の尽くる所なり。
>その南に狗奴國有り。
だから、福岡の奴国が邪馬台国連合の南限で
その南にある狗奴國=クマソと戦ってるって話じゃない?
224名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 13:37:23 ID:wXRpsoUY0
>>222
いろいろなデマがとびかってるんだなぁ。
225名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 13:38:26 ID:UUlHzrnw0
>>123
孤立言語っていうのは、たまたま同系の言語がなくなってしまった
或いは大きく変容をとげすぎて比較ができなくなってしまった
に過ぎない。

マダガスカルのマラガシ語も、たまたまインドネシア・マレーシア・
フィリピンや台湾の言語が残っていたからこれらと同系だって
わかるんであって、中華帝国がもっと覇権を広げていたら
孤立言語と見なされたかもしれない。

インドネシアの系統の言語を話す人々が、マダガスカルに到達する前、
マダガスカルは無人島だったのかというと、どうなのか。
今とは別系統の言語を話す人々がいた可能性が高い。
例えばアフリカ大陸と同系統の言語が話されていたとしても
不思議はない。

縄文人がどんな言語を話していたのかわからないが、
もちろん今の日本語と同系の言語であっても不思議はないのだが
大陸と同系統の言語を話していたとしても不思議はない。
或いはフィリピンと同系統の言語であっても不思議はない。
今ではわからない。
226名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 13:41:35 ID:jAOFVtZG0
>>221
ソレしか見つかってないからなw
でもソレは卑弥呼の時代より182年も前の話。
ソレとは別に卑弥呼も金印を貰ってんだよ。
227名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 13:48:18 ID:tSihOl6c0
>216
うむ、
倭国で邪馬台国の尽きるところである奴国
とは玉名市のことだと思う。
古代、玉のことを な とも ぬ とも言った。
近くの菊池川が国境だったのではないか。

不弥国は宇美でいいかと。
ここはちょっとした盆地だが、
交通の揺曳の地という印象がある。

対蘇は鳥栖で決まりかと。



228 ◆65537KeAAA :2009/03/24(火) 13:48:48 ID:RP5AA/dh0 BE:182650087-2BP(2787)
>>226
そうなんだ。アレが卑弥呼が貰った金印だと思ってた。
229名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 13:50:01 ID:Wywc9jzR0
A
230名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 13:56:03 ID:X5YXHz1WO
>>221
昔科学と学習の付録にあったよなあ。
231名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 14:01:51 ID:tSihOl6c0
>209
山上憶良だったかな、万葉集で
二丈町にある神功皇后伝説の
鎮懐石神社があって、
「公私の往来に、馬より下りて跪(き)拝(はい)せずといふことなし。」
とある。
これからするとすでにこの時代では唐津-前原間は
かなり地上交通が多かったと思われる。

個人的に、呼子上陸→伊都国ではなかったかと。
232名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 14:15:30 ID:LBx+RVEE0
>>225
なんで単純に日本とまるで違う地域を持ち出して語るかね

日本の場合、言語が流入するならば、その進路は限られるんだよ
その上で大陸とも、朝鮮とも、東南アジアとも違う言語だと、ほぼ結論が出てるんだよ
弥生人が日本に渡ってきて言語が変わったならば、なにかしらの痕跡が残るはずだ
なにしろ二千年と少しの期間でしかないのだから

弥生人がまるごと渡ってきて日本に土着化したのではない
長期間にわたり、日本の現地人と交わったんだ
だから言語どころか、生活様式も、風俗も大陸にはない、弥生独特のものが出来上がったんだ
233名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 14:22:56 ID:PLh275Zr0
卑弥呼のまんこに箸がささって箸墓が出来たが近いのかな?
234名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 15:43:55 ID:+e3OYBZN0
昭和天皇が北京に朝貢した時に、賜った金印がなかった?
235名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 16:00:40 ID:g7DYVxRj0
ヒミコって顔がペシャンコだったんでしょ
236名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 16:14:32 ID:FIkRiDpgO
>>232
弥生時代は3000年前から約1200年間ね。
ここが古い定義から切り替わってないヤツは、
日本古代について論議する資格がない
237名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 16:20:39 ID:FasL9MpdO
8('A`)8< 俺達、弥生人
238名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 16:31:42 ID:4dYxoiyv0
Q太郎乙
239名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 16:52:35 ID:KWO3VT12O
言語はともかく、風習の起源に関してなら色々言われているのだけど、これなんか面白いと思いますね。
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1141.html
240名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 18:25:56 ID:ZvcRH0AEO
>>223
クマソはクマとソが一緒になった国かも知れないね。
クマという言葉は昔は神とゆう意味だったと何かで読んだ。朝鮮半島でもそうだったらしい。
ソも何か意味があったっけ。忘れた。ソフルとかソトとか後ろに何か付けてた。
アイヌ語によると山はイワだから現代語はいろんな古代語が混じってる。
明石はウワッカシィ(水辺)が訛ったものだそうだし。
241名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 18:38:13 ID:ZkEBdrnY0
反畿内説って
反日とか
反天皇制とかと同じく
日本を貶めようとするサヨくさい臭いがする。
242名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 18:41:19 ID:M5sk5iZnO
奈良にあるからこそ価値がある。
243名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 19:28:41 ID:8MpKNwW80
宮崎の西都原
http://map.yahoo.co.jp/pl?type=scroll&lat=32.11004505&lon=131.39570041&sc=5&mode=map&pointer=on&home=on&hlat=32.11426694&hlon=131.39178694

航空写真で見たら凄くない。なんでこんなに墓あるんだろ。
244婆 ◆HKZsYRUkck :2009/03/24(火) 20:02:21 ID:WuHruahU0
このうなっちまったら、生半可な説では勝てんな。

そこで、「古代九州は畿内にあった!」説を唱えてみる。
245名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 20:21:32 ID:anfeTiT+0
陳寿は大海を航海するときは必ず「海を渡る」と表現していて、
「水行」とは表現していない。
つまり水行とは岸の近くの海または川を行くという意味で使われているのである。

それではいまの佐賀市あたりから南に「水行十日」(約100キロメートル)下るとどこに着くか。
私の推測地は熊本県の八代である。
その八代に流れ込んでいる球磨川をさかのぼると人吉盆地に入る。
人吉から湯山峠を越えて西米良を通り、さらに一ツ瀬川を下ると
宮崎県の西都市に出ることができる。

この道は古代人が熊本県から宮崎県に歩いていける唯一の道であった。
これ以外の道は山また山、道なき道でで古代人には通行することはできなかっただろう。
八代から西都まで約150キロメートル近くあり、
険しい山々を越す道は優に「陸行一月」はかかったものと考えられる。

こうして考えていくと、答えはただ一つ。
女王卑弥呼の住む都、邪馬台国は宮崎県の西都市にあったのである。
246名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 20:28:21 ID:hToFKb3k0
伊都国から先の記事を、
東南・奴国→東行・不弥国→南・投馬国→南・邪馬台国
といったふうに解釈するに至っては、どこをどう押せば
こんな解釈が生まれるのか、

おそらくこれは、誰かの読み下し文だけを読んで漢文が読めない人であろう。
原則として漢文は白文で読まなければならない。

奴国や不弥国は、先の「東南に陸行して五百里伊都国に到る」と同じ筆法で、
「東南百里にして奴国に至る」とも「東行百里にして不弥国に至る」とも書いてはないのである。

ここが非常に重要なところで、この文章は、東南の奴国に行ってさらに東の不弥国へ
向かう意味にはどうしても解釈できない。
何となれば「東南至奴国」に対し、「東方至不弥国」ではなく、わざわざ「東行」と、
「東行すれば」の意味をこめて書かれているからである。
この部分は「東南の奴国に至るには百里」「東行すれば不弥国に至る百里」
と読めば理解し易い。

この二国を経由して投馬国へ行くのではなく、あくまで次の
「南至投馬国」「南至邪馬台国」を前提として伊都国から東南に奴国、
東方に不弥国、そして単純に南へ行けば投馬国があり、同じように邪馬台国がある
と書かれているのである。

だから奴国や不弥国へは陸行とも水行とも記されていない。
単に両国の位置と概略を示しているにすぎない。

そうなると投馬国や邪馬台国へは
博多湾からどうやって南に水行できるのか、陸地ではないか
となるが、実はそれができるのである。
247名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 20:35:42 ID:EIX2hdeI0
卑弥呼は肥巫女、もしくは火巫女でしょう
つまり肥の国=肥前肥後の女王だったということです
スサノオによるヤマタノオロチ退治の伝説にあるように
ヤマタ(邪馬台)のオロチはスサノオ(狗古智卑狗)によって討たれたのでしょう
天の安河(夜須川もしくは筑後川)での会戦で南の狗奴国によって討ち滅ぼされた邪馬台国の末裔は
日田から山国川をさかのぼって宇佐に定住したのでしょう
そして記紀にあるように朝鮮半島から渡ってきたタラシ系の一族は
この邪馬台の末裔と姻戚関係を結んだうえで東進を始めたと思われます
宇佐神宮が何らかの形で皇室と関係しているのは今に伝わる慣習などからも明らかだと思われます
248名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 20:35:44 ID:cQIWx7PK0
今やってるテレ東の番組では邪馬台国のあった場所は四国だっていってるよ。
249婆 ◆HKZsYRUkck :2009/03/24(火) 20:50:41 ID:WuHruahU0
西暦2009年のとある春の日、纒向遺跡で発掘をしていた一人の研究員が
忽然と姿を消した。 そして二日後、なぜか阿蘇の山中で倒れているのを
発見されたのである。
「これはただの失踪事件じゃない!」 そう直感した若き考古学者は、遺跡の

(中略)

ったのだ。つまり、畿内の古代地表に位置する次元断層は亜空間トンネルを介して
九州山地とつながっていたのである!
「なんということだ。我々は奈良を掘っているつもりで九州の遺跡を発掘していたのか…」
発掘に半生をささげてきた老教授は、天を仰いだのだった。   −完−
250名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 20:57:04 ID:8MpKNwW80
後漢書東夷伝にある(ナ国は)倭国の極南界なりという記述さえ無ければ、
宮崎が行程的には一番合ってるような気がする。
で、この記述を信用すると宇佐が怪しくなる。
でも、有明海側の極南界を指していると考えれば、邪馬台国は呪術国家だったようだし、
異常な数の墓がある西都原はやはり怪しい、でも宇佐も怪しい。
251名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 21:19:48 ID:bkrM4qn90
普通に奈良だろw

平城京以前へのつながりも自然だし
252名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 21:21:48 ID:GcssqeQr0
もともと九州説は皇国史観から出たもので、はじめっから無理筋。
九州説論者の思考が皇国史観を畿内説に押し付けるという形で
イデオロギーから逃れられないのもそのため。
253名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 21:34:07 ID:KWO3VT12O
>>251
明らかに断絶しているのに自然ですか?
254名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 22:04:42 ID:VPkpMX/M0
邪馬台国が大和政権とつながりがあるって言う根拠も「音が似ている」ってだけじゃん
255名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 22:09:54 ID:mz7Kzy1n0
古事記や日本書紀では、ヤマトという言葉はどこから
登場するの?
前半の神々の話には出てこないよね
256名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 22:09:56 ID:Q4qMPcwK0
>>254
「だけ」じゃないでしょ同時代の大規模な都市の遺跡が見つかってんだから。
むしろ同時代の大規模な都市の遺跡が発見されてないのは九州なんだよ?
257婆 ◆HKZsYRUkck :2009/03/24(火) 22:11:06 ID:WuHruahU0
>>254
今の文明が滅びて数千年後に発掘されたときに
「オーストリアが東遷してオーストラリアになったのだ!」
とか思われる、みたいなもんか?
258名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 22:19:44 ID:7ayaOE4q0
>>23
古代は邪馬台国しかないと思いこんでるのも多いからなぁw

259名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 22:31:15 ID:D8EG9ISA0
【次の10億人】 真の次世代ゲーム機 「Zeebo」発表!WiiやPS3、Xbox360を超える革新的内容!
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/news/1237897480/

Zeebo凄すぎワラタw
260名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 22:33:57 ID:GcssqeQr0
>>256
>同時代の大規模な都市の遺跡が見つかってんだから。

頭に蛆湧いてない?
261婆 ◆HKZsYRUkck :2009/03/24(火) 22:36:33 ID:WuHruahU0
だからこそ今、「古代九州は畿内にあったのだ!」説に注目がだな…。
262名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 23:40:37 ID:SwxD+qTB0
親魏倭王印なんて探したって出てくるもんじゃなかろう。
卑弥呼の墓って古墳か。方形周溝墓?
263名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 23:41:53 ID:z2Rnz2aH0
>>258
それ、学者連中に言ってやれ。
とりあえず纒向は邪馬台国論争とは切り離して発掘して欲しい。
その結果、やっぱ纒向は邪馬台国だよってんなら納得いく。
今のままだとまたゴッドハンドが炸裂するぞ。
264名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 23:43:10 ID:NsAn5Npf0
ゴッドハンドは学者じゃないけど。
265名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 23:45:39 ID:z2Rnz2aH0
>>264
だからなんだよ
266名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 23:51:17 ID:YIkl34Ec0
このスレは勉強になるなぁ。前スレからROMってます。
267名無しさん@九周年:2009/03/24(火) 23:58:40 ID:xkeHd/mtO
古代っていっぱいあんの?
268名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 00:01:32 ID:XOnuJ82X0
古代はいっぱいある。その一つが邪馬台国。
マキムクが邪馬台国じゃなければ遺跡の価値が下がる。
という変な感覚があるのだろう。
269名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 00:11:30 ID:LbJKEGvr0
2世紀終わりの倭国大乱で邪馬台国連合王国が成立するわけだけど、
この時に遷都した可能性もあるんじゃないかと。仮に、九州にあった邪馬台国が
連合王国のトップになった契機に、中心地の畿内に移ったとか。

卑弥呼死後に再び乱れて、いったん連合王国は崩壊するけど、これは大きな
政変があったわけで、新たに建った王国がヤマト政権の祖ではないか、とか。
この政変が、神武天皇の東征として描かれ、抵抗勢力の長髄彦(出雲や伊勢)が
討たれた。壱与は象徴的な傀儡か。

とか想像してみる。これなら邪馬台国とヤマト政権、卑弥呼と天皇家が
繋がり有りそうで無さそうな、微妙な関係性が理解できる?
270名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 00:24:42 ID:ojuQ/iLs0
纏向みたいに実際に遺跡が見つかっている邪馬台国の候補地ってあるの?
古墳とかじゃなくて建造物跡のあるようなヤツが、
271名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 00:27:04 ID:gUcS5i0y0
石塚古墳やホケノ山古墳は削られちゃってるけど、
箸墓などは百襲姫の伝承のためか墳丘が良好な状態に保たれているらしいね。
墳丘保護の観点からすると、水濠ってのは問題あるらしいんだけど、
北側の池を干しちまうわけにはいかないんだろうか。
まあ景観的には水濠があったほうが綺麗なんだけど。
272名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 00:28:06 ID:4p5sRyXjO
なんだか魏志倭人伝のお陰で倭国という統一国家があったような話になっているけど、明治に国体論が出るまで日本人は誰一人そんなものがあるなんて考えたこともなかったんじゃないでしょうかね。
というか、弥生時代の列島はまだはっきりと多民族状態なのでは?
273名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 00:32:57 ID:oE6ndT8k0
>>272
>明治に国体論が出るまで日本人は誰一人そんなものがあるなんて考えたこともなかった

サヨくさw
「日本国」という意識はあっただろ。
そんなに日本を貶めたいのかねぇ…
274名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 00:38:01 ID:LbJKEGvr0
>>270
弥生時代中期に栄えた巨大集落、池上曽根遺跡。古墳時代には仁徳天皇陵以下、
前方後円墳大集合してるから、邪馬台国時代も栄えていたはず。距離的に纒向が近い。

>>272
そりゃ思いこみ。魏志倭人伝には邪馬台国連合が20数カ国。
その他に邪馬台国に属さない国々の記述もある。
275名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 00:40:15 ID:gUcS5i0y0
>>272
民族の定義次第だろうね。

それと、卑弥呼の時代はもう弥生じゃなくて古墳時代の初期でしょう。
276名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 00:41:24 ID:4p5sRyXjO
>>273
徳川によって平定された、という意識が?
なら国体論など始めから必要ないでしょう。
277名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 00:41:39 ID:kt7Dv0ov0
最後にものを言うのは、
やっぱ考古学だなぁ

邪馬台国の可能性が議論されてる場所で、
遺跡調査で可能性がもっとも高いのが畿内で、
遺跡調査がもっともされてないのが南九州?
福岡周辺の北九州説は、もうないって感じなのかな
278名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 00:45:46 ID:5pIyEe/X0
どこにどんな遺跡があるかなんて
今の技術じゃ全部掘り返してみないとわからんでしょ。
将来的には人工衛星から観測すればわかるように
なるかもしれん。
279名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 00:47:35 ID:oE6ndT8k0
>>276
意味不明
明治に近代国家の意識を発揚させる以前から
日本という国家の意識はあったでしょ?

それも否定するの?
280名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 00:48:47 ID:LbJKEGvr0
>>272
一応断っておくけど朝鮮民族は無関係だからね。
日本人は半島から来たとか電波はいらないから。逆だから。
日本人が朝鮮半島に渡って、南部に住んでたんだからね。

つか記紀神話がなんで編纂されたと思ってンだ?

>>278
都市が出来る場所は古代も現代も変わらない。
都市部はほとんど掘り返されている。
後は取りこぼし分じゃないかな?
281名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 00:49:47 ID:kt7Dv0ov0
北斗の拳の修羅の国も、
四国説と台湾説があったが、
こっちは決着が着いたのかな
282名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 00:56:19 ID:5pIyEe/X0
>>280
都市部っていっても住宅地なんかはそんな深く掘り返してないだろう。
一般住宅の下に遺跡が眠っている可能性があるな。
283名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 00:58:51 ID:4p5sRyXjO
>>279
あったとしても精々EU的な繋り止まりと考えています。

>>280
記紀神話が成立した時代の話はしていません。
284名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 01:02:08 ID:RoBc6WXE0
>>282
今住んでる所の近くに、公務員宿舎があったんだが
古い造りだったんで、掘り返したらそのまま貝塚が丸ごと出てきた。
もともと貝塚は近くに結構あるんだけど、珍しいモノが結構出てきたらしい。

都内でもこんなんだからな。地方だと、もしかしたら調査もせずに潰しちゃうのかも知れないけど。
285名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 01:06:35 ID:5pIyEe/X0
>>284
うちの近所にも秘密の貝塚があるんよ。
おれが子供の頃に見つけたんだけど
まだ学術的な発掘がされていない。
286名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 01:08:35 ID:LbJKEGvr0
>>282
堆積土の厚さ次第だね。大阪なんかはちょっと掘ったらすぐに出てくるよ。
池上曽根がまさにそれで、現在のR26沿いの広大な地域が何十年も開発出来なかった。
逆に言えば、潰された遺跡もどれだけあることやら。
287名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 01:09:41 ID:ubnQggPZO
特異な張型
288名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 01:10:44 ID:5pIyEe/X0
知ってか知らずか潰されたほうが多いような気がするよ。
だって工事が遅れるもん。
289名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 01:15:32 ID:s0U938kS0
>>189
えーっと、その朝鮮語って言うのはどの時代の朝鮮語?
当時の朝鮮語って音価判明してるの?
290名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 01:17:31 ID:2npJ5xwI0
「親魏倭王」の金印など
とっくに見つかっていて
とっくに鋳潰されてしまったような気がする。
291名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 01:19:21 ID:RoBc6WXE0
未だにナラ=奈良を信じてる池沼がいるのか。

ワッショイ=ワッソとか
剣道=クムド
侍=サウラビ

いろいろあるねぇw
292名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 02:28:44 ID:8WaIO4ax0
陣内孝則がバイトで発掘してたそうだが
何か見つかると、いろいろめんどうなんで
出てきてもそのままゴミの方に入れてたって
293名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 03:13:18 ID:JTaZJfvN0
陣内、人間やめて欲しいな
294名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 03:59:03 ID:7/2+JIuQ0
同意
295名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 04:02:00 ID:VKFJDGxtO
高速使って奈良に行くぞぉ!
296名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 04:13:36 ID:FF4cCPg0O
発掘は土地所有者の負担で出土品は国の物。
他人の金で教育委員会が掘るから遠慮しない。
わざわざ土地所有者のために配慮することはない。
297名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 04:46:39 ID:0tYKuKvW0
「水行二十日」「水行十日陸行一月」が九州内で収まると本気で思ってるバカはいないだろうなw
298名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 05:04:32 ID:p/UcIf2q0
あの行程の部分って一番いい加減に書いているところだと思うけど
299名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 05:09:29 ID:DwWx5EPg0
>>296
そんな事は無いぞ?バブル崩壊以降金を出す側もかなり五月蠅くなって来てる
ので、土日も仕事して工期を短くしたり多少の配慮はするぞ?あくまでも「協
力」してもらってるんだし。何せ法できちんと決まってないからね。いくら裏
書きで強みがあるとは言ってもね。議員使われたらもっと配慮しないといけな
いし。それから出土品は遺失物法で警察に届が出されるのだが、自分の祖先の
物だと証明できればその人の所有になるぞ?まあほとんど証明できないけどね。
その結果国庫(実質は都道府県)が管理する事になるわけだ。拾得物と同じね。
 それと土地所有者が個人住宅を建てる場合は国庫補助だからな。
300名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 05:10:54 ID:it6MlTQM0
>>297
個人的には畿内説支持だが
公平を期す為に言っておくと・・・

その日数も実際に移動に費やした日数だけじゃなく
悪天候のための移動の中止
ひょっとして各地での熱烈歓迎式典の飲めや歌えのドンチャン騒ぎ

・・・等々もコミコミって説もあるw

それに加えて所謂「放射説」(あるクニを起点に放射状にコースを読み取る)
を加えるなら北九州をも比定地に考える必要があるw


301名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 05:12:28 ID:UHWoZ4Xu0
邪馬台国の東側が海で、その先も倭人の国というのなら
邪馬台国より大きな国が奈良にあったというだけじゃないの?
302名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 05:17:45 ID:RfWeAa/Y0
卑弥呼ってAV女優にはお世話になりました
303名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 05:58:53 ID:pX9Ey5AjO
>>279
> 明治に近代国家の意識を発揚させる以前から
> 日本という国家の意識はあったでしょ?

