1万増やしました
>>784 >「国際宣伝処が編集・印刷した単行本として」、ティンバリーの、『戦争とは何か』
田中正明さんみたいに、書いてもない日記の文章を書いたんじゃないの?
ティンバリーはイギリスの記者で最初、その本は英語で出版していたと思うが、
中国で最初に出版してたのかい。初めて聞いたよ!!!
英語の本を見て役に立つと、国民党のエライサンが思えば中国語に翻訳して
編集、印刷し宣伝するのは当然の政党活動と思うがね。
もちろん作者の了解は必要だが。それを機密に何でするの????
>1938年3月、イギリスの『マンチェスター・ガーディアン』紙の中国特派員の
>ティンバリーが、これらの資料をまとめて編集し『戦争とは何か−中国にお
>ける日本軍の暴虐』(英文版)を発行した。この本の中国語版が1938年7月、
>漢口の民国出版社から発行
http://www.mmjp.or.jp/nankin1937/chin.html >『支那事変日誌抜粋』からの"引用"とあるが、原文にはまったく存在しない。
http://www.bekkoame.ne.jp/~ymasaki/kaizan.htm
>>795 >>12 /8日
>南京防衛軍の司令官唐生智は、市が戦闘地区に入ったと宣言し「すべての非戦
>闘員は国際管理下の安全地帯に終結しなければならない
どこまで本気でこんな命令出したの?
これ本物なの?
中国軍としては安全区は邪魔で、塹壕や高射砲を作ろうとしてたのを無理やり
ラーベたちが辞めさせてたのを知ってる?
それに大混乱の中でこんな命令出して役に立つと思うのか、誰が守らせるの。
むしろ支那軍は安全区がなければ、それだけ兵隊が多くなると思ってんだよ。
>安全区設置は中国軍にとって、迷惑以外のなにものでもなかったようだ。
>軍高官との話し合いでラーべは驚き、呆れる。
http://www.bekkoame.ne.jp/~ymasaki/rabe1.1.htm
>>818 >スマイスが南京陥落以前、直後、それ以後の調査結果を元に
>「市の陥落当時(12月12日〜13日)の人口は20万から25万であった。」と
>報告してることは確かで陥落直後の12月17日〜19日の調査も行っている。
貴方には書いてないことまで書ける”才能”があるんかい?
田中正明氏みたいだね。
陥落当時の人口は、調査結果と何も関連付けてないよ。
安全委員会の皆の推定値を言っただけで、調査結果を基にしてじゃない。
調査したのは陥落後、3ヵ月後やっと調べれるくらい治安が回復してからの事。
陥落直後の2日間の調査なんて、3ヵ月後のスマイス調査報告とはまったく関係
ない。 何をどう調査してんだい。
あんまり田中氏みたいに、スマイスの報告に自作の文章は追加せんでくれ!
http://www5.tok2.com/home/JOHNVOID/doc_smyth.html
>>870 >陥落後の”掠奪、強姦、焼き討ちなど”はほとんど日本軍と見るのが当然。
>当然といわれても根拠が・・・
>先のイラク戦争でもバグダット陥落後に
>これらを行ったのは敗残イラク兵・イラク人側でしたね。
これは貴方の勘違い
イラクで略奪してる人のそばに、アメリカ兵がいるのに気が付いてない。
アメリカ兵の了解の下に、略奪物を運んでるのをビデオにとっただけ!
戦時下においては占領した軍隊が、全権を握っているのを忘れてるんじゃない?
最初に建物の鍵を壊し、入れるようにして”どうぞ”という合図をしてるのは
軍隊だよ。
アメリカ兵の治安維持は、メリハリがはっきりしてて石油関係にはまったく
地元民には手を触れさせませんが、国連施設やドイツ大使館などあまり言うことを
聞かなかった組織には知らん振りしてました(暗黙の了解済み)
>>883 >『再審 南京大虐殺』 P151
>ラーベに日記2/3日に、ラーベが転載した『大陸報(チャイナプレス)1月25日』
(但し、日本語版では該当部分は削除されている)
---------引用----------------
>中国軍の将校が隠れていた!
>報道によると、高級将校が外国大使館に隠れていた
貴方の引用は説得力が”まったく”無いよ。
日本語版には載ってなくて、英語版だけだなんて?
ドイツ語版はどうなの?
そうは言っても、たぶん貴方の書いた事は、事実だろう、とは思う。
日本軍も支那軍もやれることは全て行動してるはずだし、支那軍として
武器を隠すのは自然な行動だ。俺でもやるよ。
7 :
朝まで名無しさん :03/05/27 10:28 ID:tmP81NUR
みとめちゃってんじゃん。ばーか。
8 :
計算機 :03/05/27 10:33 ID:aBxsJRqK
9 :
計算機 :03/05/27 10:37 ID:aBxsJRqK
前スレ
>>909 >支那の軍隊や警官が、家から出て行けと説得しても知らん場所に言って乞食
>するより、生まれ育った場所で隠れてでも自活するだろう。
当時の軍や警官の権力というか強制力はどの程度だったんだろう。
仮に日本であれば有無を言わせず移動させられたと思う。
それに、「金持ち80万は逃げて、貧乏人(20万)は残っている」という
記述(ラーベ12/6)を読むとやっぱり安全区内外含めて20万かなと思う。
金持ちは家財道具は買い直せばいいし、財産もある程度持ち出せた(でなければ
貧乏人以上に残りたがるだろう)わけだろうから疎開(移住か?)してもどうにかなると
考えたから逃げた、と考えられないこともないかな。
となると、貧乏人が逃げなかった(逃げられなかった)理由は「安全区内で乞食を
したくなかったから」となるかもしれんが、委員会は配給などもある程度はしただろうし、
乞食同然になると予想はしてなかったんじゃないか?
安全区が20万になる前はどの程度の人口だったんだろう?
新スレ立てたのに誰も労ってくれない恵也…。 初めてお前に同情したぞ。
11 :
えICBM :03/05/27 11:00 ID:2t/oqygt
>>851 :詩論語 ◆rAuM1WGShc :03/05/26 08:44 ID:5I9tLcpL
(前スレ
http://news3.2ch.net/test/read.cgi/news2/1053105711/851 )
>もう少し解りやすく説明するか。
>俺の主張は「捕虜取扱規則」の解釈や、対支那軍戦闘法ノ研究等の記述の支那兵捕虜取扱への曖昧さから
どこが曖昧なのだ?
「捕虜取扱規則」には捕虜を現地開放する手続きを明確に記している。
そして、陸軍刑法にも捕虜の解放について明確に罰則が記されており、叛乱罪とみなされれば処刑である。
法律たる陸軍刑法にも、通達たる俘虜取扱規則にも、捕虜の開放については明確に記されてる。
曖昧なのは、対支那軍戦闘法ノ研究(昭和8年1月)の記述であるが、これは、陸軍歩兵学校の参考書に過ぎない。
陸軍の各種学校は40近くありその1学校の参考書が、日華事変での捕虜の扱い全体を規定したと考えるのは到底無理だ。
HPによっては、当時の陸軍では捕虜の手立てが無理と言う意味だと解釈してる。
>陸軍刑法に関しては大本営に正式に捕虜と報告しない限り、適用することは難しいと思われる。
どこから"大本営に正式に捕虜と報告しない限り”が出てきたのだ?
委任が無理なら"正式に報告しない限り"を出してきたのか?
ならば、10万人の敵兵が投降して捕虜にしたが、面倒で開放しても大本営に正式に捕虜と報告しなかったら良いのか?
明らかな利敵行為だがどうだろう?
陸軍刑法はそのような現場での勝手な振る舞いをさせないためにあり、それを軽んずるはずが無い。
(続く)
12 :
えICBM :03/05/27 11:00 ID:2t/oqygt
(続き)
>>851 :詩論語 ◆rAuM1WGShc :03/05/26 08:44 ID:5I9tLcpL
(前スレ
http://news3.2ch.net/test/read.cgi/news2/1053105711/851 )
>証言が得られるほど目立って解放を為していた部隊が存在するにも関わらず
>支那投降兵解放に関して、罰則が適用されたという記述が無いしな。
>現地解放証言と共に、大西参謀の言もそれを示唆している。
残念ながら、南京陥落の13日から16日ごろの戦闘中、戦闘直後での、開放したという証言はわずかだ。
例の訓示して捕虜を開放した白髭の指揮官のケースぐらいだ。
開放して処罰されるかされないかは、その時点ではわからない。
だから戦闘中、戦闘直後では、ほとんどの部隊は処罰の恐れがある捕虜解放よりも殺害を行ったのだろう。
もちろん可能なら後送し収容されたケースもある。
他の戦闘中、戦闘直後に開放したケースがあるなら教えて欲しい。
>また 捕虜の専門だった榊原参謀の・・・
これは戦闘中や直後での現場部隊の捕虜では無い。
榊原参謀は中支那方面軍の参謀であり、現場の指揮官ではない。
榊原参謀が扱う捕虜は、現地部隊から軍に後送された捕虜のことだ。
>現地解放証言している衣川武一氏の手記では
>>年末頃までに約半数が帰順し、半数は使役として働かせた。
>>腕章をつけて食糧の運搬や炊飯などさせた。(中略)これらの捕虜は、転進する際全部帰郷させた
これも戦闘が終わってしばらくたってからの開放だ。
>と、利敵行為にあたるとされる捕虜解放をおおっぴらに行っており、
>ここからも現場の将校の判断が重要視されていたと推測することが出来る。
残念ながら、南京陥落の13日から16日ごろで、開放したという証言はわずかだ。
>尚、現地の捕虜収容所にいれるという選択肢もあった模様
第16師団が1万以上の捕虜を南京の刑務所跡に収容している。
戦場の貴重な労働力を全部殺したり逃がすはずが無い。
>>9 >仮に日本であれば有無を言わせず移動させられたと思う。
戦時中の日本は噂に聞くくらいで、判らんがそこまで力があったんかね?
隣組の組織が強かったと言うが、隣組から頼まれたら嫌とはいえんかも。
しかし政府に対する信頼度が、日本ほど南京政府は無かったんじゃない?
ラーベの金持ち80万人逃げたと言う推定は、逆算した推定値でしょう
20万人くらい残ってると、逃げ出した市長から聞いて推定した言葉。
誰かが調査して調べた数字じゃない。
安全区に人が集まり、食料を支援する頃には、区内の人口はある程度
調べたと思うが、あくまでも区内で避難民を支援する為の数字。
南京市全部じゃない。城外には出入り出来ないのだから。
14 :
計算機 :03/05/27 12:10 ID:aBxsJRqK
>>10 確かに。
今更で悪いけど、お疲れ>恵也
>>13 >安全区に人が集まり、食料を支援する頃には、区内の人口はある程度
>調べたと思うが、あくまでも区内で避難民を支援する為の数字。
>南京市全部じゃない。城外には出入り出来ないのだから。
委員会としては市民全員を安全区内に入れようとするんじゃないかな。
「安全区に入らなかった人は勝手に死んで下さい」というふうにはならんだろう。
第九号文書には
「略奪と放火によって、市の経済活動が停止するにいたり、その結果、
全市が一つの広大な避難民収容所と化したという事実を考え、また、
国際委員会が二〇万市民に配給する食糧はあとわずか一週間分しかない
という事実を考えれば、〜」
とあるし、
第二十六号文書には
「南京の二五万難民のうちほとんどが、南京市内と近郊で起きた広域にわたる
放火のために家を失いました。」
とある。
やっぱり全市民じゃないかな。
15 :
計算機 :03/05/27 12:15 ID:aBxsJRqK
ついで。 ラーベの日記11/25でも 「まだ二十万人をこす非戦闘員がいると言うけれども。ここらで もういい加減に安全区が作れるといいが。ヒトラー総統が力を お貸しくださるようにと、神に祈った。」 とある。安全区ができる前に20万(程度)になってたということだね。 この後(11/28)に 「警察庁長王固盤は、南京には中国人がまだ二〇万人住んでいると繰り返した。」 とある。
>>851 >尚、現地の捕虜収容所にいれるという選択肢もあった模様
捕虜収容所が全然ないなんて、いってる奴いるか?
10万人近く処刑したんだから一時的に集めておく場所は、当然必要だろう。
命を助け、食事を与えると松井大将の名前で約束してるんだから殺すにしても
殺す準備が整うまで、ヤケクソニなって逃げ出さぬように、殺すのが気付かれない
ように捕虜収容所は、絶対に必要な設備だ。
>>9 >委員会は配給などもある程度はしただろうし、
>乞食同然になると予想はしてなかったんじゃないか
委員会も最初頃は旧南京市の、食料、燃料、お金をある程度引き継いでて
配ってたようだが、それが尽きてきても日本軍から援助をなかなかして貰えず
ずいぶん欠配をしていたようだよ。
日本軍もそれを手段にして、委員会をコントロールしようとしたんじゃない?
まあ避難所みたいなところに行くときは、乞食になるのは覚悟せんとイカン。
食事もお情けでもらえるもの。避難民の権利じゃない!
>このままで行けば、また急速に自動的に深刻な飢餓状態を引き起こすことで
>しょう。私たちはただ正常な生活の最低条件、つまり住宅・安全・食糧だけ
>を要望します。
http://www5.tok2.com/home/JOHNVOID/doc_safety.html
>>14 >「安全区に入らなかった人は勝手に死んで下さい」というふうにはならんだろう。
そこまで面倒はみれんだろう。
安全区に行く道案内の標識は、あちこちに作ったようだが安全区自身
日本軍が認めて保障してくれたわけじゃない。
そのように委員会は運動はしてたようだが、結局解散を日本軍にさせられたよ。
そして避難民を追い出すように求められて、苦労したようだよ。
> 委員会を解散し、難民を立ち退かせれば、食糧を支給する。これが日本軍の回答だった
http://www.bekkoame.ne.jp/~ymasaki/rabe3.htm
19 :
えICBM :03/05/27 13:40 ID:2t/oqygt
>>12 訂正
>>尚、現地の捕虜収容所にいれるという選択肢もあった模様
>第16師団が1万以上の捕虜を南京の刑務所跡に収容している。
>戦場の貴重な労働力を全部殺したり逃がすはずが無い。
第16師団が収容したのは、数千名の捕虜でした。
また、収容した刑務所は、陸軍刑務所跡でした。
ここで、訂正とお詫びをしたいと思います。
20 :
朝まで名無しさん :03/05/27 13:40 ID:F3OyYXcK
この調子でスレが続いたら、今年中に30万超える罠
21 :
計算機 :03/05/27 13:42 ID:aBxsJRqK
>>17 >委員会も最初頃は旧南京市の、食料、燃料、お金をある程度引き継いでて
>配ってたようだが、それが尽きてきても日本軍から援助をなかなかして貰えず
>ずいぶん欠配をしていたようだよ。
それならばなおさら当初は安全区に入ると乞食同然になるという認識は少ないんじゃ
ないかな。
貼られてるサイトを見ると、第一号文書(12/4)では
「当面、住民に食を与えるために米と小麦を貯蔵し、地域内の民警の管理に
あたっています。」
とあるし、第九号文書(12/21)では
「二〇万市民に配給する食糧は後わずか一週間分しか無い」
とある。
>>18 >>「安全区に入らなかった人は勝手に死んで下さい」というふうにはならんだろう。
>
>そこまで面倒はみれんだろう。
ちょっと書き足らなかったが、ある程度強制力を持って移動させたんじゃないかと
いうことね。
22 :
朝まで名無しさん :03/05/27 14:07 ID:tmP81NUR
恵也まんこ
23 :
えICBM :03/05/27 14:09 ID:2t/oqygt
>>851 :詩論語 ◆rAuM1WGShc :03/05/26 08:44 ID:5I9tLcpL
(前スレ
http://news3.2ch.net/test/read.cgi/news2/1053105711/851 )
>現地解放証言と共に、大西参謀の言もそれを示唆している。
大西参謀が戦後の証言で第16師団の中島師団長の日記の「捕虜はせぬ方針なれば」
を銃器を取り上げて開放せいという意味だと語っている。
第16師団の参謀が証言するなら話もわかる。
しかし、大西参謀は上海派遣軍の参謀だ。
部署が違う上海派遣軍の参謀がなぜそこまで言い切れるのだ?
16師団は上海派遣軍に所属してるから交流はあったろうが、疑問は大いに残る。
24 :
なんだかなぁ :03/05/27 14:35 ID:FTOHSL3L
前スレ
>>904 手を挙げて投降の意志を示した相手も殺してたんだが・・・。
ttp://www.jca.apc.org/nmnankin/nanba1.html >*ある村を占領した時、一軒一軒家を調べて回った。自分が入った家に、中国軍の兵隊が10何人か隠れていた。
>こっちは一人だったが、「村は日本軍が占領したから降伏しろ、命だけは絶対助けてやる、俺を信じろ」と言って降伏させた。
>こっちも必死だったんだ。その10何人を部隊長の所に連れて行って「捕虜です」と言うと、
>奴は、「何で連れてきた、全員殺せ」と言いやがった。俺は、「そんな事はできない、自分を信じてみんな降伏したんだ。
>出来る訳がない」と言うと、奴は、「お前が殺さないのなら、お前を軍令違反で銃殺にするぞ」と言いやがった。
>この時ほど、俺は、日本の兵隊を殺してやりたいと思ったことはない。俺は、自分の銃を部隊長に向けて「自分には殺せない」と言うと、
>奴は違う部下に命じて、中国の兵隊全員を撃ちやがった。
>逃走というのは継戦の意志ありと見なされても仕方のないそれ以前の問題。
>例え無抵抗であろうとも戦闘行為の一部でしかなくなにをされても文句はいえません。
ならば、揚子江の上を小船や急造のいかだに掴まって中国の市民や軍民が逃げていく、
それを海軍の11戦隊の砲艦が揚子江を遡って行って、砲艦の上から機銃や小銃で射殺したのは、
正規の戦闘行為だとは思えないんだが、少なくとも降伏するように勧告して、
少なくとも捕虜として収容する努力をした後でなければ、戦闘の帰趨はついている段階で、
いきなり撃ち殺すのは、あまりに非人道的で戦闘行為とは呼べないと思うが・・・。
どうせなら10万単位で増やせよ。
お前ら鼬害。歴史板か中国板で思う存分やってこい!
>えICBM …ここまで文章の意味を解さない奴も珍しいな(汗 もっと簡単に表現しよう。 陸軍刑法は「逃亡幇助」に対しての罰則が書かれているのであって 司令官・将校などが命令する「捕虜解放」に対して効力が発揮する訳では無いと言うこと。 故に捕虜解放を行う権限を持つ者が存在し(当然だな) 手続きの条件は現場で行うには煩雑すぎ、無視していたと考えられる。 根拠は現地解放証言。捕虜の扱いに対する方針の曖昧さ。 (捕虜取扱規則では「捕虜に出来無い場合の処置」が無く また、対支那軍戦闘法研究の記述と矛盾する) これは、前スレにて詳しく解説した故、詳細は略す。 尚、えICBMが強硬に主張する「登録・敵軍との合議等の手続きが絶対必要だった」という言説は ダブルスタンダートとなる。 俺の主張は基本的に捕虜の扱い等は曖昧で、捕虜取扱規則は重視されず 処刑、解放、収容所送り等の判断は大本営では無く、現地将校の判断に委ねられていたというもの。 翻って、えICBMの主張は陸軍刑法では捕虜解放は罪ゆえ 日本軍は「捕虜を殺すしか無かった」というもの。 当然、捕虜に対し人間的扱いをするよう定めた捕虜取扱規則は無視していたという前提でなければ成り立たない が、捕虜解放の部分だけは「手続きが取られてないのはおかしい」と主張する。 捕虜取扱規則が厳守されているならば捕虜殺害等の事態は起きず また、重視されていなければ、当然、現場で行うには煩雑かつ非現実的すぎる解放手続きは行っている筈も無い。 えICBMの言説は、一方の文書内容を無視し、都合の良い時だけは、その文書を根拠とする。 典型的なダブルスタンダートだな(苦笑
>>2 >中国で最初に出版してたのかい。初めて聞いたよ!!!
国民党と合議し、ティンバリーの名で出版したと言う事だ。
故に「戦争とは何か」の著者は国民党宣伝工作部、ティンバリー合作ということになるな。
…新聞記事くらい読んでおきな。
このレスは靴屋への反論ではあるが、恵也を論破するものでもあるんで、恵也へのレスは略。
>>875 > 配ってない人の人口は把握出来ない。
子供や老婦人、亡くなった人がいたとしても
良民票に記載されている者の人数から、全人口の大雑把な規模は把握できるものだがな。
自分> そして、社会学者であるスマイスは、「陥落時人口」を算出し明言している(安全区人口では無い)。
靴屋>ウソを書くな。算出した、という報告も記述もない。
----------------------
T 人口
南京市の戦前の人口はちょうど100万であったが、爆撃が繰り返され、
後には南京攻撃が近づいて中国政府機関が全部疎開したためにかなり減少した。
市の陥落当時(12月12日〜13日)の人口は20万から25万であった。
-----------------------
3行目。市の陥落当時(12月12日〜13日)の人口は20万から25万であった。」と明言しているな。
>、「3月の調査」は誤り。 都市調査は3月9日から4月2日迄。 この3月の調査結果から上記引用のT人口を書いているという認識は間違いか? >以上のように、彼らは単に調査出来る範囲しかしていないことが分かる。 では、何故スマイスは陥落時人口を20万〜25万としたのだろうな「安全区人口」では無く。 ベイツ証言に関しては人口問題と外れる可能性があるんで、今は言及しないで置く。 >実際にはベイツが言うように「全体のとこ ろを申上げることの出来る人は一人も居」なかったのである。 その言葉は、「完全に絞り込んだことを言える者はいない」っと言う意味だろう。 ったく、例えば、12月23日の報告時点で50万。さらに大規模な人口流出が存在してることがわかる以上 「全体のところをもし上げること」が出来なくとも、どう考えても50万以下と言えるし 食料配給の規模、清野作戦で焼き払われた城外に多くの人が残ってる可能性が無いことも解る。 二桁前半だと思われる人口を、±5万以内の大雑把な人口把握なら充分可能だろうな。
>878 >従って、グースの間抜けな予想はまるっきり 当てにならない、という他ないわけ。 十万単位の人間が「逃げる準備」をしていたことは、様々な資料から解るし。 渡河しようとする者が尋常では無く大勢溢れていたことも確実だな。(ここは否定できまい?) 少なくとも、12/11以前、それだけ大勢の人間が殺到していたにも関わらず、 12/11の難民の記載が無い根拠を >下関に殺到しすぎて渡るのを諦めた人 だって多くいたかも知れないことも可能性としては十分あり得る。 とする靴屋の予想の方が数千倍マヌケだと思うんだが(苦笑
…それと、だ恵也の歴史認識能力の無さを晒し上げる意味でも。これだけはレス。 >910 >そんなに危ない場所なら、自国民を出さないのが常識! …無茶言うなよ。 治安が悪くなったのは軍閥が群雄割拠してきたから。 基本的に住人も、昨日今日移住してきた訳では無く 、治安が悪化する前「そこで住み、努力してきた人」なんだが(汗 自国民を帰国って…おいおい、では自国民の財産は? 不動産は?現地企業もあったんだが? 当時も今も、「自国民の安全と財産」を守るのは他国に移住してる者であれ国の役目。 軍を派遣するのは当時の「常識」。だから諸外国は支那に兵を駐屯させていたんだがな。 自分の常識を歴史にまで敷衍させると、恵也レベルだと笑い話になるな(汗
33 :
えICBM :03/05/27 20:56 ID:2t/oqygt
>>27 :詩論語 ◆rAuM1WGShc :03/05/27 20:12 ID:c4Upp/tS
ここまで根拠を無いことをダラダラ主張する妄想家も珍しい。
あきれ返る。
>陸軍刑法は「逃亡幇助」に対しての罰則が書かれているのであって
>司令官・将校などが命令する「捕虜解放」に対して効力が発揮する訳では無いと言うこと。
何を根拠に「逃亡幇助」を言ってるのだ?
詩論語はずっとこのような根拠の無い話を出してくる空想家だ。
今まで詩論語はまず”現場の部隊に委任した”、次が”大本営に報告してないから”、そして今度は”逃亡幇助”と根拠がない論理で不都合な陸軍刑法を無視し続ける。
ころころころころ理由を変えて恥ずかしくないのか?
根拠を出してみろ、根拠を。
>故に捕虜解放を行う権限を持つ者が存在し(当然だな)
>手続きの条件は現場で行うには煩雑すぎ、無視していたと考えられる。
勝手に煩雑だから省けると誰が決めるんだ?
現場の指揮官が決めるのか?
野球のルールをピッチャーが変えるようなものだ。
>根拠は現地解放証言。捕虜の扱いに対する方針の曖昧さ。
残念ながら戦闘中、戦闘直後の捕虜開放はほとんど無い。
知ってるだけでも1件だけだ。
その1件の証言だけを根拠に何を妄言吐いてる?
>「(捕虜取扱規則では「捕虜に出来無い場合の処置」が無く
おいおい、捕虜の解放の手続きは捕虜取扱規則にしっかり書いてるぞ。
勝手に捕虜に出来ない場合の規則を頭の中で考えるな。
続く
34 :
えICBM :03/05/27 20:57 ID:2t/oqygt
>>27 :詩論語 ◆rAuM1WGShc :03/05/27 20:12 ID:c4Upp/tS
続き
>また、対支那軍戦闘法研究の記述と矛盾する)
>これは、前スレにて詳しく解説した故、詳細は略す。
まだこれのことを言ってるのか?
40近くある陸軍各種学校の1学校の参考書を根拠にするのは無理だと散々言ってる。
それなのに全くこの事は無視してる。
都合が悪い点は無視するような奴はレスするな。
>尚、えICBMが強硬に主張する「登録・敵軍との合議等の手続きが絶対必要だった」という言説は
>ダブルスタンダートとなる。
バカか、「登録・敵軍との合議等の手続きが絶対必要だった」は捕虜取扱規則の条項だ。
詩論語のように根拠のない妄想ではない。
自分の妄想を自覚できない奴には人の論旨は理解出来ない
>俺の主張は基本的に捕虜の扱い等は曖昧で、捕虜取扱規則は重視されず
>処刑、解放、収容所送り等の判断は大本営では無く、現地将校の判断に委ねられていたというもの。
おいおい、法律たる陸軍刑法にも通達たる捕虜取扱規則に明確に規定されてる。
あいまいなのは、とにかく陸軍刑法を無視しようとする詩論語の論拠だ。
>翻って、えICBMの主張は陸軍刑法では捕虜解放は罪ゆえ
>日本軍は「捕虜を殺すしか無かった」というもの。
>当然、捕虜に対し人間的扱いをするよう定めた捕虜取扱規則は無視していたという前提でなければ>成り立たない
>が、捕虜解放の部分だけは「手続きが取られてないのはおかしい」と主張する。
またこれか。
陸軍刑法は罰則規定がある法律で、捕虜取扱規則は罰則規定が明確で無い通達だ。
どっちを優先するかバカでもわかる。
バカにはわからないのだろう。
35 :
えICBM :03/05/27 20:58 ID:2t/oqygt
>>27 :詩論語 ◆rAuM1WGShc :03/05/27 20:12 ID:c4Upp/tS
続き
>捕虜取扱規則が厳守されているならば捕虜殺害等の事態は起きず
>また、重視されていなければ、当然、現場で行うには煩雑かつ非現実的すぎる解放手続きは行っている筈も無い。
バカだね、散々罰則規定があり、法律たる陸軍刑法が最優先だと言ってるだろ?
詩論語の論拠は都合よく物事を解釈し、さらに妄想している。
また、私が提示した疑問点には全く答えずに自分の妄想を書きなぐってる。
全くあきれ返る。
参考ね。中国側が言っている虐殺範囲って、これらしい。儂は別に肯定も否定も
せんが、頭には入れておいた方が良い。笠原氏なんかになると近郊六県まで入っ
てくるので、これよりもさらに広い。
http://www.jca.apc.org/JWRC/exhibit/China23.HTM 何の資料にのってんだろう? 中国側資料だとは思うが。
あ、そうそう、前にも言ったように忙しいので詩論語君、或いはその他さまへの
反論は今しばらくするつもりはありません。無論、これも反論ではありません。
>33
何を根拠に「逃亡幇助」を言ってるのだ?
空想も何も陸軍刑法を見ろ、ここが総括して解りやすいぞ。
http://www.geocities.co.jp/WallStreet/2687/siryo/siryo05.html ・俘虜 捕虜の隠匿・逃亡幇助
となっているな。何度も言うように、証言にあるような「捕虜解放」とは違う
>残念ながら戦闘中、戦闘直後の捕虜開放はほとんど無い。
どうも気になってたんだが突如13日から16日頃の戦闘中、戦闘直後等と条件を狭めてきている?(苦笑
最初の議題は「日本軍は捕虜をとらないから殺害しかない」というえICBMの主張に対し
「支那大陸であっても、日本軍は捕虜の現地開放を行っており、様々な対処があったと思われる」という趣旨の反論をしたことから
始まった筈だが?何ゆえ「戦闘中、戦闘直後」に拘るんだ?
なんにせよ、白髭の指揮官の例も衣川武一氏の例を根拠として上げ。
(衣川武一氏の方は半数を現地解放している、きちんと読むように)
また、「捕虜解放を行える選択肢」が存在することも示している。
えICBMの論を確定させるためには
「捕虜を殺害しなければ罪とする」という法か規則を呈示してもらう以外に無いんだが?
>>34 >陸軍刑法は罰則規定がある法律で、捕虜取扱規則は罰則規定が明確で無い通達だ。
>どっちを優先するかバカでもわかる。
だから、捕虜解放と捕虜逃亡幇助は違うと何度言えば解るのだか。
司令官が「捕虜は解放すべし」、もしくは「捕虜は処刑すべし」とすれば、現場の将校は従うだろ。
で、指令官にはその権限が存在することは立証済み。
故に「現地解放の選択肢は存在した」となる。
39 :
えICBM :03/05/27 21:22 ID:2t/oqygt
>>37 :詩論語 ◆rAuM1WGShc :03/05/27 21:12 ID:c4Upp/tS
>・俘虜 捕虜の隠匿・逃亡幇助
>となっているな。何度も言うように、証言にあるような「捕虜解放」とは違う
あきれ返るよ、「・俘虜 捕虜の隠匿・逃亡幇助」の覧の上を見ろ。
「犯 罪 例」と書いてるだろ。
例と言うのは、全体の一部を上げてるだけで、全部ではない。
それに捕虜の開放って逃亡幇助である気もするがどうだろう?
陸軍刑法の条項はこれだ。
第九十一条 俘虜ヲ逃走セシメタル者ハ十年以下ノ懲役ニ処ス
2 俘虜ヲ逃走セシムル目的ヲ以テ器具ヲ給与シ其ノ他逃走ヲ容易ナラシムヘキ行為ヲ為シタル者ハ七年以下ノ懲役ニ処ス
3 前項ノ目的ヲ以テ暴行又ハ脅迫ヲ為シタル者ハ一年以上十年以下ノ懲役ニ処ス
また、"第一章 叛乱ノ罪"第27条6項には、
第二十七条 左ニ記載シタル行為ヲ為シタル者ハ死刑ニ処ス
六 敵国ノ為ニ俘虜ヲ奪取シ又ハ之ヲ逃走セシムルコト
とある。
大量の捕虜を逃走させれば叛乱罪と捉えられてもおかしくない。
尚、幕府山の平林証言でも現地解放の言が出てきているな。 ま、「捕虜殺害等ありえない」とは言わないが 「捕虜殺害しかありえない」と言うえICBMの説は無理がありすぎる。 「逃亡幇助」=「捕虜解放」とする短絡思考をどうにかした方が良いぞ?(汗 それはつまり現代で言うならば、「囚人の逃亡幇助」=「囚人釈放」と言っている様なものだ。
>39 権限無くして、無秩序に逃亡させれば犯罪。 権限ある者が解放命令を行えば捕虜解放となる。 そして、捕虜を解放させる権限を持つ者は存在し、命令することが出来た。 …これで、日本軍には「捕虜解放」の選択肢があったことが証明さてるんだって。 こんな簡単なことを、延々と議論させるなよ(汗
42 :
えICBM :03/05/27 21:30 ID:2t/oqygt
>>37 :詩論語 ◆rAuM1WGShc :03/05/27 21:12 ID:c4Upp/tS
>どうも気になってたんだが突如13日から16日頃の戦闘中、戦闘直後等と条件を狭め
>てきている?(苦笑
当たり前だろ?
大量の捕虜が発生したのは南京陥落前後の13日〜16日だ。
そして大量だから収容出来ない、養えないから処置が必要なんだろ?
この時点で開放か殺害をしなければどうしようもないだろ。
で、この間に現場部隊は開放したか殺害したかが問題なんだろ?
戦闘も終わってしばらくたってから存在した捕虜は、捕虜として収容した捕虜だ。
その頃の捕虜の扱いと、戦闘直後の大量の捕虜の扱いが同じなわけないだろう。
>(衣川武一氏の方は半数を現地解放している、きちんと読むように)
詩論語も"よく考えて"読め。
その開放はいつの時点だ?
彼らは戦闘で捕虜とした扱われた中国兵だろ。
>>42 >で、この間に現場部隊は開放したか殺害したかが問題なんだろ?
…あのなぁ。
支那にて日本軍の行動は「捕虜殺害しか無い」という言説に対し
日本軍には普通に「捕虜解放という選択肢が存在してる」と反論してる訳だ。
この論の証左に南京陥落だけに限る必然性は無い。
>彼らは戦闘で捕虜とした扱われた中国兵だろ。
??戦わずに投降してきた兵と分ける意味は?
つか、南京の敵も戦闘後、投降してきてるんだが。
45 :
えICBM :03/05/27 21:38 ID:2t/oqygt
>>37 :詩論語
>「捕虜を殺害しなければ罪とする」という法か規則を呈示してもらう以外に無いんだが?
人の意見を曲解するのは止めてくれ。
私が言ってるのは、捕虜を収容出来ないし、開放したら陸軍刑法で罰せられる。
では現場の部隊は殺害か、罰則覚悟で開放かしか出来ないと言ってるのだ。
ほとんどは殺害をしたようだが、それはそれで現場の部隊では当然の処置だろうだ。
もっとも詩論語が複雑な思考が出来ないから曲解してると言うのなら話はわかる。
>>38 >だから、捕虜解放と捕虜逃亡幇助は違うと何度言えば解るのだか。
>司令官が「捕虜は解放すべし」、もしくは「捕虜は処刑すべし」とすれば、現場の将校は従うだろ。
>で、指令官にはその権限が存在することは立証済み。
開放も幇助も似たようなものじゃないのか?
開放とは逃走出来るように計らうのだから。
もっとも、逃亡幇助はあくまでも"例"なのでお忘れなく。
46 :
えICBM :03/05/27 21:45 ID:2t/oqygt
>>41 :詩論語
>権限無くして、無秩序に逃亡させれば犯罪。
>権限ある者が解放命令を行えば捕虜解放となる。
>
>そして、捕虜を解放させる権限を持つ者は存在し、命令することが出来た。
>…これで、日本軍には「捕虜解放」の選択肢があったことが証明さてるんだって。
>
>こんな簡単なことを、延々と議論させるなよ(汗
捕虜の開放は陸軍刑法で罰則があるが、捕虜取扱規則に則り軍司令官または独立師団長が諸手続きを経るならば開放できると規定されてるだろ?
簡単に言えば、まず、法律である陸軍刑法で捕虜の解放を禁止している。
しかし、例外として捕虜取扱規則の手続きを経れば現地開放も出来る。
ということだ。
現地司令官がなんでもかんでも権限で処理できるとはどこにも規定されてない。
こんな簡単な事がわからないのだろうか?
>44 >大混乱の中、3ヶ月前の人口をどうやって調査するんだい? 基本的な規模ならば、日本軍が行った調査しおり、推定可能。 その上で3月の人口調査を行い「大規模な人口の変化が無かった」と認識していたからこそ この数値が出たと考えるのが適当。(明らかな減少が見られれば陥落時人口を20〜25万とはしないだろう) 「市の陥落当時(12月12日〜13日)の人口は20万から25万であった。」と人口Tの調査結果として スマイスは明言し、また、陥落前の日記、記事、手記全てがそれと合致している。 疑いの余地は無いな。
48 :
えICBM :03/05/27 21:54 ID:2t/oqygt
>>40 :詩論語
>「逃亡幇助」=「捕虜解放」とする短絡思考をどうにかした方が良いぞ?(汗
逃亡させるのは、敵兵が再び敵戦力になるからまずいの。
べつに敵兵だからといってそれが罪ではないのだ。
開放すると言うことは、即ち、敵兵が再び敵戦力になるので当然まずい。
だから、捕虜を現地部隊が解放するときは、敵戦力に復帰しないように諸手続きを行うのだ。
逃亡幇助も開放も基本的には同じだ。
詩論語には漢字が違うから内容が違うと考えてるのだろうか?
>「逃亡幇助」=「捕虜解放」とする短絡思考をどうにかした方が良いぞ?(汗
喩えが悪い。
つまり現代で言うならば、「看守が囚人の逃亡幇助」=「看守が囚人を無断釈放」だ。
もっと頭を使って比喩をしなさい。
>46 >捕虜の開放は陸軍刑法で罰則があるが、捕虜取扱規則に則り軍司令官または独立師団長が諸手続きを経るならば開放できると規定されてるだろ? 権限が存在することを名言しており、大本営の「許可制」では無い。 諸手続きを踏むなら良い。では無く、解放した場合手続きをとるように。ということだ。 解放証言や、日本軍の捕虜の扱いの曖昧さ (上海の収容所でさえ、逃げる者は放って置いたというレベル) を鑑みれば、几帳面に手続きをとってると考える方がおかしいだろう。
50 :
えICBM :03/05/27 22:00 ID:2t/oqygt
>>43 :詩論語
>…あのなぁ。
>支那にて日本軍の行動は「捕虜殺害しか無い」という言説に対し
>日本軍には普通に「捕虜解放という選択肢が存在してる」と反論してる訳だ。
>この論の証左に南京陥落だけに限る必然性は無い。
…あのなぁ。
あのなあ、現地部隊が大量の捕虜を解放するか殺害するかの選択を迫られた状況の話をしてるのだ。
南京が陥落してしばらくたった頃の収容された捕虜の対処などは例示にはならないのだ。
>喩えが悪い。 と、言う割には返せてないな(苦笑 基本的にこの喩えの通りだと思うが? 何度も呈示したように、支那での捕虜の扱いは 司令官と現場の将校の判断に委ねられていたと考えるのが自然。 解放証言、捕虜の逃亡を見逃したという証言が存在し また、現場の状況を鑑みれば「殺すしかない」どころか 「解放」「収容」「処刑」と様々な選択肢が存在したと思われるんだがな。
>>32 >自国民を帰国って…おいおい、では自国民の財産は?
>不動産は?現地企業もあったんだが?
他人の国に入り込んで、不動産まで自国民の財産にするのか?
不動産はその国のものだろう。使用する権利を借りてるだけだ。
昔の陸軍も貴方みたいな、思想を持ってて不動産まで自国民の物と信じてたのか。
現地企業まで日本の軍隊が守るのが軍隊の仕事か。
自国民が”そこで住み、努力してきた人”なら外国に感謝される仕事で努力した
外国人も守ってくれるよ。
利権欲しさに努力したんじゃ、追い出したくなるし、それを軍隊が守るなら
それじゃ、戦争になるのが当然だろ。
他国の内政をガタガタ指図してたら、反日感情が憎しみになるのは、自然の流れ。
その国の政府にお願いしてやってもらい、それが出来なければ逃げなはれ!
逃げるときの軍隊は必要かもしれんが、居座るのはおかしい。
アメリカがイラクに居座って、石油をかっぱらうのは屁理屈言ってもおかしい
>>50 >あのなあ、現地部隊が大量の捕虜を解放するか殺害するかの選択を迫られた状況の話をしてるのだ。
で、「殺害しかない」と言った途端、解放証言と捕虜取扱規則の
司令官の解放権限をつきつけられた訳だろ?
>南京が陥落してしばらくたった頃の収容された捕虜の対処などは例示にはならないのだ。
こらこら、勝手に限定しないように
「支那における日本軍の捕虜の扱い」に関しての話だ。
そこまで限定するのであれば、幕府山での具体的内容を検証すべきだな。
54 :
詩論語 ◆rAuM1WGShc :03/05/27 22:13 ID:c4Upp/tS
>52 >他人の国に入り込んで、不動産まで自国民の財産にするのか? >不動産はその国のものだろう。使用する権利を借りてるだけだ。 ……それ、在日の土地を持ってる人に言ってみろ 「お前が持ってる土地はお前の国籍が韓国(朝鮮)だから、お前の財産じゃない」ってか?おい。 んな訳無いだろーーが!ったく(汗 自国民の安全は厳しく守るように圧力をかけるのが当然。 当時の「常識」なら尚更だ。
55 :
えICBM :03/05/27 22:18 ID:2t/oqygt
>>49 :詩論語
>権限が存在することを名言しており、大本営の「許可制」では無い。
当たり前だ、捕虜取扱規則には明確に大本営に事後報告と書いている。
>諸手続きを踏むなら良い。では無く、解放した場合手続きをとるように。ということだ。
おいおいおい、捕虜取扱規則には明確に諸手続きが規定されてるだろ?
そんなこともわからないのか?
もう一度条文を出そう。
第二章 俘虜ノ捕獲後送
第十一条 軍司令官又ハ独立師団長ハ戦闘後敵軍ト協議ノ上其ノ捕獲ニ係ル俘虜中
傷者病者ヲ送還又ハ交換スルコトヲ得又時宜ニ依リ同一戦争中再ヒ戦闘ニ従事セ
サル旨ノ宣誓ヲ為シタル俘虜ヲ解放スルコトヲ得
前項ノ場合ニ於テハ其ノ階級員数及事由ヲ大本営ニ報告シ大本営ハ之ヲ陸軍省ニ通
報スルモノトス
まず捕虜の後送に解放についてるから、例外規定とわかる。
そして、第十一条は権限と手続きと報告が規定されている。
どこにもどれが優先するとか、省いて良いとか書いてない。
つまりどれも規定どうりにしなければならないというわけだ。
>解放証言や、日本軍の捕虜の扱いの曖昧さ
>(上海の収容所でさえ、逃げる者は放って置いたというレベル)
>を鑑みれば、几帳面に手続きをとってると考える方がおかしいだろう。
これらは戦闘が終わりしばらく経ってからの捕虜への対処だ。
これを元に、戦闘中、戦闘直後の捕虜を大量に抱えた現場部隊の判断を予測は出来ない。
時間的に逆だ。
>>55 だから、俘虜取扱規則を厳密に解釈するならば捕虜殺害等ありえないこととなる。
>これを元に、戦闘中、戦闘直後の捕虜を大量に抱えた現場部隊の判断を予測は出来ない。
時間的に逆だ。
勝手に「戦闘中、戦闘直後」に限らないようにな。
議題は最初から「支那における日本軍の捕虜の扱い」に関しての話だ。
その中で、主に現地解放の処置について照明している。
この件に関し、えICBMは「殺すしかない」とし
俺は、「様々な選択肢が存在した」としている。
>>55 >おいおいおい、捕虜取扱規則には明確に諸手続きが規定されてるだろ?
規定されているな。ただし平たく言うと「報告しろ」というだけで
無論、権限ある者が報告を省いた際の罰則規定は無い。
が、権限が存在することは明言している。
現場の権限ある者が捕虜解放、収容、殺害を指示するのは自然だな。
58 :
えICBM :03/05/27 22:28 ID:2t/oqygt
>>51 :詩論語 ◆rAuM1WGShc :03/05/27 22:01 ID:c4Upp/tS
>>喩えが悪い。
>
>と、言う割には返せてないな(苦笑
>基本的にこの喩えの通りだと思うが?
わかってないようだな。
「看守が囚人の逃亡幇助」=「看守が囚人を無断釈放」は言葉は違うが内容は一緒。
つまり、「現場部隊が捕虜の逃亡幇助」=「現場部隊が捕虜を無断開放」も言葉は違うが内容は一緒。
逃亡幇助うんぬんと言ってるが、開放と意味は同じと言ってるのだよ。
わからんのか?
>何度も呈示したように、支那での捕虜の扱いは
>司令官と現場の将校の判断に委ねられていたと考えるのが自然。
戦闘中、戦闘直後は現場の部隊が捕虜を抱えてるからそうだろう。
>解放証言、捕虜の逃亡を見逃したという証言が存在し
>また、現場の状況を鑑みれば「殺すしかない」どころか
>「解放」「収容」「処刑」と様々な選択肢が存在したと思われるんだがな。
当然だ。
「解放」「収容」「処刑」の選択肢があるのはずっと話してる。
何を今更だ。
問題は、戦闘中、戦闘直後での捕虜の扱いは、まず「収容」、次が陸軍刑法の罰則
を受けないために「殺害」、最後に陸軍刑法の罰則覚悟の「開放」が順序だろうし、
収容状況や証言も裏付けている。
59 :
i101100.ap.plala.or.jp :03/05/27 22:35 ID:IfQvnvXy
>>58 頭の悪い奴だな…
「権限ある者が解放を命令」と「権限の無い者が逃亡を幇助」では違うってことだ。
>「看守が囚人の逃亡幇助」=「看守が囚人を無断釈放」は言葉は違うが内容は一緒。
>つまり、「現場部隊が捕虜の逃亡幇助」=「現場部隊が捕虜を無断開放」も言葉は違うが内容は一緒。
「現場部隊が捕虜を権限あるものの指示により解放」と言っている。
司令官が「捕虜の処置に関して」、「殺害命令」「収容命令」「解放命令」が出すことが出来、
また、将校に委任することもあっただろうということ。
#支那での話では無いが、「捕虜の措置」に関して現場将校が司令官に尋ねたとき
#「適当に処置しろ」という命令で、事実上委任された形になった例がある。
つか、俘虜取扱規則の手続きに従うのであれば
-------------
各部隊ハ其ノ捕獲シタル俘虜ノ氏名、年齢、身分、階級、本籍地、
本国ノ所属部隊及負傷ノ年月日場所ヲ訊問シテ俘虜名簿及俘虜日誌ヲ調製シ
且第九条ニ依リ没収シ又ハ領置シタル物件ニ付物品目録ヲ調製スヘシ
-----------------
となっている以上、殺害した者の名簿全てが残っているはずだが?(苦笑
>>58 >当然だ。
>「解放」「収容」「処刑」の選択肢があるのはずっと話してる。
ほほう、「殺すしかない」と言っていたのは誰だ?
62 :
えICBM :03/05/27 22:42 ID:2t/oqygt
>>53 :詩論語
>で、「殺害しかない」と言った途端、解放証言と捕虜取扱規則の
>司令官の解放権限をつきつけられた訳だろ?
戦闘中、戦闘直後の開放証言は一件のみ。
この一件が、実に敗残中国兵に寛大かつ丁寧であることが救われる。
しかし、その他の開放証言は無く、その他は殺害証言だらけ。
また司令官の権限うんぬんで開放の話も、戦闘中や戦闘直後では無理だ。
つまり捕虜取扱規則を適用する余裕は無い。
戦闘が終わりしばらく経ってからならありえるが。
>こらこら、勝手に限定しないように
>「支那における日本軍の捕虜の扱い」に関しての話だ。
おいおい、しばらく経った後の例を、戦闘中の兵士が参考には出来ないなろ。
上海から南京にかけての戦闘で捕虜の扱いがルーズであったのなら、参考に出来るが。
>そこまで限定するのであれば、幕府山での具体的内容を検証すべきだな。
幕府山は戦闘後収容(隔離)した捕虜のケースなので、「開放」、「殺害」でなく「収容」という選択だ。
63 :
:03/05/27 22:46 ID:TaqvrhK4
こいつ
>>5 とか全くデタラメ言ってるよ。
アメリカの言うことを聞いた聞かないは関係なくやられているじゃん。
>>5 今現在もバグダットの治安維持できてなくて
アメリカ人の責任者辞めさせられてなかったっけ。
65 :
えICBM :03/05/27 22:54 ID:2t/oqygt
>>56 :詩論語
>だから、俘虜取扱規則を厳密に解釈するならば捕虜殺害等ありえないこととなる。
罰則規定が無い俘虜取扱規則よりも罰則規定がある陸軍刑法が優先される。
そして、開放するならば、俘虜取扱法の手続きに則り開放する。
開放できないなら、俘虜取扱規則の二条に則り捕虜を解放を考えるが、陸軍刑法で
罰則を受ける恐れがある。
殺害ならば、罰則規定が無い俘虜取扱規則二条には反するが、陸軍刑法には抵触しない。
と言うわけで、殺害を多くの部隊が選んだのは当然だろう。
詩論語には難しいかな?
>勝手に「戦闘中、戦闘直後」に限らないようにな。
>議題は最初から「支那における日本軍の捕虜の扱い」に関しての話だ。
>その中で、主に現地解放の処置について照明している。
おいおい、話題は南京大虐殺の戦闘での現地部隊による捕虜の集団殺害についてだ。
日華事変での捕虜の取扱という広いテーマではないのだよ。
>この件に関し、えICBMは「殺すしかない」とし
>俺は、「様々な選択肢が存在した」としている。
また勝手に人の論旨を曲解し短絡している。
まあ、詩論語はこのような姑息な手段を使うしかないのだろうが、はっきり言って見苦しい。
私も様々な選択があったと考えるが、現場の状況では開放は困難だと言ってるのだ。
収容は当然あった。
しかし、陸軍刑法を照らし合わせれば、殺害しか出来ないケースも多くあった。
>62 ……微妙に論点を変えていないか? 「現地釈放」とはその地方で解放するという意味だぞ? 戦闘続行中に解放する訳無いだろう。 戦闘終了後しばらくの話に決まっているでは無いか。
>>
http://news3.2ch.net/test/read.cgi/news2/1053105711/909 安全区を用意し、市民はそこに集まるように命令されていた。
そして安全委員会は安全区を攻撃しないように要請した。そして日本軍は安全区を攻撃しなかった。
それで責務は果たしている、安全委員会は日本軍に謝意を示した。
安全区の外は戦場であり、そこに頑固じじいが居座るのは勝手である。
「捕虜は助けて食事を与える」といった類のビラは存在したようだけど
戦闘がこう着状態に陥ったときなどのために
軍隊ならその手のビラは予め用意しておくものだと思う。
でも南京で撒いたのかよくわからない。
南京で日本軍が飛行機からビラ撒いたと?ソースは?
>>65 だから、俘虜取扱規則に準じるならば、殺害したとしても
「捕虜」とするのであれば、名簿作成が必須だったということだ。
殺害した捕虜の名簿は存在するのか?
>しかし、陸軍刑法を照らし合わせれば、殺害しか出来ないケースも多くあった。
…こらこらこらこら!
「殺害しかない」と断言していただろうが
ったく、不利になったら「殺害しかないケースも多くあった。」か?
呆れてモノが言えないな(苦笑
それは「殺害しかない」とは言わない。
様々な選択肢が現場の状況によって取られていたと言う。
69 :
朝まで名無しさん :03/05/27 23:01 ID:dyNC17a5
「南京大虐殺事件について」
http://www.jiyuu-shikan.org/faq/A06.html <Q6>日本軍が南京で30万人もの中国人を殺したそうですが、本当ですか。
<A6>嘘です。
3、虐殺を目撃した人はいるのですか。
当時の資料では南京市内で虐殺を見た人はいません。
国際委員会の代表のドイツ人ラーベのように、後に日本軍が数万人を
虐殺したと述べた人もいます。
彼はドイツ政府へは政治的な主張でそう報告しましたが、
イギリス大使館には虐殺は数百人だと、日本大使館には49人の虐殺が
あったと異なった数の報告をしています。
しかし、彼は実際には一件の殺人も目撃してはいません。
日本軍の占領後の南京には一万数千人の日本人がいて
中国人に交じって住んでいた人も多かったのですが、
当時は南京大虐殺などということを聞いた人はいません。
日本人の中にも南京大虐殺を目撃したとか虐殺した
という証言をした人もいました。
しかし、これまで本名で証言をした人は
例外なくすべて嘘であったことが確認されています。
例えば、元軍人であれば同じ部隊の人がまだ生きていたりしたので、
周囲の人の証言や記録を調査すれば、
彼は南京にいなかったとか作り話であるということなどが判明します。
70 :
朝まで名無しさん :03/05/27 23:02 ID:dyNC17a5
終わっていない「南京大虐殺」でっちあげ問題
http://www9.big.or.jp/~cumy/sayoku/san_01.shtml (1) でっちあげ宣伝者への証人喚問
朝日新聞の記者、幹部、その他でっちあげを行ったマスコミ関係者は、
誰が嘘をリークし、その情報に対してどのように裏をとり、
誰が記事に採用したかなど、罪の全てを隠さず国民に明かすべきである。
しかも、朝日新聞など報道加害者は、現実になんら反省も謝罪もしていず、
野放し状態にあるのだ。
その後にも、「全ての疑惑が晴れたわけではありません」とか言いだし、
でっち上げの事例に目を閉ざすことからも解るように、
ほとんど狂信状態にある。
大量のでっち上げが発覚という恐るべき胡散臭さから、
残りの「実例写真」と称するものの胡散臭さを自分なりに
推察するという能力が、根底から欠如している。
サヨクの恐ろしさ滑稽さはのひとつは、考えないことにある。
余談:「南京大虐殺」捏造に見るサヨクの冤罪捏造吊るし上げ体質
「証言が疑わしくとも、南京大虐殺が無かったことの証明にならない。」
そもそも「南京大虐殺」を盲信した理由が「証言」にあったはずだ。
「証言」が疑わしいのであるなら、「南京大虐殺」そのものも
疑わしいということになるのだ。
「証拠写真」の嘘は既に大量に証明されている。
その上「証言」が疑わしいのであるなら、
少なくとも「南京大虐殺」があったと断定できないはずだ。
71 :
えICBM :03/05/27 23:02 ID:2t/oqygt
>>57 :詩論語
>規定されているな。ただし平たく言うと「報告しろ」というだけで
勝手に平たくしてはいけない。
権限があるものが、手続きに則り、事後報告しろと書いてる。
報告だけでは無い。
>無論、権限ある者が報告を省いた際の罰則規定は無い。
当然無い。
しかし、省いたら捕虜取扱規則の開放規定から外れる事になり、陸軍刑法の罰則を受ける恐れがある。
陸軍規定の捕虜開放の罰則を受けないためには、捕虜取扱法にきちんと則る必要がある。
>が、権限が存在することは明言している。
権限があっても手続きを省けるわけではない。
>現場の権限ある者が捕虜解放、収容、殺害を指示するのは自然だな。
多数の捕虜を後送し、収容する施設が無く、食料も余分に無く、軍から明確な支持
も無いなら現場部隊がどうにかしなければいけないだろう。
72 :
えICBM :03/05/27 23:13 ID:2t/oqygt
>>60 :詩論語
>「権限ある者が解放を命令」と「権限の無い者が逃亡を幇助」では違うってことだ。
>「現場部隊が捕虜を権限あるものの指示により解放」と言っている。
軍司令官や独立師団の師団長が規則に則って開放ならできる。
しかし、現場部隊にはそのような権限はない。
また、師団長が規則に則った開放をしたという例も無い。
>司令官が「捕虜の処置に関して」、「殺害命令」「収容命令」「解放命令」が出すことが出来、
無条件で出来るのは「収容命令」だけだ。
「開放」は捕虜取扱規則の規定に従う必要がある。
>また、将校に委任することもあっただろうということ。
あのね、現場の将校が捕虜取扱規則の規定にある「戦闘後敵軍ト協議ノ上」なんて出来る分けないだろ?
