仁徳天皇陵はなぜ発掘調査しないのか?

このエントリーをはてなブックマークに追加
1千代田区1番地
なんかヤバイことでもあるんでしょうか?
2名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 18:50
ヤバイんだよ!
3名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 19:01
呪われるんだよ!
4名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/07/09(月) 19:01
神の所有地だからです。
5名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 19:04
仁徳天皇陵でないことが明らかになってしまうから
です。
6名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 19:09
>>5の発言で全て終了いたしました。

             おわり
7名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 19:10
DNAを調べて欲しいね。血統の連続性のみが唯一の正当性の
根拠だから。
8名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 19:12
具体的には、仁徳天皇陵は百済王の墓であることが証明されるから
9名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 19:14
UFO基地です。
10名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 19:14
>>7
2000年近く続いてたら、どっかで絶対繋がっちゃうってば。
11名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 19:18
日本史板でやれよ
それとも追い出されてきたのか?
12名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 19:42
人類全部、約15万年前にアフリカに生息していた
女の子孫だという事が遺伝学で判明している。
さかのぼれば、海の中で漂っている原始バクテリアが
俺たち全員の先祖だよ。
それなのに、たかが何千年単位の血統云々がそんなに重要か?
それとも自分の先祖は高天原に降りてきたとでもいうつもりか?
13名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 19:48
>>12
フイクシヨンが必要なんですよ。国家を統治するためには。
客観的、生物学的に言えば天皇なんか少しみっともない同じ人間。
14名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 19:50
天皇の故郷が朝鮮半島であることが証明されるから。
15名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 19:51
人類の先祖は猿でる。
これは定説です。
16名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 19:54
最近、家々の竃からまったく煙が立たないので、仁徳天皇は草葉の陰からひどくお嘆きです。
17名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 19:56
今更掘ったって何にも出ねぇだろ。
18名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 19:56
猿は親戚ですが、先祖では有りません。
19名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 19:58
河内王朝が大和を征服して前王朝にとってかわったことがあきらか
になるから。
20無党派さん:2001/07/09(月) 20:01
アラム語とかヘブライ語の石版でも出た日にゃ
塩梅悪いべ。
21名無しさん@お腹いっぱい:2001/07/09(月) 20:03
天皇家にとって神聖な場所だからだろ。朝鮮なんて関係ない。
22名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 20:04
天皇の故郷が朝鮮半島でないことが確定されてしまうから。
23名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 20:06
アラム語の福音書のアポクリファが出てきたりしてね。
24名無しさん@お腹いっぱい:2001/07/09(月) 20:06
これ以上ここで朝鮮のことを書くなよ。
まじめな議論にもっていけ。
25名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 20:10
 別に天皇が渡来人でも構わないのでは?どうせ日本人の殆どが渡来人なん
だから。
26名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 20:16
>>24
まじめな議論をするためには朝鮮半島との関係はかかせません。
27名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 20:16
仁徳陵に関しては、盗掘などで何も出てこない可能性が高い。
本当の理由は、
一個掘ることで他の天皇陵の調査・発掘の理由づけがなされて
しまうからだろ。はっきり言えば、孝明、明治、大正、昭和の
各天皇、中山慶子、柳原愛子、昭憲皇太后、貞明皇后、香淳皇后、
浅香宮、秩父宮、高松宮…
全員のDNA鑑定が可能になる。
また、孝明天皇の死因もハッキリする。
大正天皇の病名もわかる。それじゃヤバイからだろ(藁
28コマツ:2001/07/09(月) 20:18
きっと、壁画にチョゴリをまとった女性の絵が
描かれているんだろうな。
発掘調査はとっくの昔に済んでいるんでしょう。
このことは、日本歴史上最大のタブーです。
29名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 20:19
>>25
漏れはうよっくと呼ばれて久しい人間だけれど、全く以て同意っす。

>>27
ははは。その通りだね。特に明治…以下略
30名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 20:27
日本ってタブーがおおいっすねー!
クワバラクワバラ・・・・・
31 :2001/07/09(月) 20:29
ゴッドハンドの降臨防止
32名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 20:34
あれは、「たぶん仁徳天皇のお墓だろう」ということで、
確定しているわけではありません。
33名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 20:35
仁徳天皇陵は明治4年に造られた。
そこに以前から住んでた人たちは被差別部落化された。
よって、仁徳天皇陵を発掘しても何も出てこない・・国家のためのフィクションです
韓国には、本管制度があります。2000年以上前からの各姓ごとの系図が本家で
大切に保管されております。この中に天皇家の先祖が含まれておるため、
天皇の韓国訪問に神道筋からの圧力が加えられており、訪韓は実現しません。
神道の宗家である天皇家が、起源を朝鮮にもっていては、神道にとっては
矛盾をかかえることになるからです。
八百よろずの神ならぬ、ウソ八百神道では、笑えますね。
韓国から初めて大統領(全斗煥)が来日した時、韓国が日本に求めたのは、
まさにこの点、つまり天皇家の起源は朝鮮半島にあることを認めよ・・という事でした。
これは、日韓外交上「歴史認識問題」と呼ばれております。
韓国側が、天皇訪韓に際しての条件にまず挙げてることです。

なお、私は日本人です。天皇制反対=左翼ではありません。
日本は、はやく、初代大統領を選ぶべきです。
34名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 20:37
>>28
あほか。そんな時代に朝鮮でチョゴリ(?チマチョゴリ)
なんか着てたかよ。
チマチョゴリは元寇後、モンゴル衣装の影響で成立したものだ。
朝鮮民族と言う民族さえなかったんだぞ。
民族らしいまとまりが出来たのは李朝せいぜい高麗以後だ。
35名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 20:40
>>28
そう、終戦直後米国が行なってる可能性は高い。
何せ、戦時中もサイディンスティッカー、キーンなど
日本研究者達がたくさんいたからね。
実は天皇陵の調査なんかもやってたんじゃないか、と
疑っているのだが…
そうすれば日本政府を脅す、切り札中の切り札だよな。
なんて、これは穿ちすぎかもしれんが…
36(゜_゜;)ゲゲッ!:2001/07/09(月) 20:40
>>33
>仁徳天皇陵は明治4年に造られた。

ほんとか?
37名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 20:42
仁徳天皇陵はどうして大和にないのですか?
38名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 20:44
天皇家の出自なんか、嘘八百でいいよ。
美しい神話として、ある程度の日本人が納得できればいいんだよ。
39名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 20:44
>>34
あなたは日本人かもしれませんが、キチガイです。
ホンガンだって?
あんなものはほとんど日本時代に彼らが捏造したもの。
日本に統治してもらったおかげで捏造ヤンパンになれた
人間がどれだけいることか、と言うか韓国民の大部分。
40名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 20:45
人生には何の価値もない。
所詮この世は永劫回帰の機会時計だ。
だから、自ら価値を作り上げて、それに全てを捧げるのだ。
41名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 20:46
>>40
機会×
機械○
42名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 20:47
天皇陛下は神世の昔から御龍体であらせられます。
科学の力の及ぶものではありません。
DNA鑑定なぞ、原理的に不可能です。
天照大神の怒りに触れるだけです。
43(-o-):2001/07/09(月) 20:48
>>36
 信じるなよ…
44名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 20:49
アメリカが天皇制を存続させることにした理由は、かれらが
われわれも知らない皇室の秘密を知ったからだと言われている。
当時アメリカの世論は政治家も含めて天皇制廃止論だった。
つまり、日本の皇室が契約の箱を継承していると言うことだけど。

朝鮮半島はどっちにしても、単なる一時的な経由地に過ぎない。
南インドから中国江南を経て来ていることはほぼ確かだが、問題は
それ以前のこと。
45名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 20:57
掘りたい、そのためなら革命さえ厭わぬ。
と私の大学の恩師がいつもいってました。
46名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 20:58
>>45
掘れ、
って言ってやってください
47苦内庁:2001/07/09(月) 21:00
>>1
なんでこんな事いまになって言うのですか?
そっとしておいてください。
48名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 21:02
>>44
キミキミ。
そんなこと迂闊に口走ると全身黒ずくめの男達が来てラチされちゃうよ
49名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 21:02
>>44
ほんとか?
50:2001/07/09(月) 21:02
いくら血統が正しくても,
遺伝子的には,100代たったら1/2^100≒1/100万だ。
51名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 21:04
いやぁ〜しかしこの問題には
いろいろとヤバイにおいがしますなぁ〜!
52名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 21:06
>>50
?????
53ぱっぱふみふみ:2001/07/09(月) 21:11
いちおうこの国は「神の国」路線でここまで
やってきたんだから、いいじゃんこのままで。
いまさら何いってもしょうがないぜ!
54名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 21:16
>>33
>仁徳天皇陵は明治4年に造られた。

明治時代に入って作られたのは、神武天皇陵。
55日本人だが:2001/07/09(月) 21:18
>>54
これは恥ずかしい歴史だね。
檀君陵を「発見」した某国みたいで....
56パオ:2001/07/09(月) 21:20
う〜ん、いったい仁徳陵にどんな秘密が隠されているんだ。
知りたい知りたい尻りいた〜い!
57名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 21:20
痔か
58名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 21:24
>>56
だからホントの秘密は仁徳陵にあるんじゃなくて、
>>27の他の関係者にあるんだよ(藁
59名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 21:28
天皇陛下があらゆる意味で完全な神の直系であることは
「古事記」「日本書紀」ですでに明らか。
この2書は科学的に完全に正しく人類の歴史を記していることが
証明されている。
60名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 21:30
与謝野文部大臣時代に問題になったんだよなあ。
「で、実際の所どうなんです?」と与謝野が
居並ぶ研究者達を問い詰めたらしいが、真相は・…
だから落選したという訳ではないのだろうが。
6150:2001/07/09(月) 21:31
>>52 単純計算です。何か?
62知らないのかな?:2001/07/09(月) 21:35
あれは天皇家の私的財産で、宮内庁管轄。発掘はできません。
文部科学省は手をだせません。

で、もしほかの天皇陵も含めて発掘したら、古代史が変わってしまうから。
どこを掘っても朝鮮のものしか出てこないとか(だって征服王朝)、天皇の代が次々とずれるとか。
63名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 21:38
仁徳天皇:第16代の天皇。応神天皇の第4皇子。
     仁政を布き、農業を奨励、三韓相次いで朝貢
     したという。
                (広辞苑より)
64名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 21:40
皇族は生物学やらんと歴史やって論文書けばいいのにな。
他のものに書けないネタ山盛りなのに畜生め
65名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 21:41
>>62
そういう問題じゃねえだろ馬鹿。
天皇陛下こそが我々日本人の全てなのだ。
陛下の持ち物に手を触れるなど、許されるわけが無い。

天皇陵の発掘云々言う連中は例外無く茶髪ケータイ命の馬鹿だよ。
例外無くな。
66名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 21:43
>>64
 同感!!
67名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 21:46
血統についての確率の問題。大室スレッドより〜

徳川を例に取ると265年15代、14回の将軍継嗣のうち
親→実子が8回(家康→秀忠→家光→家綱、家宣→家継、吉宗→家重→家治、
家斉→家慶→家定)、男種なし或いは早世は6回だ。直系相続率は57%、傍系相続率が43%。しかし兄弟間はたった1回(家綱→綱吉)しかない。

桓武以降、父親が天皇でなかった天皇は3人しかいない。後堀河が1代開、後花園、光格が2代開き。後堀河の即位は承久の乱の結果のことで、政治的に意図的に直系を避けた。
後花園は、伏見宮との確執や足利義満も絡んだ皇位継承争いの結果。これもかなり特異なケース。そして光格は今の天皇家の祖、せいぜい光格くらいだ。
この例で徳川を当てはまると実父も将軍であった将軍は家康を除く14人のうち9人、一代開きが二人(家宣、家茂)、二代開きが二人(吉宗、家斉)、それ以上一人(慶喜)。
●男子天皇の実父が天皇でない確率
49代光仁以降、125(明仁)−49+5(北朝の5人)−2(女帝二人)=79
79人中3人で、3.7%
●徳川将軍の実父が将軍でない確率(家康除く)
14人中5人で、35.71%。
68で67の結論は:2001/07/09(月) 21:48
1200年も男系が絶えなかったのは不思議なことに変わりない。
傍流にも不自由しなかったのも益々不思議。凄い確率。まさに神業(藁)
その男系遺伝子の濃さには脱帽というほかない。
それが35年間女ばかりとは。トホホ…
69えっ?:2001/07/09(月) 21:48
>65
騎馬民族の征服者が、被征服者の全てなの?
完璧なマインドコントロールだね。
70名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 21:50
天皇はチョンか?
71名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 21:52
>>70
そんなにハッキリ言っちゃいけません!
72:2001/07/09(月) 21:53
まだ知らなかったやつがいるのね(w
73名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 21:53
天皇陛下は御龍体。人間ではあらせられません。
74名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 21:53
1の自作自演スレだな。
75名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 21:54
皇室のルーツが朝鮮にあったなんて。
日本人としては屈辱的だ。
76名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 21:54
朝鮮の論理に天皇陵を掘り起こせば、天皇が朝鮮系で
あることがわかる、というのがある。しかし、前方後円墳
は日本の近畿地方起源で、朝鮮にも前方後円墳はあるが、
日本のものより300年以上も新しい。よって天皇陵を
掘り起こしても、天皇が朝鮮系であることを示す物は出ない
であろう。
77名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 21:55
いつか御言葉に2ちゃんが出るかと思うとドキドキ(*^^*)
78名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 21:55
税所篤がもうやってるだろ>盗掘
79名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 21:56
そっかー税務署は資産価値を調べるのが仕事だもんね
80名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 21:56
仁徳王朝は九州南部にあった縄文系の狗奴国が
東征してできたもの。
朝鮮どころか純日本人。
81名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 21:56
荒しの■君は実は徳仁
82名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 21:57
>>76
ほんとか?
83名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 21:57
もし天皇がチョンだったら日本は乗っ取られたことになるね(-_-;)
84名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 21:59
朝鮮天皇マンセー!!
85名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 22:00
日本の前方後円墳の方が歴史は古いし、規模や数は比較にもならない。
86名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 22:00
54 名前: 倭の百済、新羅支配は300年を超える 投稿日: 2001/04/01(日) 18:19

「魏志倭人伝には、狗邪韓国(加羅)を倭国の北限とする記事があり、
考古学的にも当地の3世紀の遺跡には、倭系遺物の出土が多い。

好太王碑文に倭国が海を渡って、百済・新羅を臣民にしたとの記述が見られる時期に、
朝鮮の正史「三国史記」に、百済が皇太子を、新羅が王子を、倭国に人質に出した記事がある。
「日本書紀」も同様で、400年前後に倭国が朝鮮半島南部に勢力を広げたことで一致。
宋書には、5世紀後半に、倭国に新羅・任那などの軍事権を認めた叙任がある。
これらの文献資料は、全て調和的。

考古学的には、畿内発祥の埴輪を並べた前方後円墳が、古墳時代中期〜後期(5〜6世紀)
になると、朝鮮半島南部にいくつも見られるようになり、倭国の勢力拡大を裏付けている。
と言うわけで、全く問題ないのである。 」

300年以上も倭のぱしりをしていた連中が大和朝廷の始祖で
ある、などということはありえない。
87名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 22:01
天皇陵からの発掘物と朝鮮との関連が見つかったなら、
それは朝鮮半島の文化が日本由来のものであることの
証明になる。
88名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 22:02
天皇がチョンならば何故チョンを差別するんだ?そんな酷い事出来るか?
もし天皇チョン説が本当なら、天皇は自分と同じ民族を差別する裏切り者だぞ
89名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 22:02
>>83
顔つき、目つきがもろKじゃん!
90名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 22:03
>>88
馬鹿か?
チョンの祖先が日本人である可能性はあるが、
日本人の祖先がチョンである可能性は全く無い。
91名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 22:04
>>80
狗奴国でもいいんですが、どうして縄文系とわかるんですか?
92名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 22:04
天皇は盧泰愚大統領にソックリさん! (・∀・)
93名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 22:05
>>90
正論ウザイ。
もっと遊べよ馬ー鹿。
94残念でした:2001/07/09(月) 22:06
>>87
高松塚のように、どこを掘っても朝鮮のものばかり。
でも、よく見ると中国の影響が極めて強い。
中華辺境の異民族にすぎなかったのよ、残念ながらどちらも。
で、古代は朝鮮のほうが直接中国に支配されていたのでましだった。
逆転は秀吉以降かな。
95名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 22:08
曹操孟徳が日本人だったことは完全に証明されているが?
96sage:2001/07/09(月) 22:10
a
97sage:2001/07/09(月) 22:11
sage
98ゆみ:2001/07/09(月) 22:12
んじゃ、天皇家って初代からすべてKってこと?>ALL
99名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 22:12
結局、世界の文明は全部日本人が創ったんだよね。
100名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 22:12
>>98
初代って誰だ?
101名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 22:13
どうして古墳に朝鮮の文物が出たら天皇が朝鮮が起源になるの?
中国の影響は古墳にはっきり出てるよ。
壁画などにね。
しかし、それだけで皇室が中国起源だと言う話は出ない。

古代においても、土地の生産力から言っても日本のほうが豊か
だったし、人口も日本のほうが多かった。
国土はいうまでもない(韓国人の中には列島より半島のほうが
大きいと思い込んでるのが恐ろしいほどいるが)。
朝鮮半島は日本と中国の政治的勢力がせめぎあう場だったと見るのが
自然だろう。中国人(漢族)も居留していただろうし倭人も居留して
いただろうが、朝鮮民族などと言うものは古代においては成立さえ
していない。
102名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 22:13
>>98
天照大神。本気で知らねえのか?
103:2001/07/09(月) 22:14
初代は太陽神ラーだよ。
104名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 22:15
江戸時代にはあの上で、お花見やってたんだってよ。
もう盗掘されて何にも残ってないよ。
逆に作為的に、変なもの埋められてる可能性もある。
105名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 22:16
>>101
もちろん日本民族というものも存在しない。日本という言葉もまだ
発明されていない。
106名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 22:17
世界最古の書物である古事記を読めば、世界の成り立ちが
日本から始まっていることがあきらか。
人類の誕生から文明の成立まで全て日本列島で起こったことが
完全に明らかである以上、天皇陛下の祖先が大陸から移ってきたという
アイデアは全くのナンセンス。
107>101:2001/07/09(月) 22:17
ヴァカか。
そもそも当時の東アジアに国家の概念があると思うほうがおかしい。
で、要するにまともなものは畿内でつくれず、墓に入れるような貴重なものはみんな朝鮮半島製。
108名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 22:18
>>102
神武とこないところがすばらしいね。でもなぜもうすこし遡らないの?
109名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 22:18
>>102
神武天皇じゃないのか?
110名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 22:18
古事記のパピルス写本って知ってる?
ナグ・ハマディ文書と一緒に発見されたんだよ。
コプト語で書かれてたけど、明らかに内容は古事記。
111名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 22:19
>>100
新島初代(にいじまはつよ) 1977〜
B:87 W:55 H:89 千葉県幕張市出身
112名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 22:19
>>107
本物の馬鹿だな。秦の始皇帝はいつ即位したよ。
113定説なんだよ:2001/07/09(月) 22:20
歴史学は文書史料にどうしても依存。
だから考古学のほうでは騎馬民族征服王朝説が50年前に出て、
多少修正はあるが定説だよ。
114名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 22:20
>>106
古事記を世界最古というのはちょいと無茶。
115名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 22:21
>>107
挑戦半島に独自に物作るような技術も知識もなかったよ。
そんな必要もなかったしね。
生産性だって全然低いもともと荒地だ。
国家らしい体制の成立で言えば日本のほうがずっとはやい。
116名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 22:22
>>114
だからナグハマディ写本が発見されたんだって。
117名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 22:23
>110 古いのそれくらいしか知らないのね。教科書をよく読んでね。
シュメールくらい書いてほしかったな。
118名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 22:24
>>115
国家らしい体制は日本列島ではいつ成立したの?
119名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 22:24
>>114
証明してください。

くだらないカキコする奴って、論証が全くできないんだよな。
120名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 22:25
>>117
馬鹿だな。ほんとにヴァカですね。
最近発見されたからすごいんじゃねえの。

ネタにマジで熱くなってるチョンがいるな。
121名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 22:25
アメリカの某博物館に、
「仁徳天皇陵出土品」が収納されてるぞ。(w
122名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 22:27
>>116
古事記は大陸のコピペだったわけか。なるほど。
123名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 22:27
>>121
宗主国にあるのはあたりまえ。
124名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 22:28
古代朝鮮にそんなたいした文化があったら、
日本よりずっといろいろ遺跡が残ってるはずなのにネ。
日本に影響を与えたと言うなら、日本と同じような古墳や
石の遺跡なんかが出て来ても良いのに。
全然出てきませんね。

全部日程が破壊したって彼らは言うんだけど(藁
125無党派さん:2001/07/09(月) 22:29
>>121
明治時代に境市市長が掃除と称して盗掘したらしいね。
126名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 22:30
しかし、もう21世紀になったんだから
この問題はどーにかしてほしい。
発掘すりゃいいじゃん!
127名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 22:31
>>124
あなたには古墳が文明の基準なんですか。日本でも開けてくると古墳
はつくられなくなりますよ。
128名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 22:32
天皇陛下が天照大神の直系であり、
この宇宙の所有者であらせられることは
科学的に明らかなんだよね。
129名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 22:32
発掘してもしKだと証明されたら
ウヨはどーするんだろう?
130名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 22:33
Kて何ですか?
131名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 22:35
>>128
天照大神ってどんな顔してんの?
目が細いとか・・・・・
132名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 22:35
>>127
古墳に限定してないよ。
古代遺跡がほとんどないんじゃん。朝鮮。

日本文化の起源が云々と言うなら、日本と似たものが
日本以前に出て来てもおかしくないだろって行ってるだけ。
誰も古墳が文明の基準なんて言ってないね。
文明の痕跡がほとんど無いとこに文明は無かっただろうって言ってる
だけで。。
133名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 22:35
>>129
日本から大陸に文化が伝搬されたことが
証明されるだけ。
134名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 22:37
朱雀やゲンブの絵は古墳の壁画にすでに出てるよ。
これは中国の文化でしょ。
このことだけでも、日本文化は中国起源という説のほうが物証もある
わけ。
どうして経由地にすぎない朝鮮が起源のように言われるのか不思議。
135名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 22:39
仁徳天皇陵の秘密とは、完璧超人のマグネットパワーと関わりがあります
136名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 22:39
>>134
逆だろ。中国文化(文明)のオリジナルは日本。
文句があるなら証明してみな。
こっちは完全だから。
137名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 22:41
>>55
明治4年につくられたという神武天皇陵
http://inoues.net/yamataikoku/tenno/kashijinguu.html
138名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 22:43
朝鮮の論理に天皇陵を掘り起こせば、天皇が朝鮮系で
あることがわかる、というのがある。しかし、前方後円墳
は日本の近畿地方起源で、朝鮮にも前方後円墳はあるが、
日本のものより300年以上も新しい。よって天皇陵を
掘り起こしても、天皇が朝鮮系であることを示す物は出ない
であろう。
139名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 22:43
人類遺伝学会(96年)で公表された結果を共同通信がこう伝えている。
          ------------------------
 アイヌ民族や韓国人など東アジアに住む人たちを遺伝子レベルで分析した結果、現
在の本土日本人の遺伝子群の約六五%が弥生時代以降に大陸からもたらされた遺伝子
に由来していることが国立遺伝学研究所(静岡県三島市)の宝来聡助教授らの共同研
究で分かり、二十三日の札幌市での日本人類遺伝学会で発表された。
 また、骨や歯の研究から弥生時代以降の渡来集団との混血の度合いによって在来系
(縄文系)と渡来系と二つに分けられるという「二重構造モデル」が遺伝子レベルの
研究で一層強められたことも、同助教授は明らかにした。
 宝来助教授は、国際日本文化研究センター(京都市)の尾本恵一教授らとともに、
東アジアに住む人たちを本土日本人、沖縄住民、台湾系中国人などの五つの人類集団
に分け、計二百九十三人から血液などを採取、母親の系統がたどれるという細胞中の
ミトコンドリア遺伝子を比較した。
 二百七の異なる塩基配列のタイプを調べた結果、十八タイプが二つまたは三つの集
団に共通して見られた。うち、本土日本人と韓国人は八タイプが共通しており、両者
が遺伝的に近いことが分かった。
 また、ミトコンドリア遺伝子の変異のパターンから二百九十三人は十八の集まり(
群)に分けられた。うち韓国人と中国人が多数を占める七つの群に五○%もの本土日
本人が入ったのに対し、アイヌ民族と沖縄住民はそれぞれ二○%以下しか入らなかっ
た。
 同助教授は、この大陸系の特色を持つ七群に入る五集団の割合から、ミトコンドリ
ア遺伝子がどれだけ渡来によってもたらされたかを試算。その結果、本土日本人のミ
トコンドリア遺伝子の約六五%は大陸由来、残る約三五%は縄文由来となった。弥生
時代以後約九百年続いた渡来が現代の日本人の遺伝子構成に大きく影響していること
が示された。
140名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 22:44
        / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  ∧_∧  |  アイゴー!歴史の歪曲ニダ!
 < #`Д´><  歴史教科書の修正と過去の反省と謝罪と賠償と経済協力と
 (つ|⌒|⌒| | 技術移転と無償援助と有償援助と従軍慰安婦への謝罪・賠償と
  (⌒)(⌒)   | 在日チョソ人への謝罪・賠償・参政権と靖国神社への参拝禁止と
        | 秀吉の侵略の謝罪と日の丸・君が代の廃止を要求して
        | チョソ人とウリナラとハングルは世界一優れている事と
        | 東海という呼称と竹島・対馬・沖縄はわが領土であることを認めて
        | 剣道と空手と柔道と合気道と相撲と侍と武士道と日本刀と
        | 忍者と天皇と奈良と演歌と茶道と華道と生け花と
        | 花札と盆栽と桜とソメイヨシノと扇子と和歌と折り紙と
        | 日本食と寿司と清酒とおにぎりとトヨタとソニーとホンダと
        | たまごっちとポケモンとガンダムとアトムと
        | ドラゴンボールとキャプテン翼とスラムダンクと
        | dチャモンとニダーはウリナラ起源と認めるニダ!!
        \____
                 ∧_∧   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
                (´∀`;.)< そんなこと言われてモナー...
                  (    )  \_________
     .∧ ∧ニダーイッテヨシ! | | |
     (゚Д゚ ) ̄ ̄ ~〜   (_(_)
     U U ̄ ̄U U
141名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 22:45
カンブリア爆発が起こったのも、日本近海なんだよな。
地球上の全生物の起源は日本列島だよ。
科学的に完全に明らか。誰も否定できない。
142ミトコンドリアDNA:2001/07/09(月) 22:46
ミトコンドリアはATP産生を行う必須の細胞内小器官で一つの細胞
に約1000個程あり、その系譜が失われたり新たに生まれたりする
ことなく親から子へと受け継がれます。但し、受精の際に精子は
DNAだけを卵に渡しミトコンドリアを渡さないので、私たちの細胞
は母親から受け継いだミトコンドリアしか持たず、両親のミックス
にはなっていません。ミトコンドリアは女性系譜で伝わるのです。
だからもし、近縁種のオスが交配に成功してもミトコンドリアDNAの
情報に影響を及ぼさないので、そういったことが起きたかどうかを
ミトコンドリアDNAの塩基配列を比較することだけでは厳密には断定
することが出来ません。
http://www.big.or.jp/~mastakeu/eve.html
143名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 22:46
>>138
じゃー安心だね、掘ろうよ。
144名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 22:48
人の墓をどうして他人が平気で暴けるの?
145名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 22:48
>>136
漢字も、日本の神代文字が起源で、仮名を経て発達したもの
なんだよね。ははは。
146名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 22:48
ミトコンドリアというのは戦後GHQが捏造した
偽りの存在です。
細胞内にそんなモノは存在しません。
147名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 22:48
ミトコンドリアDNAはなんと女性の遺伝子しか子孫に
伝達されません。これが一体何を意味するのか?
そうです!半万年ぱしり国家であった朝鮮にこそ
万世一系である純潔民族が存在する、ということ
を裏付けているのです!
148名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 22:49
違うだろ、漢字は韓国が起源だろ。
檀君が命じて作らせたんだよ。
149名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 22:50
仁徳陵の発掘に抵抗しているヤツってだれ?
150名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 22:50
電波には電波で対抗かっ!
見事だっ!感動したっ!
151名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 22:50
>>147
だから、ミトコンドリアなんてものは存在しねえんだよ。
馬鹿かオマエは。顕微鏡くらいのぞいてみな。馬〜〜〜鹿。
152名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 22:51
>>144
大丈夫、天皇陵なんて明治のはじめに宮内庁がでっち上げたもの。
天皇陛下のご先祖の墓をあばくわけではございません。
153名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 22:51
漢字は名古屋が起源です。
154名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 22:52
>>148
おまえ、厨房か?
155名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 22:52
大丈夫、宮内庁なんて明治のはじめに天皇陵がでっち上げたもの。
天皇陛下のご先祖は神です。神の墓なぞ存在しません。
156みとこんどりあはあります:2001/07/09(月) 22:53
ミトコンドリアはATP産生を行う必須の細胞内小器官で一つの細胞
に約1000個程あり、その系譜が失われたり新たに生まれたりする
ことなく親から子へと受け継がれます。但し、受精の際に精子は
DNAだけを卵に渡しミトコンドリアを渡さないので、私たちの細胞
は母親から受け継いだミトコンドリアしか持たず、両親のミックス
にはなっていません。ミトコンドリアは女性系譜で伝わるのです。
だからもし、近縁種のオスが交配に成功してもミトコンドリアDNAの
情報に影響を及ぼさないので、そういったことが起きたかどうかを
ミトコンドリアDNAの塩基配列を比較することだけでは厳密には断定
することが出来ません。
http://www.big.or.jp/~mastakeu/eve.html
157名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 22:54
漢字を発明したのは源頼朝です。
1192年以前の文書に漢字は一切記されていません。
158名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 22:54
>>156
だからどーした!
159名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 22:55
>>156
ミトコンドリアは、アメリカのSchmit教授の売名ネタです。
現実には存在しません。
160名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 22:56
>>157
あのー電波さんは早く寝てください!
161発掘を拒否しているのは宮内庁:2001/07/09(月) 22:59
考古学者や歴史学者が何度要求してもダメ。
墓地だからというのが理由。
科学より大事なんだね、きっと。
162名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 22:59
パプアニューギニアの奥地には鼻で歩行する珍しい動物、
「鼻行類」が生息しています。
163名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 22:59
いいじゃん、天皇がチョンでも。
関係ねーよ!
164名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 23:17
みんな馬鹿だなぁワラ
天皇陵にはUFOが埋まっているんだよ。
165すぷりがん:2001/07/09(月) 23:20
箱船じゃないの?
166名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 23:24
 最近では、縄文人たちが自然共生型の高度な生活文化や洗練された信仰体系を持っていたこと、また縄文末期には一部の地方で初期の稲作農耕が行われていたことなどが分かってきている。
 そして、一方では6千年前頃から始まった気候の寒冷化によって森林の食糧生産力が低下したために縄文人の人口は減少傾向に入り、やがて突如として列島に蔓延したウィルス性の疾患(ATLウィルス)によってその人口が一気に激減したことも知られるようになってきた。そこから推測されることは、自然と共生しながら豊かな文化や信仰を育んできた縄文人たちの生活が、自然の猛威に脅かされて存亡の危機に瀕していた時に、より安定的に食糧を供給できる稲作農耕の高度な技術を携えた渡来人たちが彼ら席巻していったのではないかということである。
 ただし、縄文人が有していた文化水準の高さから考えると、渡来人は自分たちが持ってきたものを一方的に縄文人に押しつけるだけでは縄文人をうまく支配することはできなかったのではなかろうか。ことに宗教的なことに関して言えば、渡来人は縄文人がもともと持っていたものを尊重し、それを制度的に再組織化することによって洗練させ、自らもそれに帰依していった可能性が高いように思われる。
 そうした宗教的な帰依の対象を天皇に集約するにあたって、渡来人たちは縄文人たちの自然信仰と天皇信仰を巧みに同化させていった筈で、それはイスラム・マタラム王国がスノパティとニャイ・ロロ・キドゥルを結びつけた時よりも、はるかに徹底したやり方がとられたと思うのだ。
 これに関してより大胆な仮説を立てているのは栗本慎一郎氏で、同氏は田原総一郎氏との対談『闘論・二千年の埋葬』において、天皇制は古代における縄文勢力と弥生勢力の妥協の産物であり、弥生人たちは縄文の首長をそのまま天皇として奉り、統治システムは弥生人が持ち込んだものを採用した可能性があると語っている。
 そして、それ故に天皇は弥生の中心に居座りながらも、常に日本文化の基層部を担う縄文とも直結しうる両義的な存在になったというのだ。栗本氏はこの説を敷衍して、日本人の政治的な意思決定の曖昧さは、縄文と弥生の妥協の産物として天皇が生み出されたことに由来するとも語っているが、これもまた興味深い仮説である。
167名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 23:24
天皇は中国系です。徐福の子孫です。
168名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 23:25
違う。徐福の子孫はナガスネヒコ。
169名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 23:26
1922年にアインシュタインは来日し、日本に対して次のような讃美のメッセージを残した。

「近代日本の発展ほど世界を驚かしたものはない。その驚異的発展には他の国と違った何者かがなくてはならない。果たせるかな、この国の歴史がそれである。この長い歴史を通じて、一系の天皇を戴いてきた、という比類ない国体を有することが、それこそ今日の日本をあらしめたのである。私はいつもこの広い世界のどこかに、一カ所くらいはこのようように尊い国がなくてはならないと考えていた。なぜならば世界は進むだけ進んで、その間、幾度も戦争を繰り返したが、最後には、闘争に疲れる時が来るであろう。この時人類は、必ず真の平和を求めて、世界の盟主を挙げねばならぬ時が来るに違いない。
その盟主こそは、武力や金の力ではなく、あらゆる国の歴史を超越した、世界で最も古く、かつ尊い家柄でなくてはならない。世界の文化は、アジアに始まって、アジアに帰る。それはアジアの高峰、日本に立ち戻らねばならない。我々は神に感謝する。神が我々人類に日本という国をつくっておいてくれたことを」。と

http://kamakura.cool.ne.jp/iwaoiwao/einstein.htm
http://www.toyama-shinsei.net/htmlfile/donna.html
170名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 23:27
仁徳天皇陵を発掘調査したなら、韓国人の最後の誇りが
失われることでありましょう。
171名無しさん:2001/07/09(月) 23:29
仁徳天皇陵は宇宙人の秘密基地なのです
あそこには“瀬戸の火車”すなわち宇宙ロケットが埋まっています。
米軍占領中に一度だけ発掘されました。
この秘密を知るモノはすべてキャノン機関によって抹殺されました。
172名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 23:30
>>170
じゃ、君も発掘賛成だね。とにかく掘ろうよ。
173名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 23:31
仁徳陵は鍵穴です
174名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 23:32
てゆーか、天皇陵のほとんどが盗掘済みであることが考古学者の通説。
期待してもたいしたもん出てこない。
175名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 23:32
>>172
ひとりで勝手に掘って、不法侵入及び器物破損で捕まりなさい。
176鍵の神:2001/07/09(月) 23:33
>>173
我は鍵の神。門の神はどこだ?
177名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 23:35
>>174
通説というより常識だな。
仁徳天皇陵も、もちろん盗掘されている。
178名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 23:35
>>174
宝さがしに掘るわけではない。盗掘済みであっても考古学的に貴重
な発見は十分期待できる。
179名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 23:39
前方後円墳は壷ですよ。
180やはーり:2001/07/09(月) 23:39
ゴッドハンドに調査させるべきだ
ヤマトタケル、ヒミコ、スサノオ、アマテラスの骨が出て来るぞ
181名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 23:40
>>169