江戸時代にそんな意識持ってたのは上層部の極一部だろ
ていうか何でお前の意見を否定すると左翼になるんだ?
304名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 06:07:36 ID:BbKU3yJN0
>>297
>「水行二十日」「水行十日陸行一月」が九州内で収まると本気で思ってるバカはいないだろうなw

あなたは『魏志』倭人伝の内容をそのまま信じているバカですね わかります
305名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 06:23:17 ID:k7dBTeGn0
>271
朱のついた割石が散乱しているのが
(つまり竪穴式石室の可能性大)
墳頂部で確認されているので
乱掘されている。
めぼしいものが残っているのかどうか・・・・
鏡の破片はあると思われ
306名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 06:25:15 ID:jlWkhduEO
卑弥呼ならこの前、劉備と戦ってたぞ
307名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 06:42:03 ID:Dc7IP7RPO
本当は四国徳島あたりだよ。





ソースは昨日のテレビ東京
308名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 07:22:15 ID:PKSuh+U60
>>301
>邪馬台国の東側が海で

んなこと書いてないぞw
ネットで原文も読めるんだから読んでこい!
309名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 07:31:35 ID:P6Xz+5ql0
>>304
邪馬台国そのものが魏志にしか登場しないんだから魏志を参照するのは当たり前だと思うんだが?
あんたみたいな“お利口”さんは、脳内ソースで幻の邪馬台国でも探していなよw
310名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 07:38:27 ID:V8v6Qc6Y0
これだけうじゃうじゃいろいろ出てくるんだから
日本は昔から人口の多い国だったんだろうなぁ
311名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 07:38:35 ID:4p5sRyXjO
普通に読んだら台湾辺りという話もありますけど。
312名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 07:44:56 ID:k0g7aj6f0
308 :名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 07:22:15 ID:PKSuh+U60
>>301
>邪馬台国の東側が海で

んなこと書いてないぞw
ネットで原文も読めるんだから読んでこい!


これがいわゆる「釣り」というものなのでしょうか
女王国の東に海があり、そこを渡るとまた倭種がいる
当然、女王国の東には海が拓けていなければならないわけです
女王国は大和でも九州の筑後、肥後でもないということがこの一節から容易に導かれます
313名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 07:46:16 ID:h0q59aox0
>>311
前スレにも琉球説のコテハンがいた
まったくそのとおりだけど
簡単に常識的なおさらいをすると

旅程の面では九州説不利
方位の面では近畿説不利

そこでお互いの弱点をカバーするために
九州説は放射状に記述していると考えたり
畿内説は方位を90度修正して読み直したりしているが
どちらも決め手にかける

だから
長らく行われていた文献上の論争では決着がつかず
現在は考古学的研究が優先されている

あと民族の話だけど
DNA分析による最近の研究では
従来の縄文人弥生人二分説は否定されつつある
アイヌを含む原日本人の遺伝子的特質は
もっと古い時代にすでに形成されていたということのようだ
314名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 07:49:45 ID:+DsVvDXoO
邪馬臺国ではなく
邪馬壱国『旧字』です
原典は!
315名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 07:51:48 ID:VPcb/4P00
松岡徹氏(55) は大阪市職員なのだ

316名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 07:54:34 ID:4p5sRyXjO
>>313
かように当てにならない、という意味でして。

あと、仮に遺伝子レベルで差は無くともアイヌも隼人も別民族ですよね?
317名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 08:06:22 ID:w7mB+JXb0
畿内説だと纏向遺跡が邪馬台国ってことなんだろうけど。
九州説でココが邪馬台国だという遺跡って実際に出てるの?
318名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 08:08:14 ID:/dfZg8rhO
AV女優でいたよね
319名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 08:14:42 ID:EpD4Z2uD0
卑弥呼の宮殿つったって、ローマの遺跡とかと比べたら掘っ立て小屋みたいなレベルだろ。
なんかショボイんだよな、日本の遺跡って。
樹海の中に巨大な石造建築が眠ってねえかなあ・・・・・・
320名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 08:15:29 ID:h0q59aox0
>>316
民族の定義ではDNAよりも言語が優先されるから
アイヌ語を持つアイヌはもちろん別民族
熊襲や隼人はまだ実態がよくわかってないんじゃないかな
ずっとあとの律令制の朝廷でも異民族の扱いはしてたようだけど

>>317
近畿は>>1の纒向に候補地が絞られてるのに対して
いまのところ九州は3世紀ごろの遺跡でこれといって有力な候補地はない
だから大分の宇佐神宮を掘り返せとか、宮崎の西都原古墳を調べろとか
言ってる九州説論者が多い
321名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 08:18:37 ID:k0g7aj6f0
新羅の脱解王の出身地、多婆那国は倭国の東北千里にあったといいます
この倭国が時代は違えど邪馬台国を指し、多婆那国=肥後の玉名郡であったとすると
邪馬台国、少なくとも倭国と呼ばれる国が当時どこに位置すると考えられていたかは明らかになってきます
322名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 08:19:12 ID:JgyMghswP
金印はどっかの神社にありそうな気がするけどなあ
323名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 08:21:03 ID:gUcS5i0y0
>>305
やはりそうなるか。
朱が使われているのはホケノ山や黒塚と共通しますね。

>>314
「臺」を「壹」に写し間違えただけでしょ。

だからイヨかトヨかみたいな話も出てくるわけだが
どっちの名前にするかはとりあえず好みの問題。
324名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 08:23:52 ID:zpeAIHL20
>>323
連想ゲーム的には、「豊」に通じるトヨのほうがしっくりくるんだよなぁ
325名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 08:27:02 ID:aXIO3VpA0
九州説は、畿内説論者が一致して候補地とする纏向遺跡を
まるで親の仇のように白眼視し、罵り、価値を低めようとする。

纏向遺跡は、初期前方後円墳の出現の地として大変な価値を持つ。
倭人伝の記述がどうであれ、纏向が極めて重要な遺跡であるのは自明の理なのに
九州説論者の多くはそのことを理解できていない。

というよりも、九州説論者の多くは、この頃の列島各地の考古遺跡を見ようともしないのだ。
出雲や丹後半島にも大陸の影響を受けた重要遺跡が目白押しなのに、
彼らはそうしたことについてはまるで無知なのである。
中には、足もとの九州の遺跡についても、何も知らず何も学ぼうとしない不勉強な輩さえいる。
326名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 08:28:25 ID:gUcS5i0y0
>>320
もう畿内説というよりは大和説とか纏向説といったほうがよさそう。

>>324
豊鍬入姫命ですか。
327名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 09:01:14 ID:e0DJNdKZO
>>239
本好きにはついていけねえw
いつ読むんだよw
328名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 09:09:51 ID:3Y+ApN7a0
卑弥呼の時代背景を考えると、この時代は戦国時代ね。
ここが重要。
329名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 09:16:40 ID:qc7vOsfn0
卑弥呼には昔ずいぶんお世話になったw
330名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 09:33:20 ID:WOkSvKp70
日巫女 が正しい。
お前ら何時まで流されているんだ
331名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 09:54:50 ID:b7lvriUp0
卑弥呼と壱与は俺の嫁
異論は認めん
332名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 09:56:44 ID:I1xN0k+V0

イヨタン・・・・・・・・・・
333名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 09:58:08 ID:5OUcpBQHP

卑弥呼っていっても
エジプトでピラミッド立てて栄えた文明の数千年後の話だろ


334名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 10:18:59 ID:5vwE3hN+0
肥前肥後の「肥(火)」国がかつてあった、
その王族から擁立されたのが卑弥呼、
呼は当時の発音で「wo」「ho」だとすれば、
卑弥呼は「肥(火)の『ミホ』」。

火野正平の先祖のミホちゃんだったのかー?!
335名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 10:24:20 ID:yuTTLQAy0
>>325
九州論者って日本の成立を少しでも遅くしたい反日思想家なんだから仕方がないよ。
336名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 10:40:44 ID:ukRJm11NO
大陸系騎馬民族がどーたらと同じだろwww
337名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 10:44:04 ID:3BYsw6R/0
>>321
>新羅の脱解王

誰だそりゃ?
朝鮮半島には日本の古事記より古い文書は残っていないと聞いたけど…そんな伝承に信憑性があるのかいなw
朝鮮関係で信頼できるのなんて同時代の遺物の広開土王碑ぐらいじゃねーの?
338名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 10:52:25 ID:p/UcIf2q0
>>324
そもそも「原典」は存在しないんじゃなかったっけ?
最も古い写本が漢代とか
で、その写本は壱になっている
でも、蛮族の名前に「臺」の字を使うとは考えにくいとか
339名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 10:53:26 ID:VKQAzs/n0
四国の旧家とか家宝に王剣持ってたりするけど
隠してるから歴史家の眼にふれることないんだよね
340名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 10:57:24 ID:VKQAzs/n0
ああ、山窩かw
341名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 11:00:40 ID:76r4qU5d0
>>338
漢代って……三国時代より古くね?
342名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 11:05:05 ID:vDD9ZsTqO

またどっかの歴史好きなオジサンが自作して埋めてたら楽しいんだけど
343名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 11:10:17 ID:K/tp+Uma0
ローマより凄くないとか
エジプトより古くないとか
言っている奴って日本人っぽくないなぁw

そこはかとなくキムチくさい…
344名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 11:14:08 ID:p/UcIf2q0
>>341
あ、間違えた
どうも調べてみると宋の時代みたい
345名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 11:18:50 ID:U8G5lJS40
魏の使者は邪馬台国まで行ってない。
伊都国でとどまった

という説はどうなの?
346名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 11:19:08 ID:gR0DmDo1O
8('A`)8
347名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 11:19:33 ID:BW+bFZsK0
かつて考古学的には九州説有利と言われた時代があった。
しかし、時代が下がり、いろいろな場所で発掘が進んだ結果、
真っ先に九州説を捨てたのは、九州の考古学者だった。

それは、九州内で弥生後期に最も栄えていた場所が玄界灘に面した、
前原。博多周辺であることがはっきりしてきたからだ。
この両地区と九州内の他の地域との格差は歴然としていて、
九州島内に王都を求めるとしたら、
この両地区以外にはないことが分ってきたのである。

では、この両地区に邪馬台国をあてる事ができるかと言えば、
当然できない。倭人伝の地理記述が不正確なものであるとしても、
博多辺りの国を水陸それぞれ1月もかかる場所と考えるには
あまりにも無理があるからだ。

そうすると、この玄界灘に面した地区以外に
邪馬台国を求めなければならないのだが、
九州島内にはそれにふさわしい候補は存在しない。
のみならず、弥生時代末期ともなると、
前原。博多周辺をのぞく九州各地をはるかに凌駕した内容をもった
地域がいくつも出現してくる。吉備、出雲、丹後などである。
ここに、このスレの話題である巻向も含まれる。
このような現状で、邪馬台国を九州に収める必然性は、ほぼ皆無である。

現在、巻向の調査結果はこれが卑弥呼の都であると言うには
あまりに不十分である。したがって、邪馬台国が巻向であるということで
決着させるのはあまりに時期尚早である。これは確かである。

しかしもう一つ確かなことがある。
それは、邪馬台国が九州にはないということだ。
348名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 11:19:41 ID:x1lxMCcF0
>>330
古代では卑弥呼はピミウォと発音するらしいんだけど
日巫女も当時の発音でピミウォになるの?
349名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 11:20:35 ID:HHVTEtrJ0
>>343
は? 他の古代文明より日本の方がすげーって言ってる奴こそ
キムチと同じ脳だろww
350名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 11:23:08 ID:rLyzSUUI0
ははにはふたたびあひたれどもちちにはいちどもあわず
351名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 11:27:35 ID:5vwE3hN+0
>>347

つ 古田読み

   http://classic.music.coocan.jp/book/furuta/gairon.htm
   古田武彦氏の「九州王朝」説
352名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 11:30:43 ID:7sqh7fwH0
>>349
>他の古代文明より日本の方がすげーって言ってる

誰も「ローマより凄い」とか「エジプトより古い」なんて言ってないでしょ?
ローマやエジプトを持ち出して日本を貶めようとする態度がキムチくさいと言っているのですよw
353名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 11:32:44 ID:bG0Eduef0
せめて古代天皇の在位年代がはっきりすれば卑弥呼の比定もしやすくなるのにな。
とにかく史料が少なすぎる。
どっかから当時の石碑や竹簡が発掘されないものか。
354名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 11:32:47 ID:GkMPFlfE0
>>347
邪馬台国は元々九州あたりにあって、連合王国の中心国になったことで
支配地域の中心である畿内に移動した可能性は?
これが神武東征の元になったかも。
355名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 11:34:04 ID:vmv3K39L0
>>351
古田か……「津軽外三郡史」という偽書を本物だと信じている電波系の学者さんですなw
356名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 11:35:55 ID:jFVXGe330
魏志倭人伝には興味が無い。
マキムク遺跡に興味がある。
そういう人が増えてきて古代史ファンが
全体的に健全になってきたのは良いことだと思う。
357名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 11:36:28 ID:jaKR1eQNO
歴史が変わるようなことはしてはいけないよ。

歴史がね・・・
358名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 11:43:21 ID:i/vLXd6p0
>>350
それって室町時代には母は「ファファ」だか「パパ」とかだったって話だろ?
実際どうだったんだろうな。
一休さんの歌も変わっちゃうねぇw
359名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 11:44:23 ID:h0q59aox0
>>353
そういわれても
日本国内での最古の漢字使用例はいまのところこれだから

http://www.city.matsusaka.mie.jp/kankou/ureshino/siseki/katabe.html

4世紀前半だから卑弥呼の時代の数十年あとってことになる
もちろんこの当時も漢字は使われていたはずだけど見つかってない

もちろん単に漢字を記したものということならもっと古いものもあるけど
すべて大陸伝来のものだから、天皇の在位記録を期待するのは無理

そのあたりをグチるならBC660年起源
なんてトンデモな引き延ばしをやった記紀の編纂者にいってくれ w
360名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 11:44:49 ID:rLyzSUUI0
昔の昔の人はピって言ってたのを
昔の人が怠けてフィとか言って
今の人はさらに楽してヒって言ってる
361名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 11:50:51 ID:YM9bzQ050
モモソ姫が卑弥呼なら、なんで古事記や日本書紀に
それらしいことがまったく書かれてなくて、
神ぐう皇后(←変換できない)のところに書かれてるの?
362名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 11:59:14 ID:OPAWBGe00
>>351
一部狂信者を除いて、だれにも相手されてないのが現実。

>>354
九州をなんとかして残すにはそれ以外ない。
大和岩雄なんかが典型。

ただそれでも、水行10日陸行一月でたどり着く場所は九州じゃない。
にもかかわらず何でいつまでも無理して九州にしがみつくの?って感じ。
363名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 12:04:36 ID:WslmMT9r0
>>345
もし魏使が邪馬台国まで行ってないとすると、
南へ一ヶ月みないな話も伝聞ということになる。

首都の位置をはっきりわからないようごまかしたかもしれないし、
日本はこんなに大国だと大げさに言ったかもしれない。
邪馬台国の人口が「7万戸」という、古代としては異常に多すぎる点も
伝聞説を強化している。

伝聞とするなら、方角も距離も怪しくなる。
邪馬台国は日本中、どこにあってもおかしくない。
364名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 12:04:39 ID:gxYA26sz0
>>347
弥生時代末期の大和なら、確実なのは纒向よりも唐古・鍵なんでは?
環壕は埋まったり、掘ったりと安定しないものの、
まだまだ人は住んでいるのだから。
纒向の方は隆盛の開始がはっきりしない。
弥生後期までは大した事ないのははっきりしているが。

それから、
> 弥生時代末期ともなると、(略)
> いくつも出現してくる。吉備、出雲、丹後などである。
とのことだが、どれも弥生末期以前から超でかい。
365名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 12:07:57 ID:o4R+ZULr0
>>362
伊都国あたりまで、距離を書いていたのに
投馬国から急に日数表記に変わったのはなぜ?
366名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 12:10:05 ID:niiqko+k0
>>364
唐古・鍵がサンパウロとかシドニーで
纏向がブラジリアとかキャンベラみたいな関係だったのでは?
367名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 12:10:12 ID:OHNnBfTA0
>>362
確かに、南へ水行10日陸行一月かかるのは畿内じゃないな
368名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 12:12:12 ID:h0q59aox0
>>361
現在の古墳の推定築造年代が正しいと仮定すると

箸墓は3世紀後半
行燈山古墳(崇神天皇陵)は4世紀前半
誉田御廟山古墳(応神天皇陵)は5世紀初頭

推定年代のほかに
ほんとにこれらの天皇陵の比定が正しいかどうかも
検討しなきゃいけないだろうけど

応神天応の母后である神功皇后が実在したとしても
250年頃に死んだ卑弥呼にあてるのは厳しいかな

日本書紀の編纂者がなぜ神功皇后紀に魏志倭人伝の記事をいれたかというと、
日本書紀の編年にによる神功皇后の執政期間が201年〜269年なので
魏志の卑弥呼と年代的にほぼ合致するからだろうと思われる
369名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 12:12:53 ID:m1XoN+fSO
ただの地方豪族だろ。
370名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 12:13:41 ID:gxYA26sz0
>>361
国内では既に伝承が失われていたが、
大陸の史書を見て、推理を交えて書いているから。
紀記はモモの逸話も含めて日本最初の邪馬台国畿内論。
モモもジンも正誤どっちの意味でも「怪しい」
371名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 12:17:13 ID:0Fudhk2t0
日本じゃぜんぜん無名なのに、
外国で有名な日本人がいるだろ。
卑弥呼っていうのはそういう存在。

韓国で人気という笛木優子とか。
ある時、記録がすべて消失し、かろうじて一部が残った。
そこで笛木優子の韓国の記録が見つかり、
「これが日本の代表的スターだ」と笛木探しをしてるのが
今の状態。

あやしい週刊誌の残骸を調べて、笛木優子とは山口百恵のことではないか、
いや美空ひばりだ、それは時代が合わない、松田聖子だろう
などとやってるのと同じなんだよ。

372名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 12:24:55 ID:6hsifEQJ0
この2人、巫女っぽい以外は共通点なさそうだが

●卑弥呼

その国、もとは男子の王であった。

住まるところ7,80年、倭国乱れ、互いに責め合って年が経った。
それで一人の女子を共立して王とした。その名は卑弥呼。

鬼道を使い、人を操る。すでに年寄りではあるが夫はいない。
弟がいて補佐している。

王となってから見た者は少ない。下女1000人を仕えさせ、たった一人の男子のみが
給仕したり伝令したりして出入りしている。

卑弥呼が死に、大きな墓が造られた。その後男の王を立てたが、国中がこれに従わず、
お互いに殺し合い、1000人あまりが死んだ。
そのため卑弥呼の宗女で13才の壱与という女子を女王とし、国中がようやく定まった。

●倭迹迹日百襲媛命(やまとととひももそひめのみこと)

孝霊天皇の皇女。

崇神天皇に頼まれて、災害がつづく理由を占う。
大彦命がきいた童歌から武埴安彦命の反乱を予言したうえ、
彼の妻吾田媛と二手に分かれて攻めてくるとも予言し、的中させる。

大物主神の妻となるが、大物主の本体が蛇であることを知って驚き、
倒れこみ、箸が陰部に刺さって死んだ。
箸墓古墳が墓とされる。
373名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 12:32:46 ID:hZ2iQbQY0
>320

伊都国の三雲遺跡群、奴国の那珂遺跡-春日遺跡群
鳥栖の安永田遺跡、吉野ヶ里、久留米一帯、
いずれも巻向遺跡より範囲がひろく、遺物もおびただしい。
八女もしかり。
岩戸山古墳のそばにある歴史資料館の館長曰く、
「ここらは古墳時代だけと思われているかもしれないが、
弥生時代の遺跡もものすごく多い。先日も大型の甕棺が運ばれ、
資料館に収納しきれないほど」 と嘆じていた。

3世紀は列島各地に遺跡があるからやはり魏との直接の遺物
がないと決定打にはなりにくい。
やっぱ鏡でしょう。この当時の魏では「右尚方」が官営だった。
右尚方作の鏡が出れば・・・・

>323
>324

東遷説の柳田康雄氏は
「トヨでなくイヨだね」
とぼくに言われたから、
読みはヤマイチ国の支持者でしょう。
374名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 12:33:11 ID:h0q59aox0
>>372
人間像としてはそうだね

だからモモソヒメ=卑弥呼説を支えてるのは
主として記紀に箸墓の主として記されてるということかな

>>368 に各陵墓の推定築造年代を示したけど
箸墓は卑弥呼の陵墓としても不自然ではないし
系図的なつじつまあわせでも崇神天皇の大叔母として
時代的に不自然ではないというところだ

それ以上でもそれ以下でもない
375名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 12:36:09 ID:7/2+JIuQ0
倭迹迹日百襲媛命 = 卑弥呼

豊鍬入姫命 = 台与

倭姫命(日本武尊の叔母。伊勢神宮創建)
376名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 12:36:51 ID:RZfaDgOr0
纒向の搬入土器から判ることは、3世紀頃にこの地に、
北九州や朝鮮や南関東とも交流がある都市があったってことだよな。

尾張・三河・遠江系の土器が圧倒的に多いのは、
纒向のある桜井から、宇陀←伊勢本街道→伊勢を通り、
船で伊良湖や熱田に行くルートが、東国と近畿の交通の
メインルートで(当時は伊勢湾が奥に広く、西濃尾は湿原で通れない)、
桜井はその物流の集積拠点だったということでしょ?
377名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 12:38:19 ID:5vwE3hN+0
>>371
>日本じゃぜんぜん無名

さすがにそれは無い。
神功皇后を卑弥呼らしく装うのに日本書紀の編者は必死になってる。
378名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 12:41:42 ID:gxYA26sz0
>>372
元々記紀の倭迹迹日百襲媛命の記述が、
倭人伝に影響されている可能性も大なので、
記紀の記述を元に倭迹迹日百襲媛命が
卑弥呼かどうか考えるのは、
堂々巡りみたいなもの。
379名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 12:44:52 ID:qUTuiW8x0
吉野ヶ里は伊都国かな
380名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 12:56:39 ID:zpeAIHL20
魏志倭人伝に出てくる華奴蘇奴國は昔の読み方で、ハノソノと読むらしい。
また華ノ祖ノ国と言うことで、「漢ン祖ン國」=「秦人(漢の祖)の國」=徐福の建国した國の意なんて説もあるそうだ。

