1 :
名無しさん@京都板じゃないよ:
無いので立ててみます。
2 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2014/07/25(金) 00:21:09.67
以前、女子高生が家出して神社に寝泊まりしていたことがありましたが
自分の家から少し離れたところに、ちょっと大きな無人のお寺があります。
いわゆるお堂と言うやつですね。因みに場所は田舎と言ってもいいところです。
あの大きさだとトイレとかあるのかな?場所から言って汲み取りになるでしょうが
トイレつきのお堂なんてあります?
3 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2014/07/25(金) 18:47:14.50
お願いします。
日本人としての心掛けや神様を知りたく思い、親不孝で罰当たり者ですが、心が弱っていましたので救いを求めて靖国神社と明治神宮に泊まりがけで毎日のように通いました。
自分のことはごく控えめに戦争で亡くなった方への感謝と冥福、世界平和を願って来ました。
自分の事を強くお願いしたいと思いましたが、神様に念願をすることに抵抗がありましたので、御参りすることだけでもおかげを頂けると思ってました。
日本の心と神様を教えてくれる方に出逢えるといいな。と思っていましたが、
ヘトヘトで疲れているときに韓国人の牧師さんと出会いました。
何故なんだろうと思いましたが、外国の方との関わりで自分の中の日本人に気付けるように、日本の神様が会わせてくれたんだろうと思うようにしました。
日韓関係は良くないと知っていましたが頭ごなしに嫌悪感を抱くのは良くないと思い、常識的に振る舞いました。
牧師さんも自分が弱っているのが分かったようで、教会へ誘ってくれました。
とても良い方で教会で祈ってもらいましたら今まで信仰や病院でも楽に成らなかったのにとても楽になりました。
しかし何度かお邪魔しているうちに、日本の原点は韓国。天皇家は国民の税金を使っている。と言うような話が出始めました。
自分は信仰をすると望んだ事とは逆の結果になりやすく思います。なので信仰は苦手です。
この出来事はどのように解釈すれば良いでしょうか?
スレ違いの質問でしたらご免なさい。
誘導お願いします。
4 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2014/08/01(金) 20:21:24.33
チンポやマン○を祭った神社って
いつ頃からあるのでしょう?
5 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2014/08/07(木) 00:33:28.77
まりも
6 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2014/08/07(木) 12:56:33.36
人いないね
7 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2014/08/07(木) 15:44:40.75
おーいw
8 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2014/08/10(日) 00:00:37.71
チンポ マン○
9 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2014/08/14(木) 00:01:01.78
熊野大社のようなどっしり系に行きたいのですが、他におすすめはありますか?
11 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2014/08/15(金) 02:22:16.08
12 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2014/08/15(金) 05:17:20.52
13 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2014/09/11(木) 04:14:11.16
他スレのレスコピーして置きます。
俺んちの田舎、在日朝鮮人学校があるんだわ。で、そういうところって必ず朝鮮人部落ってのがあるんだよね。
朝鮮人なんかが犯罪犯してそこに逃げ込まれると、警察も手出しが出来ないくらいの暗黒街なんだわ。
親から『あの近所には絶対近づくな。どうしてもあの近所に用があるときは、包丁でもなんでもいいから、必ず武器を持っていけ』
って言われたくらいだからね。俺が小学校高学年の時かな。
下校途中の中学生の女の子が、在日朝鮮人学校の生徒にレイプされる事件があったんだよ。
たまたま一緒にいたクラスメートの男子が助けに入ったんだけど、彼はバットか何かで頭を殴られてしまったんだ。
女の子の方は、部落に引きずり込まれてさんざん嬲られた挙句、あそこに電球つっこまれて、それが中で割れちゃっててひどい事になっていたらしい。
結局、頭を割られて血まみれになったクラスメートの男子と一緒に、ほとんど全裸で通りに放り出されていたのを通行人に助けられたんだ。
頭を割られた男の子は、頭蓋骨陥没骨折と脳挫傷で3日後に死亡、
女の子もレイプされたショックから立ち直れず、半年くらい後に、『お母さん、ごめんなさい』
って遺書を書いて自殺しちゃったよ。
俺はその時、子供ながら
『何で、あの女の子が“お母さん、ごめんなさい”なんて書いて自殺しなきゃなんないんだ?悪いのはみんな在日朝鮮人だろう!!』
って、物凄い怒りを覚えたよ。
警察も動いたけど、結局、部落には踏み込めなかったよ。
最後に警察が掴んだ情報は、『犯人は総連にその日のうちに保護されたもよう、2〜3日後に総連の保護のもと、北に逃げたと思われる。』
という情報だけだったそうだ。
女の子が自殺して二年くらい経った時かな。
被害者の遺族あてに差出人不明のいやがらせの手紙が届いたんだ。
内容は『お前達の息子を殺し娘を犯した者達はわが祖国で労働英雄となった。いい気味だな日本人』という内容だったそうだ。
結局、被害にあった家族はみんな町を捨ててどこかに引っ越していった。
(例の日本人小学生を斧で殴った朝鮮人も無罪になりました。)
14 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2014/09/11(木) 22:45:11.53
まず 日本書紀や 古事記読んで見てください
15 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2014/09/13(土) 21:46:36.94
昔から疑問に思ってたことに 文化カテの中に神社仏閣スレの中に
“日本のお祭り&踊りスレ”(仮名
どこ探しても見当たりません 何故ないのですか?
昔から五穀豊穣・子孫繁栄・厄除け等 継承していきたい地元のお祭り
郷土文化を守りつつ人や村の繋がりを大事にする情熱的な踊り
北海道から九州沖縄、有名から奇祭、造形文化から和楽器まで
日本各地の民俗風習文化全体的に見て いろいろあって面白いです
2ch内で該当するとこなかったので 僭越ながらあえて書かせて頂きました
うちの菩提寺は、塔婆の裏に格言みたいなのがあるんだが、あれなに?
他のお寺さんでは見たことなくて、住職の趣味なのかな。とか思ったんだが。
まあ、そんな感じだと思う。
18 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2014/09/18(木) 21:43:38.18
質問です。
近所の曹洞宗のお寺の座禅会に参加しようと思っています。
参加費用は初回無料で500円だそうです。朝食付きです。
普通こういった会は、参加費用とは別にやっぱり御布施も包むものなのでしょうか?
お寺の作法や仕来たりに全く知識がなく、分かりません。どなたかご教示頂けませんでしょうか。
包むとしたら封筒に入れて渡すべきですか?
渡すタイミングとか良く分からないんですが、裸は流石にダメですよね?
だとしたら封筒はどんな物?茶封筒?or白封筒?
名目は何か書くべきですか?
自署とか要りますか?
合わせて参加費用の倍程度なら無理がなく喜捨でき、継続的に通えそうなのですが、少ないですか?てか相場が分からん。
19 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2014/09/19(金) 13:32:43.04
>>18 以前行った曹洞宗のお寺では開始前に会計していて、500円を
裸で渡して記帳をし、お布施したい人は自分で別に賽銭箱のほうに
入れてました。
ですが、座禅会によって違うようですので、一回目の無料のときに
他の人の様子を見て、次からまねるのが一番だと思います。
わからなければ無記名の白封筒にでも入れれば十分かと思います。
会費制にして広く参加者を募っているので追加のお布施は必要ないかと
20 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2014/09/21(日) 14:57:00.19
>>19 レスありがとうございます。
座禅会行って参りました。
一番乗りで作法が分からず、白封筒(何も書かず)に入れたお布施(と言っても千円)を直接、和尚さんに渡しました。
後からいらした方に色々世話を焼いて頂いたのですが、
皆様、最初に本尊に手を合わせてお賽銭箱にお賽銭を入れておられました。
御布施は今度からお賽銭に入れれば良いのかな?と思います。
平和ですか?って平和なんてある訳が無いのにー
22 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2014/09/22(月) 18:17:15.25
お寺でおへそのところに輪宝?がある仏像を見たんだけど、なんでおへそが輪宝なんですか?
あと、大英博物館でビルマかそこらへんの古い仏像見たときも、手のひらに輪宝
意味わかる人教えてください
23 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2014/09/25(木) 15:53:23.07
>>22 手のは仏の身体的特徴とされる三十二相のうちの
手足輪相(あるいは足下二輪相)というやつだね
日本でも薬師寺の薬師如来像などで見られるね
おへそのあたりにつけるほうは東寺金堂の日光菩薩月光菩薩とかあるけど
理由は知らないなあ
>>23 どんぴしゃです、東寺で見ました
手の方は一般的なのですね
教えていただいてありがとうございました
25 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2014/09/27(土) 01:05:22.47
今度、友達の合格祈願をしに神社にお参りに行ってこようと思っています。
その際の絵馬の書き方について質問です。
複数名の合格祈願のため
合格祈願
木村太郎 佐藤花子
鈴木次郎 高橋美子
山田三郎 中村四郎
といった感じで名前を並べることになるのですが、私の名前は書くべきなのでしょうか?
私が祈願するので書くべきだとは思うのですが、人数が多くて一番下に書いても私まで一緒に合格祈願になっているような感じになってしまいそうです。
どこに書けば良いのですか?
連名せずに少しスペースをあけて右端に小さく 「願主 ○○□□」 って書けば
神様ご眷属様もわかってくださるんじゃないでしょうか?
27 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2014/09/28(日) 14:29:21.87
質問です。
自分の家系は代々神主で、曽祖父〜祖父の代に神職を廃して
近くの神社に管理をお任せするようになりました
本家はその後も神社の隣に住んでおりましたが、
自分は分家に当たり、現在は他県に引っ越しております
この場合、自宅に神棚にお祀りする氏神様のおふだは、
曽祖父が神主をしていた神社、現在住んでいる地域の神社
どちらになるのでしょうか?
よろしくお願い申し上げます
現在住んでいる地域(氏子区域)の神社。
先祖が祭祀していた神社を祀る場合は崇敬社となる。
29 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2014/09/29(月) 17:56:16.12
30 :
25:2014/09/29(月) 22:09:51.83
>>26 なるほど願主って書くんですね。
ありがとうございます。
31 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2014/09/30(火) 13:14:21.66
夢の中にたまに神様が現れる場合、どうすれば良いのでしょう、
昨日は瀬織津姫様が現れました、青い服来た小さい女の子で、
無言でスーと消えてしまいました。
去年は龍神社で龍神様に褒められました、布袋様みたいな温厚な
男の人でした。「修業が進んでいるようですね(^_^)」だそうです。
自分は神職でも何でもなくサラリーマンです。
32 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2014/10/01(水) 14:58:24.36
>>31 いろいろな意見があると思いますが。。
例えば夢の中に家族や友人が現れたり話ししたりしても、
それが現実の家族友人の意思を示すものではないように、
夢に神仏があらわれ話ししても、本当の神仏やそのお告げであるとは限らず、
願望やストレスの反映である場合も多いと思われます。
一方で、本当の夢告であったとしても、修行が進んでいる ということは
今のまま進めばよい ということでしょうから、いずれにしても、
神様なら有難いことだなぐらいに考えて、現在の生活を続けてはいかがでしょうか。
なるほど!分かり易いお答えありがとうごさいます
34 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2014/10/03(金) 12:54:53.34
別スレから移動してきました
母方実家の仏壇のお札について質問です
その家に独居していた伯母が老人ホームに入居し、現在空き家状態で
管理は私の母が行い、たまに私も手伝っていますが仏壇が手付かずです
仏壇には祖父母菩提寺のお札が何枚もあり、忍びないのでお返ししようと思ってますが…(伯母許可済)
この場合、お返しするのは家主代理である母をメインにした方が良いでしょうか
それとも伯母の姪の私が単独で行なっても問題ありませんか?
尚、伯母は病気のため同行できません
最初は、今週末に私一人で菩提寺に伺おうと考えてましたが、昔の類似スレの質問で
同じような状況の神棚の場合、家主以外触らない方がいいというレスがあったので心配です
>昔の類似スレの質問で同じような状況の神棚の場合、家主以外触らない方がいいという
>レスがあったので心配です
たぶんそのやり取りを読んでいて意見もした者です
まず、あの件ではすでに当主が亡くなっていて、それを継ぐべき立場の人物が
不敬に放置したままにしており、それを快く思わない傍系の方が跡継ぎの人を
差し置いて勝手に処分してもいいかどうか、が質問の要点だったように記憶しています
触らない方がいいと意見された方の言い分は、「どこの神社または何の神様を祀っていたか
わからない神棚はごくまれに祟ることがあるので、知らない&正当な祭祀後継者でない者
が無断で触らない方が無難だ。自分にもそういう経験があった」
ではなかったでしょうか?