いくら読んでも不思議なメッセージだよね。おいらも思ってた。
たんなる外交的賛美を超えているよね。
なにかを確信してる言い方だよね。
やっぱ掘ると、六ボウセイがでちゃうんじゃないかな。
182大魔王:2001/07/09(月) 23:40
>>179
ハンバーグが大好きな大魔王ですが、何か?
183名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 23:41
百済と新羅は倭人によって建国されました。朝鮮の正史三国史記
にちゃんとそう書いてあります。
184名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 23:43
それは日本人の捏造です。本物は、百済人と新羅人によって倭が建国されたとなってます。
185>184:2001/07/09(月) 23:45
朝鮮の正史三国史記は朝鮮人によって書かれました。
186名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 23:45
その百済人と新羅人というのが実は倭人なんだって
187>186:2001/07/09(月) 23:46
違います。百済と新羅は約300年倭のぱしりをしていただけです。
188名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 23:46
日本非破壊検査をよろしくお願いします。
189あの:2001/07/09(月) 23:49
正史だの史記だのはどの国のも嘘だらけ
注意深く読まないとだまされるよ
190名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 23:51
横溝正史の八つ墓村は実話をベースにした創作ですよ
191ここを見ろ。:2001/07/09(月) 23:52
Israelites Came To Ancient Japan
http://www5.ocn.ne.jp/~magi9/isracame.htm
192   :2001/07/09(月) 23:54
イングランドもノルマンディーから出来た国。
だからイギリスはフランスのものか?
193名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 23:55
そうです。フランスのものです。
でそのイギリスから独立したアメリカもフランスのもの。
194名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 23:56
アメリカに侵略されたハワイは?
195名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 23:57
>>192
今の王朝はドイツの家系じゃなかったっけ?
196サジヌリウス:2001/07/09(月) 23:57
ハワイを開拓したムー大陸人のものです。
ちなみにムーの国王ラ・ムーは、ベガ第三星で存命中です。
197192:2001/07/10(火) 00:01

家系をいったら欧州の王様達は今はドイツ系が多いね。

1066のこと逝ってるんだよ。

結局原爆落としたのもフランス人ってことかぁ。
198名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/10(火) 00:02
仁徳天皇陵に潜入した奴はいないのか?
そんなに警備が厳重なのか?誰か見張ってる人とかいるの?
199名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/10(火) 00:02
騎馬民族征服説(征服王朝説)は学界ではトンデモ説あつかい。
200ブサヨクだけど:2001/07/10(火) 00:02
右翼に在日が多いのはそういうこと?
201:2001/07/10(火) 00:05
>>139
稲作文化を日本に伝えたのは,亜熱帯に属する,
南インド、インドシナ,南シナの民族です。
当時は稲作技術が少しずつ,高緯度での稲作を可能に
しつつある途中で,日本では,
九州南部から徐々に北上していきました。
朝鮮半島や日本の関東地方で稲作が可能になるのは
だいぶ後で5〜6世紀です
202名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/10(火) 00:08
土木技術が未熟なため稲作が普及できていなかった半島に
稲作を広めたのが日本総督府であります。
203名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/10(火) 00:08
でもさ、掘って6ボウセイ出ちゃって、中東の石油が来なくなると
困るな。
204名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/10(火) 00:09
>>200
右翼って誰が決めるんだ?
在日ならばそもそも右翼とは呼べまい。
205天皇は:2001/07/10(火) 00:09
 最近では、縄文人たちが自然共生型の高度な生活文化や洗練された信仰体系を持っていたこと、また縄文末期には一部の地方で初期の稲作農耕が行われていたことなどが分かってきている。
 そして、一方では6千年前頃から始まった気候の寒冷化によって森林の食糧生産力が低下したために縄文人の人口は減少傾向に入り、やがて突如として列島に蔓延したウィルス性の疾患(ATLウィルス)によってその人口が一気に激減したことも知られるようになってきた。そこから推測されることは、自然と共生しながら豊かな文化や信仰を育んできた縄文人たちの生活が、自然の猛威に脅かされて存亡の危機に瀕していた時に、より安定的に食糧を供給できる稲作農耕の高度な技術を携えた渡来人たちが彼ら席巻していったのではないかということである。
 ただし、縄文人が有していた文化水準の高さから考えると、渡来人は自分たちが持ってきたものを一方的に縄文人に押しつけるだけでは縄文人をうまく支配することはできなかったのではなかろうか。ことに宗教的なことに関して言えば、渡来人は縄文人がもともと持っていたものを尊重し、それを制度的に再組織化することによって洗練させ、自らもそれに帰依していった可能性が高いように思われる。
 そうした宗教的な帰依の対象を天皇に集約するにあたって、渡来人たちは縄文人たちの自然信仰と天皇信仰を巧みに同化させていった筈で、それはイスラム・マタラム王国がスノパティとニャイ・ロロ・キドゥルを結びつけた時よりも、はるかに徹底したやり方がとられたと思うのだ。
 これに関してより大胆な仮説を立てているのは栗本慎一郎氏で、同氏は田原総一郎氏との対談『闘論・二千年の埋葬』において、天皇制は古代における縄文勢力と弥生勢力の妥協の産物であり、弥生人たちは縄文の首長をそのまま天皇として奉り、統治システムは弥生人が持ち込んだものを採用した可能性があると語っている。
 そして、それ故に天皇は弥生の中心に居座りながらも、常に日本文化の基層部を担う縄文とも直結しうる両義的な存在になったというのだ。栗本氏はこの説を敷衍して、日本人の政治的な意思決定の曖昧さは、縄文と弥生の妥協の産物として天皇が生み出されたことに由来するとも語っているが、これもまた興味深い仮説である。
206名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/10(火) 00:10
ムー編集部の見解が聞きたい。
207大天才様1号:2001/07/10(火) 00:10
でもさ、一部のカンコックが主張するように、天皇は百済の亡命政権
の子孫だとすると、半島の歴史的に正当な所有権は日本に帰属するんじゃ
ないの?

彼等が竹島について主張してるのって、これとおなじ事でしょ?
208名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/10(火) 00:13

「魏志倭人伝には、狗邪韓国(加羅)を倭国の北限とする記事があり、
考古学的にも当地の3世紀の遺跡には、倭系遺物の出土が多い。

好太王碑文に倭国が海を渡って、百済・新羅を臣民にしたとの記述が見られる時期に、
朝鮮の正史「三国史記」に、百済が皇太子を、新羅が王子を、倭国に人質に出した記事がある。
「日本書紀」も同様で、400年前後に倭国が朝鮮半島南部に勢力を広げたことで一致。
宋書には、5世紀後半に、倭国に新羅・任那などの軍事権を認めた叙任がある。
これらの文献資料は、全て調和的。

考古学的には、畿内発祥の埴輪を並べた前方後円墳が、古墳時代中期〜後期(5〜6世紀)
になると、朝鮮半島南部にいくつも見られるようになり、倭国の勢力拡大を裏付けている。
と言うわけで、全く問題ないのである。 」

300年以上も倭のぱしりをしていた連中が大和朝廷の始祖で
ある、などということはありえない。
209名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/10(火) 00:17
>>208
加羅が倭の本国で日本列島が植民地でもいいんじゃないの。ノルマン
ディとイギリス、イギリスとアメリカみたいな関係。
210ふむふむ:2001/07/10(火) 00:18
「和」が日本人の宗教だていう井沢の議論とも合いますね
>>205
211名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/10(火) 00:20
我が国の皇室が朝鮮族の王家の血を引いてるって正々堂々いったら
いいんじゃないの。207の言うとおり、半島は我が国民の象徴が
本来、支配すべき地なのです。
212ふむふむ:2001/07/10(火) 00:21
複合王朝としてのヤマト王権---葛城氏の正体
http://www.kcn.ne.jp/~tkia/mjf/mjf-53.html
213ふむふむ:2001/07/10(火) 00:22
ユダヤ人説もあります
http://www5.ocn.ne.jp/~magi9/isracame.htm
214名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/10(火) 00:23
そもそも天皇家の祖は越前出身の継続天皇だろう。
朝鮮王朝とは直接関係ない。
215名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/10(火) 00:24
ユダヤのラビ(ユダヤ教指導者)であるサミュエル・グリンバーグは、早くから古代イスラエルの失われた10支族の一つ、ガド族がシルクロードを経てアジアに向かい、天皇家の祖先として日本に渡来したと唱えている。
216そもそも:2001/07/10(火) 00:24
半島と倭のあいだに、国境という概念はなかったらしい
217名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/10(火) 00:25
>>214
いちおー、応神天皇の5世孫。
あと応神朝の皇女に婿入りしており、
少なくとも女系で繋がっている。
218名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/10(火) 00:26
 天皇制には昭和とか平成とかいった「元号」があることは誰でも知っているが、「皇紀」が存在していることを知る人は多くない。今年(1997年)は皇紀2657年である。皇紀は紀元前660年から始まっているのであるが、これはちょうど北イスラエル王国が滅ぼされた直後の時期に当たっており、まだアッシリア帝国の治世下でイスラエル10支族が捕囚されている時期に相当している。よってこの時期、アッシリアに捕囚されていた北朝の残党たちが、新しい王朝を再結成したのではないかと推測する者もいる。

 また、天皇の公式名「スメラ・ミコト」は古代ヘブライ語アラム方言で「サマリアの大王」を意味し、初代神武天皇の正式名「カム・ヤマト・イワレ・ビコ・スメラ・ミコト」は「サマリアの大王・神のヘブライ民族の高尚な創設者」という意味になっているという。「サマリア」とは北イスラエル王国の首都である。

 更に、天皇の古称「ミカド(帝)」はヘブライ語に訳すと「ガド族出身の者」という意味に当たり、ガド族の始祖ガドの長男の名前は「ニェポン(ニッポン/英語ではジェッポン)」であったという。
219:2001/07/10(火) 00:26
>>201
大陸からの渡来人といっても
韓半島は関係ないということですな
220名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/10(火) 00:26
>>208
>好太王碑文に倭国が海を渡って、百済・新羅を臣民にしたとの記
>述が見られる
依拠史料として明示した広開土王碑文の読解のみから、「新羅を助けて」を導き出すのには異論もあり得よう。という意見もあります
がね。
221名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/10(火) 00:26
 あと、「東方の日出づる国」は古代よりヘブライの民にとって「天国」を意味しているが、約束の大地カナンは「カヌ・ナー」の転聲としてヘブライ語で読むとき、「葦の原」を意味し、「東方の日出づる国」はヘブライ語で「ミズホラ」と呼ぶので、日本の古名「豊葦原(トヨアシハラ)ミズホの国」の意味が判明すると指摘する研究家もいる。
 更に、大和朝廷の「ヤマト」はヘブライ語アラム方言では、「ヤ・ウマト」と分解され「神の民」という意味になるという。
222名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/10(火) 00:27
 あと、「東方の日出づる国」は古代よりヘブライの民にとって「天国」を意味しているが、約束の大地カナンは「カヌ・ナー」の転聲としてヘブライ語で読むとき、「葦の原」を意味し、「東方の日出づる国」はヘブライ語で「ミズホラ」と呼ぶので、日本の古名「豊葦原(トヨアシハラ)ミズホの国」の意味が判明すると指摘する研究家もいる。
 更に、大和朝廷の「ヤマト」はヘブライ語アラム方言では、「ヤ・ウマト」と分解され「神の民」という意味になるという。
223名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/10(火) 00:28
●伊勢神宮の内宮から外宮に至る参道の石灯眥(合計約700基)には、不思議なことに「カゴメ紋(六竏星)」が刻み込まれている。カゴメ紋は別名「ダビデ王の紋章」といわれ、ユダヤ人のシンボルになっている。事実、現在のイスラエル共和国の国旗にも、はっきりと描かれている。
224名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/10(火) 00:28
●ユダヤ人の宗教的な行事で日本と最もよく似ているのは 「過越(すぎこし)祭」である。

 過越祭(ペサハ)はユダヤ教でいう新年の祭りで、ユダヤの祭日のうちで最古、かつ最大のものである。その日は、日本の年越しと同じように、家族で寝ないで夜を明かす。
 更に過越祭の日だけは普段と食べるものが違っていて、いつもはふっくらとしたパンを食べるのであるが、この日に限って「種なしのパン(マッツォ)」を食べる。この種なしパンは日本でいう「餅(モチ)」に当たる。しかも、ユダヤ人は丸く平べったい種なしパンを祭壇の両脇に重ねて供えるのだが、まさにこれは日本の「鏡もち」以外のなにものでもない。また、過越祭は全部で7日間と規定されており、これも日本の正月の期間と全く同じである。
225名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/10(火) 00:28
●神社につきものの「鳥居(とりい)」は、外国人のみならず日本人自身にも説明がつかない代物である。しかし、ユダヤ人が見れば即座に理解できる。なぜならば、「鳥居」の形は古代ヘブライの建物(玄関口)とそっくりの構造をしているし、赤い色をしていることにはしっかりとした宗教的根拠があるためである
226名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/10(火) 00:28
●ユダヤ人の過越祭(ペサハ)は、かの有名なモーセによる「エジプト脱出事件」(紀元前1290年)にルーツを持っているが、同じく日本の年越しも鳥居もこの大事件にルーツを持っているといえる。

 モーセは、かたくなな心を持つエジプト王ファラオにヘブライ奴隷集団の脱出を認めさせるため、一種の“魔術競争”をしたのであるが、エジプト脱出前日に“殺戮の天使”がエジプト全土に襲いかかって来た。
 その時、モーセはヘブライ人たちに“殺戮の天使”の害に合わないためにと、玄関口の二本の柱と鴨居に羊の血を塗らせ、“殺戮の天使”が静かに通り過ぎるまで家の中で待つように指示したのであるが、これこそが鳥居のルーツであり、年越しのルーツである。
 ちなみに「トリイ」はヘブライ語アラム方言で「門」という意味である。
227名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/10(火) 00:28
●古代ヘブライの神殿と日本の神社の構造は、驚くほど酷似している。

 もともと古代ヘブライの神殿は 「幕屋」と呼ばれる移動式だったが、幕屋はその名の通り、周囲を幕や板で囲み、中で神に捧げる祭睚を行なった。全体ではないが、囲むという概念は日本の神社でも見られ、同様に祭睚は極秘である。
 また、幕屋の中の構造は、基本的には聖所・至聖所・拝殿に分かれていて、祭壇には明かりをともす常夜灯があり、脇には手を洗う水盤があった。また有名な古代ソロモン神殿の前には、お耄銭(さいせん)を入れる箱も置かれていた。
228名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/10(火) 00:28
●日本の神社の前に置いてある狛犬(こまいぬ)は、犬というよりもライオンであるが、古代ソロモン神殿の前にもライオンの像が置いてあった。ライオンはダビデ王統を担うユダ族のシンボルであった。

●現在でもユダヤ人は祈りの時に『旧約聖書』の言葉を収めた 「ヒラクティリー」と呼ばれる小さな小箱を額部分に付けるのだが、これは山伏が頭につける兜巾(ときん)と使用方法が酷似している。
 また、山伏が吹くほら貝の音は、ユダヤ人の祭りに使われる「ショーファー」という羊の角で作った吹奏器とそっくりである。

●古代ヘブライの祭睚レビ族は、みな白い服装をしていた。非常にゆったりとした和服のような服で、そで口には「リンネ」と呼ばれる房が付いていた。もちろんヒラクティリーも使用していた。彼らの姿は、まさしく神道の神官や修験道の山伏のような姿をしていたのである。
229名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/10(火) 00:29
●映画『インディー・ジョーンズ』にも登場したヘブライの秘宝 「契約の聖櫃(アーク)」は、実際に現在に至るまで行方不明であるため「失われたアーク伝説」として広く公式に知られている。アーク(聖櫃)とはモーセが神から授かった「十戒石板」を保管するための箱で、全体に黄金が貼られており、『旧約聖書』の「出エジプト記」には、そのアークの作り方が克明に記されているのだが、その記載を見る限り日本の神輿(みこし)にそっくりである。

●アークの上部には2つの天使(ケルビム)の像が羽を広げて向かいあっているが、日本の神輿も金で覆われていて、神輿の上には鳳凰(ほうおう)と言われる鳥が作られており、大きく羽を広げている。また、アークの下部には2本の棒が貫通しており、移動するときにはレビ族が肩にかつぎ、鐘や太鼓をならして騒ぎ立てた。しかも、かつぐための2本の棒は絶対にアークから抜いてはならなかったように、神輿の棒も抜かれることはない。祭りが終わった後も棒を差し込んだまま保管されているのである。
 このように、日本の神輿と聖櫃(アーク)との類似性は偶然では済まされないものがある。
230名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/10(火) 00:29
●かつて北イスラエル王国(10支族王朝)を滅ぼしたアッシリア帝国は、「契約の聖櫃(アーク)」と「ソロモンの財宝」を最も欲しがったのだが、彼らはそれらを見つけることはできなかった。ヘブライの秘宝は北イスラエル王国滅亡と同時に消滅してしまったのである。そのため、西欧の学者たちは「失われた10支族」と「失われたアーク」の行方を追って、世界各地へ手掛かりとなるものを捜し求め続けている。

 で、四国徳島県の修験道の聖地にして霊山である「剣山」には、ソロモンの秘宝が隠されているという根強い噂があり、一時、発掘隊が組織された時期もあった。また、この剣山では毎年「神輿祭り」が行なわれるが、その日は「祇園祭り」と同じ7月17日である。
231名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/10(火) 00:29
●伊勢神宮には三種の神器のひとつである「八咫の鏡」があるというが、本物は誰も見たことがなく、その写しである皇室の神鏡にはヘブライ語が書かれているという。『ユダヤ問題と裏返して見た日本歴史』には、ヘブライ語学者の左近博士が、それを解読するために宮中に呼ばれたと書いてある。そして鏡の文字は「わたしは“わたしはある”という者である」と読めたという。これは『旧約聖書』でモーセが神にその名を問うたときの神の答えの言葉に他ならない。

 この話は一時、新聞に紹介されたことがあるらしく、日本在住のユダヤ人ラビ・M・トケイヤー氏が、個人的によく知っている三笠宮にこの記事をご存じか、またこの鏡を見たことはおありかと尋ねたという。ところが、古代オリエントの歴史に造詣が深く、ヘブライ語にも熟達しているという三笠宮でさえ、「新聞記事のことは知っているが、鏡は見たことがない」とお答えになったという。
 殿下でさえ、この鏡を見ることができず、更に驚いたことには、殿下の兄である天皇陛下でさえこれを見ることは許されないというのである。
232名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/10(火) 00:30
●「伊勢神宮暦」は他の神社と違って「ヘブライ暦」と一致している。

●ユダヤ人は現在でも13歳の男子に、成人を迎える儀式「バル・ミツバ」を行なうことで有名だが、日本人も昔、13歳の男子に成人を迎える儀式「元服式」を行なっていた。また、生後30日目に赤ん坊を神社に初詣でさせる習慣は、日本とユダヤにしか見られないものである。

●日本もユダヤも水や塩で身を清める「みそぎ」の習慣がある。ユダヤ人は食事の前、トイレのあと、教会堂の入り口で手を洗うなどの習慣がある。日本人も神社を詣でる前には必ず入り口で手を洗う。
 また、ユダヤ人は日本人と同じように、まず体を洗ってから風呂に入る。ユダヤ人以外の西欧人は、バスタブの中で体を洗う。

●現在の日本で行なわれている相撲とは様相が異なるが、『旧約聖書』には、イスラエル12支族の父ヤコブが天使と相撲をとる光景が描かれている。ヤコブはこの天使との相撲に勝ったことで「イスラエル(神の戦士)」という名前を授けられたのである。
233名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/10(火) 00:30
>>214
万世一系を否定してまで朝鮮半島との関係を拒否するとはそうとう
だな。
234名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/10(火) 00:30
●古代ユダヤ人は金髪や黒人ではなく、黒髪・黒目の浅黒い肌(褐色)をした人種で、背が低かった。体格は日本人とそっくりであった。
 更に、日本人とオリジナル・ユダヤ人(東洋系ユダヤ人)の男性Y染色体の大きさが同じであることが、パリ大学の教授によって発見された。これは、他には見られない現象だという。

●『大和民族はユダヤ人だった』の著者であるユダヤ人言語学者ヨセフ・アイデルバーグは、 カタカナとヘブライ語の驚くほどの類似性を指摘していた。また、日本語の中にヘブライ語の単語が混在していることも指摘していた。彼は以下のような発言をしていた。

「私は14年の歳月をかけて世界各地の言語を調べあげた。世界には中南米のマヤ人をはじめ、いくつも“失われたイスラエル10支族”の候補となる民族がいるのだが、日本語のようにヘブライ語起源の言葉を多数持つところはなかった。一般に日本語はどの言語にも関連がないため“孤語言語”とされているが、ヘブライ語と類似した単語が優に3000語を超えて存在している。」
235名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/10(火) 00:31
>>233
朝鮮半島との関係は日本人全員もってるだろ。
236名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/10(火) 00:31
●エルサレム神殿の門には、天皇家の「16弁の菊花紋」と共通した紋章がしっかりと刻み込まれている。この紋章はイスラエル民族の紋章であった。現在のユダヤ教のシナゴーグ(ユダヤ教会堂)には、必ずといっていいほど、菊の紋章がデザインされている。ちなみに、現在、世界中を見渡して、菊家紋をシンボルにしている一族はユダヤ人と天皇家以外にはほとんどいない。

●ユダヤの「シオン(Zion)祭り」は、日本の三大祭りの1つである京都の「祇園(ぎおん)祭り」と同じ7月17日に行なわれるが、“ギオン”は“ジオン”の転聲だと指摘する研究家がいる。
 また、ユダヤの「シオン祭り」はノア一家が大洪水を無事乗り越えたことを祝う祭りで、7月17日は『旧約聖書』でノアの大洪水が終わった日とされているのであるが、日本の祇園祭りを最大に特徴づけている数多くの「山車(だし)」は、この“ノアの箱舟”を象徴しているのではないかと推測する研究家もいる。

●祇園祭りに登場する数多くの山車の中には、古代ヘブライで用いられた織様と同じ文様を付けたものが存在している。京都市下京区四条鳥丸西入の山鉾「函谷鉾」の前掛けは『旧約聖書』の創世記の一場面を描いた16世紀末のタペストリーである。また、中京区室町通六角下ルの山鉾「鯉山」の見送りは古代ヘブライのダビデ王を描いた有名な図である。
 更に、この祇園祭りでは「モーセ山」という言葉が用いられ、祇園祭りと古代ヘブライとの関係に、ただならぬものがあることを感じさせる。
237名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/10(火) 00:31
●日本史上、最大最強の渡来人でありながら、今なお多くの謎に包まれている「秦氏」は、昔から多くの研究家によって「ヘブライ系渡来人」ではないかと指摘されている。

 秦氏は第15代応神天皇のとき、朝鮮半島から渡来してきたのだが、この時、10万もの人々が日本に帰化したと伝えられている。その一部は大和の葛城に、多くは山城に住んだのだが、雄略天皇(5世紀半ば)の時に、京都の太秦(ウズマサ)の地に定住するようになったという。

 秦家は非常に有力なファミリーで、794年の平安京は秦氏の力によって事実上作られ、仁徳天皇陵のような超巨大古墳建築にも秦氏の力があった。
 ちなみに、羽田元首相は遠い親戚に当たるという。

●平安京に遷都した桓武天皇は、古代ヘブライの燒祭(はんさい)の儀式を行なっていた。また、平安京のマークはあのダビデの紋章と言われ、現在の京都の市章はその平安京のマークを図案化したものだと指摘されている。
 ちなみに平安京をヘブライ語になおすと「エル・シャローム」、なすわちヘブライの聖地「エル・サレム」である。名称の酷似だけでなく、聖地エルサレムの「城塞」は12の門を持つなど、構造が平安京とよく似ていることが指摘されている。

●秦氏の本拠地にある「八坂神社」の祇園信仰にも古代ヘブライの信仰に非常に似た点がある。また、八坂神社や伊勢神宮の周辺などに「蘇民将来」という伝承にまつわる護符があるが、ここにもダビデの紋章が出てくる。ちなみに、ユダヤのメズサ(護符)と日本のお守りは同一である。
238名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/10(火) 00:32
●現在、日本人の総氏神を睚っているのは「伊勢神宮」であるが、この「伊勢神宮」の前身(元伊勢)は「眥(この)神社」であり、この本来の伊勢神宮ともいえる「眥神社」の宮司を代々務めてきたのが海部一族である(海部元首相の遠い親戚)。
 現在、82代目宮司を務める海部光彦氏は、最近になってそれまで極秘であった“裏家紋”を公開した。「眥神社」の奥の院である「真名井神社」の石碑に刻み込まれたその裏家紋は、なんと驚くべきことに「ダビデ王の紋章(六竏星)」であった・・・。
239名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/10(火) 00:33
どちらにしても公開してほしいね。実際どうであろうと誰にも影響はないだろ
240名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/10(火) 00:35
韓国人がやってきて唾を吐きます。
241名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/10(火) 00:38
韓国人の人数なんてたかがしれてるのではないか。
発掘公開を望むし、歴史が訂正されても良いじゃないですか。
242名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/10(火) 00:40
あるユダヤ人が天皇について語った文がある。彼の名はモルデカイ・モーゼ。戦時中にルーズベルト大統領のブレーンとして日本を研究し、戦後の対日処理立案(GHQ政策)にも加わった男である。彼は著書『日本人に謝りたい』という、極めて異例な内容を含んだ本を残している。以下は長くなるが、この本からの抜粋である。

「万世一系の天皇を頂く日本人は幸せである。この万世一系の天皇は、如何なる意味を持つとお考えであろうか。この点では、ユダヤ人が僭越ながら日本人に少々参考になる意見をお聞かせできるかもしれない。日本人からすると、万世一系の天皇といってもピンとこないかもしれない。他にどんな天皇があるのか、と反問されるであろう。だから日本人は幸せだと思うのである。何故か。ヨーロッパの王朝というものはみな混血王朝である。歴史上、しょっちゅう外国から国王や女王を輸入した。しかも王朝の権力が強くなればなるほど、外国からますます輸入するようになる。何故か。王朝の権力を弱める必要からである。国内から昇格させようとすると当然争いが起こり、国内が乱れるのでまずい。その点、外国からの輸入君主は当たりさわりが少なく、しかも飾りものなので、最も有効な方法ということになる。」
「我らの大思想家ジャン・ジャック・ルソーの言葉を思い出して頂ければ幸いである。ルソーは「我もし随意に祖国を選べと言われれば、君主と国民との間に利害関係の対立のない国を選ぶ。しかし現実にそのような国があろうはずもないから、やむをえずその代替物として民主主義国を選ぶ」と言っている。ここに全てが盛られている。ヨーロッパの王朝では常に君主と国民の利害が対立している。しかるに、日本の天皇制は決して利害関係の対立などない。仁徳天皇の「民のかまどに立つ煙り」の故事を説明するまでもなく、利害関係の対立は全くないのである。これこそ君民共治の見本である。」
「ユダヤ人はルソーの言葉を待つまでもなく、長年(2000年以上)このような君主制を夢に描いてきたのである。しかし祖国を持たないユダヤ人は、王を頂くこともできなかったのである。わずかにユダヤ教を“携帯祖国”として持ち、これによって民族の連帯と発展を推し進めて来たのである。キリスト教国では、このような高尚な理想を持った国は永遠に現れないであろうと思う。」
243名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/10(火) 00:41
ノーベル物理学賞を受賞したアインシュタイン博士は、受賞翌年の1922年(大正十二年)
に来日した。彼が日本でみたものを次ぎのように語っている。

「近代の日本ほど、世界を驚かしたものはない。この驚異的な発展には、他の国と異なる
何かがなくてはならない。この国の歴史がそれである。この長い歴史を通して一系の天皇
を戴いてこれたということが、今日の日本をあらしめたと断言できる。
 私はこのような尊い国が、世界のどこかに一ヶ所くらいなくてはならないと常々考えていた。
なぜならば、世界の未来は進むだけ進み、その間、幾度か争いは繰り返されて、最後の戦い
に疲れるときがやってくる。その時、人類は必ず真の平和を求めて世界的な盟主をあげなけ
ればならない時が来るに違いない。
 その世界の盟主になるものは、武力や財力ではなく、あらゆる国の歴史を遥かに越えた、
最も古く、最も尊い家柄でなくてはならない。世界の文化はアジアに始まってアジアに帰る。
それはアジアの高峰、日本に立ち戻らなくてはならない。我々は神に感謝する。我々人類に
日本という尊い国を作っておいてくれたことを・・・」
244名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/10(火) 00:46
>>239
影響大蟻
石油はとまるわ、ドイツはびっくらこくわ、米共和党には
嫌われるは、朝鮮はヒガムわ、歴史学者は世界的に自殺するわ
カソリックは引き上げるは、キンマンコ一味は発狂するは
小泉は国旗をダビデ星にすると言い出すわ、てんやわんや
大騒ぎだべさ。
245名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/10(火) 00:54
何か隠してる?んなことねーだろ。
246244:2001/07/10(火) 00:59
天皇というか神道が古代ユダヤと関係あるのは間違いなかろう。
不思議なことだけど、符合が多すぎる。
評判悪い外務省にも、そんな意見多いそうな。
247 :2001/07/10(火) 00:59
皆妄想力豊かだな。
日ユ同祖論も出てきたね。
248マジレス御免:2001/07/10(火) 00:59
どっちにしろ、半島「経由」で到来した可能性は非常に高いと言わざるを得ない。地理的に見てね。
しかし、ユダヤ人ってのはともかく(w)たとえ半島の豪族が天皇家の祖先だったとしてもそれが
現在の朝鮮民族の祖先と一致するかどうかは大いに疑問が有る。

それに、 1500年以上遡って同族だからどう言う意味が有るのだろうか?
極論すれば全世界の人間は元はアフリカ人だと言われているし、さらに天皇家が朝鮮民族
だとすれば日帝36年を正当化する理由になりうる危うさを備えていると思うが...
249248:2001/07/10(火) 01:03
まぁ、どっちにしても興味は有るけどね。
天皇家が朝鮮民族だろうが漢民族だろうが事実を調査して公開してほしいね。
それで天皇家の名誉が損なわれるとも思わないし、権威が失墜するとも思わないし..
250:2001/07/10(火) 01:04
>>248
稲作は違うだろう。あれは南方系だ。
韓半島には遅くまでなかった。
251名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/10(火) 01:05
考古学的にも当地の3世紀の遺跡には、倭系遺物の出土が多い。

好太王碑文に倭国が海を渡って、百済・新羅を臣民にしたとの記述が見られる時期に、
朝鮮の正史「三国史記」に、百済が皇太子を、新羅が王子を、倭国に人質に出した記事がある。
「日本書紀」も同様で、400年前後に倭国が朝鮮半島南部に勢力を広げたことで一致。
宋書には、5世紀後半に、倭国に新羅・任那などの軍事権を認めた叙任がある。
これらの文献資料は、全て調和的。

考古学的には、畿内発祥の埴輪を並べた前方後円墳が、古墳時代中期〜後期(5〜6世紀)
になると、朝鮮半島南部にいくつも見られるようになり、倭国の勢力拡大を裏付けている。
と言うわけで、全く問題ないのである。 」

300年以上も倭のぱしりをしていた連中が大和朝廷の始祖で
ある、などということはありえない。
252名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/10(火) 01:06
 天皇制には昭和とか平成とかいった「元号」があることは誰でも知っているが、「皇紀」が存在していることを知る人は多くない。今年(1997年)は皇紀2657年である。皇紀は紀元前660年から始まっているのであるが、これはちょうど北イスラエル王国が滅ぼされた直後の時期に当たっており、まだアッシリア帝国の治世下でイスラエル10支族が捕囚されている時期に相当している。よってこの時期、アッシリアに捕囚されていた北朝の残党たちが、新しい王朝を再結成したのではないかと推測する者もいる。

 また、天皇の公式名「スメラ・ミコト」は古代ヘブライ語アラム方言で「サマリアの大王」を意味し、初代神武天皇の正式名「カム・ヤマト・イワレ・ビコ・スメラ・ミコト」は「サマリアの大王・神のヘブライ民族の高尚な創設者」という意味になっているという。「サマリア」とは北イスラエル王国の首都である。

 更に、天皇の古称「ミカド(帝)」はヘブライ語に訳すと「ガド族出身の者」という意味に当たり、ガド族の始祖ガドの長男の名前は「ニェポン(ニッポン/英語ではジェッポン)」であったという。

 あと、「東方の日出づる国」は古代よりヘブライの民にとって「天国」を意味しているが、約束の大地カナンは「カヌ・ナー」の転聲としてヘブライ語で読むとき、「葦の原」を意味し、「東方の日出づる国」はヘブライ語で「ミズホラ」と呼ぶので、日本の古名「豊葦原(トヨアシハラ)ミズホの国」の意味が判明すると指摘する研究家もいる。
 更に、大和朝廷の「ヤマト」はヘブライ語アラム方言では、「ヤ・ウマト」と分解され「神の民」という意味になるという。
253ささがわ:2001/07/10(火) 01:07
〜結論〜
人類みな兄弟
254244:2001/07/10(火) 01:11
ほっちゃ駄目なの。
「天皇家が朝鮮民族だろうが漢民族だろうが」つうレベルなら確かに
問題少ないけど、古代中東との関わりが出るとまずい。
するとイスラエルの存在だのカオス世界に突入してしまう。

だから、海外からあんまし掘れほれ言われないでしょ。
まずいんだよ。きっと。
255>254:2001/07/10(火) 01:21
イスラエルいいですねー
ロマンですねー
なにが困るんでしょうねー
256248:2001/07/10(火) 01:24
>>250
いや、べつに稲作を天皇一族がもたらした証拠はないからね。
僕が言ってるのは極論だよ。日本列島にホモサピエンスが湧いて出たわけじゃないから
北方・半島・南方それぞれから辿り着いた民族があるいは戦いあるいは混血して出来
上がったのが「日本民族」でそれの成立時期がいつごろかは明確には言えない。
さらに、そんなあやふやな1500年以上前にどこから来ただの言うことをことさらに
強調するなら、>>253 じゃないが「人類はアフリカ起源のみな兄弟」の可能性が高い
と言うのとさほど変わらない。そこには、朝鮮・日本はおろか白人・黒人の区別すらない。
ってこと
257X:2001/07/10(火) 01:25
別に、天皇家の血に朝鮮系が入っていてもかまわない。
北方系もは入っているだろうし、南方系も入っているだろう。
それは、私たちも同じ。

昭和天皇は、とくとご承知だろう。
昭和天皇の書斎の胸像は、リンカーン、ナポレオン、そしてダ−ウィン。
258名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/10(火) 01:27
天皇制が終わるか、天皇家が滅びでもしない限り
ふつーに考えてもちょっと掘れないでしょう?
ひとんちの墓は。
259>254:2001/07/10(火) 01:27
それじゃあさ。天皇は朝鮮人という議論を国民で盛り上げればいい。
そうすれば日本の権力者は苦々しい思いをしながらも、
かといって掘るに掘れない。これは楽しいぞ。ザマーミロだ。
260248:2001/07/10(火) 01:27
失われたアークなんかが出てくるならそれはそれで萌えるけどね。
政治がどうなろうが知ったこっちゃない。
おもしろいじゃん。もし、まかり間違って、そんなことになったら。
261名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/10(火) 01:27
>>255

だからあ>>244 予測難しいよね。でも影響は大きいよ。
262名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/10(火) 01:28
>>252
ヘブライ語やってからいいな。
母音字がないこともしらねーんだろ。当時の発音を再現できれば論文かけるよ。
それから、サマリアではアラム語が普通話されていた。ナザレも近くなので、
キリストはアラム語を話したはず。(ただし、初期キリスト教文献や新約聖書はギリシャ語だよ。)
263薀蓄君登場:2001/07/10(火) 01:30
264>>258:2001/07/10(火) 01:31
だから、墓かどうかもわからないんだよ。
明治時代にかつてそう決めただけなの。
どれが誰と関係あるかだって不明。
きちんと調査できればこのスレのDQNの議論がなくなるな。
265名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/10(火) 01:32
言葉が似る事なんてざらにあるだろ?
カゴメ紋だって決して独創的なデザインじゃない。

それ以外に古代中東との関わりがあるのか?
例えば鉄器に特徴があるとか、
葬祭儀礼が似通ってるとか、
統治体制が同じとか、
そっちの方を論証するべきでは?
266名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/10(火) 01:32
こんなに日ユ同祖論のデムパ文読むと
なんかホントの事のような気がしてくる…
267>>263:2001/07/10(火) 01:33
わりーいか。
「ヘブライ語アラム方言」なんてうそには我慢ならないんだ。
なにしろ博識だから。
268244:2001/07/10(火) 01:33
>>266
友達になろうよ。
269244:2001/07/10(火) 01:35
>>267
日ユ同祖論のデムパ文をどう思いますか。
270????:2001/07/10(火) 01:36
>>264
いや、「墓」であることは文献・発掘調査(同型の土盛の発掘)などからほぼ間違いないだろう。
明治時代にそう決めたってのは、まぁそうなんだが「仁徳天皇陵」は学会でも疑義はそれほど
なかったと思うが...
271名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/10(火) 01:39
特に一桁代の存在すら疑問がもたれている天皇に陵墓が存在する(明治政府が公式に認定した)
ことには疑問が多い。というより、でっち上げだろうと言うのが相場だけどね。
272名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/10(火) 01:40
みんな「古墳の発掘」ぐらい読めよゴルァ!
273名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/10(火) 01:42
実はあれは俺の先祖の墓なんだ。どうにかして取り返したいんだが・・・
274名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/10(火) 01:43
>>271
朝鮮でも中東でもなんでもいいが、俺も「でっち上げだから」
がけっこうすんなりくるな。
275名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/10(火) 01:44
どっかの金持ち(誠三秀吉あたり)が実物大で作らないかな?
276名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/10(火) 02:03
>>54
それを待ってました。
誰か書くかを待ってました。
・・・・・33より
277名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/10(火) 02:47
>>262
知ったかぶりのDQN発見!
278名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/10(火) 02:48
>仁徳天皇陵はなぜ発掘調査しないのか?
昔したけど盗掘されまくりで何も残ってなかったんだと。
明治の初めまでは春にはお花見で中まで入れたと聞くが
結局天皇=神になっちゃったから今のように柵がされた。
279名無しさん:2001/07/10(火) 03:10
確か、台風か何かの時に、近所のガキが入ったのはどこの天皇陵だっけ?