そんな不可能な委任などできるはずが無い。
委任とは、代わりに実行できる相手にしか出来ない。
>となっている以上、殺害した者の名簿全てが残っているはずだが?(苦笑
捕まえてすぐ殺害してるのだからできるはずが無いだろ。
罰則規定がない俘虜取扱規則に反するが、罰則規定がある陸軍刑法には反してない。
73 :
えICBM :03/05/27 23:17 ID:2t/oqygt
>>61 :詩論語
>ほほう、「殺すしかない」と言っていたのは誰だ?
わざと曲解してると思ったが、本気で私が言ってることがわからないバカのようだ。
選択肢が幾つかあるが、陸軍刑法の罰則規定を回避するには殺害しか無いと言ってるのだ。
収容できるならするし、実際収容してる。
罰則覚悟で開放した例もある。
しかし、多くの部隊は罰則規定を避けるために殺害をせざるをえなかったといってるのだ。
これぐらい大して複雑ではない。
これがわからなければ、ちょっと大変だ。
74 :
えICBM :03/05/27 23:22 ID:2t/oqygt
>>66 :詩論語
>……微妙に論点を変えていないか?
>「現地釈放」とはその地方で解放するという意味だぞ?
私は最初から、戦闘中や戦闘直後での処理のことを話してた。
理由はこの戦闘中、戦闘直後での殺害が多いからだ。
>戦闘続行中に解放する訳無いだろう。
戦闘中に開放した例はあるだろ。
例の髭の老指揮官が開放してる。
>>72 何度も言っているが、権限ある者が命令した場合違反行為にはならない
大本営に権限があるのでは無く、司令官に権限がある以上、捕虜解放命令は出来る。
そして、手続きに関しては捕虜の支那兵の名簿が殆ど作成されていないように
計らずも、えICBMの無知を曝け出した、蒋介石軍の様子。
つまり、軍服さえ支給できず、少年までいる身元不明者多数という状況を鑑みれば
捕虜に関する手続き全般が殆ど為されていなかったと考えるのが自然。
捕虜解放証言等がこの論の証左となる。
>>74 >戦闘中に開放した例はあるだろ。
>例の髭の老指揮官が開放してる。
戦闘中では無く、戦闘終了後。
投降した後、武器を鹵獲し、集団にしているぞ。
…その間、弾が飛び交っていたのか?
77 :
えICBM :03/05/27 23:28 ID:2t/oqygt
>>68 :詩論語
>だから、俘虜取扱規則に準じるならば、殺害したとしても
>「捕虜」とするのであれば、名簿作成が必須だったということだ。
>殺害した捕虜の名簿は存在するのか?
何度も言ってるだろ、そのような場合は捕虜取扱規則を違反してると。
しかし、これには罰則規定がないので厳密に考えていなかったのだろう。
>…こらこらこらこら!
>「殺害しかない」と断言していただろうが
>ったく、不利になったら「殺害しかないケースも多くあった。」か?
最初のレスから、このような状況では殺害しか出来ないのではないだろうかと言ってる。
殺害しかないと短絡的には考えていない。
不利だからと言って、私の論旨を曲解するのは迷惑だ。
>>73 >選択肢が幾つかあるが、陸軍刑法の罰則規定を回避するには殺害しか無いと言ってるのだ。
捕虜に出来無いのなら射殺するしか無い。と言ってのは誰だ?
(前スレからひっぱりだすのも面倒だ)
んな、単純な話ではなく、解放もありえた。
現場の将校の判断によって、様々な選択肢が存在した。
というのが、こちらの主張だと、何度も何度も言っているんだが…本気で理解力の無い奴だな…(汗
>>77 >不利だからと言って、私の論旨を曲解するのは迷惑だ。
…それはこっちの台詞だな。
不利だからといって、自身の主張を改竄するのは本多勝一レベルだぞ(笑
80 :
えICBM :03/05/27 23:37 ID:2t/oqygt
>>75 :詩論語
>何度も言っているが、権限ある者が命令した場合違反行為にはならない
>大本営に権限があるのでは無く、司令官に権限がある以上、捕虜解放命令は出来る。
あのなあ、権限と手続きと報告は一体なんだよ。
権限があるものがどのようにでも規則をかえれるとはどこにも書いてないぞ。
権限があるものが、手続に則って開放し、それを大本営に報告する流れだ。
もしも、権限があるものが規定を変えれるなら、捕虜取扱規則第十一条はこうなる。
「第十一条 軍司令官又ハ独立師団長ハ俘虜にかんして全権を持つ。事後大本営に報告する。」
第十一条がこのような条文で無いのは、手続きと報告が必要だから、必要な事項を明記してるのだ。
ここまで条文を適当に都合よく捏造する奴は初めてみた。
>つまり、軍服さえ支給できず、少年までいる身元不明者多数という状況を鑑みれば
>捕虜に関する手続き全般が殆ど為されていなかったと考えるのが自然。
>
>捕虜解放証言等がこの論の証左となる。
ついに詩論語は関係ない文章を持ち出して、印象操作か。
全く、バカにつける薬は無いものだろうか。
正直、情けないよ。
漢字? ???? 中國.
……さすがに、時間とスレの浪費だな。 ・現場将校の判断で捕虜解放がなされる>捕虜解放証言等で裏付け。 ・捕虜現地解放の選択肢の有無>俘虜取扱規則にて、司令官に権限が存在することが明確に書かれている。 ・殺害以外の選択肢の有無>収容・解放・処刑などの選択肢が存在したことは確定。 あとは、様々な資料を元に、推測できる余地は多くあるな。 …これだけの話だろ。…えICBMと遊ぶのも飽きたぞ。 つか、チャットでやれって感じだしな(苦笑
83 :
えICBM :03/05/27 23:43 ID:2t/oqygt
>>78 :詩論語
>捕虜に出来無いのなら射殺するしか無い。と言ってのは誰だ?
>(前スレからひっぱりだすのも面倒だ)
また人の論旨を曲解する。
詩論語はもはや、印象操作しか出来ないのか?
情けない。
私は、多くの捕虜を抱え、収容できない上、開放は陸軍刑法に罰則規定があるから、
殺害しか手は無いと言ってるのだ。
>んな、単純な話ではなく、解放もありえた。
>現場の将校の判断によって、様々な選択肢が存在した。
>というのが、こちらの主張だと、何度も何度も言っているんだが…本気で理解力の無い奴だな…(汗
様々な選択は当然あるだろう。
しかし、収容できない上、開放は陸軍刑法に罰則規定がある。
故に、殺害しか手は無いだろうと言ってるのだ。
>>80 >あのなあ、権限と手続きと報告は一体なんだよ。
あのなぁ、そんなに重要視されていれば支那兵の捕虜名簿は完全に作成できているって。
そもそも、許可制では無い以上、権限が先に存在し、手続きが後。
>ついに詩論語は関係ない文章を持ち出して、印象操作か。
…関係無いと思える想像力の無さが哀れだな(汗
名簿作成が出来無い事(身元不明者が多いこと)をもって、対支那軍戦闘法研究に
支那兵だけ特別扱いされており、また、実際諸外国と比べ、かなり不遇だったことは
様々な資料から解るだろうに。
85 :
えICBM :03/05/27 23:49 ID:2t/oqygt
>>82 :詩論語
私も、捏造してまで陸軍刑法を無視しようとする詩論語を相手にするのは疲れるよ。
>・現場将校の判断で捕虜解放がなされる>捕虜解放証言等で裏付け。
現場将校の判断で捕虜の解放ができると言う根拠は無い。
有るのは詩論語の頭の中の妄想だけだ。
また証言日誌には、戦闘中、戦闘直後の捕虜の解放は1ケースしか無く、ほとんど
は殺害もしくは収容である。
>・捕虜現地解放の選択肢の有無>俘虜取扱規則にて、司令官に権限が存在することが明確に書かれている。
権限は存在するが、同時に手続きもあり、大本営への報告義務もある。
権限があるからと言って、何でもできるわけでない。
詩論語は司令官と独裁者の区別がつかない模様。
>・殺害以外の選択肢の有無>収容・解放・処刑などの選択肢が存在したことは確定。
これは確かだ。
しかし、殺害、収容がほとんどで、開放は1ケースしかない。
ループさせるのが趣味なのか? >私は、多くの捕虜を抱え、収容できない上、開放は陸軍刑法に罰則規定があるから、 殺害しか手は無いと言ってるのだ。 解放と言う手段が存在し、実例もある。 また、解放する権限を持つ者も存在した。 恐らく、現場の状況により判断していたと思われる。 根拠は>82参照 以上、反論終了。
87 :
えICBM :03/05/27 23:55 ID:2t/oqygt
>>84 :詩論語
>あのなぁ、そんなに重要視されていれば支那兵の捕虜名簿は完全に作成できているって。
>そもそも、許可制では無い以上、権限が先に存在し、手続きが後。
あのなあ、権限と手続きと報告は一体であり、これを守るから陸軍刑法の罰則規定を回避できるのだ。
重要視してるのは、詩論語が無視しよう、無視しようとしてる陸軍刑法の罰則規定なのだよ。
>・・・対支那軍戦闘法研究支那兵だけ・・・
また40近くある陸軍各種学校の一学校の一参考書を持ち出してきたな。
これがどれくらい現場部隊で効果があるのかを答えてくれ。
88 :
詩論語 ◆rAuM1WGShc :03/05/27 23:56 ID:c4Upp/tS
>85 解放例は3つ。 幕府山平林証言。顎鬚の男証言。衣川武一氏証言。 また、捕虜の扱いへの曖昧さ、陸軍刑法の捕虜に関する項が重要視されていなかったことは榊原参謀証言により解る。 そして、捕虜に関する手続きも重要視されていず 基本的に現場の判断に任されていたことは、支那兵の捕虜名簿が極端に少ない事か解る。 また、捕虜解放に関して衣川武一氏の証言を鑑みるに かなり「おおっぴら」に行われており、罰則を適用されたものの話は聞かない。
水掛け論だな。建設的な議論にはなりそうも無い。 あとは、読んでる人に判断してもらえば良い。 つか、呆れて、誰も読んでない気もするが(苦笑
90 :
えICBM :03/05/28 00:03 ID:67QpbZzp
>>86 :詩論語
>解放と言う手段が存在し、実例もある。
陸軍刑法の罰則を覚悟の上なら捕虜を解放できる。
戦闘中の開放例は、白髭の司令官が訓示し開放したケースのみ。
しかし、ほとんどの部隊は、収容できなかった捕虜を殺害している。
単純に開放した手段は存在したが、それを出来る状況ではなかった。
>また、解放する権限を持つ者も存在した。
開放する権限を持つのは軍司令官、独立師団司令官のみであるが、諸手続きがあるため、戦闘中や直後での開放は実質無理。
収容し、戦闘後開放するならありえるだろう。
>恐らく、現場の状況により判断していたと思われる。
収容か、開放か、殺害の判断である。
収容数は限られてて、捕虜の人数は圧倒的に多い。
そのため、開放か、殺害かの選択になる。
開放は、捕虜取扱規則に則った手続きをする必要があり現場部隊で同行できない。
そのため開放したら、陸軍刑法を犯す可能性がある。
従って現場部隊は殺害がもっとも現実的な解決法であった。
ただし、開放したケースは1ケースはある。
91 :
えICBM :03/05/28 00:09 ID:67QpbZzp
>>88 :詩論語
>解放例は3つ。
>幕府山平林証言。顎鬚の男証言。衣川武一氏証言。
この中で戦闘中や戦闘直後の開放はあごひげの司令官のケースのみ。
その他は、収容された後の捕虜である。
>また、捕虜の扱いへの曖昧さ、陸軍刑法の捕虜に関する項が重要視されていなかったことは榊原参謀証言により解る。
捕虜の収容に関してあいまいというか、手段を講じていなかった。
そのため、現場で多数の捕虜殺害が行われた。
>そして、捕虜に関する手続きも重要視されていず
>基本的に現場の判断に任されていたことは、支那兵の捕虜名簿が極端に少ない事か解る。
つまり、収容できない捕虜を多数を殺害したのである。
>また、捕虜解放に関して衣川武一氏の証言を鑑みるに
>かなり「おおっぴら」に行われており、罰則を適用されたものの話は聞かない。
戦闘も終わり、しばらく経ってからの例であり、これを戦闘中、戦闘直後の多数の
捕虜を抱えた現場部隊に当てはめるのは無理。
92 :
えICBM :03/05/28 00:12 ID:67QpbZzp
>>89 :詩論語
>水掛け論だな。建設的な議論にはなりそうも無い。
私は単純に同じ反論をしてるだけだ。
議論してるつもりは無い。
>あとは、読んでる人に判断してもらえば良い。
>つか、呆れて、誰も読んでない気もするが(苦笑
私もそう思う。
>91 さて、結論。 「日本軍は捕虜をとらないから、殺すしか無い」というのは完全にデマであり。 解放・収容・殺害等、現場の将校の判断により様々な行動がとられていた。 日本軍の捕虜の記載・手続きに関しては曖昧で殆ど残っていないものの 処刑も多くあったが、解放も多数存在したと見られる。 その証左として、解放権限について捕虜取扱規則に明記され、解放証言も存在する。 っと言った処だな。
94 :
えICBM :03/05/28 00:17 ID:67QpbZzp
>>詩論語 ところで、疑問があるのだが、わかるのなら答えて欲しい。 前スレで、 >現地解放証言と共に、大西参謀の言もそれを示唆している。 とある。 これは、大西参謀が戦後の証言で第16師団の中島師団長の日記の「捕虜はせぬ方針 なれば」を銃器を取り上げて開放せいという意味だと語った事項である。 第16師団の参謀が証言するなら話もわかる。 しかし、大西参謀は上海派遣軍の参謀だ。 部署が違う上海派遣軍の参謀がなぜ師団長の日記に対してそこまで言い切れるのだ? 16師団は上海派遣軍に所属してるから交流はあったろうが、疑問は大いに残る。 どうなんだろう?
95 :
えICBM :03/05/28 00:23 ID:67QpbZzp
>>93 :詩論語
>「日本軍は捕虜をとらないから、殺すしか無い」というのは完全にデマであり。
これは詩論語が、私の論旨を短絡し、曲解した妄想だ。
詩論語が発するデマである。
>解放・収容・殺害等、現場の将校の判断により様々な行動がとられていた。
>日本軍の捕虜の記載・手続きに関しては曖昧で殆ど残っていないものの
この辺は大筋合意。
>処刑も多くあったが、解放も多数存在したと見られる。
処刑と収容は多くあったが、戦闘中開放したケースは1ケースだけである。
詩論語としては多くあったと思いたいのだろうが、客観的裏づけが無い。
まあ、詩論語は信じきってるってわけだ。
>その証左として、解放権限について捕虜取扱規則に明記され、解放証言も存在する。
開放権限には、一定の手続きが必要であり、戦闘中や戦闘直後では、手続きは無理だ。
戦闘後、捕虜として収容された中国兵を開放したのならありえるだろうし証言もある。
96 :
えICBM :03/05/28 00:28 ID:67QpbZzp
そろそろ寝る。
97 :
:03/05/28 01:17 ID:Q8S9MFct
>>91 幕府山については、最初から殺すつもりだったと言う証言もあるがな。
98 :
えICBM :03/05/28 01:25 ID:67QpbZzp
>>97 その可能性も十分ある。
しかし、一応集めて収容(隔離?)したのだから、戦闘中や戦闘直後の殺害でなく、収容された捕虜のと捉えるべきだろう。
その後、開放するつもりだったのか、殺害するつもりだったのかは、また別の議論だと思う。
>>63 >(イラクで)アメリカの言うことを聞いた聞かないは関係なくやられているじゃん
イギリス大使館、アメリカ大使館、イラク石油省は略奪されてるかい?
戦場では軍人は意外と、えこひいきする者だ。
国連関係者が米軍に衛兵を頼んでも、無視されたと聞いたぞ。
ニューヨーク市より少ないお金しか国連は使ってない、貧乏所帯。
そのくらい面倒を見てやれよ、米軍!
しかし国連やドイツ大使館が略奪されたと読んだHPがでて来ん。????
しかし疑問に思うんだけど、南京虐殺事件って、一般市民を巻き込んで、のことだよね? 一般民をとらえて「捕虜」なんていうのかね? そんなん聞いたことないぞ? 捕虜とは当然、「敵の兵士」だよな? 南京虐殺事件、今までイロイロ言ってるけど、兵士だけで30万人は絶対無理だよな? っつーことは一般市民も大量に含んでいると思うが、そんなに一般市民が大量に 組織的に虐殺されたって記録はあるの?
>>54 >「お前が持ってる土地はお前の国籍が韓国(朝鮮)だから、お前の財産じゃない」
そうだよ。事実だよ!
日本にそこを使う権利を認められてるのだから、朝鮮がガタガタ文句を言う
権利はない!
気に入らなければ、その人がその権利を他の人に売ったら良いだけのこと。
安全じゃないと思えば、輸送船で本国に連れ帰れば良いだけのことだ。
在日の人の安全は、日本政府が守るのが仕事で、金正日の仕事じゃない!
>>67 >南京で日本軍が飛行機からビラ撒いたと?ソースは?
こういったことをやらんと、降伏なんかはなかなかしないでしょう。
”窮鼠 猫をかむ”
とか、戦闘では敵が逃げれる場所を1箇所開けとかないと、敵は必死の抵抗
をするので、味方もたとえ勝っても大損害を受ける。
とか聞いたことないかい?
>飛行機は中国兵を投降させるために「優待憑證」と書いた投降ビラをまいた。
>それにはこう書いてあった。「戦闘を希望しない中国兵は、このビラを持って
>白旗か両手を挙げて降参すれば、日本軍は優遇措置をとるだろう
http://www.bekkoame.ne.jp/~ymasaki/hon2.htm
>>69 >しかし、これまで本名で証言をした人は
>例外なくすべて嘘であったことが確認されています。
これは違います。
本名で証言した人は、戦友会などの団体から集中砲火を受けて、見せしめに
されております。
皆の秘密をバラスとどんな目にあうのか、皇軍の悪口は命がけです。
悪口でも事実なら仕方ないと思うがね。
”殺したことを証明してみろ、出来んだろうが”と裁判に勝ってもな。
こんな裁判やって、悪行を宣伝して、虚しくならんものかね????
>橋本の名誉を回復することが目的ではない、
>南京虐殺がでたらめであるということを吹聴するために行われた裁判です。」
http://www.bekkoame.ne.jp/~ymasaki/honkong.htm
>>105 恵也よぉ、東がどんな証言しているか知った上でそういう妄言吐いてんのか?
戦友たちから集中砲火を受けて見せしめにされるのは当然ってことをやってんだよ、東は。
彼の証言が事実と思うなら、その根拠を示してみろ。
受け売りではない、お前自身の言葉でな。
>>88 >また、捕虜解放に関して衣川武一氏の証言を鑑みるに
>かなり「おおっぴら」に行われており、罰則を適用されたものの話は聞かない。
この人の証言、信頼できるの?
衣川氏が居た、歩兵20連隊って、東史郎氏の連隊だ。
東氏をつるし上げて裁判を起こし、証明が出来んからと慰謝料を取った連中だろう。
>その日記がもとで東は旧軍隊の、天皇の軍隊の名誉を傷つけた。英霊を冒涜
>する者だという事で今から6年前に戦争裁判にかけられて今日もなお法廷に
>立っているような次第であります
http://www.bekkoame.ne.jp/~ymasaki/azumazen1.htm
110 :
計算機 :03/05/28 12:12 ID:6KySy5S0
>>108 そのサイト(bekkoameの方)のどの写真が信憑性があると言っているの?
115 :
山崎渉 :03/05/28 13:33 ID:oQQ5uW6L
∧_∧ ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。 =〔~∪ ̄ ̄〕 = ◎――◎ 山崎渉
>>112 一目瞭然ではないですかな。『南京の氷雨』は明らかに『南京大虐殺のまぼろし』の
記述に基づいていると思われ。『まぼろし』鈴木氏は山田氏を訪ねて日記を見せて
貰ったそうだし、それ以前に山田日記は公表されていなかった。『まぼろし』は
1973年、『氷雨』は1989年初版。そして偕行社の『南京戦史』はそれらより概ね詳し
くなっていることから類推されるように、これがもっとも正確でしょうな。
つまり、鈴木明氏の山田日記の引用は極めて杜撰な引用と言わざるを得ないわけで、
例えば12月15日の「みな殺せ」を「始末せよ」に変えてしまっていたり、
12月18日では「捕虜の始末」を「捕虜の件」に変えてしまっている。鈴木氏も
『氷雨』の阿部氏も"自衛発砲説"の人達ですから、阿部氏は知らなかったのかも知れな
いが(実は並行した時期に『南京戦史』は出ていたが、修正したという話は知らない)、
自衛発砲説に合うように都合良く変えてしまった、と取られても仕方ないでしょうなぁ。
117 :
計算機 :03/05/28 14:37 ID:6KySy5S0
>>114 徴発というのは通常現金を支払うのではなく軍票で支払う。
軍票は、後で、現金に引き替えますという手形みたいなもんだね。
その軍票がちゃんと引き替えられたのかに疑問を持つのは別にいい。
ただし、この写真に「略奪の成果」というようなキャプションをつけ、
南京で略奪が行われたことにするのは卑怯と言わざるを得ないな。
前にも書いたがこの写真は1937/10/29に京漢線豊楽鎮で撮られて、
12/5発行の「支那事変画報」第9輯の裏表紙に掲載されたものだね。
自分(日本以外のプレス)が撮った写真ならともかく、日本の雑誌に掲載された
写真のキャプションを替えるのは捏造以外の何物でもない。
#ところでその鶏をぶら下げてる写真ってこのサイトに載ってないんじゃないか?
#前にも書いたけど、第一章から第4章のPart1までほとんど写真が落ちてこない。
#というか、第四章のPart2からと第五章しか落ちてこない。どうなってんだ?
>29 > 子供や老婦人、亡くなった人がいたとしても > 良民票に記載されている者の人数から、全人口の大雑把な規模は把握できるものだがな。 子供や老婦人は第一九号文書に書いてあるように【この時点(一月中旬)】での25万の根拠 になっている。それ以前の敗残兵掃蕩や便衣兵狩りはどうすんの? この中には実数不明の民 間人もいたであろうし、或いは城外もあるし、安全区外もある。 > 3行目。市の陥落当時(12月12日〜13日)の人口は20万から25万であった。」と明言しているな。 そう書いてあるだけで、算定根拠は何にも書いてないし、算定したとも書いてない。そのうち 25万は報告に 十二月末から一月にかけて日本軍当局によって行われた不完全な登録に基づいて、国際 委員会のメンバーが推定したところでは、当時の南京の人口は約二十五万人であって、 数週間前に彼らが特に慎重に推定した数をはっきりと上回るものである。 とあるわけ。これは前述したように第十九号文書にあるもの、と考えるのが妥当。すると二〇万は 何かと言うことになるが、【この時期に市民全人口が増えるわけはない】ので在留外国人がそれま での人口だと思っていた当初20万だということになる。つまり、スマイスが報告で「二十万人か ら二十五万人であった」は「二十万人から二十五万人であった、と言われていた」とでも解釈した 方が妥当だと考える。 またその前にある戦前市民人口100万もスマイスが調べたものではなく、戦前の南京市によるも のであるから、この冒頭の文章は報告書のイントロ部分に過ぎないから、文章の流れから言っても 「と言われていた」だけと解釈しておかしくはない。少なくとも20万や25万という数字はスマ イスは自身では調べていないのである。調べたのは抽出調査による三月下旬(調査期間中間)として の調査範囲人口の推計値22万1、150人とそこから推計される三月下旬の全人口25万〜27万 だけである。
>>30 >>、「3月の調査」は誤り。
> 都市調査は3月9日から4月2日迄。 この3月の調査結果から上記引用のT人口を書いているという認識は間違いか?
調査はそれ以外に、4月19日から23日の補足作業(内容不明)がある。細かいことを言うようだ
が、この時期は流入が激しいので、この議論には直接は影響しないが、留意する必要がある。で、その
認識は、算出したとは書いてないわけで、前レスや、陥落時人口はこの調査の目的にはないことなので、
儂の推測が妥当な場合は間違いということになる。
> では、何故スマイスは陥落時人口を20万〜25万としたのだろうな「安全区人口」では無く。
儂の推測では前述のとおり。
> 食料配給の規模、清野作戦で焼き払われた城外に多くの人が残ってる可能性が無いことも解る。
清野作戦等で焼失した家屋の割合知ってるか。全部焼かれたかの如くイメージしている人が結構
いるようだが、ほんとに全部焼かれたかどうか調べたか? いわゆるスマイス調査はその全文が
日中戦史資料9にあったと思うんだが、そこに載っていたような気がする。今は手元にないので
調べられんが。
> 二桁前半だと思われる人口を、±5万以内の大雑把な人口把握なら充分可能だろうな。
だとすると、10万人の民間人が虐殺されたという説も可能だな。
>>31 > 12/11の難民の記載が無い根拠を
> >下関に殺到しすぎて渡るのを諦めた人 だって多くいたかも知れないことも可能性としては十分あり得る。
> とする靴屋の予想の方が数千倍マヌケだと思うんだが(苦笑
こらこら、アメリカ大使館の記録にないからといって=難民がもういない=逃げてしまった
としたのはグースであって儂ではない。儂はアメリカ大使館の記録の12/11に、そこにいたか
いなかったかは何も言及していない。だって、アメリカ大使館の記録に書いてないんだから。
君は人の言っていることをまじめに読まないし、ねじ曲げてばっかりいるな。
>>117 >第四章のPart2からと第五章しか落ちてこない。どうなってんだ?
俺に聞かれても判らん。
しかし、ニワトリの話は軍票が農村で通用するのか。
戦闘しながら進軍している兵隊さんが、軍票の札束を持ってたのかね?
京漢線豊楽鎮とは確認出来ん、上海から南京に進んでるときと思うが、そんな
軍票でニワトリを買う話は聞いたことがない。
日本の占領行政がしっかりしたら、通用するだろうし従軍慰安婦なんかは
軍票ばっかり持たされて、戦後、紙切れになったとか聞くが、進撃中にも
使ってて、ニワトリがいくらになるのか相手の百姓にも理解できてたのかね?
それにしては、この命令は理解できんよ、俺には。
>「女、こどもにかかわらずシナ人はみな殺せ。家は全部焼け」という無茶苦茶な命令が届いた。
http://www.geocities.co.jp/WallStreet/8503/minkanjin.htMl
122 :
106 :03/05/28 16:06 ID:2CQs4rEQ
>>恵也
俺が
>>106 でした質問はスルーかよ?
お前は他人のフンドシで相撲をとるしか能がないのか?
>>896-901 全部玉虫色の謝罪に見えるのは私だけですか?
てか、あやまらないと国際問題に発展するだけだろw
政府がみとめたから、真実とは限らんね
だからこそ、ひとりひとりが、真実を見極める努力をする必要があるわけだね
敵国条項がある国連(UN)至上主義を馬鹿面して語っている評論家とか、
それを真に受けている大馬鹿とか わかってるの?君だよ君wwwwwwwwwwwwwww
こいつとかみていると やはり朝鮮人は唾棄すべき糞だということがよくわかります ↓ :恵也 ◆o4NEPA8feA
>>104 http://www.bekkoame.ne.jp/~ymasaki/hon2.htm には守山義雄からの伝聞とやらが当人の証言のように紹介されていますが
当時南京にいたという記者の証言のうち捕虜掃蕩(兵民分離で兵士と認定された成人男子達)
の目撃については複数の証言が認められますが、
肝心の民間人虐殺の部分だけは、守山義雄が友人に語ったという伝聞調の物
だけなんですよね。他の記者は目撃していないんでしょうか?
【日本軍が南京に入城したとき、城内に残っていたのは非戦闘員ばかり、そ
れも、大部分が老人と女子と子供であった。日本軍は、彼らを一ヶ所に集め
ておいて、城門をしめると、城壁の上から軽機関銃と手榴弾の猛射をあびせ
て、みなごろしにしてしまった’そうである’。その数は3万数千人’だったということだが’、折り重なって倒れている死体から流れ出る血は、川のように道路
にあふれ、履いていた革の長靴がつかるほど’だったそうである’。】
い。
127 :
計算機 :03/05/28 16:31 ID:6KySy5S0
>>121 軍票は持ってたとしか言えん。従軍慰安婦云々の件で軍票ばかり持たされて
というならその程度の軍票は持っていたんだろう。
極端な話、君の言うように略奪してきたのかもしれん。だけど、ここでそれを
言い合っても埒があかないよね。
俺が言いたいのは全然関係のない(しかも敵国の発表した)写真のキャプション
を替えている=写真を捏造しているということ。
君が貼ったページ(
http://www.bekkoame.ne.jp/~ymasaki/052.htm )だけを
見ても捏造、合成を挙げたらきりがない。
「生き埋めの現場」に関しては今更書くことはない。夏服冬服の混在、埋められ
てる男の角度などが有名だね。このページではトリミングされてるけど元の写真は
もうちょっと大きい。
「日本兵に護送される〜」は単に連れられてるだけ。
「死体の山を〜」は単に死体の山で、民間人なのか軍人なのかも分からない。
メンドウだから全部は書かないけど、中国人が中国人を殺した写真まで日本軍の
仕業に見せかけるのは特に悪質だと思う。
>>103 > 群集の暴徒化と商店や民家への略奪を放置しているのは米軍の高度な政治的戦略
ハア??? そもそもあなたが
>(南京)陥落後の”掠奪、強姦、焼き討ちなど”はほとんど日本軍(占領軍)と見るのが当然。
と言われたのでバグダットの例を出したんでしょうが。
いつの間に現地人による略奪や強姦を占領軍が「放置するかしないか」の話になってしまったんですか。
>>117 >略奪が行われたことにするのは卑怯と言わざるを得ないな。
これを糞真面目に書いたらどうなるかね。
>キャプションは「支那民家で買い込んだ鶏を首にぶらさげて前進する兵士」。
この言葉を「徴発(軍票なしで)した鶏を首にぶら下げて前進する兵士」
なんて書いて日本国内で発表できると思うかい?
”麦と兵隊”どころじゃないぞ!
紙の配給が無くなれば、朝日新聞社だってオオゴトだろう。
こんな表現をしないと公表も出来ない世の中が、見当つかないかい?
>『生きてゐる兵隊』のように発禁になってはまずいので、負け戦とかは出て
>こないで、自分たちが頑張っているのは祖国の家族を守るためとか、そういう
>ことが切々と書いてあるわけです。
http://www.yurindo.co.jp/yurin/back/422_2.html 麦と兵隊でさえもいっぱい検閲受けて大変だったんだから。
>私は、戦場で、自分の任務を遂行しなかった兵隊を、人間として尊敬する
>ことはできない。
http://h25.dyn.to/fj/weekly/w20000827.html 特に自分の任務を遂行して出来た傑作、満足した仕事の成果は公表したいし、
すこしキャプションを自己規制したのは認めてあげて欲しいね。
>>104 白旗か両手を挙げて降参してもそのビラを持ってないと無効なの?
優待券持ってない人はダメ
132 :
計算機 :03/05/28 17:32 ID:6KySy5S0
>>129 >>127 を読まずに書いてるのか?
思い過ごしかもしれんが、誤解があるかもしれんので俺の主張を
まとめると、
Rape of Nankingで「略奪の成果(The harvest of looting)」として
掲載された写真は支那事変画報」第9輯の裏表紙に掲載されていたモノで、
南京で撮影されたモノでもなければ時期も違う(1937/10/29撮影)し、
「支那民家で買い込んだ鶏」である。
これは適当な写真に都合のいいキャプションをつけたということで、
明らかな捏造である。
ということ。
本当は略奪してきた鶏で、しかも中国人は皆強姦された後正規に棒を突っ込まれ、
殺され、挙げ句の果てに目と肝臓をサケのツマミにされたかもしれんが(w)、
それは論じてもしょうがない。
「この兵隊のスッキリした笑顔は明らかに一発やった後だ!」とか言っても始まらんよね。
133 :
計算機 :03/05/28 17:34 ID:6KySy5S0
ごめん、訂正。 最後の段落の1行目末は × 正規に棒を突っ込まれ、 ○ 性器に棒を突っ込まれ、 だった。こういう訂正は内容が内容だけに恥ずかしいな。
>>122 >お前は他人のフンドシで相撲をとるしか能がないのか?
貴方の言う他人のフンドシしか持たないのでね。
しかし貴方も同じ様なフンドシと思うが、どうなんだい?
その点、東史郎氏は自分のフンドシをしめてるよ。孤立してもね。
>わざわざ南京の現地まで出向いて、実際に郵便袋に人形をいれ、手榴弾を結び
>つけて池に放りこむなどの実験をしてみたり、現地検証の文書を持出したり
>したのであったが、それらは一顧だにされなかった
http://member.nifty.ne.jp/jsts/tuda.html
>>107-109 恵也
>本当だと国家の裁判で結論が出てます。
>南京裁判:中華民国(台湾政府)の裁判で30万人以上と判決が出てます。
>東京裁判:11カ国の代表で裁判、中国人による埋葬記録から20万人以上死亡
まさにこれが真実かどうか議論してるんです。
東京裁判は偽証の罪も問わず、検証もしない裁判だった。
判決直後から米英では批判があった。
詳細は↓
http://www.history.gr.jp/tokyo/#10 >>「証拠写真」の嘘は既に大量に証明されている。
>信頼できるの?
出ました、得意の独り善がり! 自分の出した物は信頼できて、否定派の物は「信用できん」
過去スレからこんなカキコばっかり。
ほんとの事なら「捏造写真」なんか作らなくてもいいじゃん。
常識人なら「嘘を糊塗する為に作った」としか思えないわな。
>>128 >いつの間に現地人による略奪や強姦を占領軍が「放置するかしないか」
俺の言ったことはコピーして出してくれ。
イラクの現地人による略奪も、占領軍の暗黙の了解がなければ出来んこと。
日本軍の南京での略奪も、占領した軍隊に逆らえるものは居ないよ。
イラクの石油採掘資料などのある、イラク石油省は略奪されてるかい?
他のお役所はやられてるようだが、米軍が必要な場所は米軍の衛兵が
チャンと睨みを利かせるんだよ。
米軍の仕事は平民を保護することじゃない。
南京を占領した日本軍も同じだ。
>>136 >ほんとの事なら「捏造写真」なんか作らなくてもいいじゃん。
貴方には捏造写真だと判るんだ!
すばらしい目を持ってるね。どんな実績をもって断定できるの?
捏造写真のプロかい?
140 :
106 :03/05/28 18:19 ID:2CQs4rEQ
>>134 >>しかし貴方も同じ様なフンドシと思うが、どうなんだい?
貴様と一緒にするな。俺は貴様と違って『自分の言葉で自分の考えを述べる』ことが
できるんでね。
>>その点、東史郎氏は自分のフンドシをしめてるよ。孤立してもね。
>>>わざわざ南京の現地まで出向いて、実際に郵便袋に人形をいれ、手榴弾を結び
>>>つけて池に放りこむなどの実験をしてみたり、現地検証の文書を持出したり
>>>したのであったが、それらは一顧だにされなかった
人形を入れた郵便袋にガソリンぶっかけて火を着け、それに手榴弾を結びつけて池に
放り込んで爆発させたってんなら実験も意義があろうが、どうせやってないんだろ?
こんなのを相手にするほど裁判所はヒマじゃないってことだよ。
東がイカサマ師だってのは覆りそうもないな。ずいぶんと緩いフンドシじゃないかw
>>137 占領した軍隊の力が
イラクでの場合はイラクの現地人による略奪の暗黙の了承になり
片や南京での場合は日本軍による略奪になるってのが
随分(君にとっての)虫の良い考えですね?
戦中日誌に、露天に明らかに盗品の家具類が並べて売られていて
日本兵達はあきれた というような記述もありますし
142 :
106 :03/05/28 18:23 ID:2CQs4rEQ
と思ったら
>>138 氏が紹介してくれているじゃないか。
恵也よぉ。東がやった実験とやらは証言と随分違うようだが?貴様はこれでも東を信じるのか?
何ゆえ東の証言が信ずるに値するのかってのを教えてくれんかね?
145 :
朝まで名無しさん :03/05/28 18:30 ID:DCey0wPW
ほぼすべて偽証だな。 それが日本軍によるものなのか、科学的な考証も無し。
146 :
:03/05/28 18:31 ID:fUAeXobL
>>139 ふ〜ん、恵也は南京関係の写真がすべて真実を写しているとでも?
147 :
計算機 :03/05/28 18:37 ID:6KySy5S0
>>135 >有名だからと言うだけで、捏造と信用するのかい?
有名だから信用してるわけじゃないよ。
合成であろうという説明が合理的だと思うから(ある程度)信用してる。
それに、仮に合成じゃないとしても、撮影者も日時も不明だし、
軍人なのか民間人なのかも不明。更に言えば、「南京大虐殺」ってのは
こんな小規模なモノじゃないだろ?
ところでこの写真のできるだけ鮮明な(サイズの大きい)画像を
見たいんだけど、
ttp://www.sjwar.org/Pows-f.htm より鮮明な画像のURL知らない?
>>142 >東がやった実験とやらは証言と随分違うようだが?貴様はこれでも
>東を信じるのか?
随分違うて、どう違うんだい?
何十年も前のことを、証言するならある程度は記憶がアヤフヤニなるのは
仕方ないと思うがね。
>われわれも決してそのような非人間的な人間ではなかったのですが、
>ひとたび軍国主義的軍服を着て戦場に立ったら、放火、略奪、強姦、
>あらゆる非人間行為を平気でやりました
http://www.bekkoame.ne.jp/~ymasaki/azumazen1.htm 俺が、東氏の立場でも、正義とか国家の為とか信じ込んだら、簡単に
同じ事をしそうな危うさを持ってるんだよ。
それに好みのかわいい女の子が居たら、俺は自分に自信がないよ。
貴方は銃を持ち、万能の状態でも、女には手を出さない紳士なんだね。
>>148 1審、2審、最高裁と三度も有罪が出て確定してるのに。
東京裁判、南京裁判の結果は尊重し、東裁判は信用しないんだ。
まあ、ずいぶん都合の良い解釈だわな。人格が破壊しているとしか思えないな。
150 :
朝まで名無しさん :03/05/28 19:24 ID:DCey0wPW
随分と危険な人間が居るな。 性悪説にもとづく仮定を展開し、全軍に波及したことも証明できず、 数千数万の強姦被害者が居ながら二世が存在しないことから目を背けながら、 「俺ならやるね。やっちゃうね」と公言して憚らない人間が。
>>149 >東京裁判、南京裁判の結果は尊重し、東裁判は信用しないんだ
貴方は勘違いをしている。それらは同格の裁判じゃない。
東史郎氏裁判は、正直に覚えてることを告白、懺悔したら
健忘症の隊長さんが、そんな事して中国人を殺した覚えがないから、
名誉毀損で弁償してくれと、裁判起こしたの。
健忘症の方に、殺人をした時のことを証明するのは大変なのよ。
日本の裁判所は”事実は別として”証明が出来なかったと判決を出したわけだ。
>食糧補給はー切なかった。占領した場所で掠奪して食え、という戦法であった
http://www.bekkoame.ne.jp/~ymasaki/shiro.htm でも健忘症の人に、過去を証明するのは大変だよね。
覚えてる人は喋ったら、裁判起こして金取るぞと脅してるのかな???
それに対して、東京裁判や南京裁判は南京で20万人以上の無抵抗の人間が
日本軍に殺された事を、判決で認めたの。
裁判の格が全然違うんだが、、、、
>>150 >数千数万の強姦被害者が居ながら二世が存在しないことから目を背けながら、
存在しないことの証明は難しいのだよ。
どうやって証明したの?
悪魔の証明というんだよ!
捕虜3万、便衣2万、一般人1万2千という内訳って・・・
154 :
朝まで名無しさん :03/05/28 20:48 ID:DCey0wPW
>>152 それでは数千数万の日本人二世の存在を以って私を論破してみなさい。
存在しないことを証明するより、存在することを証明するほうが容易であるなら。
・日本軍は降伏すると助けると宣伝し中国人は30万以上もたちどころに日本軍の下に投降し、 日本軍はこれを瞬殺し、大量虐殺を完了した。 ・頑丈なシャベルをもった南京近辺に住むボランティアの皆さんがその10万以上の遺体を数ヶ月かかって埋葬した。
>>151 訳のわからん言い訳だな(笑
なんでもいいからレスを返せばいいってもんじゃないぞ。
非を認めることも立派な大人の条件だぞ。君にはちょっと難しいか?
>>154 >存在しないことを証明するより、存在することを証明するほうが容易であるなら。
悪魔の証明は不可能だけど、存在する証明も大変だよ。
俺の手には負えん。
>>155 >頑丈なシャベルをもった南京近辺
シャベルはマトモな使い方してたら、まず壊れません。
遺跡の発掘なんて、特殊な仕事と埋葬するようなただの穴掘りを
混同しないように。
2cmずつ掘れなんていったら、ヨッポド切れるように研ぐんだろうね。
やった事はないが、まだるっこくて仕方ないだろう。
信仰告白?
>>159 毎日5000人ずつ2ヶ月殺しつづけるってのもスゴイね
163 :
朝まで名無しさん :03/05/28 22:28 ID:DCey0wPW
共産主義による虐殺1億人も追加しておきなさい。 さて、レイープ数万件の産物である日本人二世は見つかったかい? 私は今か今かと待ちわびている。 私と、このスレを見物している皆様の期待を裏切らないでくれ。
164 :
163 :03/05/28 22:30 ID:DCey0wPW
さあ、恵也 ◆o4NEPA8feA 君。 皇軍の落とし子を私達に見せてくれ。
166 :
朝まで名無しさん :03/05/28 22:45 ID:1A+3/zJF
ラーベの日記「南京の真実」
http://www.history.gr.jp/nanking/rabe.html ラーベの日記には『局部に竹を突っ込まれた女の人の死体を
そこら中で見かける。吐き気がして息苦しくなる。
70を越えた人さえ何度も暴行されているのだ』とあるが、
強姦のあと「局部に竹を突っ込む」などという風習は、
支那にあっても、日本には絶対ない。
安全区国際委員会の書記長スマイス博士(米)も、
その調査報告書の中で
「住民のほとんどはここに集まっていた。・・・難民区内は一件の
火災もなく平穏であった」と述べている。
ところがラーベ日記には、安全区内に毎日のように火事と強姦が続いた
という“地獄絵”が描かれている。一体どちらが本当なのか?
すなわち“捕虜・便衣兵の処刑・殺害”はあったが
それは戦闘行為の枠内で論ぜられるべきものであって、
非戦闘員の大量虐殺などはなかった。
殺人 49件、この数字は、南京占領の12月13日から翌年2月9日
までの南京における日本軍非行を記録した国際委員会の総トータルである。
これをラーベ日記は、虐殺5〜6万、強姦実に2万件というのである。
その根拠は何ら示していない。
ラーベの所属するジーメンス社は、
兵器や通信機の有名な製作会社である。
ラーベの納めた高射砲は当時日本にもない優秀なもので、
ラーベはこれらの兵器を売り込むため、
南京出張所を勤めていたのである。
167 :
朝まで名無しさん :03/05/28 22:45 ID:1A+3/zJF
「南京大虐殺」はなかった
http://www.history.gr.jp/nanking/moriou.html#05 東京日々新聞の鈴木二郎という記者は、「私は12月12日に中山門より
入城した。後続部隊が次々に中山門上で万歳をし、写真を撮っていた。
中山門の上では盛んに捕虜が虐殺されていた」と証言しております。
12月12日には、私は先ほどお話したように、
中山門正面約2キロ手前の溝山の山頂にいました。
双眼鏡で中山門の城壁がやっと見えたのですが、
敵兵がいっぱいおりました。一体いつになったらあれを占領できるのかと、
その時思ったことを私ははっきり覚えています。
そんな時期に、一新聞記者がどうして中山門に入れるのでしょうか。
宮崎県の農家で写真と参戦者の日記を発見したとして南京虐殺の
決定的証拠とした、朝日新聞の昭和58(1983)年8月4日の記事に対し、
その写真は満州の馬賊の写真で、昭和初期に朝鮮買ったものであると、
読者が抗議しています。
中山重夫 岩仲戦車隊の兵で、昭和12(1937)年12月11日に南京城南側で、
約4時間にわたって捕虜が虐殺されるのを見たと証言。
昭和12(1937)年12月12日は激戦の真っ最中で、そんな中で捕虜を
殺している余裕は絶対に無いのです。
まして数時間もそれを見物するなどは考えられません。
特に、中山重夫氏が配属されていた戦車隊は、南京城東側の
中山門攻撃に加わっており、11日、12日の状況はすでにお話した通りです。
この部隊にいた兵士が、南京城南側の雨花台で捕虜の虐殺を見るわけが
ないじゃないですか。
そんな大ウソを平気で言うのです。
>>132 >この兵隊のスッキリした笑顔は明らかに一発やった後だ!
俺はそうは思わん。
兵隊にもいろいろいるし、これだけの笑顔を持てるのはそれほど残酷なことは
していないと思う。
単にこの兵隊は、人の逃げ出した農家の鶏小屋で手に入れた、仲間で夕食にする
食料だろう。悪行は人相にも変化して現れてくると信じてるのでね。
将校が良くて、環境の良い、運の良い部隊にいたのかも知れん。
しかし鶏を軍票で買ってた話は、進撃してる戦場では聞いたことないよ。
貴方はありうるとでも、思ってるのかね?
>>165 そりゃ1日や2日なら5000人殺すことはできるだろうさ。
しかし2ヶ月間連日5000人となれば話は違ってくるだろう。
死体処理とかどうすんのよ?
ナチスのホロコーストみたいに、虐殺のための施設でもあれば可能かもしらんが・・・
アウシュビッツで1日1万人という話。 1日5000人でも結構な施設がいるだろう。
>>166 >風習は、支那にあっても、日本には絶対ない。
残酷な仕打ちは、病気みたいに伝染するもの。
人種によって決まるものじゃない、大泥棒の石川五右衛門の
釜茹での刑とか、残酷なことを日本人にもやった奴は、ゴマントいる。
貴方の知識の少ない証拠。
田中正明氏の文章は説得力はあるが、信頼性が無くてね。
全部を確かめながら書かんとイカンが、スマイス博士のどの調査報告書かも
判らんのじゃ調べるにも、時間がかかりすぎるよ。
日誌まで改竄して本に出すような方だからなあ、、、、、、
>田中正明氏の松井大将日誌改ざん
http://www.bekkoame.ne.jp/~ymasaki/kaizan.htm
173 :
朝まで名無しさん :03/05/29 00:12 ID:ThuqV0/x
日本兵ベビーが全く居ないのが虚構を示す何よりの証左よのう。 赤軍によるベルリンのそれは医師が多く居たから何とかなったものの、 当時の南京じゃそれも無理。 ヴェトナムでも韓国軍によって同様の状況になったわけだし。
>>173 自分で自分のレスをコピペする儂。
>このページの情報なのであるが、情報提供のご当人も「出典をひかえていない」そう
>なので出所は分からない為、真偽は定かでない。
>
http://t-t-japan.com/bbs/article/t/tohoho/5/exoqrf/hdzqrf.html#hdzqrf >スマイスは調査結果もふまえ南京では数万人の女性が犠牲になったとみている。
>そして後日になっての観測であるが、強姦された女性の10人に一人の割合で妊
>娠したと見られる。母親が強姦された身古今の娘をつれて、堕胎をしてもらうた
>めに鼓楼病院にやってきたが、それを拒否せざるをえなかった病院の側も痛恨の
>思いであった。しかし、その結果、家族は無理な堕胎をこころみて娘の健康を取
>り返しのつかないものにしてしまう悲劇もおこった。また、妊娠を知った未婚の
>女性にはショックのあまり、自殺してしまうものもでた。さらに後日のスマイス
>の観察によれば、この時の妊娠で生まれた子どもは例外なく溺死や窒息死、ある
>いは捨て子にされ、ハーフが育てられることはなかった。日本軍の婦女凌辱は、
>あとあとまでも残酷な悲劇を残したのである。
>>172 >>166 は、日本人が残酷な仕打ちをしないという話ではなく
強姦のあと「局部に竹を突っ込む」という行為が
日本人の行為としては不自然ではないか、という話だろう。
わざと論点をずらしているのかね?
176 :
朝まで名無しさん :03/05/29 00:30 ID:ThuqV0/x
>>174 出典が明かでないものを提示されてもなあ。
秦とか東中野とか笠原などは扱っていないのか?
また、
・日本軍による組織的なものの被害者なのか
・一人くらいは(国民党なり中共政府が)把握されていないのか
など疑問がある。
>>176 > 秦とか東中野とか笠原などは扱っていないのか?
そういうのは三次とか四次資料とかいうんじゃなかったっけ?
まぁ、知りたいなら自分で探して見るべし、といってみる。疑問は自分で解消しよう。
残留外国人関係当たると良いかも。
178 :
朝まで名無しさん :03/05/29 00:45 ID:WgGPwvXI
行き行きて神軍 我が皇軍はそれほど立派なものではあるまい。 やっていたことは殺し合い。 何があっても不自然だはなく、何も無い方が不自然だ。
179 :
朝まで名無しさん :03/05/29 00:55 ID:ThuqV0/x
>>177 学者が扱ったかどうかを聞いただけだが。
また、「三次とか四次とか」と聞く君の発言はおかしい。
スマイス報告という一次資料があるのだから、それを扱えば済むことである。
>>179 つーか、自分で調べてね。まぁ、君が知りたい情報は、実は儂も探しているんだけど、
どうもあんまし誰も気にかけてないみたいでね。東中野がその線で批判しているのはしているが、
あのシトは「ない」というのが専門の人なので・・・・
スマイス報告(「南京地区における戦争被害」)ではこう書いてあるな。
当復興委員会に救済をもとめてやってぎた一万三五三○家族が委員会に報告した
負傷者のうち、三月中の調査によれば、強姦による傷害は十六歳から五十歳に到
る婦人の八パーセント占めていた。この数はきわめて実際を下まわるものである。
というのは、大ていの婦人はこのような扱いをうけても、進んで通報しようとは
せず、男子の親近者も通報したがらないからである。十二月・一月のように強姦
がありふれたことになっていた間は、住民はその他の状況からも、かなりそうし
た事実を遠慮なく認めたのである。しかし、三月になると、家族たちは家族の中
の婦人が強姦されても、その事実をもみ消そうとしていた。ここでこのことに触
れたのは、市の社会・経済生活がどれほどはげしく不安定なものであったかを説
明するためである。
一家族で一人の強姦とすると、およそ千人は把握したってことかな。無論君の知りたい情報は載っ
てないがな。
えICBM君 及び 誌論語君 当然ご存じだと思うんだが一応。 陸戰ノ法規慣例ニ關スル條約 (明治四五、一、一三 條約第四号) 陸戰ノ法規慣例ニ關スル規則 第四條 俘虜ハ、敵ノ政府ノ權内ニ屬シ、之ヲ捕ヘタル個人又ハ部隊ノ權内ニ屬スルコトナシ。
にしても、南京における強姦の酷さは、旧日本軍関係の公的文書にも出てきたりするので、 数はともかくとしても、疑うのはちょっとしんどいと思うなぁ。 例えば、1943年に中支那派遣憲兵隊教習隊長名で作成された「軍事警察勤務協定」に 支那事変勃発当初即ち南京陥落直後の頃に於いては、中支に於ける軍人軍属の犯罪 非行は頻たる多く、特に対上官犯等悪質軍紀犯を始め、辱職、略奪、強姦等の忌ま わしき犯罪は頻発せるが・・・ とかあって、既に6年経ってなおこういう文言があるくらいだしねぇ。
>>179 http://nankinrein.hp.infoseek.co.jp/page010.html -----引用-----
〜我々は目下の国際宣伝においては中国人は絶対に顔をだすべきではなく、
我々の抗戦の真相と政策を理解する国際友人を捜して
我々の代弁者になってもらわねばならないと決定した。ティンパーリーは理想的人選であった。
かくして我々は手始めに、金を使ってティンパーリー本人とティンパーリー経由でスマイスに依頼して、
日本軍の南京大虐殺の目撃記録として二冊の本を書いてもらい、印刷して発行することを決定した。[中略]
このあとティンパーリーはその通りにやり、[中略]二つの書物は売れ行きのよい書物となり宣伝の目的を達した」。
-----終わり-----
「中国人自身は顔を出さずに手当てを支払う等の方法で」書いてもらったんだそうですよ。
「国際宣伝処長」だった「曾虚白」の日記に書いてあったそうです。
詳しくは上のHPを参照。
184 :
えICBM :03/05/29 08:12 ID:CEnZ5qtH
>>181 :靴屋
ありがとう。
ハーグ陸戦協定の捕虜に関する条項ですね。
国際法では捕虜は部隊や捕獲した兵に属するのではなく、政府に属するとなってますね。
当然のことでしょう。
しかし、南京を攻略した中シナ派遣軍の実際の部隊の意識はどうなのかという疑問が出発点でした。
そして、日本軍側の法規ではどのように扱われるかを、法令や、証言から議論してたのです。
>>183 また「ティンパーリー」が絡んでいるんだね。
スマイス報告は一次資料ではあるが、その信憑性については当然吟味する必要があるだろう。
(これに限らず他もそうだが)
一気に萎えてきたなあ。数が信用できないじゃん。
186 :
計算機 :03/05/29 11:55 ID:pzrzbOJH
<<< 連続で失礼 >>>
>>151 覚えてる覚えてない云々よりも、東史郎氏の証言そのものの信憑性が
薄いということが問題なんじゃないかな。
・郵便袋に大人を詰め込めるのか? ←誰かサイズ知ってる?
・郵便袋の中の人は飛び上がれないはず。 ←これもサイズによるかな。
・ポンプも何も持ってなかったのに自動車からどうやってガソリンを
抜いたのか。
・長時間(長時間燃えたと本人が証言してる)燃えて、袋が焼ければ
中の人は袋を破って出られるはず(なのに出なかったのは不自然)。
・耐熱服もなしに燃える袋を抱えて沼に投げ込めたのか?
・燃えてる袋に手榴弾を結びつけるという行為はあまりに危険だと
思われるが、行ったと証言してること。
・手榴弾は着火してから(ヒューズをぶっ叩いてから)4〜5秒で爆発
するが、これを袋の紐に結びつけて抱えて沼に投げ込むことは可能か?
というような点だね。日記に関する信憑性も問われたけど、ここには
物理的な問題だけ書いた。
日本軍が使っていた手榴弾は(硬いモノに信管をぶつけて)投げる前に
点火しないといけない。米軍の手榴弾(よく映画とかで観るヤツ)は
バネで撃鉄が信管を叩いて点火するから、レバー(撃鉄を抑えてる)を
押さえて安全ピンを抜いてそのまま投げれば空中でレバーがとんで点火
するけどね。
(つづく)
187 :
計算機 :03/05/29 11:56 ID:pzrzbOJH
>>151 (つづき)
何人かで袋を抱えて、別の一人が結びつけられた2個の手榴弾に点火し、
その後抱えてる連中が袋を沼に投げ込むということを考えると、俺も
不可能だと思う。
「火が消え袋が沈み、波紋のうねりが静まろうとしている時、手榴弾が
水中で炸裂した。水がごぼっと盛り上がって静まり、遊びが終わった。」
と東氏は記述してるから、ある程度深いところだろう。南京には崖に
接してるような沼(池)はないから、そんな深いところまで投げるのは
無理。手榴弾に点火してから爆発するまで5秒あるかないかだから、
「い〜ち〜、に〜の〜、さ〜〜ん」ってわけにもいかないだろうし。
だいたい、「火が消え袋が沈み、波紋のうねりが静まろうと」するまで
何秒かかるんだ?