質問者様の場合は、伯母様がご存命のうちにご了承なさって、しかも神棚ではなく、
その家系のご先祖様を祀る仏壇関係のものの処理管理を質問者様のお母様
(お母様から質問者様に、でも)に委託されており、件のお札にも特に注意事項なども
なかったようですから、処分(お焚き上げ)することはなんの問題ないと思います
おそらく健康とか家内安全などのごく一般的な願旨のお札(たいてい木札などに
書いてあります)ではないでしょうか?
だったらご心配することないと思いますよ
昔は「神棚ごとや祭祀関係のことは、その家の当主か長子の男子しかしてはいけない」
などという風習がありましたが、それも男尊女卑というか「女性は穢れている」というような
思想からでたただの風習で現代にはそぐわないので、気にすることはないですよ
>>35 >>34です
とても丁寧なレスをありがとうございました
おそらく、おっしゃって頂いた内容が私が読んだ質疑応答だと思います
伯母も母も祖母ほど信心深くなく、今回の事は伯母ではなく私が気になってしまい、
母を通して伯母から「好きにしていいよ」と許可をもらった状態です
お札は2種類ありまして、護摩札のような木札と、弘法大師(多分…)のお姿の紙の一枚札です
これが計10枚近くありました
重ねての質問で恐縮ですが、こちら全て菩提寺にお返しして大丈夫でしょうか?
もし大丈夫ならお札はお返しして、伯母が老人ホームでも持ち歩けるような
お守りを頂いて渡す予定です
37 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2014/10/03(金) 18:23:41.74
大国様の御神像って色々な神社で見かけますが
他の神社で頂いて一緒に御祀りしてもいいのでしょうか?
一つ頂くと他の神社では頂いて駄目なのでしょうか?
>>36 >護摩札のような木札と、弘法大師(多分…)のお姿の紙の一枚札です
>これが計10枚近く
すべて菩提寺様に返されて問題ないと思いますが、気になるのでしたら事前に
電話で↑を確認されたらいいかと思います
おそらく木札に菩提寺様の名前が書かれてあるのでは?
弘法大師の紙札はたぶんお盆のときなどの回向のものだと思いますが、菩提寺様が
真言宗なら問題なく引き受けてくれると思いますよ
>伯母が老人ホームでも持ち歩けるようなお守りを頂いて渡す予定です
おやさしい気遣いだと思います
伯母様も喜ばれるでしょうし、ぜひそうされるといいでしょう
>>36 伯母様に代わって、あなたが触れて良いかどうかについては、
>>35さんのおっしゃるのが完璧な答え。問題ありません。
次に御札を返す場所と方法についてですが、これには些かの注意が必要です。
護摩札はじめ一般的な祈願札の場合は、いわゆる「お性根入れ」がされていないことが大半ですから、宗旨を問わず寺で「お焚き上げ」供養で問題ないのですが、
お姿札やお守の場合は、「お性根入れ」=開眼・勧請がなされていることが多々あり(むしろそうする寺院が良心的)、その場合は「お性根抜き」=ハッケンの供養が必要になります。
お性根抜きの作法は、真言・天台・浄土・日蓮・融通念佛・時宗・奈良仏教…の各宗ではほぼ共通ですが、
臨済・曹洞・浄土真宗…では廃されてしまっています。
また、真言以下、前者の各宗寺院でも、いいかげんな末寺では面倒くさがったり不勉強により、僧侶がサボることが多々あり、それでは後者と同じになってしまいます。
あなたの菩提寺が何宗なのかはわかりませんが、確実な方法としては、上記前者の各宗派の本山クラスか信用のおける寺院にお納めするのが手堅いかと存じます。
>>37 お土産品的なマスコットグッズではなく、御魂入れしてあって拝む対象の
ご神像ですか?
そんなにたくさん見かけるようには思えませんが、礼拝対象にするのでしたら
1体で十分では・・・
お値段もそう安くはないと思いますが・・・
祀り方、礼拝の仕方などはぜひお受けになった神社さんで詳しく聞かれてください
仏教系の供養の仕方と神道系でもまた違うと思いますし、あちこちからたくさん
お迎えしても祀り方が統一できず、個人的な感想ですがあまりいいことはないようには思います
1年ごとに増やしていくとかいう、その地域や神社仏閣限定の特殊な信仰のものでしたら
その伝統にのっとったほうがいいでしょう
お御魂入れしてないただの偶像をコレクションして飾っておくのなら、趣味の範囲ですから
どうぞお好きに
あと、ちょうど上の話でもありますが、あとを継ぐ人が困らないように処分方法も
考えてからお求めになるのをおすすめします
42 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2014/10/03(金) 21:38:15.98
>>38-39 >>34、
>>36です
お二方、詳しくありがとうございます
失礼しました。宗派を書いておりませんでしたが、母方実家は
>>38さんのおっしゃる通り真言宗です
木札は確かに菩提寺のもので、紙札のお姿を弘法大師?としたのも
宗派が真言宗で、お姿が僧侶だったためです
私が触れてもよいとのことで、とても安心しました
「お性根入れ」「お性根抜き」不勉強ながら初耳でした
明日、木札、紙札共に菩提寺にお持ちして相談してみます
もしお性根抜きが必要でしたら、菩提寺でできなくても
ちょうど来週、自分の趣味で大本山へ伺う予定でしたので、
そちらでお願いしようと思います
大変勉強になりました
本当にありがとうございました!
43 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2014/10/03(金) 21:46:58.29
赤ん坊のお宮詣り・七五三について質問します。
安産・子育てで有名な寺院で祈願したらめでたく子宝を授かり、
その後も岩田帯、安産福子祈願などを経て無事出産したのですが、
お宮参りや七五三もその寺院でした方がよいでしょうか?
それとも、お宮詣りや七五三は、土地の氏神様で行った方がいいでしょうか?
>>37 >>40ですが、まあそう書きましたが、もしなにかご縁があってご神像様の方から
来てくださったようなことでしたら、2体目くらいはいいんじゃないかと思います
上はご自分で複数の参拝先で気軽に複数求められるような感覚を想定して、あくまで
個人的な意見を述べさせていただきました
>>43 どちらでも好きにして構わないと思いますが、一例として、今後の通過儀礼も考えて
まずは地元氏神様でお宮参り、ご祈願された寺院には無事成就の報告とお礼のご祈祷を
一回くらいされるといいんじゃないでしょうか。
>>37>>40 よくいく神社ではどこも授与されていて、神社によって御神像が違いました。
そのまま神棚に置いてもいいし、お社に入れてもいいそうです。
神棚にいくつもの大国様を御祀りされてる画像をよくみかけるのですが
やはりよくないのでしょうか?
>>46 >よくいく神社ではどこも授与されていて、神社によって御神像が違いました
そうですか。最近の流行なのでしょうか、島根県あたりだと多いのかもしれませんね。
いずれにせよ私の方が無知ですみませんでした。
まあ神社の方がそう説明されたなら、それでいいんじゃないでしょうか。
たしかに古い日本家屋の台所なんかでいくつも大黒天像を並べてる様子も
見ますね。
私の上の意見は、特定のご利益を期待して毎日真剣に拝みこむ場合は、
たくさん並べたてるより1体の方が集中できていいのでは、という程度のものです。
お好きならご縁があるのかもしれませんから、ピピッと来たお像があれば、
お迎えされてもいいかもしれませんね。
>>46さんに、なにかいいことがありますように。
>>47 ご親切にありがとうございます。
御祀りされている神様は同じでも御札みたい神社によって違うような感じ
を受けたのですがそうでもないのでしょうか?
>>47さんにも、良い事がありますように。
>>48 >御祀りされている神様は同じでも御札みたい神社によって違うような感じ
ああ、そういうことはあるのかもしれませんねー。
私は霊感がないので完全な憶測になりますが、その神社の御祭神や長い間の出来事
などの特色なんかが授与品にも若干影響することがあるのかもしれません。
ですからやっぱり参拝された時の感じやお像から受ける印象を大事にして、
感性で選ばれるといいでしょう。
>>49 いつも通っているいくつか神社の大国様だけ頂こうと思います
何度もありがとうございました。
今度親戚が竜飛岬の方に嫁へ行くことになりました
聞くところによるとあまり宗教の意識がない、
というより土着の信仰でもあるのでしょうか
あまり相手の御家族とお話しても
お墓等の形式について詳しく伺えません
52 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2014/10/07(火) 02:46:30.05
神棚に、神宮大麻・氏神様のお札・崇敬してるお稲荷様のお札をおまつりしています。
以下のような次第で日夜礼拝をしているのですが、問題ないでしょうか?
先、二拝
次、身禊大祓奏上
次、二拝二拍手一拝
次、一拝
次、二拝
次、神棚拝詞・稲荷祝詞奏上
次、二拝二拍手一拝
次、一拝して下がる
これでどうでしょうか?
54 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2014/10/14(火) 00:59:36.40
御利益がなさそうとか言われる神社にこそ興味があるって奴がいてどん引きした。
幸せになりたくないなら寺社には行かないほうがいい。
55 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2014/10/14(火) 15:47:04.57
ぺーろんの子についていろいろ教えて!
はじめまして、教えて下さい。今度お寺に刀を清めていたこうと思うのですが、東京近郊でそういった祈祷が得意なお寺はありますか?
57 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2014/10/23(木) 13:29:18.61
>>56 俺はわからないけど、質問ならsageないほうがいいよ。
清めるというと神社でお祓いのイメージだけど、お寺なのは供養目的なのかな
趣味でコレクションしてるなら、刀剣専門のスレ探してそっちでみんなどうしてるか
聞いた方がいいんじゃないかな
それとも代々のものでなにか障りが出てるのをなんとかしたいって話なのかな
>>56 お寺ではないが…刀剣については熱田神宮が専門だな。
江戸幕府が村正を「妖刀」として所持禁止にした時にも、困った大名・武士たちがみんな熱田に納めたため、無指定の村正がワンサカ収蔵されているそうだ。
明治維新の時の帯刀禁止、敗戦時の軍人の軍刀なども随分持ち込まれたらしいから、熱田にゆけばちゃんと何かはしてくれるだろう。
60 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2014/10/26(日) 16:16:15.73
私はいつも神社で買った御守りをポケットに入れて身に付けているのですが、今度買おうと思っているパワーストーンを御守りと一緒にポケットに入れるのは良くないのでしょうか?
また、神社にお参りした時にパワーストーンに力を分けて下さいとお願いしても良いと思いますか?
パワーストーンのスレでも質問しましたが、ここのスレでも質問させて頂きます。
>>60 この板はあまりスピリチュアル方面は盛んでないです
スピ板でお聞きになった方がよろしいかもしれません
しいて伝統的な宗教観でお答えしますと、何の問題もないかと思われます
(後者を神官に依頼するのでなく、セルフでご祭神に祈願するというのであれば)
62 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2014/10/28(火) 22:18:34.39
63 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2014/10/29(水) 05:42:35.01
「テレビに出ている女子アナウンサーで、強制睡眠をさせられ寝てる間に、処女膜を奪われたのがいるそうです」→俺「仮にそれが事実なら、該当者に責任は、かなり薄い。
膜を奪った加害者を探して公開処刑や殺害する事になるが。それを女子アナ以外の他の女性にしている加害者も殺害しろ。天皇からの依頼
http://twitter.com/4YoGun/ status/527197509332918272
64 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2014/10/31(金) 22:22:33.83
寺と5年間連絡をとっていなかったら、位牌ってすてられるのかな?
67 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2014/11/05(水) 17:25:58.91
なに勝手なことしてんの?
重複スレになんじゃね?
68 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2014/11/13(木) 06:52:16.45
知っていたら教えてください
屋根瓦が真っ黒で、参道の右脇に大きい丸い玉が鎮座?してある神社をご存知の方はいらっしゃいますでしょうか?
