1 :
名無しさん@京都板じゃないよ:
重複スレ。
削除依頼出しておきます。
4 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/19(木) 22:08:07
次スレはここでいいの?
6 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/19(木) 22:12:26
もういっちょつくりなおして
7 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/19(木) 22:13:35
8 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/19(木) 22:19:12
タイトルが気に入らん
9 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/19(木) 22:22:02
勝手にスレたてるな
12 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/19(木) 22:25:44
自治に不穏な動きあり
13 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/19(木) 22:27:07
真宗糞スレ撲滅
14 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/19(木) 22:30:42
真宗許すまじ
15 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/19(木) 23:01:36
16 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/20(金) 11:34:28
ここでいいんですか?
17 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/20(金) 11:37:19
>>16 Uの次がUであるはずがない。Uの次はVに決まっておろう。
19 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/20(金) 11:54:12
>>12 真宗系のスレにVIPPERを呼び寄せて潰しに掛かろうと。
もう誰がやっているのかバレバレ。
>>19 神道と創価の合わせ技。
前スレでは一時、論証をきちんとする流れがあったのに、いつの間にか泥仕合に。
神祇の問題については今後、肯定、否定の立場の違いを問わず、客観的な文献・資料を引かないレスに
ついてはスルーして良いと思います。
21 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/20(金) 12:10:58
>>1 >神祇にも不敬な態度をとらず、祝詞奏上したり念仏したり阿弥陀経を唱えたり、
>して敬意を表して尊重しましょう。
勝手な一文を入れないように。
22 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/20(金) 12:13:23
>>21-22 まあ、この際ですから
>>1は無視してよいと思います。
次ぎスレ「W」で元に戻しましょう。
24 :
関連スレ:2006/01/20(金) 12:42:30
25 :
関連スレ:2006/01/20(金) 12:43:59
26 :
参考:2006/01/20(金) 12:45:08
★ 「真宗教団連合」に加盟している宗派
●浄土真宗本願寺派(門主:大谷光真)……西本願寺
●真宗大谷派(門首:大谷暢顯)……………真宗本廟(東本願寺)
●真宗高田派(法主:常磐井鸞猷)…………専修寺
●真宗佛光寺派(門主:澁谷曉眞)…………佛光寺
●真宗興正派(門主:華園眞暢)……………興正寺
●真宗木辺派(門主:木邊圓慈)……………錦織寺
●真宗出雲路派(管長:藤光永)……………毫摂寺
●真宗誠照寺派(法主:二條秀瑞)…………誠照寺
●真宗三門徒派(門主:平光顕)……………専照寺
●真宗山元派(法主:藤原光教)……………證誠寺
27 :
参考:2006/01/20(金) 12:45:56
75 :名無しさん@京都板じゃないよ :2005/10/15(土) 17:10:37
おそらく教会・開教所(布教所)は別カウントになっていると思いますが、各派の教勢は
こんな感じのようです。
浄土真宗本願寺派……寺院数 10320
真宗大谷派……………寺院数 8694
真宗高田派……………寺院数 626
真宗興正派……………寺院数 483
真宗仏光寺派…………寺院数 371
真宗木辺派……………寺院数 208
真宗出雲路派…………寺院数 62
真宗三門徒派…………寺院数 40
真宗誠照寺派…………寺院数 52
真宗山元派……………寺院数 21
真宗浄興寺派…………寺院数 14
弘願真宗………………寺院数 9
淨土真宗淨光寺派……寺院数 6
淨土真信宗淨光寺派…寺院数 6
真宗北本願寺派………寺院数 4
浄土真宗同朋教団……寺院数 3
真宗一心山昌玲寺派…寺院数 2
真宗長生派……………寺院数 1
参考:www.kotobuki-p.co.jp/shu.htm
28 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/20(金) 12:46:58
スルーしよう、と言いながらまだグチグチ言っているのは何故だ?
30 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/20(金) 13:06:06
>>20 化身土巻で結論出ていますし。これ以上の議論は無駄かと。
「真偽を勘決して、外教邪義の異執を教誨せば、『涅槃経』にのたまはく、仏に帰依せば、ついに
またその余の諸々の天神に帰依せざれ、と。 『般舟三昧経』にのたまはく、「優婆夷、この三昧を
聞きて学ばんと欲せんものは、みづから仏に帰命し、法に帰命し、比丘僧に帰命せよ。余道に事
ふることを得ざれ、天を拝することを得ざれ、鬼神を祀ることを得ざれ、吉良日を視ることを得ざれ、
となり」
「真の仏弟子といふは、真の言は偽に対し仮に対するなり。弟子とは釈迦諸仏の弟子なり、金剛
心の行者なり。この信行によりてかならず大涅槃を超証すべきがゆゑに、真の仏弟子という。
仮といふは、すなわちこれ聖道の諸機、浄土の定散の機なり。偽といふは、すなわち六十ニ見・
九十五種の邪道これなり」
31 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/20(金) 13:09:34
神祇問題以前にゴタゴタやりやがって。
32 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/20(金) 13:12:33
自治まで巻き込んでさぁ。
おまけにVIPに喧嘩売りに行ってスレ潰しまで画策してるのか?
そもそも、乱立を避けるための少数派主体のサロンスレを荒らし、こういう事態に
陥らせているのは少なくともリアルの真宗関係者じゃないだろうに。
33 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/20(金) 13:13:48
34 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/20(金) 13:16:13
前スレ自体がスレタイ論議で始まってるんだ
新スレタイを作ろう!
35 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/20(金) 13:16:34
>>33 結構です。スルーしてください。
どうせならば、真宗連合あるいは各宗派の研究機関に問い合わせてみてください。
サッサと結論出してくれますから。
37 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/20(金) 13:18:10
Uの次にU立てた香具師が「時系列ではこっちが先だ!」と騒ぎ始めたようで。
もうVで話が動き出しているんだし、スレの順序からして「間違えて立てた」ことも明白。
Uについては削除依頼も出ているようだし、事を丸く納めた方が得策。
いつまでもくだらないことを続けるなと言いたい。
38 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/20(金) 13:19:03
【神社本庁】真宗以外は糞糞糞【創価学会】
39 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/20(金) 13:19:23
>>37 削除人登場までに「W」に入ってると思いますけどね(w
>>33 それは前スレですでにその方向で動き出していますから。
41 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/20(金) 13:21:19
42 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/20(金) 13:22:46
>>34 スレタイも何も、スレの方向性としては
>>22で良いのだから、そのコンセプトに見合った
タイトルを付ければ良いだけのこと。
>>38はとても同意できるものではない。
43 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/20(金) 13:22:56
【放尿】真宗は便所【脱糞】
>>35 そうですね。
>>1は親鸞聖人の本意の内容ですからね。
変更すること無しで、行きましょう。
結論が出ているのですし。
45 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/20(金) 13:23:38
46 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/20(金) 13:24:42
>>44 どこで「結論」とやらが出ているのかい?
文献で示せよ。
47 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/20(金) 13:24:48
>>42 ハア?それは荒らしだろ。
ちゃんと
>>1の方向で行くべきだ。
出なければ浄土真宗門徒止めな!
48 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/20(金) 13:25:10
【神祇不拝】真宗護持サロン【日蓮襲撃】
50 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/20(金) 13:25:25
53 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/20(金) 13:27:02
54 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/20(金) 13:27:52
神祇にも不敬な態度をとらず、祝詞奏上したり念仏したり阿弥陀経を唱えたり、
して敬意を表して尊重しましょう。
が浄土真宗らしい、親鸞上人らしいものだから、
他の真宗スレにも提示するのはどうでしょう?
56 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/20(金) 13:28:19
>>52 アホか?ここの
>>1と同じじゃねえかよ。
【御同朋】浄土真宗(真宗)総合サロンU【御同行】
1 :名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/19(木) 21:51:17
浄土真宗(真宗)系の全宗派の話題を包括して取り上げる総合スレの第3弾です。
「どうして浄土真宗では○○をしてはいけないの?」という素朴な疑問から批判・要望、
各宗派を取り巻く諸問題、堂宇・荘厳から教義・教説に至るまで、ありとあらゆる話題
にズームしていきます。
神祇にも不敬な態度をとらず、祝詞奏上したり念仏したり阿弥陀経を唱えたり、
して敬意を表して尊重しましょう。
57 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/20(金) 13:29:34
【喧嘩上等!】きちがいカルトを両断真宗は神【本庁・学会】
58 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/20(金) 13:30:00
>>54 しつこいんだよ。オメーは。恥っかきスレ立てやがって。
>>56 だからいいだろ。
より正論に近づいているのだから。
60 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/20(金) 13:31:05
61 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/20(金) 13:32:20
62 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/20(金) 13:32:21
何かお隣のスレの住人が必死こいて「正統スレ」名乗ってageしてるな。
まあ、飽きるまでやってなさいってこった。
63 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/20(金) 13:33:06
>>61 それでレス数が伸びてる現実を直視したたどう?
64 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/20(金) 13:33:58
【親鸞はきちがい】神祇不拝こそ真宗【大谷家は歴代あほ】
65 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/20(金) 13:34:07
>>55 大谷派スレだけで終わりか?
それ以外の宗派のスレにも貼って来いよ。
66 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/20(金) 13:34:48
68 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/20(金) 13:35:32
>>63 自分で自分の足を引っ張ってることに気づいてないらしい(w
69 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/20(金) 13:36:47
>>67 断る。
しかし、セクト専用スレにそんなモンを貼っても意味がない。
むしろ寛容な本願寺派やその他の少数勢力のスレに貼るべき。
70 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/20(金) 13:37:05
71 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/20(金) 13:38:01
72 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/20(金) 13:38:21
【日本は半島の一部】ブラッキー真宗【日本は大陸の一部】
73 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/20(金) 13:40:31
自治禿による露骨なスレ潰しの現状。
267 :名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/19(木) 22:23:33
また真宗禿がスレ乱立しやがった
今度こそVIPPERの出番だな
269 :名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/19(木) 22:27:53
いやもう許しがたい
270 :名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/19(木) 22:29:37
呼び掛けてこようか
273 名前:名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/19(木) 22:37:27
どうせなら真宗スレ全部つぶさせようか
274 名前:名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/19(木) 22:40:14
かなり賛成。
275 名前:名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/19(木) 23:08:17
真宗一掃
276 名前:名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/19(木) 23:52:04
自治禿撲滅
277 名前:名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/20(金) 13:36:35
スレタイの番号間違えただけでいちいち立て直したら切りがないだろ。
いい加減にしろよ。真宗禿。
>>69 この話題で木辺派では好意的だったな。
逆に妙に東派のものは心が狭いよな。
なんでだろう?
75 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/20(金) 13:42:25
76 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/20(金) 13:44:33
>>74 >>30他に対して忠実にいこうという姿勢の表れでもある。
真宗だから解釈が総じて同じになるということではない。
寛容な団体もあれば、セクト団体もある。
>>75 では、浄土真宗諸派で、
心が寛容で良識のある派の序列をお願いします。
>>76 つまり大谷派は神祇を軽蔑するほど不寛容だと。
79 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/20(金) 13:46:30
80 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/20(金) 13:57:23
649:名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/20(金) 13:50:50
>>635 真宗スレのどアホどもにも分かるように、
スレタイの番号間違いによる立て直しは禁止です。
を明記しとけ。
81 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/20(金) 14:06:50
82 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/20(金) 14:14:31
>>81 受け取りが極端なのは今に始まったことではない。
84 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/20(金) 14:30:51
『教行信証』からの引用。
何も考えずに以下を読め。
「真偽を勘決して、外教邪義の異執を教誨せば、『涅槃経』にのたまはく、仏に帰依せば、ついに
またその余の諸々の天神に帰依せざれ、と。『般舟三昧経』にのたまはく、「優婆夷、この三昧を
聞きて学ばんと欲せんものは、みづから仏に帰命し、法に帰命し、比丘僧に帰命せよ。余道に事
ふることを得ざれ、天を拝することを得ざれ、鬼神を祀ることを得ざれ、吉良日を視ることを得ざれ、
となり」
(『教行信証』「化身土文類」)
「五濁増のしるしには この世の道俗ことごとく 外儀は仏教のすがたにて 内心外道を帰敬せり」
(『正像末和讃』)
「かなしきかなやこのごろの 和国の道俗みなともに 仏教の威儀をもととして 天地の鬼神を尊敬す」
(『正像末和讃』)
「真の仏弟子といふは、真の言は偽に対し仮に対するなり。弟子とは釈迦諸仏の弟子なり、金剛
心の行者なり。この信行によりてかならず大涅槃を超証すべきがゆゑに、真の仏弟子という。
仮といふは、すなわちこれ聖道の諸機、浄土の定散の機なり。偽といふは、すなわち六十ニ見・
九十五種の邪道これなり」
(『教行信証』「信文類」)
>>73 過去に同じ手口で巫女関連の複数のスレを攻撃してたな。
87 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/20(金) 15:15:10
>>84 それが結論。
>>86 本願寺派のスレでは軽やかにスルーされたようだね。
88 :
沙門:2006/01/20(金) 15:23:56
浄土真宗本願寺派・浄土真宗系諸派総合スレ 3 で質問したのですが、
永代供養って真宗寺院はしていますか?あと水子供養も。
何方か真宗の僧侶の方教えてください。
89 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/20(金) 15:34:09
>>88 真宗大谷派では一応、これを以て公式的な見解として良いのではないかと。
http://www.tomo-net.or.jp/sermon/leaflet/07.html 真宗にとって供養とは?
宗教の形でいえば、供養ほど、私たちの身近なものはないでしょう。法事・法要にお墓参り、
先祖供養に水子供養、さらには針供養に人形供養、全部ひっくるめて供養という名で、私た
ちの宗教的行為が語られています。
それだけではなく、若い人たちまでもがテレビの影響なのでしょうか。心霊写真などと称した
霊のたたりに恐怖して、「供養してもらわないと」と思わず口に出す今日このごろの状態です。
一体全体、供養とは何でしょうか。もともと供養とは、「食物や衣服を仏法僧の三宝に供給す
る」ことを意味しています。決して、亡くなった人から祟られたりすることのないようにと願って
供養するなどということはないのです。
それがいつの間にか、供養が祟りと災いから、自分の身を守るための道具にされてきたの
です。それは、私たち自身が仏教を利用して自分の欲望を満足させようとしてきた結果であ
ります。
供養は、仏さまの大いなる世界を私がいただいたことの表現です。それが、死者を供養しな
いと私が祟られる、私に災いが起こる、だから供養しなければならないと、供養が自分の欲
望を満足させる道具になっていることが問題なのです。
そうではなくて、供養とは、「仏法僧の三宝」として現されている真実の世界に対してなされ
るものです。本当に尊敬されるべき世界、本当に大切にされるべき世界を見いだすことです。
それは自分を中心にして生きているものが、自他平等のいのちを現す仏さまの世界に、われ
もひとも共に生きることのできる世界を見いだすことです。その感動が供養の形をとるのです。
同朋大学教授 尾畑 文正
90 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/20(金) 15:39:36
永代供養という考え方は基本的には存在しないと思いますね。
永代経(永代読経の略)にしても、寺院・道場が永代にわたり護持され、念佛相続がなされることを
願っての行事だったりしますし。
91 :
沙門:2006/01/20(金) 15:47:44
早速のレスありがとうございます。否定的なスタンスをとっているわけですね。
生前の自身の供養志納金などは末端の勇み足という事ですね。
92 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/20(金) 15:54:34
>>91 >>89に
>もともと供養とは、「食物や衣服を仏法僧の三宝に供給する」ことを意味しています。
とあるように、その「三宝を敬う」現場が護持され、念仏相続が永劫なされていくことを願って
志を運ぶという受け取り方なのでしょう。
93 :
沙門:2006/01/20(金) 16:00:51
>>92 その解釈ですと全ての供養を包括できる事になりますね。
94 :
沙門:2006/01/20(金) 16:03:02
そして道場の維持が本願寺家の永続に繋がるわけですね。
95 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/20(金) 16:06:22
>>93 供養を願う主体(自身)の問題でしょうね。
96 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/20(金) 16:09:00
98 :
沙門:2006/01/20(金) 16:13:52
よく浄土宗に禁止事項が多いと真宗が叩かれていましたが、
自分は日蓮宗ですが供養に関して大差がないようですね。
いろいろとありがとうございました。
>>91 一般に言われる供養(浄霊・慰霊的意味合いでの)については否定的じゃないかな。
沙門氏の話に出てくるお寺が、どういう意味合いを持たせて檀家と「供養志納金」というやり取りをした
のかがよく分からないので何とも言えないが。
一般に33回忌まで供養し続けます、というような謳い文句があるが、その人個人の懇志で寺院・教会
が維持され、供養(三宝を敬う意味合いでの)が続けられていくわけで、その意味合いにおいて言えば、
否定的ではないことになる。
100 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/20(金) 16:20:01
>>98 禁止云々ではなく「それにどういう意味があるのですか?」という問いが
無いことが問題なのでは?
101 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/20(金) 16:23:47
まだスレ立てから24時間経ってないのか・・・早いな、相変わらず。
>>98 それが結果、教条主義的になって「ダメ出し」をすることに自身の存在価値を見出そうとする輩が
出没していくる。
その時々の状況と相手の心情を考えながら話を進めないから「坊さんにダメと言われたから」と
いう理由だけで善し悪しを決めるようになってしまう。
103 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/20(金) 17:00:52
前スレも僅か10日ほどで1000到達。順調なペースでしょう。
01/10(15:25:02〜) レス数 122
01/11 レス数 31
01/12 レス数 22
01/13 レス数 15
01/14 レス数 20
01/15 レス数 50
01/16 レス数 95
01/17 レス数 298
01/18 レス数 117
01/19(〜23:00:27) レス数 330
104 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/20(金) 17:15:15
105 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/20(金) 17:40:43
>>102 観念論を押し付けるだけ。
ほとんど誰も納得してないんじゃないかな。
106 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/20(金) 18:06:42
>>99 でも、浄土真宗の寺でも永代供養墓なんてものを売り出してるじゃねえかよ。
107 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/20(金) 18:12:23
>>106 「供養」という言葉がNGなのではなくて、意味合いが違うと何度言ったら(ry
108 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/20(金) 18:46:52
109 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/20(金) 19:58:41
>>107 正しいなら文献で示してください。
それ以外は認められません。
110 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/21(土) 00:27:14
111 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/21(土) 00:29:55
自治スレでおもろいことやってるで
>>111 おかげでこちらは沈静化。実に分かりやすい。
113 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/21(土) 00:38:55
あの人だいじょーぶなんかいな?
あの人のいう北崎につながる書き込みてどれよ?
だいぶん妄想はいってはるけどあれはおかしい
一緒にされたくない
114 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/21(土) 00:41:16
2ちゃんねる見てたらどの宗教どの宗派にもおかしな人いてるけど西本願寺にもいたね。
115 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/21(土) 00:47:12
つーまーんーなーいー
>>113 >一緒にされたくない
なるほど、そういうことですか。
117 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/21(土) 00:56:20
まじめに一言。
でも勝手に北崎と結び付けないでね。
さて、北崎がお西を襲撃した時にお東と間違えたのではという憶測が流れた。
俺もそう思った一人。
だけど北崎は最初からお西を狙ってたんだよね?
俺はお西にはお東みたいな悪い印象なかったから不思議だったんだけど。
ここで質問です。
お西のお坊さんて自治スレの人みたいのが一般的なの?
お前らわかりやすいなあw
119 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/21(土) 00:59:49
>>117 しかし、白昼堂々放火をしようとするほど度胸の据わった人間が、肝心の目的地なんか間違えるものかね?
お前らじゃなくてお前だったw
123 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/21(土) 01:04:33
124 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/21(土) 01:05:58
勝手に自作自演にしないでよ
まじめにきいてるのに
125 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/21(土) 01:06:23
>>116 お西の変な人の陽動に巧いこと乗せられちゃったみたいだな(w
126 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/21(土) 01:07:16
639 名前:名無しさん@京都板じゃないよ 投稿日:2006/01/20(金) 23:46:45
いいよ、このままで。。。
ほかのスレも、似たようなものだよ。特に真宗系。
ただ、難しそうなコトバを使って、お互いの揚げ足取りをしてるだけ。
同じような単なるマスターベーションだよ、本質は。
でも、他宗派スレは、真面目な議論といえば宗論ばかり・・・それがマトモ?良スレ?
基本的なことも分からんで、よく坊主やって行けると思うし、
どうして宗派として成り立つのが不思議だな。
そんな事で対立など起こりえない点、少しは慰めだな・・・イイ宗派だよ、臨済宗は。
127 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/21(土) 01:08:08
誰かまじめに答えてよ
>>127 そんなに聞きたけりゃ西本願寺のスレで聞いて来いよ。
129 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/21(土) 01:11:56
>>125 やっぱりあの人が変な人なんだよね?
みんながあんな変なのかと思った。
ここの人、ほとんどお坊さんなんでしょ?
自作自演とかいいがかりつけないでお坊さんらしく真摯な対応してください。
130 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/21(土) 01:12:20
>>126 ああ、ごめんごめん。気に障っちゃった?ww
131 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/21(土) 01:12:57
132 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/21(土) 01:14:03
>>128 西本願寺スレは別なんですね?
詳しくなくてごめんなさい
>>132 変な人の登場以降、急に新参者を装うようになりましたね。
ホント分かりやすい。
134 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/21(土) 01:18:24
135 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/21(土) 01:23:21
西本願寺スレに書いてきてみた
でもなんでここのスレの人はよってたかって言いがかりつけるの?
136 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/21(土) 01:24:29
137 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/21(土) 01:25:57
138 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/21(土) 01:26:19
だっていろいろいいがかりつけるやんか
自作自演とか、初心者の「ふり」とか
139 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/21(土) 01:27:12
140 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/21(土) 01:27:25
>>138 だから君に言われる筋合いはないですからw
141 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/21(土) 01:31:34
撹乱成功wwwww
142 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/21(土) 01:32:11
>>140 なんでよー?
いいがかりつけられて言い返したらあかんの?
143 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/21(土) 01:33:19
144 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/21(土) 01:35:12
人をおもちゃにしないでちゃんと相手しなさい!
145 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/21(土) 01:37:49
みんながからかってるのか一人がからかってるのかしらんけどもういいよ。
ちゃんとお昼に本物のお坊さんがいる時にまたくる。
>>144 お西のスレで質問したんだろ?
ならば回答を待てば?
147 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/21(土) 01:44:34
やつあたりだと言われた
ぷんぷんと書いてきた
148 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/21(土) 01:46:16
149 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/21(土) 01:47:30
>>147 >ちゃんとお昼に本物のお坊さんがいる時にまたくる。
舌の根の乾かないうちに。
150 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/21(土) 01:51:11
そりゃ気になるよ
でも自分のことじゃなかったんだって
お東にもかいてきた
舌の根は乾いた!
でもやっぱもう寝る
151 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/21(土) 01:52:34
お東には無視されちゃったみたい
ほんまに寝る
152 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/21(土) 02:09:04
はいはい、またのお越しをお待ちしております。
153 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/21(土) 02:12:11
154 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/21(土) 02:14:09
始まりは
>でも勝手に北崎と結び付けないでね。
>さて、北崎がお西を襲撃した時にお東と間違えたのではという憶測が流れた。
>俺もそう思った一人。
>だけど北崎は最初からお西を狙ってたんだよね?
>俺はお西にはお東みたいな悪い印象なかったから不思議だったんだけど。
ですから。
155 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/21(土) 02:17:04
愉快犯は今頃あー楽しかったと眠りについてるんだろうな。
156 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/21(土) 02:19:47
脅しやはらはらも何もかもひっくるめて楽しいんだと思うよ。
158 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/21(土) 02:27:19
そうなんだよね
傍は楽しむと同時にますます真宗を邪険にするようになる
160 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/21(土) 02:48:00
161 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/21(土) 11:34:33
何か急に過疎化し始めましたね。
162 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/21(土) 15:39:01
これだけ低いスレも珍しくていいっすね。
163 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/21(土) 21:15:43
164 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/22(日) 08:44:29
散々やりたい放題やって詫び1つで終わりかいな。
165 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/22(日) 11:24:51
詫び入れるだけいいと思う。
166 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/22(日) 16:29:41
東西本願寺を参詣してきますた。
西の総御堂には若い門徒、観光客を含めて20〜30人くらい人がいたけど、
東の阿弥陀堂は寂々。
けっこう差がついてるんですね。
167 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/22(日) 22:51:52
>>163 「ネタ」という表現こそ不敬。
しかし、「荒らし」行為さえやめてくれれば、これ以上は何も言うつもりないです。
168 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/22(日) 23:07:40
>>166 西の本堂は出入口が改修されてガードも固くなっている。
東の方は相変わらずだが。
169 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/23(月) 00:04:11
京都にあると言えば、仏光寺などはどうなの?
あちらも修復に入っているようだけど。
170 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/23(月) 00:28:52
171 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/23(月) 15:59:18
真宗には戒律が無いと聞きましたが本当でしょうか。
>>171 末法は無戒の時代であり、
現実には授戒が形式だけになり、
現実に戒を守るものが少なくなった時代に、
戒を守ることのできない凡夫が救われる道を示したのが
親鸞の説いた真宗の教えです。
その意味で、真宗に戒律はありません。
174 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/23(月) 17:36:21
>>173 手を変え、品を変え・・・・戒律の次は修行。
175 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/23(月) 17:54:55
176 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/23(月) 18:23:50
反体制活動
177 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/23(月) 18:31:07
178 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/23(月) 20:38:47
>>167 >>163のスレでもレスしましたが、
浄土真宗への誹謗中傷や浄土真宗系スレへの荒らしは本意では全くありません。
冷静さを欠き、神祇系の話題で粘着してしまいましたが、
誹謗中傷や荒らしは本意では全く無いということを御理解ください。
このスレの次スレも皆様が自由に立ててください。
向こうのスレでもレスしましたが、
以後は基本的にスレを見物するだけにいたします。ご迷惑をおかけしました。
179 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/23(月) 22:19:57
もう、ええがな。
180 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/23(月) 22:29:39
>>178 本願寺派の人が乗り出すんでしょ?
ここでの詫びはもういいんじゃないですかね。
>>180 というか、主張の内容ひとつで大体素性が分かるし。
あとは背後関係的なところを調べようってことなんだろ?
それはもうこっちの知ったこっちゃないし。
182 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/23(月) 23:25:41
はいはい、スルー。
183 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/23(月) 23:33:12
さて、次はどのネタでいきましょうか。
龍谷大で臨終行儀の模型を作ったらしいけど、
真宗って、臨終来迎は否定するんじゃないの?
185 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/24(火) 00:20:57
>>184 龍大は仏教学もやってるからね
教材としてなら模型を作っても問題ないだろう
臨終来迎用に本物を作ったら大問題になると思う
188 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/24(火) 11:18:37
どこまでも気休め
>>188 そんな気休めをしないのが真宗じゃなかった?
190 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/24(火) 12:19:25
>>186 そういう演出ができる斎場あるけどね。
来迎って言っても、既にご当人さんは死後1日程度経ってるわけだけど。
191 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/24(火) 13:08:26
,;f ヽ
i: i
| |
| | ///;ト,
| ^ ^ ) ////″l″l; おお、なんという糞スレじゃ
(. >ノ(、_, )ヽ、} l .i .! | 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
,,∧ヽ !-=ニ=- | │ | .|
/\..\\`ニニ´ !, { .ノ.ノ
/ \ \ ̄ ̄ ̄../ / .|
192 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/24(火) 14:03:44
学究機関まで教義漬けにする必要はない。
193 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/24(火) 17:13:11
194 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/24(火) 17:14:53
>>193 ここは真宗のサロンだろ?