仁徳天皇陵は目立つから、大学の馬鹿サークルの手によって
絶対探検ごっこされてると思う。
280日猶同祖論:2001/07/10(火) 03:21
日本の神社は「内宮」(聖なる場所)と「外宮」(至聖所)とに分かれており、ユダヤの神殿構造と似ている。

イスラエルの神殿入口には「菊の紋章」があり、「鳥居」に似た石の門がある。

京都太秦(うずまさ)の「大辟(おおさけ)神社」の「大辟」とは「ダビデ」の事であり、それを祀(まつ)った秦氏氏族(はた:羽田,波多など)はユダヤ人の末裔であると言う。

「千年の都」として有名な「平安京」(京都)は、風水によって都市設計がなされたが、更にユダヤ教の秘儀「カッバーラ」に伝わる「アダムカドモン」を模して作られたと言う。

伊勢神宮の参道沿いに並ぶ石灯籠には、現イスラエル国旗にも描かれている「ダビデの星」が刻まれている。又、伊勢神宮に奉安されている皇室の「三種の神器」の一つ、「八咫の神鏡」(やたのかがみ)にはヘブライ(ユダヤ)文字が刻まれており、これを公開しようとしたが為に、文部大臣・森有礼(もり-ありのり 1847-1889)は暗殺されたと言われている。更に、聖都イェルサレムのソロモン神殿から忽然と消え失せたと言う「聖櫃」(アーク:「モーゼの十戒」が刻まれた石版が納められており、想像を絶するパワーを秘めていると言われている)は、実は伊勢神宮奥深くに奉安されている共言われている。

お正月には欠かせない「門松」は、ユダヤ教の秘儀「カッバーラ」に登場する「生命の木」を具現化した物であり、祭事の際に担がれる「御神輿」(おみこし)は「聖櫃」を模した物で、「ワッショイ、ワッショイ」の掛け声はヘブライ語であると言う。
281名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/10(火) 03:21
●日本史上、最大最強の渡来人でありながら、今なお多くの謎に包まれている「秦氏」は、昔から多くの研究家によって「ヘブライ系渡来人」ではないかと指摘されている。

 秦氏は第15代応神天皇のとき、朝鮮半島から渡来してきたのだが、この時、10万もの人々が日本に帰化したと伝えられている。その一部は大和の葛城に、多くは山城に住んだのだが、雄略天皇(5世紀半ば)の時に、京都の太秦(ウズマサ)の地に定住するようになったという。

 秦家は非常に有力なファミリーで、794年の平安京は秦氏の力によって事実上作られ、仁徳天皇陵のような超巨大古墳建築にも秦氏の力があった。
 ちなみに、羽田元首相は遠い親戚に当たるという。

●平安京に遷都した桓武天皇は、古代ヘブライの燒祭(はんさい)の儀式を行なっていた。また、平安京のマークはあのダビデの紋章と言われ、現在の京都の市章はその平安京のマークを図案化したものだと指摘されている。
 ちなみに平安京をヘブライ語になおすと「エル・シャローム」、なすわちヘブライの聖地「エル・サレム」である。名称の酷似だけでなく、聖地エルサレムの「城塞」は12の門を持つなど、構造が平安京とよく似ていることが指摘されている。
282名無しさん:2001/07/10(火) 03:23
天皇陵、法的には入ってもかまわないと書いてあったサイトが有ったが、
ほんとなのか?

つーか、漏れの税金が、こんな出自の怪しい小山の警備員に使われているかと
思うと、イヤーソ
283名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/10(火) 03:25
ヤミクロが住んでるから近寄らないほうがよろしい。
284名無しさん:2001/07/10(火) 03:42
若気の至りで天皇陵に実際に入ってしまった人のレスも有った。
------
天皇稜って見張りの人っているのですか?
1 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/17(月) 09:47
天皇稜って見張りの人っているのですか?
仁徳天皇稜に探検に行こうかと思っているのですが。
http://mentai.2ch.net/history/kako/955/955932434.html
285名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/10(火) 03:57
55 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/05/31(水) 02:37

大和朝廷が、百済などの渡来系の人材を用いたことはたしかだが、
それは仏教や漢字を含め、文化を受け入れたことに過ぎない。
王朝が朝鮮からの征服王朝とする証拠はないだろ。(説としてはあるが、)
それと、ほとんどの日本人が渡来系との混血であり、そうして日本民族ができていることを無視して、
王朝だけを外来であるかのような議論はやめてもらいたいね。
286名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/10(火) 04:14
●幕末以来わが国にやって来た外国人(非ユダヤ人)たちの中にも、日本とユダヤとの深い類似を指摘する人物が多くいた。
 例えば、1823年に来日した有名なドイツ医師兼博物学者シーボルトもその一人である。彼は5年間日本に滞在したが、民族比較論の立場から日本民族のルーツをオリエントの地に求め、ユダヤ人と祖先を同じくする可能性があることを認めていたのである。
287名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/10(火) 04:14
●また、明治の初めに来日したスコットランド人貿易商のN・マックレオドは、1875年に横浜で『日本古代史の縮図』という本を刊行し、アジアの中でも日本人だけが他の民族と非常に異なる風習・文化を持っていると指摘していた。
 更にマックレオドは、日本の文化が朝鮮や中国とも異なっているのは、2500年前に古代オリエント地方から東方に追放され、その後歴史から消えてしまった古代イスラエル10支族が、遥か東方の国日本にやって来て住み着いたからではないかと主張していた。
288名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/10(火) 04:18
●ここ最近の情報の発達や日本企業の進出などで、イスラエル本国にいる人達にも日本に対する関心が高まりつつある。
 湾岸戦争以降、アメリカの対イスラエル戦略は急変した。そのため、アメリカに経済的に依存し続けることに困難を感じ始めたイスラエル国民は、アメリカの肩代わりを日本に期待し始めているのである。彼らは日本をモデルにした技術立国を目指し、日本に凄まじいまでの熱い視線を送り始めているのである。
●イスラエル政府の通産省高官は「イスラエルと日本がパートナーとなれば、きっと補充しあえる」と述べている。京セラ資本でエルサレム郊外に設立されたAVXイスラエル社の工場長は「今、イスラエルと日本は“約束された未来”に向けて、ようやく出発点に立ったのだと考えている」と述べている。

●イスラエル国民の日本への関心は、なにも経済面に限ったものでない。現在、イスラエル各地では日本ブームが起こっており、ヘブライ大学日本科は数倍もの競争率になって、超人気学科に変身したという。
 日本への親しみに大きな影響があったのは自動車で、ここ数年、日本車は売れに売れて、イスラエル共和国における日本車の占有率は50%を超えたという。

 イスラエルには兵役義務が2〜3年あるのだが、兵役義務終了後、長期間の海外旅行に出かける若者は多い。その中でも特に日本は人気があり、東京の路上でアクセサリーなどを売っている外国人の8割はこうしたイスラエルの兵役終了者だといわれている。
289名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/10(火) 04:19
●現在、イスラエルでは専門家たちが様々な方面から、10支族の資料を集め続けている。ユダヤ人の同胞愛は執念に近いものがある。たとえ一人であっても放っておくわけにはいかない。必ず救い出す。これが彼らの鉄則であり、長い流浪生活の中で身につけた人生的信条である。

●イスラエル在住のある日本人は次のように述べている。
「ユダヤ人と一緒に暮らしていると、多くのユダヤ人が10支族問題に関心を持っており、10支族がもうすぐ出現すると噂している。そして私が日本人であり、私自身も10支族問題を研究していることを知ると、ユダヤ人たちは、10支族はどうやら極東の地日本に行ったらしいと言う。」

●このように、日本人には、にわかに信じられない事柄だと思うが、現在、イスラエル共和国に住んでいるユダヤ人の多くは、失われたイスラエル10支族の本命に“日本人”を挙げ、日本に対して熱い眼差しを向けているのである。(もちろん、否定的な見解を持つユダヤ人もいる)
290名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/10(火) 04:20
●古代日本とイスラエル民族のつながりは、これまで神道やキリスト教の一部の関係者によって好んで取り上げられ、戦前は、ユダヤ人問題をめぐる「親ユダヤ主義者」と「反ユダヤ主義者」の激しい論争のテーマともなった。
 また、当時の論争は、日ユ同祖論者の間に日本とユダヤのいずれがヘブライの正系であるかをめぐって2つの流れを生み出し、今日なお決着のつかない天皇家の謎の出自と複雑に絡み合い、史学論争の表には表れない諸説が展開されることになった。

●で、最初に「日ユ同祖論」を唱えたのは、スコットランド出身のN・マックレオドだった。彼は1875年に横浜で『日本古代史の縮図』という本を刊行し、日本人とユダヤ人がともにヘブライ民族の子孫であり、日本の天皇家は今から2700年前に滅び去った「北イスラエル・南ユダ連合王国の正統な王位継承者」であるとの見解を発表したのである。

 この先駆的な「日ユ同祖論」は1901年度版の『ユダヤ大百科事典』(ニューヨーク)に取り上げられ、それまで2000年間みずからの祖国を持たなかった世界各地のユダヤ人に大きな感銘を与えたと伝えられている。
 また、その後に発行された『ユニバーサル・ユダヤ百科事典』には、マックレオド氏の『日本古代史の縮図』からの引用文が掲載され続けているとのこと。

 ちなみに、現在でも刊行されている『ユダヤ大百科事典』の「失われたイスラエル10支族」に関する項目は、全て日本人とユダヤ人との関係についての記述で満たされているそうだ。
291名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/10(火) 04:21
●私は、それらの記述の内容がどのくらい正確なものであり、学術的に耐えられるものなのかどうかは知らないが、彼らの10支族探索は単なるロマンではなく、具体的な作業に入っており、多くの学者たちも一般の人達も興味を持って進めていることだけは確かである。
 特に、彼らは専属の10支族調査機関を設立し、各国において厳密な民族調査を実施し、風俗習慣や言語、性格などの細かい点にまで、関心を払って失われた10支族の謎を解き明かそうとしている。

●1993年9月号の『エルサレム・ポストマガジン』では、失われた10支族帰還問題が特集されたが、特集の中で紹介された「10支族調査機関アミシャーブ」のラビ・アビハイル氏は、誌上では明言を避けたものの、彼の本命は日本人であるという。

 また最近、イスラエルで発行された観光ポスターの中に「COME AND DIG ISRAEL」というタイトルと一緒に、なぜか天皇家の紋章に酷似している「15弁の菊の紋章」がはっきりと刻み込まれた「古代エルサレムの遺物」が掲載されていた。16弁と15弁という違いがあっても、ポスター全体が、日本に対する呼びかけのように感じ取れるが、意図的な構成なのだろうか・・・?

●また注目すべきことに、現在、ヘブライ大学における有名な教授であるシロニー博士と、イスラエル政府教育省の大学責任者シャハン博士は、雑誌『歴史eye』の取材に対して「日本人以外、10支族は決して考えられません」と答えている。

●このように、日本ではまだ知名度の高くない「日ユ同祖論」は、日本よりも海外の方で盛んに研究されていると言えよう。
292名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/10(火) 09:02
仁徳天皇陵は誰の墓なんでしょうか。
293名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/10(火) 09:34
>>12
それって証明されていない。

調査のサンプル数が少なすぎると統計上の誤りが指摘されて、
論文を発表した研究者が間違いを認めたから。
294名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/10(火) 09:35
天皇家って継体天皇で一回、途切れていなかったか?
確か先代と繋がっていないと教わったような記憶があるけど。
295 :2001/07/10(火) 09:43

 ニンニン仁徳天皇陵ォ〜♪
 ココ掘れワンワン宮内庁ォ〜♪
 千代田区千代田ァ〜1番地ィ〜♪
 起源はそこのォ〜クヮンコックゥ〜♪
296ヒロヒト(安定期)c82112.tctv.ne.jp:2001/07/10(火) 09:46
あげておこう
297名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/10(火) 09:46
>>295
 それは「どんぐりころころ」の曲に乗せて歌えということか?
298ヒロヒト(安定期)c82112.tctv.ne.jp:2001/07/10(火) 09:49
あげておこう
299ヒロヒト(安定期)c82112.tctv.ne.jp:2001/07/10(火) 09:50
300ヒロヒト(安定期)c82112.tctv.ne.jp:2001/07/10(火) 09:50
300
301>291:2001/07/10(火) 09:50
観光で誰でも行くところだよ。
エルサレムの城壁の博物館の上に花びらの紋章があるけど、
それがどうしたの?
古墳時代に菊の紋章でも出てきたかな?
1000年も後進国だったことくらい認めろ。
302ヒロヒト(安定期)c82112.tctv.ne.jp:2001/07/10(火) 09:51
聖地エルサレム
303名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/10(火) 10:59
菊って日本には無かった花だから、天皇家の家紋に使われるようになったのは
そんな昔じゃないと思うんだけど・・・

菊を意味する「やまとことば」が存在しないと言うのは、「菊」の字に「キク」という
音読みはあっても、訓読みが存在しないことで証明されます。
「菊」という漢字が大陸から伝わった際に、「菊」を意味する「やまとこどば」があれば、
それが訓読みになりますから。
304名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/10(火) 11:18
>>294
継体天皇は応神天皇の5世孫です。系図も残っています。
確かに学者の中には血統(男系)が途切れていたという見方もありますが、
応神朝の皇女を皇后に迎えてその子の欽明天皇が後を継いでいるので、
少なくとも女系では繋がっています。
305名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/10(火) 11:20
>>菊って日本には無かった花だから、

ますますユダヤとの関係が・・・。
306名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/10(火) 12:11
我々のルーツは朝鮮にあった
307名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/10(火) 12:21
人類の元々の祖先はアフリカらしいけどね。
308名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/10(火) 12:47
>>307
その説は正しくないって。

詳しくは >>293
309名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/10(火) 12:48
7世紀後半に遣唐使が持ち帰ったそうです >菊
310名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/10(火) 12:54
>>297
別に445調の歌なら何でも良いよ。
水戸黄門の歌でも歌えるし(藁
311名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/10(火) 12:59
1922年にアインシュタインは来日し、日本に対して次のような讃美のメッセージを残した。

「近代日本の発展ほど世界を驚かしたものはない。その驚異的発展には他の国と違った何者かがなくてはならない。果たせるかな、この国の歴史がそれである。この長い歴史を通じて、一系の天皇を戴いてきた、という比類ない国体を有することが、それこそ今日の日本をあらしめたのである。私はいつもこの広い世界のどこかに、一カ所くらいはこのようように尊い国がなくてはならないと考えていた。なぜならば世界は進むだけ進んで、その間、幾度も戦争を繰り返したが、最後には、闘争に疲れる時が来るであろう。この時人類は、必ず真の平和を求めて、世界の盟主を挙げねばならぬ時が来るに違いない。
その盟主こそは、武力や金の力ではなく、あらゆる国の歴史を超越した、世界で最も古く、かつ尊い家柄でなくてはならない。世界の文化は、アジアに始まって、アジアに帰る。それはアジアの高峰、日本に立ち戻らねばならない。我々は神に感謝する。神が我々人類に日本という国をつくっておいてくれたことを」。と

http://kamakura.cool.ne.jp/iwaoiwao/einstein.htm
http://www.toyama-shinsei.net/htmlfile/donna.html
312名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/10(火) 12:59
2000年近くの間自分達の唯一の神を信じて民族のアイデンティティを失わなかった民族が
日本であっさり多神教に鞍替えしたとは思えないなぁ
313>>312:2001/07/10(火) 13:04
北のエフライム族(天皇家)と南のユダ族は、多くのちがいがあります。

1)紀年法のちがい
年代の数え方には2とおりあります。
「当年称元法(アンチデートシステム)」というのは
王の即位した年から元年として数えるやり方で、エジプト式ともいいます。
「輸年称元法(ポストデートシステム)」というのは
王が即位した翌年を元年として数えるもので、
バビロニアやアッシリアのものなのでメソポタミア式ともいいます。
シナでは両方が混在していましたが、やがてメソポタミア式に統一されました。
日本では古事記がエジプト式で、日本書紀はシナにならった体裁なのでメソポタミア式です。
イスラエルでは南北ともに変更は多かったのですが、おおざっぱにいうと、
北王国ではエジプト式、南王国ではメソポタミア式でした。

2)暦制のちがい
北王国の暦は新暦または宗教暦といい春から1年が始まりました。
ところが南王国では旧暦または政治暦といい秋から1年が始まるもので、
ちょうど半年ズレていたのです。

紀年法と暦制は時間の根本、年代の基準であり、これを共有していないということは、
両国はもともと歴史を共有しようという意志がなかったと考えざるを得ない。
なぜここまで他人行儀なのだろうか。

3)風土のちがい
北王国の地は、「乳と蜜の流れる地」といわれたガリラヤをふくみ、
気候も温暖で、農業も発達していました。
これに対し南王国は砂漠がちな土地柄で産業も牧畜が主だったようです。
これに影響されて国民性もかなりちがっていたでしょう。

だから宗教もちがっていました。

4)宗教のちがい
北王国の「エロヒム」は多神教における神々の王という存在であり、
シナの「天」のような抽象的で倫理的な神ですが、
南王国の「ヤハウェ」は具体的な感情をもった擬人的な神で、
もとはアラビア北西部の地方神にすぎなかったものが
ケニ人(=ミデアン人)を通じてもたらされたもの、といわれています。
314>>312:2001/07/10(火) 13:05
4)宗教のちがい
北王国の「エロヒム」は多神教における神々の王という存在であり、
シナの「天」のような抽象的で倫理的な神ですが、
南王国の「ヤハウェ」は具体的な感情をもった擬人的な神で、
もとはアラビア北西部の地方神にすぎなかったものが
ケニ人(=ミデアン人)を通じてもたらされたもの、といわれています。
315>>312:2001/07/10(火) 13:06
現在のユダヤ教というのははるか後世にできたもので、
古代のヘブライ人の宗教とは全然ちがうわけ。
古代のヘブライ人の宗教というのは、ありふれた多神教なわけで、
いわば日本の神道に近かったりする。
316名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/10(火) 13:10
http://www.meijijingu.or.jp/intro/qa/16.htm

菊の紋を皇室で最初に使用したのは後鳥羽上皇
317名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/10(火) 13:16

 ヤハウェは、10部族がアッスリヤの補囚から解放された時点において、彼らの足をサマリヤとは
別の方向へ向かわせた。日猶同祖論が面白いのは、この大仮説が孕んでいる展望が底知れぬ程
巨大であるということなのである。一番強烈な推考は、まさに奥深い森に居る日本の八百万の神々
と、大陸性砂漠気候の中にある唯一神ヤハウェがどのような関係にあるのかということである。また、
日本人とユダヤ人が共通の先祖ヤコブを持つ兄弟民族であるのかどうか。そしてこの両者が兄弟
だとしたら、未来はどのような展開をたどるのかを考えることである。こういう大きな眼目に付随して
まさに様々な比較や推考が生まれ、それを考えることは大きな興奮を呼び覚ます。

 アッスリヤにいるうちから、極東の日本列島に10部族の心が馳せ飛んでいたのかどうかは全く分
からない。あるいは補囚が解かれたときは、特に当てがあって彷徨の轍に進んだ訳ではなかったか
も知れない。その部分は旧約聖書にはないからである。ただ一つ、出立時の彼らの心情をわずかに
捕捉しうる文献が聖書儀典にある。それは、エズラ第二書13章41〜42節にある。

 『されど、彼らおのれらのみにて互いに計り、民らの群を離れ、
  いまだ人の住みしことなき更に遠き国へ行き、そこにて、おの
  れらの国において守らざれし律法(おきて)を守らんとせり。』

 ここには10部族のみにてかなり深刻に相談し合った様子が伺われる。しかも興味深いこ
とに彼らは、サマリヤに残留する兄弟10部族が異邦の種族と雑婚し、宗教的アイデンティ
テイも人種的な特徴も完全に失って「新サマリヤ人」になっていることを知っていて、心底
神の罰というものを恐れたのかも知れない。そこで、彼らは相談し合い、新天地で思う存分
律法に従って生きる方図を考えたのである。ただこのエズラ書で気にかかることは、「いま
だ人の住みしことなき〜国へ行き、・・」という箇所である。
318名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/10(火) 13:28
電波っていいね(w
319苦内庁:2001/07/10(火) 13:28
人骨数千体出てきたら問題になるからな。
320名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/10(火) 13:56
>>319
中国に負けない高い文化があったと胸はれるよ。
321名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/10(火) 15:14
日ユ同祖論は、なぜか日本人よりもユダヤ人ラビのほうがマジになってるね。
本当に信じてるラビが結構いるみたい。
322名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/10(火) 15:23
湯田やも、チョソ?
323名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/10(火) 15:27
ユダヤに聞いてくれ。
324名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/10(火) 18:58
仁徳陵掘ったらなにが出るんだろう?
325名無しさん:2001/07/10(火) 19:29
近所のオババが、つくし取りに侵入するらしいが。
326名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/10(火) 22:28
>317
 ところで、あすかあきおさん、第三次世界大戦はいつになったら来るんですか?
327名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/10(火) 23:13
>>325
まじですか、天皇陵に潜り込むのはそれほど危険なわけでもないの?
つーか、どうやって堀を越えるの?
328名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/10(火) 23:32
日ユ同祖論。
カンコクが知ったら、また激しく嫉妬されそう・・・
329名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/10(火) 23:39
>>327
>どうやって堀を越えるの?
泳ぐ。
330名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/10(火) 23:40
dデモ理論なんて嬉しくない。
韓国にくれてやるから韓猶同祖論ぶちあげてください
331名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/10(火) 23:43
ささと仁徳陵を掘り起して、天皇が純日本人でなくてチャンやチョン出身
である事を暴け。
332名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/10(火) 23:44
>>331
ハァ?
333名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/10(火) 23:49
>>330
ユダヤ人のほうから断られます。
ユダヤ人がニチユ同祖論に前向きなのです。
世界で一番古い皇室がユダヤ人の王であって欲しいという、
国を失って何千年も流浪してきた民の切実な願望なのです。
334名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/11(水) 00:01
オリンピックの聖火は途中で何度も消えている。つー話を思い出した。
335名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/11(水) 00:03
>>334
いいじゃん、別に。信じてる奴らが居るんだから。
336名無しさん:2001/07/11(水) 00:07
人を殺してしまった人、お墓がなくて困ってる人。
仁徳天皇陵に埋めましょう。
比較的安全です。ばれることはないでしょう。
337名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/11(水) 00:15
遺跡発掘は後世の技術で見ると遺跡破壊である。
だが、歴史学者、考古学者は己の功名心に打ち勝てず
機会が与えられるとどんどん遺跡「破壊」をしてしまう。
周恩来は「後世の智恵に待つ」といって遺跡を埋め戻した。
天皇陵と指定されることで
この100年余り貴重な遺跡が保存され、
後世に考古学的な資源を残すことができている。
338牧原:2001/07/11(水) 00:17
age
339名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/11(水) 00:20
発掘調査の主体となる歴史学者が万が一ここで言われているような朝鮮起源や漢民族末裔説あるいは日ユ同祖論の証拠が出てくると一番困るから掘り起こさないんです
340名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/11(水) 00:22
>>337
そして天皇制が滅んだあと発掘されるわけか。なんとか生きてるうちに
掘れそう。
341名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/11(水) 00:22
>>337
そんなこと言ったら、いつまでたっても発掘できないじゃん。
342ブサヨクだけど:2001/07/11(水) 00:23
>336
ナイスアイディア
343科学者:2001/07/11(水) 00:26
ナノテクノロジーが進歩したら墳墓を破壊せずに
内部の探査と埋蔵物の分析が出来るぞ。
あとは宮内庁の許可だけだ。
344名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/11(水) 00:47
>>343
ナノテクでやるんならこっそりとできるから許可さえ必要ないのでは(藁
345名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/11(水) 00:48
NASAからマーズローバーの試作機を借りてくる
346名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/11(水) 00:49
伝仁徳天皇陵は日本のヘソだから、ほったら大変なことになるんです。
347名無しさん:2001/07/11(水) 00:51
ソウルに住んでた時、景徳宮のとなりにあった、国立民族博物館で展示物を
見ていて思った事。
「剣」「勾玉」「鏡」
この3つを特別なものとして扱うのは古代朝鮮文化だったんだ。(中国文化じゃない)
どちらにしても、古代朝鮮系王朝と血縁関係はあったはず。

縄文人は犬を食わないが、弥生、大規模古墳時代になって犬を食う王家があるのは
何故?
ボートピープルのように日本に入ってきたのか、侵略者として
日本に入ってきたのかは知らない。
朝鮮には遺跡が少ない。なぜなら、権力の交代とともに破壊が激しいから。
天安門事件の時、中国人の友達に言われた事。
「大陸ではこういうことを何百回となくやってきたのだ、その度に
人材が海外に逃げたのだと思う。」
日本に来た方が本家より栄えるということは
可能性として否定できない。

実際に百済が滅んだ時も大虐殺だったという記録がある。
王家の後宮の女達が崖から追い落とされたとか・・・。
百済の王子の誰か(名前忘れた)は、逃げ延びて日本に帰化してる。
親戚のおじさんに引き取られるような、天皇家との関係だなと思った事がある。
348名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/11(水) 00:57
>>347 天皇家が古代朝鮮王族の血を引くのは常識(藁
だから、大日本帝国が朝鮮を支配したことは正当だったってことだ。
349名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/11(水) 01:02
>>347
なぜ日本の文明がお隣にいったって可能性を考えないのかね。
それを考えるとプライドに引っかかりますか?
早く自国の言葉を覚えて街宣帰国なされたほうがよろしいかと。
とっととね。
350名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/11(水) 01:03
351名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/11(水) 01:03
352名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/11(水) 01:03
>>349
電波
353名無しさん:2001/07/11(水) 01:07
>>348
ソウルに住んでたのは10年以上前だから、彼らのイルボン嫌い
には、迷惑したの。(藁
支配なんかしなけりゃいいの。
上か下かそういうことばっかり考えてると、友達できないよ。
354名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/11(水) 01:13
残念ながら、現在の地球では歴史は言った者勝ち、折れた方が負け
355名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/11(水) 01:14
とにかく掘ってみれば分かることだね。
誰か堀に逝ってきて。
結果をこのスレで待ってます。
356中百舌鳥在住:2001/07/11(水) 01:27
”堀”にはよく行きますが”掘”ったことはありません
357名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/11(水) 01:43
348は何でもウリナラ起源にするチョン
358名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/11(水) 01:45
朝鮮説など何の根拠もない。
359 :2001/07/11(水) 02:36
360名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/11(水) 12:08
>>358
じゃあわれわれ日本人はどこから来たの?
列島で独自に進化したとでもいうのか(藁

俺にとっては日本人の起源など興味はないが
朝鮮人が我々の王だということを認めたがらない馬鹿には辟易するのでね。
361藤村:2001/07/11(水) 12:10
私にまかせなさい
362名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/11(水) 12:10
カンブリア爆発は日本列島近海で起こりました。
人類の祖先が生まれたのも日本列島です。
363名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/11(水) 12:15
隠匿天王領
364>360:2001/07/11(水) 12:17
百済と新羅を建国したのは海を渡って半島に逝った倭人です。
朝鮮の正史三国史記にちゃんとそう書いてあります。
365古代朝鮮を支配していた日本:2001/07/11(水) 12:19
「魏志倭人伝には、狗邪韓国(加羅)を倭国の北限とする記事
があり、 考古学的にも当地の3世紀の遺跡には、倭系遺物の出土
が多い。

好太王碑文に倭国が海を渡って、百済・新羅を臣民にしたとの
記述が見られる時期に、 朝鮮の正史「三国史記」に、百済が
皇太子を、新羅が王子を、倭国に人質に出した記事がある。
「日本書紀」も同様で、400年前後に倭国が朝鮮半島南部に勢力
を広げたことで一致。 宋書には、5世紀後半に、倭国に新羅・
任那などの軍事権を認めた叙任がある。
これらの文献資料は、全て調和的。

考古学的には、畿内発祥の埴輪を並べた前方後円墳が、
古墳時代中期〜後期(5〜6世紀) になると、朝鮮半島南部
にいくつも見られるようになり、倭国の勢力拡大を裏付けている。
と言うわけで、全く問題ないのである。」
366名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/11(水) 12:21
今の日本をみてもわかるだろ
それでいいじゃないか、ぜひあけよう。
367名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/11(水) 12:21
誰ぞ、>>365をハングルに訳して、チョンの掲示板に貼ってやれ。
感謝と名誉を与えるぞ。
368名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/11(水) 12:23
だから公開すれば。天ちゃんもよろこぶぜ
369名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/11(水) 12:35
>>365
このコピペにはあきた、ところかまわず貼り付けるなよ。すこしは自分のあたまで
考えろ。
370>369:2001/07/11(水) 12:40
ヒスイ製勾玉が、新羅・百済・任那の旧領で大量に出土(高句麗の旧領では稀)し、
戦前の日本の考古学者は、倭国の勢力範囲を示すモノと素直に解釈していましたが、
これも朝鮮→日本としたがり、それに迎合した厨房なサヨク似非学者もいました。
朝鮮半島には、ヒスイの原産地がなく、古代においては東アジア全体でも、日本の
糸魚川周辺にしか、ヒスイ工房は見つからず、化学組成も調和的で、ぐうの音も出ず。

こう言った科学的研究や、考古学の編年研究の進歩で、徐々に韓国学者のニュアンスは
変わってきたようです。だから、今回のような研究発表となったのでしょう。
でも、電波な韓国の歴史教科書で習っている一般民衆は厨房のままだろうけど。
371名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/11(水) 12:44
>347

>ソウルに住んでた時、景徳宮のとなりにあった、国立民族博物館で展示物を
>見ていて思った事。
>「剣」「勾玉」「鏡」
>この3つを特別なものとして扱うのは古代朝鮮文化だったんだ。(中国文化じゃない)
>どちらにしても、古代朝鮮系王朝と血縁関係はあったはず。

逆に古代朝鮮文化が日本の影響を受けていたっていう可能性もあり?
372名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/11(水) 12:49
>>369
>好太王碑文に倭国が海を渡って、百済・新羅を臣民にしたとの
>記述が見られる時期に、
広開土王碑文の読解のみから、「新羅を助けて」を導き出すのには異論
もあり得よう。
 という意見もあるがどうか。
373372:2001/07/11(水) 12:51
>>369ではなく
>>365
374名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/11(水) 12:57
新羅は明らかに倭の敵で、倭の攻撃を受けて倭の軍門に下った
ことが好太王碑文に刻まれています。以下こぴぺ

その後「九年己亥百殘違誓與倭和 通王巡下平穰而新羅遣使白
王云倭人滿其國境潰破城池以奴客爲」百済が約束を破り倭と通
じたので広開土王は平壌まで軍を進めると新羅が使いをよこし
新羅王の文には倭人が国境に満ち溢れ新羅の城や溜池を破壊し倭の
奴とされたと書かれてあったとあります。
さらに「十年庚子教遣歩騎五萬住救新羅從男居城至新羅城倭滿
其中」広開土王は5万の軍を率いて新羅にいってみると新羅城
のなかに倭が満ちていた、つまり占領されていたと刻まれてい
るのです。
375名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/11(水) 13:44
加羅は兄弟
百済は伯父さん(スッゲー尊敬してる呼び方)
新羅は宿敵(シラギと読むと軽蔑したニュアンス)
高句麗はいまの朝鮮人の祖先(混血が進んでるから文化的な側面でって事だけど)
一口に朝鮮といっても元は多民族ですよね。日本と同じように。
加羅か百済の王家が天皇の祖先(逆かもしれないが・・・)でしょう。
天皇家のルーツは朝鮮半島だとおもうが、高句麗人や新羅人ではない。
高句麗が半島を統一したのだから、天皇家と同じ文化や言語をもった
民族は支配される側となり、混血が進んでやがて文化的に消滅した。
こんな風に今は考えているがどうだろう?
376 :2001/07/11(水) 13:54
人間の祖先は「サル」か?
否。サルと人間の祖先が同じなのであって人間がサルから進化してきたわけではない。
同様に、現在の朝鮮民族と現在の日本民族の祖先を辿れば同じ源民族がかなりの割り合いで
関わってきた可能性は非常に高いだろう。しかし、それは日本人の祖先天皇家の祖先が
朝鮮民族であったわけではない。

