日本軍の虐殺がなぜ起こったのかを考える。
1.日本軍(特に陸軍においてはなはだしいが)において、兵の教育が過酷であり、
往復ビンタや過激な制裁が横行し、次第に上官の命令を絶対に聞くという態勢になった。
2.軍の内務班や兵営にいる限り、上官の非常な圧迫下にあり、
欲求不満のエネルギーがいつでも外に向かって解放されるようになっていた。
3.いつでも死を覚悟するように教育され、実際にもほとんど無益・無効な白兵戦に押しやられ、
自暴自棄になっていた。どうせ死ぬんだから何をやってもいいや、という気持ちになっていった。
4.陸軍は補給をほとんど無視した軍隊であった。
そこで食料・燃料などの生活物資の一切を中国の民間人から徴発するという態勢になっていた。
むこうも食料を奪われたら命をつなげないので必死に抵抗した。
そこで徴発の場面から徐々に暴行が常習化したため、民間人へ暴行する事への抵抗感が薄れていった。
ところで戦闘場面と異なり、徴発では下級兵士が上官の目を離れて自由に振る舞える唯一の場であった。
徴発の場では、物資の略奪とともに婦女暴行が頻発した。
5.強姦は一応陸軍刑法でも重罪であったが、親告罪、つまり相手が訴えなかったら、捕まらなかった。
相手の訴えを出来なくするためにほとんど必ず、強姦後殺人の形をとった。
これは、娯楽の乏しい兵士達のストレス解消として、上官も黙認していた。
6.下級兵士は中国人の前では強大な絶対者として振る舞うことが出来た。
警察による抑止や相手に武器など抵抗手段がなく、完全に相手を自由に痛めつけられる状況にあった。
7.上海の戦線が開かれるに及んで、なめてかかった日本軍は次々と壊滅に近い大きな戦死傷者を出した。
中国軍の死にもの狂いの抵抗は、中国憎しという逆恨みの感情を起こし中国人を
ひどい目に遭わすことをなんとも思わなくなった。
8.中国東北部ら「満州国」を作り上げたが、その過程では日本支配に抵抗する中国人を徹底的に殲滅した。
そのとき得られた捕虜は銃剣殺、斬殺された。
新兵教育のため生きた的として活用され、銃剣殺、斬殺に対する心理的抵抗感が次第に麻痺して行った。
2 :
朝まで名無しさん:04/08/18 23:42 ID:2BRmCOmH
2
3 :
朝まで名無しさん:04/08/18 23:42 ID:4aOFtC6+
4 :
朝まで名無しさん:04/08/18 23:43 ID:4aOFtC6+
5 :
朝まで名無しさん:04/08/18 23:44 ID:7GaXWC56
>1
デマを書くな。中共の捏造だ。
あえていえば南京事件という程度だ。
6 :
朝まで名無しさん:04/08/18 23:45 ID:THFecSH2
日本刀で100人斬り殺せるほどの戦闘力をもち、銃剣と単発銃のみで40万人
殺すなど原爆以上の破壊力を持つ携行兵器を誇り、各植民地で無駄に現地人
を殺してまわるほど武器弾薬が余っていて、揚子江の川幅を2m以下にしたり
するほどの高い土木技術を持ち、沖縄で米軍上陸後も市民に玉砕命令が出せる
ほど命令系統がしっかりしていて、 日本兵の数を上回るほどの従軍慰安婦を
一日に一人あたり何十人も暴行するほど体力と食料があって、
開戦前からオランダ占領時のインドネシアにも日本軍用の慰安婦を送り込むほど
先見性があり、AVが無かった時代にも関わらず慰安婦に顔射するほど独創性に富み、
韓国で文化施設はもちろん 一般家庭にある辞書から料理本に至るまで処分
してまわるほど暇で、保護するために植民地ではなく併合したにも関わらず、
韓国の運気を捻じ曲げるために、山の頂上に鉄杭を埋め込むほど風水に明るく、
当時の朝鮮の人口のおよそ半数近くを日本へピストン輸送するほど燃料と
船舶が豊富で、中国で家々に火を放ちまくり無駄に虐殺した民間人の死体を
一カ所に集めて、たっぷりとガソリンをまいて燃やすほど石油資源に余裕があり、
韓国の優れた建築施設・街・鉄道を全て接収することなく破壊し尽くした上、
新たに日本の駄目な建築物に建て替えるほど資源と資金が有り余っていて、
11歳が戦場で暴れ回るほど若い内から逞しく、終戦後になぜか強制連行を
行いまくるほどの軍備と余裕があり、圧倒的科学力を誇る朝鮮の反日勢力に
なぜか圧勝するほど運がよく、朝鮮人を殺しまくりながら人口を2倍にするという
魔術を持ち、敗戦国でありながらGHQを手玉にとって朝鮮戦争を起こすよう
コントロールするほど政治力と外交能力に長けた日本が敗戦したことは歴史上
最大のミステリー。
7 :
シンガポールでは4〜5万人:04/08/18 23:52 ID:i9G8cbfI
http://www32.ocn.ne.jp/~modernh/paper41.htm アジア太平洋戦争における最初の大規模な残虐事件は、シンガポールの華僑虐殺だった。
1942年(昭和17)2月15日にシンガポールの英軍が降伏し、マレー半島全土を日本軍が占領下においた。
その直後、第25軍司令官山下奉文は「最も速かに市内の掃蕩作戦を実施し、
これ等の敵性華僑を剔出処断」せよという命令を下した(河村参郎『十三階段を上る』亜東書房)。
憲兵隊を中心としたシンガポール警備隊が市内の、近衛師団が市内を除くシンガポール島を担当、
18歳以上50歳までの華僑男子は21日までの指定された場所に集まるように布告が出された。
各検問所では簡単な尋問がおこなわれただけで、「抗日」とみなされた者はトラックに乗せられて郊外の海岸などの運ばれ、
機関銃で射殺された。この粛清の事実上の首謀者だった軍参謀辻政信は検問所をまわって、「何をぐずぐずしているのか。
俺はシンガポールの人口を半分にしようと思っているのだ」と憲兵隊を激励してまわった(大西覚『秘録昭南華僑粛清事件』金剛出版)。
この粛清を指揮したシンガポール警備隊長河村参郎の日記には、粛清の途中の23日に憲兵隊長を集め、
そこで「処分人数総計五千名」と報告を受けたことが記されている。
戦後、日本軍関係者が作成した文書では約5000人を「厳重処分」(裁判にかけずに直ちに処刑すること)したとしている。
シンガポールでは4〜5万人が虐殺されたとされている。
8 :
日本軍の残虐行為はアジア民衆に対してだけでなく、:04/08/18 23:53 ID:i9G8cbfI
http://www32.ocn.ne.jp/~modernh/paper41.htm ところで、こうした日本軍の残虐行為はアジア民衆に対してだけでなく、
日本人に対しても向けられた。その最初はサイパン戦だった。
サイパンには約2万人の日本の民間人が残っていたが、その半数が1944年6月から7月のサイパン戦で犠牲になった。
サイパンに住んでいた日本人の約6割は沖縄県出身者であった。この戦闘のなかで、
逃げ込んだ洞窟のなかで泣きやまない赤ん坊を殺害したり、親子ごと洞窟から追い出したり、
米軍に投降しようとした民間人を射殺するなど日本軍による残虐行為が頻発した。
また民間人の投降を許さず「自決」を強要するなど、後の沖縄戦で見られる状況がほぼすべてこのサイパン戦で現れていた。
さらに1944年10月から米軍の反攻が始まったフィリピンでは、ここにも多くの日本人移民がおり、
太平洋戦争開戦前にはその約7割が沖縄県出身者であった。
ミンダナオ島では米軍の上陸により山中に追いやられた日本兵による日本人からの食糧強奪や殺害がおきたし、
パナイ島では日本軍とともに逃避行を図ったが、付いていけない民間人たちは「自決」を強要され、
残された傷病兵の手によって手榴弾や銃剣によって殺された。
9 :
朝まで名無しさん:04/08/18 23:53 ID:i9G8cbfI
こうした状況がさらに大規模に生まれたのが沖縄戦であった。
http://kyoto-getto.hp.infoseek.co.jp/okinawa/war/war2/war2f.html 沖縄戦を生き延びた沖縄の人々に、後に行ったアンケートの中で「日本兵と米兵のどちらが怖かったか」という問いに対して、
日本兵と答えた人と米兵と答えた人がほぼ同率であるという結果が出ました。
頼りになる味方であるはずだった日本兵の方が怖かったというのはどういうことなのでしょうか。
そこには日本兵による住民虐殺の事実が隠されています。
沖縄戦では軍に保護を求める住民が軍とともに行動し、軍を追う形でともに南部へと逃げてきました。
住民は軍の情報にとても近い存在だったのです。ですから、住民が米兵に投降しようものなら、
軍の情報が漏れるとして日本軍が沖縄住民を背後から射殺したのです。
これは決して窮地に陥った軍のどさくさの行為ではありません。
それ以前から、「住民の諜報活動に注意せよ」との軍中央からの文書が配られています。
さらには方言を禁止し、会話をすべて軍が把握できるようにしようとしたのです。
実際方言をしゃべっていたためにスパイとして虐殺された沖縄住民もいます。
また、艦砲から逃れて壕へ入ろうとした住民を軍が作戦に使っているからという名目で艦砲の嵐の中に追い出したり、
中には住民が避難しているところに日本軍がやってきて追い出すケースもあったようです。
その結果、艦砲に当たって命を落とした住民も多数目撃されています。
ガマに避難する住民の子どもを「泣くと敵に見つかるから」と恫喝して”処分”させたり、親子ごと追い出したりしました。
沖縄戦ではこうした証言が相次いでいます。
「軍は住民を守らない」・・・沖縄戦の体験者の言葉がずっしり胸に響きます。
ざわわ、ざわわ、ざわわ・・・
敵国と対等な外交をするためと、我が国内の愚民どもを黙らせるためには、やはり
核武装するしか手はないな。
11 :
朝まで名無しさん:04/08/19 00:02 ID:ZzOBYYeF
>6
すげ、感動・・・
12 :
朝まで名無しさん:04/08/19 00:03 ID:mrvim0CP
わたしがやりました。
13 :
朝まで名無しさん:04/08/19 00:07 ID:iVJUMk57
何逝ってんだ2000万人に決まってるだろ
日本軍は何もやってないよ
虐殺したのは中国軍だよ
15 :
朝まで名無しさん:04/08/19 00:10 ID:3PYTyFCc
>>6 (; ・`д・´) ナ、ナンダッテー !! (`・д´・ (`・д´・ ;)
16 :
朝まで名無しさん:04/08/19 00:28 ID:fSYYhaDY
こんなスレが20も続くのが最大のミステリー
17 :
朝まで名無しさん:04/08/19 00:41 ID:TBqKvP8A
質問です。
このスレ立てた人〜
トイレは和式、洋式のどっちですか?
18 :
朝まで名無しさん:04/08/19 01:29 ID:WQmjjo77
日本軍が南京に侵攻してから、今日まで
南京では30万人以上の人が死んでいます。
20 :
朝まで名無しさん:04/08/19 01:38 ID:TmRUUwuR
中国が持っているという確固とした証拠を出せば良いのにね
21 :
朝まで名無しさん:04/08/19 01:43 ID:fSYYhaDY
動かない証拠は出てこないからこそ動かない証拠なのですよ
まあ、でもこうやって、中国が
「日本加害者、中国被害者」論
=「強い日本、弱い中国」論を
唱えている内が、日本にとっては
華だとは言えるな。
韓国の金に媚びていた中国は、
韓国を抜いたと自信をつけた
とたんに「高句麗=中国の一
地方政権」論を唱えはじめた。
中国が日本を抜いたと自信を
つけてきたら「琉球王国=中国
の一地方政権」論を唱え始める
だろうし、「倭=中国の一地方政権」論
「倭国王=天皇=中華皇帝の家臣」論
「倭寇=帝国陸軍」論も沸き起こって
くるだろう。
恨まれ、憎まれている間は、まだ安心だ。
馬鹿にされるようになってはおしまいだ。
>>1 中国人が殺しあった跡に、日本軍が着たんでしょ?
ちがうよ。国民党が殺しまくっていたところを日本軍が助けて回ったんだよ
奴らの焦土作戦のせいで日本軍が恨まれたんだろ。
共産党のほうがたちが悪いよ。
25 :
197改めあかいろ:04/08/19 12:11 ID:4tV7OC0Q
>>1 >1.日本軍(特に陸軍においてはなはだしいが)において、兵の教育が過酷であり、
>往復ビンタや過激な制裁が横行し、次第に上官の命令を絶対に聞くという態勢になった。
>2.軍の内務班や兵営にいる限り、上官の非常な圧迫下にあり、
>欲求不満のエネルギーがいつでも外に向かって解放されるようになっていた。
まず1つめとして、実は海軍の方がビンタは酷かった。2つめは「上官の命令を絶対に聞く」
というのは、世界中の軍隊では当たり前のこと。上官の命令を聞かない軍隊はすでに軍隊ではない。
3つめは、往復ビンタなら今の陸自のレンジャーでもやってる。
しかし上官のビンタと、音もなく忍び寄られた敵に後ろから殺されるのと、どちらが良いか?
