1 :
名無しさん@あたっかー :
01/12/31 02:10 新制度派アプローチってなんですか?いろんな理論があるんですか? 実はレポートで新制度派アプローチを用いた事例研究(どの理論を使っても可) を書いてこいっていうのがあって・・・ 入院してて大学いけてないし 友達一人もいないしで わかるかたいましたら簡単に教えてもらえないでしょうか
2 :
名無しさん@あたっかー :01/12/31 02:18
簡単にでいいならネットで答探せると思うが。
3 :
名無しさん@あたっかー :01/12/31 02:21
探してみたんだけどチンプンカンプン 新制度派アプローチと理論っていうのが結びつかない
4 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう :01/12/31 02:24
新制度派と一口に言ってもいろいろあるんだよ。 それこそ経済学でも社会学でも政治学でも法学でもいろんな分野で独自に発展してきた。 あんたの所属学科とその講義の名前、そのレポートの内容についてもっと詳しく言ってもらえんと。
5 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう :01/12/31 02:25
といっても、学部レベルで出てくるのはコース=ウィリアムソンの取引コスト分析だろうけど。
6 :
名無しさん@あたっかー :01/12/31 04:41
旧制度派と新制度派の大きな相違点はどこにあるんでしょうか?
経済学部です 講義は先生が4回も変わる変わった講義で、一人の先生につき4回の授業です 僕は一月入院したため一回分とんでしまったのです そして掲示板に書かれていた、レポートの課題は新制度派アプローチを使った事例研究 (どの理論を使っても可)と書いてありました。 もう本当にどうしていいのやら
自分で調べろボケ。 それにここは経営学板じゃ。
9 :
名無しさん@あたっかー :01/12/31 14:31
つうか、ここにいる人はみんな知らないずら。
だから、
>>8 のような回答しかできないずら。
10 :
名無しさん@あたっかー :01/12/31 14:36
板違い&教えて君&要点不明
14 :
名無しさん@あたっかー :01/12/31 19:23
経営学や組織論だったら、制度的視点を、どのように「行為の理論」 に落とし込んでいくかというところがポイントだね。つまり、制度化 のプロセスが、どう人間や組織の行為に影響を与えるかを理論化する わけだ。 具体例でいけば、何故多くの企業がこぞって新しい経営手法を盲目的 に導入しようとするのかを考えてみよう。それは、本来は業績向上の 目的で開発された手法(例えばBPRやSCM)が、世間に広がって いくにつれて、いつのまにか導入すること自体が制度になっちゃって、 効果がある無しに関わらず、従わなければならなくなるんだよね。
15 :
名無しさん@あたっかー :01/12/31 19:34
>>14 導入を制度として捉えられるほど、
企業組織、特に経営戦略部門は柔軟ではない。
16 :
名無しさん@あたっかー :01/12/31 20:09
>>14 それって制度派組織論でしょ?
そんなに難しい話が学部のレポートで出るとはおもえん。
せいぜい取引コストアプローチでしょ。
>>15 導入自体が制度化されるていうことは、
組織における意思決定がいかに硬直的なのかをあらわしてるんだと思うが・・・。
>>14 すげぇうまい要約。
感動したー
>>15 硬直っつーか、レジティマシをどう確保するかとゆーところが、
実は効率性よりも重要ってゆー。いいたいことはわかるよー
19 :
名無しさん@あたっかー :02/01/04 04:46
あげがが
>>17 ディマジオ&パウエルですよね。環境の不確実性や曖昧さが大きくて、ゴミ箱理論でいわれるような目的やら因果関係やらがあいまいな状態では、
何をやったらいいか誰も分からないから、うまくいってそうな戦略や組織形態を採用すること自体が環境適応的になるんだということですよね。
ちょっと思ったんだけど、これってジャック・ウェルチなんかが「ベストプラクティスを採用せよ!」みたいな
ことをいう場合にも当てはまるかな?ベストプラクティスの踏襲も同型化(アイソモルフィズム)現象といってよいかな?
制度派、勉強中につきage。
>>20 典型的にミメチック・アイソモーヒズムの例かと思われー。
22 :
名無しさん@あたっかー :02/01/04 17:25
研究者が唱える場合には、現象であっても、その背後に アカデミズムが要求する普遍性が求められるが、 ジャック・ウエルチは、その現象の正当性や普遍性を証明する 必要はない。そこがまったくの違い。
23 :
名無しさん@あたっかー :02/01/04 17:30
>>21 22補足。
ちょっとミュさんの見解とは異なる。
だから制度と認識するのは間違い。
GEは、IBMをベンチマークして、
いくつかのことを学ぶのだけでれど、
それは制度ではなくて、IBMだけが持っていた
唯一の「例外」を学んだのに過ぎないからだ。
24 :
名無しさん@あたっかー :02/01/04 17:40
新制度派組織論は、組織エコロジーと対比させて捉えると面白いと 思う。何故なら、前者は何故多くの組織が似たりよったりになって くるのかという問いを追求しているのに対して、後者は、何故異な る形態の組織が出現してくるのかという問いに基づいている。 つまり、前者は、複数の組織を同質化させようとする力を、後者は 複数の組織を多様化させようとする力を考えるアプローチなんだよ ね。この2つの視点に基づいて事例をよく研究したり、実証データ を分析することによって、2つの力のダイナミズムについて有意義 な洞察が導かれるかもしれないね。
>>23 わたくしの理解ですと、新制度学派の面白いところは、
制度(institution)というコンセプトとゆーより、
制度化(institutionalization)のほうだと思っとります。
つまり、制度化の流れ、プロセスのなかで、
たとえばウエルチみたいなひとは、
一個のエージェントとして捉えられております。
そこに分析の焦点があたっているわけではなく、
むしろ議論の最小構成単位としての扱いを受けているものと思われます。
そして、全体としてのマクロなパターンがどう出現するのか、
というメカニズムこそが、中心的関心なのではないでしょうか。
(もちろん、個々のエージェントがどういう意図をもって、
そう行為したように行為したのかを了解することは、重要です)
iron cageの論文も、beaurocracyでわなくて、beaurocratizationの
メカニズムを明らかにする問題意識のもとで、レジティマシに注目していたわけで。
とりあえず、ギデンズ的なメタ理論との関連で捉えると宜しいのでわ、
と提案させていただきます。他の解釈もあるかもしれません☆
>>24 >後者(組織エコロジー)は複数の組織を多様化させようとする力を考えるアプローチなんだよね。
これはよく聞く話なんだけど、おれは本当かな?といつも疑問に思ってます。
単に、もともとあった多様性がいまここで淘汰されている最中だから、
あたかも多様性が存在するように見える」だけなんじゃないかと。
すなわち、なぜ異なる組織が「ある」のか?(「出現するのか」ではない。)を問うているのです。
いわゆる岩井克人の『』に「パンダの親指」という話があったんですけど、
結局目に見える組織の多様性というのは、使わないけど淘汰圧力とは関係ないために残った「パンダの親指」みたいなもんだと。
・・・続き。 多様性の源泉というのはいわゆる「突然変異(variation)」だと思うんだけど、 ポピュレーション・エコロジーにとって変異というのはあくまで説明の外生変数であって モデルの中では説明できないと思うんです。 もっともポピュエコじゃなくて、より広い意味での「組織エコロジー」であれば、 変異をモデルの中に取り込もうという努力はなされてますよね。 予期せぬ失敗とか、外部コミュニティーからの輸入とかどれも苦しいですけどね。 しかし、おれの認識が間違っているかもしれないです。 もし俺が知らないモデルで多様性化する力をモデル化しているいい論文があったら教えてください。
>>26 あ、書いてなかった。
岩井克人の『ベニスの商人の資本論』です。
長文すいません。ていうか制度論と関係ないし(w
秀逸です。萌えました。
長々とスンマソン。場がしらけたかも。 ところで、皆さんはギデンズの構造化理論をどんな本で勉強されましたか? 制度論を理解するにはやっぱり必須なのでしょうか???
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>>30 たまには正論を述べるひとも必要なのです。
それが2chの多様化の源泉(藁
社会学を生業にしてるわけでわないので、ちゃんと読んだことない(ぎゃー<ぎで
有斐閣アルマので、平易な学説史の教科書があったけど、あれ面白かった。
(書名は忘れた。本棚にあるが、探すのだるい。ぎゃー)
ところでわたくし、構造化うんちゃらってのについては、
諸手をあげて賛同するわけじゃないんです。
なんか変な匂いがする。あれ。
詳細については言明を避けますが。(ぎゃー
>>30 日本語で読むのであれば『社会学の新しい方法基準』が良いと一般に
言われているそうです。
(ただし、ギデンズを勉強した社会学の人に話を聞いただけで、僕は
恥ずかしながらまだ読んでいません。)
英語でだったら、The Constitution of Society.1984.が、
制度理論の論文ではよく引用されているようです。
制度理論とギデンズ構造化論との関連については、
確か、ディマジオ&パウエルが「組織フィールドの構造化」について、
構造化の定義をギデンズのそれに求めていたと思います。
(例の「鉄の檻」です。ただし、スコットによると、彼らはギデンズ
よりもより狭く定義しているようですが)
制度理論の研究にあたって必須かどうかは僕には分かりませんが、
時間に余裕があれば、押さえておくに越したことはないと思われます。
34 :
名無しさん@あたっかー :02/01/08 22:14
>>32-33 やや、レスどうも。おれも『新しい方法基準』を買ってぱらぱらと目を通したんですけど、
これが構造化理論だ!という書き方はされてなかったんで自分ではよく分からなかったです。
35 :
名無しさん@あたっかー :02/01/08 23:38
>>34 別冊宝島の社会学入門にギデンスの訳者がチョー簡単に書いていた気がする。
でも必要十分な説明ではないかも。けど、構造⇔行為が基本じゃないの。
36 :
名無しさん@あたっかー :02/01/09 10:37
1さんのおっしゃる新制度派アプローチは、おそらく新制度派経済学なの でしょうが、日本の経営学の論文でもちらほらと見受けられるようです。 (『日本経営学会誌』や経営学史学会編の論集を参照。 ・・・あ、所属学会がばれてしまう) そして今この板で書かれているDiMaggio & Powell等のアプローチも 新制度派なのですが、これは社会学ですね。 経営学が、経済学や社会学や心理学など基礎学問に立脚している応用学問 であることを考えると、こうしたアプローチの乱立も仕方のないことかも 知れません(まるで移民国家のようです)。だからこそ面白いと言えます。 (個人的には、私も、最近の新制度派経済学の流行には少し食傷気味です) 1さんについては、ちょっと可哀想な気もしますが、もういいでしょう。 さて、DiMaggio & Powell等の新制度派アプローチについてですが、 呼び名が必ずしも統一されてないようです。 ある時は「制度理論」、又あるときは「新制度派組織論」、さらにある ときは、「新制度派の社会学的変種」と呼ばれたりもしてます。 どう呼べばよいのでしょう?
一番無難なのが、「新制度派組織論」といったところでしょうか・・・。
ところで、
>>6 >旧制度派と新制度派の大きな相違点はどこにあるんでしょうか?
社会学的組織論でいうと、前者はマートン、セルズニック等の機能主義を、
後者はバーガー&ルックマンの知識社会学(もしくは現象学的社会学)を
アプローチの基礎にしてます。
前者は規範的な枠組みで、後者は認知的な枠組みで、制度化を捉えてるようです。
(新制度派のアプローチ勉強中につき、再びage)
>>38 >新旧制度派
ああ、そうだったの。
勉強になったー
そーなるとネオのほうの強みも弱みももはや明らかですな。
40 :
名無しさん@あたっかー :02/01/16 23:07
やっぱ勉強するんだったらスコットの『制度と組織』?
>>39 そういわれてみると、僕は新制度派についてあまり長所や短所を
きちんと自覚して勉強してこなかったので、よく分かりません。
新制度派はどういった強みと弱みがあるのでしょうか?
もし良ければご教示下さい。
>>40 ですね。ちなみに日本語訳も出ているそうです。
でも僕はあれを予備知識もなく最初に読んで、頭が混乱しました。
スコットって何でもかんでも取り入れようとするから、
かえって制度理論が何なのか訳分からなくなるんですね。
僕はやっぱりPowell & DiMaggio (1991)の
New Institutionalism in Organizational Analsisがベストだと
思うのですが、誰か他によいテキストがあれば、ご教示下さい。
>>41 下手に鵜呑みにすると、
「すべては絵空事です」ってことを肯定してしまいやしませんか。
ホントに組織って客観的現実からは自由なの?ってところで、
われわれそこまで楽観的にはいられないでしょう。
客観的現実と思われるような部分と、人間の認識に依存する部分とを、
どうバランスさせて議論するかってのが、かなり困難な作業で、
そこに首を突っ込むとかなり危険。以上が自分の実感。
社会学でも現象学的なアプローチで、知識社会学ってのがあるらしいが、
彼等自身が方法論的に行き詰まりを感じてるって話もあるらしい。
あと、民族誌的な分厚い記述をやろうにも、
経営学だと、かなり苦しいだろうと思う。
対象の理解がえられ難いから。
やってやれないことじゃないけども、
最初からリサーチャビリティはかなり低いよね。
44 :
名無しさん@あたっかー :02/01/17 04:55
>New Institutionalism in Organizational Analsis これって論文集ですよね。全部読むのは(;゜д゜)キツー
45 :
名無しさん@あたっかー :02/01/17 14:01
>>43 あくまで理論の組み立て方でどういう前提を置くかの問題であって、
この世を正確に映し出す鏡を作っているわけではないのでよいので
はないでしょうか。
組み立てられた理論は、いちおう経験と照らし合わせて妥当性を吟
味するわけで、その際には、とりあえず客観的とみなされるデータ
を使いますね。
ところで、制度派経済学の、例えば取引きコスト理論の方は、実証
研究をあまり見たことがありませんが、どのような実証が有名で、
理論の妥当性は確認されているんでしょうか???
>>44 あれって、確かかなり広範囲な領域をカバーしてますよねぇ。
全部読んでもしゃーないかも。(w
>>45 もちろんそのとおりです。
ただ、私が申し上げておりますのは、
妥当性の吟味についてではございませんで、
説明対象である当の組織行動なり個人の行動なりのなかで、
現実を自ら作り上げている部分と、
現実に制約されたり支援されたりする部分を、
どう論理的に組み込むかということです。
もちろんどんな理論も全てを包括する必要はなくて、
自らの視座に依拠する限りで照らし出される側面を、
それなりの経験データでサポートしながら議論するわけです。
ただし、矮小化された仮説なり前提なりに依拠する限り、
その後の議論のうそ臭さ、つまらなさは避けがたく、
たとえばiron cageの読後感のなんともいえない歯痒さを考えると、
もう少し工夫する余地がありそうだと思わずにはいられません。
ただその工夫が異常に困難そうだというのが、
43の趣旨でございます。
具体的に申し上げますと、例えば技術の社会的構築論があって、
これも現象学的アプローチにもとづいているといえるでしょうが、
現実の技術者や研究者にその趣旨を説明しても、
猛烈な反発を食らいます。
当然お互いの前提が違うんです。
どちらが正しいとはいえない。
ただ、お互いの議論のかみ合わなさは、
われわれ自身の努力によって埋めていかねばならないのに、
それがえらく難しい。伝わったでしょうか?
47 :
横からスマソ :02/01/17 17:49
>>46 >技術の社会的構築論
これってどんなものですか?
もしかして、例の『知の欺瞞』で槍玉に上がったBruno Latourの『科学が作られるとき』なんかに関係あるんでしょうか?
行為者ネットワークの中に、人間様だけではなく、実験器具や機械も参加させて、それらの交渉の中で実験結果が構築されるという。
そうだとしたら構築主義の極北ですよね・・・そりゃ技術者には反発を食らうと思ワレ。
議論の流れとは関係なくてスマソ。
>>46 >説明対象である当の組織行動なり個人の行動なりのなかで、
>現実を自ら作り上げている部分と、
>現実に制約されたり支援されたりする部分を、
>どう論理的に組み込むかということです。
両者は明確に区切ることはできなくて、グラデーション
になってしまうかもしれないけど、それを前提としたう
えで、論理的に両者を組み合わせることはできるのでは
ないでしょうか。例えば人間の生物学的認知限界という
のは後者に該当し、それを利用して前者のプロセスを説
明するというように。
>具体的に申し上げますと、例えば技術の社会的構築論があって、
>これも現象学的アプローチにもとづいているといえるでしょうが、
>現実の技術者や研究者にその趣旨を説明しても、
>猛烈な反発を食らいます
もう少し説明していただけませんか?何故反発を食らう
んですか?
