1 :
天之御名無主:
かつては日本にもたくさんいた水上生活民の風俗、文化、歴史、彼らがなぜそんな生活を
選択したのか、なぜ続けられるのか、行政からどういう扱いを受けているのかなど、自由に語ってください。
2 :
天之御名無主:2012/01/21(土) 08:29:01.78
かつては生活困窮者。
最近は優雅な暮らしの人も。
3 :
天之御名無主:2012/01/21(土) 08:36:43.84
4 :
天之御名無主:2012/01/21(土) 09:27:32.24
5 :
天之御名無主:2012/01/21(土) 09:56:22.34
>>3 ブルネイより、ベネチアの方が規模大きくね?
6 :
天之御名無主:2012/01/21(土) 19:30:55.94
水上生活の定義による
7 :
天之御名無主:2012/01/22(日) 11:08:00.54
>4で終了だな。
民俗板にこれ以上の知識を持っているやつは来ないわw。
8 :
天之御名無主:2012/01/22(日) 17:02:30.45
アホか。
4は日本限定の話だし、柳田国男も知らない連中ばっかりだし。
9 :
天之御名無主:2012/01/22(日) 17:15:11.24
とは言え、モーケン族の情報なんてあんまなさそうだし
別府の湯治舟って、どういうものか分かる人いたら教えてください。
客が連日で湯治したくても、宿も何も無かったから、移動式の宿として使われていたということなんでしょうか?
11 :
1:2012/01/22(日) 20:06:35.65
すいません、
>>1に以下の文章を入れていたつもりでしたが、抜けてしまってました。
対象は、家船、ビルマのモーケン族、中国の蛋民、ベトナムのホーチミンやハロン湾の村々、
カンボジアのトンレサップ湖、セーヌ川やアムステルダムなどでクルーズ船で生活する人達などに
なるかと思いますが、長期航海者の生活や漂流民などの話も必要に応じてあっていいかと思います。
12 :
天之御名無主:2012/01/22(日) 21:40:50.30
>長期航海者の生活や漂流民などの話
一気に範囲広がりそう。
13 :
天之御名無主:2012/01/23(月) 07:48:32.72
家畜を船に積むと船酔いしたりはしないのでしょうか?
14 :
天之御名無主:2012/01/23(月) 12:03:26.34
昔の倭寇と水上生活民って、ほとんど似たようなものというか、
漁民とか水上生活民の一部が、海賊行為もやっていたんだろうな。
15 :
天之御名無主:2012/01/23(月) 12:47:21.20
マラッカ王国なんか、オランラウト族(マラッカ半島の水上生活民兼海賊)の力が無ければ、
建国できなかったぐらいだし。
16 :
天之御名無主:2012/01/23(月) 13:48:00.43
オランラウト族ってのもなんか変というか、あれ族なの?
マレー語で海の人って意味で、マレー半島とかアンダマン海に住む人を集合的に呼んだ名前だろ。
モーケン族が一番メジャーだけど。
18 :
天之御名無主:2012/01/23(月) 15:54:11.75
むしろそういうのの前身がじゃない?
とか、瀬戸内海の漁民とか。
家船で生活していた連中とか。
19 :
天之御名無主:2012/01/23(月) 17:17:20.97
村に住む農民の中のあぶれ者が足軽になったように、
水上生活民の中のあぶれ者が、海賊になったんだろうね。
20 :
天之御名無主:2012/01/23(月) 18:22:37.22
21 :
天之御名無主:2012/01/23(月) 21:14:11.21
>>8 柳田国男ってそんなにいろいろ書いていたっけ?
22 :
天之御名無主:2012/01/23(月) 21:29:25.21
蛋家、蛋民、Aberdeen
>>24 今でもやはりいるんだなあ。
そう言えば日本の海女の語源がこの人たちから来てるって聞いた事がある。
26 :
天之御名無主:2012/01/24(火) 07:32:50.79
どういう風に語源になりうるの?
27 :
天之御名無主:2012/01/24(火) 08:47:27.66
>>23 なんだよAberdeenって
無言で単語だけ並べられてもわけわからん。
29 :
天之御名無主:2012/01/24(火) 09:12:46.00
単語で話さずに、ちゃんと言葉使えよ。
香港の地名とか、「蛋家、蛋民、Aberdeen」でぐぐれとか。
>>26 Wikipediaより
中国の「蜑」、「蜑家」という語、
あるいは「蜑女」という表記を用いて、「あま」と読み、日本の漁民や海女を指す例が近世の文書に見られる。
例えば、『南総里見八犬伝』に、「蜑家舟」と書いて「あまぶね」と読む語が登場する。
31 :
天之御名無主:2012/01/24(火) 12:47:26.95
ある意味、釜山-下関間のフェリーを住処にしている、
運びやのおばさんたちも、水上生活民だな。
今でもいるのかどうかは知らないが。
32 :
天之御名無主:2012/01/24(火) 19:29:25.72
33 :
天之御名無主:2012/01/25(水) 10:15:30.23
ベネチアまでが水上生活民に入るんだったら、いくらでも話広がりそうだな。
34 :
天之御名無主:2012/01/25(水) 11:11:38.69
30 名前:世界@名無史さん 投稿日:2007/06/30(土) 18:40:23 0
マジで干潟を埋め立てればよかったのに。
オランダや佐賀藩にできたことをやれないはずがない。
31 名前:世界@名無史さん 投稿日:2007/06/30(土) 19:42:55 O
干潟はわざと残したんだって
干潟は彼等にとって天然の城壁。
干潟のおかげでジェノバ等イタリア都市国家連合軍の
攻撃を耐えきれたんだって
と塩婆ファンの漏れが力説する
32 名前:世界@名無史さん 投稿日:2007/06/30(土) 19:43:57 0
>>30 一度埋め立てようと工事したけど、物凄い難工事になって金もかかりすぎるって事で中止したんじゃなかったっけ?
