1 :
名無しさん@京都板じゃないよ:
続きをどうぞ。
2 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/14(木) 02:53:37
GET2
3 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/14(木) 03:07:03
二宗教師って痛い奴だな。状況倫理といってるが、神学がその前提としているものに行き着いていない。
それ以前に「絶対悪」という先取はこの場合認められない。説明は省く。本人がわかっているだろうから。
4 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/14(木) 04:36:37
死ゲッ
6 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/14(木) 08:45:19
横槍です。
>なるほど、思考の中だけで操作される抽象化された概念としてなら、
>殺人を絶対の悪と呼ぼうがそれは構わないでしょう。
>しかし行為者から切り離された行為それ自体の善悪を問題にするにしろ、
>今度は殺人それ自体を絶対の悪だと呼ぶ
>その根拠はいったい何なのか、
>理由はなくダメだおいうのは何故かという疑問が起こる。
>無限後退です。
抽象化された概念というのが解りません。観念のことですか?倫理学をしたというのなら、言葉の用法に
注意を払ってください。また無限後退に陥る方向へ筋を置き換える理由もわかりません。喧嘩論法なら。。
わざわざ虚偽論を使わなくてもいいと思うのですが、その方向は二律背反に陥り、結局は自滅してしまい
ますよ。
自殺・殺人の定義も拡張させておいて、それを個別事象から原則を批判するような論法は古今東西繰り
返されました。ですが、あなたのは露骨過ぎます。殺人は悪です。しかしすべての殺人は悪なのか、どうかを考慮
する段階はその原則の次にあります。「殺人は悪」と言う前提の上にあるのです。たとえ個別事象の一つ
が悪でないと認定されてもその原則は崩れません。その原則を取り払った主張には嫌悪感すら覚えます。
更にその次に、では悪とは何かとか善とは何かを語る段階があり、それは原則を再考するときの判断基準
として熟成され、発展純化するのです。順番を間違ってはいけません。
>であるなら行為を絶対悪とは言えず、相対的に悪と判断できるのみとなる。
>仏教にはそれを常に観察する、考えていこうという宗教的な要素もあるはずです。
絶対相対と言う対立で話が始まったわけではなく「原則悪」と言う意味で絶対悪が語られました。
文脈を無視してその絶対に相対をくっつけたのがあなたの論法なのですね。ですからこれは
結論として却下です。あなたのその論法、三吉さんですか?
7 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/14(木) 12:03:20
三吉さんは一宗教師が電波だと思っていない?おおはずれだと思う。
文調も論理展開も全く違うものだ。三吉さんは
>>6の指摘とおりの拡張論点置換論法を
よく使う。かなり出力を絞っているが、電波はむしろ
>>6の方かな。
でも面白いね。悪のとらえ方が議論に上るなんて。
8 :
けちゃっぷ:2005/04/14(木) 12:21:17
「悪」という概念が人それぞれなので、抽象的な議論には意味がない気がしますね。原因があって結果がある、ただそれだけです。結果を変えたいなら原因となる行動を変えればいい。善悪ではなく、好き嫌いの問題です。
9 :
けちゃっぷ:2005/04/14(木) 12:26:52
殺人を犯した場合に何を得て何を失うのか、じゃあ殺人を犯すかやめておくか、好き嫌いで選択するしかない。しかし凡夫は後先考えず行動してしまい、自分の行動の報いに後になって愚痴をこぼすわけですが。
仏教で「悪」と呼ばれる行動は、あとで還ってくる報いが割りに合わない危険性が高い行動です。やらない方が結果的には自分のためになることが「悪」なわけですね。
11 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/14(木) 12:33:16
けちゃっぷさん。あなたはこの議論に参加しないほうがいい。
>11 抽象的な議論ではなく、具体的な人生の問題に議論がもどればありがたいなと思いまして。
一宗教師さんが「殺人は悪」とおっしゃってるのは、実のところ「殺人は嫌い」という好き嫌い、つまりご自身の欲を表しているのでしょう。いくら議論しても嫌いなものは嫌いなんだから仕方ない。
14 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/14(木) 12:49:36
結 論 : 浄 土 宗 は カ ル ト 教 団
15 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/14(木) 12:50:23
_人人人人人人人人人人人人人人_
> な なんだってー!! <
 ̄^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^ ̄
_,,.-‐-..,,_ _,,..--v--..,_
/ `''.v'ν Σ´ `、_,.-'""`´""ヽ
i' / ̄""''--i 7 | ,.イi,i,i,、 、,、 Σ ヽ
. !ヘ /‐- 、u. |' |ノ-、 ' ` `,_` | /i'i^iヘ、 ,、、 |
|'' !゙ i.oニ'ー'〈ュニ! iiヽ~oj.`'<_o.7 !'.__ ' ' ``_,,....、 .|
. ,`| u ..ゝ! ‖ .j (} 'o〉 `''o'ヽ |',`i
_,,..-<:::::\ (二> / ! _`-っ / | 7  ̄ u |i'/
. |、 \:::::\ '' / \ '' /〃.ヽ `''⊃ , 'v>、
!、\ \. , ̄ γ/| ̄ 〃 \二-‐' //`
16 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/14(木) 12:51:50
結 論 : 真 言 宗 は カ ル ト 教 団
17 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/14(木) 12:52:23
浄土教自体抽象的なのに、具体的なものすべてにそくせるわけがない。
18 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/14(木) 12:52:58
iiiiiiiiiiiiiiiiiii彡≡≡≡≡|≡ミミヾ丶
iiiiiiiiiiiiiiiiiiii/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ミiiiiiヽ
iiiiiiiiiiiiiiiiii/ \iiiiiiiゞ
iiiiiiiiiiii/ \iiヽ
iiiiiiiiiiiiiii《 ━━━'/ ヽ━━━ ヽミヽ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
...iiiiiiiiii彡/ __,.:: :: __ ヽiiiii| < 往生するぞ〜往生するぞ〜往生するぞ〜
..iiiiiiiiiiiii》| ::: |iiiii| \_________
iiiiiiiiiiiiiiii|, |iii|
..iiiiiiiiiiiiiiiiii, ( ● ● ) .|iiii|
iiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiii 》━━━━《 |iiiii|
iiiiiiiiiiiiiii《《《ヽ 》 / ̄ ̄\ 《 |iiiiiiii|
iiiiiiiii《《《《《《《《 《《 \ ̄ ̄/ 》》 |iiiiiiiiiii|
iiiiiiiiiiii《《《《《《《《《《《 》》  ̄ ̄ 《《 》》》》》iiiii|
iiiiiiiiii《《《《《《《《《《《《《《《《《《《《》》》》》》》》》》》》》》iii|
19 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/14(木) 13:01:16
___ ,-────-、 |
/ ` \ | みなさーん
/ヾ ヾ .,! !,,!_´,,//_// ヽ| 往生してますかーーーっ!
/=/`''~~ /彡- |\
|=.| 二 | 三- | \______
ヽ| ── \三- |
| ヽ ,, 、ー ̄ \ |
/ / \ |=/\- (
| / |/ / ,,|
| ( 。つ\ ノ ||
.| / 丶ー ヽ | |
| /____」 | ! ! .|
| |/ / / ノノノノ
| |__/ // /\_
//⌒丶 -─ / /≒/
( ヘ )____/_ノ /≒ /≒
/ /-' /≒ / ≒
/ ̄ ̄\_____/ ≒, / ≒≒
1969 アメリカ チャールズマンソン
1978 ガイアナ 人民寺院
1986 日本 真理の友教会
1993 アメリカ ブランチダヴィディアンズ
1994 スイス 太陽寺院教団
1995 日本 オウム真理教
1997 アメリカ ヘブンズゲート
1999 日本 ライフスペース
2000 ウガンダ 神の十戒回復運動
2005 日本
21 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/14(木) 16:40:15
司馬遼太郎さんは法然上人を敬慕してたんだ。
22 :
一宗教師:2005/04/14(木) 18:39:11
>6
二宗教師さんが詭弁やすり替えをそうとは思わずに使っているのか、わざと使っているのかはわかりませんが、
明快なご指摘、ありがとうございます。
>二宗教師さん
単なる概念としての「行為」をいっているのではありません。そんなものは痛くもかゆくもない。
せいぜい人をいらだたせるのに役立つぐらいなものです。殺人という概念は殺人行為ではありません。
安楽死事件をいくつか見てみると、手を下したご本人には同情するしかないという事例が
多々あります。二宗教師さんの仰ることはその限りで理解できます。
ただし、そういう場合でも行為自体が殺人という究極の悪行であることには違いがなく、だからこそ
殺人の当事者に限りない苦しみが生じてくるわけです。仮に当事者にあなたは悪いことをしたわけではない、
と言ってあげたところでその苦しみが解消されることにはならないでしょう。
(苦しみを取除いてやったといけしゃぁしゃぁとぬかす奴は論外。戦争の英雄や地下鉄でサリンをまいた連中と同じです)
その苦しみを抱えている人を断罪するなど、とても私にはできない。
それが>953で申し上げたかったことであり、あなたがまったく理解できていないことの一つです。
ちなみに前スレの>964は二宗教師さんですか?
23 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/14(木) 23:19:17
みんな若いな
24 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/15(金) 14:17:12
>>17 これだから浄土教はダメなんだよ。
空想ごっこと先祖供養ばっかりやらずにちょっとは人助けしたら?
25 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/15(金) 14:50:37
>>24 人助けしないから浄土教なんですよ。
鎌倉時代からの伝統です。
26 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/15(金) 15:07:13
何の役にも立たない檀家参り禿と空想説教禿が大量に養われてるんだな。
こういう宗派はつぶれた方がいいわ
阿弥陀様のおかげで心が救われる人はたくさんいます。
28 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/15(金) 20:35:57
じいさんばあさん騙して金を巻き上げるのが仕事だもんな。
払った方も元を取らないといけないような気がして救われた気になってるだけだろ。
まあそんなこと通用する時代じゃなくなるけどな。
29 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/15(金) 22:54:48
>>28 本拠地が廃れて出張かい?
同じことばっかでつまんねえんだよ、アンタら。
>>26 まあ、電波男という離檀専門弁護士も排出したわけで、それだけでも十分だと思うが?
>28 騙してるつもりはないですが。
しかし僧侶の中には、あなたと同じことを言ってやりたいなと思う人もたまにいます。塔婆料を請求する僧侶とか見るとね。
32 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/16(土) 00:29:10
>>31 騙してるつもりはないから余計に深刻なんだよ。
禿本人は金取って経読んであげてじいさんばあさんにいいことしたと思ってる。
ちっとは騙してる自覚を持てよ
>>20 これって浄土宗が今年テロとか事件起こすかもってことかw?そういう兆しあるの?
>32 騙してるって思うのは、どういう点でですか?
だいたい、「金取って」とか言いますが、お布施は料金でもなければ請求するものでもありません。
35 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/16(土) 02:12:44
>>34 宗教なんて所詮、経済が絡んだ瞬間から詐欺ですからね。
お分かりですか?
お寺に対する悪いイメージが強いようですね。お寺は地域住民のツールです。町内会所有の集会所用地なんかも、町内会が法人を持ってないので、地元の寺の名前を使って登記したりしてます。
途中でやって来た住職よりも、先祖代々の檀家の方が寺とのつながりが強く、寺は地域共同体の一部なのです。
38 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/16(土) 02:48:18
>>37 それで世襲肯定ですか?弱いですね、理由として。
世襲については前スレで電波さんと議論しました。否定とか肯定とか以前に、現実に日本では世襲が一般化していて、すでに2代3代続いています。
40 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/16(土) 03:40:07
>>39 はぁ?
あれが議論か?
「不邪淫戒しか授かってないからOKです」と抜かして、その後はろくに反論もできずに
完全否定されてたじゃねえかよwww
もう忘れたのか?単純だな。
そもそも世襲が一般化してるなんて現状認識はどーでもいいんだよ。
詰まるところ浄土宗が不淫戒を不邪淫戒に置き換え、世襲を奨励してるだけ。それで
「戒を守ってます」とか抜かしてりゃ世話ねえな。
世襲は檀家も望んでることです。宗教法人(寺)自体が代表役員の世襲を望んでるんだから、しかたないじゃないですか。今の制度の中で念仏をいかに説いていくかが重要じゃないですかねぇ?
42 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/16(土) 03:49:06
>>41 相変わらずの詭弁だな。
じゃあ、何で電波やその他世襲反対の声があるんだ?
テメエの都合でモノ考えてるだけだろ。交代要員さえいりゃ誰でもいい。
思い上がってんじゃねえよ。
>>41 本来あるべき形から完全に逸れ、もはや現状の肯定以外に打つ手がないんですよ、結局。
だからこそ恥ずかしくもなく「檀家も望んでることです」と言う。
檀家がこう言っている、ということを外して、1人の出家僧侶としてその破戒行為をどう受け止めるかを
聞いてるんですよ、皆さんは。
年収30万円で在家出身者が住職に来てくれるでしょうか?いくら信仰があっても無茶なお願いですよ。
世襲禁止にしたら、確実に僧侶が減っていき、教団は衰退するでしょう。
45 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/16(土) 03:59:10
>>44 出たよwww
それで廃寺になるなら、サッサと近隣の寺院に統合されれりゃいい。
>43 自分自身、寺の世襲制のおかげでこの世に生を受けた身です。結婚に関しては罪悪感を持つのは難しいです。すくなくとも今の状況で世襲をなくせば、念仏の教えが衰退してしまう。それは避けたいです。
>>44 ならば檀家を増やすなり、互助的な体制を固めるなりすればいいでしょう。
兼職が条件でも構わない、という僧侶がいればお払い箱になってもいいということですね?
48 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/16(土) 04:06:42
じゃあ、テメエがそれを断ち切りゃいいだけじゃねえよwww
要するにセクースしてえんだろ?
テメエの性的欲求を「念仏の教えが衰退してしまう」なんて尤もらしい理由をつけて
肯定してるところが気に食わねえな。
>47 跡取りの代わりがいるのであれば、僕はもっと違った形で布教の道を探りたいです。寺に入る必要がなければ、父は親戚の会社を継いでいたはずだし、僕は借金してまで大学行かずに済んだでしょう。
50 :
けちゃっぷ:2005/04/16(土) 04:17:02
>48 逆です。世襲の必要がなくなれば、結婚せずにすみます。公務員なんかやめて、貧乏でもいいから布教師になって全国を歩きたいです。
寺にも経済格差がありすぎます。専業でやっていける寺なら布教師その他の資格も取りやすい。正直、僕自身今の浄土宗には不満だらけです。
52 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/16(土) 05:06:09
>>49 檀家30軒、年収30万円という寺なんだろ?
だったら葬式は年に1回あるかないか、法事も月1回あるかないかという程度のはずだ。
じゃあ、現存する30軒の檀家に対してどんな布教を心掛けてるんだ?
月1日程度寺務に従事すればいいなら、それ以外の29日間は都市部で布教活動でもすりゃいい。
53 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/16(土) 05:40:08
けちゃっぷ、雑魚は相手にするな。
54 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/16(土) 07:59:18
檀家30軒なら信徒はほとんど老人だらけだろうと思う。あといくばくもなく
その30軒が半分そしてまた半分になるのは、当然考えられる。
そんな田舎なら公務員か公共事業しか仕事がないから、若い人たちも出て行くし、
もうその土地自体魅力がないんじゃないか。
日本の寺の90%はこういった田舎の寺が支えてるけど、
もう経済環境悪化で存続すら難しくなってきてるので、自然淘汰されていく運命でしょう。
55 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/16(土) 13:46:15
56 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/17(日) 02:46:35
浄土宗が滅んで行きます。と涙ながされた
大本山のご法主がいらっしゃいました。
現状を詳しく認識されていたのでしょうね。
まぁ宗派が滅んだとしても阿弥陀仏の教えはまだ滅びないでしょうけど。
58 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/17(日) 12:18:43
>>57 おまえの寺も滅ぶからそれはそれでおめでたいな。
59 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/17(日) 14:22:40
追いつめられた浄土宗は自殺幇助のカルト化する危険性があるというのが前スレの結論
61 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/17(日) 14:53:30
開祖の中国人が新興宗教の教祖みたいな人だったというのは本当か?
62 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/17(日) 14:57:12
>61 善導大師のこと?強烈なカリスマであったのは想像できますね。戒を厳しく守り念仏三昧を発得された聖者です。そのような聖者には他力往生の救済は必要ないはずですが、人々に念仏を布教されました。
64 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/17(日) 15:13:19
公安に監視されてる寺とかある?
>54 田舎で作られた米や肉や野菜を食べてるくせに、田舎をバカにしてません?山や田畑がたくさんあるということは、工場が密集しているのと同じなのです。
66 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/17(日) 15:19:18
>64 そこまでカルト扱いされてるなら、僧侶が刑務所で勧誡の役を担ったりできないはずです。
69 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/17(日) 15:25:43
>>67 公安マークの禿がいたぞ。○×の赤△のヤツとか。
団塊の世代になると山ほどだ。
何も白根ーんだな。
70 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/17(日) 15:30:08
>>69 似非僧侶がそんなこと知るわけねーよwwwwww
>69 浄土宗自体がマークされてるわけじゃないでしょ?
72 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/17(日) 15:37:55
>>71 遠からず創価が教誨師の指定教団に入ります。
そうなれば浄土宗など簡単に排除されるでしょうね。
>72 学会って、ひと昔前までは拉致まがいの勧誘とかやってたカルトだったのにね。数の力ってすごいね。
74 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/17(日) 15:46:10
>>73 今や浄土宗などより民衆の支持を得てますけどね。
勿論、君の寺など簡単に飲み込まれるでしょう。
せいぜい頑張って下さい。
>74 学会も2代目3代目信者になると、既成宗派の檀家みたいに「うちの家は学会だから」というだけでなんとなく続けている人が増えてきます。
>>75 人様の批判をする前に、自分ところのど〜しようもない宗派と過疎寺の未来を心配しろよ。
77 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/17(日) 15:55:57
>>75 君の寺の檀家もそうなんでしょうね。
だから新興宗教に流れていく。
ただの拝み屋にならずに教えを説いていれば大丈夫ではないでしょうか。
79 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/17(日) 19:08:08
80 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/17(日) 19:12:47
>>78 ていうか、中国行って、「日本」仏教だと主張して
布教してこい!!!
墓があれば安泰でしょ。
82 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/17(日) 19:22:18
信仰のなかで墓があるんならいいけど、それを人質にしたり担保にしたりして
金をせびろうなんて、そんな方法これから通用しないと思いますよ。
いままでそれで通用してたからといって、
私たちにそんなあからさまな恫喝かけたら嫌悪感からすぐに引いちゃうと思いますよ。
やはり宗教家は私たちの行く正しい道を示してそれに対するお布施をいただく方向性こそが
望ましいんではないでしょうか。
83 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/17(日) 19:26:26
貧乏貧乏貧乏って坊主は言うけど、なんで他所の宗派から信徒を獲得しようとしないか不思議でたまらん。
江戸時代に檀家制度で信徒を永久的に保障されて布教の努力しないでも生きていける制度の残滓でしょうが、
このことがいまでも心理的に他所の寺の、
縄張りを荒らしてはならんというシバリが効いてるのかもね。
今の日本でこんな護送船団方式でやってちゃあ、いつかはポシャルよな。
10年前に大手都市銀行が10行以上あったけど、今4つくらいだし。
そろそろ檀家崩壊で仏教業界戦国時代が始まる予感あり。
84 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/17(日) 19:27:05
どこの宗教団体でも若い人たちに向けて積極的に布教宣教活動やってるけど、
既成仏教ではそんなことしても、日常の寄付やお布施に結びつかないからなあ。
20年〜30年後に両親が死ぬときまでお金が入ってこないシステムなんだから
情宣活動してもムダって意識はたしかにあると思う。
はたして数十年後にも死に対して坊主の出番が来ないってこともありうるわけだし。
積極的に布教するのは仏教らしくないとも思うけどね。
疑問があって道を学びたいと思う人に教えを説くのが本来の姿で
興味ない人間に説けば誤解を招いて返って混乱させる
新興宗教団体がカルト化しがちなのはそのためだと思う
特に浄土宗なんて誤解を招きやすい教義なんだし
より慎重であるべきなんじゃない?
それによって浄土宗教団が消えていくことになったとしても
それは時代の流れだから仕方ないと思うよ。
と浄土宗僧侶じゃない俺は他人事なので簡単に言ってのけますが・・w
86 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/17(日) 20:27:40
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/ な く .い き
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l あ れ っ が
| 。
l る て る
|
\ ____ に
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,.;'"::::::::::::::::/‐- 、l/ ';:::::::::\ /
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>------------r―-:、------ゝ、 し'
/::::::::::::::::::;;-‐'"´ ̄ト‐┬‐l ̄\:::::::::::\
::::::::::::::::::::/ ヽ -‐' `:,:::::::::::l
以前どこかの書き込みで、「寺には仏事だけやってもらえれば満足で、逆に宗教色を出されたら、ひいてしまう」みたいな内容がありました。若い信者を獲得するかわりに現存の檀家を失うリスクもあるかも。
88 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/17(日) 22:32:26
>>87 リスクと言ったところで年収30万円だろ?
浄青の活動で街で托鉢とかやっても、辻説法はしませんよね(やってるとこもあるのかな?)。やってみたらおもしろいかもしれませんが。モルモンみたいに家を片っ端から訪ねて…とか、やってる寺ある?
90 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/17(日) 23:53:05
片っ端から自殺に追い込むのか
「生死ともに煩いなし」の信仰を持てば、自殺の理由がなくなります。
92 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/18(月) 12:14:20
93 :
けちゃっぷ:2005/04/18(月) 12:42:37
>92 「理由なき自殺」とは、どのような場合でしょうか?
94 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/18(月) 19:13:13
浄土宗坊主が追い込んだ数々の自殺をどう謝罪し賠償するかってのが前スレからの問題だろうが。
しっかり自覚せい。
>94 「〜しろ」「〜すべき」と言う場合、「〜のためには」という目的が共通でないと会話が成立しません。目的を共有していないのに「〜しろ」と言う場合は、あなたの欲を表明してるだけです。
96 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/18(月) 23:56:15
布教は勿論大切だが、
浄土宗寺院運営について参考となるモデルがほしいものだ。
97 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/19(火) 00:03:55
>96
同意。お寺って自営業だし閉鎖的だし、
寺院運営について語り合たり教えを請える場がないもんな。
宗務庁って頼れるのかい?
「運営」って、どういう点で?
99 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/19(火) 11:37:13
>98
いろいろあるよ。
認識がよくなされてない証。
アンタ、どんな認識もってんの?
具体的にどんな運営方針を持ってるか、語れるかい?
「五重相伝」を容易にできる寺作りを目的として
明確な運営方針を持ってる浄土宗のお坊さんの話を聞いたことがある。
参考になったが、
やり手過ぎて、真似はできないと思ったね。
100 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/19(火) 13:04:43
開祖の犯罪に対する謝罪はどうなりましたか。
浄土宗の坊主はそこのところの歴史認識が必要だと再三言われてのに、
それを棚に上げて寺院運営と言われてもなんの説得力もないのですが。
カルトと言われて反論もできなんですか?
101 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/19(火) 16:50:56
100 は スルーでいきましょう。
>99 「五重のため→増改築→寄付割り当て」というパターンは檀家から反感買いますよね。本堂以外には五重参加者が集合できる部屋もない場合、どうしたらいいでしょうか。
すべて本堂でまかなうなど、適切な方法を考えたら?
できる範囲のことをせいいっぱいしたらいいわけで、むしろそれを機会に資産を増やそうとするのがどうかしていますよ。
つけたし。
庫裏だってそのためにあるのだから、解放したらいい。
そして、ウソやでっち上げや、お涙頂戴みたいなしょうもない勧誡師を呼ばないのは最低限の条件。
105 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/19(火) 20:48:26
>102
境内に余裕はあるのかな?
プレハブ小屋を立てて集会堂にして五重をやったお寺知ってるよ。
>104 庫裏にも境内にも余裕ありません。本堂に布団敷いて寝てた時期があるくらいですから。
107 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/20(水) 01:45:01
106の話聞いて思う。
知恩院さんとか
800年大遠忌に何百億円も使うことに東奔西走するんだったら、
末寺の寺院運営について話し合いや研修プログラムや
実用的な相談窓口の設立、運営指導とかに力点を置いたらどうだろう?
109 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/20(水) 15:53:46
>>101甘んじてカルト認定受けるというわけか。
反論する知能もないなら仕方がない。
110 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/20(水) 17:51:29
109 は、スルー でいきましょう。ははは
111 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/20(水) 18:23:20
カルトと言われて嬉々としている世襲禿w
112 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/20(水) 20:37:36
>>110 カルトではない、というのであれば、それを証明するべきなんじゃないの?
まあ、おそらくそれができないから「スルーしちゃえ」ってことなんだろうけど。
では「カルト」を定義してください。
しかし、「カルト」と呼ばれるから信仰をやめるというのは、本当の信仰ではない。「カルト」扱いする世間が間違っているのですから。
114 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/20(水) 23:36:10
・教祖が自殺幇助。盲進を助長する説法。
・自殺を誘発する教義(死ねば極楽往生etc)。多数の犠牲者あり。
・自殺者遺族に「往生おめでとう」(byけちゃっぷ)
前スレでネタはあがってんだよ。
115 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/20(水) 23:40:44
116 :
けちゃっぷ:2005/04/20(水) 23:46:26
カルトでも、往生できるからいいじゃないですか。
念仏者にとって念仏以外の入力・出力は妄念です。世人に何を言われても気にせずに生きて死ねばいいのです。
117 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/20(水) 23:49:07
>>116 偉そうなことを言う前にアンタが往生することを考えろよ。
世人に何を言われても気にせずに生きて死ねばいいんだろ?違うか?
ひょっとしてアンタ、自分だけは別だと思ってねえか?
118 :
けちゃっぷ:2005/04/20(水) 23:50:49
「カルトだ」と言われたら念仏すればいい。「カルトだ」という入力は人生にとって重要ではないのです。カルトと言われたくないという欲や識別作用も重要ではないのです。
119 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/20(水) 23:55:22
>>114 >自殺者遺族に「往生おめでとう」(byけちゃっぷ)
凄いな、これ(w
葬式のときにこんなこと言ったら嬲り殺しに遭うだろうよ
けちゃっぷは嬲り殺しに遭っても往生できることを身を以て証明するわけだ(w
120 :
けちゃっぷ:2005/04/20(水) 23:55:50
>>117 僕の往生は決定していますから大丈夫です。特別ではありません。誰でも念仏すれば往生が決定するのです。
人生は報われます。安心してください。何も心配する必要はありません。心配を楽しみたい場合は別ですが。
121 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/20(水) 23:56:29
>>120 >僕の往生は決定していますから大丈夫です。
この時点で既にカルトだわなwww
123 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/20(水) 23:58:32
結 論 : 浄 土 宗 は カ ル ト で あ る
124 :
けちゃっぷ:2005/04/20(水) 23:59:21
>119 苦しい人生を私達よりひと足先に卒業したのだから、めでたいのです。誕生・入学・成人・就職・還暦…人生の節目節目は必ず「おめでとう」と言いますよね。最後の節目だけ例外なのはおかしいでしょ?
125 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/21(木) 00:02:23
>>124 ならば実践するように。必ず実践するように。
ここでゴチャゴチャ理想を垂れていても、直面する理不尽な現実の前にはおまえの理想論なんぞ
何の役にも立たない。
126 :
けちゃっぷ:2005/04/21(木) 00:03:56
「おめでたい」はずの人生の卒業(往生)を遺族が素直に喜べないのは、「まだ別れたくなかったのに」という煩悩(欲)のせいです。せっかくの卒業を、見送る側の勝手な欲でお祝いしないのは間違ってます。
127 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/21(木) 00:09:51
>>126 もう終わってるね、君は。
あれだけ電波男に叩きのめされても、まだそんなお気楽なことを言ってるのかい?
>>125の言う通り、遺族の前でそれを言ってみなよ。
報告待ってますよ。
128 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/21(木) 00:10:31
カルト教義に洗脳されたけちゃっぷを救い出せる人はいませんかw?
この宗派の教義、かなりヤヴァめみたいだわ。探ったらいっぱい暗部出てきそう。
129 :
けちゃっぷ:2005/04/21(木) 00:13:34
往生した人が凡夫である場合、臨終前まで「まだ死にたくない」という煩悩がある場合もあります。
しかし往生すればその煩悩からも卒業するのです。
遺族側は往生人の生前の煩悩に合わせて「おめでとう」を遠慮することは、余計なお世話です。
130 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/21(木) 00:16:10
>>129 だからそれを遺族の前で言ってみろっての。
ここで吠えていてももはやカルト扱いされるだけ。要はそれが実践できるかどうか。
でなければ、机上の空論、言葉遊びしてるだけ。
131 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/21(木) 00:17:50
だいたい死ねば極楽往生なんて今の小学生だって信じないでしょ。
そんなこと檀家に教えていいの?
今まで坊主に信じさせられて自殺しちゃった人がたくさんいるっていうじゃない。
ちゃんと謝罪反省して極楽なんて存在しないから今の人生を大切にしてくださいって教えなきゃいけないんじゃないの?
132 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/21(木) 00:19:37
>>129 ならば「生きたい」と思うのも煩悩なわけですね?で、早く卒業しろと。
やっぱり浄土宗は自殺奨励じゃないですか(w
しかも、導師で来た僧侶が「おめでとうございます」と(w
こりゃ、完全にカルトですね。
133 :
けちゃっぷ:2005/04/21(木) 00:20:51
>>130 しっかりとした信仰がある人には言いますが、そうでない人には言いません。死は悲しむべきことではないが、「死にたくない」という煩悩がある人をあえて殺さないのと同じです。凡夫には、葬式より日常に説くのが適切です。
ダメだこりゃwwwww
135 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/21(木) 00:21:00
念仏なんてしたって人生変わりませんよと。
他力本願してないでちゃんと勉強して努力して国家や社会に貢献する善人になりましょうって教えるべきでしょ。
あ、でも禿がそれ言っても説得力ないかw
税金も払ってないもんなあww
136 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/21(木) 00:23:02
>>133 んだよ、言わねえのかよ。
サッサと前言撤回か?気楽でいいな、浄土宗って。
137 :
けちゃっぷ:2005/04/21(木) 00:23:18
冷静な時に教えを理解しておけば、いざという時でも納得できます。葬式になって初めてそのような教えを聴くと冷静にはなれないかもしれませんから、普段からあらかじめ説いておくのが肝要です。
138 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/21(木) 00:25:30
>>133 その信仰度合いをアンタの独断と偏見で判別するわけね?そりゃ大したものだわ。
どこまでも自分はその外側に置いてるんだな、アンタは。
139 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/21(木) 00:26:52
>>137 で、普段、どの程度教えとやらを説いてるんですか?
全くやってません、なんて言い訳は無しですよ。
140 :
けちゃっぷ:2005/04/21(木) 00:28:07
>>132 「生きたい」だけでなく「死にたい」も煩悩です。両極をセットで理解してください。この世に結びつける縁(寿)がある限り生きて、縁が尽きれば往生すればいいだけの話です。生死ともに煩いなし。
>>137 人間なるもの、おまえが思ってるほど単純ではないよ。
142 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/21(木) 00:30:33
>>140 話を逸らすなよ。
自殺者に対して、その遺族に対して「おめでとう」という話だろうに。
そこに話を絞り込めよ。
143 :
けちゃっぷ:2005/04/21(木) 00:34:40
>>139 まだ副住職にもなっていない身ですから、僕自身が寺で説法の機会を与えられるのは年に数回だけです。
144 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/21(木) 00:34:58
別に往生しなくていいでしょって話しなんだけど?
往生往生って言うから死後の世界にあこがれて自殺しちゃう人が出てくるんでしょ。
普通に死ぬのでいいじゃないの?
死後の世界を説くのはどっかおかしな宗教だと思いますよ。それで坊主はもうかるんだろうけど。
>>143 出たよ、出たよ。苦しい言い訳がwww
現場こなしてから言いなさいな、偉そうなことは。
146 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/21(木) 00:37:16
147 :
けちゃっぷ:2005/04/21(木) 00:39:38
>>142 「死にたい」という煩悩のためにこの世との縁が尽きて往生した人も、極楽で煩悩から卒業できます。本来「おめでとう」と言うべきです。
遺族が悲しむのは遺族に煩悩があるからです。その場合は時機が早すぎるので教えを説かない選択もありです。
148 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/21(木) 00:41:11
>>143 オメーの仏教は「住職だから」「副住職だから」で始まるものなのかいな。
結局、寺という箱物とその中の職制が前提になってるわけだ。
「副住職にもなっていない身だから」「世襲は檀家が望んでるから」といつも最後の最後には
自分以外のところに理由をみつけて言い逃れしようとするわけだ。
これだから信用できないんだよ、オメーは。
149 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/21(木) 00:42:07
>けちゃっぷさん。
あおっている人の素性は >72 でばれてるから何を言っても説得はできないと思います。
フランス政府認定の正真証明のカルトです。
わめいているだけの雑魚は相手にしなくてよろしい。
それよりもあなたのいっていることがよっぽど痛い。
前スレで電波男さんにあれだけいわれてまだわからないのですか?死後往生を前面に
押し出す限り、カルトの譏りは免れません。
法然上人がどういう時代に生きた人だったのかということと、どういう人々に教えを説いたのか
ということを前提にして考えなければ法然上人の意図はわからないでしょう。
そういう前提を無視して、ひたすら死後往生が絶対正しい教えだと説くからカルトだと言われるのです。
法然上人は偏依善導一師といいながらも、実際には善導が言っていないことも説いています。
その部分を注意深く読めば、極端な話、死後の往生をとやかくすることが必ずしも法然上人にとっては
最も重大なことではなく、死ぬまでどのように生きていくのか、ということを問題になさっていたのが
わかると思います。
その部分がどういうところなのかここでは答えは出しません。ご自分で探してみてください。
現代の浄土宗義の呪縛からあなたを解き放つ手立てになるとおもいます。
151 :
けちゃっぷ:2005/04/21(木) 00:44:23
>>144 今は五濁の世にあって苦しい人生だけど、極楽で必ず報われます。だから大丈夫なんだよ、安心していいんだよ、というのが念仏の教えです。苦しくても、苦しいままの人生でOKなのです。
152 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/21(木) 00:46:28
153 :
けちゃっぷ:2005/04/21(木) 00:48:27
死後往生を説くのは平安に生きるためであって、早く死になさいなんて言ってる僧侶はいません。入水往生や即身仏なんかをめざしたのは昔の話であり、現代の念仏信者が自殺した話なんて聴いたことないですよ。
154 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/21(木) 00:49:55
死後のことなんてどうにでも容易く脚色できますからね。
だって、誰もそこから帰ってきたわけじゃないんだから、証明する術がない。
何か叩かれれば叩かれるほど死後往生に固執していくけちゃっぷ・・・・・痛々しいね、ホント。
155 :
けちゃっぷ:2005/04/21(木) 00:51:46
法然さんは「念仏しなさい」と説いてます。「死になさい」ではなく。僕だって一言も「死になさい」と言ってません。煩悩は気にせず念仏すればいいと言っているのです。
156 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/21(木) 00:51:52
>>153 当たり前だろ。
おまえがボロクソに言われているのは「自殺しろ」と幇助していることではなく
話の内容が自殺すら容認し兼ねない言質を伴っていること。
自分でよく読み返してみろよ。
157 :
けちゃっぷ:2005/04/21(木) 00:55:09
二河白道の教えは、怒り・貪りや六根からの感受に惑わされそうになったら念仏しなさいと説いているのでは?
スッタにパータを読む時に「瞑想」てか「気をつけて」を、「念仏」に置き換えて読むとよいでしょう。
158 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/21(木) 00:58:13
>>157 勝手に置き換えないように。ますますカルト度数が上がってます。
>けちゃっぷさん
けちゃっぷさんの文脈ではおそらく>157は読み間違えになってしまうことでしょう。
凡夫は煩悩があってあたりまえなんです。煩悩をとりはらうために念仏を申すのではありません。
法然上人がはっきりとおっしゃっていることです。
ましてや原始経典にでてくる禅定を口称の念仏に置き換えるというのはまったくまちがい。
けちゃぷさんは禅定をなさったことがありますか?法然上人ですら自分にはできないとおっしゃっているのです。
お気楽に置き換えて読むとよいとは無責任にもほどがあります。
スレ住人の皆さんへ
このレスをもって僕の宗教家としての最後の仕事とする。
まず、スレ混乱の原因を解明するために、電波氏に解説をお願いしたい。
以下に浄土宗についての愚見を述べる。
極楽往生を考える際、第一選択はあくまで念仏であるという考えは今も変わらない。
しかしながら、現実には僕自身の場合がそうであるように、浄土に憧れて安易に自殺という事例がしばしば見受けられる。
その場合には、たくさんの坊主による追善回向が必要となるが、残念ながら未だ満足のいく成果には至っていない。
これからの浄土宗の飛躍は、念仏以外の教化方法の発展にかかっている。
僕は、君たちがその一翼を担える数少ない良識的ちゃんねらーであると信じている。
能力を持った者には、それを正しく行使する責務がある。
君たちには仏教教化の発展に挑んでもらいたい。
遠くない未来に、極楽往生による死がこの世からなくなることを信じている。
ひいては、僕が今まで投稿したレスを分析の後、君の研究材料の一石として役立てて欲しい。
くそレスは2ちゃんねるの花なり。
なお、自ら仏教教化の第一線にある者が極楽往生できず、即身成仏で死すことを心より恥じる。
けちゃっぷ
161 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/21(木) 01:06:41
>>159 白道があると言いながらもそれが霞んで見えてしまう、というくらいに我々の貪瞋煩悩は
どうしようもないものである、ということですからね。
162 :
けちゃっぷ:2005/04/21(木) 01:07:24
ブッダによって説かれる聖者がやる煩悩を断つ瞑想や観法は、凡夫には難しい。だから瞑想の代わりに念仏すればいいのです。
瞑想によるニルヴァーナに入るわけではないですが、念仏そのものが平安なのだから。
163 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/21(木) 01:09:24
>>162 とりあえず安易な置き換えはしない方がいいですよ。
165 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/21(木) 01:11:42
キリスト、イスラム、浄土教、オウム教・・・
信者に死後の世界を説く教えというのはすべてカルトですね。
信者は死後に地獄に行きたくないから信じさせられ、服従させられる。教祖の都合でテロや集団自殺もありうる。
>>161 念仏自体が白道です。白道が煩悩に霞んできたと気付いたら、念仏すればいい。瞬時にはっきりとした白道に立つことができる。
再び道が消えてきたら、また道(念仏)を出せばいい。そのくりかえしで、念仏に立つ点と点をつないでいってグラフを描けば、それが彼岸への道そのものになるのです。
167 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/21(木) 01:16:18
>>166 君の脳内解釈ではね。
他の浄土宗の僧侶の皆さん。この程度のカルトな解釈でいいんですか?
168 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/21(木) 01:17:59
>>166 >白道が煩悩に霞んできたと気付いたら
自ら気づけるくらいなら念仏要らんですよ。言ってる意味分かります?
浄土教ってスッタニパータから1000年?ぐらい経ってからの教えでしょ。
その時点でブッダの教えからしたらもうダメダメでしょ。
はじめは現世でブッダになる教えが、死後に極楽往生を目指す教えに堕落してしまった・・・
仏教の中では異端の教えかな。
>165
そのとおりです。死後の世界を擔保にとる教えはまことに危険です。
しかし、一方で自己の死を見据えた生き方ができるようになるのも確かなんです。
死後の安寧という確実に知ることができないようなものをどうして教義の最前面に
打ち出してきたのか?
死に対する恐怖、生に対するあきらめ、こういうものを乗越えてゆくために本来は
説かれたものだと思います。
法然上人の対話を読むと、死を恐れ、自分を否定し、生きることに絶望した人に
念仏往生の教えを説いて、乗越えさせようとしているのを感じます。
宗祖たちが時代的、地域的、その他、さまざまな前提があって説いたという条件を
無視して結論部分のみにしがみつき、あまつさえ他宗、他宗教に対する優越性を
ちらつかせながら死後の安寧を説くからおかしなことになってしまうと思うのです。
171 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/21(木) 01:23:43
>>169 死後往生なんて情世界の話だからね。
浄土宗の僧侶は何でそんなことに固執するのか分からんけどさ。
172 :
けちゃっぷ:2005/04/21(木) 01:23:59
>>168 常に気付いているのは不可能でも、週に何回・日に何回・1時間に何回と、気付く頻度を上げるのはできます。そのお手伝いをするのが能化(教師)の役目ですよね。
また、普段気付く頻度が少なくても、臨終には来迎により正念を得られますから安心です。
>169
千年も後ではないですよ。死後に極楽往生を目指す教えにしてしまったのはむしろ法然の弟子たち
でしょうな。お経には死後往生は説いてあるけれど、それがメインテーマじゃないもの。
>けちゃっぷさーん
白道が何を指すのかわかってますか?
174 :
けちゃっぷ:2005/04/21(木) 01:30:13
煩悩に気付くのが下手で念仏頻度が極端に低く、たった1回念仏してから死ぬまで念仏できなかった人がいたとしても、1回の念仏で往生できます。もう人生OKなのです。
175 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/21(木) 01:30:33
>>170死後の世界目指すんじゃなくて生きている内に生死一如を知るのが仏教ですよね。
原始仏典で天界とか神様が説かれているのは後世の付け足しでお釈迦様はそんなことは言わなかったはずだと。
それをオウムが天界とか神通力とか言うからおかしくなった。
浄土教も天界思想とかに影響を受けられて後から作られた教えですよね。
法然という人も鎌倉時代の特殊な状況で通用した教えだし、現代には合わないと思う。
今は宗教も現実と科学をふまえなきゃ若い人は誰も聞かないと思うよ。
176 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/21(木) 01:32:32
>>175 浄土の荘厳世界そのものが一種の心境としての感動表現ですからね。
177 :
けちゃっぷ:2005/04/21(木) 01:35:33
>>175 仏教徒は、「生きているうちに生死一如」を悟るまでは心の平安を得られないのですか?ちがいますよね。
悟るのは難しいけれど、念仏でただちに平安に入ることはできます。
178 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/21(木) 01:36:42
>>173 けちゃっぷ釈で言えば、念仏になっちゃうんじゃない?(w
>174
それは間違い。法然上人は死ぬまで続けろとおっしゃっています。回数の多寡ではなく、死ぬまで続けなければならない。
結果的に一回でもOKだということです。
>170
>死後の世界目指すんじゃなくて
ここまではOK。
>生きている内に生死一如を知るのが仏教ですよね。
そうなの?生死一如ってなんのことなの?
180 :
けちゃっぷ:2005/04/21(木) 01:41:50
>>179 もちろん、結果的に1念でもOKということです。念仏そのものが平安ですから、念仏の度に人生に平安が出現します。1念だけで死ぬまで称えないのは、もったいない話です。
181 :
けちゃっぷ:2005/04/21(木) 01:44:56
死ぬまで念仏生活を続けることは、平安のある人生を死ぬまで続けられることです。同じ往生できるなら、心に平安のある人生のほうがいい。
182 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/21(木) 01:48:11
>181
死ぬまで念仏を申すことができる生を生きることが大切なのです。
往生を大前提としておいて、よりましな人生が何かをいうのではないのです。
そういう発想をするから、自殺を認めるようないいかたになってしまうのです。
法然上人は、念仏を申し続けることができないなら念仏申してさっさと死ねとは
決して説かない。
そうではなくて、念仏を申すことができるように生きよとおおせになっているのは
あくまでも生きることに力点を置いていらっしゃるからです。
184 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/21(木) 01:52:55
>>179くわしくは知らないけど禅宗の教えだそうです。煩悩即菩提とも言うそうですが。
禅宗は座禅をやるしお釈迦様の教えに近いですからね。
お釈迦様は念仏とか阿弥陀仏は説かなかったでしょ。
たとえ解釈を哲学風にしても根本のところが架空のおとぎ話だから無理があるように思う。
185 :
けちゃっぷ:2005/04/21(木) 01:56:23
>173 白道とは彼岸への仏道であり、凡夫にとっては念仏ではないでしょうか。
>>183 肉体は生を求めるしくみになっていますから、生きることが基本なのは大前提です。
自殺は心が肉体に反して死を求める状態で、一種の病気みたいなもんです。治療のためには自殺を阻止せねばなりませんが、自殺者は悪人ではありません。病人です。
>185
はい、間違い。『観経疏』「散善義」の廻向発願心釈か『選択集』の第八章を読んでください。
>186
自殺者が悪人かどうかは問題にしていません。
>184
禅宗が釈尊の教えに近いというのは誤解です。
前スレで電波氏が触れていたはずです。ご参照ください。
中国の禅宗でいう無念無想と、空の概念はまったく違いますし、
初期仏教以来実践されてきた種々の禅定とも違います。
ゴータマ・ブッダは阿弥陀仏を説かなかったかもしれないけれど、釈尊は説いたことになっています(苦笑)。
>>187 うーん…読んだ上で言っていたのですが、なぜ間違いなのかわかりません。
「中間の白道四五寸なるを言ふは、即ち衆生の貪ジン煩悩の中に、よく清浄の願往生の心を生ずるに喩ふるなり。」
願往生は彼岸への道であり念仏では?