別に珍しくも何ともないが?
>>192 学究機関が教義を外れてどうするんだ
真宗の学究機関が護摩炊いたり祈祷したり
百万遍の念仏を実際にやったりはしないだろ。
仏教文化史として学ぶのは当然だが、
人形で模型まで作るのはやりすぎじゃないのか?
実際にあの新聞記事では臨終行儀を肯定しているように書いてある。
世間の誤解は、あれだけですまないと思うよ。
196 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/24(火) 21:17:53
別に教材として「作っちゃいけない」というものでもあるまい。
公的助成を受ける学究機関であればこその自由度と考えれば、何ということない話。
197 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/24(火) 23:18:26
真宗の学究機関と言っても、別に真宗の研究だけやってるわけじゃないからね。
198 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/24(火) 23:28:17
「いけない」とかの問題じゃないんじゃないか?
鍋島って先生、真宗学の専攻のはずなのに、
肩書きでは「仏教思想」なんて変えてあるし、
何となく胡散臭く感じるだけ。
仏教文化史として学生に伝えるのはいいと思うが、
模型を作って、龍大が臨終行儀の模型を作りましたと、
わざわざ新聞に発表する姿勢を胡散臭く感じるだけ。
個人的な感想だから、いけないとか抗議するとかの問題じゃないよ。
200 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/24(火) 23:44:19
>>199 よほどネタがないんだろう。
それに学者のやることだから別に問題にする必要はない。
金掛けて教材を作ったから、見たい人は見に来いと言うことを、それらしい理屈を付けて告知しているんだろ。
202 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/25(水) 02:40:04
さ、飽きたので次のネタに行きましょうか。
203 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/25(水) 12:02:31
結局、本願寺派と大谷派か。
204 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/25(水) 13:43:16
205 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/25(水) 13:50:05
>>204 >>27には
>真宗誠照寺派…………寺院数 52
とあるので、本山を護持していくのはけっこう大変なんじゃないか?
206 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/25(水) 14:03:55
207 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/25(水) 14:15:07
208 :
207:2006/01/25(水) 14:15:55
>>207 まあ、あんまり信憑性はないだろうね。
慈覚の作った仏像を親鸞が背負っていたというのも変だし、
そこまでがんばって背負ってきた仏像を、そこに置いておくのも変。
北陸で最初に説法したというのも勝手な伝説。
210 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/25(水) 17:44:34
>>209 それを言ってしまうと長野方面の善光寺絡みの伝承も怪しくなる。
211 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/25(水) 17:56:43
>>210 杖を地面に指したら木になった・・・とかな。
>>210 当然、あやしいだろ。
奇跡を宗教の真実性の根拠とするキリスト教とは違って、
真宗には、宗祖の奇跡など必要はないだろ。
まあ、伝説は伝説として扱えばよいが、
あんまり本気になって言われると困るというところか。
213 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/25(水) 20:58:18
>>212 まあ、誰しもが「んなわけねえだろ!」と思ってるだろうけどな。
214 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/25(水) 21:09:50
>>209 経路としては京都から北陸路を歩き、親不知の剣を越え、木浦から船に乗って
居多ケ浜へ上陸したんだっけ?
215 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/25(水) 22:36:07
その途上で布教?
しかし、越後に流罪になった「罪人」にそんな余裕があるのかね?
危うく死罪を免れたところだぞ。
216 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/25(水) 23:33:33
>>215 でも、全く根拠がないことは言わないでしょ、
>>216 伝説というのはそういうもの。
伝説が成立するのは、ずいぶん後になってからだから、
根拠なんてないよ。
218 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/26(木) 00:17:50
>>317 要するに「適当なことを言っている」ということですね?
>>218 歴史的事実としてとらえるのではなく、
後の人が親鸞や釈尊をどのように敬ったかということでしょうね。
その歴史が、伝説の成立には見えますね。
立派な教えを残した人は、特別な人間だと敬う気持ちですね。
釈尊が生まれていきなり歩いてしゃべったなんて、
今聞けば笑うけど、素直に信じていた時代もあったんでしょうね。
ただ、自分の寺の権威付けに伝説をでっち上げるのはどうかな。
220 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/26(木) 01:13:27
221 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/26(木) 12:12:12
まさに風説の流布w
>>220 史実じゃなく、伝説としてのスタンスでしょ。
今の時代、そんな奇跡みたいな伝説が偶像化や権威化につながらないし、
真宗でも、そのような説き方はしていないから、
親鸞個人の偶像化や権威化はどんどんなくなる方向ですね。
223 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/26(木) 13:44:48
>>222 御遠忌ということがあるのかも知れないけど、偶像化や権威化は逆に加速していると思うが?
225 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/26(木) 14:16:42
>>223 やたら本山の権威化に努めている例は知っているが。。。
>>223 今ごろ偶像化など、どこでやってるんだ?
新宗教じゃあるまいし。
227 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/26(木) 20:34:55
質問です。細き数子が墓に念仏彫るな、浮遊霊が集まって彼等だけ成仏し墓のご先祖様が成仏しない。といってましたが、どうなんですか。彼女に文句をいってやりたいです。どうかお答え下さい。
>>227 彼女の裏の顔は、相談会で集めた客に個人相談をし、(一件10万円)
家系図をもってこさせて、先祖が祟っていると脅し、
そのために墓相にしたがった吉相墓を買わせる、霊感商法です。
墓についていちゃもんをつけるのは、墓相の墓を買わせるためです。
その指定石材店は京都の某石材店。
名前をいくつも使い分けています。
当然、西大谷の大谷本廟へは出入り禁止の業者です。
230 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/26(木) 23:17:20
有難うございました。ボサツの点からして、困っている方が救われるならそれでいいじゃんと、つい思いましたので。
231 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/27(金) 00:49:31
>>230 救われるというより、巣食われるですね。
232 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/29(日) 21:17:05
>>227 名号を彫る意味がまるで分かっていないようなので、無視して宜しい。
233 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/30(月) 22:16:45
>>229 北海道にも霊園持ってるしな。
堀江も挙げられたことだし、細木もいい加減、揚げ足取ってやれや。
234 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/30(月) 23:51:23
細木のほうが堀江よりは賢いということだ。
235 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/31(火) 02:08:40
>>234 というか、宗教というカテゴリゆえに何とか持ち堪えているというのが正しいのでは?
236 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/31(火) 02:20:08
堀江の方が抜け目がないよ、すでに財産を海外の
口座に隠してるらしい、細木のバーサンがいくら頑張ったて知れてるよ。
237 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/31(火) 02:32:09
海外に金を隠せると思っているあたりがお目出度い。
>>237 仰る通りです。
所詮、真宗禿なんてその程度ですから。
239 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/31(火) 18:07:22
ニュー速で試しに聞いて来いや(w
240 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/31(火) 18:10:00
神よ!なぜ悪人が堂々とのさばっているのですか?私は神に祈りました
しかし、あなたは遠すぎます
神よ!我々の祈りに沈黙しないでください 我々の祈りに耳を傾けてください
241 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/31(火) 20:43:31
242 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/01(水) 00:07:18
>>241 得度だけなら短期間で可能というところで粘着してるんだろ?
でも、真宗の場合、教師持ってないと意味ないし。
243 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/01(水) 09:52:59
(;゚Д゚)オンカリカリマララウンタッタ!
244 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/01(水) 23:45:34
245 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/02(木) 18:03:36
>>204 まだ建設中なの?
門主さんと総長の挨拶くらいしか見るべきものがない。
246 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/02(木) 18:26:37
>>245 末寺の数からして、そんなに急いでもいないんでしょう。
新着情報って言ってもそんなにネタがあるとも思えませんしね。
247 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/03(金) 19:55:13
248 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/03(金) 20:18:21
質問させて下さい。
皆さんのお寺の年間行事って基本的にこんな感じですか?
1月 修正会
3月 春季彼岸会
5月 永代経
7月 盂蘭盆会
9月 秋季彼岸会
11月 報恩講
249 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/03(金) 21:43:09
自分の知り合いにもいる。
寺の行事よりも葬式を優先する坊頭。はっきり言って人間以下の屑、僧侶の価値なし。
逝ってよし!
251 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/04(土) 00:15:41
何度説明してもダメみたいだね。
またアンチが暴れ始めたらしい。
252 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/04(土) 00:24:22
>>251 ライフワークなんでしょうね。
いつぞやの神道系DQNではないですけど。
ある時間帯になると湧いて出る習性があるようです。
253 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/04(土) 00:39:43
254 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/04(土) 01:56:57
自分達がドキュンなのにまともな人たちドキュン扱いするシンシュー
256 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/04(土) 02:03:06
シンシューのボーサンは人間を釣ってあそぶのかい?
悪趣味だなー
>>256 釣られたのがそんなに悔しいわけねwww
258 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/04(土) 02:06:01
シンシューのボーサンは人を嘲笑うんですねー
神道系DQNと言われたのに我慢ならなかったんでしょ?君の場合。
だから、自分で「まともな人」なんてさ。
前スレを荒らしたのが神道系DQNであることは、当の本人が白状していることなんでね。
260 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/04(土) 02:13:31
別に神道の人がどう扱われようとこっちは知ったこっちゃないよー
思い込みはげしすぎー
262 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/04(土) 02:15:45
>>259 最近は別系統から入り込んでる。
創価⇒神道⇒○○とね。
264 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/04(土) 02:23:06
wwwの人はいつも勝手に決め付けすぎ!
○○会とはなに?
親鸞会てやつ?
団体には属してないよー
265 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/04(土) 02:24:53
266 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/04(土) 02:24:59
・←はなくそどーぞ
267 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/04(土) 02:25:55
:←はなくそふたつどーぞ
>>266 ついにそういうバカなことやり始めましたか。
せいぜい荒らしてくださいな。
269 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/04(土) 02:26:47
鼻糞会?
270 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/04(土) 02:27:47
親鸞会はシンシューのソーカみたいな存在?
271 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/04(土) 02:31:52
>>270 そもそも本願寺派の異分子なので、本願寺派スレで聞いて来い。
正確な回答を得られるだろう。
272 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/04(土) 02:32:50
明日聞いてみます
異分子はいくない!
273 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/04(土) 10:27:31
浄土真宗のお坊さんになるには、龍谷大学いけばいいでしょうか?
でも、得度は大学ではできないときいたのですが
いったいとどういうルートたどれば坊主になれるんですか?
しかし、なぞなのが、寺所属の人たちが何故か龍谷大学をでているという話もきいたんですが
大学にいくとどんな資格がもらえるのかな?
質問房でごめんなさい。分かる人がいたらおしえてください。よろしくおねがいします
274 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/04(土) 10:33:11
部外者はでていけ!
よそものうざすぎ
門徒は金だけだしとけ
野心いだくな
275 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/04(土) 10:46:04
276 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/04(土) 10:50:16
数余ってるのにあほにわりこまれちゃかなわん
おまえらみんなしね
僧侶になりたいのなら、こんなところで訊かずに
お寺の住職に先ず相談でしょ。
生き方として僧侶を選択することに何も問題はない
と思うなりよ。
生活の糧として、職業の一つとして僧侶になるつもりなら
ちょっと考え直した方が良いかもって言うけれどね。
278 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/04(土) 16:24:19
279 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/04(土) 16:25:03
また決め付けですか
280 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/04(土) 16:28:47
スルーできない奴もアラシ同罪←2チャンの大原則
>>277 いや、「まずは住職に相談」ということすら知らなかったのでは?
それならばここで質問した意味もあるというもの。
282 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/04(土) 16:33:06
自分を慰めるな
自慰
オナニー
>>277 中仏のサイトでも「職業として選んでも食えませんからね」とおことわりを
入れてるし。
284 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/04(土) 17:00:50
>>281 ここ来る人は普段、お寺なんかに行かない人でしょ。
285 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/04(土) 17:14:58
ここはかまってもらいたいニートが集まってるな
286 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/04(土) 17:20:34
>>285 人がいそうなところに寄って来るわけです。
レスが伸びてるとかね。
で、隙あらば真宗叩きをやると。
287 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/04(土) 17:30:26
真宗はなぜ叩かれるの?
288 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/04(土) 17:42:37
>>287 素晴らしい仏法があるから、それを妬むやつが叩きに来る
289 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/04(土) 17:54:34
それ池田さんのセリフと似てるやん
あかんがな
290 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/04(土) 17:55:43
池田はんは池田はん
291 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/04(土) 19:24:55
真宗はウリナラ起源ニダ。
292 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/04(土) 19:36:16
日本語の不自由な方が来ました
293 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/05(日) 17:28:20
結局、こういう展開ですね。
294 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/05(日) 17:57:16
>>283 ここは囮みたいなものだろ?
「真宗」って看板を出しておけば、いろんなのが寄って来る。
295 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/05(日) 21:59:51
>>294 創価学会、親鸞会、神道系とこんなところですか?
最近はもう1系統いるようですが。
296 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/05(日) 22:50:15
何系統?
297 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/06(月) 00:05:19
298 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/06(月) 00:16:58
浄土宗とか時宗?
299 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/06(月) 00:19:27
300 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/06(月) 00:26:24
お東スレの住人てこと?
302 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/06(月) 10:52:44
関東の葬儀屋です
本願寺派の僧侶の紹介に「お手次寺」って使ったら
めっさキレられて説教された
お手次寺の意味ってなに?
303 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/06(月) 13:47:43
>>302 おいおい意味も知らんでイントロしたんかい????
ま、意味合いとしちゃ間違っちゃいないと思うけどね。
どうせなら「菩提寺」くらいに表現しておけば波風立たなかったのに。
304 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/07(火) 08:44:26
>>297 文面見りゃ分かる。
ワンパターンだし、エリート志向だし。
305 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/07(火) 09:19:07
>>302 で、葬儀屋さん。
一体どういう内容の説教を受けたのかな?
とりあえず、相手側の言い分も聞いておかないと。
306 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/07(火) 16:04:17
>>304 お東の中にもエリート集団がいるってこと?
307 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/08(水) 21:37:50
308 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/08(水) 21:45:24
↑これがエリート意識ってやつ?
309 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/09(木) 00:22:34
310 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/09(木) 00:33:40
エリート志向め
311 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/09(木) 01:22:06
真宗がエリートのはずがなかろう。
そりゃ、本人たちが最もよく分かっている。
312 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/09(木) 01:50:46
じゃあスレをあらしている内部のエリート志向てどんな連中?
313 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/09(木) 01:58:36
だから「内部」じゃねえだろ。
真宗系諸派に対してエリート風を吹かせたい連中だとすれば、凡そ察しもつく。
314 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/09(木) 02:02:14
おおお浄土宗!!!
315 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/09(木) 02:04:20
>>314 違うでしょ。
浄土系の発想じゃないもの。
316 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/09(木) 02:24:20
なるほど天台めが
317 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/09(木) 02:40:53
よく用いられる「真宗は仏教しゃない」の決まり文句にしても然り。
318 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/09(木) 03:09:08
デパートの分際で
>>314 浄土宗もいるけど、エリート意識じゃなく、真宗コンプレックス
320 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/09(木) 11:32:48
真宗と浄土宗どこが違うの?教えて下さい!
>>320 専修念仏を説いた法然は念仏弾圧を受けて流罪になり、
法然の教団は解散、法然も赦免の後亡くなる。
その後、法然の弟子が起こしたのが、
浄土宗鎮西派や西山派や、親鸞の浄土真宗。
いずれも、法然の弟子が始めた宗派といえるが、
それぞれ独自の解釈を加えていった。
322 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/09(木) 12:37:01
| ゝノ
__|_______|_ ■■■■■■■■
|iiiiiiiiiiiiiiiii| ■■■■■■■■■
|iiiiiiiiiiiiiiiii| ■■■■√ === │
|iiiiiiiiiiiiiiiii|■■■■√ 彡 ミ │
|iiiiiiiiiiiiiiii|■■■√ ━ ━ \
|iiiiiiiiiiiiiiii|■■■ ∵ (● ●) ∴│ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
|iiiiiiiiiiiiiiii|■■■ 丿■■■(
|iiiiiiiiiiiiiiii|■■■ ■ 3 ■ │ ぼくでも念仏すれば往生できる?
|iiiiiiiiiiiiiiii|■■■■ ■■ ■■ ■ \________________
|iiiiiiiiiiiiiiiiii■■■■■■■■■■■■__
\iiiiiiiiiiiiiii■■■■■■■■■■■■iiヽ
>>322 あんた一人をたすけんための本願だから。
324 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/09(木) 13:18:55
>>321 >法然の弟子が起こしたのが、浄土宗鎮西派や西山派や、親鸞の浄土真宗。
親鸞に立宗の意図なんてあったのかね?
組織化の動きはむしろ親鸞個人の意思とは別に、関東の門弟(高田門徒、横曾根門徒など)を
中心に起こっていったのでは?
善鸞事件もこれら初期の浄土真宗教団との対立の中で引き起こされたものでもあるし。
親鸞自身がこの問題に義絶という決断を下したとはいえ、京都の地にあって事実上、門徒集団
を統制できなかった(する意思もなかった?)わけで。
325 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/09(木) 13:34:05
教えの上では浄土宗とどう違うのですか?
326 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/09(木) 13:48:37
>>324 『教行信証』の「後序」を見ると、
ひそかにおもんみれば、聖道の諸教は行証久しく廃れ、浄土の真宗は証道いま盛んなり。
しかるに諸寺の釈門、教に昏くして真仮の門戸を知らず、洛都の儒林、行に迷ひて邪正の
道路を弁ふることなし。ここをもつて興福寺の学徒、太上天皇[後鳥羽の院と号す、諱尊成]
今上[土御門の院と号す、諱為仁]聖暦、承元丁卯の歳、仲春上旬の候に奏達す。主上臣
下、法に背き義に違し、忿りを成し怨みを結ぶ。
これによりて、真宗興隆の大祖源空法師ならびに門徒数輩、罪科を考へず、猥りがはしく
死罪に坐す。あるいは僧儀を改めて姓名を賜うて遠流に処す。予はその一つなり。しかれば
すでに僧にあらず俗にあらず。このゆゑに禿の字をもつて姓とす。
とありますね。
浄土の真宗を明らかにしたのは大祖・源空法師その人だと。
327 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/09(木) 14:26:47
>>325 真宗は北朝鮮的な個人(血統)崇拝をする。
浄土宗に個人崇拝はない。
328 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/09(木) 14:35:39
(
>>326の続き)
注目したいのは「予はその一なり」です。
『歎異抄』の「後序」にて「善信が信心も、聖人の御信心もひとつなり」 と語っているわけですが、
法然さんもそれに対して
源空が信心も、如来よりたまはりたる信心なり。善信房の信心も、如来よりたまはらせたまひ
たる信心なり。されば、ただ一つなり。別の信心にておはしまさんひとは、源空がまゐらんずる
浄土へは、よもまゐらせたまひ候はじ」
と答えています。
それを踏まえて後年、述懐するように「予はその一なり」と言っているわけですね。
となりますと、親鸞さんのお仕事は、どこまでも法然門下の「その一」なる者として、法然さんの
語る「ただ一つなり」という信心の事実(=如来回向)を解き明かしながら、「源空がまゐらんず
る浄土」を顕かにすることだったのでしょう。何かを付け足しながら、門徒を組織化して一宗を立
ち上げるという活動展開ではないことは明らかです。
329 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/09(木) 14:49:07
>>327 浄土宗はどうなのか分かりませんが。
おほよそ聖教には、真実・権仮ともにあひまじはり候ふなり。権をすてて実をとり、仮をさし
おきて真をもちゐるこそ、聖人の御本意にて候へ。かまへてかまへて、聖教をみ、みだらせ
たまふまじく候ふ。
すなわち、権仮方便から入りながら、聖教の説くところの真実と出会ったら、それすらも捨て
るという暫用還廃の法ですね。仮に法門を立てては置くけれども、いつまでも仮の世界、方
便の世界に止まっていないところに親鸞さんの本意があるわけです。それが時に味気無い
という受け取りをされることもありますが。
330 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/09(木) 16:01:23
『歎異抄』の白眉たる「悪人正機」の段のみ敬語法が異なり、親鸞さん<法然さんは、明白なわけです。
故に『歎異抄』は永らく秘匿される運命となったのです。
331 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/09(木) 16:53:35
>>330 そもそも悪人正機を言い出したのは法然さん。
『歎異抄』のおかげで親鸞さんのそればかりが強調されているようだが、
根底には法然教学がしっかりと存在している。
事実、親鸞さんがいなくても法然さんは語れるが、法然さんを抜きにして
親鸞さんは語れない。
だから現在の浄土宗が浄土真宗より優れているとか、その逆であるとか
という話ではないが。
332 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/09(木) 17:17:27
>>331 浄土宗における「悪」というものがどう定義されているか、でしょう。
今の浄土宗の寺院の仏事に参加してみると、自分たちが功徳を積めば何とかなるという感じを
受けたりするのだが。
>>331 罪人なおもて往生をとぐ、とはありますがね。
そう説けない時代と場所だったと聞いておりますが・・・・
>真宗と浄土宗どこが違うの?教えて下さい!
浄土宗は称名
真宗は信心
335 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/09(木) 17:30:42
>>334 「行において」と「信(信心)において」の違い?
>>335 浄土宗は往生するべき正しく因たるべきもの(正因)が称名
真宗は信心。
極論すれば、浄土宗であれば称名しなければ往生できない。
真宗は信心さえあれば往生できる。
極楽逝きの飛行機にたとえれば、
念仏と言う切符をもらって「南無阿弥陀仏」と連呼すると飛行機が飛んでいくのが浄土宗。
真宗は乗る気さえあれば飛行機にも乗れるし、そのまま極楽に逝ってしまう。
337 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/09(木) 17:46:28
>>336 >極論すれば、浄土宗であれば称名しなければ往生できない。
信心がなくても称名すればいいのね?楽でいいね。
>真宗は信心さえあれば往生できる。
如来の大信心への頷きということ?
>>336 こういう話もあるしね。
470 :けちゃっぷ :2006/02/04(土) 14:39:25
浄土宗ではお坊さんの戒名に、阿号といって、○阿弥陀仏と名付ける習わしがあります。
然阿さんなら、然阿弥陀仏という名前を意味します。
なぜ名前に阿弥陀仏をつけるかというと、
死んでエンマ様に名前を尋ねられた時に、「○阿弥陀仏です」と答えると、
どさくさにまぎれて念仏できるので、
地獄に落ちずに極楽へ往けるという考えです。
>>337 >極論すれば
というところをおさえてね^^;
>>338 あ〜〜〜、けちゃっぷだしね
でもこの習慣はきいたことありますな。
実際 *阿弥陀仏 という人は法然の弟子に何人かいますしね。
341 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/09(木) 19:36:37
>>340 ま、それはそれでいいんじゃないの?楽でいい。
342 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/09(木) 20:12:47
>>336 信心がなきゃ称名しないし(浄土宗)
信心があれば称名する(真宗)
ただし浄土宗と真宗で信心の規定が違うかもしれない
真宗では念仏のような易行を、やさしいから誰もが救われる道なので優れているととらえるが、
浄土宗では、他に出来ない人のための道だから、他の行の方が本当は優れているととらえている。
法然はあらゆる仏教を学んだのだから、どの仏教でもいいと考えるので、
聖道門でも、上座部でも、密教でも加持祈祷でも、現世利益のまじないでも、
通仏教として、何でも認めていくようだ。
345 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/09(木) 20:18:23
>>338 しかし、閻魔様かよ・・・。
浄土宗の念仏は税関逃れの免罪符か?
今時、そんなモン誰も信じないだろうよ。
346 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/09(木) 20:22:22
>>343 >信心がなきゃ称名しないし(浄土宗)
とりあえずやっておきましょうよ、地獄に堕ちなくて済むみたいだしって感じ?
>信心があれば称名する(真宗)
>ただし浄土宗と真宗で信心の規定が違うかもしれない
信心とは如来が回向したもの。だからこそ、法然の信心も親鸞の信心も同じ、と言いきれたのでは?
347 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/09(木) 20:26:41
>真宗では念仏のような易行を、やさしいから誰もが救われる道なので優れているととらえるが、
違うんじゃね?
どうにも救われないのが人間、というところから入っているからね。
煩悩の滅却など人間業では無理だし、生きる者が決して逃れられないものと受け止めている
わけでしょ?
そういう人間を憐れむのが慈悲の心。
その心の内にしか救われる道はない、ということでしょう。
だから念仏と言いながら「名号」(本願の体)を尊ぶ。
真宗では念仏は如来の行だと位置づけているし。
念仏でたすかるのではなく、念仏にたすけられると受け取る。
>>344 じゃ、法然さんくらいの御仁なら、念仏は要らんのジャマイカ?
>>347 真宗と浄土宗の、念仏の行としての位置づけの問題で、
そういう話じゃないだろ
350 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/09(木) 21:48:52
だから真宗における「行」の受け止め方の話だろうに。
351 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/10(金) 00:30:19
本願自体だからね。
念仏をすること(行為)で救われるのではなく、念仏に頭が下がるところに、自身の生死を引き受ける
ような境地に触れるということ。
救われるかどうかを人間自身がどうのこうの言っても始まらない、というところに
立たされなければ、救われないということ。
352 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/10(金) 00:49:35
353 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/10(金) 03:44:41
けちゃぷーの、名前に阿弥陀仏つけるお説ですけど、そのスレではやはりけちょんけちょんに叩かれてましたね
でもその批判をまとめると、念仏唱えるだけで往生できるみたいなお気軽さは真宗的で異端だ、という書きぶりでした
このスレのご意見とまるきり真逆になりますね
>>353 書いてるけちゃっぷはまだしも、周りまでソレですか。
>>352 行自体の受け取りももちろん異なるが、
浄土宗では必ずしも念仏でなくてもいいらしい
助業だとして何でも認めてしまう傾向がみられる。
真宗的に見れば、法然上人の専修念仏って何だったのかと思う。
356 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/10(金) 11:39:40
相談があります。僕の友達は真宗のお坊さんですが、どうしても悟りたい、と話て周りの話を聞きません。どうしたらいいですか?
別にいいんでないか?
358 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/10(金) 12:39:20
>>355 まさにそんな感じですね。
専修念仏=何でも有り という教義になってしまったのね・・・。
359 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/10(金) 12:57:58
>>356 >周りの話を聞きません。
ここだけですね?言いたいことは。
360 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/10(金) 13:08:51
>浄土宗では必ずしも念仏でなくてもいいらしい
工エエェェ(´д`)ェェエエ工 そうなの??????
