>>1実は前スレはダブってるんだよ
ニセ本尊が板本尊だろうが本門だろうが
どっちでもいい位どうでもいいけどね
3 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/20(日) 21:27:46.63 ID:XpAokZ4m
実に馬鹿げた議論だったなw
でもニセ本尊を拝んでるから頭がおかしくなるんじゃなくて、
元々頭がおかしいからニセ本尊を拝んでいることがよくわかった。
4 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/20(日) 22:53:42.96 ID:alHkp7y3
>3
>実に馬鹿げた議論だったなw
いいえ、日顕宗の言い掛かりが事実や常識を無視した馬鹿馬鹿しいものであるだけです。
6 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/21(月) 00:27:02.94 ID:DO+pezAw
内容がない割に文が長いからいつも1000までいかずにスレがおちる。
7 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/21(月) 01:05:51.92 ID:z0dZo9X8
ハッキリ会員に宣言できないのは何故ですかね?
我々は寺から縁を切られたので以前に寺から授与されたお曼荼羅
創価学会員に拝ませることは出来ない。
全く違う宗教法員としてスタートしたからだ。
俺についてくるものは、これでいくぞ!
ご解説を池田大作先生お願いします。
8 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/21(月) 01:54:41.97 ID:Sibd6exj
血脈の無いニセ法主なんかの言うこと信じても馬鹿馬鹿しいからな。
「本尊の開眼法要」なんてニセ教義作ったら、日顕に相承が無かったのがバレバレだって。
9 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/21(月) 05:20:28.14 ID:MjP6vDBL
更新が重いな2ch
10 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/21(月) 05:39:28.55 ID:z1q2y2dL
ニセ博士の作ったニセ本尊を拝まされて、財務と公明党の集票で一生を棒に振る創価信者が惨めすぎます
11 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/21(月) 07:45:54.81 ID:BUeP+dmG
>>4 戒壇本尊の教義上の意味を無いものとし、挙げ句の果てに師の指導まで切り捨てているのだから、逆に日顕宗を喜ばせていることに気づけよ。
君の一連の言動は、日顕宗が学会を邪教認定するのに、これほど好都合なものはない。
12 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/21(月) 08:25:31.45 ID:MjP6vDBL
>>10 顕彰が妬ましく、独自本尊授与が恨めしく、資金力と政権に入ったことが羨ましいんだね。わかるわかる
13 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/21(月) 11:36:09.57 ID:griSmhIx
14 :
eco ◆Smw69BiSBo :2013/01/21(月) 11:48:04.52 ID:griSmhIx
15 :
eco ◆Smw69BiSBo :2013/01/21(月) 11:56:31.99 ID:griSmhIx
前スレの812 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/19(土) 12:42:25.31 ID:kyHuFJXK
>>> い き な り― 法 華 経 と は 将 軍 学 で あ る・・・と浮かんだのである。
>>「此の経文は一切経に勝れたり地走る者の王たり師子王のごとし空飛ぶ者の王たり鷲のごとし」(千日尼御前御返事)
>>この御聖訓のことを端的に述べられたもの。
>>「面授口決」など受けなくても、「トランス状態」にならなくても
>>日々、御書を拝している人間なら、すぐに分かること。
なるほど つまり 人間革命10巻の「一念」の章に書かれていた
>>14の内容は
千日尼御前を巧みに引用し 後付けでフィーチャーした 名文名利目的の「演出」であって
「池田はインチキな永遠の指導者だった」・・・と解釈してよろしいんですね
弘安2年10月12日に顕された 大御本尊の前で 本人が気付いた事なんですけれど・・・
ところで こういった類の悟り 慈覚が夢の中で見た・・とされる
太陽に矢が刺さった夢と同レベルだったら大笑いですね。
16 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/21(月) 12:07:21.01 ID:kvna50CQ
創価学会には教義も本尊も何も無い団体。
つまり、教義も本尊も日蓮正宗から盗み取りした偽物だ。
勿論、池田に仏法の血脈などあるはずもない。
この当たり前の道理が分からんのが、学会員。
17 :
eco ◆Smw69BiSBo :2013/01/21(月) 13:29:18.30 ID:griSmhIx
18 :
eco ◆Smw69BiSBo :2013/01/21(月) 13:44:23.72 ID:griSmhIx
あと もうひとつ もし 大御本尊が偽作で あれが本尊じゃない・・とするならば
法華経が将軍学・・と言うのも当然違ってきますよね 慈覚と同じ
否、下手したら弘法とよく似た『まぎらわしい教え』を50年以上も指導してしまった。
・・・と言う事にもなるんじゃないででしょうか?
参考までに 過去 戸田城聖氏著の人間革命下巻と
その一念の章を引用し 信濃町にある地勇会館で悟ったなどとブログに書いて
問題になった茨城県在住で壮年部のブロック長さんがいて
後にオイラや富士宮ボーイ等が批判し 結局は 記事をひっこめましたが
それでも 本人は悟った・・と思い込んでいるようで
この事を鑑みれば 今や悟ったから『永遠の指導者』だとか血脈云々と言うのは
こいつらによって汚され そして信用が無くなっているので
そういった意味でもうさん臭いものになってしまうのですが
その意味でも池田氏が血脈を受けた正当性を証明していただけませんか?
因みに批判を受けただけでは証明にはなりません 菊川さんも身内から迫害を受けていますからね〜
また 戸田城聖氏から血脈を受けた話も コミット性も含めて嘘だった事が証明されていますよね。
http://megalodon.jp/2010-0505-1242-02/sokanomori.exblog.jp/14311317/
19 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/21(月) 13:47:26.49 ID:BUeP+dmG
20 :
eco ◆Smw69BiSBo :2013/01/21(月) 14:00:37.23 ID:zL5xrmkY
>>19 ほぉ〜〜「河辺メモ」ねぇ〜
では そのメモをどうやって 創価学会側が入手したのでしょうか
本人が裏切らない限り 普通は入手が出来るような代物じゃないですよね
因みに河辺住職は最後まで日蓮正宗に属していましたよね
・・・にも関わらず なんで創価学会が そのメモを持っているの?
その事自体 おかしい・・と思いませんか?
・・・と言う事は 考えられるのは
盗んだか ねつ造したかの二つしかないんだけれど
改めて もう一度伺います 河辺メモは
・盗んで入手したもの?
・ねつ造したもの?
さぁ〜どっち!!
21 :
eco ◆Smw69BiSBo :2013/01/21(月) 14:08:12.30 ID:zL5xrmkY
>>19 論点をそらしてごまかすなよ 今は正宗の話をしているんじゃないんだよ
創価の人間の中にも 戒壇の大御本尊を否定している香具師がいるだろ
そっちの方が問題だろ またどさくさ紛れに 自分たちの不手際まで
正宗に責任をなすりつけている事も問題だろ
・・・で 何時正宗側が 戒壇の大御本尊を誹謗し否定したんですか?
22 :
eco ◆Smw69BiSBo :2013/01/21(月) 14:18:59.81 ID:zL5xrmkY
あと
>>17-18の質問にも答えてね
もっとも あなたが大石寺に奉られている 弘安2年10月12日に顕された本尊を
一閻浮大総与の大御本尊とするならば 回答する必要もないけれど
それでも 宮田氏を始めとする 否定する論者が創価の組織内にいる
問題については あなたも スル―するつもりなのでしょうか?
あと安土宗論をみてもお判りのように 過去 日蓮系でも 罰と法難をすり替えて宣伝していた事実があるわけですから
その事を考えれば 今や迫害も 御文に存在している以上
後付けバイアスによって 如何様にも転がせるので 証明にはならず
寧ろ ブーメラン効果にはもってこいの道具で そういった意味でも正邪の判定が難しい事は
創価の人間も池田先生も気づいていないようですね
そうやって日蓮直結の証明をいたしますか?
23 :
eco ◆Smw69BiSBo :2013/01/21(月) 14:20:39.89 ID:zL5xrmkY
そうやって⇒×
どうやって創価学会が日蓮直結の証明をいたしますか? ⇒○
24 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/21(月) 14:49:08.93 ID:BUeP+dmG
>>4 素朴な疑問を端的に質問させてもらうけど、君にとって「師弟不二」って何?
25 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/21(月) 15:15:24.84 ID:sG2NGJKl
犬作師匠に呼吸を合わせて宗門を誹謗中傷しながら自分に都合の悪いことは知らず存ぜぬで通すこと
26 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/21(月) 15:22:35.67 ID:BUeP+dmG
>>25 レスする相手を間違えてない?
戒壇本尊は偽作であり、学会は戒壇本尊の教義上の意義を消したと散々言いふらしているのは、
>>4だよ。
27 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/21(月) 15:50:51.33 ID:sG2NGJKl
28 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/21(月) 16:16:08.87 ID:BUeP+dmG
個人の正統後継指導者が現れない可能性の高い創価学会は、将来的に創価大学出身者が集団で
教学上の牽引をすることになるだろう。その意味で創価大教授である宮田氏の論説は興味深い。
30 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/21(月) 17:21:03.46 ID:BUeP+dmG
>>29 そんなの関係ない。学説で教義が決まるわけではない。
31 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/21(月) 17:26:20.66 ID:mcdw/3WM
創価三宝
仏法 永遠の指導者・池田名誉会長
法宝 宇宙のリズム
僧宝 学会員
32 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/21(月) 18:02:31.01 ID:MjP6vDBL
33 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/21(月) 18:04:34.75 ID:MjP6vDBL
どこの何者か不明な
>>30の説よりも宮田氏の説の方が圧倒的に影響力がある
34 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/21(月) 18:04:56.30 ID:Yy69pXVT
@4YoGun これは創価学会かPL教団のルールだと思われる。「何かを俺に教えたら何かをもらえる」「何か発見をしたら、何かをもらえる」「俺に何かで勝てば何かをもらえる」という、そこの集団の独自ルール。
俺はそれに同意をしていないので、俺のモノをそれで貰っていくと強制回収の対象となる
35 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/21(月) 18:51:13.23 ID:kvna50CQ
>>31 まさに、そーゆーことだろうね。
てか、オウム並だな創価って。
36 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/21(月) 18:58:20.83 ID:MjP6vDBL
37 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/21(月) 19:16:23.29 ID:2ylvvYqA
新創価三宝
財務、F取り、ニセ本尊(笑)
38 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/21(月) 20:15:23.45 ID:BUeP+dmG
>>33 影響力で人を判断するから間違える。
地位があるとか、有名だとか、財力があるとか…。
そんなところに仏法の師弟があるのではない。正義があるのではない。
39 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/21(月) 20:46:38.20 ID:z1q2y2dL
>>38 それを言うと犬作先生の立つ瀬がないのだが
40 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/21(月) 21:40:00.07 ID:BUeP+dmG
>>39 「別して大石寺は金口の相承と申す事候て、是の相承を受くる人は学不学によらず、生身の釈迦日蓮と信ずる信の一途を以つて、末代の衆生に仏種を植えしむる事にて御座候」
大石寺の金口相承を受けた貫主は、学問の有無にかかわらず「生身の釈迦日蓮」だってさw
これが本当にであれば、仏道修行なんて要らないわな。
というより、今時、こんな話をされて、どこの莫迦が信じるのかってwww
41 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/21(月) 22:32:33.47 ID:Sibd6exj
>>11 >戒壇本尊の教義上の意味を無いものとし
「本門の戒壇」は教義上の意味が現在でもありますよ。「大石寺の板本尊」に教義上の意味が無いだけです。
会則変更後の創価学会には「大石寺の板本尊」に教義上の意味があると明記されている文書が無いのが事実ですよ。
無駄に「私見」を羅列し、話を拡散せず、「大石寺の板本尊」に教義上の意味があると言うならば、
2002年以降に発表されている創価学会の文書を出せば済む話ですよ。
日顕宗の信者は読んだことのないであろう、創価学会の「教学の基礎」の”まえがき”には
『本書は腐敗した日蓮正宗宗門の権威主義を打ち破り、民衆仏法の一段と力強い展開を示してのち、初めてまとめられる教学の手引書である』
と、あります。
大石寺の伝説しか根拠の無い「大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊」は日顕宗が権威の象徴として利用しているのですから、
現在の創価学会は「大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊」を否定しても、本来はなんの問題も無いことです。
しかし、大石寺所蔵の曼荼羅を創価学会が鑑定などは出来ませんから、否定や肯定のどちらをするにしても、確たる証拠が無い現状があるだけです。
>日顕宗が学会を邪教認定するのに
大石寺の伝説しか根拠の無い「大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊」を信受しなければならないのは、今は日顕宗だけですよ。
法主がニセモノの日顕宗がどのような言い掛かりで「邪教認定」したところで、創価学会に勝てませんよ。
43 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/21(月) 22:47:02.64 ID:kvna50CQ
>>37 ぉお〜
仏宝…池田大作
法宝…池田大作
僧宝…池田に洗脳された学会員。
じゃね?
44 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/21(月) 22:52:40.75 ID:kvna50CQ
>>41 お前な、別スレ立てて一人で遊んでろや!
ここわな、創価カラコピニセ本尊を笑うスレじゃ!
お前のような洗脳患者が来るところではないわ!
タコ!
>>37 実質は、
仏宝…池田大作
法宝…キンマンコ、ナンマンコ
僧宝…儀典部など僧侶もどきの学会員
46 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/21(月) 23:26:24.25 ID:Sibd6exj
>>44 >ここわな、創価カラコピニセ本尊を笑うスレじゃ!
とか言ってる奴が「三宝」の話してるぜ。
ダメ自治厨乙。
47 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/21(月) 23:45:18.35 ID:xAaYI7p3
>>46 自治厨なんて、スレの削除依頼ができて一人前だと思う。
話は全然変わるんだけど
本尊に湿気でシミが出てるんだけど、あれを抜く方法ないかな
一旦水に濡らしてティッシュに汚れを吸わせてからアイロン掛けるとか
漂白剤を吸わせたティッシュでトントンするとか
誰かいい方法しらない?
49 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/22(火) 02:33:45.85 ID:8QqUBUjN
>>48 文字では状況がわからんので、シミが出ている本尊を動画撮影してくれんか
50 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/22(火) 03:38:23.68 ID:nVvi8Ad1
>>48 創価の本尊なら、消しゴムで擦ってシミ消せば良し。
51 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/22(火) 07:58:09.02 ID:EQr79WQY
>>41 > 会則変更後の創価学会には「大石寺の板本尊」に教義上の意味があると明記されている文書が無いのが事実ですよ。
それをもって、
> 「大石寺の板本尊」に教義上の意味が無い
と勝手に結論しているのが君。
学会がそんな見解を発表した事実は無い。逆に、大石寺の板本尊を「信仰の根本」と述べたものなら、いくらでも存在する。
> 無駄に「私見」を羅列し、話を拡散せず、
君自身が、「私の意見」とかいって、“無駄に「私見」を羅列している”のだ。学会の公式見解とは無関係な偽作説を引っ張り出してきて、“話を拡散”してきたのも君だし。
> 2002年以降に発表されている創価学会の文書を出せば済む話ですよ。
ほんの一例に過ぎませんが、これまで何度と引用してきた『暗黒の富士宗門史』(第三文明社)には、池田先生が、大石寺の板本尊が信心の根本であると述べられた指導が記されています。
そしてこの本は、現在でも販売されています。
ttp://honto.jp/netstore/pd-book_01475626.html その池田先生の指導が「無効」ということであれば、絶版しなければいけません。逆に、絶版していないということは、その指導は「有効」であることを意味します。
余談になりますが、君が以前引用した『仏教哲学大辞典』は絶版になったらしいですよ。実際に調べてみても、古本でなければ今は手に入らないようですし。
さらに、『教学の基礎』も、会則改定前の発売であります。
人には、「2002年以降に発表されている創価学会の文書」を要求しながら、自分では「2002年以前に発売になった書籍」をもって持論を正当化しようとするから笑われる。
52 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/22(火) 08:07:33.47 ID:EQr79WQY
>>41 > 創価学会の「教学の基礎」の”まえがき”には
>『本書は腐敗した日蓮正宗宗門の権威主義を打ち破り、民衆仏法の一段と力強い展開を示してのち、初めてまとめられる教学の手引書である』
> と、あります。
君は読んだことのないであろう、『民衆勝利の凱歌 創価の宗教改革 創価学会青年部編』(第三文明社)の「はじめに」は、
「【日蓮大聖人の御書を根本】に、「なぜ日顕宗を破折するのか」を明示し、「極悪日顕の7つの大罪」を糾弾。さらには「法主絶対論」「僧俗差別」などの邪義の数々、大聖人とは無縁の「葬式仏教」へと転落した腐敗堕落の実態を破折したのである」
と書かれている。
その「極悪日顕の7つの大罪」の中の一つに、「三大秘法破壊の大罪 --- 大御本尊を偽物呼ばわり」がある。
「まえがき」にあるとおり、この本は、【日蓮大聖人の御書を根本】に日顕宗を破折した本である。
以前、君が言った
> 日顕宗破折は日蓮正宗の教義の上からの破折ですよ。
http://anago.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1334415946/752 という意見は、まったく的外れなものということです。
> 大石寺の伝説しか根拠の無い「大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊」は日顕宗が権威の象徴として利用しているのですから、
> 現在の創価学会は「大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊」を否定しても、本来はなんの問題も無いことです。
そんな「私見」など読まされるだけ時間の無駄。君の幼稚な自己愛を満たす行為に、わざわざお付き合いするほど、私はお人よしではないよ。
で、いつ、何によって、学会は「大石寺の板本尊の教義上の意義を無いものとします」と述べたのですか。
それを出せば済む話ではありませんか。実に簡単なことです。
私はしっかり「大石寺の板本尊=戒壇の大御本尊=信心の根本」というソースを出しましたからね。次は君の番です。
53 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/22(火) 10:11:09.29 ID:0g5/NLoU
>>41 > 大石寺の伝説しか根拠の無い「大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊」を信受しなければならないのは、今は日顕宗だけですよ。
弘安2年10月12日に、日蓮大聖人が出世の本懐として、一閻浮提総与の大御本尊を建立されたという話自体、伝説と言えば伝説だ。
大聖人が、そういう御本尊を建立したという、学術的に通用する証拠は存在しない。
大石寺の板本尊が弘安2年の大御本尊であるというのは、伝説であり、信受する必要がないというのであれば、弘安2年10月12日の一閻浮提総与の大御本尊についても、伝説であるから信受する必要は無い、とならなければ、言ってることに辻褄が合わなくなってしまう。
善し悪しの議論はあるだろうけど、伝説も含まれているというのが、日顕宗だけでなく学会教学においても現実なんだよ。
54 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/22(火) 12:15:52.37 ID:0g5/NLoU
>>41 > 会則変更後の創価学会には「大石寺の板本尊」に教義上の意味があると明記されている文書が無いのが事実ですよ。
「大石寺」に関する記述がないことを、「大石寺の板本尊」に関する記述がないと、飛躍した思い込みをしている。
学会では、「一閻浮提総与の大御本尊」や「戒壇の大御本尊」「弘安2年の大御本尊」等といった言葉を、「大石寺の板本尊」以外の意味で用いたことは一度も無い。
こんなことを書くと、「前例主義」などと言い出すだろうが、言葉には定まった意味がある以上、前例を重視するのは当然であり、
逆に、前例を無視して勝手に定義をするなどしたら、文章全体の意味を自己都合に合わせて何とでも変えることができ、絶対に行ってはいけないのである。
55 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/22(火) 12:16:59.40 ID:SKTn9Po3
>>51-53 >ほんの一例に過ぎませんが、これまで何度と引用してきた『暗黒の富士宗門史』
何度も指摘していますが、それの何処に「大石寺の板本尊の教義上の意味を説明している」箇所があるのですか?
具体的な記述も無いのに「これまで何度と引用してきた」などと言っても通用しません。
あなたの「私見」ですよ。
あなたの「私見」は「創価学会の公式見解」にはなりませんよ。
>弘安2年10月12日の一閻浮提総与の大御本尊についても、伝説である
その通りですよ。今後、「弘安2年10月12日」は伝説として否定される可能性があります。
会則改定後の教義から「弘安2年10月12日」が削除された理由でしょう。
56 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/22(火) 13:08:53.39 ID:0g5/NLoU
>>55 > 何度も指摘していますが、それの何処に「大石寺の板本尊の教義上の意味を説明している」箇所があるのですか?
莫迦な質問をするのも、いい加減にしなさい!
この『暗黒の富士宗門史』を最初に引用された方が、しっかり分かるように書いてくれていたではありませんか。
>「・・・一閻浮提総与の大御本尊が、信仰の根本であることは、少しも変わりがない。
> しかし、大御本尊に目通りするために日顕に供養することは、日顕の謗法を容認することになる。
> ・・中略・・
> 謗法に与同して、大御本尊に目通りしても『仏敵と戦わず、かえって供養するとは何事か』と、大聖人から厳しく叱責されることであろう。・・・」
http://www.logsoku.com/r/koumei/1355635743/586 これを読んでも、まだ大石寺の板本尊が根本であると理解できなければ、小学校から勉強し直しなさい。
> その通りですよ。今後、「弘安2年10月12日」は伝説として否定される可能性があります。
人の話は「私見」と切り捨てておきながら、自分の「私見」は堂々と書く、この客観性の無い言動は何とかならないものか。
> 会則改定後の教義から「弘安2年10月12日」が削除された理由でしょう。
それこそ「私見」の代表でしょう。
ちなみに、その会則改定前に発表された『創価学会会則の改正について』には、
> 弘安2年10月12日に大御本尊を図顕された大聖人の心に呼応する信心こそ「大御本尊を信受する」という意味で、(以下略)
と、「弘安2年10月12日に大御本尊」と、しっかり出てきています。
で、いつ、何によって、学会は「大石寺の板本尊の教義上の意義を無いものとします」と述べたのですか。
「私見」を排してお願いしますよ。くれぐれも。
57 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/22(火) 13:30:00.28 ID:0g5/NLoU
>>55 それと、もう一つ質問。
創価学会は一貫して、「大石寺の板本尊=戒壇の大御本尊」として、その戒壇の大御本尊を「信仰の根本」であると表明し続けてきたわけです。
しかし君に言わせると、『仏教哲学大辞典』やら『教学の基礎』、さらには新しい『会則』等をもって、学会は大石寺の板本尊の教学上の意味を削除してきたと。
ところが、それが事実だとすれば、大きな疑問にぶち当たります。
信仰の根本を変えるような教団が創価学会だとしたら、学会の言っていることは本当に正しいのだろうか?
さらには、信仰の根本を変えるのに、正式な発表や説明もなしに、教学関連の著書から、それまでの根本を意味する文言を消すだけで「OK」だと、本気で創価学会は考えているのだろうか?
(※であるとすれば、その本を読まない人は、信仰の根本が変わったことすら知らないことになる)
などなど…。
君はそう思いませんか?
「信仰の根本」を変えるのに、何の説明もしないで変えるのですよ。
自分で大御本尊に関する教学関連の書籍を読んだり、会則をチェックしなければ、信仰の根本が変わったのも分からないのですよ(※人によっては、読んでも変わったのが分からないでしょう)。
学会が、そんないい加減極まる行為をしたと、本気で思うのですか?
58 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/22(火) 15:21:30.80 ID:SKTn9Po3
>>56-57 雑多な質問をして論点を摩り替えるのはやめなさい。
そして、「私見」を振り回す前に明確に大石寺の板本尊の教義上の意味を説明している箇所を出しなさい。
現在の創価学会の教学関係書籍の説明では、「一閻浮提総与の大御本尊」「本門戒壇の大御本尊」とは大聖人御図顕の曼荼羅と説明されています。
「大石寺の板本尊」に限定した説明は何処にもありません。
むしろ、「大石寺の板本尊」自体の説明が現在の創価学会の教学関係書籍に存在していないのが事実ですよ。
>信仰の根本を変えるような教団が創価学会だとしたら、学会の言っていることは本当に正しいのだろうか?
日顕宗信者の本音が出てきましたね。
日顕宗信者にとっては「大石寺の板本尊=弘安2年の大本尊の現物」でなければ成り立たない教義を信受しなければ教義が崩壊しますが、
創価学会にとっては、昔も今も信仰の根本は「大聖人御図顕の曼荼羅」ですから「大石寺の板本尊=弘安2年の大本尊の現物」が成り立たなくても何も問題は無いことであり、
「信仰の根本を変えた」ともなりません。
「大石寺の板本尊=弘安2年の大本尊の現物」を死守しなければならない日顕宗信者特有の疑問を
学会員を偽って質問しても通用しませんよ。
59 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/22(火) 16:17:01.31 ID:0g5/NLoU
>>58 > 雑多な質問をして論点を摩り替えるのはやめなさい。
「雑多な質問」と言うけど、2レスで2つしか質問していない。他は返答と反論。
> 「私見」を振り回す前に明確に大石寺の板本尊の教義上の意味を説明している箇所を出しなさい。
何度も出したよ。さっきも出した →
>>56 やはり小学校から国語の勉強をし直したほうがいいね。
>>56を読んで、それは大石寺の板本尊ではないと言ったり、未だに販売されている本に掲載されている指導を「無効」認定することはできないよ。
> 創価学会にとっては、昔も今も信仰の根本は「大聖人御図顕の曼荼羅」ですから「大石寺の板本尊=弘安2年の大本尊の現物」が成り立たなくても何も問題は無いことであり、
>「信仰の根本を変えた」ともなりません。
ワロタw
それこそ「私見」の中の「私見」。完全な間違い。
どこの誰が、『「大石寺の板本尊=弘安2年の大本尊の現物」が成り立たなくても何も問題は無い』なんて言ったんだよw
持論が通用しなくて、頭が爆発してしまったのか?www
ということで、ここから少し真面目に書くが、「大石寺の板本尊=弘安2年の大本尊の現物」が成立しないとなれば、学会にも深刻な問題が生じる。
それは、学会授与本尊に関する正当性の論拠が崩壊するということ。
これも何度も指摘されてきたよね。
その度に君は、誰も唱えたことのない実にユニークな己義を持ち出して、必死に正当化してきたけどねw
また同じことをやるか? やるよね? だってそれしか方法ないもんw
60 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/22(火) 16:59:19.71 ID:SKTn9Po3
>>59 >何度も出したよ。さっきも出した →
>>56 具体的な記述を出さずに「何度も出した」などと言っても通用しませんよ。
会則改定後の文書で大石寺の板本尊の教義上の意味を説明している箇所を出しなさい。
あなたが雑多な質問や憶測を羅列していることが、会則改定後の文書に大石寺の板本尊の教義上の意味を説明している箇所が存在していない証拠ですよ。
61 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/22(火) 17:15:50.16 ID:0g5/NLoU
>>60 > 具体的な記述を出さずに「何度も出した」などと言っても通用しませんよ。
何度も具体的な記述を出しました。
そして「普通の人」なら一回で理解します。
十回出しても、何事もなかったかのように、「具体的な記述を出しなさい」と変な要求をしてくるのは、創価学会広しといえども、君くらいでしょう。
> 会則改定後の文書で大石寺の板本尊の教義上の意味を説明している箇所を出しなさい。
会則改定後でも、その指導は生きているのです。撤回するのであれば、誤解を生じさせないように、その本は絶版にしなければいけません。しかし未だに書店で販売されています。
しかも、会則改定の前も後も関係ありません。教義が変わっていないのですから。
君は、会則改定で教義の内容も変わってしまったと勘違いしているのではありませんか?
ということで、新ネタ(己義)は、まだ思いつきませんか?
「創価学会は、大石寺に安置されている戒壇の大御本尊を根本として信じることをやめました」という具体的な指導が出せなければ、せめて新ネタをお披露目して、ギャラリーの人たちを笑わせてあげなさいよ。
62 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/22(火) 19:12:50.15 ID:EQr79WQY
>>60 君には「師弟」の精神が欠片も感じられないな。
日顕宗の奴等ですら、日顕や日如のことは絶対的に擁護する。教学に疎くて、学会員に散々やり込められても擁護する。
学会では、事あるごとに「仏法は師弟だ」「師弟不二だ」と教えているのに、簡単に師匠の言葉を否定する君の態度は、あまりにも不自然に映る。
「一閻浮提総与の大御本尊」とは大石寺の戒壇の大御本尊かどうかという問題以前に、“師の心以外の何か”に、自分の心を合わせているのではないか。
御聖訓に、「相構へ相構へて心の師とはなるとも心を師とすべからずと仏は記し給ひしなり」(義浄房御書 892ページ)とあるが、君は未熟な自分の「心を師」としているのではないか。
そんな気がしてならない。
片意地ばかり張っていないで、一度、信心の原点に戻るべきだ。
教学という側面からいえば、御書と三代会長の指導が根本の指針になる。
『教学の基礎』などといった本は、御書や会長指導を理解する為の助けとすべきものである。
会則に書かれている「教義」も、御書や会長指導を根本に定義したものであって、会則の「教義」があって会長指導があるのではない(※会則を決めている人たちも、池田先生の弟子であるのだから当然だ)。
それなのに、こともあろうか、『教学の基礎』などといったものを持ち出して、会長指導を切り捨てる……本末転倒も甚だしい。
根本の一念を、師ではなく、未熟な自分の気分に置くから道を踏み外すのだ。
人の忠告に耳を傾ける少しの素直さも持ち合わせていないのであれば、そのままの勝手な自分で生きていきなさい。
そうすれば、将来必ず、手痛いシッペ返しを食らうことになる。
その時になって後悔しても、誰が悪いのでもない。君自身が悪いのだ。
あくまで持論を押し通すというのであれば、その覚悟を持って、師敵対の言葉を吐くことだ。
64 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/22(火) 21:06:51.72 ID:0g5/NLoU
>>63 >「暗黒の富士宗門史」絶版(笑
絶版ではなく品切重版未定。両者の違いくらい知っとけよ。
65 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/22(火) 21:24:16.75 ID:SKTn9Po3
>>61-62 >何度も具体的な記述を出しました。
出ていませんよ。
あなたの出したものの何処に「大石寺安置の曼荼羅」等の表記があるのですか?
この話題は、会則改定後に学会が公式に発表していると言える機関紙や教学関係書籍等で
「大石寺に安置されている戒壇の大御本尊を信心の根本とする」等の記述をあなたが出せば
あなたの勝ちで終わることですが、あなたは常に、具体的な記述を出さず、
「私見」を追加しているだけですよ。
>『教学の基礎』などといった本は、御書や会長指導を理解する為の助けとすべきものである。
当然ですよ。
現在の会長指導にも「大石寺の板本尊」に関するコメントが無いのが事実ですよ。
66 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/22(火) 21:40:44.57 ID:nVvi8Ad1
自演問答まだやってんだ?
馬鹿もここまで来れば本物だわな。
嘘を信じ込まされて悪業を積む学会員が哀れだねぇ〜
67 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/22(火) 21:41:00.98 ID:SKTn9Po3
>>62 >その時になって後悔しても、誰が悪いのでもない。君自身が悪いのだ。
学会員と偽って、感情的なコメントを羅列し、最後に脅し文句を使うのは止めなさい。迷惑ですよ。
68 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/22(火) 22:20:13.34 ID:s57qEbWV
69 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/22(火) 22:36:43.74 ID:KnnbG49i
>>66 > 嘘を信じ込まされて
大石寺の戒壇大本尊が嘘だってことか?
70 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/22(火) 22:55:19.09 ID:0g5/NLoU
>>65 > あなたの出したものの何処に「大石寺安置の曼荼羅」等の表記があるのですか?
(ノ_-;)ハア…
> 大御本尊に目通りするために日顕に供養することは…
目通りする際に供養しなければいけない大御本尊って何さ?
ここまで説明されなければ本当に分からないのか?
> この話題は、会則改定後に学会が公式に発表していると言える機関紙や教学関係書籍等で
>「大石寺に安置されている戒壇の大御本尊を信心の根本とする」等の記述をあなたが出せば
会則にこだわる必要なんてどこにもない。教義の中身が変わったわけじゃないし、ろくな説明もなしに教義を変える教団なら、こちらから願い下げさ。
「何が何でも会則改定後に…」に拘るのであれば、
>>52で引用した『民衆勝利の凱歌 創価の宗教改革 創価学会青年部編』(第三文明社)なんかがそれに該当する。
これは2011年7月3日に発売されている。
> あなたは常に、具体的な記述を出さず、
>「私見」を追加しているだけですよ。
具体的な記述は出した。君が病的な程、日本語の扱いに不自由しているだけ。
しかも君こそ、『大石寺の板本尊の教義上の意義を無いものとします』というソースを出せないでいる。
出せないから、こちらが出したソースを、意味不明な己義を創作してまで否定しようとする。
> 現在の会長指導にも「大石寺の板本尊」に関するコメントが無いのが事実ですよ。
原田会長が、何が悲しくて戒壇の大御本尊について説明しなければいけないんだよw
三大秘法の解説なら、教学試験等の担当者が説明すればそれでいい。
71 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/22(火) 23:02:26.00 ID:0g5/NLoU
>>65 > >『教学の基礎』などといった本は、御書や会長指導を理解する為の助けとすべきものである。
>
> 当然ですよ。
その当然のことが分かっていない。
『教学の基礎』で、師匠の指導を否定するとは何事か!
>>67 > 学会員と偽って、感情的なコメントを羅列し、最後に脅し文句を使うのは止めなさい。迷惑ですよ。
因果応報の説明だよ。脅しなんて人聞きが悪い。
それはそうと、やはり「師弟」の話になると口が重くなるな。
何かあるのか? どうも信じられないとか?
72 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/22(火) 23:21:57.58 ID:nVvi8Ad1
>>69 お前、馬鹿じゃねぇの!
戸田会長からドヤされっぞ!
73 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/22(火) 23:27:15.09 ID:SKTn9Po3
>>70-71 >会則にこだわる必要なんてどこにもない。
会員では無いあなたが拘らないだけです。
>>52に関しては「日顕宗破折は日蓮正宗の教義の上からの破折です」とちゃんと回答していますよ。
現在の創価学会は日蓮正宗ではありません。
>何かあるのか? どうも信じられないとか?
あなたが学会員だなんて微塵も信じていませんよ。
「本門の戒壇」について『「事」と「理」の立て分け』などと現在の学会員とは考えにくいコメントをしたのはあなたでは無いのですか?
また、あなたは「私見」の正当化のために「師匠」を利用しているだけです。
現在の学会員はこういった私的な議論で「師匠」を利用して「私見」の正当化を図ったりはしませんよ。
事実に基づいて議論を進めるだけです。
私的な議論において「師匠」を利用するなどは、あなたが本物の弟子では無い証拠です。
で、あなたの出したものの何処に創価学会として「大石寺安置の曼荼羅に関して教義上の説明」をしているものがあるのですか?
日蓮正宗の教義で「大石寺の板本尊=弘安2年の大本尊」としているのをいくら出しても無意味ですよ
74 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/23(水) 00:07:04.58 ID:HWkPPJFx
>>73 >
>>52に関しては「日顕宗破折は日蓮正宗の教義の上からの破折です」とちゃんと回答していますよ。
読んだこともない本について、勝手な想像から、勝手なことを書いて、何が「とちゃんと回答していますよ」か!
「三大秘法破壊の大罪 --- 大御本尊を偽物呼ばわり」が書かれている章の冒頭には、次のように書かれている。
『日蓮大聖人の教義に違背する邪義を吹聴し、謗法、遊蕩の限りを尽くしてきた阿部日顕。
仏教史上、類例のない日顕の悪業の数々を「7つの大罪」として集約した。』
どこをどう読んでも、【大聖人の仏法の上からの破折】ではないか。どこが【日蓮正宗の教義の上からの破折】か。
> あなたが学会員だなんて微塵も信じていませんよ。
どうして、「自分は池田先生を師として、師弟不二の精神で仏道修行に励んでいます」と書けないのですか?
書いたら何か困ることでもあるのですか? そのように書いたら嘘つきになるのですか?
> 「本門の戒壇」について『「事」と「理」の立て分け』などと現在の学会員とは考えにくいコメントをしたのはあなたでは無いのですか?
日顕宗を破折しようと思ったら、その程度のことは、常識レベルで知っていなければ、笑われてオシマイですよ。
> 現在の学会員はこういった私的な議論で「師匠」を利用して「私見」の正当化を図ったりはしませんよ。
は?
学会員同士の話で、池田先生の話を用いないなんて、まずありませんよ。
もしかして君は、座談会にも出席しないレベルの会員なのかな?
> で、あなたの出したものの何処に創価学会として「大石寺安置の曼荼羅に関して教義上の説明」をしているものがあるのですか?
逆にお聞きしますが、
>>56で引用した池田先生の指導のどこをどう読んだら、大石寺の戒壇の大御本尊ではないと読めるのですか?
「これは戒壇の大御本尊のことではない」と思えない根拠を教えてください。
私には、それが不思議でなりません。
75 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/23(水) 00:49:23.39 ID:YJZ03Uko
師の指導
「君自身が『仏法』であり、君自身が『御本尊』なんです」
2012年06月02日新・人間革命 人材城46
------------------------------
板曼荼羅どころからもはや文字曼荼羅ですらない本尊観である
76 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/23(水) 00:53:50.82 ID:mVHNxMK+
>>74 >どこが【日蓮正宗の教義の上からの破折】か。
御書からは弘安2年の大御本尊が現代において何処にあるのかまでは分からないことです。
このため「大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊の現物」は明らかに日蓮正宗大石寺の教義ですよ。
>書いたら何か困ることでもあるのですか? そのように書いたら嘘つきになるのですか?
いいえ、私的な議論で「師匠」を利用しないだけです。
>日顕宗を破折しようと思ったら、その程度のことは、常識レベルで知っていなければ、笑われてオシマイですよ。
いいえ、通常、学会員であれば「本門の戒壇」について『「事」と「義」の立て分け』と言います。
日顕宗相手であっても「理の戒壇」は「迹門理の戒壇」との混同を避けるため通常は説明も無く使いません。
六大秘法は『教学の基礎』にもちゃんと記述があり、教学の「基礎」ですよ。
>もしかして君は、座談会にも出席しないレベルの会員なのかな?
座談会や諸会合は私的な議論の場ではありません。
「師匠を宣揚すること」と「師匠を利用すること」の違いを知らないなんて、やはりあなたは学会員では無いですね。
>大石寺の戒壇の大御本尊ではないと読めるのですか?
日顕宗の信者が会則改訂以前の指導をいくら持ち出しても無駄ですよ。
「戒壇の大御本尊」は現在の教学関係書籍が示すとおり「本門の本尊」です。そして、「本門の本尊」安置の場が「本門の戒壇」です。
あなたは現在の創価学会の公式見解と言えるものをまったく出さず、学会員と偽り、雑多な質問を繰り返していますが、
現在の創価学会における「大石寺の板本尊」に関する教義上の説明が出せなのなら、「ありませんでした」と言えば済む話ですよ。
77 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/23(水) 06:23:30.16 ID:bbMXxald
@4YoGun とりあえず、 #マグマ大使 は主人公の黄金のロボットはインチキの偽者で、まさしくロボット兵士の下っ端。本当の黄金のマグマ大使はゴアである事が判明した。
78 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/23(水) 06:41:13.50 ID:bbMXxald
一応書いておくけど、ツタンカーメン・ファラオの頭のコブラ蛇は、ファラオの髪がクセ毛でカールしているという意味。
仏陀(ブッダ)に関して「雨が降ったら、コブラが出てきて頭を隠して雨宿り」も髪質がカールしているクセ毛という意味。キリスト、ゼウスも当然同じ。
79 :
池田大作:2013/01/23(水) 06:46:41.11 ID:5QU4lu6n
全世界創価学会員よ!
田浦本部横須賀桜山支部の偉大なる男子部
高橋裕之氏が1月31日の宝くじ
及びグリーンジャンボ宝くじで1等・前後賞が当たるように
金を持っている大島優子似の女子部と結婚成就と障害者年金1級受給と健康とご長寿と貯金残高20億円と刑事権力から護り抜く
祈りを毎日30分しっかりと高橋裕之氏に題目を送って行こうではありませんか!横須賀総県創価学会員は喜んで祈るに祈っていこうではありませんか!
また女子部は何が起きても疑うことなく高橋裕之氏について行きなさい
いいね!
創価学会名誉会長
池田大作
80 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/23(水) 09:35:25.67 ID:HWkPPJFx
>>76 > 御書からは弘安2年の大御本尊が現代において何処にあるのかまでは分からないことです。
同書の「三大秘法破壊の大罪」の冒頭には、
> 阿部日顕が犯した謗法の中でも重大なのが、“大御本尊偽物発言”だ。
> 日顕は、法主になる前年の教学部長時代、「本門の本尊」である戒壇の大御本尊を「偽物」と断定。
と書かれています。
今更こんな説明をするのもバカバカしい限りですが、『謗法』とは、「誹謗正法」すなわち正法を誹謗することをいいます。
「誹謗正法」ですから、この場合の「正法」とは「本門の本尊=戒壇の大御本尊」であり、「誹謗」とは「偽物と断定した」ことを指します。
創価学会においても、「本門の本尊=戒壇の大御本尊」であり、日顕がその戒壇の大御本尊を「偽物」と断定した証拠が発見されたから、『謗法』すなわち「誹謗正法」だと破折しているのです。
ここからも、創価学会では大石寺の板本尊を戒壇の大御本尊と認識していることが明らかです。
【日蓮正宗の教義の上からの破折】など、愚かな理屈をでっち上げて持論を正当化しようとしても、言葉の定義と道理の上から、君自身が既に「破折」されています。
> いいえ、私的な議論で「師匠」を利用しないだけです。
自分の信仰上の師は誰かを述べることが、なぜ師の利用になるのか。また訳の分からんことを。
私がなぜこういう質問をしたのかというと、君が池田先生を師と定めていないのであれば、今後、池田先生の指導は出さないようにしようと思ったからです。
日顕宗の人間に、池田先生の指導を聞かせても耳を貸さないと同様に、学会員でも池田先生を師と定めていない人は、先生の指導など出されても、「それがどうした」くらいにしか思わないだろう。
> 日顕宗相手であっても「理の戒壇」は「迹門理の戒壇」との混同を避けるため通常は説明も無く使いません。
大御本尊に関する議論をしておきながら、“「迹門理の戒壇」との混同”したなら、単なる莫迦だろ。
81 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/23(水) 09:44:48.76 ID:HWkPPJFx
>>76 > 座談会や諸会合は私的な議論の場ではありません。
そういう場だからこそ、池田先生の指導を確認して、皆の信心を深めるのだよ。
創価学会は、池田先生との師弟を根本として異体同心の信心を実践しているのだから当然の話だ。
> 日顕宗の信者が会則改訂以前の指導をいくら持ち出しても無駄ですよ。
>「戒壇の大御本尊」は現在の教学関係書籍が示すとおり「本門の本尊」です。そして、「本門の本尊」安置の場が「本門の戒壇」です。
池田先生の話を毛嫌いする君の為に、
>>80で別の論拠を出しておきました。
> 現在の創価学会における「大石寺の板本尊」に関する教義上の説明が出せなのなら、「ありませんでした」と言えば済む話ですよ。
「ありません」どころか「とっくに出しました」。
逆に、「創価学会は、大石寺に安置されている戒壇の大御本尊を根本として信じることをやめました」という具体的な記述を出せない君が、そろそろ「ありませんでした」という時が来ましたよ。
82 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/23(水) 09:50:48.30 ID:kOz1BV/D
舎利、いつまで自演やるん?
自己満足なんか?
83 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/23(水) 10:05:28.30 ID:d5YybDYO
舎利は畜山逮捕時にもこんな自演してたっけなwww
ここまで来れば完全に病気www
舎利がまともでないことは一目瞭然。医者逝ってこいwww
84 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/23(水) 11:47:02.11 ID:mVHNxMK+
>>80 >【日蓮正宗の教義の上からの破折】など、愚かな理屈をでっち上げて
いいえ、「大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊の現物」は明らかに日蓮正宗大石寺の教義なのですから、【日蓮正宗の教義の上からの破折】ですよ。
>「それがどうした」くらいにしか思わないだろう。
いいえ、学会員ならばその指導がどのような状況で行われたかちゃんと考えて師匠の言葉を受け取ります。
しかし、学会員では無い人は、状況(時や場所)を無視した「切り文」を利用します。
あなたは学会員では無いため、そう言った諸注意を知らず、会則改訂以前であること無視して「師匠」を利用しているだけです。
>大御本尊に関する議論をしておきながら、“「迹門理の戒壇」との混同”したなら、単なる莫迦だろ。
話を摩り替えても無駄ですよ。学会員ならば「理の戒壇」とは、通常は言いません。
>>81 >そういう場だからこそ
また話を摩り替えていますね。座談会や諸会合は私的な議論の場ではありません。あなたは私的な議論で「師匠」を利用しているだけです。
>「ありません」どころか「とっくに出しました」。
あなたは「大石寺の板本尊」に関する教義上の説明が明確に記述されている箇所を出していませんよ。
>>80のように「大石寺の教義」を説明している箇所を出しても無意味ですよ。
私は「創価学会は、大石寺に安置されている戒壇の大御本尊を根本として信じることをやめました」と言う記述が存在するなどと言ったことはありません。
「大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊の現物」が不明なのですから、創価学会は肯定も否定も公には発表していないと私が言っているのがまだ理解出来ませんか?
現在は、会則にある教義や教学関係書籍から「大石寺に安置されている」と言う記述が削除されているのが事実ですよ。
85 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/23(水) 12:13:24.49 ID:c3RLQneD
大石寺の板本尊のようで大石寺の板本尊ではない ベンベン
実在する本尊のようで実在する本尊ではない ベンベン
それは何かと尋ねたら〜 ア、弘安2年の本尊 弘安2年の本尊
ってかwwww
86 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/23(水) 13:02:27.01 ID:HWkPPJFx
>>84 > いいえ、「大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊の現物」は明らかに日蓮正宗大石寺の教義なのですから、【日蓮正宗の教義の上からの破折】ですよ。
同書の「三大秘法破壊の大罪 --- 大御本尊を偽物呼ばわり」には、次のように書かれている。
>「三大秘法」とは、仏法において、教義の根本、骨格となる法門である。(中略)
> なんと日顕は、教学部長時代に、「本門の本尊」である戒壇の大御本尊を勝手に筆跡鑑定にかけた挙げ句、“偽物”と断定したのだ。
【日蓮正宗の教義の上からの破折】であれば(なんじゃそりゃ?w)、『「三大秘法」とは、仏法において、教義の根本、骨格となる法門である』などと、わざわざ断りはしない。
【仏法において、教義の根本】を偽物呼ばわりしたらこそ、「三大秘法破壊の大罪」として糾弾できるのである。
> いいえ、学会員ならばその指導がどのような状況で行われたかちゃんと考えて師匠の言葉を受け取ります。
では、「その指導がどのような状況で行われたかちゃんと考えて」
>>56の池田先生の指導を解釈してみてください。
> 私は「創価学会は、大石寺に安置されている戒壇の大御本尊を根本として信じることをやめました」と言う記述が存在するなどと言ったことはありません。
旧会則には「日蓮正宗総本山大石寺に安置せられている弘安2年10月12日の本門戒壇の大御本尊を根本とする」とあります。
そして、現在の学会では、
> 「大石寺の板本尊」に教義上の意味が無い(
>>41)
と主張しているのですから、「創価学会は、大石寺に安置されている戒壇の大御本尊を根本として信じることをやめました」ということになる。
ですから、「大石寺に安置している大御本尊を根本として信じなくてもよい」という趣旨の指導を出しなさい、と言っているのです。
87 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/23(水) 13:04:56.90 ID:HWkPPJFx
>>84 > 現在は、会則にある教義や教学関係書籍から「大石寺に安置されている」と言う記述が削除されているのが事実ですよ。
「大石寺に安置されている」という文言は削除されても何の問題も生じない。『一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊を信受し』とあるからだ。
学会では【一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊】という言葉を、大石寺に安置している戒壇の大御本尊という意味以外で使った例はない。
異論があるのであれば、【一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊】という言葉を、大石寺の戒壇の大御本尊という意味以外で使った事例を一つでもいいから出すこと。
もし出せなければ、「君の勝手な意味づけ」として、これまでの君の一切の主張を、根拠無しとして却下する。
>>85 残念なことに、必死になってそういう現実離れした妄想を信じ込もうとしている学会員が、中にはいるということです。
ただ、その子だけに責任があるのではない。学会の教学指導のあり方にも問題があるのだ。
88 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/23(水) 13:57:45.12 ID:mVHNxMK+
>>86-87 >【仏法において、教義の根本】を偽物呼ばわりしたらこそ、「三大秘法破壊の大罪」として糾弾できるのである。
いいえ、「大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊の現物」は明らかに日蓮正宗大石寺の教義なのですから、【日蓮正宗の教義の上からの破折】ですよ。
「日顕七つの大罪」は他に「相承詐称の大罪」がありますが、これも明らかに日蓮正宗の教義の上からの破折ですよ。
>では、「その指導がどのような状況で行われたかちゃんと考えて」
>>56の池田先生の指導を解釈してみてください。
話を摩り替えるのはやめなさい。
あなたは学会員では無いため、会則改訂以前であること無視して、私的な議論において私見を正当化するために「師匠」を利用しているだけです。
>と主張しているのですから、「創価学会は、大石寺に安置されている戒壇の大御本尊を根本として信じることをやめました」ということになる。
また、あなたの憶測だけでしたね。
私が「創価学会は、大石寺に安置されている戒壇の大御本尊を根本として信じることをやめました」と言う記述が存在するなどと言った事実はありませんよ。
>>87 >学会では【一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊】という言葉を、大石寺に安置している戒壇の大御本尊という意味以外で使った例はない。
「大石寺に安置している」が削除されているのですから、「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊=大聖人御図顕の曼荼羅本尊」として現在使われていますよ。
>その子だけに責任があるのではない。学会の教学指導のあり方にも問題があるのだ。
学会員を偽っていながら、この場で学会の教学指導を批判するのは、日顕宗の信者らしい反応ですね。
「自分の意見が創価学会に通じない」という不満を扇動するアンチの手口などは見飽きていますよ。
89 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/23(水) 14:05:54.25 ID:Ch0fKHxw
>>84 この聖教新聞の記事も、今の学会は否定するということですか?
高橋 みっともないですね。最近の宗門が言っているのも“学会は大御本尊と決別した”とか、こじつけばかりです。
秋谷 本当に、冗談じゃない。そんなこと、我々は一言も言っていない(笑い)。我々が決別したのは、大御本尊ではなく“ニセ法主”日顕だ。我々は、ますます大聖人直結、大御本尊根本の信心で進んでいる。
(中略)
斉藤 その通りです。大聖人は「此の御本尊も只信心の二字にをさまれり」(御書一二四四ページ)と仰せです。また、日寛上人は「若し一念の信心あらば即ち一念三千の本尊を具す」(文段集四六六ページ)等と述べられている。信心があれば大御本尊に直結しているのです。
辻 僕たちも、信心は物理的な距離ではないと、つくづく思うね。そのことを身をもって牧口先生、戸田先生が示してくださっている。戦時中、臆病な宗門は軍部の弾圧を恐れ、牧口先生、戸田先生を登山停止にした。
両先生は獄中に捕らえられ、身の自由すら奪われ、御本尊も押収された。しかし、御本尊なき獄中で、牧口先生は御書を身読され、大聖人の正義を貫き殉難の誉れをとどめられた。
戸田先生は唱題に唱題を重ねて、地涌の菩薩の使命を厳然と覚知された。この大聖人直結、大御本尊根本の信心が学会に脈々と流れてきたからこそ、今日の世界への広宣流布があった。
秋谷 大御本尊根本とは、謗法の山と化した本山に行くことではない。大謗法の法主に従うことでもない。
「(日興上人に)背く在家出家どもの輩は非法の衆たるべきなり」(御書一六〇〇ページ)と、大聖人が厳命されているのだから、日顕のような“非法の衆”は、一日も早く一掃することが、大聖人、日興上人の御心にかない、大御本尊の御心にかなう信心である。
辻 まったく、その通りです。そうでなければ謗法与同になる。
http://www.geocities.jp/shinichizz/gakkai/gohonzon/gohonzon-gokinkoku.txt 学会が決別 → 日顕宗(○)、戒壇の大御本尊(×)…ということです。
90 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/23(水) 14:24:40.71 ID:mVHNxMK+
>>89 >この聖教新聞の記事も、今の学会は否定するということですか?
否定などしませんよ。会則改定以前の記事として解釈するだけです。
で、その記事の何処に「大石寺に安置されている」とあるのですか?
「戒壇の」とも書いていませんね。
戒壇の大御本尊とは、「本門の本尊」のことですよ。
現在の「教学の基礎」ぐらい読んでみたらどうですか?
91 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/23(水) 14:45:22.13 ID:Ch0fKHxw
>>90 > 否定などしませんよ。会則改定以前の記事として解釈するだけです。
学会教学の根幹に関わる問題なのですから、言葉の遊びはやめてください。
「否定するのですか」というのは、現在の学会教学として否定するのですか?という意味です。
さらに追加させてもらいますと、破門後でさえ、これほど明確に「大御本尊根本」を主張しておきながら、それを何の法門上の見解もしめさずに変えると言うのは、やはり一宗教団体としておかしいのではないでしょうか。
> で、その記事の何処に「大石寺に安置されている」とあるのですか?
>「戒壇の」とも書いていませんね。
再度忠告します。言葉の遊びはやめることです。これ以上やったら、人格を疑われますよ。
引用記事の中には、
> 最近の宗門が言っているのも“学会は大御本尊と決別した”とか、こじつけばかりです。
とあります。宗門が言う「大御本尊」とは一つしかありません。その文脈にそって会話が進められています。
さらには、
> この大聖人直結、大御本尊根本の信心が学会に脈々と流れてきたからこそ、今日の世界への広宣流布があった。
ともあります。学会に脈々と流れてきた「大御本尊」への信心とは何かを考えれば分かるはずです。
> 現在の「教学の基礎」ぐらい読んでみたらどうですか?
貴方に言わせれば、それは「創価学会の公式教義」を書かれたものではありませんね?
> 会長の会務を経て、発表されたものが「創価学会の公式教義」で、2002年以降の機関紙や書籍などで、
>「教義」として公式に発表されたと言えるものだけが「教義の公式見解」でしょう。
http://www.logsoku.com/r/koumei/1355635743/679 「創価学会の公式教義」でない本を私に読ませてどうしろと?
92 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/23(水) 15:54:52.73 ID:HWkPPJFx
>>88 > いいえ、「大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊の現物」は明らかに日蓮正宗大石寺の教義なのですから、【日蓮正宗の教義の上からの破折】ですよ。
「日蓮正宗の教義」の中で、ウロチョロするような議論は、「破折」とは言いません。
「日蓮正宗の教義」や実践をの誤りを指摘し、正法を説くことが「破折」です。
『悪を滅するを功(く)と云い善を生ずるを徳(とく)と云うなり、功徳とは即身成仏なり又六根清浄なり』(御義口伝)との御聖訓に則った破折をしなければ、自分が功徳を受けることができないだけでなく、相手を救うこともできません。それは無慈悲です。
> 「日顕七つの大罪」は他に「相承詐称の大罪」がありますが、これも明らかに日蓮正宗の教義の上からの破折ですよ。
『妄語とてそらごとせる者・此の地獄に堕つべし』(顕謗法抄)との一節を引いて破折しています。
> 話を摩り替えるのはやめなさい。
話の摩り替えはどちらか。
会則で「永遠の指導者」を定義しておきながら、その「会則」で永遠の指導者の指導を否定しているという発想が、弟子として悩乱していると指摘しているのだ。
93 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/23(水) 16:01:21.01 ID:HWkPPJFx
>>88 > 私が「創価学会は、大石寺に安置されている戒壇の大御本尊を根本として信じることをやめました」と言う記述が存在するなどと言った事実はありませんよ。
しかし、会則改定によって「創価学会は、大石寺に安置されている戒壇の大御本尊を根本として信じることをやめました」…な訳ですよね?
「大石寺の板本尊の教義上の意義を削除した」と言い張ってきかないのですから、そうとしか考えられない。
では、その根拠となる指導は何かと聞いている。説明もなく、信心の根本を変えるなんて、まさか無いよね? まさか無いよね?
> 「大石寺に安置している」が削除されているのですから、「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊=大聖人御図顕の曼荼羅本尊」として現在使われていますよ。
そもそも「一閻浮提総与の大御本尊=大石寺の板本尊」以外の意味で使われた例はないので、「大石寺に安置している」が削除されていても意味に変わりはない。
魔の山と化した「大石寺」を、教義の条文にわざわざ好き好んで入れる必要もあるまい。
94 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/23(水) 16:24:11.21 ID:6KuK5Dj5
「雑巾のパッチワーク」と、うまい表現をした方もいましたねw
私は、ボロ屋の雨漏りを連想しました。
教義の不都合な箇所を修繕し、一瞬直ったと思ったら別の所から次々と雨漏りがw
95 :
eco ◆Smw69BiSBo :2013/01/23(水) 16:36:19.85 ID:kWf+HPv6
>>41の発言では
「大石寺の伝説しか根拠の無い「大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊」を信受しなければならないのは、今は日顕宗だけですよ。」
・・と言いながら
↓ ↓ ↓ ↓ ↓
>>88では
「大石寺に安置されている戒壇の大御本尊を根本として信じることをやめました」と言う記述が存在するなどと言った事実はありませんよ。」
??? なんか言っている事が支離滅裂ですよ
96 :
eco ◆Smw69BiSBo :2013/01/23(水) 16:39:03.86 ID:kWf+HPv6
>>41 >>88 もう一度伺いますが 創価学会は 大石寺に奉ってある あの曼陀羅を大御本尊じゃなく信受していないんですね
では その創価の主張している 信心の根幹でもある 一閻浮大総与の大御本尊は何処にあるんですか?
また 何処の御本尊を信授している・・と言いたいのでしょうか?
一閻浮大総与の大御本尊の正体はなんですか?
まさか 沖浦親子が主張する「人本仏迹の自己本尊」じゃないでしょうね〜
97 :
eco ◆Smw69BiSBo :2013/01/23(水) 16:45:33.83 ID:kWf+HPv6
>>88 何度も伺いますが 偽物だったら 正宗側が今頃 大御本尊を捨てているでしょ
ところが 捨てるどころか援護しているのが現状で しかも 宮田氏の話を見ても
創価学会の一支国のブログを見てもお判りのように 偽作に熱心なのは創価の上
また 教学そのものだって 碌外碌内だの・・と顕本法華のような事を並べて
堀日亨上人に唾をはいている証拠もあるのに それでも日顕なんですか?