35 :
天之御名無主:2012/01/25(水) 23:18:57.05
思ったんだけど、水上生活民って、ベネチアみたいに陸から攻めてきたりするのを避けるためにあんな家に住んでるの?
36 :
天之御名無主:2012/01/26(木) 14:41:01.97
水上生活民が住んでる、下に杭打った家って、なんか呼び名があるんでしょうか?
37 :
天之御名無主:2012/01/26(木) 18:52:13.41
595 名前:名無し物書き@推敲中? 投稿日:2012/01/22(日) 23:49:49.14
よく東南アジアなどの水上生活者の村で、杭を海中に打ち込み、
その上に板を渡して家を建てていたりしますが、そういう方式というか
構造に対する呼び名はあるんでしょうか?
桟橋でも無いし。
596 名前:名無し物書き@推敲中? 投稿日:2012/01/23(月) 00:13:24.68
水上家屋とかフローティングハウスとか言えば大体通じそうな気はするけど…
ウィキペディア先生によれば、その杭を使ったりしてるやつはケロンっていうみたいだね
598 名前:名無し物書き@推敲中? 投稿日:2012/01/23(月) 07:42:49.14
フローティングハウスって、船にちょっと手を加えて住居にした、実際に水に浮かんでいる家じゃないの?
599 名前:名無し物書き@推敲中? 投稿日:2012/01/23(月) 18:19:53.65
水上家屋って、杭打って住んでるやつとか、船加工して住んでるのとか、全部ひっくるめて指してるんじゃないのかな。
杭って言葉を使わずに、
>>595を的確に指すのはちょっと難しいような。
600 名前:名無し物書き@推敲中? 投稿日:2012/01/23(月) 18:44:56.51
杭派、舟派、水草派 がある
さらに(普通は満潮時より上に床を作るが)
杭の上に浮くように作って干潮満潮に対応で来てるやつらも居る
通常装飾も無いたんなる適当な板で作るが
(住むわけではないが)京都の川床など、もうほとんど芸術って言っていいと思う
あんなもんでも民族でセンスが出る
38 :
天之御名無主:2012/01/27(金) 09:19:06.93
日本語じゃ適当な呼び名は無いということ?
39 :
天之御名無主:2012/01/27(金) 23:29:58.29
40 :
天之御名無主:2012/01/28(土) 11:31:28.76
>>38 ぐぐってもなんか適当なの無いねぇ?
建築用語とかではあるのかもしれんが。
41 :
天之御名無主:2012/02/02(木) 14:25:11.60
結局、水の上での生活って、設備さえよければ快適なの?
ブルネイとかオランダの例を見ると。
42 :
天之御名無主:2012/02/02(木) 20:46:33.08
来週(2/9 8:00)、NHKの地球イチバンで、トンレサップ湖の水上集落をやるそうです!