>>47 そのあたりだす。
ラトゥールはフランスの研究者だから、
欧州的な知的伝統にどっぷりなのでせう。
主意主義の嵐。(w
>>48 認知限界というので良いと思います。
そこからどうやって経験データに対応させられるぐらいの
中範囲な命題を導出できるかですよね。
研究者としての腕の見せ所なんでわ。
科学史の有名な事件があって、
ある歴史のジャーナルに物理学者が投稿したらしいのですが、
それがアクセプトされて掲載された直後に、
当の投稿者が、
「あれは全部嘘でした。歴史家の科学の理解なんて、その程度か。」
と再投稿しただか何だかでえらい騒ぎになったらしい。
研究対象である自然の客観的存在、
科学者の思考の合理性、
科学技術の進歩の線形性みたいなものを、
けっこう純粋に信じているんですよ。
いつの間にかレスが増えている! みゅさん、ご教示ありがとうございました。 新制度派組織論の制度化の概念が「認知的」な枠組みにある以上、 結局のところ、方法論としての、 主観的アプローチと客観的なそれとの相克の問題は常に残ると思います。 そして確かにこの問題はそう簡単に解決されるものでもないですね。 新制度派組織論の文献を見ていると、 僕の知る限りでは余りその問題には触れていないようです。 新制度派組織論が制度化概念で依拠しているバーガー&ルックマンが、 主観と客観とに対し既に弁証法的に(かつ折衝主義的に)折り合いを つけているということに(一応は)なっているので、 だからもう触れたがらないのでしょうか…(疑問)。 むしろ新制度派は、認知的な枠組みの「強み」を活かしての、 14さんがうまくまとめられたような、環境内の制度的諸要素の影響や そうした制度的諸要素の形成プロセス、さらに同型化などの検証に 忙しいようです。
そうか、バーガールックマン読まなきゃダメか・・・うざ(爆 あまりのつまらなさに挫折したんですわ。(w
確かにあれを読むのは辛いですね。 延々あの調子なので・・・。僕も現在挫折中です。 ただ、制度理論の中でも、「バーガー&ルックマンが」と言って いるのは、Zucker等少数のミクロ・アプローチの論者ぐらいで、 主流はやはりマクロ・アプローチのようです。 (レビュー以外でのバーガー&ルックマンの引用は、少ないと思います) マクロ・アプローチの方が検証しやすいというのもあるのでしょう。
53 :
名無しさん@あたっかー :02/01/29 00:03
佐藤郁也?という人の「演劇」の組織に関する研究は制度派にもとづいているようですね。 目次と参考文献だけ読んだ。 日本の研究者で他にも制度派を導入しているひとはいるかな?社会学の人が多いのかな?
制度理論に関する日本初の著作としては、 横山知玄(2001)『現代組織と環境の組織化』。 経営学部に在籍する社会学の人のようです。 あとは、散発的かつ断片的に、紹介的な論文が見受けられる程度です。 日本ではまだまだ導入段階です。 関西在住の方、よかったら一緒に勉強しませんか? ただし、僕と勉強しても就職には何の得にもなりませんが...。
ただ、組織エコロジー論の例を見ると、海外でどんなに一定の評価が あった研究でも、日本では邦訳本が出ない限り、研究が普及しないと いうリスクはあります。 例えば海外では、現在、Weickよりも制度派の文献の方が盛んに見受 けられますが、多くの日本人研究者は、邦訳のあるWeickをいじって います。 もちろん、人の研究関心に対し文句を付けているのではありません (でも、Weick研究者からの制度派への言及をささやかに希望してます)。 そうした研究関心がいかに「制度化」されてきたのかに興味があるだけ です。 ある理論の導入・普及は、純粋にその理論に対する道具的な関心ももち ろんその理由としてあるけれども、ただそれだけではなく、 有力なセンセイ方というエージェントの意向にも左右されるのでしょう。
56 :
名無しさん@あたっかー :02/02/04 03:21
保守あげ
>>54 そんなことないですよ。ずいぶんと前から、制度論という括りではなくて、
きわめてオリジナルなアプローチから、実質的に制度論的研究を、
やっていた人はいます。
>>57 そうなんですか。僕は気がつきませんでした。
しかし「制度化」というアプローチの汎用性の高さを考えると、
「あの研究は実は『制度論』として位置づけることも可能」
という研究は結構あると思います。
ある意味、経営学は組織の制度化を実践的に志向する学問といえます。
他に、テーマとして例えばどういった研究が挙げられるでしょうか?
59 :
名無しさん@あたっかー :02/02/10 19:43
起業プロセスの社会学的アプローチ:ポビュレーション・エコロジーと制度理論 慶應義塾大学商学会『三田商学研究』1998.12
60 :
名無しさん@あたっかー :02/02/12 01:32
>>60 磯辺剛彦
ようやく今日、ざっと読んでみました。
「起業プロセスに関する研究をレビューしましたが限界があります。
この限界を克服するためには、制度理論の言うように、制度的要素や正統性、
そしてマクロ社会的要素への注目も大切なので、少しだけ紹介します」
という内容だと理解しました。
制度派(の見習い)としては、ここで制度化におけるパワーや主体的行為
の役割に関する議論、また制度理論家による実証論文をもう少し引用すれば、
より面白い展開が期待できるのでは、と思いました。
これに関連してあと一つ、気になったのは、 組織エコロジー論(組織の多様化)←→制度理論(組織の同型化) という対比についてですが、この対比は誤解を招く恐れがあります。 両理論とも、多様化と同型化の双方について論じています。 DiMaggio and Powell(1983)のIron Cage論文では、そもそも、 そうした変化を導く要因として、 初期の組織エコロジー論が(競争的要因)を強調していたのに対抗して、 われわれは(競争的要因+制度的要因)を強調するのだ、という主旨 だったと思います。 その後、組織エコロジー論は組織の生存と淘汰を説明するため、 制度的要因への言及を増やし、徐々に制度理論へと接近していった というのが、80〜90年代のマクロ組織論の流れだったと思います。
そうだにょ! ポピュエコ = 競争圧力に基づく異種同形化 制度派 = 組織間の相互作用(構造化)に基づく異種同形化 多様性が生まれるのは環境と組織の関係がルースカップリングな場合だにょ(Aldrich, 1979)。
64 :
名無しさん@あたっかー :02/02/23 09:18
>ポピュエコ = 競争圧力に基づく異種同形化 そう単純じゃないやろ。 たとえば、違うものを餌にしていくことによって、同じ環境でも 異なる種類の組織が同時に生息するようになってくるようなこと も論じてる。ほかの組織が食べてない餌を見つけていくことによ ってどんどん多様化が進むことも考慮すべきやろ。
65 :
名無しさん@あたっかー :02/02/23 10:08
>>64 リソース・パーティショニングという奴ですな。
>>65 ハナン&フリーマンやキャロルがあげている限りでいえば、
環境に対して起業が採りうる戦略の類型は、
r-K戦略と、スペシャリスト‐ゼネラリスト戦略の4つぐらいではなかったかにょ?
そのたった4つの違いをいわゆる多様性と呼んでいいのか、私には疑問だにょ。
それに、ポピュエコの立場から考えると、そのように別のエサを食っていくことを
選択した企業群は、それぞれ別のポピュレーションとして扱い、
まったく違った淘汰圧力によって支配されるのだと考えるのがポピュエコ流だと
思うのだけど、いかがかにょ〜?
>>66 >環境に対して起業が採りうる戦略の類型は、
...の4つぐらいではなかったかにょ?
そのたった4つの違いをいわゆる多様性と呼んでいいのか、私には疑問だにょ。
組織エコロジー論について僕はよく知らないのですが、
多様化の焦点は、「戦略」ではなくむしろ「組織構造」であって、
「組織構造の多様化を生み出す組織戦略として4つの類型が考えられる」、
ということなのではないでしょうか?
そう理解すれば、なぜ組織エコロジー論が、「戦略」の選別・淘汰よりもむしろ、
「組織」の選別・淘汰を説明しようとするのかが、より分かりやすくなるからです。
>>66 >r-K戦略と、スペシャリスト‐ゼネラリスト戦略...
制度理論の弱点は、こういう諸戦略の類型化にほとんど注意を払ってこなかった
ことなんですね。
とても興味があります。
もし宜しければ、それぞれどういう戦略なのか教えてください。
>>67 >とても興味があります。
>もし宜しければ、それぞれどういう戦略なのか教えてください。
後で読み返してみると、
>>59 にそれぞれ整理されていました。
>制度理論の弱点は、こういう諸戦略の類型化にほとんど注意を払ってこなかった
>ことなんですね。
オレモナー。すみません、逝ってきます。
69 :
名無しさん@あたっかー :02/03/11 12:29
>それに、ポピュエコの立場から考えると、そのように別のエサを食っていくことを >選択した企業群は、それぞれ別のポピュレーションとして扱い、 >まったく違った淘汰圧力によって支配されるのだと考えるのがポピュエコ流だと >思うのだけど、いかがかにょ〜? いや、そのエサっていうのも、別の企業群のエサと関連しているとか、 または、別の企業群の糞が他の企業群のエサになったりと、相互依存の 関係にある場合が多いから、特定の企業群だけを独立したポピュレー ションと見ることには問題があります。 >>制度理論の弱点は、こういう諸戦略の類型化にほとんど注意を払ってこなかった >>ことなんですね。 >オレモナー。すみません、逝ってきます。 でもね、制度的圧力に対してどう反応するかというのには、企業に選択の 余地があるわけであって、皆一律に同じ行動をとるわけじゃないですね。 そこには、何か分類可能な反応の仕方ってものがあるのではないでしょうか。
>>69 その後調べてみたら、確かにありました。
制度に対する組織の戦略としては、黙従、妥協、回避、反抗、そして操作、
が一般的に見られるそうです。(Oliver 1991)Academy of Manegement Review
私見では、
80年代の制度理論では黙従や妥協が強調されていたようで(組織の同型化等)、
90年代以降の制度理論ではむしろ反抗や操作が強調されているような印象です。
>>69 >いや、そのエサっていうのも、別の企業群のエサと関連しているとか、
>または、別の企業群の糞が他の企業群のエサになったりと、相互依存の
>関係にある場合が多いから、特定の企業群だけを独立したポピュレー
>ションと見ることには問題があります。
そりゃ現実にはそうだろうけど、分析をするにはある程度の単純化が必要にょ。
あなたが言ってるようなサブポピュレーション間の相互作用関係を分析するのは、
コミュニティーエコロジーであって、それはポピュエコの一分野にすぎないですにょ。
私が言いたいのは、Astley(1985)もいってるように、純粋にポピュエコの道具立てだけでは
同形化を論じるのみであって、ポピュレーションのの多様化は説明できないということにょ。
日本ではまだマイナーな理論ですが、
制度理論の勉強のために参考になればと思います。
>>42 ,
>>44 ,
>>46 制度理論のテキストについて、
確かに、Powell & DiMaggio (1991)編集の論文集
『New Institutionalism in Organizational Analsis』
を全部読む必要はないかも知れません。
しかし、この論文集に含まれている初期の4本の論文は−中でも特に、
このスレでもよく取り上げられているDiMaggio and Powell(1983)と、
あまり取り上げられていないけど最重要論文のMeyer and Rowan(1977)は−、
この理論の個性を知るためにも是非読んでおきたい論文です。
73 :
へなへな@ムネオ風味 :02/03/25 22:19
このスレいいっすね。 今日は挨拶だけ・・・・。 失礼。
>>25 ,
>>30 ,
>>40 ,
>>42 さらに、制度理論の最新のテキスト、及びギデンズ構造化論との関連について、
W. Richard Scott著『Institutions and Organizations』の第2版が
2001年に出ました。
(第1版の日本語訳は、『制度と組織』税務経理協会、で出ています)。
ギデンズ構造化論との関連は、特に第2版の方で色濃く出ています。
制度理論を体系的にとらえるためにも、読んでおきたい1冊です。
「ギデンズ構造化論ってどうよ?」的な記述を、経営学関連スレでたまに
見るのですが、僕の周りではあまり聞きません。
関東の方の経営学ではホットな話題なのでしょうか?
また、ギデンズを用いることによって何を説明しようとしているのでしょうか?
もし関心のある方は、お答え下さい。
75 :
名無しさん@あたっかー :02/03/25 23:37
>>72 まいや=ろわんって、どんな話だったっけ?
読んだのだいぶ前だから、
かいつまんで教えてくれるとありがたいー
>>74 んなこたーない。<ほっと
読むといいかも、と思ってはいる。
>>76 かいつまんで言うと、
組織における公式構造の変化が、単に技術的かつ合理的な目的のみからではなく、
しばしばそれとは無関係に、外部の制度的ルールを組織内部へと取り込むこと
からも起こるというものです。
具体的に言うと、
>>14 のようなものですが、
「導入すること自体が制度になる」という解釈は違うのではと思います。
むしろ、そうした制度的ルールを導入することによって組織は制度化され、
そうしたルールが環境内で普及することによって環境は制度化される、
という話だったと僕は理解しています。
組織構造に話を限定する気もないんですが、まぁ、制度学派はそれについて、 一生懸命やってますんで、そういうものとして考えるとして、 環境が構造を規定するとすると、構造の一定限度の多様性はどうなるのか、 という話がまずあって、その一方で、では当の企業の自律的な構造設計能力を どう扱うかとか、ないしは当の企業自身がその環境を変える能力を どう評価するかという話もある。環境ー構造という二項対立のなかで、 現実には構造の多様性というバッファがあると考えることができますよね。 そのバッファが理論の世界では、あまりうまく扱いきれてない。 学問という認識活動が、現実をとかく一面的に捉えてしまいがちななかで、 これをどう克服するかというのが、なかなか面白いと思いますよね。 ミクローマクロ・リンクとかいう最近の社会学的な議論というのは、 こういう論点で考えると位置付けやすいということと、 組織論という領域が、まさにミクロとマクロが出会う場を扱うという意味で、 非常に有用な分析単位を最初から(偶然に)選択しているというのが、 われわれのひとつの利点なんではないか、という風に最近思いますが、どうよ。
79 :
名無しさん@あたっかー :02/04/05 23:58
age
>>78 マクロとミクロとをモデルの中でどう接合するか、
つまり、組織を通じて、また時には組織を越えて、
行為者(個人であれ集合体であれ)と社会(または環境、構造、制度…等)は
どのように相互作用するのか、という視点が社会学的な議論の強みでもあり、
またそう簡単にはモデル化できない難しい課題でもあります。
>組織論という領域が、まさにミクロとマクロが出会う場を扱うという意味で、
>非常に有用な分析単位を最初から(偶然に)選択しているというのが、
>われわれのひとつの利点なんではないか
まさにおっしゃるとおりです。そして同時に、
われわれは多様な学問領域との戦線を拡大しなければならなくなります。
2chの社会学板のような混沌とした状況に陥らないためにも、
われわれは、まず、そうしたモデルが経営と経営学にどう貢献するかを
考える必要があると思いますが、どうよ。
やっぱ、マネージすることなわけですよ。経営学の前提というのは。 人間社会なんて操作できるもんじゃありませんね、 みたいな一種の合意がよその領域では何となくありそうだけど、 現実、その両方でしょ、と。 つまり、人間が何かしようとして動くと、 その結果、そのひとが思ったとおりになる部分と、 そうでない部分があるでしょう、と。 ミクロマクロの話つーのは、そういうことだと思っております。 じゃあ、その両方がどうやって起こりうるのか、という関心が起こって、 それを理解するためのモデルがどうしても必要となる。 で、経営学がマネージすることという観点からアプローチし、 そうでない立場の人は、そうでないアプローチを採用する。 別にあい矛盾する話ではなくて、コラボレートすべきことがらかな、と思う。 すべての議論の出発点は現実なのであって、 いずれのアプローチから議論するかは、また別の話。 それぞれのアプローチが優劣を競い合うならそれはそれで良し。 明示的に協同するなら、それもそれで良し。 経営学のなかで閉じても良いし、そこを超えても良い。 いずれにせよ、何かしらの意味はある。 で、重要なのは、いかにマネージするんですか?というスタンスを、 経営学として貫くことだと思うし、 そうでなければ自分たちにもよその領域にも、 貢献し得ないんではねーの?と思ってやってますねぇ。
82 :
名無しさん@あたっかー :02/04/08 17:22
>すべての議論の出発点は現実なのであって、 >いずれのアプローチから議論するかは、また別の話。 現実というのも単一なものではなくて、多次元的っつうか、 どのパースペクティブを反映したものなのかも重要だね。 だから、絶対的に存在する現実に対してさまざまな視点か らアプローチしていくって解釈してしまうと誤解を招くこ とになるわけで、あるアプローチに手を染めた時点で、す でに、それ独特の現実を扱っているっていうことになるね。 つまり、なんらかのモデルを作っても、現実はそのモデル を映し出す鏡のような役割があって、モデル自体が跳ね返 ってくる。それをもとに実証やったとしても、他のアプロ ーチが扱っている現実とは違うわけだから、共役不能な自 体、というかねじれの関係が続くことになる。