考えるまでもない。戦場では上官のビンタより過酷なことはいくらでもある。逆にその程度の
ヘタレでは戦場で生き抜く事は不可能。訓練は戦場で生き抜く兵士を育てるためにある。
子供の遊びではない。上官のビンタも訓練の一環なのだ。その程度のことも理解できない厨房では
軍隊はおろかこの不況日本の厳しい社会では生けてけないよ。
まあ、確かに何かあるとすぐに会社を辞めてフリーターに成るのが増えているようだけどね。
なんてことを言っていてもしょうがないので、
ココで引用を一つ。おんなじコピペばかり貼っていても芸がないので、今までにないやつからの引用。
「驚いたのは彼らが軍隊生活に好感と懐かしさを抱いていることだ。学士様だろうと社長だろうと
軍隊ではみんな同じだといい、いろいろ実例を上げて私たちを笑わせた。軍隊生活など地獄のように
思っていた山手育ちの私たちは、目を見張る思いがした。」(時刻表昭和史 宮脇俊三「鉄板のネ申」)
26 :
197改めあかいろ:04/08/19 12:12 ID:4tV7OC0Q
>3.いつでも死を覚悟するように教育され、実際にもほとんど無益・無効な白兵戦に押しやられ、
>自暴自棄になっていた。どうせ死ぬんだから何をやってもいいや、
>女を知らないまま死ぬのは損だ、という気持ちになっていった。
いつでも死を覚悟は軍人なら当然のこと。ちなみにフランス外人部隊の墓地の石碑にこうある。
「我々を受け入れてくれたフランスに対し、我々が出来る唯一の恩返しはフランスのために死ぬことである」
また無益・無効な白兵戦とはなにか?そもそも白兵戦とはなにか?をまったく理解していないように思われる。
>女を知らないまま死ぬのは損だ、という気持ちになっていった。
つーかお前ヤバイよチェリーボーイ。その想像力はすばらしいが、リアルでやらないようにな。犯罪だから(w
<上海事変(大場鎮)における日本軍の勝利と浸透戦術>
浸透戦術とは日本軍が歩兵操典に採用した白兵突撃の戦術です。もともとはロシアのフルシロフが
行ったものが最初といわれていますが、その後それを大々的に取り入れたドイツの将軍の名を取って
フーチェル戦術とも呼ばれています。
従来、歩兵による強襲は、敵の最も強化された陣地に対して行うのが定石とされていました。
つまり、最もやっかいな物を先に叩いておこうという考え方で、旅順要塞で乃木将軍が、
弱点の西北正面(二〇三高地)ではなく、最も強力な東北正面(永久保塁群)を主攻としたことは有名です。
また、第一次世界大戦のヴェルダンやソンムでも基本的にはこの考えが採用されました。
27 :
197改めあかいろ:04/08/19 12:13 ID:4tV7OC0Q
しかし、この戦法は防御側の機銃ポストに正面から突撃することになり、結果として攻撃側が
大損害をだすことになりました。通常、突撃は一週間近い準備砲撃で敵の陣地に損害を与え、
それから数万もしくは十数万の兵士が定められた時間に一斉に突撃を開始する。しかし、準備された
陣地は砲弾に対して以外に強く、また準備砲撃自体が一種の合図となってしまったため、
防御側に充分に準備する時間があり、結果として防御側の機銃が待ち構える正面から突撃したのですから、
当然、突撃部隊は機銃になぎ倒されることになるのです。
そこで、「はて?」と思う人もいるでしょう。「なぜ、敵の弱点を攻撃しないのか?」と。
その理由は「それが出来ないから」です。なぜ出来ないのか?
それはまず、この時代。命令は大隊単位で出され、行動は師団以上の軍団、軍レベルで行われるものでした。
大隊単位の命令ですから、「どこそこの陣地を強襲して占領せよ。」のような命令になるのですが、
大隊長はなんとか部隊をまとめて突撃しますが、1000〜700人の突撃となると融通性というものはなく、
「どこそこの陣地」(強化陣地やトーチカ)からの機銃掃射で壊滅させられてしまうことになります。
ところが、「弱い場所を攻撃しろ。」という命令は出しづらい。なぜなら後方の参謀にはどこが弱いのか
まったく分からないからです。防御側はこまめに守備部隊を移動する事ができ、弱点ができるとすぐに
余っている陣地から部隊を移動して補強するということが容易にできるため、「弱い場所を攻撃」しようと
するなら、攻撃側も守備にあわせて、その都度フォーメーションを変える必要があるのです。
つまり「弱い場所を攻撃」するためには、現場の判断で次々と変わる状況に対応する必要があり、
後方の司令部に指示を仰ぐことが出来なくなります。
そこで下士官(突撃班長)の教育というものが重要になってきます。つまり、浸透戦術とは
部隊の指揮を後方の参謀から、現場の下士官(突撃班長)に移すということにほかなりません。
28 :
197改めあかいろ:04/08/19 12:13 ID:4tV7OC0Q
日本軍は日露戦争や第一次世界大戦の研究から、浸透戦術を歩兵操典に採用しました。
ちなみに現代まで浸透戦術を歩兵操典に採用した軍隊は世界中の何処にもなく、日本が唯一です。
ほかの国は部分導入にとどまりました。その理由はこの戦術を習熟するには大変な努力が必要だからです。
この目的を達成するには長期間にわたる下士官クラスの全体的な指揮能力の底上げが必要でです。
これにはそれを許す社会の余裕と初等教育が絶対条件となります。第二次大戦で大国の軍隊と
そうでない国の軍隊の戦闘結果の格差が極端に拡大したのはこのためだとおもわれます。
上海事変で大場鎮に突入した日本軍の第101師団は、突撃隊12名を基準として、
運動は横でなく縦でカバーをとりながら突撃しました。目標を砲撃で破壊することは故意に避け、
もつのは背負い袋だけで、小銃は着剣し手で持って軽装でした。
大場鎮を中心とする塹壕線はゼークトラインと呼ばれました。ハンスフォンゼークトとは
元カール大公軍集団の参謀長からヨセフ大公軍の参謀長を歴任しファルケンハイン参謀長となり、
戦争に敗れた後、兵站総監その後隊務局長(参謀総長)に就任した人物です。
モノクルスフィンクス(単眼鏡のスフィンクス)とよばれ、敗戦後のドイツ国軍を再建した立役者ですが、
上層部での論争に破れ、国民党軍の軍事顧問としてはるばる中国までやってきました。
彼が上海郊外大場鎮に作った塹壕陣地は第一次世界大戦での彼の体験から生まれたもので、
ある意味において、当時ヨーロッパでも最先端のものでした。彼の意図は三線の縦深の深い防衛陣地に
誘い込み日本軍の撃滅を狙うものでした。
29 :
197改めあかいろ:04/08/19 12:14 ID:4tV7OC0Q
しかし、日本軍はこのヨーロッパ最先端の思想のさらに上をいっていました。まず準備砲撃なしで
敵に悟られることなく、少人数の分隊で機銃ポストをすり抜け、隠密りに第一線に接近し、
前触れなく第一線陣地に突入しました。これに驚いた国府軍は一時撤退し第二線と第三線で態勢を
整えようとしますが、ちょうどその時、日本軍の重砲隊が第二線と第三線に砲撃を浴びせ、
国府軍は大混乱の内に崩壊し、あっという間に日本軍は大場鎮を陥落させました。
30 :
197改めあかいろ:04/08/19 12:17 ID:4tV7OC0Q
>4.陸軍は補給をほとんど無視した軍隊であった。
>そこで食料・燃料などの生活物資の一切を中国の民間人から徴発するという態勢になっていた。
>むこうも食料を奪われたら命をつなげないので必死に抵抗した。
>そこで徴発の場面から徐々に暴行が常習化したため、民間人へ暴行する事への抵抗感が薄れていった。
>ところで戦闘場面と異なり、徴発では下級兵士が上官の目を離れて自由に振る舞える唯一の場であった。
>徴発の場では、物資の略奪とともに婦女暴行が頻発した。
まず補給をほとんど無視した軍隊は存在できません。これは前にもかいたので を参照してくれ。
なんにしても25万もの人間が小銃担いで、東シナ海を泳いで渡ったわけではない。そんな適当な
計画で25万人を思うように動かすことは出来ないし、まして勝利することなど不可能だ。
で、とりあえず当時の補給がどのようにおこなわれていたのかを説明する。
31 :
197改めあかいろ:04/08/19 12:18 ID:4tV7OC0Q
まず、各兵士は携行口糧三日分(乾パンと米、固形調味料とカン詰)を持っていた。
ただしこれは非常の際に指揮官の命令がなければ食べられなかった。
次に歩兵連隊、大隊には大行李(糧食一日分)、小行李(弾薬)というものがあった。
更に師団輜重兵連隊は六個中隊で、歩兵弾薬二個中隊、砲兵弾薬二個中隊、糧秣二個中隊(二日分)
に編成されていた。
最後に軍には兵站自動車中隊が配属され、上陸基地には兵站補給諸廠の支廠が設けられ日本本土と
補給線をつないでいた。
上海−南京間は300キロを一ヶ月で進撃している。つまり一日10キロ。これはそれほど困難ではない。
というより、これが出来ないような軍隊は近代軍とはいえない。
(日本軍は近代軍ではないという人間がいそうなので、アメリカ、イギリス、フランス、イタリア、
日本は当時のG5で、近代化という意味では他国を圧倒していた。ちなみに15インチ砲戦艦を
もっていたのは、この当時アメリカ、イギリス、日本のみ)
32 :
197改めあかいろ:04/08/19 12:20 ID:4tV7OC0Q
>>1 前スレでの反論に対する答えがまだなんですが?
回答してからそのコピペ張ってもらえませんか?
それとも回答できるだけの知識が無いのにスレ建てですか?
33 :
朝まで名無しさん:04/08/19 12:40 ID:y1XPaSfL
>>1おまえそうとう頭悪いだろ
そんなに論議したいならおまえもまともに参加しろよ
いままで散々論破されてきたことを無視して同じことばっか書くな
おまけにまた南京大虐殺と関係ないこといいだすし論点ずらしまくり
何度も言うが証拠だ。
34 :
朝まで名無しさん:04/08/20 03:14 ID:sgTjCdrH
>>31 それらは、当時あまり活用されてないですよ。
『戦闘糧食の三ツ星をさがせ!』によれば以下のような携帯口糧が考えられていたそうですが。
・乾パン(乾麪包)・ゴム玉入りヨウカン(駄菓子屋とかでよく見るアレ)・粉味噌 ・携帯甘酒
・圧縮口糧(玄米アラレを主食、乾燥鰹節・梅干し・田麩を副食として圧縮し缶に詰めたものだそうな)
・圧縮乾燥野菜 ・軍糧精(カロリーバーのようなものらしい)
軽量で食べやすくカロリーも充分、厳冬下でも凍らず、戦時の経済封鎖下でも作れるよう安価且つ国産資源を用いる等を主眼に、
それなりに合理的に考えられた『携帯口糧』がいくつか開発されていました
(もっとも別の資料では陸軍の携帯口糧は主に航空兵用という記述もあるのでいまいち調査不足なんですが(;^_^A)。
まぁ米軍のCレーションやKレーションと比べると見劣りはするでしょうが・・・
こうしたものがありながら前線で活用されなかったのは、
旧日本軍において、やたら米飯にこだわり、米英軍兵士の手記を読んでも、
密林のなかで一斉にあがる、日本兵の炊飯の煙や水蒸気をみて、
布陣位置や数、そもそも食料の欠乏状況が手に取るようにわかった、との事です。
軍上層部の補給に対する無理解と急激な戦域拡大による軍自体の継戦システムの破綻が主な理由だったのでしょう。
35 :
朝まで名無しさん:04/08/20 03:19 ID:aN5eCirt
ない
もっと本読めば分かることだよ
36 :
197改めあかいろ:04/08/20 11:05 ID:6tRkP+e8
>>34 >それらは、当時あまり活用されてないですよ。
という部分。当時はといっても昭和17以降と昭和12年とでは状況が違いすぎる。
あなたの意見にもあるように、「>急激な戦域拡大による軍自体の継戦システムの破綻」が問題であって
始めから兵站を軽視していたと考えるのは無理がある。どちらかといえば兵站組織が昭和12年当時と
たいして変わらないのに、あなたの言う急激な戦域拡大がおき、さらにガダルカナルの例のような
急激な戦力、物資の消耗という事態で旧態とした兵站組織が機能破綻したと考えるのが妥当だと思う。
つまり、太平洋戦争に突入してからの状況としてはまったく同意であるが、昭和12年当時には必ずしも当てはまらない。
昭和17以降のむちゃくちゃになった陸軍と、昭和12年のまだ組織として正常に機能していた陸軍とは、
別物として考えるべきではないか?それに米軍に比較したら、どんな国の軍隊の兵站でも貧弱にみえるよ。
しかしそれを考えるとフィリピンマニラの住民虐殺のほうが南京なんぞより、よっぽど状況的にも実態的にも
言い訳の出来ない蛮行のように思うのだが・・。何故これが人権活動家にクローズアップされないのだろう。
市民の皆さまはフィリピンなんぞにコビを売っても利益が出ないからかな?とか思ってしまう。
37 :
197改めあかいろ:04/08/20 11:51 ID:6tRkP+e8
あと、
>軍上層部の補給に対する無理解
というのは少し違うかな。たとえばうちの会社の場合。
上司「そんなことは、わかってる。わかってるから何度も言うな。
今、改善に向けて努力している最中だ。だからこの話題はもうするな。
そんなことより、現場にも問題があるんではないか・・・(以下省略)」
分かっているけど、分かりたくない。出来れば考えたくもない。日本の組織の上層部とは今も昔も何処でもこんなもの・・。鬱だな。
38 :
朝まで名無しさん:04/08/21 00:01 ID:1TpJHwrP
当時の南京は、中国の他の都市と同じように全体が城壁に囲まれていました。そこを包囲していた日本軍が城壁を破り入城してから何周間にもわたって虐殺をして何十万人もの中国人を殺した。
こういう意味の虐殺は今は否定されています。いわゆる南京市内(城内)では、そのような虐殺はありませんでした。
簡単に言うと、@市内の安全区の中では虐殺はなかった。Aいわゆる市内(城内)では、安全区以外の場所はほぼ無人であった。
虐殺派の人も安全区の中で虐殺があったと言う人は今はもういないんじゃないのか。市内(城内)においての南京大虐殺の構築は無理ですしね。
39 :
渡辺:04/08/21 00:01 ID:1TpJHwrP
当時の南京は、中国の他の都市と同じように全体が城壁に囲まれていました。そこを包囲していた日本軍が城壁を破り入城してから何周間にもわたって虐殺をして何十万人もの中国人を殺した。
こういう意味の虐殺は今は否定されています。いわゆる南京市内(城内)では、そのような虐殺はありませんでした。
簡単に言うと、@市内の安全区の中では虐殺はなかった。Aいわゆる市内(城内)では、安全区以外の場所はほぼ無人であった。
虐殺派の人も安全区の中で虐殺があったと言う人は今はもういないんじゃないのか。市内(城内)においての南京大虐殺の構築は無理ですしね。
40 :
朝まで名無しさん:04/08/21 00:06 ID:kbaugIuu
>>39 南京市の外に人はいたのか?