191 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/21(木) 02:26:06
よく大乗非仏説が説かれますが、いわゆる原始仏教も非仏説なのは今や
中村元などの研究で常識ですな。かろうじて「スッタニパータ」のごくごく
古い詩歌が仏滅後100年前後のものだそうですね。学問的には上座部や部派の
経典の煩雑なものよりも、大乗経典に本当に最初期の仏説に近いと言われる詩歌や
誦の内容を含むものが見られる場合があり、大乗諸経典が仏陀のエッセンスをより濃く
洗練されて伝えている場合が多々あるとのこと。また、大乗諸経典はただの御伽噺
ではなくゴータマ・ブッダの教えのエッセンスをその遠い弟子の中で覚者となったものが
仏説として説いたとされるものが有力のようですね。
(中村元全集・三枝充悳「仏陀とサンガ」「バウッダ」など参照)
>190
そう。願往生心が白道なのです。決して正念でも彼岸への道でもない。
拡大解釈すれば彼岸への道といえないことはないけれど、そういう拡大解釈を
用いる場合は明示した上で拡大解釈が必要な理由の説明が必要です。
議論する場合はもちろん、自分の頭のなかで考える場合でも、言葉が指し示す
対象はきちんと限定していないとなんでもありになってしまいます。
>191
そういう言い方を認めると、何がエッセンスなのか、という判断基準が
恣意的になってしまいますね。
恣意的という批判を甘んじるとして、四法印の説に合致する教えが
釈尊の教えだ、と考えることにしています。
いわゆる原始経典=釈尊の真説 という見方が必ずしも正しくはない
ということが一般に知られてきたのはよい傾向ですね。
194 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/21(木) 02:35:55
称名念仏は正念相続のための強力な方便であり、上座部経典にも「釈尊のことば」として
「神々の戦場で心細くなったら帝釈天の旗を思い出すように私(=仏陀)を念じなさい」
というくだりがあります。(岩波文庫「神々との対話」参照)在家の弟子達には
早くから仏を念じるという修行法があったようですし、大乗の時代になって阿弥陀如来を
念仏・称名することは強力な瞑想法の一つであったようです。ここから中国・朝鮮・日本と
よりソフィスティケートされた念仏の概念・修行法が出てきたということで、
日本的浄土門の修法に従うと妙高人やそれぞれの宗派の上人様方のような仏果が得られる
という証まであることですし、安心決定して念仏はげみましょうね。
195 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/21(木) 02:40:28
>>193 中村元「仏陀のことば」(スッタニパータ)岩波文庫の解説に
何が仏説といえるかの学術的解説あります。四聖諦はかなり後世のものですよ。
それこそ恣意的といえますね。空の思想はその萌芽が確実に見出せると
中村先生といてますね。他にも、根本仏説にできうるかぎり迫る研究が
どんどん出版されてますから一読お勧めいたします。
>195
非常に問題のある解説ですね。あの方法だと、脳内構想物以外に何にも残らなくなってしまう。
それと、四聖諦ではな、四法印です。
197 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/21(木) 02:49:31
上座部びいきの方がよく大乗非仏説説かれてますが、よくよく、最新の研究
読まれた方が宜しいかと。大乗=金口の仏説とは全く思いませんが、
上座部も全体のほんの一部を除いて上座部・南伝経典=金口の仏説とは
いいきれないようですよ。大乗も上座部も同じルーツからそれぞれ派生して
その優れた弟子達(仏祖方)がそのすぐれた慈悲心や洞察力から加増させて
いった教えなわけですからやはり最終的な目的に導く「仏になる道」としての
仏道には違いないわけで、そのための最善の道を何千年と模索して現在の各宗派
があるのではないですか?そこにはやはり歴史と経験と何回もの批判や改革
試行錯誤の尊い結晶があるわけですから素直にその方便に一定期間従ってみなくては
本当の所はわからないでしょう?
198 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/21(木) 02:53:41
196 四法印。失礼。こちらもかなり後代には違いありませんね。その脳内構想物だけが
残るというのは経典の現実ですね。それ以外というのが、各祖師方が伝える各宗派の
方便や仏心印ではないでしょうか?ここに仏教と仏道の違いが大きく現れるような気がしますね。
ですから、大乗仏教を必要以上に誹謗したり、逆に大乗信徒が必要以上に卑下したりする
必要はないと思います。
>>157 全くその通りで、二河白道の教えは念仏しなさいってことですよね。
二河白道の譬えじたいは念仏するとき備えるべき心、三心の内の回向発願心について言われたものですけど、
「ただし三心・四修と申すことの候はみな決定して南無阿弥陀仏にて往生するぞと思う内にこもり候なり」と
法然上人の「一枚起請文」に言われますし、「末代念仏授手印」にも「回向発願心・南無阿弥陀仏」とありますから
結局のところ念仏のことを言われたものですから、念仏と無関係というのは全くの言いがかりですよね。
浄土宗の宗義を知らない人や異教の輩があれこれけちゃっぷ氏に難癖つけているようですが、気にせずに思うところを
説いてくださいね。応援しています。
200 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/21(木) 12:58:36
>>159 煩悩を取り払うために念仏申すのではなく、往生極楽のために申すのですね。
しかし単に往生極楽というだけではなく、
「浄摩尼珠という珠玉を濁った水に投げ入れれば、珠の働く力で、その水が清くなると言われるとおりです。
人々の心は常に名声や利欲に染まっていて、濁っている状態はそ水のようなものでありますけれども、
念仏の摩尼珠を投げ入れると、心の水は自然に清らかになって、往生することができることは念仏の力です」
(十二箇条問答)というように、
「念仏が濁った心を清める」とされますね。
なぜなのか?というと、
「阿弥陀の御名はあらゆる徳のもとになるものである。それであるから、阿弥陀仏自身で悟られた四智・三身・
十力・四無畏など一切の内証の功徳や、その功徳が外面に働きかけ、仏の特徴ある姿や形、人々に及ぼす
光明・説法、人々へ与える利益などの一切の功徳は、みなことごとく阿弥陀の御名の中におさめられている」
(選択本願念仏集)と言うように、名号に仏陀のあらゆる徳が込められているからですね。
名号を称えていくうちに名号に備わった仏陀の徳がその人に自然に現れ出てくる。
凡夫ながらにして仏陀の徳を頂けるというのですから有り難いことです。
「無明を断じていない者は妄念が起こるでしょう。世間で言う客と主のごとく、
妄念が主と思えるかもしれません。しかし念珠を手に取るときはその妄念の数を数えなさいと
言うのではありません。念仏の数を数えようとして、念仏の主を据えたからには、念仏は主、
妄念は客人です。そうは言っても心の妄念を許されているのは阿弥陀仏の過分の恩と言うべきです。
それをあまつさえ雑談などしながら念珠を繰るなどというのは大変間違ったことです」(東大寺十問答)
念仏するときに妄念が起こるのは凡夫であるから仕方がないけれども、妄念を数えよと言うのではない。
妄念に気づいたら、気づいたときに念仏に気づきを向けて念仏を数えよと教えられている。
名号には仏陀の説かれた禅定の功徳も備わっているから、念仏に励めば禅定と同じ果報を得られるものです。
>199 >念仏と無関係というのは全くの言いがかりですよね。
などとはいっていませんよ。念仏を申す信について述べているものですから関係がないはずはないですよ。
けちゃっぷ氏がいうことは、白道を念仏や彼岸への道、正念に置き換えてしまっている。
関係があるというのと、置き返してもいいというのとはまったくちがいます。あなたも同じ論理的誤謬を犯しています。
浄土宗の教えとしてあちこちでしめされているしろもの(宗義とか教義とかはいいますまい)が法然上人からかけ離れ
大乗仏教でも、仏教でもないしろものに変ってしまったのは、そういう誤謬と読み替えの積み重ねによるのです。
>200
働き、效用がある、ということと、目的とすることは別物。ここでも論理的な過ちをおかしている。
>201
妄念がおこることはしかたがないが、だからといって妄念がおこることをひらきなおってもよい」といっているのでは
ありませんよ。せっかく日本語で書いてくださっているのだからきちんと読みましょう。
それに >念仏に励めば禅定と同じ果報を得られるものです。
とどこにかいてありますか?一切の内証外用の功徳があるからといって、禅定と同じ果報が得られるというのであれば、
往生を求めず、念仏を申して仏果を得ることができるということになります。
203 :
電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k :2005/04/21(木) 19:34:21
>>199 >浄土宗の宗義を知らない人や異教の輩があれこれけちゃっぷ氏に難癖つけているようですが、気にせずに思うところを
>説いてくださいね。応援しています。
こう断定するあなたの脳みそが不憫でたまりません。てーか、宗義・宗定さえも解ってないでしょ?
文盲は口出しするな。
204 :
けちゃっぷ:2005/04/21(木) 20:11:55
>>202 念仏者は、白道から逸れなければOKなのです。白道から逸れないようにすることに専念していればそれでいいのです。念仏者が修めるべき道を、白道で喩えられているのです。
205 :
けちゃっぷ:2005/04/21(木) 20:13:24
白道が禅定であるなどとは言ってません。禅定ができない凡夫は、禅定の代わりに白道を歩んでいればOKなのです。
昨夜はコテハンをつけるのを忘れてたみたいです。ごめんね。203も私です。
>204
その白道とは何なんですか?彼岸への道といってみたり、念仏者が修めるべき道といってみたり、
はっきりしませんね。
白道とは禅定の代わりになるものなのですか?
禅定の代替として、禅定と同じ效果をもたらすものなのですか?
どうして願往生心という明快な定義からわざわざ外れて勝手な解釈をするのですか?
それとも禅定の代りである、という法然上人のおことばでもあるのでしょうか。
あなたも浄土宗の教師なら、白道の譬えがどれだけ重要な位置にあるかはご存知でしょう。
そこ、思い出してお答えください。
202 のまちがい。電波男さん、ごめんなさい。
208 :
けちゃっぷ:2005/04/21(木) 21:35:05
>>206 禅定の代わりというのは、禅定ができない凡夫でも禅定ができない代わりに白道を歩めばいいという意味で言ったのです。他の人の発言と混同しないでください。
209 :
けちゃっぷ:2005/04/21(木) 21:42:40
禅定ができない凡夫は、願往生心を糧として生きればOKなのです。願往生心を失わなければ、禅定ができない凡夫であっても仏道から逸れたことにはならないから、安心していいのです。不合格ではないのです。
210 :
けちゃっぷ:2005/04/21(木) 22:00:10
一宗教師さんは、教義の側から見ておられる。僕は、宗教をまったく知らない人が初めて出会った宗教が念仏だったら、という視点で見ています。白道も、人に「安心していいんだよ」と言うためのネタの一つです。
>208,209 あなたが
>185で >白道とは彼岸への仏道であり
とおっしゃってますよ。それとも誰かがけちゃっぷさんの名を騙ったのでしょうか?
彼岸への仏道を歩むことができないこの自分、という自己否定が法然上人の出発点ですよね。
だとすれば安易に置き換えていいはずはありません。
話のネタのような軽い譬喩ではないですよ。けちゃっぷさん自身がどこできちんとした意味を教えてもらったのか
その場所を思い出してください。
教義をしっかり押さえていてはじめて能化として砕いた話ができるのです。
教義の側から見た話をするのが当然で、それ以外にどういう観点から話をするというのですか?
まさか宗教体験をお話する会をなさるおつもり?
213 :
けちゃっぷ:2005/04/21(木) 22:08:59
聖道門という彼岸への仏道を歩めない人のために用意された、もう一つの仏道が、白道ではないでしょうか。
一宗教師さんの考えは、道徳的美学に媚ているように感じます。
214 :
けちゃっぷ:2005/04/21(木) 22:13:32
>212 自分が感動した話、感動できる話を説くしかありません。仏教学を学ぶ学生に講義をするつもりはないのです。何教でも何宗でもいいから救われたい、そういう人に説くつもりで話すしかありません。
215 :
けちゃっぷ:2005/04/21(木) 22:23:14
一宗教師さんは、正しく浄土教学を伝えるのを第一に考えているのでしょうね。僕とは観点が違いますね。
極端な話、「平安」を説くためなら何教でも何宗でもいいのです。
>213
それだと浄土門=白道という置き換えですね。こういえば間違いだとお分かりになりますか?
>214
感動することは非常に大切ですが、あくまで感性的なものでしかなく、相手に伝えるべきことを
正確に伝えることができるとは限らない。むしろ感動で誤魔化してしまって間違ったことを伝える
ことになります。個人の宗教体験を絶対視することにも通じます。
>215
観点が違うで済ませてもらっては困ります。
けちゃっぷさんは、安心してもらうとか、平安ということをおっしゃいますが、そもそもどういうことを
指し示しておっしゃっているのでしょうか?お金がなくて困っている人にはお金の算段をしてあげ
れば安心してもらえますね。そういうことですか?
217 :
けちゃっぷ:2005/04/21(木) 22:37:48
一宗教師さんが800年前の比叡山の僧侶だったら、もしかしたら専修念仏を批判する側になっていたのではないでしょうか。十悪五逆も救われるなんてお経に書いてない等と、批判したのではないですか?
>227
法然上人に教えを乞うた側になります。そうじゃなきゃ浄土宗の坊主にはなってないっす。
219 :
けちゃっぷ:2005/04/21(木) 22:43:02
>216 ビジュアル的で使い易い喩話として白道を使っているので、時と場合によって色んな意味になります。河に落ちずに白道を渡っていけるから「あーよかった」、というイメージを伝えるのが大事です。
>219
何について「あーよかった」なのですか?文字通り河に落ちないこと?
それを比喩的に使ったとすれば、「あーよかった」となるのは死んでから。
これぞ死後の世界を担保に取るカルト教義じゃないですか。
221 :
けちゃっぷ:2005/04/21(木) 22:48:18
お金があってもなくても「私はOKなんだ。存在してもいいんだ。」という平安を、伝えられたらいいなと思います。
何があっても、僕だけは「あなたは泥に咲く白蓮華のようだ」と誉め讃えるから、もうあなたは独りきりじゃないから、と。
222 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/21(木) 22:53:58
>>220 他人から裁かれ不合格判定され、自分でも何か理由をつけて、自分自身を裁き不合格判定してしまう人。
そんな人が「阿弥陀様はこんな私でも不合格にしないんだ。私は私で許されているんだ」と思える「あーよかった」を、共有できたらいいなと思います。
>>203 あなたが不憫がるのはかまわいません。あなたの感情ですから。
しかし浄土宗のスレに書き込むからには自説の主張に際しては最低限の論拠や根拠を併せて提示し立証すべきでしょう。
たとえ専門外であっても、本は簡単に手に入るんですから。ましてや昔加行受けて資格取ったんでしょう?
224 :
223:2005/04/21(木) 23:31:40
>>202 念仏に如来一切の内証外用の功徳が込められていることから、禅定の功徳も込められていることは論理的に帰結します。
禅定の功徳が込められているからには、それを修行すればその果報があるということも論理的に導き出されます。
しかしその果報が個人においてどれほど現れてくるかというのは、修行の過少、行者の機根によってさまざまです。
「三昧発得記」にあるように、法然上人は観無量寿経に説かれる浄土の荘厳のありさまなどを観ることができたようです
から、少なくともその種の禅定の果報があるのは確かです。
ただし禅定の果報があるからといって凡夫にとってそれは簡単ではないのですから、宗義上は往生が第一となるでしょう。
しかしはるか先かもしれない往生も大事ですが、今現に念仏を修行することによって得られる安心を無視しては、
法然上人の教えの半分は見過ごされることになってしまいますね。
225 :
電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k :2005/04/21(木) 23:37:04
>>223 はぁ?なに言ってるのでしょうか?専門外?過去ログ参照してから判断しましょうね。
おそらくあんたの100万倍理解できていると思いますよ。なんなら、浄土教、浄土宗義
で議論してみますか?けちゃっぷさんの言い分が正しいと抜かす輩は本当に脳みそが
不自由としか言いようが無い。
てゆーか、あんたのような身の程知らずは、げーが出そうでつ。
226 :
電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k :2005/04/21(木) 23:43:06
>>224 この発言、ヤパシどーしようもなく頭が悪かったのですね。
>念仏に如来一切の内証外用の功徳が込められていることから、禅定の功徳も込められていることは論理的に帰結します。
これ、前提も「と」だし、結論もハクチ丸出しなんですけど?如来一切?内相外用?功徳?論理的に帰結?
意味を理解して発言しているとは思えません。「果報」の使いかたも仏教の文脈から大幅に外れており、
お話になりません。もういいから、おまえはしゃべるな。あほだから。
227 :
223:2005/04/21(木) 23:46:13
>>225 ・・・100万倍理解なさっているのはいいですけど、先スレからその類の台詞ばっかりではないですか。
その理解を経論を引用して立証してみてはいかがですか。
「二河白道の譬えは念仏を表しているのではない」
「自殺者は往生できない」
「念仏しても現世では煩悩は少しも治まることはない」
「煩悩に注意しながら念仏するのは間違い」
だいたい今けちゃっぷ氏への論難する人の主張はこういったところでしょうか。
論難者はこれを経証によって反論すべきでしょう。
228 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/21(木) 23:46:35
(∩゚д゚)ア-ア-きこえな−い
229 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/21(木) 23:50:42
ブッダ「耳あるものは聞け、甘露の門は開かれたり」
(∩゚д゚)ア-ア-きこえな−い
230 :
電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k :2005/04/21(木) 23:51:03
>>227 はぁ?なんの話をしてるんですか?前スレッドも読んでみては?
すべて教証を挙げてけちゃっぷさんを教え諭しているのですよ。
論難?アホ丸出しなんですが?経証ではなくて教証ですよ。
あなたの頭が悪い証拠として、
>「二河白道の譬えは念仏を表しているのではない」
>「自殺者は往生できない」
>「念仏しても現世では煩悩は少しも治まることはない」
>「煩悩に注意しながら念仏するのは間違い」
こんなまとめ方することがあげられます。あまりアホとはお話したくないのですがね。
231 :
電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k :2005/04/21(木) 23:57:49
>>223 あーあ。浄土宗の頭のよわーい、権威主義の布教師のえらいさん。
仏教も、思想も、哲学も、宗教学も、釈尊も心もわかろうとしない
あたまのトロイなまぐさ。馬鹿のクセに在家差別もすさまじい。
そんな感じの世襲破壊坊主の登場ですか。何なら本気で潰してあげましょうか?
ぼこりますよ?
232 :
電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k :2005/04/22(金) 00:03:07
>>223 あんたの増上慢による断定
>たとえ専門外であっても、本は簡単に手に入るんですから。ましてや昔加行受けて資格取ったんでしょう?
残念ながら、浄土教関係書籍は殆ど取り揃えております。浄土宗義に関しても。戒体に関して述べたこと
は読んでないのですね?おめめも不自由なのですか?書籍は取り揃えているだけはなくキチンと研究
してますよ。あなたと違ってね。
では
>念仏に如来一切の内証外用の功徳が込められていることから、禅定の功徳も込められていることは論理的に帰結します。
ここに記されている「功徳」についてその言葉の意味をご説明ください。意味が全然とおっていなくて
突っ込みどころしかないのですが、一つずつ行きましょう。
>224
けちゃっぷさんの「平安」についてはいろいろいいたいこともあるけれど、気持ちはわかる。
その上でけちゃっぷさんには正しく理解しなさいよといえる。
が、あんたはそれ以前だね。
>如来の一切の内証外用の功徳がこめられているから、禅定の功徳もこめられている。
なるほど。だれの禅定の功徳がこめられているの?それで、念仏を修行すれば禅定の果報が
あるわけでっか。法然上人がどういっているか読み直しな。どうして名号で往生ができるのか、
聖意はかりがたしと恐れ入りながら、名号の功徳を仰っていることでしょ。わずか六字の名号で
往生がかなう理由を説明しているだけで、禅定の果報があることをいっているわけではない。
ましてや論理的にも帰結しない。
法然上人が三昧発得した、その事実がどうであるかはさておいて、仮に事実であるとしても、
それが口称の念仏によって観ることができたとは結論付けることはできない。
そもそも観法が不能であってもよろしいとおっしゃっているのは法然上人でしょう。
当然、極楽を観る必要もない。どうしてそんなものが法然上人の教えの半分にもなっちゃうの?
神秘体験をやたらとありがたがる新興宗教並ですね。
妄想、玄覚と聖境とどうやって区別するのかな。
それにね、私は死後の往生が第一だとは言った覚えはないですよ。ちゃんと過去ログ読んで下さいね。
>227
電波男氏が書いたことではない。私がかいたこと。それに
私は「白道=念仏」(内包外延ともに等しい)ではないといっているの。
後の三つは私も電波男氏も書いてないよ。
>223
白道については、『観経疏』か『選択集』をみろとけちゃっぷさんに書いたら、
彼がきちんと訓読文を出してきてくれています。
はっきりと願往生心と書いてあるでしょ。願往生心=念仏なんですか?
235 :
223:2005/04/22(金) 00:51:53
>>232 「名号は万徳の帰する所なり。しかれば則ち、弥陀一仏所有の四智・・・・等の一切の内証の功徳、相好、光明、
説法、利生等の一切の功徳、皆ことごとく弥陀仏の名号の中に摂在せり」
名号に込められた弥陀一仏の一切の内証・外用の功徳について考えると、
阿弥陀仏が未だ成仏しない法蔵菩薩の時、修行したときに積んだ徳が成満して如来となったのだから、
その御修行をもって功徳と受け取ればよい。しかるに、法蔵菩薩は
「離欲と深正念と浄慧との修梵行をもって・・・衆の徳本を具足し、願慧悉く成満し、三界の雄となることを得ん」
(無量寿経・四誓偈)と誓願を発した。この深正念が禅定である。この願を立て終わって、
「不可思議兆載永劫、積植菩薩無量徳行」
とあるように、考えも及ばないほどの長い時間にわたって菩薩の徳行、六波羅蜜を修行された。
六波羅蜜の一に禅定がある。さらにその修行の様子は
「忍力成就して衆苦を計らず。小欲知足にして染恚痴無く。三昧常寂にして智慧無碍なり。・・・自ら六波羅蜜を行じ、
人を教えて行ぜしむ。無央数劫に功を積み、徳を累ぬ」
とあり、「三昧常寂」「六波羅蜜」等から禅定を修行されて徳を積まれた事がわかる。
弥陀一仏一切の功徳が名号に備わっていると選択集では説かれるのだから、禅定の徳も備わっていると見るべきである。
236 :
電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k :2005/04/22(金) 01:00:41
>>235 それが何か?
ぜんぜん回答になっていませんよ。
論証もなし、法然の特殊性もなし。
はい。やり直し。
あらら、電波男さんもやっちゃうのね(笑)
>235
六度萬行の功徳がおさまっているから備わってるんでしょうな。
それが念仏を申すと禅定の果報があるという根拠になるの?
往生がかなう根拠でしょ。
あなたの大好きな教証をだしなさい。
238 :
電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k :2005/04/22(金) 01:04:31
言葉面がつるつる滑ってしまっていて、焦点が定まっていません。
ヤパシ、アホは放置かな。。。。。。。
239 :
223:2005/04/22(金) 01:05:39
>>233 観法の話はけちゃっぷ氏も私もしていなかったはずです。
念仏には禅定の徳があるということを立証するのに、「三昧発得記」を引用して、法然上人の場合はそうだったと
言っているに過ぎません。極楽を見るのはどうでもよろしい。
>今現に念仏を修行することによって得られる安心を無視しては、法然上人の教えの半分は見過ごされることになってしまいますね。
と書きましたので、「見過ごされる半分」というのは観法のことではなく、「現世における念仏修行による安心」です。
その安心について私が以前から引用していたのは、
「浄摩尼珠という珠玉を濁った水に投げ入れれば、珠の働く力で、その水が清くなると言われるとおりです。
人々の心は常に名声や利欲に染まっていて、濁っている状態はそ水のようなものでありますけれども、
念仏の摩尼珠を投げ入れると、心の水は自然に清らかになって、往生することができることは念仏の力です」
この部分です。「念仏をすると自然に心清らかになる」
念仏の目的は往生極楽ですが、念仏に備わった諸々の徳の結果として、自然に心の清まりが期待されるということです。
240 :
223:2005/04/22(金) 01:17:53
>>231 そんな布教師の偉いさんでも何でもないですよ。ただ先頃加行をすませたばかりの若造です。
私の文章に釈尊の心を踏みにじったり在家を馬鹿にするところを感じるのでしたら、ご指摘下さい。
何とか釈尊の心に近づこうと思っていますが、まわりに流されて努力の至らなさを嘆く日々です。
正法に導いてくださる方なら、どんなに罵倒されてもかじり付いても教えを請おうと思っていますから。
念仏を修行する目的、結果は死後往生だけと考えて、けちゃっぷ氏を論難されている方がほとんどだと思いますし
わたしのまわりもそうですし、むしろ死後往生というよりも、先祖回向こそが僧侶の努めと考え実践している。
教義では念仏を一番と説くのに、実際は儀式に組み入れられて刺身のツマ以下の扱いです。
そんな浄土宗を見ていると、けちゃっぷ氏の日常に即した念仏の実践が、かえって奇異に思えて、反発したくなるのでしょう。
241 :
電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k :2005/04/22(金) 01:18:03
>>239 あーあ。またやっちゃってるね。
だから、禅定の徳ってなんなの?理解できていないのに押し付けるの?
和語灯録をちゃんと読めていないようだけど、本当に恥かくだけだからやめときな。
念仏の徳として心の清まりがある?そんなもの、浄土教は求めてないよ。
だから、お前はまず「徳」について勉強する必要があるんだよ。
>239
はいはい。観法=禅定とはいいませんけれどね。あなたは禅定の果報があるとして、
法然上人には念仏の禅定の功徳(?)によって極楽を見たとおっしゃったわけですな。
ここんところ、どうしてそうなるのか理由はなしですか?
浄摩尼珠の譬喩がお好きなようですから、原文を引用しておきましょう。
問いていわく、世を背きたる人は一筋に念仏すれば往生も得易き事なり。かよ
うの身には朝にも夕にも営む事は名聞、昨日も今日も思う事は利養なり。かよ
うの身にて申さん念仏はいかが仏の御意にも契いそうろうべきや。
答えていわく、浄摩尼珠という珠を濁れる水に投ぐれば珠の用力にてその水
浄くなるがごとし。衆生の心は常に名利に染みて濁れる事かの水のごとくなれ
ども、念仏の摩尼珠を投ぐれば心の水おのずから浄くなりて往生を得る事は念仏
の力なり。我が心を鎮めこの障を除きて後念仏せよとにはあらず。ただ常に念仏
してその罪をば滅すべし。されば昔より在家の人多く往生したる験幾許か多き。
心の静かならざらんにつけてもよくよく仏力を憑み専ら念仏すべし。
答えの部分だけを見ていても法然上人の眞意はわかりません。問者が
自身の心のありさまに悩んでいるところに対する対機説法です。
きよらかでないままのこころで念仏申して往生するというのもありますよ。
243 :
電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k :2005/04/22(金) 01:26:34
>>240 若造ならもっと謙虚になれ。
それと読解力を養え。
死後往生?だれがそんな主張をしている。私は死後往生など法然の方便だと考えてる。
ちゃんと読んでからにしろ。俺から見ると、けちゃっぷもあんたも腐った浄土宗の世襲
にしか見えん。
念仏を一番に説きたければ、念仏の功徳や現世利益を説くな。何時死んでも心安穏に
往生できるような悔いの無い生き方を念仏の中に見出させろ。死に方は何でもいいんだ。
殺害であっても飛行機事故であっても、野垂れ死にでもなんでもいい。用は臨終往生だ。
それとな、覚悟しておけ。能家は罵倒される運命にあることを。
244 :
223:2005/04/22(金) 01:42:28
たぶんおそらく浄土真宗の僧侶か、信者も混じって、けちゃっぷ氏に苛立って批判しているのではないかと推測します。
浄土真宗では一念の信が大事であって、煩悩に注意しながら念仏するなど愚かな自力念仏者に過ぎないということでしょう。
しかし煩悩を難しく考え過ぎる必要はないと私は思います。
およそ赤ん坊やもの心つかない幼児でない限り、自分の心や身体に怒りや憎しみや貪りを感じたことがないという人は
いませんよね。人種、年齢、性別、貴賤を問わず、誰でも日々感じている当たり前ことです。
「瞋恚は心の汚れです。憤怒は心の汚れです。恨みは、嫉妬は、吝嗇は、へつらい誑かし、強情、傲慢は心の汚れです」
(マッジマニカーヤ「布経」)
誰もがつまらないと思って放置しているこの当たり前の現象に注目して、ふかく探求していったのが釈尊ではないですか。
それを難しげに「煩悩には気づけない。煩悩に気づくのは阿弥陀仏の本願に反する」というのは、煩悩を高度に観念的に考えて
煩悩の意味を失っているのです。確かに煩悩の中には非常に根深いものもあるでしょうけれども、すべて気づけないという
のは幼児や意識のない人しかないでしょう。
またたとえよく気づくことができなくても念仏する内に嫌でも気づかされてきますから。このとき初めて単なるありえない
譬え話だった二河白道の譬えが、身に染みて実感できてきます。
>243
浄土宗の布教師が現世利益を説き始めたのはいつごろからだったかな。
ひどいのになると、健康増進ができるとか、寿命が延びるとか
それも御丁寧に御法語をひっぱってきてのたまう。その次の行に、
どんな目にあっても阿弥陀仏のおかげでこの程度ですんだのだ
と思いなさい、この世で寿命が少々のびたところでどうしようというのですか、と
現世利益を実質的に無效にしている文があるのに無視してしまう。
法然上人の御言葉をひんまげるのもいい加減にして欲しい。
>240
私は電波男さんが>243でおっしゃっていることと同じ立場です。
そして法然上人が念仏往生をお説きになった意味もそこにあると
思います。
そういう意図を汲もうとしないで念仏の功徳とかを言い出すと他宗、他宗教
に対する無意味な優越性を説くようになる。
これを形の上で明確に示したのが聖冏です。加行を終えられたばかりなら
まだ記憶に新しいことでしょう。
法然上人は自己否定のうえでの自らの道を示されたのに、前提部分が
抜け落ちるから、本筋と違うことを平気で言い出すようになる。念仏の功徳
を云々しだすのはその一例ですよ。
>244
愚か者。前スレからきちんと読んで見なさい。邪推もいいとろだよ。
>煩悩に気づくのは阿弥陀仏の本願に反する
って、誰がいったの?私も電波男さんももちろん言わないし、
アノ親鸞でもそんなこたぁいっちゃぁいねぇぞ。
247 :
電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k :2005/04/22(金) 01:55:53
>>244 妄想壁まであるのですか?一宗教師さん含めてあなたは誰を相手に話しているのか
全く解ってないようですね。まぁどうでもいいことですが、少なくともあんたは浄土教の
じの字も理解できていませんね。
あんたみたいなアホ僧侶が大量生産されているのなら、本気で浄土宗を潰す必要が
ありますね。
あ、それと私は浄土真宗ではありませんよ。(笑)知恩院で加行を受けた人しか解らない
ことをお話しましょうか?本行前の剃髪に散髪屋さんに聞く世情やとか伝法前の香湯とか、
高熱出したときに連れて行ってもらう道すがら「色つきだ!!」と思ってしまうことや、毛布
の埃をパンパンしたいことや。。。。 受けた人はほくそ笑んでるでしょうね。
248 :
電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k :2005/04/22(金) 02:00:36
>>246 もうこんなアホ、放置しましょう。
ドクターまで進んで、始めてテキストとして手にするような数万円する書籍を十数冊著作している
一蹴教師(笑)さんや私がかまう必要の無い人種のようです。若輩と言う意味ではなくね。
共著の方ならあんた、お世話になってると思うよ。恩師に対して失礼です。
249 :
223:2005/04/22(金) 02:03:05
電波氏も一宗教師氏もたぶん念仏、浄土の教えを観念的に考えすぎているのではないかと感じます。
念仏を修行することによる心や身体の変化を認めないという立場だから、「念仏の功徳や現世利益を説くな」と
平気で言えるのではないですか?またそのような立場だから浄摩尼珠の譬喩を軽く受け取ってしまうのではないですか。
「きよらかでないままのこころで念仏申して往生する」
確かにそうかもしれません。と言うか、ほとんどの浄土宗の僧侶の常識でしょう。
だからも飲酒、喫煙、不倫、嫉妬陰謀、罵倒、何でもありです。
何をしてもよく、何の変化もなくても、儀式的にお念仏して死に、それを「往生」と言う。
しかし私には疑問です。
念仏は心の状態の変化をもたらすはずです。でなければ法然上人はどうして人に念仏を説こうと考えられたでしょうか。
ただしそれは儀式儀礼として漫然と行うのではなく、まずはなるべく法然上人自身の御修行に近づけて、
上人がなさったように実践してはじめて、それがわかるのではないかと思います。
>249
見事な自爆、お疲れ様。
どこから観念的という発想ができるんでしょうね。
けちゃっぷさんにも書いたけれど、『勅伝』でも読んでみたら?法然上人が
いったい何を悩んでいたのか少しは考えてみて頂戴。
加行を受けてこんなんが出てくるなんて、なさけないわ。
251 :
電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k :2005/04/22(金) 02:11:57
>>249 完全に自爆しています。わかりませんか?
法然上人の修行に近づける?何考えてるの?じゃ、妻帯もせず、比丘戒を守って百万遍する?
浄土門にたどり着くまでの聖道門の修行もする?
めちゃくちゃじゃ。
252 :
223:2005/04/22(金) 02:36:16
すでに浄土宗を離れている電波氏とは自ずと立場が違うでしょう。
私の場合は釈尊が説かれた煩悩からの遠離、涅槃安楽を念仏の信行において自他に示さなければいけません。
理論だけたくましくしていれば事足りるというわけにはいかないのです。
日々にも自らを実験台としても、確たる物を得ていかねばならないのです。
もし念仏が人生に何の変化ももたらさないとしたら、誰も見向きもしないでしょう。
私には念仏には人を変える力があり、信じるに足りるものであることを確かめてゆく責任がある。
浄摩尼珠の譬喩の言葉
「ただ常に念仏してその罪をば滅すべし」も「心の静かならざらんにつけてもよくよく仏力を憑み専ら念仏すべし」も
私にとってはまったく観念的な言葉ではなく、現実にこの身、この心に実感できるものでなければなりません。
「はるか過去世から輪廻・転生しながら積もってきた罪業を消滅してくれる」ではなく
誰もが当たり前に悩み苦しんでいる、自分自身の嫌悪、後悔、悲嘆、怒り、貪欲。
この重荷を少しでも軽減してくれるものなのか?それとも全く現実世界には無力であるのか。
今日は疲れたので寝ます。有り難うございました。
253 :
電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k :2005/04/22(金) 02:39:38
>>252 あなたが浄土宗の代表みたいな言い方をしないでほしい。
今の腐った浄土宗でも、あんたみたいなのは最低。
254 :
223:2005/04/22(金) 02:43:24
>>250 前スレで「勅伝」は真偽決着以前の問題として客観的証拠にもならないと電波氏に一蹴されたのですよ。
ですから私の今スレ引用からは伝記物ははずしてあります。
>>251 円頓戒は戒条だけ教えてもらって守り方を教わってないし、参考にできる人もいないので、
台湾あたりで具足戒を取れればいいと思っています。もしどこかご存じでしたらご教授願いたい。
ではおやすみなさい・・
在家のただの仏教好きな者ですが
教えて頂きたいと思い、書き込みます。
念仏修行とは「痴愚に返って極楽に往生する」と教わってます。
これは換言すれば「悟りを捨てて悟りに生きる」と言う事ではないでしょうか?
「仏になるより仏でいるのが造作も無くて楽だ」と言った禅僧がいるそうですが
逆説的ですが、悟りを捨てたところに悟りがある。
最近、そういう風に考えるようになりました。
浄土宗の教義的には猛烈な批判がある事と思いますがw
敢えて、自分の考えを批判の嵐に晒してみたいと思います。
何卒宜しくお願いします。
256 :
けちゃっぷ:2005/04/22(金) 12:43:30
>>250 法然さんが悩んでいたのは本願の念仏に出会う前の話ではないでしょうか。
念仏に出会う前の悩みが、果たして念仏に出会ってからも続いていたのでしょうか?
僕も口称念仏だけで禅定に入れるとは思っていませんが。
257 :
けちゃっぷ:2005/04/22(金) 12:53:07
>>255 僕の考えは、「悟りは無理だけど平安に生きる」でしょうか。
さすがに念仏者の安心と仏の悟りを同列に見るのは無茶だと思います。
258 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/22(金) 22:01:41
浄土宗の僧侶で、
源信「往生要集」やスウェーデンボルグ「霊界日記」とか
きちんと読んでる人いる?
けちゃっぷ氏は、読みましたか?
259 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/22(金) 22:08:54
どんな組み合わせやねん。
260 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/22(金) 22:29:33
どちらも「あの世」「地獄」について描写がある。
有名な話。
261 :
けちゃっぷ:2005/04/23(土) 15:31:52
『往生要集』は昔岩波文庫をパラパラっと読んだことありますが、ほとんど頭に残ってません。
262 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/23(土) 16:05:38
けちゃっぷさん、
昨日のニュースでポール牧さんが投身自殺したとありました。
還俗したとは言え僧侶だった人が自殺を選択したことは残念です。
マネージャーの話によると「死んだら終わり」と言っていたそうです。
念仏の信者であれば自殺しても極楽浄土に迎えて頂けるのでしょうか?
最近、自殺を考えるようになってしまいました。
心療内科にも通っていますが・・・いろいろと思い悩むことが多くて。
ところで知恩院の地震対策はどうなっていますか?
点検された方がいいかも知れませんよ。
264 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/23(土) 17:34:43
>>261 ちゃんと読み直した方がいいんじゃないですか?
265 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/23(土) 18:23:03
へえ、「死んだら終わり」って言ってたのか。
じゃあ、悟ってたわけだ。
>>262 ポール牧さんの自殺は驚きましたね。どのような思いで死に至ったのかわかりませんが。
念仏すれば誰でも往生できますが、死ぬために念仏するのでもなければ、生を貪るために念仏するのでもないんですよね。念仏のために念仏する。念仏が人生の目的なので。
>>262 色々ご苦労が重なってしまったのでしょうね。まずはお医者様を信じて気長に通院していただきたいです。自殺願望も、台風みたいに必ず過ぎ去ります。
台風の時は、一時的に雨戸を閉めてしのぎますね。とりあえず、自分のマイナス思考に気付く度に、自分に聴かせるつもりで「南無阿弥陀仏」と言ってください。それがあなたの雨戸です。
268 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/23(土) 19:56:43
けちゃっぷさん、
以前、このスレッドで
「自殺は病死と同じ」とおっしゃってましたが、
念仏してた者であれば自殺しても阿弥陀様は来迎してくださるのですか?
五逆(父を殺す、母を殺す、阿羅漢を殺す、仏身を傷つける、和合僧を破壊する)、
十悪(殺生、偸盗、邪婬、妄語、両舌、悪口、綺語、貪欲、瞋恚、愚痴)の衆生でさえ、念仏申したならば
阿弥陀仏は極楽へ生まれさせてくれます。
釈尊が定めた比丘の戒ですら、七滅諍法といって心錯乱した者については罪を問われません。
ましてや心病んで苦しみの余り自殺した者を、阿弥陀仏がその罪を非難して極楽へ迎え取らないことがありましょうか。
しかし念仏申せばこの世で安穏にさせていただけるという仏智を疑い、あえて生を絶ったのだから辺地胎生往生の
可能性はあります。
辺地往生とは極楽の端っこの牢宮に生まれて、五百年の間三宝の名も聞くことも見ることもできないというものですが、
自ら罪を懺悔すれば即今に蓮華化生すると申しますから、心配しすぎることはありません。
いずれにせよ残された者にとっては念仏して個人の冥福を祈り、自らも仏の御心に違わぬようにするのみです。
270 :
223:2005/04/23(土) 20:34:55
↑上レス223です。
>>243 >念仏を一番に説きたければ、念仏の功徳や現世利益を説くな。何時死んでも心安穏に
>往生できるような悔いの無い生き方を念仏の中に見出させろ。死に方は何でもいいんだ。
>殺害であっても飛行機事故であっても、野垂れ死にでもなんでもいい。用は臨終往生だ。
「念仏の功徳や現世利益を説くな」と言った矢先から、「心安穏に」「悔いの無い」という念仏の功徳・
念仏によってもたらされる利益を説いおられますね。この矛盾をどう説明されるのか。
いったい「心安穏に」「悔いの無い」臨終往生といったものが、どうやって可能なのだと思われますか。
「比丘たちよ、たとえ盗賊に捕まって体を鋸で挽かれたとしても、そのことに対して一念の怒りでも起こすならば、
その者はすでに私の弟子ではない」(マッジマニカーヤ「鋸喩経」ほか)
この経に説かれるように、たとえ敵に捕まって殺されようとも悔いのない状態というのは、
現にこの心身に諸々の煩悩から遠離して、心が清まって慈悲があるからこそ、
またそのように努めるからこそ初めて可能なのではないですか?
少なくとも「鋸喩経」では遠離や慈悲心と無関係には説かれていない。
念仏にしろそうです。生きている内に心安穏に悔いのないものになるのは、念仏の功徳のおかげだと思います。
271 :
223:2005/04/23(土) 21:07:36
念仏を追善供養のためばかりと考えて、生きているうちに仰ぎ頂ける功徳というものを信じない人がいるのは
嘆かわしいばかりです。念仏は自ら修するものであり、時を隔てず験のあるものであり、誰でも来て見てみれば
それが間違っていないことを確かめられるものです。そうでなければいけません。
念仏は万徳の帰するところである、というのは経典には明記されてはおりません。法然上人が推察するのみです。
「梁は柱は一隅を守るのみだが、家と言えばすべてが収まっている。同じように阿弥陀の名前にすべての徳が
収まっている。」
これははっきり言ってなんだかよくわからない、狐につままれたような喩えです。
しかし法然上人は自ら念仏を修行してみて、戒の徳も定の徳も智慧の徳も名号によく収まっていると感じ取ったから
こそ、この勝劣義というものを編み出されたのだと思います。もちろん個人の感得するところですから、あえて教証
はしなかった(できなかった)のだと思いますが。しかしその境地は和歌にも見える。
つきかげのいたらぬ里はなけれども ながむる人のこころにぞすむ
すむ、は「住む」と「澄む」が掛けてある。阿弥陀仏の光明はあまねく世界を照らしているが、それを感じ取ることの
できるのは往生浄土を心にかけて念仏を修行する人だけである。
光明に照らし出された者は、おのずとそのはたらきとして心が澄んでくる。
>271
功徳・利益をはじめあなたがお使いの仏教語は一度きちんと辞書で調べてからお使いください。
「心が澄む」と「心に澄み渡る」のちがいが分からないようですから、国語のお勉強もわすれずに。
私は御忌がおわるまででてこれませんのであしからず。
273 :
223:2005/04/23(土) 22:49:04
「調べろ、勉強しろ」では私はいいですけれども、他の見ている人が分からないので、
経論など引用して相手の間違っているところを指摘して、自分の思うところを書いた方がいいと思います。
手もとの古語辞典に「澄み渡る・・・月などがさえ渡る」「澄む・・・1、濁りや曇りが無く清く明らかになる。」とあります。
そもそも心にさえ渡るのは、濁りや曇りが無く清く明らかにならなければ、さえ渡りようがないですから、
まったく意味違いというわけではないと思いますが。
274 :
電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k :2005/04/23(土) 23:07:41
>>273 本当にどうしようもないですね。
あなたのような果てしなく頭の悪いやつは無視しようと思いましたが、
滅茶苦茶な用語を使っておいて、指摘されたら逆切れ居直りですか?
けちゃっぷさんは笑われているだけですが、あなたは蔑まれていること
でしょう。
275 :
けちゃっぷ:2005/04/23(土) 23:29:25
>>268 はい、自殺しても往生できます。もちろん、往生できるからって自殺してはいけませんが。
肉体は生きようとしているはずですが、頭は死にたがることもありますね。
頭でも肉でもないが常に頭と肉に影響を受け続けている「あなた」は、頭が肉を殺すのを助けてはいけません。頭の殺人を阻止するよう努めねばなりません。
276 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/23(土) 23:43:29
命の尊さを本当にわかってるとは言えない。
277 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/23(土) 23:57:10
268です。
けちゃっぷさん、レスをありがとうございます。
自殺しても往生できるというのは、法然上人のお言葉にありますか?
経典の中に示されているのでしょうか?
278 :
223:2005/04/23(土) 23:59:08
「もしよく上の如く念々相続して畢命を期する者は、十は則ち十ながら生ず、百は則ち百ながら生ず。
何を以ての故に。外の雑縁無きが故に。正念を得るが故に。仏の本願と相応するが故に。教に違わざるが故に。
仏語に随順するが故に」(往生禮讃)念仏を念々相続することによって正念を得られると説かれます。
「念仏を称えることにはいろいろの意味がございますけれども、ただ南無阿弥陀仏の六字を称えるだけで、
一切は納まっております。心では阿弥陀の本願を頼みにし、口では阿弥陀の御名を称え、手には数珠を持ち、
常に心に掛けているのが、この上ない確固たる行為でございます。念仏することは、もともと日常の行住坐臥の動作も。
時や所をも、あらゆる条件を選ばず、身体や口の不浄をも区別しない行でありますから、易行往生といっております。
ただ、そのなかでも、心を浄らかにしていうのを第一の行としております。ただ浄土のみを心にかけていれば、
心浄の行法でございます。」
(鎌倉の二位の禅尼へ進ずる御返事)
280 :
223:2005/04/24(日) 00:01:50
これは資料としてはいかがとも思いますが。
「すべてわれわれが迷いの世界をへめぐっている振る舞いというものは、ただ貪り、瞋り、愚かさのきずなによるもの
である。貪瞋痴がおこったならば、またもや悪い苦悩の世界にいかなければならない、迷いがおこったのだと心得て、
これをとどめなければならない。
けれども、まだ煩悩がそなわっているわれわれであるから、このように心得たけれども、つねに煩悩はおこるもの
である。おこっても煩悩を心の客として、念仏を心の主人としてしまえば、必ずしも往生を邪魔しないものとなる。
煩悩を心の主人とし、念仏を心の客とすることは、貪瞋痴の煩悩をまじえた雑毒虚仮の善であって、往生には嫌われる
のである。詮ずるところ、前念と後念の間には煩悩を交えることがあっても、決して南無阿弥陀仏の六字の中に、
むさぼりなどの煩悩を起こすものではないのである。」(七箇条の起請文)
281 :
223:2005/04/24(日) 00:12:57
>>274 そろそろ反論をお願いします。もちろん無視していただいてもかまわないのですが。
反論なさる場合はどこどこが間違いと指摘した上、浄土の教えや実践などに対する自らの思想なども
披露していただければ、見る側もわかりやすいものとなります。
>>243は電波氏の念仏観が示されていて良かったです。できれば詳しくお願いします。
基本的に反論はないのですが、念仏にこの世で人生に変化をもたらす力を認める立場としましては、
「念仏の功徳や現世利益を説くな」ということには反対します。念仏には徳があり、人を利益するものだと信じております。
282 :
けちゃっぷ:2005/04/24(日) 00:31:46
>>277 逆に、自殺者は念仏しても往生できないとは書かれていませんので、安心してください。
283 :
けちゃっぷ:2005/04/24(日) 00:38:24
どのような形で死ぬかは人間にはコントロールしきれません。元気な時には自殺なんか考えなかった人が、元気じゃなくなって自殺してしまう可能性もあります。
そんな人でも念仏していれば臨終には来迎があり、来迎によって正念が得られます。
「死にたい」「生きたい」等の妄念がなくなるのです。
284 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/24(日) 00:49:15
>>283 思考力を失った念仏ゾンビになるわけではないですか?
言葉が悪くて申し訳有りません。
念仏を人生の目的として生きよ。というのも
現代日本人には支持されうことのない人生方針ですよね。
>>283 >そんな人でも念仏していれば臨終には来迎があり、来迎によって正念が得られます。
まだそんな寝とぼけたこと言ってんのかいな・・・このカルト公務員は。
>>285 あなたは、なぜ信仰者の安心や希望さえも奪おうとするのですか?