まあ、どこかは知らんが「花園」だな間違いない。
381名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 13:01:47 ID:vbzH7ji40
>>379
伊都国は福岡県前原市。
そこの公立の博物館が「伊都国歴史博物館」と名乗ってるから間違いない。

http://www.city.maebaru.fukuoka.jp/city/bunka/ito-museum/index.htm
382名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 13:03:57 ID:hZ2iQbQY0
>368
うむ、年輪年代法を鵜呑みにして
箸墓を3世紀半ばにしてしまうとその前後の
列島各地にある古墳まで年代の影響を及ぼしてしまう。
行燈山古墳は4世紀初頭とかになってしまう。
岡山市に箸墓の二分の一の規模の浦間茶臼山古墳があって、
(三角縁鏡出土)吉備地方の3世紀の年代も早まってしまうという欠陥
があることにどうも箸墓=卑弥呼支持者は気がついてないような。

いま発掘担当者の寺沢氏自身、
「年輪年代法によって3世紀の年代が30−50年も早まって
しまうのは考えられない」とのこと。

>376
森浩一氏曰く、
「巻向の列島各地からの搬入土器は過大に評価される
きらいがあって、この当時の各地の遺跡からは相互の土器
が出土するのが普通」
ただ巻向が3世紀の最重要遺跡であることには変わりない。
とくに東海系とのつながりが深いのがどういうことなのか・・・
383名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 13:08:19 ID:5vwE3hN+0
× 箸墓=卑弥呼支持者は気がついてない
○ 箸墓=卑弥呼支持者はバッくれてる
384名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 13:22:35 ID:gxYA26sz0
>>382
そもそも箸墓古墳(箸中山古墳)が
記紀のいう「箸墓」かどうかも確定しているわけでないのだから、
ホケノ、東田の古墳群も含めて再検討すべきなんだけどな。
385名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 13:23:22 ID:3wGSdFH60
卑弥呼おばさんのお墓が見つかればいいのにな
386名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 13:41:50 ID:sbJ1hRZv0
おれ、さっきこの遺跡に、「ここは卑弥呼の墓です。」と書いたアイスの棒埋めといたから。
387名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 14:00:18 ID:QgpXK7CJ0
>>373
>伊都国の三雲遺跡群、奴国の那珂遺跡-春日遺跡群

王都があるとしたらここだけだね。

>鳥栖の安永田遺跡、

中期の遺跡なので、邪馬台国とは直接関係ない。

>吉野ヶ里、

吉野ケ里は、三雲や博多周辺、壱岐のはるの辻なんかに比べても
相当小さく、とうてい邪馬台国の候補にはなり得ないというのが
昨今の統一見解ですね。

>久留米一帯、

具体性がないな。

いずれにしても人が住んでるだけじゃだめよ。
王都として、ほかから際だったものがないと。

その点、大きさよりも大事なのはむしろ中身。
388名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 14:13:58 ID:R41zDvJYP
筑紫といえば筑紫平野だろう!筑紫平野と言えば筑後川下流域なんだ!
なぜ筑紫野市周辺や大宰府ばっかり論議されるんだよう。
いんな狭いところじゃ大都市はムリだろ?
水路陸路でながーい距離になるのは長崎をぐるッと周って
有明海を目指し筑後川河口辺りから上陸したからなんだぜ。
そっから陸路をどこに向かったかはわかんないけど。
そしたらオレんち周辺になるのでそう言う説にする事にした。
389名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 14:15:48 ID:HXSInCSd0
>>373
>鳥栖の安永田遺跡、吉野ヶ里、久留米一帯、
>いずれも巻向遺跡より範囲がひろく、遺物もおびただしい。

巻向遺跡 1.5km×2km = 300ha
吉野ケ里 25ha
安永田遺跡 0.6ha

どういう計算をしたら巻向遺跡より広くなるんだ?
390名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 14:19:16 ID:HROaYQfD0
邪馬台国が九州であるハズがないだろ。
巻向を越える大きな遺跡もないし、
魏志倭人伝だって九州から邪馬台国までは
相当な距離を船で移動することを伝えてるのに。
391名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 14:20:02 ID:YdACl+TI0
>>389
>安永田遺跡 0.6ha

これは間違い。いくつだっけかな。今出てこない。
392388:2009/03/25(水) 14:21:35 ID:R41zDvJYP
あれ、見ないで書き込んだらすぐ上で全否定されちゃってる
393名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 14:24:49 ID:Zogd3TyRO
時代が同じなだけじゃ、卑弥呼の宮殿かワカラン。
表札が出れば確実なんだがなw
394388:2009/03/25(水) 14:26:33 ID:R41zDvJYP
ただ見てくれよこの広大さを!
http://dec.2chan.net/up/src/f0445.xxx
395名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 14:28:05 ID:Xo4oRIwuO
昨日テレビで徳島県説が出てたがどうなんだろ
396名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 14:32:37 ID:GoqUxv8uO
畿内説で確定
397名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 14:38:29 ID:DaKwbrYR0
>>394
今は広いけど、当時は海が入り込んでいたから、
遺跡は山裾にしかないはず。
記憶で書いてるけど。
398名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 14:48:04 ID:daXsm7GP0
マキムクって、八百万の神々が集まって話し合いをしたって言う
出雲みたいな場所だよなぁ。

大神神社の主祭神が大物主=大国主ってのも出雲となんか関係してるんだろうか。
399名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 14:52:19 ID:wsedog320
>>382
>岡山市に箸墓の二分の一の規模の浦間茶臼山古墳があって、
>(三角縁鏡出土)

浦間茶臼山古墳からは三角縁鏡は出土していない。
出鱈目を書くな、馬鹿者!

興味本位の新聞報道やアマチュア好事家の古代史サイトばかり見ていても
考古学のレベルは上がらない。
きちんと考古学者が書いたものを読んで勉強しろ!


>>368
>現在の古墳の推定築造年代が正しいと仮定すると
>(中略)
>誉田御廟山古墳(応神天皇陵)は5世紀初頭

かつてはそのように言われたが、現在は、誉田御廟山古墳は5世紀初頭ではなく、
5世紀の半ば頃の古墳と考えられている。
埴輪の製作技法の編年研究から導かれた年代だが、多くの考古学者がこれに賛同し、通説となっている。
400名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 14:59:33 ID:4jW7iSQB0
>>398
出雲族ってのは元々畿内に居た一族。
記紀に従うなら纒向は本来は大国主命の国。
大国主命は東征で神武に抵抗した長髄彦かその一族。
401名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 15:03:22 ID:JkeKuufY0
>>377
神功皇后の時代に中国の史書では卑弥呼が朝貢したと書いてるけど違うからね
と示すためにわざわざ引用したという見方がある
402388:2009/03/25(水) 15:41:55 ID:R41zDvJYP
【佐賀】邪馬台国を考える会(仮称)4月に発足 畿内説との討論などを交えながら吉野ケ里遺跡が邪馬台国であったことを究明

吉野ケ里遺跡(神埼市郡)が邪馬台国であったことを歴史、考古学的に究明する「邪馬台国を考える会」(仮称)が四月発足する。
連続講座やシンポジウム、畿内説との討論などを交えながら、市民レベルで九州邪馬台国説を補強していく。

「九州説」を主張する日本考古学会の奥野正男さんを会長に、同遺跡保存に尽力した郷土史家石戸敏治さん(佐賀市)が副会長、
佐賀女子短期大学学長の高島忠平さんが顧問を務める予定になっている。

会では奥野さんの集中講座や同遺跡の現地見学会のほか、「畿内説」を主張する研究者との討論会なども計画。
研究成果は雑誌にまとめたいとしている。

邪馬台国論争では、20日に奈良県桜井市の纏向遺跡で、卑弥呼の時代と一致する3世紀前半の建物跡が確認された。
事務局長の関家敏正さん(佐賀市)は「吉野ケ里が邪馬台国だということを検証し、若い世代に受け継いでもらうため
会を立ち上げる」と期待する。

設立総会を4月19日、佐賀市のグランデはがくれで開く。
問い合わせ先は副会長の石戸さん、電話TEL番は省略しました。

佐賀新聞 2009年03月25日
http://www.saga-s.co.jp/view.php?pageId=1036&blockId=1213175&newsMode=article



http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1237962346/
403名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 15:42:37 ID:BD7h2u7f0
>>400
「出雲の国譲り」とか
神武が熊野から畿内入りしたとき
「ニギハヤヒがすでに畿内を支配していた」
という伝承が何を示しているのか、だな。

僕は、天皇家がニギハヤヒ一族に外戚で入って
権力を簒奪した、と思ってるんだが。
404名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 15:49:02 ID:k0g7aj6f0
>>403
まさにそのとおりなのではないかと思いますよ
405名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 15:54:30 ID:4jW7iSQB0
>>403
神武東征・国譲りってのは、卑弥呼が死んで再び内乱が生じた事だと思う。
後の天皇家勢力が、畿内のトップだった大国主勢力を追い落として出来たのが
ヤマト政権。
406名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 15:58:50 ID:BD7h2u7f0
>>405
その内乱の痕跡が畿内にありますかねえ。
もし大乱が畿内で起きたのならもう少し証拠が
出ても良いと思うのですが。
弥生末期の高地性集落って畿内周辺にありま
したっけ。
407名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 16:08:06 ID:Fvrf6VHi0
神奈川県にある大和だろ
地名的に見て
408名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 16:09:08 ID:HXgwiYvj0
4世紀初頭に倭は内乱状態に(西晋の混乱に連動)。その過程で邪馬台国滅亡。
この内乱状態を軍事力で再統一したのが応神(=神武)王朝。これが4世紀後半。
409名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 16:10:27 ID:O8l5Y8xeP
畿内勢力(大和朝廷)は、九州勢力が内乱起こしてウマーって事なの?
410名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 16:13:23 ID:k0g7aj6f0
>>408
そのとおりだと思いますが
邪馬台国の滅亡はもう少し早かったのではないかという感じもします
411名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 16:13:51 ID:ihBQV/Gd0
>>406
高地性集落って弥生末期は近畿地方には普通にあったんじゃねえか?
むしろ、九州のほうがまれじゃなかったっけ?
412名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 16:15:09 ID:VKFJDGxtO
出雲族に婿入りして国を譲られたのが饒速日
その饒速日から権力を奪ったのが天皇家ってこと?
413名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 16:26:22 ID:it6MlTQM0
>>406
>弥生末期の高地性集落って畿内周辺にありま
>したっけ。

普通にあるよw

有名ドコで古曽部・芝谷遺跡とかかな?
(ただし年代は後期前半あたりとされるが・・・)

あと敵の襲来を知らせるためと思われる狼煙台の跡とかねw
414名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 16:43:27 ID:4jW7iSQB0
やっぱ纒向はポテンシャルが高いな。
2chのあっちこっちで邪馬台国論争が勃発してるw
415名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 16:45:51 ID:pS6v6EJg0
邪馬台国に関する文献が現存してないんだから。

畿内説を論証するのは無理です。
あきらめなさい、朝鮮人のみなせん。

416名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 16:48:17 ID:0FYeGZkq0
暗黒神話を読め。
卑弥呼が餓鬼になったと書いてある。
そして馬頭星雲が地球にやってきて日本武尊が弥勒菩薩になるとも書いてある。
417名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 16:48:56 ID:Cdcf8qFN0
出鱈目でも何でも良いから,
誰かこの辺の時代までで
小説か漫画を作ってれくよ。
418名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 16:49:01 ID:IO+sR9S70
ひみこみこみこひみこみこ
419名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 16:51:02 ID:sccoHh8i0
狗奴国の男王「卑彌弓呼」が神武だろ。
卑弥呼は魏と組もうとした売国奴。
それを阻止したのが神武。
邪馬台国が滅びなければ支那の冊封体制に組み込まれていた。
420名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 16:51:20 ID:VPcb/4P00
まず しんぶん赤旗HPで 明確だが

大阪市の見張り番のおばチャとか オルクて 共産党の政治用語かな

東大共産党細胞 渡辺恒雄とか

「反貧困・春の大相談会」に参加した人 大阪市 北区役所

大阪市職員とは いかがなものは

民主党 長妻昭議員に質問に質問したいのだが

民主党参院議員、松岡徹氏(55)の 問題だよ

きえた年金じゃあ ない ヤミ給料 ヤミ年金の問題だよ 

解放同盟の専従だからが 解放同盟が給料 年金を払いが正解だろう

なぜ しんぶん赤旗が追求するの?

「反貧困・春の大相談会」に参加した人たちで、大阪市北区役所では

松岡徹氏(55)は いまでも 大阪市職員  なの?

極道キャスター 角淳一 守口警察との 戦いは続く






421名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 16:52:46 ID:pS6v6EJg0
金印くらい見つからないと駄目じゃない?

ひみこって書いてある。
422名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 16:54:48 ID:it6MlTQM0
>>416
暗黒の神
暗黒の神
暗黒の神

423名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 16:55:11 ID:LZKAUTWL0
文字の書いたものでも出てくれれば、いいんだけどね。
424名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 17:11:10 ID:gxYA26sz0
>>406
高地性以外にも環壕集落、矢尻の刺さった遺骨など、
弥生後期の大和を含めた西瀬戸内海は、大乱の痕跡だらけです。
環壕集落は纒向と目の鼻の先の鍵・唐古があります。
425名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 17:17:01 ID:BD7h2u7f0
>>424
そうですか。どうもありがとうございます。
やはり現天皇家に落ち着くまでに色々あったと。
記紀はそこを隠したいんでしょうね。
426名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 17:28:58 ID:gxYA26sz0
>>424
西瀬戸内海→東瀬戸内海
427名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 17:46:45 ID:Xg+lye9G0
マクモニーグルは山口県だって言ってたよ。
428名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 17:53:21 ID:WPm8HSnK0
不景気の影響で邪馬台のラーメンが人気らしいな
429突っ込んでやるよ:2009/03/25(水) 17:58:26 ID:it6MlTQM0
>>428
それマルタイな
430名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 18:08:39 ID:sccoHh8i0
>>425
記紀は全然隠してないよ。
神武は武力で平定したことだって、そのまま書いてあるじゃん。
431名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 18:10:06 ID:naMExVOc0
>>423
神代文字だったりして
432名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 18:33:47 ID:4jW7iSQB0
>>430
出自の正統性や武力行使の正当性を隠したいってことでしょ
433名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 18:43:17 ID:+HHSb6xEO
>>416
俺は徐福伝が好き
あれ読むと内臓を触られたかのような妙な気持ちになる

>>417
ナムジ/安彦良和
神武/安彦良和
を読め
434名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 18:58:14 ID:CaDQ51OU0
>>433
諸星は面白いが、安彦は絵は奇麗だがストーリーはイマイチだな。
藤原カムイの「雷火」こそ嫁!
435名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 18:59:28 ID:kTEqiQle0
雑誌「ユリイカ」のいま出てる号(だと思う)が諸星大二郎特集です。
「マッドメン」が特に取り上げられています。
436名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 19:04:54 ID:3gLLFiII0
『マッドメン』は良いよな…
漫画に合わせて「そうかオノゴロ島かー!」と呟くくらい感動したよw
437名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 19:11:24 ID:aXd6R7o+0
>>433

古すぎて支離滅裂。
神話解釈は笑うしかない。
438名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 19:18:20 ID:kTEqiQle0
とかいいつつ、ミーハーな俺は
星野の「ヤマトの火」「ヤマタイカ」が大好き。
何をたくらんでおる熱雷草作!
439名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 19:21:35 ID:K/CvyMjNO
徳島にあったとテレビで見たよ
440名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 19:23:31 ID:pDtP7Gdv0
徳島には失われたアークとモーゼの墓もあるよw
441名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 19:34:25 ID:0sUzOGL00
卑弥呼畿内派は三角縁神獣鏡を見つけては
「ここも邪馬台国の勢力圏」と騒ぎたがるが、
魏の鏡は小さいので三角縁神獣鏡の大きさでは
魏から卑弥呼に下賜された鏡という事は有り得ない。

問題は銅鐸と同様に三角縁神獣鏡についても
重要な神器だったとしか思えないのに
古事記日本書紀に触れられていなそうな事。

銅鐸を祭事に重用した勢力も
三角縁神獣鏡を祭事に重用した勢力も、
大和朝廷が成立するまでの過程で駆逐されたと考えるしかない。

継体天皇と伴に越から入った勢力が競り勝ったという事か?

ちなみに纒向遺跡のあたりでは黒塚古墳からしか三角縁神獣鏡は出ていない・・・
442名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 19:36:22 ID:wPxouth10
卑弥呼は56億7千万年後の未来でアマテラスになったのかもしれない・・・・
443名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 19:41:39 ID:2qSEEde10
邪馬台国の卑弥呼
ヤマタイ国のヒミコじゃなく、ヤマト国のヒメミコなんじゃないかと個人的には思うけどなぁ
444名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 19:46:44 ID:aXd6R7o+0
>>441

どんなに強弁しても、
東遷説は成立しませんよ。

邪馬台国は九州にあった。でも、畿内の大和王権に征服された。それだけ。
445名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 19:50:00 ID:0sUzOGL00


邪馬台国九州派ですけど?
446名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 19:55:21 ID:gxYA26sz0
>>441
三角縁神獣鏡は祭具っていうよりも葬具って言われてる。

> ちなみに纒向遺跡のあたりでは黒塚古墳からしか三角縁神獣鏡は出ていない・・・

支配した地方に配ったものだから出ないって言っていたのが、
黒塚古墳から大量(33枚!)に出て、しかもバリが取ってなくて、
鏡面は磨いてなくて、棺の外にあった。全部棺の方を向けて。
中には画文帯神獣鏡が一枚あった。

この一件がとどめで卑弥呼の鏡と考えるものはほとんどいなくなった。

447名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 19:55:42 ID:zpeAIHL20
>>444
征服と言うよりはむしろ吸収されたと言った方がしっくりくる。
邪馬台国の来歴をネオヤマト連合キングダムが吸収したってところじゃないかな。
448名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 19:56:41 ID:JkeKuufY0
>>444
畿内の大和政権が九州の勢力を倒したなんて文献でも考古でも何も根拠ないんだけど
449名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 20:00:08 ID:sCpF223p0
九州と畿内で争ったのは確実なのはクマソと磐井の乱くらいだな
九州にあった邪馬台国が大和に滅ぼされたとかただの妄想の世界
450名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 20:02:18 ID:f2nW5nr50
卑弥呼の正しい名称が分かるかな?
451名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 20:12:41 ID:gUcS5i0y0
>>338>>344

むろん今は「原典」は存在しない。
我々がみることのできる宋代(元代だったかも)の刊本の『三国志』には
「邪馬壹国」とあるわけだけど、同じ刊本の『後漢書』『梁書』
『北史』『隋書』には「邪馬臺國」「魏志所謂邪馬臺」などとある。
つまり、『三国志』の「邪馬壹国」の「壹」は「邪馬臺國」の誤写と考えるべきだろうね。

それを「邪馬臺國は存在せず、邪馬壹国ヤマイチコクがあったのだー!!」
と逝っちゃうと、「古田信者乙」となるわけで。
452名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 20:27:29 ID:qcTNh9YH0
壹をイチと読むなんてのんきな学者がいるのか?
中国の書物の漢字の1文字は1音節と決まってる。
イッならわかるけどな。
453名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 20:28:46 ID:aXd6R7o+0
>>448-449
文献ならあるよ。
景行天皇が九州を平定してるよ。
ヤマトタケルもクマソを征伐してる。
考古学的には、畿内の土器が九州に拡散している。

逆に4世紀以後に九州が畿内を征服したなんて証拠は一切無い。

それを無理やり神武東征を4世紀にして、
邪馬台国が東遷したとか電波飛ばして笑われてるのが安本美典。
454名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 20:34:53 ID:aKbVPqxj0
北九州にあったであろう邪馬台国の卑弥呼と
狗奴国の卑弥弓呼は姉弟または同じ血族だったんじゃないかな。
で、卑弥弓呼の直系が神武で東征したんだと思う。
455名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 20:36:53 ID:bLtnm02p0
456名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 20:51:53 ID:Ds1dr1yWO
>>448
2世紀半ばの倭国大乱を経て、それまで北九州国家(奴国・伊都国)が掌握していた
外交権(=倭国の盟主権)が畿内(邪馬台国)に移動したんだと俺は理解してるけど。

奈良の東大寺山古墳から出た「中平」年号(184年-)の鉄刀はその証拠。
457名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 21:00:58 ID:sCpF223p0
>>453
邪馬台国が九州にあって、それを滅ぼしたって文献は無いだろ
458名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 21:05:51 ID:JkeKuufY0
>>456
講談社日本の歴史でもそういうふうにあったな
九州にも目を配りつつ畿内説だから穏当なのかな
459名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 21:06:51 ID:85glyTiI0
梁書倭国伝では光和中(178〜184年)に倭国大乱があったと書かれているね。
460名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 21:29:27 ID:0sUzOGL00
邪馬台国に鳥居はあったのかな
461名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 21:33:08 ID:lN+NEJ7WO
みんな詳しいねw
462名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 21:34:39 ID:4jW7iSQB0
邪馬台国→やまたいこく→山田異国
これはつまり山田長政が大臣を務めたアユタヤ王国のこと
463名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 21:39:38 ID:Ygzrl73g0
卑弥呼はブス
464名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 21:48:49 ID:zkHRAVr90
465名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 22:05:39 ID:JBO11KiN0
向こうに追い抜かれたなw
466名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 22:14:09 ID:Xihfltpz0
現在の考古学的状況から見て、邪馬台国畿内説しかありえない。
467名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 22:19:53 ID:Spst/qlp0
ゴッドハンドを見抜けなかった考古学界恐るに足らぬ
468名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 22:57:32 ID:k0g7aj6f0
大陸から九州島に入り、そこで興った勢力が東遷し畿内に入った
これはほぼ確実でしょう
その東遷した勢力が邪馬台と関係がある勢力なのか
狗奴国なのか、それともそのふたつとはまったく関係がない勢力であるのかは議論の余地がありますが
とにかく三国志にあらわれる邪馬台がどこにあったにせよ
大陸→九州島→畿内へと有力な勢力の大きな移動があったことは確かなことなのではないでしょうか
469名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 23:00:56 ID:8gW9x/1d0
>>468
どうしても何事も朝鮮由来にしたい在日の方ですね?わかります。
470名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 23:11:56 ID:4imDV8KTO
>>467
ゴットハンドにばかり働かせて責任取らない大学教授や院生に穴堀りさせろ、就学金返さない糞どもだから、タダ働きでいいよ。
471名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 23:14:06 ID:V8v6Qc6Y0
>>469
まあそっとしといてやれ。日本神話にもアメノヒボコとか出てくるし。
大国主に負けてるけど
472名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 23:41:36 ID:4jW7iSQB0
>>471
天日鉾の話って日本に亡命してきた新羅人がファビョって兵庫県出石に隔離されたって
間抜けな話だけどな。
473名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 23:44:16 ID:2HXTm0Df0
大陸から人が来たのは確かだよ。
ただし、半島からじゃない。
沖縄経由で中国江南から来た。