>>162 前スレでの計算だけど、参考までに。大きなお世話かもしれんが。
1人当たりの体積を0.05立方m(体重50kg)とすると、
1万人で500立方mとなる。10 x 25 x 2 立方m、1000tの土(比重を2としてる)。
20万人で10,000立方m、20,000t。
20万人を100日で埋めるとすると、1日当たり2000人、100立方m、200tの土。
幅5m、長さ10m、深さ2m(+α)の穴を毎日掘ることになる(もちろん死体を
入れてその後埋める)。
崇善堂が1ヶ月に10万体あまりの埋葬を行った(4月)とすると、
10万人で5,000立方m、50 x 50 x 2(+α)、10,000tの土。
これを30で割ると、一日当たり、
3333人で、166.7立方m、6 x 14 x 2(+α)立方m、333tの土。
普通に遺体を土葬しようとすると、掘る穴は長さ2m、幅50cm、深さ1m程度に
なるだろうから1立方mで、だいたい2t程度の土を掘ることになる。
188 :
計算機 :03/05/29 11:56 ID:pzrzbOJH
>>168 写真を撮ってるわけだから、戦闘行為は行われていないと見るべきだろう。
いやらしい見方をすれば、「実際に買ってる(軍票なり現金なりと鶏を
交換している)シーンがないということはそういうことが行われなかった
証拠だ!」ということもできると思うが、
>>132 に書いたとおり俺は問題に
してないよ。
>>171 >アウシュビッツで1日1万人という話。
もしソースを知ってれば教えて欲しい。
俺もソース忘れちゃったんだけど、1日3500体が限界だったってのを
どこかで読んだ覚えがあるんで。
189 :
中国じん :03/05/29 12:02 ID:KTskWeXj
スマイス報告が
>>183 の言うように、信憑性に疑問があるなら、
南京大虐殺の信憑性にも、当然に疑問を持って検証すべきだね。
日本はアメリカの謀略工作の暴露をして、日米中で真実を解明して欲しい。
>>183 >国際宣伝処長」だった「曾虚白」の日記に書いてあったそうです。
じゃなくて自伝ね。で、どーもこの北村稔が引用している曾虚白自伝は信憑性に疑問符が付く
ところがあるらしいよ。占領後の南京にいなかったティンパーリーを占領後南京にいて惨劇を目
撃したとか書いてるらしいし。ティンパーリーは南京におらず上海にいて、惨劇なんか見るはず
ないんだけどねぇ。
その箇所を北村稔は何故か引用しない。スマイスは国際安全委員会の依頼で報告書書いたんだ
し、なんなのこれ? って印象だな。
192 :
計算機 :03/05/29 14:00 ID:pzrzbOJH
>>191 ありがとう。
「10の大型焼却炉」があって、「焼却能力は、一日1万人である」と書いてあるね。
ちょっと気になるんだけど、
>(新しい死体は特別よく燃えるので、焼却全体にわたって、50ー100ボンドの
>コークスしか必要としない)
というのは信じがたいな。100ポンドって45kgちょっとだよね。それに、「新しい死体は
特別よく燃える」ってのも信じがたい。えICBMさんとの議論が成り立たなくなるような気がする。
というか、新しい死体と古い死体の違いって、含水量じゃないかと思うんだけど、違うのかな?
少なくとも煮干しで実験したときは干したヤツの方がよく燃えたんだけど(w
炉の中で燃やすのは野焼きより燃焼効率はいいだろうけど、どうなんだろうね。
>>190 来ましたね。 いつもの手・・・
詭弁を見抜く、使わない。よき議論を。
詭弁の特徴(詭弁=虚偽の推論、弁論)
1:事実に対して仮定を持ち出す
2:ごくまれな反例をとりあげる
3:自分に有利な将来像を予想する
4:主観で決め付ける
5:資料を示さず自論が支持されていると思わせる
6:一見関係ありそうで関係ない話を始める
7:陰謀であると力説する
8:キレる
9:自分の見解を述べずに人格批判をする
10:ありえない解決策を図る
11:レッテル貼りをする
12:決着した話を経緯を無視して蒸し返す
13:勝利宣言をする
14:細かい部分のミスを指摘し相手を無知と認識させる
15:新しい概念が全て正しいのだとミスリードする
「11:レッテル貼りをする」 かな。
靴屋はやってることk-kといっしょだから。 生暖かくみといてやれよ。 「もう議論しない」と自分の身を安全なところに置いて、さかしげに 持論を垂れ流してるだけなんだから。こっちも相手するだけ無駄。 まさか24時間で復活とは思わなかったぜw
>>193 おえおえ、どこがどう詭弁で、レッテル張りなんだえ? お前さんがやってること自体が
レッテル張りそのものなんじゃないのかね。頭だいじょーぶかー?
>>194 > 「もう議論しない」と自分の身を安全なところに置いて、さかしげに
言っとらんぜよそんなことは。忙しいからちょっと休む、但しロムはするし散発レスは
するかもしれんとちゃんと書いたはずだがの。
状況は刻々と変わるからな、忙しいにせよ暇にせよ、なかなか思ったとおりにはならん。
ただいつぞやみたいに、資料当たって、調べて、それを書き写し引用までしてレスするという
のはちょっときついがな。
>>187 ていうか計算機は、東京裁判で国民党が出した
崇善堂が11万体の死体を埋葬したなんて資料を信じてるのか!?
>>195 お、今度は「キレル」か。
もうチョッと内容のあるレス返せよ!
ばかか!
>>198 いや、センセイはだね、君のことを心配していっているんだよ。「頭大丈夫か?」と。
>>190 >曾虚白自伝は信憑性に疑問符が付くところがあるらしいよ。
>ティンパーリーを占領後南京にいて惨劇を目撃したとか書いてるらしいし。
もう少し明確に判りませんか?
ティンパーリーは上海にいたくせになんかあたかも自分で見たかのような
文章の書き方してるけど・・・そういうことじゃないの?
>>200 栗原証言は信憑性に疑問符がつくところがあるらしいよ。
本多の引用も栗原の上司の証言と食い違うところがあってどっちが本当か
判然としないし。
そもそも隊の指揮権を持ってない栗原がそんな詳しいこと知ってるはずな
いんだよね。
靴屋のロジックで幕府山事件をいじるとこうなりますた。
>>190 >北村稔が引用している曾虚白自伝は信憑性に疑問符が付くところがあるらしいよ。
ものすごくあいまいな表現ですな。「疑問符」で、その上「らしい」ですか。
要するに反論できないので印象操作でうやむやにしようという事ですか(藁
>なんなのこれ? って印象だな。
君の個人的な印象など誰も求めてませんが。
203 :
計算機 :03/05/29 17:13 ID:pzrzbOJH
>>197 もちろん!!
毎日毎日毎日毎日3333人の遺体を埋めるために、6 x 14 x 2(+α)立方mの穴、
333tの土を掘って、死体を入れて埋め直したんだよ。低めに見積もっても600t以上の
モノの移動をしてるんだよ。しかも埋葬すべき死体はそこら中に散らばってたんだよ。
仮に100人でやったとして一人当たり33人、3.3tの土だから6t以上のモノの移動だ。
毎日だよ。すごいじゃないか。
しかも彼らは40人しかいないし、トラック1台しか持ってなかったらしい。
ボランティアを雇ったとしか思えないけど、そのボランティアも大変奥ゆかしい
人達で、後の記録にはほとんど(一人しか)残ってない。それどころか、埋葬してる
現場さえも見つかってない。すごいじゃないか。
さらに言えば、12月〜3月で7549体しか埋めてないのに4月になると張り切って104,718体も
埋めた。すごいじゃないか。
こんなすごい人達なんだから、南京が日本軍に攻められたってどうってことないよ。
特に訓練されたわけでもない非戦闘員の人達でさえ毎日6tのモノを移動できるんだよ。これを
考えたら訓練を受けてる中国兵なんかきっとすごいよ。日本軍なんか鼻毛の先でフンッだね。
だから南京で虐殺されたとしたら日本軍の方だよ。
#ちょっと長すぎたか。
204 :
計算機 :03/05/29 17:14 ID:pzrzbOJH
>>203 こことか南京スレとか見てると、世の中にはそういう当たり前の評価に
納得できないヤシが多くてなぁw
4月がんばったね がんばったね
207 :
計算機 :03/05/29 17:39 ID:pzrzbOJH
>>205 俺が数字や写真にこだわるのはそういうところが大きい。
ある証言に対して実際どの程度の規模で何が起こるかということを
推定(算出)しないで論じても意味がないと思うよ。
>>186 ,187でも書いたけど、機械(ここでは手榴弾)の仕様や性能を無視した
作り話はうんざりだね。
208 :
朝まで名無しさん :03/05/29 20:53 ID:LJLYFLTC
>>172 >>風習は、支那にあっても、日本には絶対ない。
>
>残酷な仕打ちは、病気みたいに伝染するもの。
支那の風習であるとあなたも知っているなら、
一番にそのようなことをしたのは
中国人ではと考えませんか?
210 :
朝まで名無しさん :03/05/29 21:12 ID:xrp8wcp+
>>208 というか、この場合のポイントは
「(日本人が)残酷な仕打ちをするかどうか」
じゃなくて
「(日本人が)レ○プしてマ○コに棒きれ突っ込むかどうか」
なんだよな。恵也はそこをすりかえてる。
少し見ない間に育ってるな(笑
>>94 大西参謀の言は、日本軍の方針を踏まえてということだろうな。
つまり、日本軍では支那にて「捕虜をとらぬ」方針とした場合、捕虜釈放を指すという意味の言葉だと思われる。
「日本軍の方針」として決まっていたとするならば、中島氏個人の言葉としてでは無く「師団長の判断の言」として鑑み
「日本軍では『捕虜をとらぬ』とした場合、捕虜釈放としていた。故に彼の言葉も捕虜釈放のことである。」
と、言う意味で明言できるゆえ。
捕虜に関しては、逐次レスで散らかっているので もう少し論点を整理し、その上で自身の結論を提示しよう。 ------------------------ ○基本的な事実 ・俘虜取扱規則では、司令官・特別師団長に捕虜解放の権限が与えられている。 しかし、開放の際には所手続きを踏むことが必要であると記載されているが、そういった書類の存在は確認できない。 ・陸軍刑法では、俘虜逃亡幇助等は死刑もありうる重罪である。 ----------------- 基本的に、この根拠を中心に(まだ複数あるがこれは省く)、解放は選択肢として存在した。という俺の論と 開放する手続きが無く、罰則の存在する陸軍刑法がある以上処刑しか無いという、えICBMの論で争っている。 だが、仮に現場将校や、開放権限を持つ司令官・師団長の手続き省略にによる捕虜開放が陸軍刑法違反となるならば 衣川証言、平林証言、顎鬚の男証言、榊原参謀証言の全てが陸軍刑法違反にて処罰されていなければおかしい。 なぜならば、陸軍刑法の捕虜逃亡幇助に対する罪は「戦闘中・直後」だけに限らないからである。 #故に、「戦闘中・直後」では無いとして、顎鬚男に関する証言のみしか、認めないとする、えICBMの反論は的を外している。 戦闘中・直後でなかろうとも、罰則を定めている「陸軍刑法」が捕虜開放に関して厳密に適用されているならば、 彼らが処罰されていないのは不自然だからだ。
また、正式な手続きの開放については、規則で定める名簿等は、住所不定で正規兵が少なく 軍服さえ支給できないこともあった支那兵相手では殆ど作成出来なかったと考えられる。 その証左に、捕虜をとる際に捕虜の名簿作成を義務付けられているが基本的に殆ど作られていない。 つまり、支那での戦いに関しては俘虜の扱いは、かなり曖昧であり、 それなりの権限がある者(現場の将校)の判断により、さまざまに処置されたと見られる。 尚、陸軍刑法は上記証言から、支那兵相手の場合、下士官ならばともかく、 現場の責任者が行う捕虜開放に関しては拘束力が無かった。もしくは黙認されていたと考えるのが自然である。 当然、権限のある師団長レベルならば、手続きは無視しても問題は無かったどころか当然だったろう。 #衣川氏、顎鬚男しかり、榊原参謀に至っては手続きどころか、収容所から逃亡する支那兵を見逃している よって、俺の結論は、権限を持つものの命令により捕虜開放は可能だった。 そして、恐らくは将校級、つまり現場の責任者の判断によっても釈放されていただろうとなる。 当然、現場の責任者の判断で捕虜の処置が行えるほど曖昧な扱いだった為 捕虜殺害もまた行われたであろうということは否定しない。 以上。
>>102 俺:
>「お前が持ってる土地はお前の国籍が韓国(朝鮮)だから、お前の財産じゃない」
恵也
>そうだよ。事実だよ! 日本にそこを使う権利を認められてるのだから、朝鮮がガタガタ文句を言う 権利はない!
…小学生かお前は(苦笑
私有財産と国有財産の区別くらいつけような。
在日朝鮮人の方が日本に不動産を持ち、店を経営していたならば
韓国(朝鮮)国籍を持った○○さん個人の財産となる。
別に在日朝鮮人の所有する土地だからと言って、金正日のものになるわけでは無いし、北朝鮮の財産になってる訳でもない。
が、「自国民の財産」には変わり無く、国は「自国民の財産と生命を保護する義務」がある。
自国民の財産=国の財産 では無いが
自国民の財産=国が保護する義務がある財産 なんだよ。
もし、日本が在日朝鮮・韓国人の所有する土地を「日本の土地だから」と言って
彼らが購入した土地を日本政府が不当に取り上げたりすれば、朝鮮・韓国から猛烈な抗議を受けるし国際社会からも非難される。
治安が悪化し、軍閥が在日への大量虐殺を繰り返せば、一気に戦争にさえ発展しかねないだろう。
当事国の治安が激しく悪化すれば、今だって国連から軍を派遣される。
それを理解しているのか?
…とりあえず、中学校の公民からやりなおしとけ。
215 :
えICBM :03/05/29 21:26 ID:CEnZ5qtH
>>192 :計算機
>それに、「新しい死体は特別よく燃える」ってのも信じがたい。えICBMさんと
>の議論が成り立たなくなるような気がする。というか、新しい死体と古い死体
>の違いって、含水量じゃないかと思うんだけど、違うのかな?
死んだらまずATP反応で死後硬直が起こる。
その後自己消化作用でタンパク質やらが分解されうまみ成分のアミノ酸が生成される。
最後に細菌類によってもっと低次の物質に分解される。
燃えにくくなる原因は、細菌による分解時に水が生成されるぐらいだろう。
死体の埋葬について
南京周辺では国府軍が日本軍を迎え撃つために三線の塹壕掘って待ってたそうだ。
日本軍にはあっという間に突破されたが。
この塹壕を利用して死体を埋葬したという例があるそうだ。
というわけで、塹壕を利用し死体を埋めるとしたらどれぐらいの規模の塹壕が必要だろう?
>埋葬云々について 基本的に手作業で行う埋葬の方が、遺跡発掘の段掘りや升堀りより道具の消費が激しいんだが。 遺跡発掘の升堀は撹乱されている表層を重機で削った後に行うが 埋葬作業を行う場合は、雑草が生えていたり、木の根が延びていたりする地面を掘るからな。 また、死者を簡単に露出しない程度に、重ねて埋葬出来るほど深く掘るならば、 掘削した際に出る土砂を引き上げる道具(遺跡発掘では「ミ」と呼ばれる道具が使用されている)が必要だし 土砂の量もネコ(土を運ぶための一輪車)を使用して少し離れた場所にきちんと山にしなければ、 一定量積み上げた時点で崩れる可能性がある上、雨が降った場合、穴に土砂が流れ込む。 死体を運ぶ車両の燃料もかなりの量となる筈だが、激しい戦闘から数ヶ月しかたっていない南京で それだけの燃料をどこから調達し、その代金はどこから捻出したのか。 ま、恵也の妄想する、一ヶ月以上も自前の弁当を持って無料奉仕する、前月の10倍湧いて出た 大量のボランティアという設定そのものが荒唐無稽なんだが…(笑 >靴屋 あのさ、理性的な肯定派を気取りたいなら(まあ、K−Kレベル程度だが) 肯定派が、恵也のような輩ばかりだと思われないためにも、注意くらいしておいた方がいいぞ?
217 :
えICBM :03/05/29 21:41 ID:CEnZ5qtH
>>211 :詩論語
>大西参謀の言は、日本軍の方針を踏まえてということだろうな。
>つまり、日本軍では支那にて「捕虜をとらぬ」方針とした場合、捕虜釈放を指すという意味の言葉だと思われる。
>「日本軍の方針」として決まっていたとするならば、中島氏個人の言葉としてでは無く「師団長の判断の言」として鑑み
>「日本軍では『捕虜をとらぬ』とした場合、捕虜釈放としていた。故に彼の言葉も捕虜釈放のことである。」
>と、言う意味で明言できるゆえ。
要するに大西上海派遣軍参謀は、第16師団の中島師団長の日記の「捕虜はせぬ方針
なれば」を南京で見たり読んだり聞いたりして無いわけだ。
戦後その日記を知り、元上海派遣軍参謀として開放しろという意味と推測したわけだ。
>>169 >しかし2ヶ月間連日5000人となれば話は違ってくるだろう。
>死体処理とかどうすんのよ
死体の処理は、南京占領後、1ヶ月間は日本軍が禁止してました。
日本軍自身では、適当にはやってましたが、中国人にはさせませんでしたので、、
いっぱいホッタラカシニされました。
ずいぶんいい加減な占領行政だったみたいだよ。
>紅卍字会は彼等を埋るため埋葬隊を組織することを申出た。日本側は約一ヶ月後
>迄それを許さなかった。そのため実際に仕事を始めた時には、屍体は殆ど腐爛
http://members.tripod.co.jp/NankingMassacre/up_logo.html (埋葬関係資料より)
まとめて窪地や塹壕、使えるところは適当に使った模様だ。
数が多いい時は、それなりに融通を利かせて埋葬した。
軍隊の許可が出たら、それが本物と判ったら金貰わんでも埋葬するよ。
自分の住んでるそばに遺体があってみろ、毎日熟睡できんよ。普通の神経してたら!
だから、4月に数が多く届けられてるのは、そういったご近所のボランティアだ
と言ってるの。
四万十川上流の俺んとこは、まだ希望者は土葬をやってるが1体のお墓を掘るのに
男2人で半日かかってる。(今日掘った人に聞いた、深さ1.5m、幅0.6m)
石が一杯あって苦労したようだが、南京はデルタ地帯で石も少ないだろう。
親戚だからボランティアだ。南京でも安全なのが判って、初めて人は埋葬できるの
最終的に17万人は南京市に人口がいたのだから、安全ならひと月に10万体
くらい埋めるのは簡単だろう。
219 :
朝まで名無しさん :03/05/29 21:56 ID:Guusnv1S
>恵也 死体って腐るって知っていたか?
>>175 >
>>166 は、日本人が残酷な仕打ちをしないという話ではなく
>強姦のあと「局部に竹を突っ込む」という行為が
>日本人の行為としては不自然ではないか、という話だろう
そんな下品な言葉しか使えんのか?
もっと少しでも、上品な言葉に直して喋ってるのが理解できんのかい。
221 :
;;; :03/05/29 22:07 ID:gzPnLQ5f
;;;;;
>>183 >詳しくは上のHPを参照。
なんだこのHPは?
誰が作ったかも、責任者もわからん名無しのHPだ。信用できるんかい。
田中正明さんじゃないの?
223 :
朝まで名無しさん :03/05/29 22:32 ID:xrp8wcp+
>>218 まぁボランティアならボランティアで構わないんだが、
何のために遺体数の議論してんの?
「虐殺の証拠として」遺体の話をしてるんじゃなかったのか?
>南京でも安全なのが判って、初めて人は埋葬できるの
つまり南京で虐殺なんか起きてないって事かい?(笑)
224 :
朝まで名無しさん :03/05/29 22:36 ID:xrp8wcp+
225 :
えICBM :03/05/29 22:43 ID:CEnZ5qtH
>>212 :詩論語 ◆rAuM1WGShc :03/05/29 21:22 ID:VSTTxHFW
>捕虜に関しては、逐次レスで散らかっているので
>もう少し論点を整理し、その上で自身の結論を提示しよう。
詩論語は論点の整理など出来ないから止めた方が良い。
やってるのは自分の主張を正当化する都合の良い解釈だけだ。
>だが、仮に現場将校や、開放権限を持つ司令官・師団長の手続き省略に
>による捕虜開放が陸軍刑法違反となるならば衣川証言、平林証言、顎鬚
>の男証言、榊原参謀証言の全てが陸軍刑法違反にて処罰されていな
>ければおかしい。
衣川、平林、榊原の証言は、全て南京戦で収容した捕虜のケースである。
南京戦の戦闘中、戦闘直後に多くの捕虜を抱えた部隊の参考にはならない。
参考にするには、南京戦の前に捕虜の扱いがいい加減という例が必要だろう。
226 :
えICBM :03/05/29 22:44 ID:CEnZ5qtH
(続き)
>なぜならば、陸軍刑法の捕虜逃亡幇助に対する罪は「戦闘中・直後」だ
>けに限らないからである。
>#故に、「戦闘中・直後」では無いとして、顎鬚男に関する証言のみし
>か、認めないとする、えICBMの反論は的を外している。
戦闘後しばらく経ってからなので、捕虜の扱いは軍から指示があるだろう。
しかし、南京での戦闘中、戦闘直後では指示が無かったので各部隊が独自に判断し殺害を行った。
陸軍刑法に捕虜の解放の罰則規定があるし、開放すると敵になるため当然の処置だろう。
ほとんどの証言は殺害であり、開放は唯一、第45歩兵連隊所属の白髭の指揮官のケースだけである。
このことから、戦闘中、戦闘後の現場部隊は捕虜殺害の命令があったのだろう。
そうでなければもっと開放例があるはずだ。
詩論語はとにかく陸軍刑法を無視するための理論構築をする。
しかし、現場の証言からそれは嘘だとわかる。
これなどは手前勝手な論理の良い例だろ。
>>213 :詩論語 ◆rAuM1WGShc
>尚、陸軍刑法は上記証言から、支那兵相手の場合、下士官ならばともかく、
>現場の責任者が行う捕虜開放に関しては拘束力が無かった。もしくは黙>認されていたと考えるのが自然である。
いきなり現場で陸軍刑法の拘束力が無くなる。
陸軍刑法は帝国議会で立法されたれっきとした法であるのに。
私がしてる事は議論でなく、ただの空想に付き合ってるだけなのだろう。
227 :
朝まで名無しさん :03/05/29 22:57 ID:ThuqV0/x
とりあえず恵也 ◆o4NEPA8feAは知障なので無視ってことで。 肯定派論客の足を引っ張るだけの存在。
>>225 >衣川、平林、榊原の証言は、全て南京戦で収容した捕虜のケースである。
ちゃんと文章を読むように
捕虜解放に関して陸軍刑法の罰則規定が適用されるか否かに絞っての論だ。
衣川、平林、榊原氏は解放手続きをとっているか?捕虜名簿を作成しているか?
つまりそういういことだ。
陸軍刑法は、現場責任者の捕虜解放の判断に対し拘束力をもっておらず
現場責任者は自己の判断により捕虜解放を行えたとするのが適当だ。
もし、俘虜取扱規則に則った解放を
衣川、平林、榊原氏が行っていないのならば、えICBMの説だと陸軍刑法により罰則を受けているはずだが?
>>228 陸軍刑法が拘束力を持たないという表現が気に入らなければ
(が、実際は拘束力を持たなかったことは大西参謀・榊原参謀・衣川氏等の証言が根拠となる
反論したいのであれば「捕虜解放」手続きを踏まずに解放した将校が陸軍刑法違反で処罰された例の呈示を頼む)
司令官・特別師団長に捕虜解放の権限が存在し(これは事実)、
捕虜解放の際の手続きは省略するのが慣習であった。
(解放した者がいるにも関わらず書類が残っていないことと大西参謀の言葉がそれを示唆している)
また、司令官・特別師団長が解放を指示した場合、当然、現場将校はそれに従うだろうな。
230 :
えICBM :03/05/30 00:00 ID:RXDtGWzA
>>228 :詩論語
>捕虜解放に関して陸軍刑法の罰則規定が適用されるか否かに絞っての論だ。
>衣川、平林、榊原氏は解放手続きをとっているか?捕虜名簿を作成しているか?
収容してるのだから名簿があってもおかしくない。
私は確認してないけどね。
>陸軍刑法は、現場責任者の捕虜解放の判断に対し拘束力をもっておらず
>現場責任者は自己の判断により捕虜解放を行えたとするのが適当だ。
また勝手に陸軍刑法の拘束力を適当に制限する。
帝国議会で立法化された法律を何だと思ってるやら。
>衣川、平林、榊原氏が行っていないのならば、えICBMの説だと陸軍刑法によ
>り罰則を受けているはずだが?
南京戦の後で、南京戦の状況を鑑み、捕虜に関する現実的な命令が軍からあったと
考えるべきだろう。
だいたい収容された捕虜のケースを、戦闘現場で多量にいた投降兵に当てはめるの
が無理がある。
実際戦闘現場での解放証言は1件しかなく、収容か殺害がほとんどであった。
>>230 名簿が存在すれば、幕府山論争の際出てきてもおかしく無いと思うが?
>帝国議会で立法化された法律を何だと思ってるやら。
えICBMの法解釈では、の話だろう。
権限を持つ者が解放命令を出すことは陸軍刑法違反では無いし
そもそも、それを言うならば大西参謀は何故あの証言をしたのだろうな(笑
中島師団長は名簿作成し手続きをとっていたのか?
手続き省略の捕虜解放は陸軍刑法違反では無いと捉えるのが適当…というか当然だろう。
>>230 >南京戦の後で、南京戦の状況を鑑み、捕虜に関する現実的な命令が軍からあったと考えるべきだろう。
具体的には?
解放するならば、手続きを取らなければ陸軍刑法違反だと言っているのは、えICBMだろう?
だが、その手続きをなした書類はみつかっていないぞ?
#というか、支那兵の名簿を作成するのは難しいだろう
233 :
えICBM :03/05/30 00:15 ID:RXDtGWzA
>>229 >陸軍刑法が拘束力を持たないという表現が気に入らなければ
>(が、実際は拘束力を持たなかったことは大西参謀・榊原参謀・衣川氏等の証言が根拠となる
>反論したいのであれば「捕虜解放」手続きを踏まずに解放した将校が陸軍刑法違反で処罰された例の呈示を頼む)
捕虜に対する取扱について軍から通達がないまま南京での戦闘に突入したのだから現場の
部隊が判断するには陸軍刑法しかないだろ?
その陸軍刑法に則り解放は出来ないから、収容か殺害。
実際解放したケースはあるが、それが罪になるかどうかは、後でしかわからない。
処罰されたとも、されてないとも聞いてないが、その結果を戦闘中の部隊の捕虜に
かんする扱いには影響があるはずが無い。
大西参謀戦後の発言であり、日記を見たわけでもないのだから例に出すのはよしてくれ。
榊原参謀のケースは、大量な捕虜がおり彼らに逃げられた例であり、これも参考にならない。
衣川氏の例は帰順をさせて解放してるので、手続きどうりだったのではないか?
出してくる証言やらが、全部戦闘中の解放や殺害のずっと後の例ばかりだ。
こんなので議論ができるわけないだろ。
ただのすり替えだ。
>司令官・特別師団長に捕虜解放の権限が存在し(これは事実)、
>捕虜解放の際の手続きは省略するのが慣習であった。
参ったな、今度は慣習を持ち出してきたか。
想像は膨らむ一方だな。
また、例えそうでも、捕虜が軍、師団の管轄になるには現場部隊が捕獲した捕虜を後送した場合だ。
戦闘中、戦闘直後に捕虜を扱うのは現場の部隊であり、彼らは軍司令官でもないし、師団長でも無い。
だから現場の部隊が解放できる権限など無いのだよ。
こういったら今度は、委任という妄想をはくのだろう。
234 :
えICBM :03/05/30 00:21 ID:RXDtGWzA
>>231 :詩論語
>名簿が存在すれば、幕府山論争の際出てきてもおかしく無いと思うが?
一万人以上いたし、17日のよるには事件がおきた。
単純に名簿を作れなかったのだろう。
なんでそんな簡単な予想も出来ないのだ?
>>帝国議会で立法化された法律を何だと思ってるやら。
>えICBMの法解釈では、の話だろう。
>権限を持つ者が解放命令を出すことは陸軍刑法違反では無いし
>そもそも、それを言うならば大西参謀は何故あの証言をしたのだろうな(笑
頭いて。
私の解釈ではなく、帝国議会で立法された陸軍刑法に書いてるのだ。
手前勝手な解釈をしてるのは詩論語だ。
権限を持つものが、戦闘後、手続きして解放できるのだ。
戦闘中、戦闘直後の解放が出来るなどどこにも書いてない。
>中島師団長は名簿作成し手続きをとっていたのか?
>手続き省略の捕虜解放は陸軍刑法違反では無いと捉えるのが適当…というか当然だろう。
16師団は陸軍刑務所跡に数千人の捕虜を収容してる。
手続きどうり名簿を作ると考えるべきだろう。
なんで手続きどうりの名簿作成がないと言えるのだ?
>>233 >その陸軍刑法に則り解放は出来ないから、収容か殺害。
何度も言うように釈放は可能だ。
あとは、権限を持つ者が、解放手続きを省略した場合、陸軍刑法違反になるかという法解釈と認識の問題だが
大西参謀の言で、そういった法解釈も認識(陸軍刑法違反になる)も無かったことが示唆されている。
236 :
えICBM :03/05/30 00:26 ID:RXDtGWzA
>>232 :詩論語 ◆rAuM1WGShc :03/05/30 00:09 ID:rQTMN2fo
>>南京戦の後で、南京戦の状況を鑑み、捕虜に関する現実的な命令が軍からあったと考えるべきだろう。
>
>具体的には?
>解放するならば、手続きを取らなければ陸軍刑法違反だと言っているのは、えICBMだろう?
捕虜の扱いが厳密でないならそう考えるべきだろ。
ただし、戦闘が終わり、しばらく経ってからのことだ。
これを戦闘中のケースに当てはめるなら、先頭前や戦闘中での証言があるだろう。
>だが、その手続きをなした書類はみつかっていないぞ?
>#というか、支那兵の名簿を作成するのは難しいだろう
証言も無いね。
というか、戦闘後の収容した捕虜の扱いは関係ないから誰も調べないんだろう。
戦闘現場での大量の捕虜の扱いを、収容し戦闘後しばらく経ってからの捕虜の扱い
を同一に見るバカは他にいないからだろう。
>>233 >戦闘中、戦闘直後に捕虜を扱うのは現場の部隊であり、彼らは軍司令官でもないし、師団長でも無い。
>だから現場の部隊が解放できる権限など無いのだよ。
あるに決まっているだろう。
「捕虜をどうするか」を通達せず戦闘に赴かせるか?
師団長から「解放しろ」と命令が下れば、現場は従うしかないだろう。
>>234 >単純に名簿を作れなかったのだろう
では、支那兵の詳細な名簿を作れた部隊を提示してもらえないか?
そのような例は聞かないのだが?
っというか、軍服すら支給できず、住所不定者が多数いた軍の詳細名簿を作成するのは困難。
故に支那兵捕虜の名簿等、かなり長期収容する時以外は作成しなかったと考えるのが自然だ。
239 :
えICBM :03/05/30 00:33 ID:RXDtGWzA
>>235 :詩論語 ◆rAuM1WGShc :03/05/30 00:21 ID:rQTMN2fo
>>その陸軍刑法に則り解放は出来ないから、収容か殺害。
>
>何度も言うように釈放は可能だ。
>あとは、権限を持つ者が、解放手続きを省略した場合、陸軍刑法違反になるかと
>いう法解釈と認識の問題だが
戦闘後に諸手続きを経たなら可能だろう。
しかし現場の将校レベルではそのような権限もなんにもない。
だから解放証言が1件しかないのだ。
ほとんどは収容か殺害である。
>大西参謀の言で、そういった法解釈も認識(陸軍刑法違反になる)も無かったことが示唆されている。
大西参謀は上海派遣軍の参謀。
もしも先頭前に軍から投降した捕虜を解放せよという司令があったら解放の証言ばかりだったろう。
しかし実際はそのような事はない。
命令違反とは考えられないため、上海派遣軍が明確に捕虜を解放せよという指示を出してないと考えるべきだろう。
つまり、大西上海派遣軍参謀の証言は、軍だけの意識に基づくか嘘っぱちである。
そもそも見ても無い16師団長の日記に関して、「それは解放という意味だ」と断言できるのだ?
これは推測という言葉が正しい。
240 :
えICBM :03/05/30 00:37 ID:RXDtGWzA
>>237 :詩論語
>
>>233 >>戦闘中、戦闘直後に捕虜を扱うのは現場の部隊であり、彼らは軍司令官でもないし、師団長でも無い。
>>だから現場の部隊が解放できる権限など無いのだよ。
>あるに決まっているだろう。
>「捕虜をどうするか」を通達せず戦闘に赴かせるか?
赴かせた。
だから大量の捕虜を戦闘現場で殺害したのだ。
もしかすると収容できない捕虜は殺害せよという命令があったかもしれないが。
それならわかりやすいが、そのような証言は無い。
>師団長から「解放しろ」と命令が下れば、現場は従うしかないだろう。
そのような命令があれば解放証言だらけだ。
なんせ投降兵は万のオーダーでいたのだから。
>>234 >権限を持つものが、戦闘後、手続きして解放できるのだ。
手続きをして解放出来るのではなく、
解放する権限が存在し、解放した際に報告することになっていた。という形だ。
手続きをしなければ解放できないということでは無い(許可制になっていないからな)
>なんで手続きどうりの名簿作成がないと言えるのだ?
16師団はかなり有名で様々に論争されている
手続き通りの名簿が存在すれば公表されているだろう。
存在するのであれば、呈示を頼む。
>というか、戦闘後の収容した捕虜の扱いは関係ないから誰も調べないんだろう。
何をバカ言っているのだか。
収容された後、処刑された、強制労働で虐待死させられたと騒いでる人間が大勢いるんだが?
幕府山の一件もソレだろう?
242 :
えICBM :03/05/30 00:41 ID:RXDtGWzA
>>238 :詩論語
>
>>234 >>単純に名簿を作れなかったのだろう
>
>では、支那兵の詳細な名簿を作れた部隊を提示してもらえないか?
>そのような例は聞かないのだが?
師団なり軍が収容した捕虜について名簿を作ってるだろう。
規定には名簿を作るようになってるのだから。
当たり前のことだからだれも調べないのではないのか?
作ってないと何故いえる?
>っというか、軍服すら支給できず、住所不定者が多数いた軍の詳細名簿を作成するのは困難。
>故に支那兵捕虜の名簿等、かなり長期収容する時以外は作成しなかったと考えるのが自然だ。
詳細かどうかはなんともいえないが、名前や所属部隊名は言えるだろう。
もしかして住所氏名年齢職業が必要と思ってるのか?
最低必要なのは、氏名と所属部隊だ。
その2つをいえない軍人などこの世にいないだろう。
>>218 >自分の住んでるそばに遺体があってみろ、毎日熟睡できんよ。普通の神経してたら!
そこに平気で住んでいたってことは市民無差別虐殺は無いな
>>240 >赴かせた。
>だから大量の捕虜を戦闘現場で殺害したのだ。
それは、えICBMの想像。
「捕虜はせぬ方針」と名言した師団長もいる。
無論、明言しなかった司令官もいるだろうし、解放命令を出した者もいたと考えるのが自然だ。
245 :
えICBM :03/05/30 00:51 ID:RXDtGWzA
>>241 :詩論語 ◆rAuM1WGShc :03/05/30 00:38 ID:rQTMN2fo
>
>>234 >>権限を持つものが、戦闘後、手続きして解放できるのだ。
>
>手続きをして解放出来るのではなく、
>解放する権限が存在し、解放した際に報告することになっていた。という形だ。
>手続きをしなければ解放できないということでは無い(許可制になっていないからな)
権限、手続き、報告の三つが必要であると明記されてる。
もしも、権限と報告だけでよいなら、捕虜取扱規則は、権限と報告義務だけ記載されるだろう。
そうでないのは手続きが必要だからだ。
なんで勝手に省くんだ?
だからつまみ食いして、都合のよいことを組み立ててると言われるのだ。
>>なんで手続きどうりの名簿作成がないと言えるのだ?
>
>16師団はかなり有名で様々に論争されている
>手続き通りの名簿が存在すれば公表されているだろう。
>存在するのであれば、呈示を頼む。
16師団による現場での殺害が論争になっているのだ。
収容された捕虜は論点になるはずが無い。
だから出てきてないんだよ。
16師団が収容したのだから当然名簿を作るだろう。
名前と所属部隊名ぐらいならどんな兵でも言える。
>>というか、戦闘後の収容した捕虜の扱いは関係ないから誰も調べないんだろう。
>
>何をバカ言っているのだか。
>収容された後、処刑された、強制労働で虐待死させられたと騒いでる人間が大勢いるんだが?
>幕府山の一件もソレだろう?
幕府山の場合は収容された捕虜の明確な大量殺害が起き、意図的か事故かが議論になってる。
他の収容した捕虜を大量に殺害したとか聞いたことが無いぞ。
>>242 >当たり前のことだからだれも調べないのではないのか?
>作ってないと何故いえる?
捕虜虐殺がここまで論争になってるにも関わらず、
「被害者」候補と目される者の名簿が残っていれば公表されていないほうがおかしい。
(実際通州事件の被害者名簿は公表されている)
>詳細かどうかはなんともいえないが、名前や所属部隊名は言えるだろう。
>もしかして住所氏名年齢職業が必要と思ってるのか?
俘虜取扱規則の手続きが必須だと主張するならば必要だろうな(笑
>各部隊ハ其ノ捕獲シタル俘虜ノ氏名、年齢、身分、階級、本籍地、本国ノ所属部隊及負傷ノ年月日場所ヲ訊問シテ俘虜名簿及俘虜日誌ヲ調製シ且第九条ニ依リ没収シ又ハ領置シタル物件ニ付物品目録ヲ調製スヘシ
247 :
えICBM :03/05/30 00:56 ID:RXDtGWzA
>>244 :詩論語 ◆rAuM1WGShc :03/05/30 00:47 ID:rQTMN2fo
>
>>240 >>赴かせた。
>>だから大量の捕虜を戦闘現場で殺害したのだ。
>
>それは、えICBMの想像。
>「捕虜はせぬ方針」と名言した師団長もいる。
>無論、明言しなかった司令官もいるだろうし、解放命令を出した者もいたと考えるのが自然だ。
「捕虜はせぬ方針」の名言って誰がした?
「捕虜はせぬ方針」は16師団の中島師団長の陣中日記の中での話しだ。
大西上海派遣軍参謀は部署が異なるから当然見てない。
彼は見てない日記の内容を「それは捕虜を取らないという意味だ」と述べてる。
はっきり言っておかしい。
つうか、史料にならないんじゃないか、この大西発言は?
だって彼の推論だもん。
まあ、上海派遣軍司令部の雰囲気と現場の部隊の意識に差があったという例でなら
使えるかもしれないが。
248 :
えICBM :03/05/30 01:02 ID:RXDtGWzA
>>246 :詩論語 ◆rAuM1WGShc :03/05/30 00:52 ID:rQTMN2fo
>
>>242 >>当たり前のことだからだれも調べないのではないのか?
>>作ってないと何故いえる?
>
>捕虜虐殺がここまで論争になってるにも関わらず、
>「被害者」候補と目される者の名簿が残っていれば公表されていないほうがおかしい。
>(実際通州事件の被害者名簿は公表されている)
被害者の候補ってなんだ?
彼らが殺されたという証言なり史料があるなら調べるだろうが、そうでないのだか
ら調べなくてもおかしくないだろ?
もっとも消失してるかもしれないが。
しかし、名前と部隊名を書くぐらいなら別に無理な作業でもないと思うがどうだろ?
>>詳細かどうかはなんともいえないが、名前や所属部隊名は言えるだろう。
>>もしかして住所氏名年齢職業が必要と思ってるのか?
>俘虜取扱規則の手続きが必須だと主張するならば必要だろうな(笑
>各部隊ハ其ノ捕獲シタル俘虜ノ氏名、年齢、身分、階級、本籍地、本国ノ所属部
>隊及負傷ノ年月日場所ヲ訊問シテ俘虜名簿及俘虜日誌ヲ調製シ且第九条ニ依リ没
>収シ又ハ領置シタル物件ニ付物品目録ヲ調製スヘシ
氏名、年齢、身分、階級、本籍地、本国ノ所属部隊ですか。
これを調べるのがそんなに困難ではないだろ?
何でそんなに存在を疑うのだ?
249 :
えICBM :03/05/30 01:03 ID:RXDtGWzA
>>246 :詩論語
けど、捕虜日誌に記入する内容を調べてくれてありがとう。
議論するときはこういう具体的なものがあるとやりやすいね。
250 :
えICBM :03/05/30 01:05 ID:RXDtGWzA
そろそろ終わります。 そんじゃね。
>>247 ここでは、師団長が捕虜の扱いに関して明言するか否かの話だ。
大西参謀の解釈は関係ないな。
「師団長が捕虜の扱いに関して明言し支持を出している」ことの証左には変わりなし。
>氏名、年齢、身分、階級、本籍地、本国ノ所属部隊ですか。
>これを調べるのがそんなに困難ではないだろ? 何でそんなに存在を疑うのだ?
対支那軍戦闘法ノ研究にて
「支那人は戸籍法完全ならざるのみならず、特に兵員は浮浪者多く、其存在を確認せられあるもの少なきをもって」と書かれている程なのにか?
「雑兵」としか分けていなかった、殆ど民間人の兵は身分も階級も無いだろうし、本籍地?戸籍法が完全で無いのにどうやって?
名簿作成が困難でなく、多量に残っているならば、幾らでも出てくるだろう。
南京論争では収容された捕虜の殺害が問題になっていることだしな。
>>200 うん、儂は「らしい」と自分で書いているんだが、明らかにこれいわゆる伝聞でしょ。自分で
言うのも変な感じだが。つまり、儂がどっかで見た情報を元にしていて、自分では調べてない
わけだ。どこで見たかは覚えてなかったんで情報源書けなかったんだが、ググっても出てこんし、
うーんと思っていると、とあるページのリンク先にあった。これ。
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Lounge/3924/kitamura/kitamura05.html#5.html さすがに曾虚白自伝までは調べられん(あったとしても中国語だろうし、日本語訳は知らない
し)ので、曾虚白自伝に関する北村稔諸説への反論は、このページのような知ってる人でないと
でけんから、こういうのを参考にする他ない。しかし一次資料に当たれない以上、「らしい」
に留まるのは認めざるを得ないところ。
なお、ティンパリーのWhat War Meansは、当時南京にいたベイツやフィッチの日記やメモ、安全
区委員会による文書などに基づいて書かれており、ティンパリーはその一部を添付資料の形で紹
介している。原稿は南京のベイツに確認して貰っており、確認時点で認識が変わったところなどの修正を受けた上で出版されている。
というのが儂の知っているところ。
>>201 > 本多の引用も栗原の上司の証言と食い違うところがあってどっちが本当か
> 判然としないし。
うん、しかしもう一つの栗原証言である偕行社バージョンとは食い違わないね。
> そもそも隊の指揮権を持ってない栗原がそんな詳しいこと知ってるはずな
> いんだよね。
別に、指揮権に触れるようなことは言ってないんだけどね。一兵卒として見たまんまを
証言してるだけだし。
> 靴屋のロジックで幕府山事件をいじるとこうなりますた。
君のは具体性がほとんどないね。無論上で紹介したように儂のは伝聞だが、ティンパリーが
南京にいなかったことやスマイス報告は国際安全区委員会の依頼であったことなどを一応は述
べているんだが。
>>202 > ものすごくあいまいな表現ですな。「疑問符」で、その上「らしい」ですか。
うん、上で言ったように伝聞だからね。だから「らしい」とちゃんと書いたんだけどね。
> 要するに反論できないので印象操作でうやむやにしようという事ですか(藁
さすがに北村稔の著作物はともかく、儂ごときでは曾虚白自伝までは今のところ当たれないと
思うからまともには反論出来んけどね。あとは、上に上げたページでも読んでくれ。
> 君の個人的な印象など誰も求めてませんが。
求めに応じた発言しかしてはいけないのれすか?
256 :
BB :03/05/30 03:08 ID:bWBMGUkd
何百人中国人が証言しようが意味無いね 言論の自由の無い国の人間がホントのこと言えるわけない 政府見解と異なることを言ったら国から弾圧受ける事間違い無いからな。
>>256 中帰連もね。
『
中国にしてみれば即座に極刑で臨むべきところであったろうに、その時の指揮者は周恩来であった。
周恩来総理の指示はこうであった。・・「戦犯の管理は厳重にするが、一人一人の人格を尊重すること。
外部は厳しく、内部は緩やかに。一人の死亡者も逃亡者も出さないこと。
殴ったり罵ったり侮辱する行為は決してしないこと。思想面から教育と改造を行うこと」。
収容所副所長の曲初氏はこの政策に対してこう述べる。
「正直なところ、私が周総理の考えを本当に理解したのは、戦犯たちが帰国して
『中帰連』を組織し、反戦平和と日中友好の活動をしているということを聞いたときでした」
』
彼らは6年かけて中国に洗脳され帰された兵士達です。
1950年にシベリアから中国に送られ、「撫順戦犯管理所」に収容されました。969名いました。
>>214 >自国民の財産=国が保護する義務がある財産 なんだよ。
財産にもいろいろ有って、土地は特別なの。
あなたの使ってるパソコンなんかと、一緒にしないように。
土地の財産は、その土地を使える権利に過ぎずそれもパソコンみたいに無条件
じゃない。
ご近所が自分の土地を道路代わりにして、使っていたらそこに勝手に家を建てる
わけにもイカン微妙なただの使える権利。
上海に日本人が土地を持っていようと、それを保護するのに日本政府がガタガタ
文句を言う権利はないの。中国政府に保護する権利と義務があるんだけどね。
貴方の思想は、他国を植民地にするときに使われた、二世紀遅れの遺物。
貴方の時代は終わったんだけどね!
いまブッシュ大統領が抵抗してるようだが、そのお仲間なのかい?
>>224 >つまり南京で虐殺なんか起きてないって事かい?(笑)
虐殺をドンドンされたので、遺体を埋葬するのでさえ日本軍の了解がないと
怖くて出来ないほど、日本軍の威光が浸透したの。
でも無視してこっそりやった村人もいた事はいたけどね。
>>136 >>本当だと国家の裁判で結論が出てます。
>南京裁判:中華民国(台湾政府)の裁判で30万人以上と判決が出てます。
>東京裁判:11カ国の代表で裁判、中国人による埋葬記録から20万人以上死亡
>まさにこれが真実かどうか議論してるんです。
議論の結論は出てるんだよ。
何のために議論があるのか、判ってないのじゃない?東京裁判、南京裁判で議論され
国家が、結論出して責任者を死刑にし、そこで終わってる問題。
貴方の言ってる議論はただのオナニーみたいなもので、自己満足。
そんな議論は結論も出ず、偏見の中でただ言いパナシの聞きっパナシのセンズリだ。
しかし殺された遺族は腹立つだろうな。貴方みたいな議論好きな人に対しては。
>地獄を見た生存者の証言
http://www.bekkoame.ne.jp/~ymasaki/eye.htm
>>恵也 自分は怪しさ全開の電波HP貼りまくってるくせに、他人のHPはけなすのな(w 自分の言葉では何も語れないコピペ野郎が。
>>262 ジーメンス社はちゃ〜んと軍事部門を持ってますよ。
立派な死の商人です。
>>263-264 だから知障の相手なんかすんなって。
他の論客だって最早まともに相手にしてないだろ?(肯定否定各派によらず)
266 :
計算機 :03/05/30 13:52 ID:Em/WXyqw
<<< またまた連続で失礼 >>>
>>215 最近による分解の時に発生する水はタンパク質の重量の20%程度
だね。人体の構成を水分60%、タンパク質20%、脂肪その他が20%
とすると、タンパク質を分解したとしても発生する水の量は人体に
対する4%程度になるね。これは脂肪を燃焼したときに発生する
水の量(30%程度。ただし酸素は加えるけど)よりも小さい。
それに、皮膚表面から蒸発する水分の方が分解で生成する水分より
大きいと思う。冬の南京だから、寒いだろうし乾燥してるだろうし。
掘る規模については
>>187 のとおりだね。2000人埋めるなら、100立方mの
穴を掘るわけで、深さ2m、幅2m、長さ25mというところかな。
267 :
計算機 :03/05/30 13:52 ID:Em/WXyqw
>>216 >また、死者を簡単に露出しない程度に、重ねて〜〜
>>187 で深さに「+α」とつけてるのはその分もある。
加えて、50kgの人間の体積を0.05立方mとしたけど、実際は肺の中に
空気があるし、人間を完全に隙間なく詰めることはできないから
「+α」と表現した。
それに、ちゃんとした設備なしに深さ2mの穴を掘るのは無理だとも思う。
>>187 にはそう書いちゃったけど、頭より高い位置に掘った土をあげるのは
大変だしね。それよりは深さを1mにして2倍の面積を掘ると思う。
以下に訂正した数値を書いとくよ。しつこいかもしれんけど。
1人当たりの体積を0.05立方m(体重50kg)とすると、
1万人で500立方mとなる。20 x 25 x 1 立方m、1000tの土(比重を2としてる)。
20万人で10,000立方m、20,000t。
20万人を100日で埋めるとすると、1日当たり2000人、100立方m、200tの土。
幅10m、長さ10m、深さ1m(+α)の穴を毎日掘ることになる(もちろん死体を
入れてその後埋める)。
崇善堂が1ヶ月に10万体あまりの埋葬を行った(4月)とすると、
10万人で5,000立方m、100 x 50 x 1(+α)、10,000tの土。
これを30で割ると、一日当たり、
3333人で、166.7立方m、12 x 14 x 1(+α)立方m、333tの土。
268 :
計算機 :03/05/30 13:53 ID:Em/WXyqw
>>218 そのボランティアの記録はほとんど残ってない。
(紅卍字会は5人、崇善堂は1人)
それはそうとして、いいデータだね。
深さ1.5m、幅0.6m、長さは1.8mぐらいかな。1.62立方mの穴を掘ったという
ことだね。3.2tになる。
石がいっぱいあったらしいが、なかったとして男2人じゃなくて男1人で
半日(6時間程度?)というのはちょっときびしいか?
可能だとすると、
>>203 の最初の段落のように100人いれば月10万というのも
不可能じゃなくなってくるね。
ただ、
>>203 ではこのサイズの穴に33人詰め込んでるけど・・・う〜ん。
>>260 (軍票なり現金なりで)買ったのか略奪したのかを議論しても意味はないよ。
「1933年、熱河省凌源で日本軍に殺された中国市民の生首」
この写真は何度も取りざたされてるけど、馬賊の首だね。この写真は
1931年の時点で既に売られていて、「張学良の配下の者が中国人の匪賊を
一般人への見せしめとして切ったもの」とされているようだね。
「満州の龍尾山で日本兵は赤ん坊をこのように銃剣で刺し殺した。
この写真は死体を薪で焼こうとしているところ。」
この写真はキャプションが削られてる。
元々は「土匪之為惨殺サレタル鮮人ノ幼児」だった。
ttp://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/9523/5.htm
269 :
朝まで名無しさん :03/05/30 15:06 ID:octyzUvO
>>259 >虐殺をドンドンされたので、遺体を埋葬するのでさえ日本軍の了解がないと
>怖くて出来ないほど、日本軍の威光が浸透したの。
>でも無視してこっそりやった村人もいた事はいたけどね。
つまり10万以上もの遺体を、日本軍に見つからないようこっそり埋めた、と。
計算機さん、新しい条件が出ましたよ(笑)
>>261 >何のために議論があるのか、判ってないのじゃない?東京裁判、南京裁判で議論され
>国家が、結論出して責任者を死刑にし、そこで終わってる問題。
裁判は「事実かどうか」について全く根拠にならない。
もし仮に、本当は1千万人くらい虐殺していたとしても、
裁判で30万と出ている限りあんたは「30万だけだ!」と言うの?
>>262 >これなんかも怪しい記事なんだけどね。
>高射砲なんか収めたの?
ラーベの仲介で高射砲を納めたかどうかは証拠不十分。
但しジーメンスが兵器も作ってた事と、
当時の中国独自の技術では有り得ないような高性能の高射砲を
中国軍が持っていた事の2点は動かせない事実。
この2点は、検索すればいくらでも出てくるからごまかしても無駄。
>ジーメンス社は日本で言えば、日立、東芝、見たいなとこだろ。
あえて三菱の名を挙げないところが作為的だね(笑)
270 :
_ :03/05/30 15:07 ID:wJ+MDzNy
271 :
肯定派 :03/05/30 15:16 ID:DDCXFdLk
【評価】 えICBM>靴屋>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>> >>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>> >>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>> >>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>> >>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>> >>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>> >>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>> >>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>> >>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>> >>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>恵也
>>190 には失望したので
【評価】
えICBM>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>靴屋>恵也
>>216 > あのさ、理性的な肯定派を気取りたいなら(まあ、K−Kレベル程度だが)
> 肯定派が、恵也のような輩ばかりだと思われないためにも、注意くらいしておいた方がいいぞ?
んなこたぁこっちの話なんでさ、どーでもいいから、人口論の反論待ってるんだけど。もしかして、
有無言えなくなったか?
275 :
朝まで名無しさん :03/05/30 17:01 ID:octyzUvO
>>273 リンク先から引用。
>いずれにせよ、1934年以降、ドイツから中国への武器輸出は
>国策会社であるHAPRO
>(Handelsgesellschaft fur industrielle Produkte)が行っていましたので、
>ジーメンス商会の入る余地はありませんでした。
一介の企業であるジーメンスがやるならともかく、
「国策として」中国への武器輸出してたって事?
日独防共協定を結んでおきながら?ドイツってひでぇ国なんだな。
>>257 >彼らは6年かけて中国に洗脳され帰された兵士達です。
洗脳の中身も知らんのじゃない?
オーム真理教のお医者さん林郁夫さんの本でも読んで、洗脳の意味を理解して
書き込みなさい。
中身も知らず、言葉だけで洗脳を、理解した気になってる馬鹿!
278 :
朝まで名無しさん :03/05/30 17:43 ID:bWBMGUkd
靴屋さん・恵也必死にここ守ってるな〜 ま〜ガンバレや、あんたらだけで守ってるようなものだ しかしレスがめっきり減ったな、論破していい気分なんだろうが あんたら臭くて誰も近寄らないだけだよ。
>>264 >ジーメンス社はちゃ〜んと軍事部門を持ってますよ。
>立派な死の商人です。
でも高射砲も作ってたんかね?
軍艦や戦車の内部の電気機器なら、判るんだが、、、
280 :
朝まで名無しさん :03/05/30 17:45 ID:bWBMGUkd
恵也、靴屋といういい友達が出来てよかったな
282 :
朝まで名無しさん :03/05/30 17:49 ID:bWBMGUkd
恵也臭いぞ
283 :
pお :03/05/30 17:53 ID:lNmayviU
南京大虐殺を否定した本の、英語版てあるのかな? それか、中国の嘘や矛盾をついたHPとかないの? いくらなんでも、このままでは30万人が定説になってしまう・・・!