自分に負け続けている人でも、最後の最後には平安が得られるのです。
報われるのです。安心していいんです。なぜその安心を奪おうとするのですか?
287 :
けちゃっぷ:2005/04/24(日) 01:17:39
浄土教の言葉で語っているだけなのです。
伝えたいことは、「あなたも今までがんばってきたんですね。わかってますよ。遠慮なく安心していいんだよ。あなたも救われていいんだよ。」です。
288 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/24(日) 01:23:31
>>286 >>285の程度の誹謗中傷?で「なぜその安心を奪おうとするのですか?」なんて
口を尖らせるほど浄土の教えってのはデリケートなものなのかね?
何でそんなに必死になってるのか知らんけど。
289 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/24(日) 01:25:13
>>287 私見だろ?お得意の。
「あなたも今までがんばってきたんですね。わかってますよ。遠慮なく安心していいんだよ。
あなたも救われていいんだよ。」ってのはどこから引用してきたんだ?
290 :
けちゃっぷ:2005/04/24(日) 02:04:59
はい私見です。
なんというか、来迎を説くために来迎を説くのではないのです。安心するための来迎なのです。
念仏を広めるために念仏を説くのではないのです。平安を広めるために念仏を広めるのです。
人生の目的が念仏だから念仏を目的にするのじゃないのです。
念仏が人生の目的なら目的達成が易しい人生になるから、念仏を目的にするのです。
291 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/24(日) 02:08:38
>>290 平安って個々人のものじゃないの?
それと「人生の目的が念仏」とは誰の言葉?
>>288 教えがデリケートなのではありません。
念仏以外に頼れるものがないような人の心は、デリケートなのです。
法然さんが、「現世の過ごし方は、念仏が申せるようにしなさい。」と言ってます。独りでいるほうが念仏できるなら独りでいるのがいいし、結婚して念仏できるなら結婚するのがいい。
生活のすべては、念仏しやすい環境をつくるためにあるのです。つまり、人生の目的は念仏なのです。
>>290 そりゃ凄いわ。
じゃあ、ワシらは受精した瞬間から「念仏を目的に」して生まれてきたんかいな?
そんなアホなことあるかいっての。
295 :
けちゃっぷ:2005/04/24(日) 02:18:30
>>294 生まれてきた理由が念仏のためというのではありません。浄土門に入ったら、念仏を人生の目的にしなさいということです。
念仏ができていればその人の人生はOKと安心していいのだよってこと。
人生不安になったら念仏できるか確認してみる。念仏できたら、「よし、今のところ僕はOKだな。よかったよかった」と安心すればいい。
296 :
けちゃっぷ:2005/04/24(日) 02:24:12
心がよそ見して、念仏以外の妄念に向いていても、そのあとで念仏に帰ってきて、「よし、念仏できた。OKおっけー」と安心してリセットすればいいのです。
そうやって、妄念をリセットしつづけ、心を確認しつづけて生きていけばいいだけなのです。生きることはは、もう難しくないのです。
297 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/24(日) 02:33:20
>>295 >浄土門に入ったら、念仏を人生の目的にしなさいということです
念仏というのはそんなに間口が狭いものですかね?
念仏を人生の目的にするのではなく、人生の目的というものに思いをめぐらせたら念仏そのものだった、
ということでしょう。どこまでも迷うんですよ、疑うんですよ。そこを通り抜けずに「OKですから」「ハッピー
エンドですから」と言われても説得力なんてまるでないわけです。
「目的が念仏?訳分からんこと言うな」から始まり、「やはり念仏そのものだった」というところに辿り着く
のが人生を包括するような本願行としての念仏なんじゃないですかねえ。
○○すればいい、なんて単純なものじゃないと思いますけどね。
>>297 うーん…逆にあなたの方が念仏の間口を狭めているようにも思えましたが。だって、念仏をより知的により複雑に理解しようとしているから。
阿弥陀仏は法身じゃないし、念仏は法華みたいな「宇宙の法」ではないのですから、「気付いてみたら」…とかではないのでは?
「あなたもOKです」と言ってくれるお方がいらっしゃる。だから僕達もあなたはOKだと思います。
299 :
けちゃっぷ:2005/04/24(日) 02:56:43
阿弥陀様の慈悲をいただいて「あなたはOKだよ。安心していいんだよ」と、受け入れ許してくれるのは、生身の念仏者なのです。
この世にはまだ、私の存在を許してくれる人がいる。だから安心できるのです。
蔑まれていた遊女でも、許してくれる法然という生身の人間に出会った。だから安心できたのではないでしょうか。
法然さんは日蓮さんほど強くなかったのです。自分独りの力で念仏に気付いたとしても安心できなかったでしょう。
時代は隔てていても、先に「あなたも救われますよ」と説いていてくれる、善導大師という生身の人間がいたから、安心できたのでは?
301 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/24(日) 03:35:01
>>298 じゃあ、誰か勤勉な愚か者がいたら間違え通しですわね。
そういう危険性は認識してないわけね。
>>301 たしかに、多くの人は疑ったり悩んだりするプロセスを経て、念仏を人生の目的にするのでしょうね。
また、悩んでいるからこそ救いを求める。
でも、そういうプロセスを経なければいけないというわけではないと思います。
臨終間際に初めて念仏を知って仏名を称えた人でも、往生できるのだから。
304 :
けちゃっぷ:2005/04/24(日) 09:57:04
>>297 僕が「浄土門に入ったら」と言ったことに対して、そんなに間口狭くないよとおっしゃったのでしょう。
でも、「あなたはOKだよ。救われるよ」と言ってあげられるのは、浄土門に属する生身の人間だけなのです。
>>304 売り言葉に買い言葉で「じゃあ、入りません」と言われて終わり。
その程度のモンなわけですね(w
306 :
けちゃっぷ:2005/04/24(日) 16:32:59
>>305 救いを必要としている人は浄土門に入ればいい。信者の数を増やすのが目的じゃないのですから。
>>306 信者を増やすなんて誰も言ってませんが?
そうです。僕も言ってません。ですから、入りたくない人は入らなくていいのです。
ただ、入りたい人は入っていいと言うだけです。
誰も許さなくても浄土門だけはあなたを許すよ、阿弥陀仏だけは受け入れてくれるよ、と言うだけです。
309 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/24(日) 17:54:43
>>302 カルトの定義が何なのか教えてください。
>>308 何かさぁ、聖道門と浄土門があってこっちに入ると・・・みたいな考え方してません?
312 :
けちゃっぷ:2005/04/24(日) 20:09:52
>>311 すみません、質問の意味がよくわかりません。
313 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/24(日) 20:23:19
「阿弥陀仏だけは受け入れてくれるよ」「じゃあ、そっちに行きます」という話なんですか?
人間ってそんな単純なものですかね?
ならば誰も苦労はしないと思いますけどね。
>>313 念仏する時にはどんな知的な人でも、「智者のふるまいをせずして」単純に素直に、阿弥陀様に自分をお任せすればよいのです。
そうすれば苦労しなくてすむのです。
315 :
けちゃっぷ:2005/04/24(日) 21:05:36
>>313 思想だけで単純になろうとしても難しいでしょう。色々な妄念が浮かんでしまいますからね。
でも、念仏している時は単純になれるのです。念仏か妄念(念仏以外)かの二つしかなくなりますから。
複雑な思考のすべては、「これは念仏じゃない妄念だ」と、ひとくくりになります。
316 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/25(月) 00:15:40
聖名
けちゃっぷさんと異学異見の諸氏とのレスのやりとり読んでると
非常に参考になる。
けちゃっぷさん、一種の菩薩行やってますね。
讃歎供養に値します。
今後とも応援してますよ。
浄土宗の布教師さん或はお坊さんで感銘を受けた方いますか?
私は大本山Z寺六十六世 R.T. 台下に感銘を受けました。
合掌
教えてください。言葉の誤用があったらご免なさい。
「念仏を人生の目的にする」のでは、他力本願ではないような?
阿弥陀仏が約束したのは、”信じて念仏すれば極楽浄土に生まれ変わらせる”という
ことだと思ってました。漠然と「苦労しなくてすむ」と言われると、ちょっと違うような?
浄土でなら楽な修行で解脱できるから苦労が少なくてすむということですか。
それと、”念仏=阿弥陀仏の名前を称えること” になったのはなぜですか?
「浄土門に入る」 「浄土門に属する」 ということは、
具体的にどういうことを指すのですか?
>>317 念仏を人生の目的にしてもいいのは、念仏で往生できる他力のおかげです。
念仏で人生終わったらまた輪廻をさまよってしまうとしたら、念仏なんかやってる場合じゃなくなります。
阿弥陀仏の本願力があるからこそ、念仏以外に何も必要ないと堂々と言えるのです。心配がないから堂々としていられるのです。
『観無量寿経』に、臨終に苦しんで仏を念じることもできないような人でも往生できる方法が説かれています。
そこに、「汝よ、もし仏を念じることができなければ、無量寿仏(阿弥陀仏)の名を称えなさい」とあります。
320 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/26(火) 06:53:54
>>311 『選択集』なんか読むと浄土宗はそんな教判
「およそこの集(安楽集)の中に聖道・浄土の二門を立つる意は、
聖道を捨てて浄土門に入らしむるがためなり」
「たとひ先より聖道門を学する人といふとも、もし浄土門において、
その志あらば、すべからく聖道を棄てて浄土に帰すべし」
「計れば、それ速やかに生死を離れむと欲はば、二種の勝法の中に、
しばらく聖道門をさしおいて、浄土門に選入すべし」
>>316 特に感銘を受けた布教師はいません。布教師との交流もないので。
F貝先生の講義で、阿弥陀仏はあくまで法身でなく報身だとおっしゃっていたのは、印象に残ってます。
323 :
質問:2005/04/27(水) 00:30:10
電波男先生
一般論として、上座部の止(シャマター)としての釋尊を対象とした念仏と、浄土宗の阿弥陀仏を対象とした念仏とでは、
念仏者の心への影響はどのように異なるのでしょうか?
324 :
牛飼い:2005/04/28(木) 00:15:20
浄土宗か。フランチャイズ住職制度か。まあ、包括法人の坊主どもは毎年、宗務費を
本山に上納しなければならない、可哀相な奴らなのだ。毎年何十万円取られているんだろうな。
こんな俺は実は浄土宗の大学を出ていたりなんかしてます^^
俺はその辺の住職たちよりもっと詳しいこと知っているぜ!所詮住職レベルなやつらさ、なあ、けちゃっぷ君!
325 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/28(木) 01:41:38
326 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/28(木) 07:40:43
>>323 電波男さんいらっしゃいませんね。
サマタ行としての念仏は自力で三昧に入る行ですが、それにヴィパッサナーを加えなければ不十分らしいですね。
他力の念仏は、三昧が目的ではないですね。
327 :
牛飼い:2005/04/28(木) 19:07:20
>>325 あんた誰?他のところで俺の発言見たな、きっと。
そうよ、俺は今単立欲しくてたまんないわけ。一箇所つばつけている法人があるのだが
なんせそこの代表役員がガメつくて、値段の折り合いがついていないんだよ。
その額を出すのなら、法人格なくても自分でやったほうがいいなと、思っているわけ。
がまんして包括法人を買ってもあとで気に入らなく(自分の好きな本尊を置けないとか、
いろいろな制約がありすぎる)なるだろうから・・。
328 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/29(金) 00:16:16
現代日本人に信仰って言ってもなぁ。
JR福知山線の犠牲者のお通夜で、どんな話する?
この世の無常を説くことできますかい?
けちゃっぷ君。
329 :
けちゃっぷ:2005/04/29(金) 16:05:23
浄土宗マスコットキャラクターなむちゃんの4コマ漫画『Hello!なむちゃん』、好評(?)発売中!
330 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/29(金) 17:00:35
>>328 説くも何も、ある日突然何の前触れも無く日常が非日常になるのってまさに無常そのものじゃん。
娑婆の姿そのもの。
御忌も終わりやっと日常にもどってこれました。出勤寺院の皆様、お疲れ様でした。
けちゃっぷさん、あいかわらず人間離れしてますね。
223さんも現世利益を今でもお説きになりますか?
月曜日の事故の後、「念仏を申せばそういう災難にあわない」とのたもうた浄土宗教師
の方がいらっしゃいましたので、叩き潰してまいりました。
涙が出るほど情けない思いをいたしましました。>223さん、それでも今までの発言をくりかえされますか?
>223さん、色々と引用なさっていますが、まったく読めていない(文意が読み取れていない、という意味です)。
あなたのようなケースは毎日の新聞記事を御法語をつかって翻訳する作業をするのが一番いい勉強の方法だと
思います。
けちゃっぷさん、F貝先生のお名前をお出し、感銘なさったというのなら、彼の論文を一渡り読んで、ご自分の
発言をそれに照らし合わせてみてください。遺稿集も出版されていますよ。
-問うて曰く、常に念仏の行者はいかようにか思い候べきや。
答えて曰く、あるときには世間の無常なることを思いて、この世の幾ほどなき事を知れ。
ある時には、仏の本願を思いて、必ず迎え給えと申せ。ある時には人身の受け難きことわりを思いて、
このたび空しくやまんことを悲しめ。
-いかなる方法を以て、我が心を守り、信心をも催すべきや。
答えて曰く、その様一に非ず。あるいは人の苦に遭うを見て、三途の苦を思いやれ。
あるいは人の死ぬるを見て、無常のことわりを覚れ。あるいは、常に念仏してその心を励ませ。
(十二箇条の問答)
334 :
223:2005/04/29(金) 21:24:30
>>332 はい。
天災地変、事故が起こるたびに、日頃どれほど念仏をしているかということが問われるのだと思います。
自分がそのような災難にあったらどうなるか?家族友人が遭ったらどうなるか?
その時になってジタバタしても始まりません。
そして
>>333にも書きましたように、これも念仏行者の受ける徳の内でしょう。
無常を無常と知り、苦を苦と受け止めることで、心の動揺を和らげます。
「このことは以前から習い知ったことだった。今初めて知るのではない」
それができるとしたら、念仏相続の力のおかげだと思います。
>334
そうおっしゃるということは、あなたが遺体安置所でご遺族にそのような発言をなさることができる、と理解してかまいませんね。
私たちにできること、やってもかまわないことは、少しはなれたところから静かに手を合わせて御念仏を申すぐらいのことですよ。
浄土宗だ念仏だといったところで、人間の普通の感情が大前提にあってのことですよ。
>223さん、それでも今までの発言をくりかえされますか?
とありますが、私の発言と
「念仏を申せばそういう災難にあわない」という浄土宗教師の発言が、
どのように似ている、あるいは関連していると思われてそのように言われるのですか?
私は「念仏の徳」ということで一貫して心の問題を言ってきましたが。
>224>235>239>240>244>249>252>270>271>273>278>279>280
337 :
223:2005/04/29(金) 21:48:42
>>335 どうしてそう理解すると思えるのですか?
一番大切なお念仏でさえ、法然上人は「機嫌を計って申すべし」、つまり時と場合、同席の人を考えて
申しなさいと言われたではありませんか?
いわんや念仏を説明したり、法を説くにおいてをやです。
相手のことをだれ彼かまわず何でも言っていいと、どの仏教が教えるのか。
阪神淡路大震災が発生したとき、多くのお寺もまた被害に遭いました。
早朝、僧堂で坐禅を終えたばかりの老僧もおられたそうです。
あわてて駆けつけた子弟を前に、「あわてるな。こんな時に日頃どんな禅をしてるか分かるんだ」と
いち早く冷静さを取りされたそうです。
念仏の行者にこれと同じ事ができるのかは分かりません。
人それぞれ、もっと違う受け止め方になるかもしれない。
>336
>334の発言自体がどれだけご遺族を傷つけることになるのか、お分かりになりませんか?
お分かりにならないから、>336のような発言ができるのでしょうが。
>>328 無常は説くべきでしょう。たとえ、使いふるされた文句を読むだけであったとしても。
340 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/29(金) 21:54:57
>>339 こら、この基地外カルト。
無常をとくとか無いではなく、どのように説くのか聞いてるんだ。
341 :
223:2005/04/29(金) 21:59:14
>>335 浄土宗の念仏は死者への回向の意味しかない、僧侶はそれしかやることはないと言うわけですか。
それが極限まで進んだ結果が、葬式仏教という今大きな批判となっていることを知らないのですか。
>>338 では、心の平静さ、生きているうちに努め励むことを説くすべての仏典も、災害事故に遭われた遺族を傷つけてやまない
とお考えですか?
>223さん。
はっきりいって、念仏にはいかなる意味での現世利益もありません。
現に、私自身が、持ちたくもないのに修羅のような心を持ち、七転八倒して毎日を生きています。
生きるためにはそうせざるをえない。
心が安穏になる?そんな気休め必要はない。この世は地獄です。
その地獄をどうやって死ぬまで生きるか。どうやって悔いのない死を迎えることができるのか。
それが何よりも必要なことではないですか?
>339
無常は事実です。その事実を受け容れられないから苦しむのです。>340さんはそれを仰っていると思いますよ。
>341
だから、あなたは何も読み取れていない、と申し上げているのです。
どのような主張、発言、教説であっても、特定の対象を念頭において、特定の条件のもとで語られている。
法然上人が念仏往生を説かれた、そのことも例外ではない。
そういう意味であらゆる教説は方便です。もちろん、念仏往生の教えも方便に他ならない。
その方便によって私は救われるのです。
344 :
けちゃっぷ:2005/04/29(金) 22:09:36
>>342 受け入れられなくて苦しい時こそ、仏教を聴くしかないのでは?
>344
同語反復の誤謬。
346 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/29(金) 22:12:56
>>344 だから、お前はどのように無常を説くのかを聞いている。
「往生おめでとうございます」などは死を覚悟して言うべし。
347 :
223:2005/04/29(金) 22:23:18
>>343 それは一宗教師さんの私見ですね?念仏は単なる方便だというのは法然上人とは別の見解なのですから。
それとまことにこの世は苦界でございますが、それでおしまいでしたら、一体仏教に何の意味があるのですか?
348 :
けちゃっぷ:2005/04/29(金) 22:27:53
真宗の檀家である祖母がなくなった時、真宗のご住職はちゃんと説法してくださいました。
時々笑いが交じるようなお話を聴くうちに、その場にいる遺族が一体感を覚えるような、すばらしいお話でした。
349 :
けちゃっぷ:2005/04/29(金) 22:31:45
その真宗のご住職は目が不自由で仏壇の前まで手を引いてお連れしなければなりませんが、当然お経は完璧に暗記し、声には力がありお話も上手でした。
>347
まず、方便ということばの意味が何なのか、思い出してくださいね。もちろん仏教語として、ですよ。
方便を究竟とする、というのは大日經の説ですが、初期大乗から方便の位置づけはかわっておりません。
あらゆる教説が方便である、という宣言をしたのは『法華経』です。当然、『法華経』もそういう意味での方便説です。
もっとも日蓮系諸宗ではたいがい誤解していますがね。
そして、中国・日本の諸師はその意味での方便を誤用しているケースが多いですけれども、法然上人にはなかったと
思います。
別の見解なのだと仰るなら、証拠を出してください。二祖以下の発言は却下しますよ。
この世は苦界である。それを認めて(受け容れて)、次の一歩を踏み出させるのが仏教だとおもいます。
351 :
けちゃっぷ:2005/04/29(金) 22:43:55
まずお話で参列者の心のアンテナを仏教に向けさせておき、無常を語るのはお勤めの中で和語で淡々と読めばいい。
聞き流す人は聞き流すだろうし、何か感じる人は感じるはず。
>351
けちゃっぷさん、その手のお話に慣れすぎてしまっていない?
よそのおっさんが葬式の時にそういう法語を読むと、結構反感を買ってますよ。私自身もぞっとします。
353 :
けちゃっぷ:2005/04/29(金) 22:58:03
>>352 かもしれませんね。僕はたまたま成功例を見ただけなのかも。
祖母の生前の思い出なども交えて話してくださり、遺族はご住職に対して敵意じゃなく親しみを抱いた上で法話を聴いたから、反感がなかったのかも。
354 :
けちゃっぷ:2005/04/29(金) 23:03:44
一宗教師さんの考え方からすると、通夜や葬儀のお経は、聞き手に意味のわからない漢文でないとダメですね。
キリスト者は翻訳の聖書を堂々と読みますよね。仏教もそうありたいですが。
>354
かなり短絡的ですね。表葬は遺族の対外的な儀式という面がありますので別ですが、私は年回でも通夜でも
一枚起請文をご遺族と一緒に拝読します。
その上でお話をすることもあれば世間話で終わらせることもありますし、ほとんど何も言わずに座っているだけのこともあります。
檀家制度はいろいろと批判もありますけれども、檀家さんであるから亡くなったご当人、ご遺族の方々を存じ上げている
ことができるわけで、それに応じて色々な対応ができるわけです。いつでも誰にでも通用するような方法はありませんよ。
356 :
223:2005/04/29(金) 23:18:13
苦界にあって滅諦、道諦が説かれたからこそ、人は仏道に導かれるのでしょうに。
坊主が心の安穏は気休めだと言うのでは、それを見ている在家の人は何を目標に信行を励ますのでしょうか。
釈尊も嘆かれるに違いありません。
「恨む人々の中にあって、恨みなく生きてゆこう」とは法句経の一節だと思いますが、
法を修行することによって、人は変わりうるということが、央窟羅魔などのエピソードに示されていると思います。
「あたかも倒れた人を起こすように、暗闇に灯火をかかげるように」釈尊は迷える人に道を示したといいます。
「しかし浄土宗は極楽浄土の教えだからすべて死後の話じゃないか。生きているうちはどうにも変わりようがない。
坊主の仕事も離れたところからせいぜい亡者回向しておけばいいじゃない。生きている人に念仏させるのは時間の無駄だよ」
これでは世界の仏教から仏教と見なされるのかどうかすら怪しいし、信仰にしろ行にしろやっていてなんの
意味がるんでしょうか。疑問が起こります。それなら宗教などやらずに、人と関わり合ったり何かを生み出したり、
限りある生なんですから、よっぽどほかに時間の使い方はありますね。また人も宗教に見向きもしないでしょう。
357 :
けちゃっぷ:2005/04/29(金) 23:20:34
>>355 おっしゃりたいことはわかります。ただ、方便を使い分ける判断は僧侶各個人の能力に依存しなければならなくなりますね。
単純に、そもそも宗教家を葬儀に呼んでいるのだから、説法もあるべきだと思います。
358 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/29(金) 23:21:12
良スレになりましたね。
初代スレを立てた者として誠にうれしく思います。
>356
あなたも相当におめでたい方ですな。
浄土教の原点が徹底した自己否定にあると何度申し上げたことでしょうか。
死ぬまで続く心の安穏ならよろしいが、生きていく以上、そういうことはありえない。
それより>350にお答えくださいな。
死ぬまで続く悔いのない心の状態というのは、どんな心なんでしょうか。
>>359広く大乗仏教経典に説かれる方便のことは詳しく知りません。
以前の私のレスにも質問したまま残されたものがありますのでそれにもお答え下さい。
>357
個人の能力に依存するのは当然でしょう。マニュアルどおりにやればいいというものではないのです。
何も説法せず、ただ経を読み、念仏を申すだけで済ませることが、かえってご遺族の気持ちを和ませる
ことになる場合もありますよ。
>360
>死ぬまで続く悔いのない心の状態
それなんのこと?意味不明。
あなたが今までにスルーした私の質問にきちんと答えたら答えてあげるよ。
仏教語を使うんならせめて辞書ぐらいは引いてから使えと何回いったかな?
大乗経典一般に使われるというより、仏教語として当たり前の意味なんだよ。
その意味がわからないというなら、仏教語なんか使うな。
檀家さんをそうやってだましてはぐらかしてんのか?
362 :
223:2005/04/29(金) 23:46:41
徹底した自己否定はいいですけど、その結論が亡者回向ですか。
自分にできるのはせいぜい亡者回向ぐらいしかないという自虐的な考えを指してそう言うのでしょうか。
どうも一宗教師さんの根底に念仏に対する嫌悪感があるような気がしますね。
世代的に全共闘やその影響下にあるんでしょうか。
まるで「宗教は何の力もない。社会革命や階級闘争を通じて矛盾を追及していく」という思想の洗礼を受けて
その挫折と敗北感を引きずったまま僧侶をされているように感じます。
自己否定を強調するのも、共産主義における自己批判の強調と似てますしね。
違ったらいいんですけどね。
>362
坊主としてできることは、ああいう場では人目に触れず手を合わせることがせいぜいだ、
といってんだよ。結論が亡者回向だなんていってないぞ。
そんならてめぇには坊主として、何ができるんだ?近くにはご遺族がいるだろう。ご遺族が
どういう状況かまったくわからないところに、傍若無人にも、坊主でございといって説教たれるんか?
勝手な邪推と憶測で人を批判するなよな。年齢的にも経歴もゲバ棒ふってた世代じゃないぞ。
364 :
電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k :2005/04/29(金) 23:56:28
>>362 妄想が強いようですね。その文調や内容は加行を終えたての人じゃないでしょ。
団塊の世代ですか?(あんたの真似)
あんたの根本的な錯誤は
>徹底した自己否定はいいですけど、その結論が亡者回向ですか。
>自分にできるのはせいぜい亡者回向ぐらいしかないという自虐的な考えを指してそう言うのでしょうか。
このように、根拠の無い妄想を先取りするところにあります。増上寺の馬鹿布教師にくりそつ
なのはどうでもいいことですが、あなたには論理性が皆無です。典拠を挙げるにしろ、適切
なルールがあるのですよ。教証を経証というぐらいですからあなたの思慮外でしょうけど。
365 :
223:2005/04/30(土) 00:05:48
>>361 >>342で悔いのない死と言われたでしょう。悔いのないという心の状態を説明下さい。
>死ぬまで続く心の安穏ならよろしいが、生きていく以上、そういうことはありえない。
と言われるのですから、一宗教師さんの言われる「悔いのない」というのは死ぬまで続くものなのではと推察して
書いたのです。それがどうやって可能なのかも知りたいところです。
>>364 そんな揚げ足取りは必要ないんですよ。
>>203宗定さえも解ってないでしょ
>>243用は臨終往生だ。
366 :
電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k :2005/04/30(土) 00:11:45
>>365 >
>>364 >そんな揚げ足取りは必要ないんですよ。
揚げ足取り?どうして?批判されればきちんと答えなさいよ。逃げないでください。
>
>>203宗定さえも解ってないでしょ
>
>>243用は臨終往生だ。
壊れ始めましたか?
367 :
223:2005/04/30(土) 00:26:49
宗定ではなく、宗乗でしょう。
用は、ではなく、要は、です。
神社仏閣板でも、葬式仏教をこれほど叩かれているのに、それを全く無視した文脈というのは情けないですね。
スレで坊主や仏教批判している人たちの大半は、荒らしやふざけた調子かもしれませんが、現在の仏教が生きている人
への実践や教えをなおざりにしているという現実がたしかにあります。
死んだ人に手を合わせるのはもちろん僧の勤めですが、それで満足していてはいけないような気がします。
それを最後に持ってくる前に、生きている人と共にやるべきことはたくさんあるし、それがあってこそ、最後に手を合わす僧
の姿にも説得力が出てくると思います。
>223
だからな、私のどこが葬式仏教なのよ。妄想ですね。
カルト信仰の挙句、妄想と事実の区別もできなくなったのですね。
おかわいそうに。
>365の答えはもう書いてるよ。それを探せないのはあなたの能力不足だね。
369 :
電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k :2005/04/30(土) 00:33:22
>>367 >宗定ではなく、宗乗でしょう。
>用は、ではなく、要は、です。
あんた馬鹿ですか?
>神社仏閣板でも、葬式仏教をこれほど叩かれているのに、それを全く無視した文脈というのは情けないですね。
先ほど、折角親切に先取りするなとご忠告差し上げたのにこの暴走っぷりですか。。はぁ。死んでも
直らんなこりゃ。
言っておくが、私は伝統宗教や既成教団、新興宗教などはすべて無価値として認めていない。
別スレッドでも離檀の相談に乗ったり、実際に離檀させたこともある。主にはカルト対策をして
いるが、伝統仏教もカルトと大差ない。
>>368 一宗教師さん、他人の妄想を指摘されるのであれば、死別の悲しみも妄想だと指摘するのもOKでは?
口に「なむあみだぶつ」心に「往生するぞ」と念仏するためには、一瞬妄想を止めるしかありません。
>370
けちゃっぷさん、いい加減、文脈を読む訓練をなさい。
372 :
けちゃっぷ:2005/04/30(土) 00:41:43
念仏のたびに妄想の中断が起こる。妄想が起こってもまた念仏すればいいのだから、安心ですね。
373 :
電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k :2005/04/30(土) 00:42:14
>>370 あんた、深貝先生の葬儀には列席しましたか?
>>364 私は関西ですので東京の布教師さんのことは詳しく存じ上げませんが、もしその布教師さんにひどいことを
言われたり扱われたりしたのであれば、同じ浄土宗教師として謝ります。
たとえ念仏であっても布教の道具としたり、儀式作法の一部としてだけやっていたのでは、やらないよりはましかも
しれませんが、ほんとうに法にかなっているとはいえないのではないでしょうか。
念仏が儀式や布教の名の下に料金が掛けられたり、報酬が払われているのが実質ですが、これを本当に自発的な
布施によるものとするのが第一だと思います。
375 :
けちゃっぷ:2005/04/30(土) 00:45:10
参列してません。
>けちゃっぷさん
F貝先生のお話をお聞きになって感銘を受けられたのなら、先生の絶筆となった論文をお読みになってみてください。
遺稿集に収められています。
>374は223さんですか?
378 :
けちゃっぷ:2005/04/30(土) 00:57:48
>>376 ありがとうございます。
浄土学専攻の学生に対してだからかもしれませんが、F貝先生の話はまるで原理主義者で、衝撃を受けました。
仏教学科すべての学生むけの授業だからでしょうが、I岡先生は阿弥陀仏を法身仏だと思わせるような説明をしていて、それが印象に残っていたから。
379 :
電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k :2005/04/30(土) 01:07:12
>>378 法身佛?そいつは馬鹿だ。そうであるなら他力ではなくなる。宇宙の当体が阿弥陀仏であり、
誓願も五劫思惟も方便であり、淨土そのものが否定されていく。本願力は報身であると一応
解釈するのが妥当と考える。三部経を見ると阿弥陀仏は応身佛なんだけどね。
佛身論は思想的にすごく繊細で緻密なものだからいい加減なことを言ってる奴は腹が立つ。
大体、淨土学科という存在そのものが辺見へと導いていくのだ。仏教学をきちんとしてから
淨土学へ行かなければならない。そうしないから変な教授たちが量産されていく。
佛身論を研究したければ、先ず摂大乘論を読むべし。
しかしまあ、、俺の親父の葬儀に
一宗教師みたいなのがきたらやだな。。
と思ってる人結構いそうだな〜
知識はあるんだろうけど、話聞きたくないって感じ。
まあ、2CHで吠えるだけでリアルではおとなしい人も多いんだろうけど
一宗教師さんは、仏教よりまず対人関係とか話し方を学ぶべきでは??
実際、大分長いことけちゃっぷさんやに-に-さんと話してるのに
全く発展性が無いのは、二人がバカだと言うよりはあなたの説明の仕方が下手だからじゃない?
本読め。辞書ひけ。って坊さん相手だから通用するかも知れんけど
何度もそう言ってダメなんだから、もう少し親切に教えたらどうだろう?
傍から見てるとただの意地悪にしか見えないよ。
意地悪でないなら、本当は何も知らないのに先輩風吹かしたいだけとも見れる。
結局一宗教師さんはけちゃっぷさんやにーにーさんに何を伝えたいわけ?
ただ食いつきたいだけじゃないよね?
381 :
けちゃっぷ:2005/04/30(土) 11:06:44
>>379 法身仏と言えるかどうかもわかりませんが。
「自然や宇宙には形がないので拝みにくく敬いにくい。そこで阿弥陀仏という形を設けて拝み敬っている。」というような説明だったと思います。
阿弥陀仏が無量寿・無量光であるという説明の時の話だったでしょうか…。
382 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/30(土) 11:12:26
今年の布教師養成講座の講師陣がどうなってるか誰か知らない?
383 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/30(土) 14:30:52
誓願や五劫思惟が方便なのか方便でないのか、それを以後のお題とする。
宇宙の果て十万億仏土の彼方に極楽浄土は実在するのか、否かも、どうなのだ。
384 :
けちゃっぷ:2005/04/30(土) 14:49:43
>>383 実在するかしないかは確かめようがありません。
確かめようのないことをあれこれ考えるのは妄想です。
「お経に在ると書いてあるから在る。なむあみだぶつ」とここで妄想を完結させればいい。
385 :
けちゃっぷ:2005/04/30(土) 14:53:34
あの世があるかないか、自分は地獄に墜ちるかどうか、そのような妄想は何の役にも立ちません。
「極楽に往けます。なむあみだぶつ。」と、ここで妄想を完結させる。つまりそれ以上考えない。
386 :
牛飼い:2005/04/30(土) 19:43:41
さすが皆さん、仏教レベル!とってもいっていることが低劣ですね。
世襲していること自体、お前らが何を言おうが説得力ないですね、、
おまけに肉食、妻帯をも受け入れている下劣な僧侶階級たちだね。
お布施も直ぐ自分のポケット行き(キリスト教では親と代表が最初に預かる)。
少しはまともな教務を遂行したら。人の心をもてあそぶ詐欺師教師空手形ではなく。早々
387 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/30(土) 20:59:37
>>384,
>>384 完結させて終わりじゃ宗教とは言えないでしょう。
それを元にどう生きるかを考えなきゃ宗教じゃない。
ねぇ、けちゃっぷさんにとって宗教ってなんですか?
あたしゃ、宗教ってのは幸せに生きる為の道具でしかないと
思うんですけどね。
>>382 知恩院布教師会の比較的偉い人、と聞いたが。
H田先生ならともかく、他の人につとまるのかなあ・・・
行ってみて感想書いてよ。
389 :
けちゃっぷ:2005/04/30(土) 21:22:48
>387 はい、宗教は幸せに生きるための道具だと思います。では仏教でめざす幸せとは何か?それは心の平安ではないでしょうか。
例えば他人から悪口を言われた後で、そのことをいつまでも気にしていては、平安な気持ちになりません。
「悪口言われても念仏往生の障害にはならないから、ま、いいや!」と完結すれば、それ以降は気にしなくてすみます。
また悪口のことを思いだしてしまったら、同じように再び念仏で完結させればいい。
そうやって妄想をその都度完結させ、平安に生きていきましょう。
390 :
けちゃっぷ:2005/04/30(土) 21:28:15
もはや、僕の念仏往生を邪魔することは何物にもできません。人生の最終目的については、何一つ障害はない。
残る全ては「ついで」の問題にすぎません。失敗したとしても「ついで」にやろうとしたことにすぎないから、どうってことはない。
391 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/01(日) 02:40:34
浄土宗の青年僧侶の皆さん、恋愛したいでしょう?
かわいい嫁さん欲しいでしょう?
392 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/01(日) 04:36:35
>>382 M一派が怪文書で問題にされて、干されたからね。
F貝先生が理論的支柱だったし、M先生もなくなってしまったから。
その門下生が2年に一回集結しているが、あまりに原理主義でついて
いけない。と自分は思った。
>>388 H先生は末期のがんでもうだめらしい。
次期構想で御恩忌に向けて次期知恩院布教師会の会長職も約束されていたのに
もう仕事もかなりセーブしている。
394 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/01(日) 04:42:44
>>223さんの言い分には戦時教学で「念仏していれば弾にはあたらない。」と
説いた某増上寺法主と同じ危険性を感じる。
395 :
けちゃっぷ:2005/05/01(日) 09:57:26
弾に当たっても当たらなくても、往生できます。
396 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/01(日) 10:44:49
ダメだこりゃ・・
>>392 そう?
でも最初は原理主義から出発したほうが良いと思うな。
少なくとも間違ってはいないわけだし。
自分の考えを押し進めて行ったらどんどん浄土宗の教えから離れて行っちゃうし。
398 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/01(日) 12:44:59
>>393 H上人が末期ガンというのは本当ですか?
399 :
けちゃっぷ:2005/05/01(日) 13:11:30
>>391 質問の意図がわかりませんが。
愛欲は患いです。凡夫の病気の症状として「恋愛したい」という愛欲が出てしまっている。
愛欲は非我。自分自身ではない。残念ながら愛欲病にかかっているだけ。
400 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/01(日) 13:28:45
宗内では原理主義が間違っているといわれるようなってきていますね。
いまどき阿弥陀仏なんて誰が信じのかと布教師までいいだしてきて、
世間うけしようとして耳ざわりのいいことを説こうとするみたい。
M先生のお弟子さんが完璧に原理主義とはおもわない。でもちょっとはましかな。
教師養成講座ももめてるみたいだけど、今年きちんと開講できるの?
401 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/01(日) 20:13:37
>>399 アンタ、凡夫じゃないのかい?
冷めた人間なんだね。
402 :
けちゃっぷ:2005/05/01(日) 20:42:32
僕も凡夫であるので、残念ながら愛欲の熱を患っていいます。持病ですね。
愛欲は患いだけれども、たとえば結婚した場合、嫁さんを大切にする責任が生じますね。
たとえ愛欲を克服できたとしても、結婚した者が妻子を捨てて隠遁するのは結婚式での誓いを破ることになるので、やってはいけないと思います。
403 :
一宗教師:2005/05/01(日) 21:17:44
>381
けちゃっぷさんも223も坊主だよ。坊主じゃなきゃ対応はまったく別だね。
特に223に対してはまだ優しくしてるよ。ほんとははらわた煮えくり返ってるんだ。
>けちゃっぷさん
>391はあおりだからほっといたらいいのに。でもあなたの対応に対する>401は
至極妥当ですよ。>402を読むとなおさらそうおもうぞ。
404 :
一宗教師:2005/05/01(日) 21:23:07
ごめん、381ではなく、>380
406 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/01(日) 22:17:47
>405 ありがとう
>392 がいう怪文書がなにかしらないけれど、いままでの指導員がけつをまくったというのでどうなったのかなと思ったんだ。
教師養成講座はいままで仏大よりはましだったけど、こっちも質がおちそうだし、223やけちゃっぷみたいなのが
ばんばんでてきそうな悪寒がする。
407 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/01(日) 22:42:00
念仏の日課誓約守ってる?
408 :
けちゃっぷ:2005/05/01(日) 23:58:57
>>403 『仏弟子の告白―テーラガーター―』に、
「そこで、わたしに、正しい道理にかなった思いが起こった。患いであると思う念が現れた。世を厭う気持が定まった。」
…のような表現がよく出てきます。
愛欲は、肉体をまとってこの世に住む凡夫ならではの患いですよね。
409 :
223:2005/05/02(月) 01:14:25
>>394 具体的に私のどの発言がどういう風に類似して危険なのか、説明いただきたい。
私見を言えば、念仏しようが、しまいが弾にはあたる時は当たるもんではないですか?
念仏して病気にならない、事故にならない、死なないなら、どうしてこの世に病気や事故で死ぬ人がいますか。
>>336で一貫して心のことを問題にしているのだと自分の発言にレスアンカーまでつけて書き込みましたが、
ぜんぜん読んではいないのでしょうね。
人生には常に浮き沈みが避けられません。弾が当たった後、つまりいざ病気や事故が起きたあとどのように
受け止められるか、そこでその受け止め方によってその後の人生も変わってくる。現実に変化が見られるのです。
これが宗教の担える役割の一つであり、浄土宗で言えば念仏することによってそうなっていく。
410 :
けちゃっぷ:2005/05/02(月) 12:44:02
『仏弟子の告白』を読んでいると、仏弟子達は、自分の感情と自分を切り離して、客観的にみていたのだろうと思われます。
まるで、酔っ払って記憶がなくなった時の自分の振る舞いを他人から聞かされて、素の自分が「やってしまった!」と思うみたいに。
暴走する心を、目覚めて冷静な時の自分が「患わしいできごと」として見ている。
僕も酒に弱いので、酔った時の自分の心身の反応が患いだと感じます。だから、深酒を厭う気持ちがあります。
412 :
けちゃっぷ:2005/05/02(月) 12:57:29
もし僕が酒に強ければ、酒は恐くないし、酒を厭う気持ちも必要ない。
もし僕が愛欲に強いならば、この世の誘惑は煩わしくない。しかし、僕は凡夫なので、この世は危険な誘惑がいっぱいです。
>>406 おそらく講師はさほど変わらない。
でも常任指導員の二人が降りた、というか降ろされたので
雰囲気はガラリと変わりそうな気がする。
新しい指導員は本山布教師会から来るらしいけど、一年限りの約束らしいし、
来年からは布教師養成講座も無くなるかもしれんね。
佛大行かなかった自分としてはあんなに宗学勉強したことは無かった。
いまだに原稿出来て無い夢見るもん。
414 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/03(火) 15:21:37
今日はいい天気だ。
阿弥陀様はどうやって西方極楽浄土を建立されたんですかね?
仏になったら浄土を作れる神通力を得るんでしょうか?
仏ってほとんど創造神?
415 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/03(火) 20:58:41
F貝先生ご逝去後、派閥子飼のを住職にさせるべく、家族を追い出そうと画策した悪党がいると聞く。
その後、どうなったのかな?だれかその悪党のこと知らないか?ここで晒そうぜ。
手持ちの情報では○市K区S寺の住職だとか。不確かだけどな。
417 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/04(水) 01:41:08
>>416 けちゃっぷが釣れるとはおもわなんだ。
へぇ〜〜。
お前、関係者か?
418 :
けちゃっぷ:2005/05/04(水) 02:19:29
>>417 関係者ではありません。
何がどう悪党なのかわかりませんが、僧団の仲間の罪を言いふらすのはやめたほうがいいですよ。
419 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/04(水) 02:32:46
みんな連休中忙しい?
うちは毎日法事一件ずつorz
今日も今から行って来ます。
421 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/04(水) 15:46:18
何か空しくないか?
422 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/04(水) 16:41:26
>>418 あなたのような人がいるから教団の自浄作用が働かなくなる。
かえって教団の腐敗を助長することになるのに気がつかないといけない。
明治ごろの浄土宗の僧侶は強烈な闘いをしていましたよ。
かの望月信亨は詐欺師とまで罵られていた。そうやってあの大辞典を完成させたんだよ。
423 :
電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k :2005/05/04(水) 17:09:45
やっとICUから出ることが出来た。
けちゃっぷさん。もうすこし本質を見るように努力すべきでしょうね。
近代浄土宗において、唯一尊敬できる孤高の師、福田行誠上人が何を目指したか
あなたは知るべきです。師の目指したものに反する破仏法の流れが、
>>415さんの
指摘した事実に血脈されています。本当に恐ろしいめぐり合わせです。
あなたのその「なあなあ」は仏教と福田行誠上人に弓引く行為であることだけは自覚してください。
424 :
電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k :2005/05/04(水) 17:17:23
訂正します。
>>422さんのご発言にあるとおり、当時の浄土宗僧侶には多くの原理主義者がおり、腐敗
と戦っていたことは歴史的事実です。ですから私の発言
>近代浄土宗において、唯一尊敬できる孤高の師、
の「唯一」という言葉は妥当ではありませんでした。けれどもその流れは全く絶えており、
浄土宗はすでにカルトであると認定せざるを得ません。
425 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/04(水) 17:24:35
浄土宗がカルトって・・・
他の宗派もかわんねえよ。
426 :
電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k :2005/05/04(水) 17:34:34
>>425 あなたの意見を否定しません。ですが、少しアテンションの必要がありますので言及いたしましょう。
カルトについて
(1)他の宗派について、このスレッドでは論じていない
(2)よって他の宗派は同じくカルトであると今ここで断じてしまうわけには行かない
(3)しかし、他の宗派はカルトではないというわけではない
という事ぐらいは読み取ってください。
427 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/04(水) 18:03:24
結 論 : 浄 土 宗 は カ ル ト 教 団
428 :
一宗教師:2005/05/04(水) 18:17:32
>>409 223さん。連休中はあなたの嫌いな亡者回向にいそしみはげんでおりました。
>394は私ではありませんが、心が澄むとかいうあなたの主張は同類ですよ。
阿弥陀仏の光明が心に澄みわたるのであって、我が心が澄むのではない。
この違いすら分からないあなたの日本語能力を哀れにおもってさしあげましょう。
繰り返し書きますが、念仏をいくら申しても煩悩はなくなることも弱くなることもない。
心が澄みわたることも正念を得ることもない。何の現世利益もないのです。
>350をなど、あなたにあわせて教証を出せとたずねたレスにはきちんとお答えくださいね。
>422 は私です。コテハン付け忘れです。
429 :
一宗教師:2005/05/04(水) 18:24:31
>>427 この手のカキコはいい加減うざいんだが、何がいいたいわけ?
430 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/04(水) 20:51:44
一宗教師さんはやはり今の教団には不満があるのですか?
やはり浄土宗の教団は腐敗してるのでしょうか?
私は仏教各派の中では結構浄土系が好きなのですが
なんかここ読んでると、やはり現実はそんなに綺麗じゃないんだな・・と思ってしまいます。
所詮人間の集まりだから、教団も会社や学校と同じように汚い部分はあるんでしようね。
ところで、一宗教師さんがけちゃっぷさんや223さんに厳しく当たるのは
2人に期待してでしょうか?軽蔑してでしょうか?
431 :
一宗教師:2005/05/04(水) 21:50:28
>430
不満というよりは何処から手をつければまともになってくれるのか、という気持ちです。
それ以上のことについては今は保留しておきます。
事実としては、現在の浄土宗教団が腐敗しきっていることは事実です。
>所詮人間の集まりだから、教団も会社や学校と同じように汚い部分はあるんでしようね。
これはとても大切なことだと思います。どのようにすばらしい理想を掲げていても組織化されたとたんに
腐敗する。仏教だけでなくあらゆる教団が教団組織になったとたんに腐敗してしまっているのが
その証拠だとおもいます。かの創価学会にしても戸田城聖のころと今とまったく異なってしまったのも
同じ理由によると思います。
223氏に対しては固定観念に凝り固まってしまいどうしようもない人でしょうね。
はっきりいって、斜めに構えていしまっている。もっと法然上人にぶつかって行って欲しい。
むしろ彼の発言が与える悪影響を排除する必要があると思っています。そういう態度で氏には
対しています。
けちゃっぷ氏にはしっかりと法然上人の教えを受け止めていただきたい。
そのために必要な情報を自分で得て、しっかりと自分で考えて欲しいとおもっています。
432 :
けちゃっぷ:2005/05/04(水) 22:23:56
>>423 2ちゃんで晒すべきではないネタじゃないかと思いまして。
一宗教師さん、223さんが念仏で心が「澄む」とおっしゃったのは、わからなくもないです。
阿弥陀仏の力で澄むのではなく、一心専念には瞑想の要素があると感じるからです。
433 :
一宗教師:2005/05/04(水) 22:29:43
>432
むしろ法然上人はそのような発想は否定なさっています。ただ申す、それだけです。
434 :
けちゃっぷ:2005/05/04(水) 23:24:51
>>433 教義上はそうですけど、個人的な経験では、念仏生活の中で心を観察する癖が身につきました。
一切が苦である、愛欲が患いであるというのも、念仏のおかげて「なるほど!」と思えましたし。
435 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/04(水) 23:30:14
念仏の布教に情熱がある人?
