もの凄い勢いで誰かが質問に答えるスレ22000 [転載禁止]©2ch.net

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191明姫 ◆Dlof2CSSdI
>>180
超えてなどいません。
辿り着く究極の真理はただ一つしかないのです。
後世の者達が脚色して原始仏教を大きく捻じ曲げてしまったため、
彼の真意が正しく現代まで伝わっていない面があるのです。

たとえば、無を尊ぶ思想が広まっていますが、
ただ雑念を排して心を空っぽにしていっても、それだけでは意味がありません。
良く生きる智慧は、全ての想念を生み出す根源の無の中には存在しません。
無から有を生じる過程の中に存在するのです。

あらゆる想念に変化することが可能な無限定の状態から、
意識による限定を経て、有意性を持った思考が創出されます。
その自己組織化の過程を逆向きに観察することによって、
思考の有意性が生じる過程を明確に内観できるようになるのです。
それが釈尊が到達した無を尊ぶ思想の原初の姿です。

良く生きるための智慧が生成される自己組織化の過程を明確に把握出来れば、
今まで気付けなかった、潜在しているさまざまな生得真理を
意識上に引き上げることが可能になります。
そのスキルを説いた結果、高く評価されて、後世に名を残すことができたのです。

仏陀が教えを説くまでは、断食などの苦行を行って体力を削り落とし、
雑念を排して無と同化し、感覚遮断の状態を作り出して意識水準を下げていくことで、
瀕死と同じ意識が朦朧とした状態を疑似的に作り出して、
臨死体験特有のイメージパターンを描く幻覚を見る体験、
すなわち瞑想が目的の不自然なスキルの体系が苦行僧の間で流行していました。
そのような稚拙な錯誤から広まった、無(死)へと近づく迷信をいくら尊んでも、
良く生きるための智慧には辿り着けないと、
まったく逆のことを説いたため、注目を集めて、新しい宗教と認識されたのです。