稲のDNAの追跡で、もはや常識。
474名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 23:45:43 ID:k0g7aj6f0
>>469
今の朝鮮人と当時の朝鮮人はほとんど関係がないのではないですか?
対馬海峡をはさんで半島南部から九州北部にいたのが「倭人」だと思いますよ
その「倭人」がつくった国こそ百済、倭、そして日本ではなかったでしょうか
百済と日本の関係には深いものがあるでしょうが
その百済を残虐に滅ぼした北方からの侵入者、新羅には日本人は不快感しか持たないでしょう
中世など新羅は幾度となく九州北部に侵入しては虐殺、略奪、拉致などを繰り返してきました
今の福岡の人たちにはいわゆる嫌韓が非常に多いですが、それにはこういった歴史も関係しているのだと思われます
475名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 23:47:23 ID:DwjA8UQQ0
独島から来た人たちが邪馬台国を作ったんだよね。
476名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 23:48:48 ID:/oDLlfPl0
なんで古代歴史のニューススレにはやたら詳しい人がくるんだろう?
読んでて面白いけど半分くらいわけわからん
477名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 23:54:22 ID:JBO11KiN0
半分くらいわけわからん内容だから、心配しなくてよい。
478名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 23:57:29 ID:V6vbg8nNO
奈良…あぁあのキモいキャラクターに大金使ったところか。
479名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 23:58:55 ID:TQD+jHzCO
へぇー
480名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 00:05:56 ID:euyRtbhk0
正直俺もわけ分からんネタが多いな。
建築物出土は良いとしても、卑弥呼に繋げる論理が見えない。

そもそも、何が出たら卑弥呼の宮殿と比定できるのか分からない
481名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 00:10:36 ID:SLYrJDpb0
>>469
ついでに言えば私は大陸から来たとは思っていますが朝鮮から来たとは思っていませんよ
倭人は呉の太伯の子孫だと言っている、とあるとおり
中国江南地方から九州島に入ってきた可能性がもっとも高いと思っています
邪馬台も狗奴も、どちらも江南地方にルーツを持つ国家ではないでしょうか
卑弥呼にしろ卑弥弓呼にしろ、その呪術はどこからきたのかを考えるとき江南にその源流を見るような気がします
482名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 00:12:45 ID:N/y5SiTV0
>>472
それを信じてるの?
天皇家にその血が入ってることになるよ
483名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 00:13:16 ID:2KDVk4pr0
何が出ても比定できるのかもね。

「邪馬台国」とか「卑弥呼」って言葉自体、
歴史学者と考古学者で違った意味に使っている感じ。
あるいは学者と万世一系論者とか。
484名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 00:24:50 ID:5gU4eaYW0
えぇ!小野妹子よ。
485名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 00:34:54 ID:I2oBpdtj0
大そうなものが出てきたらとりあえず「邪馬台国」と書いておけ
というのがマスコミなのか
486名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 00:36:35 ID:MYe7KpUj0
てst
487名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 00:46:10 ID:EK3m5yk10
>>482
神々の系図はあくまでも、八百万の神々はすべて天照大神の下にあるって事を
示すための、いわば序列だからねぇ。だから国津神と天津神がごちゃ混ぜに
なってるし。大相撲の番付表みたいなモンで、横綱は大関の父親じゃない。

記紀と実際の天皇家との整合性や政治的意味までは俺には解らないや。
488名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 00:51:57 ID:/IIzy5KhO
卑弥呼三才時の頭蓋骨が出土すれば、そこが邪馬台国に間違い無い。
489名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 00:59:45 ID:k/3QJuWc0
今回はさらに「小さい」
490名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 01:06:20 ID:8o0xwIY30
>>488
俺、卑弥呼5歳の頭蓋骨持ってるよ。中国の露店で買った。
491名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 02:02:38 ID:y66lH7310
中国人は嘘をつくが、練習は嘘をつかない
492名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 02:25:12 ID:RntQSD4m0
>>456
>2世紀半ばの倭国大乱を経て、それまで北九州国家(奴国・伊都国)が掌握していた
>外交権(=倭国の盟主権)が畿内(邪馬台国)に移動したんだと俺は理解してるけど。

そのことは、3世紀初頭では畿内や吉備の土器は北九州へ移動してるけど、
その逆はないことからも裏付けられるそうだ。

最新のデータではないけど、纒向遺跡から出土する土器のうち、
15%が外来のもので、そのうち50%が東海系、17%が山陰・北陸系、
10%が河内系、7%が吉備系だという。今は外来系土器の割合は
もう少し高くなってるかも。
493名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 03:06:26 ID:NS57Qx8z0
>>476
日本古代史は日本史板の花形だから
日本史板からいろんなヤツが出張してくるのよ

ここは任那府みたいなもん
494名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 03:11:38 ID:JBFxG4350
日本史板の邪馬台国関係は何年も前から異様な状態。

一方考古学板は何年も前に板自体が死亡
495名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 03:29:06 ID:d12DfogUO
女王と言っているのは「斎王」ではなかろうか。
女王国が斎都なら、当初はマキムクで倭百襲姫が三輪の神の妻となり、姫の死後にはオオタタネコなる男子
が祭司を行い、その後伊勢が斎都となり女子が斎王になっている。
だいたい、男の王とあるのも世俗王とは限るまい。
各国の長は「官」と表記されている。魏にとって倭王は一人しか認められない。
世俗王が他にいても官とされたかもしれない。斎王が倭王ならば。
マキムクは三世紀末に消滅しているようだが、垂仁天皇から景行天皇の頃だから辻褄は合う。
祀る神も変わったのは争いがあったからでは。
崇神天皇の頃は四道将軍の話、宇治、河内の木津川を勢力とする皇族の謀反があった。
吉備はマキムクに参加した勢力だ。そこに将軍を派遣している。
後の日本史を見てみても、鎌倉時代の武士は鎌倉に参加した後家人ばかりではない。
南北朝時代も綺麗に南北に勢力が別れたわけではない。モザイクだ。
496名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 03:36:44 ID:FK69XvWC0
ここ見てると、畿内説の人たちは冷静ですね。
497名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 03:54:21 ID:2VrTzlGi0
京大の皇国史観の敗北だな

古墳の年代を 1世紀さばを読んだ

498名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 03:59:43 ID:z/NSpHwv0
考古学的な証拠もなしに

ひたすら東遷説を唱えるのもね

悔しかったら反論してみ
499名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 04:00:59 ID:VK8ePjq30
>>497
お前アホだろ?
元々九州説は皇国史観丸出しの本居宣長が言い出したのは周知されるところ。
明治以降も例えば畿内説の内藤湖南は九州説を本国中心主義として批判してきた。
てめえの脳内イデオロギー闘争の構図で適当に語るな馬鹿w

で、「1世紀さばを読んだ」?
じゃあ実年代の確実な基準があるわけだよな?

それは何に基づくのか言ってみろ。

先に言っておくが 一昔前の年代観=小林説 なんて馬鹿は言うなよw


500名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 04:10:17 ID:VK8ePjq30
>>498


  東遷説 = ウリナラ起源説


501名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 04:18:19 ID:UXHmNBc9O
俺の予想では、邪馬台国は埼玉
502名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 04:18:23 ID:t13Nq6aMO
沸いてるねえ。
なにしろこんなに好き勝手が言えて、さも学問があるみたいな(ホントは無い)話題は他にあまりないからなあ。
2chでも理系は基礎がなきゃすぐ破綻するからなあ。
文系古代史厨が沸くこと沸くこと。
503名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 06:44:51 ID:SLYrJDpb0
「いかなる才能もただそれを鼻にかけ人のために役立てようとしないのであればまったく評価に値しない」   陳寿 
504名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 07:02:33 ID:0/m5iHq30
纒向が初期大和朝廷の遺跡の可能性は高いと思うが
なんでそれが卑弥呼の宮殿になるんだ?
その飛躍的発想はさっぱりわかんねーよ
505名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 07:04:51 ID:jWTVfeFt0
いきなり卑弥呼宮殿は無理があるんでないか?
506名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 07:09:07 ID:80iraO5nO
>>499
先に言っておくが 一昔前の年代観=小林説 なんて馬鹿は言うなよw


↑予防線張るなよチキンw
507名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 07:27:13 ID:6bh3bWGr0
纒向が卑弥呼の前なのか後なのか。
倭国大乱で卑弥呼が擁立されて纒向に都を作ったのか、
卑弥呼が死んだ後の乱れの後にトヨが擁立された時に纒向に都を作ったのか。
卑弥呼の後に倭国はもう一回乱が起きてるからな。
508名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 07:37:51 ID:S3lzPDKe0

トヨタン・・・・・・・・・・
509名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 08:24:30 ID:ozH652kk0
卑弥呼で街おこしですか
510名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 08:40:36 ID:R11ldw/WO
ところで、トルコで世界最古の鉄器が発見されたそうな
511名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 08:42:33 ID:Eb3tXoH10
>>482
在日って
皇室に朝鮮人の血が入っているとか
芸能人が実は在日だとかの話が日本人にショックを与えると思っている節があるけど…

日本人は朝鮮人みたいな変な拘りがないから「だから何?」って話なんだよなw
512名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 08:43:13 ID:jstKfw5O0
卑弥呼で予算獲得
513名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 08:52:15 ID:zKWmkS1e0
マスコミがニュース番組でやっている
「卑弥呼の宮殿」の想像図CGが
宮殿というにはあまりにも素朴すぎる
丸太を組んだだけみたなのは
「日本の古代なんでたいしたことありませんよ」
という左巻きの洗脳か?
514名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 08:56:25 ID:DnReCbIb0
>>513
真実を素直に見られる日本人の民度の高さが、壇君なる神話の王墓をコンクリートで捏造しちゃうような民度の低い朝鮮人には理解できないんだろうな…
515名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 08:59:51 ID:X3QE5mcPO
大阪西成区にあったんだよ邪馬台国は
516名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 09:02:03 ID:1Ovw2T+H0
卑弥呼というAV女優がいてだなry
517名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 09:03:33 ID:OELKYEnp0
>>513
仕方が無いでしょうに...
当時は文献資料が無いわけだから
伊勢神宮のあれぐらいしかモデルが無い。

そもそも、日本は山岳部が多いわけだから、木造を頻繁に利用するのは
なんとなく創造できる。
518名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 09:11:42 ID:fQEDSJn30
正直、ここは宮殿とかそんなもんじゃないと思うな。
旧河道にはさまれた狭いところだからそんなに広くは取れないし、
氾濫したら危ない。一時的な祭祀の施設じゃないかね。

重要でないとはいわないが。
519名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 09:17:33 ID:Q3nMYA8c0
>>518
>一時的な祭祀の施設

卑弥呼は鬼道なる宗教で祭政政治を行っていたんだよ。
宗教施設=卑弥呼の宮殿という解釈でも良んじゃね?
520名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 09:18:17 ID:OELKYEnp0
纏向遺跡って、後の藤原京なみの大きさなんだよな...
でかい。
同じ時代だと、魏の洛陽なみの大きさ。
むろん、朝鮮半島、満州、ベトナムには、こんな大きな都市は存在しない。
521名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 09:21:43 ID:OELKYEnp0
天皇制度は、中国の律令体制を導入してからの制度。

日本古来からの制度は、祭祀王と政事王の二つが並立している制度。
で、身分の高さでは、形式的に、祭祀王>政事王
だが、実権は、政事王が握っていた。

魏志倭人伝での倭王というのは、祭祀王のほう。
ヤマトトトヒモモソ媛命は祭祀王のほう。
この祭祀王の座をめぐって倭国大乱が起こった。
522名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 09:28:01 ID:MJi0ZycY0
>>513
>日本の古代なんでたいしたことありませんよ

何処と比較して大したことないの?
そもそも外国と比較する必要なんてあるの?
それとも「自分の祖国と比べて大したことない」とでも言いたいの?
523名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 09:34:14 ID:OELKYEnp0
>>513
そもそも、中国的な建物がすばらしいという考えが
偏見なんだけど。

前近代の技術なんて、
今の先進国と後進国ほど技術格差なんて存在しない。

纏向遺跡は、その規模からして、
中国の洛陽に匹敵する都市。
524名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 09:34:19 ID:NQkOD8Nk0
>>513
俺もマスゴミや各地の遺跡の再現に使われている住居は実際とは
かなり違ってる気がする。
家の近所で言えば、弥生の遺跡である田能の住居がありえない程
チープだよ。
猪名川と藻川に囲まれた湿地帯で地面に穴を掘って竪穴式住居を
作って住めるか?
525名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 09:59:16 ID:mtEBsqsx0
他に有力な候補地がない現在、
纏向=邪馬台国の報道は当然だと思うんだが、
それにヒステリックに噛み付いている奴らって何なの?
526名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 10:08:49 ID:mpgV57630
ヤマトトトヨモモソヒメがトヨのことだったかもしれない
527名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 10:11:19 ID:ANOsPsL/0
7万戸が35万人を表すとすると
江戸時代の農業技術で35万石相当の面積が必要だと言うことだ。
弥生時代にはそれよりは農業生産は低かっただろうから
70万石とか100万石相当の土地が必要だったと考えられる。

さらに、非生産の支配階級を食わすためには、かなりの
輸送能力が必要。

あのあたりで70万石の領地となるとどのくらいまで広がるんだろう。
528名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 10:14:05 ID:KkWLKQhf0
>>527
ウィキペディアによると
薩摩藩島津家 - 薩摩国・大隅国の2国、及び日向国の一部、南西諸島を領有。薩摩国鹿児島城(鹿児島市)。77万石。
らしい
529名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 10:20:10 ID:93ZxqKHQ0
>>527
纏向って関東から九州までの土器が見つかってんだろ?
これって関東から九州までの領地から年貢が送られて来ていたってことじゃねーの?
素直に考えればココが魏志の書く邪馬台国だとしか思えないんだけど…
530名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 10:30:14 ID:e1tZl3oC0
ヒント!参勤交代
531名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 10:35:49 ID:OELKYEnp0
>>529
だから、それで決まりだ。
邪馬台国九州説論者は、在野の学者や作家とかが中心。
専門の学者さんらは考古学も歴史学も、ほぼ邪馬台国ヤマト説。
九州大学ですら、ほぼ邪馬台国ヤマト説。
かつては、九州説の中心だった東大ですら、ほぼ邪馬台国ヤマト説。
532名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 10:49:16 ID:OELKYEnp0
>>528
もし、それだと、狗奴国はどこになるんだ?
よって、邪馬台国を九州にもってくるのは無理。
533名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 10:49:25 ID:sRdOauuV0
邪馬台国が畿内だとすると、もう卑弥呼時代には大和王権の原型が
東海から北九州までの連合勢力として成り立っていたことになるよな
てことは、日本の国家としての成立や神武東征の時代が卑弥呼以前に遡ることになる?
534名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 10:49:47 ID:2JYDHioJ0
卑弥呼のAVビデオ持ってるよ、これまじ年代モノ
535名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 11:01:45 ID:cUUj1e6e0
>>533
年表作って
536名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 11:08:43 ID:hBLokPjm0
女王国までの距離は最後にちゃんと書いてある。

『帯方郡より女王国にいたるまで1万2000余里』

帯方郡→末盧国まで足すと1万里 (7000+1000+1000+1000)
末盧国→奴国 700里 (500+100+100)

すると、→投馬国→邪馬台国 は1300里となる。

対馬国→一支国が1000余里。
これが対馬と壱岐であるのはほぼ確定だから
両者の距離は68km。これが1000余里ということになる。

奴国が福岡あたりだとすると、そこから車で1〜2時間くらいの
ところに邪馬台国はある。
末盧国なら2000里。唐津あたりから数時間。

ここで、1300里を水行陸行1ヶ月かかるわけないという反論が出てくるが
1300里を30分で移動したなら、有り得ないと言えるが、1ヶ月かけて
移動した可能性は否定できないだろう。
距離は短くても、険しい山越えをしたかもしれないし
(末盧国の描写で、草が生い茂って前を行く人の姿も見えないとある)
魏使が来たのは夏。台風で増水やガケ崩れなどで足止め、遠回りしたかもしれない。
だから時間がかかってるから遠くまで行ったなどとは断言できない。
それに、日数は郡からの全行程にかかった時間だという説だってある。

いずれにせよ途中から距離を書いてないのだから仕方ない。
そして「郡から女王国までは12000余里」とハッキリ書いてあるんだから、
むしろ日数を主張する人はこれをまるで書いてないかのように完全無視してる方が
おかしい。
537名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 11:10:23 ID:Wx9YbPe10
>>533
卑弥呼以前というか正に卑弥呼の時代そのものだと思うけどな。

卑弥呼(モモソ)の死後、後継者問題で乱が起きて、台与(トヨスキイリ)が後継者となって
更に倭姫命に継ぐか継がないかぐらいの先のゴタゴタが沈静化して久しい頃に
やっぱ男を王にしようぜ、って閣議決定して
崇神天皇がトップに就いて、以後天皇が続いていく・・・なんて俺は妄想している。
538名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 11:14:14 ID:n8Wy37nr0
邪馬台国=ヤマトとして
神武はやっぱ九州隼人でおK?
539名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 11:17:59 ID:ANOsPsL/0
九州から大和までの広範囲が国の勢力範囲だと考えれば
神武東征も素直に納得できるな。

九州から大和まで、戦い倒して大和に達して、建国したんだろう。
だから、その道のりは大和の勢力範囲と言うことになる。
540名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 11:23:09 ID:cagXffS40
>>533
卑弥呼と神武は、ほぼ同時代じゃないか。
邪馬台国とヤマトに連続性はないと思うね。
魏書が述べるクナ国王がナガスネヒコではないかと思うのだが。

>>536
邪馬台国は点じゃないだろ。
邪馬台国の範囲・大きさがわからないと距離もあてにならないな。
541名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 11:27:52 ID:1EZzOJvL0

180〜190年頃 倭国大乱(後漢書)
          邪馬台国の卑弥呼を擁立し、連合王国による新体制が発足

          神武天皇(1)東征。大和地方にて長髄彦の抵抗に遭う。
            長髄彦の死去後、一族は四国や伊勢を経由して科野に逃れる。
            伊勢攻略。伊勢津彦は科野(関東?)に逃れる。

    300年頃 崇神天皇(10)の命で各地に四道将軍が派遣され、各地の勢力に恭順を迫った。

          景行天皇(12)の皇子・倭健命による出雲攻略。出雲健命を討つ。

          成務天皇(13)の時、五百建命が科野国造に任ぜられる。

     456年 雄略天皇(21)即位。物部氏らに命じ、地方勢力の鎮圧に乗り出す。
           吉備・播磨を討伐し、474年には伊勢の朝日郎を討ち取る。
           この時、伊勢を追われた伊勢舟木氏は科野に逃れたとされる。
542名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 11:32:41 ID:Zu5Ksooa0
>>532

>>528 は石高の例として江戸時代の薩摩藩を出しているだけで、別に邪馬台国薩摩説を書いているわけじゃないと思うんだが…
543名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 11:37:39 ID:NyG2wdwi0
>>533
そうだね。

邪馬台国問題から離れて、当時の状況は、土器の活発な移動のありようから、
北部九州、吉備・瀬戸内、畿内、山陰、丹後にわたる経済圏が
弥生後期後半(2世紀後半から3世紀)にはできあがっていたことが分っている。
そして2世紀代から3世紀初頭あたりには吉備やら出雲やら丹後やらに
それぞれ強大な王権が存在していたものが、3世紀になると大和・巻向に集約されはじめ、
3世紀代のうちに各地の王権は終焉を向かえ大和に一元化される。
これが大和朝廷だろうとは誰しも思うし、これはもう動かない。

問題は、九州で最も繁栄していた前原、博多というところが
この経済圏の中にどっぷりと入ってしまっているという点。
上の大和朝廷成立の動きと邪馬台国とは別物だとするのもいいけれど、
その場合には、九州い随一の目玉である前原、博多と言ったところを、
邪馬台国を中心とする倭国の版図から外さなければならない。
九州のほかの場所に都があるなら、そこまでこの経済圏の影響が及ばないのは、
普通に考えておかしいので。

前原は伊都国、博多一円はナ国に比定することを
認めない人はほとんどいないわけで、
前原、博多を失うと、倭人伝を解釈するにも相当無理しなきゃならなくなるし、
考古学的な裏付けはほぼ皆無になってしまう。

こんな状況で、なんで、そうまでして九州にこだわりたいの?