難しい話になりましたね。少し整理しますと、2つの問題があるようです。 一つは、「現実」と「(分析)モデル」との関係をめぐる問題、いわばタテの問題。 この問題をめぐる方法論的対立は、多分終わることがないでしょうが、 (帰納法か演繹法か、唯物論か唯名論か、実体論か解釈論か、客観か主観か、 または「現実は単一的なものか、それとも多元的に存在するものか?」…。) こうした対立に鍛えられながら、社会科学はそのモデルの精緻化を続けてきた のでしょう。 もう一つは、様々なアプローチ間の論争の問題、いわばヨコの問題。 「制度派」といっても、ここで論じられている組織論での制度派もあれば、 取引コスト・アプローチ(いわゆる新制度派経済学)もあります。 新制度派経済学は合理的選択を強調しているような印象を受けますが、 組織論の制度派はむしろ非合理的な側面を強調してきました。
>>81 >すべての議論の出発点は現実なのであって、
>いずれのアプローチから議論するかは、また別の話。
>>82 >他のアプローチが扱っている現実とは違うわけだから、共役不能な自
>体、というかねじれの関係が続くことになる。
同じ「現実」でも、
>>81 は、実体を持って客観的に存在するただ一つの「現実」であって、
>>82 は、社会的に構築された間主観的に存在する多元的な「現実」なので、
ここでもアプローチ間の相違が見られます。
この相違をめぐる議論にこれから突入するにせよ、しないにせよ、
僕はちょっと簡単な例で考えてみたいと思います。
ある一つの問題を現実に抱えている、ある会社を例に挙げると、
部署によってその「現実」の捉え方は様々なものと思われます。
ややステレオタイプに単純化して言うと、
営業マンなら「我が社は問題を抱えている。それは根性が足りないからだ」
人事の人だったら「人員配置がまずい。能力と機会の問題だ」
生産担当者だったら「ともあれ、まだまだコストを切り下げられるはずだ」
という「現実」をそれぞれ認識するでしょう。
この意味で、たった一つのはずの「現実」は、
実は多元的に存在しているとも言えます。
うまいこと言いましたね。 わたしはこれ以上言うことは何もありません。 そこを敢えて。(w 世の中、自分の力だけではどうしようもないことがあるんです。 たとえば、モノは上から下へ落ちるとかね。(w そこを疑ってかかるならば、それは、自分の問題設定に対して、 そういう立場を採ることのコストベネフィットを考える必要がある。 たとえば、この前新聞に載ってて面白いと思ったのは、 KOのある先生が、卵を回転させると直立することを、 数式を用いて証明したとか何とか。 んなこと、たとえば相対性理論使ったところで、意味ないわけですよ。 ユークリッド的な問題空間のなかで考える。それはそれでいいわけで。 何を問題とするか。それを明示して初めて、選択すべき立場の正当化が可能となる。 そういうところを、もう少し言っておくべきでしたかね。 少なくとも、私は存在論的な議論にまで踏み込む気ははない、 そういうことでご了承いただきたい。(w
86 :
名無しさん@あたっかー :02/04/13 00:45
おそらくは、
>>46-48 での、
技術の社会的構築論の話と、その話に対する現場の技術者たちからの反発も、
今ここで論じられている二元論的な対立からきたものと思われます。
>>85 >何を問題とするか。それを明示して初めて、選択すべき立場の正当化が可能となる。
おっしゃるとおりです。それでは、制度理論は何を問題としているのか。
現場の技術者に怒られないよう、その明示化を少しずつ試みてみます。
制度理論は、制度による行為者(個人であれ集合体であれ)の統制、
制約、または支援を、問題としています。
その制度の概念は幅広いものであり、その中には規則や規範だけでなく、
シンボルや、スキーマ等の認知的枠組も含まれます。
そのような制度は、行為者間の相互作用によって生産され、ルーチン化に
よって再生産されます──つまり、制度化されます。
例えば、
>>84 のように、それぞれの部署の人々の価値観やものの見方が
異なることについては、「そのように制度化されてきたから」、
と説明することが出来ます。
またマクロでは、組織フィールドでの組織の同型化も同様と言えます。
そしてマネージする立場に立てば、組織がどのように制度化されている
のかを理解し、そうした制度をどう変革するのかが焦点となってきます。
89 :
名無しさん@あたっかー :02/04/20 01:33
たしかに制度派の議論はマネジリアルな話になりにくい。
ウェブレンの写真見たことある? 髪の毛ちゃんと洗ってるか? って感じしませんでしたか。
91 :
名無しさん@あたっかー :02/04/29 14:44
あー、あのかっぱみたいな髪型ねー
>>89 組織論は、他の「経営学」の領域(例えば戦略論や人的資源管理論など)と比べ
相対的に抽象度が高いため、マネジリアルな実践に直接的には貢献しにくい、
と組織論一般で語って良いのかどうか分かりませんが、
少なくとも、制度派の議論が他の「組織論」の領域と比べ、
相対的にマネジリアルな話になりにくい、という訳でもないような気はします。
確かに、組織論での制度理論はもともと社会学なので、
マネジリアルな問題意識が根底にあったわけではないのですが。
この抽象的な議論をいかにマネジリアルな話へもっていくかについては、
研究者のスタンスと力量の問題なのではと思います。僕はまだまだですが…。
マネジリアルな議論への方向として、例えば、DiMaggio(1991)のように、
組織フィールド内部におけるシンボル操作をめぐる諸組織による利害対立のよう
な研究──Powell and DiMaggio(1991)の例のテキストに収録──などが、
とっかかりとして考えられるのではないかと思います。
もちろん、問題設定をマクロでなくミクロに切り替えることもできるでしょう。
>>90-91 ウェブレンたんハァハァ。ソースをキボンヌ。
(ネット空間におけるスクリプトの模倣的同型化 mimetic isomorphism)
94 :
名無しさん@あたっかー :02/05/02 01:09
>>94 見ました。ありがとうございます。
髪の毛を洗っているのかどうかよく分かりませんでした。
ただ、毛の量は少なそうですね。
でも、なかなか格好いい顔をしてますね。
学者と言うより、ラディカルな実践家のような風貌です。
研究テーマの色彩は、研究者の顔に出るのでしょうか。
ウェーバーはやっぱり悲観主義的に見えます。
>>92 >組織フィールド内部におけるシンボル操作をめぐる諸組織による利害対立
さいきんこれに目覚めちゃった・・
やばそー(TT)
97 :
名無しさん@あたっかー :02/05/05 01:09
そもそも組織フィールドって言うのがよくわからんぞなもし( ゜д゜)
定義上の「組織フィールド」(organizational field)とは、 「諸組織の集合体によって構成される、制度的生活の認識された一領域」 です(DiMaggio and Powell 1983)。 (「組織フィールド」の定義づけについては、DiMaggio and Powell以外の 制度論者も、行っていたと思うので、上の定義は参考程度にしてください) この概念は産業という伝統的な概念にやや基づいていますが、 組織フィールドの範囲には、類似のサービスや生産物を供給する諸組織のみ ならず、その主要なサプライヤー、資源と生産物の消費者、そして規制的 エージェント等の、すべての利害関係者が含まれます。 従来はコンティンジェンシー理論などで「環境」として捉えられもした概念 ですが、「環境」という概念が比較的あいまいであるのに対し、 「組織フィールド」(「組織場」とも訳される)という概念によって 組織間の関係性とその変容を、制度的アプローチに基いて、 より明示的に捉えようとしているのでしょう。
99 :
名無しさん@あたっかー :02/05/16 16:07
なるほど
100 :
名無しさん@あたっかー :02/05/16 16:18
>組織フィールド内部におけるシンボル操作をめぐる諸組織による利害対立 しかし、どんな方法論を使えば、こういうことを研究できるのだろうかと思います。 社会学でいう構築主義の方法を使うことになるのでしょうか。 よくしらないが、言説分析とかいうらしいけど。 あとフーコーの「知の考古学」みたいな系譜学というか、 歴史分析みたいなのをシコシコとすることになるのでしょうか。 ま、なにを研究するかでいろいろあるのでしょうが・・・。 上であげられているディマジオの論文を読んだらわかるかな。
概念レベルのはなしと、現象レベルのはなしを区別すると、 そういう難しさは、ある程度回避できますよね。 概念レベルはめがねを磨き上げること。 現象レベルのはなしは、そのめがねでどう見えるかということ。 この2つの作業を、別個のこととしてかつ並行してやるわけです。 そうすると、方法の差、たとえば、歴史記述か大量サンプルかといった、 よくある方法論争が、それほど深刻なものとはならないと思っているんですけど。 はしょって言いましたけど、どうでしょう。
102 :
とある名無し :02/05/21 15:52
>>101 方法論(めがね)と分析(そのめがねで見ること)を別個に考えると
研究手法の混乱は避けられるというのは、大いに異論あり。
どんなめがねをかけるかという話と、そのめがねで何をどう見るのか
という話は、そもそも相互に依存した話で、なにかしら特定の方法論
(methodology)を選んだ時点で既に分析は始まっているわけ。
方法論の論争は、自分が依拠する方法論の認識論的背景を
明示的に理解しなかったことに起因する。すなわち、認識と分析を
切り離して論じ、認識を規定する方法論を単なる交換可能なツール
としか見ていなかったからだと思う。
だから、概念レベルと現象レベル(この分離もよく分からんが)を区別
すると方法論的混乱が回避されるという主張は、まったくズレた話で
この区別がそもそもの混乱の原因であり、場当たり的な折衷主義しか
生み出さないと思う。どう?
>>102 厳密にいうとそうだと思います。70〜80番台にも同様な議論ありますね。
ただし経験則というか現実の「研究」という段では、
認識と現象の相互依存をどうこうするというよりは、
「自分の時間とエネルギーをどこに注ぎ込むか」という、
計算的な意思決定がどうしても必要になると思ってます。
だから便宜的にどちらかを固定して、もう一方に集中して考える、
という分析的なアプローチをやると。
こうすることのメリットは、「研究」というそもそも複雑な作業を、
かなり単純化して、何とかやっつけられるようにできることではないでしょうか。
相互依存を最初から念頭において、それに適した方法を開発できるならいいです。
それはそれで野心的かつ有意義な作業目標だと思います。
ただ上げ足を取るつもりもないんですが、
「相互依存的です」という言明自体、実は折衷主義だといえなくもない。
哲学レベルでも実証レベルでも、認識と現象のいずれが優位か、というところで、
どうしても折り合いつかない、だから「相互に依存しあってる」って。
ことの本質は、そんなことにはなくって(というかむしろ当たり前で)、
複雑なことをいかに複雑ではないように考えることができるのか、
そこを自ら何とかしようとし、またオーディエンスの助けになろうとすることに、
「研究」の意味があるんではないでしょうか。どう?
104 :
とある名無し :02/05/23 02:14
>>103 まず、70〜80番台でのやり取りを見ずにいきなり乱入してしまいました。スマソ
たしかに「認識と分析は相互依存的」と言ってピースミールなアプローチを
批判するのも、ある種の折衷主義であるというのはそのとおり。しかしながら、
あくまで作業効率上の理由で、効果的に扱える範囲内の方法論しか使わない
のであれば、それこそ大げさに言えば科学の発展はないのでは?
それに、こちらも揚げ足とりのようで悪いけど、「認識と現象のいずれが優位か、
というところで、 どうしても折り合いつかない」と言うけど、なぜどちらかが「優位」
と決めなければいけないの? 相互に依存してるんだから、一緒に考えないと
いけないよ、と言うことが話をややこしくしているとは思わないんだけど。
(続く)
105 :
ある通りすがり :02/05/23 02:15
それに「認識と分析の相互依存性」を意識した方法論、端的に言えば解釈学的 研究アプローチが手に負えないほど煩雑だったり複雑だったりするとは思わない。 例えば、エスノメソドロジーの考え方に依拠した方法論、つまり日々の行動に 埋め込まれた人々の行為の連鎖やそれから生まれる習慣や制度などを、 参与観察などのテクニックを使って文脈性に注意を払いながら地道にデータ 収集していき、Grounded Theory(日本語で何て言うんでしたっけ?)の考え方で 何かしらのモデル化を限定的ながらも進めていくことは可能。確かに、時間は かかるし、実際のデータ集めとその分析処理も手間がかかる。が、不可能では 決してない。 注)知ってるとは思うけど、経営学におけるこうした解釈学的研究アプローチの 議論は、一橋の沼上氏の「行為の経営学」にうまくまとめられてるから、詳しくは そっちをあたってちょ。 俺も論理実証主義、なおかつピースミールな研究アプローチを十把一絡げに して批判したいのではなく、手法論の多様性を保持するためにも、解釈学的 アプローチも同じくらい重要度を持ち、そうしたアプローチを取る研究がまだまだ 少ないという意味において、現時点での研究ニーズはより高いのでは、と 言いたいだけっす。といいながら、チョト頑張って論争してみるテスト。
106 :
とある名無し :02/05/23 02:16
あ゛、
>>105 の名前が違うのになってしもた。スマソ
>>104 歴史的経緯からして、いずれが優位かを競ったことがある、という意味です。
どっちも一緒に考えるべきという点は、わたしも反対はしません。
>>105 わたしは解釈学的アプローチとやらを否定するつもりはないというか、
むしろわたし自身がそっちよりの研究者です。w
しこうして研究プロセスをも規範的に捉えることはしません。
実践としての研究という観点で考えれば、
過度な情報処理負荷は作業を遅らせこそすれ、
現実のブツを出しにくくする傾向があります。
これは(今のわたしのような)若手にとって、最大のデメリットです。
今の自分にできることとの対比で方法論の是非が語られるならば納得いくんですが、
理念でこられると「ちょい待って(汗)」と思う性質です。
学問や研究が人間の一作業であるというスタンスは、
わたしの方法論的立場から考えても一貫したものだと思ってますがどうよ?
108 :
Rackt :02/05/29 15:36
>>100 >しかし、どんな方法論を使えば、こういうことを研究できるのだろうかと
思います。
あ、シコシコの方です(歴史分析)。
>社会学でいう構築主義の方法を使うことになるのでしょうか。
広い意味では、そうだと思います。
>よくしらないが、言説分析とかいうらしいけど。
>あとフーコーの「知の考古学」みたいな系譜学というか、
そっち方面(フーコー、ラカン等)の構築主義ではないようです。
むしろ、現実は社会的に構築されることを前提の一つとする、
といった広い意味での社会構築主義です。
そうした前提について、制度理論ではむしろギデンズや現象学がよく結び付け
られます。
煩悩age
109 :
Rackt :02/05/29 15:38
解釈学的な分析というものは、客観的データによる量的分析と比べ、 どうも「それ単なるルポタージュちゃうの?」と思われる場合もありますが、 分析の前提となるモデルさえしっかりしていれば、 それはそれで良い研究と僕も思うねんけど、どやろ? (当たり障りのない意見でヌマン)
110 :
名無しさん@あたっかー :02/06/05 22:58
111 :
Rackt :02/06/06 01:06
>>110 雪印乳業という組織が、消費者の代表(と一応は見なされる人)というシンボル
を、わざわざ社外取締役に据えることで、全体社会に対し、正統性を表明しよう
とした。そして正統性を表明することで、組織の生存を図った。
・・・という解釈が、まず挙げられると思います。
(少なくとも、Meyer and Rowan的解釈ですが)。
その市民運動家が消費者の代表にふさわしいかどうかはさておき、
少なくとも、そうした消費者運動が一つのパターン化された行動類型として、
日本社会全体に広く認識されていることは確かです
(「市民権を得ている」という言い方をすれば、彼らは喜ぶでしょうが)。
その意味で、消費者運動は、「制度化されている」といえます。
そして雪印の正統性の失墜は、消費者の利害を著しく損ねたことにあるのです
から、消費者の代表というその制度化されたシンボルを組織に取り込むことで、
正統性を表明しようとしたのでしょう。
112 :
Rackt :02/06/06 01:09
でも上の解釈学的な説明は当たり前すぎるかも・・・。
もう3〜5年経てば、また雪印以外にも同様の比較可能な事例があれば、
この組織改革の効果が数字の面でも検証できるのですが。
コーポレート・ガバナンス論での議論のなかでも、
こうした消費者運動と企業統治との関係の話が出ていたような気がしま
す(ガバナンス論はよく分からないので、知ってる方フォロー下さい)。
また雪印がこのまま2人目、3人目と次々に市民運動家をポストに就け、
ますます赤化してゆくのであれば、
まさしくセルズニックのTVAのような状況になるのかも知れませんね。
>>110 ところで、セルズニックのコーアプテーションとは何ですか?
>>112 TVAの例です。
敵対環境を意思決定に引きずり込む「吸収」戦略
そんな心理ゲームで人を動かせるわけがない。 人を動かすのはやはり信頼であろう。
>>.114 >人を動かすのはやはり信頼であろう。 これは制度派の主張と矛盾しないよ。 ただ制度派の特徴は、「(不完全な合理性しかもたない)人間は信頼に置けるかどうかを精緻に計算して評価する能力を持たないので、 それを評価するのに象徴的な行為や、権威(政府とか?)によるお墨付き、あるいは法規制による厳格な基準をもって判断する」から、 企業もそれを利用した行為を戦略的にとると考えるんだよ。
116 :
名無しさん@あたっかー :02/06/23 04:54
人と人のあいだ、あるいは組織のあいだにおける「信頼」を、 制度によって説明するとき、どういった説明ができるでしょうか?