43 :
天之御名無主:2012/02/03(金) 01:17:45.15
家船なんて広島の瀬戸内側の人間なら誰でも知ってた…教育委員会も調査してたし、沖浦さんの本も出てるし
44 :
天之御名無主:2012/02/03(金) 07:29:39.10
知ってたのは分かったから、その知ってることなんでもいいから書いてくれ。
45 :
天之御名無主:2012/02/03(金) 11:25:41.52
沖浦和光の『瀬戸内の民俗誌』のことだよね。
情報提供用はありがたいんだが、もうちょっとだけ分かるように書いてくれた方がいいかな
46 :
天之御名無主:2012/02/04(土) 15:47:08.02
家船の子が何人か小学校にいた。
貧しかったけど古くからの巻物があることが彼らの誇りと親から
聞かされてたみたい。。。
本当は、自分たちの方が海の権利を最初に許されたとかいう・・
大抵、小舟から降りた祖父母と住んでたみたいだけど、余り長くは
いなくて、学期が変わるといなくなったりしてたな・・・
ちょっと不思議な記憶として残っている
市か教育委員会かの担当の人が聞き取りとかしてたような気もする
47 :
天之御名無主:2012/02/05(日) 20:47:28.69
これは貴重な証言。
他にもなにか思い出したら、何でもいいので教えてください。
48 :
天之御名無主:2012/02/06(月) 13:55:57.96
相当古い話だから細部は曖昧。それより公の資料見た方がいい。図書館にあるはず。私が生まれた昭和30年代から少なくとも物心つく頃まで存在したのは確か
49 :
天之御名無主:2012/02/06(月) 14:28:01.50
>それより公の資料見た方がいい。図書館にあるはず。
そりゃ広島の図書館に行って、郷土史料コーナー見ればあるかもしれないけど。
果たしてそんなことできる人間が、このスレにいるのかどうか
50 :
天之御名無主:2012/02/06(月) 16:46:02.49
家舟と思われる物体なら、小さいときに見たなあ。
もう、34、5年前か。
市の中心を流れる川の河口付近、
河川敷に半分陸に乗り上げる形でおいてあった。
葦が高いもんで結構隠れててね、
大きさは6メートルぐらい、幅は2メートルもあったかどうか。
天井の低い2階建てで、高さも2メートル程度と思う。
大人は中で直立はできなかったんじゃないかな。
もしかしたら一階部分は倉庫だったのかもしれない。
扉と屋根が赤いトタンだった。たぶん錆び止め塗料の色だろうね。
中に毛布がたくさんあって
いつも白いシャツとか干してあった。
風化したポリ袋も全体にたくさんぶら下がってて、
その中によくわからないガラクタが詰め込まれてた事はよく覚えてる。
河川敷はただのヘドロと葦の湿原で、その頃は全く整備されてなかったんだが
その上に細い板で護岸から船まではしけを造っていてね、
同じ物が多分、ぽつんぽつんと5、600メートルぐらい間隔で
3、4隻あったと思うんだけど、他のはよく知らない。
子供の頃はテリトリーみたいな物があって、他校の校区には行かなかったからね。
高校生になった頃にはもう無くなってたな。
その流域は部落系が多くて、
漫画みたいな、トタン屋根に石を置いてる家もまだあちこちにあったよ。
ちなみに九州。
51 :
天之御名無主:2012/02/06(月) 19:02:14.66
北九州?
52 :
天之御名無主:2012/02/06(月) 23:45:37.00
東九州。
53 :
天之御名無主:2012/02/07(火) 08:04:43.60
54 :
天之御名無主:2012/02/07(火) 16:22:40.85
多分大きな図書館なら見れるよ。もしくは役所に聞けばいい…当時は、不思議な存在とは思ったけどまだ街中に粗末な住居は沢山あったし、電信柱も木製の時代だから船ノ子達を過剰に特別視はしなかった…ただ交流は少なかった
55 :
天之御名無主:2012/02/07(火) 18:37:22.42
>>53 違うと思う。普通の田舎町だから。
さらにずっと昔は、その辺りは蛤の産地だったんだが
川が汚染されて死滅したんだよ。
たぶん、元はその漁舟だったんじゃないかな。
友達の親父さんは猟銃の免許を持っててその川で鴨を撃ってたんだが、
人家は近くにたくさんあるし川幅だって狭い。
今にして思えばよくこんなとこで・・・と絶句するよ。
現在なら間違いなく免許失効、下手すりゃ刑務所行きだろう。
まあ、つまり、地方はその当時はまだ、そのくらいおおらかで
今とは全然違ってたよ。
56 :
天之御名無主:2012/02/07(火) 20:40:55.38
>>54 >多分大きな図書館なら見れるよ。
すいません、どういう書名なんですか?
正確な名前じゃなくてもいいので、どういう単語が含まれているかだけでも教えてもらえると探せるんですが。
57 :
天之御名無主:2012/02/07(火) 23:38:51.52
家船民俗調査報告書とかそんな感じの冊子。そんなに凄い資料じゃないよ…教育委員会が出してたと思う。他にはなんか人権系からも資料出てた気もするなぁ
58 :
天之御名無主:2012/02/08(水) 07:36:36.78
情報ありがとうございます。
広島県教育委員会著『家船民俗資料緊急調査報告書』ですね。
図書館で取り寄せてみます。
59 :
天之御名無主:2012/02/08(水) 10:32:34.05
夢無くすと悪いんだけど、当時多分NHKの番組でも取り上げられたと思う。単に船に寝泊まりしてる近海漁業者って感じでそんなロマン持たない方がいいよ
60 :
天之御名無主:2012/02/08(水) 10:54:28.16
だれもロマンなんて持ってないよ。
このスレにそんな人いないと思うけど。
61 :
天之御名無主:2012/02/08(水) 13:32:02.37
62 :
天之御名無主:2012/02/09(木) 22:04:13.97
63 :
天之御名無主:2012/02/10(金) 21:22:31.18
見た人軽くレポートお願いします。
64 :
天之御名無主:2012/02/11(土) 23:48:26.08
家船民俗資料緊急調査報告書の件だけど、私は上でどこでも読めるように書いたけど、改めて確認すると案外貴重な資料になってるみたいだね。ただ確か何年か前にどっかの本屋か仕事で寄った政府刊行物の資料室で見たんだけどなぁ…
それ、宮本常一が調査、執筆してるやつだ。
66 :
天之御名無主:2012/02/12(日) 08:06:51.24
43 名前:日本@名無史さん 投稿日:2012/02/11(土) 20:16:05.62
長崎出島の開港は変な人の侵入、伝染病の侵入、麻薬の進入等々の悪いものの検査に役立った。
44 名前:日本@名無史さん 投稿日:2012/02/11(土) 21:13:33.90
ヨーロッパでは出島のことQuarantineとして紹介してる。答えはそこにある。
何の脈絡もないコピペはやめようぜ
68 :
天之御名無主:2012/02/12(日) 20:30:55.54
コピペとは、普通脈絡が無いもの
まあ、普通はベネチア市民を水上生活者とは言わんけどね
干拓して陸地を作ってそこに建造物を作るのと
定期的に水が来るところに高床式の建造物を作るのでは大違い
71 :
天之御名無主:2012/02/13(月) 07:33:51.24
このスレ的には、水上生活を広義にとってるからまあいいんじゃね?