現在の朝鮮民族が成立するのはずっと後代であるので、仮に皇室の祖先が朝鮮半島を「経由して」
日本列島に辿り着いたのだとしても皇室が朝鮮民族(これは多分に現朝鮮民族と言うニュアンスを
含む)であると言うのは、「人間の祖先はチンパンジーである」というよりも違和感がある。
377神武天皇:2001/07/11(水) 16:19
誰か掘って!!
朕のケツ
378名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/11(水) 16:22
 最近では、縄文人たちが自然共生型の高度な生活文化や洗練された信仰体系を持っていたこと、また縄文末期には一部の地方で初期の稲作農耕が行われていたことなどが分かってきている。
 そして、一方では6千年前頃から始まった気候の寒冷化によって森林の食糧生産力が低下したために縄文人の人口は減少傾向に入り、やがて突如として列島に蔓延したウィルス性の疾患(ATLウィルス)によってその人口が一気に激減したことも知られるようになってきた。そこから推測されることは、自然と共生しながら豊かな文化や信仰を育んできた縄文人たちの生活が、自然の猛威に脅かされて存亡の危機に瀕していた時に、より安定的に食糧を供給できる稲作農耕の高度な技術を携えた渡来人たちが彼ら席巻していったのではないかということである。
 ただし、縄文人が有していた文化水準の高さから考えると、渡来人は自分たちが持ってきたものを一方的に縄文人に押しつけるだけでは縄文人をうまく支配することはできなかったのではなかろうか。ことに宗教的なことに関して言えば、渡来人は縄文人がもともと持っていたものを尊重し、それを制度的に再組織化することによって洗練させ、自らもそれに帰依していった可能性が高いように思われる。
 そうした宗教的な帰依の対象を天皇に集約するにあたって、渡来人たちは縄文人たちの自然信仰と天皇信仰を巧みに同化させていった筈で、それはイスラム・マタラム王国がスノパティとニャイ・ロロ・キドゥルを結びつけた時よりも、はるかに徹底したやり方がとられたと思うのだ。
 これに関してより大胆な仮説を立てているのは栗本慎一郎氏で、同氏は田原総一郎氏との対談『闘論・二千年の埋葬』において、天皇制は古代における縄文勢力と弥生勢力の妥協の産物であり、弥生人たちは縄文の首長をそのまま天皇として奉り、統治システムは弥生人が持ち込んだものを採用した可能性があると語っている。
 そして、それ故に天皇は弥生の中心に居座りながらも、常に日本文化の基層部を担う縄文とも直結しうる両義的な存在になったというのだ。栗本氏はこの説を敷衍して、日本人の政治的な意思決定の曖昧さは、縄文と弥生の妥協の産物として天皇が生み出されたことに由来するとも語っているが、これもまた興味深い仮説である。
379名無しさん:2001/07/11(水) 21:55
>>375
そうだろうと思う。
380名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/11(水) 21:57
>>1
仁徳天皇陵は捏造遺跡だからですね。
381名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/11(水) 22:12
>加羅か百済の王家が天皇の祖先(逆かもしれないが・・・)でしょう。
>天皇家のルーツは朝鮮半島だとおもうが
これを裏付ける史跡も史料も全くないが、これをしつこく主張する
韓国人は多いね。逆に倭人が百済や新羅の王になったことは朝鮮人
によって書かれた三国史記にしるされているのにそれを認める
韓国人は全然いないね。
382名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/11(水) 22:15
天皇は朝鮮系と言ってるやつは間違いなくチョン。
383名無しさん:2001/07/11(水) 22:38
天皇はアキバ系。
384名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/11(水) 23:34
>>382
まさにそのとおり。
天皇もチョン
支持者もチョン
まとめて半島へ帰れ!
385うよはかんこっくよ?:2001/07/11(水) 23:35
10年くらい前イギリスのBBCが日本の右翼を取材した事がある。もちろん本国向
けの放送だが、それをNHK衛星が放送したのを見たんだが、最後にBBCの女性
リポーターのコメントがあった。内容は大体以下のとうりだが、的確だよ。
「右翼の主張は天皇制復活、日本民族の国粋主観等だが、実際の構成員が国粋主義者
とは相容れない筈の韓国、朝鮮人、また天皇制と言う身分階級の下では最下層に位置
され最も身分制度の被害者であったはずの被差別出身者で90%を占めている。
はっきり言ってこの取材で、彼らの真の目的を知ることは出来なかった。」とさ。
386名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/11(水) 23:39
ところで、なんで、
百済をクダラと読んで、
新羅をシラギって読むの?
百済はヒャクサイ、
新羅はシンラと読むべきでしょ?朝鮮読みでもシムラだと思うのだが。
シラギって読むのはなぜか、仁徳稜ほったらわかるかな。
387名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/11(水) 23:40
実際なんでなの??385
388名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/11(水) 23:44
>>385
同じコピペをあちこちでしてんなよ。
389名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/11(水) 23:45
385は彼の脳内での話なので気にしないように。
390くそう!:2001/07/11(水) 23:47
2ちゃん以外でもこぴぺしよっと!
391くそう!:2001/07/11(水) 23:49
>387
右翼団体の実態はやくざだよ。やくざは金になるが政治団体
を装えばなお活動しやすくなると。
392 :2001/07/11(水) 23:49
百済からの亡命者が祖国をクン・ナラ(偉大な国)と呼んだことからそのまま百済(クダラ)と読むようになった
と言う説が有る。
また、新羅はシルラとよむのが原語に近いが亡命百済人がシラギ(Japanese に対する Jap)
と呼んだことから日本語ではシラギと読むようになったと言われている。


らしい。
393名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/11(水) 23:57
日本書記には敏達天皇は百済大井の宮で即位とある。
どこなのだろうか?
394>393:2001/07/11(水) 23:59
日本書紀の「任那日本府」はでたらめ呼ばわりするくせに
自分に都合の良い部分は平気で引用するかんこっく(w
395名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/12(木) 00:00
天皇陵よりパンチョのカツラを外したい。
396名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/12(木) 00:01
>>391
だから右翼とは呼べない。
それらはエセ右翼。
同和団体でも同様のことはある。
397名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/12(木) 00:03
明治五年に堺県令の税所篤が清掃とは表向きの計画的盗掘を行い、
出土品の鏡と剣の断片はなぜかボストン美術館へ。

でも前方部なんだよね、この話。
複数の埋葬施設があるってこと???
そういう型式って他にあったっけ???
398名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/12(木) 00:38
仁徳陵や他の天皇陵を発掘して、天皇がチャンやチョンと確定したらウヨはその
史実と自ら掲げる錦の旗との矛盾との間で、苦しみノタウチ回って死ぬところを
是非見てみたい。
399名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/12(木) 00:40
>>398
んなことはありえない。
それと日本人の血の65%は2000年前からの渡来人の血。
天皇家にも渡来系の血が入っててもなんともならない。
400名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/12(木) 00:44
仁徳陵はサヨやウヨ、或はチャンやチョンにとってパンドラの箱だな。
開けてビックリ玉手箱で大騒動。
401>400:2001/07/12(木) 01:04
仁徳陵ひっくり返して天皇が朝鮮系である証拠が出てくる可能性は
ほぼありませんねー。なにしろそのころには朝鮮は倭の軍門に
下ってましたから。馬韓国人を黙らせるために発掘するのなら
賛成。
402名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/12(木) 01:19
ありえないんだってさw
掘ったこともないくせに自信満々のご様子だな
そもそも仏教は百済から伝わったのにねw
朝鮮マンセー(藁
天皇支持者は朝鮮人のケツでもなめてろ
403>402:2001/07/12(木) 01:24
高麗大の教授が朝鮮の王墓ほったら日本製の銅鐸が出てきて
あわててそれを倉庫にしまったそうだよ。
404名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/12(木) 01:43
402はチョンだろ。
405名無しさん:2001/07/12(木) 02:33
日韓仲良く、研究すればいいのに。
ばっかみたい!
406名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/12(木) 03:28
天皇家が朝鮮系だと何の不都合があるわけ?
今時そんなことで劣等感抱くヤツの気が知れない
どーでもいーじゃん
407名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/12(木) 03:29
>>406
そうあって欲しいチョンとサヨがいるだけ。
408ろもあん:2001/07/12(木) 03:33

朝鮮云々って言うより、
自分の血筋を天皇家にと考えた者も多いはず。
産婆を利用して、生まれた赤ん坊をすり替えた可能性はなきにしもあらず。

遺伝子検査で今の天皇が、
本来の天皇家の血を受けてないことが発覚するかも知れないから。
409名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/12(木) 03:38
>>408
そうあって欲しいチョンとサヨがいるだけ。
410名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/12(木) 03:38
1922年にアインシュタインは来日し、日本に対して次のような讃美のメッセージを残した。

「近代日本の発展ほど世界を驚かしたものはない。その驚異的発展には他の国と違った何者かがなくてはならない。果たせるかな、この国の歴史がそれである。この長い歴史を通じて、一系の天皇を戴いてきた、という比類ない国体を有することが、それこそ今日の日本をあらしめたのである。私はいつもこの広い世界のどこかに、一カ所くらいはこのようように尊い国がなくてはならないと考えていた。なぜならば世界は進むだけ進んで、その間、幾度も戦争を繰り返したが、最後には、闘争に疲れる時が来るであろう。この時人類は、必ず真の平和を求めて、世界の盟主を挙げねばならぬ時が来るに違いない。
その盟主こそは、武力や金の力ではなく、あらゆる国の歴史を超越した、世界で最も古く、かつ尊い家柄でなくてはならない。世界の文化は、アジアに始まって、アジアに帰る。それはアジアの高峰、日本に立ち戻らねばならない。我々は神に感謝する。神が我々人類に日本という国をつくっておいてくれたことを」。と

http://kamakura.cool.ne.jp/iwaoiwao/einstein.htm
http://www.toyama-shinsei.net/htmlfile/donna.html
411名無しさん@お腹いっぱい:2001/07/12(木) 04:21
日ユ同祖論だっけ、洗脳されちゃいました。
412名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/12(木) 07:59
↑おれも、コワイ。
マジで、ユダヤ人が天皇慕って日本にいっぱい来たら大変。
優秀な人材がくる→リストラ
コワイ人が来る→治安が危ない
右翼増える→俺が死ぬ
413名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/12(木) 08:08
日本ユダヤってむりありすぎちゃう?
414名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/12(木) 08:32
>>404
こいつにはチョンの血が流れている
415名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/12(木) 08:42
>>409
だれかが子供を取り替えていようがいまいが、すでに血筋は
途中で途切れています。
416:2001/07/12(木) 08:43
オマエモナー。
流れてない日本人なんて、アイヌだけだよ。
417名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/12(木) 08:43
ゴルゴって結局何人なんだろうな。
418名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/12(木) 08:48
>>417
ゴルゴ13というくらいだから、最低でも1〜12は居るんだろう。
419名無しさん(中古):2001/07/12(木) 09:24
戦前の新聞読んでたら「西日本」に台湾も朝鮮も入ってた。
あ・・そうかと思った。

「大山古墳」の時代は少なくとも、高句麗のけて
加羅くらいまでは、自国感覚だったと思う。
百済とは強い同盟関係。新羅とは安全保障条約ぐらいは
あったんじゃないか?
「倭」は高句麗に対して、今の在韓米軍くらいの実力は
あったと思うよ。

チョンだチョンだ言ってる人、まじめに大東亜共栄圏考えていた
戦前の日本人以下。
420名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/12(木) 10:50
日本とシュメールは同祖だった。
http://www2.justnet.ne.jp/~yoshiro/no_frame/history/honbun/kojiki.html
古代日本とシュメールの国名は同じ?
古代日本 葦原之中津国(アシハラノナカツクニ)
シュメール Ki-En-Gi-Ra(キ・エンギ 「葦原之中津国」の意味)


ちなみに、Ki-En-Gi-Raは「高貴な貴族の場所」です(藁
421私は見た!:2001/07/12(木) 11:42
ツタンカーメンのミイラがありました。
422名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/12(木) 11:45
天皇は朝鮮人
よってわれわれは朝鮮人に支配されているのだ
423名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/12(木) 14:02
>>392
韓国学者の妄想に過ぎません。
そもそも当時の朝鮮半島の人間がどんな言葉を喋っていたかは
まったくわかっていない。
どうして現代の韓国語をもちだして、日本古語の「くだら」「しらぎ」を
説明できるの?
半島固有の文献なんて中世まで何も無いんだよ。
百済時代とは半島の民族そのものがほとんど入れ替わっている
と考えられているのにさ。
424名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/12(木) 14:05
5、6世紀まで稲作さえ出来なかった朝鮮が、稲作とともに
渡来した天皇の故郷であるわけがない。
単なる寄港地か一時滞在地がせいぜいのところ。
425名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/12(木) 14:19
>>424
中央公論社の世界の歴史では、「中・南方の河川流域や海岸地域で、
起源前8世紀ごろから水稲栽培が広がっていった。」とあります。
426425:2001/07/12(木) 14:20
起源前−>紀元前
427名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/12(木) 14:38
当時の日本人は韓国人を人間扱いしてなかったような気がするZO!
自分たちの利益を正当化するために大東亜共栄圏
っていう、言葉を作ったんじゃない?>>419
428375:2001/07/12(木) 14:40
名無しさんとは気が合いそうだ。
>>392
勉強になったよ。ありがとう。
>>422
それおもろいなー

ココ読んでると日本人のルーツ(自分自身のルーツ)に興味津々って
感じになってきた。
ただ、ユダヤ人の子孫とか、どっちが上でどっちが下かなんて言う考え
方だけはついていけそうもありません。(藁
429375:2001/07/12(木) 14:52
>>423>>424
言語と稲作について考えることが重要である点で同意します。
430375:2001/07/12(木) 15:01
日本語の語順はSOVですが、ハングルやアイヌ語はどうなのですか?
SOVの言語を使っている民族はどこか近くにあるのでしょうか?
431名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/12(木) 15:40
>>430
ハングルもSOV。
その他日本語との共通点は
1てにをはなどの助詞の存在 2用言に活用がある 3敬語(尊敬・謙譲語)語尾
の存在。4共通の漢語(但し発音は違うが)の存在。
5Rで始まる自国起源の単語がない などでしょうかね。
432375:2001/07/12(木) 16:07
>>431
ハングルは日本語と共通点が多いのですね。
言語が生まれたころまでさかのぼるとルーツは一緒ってことですかね。

ほかにもSOV言語がないか知りたいなー。
とにかく日本人のルーツを知るには同時に朝鮮人のルーツも
調べる必要がありそうだ。
そもそも日本だの韓国だのと言う区別がはっきりしなかった
ころのことが知りたいわけだから。
一つでも情報が欲しいから発掘はしてほしいなー。
433名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/12(木) 16:28
>>424
>5、6世紀まで稲作さえ出来なかった朝鮮が、
前を読み落としたんじゃない?出所がしりたいな。
稲作は中国では9000年前、朝鮮半島では前8世紀、日本列島では
前5世紀(菜畑遺跡)、九州北部に定着したのが前3世紀といわれる。
日本の稲作が朝鮮半島経由かについては南島説があるので意見がわか
れるが、朝鮮半島に稲作がなかったというトンデモ説ははじめて聞いた。
434名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/12(木) 16:34
10年くらい前イギリスのBBCが日本の右翼を取材した事がある。もちろん本国向
けの放送だが、それをNHK衛星が放送したのを見たんだが、最後にBBCの女性
リポーターのコメントがあった。内容は大体以下のとうりだが、的確だよ。
「右翼の主張は天皇制復活、日本民族の国粋主観等だが、実際の構成員が国粋主義者
とは相容れない筈の韓国、朝鮮人、また天皇制と言う身分階級の下では最下層に位置
され最も身分制度の被害者であったはずの被差別出身者で90%を占めている。
はっきり言ってこの取材で、彼らの真の目的を知ることは出来なかった。」とさ。
435419:2001/07/12(木) 17:33
>>427
>チョンだチョンだ言ってる人、まじめに大東亜共栄圏考えていた
戦前の日本人以下。

↑話が飛ぶけど補足。
今もって、チョンだチョンだ言っている人は戦前の日本人
よりも更に悪質であると思うというのが真意。

人間扱いしていなかった日本だが、まじめに欧米列強に対して日本が
アジアの盟主として力を尽くそうとした多くの「日本人」たちも存在
すると思う。
一応国家としての日本ではなく「日本人」と限定したつもり。
インドネシア独立の経緯等を見てもそういう側面はあると思う。
だって、アヘン戦争とかさ・・
アジアは日本をのぞいて列強にくいあらされてたんじゃん。
無条件降伏した後で何言っても駄目だし、理想はともかく
「人間扱いしていなかった」事例が多すぎることは確か。

しかし「名目」であったと言い切るのには、私は躊躇がある。
436名無しさん:2001/07/12(木) 18:07
大山陵からは鉄製品出たんでしょ?
437375:2001/07/12(木) 18:09
最近の韓国人はずいぶん付き合いやすくなった。
だんだん嫌いではなくなってきた。
サッカーの試合のとき以外は仲良くしましょう。(藁
438あそ:2001/07/12(木) 18:22
>>433
そういうトンデモ説は
中国・朝鮮を卑下しまくってて、日本による東アジア再統一を考えて
いるような「幸福の科学」が言いそうでんな。
439名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/12(木) 22:57
>>436
出てる。朝鮮っぽいのがね。
440はぁはーっ:2001/07/12(木) 23:12
まず、天皇の系統の中でも、学問的でなく「むむ、おかしいな」というところがありますよね。雄略天皇後の子孫が絶えてしまったこと、継体天皇の存在。確か、越前の国から即位されたんだよね。現在の戸籍のない時代にあのような傍系といっては差し支えるが、何でわかったのということが素人でもわかるよね。このこと知ってて宮内庁が言っているのかなというゲスの勘ぐり入れてしまいます。変なことを書いてしまいましたが、こういうゲスカンを入れないためにも学術調査は必要ではないのかなぁ。
441名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/13(金) 00:55
仁徳陵の発掘するX年X月X日、発掘現場にはウヨ宣伝車が日教組全国大会妨害に
集る数の十数倍にもなる規模で取囲まれ、ゴウゴウたる拡声器からの騒音下、
機動隊、ウヨ、サヨの三者入乱れての大乱闘。発掘責任者は何者かにより家族もろとも
殺害され…。犯人探しはウヨ、サヨ、チョン、チャンと及び、捜査は混乱し迷宮入り。
オー、コワコワ。
442微笑:2001/07/13(金) 00:56
443名無しさん:2001/07/13(金) 01:03
コピペ
古事記 (天孫降臨)
筑紫の日向の高千穂のくじふるたけに天降り座す。
この地は韓国(からくに)に向ひ、笠紗の御前を真来通りて
・・・いと吉き地。
444名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/13(金) 01:13
>>433
そんなこと言ったら、縄文時代でもかなり古い米が出てるよ。
弥生時代の米は赤米でしょ。中国港南地方で行われていたものと
同じ種類だったそうだ。
朝鮮半島なんて南部でも山陰なみの気候だぜ。生産力だって、
後年になっても西日本よりはるかに低い。

どうして朝鮮が天皇(ないし弥生文化の)の絶対的な起源で、中国はそうでない
といいはるのか、その動機が理解できないね。
銅鐸などに類似した青銅器が、中国南部の三星タイで大量に出土してるのに。
この地域はアジアの青銅器文明の発生地と考えられている。
弥生文化も中国南部から青銅器と米を携えて海路で日本に渡ってきたと考える
のが穏当なんじゃないか。古代においては交通は海が中心だったんだし。
朝鮮が経由地としてあったとしても、「起源」などではありえないだろう。
445名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/13(金) 01:19
>>444
433は朝鮮半島の稲作は5,6世紀ではなく前8世紀といってるのであり、天皇
や弥生文化には触れてないように思うがね。
446名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/13(金) 01:21
>>438
天皇の起源の問題がどうしてそんな風に飛躍するのかね。
左翼?の脊髄反射か。
447名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/13(金) 01:23
>>445
このスレでのテーマは天皇や弥生文化だと思うけどね。
稲作の話もも天皇がどこからきたかと言う問題意識でててきた
ものだろう。
448名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/13(金) 01:25
>>445
その前八世紀というのはどんな根拠があるのかな。
遺跡なり化石なりがあるの?
そもそも韓国にまともな考古学があったっけ。
449名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/13(金) 01:28
>>446
天皇の起源なぞどこにでてきたのか、朝鮮半島の稲作のはなしだろうが。どこか
のスレとごっちゃになってるんではないか。
450名無しさん:2001/07/13(金) 01:32
昭和24年江上波夫氏が発表した騎馬民族説
辰王の後裔が、朝鮮半島南部から九州に渡来したと想定し、
その中心人物は、任那の城の王ミマキイリヒコ、すなわち崇神天皇である
としています(第一回建国)。
そして北九州をその勢力下に置き、その後、体制を充実させ、
その流れをくむ応神天皇が四世紀末畿内に進出した(第二回建国)と言う考え方。
神功皇后の子供の応神天皇=神武東征と一致する。
まもなく河内に巨大古墳ができ、韓かまどが多数出土し、半島にしか原料の無い
鉄器が出土している。
倭の五王は半島との強いつながりを背景に畿内で発展したのは事実。
ウヨ、サヨはそれの何が気に入らないのかな?
普通に考えようよ。
451名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/13(金) 01:35
>>448
日本の歴史書に載ってます。
「隋唐帝国と古代朝鮮」(世界の歴史6)中央公論社 261頁
漢江流域欣岩里遺跡、錦江流域松菊里遺跡、大同江流域南京遺跡など
がしられているようです。
452名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/13(金) 01:39
騎馬民族説が通説???
今でもそんなのまに受けてる人いるの?
453名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/13(金) 01:40
おい、449レスもついてて、ホントに誰も知らんのか!?
「仁徳天皇陵」なんてとっくのとうに発掘されてるぞ。バカか?
明治の初期に薩摩出身の堺県令:税所篤が掃除と称して発掘して
出土品はしっかりボストン美術館に陳列されてるぞ。無知も堂に入る
とすごいな。
454あそ:2001/07/13(金) 01:42
>>448
韓国に考古学を導入したのは朝鮮総督府。
韓国考古学やってる日本の学者もけっこういるよ。

炭化米も出てるしね、たしか。
松菊里遺跡出土の石包丁と形式が似ている石包丁が日本で
出土しているのはあまりにも有名。

どっちが起源かとかそんなことには興味ないが、偏見による事実誤認は
やめようや。
教科書問題でさわぐ韓国人と一緒だぞ
455名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/13(金) 01:45
>>453
そんなことはみんな知ってる。問題になってるのは本格的な学術発掘
の是非。
456名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/13(金) 01:50
>>1
畏敬と信仰の対象になっているから
地元の人は陵墓さんと呼び親しんでいる
皇室への畏敬を破壊することがサヨの目的だから、発掘発掘と喚くだけ
457名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/13(金) 02:04
>>447
おいおいタイトルも読めないのか、このスレは「仁徳天皇陵はなぜ発掘調査しない
のか?」だぞ。天皇や弥生文化は派生的話題、中心にしたいなら自分でスレたてろ。
458名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/13(金) 02:07
それ以前に何でこのスレが議論板にあるのかが謎。
仁徳天皇陵についてニュースでやったの?
よくてドキュメンタリーで取り上げた程度でしょ。 
459450:2001/07/13(金) 02:17
>>452
>騎馬民族説が通説?
日本人はどこから来たか?って意味ではないよ。
倭の五王だけじゃなくて、大化の改新の時代まで、天皇と半島の関係は
深いってこと。そういう意味で。いまでもまに受けてる。
おかしいかな?
460名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/13(金) 02:25
ここには古代史・考古学を知らない奴らが多そうだ。
面白いのできた。
お前らって、天皇の起源っていつだと思ってんの?
461名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/13(金) 02:29
>>460
天武天皇です。それおいぜんは天皇という言葉が確認できてはおりま
せん。先生、いかがでしょうか。
462名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/13(金) 02:31
>>460
君はよく勉強しているね。
463すまん間違えた:2001/07/13(金) 02:31
>>461
君はよく勉強しているね
464名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/13(金) 02:42
>>457
過去レス読めや。アホ
465名無しさん:2001/07/13(金) 02:48
じゃ天武天皇のおとーさんとおかあさんとおにーさんって誰なんですか?
(こっそりスレと関係なく)
466名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/13(金) 02:58
堺まさあきと岡田_だよ
467(・∀・):2001/07/13(金) 03:00
あのー本当に天皇ってそんなに、かなりの確率で「万世一系」なんですか?
それって、日本国内だけなんじゃないんでしょうか?外国とかでは
「世界最古の王朝」とか言ったら( ゚Д゚)ハア?って言われるんじゃ
ないかと・・・。だってそんな都合のいいことあるわけないし。
468名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/13(金) 03:05
>>467
電波です。誰も信じてはいません。
469名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/13(金) 03:06
信じてないのはオマエだけ(W
470名無しさん:2001/07/13(金) 03:06
>>467
一応、中国の公式文書でも「第125代」とお冠がつくよ。
確かに誰も信じないだろうけど(笑)
471(゚∀゚)ノ :2001/07/13(金) 03:06
ウソだよん。
万世一系・・・そんなわけないじゃん。
472名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/13(金) 03:07
父は本名タムラ、大王の和風謚号オキナガタラシヒロヌカ、淡海御船が後に天平時代に舒明天皇と漢風謚号を撰定した人物。
母は本名タカラ、大王の和風謚号アメトヨタカライカシヒタラシヒメ、同じく淡海御船が皇極天皇・斉明天皇(二度大王になっているため)と漢風謚号を撰定した人物。
473名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/13(金) 03:08
472のレスは465に対するものです。
474名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/13(金) 03:09
マンセー一系
475名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/13(金) 03:09
>474
オモロイ
476名無しさん:2001/07/13(金) 03:10
マンセーと「万世」の聞き間違いじゃないか?
ひえだのあれえ
477名無しさん:2001/07/13(金) 03:11
いかん、がいしゅつだ
>>474
478名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/13(金) 03:16
>>465
>>465
むつかしい質問ですね。一応おとーさんは舒明天皇、おかあさんは
斉明天皇、おにーさんは天智天皇となってはおりますが、やんごと
なき方々の血については現代でも庶民にははかりしれないところが
ありますし、壬申革命の後ですからなんともいいがたいですね。
479名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/13(金) 03:18
基本的に初代神武から9代開化までは後世の創作。
それに継体以前の大王は今では畿内のいくつか地域の有力豪族の中から
それぞれの時期に選出されていたと考えられている。
万世一系なわけがない。
480名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/13(金) 03:19
>>476
もともと同じじゃないのか?
481名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/13(金) 03:23
>>480
読みは同じだが君たちが良く使うマンセーは「万歳」の韓国語読み。そんなことも知らないのか?
それこそ韓国人に藁われるぞ。
482名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/13(金) 03:23
>>470
「第125代」か。途中に廃帝やら両統並立やらいっぱいあるのに歴史解釈がかわっ
たら代数すけかえるのだろうか。たとえば大友皇子の即位は有効なんてなったら。
483名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/13(金) 03:24
奈良県の箸墓古墳、卑弥呼の墓だと言われているが宮内庁のど阿呆どもが
かたくなに空けさせない。中国や韓国の歴史問題なんかどうでも良いので
先に日本の歴史の真実を追究してほしいな。
まあ昔は豪族同志で大王が入れ替わっていたのは当然だから万世一系じゃなくなるのが
怖いみたいだが、そんな事今の時代(天皇がどうのこうの)右翼ぐらいしか興味無いぞ。
興味があるのは歴史は本当はどうだったかだ。
宮内庁、、税金の無駄使いおよびクズめ。
484   :2001/07/13(金) 03:26

后が生んだのが後継ぎであって、父子関係はそれほど
追求しなくてもよいんだ。そうでないと、時々「血筋」が
途絶えるだろ。認知されていればよい、これに限る。
もちろん后側にも石女の可能性があるから側室制度は
正しいことだ。

継承することを最大限に重視するのならば、へんな道徳だとか
でしばってある今がおかしいのだ。
485名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/13(金) 03:26
>>482
現在の125代には明治時代になって謚号の送られた「弘文天皇(大友皇子)」も入ってるよ。
486名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/13(金) 03:29
>>483
掘って出てきたものを展示するだけでもそれこそ
収入になるぞ。まぁ盗掘されてる可能性はかなり大だが…。
487名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/13(金) 03:29
>>485
説明ありがとう。最低一回は代数変更があったわけか。
488名無しさん:2001/07/13(金) 03:30
>>483
天皇の権威を最も信頼してないのが、宮内庁なのね。
489名無しさん:2001/07/13(金) 03:31
「陵墓に指定された古墳は、宮内庁が管理し、
考古学者が立ち入って観察・研究することを拒否している。」

うーむ。皇族に古代史の御専門の方が現われるまで待つのか?
待っても駄目か?
490名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/13(金) 03:32
>>483
宮内庁が恐れているのは、中国の史書にかかれた邪馬台国と大和朝廷
がまったく無関係だったという結論がでたりすることでしょうね。
491名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/13(金) 03:33
>>489
出ないだろな。まず自分の家に伝わってる系図が出鱈目ですって認めるみたいなもんだからな。
せいぜい今の皇太子の中世がいいところかも知れないね。
492名無しさん@3周忌:2001/07/13(金) 03:38
今更葛生原人が嘘だといわれてもな... きっとここも発掘したら
天皇陵じゃなかったとか言い出すんじゃないのかな?(藁
493名無しさん:2001/07/13(金) 03:38
ってか、皇族のうちの何人かは趣味で生物学の学術論文提出したりしてるらしいが、
手前の家の(それすらもすこぶる疑わしいんだが)陵墓の調査させないなんて、
一学徒として失格だろ。
494皇太子:2001/07/13(金) 03:42
>>493
胡散臭さは重々承知。学問対象にはなりません。
495名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/13(金) 03:45
まあ、発掘は無理でも立ち入って、きちんとした古墳の墳丘の測量調査くらいさせろや。
496名無しさん:2001/07/13(金) 03:49
測量調査もだめなのか?(藁
497名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/13(金) 03:52
日本の歴史は朝鮮の歴史の一部分にすぎなかったってことでOKかな?
498名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/13(金) 03:52
立ち入り自体ダメなんじゃない?
宮内庁職員が「修陵」の時に地表に散らばってる埴輪の破片などの遺物を採集しているって聞いたことは
あるけど。
499名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/13(金) 03:52
>>496
測量調査だけでも色んなことがわかっちゃう。
長さや距離にどんな単位を用いていたか、とかね。
500名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/13(金) 03:55
>>497
仁徳天皇陵とかいう時代を現代国民国家である日本・韓国(朝鮮)という枠組みをそのまま
当てはめて議論すること自体がナンセンスであると思われ・・。
501名無しさん:2001/07/13(金) 03:57
>>499
深いのう
502>497:2001/07/13(金) 03:57
百済と新羅を建国したのは海を渡って半島に逝った倭人である
と朝鮮の正史三国史記にちゃんと書いてあるから。
503名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/13(金) 03:59
>502
いや、朝鮮の記録は当てにならんことは知ってるだろ。
504古代朝鮮を300年以上支配した日本:2001/07/13(金) 04:01
「魏志倭人伝には、狗邪韓国(加羅)を倭国の北限とする記事があり、
考古学的にも当地の3世紀の遺跡には、倭系遺物の出土が多い。

好太王碑文に倭国が海を渡って、百済・新羅を臣民にしたとの
記述が見られる時期に、 朝鮮の正史「三国史記」に、百済が
皇太子を、新羅が王子を、倭国に人質に出した記事がある。
「日本書紀」も同様で、400年前後に倭国が朝鮮半島南部に勢力
を広げたことで一致。 宋書には、5世紀後半に、倭国に新羅・任那
などの軍事権を認めた叙任がある。
これらの文献資料は、全て調和的。

考古学的には、畿内発祥の埴輪を並べた前方後円墳が、
古墳時代中期〜後期(5〜6世紀)
になると、朝鮮半島南部にいくつも見られるようになり、
倭国の勢力拡大を裏付けている。
と言うわけで、全く問題ないのである。」
505名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/13(金) 04:04
どちらにしても再発掘するのがいいのでは。
506名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/13(金) 04:07
>>502
そのようなことはどこにも書いてないぞ。
もちろん伝説に過ぎないが
新羅の始祖は卵から生まれたという「卵生伝説」が書いてある。
百済の始祖は高句麗王の子とかいてある。
君のようなハズカシイこと言ってたら、それこそ韓国人に藁われるぞ。
507499:2001/07/13(金) 04:11
>>501
やべえ、思いつきで書いてしまった。(w
ちょっと呑み過ぎたからもう寝るわ。
508>506:2001/07/13(金) 04:14
日本史版へ逝って新羅は出雲人の国スレをお読みなさい。
509名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/13(金) 04:16
>>504
>魏志倭人伝には、狗邪韓国(加羅)を倭国の北限とする記事があり、
>考古学的にも当地の3世紀の遺跡には、倭系遺物の出土が多い。
考古学的に見ると
同様に対岸の九州では弥生時代を通じて、朝鮮半島の銅剣、銅戈など青銅器や
朝鮮半島の無紋土器が入ってきております。これは海峡両岸の交渉をあらわすものにすぎません。
同様の論法だと、北部九州は朝鮮半島に支配されたことになります。
510>509:2001/07/13(金) 04:19
朝鮮が日本を支配した、あるいは日本の地方を支配したという
記事は日本、中国、朝鮮、どの国のどの史料にもないよーん。
反対に日本が朝鮮を支配した記事は日本、中国、朝鮮の史料
それぞれにある。
511>509:2001/07/13(金) 04:22
史跡と史料を両方睨みながら歴史を語るのが正しい姿勢なのです。
512名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/13(金) 04:28
>>509
俺は509では3世紀の弥生時代の話をしているの。
ごっちゃにするな。
513>512:2001/07/13(金) 04:29
魏志倭人伝読め
514名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/13(金) 04:32
世界最古の縄文土器は日本から半島に伝わりました。
515名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/13(金) 04:37
前方後円墳、ヒスイの勾玉、朱塗りの石室も日本から半島に
伝わりました。
516名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/13(金) 04:38
>>511
じゃあ、史料も入れましょう
>魏志倭人伝には、狗邪韓国(加羅)を倭国の北限とする記事があり、
魏志倭人伝の何をさしていってんの?
もしかしてこの記事かな?
「郡より倭に至るには、海岸にしたがいて水行し、韓国を歴てたちまち南し、たちまち
東す。其の北岸の狗邪韓国に至るには7千余里なり」
ここでいう其の北岸っていうのは海を南に行き、東に行って「其の北岸」つまり海から見て
北の岸(現在のプサンあたり)にあるということをさしているって普通かんがえられてるよ。
517魏志東夷伝を読め:2001/07/13(金) 04:47
「韓在帶方之南、東西以海爲限、南與倭接」
魏志東夷伝には、海を挟んで異国がある場合、
「海を越えて&海を挟んで」と言う文章を使ってる。
倭地と接するとは明らかに陸で接してる根拠だよ。
518>516:2001/07/13(金) 04:52
「其の北岸の狗邪韓国に至るには7千余里なり」
其の北岸とは倭の北岸という意味であります。
519名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/13(金) 04:52
>>514
朝鮮半島には同じ時期に櫛目紋土器(有紋土器)があります。
むしろ櫛目紋土器は中国遼寧省付近の新石器時代の土器と密接な関係があると考えられています。
ただ一時的に九州の曽畑式土器と朝鮮半島側の櫛目紋土器に紋様において共通のものが見られます。

>>515
聞きたいんだけど、君たちは前方後円墳が朝鮮半島に伝わって高句麗百済新羅が前方後円墳を作るようになったと思う?
あと朝鮮半島の朱塗りの石室って何?どの古墳をさしていっているの?
520名無しさん:2001/07/13(金) 04:52
魏志倭人伝には,誤まりがあるというのが定説でしょう。
邪馬台国ってどこだかわけわかんないように書いてるじゃんか。(藁
普通って普通って普通って・・・一体
521名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/13(金) 05:01
ヒスイ製勾玉が、新羅・百済・任那の旧領で大量に出土(高句麗の旧領では稀)し、
戦前の日本の考古学者は、倭国の勢力範囲を示すモノと素直に解釈していましたが、
これも朝鮮→日本としたがり、それに迎合した厨房なサヨク似非学者もいました。
朝鮮半島には、ヒスイの原産地がなく、古代においては東アジア全体でも、日本の
糸魚川周辺にしか、ヒスイ工房は見つからず、化学組成も調和的で、ぐうの音も出ず。

こう言った科学的研究や、考古学の編年研究の進歩で、徐々に韓国学者のニュアンスは
変わってきたようです。だから、今回のような研究発表となったのでしょう。
でも、電波な韓国の歴史教科書で習っている一般民衆は厨房のままだろうけど。
522名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/13(金) 05:01
読売新聞ニュース
 韓国南部の慶尚南道固城(コソン)郡の松鶴洞1号墳で、
内部を赤色顔料で朱塗りした横穴式石室(六世紀前半)が、
同国の東亜大付属博物館の調査で二日までに確認された。
日本(倭)独特とされた朱塗りの石室が、韓国で確認された
のは初めて。日本の須恵器も出土していることから、日本の
古墳祭祀(さいし)文化の影響とみられる。大陸や朝鮮半島
から文化を一方的に導入しただけではなく、日本も文化を伝
えていたことを示す重要な成果として注目される。
 石室は墳丘北側で、長さ約九・八メートル、幅〇・八五〜二
メートル、高さ一・四五〜一・五八メートル。天井や床、壁が
ベンガラ(酸化鉄)とみられる顔料で真っ赤に塗られていた。