けちゃっぷ君は勿論あるんでしょう?
現代日本人の望むものとのギャップを感じない?
いま、「念仏」って求められているのかな?
436 :
けちゃっぷ:2005/05/04(水) 23:46:39
「ただ申す」といいますが、凡夫にはそれが難しいんですよね。口と心ばバラバラになってしまう。
437 :
けちゃっぷ:2005/05/05(木) 00:21:29
>>435 心の平安は求められていると思います。
念仏が心の平安に役立つというアピールをすべきでしょう。
438 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/05(木) 00:28:59
>>437 現代日本、
金儲けのことのほうが明らかに主流。
心の平安を念仏がもたらしてくれることが明らかならば、
大勢の人々が率先して念仏してるよね。
でも、事実はそうでないよ。
439 :
223:2005/05/05(木) 00:31:41
>阿弥陀仏の光明が心に澄みわたるのであって、我が心が澄むのではない。
私にとってはこの言葉は観念的過ぎます。
お経の説くところによれば、阿弥陀仏の光明は普く三千大千世界を照らしているそうです。
しかしただそれだけでは経典を口移しに話しているだけであって、私の感得するところではない。
具体的に「阿弥陀仏の光明が心に澄みわたる」とは何なのでしょうか。
「いま阿弥陀仏の光明が心に澄みわたっている」と私において知られるとき、心と身体ある私にとってそれはどういう
状態として自覚されるのでしょうか。
それがいかなる変化ももたらさず、いかなる状態としても述べられないなら、
ただ本で習ったり先生から教えられて「阿弥陀仏の光明が心に澄みわたるのであって、我が心が澄むのではない」
と口移しに言ってるだけではないでしょうか。
440 :
223:2005/05/05(木) 00:38:19
以前に宗教板かどこかで引用されていたと思いますが、気になるパーリの経文があります。
「いろんな人が我が説こそ正しいと言うけれども、単なる伝聞や伝統の権威、師説などに依らずに、自らやってみて
これは有益であり人を利益すると知ればそれを受け入れればいいし、これは良くないし人にも害になると知れば棄てなさい」
手もとに資料がないですがたしかこんな内容だったと思います。
これは宗教を判断する時の基準の一つになるのではと思っています。
教学を暗記したり、盲目的に信仰を受け入れたり、一時的に感情が高ぶって、それで救われたとか光明とか言って何になり
ましょうか。「私は救われた」という人には、単にその主張を信じるのではなく、その人の心身や生活全般を
見た上で初めて救われている云々できるのではないでしょうか。端から見てその人の身口意になんら変化なくむしろ悪化すら
していると思われる時に、「救われた」とか光明とか言う人がいるならば、カルトの教えや洗脳の可能性があるのではないですか。
441 :
けちゃっぷ:2005/05/05(木) 00:54:46
>>440 一宗教師さんは念仏にはまったく現世利益がないとおっしゃってましたから、身口意に何の変化もなく、ただ臨終に往生するだけだと考えているのでしょうね。
念仏すれば光明に触れて心がやすらぎ罪業も滅します。これは平生に受ける現世利益ですよね。
442 :
けちゃっぷ:2005/05/05(木) 01:10:44
>>438 人々は煩悩にまみれ、快楽を追い求めているのです。その価値観をぶちこわさねばなりません。快楽を求めれば求めるほど、苦悩の種は増えます。金を儲けようとすればするほどストレスが増えます。
念仏が流行らな世の中、仏教が流行らない世の中、心の平安より物質を求める世の中は、苦しみにあふれてしまいます。
>>441 御法語にでてくる「自身安穏」の話が、
念仏の現世利益(に近いニュアンス)について話していると思うのだが
念仏のための生活を送る(衣食住=念仏の助業)
↓
後世の憂いが無くなり、意義のある生活が送れる
↓
安穏とした毎日が過ごせる
444 :
けちゃっぷ:2005/05/05(木) 01:14:04
「護念増上縁」の御法語では、摂取の益を蒙るのは平生であると答えられていますしね。
445 :
けちゃっぷ:2005/05/05(木) 01:17:27
生活のすべては念仏のためにあるのですから、念仏さえできていれば自分の生活はまずまずOKだと安心できます。
446 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/05(木) 01:18:45
仏教の矛盾
皆が出家して僧になってお経三昧の生活したら、だれが米を育てたり
お魚採ったり、服を作ったりするのでしょうか。
所詮坊主は寄生虫。
他人に業の深い仕事に従事させた上でなければなりたたない理想社会なんて
そもそもおかしい。
人として考えた場合、念仏唱えているだけの人間よりも、一生懸命社会で
働き、念仏唱える暇のない人の方が、ずっと生き方としてまっとうだと
思うが。
お金持ちでも貧乏でも念仏はできます。だから、金は儲けても儲けなくてもどちらでもよい。
そのどちらでもよいことのために、毎日ストレスを蓄めて苦しんで生きているのは、悲しいですよね。
448 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/05(木) 01:26:27
南無阿弥陀仏
訳
阿弥陀仏に帰依し奉る
たしかそんな意味だったかな?
念仏唱えていたって意味が分からなきゃ、なんの救いにもならない。
それこそ、カラオケで大声で歌うたった方がストレス発散。
本当に念仏の効果を出すなら、日本語に翻訳して、それを読んで意味を
考えりゃいいと思うが。
葬式でも、死人になったからといって、急に念仏理解できるとは思えないけど
449 :
けちゃっぷ:2005/05/05(木) 01:28:33
>>446 衣食住が無くては生きていけないようなこの世からおさらばする方法を、仏教は説いています。
全人類が仏教徒になれば、最後の一人まで全員が入滅し、二度とこの世生まれてくる必要はありません。
言い方を変えると、修行の必要がなく全員卒業すれば、この世に欲情のある生物は必要ありません。
450 :
けちゃっぷ:2005/05/05(木) 01:34:28
しかし、悟っていない生物が死ねば、再び迷いのある生物に転生しますので、生物はなくなりません。
たとえ悟っていない人をポアして殺しても、救いにはならない。二度と迷いの世界に戻らない境地に導かねばなりません。
451 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/05(木) 01:38:17
>>447 現代の日本人は経済的な豊かさを得て幸福感を味わっている人
多いよ。働いて給料もらって家庭生活を営むことに幸せを感じてる人が
殆どよ。
我々、寺の生活も檀家の経済的豊かさが
なかったら支えてもらえないじゃん。
念仏に専念する国家になってしまったら
日本は速攻貧しい国になちゃうだろう。
念仏に必要を覚える人は
ふつうに生活してる一般の人にはいないだろうな。
452 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/05(木) 01:41:29
453 :
けちゃっぷ:2005/05/05(木) 01:43:12
>>451 四苦八苦は、貧乏でも金持ちでもなくなりませんよね。失恋から病気や死の問題まで、さまざまな苦があります。欲が多いほど苦も多くなります。
454 :
けちゃっぷ:2005/05/05(木) 01:51:27
>>451 民間企業で勤めてた時は、給料は充分もらってましたが、ストレスいっぱいでしたよ。
お金のためになぜここまでしないといけないのかと思うことが多々ありました。
455 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/05(木) 02:05:59
>>453 欲って生命力の現れだから、これを全否定して
我々人類は生きることはできないよね。
社会生活を営んでるわけだから。
ストレス解消も念仏でなければならないというわけでないし、
魂の救済についても地球上にいろんな信仰があるように、
念仏でなければならないというわけではない。
現代日本人は日本人の価値観の多様化を自覚してるからこそ、
念仏信仰を伝えることに温度差を感じてしまう。
けちゃっぷ君は温度差を感じませんか?
456 :
けちゃっぷ:2005/05/05(木) 02:17:39
>>455 生への執着も欲なんですけどね。我欲のためではなく社会的責任のためだけになって、淡々と生きて死ねれば、ストレスもないでしょうにね。
「○○したい」・「○○しなきゃ」「○○できない」ではなく、淡々と「○○する」だけになれば、苦悩はないはず。
温度差があるから説かないというなら、ブッダは誰にも教えを説かずに終わってたでしょう。温度差を埋めるのが我々の仕事です。
457 :
けちゃっぷ:2005/05/05(木) 02:25:02
価値観が多様化しているから、念仏を説いても理解されないかもしれない。でも、何十人いたらそのうち数人は理解するかもしれない。
聞く側は、仏教を聴いて温度差を感じている自分を反省する機会にもなります。欲があってあたりまえだと思ってたのが、欲そのものが間違いかもしれないとか。
458 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/05(木) 02:43:05
けちゃっぷ君は布教に情熱がありますね。
辻説法して温度差を体験されてみてはどうでしょうか?
あるいは、現代日本の常識人代表として田原総一郎さんとかと
対談してもらいたいものです。
温度差の解消にはダイナミックな運動がつきものですよ。
お念仏の現世利益に関して個人的な意見だけど、
、お念仏を唱えて心が休まる人も少なからずいるだろうし、
安心から心が平穏になれば寿命が延びることもあるかもしれない。ないとは言い切れない。
例えばお檀家さんで、死期が近付いたのを感じて戒名をつけてくれ、と言って来て付けたら
元気になったというような話は結構ある。
それを阿弥陀様のおかげ、といわれたらこっちも困るんだけども、全否定するのはどうかと思う。
我々教師としては現世利益を積極的に説くべきではないし、間違っても現世利益を目的とした
お念仏を勧めるべきではない。ただ全否定する必要も無いんじゃないかな、と思う。
460 :
けちゃっぷ:2005/05/05(木) 09:38:47
461 :
けちゃっぷ:2005/05/05(木) 09:50:38
>>459 病気した時に、「阿弥陀様のおかげでこの程度で済んだ」と感謝するのは、いいと思いますね。
462 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/05(木) 10:41:42
前に浄土宗の上人に
「念仏すると極楽往生以外にどんな良いことがあるんですか?」と聞いたら
「う〜〜ん。。そうですね〜〜」としばらく考えて
「とりあえず歌がウマくなりますよww」と返ってきました。
そら確かに、毎日腹から声出して念仏してれば歌もうまくなる罠・・
とずっこけつつも妙に納得。
お坊さんって歌がうまい人多いのも事実だし。
その後、急に真顔になって言われたことは
「でもね。歌がうまくなりたいから念仏する人は多分いないですよ。」
その時は、そらそうっすよwwって感じで答えたのですが、今思うと結構深い意味があった気もします。
念仏の効果というか副産物があることを否定せず肯定もせず
例えば、きつくなったズボンをはくために食事制限したら健康増進&食費節約さらに彼女できたみたいな
ことはあり得るわけですが、目的がぼけると何時まで経ってもズボンがパンパンなわけですな。
そういう意味では、念仏の現世利益を考えるのは邪道なのかも知れないですね。。
と、最近仕事の合間や会話の合間に念仏が出る症候群に悩む一阿弥陀様ファンの意見でした。
463 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/05(木) 18:08:24
>>460 けちゃっぷ君の辻説法には期待しています。
ふつうの恋愛はできますか?
けちゃっぷ君の念仏信仰についての考えに理解を
示してくれる年頃の現代日本女性っているのかなぁ?
464 :
けちゃっぷ:2005/05/05(木) 18:39:41
>>463 ふつうの恋愛って…。
信仰が違っても恋愛は可能だと思います。
まぁ偶然にも、今の彼女は宗門の学校出身で、授戒も受けていますが。
465 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/05(木) 19:23:32
江戸時代に念仏信仰は民衆の心の拠り所になっていたのですか?
その辺りの事情を知っている方教えてください。
466 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/05(木) 20:31:30
>>464 このスレで言ってるようなことを彼女に語る事もあるのかい?
たとえば、「念仏が人生の目的」とか、デート中に念仏してるとか?
それを受け入れてる彼女だったら大したものだな。
467 :
けちゃっぷ:2005/05/05(木) 20:49:35
>>466 いや、そこまでは語らないです。
ホームページはときどき見てるらしいですが。
468 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/05(木) 22:40:56
>>467 そうだろうなぁ。それやってたら逃げてるよ。
469 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/05(木) 23:05:44
470 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/06(金) 01:51:25
>>469 オマエ、何も知らない野郎だな。
日本の坊さんは9割9分、なまぐさなんだYO!
471 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/06(金) 16:16:37
浄土宗のくそ坊主が報恩感謝の念仏・・・・・・・・・・・・プゲラ
472 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/06(金) 19:03:36
>>470 9割9分? 1%も戒守っている人いるかな?
0.01%未満と思うよ。
473 :
牛飼い:2005/05/06(金) 20:46:18
だから住職の娘や息子はろくな奴がいないんだよ。
娘は大抵やりマン、バツイチ、こぶつき、借金ってか。
ま、色情因縁が強いからな。おまけに檀・信徒から懸命に搾取してるしな、
因縁になっているのさ。自分の因縁解消してろや、他人を救済できる立場では
ないだろう糞坊主どもよ。
474 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/06(金) 21:00:06
浄土宗の救済は極楽往生ですよ?
因縁解消ってあなた。勘違いもはなはだしい。
475 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/06(金) 21:03:11
釈尊の時代から仏教僧侶って
誹謗中傷を受けてきたんだろうなぁ。
476 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/06(金) 21:20:35
釈尊自身誹謗中傷されたそうですからね。
正しい教えは外道悪人から誹謗中傷されるものです。
477 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/06(金) 22:53:03
お釈迦様が
「人生を楽しみなさい」とおっしゃた話とか知ってる人いる?
478 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/06(金) 23:56:35
>>476 真の悪人はお前ら糞坊主でぁ〜る しゅわっち〜
479 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/07(土) 00:17:47
悪人正機なり。
480 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/07(土) 00:42:06
>>477 そんなこと言うわけないでしょ。「一切が苦」と言われたんですよ。
481 :
けちゃっぷ:2005/05/07(土) 01:05:54
他の人々が「安楽」であると称するものを、諸々の聖者は「苦しみ」であると言う。
他の人々が「苦しみ」であると称するものを、諸々の聖者は「安楽」であると知る。
解し難き真理を見よ。
無智なる人々はここに迷っている。 (ブッダのことばより)
安らぎは虚妄ならざるものである。
諸々の聖者はそれを真理であると知る。
かれらは実に真理をさとるが故に、快を貪ることなく平安に帰しているのである。
…極楽の住人も、このような境地に達しているのでしょうね。
483 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/07(土) 01:21:50
日本人は聖者になりたいのかねぇ〜。
夢や希望に向けて人生を充実させたいというのが
多くの現代日本人の本意。
仏教は現代日本人の心に響き難しでしょう。
特に多くの若者、壮年層に支持されることは難しいよね。
484 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/07(土) 01:37:37
人生を楽しむことも大切なことの筈。
Shall we dance?見て思ったな。
喜びを共感しあう大切さというものを
仏陀は勧めなかったのかな?
485 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/07(土) 01:47:31
486 :
けちゃっぷ:2005/05/07(土) 01:53:02
喜びは必ず過ぎ去りますよね。一般人は、快楽を味わうとそれに執着し、快楽が過ぎ去る時に苦しみを感じてしまう。
畜生は、目の前の刺激に操られ、後先考えずに突進して痛い目にあう。
仏は後先考えることができます。餌に突進する畜生に比べれば、それは宿命通・天眼通という神通力と呼べるほどに。
そして、快楽の奴隷にならずいつも平安でいるのは、漏尽通という神通力。
487 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/07(土) 01:53:34
この世に夢や希望を持てるのだったらそもそも極楽浄土は願う必要はないですね。
喜びや共感?そんなものは浄土宗には関係ありません。地獄のようなこの世界でどうやってそんなことに期待できますか。
488 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/07(土) 01:57:53
>>486 今度は神通力ですか。カルト具合も危険な領域にまで達したようですね。
現世利益で人をまどわすのはやめなさい。
489 :
けちゃっぷ:2005/05/07(土) 02:01:36
日本人の多くが「ふつう」だと思ってる、欲をかなえるための生活は、実は欲によって苦悩に縛られる生活方法なのです。
浄土教も仏教なので、一応その点は説くべきでしょう。
でも、凡夫だから欲が捨てられず苦悩する。そこで念仏となる。
490 :
けちゃっぷ:2005/05/07(土) 02:07:40
>>488 現世利益?仏の智慧を神通力と呼んでるだけだと思いますが。
普通の人が冷静に判断できない時でも後先考えて冷静に判断できるのを、過去や未来を見通す神通力にたとえているのでは?
動物には罠のしくみが複雑すぎて理解できないから、罠にかかったのが偶然に思えるかもしれない。
しかし人間にとっては罠のしくみは複雑ではなく理解できるので、必然に見える。動物の知能から見たら人間の予測は予言(神通力)に見える。
491 :
けちゃっぷ:2005/05/07(土) 02:12:32
いつも冷静な仏から見たら、快楽を追い求める凡夫の行動は、すでに罠に片足つっこんでるのにまだ進もうとする行為に見える。だから「危ないよ、止まりなさい」と説く。
でも凡夫はなぜ危ないか理解できない。
492 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/07(土) 02:24:20
まずは、けちゃっぷ君。
法事の席で法話はされてますか?
あるいは
辻説法して、人の反応を見てはどうですか?
あまり自分の中で煮詰め過ぎないで、
けちゃっぷ君の語りにどんな反応が起きるか知る事が大切でしょう。
493 :
けちゃっぷ:2005/05/07(土) 02:33:37
彼岸や御忌の時には法話をやらせてもらってます。
494 :
けちゃっぷ:2005/05/07(土) 02:38:03
彼岸や御忌の時には法話をやらせてもらってます。
まぁ実際人に話す時は、内容よりも話し方や表情が大事らしいですが。
495 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/07(土) 12:42:16
>>494 それで聴衆の方々の反応はいかがですか?
読み取ることできますか?
496 :
けちゃっぷ:2005/05/07(土) 13:23:36
>>495 反応は悪くないと思いますが、念仏往生を信じてくれてるかどうかはわかりません。
人づてに、「○○君は話がうまいらしいね」と言われたことありますが、「話がうまい」のと「阿弥陀仏を信じた」のとは別ですからね。
しかし、神社のお守りを信仰する程度には信仰してくれてると思います。
497 :
けちゃっぷ:2005/05/07(土) 13:28:19
たとえば、「あそこの合格祈願のお守りは効くらしいよ」と噂があれば、お守りの力で絶対受験が成功するとまでは信じてなくても、家族や親戚のためにお守りを買いに行ったりします。
念仏も、「昔から念仏で極楽に往けると言われてる」から、念仏しておこう…くらいには信仰してもらえると思います。ありがたい言い伝え、みたいなかんじで。
498 :
けちゃっぷ:2005/05/07(土) 13:45:34
檀家さんの多くは僧侶でも仏教学者でもなく、日本教徒です。だから教相判釈や他の宗派との優劣は重要ではない。
受験の時はあそこのお守り、病気にはあそこのお地蔵さんが効く、そして最後臨終の往生には阿弥陀仏にすがる…と、とりあえずは、その程度の信仰から入ってくれればいいかなと。
499 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/07(土) 14:01:32
その若さでご立派ですね。
確か御齢28歳でしたよね。
加行を終えて6年目ぐらいでしょうか?
若者や壮年の方々も心傾けてくれますか?
「念仏が人生の目的」というような話をされるのですか?
「生活に活かされる念仏」のようなテーマで話されることは
ありますか?
けちゃっぷ君だったら、
今回のJR福知山線事故死者の遺族の方々にどんな法話をされますか?
>けちゃっぷさん
そういうお守り信仰的な理解というのが今の浄土宗を腐敗させているんです。
信心決定しなければ無間地獄に堕ちてしまうんですよ。そのことをちゃんと檀家さんに伝えていますか?
無始以来罪悪を重ねて転生してきた凡夫であるという自己否定のうえで
救済主として弥陀一仏への絶対的な信心を確立してこそ悔いのない臨終を迎えることができる。
けちゃっぷさんのやり方ではみすみす信者を地獄に行かせるようなもんですよ。
501 :
けちゃっぷ:2005/05/07(土) 14:57:11
>>499 お寺の行事でいちばん若い人は、30代でしょうか。興味はもってくれている気がしますね。
僕は実家にもどってまだ2年ほどなのですが、とりあえず基礎仏教用語の説明からやってる段階です。
事故死だからどうのこうのというのは、尋ねられたらお答えすればいいと思います。
502 :
けちゃっぷ:2005/05/07(土) 15:03:17
>>500 檀家さんの場合、素朴な阿弥陀さん信仰らあり、だからこそお寺に来てくださっていると思ってます。
僕はとりあえず、先祖供養以外の仏教を基礎から少しずつお話していきたいと考えています。
あらためて考えてみると、ここ2年、僕は原始仏教と念仏往生しか説いておらず、大乗の聖道門はすっとばしてるかも。
503 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/07(土) 15:28:20
>>501 そんじゃ、
今回のような事故死者の霊前で遺族に尋ねられたら、
どんな話すんの?
504 :
けちゃっぷ:2005/05/07(土) 15:40:42
505 :
けちゃっぷ:2005/05/07(土) 16:13:13
>>500 もしかしてですが、一心専念弥陀名号というのを、阿弥陀仏以外は信仰してはいけない等と一神教っぽく理解してます?(ちがったらごめんなさい)
たしかに、阿弥陀仏の慈悲にすがるしか救われない凡夫ですが、「念仏しかない」より「念仏だけでいい」を強調したいと思います。
「だけでいい」から、安心して念仏生活できる。一心専念弥陀名号の瞬間を生活の中に意識的に設けるということは、実は自分の心を確認する癖をつけることになります。
506 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/07(土) 16:17:57
>>503 「和尚さま、お話をお願いします。」
で十分だと思うけど。
さて、どんなお話する?
507 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/07(土) 17:26:15
だからお前ら世襲妖怪坊主が何を言おうと説得力ない
他人と養子縁組くらいすれよ 偽救済者たちよ
508 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/07(土) 18:11:05
浄土宗には因縁という言葉はないのか?お前らの御託聞いていると吐き気がする。
身体障害者に生まれるということは、過去世の因縁が働いているということだ。
因縁でないなら、なんだ?仏教をわかってんのかよ。詐欺師アマチュア坊主どもが!
極楽往生?そんな言葉は何にも関係ない。論点がずれている=お前ら因縁三昧坊主のように・・笑
509 :
けちゃっぷ:2005/05/07(土) 18:50:13
>>508 念仏をすれば過去の罪は消えます。苦しむのはこの世かぎり。次の世からは成仏に向かって行きます。ちなみに極楽の住人には、姿形に差異はありません。
510 :
けちゃっぷ:2005/05/07(土) 19:06:34
>506 具体的な質問がないと答えにくいのですが…
寿(いのち)と識(こころ)と煖(体温)の3つの要素が離れた時、それを死と呼びます。寿とは、私達を生かす、すべての因縁です。
空気や食物も私達を生かす寿だし、自分の行い・経験や、過去に出会った人のくれた知識や思い出も、寿(いのち)の一部となって、私達を今生かしています。
今まで出会った人々がたとえ亡くなったとしても、その人が遺してくれた寿は、私達の中に生きています。
今、寿を受け継いで生きている私達がすべきことは、私達が幸せになることだと思います。与えられた寿に感謝して、幸せになるしかありません。
511 :
電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k :2005/05/07(土) 19:13:36
>>508 おまえの言ってる事こそ吐き気がするんだがな。
過去世の因縁?カルトかお前は。
512 :
一宗教師:2005/05/07(土) 20:38:24
>508
おまえの言うことにゲロがでる。
過去の因縁なんて持ち出すあたり素性がしれるな。てめぇこそカルトだ。
詐欺師め。どれだけだまして人を不幸にした?えぇ?いってみな。
513 :
一宗教師:2005/05/07(土) 20:40:02
>509
けちゃっぷさん、あなたの発言も>508と同類だよ。
あなた、本当に加行を受けてるの?
514 :
一宗教師:2005/05/07(土) 20:42:23
ぎゃっ。電波男氏とかぶってまった。ごめんちぃ。
515 :
電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k :2005/05/07(土) 20:57:47
>>514 。。。。。。。
これじゃ、自作自演疑惑でてもしかたないなぁ。。。。
516 :
一宗教師:2005/05/07(土) 21:01:49
>515
ほんまやなぁ。気がついていたらカキコしなかったんだけど。
出勤日を分けますか?
517 :
けちゃっぷ:2005/05/07(土) 22:53:55
>>513 なぜ?
念仏で罪業は消えないのですか?
518 :
けちゃっぷ:2005/05/08(日) 14:17:14
スピード違反の事故なんて車ならいくらでもある。たまたま電車で、犠牲者が多かったというだけのこと。
犠牲者が少ない普通の交通事故だって人が死んでるという点では同じ。
タクシー運転手に「急いでください」と言うのは平気な人でも、今回の事故にやいやい言ってる人は多いでしょう。
これこそが凡夫の愚かさなんでしょうね。死因が何であっても、寿命が長くても短くても、お釈迦様なら嘆かないはずだから。
519 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/08(日) 17:07:44
親○会は無視しましょう。
520 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/08(日) 18:23:39
そんなことより知恩院の財務部長が数億円も投資で失敗したことや、
管主が1000万円もするマツケンサンバみたいな袈裟着てることや、
門地門閥血筋によって生まれながらの身分制度がいまだ宗門内にあることについて
どう思ってるのか聞きたいねえ。
金があるとこにはあるんだなぁ。うちはないから、大遠忌関係の寄付については完全シカト。
522 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/08(日) 19:25:19
けちゃっぷは個人情報を自ら晒しすぎだな。
523 :
一宗教師:2005/05/08(日) 20:36:37
>517
確かに『観経』には生死の罪が滅せられる、と書いてある。だが、罪を犯したという事実は消えない。
罪を犯したという事実が消えない以上、罪を犯したことに対する苦しみはそう簡単には消えないよ。
>518
けちゃっぷさん、あんたもずいぶんひどいことをいうものだね。それはおいておいて、
>死因が何であっても、寿命が長くても短くても、お釈迦様なら嘆かないはずだから。
これ、ほんとうにそうなのかな?昔からずっと疑問なんだ。そういう人間的な感情が釈尊にないと考えていいのだろうか。
524 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/08(日) 20:53:38
たとえどんな死に方であっても仏陀において自分の死を嘆くということはない。
525 :
一宗教師:2005/05/08(日) 21:02:11
>524
自分の死はそうだろうけれど、他者の死についてはどうだろう、ということ。けちゃっぷ氏の文脈は”他者の死”に関してですね。
526 :
けちゃっぷ:2005/05/08(日) 21:20:58
527 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/08(日) 21:32:16
仏心は大慈悲是なり。
身近な親しいものを亡くした悲しみにある者に対して
釈尊が思いやりなく接するとは思えない。
「ゴータミー」の話がよく上げらるが
それにしても愛別離苦で悲しむものに釈尊はどう接したのだろうか?
528 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/08(日) 21:38:29
一緒に手を合わせてお念仏したはずだよ。
529 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/08(日) 22:00:35
お釈迦さまは、
優しさに包まれたオーラの持ち主だったことは間違いないよね。
530 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/08(日) 22:07:41
日本に聖者現れないかな。
本物現れたら既存仏教なくなるかね?
未来仏はインドにしか現れないのかな?
531 :
けちゃっぷ:2005/05/08(日) 22:17:51
>>527 『尼僧の告白』のキサー・ゴータミー尼の残した詩句に、
「一族が滅びた女よ。そなたは限り無い苦しみを受けた。さらに、幾千〔の苦しみの〕生涯にわたって、そなたは涙を流した。」
とあります。
これは、釈尊の言葉を回想したものでしょう。苦しみ・悲しみを理解しているからこそ、執着を離れた平安を説いたのではないでしょうか。
532 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/08(日) 22:27:54
>>531 釈尊はどんな表情で語りかけたんだろうね。
どのような語り口だったんだろう。
表情と語り方で伝える内容が同じでも大分印象が違ってしまう。
533 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/08(日) 23:54:43
光顔魏魏?じゃまずい?
534 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/09(月) 22:44:58
>>519 俺は思親会信者あるいは職員ではないぞ(馬の骨日蓮なんぞに興味ないわい)。
お前らと同様な釜の飯を食った者だ。俺を大切にしろよ。
>>532 釈迦?何だそれ?もう俺はこいつの御託は卒業したのさ。仏教教義とは、もとはギリシャのアポロンが考え出した教えであり、こいつ(俺より素性が低い=偽ブッタ)の教えではないのだ。
それにブッタは人間であり神ではないぞ。くだらないことに時間を掛けずにヒンズー教を勉強しなさい=哲学クラスの仏教とは訳が違いウ゛ェーダー聖典はレベルが違うぜ!
けちゃっぷ肉食坊主君にもお勧めする!
535 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/10(火) 00:34:30
釈迦も感情を備えたひとりの人間であった。このことを忘れてはならぬ。
時には無知蒙昧の衆生に説法することに疲れて憂いに沈んだことだろう。
時にはいつまでたっても理解の進まぬ不出来な弟子に苛立ち、声を荒げたことだろう。
教団の後継にと目をかけた舎利子・目蓮二大徳に先立たれた時には、大地にもんどり打って慟哭されたろう。
あるいは見目うるわしい比丘尼たちを目の前にして、心穏やかならぬこともあったのではないか。
成仏といって難しく考えるよりも釈迦も人の子と考えると、凡夫にも成仏までの道のりは開ける。
536 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/10(火) 01:30:06
「ナンダーよ。病におかされ、不浄にして腐った身体を見よ。心を専ら専注し、よく安定して、身体は不浄であるとの想いを修めよ。
無相の想いを修めよ。心にひそむ傲慢をすてよ。そうすれば、そなたは、傲慢を充分にさとったことにより、心静まった者として日を送るであろう。
尊き師は、このように、この詩句をしばしば唱えて、見習尼ナンダーを教えさとされた。」
537 :
けちゃっぷ:2005/05/10(火) 01:35:43
>>535 釈尊は苛立ちや怒りはなく、常に瞑想により心静かでいらっしゃったと思います。
>>534 思親会なんてあったのね。霊友会系か。
念頭にあったのは親鸞会だったんだけどね。
けちゃっぷの カルト教に騙されて
檀家さん 自力念仏地獄行き
如来の大悲賜りて 信心決定いたさねば
虚しく輪廻六道の 生死苦海へ逆戻り
畏るべし それは後生の一大事
540 :
一宗教師:2005/05/11(水) 17:38:16
>539
>如来の大悲賜りて 信心決定いたさねば 虚しく輪廻六道の 生死苦海へ逆戻り
なんじゃそりゃ?まるでカルトじゃん。気色悪い。
たまに早く帰ってのぞいて見れば、変なのが沸いて出てるな。
541 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/12(木) 01:19:34
専修念仏の日々を送るってことは、
視点をズラすと明らかにマインドコントロールを受けることだね。
ふとしたときに、念仏を囁いている自分がいてします。
極楽往生に重きを置けない現代日本人に
念仏を布教する意義は大きいのだろうか?
人生の悲哀や苦悩が念仏で解消されるとは経典には書かれてないよね。
ほんとに?
どんな人生になっても念仏できてればOKなのかなぁ?
542 :
けちゃっぷ:2005/05/12(木) 12:54:16
今の人生がどんなに苦しくても、とりあえず念仏してれば極楽に往生できますからね。
543 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/12(木) 19:44:14
境内の掃除やってるかい?
15年間、草取りやってきたが嫌気がさしてきた。
544 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/13(金) 01:00:39
悪を止め、善を修する。これが諸仏の教えです。
もちろん強制ではなく、自分の自発的意志によるものでなければなりません。
念仏も半ば強制的にどこかの道場に入れられて言わされている限りマインドコントロールと変わりません。
跡継ぎのお坊さんなんかそうかも知れませんね。
しかしいろんな思想や修行に触れてみた上で念仏が大事と知った上でやるのであれば、マインドコントロールには
ならないのではありませんか?
ところで念仏は
「一心専念阿弥陀如来願生彼土、此如来名号及彼国土名号能一切悪」(曇鸞「往生論註」)
と言われて、極楽へ往生するばかりではなく、現世において「悪を止めることのできる」修行でもあるわけです。
だからこそ善導にしろ法然にしろ「一念十念して終わり」じゃなく、命の尽きるまで念々相続して一生申していけと
言われるわけです。この現世における念仏の利益を信じるのもまた広い意味で念仏を信じることでありますから
疎かにはできないのです。
545 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/13(金) 02:57:33
自浄吾意
546 :
けちゃっぷ:2005/05/14(土) 16:39:38
「カルト」と「マインドコントロール」というのは、悪い意味で便利な言葉ですね。
どんな思想信条信念も、「マインドコントロール」と言えますから。マインドコントロールだから間違いというわけではないでしょうし。
547 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/15(日) 23:55:10
本物を見極めるって難しい。
548 :
けちゃっぷ:2005/05/17(火) 12:58:23
>>544 人間には身・口・意の三業しかないわけですから、合掌して口に念仏し心に往生を想っている時には、三業が念仏でフタをされてしまい、他の行為ができませんしね。
549 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/17(火) 17:50:30
念仏は三業のフタなんだね。
生きるってヤヤコシイ。
550 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/17(火) 23:32:02
大川隆法、長者番付に載ってたな。
やっぱり潜伏力あるな。
551 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/18(水) 00:42:01
教師資格保有者ですが、修業したいです。
どっかおすすめの寺院ないですか??
よく荒い山とか聞くけど・・。 教えて下さい。
552 :
牛飼い:2005/05/18(水) 02:20:44
>>551 教師ってホントか?修行場所などあるわけねーだろ(修験道系統の修行しても意味ないぞ)。
浄土宗の連中に聞いてどうする。天台か真言へ行きなさい。
553 :
愚者ぐしゃ ◆rxhO1m7LOU :2005/05/18(水) 08:53:19
最近浄土宗に興味を持ったものです。
正直いえば、仕事の関係で浄土宗を肯定しなきゃいけないんですが・・・。
「念仏を唱えることで心の平安を得る」とてもよいことだと思いました。
しかし、「他者に怒りを覚えるのは自己の煩悩」と考えることが「他者の
行為を是とすること」とどう違うかがわかりません。
「大量破壊兵器を恐れるのは煩悩、念仏していればイラク戦争はなかった」
みたいな記述を読みましたが、他者の明確な暴力に晒された場合は、たとえ
ば侵略行為を受けた場合は念仏を唱えて心の平安を保っている場合ではない
ように思われます。
だからといって悪いというのではありません。ただ、やはり社会的な問題は
守備範囲の外と考えた方がよいのでしょうか・・・?
554 :
愚者ぐしゃ ◆rxhO1m7LOU :2005/05/18(水) 08:57:37
すみません、ここは神社仏閣板だったのですね・・・・
どこかよいスレへご誘導願えれば幸いです。
南無阿弥陀仏
555 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/18(水) 11:05:30
556 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/18(水) 13:52:42
>>549 原始仏教だともっと大変ですよ。
「ここに比丘たちよ、比丘は正しく観察し、眼根の防護をそなえて住みます。比丘たちよ、彼が
眼根の防護をそなえずに住むならば、諸々の煩悩や破壊をもたらす苦悩が起こり得ます。
しかし眼根の防護をそなえて住むならば、それら諸々の煩悩や破壊をもたらす苦悩が生じる
ことはありません。
彼は正しく観察し、耳根の防護をそなえて住みます。・・(同上・・
彼は正しく観察し、鼻根の防護をそなえて住みます。・・(同上)・・
彼は正しく観察し、舌根の防護をそなえて住みます。・・(同上)・・
彼は正しく観察し、身根の防護をそなえて住みます。・・(同上)・・
彼は正しく観察し、意根の防護をそなえて住みます。・・(同上)・・」(MN2・「一切煩悩経」)
経典中その他類似の表現多数です。六根を観察注意してそこに起こる感覚に対する執着を防御する
(フタをする)、あるいはすでに起こってしまった執着に対して無常・無我・苦等と見極めて心を落ち着ける。
言うは易く行うは難しです。
557 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/18(水) 14:28:21
>>553 「他者に怒りを覚えるのは自己の煩悩」と考えることは、「他者の行為を是とすること」とは本来次元が違うでしょう。
怒りは、心身の反応の一つです。好むと好まざるとに関わらず、それは起こってしまいます。ですからこそ我が身に逼迫して
悩み煩わせるという意味で「煩悩」なのです。
それに対して他者の行為を是とするか、否とするか。これはそのような反応に巻き込まれずとも、理性的に判断される
べき事柄ではありませんか?
仏教ではある判断をするのに常に中道をもってします。
憤怒や恨みの怨念にまかせたり、あるいはその反対に歓喜、忘我、陶酔したりして、それで正常な判断はできませんね。
いついかなる場合でも、常に冷静に、心を落ち着けて対処することが最善の結果を生むのではありませんか?
災害、事故、事件、あるいは日常のどんな人間関係においてもです。
新聞でもニュースでも、怒りや絶望や忘我によって起こされる悲惨な事件・事故、あるいは災害後の拙い対処などは枚挙
にいとまがありませんね。反対に、困難な状況にあってもいち早く平静さを取り戻せば、混乱や二次災害を防いだり思いやり
のある対処ができます。
558 :
けちゃっぷ:2005/05/18(水) 18:02:10
>>553 社会的な問題、特に技術的な問題は、浄土宗の守備範囲外でしょうね。
他人に殺人等の罪を犯させないようにするのも、慈悲のひとつだと思います。抗議すべき時には抗議すればいい。ただし仏教では、そこに怒りや憎しみを交えないのが理想でしょうね。
559 :
551:2005/05/18(水) 19:11:47
>>552 知恩院で仮行受けました。
黒谷の修練に一年入るのも、いいと思っておるのですが、捨世派の九品院では、そのような志を持つ者に門戸を解放しているようなので、お聞きしたのですが。
560 :
牛飼い:2005/05/18(水) 21:14:11
>>558 お前も地味にいいこというな〜。
>>553 バクティヨーガ(献身奉仕)の道に生きなさい。それが一番の早道です。
たんに肉体的に苦痛(荒行)を与えても時間(寿命)の制約がありますし、
行法テクニックなどを磨いても一時的有限行為にしかすぎません。
また怒りなどについては下記を参考にしてください。
感覚の対象を見、また思うことで、人はそれに執着するようになり、
その執着によって欲望が起こり、欲望から怒りが生じる。
怒りに迷って妄想を生じ、妄想によって記憶が混乱し、
記憶が混乱すれば知性を失い、その結果、人は再び物質界におちる。
561 :
牛飼い:2005/05/18(水) 21:24:52
>>559 俺に対しての質問かよ。
俺は単立宗教法人(昭和57年認証)の寺院にいたので宗派内のことについては詳しくない。
他の裏話であればその辺の住職よりも際どく面白い話を沢山知っているが・・。
ひとついえることは包括宗教法人で得度しても何もならないぜ。辞めときなさい、くだらない団体に加盟するのは。
562 :
牛飼い:2005/05/18(水) 22:27:55
563 :
けちゃっぷ:2005/05/18(水) 22:45:16
>>559 「修行」の目的は何ですか?悟るため?それとも、浄土宗教師としてのスキルアップのためでしょうか?
564 :
けちゃっぷ:2005/05/18(水) 22:58:13
人生は念仏です。「朝起きて念仏する」というより、「眠る間念仏を中断していた」のです。
凡夫が念仏以外の何かをやる場合、たいていは煩悩の誘惑に釣られてやってしまいますね。
しかしできれば、「これはわざわざ念仏を中断するに値する行為か」を冷静に判断したいものです。
565 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/18(水) 23:13:53
566 :
けちゃっぷ:2005/05/18(水) 23:41:30
>>565 数えたことないですし、数で言ったらたいした数じゃないと思います。数よりも、頻繁に念仏を思い出すのが大切ではないでしょうか。
一日分まとめて朝に称えて「はい今日のぶん終わり」というのでは、もったいないですから。
567 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/19(木) 00:18:06
>>566 立派なこと言ってるけど、
阿弥陀様の御前で誓いを立てた筈の日課誓約は守ってるかい?
なかなかこれが、守れないんだよな。
568 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/19(木) 00:23:52
浄土宗の青年僧侶の皆さん、
茂木健一郎著「意識とはなにか」ちくま新書
でも読んで新しい息吹きを入れてみよう。
569 :
559:2005/05/19(木) 00:47:01
>>562 そんなつもりはありません。宗門の方だと思っていたもので、そのように伺ったまでです。
>>563 悟りのためではありません。一宗の教師としてのスキルアップです。
といっても、高い位が欲しい等の望みのためではありません。
570 :
愚者ぐしゃ ◆rxhO1m7LOU :2005/05/19(木) 07:12:36
>>557 「仏教ではある判断をするのに常に中道をもってします」
大変よくわかりました。私の場合「心を平静に保つ」ことの反対はどちら
かといえば「歓喜を感じる」ことで、「怒りを感じる」時も「義憤」と思う
ことが多いのでどちらかといえば平静に保ちたがらないのですが・・・煩悩
による判断の誤りを避けるよう心がけたいと思います。
>>けちゃっぷ さん
そうですか。ただ「範囲外」という答えはちょっと残念ですね。「念仏を
唱える」ということが「ムダな努力」と同意に使われることが多いのがもった
いなく思えてきているので・・・。確かにに宗教によって大量破壊兵器の存在を
明らかにすることはできないでしょうが、慈悲の心によって殺人を犯すもの(この
場合は戦争)を救うことはできないだろうか、と夢想します。
本当に単なる凡夫なので
>>560さんの言ってることも半分くらいしかわからない
ので・・・折に触れて勉強してみます。
571 :
けちゃっぷ:2005/05/19(木) 08:30:42
572 :
けちゃっぷ:2005/05/19(木) 12:32:30
>>570 金将軍様が仏教徒であれば、行動が変わっていたでしょう。逆に、僕が彼と同じ遺伝子を持ち同じ環境で育ったら、ああなってたかも。
悪人になりたくて悪人になる人はいないと思います。たまたま何かの要因で、罪を犯してまで手にいれたい・守りたいという執着に取りつかれたのでしょう。
核兵器で殺されても往生できますので、核は念仏者の幸福を邪魔できません。
573 :
けちゃっぷ:2005/05/19(木) 12:39:56
ミサイルで念仏者を殺すことはできても、念仏者の往生を妨げることはできません。
念仏者の往生に関しては、大量破壊兵器は無力ということです。日本国民全員がミサイルを恐れなければ、北のミサイルは外交カードにならなくなりますよね。
574 :
牛飼い:2005/05/19(木) 14:23:50
>>573 そうだな。
無知だから人間に生まれた。生と死の繰り返しから救ってくれるのは至上主だけです。
早く至上主の下に逝き永遠に超越的な歓喜を楽しみましょう。
575 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/19(木) 20:22:20
576 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/20(金) 09:03:36
age
577 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/20(金) 21:56:56
浄土宗の青年僧侶って、どんな生き甲斐をもって生きてるんだ?
けちゃっぷ氏はどんな生き甲斐もってる?
孫正義は5000億円の財産もってるんだってねぇ〜。
いろんな夢持てていいな。
とブツブツつぶやく。
578 :
けちゃっぷ:2005/05/20(金) 22:39:40
生き甲斐がないと生きられない…みたいには考えたことはないかも。
ひろさちやさんが「生まれたついでに生きている」と書いてました。好きな言葉です。
あえていうなら、やることがあるから生きてるかんじ。急に自分が仕事休んだら周りに迷惑かけるから、仕事行く。
楽しいことはたくさんありますけどね。
579 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/20(金) 23:39:39
「生まれたついで生きている」
好きになる人もいるだろうし、
人を小馬鹿にした表現だと受け止める人もいるだろうな。
念仏する人と念仏しない人で、死後に違いは本当にあるのかい?
けちゃっぷ氏、どうすか?
坂本政道著「死後体験」とか眺めるとどうなんだろう?
と素朴な疑問が湧いてくる。
580 :
牛飼い:2005/05/21(土) 00:07:45
>>孫正義は5000億円の財産を持っている・・
現世で金もちであっても何の意味もなさない。アパート経営したところで純利益率5パーセントいくかいかないか位であろう。
膨大な固定資産税を支払わされてそのうち首が回らなくなるのは目に見えているし上場企業とて実のところ儲かってない=例をあげれば相模鉄道、西武鉄道、
東急グループなどもはっきりいって債務超過である(会社四季報)。でかい会社を経営しています、アメリカにも別荘を持っています、などというのは、全て虚空なのだ。
なんの自慢にもならない。釈迦の説いている「無」、「空」とはこのことなのだ(この例にも当てはまる)。
一寸先は闇。一歩進めばどんな危険に会うかわからない。物質界は悲惨な場所なのである。だが無知な人はそのことを知らない。無知な人々、
知性の劣った人々は、もうかる仕事や地位につこうとして努力を惜しまない。経済的に豊かになったり有力な地位につけば、必ず幸福になれるものだと思っている。
この宇宙のどんな場所でも、どんな種類のものでも、肉体を持っていれば苦悩は付き物である。この事実が彼らにはわからない。物質界にはいたるところに悲しみ、
苦しみが満ちている。生まれる苦しみ、死ぬ苦しみ。そして老いの苦しみ、病気の苦しみ。しかし本性を悟った人は、つまり自分は主の永遠の僕であると悟った人は、
まっすぐに主を愛し主に奉仕する生活に入る。その結果彼は主の惑星に行く資格を得る。
肉体(物質)を維持するためには働かなければならないし今生で金持ちであっても、そうでない者であってもこの世は儚く住みづらいものなのです。
物質である肉体にこだわらず。悩みのもとである肉体を脱ぎ捨て主の惑星に行くことを最終目標とするべきである。主の惑星に入ったならもうこの儚い現象世界へ
二度と生まれてくることもないのだから・・。
581 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/21(土) 00:54:43
>>580 孫正義のような努力も体験もできないくせに、
浅はかな見解述べたもんだ。
アンタの意見に耳傾けてたら、
日本人のみ〜んな、
無気力になっちまってどうしようもなくなるだろう。
お寺も財施で護持して貰えなくなる社会になっちまうよ。
アンタがパソコン使って2ちゃんねるにカキコできるのは、
こういう産業を開拓した人間がいるからだぞい。
582 :
牛飼い:2005/05/21(土) 00:56:57
>>579 >念仏する人と念仏しない人で、死後に違いは本当にあるのかい?