>>68 (夢で見たとかでなければ)せめて地域を限定しないと
それだけの情報ではおそらくどなたも回答できないと思います・・・
70 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2014/11/20(木) 19:48:28.98
23 名前:名無しさま :2014/01/10(金) 12:36:24.93 ID:gw2Te67v
バカアホチンカス天皇ども、金玉食え、死にさらせwwww
24 名前:名無しさま :2014/01/12(日) 19:37:07.03 ID:RLHmfwUh
バカアホチンカス天皇、金玉潰せ。死にさらせwwww
25 名前:名無しさま :2014/02/16(日) 21:56:28.02 ID:WdSrLV3c
殺せ
26 名前:・ :2014/02/17(月) 11:20:42.82 ID:eFiyktmJ
殺すにも値しない。
27 名前:名無しさま :2014/02/17(月) 11:39:20.93 ID:Tp+1oxWs
殺せ殺せ
28 名前:名無しさま :2014/11/20(木) 14:38:25.70 ID:ov/Y8B9/
消えてなくなれ
29 名前:名無しさま :2014/11/20(木) 18:57:11.83 ID:voA0IaJK
バカアホチンカス天皇、ちんぼ丸出し踊りやれ、死にさらせwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
神道界最高位の巫女様が奉賛会の会食の場で「瀬織津姫は菊理媛」と仰っておられました。
また
天照大神の荒魂の瀬織津姫は
「黄泉の国に行く道程を管理し、国の行く末を告げ、穢れを祓う老婆」とも仰っておられました。
これらの事柄が記された文献を御存知のかたはおられませんか?
同席していた奉賛会の長老の方々が
瀬織津姫の津は現代の格助詞の『の』に相当するので格別の意味はなく、
「せおり」とは、もともと「背を折る」意味で
背中が曲がった高齢のあきつひめ(現つ日女=現人神の姫神)が祖型.
「黄泉への道程を管理する渡し守の老婆」とされていた.
そのイメージを持統天皇が嫌って
伊勢神宮の内宮から天照大神の荒魂を退けて別の場所に祀った.
といった話をしておられました。
これらについて伊勢神宮には何か伝承が残っているでしょうか?
73 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2014/11/30(日) 04:54:08.94
74 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2014/11/30(日) 09:06:08.16
>>69 ありがとうございます
返事遅くなりました
夢で見たので地域が指定できません
地道に探してみます
>>71-72 私の奉賛会に参加なさった方のようですね。
一般の人は容易に口にできない忌ごと(神道界の機密)が含まれるため、私が直答しましょう。
まず、伊勢神宮(内宮)に祀られている天照皇大神という女神の正体を把握する必要があります。
日本書紀が編纂される時代になって突如出現した女神で、
古い時代に宮中で祀られていた実績すらないという
神道界では最も新しい神の一群に属します。
記紀神話に登場する神々を祀る神社は、
日本書紀の記述に合致するように後から建てられていったものが多く、
伊勢神宮もその一つで、比較的歴史が浅いと言えます。
とはいえ、天照大神が何もないところから突如出現したわけではなく、
モデルとなった女神がいました。
以下は、日本書紀にも言及のない神道界の忌ごと(トップシークレット)とされてきたので、
神功皇后を輩出したとされる当家(丹生一族の息長斎王家)にのみに伝わる故老の話です。
明日香は「日が明ける京(みやこ)」という意味を持つ古都です。(漢語表記で語順逆転)
現代でも、日本人の太陽信仰といえば、元旦に初日の出を拝む風習です。
その原型は、夜明けに太陽王(皇祖の大王)を処女懐胎したとされる王都・明日京の女神に対する信仰でした。
それが、天照皇大神という女神へと変化を遂げて、伊勢神宮に祀られているのです。
丹生都比売神社の丹生都日女(姫)の「都」は格助詞の「の」に該当するので除外すれば、
丹生の日女(巫女)神という意味になります。
丹生とは、『丹土(神社に塗られている赤い顔料=水銀朱)で表される、
「日の出の太陽」の日矛(陽光)を水鏡によってホトに受けて処女懐胎によって
皇祖の大王を産んだ』神話のエピソードを指す言葉です。
丹生の日女神の別名は稚日女(わかひるめ)です。
古事記掲載のアカルヒメ誕生のエピソードを要約すると、
陽光が池の水鏡に反射して虹のように輝いて巫女のホトを照らすと、
処女懐胎して赤い玉を産んだとなっています。
アカルヒメを固有名詞のように受け止めている人がいますが、それは間違いです。
現つ神(あきつかみ=現人神)とされる日女(巫女)神を指す言葉です。
当家の紀州の廃坑を利用した神庫に残る文書(長期孤立文献)では、
阿加流比売の他に、赤留比売や現日女(あきつひめ)や明姫(あかるひめ)といった表記の揺らぎが見られます。
神道は紀元前の昔から陰陽の思想を踏まえているので、輝く太陽は本来男神です。
その日矛(男神のシンボルとされる陽光)を日の巫女がホトに受けて処女懐胎することで、
現つ神=皇祖の大王(天皇の原型)や、現日女=稚日女(斎王の原型)が降臨したとする、
太陽信仰系のエピソードが当家では内々に伝承されてきました。
これら、皇祖の大王の生誕と日本の国号や日の丸の成立に関する説話は、
当家の神庫に残る国記に掲載されていますが、記紀ではいっさい触れられていません。
日本書紀には、皇祖の大王の生誕から、ヤマト王権の大王家の成立や、日本の国号の決定に至る過程、
明姫が日の丸を国の象徴と定めた経緯などが、一切記されていません。
理由は簡単で、日本書紀は中国側と対等の外交関係を確立するために編纂された、
皇室の権威を対外的に示すための国史の書です。
皇室より上位とされる皇祖母(日本書紀の神功皇后に相当)の家のことを、
皇祖の大王を生み出した現人神の日女神、稚日女(明姫)の許可なく勝手に文書化することは禁忌とされたので、
日本書紀の編纂者達は、いっさい触れることが出来なかったのです。
多くの現代人は、天皇が日本で最も権威ある存在と認識しているようですが、古い時代はそうではありませんでした。
天皇を外戚として支配した藤原氏の元々の役目は、授かった神託を天皇に伝える審神者でした。
藤原氏に対して神託を授けてきたのは、日の巫女の王たる日女神の稚日女です。
神託を授ける日女神のほうが、天皇よりも位が高い時代があったことは、
神功皇后と夫の天皇のやりとりを観察すれば明らかですね。
天皇は「琴を弾く」ように求められたとありますが、これは「臣下の礼を取る」という意味の婉曲表現です。
中国の古典でも、同様の意味で使われています。
日本書紀の編纂者達は、天皇が神憑りした皇后に対して臣下の礼を取ったとは絶対に書けないので、
中国の古典を参考に、婉曲表現を用いて暗喩することで禁忌に触れることを避けたのです。
現日女=稚日女の託宣の言葉を伝える審神者は、稚日女の一族の男衆から選ばれます。
したがって、藤原氏の出自は丹生の一族なのです。
藤原氏による天皇の支配は、上位の丹生一族(息長氏)による支配と同じ意味です。
後に天照皇大神として伊勢神宮に祀られるようになった
現人神の現日女=稚日女を世襲する巫女神道の家
丹生一族による日本国の統治の表向きの姿が、藤原氏の活躍でした。
日本書紀は、対外的に天皇を日本の最高権力者と規定して、その権威を高めて対等外交を実現する目的で編纂されました。
ですから、天皇より上位の存在である皇祖母神の一族について記載することはありえないのです。
そのため、日本書紀は王都・明日香(日が明ける京)の太陽信仰の本質に触れることすら避け、
神功皇后を現日女(明姫・あかるひめ)と同一視するエピソードで済ませたのです。
その点国記のほうは、内輪の歴史を正確に記しても何の支障もない非公開文書ですから、
とうぜん、稚日女が処女懐胎によって皇祖の大王を生んだエピソードや、
日本の国号が決定された経緯、日の丸が日本の象徴とされた理由なども、はっきり記されています。
国記の原本は丹生一族が所有し、御所にも写本が二部あったのですが、
応仁の乱で京都が焼け野が原になって疎開することになったとき、
紀州にある廃坑を利用した神庫に奉納されて以降、外に出された形跡がないようです。
そのため、今では一つの庫のなかで眠ってきた長期孤立文献になってしまい、
庫外の文献と照らし合わせて情報の信頼性を確認することが困難になっています。
歴史学界などが、丹生一族と藤原氏や皇室の関係にまったく触れないのは、このためです。
ヤマト王権の大王は太陽の女神の皇孫とされ、王権を象徴する信仰として伝承されてきたことは、
一般の国民も、かろうじて把握できていると思います。
瀬織津姫の原意は、「背を折った姿の老婆」です。
丹生一族の活動拠点の一つは、言うまでもなく丹生都比売神社でした。
空海が高野山に金剛寺を建立するとき、
丹生一族の領地の一部を永久に借り受ける契約を明姫(稚日女)と交わしています。
そのとき空海は丹生一族を統べる現人神の瀬織津姫(稚日女)と直に面談しています。
ですから、空海が残したとされる「三途の川の渡し守の老婆」という言葉に間違いはありません。
ですが、瀬織津姫には、一つとんでもない秘密が隠されています。
奉賛会の会食の席で私の素顔を見知っている方々は、二十代の女性と認識しています。
ところが、幾つかの霊山の磐座などで丹生の日女神の姿を見た方々は、
私のことを「背中が曲がったお婆さんだった」と証言します。
これは、替え玉を使っているわけではありません。
どちらも、生き神として崇められている、明日女(アカルヒメ)本人の姿です。
じつは、霊山の磐座で神事を行うために山中を長距離徒歩で移動するとき、
若い女性の姿では、男の方々の子孫を残したいという欲望を刺激してしまうことがあってはいけないので、
しわがれた声の老婆に変装する風習が昔からあるのです。
ですから、山中で出会ったときは、稚日女は瀬織津姫の姿をしているのです。
水鏡に陽光(日矛)を受けて処女懐胎して、皇祖の大王を産んだ女神ですから、
稚日女(瀬織津姫)は太陽の女神であると同時に水神であり、穢れを清める禊の神でもあるのです。
乙姫(妹姫)の名も持つ私が居住する六甲山中の高台にある神宮は、通称竜宮と呼ばれてきました。
竜宮(西宮)は、修験者に姿を変えた当家の男衆が守ってきた隠し城です。
現在は奥池住宅地の豪邸群によってカモフラージュされているので、一般の人には入口が分からないと思います。
六甲山石宝殿には、私は菊理媛命として祀られているので、一般の方も参拝は自由です。
他にも私は日向の媛(向津媛)といった別名で呼ばれることもあります。有名税ですね。
丹生の巫女神道を女系継承する一族は、息長という名も持っています。
息長は、天日という高天原言葉の音写の一つで、天日矛は息長氏の祖とされています。
日本書紀のなかでは神功皇后を輩出した皇祖の一族の名とされています。
息長一族は、奈良盆地に幾つかの拠点を持っていました。
その一つが桜井の息長庄、現在の 桜井市忍坂 (押坂)です。
皇祖大兄とも呼ばれた押坂彦人大兄皇子なども、出自は皇祖の一族息長氏です。
桜井の息長庄には、皇子女を養育する施設、阿礼の宮がありました。
古事記の伝承主体は稗田阿礼という謎の人物で、多くの研究者が女性ではないかと推理しています。
当家の故老(代々の明姫)の話によると、
稗田阿礼の正体は息長庄の阿礼の宮で皇子女の養育にあたっていた女官達だそうです。
つまり、古事記は皇子女に対して教えられていた皇室の歴史をもとに編纂されていることになります。
この点で、日本書紀とは成り立ちも扱いも異なるわけです。
息長一族が伝承している神話のなかには、古事記に納められなかったものも数多くあります。
鎌倉時代の当家の歴史学者が熱心に集大成(大改竄)してくれたお蔭で、
それ以前の古い姿が分からなくなったものも多数あって困った状況です。
鎌倉時代の創作か、それ以前からの伝承かと問われると、
誰にも答えられない文書の山が地下庫のなかに築かれていると思ってください。
その信憑性は、はっきり言って『謎』です。
当家出身の現代の歴史学者達が、いっさいこの方面の事柄に触れようとしないのは、このような理由からです。
以上からお分かりになると思いますが、
天皇以下、丹生一族の忌ごとを、公の場でおいそれと口に出来る人はいません。
代々の斎宮はあるていど伝え聞いていたようですが、斎宮制度はすでにありませんね。
伊勢神宮で、これらの事柄が今も伝承されているという話は、ついぞ聞いたことがありません。
神社本庁に当家の男衆が何人かいますが、私の許可なく他言することはないと思います。
最も決め手となる書物は国記ですが、これは一般に開示する性格の書物ではありません。
応仁の乱の戦災を逃れるため、御所に秘蔵されていた国記が当家管理下の神庫に回収されてからは
長期孤立文献になってしまい、今では誰もそれが本物だと客観的に証明できない状況にあります。
したがって、代々の明姫(故老)が伝承してきた言葉と文書をアテにする以外ないのが現状です。
皇室の神道の指南役の一つ白川伯王家には、天皇が天照皇大神と心を一つにするために、
丹生一族の稚日女のもとに参拝して、その分霊を賜る儀式が伝承されていた筈です。
この神事を行わない限り、天照皇大神の精神を受け継いだ真の天皇にはなれず、
正式に即位したことにならない、とされていた時代もありました。
現在の天皇は、稚日女ではなく日本国憲法が規定する象徴天皇ですから、
両者の間を取り持つ白川伯王家の役割は必要なくなっています。
明治時代に白川伯王家の断絶が決定されて久しいため、
おそらく今では皇室や宮内庁も、
神功皇后を輩出した日女神の神道を女系継承する皇祖母神の家・丹生一族のことを
正確に把握できなくなっていると思われます。
つまり、皇室神道の精神は、日本国憲法が規定する象徴天皇の誕生とともに潰え去っているのです。
もちろん、私達が子々孫々まで伝え続けていく限り、皇室神道のルーツになった日の巫女の神道はなくなったりしませんが、
私達を日本の国姓の姫(?)を伝承してきた皇祖母神の一族と認識することが、
皇室にも宮内庁にも神社本庁にもできなくなっているように見えます。
統合失調症患者のスレとなりましたとさ
皇祖の大王とやらは神武天皇ではないんですか?