 朱色は、古代中国で血につながる生命力の象徴や不老長寿願望
を反映したものと考えられていた。朝鮮半島ではこれまで発見さ
れていなかった。

 松鶴洞1号墳は一九八三年、韓国の研究者が「前方後円墳」と
紹介し、日本独自とされていた前方後円墳のルーツではないかと
論争になった。

 一帯には、日本と交流のあった伽耶(かや)諸国(四世紀初め〜
六世紀半ば)があったとされ、「日本書紀」などでは「任那(みまな)
」と呼ばれる。

 沈奉謹・東亜大付属博物館長は「日本に近く、葬送儀礼に倭人がか
かわったとも考えられる」と語った。
523名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/13(金) 05:02
狗邪韓国が倭と陸で接しているなら、魏志倭人伝に書いてある、
狗や韓国から海を「渡って」前よりの対馬国ってどこよ。
そして対馬国からさらに「海を渡って」南の一支国ってどこよ。

トンデモ本でもない限りそれぞれ対馬と壱岐のことだと考えられてるだろうが。
524名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/13(金) 05:03
朝日新聞ニュース
 前方後円墳に寄せる韓国の関心は高く、八〇年代後半からこれまでに五基が発掘
された。現在、確実な前方後円墳は九基で、いずれも韓国南西部の全羅南道にある。
このうち光州市の月桂洞1号墳と2号墳は復元整備されている。柳沢一男・宮崎大学
教授は「八、九月にも一基発掘され、韓国国立中央博物館のホームページで成果が
公開されている。調査の継続と公開に敬意を表したい」と述べた。

 西谷正・九州大学教授によると、韓国では伝統楽器の長鼓に似ているので「長鼓形
古墳」とか「前方後円形古墳」などとも呼ばれている。九基の規模は、最大で全長
七十七メートル、最小で三十五メートル。日本では中、小型だが、韓国の古墳の中では
比較的大きい。時期は五世紀後半から六世紀前半というのが大方の見方。三世紀後半に
出現する日本の前方後円墳の方が古いことは、韓国の学界でも共通した認識になって
いるという。
525名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/13(金) 05:30
>521-524
そう単純じゃないのよ

ヒスイの勾玉について
「硬玉は日本の糸井川に産地があり、新羅王権が倭王権を介して入手したと見られる」


前方後円墳について
「全羅南道のこれらの古墳は実測図を見る限りでは前方後円墳とよく似ているが、…大和王権と直接の関係にあったのか、前方後円墳を造営した北九州などの豪族との関係があったのか、あるいはそれ以外の要因で造営されたのか、被葬者は在地豪族なのか倭人なのか、これらの解釈をめぐってはまだまだ問題が多い」
『同成社 世界の考古学10 朝鮮半島の考古学』より
526>525:2001/07/13(金) 05:35
だから史跡と史料はセットで解釈しろって言ってるだろ、何度も?
日本、中国、朝鮮の史料にそれぞれ日本が朝鮮を支配していた
と書いてあんの!
527526:2001/07/13(金) 05:41
>だから史跡と史料はセットで解釈しろって言ってるだろ、何度も?
ごめそ。一回しか逝ってなかった。
528名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/13(金) 05:46
>>526
おまえの言ってる「朝鮮」ってなんのことだよ。いつの時代の朝鮮だよ
三国時代の高句麗、百済、新羅、伽耶すべてを指してるのか?
その辺ハッキリさせないと議論ができない。
529526:2001/07/13(金) 05:47
>>527
結構いいやつだな。
今日はもう寝るから、また来るぞ。
530526:2001/07/13(金) 05:49
朝鮮の史料とは三国史記のことだよ。百済と新羅がそれぞれの
王子を倭に人質に出した記事や新羅の首都が倭に占領された記事
などがある。
531525:2001/07/13(金) 05:49
間違えた。上の番号525だから
>>526
>>527
せめて何世紀って言ってくれ。
532>531:2001/07/13(金) 05:52
せめて何の史実を指しているのか逝ってくれ。
533名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/13(金) 05:53
任那はあったんだね。
534525:2001/07/13(金) 06:22
>>530
この時期(5世紀のことだろ?)の新羅は倭と同時に高句麗にも王太子が
人質に出されて、服属させられている。百済も高句麗の猛攻にさらされている。
その中に人質の記事が出てくる。
つまり、新羅・百済は南下する高句麗の圧力に抗するために
倭を頼ってきたわけだ。そして軍隊が上の記事のように新羅に入ってもいる。そして朝鮮半島の鉄資源が欲しい倭のほうは新羅・百済・伽耶と手を結ぶんだよ。
そしてそういう状況を示しているのが上にあげてある広開土王碑文。
これは広開土王の陵碑で広開土王の生前の業績と陵墓の管理について記したもの。
その業績の中に、海を渡って新羅百済を従えた(臣民)にした倭を広開土王が破ったとかいてある。
そして中国南朝の史書に出てくる倭王の○○大将軍も高句麗の南下で危うくなってきた朝鮮半島南部の主に鉄資源の確保の為に
中国からお墨付きを得ようとしたもの。ちなみにこの時期に南朝に朝貢していた百済はその○○将軍からは
抜けている(倭王自称のものにはあるが)。
こう見てきたように、この時期の朝鮮半島は高句麗の強大化と南下、朝鮮半島南部の鉄資源を得たい倭。
そのなかでどっち付かず百済新羅という構図で展開されていた。

上に述べたように「朝鮮」(新羅)を倭が支配したとは単純にいえないだろ?
それは考古学的にも上で述べたように倭・朝鮮半島南部が複雑な相互関係にあったことを見ても判る。
535名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/13(金) 06:30
>>533
任那とは何のこと(実態)。任那日本府のこと?
536名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/13(金) 07:38
  1872年、仁徳陵古墳が水害でくずれて内部が露出しましたが、そこから出土されたとされる銅鏡や環頭太刀などがアメリカのボストン美術館に所蔵されました。
  この鏡は、同心円上に丸い突起が七つあることから七子(ななつこの)鏡とよばれますが、これが民族派の懸念(?)どおり、百済武寧王陵の宜子孫獣帯鏡とそっくりなことが韓国でのコンピューター画像解析により最近判明しました。
  銅鏡の大きさはもちろんのこと、白虎や青龍など四神の紋様があることや、全体の姿かたちなど瓜二つです。同志社大の森浩一教授によれば、それらはいわば兄弟鏡で、日本か百済で作られたのだろうとのことでした。
  この史実に関係ありそうな記述としては日本書紀があります。神功皇后の記事にはこう書かれました。

 「52年、秋9月10日、久テイらが、千熊長彦に従ってやってきた。そして七枝刀(ななさやのたち)一口(ひとふり)、七子鏡一面、それにさまざまの重宝を献上した」

  この記事は、もちろんそのまま信用するわけにはいきませんが、ある程度は何らかの史実を反映しているようです。たとえば、百済から贈られた七支刀も実際に存在し、国宝として石上神宮に保管されています。不思議な形をしたこの刀は、もちろん百済製です。
  同様に、七子鏡のほうも中国との関連は薄いので、かりにこの鏡が百済で製作され倭に贈られ、最終的に仁徳陵古墳に埋葬されたとしても、とくに不自然な点はないようです。
  さらに、同古墳から出たとされるもう一つの遺物の環頭太刀について記すと、これは武寧王陵の遺物に比べれば装飾的にシンプルですが、ともかく似ており、森氏によれば、両者はいわば叔父・甥くらいの関係になるそうです。

  一方、仁徳陵古墳の近くには渡来氏族の船氏や飛鳥部氏など有力な豪族が住んでいたことが知られており、同古墳周辺は百済の影響が絶大だったようです。
  その名残は現在でも地名などに残り、百済駅、百済大橋、南百済小学校などが現存します。おまけに百済姓を名のる人もいるくらいです。
  仁徳陵古墳の主が仁徳大王かどうかは別にして、ともかく天皇の陵墓と考えられているので、当時、倭の天皇(大王)は百済王と特別な関係にあったようです。井沢元彦がいうように、あるいは天皇の祖先は百済からきたとしても荒唐無稽ではないようです。

http://www1.jca.apc.org/aml/200006/17961.html
537名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/13(金) 07:53
高天原=百済
538名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/13(金) 08:17
史料(歴史書の記述)と史跡(考古資料)をごっちゃにして考えてはいけません
歴史家ならね。
539実は:2001/07/13(金) 08:29
たたりがあるのじゃ
昔からあそこはタブーなのじゃ
540名無しさん:2001/07/13(金) 09:09
「日本書紀」だって、教科書と同じでまるのみしちゃいけないんです。
541>536:2001/07/13(金) 09:19
ただの推量。史実とゴッチャにしちゃいかんぞ。
542名無しさん:2001/07/13(金) 09:24
史実って仮説じゃないの?
543>>536:2001/07/13(金) 09:29
>倭の天皇(大王)は百済王と特別な関係にあったようです。
>井沢元彦がいうように、あるいは天皇の祖先は百済からきた
>としても荒唐無稽ではないようです。
百済はえっらい大昔から倭に朝献してたぞ。
七支刀も朝献品の一つだ。百済が天皇の祖国というわりには
倭に色んな目に合わされてるね。
544 :2001/07/13(金) 09:32
徳川埋蔵金をそこに移したのさ♪
545名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/13(金) 09:37
>>521
ヒスイは倭から輸出されたんでいいんでないの。現代日本では産出されないはず
のダイヤモンドが大量に発見されるがこれは南アフリカの日本支配のあらわれな
んてことはないだろ。
546名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/13(金) 11:46
>>536  
>銅鏡の大きさはもちろんのこと、白虎や青龍など四神の紋様があることや

四神(朱雀、青龍、玄武、白虎)は中国の思想だろ。
どうして百済起源の根拠になるの。あほらし。

そのほかでも、朝鮮が言ってる、「韓国起源の証拠」は
ほとんど中国やインドの文化。
547名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/13(金) 11:54
>>546
>>536では四神が百済起源とは書いてないぞ。鏡が同じ種類といってるだけだろ。
548名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/13(金) 11:56
>>546
韓国では、中国文化は「俺らが起源」と教えてるそうですから・・・。

韓国=漢国だそうですよ。
549名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/13(金) 12:00
倭から百済への影響と考えたほうが自然だけどね。
国力から言って。
550名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/13(金) 12:02
仁徳陵が出来た頃の倭(大和)と百済を比較したら、
どう考えても大和のほうが先進国でしょう。

歴史学者は農業生産力の比較というのはまったくしないのかな。
生産力が生産関係さらには社会関係を規定すると言う主義の
歴史学者が多いにもかかわらず。
551名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/13(金) 12:11
>>95
ネタ?詳しくおせーて
552名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/13(金) 12:12
>>548
日本でもそのような人がいるみたいよ。>>550みてよ頭痛てーよ。
553名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/13(金) 12:16
>>550
仁徳陵ができた頃をいつと考えてるの?
そのころの農業生産力はどのくらいだったの。それがわからないと
比較にならないよ。
554名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/13(金) 12:19
>>552
国力で比べると、百済より日本の方が大国だったと思うが。
旧百済所領に、仁徳陵クラスの巨大な遺構って存在するの?

まあ、仏教などの文化的な側面からみれば、百済は当時の
先進国とは思うけどね。
555名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/13(金) 12:20
>>554
檀君陵
556名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/13(金) 12:29
>>554
でかけりゃいいてもんじゃないだろ。戦艦大和をつくった日本の
国力はアメリカより上だったか。
557名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/13(金) 12:35
>>554
>旧百済所領に、仁徳陵クラスの巨大な遺構って存在するの?
古墳は仁徳陵が最大で、後は小さくなります。これは大和朝廷の国力
が衰退していく過程と考えていいのでしょうか。
558名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/13(金) 12:37
仁徳、仁徳とうぜー、大山古墳と呼べ。あれが仁徳天皇陵の可能性
なんざほとんどないんだぞ。
559名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/13(金) 12:44
>>555
檀君領は北朝鮮の旧高句麗領にあります。また、政治宣伝として
北朝鮮政府により捏造されたという疑いも拭い切れません。

>>556
戦艦大和1隻と比べるならそうですが
アメリカは大和級に匹敵するモンタナ級4隻の建造に着手しております。
大和級は、信濃を含めても3隻しか完成していません。

>>557
衰退していく過程でいいんじゃないでしょうか。
任那を失い、半島での勢力を失いつつあったのですから。

>>558
大山古墳なんて言っても普通の人には通用しません。
通名として、仁徳陵でいいのでは?
560名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/13(金) 12:49
百済が天皇の祖国な訳ねぇだろ。

大体、記紀に書かれている仁徳天皇の頃の時代の倭の大王はそれぞれの代に畿内の有力豪族の中から
選ばれていたというのに。
561名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/13(金) 12:52
>>555
檀君陵はただの高句麗の積石墓。
檀君自体、高麗時代の創作。
まぁ、日本にも一応「神武天皇陵」があるみたいなものやね。
562名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/13(金) 12:53
>>559
神奈川の人間に大山古墳て言ったら
大山のすぐそばの奴を思い出しちゃうしな
563名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/13(金) 12:56
>>559
考古学では普通大山古墳または大山陵古墳と言われています。
仁徳天皇陵とする考古学的根拠がないからね。
564名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/13(金) 12:57
>>560
百済が祖国というのは短絡しすぎる。伽耶あたりを考えたいね。
565名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/13(金) 12:58
>>563
562の奴とはどう区別してるの?
566名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/13(金) 12:59
>>561
そのとおり。檀君は日本の神武天皇だな。>>555はネタでしょ。
567名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/13(金) 13:00
>>564
そのまえに
天皇家の系図がこの時代まで万世一系でつながっているとでも思っているのか?
568564:2001/07/13(金) 13:06
失礼、大和朝廷の最初のほうのこと。大山古墳うをつくったひとたち
のことかな。
569名無しさん:2001/07/13(金) 14:12
万葉集を韓国語で解釈するって本があってさ、「漢字」は表音
文字としてつかってたわけだから(万葉仮名)文献の読み方だっ
ていろいろになってしまうのよ。
ハングル知らないで、よく勉強したものだと思う。恥ずかしい。
万葉集だけでも、意味不明、解釈不能の「謎」の歌はたくさんあって
それを、韓国読みしたらあっさり読める例とかあったんだよ。
日本の地名だと信じている場所も半島の地名である可能性もあるし
考古学的に証明されていないからこそ、「説」で終わっている
断片も、いずれ「ごく当然のこと」として了解できるだろうね。
570>561:2001/07/13(金) 14:25
>万葉集だけでも、意味不明、解釈不能の「謎」の歌はたくさんあって
>それを、韓国読みしたらあっさり読める例とかあったんだよ。
これは初めて聞いたな。例をあげてくれ。
571名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/13(金) 14:30
確か国語学者の金田一だったかが「万葉集はハングルで読める!」なんて
妄想を論破するために「万葉集は英語でも読める!」なんて素晴らしい実験をやってたな。
まあ、韓国では英語も韓国が起源らしいから、読めて当然なのかもしれませんがね。
572  :2001/07/13(金) 14:32
万葉仮名...それ以後の仮名(変体仮名)の連続性と

万葉仮名...朝鮮の文字とかとの の連続性

  上手くご説明願いたい 今日この頃..
573名無しさん(「思う」ばっかり):2001/07/13(金) 14:38
昔。誰(大王)は向こうの王族だとか、子どもだとか
私は個人的に20年前全くありえないと思っていたけど、
20年の間に「ありうる」どころか、そういう関係から
読み解く方が自然と思うようになってる。
その道の学問やっていないから、ど素人は学者さんのお
仕事を見守るだけで自分では何も証明できないけど。
歴史認識って変化するものだと思うよ。
574名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/13(金) 14:40
ハングルの成立は、万葉集成立から何百年も経ったあとなんですが…。

文字だけではなく、口語にしても、朝鮮の話し言葉は
百済系>新羅系>高句麗系…と変遷してきています。

百済系の話し言葉ならまだ解るんですが、騎馬民族系である
高句麗系を引き継いだ現代韓国語では、万葉集を読もうとしても
些か無理があるような…。
575名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/13(金) 14:43
>>571
もうとっくに本を処分してしまったんだよーー(泣く)
探すわ。
妄想ではない。無理に読んでも意味の分からない歌は多い。
576>574:2001/07/13(金) 15:28
ハングルというのは不適切でした。
但し漢字の「音」の読み方は古代百済系、新羅系関わらず
話し言葉に対する「当て字」として漢字は使われていた
訳ですから・・・。
577名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/13(金) 15:32
>>566
前スレにもあったが神武天皇陵は明治4年につくられている。檀君陵と同じよう
な恥ずかしい歴史がこの国にもあるのだ。
578名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/13(金) 17:05
>>577
イギリスには「アーサー王の墓」があるんですが、アーサー王って実在してましたっけ?
579名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/13(金) 17:27
>>578
エクスカバリーのほうにひかれるな。草薙の剣みたいな伝説の剣じゃん。
580>>579:2001/07/13(金) 17:33
エクスカバリーじゃねえだろ。
少しは落ち着け。
581名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/13(金) 17:34
エクスカリパー
582名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/13(金) 17:35
パーじゃねえだろ。パーじゃ。
583名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/13(金) 17:36
エクスカウパー
584あそ:2001/07/13(金) 18:53
>>575
確か「トンデモ本の世界」に紹介されていたと思うが…
<その本
585>584 :2001/07/13(金) 21:49
「トンデモ本の世界」を読んだ事はないが
私が「国文学」の学生だった頃、万葉集研究
ではメジャーな学者の授業をとっていた。

万葉集第一期の天智天皇までの時代は
<前記載的特殊性>があるといわれる。
歌が万葉仮名で表記されはじめたのは天武の時代からで
それ以前と、以降で「詩」の形式が明瞭に変わる。
鍵を握るのは朝鮮半島の文字文化のうらづけといわれている。

山常庭 村山有等 取與呂布 天乃香具山
騰立 國見乎為者 國原波 煙立龍 海原波
加萬目立多都 怜A國曽 蜻嶋 八間跡能國者

これが高市岡本宮御宇天皇代 [息長足日廣額天皇] の作とされている
国見歌。
大和には 群山あれど とりよろふ
天の香具山 登り立ち 国見をすれば
国原は 煙立ち立つ 海原は 鴎立ち立つ
うまし国ぞ 蜻蛉島 大和の国は

もともと大和の王が歌うかな?「うまし国ぞ 」って?
畿内に進出した王の歌と取れないだろうか?
「村山有等」と「取與呂布 」をどう読むかも諸説ある。
どこから、誰がどういう景色を見たのかも
「解釈」は色々ある。確定しているわけではない。
天武以前は自国の記録が無い。それが現状。
天武も「伝承」を記録したに過ぎない。
586名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/13(金) 23:35
電波のバーゲンセールだね!
587あそ:2001/07/14(土) 00:00
>>585
>畿内に進出した王の歌と取れないだろうか?

取れるっちゃあとれる。
ただ、文章を読む限りでは天武以前の日本語には古代朝鮮の
影響があるのではないかという仮説以上のものは感じ取れない。
「うまし」が現代で言う意味での「うまし」かどうか私は知らないが。

「トンデモ本の世界」を読む限りにおいての話であるが、
「まったく無関係な言語の間でも、偶然に良く似た単語がたくさん見つかる
というのは、言語学の常識」とされるなかで、
その常識を知らずに書かれている本が多いというのも現状であると思う。

安田徳太郎氏の『万葉集の謎』では「レプチャ語で「ア・カン」というのは「自分
の考えと一致しない」という意味で、これが関西弁の「あかん」の語源であると
いう」などの例を用いて日本語の起源がレプチャ語であると主張しているという。

これに対する反証として金田一春彦氏が出したのが571氏の言っている様に、
万葉集は英語でも読めるというものであったという。

万葉集が古代朝鮮語で読めると主張する本として
藤村由加『人麻呂の暗号』
李寧熙『もうひとつの万葉集』
が存在しているが、「安田徳太郎がレプチャ語でやったことを朝鮮語で
やってみせただけ」という文を見る限り、信頼性に乏しい感は否めない。

上記の書物に対する反論として
安本美典『新・朝鮮語で万葉集は解読できない』
西端幸雄『古代朝鮮語で日本の古典は読めるか』
が紹介されている。

引用:と学会 『トンデモ本の世界』
588>あそ:2001/07/14(土) 06:04
天武以前には文字が無かった。
その事実をもう少し厳粛に受け止めてください。

>まったく無関係な言語の間でも、偶然に良く似た単語がたくさん見つかる
そういう意味ではなく、漢字を一字一音として使う事の限界の話です。
私が読んだのは李寧熙『もうひとつの万葉集』のようです。

万葉集の全部の歌が解釈できているわけではありません。
「難歌」とされて、とりあえず解釈されているだけのものも多くあります。

また、人類学で人間にとって全く同じような「シンボル」が全く接触
不可能な社会同士に発生するケースはいくつも確認されており、それを
もって「起源」とするという、トンデモ説と立場を同じにする発言とは
自覚しておりません。
前記の万葉集解釈の「鍵を握るのは朝鮮半島の文字文化」と言っているのは
現場の国文学の研究家です。(ちなみに稲岡耕二)

さらに、さきほどの国見の歌以前のものは、形式からいって、伝えられる時代
作品とは実質的に認められていない。
(「記紀」に登場する仁徳天皇の妻,磐姫皇后の歌とされるものは、
光明皇后のもの。)
うまし=良い・結構だ
村山有等 を、ムラヤマアリトと読むか、ムラヤマアレドと読むか迷う
そんな異常に細かい話です。
589名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/14(土) 06:07
 最近では、縄文人たちが自然共生型の高度な生活文化や洗練された信仰体系を持っていたこと、また縄文末期には一部の地方で初期の稲作農耕が行われていたことなどが分かってきている。
 そして、一方では6千年前頃から始まった気候の寒冷化によって森林の食糧生産力が低下したために縄文人の人口は減少傾向に入り、やがて突如として列島に蔓延したウィルス性の疾患(ATLウィルス)によってその人口が一気に激減したことも知られるようになってきた。そこから推測されることは、自然と共生しながら豊かな文化や信仰を育んできた縄文人たちの生活が、自然の猛威に脅かされて存亡の危機に瀕していた時に、より安定的に食糧を供給できる稲作農耕の高度な技術を携えた渡来人たちが彼ら席巻していったのではないかということである。
 ただし、縄文人が有していた文化水準の高さから考えると、渡来人は自分たちが持ってきたものを一方的に縄文人に押しつけるだけでは縄文人をうまく支配することはできなかったのではなかろうか。ことに宗教的なことに関して言えば、渡来人は縄文人がもともと持っていたものを尊重し、それを制度的に再組織化することによって洗練させ、自らもそれに帰依していった可能性が高いように思われる。
 そうした宗教的な帰依の対象を天皇に集約するにあたって、渡来人たちは縄文人たちの自然信仰と天皇信仰を巧みに同化させていった筈で、それはイスラム・マタラム王国がスノパティとニャイ・ロロ・キドゥルを結びつけた時よりも、はるかに徹底したやり方がとられたと思うのだ。
 これに関してより大胆な仮説を立てているのは栗本慎一郎氏で、同氏は田原総一郎氏との対談『闘論・二千年の埋葬』において、天皇制は古代における縄文勢力と弥生勢力の妥協の産物であり、弥生人たちは縄文の首長をそのまま天皇として奉り、統治システムは弥生人が持ち込んだものを採用した可能性があると語っている。
 そして、それ故に天皇は弥生の中心に居座りながらも、常に日本文化の基層部を担う縄文とも直結しうる両義的な存在になったというのだ。栗本氏はこの説を敷衍して、日本人の政治的な意思決定の曖昧さは、縄文と弥生の妥協の産物として天皇が生み出されたことに由来するとも語っているが、これもまた興味深い仮説である。
590名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/14(土) 06:08
「うまし」って「美し」でしょ?
伊勢志摩は「美し国」として有名さ
591名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/14(土) 06:09
●日本史上、最大最強の渡来人でありながら、今なお多くの謎に包まれている「秦氏」は、昔から多くの研究家によって「ヘブライ系渡来人」ではないかと指摘されている。

 秦氏は第15代応神天皇のとき、朝鮮半島から渡来してきたのだが、この時、10万もの人々が日本に帰化したと伝えられている。その一部は大和の葛城に、多くは山城に住んだのだが、雄略天皇(5世紀半ば)の時に、京都の太秦(ウズマサ)の地に定住するようになったという。

 秦家は非常に有力なファミリーで、794年の平安京は秦氏の力によって事実上作られ、仁徳天皇陵のような超巨大古墳建築にも秦氏の力があった。
 ちなみに、羽田元首相は遠い親戚に当たるという。

●平安京に遷都した桓武天皇は、古代ヘブライの燒祭(はんさい)の儀式を行なっていた。また、平安京のマークはあのダビデの紋章と言われ、現在の京都の市章はその平安京のマークを図案化したものだと指摘されている。
 ちなみに平安京をヘブライ語になおすと「エル・シャローム」、なすわちヘブライの聖地「エル・サレム」である。名称の酷似だけでなく、聖地エルサレムの「城塞」は12の門を持つなど、構造が平安京とよく似ていることが指摘されている。

●秦氏の本拠地にある「八坂神社」の祇園信仰にも古代ヘブライの信仰に非常に似た点がある。また、八坂神社や伊勢神宮の周辺などに「蘇民将来」という伝承にまつわる護符があるが、ここにもダビデの紋章が出てくる。ちなみに、ユダヤのメズサ(護符)と日本のお守りは同一である。
592コリァ!:2001/07/14(土) 09:53
韓国民が言いたい放題ついでに
「日本の天皇のルーツは韓国だ。仁徳陵を発掘しろーミダ!」と
大騒ぎし、韓国の日本大使館を占拠したという夢を昨夜見た!
おれ、電波か?
593名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/14(土) 09:58
>>592
万が一、韓国に都合の悪いものが出てきたとき、
捏造できないのでそんな危険は犯さないと思われます。
594 :2001/07/14(土) 11:49
        / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  ∧_∧  |  アイゴー!歴史の歪曲ニダ!
 < #`Д´><  歴史教科書の修正と過去の反省と謝罪と賠償と経済協力と
 (つ|⌒|⌒| | 技術移転と無償援助と有償援助と従軍慰安婦への謝罪・賠償と
  (⌒)(⌒)   | 在日チョソ人への謝罪・賠償・参政権と靖国神社への参拝禁止と
        | 秀吉の侵略の謝罪と日の丸・君が代の廃止を要求して
        | チョソ人とウリナラとハングルは世界一優れている事と
        | 東海という呼称と竹島・対馬・沖縄はわが領土であることを認めて
        | 剣道と空手と柔道と合気道と相撲と侍と武士道と日本刀と
        | 忍者と天皇と奈良と演歌と茶道と華道と生け花と
        | 花札と盆栽と桜とソメイヨシノと扇子と和歌と折り紙と
        | 日本食と寿司と清酒とおにぎりとトヨタとソニーとホンダと
        | たまごっちとポケモンとガンダムとアトムと
        | ドラゴンボールとキャプテン翼とスラムダンクと
        | dチャモンとニダーはウリナラ起源と認めるニダ!!
        \____
                 ∧_∧   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
                (´∀`;.)< そんなこと言われてモナー...
                  (    )  \_________
     .∧ ∧ニダーイッテヨシ! | | |
     (゚Д゚ ) ̄ ̄ ~〜   (_(_)
     U U ̄ ̄U U
595あそ:2001/07/14(土) 18:47
>>588
>天武以前には文字が無かった。
>その事実をもう少し厳粛に受け止めてください。

前提が間違っていた。
天武以前にもう漢字は日本に入ってきている。

応神天皇時に王仁が百済から論語・千字文を持ち込んで以後
江田船山古墳の太刀銘や稲荷山古墳の鉄剣銘に見られるように
5世紀後半にはすでに漢字が使われている。

478年に倭王武が宋に上表文を渡したのも、すでに漢字が導入されていることを
示すと考えられる。(宋書倭国伝に記載)

6C中頃には『帝紀』『旧辞』が漢字によって記されたとされている。

上記のことから、万葉仮名が天武期に成立する以前の漢字表記は
「朝鮮なまり」もまじっていたとも考えられる。

そうであるならば、天武以前の詩文に関して「鍵を握るのは朝鮮半島の文字文化」
とする学者の意見はまっとうなものとなる。

万葉仮名以前の詩文に関して漢字が一字一音で用いられていないのならば
その詩文の解釈にあたって、日本に漢字を持ち込んだとされる王仁が百済
出身であることから百済における文字文化が、以後の日本における漢字その
ものの用法に影響を与えたかもしれぬと考えられるからだ。

ただ、漢字が百済から入って以後に日本独自の用法に変化した可能性
も否定は出来ないため、古代朝鮮語ですべて解読できるとするのは少し
早計ではなかろうか。
596名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/14(土) 19:08
54 名前: 倭の百済、新羅支配は300年を超える 投稿日: 2001/04/01(日) 18:19

「魏志倭人伝には、狗邪韓国(加羅)を倭国の北限とする記事があり、
考古学的にも当地の3世紀の遺跡には、倭系遺物の出土が多い。

好太王碑文に倭国が海を渡って、百済・新羅を臣民にしたとの記述が見られる時期に、
朝鮮の正史「三国史記」に、百済が皇太子を、新羅が王子を、倭国に人質に出した記事がある。
「日本書紀」も同様で、400年前後に倭国が朝鮮半島南部に勢力を広げたことで一致。
宋書には、5世紀後半に、倭国に新羅・任那などの軍事権を認めた叙任がある。
これらの文献資料は、全て調和的。

考古学的には、畿内発祥の埴輪を並べた前方後円墳が、古墳時代中期〜後期(5〜6世紀)
になると、朝鮮半島南部にいくつも見られるようになり、倭国の勢力拡大を裏付けている。
と言うわけで、全く問題ないのである。 」

300年以上も倭のぱしりをしていた連中が大和朝廷の始祖で
ある、などということはありえない。
597名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/14(土) 20:27
日本を西に行けば行くほど気質が朝鮮に似通ってくるのはどうおもう?

日本人がだんだん変質してそのなれの果てが朝鮮に渡ったのか、
それとも朝鮮人が西から日本に浸透してきたのか
どっちだとおもう?
598名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/14(土) 20:31
人と猿と同じ祖先を持っているとは言え、
現在の猿から人間が進化したわけではない。
日本人の祖先の一つが朝鮮人と共通だったとしても、
その祖先は今の朝鮮人とは別物と考えたいね。
なんたって、唐辛子を持たない朝鮮人なんだもんね。
599>:2001/07/14(土) 21:14
>江田船山古墳の太刀銘や稲荷山古墳の鉄剣銘
600:2001/07/14(土) 21:18
599の続き
鉄をどこで作ったかだよね。
601名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/14(土) 21:24
加羅の王族が倭の王になったのでしゅか?
「倭」が百済・新羅を臣民にした時期の前
602名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/14(土) 21:57
応神天皇は九州南部にあった縄文系の狗奴国の王。
息子の仁徳が東征した。
603:2001/07/14(土) 22:15
「ある王が東征した」のは確実ですかね。
604名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/14(土) 22:24
>>602
狗奴国が縄文系であるという根拠は?
605名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/14(土) 22:26
>>597
日本に来た古代の朝鮮人は不本意だったとしても、新しい土地、
未知の海に漕ぎ出す根性の持ち主、はげ山の朝鮮半島に
残ったのは残りカス。
606名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/14(土) 22:27
>>596
こいつ、どういうつもりでこのコピペを繰り返してるんだろか。この
説の電波性を宣伝したいのかな。
607名無しさん@お腹いっぱい:2001/07/15(日) 00:41
>>602
応神天皇と宇佐八幡でも調べてみれば?
むかしむかし半島の「加羅」の倭人は九州を行動半径にしていましたとさ。
それがどうかしたの?って思うけど。
608名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/15(日) 00:46
>>602
そうすると神功皇后はやはり創作、倭の朝鮮支配も創作ということ
になりますね、なるほど。

609日向の国は天皇の家 :2001/07/15(日) 00:51
まずは天皇家発祥の地であるが記紀には日向国とある。これに異論を唱える説、
大和説、卑弥呼の末裔説、朝鮮説等があるが。当時の物の考え方からすると
朝鮮であれば堂々と書けた時代である。何も嘘をつく必要など何もない。
では日向国の何処か?高千穂の峰の麓に広大な盆地の中心に位置する都城
である。都という字を「みやこ」と読むのは奈良の都と京の都とこの都城だけで
ある。当時この地は都島(みやこのしま)と呼ばれていた。これは「みやこ」ある
地域即ち都城盆地全体を指す意味で島と言っている。例えは悪いがヤクザの
いうシマと同じである。 言い換えればこの名は「みやこ」のある場所という意味
である。これは何を意味するかといえばここが天皇の拠点であるということである。
土地の名前の決定権は権力者だけに許された特権事項である。
ましてや「みやこ」である。 これは天皇の専権事項で天皇の拠点である地域にし
か許されない呼び名である。それは都が京に移った後は奈良の都は単に奈良と
呼ばれていることからも推察できる。このことは天皇が権力を失う摂関政治が始ま
るまで続く。 もう一つ日向国の名前は古事記が編纂される前まで国の名前が
なかったのである。古事記を編纂するから急遽、名前をつけたと言っても過言で
はない、それはなぜか?ひとは自分の家を言うのに固有名詞を使わない。
私の家とかじぶんちとか普通名詞で言う。例えば中村さんが自分の家のことをいう
時に「中村の家」とは決して言わない。 これと同じでじぶんちである日向の国に
特に名前を付ける必要がなかったのである。
610日向の国は天皇の家:2001/07/15(日) 00:54
では天皇家の系譜を追ってみよう。初代、神武から九代開花までは伝説上の
人物と言われている。ある説では十四代仲哀までがそうだといわれている。ここ
では開花までを混乱をさける為、伝説上の人物としておこう。人物は伝説上の人
でも起きた出来事は事実に基ずいていると考えている。それは何かの始まりの
天皇には神の字の付く諡が付けられている。諡は死後、天皇の業績を反映して
付けられる名前である。決して、生存中に呼ばれた名前ではない。神武、崇神、
応神と天皇ではないが神功皇后の四人である。神武は初代だから当然である。
応神、彼こそが全国を統一して大和に都を定めた天皇であるという説が有る。
その成立過程については異なるが応神が全国を統一を成し遂げたということに
異論はない。ということで大和政権の始祖という意味である。では崇神は何を始め
たのか、彼こそ都城に都を定めたのだ。崇神から応神までの6代が都城を都とし
ていた。 初代から応神まではある特定の人物がいたのではなく起こった事柄に
合わせて天皇の名前を入れ込んだと考えた方がよいのではないか。言い換えれば
神の付く天皇についてはその在位期間に何かが始まったということです。
611日向の国は天皇の家:2001/07/15(日) 00:55
お墓について触れていなかったので、ここで少し述べよう。 都城5代の天皇
のお墓はこの宮崎の地にある。みんながよく知っている前方後円墳は飛鳥時代初
期まで天皇家と皇族にしか許されない墓の形式であった。ここまで言えばお分か
りと思う。宮崎の古墳のほとんどが前方後円墳である。日向の国には地方豪族は
いなかったのです。いるのは天皇の一族ばかりです。そしてこの前方後円墳は重
要なもののを象徴したものなのです。それは三種の神器のひとつにまつわるもの
なのです。
612日向の国は天皇の家:2001/07/15(日) 00:57
日向の国が天皇家の家であることを裏付けることがある。宇佐神宮である。
そうです称徳天皇が弓削の道鏡を天皇にしていいかどうかの託宣を貰いに行かせた
神社である。なぜ伊勢神宮ではなく宇佐神宮なのか。それは天照大神が天皇家と
直接の繋がりがない神と分かっていて、しかも、宇佐神宮が大和政権の礎を築いた
直接の先祖である応神天皇を祀っている神社であって当時最高位に位置する神社で
あったからである。その宇佐神宮の領地の9割が日向にあって、それが日向の全荘
園の4分の一を占めていた。宇佐神宮が豊後の国にあるのにもかかわらず、なぜそ
うなったか、宇佐神宮が天皇家のために天皇家を守るために建立された神社である
からだ。そのため天皇家は天皇家の土地、日向の荘園を神宮に寄進したのだ。
613>595:2001/07/15(日) 00:59
>上記のことから、万葉仮名が天武期に成立する以前の漢字表記は
>「朝鮮なまり」もまじっていたとも考えられる。