って言うのが素朴な疑問。
544名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 11:51:07 ID:Lt6seNi30
>>541
>伊勢津彦は科野(関東?)に逃れる。

科野=信濃、関東じゃないよ
545名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 11:55:57 ID:rQRkaRG9O
こんな昔のことがなんでニュースになるの?
これが分かってたら何?って感じ。日本の歴史なんてどうでもいいよ。
546名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 11:57:30 ID:Lt6seNi30
>>545
「どうでもいい」なら
こんなスレ覗くなよw
まして書き込む必要なんてあるのか?
547名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 11:58:13 ID:1EZzOJvL0
>>544
もちょっと具体的にお願い
548名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 11:59:32 ID:j6A0F9jC0
>>543

九州説の人は、考古学的な発掘成果を知らないから、
九州と本州は、何の交流も無かったと、いまでも信じてるわけだよ。
九州島だけで邪馬台国・クナ国があり、本州は別の倭人の地だと、倭人伝から解釈してる。
だから「経済圏」と言われても理解できないだろう。

実際は、九州〜出雲、九州〜吉備に活発な交流・交易が弥生時代からあった。
出雲からは銅剣が出てるのに、九州説の人はそれをすっかり忘れてる。
九州と出雲が交流してたとしたら、そこから九州説が破綻するから、目を背けてるのかも知れないがな。
九州説の大原則は、とにかく、魏志倭人伝の邪馬台国は「九州島の内部だけの話」なんだから。

549名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 12:00:04 ID:Lt6seNi30
>>547
wikiで「信濃国」を調べろよw
550名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 12:05:36 ID:2KDVk4pr0
武光誠氏(ちくま新書、2000年)は筑後川流域説だお
発掘成果もちゃんと把握してるお

俺は筑後川はないと思ってるけど
551名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 12:07:40 ID:RRNFUTjLO
まぁ普通に>>536がFAだね。
畿内説のみなさん乙。
552名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 12:12:49 ID:j6A0F9jC0
>>550

東大のしがらみで、九州説を捨てられないんだろう。
でも、九州の邪馬台国が、その後に滅んだと考えてるところは、
東遷説よりかなりマトモ。
553名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 12:16:39 ID:RFswPbuD0
>536
>551

魏時代の一里は0.435kmだから
1000里 = 435km

12000里 = 5220kmとなる。

なので、それを九州に収めるには
怪しげな「短里」を導入するか、距離の拠点の読み変えをするか、云々

という果てしない堂々巡りに入っていくのですが。
554名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 12:16:59 ID:HZAwEDGF0
男じゃヤダヤダ→内戦状態

そして13歳の娘をトップに選んで丸く収まる日本人のセンスは今も昔も変わらぬ!
555名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 12:18:47 ID:j6A0F9jC0
>>551

一瞬で論破されてやんの。

九州説乙。
556名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 12:19:09 ID:1EZzOJvL0
>>549
調べたけど何が言いたいのか解らないんだよ。
科野(関東?)←科野か関東方面に逃れたって記述の何が
おかしいと指摘されてるのか解らない。
557名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 12:23:36 ID:j6A0F9jC0
>>556

「科野」は、信濃(長野)の山奥だから、関東と言われると違和感があるんだよ。
558名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 12:25:13 ID:wdxZVc6D0
畿内説だと邪馬台国は纏向遺跡ってことなんだよね?
九州説だと邪馬台国の遺跡ってのは何処なの?
559名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 12:28:49 ID:P38M717U0
距離からすれば、新潟か青森だな。
気候からすれば、九州だな。
560名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 12:32:14 ID:d12DfogUO
当時、水行の距離を正確に出せたのだろうか?
当時の魏の里を推定して計算するとフィリピンの向こうまで行ってしまうとの話もある。
561名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 12:36:41 ID:cWuFqz1d0
>>559
九州でも博多あたりなら平均気温はそんなには変わらないよ。
南九州なら別だけどね。

そもそもさ、この記録を書いたであろう人達は、
ピョンヤンあたりからきてるわけなんで、
そこと比べたら、西日本はどこでも温暖だよ。
562名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 12:40:32 ID:ZTr4NNJO0
>>559
どこやねん www
563名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 12:41:39 ID:d12DfogUO
さて、疑問がある。
卑弥呼は「鬼道」をよくするとあるが、台与はどうなのだろう?
間の男王はどうなのだろう?
卑弥呼の前の倭王はどうなのだろう?
魏志からこれらに解答を得たとの話を知らない。
564名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 12:42:35 ID:j6A0F9jC0
距離を正確に測れたという前提で話してるやつは、
いったいどういう測量技術を使って距離を計ったのか言ってみろ。

古代日本に、正確な測量技術なんて無い。
船で1日で渡れる距離を、1000里と見積もった、というだけかもしれないだろ。
徒歩で、里を計ったなら、実測とはかなり違うものになる。

たとえば、1日で歩けた距離を○里と計算するなら、
中国みたいな平らな平原を直線で歩けば、実測距離は長くなる。
日本みたいな藪やくねった山道を歩けば、実測距離は短くなる。

これを、短里だ長里だと言ってるやつもどうかしてるんだけどね。
565名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 12:43:59 ID:nG8wJ2EG0

トヨタン・・・・・・・・・・
566名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 12:47:29 ID:1NKIwFTj0
13歳ハァハァ
567名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 12:48:16 ID:nG8wJ2EG0

・・・・・・・・・・
568名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 12:51:53 ID:VtaqEOoc0
>>566
タイ-ホ!
569名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 12:53:58 ID:cBeeIF/60
台与って、その後どうなったんだろうな。
570名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 12:56:31 ID:p6Qq9tmd0
>>493
>ここは任那府みたいなもん

上手いな。
ん?ニュー速+は半島なのかw
571名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 12:56:34 ID:NS57Qx8z0
中国は白髪三千丈(9km)の国
572名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 13:05:57 ID:scYuRq710

★台与

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%B0%E4%B8%8E

『日本書紀』の神功紀に引用される『晋書』起居註に泰始2年(266年)に倭の女王の使者が朝貢したとの記述があり、この女王は台与と考えられる。
この年は、中国では曹操に始まる魏王朝の曹一族に世継ぎができなかったため、親族の幼少の皇帝が3代続いた時代で、外戚の司馬氏が建てた晋に禅譲革命が行われてゆく途上の年であった。

この朝貢の記録を最後に中国の史書から邪馬台国や倭に関する記録が途絶え、次に現れるのは150年の後の義熙9年(413年)の倭王讃の朝貢(倭の五王)である。

台与と後のヤマト王権との関係は諸説あってはっきりしない。
人物の比定については諸説ある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%B0%E4%B8%8E#.E4.BA.BA.E7.89.A9.E6.AF.94.E5.AE.9A
573名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 13:10:04 ID:e1tZl3oC0
中曽根さんって長髄彦の子孫
574名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 13:16:48 ID:Wx9YbPe10
>>569
台与を豊鍬入姫命とするなら垂仁天皇25年に
倭姫命に譲るまでその座には就いている事になる。
魏志倭人伝の年代に合わせていくと、だいたい316年辺りでバトンタッチっぽい。
575名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 13:41:18 ID:2KDVk4pr0
>>553
狗邪韓国まで7000里は3000kmになっちゃうお。
3000kmって、今度は狗邪韓国はどこ論争になっちゃうお。
狗邪韓国が関東あたりで、対馬国が明神礁辺りで、一大国が小笠原で、
末盧国はマリアナ諸島か……w

何でかはわからないけど、狗邪韓国が半島の南端に収まるような
そういう単位を使ったと読むしかないお。
ちなみに倭人伝だけじゃないお。
同じ巻に「韓」は帯方郡の南にあって約四千里四方だって書いてあるお。

>>558
距離から言っても気候から言っても南九州だお。>>536参照。

>>564
有効数字1桁、プラマイ1割程度の誤差はあると見れば
大方使えるお。陸上はまあ歩数かな、海上は穏やかな日に
オールでこいで時間計れば経験的にわかりそうなもんだお。
576名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 13:49:21 ID:4M6wB//+0
>>561
冬でも夏野菜のくだりは?
577名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 14:06:45 ID:Wx9YbPe10
間違った。291年辺りだった。
578553:2009/03/26(木) 14:20:02 ID:RFswPbuD0
>>575
>狗邪韓国まで7000里は3000kmになっちゃうお。

そうだよ。だから、距離に関する記述は厳密に解釈する意味がないってのが、一般的でしょ。

>何でかはわからないけど、狗邪韓国が半島の南端に収まるような
>そういう単位を使ったと読むしかないお。

でも、「里」はそんな単位じゃないでしょ。
そこであったかどうかも定かではない「短里」なんてものをひっぱり出してきて九州説は論争しているんじゃない。

「短里」は存在しない→いや周代の本に若干記述がある→魏代には使われてないでしょ
→いや朝鮮半島や倭国では使われてかもしれないし、他の三国志の記述もそれっぽいのがある。
→同じ本の中で断りもなく二通りの単位が、同じ表現で出てくるの?
→使者が使ったのをそのまま書いただけかもしれない
→それだったら、里数もそのまま書いただけじゃないの?測量なんてできないでしょ?
→いや、「九州説」且つ「短里」ならぴったりあう。
→だ〜か〜ら〜

九州説の人はこの繰り返しじゃない。昔から。
579名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 14:24:19 ID:2KDVk4pr0
>>578
文献を素直に読めばそうなるんだからそう読むべきだお。

→同じ本の中で断りもなく二通りの単位が、同じ表現で出てくるの?
→出てきてるんだから仕方ない。
 使者が使ったのをそのまま書いただけかもしれない
→それだったら、里数もそのまま書いただけじゃないの?測量なんてできないでしょ?
→うん、そのまま書いたんだろうね。
 「九州説」且つ「短里」ならぴったりあう。
580名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 14:28:17 ID:RFswPbuD0
>579
文献を「素直」に読むんだったら

1里=0.435kmで読まないとだめでしょ。

倭人伝のどこに「これは短里での記述」とかいてあるの?

「使者が短里を使ったのをそのまま書いたかもしれない」
は推測であって、文献を「素直」には読んでないでしょ。

文献に出てくる地名と実際の地名を照らし合わせて
それから1里のkm換算数をだす、という行為も
文献を「素直」に読んでないでしょ。



581名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 14:37:14 ID:Eo7TrSNK0
>>575

「その道里を計るに、当に会稽の東冶の東にあるべし」

と倭人伝本文に書いてあることからわかるように
陳寿は邪馬台国を福建省の東方に位置すると考えていた
実際よりもかなり南方に日本列島が位置するとみてたことになる

隋書倭国伝をみるとこの中国側の地理感覚はもっとはっきりする

「古い伝承によれば楽浪郡境、帯方郡より1万2千里、会稽の東にあって、?耳に相近し」

?耳というのは海南島のことね。だからこの記述を素直に読めば
北朝鮮から1万2千里南下して熱帯に行ってしまってもまったくおかしくはないということになる

里数を旅程で計算したり、
中国の似た風俗のところと同じ緯度に位置すると推測した結果だろうから無理はないと思うね、
むしろ現代の感覚で当時の地理的認識を推し量るのは非常に危険だと思う。

>>576
冬でも夏野菜ではなく
冬夏を問わず生野菜を食べているということじゃない
582名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 14:38:13 ID:FrZ76ftH0
>>576
>冬でも夏野菜のくだりは?

そんなことどこにも書いてない。

>>579
>文献を素直に読めばそうなるんだからそう読むべきだお。

素直に読んでるのに、九州説の人の結論が一致しないのはなぜ?
どこか無理してるから、人それぞれつぎはぎして結論が変わっちゃうんでしょ。
なかには結論すらない人も多いし。

で、素直に読んだあなたは、邪馬台国は九州のどこだというわけ?
そこまでに経由する道筋はどうなの?
583名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 14:47:51 ID:m18G6Zie0
九州説なら宮崎の西都原以外あり得ないだろ。
南にクナ国、東の海の先に倭種あり、温暖な気候
邪馬台国が九州にあったとするならここしかない。
584名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 14:52:15 ID:2KDVk4pr0
>>580
1里の長さはこうこうである、ていうのは2次資料だお。
現実のモノを計った結果を示してこれは○○里である、
て書いてあるのは1次資料だお。
1次資料を基に、1里の長さはこれくらいだっただろう、
と推測するもんだお。
その結果、
「1里=0.435kmとは違った単位の存在することがわかった」
と言うもんだお。

>>582
みんなどこか無理してるっていうのは、その通りだお。
それは近畿論者にも言えることだお。

ちなみにおいらの説も書かないといけないの?

末盧国は唐津か伊万里。伊都国は小城郡辺り。
奴国不弥国は佐賀県のどこか。そこから有明海を南行。
投馬国はよくわかんない。再上陸は葦北郡辺り。
邪馬台国は宮崎県南部。
585名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 14:57:14 ID:Eo7TrSNK0
>>584
シラス台地で稲作に向かないために農業生産力に劣る土地で
サツマイモのような収量の高い作物もない当時に
2万戸の人口を擁する農業先進地域の奴国をはるかに凌駕する大都市が
形成可能だったと思うわけ
586名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 15:01:00 ID:5UHArGuD0
奈良=ナラは、韓国語で国の意味だよ。
奈良が日本の中心ってことは、すなわち、日本は韓国が作った国ってこと。
587553=580:2009/03/26(木) 15:06:23 ID:RFswPbuD0
>>584

この倭人伝だけの記述のみを取り出せば
あなたの言うことは理解できるよ。
でも、順序が逆なんだよ。
>1次資料を基に、1里の長さはこれくらいだっただろう、
>と推測するもんだお。
これが成り立つのは「里」が全くどの長さかわからない場合のみだけど
他の資料から魏時代の「里」がどれくらいがわかっている。
つまり約0.435kmなわけだ。

それと同じ表記でありながら違う単位が存在することを示すためには
それを示さないといけないのだけど、おそらくあなたは:
>現実のモノを計った結果を示してこれは○○里である、
>て書いてあるのは1次資料だお。
によっているのだと思う。

でもね、「現実に距離を計測」してないんだよ。当時は。
588名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 15:08:47 ID:jj3mm3lL0
当時、正確な距離を割り出すなんて無理だろう。
九州から船に乗っていくところだよ。
邪馬台国が九州内なんてありえない。
589名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 15:09:22 ID:RFswPbuD0
>586
「奈良=朝鮮語ナラ」説は
音声学的に無理
590名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 15:10:20 ID:pHYfrP0t0
冬の野菜について

たとえば「春の七草」という古来の風習があるが
春と言っても旧暦(太陰暦)の言い方で、今は1月7日。厳冬期だ。

こんな↓野菜を粥に入れる。
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/7/79/The_seven_herbs.jpg

料理には詳しくないが、おそらくこれらは、火を通さなくても
塩もみして酢を加えるぐらいで、結構なご馳走になるのではないか。

他にもミズナ、コマツナ、フキノトウなど、冬の味覚とされる野菜は、日本には多い。
これらは決して南九州だけしか採れないものではなく、
本州も京阪神のみならず、関東・東北まで、ほぼ汎日本的に収穫できるものである。

したがって冬の野菜の記述は、九州説の根拠にはならない。
591名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 15:33:15 ID:gwNXM6Tm0
>>584
考古資料として1尺の長さを表すものさしが出土している。
そして当時の度量衡では1里=3600尺ということが分っているから、
1里の長さは考古資料によって裏付けられた数値として決まる。
なので、短里も長里もなく、約430mの里があるだけ。

>みんなどこか無理してるっていうのは、その通りだお。

そう。
だから里程論を元に議論するのは不毛だという結論がとっくの昔に出ていて、
今時そんなことをやってるものは、もういないんだよ。

>邪馬台国は宮崎県南部。

つまり、北部九州説は死んだということですね。

玄界灘から東には中国との交流を物語る鏡、鉄剣、鉄斧など、
多数の文物が出土してるのに、それがほとんど出ない唐津・伊万里から
南下するルートを支持する人がはたしてどれだけいるか。。。。。

まあ、北部九州じゃなきゃ好きにして。
592名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 15:58:42 ID:OELKYEnp0
>>586 :名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 15:01:00 ID:5UHArGuD0
>奈良=ナラは、韓国語で国の意味だよ。
>奈良が日本の中心ってことは、すなわち、日本は韓国が作った国ってこと。

奈良市のナラは、崇神天皇の時代に
あのあたりの土地を均(なら)して作ったから、
あのあたりをナラ山といった。
そのことは、日本書紀に書いてある。

もし、韓国語の国を意味する「ナラ」が奈良市のナラと同じなら
日本の奈良市のほうが起源だ。
593名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 16:02:18 ID:2W73Fiup0
>>591
ちょっとまった、
唐津なら、桜馬場遺跡、菜畑遺跡
伊万里なら、午戻遺跡

このあたりは交流を物語る遺跡だと思う。
マイナーかもしれないが、無いわけではない。

結局、九州全域は巨大都市遺跡は無いかもしれないが、
中小遺跡は数多く存在する。
北部南部の結論を出すつもりはないが、
出土物がないと言われると困る。
594名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 16:04:13 ID:PzAs6tau0
だいたい移民が移り住んだ土地に故地を偲んで名前つけるならまだしも
そのまま「国」ってつけるとかおかしいだろw
595名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 17:01:48 ID:yEitiwQSO
とりあえず、纒向と箸墓と三輪山関連を徹底調査するしかないでしょ。
鍵を握るのは崇神とモモソヒメとオオタタネコだな。
596名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 17:07:01 ID:ife0ZAnO0
>>595

モモソヒメは、崇神天皇のおばさんで、桃太郎(キビツヒコ)の姉にあたる。

魏志倭人伝には、卑弥呼の男弟が執務をしてたとあるが、吉備の王がそれに当たる。

オオタタネコは、河内で庄内式土器を作って、九州に輸出した人。

597名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 17:10:19 ID:1a33pr0b0
>>586
奈良のナラは、平らな場所って意味ね。
今でも地面を平らにすることを、地面をならすって言うでしょ。
韓国のウリナラのナラは現代韓国語であって
古代の新羅、百済、高句麗の言葉ではないのだよ。
現代韓国語の発音を古代の倭の言葉に当てはめること事態が
無茶苦茶です。ちなみに「くだらない」って言葉は「百済ない」じゃ
ないからね。この場合の「くだらない」とは、
上方物が江戸に下る時の言葉で、良くない製品は江戸に下ることが無い、
からきています。良くない物=上方から江戸に下らない物、となります。
598名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 17:14:07 ID:jj3mm3lL0
>>595
邪馬台=ヤマト=山処=三輪山の麓だと思うな。
599名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 17:19:29 ID:4crLmGLP0
巻向は祭祀遺跡で、都市遺跡ではないと思う。
いまでいえば伊勢神宮みたいな感じ。
肝心の「邸閣」が見つかっていない。
宮殿跡なんて日本列島各地にある。

もう90回も発掘してるのだから
これ以上の成果はムリでしょう。
600名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 17:19:53 ID:1a33pr0b0
>>398
大いにあるでせう。
大物主は崇神天皇が初代大和朝廷をマキムクに作った時、
既に土着民に信仰されていた国津神であります。
日本書紀にも大物主が崇神天皇に祟る話が出てきます。
大物主は物の怪の主、蛇神だと言われています。
御神体の三輪山は蛇がトグロを巻いた姿だと。
601名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 17:27:02 ID:jj3mm3lL0
>>599
巻向はもともと太田遺跡、勝山遺跡として別々の遺跡だと思われてたのが
くっついてるぞ!って話になって巻向遺跡と呼ばれるようになって
今でも3000平米あるらしいが、それでもまだ全体像のほんの一部だと言われてるんだよ。
602名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 17:32:41 ID:ESuWa00t0
>>591
>そして当時の度量衡では1里=3600尺ということが分っているから、

間違ってるジャン。何で6×3が36なんだよ。1里=1800尺に訂正。

1歩=6尺、1里=300歩。

>>593
>菜畑遺跡

縄文末期の水田跡が何か?

はおいといて、もともと、より南のつもりだったんだけどね。

>中小遺跡は数多く存在する。

困る前に、もう少し具体的に遺跡名や出土違構などを上げると、
賛成する人が増えるかもね。

でもまあ、上げるものはせめて2世紀から3世紀ぐらいにしておいてほしい。
縄文晩期の遺跡を上げて邪馬台国だと言われても。。。
603名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 17:55:13 ID:Mvayj9hP0
箸墓は近畿にあんだろ。
だとすると対抗勢力の対等なんじゃねーのか?
604名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 18:09:51 ID:cagXffS40
ん?九州説の人は宮崎南部説のみになっちゃったの?
西都原説は原田常治って人の本で読んだことあるけど
学問的な評価は現在どうなってんの?
いずれにしても発掘しないと答えが出ないけど。
605名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 18:14:47 ID:NS57Qx8z0
うん
九州説の最後の砦は南九州(と言っても宮崎近辺)だけよ
あとは全部死に絶えたかも
606名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 18:15:26 ID:sRdOauuV0
宮崎って髪長媛とかの一族が仁徳天皇の援軍だったとか何とか
そういう話だったよな
607名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 18:19:33 ID:cagXffS40
そうなんだ。
原田氏の追跡は神社の縁起だけに頼った方法で、
たどり着いた所に西都原がたまたまあったという感じなんだが。
九州には該当しそうな遺跡が乏しいな。
608名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 18:20:01 ID:a5H9G4IU0
どげんと遷都いかん!
609名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 18:24:39 ID:NS57Qx8z0
西都原よりも
生目古墳群のほうが古い
調査は生目古墳群のほうをすべき

前方後円墳は九州全土では560基
大半が南九州に存在
610名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 18:25:35 ID:d12DfogUO
里程の場合、直線距離ではなく人が歩いていける距離。
古代は特にそうなんだけど、人が単位だ。国も人と人の繋がり、集落と集落の繋がり。山や川は集落に「所有」されている。
今も、山地の入会地なんかは、集落から歩いていける場所にある。
歩いていけるなら、一山を沢伝いにぐるりと回った場所、地図を見ると飛び地に
しか見えない場所にあったりする。
しかし、人が比較的容易に歩いていけるなら、地図上では直線距離の近い回った
山の頂より近いのだ。
現代人は無意識に地理や数字、言葉を現代的に見ている。
それでも、魏志東夷伝の距離は酷いんだけどね。
611名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 18:28:31 ID:Mvayj9hP0
バカくさい
612名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 18:29:21 ID:HVbV4w880
末盧国(唐津)→伊都国(前原)→奴国(福岡) 北東に進んでる。
そのまま進めばあそこに着いちゃう。
水行20日で投馬国(出雲)、狗奴国は南九州の熊襲。
奴国が福岡だと畿内説の方が有利じゃない。
でも奴国は福岡ぽいんだよなー、うーん。
だから、九州内に邪馬台国を求めようとすると、
魏志倭人伝の記述に一番合っている日向地方になるんじゃない。
「女王國の東、海を渡る千余里、また國あり、皆倭種」
畿内説だとこれの説明がつかないし・・・
613名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 18:31:03 ID:4JDfWjkQ0
この程度の遺跡って頻繁に土建工事しても他所の地域で見つからないほどの規模なの?
614名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 18:31:33 ID:pnl1E5cY0
卑弥呼が埋葬される時
100人くらい殉葬されたと書いてある
巻向からそう殉葬が100体くらい出てこないと卑弥呼の墓とはいえない
宇佐神宮からはそういうのが出てきたけど埋め戻しちゃったらしい
つまり宇佐は卑弥呼かあるいは台与の居たところ
615名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 18:33:22 ID:NS57Qx8z0
ここに詳しく載ってるわ
西都原古墳群と生目古墳群
http://www.0503ak1025.net/kohun.html
---------------------------------
ところが、生目古墳群は、西都原よりも遥かに重要で、
大きな謎を秘めた古墳群なのだ。
生目古墳群は、西都原古墳群より時代が全体的に古いのである。
それどころか、いくつかの古墳は、日本最古と一般的に思われている箸墓古墳と同時代か、
更に古い可能性もあるのだ。
しかも、生目古墳群には、畿内にある古墳の、ほとんどすべてのタイプがそろっている。
---------------------------------------
いずれにせよ
この近辺以外には
もう九州説の有力な比定地はないでしょ