→中国側の清野作戦で焼け野原、ほとんど無人と考えられる。
結果として導き出される答えは?
糞自慰すれだな。
42 :
朝まで名無しさん:04/08/21 01:40 ID:m1DTNSIg
>>40 それは否定派のでっち上げでは。
「南京は都合の好いことには余り破壊されていない」
「蘇州も十分の一位しか壊れていない」
と、松井大将ご自身がおっしゃってますが?
雑誌「改造」昭和13年3月号
松井指揮官・山本実彦対談
三軍を統べて我民族のために上海、蘇州、講習、南京で大捷し、歴史的の偉業を、
基地でホット休養している松井指揮官を私は大晦日の午後に訪問いたしまして約一時間会談を遂げることができました。
(中略)
山本:
南京もよく行きましたね。あれほど早く陥ちるとは思ひませんでした。
松井:
実は僕らも、もう二週間ぐらいは後になるだらうとおもっていたが、案外
に早かった。
蒋介石の教導総隊だけは相当に抵抗をつづけたが、後はたいした抵抗をしなかった。
だから南京は都合の好いことには余り破壊されていない。
蘇州も十分の一位しか壊れていないが、占領地域の人民の帰って来るまでにはやはり一月位はかかるだらうね。
今でも一日に六百人位は帰って来るとか云ふ話だ。
(後略)
偕行社「南京戦史資料集II」p197
>>42 清野作戦を、何か勘違いしてるんじゃない?
>華僑虐殺だった。
ゲリラ戦に対峙したことで起こってしまった事柄を虐殺と呼ぶべきではないだろう。
責任は華僑側が負うべきだ。
華僑ゲリラが在シンガポール日本民間人を殺しまくったことは虐殺と呼んで良いが。
>>42 南京大虐殺など無かった、
占領軍として避難民の帰還を目指している
という資料を示してどうしたい?
46 :
朝まで名無しさん:04/08/21 22:49 ID:C25evLPE
陥落直後に一日600人も帰ってきている、と言う証拠が出ている状況で、何を出せと?
もう夏休みも終わりに近づこうというのにリアル消防、厨房がほとんど来なかったな
ゴールデンウィークは結構来てたのにな
もう餓鬼すらも騙せなくなっちゃったんだね
左の組織の中の人も大変だな…
48 :
朝まで名無しさん:04/08/22 00:28 ID:rCOHHLyD
>>1 強姦についてだが、
安全国夜な夜な忍び込んで女がさらわれるという苦情が安全区を管理する者から来た
そこで日本軍は治安維持のために慰安所を設置した
それからは上記のような事件はほとんど起きなくなった
と、証言している日本兵がいますよ
50 :
朝まで名無しさん:04/08/22 17:43 ID:mA2hvznm
>>51 >>まあ、1がタラリである可能性もあるわけだがw
おれもそう思ってんだよ。
やたらとタラリの話が出てくるし。毎回
>>1に書いてある内容もあいつのサイトと似てるんだよな。
スレの最初と最後だけやたら頑張る奴が出て来るが、名無しなんだが何故かおなじ論調だし。
そのわりにいつもこのスレを見ているようで揚げ足が取れそうだと思うとすぐ突っ込んでくる。
風向きが悪くなるとすぐ逃げるんだが…
53 :
朝まで名無しさん:04/08/23 01:11 ID:yBfCLRCK
そうか、あのタラちゃんの言うことを出さなければいけないほど、肯定派は追いつめられているのか・・・
54 :
諸葛亮ののたん:04/08/23 01:13 ID:L4Cozdsu
諸葛亮ののたんいわく
( ´D`)ノ あなたは いままでにやったちゃんころのかずを おぼえているのれすか?
ニュースステーション観て、南京問題に目覚めた人と
コヴァ読んで南京問題に目覚めた人はどっちがマシなんだろう?
56 :
朝まで名無しさん:04/08/24 22:44 ID:CjZ+o7Ks
>>39 安全区以外ほぼ無人だったって事の根拠は?
57 :
朝まで名無しさん:04/08/24 23:16 ID:wjpohmB7
アジアカップのお陰で、中国の反日感情がどれだけのものかが国民にもよく伝わったはずだ。
この機会を借りて、その事について語っておきましょう。
中国が日本を責める時、お決まりの文句は「戦争被害の痛み、南京大虐殺、靖国参拝」の三拍子。
このことを理解するにあたってまず知らなければならないこと、それは大東亜戦争で中国の人々を苦しめたのは
日本軍じゃなくて、中国共産党だったということです。
焦土作戦ということで人々の家屋を全部破壊したり、負け戦で日本軍から逃れるために民間人の服を奪ったり
5年分の税金という名目で大量の金品を略奪したり、徴兵という名目で人さらいしたり・・・ もう滅茶苦茶。
こんな「政府軍という名の愚連隊」から逃れるため、日本が建国した満州に沢山の中国人が流れ込んだことが
その酷さと、日本軍の対応の良さ無言で裏付けているといえましょう。
ちなみに、彼らは政府として偉そうに君臨しているけれど、共産党政府樹立のさい、国民投票が実行された訳ではなく
「武力」で一番勝っていたからに過ぎず、その後も一度として普通選挙は行われていない。誰からも望まれず樹立した暴君
それが中国共産党なのです。
戦後も彼らの暴虐は続きました。文化大革命と称する思想弾圧によって2000万人前後(!!!)の自国民を虐殺し
大躍進と称する労働搾取を国家のメンツのために実行した結果、1000万単位の餓死者を出すという凄まじさ。
現在でも、思想・財産・生命の自由を与えぬ共産党は、自国各地で虐殺を続けているのだが
現在・過去の蛮行から国民の目をそらすために「日本という悪役」をでっちあげたのが本当のところなのであります。
58 :
朝まで名無しさん:04/08/25 01:59 ID:22gYedoB
>>56 常識的に考えて「歩いていけるところにある」安全区に行かない理由を持つ人が、そう何人もいるはず無いだろ。
60 :
朝まで名無しさん:04/08/25 13:13 ID:2qwsc0NN
>>58 まるで安全区は、文字通り安全な何不自由ない居心地の良い場所かのように言ってますが、
安全区は南京市中心部にある訳ですから、南京攻略戦において、
その付近で激戦が起こるであろう事は容易に想像できる。
もし持久戦ともなれば安全区の中は食料が枯渇し地獄と化すのは目に見えてる。
安全区だから=安全だと思われていた訳ではないだろう。
わざわざ近くで戦闘が起こるような所に「避難」しようとするだろうか?
ならば、むしろ南京郊外の方が安全だと判断する方が自然だと思うが?
それとも、よほど日本軍の”徴発”の恐ろしさが中国人に知れ渡っていたのだろうか?
61 :
朝まで名無しさん:04/08/25 13:20 ID:QpDU50cI
南京大虐殺についての質問に答えて
(1994.8 「THIS IS 読売」 闇に葬られた皇室の軍部批判ー支那事変
に対する日本人としての内省 三笠宮崇仁)
三笠宮「最近の新聞などで議論されているのをみますと、なんだか人数
のことが問題になっているような気がします。辞典には、虐殺とはむごた
らしく殺すことと書いてあります。人数は関係はありません。
私が戦地で強いショックを受けたのは、ある青年将校から「新兵教育には、
生きている捕虜を目標にして銃剣術の練習をするのがいちばんよい。それ
で根性ができる」という話を聞いた時でした。それ以来、陸軍士官学校で
受けた教育とは一体何だったのかという懐疑に駆られました。
また、南京の総司令部では、満州にいた日本の部隊の実写映画を見まし
た。それには、広い野原に中国人の捕虜が、たぶん杭にくくりつけられて
おり、そこに毒ガス弾が発射されたりしていました。ほんとうに目を覆いた
くなる場面でした。これこそ虐殺以外の何ものでもないでしょう。
しかし、日本軍が昔からこんなだったのではありません。北京駐屯の岡村
寧次大将などは、その前から軍紀、軍律の乱れを心配され、四悪(強姦、
略奪、放火、殺人)厳禁ということを言われていました。私も北京に行って、
直接聞いたことがあります。−中略・ー」
>>60 大陸の都市を誤解してないか?
近郊のほとんどの居住施設も、食糧など流通施設も、
南京城内(文字通り城壁内)にあって、外には無い。
数少ないものも、中国側の清野作戦によって破壊されている。
大勢の一般民衆が、『居住』できるようなところは無い。
もちろん法律も警察もない無法地帯だ。
その南京城内だけでも広大すぎて、管理は不可能な為、
管理可能な『安全区』が定められたわけ。
そういう所にはちゃんと目印があるし、外国人がいる事もわかっている。
例外はもちろんあるだろうが、あくまで『例外』にすぎない。
63 :
朝まで名無しさん:04/08/25 14:30 ID:aqaevFne
証拠無し 謝る必要一切無し
>>60 >安全区は南京市中心部にある訳ですから、南京攻略戦において、
>その付近で激戦が起こるであろう事は容易に想像できる。
何書いてるの?南京に入城してからは戦闘らしい戦闘はほとんどなかったんだよ。
支那軍がすでに、散発的なゲリラ戦ぐらいしか出来ない状況で
どうしたら激戦を容易に想像できるのかなあw
まして、安全区は一般人避難のために、戦闘に関係のない地域を設定したのに
どうして激戦になるのかなあ。もう少し勉強したら。
厨房が思いつきで書くものじゃないよ。
あとの記述は、前提が間違っているんだから、論評にすら値しない
65 :
アイボン:04/08/25 15:09 ID:SNKM1/KY
>>47 中の人などいなーい!
これってなつかしいな。
66 :
朝まで名無しさん:04/08/25 15:15 ID:YY68oHMH
虐殺が有ったにしろ無かったにしろ
中華人民共和国に賠償する必要は無い。
日本は中華民国と戦争したわけで。賠償は台湾にしる。
>>60 >南京郊外の方が安全だと判断する方が自然だと思うが?