117 :
名無しさん@あたっかー :02/06/23 19:59
制度派やポピュレーション・エコロジーでよく出てくる 形態(form)っていったいなんのことを指しているんでしょう? 具体的なイメージが湧かないから、ぜんぜん読み進まないYo。 激しく鬱。
118 :
Rackt :02/06/26 00:23
>>116 例えば、
行為者にとってはその環境内で普及している制度的ルール(規制、規範、
文化的信念等)を取り込むことが、自らの正統性を表明することであり
(Meyer and Rowan, 1977)、
またそれゆえにそのことは他者に「信頼」されるための条件ともなりえる、
といった説明が考えられると思います。
環境内で普及している諸制度を守ることで、行為者間の「信頼」が保たれる、
という状況は、ある意味、囚人のジレンマの協力解の状況にも似ています。
>>117 組織形態のことではないでしょうか?
(例えば「事業部制」や「マトリックス組織」等)
でも、その前後の文を僕は知らないので、単語の正確な意味は分かりません。
もしよろしければ今読んでいる文献を教えてください。
>>92 > 確かに、組織論での制度理論はもともと社会学なので、
> マネジリアルな問題意識が根底にあったわけではないのですが。
> この抽象的な議論をいかにマネジリアルな話へもっていくかについては、
> 研究者のスタンスと力量の問題なのではと思います。僕はまだまだですが…。
同感です。
私は、カール・マンハイム「自由・権力・民主的計画(未来社)」
ジョン・フリードマン"planning in the Public Domain" Princeton Univ. Rress
R・N・ベラー「善い社会(みすず書房)」
Etienne Wenger他"Cultivating Communities of Practice" HBS Press
からアプローチしています。
よろしくお願いします。
120 :
名無しさん@あたっかー :02/06/29 00:37
結局何なの? 上のほうには、青木昌彦の比較制度分析のほんとか組織の経済学といった 応用ミクロ経済学あがってるけど 下のほうは待ったく別の話になってる。 なにがなんだかわからん。
120の疑問が118のことについてならば、少しわかってきたようにおもう。
118の上の方は、
>>116 人と人のあいだ、あるいは組織のあいだにおける「信頼」を、制度によって説明するとき
の問題であり、社会の中の人と人、社会の中の組織と組織の関係における「信頼」の問題。
118の下の方は、
>>117 制度派やポピュレーション・エコロジーでよく出てくる形態(form)
を問うており、社会や組織の構造を問題にしていると思います。
118さん、いかがでしょうか?
122 :
名無しさん@あたっかー :02/06/29 11:22
㏼
124 :
適当な感想 :02/06/30 19:45
>>54 >横山知玄(2001)『現代組織と環境の組織化』。
この本ぱらっと読んだけど面白かった。地域の環境作りなどの点で興味深い。
中葉先生は、一読されてみてはいかがかと思われ。
よくしらないけど、おそらく問題意識的に近いのでは。
第一部は、スコットを中心としたシステム論的な組織論の上手い要約になっていて(゜д゜)ウマー。
だが、企業経営という視点とはちょっと離れているから万人向けではないかもしれない。
全編でとりあげてある四国のケースはマニアックすぎておれにはよくわからんかった。
そこはそれ地域社会学者っぽい視点がないとだめかも?
>>124 中葉先生は、一読されてみてはいかがかと思われ。
ご教示ありがとうございました。私の関心対象は「地域社会開発」ですから、
非常に近いように思います。折を見て拝見します。
>>1 新制度派アプローチってなんですか?
この質問に答えることはできませんが、私はこのところ「制度」を重視している
アメリカの社会学者R・N・ベラーの「善い社会(みすず書房)」にはまり込んで、
126にも書いたような地域社会開発の研究を進めています。
どなたか、近い関心をもっていらっしゃいませんか?
128 :
名無しさん@あたっかー :02/06/30 23:03
>>中葉さん ネタがマンネリ化していると思われ。
歳のせいか、こだわりが強いんです。
>>119 Etienne Wenger他"Cultivating Communities of Practice" HBS Press
>>129 歳のせいか、こだわりが強いんです。
このことについて別スレ「組織論に関するなんでもスレだ!」
http://www.onweb.to/ken9/bbs/mibbs.cgi?mo=p&fo=soc&tn=0095 で以下のように関係深いカキコをしたのでコピペします。
私は2002年出版、Wenger他のCultivating Communities of Practiceを
丸善から購入して今読み始めたところですが、確かに、理論的にも内容的にも
古い、そして面白くない。内容的にはざっと見て500年くらい古い。理論的にも
10年以上古いでしょう。
しかし、それを実践面で組織的、意識的に適用すると実に難しい。
絶望的に難しい。でも、それを可能にすることこそ、私たち、経営学のような
応用科学者に与えられた責務であり、光栄だと思っています。
先生。ここも沈み行く船ですよ。早く逃げてください(w
ご心配、ありがとうございます。 船に乗る以上、沈む可能性はどれにもあると覚悟を決めて、逃げ出さず、 頑張ることにしました。
133 :
名無しさん@あたっかー :02/07/01 22:14
ご自分が昔へなへなごときにつっこまれて、 だんまりを決め込んで、逃げ出したのをお忘れのようだ。 あなたは、関係ないスレでもひたすら自分のサイトを宣伝したり、 して嫌われていることへの自覚は無いのか? 繰言ばかりのあなたにはうんざりだ。 生涯学習版か社会学版のスレにおいきなさい。
134 :
名無しさん@あたっかー :02/07/01 22:22
何々派って名のる奴は腑抜けだ。 何々派って名のれば、自分が攻撃されたとしても 自分が属する派が攻撃されたと解釈すれば自分は傷付かないし、 同じ派の連中がワラワラと集まってきて助けてくれるからな。 まあ、宗教と同じだ。
135 :
Rackt :02/07/02 01:07
>>121 おっしゃるとおりです。
>>119 こちらこそよろしくお願いします。
制度理論(新制度派組織論)の多くの論者が理論的ルーツとして認識している、
バーガー&ルックマンの知識社会学は、
マンハイムの知識社会学の批判から出発しているのですね。
後者がイデオロギーとしての「知識」を中心に論じたのに対し、
前者はむしろ日常生活の自明的な「知識」の中心性を論じています。
(――と、いささか社会学辞典的な理解をしてます)
もちろん、こうした批判は後者の否定を意味するものではありません。
それくらいしか僕はマンハイムのことを知らないのですが、
タイトルからしてなんとなく大時代的な重厚感があり、ぞくぞくします。
冷戦のころは、まだいろんなことがはっきりしていたような気がします。
現在はあまりにも混沌として、既存の秩序の正統性すらも疑われています。
僕は今は組織レベルでの勉強をしていますが、
社会レベルでの幸福についても関心があります。
アプローチは微妙に違えども、制度化と組織の役割にそうした希望を
見いだそうとする中葉先生の志に共感します。
それにしても、ここ最近何でこんなにレスが増えたのだろう。
船に乗るだの沈むだの…。前みたいにマターリしたいんやけど。
> 制度理論(新制度派組織論)の多くの論者が理論的ルーツとして認識している、 > バーガー&ルックマンの知識社会学は、 > マンハイムの知識社会学の批判から出発しているのですね。 それは知りませんでしたが、興味深く、勇気付けられる話しです。 > タイトルからしてなんとなく大時代的な重厚感があり、ぞくぞくします。 タイトルとしては「変革期における人間と社会(みすず書房)」もぞくぞくします。 私はマンハイムを完全に理解してやろうと思って全集を買ったのですが、 日本語版だけでさえ読みきれないうちに人生が終わります。 ところで、1947年になくなったマンハイムにできなかったことを、東大学長 の佐々木毅さんがやろうとしてこられたことを、最近読み始めた「プラトンの呪縛 (講談社学術文庫)」で知りました。お時間があったら、一読お薦めします。
>>128 ネタがマンネリ化していると思われ。
その通りです。このスレで揉んでもらってマンネリから抜け出たいと思っています。
具体的には、以下の議論など、非常に新鮮なものに発展する契機を秘めています。
>>22 研究者が唱える場合には、現象であっても、その背後にアカデミズムが要求
> する普遍性が求められるが、ジャック・ウエルチは、その現象の正当性や
> 普遍性を証明する必要はない。そこがまったくの違い。
>>24 新制度派組織論は、組織エコロジーと対比させて捉えると面白いと思う。
私は、この方向に議論が展開することを期待し、貢献したいと思っています。
よろしくお願いします。皆様
ほとんど自分しかレスつけてない時点で終わりだという事を悟れよ
140 :
名無しさん@あたっかー :02/07/05 15:29
努力に終わりはない。頑張れ、中葉たん。
141 :
Rackt :02/07/06 20:11
>>141 私も期待してます。
同意をいただきありがとうございました。
>>22 研究者が唱える場合には、現象であっても、その背後にアカデミズムが要求
> する普遍性が求められるが、ジャック・ウエルチは、その現象の正当性や
> 普遍性を証明する必要はない。そこがまったくの違い。
についてですが、ジャック・ウエルチは、実践結果の成・否によって評価されると
いう別の厳しさがあり、甲乙つけがたいと思います。
また、学問の研究者の場合も、科学としての批判に耐えるためには、再現性の要求と
反証の洗礼を浴びなければならないという試練が待っていると思います。
私は、ジャック・ウェルチに匹敵する実践的なイノベータとして、ヒューレット・
パッカードのCEOカーリー・フィオリーナに期待しております。彼女の場合は、まだ
実践結果が出ていませんから「アカデミズムが要求する普遍性」による批判があって
もいいように思うのですが、今のところあまり大きな声は聞こえません。
あるいは、フィオリーナの場合は、
>>24 新制度派組織論は、組織エコロジーと対比させて捉えると面白いと思う。
が当てはまるかもしれません。彼女が始めているHPの組織改革は新制度派組織論の
範疇に入るような気がするので。
今日のところは、思いつきの研究仮説の域を出ません。
143 :
名無しさん@あたっかー :02/07/06 23:19
昨日、支店長会議で本社行ったんです。本社。 そしたらなんか取引先と経理課長が通路で押し問答してて先へ進めないんです。 で、なんの騒ぎだと思って話を聞いてたら、取引先が請求額より315円入金が足りない、とか言って引かないんです。 もうね、アホかと。馬鹿かと。 お前らな、振込手数料の315円如きで普段来てない本社に来てんじゃねーよ、ボケが。 315円だよ、315円。 なんか親子連れとかもいるし。一家四人で会社経営か。おめでてーな。 よーしパパ一歩も引かないぞー、とか言ってるの。もう見てらんない。 お前らな、315円やるから通路空けろと。 本社ってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。 廊下ですれ違った営業本部長にいつ怒鳴られてもおかしくない、 刺すか刺されるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。女子供は、すっこんでろ。 で、やっと通れたかと思ったら、専務とかいうバカ息子が、払わないなら訴えてやる、とか言ってるんです。 そこでまたぶち切れですよ。 あのな、訴訟なんてきょうび流行んねーんだよ。ボケが。 得意げな顔して何が、訴えてやる、だ。 お前は本当に訴えたいのかと問いたい。問い詰めたい。小一時間問い詰めたい。 お前、訴えてやるって言いたいだけちゃうんかと。 経理通の俺から言わせてもらえば今、経理通の間で最新流行の取引決済はやっぱり、 集金、これだね。 先月分のお取引代金集金に来ました。これが通の決済方法。 集金ってのは一切手数料がかからない、額面通り受取れる。そん代わり誰が見ても厚顔無知。これ。 で、それに集金かばん。これ最強。 しかしこれをやると次から取締役財務部長にマークされるという危険も伴う諸刃の剣。 零細企業にはお薦め出来ない。 まあお前らド素人は、日課のヤクルト我慢して手数料捻出しなさいってこった。
>>142 > フィオリーナの場合は、
>>24 新制度派組織論は、組織エコロジーと対比させて捉えると面白いと思う。
> が当てはまるかもしれません。彼女が始めているHPの組織改革は新制度派組織論の
> 範疇に入るような気がするので。
念のために「組織エコロジー」を調べてみたら以下のような解説がでてきました。
こんな理解でよろしいでしょうか?
=======================================
組織のエコロジーにおける経験からの学習 組織変革と組織学習 著者:ジェームス・G・マーチ
組織学習は,組織が環境に適応していく重要な手段である.本稿では,組織学習を理解
する上で重要な三つの問題すなわち第一に組織はどのようにして経験から学習する
のか,第二にある組織の学習は,他の学習する組織との相互作用.からどのような影響
を受けるのか,第三に組織学習はどのような条件の下で,知的なものになるのかにつ
いて考察を加える.そして組織のエコロジーにおける組織学習を理解する上で,重要
な諸研究課題を指摘する.
>>144 中葉たん、学者だったら一冊ぐらい真面目に本を読んでみろ。
146 :
Rackt :02/07/13 14:57
>>142 新制度派組織論は、制度といったものを、規制、規範、文化、認知的枠組等、
人々の行為に対し強制力をもつものとして幅広く捉えています。
こうした捉え方に従って、
ヒューレット・パッカード社のフィオリーナの組織改革については、
HP社内の既存の伝統的で守旧的な諸制度では問題があるため、これに対し、
彼女は革新的な制度化によって問題解決を試みていると理解しました。
(例えば事業部門の統合、コンパックとの合併等)
このことは、(既存の)制度vs(新しい)制度の対立と捉えられるのですが、
こうした対立に対する新制度派組織論に特有の視点の一つとしては、
彼女が改革にあたって、HP社外(HP社にとっての「環境」、組織フィールド)に
おいて普及・自明視・または正統化されている諸制度に依拠している点が
挙げられると思います。
つまり、改革を正統化する諸々の制度的ルールの源泉は、
彼女一人の資質にのみ還元されるのではなく、
広く社会的に存在している可能性があるということです。
この意味で、実践的な改革(または改革者)というものは社会的につくられる、
といえます。
仮に改革がうまくいかず彼女が辞任する結果になったとしても、改革そのものは
継続するでしょう。改革者はそのための媒体にしか過ぎません。
他の考えられる含意については、また折を見て考えます。
147 :
Rackt :02/07/13 15:00
>>144 恐らく
>>24 さんは、
新制度派組織論(institutional theory, 直訳すると「制度理論」)と
組織エコロジー論(population ecology, 直訳すると「個体群生態学」)
との対比を言っているのだと思います。
両理論とも社会学で、またマクロ組織論として位置づけることができ、
互いの交流も多く、また時には相互補完的です。
前者は組織の外部環境の制度化から組織を論じ、
後者は環境内部における組織個体群の適応や淘汰から組織を論じている
ようです。
ただ、制度理論の中には組織内部の行為者間の相互作用に基づく
ミクロ・レベルでの制度化を扱っている人たちもいるので、
制度理論はマクロのみの議論ではありません。
話を戻しまして、マーチの言っている「組織のエコロジー」は、
少なくとも1991年の『組織科学』の論文では、
(ecology "in" organization)ではないかと推察されます。
組織エコロジー論のように(ecology "of" organization)ではなくです。
つまり、組織の中には様々な知識やアイデアが存在し、
それらの一部は発展しまた他は淘汰されるといった生態系(ecology)の
存在を指しています。
従って、
>>24 さんの言っている「組織エコロジー論」は一つの理論体系の
ことであって、
マーチの言っている「組織のエコロジー」とは一つの観察しうる現象の
ことであると、思われます。
そこでフィオリーナの組織改革をどう捉えるかについてですが、
社会的相互作用や制度化の観点に立てば、制度論がより便利で、
組織の生存や淘汰の観点に立てば組織エコロジー論が、
そして知識や学習の観点に立てばマーチの組織学習論が便利では
と考えられます。
Racktさん、興味深く示唆されるところの多いコメントをありがとうございました。 少し考えてみます。
Racktさん、最後におっしゃった、“社会的相互作用や制度化の観点に立てば、 制度論がより便利で、組織の生存や淘汰の観点に立てば組織エコロジー論が、 そして知識や学習の観点に立てばマーチの組織学習論が便利”という解釈は、 確かにフィオリーナがこれからやるであろう、やらざるを得ない組織改革をどう 捉えるかについて有効だろうと思います。 しかし、私はそれをさらに発展させて、自分が所属する組織の改革や、コンサルティング している諸組織の改革支援に応用したいと思っています。その場合は、Racktさんの アイデアを引用したいと思うのですが、どういうようにお断りすればよろしいでしょうか? 教えていただけるとありがたいです。
150 :
Rackt :02/07/20 22:28
中葉先生、新制度派組織論で組織改革を論じた文献をほとんど知らないので、 (単に僕の勉強不足が原因ですが)素朴な思いつきのレスしか出来ませんが、 ご容赦ください。 組織改革のための処方箋については、 僕のような者よりも組織のイノベーションを研究されている方々の方が、 より適切で役に立つ答えを提供するだろうと思います。 そこで、あまり直接的には役に立たないのですが、 「なぜ、ほとんどの改革は失敗に終わるのか?」ということを、 制度論的に考えてみました。 改革のほとんどが失敗する、という見解は、 組織エコロジー論の「新しさの不利益仮説」にヒントを得たものです。 (新しい組織ほど死滅率が高いという仮説です) 組織を、規制・規範・文化・認知的枠組といった様々な制度的ルールの複合体で あるとし、そうした制度的ルールのうち、あるルールは所与の改革に対しプラス に働き、また別のルールはマイナスに働き、残りの別のルールはほとんど影響 しないとします。とするならば、組織改革は、 従来の制度的ルール(改革にマイナスに働く規制、規範、文化、認知的枠組) vs 新しい制度的ルール(改革にプラスに働くそれら)の構図となります。 (続く)
151 :
Rackt :02/07/20 22:32
(続き)制度的ルールは、一度その組織の行為者間で制度化されると、 その安定性を強め、さらには正統性すら帯びるため、 なかなか変えることが出来なくなります。 そのため取って付けたような新しい制度的ルールを導入し改革を試みても、 その新しい制度的ルールは安定性・正統性の面で従来のルールに劣るため、 やがて廃れていきます。 また、強力なリーダーシップやメンバー間の合意によって、 改革の源泉となる新しい制度的ルールを、 その組織の一部のメンバーが擁護し続け制度化させたとしても、 それでも別のメンバー達は従来の制度的ルールを擁護し続けるでしょう。 その結果、組織内の対立が生じます。 この対立をうまく活かし、民主的な参加による議論を経て共通の合意が 得られれば、それはより強い結束を生み出すでしょうが、 逆に対立をうまく活かせなければ、 組織の実質的分裂を招く恐れがあるでしょう。 この時点で既に多くの組織が挫折していると思いますが、 仮にその組織がたゆまぬ努力の末、改革に一時的に成功したとしても、 期待された成果を達成できないと抵抗勢力が息を吹き返す恐れがあります。 しかし改革と成果との間には必ずタイム・ラグが存在するため、 その間改革者は苦しい状況に耐え続けなければなりません。 リスクのない改革はどこにも存在しません。 「どうせ何をやってもダメだ」と絶望しないためには、 その当たり前のことを忘れないことが大切なのではと思います。 当たり前のことしか言えませんでしたが、ご参考になれば幸いです。
Racktさん、コメントありがとうございました。 > リスクのない改革はどこにも存在しません。 > 「どうせ何をやってもダメだ」と絶望しないためには、 > その当たり前のことを忘れないことが大切なのではと思います。 同感です。私も現在、自分自身の職場の改革と、それを通じた地域社会の改革に取り 組んでいるところですが、当たり前のことを忘れないことの大切さを痛感しています。 > 当たり前のことしか言えませんでしたが、ご参考になれば幸いです。 たいへん参考になります。ありがとうございました。
>>147 :Racktさん、
> フィオリーナの組織改革をどう捉えるかについてですが、
> 社会的相互作用や制度化の観点に立てば、制度論がより便利で、
> 組織の生存や淘汰の観点に立てば組織エコロジー論が、
> そして知識や学習の観点に立てばマーチの組織学習論が便利では
> と考えられます。
マーチの組織学習論からアプローチしてみます。
>>144 組織のエコロジーにおける経験からの学習 組織変革と組織学習:ジェームス・G・マーチ
http://www.bookpark.ne.jp/cm/pudding.asp?content_id=SSKG250101 > 第一に組織はどのようにして経験から学習するのか,
> 第二にある組織の学習は,他の学習する組織との相互作用.からどのような影響を受けるのか,
> 第三に組織学習はどのような条件の下で,知的なものになるのかについて考察を加える.