>そうであるならば、天武以前の詩文に関して「鍵を握るのは朝鮮半島の文字文化」
>とする学者の意見はまっとうなものとなる。
なんで「朝鮮なまり」が混じるんだい?王仁が持ち込んだのは中国の本そのまま
じゃねえか。おまけに王仁は中国人かもしれないんだぜ?だいたい朝鮮の文字
ってなーんの痕跡もないんだよね。朝鮮人は実在したかのように話すけど。
百済だの新羅だのが出来る前は楽浪郡が置かれて、ようするに国でなくてただの
中国の一地方だったんだから、古代朝鮮語なんてそもそも存在しなかったんじゃ
ねえの?
614反論できない韓国人(w:2001/07/15(日) 01:03
54 名前: 倭の百済、新羅支配は300年を超える 投稿日: 2001/04/01(日) 18:19

「魏志倭人伝には、狗邪韓国(加羅)を倭国の北限とする記事があり、
考古学的にも当地の3世紀の遺跡には、倭系遺物の出土が多い。

好太王碑文に倭国が海を渡って、百済・新羅を臣民にしたとの記述が見られる時期に、
朝鮮の正史「三国史記」に、百済が皇太子を、新羅が王子を、倭国に人質に出した記事がある。
「日本書紀」も同様で、400年前後に倭国が朝鮮半島南部に勢力を広げたことで一致。
宋書には、5世紀後半に、倭国に新羅・任那などの軍事権を認めた叙任がある。
これらの文献資料は、全て調和的。

考古学的には、畿内発祥の埴輪を並べた前方後円墳が、古墳時代中期〜後期(5〜6世紀)
になると、朝鮮半島南部にいくつも見られるようになり、倭国の勢力拡大を裏付けている。
と言うわけで、全く問題ないのである。 」

300年以上も倭のぱしりをしていた連中が大和朝廷の始祖で
ある、などということはありえない。
615あそ:2001/07/15(日) 01:03
>>613
あくまでも仮説だから、「考えられる」としてるんだが…
616>615:2001/07/15(日) 01:05
仮説にも根拠はあるだろ。お前の説明は全く根拠に触れていない。
617あそ:2001/07/15(日) 01:11
>>616
何で喧嘩腰かな、君は。
根拠があればもっと明確に「考える」と書くさそりゃあ。
推論による解釈のひとつとしての仮説だってのは読めばわかるだろうに。

根拠が無いことを書くなってか?この2ちゃんで。
もっとおおらかになれないかなー。
618名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/15(日) 01:13
古代朝鮮語を語るんだったら、楽浪郡、帯方郡のことも語るのが
当然だよな。なのに朝鮮人は朝鮮と中国の関係についてはほとんど
語ろうとしない。実にうぜー!
619名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/15(日) 01:15
陵墓の見学許可指針を公開 宮内庁

宮内庁が立ち入り禁止にしている古代の天皇、皇后、皇族の陵墓古墳について、
例外的に見学を許可する場合の指針が明らかになった。見学場所は古墳の外周部に
限られ、見学者の資格にも厳しい制限がついている。
考古学者らは「古墳時代の研究を妨げている」と長年、陵墓古墳の公開を要求してきた。
宮内庁は79年2月1日、「古代高塚式陵墓の見学の取扱(とりあつかい)方針に
ついて」という指針を定め、見学規定が盛り込まれていた。それによると、立ち入り
できる範囲は古墳の堤防とその他の外周部▽見学できる人は大学や教育委員会、研究団体
などに属する研究者か、書陵部長が適当と認める者 ▽見学の日時、場所などの実施方法は
書陵部長が定める、としている。
陵墓への立ち入りを禁止する理由は「陵墓は、皇室において祭祀(さいし)が継続して
行われており、皇室と国民の追慕尊崇の対象となっているので、静安と尊厳の保持が
最も重要なことである」としている。

◇陵墓◇
歴代天皇、皇后、皇族の墓を指す。宮内庁が「古代高塚式陵墓」と呼ぶ古墳は、陵墓の
可能性がある参考地などを含め約240基にのぼる。古事記、日本書紀、延喜式などを
もとに多くが江戸、明治期に決められ、その指定が今も生きている。指定の根拠が
乏しい陵墓が多数ある一方、指定されていない奈良県橿原市の植山古墳は昨年、発掘調査で
推古天皇が葬られていた可能性が強まった。このように、一般の古墳が調査によって
陵墓ではないかと指摘されることもある。

ソース:朝日新聞 http://www.asahi.com/culture/update/0713/002.html
620名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/15(日) 01:19
日向の話おもしろかったよ!
宇佐八幡宮っていいとこだし!
621名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/15(日) 01:21
天皇家ってどんな祭祀やってんの?
622名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/15(日) 01:32
[見学場所は古墳の外周部に限られ]だと、何の意味も無いね。
623あそ:2001/07/15(日) 01:35
>>619
観光旅行みたいだ
624名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/15(日) 01:45
>>621
皇霊祭のことだと思う。
神武、明治〜昭和天皇以外の天皇に対する扱いは如何ほどのものかは知らないが。
625名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/15(日) 13:40
日本人は朝鮮半島から渡来してきた。
だがだからといって日本人が朝鮮に劣等感を感じる必要はない。
やつらは新しい土地を探して海にこぎ出すことができない根性なしで
発展した我々をひがむ負け犬根性が歴史的に染みついているのだ。

朝鮮人がいかに欺瞞にみちた暴論を展開し、世界すべてのものが
朝鮮起源だと主張しようが気にすることはない。
万が一くらいには本当に朝鮮起源のものがあるかもしれないが
やつらにはそれを発展させることができなかったのだ。
626天皇家の日向以前:2001/07/15(日) 15:10
天皇家のルーツを話すためにはまるで関係ないような古代イスラエル王国の話
から始めなければならない。そうです巷でも囁かれている天皇家とユダヤとの
関係が伊勢神宮の灯籠にあるダビデの星を手がかりにしていろんな説が出て
いますがここでは違ったアプローチで天皇とユダヤの関係に迫りたいと思う。
それにはユダヤの国・古代イスラエル王国の衰亡から始めるのが適当であろう。
故に古代イスラエル王国の分裂前夜から始めることにしよう。
(ダビデの星:これは古代イスラエル王国の国の紋章でダビデ王が制定したの
でこうよばれている。現在のイスラエルの国旗にも使われている。)

古代イスラエル王国はソロモン王が死ぬと国力は急速に衰え、内乱が勃発、
ついには分裂する。このことは旧約聖書に詳しいのでその粗筋だけ述べてみよう。

ルベン族、シメオン族、ダン族、ナフタリ族、ガド族、アシェル族、ナセナ族
イッサカル族、ゼブルン族、エフライム族、の10支族とレビ族から成る「北朝
イスラエル王国」が成立する。
他方、ユダ族、ベニヤミン族とレビ族は「南朝ユダ王国」を形成し、聖地エルサレム
を守り、ソロモン神殿と契約の箱を継承した。
そして紀元前722年、メソポタミア地方を支配していたアッシリア帝国が侵攻し、
北朝イスラエル王国は滅んだ。イスラエル10支族はアッシリアに連行され、
やがて歴史から消える。これが世に言う「失われたイスラエル10支族」である。
さらに紀元前587年、新バビロニア王国の攻撃によって、エルサレムが陥落し、
ソロモン神殿はことごとく破壊され、宝物は全て奪い去られた。物ばかりではない。
南朝ユダ王国の人々もまたバビロンへ連れ去られ、以後50年間に及ぶ奴隷生活
が始まった。これを「バビロン捕囚」という。そして契約の箱も消えていた。

新バビロニア王国には細かい戦利品のリストが残っているのだが、契約の箱らし
きものが載っていない。契約の箱はイスラエルの至宝である。敵の至宝は最大の
戦利品である。リストに記録しないはずがない。それがないということは、ユダ王国
滅亡以前に契約の箱はソロモン神殿から持ち出されていたと言うことになる。
飛鳥昭雄、三神たける両氏は旧約聖書を丹念に検証した後出した説によれば
紀元前740年から紀元前626年の間となる。それはソロモン神殿から何処に持ち
去られたのか?多くのユダヤ研究者は契約の箱が陸の道を通って失われた10支
族によって東に運びさられたと言われている。ちょっと待って契約の箱は南朝ユダ
王国の首都エルサレムのソロモン神殿にあった。北朝イスラエル王国の人々には
手の届かないところにあった。しかも東に行くと敵のまっただ中を進まなければな
らない。自殺行為である。 ユダ王国の人々が運んだとしても同じ理由で東には
行かないと思う。もっと安全なところがあるからだ。 それでは何処か?それは
シバ女王の国、ソロモン王と女王との間に生まれた息子が建国したアクスム帝国
に亡命したのである。アクスム帝国は今のエチオピアとイエメンにまたがる帝国で
あった。

先に進む前に契約の箱について述べよう。契約の箱については旧約聖書に大きさ
材質と意匠について詳しく述べられている。それによるとアカシヤで作られており、
大きさは縦は112.5cm、横は67.5cm、高さ67.5cmで内側も外側も金箔で被わ
れている。また箱の低部四隅金環を作り、そこに金箔で被ったアカシヤの棒を通し
たものである。蓋の上には一対のケルビムを配し、お互いが向き合って中央を囲む
ようにその翼の腕を広げている。翼の腕に囲まれているところはユダヤの絶対神
ヤハウェが宿る「贖いの座」である。ケルビムとは人間の姿・形をしていて手が翼
になっているような想像上の生き物である。そして絶対神ヤハウェは太陽の神で
ある。太陽を最高神と仰ぐのは古代エジプト、ユダヤ、そして日本の神道だけであ
る。古代エジプトとユダヤは密接な関係がある。神道は? 後に詳しくのべる。
627天皇家の日向以前:2001/07/15(日) 15:11
ソロモン神殿以前にも契約の箱を納める神殿を造ろうとしたが絶対神ヤハウェに
拒否されている。それは石作りの神殿だったからであろう。なにせユダヤ人の天
職はエジプトでピラミッドや神殿を造っていた石工であるから。
その教訓から再度造られたソロモン王の神殿は全てレバノン杉の木で造られて
いた。絶対神ヤハウェは偶像崇拝、他の神の信仰などの背信行為を絶対許さない。
もしこれを破れば必ず神罰を下す。国が破れば国を滅亡に導き、人が破れば死を
もって贖わせる。祭祀司るレビ族以外の人がこの契約の箱に触れたら、例え王で
あっても死を持って贖う神である。この神を信仰し、戒律を守ってさえいればユダヤ
の王権を絶対保証してくれる。それ故この契約の箱がイスラエルの唯一無二の至
宝と言われる所以である。

エチオピアの地にも契約の箱伝説がある。これは契約の箱がかってこの地に来た
ということである。 その伝説は契約の箱がシオン教会の地下深く厳重に保管され
ていて今もエチオピア軍隊によって厳重に警護されている。しかし、ここには契約の
箱はない。なぜならば石の神殿に納められるのさえ拒んだ神がいわんや地下に保
管されることを許すだろうか?ということはもうエチオピアを脱出してこの地に契約の
箱はないことになる。ではなぜ契約の箱がエチオピアを出なければいけなかったの
か?この地に偶像崇拝が蔓延する様になったからだと推測する。その時期は紀元
前一世紀と推定している。ローマ帝国の勃興時期でその影響がこの地まで及び偶
像崇拝が蔓延してきたためだ。このアクスム帝国は紅海とアラビア海を舞台に海運
貿易で栄えた国である。
そうアラビア海をダウ船で東に向けて出帆しインドに渡ったが、ここはすでにヒンズ
ー教などの偶像崇拝が蔓延していた。それでさらに東に進みマレー半島辺り着いた
がここもインドと同様であった。ここで中国のジャンクに乗り換えさらに東に進み、黒
潮にのって九州の南岸に辿り着いて、そこでかれらは信じられないものを見た。シナ
イ山だ。黒潮が最に陸地に近づく日南市辺りから山を見るとお椀を伏せた上に小さ
な三角帽子を乗せたような高千穂の峰が見える。この山の形がシナイ山に似てい
るのだ。
彼等はここに上陸し、高千穂の峰を目指した。その途中で杉(杉は神殿を建てる大
事な材料)も見つけた。彼等は確信した、この地こそが神からユダヤ人に与えられ
た約束の地だと。故に、彼等は高千穂の峰の麓の盆地に定住し、高千穂の峰を聖
地とし、契約の箱を祀った。これが日本での天皇家の始まりである。ここを根拠地
とし日本統一がスタートする。
この日南上陸は「海幸彦、山幸彦」の神話に見ることができる。 最初の部分の釣
り針の話はいわばつかみの部分でその後が上陸のことであろう。山幸彦が竜宮か
ら返って来て、海幸彦を懲らしめるあたりはまさしく上陸戦である。山幸彦は海の満
ち干を巧みに利用して海幸彦を破り上陸を果たした。そして山の麓に根拠地を構え
たので「山」幸彦になった。これに対し海側に居たので「海」幸彦にした。
628天皇家の日向以前:2001/07/15(日) 15:14
もう一度天皇家の系譜について述べよう。それには記紀を検証する必要があるある。
これを読み解くのに私なりに3つのキーポイントを設定した。
  1、神の字の付く天皇
  2、万世一系
  3、戦争らしい戦争無しに日本統一
記紀は1のあることを除いて2、3を貫くため、起ったことを起きた年代も考えず相
当デフォルメして書かれている。また時には滅ぼした国の国王を天皇家の系譜の
中に入れ込んでいる。まるでモザイクのように。そのため天皇の生存期間を伸ば
したり縮めたり、熊曾や隼人を何回も征伐する、等のように論理的に不整合ばか
り目立つようになった。
記紀を解釈する上で重要なことは、起きたことは起きたこととして(起きた順序・
年代は別にして)書かれていて全て創作されたたものではないということ、登場
人物の入れ替えが行われていることを踏まえることである。記紀の全体の骨格
及び目的を最初に想定して始めなければならない。特に、神武から応神までは
気を付けなければならない。
では1のあることとは何か? それは天皇の即位の年である。
   神武  紀元前660年
   崇神  紀元前97年
   応神  紀元 270年
なぜ即位の年なのか、話は逆でこの年ユダヤにとって非常に重要なことが起きた
から神の字付いた天皇の即位の年として深く記憶に留めたいという意志からだ。
まずは神武の即位の年、紀元前660年は思い出して欲しい、そう、紀元前740
年から紀元前626年の間にソロモン神殿から契約の箱が持ち出されたこと。
紀元前660年はその範囲にあっる。この年を契約の箱、マナの壷、アロンの杖
が共にアカバ湾からソロモン王とシバの女王の子孫の国アスクム帝国へ向け船
出した年と考えている。応神の270年は九州統一がほぼ完了した年である。
そして、やはり日向の細島から日本統一の遠征に契約の箱、マナの壷、アロン
の杖と共に船出をした年と考える。以上のことを踏まえて推理すると崇神の紀元
前97年はアクスム帝国を東に向けて契約の箱、マナの壷、アロンの杖と共に船
出した年となる。そして豊かで緑の多い約束の地に着いた。それ故に崇神天皇
に『崇』の字が諡に付けられたと考えられる。そして霧島東神社は崇神天皇の建
立となっている。(契約の箱、マナの壷、アロンの杖はユダヤの王権を保証する
三種の神器である。)三種の神器が移動すること、ましてや大海を移動したとな
るとユダヤ人とって史上稀に見る出来事である。だからこそ、こういう手法をとって
記録に残すことにしたのだ。
神の字の意味は第一義的には三種の神器の大移動を指し、派生してなにかを始
めた天皇、新しい土地で新政権樹立した天皇ということになる。
629>613:2001/07/15(日) 15:16
大野晋は国語学、言語学は素人です。単語の類似性なんて、現代の言語学ではまったく問題にされません。音韻の変化と文法構造ですね。
変化する速度はある程度共通だから、時代がわかります。

で、通説は、琉球語と日本語とは14世紀に分かれた、
朝鮮語と日本語は3世紀頃に分かれた。世界でただひとつ、文法がまったく同じなのが朝鮮語だよ。
630名無しさん@お腹いっぱい:2001/07/15(日) 15:59
大野晋は「日本語練習帳」の人だよね。
日本語の語彙はタミル語(インドのドラヴィダ系)とそっくりって言ってた。
文法は朝鮮語だって。

あきつしまは古代の移民の国かもね。合衆国の先輩だ。わはは。
631名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/15(日) 22:26
朝鮮の影響をことさら吹聴する連中がむかつくから、仕返しに朝鮮に対する
日本、中国、モンゴルの影響を吹聴してやろうや。
「ハングル、チョゴリ、プルコギは蒙古の朝鮮支配の置き土産です。」
632名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/15(日) 22:28
「檀君神話も蒙古に支配された悔しさのあまり、捏造してしまいました」
633名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/15(日) 22:39
>>632
神武神話はどんな理由で、捏造したの?
634雪男:2001/07/15(日) 22:47
>>633
なぜ神武?
天照かスサノオじゃないの?
635名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/15(日) 22:50
古代日本は中国がより進んでいる国であることを認識していたんだよね。
どうやって知ったんだろう。
636名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/15(日) 22:52
北朝鮮の教科書には「俺達はモンゴル系だから長身、蒼白で
美しい。南の猿と一緒にしないでくれ」って書いてあるそうだ。
南の学者は半島は単一民族である、として北朝鮮のこの記述を
捏造と決め付けたようだ。
637636:2001/07/15(日) 22:53
ネタじゃないから。
638名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/15(日) 22:56
「のりは日帝時代に日本から韓国に伝わりました」
639名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/15(日) 23:05
54 名前: 倭の百済、新羅支配は300年を超える 投稿日: 2001/04/01(日) 18:19

「魏志倭人伝には、狗邪韓国(加羅)を倭国の北限とする記事があり、
考古学的にも当地の3世紀の遺跡には、倭系遺物の出土が多い。

好太王碑文に倭国が海を渡って、百済・新羅を臣民にしたとの記述が見られる時期に、
朝鮮の正史「三国史記」に、百済が皇太子を、新羅が王子を、倭国に人質に出した記事がある。
「日本書紀」も同様で、400年前後に倭国が朝鮮半島南部に勢力を広げたことで一致。
宋書には、5世紀後半に、倭国に新羅・任那などの軍事権を認めた叙任がある。
これらの文献資料は、全て調和的。

考古学的には、畿内発祥の埴輪を並べた前方後円墳が、古墳時代中期〜後期(5〜6世紀)
になると、朝鮮半島南部にいくつも見られるようになり、倭国の勢力拡大を裏付けている。
と言うわけで、全く問題ないのである。 」

300年以上も倭のぱしりをしていた連中が大和朝廷の始祖で
ある、などということはありえない。
640名無しさん@お腹いっぱい:2001/07/15(日) 23:16
韓国ってさ、地方ごとに仲悪いよね。
641名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/17(火) 12:04
「CCさくらは20世紀末に日本から韓国に伝わりました」
642■日本は百済の植民地だったのか:2001/07/18(水) 02:48
 日本書紀の讖緯説の影響のなかでも、特にその起源の設定は讖緯暦運説に依存している。これに基づいて、日本の神話的な起源の時刻が算出されている。
 であれば、逆に算出基準となった時刻が存在することがわかる。そして、この算出基準となった時刻こそが、この宇宙観に実質的に最も意味をもった事実を反映していることも明かだろう。つまり、それが日本の実質的な起源の時刻なのだ。
 ではそれは、いつなのか?
 まず、その算出の方法論だが、一般的には、このように理解されている。つまり、干支は六十年で一巡し、このサイクルを一元とする。また、二十一元で一蔀となり、世界が改まる、と。このため、一蔀を単純計算で千二百六十年とする。
 これらは実は明白な誤りなのである。
 讖緯暦運説の原点は『六芸論』や『駁五経異義』を著したとされる後漢代の経学の学者鄭玄(一二七〜二〇〇)の説であるが、その算出を説明する原典はすでに存在しない。幸い、日本の三善清行の『革命勘文』(九〇一年醍醐天皇に献納)にはその引用と思われる文が残っている。
 「鄭玄曰く、天道は遠からず、三五にして変ず。六甲を一元と為す。四六、二六交相乗ず。七元に三変あり。三七相乗じ、二十一元を一蔀と為す。合わせて千三百二十年」
 結論を言えば千三百二十年で正しい。なぜなら、鄭玄自身が宇宙のサイクルを間違いなく千三百二十年としていたことは、中国史の知識があれば、簡単に理解できることからだ。
 そこで、実質の日本国家の起源年は、日本書紀の神話的な起源年に千三百二十年を加算さえすれば、誰にでもわかることになる。この答えは、西暦六六一年である。
 この年は天命が入れ替わる「革命」を意味する辛酉年にもあたる。また、国家制度が入れ替わる「革令」は甲子年は辛酉年の三年後、西暦六六四年である。
 日本書紀に埋め込まれている宇宙の時間は、西暦六六一年を革命とし、六六四年を革令としているのだ。
 では、なぜ、この年が日本の起源に選ばれたのか。また、その年を選ぶことで、革命と革令は、この時代になにを意味しているのだろうか?
 歴史年表を持ち出すまでもなく、この年号は中学生でも暗唱しているだろう。西暦六六一年は百済が滅亡した翌年であり、六六四年は白村江戦が敗退した翌年である。つまり、百済の滅亡後の政体が革命であり、白村江戦の敗退後の国家制度制定が革令である。天命の観点からいえば、百済を後継することが「天命」であり、この推進者は天命を開別する者である。
 以上の考察にはいささかの推論も含まれていない。ただの歴史的な事実を従来にない方法で配列し直したただけだ。だが、この配列が問いかける問題を今までだれか読み解いたことがあったのだろうか?
 というのは、これは端的に言って、日本という国は百済の後継国であるという宣言以外のなにものでもない。他にどのような妥当な解釈も許されそうにない。たとえば、百済の滅亡に対して、「他国の出来事ではあるが百済は重要な同盟国なので、その滅亡は新しい時代の終焉と当時の日本人が考えた」などというノンキな解釈は成り立たない。天命が入れ替わる「革命」という意味を十分理解すれば、そんな迂遠な解釈が成立するわけがないからだ。
http://www.people.or.jp/~nobumasa/kudara.html
643名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/18(水) 02:56
| | Λ
| |Д゚)  .....
| |⊂)
| |∧|
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

| | Λ
| |Д゚)  電波.....
| |⊂)
| |∧|
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

| |  サッ
| |)彡
| |
| |
644名無しさん@お腹いっぱい:2001/07/18(水) 03:06
天皇が朝鮮系というなら、この屈辱を誰にぶつけたらいい?
645名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/18(水) 03:42
54 名前: 倭の百済、新羅支配は300年を超える 投稿日: 2001/04/01(日) 18:19

「魏志倭人伝には、狗邪韓国(加羅)を倭国の北限とする記事があり、
考古学的にも当地の3世紀の遺跡には、倭系遺物の出土が多い。

好太王碑文に倭国が海を渡って、百済・新羅を臣民にしたとの記述が見られる時期に、
朝鮮の正史「三国史記」に、百済が皇太子を、新羅が王子を、倭国に人質に出した記事がある。
「日本書紀」も同様で、400年前後に倭国が朝鮮半島南部に勢力を広げたことで一致。
宋書には、5世紀後半に、倭国に新羅・任那などの軍事権を認めた叙任がある。
これらの文献資料は、全て調和的。

考古学的には、畿内発祥の埴輪を並べた前方後円墳が、古墳時代中期〜後期(5〜6世紀)
になると、朝鮮半島南部にいくつも見られるようになり、倭国の勢力拡大を裏付けている。
と言うわけで、全く問題ないのである。 」

300年以上も倭のぱしりをしていた連中が大和朝廷の始祖で
ある、などということはありえない。
646usa:2001/07/18(水) 06:32
天皇稜発掘が許可されないのは
天皇家が半島出自である事が明確になるから。
我々日本人の大部分は半島出自よ。
これはDNA鑑定で明白。以上、学会の常識。
右翼がウルサイカラ、世間の常識にならぬのだ。
神話をグダグダとカキコするな。
お前のDNAはチョンその者だよ。
647名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/18(水) 18:04
>>646
おまえがチョンだろ。
648名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/18(水) 18:14
●●列島に広がる祝福と気遣い●●

◇ゆかりの人々
 雅子さま「不倫の可能性」のニュースは、ご夫妻の悪友たちにも伝わった。
 小和田家と家族ぐるみで悪行をしていた尚美学園大の井口武夫首領(136)は「雅子さまはsex好きで好き者のお子さんだった。男遊びのこともあるので、懐妊されたことはつつましやかに、”密かに”喜んでいます。きっと女泣かせなお子さんが生まれることと思います」。
 雅子さまと三流高校で不良仲間だったスケバン、月川真理奈さん(三七)は「大変うれしく思っております。デリケートな時期を過ぎましたら、騎上位や背後位などでお体を鍛える機会を早くお持ちになって、悪知恵の働くお子様のご誕生の日を迎えられますようお祈りしております」と気遣った。
 ご夫妻のお見合いの場となったSM専門ホテル、アルファインの当時の支配人だった菱沼吾朗さん(六八)は「右翼暴力団みんなが待っていたお子さま。これからおマンコを大事にしてください」。
 ご夫妻は毎年のように那須の山々で野外SEXを楽しまれている。その案内役を務めてきたのが那須山賊会会長の大高登さん(七二)。「SEXの際の仲むつまじい汗だくの姿が思い浮かび、本当に喜ばしく感じます。雅子さまは(勃起した)皇太子さまと足並みをそろえて歩かれるほどで、生まれてくるお子さまは女好きで精力絶倫でしょう。お子さまと三人で那須の山にいらっしゃることを今から、楽しみにしております」と喜びいっぱい。
◇街の人々
 街の人々からは「本当に良かった」「おめでたい」という喜びの一方、「命中率が悪い」「いったい誰の子か?」など、雅子さまを非難する声が聞かれた。
 息子の葬式で上京した広島県安芸郡のボケ老人、池永豊子さん(88)は「待ちに待った、という気がします。息子の葬式と併せて二重橋の喜び」。東京都足立区の不良高校生、嶋田久恵さん(一七)は、「SEXは若いうちに限ります。親にはナイショで私も妊娠しました」とエールを送った。
 中には少し気の早い注文も。観光旅行で皇居を訪れた福岡県大牟田市の性豪、塚本寿嘉さん(七九)は「皇位継承という問題になれば、子供は20人、30人と多い方がいい」と笑顔をみせた。
 高まる非難と呼応するように、雅子さまの下腹部を心配する声もあった。名古屋市の右翼、坂野和隆さん(六二)は「右翼暴力団的に喜ばしいこと。男の子が生まれれば最高にいいと思う」としながらも「一番、大事な時期なので、膣をそっとしておいて」と話す。埼玉県所沢市のヤリマン大学生、江積美保さん(二一)も、「この前は腰使いが悪かった。高齢出産で不安な面があるかもしれないけど、周りのことは気にせず妊娠中の性生活を頑張ってほしい」と気遣っていた。
649ヒロヒト(安定期):2001/07/18(水) 18:22
ふふ
650名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/18(水) 18:54
>>644 >>646
天皇が朝鮮系なら朝鮮半島の正当な所有者は天皇ということになる、
古代朝鮮の王統は今はわからなくなってるからね、朝鮮併合は
正しかったっと言うことだね。
651名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/18(水) 20:15
ばかばかしい。ペルー大統領が日系だったら日本列島の所有はペルーになるのかね。
652名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/18(水) 20:18
>>650
天皇は朝鮮半島からたたき出されたへタレ。
しかたがないから海を渡って倭を征服しましたとさ。
653名無しさん@お腹いっぱい:2001/07/18(水) 20:57
天皇が朝鮮系ということについて、コピペ以外ではもう反論ないの?
654名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/18(水) 20:58
>>651
そのとおり。
655名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/18(水) 20:59
>>651
そうか、だからフジモリを引き渡せないのかぁ〜
656名無しさん@お腹いっぱい:2001/07/18(水) 21:17
そうか、ペルーの日本大使館は白村江だったのか。
657650:2001/07/18(水) 21:26
フジモリは王族じゃないよ。
ついでに朝鮮併合の根拠のひとつとして、日朝同祖論が
言われたんだけどねえ、、天皇が朝鮮系なんて言って
喜んでいる奴は自分の言ってることの意味をもうちょっと
考えたほうが良いとおもうのだが。
658名無しさん@お腹いっぱい:2001/07/18(水) 21:59
>657
あのさ。史実をさ、政治的に「解釈」をして
利用するっての。おかしいよ。
「天皇が朝鮮系」
それで、なんで喜んだり哀しんだりしなきゃなんないのさ?
659大天才様1号:2001/07/18(水) 22:01
やめとけやめとけ。掘ってもあんまり面白いものは出て来ないよ。

せいぜい壁画とか、古い鏡とか、そんなのばっかり。
660名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/18(水) 22:02
>>658
同意。
朝鮮かどうかは科学的事実の問題。調べれば済むこと。議論の余地無し。
661名無しさん@お腹いっぱい:2001/07/18(水) 22:03
続き
倭を征服したけど、故郷は滅びましたとさ。
662名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/18(水) 22:10
>>659
そういうのが考古学的に大事、壁画でもでれば大発見。
宝さがしじゃないんだぜ。
663名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/18(水) 22:21
>>657
どうして王族と思うの?
日本の貧民の息子がペルーで大統領になったんだ。
朝鮮の貧民の息子が日本で天皇になってもおかしくないさ。
664名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/18(水) 22:27
>>663
弥生人は朝鮮半島からの渡来人で、米作を伝え
日本を征服したそうですが、ではなぜ日本の米は
大陸の陸稲系でなく、南方の水稲系なんですか〜?
665名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/18(水) 22:34
54 名前: 倭の百済、新羅支配は300年を超える 投稿日: 2001/04/01(日) 18:19

「魏志倭人伝には、狗邪韓国(加羅)を倭国の北限とする記事があり、
考古学的にも当地の3世紀の遺跡には、倭系遺物の出土が多い。

好太王碑文に倭国が海を渡って、百済・新羅を臣民にしたとの記述が見られる時期に、
朝鮮の正史「三国史記」に、百済が皇太子を、新羅が王子を、倭国に人質に出した記事がある。
「日本書紀」も同様で、400年前後に倭国が朝鮮半島南部に勢力を広げたことで一致。
宋書には、5世紀後半に、倭国に新羅・任那などの軍事権を認めた叙任がある。
これらの文献資料は、全て調和的。

考古学的には、畿内発祥の埴輪を並べた前方後円墳が、古墳時代中期〜後期(5〜6世紀)
になると、朝鮮半島南部にいくつも見られるようになり、倭国の勢力拡大を裏付けている。
と言うわけで、全く問題ないのである。 」

300年以上も倭のぱしりをしていた連中が大和朝廷の始祖で
ある、などということはありえない。
666名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/18(水) 22:36
>>664
米作の伝来は紀元前、天皇は紀元後、時代がぜんぜん違うぜ。
667名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/18(水) 22:37
>>665
また、バカコピだ。こいつ、頭ないのかよ。
668663じゃないけど:2001/07/18(水) 23:37
>664
つまり中国からみて「倭」といわれた人たちは、南朝鮮から日本列島
にかけて頻繁に行き来して、共通の生活様式と文化圏を持っていた
と思うんだ。
特に「加羅」と北九州の関係は濃密。
「倭」の境界線を日本列島に限ってしまう方が変だよ。
勿論、縄文時代から稲作はやっていたし、文化水準は日本列島も
それなりのものがあったのは知られている通り。
天皇家=稲作というわけではないんじゃない?
応神天皇は九州で生まれて畿内まで東征したと思う。
(応神天皇がどういう文化圏の人かというのはとても関心がある)
九州に応神天皇が居た時、朝鮮半島が脅威でなかったから東征
できた。非常に強力な集団だったと思うけど、何故強力だったのか?
朝鮮半島の鉄を背景にしていた?
馬にも乗っていて機動力があった?
その王は応神天皇とは限らないけど、半島の南の方も見方につけていた
んじゃないかな・・・
だから「倭」の五王の時代と重なる「仁徳陵」を調査したらいいんじゃない?
はっきりするし。
多分ねなんて言ってても仕方無いんだよ。
神経衰弱みたいに全部ふせられた「王陵」を前に手をこまねいているだけだ。
669名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/18(水) 23:43
>>668
半島南部の前方後円墳が、日本のものより新しいというのは本当?
670日向の国は天皇の家 :2001/07/18(水) 23:45
まずは天皇家発祥の地であるが記紀には日向国とある。これに異論を唱える説、
大和説、卑弥呼の末裔説、朝鮮説等があるが。当時の物の考え方からすると
朝鮮であれば堂々と書けた時代である。何も嘘をつく必要など何もない。
では日向国の何処か?高千穂の峰の麓に広大な盆地の中心に位置する都城
である。都という字を「みやこ」と読むのは奈良の都と京の都とこの都城だけで
ある。当時この地は都島(みやこのしま)と呼ばれていた。これは「みやこ」ある
地域即ち都城盆地全体を指す意味で島と言っている。例えは悪いがヤクザの
いうシマと同じである。 言い換えればこの名は「みやこ」のある場所という意味
である。これは何を意味するかといえばここが天皇の拠点であるということである。
土地の名前の決定権は権力者だけに許された特権事項である。
ましてや「みやこ」である。 これは天皇の専権事項で天皇の拠点である地域にし
か許されない呼び名である。それは都が京に移った後は奈良の都は単に奈良と
呼ばれていることからも推察できる。このことは天皇が権力を失う摂関政治が始ま
るまで続く。 もう一つ日向国の名前は古事記が編纂される前まで国の名前が
なかったのである。古事記を編纂するから急遽、名前をつけたと言っても過言で
はない、それはなぜか?ひとは自分の家を言うのに固有名詞を使わない。
私の家とかじぶんちとか普通名詞で言う。例えば中村さんが自分の家のことをいう
時に「中村の家」とは決して言わない。 これと同じでじぶんちである日向の国に
特に名前を付ける必要がなかったのである。
671>669:2001/07/18(水) 23:45
半島の一番古い前方後円墳は日本の一番古い前方後円墳より
300年は新しいです。
672日向の国は天皇の家:2001/07/18(水) 23:45
では天皇家の系譜を追ってみよう。初代、神武から九代開花までは伝説上の
人物と言われている。ある説では十四代仲哀までがそうだといわれている。ここ
では開花までを混乱をさける為、伝説上の人物としておこう。人物は伝説上の人
でも起きた出来事は事実に基ずいていると考えている。それは何かの始まりの
天皇には神の字の付く諡が付けられている。諡は死後、天皇の業績を反映して
付けられる名前である。決して、生存中に呼ばれた名前ではない。神武、崇神、
応神と天皇ではないが神功皇后の四人である。神武は初代だから当然である。
応神、彼こそが全国を統一して大和に都を定めた天皇であるという説が有る。
その成立過程については異なるが応神が全国を統一を成し遂げたということに
異論はない。ということで大和政権の始祖という意味である。では崇神は何を始め
たのか、彼こそ都城に都を定めたのだ。崇神から応神までの6代が都城を都とし
ていた。 初代から応神まではある特定の人物がいたのではなく起こった事柄に
合わせて天皇の名前を入れ込んだと考えた方がよいのではないか。言い換えれば
神の付く天皇についてはその在位期間に何かが始まったということです。
673日向の国は天皇の家:2001/07/18(水) 23:45
お墓について触れていなかったので、ここで少し述べよう。 都城5代の天皇
のお墓はこの宮崎の地にある。みんながよく知っている前方後円墳は飛鳥時代初
期まで天皇家と皇族にしか許されない墓の形式であった。ここまで言えばお分か
りと思う。宮崎の古墳のほとんどが前方後円墳である。日向の国には地方豪族は
いなかったのです。いるのは天皇の一族ばかりです。そしてこの前方後円墳は重
要なもののを象徴したものなのです。それは三種の神器のひとつにまつわるもの
なのです。
674日向の国は天皇の家:2001/07/18(水) 23:45
日向の国が天皇家の家であることを裏付けることがある。宇佐神宮である。
そうです称徳天皇が弓削の道鏡を天皇にしていいかどうかの託宣を貰いに行かせた
神社である。なぜ伊勢神宮ではなく宇佐神宮なのか。それは天照大神が天皇家と
直接の繋がりがない神と分かっていて、しかも、宇佐神宮が大和政権の礎を築いた
直接の先祖である応神天皇を祀っている神社であって当時最高位に位置する神社で
あったからである。その宇佐神宮の領地の9割が日向にあって、それが日向の全荘
園の4分の一を占めていた。宇佐神宮が豊後の国にあるのにもかかわらず、なぜそ
うなったか、宇佐神宮が天皇家のために天皇家を守るために建立された神社である
からだ。そのため天皇家は天皇家の土地、日向の荘園を神宮に寄進したのだ。
675反論できないかんこっく(w:2001/07/18(水) 23:47
「魏志倭人伝には、狗邪韓国(加羅)を倭国の北限とする記事があり、
考古学的にも当地の3世紀の遺跡には、倭系遺物の出土が多い。