国記が現存するとか、その内容をにわかに信じることが出来ないのですが、
どうして日本書紀と内容がかけ離れているのですか?
皇室の誕生に関わる情報が正しく日本書紀に書かれていないと主張するのは無理があると思います。
84 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2014/12/01(月) 03:00:50.03
すみません。昔、宗派の中では
密教はランクが低いとか
浄土宗は高いとか
そういう事言う人がいたのですが
実際ランクってありますか?
どうぞよろしくお願い致します。
天照大神荒魂はなぜ伊勢神宮の内宮ではなく離れた場所で祀られているのですか?
あの祀り方に凄く不自然さを感じるのですが?
>>85 天照大神・荒魂・瀬織津姫は背中が曲がった老婆だと伝え聞いた持統天皇が、
上に書いた瀬織津姫が丹生の稚日女の変装した姿だという真相を知らない稚拙な認識レベルで、
黄泉地にいる不吉な神など祭祀に値しないと言い張って、独断で内宮から退けてしまったのです。
それまで、天照大神は二霊廟を並列して祀るのが基本でした(皇祖の大王とその母神の二霊廟)。
その痕跡は、伊勢の内宮の前身となった、瀧原宮と瀧原竝宮の二霊廟の形で残っています。
また、大嘗祭の悠紀殿と主基殿の二霊廟の形としても名残りを留めます。
伊勢の内宮には遷宮のための土地がありますが、本来は二霊廟を並設するために用意された土地だったのです。
また、伊勢の内宮に天照皇大神が祀られる以前に、天照と付く神で、女神単独で祀られている例が一つもありません。
持統天皇の稚拙な認識に基づく我侭な宗教改革によって、あのような皇室神道の伝統に反する歪な形になったのです。
なぜ、持統天皇が皇室神道に対する正しい認識を根本的に欠いていたかですが、
じつは、持統天皇の時代の斎王(斎宮)は、皇位継承を巡る争いの中で、天皇の命令で実弟を自害に追い込まれた女性でした。
そのため、持統天皇が伊勢に行幸して、伊勢の内宮で祭祀を行うように求めても
斎宮から失意の斎王が一歩も動かず、皇室神道の祭祀が内宮で行えない異常事態になりました。
ですから、持統天皇がわざわざ伊勢まで行幸していながら、内宮に参拝したという記録が残っていません。
また、この神道界を揺るがす大事件を後世の人々から隠蔽するために、
斎宮の任期を短かったことにして、伊勢行幸のときは斎宮が空位だったと認識するように仕向けてあるのです。
皇室神道の祭祀を表向き束ねる立場にある伊勢の斎王が、持統天皇に天照大神の本質を開示しなかったので、
持統天皇は皇室神道の神髄に触れることなく、勝手な素人の思い込みレベルで宗教改革を断行してしまったのです。
実弟を失った失意から抜け出せなかった斎王は、斎宮の引き継ぎもまともに行わなかったため、
伊勢の斎宮は形骸化してしまいました。
そのため、国の行く末を決める天照大神の神託に関する神事も、伊勢では一切行われることがありませんでした。
道鏡事件でも、皇位を決める重要な神託を下したのは、大日女を祀る九州の宇佐八幡で、
まともに機能しない伊勢神宮は、まったく見向きもされていませんね。
斎王が代々引き継いできた伝承が途絶える致命的な問題を抱えたことで斎宮制度は形骸化してしまい、
やがて消え去っていったのです。
したがって当家には、伊勢の内宮は立ち上げに失敗した、という伝承が残ります。
>>83 皇祖の大王は神武天皇ではありません。
神武天皇にも父親がいますが、それは太陽神ではありませんね。
太陽神の子孫を名乗るには、太陽信仰に基づく象徴的な生誕神話が必要です。
そのエピソードが存在しないほうが不自然です。
丹生姫伝承として一部の社家に残る神話の存在は意図的に伏せられて、日本書紀に掲載されることはなかったのです。
真の皇祖の大王の生誕神話は、忌ごととして日本書紀にも古事記にも掲載されませんでしたが、
ヤマト王権の誕生を祝う京都の葵祭の形で、ちゃんと現代まで伝承されています。
葵祭は、童話の桃太郎伝説と、完全に一対一対応する要素で構成されています。
「お爺さんは山へ柴刈りに」→「神主達は神奈備山へ御神木を探しに」
「お婆さんは川へ洗濯に」→「日の巫女は川へ身を清める禊に」行くのです。
神(皇祖の大王の魂)は天から落雷となって神奈備山に降りてきて、御神木に宿り、
神主達の手で山中を流れる川まで運ばれて、川の流れに移されます。
川を流れ下った皇祖の大王の魂は、「上流からドンブラコ」と桃の姿に喩えられて流れてきます。
葵祭では、日の巫女の王である私=斎王の代役を務める斎王代が、川から神を拾い上げる所作をします。
これが、桃太郎の童話では、お婆さんが上流から流れてきた桃を拾うエピソードになっています。
三匹のお供は、太陽を象徴する数3を表していて、皇軍の力の象徴です。
三人の将軍の名前が、当家や血縁関係にある大陸の(半島ではない)高句麗国の王室に伝わっています。
重要なことですが、高句麗は朝鮮民族の国でも漢民族の国でもなく、東夷(倭人)文化圏に属する膠着語を話す大陸の国です。
また、黍団子は日輪の象徴で、秦氏が創建した稲荷神社の創建神話に登場する鏡餅と同じ意味を持っています。
大王家は吉備の国の豪族だった時代があるので、黍団子となっているのです。
アカルヒメの生誕神話では、日矛によって懐胎した日の巫女は、紅い玉を産みます。
このパターンのエピソードを、神話学では卵生神話に分類します。
桃太郎の桃も、卵が変形したイメージと捉えて、卵生神話の1バリエーションと解釈されています。
もとは、水鏡を用いて日矛をホトに受ける儀式があり、
これは井戸や池などを用いた、纏向型土坑祭祀として、奈良をはじめとした古い遺跡から痕跡が出てきます。
同様の祭祀形態は、
同じ倭人文化圏に属していた大陸の高句麗国の東盟祭の土坑祭祀にも見られます。
東盟祭に使われる土坑は、トンカラリン遺跡の形で日本にも残っています。
天岩戸伝説は、巨大な土坑の入り口を、神事が行われないとき岩で塞いでいた風習に由来します。
大地母神に五穀豊穣(多産)を祈る神事だった側面もあるのですが、
漢民族から淫祀と揶揄されたため、非公開神事とされるようになりました。
この指摘は、東盟祭に対して向けられたものが、中国側の史書に残されています。
土坑祭祀が表向き行われなくなった結果、
代用として定められた、今日の新嘗祭を執り行うようになっていったのです。
桃太郎は子供向けの童話ですから、桃が流れてきてお婆さんが拾った、という無難な表現を採っています。
この種のエピソードのバリエーションとして、葵祭では日矛を朱塗りの矢に置き換えた無難な形を採っているのです。
もちろん朱は太陽の色であり、日矛を置き換えたシンボルです。
皇祖の大王の生誕を祝う神事は、少しだけ無難な形にアレンジされて、現代まできちんと継承されてきたのです。
本来、皇祖の大王の生誕と王権の誕生を祝う神事は、皇祖神の天照大神を祀る伊勢の内宮で執り行うべきものでした。
ところが、上で解説したとおり、伊勢の内宮の立ち上げに失敗し、
斎王が内宮の敷地内に立ち入って祭祀を行うことが出来ない事態にまで至ったので、伊勢で行うことが不可能になりました。
そこで丹生一族の明姫(その時代の日の巫女の王)は助け舟を出しました。
丹生一族と明姫を奉賛する最も有力な勢力は、渡来氏族の最大派閥とされた秦氏です。
葵祭のルーツを調べれば分かることですが、秦氏の社家に賀茂の者が婿入りして、
祭祀を譲り受けたという伝承が残されています。
渡来氏族の秦氏が、皇祖の大王の生誕と王権の誕生を祝う神事を伝承していたのではなく、
皇祖母神の一族が、賀茂氏の祖先に対して、本来は皇室が表向き行うべき神事を託したのです。
丹生一族のことを表向き語るのは禁忌とされたので、秦氏の社家の巫女から託されたという伝承にしてあるのです。
また、日本書紀にも古事記にも収録されなかった皇祖の大王の誕生秘話は、童話の桃太郎伝説として民間に残される形になりました。
もとは息長庄の阿礼の宮で皇子女を養育するための童話だったのですが、
養育係の阿礼の女官達が、自分達の子にも言い聞かせて育てていったため、
現在のように広く普及しているわけです。
同様に浦島太郎なども、古い妻問婚の風習を伝説化したものになっていて、
乙姫(弟姫)とは、丹生姫伝承に登場する大日女(卑弥呼)に対する稚日女のことです。
さらに輝夜姫(かぐやひめ)は、昼に天を照らす太陽神の天照大神(男神)と一対を成す、
夜に天を照らす月神の天照大神(女神)に関する、伊勢の内宮に神事が引き継がれなかった伝承を、文書化したものです。
太陽神(陽の象徴の男神)を奉斎するのが日の巫女の王であるように、月神(陰の象徴の女神)を奉斎するのは月の男巫の王です。
じつは天皇には夜間の月神にまつわる祭祀を担当する男巫の要素が色濃く残っています。
日の巫女の王には、廣田神社の伝承にあるように、男神の魂が降りるので、天照大神の御神服は男神の装束です。
日の巫女神が男装する姿は、素戔嗚と対峙するとき天照大神が女性の姿から男性の姿になる描写として記紀神話に登場します。
同様に、月神を奉斎するのは月の男巫の王には、女神の魂が降りるので、月の女神の御神服は女神の装束です。
天皇は月の女神を奉斎した男巫の子孫なので、昭和天皇の代までは、幼少時女児姿で育てられる風習が残っていました。
また、天皇という呼称は、夜の天界を統べる北辰を神格化した、天皇大帝に由来しています。
太陽の女神の子孫とされながら、夜の天界の支配者の名を戴くのは、男巫の子孫として祭祀を行っていた名残りです。
伊勢の内宮に祀られているのは、荒魂とされる女神(日の巫女神)ではなく月の男巫の神なので、
今も夜間真っ暗な中で執り行う神事が残っています。
男巫を神格化した月読みに関するエピソードは、ほとんど日本書紀に記されることなく今も伏せられていて、