72 :
天之御名無主:2012/02/13(月) 09:53:45.80
Quarantineの制度自体が、船の上で40日間水上生活しろってことだったりするけどな。
73 :
天之御名無主:2012/02/14(火) 22:49:38.43
>>11に>長期航海者の生活や漂流民などの話も必要に応じてあっていいかと思います。
とあるから、QuarantineもOKってことか
まあ問題を上げるとすればQuarantine、検疫隔離は、
基本的に船上生活ではなかったということくらいかな。
指定された島に停泊させて隔離というのが基本だから。
ベネチアの制度はベネチア本島はじめ重要港を守るために、
その付近の島を指定しそこに入港者を生活させてるから陸上生活だね。
そもそもガレー船の占める比率が高いベネチア商船団は
補給なしで商品を積んだ状態で四十日も洋上生活するなんて困難なわけだし。
あと大航海時代以降もベネチアは地中海交易中心で
結構後世まで長期航海とも基本的に無縁。
ついでにいうとマルセーユも1388年に検疫隔離制度を始めたけど
これも30日間港外の島に船員を隔離するという制度ね。
というか
>>66の出島云々は、
四十日間の船上生活する制度とすら無関係なわけだが。
75 :
天之御名無主:2012/02/15(水) 09:07:04.44
>四十日間の船上生活する制度とすら無関係なわけだが。
Quarantineと紹介されていたってことは、出島を
ベネチアなどの付近の島になぞらえて説明していたってことじゃ?
期間は遥かに長いし、その後本土に上陸が許されるわけじゃないから、
俺らからするとかなり違和感はあるけど、当時のオランダ人からすれば
一番シンプルに説明できる言葉だったんじゃないかな。
だからなに?
島になぞらえてるならますます陸上生活が前提でしょ?
ますます的外れかと。
ついでに言うと
>その後本土に上陸が許されるわけじゃないから
は大嘘。
嘘じゃないとしてもひどい事実誤認だね。
カピタンはほぼ毎年江戸に参府して将軍にお目見えしてる。
(正確には1790年まで毎年でそれ以降は四年に一度の計166回)
葛飾北斎の『絵本東都遊(えほんあずまあそび)』の日本橋本石町の絵でも
定宿長崎屋に滞在中のオランダ人を見物に行く町民が描かれてるよ。
77 :
天之御名無主:2012/02/16(木) 14:55:20.78
事実誤認も何も、当時そう紹介されていたんなら、それでいいんじゃないの?
78 :
天之御名無主:2012/02/16(木) 14:57:23.24
18 名前:世界@名無史さん 投稿日:2009/04/14(火) 20:35:08 0
東南アジアには日本の家船、中国の蛋民と同じような水上生活者(漂海民)がいるね。
「オラン・ラウト」「モーケン」「バジャウ」などと呼ばれる。
フィリピン南部(ミンダナオ島とスールー諸島)から、対岸のマレーシア(センポーナ沖の
ブムブン島)へ移動したりしてるよ。
79 :
天之御名無主:2012/02/16(木) 16:11:44.53
>>76 >その後本土に上陸が許されるわけじゃないから
ヨーロッパでやっていたQuarantineと違って、長崎の街を自由行動できるわけじゃなかった程度の意味じゃないの?
あのさあ
>>76の書き込みへの反論にすらなってないよ
陸上生活前提という主張にはいっさい反論できてないもん。
>>76 現在では京都の伊根の舟屋が観光地化してるけど
江戸時代の名所図会とか浮世絵とかで紹介されてたりするのかな?