好太王碑文に倭国が海を渡って、百済・新羅を臣民にしたとの記述が見られる時期に、
朝鮮の正史「三国史記」に、百済が皇太子を、新羅が王子を、倭国に人質に出した記事がある。
「日本書紀」も同様で、400年前後に倭国が朝鮮半島南部に勢力を広げたことで一致。
宋書には、5世紀後半に、倭国に新羅・任那などの軍事権を認めた叙任がある。
これらの文献資料は、全て調和的。

考古学的には、畿内発祥の埴輪を並べた前方後円墳が、古墳時代中期〜後期(5〜6世紀)
になると、朝鮮半島南部にいくつも見られるようになり、倭国の勢力拡大を裏付けている。
と言うわけで、全く問題ないのである。 」

300年以上も倭のぱしりをしていた連中が大和朝廷の始祖で
ある、などということはありえない。
676名無しさん@お腹いっぱい:2001/07/18(水) 23:57
>「記紀」が書かれた時代、当時の物の考え方からすると
>朝鮮であれば堂々と書けた時代である。
>何も嘘をつく必要など何もない。

そうかなーー。嘘を書く必要はいくらでもあったと思うぞ。
当時の「天皇家」が絶対に正統であるとするプロパガンダ
だったから、多くの矛盾点があるんじゃないか?
天皇の在位期間が異常だったりさ・・。

なんせ、「白村江」の敗戦で朝鮮の「カード」が消えた直後に
天武が編纂させたんだぞー。「古事記」「日本書紀」
677名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/19(木) 00:02
くそかんこっくがうざいから楽浪郡の話して黙らせようぜ。
678名無しさん@お腹いっぱい:2001/07/19(木) 00:03
白村江敗戦直後、加羅系だってことは絶対自慢にならないじゃん。
679名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/19(木) 00:06
>>671
朝鮮半島においては前方後円墳は主要な墓制ではありません。倭の外交官などが
現地で死亡した際葬られたのではないでしょうか。日本にも外人墓地があります
が、だからといって日本はアメリカの支配下にあるという証拠にはなりません。
680名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/19(木) 00:06
>676

意味不明。
681名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/19(木) 00:06
54 名前: 倭の百済、新羅支配は300年を超える 投稿日: 2001/04/01(日) 18:19

「魏志倭人伝には、狗邪韓国(加羅)を倭国の北限とする記事があり、
考古学的にも当地の3世紀の遺跡には、倭系遺物の出土が多い。

好太王碑文に倭国が海を渡って、百済・新羅を臣民にしたとの記述が見られる時期に、
朝鮮の正史「三国史記」に、百済が皇太子を、新羅が王子を、倭国に人質に出した記事がある。
「日本書紀」も同様で、400年前後に倭国が朝鮮半島南部に勢力を広げたことで一致。
宋書には、5世紀後半に、倭国に新羅・任那などの軍事権を認めた叙任がある。
これらの文献資料は、全て調和的。

考古学的には、畿内発祥の埴輪を並べた前方後円墳が、古墳時代中期〜後期(5〜6世紀)
になると、朝鮮半島南部にいくつも見られるようになり、倭国の勢力拡大を裏付けている。
と言うわけで、全く問題ないのである。 」

300年以上も倭のぱしりをしていた連中が大和朝廷の始祖で
ある、などということはありえない。
682名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/19(木) 00:07
天皇は朝鮮系とか逝ってる奴は
チョンとサヨだけ。
683名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/19(木) 00:07
>>677
倭は楽浪郡に朝貢していたな。
684 :2001/07/19(木) 00:07
685名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/19(木) 00:08
高麗大の教授が朝鮮の王墓を発掘したら日本製の銅鐸が
出てきたので、あわてて倉庫にしまったそうだよ。
686名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/19(木) 00:09
>>680
てめーがバカなだけ。
687名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/19(木) 00:12
くそかんこっくがうざいから帯方郡の話して黙らせようぜ。
688名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/19(木) 00:14
>>676
最近では日本書紀の編纂にはかなり中国人が参加していたことがわかっています。
世界帝国の唐を意識した日本の物語をかくためだそうです。
689名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/19(木) 00:15
>>687
はい、どうぞ。なにか語ってみて。
690名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/19(木) 00:19
>>679
前方後円墳って、外交官クラスの地位でも作れたんだ?
王族クラスだけかと思ってたよ。
691余談だけど:2001/07/19(木) 00:20
どうでもいいことだけど、正確には(伝)仁徳天皇陵って
言うんだよ知っている? だって言い伝えだけで、本当に
仁徳天皇の古墳かどうかわからないでしょ。歴史の時間で
本当かどうか不明な物に(伝)って付けるって習ったけど。
692名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/19(木) 00:21
随伴墓じゃないの? 使者とかそういうレベルなら
693名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/19(木) 00:23
ウリナラの誇り檀君は実は蒙古に支配された悔しさの
あまりに捏造してしまいました。ゴメンナサイ、ゴメンナサイ。。。(泣)
どうせバレやしないと思って檀君神話を教科書にまで
載せてしまいました。ゴメンナサイ、ゴメンナサイ。。。(泣)
実は本当は朝鮮で初めての行政組織は中国人が作った
楽浪郡だったんです。ウソついてゴメンナサイ、ゴメンナサイ。。。(号泣)
694名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/19(木) 00:24
>>691
(伝)仁徳天皇陵より大山古墳のほうがいい思うよ。仁徳天皇である
可能性はまずないらしいからね。
695名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/19(木) 00:26
李氏朝鮮と言うとかんこっくが怒るそうだが、それは李氏が
中国系であるためか?
696名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/19(木) 00:26
>>690
前方後円墳は日本全国に分布している。別に王族クラスの墓と考えても
いいですが、そうすると大和朝廷の存在があやしくなる。
697名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/19(木) 00:29
>>693
気持ちはわかるよ。僕らも白村江の敗戦に動転して神武天皇をでっち
あげたんだから。
698名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/19(木) 00:29
>>690
百基以上あるってことは、百人以上外交官が向こうで死んだのね
699名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/19(木) 00:31
発掘を推進するようなムーブメント起こす事は
できないのかな?

掘ればこのスレみたいな議論はなくなるかもしれない。
700かんこっく:2001/07/19(木) 00:32
プルコギ、ハングル、チョゴリは実は蒙古支配の
置き土産なのです。韓国の代表的な文化を授けて
下さったモンゴルの人々に今こそ感謝の念を
述べるべきではないでしょうか?
701名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/19(木) 00:35
デカイ墓を作る理由=己の威勢を示すため。
朝鮮にいっぱい前方後円墳がある=大和の威勢を朝鮮人に示そうと
した倭人がたくさんいた。
702名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/19(木) 00:35
>>696
外交官クラスでは作れなかったが、豪族クラスでなら作れたと言うことで
調和するんでは? それとも、外交官と豪族が同レベルの地位だったのかな?
703名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/19(木) 00:37
>>698
みつかっているのは10基ほどだと思うが?
704名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/19(木) 00:38
>>703
フォローサンクス
705名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/19(木) 00:39
>>702
柳井なんかを思い浮かべてはいかんよ。当時の外交官は豪族などより
はるかに上。
706名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/19(木) 00:41
>>703
向こうで言うところの長鼓墳って奴が前方後円墳だそうですから
けっこう見つかってるみたいですよ。
707名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/19(木) 00:43
54 名前: 倭の百済、新羅支配は300年を超える 投稿日: 2001/04/01(日) 18:19

「魏志倭人伝には、狗邪韓国(加羅)を倭国の北限とする記事があり、
考古学的にも当地の3世紀の遺跡には、倭系遺物の出土が多い。

好太王碑文に倭国が海を渡って、百済・新羅を臣民にしたとの記述が見られる時期に、
朝鮮の正史「三国史記」に、百済が皇太子を、新羅が王子を、倭国に人質に出した記事がある。
「日本書紀」も同様で、400年前後に倭国が朝鮮半島南部に勢力を広げたことで一致。
宋書には、5世紀後半に、倭国に新羅・任那などの軍事権を認めた叙任がある。
これらの文献資料は、全て調和的。

考古学的には、畿内発祥の埴輪を並べた前方後円墳が、古墳時代中期〜後期(5〜6世紀)
になると、朝鮮半島南部にいくつも見られるようになり、倭国の勢力拡大を裏付けている。
と言うわけで、全く問題ないのである。 」

300年以上も倭のぱしりをしていた連中が大和朝廷の始祖で
ある、などということはありえない。
708名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/19(木) 00:45
>>706
そこまで前方後円墳の定義を拡大すると、起源が古くなり前方後円墳
朝鮮半島起源説になるよ。
709名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/19(木) 00:45
>>705
とすると、当時は未開の地だった東海以北にあるのも外交官の墓なんでしょうか?
710名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/19(木) 00:46
議論ヲタ
キショイ
711名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/19(木) 00:49
>>708
長鼓墳と前方後円墳の違いはどんなもんなんでしょう?
台形を頂上部分で繋げたのが長鼓墳で、前方後円墳は上下非対称?
712名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/19(木) 00:50
>>709
外交官というのは一例です。それと東海以北は未開だというのは偏見
です。
713名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/19(木) 00:51
不毛だよ。ここでいくら書きこんだって。
発掘調査しろ!とメール送ろう!
宮内庁ホームページ
http://www.kunaicho.go.jp/
メールはこちらへ
[email protected]

ひとり3000通な!
714名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/19(木) 00:51
>>711
長鼓墳は並べた方墳説も書かないと駄目
715名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/19(木) 00:59
>>708
君の情報は古すぎるよ。韓国の考古学者が長鼓墳である松鶴1号墳
を4世紀のものであるとして前方後円墳の起源であると主張したが、
4世紀よりももっと古い前方後円墳が日本でいくつも見つかったの
でこの説はペケとなった。松鶴1号墳からは朱塗りの石室が見つかって
おり、この墓に葬られているのはどうやら倭人であるらしい。
716名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/19(木) 01:05
朝日新聞ニュース
 前方後円墳に寄せる韓国の関心は高く、八〇年代後半からこれまでに五基が発掘
された。現在、確実な前方後円墳は九基で、いずれも韓国南西部の全羅南道にある。
このうち光州市の月桂洞1号墳と2号墳は復元整備されている。柳沢一男・宮崎大学
教授は「八、九月にも一基発掘され、韓国国立中央博物館のホームページで成果が
公開されている。調査の継続と公開に敬意を表したい」と述べた。

 西谷正・九州大学教授によると、韓国では伝統楽器の長鼓に似ているので「長鼓形
古墳」とか「前方後円形古墳」などとも呼ばれている。九基の規模は、最大で全長
七十七メートル、最小で三十五メートル。日本では中、小型だが、韓国の古墳の中では
比較的大きい。時期は五世紀後半から六世紀前半というのが大方の見方。三世紀後半に
出現する日本の前方後円墳の方が古いことは、韓国の学界でも共通した認識になって
いるという。
717名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/19(木) 01:07
倭の百済、新羅支配は300年を超える

「魏志倭人伝には、狗邪韓国(加羅)を倭国の北限とする記事があり、
考古学的にも当地の3世紀の遺跡には、倭系遺物の出土が多い。

好太王碑文に倭国が海を渡って、百済・新羅を臣民にしたとの記述が見られる時期に、
朝鮮の正史「三国史記」に、百済が皇太子を、新羅が王子を、倭国に人質に出した記事がある。
「日本書紀」も同様で、400年前後に倭国が朝鮮半島南部に勢力を広げたことで一致。
宋書には、5世紀後半に、倭国に新羅・任那などの軍事権を認めた叙任がある。
これらの文献資料は、全て調和的。

考古学的には、畿内発祥の埴輪を並べた前方後円墳が、古墳時代中期〜後期(5〜6世紀)
になると、朝鮮半島南部にいくつも見られるようになり、倭国の勢力拡大を裏付けている。
と言うわけで、全く問題ないのである。 」

300年以上も倭のぱしりをしていた連中が大和朝廷の始祖で
ある、などということはありえない。
718名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/19(木) 01:07
>716
だけど韓国マスコミが、
「わが国のほうが古いニダ。日本はマネしたニダ」って
言い張りそう。
719名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/19(木) 01:08
読売新聞ニュース
 韓国南部の慶尚南道固城(コソン)郡の松鶴洞1号墳で、
内部を赤色顔料で朱塗りした横穴式石室(六世紀前半)が、
同国の東亜大付属博物館の調査で二日までに確認された。
日本(倭)独特とされた朱塗りの石室が、韓国で確認された
のは初めて。日本の須恵器も出土していることから、日本の
古墳祭祀(さいし)文化の影響とみられる。大陸や朝鮮半島
から文化を一方的に導入しただけではなく、日本も文化を伝
えていたことを示す重要な成果として注目される。
 石室は墳丘北側で、長さ約九・八メートル、幅〇・八五〜二
メートル、高さ一・四五〜一・五八メートル。天井や床、壁が
ベンガラ(酸化鉄)とみられる顔料で真っ赤に塗られていた。

 朱色は、古代中国で血につながる生命力の象徴や不老長寿願望
を反映したものと考えられていた。朝鮮半島ではこれまで発見さ
れていなかった。

 松鶴洞1号墳は一九八三年、韓国の研究者が「前方後円墳」と
紹介し、日本独自とされていた前方後円墳のルーツではないかと
論争になった。

 一帯には、日本と交流のあった伽耶(かや)諸国(四世紀初め〜
六世紀半ば)があったとされ、「日本書紀」などでは「任那(みまな)
」と呼ばれる。

 沈奉謹・東亜大付属博物館長は「日本に近く、葬送儀礼に倭人がか
かわったとも
720708:2001/07/19(木) 01:23
>>715
おれは長鼓墳と前方後円墳は別物という派なの。
721名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/19(木) 01:26
倭の百済、新羅支配は300年を超える

「魏志倭人伝には、狗邪韓国(加羅)を倭国の北限とする記事があり、
考古学的にも当地の3世紀の遺跡には、倭系遺物の出土が多い。

好太王碑文に倭国が海を渡って、百済・新羅を臣民にしたとの記述が見られる時期に、
朝鮮の正史「三国史記」に、百済が皇太子を、新羅が王子を、倭国に人質に出した記事がある。
「日本書紀」も同様で、400年前後に倭国が朝鮮半島南部に勢力を広げたことで一致。
宋書には、5世紀後半に、倭国に新羅・任那などの軍事権を認めた叙任がある。
これらの文献資料は、全て調和的。

考古学的には、畿内発祥の埴輪を並べた前方後円墳が、古墳時代中期〜後期(5〜6世紀)
になると、朝鮮半島南部にいくつも見られるようになり、倭国の勢力拡大を裏付けている。
と言うわけで、全く問題ないのである。 」

300年以上も倭のぱしりをしていた連中が大和朝廷の始祖で
ある、などということはありえない。
722名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/19(木) 01:43
>>721
こうあちこち貼り付けられたら「私はアホです、この説は電波です。」
と聞こえるな。
723名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/19(木) 02:03
中国は三国時代、朝鮮も三国時代、日本はまだ統一されていない古墳時代、

ナショナリストにしてはアタマの痛い時代、、、
724名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/19(木) 02:07
倭の百済、新羅支配は300年を超える

「魏志倭人伝には、狗邪韓国(加羅)を倭国の北限とする記事があり、
考古学的にも当地の3世紀の遺跡には、倭系遺物の出土が多い。

好太王碑文に倭国が海を渡って、百済・新羅を臣民にしたとの記述が見られる時期に、
朝鮮の正史「三国史記」に、百済が皇太子を、新羅が王子を、倭国に人質に出した記事がある。
「日本書紀」も同様で、400年前後に倭国が朝鮮半島南部に勢力を広げたことで一致。
宋書には、5世紀後半に、倭国に新羅・任那などの軍事権を認めた叙任がある。
これらの文献資料は、全て調和的。

考古学的には、畿内発祥の埴輪を並べた前方後円墳が、古墳時代中期〜後期(5〜6世紀)
になると、朝鮮半島南部にいくつも見られるようになり、倭国の勢力拡大を裏付けている。
と言うわけで、全く問題ないのである。 」

300年以上も倭のぱしりをしていた連中が大和朝廷の始祖で
ある、などということはありえない。
725>724:2001/07/19(木) 02:23
724の文は1,2年前に日本史版にて発掘されたものだが、名文だよな。
この名文の作者に「名誉2ちゃんねらー」の称号を贈りたいと思うが
どうだ?
726名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/19(木) 02:49
たしか江戸時代にかなり荒らされてタンじゃなかったっけ。仁徳陵古墳。
なかで花見してたとか聞いたことあるけど。
ちがったかな?
727名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/19(木) 09:23
>>795
「DQN2ちゃんねらー」の称号がいい。
728名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/19(木) 13:37
・ ・
 ∀
729名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/19(木) 13:59
完結無比と言う言葉はまさに724のためにあるみたいだな。
730名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/19(木) 18:42
もういいよあきらめようぜ
俺たちは朝鮮人の子孫でいいよ
731名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/19(木) 21:39
朝鮮ばんざい!
僕たちの祖先である朝鮮人を敬いましょう。
もちろん朝鮮よりはるばるこの地におもむいて国を興された
僕たちの父である偉大なる天皇陛下への敬愛心もお忘れなく。
732名無しさん@お腹いっぱい:2001/07/19(木) 23:16
「俺たちは朝鮮人の子孫でいいよ 」
「倭のぱしりをしていた連中が大和朝廷の始祖である」

なんで、それが「残念」なの?
いちいち、過去の事実に嬉しがったり悲しがったりして
あほくさい。
「事実じゃない」か「事実」かわからない段階で
何故、都合のいい結果を希望するのか?
自分の今の感情を投射しただけなのか?歴史ってさ。
733名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/19(木) 23:17
倭の百済、新羅支配は300年を超える

「魏志倭人伝には、狗邪韓国(加羅)を倭国の北限とする記事があり、
考古学的にも当地の3世紀の遺跡には、倭系遺物の出土が多い。

好太王碑文に倭国が海を渡って、百済・新羅を臣民にしたとの記述が見られる時期に、
朝鮮の正史「三国史記」に、百済が皇太子を、新羅が王子を、倭国に人質に出した記事がある。
「日本書紀」も同様で、400年前後に倭国が朝鮮半島南部に勢力を広げたことで一致。
宋書には、5世紀後半に、倭国に新羅・任那などの軍事権を認めた叙任がある。
これらの文献資料は、全て調和的。

考古学的には、畿内発祥の埴輪を並べた前方後円墳が、古墳時代中期〜後期(5〜6世紀)
になると、朝鮮半島南部にいくつも見られるようになり、倭国の勢力拡大を裏付けている。
と言うわけで、全く問題ないのである。 」

300年以上も倭のぱしりをしていた連中が大和朝廷の始祖で
ある、などということはありえない。
734>733:2001/07/20(金) 00:02
17回目のコピペご苦労さん
735名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/20(金) 00:04
倭の百済、新羅支配は300年を超える

「魏志倭人伝には、狗邪韓国(加羅)を倭国の北限とする記事があり、
考古学的にも当地の3世紀の遺跡には、倭系遺物の出土が多い。

好太王碑文に倭国が海を渡って、百済・新羅を臣民にしたとの記述が見られる時期に、
朝鮮の正史「三国史記」に、百済が皇太子を、新羅が王子を、倭国に人質に出した記事がある。
「日本書紀」も同様で、400年前後に倭国が朝鮮半島南部に勢力を広げたことで一致。
宋書には、5世紀後半に、倭国に新羅・任那などの軍事権を認めた叙任がある。
これらの文献資料は、全て調和的。

考古学的には、畿内発祥の埴輪を並べた前方後円墳が、古墳時代中期〜後期(5〜6世紀)
になると、朝鮮半島南部にいくつも見られるようになり、倭国の勢力拡大を裏付けている。
と言うわけで、全く問題ないのである。 」

300年以上も倭のぱしりをしていた連中が大和朝廷の始祖で
ある、などということはありえない。
736>735:2001/07/20(金) 00:21
18回目のコピペご苦労さん
737名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/20(金) 00:56
倭の百済、新羅支配は300年を超える

「魏志倭人伝には、狗邪韓国(加羅)を倭国の北限とする記事があり、
考古学的にも当地の3世紀の遺跡には、倭系遺物の出土が多い。

好太王碑文に倭国が海を渡って、百済・新羅を臣民にしたとの記述が見られる時期に、
朝鮮の正史「三国史記」に、百済が皇太子を、新羅が王子を、倭国に人質に出した記事がある。
「日本書紀」も同様で、400年前後に倭国が朝鮮半島南部に勢力を広げたことで一致。
宋書には、5世紀後半に、倭国に新羅・任那などの軍事権を認めた叙任がある。
これらの文献資料は、全て調和的。

考古学的には、畿内発祥の埴輪を並べた前方後円墳が、古墳時代中期〜後期(5〜6世紀)
になると、朝鮮半島南部にいくつも見られるようになり、倭国の勢力拡大を裏付けている。
と言うわけで、全く問題ないのである。 」

300年以上も倭のぱしりをしていた連中が大和朝廷の始祖で
ある、などということはありえない。
738名無しさん@お腹いっぱい:2001/07/20(金) 00:57
俺の教えている子ども、歴史好きなんだが、
こういう話聞いたら、もっと好きになるよ。サンクス。
739名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/20(金) 00:59
倭の百済、新羅支配は300年を超える

「魏志倭人伝には、狗邪韓国(加羅)を倭国の北限とする記事があり、
考古学的にも当地の3世紀の遺跡には、倭系遺物の出土が多い。

好太王碑文に倭国が海を渡って、百済・新羅を臣民にしたとの記述が見られる時期に、
朝鮮の正史「三国史記」に、百済が皇太子を、新羅が王子を、倭国に人質に出した記事がある。
「日本書紀」も同様で、400年前後に倭国が朝鮮半島南部に勢力を広げたことで一致。
宋書には、5世紀後半に、倭国に新羅・任那などの軍事権を認めた叙任がある。
これらの文献資料は、全て調和的。

考古学的には、畿内発祥の埴輪を並べた前方後円墳が、古墳時代中期〜後期(5〜6世紀)
になると、朝鮮半島南部にいくつも見られるようになり、倭国の勢力拡大を裏付けている。
と言うわけで、全く問題ないのである。 」

300年以上も倭のぱしりをしていた連中が大和朝廷の始祖で
ある、などということはありえない。
740名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/20(金) 01:06
倭は中国に朝貢を300年間半島を支配してたのにしなかったんだ?
741名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/20(金) 01:09
>>739
任那に居た本家が日本列島を征服した後も
故郷にこだわった、ということです。
うり奈良まんせー、は天皇家の標語なのです。
742名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/20(金) 01:11
>>741
チョンの妄想。
743名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/20(金) 01:11
>>740
中国といっても半島の付け根は満州でしょ?
中原からは遠く離れてる
744名無し:2001/07/20(金) 01:11
>741
同感
745名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/20(金) 01:12
741=744
746名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/20(金) 01:12
>>742
ちょっぱりオナニー発見。
747名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/20(金) 01:12
倭の百済、新羅支配は300年を超える

「魏志倭人伝には、狗邪韓国(加羅)を倭国の北限とする記事があり、
考古学的にも当地の3世紀の遺跡には、倭系遺物の出土が多い。

好太王碑文に倭国が海を渡って、百済・新羅を臣民にしたとの記述が見られる時期に、
朝鮮の正史「三国史記」に、百済が皇太子を、新羅が王子を、倭国に人質に出した記事がある。
「日本書紀」も同様で、400年前後に倭国が朝鮮半島南部に勢力を広げたことで一致。
宋書には、5世紀後半に、倭国に新羅・任那などの軍事権を認めた叙任がある。
これらの文献資料は、全て調和的。

考古学的には、畿内発祥の埴輪を並べた前方後円墳が、古墳時代中期〜後期(5〜6世紀)
になると、朝鮮半島南部にいくつも見られるようになり、倭国の勢力拡大を裏付けている。
と言うわけで、全く問題ないのである。 」

300年以上も倭のぱしりをしていた連中が大和朝廷の始祖で
ある、などということはありえない。
748741:2001/07/20(金) 01:13
        / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  ∧_∧  |  アイゴー!歴史の歪曲ニダ!
 < #`Д´><  歴史教科書の修正と過去の反省と謝罪と賠償と経済協力と
 (つ|⌒|⌒| | 技術移転と無償援助と有償援助と従軍慰安婦への謝罪・賠償と
  (⌒)(⌒)   | 在日チョソ人への謝罪・賠償・参政権と靖国神社への参拝禁止と
        | 秀吉の侵略の謝罪と日の丸・君が代の廃止を要求して
        | チョソ人とウリナラとハングルは世界一優れている事と
        | 東海という呼称と竹島・対馬・沖縄はわが領土であることを認めて
        | 剣道と空手と柔道と合気道と相撲と侍と武士道と日本刀と
        | 忍者と天皇と奈良と演歌と茶道と華道と生け花と
        | 花札と盆栽と桜とソメイヨシノと扇子と和歌と折り紙と
        | 日本食と寿司と清酒とおにぎりとトヨタとソニーとホンダと
        | たまごっちとポケモンとガンダムとアトムと
        | ドラゴンボールとキャプテン翼とスラムダンクと
        | dチャモンとニダーはウリナラ起源と認めるニダ!!
        \____
                 ∧_∧   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
                (´∀`;.)< そんなこと言われてモナー...
                  (    )  \_________
     .∧ ∧ニダーイッテヨシ! | | |
     (゚Д゚ ) ̄ ̄ ~〜   (_(_)
     U U ̄ ̄U U
749名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/20(金) 01:14
>>745
ちがうよ、、、

「倭」というのは伽耶と北九州の連合であるというのが
大勢だろ。南九州の熊襲が強かったので近畿方面に向かった。
高いところから低いところに流れるのだよ。
750名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/20(金) 01:16
>>748

日本オリジナルが少ない事がコンプレックスなのが
よくわかる。

欧米文化の猿真似で成長した社会の、底辺ではこの
程度の連中がちょんちょん泣くのがやっとのレベル。

アメ公の穴を舐められなくなったら、こんどは中国の
穴を舐める準備をしておかないと、21世紀の日本に
未来はないね。
751名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/20(金) 01:18
倭の百済、新羅支配は300年を超える

「魏志倭人伝には、狗邪韓国(加羅)を倭国の北限とする記事があり、
考古学的にも当地の3世紀の遺跡には、倭系遺物の出土が多い。

好太王碑文に倭国が海を渡って、百済・新羅を臣民にしたとの記述が見られる時期に、
朝鮮の正史「三国史記」に、百済が皇太子を、新羅が王子を、倭国に人質に出した記事がある。
「日本書紀」も同様で、400年前後に倭国が朝鮮半島南部に勢力を広げたことで一致。
宋書には、5世紀後半に、倭国に新羅・任那などの軍事権を認めた叙任がある。
これらの文献資料は、全て調和的。

考古学的には、畿内発祥の埴輪を並べた前方後円墳が、古墳時代中期〜後期(5〜6世紀)
になると、朝鮮半島南部にいくつも見られるようになり、倭国の勢力拡大を裏付けている。
と言うわけで、全く問題ないのである。 」

300年以上も倭のぱしりをしていた連中が大和朝廷の始祖で
ある、などということはありえない。
752名無し=744:2001/07/20(金) 01:28
749とは別人だけど、同じ考えかも。
ちなみに♀だが。
753名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/20(金) 01:30
朝鮮式の文様とかの土器が置いてあったら、大変だからか?
754名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/20(金) 01:34
任那の方が本家というのは無理がない?
任那って諸国だったんでしょ?
伽耶もそのなかの1国で。
755巨泉:2001/07/20(金) 01:34
秀吉が掘って何も残ってないよ。
実際、明治になるまで誰でも入れたし。
756名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/20(金) 01:36
任那=伽耶
どこから諸国なんて妄想ひろってきたんだよ?
757名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/20(金) 01:38
>>1
不敬である。

   以上。
758名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/20(金) 01:39
倭の百済、新羅支配は300年を超える

「魏志倭人伝には、狗邪韓国(加羅)を倭国の北限とする記事があり、
考古学的にも当地の3世紀の遺跡には、倭系遺物の出土が多い。

好太王碑文に倭国が海を渡って、百済・新羅を臣民にしたとの記述が見られる時期に、
朝鮮の正史「三国史記」に、百済が皇太子を、新羅が王子を、倭国に人質に出した記事がある。
「日本書紀」も同様で、400年前後に倭国が朝鮮半島南部に勢力を広げたことで一致。
宋書には、5世紀後半に、倭国に新羅・任那などの軍事権を認めた叙任がある。
これらの文献資料は、全て調和的。

考古学的には、畿内発祥の埴輪を並べた前方後円墳が、古墳時代中期〜後期(5〜6世紀)
になると、朝鮮半島南部にいくつも見られるようになり、倭国の勢力拡大を裏付けている。
と言うわけで、全く問題ないのである。 」

300年以上も倭のぱしりをしていた連中が大和朝廷の始祖で
ある、などということはありえない。
759名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/20(金) 01:40
>754
はあ??
任那の言い方は「天智」の時代にあの地域を指して言った言葉。
「倭」を任那の方が本家と限定して言ってないよ。
少なくとも天智天皇にとっては特別な存在で、任那が滅ぶと
急速に権力を失って「天武」と政権交代したけど。
760巨泉:2001/07/20(金) 01:43
761名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/20(金) 01:47
>>759
754は741に対してだが、それでも文句が?
あと、759の後半の方は、状況証拠のみからの推論?
762名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/20(金) 01:50
「日本書紀」が天武の時代に書かれた、捏造教科書だと思います。
763名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/20(金) 01:51
>>762
三国史記も? そうでないと辻褄が合わないね。
764名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/20(金) 01:52
>>756
バカは足引っぱるな
765名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/20(金) 01:53
どうでもよいが、ドキュソがおおい
766名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/20(金) 02:09
>>762
教科書というより小説というほうが。
767名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/20(金) 02:13
>>763
そうです。日本書紀も参考文献です。日本書紀が魏志倭人伝などの
中国の歴史書を参考文献に書かれたのと同じです。
768>763:2001/07/20(金) 02:15
日本書紀が編纂される前は「語り部」だったわけで、日本に記録はありません。

神武天皇から崇神天皇にかけての該当する王を
三国史記から当てはめられるとおっしゃるのですか?
769名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/20(金) 02:20
崇神天皇の名はミマキイリヒコイニエという。これは任那から来た人という意味
ではないのか。
770質問:2001/07/20(金) 02:20
魏志倭人伝の「東夷録」というのは見つかってるの?
771名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/20(金) 02:22
>>769
それはこじつけだと思う
772名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/20(金) 02:28
>>770
出典は魏志の「東夷録」ということになってるけど、
整理された形ではない。散逸した中の付録扱いが「倭人伝」
773名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/20(金) 02:32
倭の百済、新羅支配は300年を超える

「魏志倭人伝には、狗邪韓国(加羅)を倭国の北限とする記事があり、
考古学的にも当地の3世紀の遺跡には、倭系遺物の出土が多い。

好太王碑文に倭国が海を渡って、百済・新羅を臣民にしたとの記述が見られる時期に、
朝鮮の正史「三国史記」に、百済が皇太子を、新羅が王子を、倭国に人質に出した記事がある。
「日本書紀」も同様で、400年前後に倭国が朝鮮半島南部に勢力を広げたことで一致。
宋書には、5世紀後半に、倭国に新羅・任那などの軍事権を認めた叙任がある。
これらの文献資料は、全て調和的。

考古学的には、畿内発祥の埴輪を並べた前方後円墳が、古墳時代中期〜後期(5〜6世紀)
になると、朝鮮半島南部にいくつも見られるようになり、倭国の勢力拡大を裏付けている。
と言うわけで、全く問題ないのである。 」

300年以上も倭のぱしりをしていた連中が大和朝廷の始祖で
ある、などということはありえない。
774>761:2001/07/20(金) 02:37
状況証拠は白村江敗戦のあと壬申の乱がおきたこと。
百済は滅亡。
筑紫君薩夜麻(ちくしのきみ・さちやま)って倭王は唐に8年も
抑留されて帰国した時は2千人の進駐軍(唐)と一緒だった。
天武は新羅・唐とその後結んでいく。
天武は、どう考えても天智の弟じゃないというのが通説。
775名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/20(金) 02:49
朝鮮半島に伝えられる文献とは最古の物で
1145年になって編纂された三国史記です。
鎌倉時代だね。
どこへいっちゃったんでしょ?文献。
776名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/20(金) 02:52
>>775
蒙古軍に焼き捨てられたと言うことになるんじゃない?
秀吉から五百年も前だから、日本に焼き捨てられたは使えないし
777名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/20(金) 02:54
>>776
それでも蒙古が来る百年前。蒙古の前から無かったんか。
778名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/20(金) 02:55
>>771
一番のこじつけは崇神天皇の存在?
779名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/20(金) 02:57
>>778
騎馬民族征服説はトンデモ説です。
780名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/20(金) 02:57
倭の百済、新羅支配は300年を超える

「魏志倭人伝には、狗邪韓国(加羅)を倭国の北限とする記事があり、
考古学的にも当地の3世紀の遺跡には、倭系遺物の出土が多い。

好太王碑文に倭国が海を渡って、百済・新羅を臣民にしたとの記述が見られる時期に、
朝鮮の正史「三国史記」に、百済が皇太子を、新羅が王子を、倭国に人質に出した記事がある。
「日本書紀」も同様で、400年前後に倭国が朝鮮半島南部に勢力を広げたことで一致。
宋書には、5世紀後半に、倭国に新羅・任那などの軍事権を認めた叙任がある。
これらの文献資料は、全て調和的。

考古学的には、畿内発祥の埴輪を並べた前方後円墳が、古墳時代中期〜後期(5〜6世紀)
になると、朝鮮半島南部にいくつも見られるようになり、倭国の勢力拡大を裏付けている。
と言うわけで、全く問題ないのである。 」

300年以上も倭のぱしりをしていた連中が大和朝廷の始祖で
ある、などということはありえない。
781名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/20(金) 03:09
>>780
アホ
782名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/20(金) 05:15
朝鮮ばんざい!
僕たちの祖先である朝鮮人を敬いましょう。
もちろん朝鮮よりはるばるこの地におもむいて国を興された
僕たちの父である偉大なる天皇陛下への敬愛心もお忘れなく。
783名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/20(金) 05:42
百済の武寧王陵は、墓制・出土品とも南朝(梁)そのものである。
784 :2001/07/20(金) 05:57
>>780 自分で考えろ。コピペ馬鹿。
785名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/20(金) 06:40
もー、むちゃくちゃ!
786tyonn :2001/07/20(金) 07:04
騎馬民族征服説の江川教授は天皇陛下から
文化勲章を拝受した。
天皇が認めたという事だ。
クヤシイカ、JAP!!
787名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/20(金) 08:21
>>783
いいんじゃないの、どうしてsageで書くの?
788あそ:2001/07/20(金) 10:31
>>786
江波教授じゃなかったか?
789名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/20(金) 11:07
>>786
あはは、間違えてやんの。
勲章を受けたからなんだと言うんだよ。
官僚がが選んだだけだろ。
勲章を受けた奴の言ってることがみんな正しいか?(藁
騎馬民族征服説が学界でトンデモ扱いされていることは周知の事実。
790名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/20(金) 11:07
倭の百済、新羅支配は300年を超える