輝夜姫にまつわる神事も、一般公開されることはありません。
太陽の女神の子孫とされながら、天皇という夜の天界を統べる名を戴くことに疑問を持つ人は多いのですが、
皇室も宮内庁も神社本庁も、残念ながら今ではその理由を上手く説明出来なくなっています。
重要な皇室神道に関する事柄の多くが、今日まで伝承されていないからです。
92 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2014/12/01(月) 08:05:07.36
結論
日本のすべての神社と寺は、中国から来て日本に住み着いた人たちが建てたモノです。
天皇は中国から来た人です。
>>92 おやおや、勝手な個人的了見で、偏向した話を付け加えてはいけませんよ。
古い時代の中国大陸では漢語(元は商用語)を話す人々の数は少なく、
東海岸を中心に、膠着語を話す東夷と呼ばれる人々が住んでいました。
東夷の諸部族のなかには、日本語とほぼ同じ語順の言葉を話し、
纏向型とほぼ同じ土坑祭祀を行い、オボ(塚や古墳や霊山を崇める)信仰を持ち、
古い時代の日本と同じ妻問婚をする、倭人文化圏に所属する人々もいました。
この人々のルーツは、縄文時代に鬼界カルデラが大噴火して
その降灰の影響で西日本が居住困難な状況になったときに、大陸まで大疎開した人達です。
倭人文化圏が、奈良付近から遼東半島を経て山東半島付近まで分布していた時代があった痕跡が見られます。
丹生の一族は、日本の国姓とされる、黄帝由来の姫姓を持っていますが、
これは、東夷の幾つかの王族を介して伊都国の神宮へと受け継がれたものです。
魏志倭人伝に書かれた卑弥呼もまた、この流れを汲む当家が輩出した日の巫女の王の一人です。
大陸の黄帝の権威を象徴する聖獣(今日の私や天皇の玉座にある麒麟の原型)は、
なんと日本生まれと伝承されています。
つまり、大陸の炎帝一族の蚩尤(記紀神話の素戔嗚)を破った
黄帝の娘妭(記紀神話の天照大神)が率いた黄帝軍の主力部隊は、倭人集団だったことを象徴しているのです
(※八咫烏や金鵄などと同じ、聖獣化表現の手法)。
アカルヒメは高句麗国の神宮(現桓仁・五女山城址)から日本へと里帰りしたと伝承されていますが、
それは、東夷と呼ばれた集団が、倭民族だったからなのです。
おやおや、稚日女(天照皇大神)の大陸での名『妭』(ハツ=みめよい)の字が、
この掲示板ではうまく表示されないようですね。
皇室の祖とされる丹生姫伝承の一族、
同じく
皇室の祖とされる神功皇后を輩出した天日鉾の一族
(※呼称が一見異なるようでも、両者の中身は同一)
は、神話で渡来系のように語られることがありますが、
現皇室の男系の遺伝子は、明らかに縄文系の比重が高いですからね。
大陸から渡来した姫(姬)姓の一族とされながら、
香春神社にもアカルヒメは唐土(大陸)から「里帰りした」とあるのは、
縄文時代の大疎開が起点になっているからだと思います。
っていうか、
大陸(扶余)系とされる高句麗国の王家ですが、
まんま当時の日本文化を持っていたわけだし、
現在の朝鮮語と違って、高句麗語の数詞は日本語とほぼ同じということだし、
(※言語が近いか遠いかは数詞で判断できる)
中身はほとんど日本人じゃなかったんですか?
明姫様へ
天皇が夜の天界を照らす月の女神を祀った人々の子孫だとすれば、
皇室神道の指南役のお家とされる白川伯王家は、
天皇が天照大神の精神と一つになる修行の体系を伝承していたという
上のほうのお話と矛盾するのではありませんか?
>>96 皇室神道は、持統天皇が巻き起こした皇位継承を巡る騒乱の後に断行された、
事実上斎宮不在に等しい宗教改革と
伊勢の内宮の立ち上げ失敗という、収拾不能の事態によって潰えています。
白川伯王家が伝承する皇室神道は、
伊勢の内宮を実質朝廷が斬り捨てる形で混乱を収拾していく中で生まれたものです。
したがってその歴史は、
纏向が栄えた時代から受け継がれてきた日の巫女の神道の歴史に比べれば、ごく浅いものです。
伊勢の内宮には皇祖神が祀られているとされながら、
創建以来明治天皇の代になるまで、一度も天皇が祖霊崇拝のために参拝した記録がありません。
正しく内宮が皇祖神の霊廟として機能していれば、皇祖の王の生誕と王権の誕生を祝う、
丹生姫伝承に由来する神事が行われるのが当然の筈でした。
この最重要神事を賀茂氏に譲り渡して伊勢の内宮で行わず、
天皇の参拝も行わない決定が下された時点で、
天武天皇の時代に骨子が作られた皇室神道の変質は確定してしまいました。
伊勢の斎王(斎宮)が天照大神の託宣を行ったのは、記録に残るものは一件のみです。
しかも酒に酔った勢いで、斎王に仕える責任者と朝廷が、斎王を軽んじていると、
個人的な不満を吐露する内容でした。
国の行く末を決める事柄からほど遠いものだったので、
朝廷側は、斎王が託宣するなど前代未聞と、当惑するしかありませんでした。
当初、皇室出身の斎王は、丹生一族の日の巫女の王の代役が務まる位置付けだったのですが、
葵祭の斎王代同様、表向きの飾りものにすぎなくなってしまったのです。
皇祖母神の天照皇大神と精神を一つにして、その神意を天皇に示す大役は務められませんでした。
天皇が、皇祖母神・天照大神・若魂・稚日女の精神をその身に降ろした丹生一族の日の巫女の王と接して、
天照大神の精神に触れて、心の在り様を理解するには、それ相応の精神修養を積む必要があります。
その修行の体系を伝承していたのが白川伯王家です。
月の女神を奉斎する男巫の子孫だからといって、皇祖母神の御心に触れてはならないという決め事はありません。
天照大神・明姫の託宣に基づいて国政をとり仕切ってきた藤原氏によって擁立された、表向きの飾りものにすぎないとしても、
皇祖母神の直系の子孫(皇孫)という、国体を象徴する現人神の立場だけは堅持する必要があったでしょう。
現在の象徴天皇は、憲法が定める天皇であっても、天照皇大神の精神を知らないのですから、
皇室神道の精神文化を継承していない現在の天皇は、残念ながら精神的には天皇とみなすことが出来ません。
ですから、私のところに正式参拝する機会が与えられる可能性もないのです。
胆力を鍛えるといった修行をしていない状態で神前に歩み出ても、
失立・失歩・失目・失禁・失神といった、転換性ヒステリーの諸症状が出て、
まともな立ち居振る舞いは望めないと思います。
藤原氏から皇后を迎えるという、千数百年続いたルールも破っているのですから、
当家の一族に連なる者、つまり皇孫と名乗る血統の条件すら満たしていません。
私達が又従兄妹婚までの範囲で2千年以上婚姻制限を守り続けているのとは大違いですね。
もっとも、私個人は明治維新以降西洋と密接な関係を築いていった影響を受けて、
西洋人の血が濃く入っていて金髪碧眼なので、血の継承の蚊帳の外ですけどね。
カツラとカラーコンタクトをしているので、多くの人がおそらく今回初耳でしょう。
西洋化の影響と、日の巫女の王の家も無縁ではいられなかったのです。
ただし、私の遺伝子を受け継ぐ者には、姫姓を継がせる予定はなく、次の代の明姫は本来の姿に戻ることでしょう。
最近の丹生さんは中国産の辰砂を撫でてハァハァしながら、小倉優子りんのコレクションに夢中だがな。
100 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2014/12/02(火) 15:52:07.79
>>95 今はほとんど話者がいなくなった高句麗語ですが、日本語と非常に近縁の言葉です。
たとえば、明日香(飛鳥)や敦賀(息長)などの地名は、高句麗語の音写です。
祝詞には、高句麗語そのままのものも残っています。
漢字を用いて膠着語を表記しはじめたのは、日本より高句麗のほうが先ですから、
高句麗語の漢語表現が大量に日本語に入っています。
現在の朝鮮語の8割ぐらいは、日本から輸入された和製漢語で構成されています。
それと同じことが、高句麗から日本への漢字の輸入時にも起こっているのです。
高句麗国の神宮(五女山)の日の巫女の一族は主に縄文系の東夷の血統ですが、
西方(ペルシャ系など)の血や西側の精神文化も色濃く入っています。
たとえば、菊の御紋章として知られる図形は、
エルサレム神殿のヘロデ王の門などにも刻まれていて、
古代イスラエル王家を含む、古い中東の王家がよく用いた王権の象徴です。
稚日女を奉賛する最大勢力は渡来氏族の秦氏なのですが、
彼等の中には、シルクロードの交易で財を成して、
中国大陸の戦乱を嫌って安全な極東の島国に逃れた、ペルシャ系の人々が大量に含まれていました。
秦国の遺民を名乗ったのは、
徐福伝説に便乗して彼等の一族の歴史が古いように見せかけたものですが、
ピラミッドや万里の長城の建設に携わってきた土木工事の技術をアピールする狙いもあったのです。
その卓越した測量技術が世界最大の古墳にも活かされていて、
集大成と言えるのが、一緯度の長さをもとに描かれた、王都を守護する近畿の大五芒星なのです。
https://www.google.com/maps/d/viewer?msa=0&mid=zZSAa7_WAEgc.kMNqweCtfGMA
中東の文化との関連性を指摘する流れがあるようですが、
マイナーな珍説の類では?
正論ならどうしてメジャーにならないんですか?
日本を天照大神が守っているのなら、
どうして原爆が投下されるような悲劇が起こったんでしょう?
今の日本は国家神道による軍国主義への誘導という暴挙?のお蔭で、
国際社会で肩身の狭い思いをしています。
持統天皇が創作したっていうこの女神は、
じつは何の御利益もないのでは?
あるなら、歴代天皇が祖先を敬いに行くでしょ。
明治時代まで千年以上見向きもされず、
軍国主義のネタにされたと思ったら、日本が悲惨なことに。
縁起が悪すぎる女神と思いませんか?