もしあるなら、当時どんなふうに紹介されてたのか気になる。
81 :
79:2012/02/16(木) 18:19:38.44
つーか、俺は75じゃないし、反論なんてしたつもりない単なる横レスだし。
そもそも
>>76が何を主張しようとしているのかいまいち分からない。
頭に血が上っていろんなことにいっぺんに噛み付いてるから、話がよくわからんよ。
喧嘩する話題でもないとおもう。
カピタンを務めたイザーク・チチングの書簡が弘文館から出ているが、それらによる限り、
残念ながら当時のオランダ人は出島のことをquarantineとは言っていない。
Nagasaki Mercantile oprichting(長崎商館)とかDejima(そのままだw)と言っている。
つまりquarantineは後世になって歴史研究の中で使われる学術用語であり、
当時の一般的な言葉ではなかったということ。
これは鎖国という語が志筑忠雄の『鎖国論』(1801年刊)が初出であり
江戸時代に使われた言葉ではなく明治以後に定着した歴史用語であると同様。
これでもうquarantineなんて話題に振り回されないですむはず。
>>81 >>74も
>>76もおれが書いたけど。
>>70以来問題になってるのはQuarantineがこのスレで言うところの水上生活かどうかでしょ?
Quarantineの制度自体が
>>72で言うように船の上で生活しろというものでなかった。
隔離はするけどそれは船上で生活させるわけではなく、
隔離用に島を指定しそこで生活させるものだったということ。
また、そもそも出島は検疫隔離とも無関係という二点が
>>74の趣旨
これに反論するならせめて出島でも水上生活してたとか、
Quarantineの制度でも船上生活してたとかいうことを示さなければならないのに
>>75は「出島をベネチアなどの付近の島になぞらえて説明していた」とかいってる。
そんな話題をいくら並べても
Quarantineが水上生活であり、このスレで扱う話題だという根拠にはならないということ。
>>76の『ついでに言うと』以降は蛇足だね。
『その後本土に上陸が許されるわけじゃないから、俺らからするとかなり違和感はある』
とかいってる
>>75の事実誤認を指摘してるだけ。
だから
>>79の言ってることには賛同する。
ただ、きみも
>>76の後半だけ見て吠えついてる。
改行までして『ついでに言うと』と前置きして、本題ではないと書いてるのに
そこだけ取り出して横槍されても迷惑。
とはいえ、
>>82の江戸時代には出島をquarantineと言っていないという話で
議論をするまでもなくquarantineの話題をする意味がなくなったわけだけど、
双方に不快がないように一応書いとく。
84 :
天之御名無主:2012/02/17(金) 11:04:25.66
わー、話追えねえw
85 :
天之御名無主:2012/02/20(月) 18:34:54.41
>>63 ビデオ取っといたんで、あとで軽くまとめてレスします。
86 :
天之御名無主:2012/02/25(土) 12:39:53.20
水上生活を理想としたのが、アメリカの夏目漱石、Mark Twain。
彼は元々ミシシッピー河を航行する水先案内人で、水深チェックの掛け声をそのままペンネームにした。
『ハックルベリー・フィンの冒険』は、舟で河を下りながら逃亡する話だけど、
陸上生活のルールから解き放たれて、川の上で自由な暮らしをすることを理想とする、彼の考え方がよく現れている。
>>36 杭上住居とか高床住居とかかな
どっちも英訳するとpile dwellingだけど
88 :
天之御名無主:2012/03/03(土) 14:23:04.39
金柄徹 著『家船の民族誌』は、このスレ的には必読。
巻末の参考文献も充実しているので、とりあえず抑えて置いた方がいい。
89 :
天之御名無主:2012/03/03(土) 23:30:20.36
>>87 今日、『南アジアの漂海民―漂海民と杭上家屋民』って本を見つけたけど、杭上家屋って言葉があるみたいだね。
>>37 600の言うところの水草派がわからん
住居じゃなければアテスカのチナンパが当てはまるんだろうけど
あれは湖上を畑地として利用するだけで
住居自体は周辺の陸地か干拓地、埋立地に作るからなあ
92 :
天之御名無主:2012/03/04(日) 14:05:02.80
チチカカ湖の話とか?
93 :
天之御名無主:2012/03/04(日) 19:12:12.69
つげ義春の弟が『舟に棲む』って漫画描いてるみたいだけど、誰か読んだことある人いる?
あれは売れない作家が手に入れた普通の舟に逃避する話だから
ここで話題にするような話はあまりないよ
95 :
天之御名無主:2012/03/04(日) 21:04:28.07
そうか。。
つげ義春の漫画は好きで、昭和3、40年代の風俗がよく分かったりするんで、
そんなのだと面白いとは思ったんだが。
96 :
天之御名無主:2012/03/05(月) 22:23:51.67
>>14 >昔の倭寇と水上生活民って、ほとんど似たようなものというか、
というか、元祖日本の水上生活民が倭寇でしょ?
97 :
天之御名無主:2012/03/08(木) 19:56:53.05
倭寇以前の時代にもいたんじゃないの?