九州のほかの場所はいろんな条件が合わない
616名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 18:33:59 ID:IPKmEG/e0
卑弥呼を日巫女とか姫御子とか
無理やりこじつけて一般名詞化しようとするやつ
マジで死んでくれ
617名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 18:39:59 ID:FXgPvJu+0
また九州説わめくやつが出てきたか。もう素人しか九州説言うやついないのに。
618名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 18:41:57 ID:8h7PxLw+0
>>616
九州説の方ですか?w
619名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 18:42:59 ID:hlKM/0O10
>>614
>巻向からそう殉葬が100体くらい出てこないと卑弥呼の墓とはいえない
纏向は古墳じゃねーw

>宇佐神宮からはそういうのが出てきたけど埋め戻しちゃったらしい
怪しげな話w
せめてソースを出せ!
「ムー」とかじゃダメだぞw
620名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 18:44:22 ID:ppj0A5R30




ヒミコはヒミコなのに若いモンに通じたためしがないもの


ペッタン手裏剣





621名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 18:47:14 ID:2W73Fiup0
>>602
菜畑遺跡
遺構は16層から成っており、水田の遺構が確認されたのは縄文時代晩期後半の12層からである。
それより上層にも弥生時代中期までの水田遺構が検出された。水田遺構は、18平方メートル余り
で小さな4枚の田で、当時は直播きで栽培された推測されている。

一応弥生時代まで入っています。
622名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 18:51:25 ID:cagXffS40
そうか、殉葬100体出てきても、そこが邪馬台国の中心では無い可能性もあるのか。
遠く離れたところに埋葬されたなんてことないよな?w
623名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 18:53:14 ID:KzcCksI2O
>>614
確かに宇佐神宮は、日本の成立過程に関して非常に重要な場所だったのは間違いないよな。
624名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 18:54:13 ID:pnl1E5cY0
>>619
有名な話だからググレばいくらでも出て来る
宇佐神宮の建ってる亀山が古墳だとか
宇佐神宮の近所の百体神社から何回も殉葬の遺体が出てきてる
625名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 18:54:25 ID:PR6NFCz70
珍しいから卑弥呼宮殿とか
今の時代じゃないんだから似たような様式にしようがない
全部人それぞれなんじゃねえの?
626名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 18:57:00 ID:2W73Fiup0
>>624
百体神社なんてえらくストレートですね。
ずっとそういう言い伝えがあったのか
あとから、付会されたのか興味があります

ちょっと調べてみよう
627名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 18:58:50 ID:VK8ePjq30
>>624
適当な事言ってんじゃねえよw

「有名な話」「調べれば分かる」・・・2ちゃんの九州説のお決まりの逃げ口上だな。

一体何をもって「殉葬」とするのか根拠言ってみろボケ・

ホントに殉葬のあとと確定できるならそれだけで日本の考古学上大発見だわwww

628名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 19:01:54 ID:T1bXubQo0
邪馬台国は阿蘇山の噴火で火山灰の下に埋もれているはず。
629名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 19:03:14 ID:NS57Qx8z0
百体神社が「大隈日向国の隼人の霊」を祭ってるというのは重要かもね
邪馬台国南九州説だと
埋められた奴婢は隼人だった可能性が高いから
630名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 19:04:20 ID:MChe0Yqt0
卑弥呼様ああああああ!!!!!
631名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 19:07:13 ID:k6DHjIWv0
さて、これにどうチョンが絡んでくるかな?
632名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 19:09:01 ID:8h7PxLw+0
>>631
卑弥呼は朝鮮半島の巫女(ムーダン)をスカウトしてきたのである。
633名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 19:14:35 ID:RntQSD4m0
>>614
「径百余歩」「殉葬する奴婢百余人」の記事は大陸の墓制しか知らない
中国人の感覚で書かれたものだとする意見もある。
直径145メートルの円墳というのも同時代にはないし、
100人もの殉死者の埋葬遺構もおそらくどこにも見つからないと思う。
とにかくでかい墓を作ったと聞いたのでそのように書いたんじゃないかな。
形状を具体的に知っていたのならば、「形は方円に作る」とか何とか
っていう書き方になったと思う。
百余歩、百余人で数字を合わせているのも、一種のレトリックのような。
634名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 19:17:14 ID:FPd4TibK0
>>624
ググったら…縁起が720年なんスけどw
まぁ寺社の縁起なんてアテにならない伝説と言われりゃそれまでだけどさ…

やはり物証ないと弱いな
635名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 19:28:28 ID:yEitiwQSO
宇佐を創った大神比義はモモソヒメが嫁いだ三輪山の大物主の一族。
どちらが邪馬台国だとしても何らかの繋がりはありそうな気がする。
636名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 19:29:13 ID:RntQSD4m0
>>633補足

同じ人の意見として、垂仁紀の埴輪起源説話は、朝廷の凶礼を司った土師氏が
倭人伝の殉葬百余人の記事を下敷きにして作ったものではないかというのもあった。
637名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 19:32:24 ID:NS57Qx8z0
>>634
縁起720年というのは
隼人の反乱が頻繁にあった頃に一致するしね
638名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 19:34:39 ID:pnl1E5cY0
>>634

http://homepage3.nifty.com/washizaki/paper/paper21.html
>事実、宇佐神宮の改修が行われた明治40年と昭和8〜17年の二度にわたり
>石棺が目撃されているのです。
>また百体神社の地からは、甕棺が数個づつ数回にわたり出土しております。


これが事実だとすると出てきたのは甕棺で
甕棺は弥生時代の埋葬方法なので720年には無いんじゃない?
卑弥呼の時代のものだと思う
639名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 19:41:36 ID:gxt3dCaC0
>百体神社

これは百大夫神社が訛ったもの。百大夫は傀儡子の守り神。
640名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 19:56:38 ID:gCaukBk00
卑弥呼の居た中央国家の正式名称が「やま」で「と」は人のことだろう。
やまとの人の国で「やまとこく」→「邪馬台国」
そして、大陸から見て日本列島に住む人々のことを以前から「倭人」と
呼んでいた。これは恐らく「倭(わ)」→「我(わ)」から来たもの。
日本人が自らのことを「我(私)」と称したので名づけられた。
要するに、国家名→やまと、人種名→わ、ということ。
後に、漢字の使用が始まり「我(私)」から同音の「和」に置き換えた。
それに偉大な(GREAT)の意味である「大」を冠し「大和国」とし、
国名である「やまと」を「大和」の当て字とした。
641名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 20:16:14 ID:IPKmEG/e0
>>640
言語が一緒で少数の国がたくさんあったんなら
列島の国はどこもみんな
ヤマト=ヤマタイなんじゃねーの?
その理屈だと
642名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 20:26:24 ID:AiWxlVsi0
そもそも「卑弥呼」も「邪馬台国」も魏志倭人伝の中でたった一単語書かれてただけなんだろ。
しかも伝聞がベースなので丸っきり違っててもおかしくない訳だ。

643名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 20:33:21 ID:gCaukBk00
>>641
倭人(民族的な集団)の小国家の連合体がヤマト。
九州の隼人(民族的な集団)の小国家を平定した後に「大」を付け、
「大和(倭)国」としたんじゃないでしょうか。
「我」から「和」にしたのも隼人などの他民族への配慮な気もします。
大きな和をもって一国家となす、みたいな(日本的ともいえる配慮)
644名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 20:39:13 ID:IPKmEG/e0
>>643
隼人
熊襲の言語的な意味は?
645名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 20:39:15 ID:PzAs6tau0
和に置き換えたのなんてずいぶんあとだし
もうめちゃくちゃな論理だな
大和ありきかよ
646名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 20:54:12 ID:Wc0wTJUb0
>>638
宇佐市は甕棺の分布域でない。
大分県は、筑後川流域の日田盆地に甕棺が使われたが
周防灘、伊予灘、豊後水道にかけての東部海岸域からは甕棺は全く出ない。
(その北側、福岡県行橋市、北九州市、芦屋町方面も、全く出ない)

件の「百体神社甕棺」云々は、大阪の某弁護士がそうした考古事実も知らないまま
「九州なら甕棺だろう」程度のいい加減さで、土地の古老の話として書いているもの。
出土したという甕棺はどこにも保管されてないし、写真も実測図もない。
古老の氏名も書いておらず、完全なヨタ話である。

そのホームページも、某弁護士のヨタ話に引っ掛けられているだけ。
おのれの考古学不勉強ぶりを天下に示して、お笑いそのもの。
647名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 21:04:08 ID:HVbV4w880
宇佐神宮の建立は725年、
亀山も古墳では無さそうだ、地層があるらしい。
どっちにしても小さすぎ。
648名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 21:07:01 ID:NS57Qx8z0
>>644
記紀の中で九州の被征服民族としていっしょくたにされてるケースもあるが
隼人は「薩摩隼人+大隈隼人+日向隼人」の鹿児島+宮崎の
海人(南方系原日本人)の流れを組む民族

熊襲はおもに熊本を中心とする地域にいた
狩猟民族
と考えられる
649名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 21:53:42 ID:ORSt2hk/0
>>621
水田耕作の技術の伝播は交流だけど、
水田を作り続けたって言うのは交流でもなんでもないよね。
650名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 22:39:17 ID:Lb/+J1dm0
>>642
たしかに、字面通りにうけとろうとするクチはまったく信用できないと思うよね。
壱岐の国の一支を一大なんて書き間違えてたりするし
651名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 22:48:27 ID:VYXS9vAl0
まあタイプミスは昔からあったのだろう
652名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 22:51:59 ID:d12DfogUO
日本書紀においても世界としての倭と一地域国としての倭は分けられている。
前者は「日本」後者は「倭」あるいは「大倭」。
次の続日本紀でも同様で、「大倭国」の表記がまだ使われていた。
奈良盆地を中心とする地域国「やまとのくに」に「大倭国」と当てられたのは、国名、地名を二字の佳字の
表記にまとめた際のもので、更に「大和国」に変わった。
653名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 23:01:25 ID:glRWR5DE0
>>417
黒岩重吾
654名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 23:34:28 ID:RntQSD4m0
>>513
卑弥呼の宮殿ってこういうの?
http://www.asahi.com/eco/OSK200901310036.html

昭和53年発掘時の復元イメージらしいけど、
とくに巨大建築というわけではないんだよね。
もう少ししたら大きいのが出てくるかもしれないけど。

ついでだけど、記事本文中の「厳しい財政のため、
市は昨年8月からふるさと納税を活用して寄付を募っており、
全国から46件約40万円が寄せられた。うち半分が関東から。
(中略)邪馬台国は九州説も根強いためか、九州からの寄付はまだないという」
にワラタ
655名無しさん@九周年:2009/03/27(金) 02:32:35 ID:RRDyEK5n0
当時の倭人は全身に刺青をして、海に潜って魚を銛で突いたりしていたそうだ。
大陸系の文化とは全く違う。東南アジアや、もしくは孤立した文化のような匂いが強いんだが。
縄文人も刺青をしていたという話もある。やくざの刺青などもそこに起源があるかもしれない。
日本語も同系統の言語は大陸では見つからない。という事は、意外に日本というのは
縄文文化がそのまま残っている国なんじゃないだろうか。
弥生時代というと、大陸からの渡来人が大量に流入して一気に変わって、邪馬台国なんかも渡来人の
国かのような印象もあるけど。
656名無しさん@九周年:2009/03/27(金) 02:57:11 ID:TxVCBhxzO
今は発掘結果と発掘人骨と稲のDNA鑑定から短期間に渡来人、特に北方系半島人が大量に来たとの見方はされなくなってきている。
いわゆる縄文系人骨の出る弥生遺跡も各地で見つかっていて、縄文時代からの複合遺跡だったりする。
弥生人として有名な山東系も出土は少数。そう、弥生人といわれていたのは北方系半島人ではなく山東系。
縄文系も出自は複数。
長江系や山東系が一部で混血し水田稲作の普及で人口が増加したと見る。
657名無しさん@九周年:2009/03/27(金) 03:07:59 ID:0Doj/KKoO
帯方郡から12000里。不弥国までは地理の記述が詳しくて距離方角がそれほどおかしくない。
不弥国までで10700里。そこから300里に邪馬台国となるが、それは邪馬台国国境だろう。
女王はそのさらに水行十日陸行一月のところ。
不弥国まで詳しい北九州の地理なのは任那人(九州人)に聞いたんだ。
その先が急に曖昧で地理がなくなり日数になるのは、そこからは九州の外で、九州人がよく知らない場所だったからだ。
佐賀吉野ヶ里とかなら、そこまできちんと方位と距離を書かなければ変だ。
658名無しさん@九周年:2009/03/27(金) 03:16:28 ID:PLFPKK6nO
>>657
九州北岸は邪馬台国の勢力下ですよ。
659名無しさん@九周年:2009/03/27(金) 06:26:34 ID:+7kSn+hqO
こういう歴史的建造物なニャース見ると、最後に全焼って文字がついてそうで怖い
不審火おおすぎ
660名無しさん@九周年:2009/03/27(金) 07:19:14 ID:XLDCy5JN0
ある時期には出雲や畿内、吉備、尾張、越、北部九州、南部九州、毛野といった地域に分かれて
数々の連合国家があったのではないでしょうか
そのなかでもっとも大陸に近いところにあったのが邪馬台であったのではないかという感じもします
661名無しさん@九周年:2009/03/27(金) 07:22:25 ID:HclomQ060
古墳って日本中に16万基みつかってるるんだってね。
古墳時代が400年続いたとしても1年あたり400基。
すでにそれだけの権力者と労働者がいたってことで、戸7万とかいうのも
まあ大げさだとは思うけど、それほど極端な数字じゃないのかも?
662名無しさん@九周年:2009/03/27(金) 07:28:06 ID:XLDCy5JN0
南九州の遺跡などを見ると
あるいは狗奴のほうが邪馬台よりも豊かで文化的な国家だったのではないかとも思います
呪術と鉄器を背景に次から次へと他国を侵略していった新興国家
邪馬台はそういう国ではなかったでしょうか、九州北部にあった強大な伊都国連合を配下におさめた邪馬台は
その野心を南の狗奴にむけたとき、この自身よりも強い南方の国家連合によってあっけなく滅ぼされたではという感じもします
ヤマタ(邪馬台)ノオロチの伝説などから、あるいは邪馬台連合の国家群は自分たちを搾取してきた邪馬台の滅亡を喜んだかもしれません
邪馬台という国は滅びつつも、その血脈は何らかのかたちで天皇家につながった
宇佐神宮にまつられている比売大神とは一体誰なのか、非常に興味深いところです
663名無しさん@九周年:2009/03/27(金) 08:03:38 ID:kInVF0IU0
>>655
原文には倭の水人(まあ漁師だな)と書いてあるのに、それを倭人全部にすりかえて

>当時の倭人は全身に刺青をして、海に潜って魚を銛で突いたりしていたそうだ。

なことをいう。典型的な九州説の意図的な誤読。
664名無しさん@九周年:2009/03/27(金) 08:24:12 ID:VXyyR9Pi0
とりあえず、狗奴(クマソ)に邪馬台国連合(九州〜近畿)が滅ぼされたという
妄想がどこから出てくるのかわからん
665名無しさん@九周年:2009/03/27(金) 10:21:25 ID:sVeS8Reu0
なんかさあ、吉野ヶ里の方もそうなんだけど、あまりに「邪馬台国」を
前提に論を進め過ぎてる気がするんだけどねえ。
「邪馬台国」に固執し過ぎると、事実関係が捻じ曲げられちゃうと思う。


個人的には「邪馬台国九州説」、「邪馬台国は大和朝廷に滅ぼされた」派。
666名無しさん@九周年:2009/03/27(金) 10:30:35 ID:r++hBdO1P
畿内説ありえねー
畿内説と言い争っても平行線なんで九州説達で話し合おうぜ、
まず九州のどこを邪馬台国とするか、だ。
だれかスレたてよろしく
667名無しさん@九周年:2009/03/27(金) 10:33:24 ID:x+QCRthB0
>>11
>ゴッドハンド
検証本読んだらゴッドハンド自身の罪はそれほど重くはないな。
A級戦犯はそういった体質の学会。
668名無しさん@九周年:2009/03/27(金) 10:39:43 ID:NnfIL9yp0
九州説のほうがありえねーよ
669名無しさん@九周年:2009/03/27(金) 10:43:24 ID:p9LFBM8G0
>>666
こちらへどうぞ。
まさに九州説を議論検討するためのスレ

【佐賀】邪馬台国を考える会(仮称)4月に発足 畿内説との討論などを交えながら吉野ケ里遺跡が邪馬台国であったことを究明★2
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1238022404/
670名無しさん@九周年:2009/03/27(金) 10:43:58 ID:nwbFSHbX0
>>666
>畿内説と言い争っても平行線なんで九州説達で話し合おうぜ、
>まず九州のどこを邪馬台国とするか、だ。

日本史板で何度もこういうすれは立ってるけど、
つづかないんだ。

自称九州説の大半は畿内説をこき下ろすこと以外には興味がないから。
671名無しさん@九周年:2009/03/27(金) 10:46:32 ID:r++hBdO1P
そもそもなんで末盧国(唐津)→伊都国(前原)→奴国(福岡) って北東に進むの?
東南なら松浦川を上って筑後川下流(筑紫平野)に出て、
さらに100で佐賀市とか神崎市とか大川市じゃねーの?
http://maps.google.co.jp/maps/mm?ie=UTF8&hl=ja&ll=33.331676,130.384369&spn=0.471573,0.86792&t=h&z=10
672名無しさん@九周年:2009/03/27(金) 10:50:30 ID:6nVu96b/0
狗奴をクマソと解釈するのが間違っている。
狗奴って、どうみても、クマソなんて読めないよ。
魏志倭人伝が書かれた年代は中古音だ。

最初のほうに登場する奴国は西暦57年(上古音)の時代には
中国側に知られていた国だから、上古音の時代につけられた漢字名が
中国側で有名になっていて、そのまま中古音の時代にも引き継がれたかもしれないが、

狗奴国は倭人伝の文脈から言って、邪馬台国の隣国で
中国側には有名ではなかった国ぽいので、中古音の時代に知られた国だろう?
だから、狗奴は「コノ」と読まないといけない。

だから、狗奴をクマソなんて解釈してはいけない。
673名無しさん@九周年:2009/03/27(金) 10:58:29 ID:XCDMDM4Z0
実際に魏志倭人伝の航路を、当事の船を再現して実験航海した人たちが居て、
かっての帯方郡(今の仁川港)から奴国(今の博多)、までを47日かかって航海した、らしい。

帯方郡(今の仁川港)から博多までの距離が、水行47日。
季節や海流や熟練した船乗りの腕など条件を整えれば、もしかしたらもう少し短縮するかも?
674名無しさん@九周年:2009/03/27(金) 10:59:28 ID:r++hBdO1P
あともう一つ言わせてくれ。
北九州説じゃなくて北部九州説っていってくれ、
北九州だと北九州市になってしまうんだよ、それではキタキューなんだよ!
675名無しさん@九周年:2009/03/27(金) 11:00:04 ID:p9LFBM8G0
>>672
奴国は「ノ」国?
676名無しさん@九周年:2009/03/27(金) 11:00:53 ID:T5iDSEQN0
>>662
たとえば神聖ローマ帝国の皇帝にハプスブルクが選ばれた理由は、
弱小だったから。有力者同士が牽制しあった結果、とりあえずこいつで良いか的に
祭り上げられた。邪馬台国も九州説の場合は、単体では弱小国で、他の有力者たちの
傀儡だったかも。
677名無しさん@九周年:2009/03/27(金) 11:01:21 ID:VXyyR9Pi0
>>672
倭人伝に狗奴国は奴国の南って書いてあるからそう考えると
熊本方面としか思えない
678名無しさん@九周年:2009/03/27(金) 11:09:10 ID:NnfIL9yp0
>>677
邪馬台国の辺境(最南端?)にあった奴国と
女王国への経路の途上にあって福岡付近にあったと推定される奴国が
同一の国とは限らんだろ
679名無しさん@九周年:2009/03/27(金) 11:11:53 ID:XCDMDM4Z0
>>678
奴国は二回出てくるよ
680名無しさん@九周年:2009/03/27(金) 11:15:14 ID:NnfIL9yp0
>>679
そう。
だから普通に解釈すると二つの奴国があるんじゃないの。
681名無しさん@九周年:2009/03/27(金) 11:20:33 ID:VXyyR9Pi0
そもそも、北九州〜近畿東海が勢力範囲の邪馬台国連合がクマソと
争っていても何ら不思議はないだろ
682名無しさん@九周年:2009/03/27(金) 11:28:40 ID:PLFPKK6nO
>>676
少女卑弥呼を共立したら大乱が収まり、
卑弥呼亡きあと男王が立つも再び荒れ、
代えて台与(13♀)を立てたら、あっさり収まる。

明らかに萌え歴史です。
683名無しさん@九周年:2009/03/27(金) 11:47:28 ID:T5iDSEQN0
>>682
卑弥呼ってババアじゃなかったっけ?と思っwikiってみたら
>既に年長大であったが夫を持たず(年已長大 無夫壻)、
>弟がいて彼女を助けていたとの伝承がある(有男弟佐治國)
ショタですね。推定するに18〜20歳くらいで女王になったのか?