これを見る限り、マーチの組織学習論は、最近話題となっているナレッジ・マネジメント
における学習方法論 community of practice そのものです。これから先1年ほど、
この線で実践的な研究を進めて見ます。
154 :
Rackt :02/07/27 18:51
>>153 中葉先生の実践的なご関心に沿うという意味において、
3つのアプローチの中では、最も適切な選択だと思います。
ご健闘を期待しております。
155 :
名無しさん@あたっかー :02/08/14 20:23
古証文を引っ張り出しますが、以下のお二人のご意見に賛成です。
そして、このご意見のほう向に従って発言するつもりです。
>>14 経営学や組織論だったら、制度的視点を、どのように「行為の理論」に落とし込んでいくかというところがポイントだね。つまり、制度化のプロセスが、どう人間や組織の行為に影響を与えるかを理論化するわけだ。
>>15 導入を制度として捉えられるほど、企業組織、特に経営戦略部門は柔軟ではない。
156 :
Rackt :02/08/18 23:58
>>155 さんの提示された方向性
>>14 に関連して。
制度をどう捉えるかについては、
新制度派組織論でも論者によってまちまちなので、
まずは社会学での一般的な定義が、議論の参考になるかと思い、
『社会学事典』よりコピペしました。
制度とは、
「 強制され習得され慣性化した行動様式一般で、
拘束のシステムとして機能する社会的なもの。
デュルケームは、…(略)…、制度は個体の行為・思考を
拘束している集合的様式であり、…(略)…。
他方、制度の個体主義的な理論構成では、制度は、
『個人と社会』の媒介項・結節点として位置づけられる。
その代表格であるパーソンズによれば、制度は、
『相互連関する役割(期待)パターンの複合体』として規定され、
…(略)…。かくて、制度の機能は、相互行為における主体に、
期待の相補性の安定性を与え、規範的行動様式を可能にし、
社会秩序を統合・維持するのである。」
どうやら制度は行為者間の社会的相互作用の中から生じるものであり、
その人間や組織の行為に対する影響は、
拘束、安定性、秩序といったキーワードに見いだされるようです。
セルズニックによると、組織はそれ自体一つの制度として研究されてます。
新制度派は、むしろ組織環境そのものの制度化を論じているようですが。
157 :
名無しさん@あたっかー :02/08/25 21:55
> マーチの組織学習論は、最近話題となっているナレッジ・マネジメントにおける > 学習方法論 community of practice そのものです。 この手の本、いろいろ出始めたがすごく難しいね。特にその原点と言われる 「状況に埋め込まれた学習」。 本当に役に立つんだろうか??
158 :
名無しさん@あたっかー :02/08/25 22:16
>157 するどい。 何年か毎に新理論を歌って出てくる 視力回復機のたぐいでなければ幸い。
159 :
Rackt :02/09/02 17:29
>>158 次々と新しく生み出されてきた諸理論について、いっそのこと
それらの生存と淘汰を分析してみると面白いかも知れませんね。
(例えばイベント・ヒストリー分析とかを使って)
いかなる要因が理論の発展を促進させるのかを新しく発見できれば、
うまくいけば科学史研究に一石を投じることができるかも。
>>157 色々な理論が登場しているようですが、
それら諸理論は、新制度派や組織学習論も含めて、
行為、認知、埋め込みという共通概念を持っていて、
また重複している面も多そうなので、
ひょっとしたら一括りにできるかも知れません。
もちろん各々の理論の強調点は異なりますので、
(例えば「学習」や、「知識」、あるいは「制度化」等)
それらが役に立つかどうかは、実践者の強調点がどこにあるか
に左右されると思います。
(新制度派組織論について言うと、それほど実践的ではないと思っています。
個人的にはむしろ、制度化に直面する個々人の問題に現在関心を持ってます)
それら諸理論を広く「行為の理論」として一括りにできそうな気もしますが、
勉強不足なのでよく分かりません(どなたかご教授下さい)。
ただ「行為」や「認知」の概念を媒介にすることで、
このスレは新制度派に限定せず、この手の組織論を広く議論できるかも知れません。
このスレの人達と一緒に勉強会したいなぁ うちの大学の奴らはダメだ…。
>>160 このスレの人達と一緒に勉強会したいなぁ うちの大学の奴らはダメだ…。
後半はレス保留として、前半は大賛成。私もダメ大学のダメ教師ですが、勉強会は
あちこちでやり、満足しています。もっとチャンスを増やしたいので、提案して
ください。都合のつく限り参加します。
162 :
名無しさん@あたっかー :02/09/03 23:12
今最強のスレッドストッパーとなってる先生が降臨されては、、、ここも、、、
スレ復活ですか。
ラクトさんへ ラクトさんって学生でしたっけ?常々不思議に思っていたんですけど、普段はどんな研究されてるんですか?学説史?
> このスレは新制度派に限定せず、この手の組織論を広く議論できるかも知れません。 そうですね。 「お笑い経営学板」に存在しているという地の利を生かせば、その可能性があると思います。 実際、「この手の組織論を広く議論」する動きが「一般システム論」の研究者の間に 始まっている気配が感じられます。 昔、一時、「行動科学」という名前で括ろうとする動きがあったのと似た感じがします。
166 :
Rackt :02/09/09 02:01
それはヒミトュです(すみません、2chなので)。 最近は制度論のレビューをしています。 リアルからバーチャルへ。そして時代は再びバーチャルからリアルへ。>研究会 いや、ふざけてるわけではないのです。研究会については僕も関心があります。 「この手の組織論」として、具体的にどの理論が考えられるでしょうか? 少なくとも、マーチの組織学習論とワイクの解釈的アプローチは入る と思うのですが、他にもありそうな気がします。
168 :
激しく質問 :02/09/11 21:58
Powell先生のページ(
http://www.stanford.edu/~woodyp/ )の27行目付近に次のようにかかれていますが・・・
>Professor Powell is most widely known for his contributions to institutional analysis, beginning with his article,
> with Paul DiMaggio, "The Iron Cage Revisited: Institutional Isomorphism and Collective Rationality in Organizational Fields"
> (1983, also translated into French, German, Italian, Japanese, and Spanish) and ...
 ̄ ̄ ̄ ̄
1983年の「鉄の檻」論文って日本語に翻訳されてるの???
何の本に収録されてるのかご存知ないでしょうか?
訳したの誰だろう。
169 :
マッフィィィィン :02/09/11 22:07
アプーローチ! ☆ / (`Д´)_ ( )) 彡 。o0O ☆ く く
170 :
名無しさん@あたっかー :02/09/12 00:09
アイロンケージあげ
原発トラブル隠しの顛末を知れば知るほど、単なる経営問題や組織問題でなく、制度 の問題であるとつくづく感じる。
>>171 制度学派を知ってるひとは、そういう言い方は絶対しませんよ。
知らない方が鋭く新しいこともある。
そういう機能的論法って、結果が明らかでない場合は一切無効かと…
>>173 DQN大とは言え、大学教員の言葉とは思えんな。
単なる反論としても、小学生以下。ハズカシイ...
176 :
中葉たんに捧ぐ :02/09/22 00:12
177 :
Rackt :02/09/22 02:53
うまくまとめられているかどうか、分かりませんが…。 旧制度派(セルズニック)の論点。 ・何が制度化するのか?:主に組織の制度化を論じる。 ──組織はアイデンティティーを獲得して一つの制度と化す。 ・制度の規範的側面を重視。 ・方法論としては機能主義的。 ・組織の価値や規範を導く、制度的リーダーシップの役割に着目。 参考文献としては『組織とリーダーシップ』(邦訳有り) 新制度派(ディマジオとパウエル、スコット、ズッカー等)の論点。 ・何が制度化するのか?: ──(マクロの論者)組織環境の制度化。 ──(ミクロの論者)行為者間の相互作用の制度化。 ・旧制度派と比べ、相対的に、制度の文化的−認知的側面を重視。 ・方法論としては、少なくともミクロの論者は現象学的。 マクロの論者の方法論はコンティンジェンシー理論のような感じなのかな? 環境内の制度的要因が組織行為に及ぼす影響を検証。
178 :
Rackt :02/09/22 02:55
>>171 等の中葉先生の発言を見るに、
中葉先生はどうもこのスレで主に論じられている新制度派よりも、
むしろ旧制度派での制度観に近いような気がするのですね。
確かに新制度派は新しい分、そのアプローチも洗練されています。
認知革命を経て、オープン・システム観に立つ現在の組織論では、
新制度派で説明する方がより適切な現象も多々あります。
しかしマネジメントへの実践においては、現在の所、
まだセルズニックに軍配が上がっているような気がします。
新制度派は制度に変革を促すリーダーについてあまり語っていません。
新制度派と旧制度派の区別は、ディマジオとパウエルの例の1991年の本と、
金子雅彦の1993年の『社会学評論』の論文を参考にしましたが、
セルズニック自身は1996年のASQで、
新制度派と旧制度派を分ける必要はないと論じています。
同様にリチャード・スコットも『制度と組織』(邦訳有り)でそう述べて
います。そして僕自身は、「制度理論」(institutional theory)という
言葉を使うとき、スコットに依拠して、暗に新制度派と旧制度派の
両アプローチを含めたものとして、今のところ使っています。
179 :
Rackt :02/09/22 02:58
原発のトラブル隠しの問題と、新制度派の多くが扱っているテーマとは、
直接的には結びつかない場合が多く、また僕も想像さえしなかったのですが、
制度理論で扱えない問題でもないと思います。
いや、ひょっとしたらむしろ、例えば組織学習論や知識創造理論のように、
何だか明るくてポジティブなイメージのある理論よりも、
行為の制約とか拘束といった暗くネガティブなイメージのある制度理論の
方が、より扱いやすい問題かも知れません。
組織成員の行為を、トラブルを隠そうとさせるに至った制度的要因とは何か?
言い換えると、組織成員の行為をそのように拘束したものは何か?
スコットに依拠して、それぞれ、例えば、
規制的要因(法律・契約・パワーと利害に関わる関係等)、
規範的要因(価値観・「上司には逆らえません」・「愛社精神です」等)、
文化的−認知的要因(模倣・「皆がやってるから」・「ウチだけ損したくない」等)、
が考えられます。
3連発のレス、どうもすみません。
>>168 さんに激しく感謝。
Racktさん、解説ありがとうございました。 > いや、ひょっとしたらむしろ、例えば組織学習論や知識創造理論のように、 > 何だか明るくてポジティブなイメージのある理論よりも、 > 行為の制約とか拘束といった暗くネガティブなイメージのある制度理論の > 方が、より扱いやすい問題かも知れません。 このニュアンス、なんとなく理解・共鳴できます。私のアプローチと似た感じです。 原発のトラブルについては、8月末からほぼ1ヶ月朝日新聞情報を追いかけ、新聞上 では、9月22日付7面「私の視点 特集・原発損傷隠しの波紋」、1面「不祥事対策 56社が内部告発窓口」、同9月21日付、奥田碩氏署名意見「企業倫理 トップが志 持ち徹底図れ」などで一段落つき、幕引き近しという感じがありますが、重要な ポイントは完全に見逃されていると思います。 この関係で、私が一番参考にしているR・N・ベラー著、中村圭志訳「善い社会 (みすず書房)」は、副題「道徳的エコロジーの制度論(これは訳者のアイデアら しい)」からも察せられるように、全篇、制度論に関わる具体的な社会問題を扱 っています。 このスレは「新制度派アプローチ」とあるので、あるいはスレ違いかもしれませ ん。社会組織論とか社会システム論と称するべきかもしれません。その観点から 「制度理論」(institutional theory)は、たしかにいい言葉ですね。 もっとも、ここはお笑い経営学@2ch掲示板ですから、あまりお堅いことを気に する必要もないと思います。
>>177-179 Rackt氏
通りすがりですが、的確かつ無駄の無いすばらしい整理だと思いました。
とても勉強になりました。私は一時期Northをやったのですが、Northもどちらかと
いうと古いほうに属するほうでしょうね。しかし、Racht氏もおっしゃっているように、
実践への応用可能性に関しては、古いほうがまだまだ有効でしょうね。新制度派は
「観察」や「分析」に焦点が当たっている感じなので、具体的にとるべき「行為」に
落とすのが難しいですよね。
>>180 中葉氏
いきなりで失礼かと思いますが、ちょっと感じ悪いと思います。
>>172 でみ氏が鋭い
指摘をしたら、
>>173 であなたは「うるせー、知らないほうが偉いこともあるんだ」
みたいなレスしかしないのに、一方丁寧な説明をしてくれたRackt氏にはへつらう
ようにレスする。これは、議論の発端を提起したみ氏にとても失礼かと。しかも、
ご自分の制度理論解釈のズレを指摘されてるのに、「私のアプローチと似た感じです」
とは、答えにもなってないし、挙句の果てに何百回と聞いたベラー・・・。その自己中
レスのクセどうにかしないと、今あなたにまともにレスしてくれる唯一のRackt氏にまで
いずれ相手にされなくなりますよ。
通りすがりのお節介あしからず。
いや、ありがとうございます。第三者から私がどう見えるか、率直な印象をきかせて いただくのは、とても重要な反省材料になります。 これからもよろしくお願いします。
>>181 挙句の果てに何百回と聞いたベラー・・・。
私は同じことを繰り返しているつもりはないのですが、お聞き障りは申し訳ありません。
もう一度だけ聞いてください。今朝(24日)の朝日新聞11面、「テロは世界を変えたか
宗教社会学者ロバート・ベラー氏に聞く」をもう一度だけ丁寧に読んでください。
制度論の観点はあまり明瞭には出ていませんが、制度に並々ならぬ関心を寄せている
彼の洞察が現れていると思います。
私のお願いは、彼の見解を制度論に詳しい皆さんに分析していただくことです。
これだけ言わせていただけば、十分ですから、しばらく発言を控えることとします。
184 :
名無しさん@あたっかー :02/09/24 08:39
中国人の日本語試験とその回答(実話?らしい) 問1:「あたかも」を使って短文を作りなさい。 答え:「冷蔵庫に牛乳があたかもしれない。」 問2:「どんより」を使って短文を作りなさい。 答え:「僕はうどんよりそばが好きだ」 問3:「もし〜なら」を使って短文を作りなさい。 答え:「もしもし、奈良県の人ですか?」 問4:「まさか〜ろう」を使って短文を作りなさい。 答え:「まさかりかついだ金たろう」 問5:「うってかわって」を使って短文を作りなさい。 答え:「彼は麻薬をうってかわってしまった」 問6:「おおむね」を使って短文をつくりなさい。 答え:「彼女はDカップのおおむねだ」 問7:「もはや」を使って短文をつくりなさい。 答え:「君もはやく大人になりなさい」
>中葉さん 残念ながら、私の差し出がましい発言の意図をまったくご理解していただけて いないようですね。私に対して相変わらずの社交辞令レスしてほしいわけじゃ 全くないことぐらい分かりますよね? み氏に対してはあくまでレス無しですか。 しかも、あくまで自分の関心(ベラー)に議論を強引に持って逝こうとするなんて・・・。 まぁ、私もこのスレには邪魔なようなのでしばらく消えます。スレ汚し失礼致しました。
>>185 いや、良いんですよ。
ナカバさんがセルズニック的解釈をしているのは承知でしたが、
わたしはracktさんほど熱心なレビューアーじゃありませんから、
素人がクドクド言ってもしょうがないと思い、
結果的に言葉足らずになってしまいました。
ただ、こう言いたかったのです。
たとえ「制度」に着目しようとしたとしても、
マンモス・ワードの怖さを骨身に染みて知っている専門家は、
うかつにこの言葉を口にしないんですよ。
不毛な定義論に巻き込まれるのも嫌だし(racktさんぐらいレビューすれば良いんでしょうけど)、
自分の貢献領域を示しづらくなるから(「制度」といっただけでは貢献として認められないので)。
>自分の貢献領域を示しづらくなるから(「制度」といっただけでは貢献として認められないので)。 お立場は了解しました。私は学界とは全く関係がないので気が楽です。 もっぱら実践に興味をもっているので、そちらでの貢献領域を全面否定されたのだと取りました。 どうも失礼しました。誤解でした。
188 :
名無しさん@あたっかー :02/09/26 23:30
異馬鹿コミニュケ−ション
>>188 異馬鹿コミニュケ−ション
なるほど、これも異文化コミュニケーションの一種かも知れません。
だとすると、制度問題とも無関係ではなさそうです。面白いですね。
190 :
名無しさん@あたっかー :02/10/03 12:57
age
あぼーん
192 :
Rackt :02/10/06 23:37
>>181 >新制度派は「観察」や「分析」に焦点が当たっている感じなので、
>具体的にとるべき「行為」に落とすのが難しいですよね。
おっしゃるとおりだと思います。
具体的にとるべき行為については、せいぜい「インプリケーション」
という形で、いくつかの示唆をするにとどめているような印象を受けます。
>私は一時期Northをやったのですが、Northもどちらかと
>いうと古いほうに属するほうでしょうね。
ひょっとして、ある通りすがりさんも…。
ほとんど名前だけしか知らないのですが、Northも制度派のようですね。
いわゆる新制度派経済学なのでしょうか?