284 :
朝まで名無しさん :03/05/30 18:02 ID:bWBMGUkd
次から次へと創作話を作る左翼、必死なんですね〜 もう南京か慰安婦くらいしか活躍の場がないんですから
285 :
朝まで名無しさん :03/05/30 18:22 ID:octyzUvO
>>277 >小林氏はこの日本兵は上着を脱いでいるから真夏の写真だという。当時の兵隊
>は冬に上着を脱ぐことはなかったのだろうか
>
http://www.bekkoame.ne.jp/~ymasaki/senso1.htm いくら何でもこのリンク先はヒドイ(笑)
他の人間が冬服着てる中で何人かだけが上着を着てない、というなら
そいつの主張(=たまたま上着を脱いでた)も分かるが、
みんなが夏服着てる写真を何枚も持ち出して
「夏の写真だ」と判断せず「冬に上着を脱いだんだ!」って・・・バカ?
他にもツッコミどころ満載。ていうかギャグでやってるとしか思えん。
>たまには反論の説明も聞いてみたらどう?
少なくともそのサイトは、肯定派とか否定派とかいう次元じゃない。
もう少しまともなリンクを紹介してくれ。
286 :
計算機 :03/05/30 18:40 ID:Em/WXyqw
>>277 >マボロシ派の写真の説明ばかり、糞真面目に信用する単純人間が意外といる。
プロパガンダ写真研究所はまぼろし派ではないよ。
ちなみに俺は「戦争論」は読んでない(w
まぼろし派も(それほど)信用してない。
文房具屋で売ってたという証拠(佐藤某さんはその実物を持ってる)や
改ざんの記録(源出典)に基づいて写真を批判しているつもりだ。
そのサイトの出だしだけちょっと読んだけど例のライフの写真は、大人の男(父親か?)
が子供を置きに来る映像(動画フィルム)もある。これがヤラセであることは明白だと思う。
合成写真じゃないね。動画はない(見たければ貼る)けど、件のプロパガンダ写真研究所
でも細かく調査されている。
ttp://www2u.biglobe.ne.jp/~sus/child.htm 気になるのは、
>そして、次に合成写真を出して強引にこう言い放っています。
という部分だね。あたかも合成写真をわざわざ作って証拠を捏造したように
書いてる。合成だというならその論拠を示さないとね。
全部読んで今日中にレスすることはちょっと無理そうだからつづきは月曜日になるかな。
287 :
朝まで名無しさん :03/05/30 19:03 ID:e8Pu+zVY
便衣兵だという話を聞いたんですが、それで片付けられないんですか?この問題。
288 :
計算機 :03/05/30 19:09 ID:Em/WXyqw
>>277 夏服云々に関しては
>>285 さんも書いてるとおり、俺にも理解できなかった。
みんなが夏服着てたら夏だと判断するのが普通じゃないか?
最後の写真(これもプロパガンダ〜で解説されてるね)について。
#これは秦郁彦が怪しいといった写真だね。
わざわざ拡大して「笑ってない」と書いてるけど、画像が(例えばプロパガンダ〜
に載ってる奴と比べて)不鮮明だね。それに、本をデジカメで撮ったかスキャンした
らしく閉じるところの歪みがある。拡大画像も歪んだままだね。詳しくは下のURLを
読んで欲しいんだけど、これもアサヒグラフ1937/11/10号の「硝煙下の桃源郷」と
いうのが最初の出典だね。さらに言えば、最後尾の荷車がトリミングされてるね。
この写真に「中国人女性のグループは、日本軍に捕らえられてレイプされる場所まで連れて
行かれた。彼女らの多くは、そのあと殺された」というようなキャプションをつけることは
捏造と言って差し支えないと思う。女さらってくるのに荷車や赤ん坊(水野晴朗のような
兵隊の直後の人が抱いてる)まで必要ないだろ。
ただこの写真も更に鮮明な(大きなサイズの)モノが欲しいところだね。画像のコントラストや
その他を調整してみたけど、誰がどう見ても笑ってるという程の説得力はないかも知れない。
ttp://www2u.biglobe.ne.jp/~sus/capture.htm http://www2u.biglobe.ne.jp/~sus/asahigura.htm
なんとか図書館に寄れたので、日中戦争資料集の南京事件関連8と9が借りられた。9には ティンパリーの「戦争とは何か」やスマイス報告、国際安全区委員会文書などが記載されている。 元はといえばスマイス報告の全内容をもう一度じっくり読んでみようと思ったからだが、前にも 図書館で読んだことがあって知ってはいたが、これだけでもやはり凄い分量だなこりゃ。 借りてきただけで全然読んでないような状態だが、ちょっと面白い記述を見つけたので紹介する。 スマイス報告から。 南京地区における戦争被害報告 1937年12月−1938年3月 都市および農村調査 ルイス・S・C・スミス博士(金陵大学社会学教授)と助手による 南京国際救済委員会を代表して ベイツによる"まえがき”から抜粋 南京の城壁に直接に接する市街部と南京の東南部郊外ぞいの町村の焼き払いは中国軍が軍事 上の措置としておこなったものである。それが適切なものであったかなかったかはわれわれの 決定しうることではない。氏の東南の道路にそっておこなわれた軍事行動と四日間にわたった 南京市に対する控えめではあるが容赦のない住民の生命および財産の損害は、きわめて少なかっ た。事実上、焼き払いのすべてと近郊農村の焼き払いの多くは日本軍により数次にわたりおこ なわれたものである(南京においては入城から一週間過ぎて12月19日から2月初めまで)。 調査期間中の全域にわたっておこなわれた略奪の大半と、一般市民に対する暴行は、実際のと ころ全て日本軍の手によっておこなわれた。 以上のように、清野作戦によるという焼き払いや略奪を中国軍がおこなった行動のように思ってい る人も結構いるように思うのだが、ベイツらによればその大半は日本軍によるもの、となっている わけだ。・・・ともあれ、読む時間もあまりないのだが、暇を見つけてじっくり目を通すことにす る。
290 :
朝まで名無しさん :03/05/30 20:05 ID:aUK3vXEJ
参考資料一覧・1 南京大虐殺事件
http://plaza25.mbn.or.jp/~hinode_kogei/DATA.html ●南京事件に関する、日本側の記録
「第一一四師団第六六連隊第一大隊 戦闘詳報」
(十三日午後二時)午後二時零分、連隊長より左の命令を受く。
旅団(歩兵第一二七旅団)命令により捕虜は全部殺すべし。
その方法は十数名を捕縛して逐次銃殺してはいかん。
(中略)
各隊共に午後五時ごろ準備終わり刺殺を開始し、
おおむね午後七時三十分刺殺を終わり、連隊に報告す。
第一中隊は当初の予定を変更して一気に監禁し焼かんとして失敗せり。
●南京事件に関する、中国側の記録
「江寧県誌」
一二月下旬、上坊で婦女一〇名が強姦され、陰部に鉄棒を刺して
殺害される。
三八年一月八日、陸郎村で県城から避難していた市民が、
「敗残兵狩り」で一〇〇余人殺害される。
そのとき婦女八人が輪姦され、腹を割かれて殺害される。
●南京事件に関する、第三国の報道
「南京大虐殺」 シカゴ・デイリー・ニューズ
一九三七年十二月十五日 A・T・スティール
南京を離れるとき、我々一行が最後に目撃したものは、河岸近くの城壁を
背にして三〇〇人の中国人の一群を整然と処刑している光景であった。
そこにはすでに膝がうずまるほど死体が積まれていた。
291 :
朝まで名無しさん :03/05/30 20:06 ID:aUK3vXEJ
大虐殺派のウソ写真と証言
http://www.history.gr.jp/nanking/lie.html#10 ◆マギー牧師の“南京虐殺”フィルム
このフィルムに対して藤原彰・元一橋大学教授は
「虐殺の事実を裏付けるのに、これだけでも十分」
(ニューヨーク3日共同)と手放しの評価を与えている。
ところが、同フィルムの1部は、「幻」どころか、
1938年5月16日号の米誌『LIFE』ですでに紹介されていた。
しかもその大半は病院で治療を受ける中国人の姿で、
戦争の一場面を示す当時どこにでもある写真であった。
◆南京事件またニセ写真
平成7年3月5日、産経新聞より。
東北地方のプロック紙「河北新報」の昨年5月20日付夕刊に
掲載された中国政府提供の南京事件(南京大虐殺)の写真について、
仙台市在住の旧軍人から
「日本兵の軍服が当時(昭和12年12月)と異なる。
南京事件とは無関係」という指摘が11日までに、産経新聞に寄せられた。
この写真について「南京事件とは無関係」と指摘したのは
仙台市青葉区新坂町の無職、庄司鋭男さん(73)。
南京事件は昭和12(1937)年12月にあったとされている。
13年以降の軍服を日本兵が南京事件当時に着ているはずがない」と指摘する。
渡辺英亮・河北新報社広報局長の話「写真は東京新聞から配信され、
間違いないと思って掲載したが、指摘があれば、慎重に調べてみたい」
292 :
朝まで名無しさん :03/05/30 20:55 ID:octyzUvO
294 :
朝まで名無しさん :03/05/30 21:15 ID:octyzUvO
296 :
朝まで名無しさん :03/05/30 21:30 ID:gUYvc6LC
日本外務省、「日本軍による南京での殺人・略奪行為は否定できない事実」
日本の外務省スポークスマンの沼田貞昭氏は19日、当時の日本軍による南京
における殺戮(さつりく)行為は否定できない事実であると語った。
上記は、沼田貞昭氏が新華社の記者によるインタビューに応じ、語った言葉で
ある。沼田氏は、旧日本軍が1937年南京に侵入し、一般市民を殺害し、略奪行
為を行なったことは、否定できない事実であり、政府によるこれらの認識は、集
会を催した団体の認識とは異なっていると表明し、以下のように強調した。
日本政府の歴史認識に関する考えは、日本の村山富市元内閣総理大臣が
1995年8月15日の談話において明らかにした、「我が国は遠くない過去の一時
期に、植民地的統治と侵略によって多くの国、特にアジア諸国の人々に極めて
大きな損害と苦痛をもたらした。我々は、この歴史的事実を謙虚に認め、ここ
で改めて痛切な反省と心からの謝罪を表する」という言葉と変わっていない。
現在に至るまで、日本政府のこの考えには、いかなる変化もない。
「人民日報」 2000年1月20日1面
ttp://fpj.peopledaily.com.cn/2000/01/20/newfiles/a1020.html
>>292 あらら、灯台もと暗しでしたね。儂のは写し間違い誤字とかあるけどね。
で、それに対する反論は、ベイツ証言になると。
東京裁判 ベイツ証言 第三十六号(昭和二十一年七月二十九日)(抄)
●ベーツ証人 (略)
日本軍入城後何日もの間、私の家の近所の路で、射殺された民間人の屍体がごろごろして居りまし
た。此の虐殺行為の及ぶ全範囲と云ふものは非常に広いのでありまして、全体のところを申上げる
ことの出来る人は一人も居りませぬ。我々は安全地帯及び其の附近の地方に付て出来るだけ調査し
たのであります。「スミス」教授及び私は、色々な調査・観察の結果、我々が確かに知って居る範
囲内で、城内で一万二千人の男女及び子供が殺されたことを結論と致します。
(林モニター 男女及び子供を含む非戦闘員)
其の他市内で多数殺された者がありますが、我々は其の数を調査することは出来ませぬ。又、市外
でも殺された者が相当居ります。今まで申したことは、中国の兵隊であり或は曾て中国の兵隊であ
ったことのある何万人の男の虐殺を全然含まないものであります。
●サトン検察官 前の兵隊又は兵隊であった者が殺された、どう云う状態で殺されましたか。
●ベーツ証人 中国兵隊の大きな一群は城外の直ぐ外で降伏し、武装を解除され七十二時間後、機銃
掃射に依って射殺されたのであります。是は揚子江の畔であります。国際委員会は三万人の兵士の
亡骸を葬る為め労働者を雇ったのであります。是は我々の労働救済対策として行ったのであります。
揚子江に葬られた屍体及び他の方法に依って葬られた屍体の数は数へることが出来ませぬ。
(林モニター 埋められた屍体)
『日中戦争史資料集8』 P49
調査してないところにも多数あるが、それは調査していないから分からんと。しかも捕虜や便衣兵容
疑者を含む兵隊は入ってないと。
>>288 >1937/11/10号の「硝煙下の桃源郷」
その時期がどんな時期だったのか判って、書いてるの?
上海から南京に進撃してるときに、村人が仕事から帰るのをガードして
やるほど日本軍は暇だったのかい?
>「我が兵士に護られて仕事より部落へかへる日の丸部落の女子供の群」
この説明文を信頼するほど馬鹿じゃないだろう!
> 上海の白茆口に上陸した時すぐ松井石根大将が、この地方は共産党
>思想が強いのであらゆる者は殺せと指示したと聞きました。その時、
>野田聯隊長がそれを聞いてだめだと言ってました
http://members.tripod.co.jp/NankingMassacre/up_logo.html (虐殺命令より)
301 :
朝まで名無しさん :03/05/30 22:30 ID:octyzUvO
>>295 >家族全員、死亡してるところはスマイス調査では出てきません
(中略)
>>各自五○戸ずつ人の住んでいる家を抽出して、住宅番号を数えてはそれに
>>記入してうめてゆく
「人の住んでいる家を抽出して」とあるのだが・・・アフォですか?
50戸の中から人のいる家を1件探して家族調査をした後、
出た数字を50倍する、という調査方法なんだろ?
それともスミス博士がアホで、最後に50倍するの忘れちゃった、とでも?
302 :
名無し@はハチでおなかいっぱい :03/05/30 22:51 ID:QsWc6Rjc
ひとつ言いたい事 まず当時物資が不足していて困っていた。そのようなときに 数万人殺すなんて子とありえると思う?神業で一人一発で殺したとしても50000発もいるわけだ。 しかもマシンガンだから一発だけ撃つという事は不可能。最低でも150000発は消費する事になる。 しかも当時南京には数百人のジャーナリストがいた。ジャーナリストはスクープ狙いで南京にきているのだ 完璧に8年も隠す事は不可能。深夜にやったとしても、銃声でジャーナリストは起きるはず。当時サイレンサーなんて持っていったはずがない 以上などのことから南京虐殺は完璧に捏造だという事が証明されました
>>291 >13年以降の軍服を日本兵が南京事件当時に着ているはずがない」と指摘する
60年近くも前の軍服を良く、覚えてるものだね!!!
それも1年違いのものまで、
それにしては、軍服の写真を持参して抗議したと思うが、なんで写真が
無いんだ?
それとも60年近く昔の軍服の製造年月日までみんな知ってるのかね。
ただの嫌がらせか、信用を落とす為の、抗議するだけのお話というのじゃない?
>>303 マニアは微妙な違いも見逃さずに年式を特定できる。
時代は関係ないのだよ。
知識のあるものが見れば、その被服が何年まで使用されていたのか、また、何年から
使用されていたのかを特定するのはさして困難なことでない。
ガキの口喧嘩みたいなレスつけて嬉しいのか?
306 :
田原(偽) :03/05/30 23:05 ID:ogiwJSfO
>>304-305 知障がわめくのに理由なんてあると思うかい?
さて、続きをどうぞ>各派の論客殿
>>301 >「人の住んでいる家を抽出して」とあるのだが・・・アフォですか?
人が全部死んで、無人になった家は、抜かしてあるの。
スマイス調査は生きている人の保護の為に、調査したもの。
死んだ人間を調査するものでは、ありません。
だから下関では、13軒の50倍、650軒しか人の住んでる家は無かったわけ
1日に2万人くらい運送できる、大港町が調査した時はそこまで減ってたんだ。
308 :
朝まで名無しさん :03/05/30 23:08 ID:tTHwtK1I
>>303 もういい加減ウンザリなんだが。
出征のときとか一時的に帰省した時に記念として写真を残している人は多いんだよ。
そういった資料から詳しい人は年式を判断できるの。
もう、始めに結論ありきで論を組み立てるの止めてくれや。
他の肯定派の人はなんでこういうのを放置するのか訳わからんよ。
309 :
朝まで名無しさん :03/05/30 23:13 ID:rWTSEKiP
>>302 えっと、ネタですか?
事件はリアルタイムで世界に報道されていました。報道されていなかったのは日本国内だけの話で、
知らなかったのも日本の一般国民だけです。
310 :
田原(偽) :03/05/30 23:14 ID:ogiwJSfO
>>309 君!
ネタは間に合ってるよ。
他でやって!
311 :
朝まで名無しさん :03/05/30 23:14 ID:rWTSEKiP
「南京大虐殺」 シカゴ・デイリー・ニューズ 一九三七年十二月十五日 A・T・スティール <見出し> ・日本軍何千人も殺害 ・”目撃者の語る地獄の四日間” ・通りに5フィートも積もる死体の山 <南京(米艦オアフ号より)十二月十五日>南京の包囲と攻略を最もふさわしい言葉で表現する ならば、”地獄の四日間”ということになるだろう。 首都攻撃が始まってから南京を離れる外国人の第一陣として、私は米艦オアフ号に乗船したと ころである。南京を離れるとき、我々一行が最後に目撃したものは、河岸近くの城壁を背にして 三〇〇人の中国人の一群を整然と処刑している光景であった。そこにはすでに膝がうずまるほど死体が積まれていた。 それはこの数日間の狂気の南京を象徴する情景であった。 南京の陥落劇は、罠にはまった中国防衛軍の筆に尽くせないパニック・混乱状態と、その後に 続いた日本軍の恐怖の支配、ということになる。後者では何千人もの生命が犠牲となったが、多くは 罪のない市民であった。 首都放棄以前の中国軍の行為も悲惨であったが、侵入軍の狼藉に比べたらおとなしいものだった。 南京にいる外国人は全員無事である。
312 :
朝まで名無しさん :03/05/30 23:15 ID:rWTSEKiP
・同情の機会を失う 中国人のとの友好を主張しているにもかかわらず、日本軍は中国民衆の同情を獲得できるまたとないチャンスを、自らの蛮行により失おうとしている。 中国軍の士気の完全な崩壊と、それに引き続いて起こった目茶苦茶なパニックのあと、日本軍が入場してきたときにはかすかな安堵感が南京に漂った。 中国防衛軍の行為ほどには悪くなり得ないだろうという気持ちがあった。が、その幻想はたちまち破れてしまった。 罠にはまった中国兵に憐憫の情をたれるだけで、日本軍は一発も発砲せずに市内を全部制圧できたはずだ。ほとんどの兵がすでに武器を捨てており、 降伏したに違いない。しかしながら、日本軍は組織的撲滅の方法を選んだ。
313 :
朝まで名無しさん :03/05/30 23:16 ID:rWTSEKiP
・5フィートも積もる死体 まるで羊の屠殺であった。どれだけの部隊が捕まり殺害されたか、数を推計するのは難しいが、 おそらく五千から二万の間であろう。 陸上の通路は日本軍のために断たれていたので、中国軍は下関門を通って長江に殺到した。 門はたちまち詰まってしまった。今日この門を通ったとき、五フィートの厚さの死体の上を やむなく車を走らせた。この死体の上を日本軍のトラックや大砲が、すでに何百となく通り過ぎていた。 市内の通りはいたるところに市民の死体や中国軍の装備・兵服が散乱していた。渡航船を 確保できなかった多くの部隊は長江に飛び込んだが、ほとんどが溺死を免れなかった。 ・米公使宅襲撃さる 日本軍の略奪はすざまじく、それに先立つ中国軍の略奪は、まるで日曜学校のピクニック程度のものであった。 日本兵はアメリカ大使ネルソン・T・ジョンソン邸を含む外国人宅にも侵入した。 アメリカ人運営の大学病院(鼓楼病院)では、日本軍は看護婦から金や時計を奪った。また、アメリカ人所有の車 を少なくとも二台盗み、車についていた国旗を引き裂いた。日本軍は難民キャンプにも押し入り、貧しい者からなけなしの金を巻き上げた。 以上は、私自身および包囲中南京にとどまった外国人が見た事実によるものである。 (「南京事件資料集・アメリカ関係資料編」 南京事件調査研究会・編訳 青木書店より
>>302 >ひとつ言いたい事 まず当時物資が不足していて困っていた。そのよう
>なときに 数万人殺すなんて子とありえると思う?
中国軍の武器、弾薬が手に入りその心配は要りません。
それに内地で本当に物資不足になったのは、ABCD包囲網が完成して
アメリカと戦争し、輸送船が沈められるようになってからの事。
南京事件の5年以上後の話だ。
315 :
朝まで名無しさん :03/05/30 23:17 ID:rWTSEKiP
「日本軍、南京の行き過ぎを抑制」 ニューヨークタイムズ 一九三七年十二月十九日 ハレット・アベンド 日本軍上層部は、南京入城を国家の不名誉にした略奪、暴行、殺戮を速やかに終息させるため、遅ればせながら 厳しい懲戒手段を取り始めた。たけり狂った部下が、数百人の非武装の捕虜、民間人、婦女子をでたらめに殺害す るという衝撃的な不行跡が、中支方面軍司令官松井岩根大将にはいっさい知られないようにするために、必死の努 力が為されているものと思われる。ところが、この狡猾な老武将は、下級将校の中にはもみ消し工作に関与してい るものがいることを、すでにうすうす気付いている模様である。 指揮の手腕を心からほめたたえられるはずの正当な南京入城は、パナイ号攻撃で台なしになってしまい、さらに は、中国の元の首都に到着するや、包囲が完了してからの出来事を知ったとき、落胆はパナイ号を凌ぎ、恐怖と恥 辱の色を濃くした。日本の国も国民も、武勇と義侠の誉れ高い陸軍を長く誇りにしてきた。が、中国の大略奪集団 が町を襲うときよりひどい日本兵のふるまいが発覚したいまや、国家の誇りは地に墜ちてしまった。 (「アジアの中の日本軍」 笠原十九司 大月書店より)
316 :
朝まで名無しさん :03/05/30 23:19 ID:rWTSEKiP
「中国軍司令部の逃走した南京で日本軍虐殺行為」 ニューヨークタイムズ 一九三八年一月九日 F・ティルマン・ダーディン (中略)南京を掌握するにあたり、日本軍は、これまで続いた日中戦争の過程で犯されたいかなる虐殺より野蛮な虐殺、略奪、強姦に熱中した。 抑制のきかない日本軍の残虐性に匹敵するものは、ヨーロッパの暗黒時代の蛮行か、それとも中世のアジアの征服者の残忍な行為しかない。 無力の中国軍部隊は、ほとんどが武装を解除し、投降するばかりになっていたにもかかわらず、計画的に逮捕され、処刑された。安全区委員会に その身を委ね、難民センターに身を寄せていた何千人かの兵隊は、組織的に選び出され、後ろ手に縛られて、場外の外側の処刑場に連行された。 塹壕で難を逃れていた小さな集団が引きずり出され、縁で射殺されるか、刺殺された。それから死体は塹壕に押し込まれて、埋められてしまった。 ときには縛り上げた兵隊の集団に戦車の砲口が向けられることもあった。もっとも一般的な処刑方法は、小銃での射殺であった。 南京の男性は子供以外のだれもが、日本軍に兵隊の嫌疑をかけられた。背中に背嚢や銃の痕があるかを調べられ、無実の男性の中から、兵隊を選び 出すのである。しかし、多くの場合、もちろん軍とは関わりのない男性が処刑集団に入れられた。また、元兵隊であったものが見過ごされ、命びろいをする場合もあった。 南京掃討をはじめて三日間で、一万五千人の兵隊を逮捕したと日本軍自ら発表している。そのとき、さらに二万五千人がまだ市内に潜んでいると強調した。 (中略) 年齢・性別に関わりなく、日本軍は民間人をも射殺した。消防士や警察官はしばしば日本軍の犠牲となった。日本兵が近づいてくるのを見て、興奮 したり恐怖にかられて走り出すものは誰でも、射殺される危険があった。日本軍が市内の支配を固めつつある時期に、外国人が市内を回ると、民間人の死骸を 毎日のように目にした。老人の死体は路上にうつ伏せになっていることが多く、兵隊の気まぐれで、背後から撃たれたことは明らかであった。 (「南京事件資料集・アメリカ関係資料編」 南京事件調査研究会・編訳 青木書店より)
317 :
朝まで名無しさん :03/05/30 23:20 ID:tTHwtK1I
>食料から衣料品まで輸送が間に合わなかったのを、考えてくれ。 >十分足りてれば、徴発なんて軍紀を乱すことも、少なかったろうに! >それに内地で本当に物資不足になったのは、ABCD包囲網が完成して >アメリカと戦争し、輸送船が沈められるようになってからの事。 もう何を言ってよいやら・・・・・・・・
318 :
朝まで名無しさん :03/05/30 23:21 ID:rWTSEKiP
「日本軍の略奪と暴行」 マンチェスター・ガーディアン・ウィークリー 一九三八年二月十一日 日本軍は十二月十三日南京に入城し、その翌日には五万人の日本兵が中国人難民のひしめく市内に解き放された。 日本兵は傍若無人に市内を徘徊し、中国人からお金、食料、衣料を奪い、家に押し入り、女性を襲い、要求を拒む者 は構わず負傷させ、殺害した。多くの難民は外国人宣教師の保護下にある金陵大学の建物に集中避難した。このうち 幾棟かはアメリカ国旗を掲げていたが、何ら防衛効果を上げていない。日本兵は門を壊すか壁をよじ登り安全区に押 し入り、国旗を引き裂き、銃剣で外国人を威嚇する。安全区国際委員会や大学当局は日本大使館に繰り返し抗議した が、無益であった。大使館員は軍と外国人居留民との緩衝役として、南京に十二月十五日に到着していた。日本大使 館はしばらく抗議内容を信じまいとしていたが、通りは死骸で溢れ、大使館から見えるところで強姦が行われ、もは や無実を装うことは不可能となり、大使館は自ら無力を認めざるをえなくなった。当初、五万人の兵士を統制するの に、南京市全域で憲兵は一七人に過ぎなかった。十二月二十一日になって、安全区委員会のメンバーが車で市内を数 マイル走ったところ、一人の憲兵にも出逢わなかった。
319 :
朝まで名無しさん :03/05/30 23:21 ID:rWTSEKiP
以下は外国人の目撃談であるが、南京市全域で何が起こっているのかを示す、重要な証言である。 十二月十五日 日本兵が大学図書館に三たび侵入した。この建物内で、女性四名を強姦し、連れ去った女性のうち、 強姦後に解放された者が二名、戻ってこなかった者が三名ある。この建物には千五百名の難民が避難していた。 十二月十六日 農業経済系構内で、三〇名あまりの女性が、ひきもきらずにやって来る大勢の日本兵に強姦される。 同夜、日本兵が図書館に再び侵入し、銃剣を突き付けて、お金、時計、女性を要求した。女性数人が構内で強姦され、 兵士に少女を差し出さなかった門番が殴打された。 十二月十七日 日本兵数名が大学付属中学校に侵入。恐怖のあまり騒ぎ出した子供一人が銃剣で刺殺され、もう一人 が重傷を負った。女性八名が強姦にあう。日本兵は昼夜を分かたず、この建物を乗り越えて侵入するので、難民はヒス テリー症状を起こし、三晩不眠状態となった。 (中略) これらは膨大なリストから引用したほんの僅かの例である。 (「南京事件資料集・アメリカ関係資料編」 南京事件調査研究会・編訳 青木書店より)
320 :
朝まで名無しさん :03/05/30 23:26 ID:CYOb7w8D
以上、
>>311-319 までのコピペだが、これらはいずれも記事の信憑性が「低い」とされている。
南京落城の混乱に際し、僅か数紙がセンセーショナルかつ不十分な裏付けもなしに記事にしたわけである。
(3) 外人記者団の南京戦跡視察
米・英・仏など先進国のマスコミにいわゆる南京事件なるものが、ほとんど取り上げられなかったのは、そのような事実はなかったからである。その例証を上げよう。
事件の翌年(昭和13年)夏、上海の外人記者クラブが南京戦跡視察を申し出てきた。
軍はそれにOKを与えた。彼ら15、6名の記者は飛行機をチャーターして南京にやって来た。
そのスケジュール一切彼らが立案したものである。
説明は南京の報道部員があたった。
彼らは「難民区跡」の病院や捕虜収容所をはじめ、激戦地を訪ねた。
このとき一行と共にこれらの各地を回ったのが、当時同盟の南京特派記者の小山武夫氏(のち中日ドラゴンズ社長、東京・品川区在住)である。
小山氏はその時の模様を詳しく文章にして(写真と共に)筆者に下さった。
要約すると日支両軍の戦闘状況や彼我の犠牲者数、戦後の治安状況、俘虜の問題など、相当突っ込んだ質問がとび、彼ら同士も想像をたくましくして、いろいろ語り合っていたが、
今日問題になっている俘虜の大量殺害や一般市民に対する“虐殺”に類する質問や話題は全くなかった。
つまり外人記者同士の間にさえそのような噂すらなかったというのである。
321 :
朝まで名無しさん :03/05/30 23:26 ID:CYOb7w8D
一行は、紫金山、中山陵、中華門、雨花台、下関、江東門さらに足を伸ばして湯水鎮、幕府山などを巡視した。だが、“大虐殺”の話など質問さえでなかったと小山氏は言う。 上海駐在の各国新聞・通信社のより抜きの特派員が15、6名のうち揃って硝煙なまなましい南京戦の戦場を視察したのである。 その視察の期間中“虐殺”問題は話題にものらなかったという。 米・英・仏等の新聞や雑誌に、南京虐殺事件を見ないのも当然である。 小山氏は、さらにこう言う。 「だいいち13年春から3年以上も南京に駐在し、取材に当たっていた私が、ついにそういった風聞さえ聞いていないんですからネ。あればどこかで何かをきくはずですよネ」 私は“南京虐殺”など信じていませんと小山氏は言い切る。 なお松井大将は、南京陥落後上海で外人記者団と2度会見しているが、この席でも今日伝えられるいわゆる南京アトロシティーに関する質問は何ら受けておらず、 またパネー号事件やレディバード号事件で米・英の軍司令官等に謝罪し、懇談しているが、その席上でも話題に上っていないという。 大将は宣誓口供書の中で、南京に一般中国人の殺害や捕虜の大量殺害事件があったと聞いたのは、終戦後米軍がそのような放送をしていると聞いたので驚き、 部下を呼んで調査せしめたと述べている(別項参照)。
322 :
朝まで名無しさん :03/05/30 23:33 ID:rWTSEKiP
『シカゴ・デイリーニューズ』38年12月17日 A・T・スティール 日本軍は虱潰しに家々を捜索していき、多数の便衣兵容疑者を捕らえていた。 これら多数の縛られた者たちが一人一人銃殺されていき、その傍らで同じ死刑囚がぼんやりと座って自分の順番を待っている
>>305 >その被服が何年まで使用されていたのか、また、何年から
>使用されていたのかを特定するのはさして困難なことでない。
マニアしかわからんような事を、特定するなら皆にわかるように
昭和12年型と昭和13年型の軍服を出すのが、常識だ。
それをどのくらいはっきり写った写真かは知らんが、製造年月日まで
特定できるほど、軍服が特定できるのかね。
それも60年近く昔の製造年月日が、どのくらい当てに出来るのか?
雑誌だって来月号とかいって、出してなかったっけ。
>>292 ついでに言うと、田中正明氏はなんでスマイス報告の中に注釈で埋葬数からの推計数である
暴行による一般市民の死者数一万二千人には触れないで6600人とか言っているのかなぁと。
これは市部調査だけで、農村だと26870人と記載されているのだが、南京市ではないから
南京事件には入らないのだろうか。中国は近郊六県は入れないで30万といっているから
それに合わせているんだろうか。でも田中正明氏は近郊六県云々を語っておられるのでわけが分
からない。
また、報告書を良く読めば分かるように市部の城外はほとんど調査していない。このことはベイ
ツ証言とはまったく矛盾しないのに「ベイツ教授のように前言をひるがえす」なんて言っている。
スマイスも報告書中で、埋葬数からの推計でない田中正明氏が言う6600人中の拉致者数を除
く死者報告数は実際よりは少ないことを認めている。
スマイス報告と東京裁判でのベイツの証言との間に他に何か矛盾でもあるんだろうか。借りて
きた日中戦争資料8の中に証言記録があるので、もうちっと調べてみよう。
(しかしカタカナは読みにくいなぁ・・・)
325 :
朝まで名無しさん :03/05/30 23:41 ID:xZe81ZU/
>>322 > 『シカゴ・デイリーニューズ』38年12月17日 A・T・スティール
年を間違えるようなコピペは問題外だな。
ID:CYOb7w8D君、コピペ元が分かっているんだったらきちんと入れないと行けないよ。
これだろ。
http://www.history.gr.jp/nanking/reason14.html 結局田中正明氏に行き着くという・・・・ともかく田中正明氏の書くことは、ちょっと調べる
だけですぐに妙なところが露呈するんだよなぁ。儂でさえ既に3〜4回は指摘しているように
思うが。こういうことを言うとすぐに「印象操作」とか言われてしまうのだが、そのような指
摘をする前に自分で一度調べて欲しいと思うなぁ。否定はかまわないが、田中正明氏だけは
使わない方が身の為と思うんだが。
328 :
朝まで名無しさん :03/05/31 00:00 ID:2DiJ0Gxv
否定するのは簡単だ。 虐殺宣伝屋の詐話師どもに証明を求めればよいだけの話。 それに対して宣伝屋は、意味の無い屑長文投稿を延々と繰り返し、 誤魔化し続けて逃げまくるっつーのがパターン。どーせここでもそうだろ?
329 :
朝まで名無しさん :03/05/31 00:05 ID:2DiJ0Gxv
宣伝屋の詐話師どもがコテハンを付けたがるのは ご主人様やら仲間に対して忠誠心を示すためとか、 仕事してますよと示すためだろうね。
331 :
朝まで名無しさん :03/05/31 00:16 ID:osytAZaO
まあ、なぜこんな事が話題に上るのかも考えて おきたい訳だが。
332 :
朝まで名無しさん :03/05/31 00:26 ID:/CB0fyqE
肯定派の主張には根拠が無いね。 自分が出す資料には他の部分に多大な問題がありながらも「信用に足る」と寝ぼけたことをいう。 他人が出した資料には一部の問題点を殊更強調し、その資料全体がおかしいとする。 何より印象操作と自ら述べているように、結局はこの程度なのである。
333 :
朝まで名無しさん :03/05/31 00:29 ID:/CB0fyqE
つまり彼らはとにかく、田中正明はおかしい、と言いたいわけである。 このやり方は肯定派の諸君に多い。 ならば同様に、 東がおかしい 笠原がおかしい とも言えるのである。
334 :
朝まで名無しさん :03/05/31 00:31 ID:/CB0fyqE
>>331 > まあ、なぜこんな事が話題に上るのかも考えて
> おきたい訳だが。
簡単である。
事実でないからである。
>>333 > つまり彼らはとにかく、田中正明はおかしい、と言いたいわけである。
儂についてはそれはそのとおりだが、ちゃんと具体的にどこがおかしいか、儂は何回か
言っているわけだが。自分で調べたし。
> 東がおかしい
> 笠原がおかしい
東って誰? 何れにせよ、具体的に自分で調べてどこがおかしいかをきちんと把握しなけ
れば意味がないのは当然さ。
336 :
朝まで名無しさん :03/05/31 00:39 ID:fpYjtNhV
337 :
直リン :03/05/31 00:39 ID:g+zeokSg
紅卍字会って、たしか、笹川良一のとこだっけ? よく知らないから間違っているかもしんないけど。 紅卍字会の数字を嘘だと思っている人は、笹川が国民党や アメリカの都合に合わせて数字出したと、そういうことを言っているのかな? まあ、日本の右翼業界ではあり得る話ではあるわなあ。 児玉誉士夫もアメリカの犬だったし。
>>338 君のは調査じゃなくて都合のいい資料を選り抜いてコピペしてるだけ。
自らの意見らしきものは、ことごとく電波。このスレで確認できる。
他の虐殺肯定派の論客から補足が入らないのもそのせい。
342 :
331 :03/05/31 00:55 ID:osytAZaO
今も昔もDQNのいない世界など無かったのかね、諸君? と、言いたい。あるなしなどどうでもよいが、 これを他国、他人をいじくり回す為に使う根性が気に入らん。
343 :
朝まで名無しさん :03/05/31 01:02 ID:2DiJ0Gxv
ところで、宣伝屋どもは開き直って 「垂れ流し戦術」に出ているようだね。 「ただ俺はこんな話があると紹介しているだけだ」 っつーヤツね。
>>335 > 東って誰?
南京に関する本を書いた人。
君も扱いに困っているであろう恵也君が熱を入れてる人物だ。
で、内容がデタラメだとして裁判になり、一審二審最高裁まで争ったがすべて敗訴。
裁判でのやりとりはググればいくらでも出てくる。
ちなみに東史朗ではなく、東史郎でググると良いだろう。
346 :
朝まで名無しさん :03/05/31 01:09 ID:2DiJ0Gxv
所詮、虐殺宣伝員の連中が今やっていることは、 仲間内に対してのアリバイ作りだからな。忠誠心を示して必死に 生き残りを図っているわけだ。そういう事情下であるのであれば、 DQN度が異常に高いのも無理ないことであろう。 常識人の人たちが理解に苦しみ、扱いに困るのも無理は無い。
347 :
朝まで名無しさん :03/05/31 01:18 ID:osytAZaO
>>346 所詮は群れないと生きていけないのはわかるが
プライド無さ杉はイクナイな。
なる、東史郎ね。ピンとこない儂ってほんとに初心者じゃなぁ。
349 :
朝まで名無しさん :03/05/31 01:38 ID:2DiJ0Gxv
まあ、そもそも、もともと足りないDQNだからこそ ブサヨなんぞになり、挙句の果てに虐殺宣伝屋の鉄砲玉に 成り下がるのだろうがね。
350 :
朝まで名無しさん :03/05/31 01:41 ID:osytAZaO
>>349 そんな奴は放置が妥当だな。
しかし、サヨク(349)ゲッツかいw
351 :
朝まで名無しさん :03/05/31 02:10 ID:n/CU7ZWX
靴屋も宣伝屋の一人ですか
352 :
朝まで名無しさん :03/05/31 02:14 ID:n/CU7ZWX
靴屋も宣伝屋の一人ですか
353 :
朝まで名無しさん :03/05/31 02:15 ID:osytAZaO
354 :
朝まで名無しさん :03/05/31 02:18 ID:n/CU7ZWX
靴屋も宣伝屋の一人ですか
355 :
朝まで名無しさん :03/05/31 02:20 ID:n/CU7ZWX
靴屋は宣伝屋のまんまと乗せられてるアホですか
356 :
写真 :03/05/31 03:11 ID:0jPo5wzt
http://www.bekkoame.ne.jp/~ymasaki/senso1.htm ------引用---------
イメージ操作をしているのはどちらでしょうか。小林さん、あなたは「Life」が合成写真を使った
とでもおっしゃりたいのですか。それを「Life」に確認したのですか。この点で「Life」から名誉毀
損で訴えられるとあなたに勝ち目はありませんよ。写真を検討すればわかることですが、素人目で見
てもあなたの提出している写真の方が合成写真だということがわかるはずです。よくご覧ください、
線路の枕木から鉄柱が生えていますね。こんな写真がありえますか。これじゃあ列車が通れないじゃ
ありませんか。
このようにあなたはニセ写真を使って本物の写真をニセ者呼ばわりしている。これがあなたの問題
点です。
------終わり-------
について考えてみた。
1.『あなたの提出している写真・・・』とあるが、これは小林氏が出典を明らかにしており
”J・キャンベル編『20世紀の歴史N』”に掲載されている。小林氏への非難は当たらない。
元の写真に兵士がいなくて、小林氏の写真に兵士が追加されていたなら合成写真を作ったとしていえる。
が、記述には元の写真を見たとも書いてないし、まじめに検証した反論ではない。
2.『鉄柱が有って列車が通れない』から合成写真だと言うがどうだろうか?
まず、目に付くのは一番手前のレールが殆ど土に埋もれている。長い間使われていない線路ではないか。
とすれば、線路はそのままで庇の柱を立てることも有るのではないだろうか。
何よりも、写真捏造をするのに、自分に不利になる柱は追加しないだろう。もとから柱が有ったと考えるのが
自然ではないだろうか。
根拠の薄い反証しか出来ないサイトを見ると、肯定派はジリ貧なのかなと思う。
>>317 >もう何を言ってよいやら・・・・・・・・
時間と場所が違えば、中身が違うよ。
南京事件当時、日本国内は物資の不足はありません。
しかし南京での日本軍は、輸送が間に合わず、食料、衣服は不足してました
武器は、中国軍のチェコ機関銃(ずいぶん悩まされたようです)や小銃を
いっぱい手に入れ、困ることはありませんでした。
食料、燃料は不足したみたいで南京市民に配給するのさえケチってたようだ。
安全委員会から請求されても、約束を破ったりしたことまであった。
南京市民も燃料が無くて、人の居なくなった家の燃えるものをカッパラって
煮炊きや、暖房に使っていた。
>>356 >1.『あなたの提出している写真・・・』とあるが、これは小林氏が
>出典を明らかにしており”J・キャンベル編『20世紀の歴史N』”に掲載さ
>れている。小林氏への非難は当たらない。
俺は両方とも捏造写真とは思わんな!
赤ん坊の手前には、カメラマンもいるし、多くの市民がいると思うのが
自然じゃないの。たとえどんなに混乱してても、死傷者が居てもね。
何かの都合で、人ごみからはずして両親?が用事を片付けてる光景。
>>344 >裁判でのやりとりはググればいくらでも出てくる。
意外と出てこない。東史郎氏の弁明を聞きたいがね。
彼の内容がでたらめじゃなく、隊長さんが郵便袋で人を殺したのを、証明
出来なかっただけの話だ。
南京まで行って、人形をつかってまで再現実験やったが、裁判所は証拠不十分
で名誉毀損金50万円?を隊長さんに払いました。
60年前の記憶で、喋ったってあやふやな所はいっぱい有ると思うがね。
ここで裁判のやり取りを出しても名誉毀損にはならないだろうが、少し心配。
裁判記録は残ってるだろうが、記録に残ってないことはめったなことは喋れん
ということなんだろう。
362 :
朝まで名無しさん :03/05/31 09:09 ID:igm5Q79a
拉致問題あったの?何人逆拉致されたの にスレタイ代えろや。
>>329 >宣伝屋の詐話師どもがコテハンを付けたがるのは
>ご主人様やら仲間に対して忠誠心を示すためとか
俺のことか?
ここに書いてることは俺の責任で、事実だと思うから書いてるだけだ。
HPはその参考に出すだけで、中身には責任もてんが、自分で書いた文章は
俺の責任だ。
その点、朝まで名無しさんは、責任もたんで良い気楽な方々!
言いっぱなしの無責任野郎だ。
俺の主人は俺自身だ。
仲間を作って群れるのは、自分に自信のない連中だ。
365 :
朝まで名無しさん :03/05/31 10:07 ID:2DiJ0Gxv
>>364 中国を忘れちゃイカンだろ。
大虐殺のチャンピオンといえばなんつっても「中国」だよな。
ちなみに、中国人による「南京大虐殺」は事実だが、日本軍が
やったとかいう「南京大虐殺」が大嘘だということはあらためて
言うまでも無いこと。
366 :
朝まで名無しさん :03/05/31 10:10 ID:2DiJ0Gxv
ソビエトも忘れちゃいなん。っつーか、共産主義者によって 大虐殺された人間は少なく見積もっても億をくだらないというから 大虐殺といえば、共産主義者によるこれこそ人類史上最悪であろうから 忘れずに特筆しとかなきゃいかんな。
>>361 日記を改竄したというより、草書体で書かれた原文の記述が不正確だったんでしょ?
作家の全集に入っている日記などは読んだことあるけど、(ママ)とか、(何文字分不明)とか、
途中でただし書が入るものが多い。それをきちんとやるべきだった、というコトです。
>365 うそつきハッケン
369 :
朝まで名無しさん :03/05/31 10:16 ID:2DiJ0Gxv
>>363 大切なのは意見なのであって、君達のように名前を売る必要など
さらさら無いのでね。それにそもそも言っている事が激しく
おかしいぞ?中身に責任もてないのであれば「俺の責任」って
何だよ?バカ?
370 :
ウイルス情報 :03/05/31 10:24 ID:0jPo5wzt
恵也 ◆o4NEPA8feA は新種のAI形ウイルスソフトです。 ○ウイルス名:WORM_o4NEPA (ネッパ) ○危険度:低 ○対応パターンファイル:8feA 以降 ○感染方法:2ch ○主なウイルス活動: インターネットBBSを監視し登録されている語句の組み合わせから肯定派否定派を判断し、 定められた応答集の中から近いものを選択、語句を入れ替える等トリミングして投稿します。 たまにbekkoameなどのHPサイトアドレスを貼り付ける事もあります。 ○実害 パソコン感染などの実害はありません。 厨房など社会的に未発達な人が感染し「スカラー!」と叫びながら町を歩く被害が報告されてます。 まれに二十歳以上の大人にも感染することがあります。 命に危険はありませんが社会的信用失墜等経済的損失がまれに発生します。 ○対応方法: 基本的に放置でお願いします。
372 :
朝まで名無しさん :03/05/31 10:33 ID:2DiJ0Gxv
>>361 こりゃまた酷い意見だな。
一億万歩譲って、騙されたにしても勘違いにしても
こんな無責任な大法螺を公に宣伝する大罪を犯すような
低能なのであれば、公に影響を与えるような活動から
一切手を引くべきだろうな。真実を見分ける能力に
著しく欠けるわけだからな。大甘で見てやっても、
少なくともこの件からは手を引くべきだろう。
>>369 >大切なのは意見なのであって、君達のように名前を売る必要など
>さらさら無いのでね
名前を売ってるわけじゃない。
田中正明氏は名前を出して、資料を改竄したが名前も出さないで
改竄してる奴よりは良心的だ!
その点、俺は改竄したり、語句を入れ替えたりした覚えはない。
俺は中身には責任もって書いてるぞ!
違うというならコピーを出せ。
374 :
朝まで名無しさん :03/05/31 10:43 ID:2DiJ0Gxv
「暴力革命をあきらめ、教育で革命を訴えたのは共産党の志賀芳雄である。
それはマルクスの
『革命の近道は国家の過去を暗黒に塗りつぶし、青少年に国歌呪詛の心を
植え付けることだ』
というテーゼに沿ったものであり、〜」
ttp://156.teacup.com/sibainu/bbs より
何度でも言おう。共産主義者によって大虐殺された人間は
少なく見積もっても「億」をくだらない。
南京は非常に胡散臭いね。
376 :
朝まで名無しさん :03/05/31 10:47 ID:2DiJ0Gxv
>>373 そもそも、どのように責任をとるというのだ?
責任をとると口で言うだけなら誰でも出来るぞ。
責任を取ると豪語するのであれば具体的にどのように
責任を取るのか明らかにせよ。
>>366 >共産主義者によって大虐殺された人間は少なく見積もっても億をくだらない
噂には聞いてるが、ソビエトは潰れたし本当にやってたらもう、調査発表
しても良いと思うがね。何で出てこないんかな?
378 :
朝まで名無しさん :03/05/31 10:52 ID:2DiJ0Gxv
>>377 ヨーロッパの学者によって発表された数字だよな。
共産主義者からのつっこみに備えて、反駁できる数字に
抑えに抑えてその数字だと言う話だが、「南京大虐殺」なんつー
大法螺はホイホイ信じて熱心に布教活動してるくせに「億」を
くだらないという共産主義者による大虐殺については疑ってる
ってのか?
>>376 >責任を取ると豪語するのであれば具体的にどのように
>責任を取るのか明らかにせよ。
責任と言う言葉をあなたは”理解してない”
ここで使っている言葉は、間違いを納得すれば、自分で訂正し謝る意味だ。
慰謝料払ったり、切腹して死ぬような意味ではない。
あなたはそうするのが怖いから、名無しさんなのかね?
ここで使われる責任と言う言葉は、そんな重い意味の言葉ではない。
380 :
朝まで名無しさん :03/05/31 10:58 ID:2DiJ0Gxv
>>376 責任をもつと豪語したからには、これまで、恵也 ◆o4NEPA8feA が
垂れ流してきたものが全て真実であると責任をもってまず証明する
べし。そして、嘘だと判明した物についてもきっちりと責任を
取るように。
381 :
朝まで名無しさん :03/05/31 11:03 ID:2DiJ0Gxv
>>379 は?自己中でちょー無責任なやっちゃな。
自分が正しいと思えば放言し放題だと言っているに
等しい。世間では 恵也 ◆o4NEPA8feA のようなやつを
自己中で無責任な信用ならんやつというのだよ。
>>378 >「億」を くだらないという共産主義者による大虐殺については疑って
>るってのか?
トロツキーを暗殺してる連中だから、虐殺はしてるだろう。
写真のトリックもずいぶん見たことがあるし、数百万人は行ってると思う
億というのは全人口から考えて、不可能と見てる。
1.6億人くらいのものだったんじゃない?
>>380 >嘘だと判明した物についてもきっちりと責任を取るように。
あんたが判明したと信じ込んでるだけのもんだろう。
俺はそれを、納得したわけじゃない。
あなたに説得力がないだけの話だ!
自分の力の無さを、反省しなさい。
>>381 >自己中で無責任な信用ならんやつというのだよ。
名無しさんで言ってて、虚しくならんかい?
自分の足元、自分の姿を鏡で見て、それから文句言えよ!
385 :
朝まで名無しさん :03/05/31 11:17 ID:p542ovhE
日本外務省、「日本軍による南京での殺人・略奪行為は否定できない事実」
日本の外務省スポークスマンの沼田貞昭氏は19日、当時の日本軍による南京
における殺戮(さつりく)行為は否定できない事実であると語った。
上記は、沼田貞昭氏が新華社の記者によるインタビューに応じ、語った言葉で
ある。沼田氏は、旧日本軍が1937年南京に侵入し、一般市民を殺害し、略奪行
為を行なったことは、否定できない事実であり、政府によるこれらの認識は、集
会を催した団体の認識とは異なっていると表明し、以下のように強調した。
日本政府の歴史認識に関する考えは、日本の村山富市元内閣総理大臣が
1995年8月15日の談話において明らかにした、「我が国は遠くない過去の一時
期に、植民地的統治と侵略によって多くの国、特にアジア諸国の人々に極めて
大きな損害と苦痛をもたらした。我々は、この歴史的事実を謙虚に認め、ここ
で改めて痛切な反省と心からの謝罪を表する」という言葉と変わっていない。
現在に至るまで、日本政府のこの考えには、いかなる変化もない。
「人民日報」 2000年1月20日1面
ttp://fpj.peopledaily.com.cn/2000/01/20/newfiles/a1020.html
386 :
朝まで名無しさん :03/05/31 11:18 ID:2DiJ0Gxv
>>383 は?読解力がないから大虐殺なんて信じちゃってるわけだな。
もう一度書いてやろう。
責任をもつと豪語したからには、これまで、恵也 ◆o4NEPA8feA が
垂れ流してきたものが全て真実であると責任をもってまず証明する
べし。そして、嘘だと判明した物についてもきっちりと責任を
取るように。
387 :
中国じん :03/05/31 11:24 ID:FJODEGOL
>>382 総人口からいっても、ソ連で億は多すぎるよね、中国人なら内戦での殺し合いで、
そのくらいは死亡しても納得できる。
国民党と共産の殺し合いが、日本人に殺された事になった事件も無いとはいえない。
南京事件を本気で正確に再調査しないのは、中国人が困るからと思っている。
388 :
朝まで名無しさん :03/05/31 11:24 ID:2DiJ0Gxv
>>384 あらら、逆切れか?
なんで虚しくなる必要があるの?
俺は意見の表明をしているわけで、お仕事してるとか
忠誠心を示していると誰かに認めてもらう必要もない。
俺自身の自己顕示欲の為に書いているわけでもないしな。
389 :
朝まで名無しさん :03/05/31 11:26 ID:2DiJ0Gxv
>>387 「共産主義者による」大虐殺ですから、
一国内という意味ではないですよ。
390 :
朝まで名無しさん :03/05/31 11:29 ID:2DiJ0Gxv
とりあえず、今回の収穫はこれだな。
>>379 は?自己中でちょー無責任なやっちゃな。
自分が正しいと思えば放言し放題だと言っているに
等しい。世間では 恵也 ◆o4NEPA8feA のようなやつを
自己中で無責任な信用ならんやつというのだよ。
>>357 > 南京の事調べてて東の事件や都城23連隊の事件などを知らないとなると、
南京事件て、東史郎や都城23連隊の事件のことなのれすか。初耳ですな。
> 洞富雄
> 笠原十九司
> 本多勝一
> 藤原彰
> 朝日新聞
> あたりもぜんぜん信用できなくなっちゃうな。
で、君は一つも自分ではなーんも調べとらんのだろ? 儂は出来る範囲でいちいち自分で調べ
てるんだがの。数回程度はここでも具体的に指摘してるしな。君は具体的なことは何一つ言って
ないものなぁ。
それと、なんか夜中に儂のことをほざいてる馬鹿がいるようだが、むかし麻原某と云う輩が 言ったという 「修行するぞ!修行するぞ!修行するぞ!修行するぞ!修行するぞ!」 てなのを思い出したな。いや、思い出したってだけだけど。
>>367 板倉由明氏の論文(「歴史と人物 60年冬号」)読んでないだろ。原文にない箇所を
あたかも原文にあったかのように挿入し、それに編者注釈まで書き加えたり、数十文
字にわたる箇所を大幅に脱落させたり、読みやすい筈の日付を書き換えたり、これら
のどこが「読みづらかった」などで済ませられるのだろうか。板倉氏の結論はこうだ。
最後まで目を通した私の結論から言おう。発見された「改竄」は、脱落だけ
ならまだしも「書き加え」まであり、しかもそれらはすべて「南京事件否定」
の方向で行われている。これは明らかに編者・田中氏の意図的行為であると
断ぜざるを得ない。
大きな図書館に行けばあると思うのでちゃんと読んで貰いたい。
だから恵也の相手すんなって。
計算機へ 計算機さんは月曜にならないとここに来ないと思うが、一応以前にあった疑問の 「武器弾薬の焼却」の例の記述を見つけたので報告しておく。但し、「弾薬」はない ようだ。儂も弾薬はあり得ないと思っているし、栗原氏の記述ミスか勘違いだろうと 思っている。 シカゴ・デイリー・ニューズ(1938.2.4 A.T.スティール)中の記事に 「小銃は壊され、山と積まれて燃やされた。」という記述がある。陥落後の安全区外の 城内における敗残兵掃蕩の描写中に出てくるものだ。当該記事は南京事件資料集アメリ カ関係資料編にある。 埋もれてしまうかも知れないが、計算機さんが気づかないようならそのときにでも再度 紹介する。
誌論語へ 誌論語さんはいつ見るのかよく分からないが、中国か日本軍かは別として、建物が焼かれたと 考えられるその割合は、スマイス報告によれば城内13.0パーセント、城外61.6パーセン トであった。但し城外調査は下関、中華門外、水西門外、通済門外の限られた地区のみの調査で ある。従って、城内はともかく、限られた地区ではあるが、実際には全部焼かれたと云うほどで はないようである。
>>307 >スマイス調査は生きている人の保護の為に、調査したもの。
>死んだ人間を調査するものでは、ありません。
死んだ人間の調査ではない、だと?