361 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/10(金) 13:48:19
こういうことのようです。
>浄土宗では、他に出来ない人のための道だから、他の行の方が本当は優れているととらえている。
>法然はあらゆる仏教を学んだのだから、どの仏教でもいいと考えるので、
>聖道門でも、上座部でも、密教でも加持祈祷でも、現世利益のまじないでも、
>通仏教として、何でも認めていくようだ。
これは実に都合がいい。
362 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/10(金) 14:23:21
何か最近、ここを含め複数のスレで浄土宗VS浄土真宗の教義バトルが
展開されているようで・・・。
363 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/10(金) 14:41:03
>>361 >法然はあらゆる仏教を学んだのだから、どの仏教でもいいと考えるので
専修念仏も形無しですね。
公式ではこう言ってるのに・・・。
http://www.jodo.or.jp/ 教え
阿弥陀仏の平等のお慈悲(じひ)を信じ、「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」とみ名を称(とな)えて、
人格を高め、社会のためにつくし、明るいやすらかな毎日を送り、往生(西方極楽浄土に生まれる
こと)を願う信仰です。
お経
お釈迦(しゃか)さまがお説きになった『無量寿経(むりょうじゅきょう)』『観無量寿経(かんむりょうじゅ
きょう)』『阿弥陀経(あみだきょう)』の浄土三部経(さんぶきょう)をよりどころとします。
>>362 いいんじゃないかい。
真宗は、同じ法然上人の流をくみながら浄土宗の教義はほとんど知らないし、
浄土宗は、宗派内で教義について語ることはあまりないのだから、
お互いの理解を深めれば。
366 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/10(金) 14:47:53
367 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/10(金) 14:49:44
>>364 >「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」とみ名を称(とな)えて、
>人格を高め、社会のためにつくし、明るいやすらかな毎日を送り、往生(西方極楽浄土に生まれる
>こと)を願う
何か阿弥陀さん要らない感じも受けますけどね。
自分で創意工夫すれば、どういう人格でも形成できてしまうような。
>>364 てっきりそうだと思っていたのだが、
実際の浄土宗寺院のあり方や僧侶の意識はずいぶん異なる。
加持祈祷をしたり、大日如来をまつったり、
ぽっくり寺のような現世利益のご祈祷寺も、認められているようだ。
そこに、通仏教というダブルスタンダードが存在し、
実際には、そちらが主流になっているようだ。
369 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/10(金) 14:59:40
通仏教的な歩みをする浄土宗と、セクト路線を歩む真宗。
果たして両者とも祖師である法然さんの意に適ったことなのかねぇ?
>>368 転派寺院なんかに古くからの因習が残っているとか・・・
そういうことでもなさそうだね。
371 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/10(金) 15:08:41
>>365 >浄土宗は、宗派内で教義について語ることはあまりないのだから、
でいいのか?
それで一宗として成り立つのか?
>>372 実際にそうですね。
青年僧侶の研修会なんか落語家呼んで間に合わせるし。
教義を語れば現実との矛盾が大きくなる。
>>373 教義自体を現実にあわせて解釈するから矛盾は感じないか。
375 :
けちゃっぷ:2006/02/10(金) 18:19:18
>>361 煩悩具足の凡夫が速やかに生死を離れるためには、
他力本願の念仏が最適です。
376 :
けちゃっぷ:2006/02/10(金) 18:27:50
個人的には、どの仏教もすばらしいという前提は捨てたくありません。
その上で、私みたいな愚かな凡夫が往生するためには、
念仏しかないと信じています。
そう言えば、知人の葬儀や法事に出て、
浄土宗のお坊さんの話を聞く機会もよくあったが、
世間話や簡単な話ばかりで、教えの話がなかったな。
儀式は丁寧だが、教えは説かないのかなという印象だった。
378 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/10(金) 19:31:25
>>377 清め塩やめろとか訳分らんこと言う真宗禿よりいいよ。
379 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/10(金) 19:37:12
上野釜神社総合スレ 参之鳥居
941 :津多姫 ◆iOZrYeR1ao :2006/02/09(木) 19:27:00
浄土真宗○○寺副住職様よりのお手紙
前略
この度はお世話になりました。メールでは書ききれなかった祝詞の奉唱による変化の次第であります。
平成十四年の秋にテープと祝詞集を実姉に渡したその日の夕方から心身の浄化作用が始まり、
「祝詞は効きすぎて怖い。」と、しばらくの間奉唱も拝聴も出来ませんでしたが、数週間後には、実践可能な程度まで心身の浄化が(部屋に祝詞集とテープを置いておくだけで)進み、
今では毎日欠かさず実践しています。
その前から仏教の読経は毎日していましたが、作用は穏やかで言霊の作用は祝詞のほうがはるかに強いと体感しました。
般若心経では、良からぬ物も寛容し改心させ、仏道に目覚めさせる特徴が強く、祓い清める力は祝詞に軍配が上がります。
http://www.h3.dion.ne.jp/~tsutaya/tsutahime11.jpg 警察沙汰
かしこ=´x`=ぴょん●〜♪
>>379 ひどいインチキだな。
もう少し勉強してそれらしいものを書けばねえ。
「仏教の読経」なんて門外漢しか言わないなあ。
381 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/11(土) 00:00:32
382 :
けちゃっぷ:2006/02/11(土) 00:37:33
>>337 浄土宗の徳本上人という方が、
口先で 南無阿弥陀仏と いえばよい 心なくして 申せるものか
とおっしゃってます。
口に念仏が出たら信心があると思えばいいのです。
信心を難しく考えなくてもいい。
自分に信心があるかどうか確かめたいなら、念仏してみればよい。
念仏が口にだせるのは信心があるから。単純明快。
383 :
けちゃっぷ:2006/02/11(土) 00:44:11
信心信心と力まずに、口先で「南無阿弥陀仏」と言えばよい。
まったく信心がない奴に、念仏が申せるものか。
念仏は信心を証明してくれます。
自分を試してごらんなさい。
逆「踏み絵」念仏。
どうか、浄土宗スレにお帰りを。
ここにまで、わけのわからない話を持ち込まれても迷惑です。
相変わらず右翼が西本願寺近辺をうろついていますね。
昨日は、登りとスピーカーを持って単独行動している人までいました。
靖国問題は、東の方が宗派あげて積極的に活動をしているのに、
なぜ東には行かずに、西にばっかり行くんだろうね。
386 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/11(土) 03:30:58
>>375 「生死を離れる」とか簡単に言わんで欲しいんだが。
意味分からんのだが。
387 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/11(土) 03:42:53
人間、困りゃ何とでも言うだろうよ。
「神に祈れ」と言われれば祈るし、「南無阿弥陀仏と言え」と言われれば言うだろう。
踏絵なんてバカなこと言ってんなよ。どうにでも転ぶのが人間なんだよ。
388 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/11(土) 03:59:10
>>382 けちゃっぷの論理というのは『教行信証』で言えば教から行、そしていきなり証に行って
しまうような危うさがある。
信の内容が曖昧すぎるから理解されないように思う。
389 :
けちゃっぷ:2006/02/11(土) 09:08:05
>>388 『徒然草』の中で法然さんの言葉だとされている、
「往生は決定と思えば決定、不定と思えば不定」であり、
同時に「疑いながらも念仏すれば往生できる。」
という教えが好きです。
徳本さんも、この考えに近いのではないかと思います。
「決定と思えば決定」とは、信を説いているでしょう。
でも、どこかで自分の信が不完全なんじゃないかと不安になる。
凡夫だからこそ、すぐ疑ってしまう。
そこに、「疑いながらも念仏すれば往生できる」と言われるのは、かなり救われた気がする。
信は目に見えないから不安だけど、はっきり形に見える行がフォローしてくれるから安心。
390 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/11(土) 12:59:26
自分を「凡夫」と言ってる香具師ほど信用できん。
391 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/11(土) 14:16:19
>>389 それでは「言った者勝ち」のようになってしまいますね。
で、教義にも無いようなことをやり始め、それを是とするようになる。
個人的には、むしろ「仏智を疑惑する」ということが煩悩の証であって、求道心であって、
人間の真実であると思うけどね。
だからこそ本来、謗法の者であるはずの人間に懺悔回心が起こる。
392 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/11(土) 14:40:51
口で称えられたら「はい、信心一丁上がり!」ですか。楽でいいですね。
お呪いじゃないんだから。
浄土宗大本山善導寺の法主に関するこんな書き込みがあった。
浄土宗では念仏にはパワーがあって、いろいろ利用できるらしい。
> 名前:名無しさん@京都板じゃないよ 投稿日:2005/07/18(月) 08:37
> 民谷隆誠台下著「歓喜の音」の中で、
> ある少女が霊感が強く毎晩訪れる未成仏霊に悩まされていたのだが、
> 民谷台下が授与念仏した数珠を渡したところ
> その夜から霊たちは現れなくなったという記事ある。
> 念仏には彷徨える魂を成仏させる力があるはずじゃないのか?
395 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/11(土) 19:49:43
またカルトですか?
>>395 カルトじゃなくて、ちゃんとした浄土宗の大本山。
真宗からみれば、浄土宗のこういうところが理解できない。
>>360 浄土宗と一口に言うけど、昔から派によって教義に違いがあったらしい
なかには真宗ととても近い教義のマイナーな所もあったとか
>>397 江戸時代に徳川が鎮西派のバックについてから、
政治的に転派させられた寺院もあり、圧倒的に鎮西の浄土宗になった。
今の浄土宗は、鎮西派と言ってもいいだろうね。
西山の方が真宗に近いが、徳川によって一番被害をうけたのが西山でしょうね。
上の善導寺は、鎮西派をつくりあげた弁長の寺だから、
今の浄土宗鎮西派に伝わる精神なんでしょうね。
399 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/11(土) 22:34:13
>>396 確かにそうですね。
何でもあり、に受け取られても文句は言えないでしょう。
400 :
けちゃっぷ:2006/02/11(土) 22:43:16
>>394 少女は、多重人格だったのでは?
たとえば、幼い時に性的虐待を受けた子が、
ショッキングな虐待の記憶を切り取っておしつけるために、
別の人格を用意する。
別人格は虐待を覚えているが、
もとの人格は虐待を忘れて普通に生活することも可能になる。
また、いつも親から虐待されてた子が、
たまたまある日親からぬいぐるみを買ってもらえた。
その子にとっては、親の愛を感じた数すくない貴重な思い出。
そこで、その時の記憶をいつまでも忘れないために、
ぬいぐるみ好きな幼児の別人格ができ、
いくつになっても時々その幼児人格が表に出たりする。
その、数珠で治ったというできごとは、
数珠をもらってこれで安心だという、
暗示による心理的効果で治ったのかもしれませんね。
なぜ「念仏のパワー」なんて偏った解釈しかしようとしないのでしょう?
401 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/11(土) 22:46:14
>>400 とりあえず
>>1と場の空気を読んでから投稿するように。
君の悪い癖だが。
402 :
けちゃっぷ:2006/02/11(土) 22:51:25
>>401 名無しで書いたらそのような反応されないのに、不思議です。
403 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/11(土) 22:59:42
そういうことではなく、内容を見て言っているのだが。
浄土宗から見たところの一向義を云々するならばともかく。
>>402 コテだの名無しだの、菅みたいなことを言いなさんな。
スレの趣旨から逸れたからチェックが入っただけだろう。
405 :
けちゃっぷ:2006/02/11(土) 23:11:27
>>403 話の流れで善導寺住職の話が出てたのに…。
なんというか、
一部の浄土宗寺院で念仏の多目的利用がされていることを批判したい、
門徒さん方の気持ちもわかりますが、
一方で、人情として、さまざまな信者さんからの願いを汲み取ってあげたい気持ちもわかります。
だから、批判のネタを探してきて粗探しするようなマネは、やめた方がよいと思います。
406 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/11(土) 23:17:17
>>394 いいですね、カルト系念仏宗。
今後もガンガン成仏させてもらいたいものです。
407 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/11(土) 23:26:48
>>405 浄土宗のスレならば何の問題もなく受け入れてもらえるでしょうけどね。
ただ、善巧方便もけっこうですけど、人情や自心に沈むことが結局、新たな苦しみや憎しみを生み出して
いることを注視する必要があるわけです。
人間である限り、根本的にはどうにもならないということを知ることも大事。
それが本来の念仏ではないのですか?
408 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/11(土) 23:32:04
409 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/11(土) 23:42:14
確かに。
気は済むだろうけど、ただそれだけ。
410 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/12(日) 00:56:22
>>405 >一方で、人情として、さまざまな信者さんからの願いを汲み取ってあげたい気持ちもわかります。
分かりますけどね。
しかし、その気持ちも所詮、私的な情に過ぎないことを肝に銘じておくべき。
>だから、批判のネタを探してきて粗探しするようなマネは、やめた方がよいと思います。
粗探しも何も、実際に浄土宗の大本山で行われていることだろうに。
結果、浄土真宗に立場を置けば、「それ、単純におかしいですよ」ということにしかならない。
411 :
けちゃっぷ:2006/02/12(日) 01:07:40
>>410 それでは、真宗の寺にもし、
例のように悪霊に取り憑かれた(ように見える)
少女の家族が助けを求めて来た場合に、
どう対応しますか?
真宗としての模範回答を教えていただけたらうれしいです。
412 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/12(日) 01:12:34
>>411 模範解答なんて無いだろう。
しかし、ひとつだけ言える事は、必ずそこに因果関係が存在するということ。
この部分を凝視していくことしかないだろう。
お呪いで直そうとか気休めのようなことはせずに、彼女と空間を同じくしながら、
凝視していく以外には無い。
そこに必ず原因があるのだから。
>>405 > だから、批判のネタを探してきて粗探しするようなマネは、やめた方がよいと思います。
もちろん、探せば真宗にも批判を受けるような行動をする寺院もあるかもしれない。
しかし、そういう行動をとれば必ず批判は受けるし、教学がきちんと批判の根拠を示す。
ところが、浄土宗には、そういった行動をとる寺院があっても批判されないし、
宗派としても容認して、教義に照らすことはしていないことが理解できない。
善導寺と言えば、浄土宗のなかでは大本山。
414 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/12(日) 01:20:05
>>411 それともう1つ言えることは、それが精神病のような要因で引き起こされている場合。
これはカウンセラーを入れながら対処していく以外にないが、この場合、安定させることは
できても、完治させようと考えるべきではない。
作用しているものや原因を導き出すようにして、それを本人に知覚させつつ、安定させて
いくことが必要ではないか。
415 :
けちゃっぷ:2006/02/12(日) 01:25:27
>>412 因果関係を凝視して見極めた上で、
数珠を渡して心理的効果を狙ったのかもしれませんよね。
その成功例を、念仏宣伝のネタとして本に書いたのかもしれません。
布教師の人って、けっこうなんでもかんでも
「お念仏のおかげ様で」「阿弥陀仏のおかげ様で」
って言ってネタにしちゃう癖がありますからね。
>>414 >安定させることはできても、完治させようと考えるべきではない。
同意です。
その場合は、精神科⇒カウンセラーという順序でしょうね。
症状を正しく認識しないと大変なことになります。まずは精神科での診断が必要。
その上で僧侶とカウンセラーの共同作業になるでしょう。
僧侶にできることは、世間の価値基準で物事に断を下すことなく、ここにいて良いのだ、と思える環境を
整えてあげることでしょう。
彼我が場の力を信頼できるかどうかが、心を開かせていく大きな要素になるでしょうね。
お寺にはそれができる力があると思います。
>>415 >因果関係を凝視して見極めた上で、数珠を渡して心理的効果を狙ったのかもしれませんよね。
どうやって因果関係を突き止めることができたのかは知りませんが、結果、数珠頼りということになり
ますね。果たしてそれで本当に安定させられたのかどうかは疑問です。
おそらく一時的な効果しかないと思いますし、逆にそれでも症状が再発した場合、もうどうしようもない
ことになります。
418 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/12(日) 01:34:15
悪霊に取り憑かれた、というのが怪しい。
何故、それが「悪霊のせいである」と断言できるのか、ということ。
ひょっとして数珠を売るためのサクラだったりしてな。
419 :
けちゃっぷ:2006/02/12(日) 01:34:44
>>416 なるほど。
精神病だった場合はそうですね。
420 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/12(日) 01:35:19
>>413 まあ、いいんじゃないの?
その曖昧さが商売の幅広さに繋がっているのだから。
421 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/12(日) 01:38:08
でまた、原因が少女自身だけでなく、相談にきた親にあったりするんだよなぁ・・・・。
423 :
けちゃっぷ:2006/02/12(日) 01:52:55
「サクラ」とか言う時点で、僧帰依の精神から逸脱している気が…
末法の破戒僧でも、三宝帰依の対象として尊ぶべきではないでしょうか。
…と、僕は思います。
三宝帰依は仏教の基本ですから。
>>423 でもね、けちゃっぷ君。
時には破戒僧が故に三宝帰依の対象にすると問題のある人もいるわけです。
回心懺悔が必要なのですよ。
425 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/12(日) 02:11:02
>>424 サクラを駆使して悪徳商法やってる宗教者もいるしね。
仏法よりもビジネスという悪徳僧が。
>>425 善導寺のHP見ると、伝道より商売ですね
427 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/12(日) 03:06:50
>>426 下手に庇い立てするとけちゃっぷもオカルト坊主扱いされかねんな。
428 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/12(日) 03:18:16
>>726 公式ではやっぱりこう言ってるけどね。
教 え
阿弥陀仏の平等のお慈悲を信じ、「南無阿弥陀仏」と称えて、人格を高め、社会の為につくし、
明るい安らかな毎日を送り、お浄土に生まれることを願う信仰です。
お 経
お釈迦様がお説きになった、「無量寿経」「観無量寿経」「阿弥陀経」の浄土三部経をよりどころ
とします。
429 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/12(日) 04:59:12
どこも同じことを言うわけか。
それにしちゃ実態が伴ってないというか。
430 :
曹:2006/02/12(日) 10:32:44
念仏をおとなえすることで、心が落ち着き精神病(悪霊)が治る事はないですか?禅の理屈では治ると思います。どうでしょうか。
>>430 念仏をとなえると心が落ち着くというのはあるだろうが、
それと、善導寺の例とは話が別。
自分の著書のなかで、未成仏霊に悩まされている少女に、
念仏のパワーを込めた数珠を渡したら霊が退散したと、
そう、自分で言っているのだから問題でしょう。
432 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/12(日) 13:45:11
それは、駄目ですね!真宗さんの信心や念仏は、ごきとうのためにあるのではない、と思いたいのですがどうでしょうか?
433 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/12(日) 13:51:29
>>430 精神病=悪霊の仕業、という安直な発想自体が危うい。
処置を誤ると大変なことになる。
434 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/12(日) 14:31:38
すいませんでした。只仏教が心の病に利用出来ないかと思いまして。
利用できますよ。
それは因果関係を明らかにしながら、自身を引き受けて生きていくための手立てとしてね。
お寺という場は、誰もがそこに居て良い、ところです。
病める者が隔離され排除されていく世で、異質な環境を創りだせる素地があるわけです。
安易に霊魂と言わず、きちんと因果関係を見つめ、原因を認識することで安定を得ることは可能です。
436 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/12(日) 14:53:38
>>434 霊に原因を持たせるのは楽なのよ。
「あ、偶然ですから」というのと大差ない。
437 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/12(日) 15:08:32
除霊しても死ぬモンは死ぬし。
致死率100%だしね
439 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/12(日) 15:24:33
>>437-438 そうなんだよね。
しかし、それ故に「それでもなお生きる」が課題になるわけだけど。
440 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/12(日) 15:24:41
心の病って、完治することってあるのかな?
心の病が一夜で治ることってあるのかな?
現象の因果関係を見つめる程度で、
本当に原因を突き止めることができるのかな?
そんなに人の心やこの世の現象って単純明解な世界なのかな?
441 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/12(日) 15:30:09
>>440 四諦というのはそういう道程。
当然、完治はあり得ないし、本来、心身共に完璧なる健全はあり得ない。
しかし、信頼できる場を得ることで、自身を安定させることは可能だと思う。
442 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/12(日) 16:02:59
>>441 所詮、想像でものを言っているにすぎない。
教科書を真に受けるなよ。
事実はもっと摩訶不思議である。
443 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/12(日) 16:28:48
>>442 摩訶不思議であっても結果、集約されている。
イレギュラーも全て包括されてのこと。
>>440 一朝一夕で治るわけないでしょ。
というか、治るということはない。むしろ外目には症状の改善と安定。
カウンセリングに取り組んでいる僧侶に話を聞けば、何ヶ月も掛かって安定の兆しが見える
という実に気の遠くなるような作業。
しかし、複雑に絡み合った原因を組み解き、そのひとつひとつを共有し、事実を受け入れな
がら進むわけで、それもやむを得ないこと。
数珠を渡して解決するなんてことではないのは確か。
>>444 数珠を渡して、偉いお坊さんが念仏パワーを入れたとか言えば、
暗示効果で、症状の改善のきっかけになることはあるかもしれないが、
それを、自分の念仏数珠の効果で霊が退散したみたいに、
手柄話として自分の著書に書くならば、方便でも何でもない単なる「オカルト」。
446 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/12(日) 16:54:44
>>443 「摩訶不思議であっても結果、集約されている」?
わかったような、実際はわかってない表現してるね。
「イレギュラーも全て包括されてのこと」?
かっこつけた言葉遊びが好きなんだね。
笑える。ははは
>>444 なぜ、「確か」などと断定できるんだ?
447 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/12(日) 17:00:22
>>445 念仏にバワーを入れる?
そいつはまた凄いな。如来さんだってそんなことしねぇっての。
>>445 しかし、善導寺って浄土宗の大本山なんでしょ?
それがカルト紛いのことを喧伝して回ってどうするのよ。
449 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/12(日) 17:07:15
それがどうしてこうなっちゃうのやら・・・。
http://www.jodo.jp/420006/05/ 鎌倉時代鎮西上人が開山
筑後の名刹大本山善導寺は、源平争乱の後中世への転換期に建立された。
筑後の在国司兼押領使であった草野氏を外護者とし、鎮西上人(聖光房弁長)が開山となり、
13世紀初頭に浄土宗寺院としてその歩みを始めたのである。鎌倉佛教の幕開けは、本願念佛
提唱の元祖、浄土宗開祖法然上人による立教開宗である。その法然上人の直弟子鎮西上人
(浄土宗二代)によって興隆の基礎がつくられ、現在も浄土宗大本山として九州浄土宗の拠点、
念佛の根本道場である。
寺伝には、鎮西上人が遊行の途中、6人の盗賊に遭い、その6人を教化改心させ、その地を佛
法有縁の所と定めて井上山光明寺を建立されたとしている。のちに鎮西上人によって善導大師
像が奉安されてからは井上山光明院善導寺といわれるようになった。大門上に掲げられている
山号「終南山」は終南大師(善導大師)に因んだもので近年使われるようになったものである。
鎮西上人終焉の地
鎮西上人は、応保2年5月6日(1162)、筑前香月(北九州市八幡西区)に香月城々主の甥とし
て誕生された。母上は出産のため落命され、上人はのちに産屋の跡に吉祥寺を建立され母の
菩提を弔われた。
幼少にして出家され、法然上人との出逢いにより師事すること8カ年、その後九州に帰り念佛
弘通にまい進される一方48カ寺を創建された。浄土宗の本義を第三代然阿記主良忠上人に
授け、嘉禎4年2月29日(1238)77歳で示寂された。滅後仁考天皇より「大紹正宗国師」の号
を賜った。著書に「末代念佛授手印」等多数ある。
>>445 悪霊退散ですか。
善導寺さんはそういう方向に進もうとしているのですね。
「原因は悪霊です!」
楽でいいですね。
451 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/12(日) 18:04:44
>>450 「歓喜の音(こえ)」を読んでみたら?
そんなこと全く言ってない。
善導寺でも、創教出版(大阪)からでも購入できる。
452 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/12(日) 18:04:55
しかし、けちゃっぷが居つくようになってから浄土宗ネタが多いね。
454 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/12(日) 18:08:13
455 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/12(日) 18:10:34
>>451 おいおい、じゃあ、これはどこから引っ張ってきたんだ?
394 :名無しさん@京都板じゃないよ :2006/02/11(土) 19:24:44
浄土宗大本山善導寺の法主に関するこんな書き込みがあった。
浄土宗では念仏にはパワーがあって、いろいろ利用できるらしい。
> 名前:名無しさん@京都板じゃないよ 投稿日:2005/07/18(月) 08:37
> 民谷隆誠台下著「歓喜の音」の中で、
> ある少女が霊感が強く毎晩訪れる未成仏霊に悩まされていたのだが、
> 民谷台下が授与念仏した数珠を渡したところ
> その夜から霊たちは現れなくなったという記事ある。
> 念仏には彷徨える魂を成仏させる力があるはずじゃないのか?
456 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/12(日) 18:25:59
457 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/12(日) 18:30:11
>>456 >民谷台下が授与念仏した数珠を渡したところその夜から霊たちは現れなくなった
暗に仄めかした表現であることは事実のようだが。
458 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/12(日) 18:30:43
何だよ、浄土宗を叩くための真宗の自作自演かよ・・・
459 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/12(日) 18:33:04
>>458 出たねぇ、自作自演発言。
都合が悪くなるとすぐに「自演乙!」か?
教義と実際の在り方に大きな矛盾を孕んでいることは事実だと思うが?
461 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/12(日) 18:41:00
論客・けちゃっぷ師までが
>数珠で治ったというできごとは、数珠をもらってこれで安心だという、
>暗示による心理的効果で治ったのかもしれませんね。
と言ってしまっているんですが?
>>458 浄土真宗サロンに来ておいて一体何を抜かしてるんだか(w
463 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/12(日) 19:02:29
465 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/12(日) 19:22:38
>>464 浄土宗スレからの引用だったのね。
>そういう話がでても、浄土宗で問題にならないという方が真宗にとっては驚きです。
だね。
真宗が極度に教条主義的という見方をされることがあるけど、
「教え」と「お経」をきちんと明記しておきながら、一方で仏縁となれば・・・といろんなものに
手を出してしまうというのも足元が定まってないというか。
柔軟性で片付けてしまうには、あまりにも杜撰なような気もしないことはない。
>>465 宗派が違うと言えばそれまでですが、同じ法然上人からの宗派で、
これほど違うのかなと感じます。同じスレからこんなのもありました。
> 957 名前:名無しさん@京都板じゃないよ 投稿日:2005/07/28(木) 23:28
> で、ぽっくり寺やって、祈祷して現世でのご利益を宣伝することも、
> 大日如来をまつって、それを拝むことも、
> 浄土宗は認めているということですか。
> 浄土教の、法然上人の教えの、何を根拠に認めるのでしょう。
>
> 958 名前:名無しさん@京都板じゃないよ 投稿日:2005/07/28(木) 23:32
>>957 >「一人残らず、凡夫も含めて、いま苦しんでいる人を救いたい」という本願じゃないの?
>
> 959 名前:けちゃっぷ 投稿日:2005/07/29(金) 00:15
>>957 逆に聞きたいのですが、大日如来やお地蔵さんなど、阿弥陀三尊と釈尊以外の仏菩薩をおまつりすることが、なぜ問題なのでしょうか?
467 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/12(日) 19:28:34
浄土宗では気持ちよく念仏できることが第一なんでしょう。
>>466 あらあら・・・基本線ブレまくりですね。
469 :
けちゃっぷ:2006/02/12(日) 20:24:01
たとえば法然さんの時代の授戒というのは、
一種の魔除けみたいな効果を期待されていました。
貴族が病気になった時など、僧を戒師として招いて、授戒をした。
法然さんも、浄土宗を開宗する前から戒師としては有名だったようです。
九条兼実などが念仏に帰るすきっかけとなったのも、
授戒のついでに念仏を説いたからでしょう。
ご存じのとおり、昔の僧侶は公務員みたいなもんで、
そういう世俗からの要請に応えるのも仕事だったのではないでしょうか。
非僧非俗の親鸞教団とは、そのへんの事情が違ったのでは?