Northの主な論点を、もしよろしければ教えていただけないでしょうか?
>>184 >問5:「うってかわって」を使って短文を作りなさい。
>答え:「彼は麻薬をうってかわってしまった」
最高です。深夜なのに大爆笑しました。
193 :
Rackt :02/10/06 23:40
>>186 >たとえ「制度」に着目しようとしたとしても、
>マンモス・ワードの怖さを骨身に染みて知っている専門家は、
>うかつにこの言葉を口にしないんですよ。
「制度とは、何だーーーーーー!」と、例えば三戸公先生に怒鳴られたら、
そのような非常事態において多分僕もどう対処して良いか解りません。
(いや、もちろんできる限りお答えするつもりですが)
2ちゃんだから肩の力を抜いて書ける、というのはあります。
個人的なことなのですが、
報告や論文の際に必ず気をつけるように、とよくアドバイスを頂いたのは、
「ここでいう制度とは、新制度派のいう制度です」というように、
とにかく範囲を限定して使用するように、というものでした。
マンモス・ワードのもたらすリスクを少しでも軽減できるからだそうです。
でもあまり限定しすぎると、今度は議論が続かなくなるリスクが出るので、
このスレでは、特に新制度派にこだわらなくても良いのではと思います。
>自分の貢献領域を示しづらくなるから
>(「制度」といっただけでは貢献として認められないので)。
誰かを楽しくさせてくれたならば、それも貢献なのだと思います。
このスレを僕は楽しみにしています。
194 :
名無しさん@あたっかー :02/10/07 00:34
ここの経営学系コテハンの うっきゃーとか中葉とか バカが多いの?
そうですね。日本的な学者としても、日本的な経営者としても、バカであることは自認しています。 それでなにか?
三戸公さんはまだお元気ですか? やたらに怒鳴るのは昔からの癖というか、 人並み外れて気が小さい人なんだと理解していましたが。 バカとは言わないことにしましょう。
197 :
名無しさん@あたっかー :02/10/08 22:37
先生、なんか前にも増して2CHに毒?されて歯に衣着せぬちゅうか 宙援から中葉、中葉からだんだん、まさかこの次は中坊に、、、
198 :
名無しさん@あたっかー :02/10/08 22:42
>>195 お。ひらきなおったね。
沈み行く船とか捨て台詞はいて逃げてったのに帰ってくるのは
はずかしいよ。
>>197 すでに厨房でしょ。
このひとをまともな研究者だと思っている人はいないって。
ほかの「研究する人生」のスレでも全然相手にされてないしね。
出世できなかった会社員がマイナー教員になっただけ。
出世しなかったってことはないとは思う。 地方の私大だと、前職の肩書きで採用したりすることある。理事長の意向とかで。 自分は実務家だ、と仰ること多いので、 まともな学会に出入りされることもないようだし、 交流の機会を欲しておられるんではないでしょうか。 その割に没交渉的なことを仰るから、こっちは困惑するんですが…
図星です。よろしくお願いします。
201 :
名無しさん@あたっかー :02/10/12 00:05
中葉と自称するほどの、漢がなぜ、言葉遊びの御殿女中のお仲間に入り 重箱の隅を突つきあいたいのでしょうか?大学教授というあさましい 職につきながらまだあき足らないのでしょうか?
私は底辺の人間を自任して今すから。
203 :
名無しさん@あたっかー :02/10/18 20:51
age
204 :
Rackt :02/10/20 15:59
三戸公先生について言うと、2〜3年ほど前、ある学会の大会が横浜で開かれ、 シンポジウムか何かで三戸先生が報告されたとき、 どうも会場の40〜60代ぐらいの先生方たちは、何というか、 例えば報告中や質疑応答などでも、三戸先生に対し、 ちょっと人を小馬鹿にしたような態度をとっていたような印象を受けました。 あれじゃあ報告者が可哀想だ、人が熱心に語っていたら、 たとえその内容が何であれ真摯に応えるのが武士の情けではないか、 と僕は一人で腹を立てていたのを今でも憶えています。 (もちろん、三戸先生と会場の40〜60代ぐらいの先生方との間に、 このような関係性を生みだすに至った、数十年に及ぶ相互作用の いきさつが何かしらあったのかも知れない、と推察する必要も 一方ではあるのですが ← いわばヒストリカル・アプローチ。) 学会を一つの制度と見なすならば、 そこでの知識や認知的枠組の創造や同型化に目を向けつつも、 それらが利害やパワーといったポリティカルな要因に 否応なく左右される場合もあるのでしょう。 以上、スレ違いすみません。
Racktさん、三戸さんをめぐる状況への制度論からの興味深いコメントでした。 制度とは単純に考えれば空間論のように見えますが、一種の認知枠組みですから、 ヒストリカル・アプローチ(時間論)、パワー(権力論)、、、なども必然的に 絡んでくるわけですね。 私は複雑な問題解決のための方法論の一部と位置付けていますから、常に混沌と 紙一重の立場にたたざるを得ません。あらゆる方角からの攻撃に晒されています。
あぼーん
ノーベル賞受賞者が何で国務大臣を「表敬訪問」せねばならんのか。むしろ逆じゃないの? 日本の科学技術をとりまく環境ってやっぱりお上主導だってメッセージなのだろうか。 世界最高レベルの知性だと見なされた人物を呼びつける政治家という構図がおぞましい。
208 :
名無しさん@あたっかー :02/10/24 04:58
209 :
名無しさん@あたっかー :02/10/24 20:23
三戸先生は熱くて良い人だよぅ
その熱さと良さを嫌う人が日本には多いようだ。
他のスレで興味を引いた話題ですが、制度論として展開できるかもしれないので、 コピー&ペーストしておきます。 >「いかにして組織は構成メンバーに社会規範を凌駕するような組織規範を植えつけ > るのか、そしてそれはいかにして機能するのか」は研究する必要がありますので > 今回はこれで逝って見ましょうか。 大賛成です。これで逝きましょう!
>>212 おー、中葉タンにしては珍しくスレの趣旨に合った発言だ。
「社会規範を凌駕する」というところが気になります。 組織文化の議論などで語られた問題は3つの方向性があって、 ひとつは組織固有の価値基準があるはず、 というのは、個人に性格やパーソナリティがあるように、 組織にも類似したものがあるはず、というアナロジーとして出発したもの。 第二に、戦略論の文脈で、業界構造や外部環境などによって規定され尽くさない、 企業としての業績差異を説明するための方便としての組織文化ですね。 3つ目に、これが一番古典的な考え方でしょうけれども、 組織のアウトプットを説明するメカニズムのなかで、 組織固有の価値が組織成員の行動を規定していることを指摘するもの。 いずれも特定の文脈でのみ限定して機能する定義が与えられていて、 言葉としてのインパクトや意味的な奥行きの深さゆえに、 あたら安易に用いてはならない言葉という認識が一般的です。 尚且つ凌駕するとか優越するとか(極論すると良いとか悪いとか)いう、 一元的な価値基準を仮定した表現に馴染まないことが、 こうした主意主義的な概念の特徴ということができます。 どういう問題を解くために、どういう視点で規範とか文化とか価値とかを議論しようとするのか、 またどういう言葉を言いたいことに当てはめるのに適しているのか (「規範」や「文化」では事実上何も言っていないのと同じ)を、 まず明らかにすることから初めてはいかがでしょうか。 それができないなら、問題提起したことにはならないと思います。
>>212 他のスレで興味を引いた話題ですが、制度論として展開できるかもしれないので、
問題提起でなく、話題提供のつもりだったのですが、それも駄目ですか?
考え直してみます。213さん、応援してください。
216 :
名無しさん@あたっかー :02/12/09 05:52
ところで
>>1 は無事に単位がきたのだろうか。
一年後にあれだが、ピコーの『新制度派経済学による組織入門』
を読めば全て解決する問題だったな。
日本だとよくわからんが、海外の論文を読む限り、新制度派経済学
はけっこう流行ってるね。俺もちゃんと勉強しようかしらん
217 :
名無しさん@あたっかー :02/12/10 11:27
前にポピュエコとの対比があったと思うが、ポピュエコの最新事情を 最近耳にした。なんでも、組織内VSRと組織間VSRとの相互作用による 共進化プロセスの解明がホットなんだってさ。
218 :
名無しさん@あったかー :02/12/11 00:26
>>217 ポピュレーション・レベル・ラーニングのことかな?
Advances in Strategic Managementの1999年版では、
Population-Level Learning and Industry Changeっていう特集が組まれてたね。
企業を淘汰の単位にしているポピュレーション・エコロジーとは違って、
ルーティンを淘汰の単位に設定してるところをみるとどっちかっていうと、
James Marchの学習理論の枠組みを発展させているようだ。
分析レベルを企業からルーティンに変えると、イノベーションの伝播とか
普及といった問題に焦点があたって、制度学派的なプロセスの観察になってるんだな。
220 :
名無しさん@あたっかー :02/12/24 08:21
ありがとう。 コミュニティー・オブ・プラクティス、早速ワン・クリックでアマゾンに発注しました。
今朝入手しました。私の狙いは最終章「世界の再構築―組織を超えたコミュニティ 拡張型ナレッジ・システム/市民社会」です。 つまり制度論の実用化へのツールと考えています。 例えば「超企業・組織論―企業を超える組織のダイナミズムた高橋 伸夫 (編集)」 この本のamazonレビューによれば、“現代の企業組織は急速に進化しいま現代経 営学が面白い!様々な組織変革の中で、組織が企業の壁を超えてダイナミックな広 がりを展開している。こうした現象を"超企業・組織"と捉え、現代経営の最新動 向を20の項目で読み解く、斬新な「現代経営キーワード事典」。”
223 :
名無しさん@あたっかー :02/12/28 23:22
結局、サークル活動とおんなじじゃん!?
>>101 もう少し具体的にそれだと伝わるものも伝わらない。
>結局、サークル活動とおんなじじゃん!? 鋭いっ!その見方は当たっています。実際、著者自身がそういっています。 (以下pp.34-35より)“実践コミュニティとは新しい概念ではない。それは人類が 洞窟に住み、たき火の周りに集い、獲物を追いつめる作戦や矢じりの形や食用に適 する草の根などについて話し合っていた太古の昔から続く、人類初の知識を核とし た社会的枠組(ソーシャル・ストラクチャー)なのだ。‥‥実践コミュニティがこ れだけの長きにわたってそれほど浸透しているのなら、なぜ組織がいまになって突 然それに目を向ける必要があるのだろうか。それは実践コミュニティそのものが新 しい概念だからというわけではなく、より意図的かつ系統的に知識を経営に活かす こと、つまりこの古来の仕組みに、ビジネスで新しく中枢的な役割を担わせること が組織にとって必要になっているからなのだ。”
226 :
名無しさん@あたっかー :03/01/03 22:47
沈むのは惜しい
元旦早々、中葉君もガンバっているようだ。 なにより。と、いえよう。
228 :
Rackt :03/01/04 21:29
>>212 >「いかにして組織は構成メンバーに社会規範を凌駕するような組織規範を植えつけ
> るのか、そしてそれはいかにして機能するのか」は研究する必要がありますので
> 今回はこれで逝って見ましょうか。
>>214 >どういう問題を解くために、どういう視点で規範とか文化とか価値とかを議論しようとするのか、
>またどういう言葉を言いたいことに当てはめるのに適しているのか
>(「規範」や「文化」では事実上何も言っていないのと同じ)を、
>まず明らかにすることから初めてはいかがでしょうか。
遅レス&横レス&長レスすみません。
この話題については、例えば、まず相次ぐ企業の不祥事の問題などが挙げられると
思います。
そして、社会規範(例:「人は法律を守らなければならない」)と、
組織規範(例:「組織の生存のためならたとえ法を侵してでも」)とが、
両立し得ない場合が前提となります。
この場合、組織の意思決定が社会規範を損なう結果になったときに問題が発生します。
このとき、組織の意思決定に影響する要因は、組織規範とは限りませんが、
(例えば「あ、これって違法なの? 知らなかった」といったこともありますし)
ここでは組織規範に関して、制度論の視点から考えてみたいと思います。
(とりあえずは、規範も制度の一つとして、制度化のプロセスから考えてみます)。
229 :
Rackt :03/01/04 21:32
規範は一定の人々の相互作用の中から生じ、共有されるもので、 それは少なくとも、 ・一定の社会や集団の内部において、 ・「何が適切か」ということについての価値を相対的に強く伴うために、 ・その社会あるいは集団内部のメンバーの行為を制約する。 (日常生活での日々のルーチンによって行為をパターン化する)。 その制約は、 ・正統性が与えられる ・サンクションをともなう ようになるにつれ、その一定の社会ないし集団内部において強化される。 組織規範は、組織内部の日々のルーチンによって植え付けられ、 サンクションによって強化されていく、と見ることができると思います。 不祥事を起こした企業の内部には、不祥事を自明視するルーチンが存在し、 またそうした行為を良しとするサンクションが機能していたのでしょう。 異を唱えれば排除されるような状況があったと予想されます。 制度化は、企業を統制する場合もあれば、このように暴走させる場合も あります。 組織に社会規範を守らせるには、社会的サンクションを強化する必要も ありますが、やはり日々のルーチンによって植え付ける必要があります。 取って付けたような面倒なプログラムは、必ず廃れます。
230 :
Rackt :03/01/04 21:34
もう一つ、社会規範に対立するのは、企業内の規範だけでなく、
組織フィールド内の規範も考えられます(例えば「業界体質」など)。
業界ぐるみで悪事を働いていることがよく見られるように、
規範は一企業の境界を越えて、正統性を与えられている場合が少なくない
と思います。
(新制度派組織論の多くは、この組織フィールドのレベルから見ています)
>>222 >組織が企業の壁を超えてダイナミックな広がりを展開している。
ことについては、いろいろ議論もあるでしょうが、
分析の範囲を企業単位に限定せず、広げることは、きっと有益ですし、
そうしなければ説明できないようなことも少なくないと思います。
以上、いかにも制度論的な視点から考えてきましたが、
別の視点から考えれば、また違った示唆が得られると思います。
>>217 >組織内VSRと組織間VSRとの相互作用による共進化プロセスの解明
どういうことなのでしょうか?