じゃあスマイス調査は南京虐殺問題に関係無いんだな?(笑)
>下関では、13軒の50倍、650軒しか人の住んでる家は無かったわけ
だから何?下関って港の事だよ?民家650軒なら妥当な数値だろ。
それとも日本の下関と勘違いしてる?(笑)
ていうか上にも書いたけど、あんた何のために資料調べてんの?
http://www.bekkoame.ne.jp/~ymasaki/hon2.htm >ニューヨーク・タイムズ中国支局ティルマン・ダーディン(Tillman Durdin)はこう報じている。
>「十二月十五日、多くの外国人は死体が街のあちこちに倒れているのを見た。
>その中には婦人、子供、老人がほとんどだった。」
>ダーディンはこうも書いている。「わたしは下関で上海行きの船に乗る前に二百人の中国人が
>川岸の道路で殺害されているところを目撃した。それはほんの十分もかからなかった。
>日本兵は全員を整列させ、射殺した。その後日本兵は手に銃を持って近寄り死体の検査を始めた。
>死体を蹴飛ばして本当に死んでるかどうかを調べている。動く者があれば直ちに発砲して止めを刺す。
こういう紹介の仕方は非常にずるいと思うんですが
前半の部分は車で市内を見廻ったのはベイツとフィッチでありダーディンは
彼らに話を聞いた記事にした訳ですが、彼らは「街のあちこちに」「婦人、子供、老人がほとんどだった」
などとは言ってないわけで思いっきり誇張した(捏造した)記事なわけです
(その時点では日本軍がまだそこに到達していたかも不明)。
欧米マスコミの南京報道は最初っからそういう意図があります。
彼が目撃したのは後半の捕虜掃蕩の部分です。
そしてダーディンはそのことについて後に「あれは虐殺と言えます」と言っているんです。
>>398 報道記事か外国人記者の証言か忘れたが、
「南京戦の直前に国民党軍は、戦えるものは皆兵士として借り集めた」
というのもあるようです。
つまり南京周辺の成人男子はほぼ全員兵士(戦意の殆ど無い俄か兵だったとしても)だったのではないか?
敗残兵の抽出が大雑把だったのは「どうせこいつら兵士」という確信があったからではないでしょうか?
>>399 確かに、その部分は変ですね。今手持ちの『日中戦争資料9』では
一般市民の殺害が拡大された。一五日、市内を広く巡回した外国人は、あらゆる街路上で
市民の死体を見た。犠牲者のうちには、老人や婦人や子供もあった。
という記事内容が載っているのですが。こちらの方を読むと、この部分に関しては事実だけを
伝えていて、誇張はないように見えます。確かに市民の殺害状況をクローズアップして書いて
いるとは言えますが。
なお、いくら何でも陥落は一三日で、一五日なら日本軍は既に十分城内に入っているんですが。
402 :
朝まで名無しさん :03/05/31 18:33 ID:dkPfd0/S
日本外務省、「日本軍による南京での殺人・略奪行為は否定できない事実」
日本の外務省スポークスマンの沼田貞昭氏は19日、当時の日本軍による南京
における殺戮(さつりく)行為は否定できない事実であると語った。
上記は、沼田貞昭氏が新華社の記者によるインタビューに応じ、語った言葉で
ある。沼田氏は、旧日本軍が1937年南京に侵入し、一般市民を殺害し、略奪行
為を行なったことは、否定できない事実であり、政府によるこれらの認識は、集
会を催した団体の認識とは異なっていると表明し、以下のように強調した。
日本政府の歴史認識に関する考えは、日本の村山富市元内閣総理大臣が
1995年8月15日の談話において明らかにした、「我が国は遠くない過去の一時
期に、植民地的統治と侵略によって多くの国、特にアジア諸国の人々に極めて
大きな損害と苦痛をもたらした。我々は、この歴史的事実を謙虚に認め、ここ
で改めて痛切な反省と心からの謝罪を表する」という言葉と変わっていない。
現在に至るまで、日本政府のこの考えには、いかなる変化もない。
「人民日報」 2000年1月20日1面
ttp://fpj.peopledaily.com.cn/2000/01/20/newfiles/a1020.html
403 :
朝まで名無しさん :03/05/31 19:10 ID:F1NYk2EQ
>>402 政治的な発言をいくら集めたって髪の毛ほどの意味も無いって事を、
いい加減気づいて欲しいもんなんだけどな。
しかも「南京大虐殺は中国のプロパガンダ」って言われてるところに
人民日報を持ってきたって誰も見ないだろ(笑)
404 :
朝まで名無しさん :03/05/31 19:45 ID:T59aRgZ/
南京大虐殺の残虐行為 高興祖
http://www.jca.apc.org/nmnankin/magaz318.html 1.南京大虐殺の残虐行為の真相
南京国際委員会委員長でドイツ・ジーメンス洋行の支配人のラーべが、
「およそ2万人の中国の婦人が強姦された」と言っている。
3.死体の処理と被虐殺人数
1937年12月16日、彼は死体処理の命令を受けた。
その司令部は運輸兵を800名選抜し、トラックを配備し
船舶で死体を運送した。
太田と安達少佐はそれぞれ400名を率いて、太田が処理したのが
1万9000体、安達が処理したのが8万1000体であった。
(
http://www.history.gr.jp/nanking/moriou.html#05 この人は12月25日に、上海から初めて南京に来た人であります。)
4.国際法廷と中国法廷の判決
法廷は当時の中立国の外国人が組織した国際委員会の
『南京安全区档案』に列挙してある日本軍の暴行、
外国人記者のティンパリーが書いた『外国人の目撃した日本軍の暴行』
(2)および当時南京防衛戦に参加した中国軍営長の郭岐が書いた
『陥都血涙録』(3)を複写して突き合わせ、それぞれの
記載されていることがことごとく一致していることを発見した。
5.次々と新しい証拠が発見される
すべてのこれらの証拠はみな、再度極東国際軍事法廷と中国戦犯裁判軍事法廷
のこの事件に対する判決の正確さをあらためて実証しているものである、
405 :
朝まで名無しさん :03/05/31 19:45 ID:T59aRgZ/
発掘!! 「新史料」が証(あ)かす「『南京虐殺』の虚構」
http://www.yoshiko-sakurai.net/works/works_syokun_0201_1.html 北村稔氏(立命館大学教授)櫻井よしこ(ジャーナリスト)
◆ティンパーリーの正体を突止める
北村:『曾虚白自伝』の中にも、「ティンパーリーは都合のよいことに、
我々が上海で抗日国際宣伝を展開していた時に上海の『抗戦委員会』
に参加していた3人の重要人物のうちの1人であった」
◆情報戦略にナイーブな日本人
北村: 例えば、中国における南京事件の裁判で決定的証拠として
採用されたものに、『陥都血涙録』という資料があります。
これは国民党の士官であった郭岐の回想録です。
他にも南京の外港である下関の放火なども日本軍によるものだと
決めつけていますが、これは明らかに中国軍が南京撤退に際して
火を付けたものです。また、本書の中では、そうした虐殺が
行われていたという南京にいたはずの彼が、
のんびりと碁を打ったりして平々凡々と過ごしているといった
矛盾するような記述も出てくる。
◆ナショナリズムと「感情の記憶」
櫻井:「崇善堂」が占領からわずか4ヵ月で11万余りの遺体を埋葬した
という記録は事実なのかについても興味深い事実が指摘されています。
櫻井:この大西氏が紅卍会の活動についてはよく知っているのですが、
崇善堂については「全然名前を聞いたことはなかったし、知らなかった」
「それが戦後、東京裁判で、すごい活動をしたといっている。。
>>397 >だから何?下関って港の事だよ?民家650軒なら妥当な数値だろ。
あまりにも少ない。
私には、当時100万都市の南京市で下関に何人いたか調べる能力が無いが
日本だと北九州市に相当する。
港町の門司区が10万人都市だが、港町だとそのくらいは居るものだろう。
1日の船による運送力が2万人くらいは有ったとか聞くし、、、
激戦地というがそれが650軒、3000人くらいの人口になってしまってるんだから。
まったく妥当な数字ではない!
日本の下関でさえ、20万人都市だ。
>南京から逃げ出した民間人、男、女、子供に対し、機関銃、小銃によって
>無差別な掃射、銃撃がなされ、大殺戮がくり拡げられたことを
http://www.mmjp.or.jp/nankin1937/atochi.html#SEC5
上のHPは入れません >【ドーハ田中洋之】カタールの衛星テレビ「アルジャジーラ」のバグダッド >支局が米軍のミサイル攻撃を受け、記者1人が死亡した事件で、アルジャジーラ >のサマル代表とヒラル報道局長が8日、ドーハの同テレビ本社で記者会見した。 >ヒラル局長は「支局は住宅街にあり、ペンタゴン(米国防総省)は場所を正確に >知っていた」と強調、米軍が故意に支局を標的にした可能性があるとの認識 >を示した。 >アルジャジーラによると、イラク戦争が始まる前の2月末、バグダッド支局 >の詳細な位置を知らせる手紙を米国防総省に送っていたという。 >また、開戦後には南部のバスラで、支局の入っているホテルがミサイルの直撃 >を受けたため、同社のスタッフの安全を確保するよう米国に求める声明を発表 >していたばかりだった
409 :
357 :03/05/31 23:12 ID:p4PnKUrv
>>357 君が信じるかどうかは別にして、都城や100人切りの件は私はゴー宣板でサヨじゃ
あたりとさんざんやって、自分なりの結論を既に出しています。
東史郎は占領後の市民虐殺の典型として宣伝されているし、都城も南京陥落時の
虐殺例として出ています。
ですから南京事件の論争をするならこれらがどういう経緯をたどっておくか位は常
識だと思っています。
君がどの程度調べているかしりませんが、私はすでにまとめられたサイトを紹介し
ているわけで、「わたしのが調べているかどうか」などというのが議論において何ら
ウェイトを占めるものではないと思いますがいかがですか?
それともリンク先の情報を否定しきれないからそのように話をそらしているんでしょ
うか?
>>409 おいおい、儂、東や都城23連隊のことを知らないなんて、一言でもいったかね? 初心者だから
「東」ってだけではピンとこなかった、つっただけなんだが。「東史郎」だったら当然「誰?」
なんて訊きやしなかったがな。
で何? 常識がどーしたって? 君の常識なんざ儂の知ったことではない。儂の常識とは
南京事件とはしばしば南京大虐殺と称される旧日本軍が南京でおこなったことで問題とされて
いる事柄の【すべて】だ。
でなんだか知らないが、リンク先がどーたらこーたら仰っておられるようだが、それに論評なり
反論なり加えなければならない義務でもあるのかね? 敢えて言うなら、否定も何も、他に調べ
ることが山積みで、今のところは何れ調べる事項の一つでしかない、ってだけのこと。
つまり、「君の常識」に言及出来ないのは、田中正明氏の述べたことをそれなりに自分の目で調べて
ここで具体的に儂が「田中正明氏の言うことは信用出来ない」といっているようなレベルに達して
いないと自認しているから、というだけのこと。判断保留しているだけだよん。
で、君は「洞富雄、笠原十九司、本多勝一、藤原彰、朝日新聞」らを信用出来なくなると言った
わけだが、自分の目で一つでも具体的に調べたのか?
412 :
朝まで名無しさん :03/06/01 01:51 ID:FhKmpesO
否定派のウソ 「戦後の東京裁判で連合国が日本軍の残虐・非道ぶりを示すためにでっち上げたものである」 「事実」 1937年12月、南京は中華民国の首都であり、諸外国の公館も存在し、外国の報道機関も 存在した。虐殺の報道は世界をかけめぐった。日本の外務省も軍も当時から知っていた。当時の 外務省東亜局長石井猪太郎が回顧録でこのことを書いている。だいたい軍が知らないということ はあり得ない。 1937年12月15日以降多くの欧米の特派員が南京の事態を世界中に打電している。とく にイギリスの「マンチェスター・ガーディアン」の中国特派員ティンバリーは1938年8月に 「戦争とは何か・・・中国における日本軍の残虐行為」を出版し、日本語訳も中国語訳も出版さ れている。日本の外務省はこのティンバリーの上海発の電報を押収し、南京その他で30万人を 下らない中国民間人が殺されたと述べていることをワシントンの日本大使館に情報として伝えて いる。戦後の東京裁判で、はじめて日本が知ったわけではない。 そもそも日本政府はこの東京裁判の結果をサンフランシスコ条約で受け入れたのである。つま り日本政府は公式に承認したということである。
413 :
342 :03/06/01 03:11 ID:pdX9jaZx
>>恵也殿 南京だけを特別扱いになんかしてないぞ。 そう、確かに虐殺なんてやってない国や民族のほうが少ないな、 資料を全て信じるなら。別に、あってもなくても どっちでもいいって言っただろ?それはあくまで利害が 絡まないなら、って前提で言ってるんだ。 今の中国と日本だけじゃない、世界中にその利害があるから 肯定派も否定派も信じられんのよ。 どうせ、利害がなくなりゃ話題にも上らんだろうがなw 中国が賠償を請求するなら、否定しますがなにか?って 感じだな、漏れは。今日本に潰れてもらっちゃ困るぜ、 俺もあんたもな。
>>372 >無責任な大法螺を公に宣伝する大罪を犯すような低能なのであれば
大法螺と貴方は判断しても、新聞社がそう思ってないんだよ。
嘘だと言う証明の仕方が、全然なってないんだよ。
貴方みたいな単純な、偏見に固まった人には証明できたと思っても、新聞社が
そう判断しなければ、謝る必要も訂正する必要もない!
言論の自由の為に、新聞社には頑張ってもラワンとイカンくらいのもの!
415 :
朝まで名無しさん :03/06/01 12:15 ID:+9NmMckM
日本外務省、「日本軍による南京での殺人・略奪行為は否定できない事実」
日本の外務省スポークスマンの沼田貞昭氏は19日、当時の日本軍による南京
における殺戮(さつりく)行為は否定できない事実であると語った。
上記は、沼田貞昭氏が新華社の記者によるインタビューに応じ、語った言葉で
ある。沼田氏は、旧日本軍が1937年南京に侵入し、一般市民を殺害し、略奪行
為を行なったことは、否定できない事実であり、政府によるこれらの認識は、集
会を催した団体の認識とは異なっていると表明し、以下のように強調した。
日本政府の歴史認識に関する考えは、日本の村山富市元内閣総理大臣が
1995年8月15日の談話において明らかにした、「我が国は遠くない過去の一時
期に、植民地的統治と侵略によって多くの国、特にアジア諸国の人々に極めて
大きな損害と苦痛をもたらした。我々は、この歴史的事実を謙虚に認め、ここ
で改めて痛切な反省と心からの謝罪を表する」という言葉と変わっていない。
現在に至るまで、日本政府のこの考えには、いかなる変化もない。
「人民日報」 2000年1月20日1面
ttp://fpj.peopledaily.com.cn/2000/01/20/newfiles/a1020.html
君が初心者かどうかは関係ないしそれが本当か嘘かもわからんな。 自分が知らないことを指摘されると切れるなんてガキかあんたは。 > で、君は一つも自分ではなーんも調べとらんのだろ? 儂は出来る範囲でいちいち自分で調べ >てるんだがの。数回程度はここでも具体的に指摘してるしな。君は具体的なことは何一つ言って >ないものなぁ。 で、私が自分で資料まとめるのと、既にまとめられたページ紹介するのとなんの 差異が? 大体君が田中について言ってることなんて、「既に誰かがどこかで書いてることの 焼き直しで、君がなにか新しい論点を加えたわけでも事実証明できたわけでもない 読んでるほうに取っては、ああまたかって思うようなシロモノだしな。 自分で調べて自己満足してるだけなんだよね結局君のやってることは。
>>386 >全て真実であると責任をもってまず証明するべし。
それこそ、イラン世話!
勝手に脳内妄想して人に、噛み付いとけ!
読解力も根源的思考力もない、バカタレ!
>>416 >大体君が田中について言ってることなんて、「既に誰かがどこかで書いてる
>ことの焼き直しで
誰だってそうだろう。
信頼できそうな焼き直しを自分の中で、組みなおしてるだけのこと。
でも貴方のは、日本に対するエコ贔屓のせいで、先祖の悪行を宣伝する為か
虐殺数を減らすのに血道をあげて、俺みたいな素人にまで反論させる。
もう結論が出て、静かに埋葬し旧約聖書のヨシュア記みたいに触りたくない
事件なのにね。
田中正明氏みたいな改竄記事さえ、自分でチェックさえ出来ずに信じ込む
丸暗記信者!
自分で調べてチェックできないんじゃ、信者になるしかないのかもナ。
>>416 > 自分が知らないことを指摘されると切れるなんてガキかあんたは。
はぁ? 君が何か指摘したか?
> で、私が自分で資料まとめるのと、既にまとめられたページ紹介するのとなんの
> 差異が?
君のやり方なら、笠原の「南京事件」を紹介するだけで「南京大虐殺はありました」という
証明になるわけか。相当のアホだな、君は。
で、君と同じやり方で、そのページの一部の反論ページを紹介したわけだがそれは無視かい。
> 大体君が田中について言ってることなんて、「既に誰かがどこかで書いてることの
> 焼き直しで、君がなにか新しい論点を加えたわけでも事実証明できたわけでもない
> 読んでるほうに取っては、ああまたかって思うようなシロモノだしな。
馬鹿だな。田中正明氏についての評判は、儂が指摘するまでもなく、否定派ですらすこぶる
悪いのが事実だ。それなのに未だにその田中正明氏の書いたものがあるページを紹介したり
コピペしたりしている香具師が後を絶たないわけ。未だに
>>367 のような誤解すらある。つまり、
意外にも君とは違ってしらん香具師が多いか、知っていてわざとプロパガンダしている馬鹿が
いるかの何れかだと思われるが、その都度指摘しておかないといけないってのが実情だ。誤解
したまんまの香具師がいるかもしれんからな。
で、一応は目を通しているわけだが、酷いなこのページ。
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/9523/9.htmというのがあるわけだが 、
『中国の旅』から南京事件の関する陳徳貴の証言を引いてから、HP作者は以下のようにコメント
している。
”維持会”を罵倒し尽くしていますが、紅卍字会は南京嘘虐殺事件の立て役者として登場
してきますのでご存じの方は多いと思います。決して一方的な奸漢ではありません。大
量虐殺の根拠(実は根拠にもならないものですが)として利用される埋葬記録を残し、
そして何よりも東京裁判の証人として副会長許伝音が日本側糾弾の先鋒として嘘八百の
証言をしているのです。ここで紅卍字会と書いては「奸漢」扱いする一方、他では味方
として利用している、その矛盾が露呈してしまうので卑劣にも表現を変えるという愚策
を使っているのです。
許伝音と陳徳貴、紅卍字会(維持会)(及び東京裁判提出証拠)にいったい何の関係がある?
同じ中国(人)側というだけである。それだけで、このHP作者は全部ひっくるめて矛盾だの卑劣
だのといっているわけだ。ちょっと開いた口が塞がらないというか、目が点になったというか
・・・正直呆れた。
新しい教科書うんたらかんたらのサイトでは
12月15日の外国人の市内巡回について
12/15午前中に安全区内を廻ったラーべの実見談が
ペイツによって改竄され、メモの形で新聞記者に渡った。
とありますがどうなんでしょう?
>新聞記者が、現場に居て見に行かないとは考えられん!
そうなんですよ。なのにダーディンのインタビュー読んでも
具体的な目撃証言は出航直前の物だけなんです、不思議ですね。
>俺は誇張より、翻訳のミスじゃないかなと思う。
>>401 を見て下さい。
「老人や婦人や子供もあった。」→「婦人、子供、老人がほとんどだった」
こういうことを誇張といいませんか?何でも適当にレス返せばいいってもんじゃないでしょう。
もーいっちょ。
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/9523/10.htm このページのa)については言及出来ない。藤原氏の著作や偕行社資料等を当たって調べる
必要がある。ただ一つだけ言えるのは、南京に送られた捕虜はその後どうなったかであり、
命令自体は「殺せ」であったから、これだけで笠原氏の算定根拠が崩れるとは言い難いと
いうことである。収容後に殺されたと推定される例はある(幕府山事件)。
問題はb)である。原文はこのページだけでは非常に判読し難く、出来ればどう間違って
いるのかをちゃんと書いて欲しいものだ。で、このシト「サヨク」と一括りにするようで、
前の「中国(人)側」一括りもそうなのだが、笠原氏が解読本を参照しただけと思われるのに
それを同罪とは、ちょっとあんまりだよそれ。
確かに、よーく見ると字句が追加されているようなところもないわけではないようだが、
文章の意味が変わるほどのものとは思えない。改竄とは一般に悪意があって行うもので、
そんな意図はないように思うのだが。
ともあれ、笠原と南京事件京都師団関係資料集の編纂者を「サヨク」で一括りにして
「不用意な引用をした笠原も全否定されるべきです」とは・・・・ねぇ。凄いなまったく。
425 :
靴屋(貧乏暇なし) ◆DH9Ep4fU/w :03/06/01 18:09 ID:PwB1+Y2F
>>423 > 12/15午前中に安全区内を廻ったラーべの実見談が
うーん、どこにそんな資料があるんでしょう? この日のラーベの日記を見ると、朝の十時に
関口少尉来訪とあるから、この時間までは家を出ていないようだし、十一時には場所は書いてな
いが福田氏と打ち合わせとあり、その後で日本軍司令部(交通銀行)を訪れて福田氏に会うとある
から、どうもラーベは午前中は家にいたか司令部に行っていたかの何れかでしかないように読め
る。
まぁ、安全区は狭いから廻る時間はあったのかも知れないが。また、ベイツの改竄に至っては
そんな資料見たこともないんですが、それどこのサイト?
しかし、カキコ出来る時間量では、圧倒的に否定派の負けだな(笑 >土地云々 >財産にもいろいろ有って、土地は特別なの。 なんだそりゃ(苦笑 私有地と国有地という概念を知っているか? >上海に日本人が土地を持っていようと、それを保護するのに日本政府がガタガタ >文句を言う権利はないの あのなー、上海に日本人が土地をもっていて 中国の軍閥が「中国の土地だから」と言って取り上げれば 日本政府が文句言うに決まってるだろうが(苦笑 これは、日本で土地を持ってる中国人が 日本政府から「日本の土地だから」といって取り上げられたら 中国政府から抗議が来るのと同じ。 何度も言うが、個人の持っている土地や会社等は国籍に関係なく 「その人個人の財産」なんだよ。土地を持ってる人の国籍が「日本」だろうが「韓国」だろうが「中国」だろうがね。 そして、国は「国民の財産」を守る義務が存在するの。 …なんで、中学生でも解るようなことを説明しなきゃならないんだか。
427 :
:03/06/01 18:38 ID:kN9EYkBb
>>423 「街のあちこちに」という部分まで、捏造したかのように批判するのも、
誇張といいませんか?何でも適当にレス返せばいいってもんじゃないでしょう。
428 :
靴屋(貧乏暇なし) ◆DH9Ep4fU/w :03/06/01 18:41 ID:PwB1+Y2F
またまたもう一つ。
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/9523/13.htm これを再反論しようとすると東中野氏の本が必要なのだが、これは今手元にないので仕方がない。
さて、このページの真ん中あたりで、『南京大虐殺否定論13のウソ』笠原氏の論文をHP作者は
批判しようとして以下のように言う。
正気なのですか???荒唐無稽なのは笠原です。先ず「南京事件の事実を証明する膨大な第1次史料の存在」
などウソですが、それよりも、1947年発行の史料を反論材料にするとは気が飛んでいるといわれても仕方
がないでしょう。東京裁判の南京事件の件は1946.8.15の後半から翌日一杯と29日一杯と検察側立
証が行われて居るのです。戦後、大々的に新聞報道された後ではありませんか。ひょっとして戦争は何時終わっ
て、東京裁判は何時どういう内容で行われていたのか、時系列を知らない大学教授なのでしょうか。あきれは
てます。せめて、「チャイナイヤーブックの1939年版には南京虐殺の記載がある」という主張であるなら
ば反論材料にはなるでしょうが1947年発行の別の本にあるとは恐れ入りました。もう学者をやめて下さい。
資格はありません。(1947年発行とされているが実際は1946年8月以前に発行されたというのならそ
のように明示的に記述することは不可欠です。)
(次レスへ続く)
429 :
靴屋(貧乏暇なし) ◆DH9Ep4fU/w :03/06/01 18:41 ID:PwB1+Y2F
ここで笠原氏が言っているのは、東中野が1938発行のチャイナイヤーブックに南京事件の記載 がなく、この発行前に中国の新聞に南京事件の報道が出ているのだから、中国もこれを否定してい る、という東中野の説への批判である。チャイナイヤーブックのような年鑑の編集作業は当時は活 字も手作業でやっているほどで、作業に日数がかかり、チャイナイヤーブックは1937.12.12のパナ イ号事件と、同12.13の南京陥落までしか載せられず、編集と並行して起きていた南京事件について は載せられなかったのである、というものである。 また、東中野の緒論は笠原によれば「中国が公式資料から南京事件を削除している」という趣旨の ものであって、これへの反論として1947で発刊した公式資料には載っているよ、という話をしてい るだけなのである。無論、東京裁判で既に知れ渡ってはいるが、笠原の本論はこちらではない。 本筋でないところを重箱の隅つつき的に批判して勝ち誇ったように「正気なのですか???」とは このページの作者の気が知れない。
>靴屋 どうも気になるんだが。 靴屋の言説は人口論に見られるように「もしかしたら、違うかもしれないじゃないか」という曖昧なものばかりだな。 「こういう説の方が説得力が存在する」という形ではない。 自説の披露では無く、他説の粗探し。 例えば、スマイスの呈示している陥落時人口を「完全に調べられている訳じゃ無いから…」と言う論旨だが 基本的に陥落時人口に言及した資料で一番信頼出来るのがスマイスの資料であり 様々な資料が20万〜25万という数字が載っており、互いを補完しあっている以上 もし、否定したいのであればそれ以上に説得力を持つ資料の呈示及び その資料から論の組み立てを行う必要があるだろう。 あと、だ。 靴屋は南京陥落時の規模をどう見ているんだ?基本的にこの議論で肝要なのはここだろう。 南京大虐殺の「定義」も必要。一人でも殺せば大虐殺と本気でいってくる輩も稀にいるしな(苦笑 靴屋は研究者の「粗探し」に奔走するしか能が無く「自説」を呈示することが無いように思えるぞ。 別に粗探しは構わないが、自説の構築をしてからやったらどうだ?
>>429 >本筋でないところを重箱の隅つつき的に批判して勝ち誇ったように「正気なのですか???」とは
>このページの作者の気が知れない。
…気付いているか?
靴屋のその行動も「本筋でないところを重箱の隅をつつき的」云々なんだが(笑
…ま、それはそれで、2chらしく面白いとは思う>重箱つつき的
が、本筋を忘れられて他説否定だけに奔走されてはな。
432 :
靴屋(貧乏暇なし) ◆DH9Ep4fU/w :03/06/01 18:51 ID:PwB1+Y2F
>>431 ん? 儂は357氏のご要望にお応えしておるだけだが。飯くう時間なので、また後で。
>>423 >「老人や婦人や子供もあった。」→「婦人、子供、老人がほとんどだった」
>こういうことを誇張といいませんか?
これは同じ現場を表現したものではない。
・前のは、日中戦争資料9よりの引用(外国人の誰の見聞か判らんが)
・後のは、ダーディンが外国人に聞き自分でも見た見聞報告。それも翻訳文
(新聞記事の原文とつき合わせて調べんと判らん)
それでは違うのが当然のこと!
”ダーディンのインタビュー読んでも”なんていうが、日本語になった奴で
たまたま貴方の目に触れた15日の分だけだろ。
70年前の彼の記録を、全部調べれるはずないだろうに!
>犠牲者のなかには老人や子供もいた。警官や消防夫がとくに攻撃の標的と
>なった」(1937年12月18日付報道)
http://www.history.gr.jp/nanking/dathin.html
>>432 本筋でないところを重箱の隅をつつき…という行動を批判する靴屋自身が
同じ行動をとってることには変わりなし。
つか、重箱の隅云々を言うならば、田中正明氏へのも同じようなものだしな。
ま、それより規模説明、詳細に頼む。
>>405 >上海の『抗戦委員会』に参加していた3人の重要人物のうちの1人であった
ティンパーリーの悪口を言いたい気持ちは判るが、なんだこの”抗戦委員会”
何を何のためにやっていたんだい?
初めて聞いたが、ティンパーリーが死んで50年、事件があって70年
昔、むかしの事を出すなら、死者は喋れんのだから、それなりのルールは
有ると思うが、北村氏は節度を持ってるのかね?
そんな大昔の中国語を”正確に”翻訳できる力のある人なのかね。
俺なんかは50年前の日本語を読むのは、一苦労してるがね。
それに北京語と広東語はずいぶん違うと言うし、狭い日本でさえ
標準語と東北弁、鹿児島弁はなかなか通じないと言う。
>>426 >中国の軍閥が「中国の土地だから」と言って取り上げれば
>日本政府が文句言うに決まってるだろうが(苦笑
土地は財産でも、持ち運びの出来ない財産。
たとえ小さな軍閥であろうと、実効支配してれば中国の土地と主張する
資格はあるし、そいつらが決める規則には従う義務があるだろう。
またその軍閥も所有者(利用する権利を持つもの)を守る義務もある。
日本軍が出かけて行って、軍閥を叩き潰せば、内政干渉というんだ!
アメリカがイランでやってるのは内政干渉もいいとこだ。
他国にいって土地を持つのは、それだけ弱い立場なのを覚悟せんと。
ユダヤ人に学びなさい!
437 :
朝まで名無しさん :03/06/01 23:19 ID:wItYMT/n
南京市崇善堂埋葬隊活動一覧表・付属文書 郊外の民衆で、未だ他所に避難できず、難民区にも入れない者は、昼間は一か所に集まって助け合って身を守っているが、不幸にして 日本侵略者にみつかると多くが被害に遭う。背後から撃たれて倒れている者がいたが、逃げる途中で難にあったものである。横臥した 形で、刀で突かれて血を流している者は、生きているうちにやられたものである。口や鼻から血を出し、顔面が青くなり、脚が折れて いるのは、大勢の者から殴られたり、蹴られたりしたものである。婦人で髪が顔にかかり、乳房が割れて胸を刺され、ズボンをつけて いない者、これは生前辱めを受けた者である。また、頭をもたげ、目をむき、口を開けて歯をくいしばり、手足を突っ張り、ズボンの 破れている者は、乱暴されるのを拒んだものである。惨たるかな、惨たるかな。 毎日夜になると、集団をなして遠方に逃げる。声が聞こえると草叢に隠れたり、田の畦に隠れる。一番危険なのは、夜が明けてから、 敵が高所から遠くを見渡すときで、逃げるところを見つかると、すぐ弾丸が飛んでくる。中に婦人がいると、手で止まれと合図して、 追ってきて野獣の仕業をなす。言うことを聴かないと殺されるし、言うことを聴いても輪姦されて殺される。立ち止まらずに行こうと する者には、銃声がいっそう激しく浴びせられ、死者がますます増える。それゆえ、農村部の遭難者は都市部より多い。 『中国関係資料編』 (笠原『南京事件』p.94-95)
438 :
靴屋(貧乏暇なし) ◆DH9Ep4fU/w :03/06/01 23:19 ID:PwB1+Y2F
>>434 重箱の隅をつつくその箸を折っているだけだよ。
> 田中正明氏へのも同じようなものだしな。
あ、そういや君は例の改竄事件を弁護しようとしていらっしゃったねぇ。板倉氏の論文は読ん
だかね? 読んだ上で言っているなら、大した神経の持ち主だと思うな。
439 :
靴屋(貧乏暇なし) ◆DH9Ep4fU/w :03/06/01 23:20 ID:PwB1+Y2F
>>430 > 靴屋の言説は人口論に見られるように「もしかしたら、違うかもしれないじゃないか」という曖昧なものばかりだな。
あのなー、その「もしかしたら」が真の虐殺数に当然大きく影響するわけだろーが。
> 自説の披露では無く、他説の粗探し。
反論されるのが嫌なら、君自身が自説を披露するのを止めたまえ。
> 基本的に陥落時人口に言及した資料で一番信頼出来るのがスマイスの資料であり
そのスマイス報告の全文が今手元でみれるわけだが、明らかに20万〜25万は人口の項の冒頭で
触れられているだけだよ。25万の根拠はあるがな。
> もし、否定したいのであればそれ以上に説得力を持つ資料の呈示及び
何度言ったら分かるんかいな。不明な陥落時人口では虐殺数は計算出来ない、というのがこっちの
主張。ないものはないの。東京裁判のマギーやウィルソン、ベイツらの証言は陥落時人口20万〜25万
を否定するものであり、この点からもそれは正しくないことが分かる。
> 靴屋は南京陥落時の規模をどう見ているんだ?基本的にこの議論で肝要なのはここだろう。
規模は重要だが、主題ではないよ。主題は否定派による問題の矮小化が正当化されるような事件か
ということだ。敢えて言えば軍民合わせて不法殺害4万人は最低ラインだとは思うが、これを遙かに
上回る、と思ってはいるものの、埋葬数は否定派が信用しないし、中国軍人の規模も諸説ある等で、
今のところ、何とも言えんな。
> 南京大虐殺の「定義」も必要。一人でも殺せば大虐殺と本気でいってくる輩も稀にいるしな(苦笑
> 靴屋は研究者の「粗探し」に奔走するしか能が無く「自説」を呈示することが無いように思えるぞ。
> 別に粗探しは構わないが、自説の構築をしてからやったらどうだ?
440 :
靴屋(貧乏暇なし) ◆DH9Ep4fU/w :03/06/01 23:23 ID:PwB1+Y2F
あ、またやっちゃった。
>>439 の最下行3行の引用はただ消し忘れただけです。
>>427 「街のあちこちに」と聞いてどの程度の間隔で死体があるものと
想像する?
>>430 >陥落時人口に言及した資料で一番信頼出来るのがスマイスの資料であり
中身を知らんで書いてんじゃない?
この資料は生き残ってる人を、助ける為に作られた資料で、住んでる人家
50軒に1軒を調査して、必要な食料、燃料、その輸送ルートの計画で参考になる
資料として調査されたものだ。
だから一家全滅や一家で全員引っ越したりした家庭は、数字に出ない。
全滅家族を調べるには、埋葬数で調べるしか有効な方法がない!
大混乱で、逃げ出す人や逆に逃げ込んでくる人、近所に疎開する人を
南京市全体を調査出来る組織は存在しないし、噂の数字しかない。
もちろん避難区みたいに食料を配給している場所は、調査してるが
あまりにも狭い範囲だ。
避難区以外の南京城内、南京城の近郊、南京城郊外は虐殺が起こってれば
人口調査なんて、誰も出来ん!
南京市の範囲は虐殺があったという、幕府山、下関、雨花台を含んでます。
>「犠牲者のなかには老人や子供もいた。警官や消防夫がとくに攻撃の標的と >なった」(1937年12月18日付報道) そりゃ犠牲者のなかには老人や子供「も」いるでしょう、戦場なんだから。 ダーディンが南京を離れる15日までの間なら敗残兵が安全区に大挙した 混乱した状態で、それにどの程度の不条理があるのかわからない。 「警官や消防夫がとくに攻撃の標的となった」ということは 理由は遠目で軍服に見える等がありそうですが 限られた人数の警官や消防夫が「とくに」なんだから単発的なものでその頻度は想像がつく。
446 :
靴屋(貧乏暇なし) ◆DH9Ep4fU/w :03/06/02 01:10 ID:nzfkVeMm
>>444 神奈川県支部ね。了解、ありがと。確かに情報の出所はまったく記載ないね。これじゃ何のこと
かさっぱりだ。ジーメンスを兵器会社なんて堂々と言っているし。
気になるのはベイツが「偽証も辞さなかった」ってところなんだが、こういうことを言う人達って
一体何を偽証とか言っているのかなぁと。田中正明も似たようなこと言っているし。
−−−−−−−−−−−−−−−−−
で、このHP しょーこりもなくウソのウソやってるね。ウソのウソのウソでもやろうかなと思っ
たけど、つまらんし、また重箱の隅つついてとも言われるのも何なのでやめとく。
>靴屋さん 田中正明による松井日誌の改竄について何度か取り上げておられますが 彼は改竄にすることによって何をごまかそうとしていたんですか? 改竄部分を正確なものに直してみると何が見えてくるんですか?
ん?
449 :
靴屋 ◆DH9Ep4fU/w :03/06/02 02:39 ID:nzfkVeMm
450 :
朝まで名無しさん :03/06/02 04:06 ID:OSEqDYH+
相変わらずツマラナイ論議やってるのね 靴屋さん・恵也さん 馬鹿コンビ結成か?
451 :
朝まで名無しさん :03/06/02 04:51 ID:O/r12Alg
ま、スレタイが100万になるまで頑張れよ 数なんてスレタイと似たようなもんでばかげてるんだから
452 :
朝まで名無しさん :03/06/02 05:11 ID:hpYNnvMk
捏造歴史もう飽きた。
靴屋 449で447の質問に解答しているようでいて、答えてない。
法律の名称にだまされないようにしてほしい。 法律を制定するときには、どれもこれも大衆受けのするもっともらしい名称がつけられる。 本当の政府の目的は隠しておき、誰もが納得するようにカモフラージュするのだ。 官僚や国会議員は、こういうことが得意であり、国民はだまされている。 個人情報保護法というのも、名称だけ聞くといかにも国民のためのようであるが、内容を調べると、そうではなく、言論、報道の自由を侵害するものであることがわかる。 こういう法律が次々に制定されると、憲法で保障された国民の権利は、知らず知らずのうちに失われ、戦前に逆戻りしてしまう。 それがどんなにひどい社会であったか思い知ることになるだろう。 教育基本法改正にも裏があり、これは右翼思想そのものだ。 いじめ問題などに取り組むのかと期待していたら、大間違いで、国を愛する教育をするという。 これなどもどういう弊害があるのかピンとこない人も多いだろう。 これは北朝鮮と同じように、国家に絶対忠誠を誓わせる洗脳教育を断行するということだ。 国民を国家の道具とし、生命さえも捧げさせるように集団催眠術をかけるということだ。 過去の日本がやってきたのは、今の北朝鮮と同じことだった。 常に国家、国家ということが謳われ、国家に命を捧げて、敵と戦うことを希望させた。 敵がいないときには、今の北朝鮮と同じように、無理やりにでも敵を想定した。
455 :
朝まで名無しさん :03/06/02 10:33 ID:Wgzck7Fs
捏造歴史=自由主義史観
456 :
計算機 :03/06/02 10:58 ID:zBeLE37e
>>恵也
>>293 まず、「夏服を着ているが、冬の写真である」ということを説明せんと
何を言っても無駄だと思う。
食料が足りなかったとは書いてあるけど、冬服が間に合わなかったとは
書いてないんじゃないか?
それに、冬服すら間に合わないんなら弾薬も燃料も間に合わんだろう?
なのに「機関銃を1時間も撃ちっぱなし」にしたりするのか?
>>298 相変わらず論点がずれてるな。
元の写真の信憑性を論じてもしょうがないんだよね。
日本側が撮った写真の都合の悪い部分をトリミングして全然違う
キャプションをつけて「証拠」として扱ってることが問題なんだよ。
実際はアサヒグラフと日本軍でヤラセ写真を撮ったのかも知れないけど、
ヤラセだったからと言ってキャプションを替えたりして「虐殺の証拠」に
するのは捏造だということ。
更に言えば、捏造しなければならないということはそういう写真、あるいは
場面はなかったということ。
457 :
計算機 :03/06/02 10:59 ID:zBeLE37e
引き続き>> 恵也
>>323 その反論は成り立たないな。
R-34のGT-Rに乗ってる写真があったらそれは1999年以降というのと同じだね。
R-32だったら1989年8月以降。KPGC10だったら1970年10月以降。
マニア云々じゃなく、そういう記録があると言うこと。
素人が、32、33、34の区別が付かない云々というのは知識がないからで、
知識のない方に合わせて議論するわけにはいかない。
458 :
計算機 :03/06/02 11:02 ID:zBeLE37e
>>395 > シカゴ・デイリー・ニューズ(1938.2.4 A.T.スティール)中の記事に
>「小銃は壊され、山と積まれて燃やされた。」という記述がある。
これなら納得できる。弾と機関銃(ZB26)は鹵獲して使ったと言うことだろうね。
となると問題は栗原氏の記述ミス/勘違いなのか、記述自体が捏造なのかということだね。
>>443 >「警官や消防夫がとくに攻撃の標的となった」ということは
>理由は遠目で軍服に見える等がありそうですが
>限られた人数の警官や消防夫が「とくに」なんだから単発的
警官や消防士は、安全委員会の、腕章をはめた連中です。
新たに雇った志願警官も、連行され死刑になってます。
>昨日50人の制服を着た警官が法務部から連れ去られ、さらに45人の志願
>警官が連行されたという事実に、あなた方の注意を促しました。われわれは
>本日これに、さらに最高裁判所に駐在していた制服を着た40人のわれわれ
>の警官が、同じく連行された
http://www.mmjp.or.jp/nankin1937/rabe.html
460 :
靴屋 ◆DH9Ep4fU/w :03/06/02 11:31 ID:rqAi9EsT
>>453 まぁ、確かにそう言えばそうだな。一応いっとくけど、『南京戦史資料集』が借りられないので
陣中日誌そのものが読めず、松井岩根がそこで何を言っているのかは、はっきりとはよく分から
ないからね。田中正明の『松井岩根大将の陣中日誌』は板倉の論文と併せてパラパラっと読んだ。
ただ、情報を総合すると以下のようになる。
松井岩根の陣中日誌そのものは別に南京大虐殺を証明するようなものではない。田中正明による
改竄の問題点は、その松井岩根の陣中日誌を用いて、南京大虐殺を否定する明確な意図を持って
改竄を行ったことにある。その例は紹介したHPにあるのでそちらを参照して欲しいが、例えば
書き加えに用いた「支那事変日誌抜萃」を悪質なことには日付を書き換えて、さらに書き加えた
上で陣中日誌に何の断り書きもなしにあたかも陣中日誌に記載されているかの如くに挿入し(誰が
どう見たって陣中日誌にそう書いてあるとしか読めない)、その挿入部分に編者注(*1)まで加える
という、意図がなければ絶対に出来ないようなことをやっている。
*1 記者会見の日付が"11月30日"なのにそれを"12月23日"に書き換えた上で「南京占領から
十日を経た外人記者団との会見において、松井大将が「南京虐殺」に関する質問を受け
たという様子が全くみられない点、注目すべきである」などと編者注を加えるなどは、
否定の意図があることは明々白々であろう。
つまり、ごまかしたり隠そうとしたのではなく、南京虐殺を否定する目的で改竄を行った、という
ことが問題なのである。
>>476 >ヤラセだったからと言ってキャプションを替えたりして「虐殺の証拠」に
>するのは捏造だということ。
キャプションはそのままにして、解説のところで別の説明を付けとくのが
常識だろうね。
しかし貴方は省略が多すぎる。
>>475 は何を言いたいのか、まったく判らん。
>>447 >田中正明による松井日誌の改竄について何度か取り上げておられますが
>彼は改竄にすることによって何をごまかそうとしていたんですか?
自分で調べるのがいちばん信頼できると思うが、、、、
俺は田中正明氏は、地に落ちた日本軍の優秀性、人道的な性格を宣伝して
日本軍の残虐性、貪欲さ、日本のデマ宣伝などを証言した人の”信頼性”を落と
す為松井日記を少しでも、その為の役に立つように書いてないことまで、日付を
新たに入れて改竄した。と思う。
たしかに松井日記は普通の人が、手に入れようとしてもまず原本は無理だからね
>赤は改ざんまたは加筆されたところ)。
>「尚十二月二十三日再び右両通信員を招致して南京陥落が各国政府に与えたる
>影響につき意見を徴するとともに、南京占領後に於ける我軍の態度方針を
>説明し、南京付近に於ける列国の権益を保護する為、予の執りたる苦心の
>程を開陳し、パネー号事件の経緯と陳謝の意を表明す。彼等は我軍の公平なる
>態度につきむしろ感謝の意を表せり。
http://www.bekkoame.ne.jp/~ymasaki/kaizan.htm
>>456 >食料が足りなかったとは書いてあるけど、冬服が間に合わなかったとは
>書いてないんじゃないか
貴方は服と、食料と、弾薬と優先順位はどれにするかい?
日本軍は現地での徴発をモットーにしてたんだが。
それに気づいて中国軍は、食料などを日本軍に渡さんように組織的に撤退した
ようだが、百姓は偉い迷惑だったろうな。
弾薬や燃料は、敵がおとなしく降伏したら全部日本軍のものになるので、使い放題
日本の大蔵省も無駄遣いと文句も言わんでしょう。
チェコ機銃なんかは、日本の機関銃よりはるかに優秀だったようで、故障も
ほとんど無かったとか、、、、
小銃はあまりよくなかったようで、壊して燃やしたとか話がある。
南京には民間のガソリンスタンドも有った様で、日本軍は助かったんじゃ
ないかな。全部徴発(窃盗)出来るものね。
市民は寝具から衣服まで、ずいぶん徴発されたようだよ。
>軍の命令で整然と捕虜を殺戮することと、出会った市民を殺傷したり徴発と
>称して略奪することは別である
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/daitoasenso/taigaishinryaku_nankinziken_seigikanokatei.htm 言論の自由が、日本国内であったら、ここまでは日本軍も堕落しなかったでしょう
日本で30万とか逝ってるアホはそのうち中国からもはしごはずされるよ
466 :
靴屋 ◆DH9Ep4fU/w :03/06/02 12:50 ID:rqAi9EsT
>>461 >草書体で読みにくい原文の判読に不正確なところがたくさんある、という
>もので、決していわゆる「改竄」したというものではありませんでした
あなたのHPにこんなこと書いて、田中正明氏を庇ってるがどうヒイキ目に
読んでも改竄だよ。
少しは弁明を読んではみた、いつもの迫力や説得力がまったく無い。
言論の暴力といってるが、田中氏のやり方が言論の暴力なの!
根源的理解力が不足している。
468 :
朝まで名無しさん :03/06/02 12:58 ID:gI6ph9vZ
>>464 >>弾薬や燃料は、敵がおとなしく降伏したら全部日本軍のものになるので、使い放題
6.5o弾仕様の11年式軽機や38式歩兵銃に中国軍の使ってた7.92o弾を詰め込んだってことか?
チェコ式機銃の弾ならあるでしょうけどチェコ式機銃自体が少ないから意味が無い。
つまり殆どの日本兵にとっては弾薬が使い放題だったわけじゃないことになりますね。
469 :
計算機 :03/06/02 13:44 ID:zBeLE37e
>>462 >キャプションはそのままにして、解説のところで別の説明を付けとくのが
>常識だろうね。
それが正しいだろうね。
>
>>475 は何を言いたいのか、まったく判らん。
>>457 のことだと思うが、マニアの中では常識以前の知識だよ(w
君が使ってるコンピュータも見る人が見れば製造年が分かるということだね。
例えば、雪見だいふくにディスプレイが付いてるタイプのiMacを君が使ってる
写真があればそれは2002年2月以降だと俺は分かる。古いCRTのiMacなら
色で製造年が分かる場合もあるね。
>>464 優先順位をつけるとしたら、弾>服>飯かな。
君の貼ったURL(の該当箇所)をみると12月なんだけど、
>弾薬や燃料は、敵がおとなしく降伏したら全部日本軍のものになるので、使い放題
>日本の大蔵省も無駄遣いと文句も言わんでしょう。
「11年式をしまいこんでチェッコ機銃を使った」わけだから使い放題というわけには
いかないよ。鹵獲した銃器に補給はないわけだからね。
>>468 を読んでちょっと気になったんだけど、今更「鹵獲した弾薬を【日本軍の銃器】に
装填して使った」と言ってるわけじゃないよな?
>>469 いや、皮肉のつもりで書いたんですがね。
少々言葉足らずでした。
471 :
計算機 :03/06/02 13:56 ID:zBeLE37e
ごめん、書き終わらないうちに送信した。 優先順位をつけるとしたら、弾>服>飯かな。 君の貼ったURL(の該当箇所)をみると12月なんだけど、 食料に関する記述はあっても制服に関する記述はないよね。 俺が言いたいのは「夏服を着ているが、冬の写真である」という ことを説明しろということ。
472 :
計算機 :03/06/02 13:58 ID:zBeLE37e
>>470 いや、恵也に聞いたのね。言葉足らずですまん。
473 :
朝まで名無しさん :03/06/02 14:56 ID:jVpFX35E
>>406 日本の下関と勘違いしてないか?と聞いたのに、
>日本の下関でさえ、20万人都市だ。
って・・・アホ?
北九州に相当するってのも根拠無いし。
>>407 >報道規制を受けない西洋人で、南京の情報を取れたのは人数が少ないぞ。
報道規制が無いんだから、大虐殺あったんならみんな報道してるだろ。
それなのに、なんでスティルとダーティンだけなんだよ?
「だから」怪しいんだろが。バカ?
474 :
朝まで名無しさん :03/06/02 15:09 ID:jVpFX35E
>>435 >そんな大昔の中国語を”正確に”翻訳できる力のある人なのかね。
んな事言い出したら、日本人以外の証言や報道の日本語訳は
全部信用できなくなってしまうがな(笑)
ダーティンやスティールの虐殺報道を持ち出しても
「英語を正確に翻訳できてるのかね」
と言えばいいってのかい?
475 :
朝まで名無しさん :03/06/02 15:11 ID:jVpFX35E
>>436 >他国にいって土地を持つのは、それだけ弱い立場なのを覚悟せんと。
じゃあ在日が日本に土地持ってても、
いつ取り上げられてもおかしくない弱い立場って事ね?
476 :
朝まで名無しさん :03/06/02 15:16 ID:jVpFX35E
>>439 >あのなー、その「もしかしたら」が真の虐殺数に当然大きく影響するわけだろーが。
「もしかしたら」と言ってはいけない、という事ではないが、
「もしかしたら」だけで終わってしまうなら誰でも何とでも言える。
何のソースも無く「もしかしたら虐殺無かったかもしれない」というのも
君にとっては許容範囲なわけか?
>明らかに20万〜25万は人口の項の冒頭で触れられているだけだよ。
>25万の根拠はあるがな。
↑
1行目と2行目が矛盾してますが?
>不明な陥落時人口では虐殺数は計算出来ない、というのがこっちの主張。
>ないものはないの。
逆に聞くが、じゃあ「虐殺30万」てのはどうやって計算したんだ?
「死体の数」では、それが全部虐殺犠牲者かどうか分からんからダメだぞ。
戦闘で死んだ兵士の死体もあれば、もちろん日本兵の死体もあるしな。
477 :
朝まで名無しさん :03/06/02 15:22 ID:jVpFX35E
>>459 >警官や消防士は、安全委員会の、腕章をはめた連中です。
>新たに雇った志願警官も、連行され死刑になってます。
>>昨日50人の制服を着た警官が法務部から連れ去られ、さらに45人の志願
>>警官が連行されたという事実に、あなた方の注意を促しました。われわれは
>>本日これに、さらに最高裁判所に駐在していた制服を着た40人のわれわれ
>>の警官が、同じく連行された
>
http://www.mmjp.or.jp/nankin1937/rabe.html そのリンク読んだけど、罪があって連行されてるんじゃん。
「虐殺」と同列に語るのはおかしいぞ。
まぁラーベ日記はその信憑性自体も怪しいわけだけどさ(笑)
478 :
靴屋 ◆DH9Ep4fU/w :03/06/02 15:33 ID:rqAi9EsT
>>476 > 何のソースも無く「もしかしたら虐殺無かったかもしれない」というのも
> 君にとっては許容範囲なわけか?
パール判事曰く「宣伝と誇張を出来るだけ斟酌しても、なお残虐行為は日本軍のものがその
占領したある地域の一般民衆、はたまた戦時捕虜に対し犯したものであるという証拠は圧倒的
である」。
> >明らかに20万〜25万は人口の項の冒頭で触れられているだけだよ。
> >25万の根拠はあるがな。
> ↑
> 1行目と2行目が矛盾してますが?
議論見てないわけか。
> 逆に聞くが、じゃあ「虐殺30万」てのはどうやって計算したんだ?
儂は虐殺30万なんて主張はしとらん。
479 :
朝まで名無しさん :03/06/02 15:36 ID:iYvhPUkt
| あなた達は愚行の数々を繰り広げる低脳で無知で強欲な生物です(^^; . |
| しかしこのHPを見ればきっと神は御救いになられるでしょう(^^) |
\ (^^)
http://nigiwai.net/mad/index.htm (^^) ../
\ .. /
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄V ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∧_∧
( ^^ )
(っ) ,,,,l ` γ l,,,,,
\ \/~~.... |。 ~~ヽ
\,,/ | |。田}}\ \
| |。 | ヽ_ヽ
_ | |。 | ゝつ
|\  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧
< 195◆IyApGKf56Q! 195◆IyApGKf56Q! 195◆IyApGKf56Q! >
∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨
、 、 、 、 、
/っノ /っノ /っノ /っノ /っノ
/ / ∧_∧ / / ∧_∧ / / ∧_∧ / / ∧_∧ / / ∧_∧
\\( )\\( )\\..( )\\( )\\( )
>恵也
>>459 誰も連行された警官の話なんかしていない。
あなたが無差別虐殺の証拠?として出したダーディン記事の描写から
それがどの程度のものなのかということを推測しているのです。
>>463 で結局、改竄部分を正確なものにしてみても
南京大虐殺の真贋認定に影響は無いようですね。
481 :
朝まで名無しさん :03/06/02 16:02 ID:jVpFX35E
>>478 >>何のソースも無く「もしかしたら虐殺無かったかもしれない」というのも
>>君にとっては許容範囲なわけか?
>パール判事曰く「宣伝と誇張を出来るだけ斟酌しても、なお残虐行為は日本軍のものがその
>占領したある地域の一般民衆、はたまた戦時捕虜に対し犯したものであるという証拠は圧倒的
>である」。
「もしかしたら」を使えばいくらでも言える、という話をしている。
よってそれでは答えになってない。
圧倒的な証拠とやらが「もしかしたら捏造かもしれない」で以上。
>儂は虐殺30万なんて主張はしとらん。
ではどのくらいなのかね?で、その数値はどうやって計算したのかね?
こちらは「どうやって虐殺数を計算するのか」と聞いてるのであって、
これも上と同様、「何に対して答えるべきか」を間違えている。
というか、ワザとずらしているのか?
482 :
朝まで名無しさん :03/06/02 16:07 ID:jVpFX35E
書き忘れたので付け足し。(
>>478 について)
>パール判事曰く「宣伝と誇張を出来るだけ斟酌しても、なお残虐行為は日本軍のものがその
>占領したある地域の一般民衆、はたまた戦時捕虜に対し犯したものであるという証拠は圧倒的
>である」。
この文章だけでは、「大虐殺の」証拠がある、とは言っていない。
残虐行為があった=大虐殺があった、ではない。
P.S.
あくまで余談だが、パール判事の言説を使うのならば、
太平洋戦争は日本に非は無い、という立場ですかい?
南京事件の話にはパールを引っ張り出し、
太平洋戦争の話ではパールを否定する、
なんて事が無いようにお願いしますぜ(笑)
>>460 >つまり、ごまかしたり隠そうとしたのではなく、南京虐殺を否定する目的で改竄を行った、という
>ことが問題なのである。
うーんつまりそういう言い方はさ、
改竄箇所を正しく直した場合、南京虐殺を肯定する論拠が出てくるって事だろ?