あいつら日顕のペンパルなんだ へぇ〜
98 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/23(水) 16:45:48.39 ID:Ch0fKHxw
☆ID:mVHNxMK+さんへ
たった今、創価学会本部へ電話して問い合わせました。
結論を書きますと、会則にある「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊」とは、「大石寺に安置されている戒壇の大御本尊」を意味しているそうです。それははっきりと認めました。
ではなぜ、最近の書籍において、「大石寺」という文言が無くなっているのかと質問すると、「それは別の宗教法人ですので、別の宗教法人の名前を入れるのは不適切だから」だそうです。
(※この説明にはイマイチ納得できなかったので、いろいろ疑問を投げかけたのですが、「別の宗教法人ですので…」の一点張りでした)
せっかく本部に電話して、ここに書いても、「嘘」と思われたら心外なので、「お名前を教えてください」と言いましたが、「これは(宗教)法人としての返答ですので」ということで、名前は教えてくれませんでした。(※こちらは名乗りました)
そして、貴方のことにも触れて、「会則改定によって、大石寺の板本尊の教義上の意義は削除された」と主張する学会員がいると話すと、「どうしても納得できなければ、学会本部宛に質問の手紙を書いて送ってください」とのことでした。
追伸:これ以上は不毛な議論ですので、ここまでで終わりにしましょう。本部職員の方が言うように、納得できなければ本部に手紙を書いてください。
99 :
eco ◆Smw69BiSBo :2013/01/23(水) 17:15:19.74 ID:3nMLLNaz
ところで 何度も創価側に伺っているのですが 日蓮正宗の法主だった日顕が
何時 弘安2年10月12日に顕された大御本尊を偽作だと発言したんですか?
また その証拠に対する信憑性は どこまで確実なものだと言えるのでしょうか?
因みに「河辺メモ」は「入手方法」が明らかになっておりませんので 根拠にはなりません。
確実な証拠にするには まず そのメモをどうやって入手したのか?
それを明らかにする必要性があります。 その点には答えてください。
100 :
eco ◆Smw69BiSBo :2013/01/23(水) 17:23:49.96 ID:3nMLLNaz
>>99のつづき
百歩譲って河辺メモが本物だったとしても
>>19に書かれていた話は
第一次宗門問題の際に発生した「正信会」が
戒壇の本尊を偽作だと誹謗したから その対策を話し合っていた内容だったんじゃないでしょうか?
何せ 自分たちの拠所とする御本尊を否定するわけにはいきませんものね〜
悪い言い方をすれば商売道具ですから そんな事が出来るわけがない。
一体 どこの宗派で「偽作の御本尊」をウリにして商売をしている宗派があるんでしょうか?
この点から鑑みても 創価の言い分に嘘があることは明らかでしょ?
101 :
eco ◆Smw69BiSBo :2013/01/23(水) 17:30:53.17 ID:3nMLLNaz
>>100のつづき
そういった意味では 筆跡鑑定も同じ理屈が通りますね
まず 創価学会と一緒だった頃から 偽作だ偽作だと騒ぐ輩がいたのは御存じですよね
ましてや第一次宗門問題当時から正信会などが疑っていたわけですから
その意味でも 科学的な観点で証明しようとした可能性だって否めないわけです
その点を見落としていたんじゃないでしょうか?
ここにも 一つの教相だけで全部と判断する 創価の悪い癖が露呈しています。
102 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/23(水) 17:47:15.76 ID:mVHNxMK+
>>91-93 >学会教学の根幹に関わる問題なのですから
あなたがそう考えているだけのことを押し付けるのは止めなさい。
『破門後でさえ、これほど明確に「大御本尊根本」を主張しておきながら』、現在の教学関係の説明では、
「大御本尊」は「本門の本尊」ですから、法門上の見解は示されていますよ。
>とあります。宗門が言う「大御本尊」とは一つしかありません。その文脈にそって会話が進められています。
物体として「一つ」を指す場合と、意味として「一つ」を指す場合がありますよ。
物体として「一つ」に固執する教義であれば、各家庭にある本尊は単なる複製でしかありませんよ。
>「創価学会の公式教義」でない本を私に読ませてどうしろと?
では、会則にある教義が全てですよ。
「大石寺の板本尊」が削除されているのが事実ですよ。
>「日蓮正宗の教義」の中で、ウロチョロするような議論は、「破折」とは言いません。
「大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊の現物」は明らかに日蓮正宗大石寺の教義なのですから、【日蓮正宗の教義の上からの破折】と言う事実は変わりませんよ。
>しかし、会則改定によって「創価学会は、大石寺に安置されている戒壇の大御本尊を根本として信じることをやめました」…な訳ですよね?
そんなことも書いていませんよ。
はじめから「大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊の現物」は不明なこととしか書いていませんよ。
>そもそも「一閻浮提総与の大御本尊=大石寺の板本尊」以外の意味で使われた例はない
だから、使用されている例を出しましたよ。
103 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/23(水) 17:49:42.96 ID:mVHNxMK+
>>98 >※この説明にはイマイチ納得できなかったので、いろいろ疑問を投げかけたのですが、「別の宗教法人ですので…」の一点張りでした
「別の宗教法人」が所蔵している曼荼羅に対して創価学会が公式なコメントを出していないのは、はじめから私が言っていることですよ。
電話の当初、「会則にある「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊」とは、「大石寺に安置されている戒壇の大御本尊」を意味している」とは言っても、
現実には、「大石寺に安置されている戒壇の大御本尊」を「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊」と公式に活字にすることが不可能ですから、
「創価学会が公式に「大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊の現物」を認めている」とはなっていないのが事実ですよ。
私ははじめから、「創価学会の公式見解」とした場合、肯定・否定のどちらも「嘘」だと言っていますよ。
>本部職員の方が言うように、納得できなければ本部に手紙を書いてください。
「「別の宗教法人ですので…」の一点張り」に納得できなかったあなたが手紙を書きなさい。
104 :
eco ◆Smw69BiSBo :2013/01/23(水) 17:53:38.16 ID:2KyL6K/x
たとえ 戸田先生が面授口決を受けた・・としても
戸田先生の面授口決に胡坐をかいたり 過去の栄光に酔いしれて胡坐をかいたりしていて
威張っていたり自慢しているのが 今の創価の実情で
教学の基礎はぐちゃぐちゃ ついでに信心もぐちゃぐちゃ
大聖人直結どころか 大聖人直穴になっているのが現実で
いくら 75万達成した 300万達成した 192カ国に広まった ・・と言っても
結果的には 信仁不解 解仁不信の信者を いたずらに増やし
顕謗法抄を絵にかいたような 謗法の細菌を192カ国にばらまいて 未来を築きあげてちゃ
あとは お察しください。
105 :
eco ◆Smw69BiSBo :2013/01/23(水) 18:00:29.06 ID:2KyL6K/x
>>102-103 >>95-96の質問はスル―ですか
もう一度伺います 大石寺に奉ってある大御本尊は
一閻浮大総与の大御本尊じゃない・・とするならば
創価の主張する一閻浮大総与の大御本尊の正体は?
それこそ どこの日蓮を拝んでいるんだよ・・・となるだろ?
106 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/23(水) 18:36:05.43 ID:Ch0fKHxw
>>102 会則にある「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊=大石寺に安置されている戒壇の大御本尊」ということで決着がついたので、これ以上の不毛な議論はしません。
お疲れ様でした。
107 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/23(水) 20:02:35.38 ID:HWkPPJFx
>>105 つーか、アンタも創価じゃなかったっけ?
それで「創価の主張する一閻浮大総与の大御本尊の正体は?」っておかしいと思うんだけど。
まあ異端同士、ケンカしないで仲良くやれよw
108 :
eco ◆Smw69BiSBo :2013/01/23(水) 21:01:07.57 ID:6oqsjSfq
>>107 だってあいつの言っている事を こちらが認めると
結局は創価学会の信仰を否定することにもなってしまうんだもの
あいつの言っていることを額面どおりに聞いたら
創価学会はいらなくなるんですよ 真面目な話で
109 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/23(水) 21:15:53.95 ID:YJZ03Uko
蓮祖直筆の文字曼陀羅御本尊には文永年間のものから“大本尊” “大曼陀羅”と記されているように、
蓮祖直筆の文字曼陀羅御本尊、それを書写したものは全て“大御本尊”である。
110 :
eco ◆Smw69BiSBo :2013/01/23(水) 21:16:58.58 ID:6oqsjSfq
>>107 つか・・大石寺にある弘安2年の御本尊は信仰をするうえでの 根幹でしょうよ
それを否定したら・・・牧口氏にまで及んでしまう問題にも発展するし
また それを否定するのなら わざわざ 創価学会を宗教法人にする必要もないんですよ
何せ 牧口氏の創価教育構想は日蓮正宗に入信する以前からあったプログラムで
それがシンクロしている部分があったものの
創価教育を信仰の対象とするものではなく こう言っては失礼すぎるかも知れませんが
日蓮信仰は 事実上「おまけ」程度にしかなっていないんですよ
111 :
eco ◆Smw69BiSBo :2013/01/23(水) 21:24:13.52 ID:6oqsjSfq
>>日蓮信仰は 事実上「おまけ」程度にしかなっていないんですよ
おまけ・・というより「バックアップ」が妥当だろうな
112 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/23(水) 21:25:57.42 ID:HWkPPJFx
113 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/23(水) 21:34:44.91 ID:HWkPPJFx
>>108 何より、本門戒壇の大御本尊を根本と信じる事は、「物」信仰だという。
どうしてそんな発想になるのか理解できない。
114 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/23(水) 21:43:38.09 ID:mVHNxMK+
>>106 電話で本部に聞いた。幹部から聞いたと言うことであなたが納得するのであれば、はじめから絡む話題じゃありませんよ。
あなたが得た回答「別の宗教法人ですので…」は私が当初から言っていることと一致します。
私が「嘘」と指摘しているのは、はじめから「創価学会の公式見解」と付けた場合です。
別の宗教法人が所蔵する曼荼羅に関して、現在の創価学会が、肯定するにしても否定するにしても公式見解などは出せないのが事実です。
あなたが得た回答で、現在の創価学会の公式な文書に「大石寺の板本尊」に関する記述が存在しないことも明らかになっています。
各個人の見解として肯定や否定をしても、それは「私見」としての範囲を守る必要があることです。
「大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊」に関して「創価学会の公式見解」などと言った場合は、現状ではすべて「嘘」ですよ。
115 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/23(水) 22:28:33.37 ID:aD++Ms50
結局は信仰団体として始まった当初の姿が本式でok?
<拝む対象は大石寺の板曼荼羅が本尊として真っ当>
互いに相争わずして信仰してください。
116 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/23(水) 22:46:12.11 ID:YJZ03Uko
>>110 牧口初代会長著・人生地理学を読んだことはあるだろうか。
当該書に於いて既に牧口初代会長は蓮祖に触れている。
117 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/23(水) 23:28:10.07 ID:mVHNxMK+
>>115 >結局は信仰団体として始まった当初の姿が本式でok?
いいえ、昔も今も本式ですよ。
むしろ、自立した宗教団体として広宣流布を開始している現在の方が本式ですね。
>>117自立してない。
教義も本尊も全て借り物。
それで自立などとはトンデモない。
119 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/24(木) 03:09:08.29 ID:A7a0fFGA
>>117 ニセ本尊バラ撒いて広宣流布とは笑えるわ。
お前ら顕正会と同じ類。
洗脳マシーン学会員。
120 :
池田大作:2013/01/24(木) 03:21:07.53 ID:RnDmlWXc
全世界創価学会員よ!
田浦本部横須賀桜山支部の偉大なる男子部
高橋裕之氏が1月31日の宝くじ
及びグリーンジャンボ宝くじで1等・前後賞が当たるように
金を持っている大島優子似の女子部と結婚成就と障害者年金1級受給と健康とご長寿と貯金残高20億円と刑事権力から護り抜く
祈りを毎日30分しっかりと高橋裕之氏に題目を送って行こうではありませんか!横須賀総県創価学会員は喜んで祈るに祈っていこうではありませんか!
また女子部は何が起きても疑うことなく高橋裕之氏について行きなさい
いいね!
創価学会名誉会長
池田大作
121 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/24(木) 06:41:51.86 ID:tkuySeJO
>>118 >教義も本尊も全て借り物。
>>106の「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊=大石寺に安置されている戒壇の大御本尊」説は捨てたほうがいいよねw
122 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/24(木) 07:00:14.32 ID:5m0QNkRi
123 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/24(木) 08:28:08.80 ID:Th5cutQl
>>121 そういう不都合があるので創価は大石寺に関する記述を削除して伏してあるということだ。
それは過去の教義と指導体系を反故にして空洞化することを意味しない。
キミがそれをどうしても気に入らないなら、新たに自分で空想的本尊を信仰する教団を立ち上げるしかない。
>>122 主語は「教義も本尊も」だろう。どこから借りたかは主語ではない。
124 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/24(木) 09:09:26.00 ID:wS7q303Z
>>123 > 新たに自分で空想的本尊を信仰する教団を立ち上げるしかない。
学会は「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊」という空想的本尊を信受していると、ずっと言い続けている学会員がいるが、それについてはどう思う?
コピーって・・・
本物を拝みたいわけだが
126 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/24(木) 09:52:37.96 ID:5m0QNkRi
>>123 誰も“どこから借りた”が抜けていることについて「主語が無い」と言っているのではない。
主語が無い点と、“何処”からなのかとの点を指摘した。
“借り物”ということは、何処かから借りたということだ(“何処で”でも、“誰から”でも、“誰に”でもいいが)
教義・本尊を借りた主体に対する、貸した存在を示す語が不足しているのである。
「○○の教義も本尊も全て、○○からの借り物」とすれば分かりやすい。
127 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/24(木) 09:55:23.43 ID:Th5cutQl
>>124 無茶な話だ。うちは非日蓮系伝統宗派だから客観的価値判断ぬきだが、その解釈では、創価は、信者には何の説明もなく、
教義の根幹をなす本尊の意義を変え、存在そのものすら疑われる観念を新たに本尊として再定義したことになる。
大石寺に関する記述の削除は、現在の宗門と創価の対立関係を考えれば明示的に宗門を権威づけるには非ずという政策的判断と理解すれば足りる。
ところが本尊義が自動的に変わったとすれば、それまでの教義体系と歴代指導の全体を破棄するに等しいが、それで多数の信者が納得するはずはない。
128 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/24(木) 10:08:12.40 ID:5m0QNkRi
>>125 “書写”も“形木”もコピーのことである。
蓮祖直筆曼陀羅は数に限りがある。いつか誰かが写すことをはじめたのだろう。「自分が図顕した曼陀羅を写して広めなさい」との主旨の御文が見当たらない。
曼陀羅授与は蓮祖だけの流儀であったともとれるが、「写すな」との御文も無い。
上古では立体仏像の配置図が曼陀羅であるとか、立体仏像を造立できない貧しい門下の為の仮曼陀羅である等々の説が有ったことからして、曼陀羅に対するスタンスに定まりが無かった。
129 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/24(木) 10:12:02.66 ID:wS7q303Z
>>128 その通りだと思う。
件の学会員に擁護者が出てきていないところを見ると、学会という組織内でも異質な存在なのだろう。
130 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/24(木) 11:12:17.63 ID:5m0QNkRi
蓮祖の御文献が各地に散逸していたので、曼陀羅に対するスタンスに定まりが無いのも致し方ない。
また法門を体系的にとらえる事も困難をきたしただろう。御文献が結集されるまで時を待たねばならなかった。
蓮祖そのものに対するスタンスも、本地上行菩薩・垂迹安房の海人であったり、本地久遠元初仏・垂迹上行菩薩であったりと定まりが無い。
ただ、立正安国論に於ける御予言が的中したことから、御在世中、御入滅後に関わらず信奉を数多の者から受けてきた事は事実だろう。
131 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/24(木) 11:48:45.26 ID:CZKXPDFi
>>118 >教義も本尊も全て借り物。
それは、日顕宗の勘違いであり、言い掛かりであるだけですよ。
大聖人の仏法を広宣流布するにあたり、現在の創価学会は他の宗教団体に依存することなく自立した行動が可能です。
一連の「大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊の現物」に関しても、創価学会が公式に認めている文書が現在は存在しないことが、
>>98の自己申告で明らかです。
将来の可能性として公式に認めるかどうかは別にし、「別の宗教団体」が所蔵する曼荼羅に関して、現状は公式に肯定も否定も無いのが事実です。
このため、『創価学会が「大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊の現物」と公式に認めている」は日顕宗の「嘘」です。
各個人の見解として肯定や否定をしても、それは「私見」としての範囲を守る必要があることですから、
学会員ならば「創価学会の公式見解だ」などと言う前に
>>98のように、本部にでも電話して自己完結すればよく、
公式文書として記述の無い「別の宗教団体」が所蔵する曼荼羅に関して、このような場で、
一学会員が「創価学会の公式見解」を振り回すことも無いことです。
このため、一連の「大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊の現物」をこのような場で振り回す人は、学会員では無く、日顕宗の信者か日顕宗の擁護者ですよ。
132 :
eco ◆Smw69BiSBo :2013/01/24(木) 12:02:00.17 ID:QCwjMYz4
>>113 その「物」すら 結果的には「蔑ろ」にしてしまったり
加工しているのが 今の創価信仰でしょ
>>116 だから「おまけ」で扱うのは失礼だと思ったから
>>108では「バックアップ」と表現を変えて訂正をした。
但し 牧口氏が立ち上げていた頃の 創価は 宗教法人として登録はしておらず
宗教法人として登録したのは 戸田城聖の頃で昭和26年に入ってから
何故?元々宗教法人でもなかった創価学会が戦後宗教法人として登録したのか?
その事を考えてみてください。
説明する理由が すごくややこしいので 省くけれど
結局 大石寺の戒壇を軽く扱う事は 戸田先生や牧口先生を軽く扱う事と同じ事にもなる。
133 :
eco ◆Smw69BiSBo :2013/01/24(木) 12:09:58.64 ID:QCwjMYz4
>>131 >>大聖人の仏法を広宣流布するにあたり、現在の創価学会は
>>他の宗教団体に依存することなく自立した行動が可能です。
それが結局 己義に繋がる事は 天台の慈覚等が証明をしていますが
しかも 一部の創価信者の中には 日蓮本仏を否定しているものもいれば
創価学会が編纂した筈の堀上人の御書すら 顕本法華と同じような考え方で
否定しようとしている連中がいるでしょ?
そんな事を思っている事自体が慢心じゃないのか?
134 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/24(木) 18:23:55.11 ID:wS7q303Z
以前、日蓮正宗の信者に、「戦中、大石寺が神札を受け取ったのは謗法だ」と言ったら、「『神札を受け取ったら謗法だ』という御書を出せ」と言い出した。
そこで御書の御文に基づいて、神札を受け取ることが、なぜ謗法となるかを話したら、その正宗信者は「大勝利宣言」をし、「ギャハハー!」と下品な高笑いを始めた。
「何だか意味がよく分からないのだが?」と聞くと、「『神札を受け取ったら謗法だ』という御書を出せなかったから俺の勝ちだ」と。
要するに、一言一句正しく『神札を受け取ったら謗法だ』と書いてなければ謗法ではないと言いたかったのだ。
呆れるほど幼稚な話だが、実はこういう形で自分を正当化する人間が、実は少なくない。
そういう人間は、仮に御本尊を燃やした者がいたとしても、「御書に『御本尊を燃やしたら謗法だ』とは書いていない」と言われたら、それを受け入れなければいけない。
「仏法と申すは道理なり」(四条金吾殿御返事)
道理を否定する者は、仏法を否定することにつながる。ちっぽけな自尊心を傷つけたくないからと、道理を否定する態度は厳に戒めたいものである。
135 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/24(木) 18:45:05.73 ID:wS7q303Z
>>131 > 学会員ならば「創価学会の公式見解だ」などと言う前に
>>98のように、本部にでも電話して自己完結すればよく、
それは良くない。自己解決すればいいということは、自分勝手に教義を解釈してもいいということになる。
「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊」とは、創価学会の教義に直接関わる言葉であり、それを個人が勝手に解釈してもよいとなれば、創価学会には定まった教義が存在しないことになる。
学会本部の職員が、法人として、「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊=大石寺に安置されている戒壇の大御本尊」と認める発言をしたのであれば、その定義の上から教義を理解しなければいけない。
> 一学会員が「創価学会の公式見解」を振り回すことも無いことです。
見解が分かれているのであれば、責任ある人に尋ねて、正しい見解を確認する。
必要であれば、それを周囲の人たちにも伝えて、見解を統一する。
異体同心を信条としているのであれば当然のこと。
136 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/24(木) 19:30:51.94 ID:CZKXPDFi
>>135 >それは良くない。自己解決すればいいということは、自分勝手に教義を解釈してもいいということになる。
煽っても無駄ですよ。
各個人がその時点でどのような見解を持っていても、それは個人の私見です。
このような場で、現在、創価学会が公式文書として発表していない「私見」を「創価学会の公式見解だ」などと振り回していいことにはなりません。
議論を行う上で、「時」と「場」、諸条件を無視し、意見を押し付けても「統一見解」など見出せないことです。自称していないのは知られていることです。
しかし、御書の記述を解釈する
>必要であれば、それを周囲の人たちにも伝えて、見解を統一する。
その必要がある事案は創価学会が発表することです。
会員個人間の見解対立を全て無くすような常軌を逸した思想統制など、現在の創価学会にはありませんよ。
137 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/24(木) 20:19:24.33 ID:wS7q303Z
>>136 > このような場で、現在、創価学会が公式文書として発表していない「私見」を「創価学会の公式見解だ」などと振り回していいことにはなりません。
見解の相違が見られたので、本部に問い合わせをして、創価学会としての見解を確認し、それを伝えたというのが真実のようですね。
そういう行為を「私見を振り回す」とは言いません。
むしろ私にそういう批判をする前に、
>>41で
> 「大石寺の板本尊」に教義上の意味が無い
と断定したのは、学会本部としての定義が明らかになった今、それは私見であり、誤った認識であったと認めるべきではないでしょうか。
さらには、過去のレスを見てみると、
> 「大石寺の板本尊」に教義上の意味が無い
から
> 「大石寺に安置されている」と言う記述が削除されている
というように、微妙に表現を変えてきているようですね。
「記述がない=教義上の意味がない」は、必ずしも成立しません。
> 議論を行う上で、「時」と「場」、諸条件を無視し、意見を押し付けても「統一見解」など見出せないことです。
誰も意見を押し付けていないと思いますよ。
学会としての見解に対する認識に、相違が見られたので、それを確認して伝えたというだけのように見受けられます。
学会としての見解を知り、それを受け入れるも受け入れないも、その人が決めることです。誰もそれを強制することはできません。
> その必要がある事案は創価学会が発表することです。
ですから、創価学会の本部に問い合わせ、本部職員が法人としての見解を示したのでしょう。
創価学会と日蓮正宗は、真っ向から対立しているのです。その対立教団の総本山にある寺院の名称を、教義等を記す文章に盛り込むのかどうかは、非常に微妙な問題で、万人に最適な解答は存在しません。
ただ、今の段階では、「大石寺」という言葉を用いることを控えるという立場を取っているわけです。
> 会員個人間の見解対立を全て無くすような常軌を逸した思想統制など、現在の創価学会にはありませんよ。
思想統制はありませんが、創価学会としての公式見解は存在します。両者を混同してはいけません。
>>133 > そんな事を思っている事自体が慢心じゃないのか?
お前が言うなwwwwwww
139 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/24(木) 20:44:55.50 ID:wS7q303Z
>>136 誤解のないように言っておきますが、「学会としての定義の上から教義を理解しなければいけない」というのは、あくまでも「教義の理解」ということです。
それを「理解」した上で、その学会の教義を「信受」するかどうかは、各人の判断にゆだねられます。
どうしても学会が定義する教義を信受できないということであれば、脱会する自由もありますし、脱会せずに学会の教義理解とは異なる信条を持つのも自由です(注:特殊な例外はあります)。
140 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/24(木) 20:49:15.84 ID:CZKXPDFi
>>137 >そういう行為を「私見を振り回す」とは言いません。
いいえ、どこにも確認せずに「公式見解」と言って「私見」を振り回していましたよ。
>学会本部としての定義が明らかになった今、それは私見であり、誤った認識であったと認めるべきではないでしょうか。
認めるも何もはじめから「私見」ですよ。途中でもそう回答していますが理解出来ていませんでしたか?
そして、「「大石寺に安置されている」と言う記述が削除されている」は「事実」で、
「別の宗教団体」が所蔵する曼荼羅に関して、現状は公式に肯定も否定も無いのが「事実」であるだけですよ。
>思想統制はありませんが、創価学会としての公式見解は存在します。両者を混同してはいけません。
では、もうあなたは黙っていればいいことではありませんか?
各個人の見解が異なるのが前提である創価学会において、何故、「見解を統一する」などという思想統制を煽るのですか?
141 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/24(木) 21:12:50.65 ID:wS7q303Z
>>140 > いいえ、どこにも確認せずに「公式見解」と言って「私見」を振り回していましたよ。
何を「私見」と言っているのか、話を広げすぎです。
私は学会本部に問い合わせて、法人としての見解を確認し、それをネット上に公表したことを指して言っているのですよ。
> 認めるも何もはじめから「私見」ですよ。途中でもそう回答していますが理解出来ていませんでしたか?
ですから、その私見が誤っていたということでしょう。
男らしく撤回したらどうです?
それが嫌なら、今度は自分で本部に問い合わせて、その「嘘」とやらを暴けばいいのです。
> そして、「「大石寺に安置されている」と言う記述が削除されている」は「事実」で、
全ての文書を調べるのは不可能ですので、貴方の「記述が削除されている」という主張が、全てにおいて真実かどうかは、私には判断しかねます。
しかし、先程も指摘したように、「記述がない=教義上の意味が無い」は必ずしも成立しません。
ましてや、正宗は対立教団ですので、言葉の使いまわしに微妙な部分が生ずるのは、教学初学者でない限り、頭に入れて解釈するべきです。
> 「別の宗教団体」が所蔵する曼荼羅に関して、現状は公式に肯定も否定も無いのが「事実」であるだけですよ。
聖教新聞では、はっきり肯定しているようですね。
貴方は「会則改定後」を強調しますが、学会本部が「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊=大石寺に安置されている戒壇の大御本尊」と認めた事実が明らかになった現在、その主張は通用しません。
> 各個人の見解が異なるのが前提である創価学会において、何故、「見解を統一する」などという思想統制を煽るのですか?
「各個人の見解が異なるのが前提」ではありません。「各会員の見解が一致している」ことが本来あるべき前提です。
しかし現実にはそれが不可能ですから、極端な例を除き、それをいったんは容認し、今後の指導等で良い方向へ向かうように努めるということです。
142 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/24(木) 21:36:41.89 ID:CZKXPDFi
>>141 >ですから、その私見が誤っていたということでしょう。
自己申告の「電話で本部に確認しました」で、どう誤っていたとなるのですか?
そのようなことで、話題を終わらせたいのであれば、初めから絡まなければいい話題ですよ。
>今後の指導等で良い方向へ向かうように努めるということです。
この場は指導の場ではありませんよ。
で、あなたの言う指導とは結局、思想統制をすると言っているだけでは無いですか?
学会員とは微塵も感じられない人の特徴は、こう言った結局、思想統制を思考する人や、
「公式見解」や「師匠」等の「権威」を利用し「私見」の正当化を図る人ですよ。
143 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/24(木) 21:38:32.00 ID:UAISEIjJ
>>140 >各個人の見解が異なるのが前提である創価学会において、何故、「見解を統一する」などという思想統制を煽るのですか?
一つの独立教団として、見解を統一するのは当たり前の話。
日興上人の「五一の相対」を何と考えているのか。それも日興上人による「思想統制」を煽ったのか?
144 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/24(木) 22:13:02.32 ID:CZKXPDFi
>>143 >一つの独立教団として、見解を統一するのは当たり前の話。
当然でしょ。
その必要がある事案は創価学会が文書として発表することです。
今回の件は、創価学会が文書として発表していないものまで、「見解を統一する」必要など無いと言う話ですよ。
145 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/24(木) 22:28:06.01 ID:UAISEIjJ
>>144 >その必要がある事案は創価学会が文書として発表することです。
大石寺にある戒壇の大御本尊が根本であるという指導は、破門前も破門後も、ずっと変わらず貫かれているし、その文書だっていくらでも存在する。
おたくが新しい会則を誤読して、「大石寺の板本尊」に教義上の意味が無いと、間違ったことを言い出したから、他の学会員が正しいことを教えてやったんだろ。
それを「思想統制」とか、訳のわからん言いがかりをつけてきて、わざわざ正しいことを教えてあげた学会員を中傷しているんだ。
厳しく言えば、破和合僧だぞ。
146 :
eco ◆Smw69BiSBo :2013/01/24(木) 22:34:36.54 ID:abAl1yLe
>>134 自分たちの事は棚に上げて そんな事がよくいえるよな
神輿を担ぐ意義を 創価の人たちは どこまで把握してそんな事を述べているのでしょうか?
「金毘羅神社」に寄付した事件は忘れましたか?
牧口先生が靖国神社に参拝した事件は忘れましたか? それなりの理由がありましたよね〜
それと日蓮正宗の行為とどこが違うのでしょうか?
>>135 勤行の一件も含めれば 昨日までNGだったものが急にOKになったり
昨日までOKだったものが今日になったらNGになったりで
くるくる教義を変えていたじゃないかよ
147 :
eco ◆Smw69BiSBo :2013/01/24(木) 22:44:51.97 ID:abAl1yLe
それ以前に昭和30年代から 既に破和合僧の状態じゃないかよ
しかも小火恐れるあまり結果的には水と灯油を間違えて
焼け石に火を挿しちゃったのが 今の創価
ま・・すべてはローマに通じる 鎌倉に通じる道路が すべてが鎌倉街道とよばれるように
どんなきれい事や言い訳を述べても 最終的には池田大作の責任なんですけれどね
148 :
eco ◆Smw69BiSBo :2013/01/24(木) 22:47:30.34 ID:abAl1yLe
あ!
>>147は
>>145宛て 因みに池田大作と呼び捨てにしたのも
「責任者」と言う理由から そのような表現にもしております。
149 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/24(木) 23:36:56.59 ID:CZKXPDFi
>>145 >他の学会員が正しいことを教えてやったんだろ。
日顕宗らしい恩着せがましい捨て台詞が出ましたね。
一つの独立教団として、見解を統一する必要性があるものは創価学会が公式な文書として発表しています。
それ以外のものを会員の独自判断で「統一見解が必要だ」と言って周囲を巻き込んで行うようなことを「指導」とはいいません。
そのようなものは、無差別な思想統制と同様です。
日顕宗は常に「権威」を利用するため、議論においても「公式見解」や「師匠」と言う言葉を使って「私見」の正当化を図ります。
「大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊の現物」も「大聖人が直に建立した」と言う「権威」を利用しているものです。
「権威」を利用しているため、増上慢となり「教えてやったんだろ」と言うコメントに現れるのです。
日顕宗がどんなに学会員と偽っても、日顕宗の悪癖を隠すことはできませんよ。
150 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/24(木) 23:49:41.50 ID:wS7q303Z
>>142 > 自己申告の「電話で本部に確認しました」で、どう誤っていたとなるのですか?
私は「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊=大石寺に安置されている戒壇の大御本尊」なんて、問い合わせるまでもなく、基礎中の基礎の知識として知っています。
だからその本部に電話の件は、信じるも信じないもなく、当たり前のことを言っただけだと思っていますよ。
嘘つき認定するのであれば、自分で確認してみればいいではありませんか。
> この場は指導の場ではありませんよ。
それは組織のあり方を述べたものです。
でもこれも、指導と言えば指導です。言葉の定義を誤って認識している人に、正しいことを教えてあげているのですから。
もちろん、受け入れ難ければ、無理に受け入れなくてもいいですよ。
> 学会員とは微塵も感じられない人の特徴は、
「各個人の見解が異なるのが前提である創価学会」と言う貴方が、学会員とは微塵も感じられないのです。
各個人の勝手な理解を放置しておいて良いのであれば、「師弟」は必要ありませんから。会員を正しく指導・教導すべき「人材」の育成も必要ありませんから。
151 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/25(金) 00:02:29.44 ID:RyCECt4l
>>149 > 一つの独立教団として、見解を統一する必要性があるものは創価学会が公式な文書として発表しています。
これまで何度も「戒壇の大御本尊は変わらす信心の根本」という指導や、聖教新聞の記事は引用されてきたでしょう。
しかも、日蓮正宗は対立教団であるがゆえに、「大石寺」等の言葉を使うのは控えていると教えました。
正宗だって、未だに創価学会が寄進した寺院を使っていますが、学会側から非難されない限り、その事実を積極的に信徒に教えるようなことはしていないはずです。
そんなのは、事情を考慮すれば当然のことです。
152 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/25(金) 00:12:35.09 ID:1Q4u9COn
>>143 日興が他の五老僧と相対したことを示す真蹟文献は無い
153 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/25(金) 00:14:59.41 ID:RyCECt4l
>>151 > 一つの独立教団として、見解を統一する必要性があるものは創価学会が公式な文書として発表しています。
考え方が逆ですよ。根本として信じる対象であり続けた本尊が、教義上の意味を失うとなれば、それこそ公式な文書として発表しています。
創価学会は、破門前も破門後も、「日蓮正宗総本山大石寺に安置せられている弘安2年10月12日の本門戒壇の大御本尊」を根本として信じてきました。
ですから、大石寺の変な坊主が悩乱して学会を切るまでは、積極的に登山会を行ってきたのです。
破門後も、「日蓮正宗総本山大石寺に安置せられている弘安2年10月12日の本門戒壇の大御本尊」を根本として信じると、会則で規定されてきました。
ところが、教団として無関係になった事実を考慮して、「日蓮正宗総本山大石寺に安置せられている」という表現は、削除したほうがいいのではないかということで、改訂されました。
その一方で、戒壇の大御本尊を根本とした信心は変わらないので、「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊を信受し」となったのです。
154 :
eco ◆Smw69BiSBo :2013/01/25(金) 00:17:11.88 ID:DCTdZxEe
>>149 あなたの師匠のエッセイ等をよむと 「議員にしてやったくせ」に・・だとか「忘恩」などとギャーギャー騒いで
第三者からみたら ブラックメールや「優しさDV」と受け止めてもおかしくない
「怨み事」が ごろごろと書かれていましたが あれを「恩着せがましい行為」と言うんじゃないでしょうか?
また 創価も意外と「公式見解」や「師匠」と言う言葉を使って「私見」の正当化を図っていたりする人が多く
そういった意味では似たり寄ったりなので 一つに特定することは難しい筈なのに
一律に「日顕宗のまわし者」などと断定して物事を語るその神経は 私には理解が出来ません。
155 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/25(金) 00:28:31.36 ID:vzBAFHFg
>>151 >これまで何度も「戒壇の大御本尊は変わらす信心の根本」という指導や、聖教新聞の記事は引用されてきたでしょう。
会則改定以前のものばかりでしたね。
>そんなのは、事情を考慮すれば当然のことです。
そのため、教学関連書籍や会則の教義から「大石寺安置の〜」の記述が削除されたことを
考慮する必要も無く「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊=大石寺に安置されている戒壇の大御本尊」と喧伝するのは
日顕宗の信者と日顕宗の擁護者だけなのですよ。
本当に会員であれば、教学関連書籍や会則の教義から「大石寺安置の〜」の記述が削除されたことを考慮したコメントをこのような場ではしますよ。
156 :
eco ◆Smw69BiSBo :2013/01/25(金) 00:37:29.39 ID:DCTdZxEe
>>153 戸田先生曰く一番怖いのは「死魔」だそうです。なるほど
会則を読むと「風化する事」や「伝言ゲームの原理性」を考慮していない会則にもなっていますね
あんな不明瞭な規定だと そのうち一閻浮大総与の大御本尊はどこにあるの?
・・なぁ〜んて疑問を抱く学会4世5世が顕れてくるんじゃないでしょうか?
しかも 大石寺にあることを あまり伝えない事が仇になる可能性も出てきます
何せ明確に答えられる人が少なくなっていくわけですから 人間はいつか死ぬんですよ
そして昔の創価を知っている人も その中 この世からいなくなる
157 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/25(金) 00:37:50.03 ID:RyCECt4l
>>155 > 会則改定以前のものばかりでしたね。
学会本部における「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊」の定義が明らかにされた今、「会則改訂以前」という理屈は一切通用しません。
何だかよく分からない理屈を並べて、「会則改訂後のものでなければいけない」などと言い続けているのは貴方一人です。他にそんな愚かな発言をする学会員はいません。
> 本当に会員であれば、教学関連書籍や会則の教義から「大石寺安置の〜」の記述が削除されたことを考慮したコメントをこのような場ではしますよ。
逆です。
本当に会員であれば、新入会者でもない限り、削除された事情は、説明されなくても理解できます。
158 :
eco ◆Smw69BiSBo :2013/01/25(金) 00:40:47.84 ID:DCTdZxEe
>>156のつづき
>>153宛て
さらに無知をいいことに どさくさにまぎれて おかしな刷り込みをする人が
「こんにちは」をして来ることも予測されるので
結果的には 令宝久住が破壊されて令呆苦重になったりもするんじゃないでしょうか?
仏教もそうですが 既に日蓮系の文献だって管理が杜撰で
どこまでが真言なのかわけが解らなくなっているのが現実でしょ?
159 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/25(金) 00:49:54.71 ID:vzBAFHFg
>>157 >本当に会員であれば、新入会者でもない限り、削除された事情は、説明されなくても理解できます。
じゃ、何故、考慮も無く「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊=大石寺に安置されている戒壇の大御本尊」と喧伝するのですか?
あなたの話と、電話で問い合わせた内容が本物であれば、現在の創価学会は書籍等に「信仰の根本」を明記出来ない宗教団体とになります。
あなたは「信仰の根本」を明記出来ない宗教団体と創価学会を喧伝したいのに「会員」と言い張るのですか?
>>157 それが思い上がりだと 昨日から言っているのですが・・・
あなただけが知っていても 結局 周りに伝わっていなければ
オナニーと同じで令宝久住とはならずに 仏法そのものが途切れてしまう原理が解らない?
ID:RyCECt4lの口ぶりを聞いてて ふと以前「初心者アンチ23〜25」のスレで
随法毘尼の解釈をめぐって 頓珍漢な事を言っていた信心歴40年の方がいましたが
その人とシンクロしているのはオイラだけなのかなぁ・・・
因みに「その人」も自分だけが知っている事を廻りも知っているだろう
・・と見込んだまま物事を語った為
廻りどころか 身内からも突っ込まれて「大ボケ」をかましていたんですよね〜
【参考】
随方毘尼問題隔離スレ
http://anago.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1344640988/
あれ?ID:vzBAFHFgも
>>155で おかしな言動を並べているなぁ
そういった意味では双方とも
>>156や
>>158の事を 何にも考えていないのか?
なんだか 自分の保身ばかり言って 子供の将来を考えない親と一緒で
親権の奪い合い さらに慰謝料がどうの・・と離婚の裁判を見ているみたいです。
>>162 みんなスルーしてるんだけどお前は途中でレス相手を間違えてんだよw相変わらずのあほだな
164 :
池田大作:2013/01/25(金) 03:16:33.55 ID:6Z8TLPh8
全世界創価学会員よ!
田浦本部横須賀桜山支部の偉大なる男子部
高橋裕之氏が1月31日の宝くじ
及びグリーンジャンボ宝くじで1等・前後賞が当たるように
金を持っている大島優子似の女子部と結婚成就と障害者年金1級受給と健康とご長寿と貯金残高20億円と刑事権力から護り抜く
祈りを毎日30分しっかりと高橋裕之氏に題目を送って行こうではありませんか!横須賀総県創価学会員は喜んで祈るに祈っていこうではありませんか!
また女子部は何が起きても疑うことなく高橋裕之氏について行きなさい
いいね!
創価学会名誉会長
池田大作
小柄で銀縁メガネをかけていて、パソコンを見ていた刑事?調査員??その関係者が俺のパソコンに、削除ファイルの保存?
削除しにくいようにしたんだろうね。自分らがデータを悪用したいが為に。清水の次郎長?創価学会の原田稔・会長を小柄にした感じの。原田稔がなんとかしろよ。
これは偽者・ニセモノ・ダブルフェイスの軍団のが、自分らの仲間のニセモノが、本物である俺がしている立場、
もしくは、本物用の女性と仲良くなりたいので、本者である俺のPCのデータがほしい、
本者である俺のPCデータを使い本者のふりをしたい!のでコピーがほしいんだろうね。
創価学会本部に居る、王者、殿様、天皇の本当の子供 これはニセモノである。
167 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/25(金) 04:52:47.83 ID:RyCECt4l
>>159 > じゃ、何故、考慮も無く「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊=大石寺に安置されている戒壇の大御本尊」と喧伝するのですか?
考慮せずに定義する人間はいません。
創価学会は、創立されてから現在まで一貫して「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊=大石寺に安置されている戒壇の大御本尊」です。
信仰というものは、変えてはいけない原点と、時代の移り変わりに応じて変化させるべきものと、両方あります。
言うまでもなく、信仰の根本は、変えてはいけない原点です。
> あなたは「信仰の根本」を明記出来ない宗教団体と創価学会を喧伝したいのに「会員」と言い張るのですか?
信仰の根本は、「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊」と明記されています。
明記はできるが、事情を考慮して明記するのを控えたほうがいいと判断されているのは、「大石寺」です。
>>98で終わっているのに、しつこいな。
後は、とっとと手紙を出せばいいだけ。
それをせずにさらにここであーでもないこーでもないを繰り返しても、誰からも同意は得られないぞ。
自分の間違いを認めるのが、そんなにいやなのかね。
169 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/25(金) 11:36:45.82 ID:vzBAFHFg
>>167 >明記はできるが、事情を考慮して明記するのを控えたほうがいいと判断されているのは、「大石寺」です。
ならば、「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊=大石寺に安置されている戒壇の大御本尊」を喧伝するのは考慮していないと言うことですよ。
会員として考慮していたら「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊=戒壇の大御本尊」ですよ。
で、あなたはまだ「会員」と言い張るのですか?
「大石寺に安置されている」などは現在の創価学会の会則にある教義や教学関連書籍から削除されたことです。
>信仰というものは、変えてはいけない原点と、時代の移り変わりに応じて変化させるべきものと、両方あります。
いいえ、違います。信仰は変わりません。
時代の移り変わりに応じて変化があるのは「化儀」などの「教導方法」「指導」等ですよ。
会則改定により明らかになったのは、「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊」は大聖人御図顕の曼荼羅本尊であり、「信仰の根本」と言うことですよ。
現在の創価学会は「大石寺の板本尊」が大聖人が直に建立した本尊かどうかに左右されることが無い教義を定義しています。
170 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/25(金) 11:57:25.12 ID:TfnImw0d
>>169 じゃあ戒壇の大御本尊てどこにあるの?て聞かれたらどう答えるの?
171 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/25(金) 14:11:26.82 ID:RyCECt4l
>>169 > ならば、「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊=大石寺に安置されている戒壇の大御本尊」を喧伝するのは考慮していないと言うことですよ。
> 会員として考慮していたら「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊=戒壇の大御本尊」ですよ。
何を言っているのか分かりません。
> 「大石寺に安置されている」などは現在の創価学会の会則にある教義や教学関連書籍から削除されたことです。
「大石寺」は創価学会の「信仰の根本」ではありません。
>>159で、
> あなたは「信仰の根本」を明記出来ない宗教団体と創価学会を喧伝したいのに「会員」と言い張るのですか?
と質問してきましたが、これがその答えです。
> いいえ、違います。信仰は変わりません。
「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊」とは、大石寺の戒壇の大御本尊ではないというのであれば、それは「信仰が変わった」ことを意味します。
破門前はもちろん破門後もずっと一貫して、大石寺の戒壇の大御本尊を信仰の根本としてきたのですから。
> 時代の移り変わりに応じて変化があるのは「化儀」などの「教導方法」「指導」等ですよ。
信仰は具体的な実践が伴ってこそ信仰です。
葬儀を「友人葬」で行うのも、勤行を「方便品・自我偈と唱題」と制定したのも化儀です。
そういったものを無視して、信仰できるというのであれば、やってみなさい。
> 会則改定により明らかになったのは、「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊」は大聖人御図顕の曼荼羅本尊であり、「信仰の根本」と言うことですよ。
「大聖人御図顕の曼荼羅本尊」といっても、一閻浮提総与の大御本尊と一機一縁の御本尊とがあります。
『「創価学会会則」の改正について』(聖教新聞/2002年3月30日)には、「弘安2年10月12日に出世の本懐として大御本尊を顕されました」と明記されています。
「大聖人御図顕の曼荼羅本尊」であれば、何でもいいわけではないのです。
したがって、貴方の書いていることは、会則で明らかになっていないどころか、『「創価学会会則」の改正について』の内容を真っ向から否定しています。
172 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/25(金) 15:17:49.10 ID:LsNmH8c+
一機一縁など授与書き消せばおkだろwww
173 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/25(金) 17:05:20.32 ID:wZ5aDNUy
174 :
eco ◆Smw69BiSBo :2013/01/25(金) 19:02:11.18 ID:nmcvoaMZ
>>163 そう 本来 スル―してもいい内容だと言う事は
よぉ〜〜く解っております。
・・・ですが 中には決着をつけなければいけないものもあるのよ
何せ 本家 創価が何にもやってくれないからね〜
175 :
eco ◆Smw69BiSBo :2013/01/25(金) 19:04:35.61 ID:nmcvoaMZ
>>173 だから粗さがしですか? 天界丸出しですね
もしかして黒川さんに嫉妬しているんですか?
176 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/25(金) 19:28:00.62 ID:vzBAFHFg
>>171 >何を言っているのか分かりません。
創価学会が「大石寺に安置されている」を削除した理由を考慮することも理解することも、日顕宗であるあなたがしないだけです。
>「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊」とは、大石寺の戒壇の大御本尊ではないというのであれば、それは「信仰が変わった」ことを意味します。
日顕宗の信者らしいコメントですね。
>>167で『信仰の根本は、「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊」と明記されています。』などと言っても、
結局、「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊=大石寺に安置されている戒壇の大御本尊」でなければ、「信仰が変わった」と日顕宗は言い掛かりを付けているのです。
会則の教義にあるとおり、信仰の根本は「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊」ですよ。
>「大聖人御図顕の曼荼羅本尊」といっても、一閻浮提総与の大御本尊と一機一縁の御本尊とがあります。
また、日顕宗の信者特有の主張をしていますね。「一機一縁の御本尊」とは大石寺の化儀ですよ。
元来の「一機一縁」は衆生の機根に合わせて説かれた爾前権教のことを指し、法華経と区別する言葉ですよ。
学会員と偽って、日顕宗の信者特有の主張をするのはやめなさい。
177 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/26(土) 00:13:36.17 ID:bzu8UI6e
日磁さん河辺さん細井さん菅野さん大村さん秋山さん尾林さん椎名さん柳沢さん
戸田幾さん小平さん辻さん柏原さん和泉さん森田さん野崎さん龍さん福島さん
山崎さん原島さん下山さんみんな死んでしまった
トップの日顕さん池田さん浅井さんはまだまだ生きているというのに
178 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/26(土) 01:32:49.49 ID:bwmpiuAr
学会員専用の精神病院があるらしい。
179 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/26(土) 01:46:51.39 ID:CpVVkP98
>>178 なんとか文化会館とか、なんとか平和会館とかが、そのまま精神病院だよ。
180 :
池田大作:2013/01/26(土) 01:51:02.94 ID:7D2Cv+Bi
全世界創価学会員よ!
田浦本部横須賀桜山支部の偉大なる男子部
高橋裕之氏が1月31日の宝くじ
及びグリーンジャンボ宝くじで1等・前後賞が当たるように
金を持っている大島優子似の女子部と結婚成就と障害者年金1級受給と健康とご長寿と貯金残高20億円と刑事権力から護り抜く
祈りを毎日30分しっかりと高橋裕之氏に題目を送って行こうではありませんか!横須賀総県創価学会員は喜んで祈るに祈っていこうではありませんか!
また女子部は何が起きても疑うことなく高橋裕之氏について行きなさい
いいね!
創価学会名誉会長
池田大作
>>176反論になっていない
頭破七分ってこう言う事か・・
182 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/26(土) 07:58:17.43 ID:yiCo/BhS
>>176 > 創価学会が「大石寺に安置されている」を削除した理由を考慮することも理解することも、日顕宗であるあなたがしないだけです。
理解していないどころか、その理解は既に繰り返して示しています →
>>137>>151>>153 逆に、創価学会と日蓮正宗が対立関係にあるという事情や、「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊」の定義を考慮することなく、
大石寺に関する記述無いことをもって、大石寺の板本尊に教義上の意義は無いと、軽率かつ愚かな私見を振りかざしているのは、誰でもない貴方自身です。
>
>>167で『信仰の根本は、「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊」と明記されています。』などと言っても、
> 結局、「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊=大石寺に安置されている戒壇の大御本尊」でなければ、「信仰が変わった」と日顕宗は言い掛かりを付けているのです。
言い掛かりどころか事実です。
旧会則:日蓮正宗総本山大石寺に安置せられている弘安2年10月12日の本門戒壇の大御本尊を根本とする
新会則:一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊を信受し
新会則の「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊」が「日蓮正宗総本山大石寺に安置せられている弘安2年10月12日の本門戒壇の大御本尊」ではないと仮定すれば、それは「変わった」ということで議論の余地などありません。
> 会則の教義にあるとおり、信仰の根本は「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊」ですよ。
その「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊」とは何ですか?
はっきり示すことができなければ、「空想上の御本尊です」と明言してください。
> 「一機一縁の御本尊」とは大石寺の化儀ですよ。
熱原の法難において、農民信徒たちの不惜身命の姿に、大聖人は、民衆が大難に耐える強き信心を確立したことを感じられて建立されたのが、「一閻浮提総与の大御本尊」です。
「一閻浮提総与」とは、全世界の人々に授与するとの意味です。特定の個人への授与ではありません。
ですから「一閻浮提総与」たる弘安2年10月12日の大御本尊を、根本と信受するのです。
183 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/26(土) 08:17:14.85 ID:yiCo/BhS
>>176 >>171に書いた
> 貴方の書いていることは、会則で明らかになっていないどころか、『「創価学会会則」の改正について』の内容を真っ向から否定しています。
への反論がありません。
『「創価学会会則」の改正について』に書かれていることと、貴方の主張が矛盾することなく一致することを説明してください。
>>172 それが 対告を蔑ろにする行為にも繋がるんですけれどね
昭和26年に創価学会へ与えられた御本尊の対告を削って二次配布する事は NGだけれど
自分以外の御本尊なら対告を削っていいなんて その考え自体がエゴイズムで ジャイアン思想丸出しじゃんかよ
すごく失礼だと思うし 御本尊に書かれている意味を知っているのなら その人間性を疑う。
本当 解仁不信の輩や信仁不解の輩が御本尊をいじっている・・と考えた事がないのかなぁ・・・
その事を考えれば 沖浦親子が主張している 自己本尊論なんて もって他なんだけれどね〜
>>176 >>「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊=大石寺に安置されている戒壇の大御本尊」でなければ・・・
もう一度伺いますが 創価の主張する『一閻浮大総与 三大秘法の大御本尊』の正体は?
また それは何処に存在しますか?
その立て分けは きちんと整理していかないと 後々 曖昧になっておかしくなっていくでしょ?
185 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/26(土) 12:28:58.58 ID:CpVVkP98
>>184 >もう一度伺いますが 創価の主張する『一閻浮大総与 三大秘法の大御本尊』の正体は?
はい、弘安ニ年十月十ニ日御図顕、本門戒壇の大御本尊であります。
>また それは何処に存在しますか?
はい、富士大石寺に厳護されております。
横レス御免 <(__)>
186 :
eco ◆Smw69BiSBo :2013/01/26(土) 13:11:03.06 ID:uv5lsPr2
>>185 その回答でいいとは思います。
では 何故、今になって 富士大石寺に厳護されている
肝心要の一閻浮大総与 三大秘法の大御本尊を拝むと謗法になり
また罰が出てきてしまうのでしょうか?
また他力本願的な表現ですが 裁判官にも該当する
一閻浮大総与 三大秘法の大御本尊様は
何故『正しい裁き』をしないのでしょうか?
187 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/26(土) 13:29:32.80 ID:rzV2zLWE
>>182 >言い掛かりどころか事実です。
日顕宗信者であるあなたの言い掛かりですよ。
「日蓮正宗総本山大石寺に安置せられている」が大石寺の化儀であるため削除しているのですよ。
>はっきり示すことができなければ、「空想上の御本尊です」と明言してください。
大石寺の板本尊が「大聖人が直に建立した御本尊」で無くとも「空想上の御本尊」にはなりませよ。
現実に「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊」は大聖人御図顕の御本尊として存在しています。
逆に現在の創価学会の書籍では、「大石寺の板本尊=弘安2年の大本尊」は大石寺の言い伝えと記述した上で、
本門の本尊が安置されている信仰の場を本門の戒壇としており、本門の本尊=本門戒壇の大御本尊としていますよ。
>「一閻浮提総与」とは、全世界の人々に授与するとの意味です。特定の個人への授与ではありません。
特定の個人への授与でないならば「一閻浮提総与」と意義付けられるのであれば、会館に安置の御本尊も「特定の個人への授与」ではありませんよ。
御形木御本尊も「特定の個人への授与」を目的にしていないのですから、「一閻浮提総与」ですよ。
学会員と偽って、いつまでも日顕宗特有の主張をするのはやめなさい。
188 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/26(土) 13:36:19.65 ID:yA3TIP14
「佛滅度後二千二百三十余年之間一閣浮提之内未曾有大漫荼羅也」と書かれている文字曼荼羅御本尊がいくつもある。数多の人に授与されたということである。
御讃文中の「大曼荼羅」の「大」はサイズのことでもなく、特別という意味でもなく、全ての日蓮大聖人御図顕の文字曼荼羅御本尊そのものが大曼荼羅なのである。差異が無い。それが数多の人に授与された。
「一閻浮大総与 三大秘法の大御本尊」とは「日蓮大聖人御図顕の文字曼荼羅御本尊」である。
189 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/26(土) 14:39:36.18 ID:yiCo/BhS
>>187 毎日、深夜まで起きていて、昼ごろまで寝ているような、だらしない生活は改めなさい。
> 「日蓮正宗総本山大石寺に安置せられている」が大石寺の化儀であるため削除しているのですよ。
その文言が削除されているから、大石寺の板本尊の教義上の意義は無くなったと言いたいわけですね。
ですから「信仰の根本」が変わったと言っているのです。
それでは「日蓮正宗総本山大石寺に安置せられている弘安2年10月12日の本門戒壇の大御本尊を根本とする」(旧会則)の否定ではありませんか。
> 大石寺の板本尊が「大聖人が直に建立した御本尊」で無くとも「空想上の御本尊」にはなりませよ。
> 現実に「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊」は大聖人御図顕の御本尊として存在しています。
ですから、貴方の言う「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊」とは何ですか?と聞いているのです。
> 逆に現在の創価学会の書籍では、「大石寺の板本尊=弘安2年の大本尊」は大石寺の言い伝えと記述した上で、
> 本門の本尊が安置されている信仰の場を本門の戒壇としており、本門の本尊=本門戒壇の大御本尊としていますよ。
その「現在の創価学会の書籍」とは何か、具体的な書籍名を教えてください。
そして該当箇所の文章を正確に引用してください。
これでは漠然として、よく分かりません。
>>184 > それが 対告を蔑ろにする行為にも繋がるんですけれどね
嫌味で言ってるに決まってるだろ。
君、もしかしてほんとにアスペルガー?かなりその徴候が見られるな。
191 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/26(土) 14:42:00.50 ID:yiCo/BhS
>>187 > 特定の個人への授与でないならば「一閻浮提総与」と意義付けられるのであれば、会館に安置の御本尊も「特定の個人への授与」ではありませんよ。
特定の個人への授与でないから「一閻浮提総与」なのではなく、全世界の人々に授与するという意義のもとに建立されたので、「一閻浮提総与」なのです。
> 御形木御本尊も「特定の個人への授与」を目的にしていないのですから、「一閻浮提総与」ですよ。
「特定の個人への授与」を目的にしていないから「一閻浮提総与」なのではなく、「一閻浮提総与の大御本尊」を書写したから本尊だから、その形木本尊を信受する事は、大御本尊を信受することに通じるのです。
これが分身散体の意義です。
ところで、
>>171に書いた
> 貴方の書いていることは、会則で明らかになっていないどころか、『「創価学会会則」の改正について』の内容を真っ向から否定しています。
への反論がありません。
『「創価学会会則」の改正について』に書かれていることと、貴方の主張が矛盾することなく一致することを説明してください。
192 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/26(土) 15:55:33.36 ID:CpVVkP98
>>186 >また他力本願的な表現ですが 裁判官にも該当する
一閻浮大総与 三大秘法の大御本尊様は
何故『正しい裁き』をしないのでしょうか?
『又順次生に必ず地獄に堕つべき者は重罪を造るとも現罰なし一闡提人これなり』
【開目抄下】
193 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/26(土) 17:02:05.84 ID:rzV2zLWE
>>189 >それでは「日蓮正宗総本山大石寺に安置せられている弘安2年10月12日の本門戒壇の大御本尊を根本とする」(旧会則)の否定ではありませんか。
また、日顕宗特有の言い掛かりをしていますね。
「日蓮正宗総本山大石寺に安置せられている」が削除されているのが事実です。「弘安2年10月12日の本門戒壇の大御本尊」は現在、否定されていません。
大石寺の化儀に縛られていない現在の創価学会は、大石寺の伝説のみを根拠にして、
現代において「大石寺の板本尊=弘安2年10月12日の本門戒壇の大御本尊の現物」としている文書は存在しません。
また、他宗所蔵の曼荼羅に関わる伝説の否定もしていないのが事実です。
>ですから、貴方の言う「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊」とは何ですか?と聞いているのです。
何度も回答していますよ。「日蓮大聖人御図顕の文字曼荼羅御本尊」ですよ。
>これでは漠然として、よく分かりません。
「仏教哲学大辞典 第三版」の「本門戒壇の大御本尊」の記述ですよ。それ以外の書籍で「大石寺の板本尊」にまで言及している近年の書籍を私は持っていませんよ。
他宗所蔵である「大石寺の板本尊」に関する記述が現在の創価学会の教学関連書籍に記述が無いのが事実ですよ。
>「一閻浮提総与の大御本尊」を書写したから本尊だから、その形木本尊を信受する事は、大御本尊を信受することに通じるのです。これが分身散体の意義です。
いいえ、「分身散体の意義」は、本仏が衆生教化のため身を分かって種々の国土にあらわした仏身のことです。
「分身を本体に通ずるもの」と言う解釈では無く、「分身がそのまま仏身であり、本仏と同じ力用をもつ」と言う意味ですよ。
「分身を本体に通ずるもの」と言う解釈は大石寺の化儀です。いつまでも、日顕宗特有の解釈で、学会員と偽るのはやめなさい。
194 :
eco ◆Smw69BiSBo :2013/01/26(土) 17:07:10.78 ID:gAkxbQkm
>>190 ええ わかっていますよ だから あなたに便乗してより詳しく解説をしたまでですが 何か文句でも?