念仏する人としない人、その違いは三あり、その一つは死後の違いですが、
それは死んでみなければわかりません。わかる方法がありますか?ないですね。
二つは臨終と平生。これは生きている内に確かめられます。
「主の惑星」
生まれて初めて聞く単語ですね。何かに記述のある言葉ですか?
それともただの妄言?
585 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/21(土) 06:34:31
一宗教師さん、電波男さんの文には怒り、蔑み、プライドなど個人的な感情からくる煩悩が至る所に見えます。
その点、けちゃっぷさんの文は上手くはないけれど(〜OKです、の言い方は抵抗ある。日本語で大丈夫ですと言ってほしい(笑))お二人のレスやその他汚いレスにも「怒り、蔑み、馬鹿らしいネタだから無視」などの煩悩はなく、穏やかな心で慈悲を持って接しているのが伝わってきます。
けちゃっぷさんのような方が今、日本に必要なのではないでしょうか。
現代日本に宗教はいらない、念仏はいらないとカキコする方が沢山いますが、それらが失われてきたせいで、犯罪、気の緩みからくる事故が増えているのに何故気付かないのでしょうか。
目的がなく、自身を失っている事が何故わからないのでしょうか。
便利な物を作り過ぎ知恵を失い、お金や低俗な快楽に執着し健康を失っている。
今の世の中の大多数がそうゆう人間になっている。
大多数だからと正しいと開き直っている。
けちゃっぷさんのような方がいて、しかも話し方がなっていないどうしようもない輩にまで、きちんと対応している姿に私は感動しました。
これからも頑張って下さい。
586 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/21(土) 07:19:52
>>582 自分が世俗人より優れていると思ってるようだ。
慢心の人。
587 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/21(土) 07:26:27
けちゃっぷには、人の気持ちを理解しようと努力する必要がある。
と、思う。
588 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/21(土) 07:33:31
>>585 >便利な物を作り過ぎ知恵を失い、お金や低俗な快楽に執着し健康を失っている。
今の世の中の大多数がそうゆう人間になっている。
大多数だからと正しいと開き直っている。
凡夫の自覚がないのぉ〜。
そういう君は正しい人間かい?
宗教板の方がいいのかもしれませんが・・・。
「核兵器は念仏者の往生を妨げることはできません」
一般的に考えれば単なる戯言に聞こえるかも知れませんが、あくまで宗教的発言
と考えれば検討に値すると思います。
ただ、「心の平安を保つ」ということが「往生」なら、「核兵器の脅威」に対しては有効
ですが、「目前の刃物をもった暴漢」に対しては無力であるといえるでしょう。あ、「核兵器
の物理的威力」に対しても。
このあたりを分けないと話自身が成り立たないでしょう。
そして「話が成り立たない」ところには宗教もその存在意義を失うと思います。
590 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/21(土) 08:26:08
>>585 話の流れを読めてないんだね。電波らが厳しいのはけちゃっぷが自殺者の家族に対して
「往生おめでとうございます」と言ったからなんだ。そしてその思想構造に問題があると
指摘してるのだ。
591 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/21(土) 08:35:45
>>590 ほんとうか?じゃ最低なやつじゃん。585も、ただの阿呆だということになる。
592 :
けちゃっぷ:2005/05/21(土) 09:11:31
>>589 念仏は攻撃呪文じゃありません。病気を治す魔法でもないし、若返りの秘術でもない。
刃物で殺されるのも老衰で死ぬのも同じことです。死ぬ時には死ぬものですから。
どんな死に方でも極楽で往生できます。殺される時には殺されたらいいし、殺人犯に抵抗したければ抵抗すればよい。
目の前にいない殺人犯について考えるより、念仏してるほうがマシです。殺人鬼のことは殺人鬼に出逢ってから考えればよい。
このように考えるとき、殺人鬼への憂いはたちどころに滅して念仏に置き換わる。
593 :
けちゃっぷ:2005/05/21(土) 09:22:51
>>589 実際には殺されかけていないにもかかわらず「殺されたくない」と思うから、愚者ぐしゃさんのような疑問を感じるのでしょう。
実際殺されかけた時にジタバタしたくなったらジタバタすればよい。
その時までは、「もし殺されたら早く極楽に往けるからラッキーだ。生き延びたらこの世で色々やるべきことをやれるからラッキーだ。」と感謝していましょう。
>>592-593 なるほど。
そのセンでもう少し思索してみましょう。
ご教授ありがとうございました。
595 :
けちゃっぷ:2005/05/21(土) 09:54:45
>>579 生きている人間にとって、故人は極楽で幸せになっていると思わないと人生やってられない場合もあります。
死んだ母親が輪廻して虫になってるかもしれない、魚になって今晩のおかずになってるかも…なんて想うよりは、よっぽど好い。
596 :
けちゃっぷ:2005/05/21(土) 09:57:18
>>594 こちらこそ、楽しい会話をありがとうございます。
597 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/21(土) 12:46:46
>>589 >「核兵器の脅威」に対しては有効ですが、「目前の刃物をもった暴漢」に対しては無力であるといえるでしょう。
いえ、必ずしもそうではありません。
念仏者も怠ることなく一行に徹して行住坐臥、長時に修行していけば、「目前の刃物をもった暴漢」に対しても
「心の平安を保つ」ことができます。
仏教一般で言っても「核兵器云々」といった高度に政治的・軍事的脅威に対して平静さを保つ前に、もっと日常に即した
現実的なことに平静を保つことが大事です。父母の小言、子供のわがまま、上司の叱責、部下の失敗、意地悪な同僚、
・・・いろんな縁に触れて心かき乱されますが、それも平静さを保つ修行のうちと考えます。
お釈迦様は比丘に向かっておっしゃいました。「たとえ盗賊に捕まってのこぎりで体を挽かれようとも慈心を失って怒りを
なせば、これは我が弟子に非ず」と。
また空を説いた龍樹の弟子、聖提婆は「百論」を著し多くの外道説を斥けました。しかし後にこれを恨んだ者によって
刀で刺されました。聖提婆は暴漢を憐れんで言いました。「早く逃げなさい。私の弟子の中の悟っていない者がお前を
捕まえて殺してしまうかも知れない。私の僧衣と鉢を使って隠れなさい。」
駆けつけた弟子たちに言いました。「一切は空である。この真理に照らせば、刺した者も、刺された者もいなかったのだ。
犯人を恨んではならない」言い終わって亡くなりました。
これほどの聖者の振る舞いは凡夫にはできるはずもない、と怯んではなりません。
念仏者もまた「目の前の暴漢は無知と業に覆われてはいるけれども、自分と同じ阿弥陀仏の光明に照らされている者で
ある」、と心得てこそよく堪え忍ぶことができます。
>>599 反応があったのでさらに質問することにします。
けちゃっぷさんに「ないことをあると想像してみること自体がちがう」と言われた気
がしましたが・・・・。まあ、思索の材料として。
私が「目前の刃物を持った暴漢に対して無力」と言ったのは、「自分に向けられた刃物」
ではなく「他人に向けられた刃物」を想像してのことでした。念仏者の往生を暴力はさま
たげることはできないでしょうが、地上に暴力が存在する以上、念仏者でないものが
往生遂げられない可能性も存在するわけでしょう。
こんな問題の立て方に品がないことを認めた上で聞きますが、目の前で人が殺され
ようとしている場合、念仏者(とくくっていいかどうか知りませんが、文脈的に)にでき
ることは、今まさに真理を悟れず殺されようとしている凡夫に「念仏を唱えなさい、さ
すれば今刺し殺されても往生できます」ということだけなのでしょうか?
601 :
牛飼い:2005/05/21(土) 14:45:41
お前かよ!この間からワンパターン語の「慢心の人」といい続けてる奴は。
お前のタリン児語には付き合ってられん。また今度論破してやるからな、楽しみにまっとれ。
602 :
けちゃっぷ:2005/05/21(土) 19:40:12
>>600 目の前で誰かが暴漢に襲われている場合、念仏でどうのこうのは関係なく、止めに入るとか、人を呼ぶとか、警察に通報するとかすればいいでしょうね。
その際に自分も暴漢に刺されたとしても、念仏で往生できます。何もせずに逃げても往生できます。
同じ往生できるなら、どちらを選択するか(どちらをとっさに選択してしまうか)、これは個人の性格や能力に依存しています。
罪を犯そうとしている人を止めたり、死にたくないという執着があるのに殺されそうな人を助けたりするのは、それらの人の苦しみを予防する慈悲の行為です。
仏教徒なら、できるかぎり慈悲に基づいて行動すべきだとは思います。
>>けちゃっぷさん
ご回答ありがとうございます。
ただ、できましたら599さんの法にお答えをいただければと思っております(それとも
ハンドルを忘れただけでしょうか?)
念仏は念力ではありませんからその通りでしょうね。ただ、刺されると痛い、という
「色」(?かな)がもしおさえきれなかったら、けっこう無様に死ぬことになるでしょうね。
無様もなにも、往生できるのだからまあ、気にしないでよいと思いますが。
私の好きな言葉に「道(タオ)に君臨するもの」というのがあります。道教のことばで、
「死に臨んで行動の変わらない境地」を現すのだそうです。念仏でそこまで達する
ことができれば素晴らしいですね。
604 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/22(日) 16:27:04
605 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/22(日) 19:23:43
キタ━━━━(゚∀゚)━━━━ッ!!
607 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/22(日) 23:28:30
死後、極楽往生を説く浄土宗の僧侶さんたちは、
死後のことや、この人生の意味について語る霊能者について
どのような考えを持っているんですか?
全く無視でしょうか?
仏教の伝説には神通力と言われる霊能力を使ったお話がでてきますので、
全く無視することがないことを願いますかが、
最近、話題の霊能者は江原啓之さんですけど、
けちゃっぷさんはこの方の話とか本とか見聞されたことありますか?
けちゃっぷさんや他の方の所見をしりたいものです。
念仏しなくても、
死後、極楽のようなところ、光溢れる世界に救われるようなことを
おっしゃってます。
>>605 「唱える」⇒「称える」じゃないでしょうか?
608 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/22(日) 23:43:33
>607
霊能者についてはまったく無視します。
五官で認識できること以外については、事実かどうかの確認もできません。
そんなものを相手にしないのが仏教だし、法然の教えもそんなものにかかわるな、というものです。
609 :
けちゃっぷ:2005/05/23(月) 00:18:40
>>607 個人的には霊能者は実在するとは思いますが、もちろん自称霊能者が全て本物だとは思いません。
仏教は、霊能者や占いとは次元の違う思想です。仮に悪霊にとり憑かれたとしても、念仏で往生できます。
610 :
605:2005/05/23(月) 01:16:10
>>607 「称える」です。訂正感謝です。申し訳ない m(_ _;)m
私は日ごろ仏法を聞かせていただいていますが、霊能者や神通力と言う話は
聞いたことがありませんし、江原啓之さんと言う方のお名前も初めて
お聞きします。
仏教では、過去世や未来世について、「三世因果の道理」ということを
教えられています。「因果の道理」とは、「善因善果 悪因悪果 自因自果」
と言い、「善い行いは善い結果を、悪い行いは悪い結果を、自分の行いは
自分に結果として帰ってくる」という意味です。
例えば、「私が人間として、日本の○○地方の○○という家に生まれた」
というのも一つの結果でありますが、結果があるからにはその原因が
無ければなりません。原因が分からないと言うことはあっても、原因が無い
ということはありえないのです。そうなると、我々が生まれる前、つまり
過去世において何かしらの行いがあり、それによって現在人間に生まれたと
理解することが出来ます。
また、1人殺して死刑になる人も100人殺して死刑になる人も死刑は等しく
1回きりです。因果の道理から言えばこれはおかしなことで、多く罪を重ねた
ひとはそれだけ多く苦しまなければなりません。つまり、未来世において
100人殺した人は1人殺した人よりも多くの苦しみを受けるのです。
よって、仏教によれば「過去世も未来世もある」ということになります。
611 :
605:2005/05/23(月) 01:16:40
また、お釈迦様は「汝ら、過去の因を知らんと欲すれば、現在の果を見よ、
未来の果を知らんと欲すれば、現在の因を見よ」と説かれています。
現在を正しく見据えれば、因果の道理によって過去も未来もわかる、
というわけです。
しかし、これは仏の悟りを啓かれた人の智慧(仏智)によって見える世界
ですので、我々のような人間=凡夫の智慧(凡智)では見えません。
では、霊能者とは仏の悟りを啓き、因果の道理によって過去も未来も
見える人を言うのでは?と思うかもしれませんがそれも誤りです。
「釈迦の前に仏なし、釈迦の後に仏なし」と言われますように、地球上に
現れた仏様は古今東西、お釈迦様だけなのです。
聖道仏教(修行によって自力で悟りを啓くことを説く仏教)では、悟りの
52位といって、悟りの位を52段階に分けたものが教えられ、その最高位である
52段目の最高無上の悟りを仏の悟りと呼びますが、お釈迦様を除いて、この
聖道仏教で仏の悟りに到達した人は誰もいません。
また、親鸞聖人が説かれた浄土仏教(弥陀の誓願によって今生生きている間に
絶対の幸福の身に救われるという教え)では、絶対の幸福の身になるという
ことと仏の悟りを得ることとは別だと教えられています。
絶対の幸福に身になった人が死に、後生へ旅立ってから、浄土へ往き仏に
生まれ、仏の悟りを得ることが出来るのです。
つまり、霊能者が生きたまま仏の悟りを得て、因果の道理によって過去や
未来が見えるなどとは到底考えられないのです。
612 :
牛飼い:2005/05/23(月) 03:11:12
聖戦であれば何人を殺しても罪には問われない。
クシャトリヤとは人々を傷害から守る階級であるから・・
まあ、佛教ではいつまでもカルマの法則から抜け出せぬ、制約された続けた魂であるから。
ビビリながら生きなければならぬ。可哀相な魂たちかも。
また文脈のない質問ですみません。ここには真面目な信者さんが多いようなので。
念仏によって心の平静が得られる(この世で悟るか浄土で得るかの違いはあるよう
ですが)というのは何となくわかりました。
ただ「弥陀の作られた浄土」はどのように保証されている・・・というか、説かれている
のでしょうか?
現代日本に生まれて、なんとなく「天国や地獄」といった観念はあるのですが、
「浄土」というものはどう考えればよいのでしょうか? 正直に申し上げますと「西方浄土」
といわれても、「それはインドのイメージでしかないのでは?」と思ってしまうのですが・・・。
>>613 世自在王仏が世に現れたとき法蔵という一人の沙門がおって、
この人が考え抜いて48の願を建てはって兆載永劫にわたって修行したその結果できたのが極楽世界。
>>614 確か「法蔵菩薩」が「阿弥陀如来」になられたのですね。
一人の人間が修行をすると、何万人も何億人もが死んでから永遠に暮らせる(この
へんちょっと「天国」とごっちゃになってますが)世界が作られるのですか?
あの、イチャンモンをつけているつもりではないんです、自分なりに素朴な疑問と
思っていることでなので。それを信者の方はどういうふうに考えておられるのかと。
616 :
けちゃっぷ:2005/05/23(月) 17:38:23
>>615 浄土とは仏が存在する世界です。
お釈迦様生きていた時のインドは、いわば浄土でした。浄土では人々が仏から直々に教えを受けることが可能であり、理想の教団があります。
浄土をめざすというのは、天国の快楽を求めるのとは根本的に違います。
仏にお会いして確実に正しい教えを学び、悟りをひらくのが目的です。
617 :
けちゃっぷ:2005/05/23(月) 18:31:32
阿弥陀仏の本願というのは、慈悲の結晶です。「誰もが救われたらいいな」という願いです。大量無差別の慈悲です。
その本願の念仏を人に説くという行為は、「あなたが救われますように」という願いであり、「必ず救われます」と励まし続けることです。
浄土経典は、仏教徒が編み出した史上最強の励ましです。
618 :
605:2005/05/23(月) 21:56:57
>>611で書いたことに、聞き誤りがあったようなので訂正します。
>しかし、これは仏の悟りを啓かれた人の智慧(仏智)によって見える世界
>ですので、我々のような人間=凡夫の智慧(凡智)では見えません。
この部分は間違いでした。信心決定し、弥陀の本願によって救われた人は
人間本来のありのままの姿が知らされますので、現在の自分の姿を見て
過去や未来を知ることが出来ます。
しかしそれは、あくまで自分の過去や未来であり、他人の過去や未来は
知ることが出来ません。自分の現在の因(行い)や果(運命)は分かりますが
他人の因果は知ることが出来ないからです。
また、過去や未来が分かるといっても、事細かな詳細までは知ることは出来ず、
自分の過去の因が善因であったか悪因であったか、また、未来における果が
善果(幸福)であるのか悪果(不幸)であるのかが分かるということです。
いずれにせよ、霊能者や超能力といったものは仏教では認めておらず、
迷信邪教の類、インチキであると言えるでしょう。
619 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/24(火) 04:53:01
大乗経典や
浄土三部経の成立には超能力を持った仏教信者の関与が大きいと思う。
阿弥陀如来自身、西方極楽浄土という仏国土を作られたのだから超能力者でしょう。
お釈迦さまにしても、神通第一目蓮尊者にしても。
超能力で浄土を作った、という話になると凡夫にはついていけない感じですね・・・。
むしろけちゃっぷさんのお話の方に共感しました。
たぶん、「天国」も同じような動機で存在するものなのでしょうが、今生と死後を
パラレルに考えた場合、
>>616の考え方の方がより救いがある気がします。
もう少し考えてみたいと思います。
ご回答ありがとうございます。
621 :
けちゃっぷ:2005/05/24(火) 08:24:10
「誰でも救われますように」という阿弥陀仏の本願を他人に説くことは、「あなたが救われて欲しい。あなたが救われますように」という願いを伝えることでもあります。
励ましてあげたい人がいるとき、慈悲の結晶である大量無差別救済の教えを説く中で、「私はあなたを励ましたいんだ」という気持ちが伝わる。
だから法然さんに出会った人々が感動したのでしょう。私をどこまでも見捨てようとしない生身の人間が、ここにいてくれるんだ、と。
>>621 それに近い(と思われる)ものを読んだことがあります。
いや、近くないか、生身の人間ではないから・・・。
「世界のどこかにいる名もなき人のために祈る時、世界の誰かが自分のために
祈っていることを感じる」その時君はひとりではなくなる。
たぶん、キリスト教系の何かだったと思います。
いや、ちょっと違うのか。
「阿弥陀さま、私をお救いください」というのが「南無阿弥陀仏」ではなく
「必ず救われる、誰でも救われる」ということも同時に祈念している、ということには
ならないのですか? つまり、念仏は、自分だけのためのものではない、と考える
と間違いですか?
対機説法、ということがあるかも知れませんが、それらの
「誰でも救われる」という祈念の連鎖こそが法蔵菩薩の造り出した
「西方浄土」であるとするなら、とてもよくわかる気がします。
624 :
けちゃっぷ:2005/05/24(火) 12:36:15
>>622 仏名を他人き聞かせ教えるのは、他人のためになります。他人に伝えなければ、やはり自分の往生のための念仏でしょう。
>>623 西方極楽はあくまで西方極楽です。別の意味に読み替えるのは好ましく思いません。
極楽の存在を信じられないなら信じられないで仕方ありません。ただし、信じられない人でも、誰もが救われる道を求め説き続けた法然さんの慈悲は、理解できるでしょう。
625 :
けちゃっぷ:2005/05/24(火) 12:42:25
>>622 衆生が阿弥陀仏を礼拝する時、阿弥陀仏も衆生を観てくださっている。
衆生が阿弥陀仏の名を称える時、阿弥陀仏はそれを聞いてくだっている。
衆生が阿弥陀仏を念じる時、阿弥陀仏も衆生を念じてくださっている。
…と言われます。
尊意 珍重 です
(別に私は禅宗ではありませんが…)
627 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/24(火) 19:47:24
けちゃっぷさん、
浄土三部経の話は超能力的な話がいっぱいでてきますよね?
628 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/24(火) 19:52:39
>>625 の阿弥陀さまのお力も常人ではできないでしょう。
大量無差別救済も超能力です。
629 :
電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k :2005/05/24(火) 20:20:37
けちゃっぷさん。カルト発言はいい加減にして、あなたも能化なら、↓↓のようなことやりなさい。
拝み屋被害(霊能被害)についてのお知らせです。
日本霊能者協会
http://senntenn.tsukaeru.jp/mori/ において、でだまされた人や法外な金銭を要求された人、どうしても許せないと方がおれれましたら、
[email protected] にメール下さい。
必ずつぶして見せます。なお、私どもはボランティアでカルト宗教からの
脱会工作や、霊能被害対策をしております。ひどい場合は伝統宗教であっても
寺院から合法的に追い出したり、拝み屋などを法的に追及することもあります。
今回は特に人が死者を侮辱したり、違法発言を繰り返す人がいますので、多方面に
照準を合わせて探ろうとしています。とりあえず順不同に日本霊能者協会から始める
ことにしました。被害者がいないのであれば、対象から外すだけですが。
630 :
けちゃっぷ:2005/05/24(火) 20:56:05
>>629 電波さんは、阿弥陀仏が実在しないと思ってるのでしょうか。
631 :
電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k :2005/05/24(火) 20:58:05
632 :
けちゃっぷ:2005/05/24(火) 21:21:02
阿弥陀仏が実在しないなら、他力の念仏をどう理解すればよいのでしょうか。
というか、選択本願念仏を理屈に理屈を重ねて理解しなければいけなくなりませんか?
633 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/24(火) 21:21:35
↑興教大師著「阿弥陀秘釈」、もしくは西山国師の「白木念仏法語」をお読みください
634 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/24(火) 21:25:47
633は631さんに対してです。失礼、、、
635 :
電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k :2005/05/24(火) 21:32:35
636 :
電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k :2005/05/24(火) 21:51:57
>>632 実在という意味がわかっていますか?阿弥陀仏が存在してようがいまいが関係ぷーです。
肝心なのは、弥陀の本願力です。解りませんか?
637 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/24(火) 21:59:17
へ?
638 :
けちゃっぷ:2005/05/24(火) 22:05:24
>>636 実在しようがしまいが関係ぷー、というのは同感です。
しかし電波さんはむしろ「実在しない」と主張しておられるように感じましたので、尋ねてみました。
「実在」と言ったのは、電波さんに対してけちゃっぷが存在するのと同じレベルで存在するかということです。
仏教用語に「実在」ってありましたっけ?
639 :
電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k :2005/05/24(火) 22:05:28
640 :
605:2005/05/24(火) 22:46:10
我々は己の煩悩で悪を作り続けています。そして、三世因果の道理によって
このままでは後生は一大事だということが分かります。
この後生の一大事を弥陀の本願によって解決させていただくというのが
もっとも大事なことであり、それこそが仏教の目的なのです。
阿弥陀仏が実在するかという議論よりも、一刻も早く弥陀の本願に
救われることのほうがはるかに重要です。
641 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/24(火) 23:30:32
浄土門は難しいですね。真宗の偉い方が「法蔵ボサツはアラヤ識」といったそうですが、ワケわからん。私は来迎図止まりの信仰です
642 :
けちゃっぷ:2005/05/25(水) 00:06:10
643 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/25(水) 02:58:54
本願力って法力ですよね。
つまり俗世な言葉を使えば超能力ということでしょう。
644 :
けちゃっぷ:2005/05/25(水) 08:23:11
超能力・神通力です。
不可思議ですから、あれこれ詮索せず素直に信じればよい。
645 :
一宗教師:2005/05/25(水) 09:10:55
>644
本願力は超能力や神通力ではありません。
あなたには電波男氏の>636の意味が理解できないことでしょう。
けちゃっぷさん、しばらく見ないうちに、どうしょうもない発言を繰り返していますね。
世間ではあなたのようなことをいう人をカルト信者というのはご存知ですね。
「浄土宗」という既成教団(体制に組み込まれている教団という意味です)の
看板の下での発言ですから騙される人もいるでしょうが、例えば仮に「悟真宗」なんて
いう宗名でもでっち上げて同じことを発言してみれば、どっかの外基地カルトと
だれからもたちどころに断定されてしまいますよ。
646 :
一宗教師:2005/05/25(水) 09:13:17
このスレを見ている浄土宗関係者は少なくはないと思います。けちゃっぷ氏の
ような無根拠で経論釈を恣意的に理解し、さらに盲信に凝固まってしまっている
人たちは多いのでしょうか?
浄土宗という教団は坊さんが自分の信仰や宗義の理解を表明したり他の坊さんと
たたかわせることをしない教団なんですが、どんなに間違った理解をしていても、
けちゃっぷ氏が思うことを公言していることだけは評価できると思っています。
評価できるといってもとっても低次元な話なんですがね。
宗学をやっている学者さんは宗義については述べても、それが自分の信仰となっている
かどうか、ということについては発言しない。一般の坊さんは寺の経営の話や、法話は
しても自分自身の信仰については語らないし、語ったとしてもそれをおかしいと感じた人が
疑問を直接投げかける、ということもしない。これでは独りよがりの信仰が誰にも
とがめられることなく暴走することになってしまう。
こういうあり方が浄土宗が宗門として死んでしまっていることを示していると思う。
647 :
けちゃっぷ:2005/05/25(水) 12:30:25
>>645 常人には無い力という意味では、超能力・神通力と同じでしょう?
質問されている方が聞こうとしたポイントは、「あなたがた浄土宗の僧侶は、不可思議超人的な本願力を信じてるのか?」という点ではないかと感じました。
一宗教師さん、この点についてどうお考えなのですか?
超能力を信じてると言うとカルトになるから、本願力という言葉で逃げている、としか僕には感じられませんでした。
648 :
けちゃっぷ:2005/05/25(水) 12:41:56
世間の常識から見てありえないような本願力を信じている僧侶。
自分自身が信じてもいない本願力を、理屈を付けて常識と折り合いをつけて説く僧侶。
どっちになればいいのですか?教えてください。
649 :
けちゃっぷ:2005/05/25(水) 12:47:25
僕は、信じられない(疑ってしまう)なら、それも凡夫の姿だから仕方ないと思います。
理屈をつけて疑いをごまかすのではなく、疑いは疑いと認めつつ、「口先で南無阿弥陀仏といえばよい 心なくして申せるものか」と、念仏を称えるしかないと思います。
本願力については宮本啓一氏「般若心経とは何か」参照のこと。
いま、『浄土宗の常識』(袖山榮輝ほか・朱鷺書房)を読んでいます。
(この本はどういう評価を受けている本なのでしょうか)。
その106ページに、先日けちゃっぷさんからご指摘をうけたことが書かれており
ました。詳細は省きますが私は「いかにも物知り顔」な人間だったようです。
さらに考察してみます。
あと、ここではスレ違いですが「空即是色」についてよくわかる解説があったら
ご教示くだされば幸いです。スレ違いですが。
652 :
けちゃっぷ:2005/05/25(水) 19:01:36
>>646 経論の読み方が学者さんとは根本的に違うのでしょうね。痛感しました。
たとえば般若心経を読む場合、失恋の傷を般若心経で癒すにはどう読めばいいのだろう、病気の苦しみに休息を与えるにはどう読めばいいのだろう、という読み方(理解しかた)になってしまいます。
653 :
電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k :2005/05/25(水) 19:05:26
654 :
605:2005/05/25(水) 20:49:59
例えば、我々はかつて天然痘という病で苦しんでいました。
しかし、天然痘の治療法が発見されてから、天然痘で苦しむ人は
いなくなりました。
ですが、天然痘の治療法が発見される以前にも「天然痘の治療法」という
医学的真理自体は存在していたのです。
ただ、その治療法を我々に使えるような形にして実際に治療してくださる
お医者様がいなかったばかりに、あれだけ多くの人々が苦しんだ末に亡くなっています。
阿弥陀仏はちょうど、天然痘の治療法を発見し、その医学的真理を我々に使える形に
まとめてくださったお医者様のようなものです。
我々は「無明の闇」によって今生苦しめられ、後生までも一大事に陥っています。
この無明の闇さえ破れれば我々の人生は明るく楽しく心は浄土に遊ぶようで、
後生も極楽へ往き仏に生まれることが出来るのです。
そして、「人は皆無明の闇を破り、等しく大安心・大満足の身になれる」という
大宇宙の真理を「弥陀の本願」という薬にまとめて下さって、我々に与えて下さり、
無明の闇を破ってくださるのが阿弥陀仏なのです。
お医者様の例えで言いますと、この場合大事なのは「天然痘の治療法」という
医学的真理であって、その真理を発見されたお医者様の個人情報ではありません。
また、そのお医者様が実在するのかどうかさえ関係ありません。仮にそのお医者様が
架空の人物でも、治療法さえあれば天然痘で苦しんでいる人は救われるのですから。
それと同じように、大事なのは阿弥陀仏が実在されるのか、おられたとして何処に
ましますのか、そんなことではないのです。そんなことは後生の一大事の解決に
何の役にも立ちません。大事なのは「弥陀の本願」これ一つなのです。
ですから釈尊も親鸞聖人も、「阿弥陀仏」そのものを説かれたのではありません。
後生の一大事の解決を目的として、「弥陀の本願」を説かれたのです。
655 :
605:2005/05/25(水) 20:50:16
では、「弥陀の本願」という薬はどうやって頂くのか。耳から頂きます。
「仏法は聴聞に極まる」と言われますように、自身の後生の一大事を心にかけ、
この後生の一大事、なんとしても解決せねばという真剣な気持ちで仏法を
聞いたならば、一念で無明の闇が破れて絶対の幸福の身に救われるのです。
仏法を聞くということにどんな超能力的要素がありましょうか。
弥陀の本願は決して超能力の類ではありません。もともと大宇宙に存在している
我々が助かる真理を仏法に凝縮し、それを我々が聞くことによってその真理を
体得し、無明の闇が破れて救われる。それだけのことです。
656 :
605:2005/05/25(水) 21:33:41
>>649 けちゃっぷさん、仏教では口や体の行いよりも心の行いを最も重視するのでは
ありませんでしたか?口先だけで「南無阿弥陀仏」と唱えることに何の意味が
ありましょうか。そんなことで救われるものではありません。
657 :
605:2005/05/25(水) 21:34:47
一刻も早く真実の仏法を聞き、信心決定なさって欲しいとただ願うばかりです。
>>605に挙げたサイトや書物をよくご覧になって欲しいです。
>>652 けちゃっぷさん、仏教の目的とは「抜苦世楽」でありますので、
そういう気持ちで経典を読むのは理にかなっています。
我々が恋人を欲しがったり、病気を嫌って健康でいたいと思ったりするのは
幸せになりたいからです。我々は幸せを求めて毎日を生きております。
これはただ一人の例外も無く、全人類にあてはまります。
しかし、家族や恋人、富や名声、趣味や健康など、日々我々が追い求めているものは
確かに幸福ではありますが、一時の幸福です。すぐにまた「もっと欲しい、もっと欲しい」
という気持ちが生まれますし、手に入れたところで永遠不滅のものではなく、
いつかは失いますし、「自分の死」によって総崩れになる幸せです。
そして、これらの幸福は、ひとたび失われると苦しみに転じ変わります。
しかも、これらの幸福を心のより所として信じていればいるほど、
裏切られたときの苦しみは大きくなります。
ですから、これらの幸福を手に入れても、いつ失うかと戦々恐々として、
心からの安心も満足もありません。
「幸せ求めて生きているのに、なかなか手に入らない。苦労して手に入れたと思ったら
安心感も満足感もないし、いつかは失って苦しみに転じ変わる。これでは何のための人生か。
苦しむための人生ではないか。どこかに決して崩れない、失うことの無い、
大安心、大満足の幸福は無いのか」
その答えが弥陀の本願であり、絶対の幸福であり、それを説いているのが
釈尊や親鸞聖人の説かれた真実の仏教なのです。
658 :
けちゃっぷ:2005/05/25(水) 23:20:36
>>656 あれは、徳本上人という浄土宗僧侶の歌です。「口先で 南無阿弥陀仏と いえばよい 心なくして 申せるものか」です。
心なくして申せるものか。本当にまったく信心が無いなら、口先だけの念仏さえ称えようとしないでしょう。
念仏でもし救われるものなら救われたい、と思う気持ちがどこかにあるから、念仏が口にでるのです。
だから、口先だけの念仏は実は口先だけじゃないよ、疑ってしまう人も、疑いをかかえたままでも念仏すればいいんだよ、という意味だと思います。
慈悲にあふれた歌で、好きです。
659 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/25(水) 23:56:34
江戸時代、
浄土宗僧侶である祐天上人(後に大本山増上寺三十六代法主)が
若い娘お菊に取り憑いた累の悪霊を成仏させた話がある。
知る人ぞ知る歌舞伎になってるほど有名なのだが、
祐天上人は当初
僧侶による念仏回向では悪霊を成仏させることはできないことに
苦戦した、そして思い付いたことは
怨霊の取り憑いた娘お菊本人に念仏を
称えさせねば効果がないのではないか
ということであった。
祐天上人はお菊に念仏を称えさせることに成功し累の霊は成仏したという。
けちゃっぷさん、
念仏回向では死者の魂を往生させることできないのかな?
実際問題。
660 :
けちゃっぷ:2005/05/26(木) 00:05:08
>>659 念仏が霊(?)の心に届けば、救われるでしょうけど。
661 :
605:2005/05/26(木) 07:13:42
>>658 確かに、口で「南無阿弥陀仏」と称えるとき、「さぁ、称えよう」という心は
あるでしょう。しかし、どういう気持ちで称えているかがもっとも大事ではないでしょうか。
同じ涙でも、悲しみの涙、悔し涙、嬉し涙などさまざまなように、同じ念仏でもその心はさまざまです。
>>605にも書いたことですが、
「弥陀の誓願によって人生の目的を果たさせていただいた」という、阿弥陀仏への感謝の気持ちから
自然と沸き起こる念仏「自然法爾(じねんほうに)の念仏」
これは他力念仏とも言われますが、これでなければ救われません。
法然上人や親鸞聖人がお聖教で「念仏申す」といっておられたら、それはこの
「自然法爾の念仏」であり、「信心決定する」というのと同義です。
念仏を他の善と同じような善だと思って唱える「万行随一の念仏」や、念仏こそ
最も功徳のある善だと信じて唱える「万行超過の念仏」では助からないのです。
これらは自力念仏と呼ばれますが、口先だけで称える念仏もこれでしょう。
「阿弥陀仏様お助け下さい」という気持ちで念仏を称えても救われません。
これは親鸞聖人の「信行両座の諍論」を見ても明らかでしょう。
380余人の同行が「行不退の座」(救われるには念仏一つ)に入っているのに対して、
法然上人、親鸞聖人は「信不退の座」(救われるには信心一つ)に入っています。
後生の一大事を心にかけて、この一大事をなんとしても解決しなければという
真剣な気持ちで仏法を聞いたならば、必ず苦悩の根源である「無明の闇」が破れて
絶対の幸福の身に救われ、後生も極楽へ往けるのです。
そんな身に救って下された阿弥陀仏のご恩に感謝せずにおれなくなり、
自然と「南無阿弥陀仏」というお礼の念仏を称えずにおれなくなる、これが
「自然法爾の念仏」ということです。
かえすがえすお願いしますが、けちゃっぷさん。
>>605のサイトをよくよく
ご覧になってください。真実の仏法を聞かなければ、いくら念仏を称えようと、
いくら誤解された教えを聞こうと、救われることはありません。
662 :
けちゃっぷ:2005/05/26(木) 08:27:57
そんな念仏では往生できない…のような言い方は、好ましく思いません。
阿弥陀仏助けたまえの念仏でも往生できます。
話の腰を追ってすみません。
昨日、西の空に夕日が沈みかけて、夕焼けではなく、ちょっと思えれば金色に空が
染まっているのを見ながら
「この先に西方浄土がある」と思う・・・・信じれば救われるのだなあということが
よくわかりました。わかった気がします。
もともと念仏の信仰というものはあまり厳密な定義をするべきものではないように
思われました。
605さんが654に書いたことはとても納得がいきました。ただ同時に、それを声高に叫ぶ
ことも、「う〜ん」と・・・。
もちろん2ちゃんねるは議論の場でもあるわけですから大いにやった方がいいと
思いますが、私としては「あいまいさ」・・・なんというか、老荘的な「おおらかさ」の
中にある方が本質な気がしました。
もちろんただの素人・凡夫の私ですから反論ではなく、先生方のお話を聞いての
「感想」と思ってください。
いい訳したついでに、厳密さを求めるという点ではたとえば禅宗などの、不立文字
とはいえど、問答の中で、言葉を交わすことの中に求める信仰というのもあると思います。
どちらがどうだとかいうのではなく、念仏に関してはこれでいいのでは? というような
「ゆるやかな」感想です。勝手な感想を挟んですみませんでした。
たとえば徳本行者のように「念仏行者」といわれるような人でも自分自身には厳しく
課題を背負わせながら、信者に対しては「口先だけでも」というおおらかさをもち、
ただ、さらに自ら信仰を深める方法を探す人には回数を増やすなどの道を示したの
ではないかと・・・・?
やはり行き着く先はあの金色の向こうに浄土が「自然と見えてくる」ことではないかと
いう気がしております。
と、そんなことを言う私もまた、こういう「定義」を求めているようですね・・・。
あと、また勝手に書きますが、「色即是空 空即是色」という根本的な教理をわかって
いる方がその後どの方向に進むにしても大変受け入れやすいのではないかとも・・・。
665 :
605:2005/05/26(木) 22:25:04
>>662 けちゃっぷさんは「信行両座」についてどのようにお考えですか?
実際に弥陀の本願によって絶対の幸福の身に救われなさった法然上人、
親鸞聖人が「信不退の座」についておられるのもまた事実なのですよ。
不退転の幸福の身に救われるには信心一つ、というのはまさに、
>>654に
書いたとおり、弥陀の本願を深く信じて仏法を真剣に聞き、信心決定して
無明の闇を一念で破るということではないですか。
この「無明の闇」は、ただ口で「南無阿弥陀仏」と称えるだけで
破れるものでは到底ありません。
666 :
605:2005/05/26(木) 22:25:51
>>663 弥陀の本願によって「絶対の幸福」になるということは、
>>657に書いたとおり、
何があっても決して崩れない幸せを手に入れるということです。
つまり、20歳で絶対の幸福の身になったら、その幸福感は30歳になろうと40歳になろうと
たとえ臨終が訪れようと変わることは無いということです。
20歳のときの自分と、30歳の自分では肉体も学問も知識も経験も何もかもが違います。
しかし、その何もかも違う自分であっても、変わらぬ幸福が絶対の幸福です。
また、30歳の自分と40歳の自分もまたなにもかも違う自分です。
肉体も学問も知識も経験も何もかも違うということは、言ってみれば別人のようなものです。
それでも変わらぬ幸福があるならば、それはもちろん他人にも当てはまる幸福です。
全人類が共通して得られる幸福が、絶対の幸福なのです。
何が言いたいかと申しますと、絶対の幸福になるということは、阿弥陀仏から
不退転の信心を賜って、皆同じ信心になるということです。これを「他力の信心」といいます。
例えれば、テレビには新しいものから古いもの、大きいものから小さいものまで
色々ありますが、ひとたびテレビ局から電波を受信しますと、どのテレビにも
全く同じ映像が映るということに似ています。
我々は肉体も学問も経験も才能も何から何まで違いますので、もしも自分の頭の中で
理屈をこねくりあげて信心を造ったならば、それは人それぞれ、千差万別の信心になります。
夕日を見て、その先に西方浄土を感じて心洗われる人もあれば、一日の終わりに哀愁を感じて
溜め息をつく人もいる。これを他力の信心に対して「自力の信心」と言います。
667 :
605:2005/05/26(木) 22:26:25
〜続き。
親鸞聖人はこの事を「信心同異の諍論」で明らかにされています。
法然門下の同行である聖信房、勢観房、念仏房の3人が、「いやぁ、お師匠様の
信心は凄い。我々のような凡人ではとてもお師匠様のような信心にはなれんわい」
と口々に話していたところ、親鸞聖人は3人に向かって、「それは違います。私の信心は
お師匠様と全く同じでございます。」とおっしゃったのです。
3人は驚き、「何と大それた事を言うやつだ、許せん」と、法然上人にその不貞を
直に正してもらおうとしました。ところが法然上人の判定は、
「お前たち3人の信心は自力の信心である。各々が自らの知識や経験を元に
造り上げた信心だから、同じ信心になれないと思うのだ。弥陀の本願に救われれば、
不退転の信心を阿弥陀仏より賜るので、皆々同じ信心になるのだ。この法然と
同じ信心になれないものは、私の往く極楽へは往生できませんよ。」と
おっしゃっておられます。
668 :
605:2005/05/26(木) 22:31:35
>>667の訂正です m(_ _;)m
×「不貞」 ○「不敬」
ある上人からこんな事を教わりました。
「信仰の篤さと耐えられる苦しみの量は比例する」
私がダイエットで苦しんでる時に頂いた言葉です。。^^;
痩せれば救われるというダイエット宗の教えと
食事制限+運動という修行
たとえ運動が苦しくても、店先のケーキの誘惑に負けそうになっても
ダイエットへの信仰が篤ければ耐えられる
ケーキも焼き鳥の香りも(ウチの前に二件ならんでる・・)も信仰を試す試練なのだから
むしろ有難くその試練を受けなさい。とのことでしたが・・
私はやはり信仰の薄いただの凡夫でした。。。。orz
浄土宗の話から脱線したけど、信仰の意義についてのある浄土宗上人のお話ということで・・
>>605 ていねいなお話をありがとうございます。
夕日のことを書いたあと「日想観」のことを読んで「おお!」なんて思っておりました。
なるほど・・・まだちゃんと消化できてませんが・・・。
>>667 のお話はよくわかりますね。ただ、なんとなくですが、法然上人が「往生できませんよ」
とおっしゃるとはなんか意外な気がします。もちろん、直接のお弟子に対してだから
かも知れませんが・・・。あ、いや、間違いを正す場合だからいいのか・・・。
すいません、もっと考えてきます。
671 :
670:2005/05/26(木) 22:41:40
>>669 話ズレますけど、私が成功したダイエットは苦痛と成果は比例しませんでした。
確かに「苦痛と信仰の深さ」は比例するかも知れませんが、実際に求めるものが
成果であれば、苦痛にこだわるのは逆効果かと。
たとえば空腹を感じるのは「腹がからっぼ」だからではなく「血糖値が低くなる」
せいではなかったかと、とすれば、水だけ飲むのは逆効果で、適量の当分を
とるほうが長続きするはずで・・・・。
何事も「中庸」ではないでしょうか? 苦痛に「効果」を期待のは骨折り損では・・・・。
なんか、関係あるようで、ちょっと関係ありそうな話でした。
672 :
670:2005/05/26(木) 22:43:01
おっと
「苦痛に耐えられる量と信仰の深さ」ですね。
いや、こんなとこでこだわらなくてもいいんですが。
苦痛と信仰が比例するんじゃ苦行主義みたいですし。
673 :
けちゃっぷ:2005/05/26(木) 23:30:05
>>665 信仰がなければ、念仏を毎日何万回称えても往生できません。信があれば1念で往生は決まります。
しかし、信だけでは凡夫は往生できませんよね。本願の念仏によって往生させていただくのですから。
信行双修が法然さんの考えです。普通に仏教を学んだ人は、自力の念仏に偏ってしまいがちでしょう。
弟子が自力の念仏に陥らないように配慮して、信の座を選んだだけであり、行を捨てて信を選んだわけではありませんよね。
674 :
605:2005/05/27(金) 00:01:34
>>670 真実の仏法を聞いていても、自分なりの解釈で聞き誤っていては信心決定はできません。
その誤りを正し、弟子を信心決定に導こうというお気持ちで「それでは往生できませんよ」
とおっしゃったのです。
ひとたび弥陀の本願に救われれば、「こんな素晴らしい世界があったのか。
しかもこの幸福は誰もが等しくなれる幸福ではないか。皆にも説かずにはおれない」
と言う気持ちになりますので、法然上人も親鸞聖人もそういうお気持ちで
仏法を説いておられるのです。
>>673 「往生」という言葉が「信心決定」を意味しているのなら、信心一つで往生できます。
「一念」というのは1秒の何億分の1よりも短い時間を言います。
そんな一瞬にも満たない時間で、自分が絶対の幸福の身になったことがハッキリ知らされ、
「弥陀の本願まことだった!この身になるための人生であったか!」と知らされるのです。
その体験は火に手を突っ込んで火傷をするよりもハッキリした体験だと言われます。
大火傷をしておきながら、「熱いのだろうか」「熱いかもしれない」などと言う人は
おらず、「アチチ!アチチ!」と大騒ぎしますよね。「熱い」と言うことがハッキリ
知らされているからです。
それと同じで、弥陀の本願に救われた状態が、「これで後生助かったのだろうか」
「念仏称えれば助かるはずだ」などと、ハッキリしない曖昧な状態であるはずは無いのです。
「今、間違いなく救われた!弥陀の本願に嘘は無かった!まことだった!」と、生命の大歓喜が溢れ、
その仏恩に感謝し「南無阿弥陀仏」と念仏せずにおれなくなるのです。
私が日々聞かせていただいている仏法ではこのように教えられています。
675 :
けちゃっぷ:2005/05/27(金) 01:24:32
>>674 あなた自身はもう、はっきりと往生を確信されましたか?