そう思った80万人は揚子江を渡河して西方へ逃げたわけです。
最も貧しい者たちが市内に残ったわけです。
>ラーベの日記12月6日
>「---なぜ金持を、約80万人という恵まれた市民を逃がしたんだ」
>と書かれています。100万人-80万は20万です。安全区に
>ほとんどの残留民間人が逃げ込んできたとラーベが認識して
>いるのは間違いありません。
>南京の状況---エスピー報告 1938年1月
>(略)それゆえ、日本軍が南京に入城したとき、実際には南京は無傷のままであった。
>住民の5分の4は逃げ去っていたが、残留した者の大部分は、南京安全区国際委員会が
>設定しようとした、いわゆる安全区に避難していた。
住民の5分の4は逃げ去っていた→南京から逃げ去った人口80万人、
南京に残留した人口約20万人=安全区の人口
>「昨日は、安全区に入る難民のゆるやかな人波が終日続いた。
>難民のほとんどは貧しい階級の婦女子あるいは子供たちである」
中国軍(唐生智)からも、一般市民は安全区に集まるようにと
指示が出されています。
「13日、貴軍が城内に入った時、我々はほぼ全ての非戦闘員の住民に安全地帯へ集まってもらっていた」
(国際委員会9号文書)
――南京にいた中国の民間人は虐殺などがあるとは思っていなかったということですか。
「南京の市民や周辺の住民は中国軍にすべてを焼き払われ、戦闘が長く続き、日本軍が
南京を制圧したときには一種の安堵感をおぼえていた人も多かったのです。
日本軍の占領をあきらめからにせよ、歓迎しようとする市民たちもいたのです。
それまでの2、30年間も中国の軍閥に支配され、搾取(さくしゅ)され、軍閥同士の戦い
で被害を受け、という状態で、別に支配者が日本軍になってもそう変わりはしない。
日本軍でさえ、またやがては去って行く。
戦闘を終了させたことだけでも日本軍を歓迎してもよいではないか――そんな受け止め
方が多かったのです。
まさか日本軍が民間人を虐殺するなどとはまったく考えていなかったのです。
もしそんな心配が前からあったなら、民間人はみな市内から逃げていたでしょう。」
http://www.history.gr.jp/nanking/dathin.html
>>69 >まさか日本軍が民間人を虐殺するなどとはまったく考えていなかったのです。
> もしそんな心配が前からあったなら、民間人はみな市内から逃げていたでしょう。」
ここからが捏造だねw
>>69 哂うところ
>――12月15日以降、南京市民が20万か30万人も殺されたとなると、
>想像もしなかったむごたらしい虐殺が目前で起きているのを知りながら
>市民あるいは市内の避難民は、別に逃げようともせず、じっとしていたことになりますね。
>
>「それはそうかもしれませんね。私にはそのへんのことはわかりません」
>
>ダーティン氏はそう言葉少なに答えながらも、
>中国側の「30万」という数字にとくに異をとなえるような発言もいっさい口にしなかった。
ダーティン氏本人が目撃したとして証言してる事項は以下の2点
A.揚子江の水ぎわでの捕虜(便衣化敗残兵?)の処刑
B.「無差別の殺害といえる」民間人の殺害
A.の方は「光景をいまでもよく覚えています」と言い
状況をかなり具体的に述べているのだが
本来重要なB.の方は具体的言及を避けており、どうやら
彼にとってA.よりも印象の薄い出来事らしいのが不可思議である。
A.の証言では捕虜たち50人ずつの束が際限なく続く印象を与えるが
当時の彼の記事によると総数200人、(4巡)だそうである。
日本兵は(占領前の混乱時?)静止命令を聞かずに当然走り出した者を
撃ったりしたことがあったそうだが、B.も同様にそのようなのを2〜3件
目撃したことを「ウサギを殺すような感じでの虐殺が行われたのが多かった」
と言っている可能性は大きい。
とにかく彼は突っ込まれたときでも「ウソをついていることにはならない」
ように注意を払っているようである。判らないことは判らないと言っている
が「じゃあ当時書いた記事なんなんだ」と指摘されるのを避けようとしている
ようである。犠牲者数について質問されて、南京の記念館には犠牲者の数が
30万と書かれていると振っているあたりしたたかだ。
「南京大虐殺」ほど多数の証拠があるものはありません。
日米新聞記者、ドイツ外交官、残留したベイツなどの外国人、
日本軍元兵士の証言や日記、戦闘詳報など多数の証拠があります。
>>73 じゃあ、全てここに晒してくださいよサヨクさん。
皆で真偽を確かめましょう(・∀・)
確実にいえるのは、「物理的に無理なものは無理」
大虐殺があったとしても中共の主張どおりというのは有り得ない
76 :
朝まで名無しさん:04/08/26 20:46 ID:7OOm0IFb
高橋史朗はなかったと言っておられるわけだから、中国の嘘が判明したわけだ。
>>60 当たり前の話だが、日本軍は南京の外側から攻め込んできてるわけだ。
で、君の脳内では中より外の方が安全なんですか、ふーん。
あと食料枯渇とかは全然理由になってない。
洪水が来たから高いところへ逃げろ、って言ってるのに、
「水がひかなかったら食料枯渇するだろ!」
って言ってるのと同じ。
ついでに言うと、安全区ってのはべつに南京だけじゃなくて、
戦場ではあちこちに設けられるわけだが、それを踏まえた上で
>その付近で激戦が起こるであろう事は容易に想像できる。
こういうアホな事言ってるワケかい?
>>61 >最近の新聞などで議論されているのをみますと、なんだか人数
>のことが問題になっているような気がします。辞典には、虐殺とはむごた
>らしく殺すことと書いてあります。人数は関係はありません。
人数関係無いんだったら、「南京大虐殺」っていう言葉の中から「大」をはずせよ。
たくさん虐殺したから「大」なんだろ?でも人数関係無いんだろ?
「数は関係無い」といいつつも「数多く殺された」っていう事にしたい、
肯定派のダブスタが丸見えだよ。
>>73 >「南京大虐殺」ほど多数の証拠があるものはありません。
南京大虐殺ほど証拠の捏造が多い事件も他にないけどな。
事実なんだろ?胸張って言えるんだろ?じゃあなんで捏造するんだ?
きちんとした証拠があるなら、アイリスチャンは必要無かったはずだろ?
じゃあなんでアイリスチャンはあんな本出版したんだ?
>>73 >「南京大虐殺」ほど多数の証拠があるものはありません。
>日米新聞記者、ドイツ外交官、残留したベイツなどの外国人、
>日本軍元兵士の証言や日記、戦闘詳報など多数の証拠があります。
もう、いい加減な嘘は止めろ、クソ在。
在の仕事だからって、捏造スレを1人で継続してるんじゃねえ。
どこの資料に30万人殺した証拠が書いてあるんだ?
30万の死体でも探してこい。
まさに無限ループだな。
お前ら一体何回同じ質問したら気がすむんだ?
>>1がいくら継続スレ立てても中身がこれでは、
啓蒙どころか否定派が増えるだけだと思うのだが。
83 :
朝まで名無しさん:04/08/27 02:31 ID:TkFmHf9D
誰?高橋史朗って?
鈴木史朗なら知っているが
>>83 クソスレは下げ進行で頼む。
お前が1人で自演ageしている、在日の元凶でないならばな。
>>1 南京玉簾と南京虫と南京の関係って? 詳しそうだから教えてたもれ
普通悪材料を扱う場合 20回記念とか使わないでしょ? 記念って?
俺の想像では、中国での虐殺は 朝鮮人がかなり絡んでると見てるけど・・・
86 :
朝まで名無しさん:04/08/27 07:05 ID:GGTwaPLp
>>60 付近で激戦が起きても安全区に逃げ込んだり戦闘をしかけるのはルール違反
中国側の兵は国際法なんてまったく知らないから大量に逃げ込んだらしいけどね
つーか、これだけは「逃げ込んだ兵士」ではなく、「兵士が逃げ込んだのに、何もせずかばった」安全区委員会が悪いと思うぞ。
だから、「兵士の選り分け」なんて言う、「本来安全区ではやるはずのないこと」をやるはめになって、その際一部民間人が紛れていたことを、「ラーベたち」が非難する。
明らかに「中立」の態度ではないよな。
88 :
朝まで名無しさん:04/08/28 00:13 ID:DTUiLPGB
89 :
朝まで名無しさん:04/08/28 00:15 ID:Czr/F/2H
南京大虐殺はなかったと主張する学者は実在しますか? もし実在するなら
名前を挙げてください。
m9( ^,_J^)ノ <挙げてください
www.ismusic.ne.jp/kouei34/xg0016471.mp3
在厨の自演上げ、乙
もう、飽きたから。
>>89 お〜久しぶり
まだ生きてたんだな
己が恥ずかしくなって首でも吊ったのかと思ってたよ(藁
何時までこんな糞スレが続くことやら。
どこから30萬かき集めてきたんだ。
こんなばかなことが通ってたら、10年後には300萬、100年後には3000萬、虐殺したことにされるわ。
西村慎吾の掲示板はアク禁になったのか。
94 :
朝まで名無しさん:04/08/28 02:48 ID:Czr/F/2H
>>93 桜は悪金になったけどパフォーマンス掲示板は悪金になってないよ♪ok
中国4000年。でも国家は50年。
中国4000年なら日本もアメリカも4000年だろが
96 :
朝まで名無しさん:04/08/28 09:18 ID:dx2iiYvI
>>89 南京大虐殺はあったと主張する学者の中で論破されていない者はいますか?
もし実在するなら名前を挙げてください。
m9( ^,_J^)ノ <挙げてください。
97 :
朝まで名無しさん:04/08/28 09:39 ID:1vO+fnDc
「終戦間際でも宣戦布告してきたソ連から速攻で毒ガス弾を奪いとったあげく日本製のと一緒に中国各地に遺棄するほど余裕しゃくしゃくで」
あの長文に追加キボンぬ。
98 :
朝まで名無しさん:04/08/28 09:41 ID:MlDQFq+A
koueiもコテハンにしろよ
あぼーんしやすくなるから
100 :
あかいろ:04/08/28 10:30 ID:65IKoP90
また、湧いてるのね。
精神病患者を論破しろなんて、如何に弁が立つ人間でも不可能だよ。
101 :
朝まで名無しさん:04/08/28 13:50 ID:bXZKG7bh
すいません。
南京論争はすでに評価は定まってる見たいなんですけど。
どうして、ここだけ勢力図が違って見えるのですか?
102 :
朝まで名無しさん:04/08/28 13:59 ID:Oml7HrUa
>>62 >数少ないものも、中国側の清野作戦によって破壊されている。
それは否定派のでっち上げでは。
「南京は都合の好いことには余り破壊されていない」「蘇州も十分の一位しか壊れていない」
と、松井大将ご自身がおっしゃってますが?
雑誌「改造」昭和13年3月号 松井指揮官・山本実彦対談
山本: 南京もよく行きましたね。あれほど早く陥ちるとは思ひませんでした。
松井: 実は僕らも、もう二週間ぐらいは後になるだらうとおもっていたが、案外に早かった。
蒋介石の教導総隊だけは相当に抵抗をつづけたが、後はたいした抵抗をしなかった。
だから南京は都合の好いことには余り破壊されていない。
蘇州も十分の一位しか壊れていないが、占領地域の人民の帰って来るまでにはやはり一月位はかかるだらうね。
今でも一日に六百人位は帰って来るとか云ふ話だ。
偕行社「南京戦史資料集II」p197
>>64 >何書いてるの?南京に入城してからは戦闘らしい戦闘はほとんどなかったんだよ。
>支那軍がすでに、散発的なゲリラ戦ぐらいしか出来ない状況でどうしたら激戦を容易に想像できるのかなあw
そうです!中国軍の大規模なゲリラ戦など無かったのです。
これでは日本軍の捕虜虐殺は正当化できませんね。
>>77 >日本軍は南京の外側から攻め込んできてるわけだ。で、君の脳内では中より外の方が安全なんですか、ふーん。
ふーん。じゃあ否定派が言う安全区以外の80万人は全員避難したというのは怪しくなりますね。
安全区の定員は20万人前後ですから、避難できなかった人々が大量にいるのは確実でしょう。
>洪水が来たから高いところへ逃げろ、って言ってるのに、
はぁ?だから洪水の被害の危険が高いところにわざわざ「避難」するのがおかしいと言ってるんじゃないの?
地図を見れば、安全区(難民区)は戦略的に重要な国民政府や飛行場が近くにあるから、
その付近で激戦が起こるであろう事は容易に想像できますね。
ttp://www.history.gr.jp/nanking/cityofnanking.gif
103 :
朝まで名無しさん:04/08/28 16:41 ID:L1+MH66i
>>101 イラク三馬鹿騒動以来、
議論板はサヨのスクツと化してます。
(最近では若干その数を減らしていますが)
つまり、肯定派の書き込みが必然的に多くなるのです。
そのため勢力図が違って見える。
振り返って、
まともな知識を持った人たちが
まともな議論を繰り広げる東亜ニュース板や中国板では
肯定派はことごとく淘汰されております。
学問板で敗走した連中がここに集まってるの?
だったらあっちで再反論すりゃいいものを
105 :
朝まで名無しさん:04/08/28 21:38 ID:Sk0Hyi9o
ゴー板だと捕虜の処刑で云々やってるけどね、まだ。
106 :
朝まで名無しさん:04/08/28 21:58 ID:iDdD0CHE
>「南京は都合の好いことには余り破壊されていない」「蘇州も十分の一位しか壊れていない」
>と、松井大将ご自身がおっしゃってますが?
清野作戦は南京の周囲だろ。
>そうです!中国軍の大規模なゲリラ戦など無かったのです。
南京ではそうだよ。同じシナ人襲って服を剥いだりして逃走したからね。
>ふーん。じゃあ否定派が言う安全区以外の80万人は全員避難したというのは怪しくなりますね。
>安全区の定員は20万人前後ですから、避難できなかった人々が大量にいるのは確実でしょう。
非難が始まったのは、空襲からだろ。お前は全く資料を読まないんだな。
空襲が始まってから、逃げる余力のある人は逃げた。
残った貧困層は、20万人。外国人居住区域に逃れていた。
糞スレageるな。
107 :
朝まで名無しさん:04/08/28 22:20 ID:7pAVVF+r
この20年、南京論争を見ているが、肯定派ががんばればがんばるほど
“南京事件”のフィクション性を立証する議論が強化されている気がする。
肯定派はもうすこし反論に耐えうる反証ができなければ、ますます劣勢になるぞ。
108 :
朝まで名無しさん:04/08/28 22:51 ID:lvWjRUQa
当時の南京の人口は約1億人だったのは周知の事実だが
そのうちの8割が殺害されたとして、犠牲者は8千万人程だ。
109 :
朝まで名無しさん:04/08/28 22:53 ID:Bkqhejwe
戦争は勝ったほうは言いたい放題なのさ。
110 :
朝まで名無しさん:04/08/28 23:08 ID:rl8ImlNV
南京大虐殺はなかったと主張する学者は実在しますか? もし実在するなら
名前を挙げてください。
m9( ^,_J^)ノ <挙げてください
論点すり替えはだめですよ〜〜 いるかいないかを答えてくださいね。
>>110 オマエの設問自体が論点すりかえなんだよ。アホか。
>>110 答える前にあなたにとっての大虐殺の定義よろ
挙げた学者の主張は元々の定義が違う、とか言われて粘着されたらたまらんからね
あと、荒らし屋koueiの真似はしないほうがいいよ。変態に思われるから
113 :
朝まで名無しさん:04/08/28 23:15 ID:XLgfyhca
>>110 「何もなかった」という学者はいないんじゃないか?
ただ「非戦闘員30万人を虐殺した」と言っている学者もいないぞ。
便衣兵などの捕虜を不当に殺した国際法違反ならあったというのが大方の意見だと思うが。
現在もめてるのは捕虜の処刑の規模がどれくらいだったのかという点。
114 :
朝まで名無しさん:04/08/28 23:17 ID:rl8ImlNV
予想通りすり替えてますな ププ 単純だねぇ。
>>114 荒らしクン、もう少しパターンを変えたら?