470 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/12(日) 20:26:32
471 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/12(日) 20:34:12
>>469 授戒はけっこうなんですけどね。
では、何故、念仏こそが「選択された本願」であるとしたのですかね?
親鸞さんは雑行をすっ飛ばして「本願に帰す」と表白していますが、法然さんの門弟の一人であり、
流罪に遭うような人物が、その部分を徹底して詰めていくということは、師である法然さんも同様に
そういう詰め方をしていたんじゃないですかね?
あれこれ便利アイテムを取り出す必要がないくらいに省き切った本願念仏があって、何故、余技の
ようなことに価値を見出すのか?
それでは完全に逆転現象を起こしてるんじゃないかと思いますが?
>>469 >昔の僧侶は公務員みたいなもんで、
>世俗からの要請に応えるのも仕事だったのではないでしょうか。
しかし、法然は比叡山を下りているよね。
鎮護国家の大道場を出る、つまり遁世の身で専修念仏を説いている。
立場上、比叡山時代と吉水以降には明らかな段落分けがあるように思うのだが。
>>472 どうも浄土宗では、その段落分けをしないようだ。
通仏教として、聖道門から密教、禅から民族信仰、習俗まで、
なんでも認めてしまうのは、法然上人は一切経を読んで、
ひととおりの仏教は全部勉強したから、だそうだ。
念仏こそ、というスタンスではなく、落ちこぼれのために念仏もあります、
だから、最終的には念仏だけで救われるからありがたいということらしい。
念仏往生という保険に入っておいて、他のこともするのかな。
474 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/12(日) 22:24:35
すいませんねぇ、落ちこぼれで(w
この世はみんな落ちこぼれの集まりだろう
特にここの住民は(爆
476 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/12(日) 22:54:27
あーっとここで
>>475をスルー!!!
_、、_、、_、、_、、_、、_、、_、、_、、/
_
r'::::::::i
トーf/__
/ イ| 、ヽ
//_〉 l_l i_ノ、
\\ (_ニノ 〉____〉〉 〉
/ } / ,_-‐、
/\/,ー 'ヾ i"_Y 〈i
〈 < / ゝ^-'"
\i"ヽ、 \\ //
├ i\i カ ,、
|_,,i ノ_ソ ) ゝ
ノ_/〉 ⌒ `
477 :
けちゃっぷ:2006/02/12(日) 22:55:28
岩波文庫浄土三部経の阿弥陀経の註にこうありました。
「しからば、このような雑善の修行すなわち諸行による往生では、
経文のごとく、往生はできないのであろうか。
これについて
(1)西山派では経文の趣旨通りに解して、
念仏の一類だけが往生するという一類往生説を立てる。
(2)鎮西派は諸行によっても、また易行である念仏によっても、
それぞれ修することの機類に応じて往生が可能であるとし、
二類各生説を立てる。
浄土真宗は往生の因に真実と方便、往生の果(浄土)に報土と化土とを分け、
諸行によって化土に、念仏によって報土に生れると解する。」
478 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/12(日) 23:02:15
>>473 『観経疏』から
「一心専念弥陀名号 行住往坐臥 不問時節久近 念念不捨者 是名正定之業 順彼仏願故」
を取り出してきた真意がぼやけてしまいますね。
479 :
けちゃっぷ:2006/02/12(日) 23:24:39
>>473 を真に受けられても困りますよ。
往生のための正定業は、やはり選択本願念仏ですから。
一方で、回向発願心により、日常生活の諸行の功徳も、
往生のためにふりむけます。
また、生活すべてを念仏の助業ともします。
480 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/12(日) 23:37:31
>>479 真に受けるも何も諸行、諸行で押し捲ってるのがおたくの宗門でしょうに。
481 :
けちゃっぷ:2006/02/13(月) 00:16:02
>>480 宗教サービスとしての拝み屋の仕事と、
往生のための念仏や諸行とが、別個に行なわれていますね。
青年僧が集まって雑談するときなんかは、
拝み屋としての技術的な話題に花が咲くことも多いです。
ういう話をしている時は、往生業という思考ではないでしょう。
第一、念仏で往生決定してるから、往生の心配はする必要ないですから。
儀式の執行をいかに臨機応変に上手くやるか、
というようなサービス行の現場の話になります。
482 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/13(月) 07:09:51
往生の心配は無いだと?ケツが決まりゃ老い先安心か?
人生を賭しての課題にそんなに簡単に結論を出しなさんな。
生涯、どこまでも往相、それ以外に何があるかって言うんだ。
483 :
けちゃっぷ:2006/02/13(月) 12:56:12
>>482 念仏生活を生涯続けるのはあたりまえの話なので。
あとは、寺としてのサービスをどうするかという、実務的な話になります。
484 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/13(月) 14:37:54
続けるとかその次元ではない。
生きることがすなわち求道になるということ。
485 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/13(月) 14:59:24
そして何もしなくなり信心も失ってしまう・・・
486 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/13(月) 15:04:33
逆だな。
本願以外に人間を貫くものはない。
487 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/13(月) 15:08:57
けちゃっぷ お前無職のプータロだろう。
488 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/13(月) 15:25:58
>>487 自称・貧乏寺の後継ぎで公務員だそうな。
489 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/13(月) 16:07:57
>>483 まあ、雁首揃えて先祖供養を続けてもらう手立てでも考えてれば?
490 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/13(月) 16:17:43
先祖供養以外は何も要りません。
門徒もの知らずですから。
492 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/13(月) 16:57:22
493 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/13(月) 17:29:12
>>482 ですね。
勝手に還相の菩薩にでもなったような気でいる人もたまに見かけますが。
494 :
けちゃっぷ:2006/02/13(月) 17:33:21
自己の往相は念仏で定まっていますよね。
あとは利他でしょ?真宗でも。
>>494 まるで話にならないですね。
生きることはどこまでも往相。
還相など往相の行者が考えるべきことではない。
念仏となえたら阿弥陀さんに救われて浄土往生できる。
それ以上の難しい話や教えなんて気にしなくていい。
後は、現世利益を祈るなり、加持祈祷をするなり、他の神仏を拝むなり、
この世では自由にやっていい、だってサービス満点、通仏教だもん。
気楽でいいな、浄土宗は。
法然さんはどこ行ったんやろ?
497 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/13(月) 18:15:39
>>496 お弟子さんたちがいろいろ拡大解釈かましてるからな。
まあ、浄土宗はもうあれでいいんじゃないか?鎮西派万歳ってことで。
>>496 称名念仏を相続しなけりゃいけないのが鎮西派の本義だったはずでは?
余行を交えるのは元々は西山派ではなかったですか?
499 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/13(月) 19:43:32
500 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/13(月) 19:54:08
>>497 「まだこれがある」と「もうこれしかない」ではエラい違いですよね。
浄土宗さんは余裕があって羨ましいですよ、ホント。
われわれ真宗のものにとっては、
七祖の教義のなかで法然上人を学び、
浄土宗もその教えに従っているものだと思っていましたが、
ずいぶん違うものなんですね。
ぽっくり寺があったり、お寺のあり方は違うとは思っていましたが、
宗派の教えそのものも、かなり異なるようですね。
勉強になります。
502 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/13(月) 19:55:47
しかし神祇不拝まで不寛容になる必要があるんだろうか
>>502 その問題はケリがついているのでお控え願えませんか?
>>500 親鸞聖人の「煩悩具足」や「悪人正機」は、
やはり真宗ならではのものだと思えます。
>>504 ん?
悪人正機は法然さんの受け売りでは?
結局、どれだけ自分を見つめることが出来るのか、
宗教的自覚の問題でしょうね。
507 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/13(月) 20:02:47
悪人正機は近年は法然説が有力になってる
508 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/13(月) 20:03:58
>>506 人間とはどこまでも不完全な者ですからねぇ。
>>505 > 悪人正機は法然さんの受け売りでは?
もちろん、法然上人から聞いたことであり、
歎異抄にもそう書いてある。
問題は、法然には善人正機の思想も見られ、
悪人正機が「思想」として一貫せず、言葉として出てくるだけ。
悪人正機を思想として完成させたのはやはり親鸞であることには間違いない。
まあ、浄土宗としては、一般に親鸞の言葉として知られているから面白くないのでしょうが。
510 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/13(月) 20:07:17
>>507 真宗サイドでもその説をとる人が増えてきたように思います。
しかし、誰が言ったかという問題よりも、そこに自分自身を問えるかどうかが問題なんですけどね。
511 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/13(月) 20:09:48
煩悩即菩提と密教では言うが煩悩具足の罪意識はないね
512 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/13(月) 20:11:28
>>511 自分自身の在り様はどう足掻いても変わらないし、物理的な問題解決もない、という
ところに立脚してますからね。
513 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/13(月) 20:19:09
>>509 「俺たちこそが正真正銘の○○だ!」なんて言い出すところに真の法統、法脈は無いんだよね。
これは真宗教団でも同じことだけど。
自分も含め、そんな「人間自身が疑わしい」という視座から一歩も逃げないのが真宗なのだし。
>>513 創価や基督教系のことを取り出して「門徒を奪われた」だの何だの言う
香具師いるけどさ。
他宗のやり口なんかを批判してみたところで所詮、人間業の競い合い
と奪い合いにしかならない。
結果、「俺が正統だ!」「いや、俺だ!」となるのが関の山で、それこそ
世俗の権力争いの仏教版。振り回されるばかりで人間は救われない。
祖師や蓮如さんあたりはとっくにそれを看破していただろうしね。
515 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/13(月) 20:25:50
>>513 >「俺たちこそが正真正銘の○○だ!」なんて言い出すところに真の法統、法脈は無いんだよね。
それは東本願寺(浅草)と財団、大谷本願寺のことですか?w
516 :
けちゃっぷ:2006/02/13(月) 20:52:14
>>515 何のための仏教なのかを勘違いしてる人が、
正統だなんだと言いたがるのでしょう。
個々人の救済、人生の苦悩の解決が、仏教の目的ではないでしょうか?
救われるなら、誰が言った教えだっていいじゃないですか。
517 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/13(月) 20:58:51
だから何?
みんな分かって言ってんだよ。
518 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/13(月) 21:35:18
>>515 挑発されて同じ土俵に乗らんことですね。
歯牙にも掛けないのが一番ですよ。
善導大師はその持経者の罪病消除・福命長遠なることを祈願する詞書きを添えられて
数万巻の阿弥陀経を書写して男女に与えられました。
それでその男女にも、人間ですから、中には病気にかかったり、短命の方もいらっしゃったと思うんですけど、
だからと言って善導大師が現世利益の祈祷師、詐欺師ということにはならないでしょう。
宿業のしからしむ所は人間の力では如何ともできません。しかしだからといって仏に祈り、仏法に縁を深めることが
全く無駄というわけにはならない。
520 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/13(月) 22:36:24
祈りも仏縁を求める心も否定すべきものではない。
しかし、それを逆手に取り、物理的な問題解決のために「情」を以て法を歪めるべきではない。
521 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/13(月) 22:50:34
だってビジネスだもの。
>>521 ご祈祷をすると、もうかるらしいよ。
求めに応じて、一度それに手を染めると、
そちらが主になって、教えはどこか行ってしまうようですね。
523 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/13(月) 23:29:51
>>522 なるほどね。
そりゃ小金稼ぐにはちょうどいいからな。
524 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/13(月) 23:53:28
そこは通仏教、どうにでも言い訳できそう。
525 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/14(火) 00:08:14
>>522 僧侶の側も儀式のついでにそういうことをやってた方が楽だしね。
効き目があるかどうかの問題もあるけど、それにしたって理屈をつけて乗り切れそうだし。
526 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/14(火) 01:09:40
>>516 >救われるなら、誰が言った教えだっていいじゃないですか。
その結果、DQN教祖の命令で殺人すら犯すような輩が生れる可能性も
あるわけだが。
>>495 それが東の方はそうでもない。
西と東では還相の語義が違っているようだ。
528 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/14(火) 01:50:14
>>527 俺は東の人間だが、「どこまでも往相」と聞いているが?
本願を生きる者との出会い(又は、本願に出会わせるはたらき)が還相と受け取られるのであって、
その者もまた実は往相を生きているのだと。
だから還相など考えずとも良い、とも聞いている。
結果、自身の身に往・還が一体化するところに、自力を包括する絶対的他力の存在に触れること
ができるのだとも。
質問です。
浄土真宗ではどうして五輪塔がNGなんですか?
530 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/14(火) 07:29:31
>>529 追善供養の意味合いを敬遠しているのでしょうか。
五輪塔はそもそも仏像の開眼供養に用いられたわけですが、それが鎌倉期頃から死者の
供養に用いられるようになったもの。
同様に宝篋印塔なども敬遠していますね。
あれも宝篋印陀羅尼経を奉蔵するためのものですし。
個人的には五輪塔や笠塔婆は好きなんですけどね。
>>529 昔は深く意味を考えずに当時の流行で普通に五輪塔を墓にしたでしょうね。
墓の形式は、教義から出たと言うより、土地の風習に従っていた。
それが、教義が広まるにつれて、墓の形自体に特別な意味を持たせることが、
本来の真宗の教えとはずれていることに気付き始め、
五輪塔など、そういったタイプの墓を避けるようになったんでしょうね。
現在でも、真宗の墓の形はこれが正式というものはなく、
表に刻む文字のことぐらいしか言わないんじゃないですか。
浄土の真宗に追善の念仏なし。
>>528 西でも阿弥陀仏の往相廻向・還相回向によって往生するとはいう。
ただ、行者の還相は浄土に往生してからのこととしている。
阿弥陀仏の還相のはたらきによって浄土へ向かって生きるということと、
阿弥陀仏の還相のはたらきをもって、自身が還相の菩薩であるとすることは否定している。
…往還分斉は最近、安心論題に入ったことに疑問を感じる人もいるらしい。
534 :
けちゃっぷ:2006/02/14(火) 12:33:21
真宗では迷信の排除にも力を入れていると聞きます。
子供がてるてる坊主を作るのもダメですか?
535 :
けちゃっぷ:2006/02/14(火) 12:41:05
ついでにもう1コ質問させてください。
真宗では、数珠を持つのはなぜだと考えていますか?
数珠って何?
>>534 あなたは、てるてる坊主を作れば雨が上がると思うのですか?
>>535 真宗では数珠とはいわず念珠といいます。
538 :
けちゃっぷ:2006/02/14(火) 12:48:26
>>536 てるてる坊主で雨が上がるとは思いません。
でも、子供が遠足前などに、
てるてる坊主をつくらずにはいられないくらいに
晴れを願う気持ちは、わかります。
>>534 てるてる坊主に効果がないことを子供はすぐ知ることになる。
自身はてるてる坊主じみた子供だましと知りつつ、祈祷を請け負っているのなら、それは欺瞞臭いな。
>>536 念仏を数多く称えること自体を否定しない。
「一念にあらず、多念にあらず」
「数多く称えないと往生できない」とすることを否定する。
「信心があれば数多くの念仏をしてはいけない」とすることも否定する。
>>538 仏教はそういった執着を離れる道を説く。
だから、煩悩・執着を満たしたいという願いを否定するわけで、
そういう祈祷をするなら、それは仏道とは言い難い。
ただ
浄土教はそういった煩悩・執着を離れられないものの成仏道を説く。
煩悩の満足させたいという願いを衆生が持って当然だともいえるだろう。
ここに、浄土教の矛盾と葛藤が生まれる。
その矛盾を教条的に解決するか、あるいは自己欺瞞をあえて犯すかは、
当人と、その場面に左右されるだろう。
しかし、わたしはそのことについて葛藤を持たなければならないと思う。
そこに葛藤を感じなければ、それは念仏者として偽物ではないかと思う。
541 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/14(火) 13:49:06
情の部分の比重が大きくなり、それを満たすことが僧侶の仕事と思ってるんだろうし、
「宗教サービス」にはその方が都合が良い。
しかしながら、情は汲みつつも、最終的にはそれが情に過ぎないことを知覚してもらわ
なければならない。
そこを越えないと宗教にはならないのでは?と。
542 :
533:2006/02/14(火) 14:13:03
いけねえ
>>533 >阿弥陀仏の還相のはたらきによって浄土へ向かって生きるということと、
>阿弥陀仏の還相のはたらきをもって、自身が還相の菩薩であるとすることは否定している。
↓
阿弥陀仏の還相のはたらきによって浄土へ向かって生きるとすることは肯定するが、
阿弥陀仏の還相のはたらきをもって、自身が還相の菩薩であるとすることは否定する。
543 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/14(火) 14:27:35
あの−浄土に往生するとかこの世に還ってくるとか、それって輪廻じゃないの
544 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/14(火) 14:30:44
自身はどこまでも還相の行者にはなり得ないし、なろうと思ってなり得るものではない。
>>543 輪廻は六道に生まれること
成仏とは六道を出てさとりを開くこと
還相は浄土でさとりを開き、菩薩の姿をとって六道の衆生を救うこととされる。
大乗の仏は利他行をする。
546 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/14(火) 15:29:10
547 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/14(火) 15:39:12
浄土宗のスレではそれなりに上手いことやれても、こっちじゃ少々勝手が違うようで。
そりゃ、教説が異なるんだから当然のことだが。
548 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/14(火) 17:32:12
けちゃっぷ、勤務時間は終わったぞ。
さあ、反論して来い。
549 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/14(火) 17:44:32
命おわって浄土にうまれるってやっぱりそれって輪廻だよ。仏教っていうよりむしろヒンズ−教だな真宗は。
迷いの世界であれ悟りの世界であれ生まれ変わるんだったら輪廻じゃないのか。
六道の畜生ってなんだ。
550 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/14(火) 17:53:06
>>549 恥をかく前に、「輪廻」の意味を調べて出直して来て下さい。
>>549 もう少し仏教や真宗の基本的な知識を知ってから出直すことですね。
552 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/14(火) 18:01:04
難癖偏差値が低いね。
553 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/14(火) 18:10:27
う−ん恥をかく前にとか基本的な知識を知ってから出直すことですねとかの回答は
まったく論理的ではないというか拒否みたいですね。その−真宗というのはそういった論理性のない
感情的宗教なんですかね。
554 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/14(火) 18:14:32
だからさぁ、辞書的な意味合いでもいいから調べてみたら?
555 :
けちゃっぷ:2006/02/14(火) 18:15:58
>>553 それ以前に
>>549を読む限りにおいてまるで「論理的ではない」のですが。
まずはそこから論理的に構成していく意味で、輪廻や往生などの知識を得るべきではないかと
言っているわけです。
まだ分かりませんか?
557 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/14(火) 18:18:39
558 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/14(火) 18:25:13
>>552 真宗の看板出しておくといろんな人が寄って来ますから。
まあ、そのために立てたスレであるわけですが。
559 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/14(火) 18:26:39
>>529 確かに墓に関するQ&Aを見る限りでは、「望ましくない」という表現がギリギリのところで、
そのほとんどがダメ出ししているね。
560 :
けちゃっぷ:2006/02/14(火) 18:40:05
輪廻(サンスカーラ)について
「サンスクリット原語は〈流れること〉〈転位〉を意味し、
生ある者が生死を繰り返すことを指すので
(生死)とも訳され」と、
岩波仏教辞典にありました。
往生は、輪廻(生死のくりかえし)が終わりにさしかかってきた状態であり、
かならず終わることが決定している状態で、
ラストから2番目の転位です。
ラスト1回の次は成仏ですから、完全に生死がなくなります。
なので、往生はまだ輪廻とも言えるし、もう輪廻ではないとも言えます。
>>560 真宗スレでよけいなことはしない
浄土宗スレならその程度でいいんだろうが・・
562 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/14(火) 20:06:29
確かに浄土往生も輪廻ですよ。これってねこの世で悟りがお釈迦様のように得られないから
極楽浄土を作ったのよ。悟りが得られないのはこの世は誘惑が多くてとても悟れる環境にないから
悟れる環境をあれこれ考えてね。だから浄土では洗濯なんかもしなくていいとかいてあるんだから
笑っちゃうぜ。ようするに当時洗濯なんか大変だったんだろうね。たしかに釈迦没後仏教はヒンズ−教に
吸収されたわけね。それは過去現在未来と三世を認めてしまったというか特に来世、浄土を作ったことが
原因なんだな。また特に親鸞なんて好き勝手に漢文読み替えているしね
後の僧侶はつじつまの合わない論理を何とか合わせようと今でもがんばっているから分かってやれよ。
それにほとんどが龍谷大学の偏差値56位確か仏教学科や真宗学はもっと低いと思うがそのレベルなんだから。
あまり難しい質問してやるなよ。また大乗仏教なんて空の思想うけて好き勝手に物語り編纂して作ってるわけだから、
大経なんて阿弥陀さんと法蔵菩薩や釈迦やら重なっちゃって笑っちゃうよな。
変なのは変なのを呼ぶなあ
564 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/14(火) 21:40:39
もう少し詳しく書こうか。当時インドは六道輪廻の考えだったんだよ。これは地獄餓鬼畜生修羅人間天上と言うんだ。
この6つの世界をぐるぐる回るというんだな。一番上の天にいってもいつかまた落ちるわけだから、要するに永遠に
救いがないというか六度の世界をぬけだせないんだよ。でそういう世界があって自分の魂がその6つの世界を渡り歩くと考えてたのよ。
ところが釈迦がそれは違うと言うわけ。
輪廻とは仏教以前からあったインドの思想で、生死を繰り返す生まれ変わりのこと。
しかし仏教ではこの世を苦の世界だととらえるから、
その輪廻から解脱することを求めた。それが覚りであり、仏陀になること。
仏教はそれまでインドであたりまえであった輪廻を超えることを目指した。
阿弥陀仏の本願によって浄土往生するのは、そこで成仏するため。
仏になれば、もう二度と輪廻をすることはないわけだから、
浄土往生を、生死を超える、輪廻を超えると言うのはそういうこと。
往生はもはや輪廻の世界を超えているから、輪廻ではない。
還相回向は、実体的な霊魂のような形でこの世に戻ることではなく、
浄土からこの世への仏の「はたらき」のこと、
往生した人間がこの世に戻るわけではないから輪廻ではない。
566 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/14(火) 22:00:12
真宗は仏教やおへん。
>>560 > 往生は、輪廻(生死のくりかえし)が終わりにさしかかってきた状態であり、
> かならず終わることが決定している状態で、
> ラストから2番目の転位です。
> ラスト1回の次は成仏ですから、完全に生死がなくなります。
> なので、往生はまだ輪廻とも言えるし、もう輪廻ではないとも言えます。
浄土宗じゃ、あともう一回娑婆世界に生まれてから、
次の浄土往生で輪廻を解脱して成仏できるわけ?
じゃあ、最後の往生の人と、あと一回の人はどう区別するわけ?
>>564 当時は五道だったんじゃないの?
三誓偈は五道だし。
まぁ往生を輪廻と受け止めてる時点で浄土系の人ではないわけですがw
569 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/15(水) 01:59:59
浄土に往生といった時点で仏教じゃないんだよ
570 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/15(水) 02:15:15
それにな5道でも6道でもとちらでもいいんだがそんなの釈迦がなくなって100年
以後にとかれたものであってな、後代になって説かれたもので釈迦のといたものでないんだぜ。
またそういったことを仏教が教えの中で説き始めたってことは仏教自身がインドの伝統的実態的な輪廻観を
取り入れたって事なんだよ。そして終いには浄土へ生まれるとなるわけでバリバリのインド輪廻思想なんだよ。
571 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/15(水) 02:21:13
浄土教はキリスト教のversionアップ
572 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/15(水) 02:46:55
キリストの神は中身のない筒のようなものよ。からっぽだもん。神は絶対なんてその神がいないんだから
どうしようもないよ。まあいないものをいるって証明するためあれこれ、筒に糸巻いたのは偉いと思うけど。
そのおかげで医学建築学等いろいろ役に立つのも生まれたけど肝心の筒の中身がからっぽだからね。
キリストで神はいないなんて言ったらなりたたないだろ。仏教ではぶつはいないといっても成り立つのよ。
なんせ縁起の教えだから、仏はいるでもいないでも、成り立っちゃうよ。縁によっていたり、いなかったり。
>>572 変なのが湧いてきたな、時々思いだしたように湧いてくるが、
いつも主張がワンパターンで、このスレではマンネリ気味だな。
何か新しい主張でもある?
574 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/15(水) 09:48:37
親鸞は阿弥陀を信じることが出来なかったんだよ。それになにが新しい主張や。まだぜんぜん
輪廻の問題おわってなくて入り口やんか。問題をすり替えるなよ。まあええわ。
自信教人信ってなんだ。
>>571 こじつけ乙
大正時代のロマニストの悪癖ですね
576 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/15(水) 11:21:52
突然の質問で失礼いたします。
浄土真宗本願寺(お西さん)・南無阿弥陀仏・阿弥陀立像
真宗(お東さん)・南無阿弥陀仏・阿弥陀立像
同じ阿弥陀立像であっても、お東さんの阿弥陀立像に舟形背光が無いのは
何故なのでしょうか?
>>576 深い教義的な意味があるわけではありません。
どの阿弥陀仏像をモデルにして本尊にしたかという、
歴史的な経緯の問題ですが、
あまり本尊がバラバラで、妙な意味づけをしても困りますから、
それぞれで基準となる形を定めているということでしょう。
>>574 輪廻のことで変なことを言い出して問題をややこしくしているのは、
真宗ではなくて浄土宗のオカルト坊さんのけちゃっぷ氏です。
>560 は、彼の意見であり真宗ではそういうことは言いません。
真宗スレで、変なこと書かれても困ります。
579 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/15(水) 13:58:31
な−んだ浄土宗の坊主がまぎれこんでるのか。そうだろうな三讃げなんて
真宗じゃとなえんわな。まあ姿形なんて結局どうでもいいのよ。偶像なんだから。
仏教がすたれて北上していくときにア−リア系のアレキサンダ−王の遠征の時の末裔に教えが
つたわったんだけど、よく彼らは理解できなくて、たまたまギリシャで石で人間の形を作るのは
得意だったから、教えを聞いて釈迦の姿なんか想像して作ったのが始まりね。空とか法とかいってもね
わかんないじゃん。とりあえず木仏を対象に拝んで次に絵像さらに名号本尊に、そしてさいごに
みずから口に、、あるいは心に思うようになったらいいわけよ。そうなったら常に自分が思うときに
仏がいるわけだからどこに行ってもいつでも仏といっしょやんか。家の仏壇に参らなくても本山に行かなくても
常に我思うとき仏ましますってわけだ。自らが真実をしりそれに頭を下げているっていうその事実が本当に尊い事であって
それを本尊って究極的にはいうのよ。だから最後は仏壇やらなんにもいらない。あるのは自分が真実をしりそれを口にあるいは
心におもい頭をさげている事実のみ。それは逆から言えば真実のなかに自分はあるということやね。
それより自信教人信ってなんやねん。先祖供養はどうすればいいねん。私が積んだ功徳の回向は可能なのか。
「悪人正機」は親鸞の説ではなく本当は法然の説だとさかんに宣伝している、
浄土宗の「悪人正機」は、どうやらこういう理解のようです。
> 545 名前:名無しさん@京都板じゃないよ 投稿日:2006/02/15(水) 01:39
> で、「悪人」というのはどういう人のことを言うのですか?