484 :
朝まで名無しさん :03/06/02 16:11 ID:ck5sldlH
でてくるといいねえ(w
あ、しまった南京大虐殺じゃなくて南京虐殺て書いてあった。
486 :
靴屋 ◆DH9Ep4fU/w :03/06/02 17:19 ID:rqAi9EsT
>>481 > 「もしかしたら」を使えばいくらでも言える、という話をしている。
ここで主題となっているのは人口論なわけだが、否定派は「陥落時人口は20万乃至は25万人
なのだから30万人殺せない」という主張をしているわけだ。これには軍人捕虜や便衣兵容疑者
殺害数は含まれていないから、その点でまず失当なわけだが、それを加えたとしても全然足り
ない、という主張のようだ。
だが、陥落時の南京市民全人口(陥落後の市民殺害数を含む)について、20万乃至は25万人
という数字は、それを国際安全区委員会が調べたという形跡は一切ない。彼らはただ、安全区
人口が概ね20万乃至は25万人と考えていただけである。このうち、20万人の数値は元をたどる
と陥落前の南京市長による難民推定数という概算値と推定され、陥落時人口の実数足り得ない。
また、25万人はスマイス報告にあるように人口の項の表の注釈に日本軍当局が1月末までに
行った不完全な登録数から推計したもので、これは国際安全区委員会による第19号文書と呼ば
れるものに記載されているものであり、それによると、16万人という市民登記数に登録対象外
の子供と老婦人の推計数を加えたものである。この数値も一月中旬以降の安全区の値であり、
陥落時人口を示していない。
それ以外に南京の人がいた可能性は、近郊農村からの避難民流入、実際には馬市長の予測
ほどには南京を脱出しなかった(これはダーディンの記事に避難することを選ばなかった市民
がいたと推定される記載があることなどからも想定される)、などがある。これらの実数はま
ったく不明であり、様々な記録によれば、安全区外は大変危険な状況であったことが示され
ており、市民虐殺の多くは外国人が把握し得なかった安全区外で起きたと考えられる為、こ
の安全区外残留市民人口が不明な以上は、陥落時人口を元にした虐殺数推計は不可能と言わ
ざるを得ない。
以上、当方の主張には根拠があり、根拠もなく「もしかしたら」と言っているわけではない。
487 :
靴屋 ◆DH9Ep4fU/w :03/06/02 17:19 ID:rqAi9EsT
>>481 > ではどのくらいなのかね?で、その数値はどうやって計算したのかね?
儂自身は虐殺数推計をするほどには至っていない。今のところは、中国軍人の取り扱いで
虐殺数は異なるものの、概ね等しいと考えられる板倉氏及び泰氏の推計する約4万(軍人含む)
は最低ラインであると考えるが、これを遙かに超えるとは思っている。しかし、何れにせよ、
虐殺数推計が出来るレベルには至っていない。但し、虐殺数推計は陥落時人口から逆算出来る
と考えるほど簡単だとは思わない。
488 :
靴屋 ◆DH9Ep4fU/w :03/06/02 17:20 ID:rqAi9EsT
>>482 > この文章だけでは、「大虐殺の」証拠がある、とは言っていない。
ふーん、ここはパール判事が、東京裁判で取り扱われた現在では"南京大虐殺"と呼ばれる事件の
判決文の文章なのだがね。当然その証拠とは現在では"南京大虐殺"と呼ばれる事件の証拠のことな
んだが。
> 太平洋戦争は日本に非は無い、という立場ですかい?
> 南京事件の話にはパールを引っ張り出し、
> 太平洋戦争の話ではパールを否定する、
> なんて事が無いようにお願いしますぜ(笑)
そのパール判事ですら現在では"南京大虐殺"と呼ばれる事件は日本軍が行ったと認めざるを得な
いと言っているんだから、
現在では"南京大虐殺"と呼ばれる事件についてはパール判事を認めず、
「太平洋戦争の話ではパールを」肯定する
つーんなら、お互い様だと思うがな(苦笑)
で、パール判事は日本に非はない、って言ったの? で、"太平洋戦争"に限定されるわけ?
いや、ほんとにドシロートなもんで、昭和史に興味持ったの最近でね。
知ってたらソース教えてくれ。
489 :
朝まで名無しさん :03/06/02 17:20 ID:ck5sldlH
では何万人いたのだ?
490 :
靴屋 ◆DH9Ep4fU/w :03/06/02 17:20 ID:rqAi9EsT
>>483 > 改竄箇所を正しく直した場合、南京虐殺を肯定する論拠が出てくるって事だろ?
知りたいなら頼むから板倉の論文を読んでくれ。洞富雄の「南京大虐殺の証明」と合わせりゃ
ベターかも知れんが、これは否定派だと拒否反応が出るかもな。板倉は一応は南京大虐殺否定
派だからな。
これ以上はもう、面倒なんでその度に説明したくない。参考のURLとかも紹介したわけだし。
あと"南京虐殺"とは田中氏が「松井岩根の陣中日誌」で用いた用語で、そのまま使っただけ。
491 :
靴屋 ◆DH9Ep4fU/w :03/06/02 17:42 ID:rqAi9EsT
>>483 一つ例を加えておこうか。
「今日は良い天気だった」
という文章があったとする。これを次のように改竄する。
「今日は良い天気【で暑い日】だった」
そして、評者はこれを見て「その日は暑い日で寒い日ではなかった」という証拠にする。しかし原文
には暑いも寒いも何も書いていない。田中正明氏がやったのは、例えばこういうことであり、原文に
"南京虐殺"を肯定する論拠があるわけではない。全くないかというとそうでもないが、その辺は微妙
なので板倉の論文読め、としか言えん。
あ、そうそう、田中正明氏の場合は日付まで書き換えておられるな。
493 :
計算機 :03/06/02 17:53 ID:zBeLE37e
人口問題に関して、
ttp://members.tripod.co.jp/NankingMassacre/mondai/jinkou.html#rabe005 を読み直してみたんだけど、やっぱり虐殺された20万(30万でもいいけど)の
でどころが分からん。
かいつまんで書くと、
7月頃は135万で、8月の爆撃の後市民の非難が始まった。
11/23の時点の市長の発表は50万。
11/25〜12/26のラーベの日記は20万、
11/27はアチソンによると30万〜40万で脱出は続いてる。
11/29はベイツによると40万。
01/14はラーベの第19号文書では25万〜30万、同日のジーメンス本社宛の手紙では
やっぱり20万。
11/17はラーベによると25万。
これ以降も3/3のフィッチの記録までほとんどすべてが20万〜25万。
例外となるのは12/14のウィルソン医師の15万〜20万。12/30のA.T.スティールの10万。
前述01/14第19号文書の25万〜30万。12末〜1末「中国半官半民筋」の30万。
11月末〜3月初めまでほとんどの記録が20万〜25万で変化してない。
虐殺された20万というのはいつ殺されて、どこにいた人?
3ヶ月間(100日として)で20万人というと、一日当たり2000人殺して、同じだけ流入してきたの?
494 :
朝まで名無しさん :03/06/02 18:07 ID:jVpFX35E
>>486 根拠があると思ってるのなら「もしかしたら」と言う必要は無い。
根拠を提示しつつ「〜である」と断言すればよろしい。
・・・まぁ、「根拠」というわりには「推定」という単語が多いようではあるが(笑)
>>487 つまり
「どれくらいかは具体的に言えない。でもたくさん殺された」
という事ですか?小学生の発想ですね(笑)
>>488 >ここはパール判事が、東京裁判で取り扱われた
>現在では"南京大虐殺"と呼ばれる事件の判決文の文章なのだがね。
>当然その証拠とは現在では"南京大虐殺"と呼ばれる事件の証拠のことなんだが。
詭弁の典型例。
例えば仮に「靴屋による百万人レイプ裁判」をやってる最中、
「靴屋氏が婦女子に乱暴を働いていた証拠がある」という発言があると
それは「百万人レイプ」の証拠になるのかね?
>現在では"南京大虐殺"と呼ばれる事件についてはパール判事を認めず、
>「太平洋戦争の話ではパールを」肯定する
今回の場合、この表現では正確ではないな。正しくは
現在では"南京大虐殺"と呼ばれる事件についての
「パール判事の発言を曲解する事を」認めず、
「太平洋戦争の話ではパールを」肯定する
である。
495 :
計算機 :03/06/02 18:15 ID:zBeLE37e
11/25~3/3で20万〜25万という記録は30件(同一文書というのは省いてある)。 それに対して前述の例外は多い方2件少ない方2件となってる。 資料を読む限り「市民」、「非戦闘員」となってるから中国兵は除外されてると 見るべきだろうね。紅卍会その他が埋葬した10万体を超える死体というのは この「市民」、「非戦闘員」というのをどの程度含んでいるんだ?
496 :
靴屋 ◆DH9Ep4fU/w :03/06/02 18:33 ID:rqAi9EsT
>>494 > 根拠があると思ってるのなら「もしかしたら」と言う必要は無い。
あのなぁ、君は儂に「議論見てない」と言われたわけだろ? フツーはそういわれたら見る
もんだが。その「もしかしたら」を最初に言ったのは儂ではなく誌論語氏だ。それに受け答え
をしただけだ、「その」という指示詞を付けて。
> 「どれくらいかは具体的に言えない。でもたくさん殺された」
昭和史専門家の泰教授ですら「神のみぞ知る」でっせ。泰教授を小学生と言いまっか?
儂も実数確定はほぼ不可能だとは思うよ。日本の肯定派学者ですら、中国三〇万人説信じてる人
は一人もいないと思うし。但し、大虐殺と言い得る事態があったことは否定しないがね。
> 例えば仮に「靴屋による百万人レイプ裁判」をやってる最中、
> 「靴屋氏が婦女子に乱暴を働いていた証拠がある」という発言があると
> それは「百万人レイプ」の証拠になるのかね?
あのねぇ、パール判事は一応「判事」だった人なんだけど。儂が上げたパールの判決文中の
文章の前にはマギーや許伝音の証言を信用しないというような文章があって、その後でそうし
たことを考慮に入れても証拠は圧倒的だ、と言っているくらいなんだが。曲解も糞もなく、そ
のまんまなんだが。
「但し、大虐殺と言い得る事態があったことは否定しない」 で、大虐殺の定義は? おおよそ何人以上殺されれば大虐殺なんだその基準は?
泰教授の本読んでないんだけどさ、泰教授の虐殺数見積もりで 兵士(正規服兵処刑したら不法) 便衣兵(処刑しても合法?) 成人男子一般市民(敗残兵の可能性あり) 老人子供女性(完全なる一般市民) の内訳はどんなもんなんだ?
>>497 例えばぁ
「大」震災とか
「大」洪水とか
「大」惨事とか
「大」流行とか
「大」成功とか
「大」繁盛とか
「大」渋滞とか
って、定義あんの?
500 :
朝まで名無しさん :03/06/02 18:51 ID:ck5sldlH
だんだんくそレスが多くなってきたぞ、靴屋。
501 :
朝まで名無しさん :03/06/02 18:53 ID:jVpFX35E
ぶっちゃけ、「数は不明」としながら虐殺あったと言い続けるのって、 結論を出したくないようにしか見えない。 実態を人々に知らせる事を避けつつ、 イメージとしての虐殺を浸透させようとしてる。 2ちゃんでやる分には議論ごっこだからまだ許せるが、 名のある学者がそういう事してるとしたらひどい話だ。
502 :
朝まで名無しさん :03/06/02 18:53 ID:IhMTa8MT
・同様に駐日アメリカ軍も撤退していただきましょう。沖縄などの米軍基地跡地には
フリーゾーンと銘打ち、人種、国籍、性別などにとらわれない誰でも入国、居住できる
地域にしましょう。さらにアフガン、パレスチナ、北朝鮮などの難民も積極的に受け入れましょう。
・いまだに終わっていない、戦争の補償をし、アジアの方々に償い、平和への誓いを新たに
しましょう。特に南京大虐殺で80万の市民の犠牲を出した中国、150万人の強制連行と30万人の
従軍性奴隷により多大な苦しみを与えた朝鮮民主主義人民共和国と韓国には公式の謝罪とともに、
賠償金を10〜30兆円支払い”戦後”を終わらせましょう。財源は消費税を40%にすることでまかないます。
★またアジア平和の願い市民ネットワークでは上記に賛同してくださる方の署名をお待ちしてます。
詳しくはホームページをごらんください。
http://www.kakiko.com/tora/rai/rainman/1052.html
>>501 第2次大戦で何人死んだのかの正確な数は不明
日本人が何人出征したのかの正確な数も不明
日本人は出征しなかったんですか?
>>495 > この「市民」、「非戦闘員」というのをどの程度含んでいるんだ?
ざっとしたところを言うと、埋葬数と日本軍の遺棄死体数(長江へ流したとか日本軍が
処理したとかの南京裁判での認定数)から、埋葬数の重複分を推定してさっ引き、そこから
戦闘によるものを引いて、推定される残存兵数(のうち殺害されたと思われるもの)を引い
たものを市民数としているようだよ。
505 :
朝まで名無しさん :03/06/02 18:58 ID:jVpFX35E
>>496 >あのなぁ、君は儂に「議論見てない」と言われたわけだろ? フツーはそういわれたら見る
>もんだが。その「もしかしたら」を最初に言ったのは儂ではなく誌論語氏だ。それに受け答え
>をしただけだ、「その」という指示詞を付けて。
ログ見た・見ないの話は水掛け論だからあえて無視していたが、
俺はこのスレにずっと参加してるぞ。
なんでサヨク論者って、自分の意見が相手に理解されないと
すぐ「読んでないだろ」と言うのだろうか?
自分の発言におかしなところが無かったかどうか、
自分を疑ってみるという事をしないのだろうか。
>昭和史専門家の泰教授ですら「神のみぞ知る」でっせ。泰教授を小学生と言いまっか?
神しか分からない事について何らかの見解を出しているのだとしたら、
泰教授だろうが何だろうが小学生レベルと言わざるを得ない。
学者のくせに結論から逃げているだけとしか思えない。
>あのねぇ、パール判事は一応「判事」だった人なんだけど。
またしても答えになってない。
パール判事の発言の内容について問うているのに、
パール判事の資格や権威は全く関係無い。
これ以上問題をずらす受け答えをするなら、
こちらもそういうレッテルを貼る事にする(笑)
>>501 まぁ、泰教授はそう言いながらも、3.8〜4.2万という概数は出している。これ言わなかった
のは儂が悪い。
>>499 じゃあ言い方かえるが「南京事件」と「南京大虐殺」の差異は?
肝心な部分ぼかすなよ。
>>503 最低限の数は出るだろ<日本兵の死者
その最低限の数すら言ってないのが靴屋の詭弁じゃねーか。
印象操作しかしてねーんじゃねーか?
>>504 先ず埋葬数があって、それから引いていく
なんか合理的なように説明してるけど、埋葬数自体がいい加減なんだから。
埋葬は紅卍会に一元化されていたという説だと埋葬数4万程度ですよ。
509 :
朝まで名無しさん :03/06/02 19:21 ID:OSEqDYH+
靴屋は信憑性薄い資料を根拠にしてるから真に受けない方が良いよ 通州事件という日本人居留民が中国兵に虐殺されたという事件が有った 南京で何かあったとしても通州事件程だったと思うよ。 だけど日本兵は基本的に非戦闘員を無差別に虐殺なんてしない。 最近必死になって左翼がここに書き込んでるね 南京・・が最後の砦だけに必死だ〜。
510 :
朝まで名無しさん :03/06/02 19:23 ID:OSEqDYH+
>508 その数も随分怪しいものです、水増ししていると思う。
511 :
朝まで名無しさん :03/06/02 19:28 ID:OSEqDYH+
市民に紛れ安全区に逃げ込んだり、市民の振りをして日本軍に 攻撃するのは国際法違反です。 日本軍云々言う前にこれを先に追求しましょう。
>>439 靴屋
おやおや、少しは理性的なサヨクかと思ったのだが…鍍金が剥がれたといった処だな。
>あのなー、その「もしかしたら」が真の虐殺数に当然大きく影響するわけだろーが。
問題にしているのは、具体的で詳細な数字ではなく「規模」。
ここを理解しているか?だから、専門家であるスマイスは陥落人口を20万〜25万とした訳だろう。
専門家が「推定」出来無いと判断すれば、そんな具体的数値を出すとは思えんが?
例えば、遺跡発掘にて遺物が出土した場合、その年代を推定する時
詳細な年代が解らない状況であれば、調査員がその遺物の特徴、層位から「古代〜中世」等と時期をかなり広くとり推定する。
その時、「推定時期は具体的に定めることが出来無い」ものの、大きく違っていることは無い。
もし、明確にその推定(この場合は規模)が違うとするならば、算出した数値の矛盾を呈示できなければ議論にならない。
ただ「不確定要素が多いから、もしかしたら違うかもしれないじゃないか」では、子供がダダをこねているのと同じだ(苦笑
推定して数値を算出する場合、不確定要素も考慮に入れ、その上で出すのが学者として当然だからな。
この場合、スマイスの陥落時人口推定を崩すには
その推定人口では矛盾が出てしまうという、各個たる根拠が必要なんだよ。
「神の手事件」の時、ありうる筈の無い場所・地層から遺物が発掘された事を
遺跡台帳を照らし合わせ(<これが根拠)矛盾点を指摘できるように。
故に、長い時間かけて現地調査を行ったスマイスの「根拠」に対し
矛盾点を指摘できていない、マギーやウィルソン、ベイツらの証言は、「スマイスの調査」を否定出来るものでは無い。
それに彼等は、平たく言うと「正確な人口は解らない」と応えているだけで、規模は大まかに掴んでいただろう。
…大雑把に、人口が解らないと言っても、良民票発行で解るように16万以下なわきゃ無いし、
11月23日時点で50万なんだから、それ以上の可能性も無いだろうしな。
それと…自分では気づいていないようなので忠告。 俺> 自説の披露では無く、他説の粗探し。 靴屋>反論されるのが嫌なら、君自身が自説を披露するのを止めたまえ。 …まさに「自身の器で人を量る」というやつだ。 「反論」というのは、「自説」があってこそ。 何故、「反論されるのが嫌だから」と連想した? それは、靴屋自身がそういう感性を持っているからじゃないのか? >主題は否定派による問題の矮小化が正当化されるような事件かということだ。 この言葉でも解るように 靴屋の言説は「反論」というレベルでは無く「反発」に過ぎないことが露呈したな。 大した期待をしていた訳では無いが、失望したよ。 …靴屋、単なる「否定」だけでは言葉遊びに過ぎない。 喩えるなら、地動説が天動説の「否定」から出発したのでは無く、自説の「肯定」であったようにな。 「反発」では無く「反論」するために、きちんと自説を披露出来るよう「自分で考える」んだな。
514 :
南京攻防戦 :03/06/02 20:44 ID:V/LHqrVD
大丈夫だよ。今更誰も「南京大虐殺」なんて大嘘を信じてないから。 靴屋も恵也も実はそうなんだから。 一生懸命信じ込もうと、もがいているだけなんだよ。
>>436 >土地は財産でも、持ち運びの出来ない財産。
>たとえ小さな軍閥であろうと、実効支配してれば中国の土地と主張する
>資格はあるし、そいつらが決める規則には従う義務があるだろう。
…呆れてモノが言えないんだが…サヨクってのはこういうレベルの奴ばかりなのか?
そりゃ、日本で言えば、自衛隊が分裂して軍閥になり
一都市を実効支配して、突如在日朝鮮人を追い出しても、ソレには従う必要があるって主張だぞ…(汗
>またその軍閥も所有者(利用する権利を持つもの)を守る義務もある。
だから、その義務を放棄し、自国民の財産を奪おうとした場合
国は自国民の生命と財産を守るために行動する訳だよ。
虐殺されたりすれば尚更、軍隊を投入することもあるだろう。
>ユダヤ人に学びなさい!
…だから、ユダヤ人は「保護してくれる自国」を求めてイスラエルを建国したわけで。
ユダヤ人に学ぶということは、イスラエルの武断的な姿勢を学ぶってーことなんだが?解ってて言ってるのか?(笑
516 :
朝まで名無しさん :03/06/02 20:57 ID:+E7NBqaY
日本外務省、「日本軍による南京での殺人・略奪行為は否定できない事実」
日本の外務省スポークスマンの沼田貞昭氏は19日、当時の日本軍による南京
における殺戮(さつりく)行為は否定できない事実であると語った。
上記は、沼田貞昭氏が新華社の記者によるインタビューに応じ、語った言葉で
ある。沼田氏は、旧日本軍が1937年南京に侵入し、一般市民を殺害し、略奪行
為を行なったことは、否定できない事実であり、政府によるこれらの認識は、集
会を催した団体の認識とは異なっていると表明し、以下のように強調した。
日本政府の歴史認識に関する考えは、日本の村山富市元内閣総理大臣が
1995年8月15日の談話において明らかにした、「我が国は遠くない過去の一時
期に、植民地的統治と侵略によって多くの国、特にアジア諸国の人々に極めて
大きな損害と苦痛をもたらした。我々は、この歴史的事実を謙虚に認め、ここ
で改めて痛切な反省と心からの謝罪を表する」という言葉と変わっていない。
現在に至るまで、日本政府のこの考えには、いかなる変化もない。
「人民日報」 2000年1月20日1面
ttp://fpj.peopledaily.com.cn/2000/01/20/newfiles/a1020.html
>>478 > ふーん、ここはパール判事が、東京裁判で取り扱われた現在では"南京大虐殺"と呼ばれる事件の 判決文の文章なのだがね
正確には「東京裁判にて南京大虐殺と定義される事件の存在を否定した」判決文だ。
その証左に、検察側の主張を呈示した後、こう述べている。
>以上が検察側の 南京虐殺事件の顛末である。
>すでに本官が指摘したようにこの物語の全部を受け入れる事は、 いささか困難である。
と、明確に「物語である」としている。
>>513 >…靴屋、単なる「否定」だけでは言葉遊びに過ぎない。
>喩えるなら、地動説が天動説の「否定」から出発したのでは無く、自説の「肯定」であったようにな。
一行抜けてた。
PCは便利なんだが、時々こういうことがあるんだよな。
…靴屋、単なる「否定」だけでは言葉遊びに過ぎない。
考察を深めた結果、自説の整合性が、他説を論破することとなるのらば別だが。
喩えるなら、地動説が天動説の「否定」から出発したのでは無く、自説の「肯定」であったようにな。
良く知らねーけど、こんな話聞いた事があるな。 100万人が虐殺されたとされているが、 実際の当時の南京は人口100万も居なかった、という話
520 :
朝まで名無しさん :03/06/02 22:07 ID:+E7NBqaY
521 :
朝まで名無しさん :03/06/02 22:11 ID:vrXTPndJ
なんでもいいが、前スレが1000いかずして着底した。 なんかもったいないぞ!
あの…。このスレ見るのは初めてです。 誤爆した人がここのスレの人だったので、読ませていただきました。 祖父が旧日本軍人です。 部隊がなんか、あんまり詳しく聞いてないのですが、始めに南京入りした 部隊に入っていたそうです。 それで、南京行ったらもう中で戦争してたって言ってました。 南京の城壁ですか、あそこに日本軍が、壁の包囲ですね。 周りをだーーーって、取り囲んだそうです。んで、突破口から、 どっかの部隊が突撃する前に、取り囲んだ壁の上からかなりの 多くの日本兵が、中の様子を見たそうなのですが、 なんか中でもう殺し合いというか、[激しい]戦闘が中で始まってて、 「あら?もうどっかの部隊が入ったの?気が早ない、ぉぃ。」 ってな感じでしたが、技術関係の部隊だったので、 何処の部隊にも指令は行ってないし、どこも突撃なんかして無いということが わかって、それならなかで内部紛争してるのか?と、当事は 共産党とかなんとか軍とか軍閥とかが色々あったみたいで、 それが中でなんか暴動みたいに遣り合ってるんじゃないかという風に 思ったそうですが、実際何が起こってるのか、包囲している時点では 予想が付かない状況だったという事です。わかわからなかったって事です。 それでも、攻撃してた敵が中にいる。なんか中でやってるけど 包囲してた日本の部隊の一団が南京入りして、なんかその時点で 戦闘は終わったみたいだったようですが。日本軍が入った時には 死屍累々だったそうです。入った後で、民間にまぎれてるゲリラと 戦闘があって、包囲後の戦闘はそれだけだったそうです。 南京の戦争で大虐殺っていうのは変だって事でした。 「南京に入ったらもう死んでた。」 突入した人はみんなこういってたそうです。
>>468 >殆どの日本兵にとっては弾薬が使い放題だったわけじゃないことになりますね。
死刑執行に必要なだけの弾丸、小銃、機関銃なら十分あるだろう。
入場式なんかに、支那の兵器を持ってては怒られるかも知れんが死刑執行には
何の問題もないだろう。
チェコ機関銃なんかは数丁は、内地に研究の為送る必要が有るかも知れんが
後は使えるだけ使ったと思うよ。弾は日本製の弾は代用できなかったのかね
日本兵の日記によくチェコと言う名前で出てて、量的にはずいぶんあった様だよ。
日本製の機関銃は、故障が多くて火薬の量を少なくしたり、いろいろ工夫はした
ようだが、それでも嫌がられたようだね。
戦闘の最中に故障したらタマランだろうな!
>中国軍はどの程度かは分からないが相当な量のZB26を配備して日本軍を迎撃
http://homepage3.nifty.com/sweeper/gun/m_gun/zb26.htm
>519 30万人が虐殺されたとされているが、 実際の当時の南京は人口30万も居なかった、という話ならば、結構話題とされている。 100万人は右も左も、まともな処は主張していないと、思う。 >521 容量を越えてしまったらしく、書き込めず>前スレ 性質上長文が多いからなー。 >522 ぐはっ(吐血 誤爆先は置いといて(汗 貴重なお話有難うございます。 パル判事が日本の弁護側の意見として呈示した >かつ退却中の中国兵が、 相当数残虐を犯したことを暗示したのである。 という言葉と符合する、かなりリアリティのあるお話で、参考になります。
>>505 > 泰教授だろうが何だろうが小学生レベルと言わざるを得ない。
じゃぁ、どうやって計算するのか教えてください。君に言わせれば小学生なんだから、
儂は教わる立場になるわけだから。
> またしても答えになってない。
じゃなくて、パール判事の言うように、たくさんあるわけ。そうした一つ一つの証拠について
未だに議論が続いている得意な分野、ってくらいは知ってるだろ?
例えば儂はその一つ、幕府山事件について自衛発砲説を否定したわけだが。例えばこれについて
何か反論あればどうぞ。
> こちらもそういうレッテルを貼る事にする(笑)
君はサヨクと既にレッテル張ったんだから、こっちも気にしてないよ(笑)
>>507 > じゃあ言い方かえるが「南京事件」と「南京大虐殺」の差異は?
南京事件は史上、三つあって云々、つーのは知ってるな? このうち1937年のものを言う。
南京大虐殺とは、一般に中国でこの南京事件を称して南京大屠殺と呼んでいたものを本多勝一
が『中国の旅』で、南京大虐殺と日本語に置き換えたものを言う。
しかし、この呼び方は右翼や自由史観論者、歴史改竄論者等の批判に晒されることになり、この
表現を巡っても論争が続いている。南京事件研究家であり、南京大虐殺否定論者の板倉由明氏は、
この定義に中国が侵華日軍南京大屠殺遇難同胞記念館の壁面等に掲げる軍民併せての虐殺数
30万を必須とする、という定義を取ったが、日本の肯定派の学者でこの定義を採用する人は
いない。
・・・だなんて言うと、ごまかしとかはぐらかしとか言われるのは想像に難しくないが、例えば
儂が上で例示したような「大震災」とか「大洪水」といった表現と同じと考えて良く、そう称して
良いほどの虐殺だったと考える。否定派は、そのように称するほどのことではない、ということな
のだから、「大虐殺」という表現自体を巡っては、双方に認識の相違があるわけではあるまい。
> その最低限の数すら言ってないのが靴屋の詭弁じゃねーか。
言ってるんだが(
>>487 )。
>>509 > 靴屋は信憑性薄い資料を根拠にしてるから真に受けない方が良いよ
ほい、儂が使っているという資料とそれが信憑性が薄いという根拠を示せよ。
どーせいい加減なこと言ってるだけで、示せんだろうがな。
> 南京で何かあったとしても通州事件程だったと思うよ。
さすがに200数十名と言う奴はおらんと思うが。まぁ、一部の狂信的な否定派は南京事件そのものが
なかった、といいたいようだからそれよりはマシか。どーせこれも根拠ないんだろうがな。
> だけど日本兵は基本的に非戦闘員を無差別に虐殺なんてしない。
どーせこれも根拠ないんだろうがな。
>>511 > 市民に紛れ安全区に逃げ込んだり、市民の振りをして日本軍に
> 攻撃するのは国際法違反です。
中国兵が安全区に潜んで日本軍に攻撃した、という根拠を提示してください。
>>512 はっきり言うが、その計算で、虐殺数計算した人は、アイリス・チャンか、
「20万(or25万)−30万」という計算をして否定できたといい気になっている否定派ぐらいしか
知らんが(苦笑)
で、スマイス調査のその数字の根拠は、儂は推定したわけだが、君はどうやってスマイスが調べたか
分かっていってるんだろうな。スマイスが書いているから正しいじゃ、話にならんな。
前にも言ったように20万人から25万人の直前には戦前南京市人口100万の記述があり、その直後に書
かれている数字であること、当然100万人はスマイスの調査ではないこと、20万乃至は25万は国際安全
区委員会の文書やメンバーの日記等に出てくるものであり、安全区内の推計数でしかなく、これをその
まま記載しただけである可能性が高いこと、などから不明な安全区外人口、特に城外人口は入っていな
い可能性が高いこと、ベイツの証言にもあるように、調査対象範囲外で殺された人は多くいると推定さ
れること、などにより、20万乃至は25万という数は陥落時全人口(陥落後に虐殺された市民を含む)を示
していない可能性が高い。このことはマギーやウィルソンの証言が否定しない。
これらの、君の「陥落時人口から虐殺数が概数であれば推計できる」という説の要になっているスマ
イス調査報告の記述を否定する論拠を、君が論拠を示して反駁しなければならない。他に、近郊農村か
らの避難による流入人口の可能性、南京を推計通り脱出していない可能性(ダーディン記事)などがある。
なお、「マギーやウィルソン、ベイツらの証言は、「スマイスの調査」を否定出来るものでは無い」
というのであれば、その根拠を示す必要がある。論拠を示さず「否定できるものではない」など子供じ
みているのは君であろう。
で、古代石器捏造がどーたらいっておられるようだが、藤森のゴッドハンドを信じて大した検証もせ
ず痛い目を見たのは学会である。君の態度はこれと同じことだ。
>>513 人に忠告する以前の問題として、自分の胸に手を当ててよく考えろと言っておく。
なんで推測ばっかりして、まだ生きてる実際に戦争に行った人とかの 話とか聞かないんでしょうか。そういう機会に恵まれなかったのかのかな。 あんまり老人にそういう事を聞いたらいけないとか言われてるから? もう80歳90歳になる人達で、なんかどんどん友達が先立っていくって 言ってるような人たちですが、一度話を聞いてみてはいかがでしょうか。 そういう話が聞ける人たちが減ってるのは確かですが、 それでも大量の兵員が南京の時にはいたのですから。 まだまだそのときの話を聞こうと思えば聞けるはずですよ。 当事の南京の状況がどんなだったか。とか、直接聞けばいいのに。 ここでドッカノ資料には〜とか、当事の記録では〜とかって、 恐竜絶滅の証拠探ししてるみたいで変ですよ?不毛です。 実際に戦争に行った人が何を見たのか、何が起こったのか。 まだ聞けるのですから。それをしたほうがいいと思います。 実際数十万人も殺せるわけないでしょう。 曲がりなりにも統率の取れた軍隊で、大量の兵員を導入した作戦で、 非戦闘達が数十万人も殺されるところを日本軍の部隊が見たら、 日本軍の中で何かが起こりますよ。平然とそんなに虐殺できると 思いますか。ありえないですよ。常識的に考えてください。 自分のおじいさんとかが若い頃に組織された軍隊で、 そういう事が出来たかどうか考えてみたください。 よくよく考えたら変だナ。って思うと思いますが。 私も実際南京を包囲したときの話聞くまでは、数十万って人間の数 を鵜呑みにしてて、なんか騙されてたなって思った口ですが。 広島を焼き尽くした当事最新兵器の原爆で10万ですよ。
>>517 > 正確には「東京裁判にて南京大虐殺と定義される事件の存在を否定した」判決文だ。
> その証左に、検察側の主張を呈示した後、こう述べている。
> >以上が検察側の 南京虐殺事件の顛末である。
> >すでに本官が指摘したようにこの物語の全部を受け入れる事は、 いささか困難である。
> と、明確に「物語である」としている。
ひょっとしてグース説の受け売りだろ。・・・ともかく、全部を受け入れることは困難だと言った
だけであって、それは全部のうちの一部に相当すると考えなければ、それ以前に証拠は圧倒的という
パール判事の言っていることに矛盾するのであるから、否定したなどと読むことは出来ない。その証
拠にそのすぐ後で「熱心すぎた証人があきらかに【若干】いた」となっているからだ。
しかしグースって野郎は、「ある地域」を大した根拠もなしに勝手に「安全区」といったり、とん
でもねー香具師だな。
泰教授の本読んでないんだけどさ、泰教授の虐殺数見積もりで
@兵士(正規服兵捕虜処刑したら不法?)
A便衣兵(処刑しても合法?)
B成人男子一般市民(敗残兵の可能性あり)
C老人子供女性(完全なる一般市民)
の内訳はどんなもんなんだ?
>>526 で、「軍民併せて」としれっと言っているが、その比率はとても重要ですよね。
漏れは@〜Bまでは、現場の状況によっては
(支那側が要因を作ったというのもあり)、止む終えないものではと思うのだが。
>スマイスが書いているから正しいじゃ、話にならんな。 …ちゃんとレスを読めよ根拠を呈示してあるだろう…(汗 > なお、「マギーやウィルソン、ベイツらの証言は、「スマイスの調査」を否定出来るものでは無い」 というのであれば、その根拠を示す必要がある。 それも根拠を呈示してある。 >矛盾点を指摘できていない、マギーやウィルソン、ベイツらの証言は、「スマイスの調査」を否定出来るものでは無い。 「スマイス調査に対する具体的な矛盾点の指摘」を行ってる証言があれば呈示を頼む。 尚、ウィルソン、ベイツは日記で15万〜25万辺りの数値で人口を計算しているぞ。 > ひょっとしてグース説の受け売りだろ。 自身の器で人を量る再び、だな(苦笑 あそこは便利なので、よく引用させてもらうが…判決文を素直に読んでみな、普通の読解力を持つ人間なら 東京裁判で定義された南京大虐殺を「否定している」と読むぞ? その上で、日本軍兵士による犯罪が多発したことは否定出来ないとしていると、読む。もう少し長く引用しよう >日本の兵隊は城内に侵入して、街上の非戦闘員を無差別に射撃した。 >そして日本の兵隊が同市を完全に掌握してしまうと、強姦、殺害、拷問及び劫掠の狂宴が始まり、 6週間続いたというのである。 > 最初の数日間、2万人以上の者が日本人によって処刑された。最初の6週間以内に、南京城内およびその周辺において殺害された者の数の見積もりは 26万ないし30万人の間を上下し、 >これらの者はすべて実際には裁判に付されることなく、 殺戮されたのである。第三紅卍字会および崇善堂の記録によって、この2団体が埋葬した死体が15万5000以上 であった事実が、 >これらの見積もりの正確性を示している。この同じ6週間の間に 2万人を下らない婦女子が日本の兵隊によって強姦された。 >以上が検察側の 南京虐殺事件の顛末である。 >すでに本官が指摘したようにこの物語の全部を受け入れる事は、 いささか困難である。 明確に「物語」とさえ言っているぞ? つまり、東京裁判で呈示された「南京大虐殺」は「物語」と表現する程、荒唐無稽であると捉えるのが普通だ。
>>533 君の言うような内訳ではないが、兵士3万(便衣兵含む)+一般市民8千から1万2千と
しているようである。
詳しくは、読んで欲しい。
>>487 読みましたが
「これを遙かに超えるとは思える」根拠って何なんだ。
>>534 じゃぁ、ゆっくりやろうじゃないか。
> 矛盾点を指摘できていない、マギーやウィルソン、ベイツらの証言は、「スマイスの調査」を否定出来るものでは無い。
ならどう矛盾点を指摘できていないのか、説明を求む。
> 「スマイス調査に対する具体的な矛盾点の指摘」を行ってる証言があれば呈示を頼む。
そうではなく、20万から25万という人口についてスマイスは調査などしていない、といっている。
まだ理解できんのか?
> 尚、ウィルソン、ベイツは日記で15万〜25万辺りの数値で人口を計算しているぞ。
どこでどう「計算」しているのかのべよ。この辺は正確にする必要がある。
> つまり、東京裁判で呈示された「南京大虐殺」は「物語」と表現する程、荒唐無稽であると捉えるのが普通だ。
「物語(story)」なんざ、別に珍しい言葉でも何でもないと思うがな(苦笑)
>>531 実際正論なんですが…議論となると一部の「私は猟奇殺人をしました」という証言をして、
何故か中国や左系団体に祭り上げられている人が存在する故
そういった「良識的な」体験談は殆ど紹介されないのが実情で…
また、戦後教育の徹底から「戦争=悪」の短絡思考から
戦争に参加していたこと自体白眼視されるような雰囲気がありましたしね。
>>469 >君が使ってるコンピュータも見る人が見れば製造年が分かるということだね
軍服のことを話してんだろう?
それも70年前の、ぼやけた写真を相手にして1937年式か、1938年式かなんて
プロだろうがマニアだろうが解かる物かな。
その理論的な、しっかりした記録や写真が残ってるとは思えないのだがね。
戦時体制になり急激に注文の増えた軍服を、製造年月日から発送枚数まで
戦災を受けないで全部の記録が残っていたのかい?
そういった、物差しさえどの程度当てになるものやら?????
まあそれが10年単位の違いなら判るが、1年の差で本物ならともかく、ただの
ピンボケ写真を見て一番初めの軍服の、製造年月日から考えて可笑しいなんて
軍服製造メーカーに勤めてた人なのかな。
今の自衛隊の奴さえ、調べるのは大変だよ。新式の軍服をどこの部隊が何時から
使い出したのかわかるかい?
俺はこういった軍服みたいなものはいい加減な記録しかないとみてる。
特に製造が追いつかないくらい忙しくなれば、お互いに融通は利かせて使用するし
酷いのになると、靴のサイズ違いさえ履かされた兵隊が居たとか聞くよ。
輸送での優先順位 弾薬、燃料、> 食料 > 着替えの軍服
寒いのは下着を重ね着して、それでも寒けりゃ新聞紙でも入れろってね。
>>536 > 「これを遙かに超えるとは思える」根拠って何なんだ。
思える、に根拠がいるのか? 儂は今現在はそう思っているというだけだ。調べることはまだまだ
多いんでこれ以上は現時点では言うべきではないのだが、泰氏の推計根拠は何れも低すぎる、という
のが大雑把なところだな。とまれ、まだ虐殺数推計できるレベルには至っていないので、これ以上は
今は言えん。
恵也 ◆o4NEPA8feA を相手にしないように。 肯定派諸兄すら相手にしてないでしょ。
>>531 > なんで推測ばっかりして、まだ生きてる実際に戦争に行った人とかの
> 話とか聞かないんでしょうか。そういう機会に恵まれなかったのかのかな。
そういう証言を集めた本などはあるよ。ただそれを信じるかどうかは別。延々と続く論争や、裁判
果ては刑事事件まで起こる問題だからね、非常にややこしいわけだ。誰がややこしくしているかは言
わないが。
> 私も実際南京を包囲したときの話聞くまでは、数十万って人間の数
> を鵜呑みにしてて、なんか騙されてたなって思った口ですが。
> 広島を焼き尽くした当事最新兵器の原爆で10万ですよ。
ちらっと耳にした話では、アフリカの民族紛争で、原始的な方法で短期間に数十万人〜百万人
殺したという話があるそうな。ツチ族とかなんとか。
>537 とりあえず、明日は午後からなので 心おきなく誤爆先を楽しむ為、レスは後日。 靴屋も自説くらい少しは構築しておきな。
>>522 > 「南京に入ったらもう死んでた。」
これだけで、この話は信用出来ないと言えてしまうな。安全区には多くの人がいたんだから。
城内のゲリラ戦の記録はないし。
>>544 そんな暇があったら、儂の言ってることを1パーセントくらい理解しろよ。まぁ、時間の使い方は
君の自由だが。
<再掲>
で、古代石器捏造がどーたらいっておられるようだが、藤森のゴッドハンドを信じて大した検証もせ
ず痛い目を見たのは学会である。君の態度はこれと同じことだ。
>ルワンダ大虐殺について ちょっと気になったので短く。 ルワンダ大虐殺は100日で50万〜100万程と言われているが 民族浄化目的に最初から民間人を虐殺するつもりで、多くの地域にて同時に行われた上に 1994年なので、民兵の装備は旧日本軍より優れていると思われ。 計画的、多地域同時多発、近代武器使用でこれだけかかっている。
>>546 >そんな暇があったら、儂の言ってることを1パーセントくらい理解しろよ。
その言葉そっくり返すぞ(苦笑
>藤森のゴッドハンドを信じて大した検証もせず痛い目を見たのは学会である。
つうか、まともな研究者はきっちりと意義を唱えていたんだが。
神の手の説を信じていた奴らのメンタリティは、南京で30万人虐殺説を信じ込む人間と酷似しているのも興味深い処だ。
549 :
途中判定 :03/06/03 00:46 ID:1rqxuPSQ
虐殺派:アジテーター 否定派:学究的 勝負は見えたな。
>>548 君の言い分はあちこちの議論でよく見られたもので儂もある程度事情を把握しているから、十分理解
している。以下のレスを再掲するので、じっくり冷静に読んで(詳細は以前に説明している)、儂が何
を言っているか理解した上で、
>>537 の質問に答えを願う。
<再掲>
前にも言ったように20万人から25万人の直前には戦前南京市人口100万の記述があり、その直後に書
かれている数字であること、当然100万人はスマイスの調査ではないこと、20万乃至は25万は国際安全
区委員会の文書やメンバーの日記等に出てくるものであり、安全区内の推計数でしかなく、これをその
まま記載しただけである可能性が高いこと、などから不明な安全区外人口、特に城外人口は入っていな
い可能性が高いこと、ベイツの証言にもあるように、調査対象範囲外で殺された人は多くいると推定さ
れること、などにより、20万乃至は25万という数は陥落時全人口(陥落後に虐殺された市民を含む)を示
していない可能性が高い。このことはマギーやウィルソンの証言が否定しない。
これらの、君の「陥落時人口から虐殺数が概数であれば推計できる」という説の要になっているスマ
イス調査報告の記述を否定する論拠を、君が論拠を示して反駁しなければならない。他に、近郊農村か
らの避難による流入人口の可能性、南京を推計通り脱出していない可能性(ダーディン記事)などがある。
<再掲終了>
以上のことから、元々不明な陥落時人口を元にした虐殺数推計は出来ない。故に君の考えは破綻して
いる。
>>547 おーそうだそうだ、ルワンダ虐殺だ。儂も知らんことが多くて恥ずかしいよ。
100人で1万人をたった三日で殺したという話があってな、近代兵器つっても、
この話の場合は教会かどっかに閉じこめて手榴弾をばんばん投げ込んだ、って
くらいでね。
ルワンダの虐殺で主に使われた凶器は、手斧や、普段畑仕事で使っていた鍬らし
いね。これじゃ近代兵器とは言わんな。
552 :
朝まで名無しさん :03/06/03 01:40 ID:A3c7CUGJ
>>545 >> 「南京に入ったらもう死んでた。」
> これだけで、この話は信用出来ないと言えてしまうな。
> 安全区には多くの人がいたんだから。
安全区は、南京城の中のさらに中の城にいたような
ものだから、安全区以外で戦闘していれば、
安全区は関係ないのでは?
> 城内のゲリラ戦の記録はないし。
ゲリラ戦とは便意兵が日本軍に対して行なったことで
しょうか?
中国軍の同士討ちがないということですか?
中国軍は、軍閥すなわち山賊が集まった軍隊だから
仲間割れもあるかもしれないと思います。
>>552 > ゲリラ戦とは便意兵が日本軍に対して行なったことで
> しょうか?
儂自身の最近の調べにより、時期は不明だが、少数の反乱はあったらしいが即刻日本軍に鎮圧
されたらしい。ゲリラ戦かどうかはまだ不明。詳細は何れ調べる。
> 中国軍の同士討ちがないということですか?
山賊は多分いない。というより民兵が多かったようで、日本軍に比べりゃレベルは大違いだったろう。
同士討ちの話は知らない。陥落後は逃げる一方で、散発的な交戦はあっただろうが、おそらくそれも
ほとんど全員殺されていると思われる。まぁこれは戦闘だから仕方ないだろう。後は逃げ切れなければ
捕虜になるか、空き家にでも隠れるか、便衣化して民衆に紛れ込むか、くらいなもので同士討ちなんか
している暇はなかっただろう。国府軍の司令官はとっとと逃げちゃってるし。
それくらい日本軍は圧倒的だったようだ。日中双方にとってこんなにあっけなく陥落するとは思って
なかっただろう。
>>552 ま、あまり靴屋の言うことは気にしないことです。しょせんは化けの皮
はがれた肯定派議論オタ。
>中国軍の同士討ちがないということですか?
>中国軍は、軍閥すなわち山賊が集まった軍隊だから
>仲間割れもあるかもしれないと思います。
この部分にフォロー入れておきますが、中国軍は督戦隊を組織していて、
逃げようとする兵士を督戦隊が撃ち殺したという話が記録にあります。
門に向かっていくところを「後ろから」撃たれ前のめりで死んだ中国兵の
写真などもとられているようです。一部督戦対と逃げようとした兵士の間
で戦闘が発生したことは考えられますね。
ま、なんにせよ、民間人殺して衣服剥ぎ取った例もあるようで、陥落時の
同士討ちは、今更事実判定する必要すらない事項ですね。規模は不明
ですが全体から見れば小規模だったのではないかと思いますが。
面白いものを発見したので、以下に示す。コヴァ板の南京スレ過去ログにあった。日中双方で
証言が一致する、貴重な例である。
1)佐々木支隊の下関での虐殺 12月13日 汪良氏の記録
13日になって、北の城門が開けられ、日本軍は揚子江方面に進みました。揚子江岸の中山波止場、
下関駅にはもともとニ隻の渡し舟がありましたので、 避難民の群れはここに殺到しました。しか
し二隻の船はいち早く国民党の将校に占拠され、避難民達は一人も 渡ることができず、波止場で
ひしめき、凍死寸前の状態でありました。 その数は二万から三万でありました。日本軍はこの難
民の群れに砲火を浴びせ、全員を虐殺しました。
(山岡繁『中華人民共和国の戦争被害を訪ねて』8〜9頁)
2)佐々木支隊の下関での虐殺 翌12月14日
第六師団輜重第六連隊小隊長 高森守一氏の記録
波打ち際には、打ち寄せる波に、まるで流木のように死体が揺らぎ、 河岸には折り重なった死体が
見渡す限り、累積していた。それらのほとんどが南京からの難民のようであり、その数は、何千、
何万というおびただしい数に思えた。 南京から逃げ出した民間人、男、女、子供に対し、機関銃、小
銃によって 無差別な掃射、銃撃がなされ、大殺戮が繰り広げられたことを、死骸の状況が生々しく
物語っていた。道筋に延々と連なる死体は、銃撃の後折り重なるようにして倒れている死骸に対し
て重油を撒き散らし、火をつけたのであろうか、焼死体となって、 民間人か中国軍兵士か、男性か
女性かの区別さえもつかない状態であった。 焼死体の中には、子供に違いないと思われる死体もお
びただしくあり、 ほとんどが民間人に違いないと思われた。私はこれほど悲惨な状況を見たことが
ない。 大量に殺された跡をまのあたりにして、日本軍は大変なことをしたなと思った。
(『熊本第六師団大陸出兵の記録』95ページ)
ttp://www.globetown.net/~mukai/nankin2ch/1019404595.html
>>554 督戦隊は下関から逃げようとする兵士に対してしか、なかったはずだが。ちなみにこれは違法でも
何でもないことを付記しておく。
それのどこが南近大虐殺か解説してくれたまえ
>>556 > 督戦隊は下関から逃げようとする兵士に対してしか、なかったはずだが。
以下に訂正
督戦隊は下関から逃げようとする下関渡河を許可されていない兵士に対してしか、なかったはずだが。
559 :
話ズレテル :03/06/03 02:27 ID:1rqxuPSQ
朝まで名無しさん
>>552 >日本軍が入った時には死屍累々だったそうです
靴屋
>>553 >陥落後は逃げる一方で、散発的な交戦はあっただろうが、おそらくそれも
ほとんど全員殺されていると思われる。まぁこれは戦闘だから仕方ないだろう。後は逃げ切れなければ
捕虜になるか、空き家にでも隠れるか、便衣化して民衆に紛れ込むか、くらいなもので同士討ちなんか
している暇はなかっただろう。国府軍の司令官はとっとと逃げちゃってるし。
552(日本軍が入る前の話)≠553(陥落後:日本兵が入った後の話)
また話をずらしてる。 いつもの手だな。
>>557 > それのどこが南近大虐殺か解説してくれたまえ
南「近」大虐殺なんて知らないが。
これは、ラーベの日記にも登場する下関の三万の死体についての一つのソースである。信用したく
ないならかまわないが、下関の三万の死体は否定派からは敗残兵の逃走を阻止したものだ、という
説があり、ここも論争点の一つになっている。
>>559 城内に入った後で逃げるんかい。それじゃ遅いだろう。馬鹿かね。
そもそも、城内で大量に同士討ちしたという話は聞いたことがない。
563 :
朝まで名無しさん :03/06/03 02:42 ID:H1C4OiHl
564 :
話ズレテル :03/06/03 02:42 ID:1rqxuPSQ
>>556 >>554 へのレスが
>>556 これも話がズレテルな。
>ちなみにこれは違法でも何でもないことを付記しておく。
督戦隊の行為を合法とか違法とか議論してない。議論の趣旨と離れてる。
この様に徐々に話を混乱させていくのです。
>〜なかったはずだが。
議論の相手には根拠を要求し、自分は「はずだが」という曖昧な言葉で返す。
はあ、議論にならんな。
565 :
話ズレテル :03/06/03 02:43 ID:1rqxuPSQ
>>563 おお。麻生炭鉱で朝鮮人労働者を殺しまくったヤクザを支持基盤としている
麻生太郎の支援組織が、歴史捏造のために2chを舞台に大活躍やな
567 :
話ズレテル :03/06/03 03:09 ID:1rqxuPSQ
>>559 すまん。 レス番違ってた。 552は
>>522 な。
これが原因での
>>561 のレスなら誤る。
しかし、
>>553 の話がずれてる事には変わりが無い。
(日本軍が入る前の城壁上から見て死体が有った話)≠(靴屋「陥落後は同士討ちしてる暇はない」)
568 :
朝まで名無しさん :03/06/03 03:13 ID:bdsxDREE
569 :
:03/06/03 03:29 ID:xFbnhx7n
>>564 554も議論の相手には根拠を要求し、自分は「あるようで」という曖昧な言葉で返す。
はあ、議論にならんな。
靴屋もうダメぽ
>>541 とか読んでさらに失望。
根拠いらないんだって? 根拠ないことわめかれてもいちいち相手にしてられんだろ。
>>555 軍が揚子江方面に進軍していき波止場に追い詰めたとき、
そこで総攻撃をかけても非難できん
(で真っ先に国民党の将校達はまんまと非難ですか)
安全委員会に安全区を攻撃しないように要請され、それを守った。
それ以外の場所での安全を保障してないだろ。
>>564 > 督戦隊の行為を合法とか違法とか議論してない。議論の趣旨と離れてる。
同士討ちの話に督戦隊出したのは誰なのかなぁ。
あれは、渡河を許可された部隊以外は下関から脱出してはいけないという軍命令があって、
その命令を守らせる為に督戦隊を使うわけであって、命令違反者を処分するようなものである
から同士討ちといえるようなものではないのだが。
話ずらしてんのは誰なのかなぁ。
> 議論の相手には根拠を要求し、自分は「はずだが」という曖昧な言葉で返す。
こっちは下関以外は知らんのだから、下関以外に対しては「筈だが」と言わざるを得んだろうが。
573 :
話ずらします :03/06/03 10:23 ID:1rqxuPSQ
>>572 >>ちなみにこれは違法でも何でもないことを付記しておく。 ←靴屋
>督戦隊の行為を合法とか違法とか議論してない。議論の趣旨と離れてる。
>同士討ちの話に督戦隊出したのは誰なのかなぁ。←靴屋
とにかくまともに返事をしません。このようにどんどん話がずれていきます。
靴屋のレスはこれを踏まえて読みましょう。
>>567 確かに、君は時間軸進行的な話をしているんだったな。
儂の場合は、中国軍は陥落前から既に陥落前に撤退命令は出ており、陥落前にしても、日本軍の
圧倒的な攻撃により、防戦するのがやっとの状態であり、同士討ちなんかしている場合ではなかった、
と時間的に整理しても話は変わらんわけだが。陥落前後の中国軍兵は防戦しているか逃走するかの何
れかの状態でしかなく、同士討ちなどしていない(便衣化の為に市民殺した、っつーようなのを同士
討ちというならそう強弁していただいて結構だが)。
>>574 「中国軍は陥落前から既に陥落前に撤退命令は出ており」
落ち着けば?
何が言いたいのかわからん。
>>553 同士討ちじゃないけど支那兵による支那人に対する剥奪・暴行はねそりゃもう。
「(日本軍入城前に・・・)支那兵が彼らの軍服を脱ぎ常民服に着替える大急ぎの処置の中には
種々の事件を生じその中には着物を剥ぎ取るための殺人も行いしなるべし」
日本軍が入ったらもう死体がごろごろってのはあるんじゃないの。
>>573 > >>ちなみにこれは違法でも何でもないことを付記しておく。 ←靴屋
> >督戦隊の行為を合法とか違法とか議論してない。議論の趣旨と離れてる。
これは、督戦隊を「中国軍て酷いことするなぁ」という印象操作に使われる可能性があるので、
それを防ぐ為に「付記」しただけなんだが。何せ、南京事件の話に通州事件持ち出したり、中国人は
残虐だとか言いたい為に中国のカニバリズムの話持ち出したりと、あの手この手を使ってごまかそう
とする否定派が多いもんでな。
君も儂への悪印象振りまくというイメージ戦略をしているわけだろ。南京事件の話より儂の悪印象
振りまく方がしたいみたいだしな。
>>577 お前のその口でよく他人に対して「印象操作」などとほざけるなぁ
実際酷いじゃん、督戦隊。 有無をいわせず国民党兵士された俄か兵 捨て駒にされ、逃げ出したら自軍に殺されかわいそうだね。 みんな置いてきぼり(盾)にして真っ先に下関から 避難した国民党将校達が一番酷いけどね。
>>576 > 「(日本軍入城前に・・・)支那兵が彼らの軍服を脱ぎ常民服に着替える大急ぎの処置の中には
> 種々の事件を生じその中には着物を剥ぎ取るための殺人も行いしなるべし」
> 日本軍が入ったらもう死体がごろごろってのはあるんじゃないの。
その可能性までは否定しない。一説によれば二万から二万五千もの中国兵が便衣化した、と言われ
ているからひょっとしたら相当規模であったかも知れない。ただ、洋服店等に殺到したり、略奪(+殺害
行為を除く)によって便衣を得たという話もあって、まさか二万から二万五千の大半が便衣化の為に市民
殺した、とはちょっと考え難い。
>>574 >同士討ちなどしていない(便衣化の為に市民殺した、っつーようなのを同士
>討ちというならそう強弁していただいて結構だが)。
そもそもネタみたいなレスに反応して「同士討ち」って言い出したのあなたほうじゃない?