>>218 その通りだと思います。Marchも制度についてよく言及しているみたいです。
ほんとに長レス失礼しますた。
あぼーん
>>230 分析の範囲を企業単位に限定せず、広げることは、きっと有益ですし、そうしなければ説明できないようなことも少なくないと思います。
おっしゃる通りです。例えば、、、
私は地元の関係でトヨタ自動車という一企業に特別な関心を寄せていますが、会長
の奥田碩氏を含めて分析しようとすると、どうしても日本経団連会長としての奥田
氏まで分析の範囲を広げざるを得ません。
その点でNHKスペシャル「21世紀 日本の課題」〜語り合おう再生への道〜(1月
1日)における奧田氏の言動の分析は有益でした。NHKによる番組の解説は以下のよ
うに述べています。
http://www.nhk.or.jp/special/top.html なかなか進まない不良債権処理、前途多難な構造改革…、日本経済は「失われた
10年」を経てなお先行き不透明だ。また、頻発する官庁・企業の不祥事、増加す
る中高年の自殺など、かつて高度成長を支えた日本人の行動や倫理も危機の中にあ
る。
この日本を復活させるためには何が必要なのか、誰がどう動くべきなのか。まっ
たくの異分野で活躍しながら、日本再生への視点に多くの共通項をもつ二人が今、
熱く語り合う。
日本経団連会長・トヨタ自動車会長として「人間の顔をした市場経済」を掲げて
きた奥田碩と「日本人の自然への感性」を武器に世界で活躍する建築家・東大教授
の安藤忠雄だ。
(中略)
「“モノづくり”の将来像」、「環境産業の可能性」、「都市・住宅再生」「新
たな職業モラルの構築」など、日本再生への道を探って二人が存分に語り合う。新
しい年の始まりに送るNHKスペシャル巻頭言である。
racktさんへ 組織から違法行為が創出されるメカニズムのなかの一経路として、 制度化の論理を適用するわけですね? 組織フィールドという枠をも超えて、いかに社会規範そのものが出来るのかも議論する必要がありそうですね。 そうすると壮大なテーマになってしまいますが、そうでなければ、「組織」としての特性が浮かび上がってこないように思います。 どうよ?
(^^)
236 :
Rackt :03/01/06 20:27
み さんへ
今後の議論のため、もう少し整理してみます。
>>229 で書いた、規範についての記述は、組織規範だけではなく社会規範にも
あてはまります。
規範(または制度)は、組織の境界を越えて、組織フィールドの境界も越えて、
またときには全体社会(国家)の境界をも越えて、人の行為によって実現される
ことがあります。
いかにして組織規範が生成するかは、そのまま、いかにして社会規範が生成するか
と同じことだと理解しています。
(組織はその社会の構成要素であるため、組織規範は社会規範でもあります)。
そして社会には無数の規範が存在しています。
社会に遍在するそれらの規範さらには規則やスキーマも含め、「制度」を、
まるで組み立てブロックのように組み立てたもの(意図的にせよ、意図せざる結果
にせよ)として「組織」をとらえる、というのが新制度派の組織論の中心的な
組織観の一つです。
(つづく)
237 :
Rackt :03/01/06 20:29
(つづき) ここで問題なのは、社会において無数にある諸規範の中でも、 ある組織において支配的な規範と、 その組織が所属する組織フィールドにおいて支配的な規範と、 その組織フィールドが帰属する全体社会において支配的な規範とは、 それぞれ違う可能性があるということです。 「組織規範」対「社会規範」という図式については、 「ある組織において支配的な規範」対 「その組織の帰属する全体社会において支配的な規範」 という言葉に置き換えた方が、今後の議論のために良いと思います。 ちなみに新制度派の組織論では、全体社会における制度化といった壮大な テーマはあまり扱われず (理論的には、ある程度の前提とされているのでしょうが)、 組織により直接的影響を与える、組織フィールドの枠内での実証研究が多く 見られます。 (一方ミクロ・アプローチの新制度派は、組織内部の枠内で現象学的に やっている感じです)。 どやろ?
あぼーん
>>237 どやろ?
わたし的には非常に関心をそそられます。
言い方を修正すると、私の関心事に非常に近いです。
是非具体論に着手したいと思います。口火を切ってください。
240 :
Rackt :03/01/07 02:51
その前に…、もう一つコメントさせてください。
>>233 その番組は、僕も途中から見ました。
残念なことに酔っぱらっていたので、内容はあまり憶えていません。
「日本の課題」、「日本の再生」といった文脈については、
その経済的な文脈と経営的な文脈とに分けて考えた方が良いと思います。
経済的な文脈でいえば、「日本の再生」を測る指標は、例えば、
GDPのプラス成長や、日経平均株価の回復、失業率の低下などといったことでしょう。
そして経営的な文脈でいえば、それは個々の企業や組織の再生を意味するでしょう。
しかし、日本にはあまりにも多様な産業や無数の企業が存在するため、
個々の産業や組織にとって有効な処方箋は、それぞれ違ったものになるはずです。
問題は、有効な処方箋がそれぞれ違ったものであるにもかかわらず、
まるで「同じ日本企業」ということでひっくるめられて論じられていることだと
思います。
(つづく)
241 :
Rackt :03/01/07 02:53
(つづき)
「旧弊をうち破れ!」、「イノベーションだ!」といったかけ声のもと、
市場経済における自由競争の論理を組織の中に導入しようとするのが一種の
トレンドのようですが、
(そして我らが若年層は、何となく上の世代への反抗の論理として用いて
いる節もあるのですが)、
もちろんすべての組織にとってそれが適切とは限らないわけで、
その結果、案の定失敗する組織も出てきているはずです。
しかしマスコミも経営学者も、自由競争の論理を導入して失敗した組織の
例をあまり取り上げたがらず、成功例ばかり取り上げるので
(その方がウケもいいしカッコいい)、
企業も何となく周囲の雰囲気に流され、制度的に同型化したものの、
うまくマネジメントできず失敗する、というパターンは、
経営学的には大いに考えられるわけです。
日本経済の低迷については、多様な企業を「同じ日本の企業」として
ひっくるめて論じてきたことにも、おそらく原因があるはずです。
「汝自身を知れ」。知るためにはもっと多くの実業人が、現場をもっと知る
だけではなく、経営学もできればもっと学び、それを自分で判断すること
こそが理想的です。
(もちろん、経営学を学ぶわれわれももっと企業の現場から学ぶべきでしょう)。
>>233 の主旨からちょっとはずれたレスになってしまいましたが、
すみませんでつ。
>>236-237 そこでなんだけれども、組織としての特性が反映させるにはどうするかが悩ましいと思うのです。
いくつもありうる規範の積み上げという組織観は、まぁ納得いくとして、
では「なぜあえて組織なのか」という古くて新しい問いを放置できないように思うのです。
積み木といわれれば、どこだってそうなわけで、なぜ敢えて組織なのか。
俗に「組織的」とあいまいに言っていることの本質は何なのか。
だからこそ、たとえば組織の犯罪行為や違法行為が取りざたされるわけですよね。
カール・マンハイムは「自由・権力・民主的計画(未来社)」の13.3.2(講義録の
12.3.2
http://home1.catvmics.ne.jp/~shibatay/plan3.htm )不安定性の源
泉としての道徳の二重性」において以下のように言っております。21世紀の世界に
ぴったり当てはまるのではないでしょうか?
社会の進歩のためには、しばらくの間我々の自己中心的な地平線から離れて、
コミュニティのために何が善であるかを見ることのできる、我々の抽象的な道徳性
をもっと高めなければならない。旧式の説教者の誤りは、我々は利己的ではなくて
利他的でなければならないことを示唆しながらも、彼が我々の良心にしか訴えなか
ったことである。つまり、彼は社会構造を批判しなかったが、我々の行為は社会構
造の中で行われなければならないし、その社会構造のルールが個人に自己中心的な
ゲームを強制しているからである。だから、個人における社会的責任性を改善する
ことは、それと同時に社会的な改革を通して、我々の社会構造におけるゲームのル
ールを変更できる場合にのみ、効果を期待できるのである。
244 :
Rackt :03/01/12 21:40
>>243 社会の進歩を語ることは、浅学非才の僕の手に余ることですが、
>>243 の「社会」という言葉を、そのまま「組織」という言葉に置き換えると、
とても納得がいきますし、また議論をより引き出すことも期待できます。
組織の問題としてよりもむしろ、全体社会的な問題としての、
利己的行動と利他的道徳との葛藤という話ならば、
確かに、ニュースなどを見ると、社会道徳の退廃と利己的行動の肯定といった風潮
がますます強まっている印象を受けます。
例えば、年末年始の郵便配達のアルバイトとして雇われた人が、
「配達が面倒くさいから」という理由で郵便物を配達せずに捨てた、
というニュースを見ると、これは郵便局という組織の問題だけでなく、
ひょっとして社会の問題ではないか、ともいえます。
しかし、
>我々の社会構造におけるゲームのルールを変更できる場合にのみ、
>効果を期待できるのである。
ここで重要な役割を果たすのは、やはり「組織」なのだと思います。
行政組織だけでなく、学校やサークルという組織、企業やNPOといった組織も
含まれます。
(ただし、すべての組織が社会的改革を意図する必要はないと思います)。
社会の問題は、これら組織に影響するため、決して無視できないものですが、
少なくとも今は、組織の研究を通じて、この社会に何らかの形で貢献できたら
いいなあと、思っています。
245 :
Rackt :03/01/12 21:43
>>242 この古くて新しい問いに対して、なかなかうまくは答えられないのですが、
少なくとも、こういうことはいえるんじゃないか、という特性をいくつか
挙げます。
皆でそのような特性を挙げていけば、何となく組織の本質を語るための輪郭
をつかめるのではないか、ということを期待しつつ…。
まずは、「合理性を貫徹する規則の体系」(ウェーバー)から。
ここでの挙げられた特性は、以下の3つです。
・合理性
・規則
・体系
やはり組織はその「合理性」に特徴があって、
合理的な行為をさせるための規則が明文化されている、といえると思います。
明文化された規則の源泉は、明文化されていない規範ともいえます。
合理的だとされる規則・規範は、組織の内部で生成されるだけでなく、
組織にとっての外部の環境においても生成されており、
(例えば、合理的だとされるプログラム、サービス、プロフェッショナリズムなど)、
合理的な組織はそれらを内部へと取り込むことで生存しようとする、
というのが、初期の新制度派組織論の論点でした。
ただ、問題としては、この「体系」の範囲をどこまでとするのか、
つまり「組織の境界」をどこに設定するか、ということが挙げられます。
これは極めてあいまいな問題であって、企業の枠を越えた組織行動が存在する、
という見方もできまし、あるいは組織フィールドという枠組を設ける場合もあります。
247 :
名無しさん@あたっかー :03/01/14 23:41
横車を押す人の方が、イレギュラーな分強力で システムをよりよく維持発展させたい方が、それを言っちゃお仕舞よで 我慢の子でいなきゃならん、現実の組織でどうアプローチすりゃいいの?
247さん、この問題は私も悩みぬき、失敗しつづけてきました。名案はまだ見つけていません。
あぼーん
あぼーん
(^^;
252 :
Rackt :03/01/23 00:51
>>247 遅レスすみません。
制度化のアプローチの3本柱というものがありまして、
それは以下の3つだそうです。
「規制的」、「規範的」、「文化的−認知的」(Scott, 2001による区分)。
システムをよりよく維持発展させる観点に立って、
それぞれのアプローチについていえば、以下のことがいえると思います。
「規制的」アプローチ…
公式的な権限によって、適切なルールをつくること。
あるいは不適切なルールを捨てること。
「規範的」アプローチ…
公式的な権限・ルールで働きかけるとまではいかないにしても、
日々の仕事を通じて、適切な価値や行動パターンを
各々のメンバーの心に植え付けること。
「文化的−認知的」アプローチ…
何が適切か、正しいか、という以前の、
メンバーの「ものの考え方、認知の仕方」そのものに働きかけること。
上の3つのアプローチを必要に応じて駆使するという方法が、
理論的には考えられます。
(つづく)
253 :
Rackt :03/01/23 00:53
(つづき)
しかし実際問題として、適切な価値や行動パターンをメンバー間で共有する
ためには、まずメンバーに自分の話を聞いてもらう必要があります。
これは想像ですが、横車を押すその人たちはあまり話を聞いてくれなさそう
な気がします。
そこで重要になってくるのが、コミュニケーションです。
上のアプローチを実践する以前に、まず彼らの懐に飛び込み、
彼らに認められるようになる必要があります。
そのためにはまず彼らを認めることが肝要です。
現場の第一線で働いておられ、最善を尽くされている
>>247 さんに、
理論バカの僕がこんなことをいうのはとても不謹慎で恐縮ですが、
少しでもお力になれば幸いです。
横車を押す人たちの言い分は
>>247 さんのお立場上受け容れられないもの
だとしても、
彼らとのパートナーシップを深めることは、
時間はかかるかも知れませんが、可能だと思います。
彼らの言い分を拒まずに耳を傾け、まめに言葉をかける。
彼らの望んでいるものが何かを把握し、それにできるだけ沿うように
行動する。
ただし安易な妥協はしない。
良い成果を出したら誉めてやり、説教は必要最小限にとどめる。
時には缶コーヒーを差し入れたり、食事をおごったりする。
そういった地道な努力は、きっと報われるはずです。
彼らの立場上、
>>247 さんの意見は受け容れられないものだとしても、
それでも
>>247 さんを苦しめることはしなくなるかも知れませんし、
ひょっとしたら一肌脱いでくれるかも知れません。
ご健闘をお祈りします。
> 彼らの言い分を拒まずに耳を傾け、まめに言葉をかける。 私の経験的な智恵もこれに尽きます。実際2ちゃんねるでも実践しているのですが、 経験的に言えば、骨折り損のくたびれもうけ、他人に勧められないだけでなく、 自分も疲労しか残りません。今(現在72歳)のところ。(泣き笑い) 健闘を祈られてもねえ?
255 :
名無しさん@あたっかー :03/01/23 23:23
Racktさん中葉先生 有り難うございます。話せば解ると言って 撃たれた総理じゃないけど娑婆には、誠意の通じない というか、それ以前に言葉が通じない相手もあると思うこの頃です。
256 :
Rackt :03/01/24 16:39
中葉先生、予想される反論を見越してのお気遣い、ありがとうございます。 それにしても難しい問題ですね。
>>255 娑婆には、誠意の通じないというか、それ以前に言葉が通じない相手もあると思うこの頃です。
2ちゃんねるも同様ですね。新スレでしみじみ味わっています。呵々
>中葉氏 あんたのそういうところが一部の人たちから嫌われている理由だと思われ。 自分の言葉の足りなさ、議論の誘導のマズさを棚に上げて、偉そうに 聞き手の理解力の問題で片ずける。しかも自分で建てたスレでなく別のスレで 文句たれる。あんた自身が「誠意」もないし、「言葉」も通じない部類だ罠。
おかげさまで、あちらのスレも住み易くなりました。
261 :
名無しさん@あたっかー :03/02/07 23:01
いずこも同じ、二八月、、
262 :
名無しさん@あたっかー :03/02/09 23:43
小判を如何にして猫に与えるか、その方法論とは?
問題を修正します。 満腹の猫に小判を与えて食わせるにはどうするか? 制度論的に考えるのが良さそうだ。
264 :
名無しさん@あたっかー :03/02/10 19:31
猫は小判を食べまそん。∵
>>264 猫は小判を食べまそん。∵
問題をもう一度修正します。
これまでのように錯雑した議論こそ「知識時代」の特徴であり、避けることは
できないと思います。そして、その難路を乗り越える「新制度派アプローチ」、
言い換えれば「ソフト・サイエンス・アプローチ」が求められています。
>>266 >「新制度派アプローチ」、 言い換えれば「ソフト・サイエンス・アプローチ」
マヂで真性デムパだな・・・
268 :
名無しさん@あたっかー :03/02/15 20:04
制度派組織論ってどちらかといえば暗い感じがするんですよ。俺には。 人々の相互作用によって戦略や発想が収斂していって、 参加メンバーの独自性が次第になくなっていっちゃうような。
269 :
名無しさん@あたっかー :03/02/15 20:08
猫には、小判の価値なんて意味曖昧模糊で迷惑 それよりマタタビまぶした一分銀なら酔って来るし もっと安いが煮干なら飛びつくニャ〜ン。
あぼーん
273 :
名無しさん@あたっかー :03/02/17 00:47
(^^)
275 :
名無しさん@あたっかー :03/04/10 22:08
保守
(^^)
あぼーん
あぼーん
280 :
名無しさん@あたっかー :03/05/05 23:34
組織科学の特集あげ
281 :
名無しさん@あたっかー :03/05/05 23:55
ただ働きのアシスタント!