もちろんいたよ。
だから日本史学会では十三世紀に突如として活発化した倭寇の原因を
海民に求めることはあまりない。
前期倭寇はどちらかと言うと九州の在地領主による大陸での略奪行為。
背景には元寇の被害による労働力や物資の不足、中央の統制力の低下などが挙げられてる。
99 :
天之御名無主:2012/03/10(土) 17:21:17.70
松浦党は海民じゃないの?
松浦党を結成しているのは肥前の宇野御厨を基盤とする武士。
彼らの領主の地位はその地の根本開発領主であることに由来するから
彼ら自体は海民ではない。
もちろん支配下には多くの海民がいて他の武士団と比べると海洋的性格が強いけど、
だからといって海民そのものではない。
>>100 九鬼氏みたいなもんかな?
海民を統率したがもともと地上勢力ということで
103 :
天之御名無主:2012/03/11(日) 21:30:31.81
塩飽の何を訊きたいんだかわからん
>>98ならわかるのだろうかw
105 :
天之御名無主:2012/03/11(日) 23:16:12.28
多分、
塩飽の漁民達=海民
その塩飽の漁民達が倭寇に変貌したことに対する見解は?
という意味では?
>>102 里見氏も忘れないで
あとは村上水軍とも関わり深い河野氏とか
107 :
天之御名無主:2012/03/15(木) 22:56:25.37
今日、NHKの番組でハウスボートやってた。
アムステルダムには住居として認められたハウスボートが約1000隻。
ガス、電気、水道完備で郵便も届く。
元々は土地不足から行われたものの、現在ではむしろ憧れられている住居らしい。
108 :
天之御名無主:2012/03/17(土) 13:08:13.07
109 :
天之御名無主:2012/03/21(水) 13:56:56.27
110 :
天之御名無主:2012/03/22(木) 18:54:26.78
111 :
天之御名無主:2012/04/07(土) 11:29:32.22
112 :
天之御名無主:2012/05/04(金) 21:39:27.15
>>83 Quarantineを書いた者だけど話がながくくどくてよくわかんない。出島は単なる
検疫居留地。歴史家って伝染病の話すると嫌がる。戦争の話すると興奮する傾向が
あるね。何でも軍事に結びつける人いる。
113 :
天之御名無主:2012/05/04(金) 22:49:33.89
>出島は単なる検疫居留地
どこがだよ?
114 :
天之御名無主:2012/05/04(金) 23:11:48.21
>>112 >>82 >カピタンを務めたイザーク・チチングの書簡が弘文館から出ているが、それらによる限り、
>残念ながら当時のオランダ人は出島のことをquarantineとは言っていない。
>Nagasaki Mercantile oprichting(長崎商館)とかDejima(そのままだw)と言っている。
>つまりquarantineは後世になって歴史研究の中で使われる学術用語であり、
>当時の一般的な言葉ではなかったということ。
>>112 少なくとも誰も戦争の話はしてないし軍事にも結びつけて無いだろ。
117 :
天之御名無主:2012/05/05(土) 06:49:31.25
>>115 高鉾島の検疫所というのは何時の時代の話か1600年代〜1800年代まで200年
あるんだけど?
118 :
天之御名無主:2012/05/05(土) 06:55:07.99
私はミッションスクールに6年間いたが卒業生でクリスチャンになった人は
いない。キリスト教の授業を受けても誰もいないということはキリスト教布教
ではなく別なものを持ち込んだとみるのが普通じゃないか。
119 :
天之御名無主:2012/05/05(土) 08:44:18.96
なんのこっちゃ?
陰謀論?
120 :
天之御名無主:2012/05/05(土) 09:17:37.89
アメリカ人の宣教師で変なのいたの覚えている。
121 :
天之御名無主:2012/05/05(土) 09:51:45.24
それが何かこのスレに関係あるのか?
122 :
天之御名無主:2012/05/05(土) 15:47:43.07
ない。
ミッションスクールの卒業生で改宗した人がいなかったから
戦国時代の日本でキリスト教の布教が成功したはずないってすごい理屈だよな
124 :
天之御名無主:2012/05/05(土) 19:15:44.98
自分の身辺と全世界の大きさが等しい人間なんだろう
125 :
天之御名無主:2012/05/06(日) 05:56:57.26
126 :
天之御名無主:2012/05/06(日) 16:25:05.28
近所にクリスチャンで有名な方がおり死んだら先祖代々のお寺の御墓に入ったよ。
本人の経っての希望だったって奥様が言ってた。
ここはお前のブログでも日記帳でもないんだけどね
昭和40年代までは淀川にもいたぜ
129 :
天之御名無主:2012/05/06(日) 18:10:32.22
何が?