117 :
朝まで名無しさん:04/08/28 23:36 ID:Peqs9Xaq
取り敢えず、人口以上の人数は殺せねえと思う
118 :
朝まで名無しさん:04/08/28 23:43 ID:lyl1cwDZ
南京市街限定で虐殺したとはとても思えぬ。
119 :
朝まで名無しさん:04/08/28 23:44 ID:lnbkRqxo
>>118 そうなってくると南京大虐殺じゃなくなってくるからさ
ところで、これって国際連盟で提訴したのかい?
120 :
朝まで名無しさん:04/08/28 23:48 ID:Peqs9Xaq
南京事件
日本兵が可愛そうな中国人に南京豆をめぐんであげた事件
肯定派は病的と言うことで、FA
122 :
朝まで名無しさん:04/08/29 00:41 ID:qiQ+xEWm
>>106 >非難が始まったのは、空襲からだろ。お前は全く資料を読まないんだな。
>空襲が始まってから、逃げる余力のある人は逃げた。
では、空襲で南京市100万人全員が避難(市外80万安全区20万)しなきゃならんというなら、
日本軍が南京に大規模な無差別爆撃を行っていたと認める訳だな?
>>117 そもそも、陥落直前に市内を一軒一軒調べて人口を正確に調査したという記録は無い。
実は、人口を調査して20万という数字が出てくるのは、陥落2ヶ月後に安全区の人口を調べた時が最初。
つまり、それを否定派は”陥落直前に南京市全体の人口が20万だった”とすり替えているわけ。
そもそも、20万という人口は安全区内の人口の推測に過ぎないと、当の安全区委員が証言している。
「極東軍事裁判」 速記録第49号 (A.検察側立証段階7)
>○マギー証人 それは一寸幾らいたかと云ふことは申上兼ねるのでありますが、
>我々委員会の「メンバー」の委員の推定によりますと、安全地帯には約二十万、
>或は三十万を超したかも知れませぬ。城外の安全地帯にはもつともつと沢山居りましたが、何れにしても推定は不可能であります。
そもそも、12月8日に全城門が閉鎖され、陥落後日本軍により安全区の出入りが、
厳しく制限されていた時に、外へ出て人口調査するのは非常に困難だった。
住民が家の中に隠れていれば避難したかどうかわからないし、全戸強制検査でもしない限りそれは不可能。
南京は事件のほんの9ヶ月前の調査で、人口100万人以上もの大都市だったのです。
南京特務機関『南京市政概況』によれば、南京攻略戦の前後で南京市(本書でいう南京城区)の
人口・戸数は以下のように変化している。一九三七年三月末 一〇一万九六六七人(「南京事件」P219)
それが事件後数年経って、避難民が戻ってきても60万人程度にしか人口が回復しないのです。ガクガク((( ;゚Д゚)))ブルブル
あー、いつもの展開で眠たいな。なんか面白いネタ無いか?
124 :
朝まで名無しさん:04/08/29 00:51 ID:eFg1EVQV
>>1 100万人は殺してるよ。
これは歴史が証明してるわけだよ。
125 :
朝まで名無しさん:04/08/29 00:53 ID:1NC+FM4s
第三者の日本でも中国ないサイト見てみればほとんどが中国寄りなんだよな。
低学歴ウヨには英語すら無理か。
>>122 空襲が何時から始まったのかぐらい研究しろ。
空襲が南京虐殺なのか?
お前達が根拠にしているラーベ日記でも20万人、陥落翌月でも22万人。
スマイス調査団も調べておけ。
>外へ出て人口調査するのは非常に困難だった。
その妄想根拠もしらないが、つまり、殺害を確認していないわけだ。
>南京は事件のほんの9ヶ月前の調査で、人口100万人以上もの大都市だったのです。
空襲始まる前だな。何時、空襲が始まったのかも調べてないのか?
もう、馬鹿な誤魔化ししてないで、30万人の死体の場所と、殺した方法を立証してくれ。
サヨや在日の妄想は聞き飽きた。何十回繰り返させるんだ。
127 :
朝まで名無しさん:04/08/29 00:54 ID:KPV1/iJI
108 :朝まで名無しさん :04/08/28 22:51 ID:lvWjRUQa
当時の南京の人口は約1億人だったのは周知の事実だが
そのうちの8割が殺害されたとして、犠牲者は8千万人程だ。
>>125 学歴房は学歴板に行ってね。
と、釣られてしまった
>>126 >空襲が何時から始まったのかぐらい研究しろ。
>空襲が南京虐殺なのか?
>空襲始まる前だな。何時、空襲が始まったのかも調べてないのか?
ん?南京に空襲があったのは1937年8月15日でしょ。南京が陥落したのは12月13日だから、
空襲をきっかけに80万人が避難したと言ってるんじゃないの?
空襲をきっかけに南京市のほとんどが避難しなければならない状況は何?
それだけ日本軍の爆撃は無差別で激しかったと言ってるようなもんでしょ?
そもそも、否定派の説だと、安全区以外80万人が一人残らず一斉に避難したという、
とんでもない事になるわけだが、80万人もの人々を受け入れる所がいったいどこにあるの?
大規模な難民キャンプが無ければならないし、地方に集団疎開したとしたらどこへ?
それこそ、「80万人大避難」プロジェクトXに採用されてもおかしく無い大プロジェクトですね。
なのにそういった資料がほとんど無いわけです。
80万人はどこへ行ったのか?あるいはどこへ消えたのか?
なぜ避難民が戻ってきても60万人程度にしか人口が回復しないのでしょうか?ガクガク((( ;゚Д゚)))ブルブル
>お前達が根拠にしているラーベ日記でも20万人、陥落翌月でも22万人。
>スマイス調査団も調べておけ。
だからそれが安全区内の人口だと言ってるんですが・・・?
何処で何が具体的にあったのか肯定派ははっきりさせるように。
後から何とでも言えるようなあいまいなことを言うなよ
131 :
朝まで名無しさん:04/08/29 02:29 ID:/+VWPwv0
まぁ証拠の死体を持ってきなさいってこった
当然死体には明らかに殺人の跡(銃傷・刀傷)が不可欠
流石に死体を磨り潰して証拠隠滅を図ったなんてことは有り得ないからな
>空襲をきっかけに南京市のほとんどが避難しなければならない状況は何?
普通、空襲が始まったら、誰だって安全な場所に逃げるだろ。
鼠以下か?
>それだけ日本軍の爆撃は無差別で激しかったと言ってるようなもんでしょ?
この酷い妄想は何?
24時間、外に出られない空襲する能力が日本軍にあったと妄想しているわけ?
>とんでもない事になるわけだが、80万人もの人々を受け入れる所がいったいどこにあるの?
南京以外だったら、何処にだって非難できるだろ。
1ヶ所に逃げたと思っているのか?
取り敢えず、重慶方面にに逃れた人達から研究しろ。
ごたごた言ってないで、死体の場所と殺した方法を説明しろ。
妄想在日。
>ID:qiQ+xEWm
この反日在日は、
1人で、この南京糞スレと、フィリピン虐殺スレ、日本兵人肉の糞スレを
定期AGEしている職業ブサヨです。
IDを確認して下さい。
>ID:qiQ+xEWm
真性の基地外、さっさと氏ね。
134 :
朝まで名無しさん:04/08/29 03:05 ID:D7X0/m7u
東京で3000万人虐殺したっていうようなものだもんね
人口以上の住民をどうやって殺すんだよ…
135 :
朝まで名無しさん:04/08/29 04:22 ID:L8oyTgae
ぶっちゃけ、実際には半人皆殺しだったようです
0.5人だけ殺した
>>129 >それだけ日本軍の爆撃は無差別で激しかったと言ってるようなもんでしょ?
無茶言うなよ、60年前にピンポイント爆撃があるわけねーだろw
>80万人もの人々を受け入れる所がいったいどこにあるの?
なんで受け入れにゃならんわけ?
たとえば「東京が洪水で沈みます」っていう警告が出た時、
都民1000万人の受け入れ先が無かったら、
みんな避難せずに居残ってるわけ?
>なぜ避難民が戻ってきても60万人程度にしか人口が回復しないのでしょうか?
なぜ「強制連行された」と言っている在日韓国人達は、
日本が出国規制してるわけでもないのに母国へ帰らないのでしょうかw
>>101 えーーーーっ!、てことはこのスレは肯定派が優勢なわけ?
そう思う人が居るなら
>>1のヘタな鉄砲も無駄弾ではないわけか。。。
>松井大将ご自身がおっしゃってますが?
松井大将は清「野」作戦が無かったとはおっしゃていないようですが?
「南京は都合の好いことには余り破壊されていない」というセリフから
日本軍は南京市街の(郊外農村も?)破壊を望んでいないということが判ります。
郊外での清野作戦を目の当たりにしていたからこそ、南京という都市までも
(中国軍が)破壊するのではないかと危惧していたのでしょう。
日本軍が破壊を望んでいない以上ラーベだかベイツだかが占領後
’根拠無く’日本軍が放火をしているに違いないと言っていたことも
的外れかと思われます。そのようなテロ、破壊活動を行うのは’どちら側’か?
イラクの例を見ても明らかでしょう。
>なぜ避難民が戻ってきても60万人程度にしか人口が回復しないのでしょうか?
重慶に遷都したことを考慮しないのですか? 首都機能が丸々移る(南京からは無くなる)
訳ですから、60万人も戻ってくるのは多いくらいではないでしょうか。
>80万人もの人々を受け入れる所がいったいどこにあるの?
>中華民国26年(1937年)11月26日に発布された「南京市政府訓令」の記載によれば、
>1937年6月時点の南京市の総人口は101万5450人。日本軍の南京侵略に伴い、
>国民政府は11月20日重慶へ遷都したが、ともに移動した軍人と市民は約20万人に上る。
>これ以外にも、地方から南京に出稼ぎに来ていた人々が戦火を逃れるために故郷へ戻り、
>また一部市民が南京から避難した。
>南京市政府が1937年11月23日、軍事委員会後方勤務部に送った避難民の退去に関する書簡には、
>「市の人口は50万人余り」、加えて「南京に駐屯している9万名余りの軍人」と記されており・・・
これ中国の資料なんだが・・・・
1937年11月23日時点で100万−50万=50万人が避難
「50万人もの人々を受け入れる所がいったいどこにあるの?」
と中国様にいちゃもんつければ?
(これ中国の資料 に補足)
南京大虐殺記念館館長、朱成山氏の文章です。
142 :
朝まで名無しさん:04/08/30 00:45 ID:d7PajFXA
「民衆などというものは、いつでも支配者の思い通りになる。
・・・攻撃されるぞと恐怖をあおり、平和主義者の奴らには
愛国心がなく、国を危険に晒していると非難しておけばいい。
このやり方は、どこの国でもうまくいく」
by ナチスドイツ国家元帥ヘルマン・ゲーリング
143 :
朝まで名無しさん:04/08/30 00:57 ID:800EXb2m
>>142 平和の意味が違う
普通の平和主義であれば、侵略戦争を嫌いはしても、自国が攻められることを許すものはいない
日本のヘイワシュギシャは自国が攻められることを望む者たち
意味の違いを利用して読んだ人に誤解を与えようとする文章は最低です
>>143 んだんだ。サヨの人たちはこういうすり替えとか大好きだよな。
南京になにか関係あんの?と。
145 :
朝まで名無しさん:04/08/30 06:22 ID:mJhDLTRW
何言ってるのかわからん。
146 :
朝まで名無しさん:04/08/30 13:04 ID:7RM3CV7m
サヨは竹島占領にも何も言わんし。北朝鮮の核にもさして抗議するわけじゃなし。
チベットのホロコーストは完全無視。ガス田は差し上げましょう、だもんな。
戦前も譲歩譲歩の外交政策だったやん。そのうち戦争にならんか。
147 :
朝まで名無しさん:04/08/30 14:04 ID:52zRXDDG
結論を言えば南京虐殺は朝日新聞のねつ造です
148 :
朝まで名無しさん:04/08/30 15:26 ID:EcG9S5Ss
>北朝鮮の核にもさして抗議するわけじゃなし。
ソースは失念したが、自衛隊派遣反対か何かのデモのときに
「北朝鮮に核を持つ権利を」ってプラカード掲げてる人もいたなw
非武装中立論なんて、最たるものだな。
「ソ連が責めてきたら、降伏してソ連の支配下に入れば良い」なんて「米帝は出て行け」なんて言うやつのせりふではない、首尾を一貫させるには。
150 :
朝まで名無しさん:04/08/30 22:06 ID:wIa/WMJw
151 :
朝まで名無しさん:04/08/30 22:07 ID:lZdj0uZ0
洗脳は、左翼の専売特許!
しかも左翼は、暴力主義!
自分たちと考えが違う者に、
危害を加えるのです!
暴力による、強制洗脳です!