>少女卑弥呼を共立したら大乱が収まり、
卑弥呼が女王になったから収まったんじゃなくて、卑弥呼を擁立する
ことで収めたんだよ。
684名無しさん@九周年:2009/03/27(金) 11:48:54 ID:RRDyEK5n0
>>663
http://homepage1.nifty.com/o-mino/page536.html
漁師だけが刺青をしている、とは書いてないぞ。男は全員、と書いてある。
685名無しさん@九周年:2009/03/27(金) 11:49:54 ID:K7LfeMVv0

トヨタン・・・・・・・・・・
686名無しさん@九周年:2009/03/27(金) 11:55:07 ID:pHFWP+e50
男王のときにこさえちまった後宮は
女王のあいだはどうすんだろな?
687名無しさん@九周年:2009/03/27(金) 12:07:25 ID:aWNb2mZS0
>>672
「熊襲」というのはヤマトに従わない「クマ」と「ソ」を一括した呼称といわれてる。
「クマ」は熊本や球磨郡エリア、「ソ」は大隅半島の曽於郡のエリア。
688三河農士 ◆fZjiKO5lZ2 :2009/03/27(金) 12:18:57 ID:Pgi3q7z7O
邪馬台国なんて支那の史家が伝聞で書いた資料に惑わされてないで
大和朝廷初期の遺跡として検証しろよ。
纏向は第十代崇神天皇から第十二代景行天皇までが都を置いた地域だ。
日本武尊だって纏向で生まれたんだぞ。
卑弥呼と比定されている倭迹迹日百襲媛命は第七代考霊天皇の皇女で
桃太郎こと大吉備津彦命の実姉だ。
ここから宮殿跡が出たという事は記紀の記述の信憑性が増したという事ではないか。
689名無しさん@九周年:2009/03/27(金) 12:23:39 ID:PLFPKK6nO
>>683
統治開始が180年前後で亡くなったのが248年頃とすれば、20歳は越えないようにみえます。

>>684
一説に水稲耕作を列島へ持ち込んだとされる苗族は刺青の文化を持たなかったそうです。
690三河農士 ◆fZjiKO5lZ2 :2009/03/27(金) 12:28:23 ID:Pgi3q7z7O
>>689
卑弥呼が同一人物を指す固有名刺ならね。
691名無しさん@九周年:2009/03/27(金) 12:40:15 ID:T5iDSEQN0
>>688
邪馬台国ってことにしなきゃ金が集まらないんだよ。
2chのスレだって、スレタイに「邪馬台国」ってあれば大入りになるのに
纒向だけだと閑古鳥。
692名無しさん@九周年:2009/03/27(金) 12:45:35 ID:/bCPmrbL0
>>689
そこまで言い切った説はないのでは。苗族そのものではなく同源の文化を共有している可能性があるだけだ。
大陸系の歴史は融合よりすげ替えが多い、つまり元はちりじりになるか滅んでる可能性が高い。
693名無しさん@九周年:2009/03/27(金) 12:49:30 ID:TxVCBhxzO
長江には銅鼓をシンボルとする船上生活の部族が古代にいたが消息不明。
一部は陸に上がり今にいたる。舟形の棺を崖に吊す風習あり。
こういうのが渡ってきた可能性もある。
長江辺りからは複数の集団が時期違いで渡来して、刺墨を入れる海人もいたのだろう。
694名無しさん@九周年:2009/03/27(金) 12:53:48 ID:/bCPmrbL0
刺青はもっともーっと古いから同時期と考える方が不自然。
695名無しさん@九周年:2009/03/27(金) 12:54:18 ID:pHFWP+e50
>>688
崇神天皇の頃から大発展したらしいとする
古事記日本書紀研究と一致するんだよな。

卑弥呼は崇神天皇と同世代。倭迹迹日百襲媛命は時期が違う。
696名無しさん@九周年:2009/03/27(金) 13:03:03 ID:aWNb2mZS0
>>695
崇神天皇と倭迹迹日百襲媛命は同世代だよ。
倭迹迹日百襲媛命の方がかなり年上だったとは思うけどね。
崇神天皇に頼まれて神がかりをして神託を受けてる。
697名無しさん@九周年:2009/03/27(金) 13:06:05 ID:d+JHSCb/O
ちなみに九州説を唱えてる学者は遺構より思想を優先しています
698名無しさん@九周年:2009/03/27(金) 13:06:14 ID:pHFWP+e50
>かなり年上だった

それを「世代が違う」という。
2世代くらいの差がある。
699名無しさん@九周年:2009/03/27(金) 13:09:53 ID:aWNb2mZS0
>>698
2000年の話で歳の上下で顔をあわした差なんて
同世代でいいんじゃないw
700名無しさん@九周年:2009/03/27(金) 13:11:34 ID:PLFPKK6nO
>>692
うんまあ、クリカラもんもんの集団もいれば、カタギの人たちもいたってことで。
701名無しさん@九周年:2009/03/27(金) 13:15:28 ID:4SKnjt2RO
これは見に行きたいな
702名無しさん@九周年:2009/03/27(金) 13:22:30 ID:094CL2yo0
>>700
だから倭人伝に書かれてるのは宮崎の風俗だって言ってるんだよ
古来から隼人(海人)とヤマト族がガンガン交流していたのは
宮崎ぐらいしかない
703名無しさん@九周年:2009/03/27(金) 13:42:56 ID:6nVu96b/0
今回の纏向遺跡の研究の成果は
リアルタイムに近い年代で書かれた中国の魏志倭人伝と
それよりも、もっと詳細に書かれているが、書かれた年代がずっと後だった
日本書紀や古事記の記述内容が
はじめて一致する出来事なわけで。
704名無しさん@九周年:2009/03/27(金) 13:45:13 ID:6nVu96b/0
>>696
ヤマトトトヒモモソ媛命は、崇神紀に登場する。
系図のとおり、崇神天皇が、大叔母様のモモソ媛命の占いをきいて
意思決定している、日本書紀によると。
だから、崇神紀の時点では、かなりの老女と思われ
皇室の長老的な存在だったことも分かる。
705名無しさん@九周年:2009/03/27(金) 14:21:44 ID:094CL2yo0
>>703
そうだね
いろんなことがすっきりするし
だからモモソヒメ=卑弥呼説には説得力がある

あとはマキムクと同じくらいの年代だと言われる宮崎との関係がわかれば
かなりはっきり日本古代史が見えてくる
706名無しさん@九周年:2009/03/27(金) 14:22:56 ID:ZzDu+XB40
>>703
景初の頃、日本書紀では誰が天皇だったの?
707名無しさん@九周年:2009/03/27(金) 14:26:24 ID:L87eQvjS0
年表にすると、だいたいこんな感じか。(年齢は半年=1年で計算)

146年  倭国大乱 (〜189年?)
148年  考霊天皇 即位?
175年? 倭迹迹日百襲媛命がこの辺りで生まれる
186年  考霊天皇 崩御
189年? 倭迹迹日百襲媛命が女王になる?

239年  親魏倭王の金印を与えられる
245年  崇神天皇 即位?
246年  倭迹迹日百襲媛命、三輪山を祀る
248年  倭迹迹日百襲媛命 死去
      後継者争いが起きる?
249年? 豊鍬入姫命が祭祀となる
279年  崇神天皇 崩御
291年  倭姫命が祭祀に。伊勢神宮創建。


708名無しさん@九周年:2009/03/27(金) 14:29:07 ID:Oz1mJTqP0
>704
つまり、ホトをついたときは、かなり乾いていたわけだな…
709名無しさん@九周年:2009/03/27(金) 14:52:41 ID:eODjnyx20
>>543
> そして2世紀代から3世紀初頭あたりには吉備やら出雲やら丹後やらに
> それぞれ強大な王権が存在していたものが、3世紀になると大和・巻向に集約されはじめ、
> 3世紀代のうちに各地の王権は終焉を向かえ大和に一元化される。
> これが大和朝廷だろうとは誰しも思うし、これはもう動かない。

吉備は四世紀以降が確実。
丹後も四道将軍を実話と考えない限り、四世紀前半以降。
畿内説でも五世紀以前に畿内を大和が掌握していたと考える人は少なくなってきた。
710名無しさん@九周年:2009/03/27(金) 14:55:27 ID:eODjnyx20
>>601
庄内式が出るのがほぼ太田地区だけなので、
巻向遺跡の最初は太田微高地と考えられている。
布留式がよく出る範囲がまだ広がると考える人は少ない。
711名無しさん@九周年:2009/03/27(金) 15:02:16 ID:6nVu96b/0
>>707
崇神天皇の娘の豊鍬入姫命=トヨが13歳(実際は7歳?)で継承したと考えたら
まあ、崇神天皇が西暦248年時点で25歳〜30歳くらいと計算し、
崇神天皇は西暦220年代の産まれの可能性がある。
だとしたら、この時代は結婚が早いだろうし、
叔父と姪の結婚もあったぐらいだから、おそらく、親子の歳の差が小さかったと思われ。
つーことは、開化天皇は西暦200〜210年の間くらいの生まれと考えられ
孝元天皇は西暦180年代後半〜190年代の生まれ
孝霊天応は西暦160年代後半〜西暦170年代の生まれということになる。

こういうふうに考えると、倭国大乱の初期である西暦150年代の天皇は
第5代目の神武皇統の孝昭天皇ぐらいからじゃないの?
この天皇は婚姻関係も意味深で、
火明命の後胤であり、尾張氏の先祖に当たる、天忍男命の娘と結婚している。
つまり、彼が祭祀王の座を尾張氏から奪う動機が生まれやすい人物なんだわな。

また、後世、天皇につけた名前も
この孝昭天皇から孝元天皇(ヤマトトトヒモモソ媛命の兄妹)までの
四代の天皇に、たてつづけに「孝」という名称がついているのが意味深だわな。
この4代の天皇の時期が、倭国大乱の時期じゃないの?
712名無しさん@九周年:2009/03/27(金) 15:05:45 ID:6nVu96b/0
>>709
そんなことはない。以上です。
邪馬台国畿内説だと、
纏向遺跡では、九州から関東まで広域圏をつくっていたわけだから。
その四世紀というのは、埴輪のことでしょう?
713名無しさん@九周年:2009/03/27(金) 15:09:18 ID:eODjnyx20
>>712
小林行雄の亡霊かよ。
近江でさえ、五世紀六世紀にならないと、
大きな前方後円墳は作られないんだが?

> 纏向遺跡では、九州から関東まで広域圏をつくっていたわけだから。

庄内式、布留式は、尾張でさえまともに出たことないよ。
714名無しさん@九周年:2009/03/27(金) 15:21:31 ID:Go+HEn1H0
昔はアマチュアレベルでは九州説一色だったんだよね。
でも90年代に年輪年代学が実用されてから、
邪馬台国時代にすでに箸墓などの古墳が造られていたことがほぼ確実となり、
235〜244年の紀年鏡が畿内を中心に出土することも証拠となり、
学界レベルでは「九州説は終わったw」にきまってるんだよ。
このスレでも九州説は相変わらず「こう読めば魏志に矛盾がない」といった主観的な謎解きに終始するばかりで、
何の説得力もない。
しょうがないから都合の悪い出土物を後世の偽作と決めつけたり
挙げ句の果ては光谷氏への個人中傷に走る始末だ。
もはや九州説論者は犯罪的と言ってもいい。
715名無しさん@九周年:2009/03/27(金) 15:28:35 ID:m0iEqpoPP
おい、専門的な言葉で議論されても素人の俺にはさっぱりわかんねーから
ガンダムか三国志に例えて説明してくれ
716名無しさん@九周年:2009/03/27(金) 15:30:25 ID:WOcZ++If0
箸墓古墳掘るまで信用しない
717名無しさん@九周年:2009/03/27(金) 15:38:40 ID:Go+HEn1H0
安本美点も結局は記紀神話の自己流の解釈に終わったよな。
彼のやり方は真理の解明には何の役にも立たなかったって事。
718名無しさん@九周年:2009/03/27(金) 15:40:12 ID:GeaUPbnr0
モモソヒメが陰を突いて亡くなったという件は天岩戸神話とちょっと被るかな?
古事記ではあまり触れられてませんね。
719名無しさん@九周年:2009/03/27(金) 15:44:12 ID:anpKyZz50
>>717
決定的な証拠はどこにも無いのだから、それなりの論拠を積み重ねていけば幾らでも仮説は作れるよ
そうした仮説の山の中で、いろいろと否定を繰り返す論争を続けて否定できなくなった最後の一つが定説になるのだ
仮説そのものを否定する事は出来ないよ

まあ。しばしば新たな証拠が出て定説が覆る事もあるから、それも絶対ではないのだが
720名無しさん@九周年:2009/03/27(金) 15:47:34 ID:anpKyZz50
>>718
あそこを櫛で貫いたくらいでは人は死なない。
当時、女性のあそこは、女性の生命そのものだと考えられ、男性のあそこと共に神聖視すらされていた
だからこそ、そういう神話が出来たのだ。

モモソヒメの死の理由はどうあれ、彼女の墓とされる箸墓は、当時最大規模の墓だ。
彼女が崇神天皇の姉というだけではなく、何か特別な力をもった姫巫女であったのは誰も否定は出来ないだろう
考古学で重要なのはその点ですね
721名無しさん@九周年:2009/03/27(金) 15:53:38 ID:FgEN+How0
霊視できるひとも奈良って言ってたなぁ
722名無しさん@九周年:2009/03/27(金) 15:54:47 ID:Go+HEn1H0
>>717
安本は「猫も杓子も」を「禰子も釈氏も」の意味であるとする(証拠のない)考え方を、
言語学で言う「語源俗解」として、学者としてやってはいけないことの例としてあげている。
でも皮肉なことに、安本が記紀神話でやったことも、紛れもない「語源俗解」の歴史学バージョンなんだよなw
まあ、これを「神話の合理的解釈」というんだが、たとえば「国うみ神話」を「国土開拓の事実を反映させた」とする解釈である。
これは神話学じゃやっちゃいけないことの筆頭なのに、安本はやっちゃってるんだw
たとえばアマテラスとスサノヲの喧嘩を邪馬台国と狗奴国の戦争の「反映」としたりねw
正直こんな解釈が許されるなら、もうなんでもありなのよw
実際、邪馬台国が畿内だったとしても、それに「合わせて」記紀神話を「解釈」することはいくらでも可能だし、
すでに一部のアマチュアがやってるよなw
要は、こんなやりかたは決して真実の解明に役に立たないと言うこと。
723名無しさん@九周年:2009/03/27(金) 16:19:57 ID:GeaUPbnr0
>>720
勉強になりました。
724名無しさん@九周年:2009/03/27(金) 16:30:11 ID:Oz1mJTqP0
>720
櫛?箸じゃなくて?
725名無しさん@九周年:2009/03/27(金) 16:38:37 ID:DuCc9HMm0
>>720
バイ菌入って感染症起こしたら死ぬやろ
726名無しさん@九周年:2009/03/27(金) 16:38:39 ID:o4S9gV1B0
>>715
ボルジャーノンは見つかったけど・・・

いや、例えが違うな
727名無しさん@九周年:2009/03/27(金) 18:50:13 ID:1S9HIwHG0

心理学者ユング流にいえば 火の玉の神に変容した 中山国交大臣の予言

「民主党が政権とれば、日教組、自治労の支援を受けているので日本が大阪府みたいになる」
ttp://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/wildplus/1222585889/

屠殺場といえないMBS毎日変態放送の平松・大阪市長 なんにもいえね
独島 みのもんたの朝ズバッ!  朝5時30分からプロパガンダ
またこりずに坂本弁護士親子を惨殺したワイドショーの復活

火の玉ボーイ 中山国交大臣に 気色ばむ与良正男 - 毎日変態新聞論説委員

立正佼成会カルトの酋長 庭野日鑛(にわの・にちこう)会長を国会証人喚問へ

質問 1立正佼成会大聖堂(東京都杉並区)を白真勲の政治活動につかったの?
    2官ガンスの政治活動に宗教施設を貸したことが」あるの?

一方で戦後急激に拡大した教勢に対しマスコミの耳目を集めることになり、
1956年に読売新聞が本部用地の取得にあたって不正が行われたと報道。
庭野が国会に召喚され事態を説明するに至っている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%8B%E6%AD%A3%E4%BD%BC%E6%88%90%E4%BC%9A

立正佼成会カルト 庭野日鑛(にわの・にちこう)会長証人喚問へ
http://www.kosei-kai.or.jp/

プラズマ (
堂本暁子千葉県知事やアイ
728名無しさん@九周年:2009/03/27(金) 23:03:30 ID:W8Nx8QtEO
>>720
普通の箸じゃなくて囲炉裏をつつく棒みたいなもんじゃなかったのかな。
まぁ普通に殺人。
アマテラスバージョンは機織り機の男根みたいなヤツだったっけ?
痛そう…………………
729名無しさん@九周年:2009/03/27(金) 23:29:49 ID:S/a7ww2f0
>>707
>>707
その「146年  倭国大乱 (〜189年?)」で天皇家は無事だったのかなw
ちっとも「大乱」ではないなw
730名無しさん@九周年:2009/03/27(金) 23:58:47 ID:6A7XE/3y0
>>729
自分は>>707の年代はちと無理だと思う。
731名無しさん@九周年:2009/03/28(土) 02:00:08 ID:1ccIDigu0
ただまあ
ここが卑弥呼の宮殿なら
崇神天皇の都だったことはほぼ確実で
その後の景行天皇の九州平定なども
史実と考えられるわな
732名無しさん@九周年:2009/03/28(土) 02:13:26 ID:lmfZ68/b0
邪馬台国はかつては九州にあって、東遷し大和になったのかもしれない。

けど、卑弥呼がいた場所こそみんな知りたいわけだから、
卑弥呼以前以後の邪馬台国の場所は核心でない。
733名無しさん@九周年:2009/03/28(土) 02:23:55 ID:F9r9zW/u0
日本書紀ですら魏志を引用するしか手立てがなかったんだし
根拠としている資料は現在と大して変わらん
8世紀でさえ史実や伝承もほとんどなかったのだろう
邪馬台国(ヤマタイコク)や卑弥呼(ヒミコ)の実在を証明することなど不可能だよ・・・
734"(,, ゚×゚)"剃毛侍 ◆XS/KJrDy4Q :2009/03/28(土) 02:57:40 ID:xBLPjXei0
古代日本を勉強するオヌヌメの本は何じゃろか?
735名無しさん@九周年:2009/03/28(土) 04:08:55 ID:CuQmiXhD0
>>734
ふつうだけど、
各社で出してる「日本の歴史」などのシリーズ物とか
概説書から読んだほうがいいと思う。
新しいのがたくさん出てるから。

このスレに沿っていうなら…

邪馬台国の候補地・纒向遺跡 シリーズ「遺跡を学ぶ」051
(石野博信、新泉社、2008年)
http://www.7andy.jp/books/detail/?isbn=9784787709318

最初の巨大古墳・箸墓古墳 シリーズ「遺跡を学ぶ」035
(清水眞一、新泉社、2007年)
http://www.7andy.jp/books/detail/-/accd/31854265

ヤマトの王墓・桜井茶臼山古墳・メスリ山古墳 シリーズ「遺跡を学ぶ」049
(千賀久、新泉社、2008年)
http://www.7andy.jp/books/detail/-/accd/32114747

上に挙げたの三冊は薄くて安い本だけれど
オールカラー図版で非常に分かりやすく書いてあるし
最新の研究結果が載せられてる。
736名無しさん@九周年:2009/03/28(土) 04:35:48 ID:jmVGVDnh0
なるほど
737"(,, ゚×゚)"剃毛侍 ◆XS/KJrDy4Q :2009/03/28(土) 04:36:15 ID:xBLPjXei0
>>735
探してみるっス。
738名無しさん@九周年:2009/03/28(土) 04:59:02 ID:r5E+P5f90
>>735
>最初の巨大古墳・箸墓古墳
>清水眞一

俺も持っているがその先生今じゃ九州説に立っているんだよなw

纏向を実際に発掘した人間なんだし九州説にとっては貴重な戦力かな?wwww
739名無しさん@九周年:2009/03/28(土) 05:29:21 ID:CuQmiXhD0
そうなんだ。

清水氏は箸墓は魏志の記述から卑弥呼の墓ではないという立場だったね。
740名無しさん@九周年:2009/03/28(土) 05:33:23 ID:r5E+P5f90
>>739
ここ見てみそ。

http://www2.saga-s.co.jp/pub/hodo/yoshinogari/ronkyo_ronten.htm

まあ九州説の学者の泣き言も見られるからwwwwwwww
741名無しさん@九周年:2009/03/28(土) 05:36:51 ID:R0xmNxzb0
卑弥呼リンクで話題とお金を引っ張るのか

卑弥呼なんて一か所と1時代だけだろ
なんで全部卑弥呼関連だよwwww
742名無しさん@九周年:2009/03/28(土) 05:37:33 ID:xD5TvK23O
やっぱり畿内なのかぁ〜
743名無しさん@九周年:2009/03/28(土) 05:41:46 ID:UqO3cDb10
なんだおめーらその真面目さは、他所で使え!
744名無しさん@九周年:2009/03/28(土) 05:45:33 ID:nDiY1EEPO
便乗でおいらも教えてもらえないでしょうか?

アマテラスとかニニギノミコトとか天の岩戸とか、
その辺の神話を勉強するにあたって入門できる本を教えてくださいm(__)m

できるだけ、真面目な(?)ものが良いのですが…。
例えば天皇家や当時の権力にどう繋がっていく(事実はともかく)のか
把握できるような。

このスレの方々なら詳しそうなので、
何卒お願いします(´・ω・`)
745名無しさん@九周年:2009/03/28(土) 05:48:22 ID:kdUoCagGO
>>740
 であれば、その次の古墳時代に入って、纏向の地に100メートル以上もの巨大古墳が、なぜ突如として築造されるのか。これは、大和の地に別の地域の人々が入って来たと考えざるを得ない状況であるとみた。
 では、誰が何処からきたのか? 考古学の資料からは、特定の地域が限定できない。となれば、卑弥呼の邪馬台国は、北部九州のどこかではないかと思われる。


結論が強引すぎでワロタww
まず結論ありきww
746名無しさん@九周年:2009/03/28(土) 05:53:50 ID:kdUoCagGO
あと
>>740

今、九州内外を問わず著名な考古学者はほとんど畿内説である。考古学の世界では畿内説が九州説を圧倒している。しかし…

↑認めてはいるんだ
747名無しさん@九周年:2009/03/28(土) 05:54:23 ID:SbxpaaFT0
たどり着くまでの航程がおかしいのって、意図的に遠回りして
正確な場所を特定できないようにしたからじゃないの?

そもそも統一国家でもなかったんだし、敵対勢力下を避けて
より安全なルートを選んで進めば、結果的に時間もかかるわ
道順も滅茶苦茶になるだろう。
748名無しさん@九周年:2009/03/28(土) 05:58:57 ID:uhnG6hz/O
ヒミカ
749名無しさん@九周年:2009/03/28(土) 05:59:51 ID:SbxpaaFT0
魏志倭人伝での位置表記に疑問を呈しているのって、
全部最短コースを辿った場合に合わないってだけだよね?

いつも疑問に思ってた。
なんで最短ルートを選ぶんだろうか? とか。
当時の日本人は侵略される脅威とか考えなかったのか? とか。

遠回りして同じ場所をグルグル回って正確な位置をわからないようにさせて
邑を守ったと考えるのも有りだと思うんだが。
750名無しさん@九周年:2009/03/28(土) 06:00:08 ID:CuQmiXhD0
>>740
安本氏や高島氏は常連だね。
七田さんという人は「古墳文化にひきずられないで」とか言ってるが
古墳を無視するわけにはいかないと思うけどな。
吉野ヶ里に関わってる人じゃ仕方ないか。
つか清水さんの論もずいぶんな飛躍があるような。

纒向に突如巨大古墳出現
     ↓
外部勢力がヤマトに入ってきた?
     ↓
考古学的資料からはどこからか特定できない
(普通はここでひとやすみ)
     ↓
     ↓
卑弥呼の邪馬台国は北九州のどこかだ(゚∀゚)!
751名無しさん@九周年:2009/03/28(土) 06:05:55 ID:r5E+P5f90
まあ清水氏の場合、邪馬台国をそれこそ弥生前記中期から続くような環濠集落が巨大化したモノ
…ってイメージで捉えているんだろうか?