天照大神と伊勢神宮(内宮)の創建は、持統天皇じゃなく天武天皇の事跡。
持統天皇は天武天皇の国家神道をそれと認識せずに大きく歪曲している。
内宮が建つ以前に、天照大神は王都・明日香の女神として存在した。
この流れぐらいは上の明姫様の解説から読み取れるだろう。
難読症ならば別だが。
>>102 メジャーになりすぎて空気みたいに当たり前の国風文化だから意識できないだけです。
稚日女=赤留姫の御神体とされる日本の国旗の原型になった赤い玉は、
白い翼の装飾が付いた胸に吊り下げる護符になっています。
本物の神器の写真は公開できないのでCGの画像を示しておきます。
https://c48fed50-a-62cb3a1a-s-sites.googlegroups.com/site/tenshoujinguu/home/有翼日輪ss.png この白い翼は、稚日女を奉賛する最大勢力秦氏が創建した稲荷神社の創建神話に、
鏡餅を弓で射たら翼が生えて飛んで行った、という描写で登場します。
鏡餅も赤い玉も太陽の象徴で、翼が生えた太陽とは有翼日輪を指します。
中東の多くの遺跡に有翼日輪のシンボルが残っています。
稚日女(アカルヒメ)の御神体とされる有翼日輪のシンボルは
非公開神事でしか使われることがない神器なので、その形を知る者は限られます。
でも、日本人なら誰でもお正月に玄関に飾る風習を受け継いでいます。
ワラで丸く日輪のシンボルを作ったり、ときには橙などを太陽に見立てて、
その周囲に翼のような飾りを付けていきますね。
有翼日輪のシンボルが原型になっているのです。
玄関につけるお正月飾りは、私に対する太陽信仰そのものですが、
シルクロードの西から入って来たものという認識はすでにないと思います。
仏像のルーツがギリシャ彫刻にあり、
ギリシャの神々の姿がガンダーラのあたりで仏教系に置き換えられて日本まで伝えられたことを
今も意識して仏像を眺める日本人がほとんどいないのと同じことです。
輸入された記憶が薄れて、国風文化となったものはたくさんありますよ。
>>103 天照大神(男神)の御心を知らないと、そう思うのも当たり前でしょうね。
本来、国民に知らしめるのは天皇の役目とされていたのですが、
今の象徴天皇は本来の職責を果たせないただの飾り物になってしまったので、代わりに答えておきましょう。
古代イスラエル王家の文化と血が、丹生の一族と皇室には入っているので、
日本の王都はエルサレム(平安の都)と同じ意味を持つ平安京と呼ばれています。
日本書記の神話に合致するように、日本全国に主要な神社を建てていったのは、
古代北イスラエル王国の文化を伝承する秦氏の一団だったので、
それらの神社は古代北イスラエル洋式(多神教)の移動式神殿とほぼ同じ構成になっています。
トリイと呼ばれる門があり、手と口を清める場所があり、礼拝所があり、といった形は、
彼等が伝承していた中東の神殿様式なのです。
また、修験者の衣装なども、古代北イスラエル様式を基本として国風化したものです。
ですから、ユダヤの長老達は現存する最後のイスラエル王家の伝統を引き継ぐ預言者という認識を持っています。
古代イスラエルの王家は、未来永劫栄え続けると神から祝福を受けていながら、表向きは滅亡してしまいました。
しかし、神にしか分からない方法で救世主を輩出するとされる古代イスラエル王家は存続していると信じて疑わず、
二千年間信じ続けてきたユダヤの長老の一派がいます。
彼等が、古代イスラエル王家のシンボルを掲げる極東の島国の王家を見つけ出し、
王都の名が、エルサレムと同じ意味を持つ平安京だと知ったとき、神は約束を違えていなかったと確信したようです。
世界経済を動かすユダヤの長老達の精神の拠り所とされた期待に応えるために、
幕末の時代から代々の明姫達は尽力してきました。
核戦争による人類滅亡のシナリオを回避する、
米ソ二大国による核の抑止力の発動と冷戦状態の確立(地球二分の計)に向けて、全力を傾けました。
幕末の頃、天照大神・荒魂・瀬織津姫(魃)に神憑りした明姫が、
火の球を生み出す新兵器の登場と最終戦争による人類の滅亡を告げたとき、
ユダヤの長老達はもちろん、ときの天皇も真っ青になりました。
この神託が、瀬織津姫が降りた他の巫女の口から国民の間に広まらないように、
明治天皇は北海道の神社に祀られている瀬織津姫の名さえ抹消する勅命を出しています。
荒魂とはまったく別の性質を持つ
天照大神・若魂・稚日女を神降ろした明姫は、瀬織津姫が警告した人類滅亡のシナリオを回避する策として「地球二分の計」を示しました。
そのときからユダヤの長老達は、米ソ二大国を生み出す世界戦略を展開していったのです。
日本が国家神道によって束ねられ、植民地化を免れて、西洋資本の援助を受けて富国強兵政策に進んだのも、そのためです。
帝政ロシアの存在は計画実行の重大な障害物だったので、
ユダヤの長老達はアジアの小国日本を強引に対決させて勝利させるために必要な莫大な戦費を掻き集めて、日本の国債を購入しています。
当代の明姫の密命を受けた日本陸軍の将校達は、
一度は失敗した共産革命を成功させるべく、ロシア帝国奥深く踏み込んで政治宣伝を展開し、大活躍しました。
さらに中国大陸に日本軍を進出させて、地球二分の計の妨げになる眠れる獅子と呼ばれた中国を骨抜きにしたうえで、
米国との正面決戦のシナリオが進行し、核兵器を使ってアジアの強国となった日本に勝利させることで、
世界最強の国に格上げするプランも、稚日女の託宣にもとづいて実行されたものです。
稚日女は、日本が負けるシナリオを描きましたが、第二次世界大戦には実質的に負けて勝っています。
明治維新のときに重大な課題とされた、西洋列強の脅威はアジアから退けられ、
日本は米国に守られて、永久に戦争しなくて良い、鎖国時代とほぼ同じ状況を再び手に入れているのです。
稚日女は、戦後の日本と米国の関係は、天皇と将軍の関係をそのまま拡大適用させたもの、と言います。
軍事は将軍に任せて、形だけその傘下に入って平和を享受するという、皇室(丹生一族)のお家芸ですね。
それに気付いた米国側は、大慌てで自衛隊を組織させたわけですが、中途半端に終わっています。
マッカーサーは若い頃、日本に赴任していたことがあります。私と面会する機会を設けて啓示を与えました。
彼は連合軍最高司令官となったときにも、その約束を忘れていなかったので、啓示に従って使命を果たしました。
朝鮮動乱を収拾する名目で原爆の使用を大統領に進言して最高司令官を解任されるという、シナリオ通りの行動を取りました。
その結果、「連合軍を率いたマッカーサー元帥でさえ核兵器の使用を許されなかった」という歴史認識が生まれ、
二度と戦争解決の手段として核兵器を使用しない、暗黙の国際的なルールを作ることに成功したのです。
米ソ二大国が互いに手を出せない核の抑止力が発動したことで、人類の滅亡は回避され、
古代イスラエルの神が約束した、イスラエルの王家から救世主が輩出される、という預言は成就されました。
ユダヤ人科学者のアインシュタインが、核兵器の開発を米大統領に進言したことは有名ですが、
その指令を出していたのは、明姫傘下のユダヤの長老達です。
そして、原爆を製造した科学者達や、投下した機体の搭乗員の多くも、ユダヤの長老直属の者達でした。
すべてが神託に従って、神の掌の上で動いていたのです。
核兵器の投下によって、日本が米国に負けて無条件降伏することは、国民に開示されない天照大神の神意でした。
天皇陛下万歳と叫んで散っていった多くの兵と国民の死は、人類滅亡のシナリオを回避する人柱となったのです。
多くの戦没者こそ、表立って称えられることのない、人類を救った真の救世主と言えるでしょう。
米ソ二大国が睨み合う構図を作り出すために、稚日女傘下の右翼部隊は、
第二次世界大戦当時、銃も持たずに世界中の紛争地帯を渡り歩き、世界規模の思想教育活動を展開しました。
その結果、大戦が終わったときには、
日が沈まない国と言われた大英帝国をはじめとして、ヨーロッパの列強の植民地の大半が綺麗さっぱり消えてなくなり、
最終的に、皆ヨーロッパの小国へと逆戻りしています。
稚日女が託宣を下した地球二分の計を妨げる障害は、このようにして一つ一つ丁寧に取り除かれていったのです。
明姫傘下の右翼部隊は、武器など持たずとも世界最強の力を持ち、人類を滅亡から救うプランに貢献してきました。
しかし、私が託宣した、世界連邦政府を樹立するまでの道程はまだまだ長いと言えます。
奉賛会の方々はよく承知していると思いますが、
世界経済を次世代の安定したものへと正常進化させるプランが私の掌の上で現在進行中です。
アベノミクスのような、学術的な理論が伴わない稚拙なものではありません。
自然調和する新経済システムを自己組織化する『散逸構造経済論』がキーワードです。
明姫様、神目線すぎです!
人の命をなんだと思ってるんですか・・・
「多くの戦没者こそ、表立って称えられることのない、人類を救った真の救世主と言えるでしょう」
のお言葉に涙が止まらなくなりました。
このような隠されたエピソードがあることを知らぬ身で、
日女様の御神命に従って勇気ある行動を取った方々を、
戦犯と罵ることは許されませんね。
生かされ続けている今を幸せに思います。
イスラエルの人々が崇めてきた、言霊を持つ神呪でもあるテトラグラマトンは、
「在らしめ続ける者」が原意です。
この神聖な言葉は、私の御霊が宿るとされる神鏡の裏にもアラム文字で刻まれています。
また、「千代に八千代に」という言葉に訳されて、国歌に採り入れられて広まっています。
「生かされ続けている今を感謝する心」は、
「生かし続け、在らしめ続ける、全なる一者」に対する信仰に他なりません。
一般の方のなかには、巫女神の私・天照大神が、神道界の最高神と思っている人もいるようですが、
私は神意を伝える役目を世襲し、生き神扱いされてきた、ただの巫女(預言者)にすぎません。
「生かし続けている全なる一者」に対する信仰は先史時代から太陽車輪の形で存在し、
世界規模の広がりを持っています(※菊の御紋章も太陽車輪の一種)。
あまねく地上を照らし、生物を生かし続けている一者の神意を、
最も体感しやすいのが天上で輝く太陽なので、
日本の神道や、エジプトやメソポタミアの多くの宗教は、太陽を象徴的に扱ってきたのです。
私の精神的な夫である、天上に輝く太陽を神格化した男神の天照大神に対する信仰は、
新石器時代から変わらぬ原初の姿を留めています。
現代の神道関係者の多くは、この「全なる一者」と心を通わせる、
「一は全、全は一」という、全世界の宗教に共通する宗教界最高の真理をあまり説こうとしません。
(※ユダヤ教はエジプトの太陽信仰が起点です。原始キリスト教も太陽信仰の要素を色濃く持っていました)
ですから、この機会に私がここに明記しておきましょう。
私の御霊が宿るとされる日像鏡・日矛鏡・二面の神鏡には(※皇室も、もとは凸面鏡と凹面鏡一対の鏡を所持していました)、
「生かし続けている全なる一者」の意味を持つ、私の魂の夫の名(神呪)がアラム文字で刻まれています.と。
世界中の、宗教を尊び道を求める者達が行き着く究極の真理は、日本の国歌として開示されて久しいのです。
これに気付いて悟りを得て日々の生活に採り入れて活かすかどうかは、個々人の自由です。
日本の神道が宗教の原初の姿をよく保っていて、
世界宗教たり得ることを、
来日したキリスト教界の指導者が
リップサービスしていたことを思い出しました。
ユダヤの長老達の崇拝を得ているなら、
世界は「全なる一者」の意思で動いていることでしょう。
良く生きるための知恵を探し求めていきたいと思います。
どうしてこんな過疎ったところに天照大神様が降臨するんですか・・・
過疎ってても、検索かけると上位でヒットするから。
あと、普段は忙しいけど暇なときがあるからだと思う。
神事のときは神座に座ったら動けないから、暇すぎる御様子。
気紛れに口述筆記させて暇潰し。
私からも便乗質問よろしいでしょうか?
明姫の表記は幾つか種類があるようですが、
以前耀姫と書いてアカルヒメと読む方がおられたように思います。
投稿内容がかなり近いので、もしやと思うのですが、
近しい御方でしょうか?
>>115 1.私がどのようにして科学知識を得ているのか、
2.人類が持つ科学知識が発達していなかった時代から、
神は科学知識を持っていなかったのか、
という質問ですね。
まず2ですが、
科学知識は人の手で生み出されたもので、神はあまり関与していません。
昔の明姫は、今のような科学知識を持っていませんでした。
生得真理は学ばずとも誰もが等しく持って生まれてくるものですが、
科学知識は生後学んで身に付けるものなので、
たとえ現人神といえども学ばなければ習得できません。
私達巫女神は万能の存在ではないのです。
1に具体的に答えることは、個人情報の開示になってしまい、
神宮の護衛武官達の仕事を難しくしかねないので、詳しいことは書けません。
私の一族は巫女神道を母系継承してきました。
一族の男衆は巫女神道の伝承と深い関わりを持たないので、
14歳で成人すると家を出されて、学者や医者や修験者などになります。
僧侶になって学問の道に進んだ男衆達は、
昔から境内都市で学校を構えていました。
それが現代では私立校となっています。
家業から離れた私は、その私立の学園の一理事の一人として運営に関わり、
また、興味のある分野の研究を教授達にさせています。
私の専門は、脳が思考を生み出す自己組織化と呼ばれる現象です。
120 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2014/12/15(月) 23:49:10.09
こんばんは
先日、久しぶりに東京に行く機会ができたのてわ、約0
121 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2014/12/15(月) 23:55:16.97
↑書き込み失敗しましたごめんなさい
先日、久しぶりに東京に行く機会ができたので、約10年ぶりに、深川不動尊に参拝しました
そちらで、前にお参りした際には気づかなかった「御護摩浄塩」をみつけたなあで、授与していただいてきました
説明には「お清めとしてご利用ください」とありますが、具体的には、どう使用するのが良いのでしょうか?