あぼーん
あぼーん
あぼーん
>>282 そろそろ上記の方向へ転進します。狙いは「同時多発テロ後の社会構築4」などの後継、ないし、側面支援。
議論の取っ掛かりは、パワーシフト グローバル市民社会の台頭
Power Shift ジェッシカ・マシューズ
http://www.foreignaffairsj.co.jp/yoshi/9703.html#power の最後の以下の文章です。
======================================
「国家の解体と進化」
もし現在のトレンドが続けば、50年後の国際システムは大幅に変化しているだろう
し、この移行期には、ウェストファリア・システムとその進化形態のシステムが両脇
にそれぞれ位置しているであろう。
国家パワーの衰退は結局は一時的な現象になるのだろうか?国家政府への現在の失
望感は、そうした考えが喚起されるとともに急速に悪化していく可能性がある。グ
ローバリぜーションが今後も続き、(ある臨界点に達すれば)過激な経済、文化的
ナショナリズムによる逆襲を招くかもしれない。あるいは、逆の見方をすれば、政
府がうまく扱えない問題の解決を助けることで、ビジネス、NGOそして国際機構
は、実際には国民国家システムを強化しているのかもしれない。(後少し続く)
======================================
あぼーん
あぼーん
携帯ゲーム機"プレイステーションポータブル(PSP) このPSPは、新規格UMD(ユニバーサルメディアディスク)というディスクを利用しており、そのサイズは直径6cmととても小さい(CDの半分程度)。 容量は1.8GBとなっている。 画面は4.5インチのTFT液晶で、480px x 272px(16:9)。MPEG4の再生やポリゴンも表示可能。外部端子として、USB2.0とメモリースティックコネクタが用意されているという。 この際、スク・エニもGBAからPSPに乗り換えたらどうでしょう。スク・エニの場合、PSPの方が実力を出しやすいような気がするんですが。 任天堂が携帯ゲーム機で圧倒的なシェアをもってるなら、スク・エニがそれを崩してみるのもおもしろいですし。かつて、PS人気の引き金となったFF7のように。
290 :
名無しさん@あたっかー :03/06/27 19:11
あげ
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
296 :
名無しさん@あたっかー :03/09/17 13:47
良スレ認定
-
298 :
女社長いずみ48歳 :03/11/01 04:53
変態スレ認定
299 :
名無しさん@あたっかー :03/11/03 23:01
神スレ認定
300ゲット♪
清香さんも結構ヒマなんだ!
302 :
清香 ◆KEj57QdzB. :03/11/04 00:17
>>301 先生チャオ♪
こんなところで見つかるとは。(笑)
つーか今日は連休なんで適当にしてました。
先生のとこは高度な学習内容なので
他スレみたいに遊べないから中途半端に参加できません。涙
落ちついたらユックリ勉強するので先生もそれまで
亀レス状態で維持してくださいませ。 m(_ _)m
では、またクラブに飲みに来てくださいませ。(笑)
>>286 議論の取っ掛かりは、パワーシフト グローバル市民社会の台頭
> Power Shift ジェッシカ・マシューズ
http://www.foreignaffairsj.co.jp/yoshi/9703.html#power > の以下の文章です。
======================================
「国家の解体と進化」
もし現在のトレンドが続けば、50年後の国際システムは大幅に変化しているだろう
し、この移行期には、ウェストファリア・システムとその進化形態のシステムが両脇
にそれぞれ位置しているであろう。(まだ続く)
======================================
最後の文章は以下の通りです。
この問題こそ、新制度派が取り組むべき人類最後の課題です。
この問題について、これからボツボツ発言できればと思っています。
そう言えば、前に紹介したと思いますが、同じ問題をロバートベラーが
「善い社会―道徳的エコロジーの制度論(みすず書房)」でいいところまで突っ込んでいます。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4622038420/qid%3D1070491160/250-8820245-9693046 ======================================
非国家アクターの台頭が最終的に吉報となるか、凶報となるかは、人類が
第二次世界大戦後に行ったような急速な国際的社会刷新の道を歩めるか
どうかにかかっている。
現状に適応するために必要なのは、ビジネス部門がより広範な政策上の
役割を担いうるようになること、NGOがより視野を広くし、
さらに大規模な活動を行えるような存在に変貌すること、
国際機構が、国家にも市民にも効率的な社会サービスを提供する二重の
舵取り役を担えるようになること、とりわけ、今日におけるトランス
ナショナルな課題に対応でき、透明度の高い民主的な統治を求める市民の
願いを共に満たすような新たな機構と政治単位が登場することが含まれよう。
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308 :
名無しさん@あたっかー :04/03/11 20:11
age
309 :
名無しさん@あたっかー :04/05/10 18:29
age
310 :
Rackt :04/05/11 02:24
組織の構造やパフォーマンスが組織内外の環境からの諸条件に影響される、 とする諸命題をコンティンジェンシー理論が提示して以降、 それら環境条件のどの要因に焦点をあてるかによって、 欧米では、さまざまなポスト・コンティンジェンシー理論が登場した (例えば、資源依存理論、組織エコロジー論、そして新制度派組織論・・・) とされています。 そこでは、特定環境すなわち産業セクターや組織フィールドといった、 全体社会レベル(マクロ)と組織(ミクロ)とを媒介する、 中間レベル(メゾ)が、分析の主なレベルとして扱われていて、 この分析レベルでの研究が、マクロの現象とミクロのそれとを結びつける ための枠組みを提示するのではないか、ということが期待されています。 (マクロとミクロを結び付けて説明するなど、そんな簡単なことではない ので、あくまで「期待されています」と言っておきます) ところが、わが国ではコンティンジェンシー理論以後、 上述のポスト・コンティンジェンシー理論を扱う研究者が少なく、 また(あるいはそれゆえに)「外部」環境要因の組織への影響の分析は、 それほど進展していないように思います (僕が知らないだけかもしれませんが)。 日本のコンティンジェンシー論者だった研究者の多くは、 今では知識創造やシンボリズム論といったように、 組織の「内部」環境要因の分析を発展させている印象を受けます。 なぜ、わが国ではコンティンジェンシー理論以後、 組織の「外部」環境要因の研究が、ごく少数の研究者によってしか 行われなかったのでしょうか。 なんだかまるで論文の書き出しみたいになってしまいましたが、 今はそんなことを考えています。
311 :
名無しさん@あたっかー :04/08/06 08:54
上げ
312 :
名無しさん@あたっかー :04/08/30 10:53
>>310 長期的な研究をする根性が無いってのもあると思う。
313 :
Rackt :04/09/18 01:04:27
>>312 そこのところ、「昔はコンティンジェンシー論者だったが今は違うようだ」
というような研究者と面識がないので、僕は何ともいえません。
やっぱり経営学者たるもの究極的には組織の内部のマネジメントの研究、
それも実践的な研究を発展させたいのかなあと思います。
昔コンティンジェンシー論者だった研究者たちは、
やはり「経営学者」だったから今は(今も?)組織内部の
マネジメントの研究をメインに据えているのかなと思います。
どうでしょう?
僕は組織論を研究し、かつ一応経営学をやってますということに
なっていますが、マネジメントにはあまり興味がありません。
自分の研究が人様のお役に立てればそれに越したことはないが、
できれば管理されるのもするのも勘弁してほしい、
というのが正直なところです。
むしろ社会現象としての、あるいは社会的問題としての
組織を研究することに関心があります。
それは経営学的なというよりもむしろ社会学的な関心です。
その意味でコンティンジェンシー理論は、経営学ではありながらも、
実に社会学的でした。新制度派も(一部の戦略論者を除き)そうです。
マネジメントに興味がないなら経営学板から出てけ! といわれそうですが、
もっと「組織論」は非実践的でもいいのではないかと思うこの頃。
長文・駄文失礼しました。
314 :
名無しさん@あたっかー :04/10/08 14:30:52
制度派は面白い。マクロ組織論を勉強するにはなにかよい教科書がありますか? 資源依存理論、個体群生態学、制度派理論・・・ぜんぶもとの論文を読まないと勉強できないかな?
315 :
名無しさん@あたっかー :04/10/09 00:05:28
>310 組織の構造やパフォーマンスが組織内外の環境からの諸条件に影響される、 とする諸命題をコンティンジェンシー理論が提示して以降、 それら環境条件のどの要因に焦点をあてるかによって、 欧米では、さまざまなポスト・コンティンジェンシー理論が登場した (例えば、資源依存理論、組織エコロジー論、そして新制度派組織論・・・) とされています。 そこでは、特定環境すなわち産業セクターや組織フィールドといった、 全体社会レベル(マクロ)と組織(ミクロ)とを媒介する、 中間レベル(メゾ)が、分析の主なレベルとして扱われていて、 この分析レベルでの研究が、マクロの現象とミクロのそれとを結びつける ための枠組みを提示するのではないか、ということが期待されています。 いや、組織の構造やパフォーマンスが組織内外の環境からの諸条件に影響される んじゃなくって、組織には環境を主観的に解釈して自由な意思決定を行なう経営 者ないしは経営陣がいるってことに焦点をおくアプローチに発展しているんじゃ ないかな。だから、全く同じ客観的環境が仮にあったとしても、それで特定の構 造や業績が一意的にきまるのじゃなくて、常に選択の余地があり、その選択をす る主体の環境認識が大きな役割を担うというわけだよね。こういった考えが、い わゆる社会学的戦略論に発展してきているように思う。
イナクトメントが重要なのはたしかだけど、 ポストコンティンジェンシー理論のなかでも 制度派をはじめとしたシステム論的なマクロ組織論は、 基本的な発想として環境決定論なのは変わってないと思う。
317 :
名無しさん@あたっかー :04/10/12 22:37:48
age
318 :
名無しさん@あたっかー :04/10/13 01:28:09
>>316 うん、それはそうなのかもしれないけど、315でもいったような戦略的選択
の概念が入り込んできたことによって、単に受動的に環境に取捨選択される
のではない視点による組織変革や戦略的変化の理論的地平が開けてきたんじ
ゃないのかな。
319 :
名無しさん@あたっかー :04/10/13 02:10:54
桑田・田尾の『組織論』第2部を読んでみた。 「戦略的選択」と「環境決定論」に各1章さいた後に、「組織目標」の章を置いている。 興味深い構成だと気づいた。
320 :
名無しさん@あたっかー :04/10/15 20:31:20
>>313 >もっと「組織論」は非実践的でもいいのではないかと思うこの頃。
>長文・駄文失礼しました。
だとすれば、AMR最新号「言語と組織」はかなり面白い。
321 :
Rackt :04/10/21 17:38:50
>>315 >組織の構造やパフォーマンスが組織内外の環境からの諸条件に影響される
>んじゃなくって、組織には環境を主観的に解釈して自由な意思決定を行なう経営
>者ないしは経営陣がいるってことに焦点をおくアプローチに発展しているんじゃ
>ないかな。
おっしゃるとおりです。
僕の理解では、80年代ごろから制度論は環境決定論だという批判が出てきて、
それ以後、Powell and DiMaggio (1991)の例の論集を大きな出発点に、
90年代以降、制度的環境の中での組織の主体的行為や
戦略を重視する論文が出てきました。今も出続けています。
ただ、「自由な意思決定は果たしてどこまで自由なのか」、
という問題が、特に制度論には残ります。
行為者の主観や解釈がその行為者を取り巻く制度的文脈によって形成される、
とする前提を取る以上、やはり、
>>316 >基本的な発想として環境決定論なのは変わってないと思う。
という指摘は重要です。
(続く)
322 :
Rackt :04/10/21 17:40:55
323 :
名無しさん@あたっかー :04/10/23 13:32:15
324 :
名無しさん@あたっかー :04/10/24 01:59:18
>>323 ちょっと違う。新制度派というよりはポストモダンかぶれの教科書だな。
>324 そうなのですか。コメントありがとうございます。 田尾先生(だったと思う)が著書の中で触れられてたので 関係ありかと思ったのです。 専門外なのでいろいろ教えて下さい。
326 :
名無しさん@あたっかー :04/10/25 23:53:17
Mary Jo Hatchの教科書は評判いいらしいよ。 マクロ組織論の教科書ではないけど。 むかしはMiles(1980)とかがいい教科書だったらしいが、 1980年代なので制度派とかは入ってない。 もっとあたらいいのはないか。
327 :
名無しさん@あたっかー :04/10/26 00:57:29
組織論の最も標準的な教科書はスコットのやつだと思うけど。 それに勝るものはあるのだろうか。学部生向けだったらダフト かジョーンズじゃないか?
328 :
名無しさん@あたっかー :04/10/27 00:14:16
スコット最強伝説
329 :
名無しさん@あたっかー :04/10/27 00:45:54
教科書もいいが、一番よいのはASQをコツコツ読むことだと思う。 あれはどこの大学の図書館でも必ずあるはず。
330 :
名無しさん@あたっかー :04/11/09 20:20:34
>>322 佐藤先生と山田先生の文化と制度の本は非常に分かりやすいね。
教科書として使えると思う。
331 :
Rackt :04/12/12 18:36:35
『制度と文化』ようやく読み終えました。 文化を扱った組織理論を体系的に整理しており、また事例も豊富で、 文体も分かりやすく、お買い得の本だと思いました。 一つ、疑問に思うのは、最終章で、 第一のモデル:「効率性モデル」(個人→組織→社会の因果関係を説明)でもなく、 第二のモデル:「新制度派組織理論」(社会→組織→個人のそれを説明)でもない、 「第三のモデル」として自説の複合戦略モデルを提示していることです。 そのモデルでは、「制度固有のロジック」や「道具箱としての文化」といった 概念に示されるように、確かに、一方で制度や文化によって社会化される行為者が、 他方でその制度や文化を意図的に選択さらには操作したりすることを述べており、 その意味で第三のモデルとも言えなくはないのですが、 1990年代以降、新制度派組織論の枠内であれだけ制度の変革や操作にかかわる 論文が出ている状況──つまり新制度派自体が変化している状況を踏まえると、 僕はむしろ『制度と文化』のいう複合戦略モデルは、「新制度派とは異なるモデル」 というよりも、新制度派の枠内での改良モデルとして位置づけられるのが 適切ではと思いました。 (つづく)
332 :
Rackt :04/12/12 18:37:43
(つづき) もちろん、著者たちのいう複合戦略モデルがどのモデルに属するのかは、 彼らの理論的スタンスや議論の方向性にもよるでしょう。 しかし、別の章で、FligsteinやOliverのような、新制度派の枠組みの中での、 制度を操作しようとする行為者に関する新しい研究動向を紹介しているにもかかわらず、 最後の章になって新制度派を結局は環境決定論的なモデルとして位置づけるのは、 やはり問題があると思いますし、もしそう位置づけるのであれば、 「結局、FligsteinやOliverの説明では制度に能動的に働きかける行為を説明できない。 だから新制度派は今でも環境決定論なのだ。でも自分たちのモデルは違う」 という説明が必要になってくると思います。 ・・・ただ、新制度派のアプローチそのものが、統一的な理論体系があるわけでもなく、 いわばさまざまな社会学的仮説の寄せ集めみたいなところがあるので、 あるモデルが新制度派の枠内かどうか、というのは実にあいまいなところが あることも事実です。 長文失礼しました。 最近はASQも読まず、むしろDQSになりつつあります・・・。
333 :
名無しさん@あたっかー :04/12/26 23:51:55
age
334 :
名無しさん@あたっかー :05/02/07 20:07:39
制度派もエー
335 :
名無しさん@あたっかー :2005/07/13(水) 16:58:34
336 :
名無しさん@あたっかー :2005/10/27(木) 03:00:10
板ちがわね?
337 :
名無しさん@あたっかー :2005/12/20(火) 20:50:25
ちんこ
338 :
名無しさん@あたっかー :2006/05/14(日) 17:22:02
339 :
名無しさん@あたっかー :2006/09/20(水) 21:50:20
!
340 :
名無しさん@あたっかー :2007/04/16(月) 19:54:08
341 :
名無しさん@あたっかー :2007/11/16(金) 10:21:27
あ
342 :
名無しさん@あたっかー :2008/01/19(土) 10:45:49
新旧制度派アプローチを現在も勉強し続けている人、いらっしゃいますか? これ、良スレですね。ここでそういう方とお話したいです。 ちなみに自分は、制度そのものよりも制度化の過程に興味があります。
343 :
名無しさん@あたっかー :2008/02/28(木) 02:19:35
344 :
名無しさん@あたっかー :2009/04/27(月) 16:14:22
346 :
名無しさん@あたっかー :2009/07/02(木) 01:18:35
347 :
名無しさん@あたっかー :
2009/09/07(月) 14:56:38