> なぜ、その「悪人」が「正機」なんですか。
>「悪人正機」を持ち出したのなら、ちゃんと自分の理解を示さないと。
> 546 名前:けちゃっぷ 投稿日:2006/02/15(水) 08:28
>
>>545 戒・定・慧を実践できない人
> 547 名前:名無しさん@京都板じゃないよ 投稿日:2006/02/15(水) 08:49
>
>>546 その「悪人」が、なぜ一番に救われるわけ?
> 548 名前:けちゃっぷ 投稿日:2006/02/15(水) 12:39
>
>>547 善人には善人用の往生しかた、悪人には悪人用の往生しかたが、
> 説かれています。
> 口称念仏は悪人用の往生しかたです。
> 往生行すべてを視野に入れて考えれば、善人正機説になるでしょう。
> 悪人は口称念仏でないと往生できないが、
> 善人は他の行でも往生できる。
> →「悪人でも往生できるんだから、往生手段の選択肢が多い善人はなおさら往生できる。」
> 口称念仏について限定して考えれば、悪人正機説になるでしょう。
> 善人は放っておいても救われるけれど、悪人は救われがたい。
> そんな悪人のために念仏往生が用意されたわけです。
> 本願の救助船は、泳げない人(悪人)のために出動した。
> でも船は余裕たっぷりなので、泳げる人も一緒に乗せてくれた。
> 本来救わなくても大丈夫な人まで救う余裕があるんだから、
> もとから救おうとしている悪人を救えないはずがない。
581 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/15(水) 15:52:29
世俗の善悪かいな。
倫理・道徳やってんじゃねえっての。
浄土宗のスレにこんなのもありました。
浄土宗の内情はよくわかりませんが、善人悪人の理解はびっくりしますね。
> 495 名前:名無しさん@京都板じゃないよ 投稿日:2006/02/15(水) 00:25
>
>>493 > 鎮西派の嫌いな西山派の祖を持ち出して何する気だ?
> 諸行往生の根拠でもさがしたいか?
>
> あらかじめいっておくが、西山派は真宗と近いぞ。
> 安心疏など共通してる典籍もあるしな。(これは西山だと言うことで決着がついてるが
>
> 證空のこと持ち出すのは、鎮西にとって自殺行為だぞ。
> 西山派を否定することから始まった派だからね。
> 496 名前:けちゃっぷ 投稿日:2006/02/15(水) 00:35
>
>>495 何派を弁護するとか、そういう意識はありません。
> ただ、念仏の易しさを強調したいのです。
> 諸行をやってもやらなくても念仏すれば往生できるのではないでしょうか?
> あれしちゃいけないこれしちゃいけないなんて、
> 念仏の易しさを妨げてません?
> 悪人の自覚とかなんとか、ごちゃごちゃと条件をつけなくても、
> 往生を願って念仏して往生すれば、
> 悪人も善人になっちゃうんだから、それでいいではありませんか。
583 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/15(水) 16:17:32
別に条件を付けてるんじゃないんだけどな。
己が何者かを知らずして救いがあるのか?ということなんだが。
>>583 自分のことは置いておいて、
とにかく念仏さえしていればいい、というように思えますね。
何だか念仏が呪文のようですね。
585 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/15(水) 17:44:21
悪人というのは縁起の法という真実を知らないのを言うのよ。
586 :
けちゃっぷ:2006/02/15(水) 18:31:37
587 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/15(水) 18:41:09
おいけちゃっぷ、お前かい浄土宗のオカマぼうずというのは。あ−いや失礼。オカルトボウズというのは。
なんなら真宗に入れてやろうか。
588 :
けちゃっぷ:2006/02/15(水) 18:46:36
589 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/15(水) 20:06:26
>>585 生死を離れる縁を持たざる者、という解釈もできると思います。
じゃあ、およそこの世を生きる者はすべて悪人じゃないかと。
590 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/15(水) 20:13:01
>>588 けちゃっぷ君には一度、日蓮系のスレに殴り込んで宗論をやってもらいたいなぁ。
そのナマクラ剣が彼らにどの程度通用するんだろうか。
591 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/15(水) 21:20:20
あちらも結構やかましいからな。
なぶられちゃうかも。
592 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/15(水) 21:27:12
安土宗論の再現か?
593 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/15(水) 21:36:18
今度はけちゃっぷ師が袈裟を剥ぎ取られる?
594 :
けちゃっぷ:2006/02/15(水) 22:01:02
>>590 べつに宗論をやってるつもりはないのですが…
595 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/15(水) 22:01:51
悪人とは凡夫と同じ意味でしょ。
要するに悟ってない人全部。
596 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/15(水) 22:12:34
597 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/15(水) 22:14:07
ゲバになったら浄土宗が一番強い。
598 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/15(水) 22:27:59
599 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/15(水) 22:57:37
興味さんに続きケッチャプさんも逆折伏!ぜひして下さい。
600 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/15(水) 23:02:08
興味君も返り討ちに?
ここは真宗スレですよ。
浄土宗スレではありません。
602 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/15(水) 23:24:11
>>601 硬いこと言うなよ。
浄土宗との違いが明確になっていいじゃん。
柔軟に行こうや。
603 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/15(水) 23:39:17
興味さんは、いいせんまでいったけど、周りが解らなかったみたい。だって基礎になる教学が違うもん。
604 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/15(水) 23:44:39
>>603 興味ってのは浄土系か?
たまに見かけるが、日蓮宗のはぐれ者の一派じゃないのか?
605 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/16(木) 00:00:42
創価じゃねえの?
606 :
けちゃっぷ:2006/02/16(木) 00:04:08
ほんとは禅です。
607 :
けちゃっぷ:2006/02/16(木) 00:05:14
僕を2ちゃんねるに誘ってくれたのは興味さんです。
608 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/16(木) 00:09:59
そのわりには理屈が多い。
609 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/16(木) 00:10:16
禅が創価に折伏されたわけか(w
610 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/16(木) 00:16:08
じゃないんですか。あれじゃ、そうかに負けるよ。所詮学問禅。興味さんは嫌いじゃないけど。
611 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/16(木) 00:24:34
>>610 学問禅?
禅なんて実践してナンボだと思うが。
あれこれ考える暇があったら禅、みたいな。
612 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/16(木) 00:30:28
そうです、頭がなくなるくらい頑張るのが禅。興味さんは学問が好きみたい。
613 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/16(木) 00:34:08
>>610 ということは、けちゃっぶが布教の旅に出たら、興味同様、創価色に染まって
帰って来るわけだ。
614 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/16(木) 00:54:48
「そうか」や日蓮一派は何故オウムとかに折伏しないのかな。昔から不思議だった。既存の宗派を否定するのに。
615 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/16(木) 01:01:33
>>614 組しやすいところしか攻撃せんのでしょう。
宗教関心が全体的に低いですし。
616 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/16(木) 01:10:27
有難うございました。アンカーができないのでこれくらいにします。お休みなさいませ。
617 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/16(木) 01:13:12
>>615 真宗というご馳走の山があるのに、お茶漬けを食う馬鹿はいない。
618 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/16(木) 01:19:35
619 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/16(木) 01:30:43
620 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/16(木) 02:03:11
>>594 じゃ、何がしたいんですか?
ひょっとして、「2ちゃんねるで布教伝道してます」とか言わないでくださいね。
621 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/16(木) 12:38:18
あれが・・・布教?
622 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/16(木) 20:20:44
釈迦仏教に布教とか教えを広めるとかはないんだよ。これは後の大乗仏教で
語られ始めたんだよ。在家中心仏教ね。また人を改宗したりしゃくふくなども
しないのよ。それを自受用三昧っていってる。親鸞は自信きよう人信といったんだ。
また別の言葉で親鸞は弟子一人もたずといったり釈迦は修行僧を導くとか私に頼っているとか
思うことがないと言っているよ。
623 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/16(木) 20:36:47
頭に何かあったら即外道
624 :
481:2006/02/16(木) 21:05:30
1億総外道になりつつあると私は見てます。
特異点ではない。気が付いていないだけ。
宗教社会、医療社会の双方から
人間社会を取り戻す必要があると考えます。
生態学として社会を見る。
そういった社会生態学のスタンスで見えないものも
見えてくる事があります。今のマスコミは集団催眠の手段という側面が強く
1億総外道が進んでいる事に気付いているものがあまりに少ない。
今のままでは人間社会ではなくなってしまう危惧があります。
秋田で日常化しており全国各地でも珍しくないと見られる
食人社会を仏教文明で人間化していく事は
必ずしもエスノセントリズムとは言えず、人間は人間を食べなくなって
初めて人間になると思えてなりません(人が共食いするならば獣とどこが
違うのでしょうか?)
やはり第二宗教革命が必要であるよう思えてなりません。
浄土真宗の益々のご発展をお祈りします。
http://society3.2ch.net/test/read.cgi/soc/1139132859/l50
625 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/16(木) 21:23:38
623.624意味不明なんだけど。また真宗の教えをほとんど知らないお方とみえる。
親鸞の言葉にこの世のどうぞくことごとく、げぎは仏教のすがたにて、内心外道をききょうせりとある。
すでにことごとく外道なんだよ。親鸞もふくめてな。また人間も獣も同じ命の重さと仏教はみてるんだよ。
その他の命を犠牲に自分の命をつなぐわけやね。獣もそうやろ、たの命を犠牲に己の命をつなぐわけや。
もんだいは、だからといって命を奪うな、殺すなと言っているのでなく、他の命を犠牲にすることに対して
すまんと思う気持ちがあるかないかが問題なんだよ。
626 :
481:2006/02/16(木) 21:56:39
ご返信有り難うございました。私は真宗の教えだけでなく
他の宗教に関しても、全くに近く知識がありません。その上で今の状況に対し
根本的な疑念を持っている。そういった立場からお教えを受ければ嬉しく思います。
ピグミーチンパンジー等の類人猿の中には、
既に同種の個体の死を悼む行為が確認されているケースがあり、
しかも主に草食で通常は肉食を行わずに集団生活を送っているケースがあると聞きます。
確かに人間に理解できる言語は話しませんが、
最新の脳科学手法をこれらの類人猿研究に導入すれば、これらの類人猿が思考し
意思疎通している事が恐らくわかってくるかと思います。
それを前提に考えた場合、同種の肉を食べずに同種の死を悼む事ができる類人猿と
同種の肉を食べるために同種を罠にかけて殺戮し同種の死を悼まない現在の人間社会と
どちらが、ヒューマニティに近いと思われますか?
今の国内状況は地域によっては外道以下に思えてなりません。
人間社会がより人間らしくあるべき規範を2000年以上前にまで戻って
考えていかないといけない時期に来ていると思います。真宗は例外的に肉食を
認めていますが、原理仏教は殺生そのものを禁じていたのではないでしょうか?
釈迦の原点はそこにあるよう思えてなりません。いかが思われますでしょうか?
>>626 お釈迦さんは肉食ってたらしいけどな
たしか他派(つまり外道)の師から批判されていたと思う
スッタニパーダを探せば出てくるはずだよ
殺生は最大の禁戒であるが、
自分で殺生をしてない肉、自分のために殺生されたのではない肉、殺生するところを見てない肉は
お布施として頂いて食べていた。
その後、生け贄をして仏教・ジャイナ教などに非難されていたヒンズー教が逆に影響を受けて
素早く不殺生・菜食主義に転身。肉食する仏教僧を非難した。
仏教はヒンズー教の影響を受けた大乗菩薩仏教が、ヒンズー教同様の厳しい肉食禁止を打ち出した。
629 :
481:2006/02/16(木) 22:36:33
早速のご教授を賜り、有り難うございました。
自分はイエスキリスト同様、釈迦も悟りを開くまでは、
人肉を食べていたものと推測しています。何故ならばそれまでは
人肉食をタブーとする規範がなく、最も身近にある食糧だったからです。
釈迦が小さな部族の王族であった事が事実ならば、生きるために
人を直接殺して人肉を食べる事はなかったと推測しますが、イエスキリスト側は
恐らく生きるためには、殺戮人肉食もやむをえない状況にあったと考えます
(そしてその悟りの前のイエスキリスト本人の姿をもってサタンとしているのだ
と自分は推測しています。キリスト教における三位一体とは「(悟り後の)イエスと
(悟り前の)サタンと(処刑時の)スケープゴート」と、全てイエスキリスト自身の姿を意味し、
その解釈を隠すために多くの宣教師に対する異端裁判が中世に繰り返された
可能性もあるのではと宗教の門外漢の立場で考えているのですが、どう思われますか?
なお、もちろんだからといってキリストの価値が下がる訳ではないと思います)。
釈迦はその上でイエスキリスト同様、そういった社会状況に疑念を感じ、
かなり苦悩した上で悟りを開いた。中道を前提としているとはいえ
悟りの一部は八正道という形で体系化され、その8つの掟のうちの「正業」において、
釈迦は明確に殺生を否定し殺生・偸盗・邪婬を離れることは人間人格の尊重
であるという哲学を提唱し、それを周りに説いて回った。そしてだからこそ
原理仏教はじめ仏教の宗派の多くは肉食を禁じている。
唯一に近い例外が中道を拡大解釈した浄土真宗である。
こういった解釈で宜しいでしょうか?門外漢なのでご教授いただければ幸甚です。
630 :
481:2006/02/16(木) 23:04:18
628のご教授、有り難うございます。
>大の禁戒であるが、 自分で殺生をしてない肉、自分のために
>生されたのではない肉、生するところを見てない肉はお布施として頂いて食べていた
古典分析するというのは非常に難しく思いますが、もしこれが事実ならば
小さな部族の王族であった釈迦が悟りを開く前の食生活と恐らくは同じであり、
それならば「悟り」の意味が随分と違ってくるよう思えてなりません。
この点に関する文献・出典があればお教えいただけないでしょうか?
専門外の私に読めるかどうかわかりませんが、出来る限り取り寄せて読んでみたく存じます。
自分は宗教とはあまり縁のない形で人生の大半を過ごしてきた人間ですが、
「悟り」というものは恐らく「食生活(特に人肉食)の抜本的変化」を伴わざるをえない
のではと分析しています。悟り前と悟り後では違ってこないと不自然で、悟り後は
体系化された八正道にある8つの掟のうちの「正業」において示された
「殺生・偸盗・邪婬を離れることによる人間人格の尊重」に
(弟子陣はともかく)釈迦自体は進んでいないと、正定(心は不乱に住し、
堅固摂持し、三昧一心に寂止す)に論理破綻を来すので、仏教がここまで
世界に広がりえなかったという可能性を、上の解釈と同時に考える事は
宗教解釈上、大きな問題がありますでしょうか?
門外漢でありますが、現在の社会状況を眺める限り、
三大宗教と食生活との関係に関し、多面的に関心を持たざるをえず、
どうか議論をお許しいただけますようお願い申上げます。
>>629 ユダヤ教の十戒の第一は「汝殺すなかれ」だぜ
食い物にしてもユダヤ教は戒律がきつい
食って良いのは
反芻する、蹄が分かれている動物
ヒレや鱗のある海産物。
だから、ユダヤ教では兎や蛇は食っちゃ駄目だ。
当然人間も食っちゃ駄目になる。
律法に煩いパリサイ人もイエスに人肉食者と言う批判はしていない。
632 :
481:2006/02/16(木) 23:25:19
ユダヤ教は確かにそうである事は認識しています。
しかしイエスはユダヤ教徒ではなかった。
また最後の晩餐、及び聖体ミサは、カニバリズム儀式の様相を
明らかに呈しており、カニバリズムとキリスト教との間には
無視できない関係を疑わざるをえないと分析していますが、いかがでしょうか?
しかし、たとえそうでも、(今ですら秋田では産科医が赤ん坊を殺して
食べているとしか思えないような状況ですから)、ましてや食糧事情がよくなかった
2000年前ならば、ユダヤ教徒でなかったイエスキリストが
生きるために殺戮し人肉を食べている過程で、苦悩を深め、悟りを開くに至った
と考える方が、社会生態学的にはむしろ自然だと思うのですが、いかが思われますか?
すなわちイエスとはサタンであり、サタンとはイエスであり、
イエスとはスケープゴートである。そういった仮説が長いキリスト教の歴史で
今まで出なかった方が不自然であり、恐らくは何度もその学説が出た。
その度に異端裁判を起こして「火あぶり」にして封印してきた。
そういった解釈も同時に可能であるという事実は論理的におかしなところが
ありますでしょうか?自分としては世界を動かすような宗教(ミーム)は
相当に苦悩しないと出るはずがないと考えます。苦しさがなければ
悟りなどは生まれない。イエスはその悟りのミームにおいて偉大な貢献を世界史
に与えた。その偉大さに関しては何ら変わらず、それを前提に宗教の本質について
考えていければ嬉しく存じます。
633 :
481:2006/02/16(木) 23:41:04
>律法に煩いパリサイ人もイエスに人肉食者と言う批判はしていない。
この点に関しましても、当時は人肉食が当たり前で、非常に限られたユダヤ人のみが
禁忌としていた状況だったため、批判に相当しないと考えられたと分析できないでしょうか?
すなわちパリサイ人自体が人肉を日常的に食べていたため、批判の対象にならなかったという見方です。
自分はイエスにせよ釈迦にせよ、悟りを開くには、それ相応の苦しみがあった
と見ています。初めから「神」のような生活をしているのならば、悟りなどは要らないからです。
また世界三大宗教と言われるまで発展したミームのプロトタイプは
相当にそれ以前の文化ミームとは違っていないと成立しえないと考えます。
よってイエスはそういった苦悩を経て、キリスト教という偉大なミームを
生み出し、人類社会に深く寄与した。そういった考え方に論理的な問題点があれば
お教えいただきたく。
自分は伝統宗教自体も社会生態学の対象として深く考えていければと願っています。
以上、ご教授賜れれば幸甚です。長文、失礼しました。
莫妄想
635 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/17(金) 01:12:04
釈迦当時のインドはバラモン教で、この宗教の中心は共犠なのよ。その儀式の内容は
飲酒と屠殺、奴隷のむち打ちでとくに屠殺という生物を犠牲にすることで天国にいけると信じられていたのよ。
それに対して釈迦が罪のない生き物を殺すことによって天国に行けるというのは最低の宗教だといったわけ。
すると供犠−生けにえ−をしてた王がこれ以上の利益のある供犠はあるのかと聞いたのに対して
殺さず、盗まず、欲望に駆られて悪事を働かず、ウソをつかず酒を飲まないことこそ最高の供犠だといったのよ。
これが後で五戒になってくるんだけどね。殺さず、盗まず、邪淫せず、偽らず、酒をのまずと言うことだよ。
ここで問題は戒という事だね。律とはちがって戒はたとえ破っても罰則はないのよ。正確には自発的に悪を遠ざけ
善を修するという倫理道徳を意味するわけ。
636 :
481:2006/02/17(金) 10:38:16
ご指導いただき誠に有り難うございました。
宗教学に関しての全くの門外漢であるにも関わらず、
丁寧にお教えいただき本当に感謝します。
後もう一つ、非常に伺いにくい事なのですが、
社会生態学という学問分野を開拓する上で、どうしても伺いたい事がございます。
お怒りになられない事を祈りつつ。あえて伺います。
『釈迦』は実在の人物でしょうか?
インド政府が創り出したミームなのではないでしょうか?
現在の科学技術(ワームホール理論@カリフォルニア工科大学)の発達は
信じられない影響を世界全体各方面に及ぼしていると推察しています。よって
社会を生態学の立場で眺め、現在既に実用化されていると見られる各種新技術を踏まえた上で
現在の社会現象全体を把握するスタンスを大切にしたいと考えています。
リチャード・ブロディはドーキンスの影響を受けて「ミーム(心を操るウイルス)」(1998)
http://www.geocities.co.jp/HeartLand/2989/meme.html を出版していますが、『釈迦』とはインド政府が二千数百年前に遡って導入した
実はミームではないか?そしてそのミームの進化の歴史プロセスこそが『仏教』なのではないか?
という疑念を現在持ち始めています(これから慎重に検証したいと思いますが)。
この点に関して(非常な大胆な疑念、仮説ですが)ご意見をいただけないでしょうか?
全てを疑った上で、その上で仮説演繹法で仮説検証しながら
理論を構築していくのが、自然科学の基本であり、それを宗教学に導入しますと、
自分はこういった思考プロセスを経ざるをえません。この点、お教えいただけないでしょうか?
637 :
481:2006/02/17(金) 11:21:08
>>636 釈迦属出身の尊者だから「お釈迦様」等と呼ばれています。
ゴータマ・シッダールタという人物で、実在していたと思われます。
お釈迦様生誕の地を示すためにアショカ王が建てた
石碑が発見されています。
>インド政府が創り出したミームなのではないでしょうか?
インド政府が釈迦を作り出すメリットは皆無。
インドはかつてヒンズー教が国教の国。
仏教はヒンズー教のライバルでありカーストも否定する。
インドの主流にとっては異端宗教に過ぎない。
641 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/17(金) 14:38:45
浄土宗の人は五戒を授かっているはずなので、ちゃんと守りましょうね。
642 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/17(金) 15:07:15
ここにも戒律持ち込むか?
あんなモン、真面目に守ってる香具師おらんだろう。
643 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/17(金) 17:02:39
酒は飲むし、女は抱くし、肉は食い散らかす。
嘘をこくし、檀家のカネは俺のもの。
644 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/17(金) 17:11:42
全滅ですね。
645 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/17(金) 17:29:51
仏の教えってのは利害関係らしい。
646 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/17(金) 18:00:21
>>645 どの経典にそんなことが書いてあるのか?
647 :
481:2006/02/17(金) 18:10:18
度々失礼し申し訳ありません。以下の仮説に関していかが思われますでしょうか?
【伝統宗教(佛教)に関する社会生態学的考察】
各々の国で権力者達が自分達の判断で歴史をかなり大規模に作り替えている模様。
一度、新たな革新技術が開発されれば、その使用に歯止めがかからない。
その傾向はその革新技術が「機密」であればあるほど高まる。何故ならば機密にしておけば
法律にもかからないし、世論も考えなくて良いからであろう。この点が広島型核爆弾使用方法
との違い。核爆弾使用方法(空中爆破)を人知れず使うのは無理。必ず世論(国内、国外とも)
の指弾を受ける。それが核爆弾の空中使用を、半世紀以上思い留まらせている。しかし
地下で使える革新技術に関しては、歯止めがかからない。その結果、あらゆる分野で
巨大な影響、歪、犠牲が発生していると見られる。
こういった分野は科学哲学・社会生態学として学問化する必要があるよう思えてならない。
また影響・歪・犠牲者があまりに大きいケースは、積極的に当該革新技術を公表及び公開議論
していく事によって技術のあり方を広く考えないと、混乱を極めかねないケースも出ていると見られる。
こういった対応は(内部情報を知る)インテリジェンスの世界の人間ではない以上、
裏切り行為にはならないはずである。あくまでも正当な学術活動(社会生態学)である。
648 :
481:2006/02/17(金) 18:10:53
649 :
481:2006/02/17(金) 18:11:30
更には、今朝の新聞においてインド国家が米国からの機密技術を70年代に米国には無断で
使った可能性が、「確定は出来ないものの、ほぼ確実」とする記事が紹介されていたのも気になる。
インド国家がまず仏教を二千数百年前に遡ってミーム導入した後に、それでは(インド国家の維持
に必要とされる)カースト制度が維持できなくなるので、その数百年後の設定でヒンズー教を再度、
導入したと仮定すれば、現在のインドの宗教変遷と矛盾しなくなる。とすると釈迦のミームは
一体どこから来ているのか?21世紀から「釈迦のミーム」が生まれた可能性も考えないといけない可能性
がやはりある。万一そうならば、所謂、土俗宗教と言われる自然発生型宗教以外の多くは、
皆、こういった形で後世によって人為的に作られてきたミームなのだろうか?今の段階では確信が持てない。
しかし釈迦は実在の人物ではなく、実はミームである可能性が現時点では排除できない。
今後、この仮説を各方面から慎重に検証していく必要があると考えるが、
正直、絶句している。もし事実ならば、インド国家が行った事は、悪意はないのはわかるが、それでも
絶句するしかない。恐らく国内外の仏教宗派に関しても私以上に衝撃があるだろう。仏教とは
「21世紀で生まれたミームの進化プロセス」であったという事に他ならないからである。
その二千数百年の進化プロセスで多くの現実社会の僧達が今まで築き上げてきた貢献は否定される
ものではないと考える。むしろその現実の進化プロセス自体が仏教のアイデンティティと考えるべきだと思う。
いずれにせよ、文化とは何か?宗教とは何か?を根底から考えざるを得ず、21世紀の革新技術が
もたらす世界への影響を学問化する事の必要性を改めて感じる次第である。新たな学問の構築が
求められる。
650 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/17(金) 18:30:00
長々ご苦労様です。
それが貴殿自身にとってどのように問題なのかが今ひとつ
よく分かりません。
481さん御説拝読しました。
で、貴殿は何をおっしゃりたいのか。50字以内で書いてください。
652 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/17(金) 21:34:00
釈迦存在については一つは639番の方の書き込みのようにアショ−カ王の石柱がみつかり
それに釈尊はここで誕生されたという旨が記されているのでルンビニ−が誕生地であることは
確かになった。また1898年にピプラ−ワ−の地でイギリス人ペッペが古墳の中から遺骨を納めた
壺を発見、そこには紀元前数世紀の文字で釈尊の遺骨である旨が記されていたのよ。
この遺骨はタイ国の王室に譲られ、また一部は名古屋の日泰寺に納められ諸宗交代で輪番をしている。
釈迦の骨であるとすでに断定されている。
また違った角度からもう一考察。インドの首相カンジ−の最後の仕事に仏教および国民文化にカンスル第一回
国際会議を国費を支出して41国を招待して行ったんだ。開会式でのガンジ−の言葉に
世界は非常に危険な状態にある。−−精神面でいろいろちぐはぐなことが起こり、今度もし戦争がおきたら勝利者も敗北者もない。
これを防ぐには高貴なる精神を必要とする。今過去の世界の生んだ偉大な精神的指導者の教えに耳を傾ける必要があると。
そしてブッダ、マハ−ビ−ラ、ナ−ナク、マホメット、キリスト,孔子、老子の名前を挙げ、特に中でも仏教が教義をたてに人を縛ることが
最も少ない。だから仏教の精神を明らかにするためにこの会議を開くといって行ったんだ。インドの指導者はイスラムかヒンズ−だからこれは
すごいことでガンジ−は世界の宗教指導者に仏教を伝えようとしていたんだよ。もちろんこんな事すればガンジ−自身もどうなるかわかっていたんだろうけど
自らの死を引き替えにやって暗殺されたんだ。でも仏教の教えの大切さに気づいたガンジ−もすごいと思うよ
二つめは、とても重要なんだけど釈迦どころか仏がいてもいなくても、仏教は成り立つんだよ、これは超形式論理学を学ばないとわかんないけど
簡単に言えば仏教ではいるともいないとも言わないんだ。縁としてあるとしかいわないんだよ。
無自生空というのよ。空というのは数字で言えば0ね。永遠のプラスとマイナスを含むのよ。
653 :
けちゃっぷ:2006/02/17(金) 22:15:34
>>651 職業僧侶の多くは、思想・信仰の話よりも、儀式・しきたりの話で盛り上がる。
654 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/17(金) 22:18:57
>>653 で、だから?
その前に君は教学の穴を埋めることを考えるべきでは?
655 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/17(金) 23:17:18
>>653 そのうちそんな儀式、誰も相手にしなくなるから安心しろ。
それにおまえのところなんて法務あるのか?