「魏志倭人伝には、狗邪韓国(加羅)を倭国の北限とする記事があり、
考古学的にも当地の3世紀の遺跡には、倭系遺物の出土が多い。

好太王碑文に倭国が海を渡って、百済・新羅を臣民にしたとの記述が見られる時期に、
朝鮮の正史「三国史記」に、百済が皇太子を、新羅が王子を、倭国に人質に出した記事がある。
「日本書紀」も同様で、400年前後に倭国が朝鮮半島南部に勢力を広げたことで一致。
宋書には、5世紀後半に、倭国に新羅・任那などの軍事権を認めた叙任がある。
これらの文献資料は、全て調和的。

考古学的には、畿内発祥の埴輪を並べた前方後円墳が、古墳時代中期〜後期(5〜6世紀)
になると、朝鮮半島南部にいくつも見られるようになり、倭国の勢力拡大を裏付けている。
と言うわけで、全く問題ないのである。 」

300年以上も倭のぱしりをしていた連中が大和朝廷の始祖で
791tyonn:2001/07/20(金) 11:18
江上波夫教授でした。
天皇陛下はその後も江上先生を皇居に何回か招かれ、
先生の話にご興味ご充分の様子だったそうだ。
ところで文化勲章は天皇陛下の最高の勲章であるぞ!!
お前ら不敬な事言うと憲兵にどやしつけられるぞ。
非国民め。!!
792名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/20(金) 11:22
文化勲章は文化勲章でも
三波春男のようなエンタテイナーの功績に授与されました(藁
793名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/20(金) 11:23
今どき、騎馬民族征服説を支持してる学者なんて天然記念物もの。
現在はトンデモ説になってますね。
その説を唱えた江上氏ですら、無視してる状況ですから。
794名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/20(金) 11:25
騎馬民族説が一定の歴史的役割を果たしたことや
水野祐、井上光貞ら戦後の歴史学の大家に影響を与えたことは認める。

しかし、それにしても大部分の学者はこの見解に否定的であったし
まともな学説として捉えようとしていなかったことも事実。
ただ、学会とはなれてあまりに世間の関心が集まりすぎたため
論文その他ではこの話題に触れざるをえなかっただけだろう。
795名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/20(金) 11:28
796名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/20(金) 11:33
>>794
古事記・日本書紀の記述の正しさを前提に再解釈しただけでしょせん
皇国史観の枠をこえていないとどこかに書いてあった。
 まっとうな学者は雄略天皇ぐらいよりまえの天皇の存在は検証不能
として否定する。おばけは科学ではないという大槻教授みたいにね。
797名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/20(金) 11:38
以前、騎馬民族説関連のスレッドで見たんだけど、
江上氏は、自分の説をあまりにも左翼(反天皇制論者)が曲解して
政治的に利用するもんだから、嫌になったと発言してたそうです。
一般的な通説にはならなかったけど、左翼の通説にはなったようですね。
798名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/20(金) 11:39
>>791
文化勲章うんぬんは学説のレベルとは関係ありません。
江上氏の場合話題になった学説の主だから
政府としても一応贈っただけ。
799名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/20(金) 11:55
>>797
でも彼は今も騎馬民族の旗を降ろしちゃいないぜ。
800名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/20(金) 11:57
>>799
チョン
801名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/20(金) 12:20
>>797
>>796を読んでみ。
802名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/20(金) 12:24
おばけが見えるとかいうのは、精神医学の領域です。
803名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/20(金) 12:25
>801
>まっとうな学者は雄略天皇ぐらいよりまえの天皇の存在は検証不能
として否定する。

796はアホ過ぎて話しにならん。
804名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/20(金) 12:42
>>807
アホは君じゃないの。実証可能な最初のオオキミはだれ?
805804:2001/07/20(金) 12:43
誤:>>807
正:>>803
806名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/20(金) 12:44
>804
やはりアホだったな。(爆笑
807あの〜:2001/07/20(金) 12:50
大陸の騎馬民族の進入を、日本列島と呼ばれる所に住んでいた人々は
どうやって阻止したんですか?
808名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/20(金) 12:52
倭の百済、新羅支配は300年を超える

「魏志倭人伝には、狗邪韓国(加羅)を倭国の北限とする記事があり、
考古学的にも当地の3世紀の遺跡には、倭系遺物の出土が多い。

好太王碑文に倭国が海を渡って、百済・新羅を臣民にしたとの記述が見られる時期に、
朝鮮の正史「三国史記」に、百済が皇太子を、新羅が王子を、倭国に人質に出した記事がある。
「日本書紀」も同様で、400年前後に倭国が朝鮮半島南部に勢力を広げたことで一致。
宋書には、5世紀後半に、倭国に新羅・任那などの軍事権を認めた叙任がある。
これらの文献資料は、全て調和的。

考古学的には、畿内発祥の埴輪を並べた前方後円墳が、古墳時代中期〜後期(5〜6世紀)
になると、朝鮮半島南部にいくつも見られるようになり、倭国の勢力拡大を裏付けている。
と言うわけで、全く問題ないのである。 」

300年以上も倭のぱしりをしていた連中が大和朝廷の始祖で
ある、などということはありえない。
809名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/20(金) 12:53
>>807
阻止してません。征服されました。
810名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/20(金) 12:55
>>803
考古学的に確認できるのは雄略天皇まで。それ以前は不明というのが
学会の定説だよ。
811名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/20(金) 12:56
>804
やはりアホだったな。(爆笑
812名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/20(金) 12:59
806=808=811(爆笑
813名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/20(金) 13:09
王だけでなく、民も混血や大陸から渡来な訳でしょ。
渡来系の王が渡来系であるのは自然だと思うのでしゅが。。。
地理的に、中国大陸の人々が朝鮮へ、そして日本列島に南下してくるのは、
自然なのでは?
また、その人々がユダヤを祖とする宗教観を持っていて、中国大陸とは違った
独自(進化しなかったと言うべきか)の文化を作って言ったというのも自然でしょ。
814名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/20(金) 13:43
1922年にアインシュタインは来日し、日本に対して次のような讃美のメッセージを残した。

「近代日本の発展ほど世界を驚かしたものはない。その驚異的発展には他の国と違った何者かがなくてはならない。果たせるかな、この国の歴史がそれである。この長い歴史を通じて、一系の天皇を戴いてきた、という比類ない国体を有することが、それこそ今日の日本をあらしめたのである。私はいつもこの広い世界のどこかに、一カ所くらいはこのようように尊い国がなくてはならないと考えていた。なぜならば世界は進むだけ進んで、その間、幾度も戦争を繰り返したが、最後には、闘争に疲れる時が来るであろう。この時人類は、必ず真の平和を求めて、世界の盟主を挙げねばならぬ時が来るに違いない。
その盟主こそは、武力や金の力ではなく、あらゆる国の歴史を超越した、世界で最も古く、かつ尊い家柄でなくてはならない。世界の文化は、アジアに始まって、アジアに帰る。それはアジアの高峰、日本に立ち戻らねばならない。我々は神に感謝する。神が我々人類に日本という国をつくっておいてくれたことを」。と

http://kamakura.cool.ne.jp/iwaoiwao/einstein.htm
http://www.toyama-shinsei.net/htmlfile/donna.html
815名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/20(金) 14:35
>仁徳天皇陵はなぜ発掘調査しないのか?
>なんかヤバイことでもあるんでしょうか?

ヤバイヤバイ。天皇陵なんてヤバイことだらけさ。
神武天皇陵なんてのがあるんだから。

先日国会図書館で見た本には、神武天皇から始まる歴代天皇の肖像画全てがチャーンと載っていた。
天照大御神の肖像画まであったのには感心した。
作るの御上手な方がいらっしゃるんですね。
816レルリン党ポスター:2001/07/20(金) 14:36
参議院選比例代表は『レルリン党』をよろしくお願いします。
[候補者及び略歴]
 1、田中 実[たちゅう みのる]京大卒→日本妄想狂会会長
 2、宅間 守[たくま しゅ]自衛隊中退→死刑根絶協会名誉会長
 3、鈴木 宗男[すすき むねお]北海道牧場経営→日本ペンクラブ会員
 4、谷口 誠一[たにくち せいいち]医療少年院→子供の人権を守る会
輝かしい21世紀の扉を開けた今、私たちが目指すべき日本は・・・
レルリン党は国民の理想のために全力で頑張ります。
[公約]
 1、消費税をなくします!
 2、韓国支援・ODA中国支出をさらに増加、アジアのお人よしを目指せ!
 3、刑務所留置は人権侵害、刑罰をすべて廃止!
 4、元気に福祉(年金を今の10倍に)、頑固に財政赤字(気にする必要はありません)
 5、公共事業をバンバン、既得権益をさらに拡大!
817名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/20(金) 14:48
>789
へーえ、学者さんなのね。
818名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/20(金) 15:21
すべてのでっち上げはカンコックに通じる
819名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/20(金) 15:21
ねえ、>794

爆弾発言。
「井上光貞ら戦後の歴史学の大家」
そう、私たちのつかった日本史の教科書の著作者井上光貞。
あの人は、井上薫の息子ではなかったでしょうか?
820サイババ:2001/07/20(金) 16:24
>808
これは定説デス。
821名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/20(金) 16:42
822japanについて:2001/07/20(金) 18:29
たぶん、この国の大王は半島出身だろう。そもそも、国民も半島出身と言っても過言ではない。
ただ、今、半島に居る人々とは違う。祖が同じでも、今は違う人種なのだ。
残された人々は、その後文化的に遅れをとった。これは、揺るぎ無い事実。
現代に至っては、それが顕著。科学技術や経済を見れば明らかである。
白い人達にとっては、半島も列島も祖が同じならば同種に見えるかもしれない。
しかしながら、この経済格差、科学技術格差を見よ!
ザクとは違うのだよ、ザクとは!
823名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/20(金) 18:32
>>822
>ザクとは違うのだよ、ザクとは!

じゃ何?
824名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/20(金) 18:33
>>823
愚夫
825名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/20(金) 23:49
なんだかんだ言って日本人と韓国人は同じ民族である、と強調する
かんこっく多いよね。奴らは本音では日本人になりたいらしい。(w
日本人は朝鮮半島のみから渡って来たと勘違いしてるお馬鹿さんに
親切に教えてやるよ。日本に渡るルートには沖縄ルートや樺太ルート
だってあった。そして今の日本の稲はほとんどが沖縄ルートでもたら
されたものだ。
826名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/20(金) 23:57
 最近では、縄文人たちが自然共生型の高度な生活文化や洗練された信仰体系を持っていたこと、また縄文末期には一部の地方で初期の稲作農耕が行われていたことなどが分かってきている。
 そして、一方では6千年前頃から始まった気候の寒冷化によって森林の食糧生産力が低下したために縄文人の人口は減少傾向に入り、やがて突如として列島に蔓延したウィルス性の疾患(ATLウィルス)によってその人口が一気に激減したことも知られるようになってきた。そこから推測されることは、自然と共生しながら豊かな文化や信仰を育んできた縄文人たちの生活が、自然の猛威に脅かされて存亡の危機に瀕していた時に、より安定的に食糧を供給できる稲作農耕の高度な技術を携えた渡来人たちが彼ら席巻していったのではないかということである。
 ただし、縄文人が有していた文化水準の高さから考えると、渡来人は自分たちが持ってきたものを一方的に縄文人に押しつけるだけでは縄文人をうまく支配することはできなかったのではなかろうか。ことに宗教的なことに関して言えば、渡来人は縄文人がもともと持っていたものを尊重し、それを制度的に再組織化することによって洗練させ、自らもそれに帰依していった可能性が高いように思われる。
 そうした宗教的な帰依の対象を天皇に集約するにあたって、渡来人たちは縄文人たちの自然信仰と天皇信仰を巧みに同化させていった筈で、それはイスラム・マタラム王国がスノパティとニャイ・ロロ・キドゥルを結びつけた時よりも、はるかに徹底したやり方がとられたと思うのだ。
 これに関してより大胆な仮説を立てているのは栗本慎一郎氏で、同氏は田原総一郎氏との対談『闘論・二千年の埋葬』において、天皇制は古代における縄文勢力と弥生勢力の妥協の産物であり、弥生人たちは縄文の首長をそのまま天皇として奉り、統治システムは弥生人が持ち込んだものを採用した可能性があると語っている。
 そして、それ故に天皇は弥生の中心に居座りながらも、常に日本文化の基層部を担う縄文とも直結しうる両義的な存在になったというのだ。栗本氏はこの説を敷衍して、日本人の政治的な意思決定の曖昧さは、縄文と弥生の妥協の産物として天皇が生み出されたことに由来するとも語っているが、これもまた興味深い仮説である。
827名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/21(土) 01:01
>826
興味深い仮説??
当たり前だけど・・全部。
で・・なんで仁徳天皇陵はなぜ発掘調査しないの?
828名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/21(土) 01:20
朝鮮ばんざい!
僕たちの祖先である朝鮮人を敬いましょう。
もちろん朝鮮からはるばるこの地におもむいて国を興された
僕たちの父である偉大なる天皇陛下への敬愛心もお忘れなく。
829783:2001/07/21(土) 04:28
>787
前書き込みは536の
>民族派の懸念(?)どおり、百済武寧王陵の宜子孫獣帯鏡とそっくりなことが
>韓国でのコンピューター画像解析により最近判明しました。
に対応したものです。
ちなみに、武寧王陵にある鏡とそっくりなものが出てきたのは、仁徳天皇陵だけではありません。
「百済・南梁と交易があった」とは言えると思いますが。

あと、347の
>「剣」「勾玉」「鏡」
>この3つを特別なものとして扱うのは古代朝鮮文化だったんだ。(中国文化じゃない)
「神器」はもともと鏡・剣の2種とする伝承もあり、令制で天皇即位時に忌部が奉上するのはこの2種です。
830>829:2001/07/21(土) 05:01
>ちなみに、武寧王陵にある鏡とそっくりなものが出てきたのは、
>仁徳天皇陵だけではありません。「百済・南梁と交易があった」
>とは言えると思いますが。
仁徳天皇のころは百済はすでに大和の軍門に下っている。誤魔化すな、カンコック。
831かんこっく:2001/07/21(土) 05:03
プルコギ、ハングル、チョゴリは実は蒙古支配の
置き土産なのです。韓国の代表的な文化を授けて
下さったモンゴルの人々に今こそ感謝の念を
述べるべきではないでしょうか?
832かんこっく:2001/07/21(土) 05:07
ウリナラの誇り檀君は実は蒙古に支配された悔しさの
あまりに捏造してしまいました。ゴメンナサイ、ゴメンナサイ。。。(泣)
どうせバレやしないと思って檀君神話を教科書にまで
載せてしまいました。ゴメンナサイ、ゴメンナサイ。。。(泣)
実は本当は朝鮮で初めての行政組織は中国人が作った
楽浪郡だったんです。ウソついてゴメンナサイ、ゴメンナサイ。。。(号泣)
833名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/21(土) 05:11
>朝鮮ばんざい!
>僕たちの祖先である朝鮮人を敬いましょう。
>もちろん朝鮮からはるばるこの地におもむいて国を興された
>僕たちの父である偉大なる天皇陛下への敬愛心もお忘れなく。
電波はもう飽きた。自分の説を聞いてもらいたいのなら、その
証拠もちゃんと併記しろ。俺が見本を見せてやる。
834こんな風にやれ!:2001/07/21(土) 05:14
「魏志倭人伝には、狗邪韓国(加羅)を倭国の北限とする記事があり、
考古学的にも当地の3世紀の遺跡には、倭系遺物の出土が多い。

好太王碑文に倭国が海を渡って、百済・新羅を臣民にしたとの
記述が見られる時期に、 朝鮮の正史「三国史記」に、百済が
皇太子を、新羅が王子を、倭国に人質に出した記事がある。
「日本書紀」も同様で、400年前後に倭国が朝鮮半島南部に勢力
を広げたことで一致。 宋書には、5世紀後半に、倭国に新羅・任那
などの軍事権を認めた叙任がある。
これらの文献資料は、全て調和的。

考古学的には、畿内発祥の埴輪を並べた前方後円墳が、
古墳時代中期〜後期(5〜6世紀)
になると、朝鮮半島南部にいくつも見られるようになり、
倭国の勢力拡大を裏付けている。
と言うわけで、全く問題ないのである。」
どうだ?このこぴぺにはかんこっく人どもも反論できない
ものだから、ぶつぶつ愚痴を垂れるだけ。(w
835名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/21(土) 12:59
>>834
所詮中国が朝鮮文化と日本文化を作ったプロセスを無視して
「日本書紀」と「三国史記」をいかに精読しても
「倭」と古代朝鮮の実態には迫れない。
「畿内」の勢力が朝鮮半島に勢力を広げた時代もあるかもしれないが
しかし、「白村江の戦い」以降半島から完全に撤退したことも
明らかだ。
一時的に勢力を広げた時代と、恒常的に影響を受けた時代を
どう評価しているのか不明。
かんこっく人は反論できないが、中国人は反論するだろう。
836>835:2001/07/21(土) 13:02
ちょっと曖昧で言いたいことが良くわからんねえ。。。
倭の朝鮮支配のことなら魏志倭人伝、魏志東夷伝、宋書
などの中国の史書にも記事が残っているよ。
837名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/21(土) 13:03
>「日本書紀」と「三国史記」をいかに精読しても
そんなら好太王碑文を精読したまえ。
838っつーかね:2001/07/21(土) 13:09
古代じゃなくても、半島勢力に政権取られた痕跡があるって話だよね。
天武ちゃんって、新羅の後押しを受けたんじゃなくて、
そのものだったって話じゃん。
839日本史学習中:2001/07/21(土) 13:11
こんな議論できるのが羨ましいな。
かっこいいです。僕も研究者か教師になりたい。
840名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/21(土) 13:11
いちろーも大人になる為の試練を味わってんだね
841お前は833をちゃんと読んだか?:2001/07/21(土) 13:12
>古代じゃなくても、半島勢力に政権取られた痕跡があるって話だよね。
>天武ちゃんって、新羅の後押しを受けたんじゃなくて、
>そのものだったって話じゃん。
電波はもう飽きた。自分の説を聞いてもらいたいのなら、その
証拠もちゃんと併記しろ。俺が見本を見せてやる。
842お前は833をちゃんと読んだか?:2001/07/21(土) 13:14
「魏志倭人伝には、狗邪韓国(加羅)を倭国の北限とする記事があり、
考古学的にも当地の3世紀の遺跡には、倭系遺物の出土が多い。

好太王碑文に倭国が海を渡って、百済・新羅を臣民にしたとの
記述が見られる時期に、 朝鮮の正史「三国史記」に、百済が
皇太子を、新羅が王子を、倭国に人質に出した記事がある。
「日本書紀」も同様で、400年前後に倭国が朝鮮半島南部に勢力
を広げたことで一致。 宋書には、5世紀後半に、倭国に新羅・任那
などの軍事権を認めた叙任がある。
これらの文献資料は、全て調和的。

考古学的には、畿内発祥の埴輪を並べた前方後円墳が、
古墳時代中期〜後期(5〜6世紀)
になると、朝鮮半島南部にいくつも見られるようになり、
倭国の勢力拡大を裏付けている。
と言うわけで、全く問題ないのである。」
どうだ?このこぴぺにはかんこっく人どもも反論できない
ものだから、ぶつぶつ愚痴を垂れるだけ。(w
843っつーかね:2001/07/21(土) 13:22
842は最初から最後まで証拠だらけで説が抜けてるような
気がするが。。。最後の
>と言うわけで、全く問題ないのである
というのが説なのか?
844名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/21(土) 13:23
>>834
大体、倭国を今の日本の起源としている事がおかしいだろうが。
わかったようなこというな、人肉喰いが。
845844。お前は833を読んだのか?:2001/07/21(土) 13:25
>大体、倭国を今の日本の起源としている事がおかしいだろうが。
>わかったようなこというな、人肉喰いが。
電波はもう飽きた。自分の説を聞いてもらいたいのなら、その
証拠もちゃんと併記しろ。俺が見本を見せてやる。
846844。お前は833を読んだのか?:2001/07/21(土) 13:25
「魏志倭人伝には、狗邪韓国(加羅)を倭国の北限とする記事があり、
考古学的にも当地の3世紀の遺跡には、倭系遺物の出土が多い。

好太王碑文に倭国が海を渡って、百済・新羅を臣民にしたとの
記述が見られる時期に、 朝鮮の正史「三国史記」に、百済が
皇太子を、新羅が王子を、倭国に人質に出した記事がある。
「日本書紀」も同様で、400年前後に倭国が朝鮮半島南部に勢力
を広げたことで一致。 宋書には、5世紀後半に、倭国に新羅・任那
などの軍事権を認めた叙任がある。
これらの文献資料は、全て調和的。

考古学的には、畿内発祥の埴輪を並べた前方後円墳が、
古墳時代中期〜後期(5〜6世紀)
になると、朝鮮半島南部にいくつも見られるようになり、
倭国の勢力拡大を裏付けている。
と言うわけで、全く問題ないのである。」
どうだ?このこぴぺにはかんこっく人どもも反論できない
ものだから、ぶつぶつ愚痴を垂れるだけ。(w
847名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/21(土) 13:29
>大体、倭国を今の日本の起源としている事がおかしいだろうが。
前方後円墳は大和の象徴。大和政権に関わっていない勢力が
前方後円墳を築いた例は無い。
848名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/21(土) 13:31
>>838
>天武ちゃんって、新羅の後押しを受けたんじゃなくて、
>そのものだったって話じゃん。
そんな話生まれて初めて聞いた。詳しく教えてほしい。
教えてくれなかったら妄想電波に自動認定。
849名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/21(土) 13:37
前方後円墳、デザイン的にオリジナル(?)だわな。
850名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/21(土) 13:43
不思議にいびつな形だ。上空から見なければ認識できない形。。。
宇宙人へのメッセージ?
神々の指紋
851名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/21(土) 14:00
前方後円墳を作る前の「倭」も「倭」だよ。
ある日突然、墓の作り方が前方後円墳になったのよ。
それなんで?
852名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/21(土) 14:15
>>848
中大兄皇子664年の立太子時に「大海人」と言う名前を持つ人物が
存在しなかった。
白村江の戦以前、新羅王族に連なる人物「金多遂」が日本に「人質」
として滞在していた。
金多遂が大海人皇子ではないかという説。

838じゃないけどきいたことあるよ。
8537743:2001/07/21(土) 14:46
筑紫君薩夜麻(ちくしのきみ・さちやま)って倭王は唐に8年も
抑留されて帰国した時は2千人の進駐軍(唐)と一緒だった。
天武は新羅・唐とその後結んでいく。

進駐軍?
白村江の捕虜を送還し、唐が倭に通交を求めたということでは?
8547743:2001/07/21(土) 14:48
筑紫君薩夜麻(ちくしのきみ・さちやま)って倭王は唐に8年も
抑留されて帰国した時は2千人の進駐軍(唐)と一緒だった。
天武は新羅・唐とその後結んでいく。

進駐軍?
白村江の捕虜を送還し、唐が倭に通交を求めたということでは?
855名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/21(土) 15:44
唐と新羅の連合軍に負けたにもかかわらず、
「天武」の時代新羅と友好的に大和政権は運営された。
天智天皇は天武に4人も娘をとつがせて、死後わずか1年で
壬申の乱がおき、大友皇子以下近江朝の主要メンバー
はことごとく処刑された。

天武は、新羅派。それは明らか。
天武が新羅人かどうかは知らない。
856名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/21(土) 17:25
>>845
何度も同じフレーズ繰り返してると新手の荒らしに見える
857名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/21(土) 17:47
倭の百済、新羅支配は300年を超える

「魏志倭人伝には、狗邪韓国(加羅)を倭国の北限とする記事があり、
考古学的にも当地の3世紀の遺跡には、倭系遺物の出土が多い。

好太王碑文に倭国が海を渡って、百済・新羅を臣民にしたとの記述が見られる時期に、
朝鮮の正史「三国史記」に、百済が皇太子を、新羅が王子を、倭国に人質に出した記事がある。
「日本書紀」も同様で、400年前後に倭国が朝鮮半島南部に勢力を広げたことで一致。
宋書には、5世紀後半に、倭国に新羅・任那などの軍事権を認めた叙任がある。
これらの文献資料は、全て調和的。

考古学的には、畿内発祥の埴輪を並べた前方後円墳が、古墳時代中期〜後期(5〜6世紀)
になると、朝鮮半島南部にいくつも見られるようになり、倭国の勢力拡大を裏付けている。
と言うわけで、全く問題ないのである。 」
858名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/21(土) 18:35
>新手の荒らし
サブリミナル効果(?)とか、マインドコントロールねらってんだね。
859名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/21(土) 18:48
856=858
860858:2001/07/21(土) 19:16
856=858
ハズレ。
861856:2001/07/21(土) 19:17
アタリ
862856:2001/07/21(土) 21:48
>>861
あんた誰よ?
863名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/21(土) 22:14
やっぱ、あたりだったんだね。
864858:2001/07/21(土) 22:29
>倭の百済、新羅支配は300年を超える

少なくとも300年というのは「嘘」というより
見積もりが大きすぎ。
中国の「魏」が滅んで晋・南北朝にかけての時代、
中国の支配力が弱まった分、周辺諸国が次々と国家統一した。
楽浪郡をたおして高句麗ができたこと。
馬韓の連合から百済、辰韓の連合から新羅が国家を形成したこと。
同時進行で大和朝廷が九州北部から中部地方まで統一政権を
つくりつつあったことは確かだが、それがどのような起源を
持つ人々だったのか不明。

初代百済王の起源は高句麗の将軍、高句麗の起源は北方の黒龍江省の「夫余」
が起源。そういう意味での河内王朝の起源には興味がある。

一時期、高句麗への対抗上、百済・新羅と同盟した(支配した・勢力を広げた)
という意味で、倭が朝鮮に影響したことと論点が違う。
865日向の国は天皇の家 :2001/07/21(土) 22:30
まずは天皇家発祥の地であるが記紀には日向国とある。これに異論を唱える説、
大和説、卑弥呼の末裔説、朝鮮説等があるが。当時の物の考え方からすると
朝鮮であれば堂々と書けた時代である。何も嘘をつく必要など何もない。
では日向国の何処か?高千穂の峰の麓に広大な盆地の中心に位置する都城
である。都という字を「みやこ」と読むのは奈良の都と京の都とこの都城だけで
ある。当時この地は都島(みやこのしま)と呼ばれていた。これは「みやこ」ある
地域即ち都城盆地全体を指す意味で島と言っている。例えは悪いがヤクザの
いうシマと同じである。 言い換えればこの名は「みやこ」のある場所という意味
である。これは何を意味するかといえばここが天皇の拠点であるということである。
土地の名前の決定権は権力者だけに許された特権事項である。
ましてや「みやこ」である。 これは天皇の専権事項で天皇の拠点である地域にし
か許されない呼び名である。それは都が京に移った後は奈良の都は単に奈良と
呼ばれていることからも推察できる。このことは天皇が権力を失う摂関政治が始ま
るまで続く。 もう一つ日向国の名前は古事記が編纂される前まで国の名前が
なかったのである。古事記を編纂するから急遽、名前をつけたと言っても過言で
はない、それはなぜか?ひとは自分の家を言うのに固有名詞を使わない。
私の家とかじぶんちとか普通名詞で言う。例えば中村さんが自分の家のことをいう
時に「中村の家」とは決して言わない。 これと同じでじぶんちである日向の国に
特に名前を付ける必要がなかったのである。
866日向の国は天皇の家:2001/07/21(土) 22:30
では天皇家の系譜を追ってみよう。初代、神武から九代開花までは伝説上の
人物と言われている。ある説では十四代仲哀までがそうだといわれている。ここ
では開花までを混乱をさける為、伝説上の人物としておこう。人物は伝説上の人
でも起きた出来事は事実に基ずいていると考えている。それは何かの始まりの
天皇には神の字の付く諡が付けられている。諡は死後、天皇の業績を反映して
付けられる名前である。決して、生存中に呼ばれた名前ではない。神武、崇神、
応神と天皇ではないが神功皇后の四人である。神武は初代だから当然である。
応神、彼こそが全国を統一して大和に都を定めた天皇であるという説が有る。
その成立過程については異なるが応神が全国を統一を成し遂げたということに
異論はない。ということで大和政権の始祖という意味である。では崇神は何を始め
たのか、彼こそ都城に都を定めたのだ。崇神から応神までの6代が都城を都とし
ていた。 初代から応神まではある特定の人物がいたのではなく起こった事柄に
合わせて天皇の名前を入れ込んだと考えた方がよいのではないか。言い換えれば
神の付く天皇についてはその在位期間に何かが始まったということです。
867日向の国は天皇の家:2001/07/21(土) 22:31
お墓について触れていなかったので、ここで少し述べよう。 都城5代の天皇
のお墓はこの宮崎の地にある。みんながよく知っている前方後円墳は飛鳥時代初
期まで天皇家と皇族にしか許されない墓の形式であった。ここまで言えばお分か
りと思う。宮崎の古墳のほとんどが前方後円墳である。日向の国には地方豪族は
いなかったのです。いるのは天皇の一族ばかりです。そしてこの前方後円墳は重
要なもののを象徴したものなのです。それは三種の神器のひとつにまつわるもの
なのです。
868日向の国は天皇の家:2001/07/21(土) 22:31
日向の国が天皇家の家であることを裏付けることがある。宇佐神宮である。
そうです称徳天皇が弓削の道鏡を天皇にしていいかどうかの託宣を貰いに行かせた
神社である。なぜ伊勢神宮ではなく宇佐神宮なのか。それは天照大神が天皇家と
直接の繋がりがない神と分かっていて、しかも、宇佐神宮が大和政権の礎を築いた
直接の先祖である応神天皇を祀っている神社であって当時最高位に位置する神社で
あったからである。その宇佐神宮の領地の9割が日向にあって、それが日向の全荘
園の4分の一を占めていた。宇佐神宮が豊後の国にあるのにもかかわらず、なぜそ
うなったか、宇佐神宮が天皇家のために天皇家を守るために建立された神社である
からだ。そのため天皇家は天皇家の土地、日向の荘園を神宮に寄進したのだ。
869名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/21(土) 22:39
 最近では、縄文人たちが自然共生型の高度な生活文化や洗練された信仰体系を持っていたこと、また縄文末期には一部の地方で初期の稲作農耕が行われていたことなどが分かってきている。
 そして、一方では6千年前頃から始まった気候の寒冷化によって森林の食糧生産力が低下したために縄文人の人口は減少傾向に入り、やがて突如として列島に蔓延したウィルス性の疾患(ATLウィルス)によってその人口が一気に激減したことも知られるようになってきた。そこから推測されることは、自然と共生しながら豊かな文化や信仰を育んできた縄文人たちの生活が、自然の猛威に脅かされて存亡の危機に瀕していた時に、より安定的に食糧を供給できる稲作農耕の高度な技術を携えた渡来人たちが彼ら席巻していったのではないかということである。
 ただし、縄文人が有していた文化水準の高さから考えると、渡来人は自分たちが持ってきたものを一方的に縄文人に押しつけるだけでは縄文人をうまく支配することはできなかったのではなかろうか。ことに宗教的なことに関して言えば、渡来人は縄文人がもともと持っていたものを尊重し、それを制度的に再組織化することによって洗練させ、自らもそれに帰依していった可能性が高いように思われる。
 そうした宗教的な帰依の対象を天皇に集約するにあたって、渡来人たちは縄文人たちの自然信仰と天皇信仰を巧みに同化させていった筈で、それはイスラム・マタラム王国がスノパティとニャイ・ロロ・キドゥルを結びつけた時よりも、はるかに徹底したやり方がとられたと思うのだ。
 これに関してより大胆な仮説を立てているのは栗本慎一郎氏で、同氏は田原総一郎氏との対談『闘論・二千年の埋葬』において、天皇制は古代における縄文勢力と弥生勢力の妥協の産物であり、弥生人たちは縄文の首長をそのまま天皇として奉り、統治システムは弥生人が持ち込んだものを採用した可能性があると語っている。
 そして、それ故に天皇は弥生の中心に居座りながらも、常に日本文化の基層部を担う縄文とも直結しうる両義的な存在になったというのだ。栗本氏はこの説を敷衍して、日本人の政治的な意思決定の曖昧さは、縄文と弥生の妥協の産物として天皇が生み出されたことに由来するとも語っているが、これもまた興味深い仮説である。
870858:2001/07/21(土) 23:27
>崎の古墳のほとんどが前方後円墳である
女狭穂塚古墳のこと?

日向の国、都城に最初からいたということね?
その前は無いの?
871名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/21(土) 23:44
朝鮮ばんざい!
僕たちの祖先である朝鮮人を敬いましょう。

もちろん朝鮮からはるばるこの地におもむいて国を興された
僕たちの父である偉大なる天皇陛下への敬愛心もお忘れなく。
872856:2001/07/22(日) 00:26
>>863
勝手に思っとけ、きちがいめ
873名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/22(日) 00:28
倭の百済、新羅支配は300年を超える

「魏志倭人伝には、狗邪韓国(加羅)を倭国の北限とする記事があり、
考古学的にも当地の3世紀の遺跡には、倭系遺物の出土が多い。

好太王碑文に倭国が海を渡って、百済・新羅を臣民にしたとの記述が見られる時期に、
朝鮮の正史「三国史記」に、百済が皇太子を、新羅が王子を、倭国に人質に出した記事がある。
「日本書紀」も同様で、400年前後に倭国が朝鮮半島南部に勢力を広げたことで一致。
宋書には、5世紀後半に、倭国に新羅・任那などの軍事権を認めた叙任がある。
これらの文献資料は、全て調和的。

考古学的には、畿内発祥の埴輪を並べた前方後円墳が、古墳時代中期〜後期(5〜6世紀)
になると、朝鮮半島南部にいくつも見られるようになり、倭国の勢力拡大を裏付けている。
と言うわけで、全く問題ないのである。 」
874名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/22(日) 00:40
家系図が繋がってるだけで、血統的には平安時代以前にぐちゃぐちゃでしょう
全く関係ない百姓や間男の血統とすり替わっていてもなんら不思議ではない。

仁徳天皇陵は世界の鍵穴なのです。蝶番は日本海溝です。開けてはなりません。
875そうだ!確かに:2001/07/22(日) 02:32
天皇といわれる当時の人々。それはとにもかくにも「腕っ節の強かった人々」である。
法律も何も無い無法時代の唯一のよりどころは「武力」なのである。
現代で言えばさしずめ「○○○」さんのようなものである。
この国はそんな人々を象徴としているのだ。もっとも当時の天皇家=「腕っ節の強かった人々」
の血筋を現代の天皇家が継承しているわけでもなく(↑ 874)
平成天皇が日本一喧嘩が強いことの根拠にはならないのである。
キマッタ
876名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/22(日) 03:37
国家とは現存する最古にして最大のヤクザ組織である。
877名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/22(日) 03:39
日本史板いけば?
878ななさん:2001/07/22(日) 10:43
前方後円墳は朝鮮のぱくりだった。
歴史で教えてないね。
879あそ:2001/07/22(日) 12:32
>>878
がいしゅつ。
880名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/22(日) 12:47
だから、キミ達の願望が妄想だって〜
>99
881名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/22(日) 13:11
つか、縄文弥生時代を語るのに皇の字使うな
882名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/22(日) 15:46
白村江の戦いあたりを、知る必要があるな?
883名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/22(日) 15:52
>881
わかってるけど、名前がついてるんだもん。「皇」
うちの母親なんか、自慢げに神武から暗唱するぞ。
昭和中期までみんなそう習ったんだ、許せ。
884名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/25(水) 16:35
age
885名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/25(水) 16:57
886名無しさん@お腹いっぱい。
日本の歴史研究を妨げる宮内庁は国賊。