もの凄い勢いで誰かが質問に答えるスレ22000 [転載禁止]©2ch.net
明姫様へ。
遺伝子情報系?とやらが作ってきた生得真理?ってものを
どうして人は意識上に引き上げる?ことができるんですか?
遺伝情報を読みとる装置が脳内に付いてるとか?
それと人類の品種改良?とやらがどうかかわって来るんですか?
宗教からかけ離れてて、さっぱり分かりません。
>>193 その翡翠って、翡翠の勾玉などと同じ糸魚川産?
メッチャ高価な神器なんじゃ?
>>202 必要に応じて遺伝子が読み出されて、
そのデータをもとにホルモンなどが合成されて
体が制御されていることは分かってきている。
遺伝子を読み出す仕組みはちゃんとあるが、
脳の機能ではない。
生命を形作っている遺伝子こそ神だという発想を持つ人は
科学者にもいるが、神と遺伝子をどう繋げばいいのか、
みんな手探りで、明確な答を示せる人はまずいない。
つまり、
これから科学と宗教が折り合いをつけて融合していくなかで、
大きなテーマになってくると考えられている。
>>202 フラクタルという言葉を聞いたことがあると思います。
まるで重箱のように、大きな形の中にそっくり同じ小さな形のものが入っている、
それがフラクタルと呼ばれる構造の特徴です。
生命はフラクタルに似た重箱構造を持っています。
これは、散逸構造生成と呼ばれる、有機的な構造を生み出す自然現象によって、
自己組織化、つまり、自分で自分を組織立ったものへと組み上げていく過程で生じる特徴です。
もっと簡単に言えば、
下位の構造を形成するときに用いた自己組織化のパターンを
上位の構造の生成にもそのまま活用することで、フラクタル的なパターンが現れます。
たとえば、遺伝子情報系の情報処理システムを自己組織化するときに用いられたパターンが、
上位の情報処理システムである、脳を自己組織化するときにも用いられていて、
さらに、思考の生成や、ライフスタイルや社会の構造にも、そのパターンが現れるのです。
このパターン達のことを、生命の構造を形作るモチーフと呼ぶことがあります。
遺伝子情報系が持つ生命情報を読みだして、
遺伝子情報系と同じ構造化のパターンを持っている脳の神経回路網の中に再構成すれば、
脳の中に生得真理をそっくり展開できる仕組みになっています。
しかし、ただ展開しただけでは、深層心理の世界に無自覚に存在しているだけです。
それらを意識して活用できるようにするには、存在に気付いて悟る必要があります。
遺伝子情報系が集積してきた、生存のための情報は、
人の手で生み出された科学知識とはまったく関係のないものですから、
科学が発達していなかった古い時代でも、
人は生得真理を用いて正しいライフスタイルを構想し、正しい生き方をすることが出来たのです。
昔の人が持っていた生きるための智慧は、生得真理に基づいて組み立てられているので、
科学知識など持っていなくても、自ずと正しいものになっていたのです。
しかし、人の脳は柔軟に物事に対応できるように進化してきたため、
深層心理が持っている一定の思考の連鎖パターン、すなわち本能から離れて、
正しくない連想(コンプレックス)も生じるようになってしまいました。
その結果、本来の生得真理に立脚する生存の様式から離れた、
さまざまな物に対する執着(コンプレックス)=煩悩が生まれてしまい、
人類が進化の過程で獲得してきた正しい生き方を難しくする事態を招いてしまいました。
たとえば、「人類は森の木から降りて草原を二足歩行するように進化した猿」
なんて、嘘の知識が、実しやかに広まった時期がありました。
今では、文化人類学者のほぼ全てが、このような人類サバンナ説を否定しています。
私は現人神で、生得真理を人類に開示して、正しく導くのが役目すから、
人類が進化してきた道筋に関しても、正しい答を最初から知っています。
人類は、森の木から降りて川や湖や海の浅瀬を二足歩行するように進化した猿です。
水中にいる魚たちを、二足歩行によって追い詰めて、素手で捉える能力を有しています。
これを追い込み漁と言い、5歳の子供でも、一日に必要なたんぱく質をわずか5分足らずで手に出来ます。