所詮「かかし」程度の嫌味じゃ 案山子を人形と見破る創価の害鳥には
鉄砲でも打つか 完全な防護ネットでも張らない限り 農作物は荒らされるとは思いますよ。
ecoさん、アンカーの付け方が誤解を招いてる。
>>172さんにレスするなら、「その通りだw」だけでいい。
もし創価に対して言いたい事があるなら、一行空けるか新たに書き込むなどして、
172さんへのレスではないことが判るようにした方がいい。
これはギャグ係さんにも言いたいことだけどw
196 :
eco ◆Smw69BiSBo :2013/01/26(土) 17:24:57.60 ID:gAkxbQkm
>>192 では何故 その一闡提人を裁けないんですか?
そんな事を言っている時点で 裁判官の判断能力を疑ってしまいますね
唯一絶対・・・と言う割には 頓珍漢な裁きしか出来ていないじゃんかよ
従って その御文だけの説明では 御本尊は頓珍漢な裁判官だと言っているようなものですね
正しい判断が出来ないわけですから
197 :
eco ◆Smw69BiSBo :2013/01/26(土) 17:36:08.71 ID:gAkxbQkm
>>195 一理ありますが ただ
>>172さんにとってみれば
この一連のスレッドの流れを把握している筈なので
一概には判断ができないものの
>>184の発言は計算通りだったんじゃないでしょうか?
>>194 ああそうなの、意図がちょっとわかりづら過ぎるがアスペ呼ばわりして悪かった。
ついでに聞きたいのだけど、代々会長及び創価学会をとことん否定する内部アンチの君が
日蓮正宗の戒壇大御本尊を信じる理由は何だろうか、よかったら教えてください。
>>193さんは、
「日蓮大聖人御図顕の文字曼荼羅御本尊」に
一度でも手を合わせた事があるのかな?
カラーコピーは明らかに別人の書写だし
創価に在籍してる限り永久に無理だろ
死ぬまでにその日蓮大聖人御図顕の文字曼荼羅御本尊に
手を合わせる事の出来ない
>>193は
本当に仏弟子ですらあるのだろうか?
>>193の様になんでも「化義」と断じる
宗教に関わった人は馬鹿を見ますね
> 死ぬまでにその日蓮大聖人御図顕の文字曼荼羅御本尊に
> 手を合わせる事の出来ない
>>193は
> 本当に仏弟子ですらあるのだろうか?
贋造板曼荼羅建立してる宗派もだなw
なんというブーメランwwwwww
201 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/26(土) 22:27:47.71 ID:yiCo/BhS
>>193 > 「日蓮正宗総本山大石寺に安置せられている」が削除されているのが事実です。「弘安2年10月12日の本門戒壇の大御本尊」は現在、否定されていません。
それでは「日蓮正宗総本山大石寺に安置せられている弘安2年10月12日の本門戒壇の大御本尊を根本とする」(旧会則)の否定ではありませんか。
大石寺の板本尊の教義上の意義が無いとすれば、それは「信仰の根本が変わった」ことを意味します。
> 大石寺の化儀に縛られていない現在の創価学会は、大石寺の伝説のみを根拠にして、
> 現代において「大石寺の板本尊=弘安2年10月12日の本門戒壇の大御本尊の現物」としている文書は存在しません。
> また、他宗所蔵の曼荼羅に関わる伝説の否定もしていないのが事実です。
「大石寺」の記述が見られないのは、「別の宗教法人の名前を入れるのは不適切だから」(本部見解、
>>98)です。
よって、「日蓮正宗総本山大石寺に安置せられている」という記述の変化をもって、「大石寺の板本尊の教義上の意義が無い」と結論するのは、本部見解を全く考慮していないことになります。
「大石寺に関する記述がない=大石寺の板本尊の意義もない」と、安易に結論できません。
> 何度も回答していますよ。「日蓮大聖人御図顕の文字曼荼羅御本尊」ですよ。
現在の学会でも「弘安2年10月12日の大御本尊」を根本としています。
「日蓮大聖人御図顕の文字曼荼羅御本尊」は、どれでも変わりないのであれば、「弘安2年10月12日の大御本尊」にこだわる理由はありません。
その点を説明してください。
202 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/26(土) 22:42:39.42 ID:yiCo/BhS
>>193 > 「仏教哲学大辞典 第三版」の「本門戒壇の大御本尊」の記述ですよ。
会則改定時には、既に販売されていない書籍ですね。そんなのは認めない、というのが貴方の立場です。
海底前の書籍を根拠にするのであれば、「今までの立場は間違っていたので、これからは会則改訂前の文書も認めます」と言いなさい。
それができなければ、「仏教哲学大辞典」の記述などを持ち出して、私見を正当化するような主張は、一切却下します。
> 他宗所蔵である「大石寺の板本尊」に関する記述が現在の創価学会の教学関連書籍に記述が無いのが事実ですよ。
池田先生の指導や聖教新聞で、大石寺の板本尊が変わらず信仰の根本であることが述べられています。
「仏教哲学大辞典」を持ち出して正当化するということは、そういう指導や記事も認めなければいけません。
> いいえ、「分身散体の意義」は、本仏が衆生教化のため身を分かって種々の国土にあらわした仏身のことです。
>「分身を本体に通ずるもの」と言う解釈では無く、「分身がそのまま仏身であり、本仏と同じ力用をもつ」と言う意味ですよ。
「功徳」という意味では、その通りです。
しかし、「一閻浮提総与の大御本尊」を「分身散体」と言う人はいません。
分身散体は、身を分ける仏(本尊)がなければいけません。それが「一閻浮提総与の大御本尊」です。
その立て分けから逃げて、私見を振りかざしても無駄な努力です。
203 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/26(土) 23:05:26.19 ID:yiCo/BhS
>>193 > 「弘安2年10月12日の本門戒壇の大御本尊」は現在、否定されていません。
では「弘安元年」に御図顕された御本尊はどうなりますか。
「弘安2年の大御本尊=一閻浮提総与の大御本尊=日蓮大聖人御図顕の文字曼荼羅御本尊」と考えているようですが、「日蓮大聖人御図顕の文字曼荼羅御本尊」には「弘安2年」前に御図顕された御本尊も含まれるわけですよね?
ではどうして「弘安2年10月12日の大御本尊」と、具体的な年月日が指定された本尊を根本として信受するのかを説明できないでしょう。
204 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/26(土) 23:28:31.10 ID:CpVVkP98
舎利の自演が止まない件。
、
205 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/26(土) 23:41:12.68 ID:rzV2zLWE
>>201-202 >それでは「日蓮正宗総本山大石寺に安置せられている弘安2年10月12日の本門戒壇の大御本尊を根本とする」(旧会則)の否定ではありませんか。
いいえ、否定はありませんよ。
「日蓮正宗総本山大石寺に安置せられている」が削除されているのが事実です。「弘安2年10月12日の本門戒壇の大御本尊」は現在、否定されていませんよ。
>「大石寺に関する記述がない=大石寺の板本尊の意義もない」と、安易に結論できません。
「大石寺の板本尊の意義もない」と短絡に言っていませんよ。「大石寺の板本尊の意義を記述した文書が無い」と言う事実があるだけです。
私個人の見解として、「現在の創価学会は大石寺の板本尊に関して教義上の意味を説明していない」となるだけです。
>海底前の書籍を根拠にするのであれば、
いいえ、根拠にしているのは会則改訂後にも出版されている「教学の基礎」ですよ。
「仏教哲学大辞典 第三版」は「大石寺の板本尊」に関する記述があり、その上で、本門の本尊が安置されている信仰の場を本門の戒壇としており、本門の本尊=本門戒壇の大御本尊としているため出しただけです。
「仏教哲学大辞典 第三版」も会則改訂前の書籍ですから、会則改訂後の「大石寺の板本尊」に関して記述した創価学会の教学関連書籍を私は知りませんよ。
「教学の基礎」は「大石寺の板本尊」に関する記述は無く、本門の本尊が安置されている信仰の場を本門の戒壇としており、本門の本尊=本門戒壇の大御本尊ですよ。
>分身散体は、身を分ける仏(本尊)がなければいけません。それが「一閻浮提総与の大御本尊」です。
そうですよ。
「身を分ける仏(本尊)=一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊=弘安2年10月12日の本門戒壇の大御本尊=大聖人御図顕の文字曼荼羅本尊」は現在の創価学会の書籍から分かることです。
しかし、「大石寺の板本尊」に関しては記述が無いのが事実ですよ。
206 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/26(土) 23:57:13.77 ID:yiCo/BhS
>>205 > 「弘安2年10月12日の本門戒壇の大御本尊」は現在、否定されていませんよ。
ですからそれは、「日蓮正宗総本山大石寺に安置せられている弘安2年10月12日の本門戒壇の大御本尊を根本とする」(旧会則)とは違います。
支離滅裂な言葉を、いつまで吐き続けるつもりでしょうか。
> 私個人の見解として、「現在の創価学会は大石寺の板本尊に関して教義上の意味を説明していない」となるだけです。
つまり、
>>98に示された、「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊」とは、「大石寺に安置されている戒壇の大御本尊」を意味している、という本部見解を否定するのですね?
> いいえ、根拠にしているのは会則改訂後にも出版されている「教学の基礎」ですよ。
「教学の基礎」は会則改定前に発売されました。
「会則改訂後にも出版されている」というのであれば、「暗黒の宗門史」も大型書店やネット書店で購入できます。出版社が回収なんてしませんよ。
> 「仏教哲学大辞典 第三版」は「大石寺の板本尊」に関する記述があり、
「仏教哲学大辞典」は、とっくに販売が終わっています。
> 会則改訂後の「大石寺の板本尊」に関して記述した創価学会の教学関連書籍を私は知りませんよ。
その事情については、
>>98で説明済みです。
> そうですよ。
ですから、弘安元年に御図顕された御本尊も「大聖人御図顕の文字曼荼羅本尊」になりますね?と聞いているのです。
ならば、わざわざ「弘安2年10月12日」と年月日まで指定した御本尊を、根本に信受する意味を説明してください。
207 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/27(日) 00:47:07.85 ID:uofb7qBP
>>205 君の過去レスを確認してみたけど、日蓮正宗が大石寺の板本尊を戒壇の大御本尊として信受するには、その証明がなければいけないと書いていますね。
では、君が祈っているであろう日寛上人の御形木御本尊が分身散体であると言うのであれば、それが一閻浮提総与の大御本尊を書写したということを、証明できなければいけません。
そしてそのためには、一閻浮提総与の大御本尊とは、何かが分からなければいけません。
漠然と「大聖人御図顕の文字曼荼羅本尊」なんて言っても通用しません。
208 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/27(日) 00:57:32.39 ID:AUy/mzqT
>>206 >ですからそれは、「日蓮正宗総本山大石寺に安置せられている弘安2年10月12日の本門戒壇の大御本尊を根本とする」(旧会則)とは違います。
改訂されたのですから、違うのが当たり前です。
しかし、「弘安2年10月12日の本門戒壇の大御本尊」は現在、否定されてはいません。
>本部見解を否定するのですね?
個人が電話で聞いたと自己申告した「本部見解」をこの場で私が信用しなければならない理由がありませんよ。
そして、個人が電話で聞いた「本部見解」をこの場で「創価学会の公式見解」とするにはあまりに根拠薄弱ですよ。
>「暗黒の宗門史」も大型書店やネット書店で購入できます。出版社が回収なんてしませんよ。
「暗黒の富士宗門史日顕宗の淵源を切る」のことであれば、その本は創価学会の教学関係書籍ではありませんよ。
>ですから、弘安元年に御図顕された御本尊も「大聖人御図顕の文字曼荼羅本尊」になりますね?と聞いているのです。
当然ですよ。弘安2年以前に御図顕の御本尊も「大聖人御図顕の文字曼荼羅本尊」ですよ。
弘安2年御図顕の御本尊が特別視される理由は、大聖人が出世の本懐を宣言された時の御本尊だからであり、
「日興跡条々事」に「日興が身に宛て給わる所の弘安二年の大御本尊、日目に之を相伝す。本門寺に懸け奉るべし。」とあるからです。
「本門寺」とは広宣流布達成の暁に建立され、その本堂が「事の本門の戒壇」となることから、弘安二年の大御本尊を「本門戒壇の大御本尊」と言うのです。
しかし、この「弘安二年の大御本尊」が現在の大石寺の板本尊だと言うのは大石寺の伝説以外に情報が無いことです。
現在の創価学会の解釈でも「弘安二年の大御本尊=本門戒壇の大御本尊」は肯定されています。
しかし、「弘安二年の大御本尊=大石寺の板本尊」と言う見解を記述した文章が存在しない事実があるだけです。
209 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/27(日) 01:08:10.99 ID:AUy/mzqT
>>207 >日蓮正宗が大石寺の板本尊を戒壇の大御本尊として信受するには、その証明がなければいけないと書いていますね。
いいえ、書いていませんよ。
日蓮正宗は教義上「大石寺の板本尊=戒壇の大御本尊の現物」ですから、日蓮正宗の信者は教導の上から信受することになります。
「日蓮正宗では無い他宗派の信徒が信受するには、大石寺の伝説以外の根拠が必要」となります。
>漠然と「大聖人御図顕の文字曼荼羅本尊」なんて言っても通用しません。
分身散体ですから、そのまま「大聖人御図顕の文字曼荼羅本尊」が「一閻浮提総与の大御本尊」ですよ。
「分身散体」の「分身」を忍者漫画の「分身」と勘違いして「本体」と「残像」のように考えている人がいますが、
本来の「分身散体」の「分身」の意味は「分身」がそれぞれ「本体」ですよ。
210 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/27(日) 01:21:45.61 ID:mp0U+Hnp
>>208 > 改訂されたのですから、違うのが当たり前です。
何が当たり前ですか。君は「信仰の根本」は変わっていないと書いていたではないか。
旧会則では「日蓮正宗総本山大石寺に安置せられている弘安2年10月12日の本門戒壇の大御本尊を根本とする」です。
大石寺の板本尊に教義上の意味がなくなった、というのであれば、誰もが「信仰の根本」が変わったと思います。
> 個人が電話で聞いたと自己申告した「本部見解」をこの場で私が信用しなければならない理由がありませんよ。
> そして、個人が電話で聞いた「本部見解」をこの場で「創価学会の公式見解」とするにはあまりに根拠薄弱ですよ。
ですから、
>>98には、それに納得できなければ、自分で手紙を書くなりして確認すように、と書かれているではありませんか。
何より君は、
>>131で、
> 創価学会が公式に認めている文書が現在は存在しないことが、
>>98の自己申告で明らかです。
と書いており、
>>98の内容を認めているではありませんか。
そんなことを書いておきながら、都合が悪くなると、「私が信用しなければならない理由がありませんよ」ですか。
人間性を疑わざるを得ません。
> 「暗黒の富士宗門史日顕宗の淵源を切る」のことであれば、その本は創価学会の教学関係書籍ではありませんよ。
師の指導に、教学関連の書籍も何も関係ありません。
学会の教学関連書籍が、師の指導を否定することを書くと思っているのですか?
教学関連の書籍を執筆する人も、池田先生の弟子なのですよ。
211 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/27(日) 01:47:29.64 ID:mp0U+Hnp
>>208 > 当然ですよ。弘安2年以前に御図顕の御本尊も「大聖人御図顕の文字曼荼羅本尊」ですよ。
何が当然ですか。質問の意図をすり替えているのか、質問の意図を理解できないのか、いずれにしても、全く的外れな返答です。
私が聞いているのは、弘安2年以前に御図顕の御本尊も「大聖人御図顕の文字曼荼羅本尊」かではなく、弘安2年以前の御本尊も「弘安2年の大御本尊」と同じ、とする根拠を聞いているのです。
> 弘安2年御図顕の御本尊が特別視される理由は、大聖人が出世の本懐を宣言された時の御本尊だからであり、
それが分かっているのであれば、「弘安2年の大御本尊以外の本尊」という意味を含む「大聖人御図顕の文字曼荼羅本尊」とは言うのはおかしいではないか。
> 日蓮正宗は教義上「大石寺の板本尊=戒壇の大御本尊の現物」ですから、日蓮正宗の信者は教導の上から信受することになります。
>「日蓮正宗では無い他宗派の信徒が信受するには、大石寺の伝説以外の根拠が必要」となります。
意味不明。今まで聞いたこともない見解です。
創価学会は破門以後も大石寺に安置されている戒壇の大御本尊を根本として信じてきましたが、それに「大石寺の伝説以外の根拠」があって信じてきたのではありません。
> 分身散体ですから、そのまま「大聖人御図顕の文字曼荼羅本尊」が「一閻浮提総与の大御本尊」ですよ。
分身散体の御本尊が「一閻浮提総与の大御本尊」なのではなく、分身散体の意義を有するが故に、功徳においては「一閻浮提総与の大御本尊」と等しい、ということです。
「一閻浮提総与の大御本尊」とは「弘安2年10月12日の大御本尊」です。
自宅に安置されている形木本尊を、「これは弘安2年10月12日に建立された大御本尊です」と言う人はいません。
>「分身散体」の「分身」を忍者漫画の「分身」と勘違いして「本体」と「残像」のように考えている人がいますが、
> 本来の「分身散体」の「分身」の意味は「分身」がそれぞれ「本体」ですよ。
「分身」が「本体」なのではなく、功徳において「本体」と等しいということ。「分身」はあくまで「分身」。
「本体」があって「分身」」がある。故に、「本体」である「弘安2年の大御本尊」を根本として信受する。
212 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/27(日) 01:59:11.71 ID:mp0U+Hnp
>>209 君は、「信心」の次元の話と、「法門」上における本尊の意義づけを、区別できていない。
「信心」の次元で、家庭にある形木本尊を「一閻浮提総与の大御本尊」と信じて祈ることはよい。
しかし、「法門」上における見解として説明するのであれば、「一閻浮提総与の大御本尊」と「分身散体」たる家庭の形木本尊は違う。
その立て分けを理解できないから、同志である学会員には困った人と思われ、日顕宗の人間には笑われる。
213 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/27(日) 06:32:41.04 ID:0AtBQwlL
また始まってしまたのね?
舎利くんの自演。
>>209の仲間等でなくて良かった
創価学会を脱会して本当に良かった
215 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/27(日) 09:58:32.37 ID:OUfQXTXP
>>209 創価学会の大御本尊がどこにある?の質問にはことごとくスルーですか?
216 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/27(日) 10:41:18.48 ID:mp0U+Hnp
>>205 >「日蓮正宗総本山大石寺に安置せられている」が削除されているのが事実です。
全国総県長会議での斉藤教学部長の「創価学会会則の改正について」という記事を読んで下さい。
その中には『「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊を信受し」とあります。これは、創価学会に貫かれてきた「大御本尊への信心」の本義をしめしたものです。』と書かれています。
つまり、(本尊ももちろん重要ですが)「信心」の本義に力点を置いています。
その信心とは、どういう信心かといいますと、同記事には、『弘安2年10月12日に大御本尊を図顕された大聖人の心に呼応する信心』と書かれています。
大聖人は、熱原の法難の際、信徒等に死身弘法の精神を見ました。そこに「時」を感じて、一切衆生に授与すべき一閻浮提総与の大御本尊を建立されました。
「一閻浮提総与」という言葉には、“末法の一切衆生を救いきるのだ!”という大聖人の誓願が込められてます。
となると、『大聖人の心に呼応する信心』とは、この大聖人の誓願を我が誓願として、自行化他にわたって南無妙法蓮華経の行を貫くことにあります。
さらに、同記事には、『どこか特定の場所に参拝しなければ成仏できないという日顕宗のような誤った考えは大聖人の御本意ではありません』と論じられています。
いわば“聖地信仰”ともいうべき大石寺の教義を否定しているわけであり、その意味から、『日蓮正宗総本山大石寺に安置せられている』といった、聖地信仰を連想させかねない文言を削除したのです。
決して「大石寺の板本尊の教義上の意義を無くそう」という意図のもとで削除したのではありません。
話をまとめますが、会則の『一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊を信受し』とは、「大御本尊の定義」を述べようとしたものではなく、「大御本尊への信心の本義」を述べたものです。
そういう観点から、今一度、会則を読み直してみてください。
>>210 > 人間性を疑わざるを得ません。
結局のところ、これがすべて。
ネット上でここをつつくと、すぐ人格攻撃だと騒ぐ輩がいる。
しかし、人格に重大な問題がある人間のうちの一部とはまともな議論が成立しないのも、また事実。
彼の御仁は、この御書に真っ向から歯向かっている。
「心の師とはなるとも心を師とせざれ」曾谷入道殿御返事 他
自分の心が第一であるため、自分の結論が間違っていることを認めることができない。
あるいは、「自分の意見が間違っていると指摘される=自分が否定される」と思っている。
だから、自分を守るためにとにかく徹底して反論し、言いくるめられないようにする。
その根底にあるのは、真実を見極めようとする心ではなく、自己保身。
真実を見極めようとする心が第一なら、まずは
>>98を実行して自ら結論を出すだろう。
それをしないのは、「創価学会からの正式な回答で自分の意見(=自分)を否定されることを恐れている」・・としか考えられない。
師弟不二にも反するし、異体同心からも外れる。
我が心を師にすることは、実に恐ろしいことだな。
218 :
ねこ:2013/01/27(日) 18:07:11.27 ID:e24q6gFM
http://nekomiyashiroichi.blog59.fc2.com/blog-entry-1099.html 『地球号困民党』
最終目標:
地球上のあらゆるものの恒久平和。
貧困も暴力も差別も無い世界の実現。
生けとし生きるもの全ての基本的権利の保障。
当面の目標:
□ 貧困の撲滅
□ 「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」
(日本国憲法では、第25条1項)を実現する。
□ ホームレスを生活保護化する。(ホームレスを無くす。)
□ 生活保護の基準の大幅緩和と就職への手厚い誘導
(例:職業訓練など)
□ 最低時給を1000円にアップする。
□ 暴力の撲滅
□ セクハラの完全撲滅。刑事罰の導入。
□ パワハラの完全撲滅。刑事罰の導入。
□ いじめ(学校や職場など)の完全撲滅。刑事罰の導入。
□ 個人blogへの嫌がらせコメントの完全撲滅。刑事罰の導入。
□ 差別の撲滅
□ 病気・ケガや障碍の救済
219 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/27(日) 22:18:59.84 ID:AUy/mzqT
>>210 >大石寺の板本尊に教義上の意味がなくなった、というのであれば、誰もが「信仰の根本」が変わったと思います。
そう言い掛かりを付けているのは日顕宗とその擁護者だけですよ。
>と書いており、
>>98の内容を認めているではありませんか。
いいえ、仮に
>>98の内容が本当であれば、私の主張していたことと一致する部分があると言っているだけですよ。
>学会の教学関連書籍が、師の指導を否定することを書くと思っているのですか?
またあなたは自分の主張を正当化させるために「師」を利用していますね。
現在の創価学会の公式な教学関係の文書には「大石寺の板本尊」に関する記述が無いのが事実です。
その点から言えば、現在の創価学会が「大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊」を公式に認めているとは言えないのが事実です。
そして、「大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊」を否定する文書も無いのも事実ですよ。
220 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/27(日) 22:20:45.80 ID:AUy/mzqT
>>211 >弘安2年以前の御本尊も「弘安2年の大御本尊」と同じ、とする根拠を聞いているのです。
「大聖人御図顕の文字曼荼羅本尊として同じ」が根拠ですよ。
>「弘安2年の大御本尊以外の本尊」という意味を含む「大聖人御図顕の文字曼荼羅本尊」とは言うのはおかしいではないか。
おかしくありませんよ。大聖人は「弘安2年の大御本尊」の尊形を以前の「文字曼荼羅本尊」の尊形と特別に変えて建立したと言う話はありません。
以前の門下に与えた御本尊を弘安2年以降に取り替えたという話もありません。
「弘安2年の大御本尊」も「弘安2年以前の大御本尊」も「大聖人御図顕の文字曼荼羅本尊」であり、
大聖人が「出世の本懐」と宣言したことにより、「全ての大聖人御図顕の文字曼荼羅本尊=一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊」となったのですよ。
>分身散体の御本尊が「一閻浮提総与の大御本尊」なのではなく
いいえ、そうですよ。分身散体の意味は、分身がそのまま仏身ですから分身散体の御本尊は「一閻浮提総与の大御本尊」ですよ。
>「分身」が「本体」なのではなく、功徳において「本体」と等しいということ。
いいえ、あなたの分身散体に対する理解が違いますよ。分身散体に「本体」と「分身」という関係はありません。
分身散体は本仏が衆生教化のため身を分かって種々の国土にあらわした仏身のことです。分身は仏身でありその国土における本仏ですよ。
221 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/27(日) 22:33:45.48 ID:HE8/pek2
222 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/27(日) 23:13:58.65 ID:AUy/mzqT
>>212 >しかし、「法門」上における見解として説明するのであれば、「一閻浮提総与の大御本尊」と「分身散体」たる家庭の形木本尊は違う。
どこの「法門」ですか?
「分身散体」において違いはありませんよ。
「弘安二年の大御本尊」と、会館や各家庭の御本尊との違いは、
広宣流布の暁に本門寺本堂(事の本門戒壇)に安置される御本尊として、日興が指定している御本尊だからです。
「法門」上、違うと言っても、事の本門戒壇に安置されるために指定されている御本尊と言うことであり、
会館や各家庭の御本尊と「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊」としての違いはありませんよ。
>同志である学会員には困った人と思われ
いいえ、「分身散体」を忍者の「分身」と勘違いして「本体」と「残像」のように言う人はいませんよ。
少なくとも、「分身散体」と言う用語を使うのであれば、ちゃんと調べる方が多く、
分身が実体の無い残像などの意味では無く、「仏身」であることを知っていますよ。
223 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/27(日) 23:16:42.71 ID:AUy/mzqT
>>216 >決して「大石寺の板本尊の教義上の意義を無くそう」という意図のもとで削除したのではありません。
しかし、事実から言えば「大石寺の板本尊」に関する教義上の意義を記述した文書が削除されていることですよ。
この点から言えば、「大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊の現物」を創価学会が公式に認めていると安易に言えないことです。
逆に、「大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊の現物」を創価学会が公式に否定しているとも言えません。
「大石寺の板本尊」に関する教義上の意義を記述した文書が削除されている事実があるだけです。
私がこの一連のやり取りで最初から言っているのは『創価学会は「大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊の現物」と『公式』に認めている』等の、
「大石寺の板本尊」に関して、認めるにしても否定するにしても『公式』と言う言葉を使った主張を『嘘』だと言っているだけですよ。
「弘安2年の大御本尊」の真実は、大聖人が「“日興上人”授与之」と認められ弘安2年に下附された御本尊のことであり、
それはおそらく弘安元年作の御本尊集54番である。との言い出しっぺは阿部教学部長か?
225 :
池田大作:2013/01/27(日) 23:35:47.70 ID:5rL0rVtz
全世界創価学会員よ!
田浦本部横須賀桜山支部の偉大なる男子部
高橋裕之氏が1月31日の宝くじ
及びグリーンジャンボ宝くじで1等・前後賞が当たるように
金を持っている大島優子似の女子部と結婚成就と障害者年金1級受給と健康とご長寿と貯金残高20億円と刑事権力から護り抜く
祈りを毎日30分しっかりと高橋裕之氏に題目を送って行こうではありませんか!横須賀総県創価学会員は喜んで祈るに祈っていこうではありませんか!
また女子部は何が起きても疑うことなく高橋裕之氏について行きなさい
いいね!
創価学会名誉会長
池田大作
>>223のらりくらりとした結論だな!
結局どっちに転んでもいいように
「あるとも言えないないとも言えない」
とどっち付かずのダブルスタンダードで
正に蝙蝠の様な信心だ
また仮に創価や君が弘安二年の板本尊を
大石寺の板本尊と仮に位置付けてみても
死ぬまで板本尊を拝する事は無理な訳で
だからこそ「日蓮正宗」なる一宗派を
「日顕宗」等とありもしない間違った
名を使い未だに板本尊を狙っているのだ
しかし「軒を借りて母家を取る」作戦は
ちょうど法華経で例えられた
「獅子身中の虫」そのものの姿だと思う
227 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/28(月) 07:22:49.30 ID:LCtgJplp
>>219 > >大石寺の板本尊に教義上の意味がなくなった、というのであれば、誰もが「信仰の根本」が変わったと思います。
>
> そう言い掛かりを付けているのは日顕宗とその擁護者だけですよ。
どういう言い掛かりですか。
旧会則には「日蓮正宗総本山大石寺に安置せられている弘安2年10月12日の本門戒壇の大御本尊を根本とする」と書かれていますが、実はそれは嘘だったということですか。
>と書いており、
>>98の内容を認めているではありませんか。
>
> いいえ、仮に
>>98の内容が本当であれば、私の主張していたことと一致する部分があると言っているだけですよ。
貴方は
>>131で、
> 創価学会が公式に認めている文書が現在は存在しないことが、
>>98の自己申告で明らかです。
と書いています。
「明らか」とは「はっきりとしていて疑う余地のないさま」という意味です。
ですから、仮定の話であるならば、「創価学会が公式に認めている文書が現在は存在しないことが明らか」とは言えません。
そもそも、仮定の話と受け取れる表現は、どこにもありません。
その都度その都度、話を取り繕おうとしても無駄ですし、何より信用を失います。
> またあなたは自分の主張を正当化させるために「師」を利用していますね。
貴方が学会員だと言うので、池田先生と師弟不二の信心を貫いている、ということを前提としてお話しているのです。
師弟不二の信心をしている人が、先生の指導を「教学の基礎」で斬り捨てるとは、思いもよりませんでしたよ。
228 :
池田大作:2013/01/28(月) 07:57:49.47 ID:BSVK8CyM
全世界創価学会員よ!
田浦本部横須賀桜山支部の偉大なる男子部
高橋裕之氏が1月31日の宝くじ
及びグリーンジャンボ宝くじで1等・前後賞が当たるように
金を持っている大島優子似の女子部と結婚成就と障害者年金1級受給と健康とご長寿と貯金残高20億円と刑事権力から護り抜く
祈りを毎日30分しっかりと高橋裕之氏に題目を送って行こうではありませんか!横須賀総県創価学会員は喜んで祈るに祈っていこうではありませんか!
また女子部は何が起きても疑うことなく高橋裕之氏について行きなさい
いいね!
創価学会名誉会長
池田大作
229 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/28(月) 07:58:53.67 ID:LCtgJplp
>>220 > >弘安2年以前の御本尊も「弘安2年の大御本尊」と同じ、とする根拠を聞いているのです。
>
>「大聖人御図顕の文字曼荼羅本尊として同じ」が根拠ですよ。
それでは「弘安2年の大御本尊(戒壇の大御本尊)」を特別に根本として定める必要はないことになります。
しかし、『創価学会の御本尊授与に関する法門上の見解』には、
> 今回、学会が会員の方々に授与するお形木御本尊は、日寛上人が大聖人出世の本懐たる「戒壇の大御本尊」をお写しされた御本尊である。
> ゆえに、「大御本尊根本」の信心はいささかも変わらず、当然、これまでの御本尊と功徳においてなんら違いはない。
と書かれています。
貴方の主張から考えると、弘安2年の戒壇の大御本尊を書写しなくても、これまでの御本尊と功徳においてなんら違いはない、ということになり、学会が公式に示した法門上の見解を否定することになります。
名前は創価学会の名簿にありますが、その信心は、創価学会にはない、ということです。
> おかしくありませんよ。大聖人は「弘安2年の大御本尊」の尊形を以前の「文字曼荼羅本尊」の尊形と特別に変えて建立したと言う話はありません。
「相貌」の問題ではありません。大聖人がその御本尊を建立する際に込められた「意義」の問題です。
その意義を拝し、意義に込められた大聖人の精神を我が精神とすることこそ肝要です。
230 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/28(月) 08:02:27.67 ID:LCtgJplp
>>220 > いいえ、そうですよ。分身散体の意味は、分身がそのまま仏身ですから分身散体の御本尊は「一閻浮提総与の大御本尊」ですよ。
君の大好きな学会の公式HPには、
> 弘安2年(1279年)10月12日に一閻浮提総与の大御本尊を建立されたのです
と書かれています。
これからは、自分の家に安置している形木本尊を、「これは日蓮大聖人が弘安2年10月12日に建立された大御本尊です」と言いなさい。
> 分身散体は本仏が衆生教化のため身を分かって種々の国土にあらわした仏身のことです。分身は仏身でありその国土における本仏ですよ。
「本仏」とは、無数の仏の中で、根本となる仏のことです。
ここで言う「本仏」とは、言うまでもなく「一閻浮提総与の大御本尊」です。
分身散体の御本尊に祈っても、一閻浮提総与の大御本尊に祈ったのと同じ功徳が得られます。
なぜなら、全ての分身散体への祈りは、すべて一閻浮提の御本尊に帰一するからです。(戸田先生の指導にも、同趣旨のものがあります)
ところで「その国土における本仏」とは何ですか?
本仏に、この国も、あの国もありません。どこにあっても本仏は本仏です。
231 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/28(月) 08:17:19.02 ID:LCtgJplp
>>222 > どこの「法門」ですか?
>「分身散体」において違いはありませんよ。
言い訳するだけで精一杯で、何を議論しているのかも分からなくなりましたか(笑)
当然、分身散体の法門についてですよ。
分身散体は、まず一閻浮提総与の大御本尊があり、その分身として存在します。つまり、一閻浮提総与の大御本尊が存在しなければ、その分身散体も存在しないのです。
ですから「分身散体の功徳は大御本尊の功徳と等しい」と言う人はいても、「大御本尊は分身散体です」と言う人はいません。
両者に違いがあるからです。
>「法門」上、違うと言っても、事の本門戒壇に安置されるために指定されている御本尊と言うことであり、
> 会館や各家庭の御本尊と「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊」としての違いはありませんよ。
逆に言うと、ではなぜ日興上人は、弘安2年の大御本尊を事の本門戒壇に安置される御本尊と指定されたのか、ということです。
違いがないのであれば、別に弘安2年の大御本尊でなくてもいいじゃありませんか。
その部分への考察が、決定的に欠如していますね。
> いいえ、「分身散体」を忍者の「分身」と勘違いして「本体」と「残像」のように言う人はいませんよ。
私は『忍者の「分身」』とか『「本体」と「残像」』など、一言も述べていませんよ。君が勝手に創り出した話です。
私が言っているのは、まず根本となる一閻浮提総与の大御本尊があって、それを書写することによって、分身散体の御本尊が存在する。
そして分身散体の御本尊に祈ることによって、大御本尊に祈ったのと変わりない功徳を得られるということです。
・・・この問答もどきが虚しいのは創価の根本が名誉会長とその聖家族だからだ。
将来的には大御本尊を否定するのは間違いなく公式教学擁護者も戒壇本尊偽作論者。
自演氏は自義と異なる書き込みを続けて悩乱しないのだろうか。
(とっくに悩乱しているから延々と続けているのだがw)
所詮、法盗人の新興宗教に教学大系は築けない。
233 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/28(月) 08:58:11.55 ID:O+AasVLx
>>223 >しかし、事実から言えば「大石寺の板本尊」に関する教義上の意義を記述した文書が削除されていることですよ。
貴方は以前、
>>144で
>その必要がある事案は創価学会が文書として発表することです。
と書いていますね。
その観点から、会則にある『一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊を信受し』を見てみましょう。
確かに旧会則にあった『日蓮正宗総本山大石寺に安置せられている』は無くなっています。
しかし、この『日蓮正宗総本山大石寺に安置せられている』という一節は、果たして現在の学会において『必要がある事案』でしょうか。
なぜなら、『「分身散体」の意義に照らして、弘安2年の大御本尊を書写した御本尊を正しい信心で受持することはそのまま大御本尊の受持になります』(「創価学会会則の改正について」より)と結論されるからです。
ましてや大聖人の仏法においては、御義口伝で「今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者の住処は山谷曠野(せんごくこうや)皆寂光土なり此れを道場と云うなり」と述べられている通り、一生成仏の肝要は「場所」ではありません。あくまでも「信心」です。
その意味において、大御本尊の場所を説明する『日蓮正宗総本山大石寺に安置せられている』等の言葉は、『必要がある事案』とは言えないと思います。ですから削除してもいいのです。
ただし、「創価学会会則の改正について」に『弘安2年の大御本尊を書写した御本尊』が前提条件になりますから、大石寺の戒壇の大御本尊の教義上の意義まで否定してはいけません。
(続く)
234 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/28(月) 09:01:25.59 ID:O+AasVLx
>>223 (続き)
でも貴方は、大石寺の戒壇の大御本尊は弘安2年の大御本尊ではないかもしれない、と思っているのでしたっけ? それもまた困りましたね〜(笑)
創価学会は、日蓮正宗創価学会時代も、独立した教団になってからも、現実の問題として、大石寺の大御本尊を弘安2年の大御本尊として信じてきました。
その戒壇の大御本尊が、教義上の意義を失ったとなれば、それこそ『その必要がある事案は創価学会が文書として発表することです』になるのではないでしょうか?
『日蓮正宗総本山大石寺に安置せられている』等の言葉を、こっそり削除しておけばいい、という話にはなりませんよ。
それまでは『日蓮正宗総本山大石寺に安置せられている弘安2年10月12日の本門戒壇の大御本尊を根本』としてきたのですから、その戒壇の大御本尊が教義上の意味が無くなったのであれば、それこそ『必要がある事案』となります。
これが『必要がある事案』でなければ、一体他の何が『必要がある事案』となるのか、というくらい重要な問題です。
しかし現実には、「大石寺の戒壇の大御本尊は、教義上の意義が無くなりました」と、創価学会が文書として発表した事実はありません。
なぜか理由は分かりますね? 教義上の意義が変わらず存在するからです。他に理由は考えられません。
235 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/28(月) 09:26:23.96 ID:O+AasVLx
>>223 >私がこの一連のやり取りで最初から言っているのは『創価学会は「大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊の現物」と『公式』に認めている』等の、
>「大石寺の板本尊」に関して、認めるにしても否定するにしても『公式』と言う言葉を使った主張を『嘘』だと言っているだけですよ。
既に
>>89で、公式に認めているソースが示されているではありませんか。
秋谷(当時)会長が、『我々が決別したのは、大御本尊ではなく“ニセ法主”日顕だ。我々は、ますます大聖人直結、大御本尊根本の信心で進んでいる』と明確に述べられています。
反論があるのなら、これを否定する公式見解を出して述べることです。
この会長発言を否定する公式見解が出せなければ、いかなる理屈も個人による勝手な見解と見なして相手にしませんので、あしからず。
236 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/28(月) 15:13:49.35 ID:25MPs8U7
237 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/28(月) 17:57:11.84 ID:LCtgJplp
>>193 > 大石寺の化儀に縛られていない現在の創価学会は、大石寺の伝説のみを根拠にして、
> 現代において「大石寺の板本尊=弘安2年10月12日の本門戒壇の大御本尊の現物」としている文書は存在しません。
前から気になっていたけど、それは大石寺「化儀」じゃなくて「化法」。
「就中弘安二年の本門戒壇の御本尊は、究竟中の究竟、本懐の中の本懐なり。既にこれ三大秘法の随一なり。況や一閻浮提総体の本尊なる故なり」(観心本尊抄文段)
【三大秘法の随一】が「化儀」なわけがないだろ。
238 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/28(月) 21:16:47.97 ID:/GOW8+ct
>>227 >どういう言い掛かりですか。
「旧会則には「日蓮正宗総本山大石寺に安置せられている弘安2年10月12日の本門戒壇の大御本尊を根本とする」と書かれていますが、実はそれは嘘だったということですか。」
と、いう言い掛かりですよ。
>そもそも、仮定の話と受け取れる表現は、どこにもありません。
この場で「電話で確認した」などと言う自己申告をそのまま信用する理由はありませんよ。
私の主張と一致する部分があると言うだけです。
その上で、「別の宗教団体」が所蔵する曼荼羅に関して、現状は公式に何も発表していないことが明らかになっただけです。
あなたが、「電話確認」の内容に異議を唱え、「別の宗教団体」が所蔵する曼荼羅に関して現在の創価学会が教義に関する文書で
「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊=大石寺の板本尊」としている文書があれば、出せばいいだけですよ。
あなたはそれが出来ずに、様々な話題を出して、必死に誤魔化そうとしているだけですよ。
現在の創価学会の教学に関する文書で、「別の宗教団体」が所蔵する曼荼羅に関して教義上の意味を説明している文書はありません。
そのため、現在の創価学会は「大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊の現物」と『公式』に認めているとは安易に言えません。
同様に「大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊の現物」を『公式』に否定した文書もありません。
「大石寺の板本尊」に関する教義上の意義を記述した文書が削除されている事実があるだけです。
私がこの一連のやり取りで最初から言っているのは『創価学会は「大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊の現物」と『公式』に認めている』等の、
「大石寺の板本尊」に関して、認めるにしても否定するにしても『公式』と言う言葉を使った主張を『嘘』だと言っているだけですよ。
239 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/28(月) 21:34:39.08 ID:/GOW8+ct
>>227 >師弟不二の信心をしている人が、先生の指導を「教学の基礎」で斬り捨てるとは、思いもよりませんでしたよ。
あなたが「師匠」を利用すれば、自論の正当化が出来ると勘違いしているだけですよ。
>ところで「その国土における本仏」とは何ですか?
そのままの意味ですよ。
身を分かって様々な国土に出現した仏身は、その国土における本仏ですよ。
「法華経の智慧」などを読んだことが無いのですか?
仏と時と国土の関係が説明されていますよ。
240 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/28(月) 21:46:30.07 ID:LCtgJplp
>>238 >「旧会則には「日蓮正宗総本山大石寺に安置せられている弘安2年10月12日の本門戒壇の大御本尊を根本とする」と書かれていますが、実はそれは嘘だったということですか。」
> と、いう言い掛かりですよ。
では「日蓮正宗総本山大石寺に安置せられている弘安2年10月12日の本門戒壇の大御本尊を根本とする」とは、本当だったと。
ということは、新会則で「信仰の根本」が変わったことになる。
> この場で「電話で確認した」などと言う自己申告をそのまま信用する理由はありませんよ。
> 私の主張と一致する部分があると言うだけです。
信用できなければ、「私の意見」とやらが正しいかどうかを、自分で確認すれば済む話。
しかも、その信用できない話を取り上げて「私の主張と一致する部分がある」と言う莫迦はいない。
話の取り繕いは必死なのは分かるが、ボロが出ないように、もっと考えてやることだ。
> その上で、「別の宗教団体」が所蔵する曼荼羅に関して、現状は公式に何も発表していないことが明らかになっただけです。
聖教新聞に掲載されているではないか。
・『我々が決別したのは、大御本尊ではなく“ニセ法主”日顕だ。我々は、ますます大聖人直結、大御本尊根本の信心で進んでいる。』
http://www.geocities.jp/shinichizz/gakkai/gohonzon/gohonzon-gokinkoku.txt ・『そもそも大御本尊は、日蓮仏法の教義の根本じゃないか』
http://www.3colorflags.net/sintyaku/200203081.txt いずれも、大石寺の板本尊という文脈で「大御本尊」という言葉を使っている。
しかも、これを否定する見解は、一切発表されていない。
> あなたが、「電話確認」の内容に異議を唱え、
その電話の内容を正しいと思っている私が、なぜ異議を唱えなければいけないのですか(笑)
異議を唱えるのは、私ではなく君だよ。
> あなたはそれが出来ずに、様々な話題を出して、必死に誤魔化そうとしているだけですよ。
このスレをロムしている誰もが、「それはお前のことだろ」と思っている件。
241 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/28(月) 21:54:23.13 ID:LCtgJplp
>>239 > あなたが「師匠」を利用すれば、自論の正当化が出来ると勘違いしているだけですよ
はい。君に対しては完璧に勘違いでした。
「池田先生が、このように指導されています」と言えば、真面目に信心をしている学会員は納得するものです。
「師弟相違せばなに事も成べからず」ですから。
とりあえず、君が池田先生の不二の弟子ではないということだけは、はっきり分かりました。
> 身を分かって様々な国土に出現した仏身は、その国土における本仏ですよ。
で、その本仏は「弘安2年10月12日に建立された大御本尊」なのですか?
不思議ですね。大聖人が弘安2年10月12日に、無数ともいえる本尊を建立されたなんて。
242 :
eco ◆Smw69BiSBo :2013/01/28(月) 22:15:41.00 ID:03qw3NCV
>>198 内部アンチ君・・と言われても 様々な人がいるので
誰を指して述べているのか? なんとも言えないので答えらませんが
但し「何を基準にして否定」と判断しているのか 存じませんが
私の場合 責任は追及していますが 特に代々の会長を否定した事はありません。
また 池田氏の場合は突っ込む事が多いのですが
牧口氏と戸田氏の場合は援護している内容を書いているつもりです。
それでも読み手によって捉え方が様様なので 計算通りには 行かない事も多多ある今日この頃です。
因みに 弘安2年10月12日に顕された本尊を否定しなかったり、信じるのは
その曼陀羅に羅列されている 御本尊の内容と「対告の内容」が
全部を網羅しているから・・と言うのが 主な理由ですが
但し全部を網羅しているが故に 個人的には あの御本尊は諸刃の剣とも考えています。
243 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/28(月) 22:19:04.50 ID:2JNqEBWu
ここ一人芝居スレ?
244 :
eco ◆Smw69BiSBo :2013/01/28(月) 22:29:09.41 ID:03qw3NCV
245 :
eco ◆Smw69BiSBo :2013/01/28(月) 22:35:03.73 ID:vY01zpec
246 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/28(月) 22:49:13.82 ID:/GOW8+ct
>>240-241 >ということは、新会則で「信仰の根本」が変わったことになる。
いいえ、「弘安2年10月12日の本門戒壇の大御本尊を根本とする」は現状変わってはいませんよ。
「日蓮正宗総本山大石寺に安置せられている」と言う記述が削除され、「本門戒壇の大御本尊」の現代における所在に関する記述が無いだけです。
このため「信仰の根本」に変更はありませんよ。
>話の取り繕いは必死なのは分かるが、ボロが出ないように、もっと考えてやることだ。
いいえ、そのような話は最初からしていませんよ。
私がこの一連のやり取りで最初から言っているのは『創価学会は「大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊の現物」と『公式』に認めている』等の、
「大石寺の板本尊」に関して、認めるにしても否定するにしても『公式』と言う言葉を使った主張を、
現在の創価学会の文書から「大石寺の板本尊」に関する記述が削除されている事実に基づいて『嘘』だと言っているだけです。
あなたが反論するには、『自己申告の「電話で確認した」』とか、「会則改定以前の文書の記述」や「師匠を利用した自論の正当化」、
「勘違いした用語解釈」などと言った話を拡散させて誤魔化す手法を使うのでは無く、
現在の創価学会の文書で「大石寺の板本尊」に関する創価学会の教義上の記述を出せば終わりですよ。
>不思議ですね。大聖人が弘安2年10月12日に、無数ともいえる本尊を建立されたなんて。
そのような発想をするあなたが「不思議」ですよ。
247 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/28(月) 23:15:55.95 ID:LCtgJplp
>>246 > 「日蓮正宗総本山大石寺に安置せられている」と言う記述が削除され、「本門戒壇の大御本尊」の現代における所在に関する記述が無いだけです。
どこに所在しているかなど、問題ではありません。
もし、富士宮ではなくて、北海道に安置されていたとしたら、それが何だというのですか。
> このため「信仰の根本」に変更はありませんよ。
旧会則には「日蓮正宗総本山大石寺に安置せられている弘安2年10月12日の本門戒壇の大御本尊を根本とする」とありました。
この「日蓮正宗総本山大石寺に安置せられている弘安2年10月12日の本門戒壇の大御本尊」でなければ、「信仰の根本」が変わったといいます。
> いいえ、そのような話は最初からしていませんよ。
はい!また逃げましたね。
248 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/28(月) 23:17:16.66 ID:LCtgJplp
>>246 > 現在の創価学会の文書から「大石寺の板本尊」に関する記述が削除されている事実に基づいて『嘘』だと言っているだけです。
君の文章自体が間違っている。
大御本尊の所在地が記されていなければ、「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊」は大石寺の板曼荼羅ではないかも…という発想自体が悩乱しているのです。
いつ、誰が、「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊」の定義を変えたのか ----- それを出せなければ、変わっていないということ。そもそも変える理由など存在しない。
> 現在の創価学会の文書で「大石寺の板本尊」に関する創価学会の教義上の記述を出せば終わりですよ。
>>240で出しました。聖教新聞で発表される見解こそ公式見解です。
それを否定する見解を出せないで、意味不明な話を連投しているのが君。
> 不思議ですね。大聖人が弘安2年10月12日に、無数ともいえる本尊を建立されたなんて。
>
> そのような発想をするあなたが「不思議」ですよ。
日蓮大聖人御図顕の曼荼羅は、どれも一閻浮提総与の大御本尊と言ったのは私ではなく君。
だとすると、無数に存在することになるではないか。
君の家にある形木本尊も、一閻浮提総与の大御本尊なんだろ?
いい加減、止めればいいのに。
数年前にネット上の別なところで持論を展開し、散々叩かれたのを「忘れた」のかね。
事ここに至っては、貴方のやるべきことは、ここで吠えることではなく、創価学会本部に問い合わせること。
これをしない限り、「誰もまともに相手にしない」と思って間違いない。
これをしないという事は、自分の心を師匠にしてしまっていると「内(学会)外(日顕宗他)に宣伝」していることになるんだぞ。
250 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/29(火) 00:11:37.49 ID:16VExhOw
>>249 別の場所でも叩かれていたのですか。
まあ、こんな訳のわからない事ばかり書いていたら、叩かれますよね。
自分の言動が、どれだけ悪い影響を及ぼしかねないのか、全く考えもしないのでしょう。
251 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/29(火) 01:04:16.08 ID:LIImukWw
>>247 >「日蓮正宗総本山大石寺に安置せられている弘安2年10月12日の本門戒壇の大御本尊」でなければ、「信仰の根本」が変わったといいます。
日顕宗の信者そのままの言い掛かりを付けていますね。
「信仰の根本」は「弘安2年10月12日の本門戒壇の大御本尊」で、現在の創価学会の文書の記述上も変わりはありません。
「日蓮正宗総本山大石寺に安置せられている」が削除されている事実があるだけですよ。
>大御本尊の所在地が記されていなければ、「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊」は大石寺の板曼荼羅ではないかも…という発想自体が悩乱しているのです。
いいえ、当然の発想ですよ。
現在の創価学会は自立した宗教団体として広宣流布の実現を教義上も明記しています。「信仰の根本」が他宗所蔵の曼荼羅に依存した教義を掲げているほうが不自然ですよ。
現在の創価学会の文書上では、「大石寺の板本尊」に依存しているとは言えず、「大石寺の板本尊」が「弘安2年の大御本尊の現物」かどうかにも関係なく、
旧会則の「弘安2年10月12日の本門戒壇の大御本尊」=「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊」であることから「信仰の根本」に変わりはありませんよ。
>だとすると、無数に存在することになるではないか。
本体と分身の区別が無い分身散体の御本尊が無数に存在するのは当たり前です。
あなたは、「大聖人が弘安2年10月12日に、無数ともいえる本尊を建立した」と言っているのですから、その発想は「不思議ちゃん」ですよ。
252 :
eco ◆Smw69BiSBo :2013/01/29(火) 02:13:18.18 ID:53FTdshR
253 :
eco ◆Smw69BiSBo :2013/01/29(火) 02:26:31.78 ID:53FTdshR
>>252で示したブログ記事に写した「例の大阪事件の項目」 赤で囲った部分は 例の創価学会の新会則にも当て嵌まります。
本来ならば「但し書き」を添えなければ 不明瞭かつ曖昧な表現にもなってしまうので
今は答えられても 20年後30年後あたりに差し掛かれば
元の情報がない故に 大石寺にあった事など知らない世代に移るので
「一閻浮大総与の御本尊って本当にあるの?証拠は?」などと言いがかりをつけられたら
答えられないので 幻だ!などと騒がれたらお終いだし
下手したら「人本仏迹 自己本尊」なんて おかしな説法をする人が出てくる可能性も否めず
従って 会則で「大石寺の名前を削除する」行為は
焚書坑儒にも等しいのではないでしょうか?
誰かが答えられるだろう・・なぁ〜んて
希望的憶測で物事を考える事自体が「怠惰の大敵」じゃないでしょうか?
人間はいつか死ぬし 伝える人も何時か死ぬんです。
そこを よくよく考えてください。
子供に物事を正しく伝えなければ途切れてしまうんです。
254 :
eco ◆Smw69BiSBo :2013/01/29(火) 02:41:30.01 ID:53FTdshR
>>251宛て(
>>252-253のつづき)
「大石寺に一閻浮大総与の御本尊がある事を会則から削除した事」が原因で
不明瞭な回答になっているが故に 今は日蓮正宗を辞める創価の信者が少なくても
20〜30年後になれば その不明瞭さを弱みに 日蓮正宗側が
「一閻浮大総与三大秘法の大御本尊は家(大石寺=日蓮正宗)にある
創価学会にはない」などと逆に宣伝されて釣りあげられ
創価学会を脱会して日蓮正宗へ行っちゃう
信者が大量に出てきて一気に逆転してしまう可能性があります
何せ先方は「明確」に答えを示している状態ですから そこで比べられてしまう。
従って 言いがかりも糞もないし 寧ろ 言いが掛かりをつけられてしまう
創価の油断は反省が出来ないんでしょうか?
>>252に示したブログにも書いてあったでしょ
「責任者は一つの物事を明確にしなければ いかようにも利用されてしまう」・・と言う事を
実体験を交えて書かれていましたよね〜
255 :
eco ◆Smw69BiSBo :2013/01/29(火) 02:46:16.13 ID:53FTdshR
>>今は日蓮正宗を辞める創価の信者が少なくても→×
今は日蓮正宗へ流れる創価の信者が少なくても
20年後30年後には不明瞭な回答が原因で形成が逆転するだろう・・と言う事を
>>254では言いたかったわけ
256 :
eco ◆Smw69BiSBo :2013/01/29(火) 02:59:44.32 ID:53FTdshR
もう一度
>>251に質問致します
・一閻浮大総与三大秘法の大御本尊は誰が顕しましたか? また正体は?
・佐渡流罪以降 佐渡始顕など色々御本尊が顕されましたが
何故 改めて弘安2年10月12日に出生の本懐と規定して顕したのでしょうか?
・また それは今でも存在していますか?
存在している・・としたら 何処に存在していますか?
漫画NARUTO 最新号をみると、九尾が後ろにいて、四代目火影(四代目日天皇・四代目日王)+クシナ姫(九州支那)の血を受け継いでいるのは、俺なんだけど、
俺は九尾のチャクラ(九州の権力)を分配したりはしてないよ。何もしてないから。外見も異なり、あんなに背が低くない。
恐らくは、うちはオビト? 俺の偽者で、俺の敵の人が、俺の権力の一部を勝手に分配してしまったのでは?
まぁ、そんな事をしても、外国勢力の力で潰せてしまうけど。
258 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/29(火) 07:52:24.17 ID:taZz4sSQ
>>251 >「信仰の根本」は「弘安2年10月12日の本門戒壇の大御本尊」で、現在の創価学会の文書の記述上も変わりはありません。
>「日蓮正宗総本山大石寺に安置せられている」が削除されている事実があるだけですよ。
つまり以前は、「日蓮正宗総本山大石寺に安置せられている弘安2年10月12日の本門戒壇の大御本尊」だったのが、
現在は「日蓮正宗総本山大石寺に安置せられて“いないかもしれない”弘安2年10月12日の本門戒壇の大御本尊」になったというわけだな。
言いたい事だけは分かった。
しかしそれでは、あまりにも創価学会の信仰を莫迦にし過ぎ。その一言に尽きる。
> 現在の創価学会は自立した宗教団体として広宣流布の実現を教義上も明記しています。
宗門と絶縁になる前から、創価学会は自立した宗教団体です。それは「中央公論」で池田先生が田原総一郎氏と対談した際に明言しています。
宗門と絶縁になったから、自立した宗教団体になったと考えているとすれば、本質が見えていません。
また、宗門と絶縁したから、それまで教義として定めていたものを、変えていいということにはなりません。
それでは、今まで信じてきたものは“邪義”だったということになります。邪義であれば、いかなる理由があろうと謗法であり、日蓮正宗創価学会時代の学会員は、成仏できなかったどころか、一人も残らず地獄に堕ちたことになります。
ですから、日蓮正宗創価学会時代と現在の創価学会の教義は、(化儀のあり方は別として)変わることがあってはなりません。
259 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/29(火) 07:55:34.89 ID:taZz4sSQ
>>251 > 現在の創価学会の文書上では、「大石寺の板本尊」に依存しているとは言えず、
日蓮仏法における信心には「依存」の二文字は存在しません。
日蓮正宗創価学会時代は、大石寺の板本尊に依存していたなどと言うのであれば、その当時の学会員への冒涜です。
> 本体と分身の区別が無い分身散体の御本尊が無数に存在するのは当たり前です。
私は一言も「分身散体の御本尊が無数に存在していない」などとは書いていません。
私が言っているのは、君の主張からすれば、「一閻浮提総与の大御本尊」が無数に存在することになりますね?ということです。
それはそうと、「一閻浮提総与の大御本尊」とは、大聖人が弘安2年10月12日に建立された御本尊の呼称です。これが話の大前提です。
ところが君は、
>>220で
> 分身散体の御本尊は「一閻浮提総与の大御本尊」ですよ。
と書いています。これが間違いだと言っているのです。
「分身散体の御本尊の功徳は、一閻浮提総与の大御本尊と等しい」の言うのは正しい。しかし、「分身散体の御本尊は、一閻浮提総与の大御本尊である」と言ったら間違いになる。
異論があるなら、「学会が授与している御形木御本尊は、一閻浮提総与の大御本尊です」という学会公式の文書を出しなさい。君の勝手な憶測など誰も問題にしていないのだから。
260 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/29(火) 07:59:04.21 ID:tPsNfekt
本尊と仏壇には朝鮮半島の呪術がかけられています。
この呪術のおかげで学会員は金を吸い取られていくのでした。なんまんだぶw
261 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/29(火) 08:15:27.38 ID:taZz4sSQ
>>251 > 「信仰の根本」が他宗所蔵の曼荼羅に依存した教義を掲げているほうが不自然ですよ。
不自然かどうかといった君が感じる印象の問題ではない。その信心が正しいのか間違っているのかの問題である。
戒壇の大御本尊に限らず、その本尊を誰が所有しているかというのは、本尊の意義・価値には一切影響しない。影響すると言っているのは日顕宗である。
日精いわく万年救護御本尊も弘安2年に授与されたらしいぞ。
264 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/29(火) 12:26:29.27 ID:V7MzDAGr
>>261 >不自然かどうかといった君が感じる印象の問題ではない。その信心が正しいのか間違っているのかの問題である。
その通りであります。
創価は教義と本尊を盗んで在家の豚を信仰する洗脳宗教であります。
265 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/29(火) 14:08:25.63 ID:ZIzRI0Bi
池田本仏論
>>263一応、訂正。
板橋の学会幹部に拝む資格はない。
267 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/29(火) 21:41:21.23 ID:e+f+bqfO
268 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/29(火) 23:21:51.30 ID:LIImukWw
>>258 >しかしそれでは、あまりにも創価学会の信仰を莫迦にし過ぎ。その一言に尽きる。
それはあたなの感想ですよ。
信仰の根本は「弘安2年10月12日の本門戒壇の大御本尊」で現在の創価学会の文書上も変わりがありません。
他宗教団体が所蔵している「大石寺の板本尊」に関する記述が現在の創価学会の文書から教義上の意味も含めて削除された事実があるだけです。
>ですから、日蓮正宗創価学会時代と現在の創価学会の教義は、(化儀のあり方は別として)変わることがあってはなりません。
ならば、あなたが変わったと感じる箇所は「化儀」と言うことですよ。
>>259>>261 >それはそうと、「一閻浮提総与の大御本尊」とは、大聖人が弘安2年10月12日に建立された御本尊の呼称です。これが話の大前提です。
そうですよ。このため、大聖人が建立した御本尊が一つであっても、「分身散体」を用いた場合、各会館や各家庭の御本尊も「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊」となり無数に存在します。
あなたは何を勘違いしたのか「分身散体」によって無数に存在する御本尊を「大聖人が弘安2年10月12日に、無数ともいえる本尊を建立されたなんて」などと「不思議ちゃん」発想をしたのですよ。
269 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/29(火) 23:55:53.88 ID:taZz4sSQ
>>268 > 信仰の根本は「弘安2年10月12日の本門戒壇の大御本尊」で現在の創価学会の文書上も変わりがありません。
> 他宗教団体が所蔵している「大石寺の板本尊」に関する記述が現在の創価学会の文書から教義上の意味も含めて削除された事実があるだけです。
はい。君の意見はよく分かりました。
信仰の根本が、大石寺の板本尊だったのが、新会則で大石寺の板本尊かもしれないし、そうでないかもしれない本尊に変わったと。
まあ、意見は分かったというだけで、ふざけた定義に、呆れて開いた口がふさがりませんが。
> ならば、あなたが変わったと感じる箇所は「化儀」と言うことですよ。
何の話ですか?