支那兵による支那人に対する剥奪・暴行を
わざわざ同士討ちと強弁する必要はこっちには無いのだが。
>>580 命令違反者を現場で処分するのは当時としては常識。軍としての統制を考えると民兵が多かった
急ごしらえの中国軍にとっては督戦隊は必要不可欠だったろう。酷い、という印象までは否定せんがな。
> みんな置いてきぼり(盾)にして真っ先に下関から
> 避難した国民党将校達が一番酷いけどね。
というよりは、蒋介石等の見込みが甘かったのと、日本軍がこれ以上ないほどの完璧な包囲戦で急
襲したのが大きいだろう。司令官が逃げようが逃げまいがまったく勝ち目のある戦いではなかった。
潔く降伏すれば良かったのにとは思う。その意味では確かに酷い。撤退して立て直しを図るつもりだ
ったんだろうが、結果から言えば残された中国軍民にとってはあまりに過酷な運命が待っているだけ
だったからな。
ただ仮に降伏していたらどうなったか、というのはどうなんだろうな。
584 :
計算機 :03/06/03 11:09 ID:gN5dprby
>>504 で、それはだいたいどのくらいになるの?
>>522 それが事実だとすると、相当数の死体があったということになるね。
その死体の処理はどうしたんだろう。
>>523 >弾は日本製の弾は代用できなかったのかね
できない。
だから、チェコ機銃(ZB26)を鹵獲したら同時に弾も鹵獲しないと
意味がない。鹵獲できる弾はその部隊が持っている分だけで、景気よく
ぶっ放すというわけにはいかない。
>>528 上海の時点で中国軍が便衣戦術をとったというのは認めるのかな?
上海で痛い目に遭ってれば南京ではいたい目に遭わないような処置をする
のは妥当な行為だと思うが。
>>529 で、実際の人口はどのくらいだったと言いたいの?ラーベやスマイスの推測が
不確かだというなら、確実だと思われる人口とその論拠を示さなきゃ。
585 :
計算機 :03/06/03 11:09 ID:gN5dprby
>>540 それだけの長文に対して短い回答ですまんが「軍服の違いは分かる」
としか答えられんよ(w
戦前の野球チームのユニフォームだって写真も記録も残ってる。それと
同じ。
昭和13(1938)年6月1日付の改正令で
(1)「詰襟」を廃止し、開襟にもなる「立折襟」に改める
(2)肩の階級章を襟に移す―などの軍装改正を実施した
としたわけだから区別は付くだろうね。
これは君が知ってる(区別が付く)かどうかは問題じゃないよ。
ちなみに問題の写真は
ttp://www2u.biglobe.ne.jp/~sus/crime%20scene.htm 詰め襟かどうかは分かる。読めば元々掲載されていた雑誌が
1938/10/22のthe China Weekly Reviewであることも分かる(w
>>542 の指摘ももっともだが、君(恵也)だけが読むわけじゃない
だろうから、重機の性能、物理的な規模、写真に関する点は反論
しておくよ。
>>582 >>554 みたいなレスがあるんでな。IDに注意すりゃぁいいんだろうが、名無しでは感覚的には
全部同じ相手かと思ってしまう。すまんな。
587 :
話ずらします :03/06/03 11:13 ID:1rqxuPSQ
>>574 つまり、
>>522 の「城壁から見た死体」は嘘だというのですね。
このように貴方の書込みは結論が書いてなく、説明文(?)ばかりで対話がしにくいんです。
(もっとも、それが目的かも)
>国軍は陥落前から既に陥落前に撤退命令は出ており
たしか中国軍の唐生智将軍は降伏を拒否し、あげく逃亡したと有るのを読んだ事がある。
「撤退命令」の一次資料はあるんですか?
588 :
朝まで名無しさん :03/06/03 11:19 ID:U+goF1Zn
● 新日本主義思想 (Neo Japanism) 新日本主義思想(Neo Japanism)とは、 いまNET上の若者の間で広まっている、 日本を軍事力、経済力、共に強い国にするという思想である。 景気回復や世界をテロやテロ支援国家などから守り 世界平和を実現するために、軍事力大幅強化や徴兵制の復活、 集団的自衛権の保有、スパイ防止法の制定、 軍需産業の復活等を目標と掲げている例が多い。 そして個々人の思想によって解釈が異なることが 最大の特徴とされる新しい時代の言論である。
>>584 > で、それはだいたいどのくらいになるの?
これかな。
http://www.bekkoame.ne.jp/~ymasaki/china.htm > で、実際の人口はどのくらいだったと言いたいの?ラーベやスマイスの推測が
> 不確かだというなら、確実だと思われる人口とその論拠を示さなきゃ。
ではなく、不明だと言っている。それは、マギーやウィルソン、ベイツの東京裁判の証言、
南京脱出をしようとは思わなかった南京市民がいたと推定される根拠となるダーディンの記事、
近郊農村からの流入、などがある。
マギー:最低限度30万人は下らない人がいた。実態はよく分からないが。
ウィルソン:50万人以下だった。
ベイツ:調べていない範囲に多くの殺された人がいた。
ダーディン:日本軍の南京入城を戦争が終わって平和になると思って歓迎する市民がいた。
その他:ラーベらの報告する下関の3万に及ぶ死体は実はほとんど市民だった可能性
中国軍人規模など
近郊農村については、スマイス調査で陥落後約27000の兵士の暴行による殺害が報告されてお
り、陥落前の戦闘による被害実態はまだ儂自身はよく調べていないが、スマイス調査のほぼ城内
被害である約6700人と比べると明らかに多く、南京市への避難流入は相当程度あったのではない
かと推測される。
非標本化誤差、というのかな。つまり、調べないと分からない人口があった、ということだ。
>>587 > つまり、
>>522 の「城壁から見た死体」は嘘だというのですね。
そんなもん嘘だー!、と言いたい心証がこちらにあるのは認める(苦笑<儂)
ほんとだとしても、その実態や数は問題になるだろう。路上に死体がごろごろ、という話が
実態は町の区画毎の一体づつ、なんてな話もあったりする。これは外国人が見聞した安全区内
の話で、それとは別の話だが。
> このように貴方の書込みは結論が書いてなく、説明文(?)ばかりで対話がしにくいんです。
何遍も言うが、結論出せるレベルには至っていない。何分、可能な限り詳細に調べるという
手法を取っているまだまだもたもたしているレベルの低い初心者なので、ご勘弁願いたい。
出来れば「否定」側からもソースの提示等が欲しい、と思っている。
> たしか中国軍の唐生智将軍は降伏を拒否し、あげく逃亡したと有るのを読んだ事がある。
> 「撤退命令」の一次資料はあるんですか?
唐生智じゃなくて蒋介石が、アメリカを通じた開城勧告を拒否した、というものだ。撤退命令の
一次資料はまだ儂は見ていないが、下関以外から正面突破で逃げよ、という命令だったのは、間違
いないようだよ。これは、コヴァ板南京スレ過去ログ(*1)で知った、と儂自身記憶する。
*1:
ttp://www.globetown.net/~mukai/nankin2ch/nankin2ch.html
>>586 554とその前後の君の発言読み比べると、くどくないだけ554のほうが
まだましと思う自分が居るわけだが(苦笑)
> 命令違反者を現場で処分するのは当時としては常識。軍としての統制を考えると民兵が多かった
>急ごしらえの中国軍にとっては督戦隊は必要不可欠だったろう。酷い、という印象までは否定せんがな。
部隊補助(輜重とか)で現地民間人を徴収した(幕府山でもこれらの民間人がいっしょに
捕まった)という話は聞いたことがあるが、南京の防衛部隊の民兵の割合が高かったと
いうのは何か根拠があるのかね?
士気、連度がが低かったというのと民兵だったというのは別にイコールの関係じゃないわ
けで。あと君の言ってる民兵というのは、どういう状態の兵士のことを指しているのだろう?>
もうちょっと定義をきちんとしないとまた印象操作って言われるんだが。
592 :
計算機 :03/06/03 12:09 ID:gN5dprby
>>589 >戦う最中でなくなった兵士の数も取り除かなければなりません。
>
>台湾で出版された「蒋総統秘録」という本の中には、南京での戦闘中に亡く
>なった国民党兵士の数は6000人と書かれています。ですからこれらの数も引
>かなければなりません。
>
>これらすべての数を引いても不当に虐殺された人の数は少なくとも30万人だ
>と言えます。
そのサイトだと、民間人だけで30万人説なんだけど、それでいいの?
その30万人はどこにいた人なの?
マギーその他の証言を引用してるけど、
>>493 で俺が書いた人口の推移に
関してはどう考える?
ウィルソンは12/14に10万〜20万と書いてるし、ベイツの40万人というのは
11/29のもので、11/27にアチソンも30万〜30万と書いてるが同時に脱出は
続いているとも書いている。
マギーの証言は「小野寺モニター」というのが訂正していて、
>我々委員会で推定した所では、安全地帯に入ったのは少くとも二十万は
>入ったと思ふ。其の外に安全地帯に来なかった者がどの位あったかは
>到底推定出来ないと思ふ。けれども三十万は最低の見境りであらうと思ふ。
>兎に角城外に居った者、市外に居った者がどの位居ったかと云ふことは
>到底推定出来兼ねる
と書いている。城内に20万、場外を合わせると30万をくだらないということだね。
593 :
計算機 :03/06/03 12:10 ID:gN5dprby
公式文書だけ取り出してみたけど、食料、費用を算出するためには ある程度確かな統計データが必要じゃないかな。 「誰かが20万って言ってたからそれで請求しとくか」 という話じゃないんじゃない? 12/18 第7号文書 二〇万の中国市民に給食し、かつ日夜彼らを保護することはできません。 12/21 第9号文書 国際委員会が二〇万市民に配給する食糧はあとわずか一週間分しかない という事実を考えれば、〜 12/27 第14号文書 二〇万市民を養うために、前記二万担の米を〜 01/14 第19号文書 当市の総人口は多分二五万から三〇万だと思います。これだけの人口を 普通並の米の量で養うとすれば、一日に二〇〇〇担の米〜 01/17 第22号文書 〜一日米一〇〇〇袋に増量されて、二五万人の需要を〜 01/18 第23号文書 十二月十三日以来、二五万人に対し、在庫多量なるもわずか米二二〇〇袋、〜 01/28 第26号文書 南京市内に当方の手持ち分として一〇万ドルあり、さらに上海に 五万七〇〇〇ドルあります。しかし、この一五万七〇〇〇ドルという金額を もってしても、現在市内にいる二五万人の難民を救うのには焼け石に水〜
594 :
計算機 :03/06/03 12:13 ID:gN5dprby
さっきのサイト(
>>589 )だけど、資料としてはどうかな。こんなこと書いてるし。
>いろいろ嘘をでっち上げて責任回避をやっています。
>
>たとえば、彼らは「当時の日本軍が殺したのは庶民の服に変装していたゲリ
>ラだった。ゲリラは殺しても正当な行為で虐殺ではない。」とか「武装解除
>した兵士を殺してもそれは戦争の続きだ」と強弁しています。
>
>敗残兵を殺すのも戦闘行為だと。
>
>ですから彼らは虐殺された数は3千人から6千人、あるいは3万8千人から4万
>2千人程度と言っています。
>
>当時の南京にはゲリラはいませんでした。
>
>ゲリラと言っても本当は庶民であるし、国民党の兵士であっても捕まるのが
>恐くて軍服を脱いで庶民になった人たちです。
>
>しかし、ゲリラであれ、庶民であれ捕まれば捕虜です。捕虜であれば国際法に
>基づいて殺してはいけないことになっている。
>
>敗残兵も武装は解除されていますから、これも殺してはならない。
>>591 > 部隊補助(輜重とか)で現地民間人を徴収した(幕府山でもこれらの民間人がいっしょに
> 捕まった)という話は聞いたことがあるが、南京の防衛部隊の民兵の割合が高かったと
> いうのは何か根拠があるのかね?
これは泰氏からの受け売りなんだが、それもちと誤解していたようなので訂正してお詫びする。
泰氏によれば、以下の通りである。
「局面によっては、正規兵より民兵の方が多く、特に難民区に逃げ込んだものは民兵が主体だった、
という参戦者の証言もあるが、中国が主張する兵力数に、この種の民兵がふくまれているかはた
しかではない」(『南京事件』p208)
中国の『抗日戦争史事探索』(板倉『ほんとうはこうだった南京事件』に引用)によれば、雑兵は
約40%、全兵数(雑兵含む)のうち新兵は概ねこれに等しい。またこの板倉本によれば新兵は近くの
農村から無理矢理拉致に等しい状態で連れてきた、らしい。割合はよく分からないが、この40%の
民兵的存在が大体そんなもんだと考えれば、日本軍に比べるまでもないだろう。実際にまったく相手
にならなかったんだし、幕府山では約15000〜20000もの兵隊が、2000ちょっとの兵数しかない山田支
隊に投降してきた、という例もあるくらいなので。山田支隊は幕府山等の砲台への戦闘以外はほとん
ど戦闘らしい戦闘はしていない。
>>592 > そのサイトだと、民間人だけで30万人説なんだけど、それでいいの?
いや、そうは言っていない。「戦闘中に亡くなった国民党兵士」を引くとあるだけで、そこには
捕虜虐殺や便衣兵容疑者虐殺は入っている。中国の主張ははあくまで戦闘氏以外の軍民併せて30万人
(以上)。
> その30万人はどこにいた人なの?
一応虐殺地図はこうなっている→
http://www.mmjp.or.jp/nankin1937/map.html > ウィルソンは12/14に10万〜20万と書いてるし、
これは陥落直後なので、はっきりしない為、幅があるんだろう。
>ベイツの40万人というのは11/29のもので、
これは何かの間違いだろう。何故なら、三月中旬から下旬の人口を指すと思われるスマイス報告
の記載では25万から27万となっていることから分かる。
>11/27にアチソンも30万〜30万と書いてるが同時に脱出は続いているとも書いている。
30万から40万だが、市長からの報告であり、11/23の50万から脱出推定数を引いたものと思われる。
どうやって50万や30万から40万と出したのか、よく分からないが、近郊農村からの流入という事項は
入っていないと思われる。まぁ、何れも書いてないからよく分からんわけだが。
597 :
朝まで名無しさん :03/06/03 14:22 ID:CcHKJJm9
遅レススマソ
>>525 >じゃぁ、どうやって計算するのか教えてください。君に言わせれば小学生なんだから
>儂は教わる立場になるわけだから。
そういう事でなく、分からんのなら「分からん」だけで良い、という話。
「人口は分かりません、何人死んだかも分かりません。でも大虐殺がありました」
こういうのを小学生レベルだ、と言っておる。
何も分からんのなら参加するな、邪魔だ。
>じゃなくて、パール判事の言うように、たくさんあるわけ。
それ(証拠)について、
「残虐行為があった=大虐殺があった、ではない」
というレスを、とっくに返しているのだが?
君はまだ何も答えてないぞ。
>例えば儂はその一つ、幕府山事件について自衛発砲説を否定したわけだが。例えばこれについて
>何か反論あればどうぞ。
俺は自衛発砲説論者ではないが、
そもそも幕府山で虐殺が起こってない、という説も出てるようだぞ
(例:
>>321 。321は俺ではないが)。
>>593 > 公式文書だけ取り出してみたけど、食料、費用を算出するためには
> ある程度確かな統計データが必要じゃないかな。
> 「誰かが20万って言ってたからそれで請求しとくか」
> という話じゃないんじゃない?
儂もそんないい加減な請求ではないとは思うが、「食糧はあとわずか一週間分」とか
「一日に二〇〇〇担」とか実に大雑把な話をしており、ともかく足りないことを強調して
要求しているわけだから、これをもって20万が正確な数字だと言うことにはならないだ
ろう。なお、彼らの認識は1月中旬以降の人数として陥落時人口は市内25万人(結果と
して最終的に安全区に集まったであろう人数)となる。
何れにせよ、彼らは安全区の話しかしていない。在留外国人で安全区外の話が出てくるのは、
二月十八日のベイツ(もしくはベイツとミルズ)による「数千人が同区外に留まって」であり、
これは、この文章の前で死体等は数えていないと言っており、範囲も分からず、区外の「数千人」
という数字もあてにならない。
>>594 > さっきのサイト(
>>589 )だけど、資料としてはどうかな。こんなこと書いてるし。
一応、高興祖教授は向こうの最近まで中心だった研究者。それと、向こうの研究者の一人で
ある孫宅巍氏のいっていることとはほぼ同じ。
http://www.bekkoame.ne.jp/~ymasaki/kazu.htm これもその真崎氏のHPだがが、書いてある内容はそこにも記載されているように藤原彰氏編の
南京事件調査研究会と中国側研究者の共同で作成された報告のまとめみたいな本にあるもの。
真崎氏のHPは、見た目「なんだこりゃ?」と思うところはあるが、是非はともかく、色々資料
引用があって、便利といえば便利。ただ、どこに何があるのか分からないのはちょっと難。ページ
の作り方は下手すぎるし。また強烈ないわゆる「サヨク」的イメージを持つ人もいるだろうが、
「ウヨク」ページもあるわけで、その辺はご愛敬といったところだな。儂は資料に使えるくらいに
しか思っとらんからな。
600 :
計算機 :03/06/03 14:48 ID:gN5dprby
>>596 > いや、そうは言っていない。「戦闘中に亡くなった国民党兵士」を引くとあるだけで、そこには
>捕虜虐殺や便衣兵容疑者虐殺は入っている。中国の主張ははあくまで戦闘氏以外の軍民併せて30万人
よく分からないな。
>>584 で「どのくらいになるのか?」と問うたところ、
>>589 で「これかな」とそのサイトを貼ってるわけだよね。貴方の主張は
どのくらいなの?
> その30万人はどこにいた人なの?
> 一応虐殺地図はこうなっている→
http://www.mmjp.or.jp/nankin1937/map.html そういうことを聞いてるんじゃなくて、死んだ20万人はどこにいた人かと言うこと。
何度も書いてるけど、20万人も減った形跡がないと言ってるわけ。15万5千も埋められてる
なら、15万5千人が当時の人口から減らなきゃならんだろう?
>これは陥落直後なので、〜略〜 よく分からんわけだが。
ベイツが40万と言ってるのはアチソンの30万〜40万と矛盾しないだろ?
俺が書いたのは、
「〜ベイツの40万人というのは
11/29のもので、11/27にアチソンも30万〜30万と書いてるが同時に脱出は
続いているとも書いている。」(ちょと訂正「30万〜30万」は「30万〜40万」)
つまり、11/29にベイツもアチソンも30万〜40万で一致していて、アチソンはそこに
「同時に脱出は続いている」という文があるだけ。
それに、12月に入ってからは20万〜25万でほとんど一致している。これより多いのは
前にも書いたとおり01/14第19号文書(ラーベ)の25万〜30万。12末〜1末「中国半官
半民筋」の30万だけ。
貴方は「20万〜25万というデータは間違ってるかもしれないのでもっと多かった
可能性もある」と言ってるだけで、どう間違ってるのか説明しなきゃ何の反論にも
ならないよ。
601 :
計算機 :03/06/03 14:53 ID:gN5dprby
>>598 >実に大雑把な話をしており、ともかく足りないことを強調して
>要求しているわけだから、これをもって20万が正確な数字だと言うことにはならないだ
>ろう。
「正確」というのはどういう程度のことを言ってるの?
01/19 第24号文書で
「大人一〇〇人の一日の普通の消費量を一〇担として、二五万人では
二五〇〇担になる。」
と書いてるから、その程度の精度はあったと考えるのが妥当じゃないのかな?
20万〜25万が30万〜40万にはならんよ。
>>597 > 「人口は分かりません、何人死んだかも分かりません。でも大虐殺がありました」
> こういうのを小学生レベルだ、と言っておる。
あにょなー、実際大変なんだぞ。そもそもが、日本軍の公式資料である戦闘詳報が2/3も
消失したと言われているくらいで、その戦闘詳報でさえ実数を水増ししている可能性などがあり、
またいろんな人が苦労して元兵士から借りてきた日記や、証言等をしらべ、それらの信憑性を
確かめ、他に在留外国人が残した記録や、埋葬数の信憑性・・・・・そしてそれらを様々に相互
に検討し、その他違法性等々の検討も必要だし、と、検討事項は無茶苦茶多いわけ。
人に小学生レベルだの何だの偉そーなこと抜かすんなら、君がやってみたらどうだ。
> 「残虐行為があった=大虐殺があった、ではない」
> というレスを、とっくに返しているのだが?
少なくとも「残虐行為があった=(大虐殺があった or なかった)」なんだが。
> 君はまだ何も答えてないぞ。
要するに「大虐殺の証拠を示せ」だろ? 何勘違いしてんのか知らないが、儂はまだ「あったと思
う」という仮説に基づく検討を行っているだけで、儂自身は証明にまでは至ってないよ。但し、この
仮説は今のところ否定されていない。だからこうやって議論なんかをしているんだがな。結論なんか
出てるんなら議論なんかせん。
否定派の本でもサイトでも良いから、なんかテーマ自分で出してみろよ。
> そもそも幕府山で虐殺が起こってない、という説も出てるようだぞ
> (例:
>>321 。321は俺ではないが)。
幕府山事件なんか何も書いてないが。しかもそれって、元をたどると、また○○かぁ、っての
だし(苦笑)。その
>>321 に反論ほしきゃ、しても良いが、どーする?
>>600 > よく分からないな。
>>584 で「どのくらいになるのか?」と問うたところ、
>
>>589 で「これかな」とそのサイトを貼ってるわけだよね。貴方の主張は
> どのくらいなの?
よく分からないのお互い様で、君は元はといえば「紅卍会その他が埋葬した10万体を超える死体」
と疑問を出すから、儂はその主張は中国側の主張だと思って、そのページを紹介したわけ。従って、
以降、儂は中国側の主張を紹介しているに留まる。虐殺地図もそういうこと。儂自身は何度も言うよ
うに、約四万人を最低ラインとするが、それを遙かに超えると思っている、が虐殺数が計算できる
レベルには至っていない、というもの。
> ベイツが40万と言ってるのはアチソンの30万〜40万と矛盾しないだろ?
日付確認したか?
それと、君はそれら数値がどのように推計・算出されたのか、どのような意味を持つのか、等々を
時系列にそって整理する必要があると思うが。計算機だから数字しか見えないでは困る・・・という
のは冗談だが。
儂は、陥落時人口は一月中旬以降当時の残留外国人の認識では25万であったが、この数値は12
月末から1月末にかけて行われた南京特務機関による市民登記数16万からそのときの登記対象外の
老婦人と子供の推定数を足したものであり、これが正しいとしても、最終的に安全区に入った総難民
数でしかなく、それまでに安全区外や城外で亡くなった人は入っていない、というもの。
604 :
計算機 :03/06/03 15:24 ID:gN5dprby
>>599 「サイト」じゃなく「ページ」と書くべきだったな。
南京大学 歴史系教授 高興祖のいうことはとてもじゃないが
信頼できん。
>>601 いや、そうではなく、結論としては25万というのが彼らの当時の陥落時人口の認識になる。
ということだけを言っている。そしてこれは安全区人口である。「増えた」とよくいわれる
5万人の差は、ラーベに言わせれば「廃墟になったところに住んでいた人たち」で、結果的には
安全区にその人達がいた(増えた)ことからそう推計しているのだから、彼らが安全区しか知らな
かった、と言えるだろう。
ああ、ベイツの40万は完璧に儂の勘違いだった。スマン、忘れてくれ>計算機
ちゃう、勘違いなんかしてない>計算機
南京の状況----一九三七年十一月二十七日
第九六三号 十一月二十七日午後二時
三、市民の脱出は続いているが、市長の話では三〇万から四〇万の市民がまだ南京に残っていると
のこと。
アチソン
『南京事件資料集 アメリカ関係資料』 P90
--------------------------------
アメリカのキリスト者へのベイツの回状
一九三八年十一月二十九日
現在、南京の人口は事実上四〇万人におよんでいます(難民区の時期は二五万人、戦争直前には
一〇〇万人いた)。最近の増加は、大きくは田舎からの難民によっています。彼らのある部分は、
南京市からそこへ安全を求めて行ったのですが、今はゲリラとそれに対する報復襲撃で危険にさら
される後背地となり、そこで彼らは有り金全部(ときには衣服も)を使い果たしてしまったか、あ
るいは奪われてしまったのです。・・・・・・
『南京事件資料集 アメリカ関係資料』 P340-341
ttp://members.tripod.co.jp/NankingMassacre/mondai/jinkou.html あちゃちゃ、二重三重の勘違いだなこりゃ。アチソンは陥落前を言っている。ベイツは陥落後約
一年後を言っている。ベイツの「何かの間違い」、ってのは儂の勘違い。
609 :
計算機 :03/06/03 15:40 ID:gN5dprby
>>603 俺が「よく分からない」と書いたのは貴方の主張(どこにいたどのくらいの人数が
殺されたか)。貴方が算出できるレベルにないとしても最低限20万〜25万人説を
否定するなら否定するだけの根拠がいるよ。
> 日付確認したか?
11/27と11/29ということかな? 時系列的に言えば、きれいに減っていってると思う。
> それと、君はそれら数値がどのように推計・算出されたのか、どのような意味を持つのか、等々を
>時系列にそって整理する必要があると思うが。計算機だから数字しか見えないでは困る・・・という
>のは冗談だが。
人を揶揄する前に論理的に反論して欲しい。時系列については次のレス参照。
610 :
計算機 :03/06/03 15:41 ID:gN5dprby
とりあえず、例のサイトからの抜粋(全部貼りたいけど、長いから前1/3くらい)。
http://members.tripod.co.jp/NankingMassacre/mondai/jinkou.html 07/?? 私が七月に発ったときには、南京の人口はおよそ百三十五万人でした。
その後、八月なかばの爆撃の後に、何十万もの市民が避難しました。
(ヒトラーへの上申書)
11/23 調査によれば本市(南京城区)の現在の人口は約五〇余万である。
将来は、およそ二〇万人と予想される難民のための食糧送付が必要である。
(南京市政府(馬超俊市長)が国民党政府軍事委員会後方勤務部に送付した書簡)
11/25 目前に迫った南京をめぐる戦闘で、二十万人以上の生命が危機に
さらされることになります。(ヒトラーへの電報:ラーベ)
二十万人をこす非戦闘員の保護のため〜(ジーメンス本社へ電報:ラーベ)
11/25,28 12/10,25,26
20万(ラーベの日記)
11/27 市民の脱出は続いているが、市長の話では三〇万から四〇万の市民がまだ
南京に残っているとのこと。(南京の状況:アチソン)
11/29 現在、南京の人口は事実上四〇万人におよんでいます(難民区の時期は二五万人、
戦争直前には一〇〇万人いた)。(アメリカのキリスト者へのベイツの回状)
12/12~13
市の陥落当時(12月12〜13日)の人口は20万から25万であった。
我々が3月に行った抽出調査で報告された人員を50倍すれば、すぐさま
市部調査で表示されている22万1150人という人口数が得られる。
(南京における戦争被害 L・C・S・スミス)
12/14 南京に残留している一五万から二〇万人は、以前に難民区と私が書いた
安全区に群がった。(金陵大学病院からの手紙:ロバート・O・ウィルソン医師)
12/17 〜秩序が回復されないならば、二〇万の中国人市民の多数に
餓死者が〜(第6号文書:ラーベ)
611 :
計算機 :03/06/03 15:45 ID:gN5dprby
>>608 >アメリカのキリスト者へのベイツの回状
>一九三八年十一月二十九日
ごめん。すっかり37年だと思ってた。
>>610 のベイツの部分は無視してくれ。
612 :
計算機 :03/06/03 15:47 ID:gN5dprby
>>605 俺は「増えた」と入ってないよ。「10万も20万も減った形跡が見られない」と
いってる。
ちょっと出かけるんで。次は今夜か明日か、よくわからん。
614 :
計算機 :03/06/03 15:52 ID:gN5dprby
>>靴屋 ベイツの回状の >現在、南京の人口は事実上四〇万人におよんでいます(難民区の時期は二五万人、 > 戦争直前には一〇〇万人いた)。 の部分がやっとスッキリしたよ。 1938/11/29の時点で40万、難民区の時期(1937/12頃)は25万、 戦争直前は100万ということなんだな。 ず〜っと「難民区の時期は二五万人」がひっかかってた。
人口に関して
http://members.tripod.co.jp/NankingMassacre/mondai/jinkou.html 07/?? 私が七月に発ったときには、南京の人口はおよそ百三十五万人でした。
その後、八月なかばの爆撃の後に、何十万もの市民が避難しました。
(ヒトラーへの上申書)
11/23 調査によれば本市(南京城区)の現在の人口は約五〇余万である。
将来は、およそ二〇万人と予想される難民のための食糧送付が必要である。
(南京市政府(馬超俊市長)が国民党政府軍事委員会後方勤務部に送付した書簡)
11/25 目前に迫った南京をめぐる戦闘で、二十万人以上の生命が危機に
さらされることになります。(ヒトラーへの電報:ラーベ)
二十万人をこす非戦闘員の保護のため〜(ジーメンス本社へ電報:ラーベ)
11/25,28 12/10,25,26
20万(ラーベの日記)
11/27 市民の脱出は続いているが、市長の話では三〇万から四〇万の市民がまだ
南京に残っているとのこと。(南京の状況:アチソン)
12/12~13
南京市の戦前の人口はちょうど100万であったが、爆撃が繰り返され、後には
南京攻撃が近づいて中国政府機関が全部疎開したためにかなり減少した。
市の陥落当時(12月12〜13日)の人口は20万から25万であった。
我々が3月に行った抽出調査で報告された人員を50倍すれば、すぐさま
市部調査で表示されている22万1150人という人口数が得られる。
(南京における戦争被害 L・C・S・スミス)
12/14 南京に残留している一五万から二〇万人は、以前に難民区と私が書いた
安全区に群がった。(金陵大学病院からの手紙:ロバート・O・ウィルソン医師)
12/17 〜秩序が回復されないならば、二〇万の中国人市民の多数に
餓死者が〜(第6号文書:ラーベ)
12/18 二二名の西洋人だけで、二〇万の中国市民に給食し、〜
(第7号文書:ラーベ)
12/21 南京二〇万市民〜国際委員会が二〇万市民に配給する食糧は
あとわずか一週間分〜(第9号文書:南京在住外国人一同)
12/27 二〇万市民を養うために(第14号文書:ラーベ)
>>靴屋 ベイツの回状の件は申し訳なかった。
618 :
朝まで名無しさん :03/06/03 16:37 ID:CcHKJJm9
>>602 >あにょなー、実際大変なんだぞ。そもそもが、日本軍の公式資料である戦闘詳報が2/3も
>消失したと言われているくらいで、その戦闘詳報でさえ実数を水増ししている可能性などがあり、
>またいろんな人が苦労して元兵士から借りてきた日記や、証言等をしらべ、それらの信憑性を
>確かめ、他に在留外国人が残した記録や、埋葬数の信憑性・・・・・そしてそれらを様々に相互
>に検討し、その他違法性等々の検討も必要だし、と、検討事項は無茶苦茶多いわけ。
相変わらず何の答えにもなっとらん。俺が言ってるのは
「何も解明されてないのに南京大虐殺あったと言うのは小学生レベル」
この1点のみだ。君ら肯定派は、君自身が言うように
検討しなければならん事項が数多く残されているにも関わらず、
検討し終わるのを待たず「勝手に」虐殺あった、と言っている。
もう1度言う。
「はっきりした事はまだ何も分かりません。でも大虐殺ありました」
これでは小学生レベルだ。何度でも繰り返し言ってやる。
>少なくとも「残虐行為があった=(大虐殺があった or なかった)」なんだが。
俺:「いくつかの残虐行為」と「大虐殺」はイコールではない
君:大虐殺はあったorなかった、なんだが
これまた何の答えにもなっとらん。
こちらの意図が伝わってないのなら少し言い換えるが、
南京の日本軍以外でも、各国の「残虐行為」は数多く証拠が残されているが、
それを根拠に「世界各国は大虐殺してる」と言えるか?
619 :
朝まで名無しさん :03/06/03 16:37 ID:CcHKJJm9
>>602 続き
>要するに「大虐殺の証拠を示せ」だろ?
全然違う。「証拠を示せ」ではなく、
分からんのに「虐殺あった」とか言うな、という事。何度も言わせるな。
結論として「あった」というのが普通であって、
前提として「あった」とするのが間違いだ、という事だ。
何も無いところに何かあるように見える色眼鏡をかけている、
それが君だ。まず眼鏡をはずせ。検証うんぬんはそれからだ。
>元をたどると、また○○かぁ、ってのだし(苦笑)。
同じ事が肯定派の資料にも言えるがね。
元をたどれば、またk−(略)
>その
>>321 に反論ほしきゃ、しても良いが、どーする?
つーか、現時点でまだ反論してねぇのかよ!(笑)
論より先に中傷から入るタイプだな、君は。やる事やってから言えよ。
620 :
朝まで名無しさん :03/06/03 16:38 ID:CcHKJJm9
>>605 >いや、そうではなく、結論としては25万というのが彼らの当時の陥落時人口の認識になる。
>ということだけを言っている。そしてこれは安全区人口である。「増えた」とよくいわれる
>5万人の差は、ラーベに言わせれば「廃墟になったところに住んでいた人たち」で、結果的には
>安全区にその人達がいた(増えた)ことからそう推計しているのだから、彼らが安全区しか知らな
>かった、と言えるだろう。
待った。という事は、もともとトータルで30万であり、
それが「占領後も変わってない」という事にならないか?
否定派は「人口が増えたから」虐殺無かった、と言ってるわけじゃないぞ。
経緯はどうあれ、虐殺あったんなら「減る」はずだろう?
>>620 >もともとトータルで30万であり、
>それが「占領後も変わってない」という事にならないか?
南京城区から安全区に人が避難したから、安全区の中の人口に変化がなく
むしろ安全区の人口が増えた。
622 :
しーぽん :03/06/03 18:48 ID:ZffzOvrr
怪力ぞろいのボランティアの皆さんが頑丈なスコップで昼夜を問わずに 一心不乱に十万以上の遺体の埋葬や、 鹵獲兵器を効率良く処刑に活用した日本軍の弾力的な組織運営といい、 南京における日本軍と中国人は何か他の日本人と中国人とは異質の者なのではないだろうか?
624 :
朝まで名無しさん :03/06/03 20:10 ID:5CyoiWGU
虐殺派ってのは要は「利権団体」ってこったな。 捏造歴史によって利権を貪るうじ虫。 嘘が正されて利権を失うのを恐れる「抵抗勢力」ってわけだ。
625 :
朝まで名無しさん :03/06/03 20:12 ID:5CyoiWGU
考えてみれば親玉の中国といい、中ボスの韓国、 朝鮮もそうだったな。
629 :
朝まで名無しさん :03/06/03 20:36 ID:5CyoiWGU
利権団体の諸君(虐殺派のことね)。 朝鮮の化けの皮が剥がれ、世間に広まってしまった今となっては、 もはや捏造歴史に必死にすがりついても無駄。 君 達 に 未 来 は 無 い 。
630 :
.@ :03/06/03 20:40 ID:FIyBANYJ
30万人はオーバーとしても 5万人でも立派に南京大虐殺として 未来永劫、中国歴史教科書に載るだろうよ。 お前等、これに文句アッカ?(嘲笑
「4〜6万もの中国人を殺害した。日本史上稀に見る蛮行だった。」 という立場だと、左右双方から袋叩きにされる現状らしい。
633 :
本当の事を言ってしまったようだ :03/06/03 20:51 ID:5CyoiWGU
利権団体の諸君(虐殺派のことね)。 朝鮮の化けの皮が剥がれ、世間に広まってしまった今となっては、 もはや捏造歴史に必死にすがりついても無駄。 君 達 に 未 来 は 無 い 。
>>629 >利権団体の諸君(虐殺派のことね)。
どんな利権があるというんだ?
蒋介石のおかげで、国家間の賠償金は払わんで済んだんだよ。
”怨に対して、徳で報いる”なんて言われてね。
個人が日本の裁判所で賠償金請求してるようだが、それが俺の金に
なるとでも言うのかい?
それに団体じゃないしね、ただの素人!
南京市民の皆さんを始め、その周辺の中国人の皆さんによる、 自動車を使った紅卍会の活動を上回るペースで、遺体を運搬、埋葬を完遂した、 その中華民族の偉大なエネルギーに驚きと畏敬の念を感じざるを得ない。
636 :
本当の事を言ってしまったようだ :03/06/03 20:59 ID:5CyoiWGU
利権団体員の諸君。 狼少年は最後に狼に食われて死んでしまうのだよ。 いくら腐った奴らに一生懸命尽くしても、そんな奴らは 用済みとなれば何の躊躇も無くポイだ。それだけで済めば まだいい。全ての罪を押し付けられて知らんぷりされちまうぞ。 悪いことは言わん。人生やり直すなら今のうちだ。
鹵獲した武器、弾薬を的確に処刑執行の為に必要な適所へ迅速に分配し、 それを適切に運用、処刑を手際良く遂行した日本軍の見事な組織運営にも 高い評価を与えるべきだろう。
638 :
本当の事を言ってしまったようだ :03/06/03 21:09 ID:5CyoiWGU
「南京事件」とは中国人がいかにデタラメで残虐で自己中な 民族であるかを顕著にあらわした事件。そのような相手に対して 示した日本側の自制的態度は賞賛に値する。 というわけだ。
中華思想の影響で、日本人による蛮行に対する怨念と憤りが、 実際の被害よりも心理的なトラウマの象徴として「南京大屠殺」となっている。 イギリスやロシアに対してはそれほど過去の侵略や領土問題にも ヒステリックにならないのはその為。
>590 >下関以外から正面突破で逃げよ、という命令だった むしろ突撃命令ですな
641 :
本当の事を言ってしまったようだ :03/06/03 21:23 ID:5CyoiWGU
>>638 のような文章を読んだときに、ムカッとした
人は気をつけましょう。洗脳されちゃってます。
「南京事件」を語った場合
>>638 のような見方も確実に
できるわけですが、そんな人それぞれに多様である歴史観の
存在を許せないということは、洗脳されちゃっていたり
利権に関わるなど、ろくなもんではないっつーことですな。
利権屋はそろそろ潮時だと悟るべし。
洗脳されちゃっている人は、まず、その事実を認めましょう。
642 :
朝まで名無しさん :03/06/03 21:26 ID:CcHKJJm9
>>626 >安全区だけは信頼性があるが、ラーベ、アチソン、ウイルソン全てがヤマカン!
普段は虐殺肯定の証言としてラーベを引き合いに出すくせに、
こういう時だけはラーベを否定するんだね(笑)
>大混乱の中で調査は無理。
そんな大混乱なら、そもそも虐殺あったかどうかも分かるわけねぇだろ(笑)
643 :
朝まで名無しさん :03/06/03 21:26 ID:CcHKJJm9
>>630 >30万人はオーバーとしても
>5万人でも立派に南京大虐殺として
>未来永劫、中国歴史教科書に載るだろうよ。
今や30万どころか40万とか言い出してる中国が、
教科書に5万と書いてくれるのなら大した進歩だよ(笑)
644 :
朝まで名無しさん :03/06/03 21:26 ID:CcHKJJm9
>>631 >ボランティアは安全なのがわかれば、埋葬くらいは誰だって手伝うだろう。
例えば俺は、ボランティアなどに参加した経験が一度も無い。
いつも「誰かがやってくれるだろう」で済ませる。
その点を踏まえて聞こう、「誰だって手伝う」の根拠は?
>本当に安全なのがわかり、ボランティアが集まったのが4月の段階なの。
つまり12月〜3月までは虐殺しまくってたのかい?
4ヶ月も虐殺されてて、よく人口が25万も残ったもんだね(笑)
645 :
本当の事を言ってしまったようだ :03/06/03 21:37 ID:5CyoiWGU
では、最後にもう一度。ちと修正して。 利権団体員の諸君(虐殺派のことね)。 朝鮮の化けの皮が剥がれ、世間に広まってしまった今となっては、 もはや捏造歴史に必死にすがりついても無駄。 君 達 に 未 来 は 無 い 。 腐ったものにすがり付くのは蛆虫です。 さっさと人間に戻って、新しい人生の道を歩み始めましょう。
ボランティアがやるなら紅卍会はいらない
>>602 >少なくとも「残虐行為があった」
もうこれは心理学の問題じゃない? 残虐行為の定義を述べてよ。
だから例えば
>>555 のような資料を見つけては「どーだいこれ、ウフフ」とやる訳だ。
戦闘下でそれにどれだけ過失・不当性があるか、不条理なのかを冷静に考えようよ。
例えば、
>>555 で言えば、高台から司令官が眼下に居る群衆を眺めて
「子供に違いないと思われる者がおびただしく居るな、そしてほとんどが民間人に違いない」と判断してなおかつ「でもオーケー(逝った目で)総攻撃やってまえ」
っていうんなら漏れも非道だと思うけど。
揚子江近辺はもう後がなく(日本軍からすればヘタしたら川を越えて逃げられる)
相手の反撃も一番激しかった所じゃないのか?
>>647 ん? 602では「残虐行為があった=大虐殺があった、ではない」と言っているようだが
紅卍会が埋葬一体当たり35銭貰ってるのに ボランティアで埋葬するわけが無い。 ましてや「ボランティアで10万体埋葬」なんて悪い冗談だ。
>>618 > 「何も解明されてないのに南京大虐殺あったと言うのは小学生レベル」
> この1点のみだ。
そう主張したいんなら勝手に言ってて下さい。私は世間で一般に言われる"南京大虐殺"を議論して
いるのであり、それが「大」虐殺と言えるようなものかどうかについて検討を行っている最中であり、
決定的な結論は私自身はまだ出していません。貴兄に小学生レベルと言われようが、私には関係あり
ません。
> 南京の日本軍以外でも、各国の「残虐行為」は数多く証拠が残されているが、
> それを根拠に「世界各国は大虐殺してる」と言えるか?
質問の意味が分かりませんし、誰もそんなそんなことは主張していません。
>>619 > 何も無いところに何かあるように見える色眼鏡をかけている、
それはまったく違います。東京裁判や南京裁判であったと認定されています。松井大将や南京軍事
法廷の4名は、この件で裁かれ死刑になっています。何もないのに裁かれるはずはないでしょう。
裁判の当否は別にして、このように歴史的にあったことになっている以上、あったことから議論せ
ざるを得ません。
> それが君だ。まず眼鏡をはずせ。検証うんぬんはそれからだ。
眼鏡を外すのは貴兄の方でしょう。現実にはあったことになっています。
> つーか、現時点でまだ反論してねぇのかよ!(笑)
貴兄が私に、自身の主張のつもりで
>>321 を出したのであれば、ということです。貴兄に議論する
気がないのなら当方はそれに対し何も言うつもりはありません。
>>644 >その点を踏まえて聞こう、「誰だって手伝う」の根拠は?
お宅のソバに遺体があるのに、埋葬を禁止されてたらどうする?
匂いはするし、蛆はわいて来るし、埋葬したら自分が遺体になるのでは
ほっとくしかないでしょう。
やっと許可がでたのが日本軍とツテのある紅卍会でさえ、1ヵ月後だ。
それも通行章を貰い、1遺体いくらかのお金を日本軍の特務機関に貰ってだ。
それを見てて、南京城外のボランティアが崇善堂の名前で埋葬が出来たのが、
4月の段階だと考えてる。この連中は金も何ももらわず、自分達で埋葬し、その
遺体数だけ崇善堂に報告しただけのこと。
これなら、十分に可能性がある。
>大半は1938年4月に南京城外で10万5千体を埋葬したとなっている
http://www.jca.apc.org/nmnankin/ohtani1.html
>>652 >>それを見てて、南京城外のボランティアが崇善堂の名前で埋葬が出来たのが、
>>4 月の段階だと考えてる。この連中は金も何ももらわず、自分達で埋葬し、その
>>遺体数だけ崇善堂に報告しただけのこと。
そういった事実があったと証明できるのか?
>>655 完全に紅卍会の言い分を信じてるんだな、君は。
>>616 計算機さんが整理した一覧は、色々な角度からの検討が必要です。一つ一つ、とまではやってら
れませんが、私なりの検討内容を示します。それでも少々長いですが。
●記述の中に見られる人口数値の信憑性について
> 07/?? 私が七月に発ったときには、南京の人口はおよそ百三十五万人でした。
> その後、八月なかばの爆撃の後に、何十万もの市民が避難しました。
> (ヒトラーへの上申書)
これについて別な資料を掲示します。私が調べたものではなく、とある掲示板上にあったもので私が
取っておいたものです。これを見るとラーベの言っていることと合わないですね。
南京市の人口の推移
1936年12月 1,006,968人(警察庁及市政府調査)
1937年3月 1,019,667人 (首都警察庁調べ)
1937年6月 1,015,450 (首都警察庁調べ)
△1937年10月28日 53万人余 (警察庁、広田外相電)
△1937年11月23日 50余万人 (南京市政府報告)
*1938年3月1日 235,056人 (南京特務委員会、難民収容所にいる女性は含まれない)
△1938年3月 250,000人-270,000人 (スマイス調査)
1938年8月 308,546人 (警察庁及市政府調査)
1938年10月末 329,488人 (南京市自治委員会調べ)
1939年10月末 552,228人 (南京特別市政府調べ)
1941年3月末 619,406人 (南京市政府調べ)
1946年 808,656(南京商工会議所)
1947年 1,037,656(南京商工会議所)
△、*印以外は正規の行政機関ないしそれに準ずるものによって行われた統計調査です。
△印は行政機関の調査ではあるが、正規の統計手続きではなく、簡略化された方法で行わ
れたと推測されるもの。*は括弧内に記すように一部データが不詳のもの。
これは、ある人の述べたことの中に含まれる数値が必ずしも正しいとは限らないという例です。
余談ですが、肯定派の中にもラーベの言う135万人を真に受けている人もいます。
>>616 ●「20万人」について
> 11/23 調査によれば本市(南京城区)の現在の人口は約五〇余万である。
> 将来は、およそ二〇万人と予想される難民のための食糧送付が必要である。
> (南京市政府(馬超俊市長)が国民党政府軍事委員会後方勤務部に送付した書簡)
さて、ここで初めて20万という数字が登場します。ラーベはおそらくそれを受けたのでしょう、
二日後次のように言っているわけですね。そして以降もしばらく20万と言い続けます。引用は省
略します。
さて、11/25では「20万<以上>」と言ってますね。この表現から推察されるに、どうもラーベは
難民が20万人だと既にこの時点から思いこんでいると考えられます。その後で20万と言っている
のも特に何か調べた様子もなく20万と決めつけているように見えます。実際、調べたという事実ら
しき記録はありません。
それとは別に難民収容所の人数は調べていますが(計約5万)、これは国際安全区委員会が直接管理
運営する収容所ですから当然調べなくてはなりません。なお、配給の為に正確な数字は必要との意見が
ありますが、どうも実情が違ったようです。というのは、国際安全区委員会が管理したのは20数カ所の
難民収容所と無料の配給所であり、安全区難民全員がこれを利用したかどうかは不明です。日本兵が入
城後に城内のラーメン屋か何かで食事をしていた等の記録もあります。どこかに日本兵の食事中の写真
があったと思いますのでご承知かと思いますが。
これらの情報のソースは、私の今までの見聞に基づく記憶によるもので、機会があればきちんと調べ
ておこうと思います。残念ながら、よく利用する図書館が書庫整理期間になってしまったので、今借り
ている書籍にあれば良いのですが、しばらくは多分出せないと思います。
>>616 ●馬超俊市長の報告した人口について
> 11/27 市民の脱出は続いているが、市長の話では三〇万から四〇万の市民がまだ
> 南京に残っているとのこと。(南京の状況:アチソン)
アメリカ大使館と言うよりは、馬超俊市長によるものですが、先の50万余と言い、これもどうやって
調べたのか、或いはどのくらいの精度があるのか、さっぱり分からない数字です。馬超俊市長は12/7には
避難してしまい、状況から察するに相当腰が引けていたようにも思うのですが、避難民人口等の実情がほ
んとにつかめていたのか疑問です。
>>616 ●スマイス調査について
> 12/12~13
> 南京市の戦前の人口はちょうど100万であったが、爆撃が繰り返され、後には
> 南京攻撃が近づいて中国政府機関が全部疎開したためにかなり減少した。
> 市の陥落当時(12月12〜13日)の人口は20万から25万であった。
> 我々が3月に行った抽出調査で報告された人員を50倍すれば、すぐさま
> 市部調査で表示されている22万1150人という人口数が得られる。
> (南京における戦争被害 L・C・S・スミス)
この調査は、そのうち都市調査を(1938/)3/9〜4/2、補足作業(内容不明)を4/19〜4/23で行ったもので
報告自体は8/26に出ています。
さて、ここが主要な問題になっているわけですが、上の文章は結構分量のある報告書の中の人口の項の
冒頭で触れられているものです。で、「陥落当時(12月12〜13日)の人口は20万から25万」な
のですが、この数値はスマイスが調べた形跡は報告書の中には一切ありません。このうち25万について
は、人口分布を示す表の注釈に触れられており、
12月末から1月末にかけて日本軍当局によって行われた不完全な登録に基づいて、国際委員会
のメンバーが推定したところでは、当時の南京の人口は約25万であって、数週間前に彼らが特
に慎重に推定した数をはっきりと上まわるものである。
と記載されています。スマイスが調べたものではなく、日本軍当局の登録からの推計だと言います。これ
は国際委員会第19号文書と呼ばれるものに記載されているものだと思われます。
>>616 一九三八年一月十四日
南京日本大使館 福田篤泰殿
貴下が登記した市民は一六万人と思いますが、それは十歳以下の子供は含まれていないし、い
くつかの地区では、年とった婦人も含まれていません。ですから、当市の総人口は多分二五万から
三〇万だと思います。
『日中戦争史資料9』 P143
「いくつかの地区」がどこなのかさっぱり分かりませんが、この時期の良民票交付は安全区内だけです
ので、安全区内で区分けされていたうちのどれかでしょう。なお、この時期を境にしてこれ以降の在留外
国人の認識は25万人になります。ラーベの日記の38年 1月17日にある、
難民の数は今や二十五万人と見積もられている。増えた五万人は廃墟になったところに住んでい
た人たちだ。
がそれです。ちなみに、福田氏宛の書簡ではこのあと食料要求がありますから、多めの数字「30万」を
言っているのだと思います。何れにせよ、この25万が結果的に陥落時の市民人口であるという認識を
在留外国人は持つわけです。
663 :
靴屋(ですます調) ◆DH9Ep4fU/w :03/06/04 02:14 ID:fmWsxeTu
>>616 さて、スマイス調査の話に戻りますが、スマイス調査中のスマイスが調べた数値と言えるものは、抽出
調査数を50倍した数字である22万1150人と、そこにスマイスが言う「調査員の手のとどかぬ人々」
や「移動中の人々」を推定して加えた「25万ないし27万」です。手の届かぬ人というのは、スマイス
調査で調査できなかった市部城外のかなりの範囲のことで、「移動中の人々」というのはこの時期には治
安がある程度回復していたので、郊外などに避難してきた人が調査期間中に市部に流入してきた人のこと
を指します。何れにしましても、市部総人口について、スマイスが調べたと言える人口数値はこれしかあ
りません。
25万人については南京特務機関の登記数からの推定数であることは既に述べました。これはその時期
に【安全区内】にいた人口です。ではスマイス報告に記載される20万とは何か、既におわかりのように
この数字と同じ数値は1月中旬以前のラーベらの認識である【安全区内】の避難民数20万です。
従って、スマイス報告にある「市の陥落当時(12月12〜13日)の人口は20万から25万」とは
あくまで【安全区内(一月中旬までには安全区外にいた人もいるが)】の人口であって、在留外国人はこの
20万から25万への数値の変更過程を見ると、結果的にはこの当時は25万が陥落時全市民人口であっ
たと認識していたことになります。
つまり、在留外国人は、安全区外及び城外の陥落時人口などはまったく認識していなかった、おそらく
全員が避難していたと思っていた、と推察されます。しかし、ラーベの日記での「増えた五万人は廃墟に
なったところに住んでいた人たち」という記述から考えると、彼らが陥落時当初からもっていたであろう
「安全区外には人はいなかった」という認識は正しくなかった、と言えます。
>>616 ●結論
以上長々と述べた考察から、スマイス報告にある「市の陥落当時(12月12〜13日)の人口は
「20万から25万」は安全区外及び城外を含めた陥落時全人口の正しい数値としては使えないと結論
されます。その他の傍証については以前に触れましたので敢えて述べません。
出来れば以上の考察に反論をお願いします。
>>655 恵也
>金を貰うのは、マイナスの面もあるんだよ!
どんな「マイナス面」があるのか?想像つかんな。 これでは説得できんぞ。
http://www.yoshiko-sakurai.net/works/works_diamond_011208.html ↑を読むと面白い事が書いてあるな。
『埋葬場所は「城根」(城壁の際)「付近の荒れ地や菜園」などと記されすべて、
地名が特定できないことも突きとめた。』
『崇善堂の主張は根拠を欠くのではという疑問が出され、中華人民共和国政府が
対抗して出した資料がある。
資料は、崇善堂がクルマを一台所有していたこと、そのクルマは1924年製造の古いクルマで
バッテリー、ピストン肖(銷)子、クラッチが故障していたことを記している。』
『中国側が、崇善堂は実在し、しかも活動していたと示すために出した資料によって、
皮肉にも崇善堂の規模の零細さが浮彫りにされたのだ。古い故障車一台で、
四グループの少人数で38年4月のひと月間で10万を超える遺体を埋葬したとの
報告の信憑性はにわかに怪しくなった。』
恵也、あんたの貼るページを見るとますます虐殺派が苦しくなるぞ。
東京裁判の証言は、偽証罪無し、検証無しの証言で信用できないと言うのが定説だな。
http://www22.tok2.com/home/asianhomepage/gao.htm 高興祖発表文ですな。何でも言い放題ですな、中国だもんな。
>>664 どうもあなたの論は焦点がぼやける。
靴屋さんの意見は以下のとおりとして間違いないか?
1、南京陥落直前 市民全体で 30万〜50万以上(詳細不明)
2、南京陥落時 市民全体 25万(複数資料に有り) うち安全区20万
まあ、これを言いたいとして、で、結果何を証明したいのだろう?
2はいい。だが1を言いたいのだと思うのだけど、1に関しては根拠が何も上がっ
ていない。
あなたが挙げた資料からは、南京陥落後の人口が約25万で間違いないという
ことしかわからないのだが。
20万は間違い。25万は正しい。うんそれはいいとしましょう。それで?
「南京」と呼ばれる場所は、「南京市」「南京城区」「国際安全区」がある。 広さは、南京市 > 南京城区 > 国際安全区。 「南京市」の中に「南京城区」が、「南京城区」の中に「国際安全区」がある。 1937年12月当時の、それぞれの人口は、南京市;200万、南京城区;100万、国際安全区;10万以上。 「虐殺」は南京城区を中心に行われ、結果、避難民が国際安全区に押し寄せ、国際安全区の人口は20万人さらに25万人になった。
>>641 >文章を読んだときに、ムカッとした人は気をつけましょう。洗脳されちゃってます。
たしかにそう言えるよ!
でも貴方自身も、洗脳されていることに気が付いてるのかい?
どこに居ても、どんなニュースを読んでも大なり小なり洗脳は受けるもの。
オームのお医者さん、林郁夫氏の本でも読んだら洗脳の意味が判るよ。
世界のトップレベルの心臓外科医師でさえ、洗脳には弱いもの!
あれだけの正義感と人道主義と良心を持ってた奴でさえね。
671 :
計算機 :03/06/04 10:55 ID:pOvCFOpJ
>>666 >1、南京陥落直前 市民全体で 30万〜50万以上(詳細不明)
>2、南京陥落時 市民全体 25万(複数資料に有り) うち安全区20万
あんた、脳みそ付いてるの?