左翼のような暴力主義者は、
はやく改心して下さい。
>>150 クソワラタ。3850万かよ。原爆1発が30万としても、その128倍だ。
原爆128発分の戦闘力を持つ旧日本軍か、無敵だなw
153 :
朝まで名無しさん:04/08/31 01:44 ID:iWAfpCXZ
>>131 ttp://www.jcp-osakahugikai.com/katudou/2001/20011223-1.html 98年から99年12月に170平方bの土表層から208体の遺骨が発掘されましたが、
遺骨はバラバラになっていて、あるものはひどくねじれて変形し、またあるものは銃弾が貫通したり、
銃剣で刺されたりした傷跡があります。老若男女が1か所に埋葬され、階段状に7層も積み重なっており、
異常死亡の後、あわただしく埋葬された様子を示しています。説明書は最後に、「法医学、医学、歴史学と
考古学各分野の専門家の考証と器械の検証によって、ここの遺骨は紛れもなく南京大層役遭難者の遺骨であることが証明された」と結んでいます。
ttp://www.mmjp.or.jp/nankin1937/ikotsu.html 現場で発掘された部分的な白骨には傷跡があり、特に6号白骨の右側骨盤の上の方には、
一つのはっきりした銃剣の痕跡がある。分析すると、これは銃剣の刃が残した傷跡で、
日本軍が当時使用した銃剣と完全に符合しており、この女性は推定生前18〜20歳の女性で、
銃剣を腹部に刺し込まれた後死亡したものである。スキャナーと蛍光顕微鏡、骨密度測定器
などで白骨の埋葬時期を検査したところ60年前後を経ており、史料の記載とまだ健在な当時
の証人と証言と結び付けてみると、我々は、この一団の遺骨は、正に60年前中国侵略日本軍
によって殺害された犠牲者の遺骨であると断定することができる。
ttp://members.tripod.co.jp/sumicom/nanjin/nanjing02.html 南京・鼓楼医院がアメリカから輸入した骨密度計で測定した結果を、法医学所に記載された骨密度値と対照した所、
これらの遺骨は地下に60年埋められていたものと測定されました。
遺骨に残っていた弾丸の痕、刀剣で刺された痕から見て、これらの遺骨は日本軍の暴行の鉄の証拠であります。
例えば、遺骨1号は、60歳余りの老婦人であり、彼女の眉間には弾の穴が一つ残っています。
遺骨6号は18歳の女性であり、その右側の股の骨には一本の刃による刀傷の痕があり、
日本軍が当時使用していた銃剣によるものでした。現場からはまた日本軍の三八式歩兵銃の薬莢が3発発掘されています。
>>153 それが30万体前後出てきたのなら多少の説得力は出てくるな。
155 :
朝まで名無しさん:04/08/31 01:49 ID:XMDi/jhs
>>153 そのソースって南京虐殺記念館の写しじゃないの?
あんたアフォでつか?
156 :
朝まで名無しさん:04/08/31 02:05 ID:8Bs/eYuN
http://www.fluidlab.naoe.t.u-tokyo.ac.jp/Research/Ice/GISpicpage/gis1.html 世界の平均寿命を見てみればわかるが、イギリスの植民地になったアフリカの平均寿命は40歳代だ
アメリカのインデアンの土地を奪い生存権を奪われた人々。その米英と戦った日本のじいちゃんを悪者にしようとしているのは誰だ?
@アメリカの人殺し産業と吸血株主
A中国共産党。
のどちらかだろ
@は日本と中国が戦争すれば人殺し産業と吸血株主が儲かる。
Aは天安門事件でちゅうきょうが学生を殺害したことからもわかるが、
選挙で選ばれる民主主義になると中国国民の支持を得られない。
そのため中国の民主化グループと日本と結びつくのを恐れている、
反日教育をしておけば、民主化しても反日的な議員が選挙で選ばれる恐れがあり、
日本は積極的に民主化支持できなくなる
157 :
朝まで名無しさん:04/08/31 02:16 ID:iWAfpCXZ
>>154 全部掘り出せ?
日本軍が南京を占領してたから、埋めた直後に掘り出せなくて、
10年近く後になってからやっと掘り出せたという訳だが。
そもそも、時間が経てば記憶が曖昧になったり、道路や建物が建っていて調査できなかったり、
微生物や湿気の多い所では遺骨が消失する可能性だってある。
日本軍が大河揚子江に流しちゃった遺骨を発見するのは極めて困難だしね。
そもそも、遺骨を全部掘り出すのはかかる時間やコストが莫大で不可能でしょう。
物をどこかに埋めるより、どこかに埋められた物を見つけ出す方が、
どれだけ困難かわかるでしょう?子供の頃を思い出してみましょう。
それでも、裁判の中で実際に数千躰もの遺骨が証言通りの場所で発見されて証拠になっている訳だが。
中国南京戦犯裁判軍事法廷は、B・C級戦犯に対して裁判をおこなった。
法廷は1250人の受難者および当時南京で日本軍の残虐行為を目撃した外国人のスマイス、ベイツ等の証人を調べ証言を得た。
法廷は当時の紅卍字会、崇善堂、赤十字会の報告、図表の綴じ込みおよび、
南京の偽市長の高冠吾が霊谷寺に合葬した無主孤魂墓地の碑文を取得した。
法廷は中華門、雨花台等で土盛りの墓五カ所を掘り起こして被害者の白骨や頭蓋骨数千体を発掘し、
法医学の検査を経て書き入れられた鑑定書などの資料をえた。
法廷はまた、日本軍が武功をひけらかすために自分で撮影した虐殺の写真16枚と、現場で撮影した皆殺しの映画などの犯罪の証拠を収集した。
法廷には、審理した戦犯の谷寿夫、向井敏明等の起訴状および判決書等がある。
これらはすべて中国侵略日本軍の南京大虐殺研究の重要な資料である。
158 :
朝まで名無しさん:04/08/31 02:17 ID:tyHQNUq4
で、せいぜい3万(だからといって許されるわけじゃないけど)ってところでしょ?
「安全区外にも人はいた!」って主張は、要するに「殺されたのは安全区外にいた人だ!」ということだよな?
・・・素直に考えて、安全区外にいたら、例え殺されても文句は言えないだろ。
何のための安全区なんだよ(w
>>157 おいおい、戦勝国が一方的に敗者を裁いた裁判が証拠になるわけないだろーが。
一応弁護人がいた東京裁判ですら、国際リンチショーでしかなかったのに。
どうしても、というならその裁判で出された証拠を検証するのが筋だ。
「裁判の結果が有罪だから南京大虐殺はあった!」なんてのは、「大本営発表では日本軍は勝っていたのだから日本の敗戦は嘘だ!」と言っているのと同じことだ。
>>160はまぁそうかなぁとも思うが、
>>159はどうだろうなぁ・・・・
安全区外だろうと何処だろうと、戦闘以外は虐殺だと思うんだが。
(゚∀゚)ソレダ!!
原爆128発分!!
超無敵!!
>>157 >日本軍が大河揚子江に流しちゃった遺骨を発見するのは極めて困難だしね。
ほう、万単位の遺体を処分したってか。
戦場整理能力のない当時の日本軍が、それをやったというのなら、
さぞかし、多くの兵士を動員したことだろう。
その軍令書ぐらいはあるんだろうな。当然示してくれるよな。
>>157 信憑性を「本気で」持たせたいなら、サンプルを「さまざまな国」において、分析を依頼すればよかった、何しろ「南京大虐殺の動かぬ証拠」なんだからな.
それをせずに自分たちだけで「断定」して、他者の鑑定は受け付けないなんて、信じるほうがどうかしていると思わないか.
>>161 ほほう。じゃあ、戦闘に巻き込まれた分については虐殺数から除外せねばならんなぁ(w
戦闘で4万人死んでる(うち民間人1/4)んだから骨が出てくるのはあたりまえ。
女兵士も居たようです。
いかにも取り繕った文章の
>>157の中共による鑑定など信じろという方が無理。
南京戦前には国民党軍の処刑場もあったし。
日本軍が揚子江に大量に遺体を流したというのは過去に散々論破されてるね。
河に流せるなら埋葬なんぞする必要ない。
>>157 先生、何万人も流したら川が詰まります。
揚子江はそんなに流れが速くないし、川岸から流したら引っかかっちゃって流れていかないって。
え?中央まで船で運んだ?おいおい、その手間を冷静に考えてみてくれよ。
骨にして流すのもできないね。
その燃料はどこにあったんですか?人間の死体って燃えやすいもんじゃ
ないですよ?
大体
>>163の言ってるように、いずれにしても大量の人員が必要。
そんなことをする余裕も理由も無い。
168 :
朝まで名無しさん:04/08/31 11:40 ID:lccA+ViN
>>167 数はさ、重要な論点らしいから、最初に以下では数は問題にしないと断っておくね。
揚子江に流したのは事実だよ。繰り返すけど数は知らないけどね。
これは、中国側主張の根拠にされているらしい太田少佐証言と決定的に矛盾する
梶谷日記というのがあるんだが、これによると二日間で約千体揚子江に流したことが書かれてある。
これは梶谷軍曹が関わった処理だけの話だがね。
船で遺体を置きに運んだのも、その作業風景の写真が残っている。
梶谷軍曹のものと関係があるのかどうかは分からないけどね。
尤もこの方法で何万体も沖に運べるとは到底思えないけどね。
燃やしたのも事実だよ。
これも繰り返すけども何万体も燃やしたかどうかは知らないがね。
あと、上のもの(下関)とは直接関係ないけども、
あの幕府山事件の当事者であった山田支隊は
死体を揚子江に流す作業をしたのだけども、
あまりに流れが緩やかで
死体がその場に溜まっちゃって流れていかなかったそうだ。
このとき死体をガソリンで燃やしたそうだが、
これは生きてるものがいないかどうか確認するためだったそうな。
そういう目的でならば、完全焼却させるわけではないから、
あり得ない話でもなさそうとも思うけどね。
実際(山田支隊のものではないが)、下関の死体の写真を見ると、
完全焼却されているわけではないようだね。
以上はもちろん「数については問題にしない」と断った上での話だよ。
>船で遺体を置きに運んだのも、その作業風景の写真が残っている。
これはもちろん「遺体を沖に」の間違いだよ。
因みに当時の長江は時期的に水が少なかったため、
水が流れているところまで、泥濘地を舟で行く必要があった。
「沖」に行かねば水が無かったんだね。
過去にも散々やったことだが、1000体の死体を処理した事実が、
30万の虐殺を行った証拠にはなりえない。
171 :
朝まで名無しさん:04/08/31 22:22 ID:NjLdPQAz
>>170 30万は無理。(3万〜5万) だからといって、日本陸軍が虐殺をしなかった
わけではないし、統制の取れた部隊だったわけではない。
172 :
あかいろ:04/08/31 22:44 ID:lQN8Dg5y
>統制の取れた部隊だったわけではない。
いや、だから統制の取れていない25万人のもの人間が、どうやって短時間で中国大陸に渡れるの?
日本の官僚組織は欠陥も多いけど、計画書で決まったことをシステマティックに、きっちり運用するとこは唯一の長所なのだが・・。
173 :
朝まで名無しさん:04/08/31 22:50 ID:4OHDw12Y
>>172 大陸に渡る補給路の問題と、大陸での軍隊の行動は全く別だろ?
もし統制が取れていた優れた軍隊であったのなら、計画的な略奪、
計画的な強姦、をしていたことになるわけだが・・。
>>173 ……略奪や強姦が無かったor少なかった、という方向には、頭が働かないんだな。
帰納法で物事考えて、それに凝り固まってるわけだ……
永久ループするわけだわ。
175 :
朝まで名無しさん:04/08/31 23:53 ID:86DtW8R9
>>174 事実は、はっきりしてるんだ。
別に頭を働かせて想像することではない。
だから、軍隊を偶像視してしまうことになる。
日本兵が何をしたかは、1次資料を見ればはっきりしている。
176 :
朝まで名無しさん:04/09/01 00:13 ID:fGmhNwGY
「事変地より帰還の 軍隊・軍人の状況」より
・○○で親子四人を捕へ、娘は女郎同様に弄(もてあそ)んでいたが、親が余り
娘を返せと言ふので親は殺し、残る娘は部隊出発迄相変わらず弄んで、出発間
際に殺してしまう。
・ある中隊長は、「余り問題が起こらぬように金をやるか、又は用を済ました後
は分らぬ様に殺して置く様にしろ」と暗に強姦を教えていた。
・戦争に参加した軍人を一々調べたら、皆殺人・強盗・強姦の犯人ばかりだろう。
・戦地では強姦くらいは何とも思わぬ。現行犯を憲兵に発見せられ、発砲して
抵抗した奴もある。
・約半年にわたる戦闘中に覚えたのは強姦と強盗くらいだ。
「事変地より帰還の軍隊、軍人の状況」は、日本陸軍省が昭和14年に作った、
「秘密文書第四○四号」に記載されている、1次資料。
177 :
朝まで名無しさん:04/09/01 00:15 ID:+Iuw6Osy
>>173 食料を日本から運ばないで現地調達していた訳だからなぁ。
計画的な略奪と呼ばれても仕方ないかも。
ただ、強姦については慰安所を軍が管理運営していたので、
計画的とは言えないんじゃないか?
インリンを犯りますた
180 :
朝まで名無しさん:04/09/01 00:21 ID:fGmhNwGY
>>179 正しくは、インリンで、やりました。 でしょ?
>>171 三万から五万の「虐殺」をした証拠を持ってきてからいえよ、「捕虜の処刑(と陸軍が考えていたもの」ではなく「民間人の虐殺」のぶんな.
>>171 >30万は無理。(3万〜5万) だからといって、日本陸軍が虐殺をしなかった
>わけではないし、統制の取れた部隊だったわけではない。
一体いつここでは、虐殺が前提条件になったんだい?
まして、戦場での遺体処理をするのは、伝染病を防ぐためにも絶対必要。
遺体処理それ自体が、虐殺の証拠にはなりえない。なるとするなら、
当然数を含めた証拠を示すべきだろう。
183 :
朝まで名無しさん:04/09/01 08:22 ID:zSVfmo4O
>>176に関しては異論ナシね。 「陸軍が多くの強姦、強盗を行った。」は、事実認定。
いいですね、右翼の皆さん。 覚えとけよ。 歴史を改ざんするなよ。
お前らの頭の中も書き換えとけよ。
強姦、強盗のない戦争が普通だとでも思ってるのか?