信仰の根本を「化儀」などという人間だけに、理解不能な邪推が留まることを知りませんね。
> 各会館や各家庭の御本尊も「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊」となり無数に存在します。
今度、会館に行くことがあったら、その会館に安置されている御本尊について、地元の学会員に「この御本尊は一閻浮提総与の大御本尊ですよね」と聞いてみなさい。
もっとも、学会活動など無縁な君に、そんな機会が訪れるかどうか知りませんがね。
> あなたは何を勘違いしたのか「分身散体」によって無数に存在する御本尊を「大聖人が弘安2年10月12日に、無数ともいえる本尊を建立されたなんて」などと「不思議ちゃん」発想をしたのですよ。
「一閻浮提総与の大御本尊」とは、大聖人が弘安2年10月12日に建立された御本尊の呼称である、ということを認めておきながら、各会館や各家庭の御本尊も「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊」となり無数に存在しますというのが、君の脳内定義。
その君独自の脳内定義からいけば、大聖人が弘安2年10月12日に、無数ともいえる本尊を建立された、ということになる。
どこの誰が、各会館や各家庭の御本尊に、「一閻浮提総与の大御本尊」という呼称をつけたのかって。
お前一人しかいないだろ。
270 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/30(水) 02:22:20.98 ID:sacje5AQ
>>269 >今度、会館に行くことがあったら、その会館に安置されている御本尊について、地元の学会員に「この御本尊は一閻浮提総与の大御本尊ですよね」と聞いてみなさい。
現在の創価学会が「全世界に授与してる日寛上人書写の御形木御本尊」が事実上の「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊」で間違いありませんよ。
弘安2年の御本尊と会館や各家庭の御本尊との違いは、大聖人直筆か書写かと言う点と、弘安2年の御本尊が広宣流布の暁に本門寺の本堂に安置され「事の本門戒壇の大御本尊」とするよう日興上人に指定されている御本尊である点だけです。
「分身散体」に意義から言えば、会館や各家庭の御本尊と弘安2年の御本尊は「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊」と言う点で異なる点はありませんよ。
271 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/30(水) 02:31:30.09 ID:P6OYt+4t
大石寺大講堂に安置している万年救護御本尊を模刻した本尊には功徳はあって
保田妙本寺にある真筆の万年救護本尊には功徳はないというのはどういう理屈か?
戒壇の本尊に連ならないと真筆本尊でも功徳がないというのは一体御書のどこに
かかれてあるのか?
272 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/30(水) 03:49:36.79 ID:HI91/Gft
>>271 >大石寺大講堂に安置している万年救護御本尊を模刻した本尊には功徳はあって
保田妙本寺にある真筆の万年救護本尊には功徳はないというのはどういう理屈か?
お前の屁理屈は、身延の大聖人の御真筆にも功徳があるということか?
草木成仏の原理も解らぬ間抜けが!
一生悩んでろ!
273 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/30(水) 07:02:43.54 ID:PWyLx9zc
>>272 > お前の屁理屈は、身延の大聖人の御真筆にも功徳があるということか?
あります。しかし身延の信者の信心が間違っているので、功徳が顕われないのです。
> 草木成仏の原理も解らぬ間抜けが!
あなた方の教義からいけば、大聖人御真筆の本尊なら、大聖人が開眼供養したことになるよね。
大聖人が開眼供養したのに、その本尊は草木成仏していないと?
一体どういう信心をしているのやら。
274 :
池田大作:2013/01/30(水) 07:16:16.28 ID:Uwx9+TAg
全世界創価学会員よ!
田浦本部横須賀桜山支部の偉大なる男子部
高橋裕之氏が1月31日の宝くじ
及びグリーンジャンボ宝くじで1等・前後賞が当たるように
金を持っている大島優子似の女子部と結婚成就と障害者年金1級受給と健康とご長寿と貯金残高20億円と刑事権力から護り抜く
祈りを毎日30分しっかりと高橋裕之氏に題目を送って行こうではありませんか!横須賀総県創価学会員は喜んで祈るに祈っていこうではありませんか!
また女子部は何が起きても疑うことなく高橋裕之氏について行きなさい
いいね!
創価学会名誉会長
池田大作
275 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/30(水) 07:20:33.71 ID:PWyLx9zc
>>270 > 現在の創価学会が「全世界に授与してる日寛上人書写の御形木御本尊」が事実上の「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊」で間違いありませんよ。
「君の事実」など誰も問題にしていません。
どうして君は、自分の意見が正しいかどうかを、客観的に確認するという作業から逃避するのですか?
>>98からも逃げたままですよね。
自分が己義に陥らないように、真摯に他人の意見にも耳を傾け、自分自身を客観視するという姿勢を、どうしてとれないのですか。
> 弘安2年の御本尊と会館や各家庭の御本尊との違いは、大聖人直筆か書写かと言う点と、弘安2年の御本尊が広宣流布の暁に本門寺の本堂に安置され「事の本門戒壇の大御本尊」とするよう日興上人に指定されている御本尊である点だけです。
要するに、違いがあるわけじゃないか(爆)
自分で自分の間違いを証明するとは、自分に面白い人だね。
> 「分身散体」に意義から言えば、会館や各家庭の御本尊と弘安2年の御本尊は「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊」と言う点で異なる点はありませんよ。
「一閻浮提総与の大御本尊」とは、大聖人が弘安2年10月12日に建立された御本尊の呼称です。
学会が授与している形木本尊を、「一閻浮提総与の大御本尊」と名づけた人はいません。
いるとすれば、君一人です。
それにしても、君は北朝鮮みたいな人だね。
「これは普遍的に守っていかなければいけない」というものを、たった一人で否定し、たしなめる人たちを悪者呼ばわりする。自分こそ絶対の善だとして、周囲の意見に耳を貸さない。
まさに北朝鮮だよ。
276 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/30(水) 10:18:51.20 ID:HI91/Gft
>>273 >大聖人が開眼供養したのに、その本尊は草木成仏していないと?
一体どういう信心をしているのやら。
『うるし千杯に蟹の足ひとつ入れたらんが如し』
草木成仏の原理により開眼供養しても謗法があれば仏は去る。
しかし、笑えるな、戸田は身延の本尊なんぞニセだと言ったが、今の創価はOKか?
277 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/30(水) 10:25:03.42 ID:PWyLx9zc
>>276 > 草木成仏の原理により開眼供養しても謗法があれば仏は去る。
へー!これは初めて聞く話だ。
一度成仏したものが、環境の変化によって仏ではなくなると。
そもそも身延にある大聖人御真筆の御本尊が、どんな謗法を犯したのかってw
( ゚,_ゝ゚)バカジャネーノ
278 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/30(水) 10:35:50.03 ID:HI91/Gft
>>277 >一度成仏したものが、環境の変化によって仏ではなくなると。
環境の変化?
誰がそんなことを言った?
創価得意のすり替えか?
謗法を犯せば仏は去る。
お前ら新興宗教には観戒などの化義は皆無だからな。
創価も今や戸田の指導に背く新興宗教になったか?
落ちたものだな。笑。
279 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/30(水) 11:45:22.40 ID:PWyLx9zc
>>278 > 謗法を犯せば仏は去る。
ほー!おもしれーw
謗法を犯せば、その者が地獄に堕ちるという話は聞いたことがあるが、謗法を犯せば、草木成仏した本尊から仏界が逃げ出すという話は初耳だ。
まさか仏界だけどっかに飛び去るわけじゃないよね。草木と雖も十界互具だからな。
じゃあ、謗法を犯した者がいれば、その本尊には十界そのものが無くなるんだ。
で、誰がそんな新説を君に教えたのかね?( ̄ー ̄)ニヤリッ
280 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/30(水) 12:03:40.23 ID:fS58zDYQ
>>279 278ではないが「仏が去る」でおかしくないだろう。
信徒が謗法を犯しても仏は本尊にとどまったまま、相手が地獄に墜ちるのを仏が傍観するという義が正しいのか?
あるいは仏が本尊にとどまりながら法力で相手を積極的に地獄に落とすようにしむけるという義が正しいのか?
281 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/30(水) 12:10:20.40 ID:PWyLx9zc
>>280 > 278ではないが「仏が去る」でおかしくないだろう。
御本尊は「法」そのものであり、何か人間を超越した存在が住み着いて、信者を救ったり、ダメな信者を見限ってどこかに去るのではない。
> 信徒が謗法を犯しても仏は本尊にとどまったまま、相手が地獄に墜ちるのを仏が傍観するという義が正しいのか?
> あるいは仏が本尊にとどまりながら法力で相手を積極的に地獄に落とすようにしむけるという義が正しいのか?
どちらも間違い。
仏法とは生命の法則であり、その生命の法則に則って、功徳を受けたり、罰を受けたりする。
人間を超越した存在を祭りたて、その超越した存在の意向で、人間の幸・不幸が決まるのではない。
282 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/30(水) 12:17:25.42 ID:fS58zDYQ
>>281 法そのものなら、本尊が在ろうが無かろうが、拝もうが拝むまいが正法であろうが謗法であろうが関係なくなる。
生命の法則なら、万有引力の法則のように宇宙に遍在しているわけだから、全員が免れ得ないものだろう。
まして財務も公明党の集票もする必要は金輪際あるまい。
283 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/30(水) 12:23:05.78 ID:HI91/Gft
本門戒壇の大御本尊を離れて、大聖人の仏法は成り立ちません。
なぜなら、大聖人の仏法における信仰の対境は本門戒壇の大御本尊に限られるからです。
戸田会長はかつてこの場合の譬えとして次の指導をしています。
「電灯にたとえて考えてみると、ヒューズがとんで電流が流れてこない電灯は、電球が切れていないからといって、いくらつけても明るい光を発しないようなもので、電球は本物であっても、電流が流れてこなければ光が出ないのである。
したがって富士大石寺の大御本尊を拝まないものはすべて謗法である」
(折伏教典339頁)
現在、一部の学会員がニセ本尊でなく、日蓮正宗の本尊をそのまま拝んいる者がおりますが、功徳はないということになります。
創価は正しく腐り切ったな。
馬鹿の集まりだ。
284 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/30(水) 12:29:13.96 ID:o3Uu8rPe
>>282 > 法そのものなら、本尊が在ろうが無かろうが、拝もうが拝むまいが正法であろうが謗法であろうが関係なくなる。
法が存在しても、その法に則った仏道修行を行わなければ、人は仏になれない。
日蓮大聖人は、その法とは何か、そして、その法をどう実践したら仏になれるのかを、末法の衆生救済のために説かれた。
そういう基本的な質問であれば、今後、初心者質問スレで頼む。
実は牧口さんも戸田さんも臨終の相は
地獄の相だったらしいじゃないか?!
もし学会員が分身散体を引き継ぐならば
この地獄の相を一番に引き継ぎそうだな
286 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/30(水) 12:46:14.10 ID:fS58zDYQ
>>284 そういう法なら健康法とか蓄財法とかの「方法」と同じで多義多様でありうるし、「法則」とは言えない。
287 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/30(水) 12:46:45.70 ID:sacje5AQ
>>275 >どうして君は、自分の意見が正しいかどうかを、客観的に確認するという作業から逃避するのですか?
>>98からも逃げたままですよね。
この場で自己申告の
>>98を信用する理由がありませんよ。
あなたが現在の創価学会の教学書籍に記述のある「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊=大聖人御図顕の御本尊」を無視し逃げているのですよ。
>学会が授与している形木本尊を、「一閻浮提総与の大御本尊」と名づけた人はいません。
いいえ、 「分身散体」に照らせば、会館や各家庭の御本尊も「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊」で間違いありませんよ。
現在の創価学会の教学書籍には「大石寺の板本尊」に関する記述が削除されているのが事実です。
「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊」「弘安2年の大御本尊」「戒壇の大御本尊」等の表記を安易に「大石寺の板本尊」とするには、
あまりにも不自然なほど、徹底して「大石寺の板本尊」に関する記述が削除されているのが現実です。
当然、記述が削除されていても安易に「大石寺の板本尊」は「弘安2年の大御本尊」では無かったともなりません。
現状は創価学会が『公式』に「大石寺の板本尊」に対する見解を発表してはいない状態です。
このため、「現在の創価学会は大石寺の板本尊を弘安2年の大御本尊と『公式』に認めている」等、『公式』を使った場合は全て「嘘」です。
会則改定以前の戸田先生や池田先生の指導を使って「創価学会は大石寺の板本尊を弘安2年の大御本尊と『公式』に認めている」などと言うのは、日顕宗特有の「嘘」ですよ。
288 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/30(水) 12:53:36.89 ID:sacje5AQ
>>271 >戒壇の本尊に連ならないと真筆本尊でも功徳がないというのは一体御書のどこにかかれてあるのか?
それは、大石寺の主張ですから、大石寺に電話でもして聞きなさい。
ここにいる日顕宗は動物的な「反応」は出来ても、人間的な「回答」は出来ていないようですから、聞くだけ無駄ですよ。
289 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/30(水) 13:39:49.74 ID:o3Uu8rPe
>>287 > この場で自己申告の
>>98を信用する理由がありませんよ。
私は
>>98を信用しろと言っているのではない。
>>98のように、信用できる人間や組織に、自分の見解が正しいかどうかを確認する謙虚さ・慎重さを持つべきだと言っているのだ。
> あなたが現在の創価学会の教学書籍に記述のある「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊=大聖人御図顕の御本尊」を無視し逃げているのですよ。
一閻浮提総与の大御本尊と、一機一縁の御本尊を区別するのは当然。
「本門戒壇の本尊は応にこれ総体の本尊なるべし。これ則ち一閻浮提の一切衆生の本尊なるが故なり。自余の本尊は応にこれ別体の本尊なるべし。これ則ち面々各々の本尊なるが故なり」(観心本尊抄文段下)
逆に、「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊=大聖人御図顕の御本尊」という君の持論の文証は何か?
具体的に文を出しなさい。
> いいえ、 「分身散体」に照らせば、会館や各家庭の御本尊も「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊」で間違いありませんよ。
ですから、それは誰がそのように決めたのですか?と何度も聞いています。
君の考えなど聞いていないのだから、具体的な指導の一つでも出しなさい。
> 現状は創価学会が『公式』に「大石寺の板本尊」に対する見解を発表してはいない状態です。
学会が、信仰の根本について、曖昧な定義をすることはありません。
ですから、どうしても自分で判断がつかないのであれば、確実に知っている人に聞けばいいのです。
どうしてそれをしないのですか?
>>287横レス
> この場で自己申告の
>>98を信用する理由がありませんよ。
それは真実を見るのが怖いから、自分に都合のいい理由付けをしているだけ。
仮に、
>>98が
>>98の妄想だとしても、あなたがいい加減な形ではなく正式に創価学会に問い合わせるならば、創価学会はきっちりと答えるだろう。
少なくとも、何らかのアクションはあるはず。
(学会員が抱いている本尊に対する根本的疑問をそのままにしておくわけがない。)
繰り返しになるが、手紙を出せ。
それで、十中八九解決。
291 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/30(水) 14:58:51.33 ID:o3Uu8rPe
>>287 > 現在の創価学会の教学書籍には「大石寺の板本尊」に関する記述が削除されているのが事実です。
以前も指摘したが、言葉を間違えている。
削除されているのは「大石寺の板本尊」ではなく、一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊が「安置されている場所」だ。
しかしその理由は、『創価学会会則の改正について』に、
「どこか特定の場所に参拝しなければ成仏できないという日顕宗のような誤った考えは大聖人の御本意ではありません」と書かれているところから理解できる。
つまり「大切なことは場所ではない。信心である」と述べているのだ。
会則改正前に、そのような説明をしておきながら、実際の条文に「日蓮正宗大石寺に安置されている…」などという場所を説明した一節を付けるほうがおかしいではないか。
つまり、会則に「日蓮正宗大石寺に安置されている…」を削除したのは(教学書籍も同様)、大石寺の板本尊の教義上の意義を無くそうというものではなく、「学会の信心は聖地信仰ではない」という信条の表明であるのだ。
また、会則改定で大石寺の板本尊の意義に変わりは無いのだから、それ以前の、戒壇の大御本尊に関する会長指導は生きている。聖教新聞の記事も生きている。
それはそうと、君は新会則の「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊を信受し」を解釈する際に、『創価学会会則の改正について』をしっかり読んだのか。
あの短い「教義」の条文で、全ての意を表明することは困難だ。誤解される可能性も否定できない。
だからこそ『創価学会会則の改正について』という記事を聖教新聞に掲載して、誤った理解をしないように解説しているのではないか。
その記事を無視して、自分勝手な解釈をしてもダメだ。会則は君が作ったのではないのだから。
292 :
eco ◆Smw69BiSBo :2013/01/30(水) 16:47:47.78 ID:NfJQDrPr
>>291 いくら誤解のないような解釈を 聖教新聞で書いた・・としても
結局 管理が杜撰だったり 意図的に公開しなかったら
結局は
>>156や
>>158 それに
>>252-255のような事になるでしょうね〜
ただでさえ 国会図書館に昭和33年以前の記事ならびに縮刷すら納めず
過去に書いた記事を非公開にして 一方通行的な情報しか与えない姿勢を貫いていたり
資料がない事を良い事に ※大阪事件の話を演出したり・・・
※池田大作が逮捕されたのは7月3日の夜で 自宅で逮捕されている事が
日本経済新聞の夕刊に書かれている また 当時の聖教新聞でも7月4日に逮捕されている事を報じていた。
更に 羽田空港を経由して大阪へ向かった証拠が一つもない。 現在、接続便があったのか・・と言う事もふくめ
航空時刻の事を調べているが どういうわけか国会図書館にも旅の図書館にも昭和32年7月号と8月号の資料がない。
(今もそうなのですが 飛行機のダイヤは気象条件にも左右するため 月ごとに変更する事が多く
該当する月の時刻表じゃないと裏付けが取れない。)
293 :
eco ◆Smw69BiSBo :2013/01/30(水) 16:56:27.64 ID:NfJQDrPr
大阪事件の補足:証言と言うのが 裁判上でも採用される事がありますが
ただし 共謀という観点で考えた場合 証言は
状況証拠にしかならず絶対と言う事ではない。ましてや組織です。
294 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/30(水) 18:15:45.06 ID:sacje5AQ
>>289>>291 >私は
>>98を信用しろと言っているのではない。
毎度、あなたは話を変えますね。
>具体的に文を出しなさい。
「教学の基礎」の御本尊に関する記述はすべて「大聖人御図顕の曼荼羅御本尊」と記述されていますよ。
『「一閻浮提総与」という言葉には、“末法の一切衆生を救いきるのだ!”という大聖人の誓願が込められてます。』
>>216とあるように、
創価学会が授与している「大聖人御図顕の曼荼羅御本尊」は「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊」としての意義が込められているのですよ。
>ですから、それは誰がそのように決めたのですか?と何度も聞いています。
「誰が」では無く「分身散体」に照らせば、会館や各家庭の御本尊も「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊」で間違いありませんよ。
「分身散体」の意味は何度か説明をしています。私が説明した「分身散体」の意味が違うと言うならちゃんと根拠を上げて反論しなさい。
>ですから、どうしても自分で判断がつかないのであれば、確実に知っている人に聞けばいいのです。
私は学会の信仰の根本について「曖昧」などとも考えていません。そして、「どうしても自分で判断がつかない」状況にもありません。
そのため、あなたが言うようなことをする必要もありませんよ。
>それはそうと、君は新会則の「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊を信受し」を解釈する際に、『創価学会会則の改正について』をしっかり読んだのか。
あなたこそちゃんと読んだのですか?
「弘安2年10月12日に大御本尊を図顕された大聖人の心に呼応する信心こそ「大御本尊を信受する」という意味で」とあり、
「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊を信受し」は「大御本尊を図顕された大聖人の心に呼応する信心」とありますよ。
「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊」を「大石寺の板本尊」と記述した文章はありませんよ。
295 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/30(水) 18:23:12.81 ID:sacje5AQ
>>290 >繰り返しになるが、手紙を出せ。
私が手紙を出す理由がありませんよ。
現在の創価学会の教学関係書籍から「大石寺の板本尊」に関する記述が削除されている事実が覆ってはいませんし、
「大石寺の板本尊」に関する記述が削除されていることに関して疑問も持っていません。
私個人として「大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊の現物」に拘る理由も無く、肯定も否定もしていません。
しかし、現在の創価学会の教学関係書籍から「大石寺の板本尊」に関する記述が削除されている事実から言えば、
「創価学会が大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊の現物だと『公式』に認めている」などと安易に言えないだけです。
秋谷会長は「従来の『会則』は、昭和54年4月に制定され、その当時は、まだ宗門との関係が続いている中でありました。(中略)会則の中にそのしがらみが残っていました。今回、これを抜本的に改正することにしたわけであります」
と言っているのですから、旧会則の中には「大石寺の化儀を守る」上での記述があったと言うことです。
改正された表現が全て「大石寺の化儀を守る」上での記述だったとは断定出来ませんが、
「大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊の現物」は大石寺の伝説ですから、削除されて当然だと考えていますよ。
まー弘安2年に戒壇の大御本尊を顕されたというのも日興門流でもなく大石寺のみのオリジナル伝説だけどな
297 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/30(水) 19:37:32.20 ID:HI91/Gft
>>296 「なんといっても、御本山に登り、親しく大御本尊様を拝まなくては、本物の信心にはなれない」
『戸田城聖』
「弘安二年の本門戒壇の御本尊は、究境の中の究境、本懐の中の本懐なり。既に是れ三大秘法の随一なり」
『観心本尊抄文段』
(御書文段197ページ)
298 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/30(水) 20:05:09.03 ID:PWyLx9zc
>>294 > 「教学の基礎」の御本尊に関する記述はすべて「大聖人御図顕の曼荼羅御本尊」と記述されていますよ。
「教学の基礎」で、御本尊の全てを理解した気分に浸るのはやめなさい。
『観心本尊抄文段』には、「就中弘安二年の本門戒壇の御本尊は、究竟の中の究竟、本懐の中の本懐なり。既に是れ三大秘法の随一なり、況んや一閻浮提総体の本尊なる故なり」と記され、
さらには、『依義判文抄』で、「三大秘法を合すれば則ち但一大秘法の本門の本尊と成るなり。故に本門戒壇の本尊を亦は三大秘法総在の本尊と名づくるなり」と記されている。
つまり、大石寺に安置されている戒壇の大御本尊こそ、「究竟の中の究竟」であり「本懐の中の本懐」であり「三大秘法の随一」であり、「一閻浮提総体の本尊」なのである。
そして、「一大秘法の本門の本尊」といえば「本門戒壇の本尊」なのである。
「三大秘法の随一」の本尊が、無数に存在するというのは、如何に荒唐無稽な話か、少しは頭を冷やしてよく考えてみなさい。
※「随一」とは「多くのものの中の第1」という意味である。
> 創価学会が授与している「大聖人御図顕の曼荼羅御本尊」は「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊」としての意義が込められているのですよ。
「一閻浮提総与の大御本尊」そのものではないから、『「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊」としての意義が込められている』という説明になるのだ。
あくまで「一閻浮提総与の大御本尊と等しい力用を持った御本尊」なのであり「一閻浮提総与の大御本尊そのもの」とは意味が違う。
> 「分身散体」の意味は何度か説明をしています。私が説明した「分身散体」の意味が違うと言うならちゃんと根拠を上げて反論しなさい。
上記の通りです。
学会教学においても、「三大秘法」の理論的基盤は日寛教学にあり、その日寛教学を否定したものが現在の会則であるとするならば、平成14年4月1日の会則改定をもって「新興宗教・創価学会」の誕生を意味する。
つまり「今までとは違う教義を信仰する宗教団体」を宣言したに等しいのだ。
しかしそれでは、「(三大会長は)この会の永遠の指導者」と定めた、会則の別の条文と、深刻な齟齬をきたすことになる。
>>297 > 「なんといっても、御本山に登り、親しく大御本尊様を拝まなくては、本物の信心にはなれない」
> 『戸田城聖』
↑大石寺信徒
> 「弘安二年の本門戒壇の御本尊は、究境の中の究境、本懐の中の本懐なり。既に是れ三大秘法の随一なり」
> 『観心本尊抄文段』(御書文段197ページ)
↑大石寺管長
これで何か反論したつもりになる正宗者はばかばかり
300 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/30(水) 20:29:42.41 ID:PWyLx9zc
>>294 > 私は学会の信仰の根本について「曖昧」などとも考えていません。
「大石寺の板本尊」に関して、肯定も否定もしていないという君の主張は、『曖昧』の極み。
それまでは、破門後も変わりなく一貫して、「日蓮正宗総本山大石寺に安置せられている弘安2年10月12日の本門戒壇の大御本尊を根本とする」というのが、創価学会の教義だった。
その「根本」としてきた「日蓮正宗総本山大石寺に安置せられている」大御本尊について、肯定も否定もしなくなったというのが事実だとしたら、
「本尊にまどえり」(開目抄)と言って、日顕宗の莫迦どもに笑われる。「群狐に笑わるる事なかれ」(閻浮提中御書)と御指南された大聖人に叱責されてしまう。
> 「どうしても自分で判断がつかない」状況にもありません。
それは君が「我慢編執」の心に取りつかれているからだよ。
自分が一番偉いと思っているから、自分の考えが独りよがりになっていないか真摯に検証する行動に出れない。
自分の考えに固執しているから、他人の話に耳を傾けることができない。
> そのため、あなたが言うようなことをする必要もありませんよ。
しっかり分かっている人に、自分の考えが正しいかどうかを尋ね、確認する --- 今の君に最も必要とされることだよ。
>「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊を信受し」は「大御本尊を図顕された大聖人の心に呼応する信心」とありますよ。
>「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊」を「大石寺の板本尊」と記述した文章はありませんよ。
まさにその通り。「大聖人の心に呼応する【信心】」を表記したものであり、「大石寺の板本尊」の説明などしていない。
その「大石寺の板本尊」について説明しない条文を引っ張り出してきて、大石寺の板本尊を肯定も否定もしていないなど、筋違いな主張を繰り返してきているのが君だ。
301 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/30(水) 20:42:45.67 ID:PWyLx9zc
>>299 > ↑大石寺管長
創価学会が日寛上人を、どのように位置づけているのかを理解できていない。
以下、『御本尊授与に関する制定』より
> 創価学会は、先般、栃木・淨圓寺の成田宣道住職より申し出のあった同寺所蔵の日寛上人書写の御本尊を、御形木御本尊として、今後、全世界の会員に授与していくことを、総務会・参議会・教学部最高会議・県長会議および責任役員会の決議を経て、ここに制定する。
> (中略)
> この度、授与される御本尊は、【広宣流布を深く願い、「大聖人直結」「御本尊根本」の正道を貫かれた日寛上人】が、享保五年(一七二〇年)に書写され、淨圓寺に授与された御本尊である。
【広宣流布を深く願い、「大聖人直結」「御本尊根本」の正道を貫かれた日寛上人】を、あたかも一人の大石寺貫主に過ぎないかのごとく切り捨てる軽率さを戒めよ。
302 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/30(水) 20:53:35.82 ID:PWyLx9zc
>>299 > > 「なんといっても、御本山に登り、親しく大御本尊様を拝まなくては、本物の信心にはなれない」
> > 『戸田城聖』
>
> ↑大石寺信徒
「本物の信心にはなれない」との一節に、戸田先生の真意が込められている。
学会の登山会は、聖地信仰によるものではない。登山を通じて信心を磨くことに、真の目的があったのである。
それは「信心の厚薄によるべきなり仏法の根本は信を以て源とす」(日女御前御返事)の御聖訓を拝すれば、明瞭に理解することができるはずだ。
その“信心を触発するために”、戸田先生は、敢えてそのような強い表現を用いられたのである。
俺が、島津久永(しまづ ひさなが)Hisanaga Shimazu と「島津 貴子」の間の子「島津禎久」と間違えられている?それとも、島津禎久が実子ではない?のかな?
「 昭和天皇第五皇女、清宮、貴子、 橘」っていうのは俺関係のワードだよね。ここが代行者なのかな?
俺の方が偉いのは確実なんだけど。
304 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/30(水) 21:18:40.31 ID:o3Uu8rPe
>>295 > 秋谷会長は「従来の『会則』は、昭和54年4月に制定され、その当時は、まだ宗門との関係が続いている中でありました。(中略)会則の中にそのしがらみが残っていました。今回、これを抜本的に改正することにしたわけであります」
> と言っているのですから、旧会則の中には「大石寺の化儀を守る」上での記述があったと言うことです。
既に指摘したとおり、「一閻浮提総与・三大秘法の御本尊」とは、「大石寺の化儀」ではありません。「化法」です。
聖教新聞でも『大御本尊は、日蓮仏法の教義の根本』と述べられています。
http://www.3colorflags.net/sintyaku/200203081.txt 【日蓮仏法の教義の根本】が「化儀」なわけがないではないか。
また、「化法」である以上、変えてはいけない原点なのです。
>>301-302 別に信じることを否定してないが。
296の「弘安2年大御本尊信仰は大石寺オリジナル」からの流れだけど何か?
キミもしかしてホントに正宗の人間?
306 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/30(水) 23:40:12.30 ID:sacje5AQ
>>298>>300 >「教学の基礎」で、御本尊の全てを理解した気分に浸るのはやめなさい。
そんな話はしていませんよ。「具体的に文を出しなさい。」とのことですから、「教学の基礎」の御本尊に関する記述はすべて「大聖人御図顕の曼荼羅御本尊」と記述されていますと回答しているのですよ。
>そして、「一大秘法の本門の本尊」といえば「本門戒壇の本尊」なのである。
「教学の基礎」の記述では、『一大秘法とは本門の本尊、すなわち日蓮大聖人が胸中に所持されている久遠元初の妙法たる南無妙法蓮華経であり、また、それを図顕された曼荼羅本尊です。』とありますよ。
>あくまで「一閻浮提総与の大御本尊と等しい力用を持った御本尊」なのであり「一閻浮提総与の大御本尊そのもの」とは意味が違う。
その点で言えば、「一閻浮提総与の大御本尊そのもの」は「弘安2年の大御本尊」のことであり、大石寺の板本尊を「弘安2年の大御本尊」と言うのは大石寺の伝説であるだけで、
現在の創価学会は大石寺の伝説のみを根拠として大石寺の板本尊を「一閻浮提総与の大御本尊そのもの」と公式に認める理由が無いのですよ。
>その日寛教学を否定したものが現在の会則であるとするならば
日寛教学を否定してなどいませんよ。
>「大石寺の板本尊」に関して、肯定も否定もしていないという君の主張は、『曖昧』の極み。
大石寺の伝説のみを根拠として大石寺の板本尊を「一閻浮提総与の大御本尊そのもの」と肯定や否定をする程情報が無いだけですよ。
>自分の考えに固執しているから、他人の話に耳を傾けることができない。
私は現在の創価学会の教学関係書籍の記述から言っているだけですよ。
>その「大石寺の板本尊」について説明しない条文を引っ張り出してきて、大石寺の板本尊を肯定も否定もしていないなど、筋違いな主張を繰り返してきているのが君だ。
いいえ、『創価学会会則の改正について』を出してきて、記述の無い大石寺の板本尊に関する妄想を繰り返し言っている人が「筋違い」であるだけですよ。
307 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/30(水) 23:51:24.55 ID:sacje5AQ
>>304 >既に指摘したとおり、「一閻浮提総与・三大秘法の御本尊」とは、「大石寺の化儀」ではありません。「化法」です。
現在の創価学会の教義は「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊を信受し」ですよ。
>また、「化法」である以上、変えてはいけない原点なのです。
現在の創価学会の教義は「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊を信受し」ですから、あなたの言う「化法」に変わりはありませんよ。
教義から削除された「「日蓮正宗総本山大石寺に安置せられている弘安2年10月12日の本門戒壇の大御本尊」が
「抜本的に改正」された「大石寺の化儀」だったと言うことですよ。
308 :
eco ◆Smw69BiSBo :2013/01/31(木) 00:30:37.79 ID:ZHB5ebOL
>>「大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊の現物」は大石寺の伝説ですから
>>削除されて当然だと考えていますよ。
それじゃぁ〜 大石寺の言っている事が法螺話だと言う事にもなり
結局 日蓮大聖人は 弘安2年10月12日に「一閻浮大総与」の御本尊を顕さなかった
・・と言う事にも繋がるのですが それでも良いんですか?
309 :
eco ◆Smw69BiSBo :2013/01/31(木) 00:39:12.75 ID:ZHB5ebOL
>>308は
>>295宛てね
>>295の話を聞けば一閻浮大総与三大秘法を否定する事になるぞ
>>256の質問をもう一度かくぞ
あなたは一閻浮大総与三大秘法の 大御本尊の存在を肯定しますか否定しますか?
日蓮大聖人は一閻浮大総与三大秘法の大御本尊を何時 何処で顕し
そして何処に安置されましたか その証拠がありますか?
>>307 だから大石寺の化儀で片付けるのだったら
一閻浮大総与三大秘法の大御本尊は否定するのか?
本当に何処にあるんだよ まさか お前が一閻浮大総与三大秘法の大御本尊だとでも言いたいのか?
人本仏迹なんてふざけた事は言わせないからな
コウモリは見えない分だけ
あっちフラフラこっちフラフラ
目的を持って飛んでる訳ではなくて
如何に障害物にぶつからないかで
あっちフラフラこっちフラフラ
しょせんコウモリは鳥にはなれない
311 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/31(木) 07:31:47.90 ID:HlcsyP3b
>>306 > 「具体的に文を出しなさい。」とのことですから、「教学の基礎」の御本尊に関する記述はすべて「大聖人御図顕の曼荼羅御本尊」と記述されていますと回答しているのですよ。
「教学の基礎」も勝手なことを書いているのではありません。どんな文証によって「大聖人御図顕の曼荼羅御本尊」と記述されているのか、その根拠となる部分を説明してください。
>「教学の基礎」の記述では、『一大秘法とは本門の本尊、すなわち日蓮大聖人が胸中に所持されている久遠元初の妙法たる南無妙法蓮華経であり、また、それを図顕された曼荼羅本尊です。』とありますよ。
だから何だと言うのですか。
私は『依義判文抄』の具体的な一節を引用しました。一大秘法を「本門戒壇の本尊を亦は三大秘法総在の本尊と名づくる」としたことが間違いと言いたいのでしょうか。
読んでないから分からないのであれば、「分からない」でいいので、はっきりしたことを述べてください。別にそれを責めたりはしないので。
> 「一閻浮提総与の大御本尊そのもの」は「弘安2年の大御本尊」のことであり、大石寺の板本尊を「弘安2年の大御本尊」と言うのは大石寺の伝説であるだけで、
> 現在の創価学会は大石寺の伝説のみを根拠として大石寺の板本尊を「一閻浮提総与の大御本尊そのもの」と公式に認める理由が無いのですよ。
伝説かどうかという話であれば、弘安2年10月12日に一閻浮提総与の大御本尊を建立したということ自体が伝説です。
『大石寺の板本尊を「弘安2年の大御本尊」と言うのは大石寺の伝説』であるから、『公式に認める理由が無い』というのであれば、会則にある『一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊を信受し』という条文自体も必要ないことになります。
でも君に言わせれば、
> 「信仰の根本」は「弘安2年10月12日の本門戒壇の大御本尊」で、現在の創価学会の文書の記述上も変わりはありません。(
>>251)
だという。
一方の伝説は「信仰の根本」とし、もう一方の伝説は「公式に認める理由が無い」と。
この首尾一貫しない君の態度について釈明しなさい。
312 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/31(木) 07:34:29.53 ID:HlcsyP3b
>>306 > 日寛教学を否定してなどいませんよ。
そんな曖昧で漠然としたこと言われても話になりません。
私は具体的な文を引用しました。ですから君も具体的に反論するなり肯定するなりするべきです。
> 大石寺の伝説のみを根拠として大石寺の板本尊を「一閻浮提総与の大御本尊そのもの」と肯定や否定をする程情報が無いだけですよ。
一閻浮提総与の大御本尊という板本尊が弘安2年に建立されたというのも伝説です。
しかし現在の学会でも、その伝説を「信仰の根本」としています。
したがって、伝説を理由に肯定・否定の判断を保留することはできません。
> 私は現在の創価学会の教学関係書籍の記述から言っているだけですよ。
その記述の根拠が分かっていないので、いろいろ誤った解釈を導き出しているのです。
> いいえ、『創価学会会則の改正について』を出してきて、記述の無い大石寺の板本尊に関する妄想を繰り返し言っている人が「筋違い」であるだけですよ。
会則を持ち出して、大石寺の板本尊の教義上の意味は無いと言い出したのは、私ではなく君です。
ですから、『創価学会会則の改正について』を引用して、その解釈の間違いを指摘したのです。
313 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/31(木) 07:55:03.12 ID:HlcsyP3b
>>307 > 現在の創価学会の教義は「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊を信受し」ですよ。
最初の議論から論点がずれてきたので、話を元に戻します。
君は
>>295で、
> 秋谷会長は「従来の『会則』は、昭和54年4月に制定され、その当時は、まだ宗門との関係が続いている中でありました。(中略)会則の中にそのしがらみが残っていました。今回、これを抜本的に改正することにしたわけであります」
> と言っているのですから、旧会則の中には「大石寺の化儀を守る」上での記述があったと言うことです。
と書いています。
ところが、当の秋谷会長は、『我々が決別したのは、大御本尊ではなく“ニセ法主”日顕だ。我々は、ますます大聖人直結、大御本尊根本の信心で進んでいる』と明確に述べられている →
>>89 したがって、旧会則の「日蓮正宗総本山大石寺に安置せられている弘安2年10月12日の本門戒壇の大御本尊を根本とする」との一節が、「宗門とのしがらみ」と考えることはできません。
> 教義から削除された「「日蓮正宗総本山大石寺に安置せられている弘安2年10月12日の本門戒壇の大御本尊」が
>「抜本的に改正」された「大石寺の化儀」だったと言うことですよ。
「化法」の「化儀」の区別もつけられないから、そういう莫迦なことを平気で書ける。
変わったから化儀ということにしよう、か?
信仰の根本に関わる問題だというのに、何といういい加減極まりない言葉か。
314 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/31(木) 08:30:37.95 ID:HlcsyP3b
>>307 > 現在の創価学会の教義は「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊を信受し」ですから、あなたの言う「化法」に変わりはありませんよ。
> 教義から削除された「「日蓮正宗総本山大石寺に安置せられている弘安2年10月12日の本門戒壇の大御本尊」が
>「抜本的に改正」された「大石寺の化儀」だったと言うことですよ。
君は、
>>304に貼った聖教新聞の記事に目を通していませんね。読んでいたら、そんな返答はできませんから。
その記事では、日顕が大御本尊を「偽物」呼ばわりしたことを批判しています。
ですから、その記事における「大御本尊」とは、「大石寺の板本尊」以外の何ものでもないのです。
そしてその大御本尊について、「大御本尊は、日蓮仏法の教義の根本」と述べているのです。(※「大御本尊は、日蓮正宗の根本」と書いているのではありません)。
2002年の3月8日に、「大御本尊は、日蓮仏法の教義の根本」と聖教新聞で述べておきながら、その舌も乾かぬ同年4月1日からは、“大石寺の板本尊には教義上の意義はない”ですか。
本気でそう思うとすれば、狂気の沙汰ですね。理性の欠片もないとは、このことです。
315 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/31(木) 10:23:47.54 ID:Vt9TFbUz
>>294 > 「教学の基礎」の御本尊に関する記述はすべて「大聖人御図顕の曼荼羅御本尊」と記述されていますよ。
「教学の基礎」を引用するのであれば、君のかつての発言、
> この会長の会務を経て、発表されたものが「創価学会の公式教義」で、2002年以降の機関紙や書籍などで、
>「教義」として公式に発表されたと言えるものだけが「教義の公式見解」でしょう。
http://www.logsoku.com/r/koumei/1355635743/679 まずはこれを撤回することではないのか。
君は、こちらが引用した書籍や聖教新聞の記事を、悉く「2002年の会則改正前」という理由で切り捨ててきた。
しかし「教学の基礎」も、2002年の会則改正前に発売されたものである。
また、学会の教学とは、御書や三代会長の指導に基づいて定められます。
そして教学関連書籍をはじめ、学会から出版される書籍の大多数は、池田先生や池田先生の弟子により執筆・編集されたものです。
その教学関連書籍が、三代会長指導に反する内容を記述するわけがありません。(※君の教学関連書籍の理解は、三代会長の指導に無いだけではなく反している)。
その意味において、教学関連書籍で、三代会長の指導を斬り捨てるのは、本末転倒しているだけでなく、師敵対であり、自ら一生成仏の道を閉ざしているのである。
『このほうもんはしでし(師弟子)をただして、ほとけになるほうもんにて候なり』(日興上人、佐渡国法華講衆御返事)
『しでしをただしてほとけになり候、しでしだにもちがい候へば、おなじほくえ(法華)をたもちまいらせて候へども、むげんぢごくにおち候也』(同上)
君が師弟の道を踏み外していることに早く気づくことを願う。
316 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/31(木) 11:10:53.67 ID:jGqJwCYT
創価が会員にしてほしいのは本尊談義じゃなく財務だと思うよ、はっきり言って。
信心はそのための触媒でしょ。それこそ本部に問い合わせてみ。
317 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/31(木) 13:06:49.09 ID:Vt9TFbUz
>>306 >大石寺の板本尊を「弘安2年の大御本尊」と言うのは大石寺の伝説であるだけで、
>現在の創価学会は大石寺の伝説のみを根拠として大石寺の板本尊を「一閻浮提総与の大御本尊そのもの」と公式に認める理由が無いのですよ。
弘安二年に本尊を書写したという話も伝説だけど、もっと突っ込んで言えば、仏教そのものが伝説なんだが。
御書に真蹟があると言っても、その真蹟の御書の中にも、法華経やら涅槃経やら、いろいろ引用されている。
そういった教典は、本当に釈尊の教えを正しく書き表しているか証明できない以上は伝説だから、真蹟の御書も伝説をもとに生まれたものと言える。
結局のところ、伝説だから公式に認める必要がないなんて考えだったら、そもそも日蓮仏法だけでなく広く仏教自体が認める必要がないという話になってしまう。
ということで、あなたは「この伝説は信じる。でもその伝説は信じない」という立場をとっているようだが、その立て分けの基準を、どこに置いているんだい?
創価学会は御書根本というけど、弘安二年に一閻浮提総与の大御本尊が建立されたという記述はない。
そうなると、永遠の指導者の判断に委ねられると思うのだが、あなたはその永遠の指導者の指導も、自分の物差しで振り分けているようだ。
やはりここで、あなたの伝説を立て分ける基準をはっきりさせるべきだよ。
>>295 > 「創価学会が大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊の現物だと『公式』に認めている」などと安易に言えないだけです。
それを、「我見」という。
公式に認めるかどうか・安易に肯定するかどうかは、「貴方ではなく学会が」決めることである。
信仰の根本である本尊の定義づけAに関して多くの弟子が師匠も自分もBと考えていると思っているのに、貴方はBは間違いであり本当はCだと思っている。
異体同心・師弟不二なのだから、ここでのカキコに対し信頼性が置けないと思っているらしい貴方がやるべきことはABCに関して「師匠に尋ねる」ことだ。
これをしないでここでいつまでも論じると、次の点を疑われるぞ。
1師匠に自分の意見を否定されるのが、怖い。
2師匠の考えなどどうでもよく、シンパを増やし自分の考えに基づいた○○新宗を立ち上げようとしている。
3もはや、頭が割れている。
・・・・・お前は、提婆達多になりたいのか?
319 :
eco ◆Smw69BiSBo :2013/01/31(木) 15:14:09.96 ID:iSlqnt6X
>>318>> ABCに関して「師匠に尋ねる」ことだ。
それだったら あなたが直接本人に このLogを保存するなり
本人に読ませるなりして ABCの事を陳情をあげるなり質問すれば良いだけの話でしょ
或いは 本人に2ちゃんの読み方をレクチャーすればいいだけの話
「こんなバカがいる」・・と どうしてシェアが出来ないのでしょうか?
もっとも その名誉さんは今や何処で何をやっているのやら解らず
完全に雲の上の人になっているのが現実で
本音が聞こえないシステムにもなっていますよね〜
320 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/31(木) 16:03:52.02 ID:Vt9TFbUz
>>319 知ってて言ってるのかどうか分からないけど、
>>98にあるとおり、本部に問い合わせの電話をして、回答を得ているんだよ。
それを
>>306-307の坊やが信用できないというから、では自分で確認してみなさいと、
>>318氏は言っているのだよ。
321 :
eco ◆Smw69BiSBo :2013/01/31(木) 16:41:32.02 ID:iSlqnt6X
>>320 意味としては理解しているけれど「師匠に尋ねる」と言うのが
大袈裟だなぁ・・・と思ったので 敢えて書かせていただきました。
実際は 本部職員とか地方から派遣された幹部などが対応しているんだけれど
本当に池田氏に聞かないと 対応しきれていない事項などもあるので
それが本当に何処まで届いているのか?疑問はありますよ
>>98の回答だって 大石寺の事までは認めたけれど
矛盾が生じる事も含めて「行き詰った回答」に終始しているのが 嫌でも解る
322 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/31(木) 20:59:25.91 ID:6d8fLC4k
>>315 >しかし「教学の基礎」も、2002年の会則改正前に発売されたものである。
「教学の基礎」は現在も聖教新聞社が販売している教学系書籍ですよ。
>>318 >公式に認めるかどうか・安易に肯定するかどうかは、「貴方ではなく学会が」決めることである。
その通りですよ。
現在の創価学会が公式に発表している文書に記載の無い「大石寺の板本尊」に関して、会員個人が「創価学会が公式に認めている」などと言うのは「我見」でしかありません。
しかも、「大石寺の板本尊」に関して記述されている会則改定後の文書をまったく出さずに、会則改定以前の文書ばかり出しているのでは、本当に学会員かどうかも不明です。
このため、『創価学会が「大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊の現物」と公式に認めている」は日顕宗特有の「嘘」ですよ。
私がこの一連のやり取りで最初から言っているのは『創価学会は「大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊の現物」と『公式』に認めている』等の、
「大石寺の板本尊」に関して、認めるにしても否定するにしても『公式』と言う言葉を使った主張は「我見」であり、日顕宗特有の『嘘』だと言っているだけですよ。
323 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/31(木) 21:09:01.28 ID:IopklM8w
偉そうなこと抜かしてるけど元々創価に教義なんかないでしょうが!
ほんぞん も・・・
全部 日蓮正宗から盗んだもの。
だから創価の全てが「偽物」。
いくら理屈捏ねても偽物は偽物。
324 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/31(木) 21:19:37.43 ID:HlcsyP3b
>>322 > 「教学の基礎」は現在も聖教新聞社が販売している教学系書籍ですよ。
だから何?
君自身が「教義の公式見解」と定義した内容に反している。
> この会長の会務を経て、発表されたものが「創価学会の公式教義」で、2002年以降の機関紙や書籍などで、
>「教義」として公式に発表されたと言えるものだけが「教義の公式見解」でしょう。
http://www.logsoku.com/r/koumei/1355635743/679 しかも、こちら側が出した「暗黒の富士宗門史―日顕宗の淵源を切る」も、ネット書店や大型書店、さらには会館内の書籍コーナーで、今でも販売されている。
それは切り捨てて、「教学の基礎」は有効とは、どういうことなのかな?
また、
>>312-314への返答もよろしく。
325 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/31(木) 21:25:32.81 ID:5x21LP6x
>>323 >全部 日蓮正宗から盗んだもの。
日蓮正宗から信徒も盗んだわけよ。
へっ、ホント全部盗っ人ものやんけ。
>>322 > 現在の創価学会が公式に発表している文書に記載の無い「大石寺の板本尊」に関して、会員個人が「創価学会が公式に認めている」などと言うのは「我見」でしかありません。
……人をバカにして煙に巻こうとするのは、いい加減やめろよ。
あなたの論は、実在しないし確認もできていない架空の本尊を持ち出したりするほどに文証・理証がめちゃめちゃ。
どちらが我見なのかは、もはや一目瞭然だ。
貴方が、「弟子として最優先に行うべきこと」は、学会の公式的意思を確認することである。
こうすれば、どちらが我見なのかがよりはっきりする。
異体同心・師弟不二の信心をしたいなら、ぜひやるべきことである。(断言してもいい。)
こうやっていろいろ言われているうちが、花だぞ。
327 :
eco ◆Smw69BiSBo :2013/01/31(木) 22:35:10.39 ID:AV8cehz0
>>322 なるほど お前さんの理屈に従えば
戸田城聖も牧口常三郎も師匠じゃなくあいつらは大聖人のお面をつらさげた
「いかもの」「パチモン」だと言いたい訳ですね
最終的には 基礎まで否定する事にもなっている事に いい加減気付きませんか?
328 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/31(木) 22:58:43.21 ID:6d8fLC4k
>>324 >それは切り捨てて、「教学の基礎」は有効とは、どういうことなのかな?
「教学の基礎」は現在も聖教新聞社で販売している創価学会の教学の書籍ですよ。
「暗黒の富士宗門史―日顕宗の淵源を切る」は創価学会の教学の書籍ではありません。
タイトルにあるように「富士宗門史」に関する書籍です。
>また、
>>312-314への返答もよろしく。
あなたの論点がずれているので無視したのですよ。
私がこの一連のやり取りで最初から言っているのは『創価学会は「大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊の現物」と『公式』に認めている』等の、
「大石寺の板本尊」に関して、認めるにしても否定するにしても『公式』と言う言葉を使った主張は現在は「我見」であり、日顕宗特有の『嘘』だと言っているだけです。
創価学会が公式に認めていると主張するのであれば、会則改訂後の文書で「大石寺の板本尊」に関して記述されているものを出せばいいだけです。
それをしないで、長々と無駄で雑多な話をして、誤魔化そうとしても無駄ですよ。
>>326 >貴方が、「弟子として最優先に行うべきこと」は、学会の公式的意思を確認することである。
創価学会の公式的意思は文書で発表されていますよ。
現在の創価学会が公式に発表している文書に記載の無い「大石寺の板本尊」に関して、会員個人が「創価学会が公式に認めている」などと言うのは「我見」でしかありません。
329 :
eco ◆Smw69BiSBo :2013/01/31(木) 23:04:26.52 ID:AV8cehz0
もうひとつ 創価学会の一部会員の間で 自己本尊論や人本仏迹について
インターネット上でも論議があって 平行線の不毛な議論が続いているので 参考に
元々 人本仏迹 自己本尊論が出てきた背景には 昭和49年に北陸総会で述べていた
池田氏の指導や→(1)
http://smw69.exblog.jp/6586612/ (2)
http://smw69.exblog.jp/6586591/ 更に 昭和30年代に論文として発表した石田次男氏の話などが
会員の脳内で 飛躍した考えになったり 額面通りの考えに陥ったのが
自己本尊論や人本仏迹だと 個人的には予測が出来ます。
・・・で ID:6d8fLC4kさんの考えの中に「一閻浮大総与=自己本尊」と言う考えがあるのか?
そこまでは存知いたしませんが? 仮に その考えがあり
根拠として(1)(2)のリンク先に掲げられた内容が根拠として自信があったとしたら
2002年以前の指導(それも日蓮正宗と一緒の頃だ)に基づく飛躍的な考え方なので
ID:6d8fLC4kの我見は我見でも 法盗人の我見にしかならず
更に大石寺の本尊も否定しているので 一閻浮大総与の大御本尊が漂流する形にもなりますよね
結局は 日蓮全体を否定して (仮称)ID:6d8fLC4k教にもなってしまうのですが
一体 弘安2年10月12日に顕された大御本尊は 何処にあって
その正体は何ですか?
330 :
eco ◆Smw69BiSBo :2013/01/31(木) 23:16:52.58 ID:AV8cehz0
あとID:6d8fLC4kさんに伺いますが あなたの信頼する
日寛上人と堀日亨上人は 何処の寺院に所属していた法主でしたか?
また 日蓮正宗が変質したのは 日顕ばかりじゃないですよね〜
厳密に言ってしまえば 日蓮大聖人御在世のあたりから その兆候があり
日興上人の代から顕在化して分裂し 大石寺を建て 日蓮正宗(厳密には興門流)を旗揚げしたわけですが
それでも歴代の上人の中には 変質してしまい おかしくなっているのもあって
完全な清流にはなっておらず それどころか 元の基礎すら消えて訳が解らなくなっているのが
創価も含めてあれこれ言われていますよね〜(だから日顕宗とは呼ばずに日蓮正宗と呼んでいるんですけれど)
では 中興の相と呼ばれる三師は 基礎がないものを どうやって清流に戻したんですか?
また判定する人がいないいのにも関わらず 何処で清流と判断が出来たのでしょうか
そのガイドラインを表明してください。
331 :
eco ◆Smw69BiSBo :2013/01/31(木) 23:32:38.74 ID:AV8cehz0
注釈【中興の僧とも呼ばれる三師】
堀日亨上人の判定では中興の僧は 大石寺の官主9代目の日有上人と26代の日寛上人と判定しています。
また、日蓮正宗内では日精上人が中興の僧とも考えており
この事で見解が分かれていますが 創価学会では中興の僧とは認めず とんでも坊主と見ているようです。
(但し 小樽問答では その日精上人の話を根拠に 論じていたものがあったようですが・・・)
その余談はともかく厳密には2師ですが しかし堀上人の場合
整理と言う側面での功績が非常に大きく 堀上人がいなければ
創価学会も日蓮正宗も我見ばかり暴走して どうしようもない処まで行きついた可能性があり
その事を鑑みれば 中興の僧の一人に数えても差し支えない・・と個人的には考えています
332 :
eco ◆Smw69BiSBo :2013/01/31(木) 23:45:23.52 ID:GJkQ/Z2Z
>>327 >>329-331の話ついでに 師弟と言う捉え方についての 個人的な見解
指導性の問題もあるのでしょうが なんか捉え方が結局・・・
原理主義丸出し 主従的かつ杓子定規的な「サルまね」だらけで
それを『師弟不二」と勘違いしている捉えている
創価の信者が非常に多いのではないでしょうか?
それだと 伝統性は保てても その時代 その時代 条件は様々ですから
当然 指導も その時代に対応した内容の範囲から脱却が出来ず
思考停止になり また発達性も失う。 小乗に書かれていた戒律も同じ事が言える
そういえば 仏教は暑い地方から始まった教えで 寒い地方には対応できていない。
日本は四季があったから それなりの対応が出来た。
従って『師』というのは あくまでも“基礎”であって
そして『弟』と言うのは“その基礎に基づく発展型”これが本来の意義じゃないでしょうか?
そうでなければ「華花成就御書」に書かれていた あの意味が成り立たない。
>>328 > 現在の創価学会が公式に発表している文書に記載の無い「大石寺の板本尊」に関して、会員個人が「創価学会が公式に認めている」などと言うのは「我見」でしかありません。
本当にそう思うなら、自ら学会に問い合わせて、我見であるという事をはっきりさせればいいだろうに。
そうすれば、ここであなたの論を「我見」だと非難する者はおそらくいなくなるし、無駄に議論を引き延ばすことなく議論はあなたの勝ち…となる。
これをしないという事は、議論の内容の是非よりも大事な別な何かを恐れているとしか思えない。
何を恐れているのかね。
>>332さん
「そういえば 仏教は暑い地方から始まった教えで 寒い地方には対応できていない。
日本は四季があったから それなりの対応が出来た。」とは具体的にどういうことなのでしょうか?
すみませんが、たとえを挙げて説明して頂けませんか?