ないだろ、規模的に。
>>653 オカルト話で盛り上がるのは君くらいだから、
別のスレへ誘導して2人で勝手に盛り上がってください。
>>649 こういう内容は、浄土宗・称名念仏スレのけちゃっぷ氏が相手してくれますので、
あちらへどうぞ。
658 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/18(土) 01:03:57
659 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/18(土) 01:05:05
660 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/18(土) 01:30:37
ある意味じゃ、件の神道系DQNよりタチが悪いかもな。
663 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/18(土) 07:15:23
嫌だ。断固、変な宗教拒否、けっちゃぷさんのスレとこのスレはそういうのいらない。
664 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/18(土) 11:01:26
それじゃ真宗の儀式の話でもするかいな。本堂の内陣という舞台は一段高くなってるよね。
この前近くの文化会館のホ−ルで法要があったとき何か変だナ−としっくりしないな−とおもっていたら
よくよく考えると客席が上で舞台が下にあって見下ろす様な作りにホ−ルはなっているのよ。
それに比べ本堂の内陣は見上げる作りなんだよね。ごでんしょうの掛け軸でも下から上に見上げるように
書いてある。また本堂の荘厳はすべてこちらからアミダさんの方向でなくアミダからこちらの方向になっているわけね。
こちらから仏にお供えする物は何一つなくてすべて仏から私にくださる形だね。その点キリストや神の時の葬儀のとき花やしきみを
相手にささげる方向でお供えするのとくらべて特異なんだよね。
665 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/18(土) 13:34:12
666 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/18(土) 13:42:00
まあ・・・内陣が下か上かとか、花の向きが手前か向こうかで、往生が決まるわけではないしな。
667 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/18(土) 13:48:07
そういうところにしかこだわらないのもね・・・
668 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/18(土) 14:36:10
儀式屋さんの拘りも分かるけど所詮、本義と関係のない自己満足。
669 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/18(土) 15:08:42
自分自身の信仰(真宗では「そういう言い回しはしない」と言葉狩りする傾向がありますが)
に自信がないから、形にこだわることで優位に立ちたいのでしょう。
横の関係で言えば、形が整っていることで「本物である」と認めてもらいたい気持ちがある
と思う。
しかし、各地の寺院を回ってみると、形にこだわらず、荘厳が粗末であっても住職・門徒の
心意気が滲む寺院もある。
670 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/18(土) 15:43:43
ありがたみと恭しさの追求。
671 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/18(土) 15:44:28
665から669は真宗の寺院の方じゃないな。他の宗派かあらしかな。儀式、荘厳の話をしたらどうか。
672 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/18(土) 15:51:26
673 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/18(土) 17:01:58
>>669 まるで形を重視するのが悪いみたいな言い分。
形が悪いのではなく、形ばかりにこだわることが問題なのでは?
674 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/18(土) 18:11:06
たしかに664番は本物の真宗ボウズだな。文の中に真宗ボウズレベルでないと
しらない事が何気なくまぜてある。どこの派かは知らないがな。ではお聞きしたい。
真宗のボウズはどうして色の付いたきらびやかな衣装を身につけるのか。
黒衣と墨袈裟ではいけないのか。また真宗儀礼のことについての参考本を教えて頂きたい。
675 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/18(土) 18:16:19
真宗ボウズとか言ってる香具師には答える気が失せる。
676 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/18(土) 18:36:21
内・外陣に出仕している僧侶達がどのような「役を演じている」
のかを考えれば、彼らが身につける袈裟や衣の意味合いも分かる
と思うが?
677 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/18(土) 19:03:47
悪いがまったく答えになっていない。香具師とはなんだ。真宗にはないぞ。
678 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/18(土) 19:08:13
舞台で芝居をする時には衣裳を身につけるだろうに。
そんなことも分からないのか?
679 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/18(土) 19:22:00
本山・宗門の行事ってのは昔から見世物・興行の側面が強いからな。
680 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/18(土) 19:23:35
ありゃ、第17願の実写版。
681 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/18(土) 19:28:54
それじゃ聞くが何の役を演じているんだよ。
682 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/18(土) 19:36:49
683 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/18(土) 20:29:17
どこに書いてあるの。それと菩薩は金銀まばゆい衣装を付けるわけはどうして。
釈迦はふんぞう衣でしょ。
684 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/18(土) 21:04:09
>>680 結果的にそういうことになっていますね。
如来の御名を称して、その徳を賛嘆するわけですからね。
中身は凡夫でも、とりあえずそういう役を演じることが教化になると。
685 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/18(土) 21:09:19
ありゃ
どこまでも往相ではなかったんですかい。
>>684 とりあえず、仮に形をとらないと分からんしな。
687 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/18(土) 21:20:41
>>685 いきなり法性法身を説いて分かるものなら苦労しないしな。
権仮から真実という流れが基本。
688 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/18(土) 21:34:57
いつまでも「化」から抜け出せないで、あれこれ見当違いなことを言っている御仁も
いるわけですが。
難癖つけるのに便利だな、真宗は。
691 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/19(日) 00:14:57
口先で適当にごまかして金儲け
692 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/19(日) 01:04:54
>>685 そうですよ。
念仏の行者はどこまでも往相です。
念仏で往生することが定まっているのだからそれでいい、という話ではないと思います。
693 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/19(日) 11:33:20
歎異抄というのはどうして多くの人をひきつけるわけ。以前講演の講師が
読んでみてはって言ってたのがきになってます。
694 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/19(日) 12:24:33
その講師は誰ですか。よろしければ。
>>693 一般的にはそうでしょう。
親鸞の実際の言葉に触れることができるから、
わかりやすいし、心に響く。
まず、読んでみればわかります。
696 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/19(日) 12:30:01
変なのがウロついてるな。
697 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/19(日) 13:50:29
あれは唯円の著書でいいのかな?
如信作ではないか、という説が依然残っているもので。
同書の良い点というのは、著者と親鸞との関わりの中で、構造的に著者自身の
「如是我聞」になっているということ。
それが和文の形で我々の下に届く。
698 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/19(日) 14:18:49
後序がいいんだよ、後序が。
699 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/19(日) 14:23:54
平野修先生の「真宗の教相」、「正信念仏偈の教相」、「親鸞からのメッセージ」、
信楽峻麿先生の「真宗の大意」、「親鸞とその思想」、
高松信英先生の現代語訳「大無量寿経」等を読んだのですが、
教行信証にも挑戦したくなりました。
やさしい入門書を推薦してもらえませんでしょうか。
700 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/19(日) 14:30:15
原典に触れないと。
701 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/19(日) 16:04:07
>>699 入門書にも限界がありますからね。
>>700の言うように原典に取り組んでいく姿勢も大事です。
702 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/19(日) 16:50:47
>>697 >構造的に著者自身の「如是我聞」になっているということ。
なるほど。そういう捉え方もできますね。
703 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/20(月) 00:13:46
693番です。いろいろ有り難うございます。講師はもうお亡くなりになりましたが
司馬遼太郎先生です。よく私も真宗門徒の一人だとおっしゃてました。何でも真宗門徒とは
真実の教えを聞く一門のともがらという意味だと教えていただきました。
みなさん1つだけといわれたら歎異抄のどの言葉を選ばれますか。
704 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/20(月) 00:22:17
>>703 「源空が信心も、如来よりたまわりたる信心なり。善信房の信心も如来よりたまわらせたまいたる信心なり。
されば、ただひとつなり。別の信心にておわしまさんひとは、源空がまいらんずる浄土へは、よもまいらせ
たまいそうらわじ」
705 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/20(月) 00:33:15
私はミーハだから、テレビドラマ「白夜行」で、武田鉄矢さんが演じる刑事が言うセリフ、歎異抄から取られてたなんて
「往生のために千人〜ころすこともあるべしと」
706 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/20(月) 00:52:49
歎異抄はよくカミソリりような書物、または塀の上をあるくようなもの とか
言われたりします。きっちり真意を読み取ればいいのだけど一歩間違えると外に
こぼれるとも言いますね。響くのは耳の底にとどまっている言葉を書いたというか
多分親鸞さんからいろいろたくさんあれやこれや聞いたんだろうけど、もう年取って
いろいろ忘れてしまった事も多くあった中に忘れようたって忘れることの出来ない言葉を
書いたんだろうから、贅肉をそぎおとして骨だけのようなものだろうね。
寺川先生がそれを真理の一言といってたよ。そういえば先生が今年は選択集と歎異抄をやりたいと思います
って曽我先生に言ったら親鸞さんを生んだ師匠のかいた選択集と親鸞さんが生んだお弟子の書いた歎異抄ですねって
言われたと聞いた覚えがあるよ。確かではないがね。そういう見方もあるんじゃない。
私の好きな言葉は第一条の後半部分。でも704、705番のお方のところもすばらしい、
まあーほとんどすべて金言というか真理の一言。徹底的に声に出して覚えてるよ。
ふっと何かの拍子に頭をよぎったり口にでて頭がさがるよ。
707 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/20(月) 01:14:55
>>706 課題としては法然の教学をもっと突き詰めないとなぁ・・・と思ってます。
法然なくして親鸞を語ることはできない(親鸞なくしても法然は語ることができるのだが)し、
法然の教学から親鸞を開いていくというのは重要なこと。
その上で、親鸞の教化を受けたお弟子さんの言に触れることで、その真髄、すなわち「要」を
研ぎ澄ましていくというか。
>>707 ところが、その法然の教学が曖昧なんですね。
ご自身は専修念仏のパイオニアとして、念仏教団も作り、弟子も育てた。
しかし、きちんと書かれたものが少ないんですね。
選択集でも、要請に応じて述べられたもので、
体系立てて書かれたものが少ないので、解釈にバラエティがある。
今の浄土宗自体も法然の教団とは言うものの、実際には弟子の弁長の法然理解だから、
通仏教の方にぶれてしまって、法然の教学がそのままというわけではない。
親鸞聖人在世の時からすでに、自分が法然上人から聞いた教えとは異なる教えを伝えているものが、
法然上人の弟子のなかにいる・・・と、手紙の中に書いているくらいだから。
法然教学をどう解釈するのかという点は、難しい問題がありますね。
教えを細かく規定すればするほど、
法然の意図から離れてしまう気がします。
念仏で往生できるというだけでいいのだと思う。
念仏往生さえはずさなければ、あーだこーだと弟子が言うのは、
まぁ好きにしなさいってかんじ。
あなたにとってそう思ったほうが念仏しやすいなら、そう思って念仏しなさい…と。
念仏往生さえ忘れなければ、法然にとってはたいした問題ではない。
ところが信者や弟子は几帳面すぎるというか、とにかくあれこれ気にしたがる。
710 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/20(月) 04:44:15
>>708 法然研究というのは確かに難しいところがありますね。
しかし、ここを突いていかないと親鸞理解というものまで在らぬ方向に
進みそうな悪寒がするわけです、はい。
>弟子の弁長の法然理解
これって正統なの?
712 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/20(月) 09:19:45
今じゃ技のデパート状態(w
>>711 浄土宗は法然を開祖とする教団であり、
現在の浄土宗は、江戸時代に徳川が菩提寺になったために、
浄土宗のなかでも鎮西派が圧倒的に主流になっている。
法然といえば、鎮西派の教学になりがちだが、
実際には弟子の弁長の流れ。
>>709 真に几帳面なのは解脱上人貞慶や明恵上人
その批判への弟子の答えも几帳面にならざるをえなかったのだろう
715 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/20(月) 14:27:48
余談まで真に受けていたりしてw
716 :
481:2006/02/20(月) 14:45:43
>>716 そこのスレは浄土真宗ではないですよ。
浄土宗の、それもちょっとオカルトがかったお坊さんのスレですから、
浄土宗スレでも批判が多かったので隔離されたスレです。
あまりそこでの話を真に受けないでくださいね。
718 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/20(月) 16:54:05
同行の評価も低いようですしね。
浄土宗の僧籍を持っているそうですが、浄土宗での評価も低いようです。
浄土教とは言いながら、浄土真宗の教えとはかなり異なります。
真宗のスレに来て、間違った理解で、勝手な自分の理解を書くので迷惑ですね。
720 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/20(月) 20:52:54
法然さんや日蓮さん道元さん親鸞さんと鎌倉仏教に共通する事といったら選択 、もっぱら、唯という
事やね。選び取るというか選び捨てるというか。確か法然さんの言葉に選択というは取捨の意なり。
と二問章かなんかにあったと思うけど。選び取るということと捨てると言うことが大切だね。
何を選び取り、何を選び捨てるのか。ところが私が真宗の念仏を選び取るということは他の物を念仏に
よって相対化するってことね。簡単に言えば火宅無常の世界はよろずのこと、そらごと、たわごと
まことなき故に念仏のみぞまことにておわしますってことなのよ。念仏まことと同時に他の物はそらごとまことなきと
受け止めていくわけだけどね。この主語は自分であって自分が選び取ることなんだ。他の人もそれぞれ他の人なりに
キリストであれイスラムであれ他宗であれ選んでいるわけね。それに対して他人にお前の選んだのは違う、ウソの教えで
地獄に堕ちるぞっていうのはちょっと、選択の意味を取り間違えているね。
五木さんの言葉に真宗は選択的一神教だとあるんだけど他の人が選んでいる神は認めつつ、あくまで自分は阿弥陀さんを
選びますってことなんだ。
721 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/20(月) 21:25:03
お葬式の時ナイフのような包丁のようなものと習字紙をもってやっていること
と言っている意味はなんですか。
おあたましです
筆おろしみたいなもんです
723 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/20(月) 22:33:21
>>721 剃度式のことかな。
仏弟子となるための儀式だよ。
724 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/20(月) 22:40:29
真宗の寺って、本堂や庫裡、境内は寺族の財産として
登記されてるのかい?
>>724 普通は宗教法人。
寺族の財産ではないから勝手に処分は出来ないようになっている。
726 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/20(月) 23:34:22
寺族ではなくて宗教法人のもので登記されている。寺や庫裏の中は財産目録に
よってわけられている。もちろん法人だから毎年県に提出、これは学事課だけど
財産目録、代表役員、責任役員、収支計算書など。あと収支計算書は管轄税務署
にとくに雑収入の内訳をつけて提出。住職坊守はその宗教法人から給料をもらっている。
もちろん確定申告をしなければいけない。
727 :
481:2006/02/20(月) 23:57:57
728 :
?o?@:2006/02/21(火) 00:45:15
Yahoo!オークションに西本願寺 新品
寺院用永代経法名軸を出品しています
どうぞご覧下さい 西本願寺 永代経法名軸 で
検索してみてください ¥1000円です
729 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/21(火) 01:02:05
みなさん掲示板にどんな言葉をかかれますか。
730 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/21(火) 05:26:34
731 :
481:2006/02/21(火) 12:06:27
732 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/21(火) 14:37:28
>>729 掲示板?
そりゃ、逝ってよし、とかでは?
733 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/21(火) 15:08:22
永代経っすか。
明らかに寺側と門徒側の意識がズレた行事のひとつですよね。
といって、報恩講より盛り上がったりするわけですが。
734 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/21(火) 15:57:30
報恩講以外、ほとんど・・・。
735 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/21(火) 16:31:59
736 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/21(火) 19:16:24
>>733 確かに修正会、永代経、盂蘭盆会で燃え尽きてるところはあるな。
それらの行事が毎年100人以上動員しているのに対して、報恩講となると50人切るし。
737 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/21(火) 21:27:34
>>735 ダメ。
かつて侵略戦争により3000万人に及ぶ中国人民を殺戮し、圧政的植民地支配により朝鮮人民を
虐げた歴史的犯罪に対して、真宗門徒として子々孫々に至るまで中国・朝鮮人民に対して懺悔
し続け、許しを乞い続けなければならない。
それが未来永劫、日本人が背負い続けるべき業である。
738 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/21(火) 22:15:03
739 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/21(火) 22:34:42
お盆に寺に行ったときに住職さんの教えがよく理解できませんでした。
モクレン様のおかあさんはどうして地獄からすくわれたのですか。
740 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/21(火) 22:35:24
>>737 だからさぁ、3000万人殺したと言うなら、それを証明する第一次資料を持って来いよ。
741 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/21(火) 22:39:02
>>739 おたくの住職、盂蘭盆経のまんま法話してんの?
ありゃ、偽経って説も根強いんだけどな。
>>741 お盆をいっさいしないのなら話をすることもいらないが、
お盆にお寺で何らかの行事があるのなら、
お盆のいわれで、そういう話も出てくるでしょう。
ただ、それは前振りで、そこからどういう話に導くかが問題でしょう。
743 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/21(火) 23:15:25
741も742も問題提起するだけでたぶん盂蘭盆経もよんでないんじゃねえか。
まあここは真宗だから読まなくてもいいけど実際各寺でお盆やってるし、
言ってることとやってることが矛盾してねえか。
744 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/21(火) 23:25:43
746 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/21(火) 23:40:21
いや−私も読んだことないというかまったく知らん。そんな経あることもしらん。
747 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/21(火) 23:43:11
「盂蘭盆経」ねぇ。
そもそも盂蘭とは倒懸、すなわち、逆さ吊りにされて苦しむということ。
盆とは器、つまり救済のこと。
話の筋としては、神通力を有する目連尊者が、自分の母親が餓鬼の世界に堕ち、逆さ吊りにされて
苦しんでいることを知り、何とか救おうとして釈尊に相談する。
すると釈尊は「安居を終えた僧侶に読経をさせ、供養を捧げなさい。その功徳によって母親は救われ
ます」と目連尊者に教えた。その結果、母親は餓鬼道から救われ浄土へ生れることができ、目連尊
者も大喜びしたとさ、めでたし、めでたし・・・という話じゃなかったか?
しかし、倒懸と言うけどさ、本当に逆さ吊りになっているのはどっちだ?と思うけどな。
浄土から見たら、人間界の方が逆さ吊りじゃねえのか?と思ってしまうが。
748 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/21(火) 23:45:47
>>746 おいおい、頼むぞ。
しかし、門徒さんはあの世と交信したいつもりで来るんじゃね?
阿弥陀様とかすっ飛ばしてさ。
749 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/22(水) 00:02:36
住職さんもそういった内容だったのよ。そこでわからないのが餓鬼の世界にいる
おかあさんに食べ物をやったら燃えてダメだったわけじゃない。なのになんで僧侶に
供養したら母が救われるわけがわからないのよ。
750 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/22(水) 00:06:57
>>749 その住職さんもどうかと思うけどね。
盂蘭盆経から我々が問われること、の方が重要なのに。
そもそも仏説ではありながら、人間自身を破っていく内容の無い御経だしね。
>>749 目連が神通力で母ちゃんをたすけたいってのは情の部分。
そりゃ、身内が苦しんでりゃたすけたくなるもの。
しかし、それはどこまでも情であって、それだけでは人間が陥っている三悪を破れない・・・う〜ん。
752 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/22(水) 00:26:14
真宗のうちはお西さんだけどお経をまいると子供が踊り出すんだけど。
なんかお経が下手な人だとこの頃思うようになりました。というのは
真宗のお経のテ−プをかって聞いてみたらぜんぜん家に参りに来る人
とお経がちがうのです。あまり気にしなくてもいいんでしょうけど
いつも同じお経が多くて音楽家の妻はお坊さんはお経というか音楽的に
音程の狂っている人というか音痴が多いといってました。
753 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/22(水) 00:26:50
>>751 なるほど。
三悪趣という人間自身の事実は、情や思いだけでは破れないという点には同意。
結果、母親を救ったのは目連尊者ではなく、僧侶たちによる読経、つまり真実の教えの
法力であると。
となると、目連による供養を情の産物と見るか、それとも僧伽への信頼の証と見るのか。
754 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/22(水) 00:28:15
でもね神の力っていうか6つの特別な力をモクレンさんはもっていたんでしょ。
なんで救えないの。
755 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/22(水) 00:28:22
>>752 そりゃ声楽家みたいな人もいれば、音痴な人もいるでしょう。
だったら上手な人に頼めばいいんじゃないですか?
756 :
742:2006/02/22(水) 00:30:40
盂蘭盆経くらいは知っているが、内容的には真宗の法話で使えない。
だから、お盆の由来は盂蘭盆経のこういう話だが、
仏教は自分の先祖だけを大事にする先祖供養よりも、
命あるものすべてに慈悲の心をもつことを重視したから、
儒教の国、中国に伝わった時に、先祖供養を重視しないことを非難された。
おそらくそれに対して中国で作られたのが盂蘭盆経だろう、
だから、真宗では伝統的にはお盆という習慣はあまりないという話になる。
親や先祖に感謝の気持ちを持つことは大事なことだが、
そこから、もっと大きな命のつながりに目を向けることも大事だとなる。
盂蘭盆経自体の話は、神通力が出てきたり、
あまり理屈では理解できない話が多いのでくわしくは話さない。
だから、>739 も、その点が疑問だったんじゃないか?
757 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/22(水) 00:30:49
>>754 その神通力を使うのも人間自体だからでしょ。
問題はその人間自身の煩悩の闇をどのように破るかということ。
したがって問題の質が違うんですよ。
758 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/22(水) 00:33:22
>>756 >命あるものすべてに慈悲の心をもつこと
最終的にはそういう方向に落としたいんだろ?
ところが目の前の話と、仏事の背景となる願い自体に整合性がないということが問題なわけで。
759 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/22(水) 00:35:35
>>756 神通力ということではないにしても、『観経』でもどこでもドアみたいな話は出てきますし。
眉間からビームを放ってみたり(w
>>758 整合性をとる必要なんか無理しなくていいと思うな。
法事をする感覚は、故人や先祖によかれと思って行っている。
それは、自分が一人で生きているのではないということ、
自分以外の命について、命のつながりを考える入口になる。
だから先祖供養の気持ちを頭ごなしに否定したりせずに、
その素朴な感情を、どう本願に導いていくのかが僧侶の仕事でしょ。
目の前の話を阿弥陀さんに向け、さらに阿弥陀さんの背後にある世界に目を向けさせる、
法事や先祖供養は、まず外を見る大切な一歩と出来るけどね。
>>759 それは、経典の字句を、どう理解し、どう説くのかという問題。
象徴や譬喩が理解出来なければ、法を説くのは難しいでしょうね。
762 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/22(水) 01:01:44
あの僧侶に何てお経を読経させ何をどのように供養したの。それじゃお盆のときに
お坊さんが来たらそれと同じ事をすればいいわけだ。でも阿弥陀ぶつは一切すべての
ものをそれも他力で無条件で救われるって坊さんはいつも言ってるけどモクレンのお母さんは
救えなかったってことはどうして。
>>762 だからこそ、中国で作られたこの経典には重きを置いていないのですよ。
764 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/22(水) 01:15:54
>>760 それは前提条件でしょう。
入り口に向かわせるためには、教条主義を前面に立てての直行型ではないにしても、話として
緩やかに落とし込んでいくことは必要ですからね。
それを整合性と言っているように思う。
おそらく盂蘭盆経の話をしておきながら、命を大切に・・・・と落としたんじゃ、話として繋がらない。
当然、
>>762のような疑問も噴出する。
僧侶の技量としては、そこをどのように開いていくかというところでしょうが、固定的な観念を転換
させていくことの難しさというのがあると思いますね。
それをどれだけ時間を掛けて丁寧に取り組むかでしょうね。
765 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/22(水) 01:24:43
>>764 >教条主義を前面に立てての直行型
これね、全国の浄土真宗のお寺が抱えている問題でしょう。
教義じゃ「先祖供養はしない」となっているけど、門徒さんは「先祖を大事にせにゃ〜」と思っているわけで。
しかも、経済的にもそれで潤ってるわけでしょう。
なのに「浄土真宗では先祖供養はしません」とバッサリやったら、どうなっちゃうの?と。
時に冷たさを感じるだろうし、裏切られた気にもなるんじゃないの?