サヨクは。
元来戦争とは、敵を殺し、犯し、奪うものだ。
強姦、強盗が影を潜めたのは
メディアが発達し、情報伝達が高速化した湾岸戦争以降だ。
だから「歴史を勉強しろ」と叩かれるんだ。
バカジャネーノ( ´,_ゝ`)プッ
185 :
朝まで名無しさん:04/09/01 08:50 ID:fXPtxcP/
>>181-182 別に数えたわけでないからはっきりした数はわかんないにしろ、
偕行社「南京戦史」が、一番偏りのない資料だということは衆目
の一致するところでしょ?
それには、「捕虜への撃滅・処断」,「一般市民の死者」あわせて、
3万以上になっている。
それから、都合が悪くなると、だんまりを決め込むが、
>>168に
書かれていることも、事実は事実としてうけいれなきゃあ。
意地になって事実を受け入れない、ってのは児戯に等しい。
186 :
あかいろ:04/09/01 09:50 ID:2ONmqtLt
>>175 伝聞や噂話を書き記したモノを一次資料とは呼ばない。
それは四次または五次資料。
一次資料は公文書だ。
187 :
朝まで名無しさん:04/09/01 09:57 ID:fXPtxcP/
>>184は、なにやら開き直ってますが、 w
本当に歴史を勉強してるんでしょうか? ww
日清、日露戦争時の日本軍は、本当に過剰なほどに国際世論を意識し、
捕虜の扱い、占領地の扱い、とも、国際的な取り決めを遵守する立派
に統制の取れた軍隊だったんですよ。
もちろん、強姦、強盗などもってのほか。
・・不勉強はあんたです。 しっかり史実を学んでください。(ワラ、ワラ
188 :
朝まで名無しさん:04/09/01 09:59 ID:fXPtxcP/
>>186 あんたアホでしょ? だから、
>>176に、資料を明記してるじゃないですか?
戦時中陸軍が作った資料も当てになんないんですか?
信用できるのはあんたのそのぼけた頭の中だけ? プププ・・・
189 :
あかいろ:04/09/01 10:04 ID:2ONmqtLt
>>173 >大陸に渡る補給路の問題と、大陸での軍隊の行動は全く別だろ?
・・・・・同じだよ。
>もし統制が取れていた優れた軍隊であったのなら、計画的な略奪、 計画的な強姦、をしていたことになるわけだが・・。
もし、仮に略奪、強姦が行われていたとしたら、それは計画的であったということだ。なぜなら計画的でない近代軍などありえない。
ただ計画的であるなら、計画書や命令書が必要。それも軍命令から大隊命令まで上意下達された整合性のとれるもの。
あとは個人レベルの犯罪である可能性はあるが、個人レベルで数万のオーダーは出ない。
しかし、一次資料、一次資料と言うくせに、山のようにある、師団や連隊や大隊、中隊の日記類や命令書は
殆ど無視するのはなんでだろう?
日記という名前ではあるが、これはちゃんとした公文書なんだけどね・・・・。
190 :
あかいろ:04/09/01 10:07 ID:2ONmqtLt
>>188 漏れの眼が悪いのか、そこに30万虐殺とは書かれていないのだが・・・。
191 :
あかいろ:04/09/01 10:28 ID:2ONmqtLt
ちなみに
・○○で親子四人を捕へ、娘は女郎同様に弄(もてあそ)んでいたが、親が余り
娘を返せと言ふので親は殺し、残る娘は部隊出発迄相変わらず弄んで、出発間
際に殺してしまう。
・ある中隊長は、「余り問題が起こらぬように金をやるか、又は用を済ました後
は分らぬ様に殺して置く様にしろ」と暗に強姦を教えていた。
(この2つはありうる話ではある。真偽は確かめようがないが、無かったと断定もできない。ただ伝聞でもある。)
・戦争に参加した軍人を一々調べたら、皆殺人・強盗・強姦の犯人ばかりだろう。
(「・・だろう。」という日本語は断定形ではない。つまりただの憶測。しかも犯人ばかりでは軍隊はなりたたない。)
・戦地では強姦くらいは何とも思わぬ。現行犯を憲兵に発見せられ、発砲して
抵抗した奴もある。
(あはは。屑はどこにでもいる。警官に発砲?まともじゃないヤシであったことは確かだな。でも確実に死刑だ)
・約半年にわたる戦闘中に覚えたのは強姦と強盗くらいだ。
(論外。)
これが、30万人虐殺説の証拠か?逆にこの程度のモノしか証拠として提出できないの?
これは個人犯罪は何処でも起こるという証拠でしかない。しかも憲兵が取り締まっている証拠でもある。
たぶんこれは憲兵が取り調べて出てきた話だと思われる。じゃなきゃ公文書に載らない。
192 :
朝まで名無しさん:04/09/01 10:56 ID:4tvNkry2
>>192 ウィキペディアを持ってくるあたりでネタ決定。
194 :
朝まで名無しさん:04/09/01 11:07 ID:4tvNkry2
195 :
朝まで名無しさん:04/09/01 11:15 ID:n4ibqXCW
現実?
ぷっ
>>195 ウィキペディアには筆者の主観が多分に含まれるケースがあるのを知らないのだよ。
これはウィキペディアの仕組み上、仕方がない。
両論ありとだけ記述し、それ以上は突っ込まないのが百科事典の取るべきスタンス。
これはこれは、またkouei級の基地外が来ましたな
198 :
朝まで名無しさん:04/09/01 11:22 ID:q0365xgy
>>あかいろ 別に俺は、30万と主張してないよ。
3万くらいじゃないの、って言ってるんだが・・。
頭に血が昇って人の話を全然読み取ろうとしてないのね。ww
日記、手記の類にも、略奪、強姦に言及しているものもたくさん
あるよ。 公平に見て、強姦を行わなかった部隊がなかったわけじ
ゃないだろうし、しっかりと統制が取れていた部隊もあったんでし
ょう。 でも、全部がそうだったわけではない。
199 :
朝まで名無しさん:04/09/01 11:26 ID:4tvNkry2
200 :
朝まで名無しさん:04/09/01 11:28 ID:n4ibqXCW
ウィキが現実な可哀想な奴キタ〜
>>197 本人はkouei級だということを自覚しているようだね。
202 :
あかいろ:04/09/01 11:32 ID:2ONmqtLt
>頭に血が昇って人の話を全然読み取ろうとしてないのね。ww
そりゃキミのことだよ。
203 :
朝まで名無しさん:04/09/01 11:35 ID:4tvNkry2
>>200 はいはいw
で、どこが「主観が多分に含まれた」部分なのかについてのレスはマダですか?w
204 :
朝まで名無しさん:04/09/01 11:36 ID:vwCmd+hR
>3万くらいじゃないの
ぐらいって ファジーだな〜
205 :
朝まで名無しさん:04/09/01 11:38 ID:q0365xgy
>>あかいろ
で、あんたは何が主張したいの?
>>204 個人的な見解だから別に構わないさ。
(ここはお前の日記帳じゃねえと迷惑がる人が多いだろうが)
たいていの場合、スルーされて終わりだ。
個人的な見解を引用して現実と曰っている輩には困ったものだが。
207 :
朝まで名無しさん:04/09/01 11:42 ID:q0365xgy
>>204 当たり前じゃん。 今になって、正確な数が分かるわけないでしょう?
ただ、「虐殺がなかった。」ということは出来ないし、それも数万人単位で、
「仕方ない」と開き直れる数ではなかった、ってことは確かでしょう、といってるの。
208 :
朝まで名無しさん:04/09/01 11:43 ID:q0365xgy
で、右翼のバカの見解はどうなの?
やっぱ、南京虐殺はなかった、と。ww
209 :
朝まで名無しさん:04/09/01 11:45 ID:4tvNkry2
上海に上陸して、一、二日の間に、このことに関して先遣の宮崎周一参謀、中支派遣軍特務部長原田少将、
抗州特務機関長萩原中佐等から聴取したところを総合すれば次のとおりであった。
一、南京攻略時、数万の市民に対する掠奪強姦等の大暴行があったことは事実である。
一、第一線部隊は給養困難を名として俘虜を殺してしまう弊がある。
『岡村寧次大将資料』(上)P290〜291
210 :
朝まで名無しさん:04/09/01 11:47 ID:zr6YwJOY
>>198 軍隊に所属している個人が軍規違反の略奪や強姦を一切していない軍隊は無いかも
知れんが、日本が組織ぐるみでそれをやっていたと言う証拠は在るのか?
統率が取れていず、犯罪を防げなかったと言う事なら管理不行き届きではあっても
国が悪いわけでは無くあくまで個人の犯罪だろう。
今現在も犯罪はいくらでもあるがそれは国が許しているからでも警察が取り締まって
いないからでも無くあくまで犯罪者のせい。
211 :
朝まで名無しさん:04/09/01 11:52 ID:JvpINKHN
「戦時」という状況を創ったのは国だけどな。
>>205 >で、あんたは何が主張したいの?
う〜ん。そう言われてもこまるね。暇だから遊びに来ただけだし。
主張らしきものならこのスレの
>>25-31あたり。まあ長文だから読まんでもいいけどね。
で、数万の証拠マダー?
捕虜の処刑や便衣兵狩りの巻き添えを食らった民間人でなく、
軍命令で意図的に民間人を虐殺して回った証拠マダー?
214 :
朝まで名無しさん:04/09/01 11:57 ID:vphzbP8A
>>210 まあ、資料とか見ると日本の軍上層部にいる連中は
この件については批判的ですね(当たり前だが)。
「皇軍の名を汚す」
という感じでね。
ただ、補給も満足に来ない状態で最前線で戦わされた、
下級兵士らにはそういう軍上層部の意向が徹底することは、
現実として不可能だったというのが真相かもね。
215 :
朝まで名無しさん:04/09/01 11:59 ID:vphzbP8A
>>213 >軍命令で意図的に民間人を虐殺して回った証拠マダー?
誰もそんなことは問題にしてませんよ。
>>209にあるとおりのことですが?
216 :
朝まで名無しさん:04/09/01 12:12 ID:q0365xgy
「南京大虐殺3万人」説はぼくの個人的見解、ではありませんよ。
平成元年に出た、偕行社の「南京戦史」に、よります。
偕行社は、旧日本軍の集まりで、「南京戦史」は、旧日本軍の記録、
元軍人の手記、などを網羅した、(イデオロギー性のない)信憑性の高い資料です。
>>214 >ただ、補給も満足に来ない状態で最前線で戦わされた、
>下級兵士らにはそういう軍上層部の意向が徹底することは、
>現実として不可能だったというのが真相かもね。
これは少し違う。補給は十分であった。(南京戦史あたり)
ただ日本軍を養うのにと言う意味で数万の捕虜というものを想定していなかった。
また食料を分け与えるにしても、捕虜になる中国軍は指揮官不在の事が多く分配も困難を極めた。
そこで論点としては、養うことの出来ない捕虜をどうするかだろう。
考えられる選択は2種類しかない。釈放するか処刑するか?
公文書の類いでは前者の事例が多い。ただこれは公平ではない。なぜなら後者を文書化することはあまり多くはないからだ。
争点はそこだろう?
218 :
あかいろ:04/09/01 12:16 ID:2ONmqtLt
219 :
朝まで名無しさん:04/09/01 12:17 ID:zr6YwJOY
どんなに貧しくても人のものを盗ってはいけない
どんなに大変な状況でも人に迷惑をかけてはいけない、
とかは、日本人的には当たり前の事だと思うのだが……
>「戦時」という状況を創ったのは国だけどな。 とか、
>補給も満足に来ない状態で最前線で戦わされた、
下級兵士らにはそういう軍上層部の意向が徹底することは、
現実として不可能だった とか
やった事人の所為にされてもな……
上層部は>「皇軍の名を汚す」 という感じ で犯罪なくそうと努力していたんだろ?
で、結局虐殺命令した証拠は無いの?
日本刀で100人斬り殺せるほどの戦闘力をもち、
銃剣と単発銃のみで40万人殺すなど原爆以上の破壊力を持つ携行兵器を誇り、
各植民地で無駄に現地人を殺してまわるほど武器弾薬が余っていて、
揚子江の川幅を2m以下にしたりするほどの高い土木技術を持ち、
沖縄で米軍上陸後も市民に玉砕命令が出せるほど命令系統がしっかりしていて、
日本兵の数を上回るほどの従軍慰安婦を一日に一人あたり何十人も暴行するほど体力と食料があって、
開戦前からオランダ占領時のインドネシアにも日本軍用の慰安婦を送り込むほど先見性があり、
AVが無かった時代にも関わらず慰安婦に顔射するほど独創性に富み、
韓国で文化施設はもちろん 一般家庭にある辞書から料理本に至るまで処分してまわるほど暇で、
保護するために植民地ではなく併合したにも関わらず、
韓国の運気を捻じ曲げるために、山の頂上に鉄杭を埋め込むほど風水に明るく、
当時の朝鮮の人口のおよそ半数近くを日本へピストン輸送するほど燃料と船舶が豊富で、
中国で家々に火を放ちまくり無駄に虐殺した民間人の死体を一カ所に集めて、
たっぷりとガソリンをまいて燃やすほど石油資源に余裕があり、
韓国の優れた建築施設・街・鉄道を全て接収することなく破壊し尽くした上、
新たに日本の駄目な建築物に建て替えるほど資源と資金が有り余っていて、
11歳が戦場で暴れ回るほど若い内から逞しく、
終戦後になぜか強制連行を行いまくるほどの軍備と余裕があり、
圧倒的科学力を誇る朝鮮の反日勢力になぜか圧勝するほど運がよく、
朝鮮人を殺しまくりながら人口を2倍にするという魔術を持ち、
敗戦国でありながらGHQを手玉にとって朝鮮戦争を起こすようコントロールするほど
政治力と外交能力に長けた日本が敗戦したことは歴史上最大のミステリー。
221 :
朝まで名無しさん:04/09/01 12:21 ID:vphzbP8A
>>217 >そこで論点としては、養うことの出来ない捕虜をどうするかだろう。
>考えられる選択は2種類しかない。釈放するか処刑するか?