仏教には普遍的価値が内包されていると信じている者です。
335 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/01(金) 02:10:20.19 ID:BQPpCPTD
>>333 >本当にそう思うなら、自ら学会に問い合わせて、我見であるという事をはっきりさせればいいだろうに。
この場で「電話で確認した」と自己申告しても無意味ですよ。
私は当初から現在の創価学会の教学書籍から言っているだけであり、その点に「我見」はありません。
現在の創価学会の教学系文書から「大石寺の板本尊」に関する記述が無いのが事実です。
現在の創価学会が公式に発表している文書に記載の無い「大石寺の板本尊」に関して、会員個人が創価学会が「公式に認めている」「公式に否定している」などと言うのは、どちらも「我見」です。
創価学会が公式に認めていると主張するのであれば、会則改訂後の文書で「大石寺の板本尊」に関して記述されているものを出せばいいだけです。
それをしないで、長々と無駄で雑多な話をして誤魔化そうとしても無駄ですよ。
会則改訂以前の戸田先生や池田先生の指導を使って、現在の創価学会に言い掛かりを付けてくるのは日顕宗の特徴です。
『創価学会は「大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊の現物」と『公式』に認めている』などと言うのは、日顕宗特有の『嘘』ですよ。
>>335出鱈目な本尊観だな
『諸宗は本尊に迷えり』どころじゃ無い
>>335は悪知識だ仲間になってはいけない
337 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/01(金) 07:37:32.59 ID:e8WNZfBb
>>335 > この場で「電話で確認した」と自己申告しても無意味ですよ。
電話や手紙で確認して、その結果を自己申告しろと言っているのではないのです。
事は信仰の根本に関わる問題であり、その見解に不統一があるのは良くないので、信頼できる機関に問い合わせて、創価学会としての正しい見解を確認するべきだと勧めているのです。
これまでの多くのやり取りでも明らかなように、正しい見解を教えてあげても、逆に君は「日顕宗」というレッテルを貼って敵対視し、一切心を閉ざしてきました。
こういうネット掲示板での誰の話も聞き入れる余地がないというのであれば、信頼できる人物や機関に、正しい見解を問い合わせるしかないではありませんか。
君は「そんなのは必要ない」と言うだろうけど、それは違う。正しい見解を確認する必要が君にはある。
『生死一大事血脈抄』に「総じて日蓮が弟子旦那等・自他彼此の心なく水魚の思を成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉る処(ところ)を生死一大事の血脈とは云うなり 」とあります。
要するに、異体同心のないところには、血脈がないのです。
そして「信心の血脈なくんば法華経を持つとも無益なり」とあるとおり、血脈がなければ、御本尊を受持しても功徳はないのです。
現実の問題として、教学の基礎的理解のある学会員で、「大石寺の板本尊には教義上の意義はない」とする君の主張に同意する人は、一人もいないでしょう。もし仮にいたとしても、その人は組織内で「浮いた状態の人」と見て間違いありません。
ですから、そういった「異体同心」のない今の状況から早く脱して、スッキリとした気持ちで、血脈の通じた信心をしてほしいと言っているのです。
君は私たちを敵対視しているでしょうけど、私たちは君を敵対視していません。ここで勝ち負けを決しようとも思っていません。
ただ、創価学会の正しい見解を確認して、異体同心の信心を取り戻してほしいと言っているのです。
338 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/01(金) 08:01:37.02 ID:e8WNZfBb
>>335 > 現在の創価学会の教学系文書から「大石寺の板本尊」に関する記述が無いのが事実です。
「大石寺の板本尊」に関する記述がないのではなく、「大石寺」という記述がないのです。「大石寺」に教学上の意義がないのです。
日蓮大聖人の仏法は「娑婆即寂光」です。いわゆる聖地信仰とは違うので、一閻浮提総与の大御本尊が安置されている「場所」に関する記述は不要と判断し、削除したわけです。
「“大石寺”という場所の記述がない=大石寺の板本尊ではない」という解釈自体が、論理的必然性のない勝手な思い込みです。
とりわけ現在では、登山はしませんし、戒壇の大御本尊を書写した正しい御本尊に祈っています。
教義上の意義という観点からいえば、「戒壇の大御本尊を書写した」という部分が重要であり、その戒壇の大御本尊が安置されている「場所」は、私たち学会員の信仰の成就には、何の関係もありません。
ですから、「大石寺に安置されている…」という記述が、必要か必要でないか、という議論でいえば、「必要ない」との判断は、何もおかしなところはありません。
また、「大石寺」に教義上の意義がないので、「大石寺」という言葉が出てくるのは、日顕宗の破折の場面に概ね限定されてきます。
例えば、『民衆勝利の凱歌(創価新報)』には、次のような記載があります。
> 大聖人は、仏のような格好を見せて法華経の広宣流布を妨げる者のことを、涅槃経を引かれ、「滅後の魔仏なり之を信用す可からず」(守護国家論、76ページ)と喝破されている。
> “現代の大聖人”を気取りながら、本門の本尊である大御本尊を否定し、本門の題目への信を持たず、本門の戒壇である正本堂を破壊した極悪僧・阿部日顕 --- この男こそ紛れもなく、大聖人が厳しく断じられた「滅後の魔仏」なのである。
この記述のどこが、『日蓮正宗の教義の上からの破折』になるのでしょうか。
私には、「大聖人の仏法の上からの破折」としか読めません。
どう読んだら『日蓮正宗の教義の上からの破折』になるか、どうか教えてください。
339 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/01(金) 08:39:09.82 ID:e8WNZfBb
>>328 >「暗黒の富士宗門史―日顕宗の淵源を切る」は創価学会の教学の書籍ではありません。
> タイトルにあるように「富士宗門史」に関する書籍です。
創価学会が、別教団の“単なる”「富士宗門史」を紹介する書籍を出版するわけがありません。
現宗門の誤りを挙げ、大聖人の仏法の上から破折するからこそ、創価学会の正統性が証明されるのです。
君の『タイトルにあるように「富士宗門史」に関する書籍です』という一文には、「何のために」出版されているのかという目的を隠そうとする、姑息な意図が見て取れます。
知らない人が読めば、仏法上の意義とは関係ない一宗派の“歴史書”と受け取りかねません。
また、教学関連書籍でなければ、池田先生の指導といえども、“教学とは無関係な話”と思っているのですか?
具体的には、
>「・・・一閻浮提総与の大御本尊が、信仰の根本であることは、少しも変わりがない。
> しかし、大御本尊に目通りするために日顕に供養することは、日顕の謗法を容認することになる。
> ・・中略・・
> 謗法に与同して、大御本尊に目通りしても『仏敵と戦わず、かえって供養するとは何事か』と、大聖人から厳しく叱責されることであろう。・・・」
との先生の指導は、教学とは無関係な勝手な自分の考えを述べているとても思っているのですか?
そもそも、『暗黒の富士宗門史』を持ち出したのは、『暗黒の富士宗門史』の紹介のためではなく、この指導を引用するためです。
この指導を通じて、師である池田先生が、破門後も変わらず大石寺の戒壇の大御本尊を「信仰の根本」としていることを示す為です。
師が御自身の「信仰の根本」について語られている指導を、“教学のジャンルに属さない本”という理由で切り捨てるとは、一体どういう信心をしているのでしょうか。
340 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/01(金) 08:41:54.43 ID:e8WNZfBb
>>328 > >また、
>>312-314への返答もよろしく。
>
> あなたの論点がずれているので無視したのですよ。
君の質問に返答し、君の意見に反論したものです。
具体的には、君は
>>294で
> 「分身散体」の意味は何度か説明をしています。私が説明した「分身散体」の意味が違うと言うならちゃんと根拠を上げて反論しなさい。
と要求してきたので、『観心本尊抄文段』と『依義判文抄』を引用して、その根拠を挙げました。
さらに君は、
>>306で
> 現在の創価学会は大石寺の伝説のみを根拠として大石寺の板本尊を「一閻浮提総与の大御本尊そのもの」と公式に認める理由が無いのですよ。
と書いたので、弘安2年に大御本尊が建立されたのも大石寺の伝説であるが、一方の伝説は公式に認める必要はないとし、もう一方の伝説は「信仰の根本」としている理由を問いただしました。
これらのどこが『論点がずれている』のでしょう。
君の要求や発言に沿ったものである以上、私のレスが『論点がずれている』のであれば、そもそも君の要求や主張こそ『論点がずれている』ことになります。
違うというのであれば、しっかりレスしてもらいます。
341 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/01(金) 10:36:07.80 ID:yTL4pbD1
創価には三大秘法がない。
相伝もない。
故に血脈がない。
あるのは財務、新聞啓蒙、池田を賛美しての選挙のF取り。
これ、仏法??は?
342 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/01(金) 12:19:36.85 ID:98i+foQk
AKB48 峯岸みなみちゃん 丸坊主でかわいそ
ニッケンとおんなじキンタマ、じゃなかった、 アタマになっちゃってるw
ほんと かわいそ
343 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/01(金) 13:29:44.71 ID:BQPpCPTD
>>337-339 >要するに、異体同心のないところには、血脈がないのです。
「日顕宗」と異体同心はありません。「与同罪」となることです。
>ですから、「大石寺に安置されている…」という記述が、必要か必要でないか、という議論でいえば、「必要ない」との判断は、何もおかしなところはありません。
ならば、このような場で「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊」を「大石寺安置の戒壇の大御本尊」と安易に主張するのは、
創価学会の公式な見解としては不必要なことで、あなたの自語相違です。
>との先生の指導は、教学とは無関係な勝手な自分の考えを述べているとても思っているのですか?
また、私論の正当化に「師匠」を利用していますね。
これは権威主義の日顕宗特徴で、相手が権威を感じる「師匠」の言葉を利用して私論の正当化を謀っているに過ぎません。
あなたがこれまで出した先生の指導には「大石寺安置の」と明記された記述はありません。
現在の創価学会の教学系の文書からは、「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊」は「弘安二年の本門戒壇の御本尊そのもの」を指し、「分身散体」に照らせば、会館や家庭にある
「大聖人御図顕の曼荼羅本尊」が「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊」になります。
このような場で安易に「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊=大石寺に安置されている戒壇の大御本尊」と記述するのは、日顕宗特有の「嘘」ですよ。
会則改訂以前の戸田先生や池田先生の指導を使って、現在の創価学会に言い掛かりを付けてくるのは日顕宗の特徴です。
>どう読んだら『日蓮正宗の教義の上からの破折』になるか、どうか教えてください。
何度も教えましたよ。破折は相手宗派の教義の上から間違いを指摘するものです。
「本門の戒壇である正本堂」は日達上人の指南によって、広宣流布の暁に「事の戒壇」となるべく用意された「本門寺の本堂」です。
しかし、大聖人や日興上人は「事の戒壇」の場所を「霊山浄土に似たらん最勝の地」「富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり」とあるだけです。
広宣流布の暁に大石寺を「本門寺」とすることや「正本堂」を「本門寺の本堂」とする事などは、当時の日蓮正宗の教義の上から日達上人が判断したことですよ。
344 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/01(金) 13:42:45.00 ID:BQPpCPTD
>>340 >これらのどこが『論点がずれている』のでしょう。
「一方の伝説は公式に認める必要はないとし、もう一方の伝説は「信仰の根本」としている理由を問いただしました。」などと言っても
私論の対立にしかならないから『論点がずれている』のですよ。
「弘安2年に大御本尊が建立された」は現在の創価学会の公式な文書にあることです。
「弘安2年に大御本尊そのもの=大石寺の板本尊」は現在の創価学会の公式な文書に無いことです。
345 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/01(金) 14:13:24.11 ID:X8+AlllC
>>343 > あなたがこれまで出した先生の指導には「大石寺安置の」と明記された記述はありません。
かつて、「戦中に神札を受け取った宗門は謗法だ」と言ったら、「御書には、神札を受け取ったら謗法だとは書いてないから謗法ではない」という日顕宗の信者がいたが、その莫迦と同じレベルの発言。
「創価学会は師弟不二の信心です」と言ったら、「師弟不二とは御書に書いてないから邪義」という日顕宗の信者がいたが、その莫迦と同じレベルの発言。
しかし君は、その莫迦日顕宗信者を笑う資格はない。
『暗黒の富士宗門史―日顕宗の淵源を切る』より
>「・・・一閻浮提総与の大御本尊が、信仰の根本であることは、少しも変わりがない。
> しかし、大御本尊に目通りするために日顕に供養することは、日顕の謗法を容認することになる。
大石寺の板本尊以外の本尊で、その本尊を拝する際に【目通りする】という言葉を使う本尊があるだろうか。
大石寺の板本尊以外の本尊で、【日顕に供養】することが半ば義務づけられている本尊が、他にあるだろうか。
物事には道理というものがある。書かれていなくても読み取れる事項は、いくらでもある。
上記の文章を読んで、『「大石寺安置の」と書かれていないから、この「大御本尊」とは、大石寺の板本尊ではない』と考える莫迦がいるとしたら、世界広しといえども、君くらいのものだろう。
> また、私論の正当化に「師匠」を利用していますね。
要するに、師匠の指導など「俺にはカンケーねーよ」というわけか。
> 仏法の師弟は永遠不滅です。私は「月月・日日に」、恩師・戸田城聖先生と前進しています。
> 師弟は一体です。同じ目的に向かって、同じ責任をもって、同じ戦いをしていくのです。(池田名誉会長講義 御書と師弟)
「師弟は一体」なんて、君は無関係な戯言なんだな。話にもならない。
腐っているよ、信心が。
346 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/01(金) 14:30:28.07 ID:X8+AlllC
>>343 > 何度も教えましたよ。破折は相手宗派の教義の上から間違いを指摘するものです。
ではお聞きします。
「日蓮正宗の教義」に違背したから、阿部日顕を『大聖人が厳しく断じられた「滅後の魔仏」』だと、創価新報では述べているわけですね。
そういうことであれば、創価学会も「日蓮正宗の教義」を守らなければ、『大聖人が厳しく断じられた「滅後の魔仏」』となってしまいます。
ならば、「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊=大石寺に安置されている戒壇の大御本尊」という、「日蓮正宗の教義」は守らなければいけないのではありませんか?
そうなりますよね?
君も『大聖人が厳しく断じられた「滅後の魔仏」』志願者ということですか?
>>344 >「一方の伝説は公式に認める必要はないとし、もう一方の伝説は「信仰の根本」としている理由を問いただしました。」などと言っても
> 私論の対立にしかならないから『論点がずれている』のですよ。
いやいや。君が(間違った)私論を述べているだけです。
自分では私論を述べるが、君の私論に意見する人間は私論を述べてはいけないとでも?
「弘安2年の大御本尊=大石寺の板本尊」というのが“伝説”だから、肯定も否定もしない、というのが君の「私論」なんだろ。
ところが、弘安2年に戒壇の大御本尊を建立したというのも“伝説”だ。しかしそれは「信仰の根本」であると。
教義というものを語る際には、首尾一貫していないといけないのです。
ですから、どういう基準で“伝説”を立て分けしているのか、その基準を是非教えてください、と言っているのです
それから、『観心本尊抄文段』と『依義判文抄』の件はどうなりました。
君が、
>>294で
> 私が説明した「分身散体」の意味が違うと言うならちゃんと根拠を上げて反論しなさい。
と要求したので、その文を出したのですよ。
それを「論点がずれている」と言うのは、君の要求に応えて具体的な文を出した相手に対して失礼ではありませんか。
347 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/01(金) 14:54:35.88 ID:X8+AlllC
>>343 > 「日顕宗」と異体同心はありません。「与同罪」となることです。
池田先生は、
>「・・・一閻浮提総与の大御本尊が、信仰の根本であることは、少しも変わりがない。
> しかし、大御本尊に目通りするために日顕に供養することは、日顕の謗法を容認することになる。
と明確に述べられていますが、この先生の信心に心を合わせることは、「与同罪」だと言いたいのですか?
確か以前、君は、「それは会則改定前だから当然」という趣旨の発言をしましたよね。
しかし、事は「信仰の根本」です。
一貫して同じ信心をしている人が、会則が変わる前だから正しい。ところが、会則が変わったから与同罪になる・・・・・君の言っていることは、そういうことになりますが、それでいいのですね?
> ならば、このような場で「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊」を「大石寺安置の戒壇の大御本尊」と安易に主張するのは、
> 創価学会の公式な見解としては不必要なことで、あなたの自語相違です。
自語相違でも何でもありません。
本尊の安置場所に関する記載の有無は、「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊」あるいは「戒壇の大御本尊」「弘安2年の大御本尊」等といった言葉の定義に影響を与えない、と言っているのです。
現実問題として、現在においても、「大御本尊」という言葉があれば、それは「大石寺の板本尊」を意味で使われています。
違うというのであれば、違う実例を一つでも出してください。そんな事例は一つもありませんから。
要するに、安置場所の記載がなくなったというだけで、その意味するところに全く変わりはないのです。
繰り返しになりますが、日蓮仏法は聖地信仰ではないので、安置場所の記載は必要ありません。
348 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/01(金) 15:31:42.34 ID:e8WNZfBb
>>343 >「分身散体」に照らせば、会館や家庭にある
>「大聖人御図顕の曼荼羅本尊」が「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊」になります。
「根源」の仏あっての分身散体です。この前提を忘れてはいけません。
「根源」の仏があるから、分身散体も存在しうるのです。
ですから、「信仰の根本」について述べる場合は、根源たる「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊を信受し」という表現になります。
こういうのを、本尊についての法門上の見解を語る、というのです。
もちろん、日常の信仰活動の際には、自宅や会館にある本尊を「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊」と信じて祈るのが当たり前の信心というものです。そのまま真っ直ぐに信じて祈ってください。
元がずれるとドンドン正義から遠ざかる。
戒壇の大御本尊が安置されている「場所」=本門の戒壇
聖地信仰ではない。
本門戒壇の大御本尊安置の場所が事壇建立までは義の戒壇となり本門の戒壇根源の意味からそのまま事の戒壇ともなる。
学会は三大秘法を聖地信仰と騙しているのかね。
ID:BQPpCPTDのほうが筋が通っている。(なぜなら彼は未来の創価教学を先取りしている)
破門されながら大御本尊根本を主張することは教義上不可能。
350 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/01(金) 16:42:16.84 ID:BQPpCPTD
>>345 >上記の文章を読んで、『「大石寺安置の」と書かれていないから、この「大御本尊」とは、大石寺の板本尊ではない』と考える莫迦
大石寺の板本尊に関して個人がどう考えるかなどは最初から論点ではありませんよ。
「創価学会は一閻浮提総与の大御本尊=大石寺の板本尊と公式に認めている」と、大石寺の板本尊に関して「創価学会の公式見解」という主張を、
私は現在の創価学会の教学系文書に大石寺の板本尊に関する記述が無い事実に基づいて「嘘」と言っているだけです。
>要するに、師匠の指導など「俺にはカンケーねーよ」というわけか。
そのような話はしていませんよ。私論の正当化に「師匠」を利用しないだけです。このような場で「師匠」の指導を引用するのであれば、文章そのままを引用し、勝手な付け足しはしませんよ。
現在、師匠が一閻浮提総与の大御本尊を大石寺安置の板本尊と言っているならば、そのままの文章を出しなさい。
351 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/01(金) 16:43:29.87 ID:BQPpCPTD
>>346 >そういうことであれば、創価学会も「日蓮正宗の教義」を守らなければ、『大聖人が厳しく断じられた「滅後の魔仏」』となってしまいます。
なりませんよ。現在の創価学会は「日蓮正宗」ではありません。
「日蓮正宗の教義」は「日蓮正宗」に所属する人達が守らなければならないと言うことであり、現在の創価学会が守らなければならないと言う話ではありません。
2002年の会則改定により「抜本的に改正」されています。
破折は相手宗派の教義の上から間違いを指摘するものです。『暗黒の富士宗門史―日顕宗の淵源を切る』や『民衆勝利の凱歌』は日蓮正宗の教義の上から日顕宗を破折している書籍です。
>いやいや。君が(間違った)私論を述べているだけです。
いいえ、『「創価学会は一閻浮提総与の大御本尊=大石寺の板本尊と公式に認めている」は「嘘」』と言う話で私の私論はありません。
「弘安2年の大御本尊の現物=大石寺の板本尊」は現在の創価学会の公式な教学系文書に無い事実があるだけです。
>それを「論点がずれている」と言うのは、君の要求に応えて具体的な文を出した相手に対して失礼ではありませんか。
あなたの
>>312-314のどこが「分身散体」に対する「具体的な文」なのですか?
>繰り返しになりますが、日蓮仏法は聖地信仰ではないので、安置場所の記載は必要ありません。
しかし、あなたは「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊=大石寺安置の戒壇の大御本尊」と言うは安置場所を記載した主張をしています。
「安置場所の記載は必要ありません」などと言いながら、安置場所を記載した主張しているのですから自語相違ですよ。
352 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/01(金) 16:53:12.92 ID:BQPpCPTD
>>347 >一貫して同じ信心をしている人が、会則が変わる前だから正しい。ところが、会則が変わったから与同罪になる・・・・・君の言っていることは、そういうことに
日顕宗であるあなたと「異体同心」などしては「与同罪」ですよ。
>>348 >「根源」の仏があるから、分身散体も存在しうるのです。
「根源」の仏と言うならば「すなわち日蓮大聖人が胸中に所持されている久遠元初の妙法たる南無妙法蓮華経」ですよ。
その観点から言えば、大石寺安置の板本尊や会館、個人宅の安置場所に関わらず、大聖人の曼荼羅本尊は分身散体として存在しているのですよ。
353 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/01(金) 17:04:14.40 ID:e8WNZfBb
>>349 > 戒壇の大御本尊が安置されている「場所」=本門の戒壇
それは表面的な意味でしかない。
問題の彼が「教学の基礎」とかいう本でつまずいているから、そのレベルで話してあげているのだ。
それはともかくとして、三大秘法とは、もともとは大聖人の戦うお姿の中にあるといえる。
「本門の本尊」とは、大聖人におかれては、妙法と一体の大聖人の御生命に躍動する仏界の生命であり、大聖人己心の妙法蓮華経である。
ゆえにわれわれ学会員は、御本尊を「観心の本尊」と拝する。
「本門の本尊」を根本として尊敬して、いかなる悪の生命をも打ち破っていくという確固たる誓願を持ち続けて戦われる大聖人の御姿にこそ防非防悪の戒が持たれる。
その大聖人がましますところが「本門の戒壇」である。
われわれ学会員にとって、単に御本尊を安置するだけでなく、誓願を継承して広宣流布に戦ってこそ、そこが「本門の戒壇」であるといえる。(「本門の題目」については省略)
悪世滅後の弘通においては、誓願を継承した地涌の連帯である和合僧団の存在が最重要となる。
一人また一人と同志を糾合して、「日蓮が一門」を確認しあい、「日蓮と同意」で広宣流布に前進していく地涌の絆を再確認する場がどうしても必要なのだ。
その意味において、広宣流布の実現に近づけないどころか、広布分断を図った日顕如き史上最悪の坊主を、血脈の貫主として祭り上げるような教団には「本門の戒壇」の意義など存在しない。
> 聖地信仰ではない。
それが分かってるのであれば、謗法の坊主を食わせるために、わざわざ登山などするな。
> 本門戒壇の大御本尊安置の場所が事壇建立までは義の戒壇となり本門の戒壇根源の意味からそのまま事の戒壇ともなる。
事壇建立の見込みなど全くないどころか、逆に遠ざかっている教団の寝言に付き合ってもらえると思うな。
> ID:BQPpCPTDのほうが筋が通っている。(なぜなら彼は未来の創価教学を先取りしている)
お前らから言わせれば、問題の彼のような存在は有りがたいだろうな。戒壇の大御本尊を否定していると、学会攻撃のネタにできるからな。
そういう意味からいっても、問題の彼は愚かなのだ。
>>352 半丸太のコピーはここまで人を狂わせる
宗教活動のやり過ぎでオウム信者の
二の舞にならなきゃいいがな・・
355 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/01(金) 17:55:02.23 ID:e8WNZfBb
>>350 > 大石寺の板本尊に関して個人がどう考えるかなどは最初から論点ではありませんよ。
それは違う。君は戒壇の大御本尊への信心を否定したい一心で、様々な詭弁を並べている。
当の昔に本音を吐いているではないか。
> 『大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊』の呪縛から離れられたことは大きな功徳と言えることですね。
http://www.logsoku.com/r/koumei/1355635743/742 肯定も否定もしていない…ではない。もう君の中では否定されたことになっている。何よりこれこそ、「大石寺の板本尊に関して個人がどう考えるか」の表明ではないか。
さらには、
> 会則改定によって、「大石寺の板本尊」は教義上の意味を削除されているのが事実であり
http://www.logsoku.com/r/koumei/1334415946/469 とも書いている。
肯定も否定もしていない…ではない。「教義上の意味を削除されているのが事実」であれば「否定」以外にないではないか。
> >要するに、師匠の指導など「俺にはカンケーねーよ」というわけか。
>
> そのような話はしていませんよ。
ではどのような話でしょうか。
君は以前、
> 大石寺の化儀を守らなければならなかった時代の創価学会の指導を幾らだしても
> その当時の苦労が偲ばれるだけです。
>
> この苦労も結局、原因は『大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊』には決定的な根拠が無く、
> ただ信じるしかないものだったからです。
http://www.logsoku.com/r/koumei/1355635743/742 と書いていますね。しかも
> 会則改定によって、「大石寺の板本尊」は教義上の意味を削除されているのが事実
だという。
ということは、池田先生並びに創価学会のかつての信心は間違いであり、謗法与同だったということでいいのですか。
356 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/01(金) 18:25:38.58 ID:e8WNZfBb
>>350 > 現在、師匠が一閻浮提総与の大御本尊を大石寺安置の板本尊と言っているならば、そのままの文章を出しなさい。
>>345で出しています。それは【信仰の根本】について述べられているものですから、不変なのです。
池田先生が、かつては
>「・・・一閻浮提総与の大御本尊が、信仰の根本であることは、少しも変わりがない。
> しかし、大御本尊に目通りするために日顕に供養することは、日顕の謗法を容認することになる。
と述べたが、やはり科学的根拠がないから、信仰の根本にするのはやめた……などとおっしゃると本気で思いますか。
秋谷会長も、
> 我々が決別したのは、大御本尊ではなく“ニセ法主”日顕だ。我々は、ますます大聖人直結、大御本尊根本の信心で進んでいる。
と明確に述べているではありませんか →
>>89 【ますます大聖人直結、大御本尊根本の信心で進んでいる】のに、何の説明もなく、何か気まずいことでもすかのように「大石寺に安置されている」という文言をコッソリ消して、
【ますます大聖人直結、大御本尊根本の信心で進んでいる】をやめる理由がどこにあるのですか。
「信仰の根本」に、大石寺も日蓮正宗も関係ありません。
357 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/01(金) 18:40:09.98 ID:e8WNZfBb
>>351 > なりませんよ。現在の創価学会は「日蓮正宗」ではありません。
>「日蓮正宗の教義」は「日蓮正宗」に所属する人達が守らなければならないと言うことであり、現在の創価学会が守らなければならないと言う話ではありません。
全く説明になっていません。ただ自分の頭の中で編み出した屁理屈を書いているだけではありませんか。
『民衆勝利の凱歌(創価新報)』の「はじめに」には、『日蓮大聖人の御書を根本に、「なぜ日顕宗を破折するのか」を明示し、「極悪日顕7つの大罪」を糾弾』と書いています。
君の
> 破折は相手宗派の教義の上から間違いを指摘するものです
>>343 という主張が、如何に勝手で誤った思い込みであるかということです。
何より、「日蓮正宗の教義」に違背していても「大聖人の仏法」に違背していなければ、『大聖人が厳しく断じられた「滅後の魔仏」』にはなりません。
「大聖人の仏法」に違背しているから『大聖人が厳しく断じられた「滅後の魔仏」』になるのです。
そして、『大聖人が厳しく断じられた「滅後の魔仏」』である根拠の一つとして、『本門の本尊である大御本尊を否定』したことを挙げています。これは日顕が戒壇の大御本尊を偽物認定したことを指しています。
戒壇の大御本尊を偽物認定したことが、『大聖人が厳しく断じられた「滅後の魔仏」』である根拠としたということは、学会が戒壇の大御本尊を「本門の本尊」と定めている証左となります。これが君の見えていない道理というのです。
358 :
eco ◆Smw69BiSBo :2013/02/01(金) 18:41:29.21 ID:8PMjvJel
359 :
eco ◆Smw69BiSBo :2013/02/01(金) 18:46:55.44 ID:8PMjvJel
>>358のつづき
因みに
>>332で「仏教は暑い地方から始まった教えで 寒い地方には対応できていない。
日本は四季があったから それなりの対応が出来た。」と書いたのは
日蓮ってver21のスレッドでお酒に対する戒律の事で論議をしていたログを読んでいて気付いた事なのですが
暑い地方だとお酒と言うのは毒だけれど 寒い地方だとお酒はクスリにもなるし
身体を温めるにはもってこいのもので、形成が逆転してしまうのですが
その事を考えると やはり仏教も その地方 その環境に応じてカスタムしていかないと
一律で物事を考えたり判断したり 推しつけたりしたら
結局は対応が出来ず そして破壊する結果にもなってしまうんじゃないかと・・
現実に世界を見渡せば 一つの原理に執着する余り対立を繰り返し そして悲惨になっている側面もあるでしょ
これはSEXや裸一つとっても同じ事が言える
暑い地方で服装を厳重にしたら脱水症状になるが
服装を強制しないと今度は「わいせつ」になるでしょ
反対に寒い地方は裸でいたら死にますよね〜
360 :
eco ◆Smw69BiSBo :2013/02/01(金) 18:58:20.95 ID:8PMjvJel
>>359の補足
>>暑い地方だとお酒と言うのは毒だけれど 寒い地方だとお酒はクスリにもなるし
>>身体を温めるにはもってこいのもので、形成が逆転してしまうのですが
1:一つ戒律を作ってみましょう これは暑い地方での基準です。
2:暑い地方で暖房を使用したら 脱水症状をおこして確実に死にました。
3:では禁止しましょう
4:効果がでました
5:では それを一律に布教しましょう とても幸せな事です。
6:ところが自分の体温よりも気温が低い土地に住んでいる住民にも
同じルールを作って強制しました→結果は?
7:凍死
何の為の布教ですか?
361 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/01(金) 19:52:32.18 ID:X8+AlllC
>>351 > 「弘安2年の大御本尊の現物=大石寺の板本尊」は現在の創価学会の公式な教学系文書に無い事実があるだけです。
機関紙である聖教新聞に書かれた見解こそが、創価学会の公式見解です。その聖教新聞に、(大石寺の板本尊という意味で)「大御本尊は、日蓮仏法の教義の根本」と書かれているのです。
http://www.3colorflags.net/sintyaku/200203081.txt 君は聖教新聞を読んでいるかどうか知りませんが、最近の傾向として、ネット上に嘘の情報もたくさんあることを取り上げ、
安易に信用しないように、学会の機関紙で発表されたもの以外を学会の公式見解と思わないようにと、これまで何度も注意を促しています。
ところが事実として、「大御本尊は、日蓮仏法の教義の根本」という記事はありますが、戒壇の大御本尊への見解を変更するという発表は、一度として行われていないのです。
もちろん会則改正時にも、そんな発表はされていません。
とりわけ「信仰の根本」に関わる見解です。変更するのに、その旨の発表もしないで変更するなど、創価学会という教団は絶対に行いません。
発表されている見解を否定して、発表されていない見解を学会の公式見解と主張するなど、暴論以外の何ものでもない。
362 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/01(金) 19:58:08.90 ID:X8+AlllC
>>351 > あなたの
>>312-314のどこが「分身散体」に対する「具体的な文」なのですか?
私は
>>312-314への返答を要求したのであり、「具体的な文」が
>>312-314にあるなんて書いていません。
『観心本尊抄文段』と『依義判文抄』を引用したのは
>>289と
>>298。(『観心本尊抄文段』と『依義判文抄』と書いてあるのに、過去レスのチェックもしないのか。しっかりしろ)
話の趣旨は、君が
>>287で
> 「分身散体」に照らせば、会館や各家庭の御本尊も「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊」で間違いありませんよ。
と書いたから、
>>289と
>>298で日寛上人の遺文を引用して、一閻浮提総与の大御本尊は、あくまでも本門戒壇の本尊であるということを示した。
もし、会館や各家庭の御本尊も「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊」だと言ってしまえば、戒壇の大御本尊こそ、「究竟の中の究竟」であり
「本懐の中の本懐」であり「三大秘法の随一」であり、「一閻浮提総体の本尊」なのである --- という法門上の定義が崩れてしまう。
もっとも、会館や各家庭の御本尊を「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊」だと言うことが謗法というつもりはないが、
法門上の定義を弁えるという意味で、会館や各家庭の御本尊は「一閻浮提総与の大御本尊と力用や功徳は等しい」という表現を使うべき。事実、聖教新聞では、そのように表現されている。
>>360 ふむ。ecoくんめずらしくいいこと言ってるな。
364 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/01(金) 20:51:01.24 ID:BQPpCPTD
>>355 >それは違う。君は戒壇の大御本尊への信心を否定したい一心で、様々な詭弁を並べている。
そのようなコメントをしたことはありませんよ。
「大石寺の板本尊=戒壇の大御本尊」を肯定することも否定することも出来ないのが私の立場ですよ。
>ということは、池田先生並びに創価学会のかつての信心は間違いであり、謗法与同だったということでいいのですか。
そのようなコメントをしたことはありませんよ。
当時は「日蓮正宗創価学会」なのですから、日蓮正宗と三原則に基づいて大石寺の化儀を守ることが異体同心であり、和合僧を守ることになるのです。
しかし、現在の創価学会は「日蓮正宗」ではありませんから、日顕宗と異体同心はありませんし、大石寺の化儀を守っても和合僧を守ることにはなりません。
>>356 >【ますます大聖人直結、大御本尊根本の信心で進んでいる】のに、何の説明もなく、何か気まずいことでもすかのように「大石寺に安置されている」という文言をコッソリ消して、
「コッソリ」では無く、2002年の改訂に伴い明確に削除していますよ。
>>357 >戒壇の大御本尊を偽物認定したことが、『大聖人が厳しく断じられた「滅後の魔仏」』である根拠としたということは、学会が戒壇の大御本尊を「本門の本尊」と定めている証左となります。これが君の見えていない道理というのです。
「証左」などとあなたの私見を言っていても「創価学会の公式見解」とはなりませんよ。
現在の創価学会に「大石寺の板本尊」に対する「公式見解」と言える文書はありませんよ。
365 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/01(金) 20:51:31.11 ID:X8+AlllC
>>351 > しかし、あなたは「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊=大石寺安置の戒壇の大御本尊」と言うは安置場所を記載した主張をしています。
そんなの当たり前だろ(笑) 記載してもしなくても、事実として大石寺に安置されているのだから。
そういうのは「安置場所を記載した主張をしています」と言うのではなく、戒壇の大御本尊が大石寺に安置されているという事実が単にあるという話だ。
一閻浮提総与の大御本尊でも戒壇の大御本尊でも、特別な意義を持つ本尊だから、特別につけた呼称なんだよ。
例え話になるけど、「安倍首相」と言えば、それだけで「日本在住」を意味する(海外に行くときもある、などという野暮な話は抜きして)。
同様に「戒壇の大御本尊」と言えば、それだけで「大石寺に安置されている」ことを意味する。
仮に何らかのアクシデントが発生して、ニューヨークに住むキャサリンの手に渡れば、「戒壇の大御本尊」といえば、「ニューヨークに住むキャサリン所有の」という意味が自動的に付される(笑)
要するに、安置されている場所など、自動的かつ従属的に付される意味なんだよ。
366 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/01(金) 20:51:59.03 ID:BQPpCPTD
>>361 >機関紙である聖教新聞に書かれた見解こそが、創価学会の公式見解です。
2002-3-8 では、会則改定以前の記事ですよ。
>発表されている見解を否定して、発表されていない見解を学会の公式見解と主張するなど、暴論以外の何ものでもない。
発表されている現在の会則にある教義を無視して、会則改訂以前の話を延々と持ち出しているのはあなたですよ。
>>362 >私は
>>312-314への返答を要求したのであり、「具体的な文」が
>>312-314にあるなんて書いていません。
では、
>>312-314は「私が説明した「分身散体」の意味が違うと言うならちゃんと根拠を上げて反論しなさい」の回答では無く、
あなたが話を摩り替えたと言うことです。無視されて当然ですよ。
あなたが話を摩り替えているのに「君の要求に応えて具体的な文を出した相手に対して失礼ではありませんか。」などと言い掛かりを付けるのはやめなさい。
367 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/01(金) 21:19:19.68 ID:Cw0YslA8
>>332のecoさん
>>334さん
>そういえば 仏教は暑い地方から始まった教えで 寒い地方には対応できていない。
>日本は四季があったから それなりの対応が出来た。
ecoさんの意見は現代人が歴史を逆順にみた結果ではないでしょうか?
寒い地方だと例えばチベット仏教があります。
詳しくは知らないのですが、モンゴルにも一部に仏教があったと思います。
日本だと宗谷岬付近にお寺がありますね。
>その事を考えると やはり仏教も その地方 その環境に応じてカスタムしていかないと
>一律で物事を考えたり判断したり 推しつけたりしたら
>結局は対応が出来ず そして破壊する結果にもなってしまうんじゃないか
目的、手段の話であれば理解出来ます。
ありがちなのは手段が目的になっていたり、目的が手段になっていたり
カルト宗教は視野が狭くなりがちなので、おおらかさや優しさや柔軟さは大切ですよね。
368 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/01(金) 21:26:01.81 ID:X8+AlllC
>>364 > >それは違う。君は戒壇の大御本尊への信心を否定したい一心で、様々な詭弁を並べている。
>
> そのようなコメントをしたことはありませんよ。
> 「大石寺の板本尊=戒壇の大御本尊」を肯定することも否定することも出来ないのが私の立場ですよ。
(↓)こういうのを立派な否定というのです。
> 『大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊』の呪縛から離れられたことは大きな功徳と言えることですね。
http://www.logsoku.com/r/koumei/1355635743/742 大石寺の板本尊を信仰の根本と信じてきたのは「呪縛」であって、それを信じなくてもよくなったのは「大きな功徳」ですか。やれやれ。
> 当時は「日蓮正宗創価学会」なのですから、日蓮正宗と三原則に基づいて大石寺の化儀を守ることが異体同心であり、和合僧を守ることになるのです。
再三指摘してきたとおり、本門の本尊に関する議論は、三大秘法の議論であり、「化儀」ではありません。「化法」です。
そして、いかなる理由があろうとも、大聖人の仏法に違背した教義を信じた集団は、「和合僧団」ではありません。「邪教団」です。
もし仮に「信仰の根本」について、「呪縛」と言われるような間違った教義を教え込まれ、悪意はなくとも、それを信じて実践していたとすれば、立派な謗法です。
仏法は第一に正邪こそ問題です。その後に、異体同心や和合僧団という話が出てきます。
本尊の関する教義に疑念を抱きながら、異体同心やら和合僧団など言っていたら、笑われますよ。
> 「コッソリ」では無く、2002年の改訂に伴い明確に削除していますよ。
「明確に削除」って莫迦かよw そんな言葉は初めて聞いた。
信仰の根本の意義が変わるのであれば、その旨を「明確に指導」しなければいけないだろ。
違うか?
369 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/01(金) 21:45:15.84 ID:X8+AlllC
>>366 > 2002-3-8 では、会則改定以前の記事ですよ。
それがどうしました?
> 発表されている現在の会則にある教義を無視して、会則改訂以前の話を延々と持ち出しているのはあなたですよ。
会則、会則というのであれば、もっと正確に会則を読むことです。
会則には、
>(権 限)
> 第10条 会長は、次に定める会務を行なう。
> 1) 教義および化儀を裁定する。この場合、師範会議に諮問の上、最高指導会議の意見を聞き、これを尊重するものとする。
とあるとおり、会長が最高責任者として裁定します。
したがって、会長による教義の変更の発表なしに、教義は変更できないのです。
しかも、会長から教義変更の発表など、一度もなされていません。
会則における「教義」の条文改正は、会長の権限によって定められたものを、より適切な形で表記することであり、教義を改正することではありませんし、できません。
その部分を君は根本的に誤解しています。
370 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/01(金) 22:30:15.79 ID:BQPpCPTD
>>365 >一閻浮提総与の大御本尊でも戒壇の大御本尊でも、特別な意義を持つ本尊だから、特別につけた呼称なんだよ。
それは「弘安2年の大御本尊」のことですよ。「大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊の現物」でなければ「安置されている場所など、自動的かつ従属的に付される」とはなりません。
あなたは「大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊の現物」だと証明出来るのですか?
>>368 >再三指摘してきたとおり、本門の本尊に関する議論は、三大秘法の議論であり、「化儀」ではありません。「化法」です。
また、別の話をし始めましたね。
「本門の本尊」や「三大秘法」の現在の創価学会の公式な説明を「教学の基礎」の記述からちゃんと出していますよ。
「化法」とは「仏が衆生を教化するために説いた教法のこと」です。
広宣流布の暁に本門寺の本堂に安置する「本門の戒壇の大御本尊」を「大石寺の板本尊」とするのは教法では無く、
「大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊の現物」という大石寺の伝説を根拠にした「化儀」ですよ。
>本尊の関する教義に疑念を抱きながら
私には本尊に関する疑念などありませんよ。
私は当初から現在の創価学会の教学書籍から言っているだけであり、現在の創価学会の教学系文書から「大石寺の板本尊」に関する記述が無いのが事実です。
現在の創価学会が公式に発表している文書に記載の無い「大石寺の板本尊」に関して、会員個人が創価学会が「公式に認めている」「公式に否定している」などと言うのは、どちらも「我見」です。
創価学会が公式に認めていると主張するのであれば、会則改訂後の文書で「大石寺の板本尊」に関して記述されているものを出せばいいだけです。
それをしないで、長々と無駄で雑多な話をして誤魔化そうとしても無駄ですよ。
『創価学会は「大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊の現物」と『公式』に認めている』などと言うのは、日顕宗特有の『嘘』ですよ。
>>369 >しかも、会長から教義変更の発表など、一度もなされていません。
会則改定時に秋谷会長が「抜本的に改正することにしたわけであります」 と発表していますよ。
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-´⌒二⊃ <=(´∀`)
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人 Y
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|こいつ木に注射してたぞ! |
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372 :
米山士郎 ◆ozOtJW9BFA :2013/02/01(金) 23:17:28.17 ID:Cw0YslA8
367は米山士郎です。
373 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/01(金) 23:27:12.91 ID:e8WNZfBb
>>370 > それは「弘安2年の大御本尊」のことですよ。「大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊の現物」でなければ「安置されている場所など、自動的かつ従属的に付される」とはなりません。
> あなたは「大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊の現物」だと証明出来るのですか?
いや。証明はできない。
君は、
>>306で
> 現在の創価学会は大石寺の伝説のみを根拠として大石寺の板本尊を「一閻浮提総与の大御本尊そのもの」と公式に認める理由が無いのですよ。
と書いているが、
> それは「弘安2年の大御本尊」のことですよ。
という自分の発言を、伝説ではなく事実であると、証明することができるのですか?
> 広宣流布の暁に本門寺の本堂に安置する「本門の戒壇の大御本尊」を「大石寺の板本尊」とするのは教法では無く、
>「大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊の現物」という大石寺の伝説を根拠にした「化儀」ですよ。
「化儀」とは、仏が衆生を教化し導く方法です。
「大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊の現物」は、信徒を教化し導く「方法」と思っているのですか。
そういう勘違いをしていると読めたので、
>>298で日寛上人の遺文を引用したのです。
「三大秘法を合すれば則ち但一大秘法の本門の本尊と成るなり」(依義判文抄)
つまり「三大秘法=一大秘法=本門の本尊」ということ。
これのどこが、信徒を教化し導く「方法」なのか。「法」そのものだと述べているではないか。
374 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/02(土) 00:15:16.83 ID:bpAyfDAL
>>373 >いや。証明はできない。
では、「大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊の現物」でなければ「安置されている場所など、自動的かつ従属的に付される」とはなりません。
>という自分の発言を、伝説ではなく事実であると、証明することができるのですか?
「弘安2年の大御本尊=大聖人の出世の本懐」に関しては伝説云々では無く、創価学会の公式サイトに記述があることです。
私は創価学会の公式見解の話を、創価学会の文書に記載の有る無しの事実から言っているだけですよ。
>そういう勘違いをしていると読めたので、
>>298で日寛上人の遺文を引用したのです。
依義判文抄は教法ですし、記述のある「三大秘法=一大秘法=本門の本尊」は「化法」ですよ。
しかし、「大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊の現物」は教法では無く、大石寺の伝説を根拠にした「大石寺の化儀」ですよ。
375 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/02(土) 00:25:28.61 ID:vuCZrc0M
また舎利の自演が始まってしまったか(*_*)
破門前は「御本尊は宇宙の当体!」とか
会則改訂前の活動家は狂っていたので
日蓮正宗創価学会は消滅して善かった
377 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/02(土) 05:09:52.72 ID:xhb9j8WG
>>370 > 私には本尊に関する疑念などありませんよ。
> 私は当初から現在の創価学会の教学書籍から言っているだけであり、現在の創価学会の教学系文書から「大石寺の板本尊」に関する記述が無いのが事実です。
学会教学を誤って理解しているから、大石寺の板本尊を肯定も否定もしていない、という訳の分からないことを言い出す。
肯定も否定もできない者を、「本尊に疑念を持っている」という。
> 創価学会が公式に認めていると主張するのであれば、会則改訂後の文書で「大石寺の板本尊」に関して記述されているものを出せばいいだけです。
聖教新聞や創価新報を読めば済む話。
聖教新聞では、大石寺の板本尊という意味で「大御本尊」という言葉が使われ、「大御本尊は、日蓮仏法の教義の根本」「我々は、ますます大聖人直結、大御本尊根本の信心で進んでいる」と書かれている。
機関紙たる聖教新聞で発表されたものが、学会の公式見解であり、「大石寺の板本尊の教義上の意義を削除した」などという、聖教新聞で発表されていない見解を、公式見解とするのは間違いであり、愚の骨頂。
> 会則改定時に秋谷会長が「抜本的に改正することにしたわけであります」 と発表していますよ。
会則を抜本的に改正したとは、教義を抜本的に変えたという話ではない。
そもそもの話、教義を抜本的に変えたら、今までとは違うものを信じる「新教団の誕生」となる。
実際問題、平成14年4月1日の会則改定から、「信じている教義を抜本的に改めた」という会員は一人もいない。
会則の権限をもつ会長が、「大石寺の板本尊の教義上の意義を削除する」という発表も存在しない。
378 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/02(土) 07:59:20.02 ID:xhb9j8WG
>>374 > 「弘安2年の大御本尊=大聖人の出世の本懐」に関しては伝説云々では無く、創価学会の公式サイトに記述があることです。
> 私は創価学会の公式見解の話を、創価学会の文書に記載の有る無しの事実から言っているだけですよ。
学会の公式サイトにある「弘安2年の大御本尊=大聖人の出世の本懐」こそ、伝説云々を信じて記述している --- という「事実」そのものです。
学会が伝説を信じている以上、それは証明されていないことに他ならず、「証明されなければ公式に認められない」という君の立場に立てば、君が学会の公式サイトを引用することは自語相違となる。
何より君は、
> 池田先生の指導が全て、そのまま創価学会の「教義」としての公式見解にならないのは当たり前ですよ。
http://www.logsoku.com/r/koumei/1355635743/613 > 「指導は全て教義だ」とするのは「法主の言うことは絶対である」と、教義を曲げてきた日顕宗と同様に危険です。
> 私の主張は、「指導はそのまま教義の公式見解では無い」と言うだけです。
> 指導については何を重点に置いてされているのかをちゃんと考えます。
http://www.logsoku.com/r/koumei/1355635743/672 などと発言して、師の指導は必ずしも公式見解ではないとか、師の指導を鵜呑みにせずに、独自に解釈することの必要性を主張している。
つまり、信仰上の師匠の言葉には一定の距離を保ちながら、その師の指導を伝える媒体たるべき公式サイトの記述は、伝説云々への考慮もなしに、無批判に受け入れ、持論の根拠として引用している。
こういうご都合主義な態度を見透かされている限り、君の主張には何の説得力もない。
379 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/02(土) 08:01:29.57 ID:xhb9j8WG
>>374 > 依義判文抄は教法ですし、記述のある「三大秘法=一大秘法=本門の本尊」は「化法」ですよ。
> しかし、「大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊の現物」は教法では無く、大石寺の伝説を根拠にした「大石寺の化儀」ですよ。
それは完全な間違い。
「就中弘安二年の本門戒壇の御本尊は、究竟の中の究竟、本懐の中の本懐なり。既に是れ三大秘法の随一なり、況んや一閻浮提総体の本尊なる故なり」(観心本尊抄文段)
「別付の法体とは吾山に秘蔵する本門戒壇の大御本尊是なり」(弁惑観心抄)
「此三大秘法は何者ぞや、本門の本尊とは当寺戒壇の板本尊に非ずや」(初度説法)
「大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊の現物」は、『お ま え の』化法でなくても、『だ い せ き じ の』化法なのだ。
何で君の勝手な考えで、大石寺の化法が化儀に変わるんだよ(笑)
何より、法体たる本尊を「化儀」などという莫迦な話は、学会の恥を晒すだけなので止めたほうがよい。
380 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/02(土) 08:12:20.85 ID:xhb9j8WG
381 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/02(土) 14:35:04.15 ID:xhb9j8WG
>>370 > 私は当初から現在の創価学会の教学書籍から言っているだけであり、現在の創価学会の教学系文書から「大石寺の板本尊」に関する記述が無いのが事実です。
それは違う。
君は当初は、『会則』から「大石寺に安置されている」という文言が削除されているから、「大石寺の板本尊」に関する記述が無い、という主張を莫迦みたいに繰り返してきた。
しかしそれだけでは話が通用しないから、後になって『教学の基礎』を引っ張り出してきた。これが事実だ。
それはともかく、会則改正に先立って発表された『創価学会会則の改正について』には、
> 「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊を信受し」とあります。これは、創価学会に貫かれてきた「大御本尊への信心」の本義をしめしたものです。
と書かれてある。
では、『創価学会に貫かれてきた「大御本尊への信心」』とは何かというと、旧会則の文を借りれば、「日蓮正宗総本山大石寺に安置せられている弘安2年10月12日の本門戒壇の大御本尊を根本とする」だ。
ただ、大石寺の板本尊を単に信じるという文字通りの意味から、さらに突っ込んだ深い意味が「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊を信受し」には込められているから、『「大御本尊への信心」の本義をしめしたものです』となる。
その信心の本義とは、『弘安2年10月12日に大御本尊を図顕された大聖人の心に呼応する信心』と説明されている。
つまり、新会則の「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊を信受し」とは、『信心の本義』を述べたもので、『大御本尊の定義』を述べたものではない。だから安置場所の記述は無くなったのである。
ところが君は、この会則によって『大御本尊の定義』をしたと誤読したので、『日蓮正宗総本山大石寺に安置せられている』が削除されたことを理由に、大石寺の板本尊に教義上の意義はなくなったと誤った解釈をしてしまった。
これだけ単純明快な話なのだから、学会の信心を知らない人が読んでも十分に理解できるだろう。
君の会則云々という主張は、一切通用しないのだ。
382 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/02(土) 14:38:51.08 ID:bpAyfDAL
>>377-378 >肯定も否定もできない者を、「本尊に疑念を持っている」という。
日顕宗であるあなたの言い掛かりですよ。
現在の創価学会の教学系文書では「大御本尊は、日蓮仏法の教義の根本」「我々は、ますます大聖人直結、大御本尊根本の信心で進んでいる」等は「弘安2年の大御本尊」を指します。
『創価学会会則の改正について』にも『弘安2年10月12日に大御本尊を図顕された大聖人の心に呼応する信心こそ「大御本尊を信受する」という意味』とあるように、
「大聖人の心」が会則の教義にある「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊」となります。
これは、「教学の基礎」で「すなわち日蓮大聖人が胸中に所持されている久遠元初の妙法たる南無妙法蓮華経であり、また、それを図顕された曼荼羅本尊です」と一致します。
現在の創価学会の本尊に関する説明では、「大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊の現物」かどうかは無意味ですよ。
>こういうご都合主義な態度を見透かされている限り、君の主張には何の説得力もない。
会則改定以降にも創価学会が公式に文書として出してものを何も出さずに必死になって
『創価学会は「大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊の現物」と公式に認めている』と言っているあなたに何の説得力もないのですよ。
383 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/02(土) 14:39:54.17 ID:bpAyfDAL
>>379-380 >「別付の法体とは吾山に秘蔵する本門戒壇の大御本尊是なり」(弁惑観心抄)「此三大秘法は何者ぞや、本門の本尊とは当寺戒壇の板本尊に非ずや」(初度説法)
弁惑観心抄は54世日応 初度説法は22世日俊ですよ。
日寛上人の文から「大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊の現物」が引き出せなくて、他の文献を出してくるなど浅ましいですね。
>何で君の勝手な考えで、大石寺の化法が化儀に変わるんだよ
あなたの「化法・化儀」の解釈が間違っているだけですよ。
>繰り返すが、御本尊を「化儀」という莫迦な話はやめよう。
これもあなたの言い掛かりです。「一機一縁」と言う言葉を使っているのが「化儀」ですよ。
>ところがどういうわけか君は、「大聖人の御化導」を外している。
大聖人ご自身は「一機一縁」と言う言葉を「弘安2年の御本尊」と「弘安2年以前の御本尊」の区別に使っていませんよ。
『要するに、一機一縁の御本尊とは、本来は大聖人在世の門下に与えられた御真筆(ごしんぴつ)の御本尊のことを指す言葉ですね』が以前の大石寺の化儀ですよ。
「化法」は数学で言えば方程式であり理論であるため、変化はありません。
それに対して「化儀」は、方程式で実際に問題を解いた結果と言えるため、変数の設定が異なれば答えが変わってくるものです。
大石寺は「弘安2年の御本尊」と「弘安2年以前の御本尊」の区別をするために、「一機一縁」という化儀を作っていたのですよ。
384 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/02(土) 14:43:44.31 ID:bpAyfDAL
>>381 >君は当初は、『会則』から「大石寺に安置されている」という文言が削除されているから、「大石寺の板本尊」に関する記述が無い、という主張を莫迦みたいに繰り返してきた。
>しかしそれだけでは話が通用しないから、後になって『教学の基礎』を引っ張り出してきた。これが事実だ。
現在の創価学会が公式にだしている文書から「大石寺に安置されている」を削除されている事実の文証として『会則の教義』も『教学の基礎』も同じですよ。
385 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/02(土) 14:58:57.89 ID:xhb9j8WG
>>383 > 弁惑観心抄は54世日応 初度説法は22世日俊ですよ。
> 日寛上人の文から「大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊の現物」が引き出せなくて、他の文献を出してくるなど浅ましいですね。
浅ましいというのが卑劣な言い掛かりで、戒壇の大御本尊に対する認識の歴史を示すという意図もある。
大石寺の教義が問題になっているのだから至って当然のこと。君の非難は不当。
> あなたの「化法・化儀」の解釈が間違っているだけですよ。
それだけ?(笑) 反論不能と認識させてもらった。
> これもあなたの言い掛かりです。「一機一縁」と言う言葉を使っているのが「化儀」ですよ。
根拠を提示しない意見は全て却下する。
> 大聖人ご自身は「一機一縁」と言う言葉を「弘安2年の御本尊」と「弘安2年以前の御本尊」の区別に使っていませんよ。
それは私に言うことではなくて、創価学会に対して意見するべきことです。
なぜなら、創価学会も「戒壇の大御本尊」を特別視し、「戒壇の大御本尊」を書写したから学会授与の本尊は正しいと主張しているのですから(『創価学会の御本尊授与に関する法門上の見解』を参照のこと)。
さらに言うなら、大聖人の遺文の中には「弘安2年の大御本尊」という言葉すら存在しません。
日寛教学が如何に学会教学に大きな影響を与えているのか、この機会によく認識することです。
> 『要するに、一機一縁の御本尊とは、本来は大聖人在世の門下に与えられた御真筆(ごしんぴつ)の御本尊のことを指す言葉ですね』が以前の大石寺の化儀ですよ。
そんな君の個人的な意見など、私の知ったことではありません。
以下、他の書き込みも上に同じ。
386 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/02(土) 15:06:30.39 ID:xhb9j8WG
>>384 > 現在の創価学会が公式にだしている文書から「大石寺に安置されている」を削除されている事実の文証として『会則の教義』も『教学の基礎』も同じですよ。
言葉の遊びなら他に行ってやれ。
>>381で論証したとおり、会則改定では、大石寺の板本尊の教学上の意義になど触れていない。
また、「教学の基礎」は会則にある「教義」や、学会の示した公式見解に反するものではない。(反していたら回収される)
387 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/02(土) 15:32:34.96 ID:xhb9j8WG
>>382 > 現在の創価学会の教学系文書では「大御本尊は、日蓮仏法の教義の根本」「我々は、ますます大聖人直結、大御本尊根本の信心で進んでいる」等は「弘安2年の大御本尊」を指します。
会則改定では、「大御本尊への信心の本義」を述べたのであり、「大御本尊の新たな定義」を述べたものではない。同じ事は何度も説明させないこと。
>『創価学会会則の改正について』にも『弘安2年10月12日に大御本尊を図顕された大聖人の心に呼応する信心こそ「大御本尊を信受する」という意味』とあるように、
>「大聖人の心」が会則の教義にある「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊」となります。
自分の都合に合わせて、勝手に物語を創作するものではない。
新会則の「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊を信受し」とは「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊」の定義を示したものではない。「(一閻浮提総与・三大秘法の)大御本尊への信心の本義」を示しているのである。
故に、新会則の条文から、「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊」の定義を導き出そうとすること自体がナンセンス。
新会則の条文では、「大御本尊への信心の本義=弘安2年10月12日に大御本尊を図顕された大聖人の心に呼応する信心」--- これを述べているのである。
結論が先にあって、それに都合の良い話を切り貼りするような真似は、絶対にしてはならない。
388 :
池田大作:2013/02/02(土) 15:40:51.76 ID:rwdpOQ6U
偉大なる男子部高橋裕之氏を警察から護るに護って また絶対な経済革命と幸福境涯になるように題目を送って行こうではありませんか!
389 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/02(土) 17:15:22.08 ID:EZo6/xit
カラーコピーってキヤノンなの?
それともエプソン?
390 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/02(土) 17:53:22.60 ID:bpAyfDAL
>>385-387 >大石寺の教義が問題になっているのだから至って当然のこと。君の非難は不当。
また話を摩り替えていますね。
「大石寺の教義」など問題にしていませんよ。
現在、創価学会が公式に発表している『会則の教義』などを含めた創価学会の教義に関する文書に「大石寺の板本尊」に関する記述が無いと言う事実から、
『創価学会は「大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊の現物」を公式に認めている』などと言うのは日顕宗の嘘だと私は言っているのですよ。
話のすり替えや話を拡散させるなどの姑息な手段を使わないで、『創価学会は「大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊の現物」を公式に認めている』と言うなら、その記述のある会則改定後の文書を出しなさい。
391 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/02(土) 18:23:34.07 ID:8jUvX2E8
面子拘るのか日蓮聖人に拘るのか?
教義や歴史に疑義あるのならちゃんと研究して
修正し保田や西山を立てればいいんじゃないですか?
先生も「いーんじゃないですか?信教の自由ですから」とテレビで言ってましたよね?