1も2も両方とも、実際に人が調べた数字じゃなく、大混乱の中で逃げた市長
や、国際安全委員の噂やヤマカンで日記に残しただけの数字。
信頼性ゼロ!
>>665 >『埋葬場所は「城根」(城壁の際)「付近の荒れ地や菜園」などと記されすべて、
>地名が特定できないことも突きとめた。』
貴方は文章があると、全てを信用するか、逆に全てを信用しないかしか出来ないの?
ここでの疑問は、この文章を書いた人はどうやって調べたのか、考えろよ!
”すべて、、、突きとめた”と書いてあるが、どの資料を使ったのかさえ判らん。
ここは非常にいい加減なチェック方法の無い表現なので、信頼性がない。
しかし南京裁判では、5箇所から数千体の遺体を発掘して調べたと明記して
有るんだよ、矛盾してないかな?
また零細な慈善団体だからこそ、ボランティアを集める方法しかないわけだ。
人間の盾とか言って、イランまで行った連中みたいなもん。
ブームには乗っても、やることが無くなればすぐ消える!
>それぞれの合葬された場所にそって5カ所の塚を発掘し、被害者の死骸や
>頭など数千体を発掘し、法医学で刀で叩き割ったり、弾が当たったり、、
>あるいは鈍器で殴られた傷跡がたくさんあることが明らかになり、鑑定書
>に記入され証拠とされた
http://www.mmjp.or.jp/nankin1937/gao1.html#SEC3
>>671 >詰め襟を開いてる写真は以下の通り
せっかく写真を出してもらったが、
俺が言ってるのは、この詰め襟を倒した状態を言ってたつもりなんだがね。
>>666 > 1、南京陥落直前 市民全体で 30万〜50万以上(詳細不明)
> 2、南京陥落時 市民全体 25万(複数資料に有り) うち安全区20万
> まあ、これを言いたいとして、で、結果何を証明したいのだろう?
> 2はいい。だが1を言いたいのだと思うのだけど、1に関しては根拠が何も上がっ
> ていない。
いいえ、1を言いたいなどと私は言っていません。そもそもこの話はスマイス調査
にある人口の項の冒頭に記載される数値(陥落時20万〜25万)が「正しいだろう」から
この人口数値を元に、被害規模を大雑把なら把握できるだろうという詩論語氏の理屈
から始まっています。
詩論語氏とは別に、良く否定派が使う理屈には「20万では30万人殺せない」
とか「減るどころか20万から25万に「増えている」」といったものもあります。
ともあれ、それは【安全区内】を元にしただけの人口数値であるので、市部総人口
としては使えない、と言っているわけです。市部総人口については確たる資料もなく
100万人はあり得ないとしても、虐殺数推計に堪え得るような陥落時人口について
の資料は何もありません。
即ち、詩論語氏に見られるような陥落時人口というものの記録はないのだから、不明
な陥落時人口からは虐殺数を推計することは出来ない、という主張です。
>>671 計算機よ、ごまかされるな。
靴屋の担当が替わったんだ。今度の奴と前の担当との文体の違いを悟られないように
ワザと口調を変えてるんだよ。
サヨじゃ(=K-K)が昔よく使った手だ。
>>673 通勤や販売といっても、当時の南京市が近郊六県からの商業人口の流入を受けてい
たとは考えられず(近郊六県は農業主体で南京市のベッドタウンではありません)、
またそうした調査記録があるとの情報も私は知りません。そもそも昼夜で分けるような
人口調査が、この当時に可能、或いは必要だったかどうか・・・
また南京防衛軍の兵力数の推計最大値は15万ですが、これはラーベの言う八月の爆
撃以前の話とは関係ありません。
ともあれ、ラーベの言う135万という数値は今のところ私には何なのかよく分かりま
せん。
>詩論語さん お詫びするのを忘れていました。詩論語さんのことを「誌」論語さんと誤って記述して いたことをお詫びします。IMEに誤った学習をさせてしまったのに気付きませんでした。
>>677 バーカ。妄想もほどほどにせんと、脳みそが溶けるぞ(笑)
・・・あ、もう溶けてんのかもな(爆)
681 :
朝まで名無しさん :03/06/04 13:56 ID:GQHZydeW
>>650 >そう主張したいんなら勝手に言ってて下さい。
ほう、そう来ましたか。では、
>私は世間で一般に言われる"南京大虐殺"を議論して
>いるのであり、それが「大」虐殺と言えるようなものかどうかについて検討を行っている最中であり、
>決定的な結論は私自身はまだ出していません。貴兄に小学生レベルと言われようが、私には関係あり
>ません。
そう主張したいんなら勝手に言ってて下さい。
>質問の意味が分かりませんし、誰もそんなそんなことは主張していません。
そう主張したいんなら勝手に言ってて下さい。
>それはまったく違います。東京裁判や南京裁判であったと認定されています。松井大将や南京軍事
>法廷の4名は、この件で裁かれ死刑になっています。何もないのに裁かれるはずはないでしょう。
そう主張したいんなら(以下略)
以下の靴屋氏のレス全てに対し「そう主張したいんなら(以下略)」
「勝手にやれ」は、論者にとって最低の発言。
なぜならそれは「反論の放棄」だから。事実上の敗北宣言である。
そう取られたくなければ、答えるべき事にきちんと答えよ。
そうしないのなら、前にも書いたが「邪魔だ」。負け犬は消えろ。
>>672 >
>>666 > >1、南京陥落直前 市民全体で 30万〜50万以上(詳細不明)
> >2、南京陥落時 市民全体 25万(複数資料に有り) うち安全区20万
> あんた、脳みそ付いてるの?
> 1も2も両方とも、実際に人が調べた数字じゃなく、大混乱の中で逃げた市長
> や、国際安全委員の噂やヤマカンで日記に残しただけの数字。
> 信頼性ゼロ!
非常に新しい論点ですな。
たぶん信頼性がまったくないと思ってるのはあなただけではないですか?
恵也は口の汚いのでは天下一品だな。 在日ってのはみんなこうなのか。
でた!在日認定
>>681 > 「勝手にやれ」は、論者にとって最低の発言。
当然でしょう。私は【 小 学 生 で は な い 】大学教授である泰郁彦教授の例を
示しました。また別の【 小 学 生 で は な い 】大学教授の笠原十九司教授も
「南京事件において犠牲にされた中国軍民の数を正確に把握することは、今となってはまず
不可能である」(笠原『南京事件』p218)
と言っています。推定は行っておられますが。このように具体的に【 小 学 生 で は な い 】
大学教授の例を示しても、貴兄はこの【事実】を受け入れず、小学生レベルとの主張を変えない
のですから「勝手に言ってて下さい」とでも当方は申し述べる他ありません。
> なぜならそれは「反論の放棄」だから。事実上の敗北宣言である。
当方の反論に具体的な反論をせずただ自己主張を繰り返しているだけなのは貴兄であり、私
ではありません。
> そうしないのなら、前にも書いたが「邪魔だ」。負け犬は消えろ。
負け犬の遠吠えは貴兄でございましょう。
コテハン間違えました。
687 :
朝まで名無しさん :03/06/04 14:40 ID:dsiqhZ16
中国は本気で南京大虐殺を証明したいのなら、日米の法医学者を呼び寄せて、 公開で遺体の再検査をさせればいいだろう。 DNA検査で人物の特定もできるし、損傷具合もわかる。人数も確認できる。 現代科学でかなり正確に死亡年月日も特定できる。 総て火葬にしていないはずだ。
688 :
計算機 :03/06/04 14:45 ID:pOvCFOpJ
>>675 >俺が言ってるのは、この詰め襟を倒した状態を言ってたつもりなんだがね。
>>628 ではこう書いてるな。
>俺には詰襟を広げたリラックスした姿に見えるんだけどね。
君は詰襟の服を着たことがないだろ(w
近所の学生にでも頼んで試してみるといいよ。>詰め襟を倒した状態
>677
担当が変わったかどうかは置いといて、論理と論拠が納得できれば
それでいいよ。
689 :
計算機 :03/06/04 14:46 ID:pOvCFOpJ
>>靴屋 かいつまんで言うと、「伝言ゲームや推測値なので信用できないし、 安全区内の人口に過ぎない」 ということかな。 例えば、 11/23 調査によれば本市(南京城区)の現在の人口は約五〇余万である。 将来は、およそ二〇万人と予想される難民のための食糧送付が必要である。 (南京市政府(馬超俊市長)が国民党政府軍事委員会後方勤務部に送付した書簡) だと、南京市=城区と捕らえているよね。 同様に、南京における戦争被害 L・C・S・スミスでも「南京市の戦前の人口は ちょうど100万であったが、〜市の陥落当時(12月12〜13日)の人口は 20万から25万であった。」となってる。つまり、20万〜25万は南京市の人口と 捕らえるべきだろう。 同様に、ウィルソン医師も南京に残留している15万〜20万が安全区に群がったと 書いてるが、これも南京市の人口と捕らえるべきだろう。肯定派に贔屓目に見て、 20万〜25万のうち、15万20万が安全国移動したと解釈しても俺はかまわん。 他にこういう記述もある。 12/12〜01/13 事実、南京に残った全住民、つまり約二〇万から二五万の人々が難民区に 逃げ込んだ。 (南京の運命の日々 一九三七年一二月一二日〜一九三八年一月一三日:クレーガー) 12/17 13日に貴軍が入城したときに 我々は安全区内に一般市民のほとんど 全体を集めていました が、〜二〇万の中国人市民の多数に餓死者が〜 (第6号文書:ラーベ) (つづく)
690 :
計算機 :03/06/04 14:46 ID:pOvCFOpJ
01/10 市内には、ここにいる少数の外国人グループのほかに、およそ二〇万人といわれる 中国人難民が、いわゆる「安全区」に集結している。(南京の状況:アリソン) 01/13 交通は途絶えている。なぜなら市の城外地区がすべて中国軍によって、 また城内の大部分が日本軍の手で焼き払われてしまったためである。 城内にはもはや誰一人住んでいないが、残りの約二〇万の市民は安全区 (旧住宅街)に収容され、家や庭でその日暮らしの生活をしている。 〜安全区外に出ることも許されない。安全区は保証によって封鎖されている。 (シャルフェンベルクの記録) 01/15-24 市の人口、およそ一〇〇万人のうち、現在二〇万−二五万人が残留し、 そのほとんどが貧民階級の人たちである。大多数が「安全区」内の建物や臨時に 設けた野営地にすし詰めとなっている。(南京アメリカ大使館通信----エスピー報告) 02/03 中国人のうち、ほとんどが貧しい階級の人たちが安全区に集中している。 人数は約二〇万人である。 二五万人の中国民間人の難民の問題は、二月四日までに解消されなければならない。 (イギリス領事の南京虐殺に関する報告:ガウス) 02/14 日本当局による自宅帰宅者の登録の報告に基づけば、一月に二五万人であった のに対して、現在は一五万人が安全区に残っている。 (南京における救済状況:ベイツ) 02/18 南京攻撃が予想された週に、南京住民の膨大な脱出があったにもかかわらず、 二五万人が安全区に入り込み、数千人が同区外に留まってさらに悲惨なめに あうことになった。 (南京におけるキリスト教徒の活動に関する予備報告:ベイツ) ここでいいたいのは、全市民(少なくとも城区内)が安全区に逃げ込んだ(かつ、 一定期間は外に出ることができなかった)ということね。まあ、「全市民」と言ったって 例外はあるだろうけど。
691 :
計算機 :03/06/04 14:46 ID:pOvCFOpJ
ラーベが20万から25万に「宗旨替え」した(第19号文書)のは推計し直したのか、 食料なり何なりを多めに要求するためなのかは知らないけど、俺は問題にしてない。 「減った形跡」が見られないわけだから。 この状況で、10万を超える死体を作ろうと思ったら城外でと言うことになるだろう。
692 :
朝まで名無しさん :03/06/04 14:51 ID:dsiqhZ16
肯定派は何人が、不当に虐殺された人数といっているのだろう。 戦闘行為で死亡した中国兵やゲリラ、をわけて数えるべきだ。 戦闘行為で何万人死亡しても、虐殺とは言わない。 軍人と共に行動していたら、いっしょに攻撃されてもやむおえない。 逃亡する軍隊といっしょなら、銃撃して射殺しても罪ではない。 責任は中国軍にあることだ。
693 :
朝まで名無しさん :03/06/04 15:04 ID:dsiqhZ16
敵が降伏するまで、攻撃することは正しい事だ。 逃亡する敵は殲滅しなければならない。降伏しないのだから。 敵軍と共に逃亡する者達は、確認するまでは敵兵として攻撃すべきだ。 降伏して来ないのだから、敵対する意思があり、攻撃対象なのだ。 これらの戦闘行為での死亡は、虐殺行為ではない。
694 :
朝まで名無しさん :03/06/04 15:17 ID:dsiqhZ16
中国軍が逃亡の為に市民を巻き込んだために、犠牲になった市民は、銃弾は日本だが、 犯人は中国軍であり、虐殺したのは中国軍だ。
695 :
計算機 :03/06/04 15:24 ID:pOvCFOpJ
ここまで(
>>689-691 )は、「安全区の人口に過ぎない」という部分に対する反論。
第19号文書で、ラーベは日本軍の16万という登記を元に25万〜30万と推計している。
(01/14)スマイスも22万1150と推定している。3月に行った抽出調査というヤツだね。
で、スマイスとは別に、日本軍当局によって行われた不完全な登録に基づいて、
国際委員会のメンバーが推定したところでは、当時の南京の人口は約25万
これがだいたい一致している(25万〜30万、22万1150、25万)のは偶然かな?
3者が文字通り三者三様の調査なり推計なりをしてどれも同じ程度の人口となった
と解釈することに矛盾はないよ。
スマイスはこうも書いてるね。
「2万7500名は国際委員会の維持していた難民収容所にすんでいたもので、
調査人員の12パーセントに当たる。収容所には入らなかったが安全区内に住んで
いたものは6万8000人で、全体の31パーセントを占めている。調査の記述によれば
建物数のわずか4パーセントがあるだけであり、また城内総面積のおよそ8分の1に
すぎなかった地域に、市の陥落以降、14週もたった後でも、住民の43パーセントが
住んでいたのである。」
「14週もたった後でも、住民の43パーセントがすんでいた」ということはそれ以前は
もっと多かったということだね。(もちろん100%とは言わないよ)
>>693 実際、冷静な所ではもはや南京事件の争点は捕虜処刑の不当性(合法性)についてのみなんだが。
ドウモ〜〜〜ッ!!ハジメマシテ〜〜〜ッ!!!! 私は27歳のOLしてるのぉ〜〜〜っ♪(#⌒〇⌒#)キャハ うーんとー、南京事件のことが知りたくてー、 探してたら(◎_◎)なんとっ! 1さんの素敵なスレッド♪を発見!!(^o^)//""" パチパチパチ てなわけで、ついつい書いちゃったのらー(o^v^o) エヘヘ 南京事件なんて、なかったよねー(*^-^*) え?あったのー?(;¬_¬)そんなのいやいや〜〜、 そんなこというなら、( `_)乂(_´ ) 勝負! ☆○(゜ο゜)o ぱ〜んち、☆(゜o(○=(゜ο゜)o バコ〜ン!! (>_<) いてっ! (☆o☆)きゃ〜〜(@_@;)やられた〜〜(o_ _)o ドテッ (+_+) 気絶中。。。 なあんて(#⌒▽⌒#)こんな私っ!σ(^_^)だけど、 なかったってことでm(_ _)mいいよね♪('-'*)フフ ということで。(^-^)vじゃあね〜〜〜♪(⌒0⌒)/~~ ほんじゃ!
698 :
計算機 :03/06/04 16:09 ID:pOvCFOpJ
人数に関してはどうなってるの?
>>689 > かいつまんで言うと、「伝言ゲームや推測値なので信用できないし、
> 安全区内の人口に過ぎない」
というよりも、確度が低いだろうと言うことです。例えば50万というのは100万の半分
です。つまり、避難により半分くらいは減った、というくらいの認識でしかなかった、のような
想像も出来ます。難民予想数20万は一体どこからどうやって出した数なのか、さっぱり分かり
ませんけど。
こうした、詳細調査による数値でないような書簡や日記等に表れる数値は10万単位乃至は
5万単位で区切られており、少なくとも大雑把な数値であるということは言えます。例えば戦前
人口の100万にしても実際は38年6月で1,015,450人(城外を含む市部)であるわけで、普通この
ような正確な数字なんか言わずに、正確な人口を元にした数字でさえ100万と大雑把に言うわ
けです。
従って、まともな調査すらしていない人口に対したとえそれを大雑把に20万と言ったところ
で、まともな調査に基づく数値よりは確度は落ちるのは当たり前のことだと思います。
>>689 > スミスでも「南京市の戦前の人口はちょうど100万であったが、〜市の陥落当時
>(12月12〜13日)の人口は20万から25万であった。」となってる。つまり、20万
>〜25万は南京市の人口と捕らえるべきだろう。
それでは反論になっていません。何度も言いますが、スマイス自身が陥落時市民全人口を調査
した形跡は一切ありません。その数値は国際安全区委員会が持っていた認識と同じ数値であり、
その数値は安全区内の人口に基づく数値でしかありません。
> 同様に、ウィルソン医師も南京に残留している15万〜20万が安全区に群がったと
> 書いてるが、これも南京市の人口と捕らえるべきだろう。肯定派に贔屓目に見て、
> 20万〜25万のうち、15万20万が安全国移動したと解釈しても俺はかまわん。
いいえ、ウィルソンのそれは12/14の陥落直後の彼に認識に過ぎず、前述の調査に基づかない
大雑把な認識でしかありません。この時期の残留外国人の認識に25万というまだ認識はありま
せん。
> 12/12〜01/13
> 事実、南京に残った全住民、つまり約二〇万から二五万の人々が難民区に
> 逃げ込んだ。
> (南京の運命の日々 一九三七年一二月一二日〜一九三八年一月一三日:クレーガー)
これはちょうど国際安全区委員会の認識が20万から25万に変わりつつある時までのもので
スマイスが陥落時人口として報告に記載したものに一致し、前述のこの数値に対する私の推測を
否定するものではありません。
> 12/17 13日に貴軍が入城したときに 我々は安全区内に一般市民のほとんど
> 全体を集めていました が、〜二〇万の中国人市民の多数に餓死者が〜
これ以下のものについても、概ね安全区しか彼らは意識していないことを示すものばかりです。
>>691 > ラーベが20万から25万に「宗旨替え」した(第19号文書)のは推計し直したのか、
これは既に説明しています。20万という数値は南京市全人口ではなかったのです。ラーベ曰く
「廃墟になったところに住んでいた人たち=5万人」が安全区内に流入した、というものです。
それで、こうした記述は安全区内に全ての人間を集めた、というそれまで言っていたことと
明らかに矛盾しているのです。
> 「減った形跡」が見られないわけだから。
いいえ、安全区内でもある程度減ったことは認識しているはずです。数々の殺害報告は数の上
からはともかくとしても、安全区に潜んでいた便衣兵容疑者摘出時に民間人が紛れていたことは
彼らは知っていました。その他、市部に置ける調査としてスマイス調査での住民調査からの殺害
報告(約6700人)や埋葬遺体からの推計(12000人)など。
また、安全区外に人がいたという認識を示す記述が、ベイツらによる「南京におけるキリスト
教徒の活動に関する予備報告」に「数千人が同区外に留まってさらに悲惨なめにあうことになっ
た」というものがあります。この数千人は、この記述の直前に死体等は数えていないと記述し
てあり、範囲も分からず、彼らは安全区外には人はいなかったと認識していたようですので、
ほとんど当て推量に等しいと思われます。
> この状況で、10万を超える死体を作ろうと思ったら城外でと言うことになるだろう。
ラーベの記述のとおり、この時期にはまだ閉じていた城内にまだ5万もいた、という可能性が
あることから必ずしも全部が全部城外とは言えません。
702 :
朝まで名無しさん :03/06/04 16:31 ID:GQHZydeW
>>685 >当然でしょう。私は【 小 学 生 で は な い 】大学教授である泰郁彦教授の例を示しました。
はい、さっそく出ました得意のスリカエ(笑)
私は「具体的に何も分かってないのに虐殺あったとする」のを「小学生レベル」と言いました。
泰郁彦を「小学生」とは言っていません。まずこの点がスリカエです。
さらに根本的な事を言うと、私は「あなたの」論理を小学生レベルと言いました。
それに対しあなたは「泰郁彦もこう言っている!」と引き合いに出しました。
それに対し私は「分からんのにあったとする物言いをするなら」
泰郁彦であろうと小学生レベルだ、と言いました。
さて質問です。「あなた(靴屋氏)の論理レベルは泰郁彦と同等か?」
あなたは自覚していないでしょうが、あなたは自分で
「私(靴屋)のレベルは泰郁彦と同等である!」
と言っているも同然です(そうでないと一連の反論は全く無意味です)。
もし本気でそうお考えなのなら、「小学生レベル」という発言は撤回しましょう(笑)
703 :
朝まで名無しさん :03/06/04 16:33 ID:GQHZydeW
>>685 >当方の反論に具体的な反論をせずただ自己主張を繰り返しているだけなのは貴兄であり、私
>ではありません。
違います、私の問いに対し、あなたがことごとく問題をスリカエているので、
何ら議論が進行しないのです。
さらに付け足すと、あなた自身の主張も具体性がありません。
具体性の無い主張に具体的な反論をせよ、と言われても不可能です。
>>695 > 第19号文書で、ラーベは日本軍の16万という登記を元に25万〜30万と推計している。
それについては、19号文書以降30万という数値は現れず、食料要求の為に多めに言った
といっています、登記数16万に対し、以下に子供や一部地区の老婦人が含まれていないと
はいえ30万は明らかに過大です。従って、この時期以降の市民人口についての彼らの認識
は25万です。
> 3者が文字通り三者三様の調査なり推計なりをしてどれも同じ程度の人口となった
> と解釈することに矛盾はないよ。
いいえ、三月には既に治安がある程度回復しており、それまで城内に避難していた人が
城外の自宅へ戻ったり、城外に避難していた人が戻ってきたりしており、同じ人口を示す
数値ではありません。なお、スマイスの3月下旬人口の認識は抽出調査数に調査できなか
った推計数を加えた25−27万です。
何れにせよ、市民虐殺が陥落後数週間内に、国際安全区委員会メンバーの目に触れない
ところで行われていたとすれば、それらの数にその虐殺数が現れることはありません。
>>650 >私は世間で一般に言われる"南京大虐殺"を議論しているのであり、
>それが「大」虐殺と言えるようなものかどうかについて検討を行っている最中であり、
>決定的な結論は私自身はまだ出していません。
これはどういうこと?
「『大』虐殺と言えるようなものかどうかについて検討を行っている最中」
というなら先ず自分なりの「『大』虐殺」の定義付けがないとそれはできない筈だが、
だとしたらその「『大』虐殺」の定義を教えて欲しい。
まさか「『大』虐殺とは何か」という結論(定義)すら自分の中に出来てないという意味ではないよな?
>何れにせよ、市民虐殺が陥落後数週間内に、国際安全区委員会メンバーの目に触れない >ところで行われていたとすれば、 もういい加減にしろ
>>702 > 泰郁彦であろうと小学生レベルだ、と言いました。
だったら、その貴兄の論理の妥当性をここで示してください。妥当性を認められない限り
それは貴兄の一主張でしかありません。
で、前にも申しましたが、貴兄は誤解していますし、その誤解を解く為の指摘を貴兄は無視
しましたね。「分からんのにあったとする物言いをする」がその誤解です。現実には、歴史的
には「あった」ことになっていると申し上げました。従って、「あった」ことが前提になりま
す。また、様々な資料は"南京大虐殺"があったであろうことを極めて強く示しています。
貴兄の言い分を聞いていると、私は私自身が分かっていないことについては、その全てにつ
いて何も言うことが出来なくなります。例えば、中国古代史についてはよく分からないことが
数多くありますが、分からないので何も言ってはいけないのなら、これらについての話さえ出
来ません。平たく言えば貴兄は私に言論封じをしたがっている、と思われてもやむを得ないで
しょう。言論の自由は私にも貴兄にも認められた基本的人権の一つです。あなたに私の基本的
人権を奪う権利はありません。
> さて質問です。「あなた(靴屋氏)の論理レベルは泰郁彦と同等か?」
私はその例を、私と同じように「虐殺数を確定することは不可能」だと思っている人の例と
して提出しましたから、その限りにおいて同等であると言えます。私は泰教授の知識や論理レ
ベルについては何も言及していませんから、質問自体に対して答える義務はありません。
もし、答えないのがすり替えだというのであれば、私が泰教授の例を出した意図をすり替
えたのは貴兄であると前もって言っておきましょう。
708 :
朝まで名無しさん :03/06/04 17:21 ID:qFWN4ruY
あの時、チュン公を皆殺しにしておけば、SARS騒ぎもなかったわけだが。 やる時は、徹底してやらんとな。
>>705 > というなら先ず自分なりの「『大』虐殺」の定義付けがないとそれはできない筈だが、
> だとしたらその「『大』虐殺」の定義を教えて欲しい。
そうではありません。以前に「大渋滞」とか「大震災」とかいった例を出しましたが、この
例は冗談のつもりで言っているのではありません。これは多くの人が持つであろう印象を指し
ます。
否定派は、大虐殺という印象を与えるほどの事件ではなかった、という主張をしていると
言えます。このような「大虐殺」という言葉のとらえ方と些かも変わるものではありません。
>>709 大虐殺の定義がダメなら虐殺の定義でもいいよ
>>710 不法殺害というのは当然含まれるわけですが、戦争中とは言え人道上認められて良いかという
倫理的な側面もあります。
例えば、多くの民間人に紛れて敗走する中国兵を、民間人もろとも殺害した、というような
場合です。便衣兵容疑者摘出中の民間人の混入をほとんど無視して全員殺害した例などもそう
ですが(こちらの方は不法殺害容疑になるが)、否定派の多くはこれらを中国のせいであって、
日本軍の責任ではない、とか、敗残兵を掃討するのは当然だし、その中に多少民間人が入って
いても軍事的にやむを得ない、というわけですね。
712 :
計算機 :03/06/04 17:46 ID:pOvCFOpJ
>>699 俺も細かい話はしてないよ。当時の南京の人口が10万なのか、
20万なのか、30万なのか、40万なのかという話をしている。
そのいずれであっても、15万も埋葬されたというなら人口(の見積もり)
に変化ががあるはずだということ。
>>700 スマイスが言ってるのは「南京【市】の戦前の人口は100万で、陥落当時の
【安全区】の人口は20万〜25万」ということかな。
ちょっとそれは飲めないな。スマイスは3月に抽出調査をやってるんじゃないのか?
で、その結果が「第1表」なんだろ?
というか、文章を素直に読めば「市の陥落当時の人口は〜」なんだから
「安全区内の人口のみ」とは言えないんじゃないかな。
「南京市の戦前の人口はちょうど100万であったが、爆撃が繰り返され、後には
南京攻撃が近づいて中国政府機関が全部疎開したためにかなり減少した。
市の陥落当時(12月12〜13日)の人口は20万から25万であった。」
ウィルソンに関して俺が言いたいのは「南京に残留している15万〜20万が
安全区に群がった」という部分で、安全区外に散らばってた人が安全区内に
「群がった」と言うこと。人数の正確さは問題じゃない。
クレーガーも同様。「南京に残った全住民が難民区に逃げ込んだ」というところ。
第6号文書も「安全区内に一般市民のほとんど全体を集めていました」というところ。
城内の人はほとんど安全区に集められていたということね。
713 :
計算機 :03/06/04 17:46 ID:pOvCFOpJ
>>701 >> ラーベが20万から25万に「宗旨替え」した(第19号文書)のは推計し直したのか、
> これは既に説明しています。20万という数値は南京市全人口ではなかったのです。ラーベ曰く
>「廃墟になったところに住んでいた人たち=5万人」が安全区内に流入した、というものです。
ラーベが5万増やしたのは1/14の第19号文書が最初だよね。日本軍のデータを元に
推計し直したら25万になっちゃったんでごまかしたの「かもしれないよ」(w
実際の人口は22万程度で2万が「廃墟」にいて「5万単位」で数えれば25万になった
ということもできる。
それに、貴方が書いてるとおり城内外の行き来ができないとしたら南京城内25万(安全区内
20万、区外5万)で意見の一致を見たということになるな。
もし区外を仮に20万だとしたら食料その他はどうしてたんだ?
それに、人口の4/5が脱出したというラーベの記述は?
これもラーベの見積もり違いか?
>>704 25万でOKなら俺は文句はないよ。
> 何れにせよ、市民虐殺が陥落後数週間内に、国際安全区委員会メンバーの目に触れない
>ところで行われていたとすれば、それらの数にその虐殺数が現れることはありません。
目に触れないところに何十万者人がいたことを証明しなければ何の意味もないよ。
被害者が存在してないわけだから。
貴方がすべきことは例えば、「城内の安全区外に20万の人口が存在しており、それは
XXXXに記述されていて、YYYYの理由で安全区に入らなかった。」というように、
まず証拠を出すことだと思うよ。
俺は(なんと肯定派のサイトらしいが)「南京事件資料集」の「南京の人口」を引用
して論理を書いてるつもりだよ。
>>711 >多くの民間人に紛れて敗走する中国兵を、民間人もろとも殺害した、というような場合です。
そのような場合日本軍は黙って敗走を見逃さなければならない、というわけですね。
>>709 で思うんだが「大虐殺」とは「印象」であるというなら
あなたが「大虐殺」について検討を行い決定的な結論が出るということが
ありうるんだろうか?所詮印象に対して
横から突っ込むが。
>>714 >
>>711 >多くの民間人に紛れて敗走する中国兵を、民間人もろとも殺害した、というような場合です。
> そのような場合日本軍は黙って敗走を見逃さなければならない、というわけですね。
あくまで靴屋さんの感覚の問題なので、スルーしたのだろうが
これは当然国際法上は不法行為ではないので注意して欲しい。
こういう場合日本軍が敗走を見逃さなければならない義務を負わない。
>>716 ありがとうございます。
>便衣兵容疑者摘出中の民間人の混入をほとんど無視して全員殺害した例
>などもそうですが(こちらの方は不法殺害容疑になるが)、
こっちは不法なの??????
だったらこの場合は日本軍は一体どうすりゃ良かったんでしょうね
これじゃ民間人に紛れたモン勝ちですやん
>>714 > そのような場合日本軍は黙って敗走を見逃さなければならない、というわけですね。
いいえ、私は当時の日本軍を責める、という気はあまりありません。そうではなく、そう
したことはやはり悲劇ではなかったか、我々はやはりそうしたことは起こらないことを望む
のではないか、という意味で言っています。そんなこと言ったら戦争自体がそうなんですが、
言い方を変えれば、不幸にも日本軍は虐殺してしまった、というようなことになるかと思い
ます。
> あなたが「大虐殺」について検討を行い決定的な結論が出るということが
> ありうるんだろうか?所詮印象に対して
いやそれは、結局は個々人の問題だろうと思います。ただし、事実は事実としてきちんと
認める必要はあると思います。だから、どういうことがあったのかをやはり知る必要がある
ということになるわけではないかと思います。
>>712 > 俺も細かい話はしてないよ。当時の南京の人口が10万なのか、
> 20万なのか、30万なのか、40万なのかという話をしている。
私の方はそれについては不明であるという立場です。相当程度脱出したはずだから、近郊
農村からの流入があったとしても50万以下かなぁ、という程度の認識しかありません。無論、
これには確かな根拠はありません。なお、埋葬数の話は私自身は今のところする気はありま
せん。
> スマイスが言ってるのは「南京【市】の戦前の人口は100万で、陥落当時の
> 【安全区】の人口は20万〜25万」ということかな。
> ちょっとそれは飲めないな。スマイスは3月に抽出調査をやってるんじゃないのか?
ですから、記述を読めば分かるように「100万」も「20-25万」も誰の調査か書いてあり
ません。「我々」とあるのはその直後です。スマイスが知っていた数字が単に国際安全区
委員会の認識していた数しかなかった、と私は言っています。おそらく、少なくとも城内
のほとんど全ての人間が安全区に集められていたという認識は変わらなかったのでしょう。
> 城内の人はほとんど安全区に集められていたということね。
という認識を持っていたことと、彼らが認識し得なかったことがあるということは別に
矛盾しません。
>>713 > それに、貴方が書いてるとおり城内外の行き来ができないとしたら南京城内25万(安全区内
> 20万、区外5万)で意見の一致を見たということになるな。
一月中旬以降の大雑把な数としては、そう見る他ないとは思います。つまり陥落時にはこの数値が
厳密な意味での下限値ではないということに注意して、25万以上、ということになります。
> もし区外を仮に20万だとしたら食料その他はどうしてたんだ?
例えば夏淑琴事件の夏淑琴は家族のほとんどが殺されてから一週間くらいその家で隠れて生きてました。
これまた記憶ですが、確か台所に残っていた食料を少しずつ食べて生き延びた、とかだったかな。しかし、
安全区外の状況は今のところ余りよく見えてきません。ただ、中国の云う虐殺地図が仮に正しいとすれば、
城内も城外も相当範囲で、集団虐殺されているようにも見えます。これを敗残兵掃討として行ったのか、
それとも便衣兵容疑の建前でお構いなしにやったのか・・・・
> それに、人口の4/5が脱出したというラーベの記述は?
これは、100万−20万=80万、という奴です。私は日記の記述などから、ラーベはある面では思い込み
の強い性格だったと見ています。狂信的とも言えるナチ党員でしたし。
> 貴方がすべきことは例えば、「城内の安全区外に20万の人口が存在しており、それは
> XXXXに記述されていて、YYYYの理由で安全区に入らなかった。」というように、
> まず証拠を出すことだと思うよ。
いいえ、元々は詩論語氏の陥落時人口が掴めれば大雑把な虐殺数の把握くらいは「出来る」、という
理屈に対する反論ですので「出来ない」を示してその理屈を否定したわけです。「出来る」の反対は
「出来ない」ですので、これで十分です。
他に東京裁判のベイツ証言、マギー証言、ウィルソン証言、下関の3万といわれる死体の軍民比率、捕虜
や敗残兵、便衣兵摘出時の民間人混入、ダーディンの記事に見られる平和になると考えて避難しなかった人
がいた可能性、などなど人口数に含まれていないと考えられる数があった可能性はたくさんあります。何の
可能性もなしに、一点突破風な理屈を展開しているわけではありません(笑)
>>718 > >便衣兵容疑者摘出中の民間人の混入をほとんど無視して全員殺害した例
> >などもそうですが(こちらの方は不法殺害容疑になるが)、
> こっちは不法なの??????
無裁判でやった、というのが少なくともハーグ陸戦条約規則に抵触します。
723 :
計算機 :03/06/04 18:55 ID:pOvCFOpJ
>>722 裁判(弁護士無し簡易裁判)やってもやらなくても結果は同じ(死刑)だけどな
725 :
朝まで名無しさん :03/06/04 19:03 ID:GQHZydeW
>>707 >だったら、その貴兄の論理の妥当性をここで示してください。妥当性を認められない限り
>それは貴兄の一主張でしかありません。
いつまで逃げる気だ?泰郁彦「が」小学生レベル、と言っているのではない。
「具体的に何も分からんのに虐殺あった、と言うなら(それが泰郁彦でも)小学生レベル」
と、何度も言ってるだろうが。これに妥当性を認めない、というなら
「具体的に何も分からないけど虐殺あった」という論法は(靴屋氏的に)アリなんだな?
じゃあ「具体的に何も分からないけど虐殺無かった」もアリか?
YesかNoで答えられる質問に、いつまでウダウダ逃げ回ってんだよ?
あと、泰郁彦が「お前同様」具体的に何も分かってないかどうか、は別問題だ。
お前さんは泰郁彦の文章の一部に「神のみぞ知る」という発言があるのを引用しているが、
それは泰郁彦が「具体的な事は何も分かってない」という事ではあるまい?
秦:「本当に正確な数字は分からないが、3〜5万程度」
靴屋:「人口も被害者数も具体的には分からないが、虐殺あった」
前者と後者が同じレベルかどうか、それすら分からんのかお前は?
>貴兄の言い分を聞いていると、私は私自身が分かっていないことについては、その全てにつ
>いて何も言うことが出来なくなります。
「何も」言うな、とは言っとらん。
分からんのに「あったという前提で語る」のがおかしい、と言っているのだ。
そしてお前は前提付けの根拠を「世間一般」としたが、
具体的に世間一般ではどう言っているのか全く提示しておらんな。
お前さんは、世間一般の事すら分からんのではないのか?
726 :
計算機 :03/06/04 19:05 ID:pOvCFOpJ
>>717 是非鮮明な写真を貼ってくれ、君の貼る写真は小さいか不鮮明かのどちらかだ。
だからわざわざ俺が大きい写真を探してきて貼ってる(wこのやりとりを自分で
追ってみれば分かる。鮮明な写真期待してるよ(w
>>靴屋
悪いけど、今日はこれまで、
>>720 以降は明日に。
727 :
朝まで名無しさん :03/06/04 19:11 ID:O1yt4irk
そもそも民間人と兵士の区別は実はそれほど難しくはないのです。 中国兵士たちが、衣服を略奪していたのは、もっていなかった ためです。自分のものではないものは体にあわないことが大半で、 みればたいていわかります。略奪して人のものを着ていた貧民もいたでしょう から、やっかいなところはありますが。日本兵はかなり時間をかけて 調べています。民間人が兵士に間違われたという例は、非常に少ない と思われます。
>>718 >
>>716 ありがとうございます。
> >便衣兵容疑者摘出中の民間人の混入をほとんど無視して全員殺害した例
> >などもそうですが(こちらの方は不法殺害容疑になるが)、
> こっちは不法なの??????
> だったらこの場合は日本軍は一体どうすりゃ良かったんでしょうね
> これじゃ民間人に紛れたモン勝ちですやん
ここの前スレあたりで議論になったポイントです。不法かそうでないか両論
あります。
現在では厳密に言うと不法です。南京当時不法であるかどうかで議論になって
います。
ただし、これが厳密に守られたとされる状況は私は知りません。
729 :
朝まで名無しさん :03/06/04 19:15 ID:GQHZydeW
>>711 710は俺じゃないけどさ、虐殺の定義を聞かれているのに、なに関係無い話してんの?
さっさと「これこれこういう状態が虐殺と言える(と思います)」というように
答えを出してあげなさいよ。君はいつも問題をずらすんだね。
それともあれか、人口問題や被害者数の話と同様に
「虐殺とは何なのかは分かりません、でも虐殺あった」ですか?(笑)
730 :
朝まで名無しさん :03/06/04 19:18 ID:O1yt4irk
当時の中国において、民間人と兵士が一緒に逃げるということは ほとんど考えられません。敗走中の軍閥軍の兵士は、略奪をする のが常でした。また、勝手に人を徴用してしまいます。近寄るなど、 とんでもないことだったのです。蒋介石は近代化をおしすすめ ていましたが、そう簡単に改革はすすみませんでした。軍閥軍を 統合して、国民軍にする努力がなされていたのです。このような 実情をしらずに、問題を論ずることはできません。知識不足の方が 多すぎます。当時の中国を把握していない人が知ったかぶりをして 問題に触れるのはやめていただくようにお願いします。
>>725 > いつまで逃げる気だ?泰郁彦「が」小学生レベル、と言っているのではない。
いやー、正直逃げたいんですよ。私は南京事件の議論そのものに集中したいですから(苦笑)
まぁ、お言葉は有り難く忠告として受け止めてはいます。実際、よく分かっていないという
のは事実です。言い訳を許してもらえるなら、売り言葉に買い言葉になって、こちらもそういう
反応になりがちというのはありますからね。
何れにしましても、いったん興味を持った以上は、出来る限りの真相・真実が知りたい、とい
う気持ちで取り組んでいます。実際のところ、肯定的な立場によりがちになってはいますが、
結果として「南京大虐殺」はなかった、という結論になってもそれは構わないと思っています。
無論、今のところ、そういう結論にはならないだろうという、ある程度の確信はありますが。
というわけで、ごまかしに見えるかも知れませんが、そろそろお許し願えませんでしょうか。
>>718 個人的には、処刑を決定した仕官に軍律裁判の判決権(通常部隊長のみに与えら
れるが、命令によって部下に委譲できる)を与えたとみなすという解釈を支持してい
ます。
実際、このような例がほかになかったかというと、満州の山賊討伐では、指揮官が
裁判なしでの処刑権を与えられていますし(これは明文化されてます)。この場合
仮に山賊が降伏しても即時処刑は問題ないわけです。
南京の場合、便衣兵は、国際法の保護下に無い、敵対勢力ということでしょう。
ちなみに私はハーグの23条はハーグの保護対象である民間人にのみ適用され
ると判断してますので(佐藤解釈)このような判断をしています。
>>724 > 裁判(弁護士無し簡易裁判)やってもやらなくても結果は同じ(死刑)だけどな
であったにせよ、していないのですから、違法ということには変わりません。否定派との最低
限度の「虐殺」に関する定義は「不法殺害」にて一致していると思いますので、違法であれば
これは虐殺になります。
>>727 > そもそも民間人と兵士の区別は実はそれほど難しくはないのです。
東京裁判 ベイツ証言
或る場合では日本の将校が中国人に向って斯り云ふことを言ひました。若し君達が以前支那の兵隊で
あり或は中国軍隊の為に労役に服したことがあるにせよ、若し今此の労働奉仕団体に進んで参加するな
らば、さう云ふことを総て忘れて上げようと言ったのであります。斯くの如くして一日の午後で南京大
学校内より二百名の健康な人間を拉致し、直ちに何処かへ伴れて行って、同日夕方、安全地帯内の他の
地域から同様な手段を以て拉致した人間と共に射殺したのであります。
区別どころか・・・・ですね。命令はこうでした。
南京城内掃蕩要項
上海派遣軍 第9師団 歩兵第六旅団長秋山善兌少将より
一、潰走せる敵は、大部ぶん便衣に化せる者と判断させるるをもって、その疑いある者はことごとく
これを検挙し適宣の位置に監禁す
一、壮年は全て敗残兵又は便衣兵と見なし、全てこれを逮捕監禁すべし
>>729 > 710は俺じゃないけどさ、虐殺の定義を聞かれているのに、なに関係無い話してんの?
いいえ、私は定義することには余り意味がない、と主張しています。そもそも、虐殺に
定義はありません。これを定義してしまうことは、何れにせよ恣意的なものになります。
どうしてもというなら辞書で十分でしょう。
ぎゃくさつ【虐殺】 名)スル
むごい方法で殺すこと。
「一般市民を―する」 三省堂提供「大辞林 第二版」より
一応、「不法殺害」は否定派も認めていると思いますし、最低限度の一致点はこれで良い
と思います。
>>732 私は佐藤和男の解釈は支持しません。といっても具体的にどこか指示できないかと云われ
ても、以前時々見ていた佐藤和男の解釈が載っているサイトを忘れてしまったので、具体的
には云えませんが。
> 南京の場合、便衣兵は、国際法の保護下に無い、敵対勢力ということでしょう。
> ちなみに私はハーグの23条はハーグの保護対象である民間人にのみ適用され
> ると判断してますので(佐藤解釈)このような判断をしています。
いいえ、便衣「兵」であったかどうか、という論点があります。南京で安全区から摘出された
便衣兵容疑者は、武装していませんでした。武装しているのが見つかったら殺されてしまいます
し、安全区の民間人にとっても大変危険な状態になりますので、国際委員会のメンバーなどに
よって武装解除させられていました。
しかし、そもそも安全区委員会は、日本軍に対しこれらの敗残兵を人道的に取り扱うよう要請
し、日本軍も人道的に取り扱う旨、文書で了承していたのです。
つまり、安全区からの(当初の12/14〜16の)摘出は、敗残兵として摘出したのであって便衣兵
容疑者として摘出したのではないと思われます。そして、12/17の宮様入城に間に合わせる為に
このときに摘出した敗残兵容疑者を全員殺害してしまったのです。掃蕩要領は敗残兵か便衣兵
ということですが、これを区別していた形跡はありません。
しかも、多数の民間人を含んでいたと想定されます。別レスで示したようにまったく関係の
ない民間人がほとんどかも知れなような場合でさえ、殺害していた疑いが濃厚です。文民分離
が主眼だというのであれば、その観点でも到底無視し得ない大きな問題があると思いますが。
737 :
朝まで名無しさん :03/06/04 22:32 ID:21ndPTVc
>>553 > それくらい日本軍は圧倒的だったようだ。
>日中双方にとってこんなにあっけなく陥落するとは
>思ってなかっただろう。
関係ないけど、
日本軍は中国軍はド弱いと思っているので、
陥落など簡単だと思っていたと思うよ。
中国軍は日本軍が来るとすぐ逃げる軍隊だったしね。
実際、近衛首相も南京政府を相手にせずとしていたし、
陸軍も相手はソ連だとしていたし。
>>731 靴屋
>そろそろお許し願えませんでしょうか。
ということは
「具体的に何も分からないけど虐殺あった」 という論法を止めるって事だな?
つまり 「よく分かっていないというのは事実です。」
だから二度と 「虐殺あった」 と言わないって事だ。
>>738 > だから二度と 「虐殺あった」 と言わないって事だ。
いいえ、貴兄が仰っておられるのは「大」虐殺の筈です。虐殺自体を否定する研究者は、
私の知る限り極めて少数かいない、と思います。
741 :
朝まで名無しさん :03/06/05 00:31 ID:VDHgg5Ml
742 :
朝まで名無しさん :03/06/05 10:01 ID:zl9zVEQ6
・・・
743 :
朝まで名無しさん :03/06/05 10:29 ID:0ve1sDPd
[今いるところは天津であるが、毎日天津より南西の二十里位の所の列車警備に行くので すが、実弾がビューと音立てて走って来るのですこぶる気持ちが悪いよ。(中略)天津 でも毎日毎日便衣隊が我々の手に捕われるのですが、道路上で皆銃殺してしまいます。 幾日も幾日も置いて紫色にくさった様を見て、初めは食事もとれませんでした。しかし 今は何とも思いません。故郷の方でも相当騒いだことでしょう。天津の戦いは、大きな 建物は我が空軍の為に全部破壊されまして見るも哀れな姿です。今いるところは金坊と いう会社である。此の会社でもやられて非常なる損害を受けたそうです。] [このころは毎日、保定永定河近くに自動車にて残兵狩に出ています。今いる自分等のと ころから近いので、自分等の夜も安心するように毎日出ていくのです。毎日五人や十人 くらい殺して帰ります。中には良人も殺しますが、何分気が立っているので、いる者は 皆殺しす。哀れな者さ、支那人なんて全く虫だね。] [杭州から南京まで百里の余りも毎日毎日行軍で苦労したよ。全くこの時ほど国のために はこんな苦労もするのかと思ったよ。米なぞも都合悪く、汽車の便もないので内地から 来ず、毎日生塩に南京米の腐ったようなものを食べて十日も暮らしたよ。]
744 :
朝まで名無しさん :03/06/05 10:30 ID:0ve1sDPd
[自分等のいるところは此の城外である。城外でも揚子江の沿岸で中国銀行。家は五階 であるが、三階までは焼けている。自分等のいる隊は乙兵站部で、隊長は青木少佐で あって良い人です。兵站部は食糧等の分配をして各部隊にやるところである。揚子江 を船で来る全全部の荷物が自分等の所に来るのです。沢山な荷物を五十人足で歩哨に 立つのでなかなか苦労は多いよ。去年の三十一日まで支那兵の捕まえたのを、毎日揚 子江で二百人ずつ殺したよ。川に、手を縛って落としておいて、上から銃で撃ったり 刀で首を切ったりして殺すが、亡国の民は実に哀れだね。まるで鶏でも殺すような気 がするよ。十二月二十七日の夜は、兵站部に食糧を盗みにきたので七人捕まえて銃剣 で突き殺したが面白いものだったよ。全く内地にては見られない惨状だよ。] [平和になった南京市には南京市民が続々と帰ってくるよ。来てもだね、夜が来ても寝 るところも無し。此の寒さにふるえて死んでいく者も一日に何百人ですよ。哀れな支 那人ですね。] [俺達の居る南京地方は、此の頃は暖かになりました。一週間前は雪が降っていたが、 此の頃は毎日春だよ。襦袢一枚で毎日暮らしているよ。もう支那兵の死人が暖かになっ て腐るので、悪臭が鼻を切るように匂ってくるよ。全く戦地だね。揚子江の隅には死 人の山で□の如くだよ。一寸内地の人が見たら驚くね。腐ってどろどろになって居る よ。] 第三師団第二陸上輸卒隊の一兵士による軍事郵便から
745 :
朝まで名無しさん :03/06/05 10:49 ID:P+OcFQ5M
祖父が言っていたが、日本軍による南京大虐殺はなかった。 捏造だ。 中国軍による、日本軍に濡れ衣を着せる為の虐殺はあった。
746 :
朝まで名無しさん :03/06/05 11:00 ID:VIu6hI+o
>>745 日本外務省、「日本軍による南京での殺人・略奪行為は否定できない事実」
日本の外務省スポークスマンの沼田貞昭氏は19日、当時の日本軍による南京
における殺戮(さつりく)行為は否定できない事実であると語った。
上記は、沼田貞昭氏が新華社の記者によるインタビューに応じ、語った言葉で
ある。沼田氏は、旧日本軍が1937年南京に侵入し、一般市民を殺害し、略奪行
為を行なったことは、否定できない事実であり、政府によるこれらの認識は、集
会を催した団体の認識とは異なっていると表明し、以下のように強調した。
日本政府の歴史認識に関する考えは、日本の村山富市元内閣総理大臣が
1995年8月15日の談話において明らかにした、「我が国は遠くない過去の一時
期に、植民地的統治と侵略によって多くの国、特にアジア諸国の人々に極めて
大きな損害と苦痛をもたらした。我々は、この歴史的事実を謙虚に認め、ここ
で改めて痛切な反省と心からの謝罪を表する」という言葉と変わっていない。
現在に至るまで、日本政府のこの考えには、いかなる変化もない。
「人民日報」 2000年1月20日1面
ttp://fpj.peopledaily.com.cn/2000/01/20/newfiles/a1020.html
747 :
朝まで名無しさん :03/06/05 11:08 ID:P+OcFQ5M
>>746 漏れの祖父は戦時中、教師として台湾にいたんだ。
嘘は言わない人だ。
748 :
計算機 :03/06/05 11:21 ID:lwJzg+F0
>>720 スマイスは以下のように書いてる。
「南京市の戦前の人口はちょうど100万であったが、爆撃が繰り返され、
後には南京攻撃が近づいて中国政府機関が全部疎開したためにかなり減少した。
市の陥落当時(12月12〜13日)の人口は20万から25万であった。
我々が3月に行った抽出調査で報告された人員を50倍すれば、すぐさま
市部調査で表示されている22万1150人という人口数が得られる。
この数は当時の住民総数のおそらく80ないし90パーセントを表したもので
あろうし、住民の中には調査員の手の届かぬところに暮らしていたものもあった。」
(これ原文(英語?)ないの?)
これは、「陥落当時の南京市の人口は20万〜25万であった。我々の抽出調査の結果を
50倍すれば22万1150となるが、これは住民総数の80〜90%だろう(つまり実人口は
24万5722〜276436)し、調査漏れもあった」ということだろ?
「突っ込むんだったら第1票の注を見ろ」って書いてるわけだから、それと矛盾する
ことを書くわけないだろ?
>> 城内の人はほとんど安全区に集められていたということね。
> という認識を持っていたことと、彼らが認識し得なかったことがあるということは別に
>矛盾しません。
そんなこと言い出したら議論にならないよ。
「誰も(委員会もプレスも)認識し得なかった分の人達が誰も認識し得ないように
虐殺され、誰も認識し得ないように埋葬した」という論理か?
749 :
計算機 :03/06/05 11:21 ID:lwJzg+F0
>>721 > 一月中旬以降の大雑把な数としては、そう見る他ないとは思います。
ということは(少なくとも城内の)虐殺は1月中旬以降は起こってないというわけだね。
> 例えば夏淑琴事件の夏淑琴は〜残っていた食料を少しずつ食べて生き延びた〜
12/13から01/14まで残っていた食料で生き延びたということか?ラーベは「廃墟にいた
のは5万」と書いてるが、貴方は10万20万と思ってるわけだろ?違うの?
「5万じゃなくて6万だ」というのなら俺はそれでOKだよ。
>私は日記の記述などから、ラーベはある面では思い込みの強い性格だったと
見ています。
それなら「日本軍は残虐だ」というのも彼の思いこみだろう。
> 他に東京裁判のベイツ証言、〜可能性はたくさんあります。
可能性は0にも100にもならない。だから「可能性は常にある」。その可能性の蓋然性、
妥当性、論理があるかどうかが問題。
貴方は俺や詩論語さんの言ってる人口論に対して「その統計値は間違ってる可能性が
あるから信用できない」と言ってるだけで、正かるべき人口や間違いの原因(証拠)を
あげていない。「市長の【20万】という発表が頭に残ってるだけ」という論拠もない。
逆に言えば、人口がある程度正確なら10万人単位の虐殺など無かったという論を否定
していない。
750 :
計算機 :03/06/05 11:22 ID:lwJzg+F0
751 :
計算機 :03/06/05 11:23 ID:lwJzg+F0
752 :
朝まで名無しさん :
03/06/05 11:33 ID:OIcFaIbi 私が親しかったある人は、南京でのことだけは口が裂けても言わないような感じがあり、 結局、語ることもないままにこの世を去った。いや、戦争のことはよく話した人だった。 ほとんどが苦労話だった。もちろん、敵を殺した話も出てきた。口癖は「戦争だからな」 と必ず最後に言うことだった。私はそうした話を聞くのが好きだった。というより、彼の 話すことを聞くこと自体が好きだった。そして興味津々に「へ〜それでどうしたの?」の ように色々な話を聞き出すのだった。ところが、私が彼の話を聞いていて「ふーん、それ どこの話?」と聞いたら、後にも先にも多分そのときだけだったと思うが、口籠もった ように「中国の南京というところだ」といって、そのときは確か何か用事があるようなこ とを突然言い出して、話を打ち切ってしまったのだ。その後、どういうきっかけだったか 忘れたが、そのときのことを思い出して「南京てどんなところだったの?」と唐突に訪ね たことがあった。けど、彼は聞いていなかったふりをしたのか、全然関係のない話を続け たのだった。その後も戦争体験の話は散々聞いたのだが(同じ話の繰り返しが実に多かっ たが)、ついに南京の話は聞くことがなかった。彼の死後、数年経ってご婦人が亡くなら れ、遺品を整理していると、いわゆる陣中日記というのだろうか、メモ帳のようなものが 数冊見つかった。私はあの戦争の話をしてくれた彼のことを思い出して、懐かしむように そのメモ帳を読んだ。パリパリと音を立てるその古いメモ帳を慎重にめくりながら。だが、 その内容は、彼が私に語っていたことと、その印象がまったく違うものだった。そして 南京でのことも書かれていたのを見つけた。詳細とは言い難い簡単な内容ではあったが、 彼が幼い私に決して話さなかった理由の一端を見たという気がした。いわゆる南京大虐殺 の証拠といえるほどには大したものではなかったが、おそらく貴重な資料の一つにはなり 得ただろう。しかし私は、彼の意向を尊重することに決め、これを世間に公表するという 気には結局なれず、墓の前で一冊ずつ全て燃やしてしまった。これを研究調査している人 には大変申し訳ないなとは思ったが、悩んだ上での結論だった。