正月には初詣、孫の受験となれば合格祈願、結婚式は教会、クリスマスは不二家でね!と言ってるような
人たちが相手なのだし。
そういう意味では、いきなり厳しさから入ってしまうのもどうかと。で、悪人の自覚なんて言っても、「何だよ、
俺らは悪人か?あんまりじゃねえか!」で終わり。
その点では
>>760に同意。
優しさがないとね。優しさと厳しさの並立。ん?どこかでそんな菩薩様がいましたっけ。
766 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/22(水) 01:26:02
ついでにもう一つ聞きたいんだけどすべてを救うという願いをもって法蔵という王子は
仏になったんでしょ。ということなのに五逆の罪とホウボウのを犯した人はのぞくというのはおかしくない。
5逆ホウボウ罪のひとはすくわれるのそれともすくわれないの。
767 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/22(水) 01:34:52
>>766 来ましたねぇ(w
唯除五逆誹謗正法ですか。
とりあえず、『尊号真像銘文』から引っ張ってみますか。
「唯除五逆誹謗正法」といふは、「唯除」といふはただ除くといふことばなり、五逆のつみびとを
きらひ、誹謗のおもきとがをしらせんとなり。このふたつの罪のおもきことをしめして、十方一切
の衆生みなもれず往生すべしとしらせんとなり。
とありますね。已造業の救済と未造業の抑止ということです。
768 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/22(水) 01:50:42
>>767 回心懺悔への導入部だよね。
これで面白いのは、『論註』の八番問答で、『大経』第18願(唯除五逆誹謗正法)と『観経』下々品
(五逆摂取)をクロスさせて解き明かしている点。
第一では、『大経』では二罪だけに除かれると言い、『観経』では五逆のみであるから摂取されると。
第二では、謗法は極重罪であるから一罪でも摂取されないとし、願生の理がないからとする。
ところが、『論註』下巻で如来の口業功徳を明かすにあたり、至徳の名号、説法音声を聞けば、謗法
の罪が滅せられる、といわれているから、謗法のものも回心懺悔して念仏する者になれば救われる
ことになる。
769 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/22(水) 01:51:25
『散善義』の下々品には、『大経』に逆謗を除かれたのは未造業のものに対して往生を得ずと抑止
されたのであって、『観経』下々品に五逆の摂取が説かれたのは、已造業であるから大悲摂取され
たのであり、謗法の摂取が説かれていないのは未造業であるがゆえのことであるとするよね。
つまり、已造、未造を以て摂抑を論じていると。
『法事讃』の「謗法闡提回心皆往」に対応すると、未造業とは、まだ造っていないというだけではなく、
未回心の者を含み、已造業とは、単に逆謗を造ったものというだけではなく、罪に気づいて回心して
いる者というべき。結果、未造業のものには、造らないようにと誠め、已造業のものには、罪に気づい
て回心懺悔すれば救われるとするのが、未造抑止と已造摂取ということになる。
770 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/22(水) 02:58:22
>>765 こうしないとダメ!、という硬さと狭さがねぇ・・・。
若い住職でも「徹頭徹尾、真宗式の仏事にこだわります!」と鼻息荒くしているのがいるけどさぁ。
「おまえは阿弥陀様の何なんじゃい!?」と思いますわね、ホント。
その了見の狭さがかえって距離を作っているような気もするね。
どうも誤解があるのは、
「法事は先祖供養だからだめだ」という考え方。
真宗で否定されているのは、「追善供養」を行うことで、
まず、われわれが自力で善を積んで、それを故人に送る点は、
浄土往生して阿弥陀仏の本願ですでに仏になっている人に、
追善回向を行うことは意味がなく、本願を疑うことになり、
自力で善を積むのも、本願他力の意趣に外れています。
法事をして、亡き人を偲んで、生前の恩に感謝し、
往生された浄土を思い、阿弥陀仏の本願を思う、
亡き人を縁として、仏の教え、法に出会う法事は問題ないし、
それを先祖供養と呼んでもいいんじゃないかな。
自分の親や先祖のことだけ思うのでなく、
あらゆる命に思いをいたすのは理想であるけれど、
まず「有縁を度す」ならば、一番身近な親であっても問題はないでしょう。
772 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/22(水) 03:49:40
>>771 同意ですね。
>往生された浄土を思い、阿弥陀仏の本願を思う
これ、大事なことですよね。テーマは「自分を生きる」なのだから。
真宗の僧侶は「供養」という言葉にどうしても引っ掛かっちゃうんだろうけど、これは問いでしょ。
自分の命をどう引き受けていくかというね。
逆に言えば、自分の命を確かに引き受けていくところに、自分に至ってきた全ての命が成就する
ということでもあるわけでね。
願いの上に命があるとすれば、願いを生きることが命を全うすることでもあるしね。
773 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/22(水) 08:26:55
目連尊者のお母さんは、わが子目連が幼いときに、
わが子だけをかわいがってよその子を助けなかった。
餓鬼道に墜ちたのはその報い。
身内だけをかわいがるのとは逆の、
まったくの他人に施す布施行の功徳を回向することで、
救われたのですね。
774 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/22(水) 19:25:35
話がとってもなんか専門的になって私にはついて行けないところもありますけどとても参考になる意見がきけて
よろこんでます。
話を私なりにまとめるとお釈迦様がモクレンさんのお母さんのために修行僧に施すことを教えてモクレンさんはその通りにしたんですね。
私も先祖のために住職やお寺さんに、また親戚に食べ物やお金等を施しているのが法事でしょ。でその功徳を先祖にって事で同じですよね。
この事はとても理解できるんですよ。ただどうやって住職は功徳を回向してるか方法を知りたいんですが。
あと先祖供養はダメですって住職はいいますがどうしてでしょうかね。
775 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/22(水) 19:35:46
すみません続けてですが結局五逆とホウボウ罪のひとはどうなんですか。
なんか坊さんもお経によってまちまちなのかはっきりしてないのでしょうか。
作ってるひとはどうなのか。作っていない人は関係ないですよね。
作ってしまった人や作っているひとはすくわれるのでしょうか。それは大経のなんという願で
すくわれるのでしょうか。3つ救いの願があって18の願がすべてを救う願だときいたのですが
それに唯除の文があるていうことは五逆とホウボウ以外のすべてのものは救いますってことですかね。
776 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/23(木) 03:06:34
>>775 少し上でその話題に触れているので参考にするように。
二度も同じ話させるな。
>>774 > 私も先祖のために住職やお寺さんに、また親戚に食べ物やお金等を施しているのが法事でしょ。
> でその功徳を先祖にって事で同じですよね。
法事は、そのような意味でされるのではありません。
僧侶や親戚に金品や食事を施しているのではありません。
また住職が功徳をあの世に回向しているということでもありません。
その意味では、盂蘭盆経は、仏教の主旨からは外れたお経ですから偽経と言われるのでしょう。
実際に、中国で仏教経典に模して偽造されたと考えられています。
やはり勘違いをされています。
五逆と誹謗謗法の人も浄土往生は出来ます。
阿弥陀仏の本願が、一切の衆生を救うというのがまず大前提ですから、
五逆と誹謗謗法の記述は、抑止のために付け加えられたと考えられています。
親鸞聖人は、罪悪深重煩悩具足の自らの存在を五逆誹謗謗法と同じと受けとめられたでしょうね。
779 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/23(木) 12:29:54
功徳の回向は、仏教に古来からあるでしょ。
現代の法事が本来の回向の意味を成しているかは別として。
781 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/23(木) 16:51:20
>>788 救われない者にならなけりゃ、人間様は救われねえってことさ。
782 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/23(木) 18:55:30
だから真宗のボウズは学会からアホよばわりされるのよ。767−769を読めとはなんという言いぐさや。
そんなものボウズのオナニ−みたいなもので真宗のボウズの自己満足で一般人をぜんぜん納得させきれない空論
みたいなもの。ただ分かりもしない専門語ならべてるだけやろ。
それに何が抑止なんや。そんなものどこにも書いてない勝手な解釈やんけ。
禅宗のボウズみたいに訳の分からんことを問答してるだけやん。解釈に解釈を重ねていくから論理に矛盾が生じて
さらに辻妻あわせに苦労してるのがミエミエやで。しっかりべんきょうしろよ真宗ボウズ。
あと現場無き教学いくらやっても現に775番のどなたかしらんが1人なっとくさせきれてないやんけ。
法事は僧に布施と言っても今は現金や。現実みてみろ。金がはいってるやんか。お前らそれで食ってるやん。
法事や葬式せずに托鉢して食っていく自信ないやろ。えらそうに言う前に現実見れボウズよ。
>>782 挑発ですか?学会君(w
しかも、唯除の文さえ攻め上げれば真宗禿が及び腰になるとでも教え込まれてやって来たか?
いつの時代の手口だ?(w
784 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/23(木) 19:38:47
>>783 敵さん、本性晒してきましたね。
確かに「唯除」を攻め口にするのは学会の十八番。
知識の無い素人を装いながら、いきなり「唯除」の話に持ち込むあたり
怪しいとは思っていましたが。
785 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/23(木) 19:48:23
>>782 懲りないですね。
相変わらずの自作自演ですか?
>法事は僧に布施と言っても今は現金や。現実みてみろ。金がはいってるやんか。お前らそれで食ってるやん。
>法事や葬式せずに托鉢して食っていく自信ないやろ。えらそうに言う前に現実見れボウズよ。
君、結局、カネの話がしたかっただけでしょ。
以前にも「托鉢だけでやっていけ!」と粘着している人が1人いましたが、君でしたか。
じゃ、お聞きしましょう。托鉢で道場が建ちますか?建つわけないですね。
伽藍が建つのは門徒の物心両面の支えであり、資としては金銭的負担の結果でしょう。
しかしながら、その根本には信仰自体や多少なりともの宗教心があるわけです。
その負担を「財務」と表現するか寄進と表現するかは別として、真宗の場合は、道場という
聞法の現場を護持していくことが門徒の責務でもある。
そこで金品の贈与があって何がいけないのかということですよ。
開き直りではなく、現実的に法の現場を護持するために必要な出費というものがあるという
ことです。悪いけど奇麗事なんか言わないよ。現実の問題は現実の問題ですからね。
君たちのように他宗派に難癖をつける趣味の人々には分からないでしょうけど。
>>784 唯除は自分がどこに立っているか、仏道に対する自分の立場の確認だからな。
要するに「俺は地獄だ」ということ。
「唯除〜」だからおまえらは地獄行きだ、と言う以前に、人間として生れたこと
自体が地獄だってことだろうに。
それが分からんから「地獄行きだ!」と他人に引導渡して喜べるわけだ。
787 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/23(木) 20:02:30
聞くが真宗のボウズは経を読めるんか。三部経すら読めないんじゃないのか。
おふみというのもいつも同じものしか読めないのはどうしてか。
788 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/23(木) 20:06:56
>>786 それが「自身は罪悪生死の凡夫」ということの内容になるわけですね。
あーっと
>>788が
>>787の誹謗レスを
スルーしたぁーっ!!
_、、_、、_、、_、、_、、_、、_、、_、、_、、/
_
r'::::::::i
トーf/__
/ イ| 、ヽ
>>788 //_〉 l_l i_ノ、
\\ (_ニノ 〉____〉〉 〉
/ } / ,_-‐、
/\/,ー 'ヾ i"_Y 〈i
〈 < / ゝ^-'"
>>787 \i"ヽ、 \\ //
├ i\i カ ,、
|_,,i ノ_ソ ) ゝ
ノ_/〉 ⌒ `
カネ集めと勲章集めと権力集めに忙しくて、
仏教なんかかまってられない大先生を、
仏教をよく知らないからといって謗法扱いにするな!
マンネリの挑発だからといってスルーして馬鹿にするな!
792 :
けちゃっぷ:2006/02/23(木) 21:10:34
>>790 カネ集めと勲章集めと権力集めに忙しくて、仏教なんかかまってられない大先生でも
念仏すれば往生します。
>>792 浄土宗のオカルト坊さんが
たのまれてもいないのに、わざわざ真宗スレに来て、
変な口出しをしないでほしいなあ
問題をこじらせたいの?
そういうのをアラシと言わなかった?
>>792 どうやら浄土宗の念仏は口先だけでいいようだな。
呪文かオカルトか・・・やれやれ
796 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/23(木) 21:47:33
>>794 能動的な「信じる」ですよね、基本的に。
逆接すれば「信じければ救われない」という構造のようです。
797 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/23(木) 21:56:20
787番さんへ
三部経通称本三と言われてるのは学生時代くり読みしましたが今は法事では私はほとんど
本三ではなく新三部経を読みますね。なかには新新三を読んでる僧侶もいますがね。
あと正信念仏げや讃仏げ、重誓げ等はほとんどの僧侶は暗記して無本でもまいれます。
正信げにおいては数種類のまいり方もできます。あと声明や作法ものでもやる機会が少ないですが
例えば落慶等では行いますよ。一人で完璧には出来ませんがね、数人の僧侶で練習して割ときちっと
やれるもんですよ。正式なお勤めを法要で数人の僧侶でやるときもあれば声の質や音域、それぞれのお寺の
称え方、これは先住職や先々住職のおつとめをまねたりして称えることや自然とそうなる事もあるんですよ。
これって結構御門徒さんからお父さんのまいり方とそっくりですねって言われたりするんですよ。
御文章は最低どの僧侶も5つぐらいは日常よく使うものは覚えてますよ。特に白骨の章は本山では大聖世尊の章
を葬儀に拝読するように言われてますがね、私なんていまだに白骨の章を拝読してますね。門徒さんの中にはこれ聞かないと
葬儀にならんというお方もいますし、かえって昔の住職の方の方が独自のその寺の節でお参りになって、聞いただけでどこの
お寺の住職か分かりますよ。若手の住職さんの方がかえって伝統てきというか正式な節回し音程作法にきびしいぐらいですね。
また老僧あたりはカナのふってない本三部経をすごい速さで読まれる方も多いんです。あるいは息もとだえとだえに
ゆっくり重誓げを称えられたり、こう考えると現場住職のレベルでは幅ひろくいろいろですね。
ただし本山式部の知堂衆や讃嘆衆あたりになるとそのお勤め作法は天台大原流の流れをくむ本願寺声明を受け継がれていますし
東本願寺殿においても板東節があって伝統を受け継がれています。もちろんそういう本山の方々のお勤めは地方の一寺院を預かっている
住職でも感嘆しますがね。
799 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/23(木) 23:26:16
>>797 >東本願寺殿においても板東節があって伝統を受け継がれています。
坂東曲なんですけど・・・。
>>796 また「一枚起請文」の解釈か?
いい加減にウザいんだが。
801 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/24(金) 00:08:04
)、._人_人__,.イ.、._人_人_人
<´ 仏罰じゃ、これは仏罰なんじゃ!>
⌒ v'⌒ヽr -、_ ,r v'⌒ヽr ' ⌒
// // ///:: < _,ノ`' 、ヽ、_ ノ ;;;ヽ //
///// /:::: (y○')`ヽ) ( ´(y○') ;;| /
// //,|::: ( ( / ヽ) )+ ;| /
/ // |::: + ) )|~ ̄ ̄~.|( ( ;;;|// ////
/// :|:: ( (||||! i: |||! !| |) ) ;;;|// ///
////|:::: + U | |||| !! !!||| :U ;;; ;;;| ///
////|::::: | |!!||l ll|| !! !!| | ;;;;;;| ////
// / ヽ::::: | ! || | ||!!| ;;;;;;/// //
// // ゝ:::::::: : | `ー----−' |__////
802 :
けちゃっぷ ◆ZutfXt.Wrk :2006/02/24(金) 00:30:36
>>792 やれやれ…また偽けちゃっぷですか。
トリップめんどくさいから嫌いなんですが
803 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/24(金) 01:06:29
>>802 けちゃっぷ ◆ZutfXt.Wrk
以後、上記以外は偽物ですので関係各氏、宜しく頼みます。
>>802 君が来ると荒れる傾向があるので、できる限り自重して下さいな。
805 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/24(金) 01:15:04
>>802 最初からそうしておけよ。
トリップ付けるのは常識であって、おまえが非常識なだけ。
807 :
けちゃっぷ:2006/02/24(金) 01:40:20
>>796 信じる者が救われ、信じない者は救われない。それはそう。
でも信じることが能動的かどうかは、見方次第ではないですか?
それと、救われない者がいるから、
阿弥陀仏が現在しづけるんじゃないでしょうか?
808 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/24(金) 01:42:53
809 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/24(金) 01:49:26
粗野なアンチスレで展開するには惜しい(正鵠を得た意見である)ので転載しておきます。
どうして浄土真宗ってダメなの?Part.3
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1128168586/665 665 名前:名無しさん@京都板じゃないよ :2006/02/24(金) 01:37:31
何が駄目か?
真宗は、口を開けば、靖国、部落、ハンセン病、平和等のことしか言わない。
もちろんそうゆうことも大切だとは思う。しかし、そうゆう社会的な
問題に対して一方的に教え込んでも、檀家が満足するわけでも、信者は増えるわけがない。
ただ仏教が社会のことに対して発言するようになったんだ、と思われる
だけで終わってしまうと思う。本来大切なのは、身近な個人的な悩みや不安や
相談に僧侶が答えているのかどうかということだと思う。例えば、他宗では、
祈祷を行う寺もある。真宗では否定されることだし、私も祈祷という方法が良いものだと
肯定するつもりは全くない。僧侶は祈祷する上でその悩んでる個人の話を聞くはずだが、
その悩める人が不安を告白することで少しでも楽になって帰っていけるならば、
それはそれで意味のあることではないか・・何もしない真宗寺院に比べればよっぽどまともに
僧侶と信者の双方向のコミュニケーションが成立しているのではないか
そんなことを思います。
810 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/24(金) 01:55:41
>>809 そうですね。仰る通りだと思います。
「真宗では祈祷の類はやらない」ということばかりを強調し、藁にも縋りたい思いでいる人々の
苦しみに目を向けないというのは宗教者にあるまじきことでしょう。
811 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/24(金) 02:06:55
>>807 >救われない者がいるから
それはおまえがジャッジすることか?
ならば聞こう。おまえは救われるのか?それとも救われないのか?
812 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/24(金) 02:26:46
>>810 気休めを気休めと割り切りながら、本当に気が休まるということを
考えてもらうべきなんですけどね。
気休めはその入り口として必要なんだよな。
それすら「無意味だ」と切り捨てるべきではないと思う。
求めがあるから気休めでも、と始めると、
結局は今の浄土宗のように、ぽっくり寺から現世祈祷の商売まで、
なんでもありの、教えを忘れた商売寺になってしまいます。
そのけじめというのが、なかなか難しいようですね。
814 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/24(金) 03:05:10
>>813 さすがに浄土宗のようになっては問題ですけどね。
>>814 入口の使い方は、個人の才覚によるところが大きい。
人間どうしの信頼関係のなかでうまく使える場合もあるが、
それは形を決めるものではなく、教義としては本来の形を示し、
実際の運用は、個々の寺院や僧侶が責任をもってすべきだろうね。
宗派として認めてしまえば、
やっぱり、今の浄土宗のようになってしまい、さすがにそれはまずい。
816 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/24(金) 04:01:36
相互監視がはたらいているからなぁ・・・。
下手をすると異端扱いされるだろうし、難しいかもね。
別に浄土宗を目の敵にする必要はないけど、真宗のそれは「自分自身の解放」を促す
ようなものであって欲しいかなと。
大事なのは、自分を解き放てくれるものは何か、なのだし。
>>817 別に、対抗しているわけじゃないから、
浄土宗を目のかたきというのじゃなく、
反面教師ということでしょう。
ルーツは同じだから、こういう方針をとれば、
こういう方向にいくのかと、いろいろ参考になる。
819 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/24(金) 08:13:44
今さら、浄土宗の後追いはないだろうが、反射的に「変な」方向に行かないとも・・・。
故意に宗教の領域から外れたがる傾向があるしね。
820 :
けちゃっぷ:2006/02/24(金) 08:28:07
>>811 もし今生で救われなくても、
救われるまで何度でも輪廻し、いつか必ず救われる。
たとえこの世に生命が僕1匹になったとしても、
僕1匹が救われるまで、
阿弥陀仏は平安なる滅びにお入りになることはないのです!
阿弥陀仏は、あなた一人のために、待ち続けてくださる御方です。
821 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/24(金) 09:12:45
浄土宗はそれでも仏教だが、大谷派は共産主義だから、
浄土宗のほうがマシ。
822 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/24(金) 09:18:06
>>721 君は称名念仏スレか説教所スレで持論を展開してくれや。
>>722 それらしけりゃ何でも良いわけだな。
ま、それでいいんじゃないか、浄土宗は。
823 :
822:2006/02/24(金) 09:23:14
824 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/24(金) 09:24:42
仏教に輪廻はない。輪廻を否定しているんだよな。
また祈祷とはなんだ。
825 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/24(金) 09:30:13
>>824 「往生するぞ!」と気合いを入れて念仏しないとダメらしいですよ。
浄土宗けちゃ派は。
でないと、輪廻し続けるそうです。
826 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/24(金) 09:35:57
827 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/24(金) 09:37:13
だから仏教以外は輪廻があるんだから輪廻があるやつはあってもいいんじゃないの。
仏教の中であるというやつは仏教を理解してませんって告白してるようなもので
仕方がないよ。
828 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/24(金) 09:41:41
>>827 それ故、異端なのですよ。
自力作善でどこにいるのか分からない阿弥陀仏を求めて彷徨えばいい。
仏教が輪廻を説かなくて、一体何から解脱すると言うんだ?
永劫沈倫苦海とは何のことだと?
830 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/24(金) 10:02:56
831 :
けちゃっぷ:2006/02/24(金) 12:28:12
輪廻を信じなくても仏教は信仰できますから、それでいい。
でも、わざわざ輪廻思想を否定しようとする人には疑問を感じます。
お経に書かれていることを、自分の信じやすい理屈におきかえて、
信じた気になってるんでは?
まさか、阿弥陀仏の存在も、実は信じていないんじゃないでしょうねぇ?
832 :
けちゃっぷ:2006/02/24(金) 12:32:58
>>825 「往生するぞ!」と気合いを入れているのではありません。
本願力で往生決定していることを確認して「これで私も往生できるぞ」という意味。
>>831-832 だから、ここは真宗スレです。
浄土宗けちゃ派の教義は、ご自分の隔離スレで。
誰も、君の考えを聞きたいなんて言ってない。
>>831 浄土宗の通仏教レベルでの話と、
真宗の話のレベルとは違うんだから、
同じ用語でも、そのバックにある思想が異なるから、
議論はかみあわない。
真宗スレへの余計な口だしはやめてくれないか。
835 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/24(金) 15:15:28
ホント、言葉が通じないんですかね。
いい加減、これって「荒らし」ですよ。
836 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/24(金) 16:05:11
祈祷や現世利益と言うが、自分の欲望を欲しいままに叶える教えや儀式など
真宗を除く一般仏教にもそもそも有りはしない。
大は国家安泰・万民豊楽から小は心願成就まで、諸仏・諸菩薩・諸天がこの信心の仏道者を
守護くださいますようにという形を取っているはずである。
838 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/24(金) 16:36:40
で、それがちゃ〜んと信者さんに伝わってますか?
そうでなけりゃ、ただの建前論にしかならないと思いますがね。
839 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/24(金) 16:51:55
>>838 建前論というか・・・苦しい言い訳にしかならないでしょうね。
ご利益と聞いて、一般の人たちが思い浮かべるものと、本来の正意の差異を認識した上で
、僧侶側が確信犯的にやっているとしたら、それこそ問題ではないですかね。
840 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/24(金) 16:57:14
>>839 引導も渡せると思っているんだから、確信犯を通り越しているんジャマイカ?
>>835 いやがらせだろうね、性格悪そう。
例の、浄土宗の真宗に対するひがみ?
842 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/24(金) 22:03:28
相当な負けず嫌いなんですよ。
843 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/24(金) 22:20:01
でも、一般人からカネ獲るには通仏教の方が便利だからな。
844 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/24(金) 22:42:50
>>841 ダメスレの方でも別系統の連中が屯しているね。
特定の日にレスが集中するから実に分かりやすい。
845 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/24(金) 22:49:28
>>844 親鸞の人格攻撃のようですね。
さすがは程度の低い連中です。
846 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/24(金) 22:59:04
もうそろそろ輪廻について真宗の僧侶のかたも本当の事というか真宗教学の観点から
おしえてあげたら良いのに。
847 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/24(金) 23:00:36
無いものは教えられない。
848 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/24(金) 23:02:26
そうだね。ついでに唯除の所をやさしく説いてあげて、さらにお経の言葉にとらわれている人に
視点が違う事を説いてあげたらいいのに。みんな意地がわるいな−。
850 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/24(金) 23:07:15
>>848 言葉に囚われている人は既に言葉そのものには触れていますからね。
むしろそちら側から何が疑問であるのかを投げ掛けないと。
学会員みたいに「みんな唯除されるのでたすからない」とかそういう話ですか?
疑問について住人で考えていくというのが筋でしょう。
851 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/24(金) 23:14:04
849のお方よそれは違うよ。お前さん完全に間違ってる。846は私こと真宗の副住職のそれがしの
書き込みである。言葉をよくみよ。真宗はボウズとかは言わず僧侶というのよ。
また真宗教学とか親鸞教学という言葉だけで龍谷真宗学科やなとわかるお方はわかるのよ。
849番よお前さんこそ誰や。真宗僧侶であるなら真宗僧侶しかしらん事でも書けよ。
学食のメニュ−でもいいぞ。樹心館でも顕心館の作りでも勤式でも伝道院の中の作りでも
何でもいいぜ。
852 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/24(金) 23:21:42
853 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/24(金) 23:49:11
お−い東大インド哲学や京大もあと行信や中仏、大谷専修も入れてくれ−。
それじゃまずわしからや。え−と龍谷の大宮の門はア−ムストロング社。これで
どうですかみなさん。
輪廻についてはまず最初に叩き台として、釈迦の輪廻の考え方は無明によってあるいは
愚痴によってまた無知によって起こるとおさえてますよね。当時のインドの五火説のように
死んだら霊魂が月にいって雨となり植物にはいり食べた人間等の精子になって生まれというような
実体的な生まれ変わり死にかわりのような実体的な輪廻転生じゃないと言うことだよ。
大乗仏教においても龍樹が無明に覆われたものは輪廻に導く三種の所行を行いそれらの業によって五趣におもむくと
いってるから、やはり基本は無明において輪廻があると言うことですね。またその五趣の地獄餓鬼畜生
人天も実体的に考えていないわけだ。
このあたりぐらいからあれこれ考えたらどうやねん。
創価が誹謗正法は救われないとネタにするとき、
正法、正しい教えとは日蓮の教えだから、
それに反する念仏の教えを信じる門徒は救われないとかの理屈じゃなかった?
855 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/25(土) 00:12:35
>>854 法蔵菩薩の第18願批判だったように思いますけどね。
856 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/25(土) 00:17:09
住職級の大先輩でしょうけどすみませんお手をとらせてしまって ここはひとつ
わたくしたち学部生1回生深草組下宿生にも投稿をゆるしてください。なにせ
はずかしながら未熟者学問中につき勘違いがただあるとは思いますがお許しください。
お経は月を指す指先という講義をうけました。お経の言葉じりをつかまえて
あれこれいうのは、指をみて月をみていないようなもの。大切なのは指先にある
月に気づくことだと習いました。第十八願の五逆罪と仏法を誹るものを除く文も
なぜそこにあるのか、仏の真意はなにかそういった観点からも考察がいるのではと
思っています。
857 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/25(土) 00:25:05
>>856 指月の譬ですね。
しかし、「月」自体が最も大事であることは分かりますが、その時、月を指そうとする人は誰ですか?
その方の意図するところは何ですか?
そういう問いも大事だと思いますけどね。
858 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/25(土) 00:41:07
856番1回生であります。ありがとうございます。月を真実なるものとか法、手はお釈迦様の説かれた教典
じゃないかとおもっております。きっとお釈迦様がお亡くなりになってその後在家信者から起こってきた運動により
大乗経典が成立する過程においてある意味自由に物語風にとかれながらも基本となる初期原始仏教の教えをちゃんととりいれたのでは
ないだろうかと先生はおっしゃってました。大乗経典を通して釈迦の教えに触れさらにその指し示す法にふれるということかなと
勝手におもっていますのですが。これ以上のことはまだならっとりません。
>>855 いろいろパターンがあるのですかね。
私が創価の人から言われたのは正法とは日蓮の教えで、
それを信じないのが誹謗正法だと習ったとのことでした。
まず、日蓮や池田大作は絶対真実だというところから論理が始まっていましたので、
話にも何もならなかったのを記憶しています。
後、善導は自殺したから、浄土教はだめだというのも、
創価の浄土教批判の根拠になっていたみたいですね。
まあ、あれは高僧伝の誤伝と脚色に基づいた的はずれですが。
860 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/25(土) 01:13:56
>>859 なるほど。
そういう攻め口もあるんですね。
>まず、日蓮や池田大作は絶対真実だというところから論理が始まっていましたので、
>話にも何もならなかったのを記憶しています。
おまえらは間違ってる!何故なら俺が正しいからだ!ですか。
確かに話にならないですね。
861 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/25(土) 01:20:05
>>859 パターンですね。
選択本願念仏は法華の否定だから、正法を誹謗している→十八願で往生できない
あとは、裟婆の釈尊ではなくよその浄土の仏に帰するのは、釈尊への裏切りだ。
862 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/25(土) 01:22:22
>>861 要するに『大経』自体が誹謗正法ってことですね(w
863 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/25(土) 01:23:32
>>861 >選択本願念仏は法華の否定
否定なのか?
864 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/25(土) 01:40:33
>>862 いえ。法華最高を信じている人が念仏すれば往生できる。
865 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/25(土) 01:46:11
>>863 いずれの行も及び難くてすいません・・・・という話なんですけどね。
866 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/25(土) 02:17:59
>>860 昭和30年代に学会と親鸞会が法論をやったことがあるでしょ、確か。
親鸞会が勝利宣言?したようだけど、調べてみるとそれすら「論点の噛み合わない」内容
だったのだとか。
>>864 けちゃっぷみたいな変なことを言うなよ。
868 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/25(土) 02:32:51
>>867 あの書き方はけちゃっぷ君と断定して良いでしょう。
彼は最近、行く先々で非難轟々の有様なので、時折、名無しで書き込むようにしているそうです。
>>868 このところやたら真宗系のスレで自論を展開しているな。
ところが、そもそもが浄土宗の中でも異端の上に、ほぼ意味が通じない
稚拙な例え話を交えてくるので厄介払いされている。
話が噛み合っているのを見たことがない。
>>869 話がかみ合ってないことに気がつかないのが問題。
自分だけわかったつもりで変なたとえを懲りずに書くなあ。
ああいうのが組内の住職だったら、うっとうしいだろうな。
871 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/25(土) 02:53:29
|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||
|| あらしは 。 ∧_∧ いいですね。
|| 無視! \ (゚Д゚,,)
||________⊂⊂ |
∧ ∧ ∧ ∧ ∧ ∧ | ̄ ̄ ̄ ̄|
( ∧ ∧ ( ∧ ∧ ( ∧ ∧ | |
〜(_( ∧ ∧ __( ∧ ∧__( ∧ ∧ ̄ ̄ ̄
〜(_( ∧ ∧_( ∧ ∧_( ∧ ∧ は〜い、先生。
〜(_( ,,)〜(_( ,,)〜(_( ,,)
〜(___ノ 〜(___ノ 〜(___ノ
>>872 そんな大層なものじゃないでしょう。
議論にもならないから無視でいいですね。
>>873 ですね。
が、突っ込みどころ満載なのでついついレスを入れてしまうw
875 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/25(土) 04:25:38
>>874 おいおい、それじゃあ敵さんのペースじゃねえかよ(w
876 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/25(土) 07:50:19
>>870 周りの住職さんを見渡してもあそこまで物分かりの悪い人はいないだろ?