神とか仏にしゃかりきになり過ぎる方は(MKに掛かりやすい)
他教団の元信者、幹部の書いた批判書を読んだり
仏典、聖書は後世に学者、権力者に都合良く改竄編集されたと自覚し
「マルサの女2」やたけしの「教祖誕生」の映画など見るといいと思います。
宗教や教団組織の裏を知るべきですね。
もし宜しければ当掲示板にお遊び下さい。
http://jbbs.livedoor.jp/study/8576/
392 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/02(土) 18:31:26.57 ID:xhb9j8WG
>>390 > 「大石寺の教義」など問題にしていませんよ。
君が「大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊の現物」が化儀やら化法やらというおかしな話を持ち出してきたから、大石寺の教義について言及した。
問題にしていないのであれば、これでオシマイ。
> 現在、創価学会が公式に発表している『会則の教義』などを含めた創価学会の教義に関する文書に「大石寺の板本尊」に関する記述が無いと言う事実から、
>『創価学会は「大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊の現物」を公式に認めている』などと言うのは日顕宗の嘘だと私は言っているのですよ。
・会則は、「大御本尊への信心の本義」を記したもので、「大御本尊の新しい定義」を記したものではない(=大御本尊の定義を変えたものではない)ので、会則を持ち出すのはお門違い。
・『「分身散体」の意義に照らして、弘安2年の大御本尊を書写した御本尊を正しい信心で受持することはそのまま大御本尊の受持になる』(「創価学会会則の改正について」より)から、会則のみならず教学関連書籍においても、大御本尊の安置場所を記す必要は無い。
・「弘安2年の大御本尊=戒壇の大御本尊=一閻浮提総与の大御本尊=大石寺の板本尊」とは、日蓮正宗創価学会時代から一貫した定義であり、それを変更する公式な発表がない以上、一閻浮提総与の大御本尊は大石寺の板本尊を意味する。
393 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/02(土) 18:50:58.25 ID:xhb9j8WG
>>390 > 話のすり替えや話を拡散させるなどの姑息な手段を使わないで、『創価学会は「大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊の現物」を公式に認めている』と言うなら、その記述のある会則改定後の文書を出しなさい。
その会則改定の先立って発表された『創価学会会則の改正について』には、
> どこか特定の場所に参拝しなければ成仏できないという日顕宗のような誤った考えは大聖人の御本意ではありません。
という教義上の信条が述べられている。
「今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者の住処は山谷曠野皆寂光土なり此れを道場と云うなり」(御義口伝)との御聖訓からも明らかなように、大聖人の仏法は「娑婆即寂光」である。
学会は、会則改定を機に、この「娑婆即寂光」の教えを、より前面に出してきたと言える。
その意味において、会則改訂後に、弘安2年の大御本尊の安置場所にこだわった記述は、まず見られなくなったことだろう(全ての書籍に目を通しているわけではないので、断言はできない)。
しかし学会は、日蓮正宗創価学会時代から大石寺の板本尊を弘安2年の大御本尊としてきた。したがって、その定義の変更が発表されていない以上、大石寺の板本尊に関する見解に変化はない。公式見解とはそういうものなのだ。
394 :
ねこ:2013/02/02(土) 20:06:05.57 ID:kIV7BNWM
http://nekomiyashiroichi.blog59.fc2.com/blog-entry-1099.html 『地球号困民党』
最終目標:
地球上のあらゆるものの恒久平和。
貧困も暴力も差別も無い世界の実現。
生けとし生きるもの全ての基本的権利の保障。
当面の目標:
□ 貧困の撲滅
□ 「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」
(日本国憲法では、第25条1項)を実現する。
□ ホームレスを生活保護化する。(ホームレスを無くす。)
□ 生活保護の基準の大幅緩和と就職への手厚い誘導
(例:職業訓練など)
□ 最低時給を1000円にアップする。
□ 暴力の撲滅
□ セクハラの完全撲滅。刑事罰の導入。
□ パワハラの完全撲滅。刑事罰の導入。
□ いじめ(学校や職場など)の完全撲滅。刑事罰の導入。
□ 個人blogへの嫌がらせコメントの完全撲滅。刑事罰の導入。
□ 差別の撲滅
□ 病気・ケガや障碍の救済
395 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/02(土) 20:13:17.66 ID:bpAyfDAL
>>392-393 >会則は、「大御本尊への信心の本義」を記したもので、「大御本尊の新しい定義」を記したものではない(=大御本尊の定義を変えたものではない)ので、会則を持ち出すのはお門違い。
これもあなたの言い掛かりですね。
私は「大御本尊の新しい定義」をしたなどと言っていませんよ。
教義から「日蓮正宗総本山大石寺に安置せられている弘安2年10月12日の本門戒壇の大御本尊」が削除された事実があるだけです。
>それを変更する公式な発表がない以上、一閻浮提総与の大御本尊は大石寺の板本尊を意味する。
教義から「日蓮正宗総本山大石寺に安置せられている弘安2年10月12日の本門戒壇の大御本尊」が削除されたのは発表された公式な事実ですよ。
>大石寺の板本尊に関する見解に変化はない。公式見解とはそういうものなのだ。
いいえ、会則が抜本的に改正された事実があり、
創価学会の新しい教義は「日蓮正宗総本山大石寺に安置せられている弘安2年10月12日の本門戒壇の大御本尊」が削除されて発表されていますよ。
会則が改訂されて以降、10年間、「大石寺の板本尊」が創価学会の教学系文書に記述が無いのも事実です。
他宗所蔵の曼荼羅に関して、現在の創価学会は教義上の公式見解を発表していませんよ。
話のすり替えや話を拡散させるなどの姑息な手段を使わないで、『創価学会は「大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊の現物」を公式に認めている』と言うなら、その記述のある会則改定後の文書を出しなさい。
会則が改訂後10年間を経ているのに未だに『創価学会は「大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊の現物」を公式に認めている』と言うのは日顕宗特有の「嘘」ですよ。
396 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/02(土) 21:29:30.17 ID:xhb9j8WG
>>395 > 教義から「日蓮正宗総本山大石寺に安置せられている弘安2年10月12日の本門戒壇の大御本尊」が削除された事実があるだけです。
問題になっている会則については、旧会則と新会則を比較して読解するべきではない。
なぜなら旧会則では、根本として信じる対象に重点を置いている。
ところが新会則では、これまでの創価学会に貫かれてきた「大御本尊への信心」の本義を示したものだからだ。
つまり、同じような内容の条文でも、その条文のスタンスが異なるのである。
とりわけ新会則の「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊を信受し」という条文が真に意味するところは、『創価学会会則の改正について』を読まなければ理解することは極めて困難。
> 教義から「日蓮正宗総本山大石寺に安置せられている弘安2年10月12日の本門戒壇の大御本尊」が削除されたのは発表された公式な事実ですよ。
それについては過去に何度も説明した。
> 「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊を信受し」とあります。これは、創価学会に貫かれてきた「大御本尊への信心」の本義をしめしたものです。(「創価学会会則の改正について」より)
とある。
『創価学会に貫かれてきた「大御本尊への信心」』だから、これまでの信心(=旧会則の「日蓮正宗総本山大石寺に安置せられている…」)は、そのまま引き継がれることを意味している。
そしてその信心の「本義(=根本となる重要な意義)」を説明している。
つまり「日蓮正宗総本山大石寺に安置せられている弘安2年10月12日の本門戒壇の大御本尊を根本とする」には変わりないが、新会則では、そのさらに深い意義を示しているのだ。
よって、君の
> 教義から「日蓮正宗総本山大石寺に安置せられている弘安2年10月12日の本門戒壇の大御本尊」が削除された
という解釈は間違っている。
397 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/02(土) 21:40:46.18 ID:xhb9j8WG
>>395 > 会則が抜本的に改正された事実があり、
大御本尊に関わる教義には、何ら変化は存在しない。その意義をより深く表現しただけだ。
事実、会則改定によって「信じている教義が抜本的に変わった」という学会員は一人もいない。
> 会則が改訂されて以降、10年間、「大石寺の板本尊」が創価学会の教学系文書に記述が無いのも事実です。
大御本尊が安置されている場所が記載されていないから、そう思い込んでしまっただけ。
安置場所は必要ないから書いていない。
君は大御本尊の安置場所を知らなくて、何か困ることでもあるのかね?
> 他宗所蔵の曼荼羅に関して、現在の創価学会は教義上の公式見解を発表していませんよ。
聖教新聞に、(大石寺の板本尊という意味で)「大御本尊は、日蓮仏法の教義の根本」と書かれている。その後、それを否定する見解は発表されていない。つまり継続されている。
> 話のすり替えや話を拡散させるなどの姑息な手段を使わないで、『創価学会は「大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊の現物」を公式に認めている』と言うなら、その記述のある会則改定後の文書を出しなさい。
会則改定で、大御本尊の定義が変わったわけではないので、「会則改定後」にこだわる理由は存在しない。
しかも「創価学会会則の改正について」には、『創価学会に貫かれてきた「大御本尊への信心」』とあり、それまでの信心が継承されることを示唆している。
安置場所の記載がなくなっただけで、大石寺の板本尊への信心は、まったく変わっていないのだ。
そもそもお前は、この10年間で何冊の本を読んで、
> 会則が改訂されて以降、10年間、「大石寺の板本尊」が創価学会の教学系文書に記述が無いのも事実です。
なんて言ってるんだよ(笑)
398 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/02(土) 22:09:00.49 ID:bpAyfDAL
>>396-397 >つまり、同じような内容の条文でも、その条文のスタンスが異なるのである。
またあなたは勝手なことを言い出しましたね。あなたの憶測は「創価学会の公式見解」ではありませし、あなたの私見を追加したものなど無意味ですよ。
>という解釈は間違っている。
解釈などしていませんよ。教義から「日蓮正宗総本山大石寺に安置せられている弘安2年10月12日の本門戒壇の大御本尊」が削除された事実を言っているのですよ。
>聖教新聞に、(大石寺の板本尊という意味で)「大御本尊は、日蓮仏法の教義の根本」と書かれている
あなたの勝手な解釈をカッコで追加しても無意味ですよ。「大御本尊」と言う表現は「大聖人御図顕の曼荼羅本尊」全般に使用されています。
例えば、戸田先生が学会常住御本尊を申請した際に「大折伏大願成就の為の大御本尊を賜りますよう、創価学会の総意を以て誓願申し上げます。」とあります。
「大御本尊」と言う表記に(大石寺の板本尊という意味で)などとあなたが勝手に追加してもあなたの姑息さが浮き彫りになるだけですよ。
>安置場所の記載がなくなっただけで、大石寺の板本尊への信心は、まったく変わっていないのだ。
あなたがそう考えていてもあなたの自由ですが、会則改訂以降10年間、創価学会の教学系文書に「大石寺の板本尊」に関する記述はありません。
そのため、『創価学会は「大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊の現物」を「公式」に認めている』と『公式』と付けた場合、全て「嘘」ですよ。
あなたの思い込みを追加した文章を作ったり、話のすり替えや話を拡散させるなどの姑息な手段を使わないで、
『創価学会は「大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊の現物」を公式に認めている』と言うなら、そう明記している会則改定後の文書を出しなさい。
399 :
eco ◆Smw69BiSBo :2013/02/02(土) 22:10:19.00 ID:KMq355Il
>>380 なるほど では 創価学会が1994年より 新規会員や取り換え目的等々で
対告を削ってまで 二次配布をしている浄円寺の寛師書写の御本尊は 確か
一機一縁の御本尊だった筈ですが 権教の教えに基づく 一段低い本尊を
会員に配布して拝ませている。・・・と言う事になるんですけれどね〜
脱会した後の池田教の会則には
ドン引きするわ((((゜д゜;))))
401 :
eco ◆Smw69BiSBo :2013/02/02(土) 23:01:11.09 ID:KMq355Il
>>380 http://www.geocities.jp/shinichizz/gakkai/gohonzon/gohonzon-gokinkoku.txtより 辻:「一機一縁」とは、大聖人が、門下に与えられた
御本尊について使われる言葉で 出世の本懐(ほんがい)である
「一 閻 浮 提 総 与(いちえんぶだいそうよ)」 の
大 御 本 尊 と 区 別 す る 意 味 で 用 い ら れ る も の だ。
斉藤:そうです。「一機一縁」とは、あくまでも仏の化導(けどう)について用いられる言葉です。
釈尊の場合で言えば、出世の本懐である法華経が一切衆生のための教えであるのに対して
衆 生 の 機 根 に 応 じ て 説 か れ た 爾 前 経(にぜんきょう)が、一 機 一 縁 の 教 え になる。
これは 日蓮仏法に置き換えても同じ事が言えそうですけれどね
例→佐前・佐後 寛師の場合は 六巻抄前 六巻抄後
402 :
eco ◆Smw69BiSBo :2013/02/02(土) 23:03:29.67 ID:KMq355Il
403 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/02(土) 23:53:58.43 ID:yUBLCa6N
(会則よりも会員の信心がどこぞの本尊に向かっているのか。その事実が肝要ですね ボソッ)
創価学会が、もはや信心のための組織ではないことは、舎利さんが一番よくわかっている。
404 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/03(日) 03:45:02.40 ID:0ys16Epa
405 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/03(日) 05:26:29.15 ID:EJipGmCs
>>398 > またあなたは勝手なことを言い出しましたね。あなたの憶測は「創価学会の公式見解」ではありませし、あなたの私見を追加したものなど無意味ですよ。
聖教新聞で示された新会則の説明に基づくものであり、それと全く矛盾するところはない。
『創価学会会則の改正について』に
> 「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊を信受し」とあります。これは、創価学会に貫かれてきた「大御本尊への信心」の本義をしめしたものです。
と記されており、そのことを述べた。
私の記述は創価学会が公式に示した新会則への説明に基づいているから、君は「勝手なこと」「憶測」「私見」等と抽象的な非難はしても、具体的に何がどう間違っているのか指摘できない。
もはや中身の無い中傷と、言葉の遊びに終止することしか出来なくなった。哀れにも。
> 教義から「日蓮正宗総本山大石寺に安置せられている弘安2年10月12日の本門戒壇の大御本尊」が削除された事実を言っているのですよ。
これこそ言葉の遊びだ。
それを「削除されている」というのであれば、新会則では「弘安2年10月12日の本門戒壇の大御本尊」が削除されたことになるではないか。
こんな事を言えば、君は『いいえ、学会の教学関連本には、弘安2年の大御本尊についての記述があり』云々と言ってくるだろう。
ならば私は言ってあげよう。
『いいえ、会則改定によって「弘安2年10月12日の本門戒壇の大御本尊」が削除された事実を言っているのですよ」と(爆笑)
自分の愚かな主張に、そろそろ気づきなさい。
406 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/03(日) 05:27:20.90 ID:EJipGmCs
>>398 > 会則改訂以降10年間、創価学会の教学系文書に「大石寺の板本尊」に関する記述はありません。
聖教新聞で発表された
> どこか特定の場所に参拝しなければ成仏できないという日顕宗のような誤った考えは大聖人の御本意ではありません。
という教義上の信条を反映したもの。
重要なのは場所ではない。信心であり実践であるということだ。
故に、決して「大石寺の板本尊」の教学上の意義を削除したのではない。削除されたのは「大石寺」である。
> 例えば、戸田先生が学会常住御本尊を申請した際に「大折伏大願成就の為の大御本尊を賜りますよう、創価学会の総意を以て誓願申し上げます。」とあります。
その戸田先生が、「大御本尊様、客殿の御本尊様、私どものいただいている常住御本尊様、あなた方が拝んでいる御形木御御本尊様、それぞれ違うのです」(戸田城聖全集 第二巻)と指導されている。
だからこそ『大折伏大願成就の為の』という言葉を付したのである。『大御本尊』としたのは、特別な意義を持つ御本尊であることを意味する。
407 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/03(日) 05:54:46.65 ID:WlhEn4Fc
>>405-406 >具体的に何がどう間違っているのか指摘できない。
具体的に指摘していますよ。「創価学会の公式見解」とするには、あなたが原文には無いあなたの私見を追加しているのが間違いです。
>こんな事を言えば、君は『いいえ、学会の教学関連本には、弘安2年の大御本尊についての記述があり』云々と言ってくるだろう。
その通りですよ。「弘安2年10月12日の本門戒壇の大御本尊」は創価学会の公式と言える文書に記載があり、
「日蓮正宗総本山大石寺に安置せられている大御本尊」に関する文書が無いのが事実です。
>故に、決して「大石寺の板本尊」の教学上の意義を削除したのではない。削除されたのは「大石寺」である。
いいえ、「日蓮正宗総本山大石寺に安置せられている大御本尊」が削除されていますよ。
>それぞれ違うのです」(戸田城聖全集 第二巻)と指導されている。
また話を摩り替えていますね。
私はあなたが「大御本尊」と言う表記に(大石寺の板本尊という意味で)などとあなたが勝手に追加したことを指摘したのですよ。
戸田先生は「分身散体」を用いられて「それぞれ違う」と言われているのですから、分身散体の仏身が現れる「それぞれ」の国土(御本尊の安置場所)が「違う」と言うことですよ。
「大御本尊」と言う表現は「大聖人御図顕の曼荼羅本尊」全般に使用して、何ら差し支え無い表現です。
「大御本尊」と言う表記に(大石寺の板本尊という意味で)などとあなたが勝手に追加してもあなたの姑息さが現れているだけですよ。
あなたの思い込みで原文には無い言葉を追加した文章を作ったり、話のすり替えや話を拡散させるなどの姑息な手段を使わないで、
『創価学会は「大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊の現物」を公式に認めている』と言うなら、そう明記している会則改定後の文書を原文のまま出しなさい。
408 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/03(日) 07:37:41.94 ID:EJipGmCs
>>407 > 「創価学会の公式見解」とするには、あなたが原文には無いあなたの私見を追加しているのが間違いです。
『創価学会会則の改正について』は、創価学会が公式に発表したもの。私見ではない。
むしろ旧会則と新会則との表現の違いに目をつけて、自分勝手に『「日蓮正宗総本山大石寺に安置せられている大御本尊」に関する文書が無い』と勝手に結論付けているのが君だ。
あんな短い会則の条文について、『創価学会会則の改正について』という記事も読まずに(というより、意図的に無視して)、大石寺の板本尊の教義上の意義を云々することが、そもそもの間違い。
>「弘安2年10月12日の本門戒壇の大御本尊」は創価学会の公式と言える文書に記載があり、
>「日蓮正宗総本山大石寺に安置せられている大御本尊」に関する文書が無いのが事実です。
いいえ、会則改定によって「弘安2年10月12日の本門戒壇の大御本尊」が削除された事実を言っているのですよ。
自分では会則以外のものを引っ張り出してきて、持論を正当化しようとしておきながら、こちらが会則について直接説明している文書を持ち出して、会則の真意を説明することに対しては無視を決め込む。
君は議論のスタート地点にすら立てていない。
> 私はあなたが「大御本尊」と言う表記に(大石寺の板本尊という意味で)などとあなたが勝手に追加したことを指摘したのですよ。
それは「大御本尊」ではありません。「大折伏大願成就の為の大御本尊」です。
409 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/03(日) 07:39:31.60 ID:EJipGmCs
>>407 > 戸田先生は「分身散体」を用いられて「それぞれ違う」と言われているのですから、分身散体の仏身が現れる「それぞれ」の国土(御本尊の安置場所)が「違う」と言うことですよ。
それはあまりにも酷い誤読だ。
「【御本尊様には違いがあります】。仏法の上では分身散体ということがあります。私なら私の心と同じ心にできているのを分身体というのです。」という文があって、
その後に「奉安殿の大御本尊様、ここの客殿の御本尊様、私どものいただいている常住御本尊様、あなた方が拝んでいる御形木御御本尊様、それぞれ違うのです」と続く。
最初に結論があって、それに都合のいい理屈を捏造するなど、とりわけ誤りが許されない教義の問題では、絶対にやってはいけない。
> 『創価学会は「大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊の現物」を公式に認めている』と言うなら、そう明記している会則改定後の文書を原文のまま出しなさい。
会則改定によって、一閻浮提総与の大御本尊の定義は変えられていない。その根拠も示した。
もう通用しなくなった「会則」云々という話は、何万回続けても無駄。
410 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/03(日) 08:15:35.02 ID:WlhEn4Fc
>>408-409 >『創価学会会則の改正について』は、創価学会が公式に発表したもの。私見ではない。
原文には無い(大石寺の板本尊という意味で)をあなたが勝手に追加したものはあなたの私見ですよ。
>最初に結論があって、それに都合のいい理屈を捏造するなど、とりわけ誤りが許されない教義の問題では、絶対にやってはいけない。
理屈の捏造などしていませんよ。
戸田先生は「分身散体」を用いられて「それぞれ違う」と言われているのですから、分身散体の仏身が現れる「それぞれ」の国土(御本尊の安置場所)が「違う」と言うことですよ。
「分身散体」を用いて異なっているのは「その場(国土)に現れた意義、存在する意義」が異なるだけです。
仏身としての御本尊は同じですから、「違うのですが、こちらの信心の仕方で少しも違わない結果を出せるのです。すべてそれは信力の問題です。」と続けています。
戸田先生の指導をあなたの都合のいいように切り出して利用したのはあなたですよ。
>会則改定によって、一閻浮提総与の大御本尊の定義は変えられていない。その根拠も示した。
あなたは今まで『創価学会は、創立されてから現在まで一貫して「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊=大石寺に安置されている戒壇の大御本尊」です。』と言う結論ありきの話しかしていませんよ。
出してくる文書も(結論ありき)のあなたの私見を追加しているだけです。
「一閻浮提総与の大御本尊の定義」は「弘安2年の大御本尊」で変わりありません。
「日蓮正宗総本山大石寺に安置せられている大御本尊」が教義から削除された事実から、現在の創価学会は「大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊の現物」を公式に認めているとは言えないのですよ。
あなたの思い込みで原文には無い言葉を追加した文章を作ったり、話のすり替えや話を拡散させるなどの姑息な手段を使わないで、
『創価学会は「大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊の現物」を公式に認めている』と言うなら、そう明記している会則改定後の文書を原文のまま出しなさい。
411 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/03(日) 10:33:51.56 ID:cbHztG27
どちらともとれる今の創価の会則って
端から見るとおもしれえな(笑)
412 :
eco ◆Smw69BiSBo :2013/02/03(日) 10:45:31.90 ID:K216GE4d
・・・と同時にユーザーからしたら「うざい」んだよ
413 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/03(日) 10:53:10.85 ID:EJipGmCs
>>410 > 原文には無い(大石寺の板本尊という意味で)をあなたが勝手に追加したものはあなたの私見ですよ。
『創価学会会則の改正について』の内容そのままだ。
それに反することを述べているというのであれば、私のどの記述が、同文書のどの記述に反しているのか具体的に指摘しなさい。抽象論は一切却下だ。
> 戸田先生は「分身散体」を用いられて「それぞれ違う」と言われているのですから、分身散体の仏身が現れる「それぞれ」の国土(御本尊の安置場所)が「違う」と言うことですよ。
>「分身散体」を用いて異なっているのは「その場(国土)に現れた意義、存在する意義」が異なるだけです。
全く違う。書いてない話を捏造するものではない。
戸田先生は、「仏法の上では分身散体ということがあります。私なら私の心と同じ心にできているのを分身体というのです」と述べられている。
つまり、御本尊を御自身に例えられて、戸田先生御自身ではないが、戸田先生と同じ心を持っているものが「分身散体」だと説明されている。「場所」の話など関係もない。
414 :
eco ◆Smw69BiSBo :2013/02/03(日) 11:01:42.04 ID:K216GE4d
>>411の事を遠い目でみたら面白快速だけれど
当事者からみたら 「うざ快速」だよね・・・と
>>412では言いたかった
メルトダウンしそうなので 10条通報程度にしておきます。
415 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/03(日) 12:26:33.16 ID:EJipGmCs
>>410 > あなたは今まで『創価学会は、創立されてから現在まで一貫して「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊=大石寺に安置されている戒壇の大御本尊」です。』と言う結論ありきの話しかしていませんよ。
「結論ありき」ではなく、現実として、創価学会は、創立されてから現在まで一貫して「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊=大石寺に安置されている戒壇の大御本尊」だ。
それを否定する見解が発表された事実は存在しない。
とりわけ、信仰の根本であるが故に、何の説明もなく、その見解が変更されることはない。
> 「日蓮正宗総本山大石寺に安置せられている大御本尊」が教義から削除された事実から、
姑息な意図によって、大事な部分を省略せずに、正確に引用すること。
旧会則は「日蓮正宗総本山大石寺に安置せられている弘安2年10月12日の本門戒壇の大御本尊を根本とする」で、新会則は「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊を信受し」だ。
大石寺の板本尊を「一閻浮提総与の大御本尊」「戒壇の大御本尊」「弘安2年の大御本尊」等と呼ぶ。日蓮正宗創価学会時代も、それ以後も、その意味で一貫してきた。
『我々が決別したのは、大御本尊ではなく“ニセ法主”日顕だ。我々は、ますます大聖人直結、大御本尊根本の信心で進んでいる』----- これが秋谷会長が述べられた「我々」の信心。
http://www.geocities.jp/shinichizz/gakkai/gohonzon/gohonzon-gokinkoku.txt この態度を変える発表がなされた事実はない。当然の話だ。今でも『我々は、ますます大聖人直結、大御本尊根本の信心で進んでいる』のだから。
416 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/03(日) 12:35:25.16 ID:EJipGmCs
>>398 > >安置場所の記載がなくなっただけで、大石寺の板本尊への信心は、まったく変わっていないのだ。
>
> あなたがそう考えていてもあなたの自由ですが、会則改訂以降10年間、創価学会の教学系文書に「大石寺の板本尊」に関する記述はありません。
都合の悪い部分は、引用から外すのか。どうしようもない人間だな。
> 会則改定で、大御本尊の定義が変わったわけではないので、「会則改定後」にこだわる理由は存在しない。
> しかも「創価学会会則の改正について」には、『創価学会に貫かれてきた「大御本尊への信心」』とあり、それまでの信心が継承されることを示唆している。
> 安置場所の記載がなくなっただけで、大石寺の板本尊への信心は、まったく変わっていないのだ。
君は『創価学会の教学系文書に「大石寺の板本尊」に関する記述はありません』というが、正確に言うと『「大石寺に安置されている」という記述がない』ということだろ。
しかし、
> どこか特定の場所に参拝しなければ成仏できないという日顕宗のような誤った考えは大聖人の御本意ではありません。(「創価学会会則の改正について」より)
という見解を公式に示しておきながら、その「特定の場所」にこだわった記述をしたら逆におかしい。
創価学会は「娑婆即寂光」の信心なのだ。
417 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/03(日) 13:42:29.95 ID:WlhEn4Fc
>>413>>415-416 >『創価学会会則の改正について』の内容そのままだ。
原文には無い(大石寺の板本尊という意味で)をあなたが勝手に追加したものなど「内容そのまま」とは言いませんよ。
>「場所」の話など関係もない。
戸田先生の「心」がある戸田先生御自身が「場所」ですよ。
あなたは「分身散体」の意味さえ知らずに使うから墓穴を掘るのですよ。
>「結論ありき」ではなく、現実として、創価学会は、創立されてから現在まで一貫して「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊=大石寺に安置されている戒壇の大御本尊」だ。
現実は、会則改定によって「日蓮正宗総本山大石寺に安置せられている大御本尊」が教義から削除され、以降10年間、創価学会の教学系文書に「大石寺の板本尊」に関する記述はありません。
最近の創価学会の教学関係の書籍も読まず、会則以前の情報で言い掛かりを付ける日顕宗の手口はもう通用しませんよ。
>という見解を公式に示しておきながら、その「特定の場所」にこだわった記述をしたら逆におかしい。
「おかしい」と言いながらあなたがやっている事は「特定の場所」にこだわらなければ表記できない曼荼羅の話を延々としていますよ。
日顕宗は「自語相違」の意味さえ知らないようですね。
現在の創価学会の教学系文書では、「弘安2年の大御本尊そのもの=一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊=本門戒壇の大御本尊=大聖人御図顕の大御本尊」と記述されており、
「分身散体」に照らして「=会館や各家庭の大御本尊」ですよ。
「大石寺の板本尊」は「弘安2年の大御本尊そのもの」だと証明されていない現状では「大聖人御図顕の大御本尊」であるだけでそれ以上の意味があるとは言えません。
あなたの結果ありきの思い込みで原文には無い言葉を追加した文章を作ったり、話のすり替えや話を拡散させるなどの姑息な手段を使わないで、
『創価学会は「大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊の現物」を公式に認めている』と言うなら、そう明記している会則改定後の文書を原文のまま出しなさい。
418 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/03(日) 17:48:12.28 ID:EJipGmCs
>>417 > 原文には無い(大石寺の板本尊という意味で)をあなたが勝手に追加したものなど「内容そのまま」とは言いませんよ。
ですから、その私が勝手に追加しというものを取り出して、原文とどう違うのか指摘すればいいのです。
どうぞ遠慮なくやってください。
> 戸田先生の「心」がある戸田先生御自身が「場所」ですよ。
阿呆w 戸田先生と御本尊に例えなければ、分身散体の説明にならんだろ。
「私なら私の心と同じ心にできているのを分身体というのです」だから、「私の心と同じ心にできているもの」が「分身散体」になる。
「分身散体」って「場所」かよw まいった奴だなー
> 現実は、会則改定によって「日蓮正宗総本山大石寺に安置せられている大御本尊」が教義から削除され、以降10年間、創価学会の教学系文書に「大石寺の板本尊」に関する記述はありません。
>>416で説明済み。
419 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/03(日) 18:05:37.95 ID:EJipGmCs
>>417 > 「おかしい」と言いながらあなたがやっている事は「特定の場所」にこだわらなければ表記できない曼荼羅の話を延々としていますよ。
「本門戒壇の大御本尊」と言ったら大石寺の板本尊であり、それ以外の本尊だと思う莫迦はいない。
したがって、「特定の場所」にこだわらなければ表記できない曼荼羅の話などしていない。
創価新報にも、
> なんと日顕は、教学部長時代に、「本門の本尊」である戒壇の大御本尊を勝手に筆跡鑑定にかけた揚げ句、“偽物”と断定した。
と書いてある。
この記事には、「特定の場所」にこだわった表記は一切していない。それでも正確に文意が伝わるからだ。
君は自宅にある御本尊を、「これは戒壇の大御本尊です」「これは弘安2年の大御本尊です」というのか? 試しに言ってみろ。 地区の人たちの体が凍りつくぞ。
>「大石寺の板本尊」は「弘安2年の大御本尊そのもの」だと証明されていない現状では「大聖人御図顕の大御本尊」であるだけでそれ以上の意味があるとは言えません。
大聖人が弘安2年10月12日に大御本尊を建立したということも、全く証明されていない。
ならば、君の主張に則るなら、「弘安2年の大御本尊=一閻浮提総与の大御本尊」という特定の本尊を根本に据える意味もないではないか。
君の一連の主張には、こういう深刻な矛盾を孕んでいる。
420 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/03(日) 18:37:46.23 ID:WlhEn4Fc
>>418 >ですから、その私が勝手に追加しというものを取り出して、原文とどう違うのか指摘すればいいのです。
それはあなたがやることですよ。
>「分身散体」って「場所」かよw まいった奴だなー
やっぱりあなたは「分身散体」の意味を理解していませんでしたね。説明は以前しましたよ。それぞれの国土が異なるから「分身散体」の必然性もあるのですよ。
>>419 >「本門戒壇の大御本尊」と言ったら大石寺の板本尊であり、それ以外の本尊だと思う莫迦はいない。
いいえ、現在の創価学会の文書では「本門戒壇の大御本尊」と言ったら「弘安2年の大御本尊そのもの」を指します。現状、「大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊の現物」と言うのは誰も証明出来ていないことです。
>この記事には、「特定の場所」にこだわった表記は一切していない。それでも正確に文意が伝わるからだ。
日蓮正宗大石寺内の話ですから、はじめから「特定の場所」での話ですよ。
>君は自宅にある御本尊を、「これは戒壇の大御本尊です」「これは弘安2年の大御本尊です」というのか? 試しに言ってみろ。 地区の人たちの体が凍りつくぞ。
ちゃんと、義の戒壇の大御本尊、分身散体に照らして弘安2年の大御本尊と話せば誰も驚きませんよ。また、幹部が会合で個人宅にある御本尊をさして「大御本尊様」と言っても誰も驚きませんでしたよ。
>君の一連の主張には、こういう深刻な矛盾を孕んでいる。
いいえ、矛盾はありませんよ。この場での話は「創価学会の公式見解」があるか無いかですから、「大聖人が弘安2年10月12日に大御本尊を建立した」は創価学会の公式見解があります。
しかし、「大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊の現物」は、創価学会の教義系の公式文書にまったく記述が無いことです。
いつまで、あなたは、結果ありきのあなたの思い込みだけのコメントを続けるのですか?
『創価学会は「大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊の現物」を公式に認めている』と言うなら、そう明記している会則改定後の文書を原文のまま出しなさい。
>>419 > 大聖人が弘安2年10月12日に大御本尊を建立したということも、全く証明されていない。
自演氏の主張は本音と公式教義のハザマで揺れるな。
>>420の
> 「大聖人が弘安2年10月12日に大御本尊を建立した」は創価学会の公式見解があります。
が正解。
本門戒壇の大御本尊は大石寺奉安堂に安置されている。
「文底秘沈抄」
> 本門の戒壇に事有り義有り所謂義の戒壇とは即ち是れ本門の本尊所住の処 義の戒壇に当たる
創価に都合が悪い御教示だよな。
422 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/03(日) 20:09:07.70 ID:EJipGmCs
>>420 > >ですから、その私が勝手に追加しというものを取り出して、原文とどう違うのか指摘すればいいのです。
>
> それはあなたがやることですよ。
莫迦かよ。
自分からイチャモンつけてきながら、「何が間違っている」と追求されたら、「それはあなたがやることですよ」か。
それでは、「実は何が間違っているのかよく分かりませんが、とりあえず文句をつけてみました」と言っているのと同じw
> やっぱりあなたは「分身散体」の意味を理解していませんでしたね。説明は以前しましたよ。それぞれの国土が異なるから「分身散体」の必然性もあるのですよ。
阿呆w
・「善能分身散体、遍十方国土(=よく分身散体して十方の国土に遍じ)」(無量義経十功徳品第三)
・「各家庭の御本尊は大御本尊の血肉をわけた分身であり、功徳には変わりがありません」(戸田城聖全集 第二巻)
したがって、『それぞれの国土が異なるから』ではなく、『大御本尊の血肉をわけた分身であるから』、十方の国土に遍じて人々を救うことができる --- これが正しい分身散体の説明。
国土が異なるから「分身散体」の必然性もある? 何の話かってw
423 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/03(日) 20:12:05.81 ID:EJipGmCs
>>420 > 日蓮正宗大石寺内の話ですから、はじめから「特定の場所」での話ですよ。
いいや、それは違う。その創価新報の記事にも、「河辺メモ」にも、「大石寺」という言葉すら出てこない。
それなのに君は、「日蓮正宗大石寺内の話」だと分かった。
この君とのやり取りによっても、『「特定の場所」にこだわらなければ表記できない曼荼羅の話などしていない』という私の主張が証明された。
> ちゃんと、義の戒壇の大御本尊、分身散体に照らして弘安2年の大御本尊と話せば誰も驚きませんよ。
逆に言えば、『義の戒壇の大御本尊、分身散体に照らして』などといった「前置き」をしなければいけないよな?
なぜそういう「前置き」をしなければいけないのか考えてみな。
答えは簡単だろ。 「弘安2年の大御本尊そのもの」ではないからだ。 「違う」というのは、そういうことなんだよ。
「その場(国土)に現れた意義、存在する意義」が異なるだけ、なんて、とんでもない勘違いだ。
> いいえ、矛盾はありませんよ。この場での話は「創価学会の公式見解」があるか無いかですから、「大聖人が弘安2年10月12日に大御本尊を建立した」は創価学会の公式見解があります。
矛盾しているから、大石寺の板本尊を「戒壇の大御本尊」として肯定する以外にないのだ。事実、今でも学会では大石寺の板本尊を「戒壇の大御本尊」としている。
いわば「弘安2年の大御本尊伝説」というものは、大聖人が弘安2年に大御本尊を建立することから始まり、その後数百年の時間を経て、現在では大石寺に安置されている --- という一つのストーリーで成り立っている。
学会が、弘安2年の大御本尊建立を真実として受け入れ、信仰の根本として位置づけているということは、この「弘安2年の大御本尊伝説」という一連のストーリーを信じていることになる。
もし仮に、学会が大石寺の板本尊を「戒壇の大御本尊」しないとすれば、学会は自分の都合に合わせて「新・弘安2年の大御本尊伝説」を創作したことになり、その節操の無さを莫迦にされ、笑われても言い返すことはできない。
>>421 「見解」と「証明されている」は違うだろ。正宗者はそういうことをごっちゃにするからあほだと言うんだ。
>>424 あのねェ創価内部では「証明」されているから「見解」が出されているわけ。
難癖つけて喜んでるんじゃねーよ。
大御本尊の意義付けは変っておらんとされているだろうが。
偽作論に対する見解も変っておらんということになるだろうがノータリン。
426 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/03(日) 21:03:03.34 ID:WlhEn4Fc
>>421 >創価に都合が悪い御教示だよな。
「夫れ本門戒壇に事有り、義有り。所謂義の戒壇とは即ち是れ本門の本尊所住の処、義戒壇に当たる故なり。」は
創価に都合が悪い御教示ではありませんよ。
「本門の本尊」は曼荼羅本尊のことですし、本門の本尊所住の処ですから、会館や各家庭の本門の本尊安置の場が義の本門戒壇ですよ。
事の本門戒壇は広宣流布の暁に建立される戒壇のことです。「教学の基礎」に記述がありますよ。
大石寺奉安堂に安置されている板本尊に関する記述が現在の創価学会の教学系の文書に無いのですから、
未だに『創価学会は「大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊の現物」を公式に認めている』と言うのは日顕宗特有の「嘘」なのですよ。
427 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/03(日) 21:05:37.81 ID:WlhEn4Fc
>>422 >自分からイチャモンつけてきながら、「何が間違っている」と追求されたら、「それはあなたがやることですよ」か。
あなたの間違いは『原文には無い(大石寺の板本尊という意味で)をあなたが勝手に追加した』と指摘していますよ。
それを取り除いて、原文のままの文書を出すのはあなたがやることですよ。
早く、『創価学会は「大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊の現物」を公式に認めている』と言うなら、そう明記している会則改定後の文書を原文のまま出しなさい。
>十方の国土に遍じて人々を救うことができる --- これが正しい分身散体の説明。
「分身散体」は本仏が衆生教化のため身を分かって種々の国土にあらわした仏身のことです。
「十方の国土」とは、それぞれ異なる国土です。国土が1つであれば分身は不要です。国土が100あれば100の分身が必要となるのですよ。
>>423 >それなのに君は、「日蓮正宗大石寺内の話」だと分かった。
日顕も河辺も日蓮正宗大石寺所属の坊主ですよ。日蓮正宗の坊主が言う「戒壇の大御本尊」が「大石寺の板本尊」なのは当たり前で、はじめから日蓮正宗大石寺内の話ですよ。
>答えは簡単だろ。 「弘安2年の大御本尊そのもの」ではないからだ。 「違う」というのは、そういうことなんだよ。
また、話を摩り替えていますね。幹部が個人宅の御本尊を指して「大御本尊」と称しても誰も驚かなかったことにはスルーですか?
で、あなたは「大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊そのもの」と証明出来るのですか?
それが出来なければ、あなたが話を摩り替えてるためにやっている姑息な無駄話ですよ。
>もし仮に、学会が大石寺の板本尊を「戒壇の大御本尊」しないとすれば
その判断は、「大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊そのもの」とあなたが証明すれば終わりですよ。
しかし、現在の創価学会には「大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊そのもの」とした教学系の文書が存在しませんから、
『創価学会は「大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊の現物」を公式に認めている』と言うのは日顕宗特有の「嘘」なのですよ。
428 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/03(日) 21:06:54.91 ID:w6vj745d
>>425 「見解」って言葉の意味わかるか?法主血脈と同じだ。証明できるものならここでしてみな。
430 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/03(日) 21:46:56.32 ID:cbHztG27
創価学会は僕達以上に退転したなぁ・・
431 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/03(日) 22:25:56.48 ID:EJipGmCs
>>427 > あなたの間違いは『原文には無い(大石寺の板本尊という意味で)をあなたが勝手に追加した』と指摘していますよ。
> それを取り除いて、原文のままの文書を出すのはあなたがやることですよ。
原文の通りに書いたという人間に、なんちゅー阿呆な要求をしてくるのか。
> 「十方の国土」とは、それぞれ異なる国土です。国土が1つであれば分身は不要です。国土が100あれば100の分身が必要となるのですよ。
別の存在であるが、本仏と同じ心をもつもつものを「分身散体」という。
「違い」は別の存在であるということ。
戒壇の大御本尊と、それを書写した日寛上人の御本尊も、力用は同じでも別の存在であることには違いないだろ。
国土が違うというのは別の話。
> はじめから日蓮正宗大石寺内の話ですよ。
「河辺メモ」が書かれたのは都内のホテル。日蓮正宗大石寺内の話ではない。
> 幹部が個人宅の御本尊を指して「大御本尊」と称しても誰も驚かなかったことにはスルーですか?
スルーしますよ。理由は、君が
>>98を信用しないのと同じ。
> >もし仮に、学会が大石寺の板本尊を「戒壇の大御本尊」しないとすれば
>
> その判断は、「大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊そのもの」とあなたが証明すれば終わりですよ。
「弘安2年の大御本尊伝説」は永遠。君は今後も疑いながら生きていけばいい。誰も止めません。お幸せに。
432 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/04(月) 00:12:14.28 ID:Tpatinv4
>>431 >原文の通りに書いたという人間に、なんちゅー阿呆な要求をしてくるのか。
『原文には無い(大石寺の板本尊という意味で)をあなたが勝手に追加した』ものを「原文の通り」とは言いませんよ。
あなたが『創価学会は「大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊の現物」を公式に認めている』と言うなら、早く、そう明記している会則改定後の文書を原文のまま出しなさい。
>別の存在であるが、本仏と同じ心をもつもつものを「分身散体」という。
また、あなたの勝手な解釈ですか。いい加減にしなさい。
あなたは本当に「法華経の智慧」などを読んだことが無いようですね。仏と国土の関係は1対1が原則ですから、分身として現れる仏身はそれぞれ別の国土に存在すると言うことです。
本仏と同じ心をもつ別の存在として、本仏と同一の国土に存在するのは菩薩ですよ。
>「河辺メモ」が書かれたのは都内のホテル。日蓮正宗大石寺内の話ではない。
では、あなたは「河辺メモ」は都内のホテル内の話だと主張するのですか?
あなたは学会員と偽って幼稚な言い訳をする作戦に切り替えたのですか?
>「弘安2年の大御本尊伝説」は永遠。君は今後も疑いながら生きていけばいい。誰も止めません。お幸せに。
そのような話はしていませんよ。
現在の創価学会には「大石寺の板本尊」に関して記述した教義・教学系の文書が存在しませんから、
「大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊の現物」に関して、肯定するにしても否定するにしても、創価学会が「公式」な発表をしているとは言えません。
そのため、『創価学会は「大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊の現物」を公式に認めている』と言うのは日顕宗特有の「嘘」ですよ。
433 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/04(月) 08:47:14.69 ID:dmv1av84
>>432 >あなたが『創価学会は「大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊の現物」を公式に認めている』と言うなら、早く、そう明記している会則改定後の文書を原文のまま出しなさい。
会則改定は2002年4月1日。
それから3年以上経った、2005年8月25日の聖教新聞に
>佐藤 その通りだ。河辺のメモには、日顕の発言として、こうある。
> 「戒壇の御本尊のは(原文のまま)偽物である。種々方法の筆跡鑑定の結果解った」とハッキリ書いてあった。
>秋谷 恐ろしいことだ。日顕の数え切れない大謗法の中でも「最大の大謗法」だ。
と書かれている。
http://www10.plala.or.jp/cobamix/soka/20050629/05.htm 日顕が「戒壇の御本尊のは(原文のまま)偽物である」と言ったことを、『日顕の数え切れない大謗法の中でも「最大の大謗法」だ』と秋谷会長が断罪したことは、学会が戒壇の大御本尊を肯定している証拠。
とりわけ、『大謗法の中でも「最大の大謗法」』と言っていることから、「戒壇の御本尊=弘安二年の大御本尊」と認識しているからだ。
『大謗法の中でも「最大の大謗法」』といったら、それ以外に何があるのか、という話になる。
ちなみに、謗法とは「誹謗正法」すなわち正法を誹謗する(=謗る、悪口を言う)ことだから、「それは日蓮正宗の教義の上から間違いを指摘した」と言うとすれば、的外れであり、単なる言葉上の言い逃れに過ぎない。
しかもこれは聖教新聞の記事であり、基本的に学会員に向けて日顕の悪行を指摘し、それを糾弾したものだから、なおさら「それは日蓮正宗の教義の上から…」という理屈は通用しない。
434 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/04(月) 09:09:59.89 ID:2Fu5xXQZ
>>433除名された落ちこぼれが優等生ぶって
信仰心の厚い事やのぉ(笑)
435 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/04(月) 10:44:15.86 ID:2KQYCoOq
>>432 > 『原文には無い(大石寺の板本尊という意味で)をあなたが勝手に追加した』ものを「原文の通り」とは言いませんよ。
私は原文の通りに書いたと言いました。それに対して君が『原文には無い(大石寺の板本尊という意味で)をあなたが勝手に追加した』と言い掛かりをつけてきた。それだけの話。
> また、あなたの勝手な解釈ですか。いい加減にしなさい。
戸田先生の指導のままです →
>>409 君は戸田先生の指導と違うといいながら、戸田先生の指導ではなく、「法華経の智慧」とか他のもので説明しようとする。
会則の議論と同様、論法が間違っている。
> では、あなたは「河辺メモ」は都内のホテル内の話だと主張するのですか?
私は「河辺メモ」が都内のホテルで書かれたものであり、そのメモにも創価新報の記事にも「大石寺に安置されている」という記述がないという「事実」を述べているだけです。
「日蓮正宗大石寺内の話」ということを、肯定も否定もしていません。
> あなたは学会員と偽って幼稚な言い訳をする作戦に切り替えたのですか?
幼稚だろ? 上(↑)のレスも幼稚だろ? ところが、これこそ君がやってきた主張なのだ。
君の主張を読んだ人達が、どう感じているのか、これで身を持って実感することができただろ。
> >「弘安2年の大御本尊伝説」は永遠。君は今後も疑いながら生きていけばいい。誰も止めません。お幸せに。
>
> そのような話はしていませんよ。
そうですか?
> その判断は、「大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊そのもの」とあなたが証明すれば終わりですよ。
>>427 という幼稚なお返事を頂きましたので、それ相応の幼稚なお返事をするのが礼儀かと思いましたので。
436 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/04(月) 11:17:52.32 ID:2KQYCoOq
>>432 > あなたが『創価学会は「大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊の現物」を公式に認めている』と言うなら、早く、そう明記している会則改定後の文書を原文のまま出しなさい。
物事を証明する方法を大別すると、「直接論証」と「間接論証(背理法)」がある。
背理法とは、「A」を仮定して矛盾が導かれるとき「Aではない」と結論してよい、という論証方法です。
今の学会では、秋谷会長の「大御本尊根本とは、謗法の山と化した本山に行くことではない。大謗法の法主に従うことでもない」(1997年10月16日、聖教新聞)との発言にあるように、大石寺を完全否定している。
したがって、純粋な教学関連の書籍に、「大石寺」という言葉が出てくる可能性は非常に低い。
そこで、「間接論証(背理法)」で論証することになる。
まず、『創価学会会則の改正について』という記事には、次のように書かれてある。
> 「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊を信受し」とあります。これは、創価学会に貫かれてきた「大御本尊への信心」の本義をしめしたものです。
ここで『創価学会に貫かれてきた「大御本尊への信心」』とは何かというと、旧会則の文言を借りれば、「日蓮正宗総本山大石寺に安置せられている弘安2年10月12日の本門戒壇の大御本尊を根本とする」信心、であると言える。
そこから、上記の引用文は、
> 「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊を信受し」とあります。これは、日蓮正宗総本山大石寺に安置せられている弘安2年10月12日の本門戒壇の大御本尊を根本とする信心の本義を示したものです --- となる。(A)
ここで、「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊」とは、大石寺の板本尊ではないと仮定すると、学会が公式に示した見解(A)に矛盾することになる。
したがって、「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊」は「大石寺の板本尊」であると結論される。
以上
437 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/04(月) 13:30:32.47 ID:Tpatinv4
>>433 >日顕が「戒壇の御本尊のは(原文のまま)偽物である」と言ったことを、『日顕の数え切れない大謗法の中でも「最大の大謗法」だ』と秋谷会長が断罪したことは、学会が戒壇の大御本尊を肯定している証拠。
「河辺メモ」に関する話は日蓮正宗の教義の話であり、現在の創価学会が「大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊の現物」と認めていることにはなりませんよ。
438 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/04(月) 13:36:08.99 ID:Tpatinv4
>>435-436 >私は原文の通りに書いたと言いました。
そう言うなら、アンカーぐらい付けなさい。
あなたが『創価学会は「大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊の現物」を公式に認めている』と言うなら、早く、そう明記している会則改定後の文書を原文のまま出しなさい。
>君は戸田先生の指導と違うといいながら、戸田先生の指導ではなく、「法華経の智慧」とか他のもので説明しようとする。会則の議論と同様、論法が間違っている。
仏と国土の関係が説明されていて、多くの学会員が読んでいる文書が「法華経の智慧」だから出したのですよ。
『別の存在であるが、本仏と同じ心をもつもつものを「分身散体」という。 』『国土が違うというのは別の話。』と言うのはあなたの勝手な解釈です。
>「日蓮正宗大石寺内の話」ということを、肯定も否定もしていません。
では、この場合、はじめから「日蓮正宗大石寺内の教義の話」ということですよ。
>という幼稚なお返事を頂きましたので、それ相応の幼稚なお返事をするのが礼儀かと思いましたので。
『「大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊そのもの」とあなたが証明すれば終わり』は本質的なことですよ。
「「河辺メモ」が都内のホテルで書かれたもの」なとど言うのは、「日蓮正宗大石寺内の教義の話」か「現在の創価学会の教義の話」かの議論でには無意味で幼稚な話ですよ。
>「大御本尊への信心」とは何かというと、旧会則の文言を借りれば、「日蓮正宗総本山大石寺に安置せられている弘安2年10月12日の本門戒壇の大御本尊を根本とする」信心、であると言える。
また、嘘を言っていますね。改正された旧会則の文言を借りる必要は無く、「大御本尊への信心」は『弘安2年10月12日に大御本尊を図顕された大聖人の心に呼応する信心こそ「大御本尊を信受する」という意味』と明記されています。
『学会が公式に示した見解(A)』などと言うものを捏造するのはやめなさい
439 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/04(月) 14:06:22.77 ID:2KQYCoOq
>>438 > そう言うなら、アンカーぐらい付けなさい。
そちらから「原文には無い(大石寺の板本尊という意味で)をあなたが勝手に追加したものなど「内容そのまま」とは言いませんよ。(
>>417)」と文句をつけてきたのです。
それでこちらが、「原文とどう違うのか指摘すればいい(
>>418)」と言ったら、「それはあなたがやることですよ(
>>420)」と、意味不明のことを言い出した。
自分で文句をつけてきておきながら、私にアンカーを付けろとか莫迦ですか?
> 仏と国土の関係が説明されていて、多くの学会員が読んでいる文書が「法華経の智慧」だから出したのですよ。
そんな言い訳は、するだけみっともない。
戸田先生の指導に対する私の解釈が間違っているというのであれば、戸田先生の指導によって、間違いを指摘するものです。
ちなみに、戸田先生の指導の中には、国土や場所の話など一切出てきません。
> では、この場合、はじめから「日蓮正宗大石寺内の教義の話」ということですよ。
いいえ、私は「河辺メモ」にも創価新報の記事にも、「大石寺に安置されている」という文がないという「事実」を述べているだけです。
そのため、「河辺メモ」や創価新報の記事に、「日蓮正宗大石寺内の教義の話」が書かれているというのは、頭の悪い人間特有の『嘘』です。
> 『「大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊そのもの」とあなたが証明すれば終わり』は本質的なことですよ。
いいえ、「大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊そのもの」を肯定も否定もしないでおきながら、大聖人が弘安2年に大御本尊を建立したと信じるのは、支離滅裂な思考であるというのが、本質的なことです。
> 「「河辺メモ」が都内のホテルで書かれたもの」なとど言うのは、「日蓮正宗大石寺内の教義の話」か「現在の創価学会の教義の話」かの議論でには無意味で幼稚な話ですよ。
いいえ、幼稚な話で君の右に出る者はいないというのが、本当の話ですよ。
440 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/04(月) 14:17:41.34 ID:2KQYCoOq
>>438 > 改正された旧会則の文言を借りる必要は無く、
『創価学会会則の改正について』という記事には、『創価学会に貫かれてきた「大御本尊への信心」』とありますので、これまでの信心とは何かを確認する必要があります。
したがって、旧会則の文言を引用する意味があるのです。
> 「大御本尊への信心」は『弘安2年10月12日に大御本尊を図顕された大聖人の心に呼応する信心こそ「大御本尊を信受する」という意味』と明記されています。
それは『創価学会に貫かれてきた「大御本尊への信心」』ではなく『創価学会に貫かれてきた「大御本尊への信心」の本義』です。
新会則では旧会則を否定したのではなく、旧会則を継承した上で、その旧会則に説かれた「大御本尊への信心」について、より深い意味を表記したのです。
ですから、『創価学会に貫かれてきた「大御本尊への信心」の本義をしめしたものです』と書かれているのです。
旧会則で述べられている大御本尊への信心を継承しないのであれば、『創価学会に貫かれてきた「大御本尊への信心」の本義』など、表記不可能なのです。
441 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/04(月) 17:01:06.36 ID:Tpatinv4
>>439 >自分で文句をつけてきておきながら、私にアンカーを付けろとか莫迦ですか?
あなたが(大石寺の板本尊という意味で)等の追加をしていない原文を出しているならアンカーを付けなさい。
あなたが『創価学会は「大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊の現物」を公式に認めている』と言うなら、早く、そう明記している会則改定後の文書を原文のまま出しなさい。
>ちなみに、戸田先生の指導の中には、国土や場所の話など一切出てきません。
「分身散体」を用いられているのですから、仏と国土の関係は無縁ではありませんよ。
>いいえ、私は「河辺メモ」にも創価新報の記事にも、「大石寺に安置されている」という文がないという「事実」を述べているだけです。
しかし、「河辺メモ」は大石寺の坊主が書いたものであり、「河辺メモ」に登場する人物も大石寺の坊主ですよ。
「河辺メモ」に「日蓮正宗大石寺内の教義の話」以外が書かれている理由がありませんよ。
>いいえ、幼稚な話で君の右に出る者はいないというのが、本当の話ですよ。
「「河辺メモ」が都内のホテルで書かれたもの」なとど無意味は話を出したことを必死に誤魔化すのはやめなさい。
>>440 >したがって、旧会則の文言を引用する意味があるのです。
いいえ、あなたが『「大御本尊への信心」の本義』と言うならば、尚更、旧会則の文言を引用する意味がありませんよ。
>それは『創価学会に貫かれてきた「大御本尊への信心」』ではなく『創価学会に貫かれてきた「大御本尊への信心」の本義』です。
『「大御本尊への信心」の本義』でも同じですよ。あなたは『本義』の意味を理解して使っていますか?
現在の創価学会の公式な文書には「大石寺の板本尊」に関する記述がありません。
このため、現在の創価学会が「大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊の現物」と公式に認めているなどと言うのは日顕宗の明らかな嘘ですよ。
442 :
eco ◆Smw69BiSBo :2013/02/04(月) 17:57:20.00 ID:ZPQ5S4kP
>>415 その秋谷さんは一昨年 日蓮正宗へ寝返った…と言う噂がたっており
その反論が池田氏の脳梗塞説同様 裏付けが一つも出来ていないまま 有耶無耶になっていますけれどね
それはともかく
>>380から示されている このテキスト→
http://www.geocities.jp/shinichizz/gakkai/gohonzon/gohonzon-gokinkoku.txt なんかおかしいなぁ…と思ったら 日蓮正宗が最初に主張していた
浄円寺から下付されている 御本尊の対告(下野国小薬邑本如山浄圓寺 大行阿闍梨本證坊日證 授与)を削って
一部 改ざんしている事は端折っている内容なんですよね〜
一機一閻の話と昭和52年の時に発生した御本尊模刻事件の話ばかり しているじゃんかよ
その話と浄円寺から下付されている御本尊の対告を削った話と どこが関係あるんだよ!!
何か自分たちの過失まで 日蓮正宗に丸投げし 注意転換を図っている内容にも思えるよね
443 :
eco ◆Smw69BiSBo :2013/02/04(月) 18:02:10.79 ID:ZPQ5S4kP
あと やたら河辺メモ 河辺メモ…と連呼しているけれど
河辺メモは個人情報で 本人の許可もない筈なのに なんで創価学会が ソレを持っているの?
もう一度伺いますが そのメモは どんな手段で あなた達が所持する事が出来たのでしょうか?
それだけ証拠として言うのなら
創価が窃盗行為をした違法行為まで認めないと証拠にはなりませんよね
>>443 横レス。
>あなた達が所持する事が出来たのでしょうか?
「あなたたち」と言うがキミは学会員じゃなかったのか?とうとう正宗信者になったか?
自分の所属を明確にするように。
> 創価が窃盗行為をした違法行為まで認めないと証拠にはなりませんよね
なぜ創価の窃盗行為と断定するのかね?第三者からの譲渡も考えられるじゃないか。
ネット上での発言を軽く考えて法に触れることが無いように。
河辺メモの入手経緯など俺らが知る由もないが、そもそも盗難届け自体出されてるのか?
まあ俺の臆測としては、膨大なはずの河辺のメモの中から重要なページを抜き出すには、
誰かがまとめて盗み出したか、もしくは当時河辺の周囲に居た者の仕業か、本人かかな。
445 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/04(月) 19:01:33.28 ID:2KQYCoOq
>>441 > あなたが(大石寺の板本尊という意味で)等の追加をしていない原文を出しているならアンカーを付けなさい。
自分で文句をつけてきておきながら、私にアンカーを付けろとか莫迦ですか?
> 「分身散体」を用いられているのですから、仏と国土の関係は無縁ではありませんよ。
戸田先生は、【御本尊様には違いがあります】と述べられた後に、『仏法の上では分身散体ということがあります。私なら私の心と同じ心にできているのを分身体というのです』と述べられています。
この「分身体」の説明の後は、『違うのですが、こちらの信心の仕方で少しも違わない結果を出せるのです』と、その力用には全く違いがないことを説明されています。
無量義経十功徳品第三の「善能分身散体、遍十方国土(よく分身散体して十方の国土に遍じ)」でいえば、後半の「遍十方国土」については全く触れられていないのです。
この指導の内容を読んで、『分身散体の仏身が現れる「それぞれ」の国土(御本尊の安置場所)が「違う」と言うことですよ(
>>407)』とは結論できない。どうやっても、そのようには読めないからだ。
君はこんな主張ばかり繰り返すので、「まず結論ありき」だと非難され続ける。
> しかし、「河辺メモ」は大石寺の坊主が書いたものであり、「河辺メモ」に登場する人物も大石寺の坊主ですよ。
>「河辺メモ」に「日蓮正宗大石寺内の教義の話」以外が書かれている理由がありませんよ。
いいえ、私は「河辺メモ」にも創価新報の記事にも、「大石寺に安置されている」という文がないという「事実」を述べているだけです。
そのため、「河辺メモ」や創価新報の記事に、「日蓮正宗大石寺内の教義の話」が書かれているというのは、頭の悪い人間特有の『嘘』です。
> 「「河辺メモ」が都内のホテルで書かれたもの」なとど無意味は話を出したことを必死に誤魔化すのはやめなさい。
いいえ、君がやっていることを、そのままやり返して、君が周囲にどう思われているのか身を持って実感させるために、あえて幼稚なレスを繰り返しているのです。
話のすり替えや話を拡散させるなどの姑息な手段を使わないで、「日蓮正宗大石寺内の教義の話」であると言うのなら、その記述のある文書を出しなさい。
446 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/04(月) 19:10:15.04 ID:2KQYCoOq
>>444 > 誰かがまとめて盗み出したか、もしくは当時河辺の周囲に居た者の仕業か、本人かかな。
元本部職員の人から聞いた話だと、それは大石寺内にいる「アンチ日顕」の坊主による仕業だってさ。
以前、日顕が丑寅勤行を何日さぼったとか、大石寺の坊主でなければ知りえない話が、ボロボロ出てきたでしょ?