130 :
天之御名無主:2012/05/08(火) 20:03:50.46
フランスにも水上生活者いる。固定資産税、家賃がいらないので安上がりだってさ。
131 :
天之御名無主:2012/05/08(火) 22:10:21.20
132 :
天之御名無主:2012/05/09(水) 15:12:47.84
衛星放送で見ただけ。フランスのバツ三の大統領は籍の入らない事実婚。
フランス人に聞いた。離婚する時の慰謝料が大変なのと、入籍しないと
年金が2人分もらえるというせこい動機らしい。人生「金」。
133 :
天之御名無主:2012/05/09(水) 21:01:07.30
スレ違い
夏場の家船での炊事って熱がこもって大変そうだな。
それとも外に七輪を出したりしてたんだろうか。
135 :
怖い悪魔の動画:2012/05/19(土) 10:24:45.27
136 :
天之御名無主:2012/06/03(日) 13:12:23.45
あげ
テレビ番組で大塚寧々が、モーケンの村を訪ねてた。
スマトラ沖の大地震で、モーケン族は家船の生活を止めて、今はすべて陸上で暮らしているんだって(笑)
138 :
天之御名無主:2012/07/24(火) 23:42:16.54
2004年の地震?
その後も確かテレビで見た気がするけどなぁ
139 :
天之御名無主:2012/07/30(月) 18:11:38.66
トンレサップ湖、昨日、世界の果てまでイッテQでイモトがレポートしてたね。
最近流行りなのか?
140 :
天之御名無主:2012/09/29(土) 00:30:12.55
141 :
天之御名無主:2012/10/09(火) 19:28:35.99
ほしゅあげ
瀬戸内海の家船について詳しい方に教えていただきたいのですが、
彼らの結婚式や出産はどのようなものだったのでしょうか?
(本当は「家船の民族誌」を読みたいのですが、どうしても手に入らないので…)
ネットで検索してみたところ、
「結婚も出産も船の上だった」「子供は船で生まれて船で育つのが当たり前だった」
といった文章があり、陸の農村にあるような妊娠・出産時のタブーは無かったのか?と。
お産で妻が亡くなった時はどうしたのか?
産婆のいない状況での出産となると、奇形や障害の子供が生まれてしまった場合は両親のどちらかが戻したのか?
あと、常に妻や子供が一緒にいる状況だと、風俗・売春業の女性との交際は無かったのか?などなど。
家船衆は自由の民で夫婦の絆が固く常に一緒に海に生きて…みたいな文章ばかりで、
彼らの生活をちょっと美化し過ぎなのではないか?と疑問を感じてしまいましたw
143 :
天之御名無主:2012/10/10(水) 08:13:25.81
『家船の民族誌』、手元のコピーを見てみたけど、出産についてはどうも何も書いてないようだったよ。
関係ありそうな、
・船に住む夫婦漁師
・家船民の女性
という項しか見てないんだけどね。
>>143 レスありがとうございます。
専門書にもとくに記載が無いというのは困りましたね…
現地を訪ねて直接聞いて回るしか無いのかなあ。
なぜ家船の女性の出産が気になったかというと、
宮島の女神、市杵島姫命についての言い伝えを読みながら
ふと思いついた事があって、それを確認したかったんです。
呉市吉浦町の言い伝えによると、宮島の神さまがこの近くを船で通り掛かられた時、
にわかに産気づき、池の浜という浜辺に御座船のもやいを取り出産された、というお話があります。
臨月の妊婦が船に乗っていた事にも驚きですが、更に驚いたのは、陸地に上がる事も無く出産した、という部分です。
陸に上がって産屋を建てたなら、普通は「◯◯に宮島さんの産屋が〜」みたいな言い伝えになりますよね。
ひょっとしてこれは、家船の女性もこのようにして船の中で出産したのではないか?
瀬戸内海のあちこちにこういった女神の出産や、子供を連れて船で通りかかった話が残っているのは、
沿岸部や島の人間にとって、船中出産・船中子育ての光景が珍しいものでは無かったからなのでは…と。
妄想乙、な書き込み連投ですみません。
通常、船乗りは女性を船に乗せることを嫌がったそうですが、家船の女性にはそういうタブーがありませんよね。
タブーを乗り越えても許される存在という事で、海の神に近しい者、あるいは女神そのもの、と同一視されていたのではないでしょうか。
海の女神が嫉妬深く、船に女が乗っていると怒って沈めてしまう、などの言い伝えも、
家船の女性がとても気が強くタフで、家船集団の中で、妻(母)の決定権が非常に大きかった事から由来しているのではないか?とか、
船の中で夫婦生活を営む者からすれば、妻や母以外の女性を船に乗せたら、その女性を巡って男達がトラブルを起こす可能性もあるし、
もし浮気や恋愛などに発展したら、新しい女性によって古い女性が船から追放されてしまう恐れも生まれてしまいますよね。
トラブルを避け一族の結束を弱めないためにも、
厳しい掟を設けて、伝統的に常に夫婦一組で生活するようにしてきたのではないか…
と、そんな事をつらつらと考えてしまっていますw
147 :
天之御名無主:2012/10/11(木) 03:39:59.35
家船に関する本は、他にも何冊かあったはず
148 :
天之御名無主:2012/10/11(木) 10:00:02.36
149 :
天之御名無主:2012/11/19(月) 06:59:34.96
>>144 >現地を訪ねて直接聞いて回るしか無いのかなあ。
それもいいけど、まだまだ文献探しの努力がたりないんじゃないかなぁ。
比較的近所に住んでいるならだけど、フィールドワークは時間も、労力も結構大変だよ。
でも、行ってみて水上生活民について、断片的でもいいから何かこのスレに
フィードバックしてくれるのは大変ありがたい。
150 :
天之御名無主:2012/11/26(月) 00:53:13.18
瀬戸内の家船は
村上水軍と関係があったのだろうか
少しは自分でも調べてから書き込もうぜ
152 :
天之御名無主:2012/12/01(土) 11:03:34.11
153 :
天之御名無主:2012/12/04(火) 20:42:05.98
元祖AV女優の田口ゆかりは東京羽田あたりの水上生活者の出身らしいね、昔イレブンPMで語っていた。
幼少時は極貧だったようで、小学校5年生くらいにはビル清掃のバイトをしていたとか。
中学生になる頃には手の付けられない不良少女になっていて何度も補導されて暴力・薬物・売春と一通りのワルはすませた。
日本では家船生活民はS50年代には皆無となっていったみたいだけど、陸に上がってその後どうなったのか?