論点も何も、捕虜を殺害したら国際条約違反だろ?
222 :
朝まで名無しさん:04/09/01 12:32 ID:vphzbP8A
223 :
あかいろ:04/09/01 12:37 ID:2ONmqtLt
>>216 いや、それが事体が個人見解なんだって。
別に悪いというのではなく、史資を元に見解を持つのは良いことだと言う意味で。
>>221 だから、そこが争点。
ジュネーブ条約以前の捕虜に関する条約って誰か知ってたら教えてくれないか?
ジュネーブ条約って締結戦後だったよな?
225 :
朝まで名無しさん:04/09/01 13:06 ID:zr6YwJOY
>>217 いや、投降者や敗残兵を絶対に捕虜として手厚く保護しなければならない訳では
無いのだが……
養う余裕が無く、かといって釈放して後で(そいつに)攻撃される恐れがある場合
捕虜にせずに殺すのも合法(戦時国際法)だろ?
南京の場合指揮官がいないんだからそもそも捕虜になる資格無いし。
あと、>公文書の類いでは前者の事例が多い。ただこれは公平ではない。
なぜなら後者を文書化することはあまり多くはないからだ。
その根拠は?合法なのに何故文書化することはあまり多くないんだ?
組織としては文書残さない方が問題だろうし機密文書としてでも残すでしょ?
今でも企業ぐるみの犯罪とか在るけど文書残ってるでしょ?
226 :
あかいろ:04/09/01 13:11 ID:2ONmqtLt
>>224 1863年 - ジュネーブ条約(初期)
1899年 - ハーグ陸戦条約
1949年 - ジュネーブ条約(基本四条約)
227 :
朝まで名無しさん:04/09/01 13:20 ID:7JahcoTI
ODAのカネを使って、南京の土を掘り返して、
遺骨が何体でてくるか確かめましょう。
虐殺死、戦闘死、病死の検証は面倒なので、
遺体が何体でてくるかだけを検証しましょう。
ま 斯 / ,、r'";;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;`';,、 ,r';;r" _ノ
>>1 ア .か 様 L_ /;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;\ ,';;/ ) 申 何
サ .り な //;;/´ `' 、;;;;;;;;,,l;;' /ヽ す と
P ..と. こ /.,';/ ヽ;;;;,l;L_ .,,、,--ュ、 ';;;;;;;;;i か 南
ま お. と l |;|┌--‐フ ┌----、、 |;ヾr''‐ヽ, ,、ィ'r-‐''''''‐ヽ ';;;;;;く !! 京
で る が i |l ~~__´ 、 ``'__''''┘ |;;;;;l rO:、; ´ ィ○ヽ 'i;;;;;厶, と
じ の l _|. <,,O,> 〉 <,,O,,> |;;;;;| `'''"/ `'''''"´ !;;;;;;;;ヽ
ゃ は ._ゝ'|. / 、 |; ,' / 、 |;;;;;;;;;;;;;レ、⌒Y⌒ヽ
ぞ 「 | | ( ) .ソ l ,:' _ ヽ .|;;;;;;;//-'ノ
!!. . ヽヽ | _,ニ ニ,,,,,_ ', ゞ,' '"'` '" i;;;;;i, `' /
⌒レ'⌒ヽ厂 ̄ `| ,、ィ-‐''__'''‐-`,、 '' .', i、-----.、 `''"i`'''l
人_,、ノL_,iノ! . ', :i゙''''''''''`l' ` _人__人ノ_ヽ ヾ゙゙゙゙ニニ'\ ,' ト、,
/ ヽ L__」 「 止 笑 Lヽ ヽ〈 i| Vi゙、
ハ ワ {. ヽ. -、、、、 ' ノ ま い 了. ゙, ,ヽ===-'゙ ,' , // ヽ
ハ ハ ヽ. ハ ) ら が | ',.' ,  ̄ , ' ノ // ヽ,
ハ ハ > /|ヽヽ、___,,,,、 'く ん > ヽ.  ̄´ / ,、 ' / / \
ハ ハ / ノ. | ヽ フ !! / ノ:lゝt-,-‐''" / ,.ィ゙ /
>>185 だから、「民間人(それも陸軍が完全に民間人だと認識していた人)」を万単位で殺した証拠を持ってきてから言えって.
「処刑した捕虜の中に民間人が混じっていた」なんていうのは「便衣兵が安全区に紛れ込む」なんて事をした、国民党軍と、それを許したらーべたちが悪いんだ.
>>176の資料の詳細自体もよく判りませんけど
しょっぱなが1つの事件の紹介でクローズアップされるってのは、
それは’特異’な出来事だからでしょうね。あとは「だろう」だからな。
締めは強姦と強盗で殺人はありません。
結局この手の日本軍関係者による文は風紀の乱れを「訴える」ため大げさになるわけです。
米進駐軍が進駐初日に300件の強姦事件を起こしたのと比べて
マシだった(と個人的に推測する)か酷かったどうかといった問題です。
南京大虐殺の証拠とはおこがましい。
サヨクさんの共通思考13項目
「石原都知事は右翼」
「筑紫哲也は素晴らしい」
「憲法9条を守ろう」
「アメリカは日本からでていけ」
「愛国心は不要」
「新聞は朝日新聞に限る」
「報道のTBSは良い放送局だ」
「自民党は悪い政党だ」
「自衛隊は存在してはいけない」
「新しい教科書をつくる会の教科書を採用するな」
「靖国神社に参拝するな」
「日の丸や君が代を生徒に強制するな」
「日本はアジアに謝るべきだ」
233 :
朝まで名無しさん:04/09/01 18:00 ID:d68YZbHS
日本は戦時中、悪いことをした。
しかし、村山内閣の時に謝罪したわけだから、それで終わりにしろ。
いまでも三国人が騒ぎ立てるのは嫌い。そーいう三国人は氏ね。消えろ。
こんな俺も反日行為だとか、愛国心がないとか言われるのだろうか・・・。
234 :
朝まで名無しさん:04/09/01 20:11 ID:+Iuw6Osy
南京大虐殺
南京で中国兵と日本兵がたくさん死にました
おわり
>>233 大体謝罪なら村山以外にも何人もしている。
しかし中国ではそういう日本側の「謝罪」を一切報道しないそうだ。
だから中国人はいつまでも「謝罪」と賠償を求めてくるワケ。
>>185 >それには、「捕虜への撃滅・処断」,「一般市民の死者」あわせて、
>3万以上になっている。
捕虜への対処に関しては、軍事的必要に則ったものであれば、ただの戦闘行為です。
また一般市民の死者も、戦闘に巻き込まれたものであって、
一般市民の殺害を目的としたものでなければ、虐殺とは言えません。
あなた、自分がイイタイコトが分かってる?
>
>>168に書かれていることも、事実は事実としてうけいれなきゃあ。
あんたホントに頭悪いね。他の人も書いてるだろ。
それが事実であったところで、虐殺の証拠にはなりえないと。
単なる戦場処理の次元から一向に出てないよ。
しかも、被害者数を特定できなければ、ますます持って、その行為が
事実であったかどうかすら疑わしい。もう少し勉強しておいで。
>>168は太田証言のような揚子江への遺体の大量遺棄は無いということを言いたいのでは?
「事実は事実としてうけいれなきゃあ。」ってどちらに向かって言っている?
>
http://pegasus.phys.saga-u.ac.jp/peace/jwar/n76.jpg >撮影者村瀬氏自身によるキャプションは
>「工兵隊が死体に鈎を引っ掛けて、沖へ流す作業をしていました。一回に
> 数体ぐらいですから、こんなやり方では二ヵ月以上もかかりそうでした」
>『村瀬守保写真集 私の従軍中国戦線』(日本機関紙出版センター 1987年)
埋葬するより手間がかかる以上これをやり続ける理由が無い。
>>216 「南京大虐殺3万人」説ってどれのことですか?
>そしてこの同じ史料を使用して推測した別の集計がわれわれ編集部の手許にある。
>板倉由明氏の集計されたものである。
>同氏は、捕虜になってから殺害された者の数を全師団正面で一万六千と算定し、
>その内半数の八千を不法に殺害されたものと推定する。そして一般人の戦争による
>死亡を城内、城外で約一万五千(スミス調査である)として、その内不法に殺害された
>数を三分の一の五千と算定した(これらの算定を畝本君は過大ではなかろうかとする
>ところに両者の違いが出てくるわけである)。
>従って南京の不法殺害は計一万三千人である。板倉氏はこれが「現時点での」推定概数で
>あるとする。これまた、途方もなく大きな数字である。
>
>畝本君の三千乃六千、板倉氏の一万三千、共に両氏それぞれの推定概数であって、
>当編集部としてこれに異論を立てる余地は何もない。これを併記して本稿の結論とする。
>中国国民に深く詫びる
これだと畝本氏、板倉氏の推定を受け入れるという形になっていて不法殺害数を特定していません。
もちろん一般市民を無差別殺害したなどとは一言も言っていない。
結局捕虜の資格や、便衣兵容疑者の扱いなど合法か不法か当事者すら判らない
からうち何割かを不法と見なしましょうということです。
実際そんな状況で厳密に合法な行動を取れというのは不可能です。
239 :
朝まで名無しさん:04/09/05 07:03 ID:4LR/7to9
240 :
朝まで名無しさん:04/09/05 08:26 ID:XmiRap9j
>>236-8 お前らなんでそんなに必死なの? (笑
目くじら立てて反論しちゃって。。
>>240 議論する気がない馬鹿は来るな。
これは否定派、肯定派共にだ。
243 :
朝まで名無しさん:04/09/05 19:16 ID:tHXeS04K
>>239 最近じゃ3500万人てことになってるはずだが。。。。。
確かに、30万は微々たる数だな。ほかに何百万の民間人虐殺があったはず。
30万という数字は工作員ティンパーリ発のプロパ
3500万人は中狂様のプロパ
整合性なんかとれるわきゃないわな
全然関係無いけど、
>>229のコピペ初めて見た。かなりワロタ
248 :
朝まで名無しさん:04/09/09 18:26 ID:aoW5/Lll
「このあたりから野田、向井両少尉の百人斬りが始るのである。野田少尉は見習士官として
第11中隊に赴任し我々の教官であった。少尉に任官し大隊副官として、行軍中は馬にまたが
り、配下中隊の命令伝達に奔走していた。
この人が百人斬りの勇士とさわがれ、内地の新聞、ラジオニュースで賞賛され一躍有名になっ
た人である。
「おい望月あこ(ママ)にいる支那人をつれてこい」命令のままに支那人をひっぱって来た。
助けてくれと哀願するが、やがてあきらめて前に座る。少尉の振り上げた軍刀を背にしてふ
り返り、憎しみ丸だしの笑ひをこめて、軍刀をにらみつける。
一刀のもとに首がとんで胴体が、がっくりと前に倒れる。首からふき出した血の勢で小石が
ころころと動いている。目をそむけたい気持も、少尉の手前じっとこらえる。
戦友の死を目の前で見、幾多の屍を越えてきた私ではあったが、抵抗なき農民を何んの理由
もなく血祭にあげる行為はどうしても納得出来なかった。
その行為は、支那人を見つければ、向井少尉とうばい合ひする程、エスカレートしてきた。
両少尉は涙を流して助けを求める農民を無残にも切り捨てた。支那兵を戦闘中たたき斬った
のならいざ知らず。この行為を連隊長も大隊長も知っていた筈である。にもかかわらずこれ
を黙認した。そしてこの百人斬りは続行されたのである。」
「私の支那事変」望月五三郎著私家版1985年
>>248 本多勝一の訴訟で朝日の弁護士が出てきたやつだな
そんなものがあるのに、なぜ裁判で追い詰められるまで出さなかったのか
所詮証言や回想じゃ弱い、と思ってたんだろうか?直接証人が出廷して宣誓したものと違って好き勝手書ける訳だし
ってコピペ厨かよ
251 :
朝まで名無しさん:04/09/09 19:04 ID:FA26Bhhn
>>249 ぎりぎりまで反論できる者が死ぬのを待ってたんだろ
汚いヤツラだ
252 :
朝まで名無しさん:04/09/09 19:29 ID:T3xb5wuU
東京裁判の判決では、南京が占領された最初の6週間に南京とその周辺で
20万人以上の住民と捕虜が殺害された、としている。また、城外の住民は
城内より情況は多少ましで、南京周辺約100キロ以内のすべての村は同じ
情況であった、と確定している。南京周辺100キロとはちょうど上述の南京と
その周辺に当たる。これは正に東は南京城東北より始め、長江南岸の烏龍山,
尭化門、仙鶴門、麒麟門、馬群、蒼波門、高橋門、上方鎮越秦の淮河を経て、
西に向って、花神廟、吉家凹を経て,江南鉄道を越え,再び東北方面の
江心洲向いの上河鎮までの範囲に当たる。すなわち、南京の防衛線に
相当する。特に南京の東と南の両方では、人口密度が高く、同時に防衛戦の
戦場にもなっており、日本軍が来る前に、ほとんどの人達は、城内、または
遠くへ避難したが、村に残った年寄り、女性、子供で、難を逃れた人は
ほとんどいない。
http://www.come.or.jp/hshy/j95/11si1.html