そういうのは全部、大石寺内にいる「アンチ日顕」の坊主たちがリークしてたんだって。
まあ、伝聞情報に過ぎませんけどねw
447 :
eco ◆Smw69BiSBo :2013/02/04(月) 19:16:02.45 ID:pWraVPgx
>>444 ???
河辺メモは 創価学会だとか日蓮正宗だとか そういう話じゃないでしょ?
入手方法が未だに明かにされていないのに 素直に信じろ・・と言う方がおかしいじゃんないのか?
それこそ幹部の思うツボじゃないのか?
それでなくても 創価学会設立以来 どれだけの幹部が 信者をだまして
ドメステックな方向へ仕向けましたか?
それでなくても 沖浦しかり 斧しかり 菊川しかり あべひ氏等々
ネットの世界だって 創価の広報を受け売りばかり羅列しているので
うっかり信じたら 後になっておかしいと判断された奴が いっぱいいるのに
それだけで寝返ると言う浅墓な判断はお笑いだよな
448 :
eco ◆Smw69BiSBo :2013/02/04(月) 19:31:38.69 ID:pWraVPgx
>>446 なるほど つまり創価学会自身が盗んだか
騙して覗きをやった可能性も否めないわけだ
さすがに犯罪行為をしてまで入手しました・・とは言えないしね
更に 『元本部職員』から聞いた話でしょ?では その元本部職員は今 何をやっているの?
しかも やたら 自分の処を差し置いて 他宗の派閥ばかり強調して言っている点もあやしい上
この点からも その伝聞自体 何処かに嘘が混じっている。
また 知りえない情報などが 教宣部のビデオを見ても確かにあるんだけれど
良く見ると 中には 妙観と繋がっているんじゃないのか?・・と思うようなものもあるんだよね
(顕正会ものは 特に) じゃなきゃ 2004年10月からの勤行の改変が
慧妙にスクープされるわけないじゃん あれ 聖教よりも早く報じていたんですよ
449 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/04(月) 19:37:50.01 ID:dmv1av84
>>447 >入手方法が未だに明かにされていないのに 素直に信じろ・・と言う方がおかしいじゃんないのか?
入手方法が明かされていないのは事実ですが、当の河辺がメモの存在を認めて、謝罪までしているのです。
それで素直に信じられないというのが理解できません。
450 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/04(月) 20:09:04.87 ID:2KQYCoOq
>>441 > あなたが『「大御本尊への信心」の本義』と言うならば、尚更、旧会則の文言を引用する意味がありませんよ。
引用は正確に。『創価学会に貫かれてきた「大御本尊への信心」の本義』です。
どうして『創価学会に貫かれてきた』という部分をカットするのでしょうか。
『創価学会に貫かれてきた』大御本尊への信心について、その本義を示しているわけですから、論理的必然性を伴って、それまでの信心が継承されていることを意味します。
それまでの信心が継承されているわけですから、それまでの信心の説明として、旧会則の一節を引用することに、何ら不当な部分はありません。
451 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/04(月) 20:10:22.15 ID:2KQYCoOq
>>441 > 『「大御本尊への信心」の本義』でも同じですよ。あなたは『本義』の意味を理解して使っていますか?
まず一つ言わせてもらいますが、「質問形式」の反論はやめること。言いたいことがあるなら、自分の意見とその根拠を、はっきりと示すことです。
自分の主張やその根拠を示さず、人の意見を否定するのは、最初から逃げ場を用意した卑劣な行為です。
また同じことをやったら、一切返答しませんので、そのつもりで。
話を本題に戻しますが、「本義」とは「根本となる、最も大切な意義」のことです。
会則に即して述べるならば、旧会則の「日蓮正宗総本山大石寺に安置せられている弘安2年10月12日の本門戒壇の大御本尊を根本とする」は、教義を正しく示しています。
しかしその一方で、『創価学会に貫かれてきた「大御本尊への信心」』とは、単に戒壇の大御本尊を根本に信じるという、文字通りの意味だけでは十分に表現されていません。
そこで新会則では、さらに踏み込んで、まさに『創価学会に貫かれてきた「大御本尊への信心」の本義』を示したのです。
ですから、『創価学会に貫かれてきた「大御本尊への信心」』と『創価学会に貫かれてきた「大御本尊への信心」の本義』とは、同じであるけれども、その示された意義の深さが違うのです。
> 現在の創価学会の公式な文書には「大石寺の板本尊」に関する記述がありません。
上記のとおり、『創価学会に貫かれてきた「大御本尊への信心」』と書かれている以上、従来の信心は継承されています。
教義まで「抜本的に改訂」されたのであれば、『創価学会に貫かれてきた』大御本尊への信心の本義など、述べるわけがありません。
これを道理というのです。
さて君は、「“師弟不二”とは御書にないから邪義」という日顕宗レベルの邪難を、いつまで続けるつもりでしょうか。
452 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/04(月) 20:47:28.09 ID:Tpatinv4
>>445 >自分で文句をつけてきておきながら、私にアンカーを付けろとか莫迦ですか?
あなたが(大石寺の板本尊という意味で)等の追加をしていない原文を出しているならアンカーを付けなさい。
あなたが『創価学会は「大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊の現物」を公式に認めている』と言うなら、早く、そう明記している会則改定後の文書を原文のまま出しなさい。
>どうやっても、そのようには読めないからだ。
それはあなたの感想ですよ。
>そのため、「河辺メモ」や創価新報の記事に、「日蓮正宗大石寺内の教義の話」が書かれているというのは、頭の悪い人間特有の『嘘』です。
いいえ、日顕も河辺も日蓮正宗大石寺所属の坊主ですから、その話の内容は「日蓮正宗大石寺内の教義の話」ですよ。
>「日蓮正宗大石寺内の教義の話」であると言うのなら、その記述のある文書を出しなさい。
また話を摩り替えていますね。
>>423では『創価新報の記事にも、「河辺メモ」にも、「大石寺」という言葉すら出てこない。それなのに君は、「日蓮正宗大石寺内の話」だと分かった。』と言っています。
日蓮正宗大石寺所属の坊主の話なのですから「日蓮正宗大石寺内の話」だと分かって当然ですよ。
453 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/04(月) 20:49:55.27 ID:Tpatinv4
>>450-451 >『創価学会に貫かれてきた』大御本尊への信心について、その本義を示しているわけですから、論理的必然性を伴って、それまでの信心が継承されていることを意味します。
その通りですよ。『創価学会に貫かれてきた大御本尊への信心』は『弘安2年10月12日に大御本尊を図顕された大聖人の心に呼応する信心こそ「大御本尊を信受する」という意味』と明記されています。
あなたが言うように、『創価学会に貫かれてきた「大御本尊への信心」』の『本義』が示されたのであれば、旧会則の「大石寺の板本尊への信心」などは「仮」だったのですから、削除されて当然と言うことですよ。
>さて君は、「“師弟不二”とは御書にないから邪義」という日顕宗レベルの邪難を、いつまで続けるつもりでしょうか。
また話を摩り替えようとしていますね。
「大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊の現物」と言う主張が現在の創価学会で邪義かどうかは不明です。
現在の創価学会の公式な文書には「大石寺の板本尊」に関する記述がありませんから、創価学会が「大石寺の板本尊」に関して「公式に認めている」と言う主張が「嘘」であるだけですよ。
454 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/04(月) 21:47:23.22 ID:rPTmS7RN
予想通り、不毛な議論が続いているな。
ヲイ、お前(誰の事かは、スレを読んでいる人間にはわかる。)。
とっとと、学会本部に確認しろ。
それだけで、このつまらない議論にけりがつく。
お前の自己満足のために、これ以上スレを無駄に消費するな。
仮に、ここでお前が相手を打ち負かしたとしよう。
しかし、お前の論を認めるものは、おそらくいない。
何故なら、最も的確な解決方法を取らないからだ。
(この話題、本来なら議論になるはずがないのだ。
議論しても意味は全くなく、学会本部の意思を確認するだけで解決する。)
真実を確認するのが怖いのかね。
まるで、駄々っ子のようだ。
とっとと、巣に引っ込め。
455 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/04(月) 21:49:37.02 ID:/a8nt8HK
昭和53年4月15日に日達から日顕に血脈相承したのだという
昭和53年といえば学会との問題、宗内僧侶正信会の問題、妙信講の問題が
起こっていた真っ最中ではないか
そんな中で日達が日顕に相承したなら日達はそれらの問題を全部投げ出して
敗走したトンズラ法主ということになるが日達は問題を解決せず逃げ出した
負け犬敗走トンズラ法主ということでいいか?
456 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/04(月) 21:55:49.96 ID:2KQYCoOq
>>452 > あなたが(大石寺の板本尊という意味で)等の追加をしていない原文を出しているならアンカーを付けなさい。
自分で文句をつけてきておきながら、私にアンカーを付けろとか莫迦ですか?
> それはあなたの感想ですよ。
反論不能ですね。分身散体の議論は、これで終わりです。
> いいえ、日顕も河辺も日蓮正宗大石寺所属の坊主ですから、その話の内容は「日蓮正宗大石寺内の教義の話」ですよ。
いいえ、私は「河辺メモ」にも創価新報の記事にも、「大石寺に安置されている」という文がないという「事実」を述べているだけです。
そのため、「河辺メモ」や創価新報の記事に、「日蓮正宗大石寺内の教義の話」が書かれているというのは、頭の悪い人間特有の『嘘』です。
> 日蓮正宗大石寺所属の坊主の話なのですから「日蓮正宗大石寺内の話」だと分かって当然ですよ。
話のすり替えや話を拡散させるなどの姑息な手段を使わないで、「日蓮正宗大石寺内の教義の話」であると言うのなら、その記述のある文書を出しなさい。
457 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/04(月) 22:20:29.70 ID:2KQYCoOq
>>453 > >『創価学会に貫かれてきた』大御本尊への信心について、その本義を示しているわけですから、論理的必然性を伴って、それまでの信心が継承されていることを意味します。
>
> その通りですよ。
旧会則に書かれている「日蓮正宗総本山大石寺に安置せられている弘安2年10月12日の本門戒壇の大御本尊を根本とする」という信心が継承されていることを認めましたね。
よろしい。以後、これを絶対に忘れないように。
> あなたが言うように、『創価学会に貫かれてきた「大御本尊への信心」』の『本義』が示されたのであれば、旧会則の「大石寺の板本尊への信心」などは「仮」だったのですから、削除されて当然と言うことですよ。
人に「本義の意味を知っているか」と言っておきながら、自分が「本義」の意味を理解していないではありませんか。
繰り返しますが、「本義」とは「根本となる、最も大切な意義」です。
ですから、旧会則が「総=全体に通じる一往の意味」であり、新会則は「別=総に含まれる特別な再往の意義」と言えます。
> 「仮」だったのですから、削除されて当然
などと言うのは、「本義」の意味をしていない者の戯言だ。
顔を洗って出直せ。
> 「大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊の現物」と言う主張が現在の創価学会で邪義かどうかは不明です。
上記の通り、これまでの信心は継承されています。故に、「大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊の現物」に変わりはありません。
変わりがあったら、『創価学会に貫かれてきた「大御本尊への信心」の本義』を述べることはできない。
458 :
433:2013/02/04(月) 22:38:39.49 ID:dmv1av84
>>453 >旧会則の「大石寺の板本尊への信心」などは「仮」だったのですから、削除されて当然と言うことですよ。
>>433を読めば、それが間違いだと分かるはずです。
日顕が戒壇の大御本尊を偽物であると言ったことについて、秋谷会長は『恐ろしいことだ。日顕の数え切れない大謗法の中でも「最大の大謗法」だ』と言っているのです。
今の学会でも戒壇の大御本尊を信じているから、『恐ろしいことだ』であり、大石寺の板本尊が弘安二年の大御本尊だから『日顕の数え切れない大謗法の中でも「最大の大謗法」だ』となるのです。
大聖人の仏法とは違う「日蓮正宗の教義」に違背しているだけなら、秋谷会長が『恐ろしいことだ』とは言わないでしょう。『日顕の数え切れない大謗法の中でも「最大の大謗法」だ』とは言わないでしょう。
旧会則に書かれていた、大石寺に安置されている戒壇の大御本尊が「削除されて当然」なんて、それこそ秋谷会長の言葉に照らして「謗法」発言です。
マジで、もうやめたほうがいいです。
459 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/04(月) 23:02:47.96 ID:Tpatinv4
>>456-457 >自分で文句をつけてきておきながら、私にアンカーを付けろとか莫迦ですか?
あなたが(大石寺の板本尊という意味で)等の追加をしていない原文を出しているならアンカーを付けなさい。
アンカーすら付けられないと言うことは、今まであなたが原文そのままを出していないと言うことですよ。
会則改定以降、創価学会は「大石寺の板本尊」に関して教義上の意味を記述した文書を出してはいません。
そのため、『創価学会は「大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊の現物」を公式に認めている』と言うのは現在は事実に無い「嘘」ですよ。
特に、日顕宗信者が
>>431で『「弘安2年の大御本尊伝説」は永遠。』と言っているように、
「大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊の現物」と言う大石寺の伝説を必死に守らなければ宗派として崩壊してしまう日顕宗が
『創価学会は「大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊の現物」を公式に認めている』などと日顕宗特有の「嘘」を喧伝しているだけです。
>話のすり替えや話を拡散させるなどの姑息な手段を使わないで
あなたが話のすり替えや話を拡散させるなどの姑息な手段を使っているだけですよ。
『創価学会は「大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊の現物」を公式に認めている』かどうかに絞れば、
あなたがやるべきことは、『創価学会は「大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊の現物」を公式に認めている』と明記されている会則改定後の文書を原文のまま出せばいいだけですよ。
>>446 >>447 >河辺メモは 創価学会だとか日蓮正宗だとか そういう話じゃないでしょ?
は?キミが「創価が窃盗行為」とまで口にしてるんだけど。
で「あなた達」って誰を指してるの?創価学会全体? ということはキミは学会員じゃないわけなの?
462 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/04(月) 23:22:23.05 ID:Tpatinv4
>>458 >今の学会でも戒壇の大御本尊を信じているから、『恐ろしいことだ』であり、大石寺の板本尊が弘安二年の大御本尊だから『日顕の数え切れない大謗法の中でも「最大の大謗法」だ』となるのです。
「大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊の現物」では無く、大聖人が直に建立した本尊では無くても、「大聖人御図顕の大御本尊」に変わりはありませんから。「偽物であると言った」ら謗法ですよ。
しかも大石寺では永らく「大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊の現物」と言い張り信徒から供養を取って御開扉をしてきたのですから、それを「偽物であると言った」ら『恐ろしいことだ』であり「最大の大謗法」ですよ。
>旧会則に書かれていた、大石寺に安置されている戒壇の大御本尊が「削除されて当然」なんて、それこそ秋谷会長の言葉に照らして「謗法」発言です。
会則を「抜本的に改正することにした」結果、「大石寺の板本尊」に関する記述が教義から削除された事実があるのですから、「謗法」発言にはなりませんよ。
「大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊の現物」は、肯定するにしても否定するにしても決定的な情報が無いために、誰も公式に断言出来るような話では無いのですから、教義から「削除されて当然」です。
現状、「大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊の現物」は誰も証明しておらず、創価学会が公式に認めているという文書がありません。
そのため、現在の創価学会の文書に登場する「戒壇の大御本尊」は「弘安2年の大御本尊そのもの」を指します。
463 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/04(月) 23:44:21.49 ID:2KQYCoOq
>>459 >>457への反論が不能であることが明らかになった。
勝負ありだね。
今までご苦労様でした。
464 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/05(火) 00:12:17.68 ID:37phzYVn
>>462 >「大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊の現物」では無く、大聖人が直に建立した本尊では無くても、「大聖人御図顕の大御本尊」に変わりはありませんから。「偽物であると言った」ら謗法ですよ。
そういうことであれば、
>旧会則の「大石寺の板本尊への信心」などは「仮」だったのですから、削除されて当然と言うことですよ。
も謗法にあります。
「大聖人御図顕の大御本尊」への信心が「仮」であり、「削除されて当然」と言い切ったのですから。
しかも「河辺メモ」を読むと、日顕の言う「偽物」とは、あなたと同じ「偽作」の意味で使っています。
ですから、日顕が謗法であれば、あなたも謗法です。
>しかも大石寺では永らく「大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊の現物」と言い張り信徒から供養を取って御開扉をしてきたのですから、それを「偽物であると言った」ら『恐ろしいことだ』であり「最大の大謗法」ですよ。
それは言葉の使い方を間違えています。というよりも、意図的に「日蓮正宗の教義の話」にしようとしています。
前にも書いたとおり、謗法とは「誹謗正法」すなわち正法を誹謗することです。仏法とは違う「日蓮正宗の教義」を誹謗することは、「謗法」とは言いません。
ましてや、聖教新聞は主に学会員が読むものですから、大聖人の仏法という立場から『恐ろしいことだ。日顕の数え切れない大謗法の中でも「最大の大謗法」だ』と言われたとしか考えられません。
465 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/05(火) 00:15:28.28 ID:37phzYVn
>>462 >会則を「抜本的に改正することにした」結果、「大石寺の板本尊」に関する記述が教義から削除された事実があるのですから、「謗法」発言にはなりませんよ。
謗法かどうかは、会則で決まるのではありません。謗法とは「誹謗正法」すなわち正法を誹謗することです。いくら会則にそった話でも、その会則が謗法であれば、会則にそった発言も謗法になります。
とりあえず、謗法の話に会則を持ち込むような幼稚な言い逃れはやめようよ。
>「大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊の現物」は、肯定するにしても否定するにしても決定的な情報が無いために、誰も公式に断言出来るような話では無いのですから、教義から「削除されて当然」です。
学会は宗門から独立してからも、戒壇の大御本尊を根本として信じてきました。それには「決定的な情報」の有無など一切関係ありませんでした。
現在でも、戒壇の大御本尊に関する「決定的な情報」の有無など問題にしていません。大切なのは、「弘安2年10月12日に大御本尊を図顕された大聖人の心に呼応する信心」です。
ですから現在の学会においても、大石寺の板本尊を「一閻浮提総与の大御本尊」として信受する意味はあります。逆に否定する理由は存在しません。
>現状、「大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊の現物」は誰も証明しておらず、創価学会が公式に認めているという文書がありません。
会則改定後にも、秋谷会長が日顕の偽物発言を「謗法」と断じています。これは会則改定後でも、戒壇の大御本尊を肯定している証拠です。
466 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/05(火) 00:50:07.37 ID:BL9dLw5d
>>463 >今までご苦労様でした。
お疲れ様。あなたが自己満足出来たようでなによりです。
もうあなたがこの件でコメントする必要はありませんよ。
>>464 >ですから、日顕が謗法であれば、あなたも謗法です。
いいえ、「大聖人御図顕の大御本尊」への信心が「仮」と言うのと、日顕の言う「偽物」とは別のことを言っていますよ。
『創価学会に貫かれてきた大御本尊への信心』は『弘安2年10月12日に大御本尊を図顕された大聖人の心に呼応する信心こそ「大御本尊を信受する」という意味』こそ『本義』ですから、
旧会則の「大石寺の板本尊への信心」などは「仮」だったのですから、削除されて当然ですよ。
『創価学会に貫かれてきた大御本尊への信心』の『本義』が示されているのに、「大石寺の板本尊への信心」という「仮の信心」は不要ですよ。
>それは言葉の使い方を間違えています。というよりも、意図的に「日蓮正宗の教義の話」にしようとしています。
いいえ、「大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊の現物」は大石寺の伝説を根拠にした「日蓮正宗の教義の話」ですよ。
>>465 >とりあえず、謗法の話に会則を持ち込むような幼稚な言い逃れはやめようよ。
それはあなたの「いくら会則にそった話でも、その会則が謗法であれば、会則にそった発言も謗法になります。」というコメントのことですよ。
>ですから現在の学会においても、大石寺の板本尊を「一閻浮提総与の大御本尊」として信受する意味はあります。逆に否定する理由は存在しません。
「大切なのは、「弘安2年10月12日に大御本尊を図顕された大聖人の心に呼応する信心」です。 」だから、「大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊の現物」と言う現在の創価学会が公式な文書で示していない「大石寺の板本尊」を信受する意味が無いのですよ。
>会則改定後にも、秋谷会長が日顕の偽物発言を「謗法」と断じています。これは会則改定後でも、戒壇の大御本尊を肯定している証拠です。
この件は何度も回答していますよ。破折はその宗派の矛盾を指摘するため、基本的にその宗派の教義上から破折します。
日顕宗破折は「日蓮正宗の教義」を用いて破折しますから、創価学会の教義とはなりません。
> 大切なのは、「弘安2年10月12日に大御本尊を図顕された大聖人の心に呼応する信心」です。
そこが双方同意ならもういいんじゃないかなあ。
468 :
池田大作:2013/02/05(火) 01:15:15.30 ID:hINtxMd7
全世界創価学会員よ
横須賀総県横須賀圏田浦本部横須賀桜山支部の偉大なる男子部高橋裕之氏が
グリーンジャンボ宝くじで1等前後賞が当選するように
また金を持っている大島優子似の女子部と結婚成就
及び警察刑事権力から守るに守っていく題目を毎日30分送って行こうではありませんか!
女子部は何があっても高橋裕之氏について行きなさい
いいね
創価学会名誉会長
池田大作
469 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/05(火) 01:44:32.23 ID:BL9dLw5d
>>467 >そこが双方同意ならもういいんじゃないかなあ。
その通りですよ。
しかし、創価学会の会則改定で示された『大切なのは、「弘安2年10月12日に大御本尊を図顕された大聖人の心に呼応する信心」』を理解出来ない日顕宗は「大石寺の板本尊への信心」に固執するのです。
現在の創価学会の文書には「大石寺の板本尊」に関する記述はありませんから、現在の創価学会の文書からは「本門戒壇の大御本尊=弘安2年の大御本尊そのもの」と分かるだけであり、「大石寺の板本尊」を指すという公式な文書はありません。
このため、『創価学会は「大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊の現物」と公式に認めている』などと言うのは日顕宗特有の「嘘」となります。
学会員個人が「大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊の現物」を肯定しても否定しても現状では何の問題にはなりません。
しかし、学会員個人がどちらかの主張をして論争をした場合、事実上、大石寺の伝説以外に根拠の無い「大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊の現物」は個人レベルでは証明不可能な真偽未決事項ですから、どちらの主張しても不毛な主張です。
また、現在の創価学会の文書には「大石寺の板本尊」に関する記述はありませんから、「創価学会の公式見解」などと付けた場合は、私論の正当化に「創価学会の公式見解」と言う「権威」を利用していることになり、事実と異なる「嘘」となりますから注意が必要です。
470 :
eco ◆Smw69BiSBo :2013/02/05(火) 02:46:06.10 ID:keRp3uYw
>>449 え!? 創価側で入手方法が明かにもされていないのに 本人が謝罪したんですか?
それも ちょっと理解が出来ません。
・・・で 改めて その事も調べてみたんですが どうやら そのソース元は
あの胡散臭い『フェイク』のようで どこまで本当の事を書いているのか 怪しいものです。
因みに フェイク等の情報によれば 阿部日顕の子供を脅して その腹いせに そのメモが流れたような事が書かれていますが
“ そ の 話 自 体 が お か し い ”・・と思いませんか?
まず どちらも創価学会に対しては 敵対をしていますよね
・・にも関わらず どんな形であれ 阿部法主の子供 或いは 河辺氏が
“ 敵 対 を し て い る 筈 の 創 価 学 会 に メ モ を 渡 す。”不可解さ
そんな辻褄が合わない神業を信じる あなた達の方が不思議で
どうやったら「法を守った神業な事が出来るのか?」本当に見ものですね
471 :
eco ◆Smw69BiSBo :2013/02/05(火) 02:49:43.97 ID:keRp3uYw
>>470のつづき
更に フェイクなど執筆している連中の性格を鑑みれば 警察がよくやる
相手の心理を利用した 割り屋の手口と似た匂いすら感じられます。
またメモが存在した・・としても矢野氏の事件と同様 そのメモを改ざんする事も可能であり
従って そのメモの内容にまで掘り下げれば 額面通りに受け取るのは危険です。
何よりも河辺メモの入手経緯を公式に発表しない(できない)
創価学会の姿勢に対し何にも疑問をいだかない あなたの方が不思議です。
>>470 正宗公式には河辺慈篤のメモ時の記録ミスと発表してるだろが。いい加減だなあお前の発言て
473 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/05(火) 08:13:09.99 ID:BnSc8hcG
>467
> > 大切なのは、「弘安2年10月12日に大御本尊を図顕された大聖人の心に呼応する信心」です。
>
> そこが双方同意ならもういいんじゃないかなあ。
単にそれだけなら問題はないのですが、“法門上の見解として”大石寺に安置されている戒壇の大御本尊を「信仰の根本」から外そうとしているのは、認められないのです。
法門上の見解に相違があってはいけません。仮に相違があったら、正しいことを教えなければいけません。
とりわけ、この議論が根深い問題を孕んでいるのは、大石寺に安置されている戒壇の大御本尊を否定したら、学会が授与している御形木御本尊の正当性の根拠が失われるということです。
学会が日寛上人の御形木御本尊を授与する際に発表された「創価学会の御本尊授与に関する法門上の見解」には、次のように書かれています。
> 今回、学会が会員の方々に授与するお形木御本尊は、日寛上人が大聖人出世の本懐たる「戒壇の大御本尊」をお写しされた御本尊である。
> ゆえに、「大御本尊根本」の信心はいささかも変わらず、当然、これまでの御本尊と功徳においてなんら違いはない。
http://www.geocities.jp/shinichizz/gakkai/gohonzon/gohonzon-juyo-kenkai.txt こういう「法門上の見解」を示しておきながら、大石寺の板本尊を戒壇の大御本尊と認めないというのは、悩乱以外の何ものでもありません。
ただ、彼には言うべきことは言いましたし、それに対して彼は反論不能に陥りました。
その上で、それでも大石寺の板本尊を戒壇の大御本尊であると認めないのであれば、“話の通じない人”として「どうぞ御自由に」と言う以外にありません。
信仰ですので、最後は自己責任ということです。
474 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/05(火) 09:55:43.08 ID:BnSc8hcG
475 :
eco ◆Smw69BiSBo :2013/02/05(火) 10:04:41.27 ID:cmI5h8xs
>>460 だから「きちんとした入手の経緯」を話せばいいんじゃないでしょうか?
普通に考えても 敵対する勢力のメモを それも個人情報にも関わり不利になる情報を
自ら進んで流すバカなんていませんよね〜
あなただって 自分の個人情報が第三者に漏れるたら嫌だし
間違っても 敵対する人やプライバシーに関わる情報なんか流す事はないですよね〜
下手したら信用性の問題にまで関わってきます。
それと同じで 普通は流せない筈なんですけれどね〜
476 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/05(火) 10:11:19.47 ID:BnSc8hcG
>>475 「普通に考えて」とか、主観を述べる前に、事実を確認しろって。
477 :
eco ◆Smw69BiSBo :2013/02/05(火) 10:27:09.25 ID:P+/RdIs7
478 :
eco ◆Smw69BiSBo :2013/02/05(火) 10:28:49.47 ID:P+/RdIs7
>>475 事実を確認するなら 常識的に流れる筈のないメモが
何故 創価学会側にあるんですか? その入手経緯を説明してください
まずは その確認からです
479 :
eco ◆Smw69BiSBo :2013/02/05(火) 10:52:23.76 ID:P+/RdIs7
>>478はアンカーミスで
>>476宛てでした
・・・で
>>477の補足
創価大学の宮田幸一教授が富士門流の教義の根幹である「日蓮本佛論」を否定していたり
偽書探しに奔走する創価学会の信者の存在を考えれば (それも教宣の立場の人間がだ!)
ピンチはチャンスと言わんばかりに 河辺メモを具在にすれば
これらの黒い闇を暈す事が出来るわな
480 :
eco ◆Smw69BiSBo :2013/02/05(火) 11:32:15.67 ID:P+/RdIs7
>>476 >>477や
>>479の事など考えれば いずれにしても 創価自身が入手方法を開示しない限り
譬え 本人が書いていたものだった・・としても
書き手の考えと読み手の主観が違っている場合があるから
河辺メモに対する証拠能力・・と言うのが結局はない・・・と言う事になります
まして 不正入手なら尚更の話 別に改ざんやねつ造をしなくても
強調点の推移や 憶測を交えた言いがかりなどが 出来てしまうので
ますます 創価側の信憑性が薄れてきますけれど
481 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/05(火) 11:41:44.27 ID:37phzYVn
>>466 >この件は何度も回答していますよ。破折はその宗派の矛盾を指摘するため、基本的にその宗派の教義上から破折します。
それでは何回回答しても、相手に通じないのは当然でしょう。なぜなら大聖人の御指南に反するのですから。
仏法対話の根本は、「とてもかくても法華経を強いて説き聞かすべし、信ぜん人は仏になるべし謗ぜん者は毒鼓の縁となって仏になるべきなり」(法華初心成仏抄)です。
相手がそれを信じるか、反発するかでは、本質的な問題ではありません。
具体的には、「法門をもて邪正をただすべし」(唱法華題目抄)、「仏法の邪正をただす事・皆経文をさきとせり」(星名五郎太郎殿御返事)と仰せになられています。
大聖人のお振る舞いを見ても、まさに相手が誰であろうとも、仏法を語り切っています。
あなたが言うように、単に相手の教義内で矛盾を突いただけでは、相手を正法に縁させることも、正法に導くことも、できないではありませんか。
例えば、浄土真宗の信者が、「私たちの教えは、○○というものです」と言ったのに対して、「それは違います。教行信証には××と書かれているではありませんか」と、その矛盾を指摘したとして、そういうのは本当の意味での「破折」とは言わないでしょう。
相手の間違いは指摘しましたが、正法に縁させる、正法に導くという点では、何の意味も持たないのですから。
「破折」と言っても、その本質は「折伏」なのです。ただ宗派の矛盾を突くだけの行為には、「慈悲」がありません。
そもそも、あなたの破折に関する見解は、どんな御文や指導に基づくものですか。それを具体的に教えてください。
具体的な御文や指導を出せないのであれば、不毛な議論にしかならないので、お返事は不要です。
482 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/05(火) 11:58:26.83 ID:37phzYVn
>>466 >旧会則の「大石寺の板本尊への信心」などは「仮」だったのですから、削除されて当然ですよ。
私は、信心に「仮」があるという話を聞いたことがありません。信心に「仮」があるというのは、まさに「初耳」です。
「仮」とはどういうことなのか説明してください。
>いいえ、「大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊の現物」は大石寺の伝説を根拠にした「日蓮正宗の教義の話」ですよ。
創価学会は「日蓮正宗の教義」を信じています。現実に大石寺の法主であった日寛上人の御形木御本尊を授与しているではありませんか。
私は、学会が「日蓮正宗の教義」とは別に、何か新しい教義を創り出したとは考えていません。
学会が否定したのは、御書に違背した日顕宗の邪義です。
ただ、誤解がないように補足しておきますが、「日蓮正宗の教義」といっても、その歴史を振り返れば、さまざまな変遷を重ねてきました。おかしな法主がいたのも事実です。
その中で、日寛上人が説かれた教義を、日蓮正宗正統の教義として信じているのが、現在の創価学会だと言えると思います。
もちろん、反論はあるでしょうから、それは受け付けますよ。
483 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/05(火) 13:15:18.37 ID:37phzYVn
>>290 >仮に、
>>98が
>>98の妄想だとしても、あなたがいい加減な形ではなく正式に創価学会に問い合わせるならば、創価学会はきっちりと答えるだろう。
>少なくとも、何らかのアクションはあるはず。
一時間ほど前に学会本部に電話しましたが、残念ながらそれは違います。少なくとも私と電話で話した二人の本部職員は違いました。
私が「今でも富士宮にある戒壇の大御本尊は、創価学会における信仰の根本ですか?」と質問したのですが、
「要は信力と行力だ!あっち(=宗門のこと)は信心がおかしいんだから」と言って、一方的に受話器を置かれ、対話を拒否されました。
仕方なく、もう一度電話したのですが、別の男性職員が出て、同じ質問をしたら、「どの御本尊も同じだ」と言いました。
それで「分身散体に功徳の違いがないのは分かります。でもその分身散体は、戒壇の御本尊を書写したものですよね?」と言ったら、「話にならない」と、またも一方的に受話器を置かれました。
ちなみに、電話を切るのではないのです。通話状態のままで受話器を置いて放置しました。二人ともですよ。
それにしても、「戒壇の大御本尊」という言葉を出した瞬間に、不機嫌で横柄な態度になったのは感心できませんね。本当に態度の悪い本部職員でした。
このレスを読んでいる人で、「嘘」だと思う人がいましたら、実際に自分で学会本部に電話をしてみるべきですよ。匿名でも番号非通知でも受付てくれますので。
「大石寺」とか「戒壇の大御本尊」という言葉を出すと、とにかく態度が悪くなり、自分の言いたいことだけ言って、受話器を置きますから。
話になんかなりませんよ。
>>483 正式とは、文責のはっきりした手紙を使え、という事。
きっちりとした態度の文章で、公式的な態度を問い合わせる。
(できれば、所属を明らかにして書留を使い、返信用切手等も入れるべきか。)
そうすれば、創価学会もしくは創価学会の○○の文責で、返事が来るだろう。
相手の身分確認もできるだけの時間的余裕もあるから、誠意ある回答が得られるだろう。
電話だと、双方ともどこのだれが喋っているかの証明が全くつかない。
日顕宗の者が、嘘をついたり嫌がらせのために電話する可能性だって十分ある。
また、本部職員といえども、各々の信心の度合いには違いがある。
(本部職員だって、普通の人だからな。)
485 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/05(火) 15:56:33.49 ID:mZb1zTRa
>>483 >電話を切るのではないのです。通話状態のままで受話器を置いて放置しました。
凄い話ですねw
俺も本部に電話したことあるけど、職員の大柄な応対にびっくりした。
クレームの電話でもないのに。
インチキ宗教やってるから、振舞いまでチンケになってしまうw
486 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/05(火) 16:04:26.65 ID:011LWswX
487 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/05(火) 16:26:27.29 ID:37phzYVn
>>484 >正式とは、文責のはっきりした手紙を使え、という事。
>きっちりとした態度の文章で、公式的な態度を問い合わせる。
手紙はもっと期待薄です。
これは自分の経験ではなくて、私が親しくしている同志の方の体験となりますが、手紙で質問して返事が返ってきた試しがないと言っていました。
一方的にかけてきた電話や送りつけてきた手紙に、創価学会が答えなければいけないというのは、電話をしたり手紙を送ってきた人間の勝手な言い分だ、というのが本部職員の主張です。
>電話だと、双方ともどこのだれが喋っているかの証明が全くつかない。
創価学会が今でも戒壇の大御本尊を根本として信じているかどうかという質問は、相手が誰であるかは関係ないと思います。
ちなみに、「創価学会が今でも戒壇の大御本尊を根本として信じているかどうかについて、公式見解を教えてください」とお願いしたら、「公式見解とは何ですか?」と聞かれました。
日顕宗に関係する問題で、愉快な話でないのには違いありませんが、それにしても「公式見解とは何ですか?」はないだろうと思いましたけどね。
>日顕宗の者が、嘘をついたり嫌がらせのために電話する可能性だって十分ある。
私が日顕宗の信者であると思われた可能性は十分にあると思います。
今時、自ら進んで戒壇の大御本尊を肯定する発言をするのは、今の学会員なら珍しいのは事実ですから。
案外、
>>469の彼の言っていることのほうが、本部見解に近いのかもしれませんよ。
>また、本部職員といえども、各々の信心の度合いには違いがある。
そうですが、それを言ったら身も蓋もありません。本部職員は、会員の見本でなければいけないと思います。
488 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/05(火) 16:49:01.39 ID:37phzYVn
>>485 >>電話を切るのではないのです。通話状態のままで受話器を置いて放置しました。
>
>凄い話ですねw
御本尊に誓って本当の話です。
もっと詳しく話すと、通話状態で放置しておいて、時折「もしもし」と出てきて、「そのまま電話を切らないで話していてくださいね〜」と言って、また放置するのです。
これは私の予想ですが、一方的に話させて、それを録音しているのだと思います。
後でそれをチェックして、「あのバカ、こんなことを言ってるよ」とか言ってるんじゃないの?
>俺も本部に電話したことあるけど、職員の大柄な応対にびっくりした。
>クレームの電話でもないのに。
年配の男性職員が、いかにもウザイという態度で出てくることが多いですね。
あれでは学会の印象を悪くするだけです。
>インチキ宗教やってるから、振舞いまでチンケになってしまうw
非常に残念なことですが、その批判は甘んじて受けなければいけません。
>>487 そうかね。
一般的な話として、クレーム・要望・疑問に対する処理は、電話よりは手紙の方がスムーズにいくものだ。
電話じゃまともに取り合ってくれなくても、証拠等をきちんと揃えた上での手紙なら何とかなる、場合によっては、自分が思った以上に好結果という事も珍しくない。
もちろん、やけやたらに手紙を出しまくったり、筋の通らないやり方をしても無駄。
もし、学会本部が正体不明でもない一学会員が抱いている本尊に対する根本的な迷いをいつまでも放置するなら、学会本部の役割を一部放棄していることになる。
疑いのための疑いとか、難癖をつけるのが目的であると見なされない限り、必ず回答が来るだろうよ。
もしくは、何らかの別なアクションがあるかもしれないが。
491 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/05(火) 18:33:02.06 ID:mZb1zTRa
492 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/05(火) 19:12:31.49 ID:CNY1VpIA
>>491 創価に限った事じゃないけど、電話のマナーは、
どこも年々落ちてるよね。
493 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/05(火) 19:24:20.77 ID:zw2RUiOP
494 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/05(火) 20:12:09.53 ID:BnSc8hcG
今の創価学会では、もう日寛上人の『六巻抄』など不要ということなのだろうか。
いや、不要とまでは行かなくても、“御書の付録”程度の意義しか無くなったように感じる。
学会教学の基盤を築いたのは、『六巻抄』だと言っても過言ではないのだが。
最近の学会員の発言を聞いていると、その節操の無さに唖然とすることが多い。
「魂の独立」を果たした後、いつしか「魂の放縦」になってはいないだろうか。
原点に戻ることを願うものである。
495 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/05(火) 22:05:50.94 ID:BL9dLw5d
>>481 >そもそも、あなたの破折に関する見解は、どんな御文や指導に基づくものですか。それを具体的に教えてください。
それも以前コメントしましたよ。
大聖人は念仏破折において、浄土宗の依経である無量寿経の「念仏を称える者は極楽浄土に迎えるが、五逆と誹謗正法の者は除く(趣意)』という文を示し、 浄土宗の依経をもって、断罪しています。 他宗を破折する場合、その宗派の教義の上から破折します。
日顕の法主詐称疑惑で用いる「唯授一人の血脈相承」は大石寺の教義であり、創価学会の教義ではありません。
自宗の教義を相手に押し付けても他宗の人が疑問など感じませんから、破折においては破折する宗派の教義上の矛盾を指摘します。
>>482 >「仮」とはどういうことなのか説明してください。
そのままの意味ですよ。
1 本物・本式ではなく一時的な間に合わせ。一時的な見せかけ。「仮称・仮性・仮説・仮題・仮定・仮名・仮面」
2 一時的に。「仮寓(かぐう)・仮設・仮泊・仮眠」
会則改正により「大御本尊に対する信心」の「本義」が示されたのであれば、「大石寺の板本尊に対する信心」は仮のものですよ。
>私は、学会が「日蓮正宗の教義」とは別に、何か新しい教義を創り出したとは考えていません。
何か新しい教義を創り出さず、大石寺で作られた余計な教義が削除され、大聖人の仏法の本義に則った教義だけが残ったと言うだけですよ。
日寛教学は大聖人の仏法の本義に則った教学として創価学会に残ったのです。
>>483 >一時間ほど前に学会本部に電話しましたが、
このような場で自己申告の「電話で確認した」等は無意味ですよ。
本当に会員であれば、学会本部の電話応対を批判する前に、学会本部に直接電話すべき内容かどうか考えますよ。
あなたが本当に電話したかどうか分からないのに、「学会本部の電話応対が悪い」と風評を流したいだけですね。
本当に会員であれば、このような場で「本部に電話しろ」とは通常言いません。
本部に無用な負担を掛けないためにも身近な幹部や書籍等で確認するように言いますよ。
496 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/05(火) 22:33:28.22 ID:mZb1zTRa
>>495 >「学会本部の電話応対が悪い」と風評を流したいだけですね。
本部職員の応対の悪さ、非常識さはもう隠しようが無いよw
それは認めようよ。
>以前、「聖教職員は名乗らなくてよい」ことを書いた。
>先ほど聞いたのだが、本部相談室も担当者が「名乗らない」そうだ。
>責任回避以外に、どのような目的が考えられるだろうか?
>そもそも自分の名前も言わないで、責任ある指導が可能だろうか?
>匿名性で会員と接する姿は、聖教職員と本部相談室の「2ちゃんねる化」であると断じておこう。
http://d.hatena.ne.jp/sokaodo/20080202/p1 創価王道
497 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/05(火) 23:21:52.71 ID:BL9dLw5d
>>496 >それは認めようよ。
このような場では風評を流しているだけですよ。電話をした側の落ち度がある可能性を無視して、一方的に「応対が悪い」などと言っても正統性がありません。
本部などは日顕宗のイヤガラセなどを警戒しながらの対応にもなります。相手が会員では無くイタズラで電話をして来ていると判断すれば、即、電話を切るでしょう。
本当に会員であれば、そのようなことを考慮して不用意に本部に電話などかけませんし、このような場で「本部に電話して確認してみろ」などと煽ったりもしないことです。
498 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/05(火) 23:40:13.32 ID:mZb1zTRa
>>497 これはルノワール絵画取引に関してのレスだと思うけど。
↓
初心者アンチの質問&相談に答えるスレ26
http://anago.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1348234392/l50 520 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日: 2012/11/18(日) 09:34:28.53 ID:mGpQ1fEJ
最初は大抵「事実無根!!」だよね。
否定しようが無い証拠を突き付けられたり
子供騙しの言い逃れが出来なくなってから
ようやくグダグダな言い訳を並べ始める
でもほとぼりが冷めたら、いつの間にか
「自分達は何も悪く無かった!!」となる
個人の独断!!()とかね
499 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/05(火) 23:59:09.00 ID:BL9dLw5d
>>498 >これはルノワール絵画取引に関してのレスだと思うけど。
『創価学会は「大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊の現物」と公式に認めている』などと言うのは日顕宗特有の「嘘」
と言う話題から、「学会本部の電話対応」に話を摩り替えた上に、更に話を摩り替えようとしても無駄ですよ。
このような場で、自己申告の「電話で確認した」と言う話そのものに信頼性がありません。
相手がイタズラで電話して来ていると判断すれば「対応が悪い」ことなど一般的な対応ですよ。
500 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/06(水) 00:11:17.88 ID:qzNWozN6
>>499 ID変わったかも知れないけど、498です。
一つ質問があります。
自己申告で結構ですから、お願いします。
Q1:>499さんは、本部へ電話したことがありますか?
Q2:そのとき電話で応対した職員は、名前を名乗りましたか?
501 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/06(水) 01:00:56.16 ID:xB2MJMDe
>>500 >自己申告で結構ですから、お願いします。
Q1:に回答する必要がありませんよ。
>>497のコメントから「本部へ電話したことが無い」と思ってもらってもいいですよ。
このため、Q2:の回答もありませんが、どこの誰か分からない相手に、自分の名前を含めて不用意に個人情報を漏らしたりしないのが、通常の電話対応です。
あなたが企業のお客様サービスと勘違いしているなら、それは間違いですよ。
502 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/06(水) 06:46:09.46 ID:BP4+A6VS
>>494 二乗は不作仏だ、いや二乗作仏だ
始成正覚だ、いや久遠実成だ
といった釈迦をどう思う
503 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/06(水) 06:49:47.93 ID:qEzMjLyD
>>493 お〜お〜、良いブログじゃのぉ〜。
議員さんの脱会では洗脳学会員の嫌がらせが多分に考えられますな。
504 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/06(水) 07:11:35.57 ID:BP4+A6VS
市議会が選挙になって立候補したら、講員票では当選できんなw
505 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/06(水) 07:13:57.31 ID:BP4+A6VS
坊主票を足しても無理だろなw
506 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/06(水) 07:17:00.06 ID:BP4+A6VS
あw 羽曳野に寺ないやw
507 :
池田大作:2013/02/06(水) 07:50:42.29 ID:UDebr40U
全世界創価学会員よ
横須賀総県横須賀圏田浦本部横須賀桜山支部の偉大なる男子部高橋裕之氏が
グリーンジャンボ宝くじで1等前後賞が当選するように
また金を持っている大島優子似の女子部と結婚成就
障害者年金1級受給成就
及び警察刑事権力から守るに守っていく題目を毎日30分送って行こうではありませんか!
女子部は何があっても高橋裕之氏について行きなさい
いいね
創価学会名誉会長
池田大作
508 :
eco ◆Smw69BiSBo :2013/02/06(水) 08:14:48.57 ID:7wxjbapU
509 :
eco ◆Smw69BiSBo :2013/02/06(水) 08:19:43.54 ID:7wxjbapU
>>508のつづき
事実 大阪事件の際 認知バイアスの心理的な働きによって 小泉氏の指導を取り違えた奴がいて
不正事件へと発展してしまい 大阪地検に逮捕されてしまった事が 人間革命11巻に書かれていますよね
http://plaza.rakuten.co.jp/namassaddharma/diary/201211300000/ 上記のリンク先に掲載した人間革命11巻のP.330の赤枠の逆が
創価が得意げに自慢する河辺メモでしょ ましてや 大阪事件の事を経験しているが故に
誤解を意図的に利用する半真実の嘘を作る事が出来る前科がある以上
本人のものでも 事実に関する信用性がありませんし 証拠にはなりません。
不正入手だったら 尚更 悪質です。
そんな事より 創価には 知りえない筈の「河辺メモ」が
どのような経緯で 創価の手元に渡ったんですか?
聞いてれば メモの所在や内容ばかり挙げているけれど
肝心な「入手経緯についての事実」に関しては 何にも語っていないよね
510 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/06(水) 08:23:16.60 ID:wEOT+m72
>>501 やはり、本部職員の応対の非常識さを知らずに、想像で書き込まれていたのですね。
了解しました。
「聖教新聞社の対応の悪さについて」
私はこれ以降、新聞啓蒙をしていない。
こんな連中のつくる新聞に未来はない。
マイ聖教もやめた。
東京では40歳前後の販売店主が新築の一軒家を購入しているのもおかしな話だと思う。
上級幹部が配達員をしないのもおかしい。全部末端に押し付けている。
もう10年以上も前の話だが、中野区が新聞啓蒙一位になったことがある。
この時、婦人部の本部長以上は100部のマイ聖教を申し込んでいる。
http://d.hatena.ne.jp/sokaodo/20111207/p2 創価王道
511 :
eco ◆Smw69BiSBo :2013/02/06(水) 08:47:43.30 ID:U2PnbjVz
D:BL9dLw5d
それでは創価の言っている 一人ひとりを大切に・・というのや
誠実な対応などが 全部嘘だと言う事ですか?
あなたの意見に従えば 本音と建前論しか言っていなかった事になります
因みに 過去 別の件で聖教新聞に電話をした事がありましたが
矛盾点や極論など 説明したのですが 理解が出来ず
持論を強引に押し付けて「正義」だから仕方がないだろ・・・と言わんばかりで
どなり散らすだけで お話にもならず しかも電話をしている最中
となりでも同様の応対をしていたらしく 怒鳴っている声が諸に聞こえてくるので
あまりの横柄な態度に 呆れた事があります。
一度 電話をかけてみれば如何ですか?
512 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/06(水) 08:58:01.56 ID:wWtbVrA/
>>495 >大聖人は念仏破折において、浄土宗の依経である無量寿経の「念仏を称える者は極楽浄土に迎えるが、五逆と誹謗正法の者は除く(趣意)』という文を示し、 浄土宗の依経をもって、断罪しています。 他宗を破折する場合、その宗派の教義の上から破折します。
それは大聖人の破折の一端を取り上げて、それを全てと思わせる悪意が秘められた主張。乃至は、読解力未熟なる故に真意を見落としている。
『題目弥陀名号勝劣事』には、「三師並びに法然此の義を弁へずして、諸行の中に法華・涅槃並びに一代を摂して末代に於て之を行ぜん者は千中無一と定むるは、近くは依経に背き遠くは仏意に違ふ者なり」(109項)と記されている。
あなたは「近くは依経に背き」だけを取り上げ、その直後にある「遠くは仏意に違ふ者なり」を省いている。
同御書の冒頭にも、「問うて曰く当世の念仏者・無間地獄と云う事其の故如何」に対して、「念仏に対して末代の凡夫此れを捨てよ此の門を閉じよ之を閣けよ之(法華経等)を抛てよ等の四字を以て之を制止す」(104項)と述べられている。
さらには、「無量義経の如きは四十余年・未顕真実と説いて法華八箇年を除きて以前四十二年に説く所の大小・権実の諸経は一字一点も未顕真実の語に漏る可しとも覚えず」(108項)記され、法華経以前の諸経は、全て「未顕真実」であると破折されている。
以上から、大聖人のなされた破折の御心は、あくまでも法華経を根本とべし、法華経誹謗は大謗法という点にあります。
したがって、『他宗を破折する場合、その宗派の教義の上から破折します』というは正確ではなく、他宗の教義の誤りを一つ一つ取り上げ、それがなぜ誤りであるのかを経文と道理をもって破折し、法華経への帰依に導くというのが、大聖人の破折の基本姿勢なのです。
513 :
eco ◆Smw69BiSBo :2013/02/06(水) 08:58:06.86 ID:U2PnbjVz
>>510 本当 聖教新聞の記者が 毎日 無冠の友までやっていたら
尊敬はしないけれど 敬意だけは表しますね
ただ上級幹部の中には 過去に聖教の配達をやっている人もいるし
末端の配達員でも圧しつけてくる人がいるので 創価王道の話は注意が必要です。
なるほどね 的を得ているだけに 斧さんは そういうことをやっていたのか
514 :
eco ◆Smw69BiSBo :2013/02/06(水) 09:10:10.94 ID:U2PnbjVz
>>510 参考に 昔は「マイ聖教」・・・と言うのがなく
啓蒙や集金などは全部配達員がやっていて 会員は折伏に専念していた部分が多く
あまりにも配達員の負担が大きいので 代理配達やマイ聖教が始まった部分があって
本来「マイ聖教」は 義務やノルマじゃないんだけれど なぜか「ノルマ化」しているよね
そんな事をわざわざ書く・・ということは マイ聖教を義務として煽っていたのか?
義務だと思い込んで 脅迫性心理に陥っていたのか・・・の どちらか・・・
515 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/06(水) 09:18:59.52 ID:wWtbVrA/
>>495 >大聖人は念仏破折において、浄土宗の依経である無量寿経の「念仏を称える者は極楽浄土に迎えるが、五逆と誹謗正法の者は除く(趣意)』という文を示し、 浄土宗の依経をもって、断罪しています。 他宗を破折する場合、その宗派の教義の上から破折します。
「念仏を称える者は極楽浄土に迎えるが、五逆と誹謗正法の者は除く(趣意)」という部分がこなれた言い回しだと思って検索してみたら、日蓮正宗法華講機関紙『大白法』からの引用ではありませんか。
http://okigaruni01.okoshi-yasu.com/yougo%20kaisetu/nenbutu-muken/01.html 自分とは意見の違う人間がいると、たちまち「日顕宗」のレッテルと貼る一方で、持論の正当化のためには、日顕宗の機関紙から文を盗むのですね。
こんなことをしていたら、誰からも信用されませんよ。
日顕宗が大謗法というのであれば、日顕宗の機関紙からコピペするような真似は絶対にしないというくらいの、骨のあるところを見せてほしいものです。
あなたの一連のレスは、支離滅裂であるだけでなく、エゴの命がぷんぷん漂ってきます。
どうか池田先生と不二の弟子となってください。
>>508-509 キミが創価を貶めようと必死なのはわかるが、俺はただ河辺メモは本人のものと言ってるだけだよ。
で、結局キミは学会員じゃないわけ?そこんとこ知りたい。
517 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/06(水) 10:12:42.31 ID:wWtbVrA/
>>496 >「仮」とはどういうことなのか説明してください。
>
> そのままの意味ですよ。
> 1 本物・本式ではなく一時的な間に合わせ。一時的な見せかけ。「仮称・仮性・仮説・仮題・仮定・仮名・仮面」
> 2 一時的に。「仮寓(かぐう)・仮設・仮泊・仮眠」
> 会則改正により「大御本尊に対する信心」の「本義」が示されたのであれば、「大石寺の板本尊に対する信心」は仮のものですよ。
「一時的な間に合わせ」や「一時的な見せかけ」の信心に、功徳があるわけがない。
もしあったとしたら、「一時的な間に合わせ」や「一時的な見せかけ」の信心でも良いということになる。
日蓮正宗創価学会時代には、盛んに戒壇の大御本尊へ参拝し、多くの学会員が絶大な功徳を受けてきた。これは歴史的事実である。
また、この事実は、戒壇の大御本尊を信仰の根本とした信心が、間違いでないどころか、正しい信心であることの証左である。
今では大石寺が魔の山と化して登山はしてはならないが、戒壇の大御本尊への信心を変える理由はどこにもない。
何よりも、『「大石寺の板本尊に対する信心」は仮のもの』という貴方の主張は、どんな指導に基づくものですか。
私にとって初耳となる「大石寺の板本尊に対する信心=仮の信心」説のソースを出してください。
御書にも学会指導にもない個人の勝手な考えを、受け入れるわけにはいきませんので。
518 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/06(水) 10:36:30.63 ID:wWtbVrA/
>>496 >日寛教学は大聖人の仏法の本義に則った教学として創価学会に残ったのです。
『「大石寺の板本尊に対する信心」は仮のもの』という、あなたの主張は、日寛教学の根幹を否定するものです。
ですから、あなたには『日寛教学は大聖人の仏法の本義に則った教学』などと言える資格はありません。
>このような場で自己申告の「電話で確認した」等は無意味ですよ。
それはあなたにレスしたのではありません。
あなたにレスしたところで、それこそ「無意味」なのは十分に承知していますから。
519 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/06(水) 12:29:08.99 ID:qEzMjLyD
いつまで自演しとるん?
学会員は自慰行為が好きやの?笑笑。
520 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/06(水) 14:46:26.89 ID:wWtbVrA/
>>495 >日顕の法主詐称疑惑で用いる「唯授一人の血脈相承」は大石寺の教義であり、創価学会の教義ではありません。
>自宗の教義を相手に押し付けても他宗の人が疑問など感じませんから、破折においては破折する宗派の教義上の矛盾を指摘します。
自分勝手な考えにハマリ過ぎです。今日付けの創価新報でも、「唯授一人の血脈相承」について破折しています。
『嫉妬に狂って学会を破門した日顕は、宗祖に真っ向から背く悩乱説法を行う。
「(学会は)法体の血脈を除いて、信心の血脈だけを論じております。(中略)枝葉のところに執(とら)われている」(1992年8月、教師講習会)
「法体の血脈が根本であるから、そこから離れて信心の血脈はない」(97年8月、行学講習会)
ここで日顕が主張する「法体の血脈」とは、法主から法主にのみ伝わるとする「唯授一人の血脈相承」なるもので、大聖人の御書のどこにもこの言葉は使われていない。
法主として、人格も行動も実力も伴わない日顕は、この“伝家の宝刀”をことあるごとに振り回し、そこに何か特別な力があるかのように神秘化し、絶対化してきた。
問題の悩乱説法もその類いだが、御書にない「法体の血脈」が根本で、大聖人が“これ以外に求めるな(※)”と厳命された「信心の血脈」を「枝葉」とは、本末転倒も甚だしい。
慈悲も信心もないエセ法主には理解不能であろうが、大聖人は「生死一大事血脈抄」の中で、こう仰せである。
「日本国の一切衆生に法華経を信ぜしめて仏になる血脈を継がしめん』(御書 1337ページ)
この御文について池田名誉会長は、「生死一大事血脈抄講義」の中で、「重要な点は、仏法の血脈は“万人に開かれている”ということです」と強調。
「この血脈の本義を弁えるか否かが、“人間主義の世界宗教”と“権威主義の邪宗門”とを分ける分水嶺」と講義されている』
※「相構え相構えて強盛の大信力を致して南無妙法蓮華経・臨終正念と祈念し給へ、生死一大事の血脈此れより外に全く求むることなかれ、(中略)信心の血脈なくんば法華経を持つとも無益なり」(御書 1338ページ)
以上のように、「破折する宗派の教義上の矛盾を指摘」するのではなく、御書の御文によって、その邪義を破折しています。
521 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/06(水) 15:18:59.36 ID:xB2MJMDe
>>510 >東京では40歳前後の販売店主が新築の一軒家を購入しているのもおかしな話だと思う。
日顕宗らしい言い掛かりですね。
40歳前後に関わらず、一軒家を購入するなどは銀行から融資を受けられれば可能なことです。
返済計画によっては、一月の住宅費は賃貸住宅より安くなる場合もあることです。
日顕宗らしい言動の人が本部に電話しても「イタズラ対応」ですから、「対応が悪い」のは普通のことです。
また、「聖教新聞社」に摩り替えて「対応が悪い」などと言っても風評を流しているだけ。
「マイ聖教もやめた。」などと言っても、やってもいないことを「やめた。」などと言っているに過ぎません。
あなたのコメントは日顕宗の言い掛かりの酷さが出ているコメントですね。
>>512>>515>>517>>518>>520 投稿傾向が
>>463の人と同じですね。
同一人物ですか?