ちなみに彼は西山派か?鎮西派か?
「往生するぞ」と念仏を繰り返して浄土に往生できるなら、それは自力の善行。
念仏できるか否かだけが往生の正因ならば、圧倒的多数は救われないことになる。
877 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/25(土) 08:47:25
>>876 口に「南無阿弥陀仏」と称えるのは往生のため。
意に「往生するぞ」を繰り返すのは、妄念を観照できるから。
878 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/25(土) 09:44:34
あの−割り込みすみませんが法華経で薬王菩薩のとこなんですけど
アミダ仏の極楽浄土に往生することを説いているんですが、その
法華経にアミダ仏浄土を説いているのにそのアミダを否定したら
法華経自体否定することになりませんか。それと法華経は大乗
菩薩道を説いたお経なんで要するに菩薩に説いたお経なんでしょ。
あの−私のような菩薩ではない人間というか普通の人間はこの法華経で
救われるのでしょうか。喩えはおかしいでしょうけどお経はすばらしく
法華経はロケットのような最新の技術満載なんですが私は運転が
出来ないんですが、あの−自転車だったらできるんですが。
この場合やっぱり自転車を選んじゃいますよ。
880 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/25(土) 10:09:20
881 :
けちゃっぷ:2006/02/25(土) 10:19:45
法華経は結局、「大パリニッバーナ経」の〈法の鏡〉の教えです。
三宝帰依→仏教万歳!です。
仏教万歳!とお三宝帰依の信仰で仏教徒になったら、遠い未来に必ず悟れます。
しかし、凡夫はなかなか悟れませんから、
悟りを早めるたの近道である往生極楽をめざすのがいい。
往生のためには念仏すればいい。
法華を捨てろというのは言いすぎでは?
882 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/25(土) 10:23:27
我々には弥陀だけあればいいのです。
883 :
けちゃっぷ:2006/02/25(土) 10:26:00
>>882 はい、ごもっともです。
ただ、法華信者にいたずらに法華を捨てろというのも、かわいそうな気が…
法華を信じていても信じていなくても、
念仏すれば往生できます。
884 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/25(土) 10:28:05
>>879 最近は様子見で名無しで書き込むそうです。
何度否定されても、頑なに持論にこだわる。
何かもう哀れですね。
885 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/25(土) 10:31:30
しかも、自作自演まで覚えたらしいなwww
886 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/25(土) 10:35:09
>885 けちゃっぷとして書く時は、けちゃっぷが勝手に考えたネタです。
名無しで書く時は、ネタではなくて単に知ってることを書く場合や、
普通のことを書く場合です。
887 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/25(土) 10:37:55
あ、そういう受け取りはしてもらえないから。
ここでは単なる自作自演にしかならない。
残念だったな。
889 :
けちゃっぷ:2006/02/25(土) 10:39:50
890 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/25(土) 10:44:03
>>886 要するに「けちゃっぷ」の言うことは全て「ネタ」だそうです。
892 :
けちゃっぷ:2006/02/25(土) 11:17:20
すくなくとも、檀家さんにはネタはしゃべりません。
>>892 どうでもいいです、そんなことは。
せいぜいネタ話で数少ない檀家を惑わせてください。
>>893 若者の人気取りのためには、念仏を捨てて瞑想を全面に押し出すべき、というのが彼の持論のようです。
方便と前置きすれば「何でもあり」の浄土宗らしい発想ですね。
その宗風が法念さんの専修念仏と似て非なるものを体系づけてきたのでしょう。
その性癖がよく分かるような気がします。
895 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/25(土) 12:20:05
うむうむ問題はそこや。いくら教えがすばらしくても自分がそのお経の説かれていることを出来るかどうかが問題。
仏説はどれもすばらしいんだけど自分がその道を歩むとなるとどの道を上るか選ぶわけやね。
そこに選択ということがあるのよね。だから自分の選んだ道は大無量寿経なんだけど他の経はわたしにとって出来ないのだからね。
難しくてできないんだから軽視しませんよ。
896 :
けちゃっぷ:2006/02/25(土) 12:28:00
>>886 > >885 けちゃっぷとして書く時は、けちゃっぷが勝手に考えたネタです。
> 名無しで書く時は、ネタではなくて単に知ってることを書く場合や、
> 普通のことを書く場合です。
君が、「単に知っていること」や「普通のこと」と考えることに、
既に、君の先入観や誤解や、勝手な理解が入っている。
浄土宗けちゃ派では普通のことでも、真宗では普通でないということ、
それすらも理解できずに、自分の浄土宗を真宗スレに書き込むのは迷惑。
浄土宗では真仮偽の区別は付けないようだな。
何でもありの通仏教というのは通俗仏教ということなんだな。
ですね。
しかも、彼お得意の「往生するぞ」も真宗側ではまず認められないし、文法・語法上の
誤りも指摘されているわけですし。
これ以上、彼が何を言っても通用しないとおもいますけどね。
>>898 結果、祖師が言ってもいないことまで、拡大解釈されて教義化されるのでしょう。
901 :
けちゃっぷ:2006/02/25(土) 12:41:29
釈尊の出世の本懐は、念仏を説くことだった。
その他の行を説かれたのは、相手の機にしたがって説いただけであり、
釈尊が本心から説きたかったのは念仏。
…と考えられていますが…。
真宗では、大乗非仏説をどう克服してるの?
>>899 自力の念仏でいいんじゃねえの?浄土宗の場合は。
生きること自体が自力の為せる業なんだし、その延長で「ボク、頑張るから助けてチョ!本願!」で
通用しそうだしな。
努力自体を否定するモンじゃない。
ただ、浄土真宗のそれとはまず相容れないだろうから、ここで論を展開しても無意味。
ここまでのリアクションがそれを物語ってる。
>>900 若い衆に受け入れてもらったり、他と差別化するためにはちょっとばかり方便を利かせないとな。
最後に「南無阿弥陀仏」と言えれば人生OKなんだから、その手前側では何してたっていいんだよ。
>>903 一回でも念仏すれば、それで呪文の効果はあるから、浄土往生確約。
死亡時には念仏保険に入っているから安心して、
この世では現世利益求めて加持祈祷しても、法華経信じようと、
神さんにお願いしようと、何でもありというのは気楽なもんだな。
真宗が一番大事にしている部分が、浄土宗とは大きく異なるのだから、
話がかみあうわけはない。
いいかげんに、うっとうしいアラシはやめて欲しいなあ、けちゃっぷは。
905 :
けちゃっぷ:2006/02/25(土) 13:32:28
仏の慈悲は、極楽往生のように平等無差別です。まるで極楽に往生できるほどに、幸せなのです。
南無阿弥陀仏そのものが、幸せ。簡単で易しい。幸せは、そこにあります。無条件にある。
906 :
けちゃっぷ:2006/02/25(土) 13:33:28
臨終来迎は確実なので、死の瞬間は断末魔の苦はありません。それを信じれば、死の恐怖はなくなります。
来迎・往生という未来への確信から、現在へと平安がダウンロードされます。
>>904 言ってるそばから・・・という感じですが。
908 :
けちゃっぷ:2006/02/25(土) 13:39:11
>>905 >906は偽けちゃっぷですが、真似が上手なのでまぁ許す。
印度哲学やると必ず大乗非仏説にこだわるって傾向があるな。
まあ、当然と言えば当然か。
しかし、いかなる大乗経典もどう頑張ったところで釈迦の死後200年以上が経過してから作られている
わけで、「大乗の教えは釈迦の直言ではない」なんてことは至極当然。
が、大乗仏教側は必ず「釈迦の真意は大乗にある」と切り帰してくる。
これも当然のことで、こういうプロセスを否定してしまうと、教祖の死後に経典が出来上がっていく宗教、
少なくとも世界三大宗教などは総じて存在し得ないことになる。
>>905-906 相変わらず、訳の分からないことを言う。
しかも、真宗スレを荒らしながら。
その自覚すらないようだが。
911 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/25(土) 13:47:52
>>908 トリップ付けて、サッサと立ち退いて下さい。
いい加減に迷惑です。
>>902 浄土宗では念仏じたいが他力だから、その念仏の上に自力・他力の区別をやかましくしないということですね。
修行するのは自分、されるのは他力の念仏ということでしょうね。
念仏に自力・他力の区別をすればその分かれ目は信心になりますから、これはけっきょく往生の正因を
念仏ではなく信心とする立場ですね。行者が念仏を行ずるのではなく、すべて阿弥陀仏が行じてくださったものを
ただ受け取るだけだと信じるこれがつまり真宗義ですね。
913 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/25(土) 13:50:11
>>904 浄土宗は寛容ですからね。
加持祈祷もOK、法華経信じても全然OK、神社にお参りしてもOK。
最終的には「念仏もイラネ」と言い出してくるのではないでしょうかw
>>912 >修行するのは自分、されるのは他力の念仏ということでしょうね。
往生際の悪さ丸出しって感じだね。ただの仏智疑惑にもなりかねない。
判断基準はどこまでも自分だし。
それで「う〜ん、今日の念仏はなかなか上手くいったな。明日も往生するぞ!」と。
>けっきょく往生の正因を念仏ではなく信心とする立場ですね。行者が念仏を行ずるのではなく、
>すべて阿弥陀仏が行じてくださったものを ただ受け取るだけだと信じるこれがつまり真宗義ですね。
真の凡愚はここまでやっていただかないとダメ。それが一向義。
「ホント、すいません・・・何から何まで」と頭ボリボリ掻きながら感謝する以外にはない。
915 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/25(土) 13:58:10
もうダメぽ・・・・
>>916 乙です。
テンプレートが元に戻ってますね。
918 :
けちゃっぷ:2006/02/25(土) 14:22:13
>>914 判断基準は、口から念仏が出たという既成事実です。
>>918 と判断しているのはおまえじゃねえかよ。
920 :
けちゃっぷ:2006/02/25(土) 14:26:03
>>919 なぜ、信じなくても念仏しなくても死んだらみんな往生できる、
という教えじゃないのでしょう?
>>914 自己の在り様を懺悔できれば、他者も同じように苦しんでいるのだということが分かりますからね。
自分で自分を律することには限界があります。
922 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/25(土) 14:30:49
>>921 本当はね。
同じ苦を背負っているから優しくなれるのに。
逆になっているように思います。
>>922 確かに労わりとか優しさがないですね。
そういうものが人を甘やかすという思い込みでもあるんでしょうかね。
それが今の真宗をどこかギスギスしたものにしているというか、そんな気がします。
>>920 生きることを丸ごと引き受けられないものが、死ぬことを引き受けられるか?
そんなことも分からんのか?
926 :
けちゃっぷ:2006/02/25(土) 15:10:54
>>925 往生できることを判断するのが自分じゃなんでしょ?
ならば、本人が教えを知る必要もないじゃないですか。
次のテンプレートでもそうだけれど、
「真宗は○○してはいけない」というの強調されすぎじゃないですか。
短絡的な理解をする活動家などが、あれダメ、これダメと言うのじゃないかと思うけど、
それって方向性が違うように思うな。
例えば、真宗は先祖供養をしては「いけない」と実際に書いてあるのはどこにある?
928 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/25(土) 20:16:44
>>928 でも、歎異抄のあれは、「先祖供養をしてはいけない」と言っているわけじゃないでしょ。
「親鸞は父母の孝養のために念仏を称えたことはない」ということで、
念仏を自力作善の追善供養の道具として使うことは、念仏の意味を間違っているということと、
自分の親だけを考えるのでなく、命のつながりを考えるべきだという話ですね。
でも、すべての人を対象にするのは無理だから、まずは「有縁を度す」と言っているから、
法事をしたりすることが「いけないこと」とまで言うのは、ちょっと短絡的だと思うな。
親鸞聖人の33回忌は孫の覚恵が勤めていますね。
法然上人の法事を親鸞聖人が勤めたというようなことを聞いたように思いますが、
そういう資料がありました?
931 :
ごんべさん:2006/02/25(土) 22:23:03
あんまり荒らしは見られないなあ、けちゃっぷは結構、研究熱心だよ。
>>931 おやおや、また変なのがわいてきた。
浄土宗けちゃ派の援軍ですか・・・
浄土宗の人間には何が問題なのか理解出来ないだろうな。
933 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/25(土) 22:27:20
松山憲隆
934 :
ごんべさん:2006/02/25(土) 22:40:11
まあいいでしょう。けちゃも、たまには他のスレに遊びにいきたかった
んだろう。ここで、引き取っておきましょう。
935 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/26(日) 00:30:47
>>930 「供養をしたい」と思う人たちの心情を聞くということが大前提でしょう。
それをせずに、ただ一方的に断を下すだけというのは感心しませんね。
浄土系の異端君ではないけど、真宗の基本姿勢はなかなか理解できるものではないですし、
逆に誤解を招いたら、修正は用意ではないですから。
>>934 わざわざご苦労さまです。よろしくお願いします。
真宗にも変なのがいなくはないが、
あそこまでしつこいのは、さすがにいないですね。
937 :
けちゃっぷ:2006/02/26(日) 01:20:21
名無しだから目立たないだけでしょう…他の変な人は。
938 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/26(日) 06:13:06
>>929 日本の葬式や法事の仕方はほとんど儒教から来ていると儒教の入門本には書いてありますね。
孔子さんは元々儒家(葬式屋)の息子だそうで。
何時の頃か仏教と繋がったんでしょう。(中国でも日本でも)
そもそも、お釈迦様はじめ出家者は親兄弟妻子などを捨てて家出しているから先祖供養など出来ないでしょう。
キリストにも同じ事が言えるようですね。
939 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/26(日) 11:24:14
龍谷1回生であります。授業では葬儀の原点は大はつ涅槃教にお釈迦様の葬儀をどのようにしたらいいのか
という質問に対して輪転王のごとくといわれそれに従って釈迦を荼毘にして、また今の紙華や一輪挿しなど
様子をいまに伝えていると習っております。またその後の釈迦の供養の仕方を説かれており、その一部が
今に法事の様な形で伝わっているとならいました。
940 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/26(日) 14:47:46
>>838 先祖の受け止め方というのはあるでしょうね。
自分が身を以て生まれるということに対するあらゆる因果関係は、
厳然としてそこに存在するわけですし。
941 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/26(日) 15:01:05
>>935 バッサリ斬って捨てて「それが真宗ですから」
という僧侶が大杉。
942 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/26(日) 15:13:21
>>941 その方が楽だから。
相手の側に立場を置く必要もないし、といって「すべきことはした」つもりになれるし。
943 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/26(日) 15:27:42
マニュアル禿
944 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/26(日) 16:08:55
本山は哲学だし、門徒は先祖供養だし、坊主はどういうスタンスで
やればいいのか、困ってないのか?
946 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/26(日) 16:40:49
>>945 本山、本山と言ってもね……。
真宗のように、僧侶・門徒個々がいかにして本願に出遇うかを説いている一門が、
御家大事とも言えるようなことをやっていてどうするのよ。
947 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/26(日) 16:42:25
本質は親鸞一家を家元とする読経芸能ですから。
948 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/26(日) 16:44:17
>>947 その程度ならば、本山なんて用が無いので離脱しますよ。
949 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/26(日) 16:50:24
去る者は追わず
950 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/26(日) 16:53:30
数百門徒の大半も行動を共にすると思いますけど、大した減収にはならないと
思いますのでよろしく。
951 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/26(日) 17:43:01
952 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/26(日) 17:50:47
大谷派は雇われ門首だしな。
しかし、それ以外の諸派には当てはまらないことになる。
953 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/26(日) 18:18:23
両本願寺以外は眼中にありません。
>>953 そもそもここは両本願寺系以外が主として取り扱われるスレなんだが?
>>954 たまに浄土宗系の変な人が荒らしていきますけどね。
956 :
転載:2006/02/26(日) 19:24:30
708 名前:名無しさん@京都板じゃないよ :2006/02/26(日) 19:22:17
>>703 何故そんなにも信に偏るのか。
親鸞が法然に反しないのであれば
信行不二にも反した事は
伝法しないのでは?
一枚起證文は真宗では
拝読されてはいないのだろうか。
大体、信のみにて往生を遂げるのも
法然は誤りとしているのに
成仏まで至るというのは
仏典のどこをどう解釈すれば
そのような解に至るのか。真宗にだけ通用する理屈ではなく
誰にでも通じるように説明して頂きたい。
957 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/26(日) 19:27:45
真宗は仏教ではないから。以上。
958 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/26(日) 19:29:43
>>957 おまえか。
711 名前:名無しさん@京都板じゃないよ :2006/02/26(日) 19:26:46
>>708 阿呆っ、法然上人の言う通りしたら、真宗が仏教になってまうやんけ!!
959 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/26(日) 19:35:18
>>956 >信のみにて往生を遂げるのも
では聞こう。往生の「正因」とは何か?
960 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/26(日) 20:01:02
>>959 その定義自体がもはや両教団で噛み合ってないんですよ。
浄土真宗における「往生」とは「信心決定」において私の内に確かめられるわけでしょう。
如来の本願大悲(=大信心)のことを「信心」として、それに対する憶念の信(=個々の信心)を
「決定」としているわけで。
私の上に往生が成り立つのは、如来の本願大悲(=大信心)のおかげであって、私はそれに
ただ頷き、憶念(個々の信心)するだけなのです、という構造ですからね。
『歎異抄』にそのことを求めれば、
「弥陀の誓願不思議にたすけられまいらせて、往生をばとぐるなりと信じて、念仏まうさんとおも
ひたつたこゝろのをこるとき、すなはち摂取不捨の利益にあづけしめたまふなり」
となるわけですが、この「念仏まうさんとおもひたつたこゝろのをこるとき」には既に救われている
(=摂取不捨の利益にあづかる)という考え方ですね。
「をこるとき」の次の瞬間に我々は称名しているわけですが、結果、それは賛嘆として称名念仏
であるということになりますね。
では、如来の本願大悲とは何か?それは「行」そのもの、すなわち「名号」ということです。
ここに五劫思惟の願、その万徳が満ちていると考えるわけです。
>>960 俺たちにはもの凄く分かる話なんだけど、多分それでも伝わらないと思うよ。
おそらくだけど、「行」は与えられるもの、という感覚が分からないはず。
>>961 そのあたりの親鸞の「深さ」というのが理解できるかどうかの問題でしょうね。
963 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/26(日) 20:28:43
>>962 救いたまえ!と念仏行に明け暮れる生活ができる人ってどれだけいるんでしょうね?
兼職ですけど、仕事中に念仏をしていたらお客さんドン引きですって(w
964 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/26(日) 20:45:05
>>963 だめだなあそういう時は頭使って
周りに気づかれないように中国語で
オミ〜トフォ って早口で三回言えば無問題
966 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/26(日) 21:41:44
>>964 そんなモンですかね。じゃ、トイレとか行く時にやってみましょう(w
968 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/26(日) 23:36:40
釈迦は4つの人については死後に墓をつくって花,香をささげ礼拝せよといってる。
4つの人とはブッタと一人で悟りを開いた人とブッタの教えをきいて実行する人、
世界を支配する帝王の4つに属する人は墓をつくり礼拝せよというわけ。
すると礼拝した人は心が静まり天の善い世界に生まれるというわけ。
969 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/26(日) 23:58:54
>>967 工エエェェ(´д`)ェェエエ工 「往生するぞ」と念仏すると往生するんじゃないのぉ〜????
971 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/27(月) 00:16:24
>>967 今やすっかり「おまじない」になってますねぇ・・・念仏。
歩いても、とどまっても、座っても、横になっても、
その立ち振る舞いのすべてが、
ナムの一言さえ発さずとも、南無阿弥陀仏になっている。
これを本当に念仏の人という。
例の浄土宗のオカルト坊さんは、
混乱をもたらす疫病神のようですね。
まあ、彼にとっては疫病神も神さんだから拝むんでしょうが・・・
ホントいいかげんにしてほしいですね。
975 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/27(月) 00:47:15
でも、真宗は基本が違っているような気がする。
976 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/27(月) 01:26:14
>>967 別に中国語読みでもいいと思うけどね
善導さんは中国語で念仏しただろうし
>>972 南無には特別の意味がある
浄土宗は知らんが少なくとも真宗は見出している
南無が無ければ、単なる呪文になる。
浄土宗なら、それでいいんだろうが・・
979 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/27(月) 01:43:03
980 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/27(月) 02:13:22
そりゃ納品書と領収書が二枚一組になっているって事よ。どこかに書き込みしてあった。
それに念仏をとなえるっていっても親鸞は唱っていう字じゃなく称っていう字を
使ってるやん。唱っていう字だったら口でなんまんだぶと唱える事だけど称の字の
意味は違ってくる。現に親鸞は横にわざわざふりがなをうってハカリって書いてるやんか。
そうなると口で唱えるというより聞という意味の方強くなるね。おそらく親鸞にとって
念仏は聞名という意味があったんだろうね。結論としては念仏を称える、あるいは申すというのは
念仏を聞く、聴聞する、ということだったんだろう。
981 :
972:2006/02/27(月) 02:20:40
ナムアミダブツととなえさえすれば、それで念仏と思っているようだが!(では聾唖の人はどうなるのか?)
人はたとえ偈文の一つ、念仏の一声さえとなえずとも、全身立ち振る舞いナムアミダブツになれば、
これこそ本当のお念仏ということだ!
となえる自分も忘れ、となえられる六字も忘れ、ただナムアミダブツに成り切る。
するとあら不思議や、死を待つまでもなく、現今に往生である!
982 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/27(月) 02:22:29
983 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/27(月) 02:50:20
ところがこの信が難中の難なんだ。これにすぎたるはなしって言ってる。
念仏の教えを信じろ。易行道だといっておきながら難中の難というわけ。凡夫は信じられないのよ。
信じるってことはどうゆう事で信じた人間はこうなると言うことを親鸞は本典の信の巻でとくわけ。
で最後に悲しきかな−−愛欲の広海に名利の大山に迷惑するはずべしいたむべしと
信じるどころか教えを聞いても信じられず教えに背いている自分だというわけね。
要は18願の唯除の存在の自分であるというわけ。そこでそれじゃこの信じられない唯除5逆誹謗正法の
人間はどうなるんだと親鸞は考えたんだよ。親鸞や法然はこの唯除の自分を見いだしたわけ。だから
自らグチの法然といったり愚禿釈親鸞といっておろかなとかバカなって名前の前についてるだろ。
よってこの信じることの出来ない唯除の5逆罪や誹謗罪の人間がどうやって救われていくのか明らかにしなくてはいけないのよ。
984 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/27(月) 03:07:35
985 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/27(月) 03:48:17
>>983 「誠に知りぬ。悲しきかな、愚禿鸞、愛欲の広海に沈没し、名利の太山に迷惑して、定聚の数
に入ることを喜ばず、真証の証に近づくことを快しまざることを、恥ずべし、傷むべし、と」ですね。
これについて『歎異抄』に言葉を求めれば、第九章でしょうか。
ここでは第八章までとは打って変わり、親鸞さんが自分自身の人間存在というか、等身大の
事実から開いていく内容を唯円が書き留めていくわけです。
それはもはや学問や論理的追求ではなく、自身に踏み込んでいますね。
986 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/27(月) 03:49:23
「仏かねてしろしめして、煩悩具足の凡夫とおおせられたること」であると前置きしたうえで、
「他力の悲願は、かくのごときのわれら(=五逆・謗法)がためなり」とする。
すなわち「煩悩の所為」の前にどうにも抗し得ない我ら、ということです。
「久遠劫よりいままで流転せる苦悩の旧里はすてがたく、いまだうまれざる安養の浄土はこい
しからずそうろう」というくらいに煩悩は深いものであるが、その深さ故に、如来は大悲の本願
を起こさずにはおれなかった、わけですね。
「恥ずべし、傷むべし」こそ親鸞さん自身の表白ですよね。そこに「真証」があったわけです。
煩悩を恥じ、痛み入り、悲しむところ、すなわち「たすからない身である」という絶望が、転じて
如来の大悲であったのだ、という開き方ではないかと。
自身を「たすからない身である」と阿弥陀如来の大信心の前に投げ出してみたら、大悲という
着地点がそこにあったということですね。
987 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/27(月) 03:59:14
>>980 「私が捨てた念仏を喜んで拾う者がいる」という妙好人・庄松の話を思い浮かべますね。
989 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/27(月) 05:38:19
誰も信によって成仏する事については
説明しないんですね。
990 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/27(月) 08:02:34
>>989 あんた、成仏したいの?
あんたなら、どうやって成仏する?
991 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/27(月) 08:37:18
糞みたいな理屈の結果が葬式坊主と。。。
992 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/27(月) 09:15:53
>>991 どうやったら成仏できるのかを、自分なりに考えることも必要では?
人に聞いて、文句垂れてるだけじゃ能がないでしょ。
993 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/27(月) 09:35:49
>>991 創価さん、糞みたいにキレがない突っ込みだな。
994 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/27(月) 11:16:34
理屈ではないのよ。理屈を超えたところにあるんだよ。それから真宗は出家じゃ
ないんだよ。在家なんだな。聖もしくは非僧非俗なんだよ。親鸞は法然からそこを
習ったんだよ。1つは選択という取捨のこと。選び取るということはそれによって
何を捨てるのかということね。もう一つは肝心なのは念仏できるかということであって
妻をめとって念仏がでるなら妻をめとればいいし、家にすんで念仏がでないのなら出家すれば
いいし、要は念仏出来ることが肝要なんだぜってことを
教えてもらったんだ。一遍さんなんか念仏に上、中、下の三つあるといってる。下の念仏者は
妻子をもたず家ももたず、すべて捨てないと念仏が相続できないもの、中は家があってそこに定住
して念仏が相続できるもの、上の念仏者は妻をもち家をもち日々生活する在家の中にあって念仏出来る者なんだよ。
よく考えてみろよ。出家して念仏していくのより在家の生活にあって念仏相続の方がはるかに
難しいのよ。一遍にとって親鸞はそれができる念仏者だったんだ。在家の生活の中で念仏を相続していくというか
その道を歩んでいくから念仏の行者というのよ。
995 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/27(月) 11:24:16
念仏は分かったけど、成仏はどうなったのさ。
996 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/27(月) 11:26:24
もう善いじゃん梅。
997 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/27(月) 11:27:37
ちぎに・・・じゃなくて、
次に移動梅。
998 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/27(月) 11:28:20
成仏・・・勝手にするさ梅。
999 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/27(月) 11:29:09
もうどうでもいいや梅。
1000 :
妖輝緋 ◆Tyn2tfw0AU :2006/02/27(月) 11:29:13
1000げっとぉ!
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。