676 :
電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k :2005/05/27(金) 08:06:21
677 :
605:2005/05/27(金) 08:31:20
>>675 私自身はまだ救われておりません。しかし、もし絶対の幸福が嘘ということになりますとまさに「人間は苦しむための
動物」「人生は地獄よりも地獄的」ということになってきますので、救われるまで仏法を聞き求めていこうと思っております。
政治、経済、医学、科学、芸術、その他この世にある各分野は全て、「どう生きるか」という、生きるための「手段」です。
「無明の闇を破り絶対の幸福の身に救われ、後生の一大事を解決する」という全人類に共通のたった一つの尊い「人生の目的」が
ありますので、「どう生きるか」という生きる手段は、その目的を果たすために生かされなければならないのです。
分かりやすい例で言えば医学ですが、医学は人の命を延ばすためにあります。しかし、病気が治っても死なないようになったわけじゃない。
少し死ぬのが遅くなっただけです。その延びた命で何をするのか、「なぜ生きるのか」がハッキリ分かっておりませんと、心臓移植に
成功して生き延びた男性が、助かってまず何をしたいかと取材陣に問われて「ビールを飲みながらナイターを見たい」と答えて世間の失望を
買ったり、あるいは余った寄付金で日々ギャンブルに明け暮れ、「寄付金を送ったのはバカみたい!」と周囲を憤慨させたりするのです。
皆、自分がなぜ生きているのか知らないのです。
678 :
605:2005/05/27(金) 08:39:04
〜続き。
また、そんな尊い人生の目的があることが分かりませんと、「人命は地球よりも思い」と言うことも分かりませんし、「自殺をしてはならない」
と言うことも分かりません。皆、「なぜ生きるのか」と言う大問題を無視しながら、ただ「生きよ、生きよ」の大合唱です。これでは、
「辛い人生、なぜ生きる」と深刻に悩んで、「こんなに辛いなら死んだほうがマシ」とまで思いつめている人にとっては、
「苦しめ、苦しめ」の大合唱に聞こえることでしょう。また、他人の命の尊さも分かりませんので、平気で人を殺す者まで現れます。
「人を殺す経験をしてみたかった」「何か悪いことでもしたというのか」これらの少年犯罪もまた、なぜ生きるのかが分からずに起こった悲劇と言えます。
仏法を聞き、人命がなぜ尊いのかハッキリすればこれらの犯罪は絶えるでしょう。しかし残念ながら、仏縁浅く真実の仏法を聞けずに、
人生に絶望して自ら命を絶つ人は減りませんし、少年犯罪も後を絶ちません。
私は、いずれ信心決定して教学も学び、人生に迷っているこれらの人々に仏法を説いて教え導きたいと思っております。自分が救われたい気持ちのみならず、
他人に正しく仏法を伝えたいと言う気持ちもあって、日々真剣に聴聞させていただいています。
>>676 私は親鸞会の者ではありませんが、日々聞いている仏法の内容は親鸞会に書いてある内容と全く同じです。
「更に親鸞、珍しき法をも弘めず。如来の教法をわれも信じ、人にも教え聞かしめるばかりなり」という
親鸞聖人のお言葉がありますが、真実の仏法を自分の言葉で勝手に曲げてはなりませんので、
今日の真実の仏教もまた、「親鸞聖人の教法をわれも信じ、人にも教え聞かしめるばかりなり」なのです。
真実の仏法であれば、親鸞会であろうとなかろうと、どこで聞いても同じ内容が話されているはずなのです。
この真実の仏法を今日説いておられる方は「高森顕徹(けんてつ)」という先生です。
富山にお住まいで、毎月講演会なども開いていらっしゃるそうです。
679 :
605:2005/05/27(金) 08:40:33
やっぱり小まめに改行したほうが読みやすいですね 川orz
680 :
電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k :2005/05/27(金) 09:02:08
親鸞会は真宗義に創価臭を取り入れたカルトという認識です。
681 :
牛飼い:2005/05/27(金) 10:50:01
いんらん?いんらんしょうにんのつ・も・り・・
しょうにんには程遠い、、妾に手を出し、いんらんとなったマル(笑)
682 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/27(金) 12:20:11
愚者ぐしゃ ◆rxhO1m7LOU
です。コテハンにするほどの者でもないので名無しに戻ります。
>>677 「毒箭の教え」をどう思われますか? 生きる目的を見つけることも大事ですが、まず
生きることの方が大切のようにも思えます。私なら自分が寄付で助かった男がナイター見ながら
ビール飲んで、たまにパチンコでボロ負けしているのを見ても「ああ、よかったな」と思います
けど(毎日では困りますが)。
神秘体験で(意味がちがうとは思いますが)往生が決まるなら、一生往生できないことに
苦しむことにならないでしょうか?
繰り返す申しますが、私は単に仏教に興味をもっている人間ですので、お話にならないと
思われたらスルーしてくださってけっこうです。
684 :
牛飼い:2005/05/27(金) 19:07:52
>>678 長々と書きましたね。生きる意味ですか。結局の所、仏教信仰では答えが見つからないでしょう。
なんせ彼らは最終的には「無」とか「空」とかで終わりですから・・。
これは特に私の専門分野であり、もし宜しければお話してもいいですが。
かなり長文になるので書くのが面倒で厭ですが、あっ、スルーしていただいても結構ですが。
685 :
683:2005/05/27(金) 19:45:17
>>684 あてた相手が違うと思いますが、質問です。
私も漠然とそういうふうに考えていたのですが、「空即是色」により積極的な意味を
見ることができるらしいと、と知って考えが変わってきました。
もちろん「空」は「空しい」とは根本的に違うのでしょうが、それを踏まえた上で、「空」
だからこそ自由で素晴らしい、というふうに思えてきたのですが?
ま「自由」って、パラダイムが違いますよね。「美しい」ちがうな…「楽」かな。
686 :
683:2005/05/27(金) 19:48:57
「…すべてのものは空性をもっているのです。空から生まれた私たちはどのように
でもかわることができるのです。空より生じるということは<縁>次第でどのようにでも
変わることができるということです。ここに虚無主義とは決定的に異なる救いがある
のです」こんな一文を読んでです。
687 :
683:2005/05/27(金) 19:52:04
ほとんど現実のすべてのものが「苦」に満ちたものであったとしても、それをいかようにも
自分の力で変えることができ、しかもその行く道の先には浄土への往生が待っている
・・・・・だとしたら、人生はなんと素晴らしいものなのだろう。そんなふうに思うのですが。
688 :
605:2005/05/27(金) 23:43:22
>>680 確かに、新興宗教やカルト教団が溢れ、既存の宗教も廃れている今日、宗教そのもののイメージが悪いことは認めます。
しかし、教えを聞きもしないで自分のイメージで判断し、否定するというのは間違っているとは思いませんか?
そもそも新興宗教の類というものは、人生に悩み苦しんでいる人をターゲットに、神(あるいはその類)を信じれば、
神の不思議な力によって救われるなどと教え、その人の反省、努力、向上の心を奪うばかりか、時間や金までも奪います。
教祖が財欲や名誉欲にまみれているからです。
真実の仏教はそのような新興宗教とは全く異質なものです。まず、「因果の道理」というものを説いており、
「我々が苦しむのは自分自身の過去の悪行が原因である。幸福になりたければ悪を廃し、善行を修めなさい」
という内容です。これは誰も否定することの出来ない信実です。
また、「相対の幸福」と呼ばれるものでは本当に幸福になれないとも説いております。
>>657にも書いたことですが、
これらの幸福はいつかは必ず崩れて苦しみに転じ変わる幸福ですし、例え手に入れても、いつ失うか知れないということで
安心も満足もありません。この「相対の幸福」というものは具体的にはどういうものかと申しますと、
政治、経済、科学、医学、法律、倫理、道徳・・・・・・
金、地位、名誉、友人、恋人、家族・・・・・・
車、マイホーム、財産、その他物欲・・・・・・
酒、音楽、旅行、スポーツ、その他娯楽・・・・・・
こういったものです。
689 :
605:2005/05/27(金) 23:43:47
〜続き。
要するに、我々が日々求めている幸せ全てがこの「相対の幸福」なのです。我々は「相対の幸福」しか知らず、
それが本当の幸福だと信じ追い求めているがゆえに本当の幸福にはなれないのです。決して崩れない「絶対の幸福」を
知らないのです。これも誰も否定できない真実です。
ですから、親鸞会の講義を行っている人物が、金集めや人集めを目的として
講義しているはずが無いのです。そういった「相対の幸福」では幸せにはなれないという
真実の教えを説きながら、その自分が相対の幸福を求める欲の心に動かされるはずが無いのです。
親鸞会ではこういったような真実の教えが説かれているのですが、もし
>>680さんがこれを否定するのであれば、
こういった教えを聞いたうえで反論し、その根拠を挙げ、これ以外にどうすれば人類は救われうるのかを
提示しなければなりません。一言も聞かないうちからカルト教団と決め付け否定するのは道理から外れています。
もってのほかのことです。
690 :
605:2005/05/27(金) 23:44:13
>>681 仏教で教えられている殺生罪には、3通りあります。「自殺」「他殺」「随喜同業」です。
「自殺」とは、自分で生き物を殺すことです。「他殺」とは、他人に命じて殺すことです。
「随喜同業」とは、他人が殺生しているのを見て楽しむ心があれば同罪、ということです。
我々は食欲によって肉を食べ、「おいしい、おいしい」と喜んでいますが、
これは「随喜同業」であり殺生罪です。また、消費者の需要があって食肉業者は
牛や豚を殺しているわけですから、食肉業者に殺生をさせている「他殺」にもあたります。
菜食主義でも同じです。野菜を育てるために農薬を撒き、数知れない虫を殺しています。
我々は生きるためには罪を犯さずにはおれないのです。そんな悪を作りどおしで煩悩一杯の
我々が、ありのままの姿で救われるというのが仏教の教えであり「弥陀の本願」です。
普通に考えてみても、生涯肉を食わず独身でいなければ救われないような教えならば、
我々のような一般人は助からず、僧侶しか助からないことになってしまいます。
「釈尊の教えはそんなものではない、全人類が等しく、ありのままで救われるという教えなのだ」
ということを体にかけて明らかにされたのが親鸞聖人なのです。そのために、公然と結婚式まで
開かれています。単に欲に負けての肉食妻帯ならばこの結婚式は説明できません。
単に欲に負けてのことならば隠れてコソコソと肉食妻すればよいのに、そうされてはおりません。
釈尊の教えを明らかにされること一つを目的とした断固たる肉食妻帯であったのです。
そういった事情をよく知りもせずに、自分の勝手なイメージで親鸞聖人のような尊いお方を
誹謗するというのは、大変嘆かわしいことです。あってはならないことです。
ぜひ心を改めて、後生の一大事を心にかけ、真実の仏教を聞き求めて欲しい一心であります。
691 :
605:2005/05/27(金) 23:44:34
>>682>>684 >>677にハッキリと書いたつもりだったのですが・・・
>「無明の闇を破り絶対の幸福の身に救われ、後生の一大事を解決する」という
>全人類に共通のたった一つの尊い「人生の目的」
無明の闇とは、「後生暗い心」つまり、死んだらどうなるか分からない心です。
我々の人生を飛行機に例えて見ますとこうなります。
我々は生まれたときに飛行場を飛び立ち、快適な空の旅を楽しんでいます。
ところが、冷静に考えて見ますと着陸すべき目的地(人生の目的)がどこにもない。
「なぜ飛ぶのか」分からずに、ただひたすら飛んでいるばかりなのです。
このままでは、いずれ飛行機の燃料が尽きて墜落してしまうのは目に見えています。
いずれ必ず墜落する、そんな飛行機に乗りながら、どうして機内食や映画や、窓の外の景色に
心を奪われていられるのでしょうか。そんなものは飛行機が墜落するに当たって
何の根本的解決にもなりません。現実逃避でしかありません。
未来が暗いと、現在も暗くなります。未来が明るければ現在も明るくなります。
翌日に苦手な試験が控えている学生は今から気持ちが暗くなりますし、
数日後に生きるか死ぬかの大手術が待っている病人に、「今日だけでも楽しくやろうや」
と言っても無駄でしょう。逆に、遠足の前の小学生や、恋人とのデートの前の大学生は
今から気分が明るく楽しくなります。
我々はいずれ死にますが、「死んだらどうなるか」その未来が分からず暗いので、
現在も暗くなり、どんな幸福も心から満足できないのです。
この「死んだらどうなるか分からない心」=「無明の闇」を、仏法を聞くことで破り
絶対の幸福の身になること。これが全人類に共通で唯一の人生の目的なのです。
692 :
605:2005/05/27(金) 23:44:50
>>683 「なぜ生きる」という人生の目的が抜けたまま「どう生きる」という手段ばかり追求しても、
これでは永遠に幸福にはなれません。断言します。
なぜかと申しますと、いくつか例を挙げて説明いたします。
タクシーに乗るときに、目的地を告げずにただ闇雲に走らせたらどうなるでしょうか。
ガソリンがなくなるまで走っても、時間もお金も無駄になるだけで、得るものは何もありません。
飛行機を飛ばすときに、目的地を考えずに闇雲に飛べばどうなるでしょうか。
いずれ燃料が無くなって、墜落の悲劇あるのみです。
マラソンで走るときに、目的も無くひたすら走れば走り倒れあるのみです。
目的も無くひたすら泳げば溺死という悲劇しか待っているものはありません。
墜落する飛行機の中で機内食をおいしく食べることが出来るものはいないと申しましたが、
「生きていること自体が楽しいからいいんだ」という人はそこを見落としているのです。
ひとたび人生の目的がハッキリすれば、「どう生きる」ということも全て意味を持ち、
俄然輝いてくるのです。
聞き違えないでいただきたいのは、「どう生きる」という手段が必要ないという
意味ではないのです。「なぜ生きる」という目的をハッキリ持った上で「どういきる」を
追求するならば、それはとても素晴らしいことなのです。
ただ、目的を持たずに手段ばかり追求するのは意味が無い、と言っているのです。
「隣の家に行く」という目的があって初めて「徒歩」という手段が選べます。
「アメリカに行く」という目的があって初めて「飛行機」という手段が選べます。
目的地が無いのに「徒歩か、飛行機か」と悩んでも無意味です。
ですから、皆さんにはまず「後生の一大事を解決する」という人生の目的を知り、
それに向けて、真剣に仏法を聞いていただきたいと思っているのです。
693 :
683:2005/05/28(土) 00:13:57
>>605 お答えありがとうございました。
うなづけることもあり、わかり切らないこともあります。
「墜落する飛行機の中で機内食をおいしく食べることが出来るものはいない」
これはよくわかるたとえでした。
でも・・・「絶対に墜落しない飛行機はありえない」以上、墜落を恐れて機内食を
楽しめないのは食事になってくれた動植物への慈悲にかけるような気もします。そして
「今まさに墜落しているとわかる飛行機に乗っている」時には食事など出さないのでは
ないでしょうか?
問題を混同してますよね(私が)。念仏スレで禅問答になってもいけませんし、
もう少し考えてみます。
694 :
605:2005/05/28(土) 00:47:06
>>693 >「今まさに墜落しているとわかる飛行機に乗っている」時には食事など出さないのでは
>ないでしょうか?
これはものの例えですから、そんな細かいことで揚げ足を取られましても・・・(;´д`)
「機内食」云々は、「相対の幸福」を例えたものですから。
世間の人々は「死」という大問題をなるべく考えないようにして、
「まだ先のことじゃないか、人生楽しまなきゃ損だ」と言って日々生きているのです。
しかし、これは大変恐ろしいことです。飛行機の例えでいいますと、
「墜落すると言ったってまだ先のことじゃないか。それより機内食をおいしく食べよう」と
言っていることと何も変わらないのです。
飛行機に墜落以上の大問題は無いように、人生に「死」以上の大問題はありません。
これを「後生の一大事」と言います。
仏教は、「後生の一大事を知ることに始まり、後生の一大事の解決に終わる」と
言われますように、この一大事を解決することこそが人生の目的であり仏教の目的なのです。
食事になった動植物には、いくら詫びても罪が消えることはありません。
「随喜同業」の殺生罪は、悪因悪果 自因自果、いつか必ず自分に悪果として
返ってきます。我々は生きるためとは言いながら、悪を作りどおしなのです。
一生悪を作り続け、そのまま死んで後生へ旅立ったならば、現在世で一生かけて
作り続けた悪因が未来世でそのまま悪果となり、やはり後生は一大事です。
695 :
605:2005/05/28(土) 00:47:28
〜続き。
しかも、いつ死ぬとも知れない無常の世の中です。
例えば我々は、「まさか自分が明日死ぬことは無いだろう」と思って生きています。
そして、その「明日」がきたら、またその明日も生きておれると思っている。
「明日生きておれる」と思うのは、「永遠に生きておれる」と思うのと同義なのです。
しかし、もしそれが真実ならば死ぬ人など誰もいなくなってしまう。
現実では、自分が今日死ぬとは夢にも思っていない人たちが事故や病気で死んでいる。
このように、死というものはいつ来てもおかしくないもので、少なくとも当の本人には、
「こんなに急に死が来るとは」としか思えないものなのです。
いつ死ぬとも知れない無常の世の中だからこそ、「このまま死んだら一大事」と、
常に後生の一大事を心にかけ、真剣に仏法を聞いていただきたいのです。
私たちは、生きている「今」しか仏法は聞けないのですから。
死んでしまってから後悔してももう手遅れなのです。
正直、普段死のことは忘れてますし、あんまりコワイとも思わないんですが。
もし無になるならそれまでだし、生まれ変われるなら、それもいいなあと。
鳥になったら広い空を飛べるし、魚になったらきれいな海で泳げるし、虫とかは
今はいやだけど、虫自身は自分の姿に悩んだりしないだろうし…。
ましてや阿弥陀さまのいる浄土へいって暮らせるなら、もう、最高!
現世で業を積んで来世が悪くなるとしても、もしそうなら、現世自身が前世の「来世」
ですよね。罪深く貧乏で、望むものは手に入らず、討って出れば必ず裏目に出るし、
色欲は満たされず、持病に悩まされ・・・そんな現世ですけど、人間生まれて、とりあ
えず飢え死にの恐怖もなく、明日も生きられそうなので満足しています。こりゃよほど
前世でよいことをしたのかなあと。そんな現世をあまり来世のことばかり心配して送る
のももったいない、という気持ちで日々享楽に溺れぬように楽しんでおります。
凡夫で申し訳ないです。こんな時、素直に南無阿弥陀仏といえる気がします。
697 :
牛飼い:2005/05/28(土) 01:04:53
どのようなことを貴方に話した良いのか少し迷いましたが(どのくらいの段階に達しているのか?)先ずはこれからにしましょう。
空とか何とか語る前に永遠の国へ逝くことが出来るのは”プライドと幻影を捨てた人”であるのです。私たちは何か称号を追い求める。
ある人は”卿”になりたがり、ある人は”閣下”と呼ばれたがる。大統領、議長、学長、社長など”長”の呼名がつくものになりたい人、
富豪になりたい人、王様になりたい人など、さまざまである。こうした称号に執着しているというのは、つまり肉体に執着していることである。
なぜなら称号は肉体につくものだから。だが、法典に照らすなら私たちは肉体ではない。この事実を悟るのが自己実現の第一歩なのです。
私たちは物質自然の三性質になれ親んでいるけれども、主に対する献身奉仕によって、それから離れなければならない。主の献身奉仕に依らなければ
物質の三性質(トリグナ)から離れることは出来ないのである。称号その他物質次元のものに執着するのは、私たちに欲望があるからで、
その欲望を主に振り向けることによって物質次元のものから超越するのである。物質界の事物に対する所有欲、支配欲を捨て切らぬ限り、
至上者の国に帰ることは出来ない。その永遠の国、不壊の国に行けるのは、幻影のような物質的快楽に心が迷わなくなった人である。至上主への奉仕に
心を確固と定めた人である。そのような人は、いとも簡単に、その至上の楽郷に行くことが出来るのだ。
もっとも肝要なのは、「自分は肉体ではない、魂なのだ。肉体と魂は全く別の物だ」という完璧な知識を、徹底的に我がものにすることである。
理論的に理解するだけではなく、この知識を実際身に付けたなら、必ずそれにふさわしい行動が伴うはずである。もう感覚を満足させるために仕事の
結果を期待するということはなくなるはずである。心の定まらない人が、成果(むくい)を求めてあれこれと、さまざまな仕事をして、
無駄に気力を浪費しているのである。
>>697 ははあ・・・申し訳ないです・・・・
反省と感謝と贖罪をこめて、明日一日断食いたします。
おやすみなさい
699 :
牛飼い:2005/05/28(土) 01:51:00
皆さん、数字のハンドルネーム辞めてもらえますか?誰が誰やら・・(笑)
700 :
605:2005/05/28(土) 03:57:33
605です。
>>696 >もし無になるならそれまでだし、生まれ変われるなら、それもいいなあと。
「三世因果の道理」という話は聞いたことがありませんでしたか?
釈尊のお言葉で、「汝ら、過去の因を知らんと欲すれば、現在の果を見よ。
未来の果を知らんと欲すれば、現在の因を見よ」というものが「因果経」にあります。
もしも死後の世界が無いならば自殺は苦しみから逃れる手段として認められることになりますが、
因果の道理から言って未来世が無いという考えは全く理屈に合いません。
1人殺した人も100人殺した人も死刑は一回限りです。しかし因果の道理によって、
100人殺した人は未来世でより多くの苦しみを受けることになります。
おっしゃるとおり、今人間に生まれているのは前世でよほどいいことをしたのかもしれません。
しかし、未来世はどうですか?食欲一つとっても「殺生罪」という大罪を毎日犯しているのに、
我々は108の煩悩から出来上がっているのです。「煩悩具足の凡夫」と申しまして、
我々人間(凡夫)から煩悩を取ったら何も残らない、と言う意味です。
例えば、雪だるまから雪を取ったら何も残りませんし、ようかんからあんこを取ったら何も残りません。
「雪具足の雪だるま」であり「あんこ具足のようかん」だからです。
そして、我々はその煩悩でもって日々悪を作り通しなのです。
しかし、苦悩の根源はこの煩悩でなく「無明の闇」です。
この点で牛飼いさんとは意見が異なります。後で説明いたします。
とにかく、悪を作り通しの我々ですから、未来世は地獄です。
「必堕無間」と申しまして、人は必ず無間地獄に堕ちると釈尊も仰せです。
人はこの世の「自業苦」から来世の「地獄」へ堕ちてゆくのです。
あれ?コテハンに変えたつもりだったのに(汗 605です。
〜続き。
>鳥になったら広い空を飛べるし、魚になったらきれいな海で泳げるし、虫とかは
>今はいやだけど、虫自身は自分の姿に悩んだりしないだろうし…。
これは人間の眼から見た、欲目の混じった見方ですね。
人間として、物質的に何も不自由のないこの時代の日本という国に生まれておきながら、
生きることはなおこんなにも苦しいのです。ひとたび人身を失ったなら、どんなに苦しい
地獄が待っていることでしょう。釈尊は、「諸々の比丘よ、如何なる喩と雖も、如何に
地獄の苦なりやを説くこと能わず」と賢愚経におっしゃっています。
地獄の苦しみは、どんな喩えでも説けないほど苦しいものなのです。
決してあなたが想像しているような生易しいものではないでしょう。
>ましてや阿弥陀さまのいる浄土へいって暮らせるなら、もう、最高!
とんでもない聞き誤りです。悪しか作れない我々が弥陀の浄土へ生まれるなどと
大それたことがあるはずがありません。因果の道理は三世十法を貫く大宇宙の真理です。
天地がひっくり返っても、「悪因善果」などあろうはずがないのです。
我々は、自力の信心では「悪因悪果」地獄へ堕ちるのみなのです。
ただ弥陀の本願不思議の他力の信心のみが、我々を救い、浄土へ往生させてくれるのです。
そして、弥陀の本願に救われるには、真実の仏法を聞くしかありません。
>>655にも書いたとおり、弥陀の本願は耳からいただく薬のようなものです。
「仏法は聴聞に極まる」と言われる所以です。そして、仏法は生きている間しか聞けません。
無常の世の中、後生の一大事を心にかけて真剣に仏法を聞き、弥陀の本願に救われる以外に
我々が助かる道はないのです。さもなければ未来永劫苦しみに沈むのみです。
>>697 >>698 何度も言いますが、苦悩の根源は「無明の闇」であり、「煩悩」ではありません。
まず、煩悩について解説いたします。
煩悩は108つあり、中でも恐ろしい3つを「三毒」、ついで恐ろしい3つを加えて
「六大煩悩」と言います。三毒とは、「貪欲」「瞋恚」「愚痴」で、
それに「疑」「慢」「悪見」を加えて六大煩悩というのです。
「貪欲(とんよく)」とは文字通り欲の心で、あれが欲しい、これが欲しいと思う心です。
具体的には5つありこれを「五欲」といいまして、「食欲」「財欲」「色欲」「名誉欲」「睡眠欲」の5種類があります。
「瞋恚(しんに)」とは怒りの心で、欲の心が妨げられたときに起こる心です。
「怒」とは、「心」の上に「奴」と書きますが、「奴のせいで欲を満たしそこなった」
ということで怒るわけです。この心は、周囲の一切を焼き尽くさずにおりません。
携帯電話を買ってもらえないことに腹を立て、家に火をつけて祖母と母親を死なせてしまった
女子中学生の話がありますが、怒りの心は「無謀に始まり、後悔に終わる」と言われます。
我々の理性さえも焼き尽くし、何をしでかすか分からない恐ろしい心なのです。
「愚痴」とは、瞋恚の心でもかなわないときに起きるねたみ、そねみの心です。
因果の道理が分かっていれば、今の自分の状況は全て自分自身の過去の行いが原因だと
分かりますが、この道理が分からないために見当違いの他人を憎むのです。
「縄をうらむ泥棒」とは、自分が泥棒という悪いことをして縄に縛られて苦しんでいるのに、
「この縄が悪いんだ、こいつさえいなければ」と縄を恨む泥棒を笑った言葉です。
しかし、私たちはこの泥棒を笑えるでしょうか。因果の道理が分からず他人に腹を立てている
私たちの姿は、この泥棒と何も変わらないのではないでしょうか。
「疑」とは、他人を疑う心です。電車の中でスリや痴漢を警戒する心も疑ですし、
初対面の人の話を信じられない心も疑です。
「慢」とは自分をよく思おうとする心です。「七慢」といいまして7種類あります。
「悪見」とは、白を黒と見て、真実を見ようとしない心です。
〜続き。
我々はこの煩悩によって悪を作り、悪因悪果によって苦しめられています。
ではこの煩悩が苦悩の根源かと申しますと、そうではありません。
先ほど申しましたように、我々は「煩悩具足の凡夫」です。
我々から煩悩を取り去ったら何も残りません。つまり、「死」あるのみです。
煩悩とは、我々が生き延びるための本能でもありますので、無くす事など到底出来ませんし、
仮に無くしてしまったら生きていくことは出来ません。
また、仮に煩悩が苦悩の根源で、煩悩が無くなったのが真の幸福ならば、
石や屍のほうがよほど幸せです。あれらは欲望がありませんから。
また、
>>697で牛飼いさんが言われているように、「欲望を主に向けて救われる」
(主というものが何を指すのか分かりかねますが・・・)というのも無理な話です。
我々の本質は「我利我利亡者」でありまして、自分の利益しか考えられないものなのです。
自分が生き延びるための本能である欲望を他人に向けるなど、理屈から言ってももう出来ないことです。
かといって、欲望を満たすことでも幸せにはなれません。これも既に述べたとおり、
相対の幸福では幸せになれないというのが理由です。
欲望は満たせも減らせも無くせもしないし、他人に向けることも出来ない。
また、煩悩がなくなった状態は幸福とは似ても似つかない結果になるので、
煩悩は苦悩の根源とはいえないのです。
では、後生くらい心「無明の闇」がなぜ苦悩の根源かと申しますと、
先ほど
>>691に書いたとおりです。
この「無明の闇」を破って絶対の幸福の身になってこそ、我々は真に救われ、心は明るく楽しく
浄土に遊ぶようで、死んだ後は浄土へ往けるのです。
悪の作りどおしで、金輪際救われる縁の尽きた我々を救ってくださるので、「弥陀の誓願不思議」とか
「不可称、不可説、不可思議」と親鸞聖人も言われているのです。
とにかく、愚者さん。
>>698のような断食は意味が無いのでおやめください。
そんなことをして体を壊したら、仏法が聞けなくなるではありませんか。
それでは本末転倒です。
もちろん、反省も感謝も懺悔も大切なことです。しかし、その結論として
一日断食というのであればあまりにもお粗末と言わざるを得ません。
生きるためには殺生罪は避けられませんし、それを嫌うならば「死」あるのみです。
結局生きるならば、たった一日断食をしようがしまいが同じことです。
断食をすることで周囲を心配させるのもよくありません。
しかし、「どうせ断食するなら死ぬまでやれ」と言っているのではありません。
自殺は悪いこと。生きることはよいこと。これは大前提です。
自殺するということは、「生まれてこなければよかった」ということで、生んで育ててくれた親の大恩を
憎み、呪って死んでいくことになりますので、これは大変な悪です。
そんな大罪を犯して自殺していったならば、悪因悪果、後生の苦しみははかり知れないものになるでしょう。
また、「後生の一大事を解決する」という尊い人生の目的があることが分かっていれば、
その目的を解決するまではなんとしても生き抜こうという気持ちになります。
〜続き。
「浦島太郎」という昔話がありますが、浦島は助けた亀に連れられて竜宮城で
楽しいひと時を過ごします。「浦島のように、生き物を大切にする、心優しい人に
なりなさいよ」という教訓話でしょう。
しかし、浦島は猟師です。その肩には魚釣竿がかけられております。
それは、一匹の亀を助ける一方で、何千何万もの魚を殺してきたということです。
お話の中では亀も魚も同等に扱われていますし、実際に全ての命は等しく尊いのですから、
たまたま一匹の亀を救ったからと言って善人に見せかけるのは、いかにも見え透いた偽善です。
浦島が真に慈悲深い人間ならば、まずその魚釣竿を折っていなければなりません。
しかし、釣竿を折るということは猟師である浦島にとって「死」を意味します。
ここに、善人たらんとする浦島の、人間としてのギリギリの姿が浮かび上がってきます。
愚者さんがやろうとしている断食もまさにそうで、普段から何千何万という殺生をしていながら、
たった一日断食して救われると思うなら、大変な思い上がりです。
人間として生きる以上殺生罪は避けられないのですから、「こんな罪を犯してまで
何のために生きるのか」ということを深く考え、その答えは仏法に説かれているわけですが、
真剣に仏法を聞いていただきたいと思うのです。
>>親鸞学徒 さん
本当ににていねい解説をありがとうございます。睡眠不足に影響されたのではありませんか?
「自殺は悪いこと。生きることはよいこと。これは大前提です」
とてもよい言葉ですね。これを聞いただけでもよかったと思います。
大丈夫ですよ、断食で救われるなんて大それたことは考えてませんから。断食すると
心身が軽くなるのでただの健康法のつもりです。断食、なんて大層な言い方をしない方
が良かったですね。ダイエット、と言い換えます(笑
親鸞学徒さんにとって、現代に生きることはそんなに苦しいことですか?
私は実はここと一緒に、ある殺人犯を褒めたたえているスレを平行して読んでいる
んです。食べるために植物を刈るのさえ大罪なのに、殺人の罪を犯したものを英雄
と思う人間もいるのです。
彼らの誤りの根源は自分が「苦」の中にあることを自覚したことのようです。
それが自分の業への反省となり、善行を積むなり反省のきっかけにするのならよい
のですが、すべてを「誰か」のせいに責任転嫁してしまい、その「誰か」に恨みを晴らした
殺人犯を英雄と思うようです。その「誰か」が見知らぬ他人や子供であるはずがないのに。
私は申し訳ないほど「この世を苦しい」と思えないのです。
つい先日まではひとつだけ「苦しい」と思うことが残っていて、しかもその一つのために
他のすべても苦しいと思いがちでした。でも、「空即是色」の積極的な解釈でその最後
の苦も和らいできて、さらに浄土思想のおかげで(もちろん浅薄な理解ですが)さらに
楽しくなってきたとろです。
やっぱりさらに考え抜いて、「楽しいと思っている場合じゃないんだ、このままだと地獄へ
落ちるんだ」と苦しむべきなんですか?
今の自分の毎日が地獄に落ちるほど罪深いことなら、それも仕方ないかと諦めた方が
よいと思ってしまいます。
そんな甘いものじゃないんですかねえ・・・・。
お返事なくても考えますし、急ぎませんから、どうぞ時間のある時にでも・・・。
707 :
けちゃっぷ:2005/05/28(土) 07:06:31
>>702 「無明の闇」が何を意味しているのかわかりませんが、「無明」は、三毒煩悩の一つである「愚痴」のことです。迷いの根本、あらゆる煩悩の根源をなすものです。
708 :
けちゃっぷ:2005/05/28(土) 07:53:03
>>688 親鸞会を信奉するなら、1点だけ注意していただきたいことがあります。
既存の浄土真宗各派を誹傍しないことです。
親鸞会信者を名乗る人の中にしばしば、「本当の親鸞の教えを真宗はわかっていない」みたいな言い方をする人をお見受けします。
しかしその人が語る「真実の親鸞の教え」は、真宗(親鸞信者)なら誰でも知ってるような基本的な教義であったりします。
親鸞会が既存の教団を積極的に批判しているのかどうかは知りませんが、そのような信者さんになるのだけは、避けていただきたいです。
>>707 >>691をもう一度よくお読みになってください。
無明の闇についてはすでに解説しております。
教学的な根拠が分からないのであれば、以下のとおりです。
「無碍の光明は無明の闇を破する慧日なり」(教行信証)の「無明の闇」
「無明の闇を破するゆえ智慧光仏となづけたり」(浄土和讃)の「無明の闇」
「決するに、疑情をもって所止となす」(教行信証)の「疑情」
「流転輪廻の際なきは疑情の障りにしくぞなき」(高僧和讃)の「疑情」
これらが、私の言っている「無明の闇」であり、「後生くらい心」とも
「真実の自己の姿に暗い心」とも言われます。
けちゃっっぷさんが「無明=愚痴」と言われますのはおそらく、
「無明煩悩しげくして塵数のごとく遍満す」(正像末和讃)の「無明」や、
「『凡夫』というは、無明・煩悩われらが身にみちみちて」(教行信証)の「無明」でしょう。
これらの「無明」は、弥陀の本願にあったときに無くなる「無明の闇」とは異なり、
「欲、瞋恚、愚痴」の煩悩のことを表しています。
>>708 なぜそうおっしゃるのかが分かりません。
同じ真宗であっても、釈尊や親鸞聖人の教えと違う曲がった教えがあれば
正さねばならないし、宗派が違っても釈尊の教えをそのまま説いておられる
ところがあったならば、大いに賞賛します。
「それが正しい仏教か、否か」ということは釈尊や親鸞聖人の説かれた教えに
反していないかどうか、正しく解釈できているかどうか、それによってのみ決まります。
「真宗ならばかならず正しい」とは言えないのです。
そういう意味では、「○○宗が絶対正しく、○○宗や他の宗派は全て誤り」などと言って
一方的に誹謗することはありません。正しい教えかどうか、その宗派がどんなことを教えているのか、
一度聞いてみてから正否の判断をしています。
「誰でも知ってるような」とおっしゃいますが、ではその教義をいったい正しく
理解できているのですか?経典のご文を知っているだけでは意味がありません。
誤った解釈をしていても意味がないのです。
もし私が間違っていると言うのなら、高森顕徹先生も間違っていると言うことになります。
そうおっしゃるのならば、一度高森先生の講義を聞くなどして、どこがどう間違っているのか
ハッキリ示してもらいたいものです。
私は高森先生の教えを忠実に掲示板に書いているだけですし、
高森先生は親鸞聖人の教えを忠実に解釈、解説しておられる方なのです。
あるいは、
>>605に載せたURLに、「なぜ生きる」という本があります。
一万年堂出版の本ですが、高森先生が監修をなさっておられます。
これを読んでいただいて、「○○ページのここがおかしい」などと批判なさって
もらえれば、それは甘んじて受け入れ、議論いたします。
711 :
電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k :2005/05/28(土) 10:20:42
>>688=605 親鸞学徒
正体を現しましたね。
親鸞会は完全なカルトとして認定しております。5人ほどの脱会工作も致しました。
「教えを聞き」?馬鹿かお前は。親鸞会の教義は完全に破綻していて自己矛盾もいいとこ。
基本的に法論して脱会させることにしているから親鸞会カルトは知り尽くしてるんだよ。
近い将来、叩き潰す選択肢にも入ってるけどね。
釈尊や親鸞の教えに反しても
正しい可能性はあると思うけどね。
釈尊も親鸞さんもただの人間だよ?
俺らと変わらんのだよ?
少なくとも中学校のテストを3人で受けたら俺が勝つよ?
果たして、釈尊や親鸞さんは崇められる事を望んでるかな?
学ぶ相手は釈尊や親鸞さんではなく「真理」そのものではないのか
この世の全てのリンゴが万有引力の法を説いている
空に浮かぶ全ての雲が無常の法を説いている。
茶碗に盛られたメシの一粒一粒が命の尊さを説いている
それを聞かずになんで700年前2500年前にくたばったジジイの伝言ゲームに付き合ってるのか
真理は経典の中にあるんじゃない。
一粒のコメに命を見たら南無阿弥陀仏なんて当たり前にでてくるわい
なんて書いてるとカルト認定くらいそうだなw
ちなみに俺は仏教もすこしかじったけど
仏教徒じゃないのであしからず
713 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/28(土) 12:13:57
>親鸞学徒へ
「全人類が等しく、ありのままで救われるという教えなのだ」
もし「全人類が等しく、ありのままで救われる」教えがあるならば、少なくともそれは
念仏とか阿弥陀仏の信心ではありえない。すなわち、
キリスト教徒は阿弥陀仏への念仏も信心もしない。したがらない。
イスラム教徒も阿弥陀仏への念仏も信心もしない。したがらない。
ユダヤ教徒も然り。ヒンドゥー教徒も然り。ジャイナ教徒も然り。無宗教者も然り。
念仏や信心する人というのは、誰かによって教義を「教え込まれた」人である。
念仏や信心するようにし向けられたのである。人間の操作によってある状態に作られたこと
によって念仏や信心するようになる。それは全く人間の「ありのまま」の姿ではない。
人は全くそのような知識・教義に晒されることなく天然自然に育てられれば、
信心することはない。そのような純白の人間こそが「ありのまま」というのである。
「ありのまま」と言いつつ様々な教義や行為の推奨をすり込みながら、人を自派への奴隷へと
引きずり込まんとする輩が宗教者には多い。
こうなると仏教だろうがなんだろうが、人類への害悪でしかないのである。
>>712 宗教について学ぶ時は、その瞬間だけでも信者にならないとわからない
と思いますよ。
715 :
けちゃっぷ:2005/05/29(日) 12:01:50
>709 苦悩の原因は煩悩であり、煩悩を克服できれば苦悩も克服できますよね。
「後生くらい心」がなくなり人生のハッピーエンドを確信した時、今まで重大だと思ってたことが「たいしたことない」ことだと思え、煩悩が一つ克服される。
煩悩を克服してる人にとっては、「死後どうなるかわからない」ままでも、苦悩はないでしょう。「わからないならわからなくてもいいや」と受け入れられるだろうから。
煩悩は苦悩の条件ですが、「後生くらい心」は必ずしも苦悩の原因だとは思いません。
煩悩を克服していない凡夫を苦悩から救う手だてとしては、往生を示すことは有効だと思いますが。
716 :
牛飼い:2005/05/29(日) 15:10:26
>>700 親鸞会ってカルトなのか?はじめて知った。道理で親鸞が創作した熟語に執着していると思った。
先ず私の信仰している宗教は仏教ではない、ということを申し上げておきます。仏教と違い現世安穏教ではないのです。
人間は肉体を持つから苦悩や煩悩が付き物であり、尚且つ肉体を維持していくためには働かなければなりません(金を稼ぐ)。
この現象世界では金持ちであってもそうでない者であっても儚く住みづらいものなのです。献身奉仕にて主(元始御方)の御身の
もとに行けば、もうこの儚い現象世界に二度と生まれ変わってくることもないのですから=献身者は全員解脱です。生と死の繰り返しから
救ってくれるのは至上主だけなのです、仏教信仰では一度極楽に上ってもいづれこの中級な惑星=地球に落ちてくる運命にあります。
仏教ではこれが限界なのです。物質自然を神(十億万国土)だと想っている無知無明の虎にのみこまれている信仰者とは違います。
一般の人々は、物質的な快適さが増せば幸せになれるものと思い込んでいます。彼らは、物質自然、つまり
外的自然がどんなに強力なのか、全然知りません。それもそのはず、誰もが物質自然の厳格な法則に固く縛られているから。幻象に魅せられた
二とは、自分個人の感覚を満足させて幸福になろうと奮闘しています。しかし、そんなことで幸福になれるはずがありません。自分個人の物質
的感覚を満たすのを辞めて、主の感覚を満足させるべきなのです。これこそ人生の最高完成です。主はこれを望まれ、主はこれを要求されます。
仏教は最後には涅槃で終わりだが、われわれの教義では、涅槃の後から、始まるのであって、この点からしても仏教とはかなりの差異がある。
因みにチベット仏教では肉食をしている者が多いが、私は一切肉食とは無縁な生活をしています。
717 :
牛飼い:2005/05/29(日) 15:21:06
ちなみに私はある真言宗住職に「弟子にならないか?」といわれたことが在りますが、
丁重にお断りしました。神道本庁所属の神主(明階)からも「神官になりたいのであれば推薦するよ」といわれたが、
これもまた断りました。現世が全ての神道。涅槃で終わりの仏教とは考えが乖離しすぎだからです=ま、上納金払うのもやだし(笑)。
718 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/29(日) 15:27:06
牛飼い君は何かの新興宗教の会員かい?
719 :
けちゃっぷ:2005/05/29(日) 15:29:19
牛飼いさんの信仰は、何なのでしょう?もったいぶらずに教えてくださいな。
720 :
けちゃっぷ:2005/05/29(日) 15:52:42
魂が物質に誘惑されてて堕落したから煩悩のある衆生の今の状態があると考えるのは、
ある種のヒンドゥー教思想でありオウム真理教の取る説でもある。
愚者ぐしゃです
今、仏教聖典を読んでおります。
友松圓諦師の文語訳のものですが、いいですね!
口語訳の方がわかりやすいかと思ったのですが、読んでいるだけで
格調高い日本語の勉強になります。
日本に仏教が入ってきた時も、このくらいのわかりやすい訳で広まっていたら、
と思います。
あいかわらず「空即是色」について考えています。
723 :
722:2005/05/29(日) 16:08:28
そうそう、断食の件ですが、土曜日は朝、昼、晩に甘草茶を飲んだ以外は
水も口にしませんでした(健康のためにも、渇いたら飲むつもりでしたが、必要
ありませんでした)。
本当はあと2、3日続けたかったのですが、体力回復までの日数も考慮して今日は
重湯、お粥と復食に入っております。
この件は信仰とも、称名念仏ともあまり関係ありませんが・・・・。
断食しながら仏教聖典を読むなんて、なんかいかにも形から入っている感じで浅薄
かも知れませんが、何かがつかめればと思っております。
724 :
牛飼い:2005/05/29(日) 16:35:42
違いますよ(笑)、私は新興宗教などの信徒ではありません。
2年程前から仏教信仰からヒンズー教信仰に変えました(仏教では物足りなくて)。
>>721 さすが!気がつく人がいるもんだ。でも私はオウム信者ではありませんよ(笑)、
止めてください詐欺師、破壊工作集団と一緒にするのは・(笑)
725 :
牛飼い:2005/05/29(日) 16:49:31
>>723 あなた聖職?それともまだ信徒?
そこまで会に入れ込んでいるのに、まだ得度していないのか?
推薦してくれる人の縁にめぐり会っていないのか?
>>725 ちょっと仕事で一時的に仏教にかかわってる者です。
まあ、仏縁ということで信心はじめてもいい気がしてます。
勉強はじめてからずいぶん気持ちが楽になったもんですから。
断食はまあ、ホントに健康法程度の気持ちでやりました。
727 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/29(日) 23:56:56
牛飼い君は我流ヒンズー教徒ですか?
師匠とかいるのかい?
>>706 レスが遅れて申し訳ないです。4時頃に書いているのは寝不足ではなく、たまたま夜中に目が覚めただけです(笑)
断食ではなくダイエットですか、それを聞いて少し安心しました。
健康法ならば体を壊すような本末転倒も無いでしょうし、いいことだと思います。
生きることが苦しいことであるのは、何も私だけのことではありません。
本質的には全人類に当てはまることなのですが、それでも「人生は楽しい」と言える人は、
おそらく人生の根本的な問題から目を背けて、現実逃避している人でしょう。
酒を飲んで酔っ払っている間だけ借金のことを忘れていられるのと同じです。
いつか必ず来る「死」という大問題から目を背けている間だけ「人生は楽しい」と言えるのです。
>>657より抜粋
「幸せ求めて生きているのに、なかなか手に入らない。苦労して手に入れたと思ったら
安心感も満足感もないし、いつかは失って苦しみに転じ変わる。これでは何のための人生か。
苦しむための人生ではないか。」
ここで言っている「いつかは失って」というのは、もちろん存命のうちに幸せを失うと
いうこともありますが、「自分が死ぬと全てまとめて失う」という意味合いが大きいです。
安心感も満足感も無い幸せを追い求め、いずれは死んで全てを失うのです。
「これでは何のための人生か」というのも分かるでしょう。
〜続き。
豊臣秀吉という男は、農民の家に生まれながら天下統一まで成し遂げた男で、
「彼ほど成功した人生は無い、その人生はどんなに幸福に溢れているのだろう」と思います。
しかし彼は、いざ死ぬときにこんな歌を歌っています。
「露と落ち 露と消えにし わが身かな 難波のことも 夢のまた夢」
「露のように儚く生まれ、儚く死んでいくわが身であった。難波のことも夢の中で夢を見ているようだった」
「難波のこと」とは、彼が大阪で成し遂げた天下統一の大事業のことです。
この歌を見ると、幸福の「こ」の字も見当たらないことに驚くでしょう。
彼は、生涯かけて幸福を追い求め、手に入れたと思ったら死んで全てを失ってしまいました。
その空しさを「夢のまた夢」と歌ったのです。
徳川家康も、自分の人生を「重荷を負うて遠き道を行くが如し」と表現していますが、
相対の幸福をいくら手に入れても安心も満足も無いということがよく分かる話です。
我々がいずれ死なねばならぬということは紛れも無い事実ですから、死ぬにあたって「夢のまた夢」と
ならないように「死に際しても決して崩れない、失うことの無い幸福」=「絶対の幸福」を手に入れることが
何よりも重要なのです。そして、その幸福は弥陀の本願によって苦悩の根源「無明の闇」を破った時に得られるのです。
>やっぱりさらに考え抜いて、「楽しいと思っている場合じゃないんだ、このままだと地獄へ
>落ちるんだ」と苦しむべきなんですか?