もしそうなら畿内(纏向)説は無理で九州説にならざるを得ないとは思う。
もうそれは最初から前提条件が違うから仕方が無い…

しかし良く分からないのは、なんで巨大古墳造営の要因を九州勢力の流入に求めるのか?

考古学者なら九州に前方後円墳に繋がるような埋葬文化の無いことは分かるだろうに…。

吉備や出雲ならまだしもwwwwwwwww

752名無しさん@九周年:2009/03/28(土) 06:36:23 ID:CuQmiXhD0
>>715
ジオン公国(九州説)が地球連邦政府(畿内説)に宣戦布告。
画期的兵器モビルスーツ(邪馬台国東遷説、吉野ヶ里遺跡など)により
連邦軍を圧倒し、またたくまに地球圏を制圧。
しかし連邦もレビル将軍主導による新型モビルスーツの開発
(纒向遺跡、新しい土器の編年、年輪年代法)により
徐々に劣勢をもりかえしついに地球からジオン軍を駆逐し、戦局を逆転させる。
いまはア・バオア・クーまで追い詰められている状況。


本当はジオンのほうが好きなんだけどな…
753名無しさん@九周年:2009/03/28(土) 08:05:01 ID:Urw5djYu0
ジオンのほうがかっこいい!
ザクは強いけど、GMなんて弱っちくて最低じゃないか!


754名無しさん@九周年:2009/03/28(土) 08:29:39 ID:CuQmiXhD0
>>744
鈴木三重吉の『古事記物語』はどうでしょう。
児童向けとはいえ大正時代から読み継がれるクオリティ。

>>753
いやいや、ジムスナイパーカスタムなんかは渋くて玄人好みだとry
755名無しさん@九周年:2009/03/28(土) 08:34:21 ID:1ccIDigu0
児童向けの本は
ヤマトタケルの凶暴さとかが伝わらんけどな
756名無しさん@九周年:2009/03/28(土) 08:39:26 ID:cOH8IDT40
古典はとりあえず岩波文庫。それから色々おもしろ解釈本読むといいのでは。
757名無しさん@九周年:2009/03/28(土) 08:53:11 ID:kdUoCagGO
邪馬台国はまちがいなく四国にあった: 大杉博著
をまずは読むべきだろ
758名無しさん@九周年:2009/03/28(土) 08:55:09 ID:n+GOlT//0
これが見つかったら邪馬台国

みたいな、決定的なものってあるのか?
結局証明不可能なんじゃないのかな。
759名無しさん@九周年:2009/03/28(土) 08:59:13 ID:AvxkaBbc0
>>758
どっちもやまと国でいいじゃん
どうせ首都機能が移転しただけだろ
760名無しさん@九周年:2009/03/28(土) 10:12:21 ID:11RT8E2aO
>>758
数学じゃないのだから証明は無理ですね。
761名無しさん@九周年:2009/03/28(土) 11:22:26 ID:MrH/MBXU0
卑弥呼がヤマトトトヒモモソ媛命ならば
ヤマト王朝の全国統一ってスンナリいかなかったんだな...
統一しても、すぐに地方が独立化
で、また平定しても、また反抗。
それの繰り返し。

中世に足利尊氏が中央政府を作っても
地方の大大名(山名氏清、大内義弘、足利持氏など)などが
足利幕府と戦争していたように。
762名無しさん@九周年:2009/03/28(土) 12:14:31 ID:yH9dxQUn0
>>744
口語訳 古事記―神代篇 (文春文庫) 三浦 佑之 (著)
ttp://www.amazon.co.jp/dp/4167725010/
口語訳 古事記―人代篇 (文春文庫) 三浦 佑之 (著)
ttp://www.amazon.co.jp/dp/4167725029/
著者は国語学者だったかな。
763名無しさん@九周年:2009/03/28(土) 14:08:48 ID:GCVkYQqa0
>>758
『親魏倭王』の金印の埋まった古墳。
764名無しさん@九周年:2009/03/28(土) 14:21:53 ID:Ghw0i0d40
九州論者は九州説を言い続けないと、立場と研究職と金づるを失うんだよ。
生きていくためには言い続けないといけない。仮に畿内で確定しても、
「それでも私は〜」って言い続けるよ。
765名無しさん@九周年:2009/03/28(土) 14:32:55 ID:92PDTsig0
>>763
それもダメだな。
機内で見つかったら、邪馬台の変遷の証拠だ、神武東征の証拠だ!!
と九州説が騒ぎだす。
持ち運びができるものは不可。
最低でも好太王の碑文、稲荷山の金文程度じゃないと無理。
766名無しさん@九周年:2009/03/28(土) 14:46:03 ID:UKSTB2Qk0
邪馬台国畿内説の学者さんは
漢字の遺物の発掘を推測しているらしい。
まあ、普通に中国と外交していたわけだから
漢字を知らないと駄目でしょうと。
あと、倭人伝では戸数まで記されているわけだし
767"(,, ゚×゚)"剃毛侍 ◆XS/KJrDy4Q :2009/03/28(土) 14:59:02 ID:xBLPjXei0
>>762
俺、それ読んだけどちょっと解釈が恣意的過ぎるところがある。
フラットな視点に立てない点で入門書としてはイマイチだろ。
768名無しさん@九周年:2009/03/28(土) 15:38:26 ID:Ghw0i0d40
>>767
イマイチどころか、完全に著者のファンタジーだと思うけど。
発売当時、研究者の間ではボロカスに言われてた。
なんで今さらこれを進めるのか、そっちの方が恣意的。
769名無しさん@九周年:2009/03/28(土) 16:04:28 ID:yH9dxQUn0
>発売当時、研究者の間ではボロカスに言われてた。
そうなんですか。そこまでは知らなかった。
畿内説に立ってる注釈はありました。
770名無しさん@九周年:2009/03/28(土) 17:23:21 ID:dnILrPIM0
あれだな。魏志は「東至投馬国」と書くべき所を写本の過程で、隣の行にひかれて
「南至投馬国」と書いたのだろう。
この一文字を訂正するだけで、投馬国=出雲 邪馬台国=大和
句奴国=クマソ 東海渡倭種の国=東海地方とすべてが説けてしまう。
晋書に邪馬台国を東倭と表現してることからしても、これが真相だろう。
771名無しさん@九周年:2009/03/28(土) 18:04:56 ID:2dyUe7ak0
>>770
狗奴国は、許乃(コノ)国で、武埴安彦命だろう?
結局、当時の中国人は、北九州は近いのである程度、詳しかったが
近畿地方の地理間は、凄く曖昧だったんだろう?
772名無しさん@九周年:2009/03/28(土) 19:20:23 ID:r5E+P5f90
>>752
物語は最終局面。
ザビ家のキシリアとギレンの骨肉の争い。

古田と安本どちらが先に逝くか?w

「ふふふっ、先生もお甘いようで」
ドン!
773名無しさん@九周年:2009/03/28(土) 19:36:23 ID:riAFv6GqO
>>766
魏の文書が出ると面白いな
邪馬台国の外交担当は漢字を読み書きできたはず

あと、邪馬台国と半島の関係も興味深い。
半島から文物が出ることはないんだろうか
774名無しさん@九周年:2009/03/28(土) 20:24:02 ID:Urw5djYu0
可能性はほとんど無いのかもしれませんが
呉の文書が出てくれば面白いでしょうね
邪馬台は魏に使者を送ったタイミングから見てある程度大陸情勢に通じていたように思われます
呉にも使者を送っていた可能性、そうでなくとも
狗奴が呉に使者を送っていた可能性は充分にありそうにも思うのですが
775名無しさん@九周年:2009/03/28(土) 20:31:36 ID:OK+0YdXz0
>>774
おおお
おれも同じこと考えてた。
呉の職人が畿内にいた可能性はあるし
国交というか人的交流はあったように思う。
クナのようなアンチ邪馬台国の勢力が
交流していた可能性もある。

しかし呉の史書が出てくる可能性は
実際どうなんだろ。
776名無しさん@九周年:2009/03/28(土) 20:35:10 ID:lW1SHh3k0
最近はそもそも邪馬台国なんてなかった説が最有力だよね
777名無しさん@九周年:2009/03/28(土) 21:02:23 ID:KpUc6o1U0
山一證券国
778名無しさん@九周年:2009/03/28(土) 21:04:44 ID:gEUQCYDe0
「邪馬台国」「卑弥呼」なんて魏志倭人伝の中でたった一単語出てきてるだけなんだろ?
どうせそれすら伝言ゲームだろうし。
何でも言ったもん勝ちだよ。
779名無しさん@九周年:2009/03/28(土) 21:07:10 ID:PwprwMqj0
でもやっぱり邪馬台国までの行程が暗号のようにわかりづらく書いてあるところが想像力を書き立てるよね
780名無しさん@九周年:2009/03/28(土) 21:08:37 ID:OK+0YdXz0
まさかおれ達が読んで悩んでるとは
思ってなかったろうよ。
781名無しさん@九周年:2009/03/28(土) 21:13:15 ID:3q1K7iuu0
まぁ、現代に数年前のコピペの元ネタ探すだけでも一苦労だし分からんものだって沢山あるんだ。
いわんや2000年前をや。
782名無しさん@九周年:2009/03/28(土) 21:19:14 ID:hu3T/lKX0
陳寿の創作だよ。
783名無しさん@九周年:2009/03/28(土) 21:49:25 ID:Q6OG4mLp0
まあ邪馬台国の魅力はどこにあったか判らんとこだからな。
今後もずーっとやれ九州だ、やれ畿内だ、やれあっちだこっちだ、
ってワイワイやってるのが楽しいんだよな。

でも普通に考えたら九州だろ、実際にあったとしたら。
784名無しさん@九周年:2009/03/28(土) 22:02:05 ID:sTvotLnU0
楽しくない。
日本という国家の成立過程を探るという本来の仕事に戻りたいよ。
785名無しさん@九周年:2009/03/28(土) 22:02:08 ID:GCVkYQqa0
昔読んだ日本史の教科書によれば…
邪馬台国論争というのは、当時の日本がまだ小国分立だったのか、
それとも、大和朝廷の源流になるような統一政権が成立していたのか
ということで、非常に重要な論争だったはず。

そういう意味では、纏向遺跡が発見されたことで、
本州南部を統一するような政権があったことはほぼ確実なんだから、
本質的な論争は、半分以上決着してるってことじゃないか?
「邪馬台国」と呼ばれる地域が、畿内にあったか九州にあったかはともかく。
786名無しさん@九周年:2009/03/28(土) 22:02:32 ID:OK+0YdXz0
朝貢の歴史からみても邪馬台国は九州だと思うね。
しかし同時期に畿内にも大きなクニがあって
それが原大和朝廷だったと。
ある時期までは九州王朝と畿内王朝は
並び立っていたんじゃないかな。
787名無しさん@九周年:2009/03/28(土) 22:15:56 ID:Urw5djYu0
>>786
その可能性が高いように思います
大陸から渡って来た集団は初め九州に拠点をつくり
その後さらに大陸から流入してきた集団は先に入植していた者たちに阻まれ九州に定住地を見つけられず
その技術力、航海術を用いてさらに東の新天地を求めたのではないでしょうか
何百年かかけて波状的に「東遷」が行われた可能性があると思います
そのなかで何度か大規模なものがあったのではないでしょうか
南九州から畿内に入った神武、南朝鮮から北部九州を経て畿内に入った応神
物部氏も半島から北部九州を経て畿内に入った一族ではなかったかと思います
邪馬台が九州にあったとして、その勢力が直接東遷したとは思いませんが
何らかのかたちで天皇家と深いかかわりはあるのだと思います
邪馬台が畿内にあったとしても、この大陸→九州→畿内というルートを伝わって入ってきたものが
畿内でその華を大きく咲かせたのではないかという気がしきりにします
788名無しさん@九周年:2009/03/28(土) 22:17:37 ID:8LWJLoRo0
>>785
そうだよ。
邪馬台国と同じ時代に、畿内に大和王権が登場したことがわかった時点で終了。

あとは、九州に邪馬台国と呼ばれた小国があってもいいし、なくてもいい。
789婆 ◆HKZsYRUkck :2009/03/28(土) 22:19:37 ID:OaUhfRue0
>>785
その統一政権のことなんだけど、そこらへんの啓蒙本では
「ゆるやかな連合」とか微妙な書き方だよな。たしかに租税の仕組みが
未発達な社会で征服も版図拡大もへったくれもないだろうけど、
どうなんじゃろ。
日本列島の中でミニ朝貢−柵封体制をやってたのかしら。
790名無しさん@九周年:2009/03/28(土) 22:19:59 ID:NoP1wo/40
「邪馬台国」=>大和大国
「卑弥呼」=>日御子

中華大国が外の国の名前の発音に漢字を当て字しただけ
わざわざ野蛮な漢字を当て字してる
匈奴なんかもそうだね
「匈奴中興の祖」と呼ばれる人の名前は「呼韓邪単干」
匈奴が南北に分裂した後の南の王の名前は「呼韓邪」

残念ながら文字として記録されているのが
中国の書物の漢字な訳で・・・

中国が世界の中心だから
それ以外の外の国は皆野蛮という中国人らしい発想だね

791名無しさん@九周年:2009/03/28(土) 22:21:20 ID:zWDafYiC0
邪馬台国なんて神話に出てくる高天原程度に思っておけばいい。
あってもなくても日本の歴史は変わらん。
792名無しさん@九周年:2009/03/28(土) 22:22:38 ID:OK+0YdXz0
しかし、観光的御利益を得るには
畿内勢力も邪馬台国に頼らざるを得ない。
793婆 ◆HKZsYRUkck :2009/03/28(土) 22:24:50 ID:OaUhfRue0
>>790
>外の国の名前の発音に漢字を当て字しただけ

うんうん。
俺は博多弁説を押している。
魏の使者「ここはどこですか?」
現地の人「山たい」
794名無しさん@九周年:2009/03/28(土) 22:29:01 ID:OK+0YdXz0
だったら全ての国名に「たい」が付くだろ
795名無しさん@九周年:2009/03/28(土) 22:30:45 ID:VEmo1Dn70
>>787
大陸から渡ってきたと簡単に言うが、当時の経済力の源泉である稲作は日本から朝鮮に伝わったことから考えても
日本から朝鮮に渡った人がかなりいて、朝鮮半島南部は日本人が住んでいて支配もしていた地域だったんだろ。
盲目的になんでも半島からわたってくるという思考はゲンダイの朝鮮人そのものだぞwww
796婆 ◆HKZsYRUkck :2009/03/28(土) 22:36:09 ID:OaUhfRue0
>>794
狗奴国の場合は、不幸な出会いだったのだ。

魏の使者「ちょっとすみませーん、ここはどこですか?」
現地の人「(うわ、野グソしてるとこにやって来るなよ…)」
魏の使者「すみませーん」
現地の人「来んな!」
魏の使者「なるほどクナ国か。メモメモ…」
797名無しさん@九周年:2009/03/28(土) 22:36:38 ID:sTvotLnU0
>>788
うん。
だから纏向の話をしてるところに九州説は寄ってこないでほしいんだが。
798名無しさん@九周年:2009/03/28(土) 22:44:03 ID:OK+0YdXz0
魏の使者「ちょっとすみませーん、あなたの名前は?」
現地の人「キクチヒコです」
魏の使者「クコチヒク??」
現地の人「キクチヒコ!」
魏の使者「コキヒチク??」

みたいな感じよね

799名無しさん@九周年:2009/03/28(土) 22:46:51 ID:Urw5djYu0
>>795
大陸(江南地方)→朝鮮半島南部/九州北部→畿内だと思っています
「倭人」は「呉の太伯の子孫」であり半島南部・九州北部の対馬海峡沿岸に居住していた人たちではなかったでしょうか
百済は倭人の国、新羅は北方蛮族の国、まったく系統が違うように思います
稲作は江南から半島南部/九州北部そして九州南部にもほぼ同時に入ってきたのではないかという気がします
そもそも南方の熱帯原産の稲が中国北部を経由して半島から入ってきたなどと思う方はいないのではないですか
800婆 ◆HKZsYRUkck :2009/03/28(土) 22:54:48 ID:OaUhfRue0
>>797
その纏向を掘っている人たちが、「邪馬台国に比定できそうだ」とか
言ってるんじゃないかと。

>>798
投馬国の長官がミミさんで副官がミミナリさんとか、どう考えても
意思の疎通に失敗してるよね。
「あたしゃどうせ上司の言いなりですよ」
「なるほどイイナリさんですか」
「じゃなくて上司はミミさんですってば」
「ふむふむ、そんであなたはミミナリさん?」
「ちがーう!」
801名無しさん@九周年:2009/03/28(土) 22:55:37 ID:oZ8sRic40
「お前の国は何という名だ?」
「わ(我)の国ですか?」
「そうか、わの国か、それなら「倭」の文字を与えてやるからありがたく思え」
「ははー、かしこまりました」

「倭国だってよ、本当はヤマトなんだけどなー」
「それなら「倭」に飾りの「大」をくっつけてヤマトと読ませればいいじゃん」
「だけど、噂では「倭」にいい意味はないらしいよ」
「それじゃあ同じ発音の「和」を使おうか」
「よし決まり」

こうしてヤマトは大和と表記されることになったのであった。
802名無しさん@九周年:2009/03/28(土) 22:56:48 ID:3q1K7iuu0
カンガルーもコアラも
「知らねぇ」っていうアボリジニ語だった、っていう小噺みたいだな。
実際の所はカンガルー。
803名無しさん@九周年:2009/03/28(土) 23:09:25 ID:Urw5djYu0
投馬国の弥弥(ミミ)=忍穂耳命?
804名無しさん@九周年:2009/03/28(土) 23:14:03 ID:ohVk9zwl0
>>799
半島からじゃなく中国から直接日本に、という説が有力
昔は半島系油しかないと信じられてたらしいが
中国での研究が進んで、日本にかなりの人間が移住したといわれてる
徐福伝説は中国では「史実」で日本に船出した港や船を作った
造船所跡が発掘されてるよ
805名無しさん@九周年:2009/03/28(土) 23:26:24 ID:Urw5djYu0
>>804
大陸から渡ってきた人々には長崎/熊本=肥の国、鹿児島=熊襲、そして朝鮮半島南部を経由して九州北部=筑紫
上陸地点によってこの3系統があったのではないかという感じもします

806婆 ◆HKZsYRUkck :2009/03/28(土) 23:27:38 ID:OaUhfRue0
>>804
徐福の航海については出港は事実だろうけど、
「着いた」という伝説は、九州やら本州やら済州島やら、
そこかしこにあるよな。そんだけあるってことは、
逆にどこにも着かなかった(難破した)が正解な気がする。
807名無しさん@九周年:2009/03/28(土) 23:35:46 ID:r5E+P5f90
>>789
>日本列島の中でミニ朝貢−柵封体制をやってたのかしら。

中国と日本の間でやっていた事を日本国内でやっていたとして
何ら不思議では無いと思うがな?

むしろ纏向型と言われている初期型の前方後円墳の分布を見れば
その勢力の最前線を優遇・重用すると言う戦略的意図が読み取れると思う。

808名無しさん@九周年:2009/03/28(土) 23:36:56 ID:1ccIDigu0
>>805
鹿児島は南方系で「隼人」だ
熊襲と混同するのはいかん
「隼人」の研究書を一冊ぐらい読め
809名無しさん@九周年:2009/03/28(土) 23:38:07 ID:Bb+/QI2h0
>>785
> 本州南部を統一するような政権があったことはほぼ確実なんだから、

本州南部ってどこよ?
810名無しさん@九周年:2009/03/28(土) 23:40:58 ID:Urw5djYu0
>>808
ありがとうございます
隼人と熊襲の違いは朝廷に従ったかそうでなかったか、なのでしょうか
何か良い本を教えていただけませんか?
811名無しさん@九周年:2009/03/28(土) 23:42:23 ID:n45bcfsE0
九州終了wwwww
812名無しさん@九周年:2009/03/28(土) 23:44:17 ID:tlhtC/ZC0
熊襲というのは「クマ」と「ソ」という二つの部族の総称と言われてる。
クマは熊本、ソは大隅半島。
球磨郡とか曽於郡として地名に名残がある。
熊本から大隅半島にかけたエリアという意味かもしれない。
いずれにしても農耕民族であるヤマトに対して海洋民族のクマソなんだろう。
熊襲のうち、クマについては紀伊半島南部の熊野もその名残ではないか?
813名無しさん@九周年:2009/03/28(土) 23:45:11 ID:1ccIDigu0
>>810
隼人研究家の中村明蔵の本
「隼人の古代史」とか
何冊もある
814名無しさん@九周年:2009/03/28(土) 23:45:22 ID:b+NH3frm0
>>785
少なくとも畿内から北九州までの連合があったことは確かだな
815婆 ◆HKZsYRUkck :2009/03/28(土) 23:45:49 ID:OaUhfRue0
>>807
東海やら吉備やら出雲やら九州やらの勢力は
べつに不自由もなくのほほんと暮らしてたわけじゃん。

「なんで纏向に朝貢せにゃいかんねん」とか思わんのかな?
816名無しさん@九周年:2009/03/28(土) 23:48:46 ID:Urw5djYu0
>>813
早速読んでみます
817名無しさん@九周年:2009/03/28(土) 23:55:36 ID:/tQTqJmE0
せめてお情けでいいから卑弥呼ぐらいは九州にあげなよ
奈良は歴史遺産が山ほどあるから一個ぐらいあげても良いでしょ、これ以上九州のライフ減らさないで。
818名無しさん@九周年:2009/03/28(土) 23:57:53 ID:PamnvsF90
おまいらカルトの口車にだまされるなよ。
ふつうの専門家の8割は邪馬台国畿内説で決着という立場。
倭人伝の文言いじくって古代史ファンタジー展開してるのは
ごく一部のカルト学者と、定年後の暇をもてあました老人サークルの人たち。
819名無しさん@九周年:2009/03/29(日) 00:00:28 ID:11RT8E2aO
だったら史学考古学はもう多数決で当否を決めたらいいのでは?
820名無しさん@九周年
当時の「統一政権」は、前方後円墳のことなどから朝貢のような世俗的なやり取りじゃないかもね。