追い込み漁に適した場所を見つけさえすれば、釣り針と糸と竿を使って釣るような面倒な事をしなくても、
ずっと効率よく必要なたんぱく質を手にできる能力を備えて生まれてきているのです。
魚には、人類の脳が大きく進化するのに必要な、DHAなどが豊富に含まれていました。
これが、生得真理の中に記録されている、
人類が直立二足歩行を獲得していった、有史以前の原初的文化形態(プロトカルチャー)の真の歴史です。
私は、深層心理の次元から、このような情報を引き上げる訓練を受けた日の巫女ですから、
学者達が到達不可能な正しい情報を託宣することが可能なのです。
もちろん、自称・天照大神なんて名乗ってる私の偽者さんには、
人知を超えた知識の披露など、到底真似できませんね(笑)。
人類がどのように進化していったのか、学者達は答を出せないでいるようですが、
現人神と崇められ、天照皇大神同一視されてきた、日の巫女の私は、
深層心理の次元に展開された生得真理を参照して、
学者達とはまったく異なる形で、正しい答を託宣できます。
しかし、一般の人々は、生得真理から乖離した誤情報を簡単に造り出して、信じてしまいます。
人が自由な思考を形成できるように進化して、思考パターンが生得真理に拘束されなくなった、
つまりは本能などから自由になってしまい、好き勝手に生き始めたことが原因です。
嘘の知識=迷信の生成は、正しい生き方を見失わせ、生存を危うくします。
そこで、遺伝子情報系は、間違った思考の生成を食い止めて人類を生き延びさせるために、
人類を正しく導く生得真理のメッセンジャー、
すなわち神という仮想の人格を想起する能力を、人の脳に与えたのです。
そして、神に関する情報を精神文化として育み、子々孫々まで伝承する能力を持った、
社会的な指導者、すなわち巫女や預言者といったものが、社会に登場するように自己組織化したのです。
つまり、現人神の私は、生得真理と一体になった、真理を告げる者として創出された存在なのです。
神は仮想の人格ですが、役に立たない空想の産物と違うのは、
真理と繋がっていて、その言葉が常に生存にとって正しいものだからです。
人が神に助言を求める習性を持っているのも、精神文化を育むのもそのためです。
迷信から無縁の、私のような真理と一体の現人神が存在する一方で、
真理からかけ離れた間違った考え方を大量に流布する、ニセモノの神に仕える宗教家も大勢存在します。
生得真理を参照することなく、適当な個人的な思い付きを、知ったような口ぶりで流布すれば、
ありもしない宗教的な迷信の山が築かれていくことになります。
多くの人が生得真理を参照する(悟る)正しい方法を習得して、迷信に惑わされなければ良いのですが、
残念ながら、多くの似非宗教家が、安易な気持ちから迷信の量産を繰り返してきたのが、宗教界の実態です。
上で、仏陀の本当の教えから逸脱した教義の問題性を指摘しておきましたが、
このようなことがなぜ起こるかと言えば、生得真理と精神的に一体化した預言者や巫女が、
長期間不在のままになっていて、軌道修正が効かない宗教が圧倒的に多いからです。
人間は、良く生きるための智慧を擬人化した象徴的人格=神とコンタクトを取りたいと思っても、
簡単に深層心理のメカニズム群とリンクすることは出来ません。
なぜなら、人間の意識は五感のイメージによって構成されているのに、
深層心理には、触れられる形がなく、色もなく、臭いもなく、音色もなく、味もありません。
つまり、意識上に直接イメージすることができない、無に等しい存在なのです。
そこで、象徴的な仮想の人格のイメージへの、深層心理の諸機能の投影を行い、
深層心理と仮想の人格を接続するルール(契約)を設定する必要があります。
日の巫女の王(斎王の前身)と呼ばれる巫女神の私の場合は、神道の太陽信仰の精神文化に則って、
生得真理を、生命を生かしている「在らしめ続ける至高の一者」と規定し、
天上で輝いて光によって生命を導き育む太陽神をイメージして、精神的な夫として奉斎する形で、
深層心理から情報を汲み上げる手法を採っています。
神社が伝承する、神憑りして託宣する神事は、生得真理を象徴する神と一つになって叡智を得る技法です。