その通りですが、「苦しむべき」という点だけ違います。
後生の一大事の解決目指して、真剣に仏法を聞くことが必要なのです。
仕事で仏教に関わっていらっしゃるのなら、
>>605の「なぜ生きる」という本をぜひ一度
お読みになって下さい。釈尊の説かれた本来の仏教を正しく解釈してある数少ない本です。
お仕事の参考になればと思います。また、本の内容で何か質問があればお答えいたします。
>>711 >>710をよく読んでください。
親鸞会を否定するのであれば、親鸞会の教えのどこがどう破綻し、矛盾しているのか
否定する根拠を示してください。
否定する根拠も無く一方的に誹謗するのであれば、そんな無茶な意見は相手にしません。
何か根拠あってのことなら、その点について徹底的に議論いたしましょう。
>>712 釈尊は仏の悟りを開かれたお方です。
一切経の教えに否定できない真理が説かれていることからも明らかです。
また、親鸞聖人は弥陀の本願によって絶対の幸福の身に救われたお方です。
主著の教行信証の記述を見ればこれも明らかです。
大切なのは「真理」であるという意見には賛成です。
しかし、その「真理」を説かれた方が釈尊であり、釈尊の教えを忠実に
説かれた方が親鸞聖人なのです。
仏教を少しかじったとおっしゃいますが、少しかじった程度で「経典に真理が説かれていない」
と結論が出せるのはおかしな話ではありませんか?
いったい何を根拠にそのようなことが言えるのでしょう。理解しかねます。
かつて説法を聞いて、何か矛盾点を感じたという経験をお持ちなのならば
それをそのまま私に質問してください。
>>713 どうやら、「ありのまま」という言葉を深読みしすぎて聞き違えてしまっているようですが、
私が「ありのまま」と言ったのは、「肉食妻帯を許し、修行や儀式の類も必要としないまま」という意味です。
他宗教では色々な戒律や掟、儀式や祈祷などありますが、そういったことをせずとも、
ただ仏法を聞くだけで(もちろん真剣に聞かなければなりませんが)救われるのです。
「人の話を聞く」ということは「ありのまま」ということに反しますか?そんなことは無いでしょう。
そして勘違いしないでいただきたいのは、「念仏」は弥陀の本願によって救われた人が、阿弥陀仏の仏恩に
感謝し、お礼の意味で称えるものです。念仏称えれば救われるとか、念仏しなければ救われないとかいう教えは
本来の仏教ではありませんし、親鸞会の教えでもありません。
「信心」というのも、ありのままの人の姿から逸脱しているわけでは決してありません。
我々には、生きるために心の支えにしているものがあります。その「心の支えにする」ということが
すなわち「信心」ということなのです。
例えば、「金さえあれば何でも出来る」と思っている人は「金信心」です。
「いままで病気一つした事が無い」と自負している人は「健康信心」です。
平和な家庭に恵まれ、「この幸せがいつまでも続いてくれたら・・・」と思っている人は「家庭信心」です。
明日も、来月も、来年も生きておれると思っている人は「命信心」です。
このように、「信心」というと一見宗教的で非日常的なことのように思われますが、
我々は常に何かを信じ、心の支えにしていることが分かります。
そして、仏法で説かれていることで、「相対の幸福はいつか必ず崩れて不幸に転じ変わるので、
真に幸せになるには決して崩れない絶対の幸福の身になることだ」という教えを信じ、
心の支えとしても何もおかしいことは無いでしょう。
「金信心」「健康信心」「家庭信心」「命信心」と同じように、「仏法信心」があってもよいではありませんか。
〜続き。
また、親鸞会は金集めや人集めを目的とした会ではありません。
金を集めていい気分になるのは「財欲」によるものですし、人を集めていい気分になるのは
労働力という「財欲」及び人の上に立ちたいという「名誉欲」によるものです。
親鸞会では金も名誉も権力も全て「相対の幸福」であり、そういったものを求めても真に幸福には
なれない、と説いているのに、その親鸞会が金や名誉や権力に溺れるなどありえない話です。
親鸞会の目的は、絶対の幸福の素晴らしさを世の人々にも知って欲しい、こんな世界があることを
教えずにはおれない、という気持ちで仏法を説いている、ただそれだけなのです。
確かにあなたがいぶかる様な怪しげな教団は今日数を増していますが、そういった教団の教祖は
この世の真理が分からず、「金さえあれば、名誉さえあれば、権力さえあれば」と欲に迷い、
決して幸せになれない一人の人間なのです。
親鸞会の教えはそういった迷いの世界から完全に逸脱しています。もう次元が違うのです。
>>715 確かに、苦悩の根源は煩悩だと説く僧は多いでしょうが、それは誤りです。
我々は煩悩によって悪を作っていますので、仮に煩悩を無くせばもう悪を作ることはありません。
しかし、だからといって煩悩がなくなった状態が本当に幸福かというと、そうではありません。
>>703にも書いたことですが、煩悩が無いのが本当の幸せならば、石や屍のほうがよほど幸せでしょう。
それに、「煩悩具足の凡夫」といって、煩悩以外には何も無い我々なのです。
そんな我々から煩悩を取り去ったら、「死」あるのみです。また、取り去る自体も不可能です。
「私」という存在があって、その「私」が煩悩を持っている、という考えではなく、「私」=煩悩なのです。
そこまで考えなくとも、「食欲が無くなれば餓死してしまう」という事を考えれば明らかです。
食欲は、「三毒の煩悩」の「貪欲」に含まれます。まさか、「食欲だけは例外だ」などというわけにはいかないでしょう。
「三毒の煩悩」とは、108つの煩悩の中で最も恐ろしい煩悩三つという意味ですから、
もし「煩悩を無くせば幸せになれる」と説くのなら、この「三毒の煩悩」は無視できません。
しかし、それでは「死ねば幸せになれる」と説くようなものではありませんか?
また、「無明の闇」が苦悩の根源とは思えない、ということですが、どうしてそう思いますか?
それが分かりませんと答えようがありませんので、よろしければレスをお願いします。
少なくとも、「無明の闇がなくなると煩悩が一つ解消される」という考えは誤りです。
煩悩を減らしも無くしもせず、ありのままの姿で救うという誓いが弥陀の本願であり、
その弥陀の本願一つを説いているのが仏教ですから。
〜続き。
一応関連のある話をしておきますと、我々は「死」というものを想像するとき、その想像した「死」は
「他人の死」です。どんなに真剣に考えても、「自分の死」がどういうものなのかが本当に分かるのは、
自分が実際に死んでゆく、その直前以外にはありえません。
「動物園の檻の中のトラ」と「山中で突然出くわしたトラ」に例えられます。
我々が、トラとはどんなに恐ろしいものか確かめるために、動物園に行ったとします。
そして、檻の中のトラを観察して「いやぁ、凄い牙だ、凄い爪だ。あんなもので襲われたら
ひとたまりもないだろうなぁ。恐ろしい恐ろしい」と言います。
しかし、実際に山中で突然トラに襲われたならば、「牙がどうの」「爪がどうの」とは言っていられません。
「恐ろしい恐ろしい」では済みません。ただただ死の恐怖におびえ、逃れようともがくばかりです。
それと同じように、我々は「他人の死」を観察して、その恐怖を自分の死の恐怖のように思い、
「恐ろしい」といいます。人によっては、「大したこと無い」「恐ろしいとは思わない」とさえ言うでしょう。
しかし、いざ自分が死ぬとなるとそんなことは言っていられないものなのです。
「大命(だいみょう)将に(まさに)終わらんとして悔懼(けく)交(こもごも)至る」(大無量寿経)
「命がまさに終わろうとするとき、悔(後悔)と懼(恐れ)が交互にやってくるのだ」
こういう言葉があります。
「自分が今までやってきたことは、今自分が死んでいくということに対して何の役にも立たなかった」と気づき、
「どうしてこんな一大事を無視して生きてきたのだ、馬鹿だった、馬鹿だった」という後悔がおき、
「死んだらどうなるのだろう、死にたくない、死にたくない」という不安や恐れがやってきます。
生きている間しかこの後生の一大事は解決できないのに、まさに死ぬときになって初めてその一大事に気づき、
すでに手遅れであることも同時に気づく、その衝撃は計り知れないのです。
「わからないならわからなくてもいいや」という程度のものではありません。
それは「他人の死」しか見ていないから言える事なのです。
>>716 私はヒンズー教に暗いのですが、あなたのおっしゃる言葉の意味がよく分かりません。
「現世安穏教」「現象世界」「主(原始御方)」「主の御身のもとに行く」ということはどういうことですか?
もし差し支えなければ教えていただけないでしょうか。
しかし、牛飼いさんが仏教について誤解している、あるいは聞き誤った仏法を聴聞しているということは
分かりますので、そうではないということを話しましょう。
>仏教信仰では一度極楽に上ってもいづれこの中級な惑星=地球に落ちてくる運命にあります。
>仏教ではこれが限界なのです。
まず、極楽に上る=仏の悟りを開くということを達成すれば、その仏の悟りは未来永劫無くなりません。
仏の悟りには絶対の幸福も含まれますので、この幸福感ももちろん未来永劫無くなりません。
といいますか、そもそも絶対の幸福の定義は「未来永劫崩れない幸せ」ですから。
また、大宇宙には地球のような星はガンジス川の砂の数ほどあると釈尊おっしゃっておられますので、
後生必ずしも地球に生まれるとは限りませんが・・・とにかく、「地球に生まれる=苦」と解釈されている
様子ですが、それは違います。ひとたび弥陀の本願に救われればどこに生まれようが絶対の幸福は無くなりません。
>物質自然を神(十億万国土)だと想っている無知無明の虎にのみこまれている信仰者とは違います。
これは仏教の信者のことを言っているのですか?失礼ですが何のことやらサッパリ分かりません。
物質自然云々という話は私が聞かせていただいている説法では聞いたことがありませんし、
それが神だという話はなおさら分かりません。
仏教でいう「神」とは、仏が凡夫である我々に交渉するために用いる姿であり、日本神道の「八百万の神」云々とは
根本的に違います。日本神道の神は仏教では完全に否定されているものです。
我々の運命を決めているものは神でもなければ先祖の霊でも、狐や狸の霊でもありません。
「因果の道理」といって、我々自身の過去の行いが我々の運命を決めているのです。
善い行いをすれば善い運命が、悪い行いをすれば悪い運命が自分自身に返ってくるのです。
737 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/30(月) 00:34:01
親鸞学徒よ、辻説法したほうがいいぞ。
そして、実際の生身の人間の空気を目の当たりにしてみるといい。
>>737 もとより耳を傾けてくれる人が少ないことは覚悟の上です。
釈尊のご説法でさえその反応は、
「三分の一は帰依、三分の一は批判、三分の一は無関心」
であったと言われます。それに比べればこの私の話など、
真面目に聞いてくださる方はおそらく皆無でしょう。
それでも、「こんなにも素晴らしい真実の教えがある」という気持ちから、
「皆にも知ってもらいたい」と、説かずにはおれないのです。
愚者ぐしゃです
私への解答はちゃんと読ませていただきました。ありがとうございます。
何にせよ、信心の力がこれだけの文章を書かせているということ、信仰が
生きて活動する力を生んでいるということは感動すべき事実だと思います。
ただ
「後生の一大事の解決」というのがいまひとつ実感としてわかりません。
あと、
親鸞学徒さんの話を聞いていると「空即是色」で見えてきた楽な境地が遠のいて
ゆきそうな気がします(でも、不思議に遠のかないのですが)。
「どんなに所有してもすべてを失う」のは「与えられた以上のものを取ろうとする」
からで「すべては与えられてある」と考えればそれを失うことが大したことに思われない
のですが(これは今回仏教にかかわる前から考えていたことですが)。
「死」と「眠る」ことの違いすらわからぬ凡夫にはまだまだ学ぶことが多いようです。
ここは「称名念仏」のスレなのに違うことばかり書いてすみません。
740 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/30(月) 00:52:17
>>738 おいおい、お釈迦さま気分で、
自分で勝手に梵天勧請してるのかい?
親鸞学徒、うだうだ言わずに路上で辻説法するか?
ブログで日替わり法話サイト作って布教すればいいんでないの?
>>739 >愚者さん
「心からの安心も満足も無い相対の幸福を追い求めて苦しみ、失って苦しみ、死して苦しむ」
という意味でも 後生は一大事 ですし、
「まさか今日死ぬとは思っていない人々が毎日死んでいる、自分もいつ死ぬか分からない
無常の世の中である」という意味でも 後生は一大事 です。
また、「煩悩によって日々悪を作りながら生きている我々である。このまま死んだら、
後生は悪因悪果、どんな苦しみが待っているか知れない」という意味でも 後生は一大事 です。
その「後生の一大事」を解決してこそ、真に幸福になれるのです。
我々が日々生きているのは幸福を求めてのことですから、「何故幸福になれないのか?」
「どうしたら幸福になれるのか?」真剣に考えるのは理にかなっているといえるでしょう。
「後生の一大事」を解決するとはすなわち、
「一度手に入れたら失わない、崩れない、色あせない幸福を手に入れること」であり、
「いつ死んでも大満足、大安心の幸福に生かされること」であり、
「地獄一定の我々が弥陀の本願に救われて極楽へ往く」ということです。
これらは、同じ事を言葉を変えて言っているだけですが、例えるならば、
「珍味の味を、食べたことの無い人に説明するようなもどかしさ」と言われます。
一言で説明するのはまず無理で、分からせるには実際に食べさせるのが一番早い。
それでも敢えて言葉で説明するならば、ああでもない、こうでもない、と手を変え品を変え、
色々な言葉で表現しようとするでしょう。それでも分かってもらえるかどうか怪しいものです。
「不可称、不可説、不可思議」の弥陀の誓願を言葉で説くということはそういうことです。
黙っていては伝わりませんので、伝えるためには無理を承知で言葉で表現するしかありません。
まとめますと、「弥陀の本願に救われて無明の闇を破り、絶対の幸福の身になること」であり、
これこそが「仏教の目的」であり「人生の目的」であり「後生の一大事の解決」なのです。
実感できないのは当然です。実感とは実際に体験しなければ出来ないことですから。
「後生の一大事」ということが頭で理解でき、解決しなければという心が起きたならそれで十分です。
〜続き。 >愚者さん
>「すべては与えられてある」と考えればそれを失うことが大したことに思われない
これは観念の遊戯に過ぎません。我々は生きるために必ず何かを信じており、それを「信心」と
いう、と
>>732にも書きましたが、この信心に裏切られたならば人は必ず苦しむものです。
「与えられた以上の物を取ろうとする」のは、欲の心をはじめとする人間の煩悩に際限が無いからで、
「全ては与えられてある」と考えて失うことを苦としないのは欲望が無い、ということになります。
何度も言っているように我々は「煩悩不足の凡夫」、煩悩の塊なのです。
我々から欲望を取り去るなど、出来ることではありません。不可能です。
それに、欲望が苦悩の根源でないことは
>>700>>702>>703>>734などで再三言ってきました。
仮に欲望を取り去っても、我々は幸福にはなれません。死ぬだけです。
「全ては与えられてある」と考えて失うことを苦としないのは、本当は「苦しい」と思う心があるのに、
「いや、苦しくなんか無い」と自分に嘘をついて現実逃避しているだけです。
どうか後生の一大事を心にかけ、真剣に仏法を聞いてください。
せめて「なぜ生きる」という本を読むだけでもいいので、お願いいたします。
>>740 私は「お釈迦様の話でさえ全体の三分の一しか関心を持ってもらえないのだから、
私のような者の話はどんなに話しても誰も聞いてくれないだろう」と言っているのですが。
それを「お釈迦さま気分」とはどういうことですか?何を言っているのか全く理解できません。
それに、私が話している内容は高森顕徹先生にお聞かせいただいた話をそのまま話しているのであり、
その高森先生の教えの内容は既にサイトに書かれ、本にもなっています。
ですから私が新たにサイトを作る必要は全くありません。
教えの内容が知りたければ
>>605の各URLにある資料を見てください。
高森先生はお釈迦様や親鸞聖人の教えをそのままお伝えになっておられる方ですので、
聞けばその教えが真実であることが分かることと思います。
・・・しかし、私を批判する人で、高森先生の教えを聞き、その教えに対して
反論するという形をとる人がいないのは何故でしょう?
高森先生の教えを知りもせずに勝手な邪推で根拠の無い誹謗をする人ばかりです。
質問には答えますが、根拠の無い誹謗はやめていただきたいものです。
>>743 ・・・しかし、私を批判する人で、高森先生の教えを聞き、その教えに対して
反論するという形をとる人がいないのは何故でしょう?
↑本気で不思議に思っておられるようですね。
それはあなたの意見がその根拠にさかのぼりたくなるほどに心を打たないからですよ。
「ああ、こんなによいことを言う人の先生ならぜひ意見を聞きたい」と思わないからです。
そして「○○先生の言うことさえ聞けば」と言われるたび「ああ、その人の言うこと聞くと
こんなふうに自分の言葉に説得力がなくなっていくんだ」と思えるからです。
>>744 説得力がないといわれるのは、私の話のどのあたりですか?
分からない部分があるのであればいくらでも説明いたします。
一応言っておきますが「全部説得力無い」などとはおっしゃらないでくださいよ。
あなたの言葉を聞く限りでは、私の話を全部読んでいるとは到底思えません。
「説得力が無い」のではなく、「長い文章に嫌気が差して読み飛ばしてしまう」
といったところでしょう?もしそうなら、「全部説得力無い」などと言う資格はありません。
私の話をしっかり読んだ上で、「>>○○(レス番)の話が分からない」というなら、
その部分についていくらでも詳しく解説しますが、読む気もないのに批判だけするのはやめて下さい。
746 :
電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k :2005/05/30(月) 08:54:53
親鸞学徒さん。親鸞会会員であることをさらしていますね。創設者、高森顕徹氏については、
私のみならず、多くの人がすでに批判否定済みです。
もうスレチガイなところでカルト発言するのはやめなさい。
747 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/30(月) 11:32:27
親鸞学徒よぉ〜、法然上人についても語ってみたら?
愚者ぐしゃです
愚者なので、ぐしゃぐしゃな意見を書きます。
「死ぬことと眠ることはどこが違うのでしょう」
どちらも意識を無くすことに変わりはない。医学的にどうこうというのは「科学を信じて
いる」以上の意味はない。
ふつうの人が死ぬのが怖いのは「死んだらどうなるか」を知らないから。あるいは今日
までの自分がなくなってしまう(どんな形にしても)と思うから。
眠るのが怖くないのは「明日朝になれば同じように目が覚める」と信じているから。
あまりこの話を書きたくないのは、不安な人はこんなこと聞くだけで眠れなくなっちゃ
いそうだからですが、ここはかなり心の強い人(信心のある人)が多そうなので。
で、浄土に往生できるのなら、死ぬのも眠るのと同じで怖くなくなるのでは? と思います。
起きて働いている時に「今晩返って眠ったらもう起きないかも知れない」と思ったらとて
も働いてなんぞいられないでしょう。浄土の存在はそういう不安を取り去ってくれるので
はないだろうか? 大変ありがたいことだと思いますが・・・。
749 :
けちゃっぷ:2005/05/30(月) 12:24:48
>>734 煩悩がなくなれば、「死ねば楽になる」と思う以前に「今生きていることが苦しい」とも思わないでしょう。ですから、生への執着がないのと同時に、わざわざ死ぬ必要もなくなるのではないですか?
あなたのおっしゃる「無明の闇」は、「死後どうなるかわからない」状態のことですよね?
だとしたら、煩悩がなくなれば死後がどうなろうと関係なく平安でいられますし、そんな聖者なら死後悪道に輪廻することもないでしょう。
しかし煩悩がある者は、死後に不安を抱いたり、生きる意味がわからず苦悩したりしますね。そういう人にとって往生極楽というゴールが見えることは、救いになると思います。
750 :
けちゃっぷ:2005/05/30(月) 12:46:27
>>734 煩悩を消し去ったブッダが、なぜ80歳まで生きられたのでしょうか?あなたの説では、ブッダは煩悩を克服した段階で自殺せねばならなかったはず。
たしかに釈尊には、自分の欲のために生きる理由はなかったでしょう。
しかし、ブッダとなった時から、他人に教えを説くという新たな目的ができました。真理を知り得た者の責務といえるかもしれません。
煩悩がなくなった後の釈尊が生き続けたのは、他人のためだと思います。
751 :
電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k :2005/05/30(月) 12:50:09
>>750 こら、カルトなお前がカルトを相手にしていくと、ますますカルトになってしまうぞ。
752 :
けちゃっぷ:2005/05/30(月) 12:58:25
>>751 それなら、少しくらい間違いを訂正してあげたり、質問に答えてあげてはいかがでしょう。
見物する我々にとっても、おもしろそうだしね。
753 :
電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k :2005/05/30(月) 13:43:38
>>752 親鸞会って知ってるの?めっちゃカルトな集団なんだよ。間違いを訂正したり、質問に答えても
聞く耳もっていない。自分の主張を述べるだけ。
電波男にカルトなお前とかカルト集団と呼ばれてもねえ・・・
既成・伝統仏教、全宗教教団すべてカルト認定してんでしょ?
境界があいまいになって「カルト」の意味なんて自ずとなさなくなるわな。
755 :
電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k :2005/05/30(月) 15:59:03
>>754 あなたは非常に頭が悪いのですね。なにsageてるの?怖いのか?
全教団をカルト認定していますが、攻撃対象は危険度が高いものになるのです。
境界が曖昧になる?カルトの意味がなくなる?あんたの脳みそが腐ってるだけじゃないのか?
756 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/30(月) 16:01:35
現人類は何故イラク戦争を止めさせることができないんだ?
と、ふと思う。娑婆ゆえか。
浄土宗だと最初から諦めてしまうのだろうかね?
>>756 誰も本当に真剣に止めようと思っていないからだと思うな。
仏教はもともと「苦」をどう取り去るかを「個人的に」思索する宗教であって政治経済を
包括した問題を現実的に解決できるとは思えない。もちろん、宗教家ならばその活動
の範囲として衆生の救済って問題もあるだろうけど。
たとえていうなら「包丁で戦車とは戦えない」だけどこれは優劣の問題ではなく、戦車
で魚はさばけない、無人島に持っていくなら大砲の弾より包丁の方が有用に決まっている。
どうも宗教に「全人類の救済」を「最初から求める」と足元を見失う気がする。それは雄大
な目標として導きの光にすればいいのであって、「即効のある万能薬」たらんとすると
それがカルトになり、オウムになる。
むしろ宗教は直接戦争や政治の問題を扱うよりその根本たる道徳の問題を扱うべきであ
ろう。上田紀行氏の『がんばれ仏教』は既出かもしれないが、宗教者がいかに可能性を
もっているかを思い出させてくれた。
758 :
牛飼い:2005/05/30(月) 16:30:59
この分じゃ、ヒンズーの魂のことから話さないといけないな、とってもめんどうだ〜。
ちょっとぼくちんの投稿を修正しなければならない箇所も在るな。
それにしても自身の現世の運命を決めるのは神でも仏でも先祖の霊でもない、というのには異論があるが・・。
まあ、どっちにしても親鸞会の一会員の人と話せてよかったと思う。あなた早く出家しなさい
(得度もしていない方から赤ちゃん呼ばわりされたのは初めてだ)^^;
で、親鸞会って当然真宗の大僧正かなんかで運営しているんだろう?それとも全くの別者が経営しているのか?
759 :
牛飼い:2005/05/30(月) 16:33:43
>>752 >おもしろそうだしね
あんた性格悪いな
760 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/30(月) 16:44:47
>>759 こいつ、坊主のくせに性格悪いよ。
自殺で亡くなった人の家族に「往生おめでとうございます」だって。
>>760 愚者ぐしゃ
原文読んでないけど、そればかり取り上げられるのは、ほかにツッコミどころ
がないのでは? と勘繰ってしまう。そのセリフはそのセリフで場面によってはアリだと
思いますけどね。
私が見たのはいわゆる「大往生」の場面だったけど、プロテスタントの家族がみんなで
拍手をして終わった葬儀があったんだよね「神のみもとに召されるのは凱旋ですから
みなで喜んであげてください」って。身内に牧師さんがいるくらいだからおかしなこと
ではないんだろうね。それはそれで気持ちのよいお葬式でしたよ。あま、ほんと局面
による。そして、そういう「空気を読む」のが聖職者の仕事じゃないのかな。
762 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/30(月) 16:56:22
>>761 浄土教ではそういう場面は想定されないよ。突っ込みどころが満載なのは電波さんや一宗教師さんが
指摘している。あほな布教師が反論しているけど、効果なし。
763 :
牛飼い:2005/05/30(月) 17:12:30
>>760 いつ誰がそんなこと言った。俺の偽者じゃないのか。
764 :
牛飼い:2005/05/30(月) 17:16:13
ああ、けちゃっぷの悪口か。俺のことじゃなくて、了解した。
765 :
けちゃっぷ:2005/05/30(月) 17:45:42
>>760 往生はめでたいことじゃないのですか?
別離が悲しいことと往生がめでたいこととは、別問題です。
卒業式で、クラスメイトと離れるのが寂しくて泣いている生徒がいたとして、その生徒に向かって「卒業おめでとう」と言う先生がいたら、その先生は性格悪いのですか?
766 :
電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k :2005/05/30(月) 17:50:38
>>765 いい加減にしなさい。それでは「死」がめでたいことなのですか?
人の心が解っていない。「別離と卒業」を「死と往生」に置き換えるのは不謹慎です。
「往生なさいました。ご心配しないで下さい」が精一杯だ。
767 :
けちゃっぷ:2005/05/30(月) 18:01:21
>766 この世でやるべきことをやり尽くして死ぬのは、めでたいことです。めでたいと思えないのは煩悩具足の凡夫だからでしょう。
また、めでたいと頭で理解していても別れが悲しいことがあるのも、やはり煩悩のせいです。
他人が「おめでとう」と言ってる場面で自分は悲しんでいるとしたら、そこに自分の執着があるからです。
「おめでとう」と思う人は祝福の気持ちのままで念仏すればいいし、「悲しい」と思う人は悲しみのまま念仏すればいい。
性格が悪いなどと言って 自分の煩悩の牙を他人に向けるのは、死別のストレスをばらまく「八つ当り」にすぎません。本当に悪いのは、他人じゃなく自分の煩悩なのです。
愚者ぐしゃです
これですね
「自殺していけないのはあたりまえのことです。しかし、すでに自殺してしまった
人を悪く言ってはいけません。往生おめでとうと言えばいい。遺族にも、彼は
極楽に往きましたと言ってあげるべきです」(前スレ)
どこかのお葬式で、実際にけちゃっぷさんが発言して家族に憤られた、とかいう
のではないのですね?
理屈としては通っていると思うんですけどね。でも、聖職者としてはそこで家族が
憤るようなら控えるべきでしょうね。
「こういう時は往生なされたのでめでたいと考えるのですよ」
というのと「やあ! 往生おめでとうございます! 自殺してよかったですねえ!」
というのとではまったく違うと思うのですが。
別にけちゃっぷさんの肩をもってる気はないのですが、とりあえず称名念仏のスレ
という点では筋の通った議論だと思います。
逆にどんなに素晴らしい教理でもその場の空気読まないでおしつけるようなことが
あればその人は聖職につくべきではないでしょう。なんというか、「法の運用者」だと
思うんですよね。お坊さんって。
急ににえらそうな発言が多くなりましたが(私が)『がんばれ仏教』が何の反応もなかっ
たので少しつっこんでみようと思えてきました。
769 :
けちゃっぷ:2005/05/30(月) 18:27:29
>>768 実際死別した直後で悲しんでいる人に対しては、ダイレクトには言いませんよ(普段から信心堅固な人が相手なら別ですが)。
普段から、「往生はめでたいことだ」「亡くなった先祖も極楽で幸せになっているにちがいない」という信仰を養うようお手伝いするのが大切でしょうね。
その上で、いざ家族を亡くした時に、「本当はめでたいことなんたけれども、私は煩悩のせいで素直に喜んであげられない」と自覚したり、「寂しいけれどめでたいことなんだ」と前向きに考えたりすればよい。
770 :
けちゃっぷ:2005/05/30(月) 18:57:31
家族が亡くなった時にはたいていの人が動揺します。しかしその動揺は過ぎ去る。
僕も母を亡くした時は多少動揺しましたが、今2ちゃんねるを見ている僕は冷静です。
2ちゃんねるで話していることは、冷静な日常の僕が、同じく冷静に2ちゃんねるを見ているであろう人に対して言っているのです。
日常でまったく予備知識のない人に、いざ冷静でない時に初めて話しても、受け入れられないでしょうね。
逆に、日常の冷静な時に培われた信仰や思想が、いざ冷静でなくなった時に役立つことはあると思います。
771 :
一宗教師:2005/05/30(月) 19:08:55
>けちゃっぷさん、
あいかわらずですね。
>電波男さん
おたづねしたいのですが、親鸞会が破壊的カルトの傾向があることは重々承知しておりますが、
>間違いを訂正したり、質問に答えても
>聞く耳もっていない。自分の主張を述べるだけ。
という点は親鸞会でなくても、西でも東でも真宗の人たちには同じ傾向があるように思います。
特に聞法の会座で法話をした人(説法者といえばいいのかな?)に質問でもしようものなら
地獄行きだのなんだのと、人間でないように罵られます。
疑問をいだくことすら許さないところがある、という点で、カルトの素質が充分にあると
思いますが、これは真宗系に特有のことなのでしょうか?
772 :
電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k :2005/05/30(月) 20:17:49
>>767 自殺でお亡くなりになった。そして悲しんでいる遺族に対して、執着を離れて往生し、もどってきた
けちゃっぷは「往生おめでとうございます」といちびる。ここまでのカルト宣言ってある意味りっぱ。
>一宗教師さん。
真宗の説教師にはきちがいが多いのです。カルトを産む土壌ということですね。
773 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/30(月) 20:30:41
>>773 「歎異抄研究会」は?
昔友人がその連中と議論したあげく「なんという自分勝手な人間だ!
そんな人は死ねばいいんだ!」といわれて
「ほんなら殺してんか!」と大阪弁ですごんだらしい。
775 :
けちゃっぷ:2005/05/30(月) 20:41:55
>>773 学生の時、そのダミーサークルのメンバーと思われる学生が大学内に入ってきて、声をかけられたことがあります。「哲学サークル」だと名乗っていました。
776 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/30(月) 20:50:24
777 :
牛飼い:2005/05/31(火) 12:40:34
>>773 わざわざ有難う
>>771>聞く耳をもってない。自分の主張を述べるだけ。
俺は真宗の高校を出ているのだが、そういえば教師どもが優越的で唯我独尊的であった。
儒教的観念が強い、ということもあろうかと思う。(その他はどうだろう?)
ここの出没している、いんらんおたく君は新しい信徒勧誘のために来ているのか?
それとも自己のストレス解消のためなのか?まあ、生まれつきの性悪だ、ということにかわりはないが。
778 :
けちゃっぷ:2005/05/31(火) 12:50:35
>>773 なぜ破門されたのでしょうか。
浄土宗で思想的な理由により破門されようとしたら、よほどむちゃくちゃな説法しないとムリでしょうね。
>>778 愚者ぐしゃです
「風説の流布」になったら後で訂正しますが、
「焼き討ちをくわだてた」とどこかに書いてありました。
ホントなんでしょうか?
なんとなく親鸞さんの印象が悪くなりつつあります(私の中で)
どなたか修正していただけないでしょうか?
(もちろん、カルトに限らず、教壇、宗派の差は認識しているつもりです)
すいません。
確かどこかに書いてあったと思って捜しましたが見つかりませんでした。
こういう時はソースを調べ、それを明示した上で引かないといけませんね。
本来は削除依頼を出さなくてはいけないところですが、やったことないので・・・。
匿名掲示板とはいえ、根拠のない話を持ち出して申し訳ございませんでした。
しばらく書き込みを自粛いたします。
「
>>779の書き込みは根拠のないものでした。訂正してお詫びいたします」
781 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/31(火) 16:47:24
本願寺の教えは親鸞の教えをねじ曲げ葬式仏教に成り下がっている、との批判を繰り返したためですね。
また何度か大挙して会員を引き連れて本願寺に座り込みの折伏抗議を断行してますね。
すみません、たぶん
>>781 のことを誰かが過激な表現をしていたのでしょう。それを読んでの安易な書き込みでした。
重ねてお詫びいたします。
学研の「浄土の本」に親鸞会の説明が載ってましたので
要約して載せます。
・過激な布教活動を展開する原理主義的教団
・親鸞の原点に立ち返り、個人の救いを強調する徹底した原理運動を推進
・生きている人間を生きている間に絶対の幸福に導く事を使命としている
・死後の救いを説く西本願寺に破邪顕正の鉄槌を下す
・教祖高村氏は本願寺派寺院の寺族として昭和4年生、龍谷大学で学び22年に得度
・昭和27年徹信会発足・33年親鸞会に改称
・本願寺派内部で改革派急先鋒として活動するが異安心に問われるなどする
・昭和45年に高村氏は僧籍を離れて、より一掃急進的になる
・それ以降、たびたび本願寺派当局に教義に関する質問状を叩きつけてるが西本願寺は相手にしていない
とまあ、こんな感じで紹介されてました。
思うに、現在の葬式仏教、宗派の腐敗、仏教の堕落に対する反動が親鸞会を生んだと思うわけですが・・。
784 :
783:2005/05/31(火) 22:01:45
一掃>一層 誤字訂正
ああ、あれだ
仏教界の「花柳幻舟」なんだ
786 :
牛飼い:2005/06/01(水) 00:38:52
親鸞会ってなんか面白そう!急進的か〜、一向一揆衆でも率いるつもりか?
オウムに近い存在かもな。
787 :
牛飼い:2005/06/01(水) 00:53:17
こんなでかい建物じゃ固定資産税支払うの大変だろうな。
どうせ親鸞会は宗教法人格を取得していないだろうから(訴訟問題がありすぎて法人格をもらえないのか?)。
790 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/06/01(水) 01:13:12
会長は高村氏、ではなく高森氏ですね。
親鸞会は昭和33年に富山県から宗教法人の認可を受けているそうです。
顧問弁護団もいて批判的なサイトや文献を訴訟するといった動きもあるようです。
791 :
783:2005/06/01(水) 02:07:17
失礼しました。。orz
気をつけます。
792 :
電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k :2005/06/01(水) 06:50:41
>>790 お前の発言は脅迫だよ。絶対に許されない。
顧問弁護士に聞いてみな。このきちがい。
793 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/06/01(水) 09:13:11
親鸞学徒消えたか?
794 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/06/01(水) 22:28:24
っちゅうか、浄土宗の話から逸れまくってますがな。。
念仏の唱え方って、千差万別なんですか?
宗派によって細かく決まってるの?
796 :
牛飼い:2005/06/01(水) 22:53:56
けちゃぷよ!弟子でもとればいいじゃん、どうせその弟子たちが責任役員に納まる訳でもないしよ。
そんで弟子の不祥事くらい責任とってやれるような寛大な師匠でなければならぬぞ。(教制伸びて最後には教祖に成れるれるかもよ)
このようにぼんくらの息子に跡目継がせるのが一番卑劣だな。自己保身でビビッてんじゃねーよ!やはり所詮和尚クラスか?
797 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/06/02(木) 19:24:53
双綱院貴関道満居士
何宗の戒名?
798 :
けちゃっぷ:2005/06/03(金) 00:54:43
>>795 一応決まってます。
浄土宗の十念(10回となえる)は…
なむあみだぶ・なむあみだぶ・なむあみだぶ・なむあみだぶ・
なむあみだぶ・なむあみだぶ・なむあみだぶ・なむあみだぶ・
なむあみだぶつ・なむあみだぶーっ。
この時基本的には合掌。できれば最初の8念は息つぎせずに続けて、9念の前に息つぎする。しかしそれが難しい人は、4念のあとにも息つぎをはさむ。
10念目の「なむ」からおじぎをし始めて、「あみだぶーっ」と頭を下げて終わり。
独りで称える時は、他人に聴かせるわけじゃないので、自分の耳に届く程度の声でいいでしょう。
799 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/06/03(金) 12:38:18
>>742 こら、親鸞会会員がまたしても身分を詐称して・・・
こんなところまでも出張にきて、おなじみのカルト臭ぷんぷんさせてどうすんの?
こまったものです。
はじめは会員でないとか初心者とかちょっとおしえてくださいとかいって
相手を油断させ、食いついてくるととたんに本性むきだしにするのは
彼らのおなじみの陳腐なやりくちです。
彼らは電波男さんがご指摘のように、会長T森氏の見解のみを唯一絶対と信じ、
他の浄土系既成教団のすべてをよく勉強もせずに受け売りで否定しまし、反論しても
まともに答えられませんので放置されるか、ジャンヌなどの批判サイトに誘導ください。
特に挙げたい問題点としては
1)弥陀の本願(実際はT森教義)伝えるためには悪は許容される
2)善知識だのみそのものではないが、教祖と組織への無条件服従を要求する。
3)金に汚い。ご法礼一律五千円とか
4)「一切衆生必堕無間」といいその回避が仏教の目的という。
5)勧誘活動に事実上ノルマを課している。
6)新入生の勧誘時にダミーサークルを全国に展開し、身分詐称、信心詐称、
宗教でないという、親にはウソをつくよう指導、などの問題点あり。
7)会長が尊大で独善的な性格のせいか、とくにネットに現れる会員は独善が鼻につく
ことが多い。
800 :
電波男様へのお願い:2005/06/03(金) 12:55:07
>>711 >親鸞会は完全なカルトとして認定しております。
5人ほどの脱会工作も致しました。
親鸞会の教義は完全に破綻していて自己矛盾もいいとこ。
基本的に法論して脱会させることにしているから親鸞会カルトは知り尽くしてるんだよ。
近い将来、叩き潰す選択肢にも入ってるけどね。
彼らの教義の破綻はご指摘のようにすでに解決済みではあるのですが、
情報操作が行われており、なかなか末端会員にはいきわたらないようです。
彼らはあとからあとから姑息なやりかたで大学の新入生を毒牙にかけています。
そして彼らはディベート術を学んでおり、今回の605氏のような小物ではなく、
もっと巧みな詭弁を弄して教学の断片をつぎはぎして親鸞会教義を正当化するような中物も
ときに出現します。
ご多忙のところ恐縮ですが電波男様のような、カルト撲滅に燃えておられて、かつ教学力のあるかたに
http://homepage1.nifty.com/you/(親鸞会批判サイト;ジャンヌ)
のようなところへ出入りいただいて彼らに完膚なきまで、鉄槌をくだして
いただければうれしく思います。彼らのマインドコントロールを解く鍵は
やはり教義面の間違いの認識から始まると思うからです。
そして、あらためて、電波男様の「叩き潰す選択肢」のカルト上位ランクに
親鸞会を位置づけていただきたいと深く願っております。
801 :
牛飼い:2005/06/04(土) 14:53:46
>>800 己外道な親鸞会め!こなあいだ来た奴は上層部の回し者であったのかもしれん。
既成宗教の中で一番まともな浄土宗を批判しに来ているとは身の程も知らぬ野郎だ!
成敗いたすぞ!!^^;
802 :
けちゃっぷ:2005/06/04(土) 15:47:28
まぁ親鸞会も念仏信者なんだから、極楽に往生できます。
極楽で再会する時には仲良くできるようになってるでしょう。
s会は念仏信者じゃありませんね。
「念仏なんかして救われると思ってるの?」というのがs会による浄土宗への批判のようです。
信を獲るためには、念仏したほうがいいに決まってます。
モノには順序があります。
親鸞会は19願、20願を無視して、一気に18願にたどり着こうとしているように見える。
805 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/06/06(月) 15:33:43
最近、おとなしいね。けちゃっぷの活躍みたい。
>>798 795は私でした。遅くなりましたがご教授ありがとうございました。
今、『法然〜イエスの面影をしのばせる人』(井上洋治/筑摩書房)を読んでいるのです
が、どなたか読んだ方いらっしゃいませんか?
クリスチャンとして有名な井上神父が、法然の生涯をイエスになぞらえて紹介して
います。要するに「無学破壊の徒」を救うには無条件の救済でなければならなかった。
「悔い改める」ということがすなわち称名念仏であったという結論のようです(これは
私見もまじりますが)。以前から鎌倉仏教の中でもキリスト教に近いのは浄土宗だと
いう考えをもっていたのですが・・・・どうでしょう?
批判でもかまいませんし、否定でも。親鸞学徒さんなんかのご意見を聞きたいところ
なのですが・・・。
私としては法然上人の衆生救済の念に感動したのですが、その感動はキリスト教的
な解釈によるものなのかも知れないと疑い、ここで聞いてみようかと。
土佐への流刑に弟子がついていかなかったことをユダの裏切りにたとえるなど、かな
り強引なのですが、多宗教・他宗派を尊重し、イエスとの比較の上とはいえ純粋に
法然上人を尊敬している書き方に好感が持てました。
807 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/06/06(月) 18:08:28
小生も『法然〜イエスの面影をしのばせる人』を読みました。
好感の持てる内容でした。
法然上人が世界的聖者の一人であることを確認することができたと思います。
『観無量寿経』(ひろさちや)という「マンガ」も読みました。「仏教コミックス」のシリーズ
には面白いものも何冊かありますが、これは最低でした。特にアジャセ王が西方浄土
(の光?)を見て安心して自殺するシーンなどは百害あって一利なしと思えました。
そんなに数読んでいませんが、ひろさちや氏はどちらかといえば浄土宗には否定的に
映りましたが・・・。
ひろさちや浄土宗のイベントにも来てなかったっけ?
何も知らぬは坊主ばかりなりってか。
810 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/06/07(火) 00:39:21
>>ひろさちや氏は実家が浄土宗の檀家だし、歴史上の僧侶で一番好きなのは、おおらかな性格の法然上人だと、時々書いてます。
811 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/06/07(火) 00:40:28
ひろさちやは坊さんじゃないから、
無責任発言や無責任出版が多すぎるね。
812 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/06/07(火) 00:42:04
たしかに、おおらかさ、包容力では法然上人ば抜群だよね。
あと、ひろさちやいわく、法然は「いい加減」な生き方だから好きらしい。デタラメという意味ではなく、対機説法だったという意味で。
へえ・・・勉強になります。
でも、『お浄土のはなし』でも、ずいぶん実存的な浄土観を書いてましたね。
これから仕事の関係でお寺まわりです。
対機説法・・・
コテハン念仏バカに教えてやりたい言葉だね
815 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/06/08(水) 00:10:38
明日、法然院まで行こうとおもうんですが、何かアドバイスお願いします
>>815 ( ー人ー)|||~~~ 南無阿弥陀仏
>>808 ひろさちやなんて金のためには何でもやる。
まったく信用おけないマヌケだ。
818 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/06/08(水) 15:40:38
法然院はやめて知恩院に寄ります。なにかポイントがあれば教えてください(観光ポイントでなく、浄土宗の真髄に触れらるような)
階段登って御廟行って三千遍念仏しる
820 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/06/08(水) 18:53:45
今日7時半からNHK「クローズアップ現代」で
葬式バッシングの番組あるみたいだぞ。
821 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/06/08(水) 22:42:24
819
御廟ですね
あと、ここ行かないと知恩院行く意味がない、みたいなとこは?
822 :
821:2005/06/09(木) 06:33:22
てか、教義の理解の助けになる所はありませんか?
824 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/06/09(木) 08:19:10
825 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/06/09(木) 08:46:30
826 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/06/09(木) 12:45:59
早朝やってる法話行ければいいけど
827 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/06/09(木) 14:00:57
今、門前だけど、5時40分はむりぽ
828 :
牛飼い:2005/06/09(木) 22:16:54
ひろさちやはアホぼ 厄だなあいつ
829 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/06/09(木) 22:46:45
念仏行はメンタルヘルスを支援できると思いますか?
けちゃっぷ氏、ほか常連の諸氏、浄土宗の青年僧侶のみなさん
どうでしょうか?
それから、話変わるけど、
お気に入りの線香や抹香の銘柄を聞かせください。
伽羅を使ったお勧めの線香とか抹香ありますか?
830 :
けちゃっぷ:2005/06/10(金) 00:24:11
念仏は心の支えになりますし、勇気もくれます。しかし、使い方を誤ると、無茶をしてしまうおそれもあります。恐怖を凍結させる力がありますので。
お香についてはこだわりもないので詳しく知りませんねぇ。
831 :
牛飼い:2005/06/10(金) 13:52:20
お香などさして重用ではないし、そんなものに金を費やすのはもったいない(ついでに蝋燭も)。
しかし外国製のものより日本製のが香りもさわやかでしなやかですな〜。
京都から帰ってきました(どこへだ?)
けっきょく、哲学の道を歩いて、法然院にも寄りました。その後知恩院に行って、本堂
でしばらく読経を聞いて、鐘も見て、上のお堂にも行きました(左甚五郎がなかったような
…)。
で、いちばん感動したのは「法然院の駐車場」でしたね。いや、もちろん法然院自体も
よかったのですが・・・最初、わからなくて駐車場の裏の階段をあがっていったら、そこ
にはなんとも言えない空間が・・・・。とても歩いて5分のところに修学旅行生だらけの
銀閣があるとは思えない聖なる空間でした。
ちなみに、銀閣も初めてだったんですが、臨済宗にちょっと反感感じてるとこだった
んで(玄侑 宗久)シカトしてきちゃいました。
833 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/06/11(土) 00:53:03
お香に無関心というのは僧侶として自覚がたりないな。
香は心身と場を浄め、諸仏諸菩薩を招くための大切な捧げもの、
いいものを梵焼すべきだろう。
いいお香を焚いて念仏するのは非常にいいことだと思う。
また、いいお香を捧げて阿弥陀様を讃歎しご先祖を供養を勧めるのも
檀信徒さんにとっていいことだと思うね。
大本山Z寺66世T御前もおっしゃっていた。
834 :
牛飼い:2005/06/11(土) 02:03:20
>>833俺はそのZ寺66世おやじよりも血統がいいが・・(爆。。
835 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/06/11(土) 06:38:15
浄土宗の僧侶のみなさんに質問です。特にシビアな状況ではありませんので、気軽に、
ただ、できれば教義に基づいて答えてほしいのですが。
自分に片思いしていた男に自殺された場合、女性はどうすれば救われますか?
「教義に基づいて」というのは、「男は浄土に往生したから安心しなさい」という理論が成り立つ
かどうか、ということです。その男が死ぬ前に念仏を唱えていないと仮定して、たとえば
死後に女性が菩提を弔って念仏することで往生はできるのでしょうか?