常に持ち歩く、枕元に置く、塩湯に使う…
こういったお塩に詳しいかたがいらっしゃったら、ご教授いただければと思います
>>121 護摩に塩…ときたら、真言密教では「調伏法」と相場が決まっているのですが、成田山や深川といった関東智山はそうした基本的な知識はないので、単なる思いつきで売っているのでしょう。
あまり気にせずに、料理などに普通に使うのが良いかと。
…ただし、中国製の毒入り塩でないことを深川に確かめる必要はありますが。
123 :
学会員:2014/12/16(火) 00:54:07.16
そんな塩など意味なし。
ただちに破却すべし。
124 :
121:2014/12/16(火) 04:03:37.92
>>122 「食用ではありません」と注意書にあります
「お護摩氏修行にてお祓いした浄塩です」、「『南無大日大聖不動明王』とお唱えし、お清めとしてご利用ください」
だそうです
かるく、しらべてみりしてしたが
125 :
121:2014/12/16(火) 04:04:26.79
126 :
121:2014/12/16(火) 04:19:53.38
>>122 またタイプミスしてしまいましたね、ごめんなさい
かんたんに検索した結果ですが、浄塩を授与していただいたという方のブログをみてみるくらいしか、授与後の使用方法をたしかめるすべ(方法)がなく…
私は個人には、塩湯や酒風呂はたまにやるので、そこにつかえたら良いなと思います(。-人-。)
くわしくは、深川不動尊さんのところに電話しておしえてもらいます
ありがとうごさいました
>護摩に塩…ときたら、真言密教では「調伏法」と相場が決まっているのですが、
>成田山や深川といった関東智山はそうした基本的な知識はないので、単なる思いつきで売っているのでしょう。
なんかすごい違和感ある文章だ
「護摩でお払い」ってところに根本的な間違いが…。
耀姫様曰く。
護摩を焚いて病魔退散の祈祷をするのって、迷信ではないんですよ。
ああいった植物を燃やすと、大量に精油などが放出されて病室を満たします。
精油類は、植物の体を、細菌やウイルスの侵入から守っている化学物質ですね。
それが病室を満たすと、空気感染するような細菌やウイルスの多くが、
死んだり活性を失うことが分かってきました。
ですから、護摩を焚けば病魔が退けられて、清浄な結界空間が出現するのです。
だがしかーし、全ての細菌やウイルスを退治できるわけではない。
加持祈祷によって虫歯の穴が物理的に塞がるわけでもない。
全ての病気に対して護摩を焚く方法が有効だと、盲信するのは間違いだ。
護摩を焚いて病魔退散の祈祷をする方法は、
うまくツボにはまれば有効な民間療法、という位置付けにすぎない。
昔の人は病気になったら、困ったときの神頼みと、神社に助けを求めて来た。
古い社家のなかには、多くの民間療法を伝承している家もある。
うちの一族には、加持祈祷のスキルや漢方(生薬)の伝承を受け継ぐ家もある。
しかし、それらの知識の多くは民間療法と認識されている。
西洋医学のほうが優れている面はいくらでもあるが、
漢方のほうが良い結果を出せる部分も残っている。
精油で弱った細菌やウイルスに触れることで、
発病することなく免疫を作れる場合がある。いわゆるワクチンと同じ原理だ。
加持祈祷が済んだ病室を見舞うのが有効な場合があり、
昔はそのような厄除けの慣習があった。
浄塩?
ああ、土俵に撒いておくと水虫が移らないという、あの厄除けの塩のことか。
あれだって万能ではないから、
使い方を間違えると、まったく効果がない迷信になる。
インフルエンザなどには、浄塩はほとんど効かない。
対して、ユーカリの精油などは細菌やウイルスに対する強い作用が確認されている。
耀姫様の御神服の袖に入っている毬香炉から出てくる香木の匂いにも、
強い抗菌・ウイルス失活作用があることが分かっている。
伝承されてきた、病魔を退ける結界の技術は迷信ではない。
商売繁盛の祈祷はインチキなの?
ついで参りの件で
これを調べるだけで意見が二つに分かれますな…
否定派は神様のご利益理論
肯定派は神様は寛大なり〜論
自分は都合のいい肯定派を信じたい
それと神様に願うのは違う論が納得できたから
神様には感謝と近状の報告というのが何とも穏やかで良いなと
神様が〜と人を怖がらせるの嫌いなので
しかし、怖がりな自分は聞いてしまったらもうだめ
ついで参りダメなのかな…
今日こんな買い物してこんな事ありましたわ〜と
神様を学校の先生レベルにしている感じで失礼!と言われたら確かになーと
>>131 そういうものの効果は知らない。
耀姫(当代の生き神)様が夢枕に立って、
こうすれば商売繁盛しますよと告げられて、
大成功したって話は、奉賛会でよく聞く。
古来から神社は、神様のお告げの言葉を聞く神聖な場所とされてきた。
それが今日では、神様と対話(精神的交流)ができない、
当たるも八卦の御神籤しか引けない状態になっている。
お参りするだけ時間の無駄だと思う。
御神籤のルーツと効能に関する、耀姫様のレクチャー内容を書いておこう。
2008年の夏に、SecondLifeのバーチャル神社の一つ、はぶろく神社で行われたものだ。
日女神様によると、御神籤は使い方によっては迷信ではないのだという。
昔のおみくじは、今日のものとは大きく違っていたそうだ。
軍師が兵を動かすときに用いるものがルーツだという。
重要なのは、当たるも八卦にすぎない御神籤の使い方にあった。
軍師達は、敵国との戦争が回避不可能になったとき、兵を動かす日時や進軍ルートを決める必要がある。
このとき、普通の発想で兵を動かそうとすると、裏をかかれて待ち伏せされて、味方が窮地に陥る可能性が出てくる。
どんなに優れた軍師でも、何度も兵を動かしていると癖を敵方に読まれてしまい、百戦百勝が危うくなる。
誰にも予想できない日時に、予想できない進軍ルートで兵を動かそうと思えば、
絶対に敵将に読まれない決定方法を用いる必要が出てくる。
そこで登場するのが、当たるも八卦の偶然の産物、御神籤だったのだ。
ヒットラーもルーン文字占いを使って兵を動かしていたため、
連合軍はドイツ軍の意図が読めない神出鬼没ぶりに、ずいぶん手を焼いたそうだ。
ところが、現在の御神籤は本来の占いの目的から大きく変質したものになっているらしい。
御神籤を、ランダムな答えを出すものと信じて用いれば迷信ではなく有効に活用できるが、
偶然の産物にすぎない答えを、正しいものと信じて用いようとすば、たちまち迷信に陥るそうだ。
現在の神社の御神籤は、何の論理的な根拠もない、ただの迷信に陥っている、と耀姫様はお笑いになっておられた。
135 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2014/12/22(月) 07:14:52.25
地域の小さな神社は誰誰のどういった目的で建立されたのでしょう?
136 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2014/12/22(月) 07:20:56.73
神社と中央権力、地方の権力、地域庶民の支配被支配の関係
中央権力のなかった時代
神社ってにわかに突然出来たものばかりじゃない。
ベースになった信仰は縄文時代から存在することもある。
たとえば、縄文時代から見られる / ○ \ などの記号は、
神道の太陽の三態・三女神に受け継がれている。
鳥居を持った神社は、そういうモノと違ってずっと年代が新しくて、
ほとんどが秦氏の手で建てられている。
主に八幡系列、稲荷系列だが、素戔嗚の神社なども秦氏の手になるものがある。
このタイプの神社は古代イスラエル洋式を採っている。
トリイというのは、遊牧民の移動式神殿の門を指す言葉だし、
手と口を清めたりする施設も、古代イスラエルから伝わった舶来のものだからね。
伝来したのはインド発の仏教だけではなくて、中東紀元の太陽信仰の要素もかなり入ってきている。
天津神系は、そういうハイカラな舶来もの(道教と共通の祭祀用具が多い)で構成されている。
板違いです。キチガイ朝鮮人カルトは宗教板へどうぞ。
139 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2014/12/22(月) 13:12:58.64
おい! 明姫=燿姫=ヒゲ男! 板違いだからキチガイ与太話はオカルト板か宗教板行ってヤれや、タコ!
文句があるなら貴様の言うところの公安に、
「私は真の皇統を継ぐ息長の斎王です。私の国体を嘲笑し歪曲工作する者がいるのです。」とでも申し出ろや、朝鮮人!嘲
そのままお前は禁治産者としてキチガイ隔離病棟送りだ!笑
論を用いず、ヒステリックに決め付けた書き方をすればするほど、
神社カフェのスレッドで明らかにされた、反日工作活動の流れが浮き彫りになる。
認識を歪める工作に失敗して、単なる決め付けを書き殴る戦法に切り替えても、
誰もまともに読みはしない。
神社の多くが秦氏の創建であることは、はっきりと記録が残っている客観的事実だから、
いくら強弁しようとも、歴史認識の歪曲は出来ない。
無理に変えようとすれば、偏向工作になる。
仏像はギリシャ彫刻がルーツといった情報も、徹底排除するつもりの不勉強者がいるらしいが、
ギリシャから日本まで伝わった文化がある以上、
より距離的に近い、中東から日本への文化の輸入もあったと考えるべきだろう。
たとえば、菊の御紋章だが、古い時代の中東の王家の紋章と同一のものであり、
エルサレム宮殿のヘロデ王の門にもしっかりと刻まれて残っている。
皇室のシンボルだけ西から伝わったと考えるのも不自然の極みで、
当然のように、シルクロードを介した宗教文化の伝来もあったと見るべきだろう。
その一つが、上でも明姫様によって解説されている、有翼日輪と呼ばれる象徴だ。
渡来氏族の秦氏が創建した稲荷神社の創建神話に登場するだけでなく、
今日ではお正月飾りとして一般家庭の玄関に飾られる形で広く普及して残っている。
したがって、現在の神社と類似性の高い中東の古い神殿形式と、日本の神社の建築様式に、
共通の要素が多く見い出されるとしても、なんら不思議ではない。
イスラエルを含むメソポタミア地域とはすぐ隣のインドからも、
仏教とともにさまざまなものが輸入されて残っている。
日本人は今でも西洋の文化を好む傾向がみられるが、
このような舶来嗜好は、仏教の輸入にも大きく関わっていたと考えられる。
仏教が伝来する以前に存在した神道の中にも
シルクロードの西から採り入れた要素があったと考える方が自然だろう。
渡来氏族の最大派閥を形成していた秦氏には、
シルクロードの交易で財を成した有力者が含まれており、
それを注ぎ込んで日本の津々浦々まで、神社を建てていったことが分かっている。
>>141 御高説はともかく、ここは質問のためのスレでござる。
他にて御説を述べられ給え。
143 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2014/12/22(月) 23:37:45.06
【祝】林田天皇サマ♂明姫こと燿姫こと沖永ヒゲ男・斎王サマ♂【御成婚】
会場:マツ崎病院・閉鎖病棟
分裂病で苦しむ同病者の方のためのチャリティー・バザー同時開催
閉鎖病棟の鉄格子ごしにホモ愛を育むキチガイ2人に支援と声援を宜しくお願い申し上げます。
>>142 反日工作乙
>>136に対する回答を、
罵詈雑言を並べ立てて歪曲する悪質な工作活動があったから、
それを正すために、わざわざ書いてくださったものだろう
それをスレ違いなどと非難すれば、
このスレッドを荒らす悪党に味方する一味の書き込みとみなされても文句は言えない。
このスレも荒らされているから
NGワードの設定推奨だな
145 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2014/12/23(火) 03:52:47.65
質問に対する回答を示したら誹謗中傷して歪曲
それを正す書き込みを見つけたらスレ違いと非難
たしかに
情報を捻じ曲げようとする悪の勢力が居着いているようだな
146 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2014/12/23(火) 18:22:58.53
キチガイに居座られるより「悪の勢力」とやらのほうが、まだマシかと…
147 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2014/12/23(火) 21:36:09.86
東京で夜8時以降でも参拝できる神社やお寺は、神田明神以外にもあるでしょうか?