同一人物ならば『反論が不能であることが明らかになった。勝負ありだね。今までご苦労様でした。』でいいですよ。
あなたが何度も同じ話を繰り返しても無意味ですよ。
>>216では『創価学会に貫かれてきた「大御本尊への信心」の本義をしめしたものです。』と書かれているのですから、
削除された「大石寺の板本尊への信心」は「本義」が示されたら「仮」のものだったということですよ。
522 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/06(水) 16:19:55.32 ID:lGn3CUS5
>>521 >日顕宗らしい言い掛かりですね。
「創価王道」の斧さんは、日顕宗信徒だったのかww
やはりセックス男優達が、俺の経歴情報を知って、勝手に俺の偽者をして、勝手に俺宛の女性を盗んで性行為をしていたんだね。
柱間という名前は俺の血筋の事だし、#写輪眼 の元ネタの 三輪羽 #菊花紋 も俺の所有物。
524 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/06(水) 20:10:44.61 ID:wWtbVrA/
>>521 >投稿傾向が
>>463の人と同じですね。
>同一人物ですか?
自演認定は、あなたが大好きな日顕宗のお家芸です。
「自己申告は無意味」と言い切る人が、なぜ「同一人物ですか?」と聞いてくるのか理解できませんが。
>あなたが何度も同じ話を繰り返しても無意味ですよ。
その言葉を、そっくりそのまま、あなたにお返しします。
>
>>216では『創価学会に貫かれてきた「大御本尊への信心」の本義をしめしたものです。』と書かれているのですから、
> 削除された「大石寺の板本尊への信心」は「本義」が示されたら「仮」のものだったということですよ。
「本義」には、「文字・語などの本来の意味」と「根本となる、最も大切な意義」の二つの意味があります。
前者の場合、「本義」の対義語は「仮」ではなく「転義」です。 しかしそれでは話の辻褄が合わなくなる。なぜなら、「本義」があって「転義」がある。
旧会則が「転義」で言会則が「本義」であれば、順序が逆ということになる。
後者の場合、『創価学会に貫かれてきた「大御本尊への信心」の本義』に当てはめると、『創価学会に貫かれてきた「大御本尊への信心」の根本となる、最も大切な意義』となります。
これはどう読んでも、『「大石寺の板本尊」への信心が「仮」のもの』とは読み取れない。
『創価学会に貫かれてきた「大御本尊への信心」』には、様々な意義があるが、その中で根本となる最も大切な意義、となるのではないだろう。
となると、『創価学会に貫かれてきた「大御本尊への信心」』自体を否定したものとは考えられない。
否定どころか、『創価学会に貫かれてきた「大御本尊への信心」』と認めた上で、そのもっとも大切な意義をしめした、と考えられる。
「仮」だから「削除して当然」とは、随分おかしなことを言い出すものだ。
『「大御本尊への信心」の本義』と『「大御本尊」への信心の本義』だと違う印象だね
526 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/06(水) 20:55:22.02 ID:9sV0aKob
527 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/06(水) 21:03:52.22 ID:9sV0aKob
大石寺の板本尊が弘安2年の大御本尊かどうかという問題について、創価学会の公式見解があるかないとか言われたら、池田名誉会長や原田会長に聞けば「ある」と言うと思う。
でも、学会員の現状として、これだけ意見がバラバラだと、「公式見解はあるけど、無いのと同じ」だと思う。
他人事じゃないんだけど、弘安2年の大御本尊に対する見解に限らず、こうも学会員各自が、(悪くいえば)勝手なことを言っている現状を、いつまで放置しておくのか?と思ってしまうね。
528 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/06(水) 21:05:25.44 ID:3MzGn5mu
本尊も信心も借りて仮。
529 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/06(水) 21:55:09.28 ID:xB2MJMDe
>>524 >「自己申告は無意味」と言い切る人が、なぜ「同一人物ですか?」と聞いてくるのか理解できませんが。
この反応も傾向が
>>463の人と同じですね。
疑問があれば回答の信憑性を抜きにして聞くぐらいはしますよ。
>これはどう読んでも、『「大石寺の板本尊」への信心が「仮」のもの』とは読み取れない。
それはあなたの感想ですよ。あなたの感想がどうであれ、会則改定以降の創価学会の教学系文書には「大石寺の板本尊」に関する記述が無いのが事実です。
「弘安2年10月12日に大御本尊を図顕された大聖人の心に呼応する信心こそ「大御本尊を信受する」という意味」が「創価学会に貫かれてきた「大御本尊への信心」の本義」と、
「本義」が示されたのですから、「大石寺の板本尊への信心」は「仮」ですよ。
「大石寺の板本尊」が「弘安2年の大御本尊の現物」であったとしても、後世に建立されたのであったとしても、現在の創価学会の教義に影響は無いことです。
「大石寺の板本尊」が後世に建立されたとなった場合でも「弘安2年10月12日に大御本尊を図顕された大聖人の心に呼応する信心」で建立されていればいいだけです。
この点から言っても、現在の創価学会が「大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊の現物」に固執する理由はありません。
「大石寺の板本尊」に固執し、「創価学会は大石寺の板本尊を弘安2年の大御本尊の現物と『公式』に認めている」などと言うのは、日顕宗特有の「嘘」ですよ。
>>526 >要は、「大石寺の板本尊は弘安2年の大御本尊だと認めるけど、俺達を破門した邪宗門の話は出したくない」というのが、本音だと思うよ。
いいえ、「大石寺の板本尊」に関する記述が無いのが事実ですよ。
現在の創価学会の文書からは「本門戒壇の大御本尊=弘安2年の大御本尊そのもの」と分かるだけです。
530 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/06(水) 22:39:56.06 ID:wWtbVrA/
>>529 >疑問があれば回答の信憑性を抜きにして聞くぐらいはしますよ。
「信憑性を抜きして」ではなくて、あなたは「信憑性がない」と言っているではありませんか。信憑性がないことを、わざわざ聞くことを「時間の無駄」というのです。
>それはあなたの感想ですよ。あなたの感想がどうであれ、会則改定以降の創価学会の教学系文書には「大石寺の板本尊」に関する記述が無いのが事実です。
あなたの『「大石寺の板本尊に対する信心」は仮』という主張こそ、「感想」以下の「邪論」です。
悪い癖ですね。自分は散々、根拠のない話をコピペし続けて、人の意見は「感想」や「私見」だと言って、どこがどう間違っているのか指摘しない。
>「大石寺の板本尊」が後世に建立されたとなった場合でも「弘安2年10月12日に大御本尊を図顕された大聖人の心に呼応する信心」で建立されていればいいだけです。
>この点から言っても、現在の創価学会が「大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊の現物」に固執する理由はありません。
それこそ単なる「私見」の代表ではありませんか。
「後世に建立されたとなった場合でも……で建立されていればいいだけです」なんて、学会の責任ある立場にある誰がそんなことを言いましたか?
『「大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊の現物」に固執する』とは何ですか?
「大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊の現物」と信じている人からすれば、その御本尊を大切に思うのは、当然の話ではないですか。
それを「固執」とは言いません。
>「大石寺の板本尊」に固執し、「創価学会は大石寺の板本尊を弘安2年の大御本尊の現物と『公式』に認めている」などと言うのは、日顕宗特有の「嘘」ですよ。
全く逆ですよ。「学会は戒壇の大御本尊から会員の信心を引き離そうとしている」というのが、日顕宗が言ってることです。
531 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/06(水) 22:51:16.72 ID:9sV0aKob
>>529 > >要は、「大石寺の板本尊は弘安2年の大御本尊だと認めるけど、俺達を破門した邪宗門の話は出したくない」というのが、本音だと思うよ。
>
> いいえ、「大石寺の板本尊」に関する記述が無いのが事実ですよ。
私が言っているのは、「大石寺に安置されている」という記述を削除した、学会の意図を推測したものだよ。
「事実」というなら、学会が「一閻浮提総与の大御本尊」と言ったら、「大石寺の板本尊」と認識してきたのも「事実」だ。
「大石寺に安置されている」が削除されたから、「一閻浮提総与の大御本尊」とは「大石寺の板本尊」ではないというのも、一つの推測の域を出ないではないか。
論理的に完全に間違いであるならともかく、私の言ってることも、君の言っていることも「私見」なんだよ。
自分の私見は「もうウザイよ」というくらい書き続けて、他の人の私見は、それこそ「もうウザイよ」というくらい書き続けている言葉で否定されなければいけないのかい。
君って本当に精神年齢が低いね。
532 :
eco ◆Smw69BiSBo :2013/02/07(木) 01:15:01.17 ID:HDTiJI26
>>516 必死になって貶めている?? この意味が理解できません。
寧ろ 河辺メモを自分たちの「都合のいい解釈によって
不当に貶める事に有利なのは 創価学会の方ですよ
本人の許可を得て入手した上で 今まで河辺メモによる根拠を述べていれば
ある程度の信憑性がありますが 不正な形だとすれば 書いた本人の意にそぐわない形で
自分たちの都合の良い解釈に持っていく事が出来ますよね。
その理屈がわかりませんか? 必死も糞もないんですけれどね
むしろ 今のところ不利なのは入手経緯がきちんと説明しきれていない創価の方です。
533 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/07(木) 01:26:39.50 ID:tjuFkEsV
>>530 >あなたの『「大石寺の板本尊に対する信心」は仮』という主張こそ、「感想」以下の「邪論」です。
いいえ、「本義」が示されたのであれば、他は「仮」となりますから「邪論」にはなりません。
私は自分の感想や私見、私論を「創価学会の公式見解」などと言って正当化するようなマネはしていませんから、批判される理由もありません。
会則改正以降、「大石寺の板本尊」に関する記述が創価学会の教学系文書に無いことは、感想や私論では無く「事実」ですよ。
>それこそ単なる「私見」の代表ではありませんか。
私が「私見」を述べても「創価学会の公式見解」とは別のことですから、批判される筋合いはありませんよ。
>全く逆ですよ。「学会は戒壇の大御本尊から会員の信心を引き離そうとしている」というのが、日顕宗が言ってることです。
「大石寺の板本尊」に固執する日顕宗の言い掛かりですよ。
現在の創価学会の説明では「戒壇の大御本尊=弘安2年の大御本尊そのもの」ですから「戒壇の大御本尊」から会員の信心を引き離そうとしていませんよ。
>>531 >私が言っているのは、「大石寺に安置されている」という記述を削除した、学会の意図を推測したものだよ。
あなたの『推測』に対して、会則改正以降、「大石寺の板本尊」に関する記述が創価学会の教学系文書に無い「事実」を指摘したのですよ。
「君って本当に精神年齢が低いね」などと余程、癇に障ったのでしょうか? このような場で癇癪を起しても相手には通じませんよ。
534 :
eco ◆Smw69BiSBo :2013/02/07(木) 01:27:38.45 ID:HDTiJI26
>>532のつづき
御書の一文一つとったって 人によって解釈が違っている事があるでしょ
過去には日蓮正宗が 文脈を無視し 切文を論って 相手の不利な解釈にされて
その事で反論した事がありましたよね それと同じように メモ一つとっても 同じ事が言えて
譬え 本人のメモで 改ざんをしなくても 誤謬等々の 解釈を変えたりしたら 相手方を不当に貶める事が可能でしょ?
ましてメモなら 解釈方法が 多様にわたるので いくらでも ねつ造話が出来てしまう。
535 :
eco ◆Smw69BiSBo :2013/02/07(木) 01:32:33.20 ID:HDTiJI26
536 :
eco ◆Smw69BiSBo :2013/02/07(木) 01:48:24.01 ID:HDTiJI26
>>516 入手経路が不明な河辺メモだけで 白黒を決めてしまう危険性の証明は
>>513でも述べていました
>>513はマイ聖教の事を書いたのですが 何よりも
>>510の方がリンクで示された
創価王道の著者 斧氏の記事にもあった「マイ聖教」の解釈に於いて
本部のニュアンスと現場に携わっている会員とのニュアンスで
軋轢が生じていた事が しっかりと露呈しているじゃないですか。
他にも 大石寺の御本尊の解釈一つとったって このスレから延々もめているのも
解釈の差による軋轢を見る事ができますよね
それと同じように河辺メモだって同じ事が言えるでしょ?
自分たちで論争をしていて その事にも気づかないほど
あなた達は鈍感なのでしょうか?
>>532 俺は解釈の話などしてないよ。河辺メモが本人のものだと本人が言ってるってことを何度も言ってるだけよw
正宗の言い訳が正しいと思うのは個人の勝手だけど、内部アンチだと思ってたキミのスタンスが疑問になったんで、
ホントに学会員?と確認したくなったってこと。まどちらでも構わないんだけど。
>>536 > 自分たちで論争をしていて その事にも気づかないほど
> あなた達は鈍感なのでしょうか?
俺が議論してるわけじゃないぞ。だからキミの「あなた達」ってくくりは何なの?って聞くのよ。
「このスレの学会員」って意味なら、キミも学会員じゃないの?って聞くんだよ。
井浦 に合わせて26歳で妊娠とかは無いと思うけど。
元々26歳なんだろうね。
540 :
eco ◆Smw69BiSBo :2013/02/07(木) 03:42:12.10 ID:FdETNM5p
>>537 その話を聞くと 何処かの茨城県在住のB長さんを思い出します。
ちよさん →創価の誹謗をしていた
菊川広幸さん→コメントの内容から アンチか日蓮正宗の廻し者だと思いこんで
最初は 断定的に ちよさんを誹謗中傷をしていた
ところが ちよさんの正体を知ったら あらびっくり
なんと大物幹部の娘さんだった 途端に菊川さんの態度が変わる。
こんな人達ばかりが集まるようでは
本当の意味での正義が飛んでしまいそうです。
541 :
eco ◆Smw69BiSBo :2013/02/07(木) 04:03:21.35 ID:FdETNM5p
>>538 >>俺が議論してるわけじゃないぞ。
だから 今まで正宗が言ってきた内容による論争を閲覧するなり
相手の(この場合は日蓮正宗等々でしょうけれど)「言いがかり」等から
あなた自身も含めて 学ぶ事がなかったんですか?
今まで「何の為」に折伏をしてきたのか?・・・も解ってもいない様子ですね
>>540 キミが大物幹部の息子でも別に何ら特別なわけじゃないし、そういうこと聞いてんじゃないよ。
キミのレスを読むと今いちスタンスがわからないってことだよ。
543 :
eco ◆Smw69BiSBo :2013/02/07(木) 04:05:30.98 ID:FdETNM5p
>>541のつづき
結局は「たばこ」と同様 百害あって一理なしで
「折伏から学べるものが一つもなく 残ったのは害だけ」・・という事を
他の日蓮系も含めて「自らの証明」を第三者に与えているのが現実でしょ?
「日蓮ってver」のスレッドを見れば解るけれど
創価と正宗の喧嘩やあげ足が 日蓮仏法全体の破綻の証明にも繋がっていて
歯が立たないまま「対峙困難な状態に陥っている現実」があって
自ら 日蓮を殺している事を 物語っているじゃんかよ
544 :
eco ◆Smw69BiSBo :2013/02/07(木) 04:11:10.52 ID:FdETNM5p
>>542 ではスタンスが解ったら あなた自身はどんな対応をするのでしょうか?
あなたの問題は その根底にある差別的な畜生の命でしょ?
「キミが大物幹部の息子でも別に何ら特別なわけじゃないし」
・・・・と思うのなら 特段 スタンスと言う物差しで測る必要もない筈ですが
何故 そこにこだわるんでしょうか?
545 :
eco ◆Smw69BiSBo :2013/02/07(木) 04:23:37.74 ID:ox8+uT9G
>>542 別のニュアンスで質問をいたしましょうか?
あなたは・・・
・スタンス一つだけで「物事の証明がすべて出来る」と思い込んでいるのでしょうか?
・スタンスの杓子定規だけで白黒の証明(正義の証明)が出来る・・と思い込んでいるのでしょうか?
・スタンスの杓子定規だけで 相手の心や思惑がすべて見える・・と思い込んでいるのでしょうか?
>>544 別にどうにもしないよ。俺は今までキミが信心はある内部アンチだと思っていたのだけど、それが
変わったのか確認したいだけだから。他スレ読むと最近は日蓮仏法自体を批評してるみたいだし。
まあ答える義務もないから答えなくてもいいよ。
>>545 そりゃキミのレスでもスタンスによって捉え方が変わってくるに決まってるじゃない。
例えば学会教義を否定するキミが戒壇大御本尊信仰を是とするにしても、キミが法華講なら普通の
ことだと思うが、内部アンチなら何を基準として大御本尊を信じてるのかという疑問が湧くわけだよ。
548 :
eco ◆Smw69BiSBo :2013/02/07(木) 05:24:04.36 ID:+eM3phHW
>>546 では「何がどのように変わった」・・・と思いましたか?
その辺は伺いたいものです。
549 :
eco ◆Smw69BiSBo :2013/02/07(木) 05:27:50.11 ID:+eM3phHW
>>548 一つだけ強いて答えるとするならば 日蓮仏法の批評等は
理想と現実が伴っていない矛盾点を問いているつもりです。
つか 一概には言えませんが 一般の人はその事を思っているんじゃないでしょうか?
しかし 創価も含めて 明確な回答が一つも出来ていないのが現実で
従って 今まで書いてきた事は 昔からあり 特段 スタンスが変わった ・・・とは思っておりません。
550 :
eco ◆Smw69BiSBo :2013/02/07(木) 05:36:06.19 ID:+eM3phHW
>>549のつづき
寧ろ それが気になるのでしたら こちらの心が動くような回答を
あなた自身が真心こめて示せば宜しいだけの話ではないでしょうか?
寧ろ それが気になるのでしたら 第三者の心が動くような回答を
あなた自身が真心こめて示せば宜しいだけの話ではないでしょうか?
・・・で あなた自身の言葉で相手を どのように動かせましたか?
また 過去の言動に対する責任は どこまで処理が出来た上
その代償を 相手に返済を済ませ「取り立ての苦しみ」から解放することが出来ましたか?
現実には 利息が増えて「雪だるまになっている」だけ。
551 :
eco ◆Smw69BiSBo :2013/02/07(木) 07:14:31.59 ID:/JBABNul
>>550 もっとも 昨今の動かし方は 日蓮側が創価も含めて
十一【といいち】の利息で 永久返済のような状態に追い込んで
他人のお金を奪っているシステムが しっかり構築されているのが 現実なのですが・・・
>>547 その考え方は 事なかれ主義に陥り 結果的には嘘を見抜く事を鈍らせる結果にもなりませんか?
創価学会の権威をつかって 教学そのものまで捻じ曲げていた事は
創価学会自身も言ってきた事じゃないでしょうか?
552 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/07(木) 08:40:47.71 ID:s7LIqgpa
>>533 >「本義」が示されたのであれば、他は「仮」となりますから「邪論」にはなりません。
「邪論」と考えます。その理由を、「新・人間革命 法旗19」から説明します。
>「皆さんは、ご主人の月給がもう少し高ければとか、もっと広い家に住みたいとか、子どもの成績がもっと良ければなど、さまざまな思いをいだいているでしょう。
>その望みを叶えようと祈り、努力して、実現させていくことも大切です。しかし、最も大事なことは、どんな大試練に遭遇しても、決して負けたり、挫けたりすることのない、自身の境涯を築いていくことです。
>(中略)したがって、遊楽の境涯には、広宣流布のために、大難にも堂々と立ち向かっていく勇猛心が不可欠なんです。勇猛心なきところには、崩れざる遊楽はありません」
http://hokuto-sgi.seesaa.net/article/309802773.html ここでは、『広宣流布のために、大難にも堂々と立ち向かっていく勇猛心が不可欠なんです』という言葉で、信心の「本義」が述べられています。
その一方で、『(個人的な願いを)叶えようと祈り、努力して、実現させていくことも大切です』の述べられ、個人的な願いを叶えていくも、信心の「本義」ではないけれども、それも大事なこととして、決して否定されていません。
ですから、「本義」以外の信心を「仮」として、「不要」とするなたの主張は、「邪論」ということになります。
「本義」とは「最も大切なこと」という意味で、それ以外は「不要」と否定することではありません。
553 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/07(木) 08:51:09.55 ID:s7LIqgpa
>>533 >私は自分の感想や私見、私論を「創価学会の公式見解」などと言って正当化するようなマネはしていませんから、批判される理由もありません。
「私ならざる法門を僻案せん人は偏に天魔波旬の其の身に入り替りて人をして自身ともに無間大城に堕つべきにて候」(四菩薩造立抄)
己義を構えるような者は、自身のみならず他人をも巻き込んで無間地獄に堕ちるということです。
私論を「創価学会の公式見解」と言わなければ、何を言ってもいいということにはならない。間違っていれば当然批判される。
>「大石寺の板本尊」に固執する日顕宗の言い掛かりですよ。
>現在の創価学会の説明では「戒壇の大御本尊=弘安2年の大御本尊そのもの」ですから「戒壇の大御本尊」から会員の信心を引き離そうとしていませんよ。
宗門では「大石寺の板本尊=戒壇の大御本尊」とし、学会でもそのようにしてきたのです。
それを【仮に】会則を改訂して、「大石寺の板本尊=戒壇の大御本尊」という見解を崩したら、「学会は戒壇の大御本尊から会員の信心を引き離そうとしている」というのは、言い掛かりどころか、真っ当な批判。
とりあえず、邪教団に諭されるような、みっともない言動は慎みましょう。
554 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/07(木) 10:22:03.49 ID:VwQrTEfq
ここは自演板か?
誰も読まないのに自演している暇人がいるな。
555 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/07(木) 11:08:26.09 ID:s7LIqgpa
>>533 >あなたの『推測』に対して、会則改正以降、「大石寺の板本尊」に関する記述が創価学会の教学系文書に無い「事実」を指摘したのですよ。
「戒壇の大御本尊」も「弘安2年の大御本尊」も「一閻浮提総与の大御本尊」も、「大石寺の板本尊」という意味で使われてきました。これも「事実」です。
そしてその定義を変える発表がなされていないのも「事実」です。
「戒壇の(弘安2年の、一閻浮提総与の)大御本尊」とは、弘安2年10月12日に建立されたとされる御本尊につけられた名前です。
特定の本尊について、それが特別な意義をもって建立されたので、わざわざ名前をつけたというのに、いつの間にやら「それは特定の本尊ではない」と?
そもそも「創価学会の教学系文書」と言いますが、そういう文書も勝手に書かれているわけではなく、文証の裏づけがあって書かれているのです。
ちなみに私は、御書や学会が重んじている六巻抄に、あなたの解釈を裏づける文証があるとは思いません。
それをぜひ出してみせてください。
もし出せなければ、裏づけのない貴方の勝手な解釈と結論されます。
556 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/07(木) 13:24:50.80 ID:tjuFkEsV
>>552 >「邪論」と考えます。その理由を、「新・人間革命 法旗19」から説明します。
あなたの出した「新・人間革命 法旗19」は「創価学会に貫かれてきた「大御本尊への信心」の本義」を説明したものではありませんよ。
>>553 >私論を「創価学会の公式見解」と言わなければ、何を言ってもいいということにはならない。間違っていれば当然批判される。
この場の話題は「大石寺の板本尊は弘安2年の大御本尊の現物」を創価学会が「公式見解」としているかどうかですよ。
話を摩り替えるのはやめなさい。
>「学会は戒壇の大御本尊から会員の信心を引き離そうとしている」というのは、言い掛かりどころか、真っ当な批判。
日顕宗のあなたが日顕宗の批判を「真っ当な批判」と言っているだけですよ。
>>555 「ID:wWtbVrA/」と「ID:9sV0aKob」は「ID:s7LIqgpa」と同一人物ですか?
「ID:s7LIqgpa」は投稿や記述傾向が
>>463の人と同じですね。
『「大石寺の板本尊は弘安2年の大御本尊の現物」を創価学会は「公式」に認めている』と言うなら、
先ずは、会則改正以降の創価学会の教学系文書でその記述がある文書を出しなさい。
557 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/07(木) 14:15:46.91 ID:s7LIqgpa
>>556 >あなたの出した「新・人間革命 法旗19」は「創価学会に貫かれてきた「大御本尊への信心」の本義」を説明したものではありませんよ。
『「大御本尊への信心」の本義』とは、『弘安2年10月12日に大御本尊を図顕された大聖人の心に呼応する信心』であり、『一閻浮提総与の語に大御本尊の本義が明らか』です、と書かれている。
「一閻浮提総与」ですから、広宣流布への信心です。
「新・人間革命 法旗19」には、「広宣流布のために、大難にも堂々と立ち向かっていく勇猛心」と書かれています。
これこそまさに、広宣流布への信心であり、『「大御本尊への信心」の本義』です。
それを否定するなら、あなたが考える『「大御本尊への信心」の本義』を、自分の言葉で説明してみせないさい。
人の意見について、根拠を示すこともなく否定して、自分の意見とその根拠を言わないのは、日顕宗と同じ。
>この場の話題は「大石寺の板本尊は弘安2年の大御本尊の現物」を創価学会が「公式見解」としているかどうかですよ。
創価学会は日蓮大聖人の仏法を信仰する団体であり、その日蓮大聖人の仏法を正しく信じ実践して、はじめて創価学会は正しい教団となる。
したがって、「公式見解」を定めさえすれば、それに意味があるのではない。大聖人の仏法に則った「公式見解」であってはじめて意義あるものとなる。
仮に、君の「私論」が創価学会の「公式見解」と一致したとしよう。
しかしそれがもし、大聖人の仏法に違背していたら、否定されなければいけない。創価学会の公式見解であたっとしても・・・です。
ここに、大聖人の仏法を度外視して、「公式見解」を議論する無意味さがあるのです。
また、「公式見解」を論じるのであれば、大聖人の仏法の上から論じなければいけない。
558 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/07(木) 14:46:34.84 ID:7mYqaoip
>>533 > 会則改正以降、「大石寺の板本尊」に関する記述が創価学会の教学系文書に無い「事実」を指摘したのですよ。
『教学の基礎』は、旧会則当時に出版されている。
旧会則に「日蓮正宗総本山大石寺に安置せられている弘安2年10月12日の本門戒壇の大御本尊を根本とする」とあったが、
『教学の基礎』には、「日蓮正宗総本山大石寺に安置せられている」といった場所の記載なしで、「戒壇の大御本尊」が説明されているんだろ?
ということは、既にその当時から、安置場所の記載なしでも、「戒壇の大御本尊」といえば「大石寺の板本尊」を意味していたことになる。
そうでなければ、会則と教学本が違うことを書いていたことになり、「一体どっちが正しいんだよ?」と、会員は混乱し、他教団からも失笑される。
それでは「宗教団体としての体をなしていない」とバカにされても仕方が無い。
559 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/07(木) 15:20:48.46 ID:7mYqaoip
>>501 > どこの誰か分からない相手に、自分の名前を含めて不用意に個人情報を漏らしたりしないのが、通常の電話対応です。
通常の法人は、どこの誰か分からない相手でも、 名前くらいは名乗りますよ。
というより、電話で自分の名前を名乗るというのは、まず真っ先に教えられるビジネスマナーなんですけどね。
> あなたが企業のお客様サービスと勘違いしているなら、それは間違いですよ。
私は、本部職員の仕事は、会員へ尽くすことだと思っています。その意味では「企業のお客様サービス」と相通ずるものがあります。(「企業のお客様サービス」は立派な仕事です)
もちろん、日顕宗とか顕正会の信者による嫌がらせなどもあるでしょうから、本部職員が名乗らないというのも、特殊な事情として理解できないわけではありません。
でも、「教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ」との御聖訓が示されているように、どこまでも常識豊かな対応が求められるのも確かなのです。横柄な態度をして「当然」と言わんばかりでは、信仰者以前に社会人として失格というもの。
何より、本部職員を擁護した気持ちは分かりますが、「名乗らないのが通常の電話対応」と言い切るのは、あまりにも社会常識を知らないので、信心だけでなく、もっと社会一般の常識も身に着けたほうがいいですよ。(文面からも察するに、もしかして、まだ学生さんかな?)
560 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/07(木) 15:35:09.28 ID:7mYqaoip
>>501 まだ社会経験の浅い若い人だと思うので、一つ伝えておきたい。
電話で自分の名前を名乗るということの意義は、「自分の仕事・発言に責任をもつ」ということなのです。
相手が自分を知っているのであれば、信用を失う真似はできません。
逆に、相手が自分を知らないと思えば、かなり悪い言動でも、案外平気でやってしまうのが人間というものです。(2chを見れば分かりますよね?)
ですから職場では「名乗りなさい」と教えているのです。
それにしても、本部職員の対応の悪さに対する批判が多いのは、悲しむべきことです。批判の内容が、かなり具体的なところを見ると、まんざら嘘でもないようです。
自分が「創価学会」という看板を背負って仕事をしているという意識が希薄なのでしょう。
561 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/07(木) 16:09:17.28 ID:tjuFkEsV
>>557-558 >これこそまさに、広宣流布への信心であり、『「大御本尊への信心」の本義』です。
ならば、『「大御本尊への信心」の本義』として同じ意味ですから「広宣流布のために、大難にも堂々と立ち向かっていく勇猛心」は「仮」とはなりませんし、「大石寺の板本尊」に固執する信心の話でもありません。
>ちなみに私は、御書や学会が重んじている六巻抄に、あなたの解釈を裏づける文証があるとは思いません。
あなたの「感想」は創価学会の公式な見解ではありませんよ。
>ここに、大聖人の仏法を度外視して、「公式見解」を議論する無意味さがあるのです。
ならば、無駄にこの話題に絡むのはやめなさい。この話題は破門から2002年の会則改定までの間に「大石寺の板本尊に関する記述」の削除が行われ、
2002年の会則改定により教義からも「大石寺の板本尊に関する記述」は削除され、現在の創価学会の教学系文書に「大石寺の板本尊に関する記述が無い」にも関わらず、
その事実を知らない「学会員と偽った日顕宗信者」が「大石寺の板本尊」に固執し、『創価学会は「大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊の現物」と『公式』に認めている』等の事実と異なる嘘を言ったために注意をしているだけです。
現在の創価学会の教学系文書に「大石寺の板本尊に関する記述が無い」のですから、「公式に認めている」とは言えません。逆に「公式に否定している」とも言えないのが現状の事実です。
>>469でコメントしたように、現在の創価学会の文書には「大石寺の板本尊」に関する記述はありませんから、「創価学会の公式見解」などと付けた場合は、事実と異なる「嘘」となりますから注意が必要です。
>>559-560 >もちろん、日顕宗とか顕正会の信者による嫌がらせなどもあるでしょうから、本部職員が名乗らないというのも、特殊な事情
本当に会員であれば「特殊な事情」を理解していますから、「本部職員が名乗らない」ことで「「創価学会」という看板を背負って仕事をしているという意識が希薄」などと喧伝することはありません。
日顕宗に「本部職員○○が言った」などと利用される危険性を考えれば、電話で「本部職員が名乗らない」ことは当然のことです。
562 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/07(木) 16:30:03.68 ID:7mYqaoip
>>561 > 本当に会員であれば「特殊な事情」を理解していますから、「本部職員が名乗らない」ことで「「創価学会」という看板を背負って仕事をしているという意識が希薄」などと喧伝することはありません。
意見するのであれば、まずは人の文章をしっかり読む習慣を身につけることです。今までのレスも読ませて頂きましたが、「反論のための反論」が多すぎます。
私は名乗らないことについて、「創価学会」という看板を背負って仕事をしているという意識が希薄などと、どこにも書いていませんよ。
感情的にならずに、落ち着いて文章を読みましょう。
> 日顕宗に「本部職員○○が言った」などと利用される危険性を考えれば、電話で「本部職員が名乗らない」ことは当然のことです。
ですから、それについては理解できると書きました。
私は貴方の
> どこの誰か分からない相手に、自分の名前を含めて不用意に個人情報を漏らしたりしないのが、通常の電話対応です。
という発言が、社会常識をわきまえていないと、反発されることを承知で教えてあげました。
今は感情的に認められないでしょうけど、貴方も人を指導すべき立場になれば、私の言っていることが理解できるようになります。
563 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/07(木) 16:32:22.03 ID:s7LIqgpa
>>556 >日顕宗のあなたが日顕宗の批判を「真っ当な批判」と言っているだけですよ。
それは違う。創価学会だろうと、日顕宗だろうと、「信仰の根本」を二転三転させるような教団なら、まったく信用するに値しない。
貴方が言っていることは、「創価学会は、ろくな説明もしないで、信仰の根本を平気で変える教団ですのでヨロシク(^^)v」と宣伝しているのと同じ。
>『「大石寺の板本尊は弘安2年の大御本尊の現物」を創価学会は「公式」に認めている』と言うなら、
>先ずは、会則改正以降の創価学会の教学系文書でその記述がある文書を出しなさい。
会則改定で、『創価学会に貫かれてきた「大御本尊への信心」の本義』を示したと書かれているのだから、「大御本尊」の定義を変えた言うのは誤読も甚だしい。
新会則で示されたのは、あくまでも「信心」についてです。「本尊」について述べたのではありません。
それなのに「会則改正以降」にこだわる貴方の態度が理解出来ません。
564 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/07(木) 17:09:50.71 ID:s7LIqgpa
>>561 >ならば、『「大御本尊への信心」の本義』として同じ意味ですから「広宣流布のために、大難にも堂々と立ち向かっていく勇猛心」は「仮」とはなりませんし、「大石寺の板本尊」に固執する信心の話でもありません。
「ならば」ではありません。貴方は私の意見を否定したのです。ですから、それを否定するなら、あなたが考える『「大御本尊への信心」の本義』を、自分の言葉で説明してみせないさい、と書いたのです。
「ならば」というのは、人の意見は根拠もなしに否定し、持論については根拠をもって論証することから逃げており、日顕宗の人間と同類です。
>>ちなみに私は、御書や学会が重んじている六巻抄に、あなたの解釈を裏づける文証があるとは思いません。
>
>あなたの「感想」は創価学会の公式な見解ではありませんよ。
こんなことにも、まともな反論の一つもできないのですか(笑) うーん。ちょっと教学が無さ過ぎますね。ここは貴方のようなレベルの人が書き込みする場所ではないのですけどねー。
でもまあ可哀想なので、この議論については見逃してあげましょう。
>ならば、無駄にこの話題に絡むのはやめなさい。
「無駄」だと思うなら、私にレスしなければ事は済みます(笑)
貴方は私が私論を述べることを拒否しますが、私は貴方が「感想」を述べることは拒否しませんよ。でも「感想」を述べたのであれば、その感想の「根拠」はお尋ねします。
それを承知した上でどうするかは、貴方次第です。
>この話題は破門から2002年の会則改定までの間に「大石寺の板本尊に関する記述」の削除が行われ、(以下、無駄に長いので省略)
なんで「大石寺の板本尊に関する記述」が削除されたと思うのですか。「一閻浮提総与の大御本尊」と言ったら、大石寺の板本尊の名前なのに、不思議なことを言うものだ。
しかも、新しい会則では、信心の本義を述べただけで、大御本尊の定義について述べたものではないのですけどね。
565 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/07(木) 17:41:09.65 ID:7mYqaoip
>>561 日顕宗が喜ぶので、本当はあまり言いたくないですけど、タブー無しに言わせてもらうと、今の創価学会は、「弘安二年の大御本尊」に関する問題は避けているのですよ。
だって、それに触れると大石寺との関係が必然的につきまといますから。 嫌でしょ?そういう話をするのは。
入会したばかりの人などはともかくとして、「活動家」と称される学会員の大半は、「戒壇の大御本尊」といったら「大石寺の板本尊」だと心の中では分かっているのです。分かっているけど、その問題には触れたくないということです。
事の本質は、そういう感情的な部分にあります。「大石寺に安置している」という言葉を削除したのもそのためです。
「教義を変えたので削除した」のではなく、「“大石寺に安置している”と書きたくないから書かない」。結果として「削除した」ことになっている。
こんなの言わないだけで、みんな本当は分かっています。君だって本心では分かっているでしょ?(笑)
でも、それを認めたくないから、信心がどうのこうと言って理論武装している。(信心がどうのこうのというのは正しい)
ついでだから、もっとぶっちゃけた話をすると、弘安二年も家庭の御本尊も全部同じです。分身散体? そんなのは説明の便宜上もってきた話だよ(笑) 本当は分身散体も大御本尊もない。全部同じ御本尊です。
ただ、そこまで言ってしまうと、「今までの話は何だったのか?」となるので、言わないだけです。
とりあえず、これからの数十年間も、学会は信心重視。宗門は本尊重視でいきます。間違いなく。どっちが正しいかという話は、ここでは置いておいて。
だってそうしないと、お互いに存亡の危機になりかねませんから。特に宗門は小さいからそうなのです。
「教団」というのは、所詮、人間の集まりです。良くも悪くも、そういう人間臭い泥泥した話からは逃れられません。
566 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/07(木) 18:18:51.49 ID:WjXVGePE
>>540 > 菊川広幸さん→コメントの内容から アンチか日蓮正宗の廻し者だと思いこんで
> 最初は 断定的に ちよさんを誹謗中傷をしていた
>
> ところが ちよさんの正体を知ったら あらびっくり
> なんと大物幹部の娘さんだった 途端に菊川さんの態度が変わる。
酷いww
青年部教学初級試験で「弘安二年の戒壇の大御本尊」って出ていた記憶がある。
568 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/07(木) 19:48:07.35 ID:2ovpW6dX
ああ、自分の発言に責任をとりたくないから、「幹部指導」中の「伝言式ご指導」が通例になっているわけだね
大作ちゃんの気持ちはわからないでもない
569 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/07(木) 19:49:46.69 ID:2ovpW6dX
>>567 出てたよ。
改竄された六大秘法も出てたよ。
15年前の話
570 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/07(木) 20:47:11.83 ID:s7LIqgpa
>>567>>569 前にも書いたけど、学会本部に電話して、「戒壇の大御本尊」という言葉を出すだけで、不快感を露にして、一方的に通話を切られてしまうんだよ。
公式見解は絶対に変えてはいけないと言うつもりはないけど、今までと違う見解を出すのであれば、何をどういう理由で変えるのかどういう部分を、きちんと説明してほしいし、しなければいけない。
その部分を曖昧にして、記述をチョコチョコ変更しておきながら、質問すると逆ギレするというのは、教団(人間)としておかしい。やましいことがなければ、はっきり説明できるはずだ。
血脈論争だってそうだよ。
日蓮正宗創価学会時代、会員に対して「信心の血脈」を教えたら、宗門から文句をつけられて、「別=法体の血脈。総=信心の血脈」と聖教新聞で訂正した。
それで破門されたら、何事もなかったかのように、再び「信心の血脈が根本」と教えるようになり、「別=法体の血脈。総=信心の血脈」という宗門の血脈を、邪義と批判している。
確かに「信心の血脈が根本」というのは正しい。でも、言ってることを変えるのであれば、「宗門との関係があるので、いったんはあちらの言い分を認めた」くらいの釈明が出来ないものかね。
「言わなくても、それくらい察しろよ」というような、いかにも日本的な考え方は、これからの時代は通用しない。
ましてや、今やグローバルに布教を展開する時代に入ったのだから、「言わなくても察しろ」では、現代人はついてこない。
こんな体質では、時代錯誤のバカタレ教団・日顕宗のことを、笑ってばかりもいられないぞ。
チャペルで結婚式を行って、イエス・キリストに愛を誓うようなことをしても、何のお咎めも無いというような、変な体質改善ばかりどんどん進んでいて、
それに疑問を感じているのは、私だけではないはずだよ。
571 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/07(木) 21:31:13.33 ID:Msq+eM3x
572 :
eco ◆Smw69BiSBo :2013/02/07(木) 22:14:04.51 ID:AZ9tGkvn
573 :
eco ◆Smw69BiSBo :2013/02/07(木) 22:41:23.87 ID:N3bdOpb8
今や毛沢東は英雄でも なんでもなく
「ヒットラーよりもずる賢い独裁者」と言う見解が多いのが本音なのですが
中国の圧力で世界はダンマリなのが現実なんだけれど 創価の脳内では
未だに 毛沢東は英雄だと思っているんですかね〜
574 :
eco ◆Smw69BiSBo :2013/02/07(木) 22:42:09.63 ID:N3bdOpb8
575 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/07(木) 23:16:01.85 ID:tjuFkEsV
>>562 >今は感情的に認められないでしょうけど、貴方も人を指導すべき立場になれば、私の言っていることが理解できるようになります。
感情的な話は一切していませんよ。
「特殊な事情」を理解している会員であれば、不用意に「本部へ電話」などと言う話さえしませんよ。
>>565 >だって、それに触れると大石寺との関係が必然的につきまといますから。 嫌でしょ?そういう話をするのは。
それは違うでしょう。
創価学会は「大石寺の板本尊」が「弘安2年の大御本尊の現物」かどうか調べる方法が無いのですから、
「大石寺の板本尊」の話題に触れても不毛な話題であり、創価学会の信仰面でも無意味だからでしょう。
「大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊の現物」は現状では大石寺にしか調査できないことです。
創価学会が「大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊の現物」の肯定や否定を「公式」に認めることが現状は不可能なのですよ。
576 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/07(木) 23:17:46.36 ID:tjuFkEsV
>>563-564 >貴方が言っていることは、「創価学会は、ろくな説明もしないで、信仰の根本を平気で変える教団ですのでヨロシク(^^)v」と宣伝しているのと同じ。
それはあなたの感想。
>会則改定で、『創価学会に貫かれてきた「大御本尊への信心」の本義』を示したと書かれているのだから、「大御本尊」の定義を変えた言うのは誤読も甚だしい。
変えたなどと言う話はしていませんよ。
「弘安2年10月12日に大御本尊を図顕された大聖人の心に呼応する信心」が『創価学会に貫かれてきた「大御本尊への信心」の本義』ですから変わりません。
明確に「本義」が示されたのですから、「大石寺の板本尊」に固執した信心が「仮」だっただけですよ。
>貴方は私の意見を否定したのです。
「大御本尊への信心」を指導していないのですから、否定して当然ですよ。
「広宣流布のために、大難にも堂々と立ち向かっていく勇猛心が不可欠なんです。」と、「広宣流布のために」が『創価学会に貫かれてきた「大御本尊への信心」の本義』に通じていることを認めただけで、
「大石寺の板本尊」に固執した信心を指導してはいませんよ。
>貴方は私が私論を述べることを拒否しますが、
この話題は、『「大石寺の板本尊は弘安2年の大御本尊の現物」を創価学会は「公式」に認めている』と言う人と、
現在の創価学会の教学系文書には「大石寺の板本尊」に関する記述が無く、「大石寺の板本尊」に対しての「公式見解」は無いと言う人の会話です。
「大石寺の板本尊」に対しての「公式見解」が有ると言う人は、個人の感想など出さずに、
会則改定以降に創価学会が「大石寺の板本尊は弘安2年の大御本尊の現物」と認めていると言う文書をだせばいいだけです。
「大石寺の板本尊」に対しての「公式見解」が有ると言う側の、それ以外の話は無駄な個人の感想ですよ。
577 :
547:2013/02/07(木) 23:51:35.39 ID:WhCHdS7i
>>549 >従って 今まで書いてきた事は 昔からあり 特段 スタンスが変わった ・・・とは思っておりません。
そうなの。じゃあ俺の勘違いだったか。とりあえず答えてくれてありがとう。
>>550 > 寧ろ それが気になるのでしたら こちらの心が動くような回答を
> あなた自身が真心こめて示せば宜しいだけの話ではないでしょうか?
キミが発言するのが自由であると同時に、反論する義務も別に無いだろう。
所詮2ちゃんは書き捨てのようなもんだし。
まあひとつ望むとすれば、キミが創価批判するにしてもできるだけ公正な視点であって欲しいけれどね。
579 :
eco ◆Smw69BiSBo :2013/02/08(金) 00:05:25.42 ID:1jSQXwvh
>>577「公正な視点」と言うのなら 入手経緯が不明な河辺メモを根拠とする
創価新報等の情報を「正」としたり 池田氏の発言を絶対視する考えでも
他の文献を無視して日蓮側の文献だけを「正」とする考え方でも
公正な視点とは言えないでしょ?
それだけは書いておきます。
580 :
547:2013/02/08(金) 00:23:56.88 ID:zCOp67yW
>>579 じゃキミはなんで信心してるのかね?学会に席を置きながら。・・・という疑問に戻るわけだよ。
581 :
eco ◆Smw69BiSBo :2013/02/08(金) 00:29:09.41 ID:1jSQXwvh
>>577 >>所詮2ちゃんは書き捨てのようなもんだし。
それが「頭の痛い部分」で この手のツールが始まった頃は「シェア」も狭く
景気もバランスがとれていた事も相まってか
この手のツールが始まった1980年代後半から役割が あまり変わっておらず
そういった意味では「力がない」部分も否めないのですが
但し インターネットになってシェアが広がってからは 少し変化して
2ちゃんみたいな役割を持つ掲示板が 政府を動かせるところまで持っていた前例があったり
おかみも含めて2ちゃんをチェックしている傾向なので
そういった意味では 決して無駄ではない・・と思っていますけれどね.
582 :
eco ◆Smw69BiSBo :2013/02/08(金) 01:16:44.02 ID:A0Xcx1mA
>>580 創価学会の意見ばかりが信心ではない。 ・・というのが答えです。
「日蓮ってver」のスレに出ている「痛い信者」もそうだけれど
2者選択でしか 物事をとらえている部分があって 視野が意外と狭い。
583 :
eco ◆Smw69BiSBo :2013/02/08(金) 01:35:56.39 ID:A0Xcx1mA
>>582のつづき
あと あいつ(日蓮てverのスレに出ている奴)にも 言えそうだけれど
「不毛にする事が信心なのか?」・・という疑問もあって
あんな 捨て台詞ばかりいってちゃ 何のために信心しているんだか
本末転倒で あれでは人のためではなく 日蓮のための仏法になってしまう
誰が得する?・・と言えば結局は日蓮本人だけで
奪ったものが勝ちと言う畜生の教えだけが残ってしまい
そうなれば目には目をになって負の連鎖になって 何時まで経ってもループなのに
それに気づいていないから こちらも頭が痛い。
>>582 > 創価学会の意見ばかりが信心ではない。 ・・というのが答えです。
んー、学会としてはともかく個人的にはそれも有りかもとは思うよ。俺自身、100%真っ当な学会員ってわけじゃないし。
ただ広宣流布は批判のみで成し得るものではないだろうな。キミが仮に正しくてもキミ一代で終わるだけなら意味は無い。
586 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/08(金) 05:10:12.03 ID:CBNzqSvW
>>576 >それはあなたの感想。
まともな根拠一つ示すことができずに、人の意見を「感想」と言うこと自体が「感想以下の駄文」と言う。
>変えたなどと言う話はしていませんよ。
>「弘安2年10月12日に大御本尊を図顕された大聖人の心に呼応する信心」が『創価学会に貫かれてきた「大御本尊への信心」の本義』ですから変わりません。
>明確に「本義」が示されたのですから、「大石寺の板本尊」に固執した信心が「仮」だっただけですよ。
それを「変えた」という。
>「大御本尊への信心」を指導していないのですから、否定して当然ですよ。
「大御本尊への信心」ではなく、『「大御本尊への信心」の本義』です。
『創価学会に貫かれてきた「大御本尊への信心」の本義』、つまり『弘安2年10月12日に大御本尊を図顕された大聖人の心に呼応する信心』とは、「広宣流布のために、大難にも堂々と立ち向かっていく勇猛心が不可欠」そのものです。
貴方の反論は、いつもどこかずれていますね。
>この話題は、『「大石寺の板本尊は弘安2年の大御本尊の現物」を創価学会は「公式」に認めている』と言う人と、
>現在の創価学会の教学系文書には「大石寺の板本尊」に関する記述が無く、「大石寺の板本尊」に対しての「公式見解」は無いと言う人の会話です。
「公式見解」以外の「自分勝手な決めつけ」を述べ、その間違いを指摘されると、『「大石寺の板本尊」に関する記述が無い事実を述べているだけ』と言って、議論を拒否するのが貴方のやっていることです。
これでは「会話」など成立しません。貴方のやっていることは、自分の意見を主張するだけで、「会話」を拒否しています。
587 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/08(金) 05:29:21.23 ID:WNNsY8j9
>>585 ビニール製カラーコピーで広宣流布か?
どこまで沸いてる阿呆なんだ君は!
残念だが君らは会則の違い等で必ず後に
君らの仲間とし烈な内輪揉めをする!
それも「広宣流布」の名の元に!
君らの信心はお先真っ暗だ!
そんな君らの人生に他人を巻き込むなら
君らの想像もつかない敗北が待っている
君らが死んだら友人葬にカラーコピーを
送り本尊として一緒に持っていきなさい
君らの信心なんか世間は不必要だから!
588 :
池田大作:2013/02/08(金) 05:43:03.38 ID:9Et9TH09
全世界創価学会員よ
横須賀総県横須賀圏田浦本部横須賀桜山支部の偉大なる男子部高橋裕之氏が
グリーンジャンボ宝くじで1等前後賞が当選するように
また金を持っている大島優子似の女子部と結婚成就
障害者年金1級受給成就
及び警察刑事権力から守るに守っていく題目を毎日30分送って行こうではありませんか!
女子部は何があっても高橋裕之氏について行きなさい
いいね
創価学会名誉会長
池田大作
589 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/08(金) 07:08:58.78 ID:euosMHIS
>>585 > ビニール製カラーコピーで広宣流布か?
本尊の材質は知らないが、本尊の材質で力用が変わるなどという、それこそ罰当たりな考えは一切ないから。
> 残念だが君らは会則の違い等で必ず後に
> 君らの仲間とし烈な内輪揉めをする!
会則なんて関係ないよ。ほとんど誰も読まないものw それはお前らが宗規を読まないのと同じだよ。
しかも会則改定は10年以上前。内輪揉めするんだったら、とっくにしてるって。
たまたま
>>576が特殊な人間なので、内輪揉めしているように見えるだけ。
未だかつて、会則で意見対立した場面になど、お目にかかったことはないよ。
590 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/08(金) 07:54:29.51 ID:euosMHIS
>>575 > それは違うでしょう。
> 創価学会は「大石寺の板本尊」が「弘安2年の大御本尊の現物」かどうか調べる方法が無いのですから
それこそ「私見」。
学会は一度として、戒壇本尊について、真偽の観点から、その教義的位置づけを論じたことはない。
また、その気になれば調べる方法はある。既に行っている人がいるが、写真鑑定によって戒壇本尊の文字が、他の大聖人御真筆本尊の文字とピタリと重なり合えば、その時点でアウト。
ところがだ。創価学会には、戒壇本尊を何らかの鑑定を行って真偽を論じる資格はない。
何故か? 日顕が教学部長時代に勝手に大御本尊を鑑定し、「偽物」と結論づけたことを、「大謗法」と散々非難してきたからだ。
他宗の坊主が、大御本尊を鑑定して「偽物」と結論したことを「大謗法」と糾弾しておきながら、学会が同じことをするのは、「正当な行為です」などとは言えない。
日顕の「偽物」発言を糾弾するのはいいが、それした時点で、学会が大御本尊を鑑定して、「偽物」とする道は閉ざされたのだ。
> 現在の創価学会の教学系文書には「大石寺の板本尊」に関する記述が無く、「大石寺の板本尊」に対しての「公式見解」は無いと言う人の会話です。
学会が決別したのは日顕宗であり、「戒壇の大御本尊」と名づけられた大石寺の板本尊ではない。この部分を区別できていない人が多い。
戒壇の大御本尊を、頭から湯気を出して否定する理由なんてどこにもないのだ。
だから教学の本からは、「大石寺」という言葉は消えても、「戒壇の大御本尊」という言葉が消えることはない。
591 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/08(金) 08:07:56.54 ID:euosMHIS
>>576 >「大石寺の板本尊」に対しての「公式見解」が有ると言う人は、個人の感想など出さずに、
> 会則改定以降に創価学会が「大石寺の板本尊は弘安2年の大御本尊の現物」と認めていると言う文書をだせばいいだけです。
「公式見解」の問題じゃないよ。
「本門戒壇(=一閻浮提総与、弘安2年)の大御本尊」とは大石寺に安置されている板本尊に付けられた名前。
「公式見解」の問題ではなくて、単に「知識」として知っているか知らないかの問題に過ぎない。
見解の問題というなら、Wikipediaの「本門戒壇之大御本尊」について、誤解がないように「創価学会では…」と編集して来い!w
592 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/08(金) 12:50:02.03 ID:WNNsY8j9
>>589これから本格的に起こるんだよ!
俺はアンチだが、
>>576は学会内では特殊でも無いんだろ!
>>587 世間に不必要なのは坊主コスプレのハゲを盲目的に拝ませて金をむしり取る日蓮正宗という邪教。決して信じてはなりません。
594 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/08(金) 16:31:50.14 ID:8AAZOkI2
>>593 そう思わないとお前らの存続がなくなるもんな?
見事なまでに洗脳されよってからに、笑。
世間の全てから嫌われる創価学会。
ニセ本尊で無間逝き、笑。
>>594 あなた、いつまでもニセ法主を崇める盲目の邪教徒であってはなりませんよ。
謀略に奔走しようと自ら周りを見渡せばわかるように、御講は参加者少なく活気なく無理な供養と勧誘の強制で寒さが骨に凍みるばかり。
邪宗門こと日蓮消宗はいずれ消え行く惨めな運命と早く気付いてください。大聖人が哀れんでおられます。
596 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/08(金) 17:41:02.72 ID:euosMHIS
「信心の血脈」が正法の僧俗一切の行学の根底です。
したがって、大聖人より日興上人への血脈が法主一人にしか解らぬ独断的、偏見的な仏法などというのは、血脈の真義を理解していない者の戯言であり、
信心の一念に法水が流れるところには、有智や無智を問わず、万人のために即身成仏の功徳が実証として開かれているのです。
597 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/08(金) 18:11:16.51 ID:SSsuWoAj
正論だが功徳なるものは無いw
598 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/08(金) 18:38:32.65 ID:jPVXyPGe
>>586 >まともな根拠一つ示すことができずに、人の意見を「感想」と言うこと自体が「感想以下の駄文」と言う。
私のコメントは「現在の創価学会の教学系文書に「大石寺の板本尊」に関する記述が無い」と言う事実以外は、
私の私見、私論や「感想」ですよ。
『「大石寺の板本尊は弘安2年の大御本尊の現物」を創価学会は「公式」に認めている』と言う人は個人の「感想」を垂れ流していないで、
会則改定以降に創価学会が「大石寺の板本尊は弘安2年の大御本尊の現物」と認めていると言う文書をだせばいいだけですよ。
「大石寺の板本尊は弘安2年の大御本尊の現物」などと「大石寺の板本尊」に固執するのは日顕宗の特徴であり、
『「大石寺の板本尊は弘安2年の大御本尊の現物」を創価学会は「公式」に認めている』などは日顕宗特有の嘘ですよ。
>>590-591 >また、その気になれば調べる方法はある。既に行っている人がいるが、写真鑑定によって戒壇本尊の文字が、他の大聖人御真筆本尊の文字とピタリと重なり合えば、その時点でアウト。
印刷では無いのですから、写真で他の大聖人御真筆本尊と文字がピタリと重なるかどうかで判定は出来ませんよ。
日蓮聖人大漫荼羅一覧がありますが、「文字がピタリと重なる」で判定されているとは言えませんよ。
ttp://homepage3.nifty.com/juhoukai/mandara/mandaraitiran.html >だから教学の本からは、「大石寺」という言葉は消えても、「戒壇の大御本尊」という言葉が消えることはない。
「大石寺の板本尊」という言葉は消えても、「戒壇の大御本尊」という言葉が消えることはありませんよ。
>「公式見解」の問題じゃないよ。
話を摩り替えるのはやめなさい。
私がこの話題でコメントしている理由は
>>469に示しましたよ。
599 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/08(金) 19:13:03.83 ID:euosMHIS
>>598 > 印刷では無いのですから、写真で他の大聖人御真筆本尊と文字がピタリと重なるかどうかで判定は出来ませんよ。
私は「既に行っている人がいる」と書いたのに、何のことを言っているのか分かっていないようだね。
まあ別に君が知らなくてもいいことだから、それでいいよ。
> 「大石寺の板本尊」という言葉は消えても、「戒壇の大御本尊」という言葉が消えることはありませんよ。
当たり前だろ。「大石寺の板本尊」なんて君の造語と言っていいのだから、君が使うのをやめれば、その時点で消えるよ。
一方、「戒壇の大御本尊」は、大石寺門流の信仰の根本であるだけでなく、信仰とは次元の異なる研究の対象ともいえるのだから。
> 話を摩り替えるのはやめなさい。
君らの「話」なんて、私は関知しない。
「本門戒壇(=一閻浮提総与、弘安2年)の大御本尊」とは大石寺に安置されている板本尊に付けられた「名前」。特定の本尊に付けられた「名前」に、「見解」も糞もない。
それに関連して「(公式)見解」の相違があるとすれば、それは教義上の意義づけだ。
ただ、学会の会則には「一閻浮提総与の大御本尊」ってあるんだっけ? だったら議論の余地はない。
600 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/08(金) 22:44:40.84 ID:jPVXyPGe
>>599 >学会の会則には「一閻浮提総与の大御本尊」ってあるんだっけ?
結局、『創価学会は「大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊の現物」と公式に認めている』などと言うのは、
創価学会の現在の会則にある教義さえ知らずに、「学会の会則には「一閻浮提総与の大御本尊」ってあるんだっけ?」などと言っている日顕宗特有の「嘘」だっただけです。
このような場では、本当の学会員は
>>469にコメントしたことに注意をしてコメントするものですよ。
601 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/09(土) 00:40:42.61 ID:ORdZXglJ
まさに「宗教は意味があるのか?」という根元的な問題だなあ。
「神はほんとにいるのか?」
「仏はいるのか?」
そういえばいいのだから
どんな宗教でも批判するのは簡単だ。
しかし、日蓮を語って人を集めて、
「実は何の関係もありませんでしたあ」
では、世間的には詐欺と言われる。
騙されるほうが悪いと言えばそれまでだけど。
602 :
eco ◆Smw69BiSBo :2013/02/09(土) 01:10:59.03 ID:VQxL0xx8
>>585 >>キミが仮に正しくてもキミ一代で終わるだけなら意味は無い。
最近は それを思う事が非常に多くなっていて 検証の意味も含めて書いている事が多いし
結局 文字数制限の事もあって 去年の12月をもって辞めた・・と言うか休止にしたblogは
残すと言うコンセプトでシフトはしていますが 課題も残りましたね。
あと 報恩抄を読んでいて気付いた事ですが
やっぱり 一度「○」にしたものを再度検証しないといけないんじゃないのか?
・・・と言う部分も出てきた。
603 :
eco ◆Smw69BiSBo :2013/02/09(土) 01:13:12.80 ID:VQxL0xx8
あ そうだ
>>584は 解っているかとは 思われますが
「日蓮ってver22」宛てに出そうと書いた誤爆です。
604 :
名無しさん@お腹いっぱい。:
そもそも日蓮という人物が存在したという証拠は何もない。
いや、自分自身すら存在している証拠はあるのか?
ということだな。
何もかもが信じられない。
そうして人はテロリストになる。
いつあなたの周りの学会員が包丁を振り回して襲ってくるかわからない。
こないという証拠も何もない。