どうも、宗教板のよりこちらの方が信用できる気がしまして・・・。
お答えいただければ幸いです。
836 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/06/11(土) 07:53:56
>>834 血統? 呆れた奴だな。素晴らしい高僧が血筋にいたとしても
オマエ自身は大したことないぜ。自省して念仏しなさい。
837 :
牛飼い:2005/06/11(土) 13:02:35
くわばらくわばら・・
838 :
けちゃっぷ:2005/06/12(日) 05:48:13
>>835 女性が救われるかどうかという点については、念仏すれば往生できます。
極楽で六神通を得たら、他の世界に自由に出掛けていって衆生を導くこともできるそうです。まずは自分が往生することが大事ですね。
自殺した男性のために念仏して回向すれば、その男性も阿弥陀仏の光明により救われることでしょう。
男性のことが頭に浮かんだら、その頭に浮かんだ、自分の心の中の男性に対して、念仏をささげましょう。霊は見えないのでいるかいないかわかりませんが、頭に男性が浮かぶという現象は、たしかに心で起こっている現象なのです。
男性に対して念仏したあとで、「男性が心に浮かんだおかげで今日も念仏できた」ことに感謝しましょう。何の恨みもなく、ただ私の念仏を助けるために男性が来てくれているのかもしれませんしね。
男性がどうなるかは、さまざまな因縁が複雑にからみあった結果です。頭に男性の念が想い浮かばなくなるかどうかも、因縁によります。いくらもがいても、できることしかできませんしね。
今できることは念仏です。
839 :
新米です:2005/06/13(月) 03:15:07
みなさんは中陰のお参りの時などの在家さんの読経ってどう指導してますか?
実は新しく担当することになったところは、以前は他宗の尼僧さんがお参りしてて、
“放任”だったようで、“句頭”も“同音”もありません。
従来のところでは、「私がワンフレーズ読んだらついてきてくださいよ」なんて
言ってましたが、新しいところで(今までのやり方を急に変えてまで)そんな型に
はめなくてもいいのかなぁ、なんて思ったりもして、イマイチ自分で結論が出せずに
います。
みなさんのご意見等をお聞きして参考にしたいと思いますんで宜しくお願いします。
>>838 予想どおり、けちゃっぷさんがご回答いただきましたね。ありがとうございます。
三点、思いました。
1.「光明」でググると、やたらと真宗のサイトがヒットする。浄土宗においては「他者を救う」
という人間の欲望を反映するシステムに欠けているのではないか? 人間は傲慢で、ただ
救われるだけでなく、人を救いたいという「欲」がある。真宗はそれを求めて独立したのではないか?
2.「男性がどうなるか」というのは「心に浮かぶ現象としてどうなるか」なのでしょうか、それ
とも「男性の霊がどうなるか」という問題なのでしょうか?
三点、と書きましたが、三点目の疑問は1と2の総合でした。3.「念仏を他者のために
唱えることはできるのか」自分さえ救済されない凡夫であるのに人を救おうなどという
思いは持たない方がよいのでしょうか?
他の方にもお答えいただけませんし、コテでお返事くださったけちゃっぷさんには感謝して
おりますので答えにくければこれ以上のお答えは求めません。ただ、なんというか理論的
に浄土宗を理解したかったので・・・。行動的にはけっこう積極的に念仏するようになりまし
たね。
841 :
840:2005/06/13(月) 07:52:38
あと、
1.釈尊は死後を説かれなかった。しかし、イダイケ夫人には「浄土が必要」
だったのでそれをお説きになった。
2.阿弥陀如来が「自分の名を唱えるものは往生させる」と言われたのなら、地獄に落ちた
者が地獄で唱えても救われないのだろうか。
だいたいこんな感じで疑問が残りました。いささか板違いになってきましたが、いちおう
知恩院まで行って壇信徒宝典まで買ってきて勉強してるんですが・・・どなたかお導き
くださればさいわいです。
842 :
けちゃっぷ:2005/06/13(月) 08:28:54
夜にでもお答えできたらと思っていますが、僕だけでは力不足かもしれません。
最初、男性を救うことか女性が救われることか、どちらを重視しているのかわからなかったのですが、どうやら、男性を救うことがメインのようですね。
女性が救われるためには、たとえ男性が往生していても、女性の頭に男性が浮かぶことが女性には問題なのではないかと思ったので、あのようにお答えいたしました。
また、今晩にでも。
843 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/06/13(月) 13:52:56
仏教を論じるときに、「救う」とか「救われる」とか、いとも簡単に言われるけれども、
一体何が救いであると考えられているのか。具体的にどんな状態なのか。
発言する人はそこのところはっきりと認識しておられるのだろうか。
844 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/06/13(月) 14:56:01
救われていないもの(けちゃっぷ)が救う主体(脳内阿弥陀仏)を妄想して、
他人に自分自身を崇拝させようとするのが彼の浄土教なのです。
だから、カルトと批判されるのです。
845 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/06/13(月) 15:34:56
だからその救いというのは何なのか?明らかにせよ。
846 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/06/13(月) 16:10:08
>>845 だから、その救いとは妄想だとアキッラカニしてるだろ?
847 :
840:2005/06/13(月) 18:53:57
他の話題もあるのに私ばかり書いてすみません。
今聞いている「救い」は「死んだ男性」の救いの話であるけれども、その男が救われなけ
ればならないと思っている以上、女性の救いでもあるわけです。「霊など残らない」という
現実はこの場合女性の救いにならないところがミソです。つまり「脳内阿弥陀仏」では
救いにならないということです。
848 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/06/13(月) 19:03:20
>>846 「救い」とは、心の平安です。フツーの状態になることではないでしょうか。
顔洗う時もご飯食べる時も、自殺した男性のことばかり思い出されてしまって、気になって気になって仕方ないという状態から、まぁ時々は思い出すけれどもサラッと流せる程度になることです。
自分が太っていると気にしている人が、寝ても覚めても外見を気にしている状態から、鏡を見た時に「最近太ったかなぁ」と思いわしても日常生活に支障を来さない程度になることです。
849 :
けちゃっぷ:2005/06/13(月) 19:05:23
850 :
840:2005/06/13(月) 19:16:33
ええ、そういうことですね。
そのために浄土教はどういう説明をしてくれるか、と期待したのですが。
自分が救われるためには阿弥陀仏の浄土を信じて念仏すればいい訳ですよね。
では、まあ極端な言い方で「自分が殺した人」はどういう風に救われればいいのか。
その人が念仏を一度も唱えたことがなかったとして、自分がその人のために念仏すれ
ば阿弥陀仏はその人を救うのか、ということが浄土宗ではとうなってるか、という質問
なんです。
「光明」ということばでググるとなんだか真宗のサイトばっかりヒットするので、ここを聞く
と浄土宗と真宗の差もハッキリするかな、と思ったわけです。いなくなったけど親鸞学徒
さんとか、他の方にも理論的に教わりたかったのですが・・・。
人は本人が救われたいと同時に人を救いたいという気持ちがあるはずです。その要求に
浄土教は答えられないのではないか、と疑問に思ったわけです。
決してアオリではありません。こういうのも仏縁とでもいうのかな、と・・・。
851 :
けちゃっぷ:2005/06/13(月) 19:27:55
>>840 1.浄土宗においては「他者を救う」というシステムに欠けているのではないか? ってことですが、他者に念仏を説くことが救いにつながると思います。
念仏を聞いて信じた人も光明によって心休まります。
ただし、往生はあくまで阿弥陀仏の本願力によってさせていただくのですが。
また、より効率よく他者を救う力を得るためにも、まず自分が往生すべきです。
852 :
けちゃっぷ:2005/06/13(月) 19:33:48
>840 2.男性がどうなるかということですが、われわれが念仏回向してそれが届いていれば、男性はたとえ地獄にいても往生が決定します。
また、阿弥陀仏の光明で心休まります。
しかし、男性が素直に念仏を信じるかどうかは、因縁によります。今の私たちの力ではおよばないかもしれません。
あとは、仏におまかせするしかありません。
853 :
けちゃっぷ:2005/06/13(月) 19:38:47
>840 3.>まぁ結局昨日申し上げたことの反復になりますが、私たちにできることは、男性のためにも自分のためにも念仏を称えることです。
私達が往生した後に、神通力を得て、あらためて衆生救済に乗り出すしかありません。
今の私たちは非力すぎるので、それ以上のことは仏様にでもおまかせするしかないのです。
けちゃっぷさん、たびたびありがとうございます。
「念仏回向して」というのは僧侶が、という意味でしょうか? 個人がその人のために
念仏して、その人が阿弥陀仏にすがる気持ちがあれば往生できるのでしょうか。
あと、地獄に落ちてから本人が念仏しても遅いのでしょうか?
ホントに個人的な興味ですみません。
855 :
けちゃっぷ:2005/06/13(月) 19:56:14
>>854 僧侶じゃなくても、男性のために、すべての衆生のために、念仏すればいいと思います。
地獄にいても念仏を信じれば往生できます。
それと、永遠の地獄はありません。もし地獄で念仏を信じる因縁が熟さず死んでしまっても、必ずまた輪廻します。
因縁・業の深さによって何回輪廻するかわかりませんが、すべての衆生が往生できるまで、阿弥陀仏は待ち続けます。諸仏も念仏を説きつづけます。
856 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/06/13(月) 20:27:22
>>855 こら。浄土宗義もろくに知らないくせになにいうとるんじゃい。
念仏廻向じゃなく、追善供養じゃぼけ!!
857 :
けちゃっぷ:2005/06/13(月) 20:27:23
こんなこと言うとまた「カルト」って言われそうですが…今僕が念仏に出会って信じることができたのは、前世で僕を殺した人が、僕のために念仏してくれたからかもしれませんよね。
そうだとしたら、僕のために念仏してくれた人と浄土で再会して、お礼を言わねばなりません。
けちゃっぷさん、ありがとうございました。
>>856 残念ながら今のところ、浄土宗の立場で答えてくれたのがけちゃっぷさん
しかおられませんので、信じることにします。
859 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/06/13(月) 21:30:50
>>844 >「とある新興宗教において『諸行無常・諸法無我という事が分かれば死を恐れる事はない。宗教家が盲人だったら、
>どうやって盲人の患者(信者)を救うのか』と言った医者が居た。そこで『私も凡夫(盲人)だ』と言ったら『貴方には
>宗教家の資格がない』とまで言われた。」
「ターミナルケアと佛教 - 法然上人の教えに学べる事 -」
http://www.kinburo.com/~main/hokoku13/hokoku.html 新興宗教では「すでに救われた教祖様」が人々を導いて「救う」。
そして「伝統宗教では聖職者自身救われていないじゃないか。そんなやつに人を救うことはできない」と非難する。
ひょっとして
>>844の非難の仕方じたい新興カルト宗教のやり方では?という気がする。
860 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/06/13(月) 21:56:57
カルト教祖は救われたって言ってるけちゃっぷだろ。救われたなんて言うヤシは全てカルト。この世に都合の良い救いなんてないというのが常識人の処世術。気をつけられよ
>>860 どうですかねえ・・・。いや、気をつけるのはつけるに越したことはないのですが。
「浄土は心の中にある、と言ってはいけないのです」という言葉に(『浄土宗の常識』前出)
私が感じたものは今までの人生経験でも有数の深い宗教的真理だったと思うのですが
ねえ。もちろん「都合の良い救い」はないと思います。それだけに「念仏をすれば浄土に
生まれることができる」というだけの、説得力もなにもない教義を「信じる」ことこそが信仰
というものだと思ったのですがねえ。
法然上人の『一枚起請文』の本旨はきっと、そういう「信仰の本質」の問題だったと思う
のですが。
862 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/06/13(月) 22:20:37
ものを知らんヤシだな。浄土は心の中にあるが嘘だったら何百年もの中国仏教や台湾、韓国仏教と浄土宗以外の日本浄土教みんな嘘になってしまうぞ。
科学的に否定できないことをいいことに宇宙の果てに浄土があるかも知れないなんて期待する方がカルト。
863 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/06/13(月) 22:24:54
昔おおまじめに宇宙の果てに浄土があるって言う坊主の話聞いてて吹きそうになったわ。宇宙に西も東もあるか。坊さん頭おかしいんと違うかってオモタけど坊さんおとぎ話じゃありません未来には見つかるかもって大まじめだったわ。
864 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/06/13(月) 22:26:02
865 :
けちゃっぷ:2005/06/13(月) 22:31:04
浄土がなくても、念仏できれば幸せだと思ってる人は、念仏して幸せなんだから、それでいいじゃありませんか。
浄土が実在しようとしまいと、念仏すれば往生できます。
裕福でも貧乏でも、念仏すれば往生できます。
勝者でも敗者でも、念仏すれば往生できます。
866 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/06/13(月) 22:34:36
浄土がなかったら往生できないんじゃないの?
867 :
けちゃっぷ:2005/06/13(月) 23:15:51
すくなくとも、「往生できます」と思うことはできます。
>>862 私もものを知らんと思いますが、あなたは宗教を知らないですね。いや、すくなくともこの
間までの私もそうでした。
もういっぺん、その文章をあげておきます「お浄土は決して理屈や観念の類ではないの
です。阿弥陀さまが建立されて実在し、そこで法を説いていらっしゃるのです。なにより
それは、私たちの弱い心を読みとられた阿弥陀さまが、お浄土が実在しなければならない
ことを十二分にご存じだったからに他なりません」(107P)。意地悪なよみ方をすれば、
「だから葬儀は大事しよう」という浄土宗というかお寺のPRだとも思えますが、ここに私は
宗教の本質が垣間見ました。人生も半ばを過ぎたであろう年になり、親もいつどうなるか
わからない年になり、信仰というものの意味がわかって来たのでしょう。
浄土宗のお坊さんの役目は「浄土はある」と断言することに尽きると思います。けちゃっ
ぷさんも「浄土がなくても」なんていうべきではない。「非科学的」という意味のない誹りに
耐えることがお坊さんの役目ではないでしょうか。玄侑宗久氏は対機説法のつもりで
例の重さを核分裂のエネルギーにたとえましたが、それは彼の僧侶としての力の無さ
でしかないと思いますね。
愚者がしゃべりすぎましたが、今はそう信じています。
繰り返しになりますが『風の谷のナウシカ』の原作をご存じでしょうか? アニメの方は
「清浄の地」が汚染された世界の中に生まれて、皆がそこに移り住めばいい、という幸福
なラストでしたが、原作では違います。実は「清浄の地」はナウシカたちの体に合わず、
そこは「人間の住めない場所」になっていたのです。それでもナウシカはその地を「清浄
の地」として人々に語ることを選択します。「私、嘘をつきました・・・これからも嘘をつき続け
ます・・・」私は僧侶ではないから言ってしまいますが、「阿弥陀経」を説かれた方は(釈尊
ですか?)はナウシカなのだと思います。
人は希望を失うことですべてを失います。一切皆苦の今生だけが唯一の実在の世界で
あり、その中ですら限られた時間しか与えられない人間が、その今生を絶望の中に過ご
すとしたら、人間の知恵はすべて無駄なものと化してしまうでしょう。それを無駄にしない
ためのさまざまな知恵が生み出されてきた、宗教もまたそのひとつ、いや根幹のひとつで
はないでしょうか。
870 :
けちゃっぷ:2005/06/13(月) 23:46:02
浄土が無いと言う人に、在ると信じさせるべきか、無いと思ってるなら思ってる無いままでも念仏で救われることを説くべきか。迷うところです。
871 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/06/13(月) 23:54:55
そういう生み出された知恵ってのはいつかは滅びるものよ。生じては滅するなりって言うだろ。時と所が変われば通用しなくなる。仏教の坊さんならいつの時代にも通じるもんを探せよ。
ナウシカの話だってどこまで嘘をつき続けられるか保証なんて無いんだよ?いつか全てが明るみに出て幻想から醒める日が来ないとも限らない。しかしいったん始まった主義思想宗教
は現実を突きつけられても人々の心を虜にして離さない。オウムを見ろ。哀れ。
872 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/06/13(月) 23:59:55
希望なんか持つなよ。だから絶望があるんだよ。別々じゃないんだよ。表裏一体。どっちも自分が頭の中でたくましく育てたものだよ。真ん中を池。
873 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/06/14(火) 00:08:49
すくなくとも、「往生できます」と思うことはできます。 ってその場合自分で何思ってるか自分自身わからんだろ。どこ行くか何が起こるかどうなるか全然分からずに
坊さんに言われたから言うんでしょ。わからないから心の奥には不安がある。不安があるのに往生するって強弁する。精神分裂になる前に止めたがいい。
ふむふむ
なんとなく禅宗っぽい反論が出てきましたね。確かに「中道」は大切ですね。
「いつか明るみに出る」の「いつか」とはいつなのか? という疑問も残りますが、衆生は
「希望と絶望」を計りながら生きているわけではないでしょう。「希望」も凡夫には信じられ
ない以上、自然と中道になる、ならば希望よりにバイアスをかけておいた方がよい、逆
にしたらすぐに引きずられてしまうでしょうから。それが「浄土門」ということではないの
でしょうか?
オウムはあきらかに「聖道門」ですよね。あそこまで行かないためにも科学なんて
助行をつかわずに「一心に念仏」でよいのではと思えます。「希望なんか持つな、
だから絶望がある」というのもやはりどこか浮世離れした感がある。衆生にはまず
絶望があるのだから、無条件に希望を与えることも大事ではないかしら。「まず絶望
の中にない」ある程度知恵のある人には念仏は物足りないかもしれないですね・・・。
だからといって浄土門が安易だとは思いませんよ。より観自在であることを(覚えた
ての言葉使いまくり。いや、間違ってるかな)であることを要求されるでしょうからね。
875 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/06/14(火) 08:24:42
>>873 往生のために念仏称えてたのが、やがて念仏のために念仏称えるようになります。
今ここで念仏のたびに人生が完結する。
念仏が人生の目的です。
877 :
けちゃっぷ:2005/06/14(火) 08:29:45
念仏称えてる時、「往生できます」と念じながら浄土のことを考えるのは無理です。「浄土って何?」って思った瞬間、「往生できます」の念は中断されてしまいますから。
878 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/06/14(火) 08:54:20
>>877 念仏するときには念仏すべし。その他の詮議はいらない。
念仏しないとき、あるいは念仏していないときを話の対象とするならばそれでよし。
念の中断なんてあほカルト発言はつつしむべし。
879 :
けちゃっぷ:2005/06/14(火) 12:31:03
>>878 念仏する時に、浄土が実在するかどうか考えるのはどうなのでしょう?
880 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/06/14(火) 12:42:01
>>879 考えてしまうのはかまわんが、考えるのはよくない。
881 :
けちゃっぷ:2005/06/14(火) 12:43:18
882 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/06/14(火) 13:15:52
で浄土は実在するってまだ言ってるの?科学的に否定できないからって輪廻転生とか霊魂とか肯定してる某宗教もあるね。本当に仏教と言えるのかね。
883 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/06/14(火) 13:22:13
淨土は実在するのでもなく、実在しないものでもない。
信念領域では何でもいえるが、未確認事項なので
実在・非実在には言及できない。
ただただ、往生するぞと思う心の中に理想淨土を誓願
できるのであり、そのことで周囲にも安寧を与える。
であるから、輪廻転生など全くの埒外。
884 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/06/14(火) 16:16:28
この心が地獄にもなり浄土にもなる。ほとんどの人は苦悩を抱えたり欲望に溺れたり闘争心や怒りを押し隠しているのでので心は地獄畜生阿修羅となる。この心を変じて浄土とする。
885 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/06/14(火) 20:49:34
浄土も阿弥陀も実在しない。
それゆえ誓願は絵空事であり、
念仏も荒唐無稽である。
これでいいのかな。
>>885 仮にそうだとして、それを言うことに何か意味があるのでしょうか?
阿弥陀仏に入れ込んで、仕事もしないで部屋にこもって念仏ばかりしているような
人がいたらそれを言う必要が生じるかもしれませんが、そんな人にそんなことを納得
させたら、もっとひどいことになるのではないでしょうか?
少なくとも浄土教の本質は弱い人間を救済することであり、強い人間はより易行で救済
して生のさらなる充実に向かわせるものなのではないでしょうか?
887 :
m:2005/06/14(火) 21:32:47
>>883 お前ら言っていること低すぎ。俗物丸出し。所詮信者属性の殻の中
888 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/06/14(火) 21:38:25
889 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/06/14(火) 21:41:18
くだらん宗教熱を冷まして夢から醒めるように促す効果はあるはな。死後の世界を担保に坊主やカルト教団にいいようにされてた借り物人生から自分で考える人生にな
浄土も阿弥陀も実在する。
それゆえ誓願は真佛法であり、
念仏は正定の業である。
じゃあこれで。
891 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/06/14(火) 21:58:56
あ、電波さんだ。匿名ででてたのね。
>>889 じつはほんとについ先日まで、そういう主張だったんですよ。
でも逆に「念仏」という究極の易行までいってしまうと、そこに要求されるのは純粋に
信心だけ、というとこになってかえってよいのではないかと。「温熱修行」だの「マントラ一万回」だの
よりも。
既成宗教の弱体化がカルトを生み出すわけですから、「浄土はある」と言い続ける必要があると
私は思っています。・・・・・私は僧侶じゃありませんけどね。
実は丹波哲郎の「大霊界」あたりが、もっとも健康的な新宗教だと思うんですよね。どうか否定して
みてください。
極楽浄土や阿弥陀仏が存在するかどうか、を議論しても無意味だと思う。
「存在」の定義から始めないと。
釈尊の「無記」をどう考えるかにもよるけど、この世の言葉では
存在してるともしていないとも言えなかったんじゃないかな?
少なくともこの三次元空間に物理的に存在はしていない。
けど宇宙の外には「存在」してるかもしれん。というか「存在」してると俺は信じてる。
だからお念仏をとなえる。
これをカルトだと言われれば、そうですか、としか言い様が無い。
894 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/06/15(水) 21:06:31
カルトです。でも独りで心の中で思ってる分には被害は一人で済みますから、他の人を巻き込まないことを心がけましょう。
895 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/06/15(水) 21:11:18
この世の西の果てにあると信じられてたのが地球が丸いと知られるようになり信じられなくなった。宇宙の果てということにしておけば当分は持つだろうな。人類が滅びるまで大丈夫かも知れん。
896 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/06/15(水) 21:31:07
まず三宝(仏法僧)を篤く敬う。
これが仏教徒の基本姿勢。
仏教経典(法)に
阿弥陀仏の実在、極楽浄土の荘厳、念仏の功徳が記されている以上、
素直に敬って信じていく。
これが浄土教徒の基本姿勢。と・・・
わかっていても、信仰姿勢を貫くのは難行だ。
でも、有り難いことに念仏は易行で、
信じきれなくても、疑いつつも、
いつでも、どこでも、だれでも、念仏できる。
897 :
m:2005/06/15(水) 21:51:09
おっぱい
898 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/06/15(水) 22:34:49
前世とか輪廻とか天界とか悪業で地獄落ちだとか心身に障害があるのは宿業のせいだとか。お経の言葉のまんま信じてカルトにはまってる人がたくさんいるよ。
そういう人に欠けてるのはお経は真実をわかりやすく説いた譬え話として受け取る姿勢だな。
899 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/06/15(水) 22:39:06
常に譬え話を自分の心あてはめて考えれば古くなるものはない。古いものも常に新しい。二千年前も今も人間の心は劇的には変わり映えしない。怒ったり憂いたり貪るのは同じ悩みだからな。
二千年前の言葉が現今の自分に当てはまる。
900 :
けちゃっぷ:2005/06/15(水) 23:14:54
>>898 輪廻・宿業についてですが、「過去に犯した罪の報いで今苦しいんだ。これを乗り越えれば罪を償える。」と、当人が納得して苦難に立ち向かえるなら、好い教えだと思います。
他人が「お前は前世で悪いことをしたから、その報いでこんな目にあってるんだ」と言うのは、言い方にもよりますが、思いやりに欠けるかもしれません。
言うとしたら、「お前は」じゃなくて「私たちは」でしょうね。
欠けているのは「姿勢」ではなく「話し手」だと思いますよ。
たぶん、釈尊は天才的な「話し手」だったのでしょうね。
イエスもおそらく。
経文の話し方を学ばず内容の解釈だけに費やしてきた年月は無駄とは
いいませんが、役に立つところは少なかったのでは、と感じます。
902 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/06/15(水) 23:23:50
「アガスティアの葉」って流行ったよな。
自分の過去世・現世・来世のことが記載されている葉っぱ。
そういえば、著者の K.A.先生とメールの遣りとりしたことがあって、
念仏行は尊いけれども、
名号が本来持ってたパワーを失ってるって言われた。
法然上人が現代に生まれていたらとつい思ってしまうね。
歴史に「IF」はないからな。
903 :
けちゃっぷ:2005/06/16(木) 12:46:54
法華経の喩話を理解する時のように、浄土教をたとえ話として解釈するとしたら、どのように理解できるでしょうか?
よく、ひろさちやさんが、阿弥陀経の「青色青光…」を引用して、浄土では青い花は青いままで輝いている、白い花は白いまま輝いている。人間も本来個性があるままで尊い…みたいな内容の話を書いてますね。
>>どのように理解できるでしょうか?
「死を恐れ地獄に落ちることを恐れる」という飢餓状態でまともな人生が送れるわけがないから、まず
往生という「満腹感」を与えた上で今生を正しく生きる、ということが浄土教の目的ではないかと思います。
反論があったら効かせてください。
「青色青光」の比喩は今生を前世の因果によるペナルティと見ないで現状が最良のものとして与えられて
いていかなる外部の照明による着色も必要としな、ということではないでしょうか。阿弥陀様の光明との関係
はどこかで語られていないのでしょうか。
905 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/06/16(木) 13:40:54
けちゃっぷ氏。
霊能者・江原啓之さんの話に納得してしまうな。
彼には我々凡人が見えない霊的なものが実際見えてる。
極楽浄土への念仏往生を伝えていく者として、
無関心ではいられない。
けちゃっぷ氏は気にしないかい?
こういった霊能者と言われる人々は法然上人の時代にも
いたと思うが、法然上人はどういうふうに受け止められていたんだろうね?
906 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/06/16(木) 16:01:48
>905
法然上人は
三昧発得して10年間諸仏諸菩薩を毎日見ていたと
臨終の際で語ったそうだ。
これって今言うところの霊能力だろう?
907 :
けちゃっぷ:2005/06/16(木) 17:55:37
>>905 どうなんでしょう。
法然さんの弟子に、陰陽師の阿波之介(漢字不安)って人がいましたが。占い師みたいなもんだったのでしょうか?
908 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/06/16(木) 18:35:53
909 :
けちゃっぷ:2005/06/16(木) 21:43:31
7人も妻がいたとは。どうやって稼いでたのでしょうか。
たとえ霊が見えても、仏教的な智慧がなければ日常生活のストレスは拭えないし、往生できるわけでもない。
910 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/06/16(木) 22:42:48
終わり好ければ全てよし
911 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/06/16(木) 23:52:53
912 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/06/16(木) 23:55:00
狂気の法案を拉致問題の安部晋三先生と阻止しよう!!【■■2ちゃんねるが消滅します】
とんでもない言論弾圧法案=「人権擁護法」が国会に提出されようとしています!!!
この法案の真の狙いは、
@社会的には、2ちゃん/ブログをはじめとしたネット世界の一般人の小うるさい言論の圧殺であり、
A政治的には、拉致問題強硬派&在日参政権反対の自民右派の消滅です。
民族(朝鮮・中国・韓国)/ 同和 /信条(宗教・層化・赤化)他に関する一切の差別的発言を禁じるという狂気の法律です。
この法律の前例の無い恐ろしい特徴は、特定人に関する言動は当然、不特定多数の集団に関する一般的発言
(朝鮮人は〜〜と書くこと)までも圧殺しようとする点にあります。
◆違反者には、無令状捜索・差押、出頭要求、矯正教育が待っており、それを拒否すると、
さらに罰金30万&氏名・住所などの全国晒し上げを食らう(61条)という仰天内容です。
一刻も早く、防戦する安部先生達に、日本国民の怒涛の援護射撃をお願い致します!!!
※※以下5つともアドレス中に★をはさんであります、★を消去の上、どうか必ずご覧下さい!!※※
http://zinkenvip.fc2web.co★m/
http://blog.livedoor.jp/no_gest★apo/
http://blog.livedoor.jp/monste★r_00/
↑↑【凶悪法案の問題点&背景の全て】
http://www.kantei.go.jp/jp/forms/goik★en.html
↑↑【首相官邸ご意見フォーム】イメージと違って、ここは非常に効果ありです!
全部読んでくれます、投稿テーマで返事が変わります!
http://meyasu.jimin.or.jp/cgi-bin/jimin/mey★asu-entry.cgi
↑↑【自民党目安箱】事態は急を告げています。文章は簡単でいいので、国民の「人権擁護法」への反対意思を、
とにかく 1 秒 も 早 く 党本部に伝えて下さい!
■□■人権擁護法ストップin日比谷公会堂 6/19(日)12:30〜16:00・無料・超大物国会議員登場・皆さん大挙してご参加を■□■
913 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/06/17(金) 23:36:38
>>912 そんな阿部ちゃんと浄土宗とは関係があるんだよね
914 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/06/17(金) 23:44:34
浄光会だっけ?
前防衛庁長官もだよね。拉致問題で有名な平沼さんもか。
915 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/06/18(土) 05:29:20
わが家は念仏だが、浄土宗より前の良忍の融通念仏だよ。
>>915 勉強不足ですいませんが融通念仏について教えてくれませんか?
918 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/06/18(土) 20:50:03
毎日千遍以上念仏してるか? ベイベー!
919 :
m:2005/06/20(月) 01:19:15
地震だ〜〜
920 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/06/20(月) 03:19:09
江原啓之の能力による現代人のココロ、魂への視点は
「念仏による極楽往生を勧める」
浄土宗僧侶として無視できない気がしてならない。
「いのちが危ない」集英社
ぐいぐい引き込まれて読んでしまうな。
でも「念仏の功徳」を彼はどう評価してるんだろう。
法然上人を霊視して感想を聞かせてもらいたいものだ。
鎌倉時代の時代背景にあって、
法然上人の誕生が必要だったように。
現代日本の多種多様な価値観の状況にあって、
江原啓之のような人物が必要なのかもしれない。
実際読んでみると、オレの法話よりいいよなぁ〜と思うもん。
これでは、念仏は伝える事はできないけどね。
みなさん『アミターバ』(玄侑 宗久)は読まれましたか?
小説という才能がある点で先んじられるのは仕方ないとしても、
こういう仕事を臨済宗の僧侶にされるというのは残念な気もします
922 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/06/20(月) 08:23:17
>>920 具体的に、何が良いのか、ちょっと説明してくれないと、全然興味がわきません。
>>920のように江原氏がイイとか言ってるヤシは欧米で60年代〜70年代に盛り上がったニューエイジムーブメントに対して
まるでウブなのでは?と思うが。日本にもニューエイジは次々に入ってきていてライフスペースにしろオウム真理教にしろ
ニューエイジの辺境というか歪んだ部分ではあるのだが。
江原氏の場合土着化というか欧米からの輸入色を払拭してわかりやすい言葉で語りかけているのが受けてる理由だろうか?
924 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/06/20(月) 17:22:31
>>923 第一は彼の能力だろう、
それから第二は宗教の区別、宗派の区別に捕われない啓蒙内容。
本人しか知らない、あるいは本人と故人しか知らないことを
即座にいい当ててしまう。
また、故人の性格のままの語り口で遺族に故人の心情を語れるということ。
常人に見えないもの、わからないことを知覚する能力が
無かったらまず注目されない。
その上で、「人の生まれてくる意味、何故生きるのか」を
平易な言葉で語っているということだろうな。
念仏は尊いが、やっぱり
魂救済のための方便の一つと捉えておくのが正しい見方だろう。
「念仏は凡夫にとって人生を歩むに必要な金剛の杖」だと
中村猊下はおっしゃっていたけどね。
念仏が超能力に負けるとは情けないかぎりですな(部外者)
926 :
けちゃっぷ:2005/06/20(月) 22:08:36
>>925 勝っても負けても、念仏すれば往生できます。
927 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/06/20(月) 22:21:03
念仏も とうとう方便にされてしまったか
なんまんだぶ なんまんだぶ
928 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/06/20(月) 22:47:27
電波男も浄土宗坊主も方便だと言ってたぞ。
929 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/06/20(月) 23:01:34
聖道門の修行ができないから念仏なんで、もともと方便でしょう。
930 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/06/20(月) 23:03:26
【門徒】どうして真宗ってダメなの?【物知らず】
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1119260507/1-2 1 :名無しさん@京都板じゃないよ :2005/06/20(月) 18:41:47
お清めの塩はダメ。
冥福や永眠や追悼とかの「言葉」を使っちゃダメ。
線香を立てちゃダメ。
水はお供えしちゃダメ。
位牌もダメ。
六曜もダメ。
・・・
そんなに拘ってばかりで、頭大丈夫?
「言葉狩り」や「文化潰し」が好きなのね。
2 :名無しさん@京都板じゃないよ :2005/06/20(月) 18:44:57
テラワロスの言い訳例↓
葬儀挨拶の悪い例
草葉のかげで → 昆虫ではありません
冥福を祈る → 冥土(暗闇の世界)に幸福はありません
安らかにお眠りください → 死は眠ることではありません
幽明境を異にして → 死後の世界に行かれたのではありません
>>聖道門の修行ができないから念仏なんで、もともと方便でしょう
↑そんなことはないでしょう? (部外者)
こんなこというのが、浄土宗でなくても僧侶なら情けないですね。
情けなくても念仏すれば往生できるのでしょうが・・・。
933 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/06/20(月) 23:46:42
方便でも方便でなくても、念仏すれば往生できますしね。
934 :
932:2005/06/21(火) 00:10:06
>>933 パロにしちまったけど、けちゃっぷさんの発言はそれはそれで一貫してて正しいと思いますよ。
超能力がないと人を救えないなら仏教を学ぶよりオウムでも入った方がいいでしょう。
ましてや江原氏は神道でしょう。
友人の熱心な法華経信者は「超能力なんて人間より畜生に近いものの能力だ」と言ってましたよ。
まあ、江原氏の能力がそうだとは言いませんが。
「法」にしたがって人を導けないなら僧侶なんかやめちまえ!ってのは過激な発言ですか?
というか「人を導く」なんてことがすでに課題ではありませんか?
935 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/06/21(火) 20:42:51
>>933 そうですネ。成仏は難しくても往生なら、出来そうですね。
その、往生する「極楽浄土」ってどんなところか、
阿弥陀経に書いてあるとおりか、江原殿に聞いてみたいですナ。
936 :
けちゃっぷ:2005/06/22(水) 00:29:35
観経の第九観「仏身観」を読んでると、曼陀羅世界のようでもあり、宇宙のようでもあります。
一即一切、一切即一の世界であり、一である仏の白毫を観ることは、一切を観るのと同じ。
どこまで拡大しても仏のまわりに小さな仏、そのまわりにさらに小さな仏。
どこまで縮小しても、私が観ている仏はさらに大きな仏のまわりにいる無数の仏の一人であり、その大きな仏は、さらに大きな仏をとりかこむ無数の仏の一人である。
937 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/06/22(水) 00:36:59
地球は太陽を囲む星の一つで、太陽系は天の川銀河を形成する星々のひとつ。その銀河は宇宙を形成するたくさんの銀河の中のひとつ。
しかし、このちっぽけな地球の私たちから宇宙を観ると、逆に小さな無数の星が私たちを囲んでいるかのよう。
私をたくさんの小さな宇宙が囲んでいるのか、私たちが宇宙の中心を囲む小さな星の一つなのか。
曼陀羅的宇宙観、ってヤツですか
極楽浄土へ往生したらいろいろお話しましょう。
私は実在=働きだと思います。
一切衆生を救おうとする、大慈大悲の働きが阿弥陀如来でしょう。
ちなみに、けちゃぷ早く君のHPを更新しなさい。
鈴木大拙禅師の弟子の方が、仏教とは絶対他力であるなんて言ってますね。
942 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/06/22(水) 17:12:12
淨土宗は臨濟禪がお好きみたいでつね
943 :
けちゃっぷ:2005/06/22(水) 17:19:32
944 :
m:2005/06/22(水) 20:52:11
お前ら所詮仏レベルか 下らん
浄土宗のお坊さんは、三経(大無量寿経、観無量寿経、阿弥陀経)ぜんぶ読んで、くまなく
理解してるんですか? 大意を聞かれたらなんとなく答えられるんですか? 知りたいでつ。
946 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/06/23(木) 04:31:01
947 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/06/23(木) 06:41:37
948 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/06/23(木) 07:08:13
>>945 一応はなんとなく答えられるんじゃない?
>>947 私にはどこが「真宗用語」なのかわかりませんが、その反論のしかたは浄土宗の方でしょうか?
お坊さんじゃありませんよね? そうだとしたらがっかりです。別にお坊さんに聖人君子を求める訳
ではありませんが、真剣に仏教に興味をもって質問しているのに、2ちゃんねるとはいえ・・・・。
>>948 ご回答ありがとうございます。やはり仏教系の大学でちゃんと学ぶのでしょうか。
950 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/06/23(木) 09:05:08
>>949 こんなところでゴチャゴチャ言ってないで、勉強しろ。
お前は人に寄るのか?浄土宗糞坊主などほうっておけ。
お前はお前の道を歩め。
真宗用語とは「大無量寿経」の「大」をつけるのは真宗の
専売特許だ。学習できただろ?この学習は人に寄ったもの
ではなく、法に寄ったものだ。
わかるか?
951 :
けちゃっぷ:2005/06/23(木) 12:34:16
そんな呼び名の違いなんて、普通知らないし、意味通じるからどっちでもいいじゃないでしょうか。
>>951 いみが通じればなんでもいいと言うのか?この阿呆。
953 :
けちゃっぷ:2005/06/23(木) 12:59:01
>>952 坊さん相手に教育してるんじゃないんだから、いいんじゃないですか?
954 :
牛飼い:2005/06/24(金) 01:08:10
>>952 こいつ狂暴だニダ
お前坊主に楯突く気か?あん。無知な俗物の癖に・・
955 :
けちゃっぷ:2005/06/24(金) 01:23:12
>946 そうですね。そう思うと、なぜ、白毫をはっきりくっきり見ることで仏の八万四千の相好(特徴)すべてが現われてくるかわかりますね。
また、無量寿仏(阿弥陀仏)一人を観ることがすなわちすべての宇宙の無数の仏達を観ることになるのかも。
ホコリひとつをはっきり観察する中にも、宇宙すべてを観察するのと同じ意味があるのではないでしょうか。
956 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/06/24(金) 01:44:59
科学の自然界に対しての認識力、関する知見というものは
仏教にとって非常に示唆に富むものがおおいですな。
現代僧侶は科学を勉強しなくてはいけない。
>>956 浄土宗のスレでたびたびもちあげて悪いが、玄侑宗久氏はそれを実行している。
『アミターバ』は最初、「宗教者が科学なんかに媚びやがって」と思っていたが、読んでみると
キチンと宗教的著作になっている。見事なのは浄土宗の僧侶という設定で描きながら、最終的
には現世での充実をという禅宗的な結論に読めなくもないことだ。
またたびたびケンカ売ってすまないが、科学に示唆をうける方が、同じ宗教者の江原なんかを
無批判に褒めるよりよっぽど努力が必要で益のある行為だと思う。どうよ?
958 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/06/24(金) 15:11:21
1 名前:マンセー名無しさん[hisage] 投稿日:2005/06/23(木) 22:08:50 ID:K2ePFSBP
東海地方で最も優秀な私立進学校である東海高校が在日の巣窟と化してしまった。
東海高校は国公立医学部進学率日本一を誇る伝統ある仏教校で、
サタデープログラムという生徒主体の大型講習企画を運営していることでも有名である。
過去には同人作家のZUN神主やminoriのnbkz氏らを招いたことでネット上で話題になった。
そのサタプロに異変が起きた。
http://www.satprogram.net/7th.htm 講座番号5 万博韓国館へようこそ
講座番号17 男の厨房part7韓国海苔巻き=キムパップ
講座番号31 戦争はなぜしてはいけないのか〜平和の砦・日本国憲法〜
講座番号38 韓流の楽しみ
講座番号47 日本に生きる外国人公務員として
この左傾講座の数々。特に悪質なのは講座番号47。
あの悪名高き鄭香均(東京都の外国人公務員、日本籍も取得しないくせに
昇進できなかったニダと国を訴え、惨敗した基地害在日)が講師として招かれる。
さらには愛知県中の私立高校生を集め、韓国に研修旅行という名の謝罪旅行に行かせる、
修学旅行の行き先を将来的に韓国に変更するなど、まさに左翼系高校の典型となっている。
これらの動きにはある共産党員の教諭が関与しているという噂も。
教育機関を蝕む共産党の恐怖について語ろう。
東海学園東海中学校/東海高等学校ホームページ
http://www.tokai-jh.ed.jp/
959 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/06/24(金) 23:36:57
>>957 科学の知見は有効なこともあるが、
人生について語る能力はないな。
>>959 ほう。
くわしく。
私はべつに支持者じゃないので。
961 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/06/25(土) 15:40:46
>>959 科学的思考は認識力、判断力、分析力を高め人生に大いに役立つ。
坊さんも科学的思考訓練の経験を持つのはいいことだと思う。
科学的念仏。
むかし、渡海難というのがいて、あわわアqwせdrftgyふじこlp;
963 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/06/25(土) 18:56:19
>>961 煩悩をはさまずに科学的思考に徹底して判断・行動できるのが、仏だと思います。
964 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/06/25(土) 20:47:02
>961-963
科学的思考がどういうものがわかてんのか?
966 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/06/25(土) 22:39:41
>965
いくつかの論理法則(同一律、矛盾律、排中律)のみを先験的に認め、それ以外の一切はこれらの法則に合致する場合しか認めないという立場。
たとえば、単に認識できないからといって非実在性は主張できないし、認識したからといって認識を離れた実在性が主張できるとは限らない、ということになる。
阿弥陀仏について当てはめれば理解いただけるとおもう。
西方過十万億仏土=ビッグバンの彼方という発想は科学的思考じゃない。
>>966 阿弥陀仏について当てはめて説明してくれますか?
968 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/06/26(日) 01:07:30
科学的思考の定義はよくわからんけど、煩悩は合理的な判断を妨げますよね。
頭ではしなくちゃいけないとわかってるけれど、やってしまったりする。これが凡夫です。
仏ならおそらく、頭で解ったら、心と体もその通りに合理的に制御できるんじゃないでしょうか。
969 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/06/26(日) 01:13:36
日本は少子化で悩んでて、一方では、貧困で死んでいく子供がたくさんいる。
また、子供が欲しくてもなかなかできない夫婦は日本にもいます。
合理的に判断するなら、日本の子供のいない夫婦が貧しい国の子供をひきとって、わが子のようにかわいがって育てれば、問題は解決できます。
仏なら、他人の子も自分の子も、平等に慈しむことができるので、これが可能です。しかし凡夫には、とても難しい。
970 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/06/26(日) 01:17:29
スターウォーズの先先行ショー見て来た。
愛ゆえの心の弱さに
付け込まれて暗黒面に落ちたアナキン・スカイウォーカー。
野心と怒りに任せて殺りくの悪因を積み煉獄の炎に身を焼かれた。
ジョージ・ルーカスはよくストーリー展開や場面設定を考えてる。
ヒロインは、パドメ、EP1ではアミダラ姫って呼ばれてたよな。
ジョージは浄土教のことも調べていたんだろうか?
971 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/06/26(日) 01:31:00
阿弥陀ラ女王だったりして。
そう思って昨日のオンエアー観てたらね、円光をかたどったような円い襟の服や、白毫のように額に宝石つけてる場面、仏の大きな耳にも見える冠飾りや、仏像っぽい髪型の場面もあった。
スターウォーズが「阿弥陀ラ女王」を意識していることは間違いないでしょう。
ただそれは単なるオリエンタリズム、というか、異文化が混在する作品世界を
演出するだけのような気もしますが。
その点では「風の谷のナウシカ」の原作の方こそ「清浄の地」を「西方浄土」
として描いているとしか思えないと考えます。これは解釈の別れるところで
しょうが映画版と異なり「生きては到達できない場所」として描かれています。
その秘密を知るものは阿弥陀としてのナウシカと釈迦牟尼としての「森の人」
だけだと考えるは行き過ぎでしょうか?
「科学的思考と信仰」の話面白いですね。ぜひ議論を続けてください。
>>972 自己レス。
森の人が阿弥陀仏でナウシカが釈迦牟尼と考える方が浄土宗の教義には
近いかもしれません。
「森の人」は精神的には浄土で迎えてくれる立場だし、ナウシカはそれを方便として奨励する立場だからな。
今気がついたけど「清浄の地」ってもろに「浄土」って意味だしね。
975 :
牛飼い:2005/06/26(日) 15:46:30
最近暑くてエアコンが欠かせないな
976 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/06/26(日) 22:02:28
最近、けちゃっぷ氏のコメントがないね。
「( )でも( )でなくても念仏すれば往生できます。」
よく言ってたな、この台詞。
( )にいろいろ入れることができるが、邪義を招くね。
>>976 でも、「念仏しても往生できない」という状況は五逆の罪が許された以上ないのでは?
979 :
けちゃっぷ:2005/06/27(月) 12:45:35
>>979 >>963 >>煩悩をはさまずに科学的思考に徹底して判断・行動できるのが、仏だと思います。
これがそれっぽいかな?
まあとにかく。仏の思考の方が科学的思考よりもレベルが高い、というかより自由である、
というか、「より正しい判断をくだせる」と思うのだが。
それは「客観的で普遍的で再現性がある」すなわち「誰でも納得できて、どこででも適応できて、いつでも
実現する」ということよりも「正しい」というレベルがあるということを言ってるわけだが?
え? それはどんなレベルか? そんなもの説明できたら仏じゃん!
981 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/06/28(火) 00:26:33
けちゃっぷ氏、
「人殺しでも人殺しでなくても念仏すれば往生できます。」
と本気で言えますか?
そうしないと、念仏は犯罪者や殺人者の都合のいい免罪符になってしまいますよね。
深い懺悔と深く信じる心からの念仏でなければ往生できないことを
しっかり伝えてないと邪義がうまれるでしょう?
どうすか?
982 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/06/28(火) 00:47:04
我々、浄土宗僧侶が地域の人間教育に力添えできることって何だろう?
大企業が日本の教育に参入すると話を聞いたことがあるが、
大企業の組織力や企画力は圧倒的だろうな。
浄土宗僧侶が人間力あるかといえば?でしかない。
組織力もそんなにないしね。
我々は一体、子供達の未来のために何ができるんだろう?
だいたいけちゃっぷ氏の話は煩悩があっても煩悩がなくても往生ができるという、仏教に反した滅茶苦茶な話しです。
「一切の悪をなさず、諸々の善を起こし、自己の心を浄める」これが仏法です。
自己の修行、利他の修行によって煩悩の炎が弱まり、心が浄化されていって初めて浄土になり、往生できる。
それを「( )でも( )でなくても念仏すれば往生できます」と説くのは仏法中の大邪見、獅子身中の虫ではありませんか?
心を浄めようと修行をしている人を馬鹿にした見解です。