田口さんの人生からはいろいろと考えさせられる。
154 :
天之御名無主:2012/12/07(金) 06:06:20.07
>日本では家船生活民はS50年代には皆無となっていったみたいだけど、
そうなの?
瀬戸内や長崎の家船民は、漁業の関係で家船生活をしてるんじゃないの。
一方、東京や大阪の水上生活者は、近世、都市部の運河による舟運の発達で、
水上交通や舟運物流業者として、水上生活者となったんじゃないの。
両者の系統は全く別ものだと思うんだけど。
都市部舟運とはいっても
多摩川やら熊野川といった河川は
材木の筏流の利権があった。
木場(材木商)が呼び込む杣工達が、河川の澪標整備をしているので
利権の塊みたいなもの。
都市部の河川なんか、河川勢力が実効支配してなくて、
材木商と杣工といった深山勢力の実効支配地域なんだよ。
>>155 薪炭は材木商の利権だから
舟運物流業者というのは、河川勢力とはいえない
河川ごとに事情が違う。
澪標は川の下流部の砂州にあるもので内陸部には作らない。
暴論だな。
長瀞にはあるがな
現代のダムのおかげで水位が安定した川の、
観光用の川下りやってるところが実例ですかw
161 :
天之御名無主:2013/09/23(月) 20:16:19.27
>大阪府三島郡島本町の小学校や中学校は、暴力イジメ学校や。
島本町の学校でいじめ・暴力・脅迫・恐喝などを受け続けて廃人同様になってしもうた僕が言うんやから、
まちがいないで。僕のほかにも、イジメが原因で精神病になったりひきこもりになったりした子が何人もおる。
教師も校長も、暴力やいじめがあっても見て見ぬフリ。イジメに加担する教師すらおった。
誰かがイジメを苦にして自殺しても、「本校にイジメはなかった」と言うて逃げるんやろうなあ。
島本町の学校の関係者は、僕を捜し出して口封じをするな
>島本町って町は、暴力といじめの町なんだな
子供の時に受けた酷いイジメの体験は、心に一生残る後遺症になるなあ
トンレーサップ(カンボジア)
バサック川(ベトナム・アンザン省)
奥メコン(ベトナム・カントー市)
どこでも見られるよ。普通に観光コースに入ってるし。
書き込めるか?
164 :
天之御名無主:2014/02/02(日) 00:07:09.79
サンカとは「サンカと呼ばれる各種の職業」をしている人々をさす言葉です。
家船の人々とは「船に寝泊まりしながら魚をとる仕事」をしている人々です。
サンカの顧客は農村部の人々ですから、彼らは山奥になど決して住みません。
広島の家船の人々は漁業権の隙間をついて漁業を行い、長崎へも行きました。
高度経済成長とともに姿を消しましたが、まだまだ経験者は多数存命ですよ。
サンカスレにお帰りください
166 :
天之御名無主:2014/11/06(木) 08:45:39.22
あげ
167 :
天之御名無主:2014/12/31(水) 07:31:00.97
過疎りすぎ
168 :
天之御名無主:2015/02/05(木) 06:24:27.78
父親が、海上船ぐらしをする町の教師をしてた。
昔は、学校に来させてくれなくてたいへんだったみたい
169 :
天之御名無主:
サンカは出雲族の諜報破壊活動(スパイ、テロリスト、ゲリラ)をしていた者たちをさして、
天津罪、国津罪に列挙される事柄は朝飯前の仕事。
妻ゴメは敵対者たちの婦女子を強姦する行為。
大祓詞の中で、国津罪の母親の目前で娘を、娘の目前で母親を、更に同時に強姦する行為が妻ゴメ。
その他のおぞましい行為一切を
スサノオ尊が詠んだとされる我が国最初の和歌は
自分の傘下のサンカにこれらの非道な行為を停止させた命令、法律(=八重垣)