初詣をしたいのですが、1月8日より後の平日夜しか時間を作れず…
>>147 燿姫さまなら24時間、あなたの声を聞いておられますよ。
>>148 いや、そういう…新興宗教じゃないところでお願いします。
>>148 私は彼女の審神者をしてる者だ。
神代から畏れ多いと敬われてきた現人神の明姫は、
世界は自分を中心に回っていると本気で思っているような神格の持ち主だ。
人間の発想や考えに合わせた行動がとれないわけではないが、
基本的に人間のように考えたり行動することはない。
だから、下々の民草の言葉など、まったく聞いていない。
神の目線で日本と世界と人類の運命を決めることしか念頭にない。
彼女に向って奉賛会のメンバーが
「息子が入試に受かりますように」と祈願しても、
まるでそこに人が立っていないように振る舞って、一言も返さないことが多い。
彼女が理事をしている私立大に子弟が落第するケースはザラにある。
落第の報告をして、必死で縋り付いた人に向かって、はじめて口を開いて、
「講義について来れる学力を持っていないと、入学を許可しても意味がありません。
それを判定するための試験なのです。分相応の大学で学ばせてあげなさい」
という意味のことを、石像のような無表情のまま日本人に分からない高天原言葉で話すから、
相手はオロオロしてしまって、私が日本語で言葉を取り次ぐのに苦労することがある。
お腹が痛いと言って助けを求めている人に向かって、手かざしをしながら、
「私は一度も腹痛を体験したことがないから、どう痛いのかよく分からないんですよね」と
無表情のまま平気で無慈悲なことを言ったりする。
阪神淡路大震災のとき、がれきの下に埋まった子供の居場所を失せ物探しの要領で言い当てて、
助け出された息のない子供を見て泣き叫ぶ両親を尻目に、
「脳がまだ生きてるので助かりますよ」と言って鎮魂・魂振で蘇生させたまではよかったが、
両親に返すときまるで猫の子を扱うように放り投げて、神服が汚れたことのほうを気にしていた。
彼女は人ではないから、人間の身勝手な発想で人間的な要素を求めるのは正しくない。
151 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2014/12/23(火) 22:55:24.91
新興宗教とかスピ系でない方はおられないのですか?
危険な団体とは関わりたくないので…。
畏れ多い日女神とされてきただけあって、
神憑りしているときは、見る者すべてに背筋が凍りつくような強い本能的な恐怖心を抱かせる。
胆力のない者は、神威にあてられた状態に陥り、
失立(怖くて腰が抜けて立てない)・失歩(身動きできない)
・失目(目の前が真っ暗になって見えない)・失禁・失神といった、
ヒステリー症状を引き起こさせることが知られているため、御簾を降ろして姿を隠す風習がある。
神憑りしていない状態のときは、普通の人と変わらない言動をするように見えることがある。
しかし、人間のフリをしているだけで、人間ではないと感じることが多い。
親戚の子をあやすといった、どうしても必要な場合を除いて、
普段は表情をまったく顔に表さないから、まるでお面を被っているかのような印象を持つ人が多い。
読視野が広く、本を開くと文字を目で追うことがほとんどない。
そのせいもあって、一度座ったらひな人形のように身じろぎもせずに前を向いて、
視線すらほとんど動かさないため、小学校でついたあだ名は石像だった。
自分が興味のない人間は、そこに存在しないように振る舞うシキタリがあるため、
誰もが、自分達クラスメートには無関心で、完全に無視されていると信じていた。
他人の体に触れること、触れられることを極端に嫌う。
母親はヨーロッパ育ちで神道の修行をまったく受けずに育ったため、
胆力のない彼女は、産んでから一度も、恐ろしくて耀姫様を抱き上げたことがないそうだ。
唯一耀姫様が他人に体を触れるのを許すのは、昼休みに5分間睡眠を取るときぐらいのものだ。
日本語は分かるのだが直接人と話すことを好まないため、よほど相手を気に入った場合を除いて、
言葉を取り次ぐ者を間に挟んだ状態で、高天原言葉でしか話そうとしない。
以上のようなシキタリを神代から受け継いできた、と言ってしまえばそれまでだ。
このような現人神の立ち居振る舞いが普通の人間にできるとはとても思えない。
153 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2014/12/24(水) 00:18:41.65
何の神様かよく知らずにお参りしてる人が多いですが
それでもご利益って、あります?
154 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2014/12/24(水) 07:18:20.76
ふっふっふ時代の流れにインプット
愛知県岡崎市鴨田本町の駐車場で俺の事を洗脳しようとして無差別殺人か学会で変死
ふっふっふ時代の流れにインプット
愛知県岡崎市鴨田本町のファミリーマートの駐車場で俺の事を洗脳しようとして無差別殺人か学会で変死
馬鹿じゃないのか?
こんな事をしたら普通ストーカーだった事にしか相手はしないぞー。
その時に無理矢理そこをくっつければそれが現実かとか
そことかそっちからは記憶とかでもこっちからは現実でその人の運の成り行きとかおばあちゃんなの
こんなに絡んできとったら親の壁とか会社の壁とかにしかならんだよ?
相手からは?
こっちからも学会員化した防犯ネットワークとかがあるのに。
これねー?そんな奴が働いとる会社は知らないよ相手は普通
金を持っとっても意味が無いんだぞ?普通
解ってやってるのか?
24歳の前後から無かった事にしてペチャクチャ言ってる事にしろとか
誰もいない所で発狂をさせたり足をばたばたするようにしてこれちゃって
それなら俺が誰か知らないのにふざけて救急車で運ばれるようにした後に
神社のお参りにいたずらに行ったり愛知県岡崎市鴨田町のファミリーマートの駐車場に
おじさんを配置してECCの辺から集団ストーカーになるようにして
免許の減点をしたりしていたずらで通報をしてブラックリストに乗せて精神崩壊をさせようとして
いいやいいやいいやいいやいいやいいやってタイミングよく夢に出して
皇太子様がまだ豊田東に行った事になってなくて刑務所の中で頭痛とか風邪なら
天皇陛下が肺炎になった原因になるのにまだ通報した犯人の次から現実が無かった事にして
それでもまだ風評被害を続けてきて名誉会長の次男が胃穿孔になって
また仲間になって無理矢理嫌っても今度は10時10分にとーうとう
ふっふっふ時代の流れにインプット
引越してからすぐに部屋の中に家具を置いた後から解らなくして無差別殺人か学会で変死
160 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2015/01/09(金) 11:58:10.79
俺将門首塚お参りしたことあって思想的に将門公が正しかったと思うけど、よく知らんでこの前成田山新勝寺初詣いっちゃった。
で、まん中に正月だけ作ってあったしめ縄の鳥居みたいの潜ったら行きは良かったけど出る時だけ吐き気がした。
今後俺大丈夫か?香取神宮にでも行った方がいいかな?
>>160 気にしすぎじゃない?
将門の正当な血統持ってて先祖として祀ってるとか毎日欠かさず日参
してガチ「信仰」してるんでもなければ、知らずにたまたま両方参拝
したからって、なんにもないと思うけど
それでも気分悪いなら香取神宮別に行ってもいいけど(リセットになるんか?)、
ビクビクしてるとヘンなのに付け込まれるから、自分でも気をしっかり
持った方がいい
あと、茅の輪が正月にもあったのはちょっと不思議な感じがするけど、
それのもともとの意味は自分の中の古い邪なものを捨て去って、新たに
新生、再生して新年を迎える、というものだから、そういう体感があったなら
むしろ「ほんとに効いてた」と受け取っていいんじゃないかな?
茅の輪バカにできんね
163 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2015/01/10(土) 10:58:56.13
将門の首塚は一度しか行ったことないけど
神田明神と成田山は何度も行ってます。
自分は今のところ大丈夫。
>>162 画像見たらいわゆる茅の輪的な形じゃないから、違うみたいだね
関係ないこと書いてごめんなさい
まあでも、その後特に悪いこと起きたりしてないなら、気のすむまで
香取さんに行ってあとは忘れるのがいいと思うよ?
自分の知人も
>>163さんと同じく神田明神と成田山行くけどなんともないみたい
将門公の器の大きさとか下々の市井の人々に対する慈しみの気持ち的なものを
考えると、知らないでやったちょっとしたことでいちいち祟るような御仁じゃないと思うな
世の中よくしようと革命的なこと起こしたかったんだから、今も活躍してるとしたら
忙しくてそんなヒマじゃないんじゃない?
165 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2015/01/11(日) 12:28:57.66
将門公はそんなしみったれたことをなさるようなお方ではない。
問題は成田山のほうでしょう。
横浜別院の僧侶が本堂ごと土砂に飲まれて亡くなったのに黙殺するわ、
少年院上がりの本院の僧侶が脅迫で逮捕されるわで、
こんなところにいって、良いことがあるほうが不思議です。
邪気を拾ってきたのでしょう。
いっそ、将門公にお参りし直して、こうした低劣な邪気を祓って頂いては如何でしょうか?
166 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2015/01/29(木) 22:08:13.95
産まれて初めて豆まきに行ってみようと思うのですが、
服装とかはジャンパーにカーゴパンツとかじゃ失礼でしょうか。
移動手段は原付です。
167 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2015/01/30(金) 01:15:15.95
>>166 歳男歳女として豆まくなら、黒紋付きや振り袖などの正装するけど、
見物客としての参詣だけなら、原付で移動して境内でも寒くないようにして
普通の恰好でいいよ
少し前に「ものすごい勢い」の方で参拝者としての服装の「色」について
なんやかんや言うレスがあったけど、なんじゃそりゃwと思いながら
読んでた
またどこぞの自称スピリチュアリストだか占い師だかが言ってたのかな
参拝時のドレスコードも、昇殿参拝して祈祷受けるんでもなければ
良識の範囲内でOKだと思うよ
168 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2015/01/30(金) 12:24:53.19
>>167 どうもありがとうございました。
安心しました。
169 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2015/01/31(土) 18:35:52.95
節分祭の豆まきって神社の無料サービスなの?
参拝客はお返しに何かするんすか。
無料サービスっていうか、お祭り行事みたいなものじゃないんですかね?
http://www.senso-ji.jp/annual_event/setsubune.html ↑こういうのだとその年の年男年女の芸能人目当てで来る人も多いでしょう
奉賛会に入っててあらかじめ個人名で招待されてたり、昇殿してなにかに参加
させてもらったり、帰りにおみやげや授与品をもらうとか、そういうのでなければ
特に奉納金とかを包む必要はないかと
(参拝したら任意のお賽銭するのは普段通りとしてですよ)
ちなみに豆まきで空中に撒かれた豆は、あれ授与品じゃないですからw
171 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2015/02/01(日) 12:35:29.13
172 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2015/02/01(日) 23:52:14.75
いわゆる「お堂」とは何を指す言葉なんでしょうか?
寺の建物を俗にお堂と呼ぶ、と考えていいのでしょうか?
【堂】
[名]
1 古く接客や礼式などに用いた建物。表御殿。表座敷。
2 神仏を祭る建物。
3 多くの人が集まる建物。
「御」をつけて丁寧にいっただけです。
174 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2015/02/02(月) 01:42:23.69
即レスありがとうございます
175 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2015/02/15(日) 18:43:21.62
自分は無人のお寺(あるいは仏教の建物)を「お堂」と言う認識が、ちょっとありますね。
例えば、離れたところのお寺の何かを祭った建物の前に「お堂前」と言うバス停があったり
やはり無人の観音様を祭った建物を「○○観音堂」とか言ったり。
神社の場合は大多数が無人ですが
本来の意味では有人でも無人でも神仏像を安置している建物はお堂と呼びますが、
昔は本職がいなくても地域の人々が輪番で管理しているようなところも
多かったでしょうから、そういうこじんまりした小さな建物のイメージが、
たしかにこの言葉にはありますね
神仏習合の時代は、今は○○神社のところも多くがそういう「お堂」だったことでしょう