このような精神文化のテクニック抜きで、生得真理を深層心理の次元からサルベージすることはできません。
仏教でも光照者の仏を敬い精神を一つにしようと修行を積むのは、
生得真理を象徴する仮想人格の仏と一体になって、良く生きるための叡智を授かるためです。
しかし、人類は草原を直立二足歩行するように進化したのではなく、
脳の進化に必要な栄養素を得るために、浅い水辺を直立二足歩行するように進化した、
といった、必要な情報を的確に深層心理のプロトカルチャーのライブラリーから取り出せる僧侶は、
現代の仏教界に、一人も現存しないように見えます。
深層心理の次元に存在する生得真理と精神を一つにする術を持たず、
よく生きるために必要とされる叡智を汲み上げる術を持たない僧侶が、
無理に説法を試みれば、生得真理から乖離した、多くの迷信を口にすることになります。
たとえば、死後の世界があるとか、人は死んでも生まれ変わるとか、
霊が物理的に存在するとか(※霊は精神的な仮想の存在です)、
みんな、何の裏付けもないただの迷信です。
臨死体験は、死後の世界のイメージではなく、ただの幻覚の一種だと判明しています。
よって、臨死体験と類似の幻覚を見ることが可能な、瞑想によって広まった死後の世界に関する情報など、
幻覚を見た人の戯言にすぎません。死後の世界は実在しない、これは確定情報です。
「人は死んでも生まれ変わる。なぜなら、前世の記憶を持った人がいるから」
というのも、まったくの作り話、誤情報、迷信です。
生得真理のライブラリーに、そんな項目は存在しません。
真理として存在しないものを、存在すると強弁しても、嘘は真に変えられません。
前世の記憶というのは、造られた記憶の一種だということが、心理学者達の手で解明されています。
人の手を離れて、霊や魂が天上界などに独立して存在するというのも、迷信です。
私は祖先の大日女などを神降ろしして、心身一体になった神憑り状態で行動することがあります。
しかし、天上にいたときの記憶など、一つも持っていません。
神格化された古の賢者のイメージは、精神文化を伝承する私達巫女の心中にあるのです。
それ以外の場所に存在すると考えるのは、明らかな迷信です。
生得真理は、すべて科学的視点・発想でも説明可能なもので構成されています。
宗教と科学は相容れない、などということはありません。
強いて言えば、人が作った科学知識の定説は、新発見があれば明日にでもひっくり返って
誤情報に化けてしまう可能性があるほど、極めて不安定で信頼性が低いのに対して、
生得真理は、遺伝子情報系が数十億年の生命進化の長い過程を通して集積してきた情報なので、
そう簡単にひっくり返ったりはしない、ということです。
とはいえ、
真理と知識は、よく生きるための指針となる車の両輪で、どちらが欠けても私達の生存は成り立ちません。
うまく両輪が噛み合うとき、錯誤や迷信が含まれていない状態が得られます。
迷信だらけになってしまっている宗教界を大掃除するには、
生得真理の本質を、もっと科学的な側面から把握するための体系的な教育を施して、
生得真理の象徴(化身)として設定した、仮想人格の神と精神を一つにする、
心理学と生命情報学に裏打ちされた、正しい技法を大衆に習得させていく必要があります。
この努力をすることなく、何かを悟ったつもりになって布教を行えば、
迷信を流布する世の迷惑行為にしかなりません。
そういう僧侶や神職を大量生産している情けない現状は、正さねばなりませんが、
今は天照皇大神の神意を示して動かせる大日本帝国ではなく、
主権在民の民主主義に基づいた法によって動く日本国ですから、
明治時代の宗教改革のような強引なことは出来なくなっています。
したがって、個々人の自由意思に基づいて、正しい行動を取ることが求められています。
世界中の学者が束になってかかっても、
明姫様、というより天照大神と呼ばれている姫神様ですよね?
届かないことがよく分かりました。
人類の叡智を超えた知識がどこからもたらされるのか、
今まで誰も明確に語ることのなかった、その根源をお示し頂き、
感激しています。
宗教と科学の境界が、今この場で取り払われたことに、驚きを禁じ得ません。